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 水族館の近所にある植込を見ると茶の木が一、二本眼につくでしょう。あれは昔の名残で、明治の初年には、あの辺一帯茶畠で、今活動写真のある六区は田でした。これが種々の変遷を経て、今のようになったのですから、浅草寺寺内のお話をするだけでもなかなか容易な事ではありません。その中で私は面白い事を選んでお話しましょう。  明治の八、九年頃、寺内にいい合わしたように変人が寄り集りました。浅草寺寺内の奇人団とでも題を附けましょうか、その筆頭には先ず私の父の椿岳を挙げます。私の父も伯父も浅草寺とは種々関係があって、父は公園の取払になるまで、あの辺一帯の開拓者となって働きましたし、伯父は浅草寺の僧侶の取締みたような役をしていました。ところで父は変人ですから、人に勧められるままに、御経も碌々読めない癖に、淡島堂の堂守となりました。それで堂守には、坊主の方がいいといって、頭をクリクリ坊主にした事がありました。ところで有難い事に、淡島堂に参詣の方は、この坊主がお経を出鱈目によむのを御存知なく、椿岳さんになってから、お経も沢山誦んで下さるし、御蝋燭も沢山つけて下さる、と悦んで礼をいいましたね。堂守になる前には仁王門の二階に住んでいました。(仁王門に住むとは今から考えたら随分奇抜です。またそれを見ても当時浅草寺の秩序がなかったのが判ります。)この仁王門の住居は出入によほど不自由でしたが、それでもかなり長く住んでいました。後になっては画家の鏑木雪庵さんに頼んで、十六羅漢の絵をかいて貰って、それを陳列して参詣の人々を仁王門に上らせてお茶を飲ませた事がありました。それから父は瓢箪池の傍で万国一覧という覗眼鏡を拵えて見世物を開きました。眼鏡の覗口は軍艦の窓のようで、中には普仏戦争とか、グリーンランドの熊狩とか、そんな風な絵を沢山に入れて、暗くすると夜景となる趣向をしましたが、余り繁昌したので面倒になり知人ででもなければ滅多にこの夜景と早替りの工夫をして見せませんでした。このレンズは初め土佐の山内侯が外国から取寄せられたもので、それが渡り渡って典物となり、遂に父の手に入ったもので、当時よほど珍物に思われていたものと見えます。その小屋の看板にした万国一覧の四字は、西郷さんが、まだ吉之助といっていた頃に書いて下さったものだといいます。それで眼鏡を見せ、お茶を飲ませて一銭貰ったのです。処で例の新門辰五郎が、見世物をするならおれの処に渡りをつけろ、といって来た事がありました。しかし父は変人ですし、それに水戸の藩から出た武士気質は、なかなか一朝一夕にぬけないで、新門のいう話なぞはまるで初めから取合わず、この興行の仕舞まで渡りをつけないで、別派の見世物として取扱われていたのでした。  それから次には伊井蓉峰の親父さんのヘヾライさん。まるで毛唐人のような名前ですが、それでも江戸ッ子です。何故ヘヾライと名を附けたかというと、これにはなかなか由来があります。これは変人の事を変方来な人といって、この変方来を、もう一つ通り越したのでヘヾライだという訳だそうです。このヘヾライさんは、写真屋を始めてなかなか繁昌しました。写真師ではこの人の他に、北庭筑波、その弟子に花輪吉野などいうやはり奇人がいました。  次に、久里浜で外国船が来たのを、十里離れて遠眼鏡で見て、それを注進したという、あの名高い、下岡蓮杖さんが、やはり寺内で函館戦争、台湾戦争の絵をかいて見せました。これは今でも九段の遊就館にあります。この他、浅草で始めて電気の見世物をかけたのは広瀬じゅこくさんで、太鼓に指をふれると、それが自然に鳴ったり、人形の髪の毛が自然に立ったりする処を見せました。  曲馬が東京に来た初めでしょう。仏蘭西人のスリエというのが、天幕を張って寺内で興行しました。曲馬の馬で非常にいいのを沢山外国から連れて来たもので、私などは毎日のように出掛けて、それを見せてもらいました。この連中に、英国生れの力持がいて、一人で大砲のようなものを担ぎあげ、毎日ドンドンえらい音を立てたので、一時は観音様の鳩が一羽もいなくなりました。  それから最後に狸の騒動があった話をしましょう。ただ今の六区辺は淋しい処で、田だの森だのがありました。それを開いたのは、大橋門蔵という百姓でした。森の木を伐ったり、叢を刈ったりしたので、隠れ家を奪われたと見えて、幾匹かの狸が伝法院の院代をしている人の家の縁の下に隠れて、そろそろ持前の悪戯を始めました。ちょっと申せば、天井から石を投げたり、玄関に置いた下駄を、台所の鍋の中に並べて置いたり、木の葉を座敷に撒いたり、揚句の果には、誰かが木の葉がお金であったらいいといったのを聞いたとかで、観音様の御賽銭をつかみ出して、それを降らせたりしたので、その騒ぎといったらありませんでした。前に申したスリエの曲馬で大砲をうった男が、よし来たというので、鉄砲をドンドン縁の下に打込む、それでもなお悪戯が止まなかったので、仕方がないから祀ってやろうとなって、祠を建てました。これは御狸様といって昔と位置は変っていますが、今でも区役所の傍にあります。 (明治四十五年四月『新小説』第十七年第四巻)        ◇  その御狸様のお告げに、ここに祀ってくれた上からは永く浅草寺の火防の神として寺内安泰を計るであろうとのことであったということです。  今浅草寺ではこのお狸様を鎮護大使者として祀っています。当時私の父椿岳はこの祠堂に奉納額をあげましたが、今は遺っていないようです。  毎年三月の中旬に近い日に祭礼を催します。水商売の女性たちの参詣が盛んであるようですが、これは御鎮護様をオチンボサマに懸けた洒落参りなのかも知れません。 (大正十四年十一月『聖潮』第二巻第十号より追補)
底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店    1999(平成11)年8月18日第1刷発行 ※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫) 入力:小林繁雄 校正:門田裕志 2003年2月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 例の珍らしいもの、変ったもの、何んでもに趣味を持つ僕の事ですから、この間三越の小児博覧会へ行った。見て行く中に、印度のコブラ(錦蛇あるいは眼鏡蛇)の玩具があったが、その構造が、上州の伊香保で売っている蛇の玩具と同じである。全く作り方が同じである処から見ると、この玩具は初め印度辺りから渡ったものらしい。もっとも今は伊香保だけしか売っていないようですが、昔は東京にでも花時などに売っているのを往々見かけた。昔東京で僕らが見たのは、胴と同じように、頭も木で出来てあったが、伊香保のは、頭が張子で、形は段々と巧みになっている。それからこの間、『耽奇漫録』から模したのですが、日向国高鍋の観音の市に売るという鶉車の玩具や、また筑後柳河で作る雉子車、この種の物は形が古雅で、無器用な処に面白味がある。この節では玩具一つでも、作方が巧みになって来たのは勿論であるが、面白味がなくなった。例えていえば昔の狐の面を見ると、眼の処に穴が空いていないが、近頃のはレースで冠って見えるようになっているなども、玩具の変遷の一例でしょう。面といえば昔は色々の形があった。僕の子供の時代であるから、安政度であるが、その時分の玩具には面が多くあって、おかめ、ひょっとこ、狐は勿論、今一向見かけない珍らしいのでは河童、蝙蝠などの面があったが、近頃は面の趣味は廃ったようだ。元来僕は面が大好きでしてね。その頃の僕の家ですから、僕が面が好きだというので、僕の室の欄間には五、六十の面を掛けて、僕のその頃の着物は、袂の端に面の散し模様が染めてあって、附紐は面継の模様であったのを覚えています位、僕が面好きであったと共に、玩具屋にも種々あったものです。清水晴風さんの『うなゐのとも』という玩具の事を書いた書の中にも、ベタン人形として挙げてあるのはこれで、肥後熊本日奈久で作られます。僕は上方風にベッタ人形といっているが、ベタン人形と同じものですよ。それからこの間仲見世で、長方形の木箱の蓋が、半ば引開になって、蓋の上には鼠がいて、開けると猫が追っかけて来るようになっている玩具を売ってますのを見たが、これは僕の子供の時分に随分流行って、その後廃たれていたのが、この頃またまた復活して来たのですな。今は到底売れないが昔亀戸の「ツルシ」といって、今張子の亀の子や兵隊さんがありますが、あの種類で、裸体の男が前を出して、その先きへ石を附けて、張子の虎の首の動くようなのや、おかめが松茸を背負っているという猥褻なのがありましたっけ。こんな子供の玩具にも、時節の変遷が映っているのですからな。僕の子供の頃の浅草の奥山の有様を考えると、暫くの間に変ったものです。奥山は僕の父椿岳さんが開いたのですが、こんな事がありましたっけ。確かチャリネの前かスリエという曲馬が――明治五年でしたか――興行された時に、何でもジョーワニという大砲を担いで、空砲を打つという曲芸がありまして、その時空鉄砲の音に驚かされて、奥山の鳩が一羽もいなくなった事がありました。奥山見世物の開山は椿岳で、明治四、五年の頃、伝法院の庭で、土州山内容堂公の持っていられた眼鏡で、普仏戦争の五十枚続きの油画を覗かしたのでした。看板は油絵で椿岳が描いたのでして、確かその内三枚ばかり、今でも下岡蓮杖さんが持っています。その覗眼鏡の中でナポレオン三世が、ローマのバチカンに行く行列があったのを覚えています。その外廓は、こう軍艦の形にして、船の側の穴の処に眼鏡を填めたので、容堂公のを模して足らないのを駒形の眼鏡屋が磨りました。而して軍艦の上に、西郷吉之助と署名して、南洲翁が横額に「万国一覧」と書いたのです。父はああいう奇人で、儲ける考えもなかったのですが、この興行が当時の事ですから、大評判で三千円という利益があった。  当時奥山の住人というと奇人ばかりで、今立派な共同便所のある処辺に、伊井蓉峰のお父さんの、例のヘベライといった北庭筑波がいました。ヘベライというのは、ヘンホーライを通り越したというのでヘベライと自ら号し、人はヘベさん〳〵といってました。それから水族館の辺に下岡蓮杖さん、その先に鏑木雪庵、広瀬さんに椿岳なんかがいました。古い池の辺は藪で、狐や狸が住んでいた位で、その藪を開いて例の「万国一覧」の覗眼鏡の興行があったのです。今の五区の処は田圃でしたから今の池を掘って、その土で今の第五区が出来たというわけで、これはその辺の百姓でした大橋門蔵という人がやったのです。  その後椿岳は観音の本堂傍の淡島堂に移って、いわゆる浅草画十二枚を一揃として描いて、十銭で売ったものです。近頃では北斎以後の画家として仏蘭西などへ行くそうです。奇人連中の寄合ですから、その頃随分面白い遊びをやったもので、山門で茶の湯をやったり、志道軒の持っていた木製の男根が伝っていたものですから、志道軒のやったように、辻講釈をやろうなどの議があったが、これはやらなかった。また椿岳は油絵なども描いた人で、明治初年の大ハイカラでした。それから面白いのは、父がゴム枕を持っていたのを、仮名垣魯文さんが欲しがって、例の覗眼鏡の軍艦の下を張る反古がなかった処、魯文さんが自分の草稿一屑籠持って来て、その代りに欲しがっていたゴム枕を父があげた事を覚えています。ツマリ当時の奇人連中は、京伝馬琴の一面、下っては種彦というような人の、耽奇の趣味を体得した人であったので、観音堂の傍で耳の垢取りをやろうというので、道具などを作った話もあります。本郷玉川の水茶屋をしていた鵜飼三二さんなどもこの仲間で、玉川の三二さんは、活きた字引といわれ、後には得能さんの顧問役のようになって、毎日友人の間を歴訪して遊んでいました。父の椿岳が油絵を教ったのは、横浜にいましたワグマンという人で、この人の油絵は山城宇治の万碧楼菊屋という茶屋に残っています。このワグマンという人も奇人で、手を出して雀を呼ぶと、鳥が懐いて手に止りに来たというような人柄でした。ポンチ画なども描いて、今僕の覚えていて面白かったと思うのは、ポストの口に蜘蛛の巣の張っている処の画などがありました。(明治四十二年六月『趣味』第四巻第六号)
底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店    1999(平成11)年8月18日第1刷発行 入力:小林繁雄 校正:門田裕志 2003年2月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 凧の話もこれまで沢山したので、別に新らしい話もないが、読む人も違おうから、考え出すままにいろいろな事を話して見よう。  凧の種類には扇、袢纏、鳶、蝉、あんどん、奴、三番叟、ぶか、烏、すが凧などがあって、主に細工物で、扇の形をしていたり、蝉の形になっていたりするものである。これらの種類のものは支那から来たもののようである。また普通の凧の絵は、達磨、月浪、童子格子、日の出に鶴、雲龍、玉取龍、鯉の滝上り、山姥に金太郎、或いは『三国志』や『水滸伝』の人物などのものがある。また字を書いたのでは、鷲、獅子、虎、龍、嵐、魚、鶴、などと大体凧の絵や字は定まっている。けれども『三国志』や『水滸伝』の人物の二人立三人立などの細かい絵になると、高く揚った場合、折角の絵も分らないから、それよりも月浪とか童子格子とか、字なら龍とか嵐などがいいようである。長崎の凧は昔葡萄牙や和蘭の船の旗を模したと見えて、今日でも信号旗のようなものが多い。  糸目のつけ方にはいろいろあって、両かしぎ、下糸目、上糸目、乳糸目、三本糸目、二本糸目、本糸目などがある。両かしぎというのは、左右へかしぐようにつける糸目で、凧の喧嘩には是非これに限る。下糸目にすれば手繰った時凧が下を向いて来るし、上糸目にすれば下って来る。乳糸目というのは普通糸目の他に乳のように左右へ別に二本殖やすのである。二本糸目というのは、うら張りの具合で、上下二本の糸目でも充分なのである。本糸目というと、即ち骨の重った所及び角々全部へ糸目をつけたものである。骨は巻骨即ち障子骨、六本骨、七本骨などがあって、巻骨は骨へ細い紙を巻いたもので、障子の骨のようになっているので、障子骨の名もある。六本骨七本骨は、普通の骨組みで、即ちX形に組んだ骨が這入っているのである。そうしてこの巻骨の障子骨は丈夫で良い凧としてある。なお上等の凧は、紙の周囲に糸が這入っているのが例である。  糸は「いわない」またの名を「きんかん」というのが最もよいとしている。この凧に附随したものは、即ち「雁木」と「うなり」だが、長崎では「ビードロコマ」といって雁木の代りにビードロの粉を松やにで糸へつけて、それで相手の凧の糸を摺り切るのである。「うなり」は鯨を第一とし、次ぎは籐であるが、その音がさすがに違うのである。また真鍮で造ったものもあったが、値も高いし、重くもあるので廃ってしまった。今日では「ゴムうなり」が出来たようだ。それからこの「うなり」を、凧よりも長いのを付けると、昔江戸などでは「おいらん」と称えて田舎式としたものである。  凧にも随分大きなものがあって、阿波の撫養町の凧は、美濃紙千五百枚、岡崎の「わんわん」という凧も、同じく千五百枚を張るのであるという。その他、大代の「菊一」というのが千四百枚、北浜の「笹」というのが千枚、吉永の「釘抜」が九百枚、木津新町の「菊巴」が九百枚の大きさである。  珍らしいものでは、飛騨に莨の葉を凧にしたものがある。また南洋では袋のような凧を揚げて、その凧から糸を垂れて水中の魚を釣るという面白い用途もある。朝鮮の凧は五本骨で、真中に大きな丸い穴が空いていて、上に日、下に月が描いてある。真中に大きな穴が空いていてよく揚ると思うが、誠に不思議である。前にいった「すが凧」というのは「すが糸」であげる精巧な小さな凧で、これは今日では飾り凧とされている。これは江戸の頃、秋山正三郎という者がこしらえたもので、上野の広小路で売っていたのである。その頃この広小路のすが凧売りの錦絵が出来ていたと思った。  さて私の子供の時分のことを思い出して話して見よう。その頃、男の子の春の遊びというと、玩具では纏や鳶口、外の遊びでは竹馬に独楽などであったが、第一は凧である。電線のない時分であるから、初春の江戸の空は狭きまでに各種の凧で飾られたものである。その時分は町中でも諸所に広場があったので、そこへ持ち出して揚げる。揚りきるとそのまま家々の屋根などを巧みに避けて、自分の家へ持ち帰り、家の内に坐りながら、大空高く揚った凧を持って楽しんでいたものである。大きいのになると、十四、五枚のものもあったが、それらは大人が揚げたものであった。  私のいた日本橋馬喰町の近くには、秩父屋という名高い凧屋があって、浅草の観音の市の日から、店先きに種々の綺麗な大きな凧を飾って売り出したものであった。昔は凧の絵の赤い色は皆な蘇枋というもので描いたので、これはやはり日本橋の伊勢佐という生薬屋で専売していたのだが、これを火で温めながら、凧へ塗ったものである。その秩父屋でも何時も店で、火の上へ蘇枋を入れた皿を掛けて、温めながら凧を立て掛けて置いて、いろいろな絵を描いていたが、誠にいい気分のものであった。またこの秩父屋の奴凧は、名優坂東三津五郎の似顔で有名なものだった。この秩父屋にいた職人が、五年ばかり前まで、上野のいとう松坂の横で凧屋をしていたが、この人の家の奴凧も、主家のを写したのであるから、やはり三津五郎の顔であった。  それからもう一つ、私の近所で名高かったものは、両国の釣金の「堀龍」という凧であった。これは両国の袂の釣竿屋の金という人が拵らえて売る凧で、龍という字が二重になっているのだが、これは喧嘩凧として有名なもので、随って尾などは絶対につけずに揚げるいわゆる坊主凧であった。  今日でも稀には見掛けるが、昔の凧屋の看板というものが面白かった。籠で蛸の形を拵らえて、目玉に金紙が張ってあって、それが風でくるりくるりと引っくり返るようになっていた。足は例の通り八本プラリブラリとぶら下っていて、頭には家に依って豆絞りの手拭で鉢巻をさせてあるのもあり、剣烏帽子を被っているものもあったりした。  この凧遊びも二月の初午になると、その後は余り揚げる子供もなくなって、三月に這入ると、もう「三月の下り凧」と俗に唱えて、この時分に凧を揚げると笑われたものであった。  さておしまいに、手元に書きとめてある凧の句を二ツ三ツ挙げて見よう。 えた村の空も一つぞ凧 去来 葛飾や江戸を離れぬ凧 其角 美しき凧あがりけり乞食小屋 一茶 物の名の鮹や古郷のいかのぼり 宗因 糸つける人と遊ぶや凧 嵐雪 今の列子糸わく重し人形凧 尺草 (大正七年一月『趣味之友』第二十五号)
底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店    1999(平成11)年8月18日第1刷発行 ※「ぶか」のあとに編集部の注記がありますが、除きました。 ※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫) 入力:小林繁雄 校正:門田裕志 2003年2月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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       一  玩具と言えば単に好奇心を満足せしむる底のものに過ぎぬと思うは非常な誤りである。玩具には深き寓意と伝統の伴うものが多い。換言すれば人間生活と不離の関係を有するものである。例えば奥州の三春駒は田村麻呂将軍が奥州征伐の時、清水寺の僧円珍が小さい駒を刻みて与えたるに、多数の騎馬武者に化現して味方の軍勢を援けたという伝説に依って作られたもので、これが今日子育馬として同地方に伝わったものである。日向の鶉車というのは朝鮮の一帰化人が一百歳の高齢に達した喜びを現わすために作ったのが、多少変形して今日に伝ったのである。米沢の笹野観音で毎年十二月十七、八日の両日に売出す玩具であって、土地で御鷹というのは素朴な木彫で鶯に似た形の鳥であるが、これも九州太宰府の鷽鳥や前記の鶉車の系統に属するものである。  鷹山上杉治憲公が日向高鍋城主、秋月家より宝暦十年の頃十歳にして、米沢上杉家へ養子となって封を襲うた関係上、九州の特色ある玩具が奥州に移ったものと見られる。仙台地方に流行するポンポコ槍の尖端に附いている瓢には、元来穀物の種子が貯えられたのである。これが一転して玩具化したのである。        二  かく稽えて見ると、後世全く無意味荒唐と思われる玩具にも、深き歴史的背景と人間生活の真味が宿っている事を知るべきである。アイヌの作った一刀彫の細工ものにも、極めて簡素ではあるが、その形態の内に捨て難き美を含んでいるのである。  地方僻遠の田舎に、都会の風塵から汚されずに存在する郷土的玩具や人形には、一種言うべからざる簡素なる美を備え、またこれを人文研究史上から観て、頗る有意義なるものが多いのであるが、近来交通機関が益々発達したると、都会風が全く地方を征服したるとに依り、地方特有の玩具が益々影が薄れて来て、多くは都会化した玩具や、人形を作るようになって来たのは如何にも遺憾である。  郷土的な趣味や雅致あるものも、購買者が少なければ、製作者もこれに依って生活が出来ぬという経済的原因に支配されて、保存さるべきものが、保存されずに亡び行くことは惜みても余りあることである。        三  都会的趣味は、一面地方を侵害しては行くが、物価の高い都会生活では、到底製作出来ぬようなものを、比較的生活費が低いのと、生活環境が安定しているのとで、非常に面白味のある玩具が、或る地方には今なお製作されている処もある。  かくの如きものは是非とも保存して、その地方の一特産としたいものである。その他に趣味上保存すべき郷土的人形や、玩具に対しても保護を加えて存続させたいものである。近来市井に見かける俗悪な色彩のペンキ塗のブリキ製玩具の如きは、幼年教育の上からいうも害あって益なかるべしと思うのである。  玩具及び人形は単に一時の娯楽品や、好奇心を満足せしむるを以ってやむものでない事は、人類最古の文明国たりし埃及時代に已に見事なものが存在したのでも知られる。英国の博物館には、四、五千年前のミイラの中から発見された玩具が陳列されてあるのである。これに依って見ても玩具は人類の生活と共に存在したことが想われる。  玩具は人類の思想感情の表現されたものである事は、南洋の蛮人の玩具が怪奇にして、文明国民の想像すべからざる形態を有するに見ても知るべきである。概して野蛮人は人を恐怖せしむるが如きものを表現して喜ぶ傾向を有するのである。されば玩具や人形は、単に無智なる幼少年の娯楽物に非ずして、考古学人類学の研究資料とも見るべきものである。茲において我が地方的玩具の保護や製作を奨励する意味が一層深刻になるのである。(大正十四年九月『副業』第二巻第九号)
底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店    1999(平成11)年8月18日第1刷発行 入力:小林繁雄 校正:門田裕志 2003年2月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "004952", "作品名": "土俗玩具の話", "作品名読み": "どぞくがんぐのはなし", "ソート用読み": "とそくかんくのはなし", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「副業」第2巻第9号、1925(大正14)年9月", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2003-02-18T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000388/card4952.html", "人物ID": "000388", "姓": "淡島", "名": "寒月", "姓読み": "あわしま", "名読み": "かんげつ", "姓読みソート用": "あわしま", "名読みソート用": "かんけつ", "姓ローマ字": "Awashima", "名ローマ字": "Kangetsu", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1859-11-17", "没年月日": "1926-02-23", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "梵雲庵雑話", "底本出版社名1": "岩波文庫、岩波書店", "底本初版発行年1": "1999(平成11)年8月18日", "入力に使用した版1": "1999(平成11)年8月18日第1刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "小林繁雄", "校正者": "門田裕志", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000388/files/4952_ruby_8546.zip", "テキストファイル最終更新日": "2003-02-10T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000388/files/4952_8647.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2003-02-10T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 江戸趣味や向島沿革について話せとの御申込であるが、元来が不羈放肆な、しかも皆さんにお聞かせしようと日常研究し用意しているものでないから、どんな話に終始するか予めお約束は出来ない。        ◇  人はよく私を江戸趣味の人間であるようにいっているが、決して単なる江戸趣味の小天地に跼蹐しているものではない。私は日常応接する森羅万象に親しみを感じ、これを愛玩しては、ただこの中にプレイしているのだと思っている。洋の東西、古今を問わず、卑しくも私の趣味性を唆るものあらば座右に備えて悠々自適し、興来って新古の壱巻をも繙けば、河鹿笛もならし、朝鮮太鼓も打つ、時にはウクレルを奏しては土人の尻振りダンスを想って原始なヂャバ土人の生活に楽しみ、時にはオクライナを吹いてはスペインの南国情緒に陶酔もする、またクララ・キンベル・ヤングやロンチャニーも好愛し、五月信子や筑波雪子の写真も座臥に用意して喜べる。こういう風に私は事々物々総てに親愛を見出すのである。        ◇     オモチヤの十徳 一、トーイランドは自由平等の楽地也。 一、各自互に平和なり。 一、縮小して世界を観ることを得。 一、各地の風俗を知るの便あり。 一、皆其の知恵者より成れり。 一、沈黙にして雄弁なり。 一、朋友と面座上に接す。 一、其の物より求めらるゝの煩なし。 一、依之我を教育す。 一、年を忘れしむ。   皆おもちや子供のもてるものゝみを       それと思へる人もあるらむ  これが、私が応接する総てを愛玩出来る心で、また私の哲学である。従って玩具を損失したからとて、少しも惜いとは思わない。私は這般の大震災で世界の各地から蒐集した再び得がたい三千有余の珍らしい玩具や、江戸の貴重な資料を全部焼失したが、別して惜しいとは思わない。虚心坦懐、去るものを追わず、来るものは拒まずという、未練も執着もない無碍な境地が私の心である。それ故私の趣味は常に変遷転々として極まるを知らず、ただ世界に遊ぶという気持で、江戸のみに限られていない。私の若い時代は江戸趣味どころか、かえって福沢諭吉先生の開明的な思想に鞭撻されて欧化に憧れ、非常な勢いで西洋を模倣し、家の柱などはドリックに削り、ベッドに寝る、バタを食べ、頭髪までも赤く縮らしたいと願ったほどの心酔ぶりだった。そうはいえ私は父から受け継いだのか、多く見、多く聞き、多く楽しむという性格に恵まれて、江戸の事も比較的多く見聞きし得たのである。それもただ自らプレイする気持だけで、後世に語り伝えようと思うて研究した訳ではないが、お望みとあらばとにかく漫然であるが、見聞の一端を思い出づるままにとりとめもなくお話して見よう。        ◇  古代からダークとライトとは、文明と非常に密接な関係を持つもので、文明はあかりを伴うものである。元禄時代の如きは非常に明い気持があったがやはり江戸時代は暗かった。        ◇  花火について見るも、今日に較ぶればとても幼稚なもので、今見るような華やかなものはなかった。何んの変哲も光彩もないただの火の二、三丈も飛び上るものが、花火として大騒ぎをされたのである。一体花火は暗い所によく映ゆるものであるから、今日は化学が進歩して色々のものが工夫されているが、同時に囲りが明るくされているので、かえってよく環境と照映しない憾みがある。        ◇  昔から花火屋のある処は暗いものの例となっている位で、店の真中に一本の燈心を灯し、これを繞って飾られている火薬に、朱書された花火という字が茫然と浮出している情景は、子供心に忘れられない記憶の一つで、暗いものの標語に花火屋の行燈というが、全くその通りである。当時は花火の種類も僅かで、大山桜とか鼠というような、ほんのシューシューと音をたてて、地上にただ落ちるだけ位のつまらない程度のもので、それでもまたミケンジャクや烏万燈等と共に賞美され、私たちの子供の時分には、日本橋横山町二丁目の鍵屋という花火屋へせっせと買いに通ったものである。        ◇  芝居について見るも、今日の如く照明の発達した明るい中で演ずるのではなく、江戸時代は全くの暗闇で芝居しているような有様であったので、昔は面あかりといって長い二間もある柄のついたものを、役者の顔前に差出して芝居を見せたもので、なかなか趣きがあった。人形芝居にしても、今日は明るいためにかえって人形遣いの方が邪魔になってよほど趣きを打壊すが、昔は暗い上に八つ口だけの赤い、真黒な「くろも」というものを着附けていたので目障りではなかった。あるいは木魚や鐘を使ったり、またバタバタ音を立てるような種々の形容楽器に苦心して、劇になくてはならない気分を相応に添えたものである。芝居の時間も長くはねは十二時過ぎから一時過ぎに及び、朝も暗い中から押かけて行くという熱心さで、よく絵に見かける半身を前に乗り出すようにして行く様があるが、どんなに一生懸命であったかを実証している。        ◇  昔はまた役者の簪とか、紋印がしてある扇子や櫛などを身に飾って狂喜したものだ。で役者の方でも、狂言に因んだ物を娘たちに頒って人気を集めたもので、これを浅草の金華堂とかいうので造っていた。当時の五代目菊五郎の人気などは実に素晴らしいもので、一丁目の中村座を越えてわざわざ市村座へ通う人も少くなかった。        ◇  前述もしたように、とにかく江戸時代は暗かった。だが文明は光を伴うものである。我国には古くから八間という燈があった。これは寺院などに多くあるもので、実際は八間はなかったが、かなり大きいのでこの名がある。また当時よく常用されたものに蝋台がある。これは蝋燭を灯すに用い多く会津で出来た、いわゆる絵ローソクを使ったもので、今日でも東本願寺など浄土宗派のお寺ではこれを用いている。中には筍形をしたのもあった。また行燈に入れるものに「ひょうそく」というものを用いた。それから今でも奥州方面の山間へ行くとある「でっち」というものが使われた。それは松脂の蝋で練り固めたもので、これに類似した田行燈というものを百姓家では用いた。これは今でも一の関辺へ行くと遺っている。        ◇  支那から伝来して来た竹紙という、紙を撚合せて作った火縄のようなものがあったが、これに点火されておっても、一見消えた如くで、一吹きすると火を現わすのでなかなか経済的で、煙草の火附に非常に便利がられた。また明治の初年には龕燈提灯という、如何に上下左右するも中の火は常に安定の状態にあるように、巧に造られたものがあったが、現に熊本県下にはまだ残存している。また当時の質屋などでは必らず金網のボンボリを用いた。これはよそからの色々な大切なものを保管しているので、万一を慮かって特に金網で警戒したのである。        ◇  明治時代のさる小説家が生半可で、彼の小説中に質屋の倉庫に提灯を持って入ったと書いて識者の笑いを招いた事もある。越えて明治十年頃と思うが、始めて洋燈が移入された当時の洋燈は、パリーだとか倫敦辺で出来た舶来品で、割合に明いものであったが、困ることには「ほや」などが壊れても、部分的な破損を補う事が不可能で、全部新規に買入れねばならない不便があった。石油なども口を封蝋で缶してある大きな罎入を一缶ずつ購めねばならなかった。        ◇  そんな具合でランプを使用する家とては、ほんの油町に一軒、人形町に一軒、日本橋に一軒という稀なものであったが、それが瓦斯燈に変り、電燈に移って今日では五十燭光でもまだ暗いというような時代になって、ランプさえもよほどの山間僻地でも全く見られない、時世の飛躍的な推移は驚愕の外はない。瓦斯の入来したのは明治十三、四年の頃で、当時吉原の金瓶大黒という女郎屋の主人が、東京のものを一手に引受けていた時があった。昔のものは花瓦斯といって焔の上に何も蔽わず、マントルをかけたのは後年である。        ◇  江戸から東京への移り変りは全く躍進的で、総てが全く隔世の転換をしている。この向島も全く昔の俤は失われて、西洋人が讃美し憧憬する広重の錦絵に見る、隅田の美しい流れも、現実には煤煙に汚れたり、自動車の煽る黄塵に塗れ、殊に震災の蹂躙に全く荒れ果て、隅田の情趣になくてはならない屋形船も乗る人の気分も変り、型も改まって全く昔を偲ぶよすがもない。この屋形船は大名遊びや町人の札差しが招宴に利用したもので、大抵は屋根がなく、一人や二人で乗るのでなくて、中に芸者の二人も混ぜて、近くは牛島、遠くは水神の森に遊興したものである。        ◇  向島は桜というよりもむしろ雪とか月とかで優れて面白く、三囲の雁木に船を繋いで、秋の紅葉を探勝することは特によろこばれていた。季節々々には船が輻輳するので、遠い向う岸の松山に待っていて、こっちから竹屋! と大声でよぶと、おうと答えて、お茶などを用意してギッシギッシ漕いで来る情景は、今も髣髴と憶い出される。この竹屋の渡しで向島から向う岸に渡ろうとする人の多くは、芝居や吉原に打興じようとする者、向島へ渡るものは枯草の情趣を味うとか、草木を愛して見ようとか、遠乗りに行楽しようとか、いずれもただ物見遊山するもののみであった。        ◇  向島ではこれらの風流人を迎えて業平しじみとか、紫鯉とか、くわいとか、芋とか土地の名産を紹介して、いわゆる田舎料理麦飯を以って遇し、あるいは主として川魚を御馳走したのである。またこの地は禁猟の域で自然と鳥が繁殖し、後年掟のゆるむに従って焼き鳥もまた名物の一つになったのである。如上捕捉する事も出来ない、御注文から脱線したとりとめもないものに終ったが、予めお断りして置いた通り常にプレイする以外に研究の用意も、野心もない私に、組織的なお話の出来ようはずがないから、この度はこれで責をふさぐ事にする。(大正十四年八月二十四、五、六日『日本新聞』)
底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店    1999(平成11)年8月18日第1刷発行 ※「ミケンジャク」のあとに編集部の注記がありますが、除きました。 ※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫) 入力:小林繁雄 校正:門田裕志 2003年2月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 幼い頃の朧ろげな記憶の糸を辿って行くと、江戸の末期から明治の初年へかけて、物売や見世物の中には随分面白い異ったものがあった。私はそれらを順序なく話して見ようと思う。        一  まず第一に挙げたいのは、花見時の上野に好く見掛けたホニホロである。これは唐人の姿をした男が、腰に張子で作った馬の首だけを括り付け、それに跨ったような格好で鞭で尻を叩く真似をしながら、彼方此方と駆け廻る。それを少し離れた処で柄の付いた八角形の眼鏡の、凸レンズが七個に区画されたので覗くと、七人のそうした姿の男が縦横に馳せ廻るように見えて、子供心にもちょっと恐ろしいような感じがしたのを覚えている。  その頃の上野には御承知の黒門があって、そこから内へは一切物売を厳禁していたから、元の雁鍋の辺から、どんどんと称していた三枚橋まで、物売がずっと店を出していたものだったが、その中で残っているのは菜の花の上に作り物の蝶々を飛ばせるようにした蝶々売りと、一寸か二寸四方位な小さな凧へ、すが糸で糸目を長く付けた凧売りとだけだ。この凧はもと、木挽町の家主で兵三郎という男が拵らえ出したもので、そんな小さいものだけに、骨も竹も折れやすいところから、紙で巻くようにしていわゆる巻骨ということも、その男が工夫した事だという。  物売りではないが、紅勘というのはかなり有名なものだった。浅黄の石持で柿色の袖なしに裁布をはいて、腰に七輪のアミを提げて、それを叩いたり三味線を引いたりして、種々な音色を聞かせたが、これは芝居や所作事にまで取り入れられたほど名高いものである。        二  それから両国の広小路辺にも随分物売りがいたものだった。中で一番記憶に残っているのは細工飴の店で、大きな瓢箪や橋弁慶なぞを飴でこしらえて、買いに来たものは籤を引かせて、当ったものにそれを遣るというので、私などもよく買いに行ったものだが、いつも詰らない飴細工ばかり引き当てて、欲しいと思う橋弁慶なぞは、何時も取ったことがなく落胆したものだった。  物売りの部へ入れるのは妙だが、神田橋本町の願人坊主にも、いろいろ面白いのがいた。決してただ銭を貰うという事はなく、皆何か芸をしたものだけに、その時々には様々な異ったものが飛出したもので、丹波の荒熊だの、役者の紋当て謎解き、または袋の中からいろいろな一文人形を出して並べ立てて、一々言い立てをして銭を貰うのは普通だったが、中には親孝行で御座いといって、張子の人形を息子に見立てて、胸へ縛り付け、自分が負ぶさった格好をして銭を貰うもの――これは評判が好くて長続きした。半身肌脱ぎになって首から上へ真白に白粉を塗って、銭湯の柘榴口に見立てた板に、柄のついたのを前に立て、中でお湯を使ったり、子供の人形を洗ってやったりするところを見せたものなぞがあったものである。        三  私の生れた馬喰町の一丁目から四丁目までの道の両側は、夜になるといつも夜店が一杯に並んだものだった。その頃は幕府瓦解の頃だったから、八万騎をもって誇っていた旗本や、御家人が、一時に微禄して生活の資に困ったのが、道具なぞを持出して夜店商人になったり、従って芝居なぞも火の消えたようなので、役者の中にはこれも困って夜店を出す者がある位で、実に賑やかなものだったが、それらの夜店商人が使う蝋燭は、主に柳橋の薩摩蝋燭といって、今でも安いものを駄蝋という位、酷いものだが、それを売りに来る男で歌吉というのがあった。これがまた、天性の美音で「蝋燭で御座いかな」と踊るような身ぶりをして売って歩いたが、馬喰町の夜店が寂れると同時に、鳥羽絵の升落しの風をして、大きな拵らえ物の鼠を持って、好く往来で芸をして銭を貰っていたのを覚えている。美音で思い出したが、十軒店にも治郎公なぞと呼んでいた鮨屋が、これも美い声で淫猥な唄ばかり歌って、好く稲荷鮨を売りに来たものだった。        四  明治も十年頃になると物売りもまた変って来て、隊長の鳥売りなぞといって、金モールをつけた怪しげな大礼服を着て、一々言立てをするのや、近年まであったカチカチ団子と言う小さい杵で臼を搗いて、カチカチと拍子を取るものが現われた。また、それから少し下っては、落語家のへらへらの万橘が、一時盛んな人気だった頃に、神田台所町の井戸の傍だったかに、へらへら焼一名万橘焼というものを売り出したものがいて、これが大層好く売れたものであったそうだ。  昔のことをいえば限りがないが、物価も今より安かっただけ、いろいろ馬鹿げた事を考え出す者が多かった故か、物売りにまで随分変ったものがあった。とにかくその頃の女の髪結銭が、島田でも丸髷でも百文(今の一銭に当る)で、柳橋のおもとといえば女髪結の中でも一といわれた上手だったが、それですら髪結銭は二百文しか取らなかった。今から思えば殆んど夢のような気がする。忙しく余裕のない現代に生活している若い人たちが聞いたら、そこには昼と夜ほどの懸隔を見出す事であろうと思われる位だった。 (大正十二年四月『七星』第一号)        五  私の今住んでいる向島一帯の土地は、昔は石が少かったそうである。それと反対に向河岸の橋場から今戸辺には、石浜という名が残っている位に石が多かった。で、江戸もずっと以前の事であろうが、石浜に住んでいる人たちは、自分の腕の力を試すという意味も含ませて、向島の方へ石を投げてよこしたという伝説がある。その代りという訳でもあるまいが、この辺の土地は今でも一間も掘り下げると、粘土が層をなしていて、それが即ち今戸焼には好適の材料となるので、つまり暗黙のうちに物々交換をする訳なのである。  この石投げということは、俳諧の季題にある印地打ということなので、この風習は遠い昔に朝鮮から伝来したものらしく、今でも朝鮮では行われているそうだが、それが五月の行事となったのも、つまりは男子の節句という、勇ましいというよりもむしろ荒々しい気風にふさわしい遊戯であるからではなかろうか。既に近松門左衛門の『女殺油地獄』の中に――五月五日は女は家と昔から――という文句があるが、これも印地打のために女子供が怪我をするといけないから表へ出るなと、戒めたものであるらしい。  またそれほど烈しければこそ、多くの怪我人も出来て、後には禁止されたのである。        六  荒々しいといえば、五月人形の内、鍾馗にしろ金時にしろ、皆勇ましく荒々しいものだが、鍾馗は玄宗皇帝の笛を盗んだ鬼を捉えた人というし、金時は今も金時山に手玉石という大きな石が残っている位強かったというが、その子の金平も、きんぴら牛蒡やきんぴら糊に名を残したばかりか、江戸初期の芝居や浄瑠璃には、なくてはならない大立者だ。この浄瑠璃を語り初めた和泉太夫というのは、高座へ上るには二尺余りの鉄扇を持って出て、毎晩舞台を叩きこわしたそうだが、そんな殺伐なことがまだ戦国時代の血腥い風の脱け切らぬ江戸ッ子の嗜好に投じて、遂には市川流の荒事という独特な芸術をすら生んだのだ。  荒事といえば二代目の団十郎にこんな逸話がある。それは或る時座敷に招ばれて、その席上で荒事を所望されたので、立上って座敷の柱をゆさゆさと揺ぶり、「これが荒事でございます」といったら、一同喝采して悦んだという事が或る本に書いてあった。        七  印地打が朝鮮渡来の風習だという事は前に言ったが、同じ節句の柏餅も、やはり支那かもしくは印度あたりから伝えられたものであろう。というのは、今でも印度辺りでは客に出す食物は、大抵木の葉に盛って捧げられる風習がある。つまり木の葉は清浄なものとしてあるのだが、それらのことが柏餅を生み椿餅を生み、そして編笠餅や乃至桜餅を生んだと見ても差支えないように考える。  殊に昔、支那や朝鮮の種族が、日本へ移住した数は尠なからぬので、既に僧行基が奈良のある寺で説教を試みた時、髪に豚の脂の匂いのする女が来て聴聞したという話がある位、従ってそれらの部落で膳椀の代りに木の葉を用いたのが、伝播したとも考えられぬ事はない。唯幸いにして日本人は肉が嫌いであったがため、あの支那料理のシュウマイみたようなものを包む代りに、餡の這入った柏餅が製されて、今に至るも五月になれば姿が見られ得るのは、甘党の私などに取って悦ばしい事の一つかも知れない。呵々。 (大正十二年五月『七星』第二号)
底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店    1999(平成11)年8月18日第1刷発行 入力:小林繁雄 校正:門田裕志 2003年2月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 明治十年前後の小説界について、思い出すままをお話してみるが、震災のため蔵書も何も焼き払ってしまったので、詳しいことや特に年代の如きは、あまり自信をもって言うことが出来ない。このことは特にお断りして置きたい。  一体に小説という言葉は、すでに新しい言葉なので、はじめは読本とか草双紙とか呼ばれていたものである。が、それが改ったのは戊辰の革命以後のことである。  その頃はすべてが改った。言い換えれば、悉く旧物を捨てて新らしきを求め出した時代である。『膝栗毛』や『金の草鞋』よりも、仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』や『安愚楽鍋』などが持て囃されたのである。草双紙の挿絵を例にとって言えば、『金花七変化』の鍋島猫騒動の小森半之丞に、トンビ合羽を着せたり、靴をはかせたりしている。そういうふうにしなければ、読者に投ずることが出来なかったのである。そうしてさまざまに新しさを追ったものの、時流には抗し難く、『釈迦八相記』(倭文庫)『室町源氏』なども、ついにはかえり見られなくなってしまった。  戯作者の殿りとしては、仮名垣魯文と、後に新聞記者になった山々亭有人(条野採菊)に指を屈しなければならない。魯文は、『仮名読新聞』によって目醒ましい活躍をした人で、また猫々道人とも言ったりした。芸妓を猫といい出したのも、魯文がはじめである。魯文は後に『仮名読新聞』というものを創設した。それは非常に時流に投じたものであった。つづいて前田夏繁が、香雪という雅号で、つづきものを、『やまと新聞』のはじめに盛んに書き出した。  その頃は作者の外に投書家というものがあって、各新聞に原稿を投じていた。彼らのなかからも、注目すべき人が出た。『読売』では中坂まときの時分に、若菜貞爾(胡蝶園)という人が出て小説を書いたが、この人は第十二小区(いまの日本橋馬喰町)の書記をしていた人であった。その他、投書家でもよいものは作者と同じように、原稿料をとっていたように記憶する。(斎藤緑雨なども、この若菜貞爾にひきたてられて、『報知』に入ったものである。)  これらの人々によって、その当時演芸道の復活を見たことは、また忘れることの出来ない事実である。旧物に対する蔑視と、新らしき物に対する憧憬とが、前述のように烈しかったその当時は、役者は勿論のこと、三味線を手にしてさえも、科人のように人々から蔑しめられたものであった。それ故、演芸に関した事柄などは、新聞にはちょっぴりとも書かれなかった。そうした時代に、浮川福平は都々逸の新作を矢継早に発表し、また仮名垣魯文の如きは、その新聞の殆んど半頁を、大胆にも芝居の記事で埋めて、演芸を復活させようとつとめた。  そのうち、かの『雪中梅』の作者末広鉄腸が、『朝日新聞』に書いた。また服部誠一翁がいろいろなものを書いた。寛(総生)は寛でさまざまなもの、例えば秘伝の類、芸妓になる心得だとか地獄を買う田地だとかいうようなものを書いて一しきりは流行ったものである。  読物はこの頃になっては、ずっと新しくなっていて、丁髷の人物にも洋傘やはやり合羽を着せなければ、人々がかえり見ないというふうだった。二代目左団次が舞台でモヘルの着物をつけたり、洋傘をさしたりなどしたのもこの頃のことである。が、作は随分沢山出たが、傑作は殆んどなかった。その折に出たのが、坪内逍遥氏の『書生気質』であった。この書物はいままでの書物とはくらべものにならぬ優れたもので、さかんに売れたものである。  版にしないものはいろいろあったが、出たものには山田美妙斎が編輯していた『都の花』があった。その他硯友社一派の『文庫』が出ていた。  劇評では六二連の富田砂燕という人がいた。この人の前には梅素玄魚という人がいた。後にこの人は楽屋白粉というものをつくって売り出すような事をしたものである。  話が前後したが、成島柳北の『柳橋新誌』の第二篇は、明治七年に出た。これは柳暗のことを書いたものである。その他に『東京新繁昌記』も出た。新しい西欧文明をとり入れ出した東京の姿を書いたもので、馬車だとか煉瓦だとかが現われ出した頃のことが書かれてある。これはかの寺門静軒の『江戸繁昌記』にならって書かれたものである。  一体にこの頃のものは、話は面白かったが、読んで味いがなかった。        ◇  明治十三、四年の頃、西鶴の古本を得てから、私は湯島に転居し、『都の花』が出ていた頃紅葉君、露伴君に私は西鶴の古本を見せた。  西鶴は俳諧師で、三十八の歳延宝八年の頃、一日に四千句詠じたことがある。貞享元年に二万三千五百句を一日一夜のうちによんだ。これは才麿という人が、一日一万句を江戸でよんだことに対抗したものであった。散文を書いたのは、天和二年四十二歳の時で、『一代男』がそれである。  幸い私は西鶴の著書があったので、それを紅葉、露伴、中西梅花(この人は新体詩なるものを最初に創り、『梅花詩集』という本をあらわした記念さるべき人である。後、不幸にも狂人になった)、内田魯庵(その頃は花の屋)、石橋忍月、依田百川などの諸君に、それを見せることが出来たのである。  西鶴は私の四大恩人の一人であるが、私が西鶴を発見したことに関聯してお話ししたいのは、福沢先生の本のことである。福沢先生の本によって、十二、三歳の頃、私ははじめて新らしい西欧の文明を知った。私の家は商家だったが、旧家だったため、草双紙、読本その他寛政、天明の通人たちの作ったもの、一九、京伝、三馬、馬琴、種彦、烏亭焉馬などの本が沢山にあった。特に京伝の『骨董集』は、立派な考証学で、決して孫引きのないもので、専ら『一代男』『一代女』古俳諧等の書から直接に材料をとって来たものであった。この『骨董集』を読んでいるうちに、福沢先生の『西洋旅案内』『学問のすゝめ』『かたわ娘』によって西洋の文明を示されたのである。(この『かたわ娘』は古い従来の風俗を嘲ったもので、それに対抗して万亭応賀は『当世利口女』を書いた。が私には『当世利口女』はつまらなく『かたわ娘』が面白かったものである。)  新らしい文明をかくして福沢先生によって学んだが、『骨董集』を読んだために、西鶴が読んでみたくなり出した。が、その頃でも古本が少なかったもので、なかなか手には入らなかった。私の知っていた酒井藤兵衛という古本屋には、山のようにつぶす古本があったものである。何せ明治十五、六年の頃は、古本をつぶしてしまう頃だった。私はその本屋をはじめ、小川町の「三久」、浜町の「京常」、池の端の「バイブル」、駒形の「小林文七」「鳥吉」などから頻りに西鶴の古本を漁り集めた。(この「鳥吉」は、芝居の本を多く扱っていたが、関根只誠氏がどういう都合かで売払った本を沢山私のところにもって来てくれたものである。)中川徳基が、昔の研究はまず地理から始めなければならぬ、といって『紫の一本』『江戸咄』『江戸雀』『江戸真砂六十帖』などいう書物や、古絵図類を集めていたのもこの頃であった。  西鶴の本は沢山集った。それらを私は幸田、中西、尾崎の諸君に手柄顔をして見せたものであった。  そうして西鶴を研究し出した諸君によって、西鶴調なるものが復活したのである。これは、山田美妙斎などによって提唱された言文一致体の文章に対する反抗となったものであって、特に露伴君の文章なぞは、大いに世を動かしたものであった。  内田魯庵君の著『きのふけふ』(博文館発行)の中に、この頃の私のことは書いてあるから、私の口から申すのはこれくらいで差控えて置きたいと思う。  私も愛鶴軒と言って『読売新聞』に投書していたが、あまり続けて書かなかった。(私は世の中がめんどうになって、愛鶴軒という雅号なども捨ててしまった。そして幸田君にわけを話すと、幸田君は――愛鶴軒は歿したり――と新聞に書いてくれた。)その後、中西君も『読売』に入社し、西鶴の口調で盛んに小説を書いた。その前、饗庭篁村氏がさかんに八文字屋で書かれ、また幸堂得知氏などが洒落文を書かれたものである。純粋に西鶴風なものは誰も書かなかったが、誰からともなく西鶴が世の中に芽をふいたのである。        ◇  私は元来小説よりも、新らしい事実が好きだった。ここに言う新らしいとは、珍らしいということである。西鶴の本は、かつて聞いたことのない珍らしいもので満ちていた。赤裸々に自然を書いたからである。人間そのものを書いたからである。ただ人間そのものを書いたきりで、何とも決めていないところに西鶴の妙味がある。これは俳諧の力から来たものである。  私は福沢先生によって新らしい文明を知り、京伝から骨董のテエストを得、西鶴によって人間を知ることが出来た。いま一つは一休禅師の『一休骸骨』『一休草紙』などによって、宗教を知り始めたことである。そして無宗教を知り――無というよりも空、即ち昨日は無、明日は空、ただ現在に生き、趣味に生きる者である――故にバラモン教からも、マホメット教からも、何からも同一の感じをもつことが出来るようになった。  私は江戸の追憶者として見られているが、私は江戸の改革を経て来た時代に生きて来た者である。新しくなって行きつつあった日本文明の中で生きて来た者であって、西欧の文明に対して、打ち克ち難い憧憬をもっていた者である。私は実に、漢文よりはさきに横文字を習った。実はごく若い頃は、あちらの文明に憧れたあまり、アメリカへ帰化したいと願っていたことがある。アメリカへ行くと、日本のことを皆から聞かれるだろうと思ったものだ。そこで、実は日本のことを研究し出したのである。私の日本文学の研究の動機の一つは、まったくそこにあったのである。  二十二、三歳の頃――明治十三、四年頃――湯島へ移り、図書館で読書している間に、草双紙を読み、『燕石十種』(六十冊)――これは達磨屋吾一が江戸橋の古本屋で写生して、東紫(後で聞けば関根只誠氏)に贈ったものであった。――を読み、毎日々々通って写本した。その頃石橋思案、幸田成行の諸君と知己になったのである。私は明治二十二年頃、一切の書物から離れてしまったが、それまでには、私の口からこんなことを申すのは口幅広いことのようであるが、浮世草紙の類は、一万巻は読んでいると思う。この頃『一代男』を一円で買ったものであるが、今日でも千円はしている。思えば私は安く学問をしたものである。  黒髪をあだには白くなしはせじ、わがたらちねの撫でたまひしを、という愚詠をしたが、今白髪となって何の功もないことを恥じている。 (大正十四年三月『早稲田文学』二二九号)
底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店    1999(平成11)年8月18日第1刷発行 ※「六二連」は第1刷では「二六連」となっていました。 入力:小林繁雄 校正:門田裕志 2003年2月9日作成 2003年5月11日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 御存じの通り私の父の椿岳は何んでも好きで、少しずつかじって見る人でありました。で、芸術以外に宗教にも趣味を持って、殊にその内でも空也は若い頃本山から吉阿弥の号を貰って、瓢を叩いては「なアもうだ〳〵」を唱えていた位に帰依していたのでありました。それから後には神官を望んで、白服を着て烏帽子を被った時もありましたが、後にはまた禅は茶味禅味だといって、禅に凝った事もありました。或る時芝の青松寺へ行って、和尚に対面して話の末、禅の大意を聞いたら、火箸をとって火鉢の灰を叩いて、パッと灰を立たせ、和尚は傍の僧と相顧みて微笑んだが、終に父にはその意が分らずにしまったというような話もあります。その頃高崎の大河内子と共に、東海道の旅をした事があって、途中荒れに逢って浜名で橋が半ば流れてしまった。その毀れた橋の上で坐禅を組んだので、大河内子が止めたそうでした。それから南禅寺に行った時にも、山門の上で子にすすめられて坐禅をしたという話でした。ところがこれほど凝った禅も、浅草の淡島堂にいた時分には、天台宗になって、僧籍に身を置くようになりました。しかしてその時「本然」という名を貰ったのでした。父はその名を嫌って余り名乗らなかったのでしたが、印形がありました。これは明治十年頃の事でした。その後今の向島の梵雲庵へ移って「隻手高声」という額を掲げて、また坐禅三昧に日を送っていたのでした。けれども真実の禅ではなく、野狐禅でもありましたろうか。しかし父の雅の上には総て禅味が加わっていた事は確かでした。  私も父の子故、知らず識らず禅や達磨を見聞していましたが、自分はハイカラの方だったので基督教が珍らしくもあったし、日本で禁止されたこの宗教に興味も唆られて、実は意味は分らなかったが、両国の島市という本屋で、金ピカのバイブルを買って来て、高慢な事をいっていたものでした。またその頃駿河台にクレツカという外国人がいまして、その人の所へバイブルの事を聞きに行った事もありました。明治十年頃でもありましたろうか。その後森下町へ移ってから友人にすすめられて、禅を始めて、或る禅師の下に入室した事もありました。とにかく自分も凝り性でしたから、その頃には自室で坐禅三昧に暮したものでした。また心に掛けて語録の類や宗教書を三倉や浅倉で買った事もありました。その宗教書も、菎蒻本や黄表紙を売った時、一緒に売ってしまいました。かく禅以外にもいろいろの宗教をやって見ました。そして常に大精進でしたから、或る時友人と全生庵に坐禅をしに行った帰りに、池の端仲町の蛤鍋へ這入ったが、自分は精進だから菜葉だけで喰べた事がありました。それから当庵に来た時分からまた友人にすすめられて、とうとうクリスチャンになってしまいました。ところがかつて基督教に興味を持ってバイブルを読んでいましたから、外人の牧師とも話が合って、嘱望されてそれらの外人牧師と一緒に廃娼問題を説いた事もありました。こんな具合でしたから高橋の本誓寺という寺の和尚などは、寒月氏が基督信者とはどういうわけだろう、といって不思議にしていましたが、自分のは豊公がイエズス教に入って、それを仲介者として外国の智識を得たように、宗教そのものよりも、それに依って外人の趣味に接しようとして遣るのです。かくして私はクリスチャンだったが、今日ではこういう意味で、どんな宗教にも遊びたいと思っています。いわば宗教を趣味の箱に入れてしまうと同じです。それ故マホメット教もバラモン教も、ジャイナ教もいずれも面白いと思います。私のは宗教を信ずるのでなくって味うのです。ラマヤナという宗教書の中に、ハンマンという猿の神様があって、尻尾へ火を付けてボンベイとセイロンの間を走ったという話がありますが、そのハンマンなどいうものを見聞きする事などが楽しみだったり、面白いので、つまり宗教を通じて外国の趣味を感得したいというのが自分の主義です。されば信ずるものは何かといえば、「眼鏡は眼鏡、茶碗は茶碗」とこの一言で充分でしょう。以上が私の宗教観です。此処に一首あります。 我が心遊ぶはいづこカイラーサ     山また山の奥にありけり  カイラーサというのは、印度神話にある空想の楽園です。 (大正六年十一月『趣味之友』第二十三号)
底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店    1999(平成11)年8月18日第1刷発行 入力:小林繁雄 校正:門田裕志 2003年2月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 川に張り出した道頓堀の盛り場は、仇女の寝くたれ姿のように、たくましい家裏をまざまざと水鏡に照し出している。  太左衛門橋の袂。  舟料理の葭すだれは、まき上げられたままゆうべの歓楽の名残をとどめている。  宗右衛門町の脂粉の色を溶かしたのであろうか、水の上に臙脂を流す美しい朝焼けの空。  だが、宵っ張りの町々は目ぶた重く、まだ眼ざめてはいない。 「朝は宮、昼は料理屋、夜は茶屋……」という大阪の理想である生活与件。そのイの一番に大切な信心の木履の音もしない享楽の街の東雲。  瓦灯が淡くまたたいている。  私は、安井道頓の掘ったこの掘割に目をおとして、なんとなく、  ――どおとん。  と、つぶやく。そしてフッと  ――秋  というフランスの言葉を連想する。  左様、巴里の空の下をセーヌが流れるように、わが大阪の生活の中を道頓堀川が流れているのだ。  間もなく秋が来る。
底本:「ふるさと文学館 第三三巻 【大阪※[#ローマ数字2、1-13-22]】」ぎょうせい    1995(平成7)年8月15日初版発行 底本の親本:「安西冬衛全集 4」寶文館出版    1983(昭和58)年 初出:「サンデー毎日」    1952(昭和27)年8月 入力:大久保ゆう 校正:Juki 2016年3月4日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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(一) 都の花に魁けて 春足日をけふこゝに 明粧成りし水族館 東洋一の水族館 堺水族館は開かれぬ (二) 明治の帝行幸して 叡覧ありしあとゞころ 由緒も深き水族館 東洋一の水族館 堺水族館は開かれぬ (三) 大魚小魚鰭の数 集めてこゝに海の幸 綾うるはしき水族館 東洋一の水族館 堺水族館は開かれぬ (四) 造りなしたる海の宮 竜宮城もよそならず 雅び床しの水族館 東洋一の水族館 堺水族館は開かれぬ (五) 水際にあそぶ魚類の ゆきゝ妙なる舞の袖 眺め見飽かぬ水族館 東洋一の水族館 堺水族館は開かれぬ (六) けふしも和む春の色 げに長閑なる茅渟の浦 いざ来て見ませ水族館 東洋一の水族館 堺水族館は開かれぬ
底本:「ふるさと文学館 第三三巻 【大阪※[#ローマ数字2、1-13-22]】」ぎょうせい    1995(平成7)年8月15日初版発行 底本の親本:「安西冬衛全集 6」寶文館出版    1984(昭和59)年 入力:大久保ゆう 校正:Juki 2016年3月4日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "057434", "作品名": "堺水族館の歌", "作品名読み": "さかいすいぞくかんのうた", "ソート用読み": "さかいすいそくかんのうた", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2016-06-02T00:00:00", "最終更新日": "2016-03-04T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001863/card57434.html", "人物ID": "001863", "姓": "安西", "名": "冬衛", "姓読み": "あんざい", "名読み": "ふゆえ", "姓読みソート用": "あんさい", "名読みソート用": "ふゆえ", "姓ローマ字": "Anzai", "名ローマ字": "Huyue", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1898-03-09", "没年月日": "1965-08-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "ふるさと文学館 第三三巻 【大阪Ⅱ】", "底本出版社名1": "ぎょうせい", "底本初版発行年1": "1995(平成7)年8月15日", "入力に使用した版1": "1995(平成7)年8月15日初版", "校正に使用した版1": "1995(平成7)年8月15日初版", "底本の親本名1": "安西冬衛全集 6", "底本の親本出版社名1": "寶文館出版", "底本の親本初版発行年1": "1984(昭和59)年", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "大久保ゆう", "校正者": "Juki", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001863/files/57434_txt_58856.zip", "テキストファイル最終更新日": "2016-03-04T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001863/files/57434_58898.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2016-03-04T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
光は東方から かわらぬ真理の曙に立つて 今、大淀の流れに影を映すわれらの都大大阪。 私は思う。 この水に生きるわれらの姿こそ かのハドソンの河口に立つ自由の女神の精神に協う 永遠の平和の象徴であることを。 そして又それは告げる。 キユーバの島から砂糖を カンガルーの国から羊毛を ともどもに齎し 私たちを繁栄に導く博い愛の道に通うことを。 やがてそれは私たちの内で 燃えあがる一つの力となり 私たちの手で 世界の人々を外から温く包む物を創り出す大きい役目を果すだろう。 水はめぐり水は育む 宇宙は一体で文化は一環だ。 水に生き水に育つわれらの都大大阪の黎明。 私たちのゆくては限りなく洋く 私たちの未来は涯もなく巨きい。
底本:「ふるさと文学館 第三三巻 【大阪※[#ローマ数字2、1-13-22]】」ぎょうせい    1995(平成7)年8月15日初版発行 底本の親本:「安西冬衛全集 3」寶文館出版    1983(昭和58)年 初出:「大阪新聞」    1948(昭和23)年1月1日 入力:大久保ゆう 校正:Juki 2016年1月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "057435", "作品名": "大大阪のれいめい", "作品名読み": "だいおおさかのれいめい", "ソート用読み": "たいおおさかのれいめい", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「大阪新聞」1948(昭和23)年1月1日", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2016-01-01T00:00:00", "最終更新日": "2016-01-01T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001863/card57435.html", "人物ID": "001863", "姓": "安西", "名": "冬衛", "姓読み": "あんざい", "名読み": "ふゆえ", "姓読みソート用": "あんさい", "名読みソート用": "ふゆえ", "姓ローマ字": "Anzai", "名ローマ字": "Huyue", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1898-03-09", "没年月日": "1965-08-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "ふるさと文学館 第三三巻 【大阪Ⅱ】", "底本出版社名1": "ぎょうせい", "底本初版発行年1": "1995(平成7)年8月15日", "入力に使用した版1": "1995(平成7)年8月15日初版", "校正に使用した版1": "1995(平成7)年8月15日初版", "底本の親本名1": "安西冬衛全集 3", "底本の親本出版社名1": "寶文館出版", "底本の親本初版発行年1": "1983(昭和58)年", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "大久保ゆう", "校正者": "Juki", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001863/files/57435_ruby_58188.zip", "テキストファイル最終更新日": "2016-01-01T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001863/files/57435_58189.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2016-01-01T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
中央公会堂の赤煉瓦 緑青色の高裁のドーム 中洲の葉柳をかすめて とび去る水中翼船の渦巻から ムツとするような水苔の匂い。 ついさつきまで ランチ・タイムを愉しんでいた BGやホワイト・カラー達も みんな今は引き揚げていつてしまい あとには 濡れ手で銭勘定の 貸ボート屋ののどかな浮世哲学。 上げ潮にむつかしい家裏をみせた川魚料理の 昼もほのぐらい煤天井に うららかな水かげろうの文 軒場に張り出した 巣箱のようなエア・コンの上に かえりそびれた 新聞社の伝書鳩が ちよこなんと一つ そろそろ夕刊の 降版の時間だというのに。
底本:「ふるさと文学館 第三三巻 【大阪※[#ローマ数字2、1-13-22]】」ぎょうせい    1995(平成7)年8月15日初版発行 底本の親本:「安西冬衛全詩集」思潮社    1966(昭和41)年 入力:大久保ゆう 校正:Juki 2016年3月4日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "057436", "作品名": "水の上", "作品名読み": "みずのうえ", "ソート用読み": "みすのうえ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2016-06-02T00:00:00", "最終更新日": "2016-03-04T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001863/card57436.html", "人物ID": "001863", "姓": "安西", "名": "冬衛", "姓読み": "あんざい", "名読み": "ふゆえ", "姓読みソート用": "あんさい", "名読みソート用": "ふゆえ", "姓ローマ字": "Anzai", "名ローマ字": "Huyue", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1898-03-09", "没年月日": "1965-08-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "ふるさと文学館 第三三巻 【大阪Ⅱ】", "底本出版社名1": "ぎょうせい", "底本初版発行年1": "1995(平成7)年8月15日", "入力に使用した版1": "1995(平成7)年8月15日初版", "校正に使用した版1": "1995(平成7)年8月15日初版", "底本の親本名1": "安西冬衛全詩集", "底本の親本出版社名1": "思潮社", "底本の親本初版発行年1": "1966(昭和41)年", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "大久保ゆう", "校正者": "Juki", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001863/files/57436_ruby_58854.zip", "テキストファイル最終更新日": "2016-03-04T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001863/files/57436_58896.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2016-03-04T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 あるところに、ちいさい女の子がいました。その子はとてもきれいなかわいらしい子でしたけれども、貧乏だったので、夏のうちははだしであるかなければならず、冬はあつぼったい木のくつをはきました。ですから、その女の子のかわいらしい足の甲は、すっかり赤くなって、いかにもいじらしく見えました。  村のなかほどに、年よりのくつ屋のおかみさんが住んでいました。そのおかみさんはせっせと赤いらしゃの古切れをぬって、ちいさなくつを、一足こしらえてくれていました。このくつはずいぶんかっこうのわるいものでしたが、心のこもった品で、その女の子にやることになっていました。その女の子の名はカレンといいました。  カレンは、おっかさんのお葬式の日に、そのくつをもらって、はじめてそれをはいてみました。赤いくつは、たしかにおとむらいにはふさわしくないものでしたが、ほかに、くつといってなかったので、素足の上にそれをはいて、粗末な棺おけのうしろからついていきました。  そのとき、年とったかっぷくのいいお年よりの奥さまをのせた、古風な大馬車が、そこを通りかかりました。この奥さまは、むすめの様子をみると、かわいそうになって、 「よくめんどうをみてやりとうございます。どうか、この子を下さいませんか。」と、坊さんにこういってみました。  こんなことになったのも、赤いくつのおかげだと、カレンはおもいました。ところが、その奥さまは、これはひどいくつだといって、焼きすてさせてしまいました。そのかわりカレンは、小ざっぱりと、見ぐるしくない着物を着せられて、本を読んだり、物を縫ったりすることを教えられました。人びとは、カレンのことを、かわいらしい女の子だといいました。カレンの鏡は、 「あなたはかわいらしいどころではありません。ほんとうにお美しくっていらっしゃいます。」と、いいました。  あるとき女王さまが、王女さまをつれてこの国をご旅行になりました。人びとは、お城のほうへむれを作ってあつまりました。そのなかに、カレンもまじっていました。王女さまは美しい白い着物を着て、窓のところにあらわれて、みんなにご自分の姿が見えるようになさいました。王女さまはまだわかいので、裳裾もひかず、金の冠もかぶっていませんでしたが、目のさめるような赤いモロッコ革のくつをはいていました。そのくつはたしかにくつ屋のお上さんが、カレンにこしらえてくれたものより、はるかにきれいなきれいなものでした。世界じゅうさがしたって、この赤いくつにくらべられるものがありましょうか。  さて、カレンは堅信礼をうける年頃になりました。新しい着物ができたので、ついでに新しいくつまでこしらえてもらって、はくことになりました。町のお金持のくつ屋が、じぶんの家のしごとべやで、カレンのかわいらしい足の寸法をとりました。そこには、美しいくつだの、ぴかぴか光る長ぐつだのがはいった、大きなガラス張りの箱が並んでいました。そのへやはたいへんきれいでしたが、あのお年よりの奥さまは、よく目が見えなかったので、それをいっこういいともおもいませんでした。いろいろとくつが並んでいるなかに、あの王女さまがはいていたのとそっくりの赤いくつがありました。なんという美しいくつでしたろう。くつ屋さんは、これはある伯爵のお子さんのためにこしらえたのですが、足に合わなかったのですといいました。 「これはきっと、エナメル革だね。まあ、よく光ってること。」と、お年よりはいいました。 「ええ。ほんとうに、よく光っておりますこと。」と、カレンはこたえました。そのくつはカレンの足に合ったので、買うことになりました。けれどもお年よりは、そのくつが赤かったとは知りませんでした。というのは、もし赤いということがわかったなら、カレンがそのくつをはいて、堅信礼を受けに行くことを許さなかったはずでした。でも、カレンは、その赤いくつをはいて、堅信礼をうけにいきました。  たれもかれもが、カレンの足もとに目をつけました。そして、カレンがお寺のしきいをまたいで、唱歌所の入口へ進んでいったとき、墓石の上の古い像が、かたそうなカラーをつけて、長い黒い着物を着たむかしの坊さんや、坊さんの奥さんたちの像までも、じっと目をすえて、カレンの赤いくつを見つめているような気がしました。それからカレンは、坊さんがカレンのあたまの上に手をのせて、神聖な洗礼のことや、神さまとひとつになること、これからは一人前のキリスト信者として身をたもたなければならないことなどを、話してきかせても、自分のくつのことばかり考えていました。やがて、オルガンがおごそかに鳴って、こどもたちは、わかいうつくしい声で、さんび歌をうたいました。唱歌組をさしずする年とった人も、いっしょにうたいました。けれどもカレンは、やはりじぶんの赤いくつのことばかり考えていました。  おひるすぎになって、お年よりの奥さまは、カレンのはいていたくつが赤かった話を、ほうぼうでききました。そこで、そんなことをするのはいやなことで、れいぎにそむいたことだ。これからお寺へいくときは、古くとも、かならず黒いくつをはいていかなくてはならない、と申しわたしました。  その次の日曜は、堅信礼のあと、はじめての聖餐式のある日でした。カレンははじめ黒いくつを見て、それから赤いくつを見ました。――さて、もういちど赤いくつを見なおした上、とうとうそれをはいてしまいました。その日はうららかに晴れていました。カレンとお年よりの奥さまとは、麦畑のなかの小道を通っていきました。そこはかなりほこりっぽい道でした。  お寺の戸口のところに、めずらしいながいひげをはやした年よりの兵隊が、松葉杖にすがって立っていました。そのひげは白いというより赤いほうで、この老兵はほとんど、あたまが地面につかないばかりにおじぎをして、お年よりの奥さまに、どうぞくつのほこりを払わせて下さいとたのみました。そしてカレンも、やはりおなじに、じぶんのちいさい足をさし出しました。 「はて、ずいぶんきれいなダンスぐつですわい。踊るとき、ぴったりと足についていますように。」と、老兵はいって、カレンのくつの底を、手でぴたぴたたたきました。  奥さまは、老兵にお金を恵んで、カレンをつれて、お寺のなかへはいってしまいました。  お寺のなかでは、たれもかれもいっせいに、カレンの赤いくつに目をつけました。そこにならんだのこらずの像も、みんなその赤いくつを見ました。カレンは聖壇の前にひざまずいて、金のさかずきをくちびるにもっていくときも、ただもう自分の赤いくつのことばかり考えていました。赤いくつがさかずきの上にうかんでいるような気がしました。それで、さんび歌をうたうことも忘れていれば、主のお祈をとなえることも忘れていました。  やがて人びとは、お寺から出てきました。そしてお年よりの奥さまは、自分の馬車にのりました。カレンも、つづいて足をもちあげました。すると老兵はまた、 「はて、ずいぶんきれいなダンスぐつですわい。」と、いいました。  すると、ふしぎなことに、いくらそうしまいとしても、カレンはふた足三足、踊の足をふみ出さずにはいられませんでした。するとつづいて足がひとりで、どんどん踊りつづけていきました。カレンはまるでくつのしたいままになっているようでした。カレンはお寺の角のところを、ぐるぐる踊りまわりました。いくらふんばってみても、そうしないわけにはいかなかったのです。そこで御者がおっかけて行って、カレンをつかまえなければなりませんでした。そしてカレンをだきかかえて、馬車のなかへいれましたが、足はあいかわらず踊りつづけていたので、カレンはやさしい奥さまの足を、いやというほどけりつけました。やっとのことで、みんなはカレンのくつをぬがせました。それで、カレンの足は、ようやくおとなしくなりました。  内へかえると、そのくつは、戸棚にしまいこまれてしまいました。けれどもカレンはそのくつが見たくてたまりませんでした。  さて、そのうち、お年よりの奥さまは、たいそう重い病気にかかって、みんなの話によると、もう二どとおき上がれまいということでした。たれかがそのそばについて看病して世話してあげなければなりませんでした。このことは、たれよりもまずカレンがしなければならないつとめでした。けれどもその日は、その町で大舞踏会がひらかれることになっていて、カレンはそれによばれていました。カレンは、もう助からないらしい奥さまを見ました。そして赤いくつをながめました。ながめたところで、べつだんわるいことはあるまいとかんがえました。――すると、こんどは、赤いくつをはきました。それもまあわるいこともないわけでした。――ところが、それをはくと、カレンは舞踏会にいきました。そして踊りだしたのです。  ところで、カレンが右の方へ行こうとすると、くつは左の方へ踊り出しました。段段をのぼって、げんかんへ上がろうとすると、くつはあべこべに段段をおりて、下のほうへ踊り出し、それから往来に来て、町の門から外へ出てしまいました。そのあいだ、カレンは踊りつづけずにはいられませんでした。そして踊りながら、暗い森のなかへずんずんはいっていきました。  すると、上の木立のあいだに、なにか光ったものが見えたので、カレンはそれをお月さまではないかとおもいました。けれども、それは赤いひげをはやしたれいの老兵で、うなずきながら、 「はて、ずいぶんきれいなダンスぐつですわい。」と、いいました。  そこでカレンはびっくりして、赤いくつをぬぎすてようとおもいました。けれどもくつはしっかりとカレンの足にくっついていました。カレンはくつ下を引きちぎりました。しかし、それでもくつはぴったりと、足にくっついていました。そしてカレンは踊りました。畑の上だろうが、原っぱの中だろうが、雨が降ろうが、日が照ろうが、よるといわず、ひるといわず、いやでもおうでも、踊って踊って踊りつづけなければなりませんでした。けれども、よるなどは、ずいぶん、こわい思いをしました。  カレンはがらんとした墓地のなかへ、踊りながらはいっていきました。そこでは死んだ人は踊りませんでした。なにかもっとおもしろいことを、死んだ人たちは知っていたのです。カレンは、にがよもぎが生えている、貧乏人のお墓に、腰をかけようとしました。けれどカレンは、おちつくこともできなければ、休むこともできませんでした。そしてカレンは、戸のあいているお寺の入口のほうへと踊りながらいったとき、ひとりの天使がそこに立っているのをみました。その天使は白い長い着物を着て、肩から足までもとどくつばさをはやしていて、顔付きはまじめに、いかめしく、手にははばの広いぴかぴか光る剣を持っていました。 「いつまでも、お前は踊らなくてはならぬ。」と、天使はいいました。「赤いくつをはいて、踊っておれ。お前が青じろくなって冷たくなるまで、お前のからだがしなびきって、骸骨になってしまうまで踊っておれ。お前はこうまんな、いばったこどもらが住んでいる家を一軒、一軒と踊りまわらねばならん。それはこどもらがお前の居ることを知って、きみわるがるように、お前はその家の戸を叩かなくてはならないのだ。それ、お前は踊らなくてはならんぞ。踊るのだぞ――。」 「かんにんしてください。」と、カレンはさけびました。  けれども、そのまに、くつがどんどん門のところから、往来や小道を通って、畑の方へ動き出していってしまったものですから、カレンは、天使がなんと返事をしたか、聞くことができませんでした。そして、あくまで踊って踊っていなければなりませんでした。  ある朝、カレンはよく見おぼえている、一軒の家の門ぐちを踊りながら通りすぎました。するとうちのなかでさんび歌をうたうのが聞こえて、花で飾られたひつぎが、中からはこび出されました。それで、カレンは、じぶんをかわいがってくれたお年よりの奥さまがなくなったことを知りました。そして、じぶんがみんなからすてられて、神さまの天使からはのろいをうけていることを、しみじみおもいました。  カレンはそれでもやはり踊りました。いやおうなしに踊りました。まっくらな闇の夜も踊っていなければなりませんでした。くつはカレンを、いばらも切株の上も、かまわず引っぱりまわしましたので、カレンはからだや手足をひっかかれて、血を出してしまいました。カレンはとうとうあれ野を横ぎって、そこにぽつんとひとつ立っている、小さな家のほうへ踊っていきました。その家には首切役人が住んでいることを、カレンは知っていました。そこで、カレンはまどのガラス板を指でたたいて、 「出て来て下さい。――出て来て下さい。――踊っていなければならないので、わたしは中へはいることはできないのです。」と、いいました。  すると、首切役人はいいました。 「お前は、たぶんわたしがなんであるか、知らないのだろう。わたしは、おのでわるい人間の首を切りおとす役人だ。そら、わたしのおのは、あんなに鳴っているではないか。」 「わたし、首を切ってしまってはいやですよ。」と、カレンはいいました。「そうすると、わたしは罪を悔い改めることができなくなりますからね。けれども、この赤いくつといっしょに、わたしの足を切ってしまってくださいな。」  そこでカレンは、すっかり罪をざんげしました。すると首斬役人は、赤いくつをはいたカレンの足を切ってしまいました。でもくつはちいさな足といっしょに、畑を越えて奥ぶかい森のなかへ踊っていってしまいました。  それから、首切役人は、松葉杖といっしょに、一ついの木のつぎ足を、カレンのためにこしらえてやって、罪人がいつもうたうさんび歌を、カレンにおしえました。そこで、カレンは、おのをつかった役人の手にせっぷんすると、あれ野を横ぎって、そこを出ていきました. (さあ、わたしは十分、赤いくつのおかげで、苦しみを受けてしまったわ。これからみなさんに見てもらうように、お寺へいってみましょう。)  こうカレンはこころにおもって、お寺の入口のほうへいそぎましたが、そこにいきついたとき、赤いくつが目の前でおどっていました。カレンは、びっくりして引っ返してしまいました。  まる一週間というもの、カレンは悲しくて、悲しくて、いじらしい涙を流して、なんどもなんども泣きつづけました。けれども日曜日になったとき、 (こんどこそわたしは、ずいぶん苦しみもしたし、たたかいもしてきました。もうわたしもお寺にすわって、あたまをたかく上げて、すこしも恥じるところのない人たちと、おなじぐらいただしい人になったとおもうわ。)  こうおもいおもい、カレンは勇気を出していってみました。けれども墓地の門にもまだはいらないうちに、カレンはじぶんの目の前を踊っていく赤いくつを見たので、つくづくこわくなって、心のそこからしみじみ悔いをかんじました。  そこでカレンは、坊さんのうちにいって、どうぞ女中に使って下さいとたのみました。そして、なまけずにいっしょうけんめい、はたらけるだけはたらきますといいました。お給金などはいただこうとおもいません。ただ、心のただしい人びととひとつ屋根の下でくらさせていただきたいのです。こういうので、坊さんの奥さまは、カレンをかわいそうにおもってつかうことにしました。そしてカレンはたいそうよく働いて、考えぶかくもなりました。夕方になって、坊さんが高い声で聖書をよみますと、カレンはしずかにすわって、じっと耳をかたむけていました。こどもたちは、みんなとてもカレンが好きでした。けれども、こどもたちが着物や、身のまわりのことや、王さまのように美しくなりたいなどといいあっているとき、カレンは、ただ首を横にふっていました。  次の日曜日に、人びとはうちつれてお寺にいきました。そして、カレンも、いっしょにいかないかとさそわれました。けれどもカレンは、目にいっぱい涙をためて、悲しそうに松葉杖をじっとみつめていました。そこで、人びとは神さまのお声をきくために出かけましたが、カレンは、ひとりかなしく自分のせまいへやにはいっていきました。そのへやは、カレンのベットと一脚のいすとが、やっとはいるだけの広さしかありませんでした。そこにカレンは、さんび歌の本を持っていすにすわりました。そして信心ぶかい心もちで、それを読んでいますと、風につれて、お寺でひくオルガンの音が聞こえてきました。カレンは涙でぬれた顔をあげて、 「ああ、神さま、わたくしをお救いくださいまし。」と、いいました。  そのとき、お日さまはいかにもうららかにかがやきわたりました。そしてカレンがあの晩お寺の戸口のところで見た天使とおなじ天使が、白い着物を着て、カレンの目の前に立ちました。けれどもこんどは鋭い剣のかわりに、ばらの花のいっぱいさいたみごとな緑の枝を持っていました。天使がそれで天井にさわりますと、天井は高く高く上へのぼって行って、さわられたところは、どこものこらず金の星がきらきらかがやきだしました。天使はつぎにぐるりの壁にさわりました。すると壁はだんだん大きく大きくよこにひろがっていきました。そしてカレンの目に、鳴っているオルガンがみえました。むかしの坊さんたちやその奥さまたちの古い像も見えました。信者のひとたちは、飾りたてたいすについて、さんび歌の本を見てうたっていました。お寺ごとそっくり、このせまいへやのなかにいるかわいそうな女の子のところへ動いて来たのでございます。それとも、カレンのへやが、そのままお寺へもっていかれたのでしょうか。――カレンは、坊さんのうちの人たちといっしょの席についていました。そしてちょうどさんび歌をうたいおわって顔をあげたとき、この人たちはうなずいて、 「カレン、よくまあ、ここへきましたね。」といいました。 「これも神さまのお恵みでございます。」とカレンはいいました。  そこで、オルガンは、鳴りわたり、こどもたちの合唱の声は、やさしく、かわいらしくひびきました。うららかなお日さまの光が、窓からあたたかく流れこんで、カレンのすわっているお寺のいすを照らしました。けれどもカレンのこころはあんまりお日さまの光であふれて、たいらぎとよろこびであふれて、そのためはりさけてしまいました。カレンのたましいは、お日さまの光にのって、神さまの所へとんでいきました。そしてもうそこではたれもあの赤いくつのことをたずねるものはありませんでした。
底本:「新訳アンデルセン童話集 第二巻」同和春秋社    1955(昭和30)年7月15日初版発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 入力:大久保ゆう 校正:鈴木厚司 2005年6月3日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "042378", "作品名": "赤いくつ", "作品名読み": "あかいくつ", "ソート用読み": "あかいくつ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "DE RODE SKO", "初出": "", "分類番号": "NDC K949", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2005-06-08T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/card42378.html", "人物ID": "000019", "姓": "アンデルセン", "名": "ハンス・クリスチャン", "姓読み": "アンデルセン", "名読み": "ハンス・クリスチャン", "姓読みソート用": "あんてるせん", "名読みソート用": "はんすくりすちやん", "姓ローマ字": "Andersen", "名ローマ字": "Hans Christian", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1805-04-02", "没年月日": "1875-08-04", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "新訳アンデルセン童話集 第二巻", "底本出版社名1": "同和春秋社", "底本初版発行年1": "1955(昭和30)年7月15日", "入力に使用した版1": "1955(昭和30)年7月15日初版", "校正に使用した版1": " ", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "大久保ゆう", "校正者": "鈴木厚司", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/42378_ruby_18383.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-07-20T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/42378_18502.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2005-06-01T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 ポルトガルから、一羽のアヒルがやってきました。もっとも、スペインからきたんだ、という人もありましたがね。でも、そんなことは、どっちでもいいのです。ともかく、そのアヒルは、ポルトガル種と呼ばれました。卵を生みましたが、やがて殺されて、料理されました。これが、そのアヒルの一生でした。  その卵から生れてきたものは、みんな、ポルトガル種と呼ばれました。ポルトガル種と言われるだけで、もうかなり重要なことなのです。  さて、この一家の中で、今このアヒルの庭にのこっているのは、たった一羽きりでした。ここは、アヒルの庭とはいっても、ニワトリたちもはいってきますし、オンドリなどは、いばりくさって歩きまわっていました。 「あのけたたましい鳴き声を聞くと、気分がわるくなってしまうわ」と、ポルトガル種の奥さんは言いました。「でも、見たところはきれいね。それは、うそとはいえないわ。アヒルじゃないけどもさ。もうすこし、自分をおさえりゃいいのに。だけど、自分をおさえるってことは、むずかしいことだから、高い教養がなくちゃできないわ。  でも、おとなりの庭の、ボダイジュにとまっている、歌うたいの小鳥さんたちには、それがあるわ。あのかわいらしい歌いかたといったら! あの歌の中には、なにかしら、しみじみとした調子があるわ。あれこそ、ポルトガル調よ! ああいう歌をうたう小鳥が、一羽でも、わたしの子供になってくれたら、わたしはやさしい、親切なおかあさんになってやるわ。だって、そういう性質は、わたしの血の中に、このポルトガル種の血の中にあるんですもの」  こんなふうに、ポルトガル奥さんが、おしゃべりをしていると、その歌をうたう小鳥が落ちてきました。小鳥は、屋根の上から、まっさかさまに落ちてきました。ネコに、うしろからおそわれたのです。でも、羽を一枚折られただけで、逃げだすことができたのです。そうして、このアヒルの庭の中へ、落ちてきたのでした。 「そりゃあ、あのならず者の、ネコらしいやりかただよ」と、ポルトガル奥さんは言いました。「あいつは、わたしの子どもたちが生きていたときから、ああいうふうなんだよ。あんなやつが、大きな顔をして、屋根の上を歩きまわっていられるんだからねえ! ポルトガルなら、こんなことはないと思うわ」  そして、その歌うたいの小鳥を、かわいそうに思いました。ポルトガル種でない、ほかのアヒルたちも、同じようにかわいそうに思いました。 「かわいそうにねえ」と、ほかのアヒルたちが、あとからあとからやってきては、言いました。 「わたしたちは、自分で歌をうたうことはできないけれど」と、みんなは言いました。「でも、からだの中に、歌の下地というようなものを持っているわ。わたしたちは、それを口に出して言いはしないけど、みんなそう感じてはいるのよ」 「それじゃ、わたしが言いましょう」と、ポルトガル奥さんは言いました。「わたしはね、この小鳥のために、なにかしてやりたいんですよ。それが、わたしたちの義務なんですもの」  こう言うと、ポルトガル奥さんは、水桶の中にはいって、水をピシャピシャはねかしました。おかげで、歌をうたう小鳥は、頭から水をかぶって、もうすこしで、おぼれそうになりました。けれども、それは、親切な気持からしたことでした。 「これは、親切な行いというものよ」と、ポルトガル奥さんは言いました。「ほかのかたも、まねをなさるといいわ」 「ピー、ピー」と、小鳥は鳴きました。羽根が一枚折れているので、からだを、ぶるっとふるわすことはできませんでした。でも、親切な気持から、水をかけられたのだということは、よくわかりました。「奥さんは、ほんとにおやさしいかたですね」と、小鳥は言いましたが、もう、水をあびるのは、たくさんでした。 「わたしは、自分の気持なんて、考えてみたこともないわ」と、ポルトガル奥さんは言いました。「だけど、わたしは、どんな生き物をも愛しているわ。それは、自分でもよく知っていてよ。でも、ネコだけはべつ。わたしに、ネコを愛せと言ったって、それはだめだわ。だって、あいつは、わたしの家族のものを、二羽も食べてしまったんですもの。  ところで、おまえさん、自分の家にいるつもりで、らくになさいね。すぐ、なれるわよ。わたし自身は、外国生れなのよ。そりゃあ、おまえさんだって、わたしの身のこなしや、羽のぐあいを見れば、おわかりだろうけどね。わたしの夫は、ここの土地のもので、わたしと同じ血すじじゃないの。だからといって、わたしは、いばったりはしないけど。――もし、ここで、おまえさんの気持をわかってくれるものがあるとしたら、それは、わたしのほかにはいないことよ」 「あの奥さんの頭の中には、ほら吹き貝がはいってるのさ!」と、ふつうの、若いアヒルが言いました。このアヒルは、とんち者だったのです。ほかの、ふつうのアヒルたちは、「ほら吹き貝」という音が、「ポルトガル」に似ているので、それを、たいそうおもしろがりました。そこで、みんなは、押しっこをして、ガー、ガー、このひとは、ほんとにとんちがあるよ、と言いました。それからは、みんなは、歌をうたう小鳥と、仲よしになりました。 「ポルトガル奥さんは、まったく話がうまいんだよ」と、みんなは言いました。「わたしたちのくちばしには、大げさな言葉はないけども、同情する気持においては、負けやしないよ。わたしたちは、あんたのために、なんにもしていないときは、だまっていることにしているんだよ。それが、いちばんいいことだと、わたしたちは思っているんだもの」 「おまえさんは、いい声をしておいでだね」と、みんなの中で、いちばん年とったアヒルが言いました。「おまえさんのように、ずいぶん大ぜいのひとたちを、よろこばせていたら、さぞかし、自分も楽しいだろうね。わたしにゃ、そんなことは、とってもできないよ。だから、わたしは、だまっているのさ。ほかのものが、ばかばかしいことを、おまえさんに言ってきかせるよりは、そのほうが、よっぽどましさ」 「その子を、いじめないでちょうだい」と、ポルトガル奥さんが言いました。「休ませて、看護してやらなくちゃならないのよ。ねえ、歌をうたう小鳥さん、もう一度水をあびせてあげましょうか?」 「いえ、いえ、それよりも、どうか、かわくようにさせてください!」と、小鳥はたのみました。 「水あびする、なおしかただけが、わたしにはきくんだけどね」と、ポルトガル奥さんは言いました。「気ばらしも、いいものよ。もうすぐ、おとなりのニワトリさんたちが、お客に来るわ。その中には、回教どれいとおつきあいしていた、中国のメンドリさんも、二羽いるわ。あのひとたちは、たいそう教育もあるし、それに、よその国からきたひとたちだから、つい、わたしは、尊敬したくなってしまうのよ」  やがて、そのメンドリたちが、やってきました。オンドリも、やってきました。オンドリは、きょうは、失礼なふるまいをしないように、たいそうぎょうぎよくしていました。 「きみは、ほんものの歌をうたう小鳥だね」と、オンドリは言いました。「そしてきみは、そのかわいらしい声で、そのかわいらしい声にふさわしいことを、なんでもやっているんだね。しかし、男性であることを、ひとに聞いてもらうのには、もっと機関車のような力を、持たなくちゃだめだね」  二羽の中国のニワトリは、歌うたいの小鳥をひとめ見ると、すっかり夢中になってしまいました。小鳥は、水をあびたために、羽がくしゃくしゃになっていました。そのようすが、なんとなく、中国のひよこに似ているように思われました。 「まあ、かわいらしいこと!」と、ニワトリたちは言って、小鳥と仲よしになりました。そして、ひそひそ声で、上流の中国人たちの話す言葉をつかって、チーチーおしゃべりをはじめました。 「わたしたちは、あなたとおんなじ種類なのよ。あのポルトガル奥さんにしたってそうだけど、アヒルさんたちは、みんな水鳥なのよ。あなただって、もう気がついているでしょう。わたしたちのことは、あなたは、まだ知らないわね。もっとも、わたしたちのことを知ってるものが、いったい、どのくらいあるでしょう! そうでなくても、知ろうとつとめるものが、どのくらいあるでしょう! ひとりも、いやしないわ。メンドリたちの中にだって、そんなひとはいないわ。わたしたちは、たいていのニワトリよりも、高い横木にとまるように、生れついているんだけどねえ。――  そんなことは、どっちだっていいわ。わたしたちは、ほかのひとたちのあいだにまじって、自分たちの静かな道を進んで行くのよ。ほかのひとたちは、わたしたちとは、考えがちがうわ。だけど、わたしたちは、いいほうばかりを見て、いいことだけを話しあうようにしているの。そうは言っても、なんにもないところに、なにかを見つけることは、できっこないけどね。  わたしたち二羽と、オンドリさんのほかには、才能があって、しかも正直なひとなんて、わたしたちのトリ小屋には、だれもいなくってよ! このアヒルの庭には、そんなひとは、ひとりもいやしないわ。  ねえ、歌うたいの小鳥さん。あなたに忠告しておくけど、あそこにいる、しっぽなしさんを信用しちゃいけないわよ。あのひとったら、ずるいんだから。それから、あそこの、羽に、ゆがんだ点々のある、まだらさんはね、ものすごいりくつやで、おまけに負けん気なのよ。それでいて、言うことは、いつもまちがいだらけだわ。――  あのでぶっちょのアヒルさんは、なんについてもわるく言うのよ。わたしたちの性質は、そういうのとはまるっきり反対よ。いいことが言えないんなら、だまっているべきだと思うわ。ポルトガル奥さんだけがすこしは教養もあって、つきあってもいいひとなのよ。だけど、あのひとは、すぐにかっとなりやすいし、それに、ポルトガルのことばっかし話しているんですもの」 「あの中国のニワトリさんたちは、ずいぶんひそひそ話をしているねえ」と、アヒルの夫婦が言いました。「まったく、うんざりするよ。わたしたちなんか、あのひとたちと、まだ一度も話したことはないけど」  そこへ、おすのアヒルが、やってきました。そして、歌をうたう小鳥を見ると、スズメだと思いこんでしまいました。 「うん、区別ができんね」と、おすのアヒルは言いました。「とにかく、どっちにしても、おんなじことさ。つまりは、おもちゃみたいなものだよ。そして、おもちゃは、やっぱり、おもちゃなのさ」 「あのひとの言うことなんか、気にしないでいらっしゃい!」と、ポルトガル奥さんがささやきました。「あれで、仕事にかけちゃ、なかなか感心なひとなのよ。なにしろ、仕事をいちばんだいじにしているんだからね。さてと、わたしは、ひと休みするとしよう。わたしたちは、まるまるふとらなくちゃならないんだからね。そうすりゃ、死んでからリンゴとスモモをつめて、ミイラにしてもらえるのよ」  こう言うと、ポルトガル奥さんは、日なたに寝ころんで、かたほうの目をパチパチやりました。寝ごこちはたいへんよく、気分もたいへんよく、そのうえ、たいへんよく眠れました。歌をうたう小鳥は、折れたつばさをそろえると、自分をまもってくれる、奥さんのそばにすりよって、寝ました。お日さまは、暖かく、キラキラとかがやいていました。そこは、ほんとうにすてきな場所でした。  おとなりのニワトリたちは、そのへんを歩きまわっては、地面をひっかいていました。このニワトリたちは、ほんとうは、ただえさがほしくて、ここへやってきていたのです。そのうちに、中国のニワトリが、まず出ていき、つづいて、ほかのニワトリたちも出ていきました。あのとんち者の、若いアヒルは、ポルトガル奥さんのことを、あのおばあさんは、もうすぐ、また「アヒルっ子」になるぜ、と言いました。すると、ほかのアヒルたちが、おもしろがって、ガー、ガー、さわぎたてました。 「アヒルっ子か! あいつは、まったくとんち者だよ」  それから、みんなは、また前のじょうだんの、「ほら吹き貝」をくりかえしました。そのようすは、ほんとにおもしろそうでした。それから、アヒルたちは、寝ころがりました。  みんなは、しばらくのあいだ、じっとしていました。と、とつぜん、なにか食べ物が、アヒルの庭に投げこまれました。バチャッ、と音がしました。すると、いままで眠っていた連中が、みんないっせいにはね起きて、羽をバタバタやりました。ポルトガル奥さんも、目をさまして、ころげまわりました。そのひょうしに、歌をうたう小鳥のからだを、いやというほど、ふみつけました。 「ピー、ピー!」と、小鳥は鳴きました。「いたいじゃありませんか、奥さん」 「なんだって、通り道なんかに、寝ているのさ!」と、奥さんは言いました。「そんなに神経質じゃだめだよ! わたしだって、神経はあるよ。でも、わたしは、一度だってピーなんて鳴いたことはないよ」 「おこらないでください」と、小鳥は言いました。「ピーって、つい、くちばしから出ちゃったんです」  ポルトガル奥さんは、もう、そんなことは聞いてもいませんでした。いそいで食べ物のほうへかけて行って、おいしいごちそうをひろいました。奥さんが食べおわって、また横になったとき、歌うたいの小鳥がそばへやってきました。そして、かわいらしいと言われるように、いっしょうけんめい歌をうたいました。 ピー ピー ピー! あなたの心のやさしさを、 大空高く飛びながら、 いつもわたしはうたいます。 「わたしはね、これから、食後のひと休みをするところなんだよ」と、奥さんは言いました。「おまえも、ここの習慣をおぼえなけりゃいけないよ。さあ、わたしは、ひと眠りしよう」  歌うたいの小鳥は、すっかりびっくりしてしまいました。だって、自分では、すごくいいことをしたつもりでいたんですもの。しばらくして、奥さんが目をさますと、小鳥は、自分で見つけてきた、小さなムギのつぶをくわえて、立っています。そして、それを、奥さんの前に置きました。ところが、奥さんは、まだたっぷり、寝ていなかったものですから、気分がいらいらしていました。 「そんなものは、ひよっこにでも、やったらいいじゃないの」と、奥さんは言いました。「そんなところにつっ立って、わたしのじゃまをしないでおくれ」 「奥さんは、ぼくをおこっているんですね」と、小鳥は言いました。「ぼく、なにかしたんでしょうか?」 「したって!」と、ポルトガル奥さんは言いました。「そういう言いかたは、じょうひんじゃないよ。気をつけるんだね」 「きのうは、ここには、お日さまが照っていたのに」と、小鳥が言いました。「きょうは、灰色にくもっている。ぼくは、悲しくてたまんない」 「おまえは、時のかぞえかたも知らないんだね」と、ポルトガル奥さんは言いました。「まだ、一日たっちゃいないんだよ。そんなまぬけな顔をして、つっ立ってるもんじゃないよ」 「奥さんが、そんなにおこって、こわい目つきで、ぼくをにらむところは、ぼくがこの庭の中へ落っこちたときに、にらんだ目つきにそっくりですよ」 「はじ知らず!」と、ポルトガル奥さんは言いました。「おまえは、このわたしを、あのけだもののネコとくらべる気かい! わたしのからだの中にはね、わるい血なんか、一てきも、ありゃしないんだよ。わたしは、おまえをひきとったんだから、おぎょうぎも、ちゃんと教えてやらなくちゃならないんだよ」  こう言うと、奥さんは、小鳥の頭をつっつきました。小鳥はたおれて、死んでしまいました。 「おやまあ、どうしたんだろう!」と、ポルトガル奥さんは言いました。「これっぱかしのことで、死んでしまうなんて! ほんとに、こんなことじゃ、この世の中には、むかないわね。わたしは、この小鳥にとっては、母親のようなものだった。それは、わたしも知っているわ。だって、わたしには、こころというものがあるんですもの」  そのとき、おとなりのオンドリが、アヒルの庭の中に頭をつっこんで、機関車のような力で鳴きました。 「あなたの、その鳴き声を聞くと、命がちぢまるような思いがしますよ」と、ポルトガル奥さんは言いました。 「こんなことになったのも、みんな、あなたのせいなんですよ。この子は、気をうしなってしまったんです。わたしだって、もうすこしで、そうなりそうでしたよ」 「そんなのがたおれたって、たいして場所を取りはしないさ」と、オンドリは言いました。 「もっと、ていねいな言いかたをしてください」と、ポルトガル奥さんは言いました。「この子は、声を持っていました! 歌を持っていました! 高い教養も、持っていました! そして、やさしくって、かわいらしい子でしたよ。こういうことは、動物にも、人間と呼ばれるものにも、ふさわしいことですわ」  まもなく、アヒルたちが、一羽のこらず死んだ小鳥のまわりに、集まってきました。アヒルたちは、はげしい情熱を持っています。いつも、ねたみか、同情かの、どちらかを、持っているのです。今、ここには、べつに、ねたむようなことは何もありませんので、みんなは、同情の気持をいだきました。あの、二羽の中国のニワトリたちも、やっぱりそうでした。 「こんなかわいい歌うたいの鳥は、もう二度と、わたしたちの仲間になることはないわ。この子は、まるで、中国のニワトリのようだったわ」  こう言って、二羽とも、泣きました。そして、クックッと言いました。すると、ほかのニワトリたちも、みんな、クックッと言いました。けれども、アヒルたちは、目をまっかにして、歩きまわっていました。 「わたしたちは、こころを持っている」と、みんなは言いました。「それは、だれも、うそだとは言えない」 「こころ!」と、ポルトガル奥さんは言いました。「そうよ、わたしたちは、こころを持っているわ。――ちょうど、ポルトガルで持っているのと、同じくらいに」 「さあ、なにか食べ物でもひろうことを、考えようじゃないか」と、おすのアヒルが言いました。「そのほうが、ずっとだいじだからな。おもちゃの一つぐらい、こわれたって、そんなものは、まだいくらでもあるさ」
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2021年2月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 アンネ・リスベットは、まるで、ミルクと血のようです。若くて、元気で、美しい娘です。歯はまっ白に、ピカピカ光り、目はすみきっています。足は、ダンスをしているように、軽々としています。気持は、それよりももっと軽くて、陽気です。  で、このアンネ・リスベットは、どうなったでしょうか。赤ん坊の、おかあさんになりました。「みにくい赤ん坊」のおかあさんに。――そうです。赤ん坊は、きれいな子ではありませんでした。その子は、生れるとすぐ、みぞほり人夫の、おかみさんのところに、あずけられてしまいました。  おかあさんのアンネ・リスベットは、伯爵さまのお屋敷に、働きに行きました。アンネ・リスベットは、絹とビロードの着物を着て、りっぱな部屋の中に、すわっていました。アンネ・リスベットのところには、すきま風一つ、吹きこんではきませんでした。だれも、アンネ・リスベットに、らんぼうな言葉をかけてはなりませんでした。そんなことをすれば、アンネ・リスベットのからだに、さわるかもしれませんから。なにしろ、アンネ・リスベットは、伯爵さまの、赤ちゃんの、うばなのですから。  赤ちゃんは、王子のようにじょうひんで、天使のようにきれいでした。アンネ・リスベットは、この赤ちゃんを、心から、かわいがりました。ところが、自分の赤ん坊は、みぞほり人夫の家にいました。この家では、おなべがにたって、ふきこぼれるようなことは、ありませんでした。けれども、赤ん坊の口だけは、しょっちゅうあわをふきこぼしていました。  この家には、たいていのとき、だれもいませんでした。赤ん坊が泣きわめいても、それを聞きつけて、あやしてやろうとする者がいないのです。赤ん坊のほうは、泣いているうちに、いつのまにか、寝いってしまいます。眠ってさえいれば、そのあいだは、おなかがへっていることも、のどがかわいていることも、感じないものです。ほんとうに、眠りというものは、すばらしい発明ですよ。  それから、何年もたちました。時がたてば、草ものびる、と、よく言われますが、アンネ・リスベットの子供も、そのとおり、すくすくと大きくなりました。もっとも、あの子は、どうも、発育がよくない、と、人々は言いましたが。  さて、その子は、おかあさんがお金をやってあずけた、みぞほり人夫の家の人間に、すっかりなりきっていました。おかあさんのほうは、子供とは、まったく、えんがなくなってしまいました。町の奥さんになって、気持のよい、楽しい暮しをしていたのです。よそへ出かけるときには、ちゃんと、帽子をかぶって行ったものです。しかし、みぞほり人夫の家には、一度も行ったことがありませんでした。なぜって、その家は、町からたいへん離れていたからです。それに、用事もありませんからね。  男の子は、みぞほり人夫の家の、家族のひとりになっていました。うちの人たちは、 「この子は、がつがつ食うなあ」と、言っていました。  そこで、食べるものぐらい、自分で働いて、かせがなければなりません。こうして、男の子は、マッス・イェンセンさんの、赤いウシのせわをすることになりました。じっさい、もうこんなふうに、家畜のせわをして、手伝いをすることができるほどになっていたのです。  伯爵のお屋敷の布さらし場では、くさりにつながれたイヌが、イヌ小屋の上に、えらそうにすわりこんで、お日さまの光をあびています。だれかが、そばを通りかかると、きまって、ワンワンほえたてます。雨の日には、このイヌは、自分の小屋の中にもぐりこんで、一しずくの雨にもぬれずに、暖かにしています。  いっぽう、アンネ・リスベットの子供も、お日さまの光をあびながら、みぞのふちにすわって、くいをけずっています。春のころ、花の咲いている野イチゴのかぶを、三つばかり見つけました。そのときは、きっと今に実がなるぞ、と思って、楽しみにしたものです。ところが、実は一つもなりませんでした。霧雨がふってきました。雨の中にすわっていると、びしょぬれになってしまいました。けれども、まもなく、強い風が吹いてきました。ぬれて、からだにくっついている着物を、かわかしてくれました。  男の子は、お屋敷へ行くと、みんなに、つつかれたり、ぶたれたりしました。 「なんてきたない子だ。いやらしい子だ」と、下女も、下男も、言うのです。  でも、この子は、そういうことには、なれっこになっていました。かわいそうに、だれにも、かわいがられたことはないのです。  さて、それから、アンネ・リスベットの男の子は、どうなったでしょうか。ほかに、どうなるはずもありません。「だれにも、かわいがられたことはない」これが、この子の運命だったのです。  この子は、陸から船に乗りうつって、海に出ました。といっても、ちっぽけな船です。男の子は、船頭がお酒を飲んでいるあいだ、かじのところにすわっていました。いつも、きたならしい、よごれたかっこうをしていました。それに、寒そうに、ぶるぶるふるえていて、がつがつしていました。そのようすを見れば、だれでも、この子は、腹いっぱい、食べたことがないんだろう、と、思いそうです。いや、ほんとうに、そのとおりだったのです。  秋のおわりのことでした。風が吹きだして、雨もまじりはじめました。荒れもようの天気になってきました。  つめたい風が、あつい着物をとおして、はだまでしみ入りました。ことに、海の上ではそうです。いま、その海の上を、小さな帆かけ船が一そう、走っていました。船には、ふたりの人間しか、乗っていません。いや、もっと正しく言えば、ひとりと、はんぶんです。というのは、乗っていたのは、船頭と、小僧でしたから。  この日は一日じゅう、うす暗い天気でした。それが今は、ますます暗くなって、寒さも身を切るようでした。  船頭は、からだの底から、暖まろうと思って、ブランデーを飲みました。ブランデーのびんは、古いものでした。コップも、古いものでした。コップは、上のほうはなんでもありませんでしたが、足が折れていました。それで、木をけずって、青くぬったのを、足のかわりにしていました。一ぱいのブランデーでも、よくきくんだから、二はい飲めば、もっと、よくきくだろう、と、船頭は思いました。  小僧は、かじのところにすわっていました。タールでよごれた、かじかんだ手で、かじにしがみついていました。それにしても、みにくい小僧です。かみの毛はぼうぼう、からだは、ずんぐりむっくりです。この小僧は、いうまでもなく、みぞほり人夫の子供でした。教会の名簿では、アンネ・リスベットの子供となっていましたが。  風は、ヒューヒュー吹きまくり、小船は、波にもまれました。帆は、風を受けてふくれました。船は、飛ぶように走っていきました。――まわりは、はげしい雨と風です。けれども、それだけではすみませんでした。――ストップ。――なんでしょう? なにが、ぶつかったんでしょう? なにが、くだけちったんでしょう? なにが、船の中に、なだれこんできたんでしょう?  船は、くるくると、まわっています。大雨が、ザアッと降ってきたんでしょうか? それとも、大波が、もりあがってきたんでしょうか?  少年は、かじのところで、大声にさけびました。 「イエスさま!」  船は、海の底にある大きな岩に、ぶつかったのです。そして、村の沼にしずんでいる、古靴みたいに、海の底にしずんでしまいました。世間でよく言うように、人間はもちろん、ネズミ一ぴき、生きのこりませんでした。船には、たくさんのネズミのほかに、人間もひとり半、つまり、船頭と、みぞほり人夫の子供がいたのですが。  船のしずんでいくありさまを見ていたのは、ただ、鳴きさけぶカモメと、水の中の、さかなたちだけでした。けれども、そのカモメやさかなたちも、ほんとうは、よくは見ていなかったのです。なぜって、みんなは、水がどっと、船の中に流れこんで、船がしずんだとき、びっくりして、わきへ逃げてしまったのですから。  船は、水面からたった二メートルぐらいのところに、しずみました。ふたりは、海の底にほうむられました。ほうむられて、忘れられました。ただ、コップだけは、しずみませんでした。青くぬった、木の足のおかげで、ぷかり、ぷかりと、波のまにまに、浮んでいたのです。やがて、波にはこばれて、海岸に打ちあげられると、くだけてしまいました。  いったい、どこにでしょう? そして、いつのことでしょう?  いや、いや、その話は、もう、やめにしましょう。そのコップは、コップとしての、役目もりっぱにはたし、人にかわいがられてもきたのですから。  しかし、アンネ・リスベットの子供は、そういうわけにはいきませんでした。けれども、天国では、どんな魂も、「だれにも、かわいがられることはない」などとは、言われないでしょう。  アンネ・リスベットは、それからも、町に住んでいました。もう、なん年も住んでいます。人からは、奥さんと、呼ばれていました。奥さんは、むかし、伯爵の家で、働いていたころのことを思い出しては、よく、人に話しました。そういうときには、とくべつに、ぐっと、胸をはったものでした。よそへ馬車で出かけたり、伯爵の奥さまや、男爵の奥さまがたと、話をしたことを、うれしそうに話しました。  あの、かわいらしい、伯爵のぼっちゃまは、それはそれは愛らしくて、神さまの天使のようでした。この上もなく心のやさしい子供でした。ぼっちゃまは、アンネ・リスベットに、とてもなついていました。アンネ・リスベットも、ぼっちゃまが大好きでした。ふたりは、キスをしたり、ふざけあったりしました。ぼっちゃまは、アンネ・リスベットにとっては、大きなよろこびでした。自分の命のつぎに、だいじなものでした。  そのぼっちゃまも、今は大きくなって、十四歳になっています。勉強もよくできる、美しい少年です。  アンネ・リスベットは、赤ちゃんのときに、だいてあげてから、ぼっちゃまには、一度も、会ったことがありませんでした。それもそのはず、伯爵のお屋敷へは、もう何年も、行ったことがなかったのです。お屋敷へ行くのには、かなりの旅行をしなければならなかったのです。 「一度、思いきって行ってこよう」と、アンネ・リスベットは、言いました。「すてきな、わたしのかわいい、ぼっちゃまのところへ、すぐ行ってこよう。きっと、ぼっちゃまも、わたしのことをこいしがって、心にかけていてくださるにちがいないわ。むかしは、天使のような、小さな腕を、わたしの首にまきつけて、『アン・リス』とおっしゃったものだわ。そうそう、あのころは、バイオリンのような、声をしていらっしゃったわ。そうだわ、思いきって、お目にかかりに行ってこよう」  アンネ・リスベットは、しばらく、ウシ車に乗せていってもらいました。それからは、自分の足で歩いて、伯爵のお屋敷にきました。大きなお屋敷は、むかしのままで、光りかがやいています。おもてのお庭も、むかしのとおりです。  けれども、家の中にいる人たちは、アンネ・リスベットの見たこともない人ばかりです。むこうでも、だれひとり、アンネ・リスベットを知っている者はありません。もちろん、アンネ・リスベットが、むかし、うばとして、このお屋敷でたいせつな人だった、ということなどは、夢にも知りません。 「いいわ。もうすぐ奥さまが、わたしのことを、みんなに話してくださるわ。ぼっちゃまだって、きっと。ああ、早く、ぼっちゃまにお目にかかりたい」と、アンネ・リスベットは思いました。  とうとう、アンネ・リスベットは、このお屋敷にきたのです。でも、長いこと、待たなければなりませんでした。その、待っているあいだが、どんなに長く感じられたことでしょう。  うちのかたたちが、食卓につく前に、アンネ・リスベットは、奥さまのところに呼ばれました。奥さまは、やさしい言葉をかけてくださいました。かわいいぼっちゃまには、食事のあとで、お目にかかることになりました。しばらくしてから、また、呼ばれました。  ああ、ぼっちゃまは、すっかり大きくなって、ひょろ長くなっています。でも、美しい目と、天使のような口もとだけは、むかしのままです。ぼっちゃまは、アンネ・リスベットを見ました。けれども、ひとことも、言いませんでした。はっきりとは、おぼえがなかったのです。ぼっちゃまは、すぐに、くるりとふりむいて、むこうへ行こうとしました。アンネ・リスベットは、その手をとって、口にあてました。 「ああ、もう、いいよ」と、ぼっちゃまは言って、部屋から出ていってしまいました。  このぼっちゃまこそ、アンネ・リスベットが、どんなものよりも、強く愛してきた人です。今でもやっぱり、愛している人です。この世での、いちばんのほこりなのです。ところが、そのぼっちゃまは、さっさと行ってしまったのです。  アンネ・リスベットは、お屋敷を出て、広い大通りを歩いていきました。心の中は、悲しくてたまりません。 「ぼっちゃまは、あんなによそよそしくなってしまった。わたしのことなどは、なんにも考えていらっしゃらないし、ひとことも、話しかけてはくださらなかった。ああ、わたしは、あのぼっちゃまを、小さいころ、昼も夜も、だいてあげたのに。それに、今だって、心の中では、ずうっと、だいてあげているのに」  そのとき、大きな、黒いカラスが、目の前の道の上に、おりてきました。カラスは、カー、カー、鳴きたてました。 「まあ、いやだこと。おまえは、ほんとに、えんぎのわるい鳥だねえ」と、アンネ・リスベットは言いました。  それから、みぞほり人夫の家によりました。入り口に、おかみさんが立っていました。そこで、ふたりは話をはじめました。 「おまえさん。なかなか、たいしたもんらしいじゃないか」と、みぞほり人夫のおかみさんが、話しかけました。「まんまるく、ふとってさ。さぞかし、ぐあいがいいんだね」 「ええ、まあねえ」と、アンネ・リスベットは、言いました。 「あのとき、ふたりの乗ってた船が、しずんじゃってね」と、おかみさんは言いました。 「船頭のラルスも、あの子も、おぼれちゃったんだよ。ふたりとも、もう、おしまいさ。わたしは、今に、あの子が、いくらかは、暮しをたすけてくれると思ってたんだがねえ。あんたも、もう、あの子のために、お金をつかう必要はなくなったよ、アンネ・リスベットさん」 「ふたりとも、おぼれてしまったんですか!」と、アンネ・リスベットは言いました。でもそれきり、そのことについては、なんにも言いませんでした。  いま、アンネ・リスベットの心は、悲しみで、いっぱいだったのです。アンネ・リスベットは、伯爵のぼっちゃまを、心から愛していました。そのぼっちゃまに、会いたいばかりに、遠い道を歩いていったのです。それなのに、ぼっちゃまは、ひとことも、アンネ・リスベットに、話しかけてくれなかったではありませんか。それに、今度の旅行では、お金もずいぶんかかりました。しかも、それにくらべて、大きなよろこびは、えられなかったのです。けれども、そのことは、今は、なんにも言いませんでした。こんなことを、みぞほり人夫のおかみさんに話して、それで、気持を軽くしたいとは、思わなかったのです。それどころか、こんな話をすれば、おかみさんは、この人は、もう、伯爵さまのお屋敷では、だいじにされてはいないんだ、と思うにきまっています。  そのとき、カラスがまたもや、カーカー鳴きながら、頭の上を飛んでいきました。 「あの、えんぎのわるい鳴き声のおかげで」と、アンネ・リスベットは言いました。「きょうは、わたし、ほんとに、びっくりさせられたわ」  アンネ・リスベットは、おかみさんへのおみやげに、コーヒーまめとキクヂシャを持ってきました。おかみさんは、コーヒーが飲めるので、大よろこびです。さっそく、いれることにしました。アンネ・リスベットも、一ぱい、たのみました。そこで、おかみさんは、コーヒーをいれに、むこうへ行きました。アンネ・リスベットは、椅子に腰をおろしましたが、そのうちに、うとうと眠ってしまいました。  眠っているあいだに、アンネ・リスベットは、ふしぎな夢を見ました。いままで、一度も夢になど見たことのない人が、その夢の中にあらわれたのです。それは、アンネ・リスベットの子供でした。この家で、おなかをすかして、泣きわめいていた、あの男の子です。だれにも、かまってもらえなかった、あの子です。そして今は、神さまだけがごぞんじの、深い海の底に、横たわっている、あの子の夢を見たのです。夢の中でも、アンネ・リスベットは、いま、腰かけている部屋の中に、やっぱり、腰かけていました。おかみさんも、同じように、コーヒーをいれに行っています。コーヒー豆をいるにおいが、ぷんぷんしてきました。  そのとき、戸口に、きれいな子供があらわれました。伯爵のぼっちゃまのように、美しい子供です。その子はこう言いました。 「いま、世界はほろびます。さあ、ぼくに、しっかり、つかまってください。なんといっても、あなたは、ぼくのおかあさんですからね。あなたは、天国に、ひとりの天使を持っているんですよ。さあ、ぼくに、しっかりつかまってください」  こう言うと、天使は、アンネ・リスベットのほうへ、手をさしのべました。と、そのとたんに、すさまじいひびきがとどろきました。まぎれもなく、世界がはれつした音です。天使は、空へ浮びあがりました。しかし、その手は、アンネ・リスベットのはだ着のそでを、しっかりと、つかんでいます。アンネ・リスベットは、なんだか、足が地面から離れたような気がしました。ところが、そのとき、なにかおもたいものが、足にぶらさがりました。いや、背中のほうまで、よじのぼってくるものもあります。まるで、何百人もの女に、しがみつかれているみたいです。その女たちは、口々に、こう言っているではありませんか。 「あんたが、すくわれるんなら、わたしたちだって、すくわれてもいい。つかまろう、つかまろう」  こうして、みんなが、われもわれもと、すがりつくのです。でも、あんまり大ぜいすぎます。 「ビリ、ビリ」と、音がしました。そでが、ちぎれました。とたんに、アンネ・リスベットは、ものすごいいきおいで、落ちていきました。そのとき、はっと目がさめました。もうすこしで、腰かけていた、椅子といっしょに、ひっくりかえるところでした。頭の中が、すっかり、ごちゃごちゃになっていました。それで、どんな夢を見たのか、ちょっと思い出すこともできませんでした。けれども、いやな夢だったことだけは、たしかです。  それから、おかみさんといっしょに、コーヒーを飲みながら、いろんな話をしました。  やがて、アンネ・リスベットは、別れをつげて、近くの町に行きました。その町で、荷馬車の御者に会って、その人の車に乗せてもらって、その晩のうちに、自分の住んでいる町へ、帰ろうと思ったのです。ところが、御者に会ってみると、あくる日の夕方でなければ、出かけない、ということでした。  アンネ・リスベットは、もし今夜、この町にとまるとすれば、どのくらいのお金がかかるかを考えてみました。それから、自分の町までの、道のりを考えてみました。そして、大通りを行かないで、海べにそっていけば、三キロぐらいは近そうだ、と心に思いました。  空を見れば、きれいに晴れわたっていて、お月さまが、まんまるくかがやいています。そこで、アンネ・リスベットは、歩いていくことにきめました。あしたは、うちに帰ることができるでしょう。  お日さまが、しずみました。夕べをつげる鐘が、まだ鳴っています。おやおや、それは、鐘ではありません。沼の中で、大きなカエルが鳴いているのでした。  やがて、そのカエルたちも、鳴くのをやめました。あたりは、しーんと、しずかになりました。鳥の鳴き声一つ、聞えません。今は、すべてのものが、しずかに眠っているのです。フクロウだけは、まだ、巣にかえっていませんでした。森は、ひっそりとしています。アンネ・リスベットの歩いている浜べも、しーんとしています。聞えるものといえば、ただ、砂をふむ、自分の足音ばかりです。海のおもてには、さざなみ一つ、立っていません。深い水の中からは、音一つ聞えません。海の底にあるものは、生きているものも、死んでいるものも、みんなひっそりと、だまりこくっています。  アンネ・リスベットは、どんどん歩いていきました。世間でよく言うように、なんにも考えてはいませんでした。今のアンネ・リスベットは、考えるということから、離れていました。けれども、考えのほうでは、アンネ・リスベットから、離れてはいませんでした。考えというものは、わたしたちから、離れるようにみえても、離れているのではありません。ただ、うつらうつらしているだけなのです。いきいきと働いていた考えが、うつらうつらしていることもあります。まだ、働きださない考えが、うつらうつらしていることもあるのです。しかし、考えというものは、いつかはきっと、おもてにあらわれてきます。それは、わたしたちの心の中で、動きだすこともありますし、頭の中でうごめくこともあります。それから、わたしたちの上に、降ってわいてくることもあります。 「よい行いは、祝福をもたらす」という言葉があります。また、「罪をおかせば、死にいたる」という言葉もあります。ほかにも、書かれたり、言われたりしている言葉は、たくさんあります。けれども、人はそれを知らないのです。思い出せないのです。アンネ・リスベットが、やはり、そうでした。けれども、そういうものが、ふっと、おもてにあらわれて、心に浮んでくることがあります。  罪も、徳も、すべて、わたしたちの心の中にあります。あなたの心の中にも、わたしの心の中にも! それらは、目に見えない小さな穀物のつぶのように、ひそんでいるのです。そこへ、外から、お日さまの光が一すじ、さしてきます。でなければ、わるい手がさわりにきます。あなたは、町かどを、右か左にまわります。ええ、それだけで、きまってしまうのです。小さなつぶは、ゆすぶられているうちに、ふくらんできて、はじけとびます。そして、そのしるを、あなたの血の中にそそぎこみます。そうなると、あなたはもう、走りつづけなければなりません。  人の心を不安にする考えも、夢を見ているときには、気がつかないものです。しかし、そのあいだも、働きつづけているのです。アンネ・リスベットも、夢を見ながら、歩いていました。心の中では、いろいろな考えが動いていました。  二月二日の、聖母おきよめの祝日から、つぎの祝日のあいだまでに、心には、たくさんの借りができます。一年のあいだの、決算ですが、忘れられてしまうものも、たくさんあります。たとえば、わたしたちは、神さまをはじめ、となりの人や、わたしたち自身の良心にたいしても、罪をおかしています。口に出しておかしているときもあれば、心の中でおかしていることもあるのですが、そういうものは、たいてい、忘れられてしまいます。  わたしたちは、ふつう、そんなことは考えません。アンネ・リスベットも、同じでした。そのはずです。アンネ・リスベットは、国の法律や、規則に合わないようなことは、なに一つ、していないのですから。それどころか、アンネ・リスベットは、みんなから、正直で感心な、りっぱな女だと思われているのです。そのことは、アンネ・リスベット自身も、ちゃんと知っていました。  さて、アンネ・リスベットは、海べにそって歩いていきました。――おや、むこうに、なにかがありますよ。アンネ・リスベットは、あゆみをとめました。波に打ちあげられているのは、なんでしょう? 古い、男の帽子です。どこか、海の上で、船から落ちたものでしょう。  アンネ・リスベットは、なおも、近づいていきました。立ちどまって、それをながめました。――おや、まあ、横たわっているのは、なんでしょう? 一瞬、アンネ・リスベットは、ぎょっとしました。けれども、よくよく見れば、べつに、びっくりするほどのものではありません。海草とヨシが、大きな細長い石の上に、まつわりついているだけではありませんか。もっとも、それが、人間のからだそっくりに見えたのです。  ただの海草と、ヨシにすぎませんが、それでも、アンネ・リスベットは、すっかり、おどろいてしまいました。なおも、先へ歩いていくうちに、今度は、子供のころ聞いた話が、いろいろ頭に浮んできました。  たとえば、「浜のゆうれい」についての迷信です。これは、さびしい海べに打ちあげられて、ほうむられずに、そのままになっている、死人のゆうれいの話です。それから、「浜にさらされたもの」というのも、あります。こちらは、死んだ人の、からだのことです。べつに、だれにも、わるいことをするわけではありません。ところが、「浜のゆうれい」のほうは、旅人が海べを、ひとりきりで歩いていると、そのあとをつけてきます。そして、その人の背中に、しっかりとしがみついて、 「どうか、墓地へ、連れていってください。ちゃんと、教会の土の中にうめてください」と、たのむそうです。そのときに、「つかまろう、つかまろう」と、言うのだそうです。  アンネ・リスベットは、なんの気なしに、この言葉をくりかえして、つぶやきました。と、とつぜん、昼間見た夢が、はっきりと、目の前に浮んできました。夢の中では、大ぜいの母親が、「つかまろう、つかまろう」と、さけびながら、しがみついてきたのです。世界はしずみ、はだ着のそではちぎれて、自分は、子供の天使の手から離れて、落ちていったのです。その天使は、最後のさばきのときに、自分を天国へと引きあげにきてくれたのですが。  いっぽう、自分の子、血をわけた、自分のほんとうの子は、どうでしょう。その子は、いま、海の底に横たわっているのです。一度も、愛したことのない、いいえ、それどころか、思ってさえもみたことのない子です。もしかしたら、その子が、浜のゆうれいとなって出てきて、「つかまろう、つかまろう。墓地へ、連れていってください」と、さけぶかもしれません。  こんなことを考えると、なんだか、心配でたまらなくなってきました。ぐんぐん、足を速めました。おそろしさが、つめたい、ぬらぬらした手のように、せまってきました。みぞおちの上に、しっかりとくっつきました。アンネ・リスベットは、もうすこしで、気が遠くなりそうでした。  海の上をながめると、なんだか、ぼうっと、かすんできました。こい霧が、押しよせてきて、草むらや木々のまわりに、からみつきました。すると、その草むらや、木々は、なんともいえない、気味のわるい形になりました。お月さまを見ようとして、うしろをふりかえってみました。お月さまは、光をうしなった、青白いえんばんみたいです。  そのとき、何かおもたいものが、手や足にくっついてきました。「つかまろう、つかまろう」という、あのゆうれいだな、と心の中で思いました。  もう一度、ふりむいて、お月さまを見ると、お月さまの青白い顔が、まるで、すぐ目の前にせまっているようです。霧が、白いリンネルのように、肩にかかってきました。そのとき、「つかまろう、つかまろう。墓地へ、連れていってください」という声が、したようです。それといっしょに、すぐ近くで、うつろな声がしました。沼のカエルや、カラスどもの声ではありません。なぜなら、そんなものの姿は、どこにも見えないのですから。  すると、今度は、「わたしを、ちゃんと、土の中に、うめてください。ちゃんと、土の中に、うめてください」という声が、はっきり、聞えてきたではありませんか。たしかに、これは、海の底に横たわっている、自分の子供が、浜のゆうれいとなって、出てきたのにちがいありません。この子は、墓地に連れていって、教会の土の中に、ちゃんとうめてやらないうちは、心の平和がえられないのです。  そこで、アンネ・リスベットは、墓地へ子供を連れていって、うめてやろうと思いました。教会のあるほうにむかって、歩きだしました。ところが、しばらく歩いていくと、しがみついているゆうれいが、だんだん軽くなってきました。しまいには、とうとう、重みを感じなくなってしまいました。  そこで、アンネ・リスベットは、また考えをかえて、さっきの近道に引きかえそうとしました。ところが、そのとたんに、また、あのゆうれいに、しっかりと、しがみつかれてしまいました。「つかまろう、つかまろう」そういう声は、まるで、カエルの鳴き声のようでした。悲しそうな、鳥の鳴き声のようでもありました。しかし、たしかに、はっきりと聞えました。「わたしを、ちゃんと、土の中に、うめてください。ちゃんと、土の中に、うめてください」  霧は、つめたく、ぬらぬらしていました。けれども、アンネ・リスベットの手や顔が、つめたく、ぬらぬらしていたのは、そのためではありません。おそろしさのためだったのです。アンネ・リスベットは、おそろしさを、ひしひしと身に感じました。心のうちには、大きな場所が、ぽっかり口を開きました。そこに、今まで、一度も感じたことのない、考えがあらわれてきました。  北の国のデンマークでは、春になると、たった一晩のうちに、ブナの森が、いっせいに、みどりの芽を出すことがあります。そして、あくる日、お日さまの光を受けると、若々しい美しさに、光りかがやくことがあります。わたしたちの生活の中に、まかれている罪のたねも、それと同じように、あっというまにふくらんで、考えや言葉や、行いのうちに、芽を出すことがあります。良心が目をさますと、それは、またたくうちに、ぐんぐんのびて大きくなります。  神さまは、わたしたちが思いもしないときに、良心を呼びさまします。そうなれば、もう、言いわけはゆるされません。行いが証明となり、考えは言葉となって、その言葉は、広く世の中にひびきわたるのです。わたしたちは、こういうものが、自分のうちにあって、しかも、よく、押しころされなかったものだと、おどろきます。また、わたしたちは、ごうまんな気持から、考えなしにまきちらしたものを見て、おどろきます。心の中には、徳も、ひそんでいます。そのいっぽう、悪も、ひそんでいます。それらは、どんなひどい土地でも、芽を出して、のびていくものです。  今、ここに言いあらわしたことが、アンネ・リスベットの頭の中に、芽を出してきました。アンネ・リスベットは、おそろしさにうちのめされて、地べたにくずおれました。しばらくは、ただ、そのまま、地べたをはっていきました。 「わたしを、地の中にうめてください。地の中にうめてください」という声がしました。アンネ・リスベットは、いっそ、自分を、地の中にうめてしまいたいと思いました。もしも、お墓にはいることによって、なにもかも忘れることができるものならば。――  アンネ・リスベットにとっては、しんけんに目ざめる、ひとときでした。もちろん、おそろしさと、不安とは、つきまとっています。迷信は、アンネ・リスベットの血を、ときには、つめたくひやし、ときには、あつく燃やしました。今まで、口にしたこともないようなことが、つぎつぎと、頭に浮んできました。まぼろしのようなものが、お月さまの光をうけた、雲のかげのように、音もなくそばを通りすぎました。それは、前に、話には聞いていたものです。  四頭のウマが、目や鼻からほのおをはきながら、燃える馬車を、ひいていました。馬車の中には、何百年も前に、このあたりをおさめていた、わるい殿さまが乗っていました。なんでも、この殿さまは、毎晩、ま夜中に馬車に乗って、自分の領地に行き、すぐまた引きかえすのだという話です。けれども、この殿さまは、わたしたちが、よく、死神について思い浮べるように、青白くはありません。それどころか、炭のように、それも、火の消えた炭のように、まっ黒でした。  殿さまは、アンネ・リスベットにむかって、うなずいて手まねきしました。 「つかまろう、つかまろう。そうすれば、また、伯爵の馬車に乗って、自分の子供のことも、忘れられるぞ」  アンネ・リスベットは、いっそう、足を速めました。墓地にたどりつきました。ところが、黒い十字架と、黒いカラスたちが、目の前に入りみだれていて、その見わけが、はっきりとつきません。カラスたちは、昼間と同じように、カー、カー、鳴きさけんでいます。けれども、いまは、ようやく、カラスたちの言おうとしている意味が、わかりました。 「わたしは、カラスのおかあさん。わたしは、カラスのおかあさん」と、カラスたちは、口々にさけんでいるのでした。  カラスのおかあさんは、子供が、まだ飛べないうちに、巣からつき落すということです。それで、カラスのおかあさんというのは、なさけしらずのひどいおかあさんのことなのです。アンネ・リスベットは、自分も、カラスのおかあさんと同じだと、気がつきました。きっと、いまに、自分も、こういう黒いカラスに、かえられてしまうでしょう。そして、お墓がほってやれないといって、このカラスたちと同じように、しょっちゅう、鳴きわめかなければならないかもしれません。  はっとして、アンネ・リスベットは、地べたに身を投げだし、かたい土を、手でほりはじめました。たちまち、指からは血がほとばしり出ました。 「わたしを、地の中にうめてください。地の中にうめてください」という声が、たえず聞えました。  アンネ・リスベットは、ニワトリが鳴いて、東の空が赤くそまってくるのを、おそれました。なぜって、それまでに、自分の仕事をやりおえないと、なにもかも、だめになってしまうのです。  そのとき、ニワトリが鳴いて、東の空が赤くなってきました。――けれども、お墓はまだ、半分しかほれていないのです。氷のようにつめたい手が、頭から顔へすべりおりて、胸までさがってきました。 「お墓は、まだ、やっと半分!」と、ため息まじりに、言う声がしました。なにかが、アンネ・リスベットのからだから、ふわふわと離れて、海の底へもどっていきました。いうまでもなく、浜のゆうれいです。アンネ・リスベットは、打ちのめされて、地べたにたおれました。もう、考える力も、感じる力も、ありません。  アンネ・リスベットが、気がついたときには、もう、すっかり明るくなっていました。ふたりの男が、自分をだきおこしてくれています。見れば、そこは墓地ではなくて、海べでした。しかも、その海べの砂の中に、アンネ・リスベットは、深い穴をほっていたのです。それに、指もけがをして、血が出ていました。青くぬった、木の足のコップがくだけていて、それで、指を切ったのです。  アンネ・リスベットは、病気でした。良心のカードの中に、迷信のカードがまぜられて、その中から一枚、引きぬかれたのです。そのため、いまは、はんぶんの魂しか、持っていませんでした。あとのはんぶんは、自分の子供が、海の底に持っていってしまったのです。その魂のはんぶんは、いま、海の底に、しっかりと、しばりつけられています。それを取りもどさないうちは、天国にのぼっていって、神さまのおめぐみを受けることはできないでしょう。  アンネ・リスベットは、やっとの思いで、家に帰ってきました。けれども、今までとは、がらりと、人がかわってしまいました。頭の中は、もつれた糸玉のように、もつれにもつれていました。けれどもその中を、一つの考えだけが、はっきりとつらぬいていました。それは、浜のゆうれいを教会の墓地に連れていって、お墓をほってやり、そうすることによって、魂の全部をとりもどすということでした。  アンネ・リスベットは、幾晩も、幾晩も、家から、姿をけすようになりました。そういうときには、きまって、海べにいるところを、人に見つけられました。もちろん、アンネ・リスベットは、浜のゆうれいが出てくるのを、待っていたのです。  こんなふうにして、まる一年たちました。  ある晩のこと、とつぜん、アンネ・リスベットは、また、姿をけしてしまいました。ところが、今度は、なかなか、見つからないのです。あくる日は、一日じゅう、みんなで、さがしまわりました。でも、やっぱり、だめでした。  夕方になって、役僧が、夕べの鐘を鳴らすために、教会の中へはいっていきました。ふと見ると、聖壇の前に、アンネ・リスベットが、ひざまずいているではありませんか。アンネ・リスベットは、朝早くから、ずっとここにいたのです。からだの力は、もう、ほとんど抜けきっているようでした。けれども、目は光りかがやき、顔にも生き生きとした、赤みがさしています。お日さまの最後の光が、アンネ・リスベットの上を照らしました。聖壇の上にひろげられている聖書のかざり金を、キラキラと照らしました。そこには、預言者ヨエルの言葉が書いてありました。「なんじら、ころもをさかずして、心をさき、なんじらの神にかえるべし」―― 「それは、ぐうぜんだよ」と、人々は言いました。世の中のたいていのことは、ぐうぜんだと言われるものですね。  お日さまに照らされているアンネ・リスベットの顔には、はっきりと、平和とおめぐみが、あらわれていました。 「とても、よい気持です」と、アンネ・リスベットは、言いました。  とうとう、アンネ・リスベットは、うちかったのです。ゆうべは、自分の子供の、浜のゆうれいがそばにやってきて、こう言いました。 「おかあさん。あなたはぼくのために、お墓をはんぶんしか、ほってくれませんでした。でも、この一年間というものは、あなたの心の中に、しっかりと、ぼくを入れておいてくれましたね。子供にとっては、おかあさんが、自分の心の中に、入れておいてくれるのが、なによりもうれしいことなんですよ」  こう言って、前にとっていった魂のはんぶんを、アンネ・リスベットにかえしました。それから、アンネ・リスベットを、この教会に案内してきたのです。 「いまは、わたしは、神さまのおうちにいます。ここでは、どんな人も、しあわせです」と、アンネ・リスベットは言いました。  お日さまが、すっかりしずみました。そのとき、アンネ・リスベットの魂は、高く高く、天にのぼっていきました。そこでは、もうおそろしいと思うことはありません。この世で、りっぱにたたかいぬいた人にとってはです。アンネ・リスベットこそ、そういう、りっぱにたたかいぬいた人なのです。
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2021年3月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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「あたしのお花がね、かわいそうに、すっかりしぼんでしまったのよ」と、イーダちゃんが言いました。「ゆうべは、とってもきれいだったのに、今は、どの花びらも、みんなしおれているの。どうしてかしら?」  イーダちゃんは、ソファに腰かけている学生さんに、こうたずねました。イーダちゃんは、この学生さんが大好きでした。だって、学生さんは、それはそれはおもしろいお話を、たくさんしてくれますからね。それに、おもしろい絵も、いろいろ、切りぬいてくれるのです。たとえば、ハート形の中で、かわいらしい女の人たちがダンスをしているところだの、いろいろなお花だの、それから、戸のあいたりしまったりする大きなお城だのを。ほんとうに、ゆかいな学生さんでした! 「きょうは、お花たち、どうしてこんなに元気がないの?」と、イーダちゃんは、もう一度聞きながら、すっかりしおれている花たばを見せました。 「うん、お花たちはね、気持がわるいんだよ」と、学生さんは言いました。「みんな、ゆうべ、舞踏会へ行っていたんで、きょうは、くたびれて、頭をぐったりたれているのさ」 「でも、お花は、ダンスなんかできやしないわ」と、イーダちゃんは言いました。 「ところが、できるんだよ」と、学生さんは言いました。「あたりが暗くなってね、ぼくたちみんなが寝てしまうと、おもしろそうにとびまわるんだよ。毎晩のように、舞踏会を開いているんだから」 「その舞踏会へは、子供は行けないの?」 「行けるとも」と、学生さんは言いました。「ちっちゃなヒナギクや、スズランだってね」 「いちばんきれいなお花たちは、どこでダンスをするの?」と、イーダちゃんがたずねました。 「イーダちゃんは、町の門の外にある、大きなお城へ行ったことがあるだろう。ほら、夏になると、王さまがおすまいになるところ。お花がたくさん咲いているお庭もあったじゃないの。あそこのお池には、ハクチョウもいたね。イーダちゃんがパンくずをやると、みんな、イーダちゃんのほうへおよいできたっけね。あそこで舞踏会があるんだよ。ほんとうだよ」 「あたし、きのう、おかあさんといっしょに、あのお庭へ行ったのよ」と、イーダちゃんは言いました。「でも、木の葉は、すっかり落ちてしまって、お花なんか一つもなかったわ。みんな、どこへ行っちゃったのかしら。夏、行ったときには、あんなにたくさんあったのに」 「みんな、お城の中にいるんだよ」と、学生さんは言いました。「王さまやお役人たちが町へ帰ってしまうとね、お花たちは、すぐにお庭からお城の中へかけこんで、ゆかいにあそぶんだよ。イーダちゃんに、そういうところを一度見せてあげたいねえ。いちばんきれいなバラの花が二つ、玉座について、王さまとお妃さまになるの。すると、まっかなケイトウが、両側にずらりと並んで、おじぎをするよ。これが、おつきのものというわけさ。  それから、すごくきれいなお花たちが、あとからあとからはいってくる。さて、そこで、いよいよ大舞踏会のはじまりはじまり。青いスミレの花は、かわいらしい海軍士官の候補生で、ヒヤシンスやサフランに、『お嬢さん』と呼びかけては、ダンスにさそうんだよ。チューリップや大きな黄色いユリの花は、お年よりの奥さまがたで、みんなじょうずに踊って、舞踏会がうまくいくようにと、気をつけているんだよ」 「でもね、お花たちは、王さまのお城でダンスなんかして、だれにもしかられないの?」と、イーダちゃんはたずねました。 「ちゃあんと、それを見た人がないからねえ」と、学生さんは言いました。「夜になると、ときどき、年とった番人が、見まわりにやってくるよ。大きなかぎたばを持ってね。だけど、そのかぎたばのガチャガチャいう音が聞えると、お花たちはすぐにひっそりとなって、長いカーテンのうしろにかくれてしまうんだよ。そして、カーテンのすきまから顔だけそっと出して、のぞいているの。そうすると、年よりの番人は、『おやおや、ここには花があるんだな。ぷんぷんにおうぞ』と言うけれども、なんにも見えやしないのさ」 「まあ、おもしろい!」と、イーダちゃんは手をたたいて、言いました。「じゃ、あたしにもお花は見えないかしら?」 「見えるさ」と、学生さんは言いました。「今度行ったら、忘れないで、窓からのぞいてごらん。そうすれば、きっと見えるからね。ぼくが、きょう、のぞいてみたら、長い黄色いスイセンが、ソファに長々と横になっていたよ。あれは、女官なんだねえ」 「植物園のお花たちも行けるの? 遠い道を歩いていける?」 「もちろん、行けるよ」と、学生さんは言いました。「行きたいと思えば、飛んでいけるんだからね。イーダちゃんは、赤いのや、黄色いのや、白いのや、いろんな色の、きれいなチョウチョウを見たことがあるだろう。まるで、お花のようだね。ところが、ほんとうは、あれもお花だったんだよ。だって、お花たちが、くきからはなれて、空に飛びあがり、ちょうど小さな羽を動かすように、花びらをひらひらさせると、舞えるようになるんだもの。そうして、じょうずに飛べるようになると、今度は、昼間でも、飛んでいいというおゆるしがもらえるんだよ。そうなれば、うちへもどって、くきの上にじっとすわっていなくてもいいの。こうして、花びらは、やがては、ほんものの羽になってしまうんだよ。イーダちゃんが見ているのは、それなのさ。  だけどね、ひょっとしたら、植物園のお花たちは、まだ王さまのお城へ行ったことがないかもしれないよ。いや、もしかしたら、毎晩、そんなおもしろいことがあるのを知らないかもしれないよ。  そうだ、イーダちゃんにいいこと教えてあげよう。きっと、あの人、びっくりするよ。ほら、おとなりに住んでる植物の先生さ。イーダちゃんも知ってるね。今度、先生のお庭へ行ったら、お花の中のどれか一つに、『お城で、大きな舞踏会があるわよ』って言ってごらん。そうすれば、そのお花がほかのお花たちにおしゃべりして、みんなで飛んでいってしまうよ。だから、先生がお庭へ出てきても、お花は一つもないってわけさ。でも、先生には、お花たちがどこへ行ってしまったのか、さっぱりわからないんだよ」 「でも、お花たちは、どうしてお話ができるの? 口がきけないのに」 「うん、たしかに、口はきけないね」と、学生さんは答えました。「だけど、お花たちは身ぶりで話せるんだよ。イーダちゃん、知ってるだろう。ほら、風がそよそよと吹いてくると、お花たちがうなずいたり、青い葉っぱがゆれたりするじゃないの。あれが、お花たちの言葉なんだよ。ぼくたちがおしゃべりするのとおんなじなんだよ」 「植物の先生には、お花たちの身ぶりの言葉がわかる?」と、イーダちゃんはたずねました。 「むろん、わかるさ。ある朝のこと、先生がお庭に出ると、大きなイラクサがきれいな赤いカーネーションにむかって、葉っぱで身ぶりのお話をしていたんだって。イラクサは、こんなことを言ってたんだよ。 『きみは、とってもかわいらしいね。ぼくは、きみが大好きだよ』  ところが、先生はそんなことは大きらい。それで、すぐにイラクサの葉をぶったのさ。なぜって、葉は、ぼくたちの指みたいなものだからね。そしたら、ぶった先生の手が、ひりひりと痛くなってきたんだよ。だから、先生は、それっきり、イラクサにはさわらないことにしているんだってさ」 「まあ、おかしい!」と、イーダちゃんは笑いました。すると、そのときです。 「そんなでたらめを、子供に教えちゃいかん」と、ソファに腰をおろしていた、お客さまの、こうるさいお役人が言いだしました。この人は、学生さんが大きらいで、学生さんがふざけた、おもしろおかしい絵を切りぬいているのを見ると、いつもぶつぶつ言うのでした。もっとも、その絵というのは、たいへんなもの。たとえば、心のどろぼうというわけで、ひとりの男が首つり台にぶらさがって、手に心臓を持っているところとか、年とった魔女がほうきの上にまたがって、だんなさんを鼻の上に乗っけているところ、といったようなものでした。  お役人は、こういうものが大きらいでした。それで、さっきのように言うのでした。 「そんなでたらめを教えちゃいかん。そんなばかばかしい、ありもしないことを!」  けれども、イーダちゃんには、学生さんのしてくれたお花の話が、とってもおもしろく思われました。それで、お花のことばかり考えていました。お花たちは、頭をぐったりたれています。それというのも、ゆうべ一晩じゅう、ダンスをして、つかれきっているからです。きっと、病気なのでしょう。  そこで、イーダちゃんはお花を持って、ほかのおもちゃのところへ行きました。おもちゃたちは、きれいな、かわいいテーブルの上にならんでいましたが、引出しの中にも、きれいなものがいっぱいつまっていました。お人形のベッドには、お人形のソフィーが眠っていました。でも、イーダちゃんはソフィーにむかって、こう言いました。 「ソフィーちゃん、起っきしてちょうだい。あなた、お気の毒だけど、今夜は、引出しの中で、がまんしてねんねしてちょうだいね。かわいそうに、お花たちが病気なのよ。だから、あなたのベッドに寝かせてあげてね。そしたら、きっとまた、よくなってよ」  こう言って、イーダちゃんはお人形を取り出しました。けれども、お人形はすねたようすをして、ひとことも言いません。なぜって、お人形とすれば、自分のベッドを取りあげられてしまったものですから、すっかりおこっていたのです。それから、イーダちゃんはお花たちをお人形のベッドに寝かせて、小さな掛けぶとんを、かけてやりました。そして、 「おとなしくねんねするのよ。いまに、お茶をこさえてあげましょうね。そしたら、すぐによくなって、あしたは起っきできてよ」と、言いきかせました。  それから、朝になっても、お日さまの光が目にあたらないように、かわいいベッドのまわりに、カーテンを引いてやりました。  その晩は、学生さんのしてくれたお話のことが、イーダちゃんの頭から、一晩じゅうはなれませんでした。そのうちに、イーダちゃんの寝る時間になりました。イーダちゃんは、寝るまえに、窓のまえにたれているカーテンのうしろをのぞいてみました。そこには、おかあさまのきれいなお花がありました。ヒヤシンスやチューリップです。イーダちゃんは、お花たちにむかって、そっとささやきました。 「あなたたち、今夜、舞踏会へ行くんでしょう。あたし、ちゃんと知ってるわよ」  ところが、お花たちのほうは、なんにもわからないようなふりをして、葉っぱ一まい動かしません。でもイーダちゃんは、自分の言ったとおりにちがいないと思いました。  イーダちゃんは、ベッドにはいってからも、しばらくのあいだは、寝たまま、きれいなお花たちが、王さまのお城でダンスをしているところが見られたら、どんなにすてきだろう、と、そんなことばかり考えていました。 「あたしのお花たちも、ほんとに、あそこへ行ったのかしら?」  けれども、イーダちゃんは、いつのまにか眠ってしまいました。夜中に、目がさめました。ちょうど、お花たちのことや、でたらめなことを教えるといって、お役人からしかられた学生さんのことを、夢にみていました。イーダちゃんの寝ている部屋は、しーんと静まりかえっていました。テーブルの上に、ランプがついていました。おとうさまとおかあさまは、よく眠っていました。 「あたしのお花たちは、ソフィーちゃんのベッドに寝ているかしら?」と、イーダちゃんは、ひとりごとを言いました。「どうしているかしら?」  そこで、イーダちゃんは、ちょっとからだを起して、ドアのほうをながめました。ドアは、すこしあいていました。そのむこうに、お花だの、おもちゃだのが、置いてありました。耳をすますと、その部屋の中から、ピアノの音が聞えてくるようです。たいそう低い音でしたが、今までに聞いたことがないくらい、美しいひびきでした。 「きっと今、お花たちがみんなで、ダンスをしているのね。ああ、ちょっとでいいから、見たいわ」と、イーダちゃんは言いました。でも、起きあがるわけにはいきません。だって、そんなことをすれば、おとうさまとおかあさまが、目をさますかもしれませんもの。 「みんな、こっちへはいってきてくれればいいのに」と、イーダちゃんは言いました。しかし、お花たちは、はいってきませんし、音楽はあいかわらず美しく鳴りつづけています。あんまりすばらしいので、とうとう、イーダちゃんはがまんができなくなりました。小さなベッドからすべりおりると、音をたてないように、そっとドアのほうへしのんでいきました。むこうの部屋をのぞいてみました。と、まあ、なんというおもしろい光景でしょう!  その部屋には、ランプは一つもついていませんでした。けれども、お月さまの光が窓からさしこんで、部屋のまんなかまで照らしていましたので、部屋の中はたいへん明るくて、まるでま昼のようでした。  ヒヤシンスとチューリップが、一つのこらず、ずらりと二列にならんでいました。窓のところには、お花はもう、一つもありません。はちが、からっぽになって、のこっているだけです。床の上では、お花たちが、みんなでぐるぐるまわりながら、いかにもかわいらしげにダンスをしています。そして、くさりの形を作ったり、くるりとまわって、長いみどりの葉っぱをからみあわせたりしていました。  ピアノにむかって腰かけているのは、大きな、黄色いユリの花です。このお花は、まちがいなく、イーダちゃんがこの夏見たお花にちがいありません。なぜって、あのとき、学生さんが、「ねえ、あのお花は、リーネさんによく似ているじゃないの」といった言葉まで、はっきりと思い出したのですから。あのときは、学生さんはみんなに笑われましたが、今、こうして見ますと、この長い、黄色いお花は、ほんとうに、どこから見てもリーネさんにそっくりです。おまけに、ピアノのひきかたまで、よく似ているではありませんか。長めの黄色い顔を一方へかしげるかと思うと、今度は、反対側へかしげたりして、美しい音楽に拍子を合せているのです。  イーダちゃんがいるのには、だれも気のついたものはありません。  さて今度は、大きな青いサフランが、おもちゃの置いてあるテーブルの上に飛びあがりました。そして、お人形のベッドのところへ行って、カーテンをあけました。そこには、病気のお花たちが寝ていました。  お花たちは、すぐにからだを起して、下にいるお花たちにむかって、いっしょにダンスをしたいというように、うなずいてみせました。すると、下唇のない、おじいさんの煙出し人形が立ちあがって、このきれいなお花たちにむかって、おじぎをしました。お花たちは、もう、病気らしいようすは、どこにもありません。それどころか、ほかのお花たちの中へ飛びおりていって、いかにもうれしそうなようすをしていました。  そのとき、なにか、テーブルから落ちたような音がしました。見れば、謝肉祭のむちが、ちょうど飛びおりたところでした。これも、やっぱり、お花たちの仲間の気でいたのです。ですから、たいそうおしゃれをしていました。頭のところには、小さなろう人形が、あのこうるさいお役人の帽子にそっくりの、つばの広い帽子をかぶって、すわっていました。謝肉祭のむちは、赤くぬった、木の三本足で、お花たちの中を飛びまわって、トントンと、床をふみ鳴らしました。こうして、マズルカというダンスを踊ったのです。でも、このダンスは、ほかのお花たちにはできません。だって、ほかのお花たちは、からだが軽すぎて、トントンと、床をふむことなどはできませんからね。  むちの頭のところにすわっていたろう人形が、みるみる、大きく、長くなりました。そして、紙で作ったお花の上を、くるくるまわりながら、 「そんなでたらめを、子供に教えてはいかん。そんなばかばかしいことを!」と、どなりたてました。そういうろう人形のようすは、つばの広い帽子をかぶったお役人にそっくりです。それに、顔の黄色いところも、おこりっぽいところも、ほんとうによく似ています。ところが、紙で作ったお花が、ろう人形の細い足をぶつと、すぐまたちぢこまって、もとどおりのちっぽけなろう人形にもどってしまいました。  ほんとうに、なんておかしいんでしょう! イーダちゃんは、思わず、ふき出してしまいました。  謝肉祭のむちは、なおも踊りつづけました。ですから、お役人はいやでも、いっしょに踊らなければなりません。大きく長くなって、いばってみても、大きな黒い帽子をかぶった、ちっぽけな黄色いろう人形にもどってみても、なんの役にもたちません。このようすを見ていたほかのお花たちが、かわって、謝肉祭のむちにたのんでやりました。なかでも、お人形のベッドに寝ていたお花たちが、いっしょうけんめいたのんでやったのです。それで、謝肉祭のむちも、やっと、踊るのをやめにしました。  そのとき、引出しの中で、トントンと、強くたたく音がしました。そこには、イーダちゃんのお人形のソフィーが、たくさんのおもちゃといっしょに寝ていたのです。煙出し人形が、さっそく、テーブルのはしまでかけていって、腹ばいになって、引出しをほんのちょっとあけました。すると、ソフィーは立ちあがって、びっくりしたような顔で、きょろきょろ見まわしました。 「ああら、舞踏会ね。どうして、あたしには、だれも話してくれなかったの」と、ソフィーは言いました。 「わしと踊ってくださらんかね?」と、煙出し人形がたずねました。 「ふん。おまえさんと踊ったら、さぞかしすてきでしょうよ」  ソフィーは、こう言うなり、くるりと背中を向けてしまいました。そして、引出しの上に腰をおろして、お花たちのだれかが、自分のところにやってきて、ダンスのお相手をおねがいします、と言うだろうと思って、待っていました。ところが、だれもやってこないのです。そこで、オホン、オホンと、せきばらいをしてみました。それでも、やっぱり、だれひとり、きてはくれません。見ると、煙出し人形は、ひとりで踊っていました。けれども、どうしてどうして、なかなかうまいものでした。  ソフィーは、どのお花も、自分のほうを見てくれないような気がしましたので、思いきって、引出しから床の上に、ドシンと、飛びおりました。大きな音がしました。今度は、お花というお花が、すぐにかけよってきて、ソフィーのまわりをとりまいて、 「どこか、おけがはありませんか?」と、口々にたずねました。みんなは、たいそうやさしくいたわってくれました。わけても、ソフィーのベッドに寝ていたお花たちは、親切にしてくれました。けれども、ソフィーは、どこもけがしてはいませんでした。イーダちゃんのお花たちは、 「きれいなベッドを貸してくださって、ありがとう」と言って、なにかとやさしくしてくれました。そして、お月さまの光がいっぱいさしこんでいる部屋のまんなかへ、ソフィーを連れていって、いっしょにダンスをはじめました。そうすると、ほかのお花たちも、みんなそばへよってきて、ソフィーをとりまいて輪をつくりました。さあ、こうなると、ソフィーは、うれしくてたまりません。 「あなたたち、もっとあたしのベッドに寝ていてもいいのよ。あたしは、引出しの中で眠ってかまわないんだから」と、言いました。  けれども、お花たちは言いました。 「まあ、ご親切にありがとう。でも、あたしたち、もうそんなに長くは生きていられませんわ。あしたになれば、死んでしまいます。どうか、イーダさんに言ってくださいな。あたしたちを、お庭にある、カナリアのお墓のそばにうめてくださいって。そうすれば、あたしたち、夏にはまた大きくなって、今よりも、もっときれいになりますわ」 「いいえ、死んじゃいけないわ」と、ソフィーは言って、お花たちにキスをしました。  すると、そのときです。広間のドアがさっとあいて、美しいお花たちが、それはそれはたくさん、踊りながらはいってきました。いったい、どこから来たのでしょうか。イーダちゃんには、さっぱりわかりません。きっと、みんな、王さまのお城から来たのでしょう。いちばん先にはいってきたのは、二つの美しいバラのお花です。頭に、小さな金のかんむりをかぶっていました。これは、王さまとお妃さまです。おつぎは、見るもかわいらしいアラセイトウとカーネーションです。あちらへもこちらへも、おじぎをしました。  今度は音楽隊です。大きなケシの花と、シャクヤクの花が、顔をまっかにして、エンドウのさやを吹きならしていました。青いフウリンソウと、小さな白いマツユキソウとが、まるで、鈴でも持っているように、チリンチリンと音をたてながらはいってきました。ほんとうにゆかいな音楽です。そのあとから、まだまだたくさんのお花がはいってきました。そして、みんなでいっしょに、ダンスをしました。青いスミレの花や、赤いサクラソウも、ヒナギクやスズランも、やってきました。みんなは、おたがいにキスをしあいました。そのありさまは、なんともいえないほどかわいらしいものでした。  そのうちに、とうとうお花たちは、「おやすみなさい」と、言いあいました。そこで、イーダちゃんも、そっと、自分のベッドの中へもどって、いま見たことを、のこらず夢に見ました。  あくる朝、イーダちゃんは、起きるとすぐに、テーブルのところへ行ってみました。お花たちが、ゆうべ置いたとおりになっているかどうか、見ようと思ったのです。小さなベッドのカーテンを引きあけました。と、たしかに、お花たちはみんな、そこに寝ています。けれども、きのうよりは、ずっとしおれています。ソフィーも、イーダちゃんが入れておいた引出しの中に、ちゃんと寝ています。でも、ずいぶん眠たそうな顔をしています。 「おまえ、なにか、あたしに言うことがあるんじゃない?」と、イーダちゃんはたずねました。ところが、ソフィーときたら、ひどくぼんやりしていて、ひとことも言わないのです。 「いけない子ねえ。みんなが、いっしょにダンスをしてくれたじゃないの」  こう言うと、イーダちゃんは、きれいな鳥の絵がかいてある、紙でできた、かわいい箱を取り出しました。そして、その箱をあけて、中に死んだお花たちを入れました。 「これを、あなたたちのきれいなお棺にしてあげるわね。いまに、ノルウェーの、いとこのおにいさんたちがきたら、手伝ってもらって、お庭にうめてあげてよ。そのかわり、あなたたち、夏になったら、また大きくなって、今よりもっときれいになってちょうだいね」と、イーダちゃんは言いました。  ノルウェーのいとこのおにいさんたちというのは、ヨナスとアドルフといって、元気のいい、ふたりの男の子でした。ふたりは、おとうさまから、あたらしい石弓を一つずつ買ってもらいましたので、それをイーダちゃんに見せに、持ってきました。イーダちゃんは、ふたりに、死んだ、かわいそうなお花たちのことを話しました。それから、みんなは、かわいそうなお花のお葬式をしてやってもいいというおゆるしをいただきました。  ふたりの男の子が、石弓を肩にかついで、先に立ってすすみました。そのあとから、イーダちゃんが、きれいな箱に死んだお花たちを入れて、ついていきました。みんなで、お庭のすみに、小さな穴をほりました。イーダちゃんは、お花たちにキスをして、それから、箱に入れたまま、土の中にうめました。あいにく、お葬式のときにうつ、鉄砲も大砲もありません。そこで、アドルフとヨナスとが、お墓の上で石弓を引きました。
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年7月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 こまとまりが、ほかのおもちゃのあいだにまじって、同じ引出しの中にはいっていました。あるとき、こまが、まりにむかって言いました。 「ねえ、おんなじ引出しの中にいるんだから、ぼくのいいなずけになってくれない?」  けれども、まりは、モロッコがわの着物を着ていて、自分では、じょうひんなお嬢さんのつもりでいましたから、そんな申し出には返事もしませんでした。  そのつぎの日、おもちゃの持ち主の小さな男の子がきました。男の子は、こまに赤い色や、黄色い色をぬりつけて、そのまんなかに、しんちゅうのくぎを一本、うちこみました。こまが、ブンブンまわりだすと、ほんとうにきれいに見えました。 「ぼくを見てよ」と、こまは、まりに言いました。「ねえ、今度は、どう? いいなずけにならない? ぼくたち、とても似合ってるもの。きみがはねて、ぼくが踊る。きっと、ぼくたちふたりは、だれよりもしあわせになれるよ」 「まあ、そうかしら」と、まりが言いました。「でも、よくって。あたしのおとうさんとおかあさんは、モロッコがわのスリッパだったのよ。それに、あたしのからだの中には、コルクがはいっているのよ」 「そんなこといや、ぼくだって、マホガニーの木でできているんだよ」と、こまが言いました。「それも、市長さんが、ろくろ台を持っているもんだから、自分で、ぼくを作ってくれたんだよ。とっても、ごきげんでね」 「そうお。でも、ほんと?」と、まりが言いました。 「もし、これがうそだったら、ぼく、もう、ひもで打ってもらえなくったって、しかたがないよ」と、こまは答えました。 「あなた、ずいぶんお口がうまいのね」と、まりは言いました。「でも、だめだわ。あたし、ツバメさんと、はんぶん、婚約したのもおんなじなのよ。だって、あたしが高くはねあがると、そのたびに、ツバメさんたら、巣の中から頭を出して、『どうなの? どうなの?』ってきくんですもの。それで、あたし、心の中で、『ええ、いいわ』って言ってしまったの。だから、はんぶん婚約したようなものでしょ。でも、あなたのことは、けっして忘れないわ。あたし、お約束してよ」 「うん、それだけでもいいや」と、こまは言いました。そして、ふたりの話は、それきり、おわってしまいました。  あくる日、まりは、外へ連れていかれました。こまが見ていると、まりは、鳥のように、空高くはねあがりました。しまいには、見えないくらい、高くはねあがりましたが、でも、そのたびに、もどってきました。そして、地面にさわったかと思うと、すぐまた、高く飛びあがるのでした。そんなに高くはねあがるのは、まりが、そうしたいと、あこがれていたからかもしれません。でなければ、からだの中に、コルクがはいっていたためかもしれません。けれども、九回めに飛びあがったとき、まりは、どこかへ行ってしまって、それなりもどってきませんでした。男の子は、いっしょうけんめいさがしましたが、どうしても見つかりませんでした。 「あのまりちゃんが、どこに行ったか、ぼくは、ちゃあんと知っている」と、こまは、ため息をついて、言いました。「ツバメくんの巣の中にいるのさ。ツバメくんと結婚してね」  こまは、そう思えば思うほど、ますます、まりに心をひかれていくのでした。まりをお嫁さんにもらうことができなかっただけに、いっそう、恋しさがましてきました。まりがほかの人と結婚したって、そんなことは、なんのかかわりもありません。  こまは、あいかわらずブンブンうなりながら、踊りまわりました。そのあいだも、心の中で思っているのは、いつもまりのことばかりでした。こまの頭の中に浮んでくる、まりのすがたは、ますます美しいものになっていきました。  こうして、幾年も、たちました。――ですから、今ではもう、ふるい、ふるい、恋の物語になってしまったわけです。  そして、こまも、もう、若くはありません。――ある日のこと、こまは、からだじゅうに、金をぬってもらいました。こんなにきれいになったことは、今までにもありません。今では金のこまです。こまは、ビューン、ビューン、うなっては、はねあがりました。そのありさまは、まったくすばらしいものでした。ところが、とつぜん、あんまり高くはねあがったものですから、それきりどこかへ行ってしまいました。  みんなは、さがしに、さがしました。地下室までおりていって、さがしましたが、どうしても見つかりません。  どこへ行ってしまったのでしょう?  こまは、ごみ箱の中に、飛びこんだのです。そこには、いろんなものがありました。キャベツのしんだの、ごみだの、といからおちてきたじゃりだのが。 「こいつはまた、すてきなところだ。ここじゃ、ぼくのからだにぬってある金も、すぐ、はげちまうな。だけどまあ、なんて、きたならしいやつらのところへ、きたもんだ!」  こまは、こう言いながら、葉をむきとられた、細長いキャベツのしんと、ふるリンゴみたいな、まるい、へんてこな物のほうを、横目でみました。ところが、それは、リンゴではありません。それこそ、年をとって、かわりはてた、まりの姿だったのです。まりは、幾年ものあいだ、といの中にはいっていたものですから、からだの中に水がはいりこんで、すっかり、ふくれあがっていたのでした。 「あら、うれしいこと。お話し相手になるような、仲間がきてくれたわ」と、まりは言って、金をぬった、こまをながめました。「あたし、ほんとうは、若い女の人の手で、ぬっていただいてね、モロッコがわの着物を着ているのよ。からだの中には、コルクもはいっているの。でも、だれにも、そんなふうには見えないでしょうねえ。あたし、もうすこしで、ツバメさんと結婚するところだったんですけど、あいにくと、といの中に落っこちて、そこに、五年もいましたの。それで、こんなに、水でふくれてしまったんですわ。そりゃあねえ、若い娘にとっては、ずいぶん長い年月でしたわ!」  けれども、こまは、なんにも言いませんでした。心の中では、むかしの恋人のことを思っているのでした。でも、話を聞いているうちに、これが、あのときのまりだということが、だんだん、はっきりしてきました。  そのとき、女中がやってきて、ごみ箱をひっくりかえしました。そして、 「あら、こんなところに、金のこまがあるわ」と、言いました。  こうして、こまは、また、お部屋の中にもどって、名誉をとりもどしました。けれども、まりのほうは、それからどうなったか、わかりません。こまも、むかしの恋のことについては、それきりなにも言いませんでした。どんなに好きな人でも、五年ものあいだ、といの中にいて、水ですっかりふくれあがってしまっては、恋もなにもおしまいです。おまけに、ごみ箱の中で会ったのでは、いくらむかしの恋人でも、とてもわかるものではありません。
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2021年4月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 家じゅうの人たちは、なんと言ったでしょうか? まずさいしょに、マリーちゃんの言ったことを聞きましょう。  その日は、マリーちゃんのお誕生日でした。マリーちゃんにとっては、いちばん楽しい日のような気がしました。小さなお友だちが、大ぜいあそびにきました。マリーちゃんは、いちばんきれいな着物を着ました。その着物は、いまでは神さまのところにいらっしゃるおばあさまから、いただいたものでした。おばあさまは、明るい美しい天国にいらっしゃるまえに、自分でこの着物をたって、ぬってくださったのです。  マリーちゃんのお部屋の机の上は、いろんな贈り物で、ピカピカかがやいていました。たとえば、この上もなくかわいらしいお台所。それには、ほんとのお台所にいるものが、のこらずついていました。それから、お人形。このお人形は、おなかを押すと、目をくるくるまわして、キューッ、と、いいました。そのほか、すてきにおもしろいお話の書いてある絵本もありました。もっとも、それには、字が読めなければ、だめですけど。  けれども、どんなお話よりももっとすてきなのは、お誕生日をたくさん、むかえることでした。 「ええ、一日一日、生きていくことが、とっても楽しいわ!」と、マリーちゃんは言いました。名づけ親がそれを聞いて、これこそ、いちばん美しい物語だと、言いました。  おとなりの部屋を、ふたりのにいさんが、歩いていました。ふたりとも、大きな子で、ひとりは九つ、もうひとりは十一でした。このふたりも、一日一日が、とっても楽しそうでした。といっても、マリーちゃんのような、小さい子供ではありませんから、その生きかたも、マリーちゃんとはちがっていました。  ふたりは、元気のいい小学生で、学校の成績は、「優」でした。毎日、友だちとふざけて打ちあいをしたり、冬にはスケートをしたり、また夏には自転車を乗りまわしたりしました。それから、騎士城や、引上げ橋や、城内のろうごくの話を読んだり、アフリカ奥地の探検の話を聞いたりしました。  ひとりのにいさんは、自分が大きくならないうちに、なにもかも、発見されてしまうのではないかと思って、心配しました。それで、冒険旅行に出たがっていました。人生がいちばんおもしろい冒険の物語だよ、その中には、自分じしんがはいっているんだから、と、名づけ親は言いました。  この子供たちは、こうして、毎日毎日、部屋のなかで、わいわいさわぎまわっていました。  さて、その上の二階には、この一家からわかれた、家族が住んでいました。そこにも、子供がいました。といっても、もう大きくて、子供とはいえない人たちでした。ひとりの息子は十七で、もうひとりは二十。三番目の人は、それよりももっと年上よ、と、マリーちゃんは言っていました。この息子は二十五で、婚約していました。  三人の息子は、みんな幸福でした。いい両親はありますし、いい着物は着られますし、それに、すぐれた才能にもめぐまれていましたから。みんなは、それぞれ、自分の好きなものになろうと思いました。 「進め! 古い板べいなんか、みんな取りはらってしまえ! 広い世の中を、自由に見わたすんだ。世の中くらい、おもしろいものはないからなあ。名づけ親のおじさんの、おっしゃるとおりさ。人生こそ、いちばん美しい物語なんだ!」  おとうさんとおかあさんは、ふたりとも、かなりの年でした、――もちろん、子供たちより、年上にはちがいありません――ふたりは、口もとに、ほほえみをうかべ、目と心にもほほえみをたたえて、こう言いました。 「若い者は、なんて元気がいいんだろう! 世の中は、みんなが思うようなものではないが、ともかく世の中なんだ。人生というのは、じっさい、ふしぎな、おもしろい物語だよ」  さて、そのもう一つ上の部屋に、――世間では、屋根裏部屋に住むと、天国にすこし近くなったと、よく言いますが、――その屋根裏部屋に、名づけ親が住んでいました。名づけ親は、年こそとっていましたが、気持はたいへん若くて、いつも上きげんでした。そして、長いお話を、たくさん知っていました。この人は世界じゅうを旅行していました。それで、この人の部屋には、いろんな国の美しいものが、いっぱい飾ってありました。  天井から床まで、何枚もの絵がかけてあり、窓には、赤と黄色のガラスがいくつもはまっていました。その窓ガラスをとおして外を見ると、空が灰色にくもっているときでも、世の中ぜんたいが、お日さまに明るく照らされているようでした。  大きなガラス箱の中に、緑の植物が植えてありました。その中の、小さくしきった場所で、キンギョが泳いでいました。キンギョは、なにかあるものを、見つめていました。そのようすは、まるで、ひとに話したくないことを、たくさん知っているようでした。  この部屋は、一年じゅう、冬のあいだでさえも、花のにおいがしていました。だんろでは、火があかあかと燃えていました。そのまえにすわって、ほのおを見つめながら、火がパチパチ燃えるのを聞いているのは、まことに気持のよいものです。 「ほのおが、わしのために、古い思い出を読んでくれる!」と、名づけ親は言いました。マリーちゃんにも、ほのおの中に、いろんなものの姿が見えるような気がしました。  そのすぐそばにある、大きな本棚には、ほんものの本が、ぎっしりつまっていました。名づけ親は、その中の一冊を、よく読んでいました。そしてその本のことを、書物の中の書物だ、と、呼んでいました。それは聖書でした。その中には、全世界の、そして人類ぜんたいの歴史が、お話になって書かれているのです。天地創造の話だとか、洪水の話だとか、いろんな王さまや、また王さまの中の王さまの話などが。 「世の中に起ったことも、これから起ることも、みんな、この本のなかに書かれているんだよ」と、名づけ親は言いました。「たった一冊の本のなかに、かぎりないほどたくさんのことが、書かれているんだよ。まあ、考えてもごらん。人間がお願いしなければならない、あらゆることが、この『主の祈り』のなかに、わずかの言葉で、言いあらわされているんだよ!  これは、めぐみの露だよ。神さまがくださる、なぐさめのしんじゅなのだよ。それは、贈り物として、子供のゆりかごの上におかれ、子供の胸の上におかれる。  小さい子供たちよ、それをだいじにしなさい。大きくなっても、それをなくすのではないよ。そうすれば、道にまようようなことは、けっしてないからね。それは、おまえの心の中を明るく照らし、それによって、おまえはまようことはないのだよ」  そう言う名づけ親の目は、よろこびに明るくかがやきました。この目も、むかし、若いころには、泣いたこともあるのです。 「だが、あれもまた、あれでよかったのだ」と、名づけ親は言いました。「あれは、神さまがためされる時だった。あのころは、なにもかもが、灰色に見えたものだった。 ところが、いまは、わしのまわりにも、わしの心のなかにも、お日さまが光りかがやいている。人間というものは、年をとればとるほど、不幸にせよ、幸福にせよ、神さまがいつもついていてくださること、そして、この人生こそ、いちばん美しい物語だということが、よくわかってくるのだ。これは、神さまだけが、われわれにおあたえくださることができるのだ。そして、これは、永遠につづくのだよ!」 「一日一日、生きていくことが、とっても楽しいわ!」と、マリーちゃんは言いました。  小さい子も、大きい子も、同じことを言いましたし、おとうさんとおかあさんも、言いました。家じゅうの人たちが、そう言いました。けれども、だれよりもさきに、名づけ親がそう言いました。名づけ親は、世の中のことをたくさん知っていて、みんなの中で、いちばん年をとっていました。どんなお話でも、どんな物語でも知っていますよ。その名づけ親が、心の底から、こう言ったのです。 「人生こそ、いちばん美しい物語だよ!」
底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1981(昭和56)年5月30日21刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年6月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 むかしむかし、ひとりのおじいさんの詩人がいました。とてもやさしいおじいさんの詩人でした。  ある晩、おじいさんが、家の中にすわっていたときのことでした。表は、すさまじいあらしになりました。雨が、たきのように降ってきましたが、おじいさんの詩人は、部屋の中のだんろのそばで、気持よく暖まっていました。だんろでは、火が赤々と、燃えていました。リンゴが、ジュージュー、おいしそうに焼けていました。 「こんなあらしのとき、外にいるものはかわいそうだなあ。着物も、びしょぬれになってしまうだろうに」と、おじいさんの詩人は言いました。こんなに、心のやさしい人だったのです。  すると、そのときです。戸の外から、 「あけてください。ぼく、びしょぬれで、寒くてたまんないの!」とさけぶ、小さな子供の声が聞えました。子供は、泣きながら、戸をドンドンたたいています。そのあいだも、雨はザーザー降り、窓という窓は、風のためにガタガタ鳴っています。 「おお、かわいそうに!」と、おじいさんの詩人は言って、戸をあけに行きました。  表には、小さな男の子が立っています。見れば、まっぱだかで、雨水が長い金髪から、ぽたぽたと、したたり落ちているではありませんか。おまけに、寒くて、ぶるぶるふるえているのです。もしも家の中へ入れてやらなければ、こんなひどいあらしの中では、死んでしまうにちがいありません。 「おお、かわいそうに!」と、おじいさんの詩人は言って、男の子の手をとりました。「さあ、さあ、中へおいで。暖かくしてあげるよ。ブドウ酒と焼きリンゴもあげような。おまえは、かわいい子だからねえ」  男の子は、ほんとうに、かわいい子でした。目は、明るい、二つのお星さまのように、キラキラしていました。金色の髪の毛からは、まだ雨水がたれてはいましたが、でも、それはそれはきれいにうねっていました。まるで、小さな天使のようでした。ただ、寒さのために、まっさおな顔をして、からだじゅう、ぶるぶるふるえていました。手には、りっぱな弓を持っていましたが、それも、雨のために、びしょびしょになって、だめになっていました。矢にぬってあるきれいな色も、すっかりにじんでしまっていました。  おじいさんの詩人は、だんろの前に腰をおろして、ひざの上に男の子をだきあげました。そして、髪の毛の水をしぼってやったり、ひえきった男の子の手を、自分の手の中で、暖めてやったりしました。それから、あまいブドウ酒も作ってやりました。やがて、男の子は元気をとりもどしました。頬に、赤みがさしてきました。すると、さっそく、床にとびおりて、おじいさんの詩人のまわりを、ぐるぐる踊りはじめました。 「元気な子だねえ」と、おじいさんは言いました。「おまえは、なんという名前だい?」 「ぼく、キューピッドっていうの」と、男の子は答えました。「おじいさん、ぼくを知らない? ほら、そこにあるのが、ぼくの弓。その弓で、ぼく、矢を射るんだよ。あっ、天気がよくなったよ。お月さまも出た」 「だが、おまえの弓は、ぬれて、だめになっているじゃないか」と、おじいさんの詩人は言いました。 「弱っちゃったなあ!」と、男の子は言うと、弓をとりあげて、しらべました。「だいじょうぶ、もう、すっかりかわいてる。どこも、わるくなってないよ。つるだって、ぴいんとしてるよ。ぼく、ためしてみる」  男の子は、弓を引きしぼって、矢をつがえました。そして、やさしいおじいさんの詩人の心臓をねらって、ピューッと、射ました。 「ほうら。ね、おじいさん。ぼくの弓は、だめになっていないよ、ね」  こう言ったかと思うと、男の子は、大声に笑って、どこかへとび出していきました。なんてひどい、いたずらっ子でしょう! こんなやさしいおじいさんの詩人を、弓で射るなんて。暖かい部屋に入れてくれたり、上等のブドウ酒や、すてきな焼きリンゴまで、ごちそうしてくれたおじいさんを、射るなんて!  やさしい詩人は、床の上にたおれて、涙を流しました。ほんとうに、心臓を射ぬかれてしまったのです。おじいさんは、言いました。 「チッ! あのキューピッドというのは、なんといういたずらっ子だ! どれ、よい子供たちに話しておいてやろう。ひどいめに会わされんように、あいつには気をつけて、いっしょにあそばんように、とな」  よい子供たちは、この話を聞くと、女の子も男の子も、みんな、いたずらもののキューピッドに気をつけました。それでも、キューピッドは、たいへんずるくて、りこうでしたから、やっぱり、みんなをだましていました。  学生さんたちが、学校の講義がおわって、出てきますと、キューピッドが、いつのまにか、本を腕にかかえて、いっしょにならんで歩いているのです。おまけに、黒い制服を着こんでいますので、だれにも見わけがつきません。ですから、自分たちの仲間だと思いこんで、腕をくんで歩きます。ところが、そうすると、胸を矢で射られてしまうのです。それから、娘さんたちが、教会のお説教からもどってくるときも、教会の中にいるときも、キューピッドは、いつも、そのうしろにつきまとっているのです。いや、それどころか、いつどんなときにも、人々のあとを追っているのです。  劇場の大きなシャンデリアの中にすわりこんで、明るく燃えあがっていることもあります。そういうときには、人々は、あたりまえのランプだと思っています。ところが、あとになって、そうではなかったことに気がつくのです。そうかと思うと、お城の遊園地の、散歩道を歩きまわっていることもあるのです。いやいや、それどころか、あなたのおとうさんやおかあさんも、胸のまん中を、射られたことだってあるんですよ。おとうさんやおかあさんに、きいてごらんなさい。きっと、おもしろい話を聞かせてもらえますよ。  まったく、このキューピッドというのは、いたずらっ子です。こんな子にかまってはいけませんよ。この子ときたら、だれのあとをも追っているんですからね。なにしろ、年とったおばあさんでさえ、矢を射られたことがあるんですよ。もっとも、それは、ずっとむかしの話で、もう、すんでしまったことですがね。でもおばあさんは、そのことを、けっして忘れはしませんよ。  いやはや、しようのないキューピッドです! でも、あなたには、この子がわかりましたね。では、キューピッドが、すごいいたずらっ子だということを、忘れないでくださいよ。
底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1981(昭和56)年5月30日21刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年6月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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絵のない絵本  ふしぎなことです! わたしは、なにかに深く心を動かされているときには、まるで両手と舌とが、わたしのからだにしばりつけられているような気持になるのです。そしてそういうときには、心の中にいきいきと感じていることでも、それをそのまま絵にかくこともできなければ、言い表わすこともできないのです。しかし、それでもわたしは絵かきです。わたしの眼が、わたし自身にそう言い聞かせています。それに、わたしのスケッチや絵を見てくれた人たちは、みんながみんな、そう認めてくれているのです。  わたしは貧しい若者で、たいへんせまい小路の一つに住んでいます。といっても、光がさしてこないというようなことはありません。なにしろ、まわりの屋根ごしに、ずっと遠くの方まで見わたすことができるほど、高いところに住んでいるのですから。この町にきた、さいしょのころは、ひどくせまくるしい気がして、さびしい思いをしたものです。それもそのはず、森やみどりの丘のかわりに、地平線に見えるものといえば、ただ灰色の煙突ばかりなのですからね。おまけに、ここには、友だちひとりいるわけではありませんし、あいさつの声をかけてくれるような顔なじみもなかったのです。  ある晩のこと、わたしはたいへん悲しい気持で、窓のそばに立っていました。ふと、わたしは窓をあけて、外をながめました。ああ、そのとき、わたしは、どんなに喜んだかしれません! そこには、わたしのよく知っている顔が、まるい、なつかしい顔が、遠い故郷からの、いちばん親しい友だちの顔が、見えたのです。それは月でした。なつかしい、むかしのままの月だったのです。あの故郷の、沼地のそばに生えている、ヤナギの木のあいだから、わたしを見おろしたときと、すこしもかわらない月だったのです。わたしは、自分の手にキスをして、月にむかって投げてやりました。すると、月はまっすぐわたしの部屋の中にさしこんできて、これから外に出かけるときには、まい晩、ちょっとわたしのところをのぞきこもうと、約束してくれました。そのときからというもの、月は、ちゃんとこの約束を守ってくれています。ただ残念なのは、月がわたしのところに、ほんのわずかの間しかいられない、ということです。でも、くるたびごとに、その前の晩か、その晩に見たことを、あれこれと話してくれるのでした。 「さあ、わたしの話すことを、絵におかきなさい」と、月は、はじめてたずねてきた晩に、言いました。「そうすれば、きっと、とてもきれいな絵本ができますよ」  そこでわたしは、いく晩もいく晩も、言われたとおりにやってみました。わたしは、わたしなりに、新しい「千一夜物語」を絵であらわすことができるかもしれません。でも、それでは、あまりに数が多すぎます。わたしがここに書きしるすものは、勝手に選びだしたものではなくて、わたしが聞いたとおりの順序にならべたものなのです。すぐれた才能にめぐまれた画家なり、詩人なり、音楽家なりが、もしもこれをやってみようという気があれば、もっとりっぱなものにすることができるにちがいありません。わたしがお見せするものは、ごく大ざっぱに紙の上に書きつけた、ほんの輪郭にすぎません。そしてそのあいだには、わたし自身の考えもまじっているのです。というわけは、月はかならず、まい晩きてくれたわけではありませんし、ときには一つ二つの雲が、わたしと月のあいだにはいりこんでくることもあったからです。 第一夜 「ゆうべ」これは、月が話したとおりの言葉です。「わたしは、インドの澄みきった空気の中をすべって、ガンジス河にわたしの姿をうつしていました。わたしの光は、古いプラタナスの葉が、ちょうどカメの甲のように盛りあがって、茂っている生垣の中に、さしこもうとしていました。  するとそのとき、茂みの中から、カモシカのように身軽で、イブのように美しい、ひとりのインド娘が出てきました。このインド娘は、なにかしら空気のように軽やかでしたが、それでいて、ぴちぴちとした、ゆたかなからだつきをしていました。わたしは、この娘のきゃしゃな皮膚をとおして、考えていることを読みとることができました。とげのあるつる草が、娘の履物を引きさきましたが、そんなことにはかまわずに、娘はいそいで先へ進んでいきました。そのとき、野獣がのどのかわきをうるおして、河から帰ってきましたが、娘を見るとびっくりして、そばをとびすぎていきました。むりもありません。この娘は、火のもえている明りを手に持っていたのです。娘はほのおが消えないように、そのまわりに手をかざしていましたから、わたしはかぼそい指の中の、いきいきとした赤い血を見ることができました。  娘は河に近よって、明りを流れの上におきました。すると、明りは流れにつれて、くだっていきました。ほのおは、いまにも消えそうにちらちらしました。それでも、もえつづけていきました。娘の黒い、きらきらかがやく眼は、長い絹糸のふさのような、まつ毛の奥から、魂のこもった眼つきをして、そのほのおのあとを、じっと見おくっていました。娘は、その明りが、自分の眼に見えるかぎりのあいだ、もえつづけていれば、愛する人はまだ生きている、けれども、もしも消えてしまえば、もうこの世にはいないのだということを、知っていたのです。見れば、明りは、もえながらふるえました。娘の心も、もえあがって、ふるえました。娘は膝まずいて、祈りました。すぐそばの草の中に、ぬらぬらしたヘビがいました。けれども娘は、梵天王と自分の花婿のことしか考えていませんでした。 『あの人は生きている!』と、娘は喜びの声をあげました。すると、山々からこだまが返ってきました。 『あの人は生きている!』」 第二夜 「きのうのことですよ」と、月がわたしに話しました。「わたしは、家にかこまれている、小さな中庭をのぞいていました。見ると、めんどりが一羽、十一羽のひなどりたちといっしょに寝ていました。ところが、そのまわりを、ひとりのきれいな女の子が、はねまわっているのです。めんどりはびっくりして、コッコッコと鳴きながら、羽をひろげて、小さなひなどりたちをかばいました。そこへ女の子の父親が出てきて、女の子をしかりつけました。わたしはそれきり、もうそのことは考えずに、先へすべっていきました。  ところが今夜、それもほんの二、三分前のことですが、わたしは、またおなじ中庭を見おろしていたのです。はじめのうちは、ひっそりとしていましたが、まもなく、あの小さな女の子が出てきて、そっと、とり小屋にしのびよりました。そして、かんぬきをはずして、めんどりとひなどりたちのいるところへ、しのびこみました。にわとりたちは大声でさけびながら、羽をばたばた打って、飛びまわりました。けれども、女の子は、そのあとを追いかけるのです。わたしは壁の穴からのぞいていたので、このありさまが、手に取るようにはっきりと見えました。わたしは、このいけない子に、すっかり腹をたててしまいました。ですから、父親が出てきて、きのうよりももっとひどくしかりつけて、女の子の腕をつかんだときには、ほんとにうれしくなりました。女の子は、頭をうしろへそらせました。すると、青い眼に大粒の涙が光っていました。 『おまえは、ここで何をしているんだ?』と、父親がたずねました。すると、女の子は泣きだしました。 『あたしはね』と、女の子は言いました。『この中へはいって、めんどりにキスをしてやって、きのうのおわびをしようと思ってたの。だけど、おとうさんには、どうしても、そのことが言えなかったのよ!』  それを聞くと、父親は、このむじゃきな、かわいい子のひたいにキスをしてやりました。わたしも、その眼と口にキスをしてやりました」 第三夜 「ここのすぐ近くの、せまい小路で――そこはとてもせまいので、わたしは家の壁にそって、ほんの一分間しか光をすべらせることができません。でもその一分間に、そこに動いている世間を知るのに十分なものを見るのですが――わたしは、ひとりの女を見ました。十六年前には、この女はまだ子供でした。そして、田舎の、古い牧師の家の庭で遊んでいたのでした。バラの生垣は古くなって、もう花ざかりをすぎていましたが、道の外まで生いしげって、長い枝をリンゴの木立の中までのばしていました。まだあちこちに咲きのこっている花もありましたが、花の女王にふさわしいほど美しくはありませんでした。それでも、色もありましたし、香りもありました。しかしわたしには、牧師の小さな娘のほうが、ずっと美しいバラの花のように思われました。その娘は、のびにのびた生垣の下の、足台に腰かけて、厚紙でこしらえた人形の、へこんだ頬にキスをしていました。  それから十年たって、わたしは、その娘をもう一度見ました。こんどは、はなやかな舞踏室にいるのを見たのです。そのときは、ある金持の商人の、美しい花嫁になっていたのでした。わたしは娘の幸福をよろこんで、静かな夜ごとに、たずねてやりました。ああ、それにしても、だれひとりとして、わたしの明るい眼と、わたしのたしかな眼差しとを、考えてくれる者はありません! わたしのバラの花も、牧師の家の庭のバラの花とおなじように、ずんずん若枝をのばしていきました。  日常の生活にも、悲劇があります。今夜、わたしは、その最後の一幕を見たのです。そのせまい小路で、その女は死の病にとりつかれて、寝台の上に横になっていました。ところが、その女の主人は、ただひとりの保護者であるはずなのに、乱暴で、冷酷な悪人だったものですから、その女のふとんをひきはがして、こう言いました。 『起きろ! おまえの顔を見りゃ、だれだっていやんなっちまわあ! さあ、おめかしでもしろ! 金をかせぐんだ! さもなきゃ、表へおっぽりだすぞ! 早いとこ、起きた、起きた!』 『死神が、わたしの胸の中にいるんです!』と、その女は言いました。『ああ、どうか休ませてください!』  それでも、男は女をひきずり起して、顔におけしょうをし、髪にバラの花をさして、窓ぎわにすわらせました。それから、火のもえている明りを、すぐそばへおいて、出ていきました。わたしは、女をじっと見つめていました。女は身動きもしないで、すわっていました。と、手が膝の上に落ちました。風のために窓がはねかえって、窓ガラスが一枚、ガシャンと割れました。けれども、女はじっとすわっていました。カーテンが女のまわりを、ほのおのようにはためきました。女は、もう死んでいたのです。あけはなたれた窓から、死んだ女が、人間のありかたをといていました。牧師の家の庭の、わたしのバラの花が!」 第四夜 「わたしは、今夜、ドイツ喜劇を見てきました」と、月が言いました。「それは、ある小さな町でのことでした。馬小屋が芝居小屋になっていました。つまり、馬をつなぐ仕切りはそのまま残してあって、これをかざりたてて、見物の桟敷にしてあったのです。そして木造のところは、どこもかしこも色とりどりの色紙で張りめぐらしてありました。ひくい天井からは、小さな鉄のシャンデリアがさがっていました。そしてその上には、桶が一つさかさにはめこまれていて、まるで大きな劇場のように、プロンプターのベルが『リーン、リーン』と鳴りひびくのを合図に、その桶の中にシャンデリアが引き上げられるようになっていました。『リーン、リーン』小さな鉄のシャンデリアが、三、四十センチばかり跳ねあがりました。こうして、喜劇が始まることになったのです。  旅行中の、ある若い公爵が、奥方といっしょに、ちょうどこの町を通りかかって、きょうの芝居を見物にきていました。そのため、小屋は人でいっぱいでしたが、ただシャンデリアの下だけは小さな噴火口のようになっていました。そこには、ろうが『ポタリ、ポタリ』と落ちるので、だれもすわる人がなかったのです。わたしは、なにもかもながめました。というわけは、小屋の中がひどくむし暑かったので、壁の小窓という小窓を、あけはなしておかずにはいられなかったからです。そしてどの小窓の外からも、若い男や女が中をのぞきこんでいました。もっとも、中には警官がいて棒でおどしてはいましたが。  オーケストラのすぐそばに、若い公爵夫妻が、二つの古い肘掛いすに腰かけているのが見えました。いつもなら、この席には町長夫妻がすわることになっていたのですが、今夜ばかりは、ほかの町の人たちとおなじように、木のベンチに腰かけなければなりませんでした。 『まあどうでしょう。タカがタカに追われたというものですわね!』と、奥さんたちが小声で話しあっていました。なにもかもが、このために、いっそうお祭らしくなっていました。シャンデリアがおどりあがりました。のぞいている連中は、指をぶたれました。そうしてわたしは――そうです、この月のわたしは、ぜんたいの喜劇をいっしょに見たのです」―― 第五夜 「きのう」と、月が言いました。「わたしはそうぞうしいパリを見おろしていました。わたしの眼は、ルーブル宮殿の中のあちこちの部屋の中へ入りこんでいきました。みすぼらしい身なりをした、ひとりの年とったお婆さんが――このお婆さんは貧しい階級の人でした――身分のいやしい番人の後について、がらんとした大きな玉座の間にはいってきました。お婆さんはこの広間を見たかったのです。見ないではいられなかったのです。お婆さんがこの部屋までくるのには、なんどもなんども、ちょっとした贈り物をしたり、言葉をつくして頼みこんだりしたのでした。  お婆さんはやせこけた手を合せて、まるで教会の中にでもいるように、うやうやしくあたりを見まわしました。 『ここだったんだ!』と、お婆さんは言いました。『ここだ!』  こう言って、金の縁飾りのついている、立派なビロードの垂れさがった玉座に近づいて行きました。 『そこだ、そこだ!』とお婆さんは言いました。そして膝をついて、まっかなじゅうたんにキスをしました。――お婆さんは泣いていたと思います。 『これはそのビロードじゃなかったんだよ』と、番人は言いました。そう言う番人の口もとには、微笑がただよいました。 『でも、ここでしたよ!』と、お婆さんは言いました。『こんなふうだったんですもの!』 『こんなだったかもしれないが』と、番人は答えました。『そうじゃないね。窓はたたきこわされ、戸はひっぱがされて、床の上には血が流れていたのさ! ――だがね、あんたは、わたしの孫はフランス国の玉座の上で死んだと、言おうと思えば言えるんだよ!』 『死んだ!』とお婆さんはくりかえしました。――それからは、一言も話さなかったような気がします。ふたりは、まもなくその広間を出て行きました。夕暮の薄明りが消え失せました。そのためわたしの光は、二倍に明るくなって、フランス国の玉座のまわりの立派なビロードの上を照らしました。きみは、そのお婆さんはだれだったと思いますか?――  わたしはきみに一つの物語をしてあげましょう。それは七月革命のときのこと、あの世にも輝かしい勝利の日の夕暮だったのです。一軒一軒の家が城砦となり、一つ一つの窓が堡塁となっていました。民衆はチュイルリー宮へ向って突進しました。女や子供たちまでも、戦う人々の中にまじっていました。人々は宮殿の部屋や広間の中に押し入って行きました。ぼろを着た貧しい小さな男の子がひとり、年上の人たちのあいだで勇敢に戦っていました。しかしそのうちに、あちこちを銃剣でつかれて致命傷を受け、とうとう床の上に倒れました。それは玉座の間での出来事でした。人々は血まみれの男の子をフランス国の玉座の上に横たえて、傷のまわりにビロードを巻きつけました。血潮は王のまっかなじゅうたんの上に流れました。そのありさまはまったく一つの絵でした! 華麗な広間、戦っている人々の群れ!  引裂かれた旗は床の上に落ちていました。三色旗は銃剣の先にはためいていました。そして玉座の上には、青ざめて聖らかな顔をした貧しい男の子が、眼を天へ向けて横たわっていました。手足は死との戦いのために、もうぐったりとしていました。あらわな胸、みすぼらしい着物、そしてその上を半ばおおっている、銀のユリの花のついた、立派なビロードのひだ。この子がまだゆりかごの中にいたころ、そのそばで『この子はフランス国の玉座の上で死ぬだろう!』という予言がなされていたのです。母親の心は、新しいナポレオンを夢みていたのでした。  わたしの光は、その子のお墓の上の不滅花の花輪にキスをしたものです。そして今夜は、年とったお婆さんのひたいにキスをしました。そのときお婆さんは、きみが絵にすることのできる『フランス国の玉座の上の貧しい男の子』の絵を、夢にみていました」 第六夜 「わたしはウプサラにいました」と、月が言いました。「わたしは作物の育たない畑と、わずかしか草の生えていない大きな平野を見おろしました。わたしはフュリス河に自分の姿を映しました。ちょうどそのとき、蒸気船にびっくりした魚が、葦のあいだに逃げこみました。わたしの下の方を雲が走っていましたが、長い影をオーディンの墓、トールの墓、フレイヤの墓と人々が呼んでいる小高い丘の上に投げていきました。これらの丘の上をおおっている薄い芝生の中には、人々の名前が切りこまれていました。ここには旅行者たちが自分の名前を刻みつけることのできるような記念石もなければ、どこかに自分の姿をえがかせることのできるような岩壁もありません。ですから、ここを訪れる人々は芝生を刈りとらせました。はだの見える地面が、大きな文字や名前となって現われています。そしてそういう文字や名前が、大きな丘の上に張られた一つの網のようになっているのです。いわば一種の不滅です。もっとも、それをまた新しい芝生がおおっていくのですが。  そこに、ひとりの男が立っていました。歌い手でした。男はひろい銀の輪のついた蜜酒のさかずきを飲みほして、一つの名前をつぶやきました。そして風に向って、その名前をだれにももらさないようにと頼みました。ところが、わたしは聞いてしまったのです。わたしはその名前を知っていました。その名前の上には、伯爵の冠がきらめいています。だからこの男は、その名前を大声で言わなかったのです。わたしはほほえみました。この男の上には、詩人の冠がきらめいているではありませんか! エレオノーラ・デステの高貴さはタッソーの名前と結びついています。それからまたわたしは知っています、どこに美のバラが咲くかということを――!」  月がこう言ったとき、一片の雲が通りすぎました。――詩人とバラのあいだには、どんな雲も割りこまないでいてもらいたいものです。 第七夜 「波打ちぎわにそって、カシワの木とブナの木の森がひろがっています。そこはいかにもすがすがしい森で、よい香りがただよっています。春になると、幾百ともしれないナイチンゲールが訪れてきます。この森のすぐ近くに海があります。永遠に姿を変えている海です。そしてこの森と海とのあいだを、広い国道が通っています。馬車がつぎからつぎへと走っています。けれどもわたしは、その後については行きません。わたしの眼は、たいてい一つの点にとまるのです。そこには一つの大きな塚があります。キイチゴの蔓とリンボクが、石の間からのびています。ここに、自然の中の詩があるのです。きみは、人々がこれをどんなふうに考えていると思いますか? そうだ、わたしがそこで、きのうの夕方から夜にかけて聞いたことだけを話してあげましょう。  最初に金持の農夫がふたり、馬車に乗ってやってきました。 『そこらにあるのは、たいした木じゃないか!』と、ひとりが言いました。 『一本あたり、十駄のまきはとれるよ!』と、もうひとりが答えました。 『この冬もきびしい寒さになるぜ。去年は一坪十四ターレルで売ったっけな!』  こう言って、ふたりは通りすぎて行きました。 『ここは道が悪いなあ!』と、べつの馬車で来た人が言いました。 『そりゃあ、あのいまいましい木のためさ!』と、つれの者が答えました。 『なにしろここは、海のほうからしか風が吹いてこないんだからね!』  こう言いながら、このふたりも通りすぎて行きました。駅馬車も通りかかりました。こんなにすばらしい景色のところへ来ても、みんな眠っていました。御者はラッパを吹きならしました。そして心の中では、『おれの吹き方はうまいもんだ。それによ、ここへ来ると、ほんとうにいい音がでる。だが、みんなはどう思っているかな?』と、こんなことばかりを考えていました。こうして、駅馬車も行ってしまいました。  こんどは、ふたりの若者が馬をとばせてやってきました。この血の中には青春とシャンパン酒があるな、とわたしは思いました。このふたりも、口もとに微笑をうかべながら、苔のむした丘と薄暗い茂みのほうをながめました。 『水車屋のクリスチーネといっしょに、ここを散歩したいなあ!』と、ひとりが言いました。  それから、ふたりは駆け去りました。あたりの花は、たいへん強くにおいました。そよ風は静かにまどろみました。海はまるで、深い谷の上にひろがっている空の一部になったかのようでした。  また一台の馬車が通りすぎました。中には六人の客が乗っていました。そのうち四人は眠っていました。五人目の男は、自分によく似合うはずの、新しい夏服のことを考えていました。六人目の男は、御者のほうへからだを乗りだして、あそこに積み重ねてある石には、なにか特別のことでもあるのかとたずねました。 『いいや』と、御者は言いました。『ただ、石が積み重ねてあるだけでさあ。だが、あっちの木のほうとなると、特別のことがありますて!』 『どうしてだい?』 『ええ、特別のことがありますとも! 旦那、冬になって、雪が深くつもりますってえと、何もかも一面に平らになってしまいまさ。そんなとき、あっしの目印になるのが、あの木でしてね、あいつを頼りにして行くからこそ、海にもはまりこまねえですむってもんでさ。だからね、あいつは特別なんですよ!』――こう言って、走り去りました。  そこへ、ひとりの画家がやってきました。その眼はきらめきました。一言も物を言いませんでした。画家は口笛を吹きました。ナイチンゲールが歌いはじめました。一羽また一羽と、だんだん高く。 『だまれ!』と、画家はどなって、すべての色と濃淡とを非常にくわしくかきとめました。『青、薄紫、濃褐色!』これはすばらしい絵になるでしょう! 画家は、鏡がものの姿をうつすように、それをうつしとったのです。そしてそうしながら、ロッシーニの行進曲を口笛で吹いていました。  最後にやってきたのは貧しい女の子でした。女の子は塚のそばで休んで、荷物をおろしました。美しい青白い顔を森のほうへ向けて、そこからひびいてくる物音に耳をかたむけました。海のかなたの大空を見上げたとき、女の子の眼はきらきらと輝きました。両手が合されました。『主の祈り』をとなえたように思われます。この子は自分でも、自分自身の中を流れている感情がわかりませんでした。しかし、わたしは知っています。長い年月がたつうちには、この瞬間とまわりの自然とが、画家がきまった絵具でえがきだしたよりもずっと美しく、さらにいっそう忠実に、この子の思い出のうちにときおり生きかえってくるだろうということを。わたしの光は、暁の光が女の子のひたいにキスをするまで、この子の後について行きました!」 第八夜  重い雲が空一面にたれこめて、月はまったく姿を現わしませんでした。わたしは二重のさびしい思いにかられながら、わたしの小部屋の中に立って、いつも月が輝き出てくるあたりの空をながめていました。わたしの思いは広くかけめぐりました。そして、毎晩あんなに美しい話を聞かせてくれたり、すばらしい絵を見せてくれたりした、偉大な友だちのことに思い及びました。  そうです、いままでにこの月の体験しなかったことがあるでしょうか! ノアの大洪水のときにも、その水の上を帆走ったのです。そして、ちょうどいまわたしにほほえみかけているのと同じように、箱船の上にほほえみかけて、やがて花咲き出ようとする新しい世界の慰めをもたらしたのです。イスラエルの人民が泣きぬれてバビロンの河辺に立ったとき、あの月は竪琴のかかっているヤナギの木のあいだから、悲しげにそれをのぞいたこともあるのです。ロメオが露台の上によじのぼって、まことの愛の接吻が天使の思いのように天へとのぼって行ったとき、まるい月は黒い糸杉のあいだに半ばかくれて、澄みきった空に浮んでいたこともあるのです。また、セント・ヘレナの島に幽閉された英雄が、荒寥たる岩頭に立って、胸に雄志を抱きながら大海原をながめやっている姿を見たこともあるのです。  そうです、月にとって話せないようなことが何かあるでしょうか! この世界の生活は、月にとっては一つのおとぎばなしなのです。なつかしい友よ、今夜わたしはきみの姿を見ません。きみの訪問の記念に、どんな絵をもかくことができません。――こうしてわたしが、夢想にふけりながら雲の中を見上げますと、そこが明るくなりました。それは一すじの月の光でした。けれども、その光はすぐまた消えてしまいました。黒い雲がすべって行ったのです。しかし、それこそ挨拶でした。月がわたしに送ってくれた、やさしい晩の挨拶だったのです。 第九夜  空気はまた澄みわたりました。幾晩か、たっていました。月は上弦になっていました。わたしはふたたびスケッチをしようという考えを起しました。――月の話してくれたことをお聞きください。 「わたしはグリーンランドの東海岸まで、北極鳥と、泳いでいるクジラの後を追って行きました。氷と雲とにおおわれた裸の岩山が谷をとりまいていました。ヤナギとコケモモが咲きそろい、よい香りのするセンオウは甘い匂いをひろげていました。わたしの光は弱く、わたしのまるい顔も、茎からもぎとられて何週間も水の上をただよっているスイレンの葉のように、青ざめていました。北極光の冠が、もえさかっていました。その光の輪は広くて、光の線は渦巻く火柱のように大空ぜんたいにひろがって、緑と紅とにきらめいていました。  この地方に住んでいる人たちが踊りと娯楽のために集まっていましたが、この美しさを見ても、ふだん見なれているために、だれひとり驚く者はありませんでした。この人たちは、『死人の魂は、海象の頭といっしょに踊らせておけばいい』という、この人たちなりの信仰に従って考えていたのです。心も、眼も、歌と踊りにばかり向けられていました。輪になったまん中に、手太鼓を持ったひとりのグリーンランド人が毛皮も着ないで立っていて、海豹捕りの歌の音頭をとっていました。すると合唱隊は『エイア、エイア、ア!』とそれに応じました。そうして、白い毛皮を着て、まるい輪をつくって跳ねまわりました。そのありさまは、まるで北極熊の舞踏会のようでした。眼と頭が、思いきりはげしく動いていました。  そのうちに、裁判と判決が始まりました。仲違いをしている人たちが前に歩みでて、まず恥ずかしめを受けた者が相手の悪いことを即興の歌にして、大胆にあざけって言いたてました。こうしたことはみんな、太鼓に合せて踊っている最中に行われるのです。訴えられたほうの者も、同じようにずる賢くそれに答えます。すると、集まっている人たちが笑いさざめきながら、ふたりのあいだに判決をくだすのでした。岩山はとどろき、氷塊がくずれ落ちました。落下する大きな塊りが、途中でこなごなにくだけ散りました。それはグリーンランドらしい、美しい夏の夜でした。  そこから百歩ばかり離れたところに、入口のひらいた、皮のテントがあって、その中にひとりの病人がねていました。その暖かい血の中にはまだ生命が流れていました。でも、もうこの男は死ななければなりませんでした。自分でもそう思っていましたし、まわりの者もみんなそう思っていたのです。ですから、その男の妻は、後になって死人のからだにさわらないでもいいように、夫のからだのまわりに皮の衣をしっかりと縫いつけて、たずねました。 『あんたは、あの岩の上の固い雪の中に埋めてもらいたいの? それならわたしは、そこをあんたのカヤックとあんたの矢で飾ってあげるよ。アンゲコックがその上を踊ってくれるだろうよ。それとも、海の中へ沈めてもらいたい?』 『海の中へ』と、男はささやいて、悲しげな微笑を浮べながら、うなずきました。 『あそこは気持のいい夏のテントだからね』と、妻は言いました。『あそこなら海豹も何千となく跳びはねているし、足もとには海象がねむっているんだもの。漁はたしかで、おもしろいにちがいないわ!』  それから、子供たちは泣き悲しみながら、窓に張ってあった皮を引きちぎりました。こうして瀕死の病人を海へ、大波のうねっている海へ、連れだそうというのです。その海こそは、生きているあいだはこの男に食べ物を与え、いまは、死んでから後の安息を与えるのです。墓標となるのは、夜となく昼となくたえず変化しながら、ただよっている氷山です。その氷塊の上では海豹がまどろみ、海つばめはその上を飛びこえて行くのです」 第十夜 「わたしはひとりの老嬢を知っていました」と、月が言いました。「この人は冬になると、いつも黄色いしゅすの外套を着ていましたが、それはきまって新しいものでした。それがこの人にとっての、ただ一つの流行だったのです。夏には、いつも同じ麦わら帽子をかぶっていました。そして、同じ青灰色の着物をきていたような気がします。  この人は通りをへだてた向いにいる、ひとりの年とった女友だちのところへ出かけて行くだけでした。けれども、その友だちも死んでしまいましたので、去年はそれさえもしませんでした。わたしの老嬢はいつもひとりぽっちで、窓の中がわで立ち働いていました。そこには夏じゅう美しい花が咲き、冬には毛織帽子の上にきれいなタガラシがさしてありました。ところが先月は、この人はもう窓ぎわにすわっていませんでした。でも、まだ生きてはいたのです。わたしには、それがよくわかっているのです。というのは、この人があの女友だちとよく話していた大旅行に出かけるのを、わたしはまだ見ていなかったからです。 『そうよ』と、そのとき、この人は言っていました。『わたしはいつか死んだら、一生のうちにしたよりももっと大きな旅行をするのよ。ここから六マイル離れたところに、わたしの家の墓地があるわ。そこへわたしは運ばれていって、親類の人たちといっしょに眠るのよ』  ゆうべ、その家の前に一台の車がとまりました。人々は一つの棺を運びだしました。それでわたしは、あの人が死んだことを知りました。人々は棺のまわりにわらをかけました。それから、車は動きだしました。そこには、去年一度も家から出たことのない老嬢が、静かに眠っていました。  車はまるで楽しい旅にでも出かけるように、すばらしい勢いで町から出て行きました。国道に出ると、いっそう早くなりました。御者は二、三度そっとうしろを振り向きました。もしかしたらあの人が、黄色いしゅすの外套を着て、棺の上にすわっていはしないかと、心配しているようでした。そのため御者はめちゃめちゃに馬に鞭をあてたり、手綱をぐっと引きしぼったりしました。それで、馬はふうふう泡をふきだしていました。馬は若くて元気でした。ウサギが一ぴき、道を横ぎりました。馬はまっしぐらに走って行きました。もの静かな老嬢は、生きているときは、年がら年じゅう家の中の同じ場所だけをゆっくりと動きまわっていましたのに、死んだいまとなって、このひろびろとした国道を真一文字に走って行くのでした。  わらのむしろで包んであった棺が跳ね上がって、道の上に落っこちました。ところが、馬と御者と車とは、そんなことにはかまわずに、荒れ狂ったように駆け去ってしまいました。ヒバリが歌いながら野から舞いあがって、棺の上のほうで朝の歌をさえずりました。それから、棺の上にとまって、くちばしでむしろをつつきました。そのようすは、まるでさなぎを裂きやぶろうとでもしているようでした。それからヒバリは、ふたたび歌いながら、大空に舞い上がりました。そしてわたしは赤い朝雲のうしろに引きさがったのです」 第十一夜 「婚礼の祝宴がありました」と、月が話しました。「歌がうたわれ、健康を祝ってさかずきがあげられました。すべてが豊かで、はなやかでした。お客たちも帰っていきました。もう真夜中をすぎていました。母親たちは花婿と花嫁にキスをしました。わたしは、花婿花嫁がふたりだけになったのを見ました。けれども、カーテンがほとんどすっかり引かれていて、ランプがこの楽しい部屋を照らしていました。 『みんな帰ってくれてありがたい!』と、花婿は言って、花嫁の両手と唇にキスをしました。花嫁はほほえみ、そして泣きました。蓮の花が流れる水の上に休らうように、ふるえながら花婿の胸に頭をもたせて、そしてふたりはやさしい幸福な言葉をささやきあいました。『ぐっすりおやすみ』と、花婿は言いました。花嫁はカーテンをわきへ引きよせました。 『まあ、なんてきれいなお月さまなんでしょう!』と、花嫁が言いました。『ごらんなさいな、あんなに静かで、あんなに明るいわ!』それからランプを消しました。楽しい部屋の中はまっくらになりました。しかしわたしの光は、花婿の眼が輝いていたように、輝いていました。――女性よ、詩人が生命の神秘をうたうときには、その竪琴にキスをなさい!」 第十二夜 「わたしはポンペーの一つの光景をきみに話してあげましょう」と、月が言いました。「わたしは『墓場通り』といわれている郊外にいました。そこには美しい記念碑がいくつか立っています。そのむかし狂喜した若者たちが、ひたいにバラの花を巻いて、美しいライスの姉妹たちと踊ったところです。いま、そこは死んだように静まりかえっていました。ナポリに勤務しているドイツ兵が警備にあたっていて、トランプやさいころ遊びをやっていました。  外国人の一団が警備兵につきそわれて、山の向うから町の中へはいってきました。この人たちは、わたしの照り輝く光の中で、墓の中からよみがえった都市を見ようと思ったのです。そこでわたしは、広い熔岩をしきつめた街路にのこっている車輪の跡を見せてやりました。それからまた、戸口に書いてある名前や、昔のままにかかっている看板を見せてやったりしました。その人たちは、小さい中庭では貝がらで飾られた噴水受けの水盤を見ました。しかし、いまは水も噴き上がってはいませんでした。また金属製の犬が戸口の番をしている色あざやかな部屋々々からも、歌声一つひびいてはきませんでした。  それは死の都でした。ただベスビオの山だけは、あいもかわらず永遠の讃歌をとどろかしていました。その一つ一つの詩句を、人間は新しい爆発と呼んでいるのです。わたしたちはビーナスの神殿に行きました。それはきらきら光るまっ白な大理石でできていました。広い階段の前に高い祭壇があって、円柱のあいだに生えているしだれヤナギはいきいきとしていました。空気はすきとおって碧色をしていました。背景にはベスビオの山が黒々とそびえていて、そこから噴きでる火は笠松の幹のように立ちのぼっていました。煙の雲が夜の静けさの中に照らしだされて、笠松のこずえのように、血のように赤くひろがっていました。  この一団の中にひとりの歌姫がいました。この歌姫はほんとうにすぐれた声楽家で、わたしはヨーロッパの大都会でこの人がほめそやされているのを見たことがあります。人々が悲劇の劇場に近づいたとき、みんなは円形劇場の石の段の上にすわりました。こうして数千年前と同じように、ふたたびこの劇場のわずかな場所が人々に占められたのです。舞台はまだ昔のままになっていました。壁を塗った側面と、背景に二つのアーチがあって、そこから以前の時代と同じ装飾が見えました。つまりそれは自然そのもののことで、ソレントとアマルフィのあいだの山々です。  歌姫はたわむれに古代の舞台に上がって歌いました。この場所が霊感を与えたのです。わたしは思わずも、鼻息あらく、たてがみをなびかせつつ走り去るアラビアの野馬を思いださずにはいられませんでした。歌姫の歌には、ちょうどそれと同じ軽やかさと確かさとがありました。またわたしは、ゴルゴタの丘の十字架の下で苦しみ悩む母親のことを思わずにはいられませんでした。ちょうどそれと同じ心にしみ入る、深い苦痛が現われていました。そしてあたりには、数千年の昔と同じように、ふたたび拍手と歓呼の声がひびきわたりました。 『しあわせな人! すばらしい才能にめぐまれた人!』と、みんなは歓声をあげました。  三分後には舞台は空になりました。すべてが去りました。もう物音一つ聞えなくなりました。あの一団は歩み去ったのです。しかし、廃墟はあいもかわらず立っていました。これからもなお数百年のあいだ、このままに立ちつづけることでしょう。そしてこの瞬間の喝采のことも、美しい歌姫のことも、その歌声やほほえみのことも、だれひとり知る者もなく、忘れられ、過ぎ去ってしまうのです。わたし自身にとっても、この一時はすでに消え去った思い出なのです」 第十三夜 「わたしはある編集者の窓をのぞきこみました」と、月が言いました。「そこはドイツのどこかでした。その部屋には、りっぱな家具と、たくさんの書物と、乱雑に積みかさねた新聞がありました。若い男が幾人もいました。編集長自身は大きな机のそばに立っていました。二冊の小さい本が、いずれも若い作家の書いたものですが、それが批評されることになっていました。 『この一冊はぼくに送ってよこしたものなんだが』と、編集長は言いました。『ぼくはまだ読んでいない。だが、きれいな装幀だね。内容はきみたちどう思う?』 『ええ』と、ひとりが言いました。この人自身詩人でした。『とてもいいですよ。すこし長たらしくてだらだらしていますが、まあなんといっても若い人ですからね。詩句にしたって、もうすこし直すこともできるでしょう。思想はたいへん穏健です。むろん、ごくありふれた考え方ですけども。しかし、どう言うべきでしょう? 何か新しいものを見つけようったって、いつも見つかるわけじゃないんですから、ほめてやっていいと思います。といったところで、この男が詩人としてりっぱなものになろうなどとは、ぼくもけっして思ってはいません。ともかく知識もあり、すぐれた東洋学者でもあり、またたいへん穏健な批評をする人なんです。ぼくの“家庭生活についての随想録”にりっぱな批評を書いたのは、この男なんですよ。若い人に対しては寛大でいてやりたいものです』 『いや、あれはまったくの愚物ですよ』と、この部屋にいたもうひとりの紳士が言いました。『詩では凡庸ということぐらい悪いことはありませんよ。それにあの男ときたら、一歩も凡庸以上に出ていないんですからね』 『かわいそうなやつ!』と、第三の男が言いました。『しかもこの男の叔母さんは、この男のことを喜びとしているんです。その叔母さんていうのは、編集長さん、あなたのこのあいだの翻訳にあんなに大勢の予約者を集めてくれた人なんですよ――』 『ああ、あの親切な婦人ね! うん、ぼくはこの本をごく簡単に批評することにしたよ。疑う余地なき才能! 歓迎すべき天賦の素質! 詩の園に咲いた一輪の花! 装幀もいい、などとね。ところで、もう一つの本はどうだろう! あの著者は、ぼくにも買わせようという腹らしい。――評判がいいよ。あの男は天才をもっているんだね。きみたち、そう思わないかね?』 『ええ、みんなはそう言いたててますね』と、さっきの詩人が言いました。『だけど、すこし粗雑ですよ。コンマの打ち方なんか、あまりにも天才的すぎますね』 『あの男はこきおろしてやって、ちっとは腹をたてさせたほうがためになりますよ。さもなきゃ、のぼせあがってしまいますからね』 『しかし、それは不当です』と、第四の男が大声に言いました。『そんな小さい欠点ばかりをかぞえたてないで、いいものを喜びましょうよ。しかもここには、それがたくさんあるんです。まったく、あの男は衆をぬきんでていますよ』 『とんでもない! もしあの男がほんとうの天才だとすれば、そのくらいの鋭い非難にだって耐えることができるさ。あの男を個人的にほめる者はいくらでもある。われわれはあの男を慢心させないようにしようじゃないか!』 『疑う余地なき才能!』と、編集長は書きました。『だれにもありがちの不注意。この著者もまた不幸な詩句を書くことは、二十五ページに見いだされる。そこには二つの母音重複がある。古人についてさらに研究されんことを切望する、云々』  わたしはそこを立ち去りました」と、月は言いました。「それから、その叔母さんの家の窓をのぞいてみました。そこには評判のいいおとなしい詩人が、招待されたすべての客から賞讃されてすわっていました。この人は幸せでした。  わたしはもうひとりの詩人を、粗雑な詩人をさがしました。この人もまた、ひとりの後援者のところに集まった大勢の人々の中にいました。そこでは、もうひとりの詩人の本が話題にのぼっていました。 『わたしはあなたの本も読みましょう』と、後援者が言いました。『しかし正直に言うと、あなたも知っての通り、わたしは自分の思っていることをなんでも言ってしまう人間ですが、こんどの本に対してはそんなに期待していませんよ。あなたはあまりに粗雑すぎる! 空想的すぎる――といっても、あなたが人間としてきわめて尊敬すべき人であることは、わたしも認めています』  ひとりの若い娘が片隅にすわって、本を読んでいました。 ――天才のほまれはどろにまみるれど、 凡庸のわざは空高くかかげらる!―― 『こは古き語り草なれど、 なおつねに新たなり!』」 第十四夜  月が話しました。「森の道にそって、二軒の農家があります。戸口は低く、窓は上と下とについています。あたりにはサンザシやヘビノボラズが生えています。屋根は苔でおおわれていて、黄色い花やイワレンゲが咲いています。小さい庭にはキャベツとばれいしょがあるだけですが、生垣にはニワトコが花をいっぱいに咲かせています。  その下に、ひとりの小さい女の子がすわっていました。その子は鳶色の眼で、二軒の家のあいだに立っている古いカシワの木をじっと見つめていました。この木は枯れた高い幹を持っているのですが、その上の方は鋸でひき切られていました。そこにコウノトリが巣をつくっていました。ちょうどいまコウノトリがその上に立って、くちばしをガチャガチャやっていました。  ひとりの小さい男の子が出てきて、女の子のそばに並びました。このふたりは兄妹だったのです。 『何を見てるんだい?』と、男の子はききました。 『コウノトリを見てるのよ』と、女の子が言いました。『おとなりのおばさんがね、コウノトリが今夜あたしたちに小さい弟か妹を連れてきてくれるって言ったの。だからあたし、コウノトリが来るのを見ようと思って、気をつけてるのよ』 『コウノトリなんて、なんにも持ってきやしないさ』と、男の子が言いました。『いいかい、おとなりのおばさんは、ぼくにもおんなじことを言ったけど、そう言ったとき笑ってたんだ。それでぼく、おばさんに、きっとですかって、きいたのさ。――だけどおばさんは返事ができなかったんだぜ。だからぼくには、ちゃんとわかっちゃったんだ。コウノトリの話なんて、ぼくたち子供にほんとうらしく思わせるだけのことさ!』 『だけど、そんなら赤ちゃんはどこから来るの?』と、女の子はたずねました。 『神さまが連れてきてくださるのさ』と、男の子は言いました。『神さまは外套の下に入れて連れていらっしゃるんだよ。だけども、人間は神さまの姿を見ることができない。だから、神さまが赤ん坊を連れていらっしゃるのも、ぼくたちには見えないのさ』  その瞬間、ニワトコの木の枝の中でザワザワという音がしました。子供たちは両手を合せて、互いに顔を見合せました。たしかに神さまが子供を連れてきたのです。――ふたりは手を取り合いました。家の戸があきました。それはおとなりのおばさんでした。 『さあ、はいってらっしゃい』と、おばさんは言いました。『コウノトリが何を持ってきてくれたかごらんなさい。ちっちゃな弟さんよ!』すると、子供たちはうなずきました。ふたりとも、その弟が来たことを、もうちゃんと知っていたのです」 第十五夜 「わたしはリューネブルクの荒野の上をすべって行きました」と月が言いました。「道ばたに小屋が一軒、ぽつんと立っていました。葉の散り落ちた藪が二つ三つ、そのすぐそばにありました。そこでは、どこからか迷いこんできたナイチンゲールが歌をうたっていました。けれども、ナイチンゲールは夜の寒さのために死ななければなりません。わたしが聞いたのは、そのナイチンゲールのこの世での最後の歌だったのです。  暁の光が輝きました。旅人の一隊がやってきました。それは外国へ移住して行く農夫の一家でした。船でアメリカへ渡ろうとして、ブレーメンかハンブルクへ行くところだったのです。この人たちはアメリカへ行けば、幸運が、夢みている幸運が、花を開くものと思っていたのでした。女たちは小さい子供を背中に背負っていました。いくらか大きい子供たちはそのそばを跳びはねていました。やせこけた一頭の馬が、わずかばかりの家具をのせた車を引いていました。  つめたい風が吹いてきました。それで小さい女の子は、母親のそばにぐっとからだをすり寄せました。母親は、かけはじめたわたしのまるい月の輪を見上げながら、故郷でなめてきたひどい苦労のことを思いうかべたり、払うことのできなかった重い税金のことを考えたりしていました。それは、この一行のだれもが考えていることでした。だから赤々と輝く暁の光は、ふたたび訪れてくるであろう幸運の太陽の福音のように思われたのです。いまにも死にそうなナイチンゲールの歌声を聞いても、それは悪い予言者ではなく、幸運の告知者のように聞えたのです。風がヒューヒューと鳴っていました。ですから人々には、ナイチンゲールのうたう歌がわかりませんでした。 『安らかに海を渡れ! 長い船路のために、おまえは持てるすべてのものを支払った。貧しくよるべなく、おまえはおまえのカナーンの地を踏むだろう。おまえはみずからを売り、妻を売り、子供を売らねばならない。だが、長く苦しむことはない! 香り高い広い葉かげに、死の女神がすわっている。その歓迎のキスは、おまえの血の中に死の熱病を吹きこむのだ。ゆけよ、ゆけ、盛りあがる大波を越えて!』  旅人の一行は、喜んでナイチンゲールの歌に聞きいりました。というのは、その歌がやがて来る幸福をうたっているように思われたからです。薄雲のあいだから日が輝いてきました。農夫たちは荒野を横切って教会へ行きました。黒い着物を着て、頭を厚い白い麻布でつつんだ女たちの姿は、教会の中の古い絵からおりたってきたのではないかと思われました。このあたりを取り巻いているものは、ひろびろとした荒寥たる環境ばかりでした。乾からびた褐色のヒースと、うす黒く焦げた芝草が、白い砂洲のあいだに見えるだけでした。女たちは讃美歌の本を持って、教会のほうへ行きました。ああ、祈れよ! 盛りあがる大波のかなたの墓場へさすらい行く人々のために祈れよ!」 第十六夜 「わたしはひとりのプルチネッラを知っています」と、月が言いました。「見物人はこの男の姿を見ると、大声にはやしたてます。この男の動作は一つ一つがこっけいで、小屋じゅうをわあわあと笑わせるのです。けれどもそれは、わざと笑わせようとしているわけではなく、この男の生れつきによるのです。この男は、ほかの男の子たちといっしょに駆けまわっていた小さいころから、もうプルチネッラでした。自然がこの男をそういうふうにつくっていたのです。つまり、背中に一つと胸に一つ、こぶをしょわされていたのです。ところが内面的なもの、精神的なものとなると、じつに豊かな天分を与えられていました。だれひとり、この男のように深い感情と精神のしなやかな弾力性を持っている者はありませんでした。  劇場がこの男の理想の世界でした。もしもすらりとした美しい姿をしていたなら、この男はどのような舞台に立っても一流の悲劇役者になっていたことでしょう。英雄的なもの、偉大なものが、この男の魂にはみちみちていたのでした。でもそれにもかかわらず、プルチネッラにならなければならなかったのです。苦痛や憂鬱さえもがこの男の深刻な顔にこっけいな生真面目さを加えて、お気に入りの役者に手をたたく大勢の見物人の笑いをひき起すのです。  美しいコロンビーナはこの男に対してやさしく親切でした。でもアルレッキーノと結婚したいと思っていました。もしもこの『美女と野獣』とが結婚したとすれば、じっさい、あまりにもこっけいなことになったでしょう。プルチネッラがすっかり不機嫌になっているときでも、コロンビーナだけはこの男をほほえませることのできる、いや大笑いをさせることのできるただひとりの人でした。最初のうちはコロンビーナもこの男といっしょに憂鬱になっていましたが、やがていくらか落ちつき、最後には冗談ばかりを言いました。 『あたし、あんたに何が欠けているか知ってるわ』と、コロンビーナは言いました。『それは恋愛なのよ』  それを聞くと、プルチネッラは笑いださずにはいられませんでした。 『ぼくと恋愛だって!』と、この男は叫びました。『そいつはさぞかし愉快だろうな! 見物人は夢中になって騒ぎたてるだろうよ!』 『そうよ、恋愛よ!』と、コロンビーナはつづけて言いました。そしてふざけた情熱をこめて、つけ加えました。『あんたが恋しているのは、このあたしよ!』  そうです、恋愛と関係のないことがわかっているときには、こんなことが言えるものなのです。すると、プルチネッラは笑いころげて飛び上がりました。こうして憂鬱もふっとんでしまいました。けれども、コロンビーナは真実のことを言ったのです。プルチネッラはコロンビーナを愛していました。しかも、芸術における崇高なもの、偉大なものを愛するのと同じように、コロンビーナを高く愛していたのです。コロンビーナの婚礼の日には、プルチネッラはいちばん楽しそうな人物でした。しかし夜になると、プルチネッラは泣きました。もしも見物人がそのゆがんだ顔を見たならば、手をたたいて喜んだことでしょう。  ついこのあいだ、コロンビーナが死にました。葬式の日には、アルレッキーノは舞台に出なくてもいいことになりました。この男は悲しみに打ち沈んだ男やもめなんですから。そこで監督は、美しいコロンビーナと陽気なアルレッキーノが出なくても見物人を失望させないように、何かほんとうに愉快なものを上演しなければなりませんでした。そのため、プルチネッラはいつもの二倍もおかしく振舞わなければならなかったのです。プルチネッラは心に絶望を感じながらも、踊ったり跳ねたりしました。そして拍手喝采を受けました。 『すばらしいぞ! じつにすばらしい!』  プルチネッラはふたたび呼び出されました。ああ、プルチネッラは、ほんとうに測りしれない価値のある男でした!  ゆうべ芝居が終ってから、この小さな化物はただひとり町を出て、さびしい墓地のほうへさまよって行きました。コロンビーナの墓の上の花輪は、もうすっかりしおれていました。プルチネッラはそこに腰をおろしました。そのありさまは絵になるものでした。手はあごの下にあて、眼はわたしのほうに向けていました。まるで一つの記念像のようでした。墓の上のプルチネッラ、それはまことに珍しいこっけいなものです。もしも見物人がこのお気に入りの役者を見たならば、きっとさわぎたてたことでしょう。 『すばらしいぞプルチネッラ、すばらしいぞ、じつにすばらしい!』」 第十七夜  月が話してくれたことを聞いてください。「わたしは幼年学校の生徒が士官になって、はじめてりっぱな制服を着たのを見たことがあります。舞踏会の衣裳をつけた若い娘や、宴会服を着て楽しそうにしている公爵の若い花嫁を見たこともあります。けれどもどんな喜びも、わたしが今夜見たひとりの子供、四つになる小さい女の子の喜びには、とうていくらべることができません。  その子は新しい青色の着物と新しいバラ色の帽子をもらって、いまそのすばらしい晴れ着を着たところでした。みんなが明りを求めて呼んでいました。窓からさしこむ月の光だけでは十分ではないので、もっと明るい光で照らさなければならなかったのです。そこには小さい女の子が人形のように、腕を心配そうに着物からはなし、指を一本一本ひろく開いて、かたくなって立っていました。ああ、その眼と顔ぜんたいとが、どんなに喜びに輝いていたことでしょう! 『あしたは、その着物をきて、おもてへ行ってもいいのよ』と、母親が言いました。女の子は帽子を見上げたり、着物を見おろしたりしながら、嬉しそうにほほえみました。 『お母さん!』と、女の子は言いました。『あたしがこんなすてきな着物を着ているのを見たら、犬たちなんて思うかしら!』」 第十八夜 「わたしは」と、月が言いました。「きみにポンペーのことを話してあげたことがありますが、あれはいきいきとした都市がたくさん並んでいる中で、さらしものにされている都市の死骸です。けれどもわたしは、それよりももっと珍しい、もう一つの都市を知っています。それは都市の死骸ではなくて、都市の幽霊です。  噴水が大理石の水盤の中でぴちゃぴちゃ音をたてているところではどこでも、わたしはその水に浮んでいる都市のおとぎばなしを聞いているような気がします。たしかに、噴水の水はそれを物語っているにちがいありません。打寄せる岸辺の波はそれを歌っているにちがいありません。海のおもてには、しばしば霧がたちこめます。それは寡婦のベールです。海の花婿は死にました。その城とその都市とは、いまや御陵となっているのです。  きみはこの都市を知っていますか? その通りには車のころがる音も、馬のひづめの音も聞えたことがありません。そこには魚が泳いでいて、黒いゴンドラが幽霊のように緑の水の上を走って行きます。わたしは」と、月はなおも語りつづけました。「きみにその都市の中でいちばん大きな広場を見せてあげましょう。そうすれば、きみはまるでお伽の都市に来たのかと思うでしょう。広い敷石のあいだには草が生えています。夜が明けはじめると、人なれた鳩が何千ともなく、離れて立っている高い塔のまわりを飛びまわります。  きみは三方からアーケードに取りかこまれています。そこには長いキセルをもったトルコ人がじっとすわっています。美しいギリシャの少年が円柱によりかかって、昔の威力を物語る戦勝記念標の高い旗竿を見上げています。旗は喪章のように垂れさがっています。ひとりの娘がそこで休んでいます。水のはいった重い桶を下に置いていました。桶をかついできた棒は肩の上にのせたまま、戦勝柱に身をもたせています。  いまきみの眼の前に見えるのは妖精の城ではなくて、教会です。金めっきをした円屋根とそのまわりの金の球が、わたしの光を受けて、きらきらと輝いています。その上のほうにあるりっぱな青銅の馬は、おとぎばなしの中の青銅の馬のように、旅をしてきました。はじめここへやってきて、それから行ってしまい、そうしてまた戻ってきたのです。きみには壁や窓の色とりどりの美しさが見えますか? まるで天才が子供の言うなりになって、この珍しい寺院の装飾をしたのではないかと思われます。  きみにはあの円柱の上の翼のある獅子が見えますか? 金はいまもかわらず光っていますが、翼はしばられています。獅子は死んでいるのです。なぜならば、海の王が死んでいるからです。大きな会堂の中はからっぽです。むかし高価な絵がかかっていたところも、いまでは裸の壁がむきだしになっています。浮浪者がアーチの下で眠っています。かつては、この廊下には身分の高い貴族しか足を踏み入れることができなかったものです。  深い井戸からか、それとも溜息の橋のそばの牢獄からか、一つの溜息が聞えてきます。そのむかしには、色あざやかなゴンドラの上でタンバリンの音がひびき、婚約の指輪が輝かしい総督の船ブーチントロから海の女王アドリアへ投げこまれたのです。アドリアよ、おまえの身を霧の中につつみなさい! 寡婦のベールをもって、おまえの胸をおおいなさい! そしてそれを、おまえの花婿の御陵の上に、幽霊のような大理石の都ベネチアの上にかけなさい!」 第十九夜 「わたしはある大きな劇場を見おろしました」と、月が言いました。「その劇場は見物人でいっぱいでした。というのは、新しい俳優が初舞台をふむことになっていたからです。わたしの光は壁にある小さな窓の上をすべって行きました。すると、化粧をした一つの顔がひたいを窓ガラスに押しつけていました。それがその晩の主人公だったのです。騎士らしいひげが、あごのまわりにちぢれていましたが、その男の眼には涙がたまっていました。それもそのはず、人々から口笛でののしられて、舞台を引き下がってきたばかりだったのです。もっとも、ののしられても仕方がありません。あわれな男です! 才能のない者は芸術の世界では辛抱されるわけにはいかないのです。  この男は物事を深く感じもしましたし、感激をもって芸術を愛しもしました。けれども、芸術のほうではこの男を愛してくれませんでした。――舞台監督の鳴らすベルが鳴りひびきました。――大胆に勇気凜然と主人公登場、と役割書には書いてありました――この男は、いま自分をあざけり笑った見物人の前に出なければなりませんでした。――  この芝居が終ったとき、わたしはひとりの男がマントにくるまって、階段をこっそり降りて行くのを見ました。それはほかならぬ、さんざんにやっつけられたその晩の騎士でした。道具方の男たちは、ひそひそ話しあっていました。わたしはこの罪人のあとについて、この男の家の部屋までのぼって行きました。  首をつるのは見ぐるしい死に方だ。そうかといって、毒薬はいつも手もとにありはしない。わたしはこの男がその両方のことを考えていたのを知っています。わたしはこの男が青白い顔を鏡にうつしてみて、それから眼を半ば閉じるのを見ました。こうして、死体となってからもきれいに見えるかどうかをためしているのでした。人間は非常な不幸におちいっても、極度に見栄をはることがあるものです。この男は死を考えました。自殺を考えました。そして、自分自身のために泣いたように思います。――はげしく泣きました。人間は思いきり泣きつくしてしまうと、自殺などはしないものです。  そのときから、まる一年たちました。とある小さな劇場で、みじめな旅まわりの一座が喜劇を上演しました。わたしはふたたびあの見おぼえのある顔を、化粧した頬とちぢれたひげとを見ました。この男はまたわたしを見上げて微笑しました。――けれども一分とはたたないうちに、口笛でののしられて舞台から追いだされてきたのでした。みすぼらしい劇場で、なさけない見物人のためにののしられてきたのです!  今夜、一台のみすぼらしい葬儀車が町の門から出て行きました。後にはひとりの人もついては行きませんでした。それは自殺者だったのです。口笛で舞台から追いだされた、あの化粧をしたわれわれの主人公だったのです。車を走らせている御者がただひとりそばにいるだけで、ほかにはだれもついていませんでした。月のほかにはだれも。墓地の塀の近くの片隅に、自殺者は埋められました。そこには、やがていらくさがはびこることでしょう。墓掘りの男はほかの墓から抜き取ったいばらや雑草を、そこに投げすてることでしょう」 第二十夜 「ローマから、わたしは来ました」と、月が言いました。「あの都のまん中にある七つの丘の一つに、皇帝宮の廃墟があります。野生のイチジクが壁の裂目から生えでて、広い灰緑色の葉で壁の素肌をおおっています。砂利の積みかさなったあいだで、ろばが緑の月桂樹の垣の上を歩いて、やせたアザミを喜んで食べています。かつては、ここからローマの鷲たちが飛び出して、『来た、見た、勝った』と言ったものです。それがいまでは、こわれた二つの大理石の円柱のあいだに粘土でこしらえた小さなみすぼらしい家を通って、入口がついているのです。ブドウの蔓がかたむいた窓の上に、葬式の花輪のようにまつわりさがっています。  ひとりの老婆が小さい孫娘といっしょにそこに住んでいて、いまこの皇帝宮を支配しています。そしてよそから来る人たちに、ここに埋もれている宝を見せているのです。りっぱな玉座の間には、ただ裸の壁が残っているだけで、黒い糸杉がむかし玉座のあったところをその長い影でさし示しています。土がこわれた床の上に、うず高くつもっています。いまはこの皇帝宮の娘である小さい少女が、夕べの鐘の鳴りひびくころ、よくそこの低い小さな椅子に腰かけています。すぐそばにある扉の鍵穴を、この子は露台と呼んでいます。その穴からのぞくと、ローマの半分を、聖ペテロ寺院の大きな円屋根までも見わたすことができるのです。  今夜も、そこはいつものように静かでした。そして下のほうに、わたしの輝く光をいっぱいに受けて、この小さい少女が出てきました。頭の上には水のはいった古代風の粘土のかめをのせていました。見ればはだしで、短いスカートも、小さいシュミーズの袖もきれていました。わたしはその子の美しいまるい肩と、黒い眼と、まっ黒なつやつやした髪の毛にキスをしてやりました。少女は家の前の階段をのぼってきました。階段は急で、石壁のかけらやこわれた円柱頭などでできていました。  五色のトカゲがびっくりして少女の足もとをかけて行きましたが、少女はすこしも驚きませんでした。そして早くも手をのばして、戸の呼びりんを鳴らそうとしました。ウサギの前足が一つ、紐にゆわえつけられてさがっていました。これがいまの皇帝宮の、呼びりんの引手なのです。  少女はちょっと手をとめました。何を考えたのでしょうか。きっと、あの下の礼拝堂にある、金と銀との着物をきた、美しい子供姿のイエスのことでも考えていたのでしょう。いま礼拝堂では、銀のランプが輝き、小さいお友だちがこの子もよく知っている歌をうたいはじめていました。でも、ほんとうに何を考えていたのか、わたしにはわかりません。  少女はまた動きました。そして、何かにつまずきました。粘土のかめが頭から落ちて、溝の掘れている大理石の敷石の上で二つにくだけてしまいました。少女はわっと泣きだしました。皇帝宮の美しい娘は、みすぼらしいこわれた粘土のかめのために泣きました。はだしのままそこに立って、泣いていました。もう皇帝宮の呼びりんの引手の紐を引くだけの元気もありませんでした」 第二十一夜  二週間以上も月は出ませんでしたが、いままたわたしは月を見ました。ゆるやかにのぼって行く雲の上に、月はまるく明るく輝いていました。月がわたしに話してくれたことをお聞きください。 「アフリカのフェザン地方のある町から、わたしは隊商の後について行きました。砂漠の手前にある岩塩平原の一つで、隊商は立ちどまりました。そこは氷の表面のようにきらきら光っていて、わずかのところだけ軽い流砂でおおわれていました。いちばん年上の男は腰帯に水筒を下げ、頭のそばにはパン種のはいらないパンをいれた袋をもっていましたが、この男が杖で砂の上に正方形をえがいて、その中にコーランの中の言葉を二つ三つ書きました。隊商はみんな、この聖められたところを通って進んで行きました。  太陽の子であるひとりの若い商人が、物思いにふけりながら、荒い鼻息をたてている白い馬に乗っていました。この男が太陽の子であることは、その眼と美しい姿とで、わたしにはすぐわかりました。この男は美しい若い妻のことでも考えていたのでしょうか? 毛皮と高価な肩掛けで飾られたラクダが、この男の妻を、美しい花嫁を乗せて、町の城壁のまわりを歩いたのは、たった二日前のことだったのです。太鼓や袋笛が鳴りわたりました。女たちは歌いました。そしてラクダのまわりには、喜びの砲声が鳴りひびきました。花婿はいちばんたくさん、いちばん強く鉄砲を打ちました。そしていまは――いまその男は、隊商といっしょに砂漠を通って行くのです。  わたしは幾晩も隊商の後について行きました。そして、発育の悪いシュロの木にかこまれた泉のほとりで、この人たちが休むのを見ました。人々は倒れたラクダの胸にナイフを突きさして、その肉を火であぶりました。わたしの光は燃えている砂を冷やしました。またわたしの光は、大きな砂海の中の死んだ島ともいうべき黒い岩の塊りを人々に見せてやりました。この人たちは、人の通ったことのない道でも敵の種族に出会いませんでした。嵐も起りませんでした。旅行く人々を死にたやす砂柱も、この隊商の上にはまき起りませんでした。家では、美しい妻が夫や父のために祈っていました。 『あの人たちは死んだのでしょうか?』と、わたしの金色の半月にむかって、美しい妻はたずねました。『あの人たちは死んだのでしょうか?』と、わたしのこうこうと輝く月の輪にむかってたずねました。  いまはもう、砂漠は隊商の後になりました。今夜は高いシュロの木の下にすわっています。そこでは鶴が長い翼をひろげて飛びまわり、ペリカン鳥はミモザの枝から人々を見おろしています。生い茂った草藪が、象の重たい足に踏みつけられています。黒人の群れがずっと奥地にある市場から帰ってきます。黒い髪の毛のまわりに銅のボタンをつけて、あい色のスカートをはいた女たちが、重い荷をつんだ牡牛を追っています。その荷物の上には、裸の黒い子供が眠っています。ひとりの黒人は買ってきたライオンの子を綱で引いています。こうした人たちが隊商に近づいているのです。あの若い商人は身動き一つしないで、黙ってすわっています。心に思っているのは美しい妻のことです。この黒人の国にいながら、砂漠のかなたの匂い高い、まっ白な花のことを夢みているのです。商人は頭をあげます――!」そのとき、一つの雲が月をおおいました。それから、また一つの雲がかかりました。わたしはその晩はもう、それ以上何も聞きませんでした。 第二十二夜 「わたしは小さい女の子が泣いているのを見ました」と、月が言いました。「その子は世の中が意地悪いのを泣いていたのです。この女の子はとても美しいお人形をもらいました。それは、ほんとうにかわいい、きれいなお人形でした。もちろん、この世の中で不幸な目にあうように生れてきたわけではありません。ところが、この小さい女の子の兄さんの、大きい男の子たちがお人形をひったくって、庭の高い木の上にのせると、そのまま逃げて行ってしまったのです。  小さい女の子はお人形のところまで行くこともできないし、お人形をおろしてやることもできません。それで、泣いていたのです。お人形もたしかにいっしょに泣いていました。両腕を緑の枝のあいだからのばして、いかにも悲しそうなようすをしていましたもの。そうだわ、これがママのよくおっしゃる世の中の災難てものなんだわ。ああ、かわいそうなお人形!  あたりは、もう薄暗くなりはじめました。もうじき夜になってしまいます。お人形は今夜一晩じゅう、おもての木の上に、ひとりぽっちですわっていなければならないのでしょうか? いやいや、そんなことは、女の子にとっては思ってみるだけでもたまらないことです。 『あたし、あんたのそばにいてあげるわね』と、女の子は言いました。といっても、そんな勇気があるわけではありません。早くも、高いとんがり帽子をかぶった小さい小人の妖魔が茂みの中からのぞいているのが、はっきり見えるような気がするのです。おまけに、向うの暗い道では、ひょろ長の幽霊が踊りをおどっていて、それがだんだんこっちへ近づいてくるではありませんか。そして両手をお人形ののっている木のほうへのばして、笑ったり、指さしたりしているのです。ああ、小さい女の子はこわくてこわくてたまりません。 『でも、なんにも悪いことをしていなければ』と、女の子は考えてみました。『悪ものだって、なんにもすることなんかできやしないわ。でもあたし、何か悪いことしたかしら?』そうして、いろいろと思いだしているうちに、 『ああ、そうだっけ』と、女の子は言いました。『あたし、足に赤いきれをつけてた、かわいそうなアヒルを笑ったことがあったわ。あんなおかしなかっこうをして足をひきずるんですもの、あたし笑っちゃったんだわ。だけど、生き物を笑うなんていけないことだわね』こう言いながら、女の子はお人形のほうを見上げました。 『あんた、生き物を笑ったことがある?』と、ききました。すると、お人形は頭を振ったように見えました」 第二十三夜 「わたしはチロルを見おろしました」と、月は話しました。「わたしは黒々としたもみの木に、くっきりとした長い影を岩の上へ投げかけさせました。わたしは幼子イエスを肩にのせた聖クリストファの画像をながめました。その絵は、このあたりの家々の壁に地面から屋根まで届くくらい、大きくかいてありました。聖フロリアンは燃えあがっている家に水をそそいでいました。キリストは血まみれになって、道ばたの十字架にかかっていました。これは新しい時代の人々にとっては古い画像です。でもわたしは、それらが建てられるのを見てきました。一つ、また一つと、建てられるのを見てきたのです。  山腹の高いところに、ちょうどツバメの巣のように、尼僧院が一つぽつんと立っています。ふたりの姉妹が上の塔の中に立って、鐘を鳴らしていました。ふたりともまだ年若く、そのためふたりの眼は山々をこえて、はるかかなたの世間のほうへ飛んで行きました。旅行馬車が一台、下の国道を走っていました。馬車の角笛が鳴りわたりました。すると、あわれな尼僧たちは同じ思いにかられて、眼を下の馬車にじっとそそぎました。若い妹の眼には涙がたまっていました。――やがて、角笛のひびきはだんだん弱くなっていきました。そしてそのたえだえの音を、尼僧院の鐘がかき消してしまいました。――」 第二十四夜  月が話したことを聞いてください。 「いまからもう何年も前のことです。このコペンハーゲンで、わたしはあるみすぼらしい部屋の中を窓ごしにのぞきこんだことがあります。父親と母親は眠っていましたが、小さい息子はまだ眠ってはいませんでした。そのとき、寝台のまわりの花模様のついているサラサのカーテンが動いて、そこから子供の顔が外をのぞくのが見えました。  わたしは最初、その子はボルンホルム製の部屋時計を見ているんだろうと思いました。その時計は赤や緑でたいへんきれいに塗ってありました。そして上にはカッコウがとまっていて、下には重い鉛のおもりが垂れ下がっていました。ぴかぴか光るしんちゅう板の振子があっちこっちに揺れ動いて、コットン、コットンいっていました。  ところが、その子が見ていたのはこの時計ではありませんでした。そうです、この子が見ていたのは、母親の紡車だったのです。それは時計の真下に置いてありました。その紡車こそ、この子が家じゅうで一番好きなものだったのです。でも、それにさわることはできません。なぜって、ちょっとでもさわろうものなら、すぐに指先をぱんとたたかれるのですから。でも、母親が糸をつむいでいる間じゅう、この子はいつまでもそこにすわって、ぶんぶんいう紡錘と、ぐるぐるまわる車とをながめているのでした。そしてそれをながめながら、自分だけの思いにふけるのです。ああ、ぼくにもこの紡車でつむぐことができたらなあ!  父親も母親も眠っていました。男の子はふたりのほうを見ました。そして紡車をながめました。それからすぐに、かわいらしい素足が一つ寝床から出てきました。またもう一つが出てきました。こうして小さな脚が二本現われました。コトリ! 男の子は床の上に立ちました。男の子はもう一度振り向いて、父親と母親が眠っているかどうかをたしかめました。たしかに、ふたりとも眠っています。そこで、小さな短い寝巻のまま、ぬき足さし足こっそりと紡車のところへしのびよって、つむぎはじめました。糸は紡錘から飛び、車はすばらしい早さでまわりました。  わたしはその子のブロンドの髪の毛と水色の眼にキスをしてやりました。それはほんとにかわいらしい光景でした。そのとき、母親が眼をさましました。カーテンが動いて、母親が外をのぞきました。そして、小人の妖精か、さもなければ、ほかの小さな精霊が来ているのではないかと思いました。 『あらまあ!』母親はこう言いながら、こわごわ夫の脇腹をつつきました。父親は眼をあけると、手でこすりこすり、一心に働いている小さい少年のほうをながめました。 『あれはベルテルじゃないか』と、父親は言いました。  それから、わたしの眼はそのみすぼらしい部屋を後にして、べつのところへ向いました。なぜなら、わたしはとても広いところを見まわしているのですから。その同じ瞬間に、わたしは大理石の神々が立っているバチカン宮の広間を見ていました。わたしはラオコーンの群像を照らしました。すると、石が溜息をするように思われました。わたしは美の女神ミューズの胸に、そっとキスをしました。すると、その胸が高まるような気がしました。  けれども、わたしの光はナイルの群像のところに、あの巨大な神のところに、いちばん長くとどまっていました。その巨大な神はスフィンクスに身をもたせて、まるで移り行く年月のことを考えてでもいるかのように、物思いにしずんで、夢みるように横たわっていました。小さい愛の神のアモールたちは、そのまわりでワニとたわむれていました。豊饒の角の中にはごく小さいアモールがひとり、腕を組んですわっていました。そして、おごそかな顔をした大きな河の神を見ていました。このアモールは、あの紡車のそばにいた小さい男の子にそっくりの姿をしていました。顔かたちもおんなじでした。  ここには、小さな大理石の子供がまるで生きているように、かわいらしく立っていました。けれどもその子が大理石の中からとびだして以来、年の車はもう千回以上もまわっているのです。あのみすぼらしい部屋の中の男の子が紡車をまわしたと同じ数だけ、もっと大きな年の車もぶんぶんとまわったのです。そしてこの世紀が、このような大理石の神々をつくりだす日まで、さらにさらにまわりつづけていくのです。  いいですね、これはみんな幾年も前のことですよ。ところできのう」と、月は語りつづけました。「わたしはシェラン島の東海岸にある、どこかの入江を見おろしていました。そこには美しい森や、小高い丘や、赤い壁をめぐらした古いお屋敷などがあって、外堀には白鳥が泳いでいます。そして、りんご園のあいだに教会の立っている小さな田舎町があります。  たくさんの小舟が、それぞれたいまつをつけて、静かな水のおもてをすべって行きました。しかし、たいまつをつけていたからといって、それはウナギを捕るためではありません。いや、それどころか、あたりのようすからしてお祭のようでした!  音楽が鳴りひびき、歌がうたわれました。一そうの小舟のまん中には、今夜みんなが敬意を表わしている人が立っていました。それは大きなマントにくるまった、背の高い、がっしりした男で、青い眼と長い白い髪の毛を持っていました。わたしはこの人を知っていました。そしてすぐさまわたしは、ナイルの群像やあらゆる大理石の神々のあるバチカン宮のことを思い浮べました。それといっしょに、あの小さなみすぼらしい部屋のことも思いだしました。あの小さいベルテルが短い寝巻のまますわって、糸をつむいでいたのは、たしかグレンネ街だったと思います。時の車はぐるぐるまわりました。新しい神々が、大理石の中から立ちあがったのです。――小舟の中から、ばんざいの声がひびきました。 『ベルテル・トルワルセンばんざい!』――」 第二十五夜 「わたしはきみにフランクフルトの、ある光景を話してあげましょう」と、月が言いました。「わたしはそこで特に一つの建物をながめました。といっても、それはゲーテの生れた家でもなく、古い議事堂でもありません。その議事堂の格子窓からは、そのむかし皇帝の戴冠式のときにあぶり肉にされて、人々のご馳走にされた、角のついたままの牡牛の頭蓋骨が、いまもなお突きでているのですが、しかし、わたしがながめていたのはそんなものではなくて、せまいユダヤ人街の入口の角のところにある、緑色に塗られた、みすぼらしい平民の家だったのです。それはロスチャイルドの家でした。  わたしは開いている戸口から中をのぞいてみました。階段のところには、あかあかと明りがついていました。そこには下男たちが重そうな銀の燭台に火のともっているろうそくを持って、立っていました。そして、轎に乗ったまま階段を運ばれてきた、ひとりの年とった婦人に向って、ていねいにおじぎをしていました。この家の主人は帽子もかぶらず立っていて、この老婦人の手にうやうやしくキスをしました。  老婦人はこの人の母親だったのです。老婦人は息子と召使たちに親しげにうなずいてみせました。それから、人々は老婦人を狭い暗い小路の中の、とある小さな家へ運んで行きました。そこにこの老婦人は住んでいました。そこで子供たちを生んだのです。そしてそこから、子供たちの幸福が花のように咲きいでたのです。もしもいま、わたしが人からいやしまれているこの小路と小さい家とを見捨てたなら、幸福もまた息子たちを見捨てるだろう、というのが、この老婦人の信念だったのです。――」  月はこれ以上話してくれませんでした。今夜の月の訪れはあまりに短いものでした。しかしわたしは、人からいやしまれているその狭い小路に住む年とった婦人のことを考えてみました。このひとがたったひとこと言いさえすれば、テームズ河のほとりに光りかがやく家が立つのです。たったひとこと言いさえすれば、ナポリの入江近くに別荘が立つのです。 『もしもわたしが、息子たちの幸福が咲きいでたこの小さい家を見捨てたなら、幸福も息子たちを見捨てるだろう!』――それは迷信です。でもそれは、人がこの話を知り、その絵を見るときに、それを理解するためには、「母親」という二つの文字をその下に書いておきさえすればいいといった類いの迷信です。 第二十六夜 「きのうの夜明けのことでした」これは月自身が言った言葉です。「大きな町の煙突は、まだどれも煙をはいていませんでした。それでもわたしが見ていたのは、その煙突だったのです。と、とつぜん、その煙突の一つから、小さい頭が出てきました。つづいて上半身が現われて、両腕を煙突のふちにかけました。 『ばんざい!』それは小さい煙突そうじの小僧でした。生れてはじめて煙突の中をてっぺんまでのぼってきて、頭を外につき出したのでした。 『ばんざい!』そうです、そのとおりです。たしかにこれは、狭苦しい管や小さい煖炉の中を這いずりまわるのとは、いささかわけが違っていました。そよ風がすがすがしく吹いていました。町じゅうが緑の森のあたりまで見わたせました。ちょうど太陽がのぼりました。まるく大きく、太陽は小僧の顔を照らしました。その顔はじつにみごとに煤でまっ黒になっていましたが、嬉しさにかがやいていました。 『さあ、おいらは、町じゅうのものに見えるんだ!』と、小僧は言いました。『お月さまにだって、おいらが見えるんだ。お日さまにだってよ! ばんざい!』こう言いながら、小僧はほうきを打振りました」 第二十七夜 「ゆうべ、わたしは中国のある町を見おろしました」と、月が言いました。「わたしの光は街路をつくっている、長いはだかの土塀を照らしました。あちこちに門がありましたが、どれもしまっていました。なぜかといいますと、中国人は外の世界のことなんか、ちっとも気にとめていないからです。厚いよろい戸が、家の土塀のうしろの窓をおおっていました。ただお寺だけから、弱い光が窓ガラスをとおしてかすかに射していました。  わたしは中をのぞいてみました。すると、色とりどりの華やかさが眼にうつりました。床から天井まで、まばゆいほどの色彩と金めっきをほどこした絵がかかっていました。それはこの下界における仏たちの所業をえがいたものでした。一つ一つの厨子の中には仏像が立っていましたが、色どりゆたかな幕や垂れ下がった旗のためにほとんど隠れていました。そしてどの仏の前にも――それはみんな錫でつくってあります――小さい祭壇があって、そこには聖い水と、花と、火のともっているろうそくとがありました。けれどもお寺の中のいちばん高いところには、最高の御仏である仏陀が聖なる絹の黄衣を身にまとって立っていました。  祭壇の足もとに、ひとりの生きた人間の姿が、ひとりの若い僧侶が、すわっていました。この僧侶は祈っているようすでしたが、そのお祈りのさいちゅうに何か物思いにしずんでいるようでした。それは、たしかに一つの罪でした。というのは、その頬は熱くほてり、頭は深く深く垂れ下がっていたからです! あわれなスイ・ホン!  この男は街の長い土塀のうしろの、どの家の前にもある小さい花壇で働く自分の姿でも夢みていたものでしょうか。そしてその仕事のほうが、お寺の中でろうそくの番をするよりも、ずっと好きだったのではないでしょうか。それとも、ご馳走のたくさん並んでいる食卓について、一皿ごとに銀の紙で口もとをふきたいものだと望んでいたのでしょうか。それともまた、この男の罪が非常に大きなもので、もしもそれを口にでもしようものなら、極楽が死の刑をもってこの男を罰しなければならないといったようなものだったのでしょうか。あるいはまた、その思いは野蛮人の船とともにその故郷の、はるかにへだたったイギリスへでも飛んで行ったのでしょうか。いやいや、この男の思いはそんなに遠くまで飛びはしませんでした。けれどもそれは、熱い青春の血だけが産みだすことのできるような罪深いものでした。このお寺の中の仏陀をはじめ多くの仏像の前では罪深いものだったのです。  わたしは、この男の思いがどこにあったかを知っています。この町のはずれの、平たい敷石をしいた屋根の上に――そこの欄干は瀬戸物でできているように見えます――白い大きな風鈴草をさした、きれいな花瓶が置いてありましたが、そのそばに美しいペーが、細いいたずらっぽい眼と、ふくよかな唇と、それは小さな足をしてすわっていました。靴のために足はしめつけられていましたが、心はもっともっと強くしめつけられているのでした。娘がきゃしゃな美しい腕を上げますと、しゅすがさらさらと音をたてました。  娘の前にはガラス鉢が置いてあって、金魚が四ひきはいっていました。娘はうるしをぬった、色どり美しい箸で、水の中をそっとかきまわしていました。何か物思いにしずんでいましたので、ほんとうに、ほんとうにゆっくりとかきまわしていました。ああ、金魚はなんて豊かな金色の着物を着ているのだろう、そしてガラス鉢の中でなんてのどかに暮しながら、たくさんの餌をもらっているのだろう、でも、もしも自由になれたら、そしたらどんなに幸福だろう、と、きっとこんなことを思っていたのでしょう。ほんとうに、この美しいペーにはそれがよくわかっていたのです。ペーの思いは家からさまよいでました。そしてお寺へと向いました。けれどもそれは、仏のためではありません。あわれなペー! あわれなスイ・ホン! 現世でのふたりの思いは、めぐりあいました。しかしわたしの冷たい光は、大天使の剣のように、このふたりのあいだに横たわっていました!」―― 第二十八夜 「海は凪いでいました」と、月が言いました。「水は、わたしが帆走っていた澄みきった空気のように、透きとおっていました。わたしは海面よりもずっと下に生えている珍しい植物を見ることができました。それらは森の中の巨木のように、幾尋もある茎をわたしのほうへさし上げていました。魚がその頂の上を泳いで行きました。  空高く野の白鳥の群れが飛んでいました。その中の一羽は翼の力がおとろえて、だんだん下へ沈んで行きました。その眼はしだいに遠ざかって行く空の旅行隊の後を追っていましたが、翼をひろくひろげて、ちょうどしゃぼん玉が静かな空気の中を沈んで行くように、沈んで行きました。やがて水面に触れました。頭をそらして翼のあいだにつっこむと、おだやかな湖に浮ぶ白い蓮の花のように、静かに横たわっていました。  やがて風が吹いてきて、きらきら輝く水のおもてに波をたたせました。すると、水のおもては、まるでエーテルのようにきらめいて、大きな広い波となってうねりました。そのとき、白鳥が頭を上げました。きらきら光る水が、青い火のように白鳥の胸や背を洗って飛び散りました。暁の光が赤い雲を照らしました。白鳥は元気を取り戻して立ち上がると、のぼりくる太陽のほうへ、空の旅行隊の飛び去った青みがかった岸辺をめざして飛んで行きました。ただひとり胸に憧れをいだいて飛んで行きました。青い、ふくれあがる波をこえて、ひとりさびしく飛んで行きました」―― 第二十九夜 「きみにスウェーデンの光景をもう一つ話してあげましょう」と、月が言いました。「薄暗いもみの木の森のあいだ、ロクセン湖の陰気な岸辺近くに、古いブレタの僧院があります。わたしの光は壁の格子をとおって、広い円天井の部屋へすべりこんで行きました。その部屋では、王たちが大きな石の棺の中でまどろんでいるのです。その棺の上の壁には、この世における栄華をあらわすもののように、一つの王冠が人目をひいています。けれども、それは木でこしらえてあって、それに色彩をほどこし、金めっきをしたものなのです。そしてそれは、壁に打ちこまれた一本の木釘で、しっかりととめられています。その金めっきをした木は虫に食いあらされています。クモが王冠から棺まで網を張りめぐらしています。これは、人間の悲しみと同じように、はかない喪章の旗です! 王たちは、なんて静かにまどろんでいるのでしょう!  わたしはあの人たちのことをはっきりと覚えています! あんなにも力強く、あんなにも決然と喜びや悲しみを語った、口もとにただよう大胆な微笑が、いまもなお眼に浮んできます。蒸気船が魔法のかたつむりのように山々のあいだをぬってきますと、ときおり旅人が会堂へやってきます。そしてこの円天井のお墓の部屋を訪れて、王たちの名前をたずねます。でもその人の耳には、王たちの名前は忘れられたもの、死んだものとしてひびくのです。その人は虫の食った王冠を見上げてほほえみます。そしてその人が本当に敬虔な心の持主であれば、そのほほえみの中には哀愁の色がただよいます。まどろみなさい、死者たちよ! 月はきみたちのことを覚えています。月は夜、もみの木の王冠のかかっている、きみたちの静かな王国へ、冷やかな光を送ってあげます!――」 第三十夜 「国道のすぐそばに」と、月が話しました。「一軒の旅館があります。そしてその真向いに、大きな馬車小屋があります。小屋の屋根はちょうど葺いたばかりでした。わたしは桷のあいだと開いている天井窓から、そのうす気味悪い小屋の中をのぞいてみました。七面鳥が梁の上で眠っていました。鞍はからっぽの秣桶の中に入れて、休まされていました。  小屋のまん中には、旅行馬車が一台置いてありました。その持主はまだぐっすりと寝こんでいましたが、馬はもう水を飲まされていました。御者は道のりの半分以上もよく眠ってきたのに、――それはわたしがいちばんよく知っていますが――まだ手足をのばしていました。下男部屋への戸は開いていましたが、寝床はまるでひっくり返されたかと思われるようなありさまでした。ろうそくは床の上に置いてあって、燭台の中に深く燃え落ちていました。  風が冷たく小屋の中を吹きぬけていました。時刻は真夜中というよりは、もう明け方近いころでした。向うの馬屋の床の上には、旅まわりの音楽師の一家が眠っていました。たぶん、父親と母親は瓶の中の燃えつくような雫を夢にみていたものでしょう。青白い小さな女の子は眼の中の燃えるような雫を夢にみていました。竪琴は頭のそばに置いてあり、犬は足もとに横たわっていました。――」 第三十一夜 「ある小さい田舎町でのことでした」と、月が言いました。「わたしはそれを去年見ました。しかし、まあ、そんなことはどうでもいいのです。ともかく、わたしははっきりと見たのです。今夜わたしはそのことを新聞で読みましたが、これはそんなにはっきりとはしていませんでした。  宿屋の下の部屋に熊使いがすわって、夕飯を食べていました。熊は家の外のまき小屋のうしろにつながれていました。このあわれな熊は、見るからに恐ろしそうなようすをしていましたが、まだ一度も人に害を加えたことはありませんでした。上の屋根裏部屋では、わたしの明るい光を受けて、三人の小さい子供が遊んでいました。いちばん上の子はせいぜい六つぐらいで、いちばん下の子は二つをこしてはいませんでした。 『バタン、バタン』と階段を上ってくるものがありました。いったい、だれでしょう? 戸がガタンと開きました――それは熊でした。あの大きな、毛むくじゃらの熊ではありませんか! 熊は下の中庭に立っているのがたいくつになったのです。そして、階段を上る道を見つけたのでした。わたしはそれをのこらず見ていました!」と、月が言いました。「子供たちはこの大きな毛むくじゃらの動物を見るとびっくりぎょうてんして、めいめい隅っこへ這いこみました。けれども、熊は三人ともみんな見つけてしまいました。そうして鼻でくんくん嗅ぎまわりました。でも、べつに悪いことはなんにもしませんでした。 『これはきっと大きい犬だ』子供たちはそう思ったものですから、熊をなでてやりました。熊はごろりと床の上に横になりました。いちばん小さい男の子はその上をころげまわって遊びました。その子のちぢれた金髪の頭は、熊の濃い黒い毛皮の中にかくれました。こんどは、いちばん大きい子が太鼓を持ちだして、ドンドンたたきました。すると、熊は二本の後足で立ちあがって、踊りだしました。それはほんとにおもしろいありさまでした!  子供たちは、めいめい鉄砲をかつぎました。熊も一つもらいました。そして、それをちゃんとかつぎました。これは、子供たちの見つけたすばらしい仲間です! それからみんなは、『一、二、一、二!』と行進しました。  そのとき、戸に手をかけたものがありました。戸が開きました。それは子供たちの母親でした。その瞬間の母親のようすといったら、まったく、きみに見せてあげたいものでした。物も言えない驚き、石灰のような青白い顔、半ば開いた口、じっと見すえた眼、そうしたようすはほんとにきみに見せてあげたいものでした。ところがいちばん小さい男の子は、心から嬉しそうにうなずいてみせました。そして、この子なりの言葉で大声に叫びました。 『ぼくたち、兵隊ごっこちているだけよ!』  そこへ熊使いがやってきました」 第三十二夜  寒い風がぴゅうぴゅう吹いていました。雲が飛び去って行きました。月はただときおり見えるだけでした。 「静かな大空をとおして、わたしは飛び行く雲を見おろしています」と、月は言いました。「大きな影が地上を走って行くのが見えます。  このあいだ、わたしは牢獄の建物を見おろしました。窓をしめた一台の馬車が、その前でとまりました。ひとりの囚人が連れだされることになっていたのです。わたしの光は格子のはまっている窓から壁のところまで押し入って行きました。囚人はこの世の別れに、何か二、三行壁にきざみつけました。しかしこの男の書いたのは言葉ではありません。一つのメロディーでした。この場所ですごした最後の夜に、心の底からほとばしり出た一つのメロディーだったのです。戸が開きました。囚人は外へ連れだされました。そのとき、わたしのまるい月の輪をふりあおぎました。――  雲がわたしたちのあいだを走りました。まるで、わたしがこの男の顔を見てはならないように、そしてまた、この男がわたしの顔を見てはならないとでもいうかのようでした。男は馬車に乗りました。馬車の戸がしめられました。むちがヒューッと鳴りました。馬はこんもりとした森の中へ駆けこんで行きました。そこでは、わたしの光は後を追って行くことができません。けれども、わたしは牢獄の格子の中をのぞいてみました。わたしの光は、あの男の最後の別れである、壁にきざまれたメロディーの上をすべって行きました。言葉の力の及ばないところでは、音の調べがものを言うものです。――  しかし、ただきれぎれの音譜しか、わたしの光は照らすことができませんでした。その大部分は、わたしにとってはいつまでも暗闇の中に残されることでしょう。あの男の書いたのは死の讃歌だったのでしょうか? 喜びの歓声だったのでしょうか? あの男は死のもとへ行ったのでしょうか、それとも、愛人に抱かれるために行ったのでしょうか? 月の光は人間が書くものをさえ、ことごとく読んでいるわけではありません。  ひろびろとした大空をとおして、わたしは飛び行く雲を見おろしています。大きな影が地上を走って行くのが見えます!」 第三十三夜 「わたしは子供が大好きです」と、月が言いました。「小さい子は、ことにおもしろいものです。子供たちがわたしのことなんかちっとも考えていないときにも、わたしはカーテンや窓わくのあいだから、たびたび部屋の中をのぞいています。子供たちがひとりで、やっとこ着物をぬごうとしているのを見るのはとっても愉快です。最初に、裸の小さいまるい肩が着物の中から出てきて、そのつぎに腕がするっと抜けでてきます。それから、靴下を脱ぐところも見ます。白くて固い、かわいらしい小さな脚が現われてきます。ほんとにキスをしてやりたいような足です。そしてわたしは、ほんとうにその足にキスをしてやるのです!」と、月が言いました。 「今夜わたしは、どうしてもこのことを話さずにはいられません。今夜わたしは、一つの窓をのぞきこみました。向い側に家がないので、その窓にはカーテンがおろしてありませんでした。そこには子供たちが、姉妹や兄弟たちがみんな集まっているのが見えました。その中にひとりの小さい女の子がいました。この子はやっと四つになったばかりでしたが、それでもほかの子供たちと同じように、『主の祈り』をとなえることができました。そのため母親は、毎晩その子の寝床のそばにすわって、その子が『主の祈り』をとなえるのを聞いてやるのでした。そのあとで、その子はキスをしてもらうのです。そして母親はその子が眠りつくまで、そばにいてやります。でも小さい眼は閉じたかとおもうと、すぐに眠ってしまいます。  今夜は、上のふたりの子がすこしあばれていました。ひとりは長い白い寝巻を着て、片足でピョンピョン跳ねまわりました。もうひとりは、ほかの子供たちの着物をみんな自分のからだに巻きつけて、椅子の上に立ちあがり、ぼくは活人画だぞ、みんなであててみろ、と言いました。三番目と四番目の子は、おもちゃをきちんと引出しの中へ入れました。もっともこれは、そうしなくてはいけないことですけども。母親はいちばん小さい子の寝床のそばにすわって、いまこの小さい子が『主の祈り』をとなえるから、みんな静かになさい、と言いました。  わたしはランプごしにのぞきこんでいました」と、月が言いました。「四つになる女の子は寝床の中で、白いきれいなシーツの中に寝ていました。そして小さい両手を合せて、たいそうまじめくさった顔をしていました。いましも『主の祈り』を声高にとなえているところだったのです。 『あら、それは何なの?』母親はこう言って、お祈りの途中でさえぎりました。『おまえはきょうもわれらに日々のパンを与えたまえと言ってから、ほかにも何か言ったのね。お母さんにはよく聞えなかったけど、それは何? お母さんに言ってごらんなさい!』――すると、女の子は黙ったまま、困りきった顔をして母親を見ていました。 『きょうもわれらに日々のパンを与えたまえと言ったあとで、おまえはなんて言ったの?』 『お母さん、怒らないでね』と、小さな女の子は言いました。『あたし、お祈りしたのよ。パンにバターもたくさんつけてくださいまし、ってね!』」 解説 矢崎源九郎  アンデルセンといえば、おそらくその名を知らない者はないといってもよいであろう。ことに童話詩人としての彼の名前は、われわれにとってはなつかしい響きを持っているのである。しかし彼は単に童話を書いたばかりではない。小説に戯曲に詩に旅行記に、じつに多方面にわたって筆をふるっている。なかんずく、イタリアの美しい自然を背景として美少年アントーニオと歌姫アヌンチアータとの悲恋を描いた『即興詩人』のごときは忘れがたい作品の一つであるといえよう。  ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen ――われわれはいつのまにかアンデルセンと呼びなれているが、これはわが国独特の呼び方であろう。いったいに外国の発音をカナで書き表わすことは不可能であるが、デンマーク流の発音はアナスン、アネルセンに近い――は一八〇五年四月二日に豊かな伝説と古い民謡とに恵まれているデンマークのオーデンセという町に生れた。生れ故郷のオーデンセは、ブナの木の林のあいだに麦やウマゴヤシの畑がかぎりなく続いているフューン島という美しい緑の島にあった。父は貧しい靴職人であったが、折にふれて幼いアンデルセンにおとぎばなしや物語などを読んで聞かせた。文学への興味はこのころの父の感化によって芽生えたといってもよい。母は働く一方の女で学問はなかったが、深い信仰心を持っていた。このふたりのもとに、幼いころはともかくも幸せな日々を送ることができたのである。しかし、十一歳のときに父を失うに及んで、この幸福の夢もはかなく消え去ってしまった。母は仕立屋の職人にしたいという希望を持っていたが、アンデルセンみずからは舞台に立つことを望んで、十四歳のときただひとり首都のコペンハーゲンをめざして旅立った。このときから彼にとって新しい世界が開かれるとともに、茨の道がはじまったのである。すなわち都に出るには出たものの、何もかもが彼の希望に反してしまった。俳優として舞台に立つこともかなえられず、持って生れた美声を頼りに志望した声楽家にもなることができないままに、いくどか絶望のどん底におちいった。しかし幸いなことにも、一生の恩人であるコリンに見いだされたのはこのような失意のときであった。それまでは学校教育もろくに受けておらず、物を書くのにも綴りがまちがいだらけというありさまであったが、このコリンの助力のおかげで学校へも行けるようになったのである。  アンデルセンは一生のあいだ旅から旅へとさすらって歩いた。旅こそは彼から切り離すことのできないものであった。一八三一年に初めて国外への旅行を行い、つづいて一八三三年にはドイツ、フランスをへてイタリアへの旅にのぼった。このときの旅行のあいだに、その印象をもととして書いたのが『即興詩人 Improvisatoren』(一八三五年)であって、この作によって初めて彼の名は国の内外に認められるようになった。『ただのバイオリン弾き Kun en Spilmand』とか、ここに訳出した『絵のない絵本 Billedbog uden Billeder』や、『スウェーデンにて I Sverige』、『わが生涯の物語 Mit Livs Eventyr』をはじめ、彼のほとんどすべての作品はこのとき以後のものである。童話についても同様、『即興詩人』が出版されてから二、三カ月後にはじめて第一集が出、それから一八七五年八月四日に永眠するまでに百五、六十にも及ぶ多数の童話が書かれたのである。 『絵のない絵本』は、一八三九年から四〇年ごろを中心にアンデルセンの創作意欲の最も盛んなときに書かれたものである。初めて本になったのは一八三九年十二月二十日で、(表紙の日付は一八四〇年となっている)そのときはわずかに二十夜を含むごく小さい本であった。この二十夜のうち五編はすでに一八三六年に文学誌『イリス(虹の女神)』第二号上に発表されている。たとえば同誌に掲載されている『フランス国の玉座の上の貧しい男の子』というのは第五夜の物語である。一八四〇年にはさらに数夜が発表されたが、一八四四年の第二版においてようやく三十一夜を包括するにいたった。第三十二夜と第三十三夜は一八四八年に初めて公にされたものである。したがって一冊のまとまった本として現在のように三十三夜全部を含んだのは、一八五四年に発行された第三版が最初である。初版から三版までに多くの歳月が流れているのは、この本がデンマークにおいてはあまり問題にされなかったためであろう。つまり、この本も『即興詩人』の場合と同様、本国におけるよりもむしろドイツや英国などにおいて評判となったのである。 『絵のない絵本』はこのように小さいにもかかわらず、きわめて多彩な素材を含んでいる。その大部分がアンデルセンみずからの体験や印象にもとづいていることはいうまでもない。すなわち、第五夜は一八三三年のパリ滞在中の体験から、第六夜は一八三七年のスウェーデン旅行の印象をもととして書かれたものである。第十五夜のリューネブルク、第二十五夜のフランクフルトには一八三三、四年に訪れている。一八三三年から三四年にかけてのイタリア旅行の印象は第十二夜、第十八夜、第二十夜などにあらわれている。なかでも、暗い北欧生れのアンデルセンがあこがれてやまなかった明るい南の国イタリアは、この本においても最も多く描かれているのである。  また一方においては空想の翼に乗って、遠くインドをはじめ、グリーンランドやアフリカ、中国にまでも思いを馳せている。それらは第一夜、第九夜、第二十一夜、第二十七夜となってあらわれている。そのほか子供についての話は六つほどあるが、それを描くのにあたたかい優しい感情をもって、しかも明るいユーモアを忘れていないところはいかにも童話詩人らしい。さらにまた諧謔にあふれたもの、あるいは苦悩にみちたものもあり、人生の一断面のスケッチもある。小さい本ながら、まことに盛りだくさんである。しかもこの本は、月が絵かきに物語る話という形を取ってはいるものの、その特徴とするところは絵画の素材を与えるための、眼まぐるしいばかりの場面の展開にあるのではない。一つ一つの短い物語の底に流れる、絵を絶した浪漫的香りも高い詩情こそその生命なのである。  翻訳のテキストとしてはコペンハーゲンの Gyldendal 書店から一九四三年に発行されている H.C.Andersens Romaner og Rejseskildringer(小説、旅行記集)の第四巻に収められている Billedbog uden Billeder を用いた。ただ、年少の読者にも読みやすいように、改行を多くしたことを一言おことわりしておく。(一九五二年六月二十六日)
底本:「絵のない絵本」新潮文庫、新潮社    1952(昭和27)年8月15日発行    1987(昭和62)年12月5日66刷改版    2005(平成17)年8月10日99刷 ※底本巻末の注は省略しました。ただし、第一夜「梵天王《ぼんてんおう》」、第五夜「堡塁《ほうるい》」、第三十夜「桷《たるき》」の三語のルビは巻末注より本文に追加しました。 入力:sogo 校正:諸富千英子 2018年3月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 家の中は、ふかい悲しみで、いっぱいでした。心の中も、悲しみで、いっぱいでした。四つになる、いちばん下の男の子が、死んだのです。この子は、ひとり息子でした。おとうさんと、おかあさんにとっては、大きなよろこびであり、また、これから先の希望でもあったのです。  この子には、ねえさんがふたり、ありました。上のねえさんは、ちょうどこの年、堅信礼を、受けることになっていました。ふたりとも、おとなしくて、かわいらしい娘たちでした。けれども、死んだ子供というものは、だれにとっても、いちばんかわいいものです。それに、この子は末っ子で、ひとり息子だったのです。ほんとうに、悲しい、つらいことでした。  ねえさんたちは、若い心をいためて、悲しみました。おとうさんとおかあさんが、なげき悲しんでいるのを見ると、いっそう悲しくなりました。おとうさんは、深くうなだれていました。おかあさんは、大きな悲しみにうちまかされていました。  おかあさんは、夜も昼も、病気の坊やにつききりで、看病したり、だいてやったりしたものでした。おかあさんは、この子が、自分の一部だということを、はっきりと感じました。坊やが死んで、お棺に入れられ、お墓の中にうめられるなどということは、おかあさんにとっては、どうしても考えることができませんでした。神さまだって、まさか、この子をお取りあげになるようなことはなさるまい、と、おかあさんは思ったのです。それなのに、その坊やが、とうとう、死んでしまったのです。おかあさんは、あまりの悲しさに、われを忘れてこう言いました。 「神さまは、ごぞんじないのですね。神さまは、なさけを知らないしもべを、この世におつかわしになったのです。なさけしらずのしもべたちは、自分かってなふるまいをして母親の祈りを、聞いてはくれないのです」  おかあさんは、悲しみのあまり、神さまを見うしなってしまいました。すると、暗い考えが、死の考えが、しのびよってきました。人間は、土の中で土にかえり、それとともに、すべてはおわってしまう、という、永遠の死の考えです。こういう考えにつきまとわれては、もう、なに一つ、たよるべきものもありません。おかあさんは、底しれない絶望のふちへ、深く深くしずんでいきました。  いちばん苦しいときには、おかあさんは、泣くことさえできませんでした。もう、娘たちのことも、考えませんでした。おとうさんの涙が、自分のひたいの上に落ちてきても、目をあげて、おとうさんを見ようともしませんでした。おかあさんは、死んだ坊やのことばかり思いつづけていたのです。いまのおかあさんは、ただひとえに、坊やの思い出を、坊やの言ったむじゃきな言葉を、一つ一つ、呼びもどそうとするために生きているようなものでした。  いよいよ、お葬式の日がきました。それまでというもの、おかあさんは、一晩も眠ったことがありませんでした。その日の明けがた、おかあさんは、くたびれすぎて、つい、うとうとしました。そのあいだに、みんなは、坊やのお棺を、離れの部屋に運んでいって、そこで、ふたを打ちつけました。もちろん、それは、くぎを打つ音が、おかあさんに聞えないように、というためだったのです。  おかあさんは、目をさますといっしょに、起きあがって、坊やを見ようとしました。すると、おとうさんが、涙を浮べて、言いました。 「もう、ふたをしてしまったよ。一度は、そうしなければならないのだ」 「神さまが、わたしに、こんなにつらくなさるのなら」と、おかあさんはさけびました。「人間が、よくなるはずはありません」  おかあさんは、わっと、涙にかきくれました。  坊やのお棺は、お墓に運ばれました。希望をうしなったおかあさんは、娘のそばにすわって、ただぼんやりと、娘のほうを見ていました。でも、ほんとうに見ているのではありません。心の中で考えていることは、もう、のこった家族のことではありませんでした。おかあさんは、ただ、悲しみに身をまかせきっていました。ちょうど、かいとかじとをうしなった小船が、荒海にもてあそばれるように、おかあさんは、悲しみにもてあそばれていました。  こうして、お葬式の日はすぎました。それからは、おも苦しく悲しい日が、幾日も幾日もつづきました。家の人たちは、みんな、悲しみにしずんで、うるんだ目と、くもったまなざしとで、おかあさんを見つめるばかりでした。おかあさんをなぐさめようとしても、そんな言葉には、耳をもかたむけようとしないのです。それに、家の人たちにしても、いったい、どんななぐさめの言葉を言うことができたでしょう。みんなの心は、あまりにも悲しすぎて、なぐさめの言葉を口にすることもできなかったのです。  おかあさんは、まるで、眠りというものを、忘れてしまったようでした。しかも、その眠りだけが、おかあさんのからだを強くし、おかあさんの心の中に、平和を呼びもどすことのできる、いちばんいいお友だちでしたのに。  おかあさんは、みんなにすすめられて、ようやく、寝床に横になりました。そして、まるで眠っている人のように、じっと横になっていました。  ある晩のことです。おとうさんは、おかあさんのね息を、しばらく、うかがっていました。今夜は、おかあさんは、気持よく、ぐっすりと眠っているようです。そこで、おとうさんは、両手を合せて、お祈りをすますと、自分も横になって、すぐに、ぐっすりと寝こんでしまいました。ですから、そのあとで、おかあさんが寝床から起き出して、着物を着、そっと、家をぬけ出していったのには、すこしも気がつきませんでした。  いま、おかあさんが、行こうとしているところは、おかあさんが、夜となく昼となく、思いつづけているところ、つまり、かわいい坊やのはいっているお墓だったのです。おかあさんは、家の庭を通りぬけて、畑へ出ました。畑からは、町の外側を通っている、細い道が、墓地まで通じています。おかあさんは、だれにも見られませんでした。おかあさんのほうでも、だれの姿をも見かけませんでした。  その晩は、お星さまのキラキラかがやいている、美しい夜でした。やっと、九月になったばかりで、空気はまだおだやかでした。  おかあさんは、墓地にはいって、小さなお墓のそばへ行きました。そのお墓は、かおりのよい、一つの大きな花たばのように見えました。おかあさんは、そこにすわって、顔をお墓に近づけました。まるで、あつい地面の中に、かわいらしい坊やの姿が見えるはずだとでもいうようです。すると、坊やのほほえみが、ありありと思い出されてきました。病気の床に寝ていたときでさえも、坊やが見せた、あのかわいらしい目つき。あの目つきは、とうてい忘れられるものでありません。それから、おかあさんが、寝ている坊やの上に、からだをかがめて、自分では動かすことのできなくなった、小さな手をとってやると、坊やの目は、あんなにも、ものを言いたそうに、かがやいたではありませんか。  いま、おかあさんは、坊やの寝床のそばにすわっていたときと、同じような気持で、お墓のそばにすわっていました。でも、あのときとはちがって、いまは、涙がとめどもなくあふれ出て、お墓の上に流れおちました。 「おまえは、子供のところへおりていきたいのだね」という声が、すぐそばでしました。その声は、はっきりと、低くひびいて、おかあさんの心の中までも、しみ入りました。  目をあげて見ると、そばに、大きな喪服を着た人が立っています。ずきんを、まぶかにかぶっていますが、その下から顔も見えました。きびしい顔つきですが、いかにも、たよりになりそうです。その目は、若者の目のように、かがやいていました。 「坊やのところへ!」と、おかあさんは答えました。その声には、絶望しきって、お願いするひびきが、こもっていました。 「わしについてくる勇気があるかな」と、その人は、たずねました。「わしは、死神だが」  そこで、おかあさんは、はいというように、うなずいてみせました。  と、とつぜん、空の星という星が、満月のようにかがやきはじめました。お墓の上の花も、色とりどりの美しさにかがやきました。地面が風にゆれるうすぎぬのように、静かに、静かにしずんでいきました。おかあさんもしずんでいきました。そのとき、死神は、黒いマントを、おかあさんのまわりにひろげました。あたりは、まっ暗な夜になりました。それは、死のやみ夜でした。おかあさんは、墓ほりのシャベルでも、とどかないくらい、深いところまでしずんでいきました。墓地は、頭の上のほうに、ちょうど天井みたいに横たわっていました。  マントのはしが、わきへのけられました。見ると、おかあさんは、いつのまにか、気持のよい広々とした、りっぱな広間の中にきています。まわりにはぼんやりと、うす明りがさしています。  気がついてみると、目の前に、死んだ坊やがいるではありませんか。その瞬間、おかあさんは、坊やをしっかりと胸にだきしめました。坊やはおかあさんに、かわいらしくほほえみかけました。見れば、前よりも、ずっと大きくなっています。おかあさんは、思わず大きな声を出しました。でも、その声は、すこしもひびきませんでした。なぜなら、美しいふくよかな音楽が、おかあさんのすぐそばで鳴ったかと思うと、今度は、ずっと遠くで、それからまた近くで、というふうに、たえず鳴りひびいていたからです。おかあさんは、いままでに、こんなにも楽しい音楽を聞いたことがありませんでした。その音楽は、この広間を大きな永遠の国からへだてている、まっ黒な、あついとばりのむこうから、ひびいてくるのでした。 「大好きなおかあさん! ぼくのおかあさん!」と、いう坊やの声がしました。それこそ、かたときも忘れたことのない、かわいい坊やの声です。  おかあさんは、かぎりない幸福を感じて、坊やにキスの雨をふらせました。すると、坊やは、まっ黒なとばりのほうを指さして、言いました。 「地の上は、こんなにきれいじゃないねえ。ごらんよ、おかあさん。みんな見えるでしょ。あれは、幸福というものだよ」  けれども、おかあさんには、なんにも見えません。坊やが、指さしたところにも、まっ暗な暗やみのほかは、なんにも見えないのです。おかあさんは、この世の目でもって、ものを見ていたのでした。神さまが、おそばへお召しになった、坊やのようには、ものを見ることができなかったのです。それでも、音楽だけは聞えました。でも、信じなければならない言葉は、ひとことも聞えなかったのです。 「おかあさん。ぼくは、いまは、とぶこともできるんだよ」と、坊やは言いました。「元気のいい子たちといっしょに、みんなで、神さまのところへとんでいくの。ぼく、とっても行きたいんだけど、でも、おかあさんが、いまみたいに泣くと、おかあさんのところから、離れることができなくなっちゃうんだよ。  でも、ぼく、神さまのところへ、とっても、とっても行きたいの。行ってもいいでしょ。おかあさんだって、もうじき、ぼくのところへ来るんだものね」 「いいえ、いいえ、ここにいておくれ。ここにいておくれ!」と、おかあさんは言いました。「ほんの、もうすこしのあいだだけでも。もう一度だけでいいから、おまえの顔を見せておくれ。キスをさせておくれ。おかあさんの腕に、しっかりとだかれておくれ」  おかあさんは、坊やにキスをして、しっかりとだきしめました。  そのとき、上のほうから、おかあさんの名前を呼ぶ声が、聞えてきました。その声には、悲しいひびきがこもっていました。いったい、それは、なんだったのでしょうか? 「ほら、おかあさん」と、坊やは言いました。「おとうさんが、ああして、おかあさんを呼んでるじゃないの」  それから、すこしすると、今度は、深いため息が聞えてきました。なんだか、すすり泣いている、子供の口からもれてくるようです。 「ああ、ねえさんたちだ」と、坊やが言いました。「おかあさん。ねえさんたちのこと、忘れちゃいないね」  言われて、おかあさんは、この世にのこしてきた人たちのことを、思い出しました。と、きゅうに、心配になってきました。前のほうを見ると、人のかげが、ひっきりなしに、ふわふわと通りすぎていきます。なかには、たしかに見おぼえのある、かげも、いくつかあります。そういうかげは、死の広間を、ふわふわと通りすぎて、黒いとばりのほうへ行き、そこで姿を消しました。 「もしかしたら、おとうさんと、娘たちが来たのかしら。いいえ、そんなことはないわ。だって、みんなの呼び声や、ため息は、まだ上のほうから聞えるもの」  おかあさんは、死んだ坊やのために、もうすこしで、みんなのことを忘れてしまうところでした。 「おかあさん、いま、天国の鐘が鳴っているよ」と、坊やは言いました。「おかあさん、いま、お日さまが、のぼってくるよ」  そのとき、一すじの強い光が、おかあさんのほうに流れてきました。――坊やはいなくなりました。おかあさんのからだは、だんだん、上へ上へと、ひきあげられていきました。――  と、きゅうに、寒くなりました。頭をあげてみると、おかあさんは、墓地の中の坊やのお墓の上に、たおれているではありませんか。神さまは、夢の中で、おかあさんの足のささえとなり、おかあさんの考えの光となってくださったのです。おかあさんは、すぐに、ひざまずいて、お祈りをしました。 「ああ、神さま! 永遠の魂を、かってに、わたくしのそばに、引きとめようとしましたことを、どうか、おゆるしくださいませ。そしてまた、わたくしには、生きている人たちへの、義務がありましたのに、それを忘れましたことも、どうか、おゆるしくださいませ」  こう、お祈りをしますと、おかあさんの心は、すっかり軽くなったような気がしました。  そのとき、お日さまがあらわれました。一羽の小鳥が、頭の上で、さえずりはじめました。  やがて、教会の鐘が、朝のお祈りのために鳴り出しました。あたりは、こうごうしい気分でいっぱいになりました。おかあさんの心の中も、こうごうしい気持で、いっぱいになりました。おかあさんは、神さまを知ることができました。義務をも、知ることができました。いまは、あこがれで、胸をいっぱいにふくらませて、いそいで家にかえりました。  おかあさんは、寝ているおとうさんの上に、身をかがめました。おとうさんは、おかあさんのま心こめた暖かいキスで、目をさましました。ふたりは、心を開いて、胸にしまっていることを話しあいました。おかあさんは、一家の主婦として、強く、やさしくなりました。おかあさんの唇からは、なぐさめの泉が、わき出ました。 「神さまのみ心が、いつも、いちばんよいものです」  すると、おとうさんがたずねました。 「おまえは、いったいどこで、それほどの力と、それほどの心のなぐさめを、きゅうに、もらってきたんだね?」  おかあさんは、おとうさんにキスをし、それから、娘たちにもキスをして、こう言いました。 「神さまからいただきましたの。お墓の中の、坊やのおかげで」
底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1981(昭和56)年5月30日21刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年1月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 あつい国ぐにでは、お日さまが、やきつくように強く照りつけます。そこではたれでも、マホガニ色に、赤黒くやけます。どうして、そのなかでも、ごくあつい国では、ほんものの黒んぼ色にやけてしまうのです。  ところが、こんど、寒い北の国から、ひとりの学者が、そういうあつい国へ、そんなつもりではなく出てきました。この人は国にいるじぶんの気で、こちらにきても、ついそこらをぶらつくことができるつもりでいました。でもさっそく、その考えはかえて、この人も、この国のせけんなみに、やはりじっとしていなければなりませんでした。どこの家も、それは、窓も戸も、まる一日しめきりで、中にいる人は、ねているのか、どこかよそへ出ているとしかおもえないようでした。この人の下宿している高いたてもののつづきのせまい通りは、おまけに朝から晩まで、日がかんかんてりつけるようなぐあいにできていて、これはまったくたまらないことでした。  さて、さむい国からきた学者は、年は若いし、りこうな人でしたが、でもまる一日、にえたぎっているおかまの中にすわっているようで、これにはまったくよわりきって、げっそりやせてしまいました。その影までが、ちぢこまって、国にいたじぶんから見ると、ずっと小さくなりましたが、お日さまには、影までいじめつけられたのです。――で、やっと晩になって、お日さまが沈むと、人も影もはじめていきをふき返すようでした。さて、あかりがへやのなかにはいってくると、さっそく影はずんずんのびて、天井までつきぬけるほどたかくなります。それはまったく見ているとおもしろいようでした。影は元気をとりかえすつもりか、のびられるだけたかく、せいのびするように見えました。学者は、露台へ出ると、のびをひとつしました。きれいな大空の上に、星が出てきて、やっと生きかえったようにおもいました。町じゅうのバルコニにも――あつい国ぐにでは、窓ごとにバルコニがついているのですが、――みんなが新しい空気をすいに出てきました。  いくらマホガニ色にやけることにはなれても、すずむだけはすずまずにはいられません。すると上も下もにぎやかになってきました。まずくつやと仕立屋が、それから町じゅうの人が、下の往来に出てきました。それから、いすとテーブルがもち出されて、ろうそくが、それは千本という数ものろうそくがともされます。話をするものもあれば、うたうものもあり、ぶらぶらあるくものもあります。馬車が通ります。ろばがきます。チリンチリン、鈴をつけているのです。死人が讃美歌に送られておはかにはいります。不良どもは往来でとんぼをきります。お寺のかねがなりわたります。いやはや、どこもここも、大にぎやかなことでした。ただ、れいの外国から来た学者のすまいの、ちょうどまん前のたてものだけは、いたってしずかでしたが、やはり住んでいる人はあるようで、バルコニには花がおいてありました。それがやきつくような日の下で、美しく咲いているところを見ると、水をやるものがなければ、そうはいかないはずですから、たれか人がいるにはちがいありません。晩方になるとその戸は半びらきにあきました。けれど、うちの中はとにかく、おもてにむいたへやだけはまっくらで、そのくせずっと奥のへやからは、おんがくがきこえました。外国の学者は、このおんがくを、じつにいいものだとおもっていました。でも、それはこの人だけの想像でそうおもっていたのかも知れません。だってこの学者は、日さえぎらぎら照らなければ、そのほかはこのあつい国のものを、なにによらず、すばらしいとおもっていたからです。下宿の主人にきいてみても、前の家をたれが借りているのか知りませんでした。なにしろ、にんげんの姿をみたことがないというのです。さて音楽についていえば、この下宿の主人には、それはとても、たいくつせんばんなものにおもわれていました。  主人がいうには、「どうもだれかあの家に人がいて、どうやってもひきこなせないひとつの曲を、始終いじくりまわしているのですね、――それはいつもおなじ曲なのです。『どうでも弾きこなす』といういきごみらしいが、いつまでひいていても、ものにはならないのですよ。」  ある晩夜中に、この外国の学者は、ふと目をさましました。バルコニの戸をあけはなしたまま、ついそこにねむってしまったのです。すると風がきて、はなの先のカーテンを吹き上げました。そのとたん、ふしぎな光が、すぐ前の家のバルコニから、さしこんできたようにおもわれました。そこにあるのこらずの花が、じつにきれいな色をしたほのおのように、かがやいて見え、その花のまん中に、美しいすらりとした姿の少女が立っていましたが、この人のからだから、ふしぎな光がさしてくるようにおもわれました。学者はひどく目がくらくらするようでしたが、むりやり大きい目をあけると、それでやっと目がさめました。あわててベッドからとびおりて、そうっと、カーテンのうしろへはいっていきました。けれど少女の姿はなく、光も消えていて、花もべつだんかがやいてもいず、ただいつものようにきれいに咲いているだけでした。戸は半開きになっていて、なかから音楽が、いかにもやさしく、いかにもあまくうつくしく、ほれぼれと引きこまれるような音にきこえていました。これこそまったく魔法のようなわざでした。たれがそこに住まっているのでしょう。いったい、どこが入口なのでしょう。なぜといって、下の往来にむかったほうは、店つづきで、どうもそこを通って、中へはいけないようになっていました。  ある晩、外国の学者は、バルコニに出ていました。すぐうしろのへやには、あかりがかんかんしていました。ですから、この人の影が、むこうがわの家のかべにうつるのは、まず、あたりまえの話でした。そう、そこで影は、ちょうどむこうのバルコニの花と花のあいだに、すわっていることになりました。そして、この学者がからだを動かすといっしょに、影も動きました。  そのとき、この学者はいいました。 「どうもこうしていると、わたしの影だけが、むこうの家にひとり生きて住んでいるような気がする。ほらあの通り、ぎょうぎよく、花のあいだにじっとこしをおろしている。戸は半分あいているだけだが、影はなかなかりこうものだから、ずんずん、中へはいっていって、そこらをよく見てまわって、帰ってきて、見たとおりを話してくれるにちがいない。そうだ、ぼくの影法師、おまえはそんなふうにして、一働きしてきてもらいたいものだ。」と、学者は、じょうだんにいいました。「どうかうまくするりとはいって見てもらいたい。さあどうだ、いってくれるかい。」こういって、学者は影に、あごでうなずきますと、影もうなずきかえしました。「さあ、いっておいで。だが鉄砲玉のお使はごめんだよ。」  そこで、学者は立ちあがりました。すると、影も、むこうの家のバルコニで立ちあがりました。それから、学者がうしろをむくと、影がそれといっしょに、うしろむきになってむこうの家の半開きにした戸の中へ、すっとはいっていったところを、たれかみていたら、そこまでみとどけたはずでした。しかし学者は、そのままずっとへやへはいって、長いカーテンをおろしてしまいました。  そのあくる朝、学者は喫茶店へ、新聞をよみに出かけました。  それでひなたへ出ますと、「おや、どうした。」と、この人はいいました。「はて、おれには影がないぞ。するとほんとうに、ゆうべ影のやつ、出かけていって、あれなりかえってこないのだな。いまいましいことになった。」  さあ、学者はむしゃくしゃしてきました。でも、それは影がなくなったためというよりは、影*をなくした男のお話のあるのを知っているからです。寒い国ぐにの人たちは、たれもその話を知っていました。ですから学者が国へかえって、じぶんのじっさい出あった話をしても、きっとそれは人まねだといってしまわれるでしょう。そんなことをいわれるわけはない。だから、この話はまるでしないでおこうと、おもいました。これはいかにももっともな考えでした。 *ドイツのシャミソー作小説「影をなくした男」のこと。  その晩、学者は、またバルコニに出ていました。まうしろにあかりをつけておきました。それは影というものは、いつも主人を光の前に立てて、そのかげにいたがるものだということを知っていたからですが、どうも、やはりさそいだせませんでした。ちぢんでみたり、せいのびしてみたりしましたが、やはりかげはありません。まるであらわれてこないのです。 「えへん、えへん。」知らせてみてもいっこうだめでした。どうもごうはらなことでした。  けれど、さすがに熱い国です。どんなものでも、じつに成長がはやいので、一週間ばかり間をおいてひなたへ出てみますと、あたらしい影が、足の先から生えて大きくなりかけているので、すっかりうれしくなりました。してみる、と影の根が残っていたものとみえます。それで三週間もたつと、もうかなりな影になり、いよいよ北の国にかえるじぶんには、とちゅう旅の間にも、ずんずん成長して、しまいには、あんまり長すぎもし、大きすぎもして、もう半分でたくさんだとおもうくらいになりました。  こうして学者は国へかえると、この世の中にある真実なこと、善いこと、美しいことについて本を書きました。さてその後、日が立って、月がたって、いくねんかすぎました。  ある晩、へやの中にいますと、そっと、こつこつ、戸をたたくものがありました。 「おはいりなさい。」と、学者はいいましたが、たれもはいってくるものはありません。そこで戸をあけますと、すぐ目の前に、それはじつに、とほうもなくやせた男が、ひょろりと立っていたので、すっかりおどろいてしまいました。そのくせ男は、みたところ、なかなかりっぱな、品のいい身なりで、いかさま身分のある人にちがいありません。 「しつれいながら、どなたでございましょうか。」と、学者はたずねました。 「いや、ごもっともで。」と、そのりっぱな客人はいいました。「たぶんごしょうちでしょう。なにしろこのとおり、からだができましてね。おいおい肉がつき、衣服も身にそったというわけです。あなたはおそらく、ゆめにもわたしが、このような安らかなきょうぐうにいようと、お考えになったことはありますまいな。あなた、ごじぶんのむかしの影法師をお見忘れですか。そう、あなたはわたしがまたかえってこようなどとは、むろんお考えにならなかったでしょう。あなたにおわかれしてから、ばんじひじょうにこうつごうに運びましてね。わたしはどの点より見ても、しごく有福になったのです。お給金を払いもどして、一本だちの人間にしていただこうとおもえば、いつでもそのくらいのことはできるのですよ。」  こういって、その男は、とけいにつけた高価なかぎたばを、がちゃがちゃと鳴らし、首のまわりにかけた、どっしりおもい金ぐさりのあいだに、手をつっこみました。その指には、一ぽんのこらず、ダイヤモンドの指輪がきらきら光っていました。しかも、それはみんなほんものです。 「いやはや、これはいったい、どうしたということだ。」と、学者はいいました。 「さようさ、まず世間並のことではありませんな。」と、影はいいました。「でもあなただって世間並のほうじゃありませんよ。ごぞんじの通り、わたしはこどもの時から、ずっとあなたの足あとについてあるいてきました。そしてあなたが、わたしが十分大きくなって、もうひとりで世間あるきができるとお考えになったとき、さっそくわたしはじぶんの道をいくことにしました。わたしはおよそかがやかしいきょうぐうに身をおくようになりましたが、でもやはり、あなたがおなくなりにならないまえにぜひもういちどお目にかかりたい、いわば、あこがれのようなものをいだいていました。あなたも、いずれお死ににならなければならないでしょうし、わたしも故郷忘じがたしで、このへんをもういちど見ておきたいとおもったのです。――あなたがもうひとつ、ほかの影法師をおやといになったことも、わたしは知っています。その影法師になり、またあなたになり、なにがしか借があれば、お支払いしましょうか。どうぞごえんりょなくおっしゃってください。」 「でもきみ、それはほんとうなのかい。」と、学者はいいました。「どうもまったくふしぎだよ。じぶんのむかしの影法師が、にんげんになって、またかえってくるなんて、おもいもつかんことだ。」 「なにほどお支払したらいいか、おっしゃっていただきたい。」と、影はいいました。「なにしろ、わたしは人に借をのこしておくのが、きらいな性分でして。」 「なんだってそんなことをいうんだ。」と、学者はいいました。「このばあい、貸借なんて問題のありようはずがないさ。ほかのにんげんどうよう、きみは自由だよ。きみの幸運にたいして、わたしはひじょうに、よろこんでいる。きゅう友、まあ、かけたまえ。そしてそのご、どういうことがあったか、あちらのあつい国ぐにで、ことに、あのむこうがわの家で、君の見たことはなにか、そんなことをすこし話してくれたまえ。」 「はあ、お話し申しましょう。」と、影はいって、こしをおろしました。「ところで、あなたにもお約束ねがいたいのですが、この町のどこぞで、わたしに出あったばあい、だれにも、わたしがむかしあなたの影法師であったということは、けっして話さないことにしてください。わたしは結婚しようと考えているのです。一家をやしなうぐらい、今ではなんでもないのですから。」 「それは安心したまえ。」と、学者はいいました。「きみの素性がなんであるか、だれにもいうものではない。このとおり手をさしのべて約束する。ひとりの男にひとつのことば。男子に二言なし。」 「ひとつの影にひとつのことば。影に二言なし。」と、影もいいました。影としては、こういわなければなりますまい。  さて、影がいかにもにんげんになりきっていたのは、まったく、おどろくべきことでした。上も下もすっかり黒ずくめで、それがとてもじょうとうのきれで、その上にエナメルのくつをはき、押しつぶすと、てんじょうと縁鍔だけになるぼうしをかぶっていました。そのほかとけいの飾金具、首にかけた金鎖や、ダイヤモンドのゆびわなど、すでにごしょうちのとおりですから申しません。じっさい、影は、すばらしくいい身なりをしていました。どうやら影が人間らしくとりつくろっていられたのも、まったくその身なりのおかげでした。 「ではお話し申しましょう。」と、影はいって、エナメルのくつをはいた足をのばすと、学者の足もとに、むく犬のようにうずくまっているしんまいの影の腕に、力いっぱいふんづけるように、それをのせました。これはわざと尊大ぶってしたことか、たぶん、しんまいの影を、永劫じぶんに頭のあがらぬものにしておくつもりか、どちらかなのでしょう。でも横になった影は、そばでよく話が聞きたいので、ごくおとなしく、じっとしていました。この影も、いつかこんなふうに自由になって、主人風が吹かされようか、それを知りたいとおもっていました。 「れいのむこうがわの家には、だれが住んでいたかご存じですか。」と、影はいいました。「そこに住んでいたのは、すべてのものの中で一ばん美しいものでした。あれは詩でしたよ。わたしはあの家に三週間もとまっていましたが、その間にまるで三千年もそこでくらして、昔の人の書いたものつくったもののこらず読みつくしたかとおもうほど、急になにかがしっかりしてきました。なにしろそれはお話するとおり、まちがいのないことなんでして、わたしはなんでも見て、なんでも知っていますよ。」 「詩だったか。」と、学者はさけびました。「そうだろう、そうだろう。――詩はどうかすると隠者のように大都会に住んでいる。うん、詩だったか。そうだ、わたしも、ほんのちらりとその姿を見たには見たが、眠りが目ぶたをふさいでしまったのさ、詩はバルコニに立っていて、まるで極光のように光っていた。話しておくれ。話しておくれ。おまえは、バルコニの上に立っていた、戸をぬけて中へはいっていった、そしてそれから――。」 「入口のへやに入りました。」と、影はいいました。「あなたはいつもじっとこしをかけてそこのへやのほうを見ていましたね。あそこには、あかりというものがなく、まあうすあかりといった感じでした。でもそのうしろの戸はあいていて、それから順じゅんにへやと広間のならんだずっと奥まで見とおせたのですが、そこはまひるのようにあかるくて、かりにわたしがいきなりその女のひとのすぐそばまでいったとしたら、そこのおびただしい光にうたれて、死んでしまったことでしょう。ところがわたしは考え深く、ゆっくりかまえていたのです。人はだれでもこうありたいものですよ。」 「すると、おまえはなにを見たのだね。」と、学者はたずねました。 「なにもかも見てしまったのです。それをあなたにお話しましょう。ところで――これはなにもわたしがこうまんにかまえるわけではないのですが、しかし――自由人として、またわたしの所有する知識にたいしても――まあ、そうとうたかい今の身分やきょうぐうのことは申しますまいが――どうかおまえよばわりだけは、やめていただきたいものですな。」 「やあ、これは失策でした。」と、学者はいいました。「昔の習慣は、あらためにくいものでしてね。――いや、おっしゃるとおりだ。よろしい、よく気をつけましょう。ところで、あなたのごらんになったことを、のこらずお話しねがいたいのだが。」 「話しますとも。」と、影はいいました。「なにしろ、なにもかも見て知っているのですから。」 「ではいちばんおくの広間はどんなようすでしたか。」と、学者はいいました。「若葉の森の中にでもいるようでしたか。神聖な教会の中にでもはいったようでしたか。高い山の上に立って、星あかりの空を見るようでしたか。」 「なにもかも、そこにはありましたよ。」と、影はいいました。「もっとも、すっかりその中にはいって見たわけではないのです。わたしはいちばんてまえの、うすあかるいへやに、じっとしていたのですが、それがこの上もないよいぐあいで、なにもかも見、なにもかも知ったのです。わたしは入口のへやで、いわば、詩の大庭にいたわけです。」 「だが、なにをそこで見ましたか。太古の神がみのこらずが、その大きな広間をとおっていきましたか。古代の英雄が、そこで戦っていましたか。かわいらしいこどもたちが、そこであそびたわむれていて、その見た夢の話でもしていましたか。」 「わたしは申しますが、わたしはそのへやにいたのですよ。ですから、そこで見るべきものは、すべてわたしが見たということはおわかりでしょう。かりにあなたがそこにやってこられたとすれば、もうそれなり人間ではいられないところでしたろう。だが、わたしは人間になったのですよ。それと同時に、わたしはじぶんのおくのおくにかくれた本性もわかり、じぶんの天分もわかり、じぶんが詩と近親の関係にあることも知りました。まだあなたのおそばにいたころ、わたしはそんなことは考えませんでした。ですが、あなたもごしょうちでしょう、太陽があがるとき、また太陽が沈むとき、いつもきまって、わたしはすばらしく大きくなりましたね。月の光のなかでは、わたしはあなた自身よりも、かえってはっきりとみえたくらいでした。そのころは、じぶんの本性がよくわかってはいなかったのです。けれど詩の入口で、それがはじめてあきらかになったのです。――わたしは人間になりました。――一人前になって、わたしはまたかえっていったのですが、もうその時は、あなたはあつい国のどこにもおいでがなかった。さて、人間になってみると、わたしは前のようなかっこうであるくのが恥かしくなりました。くつもないし、着物もないし、すべて人間を人間らしくみせる装飾品がたりないのです。わたしはかくれました。まったく、あなただから打ちあけていうのですよ。けっして本に書いていただきたくないが、わたしは菓子売女の前掛の下にかくれたのです。その女は、どんなに大きなものがかけこんだか、まるで気もつきませんでした。晩になってはじめて、わたしは外へ出ました。月の光の中を、わたしは往来じゅうかけまわりました。わたしは長ながとかべにからだをのばしますと、とても気持よく背中をくすぐられるようでした。わたしは高くなったり低くなったり、かけずりまわって、一ばん高い窓から広間の中をのぞき込んだり、また屋根の上からだれものぞけないところをのぞきこんで、だれも見たこともないこと、見てはいけないことまで見ました。つまりそれはつまらない世界でした。もしも人間であるということが、なにかいいことのようにおもわれていなかったなら、わたしは人間なんかにはならなかったでしょう。わたしは妻や夫や両親や、かわいらしい天使のようなこどもたちの間にも、まさかとおもわれるようなことが、行われているのを見ました。――またわたしは、」と、影はいいました。「人間が知ってならぬことで、そのくせ知れれば知りたいだろうと思うことを、たとえば、近所の人たちのしている悪事なども見ました。そのとおりしんぶんに書いたら、どんなにか読者にうけることでしょうが、わたしはじかにかんけいのある当のその人だけに手紙をやりました。だから、わたしがいく先ざきの町では、大恐慌をおこしていました。教授たちは、わたしを教授にしてくれましたし、仕立屋はわたしに新しい着物をくれました。それで、わたしはりっぱな身なりをしているのでさ。造幣所長はわたしのために、金貨を鋳てくれました それから婦人たちは、わたしの男ぶりをほめてくれました。まあ、そういうわけで、わたしはごらんのとおりのにんげんになったのです。しかし、もうおいとましましょう。名刺をおいていきます。ひなたがわに住んでいます。雨ふりの日はいつも在宅です。」  こういって、影は出ていきました。 「なにしろこれはめずらしいことだ。」と、学者はいいました。  年月がたちました。すると、影はまたやってきました。 「やあ、その後いかがです。」と、影はたずねました。 「やあ。」と。学者はいいました。「わたしは真善美についてかいています。けれどだれもそんなことに耳をかたむけてはくれないので、わたしはまったく絶望していますよ。なにしろこれはわたしにはだいじなことなので。」 「わたしにはいっそうなんでもないですね。」と、影はいいました。「わたしはこのとおり肥えてあぶらぎっています。まあそうなるように心がけねばならん。そうだ、あなたはまだ世間がわかっていないのだ。そんなことをしていると病気になりますよ。旅をするんですな。わたしは、この夏旅行をやりますが、いっしょにいかがです。わたしも道づれをひとりほしいところだ。あなたはわたしの影になって同行してください。あなたを同伴することは、ひじょうに、ゆかいなことにちがいない。旅費はわたしが持ちますよ。」 「どうもそれはすこしひどいな。」と、学者はいいました。 「それは考えようしだいです。」と、影はいいました。「旅行すれば、あなたはまたずっとじょうぶになりますよ。わたしの影になってくだされば、旅中一切、あなたは一文いらずですよ。」 「そりゃひどすぎる。」と、学者はいいました。 「しかしそれが世間ですよ。」と、影はいいました。「どこまでいってもやはりそうでしょう。」  こういって影はいってしまいました。そののちも学者はいっこう運よくはなりません。悲しみと、なやみにせめつけられ、真善美についてなにをいったところで、おおくの人には、牝牛にばらの花をくれたようなものでした。――とうとう学者は、ほんとうに病気になってしまいました。「まあ、あなたは影のようだ。」と、人にいわれて、学者はぞっとしました。このことではべつのいみを考えていたからです。 「それはどうしても温泉に行くほかありますまい。」と、影はまたたずねてきて、こういいました。 「ほかにしようがないのです。昔のおなじみがいに、わたしがつれていってあげましょう。旅費はわたしが出しますから、そのかわりあなたは旅行記をかいて、道みちわたしをたのしませてください。わたしは温泉にいこうとおもうのです。とうぜん生えなければならないひげが生えないのは、これも病気なんでしょう。にんげん、ひげがなければね。まあよく思案して、わたしのいうとおりにおしなさい。道づれになって旅行するのですね。」  こうしてふたりは旅に出ました。影がいまは主人で、もとの主人がいまは影でした。ふたりはいっしょに馬車を走らせたり、馬にのったり、あるときは、そのときの太陽の位置しだいで並んだり、前になったり、後になったりしました。影はいつも、つとめていちだん上に立つように心がけていました。そういうことを学者はたいして気にしません。この人はたいへん心の善良な、またなみはずれておだやかなやさしい人でした。それですから、ある日、学者は、影にこんなことをいいました。 「われわれはおたがいに、こうして旅の道づれになったのであるし、またこどもの時からいっしょにそだったなかでもあるのだから、ひとつ、きょうだいのさかずきをくみかわして、おれ、おまえで行こうじゃないか。それでいっそう親密にもなれよう。」 「きみのいうことにも一理はある。」と、いまでは本式に主人になりすました影がいいました。「だいぶ親切に卒直にいってくれられたのだから、わたしも、やはりしんせつに卒直にいこう。きみも学者だから、いかに生まれた天性がふしぎなものだかごぞんじだろう。人によっては、ねずみ色の紙をつかめば、病気になるという者がある。ガラス板の上を釘で引っかくと、骨のずいまで身ぶるいがくるという者もある。さいしょきみの下に使われていたときも、わたしはきみに、おまえといわれると、やはりおなじ感じがして、いわば地面におしふせられるようにおもったものだ。これはただ感情の上のことで、べつだん尊大ぶるわけではないのだが。どうもわたしは、きみがわたしのことをおまえというのを、許すわけにいかないのだ。けれどもわたしのほうからは、むしろ、きみをおまえと呼びたいのだ。それで、ともかく、きみののぞみもなかば達せられるわけだ。」  それからは、影は、いぜんの主人を、「おまえ」と呼びました。 「とにかくこれはひどい話だ。」と、学者はおもいました。「わたしのほうからは、あなたといわなければならないのに、あいつのほうからは、きみとか、おまえとかと呼ばれるんだから。」と、そうはおもいましたが、こうなっては、いやでもがまんしなければなりませんでした。  そこでふたりは温泉場にやってきました。そこにはたくさん外国人もきていましたが、そのなかにある国のおそろしく美しい王女が、ひとりまじっていました。その人の病気というのは、なんでもあまり物がはっきりするどく見えるので、そのためひどく落ちつかないで困るということでした。で、さっそく王女は、この新来の客人が、ほかのれんじゅうとはまったくかわっていることに気がつきました。 「あの人はひげをはやすためにきたということだが、わたしの見るところでは、ほんとうのわけは、じぶんの影がうつせないところにあるらしいわ。」  そこで王女は、好奇心がうごいたので、遊歩場であうとさっそく、この外国紳士に、話しかけました。なにしろ王さまのおひめさまともなれば、たいして人にえんりょする必要はありませんでした。そこで、王女はいいました。 「あなたの病気って、ごじぶんの影がささないからなんでしょう。」 「どうも殿下には、もうだいぶおよろしいほうに拝察いたされますな。」と、影はこたえました。 「殿下には、なにかがあまりはっきりお目に入るのが、ご病気だということにしょうちいたしておりますが、もうそれならばとうにご全快です。どうして、わたくしには、世にもふしぎな影があるのでしてね。それでは、いつもわたくしといっしょにあるいております人物が、お目にとまらないのでございますか。およそほかの者は普通の影ですましているのですが、どうもわたくしはそれがきらいなのです。よく召使の仕着に、じぶんの着料よりもじょうとうな布をもちいるものがありますが、わたくしもじぶんの影を人間にしたててあるのです。いや、そのうえ、ごらんの通り、そこへさらに、ひとつの影をすら、つけてやってあるのです。ずいぶん費用のかかることですが、どうも一風かわったことが好きな性分なのでしてね。」 「そうかしら。」と、王女はおもいました。「わたしほんとうによくなったのかも知れないわ。なにしろこの温泉は、どこよりも一ばんいい温泉よ。ここの水には、いまどきまったくたいした利目があるわ。でも、わたしこの温泉を立っていこうとはおもわない。このごろやっと、ここがおもしろくなりかけたのだもの。あの外国人、ずいぶんわたし気に入ったわ。ただあの人、ひげが生えないといいわ。なぜといって、そうすると、またかえっていってしまうでしょうから。」  その晩、大きな舞踏室で、王女は影とダンスしました。王女も身が軽いのに、でも影はもっともっと身軽で、こんなに身の軽い人をあいてに、王女はまだおどったことはありませんでした。王女は影に、じぶんがどこからきたか話しました。影はその国を知っていました。影はそこにいたことがあったのです。もっともそれは、王女のるすのときでした。影はお城の窓を下からも上からものぞいて見ましたし、あのこと、このこと、いろいろ見ていました。そこで、影は王女の問に答えたり、おやと思わせるようなことを、ほのめかしたりすることができました。それで王女は世界じゅうに、この人ほど賢い人はないと考えました。なによりもその知識に、たいした尊敬をもつようになりました。ですから、またいっしょにダンスしたとき、王女は、すっかり影が好きになってしまいました。それを影はまたじゅうぶんに見ぬくことができました。というわけは、王女はしじゅう穴のあくほど影を見つめていたからです。それからもういちどおどったときに、王女はあやうく恋をうちあけようとしたくらいですが、考えぶかい娘でしたから、生まれた国のことや、じぶんの治める王国のこと、いつかはじぶんが上に立つはずの人民たちのことをおもって、えんりょしたのです。 「賢い人だとおもうわ。」王女は、腹の中で考えました。「それはいいわ、それからダンスがとてもすてきだわ。それもまたいいわ。だがあの方、いったい深い学問がおありかしら、これはどうしてだいじです。どうしてもためしてみなければならない。」  そこで王女は、影に、そろそろと、およそむずかしい問題をもちかけ始めました。それは王女自身にも答えられそうもないものでした。で、影もだいぶみょうな顔になりました。 「この問題にお答えがおできにならないの。」と、王女はいいました 「そのくらい、こどものころからならっております。」と、影はいいました。「あのとびらのところにいるわたしの影にだって、つい造作なくできましょうよ。」 「あなたの影にですって。」と、王女はいいました。「それは、まあずいぶんおめずらしいわ。」 「かならずできるとは、うけあえませんがね。」と、影はいいました。「長年わたしのそばについていて、いろいろと、聞きかじっておりますから、たぶんこたえられるとおもいます。――たぶん、だいじょうぶだとおもいます。しかし、ご注意もうしあげますが、どうか女王殿下、かれはにんげんとおもわれることを、たいそうとくいにいたしておりますから、かれをじょうきげんにいたしておきますには――またじゅうぶんに答えさせますには、ぜひそういたさせる必要がございますので――それにはじゅうぶん、にんげんらしくとりあつかってやらねばならないのでございまして。」 「けっこうです。」と。王女はいいました。  そこで、王女は戸口にいる学者の所まで出かけていって、太陽や月やにんげんの内部と外部のことで語りあいました。そして学者は、いかにもはっきりと、りっぱに答えました。 「こんなかしこい影を持っていらっしゃるなんて、なんというえらい方だろう。」と、王女は考えました。「あのような人をおっとにえらんだならば、わたしの人民のためにも、王国のためにも、まったく幸福なことにそういない。――わたし、そうしよう。」  そこで王女と影とは、さっそくおたがいに意見がいっちしました。でも帰国するまでは、たれにもけっしてこのことを知らせないことにしました。 「これはだれにも、わたしの影にも申しません。」と、この影はいいました。それにはじぶんだけのおもわくもありました。  やがてふたりは、王女のじぶんのうちでもあるし、また王女として治めてもいる国へやって来ました。 「ところで、おまえ。」と、影は学者にいいました。「いよいよわたしもまあ人なみに、この通り幸福にもなり、勢力もついたのだから、おまえにもなにかとくべつなことをしてあげたいと思う。おまえには、ずっとお城の中に住んで、わたしのそばにいてもらうのだ。いっしょの王室馬車に乗せてやって、年金十万ターレル払うことにする。そのかわり、だれからも、おまえは影法師と呼ばれていなければならない。また、かりにも、もとはにんげんであったなぞといってはならない。それから、一年に一回、わたしが、バルコニのひなたに出て、みんなに姿を見せているとき、いかにも影らしく、わたしのあしもとに寝ていなければならない。じつをいうと、わたしは王女と結婚するのだ。今晩がその結婚式だ。」 「いや、それはしかしひどすぎる。」と、学者はいいました。「それは困る。それだけはごめんです。それではこの国じゅうの人民をはじめ、王女まであざむくことになる。わたしはみんないってしまう。にんげんはわたしで、きみはただの影法師が、にんげんの着物を着ているにすぎないことを。」 「だれがそんなことを信じるものか。」と、影はいいました。「わからぬことをいうなら、番兵を呼ぶだけだ。」と、影はいいました。 「わたしはすぐ王女のところへいく。」と、学者はいいました。 「いや、わたしがさきに行くよ。」と、影がいいました。「そして、おまえをろうやにいれてやるよ。」  で、その通りになりました。それは、王女のお婿さまになる人のいうことに、むろん、番兵たちは従ったからです。 「あなたはふるえていらっしゃいますね。」と、影がはいって来たとき、王女はいいました。 「なにかあったのですの。こんばん結婚式をあげようというのに、ご病気ではこまりますわ。」 「どうもこんなおそろしいめにあったことはありません。」と、影はいいました。「まあどうです――かわいそうに、まったくあんな影法師の頭には、しょい切れない重荷でした――いやはやどうです。わたしの影法師は気が狂ってしまったのです。かれはじぶんがにんげんで、そして、わたしが――まあ――どうです――わたしが、かれの影法師だと考えているのですよ。」 「まあ、おそろしいことね。」と、王女はいいました。「でもろうやにいれてあるでしょうね。」 「もちろんです。どうも正気にはもどらないのじゃないかと心配しています。」 「まあ、かわいそうな影法師ですこと。」と、王女はさけびました。「ずいぶん不幸ですわ。それをはかない命から自由にしてやるほうが、ほんとうの功徳というものでしょうね。わたしの考えでは、どうやらそれは、そのままそっと片づけてしまうのが、なによりのようですわ。」 「それはいかにもつらいことです。なにぶん忠義な召使でしたから。」こう影はいって、ためいきをつくようなふうをしました。 「りっぱなお気性ですわ。」と王女はいいました。その晩、町じゅうあかりがついて、ドーン、ドーン、とお祝の大砲がなりひびきました。それから兵隊は捧げ銃しました。結婚式がおこなわれたのです。王女と影とは、バルコニに姿をあらわして、人民たちにあいさつをたまわり、もういちど人民たちから万歳の声をあびました。  学者は、まるでこのさわぎを聞かなかった、というわけは、そのまえ、もうとうに死刑にされていたからです。
底本:「新訳 アンデルセン童話集 第二巻」同和春秋社    1955(昭和30)年7月15日初版発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 ※表題は底本では、「影《かげ》」となっています。 ※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のある段落の下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。 入力:大久保ゆう 校正:小岩聖子 2020年12月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 ごほうびの賞が、一つ出ました。いいえ、ほんとうは二つです。小さい賞と大きい賞の二つです。いちばん早いものが、この賞をもらえます。といっても、それは一回きりの競走で、早かったものがもらえるのではありません。一年じゅうをとおして、いちばん早く走ったものがもらえるのです。 「ぼくは、一等賞をもらった」と、ウサギが言いました。「審判官の中に、親類や親しい友だちが、まじっているときには、よくよく注意して、正しくきめるようにしなければいけない。カタツムリくんは二等賞をもらったが、ぼくに言わせれば、これは、どうもばかにされたようで、おもしろくない」 「いや、そんなことはないよ」と、さくのくいが、きっぱりと、言いました。このくいは、賞をあたえるときに、その場にいあわせた人です。「熱心さと、親切ということも、考えに入れなくてはならんからね。尊敬すべき、二、三の人たちも、そう言っていた。もちろん、ぼくも同じ考えだった。たしかに、カタツムリくんは、戸のしきいをこえるのに、半年もかかっている。だが、それでも、カタツムリくんとしては、せいいっぱい、いそいだわけで、そのために、ももの骨まで折ってしまった。カタツムリくんは、ただただ、走ることだけを考えて生きてきた。しかも、自分の家をせおって、走ったんだよ。――じつに、感心なことじゃないか。だからこそカタツムリくんは、二等賞をもらったんだよ」 「ぼくのことも、考えてもらいたかったですね」と、ツバメが、口を出しました。「まず、とぶことと、くるりと回ることについては、ぼくより早いものは、いないはずですからね。それに、ぼくは、どんなところへもとんでいっているんですよ。遠い、遠いところまで!」 「そのとおり。それが、かえって、きみの不幸なんだよ」と、さくのくいが、言いました。「きみは、あんまりとびまわりすぎるよ。寒くなりはじめると、いつもきまって、この国からどこかへ行ってしまう。きみは、自分の生れた国を愛するという、気持を持っていない。それで、きみは、考えにいれてもらえなかったんだよ」 「じゃあ、もしぼくが、沼の中に、一冬じゅうじっとしていて、ずうっと眠っていたとしたら、そしたら、ぼくも考えてもらえるんですか?」と、ツバメはたずねました。 「もし、沼のおかみさんが、たしかに、『きみは、一冬の半分を、この生れた国で眠ってすごした』と書いてくれるんなら、きみも考えてもらえるよ」 「ぼくには、一等賞をもらう、ねうちがあったんだ。二等賞をもらうべきじゃない」と、カタツムリが言い出しました。 「ぼくは、ちゃあんと知ってるよ。ウサギくんが早く走るのは、おくびょうだからなんだ。あの人は、危険が近づいたと思うと、むがむちゅうで走りだすんだ。ぼくは、ちがう。ぼくは走ることを、一生の仕事にしてきたんだ。あんまり、仕事にむちゅうになりすぎて、このとおり、かたわものになってしまったくらいだ。もし、だれかが一等賞をもらうとすれば、それはこのぼくのほかにはない。――  しかし、そんなことで、ぼくは、けんかをしたくはない。そういうことは、だいきらいだから」  こう言って、カタツムリは、つばを、ぺっとはきました。 「賞は、どちらも公平に考えられて、あたえられたものだ。すくなくとも、それをえらんだときの、わたしの投票は、公平なものだった。これだけは、はっきりと言える」と、年とった森の測量標が言いました。この人も、審判官のひとりだったのです。「わしは、仕事をするとき、いつも順序正しく、計算したうえで、よく考えてする。名誉なことに、わしはこれまで、すでに七回、賞をあたえるのに立ちあってきた。だが、一度も、わしの考えどおりになったことはない。  わしは、ものをわけあたえるときには、あるきまったところから、はじめるようにしている。この場合、一等賞にたいしては、アルファベットのはじめのほうからかぞえていく。二等賞には、反対に、終りのほうからかぞえていくのだ。  さて、よいかな。よく注意して、聞いていてくれたまえ。アルファベットを、最初のAからかぞえていくと、八番めの文字はHとなる。つまり、ウサギ(Hare)くんの、かしら文字のHだ。そこで、わしは、ウサギくんを一等賞ときめたのだ。つぎに、おしまいのほうからかぞえる。八番めの文字はSだ。そこで、カタツムリ(Snegl)くんを二等賞ときめたのだ。  こういうわけだから、このつぎのときは、一等賞はI、二等賞はR、ということになる。  なんにしても、ものごとには、順序というものがなくてはいかん。かならず、よりどころになるものが、必要なのだ」 「ぼくが、もし、審判官でなかったら、自分自身に投票していたよ」と、ラバが言い出しました。  この人も、審判官だったのです。「ただ、早く走るということだけでなく、ほかのことも、考えにいれなければいけない。たとえば、どのくらいのものをひっぱることができるか、といったふうに、どんな性質を持っているかをも、考えるべきだ。しかし、今度は、それをとくべつ強く、言いはりはしなかったよ。ウサギくんの、頭のいい逃げかたにしてもね。なにしろ、ウサギくんときたら、さっとわきにとびこんで、うまく人間をごまかして、自分のかくれているところから、とんでもないほうへ、行かせてしまうんだから。  いや、そんなことではなく、大ぜいの人が、注意しているものがある。しかも、それは、じっさい、見のがしてはならないものだ。つまり、美しさといわれているものさ。そこに、ぼくは目をむけた。ぼくは、かっこうよくのびた、ウサギくんの美しい耳を見た。じつに、長くて、見ているうちに、ぼくは、心から楽しくなった。まるで、小さいときの、ぼく自身を見ているような気持さえした。そこで、ぼくは、ウサギくんに投票したんだよ」 「まあ、お静かに」と、ハエが言いました。「いや、いや、わたしは、なにも、おしゃべりをしようというのではありません。ただ、ちょっと、お耳に入れておきたいことがあるんです。  いいですか。わたしは、一度も二度も、ウサギさんを追いこしたことがあるんですよ。ついこのあいだも、いちばん若いウサギさんの、あと足を折ってしまったんですよ。そのとき、わたしは、汽車のいちばん先頭を走る、機関車の上に乗っかっていました。じつは、ときどき、そうするんですがね。だって、自分の早さを知るのには、そうするのが、いちばんですからね。  だいぶ前から、若いウサギさんが、機関車の前を走っていました。ウサギさんのほうでは、わたしがいるのには、気づいていなかったようです。とうとうしまいに、ウサギさんは、わきへ、よけなければならなくなりました。ところがそのひょうしに、機関車のために、あと足を折られてしまったんです。もちろん、わたしが機関車の上にいたからですがね。ウサギさんは、そこにたおれたままでいました。わたしは、ずんずんさきへ走っていきました。  これだけ言えば、わたしがウサギさんに勝ったことは、はっきりしているでしょう。だからといって、わたしは、賞をくれとは、いいませんがね」 「あたしは、こう思うわ」と、野バラは、心の中で考えました。でも、口に出しては言いませんでした。野バラの性質では、心に思っていることを、なんでも言ってしまうのが、いやだったのです。でも、この場合は、言ったほうがよかったでしょう。 「あたしは、こう思うわ。お日さまの光こそ、名誉の一等賞をもらうべきだわ。それから、二等賞も、いっしょにね。  お日さまの光は、お日さまからあたしたちのところまで、はかることもできないほどの、遠い遠い距離を、あっというまに、とんでくるんですもの。それに、その光はとっても強いから、その光で自然のすべてのものが、目をさますんですもの。それから、美しさも持っているわ。だからこそ、あたしたちバラの花は、きれいな、赤い色にそまって、よいにおいを出すようになるんだわ。  それなのに、えらい審判官たちは、それにはちっとも、気がついていない。もしもあたしがお日さまの光だったら、ひとりひとりに、うんと光をあてて、日射病にしてやるのに。でも、それだけなら、ただ気が狂うだけね。そんなことをしなくったって、どうせみんな、狂ってしまうでしょうもの。だから、あたしは、なんにも言わないでいましょう」  野バラは、なおも考えました。 「森の中の平和! 美しい花にあふれ、すがすがしいかおりにみちた美しさ! 伝説に生き、歌に生きるよろこび! でも、お日さまの光は、あたしたちのだれよりも、長く長く生きのこるのだわ!」 「一等賞は、なんだね?」と、ミミズがたずねました。いままで眠りこんでいたのですが、やっといま、はい出してきたのです。 「キャベツ畑に、自由に、出入りできることだよ」と、ラバが言いました。「この賞は、ぼくが言い出したものなんだよ。ウサギくんは、その賞をもらわなければならんし、また、もらうべきだよ。なにしろぼくは、よく考え、よく仕事をする審判官として、賞をもらうもののために、いっしょうけんめい考えたんだからね。だから、ウサギくんのことは、もうだいじょうぶ。  カタツムリくんのほうは、石垣の上にすわって、コケやお日さまの光をなめてもよい、ということになったんだ。それに、近いうちには、かけっこの審判官のひとりにも、えらばれることになっている。かけっこの早いカタツムリくんのような人が、審判官の仲間に加わるということは、まったくいいことさ。  ぼくは、はっきりと言っておくが、これからさきを、たいへん楽しみにしている。なにしろ、はじまりが、こんなにすばらしいんだからねえ」
底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1981(昭和56)年5月30日21刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年8月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 あるところに、ひとりのりっぱな紳士がいました。この紳士は靴ぬぎと、それにくしを一つ、持っていました。これが、この人の持物のぜんぶだったのです。そのかわり、この紳士は、世界でいちばんきれいなカラーを持っていました。これから、わたしたちが聞くお話は、このカラーについてのお話なんですよ。  さて、カラーは年ごろになりましたので、ぼつぼつ、結婚したいと思いました。すると、あるとき、ぐうぜん、せんたくものの中で、靴下どめに出会いました。 「これは、これは!」と、カラーは言いました。「いままでわたしは、あなたのようにすらりとして、じようひんで、しかも、しとやかで、きれいなかたを、見たことがありません。お名前をうかがわせていただけませんか?」 「申しあげられませんわ」と、靴下どめは言いました。 「どちらにおすまいですか?」と、カラーはたずねました。  けれども、靴下どめは、ひどくはずかしがりやだったものですから、そんなことに答えるのは、なんだかおかしな気がしました。 「あなたは、きっと、帯なんですね」と、カラーは言いました。「それも、着物の下にしめる帯なんでしょう。あなたが、じっさいの役にも立ち、飾りにもなるくらいのことは、ぼくにだって、ちゃあんとわかりますよ。かわいいお嬢さん!」 「あたしに話しかけないでください」と、靴下どめは言いました。「あなたにお話するきっかけをあげたつもりはありませんわ」 「とんでもない、あなたのようにおきれいならば」と、カラーは言いました。「きっかけなんて、じゅうぶんありますよ」 「あんまり、そばへ寄らないでくださいな」と、靴下どめは言いました。「あなたって、ずいぶん、ずうずうしそうですもの」 「ぼくは、これでもりっぱな紳士ですよ」と、カラーは言いました。「ぼくは、靴ぬぎや、くしを、持っているんですからね」  といっても、これは、ほんとうのことではありません。靴ぬぎや、くしを持っているのは、カラーのご主人なんですからね。カラーは、ほらをふいたのでした。 「そばへ来ないでください」と、靴下どめは言いました。「あたし、こういうことに、なれていないんですもの」 「気取りやめ」と、カラーは言いました。  そのとき、カラーはせんたくものの中から取り出されました。そして、のりをつけられて、椅子の上で日にあてられました。それから、アイロン台の上に寝かされました。すると、そこへ、あついアイロンがやってきました。 「奥さん!」と、カラーは言いました。「かわいい未亡人の奥さん。ぼくは、すっかりあつくなりましたよ。もう、見ちがえるようになりました。しわもなくなって、こんなにきれいになりました。おまけに、焼け穴までこしらえてくれましたね。うう、あつい!――ぼくはあなたに、結婚を申しこみますよ」 「ふん、ぼろきれのくせに!」と、アイロンは言って、カラーの上を、いばって通っていきました。それというのも、このアイロンは、ものすごくうぬぼれがつよくて、自分では汽車をひっぱる機関車のようなつもりでいたからです。 「ぼろきれのくせに!」と、アイロンは言いました。  カラーのへりが、すこしすりきれました。そこで、今度は、紙きりばさみがやってきて、そのすりきれたところを切りとろうとしました。 「おや、おや!」と、カラーは言いました。「あなたは、たしかに、一流の踊り子ですね。まあ、なんて、足がよくのびるんでしょう。こんなに美しいものは、まだ一度も見たことがありません。どんな人にだって、あなたのまねはできませんよ」 「そんなことくらい、知っててよ」と、はさみは言いました。 「あなたは、伯爵夫人になったって、りっぱなものですよ」と、カラーは言いました。「ぼくの持っているのは、りっぱな紳士と、靴ぬぎと、くしだけです。これに、伯爵領がありさえすれば、いいんですがねえ」 「あら、結婚を申しこんでるのね」と、はさみは言いました。はさみは、すっかりおこってしまったので、そのいきおいで、つい、大きく切りすぎてしまいました。こうして、とうとう、カラーは、おはらいばこになってしまいました。 「さてと、こうなったら、くしにでも、結婚を申しこむか。――かわいいお嬢さん! あなたの歯は、なんてきれいにならんでいるんでしょう!」と、カラーは言いました。「あなたは、いままでに、婚約ということをお考えになったことはありませんか?」 「もちろん、ありますわ」と、くしは言いました。「だって、もう、靴ぬぎさんと婚約しているんですもの」 「婚約しているって!」と、カラーは言いました。これで、もう、結婚を申しこむ相手は、ひとりもありません。そこで、カラーは、結婚のことをけいべつするようになりました。  長い年月がたちました。とうとう、カラーは、製糸工場の箱の中へやってきました。そこには、ぼろがたくさん集まっていました。でも、上等のものは上等のもの、下等のものは下等のもの、というふうに、べつべつに別れて集まっていました。みんなは、話すことをいっぱい持っていました。なかでも、カラーは、いちばんたくさん持っていました。なぜって、カラーはたいへんなほらふきだったんですからね。 「ぼくには、恋人が山ほどいたもんさ」と、カラーは言いました。「おかげで、ぼくは、おちついていることもできやしなかった。これでもぼくは、りっぱな紳士だったんだぜ。ちゃあんと、のりつけをした紳士さ。それに、ぼくは、一度も使ったことのない、靴ぬぎと、くしまで、持っていたんだよ。――あのころのぼくを、みんなに見せたかったなあ。きちんとたたまれて、横になっていた、あのころのぼくをさ。  それはそうと、さいしょの恋人のことは、忘れられないもんだね。あのひとは、とってもじょうひんで、やさしくって、きれいな帯だったっけ。ぼくのために、せんたくおけの中まで、とびこんできたもんさ。そうそう、未亡人もいたよ。あの人は、すっかりあつくなっちゃったが、ぼくはほったらかしておいた。黒くなるまでね。  そのつぎが、一流の踊り子さ。この女のおかげで、ぼくは傷をうけちまってね、これ、このとおり、そのあとが、いまでものこっているしまつさ。まったく、気のつよい女だったよ。すると、今度は、ぼく自身のくしまでが、ぼくを恋しちまってね。その恋の苦しさのために、すっかり歯がぬけちまったよ。こんな話なら、いくらでもあるよ。  しかし、ぼくが、いちばんわるいことをしたと思っているのは、あの靴下どめ、――いや、せんたくおけの中までとびこんできた、あの帯のことだよ。これには、ぼくも良心の苦しみをおぼえているんだ。考えてみれば、いま、ぼくが白い紙になるのも、しかたがないかもしれない」  そして、カラーはそのとおりになりました。ほかのぼろたちも、みんな白い紙になりました。  ところが、カラーのなった白い紙というのが、どうでしょう。いま、わたしたちが見ている白い紙、このお話の印刷されている、白い紙なんです。というのも、カラーは、あとになって、ありもしないことまで、とんでもないほらをふいたからなんです。  わたしたちは、このことをよくおぼえておいて、そんなことをしないように、気をつけましょう。なぜならばですよ、このわたしたちにしたって、いつかは、ぼろ箱の中にはいって、白い紙にされないともかぎりませんからね。それも、自分の話を、ごくごくないしょのことまでも印刷されて、あっちこっち話しまわらなければならないともかぎらないんですから。ちょうど、このカラーのようにですよ。
底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1981(昭和56)年5月30日21刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年8月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 ある小さな村の、いちばんはずれの家に、コウノトリの巣がありました。コウノトリのおかあさんは、巣の中で、四羽の小さなひな鳥たちのそばにすわっていました。ひな鳥たちは、小さな黒いくちばしのある頭を、巣の中からつき出していました。このひな鳥たちのくちばしは、まだ赤くなっていなかったのです。  そこからすこし離れた屋根の頂きに、コウノトリのおとうさんが、からだをまっすぐ起して、かたくなって立っていました。おとうさんは、かたほうの足を、からだの下に高く上げていました。こうして、見張りに立っているあいだは、すこしぐらい、つらい目にもあわなくては、と思ったからでした。おとうさんは、木でほってあるのかと思われるほど、じっと立っていました。 「巣のそばに、見張りを立たせておくんだから、家内のやつは、ずいぶんえらそうに見えるだろうな」と、コウノトリのおとうさんは考えました。「このおれが、あれのご主人だなどとは、だれも知るまいよ。きっと、ここに立っているように、言いつけられているんだと、思うだろうさ。それにしても、ずいぶんだいたんだろうが!」こうして、コウノトリのおとうさんは、なおも、片足で立ちつづけていました。  下の通りでは、大ぜいの子供たちがあそんでいました。そのうちに、コウノトリを見つけると、その中のいちばんわんぱくな子が、むかしからある、コウノトリの歌をうたいだしました。すると、それにつづいて、みんなもいっしょにうたいだしました。けれども、はじめにうたった子がおぼえていただけを、みんなは、ついてうたっているのでした。 コウノトリよ、コウノトリ、 とんでお帰り、おまえのうちへ おまえのかみさん、巣の中で 四羽の子供を寝かしてる。 一番めはつるされる、 二番めはあぶられよ。 三番めは焼き殺されて、 四番めはぬすまれよ! 「ねえ、あの男の子たちが、あんなことをうたっているよ」と、コウノトリの小さな子供たちは、言いました。「ぼくたち、つるされたり、焼き殺されたりするんだってさ」 「あんなこと、気にしないでおいで」と、コウノトリのおかあさんは、言いました。「聞かないでいらっしゃい。なんでもないんだからね」  けれども、男の子たちは、なおもうたいつづけて、コウノトリのほうを指さしました。中にひとりだけ、ペーテルという男の子は、動物をからかうのはいけないことだと言って、仲間にはいろうとしませんでした。コウノトリのおかあさんは、ひな鳥たちをなぐさめて、こう言いました。「心配しなくてもいいんだよ。ほら、ごらん。おとうさんは、あんなにおちついて、じっと立っていらっしゃるじゃないの。おまけに、片足でね」 「ぼくたち、とってもこわい!」ひな鳥たちは、こう言って、頭を巣のおくへひっこめました。  つぎの日も、男の子たちが、またあそびに集まってきました。コウノトリを見ると、きのうと同じように、うたいはじめました。 一番めはつるされる、 二番めはあぶられよ! 「ぼくたち、つるされたり、焼き殺されたりするの?」と、コウノトリの子供たちは、たずねました。 「いいえ、そんなことはありませんとも!」と、おかあさんは言いました。「おまえたちは、もう、とぶことをおぼえなければいけません。おかあさんが、おけいこさせてあげますよ。そしたら、あたしたち、みんなで草原へとんでいって、カエルをたずねてやりましょう。カエルたちはね、水の中からあたしたちにおじぎをして、コアックス、コアックス! って、うたうんですよ。それから、あたしたちはそのカエルを食べてしまうの。ほんとに、そりゃあ楽しいことですよ!」 「そうして、それからは?」と、コウノトリの子供たちは、たずねました。 「それから、この国じゅうにいるコウノトリが、みんな集まって、秋の大演習がはじまるんですよ。そのときは、みんな、うまくとばなければいけませんよ。それは、とってもだいじなことなんですからね。だってね、いいかい、とべないものは、大将さんに、くちばしでつつき殺されてしまうんですもの。だから、おけいこがはじまったら、よくおぼえるようにするんですよ」 「じゃあ、やっぱり、あの男の子たちが言ってたように、ぼくたち、殺されるんだね。ねえ、ほら、また言ってるよ」 「おかあさんの言うことを、よくお聞き! あんな男の子たちの言うことは、聞くんじゃありません!」と、コウノトリのおかあさんは、言いました。「その大演習がおわったら、あたしたちはね、いくつもいくつも山や森をこえて、ここからずっと遠くの、暖かいお国へとんでいくんです。そうやって、エジプトというお国へ、あたしたちは行くのよ。そこには、三角の形をした、石のお家があるの。先がとがっていて、雲の上にまで高くつきでているのよ。このお家は、ピラミッドといってね、コウノトリなんかには、とても想像がつかないほど、古くからあるものなのよ。それから、大きな川もあるわ。その川の水があふれると、そのお国はどろ沼になってしまうの。そしたら、そのどろ沼の中を歩きまわって、カエルを食べるのよ」 「うわあ、すごい!」と、ひな鳥たちは、口をそろえて言いました。 「そうですとも。とってもすてきよ! 一日じゅう、食べることのほかには、なんにもしないんですもの。そっちではね、あたしたちが、そんなに楽しく暮しているのに、このお国では、木に青い葉っぱが一枚もなくなってしまうのよ。ここはほんとに寒くってね、雲はこなごなにこおって、白い小さなぼろきれみたいになって、落ちてくるんですよ」おかあさんの言っているのは、雪のことだったのです。けれども、これよりうまくは、説明することができませんでした。 「じゃあ、あのいたずらっ子たちも、こなごなにこおってしまうの?」と、コウノトリの子供たちは、たずねました。 「いいえ、あの子たちは、こなごなにこおって、くだけたりはしませんよ。でも、まあ、そうなったもおんなじで、みんな、暗いお部屋の中にひっこんで、じっと、ちぢこまっていなければならないの。それなのに、おまえたちは、きれいなお花が咲いて、暖かいお日さまのかがやいている、よそのお国をとびまわっていることができるんですよ」  やがて、幾日か、たちました。ひな鳥たちは、もうずいぶん大きくなったので、巣の中で立ちあがって、遠くまで見まわすことができるようになりました。コウノトリのおとうさんは、毎日毎日、おいしいカエルや、小さなヘビや、そのほか、見つけることのできたごちそうを、かたっぱしから持ってきてくれました。それから、おとうさんは、子供たちに、いろんな芸当をやってみせました。そのようすは、ほんとにゆかいでした。頭をうしろへそらせて、しっぽの上においてみせたり、小さなガラガラのように、くちばしで鳴いてみせたりするのです。それから、いろんなお話もして聞かせました。それは、ぜんぶ沼のお話でした。 「さあ、おまえたちは、とぶおけいこをしなきゃいけませんよ」と、ある日、コウノトリのおかあさんが、言いました。そこで、四羽のひな鳥たちは、屋根の頂に出なければなりませんでした。まあ、なんて、よろよろ、よろめいたことでしょう! みんなは、羽で、からだのつりあいをとっていたのですが、そうしていても、いまにもころがり落ちそうでした。 「いいかい、おかあさんをごらん」と、おかあさんが言いました。「こんなふうに頭をあげて。足は、こんなふうにおろすんですよ。一、二! 一、二! これができたら、世の中へ出てもだいじょうぶよ」それから、おかあさんは、いくらかとんでみせました。つづいて、子供たちもぶきっちょに、ちょっとはねあがりましたが、バタッと、たおれてしまいました。まだ、からだが重すぎたのです。 「ぼく、とぶのはいやだよ」一羽のひな鳥は、こう言って、巣の中へはいこんでしまいました。「暖かい国へなんか、行かなくったっていいや!」 「じゃあ、おまえは、冬がきたら、ここで、こごえ死んでもいいの? あの男の子たちがやってきて、おまえをつるして、あぶって、焼き殺してしまってもいいの? なら、おかあさんが、男の子たちを呼んできてあげましょう」 「いやだ、いやだ」と、そのコウノトリの子供は言って、ほかのひな鳥たちと同じように、また、屋根の上をはねまわりました。三日めには、すこしでしたけれども、みんなは、ほんとうにとぶことができるようになりました。こうなると、もう自分たちも、空に浮ぶことができるだろう、と思いました。それで、みんなはじっと浮んでいようとしましたが、すぐに、バタッと、落っこちてしまいました。ですから、また、あわてて羽を動かさなければなりませんでした。  そのとき、男の子たちが下の通りへ集まってきて、またうたいだしました。 「コウノトリよ、コウノトリ、とんでお帰り、おまえのうちへ!」 「ぼくたち、とびおりてって、あの子たちの目玉を、くりぬいてやっちゃいけない?」と、ひな鳥たちは言いました。 「いけません。ほうっておきなさい」と、おかあさんは言いました。「おかあさんの言うことだけ聞いていれば、いいんですよ。そのほうが、ずっとだいじなことなんですよ。一、二、三! さあ、右へまわって! 一、二、三! 今度は、えんとつを左のほうへまわって! ――ほうら、ずいぶんじょうずにできたじゃないの。いちばんおしまいの羽ばたきは、とってもきれいに、うまくできましたよ。じゃ、あしたは、おかあさんといっしょに、沼へ行かせてあげましょうね。そこへは、りっぱなコウノトリの家のひとたちが、幾人も、子供たちを連れてきているんですよ。だから、その中で、おかあさんの子が、いちばんりっぱなことを、見せてちょうだいね。からだをまっすぐ起して! そうすりゃ、とってもりっぱに見えて、ひとからもうやまわれるんですよ!」 「だけど、あのいたずらっ子たちに、しかえしをしてやっちゃいけないの?」と、コウノトリの子供たちは、たずねました。 「どなりたいように、どならせておきなさい。おまえたちは、雲の上まで高くとび上がって、ピラミッドのお国へとんでいくんでしょう。そのときはね、あの男の子たちは寒くって、ぶるぶるふるえているんですよ。それに、青い葉っぱも、おいしいリンゴも、なに一つないんですよ」 「でも、ぼくたち、しかえしをしてやろうね」と、子供たちは、たがいにささやきあいました。それから、またおけいこをつづけました。  通りに集まる男の子たちの中で、いつもあのわる口の歌をうたっているよくない子は、いつか、いちばんさいしょにうたいはじめた、あの男の子でした。その子は、まだほんの小さな子で、六つより上には見えませんでした。でも、コウノトリの子供たちにしてみれば、その子は自分たちのおかあさんや、おとうさんよりも、ずっとずっと大きいのですから、年は百ぐらいだろうと思っていました。むりもありません。コウノトリの子供たちに、人間の子供や、おとなの人の年が、どうしてわかるはずがありましょう。  コウノトリの子供たちが、しかえしをしてやろうというのは、この男の子にたいしてだったのです。だって、この子がいちばんさいしょにうたいだしたのですし、それに、いつもきまって、歌の仲間にはいっていたのですから。コウノトリの子供たちは、心からおこっていました。そして、大きくなるにつれて、だんだん、がまんができなくなりました。それで、とうとう、おかあさんも、しかえしをしてもいい、と、約束しなければならなくなってしまいました。でも、この国をたっていく、さいごの日まで、してはいけない、と、言い聞かせたのでした。 「それよりも、今度の大演習のときに、おまえたちがどんなにやれるか、まずさきに、それを見ましょうよ。もし、おまえたちがうまくできなければ、大将さんがくちばしで、おまえたちの胸をつつくんですよ。そうすりゃ、あの男の子たちの言ったことが、すくなくとも一つは、ほんとうになるじゃないの。さあ、どうなるかしらね」 「わかりました。見ていてよ!」と、コウノトリの子供たちは言って、それからは、ほんとうにいっしょうけんめい、おけいこをしました。こうして、毎日毎日、おけいこをしたおかげで、とうとう、みんなは、軽がるときれいにとぶことができるようになりました。ほんとに、楽しいことでした。  やがて、秋になりました。コウノトリたちは、このわたしたちの国へ冬がきているあいだ、暖かい国へとんでいくために、みんな集まってきました。それは、たいへんな演習でした! コウノトリたちは、どのくらいとべるかをためすために、いくつもいくつも、森や村の上をとばなければなりませんでした。なにしろ、これからさき、長い長い旅をしなければならないのですからね。あのコウノトリの子供たちは、たいそうみごとにやってのけましたので、ごほうびに、「カエルとヘビ」という、優等賞をいただきました。それは、いちばんよい点だったのです。そして、このいちばんよい点をもらったものは、カエルとヘビを食べてもいいことになっていました。ですから、このコウノトリの子供たちも、それを食べました。 「さあ、今度は、しかえしだ!」と、みんなは言いました。 「そうですとも!」と、コウノトリのおかあさんは、言いました。「おかあさんがね、いま頭の中で考えたことは、とってもすてきなことなんですよ。おかあさんは、ちっちゃな人間の赤ちゃんたちのいる、お池のあるところを知っているの。人間の赤ちゃんたちはね、コウノトリが行って、おとうさんやおかあさんのところへ連れていってあげるまで、そこに寝ているんですよ。かわいらしい、ちっちゃな赤ちゃんたちは、そういうふうに、そこに寝ていて、大きくなってからは、もう二度と見ることのない、楽しい夢を見ているのよ。おとうさんやおかあさんは、だれでも、そういうちっちゃな赤ちゃんをほしがっているし、子供たちは子供たちで、みんな、妹や弟をほしがっているんですよ。さあ、あたしたちは、みんなでそのお池へとんでいって、わる口の歌をうたわなかった子や、コウノトリをからかったりしなかった子のところへ、かわいらしい赤ちゃんをひとりずつ、連れていってやりましょうね。みんな、いい子なんですから」 「でも、あの子には? ほら、さいしょに歌をうたいはじめた、あのいじわるの、いたずらっ子には?」と、若いコウノトリたちは、さけびました。「あの子にはどうするの?」 「そのお池には、死んだ夢を見ている、死んだ赤ちゃんもいるのよ。だから、あの子のところへは、その死んだ赤ちゃんを連れていってやりましょう。あたしたちが死んだ弟を連れていけば、あの子は、きっと泣き出しますよ。けれど、あのいい子にはね、おまえたちも、きっと忘れてはいないでしょう、ほら、『動物をからかうのは、いけないことだ』と、言ったあの子ね、あの子のところへは、弟と妹を連れていってやりましょう。それから、あのいい子はペーテルという名前だから、おまえたちもみんな、ペーテルという名前にしてあげましょうね」  こうして、おかあさんの言ったとおりになりました。それから、コウノトリは、みんなペーテルという名前になりました。こういうわけで、いまでも、コウノトリは、ペーテルと呼ばれているんですよ。
底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1981(昭和56)年5月30日21刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年3月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 この国でいちばん大きな青い葉といえば、それは、スカンポの葉にちがいありません。その葉を取って、子供がおなかの上につければ、ちょうど前掛けのようになります。それから、頭の上にのせると、雨が降っているときには、雨がさのかわりになります。この葉は、なにしろ、ものすごく大きいのですから。  スカンポというのは、一本だけで生えているということはありません。一本生えているところには、きまって、幾つも幾つも生えているものです。そのありさまは、たいへんきれいです。そして、この美しい葉は、カタツムリの大好きな食べ物なのです。むかし、身分の高い人たちが、よいお料理につかった、大きな白いカタツムリは、スカンポの葉を食べて、「フン、こいつはうまいぞ」と、言ったものでした。なぜって、カタツムリは、ほんとうにおいしいと思ったからです。カタツムリは、スカンポの葉を食べて生きていました。ですから、スカンポの種が、畑にまかれたのです。  さて、古いお屋敷がありました。お屋敷の人たちは、もう、カタツムリを食べなくなっていました。カタツムリは、すっかり死にたえてしまったのです。ところが、スカンポのほうは、死にたえるどころか、ふえにふえて、道という道、花壇という花壇にまで、ひろがっていました。もう、どうしようもありません。まるで、スカンポの森のようなありさまです。ただ、あっちこっちに、リンゴの木とスモモの木が立っているだけでした。その木でもなかったなら、ここが庭だったと思うことは、とてもできなかったでしょう。まったく、どこもかしこもスカンポばかりなのです。――  そこに、ずいぶん年をとったカタツムリが、二ひきだけ生きのこって、住んでいました。  このカタツムリたちは、自分たちの年がいくつか知りませんでした。けれども、自分たちは、もとはもっと大ぜいだったことや、よその国から来た一家の者だったことや、自分たちと仲間のために、このスカンポの森が植えられたことなどは、よくおぼえていました。このカタツムリたちは、森の外へ出たことは、一度もありませんでした。でも、外の世界には、お屋敷というものがあることは、ちゃんと知っていました。そして、そのお屋敷で、みんなが料理されて、まっ黒になって、それから、銀のお皿にのせられることも、よく知っていました。しかし、それからどうなるのか、その先のことは知りませんでした。それに、料理されて、銀のお皿にのせられることが、いったいどういうことなのか、このカタツムリたちには考えもつかなかったのです。それにしても、すばらしくて、しかもりっぱなことにちがいない、とは思っていました。コガネムシや、ヒキガエルや、ミミズにきいてみても、だれひとり、説明してくれることはできませんでした。もちろん、だれも料理されたり、銀のお皿にのせられたりした者はないのですから、むりもないわけです。  年とった、白いカタツムリたちは、自分たちが世界でいちばんとうといものだということを、よく知っていました。なぜって、この森は、自分たちのためにあるのですし、また、お屋敷にしても、自分たちが料理されて、銀のお皿にのせられるために、あるのですからね。  さて、このカタツムリたちは、ふたりきりで、たいへんしあわせに暮していました。ただ、子供がなかったので、小さな、ふつうのカタツムリを連れてきて、その子を自分たちの子供として、育てていました。ところが、その子ときたら、さっぱり大きくなりません。それもそのはず、ふつうのカタツムリなんですからね。しかし、ふたりの年よりは、ことにおかあさんのほうは、つまり、カタツムリのおかあさんですがね、そのおかあさんのほうは、その子の大きくなっていくのが、はっきりわかるような気がしました。それで、おとうさんにむかって、もし見ているだけで、この子の大きくなっていくのがわからないのなら、この子のカタツムリのからにさわってみてください、と言いました。おとうさんがさわってみると、たしかに、おかあさんの言うとおりだ、と思いました。  ある日のこと、雨がひどく降ってきました。 「まあ、どうだい。スカンポの葉がドンドン、バラバラと、たいこのような、すごい音を立てているじゃないか!」と、カタツムリのおとうさんが言いました。 「雨のしずくも、落ちてきますよ!」と、カタツムリのおかあさんは言いました。「まっすぐ、くきをつたって、流れてきますよ。今に、ここもぬれちまいますね。でも、わたしゃ、うれしいですよ、こんないい家が、わたしたちにはあるんですし、あの子にもちゃんと、自分の家があるんですからね。たしかに、わたしたちは、ほかのどんな生き物よりも、めぐまれているんですね。やっぱし、わたしたちは、この世界の主人なんですよ。生れたときから、こうして家を持っているんですし、おまけに、スカンポの森まで、わたしたちのために植えられているんですもの。――それはそうと、この森がどこまでつづいていて、森の外にはどんなものがあるか、見たいですねえ!」 「森の外には、なんにもありゃしない」と、カタツムリのおとうさんは言いました。「わしらのとこよりいいところなんて、どこにもあるはずがない。わしには、これ以上望むことはない」 「そうですね」と、おかあさんは言いました。「でも、わたしは、一度お屋敷へ行ってみたいんです。そうして、お料理されて、銀のお皿にのせてもらいたいと思いますよ。わたしたちのご先祖は、みんな、そうされたんですって。きっと、なにか特別のことなんですよ」 「お屋敷はこわれてしまったかもしれんよ」と、カタツムリのおとうさんは言いました。「さもなきゃ、スカンポの森がその上までしげっていて、中の人たちが、出られんようになってしまっているさ。どっちにしても、あわてることはない。だが、おまえは、いつも、おっそろしくせっかちだよ。だから、あの子までが、せっかちになりだしたんだ。あの子は、もう三日も、くきをはいあがっていくじゃないか。あれをみると、わしは頭がぐらぐらする!」 「そんなに、がみがみ言わなくたって、いいじゃありませんか」と、カタツムリのおかあさんは言いました。「あの子は、とっても気をつけて、はってるんですよ。ほんとに、あの子はわたしたちの楽しみですよ。ほかに、わたしたち年よりには、生きてゆく楽しみってものがないんですからね。だけど、あなた、ぼつぼつ、あの子に嫁をさがしてやりませんか? このスカンポの森のずっと奥には、わたしたちの仲間がいるんじゃないでしょうか?」 「黒いカタツムリならいるだろうな」と、年よりのカタツムリは言いました。「家のない、黒いカタツムリならな。だが、あの連中は、いやしいくせに、うぬぼれが強いんだ。ひとつ、アリさんにたのんでみようじゃないか。あのひとたちは、さもいそがしそうに、あっちこっちを走りまわっているから、きっと、あの子にぴったりの嫁さんを知ってるだろう」 「いちばんきれいなひとを知ってますよ」と、アリたちが言いました。「ただ、うまくいきますかどうか。なにしろ、そのひとは、女王さまなんですからね!」 「そんなことはかまいませんよ」と、年よりのカタツムリたちは言いました。「そのひとには、家はありますかね?」 「お城がありますよ」と、アリたちは言いました。「七百も廊下のある、すばらしくりっぱな、アリのお城ですよ」 「ありがとうございます」と、カタツムリのおかあさんは言いました。「ですけど、うちの息子は、アリの塚へやるわけにはいきません。あなたがたが、もうそのほかに、いい話をご存じないのなら、白ブヨさんにお願いすることにしましょう。あのひとたちは、降っても照っても、あっちこっちを飛びまわっていて、スカンポの森のことなら、中のことでも外のことでも、よく知っていますから」 「ちょうどいいお嫁さんがいますよ」と、ブヨたちは言いました。「人間の足で、ここから百歩ぐらい離れたところに、スグリの茂みがあるんですが、その上に、家を持った、小さなカタツムリの娘がいるんですよ。そのひとは、ひとりっきりなんですが、もうそろそろ、お嫁に行くころです。人間の足で、たった百歩ばかりのところですよ」 「じゃあ、そのひとに、きてもらうことにしましょう」と、年よりたちは言いました。「お婿さんは、スカンポの森を持っているのに、お嫁さんはスグリを一かぶしか、持っていないんですからね」  こうして、ふたりは、その小さなカタツムリの娘を迎えにいきました。娘は、ここまで来るのに八日もかかりましたが、でも、それでよかったのです。なぜって、そのために、この娘が同じカタツムリの仲間であることが、はっきりわかったのですからね。  それから、結婚式があげられました。六ぴきのホタルが、いっしょうけんめい光ってくれました。そのほかは、なにもかも、ごく静かに行われました。というのは、年よりのカタツムリたちは、お酒を飲んだり、大さわぎをするのがきらいだったからです。しかし、カタツムリのおかあさんは、すてきなお話をしました。おとうさんのほうは、すっかり感動してしまって、ろくにお話もできなかったのです。それからふたりは、若い者たちに、スカンポの森をみんなゆずり渡して、しょっちゅう口にしていることを、言い聞かせました。つまり、ここは世界じゅうでいちばんいいところだということや、ふたりが正直にまじめに暮して、子供たちがふえたらば、ふたりも子供たちも、いつかはお屋敷へ行って、まっ黒に料理され、銀のお皿にのせてもらえるようになるだろう、ということなどを話して聞かせました。  話がおわると、年よりのふたりは、めいめいの家の中へもぐりこんで、それからは、二度と出てきませんでした。そのまま、ふたりは眠ってしまったのです。若いカタツムリの夫婦は、スカンポの森をおさめました。そして、子供も大ぜい生れました。しかし、料理されることもなければ、銀のお皿にのせられることもありませんでした。それで、みんなは、お屋敷はこわれてしまい、世の中の人たちは、みんな死んでしまったのだ、ということにきめました。そして、だれひとり、それに反対する者がなかったのですから、それは、ほんとうのことにちがいありません。  雨はスカンポの葉をたたいて、たいこの音楽を聞かせてくれました。お日さまはキラキラかがやいて、スカンポの森を、美しい色にそめてくれました。みんなは、たいへんしあわせでした。そして、一家の者は、みんなしあわせでした。ほんとうに、そうだったのです。
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2021年1月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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      一 お話のはじまり  コペンハーゲンで、そこの東通の、王立新市場からとおくない一軒の家は、たいそうおおぜいのお客でにぎわっていました。人と人とのおつきあいでは、ときおりこちらからお客をしておけば、そのうち、こちらもお客によばれるといったものでしてね。お客の半分はとうにカルタ卓にむかっていました。あとの半分は、主人役の奥さんから、今しがた出た、 「さあ、こんどはなにがはじまりしましょうね。」というごあいさつが、どんな結果になってあらわれるかと、手ぐすねひいて、待っているのです。もうずいぶんお客さま同士の話がはずむだけはずんでいました。そういう話のなかには、中世紀時代の話もでました。あるひとりは、あの時代は今の時代にくらべては、くらべものにならないほどよかったと主張しました。じっさい司法参事官のクナップ氏などは、この主張にとても熱心で、さっそく主人役の奥さんを身方につけてしまったほどでした。そうしてこのふたりは*エールステッドが年報誌上にかいた古近代論の、現代びいきな説にたいして、やかましい攻撃をはじめかけたくらいです。司法参事官の説にしたがえば、デンマルクの**ハンス王時代といえば、人間はじまって以来、いちばんりっぱな、幸福な時代であったというのでした。 *デンマルクの名高い物理学者(一七七七―一八五一)。 **ヨハン二世(一四八一―一五一三)。選挙侯エルンスト・フォン・ザクセンのむすめクリスティーネと婚。ノルウェイ・スエーデン王を兼ねた。  さて会話は、こんなことで、賛否こもごも花が咲いて、あいだに配達の夕刊がとどいたので、ちょっと話がとぎれたぐらいのことでした。でも、新聞にはべつだんおもしろいこともありませんでしたから、話はそれなりまたつづきました。で、わたしたちはちょっと表の控間へはいってみましょう。そこにはがいとうと、つえと、かさと、くつの上にはうわおいぐつが一足置いてありました。みるとふたりの婦人が卓のまえにすわっていました。ひとりはまだ若い婦人ですが、ひとりは年をとっていました。ちょっとみると、お客のなかのお年よりのお嬢さん、または未亡人の奥さんのお迎えに来て、待っている女中かとおもうでしょう。でもよくみると、ふたりとも、ただの女中などでないということはわかりました。それにはふたりともきゃしゃすぎる手をしていましたし、ようすでも、ものごしでも、りっぱすぎていましたが、着物のしたて方にしても、ずいぶんかわっていました。ほんとうは、このふたりは妖女だったのです。若いほうは幸福の女神でこそありませんが、そのおそばづかえのそのまた召使のひとりで、ちょいとしたちいさな幸福のおくりものをはこぶ役をつとめているのです。年をとったほうは、だいぶむずかしい顔をしていました。これは心配の妖女でした。このほうはいつもごじしん堂堂と、どこへでも乗り込んでいってしごとをします。すると、やはりそれがいちばんうまくいくことを知ってました。  ふたりはおたがいに、きょうどこでなにをして来たか話し合っていました。幸福の女神のおそばづかえのそのまた召使は、ほんのふたつ三つごくつまらないことをして来ました。たとえば買い立ての帽子が夕立にあうところを助けてやったり、ある正直な男に無名の篤志家からほどこし物をもらってやったり、まあそんなことでした。しかし、そのあとで、もうひとつ、話しのこしていたことは、いくらかかわったことであったのです。 「まあついでだからいいますがね。」と、幸福のおそばづかえのそのまた召使は話しました。「きょうはわたしの誕生日なのですよ。それでそのお祝いに、ご主人からうわおいぐつを一足あずけられました。そしてそれを人間のなかまにやってくれというのです。そのうわおいぐつにはひとつの徳があって、それをはいたものはたちまち、だれでもじぶんがいちばん住んでみたいとおもう時代なり場所なりへ、はこんで行ってもらえて、その時代なり場所なりについて、のぞんでいたことがさっそくにかなうのです。そういうわけで、人間もどうやら、この世の中ながら幸福になれるのでしょう。」  こういうと心配の妖女が、 「いや、お待ちなさいよ。そのうわおいぐつをはいた人は、きっとずいぶんふしあわせになるでしょうよ。そしてまた、はやくそれをぬぎたいとあせるようになるでしょうよ。」といいました。 「まあそこまではおもわなくても。」と、もうひとりがふふくらしくいいました。「さあ、それでは幸福のうわおいぐつを、ここの戸口におきますよ。だれかがまちがってひっかけていって、いやでも、すぐと幸福な人間になるでしょう。」  どうです。これがふたりの女の話でした。    二 参事官はどうしたか  もうだいぶ夜がふけていました。司法参事官クナップ氏は、ハンス王時代のことに心をとられながら、うちへかえろうとしました。ところで運命の神さまは、この人がじぶんのとまちがえて、幸福のうわおいぐつをはくように取りはからってしまいました。そこで参事官がなんの気なしにそれをはいたまま東通へ出ますと、もうすぐと、うわおいぐつの効能があらわれて、クナップ氏はたちまち三百五十年前のハンス王時代にまでひきもどされてしまいました。さっそくに参事官は往来のぬかるみのなかへ、両足つっこんでしまいました。なぜならその時代はもちろん昔のことで、石をしいた歩道なんて、ひとつだってあるはずがないのです。 「やれやれ、これはえらいぞ、いやはや、なんというきたない町だ。」と参事官がいいました。「どうして歩道をみんな、なくしてしまったのだろう。街灯をみんな消してしまったのだろう。」  月はまだそう高くはのぼっていませんでしたし、おまけに空気はかなり重たくて、なんということなしに、そこらの物がくらやみのなかへとろけ出しているようにおもわれました。次の横町の角には、うすぐらい灯明がひとつ、聖母のお像のまえにさがっていましたが、そのあかりはまるでないのも同様でした。すぐその下にたって、仰いでみてやっと、聖母と神子の彩色した像が分かるくらいでした。 「これはきっと美術品を売る家なのだな。日がくれたのに看板をひっこめるを忘れているのだ。」と、参事官はおもいました。  むかしの服装をした人がふたり、すぐそばを通っていきました。 「おや、なんというふうをしているのだ。仮装舞踏会からかえって来た人たちかな。」と、参事官は、ひとりごとをいいました。  ふとだしぬけに、太皷と笛の音がきこえて、たいまつがあかあかかがやき出しました。参事官はびっくりしてたちどまりますと、そのとき奇妙な行列が鼻のさきを通っていきました。まっさきには皷手の一隊が、いかにもおもしろそうに太皷を打ちながら進んで来ました。そのあとには、長い弓と石弓をかついだ随兵がつづきました。この行列のなかでいちばんえらそうな人は坊さんの殿様でした。びっくりした参事官は、いったいこれはいつごろの風をしているので、このすいきょうらしい仮装行列をやってあるく人はたれなのだろう、といって、行列のなかの人にたずねました。 「シェランの大僧正さまです。」と、たれかがこたえました。 「大僧正のおもいつきだと、とんでもないことだ。」と、参事官はため息をついてあたまを振りました。そんな大僧正なんてあるものか。ひとりで不服をとなえながら、右も左もみかえらずに、参事官はずんずん東通をとおりぬけて、高橋広場にでました。ところが宮城広場へ出る大きな橋がみつかりません。やっとあさい小川をみつけてその岸に出ました。そのうち小舟にのってやって来るふたりの船頭らしい若者にであいました。 「島へ渡りなさるのかな。」と、船頭はいいました。 「島へ渡るかって。」と、参事官はおうむ返しにこたえました。なにしろ、この人はまた、じぶんが今、いつの時代に居るのか、はっきり知らなかったのです。 「わたしは、クリスティアンス ハウンから小市場通へいくのだよ。」  こういうと、こんどはむこうがおどろいて顔をみました。 「ぜんたい橋はどこになっているのだ。」と参事官はいいました。「第一ここにあかりをつけておかないなんてけしからんじゃないか。それにこのへんはまるで沼の中をあるくようなひどいぬかるみだな。」  こんなふうに話しても、話せば話すほど船頭にはよけいわからなくなりました。 「どうもおまえたちの*ボルンホルムことばは、さっぱりわからんぞ。」と、参事官はかんしゃくをおこしてどなりつけました。そして背中をむけてどんどんあるきだしました。 *バルティック海上の島。島の方言がかわっていた。  しかしいくらあるいても、参事は橋をみつけることはできませんでした。らんかんらしいものはまるでありませんでした。 「どうもこのへんは実にひどい所だ。」と、参事官はいいました。じぶんのいる時代を、この晩ほどなさけなくおもったことはありませんでした。「まあこのぶんでは、辻馬車をやとうのがいちばんよさそうだ。」と、参事官はおもいました。そういったところで、さて、どこにその辻馬車があるでしょうか。それは一台だってみあたりそうにはありませんでした。 「これではやはり、王立新市場までもどるほうがいいだろう。あそこならたくさん馬車も来ているだろう。そうでもしないと、とてもクリスティアンス ハウンまでかえることなどできそうもない。」  そこで、またもどって、東通のほうへあるきだしました。そしてほとんどそこを通りぬけようとしたときに、たかだかと月がのぼりました。 「おや、なんとおもって足場みたいなものをここに建てたのだ。」  東門をみつけて、参事官はこうさけびました。そのころ東通のはずれに、門があったのです。  とにかく、出口をさがして、そこをとおりぬけると、今の王立新市場のある通へでました。けれどそれはただのだだっ広い草原でした。二三軒みすぼらしいオランダ船の船員のとまる下宿の木小屋が、そのむこう岸に建っていて、オランダッ原ともよばれていた所です。 「おれはしんきろうをみているのか知らん。それとも酔っぱらっているのじゃないか知ら。」と、参事は泣き声をだしました。「とにかくありゃあなんだ。」  もうどうしても、病気にかかっているにちがいない、そうおもい込んで、また引っかえしました。往来をとぼとぼあるきあるき、なおよくそこらの家のようすをみると、たいていの家は木組の小屋で、なかにはわら屋根の家もありました。 「いや、どうもへんな気分でしょうがない。」と、参事官はため息をつきました。「しかしおれは、ほんの一杯ポンスを飲んだだけだが、それがうまくおさまらないとみえる。それに、時候はずれのむしざけをだしたりなんかして、まったくくいあわせがわるかった。もういちどもどっていって、主人の代理公使夫人に小言をいって来ようかしらん。いや、それもばからしいようだ。それにまだ起きているかどうかわからない。」  そういいながら、その家の方角をさがしましたが、どうしてもみつかりませんでした。 「どうもひどいことだ。東通がまるでわからなくなった。一軒の店もみえはしない。みすぼらしいたおれかけの小屋がみえるだけだ。これではまるでリョースキレか、リンステッドへでもいったようだ。ああ、おれは病気だぞ。遠慮をしているところでない。だが、いったい代理公使の家はどこなんだろう。どうしてももうもととはちがっている。しかもなかには人がまだ起きている。――どうしてもおれは病気だ。」  そのとき参事官は、一軒戸のあいている家の前へ出ました。すきまからあかりが往来へさしていました。これはそのころの安宿で、半分居酒屋のようなものでした。ところで、そのなかはホルシュタイン風の百姓家の台所といったていさいでした。なかにはおおぜいの人間が、船乗や、コペンハーゲンの町人や二三人の本読もまじって、みんなビールのジョッキをひかえて、むちゅうになってしゃべっていて、はいって来た客にはいっこう気がつかないようでした。  参事官はお客をむかえにたったおかみさんにいいました。「お気のどくですが、わたしは非常にぐあいがわるいのです。クリスティアンスハウンまで、辻馬車をやとってはもらえませんか。」  おかみさんは、参事官の顔をうさんらしくみて首をふりました。それからドイツ語で話しかけました。参事官はそれで、おかみさんがデンマルク語を知らないことがわかったので、こんどはドイツ語で同じ註文をくり返しました。その言葉と服装から、おかみさんは、この客をてっきり外国人だとおもい込みました。で、気分のわるそうなようすをみると、さっそく水をジョッキに一杯ついでもって来ました。水はなんだかしょっぱいへんな味がしました。そのくせ外の噴井戸から汲んで来たのです。  参事官は両手であたまをおさえて、ふかいためいきをつきながら、いまし方つづいておこった奇妙なことを、あれこれとおもいめぐらしていました。 「それはきょうの*『ダーエン』ですか。」と、参事官は、おかみさんがもっていきかけた大きな紙をみて、ほんのおせじにききました。 *コペンハーゲン発行の夕刊新聞。一八〇五―四三。  お上さんは、なにを客がいうのだかわかりませんでしたから、だまってその紙を渡しました。それはむかし、キョルンの町にあらわれたふしぎな空中現象をかいた一枚の木版刷でした。 「こりゃなかなか古い。」と参事官は、あんがいな掘り出しもので、おおきに愉快になりました。 「おまえさん、このめずらしい刷物をどうして手に入れたのだね。こりゃなかなかおもしろいものだよ。もっとも話はまるっきりおとぎばなしだがね。今日では、これに類した空中現象は、北極光をみあやまったものだということになつている。おそらく電気の作用でおこるものらしい。」  すると参事官のすぐそばにすわって、この話をきいた人たちが、びっくりしてその顔をながめました。そして、そのうちのひとりは、たち上がって、うやうやしく帽子をぬいで、ひどくしかつめらしく「先生、どうも、あなたはたいそうな学者でおいでになりますな。」といいました。 「いやはや、どういたしまして。」と、参事官は答えました。「ついだれでも知っているはずのことをふたことみこと、お話しただけですよ。」 「けんそんは美徳で。」とその男はラテン語まじりにいいました。「もっともお説にたいして、わたくしは異説をさしはさむものであります。しかしながら、わたくしの批判はしばらく保留いたしましよう。」 「失礼ながら、あなたはどなたですか。」と、参事官がたずねました。 「わたくしは聖書得業士でして。」と、その男が答えました。  その答で参事官は十分でした。その人の称号と服装はそれによくつりあっていました。多分、これは村の老先生というやつにちがいない。よくユラン(ユットランド)地方でみかけるかわりものだと参事官はおもいました。 「ここはいかにも学者清談の郷ではありませんな。」と、その男はつづけていいだしました。「しかしどうかまげてお話しください。あなたはむろん、古書はふかくご渉猟でしょうな。」 「はい、はい、それはな。」と、参事官は受けて、「わたしも有益な古書を読むことは大好きですが、とうせつの本もずいぶん読みます。ただ困るのは『その日、その日の話』というやつで、わざわざ本でよまないでも、毎日のことで飽き飽きしますよ。」 「『その日、その日の話』といいますと。」と、得業士はふしんそうにききました。 「いや、わたしのいうのは、このごろはやる新作の小説のことですよ。」 「ははあ。」と、得業士はにっこりしながら、「あれもなかなか気のきいたものでして、宮中ではずいぶん読まれていますよ。*王様はとりわけ、アーサー王と円卓の騎士の話を書いた、イフヴェンとゴーディアンの物語を好いていられます。それでご家来の人達とあの話をして興がっていられます。」 *デンマルクの詩人ホルベルのデンマルク国史物語に、ハンス王が寵臣のオットー ルードとアーサー王君臣の交りについてとんち問答した話がかいてある。なお、「その日その日の物語」は、文士ハイベルの母のかきのこした身の上話。 「それはまだ読んでいません。」と、参事官はいいました。「ハイベルが出した新刊の本にちがいありませんね。」 「いや、ハイベルではありません。ゴットフレト フォン ゲーメンが出したのです。」と、学士は答えました。 「へへえ、その人は作者ですか。」と、参事官がたずねました。「ゴットフレト フォン ゲーメンといえば、すいぶん古い名まえですね。あれはなんでも、ハンス王時代、デンマルクで印刷業をはじめた人ではありませんか。」 「そうですとも。この国でははじめての印刷屋さんですよ。」と、学士が答えました。  ここまではどうにかうまくいきました。こんどは町人のひとりが、三年まえ流行した伝染病の話をしだしました。ただそれは一四八四年の話でした。参事官はそれを一八三〇年代はやったコレラの話をしているのだとおもいました。そこで会話は、どうにかつじつまがあいました。一四九〇年の海賊戦争もつい近頃のことでしたから、これも話題にのぼらずにいませんでした。で、イギリスの海賊船が、やはり同じ波止場か船をりゃくだつしていった、とその男は話しました。ところで、*一八〇一年の事件をよく知っている参事官は、進んでその話に調子をあわせて、イギリス人に攻撃をしかけました。これだけはまずよかったが、そのあとの話はそううまくばつがあいませんでした。ひとつひとつに話がくいちがいました。学士先生は気のどくなほどなにも知りませんでした。参事官のごくかるく口にしたことまでが、いかにもでたらめな、気ちがいじみた話にきこえました。そうなると、ふたりはだまって顔ばかりみあわせました。いよいよいけないとなると、学士はいくらか相手にわからせることができるかとおもって、ラテン語で話しましたけれど、いっこう役には立ちませんでした。 *一八〇一年四月二日英艦の攻撃事件。 「あなた、ご気分はどうですね。」と、おかみさんはいって、参事官のそでをひっぱりました。  ここではじめて、参事官はわれにかえりました。話でむちゅうになっているあいだは、これまでのことをいっさい忘れていたのです。 「やあ、たいへん、わたしはどこにいるのだ。」と、参事官はいって、それをおもいだしたとたん、くらくらとなったようでした。 「さあ、クラレットをやろうよ。蜜酒に、ブレーメン・ビールだ。」と、客のひとりがさけびました。 「どうです、いっしょにやりたまえ。」  ふたりの給仕のむすめがはいって来ました。そのひとりは*ふた色の染分け帽子をかぶって来ました。ふたりはお酒をついでまわって、おじぎをしました。参事官はからだじゅうぞっとさむけがするようにおもいました。 *ハンス王時代下等な酌女のしるし。 「やあ、こりゃなんだ。こりゃなんだ。」と、参事官はさけびました。けれども、いやでもいっしょに飲まなければなりませんでした。客どもはごくたくみにこの紳士をあつかいました。参事官はがっかりしきっていました。たれか、「あの男酔っぱらっているよ。」といったものがありましたが、そのことばをうそだとおこるどころではありません。どうぞ、ドロシュケ(辻馬車)を一台たのむといったのが精いっぱいでした。ところがみんなはそれをロシア語でも話しているのかとおもいました。  参事官は、これまでこんな下等な乱暴ななかまにはいったことはありませんでした。 「これではまるで、デンマルクの国が、異教国の昔にかえったようだ。こんなおそろしい目にあったことははじめてだぞ。」と、参事官はおもいました。しかしそのときふとおもいついて、参事官はテーブルの下にもぐりこんで、そこから戸口の所まではい出そうとしました。そのとおりうまくやって、ちょうど出口までいったところを、ほかの者にみつけられました。みんなは参事官の足をとって引きもどしました。そのとき大仕合わせなことには、うわおおいぐつがすっぽりぬけました。――それでいっさいの魔法が消えてなくなりました。  そのとき参事官ははっきりと、すぐ目のまえに、街灯がひとつ、かんかんともっていて、そのうしろに大きな建物の立っているのをみつけました。そこらじゅうみまわしても、おなじみのあるものばかりでした。それは、今の世の中で毎日みているとおりの東通でした。参事官は玄関の戸に足をむけて腹ンばいになっていたのです。すぐむこうには町の夜番が、すわって寝込んでいました。 「やあたいへん、おれは往来で寝て、夢をみていたのか。」と、参事官はさけびました。「なるほど、これは東通だわい。どうもなにかが、かんかんあかるくって、にぎやかだな。それにしてもいっぱいのポンスのききめはじつにおそろしい。」  それから二分ののち参事官は、ゆうゆうと辻馬車のなかにすわって、クリスティアンス ハウンのじぶんの家のほうへはこばれていきました。参事官はいましがたさんざんおそろしい目や心配な目にあったことをおもいだすと、今の世の中には、それはいろいろわるいことはあっても、ついさっきもっていかれた昔の時代よりはずっとましだということをさとりました。どうですね、参事官は、もののわかったひとでしょう。     三 夜番のぼうけん 「おやおや、あすこにうわおいぐつが一足ころがっている。」と夜番はいいました。「きっとむこうの二階にいる中尉さんの物にちがいない。すぐ門口にころがっているから。」  正直な夜番は、ベルをならして、うわおいぐつを持主にわたそうとおもいました。二階にはまだあかりがついていました。けれど、うちのなかのほかの人たちまでおどろかすのも気のどくだとおもったので、そのままにしておきました。 「だが、こういうものをはいたら、ずいぶん温かいだろうな。」と、夜番はひとりごとをいいました。「なんて上等なやわらかい革がつかってあるのだろう。」うわおいぐつはぴったり夜番の足にあいました。「どうも、世の中はおかしなものだ。いまごろ中尉さんは、あの温かい寝床のなかで横になっていればいられるはすなのだ。ところが、そうでない。へやのなかをいったり来たり、あるいている。ありゃしあわせなお人さな。おかみさんもこどももなくて、毎晩、夜会にでかけていく。おれがあの人だったらずいぶんしあわせな人間だろうな。」  夜番がこういって、こころのねがいを口にだしますと、はいていたうわおいぐつはみるみる効能をあらわして、夜番のたましいはするすると中尉のからだとこころのなかへ運んで持っていかれました。  そこで夜番は、二階のへやにはいって、ちいさなばら色の紙を指のまたにはさんで持ちました。それには詩が、中尉君自作の詩が書いてありました。それはどんな人だって、一生にいちどは心のなかを歌にうたいたい気持になるおりがあるもので、そういうとき、おもったとおりを紙に書けば、詩になります。そこで紙にはこう書いてありました。   「ああ、金持でありたいな。」 「ああ、金持でありたいな。」おれはたびたびそうおもった。 やっと二尺のがきのとき、おれはいろんな望をおこした。 ああ、金持でありたいな――そうして士官になろうとした、 サーベルさげて、軍服すがたに、負革かけて。 時節がくると、おれも士官になりすました。 さてはや、いっこう金はできない。なさけないやつ。  全能の神さま、お助けください。 ある晩、元気で浮かれていると、 ちいさい女の子がキスしてくれた、 おとぎ歌なら、持ちあわせは山ほど、 そのくせ金にはいつでも貧乏―― こどもは歌さえあればかまわぬ。 歌なら、山ほど、金には、いつもなさけないやつ。  全能の神さま、ごらんのとおり。 「ああ、金持でありたいな。」おいのりがこうきこえだす。 こどもはみるみるむすめになった、 りこうで、きれいで、心もやさしいむすめになった。 ああ、分らせたい、おれの心のうちにある―― それこそ大したおとぎ話を――むすめがやさしい心をみせりゃ。 だが金はなし、口には出せぬ。なさけないやつ。  全能の神さま、おこころしだいに。 ああ、せめてかわりに、休息と慰安、それでもほしい。 そうすりゃなにも心の悩み、紙にかくにもあたらない。 おれの心をささげたおまえだ、わかってもくれよ。 若いおもい出つづった歌だ、読んでもくれよ。 だめだ、やっぱりこのままくらい夜にささげてしまうがましか。 未来はやみだ、いやはやなさけないやつめ。  全能の神さま、おめぐみください。  そうです、人は恋をしているときこんな詩をつくります。でも用心ぶかい人は、そんなものを印刷したりしないものです。中尉と恋と貧乏、これが三角の形です。それとも幸福のさいころのこわれた半かけとでもいいましようか。それを中尉はつくづくおもっていました。そこで、窓わくにあたまをおしつけて、ふかいため息ばかりついていました。 「あすこの往来にねている貧しい夜番のほうが、おれよりはずっと幸福だ。あの男にはおれのおもっているような不足というものがない。家もあり、かみさんもあり、こどももあって、あの男のかなしいことには泣いてくれ、うれしいことには喜んでくれる。ああ、おれはいっそあの男と代ることができたら、今よりずっと幸福になれるのだがな。あの男はおれよりずっと幸福なのだからな。」  中尉がこうひとりごとをいうと、そのしゅんかん、夜番はまたもとの夜番になりました。なぜなら幸福のうわおいぐつのおかげで、夜番のたましいは中尉のからだを借りたのですけれど、その中尉は、夜番よりもいっそう不平家で、おれはもとの夜番になりたいとのぞんだのでした。そこで、そのおのぞみどおり、夜番はまた夜番になってしまったのです。 「いやな夢だった。」と、夜番はいいました。「が、ずいぶんばかばかしかった。おれはむこう二階の中尉さんになったようにおもったが、まるで愉快でもなんでもなかった。息のつまるほどほおずりしようとまちかまえていてくれる、かみさんやこどものいることを忘れてなるものか。」  夜番はまたすわって、こくりこくりやっていました。夢がまだはっきりはなれずにいました。うわおいぐつはまだ足にはまっていました。そのとき流れ星がひとつ、空をすべって落ちました。 「ほう、星がとんだ。」と、夜番はいいました。「だが、いくらとんでも、あとにはたくさん星がのこっている。どうかして、もう少し星のそばによってみたいものだ。とりわけ月の正体をみてみたいものだ。あれだけはどんなことがあっても、ただの星とちがって、手の下からすべって消えていくということはないからな。うちのかみさんがせんたく物をしてやっている学生の話では、おれたちは死ぬと、星から星へとぶのだそうだ。それはうそだが、しかしずいぶんおもしろい話だとおもう。どうかしておれも星の世界までちょいととんでいくくふうはないかしら、すると、からだぐらいはこの段段のうえにのこしていってもいい。」  ところで、この世の中には、おたがい口にだしていうことをつつしまなければならないことがずいぶんあるものです。取りわけ足に幸福のうわおいぐつなんかはいているときは、たれだって、よけい注意がかんじんです。まあそのとき、夜番の身の上に、どんなことがおこったとおもいますか。  たれしも知っている限りでは、蒸気の物をはこぶ力の早いことはわかっています。それは鉄道でもためしてみたことだし、海の上を汽船でとおってみてもわかります。ところが蒸気の速力などは、光がはこぶ早さにくらべれば、なまけものがのそのそ歩いているか、かたつむりがむずむずはっているようなものです。それは第一流の競走者の千九百万倍もはやく走ります。電気となるともっと早いのです。死ぬというのは電気で心臓を撃たれることなので、その電気のつばさにのって、からだをはなれた魂はとんで行きます。太陽の光は、二千万マイル以上の旅を、八分と二、三秒ですませてしまいます。ところで電気の早飛脚によれば、たましいは、太陽と同じ道のりを、もっと少い時間でとんでいってしまいます。天体と天体とのあいだを往きかいするのは、同じ町のなかで知っている同士が、いやもっと近く、ついお隣同士が往きかいするのと大してちがったことではありません。でも、この下界では心臓を電気にうたれると、からだがはたらかなくなる危険があります。ただこの夜番のように、幸福のうわおいぐつをはいているときだけは、べつでした。  なん秒かで、夜番は五万二千マイルの道をいって、月の世界までとびました。それは、地の上の世界とはちがった、ずっと軽い材料でできていました。そしていわば降りだしたばかりの雪のようにふわふわしています。夜番は例の*メードレル博士の月世界大地図で、あなた方もおなじみの、かずしれず環なりに取りまわした山のひとつにくだりました。山が輪になってめぐっている内がわに、切っ立てになったはち形のくぼみが、なんマイルもふかく掘れていました。その堀の底に町があって、そのようすはちょっというと、卵の白味を、水を入れたコップに落したというおもむきですが、いかにも、さわってみると、まるで卵の白味のように、ぶよぶよやわらかで、人間の世界と同じような塔や、円屋根のお堂や、帆のかたちした露台が、薄い空気のなかに、すきとおって浮いていました。さて人間の住む地球は、大きな赤黒い火の玉のように、あたまの上の空にぶら下がっていました。 *ドイツの天文学者  夜番はまもなく、たくさんの生きものにであいました。それはたぶん月の世界の「人間」なのでしょうが、そのようすはわたしたちとはすっかりちがっていました。(**偽ヘルシェルが、作り出したものよりも、ずっとたしかな想像でこしらえられていて、一列にならばせて、画にかいたら、こりゃあうつくしいアラビヤ模様だというでしょう。)この人たちもやはり言葉を話しましたが、夜番のたましいにそれがわかろうとは、たれだっておもわなかったでしょう。(ところがそれが、わかったのだからふしぎですが、人間のたましいには、おもいの外の働きがあるのです。そのびっくりするような芝居めいた才能は、夢の中でもはたらくとおりでしょう。そこでは知合のたれかれがでて来て、いかにもその気性をあらわした、めいめい特有の声で話します。それは目がさめてのちまねようにもまねられないものです。どうしてたましいは、もうなん年もおもいだしもしずにいた人たちを、わたしたちの所へつれてくるのでしょう。それは、わたしたちのたましいのなかへ、いきなりと、ごくこまかいくせまでももってあらわれてきます。まったく、わたしたちのたましいのもつ記憶はおそろしいようですね。それはどんな罪でも、どんなわるいかんがえでも、そのままあらわしてみせます。こうなると、わたしたちの心にうかんで、くちびるにのぼったかぎりの、どんなくだらない言葉でも、そののこらずの明細がきができそうなことです。) **ドイツで出版された月世界のうそ話。括弧内の文は原本になく、アメリカ版による。  そこで夜番のたましいは、月の世界の人たちの言棄をずいぶんよくときました。その人たちはこの地球の話をして、そこはいったい人間が住めるところかしらとうたぐっていました。なんでも地球は空気が重たすぎて、感じのこまかい月の人にはとても住めまいといいはりました。その人たちは、月の世界だけに人間が住んでいるとおもっているのです。なぜなら、古くからの世界人が住んでいる、ほんとうの世界といったら、月のほかにはないというのです。(この人たちはまた政治の話もしていました。)  それはそれとして、またもとの東通へくだっていって、そこに夜番のたましいがおき去りにして来たからだは、どうしたかみてみましょう。  夜番は、階段の上で息がなくなってねていました。明星をあたまにつけたやりは、手からころげ落ちて、その目はぼんやりと月の世界をながめていました。夜番のからだは、そのほうへあこがれてでていった正直なたましいのゆくえをながめていたのです。 「こら夜番、なん時か。」と、往来の男がたずねました。ところが返事のできない夜番でありました。そこでこの男は、ごく軽く夜番の鼻をつつきますと、夜番はからだの平均を失って、ながながと地びたにたおれて、死んでしまいました。鼻をつついた男は、びっくりしたのしないのではありません。夜番が死んだまま生きかえらないのです。さっそく知らせる、相談がはじまる、明くる朝、死体は病院にはこばれました。  ところで、月の世界へあそびにでかけたたましいが、そこへひょっこり帰って来て、東通に残したからだを、ありったけの心あたりを探してみて、みつけなかったら、かなりおもしろいことになるでしょう。たぶんたましいはまず第一に警察へでかけるでしょう。それから人事調査所へもいくでしょう。そしてなくなった品物のゆくえについて捜索がはじまるでしょう。それから、やっと、病院までたずねていくことになるかも知れませんが、でも安心してよろしい。たましいはじぶんの身じんまくをするのは、この上なくきようです。まのぬけているのはからだです。  さて申し上げたとおり、夜番のからだは病院へはこばれました。そうして清潔室に入れられました。死体をきよめるについて、もちろん第一にすることは、うわおいぐつをぬがせることでした。そこで、いやでもたましいはかえってこないわけにはいきません。で、さっそくたましいはからだへもどって来ました。すると、みるみる死骸に気息がでて来ました。夜番は、これこそ一生に一どの恐しい夜であったと白状しました。もうグロシェン銀貨なん枚もらっても、二どとこんなおもいはしたくないといいました。しかし今となれば、いっさい、すんだことでした。  その日、すぐと、夜番は、病院をでることをゆるされました。けれど、うわおいぐつは、それなり病院にのこっていました。    四 一大事 朗読会の番組 世にもめずらしい旅  コペンハーゲンに生まれたものなら、たれでもその町のフレデリク病院の入口がどんなようすか知っているはずです。でもこの話を読む人のなかには、コペンハーゲン生まれでない人もあるでしょうから、まずそれについて、かんたんなお話をしておかなくてはなりますまい。  さて、その病院と往来とのあいだにはかなり高いさくがあって、ふとい鉄の棒が、まあ、ずいぶんやせこけた志願助手ででもあったらむりにもぬけられそうな、というくらいの間をおいて並んでいました。それで、ここからぬけてちょっとしたそとの用事がたせるというわけでした。ただからだのなかで、いちばんむずかしいのはあたまでした。そこでよくあるとおり、ここでも小あたまがなによりのしあわせということになるのでした。まずこのくらいで、前口上はたくさんでしょう。  さて、若いひとりの志願助手がありました。からだのことだけでいうと、大あたまの男でしたが、これが、ちょうどその晩、宿直に当っていました。雨もざんざん降っていました。しかし、このふたつのさわりにはかまわず、この人はぜひそとへでる用がありました。それもほんの十五分ばかりのことだ、門番にたのんで門をあけてもらうまでもなかろう、ついさくをくぐってもでられそうだからとおもいました。ふとみると夜番のおいていったうわおいぐつがそこにありました。これが幸福のうわおいぐつであろうとはしりませんでした。こういう雨降りの日には、くっきょうなものがあったとおもって、それをくつの上にはきました。ところで、はたしてさくはくぐることができるものかどうか、今までは、ついそれをためしてみたことがないのです、そこでさくのまえにたちました、 「どうかあたまがそとにでますように。」と、助手はいいました。するとたちまち、いったいずいぶんのさいづちあたまなのが、わけなくすっぽりでました。そのくらい、うわぐつは心えていました。ところで、こんどはからだをださなければならないのに、そこでぐっとつまってしまいました。 「こりゃ肥りすぎているわい。どうもあたまが一番始末がわるそうだとおもったのだが。でるのはだめか。」と、助手はいいました。  そこで、いそいであたまをひっこめようとしました。けれども、うまくいきませんでした。どうやら動くのは首だけで、しかしそれきりでした。はじめはぷりぷりしてみました。そのうちがっかりして、零下何度のごきげんになってしまいました。幸福のうわおいぐつは、この人をこんななさけないめにあわせたのです。しかも、ふしあわせと、ああどうか自由になりたいとひとこということをおもいつかずにいました。そういう代りに、むやみとじれて、がたがたやりました、でもいっこう動けません。雨はしぶきをたててながれました。往来には人ッ子ひとり通りません。門のベルにはせいがとどきません。どうしてぬけだしましょう。こうなると、まずあしたの朝まで、そこにそのままたっているということになりそうです。そこで、みんながみつけてかじ屋を呼びにやってくれて、鉄の格子をやすりで切ってだすというところでしょう。だがそういうしごとは、ちょっくりはこぶものではありません。すぐまえの青建物の貧民学校から、総出でくる、すぐそばの海員地区からも、つながってくる、このお仕置台に首をはさまれている、さらし物の見物で、去年竜舌蘭の大輪が咲いたときのさわぎとはまたちがった、大へんな人だかりになるでしょう。 「うう、苦しい。血があたまに上るようだ。おれは気がちがう。――そうだ、もう気がちがいかけている。ああ、どうかして自由になりたい、それだけでもういいんだ。」  これはもう少し早くいえばよかったことでした。こうおもったとおり口にだしたとたん、あたまは自由になりました。幸福のうわおいぐつのおそろしいきき目にびっくりして、助手はむちゅうでうちへかけ込みました。  しかし、これでいっさいすんだとおもってはいけません。これからもっとたいへんなことになるのです。  その晩はそれですぎて、次の日も無事に暮れました。たれもうわおいぐつを取りにくるものはありませんでした。  その日の夕、カニケ街の小さな朗読会の催しがあるはずでした。小屋はぎっしりつまっていました。朗読会の番組のなかに、新作の詩がありました。それをわたしたちもききましょう。さて、その題は、    おばあさんの目がね ぼくのおばあちゃん、名代のもの知り、 「昔の世」ならばさっそく火あぶり、 あったことなら、なんでも知ってて、 その上、来年のことまでわかって、 四十年さきまでみとおしの神わざ、 そのくせ、それをいうのがきらい、 ねえ、来年はどうなりますか、 なにかかわったことでもないか、 お国の大事か、ぼくの身の上、 やっぱり、おばあちゃん、なんにもいわない、 それでもせがむと、おいおいごきげん、 はじめのがんばり、いつものとおりさ、 もうひと押しだ、かわいい孫だ、 ぼくのたのみをきかずにいようか。 「ではいっぺんならかなえてあげる」 やっと承知で目がねを貸した。 「さて、どこなりとおおぜいひとの あつまるなかへでかけていって ごったかえしを、目がねでのぞくと、 とたんに、それこそカルタの札の うらないみたいに、なんでも分かる さきのさきまで、手にとるように。」 おれいもそこそこ、みたいがさきで、 すぐかけだしたが、さてどこへいく。 長町通か、あそこはさむい、 東堤か、ペッ、くされ沼 それでは、芝居か、こりゃおもいつき、 出しものもよし――お客は大入。 ――そこでまかり出た今夜の催し、 おばばの目がねをまずこうかけて、 さあながめます――お逃けなさるな―― ほんに、皆さま、カルタの札で 未来のうらない、あたればなぐさみ―― ではよろしいか。ご返事ないのは承知のしるし。 さて、ご好意のお礼ごころに、 目がねでみたこと申しあける。 では、皆さまの、じぶんのお国の、未来のひみつ、 カルタのおもてに読みとりまする。    (目がねをかける) ははん、なるほど、いや、わらわせる。 珍妙ふしぎ、お目にかけたい。 カルタの殿方、ずらりとならんで、 お行儀のいい、ハートのご婦人。 そちらに黒いは、クラブにスペード ――ひと目にずんずん、ほら、みえてくる―― スペードの嬢ちゃま、ダイヤのジャックに、 どうやらないしょのうち明け話で、 みているこっちが酔うよなありさま。 そちらはたいしたお金持そうな―― よその国からお客がたえない。 だが、つまらない――どうでもよいこと。 では、政治向。おまちなさいよ――新聞種だ―― のちほどゆっくり読んだらわかるさ。 ここでしゃべると、業務の妨害、 晩のごはんのたのしみなくなる。 そんならお芝居――初演の新作。おこのみ流行。 いけない、これは――支配人とけんかだ。 そこでじぶんの身の上のこと、 たれしもこれが、いちばん気になる。 それはみえます――だがまあいえない、 いずれそのときにゃ、しぜんと分かる。 ここにはいるひと、たれがいちばんしあわせものか。 いちばんしあわせもの。そりゃあ、まあ、わかります。 さようさ、それは――いや、まあ、ごえんりょ申しましょう。 こりゃあ、がっかりなさる方がおおかろう。 では、どなたがいちばん長生きなさるか、 こちらの殿方か、あちらの奥さまか、 いや、こんなこと申さば、なおさらごめいわく。 すると、これか――いや、だめだ――あれか――だめだな、 さあ、あれもと――どうしていいか、さっぱりわからん。 なにしろ、どなたかのごきげんにさわります。 いっそ、皆さまのお心のなか、 それなら目がねも見とおしだ。 皆さん、かんがえていますね。いや、なにかのぞんでおいでかな。 くだらなすぎるというように。 きさま、あんまりばかばかしいぞ、 くだらぬおしゃべりもうやめろ、 それが一致のごいけんならば はいはいやめます、だまります。  この詩の朗読はなかなかりっぱなできで、演者は面目をほどこしました。見物のなかには、れいの病院の志願助手が、ゆうべの大事件はけろりと忘れたような顔をしてまじっていました。たれも取りにくるものがないので、うわおいぐつは相変らずはいたままでした。それになにしろ往来は道がひどいのでこれはとんだちょうほうでした。  この詩を助手はおもしろいとおもいました。なによりもそのおもいつきが心をひきました。そういう目がねがあったらさぞいいだろう。じょうずにつかうと、その目がねで、ひとの心のなかをみとおすことができるわけだ。これは来年のことを今みるよりも、もっとおもしろいことだとかんがえました。なぜなら、さきのことはさきになれば分かるが、ひとの心なんてめったに分かるものではないのです。 「そこで、おれはまずいちばんまえの紳士貴女諸君の列をながめることにする。――いきなり、あの人たちの胸のなかにとびこんだらどうだろう。まあ窓だな、店をひろげたようにいろいろな物がならんでいるだろう。どんなにおれの目は、その店のなかをきょろきょろすることだろう。きっと、あすこの奥さんの所は大きな小間物屋にはいったようだろう。こちらのほうはきっと店がからっぽだろう。だいぶそうじがとどかないな。だがたしかな品物をうる店だってありそうなものだ。やれやれ。」と、助手はため息をつきながら、またかんがえつづけました。「なんでもたしかな品ばかり売るという店があるのだか、そこにはあいにくもう店番がいる。それがきずさ。こちらの店もあちらの店も「だんな、どうぞおはいりください」といいたそうだ。そこでかわいらしい「かんがえ」の精のようなものになって、あの人たちの胸のなかをのぞきまわってみてやりたい。」  ほら、うわおいぐつにはもうこれだけで通じました。たちまち助手はからだがちぢくれ上がって、一ばんまえがわの見物の心から心へ実にふしぎな旅行をはじめることになりました。まっさきにはいっていったのは、ある奥さまの心で、整形外科の手術室にはいりこんだようにおもいました。これはお医者さまが、かたわな人のよぶんな肉を切りとって、からだのかっこうをよくしてくれる所をいうのです。そのへやには、かたわな手足のギプス型が壁に立てかけてありました。ただちがうのは整形病院では、ギプス型を患者がはいってくるたんびにとるのですが、この心のなかでは、人がでていったあとで型をとって、保存されることでした。ここにあるのは女のお友だちの型で。そのからだと心の欠点がそのままここに保存されていました。  すぐまた、ほかの女のなかにはいっていきました。しかし、これは大きな神神しいお寺のようにおもわれました。無垢の白はとが、高い聖壇の上をとんでいました。よっぽどひざをついて拝みたいとおもったくらいでした。しかし、すぐと次の心のなかにはいっていかなければなりませんでした。でも、まだオルガンの音がきこえていました。そうしてじぶんがまえよりもいい、別の人間になったようにおもわれました。いばって次の聖堂にはいる資格が、できたように感じました。それは貧しい屋根裏のへやのかたちであらわれて、なかには病人のおかあさんがねていました。けれどあいた窓からは神さまのお日さまの光が温かくさしこみましたうつくしいばらの花が、屋根の上の小さな木箱のなかから、がてんがてんしていました。空色した二羽の小鳥が、こどもらしいよろこびのうたを歌っていました。そのなかで、病人のおかあさんは、むすめのために、神さまのおめぐみを祈っていました。  それから、肉でいっぱいつまった肉屋の店を、四つんばいになってはいあるきました。ここは肉ばかりでした。どこまでいっても、肉のほかなにもありませんでした。これはお金持のりっぱな紳士の心でした。おそらく、この人の名まえは紳士録にのっているでしょう。  こんどはその紳士の奥さまの心のなかにはいりました。その心は、古い荒れはてたはと小屋でした。ごていしゅの像がほんの風見のにわとり代りにつかわれていました。その風見は、小屋の戸にくっついていて、ごていしゅの風見がくるりくるりするとおりに、あいたりとじたりしました。  それからつぎには、ローゼンボルのお城でみるような鏡の間にでました。でもこの鏡は、うそらしいほど大きくみせるようにできていました。床のまんなかには、達頼喇嘛のように、その持主のつまらない「わたし」が、じぶんでじぶんの家の大きいのにあきれながらすわっていました。  それからこんどは、針がいっぱいつんつんつッたっている、せまい針箱のなかにはこばれました。これはきっと年をとっておよめにいけないむすめの心にちがいないとおもいました。けれど、じつはそうではありません。たくさん勲章をぶら下げている若い士官の心でした。しかし、世間ではこの人を才と情のかねそなわった人物だといっていました。  あわれな助手は、列のいちばんおしまいの人の心からぬけだしたとき、すっかりあたまがへんになっていて、まるでかんがえがまとまりませんでした。やたらとはげしいもうぞうが、じぶんといっしょにかけずりまわったのだとおもいました。 「やれやれ、おどろいた。」と、助手はため息をつきました。「おれはどうも気ちがいになるうまれつきらしい。それに、ここは、むやみと暑い。血があたまにのぼるわけさ。」  そこで、ふとゆうべの、病院の鉄さくにあたまをはさまれた大事件をおもいだしました。 「きっとあのとき病気にかかったにちがいない。」と、助手はおもいました。「すぐどうかしなければならない。ロシア風呂がきくかも知れない。ならば一等上のたなにねたいものだ。」  するともう、さっそくに蒸風呂のいちばん上のたなにねていました。ところで、着物を着たなり、長ぐつも、うわおいぐつもそのままでねていました。天井からあついしずくが、ぽた、ぽた、顔に落ちて来ました。 「うわあ。」と、とんきょうにさけんで、こんどは灌水浴をするつもりで下へおりました。  湯番は着物を着こんだ男がとびだしたのをみてびっくりして、大きなさけび声をたてました。  でも、そういうなかで、助手は、湯番の耳に、 「なあにかけをしているのだよ。」と、ささやくだけの余裕がありました。さて、へやにかえってさっそくにしたことは、首にひとつ、背中にひとつ、大きなスペイン発泡膏をはることでした。これでからだのなかの気ちがいじみた毒気を吸いとろうというわけです。  明くる朝、助手は、赤ただれたせなかをしていました。これが幸福のうわおいぐつからさずけてもらった御利益のいっさいでした。    五 書記の変化  さて、わたしたちがまだ忘れずにいたあの夜番は、そのうち、じぶんがみつけて、病院までもはいていったうわおいぐつのことをおもいだしました。そこで、とってかえりましたが、むこう二階の中尉にも、町のたれかれにきいても、持主は、わかりませんでしたから、警察へとどけました。 「これはわたしのうわおいぐつにそっくりだ。」と、この拾得物をみた書記君のひとりがいって、じぶんのと並べてみました。「どうして、くつ屋でもこれをみわけるのはむずかしかろう。」 「書記さん。」と、そのとき小使が書類をもってはいって来ました。  書記はふりむいてその男と話をしていました。話がすむと、またうわおいぐつのほうへむかいましたが、もうそのときは、右か左かじぶんのがわからなくなってしまいました。 「しめっているほうがわたしのにちがいない。」と、書記君はおもいました。でも、これはかんがえちがいでした。なぜなら、そのほうが幸福のうわおいぐつだったのです。だって警察のお役人だって、まちがわないとはかぎらないでしょう。で、すましてそれをはいて、書類をかくしにつッこみました。それからあとは小わきにかかえました。これを内へかえって読んで、コピイ(副本)をつくらなければならないのです。ところで、その日は日曜の朝で、いいお天気でした。ひとつ、フレデリクスベルグへでもぶらぶらでてみるかな、とかんがえて、そちらに足をむけました。  さて、この青年ぐらい、おとなしい、堅人はめったにありません。すこしばかりの散歩を、この人がするのは、さんせいですよ。ながく腰をかけ通していたあとで、きっとからだにいいでしょう。はじめのうち、この人もただぽかんとしてあるいていました。そこで、うわおいぐつも魔法をつかう機会がありませんでした。  公園の並木道にはいると、書記はふとお友だちの、若い詩人にであいました。詩人は、あしたから旅にでかけるところだと話しました。 「じゃあ、もうでかけるのかい。」と、書記はうらやましそうにいいました。「なんて幸福な自由な身の上だろう。いつどこへでも、好きなところへとんでいけるのだ。われわれと来ては、足にくさりをつけられているのだからね。」 「だが、そのくさりはパンの木にゆいつけてあるのだろう。」と、詩人はいいました。「そのかわりくらしの心配はいらないのだ。年をとれば、恩給がもらえるしな。」 「やはりなんといっても、きみのほうがいいくらしをしているよ。」と、書記がいいました。「うちにすわって詩を書いているというのは、楽しみにちがいない。それで世間からはもてはやされる。おれはおれだでやっていける。まあ、きみ、いちどためしにやってみたまえ。こまごました役所のしごとに首をつっこんでいるということが、どんなことだかわかるから。」  詩人はあたまをふりました。書記も同様にあたまをふりました。てんでにじぶんじぶんの意見をいい張って、そのままふたりは別れました。 「どうも詩人というものはきみょうななかまだな。」と、書記はおもいました。「わたしもああいう人間の心持になってみたいものだ。じぶんで詩人になってみたいものだ。わたしなら、むろん、あの連中のように泣言をならべはしないぞ……ああ、詩人にとってなんてすばらしい春だろう。あんなにも空気は澄み、雲はあくまでうつくしい。わか葉の緑にかおりただよう。そうだ、もうなん年にも、このしゅんかんのような気持をわたしは知らなかった。」  これで、もうこの書記は、さっそく、詩人になっていたことがわかります。べつだん目につくほどのことはありません。いったい詩人とほかの人間とでは、うまれつきからまるでちがっているようにかんがえるのは、ばかげたことです。ただの人で詩人と名のっているたいていの人間よりも、もっと詩人らしい気質の人がいくらもあるのです。ただまあ詩人となれば、おもったこと感じたことをよくおぼえていて、それをはっきりと、言葉に書きあらわすだけの天分がある、そこらがちがうところです。でも、世間なみの気質から詩人の天分にうつるというのは、やはり大きなかわり方にちがいないので、それをいま、この書記君がしているのです。 「なんとすばらしい匂だ。」と、書記はいいました。「ローネおばさんのすみれの花をおもい出させる。そう、あれはわたしのこどものじぶんだった。はてね、ながいあいだおもいだしもしずにいたのだがな。いいおばさんだったなあ。おばさんは取引所のうしろに住んでいた。いつも木の枝か青いわか枝をだいじそうに水にさして、どんな冬の寒いときでも、あたたかいへやのなかにおいた。ほっこりとすみれが花をひらいているわきで、わたしは凍った窓ガラスに火であつくした銅貨をおしつけて、すきみの穴をこしらえたものだ。あれはおもしろい見物だった。そとの掘割には船が氷にとじられていた。乗組はみんなどこかへいっていて、からすが一羽のこってかあかあないていた。やがて春風がそよそよ吹きそめると、なにかが生き生きして来た。にぎやかな歌とさけび声のなかに、氷がこわされる。船にタールがぬられて、帆綱のしたくができると、やがて知らない国へこぎ出していってしまう。でも、わたしはいつまでもここにのこっている。年がら年じゅう警察のいすに腰をかけて、ひとが外国行の旅券を受け取っていくのをながめている、これがわたしの持ってうまれた運なのだ。うん、うん、どうも。」  こうおもって、書記はふかいため息をつきましたが。ふと、気がついて、 「はて、おかしいぞ。わたしは、いったいどうしたというのだろう。いつもこんなふうに、かんがえたり感じたりしたことはなかったのに。きっと心のなかに春風が吹き込んだのかな。なにかやるせないようで、そのくせいい気持だ。」  こうおもいながらなにげなくかくしのなかの紙に手をふれました。「いけない。これがせっかくのかんがえをほかにむけさせるのだ。」書記はそういいながらはじめの一枚にふと目をさらしますと、それはこう読まれました。「『ジグブリット夫人、五幕新作悲劇』おやおや、これはなんだ。しかもこれはわたしの手だぞ。わたしはいつこんな悲劇なんて書いたろう。軽喜歌劇散歩道の陰謀 一名懺悔祈祷日。はてね、どこでこんなものをもらったろう。たれかいたずらに、かくしに入れたかな。おやおや、ここに手紙があるぞ。」  いかにもそれは劇場の支配人から来たものでした。あなたのお作は上場いたしかねますと、それもいっこう礼をつくさない書きぶりで書いてありました。 「ふん、ふん。」こう書記はつぶやきながら、腰掛に腰をおろしました。なにか心がおどって、生きかえったようで、気分がやさしくなりました。ついすぐそばの花をひとつ手につみました。それはつまらない、ちいさなひなぎくの花でした。植物学者が、なんべんも、なんべんも、お講義を重ねて、やっと説明することを、この花はほんの一分間に話してくれました。それはじぶんの生いたちの昔話もしました。お日さまの光がやわらかな花びらをひらかせ、いい匂を立たせてくださる話もしました。そのとき、書記は、「いのちのたたかい」ということを、ふとおもいました。これもやはりわたしたちの心を動かすものでした。  空気と光は花と仲よしでした。それでも光がよけいすきなので、いつも光のほうへ、花は顔をむけました。ただ光が消えてしまったとき、花は花びらをまるめて、空気に抱かれながら眠りました。 「わたしを飾ってくれるのは、光ですよ。」と、花はいいました。 「でも、空気はおまえに息をさせてくれるだろう。」と、詩人の声がささやきました。  すると、すぐそばに、ひとりの男の子が、溝川の上を棒でたたいていました。にごった水のしずくが緑の枝の上にはねあがりました。すると、書記はそのしずくといっしょにたかく投げあげられたなん万という目にみえないちいさい生き物のことをおもいました。それは、からだの大きさの割合からすると、ちょうどわたしたちが雲の上まで高く投げられたと同じようなものでしょうか。そんなことを書記はおもいながら、だんだんかわっていくじぶんをおかしく感じました。 「どうも眠って夢をみているのだな。だが、ふしぎなことにはちがいない。そんなにまざまざ夢をみていて、しかも夢のなかで、それが夢だと知っているのだからな。どうかして夢にみたことをのこらず、あくる日目がさめてもおぼえていられたらいいだろう。どうもいつもとちがって、気分がみょうにうかれている。なにをみてもはっきりわかるし、生き生きとものをかんじている。でも、あしたになっておもいだしたら、ずいぶんばかげているにちがいない。せんにもよくあったことだ。夢のなかでいろいろと賢いことやりっぱなことをいったり、きいたりするものだ。それは地の下の小人の金のようなものだ。それを受けとったときには、たくさんできれいな金にみえるが、あかるい所でみると、石ころか枯ッ葉になってしまう。やれ、やれ。」  書記は、さもつまらなそうにため息をついて、枝から枝へ、愉快そうにとびまわって、ちいちいさえずっている小鳥をながめました。 「小鳥はわたしよりずっとよくくらしている。とぶということは、なにしろたいしたわざだ。つばさをそなえてうまれたものはしあわせだ。そうだな。わたしがもしなにか人間でないものに変れるならかわいいひばりになりたいものだ。」  こういうが早いか、書記の服のせなかに、両そでがびったりくっついて、つばさになりました。着物は羽根になり、うわおいぐつはつめになりました。書記はじぶんのずんずん変っていくすがたをはっきりみながら、心のなかでわらいました。「なるほど、これでいよいよ夢をみていることがわかる。だが、わたしはまだこんなおもいきってばかげた夢をみたことはないぞ。」こういって、ひばりになった書記は、みどりの枝のなかをとびまわってうたいました。  もう、その歌に詩はありません。詩人の気質はなくなってしまったのです。このうわおいぐつは、なんでもものごとをつきつめてするひとのように、一│時にひとつのことしかできません。詩人になりたいというと、詩人になりました。こんどは小鳥になりたいというと、小鳥になりました。とたんに詩人の心は消えました。 「こいつは実におもしろいぞ。」と、書記はとびながら、なおかんがえつづけました。「わたしは昼間、役所につとめて、石のように堅い椅子に腰をかけて、おもしろくないといって、およそこの上ない法律書類のなかに首をつッこんでいる。夜になると夢をみて、ひばりになって、フレデリクスベルグ公園の木のなかをとびまわる。こりゃあ、りっぱに大衆喜劇の種になる。」  そこで、書記のひばりは草のなかに舞いおりて、ほうぼうに首をむけて、草の茎をくちばしでつつきました。それはいまのじぶんの大きさにくらべては、北アフリカのしゅろの枝ほどもありそうでした。  すると、だしぬけにまわりがまっ暗やみになってしまいました。なにか大きなものが、上からかぶさって来たようにおもわれました。これはニュウボデルから来た船員のこどもが、大きな帽子を小鳥の上に投げかけたものでした。やがて下からぬっと手がはいって来て、書記のひばりのせなかとつばさをひどくしめつけたので、おもわずぴいぴい鳴きました。そして、びっくりした大きな声で「このわんぱく小僧め、おれは警察のお役人だぞ。」とどなりました。けれどもこどもには、ただぴいぴいときこえるだけでした。そこでこの男の子は鳥のくちばしをたたいて、つかんだままほうぼうあるきまわりました。  やがて、並木道で、男の子はほかのふたりのこどもに出あいました。身分をいう人間の社会では、いい所のこどもというのですが、学校では精紳がものをいうので、ごく下の級に入れられていました。このこどもたちが、シリング銀貨二、三枚で小鳥を買いました。そこで、ひばりの書記は、またコペンハーゲンのゴーテルス通のある家へつれてこられることになりました。 「夢だからいいようなものだが。」と、書記はいいました。「さもなければ、おれはほんとうにおこってしまう。はじめに詩人で、こんどはひばりか。しかもわたしを小鳥にかえたのは、詩人の気質がそうしたのだよ。それがこどもらの手につかまれるようになっては、いかにもなさけない。このおしまいは、いったいどうなるつもりか、見当がつかない。」  やがて、こどもたちはひばりをたいそうりっぱなおへやにつれこみました。ふとったにこにこした奥さまが、こどもたちをむかえました。この子たちのおかあさまでしたろう。けれども、このおかあさまは、ひばりのことを「下等な野そだちの鳥」とよんで、そんなものをうちのなかへ入れることをなかなかしょうちしてくれません。やっとたのんで、ではきょう一日だけということで許してもらえました。で、ひばりは窓のわきにある、からッぽなかごのなかに入れられなければなりませんでした。「おうむちゃん、きっと、うれしがるでしょうよ。」と、奥さまはいって、上のきれいなしんちゅうのかごのなかの輪で、お上品ぶってゆらゆらしている大きなおうむにわらいかけました。 「きょうはおうむちゃんのお誕生日だったねえ。」と、奥さまはあまやかすようにいいました。「だから、このちっぽけな野そだちの鳥もお祝をいいに来たのだろうよ。」  おうむちゃんはこれにひとことも返事をしませんでした。ただお上品ぶってゆらゆらしていました。すると、去年の夏、あたたかい南の国のかんばしい林のなかから、ここへつれてこられた、かわいらしいカナリヤが、たかい声で歌をうたいはじめました。 「やかましいよ。」と、奥さまはいいました。そうして白いハンケチを鳥かごにかけてしまいました。 「ぴい、ぴい。」と、カナリヤはため息をつきました。「おそろしい雪おろしになって来たぞ。」こういってため息をつきながら、だまってしまいました。  書記は、いや、奥さまのおっしゃる下等な野そだちの鳥は、カナリヤのすぐそばのちいさなかごに入れられました。おうむからもそう遠くはなれてはいませんでした。このおうむちゃんのしゃべれる人間のせりふはたったひとつきり、それは、「まあ、人になることですよ。」というので、それがずいぶんとぼけてきこえるときがありました。そのほかに、ぎゃあぎゃあいうことは、カナリヤの歌と同様、人間がきいてもまるでわけがわかりませんでした。ただ書記だけは、やはり小鳥のなかまにはいったので、いうことはよくわかりました。 「わたしはみどりのしゅろの木や、白い花の咲くあんずの木の下をとんでいたのだ。」と、カナリヤがうたいました。「わたしは男のきょうだいや女のきょうだいたちと、きれいな花の咲いた上や、鏡のようにあかるいみどりの上をとんでいたのだ。みずうみの底には、やはり草や木が、ゆらゆらゆられていた。それからずいぶん、ながいお話をたくさんしてくれるきれいなおうむさんにもあった。」 「ありゃ野そだちの鳥よ。」と、おうむがこたえました。「あれらはなにも教育がないのだ。まあ人になることですよ。おまえ、なぜわらわない。奥さんやお客さんたちがわらったら、おまえもわらう。娯楽に趣味をもたないのは欠点です。まあ人になることですよ。」 「おまえさん、おぼえているでしょう。花の咲いた木の下に、天幕を張って、ダンスをしたかわいらしいむすめたちのことを、野に生えた草のなかに、あまい実がなって、つめたい汁の流れていたことを。」 「うん、そりゃ、おぼえている。」と、おうむがこたえました。「だが、ここのお内で、ぼくはもっといいくらしをしているのだ。ごちそうはあるし、だいじに扱われている。この上ののぞみはないのさ。まあ、人になることですよ。きみは詩人のたましいとかいうやつをもっている。ぼくはなんでも深い知識ととんちをもっている。きみは天才はあるが、思慮がないよ。持ってうまれた高調子で、とんきょうにやりだす、すぐ上からふろしきをかぶされてしまうのさ。そこはぼくになるとちがう。どうしてそんな安ッぽいのじゃない。この大きなくちばしだけでも、威厳があるからな。しかもこのくちばしで、とんちをふりまいて人をうれしがらせる。まあ、人になることですよ。」 「ああ、わがなつかしき、花さく熱帯の故国よ。」とカナリヤがうたいました。「わたしはあのみどりしたたる木立と、鏡のような水に枝が影をうつしている静かな入江をほめたたえよう。『沙漠の泉の木』が茂って、そこにうつくしくかがやくきょうだいの鳥たちのよろこびをほめたたえよう。」 「さあ、たのむから、もうそんななさけない声を出すのはよしておくれ。」と、おうむがいいました。 「なにかわらえるようなことをうたっておくれ。わらいはいとも高尚な心のしるしだ。犬や馬がわらえるかね。どうだ。どうして、あれらはなくだけです。わらいは人にだけ与えられたものだ。ほッほッほ。」  こうおうむはわらってみせて、「まあ、人になることですよ。」とむすびました。 「もし、もし、そこに灰色しているデンマルクの小鳥さん。」と、カナリヤがひばりに声をかけました。「きみもやはり囚人になったんだな。なるほど、きみの国の森は寒いだろう。だが、そこにはまだ自由がある。とびだせ。とびだせ。きみのかごの戸はしめるのを忘れている。上の窓はあいているぞ。逃げろ、逃げろ。」  カナリヤがこういうと、書記はついそれにのって、すうとかどをとびだしました。そのとたん、となりのへやの、半分あいた戸がぎいと鳴ると、みどり色した火のような目の飼いねこがしのんで来ました。そうして、いきなりひばりを追っかけようとしました、カナリヤはかごのなかをとびまわりました。おうむもつばさをばさばさやって「まあ、人になることですよ。」とさけびました。書記は、もう死ぬほどおどろいて、窓から屋根へ往来へとにげました。とうとうくたびれて、すこし休まなければならなくなりました。  すると、むこうがわの家が、住み心地のよさそうなようすをしていました。窓がひとつあけてあったので、そこからつういととび込むと、そこはじぶんのへやの書斎でした。ひばりはそこのつくえの上にとびおりました。 「まあ、人になることですよ。」と、ひばりはついおうむの口まねをしていいました。そのとたんに、書記にもどりました。ただつくえの上にのっかっていました。 「やれ、やれおどろいた。」と、書記はいいました。「どうしてこんな所にのっかっているのだろう。しかもひどく寝込んでしまって、なにしろおちつかない夢だった。しまいまで、くだらないことばかりで、じょうだんにもほどがある。」    六 うわおいぐつのさずけてくれたいちばんいい事  明くる日、朝早く、書記君まだ寝床にはいっていますと、戸をこつこつやる音がきこえました。それはおなじ階でおとなり同士の若い神学生で、はいって来てこういいました。 「きみのうわおいぐつを貸してくれたまえ。」と、学生はいいました。「庭はひどくしめっているけれど、日はかんかん照っている。おりていって、一服やりたいとおもうのだよ。」  学生にうわおいぐつをはいて、まもなく庭へおりました。庭にはすももの木となしの木がありました。これだけのちょっとした庭でも、都のなかではどうして大したねうちです。  学生は庭の小みちをあちこちあるきまわりました。まだやっと六時で、往来には郵便馬車のラッパがきこえました。 「ああ、旅行。旅行。」と、学生はさけびました。「これこそ、この世のいちばん大きな幸福だ。これこそぼくの希望のいちばんたかい目標だ。旅に出てこそぼくのこの不安な気持が落ちつく、だが、ずっととおくではなければなるまい。うつくしいスウィスがみたい。イタリアへいきたい――」  いや、うわおいぐつがさっそくしるしをみせてくれたことは有りがたいことでした。さもないと、じぶんにしても、他人のわたしたちにしても、始末のわるい遠方までとんでいってしまうところでした。さて、学生は旅行の途中です。スウィスのまんなかで、急行馬車に、ほかの八人の相客といっしょにつめこまれていました。頭痛がして、首がだるくて、足は血が下がってふくれた上をきゅうくつな長ぐつでしめつけられていました。眠っているとも、さめているともつかず、うとうとゆられていました。右のかくしには信用手形を入れ、左のかくしには、旅券を入れていました。ルイドール金貨が胸の小さな革紙入にぬい入れてありました。うとうとするとこのだいじな品物のうちどれかをなくした夢をみました。それで、熱のたかいときのように、ひょいととびあがりました。そうしてすぐと手を動かして、右から左へ三角をこしらえて、それから胸にさわってまだなくさずに持っているかどうかみました。こうもりがさと帽子とステッキは、あたまの上の網のなかでゆれてぶら下がっていて、せっかくのすばらしいそとの景色をみるじゃまをしていました。でも、その下からのぞいてみるだけでして、そのかわり学生は心のなかで、詩人とまあいってもいいでしょう、わたしたち知っているさる人が、スウィスで作って、そのまままだ印刷されずにいる詩をうたっていました。 さなり、ここに心ゆくかぎりの美はひらかれ  モンブランの山天そそる姿をあらわす。 嚢中のかくもすみやかに空しからずば、はや  あわれ、いつまでもこの景にむかいいたらまし。  みるかぎりの自然に、大きく、おごそかで、うすぐらくもみえました。もみの木の林が、高い山の上で、草やぶかなんぞのようにみえました。山のいただきは雲霧にかくれてみえませんでした。やがて雪が降りはじめて、風がつめたく吹いて来ました。 「おお、寒い。」と、学生はため息をつきました。「これがアルプスのむこうがわであったらいいな。あちらはいつも夏景色で、その上、この信用手形でお金が取れるのだろうが。金の心配で、せっかくのスウィスも十分に楽しめない。どうかはやくむこうへいきたいなあ。」  こういうと、もう学生は山のむこうがわのイタリアのまんなかの、フィレンツェとローマのあいだに来ていました。トラジメーネのみずうみは、夕ばえのなかで、暗いあい色の山にかこまれながら、金色のほのおのようにかがやいていました。ここは昔、ハンニバルがフラミウスをやぶったところで、そこにぶどうのつるが、みどりの指をやさしくからみあっていました。かわいらしい半裸体のこどもらが、道ばたの香り高い月桂樹の林のなかで、まっ黒なぶたの群を飼っていました。もしこの景色をそのまま画にかいてみせることができたら、たれだって「ああ、すばらしいイタリア。」とさけばずにはいられないでしょう。けれどもさしあたり神学生も、おなじウェッツラ(四輪馬車)にのりあわせた旅の道づれも、それをくちびるにのせたものはありませんでした。  毒のあるはえやあぶが、なん千となく、むれて馬車のなかへとびこんで来ました。みんな気ちがいのように、ミルテの枝をふりまわしましたが、はえはへいきで刺しました。馬車の客は、ひとりだってさされて顔のはれあがらないものはありませんでした。かわいそうな馬は腐れ肉でもあるかのようにはえのたかるままになっていました。たまにぎょ者がおりて、いっぱいたかっている虫をはらいのけると、そのときだけいくらかほっとしました。いま、日は沈みかけました。みじかい、あいだですが、氷のような冷やかさが万物にしみとおって、それはどうにもこころよいものではありません。でも、まわりの山や雲が、むかしの画にあるような、それはうつくしいみどり色の調子をたたえて、いかにもあかるくすみとおって――まあなんでも、じぶんでいってみることで、書いたものをよむだけではわかりません。まったくたとえようのないけしきです。この旅行者たちたれもやはりそうおもいました。でも――胃の腑はからになっていましたし、からだも疲れきっていました。ただもう今夜のとまり、それだけがたれしもの心のねがいでした。さてどうそれがなるのか。うつくしい自然よりも、そのほうへたれの心もむかっていました。  道は、かんらんの林のなかを通っていきました。学生は、故郷にいて、節だらけのやなぎの木のあいだをぬけて行くときのような気もちでした。やがてそこにさびしい宿屋をみつけました。足なえのこじきがひとかたまり、そこの入口に陣取っていました。なかでいちばんす早いやつでも、ききんの惣領息子が丁年になったような顔をしています。そのほかは、めくらかいざりかどちらかでしたから、両手ではいまわるか、指の腐れおちた手をあわせていました。これはまったくみじめがぼろにくるまって出て来た有様でした。*「エチェレンツア・ミゼラビリ」と、こじきはため息まじりにかたわな手をさしだしました。なにしろこの宿屋のおかみさんからして、はだしでくしを入れないぼやぼやのあたまに、よごれくさったブルーズ一枚でお客を迎えました。戸はひもでくくりつけてありました。へやのゆかは煉瓦が半分くずれた上を掘りかえしたようなていさいでした。こうもりが天井の下をとびまわって、へやのなかから、むっとくさいにおいがしました――。 *旦那さま、かわいそうなものでございます。 「そうだ、いっそ食卓はうまやのなかにもちだすがいい。」と、旅人のひとりがいいました。「まだしもあそこなら息ができそうだ。」  窓はあけはなされました。そうすればすこしはすずしい風がはいってくるかとおもったのです。ところが風よりももっとす早く、かったいぼうの手がでて来て、相変らず「ミゼラビリ・エチェレンツア」と鼻をならしつづけました。壁のうえにはたくさん楽書がしてありましたが、その半分は*「ベルラ・イタリア」にはんたいなことばばかりでした。 *イタリアよいとこ。  夕飯がでました。それはこしょうと、ぷんとくさい脂で味をつけた水っぽいスープとでした。そのくさい脂がサラダのおもな味でした。かびくさい卵と、鶏冠の焼いたのが一とうのごちそうでした。ぶどう酒までがへんな味がしました。それはたまらないまぜものがしてありました。  夜になると、旅かばんをならべて戸に寄せかけました。ほかのもののねているあいだ、旅人のひとりが交代で起きて夜番をすることになりました。そこで神学生がまずその役にあたりました。ああ、なんてむんむすることか。暑さに息がふさがるようでした。蚊がぶん、ぶん、とんで来て刺しました。おもての「ミゼラビリ」は夢のなかでも泣きつづけていました。 「そりゃ旅行もけっこうなものさ。」と、神学生はいいました。「人間に肉体というものがなければな。からだは休ましておいて、心だけとびあるくことができたらいいさ。どこへいってもぼくは心をおされるよう不満にであう。ぼくののぞんでいたのは、現在の境遇より少しはいいものなのだ。そうだ、もう少しいいもの、いちばんいいものだ。だが、それはどこにある。それはなんだ。心のそこには求めているものがなにかよくわかっている。わたしは幸福を目あてにしたいのだ。すべてのもののなかでいちばん幸福なものをね。」  すると、いうがはやいか、学生は、もうじぶんの内へかえっていました、長い、白いカーテンが窓からさがっていました。そうしてへやのまんなかに、黒い棺がおいてありました。そのなかで、学生は死んで、しずかに眠っていたのでした。のぞみははたされたのです――肉体は休息して、精神だけが自由に旅をしていました。「いまだ墓にいらざるまえ、なにびとも幸福というを得ず。」とは、ギリシアの賢人ソロンの言葉でした。ここにそのことばが新しく証明されたわけです。  すべて、しかばねは不死不滅のスフィンクスです。いま目のまえの黒い棺のなかにあるスフィンクスも、死ぬつい三日まえ書いた、次のことばでそのこたえをあたえているのです。 いかめしい死よ、おまえの沈黙は恐怖をさそう。 おまえの地上にのこす痕跡は寺の墓場だけなのか。 たましいは*ヤコブのはしごを見ることはないのか。 墓場の草となるほかに復活の道はないのか。 この上なく深いかなしみをも世間はしばしばみすごしている。 おまえは孤独のまま最後の道をたどっていく。 しかもこの世にあって心の荷う義務はいやが上に重い、 それは棺の壁をおす土よりも重いのだ。 * ヤコブがみたという地上と天国をつなぐはしご(創世記二八ノ一二)  ふたつの姿がへやのなかでちらちら動いていました。わたしたちはふたりとも知っています。それは心配の妖女と、幸福の女神の召使でした。ふたりは死人の上にのぞきこみました。  心配がいいました。「ごらん、おまえさんのうわおいぐつがどんな幸福をさずけたでしょう。」 「でも、とにかくここに寝ている男には、ながい善福をさずけたではありませんか。」と、よろこびがこたえました。 「まあ、どうして。」と、心配がいいました。「この人はじぶんで出て行ったので、まだ召されたわけではなかったのですよ。この人の精神はまだ強さが足りないので、当然掘り起さなければならないはずの宝を掘り起さずにしまいました。わたしはこの人に好いことをしてやりましょう。」  こういって、心配は学生の足のうわおいぐつをぬがしてやりました。すると、死の眠がおしまいになって、学生は目をさまして立ちあがりました。心配の姿は消えました。それといっしょにうわおいぐつも消えてなくなりました。――きっと心配が、そののちそれをじぶんの物にして、もっているのでしょう。
底本:「新訳アンデルセン童話集第一巻」同和春秋社    1955(昭和30)年7月20日初版発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 ※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のあるページの下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。 ※疑問箇所の確認にあたっては、「アンデルセン童話集2 一本足の兵隊」冨山房百科文庫、冨山房、1938(昭和13)年12月10日発行を参照しました。 入力:大久保ゆう 校正:秋鹿 2006年1月18日作成 2009年9月13日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 みなさん、よくごぞんじのように、シナでは、皇帝はシナ人で、またそのおそばづかえのひとたちも、シナ人です。  さて、このお話は、だいぶ昔のことなのですがそれだけに、たれもわすれてしまわないうち、きいておくねうちもあろうというものです。  ところで、そのシナの皇帝の御殿というのは、どこもかしこも、みごとな、せとものずくめでして、それこそ、世界一きらびやかなものでした。  なにしろ、とても大したお金をかけて、ぜいたくにできているかわり、こわれやすくて、うっかりさわると、あぶないので、よほどきをつけてそのそばをとおらなければなりません。御苑にはまた、およそめずらしい、かわり種の花ばかりさいていました。なかでもうつくしい花には、そばをとおるものが、いやでもそれにきのつくように、りりりといいねになるぎんのすずがつけてありました。ほんとうに、皇帝の御苑は、なにからなにまでじょうずにくふうがこらしてあって、それに、はてしなくひろいので、おかかえの庭作でも、いったいどこがさかいなのか、よくはわからないくらいでした。なんでもかまわずどこまでもあるいて行くと、りっぱな林にでました。そこはたかい木立があって、そのむこうに、ふかいみずうみをたたえていました。林をではずれるとすぐ水で、そこまで木のえだがのびているみぎわちかく、帆をかけたまま、大きなふねをこぎよせることもできました。  さて、この林のなかに、うつくしいこえでうたう、一羽のさよなきどりがすんでいましたが、そのなきごえがいかにもいいので、日びのいとなみにおわれているまずしい漁師ですらも、晩、網をあげにでていって、ふと、このことりのうたが耳にはいると、ついたちどまって、ききほれてしまいました。 「どうもたまらない。なんていいこえなんだ。」と、漁師はいいましたが、やがてしごとにかかると、それなり、さよなきどりのこともわすれていました。でもつぎの晩、さよなきどりのうたっているところへ、漁師がまた網にでてきました。そうして、またおなじことをいいました。 「どうもたまらない、なんていいこえなんだ。」  せかいじゅうのくにぐにから、旅行者が皇帝のみやこにやってきました。そうして、皇帝の御殿と御苑のりっぱなのにかんしんしましたが、やはり、このさよなきどりのうたをきくと、口をそろえて、 「どうもこれがいっとうだな。」といいました。で、旅行者たちは、国にかえりますと、まずことりのはなしをしました。学者たちは、その都と御殿と御苑のことをいろいろと本にかきました。でもさよなきどりのことはけっして忘れないどころか、この国いちばんはこれだときめてしまいました。それから、詩のつくれるひとたちは、深いみずうみのほとりの林にうたう、さよなきどりのことばかりを、この上ないうつくしい詩につくりました。  こういう本は、世界じゅうひろまって、やがてそのなかの二三冊は、皇帝のお手もとにとどきました。皇帝は金のいすにこしをかけて、なんべんもなんべんもおよみになって、いちいちわが意をえたりというように、うなずかれました。ごじぶんの都や御殿や御苑のことを、うつくしい筆でしるしているのをよむのは、なるほどたのしいことでした。 「さはいえど、なお、さよなきどりこそ、こよなきものなれ。」と、そのあとにしかし、ちゃんとかいてありました。 「はてな。」と、皇帝は首をおかしげになりました。「さよなきどりというか。そんな鳥のいることはとんとしらなかった。そんな鳥がこの帝国のうちに、しかも、この庭うちにすんでいるというのか。ついきいたこともなかったわい。それほどのものを、本でよんではじめてしるとは、いったいどうしたことだ。」  そこで皇帝は、さっそく侍従長をおめしになりました。この役人は、たいそう、かくしきばった男で、みぶんの下のものが、おそるおそるはなしかけたり、または、ものでもたずねても、ただ「ペ」とこたえるだけでした。ただしこの「ペ」というのに、べつだんのいみはないのです。 「この本でみると、ここにさよなきどりというふしぎな鳥がいることになっているが。」と、皇帝はおたずねになりました。「しかもそれがわが大帝国内で、これが第一等のものだとしている。それをどうして、いままでわたしにいわなかったのであるか。」 「わたくしもまだ、そのようなもののあることは、うけたまわったことがございません。」と、侍従長はいいました。「ついぞまだ、宮中へすいさんいたしたこともございません。」 「こんばん、さっそく、そのさよなきどりとやらをつれてまいって、わがめんぜんでうたわせてみせよ。」と、皇帝はおっしゃいました。「みすみす、じぶんがもっていて、世界じゅうそれをしっているのに、かんじんのわたしが、しらないではすまされまい。」 「ついぞはや、これまでききおよばないことでございます。」と、侍従長は申しました。「さっそくたずねてみまする。みつけてまいりまする。」  さて、そうはおこたえ申しあげたものの、どこへいって、それをみつけたものでしょう。侍従長は御殿じゅうの階段を上ったり下りたり、廊下や広間のこらずかけぬけました。でもたれにあってきいても、さよなきどりのはなしなんか、きいたというものはありません。そこで侍従長は、また皇帝のごぜんにかけもどってきて、さよなきどりのことは、本をかきましたものの、かってなつくりばなしにちがいありませんと申しました。 「おそれながら陛下、すべて書物にかいてありますことを、そのままお用いになってはなりません。あれはこしらえごとでございます。いわば、妖術魔法のるいでございます。」 「いや、しかし、わたしがこの鳥のことをよんだ本というのは、」と、皇帝はおっしゃいました。「叡聖文武なる日本皇帝よりおくられたもので、それにうそいつわりの書いてあろうはずはないぞ。わたしはぜひとも、さよなきどりのこえをきく。どうあっても、こんばんつれてまいれ。かれはわたしの第一のきにいりであるぞ。それゆえ、そのとおり、とりはからわぬにおいては、この宮中につかえるたれかれのこらず、夕食ののち、横ッ腹をふむことにいたすから、さようこころえよ。」 「チン ペ。」と、侍従長は申しました。それからまた、ありったけの階段を上ったり下りたり、廊下や広間をのこらずかけぬけました。御殿の役人たちも、たれでも横ッ腹をふみにじられたくはないので、そのはんぶんは、いっしょになって、かけまわりました。そこで、世界じゅうがしっていて、御殿にいるひとたちだけがしらない、ふしぎな、さよなきどりのそうさくが、はじまりました。  とうとうおしまいに、役人たちのつかまえたのは、お台所の下ばたらきのしがないむすめでした。そのむすめは、こういいました、 「まあ、さよなきどりですって、わたしはよくしっておりますわ。ええ、なんていいこえでうたうでしょう。まいばん、わたくしは、びょうきでねている、かわいそうなかあさんのところへ、ごちそうのおあまりを、いただいてもっていくことにしておりますの。かあさんは、湖水のふちに、すんでいましてね、そこからわたしがかえってくるとき、くたびれて、林のなかでやすんでいますと、さよなきどりの歌がきこえます。きいているうち、まるでかあさんに、ほおずりしてもらうようなきもちになりましてね、つい涙がでてくるのでございます。」 「これこれ、女中。」と、侍従長はいいました。「おまえに、お台所でしっかりした役をつけてやって、おかみがお食事をめしあがるところを、おがめるようにしてあげる。そのかわり、そのさよなきどりのいるところへ、あんないしてもらいたい。あの鳥は、さっそく、こんばん、ごぜんにめされるのでな。」  そこでみんな、そのむすめについて、さよなきどりがいつもうたうという、林のなかへはいって行きました。御殿のお役人が、はんぶんまで、いっしょについていきました。みんながぞろぞろ、ならんであるいて行きますと、いっぴきのめうしが、もうと、なきだしました。 「やあ。」と、わかい小姓がいいました。「これでわかったよ。ちいさないきものにしては、どうもめずらしくしっかりしたこえだ。あれなら、たしかもうせん、きいたことがあるぞ。」 「いいえ、あれはめうしが、うなっているのよ。」と、お台所の下ばたらきむすめがいいました。 「鳥のところまでは、まだなかなかですわ。」  こんどはかえるが、ぬまの中で、けろけろとなきはじめました。 「りっぱなこえだ。」と、皇室づきの説教師がいいました。「これ、どこかに、さよなきどりのこえをききつけましたぞ。まるでお寺のちいさなかねがなるようじゃ。」 「いいえ、あれはかえるでございますわ。」と、お台所むすめはいいました。「でも、ここまでくれは、もうじき鳥もきこえるでしょう。」  こういっているとき、ちょうどさよなきどりが、なきはじめました。 「ああ、あれです。」と、むすめはいいました。「ほら、あすこに、とまっているでしょう。」  こういって、このむすめは、むこうの枝にとまっている、灰色したことりを、ゆびさしました。 「はてね。」と、侍従長はいいました。「あんなようすをしているとは、おもいもよらなかったよ。なんてつまらない鳥なんだ。われわれ高貴のものが、おおぜいそばにきたのにおじて、羽根のいろもなくしてしまったにちがいない。」 「さよなきどりちゃん。」と、お台所むすめは、大きなこえで、いいました。「陛下さまが、ぜひごぜんで、うたわせて、ききたいとおっしゃるのよ。」 「それはけっこうこの上なしです。」と、さよなきどりはいいました。そうして、さっそくうたいだしましたが、そのこえのよさといったらありません。 「まるで玻璃鐘の音じゃな。」と、侍従長はいいました。「あのちいさなのどが、よくもうごくものだ。どうもいままであれをきいていなかったのがふしぎだ。あれなら宮中でも、上上のお首尾じゃろう。」 「陛下さまのごぜんですから、もういちどうたうことにいたしましょうか。」と、さよなきどりはいいましたが、それは、皇帝ごじしんそこの場にきておいでになることと、おもっていたからでした。 「いや、あっぱれなる小歌手、さよなきどりくん。」と、侍従長はいいました。「こんばん、宮中のえんかいに、君を招待するのは、大いによろこばしいことです。君は、かならずそのうつくしいこえで、わが叡聖文武なる皇帝陛下を、うっとりとさせられることでござろう。」 「わたしのうたは、林の青葉の中できいていただくのに、かぎるのですがね。」と、さよなきどりはいいました。でも、ぜひにという陛下のおのぞみだときいて、いそいそついていきました。  御殿はうつくしく、かざりたてられました。せとものでできているかべも、ゆかも、何千とない金のランプのひかりで、きらきらかがやいていました。れいの、りりり、りりりとなるうつくしい花は、のこらずお廊下のところにならべられました。そこを、人びとがあちこちとはしりまわると、そのあおりかぜで、のこらずのすずがなりひびいて、じぶんのこえもきこえないほどでした。  皇帝のおでましになる大ひろまのまん中に、金のとまり木がおかれました。それにあのさよなきどりがとまることになっていました。宮中の役人たちのこらず、そこにならびました。あのお台所の下ばたらきむすめも、いまではせいしきに、宮中づきのごぜん部係にとりたてられたので、ひろ間のとびらのうしろにたつことをゆるされました。みんな大礼服のはれすがたで、いっせいに、陛下がえしゃくなさった灰いろのことりに目をむけました。  さて、さよなきどりは、まことにすばらしくうたってのけたので、皇帝のお目にはなみだが、みるみるあふれてきて、それがほおをつたわって、ながれおちたほどでした。するとさよなきどりは、なおといっそういいこえで、それは、人びとのこころのおくそこに、じいんとしみいるように、うたいました。陛下は、たいそう、およろこびになって、さよなきどりのくびに、ごじぶんの、金のうわぐつをかけてやろうとおっしゃいました。しかし、さよなきどりは、ありがとうございますが、もうじゅうぶんに、ごほうびは、いただいておりますといいました。 「わたくしは、陛下のお目になみだのやどったところを、はいけんいたしました。もうそれだけで、わたくしには、それがなによりもけっこうなたからでございます。皇帝の涙というものは、かくべつなちからをもっております。神かけて、もうそれが身にあまるごほうびでございます。」  こういって、そのとき、さよなきどりは、またもこえをはりあげて、あまい、たのしいうたをうたいました。 「まあ、ついぞおぼえのない、いかにもやさしくなでさすられるようなかんじでございますわ。」と、まわりにたった貴婦人たちがいいました。それからというもの、このご婦人たちは、ひとからはなしかけられると、まず口に水をふくんで、わざとぐぐとやって、それで、さよなきどりになったつもりでいました。とうとう、すえずえの、べっとうとか、おはしたというひとたちまでが、この鳥には、すっかりかんしんしたと、いいだしました。  この連中をまんぞくさせることは、この世の中でおよそむずかしいことでしたから、これはたいしたことでした。つまり、さよなきどりは、ほんとうに、うまくやってのけたわけでした。  さて、さよなきどりは、それなり宮中にとめられることになりました。じぶん用のとりかごをいただいて、まいにち、ひる二どと、よるいちどとだけ、外出をゆるされました。でかけるときには、十二人のめしつかいがひとりひとり、とりのあしにむすびつけたきぬいとを、しっかりもって、おともをして行きました。こんなふうにしてでかけたのでは、いっこうにおもしろいはずがありませんでした。  このめずらしいさよなきどりのことは、みやこじゅうのひょうばんになりました。そうして、ふたりであえば、そのひとりが、 「*さよ。」と、いうと、あいては、「なき。」とこたえます。 *デンマークの原語では「ナデル(小夜)」。「ガール(啼鳥)」。「ガール」にはおばかさんの意味もある。  それから、ふたりはほっとためいきをついて、それでおたがい、わけがわかっていました。いや、物売のこどもまでが、十一人も、さよなきどりという名をつけられたくらいです。でも、そのうちのひとりとして、ふしらしいもののうたえるのどでは、ありませんでした。――  ところで、ある日、皇帝のおてもとに、大きな小包がとどきました。その包のうわがきに、「さよなきどり。」と、ありました。 「さあ、わが国の有名なことりのことを書いたしょもつが、またきたわい。」  皇帝はこうおっしゃいましたが、こんどは、本ではなくて、はこにはいった、ちいさなさいく物でした。それはほんものにみまがうこしらえものの、さよなきどりでしたが、ダイヤモンドだの、ルビイだの、サファイヤだのの宝石が、ちりばめてありました。ねじをまくと、さっそく、このさいく物の鳥は、ほんものの鳥のうたうとおりを、ひとふしうたいました。そうして、上したに尾をうごかすと、金や、銀が、きらきらひかりました。首のまわりに、ちいさなリボンがいわえつけてあって、それに、 「日本皇帝のさよなきどり、中華皇帝のそれにはおよびもつかぬ、おはずかしきものながら。」と、書いてありました。 「これはたいしたものだ。」と、みんなはいいました。そうして、このさいく物のことりをはこんできたものは、さっそく、帝室さよなきどり献上使、というしょうごうをたまわりました。 「いっしょになかしたら、さぞおもしろい二部合唱がきけるだろう。」  そこで、ふたつのさよなきどりは、いっしょにうたうことになりました。でも、これはうまくいきませんでした。それは、ほんもののさよなきどりは、かってに、じぶんのふしでうたって行きましたし、さいく物のことりは、ワルツのふしでやったからでした。 「いや、これはさいく物のことりがわるいのではございません。」と、宮内楽師長がいいました。「どうしてふしはたしかなもので、わたくしどもの流儀にまったくかなっております。」  そこで、こんどは、さいく物のことりだけがうたいました。ほんもののとおなじようにうまくやって、しかもちょいとみたところでは、ほんものよりは、ずっときれいでした。それはまるで腕輪か、胸にとめるピンのように、ぴかぴかひかっていました。  さいく物のことりは、おなじところを三十三回も、うたいましたが、くたびれたようすもありませんでした。みんなはそれでも、もういちどはじめから、ききなおしたいようでしたが、皇帝は、いきているさよなきどりにも、なにかうたわせようじゃないかと、おっしゃいました。――ところが、それはどこへいったのでしょう。たれひとりとして、ほんもののさよなきどりが、あいていたまどからとびだして、もとのみどりの森にかえっていったことに、気づいたものは、ありませんでした。 「いったい、これはどうしたというわけなのか。」と、皇帝はおっしゃいました。ところが、御殿の人たちは、ほんもののさよなきどりのことを、わるくいって、あのさよなきどりのやつ、ずいぶん恩しらずだといいました。 「なあに、こちらには、世界一上等の鳥がいるのだ。」と、みんないいました。  そこで、さいく物のことりが、またうたわせられることになりました。これで三十四回おなじうたをきくわけになったのですが、それでもなかなか、ふしがむずかしいので、たれにもよくおぼえることができませんでした。で、楽師長は、よけいこのとりをほめちぎって、これはまったく、ほんもののさよなきどりにくらべて、つくりといい、たくさんのみごとなダイヤモンド飾りといい、ことさら、なかのしかけといったら、どうして、ほんものよりはずっとりっぱなものだといいきりました。 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そうこうしているうちに、まる一年たちました。皇帝も、宮中のお役人たちも、みんなほかのシナ人たちも、そのさいくどりの歌の、クルック、クルック、という、こまかいふしまわしのところまでのこらずおぼえこんでしまいました。ところでそのためよけい、この鳥がみんなをよろこばせたというわけは、たれもいっしょになって、その歌をうたうことができたからで、またほんとうに、そのとおりやっていました。往来をあるいているこどもたちまでが、 「チチチ、クルック、クルック、クルック」と、うたうと、皇帝もそれについておうたいになりました。――いや、もうまったくうれしいことでした。  ところがあるばん、さいくどりに、せいいっぱいうまくうたわせて、皇帝はね床の中でそれをきいておいでになるうち、いきなり、鳥のおなかの中で、ぶすっという音がして、なにかはぜたようでした。つづいて、がらがらがらと、のこらずのはぐるまが、からまわりにまわって、やがて、ぶつんと音楽はとまってしまいました。  皇帝はすぐとね床をとびおきて、侍医をおめしになりました。でも、それがなんの役にたつでしょう。そこで時計屋をよびにやりました。で、時計屋がきて、あれかこれかと、わけをきいたり、しらべたりしたあげく、どうにか、さいくどりのこしょうだけは、なおりました。でも、時計屋は、なにしろ、かんじんな軸うけが、すっかりすりへっているのに、それをあたらしくとりかえて、音楽をもとどおりはっきりきかせるくふうがつかないから、せいぜい、たいせつにあつかっていただくほかはないと、いいました。これはまことにかなしいことでした。もう一年にたったいちどだけ、うたわせることになったのですが、それさえ、おおすぎるというのです。でもそのとき、楽師長は、れいの小むずかしいことばばかりならべた、みじかいえんぜつをして、なにも、これまでとかわったところはないと、いいましたが、なるほど、歌は、これまでとかわったところは、ありませんでした。  さて、それから五年たちましたが、こんどこそはほんとうに、国じゅうの大きなかなしみがやってきました。じんみんたちが、こころからしたっていた皇帝が、こんど、ごびょうきにかかられて、もうながいことはあるまいという、うわさがたちました。あたらしい皇帝も、もうかわりにえらばれていました。じんみんたちは往来にあつまって、れいの侍従長に、皇帝さまは、どんなごようだいでございますかと、たずねました。するとこのひとは、いつものように「ペ」といって、あたまをふりました。  ひえこおった青いかおをして、皇帝は、うつくしくかざりたてた、大きなおねだいに、よこになっておいでになりました。宮中の役人たちは、もう皇帝は、おなくなりになったと、おもって、われがちに、あたらしい皇帝のところへ、おいわいのことばを、申しあげに出かけていきました。その下のめし使のおとこたちも、そここことかけまわって、そのことでしゃべりあいました。めし使の女たちもあつまって、さかんなお茶の会をやっていました。広間にも、廊下にも、のこらず、ぬのがしかれているので、なんの足音もきこえず、御殿の中はまったく、しんかんとしていました。  けれども陛下は、まだおかくれになったというわけではなく、やせほそり、色は青ざめながら、ながいびろうどのとばりをたれて、どっしりとおもい金のふさのさがった、きらびやかなしんだいの上にやすんでおいでになりました。高いところにあるまどが、あけてあって、そこからさしこむ月のひかりが、陛下とそのそばにおかれた、さいくもののさよなきどりを、てらしていました。  おかわいそうに、皇帝は、まるでなにかが、むねの上にのってでもいるように、いきをすることもむずかしいようすでした。陛下が目をみひらいて、ごらんになると、おむねの上には、死神が、皇帝の金のかんむりをかぶり、片手には皇帝のけんを、片手に皇帝のうつくしいはたをもって、すわっていました。そうして、りっぱなびろうどのとばりの、ひだのあいだには、ずらりと、みなれない、いくつものくびがならんで、のぞきこんでいました。ひどくみにくいかおつきをしているものもありましたが、いたっておとなしやかなものも、ありました。これらのくびは、みんな、この皇帝のこれまでなさった、よいおこないや、わるいおこないで、いま、死神がそのしんぞうの上にすわったというので、みんなきて、ながめているというわけでした。 「このことを、おぼえているか。」 「こんなことも、やったろう。」 と、かわるがわる、そのくびが、ささやきました。それから、つづいて、がやがやしゃべりたてるので、皇帝のひたいからは、ひやあせが、ながれました。 「わたしは、そんなことは、しらないぞ。」と、皇帝は、おっしゃいました。 「音楽をやってくれ、音楽を。たいこでも、がんがんたたいて、あのこえの、きこえないようにしてくれ。」と、陛下はおさけびになりました。けれども、くびはかまわず、なおもはなしつづけました。そうして死神は、くびのいったことには、どんなことでも、シナ人らしくうなずいてみせました。 「音楽をやってくれ、音楽を。小さいうつくしい金のことりよ。うたってくれ。まあうたってくれ。おまえには、こがねもやった。宝石もあたえた。わたしのうわぐつすら、くびのまわりに、かけてやったではないか。さあ、うたってくれ。うたってくれ。」と、陛下はおさけびになりました。  ところが、そのことりは、じっとしていました。あいにく、たれも、ねじをまいてやるものがなかったので、このことりは、うたうことができなかったのでございます。  死神はなおも大きな、うつろな目で、皇帝をじろじろみつめていました。そしてあたりは、まったくおそろしいほど、しいんとしていました。  そのとき、きゅうにまどのとこから、この上もないかわいらしいうたが、きこえてきました。それは、まどのそとの枝にとまった、あの小さな、ほんもののさよなきどりがうたったものでした。さよなきどりは、皇帝がご病気だときいて、なぐさめてあげるために、げんきをつけてあげるために、歌をうたいに、やってきたのでした。さよなきどりが、うたうにつれて、あやしいまぼろしは、だんだん影がうすれて行きました。血は皇帝のおからだの中を、とっとっとまわりだしました。死神さえ、耳をとめて、そのうたをきいて、こういいました。 「もっとうたってくれ、さよなきどりや。もっとうたってくれ。」 「はい。そのかわり、あなたは、そのこがねづくりのけんをくれますか。そのりっぱなはたをくれますか。皇帝のかんむりをくださいますか。」  そこで死神は、うたをひとつうたってもらうたんびに、かわりに、三つのたからを、ひとつずつやりました。  さよなきどりは、ずんずんうたいつづけました。そして、まっしろなばらの花が咲いて、にわとこの花がにおい、青あおした草が、いきのこっている人たちのなみだでしめっているはかばのことをうたいました。きいているうち、死神はふと、じぶんの庭がみたくなったものですから、まどのところから、白いつめたい霧になって、ふわりふわり出ていきました。 「ありがとう、ありがとう。」と、皇帝はおっしゃいました。「天国のことりよ、わたしはよくおまえをおぼえているぞ。わたしはおまえを、この国からおいだしてしまったが、それでもおまえは、わたしのねどこから、いやなつみのまぼろしを、歌でけしてくれた。わたしのしんぞうに、とりついた死神を、おいはらってくれた。そのほうびには、なにをあげたものであろうか。」 「そのごほうびなら、もういただいております。わたくしがはじめて、ごぜんでうたいましたとき、陛下には、なみだをおながしになりました。わたくしは、けっしてあれをわすれはいたしません。あのおなみだこそ、歌をうたうものの、こころをよろこばす、宝石でございます。なにはとにかく、おやすみあそばせ。そうして、またおげんきに、お丈夫におなりなさいまし。なにかひとつ、うたってさしあげましょう。」  そこで、さよなきどりは、うたいだしました。――それをききながら、皇帝は、こころもちよく、ぐっすりと、おやすみになりました。まあ、どんなにそのねむりは、やすらかに、こころのやすまる力をもつものでしたろう。  皇帝はまた、げんきがでて、すっかりご丈夫になって、目をおさましになったとき、お日さまは、まどのところから、さしこんでいました。おそばづきの人たちは、陛下がおかくれになったこととおもって、ひとりもまだ、かえってきていませんでした。ただ、さよなきどりだけは、やはりおそばにつきそって、歌をうたっていました。 「おまえは、いつもわたしのそばにいてくれなければいけない。」と、皇帝はおっしゃいました。「おまえのすきなときだけ、うたってくれればいいぞ。こんなさいくどりなどは、こなごなに、たたきこわしてしまおう。」 「そんなことを、なすってはいけません。」と、さよなきどりはいいました。「そのことりも、ずいぶんながらくおやくにたちました。いままでどおりに、おいておやりなさいまし。わたくしは、御殿の中に、巣をつくって、すむわけには、まいりませんが、わたくしがきたいとおもうとき、いつでもこさせていただきましょう。そうしますと、わたくしは晩になりまして、あのまどのわきの枝に、とまります。そして、陛下のおこころがたのしくもなり、また、おこころぶかくなりますように、歌をうたって、おきかせ申しましょう。そうです、わたくしは、幸福なひとたちのことをも、くろうしている人たちのことをも、うたいましょう。あなたのお身のまわりにかくれておりますわるいこと、よいこと、なにくれとなくうたいましょう。まずしい漁師のやどへも、お百姓のやねへも、陛下から、またこのお宮から、とおくはなれてすまっておりますひとたちの所へも、この小さな歌うたいどりは、とんで行くのでございます。わたくしは、陛下のおかんむりよりは、もっと陛下のお心がすきでございます。もっとも王冠は王冠で、またべつに、なにか神聖とでも申したいにおいが、いたさないでもございません。――ではまた、いずれまいって歌をうたってさしあげましょう。――ただここにひとつおやくそくしていただきたいことがございますが――。」  ――「どんなことでも。」と、皇帝はおっしゃりながら、たちあがって、ごじぶんで皇帝のお服をめして、金のかざりでおもくなっている剱を、むねにおつけになりました。 「それでは、このひとつのことを、おやくそく、くださいまし。それは、陛下が、なにごとでも、はばかりなくおはなし申しあげることりをおもちになっていらっしゃることを、だれにもおもらしにならないということでございます。そういたしますと、なおさら、なにごともつごうよくまいることでしょう。」  こういって、さよなきどりは、とんでいきました。  おつきの人たちは、そのとき、おかくれになった陛下のおすがたを、おがむつもりで、はいってきましたが――おや、っと、そのまま棒だちに立ちすくみました。そのとき皇帝はおっしゃいました。 「みなのもの、おはよう。」
底本:「新訳アンデルセン童話集 第二巻」同和春秋社    1955(昭和30)年7月15日初版発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 ※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のあるページの下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。 入力:大久保ゆう 校正:鈴木厚司 2005年6月15日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 あるとき、二十五人すずの兵隊がありました。二十五人そろってきょうだいでした。なぜならみんなおなじ一本の古いすずのさじからうまれたからです。みんな銃剣をかついで、まっすぐにまえをにらめていました。みんな赤と青の、それはすばらしい軍服を着ていました。ねかされていた箱のふたがあいて、この兵隊たちが、はじめてこの世の中できいたことばは、 「やあ、すずの兵隊だ。」ということでした。このことばをいったのはちいちゃな男の子で、いいながら、よろこんで手をたたいていました。ちょうどこの子のお誕生日だったので、お祝にすずの兵隊をいただいたのでございます。  この子はさっそく兵隊をつくえの上にならべました。それはおたがい生きうつしににていましたが、なかで、ひとりが少しちがっていました。その兵隊は一本足でした。こしらえるときいちばんおしまいにまわったので、足一本だけすずがたりなくなっていました。でも、この兵隊は、ほかの二本足の兵隊同様、しっかりと、片足で立っていました。しかも、かわったお話がこの一本足の兵隊にあったのですよ。  兵隊のならんだつくえの上には、ほかにもたくさんおもちゃがのっていました、でもそのなかで、いちばん目をひいたのはボール紙でこしらえたきれいなお城でした。そのちいさなお窓からは、なかの広間がのぞけました。お城のまえには、二、三本木が立っていて、みずうみのつもりのちいさな鏡をとりまいていました。ろうざいくのはくちょうが、上でおよいでいて、そこに影をうつしていました。それはどれもみんなかわゆくできていましたが、でもそのなかで、いちばんかわいらしかったのは、ひらかれているお城の戸口のまんなかに立っているちいさいむすめでした。むすめはやはりボール紙を切りぬいたものでしたが、それこそすずしそうなモスリンのスカートをつけて、ちいさな細い青リボンを肩にゆいつけているのが、ちょうど肩掛のようにみえました。リボンのまんなかには、その子の顔ぜんたいぐらいあるぴかぴかの金ぱくがついていました。このちいさなむすめは両腕をまえへのばしていました。それは踊ッ子だからです。それから片足をずいぶん高く上げているので、すずの兵隊には、その足のさきがまるでみえないくらいでした。それで、この子もやはり片足ないのだろうとおもっていました。 「あの子はちょうどおれのおかみさんにいいな。」と、兵隊はおもいました。「でも、身分がよすぎるかな。あのむすめはお城に住んでいるのに、おれはたったひとつの箱のなかに、しかも二十五人いっしよにほうりこまれているのだ。これではとてもせまくて、あの子に来てもらっても、いるところがありはしない。でも、どうかして近づきにだけはなりたいものだ。」  そこで兵隊は、つくえの上にのっているかぎタバコ箱のうしろへ、ごろりとあおむけにひっくりかえりました。そうしてそこからみると、かわいらしいむすめのすがたがらくに見えました。むすめは相かわらずひっくりかえりもしずに、片足でつり合いをとっていました。  やがて晩になると、ほかのすずの兵隊は、のこらず箱のなかへ入れられて、このうちの人たちもみんなねにいきました。さあ、それからがおもちゃたちのあそび時間で、「訪問ごっこ」だの、「戦争ごっこ」だの、「舞踏会」だのがはじまるのです。すずの兵隊たちは、箱のなかでがらがらいいだして、なかまにはいろうとしましたが、ふたをあけることができませんでした。くるみ割はとんぼ返りをうちますし、石筆は石盤の上をおもしろそうにかけまわりました。それはえらいさわぎになったので、とうとうカナリヤまでが目をさまして、いっしょにお話をはじめました。それがそっくり歌になっていました。ただいつまでも、じっとしてひとつ場所をうごかなかったのは、一本足のすずの兵隊と、踊ッ子のむすめだけでした。むすめは片足のつまさきでまっすぐに立って、両手をまえにひろげていました。すると、兵隊もまけずに、片足でしっかりと立っていて、しかもちっともむすめから目をはなそうとしませんでした。  するうち、大時計が十二時を打ちました。 「ぱん。」いきなりかぎタバコ箱のふたがはね上がりました。  でもなかにはいっていたのは、かぎタバコではありません。それは黒い小鬼でした。そら、よくあるバネじかけのびっくり箱だったのです。 「おいすずの兵隊、すこし目をほかへやれよ。」と、その小鬼がいいました。  でも一本足の兵隊はきこえないふうをしていました。 「よしあしたまで待ってろ」と、小鬼はいいました。  さて明くる朝になってこどもたちが起きてくると、一本足の兵隊は、窓のうえに立たされました。ところでそれは黒い小鬼のしわざであったか、風が吹きこんで来たためであったか、だしぬけに窓がばたんとあいて、一本足の兵隊は、三階からまっさかさまに下へおちました。どうもこれはひどいめにあうものです。兵隊は、片足をまっすぐに空にむけ、軍帽と銃剣を下にしたまま、敷石のあいだにはさまってしまいました。  女中と男の子は、すぐとさがしにおりて来ました。けれども、つい足でふんづけるまでにしながらみつけることができませんでした。もし兵隊が大きな声で「ここですよう。」とどなったら、みつけたかも知れなかったのです。けれども兵隊は、軍服の手まえ、大きな声でよんだりなんかしてはみっともないとおもいました。  するうち雨が降りだしました。雨しずくがだんだん大きくなって、とうとうほんとうのどしゃ降りになりました。雨が上がったとき、ふたり町のこどもがでて来ました。 「おい、ごらんよ。すずの兵隊がいるよ。舟にのせてやろう。」と、そのひとりがいいました。そこでふたりは、新聞で紙のお舟をつくりました。そしてすずの兵隊をのせました。兵隊は新聞のお舟にのったまま、みぞのなかをながされていきました。ふたりのこどもはいっしょについてかけながら手をたたきました。やあ、たいへん。みぞのなかはなんてえらい波が立つのでしょう、流の早いといったらありません。なにしろ大雨のあとでした。紙の小舟は、上下にゆられて、ときどきくるくるはげしくまわりますと、すずの兵隊はさすがにふるえました。でも、やはりしっかりと立って、顔色ひとつ変えず、銃剣肩に、まっすぐにまえをにらんでいました。  いきなりお舟は、長い下水の橋の下へはいっていきました。それで、箱のなかにはいっていたときと同様、まっ暗になりました。 「いったい、おれはどこへいくのだ。」と、兵隊はおもいました。「そうだ、そうだ。これは小鬼のやつのしわざなのだ。いやはや、なさけない。あのかわいいむすめが、いっしょにのっていてくれるなら、この二倍もくらくても、ちっともこまりはしないのだが。」  こうおもっているところへ、ふと下水の橋の下に住む大きなどぶねずみがでて来ました。 「おい、通行証はあるか。」と、ねずみはいいました。「通行証を出してみせろ。」  でも、すずの兵隊は、だんまりで、よけいしっかりと銃剣をかついでいました。お舟はずんずん流れていきました。ねすみはあとから追いかけて来ました。  うッふ、ねずみはきいきい歯ぎしりして、わらくずや木切れに、どんなによびかけたことでしょう。「あいつをおさえろ。あいつをおさえろ。あいつは通行税をはらわない。通行証もみせやしない。」  でも、流れはだんだんはげしくなりました。やがて橋がおしまいになると、すずの兵隊は、日の目を見ることができました。でもそれといっしょにごうッという音がきこえました。それはだいたんな人でもびっくりするところです。どうでしょう、ちょうど橋がおしまいになったところへ、下水が滝になって、大きな掘割に流れこんでいました。それは人間が滝におしながされるとおなじようなきけんなことになっていたのです。  でももうとまろうにもとまれないほど近くまで来ていました。舟は、兵隊をのせたまま、押し流されました。すずの兵隊は、でも一生けんめいつッぱりかえっていて、それこそまぶたひとつ動かしたとはいえません。お舟は三四ど、くるくるとまわって、舟べりまでいっぱい水がはいりました。もう沈むほかはありません。すずの兵隊は首まで水につかっていました。お舟はだんだん深く深く沈んでいって、新聞紙はいよいよぐすぐすにくずれて来ました。もう水は兵隊のあたまをこしてしまいました。そのとき兵隊は、かわいらしい踊ッ子のことをおもいだして、もう二どとあうこともできないとかんがえていました。すると兵隊の耳にこういう歌がきこえました。―― さよなら、さよなら、兵隊さん、 これでおまえもおしまいだ。  ちょうどそのとき新聞紙がやぶれて、すずの兵隊は水のなかへ落ち込みました。――ところが、そのとたん、大きなおさかなが来て、ぱっくりのんでしまいました。  まあ、そのおさかなのおなかのなかの暗いこと。そこは下水の橋下よりももっとまっ暗でした。それになかのせま苦しいといったらありません。でもすずの兵隊はしっかりと立って、銑剣肩につッぱりかえっていました。  おさかなはあっちこっちとおよぎまわりました。それはさんざん、めちゃくちゃに動きまわったあと、きゅうにしずかになりました。ふと、稲妻のようなものが、さしこんで来ました。かんかんあかるいひる中でした。たれかが大きな声で、 「やあ、すずの兵隊が。」といいました。  おさかなは、つかまえられて、魚市場へ売られて、買われて、台所へはこばれて、料理番の女中が大きなほうちょうで、おなかをさいたのです。女中は、そのとき兵隊を両手でつかんでおへやへ持っていきますと、みんなは、おさかなのおなかのなかの旅をして来ためずらしい勇士をみたがってさわいでいました。でもすずの兵隊はちっともとくいらしくはありませんでした。みんなは兵隊をつくえの上にのせました。すると――どうでしょう、世の中にはずいぶんな奇妙なことがあるものですね。すずの兵隊は、もといたそのへやへまたつれてこられたのです。兵隊はやはりせんの男の子にあいました。おなじおもちゃがそのうえにのっていました。かわいい踊ッ子のいるきれいなお城もありました。むすめはやはり片足でからだをささえて、片足を空にむけていました。この子もやはりしっかり者のなかまなのでした。これがすっかりすずの兵隊のこころをうごかしました。で、もう少しですずの涙をながすところでした。でも、そんなことは男のすることではありません。兵隊はむすめをじっとみました。むすめも兵隊の顔をみました。けれどおたがいになんにもものはいいませんでした。  そのとき、ちいさい男の子のひとりが、すずの兵隊をつかんで、いきなりだんろのなかへなげこみました。どうしてこんなことになったのか、きっとかぎタバコの黒い小鬼のしわざにちがいありません。  すずの兵隊はあかあかと光につつまれながら立っていました。そのうち、ひどいあつさをかんじて来ました。でもこのあつさはほんとうの火であついのか、心臓のなかの血がもえるのであついのか、わかりませんでした。やがてからだの色はすっかりはげてしまいました。でも、これも長旅のあいだでとれたのか、心のかなしみのためにはげたのか、それもわかりません。兵隊は踊ッ子の顔をみました。むすめも兵隊を見返しました。そのうちからたがとろけていくようにおもいました。でも、やはり銃剣肩に、しっかり立っていました。そのとき出しぬけに戸がばたんとあいて。吹きこんだ風が踊ッ子をさらいますと、それはまるで空をとぶ魔女のようにふらふらと空をとびながら、だんろのなかの、ちょうど兵隊のいるところへ、まっしぐらにとびこんで来ました。とたんに、ぱあっとほのおが立って、むすめはきれいに焼けうせてしまいました。  するうち、すずの兵隊は、だんだんとろけて、ちいさなかたまりになりました。  そうして、あくる日女中が、灰をかきだしますと、兵隊はちいさなすずのハート形になっていました。けれども踊ッ子のほうは、金ぱくだけがのこって、それは炭のようにまっくろにこげていました。
底本:「新訳アンデルセン童話集第一巻」同和春秋社    1955(昭和30)年7月20日初版発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 入力:大久保ゆう 校正:秋鹿 2006年1月18日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 あるところに、二十五人のすずの兵隊さんがいました。この兵隊さんたちは、みんな兄弟でした。なぜって、みんなは、一本の古いすずのさじをとかして作られていましたから。  どの兵隊さんも、鉄砲をかついで、まっすぐ前をむいていました。着ている赤と青の軍服は、たいへんきれいでした。兵隊さんたちは、一つの箱の中に寝ていたのですが、そのふたがあけられたとき、この世の中でいちばん先に耳にしたのは、「すずの兵隊さんだ」という言葉でした。  そうさけんだのは、小さな男の子で、うれしさのあまり、手をたたいていました。その子は、誕生日のお祝いに、すずの兵隊さんたちをもらったのです。  男の子は、さっそく、兵隊さんたちを、テーブルの上にならべました。見ると、どの兵隊さんも、とてもよく似ていて、まるでそっくりです。ところが、中にひとりだけ、すこし変ったのがいました。  かわいそうに、その兵隊さんは、足が一本しかありません。それというのも、この兵隊さんは、いちばんおしまいに作られたものですから、そのときには、もうすずが足りなくなっていたというわけです。でも、その兵隊さんは、一本足でも、ほかの二本足の兵隊さんたちに負けないくらい、しっかりと立っていました。  では、この一本足の兵隊さんについて、これからおもしろいお話をしてあげましょう。  兵隊さんたちのいるテーブルの上には、ほかにもまだ、いろんなおもちゃがおいてありました。いちばん目につくのは、紙でつくった、きれいなお城でした。小さな窓からは、中の広間も見えます。お城の前には、小さな木が、何本か立っていました。その植えこみにかこまれて、小さな鏡がありました。これは池のつもりなのです。池の上には、ろうでできたハクチョウが、幾羽もあそんでいて、そのまっ白な姿が、池の上に美しくうつっていました。なにもかも、ほんとうにかわいらしく見えました。  でも、なんといっても、いちばんかわいらしいのは、開いたお城の門のところに立っている、小さな娘さんでした。やっぱり、この娘さんも、紙で作られてはいましたが、でもスカートなどは、それはそれはきれいなリンネルを使って、こしらえてありました。肩には、小さな、細い、青いリボンが、ショールのようにひらひらしていました。リボンのまんなかには、娘さんの顔くらいもある、大きな金モールのかざりがキラキラ光っていました。  小さな娘さんは、両腕をぐっと高くのばしていました。つまり、この娘さんは、踊り子だったのです。かたほうの足も、ずいぶん高くあげていました。この足が、一本足の兵隊さんには見えませんでした。それで、兵隊さんは、この娘さんも、きっと、ぼくと同じように、かた足しかないんだな、と思いました。 「あの人は、ぼくのお嫁さんにちょうどいいや」と、兵隊さんは考えました。「だけど、あの人は、ちょいとりっぱすぎるかな。なにしろ、ああして、お城に住んでいるっていうのに、ぼくときたら、こんな箱しかないんだからなあ。それも、ぼくひとりのものじゃなくて、二十五人も仲間がいっしょにいるんだもの。こんなところにゃ、あの人なんか住めそうもない。でも、お友だちくらいにでもなれりゃいいがなあ」  兵隊さんは、そのテーブルの上にあった、かぎたばこの箱のうしろに、ごろりと横になりました。そうしていれば、小さな美しい女の人が、よく見えたからです。その女の人は、うまくつりあいをとりながら、やっぱり、かた足で立っていました。  やがて、夜がふけました。ほかのすずの兵隊さんたちは、みんな、箱の中へ帰りました。うちの人たちも、寝床にはいりました。  すると、こんどは、おもちゃたちのあそぶ時間になりました。みんなは、お客さまごっこだの、戦争ごっこだの、舞踏会だのをはじめました。  すずの兵隊さんたちも、いっしょにあそびたくなって、箱の中で、しきりにガチャガチャやりました。けれども、どうしても、ふたをあけることができません。そのあいだにも、だんだん、にぎやかになりました。くるみわりがトンボ返りをうつかと思うと、石筆は石盤の上をはねまわります。ますますたいへんなさわぎになりました。とうとう、カナリアまでも目をさまして、みんなといっしょにおしゃべりをはじめました。もっとも、カナリアは、歌をうたっているのでしたけれど。  こんなさわぎの中でも、自分のいる場所を、ちっとも動かないものが、ふたりだけいました。あの一本足のすずの兵隊さんと、小さな踊り子です。娘さんは、あいもかわらず、つまさきでまっすぐ立って両腕を高く高くあげていました。兵隊さんも同じように、一本足でしっかり立っていましたが、目だけは、ほんのちょっとも、娘さんからはなしませんでした。  そのうちに、時計が十二時をうちました。とたんに、かぎたばこの箱のふたが、ポンとあきました。ところが、どうでしょう。中には、たばこははいっていなくて、そのかわりに、ちっぽけな黒おにがはいっていました。じつは、これは、しかけのしてある、おもちゃのびっくり箱だったのです。 「おい、すずの兵隊」と、その小おには言いました。「そんなに、いつまでもながめているなよ」  けれども、すずの兵隊さんは、なんにも聞えないようなふりをしていました。 「ふん、あしたの朝まで待つがいい」と、小おには言いました。  つぎの朝になりました。子供たちが起きてきて、すずの兵隊さんを、窓のところへ置きました。  すると、どうしたというのでしょう。あのいやらしい小おにのしたことか、それとも、すきま風のしたことか、それはわかりませんが、きゅうに窓がパタンとあいて、兵隊さんは、四階から下の道へ、まっさかさまに落ちていったのです。おそろしい速さです。一本足を上にむけ、軍帽を下にして、とうとう、往来のしき石のあいだに、剣のついた鉄砲の先をつっこんでしまいました。  すぐに、女中といっしょに、あの小さな男の子がおりてきて、さがしはじめました。ふたりは、もうすこしでふみつけそうになるくらい、兵隊さんのすぐそばまできたのですが、それでも、見つけることはできませんでした。もしも兵隊さんが、「ここですよ」とよびさえすれば、きっと見つかったでしょう。ところが、兵隊さんのほうは、軍服を着ているのだから、大きな声を出してさけんだりするのはみっともない、と思ったのです。  そのうちに、雨が降りだしました。はじめは、ぽつりぽつりと降っていましたが、だんだんひどくなって、とうとう、大つぶの雨になりました。  やがて、雨があがると、いたずら小僧がふたり、そこへやってきました。 「おい、見ろよ」と、ひとりが言いました。「あんなとこに、すずの兵隊が落っこちてるぞ。ボートに乗っけてやろうぜ」  そこで、ふたりは、新聞紙でボートをつくり、そのまんなかにすずの兵隊さんを乗せて、どぶに流しました。いたずら小僧どもは、そのそばを走りながら、手をたたいてよろこびました。  おやまあ、なんというひどい波でしょう! なんという速い流れでしょう! さっきの雨のために、どぶの水がふえて、流れはすっかり速くなっているのです。紙のボートは、はげしくゆれて、ときには、目がまわるほど、くるくるとまわります。そのたびに、すずの兵隊さんは、ぶるぶるふるえました。けれども、しっかりと立って、顔色ひとつかえずに、鉄砲をかついで、まっすぐ前を見つめていました。  きゅうに、ボートが、長いどぶ板の下にはいりました。とてもとても暗くて、まるで、あの箱の中にはいったときとおんなじです。 「いったい、ぼくは、どこへ行くんだろう?」と、兵隊さんは思いました。「そうだ、そうだ。こんなになったのも、きっと、あの小おにのやつのせいだ。ああ、せめて、あの小さな娘さんが、このボートに乗っていてくれたらなあ。そうすりゃ、この倍くらい暗くったって、平気なんだがなあ」  このとき、どぶ板の下に住んでいる大きなドブネズミが、姿をあらわしました。 「おい、ここを通る切符を持ってるか?」と、ドブネズミがたずねました。「おい、切符を持ってるかったら」  けれども、すずの兵隊さんは、だまりこくったまま、ただ、鉄砲を、かたくかたくにぎりしめました。ボートは、どんどん流れていきます。ドブネズミは、かんかんにおこって、あとを追いかけました。うわあ、歯をギリギリいわせて、木のきれっぱしや、わらにむかってどなっています。 「そいつをとめてくれえ! そいつをとめてくれえ! ここを通るのに、金もはらわなきゃ、切符も見せなかったんだ」  ところが、流れは、ますますはげしくなるばかりです。もう、どぶ板のむこうのはしに、明るいお日さまの光が、さしているのが見えてきました。ところが、たいへん。それといっしょに、どんなに勇ましい人でもふるえあがってしまいそうな、ゴーゴーいう音が聞えてきたのです。いったい、なんでしょう。それは、どぶの水が、どぶ板のおしまいのところで、大きな掘割りに落ちこんでいる音だったのです。あぶないこと、このうえもありません。なにしろ、わたしたち人間が、大きな滝にむかって流れていくのと同じことなのですからね。  ボートは、もう、すぐそのそばまで来ました。とめたくても、とめることもできません。いよいよ、ボートはどぶ板の外へ出ました。かわいそうに、すずの兵隊さんは、むがむちゅうで、からだをかたくしていました。でも、目をぱちぱちなんか、けっしてしませんよ。  ボートは、三、四回、くるくるとまわりました。もう、水はボートのふちまできています。いよいよ、沈むほかはありません。すずの兵隊さんは、首のところまで水につかりました。ボートは、ずんずん沈んでいきます。ボートの紙も、だんだんゆるんできました。とうとう、水は兵隊さんの頭の上までかぶさりました。――  そのとき、兵隊さんは、もう二度と見ることのできない、あのかわいらしい、小さな踊り子のことを思い出しました。すると、すずの兵隊さんの耳もとに、こんな歌が聞えてきました。 さようなら、さようなら、兵隊さん。 あなたは、死ななきゃならないのよ。  そのとき、ボートの紙がさけて、すずの兵隊さんは、水の中へ落ちました。と、その瞬間、大きなさかながおよいできたかと思うと、ぱっくり、兵隊さんをのみこんでしまいました。  おやまあ、さかなのおなかの中って、なんて暗いんでしょう! さっきのどぶ板の下なんかとは、くらべものになりません。おまけに、せまくるしくってたまりません。それでも、すずの兵隊さんはしっかりしていました。あいもかわらず、鉄砲をかついで、じっと横になっていました。――  それから、さかなは、しばらくおよぎまわっていましたが、きゅうに、ひどくあばれだしました。そのあげく、とうとう、動かなくなりました。そのうちに、いなずまのようなものが、ピカリと光りました。とたんに、明るい光がさしこんできました。そして、だれかが、 「あら、すずの兵隊さんだわ」と、大きな声でさけびました。  つまり、このさかなは、漁師につかまって、市場に持っていかれ、そこでお客に買われて、そうして、この台所にきたというわけなのです。そして、いま女中が大きなほうちょうで、このさかなのおなかを切ったところだったのです。  女中は、兵隊さんのからだのまんなかを、二本の指でつまんで、部屋に持っていきました。みんなは、さかなのおなかの中にはいって、あちこち旅をしてきた、このめずらしい人を見たがりました。でも、すずの兵隊さんは、そんなことを自慢したりはしません。  みんなは、すずの兵隊さんを、テーブルの上にのせました。すると、――おやおや、世の中には、ほんとうにふしぎなことがあるものですね。兵隊さんは、もといた部屋にもどってきていたのです。おなじみの子供たちの顔も見えます。テーブルの上にあるおもちゃも、おんなじです。それから、かわいらしい小さな踊り子のいる、あの美しいお城もあります。娘さんは、あいかわらず、かた足で立っていて、もう一方の足を高くあげていました。この娘さんも、ほんとうにしっかりしています。これを見ると、すずの兵隊さんはすっかり感心して、もうすこしで、すずの涙をこぼしそうになりました。だけど、涙をこぼすなんて、いくじがない、と思いました。  兵隊さんは、娘さんを見つめました。娘さんも、兵隊さんを見つめました。でも、ふたりとも、なんにも言いませんでした。  とつぜん、小さな男の子のひとりが、すずの兵隊さんをつかんだかと思うと、いきなり、ストーブの中へ投げこみました。どう考えても、そんなことをされるようなわけはありません。ですから、これも、きっと、あの箱の中の小おにのしわざなのでしょう。  すずの兵隊さんは、ほのおにあかあかと照らされて、おそろしい熱さを感じました。けれども、その熱さは、ほんとうの火のための熱なのか、それとも、心の中に燃えている愛のための熱なのか、はっきりわかりませんでした。美しい色は、もう、すっかり落ちてしまいました。それは、旅の途中でなくなったのか、それとも、深い悲しみのためにきえたのか、だれにもわかりません。  兵隊さんは、小さな娘さんを見つめていました。娘さんも、兵隊さんを見つめていました。そして、兵隊さんは、自分のからだがとけていくのを感じました。それでも、やっぱり、鉄砲をかついだまま、しっかりと立っているのでした。  そのとき、とつぜん、ドアがあいて、風がさっと吹きこんできました。踊り子は、まるで空気の精のように、ひらひらと吹きとばされて、ストーブの中のすずの兵隊さんのところへ飛んできました。と思うまもなく、あっというまに、めらめらと燃えあがって、消えてしまいました。もうそのときには、すずの兵隊さんもすっかりとけて、一つのかたまりになっていました。  あくる朝、女中がストーブの灰をかきだすと、兵隊さんは、小さなハート形の、すずのかたまりになっていました。踊り子のほうは、金モールのかざりだけがのこっていましたが、それも、まっ黒こげになっていました。
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年4月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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    初版例言 一、即興詩人は璉馬の HANS CHRISTIAN ANDERSEN(1805―1875)の作にして、原本の初板は千八百三十四年に世に公にせられぬ。 二、此譯は明治二十五年九月十日稿を起し、三十四年一月十五日完成す。殆ど九星霜を經たり。然れども軍職の身に在るを以て、稿を屬するは、大抵夜間、若くは大祭日日曜日にして家に在り客に接せざる際に於いてす。予は既に、歳月の久しき、嗜好の屡〻變じ、文致の畫一なり難きを憾み、又筆を擱くことの頻にして、興に乘じて揮瀉すること能はざるを惜みたりき。世或は予其職を曠しくして、縱に述作に耽ると謂ふ。寃も亦甚しきかな。 三、文中加特力教の語多し。印刷成れる後、我國公教會の定譯あるを知りぬ。而れども遂に改刪すること能はず。 四、此書は印するに四號活字を以てせり。予の母の、年老い目力衰へて、毎に予の著作を讀むことを嗜めるは、此書に字形の大なるを選みし所以の一なり。夫れ字形は大なり。然れども紙面殆ど餘白を留めず、段落猶且連續して書し、以て紙數をして太だ加はらざらしむることを得たり。   明治三十五年七月七日下志津陣營に於いて 譯者識す     第十三版題言 是れ予が壯時の筆に成れる IMPROVISATOREN の譯本なり。國語と漢文とを調和し、雅言と俚辭とを融合せむと欲せし、放膽にして無謀なる嘗試は、今新に其得失を論ずることを須ゐざるべし。初めこれを縮刷に付するに臨み、予は大いに字句を削正せむことを期せしに、會〻歐洲大戰の起るありて、我國も亦其旋渦中に投ずるに至りぬ。羽檄旁午の間、予は僅に假刷紙を一閲することを得しのみ。  大正三年八月三十一日觀潮樓に於いて 譯者又識す    わが最初の境界  羅馬に往きしことある人はピアツツア、バルベリイニを知りたるべし。こは貝殼持てるトリイトンの神の像に造り做したる、美しき噴井ある、大なる廣こうぢの名なり。貝殼よりは水湧き出でゝその高さ數尺に及べり。羅馬に往きしことなき人もかの廣こうぢのさまをば銅板畫にて見つることあらむ。かゝる畫にはヰア、フエリチエの角なる家の見えぬこそ恨なれ。わがいふ家の石垣よりのぞきたる三條の樋の口は水を吐きて石盤に入らしむ。この家はわがためには尋常ならぬおもしろ味あり。そをいかにといふにわれはこの家にて生れぬ。首を囘してわが穉かりける程の事をおもへば、目もくるめくばかりいろ〳〵なる記念の多きことよ。我はいづこより語り始めむかと心迷ひて爲むすべを知らず。又我世の傳奇の全局を見わたせば、われはいよ〳〵これを寫す手段に苦めり。いかなる事をか緊要ならずとして棄て置くべき。いかなる事をか全畫圖をおもひ浮べしめむために殊更に數へ擧ぐべき。わがためには面白きことも外人のためには何の興もなきものあらむ。われは我世のおほいなる穉物語をありのまゝに僞り飾ることなくして語らむとす。されどわれは人の意を迎へて自ら喜ぶ性のこゝにもまぎれ入らむことを恐る。この性は早くもわが穉き時に、畠の中なる雜草の如く萌え出でゝ、やうやく聖經に見えたる芥子の如く高く空に向ひて長じ、つひには一株の大木となりて、そが枝の間にわが七情は巣食ひたり。わが最初の記念の一つは既にその芽生を見せたり。おもふにわれは最早六つになりし時の事ならむ。われはおのれより穉き子供二三人と向ひなる尖帽僧の寺の前にて遊びき。寺の扉には小き眞鍮の十字架を打ち付けたりき。その處はおほよそ扉の中程にてわれは僅に手をさし伸べてこれに達することを得き。母上は我を伴ひてかの扉の前を過ぐるごとに、必ずわれを掻き抱きてかの十字架に接吻せしめ給ひき。あるときわれ又子供と遊びたりしに、甚だ穉き一人がいふやう。いかなれば耶蘇の穉子は一たびもこの群に來て、われ等と共に遊ばざるといひき。われさかしく答ふるやう。むべなり、耶蘇の穉子は十字架にかゝりたればといひき。さてわれ等は十字架の下にゆきぬ。かしこには何物も見えざりしかど、われ等は猶母に教へられし如く耶蘇に接吻せむとおもひき。さるを我等が口はかしこに屆くべきならねば、我等はかはる〴〵抱き上げて接吻せしめき。一人の子のさし上げられて僅に唇を尖らせたるを、抱いたる子力足らねば落しつ。この時母上通りかゝり給へり。この遊のさまを見て立ち住まり、指組みあはせて宣ふやう。汝等はまことの天使なり。さて汝はといひさして、母上はわれに接吻し給ひ、汝はわが天使なりといひ給ひき。  母上は隣家の女子の前にて、わがいかに罪なき子なるかを繰り返して語り給ひぬ。われはこれを聞きしが、この物語はいたくわが心に協ひたり。わが罪なきことは固よりこれがために前には及ばずなりぬ。人の意を迎へて自ら喜ぶ性の種は、この時始めて日光を吸ひ込みたりしなり。造化は我におとなしく軟なる心を授けたりき。さるを母上はつねに我がこゝろのおとなしきを我に告げ、わがまことに持てる長處と母上のわが持てりと思ひ給へる長處とを我にさし示して、小兒の罪なさはかの醜き「バジリスコ」の獸におなじきをおもひ給はざりき。かれもこれもおのが姿を見るときは死なでかなはぬ者なるを。  彼尖帽宗の寺の僧にフラア・マルチノといへるあり。こは母上の懺悔を聞く人なりき。かの僧に母上はわがおとなしさを告げ給ひき。祈のこゝろをばわれ知らざりしかど、祈の詞をばわれ善く諳じて洩らすことなかりき。僧は我をかはゆきものにおもひて、あるとき我に一枚の圖をおくりしことあり。圖の中なる聖母のこぼし給ふおほいなる涙の露は地獄の燄の上におちかかれり。亡者は爭ひてかの露の滴りおつるを承けむとせり。僧は又一たびわれを伴ひてその僧舍にかへりぬ。當時わが目にとまりしは、方なる形に作りたる圓柱の廊なりき。廊に圍まれたるは小き馬鈴藷圃にて、そこにはいとすぎ(チプレツソオ)の木二株、檸檬の木一株立てりき。開け放ちたる廊には世を逝りし僧どもの像をならべ懸けたり。部屋といふ部屋の戸には獻身者の傳記より撰び出したる畫圖を貼り付けたり。當時わがこの圖を觀し心は、後になりてラフアエロ、アンドレア・デル・サルトオが作を觀る心におなじかりき。  僧はそちは心猛き童なり、いで死人を見せむといひて、小き戸を開きつ。こゝは廊より二三級低きところなりき。われは延かれて級を降りて見しに、こゝも小き廊にて、四圍悉く髑髏なりき。髑髏は髑髏と接して壁を成し、壁はその並びざまにて許多の小龕に分れたり。おほいなる龕には頭のみならで、胴をも手足をも具へたる骨あり。こは高位の僧のみまかりたるなり。かゝる骨には褐色の尖帽を被せて、腹に繩を結び、手には一卷の經文若くは枯れたる花束を持たせたり。贄卓、花形の燭臺、そのほかの飾をば肩胛、脊椎などにて細工したり。人骨の浮彫あり。これのみならず忌まはしくも、又趣なきはこゝの拵へざまの全體なるべし。僧は祈の詞を唱へつゝ行くに、われはひたと寄り添ひて從へり。僧は唱へ畢りていふやう。われも早晩こゝに眠らむ。その時汝はわれを見舞ふべきかといふ。われは一語をも出すこと能はずして、僧と僧のめぐりなる氣味わるきものとを驚き眙たり。まことに我が如き穉子をかゝるところに伴ひ入りしは、いとおろかなる業なりき。われはかしこにて見しものに心を動かさるゝこと甚しかりければ、歸りて僧の小房に入りしとき纔に生き返りたるやうなりき。この小房の窓には黄金色なる柑子のいと美しきありて、殆ど一間の中に垂れむとす。又聖母の畫あり。その姿は天使に擔ひ上げられて日光明なるところに浮び出でたり。下には聖母の息ひたまひし墓穴ありて、もゝいろちいろの花これを掩ひたり。われはかの柑子を見、この畫を見るに及びて、わづかに我にかへりしなり。  この始めて僧房をたづねし時の事は、久しき間わが空想に好き材料を與へき。今もかの時の事をおもへば、めづらしくあざやかに目の前に浮び出でむとす。わが當時の心にては、僧といふ者は全く我等の知りたる常の人とは殊なるやうなりき。かの僧が褐色の衣を着たる死人の殆どおのれとおなじさまなると共に棲めること、かの僧があまたの尊き人の上を語り、あまたの不思議の蹟を話すこと、かの僧の尊さをば我母のいたく敬ひ給ふことなどを思ひ合する程に、われも人と生れたる甲斐にかゝる人にならばやと折々おもふことありき。  母上は未亡人なりき。活計を立つるには、鍼仕事して得給ふ錢と、むかし我等が住みたりしおほいなる部屋を人に借して得給ふ價とあるのみなりき。われ等は屋根裏の小部屋に住めり。かのおほいなる部屋に引き移りたるはフエデリゴといふ年少き畫工なりき。フエデリゴは心敏く世をおもしろく暮らす少年なりき。かれはいとも〳〵遠きところより來ぬといふ。母上の物語り給ふを聞けば、かれが故郷にては聖母をも耶蘇の穉子をも知らずとぞ。その國の名をば璉馬といへり。當時われは世の中にいろ〳〵の國語ありといふことを解せねば、畫工が我が言ふことを曉らぬを耳とほきがためならむとおもひ、おなじ詞を繰り返して聲の限り高くいふに、かれはわれを可笑しきものにおもひて、をり〳〵果をわれに取らせ、又わがために兵卒、馬、家などの形をゑがきあたへしことあり。われと畫工とは幾時も立たぬに中善くなりぬ。われは畫工を愛しき。母上もをり〳〵かれは善き人なりと宣ひき。さるほどにわれはとある夕母上とフラア・マルチノとの話を聞きしが、これを聞きてよりわがかの技藝家の少年の上をおもふ心あやしく動かされぬ。かの異國人は地獄に墜ちて永く浮ぶ瀬あらざるべきかと母上問ひ給ひぬ。そはひとりかの男の上のみにはあらじ。異國人のうちにはかの男の如く惡しき事をば一たびもせざるもの多し。かの輩は貧き人に逢ふときは物取らせて吝むことなし。かの輩は債あるときは期を愆たず額をたがへずして拂ふなり。然のみならず、かの輩は吾邦人のうちなる多人數の作る如き罪をば作らざるやうにおもはる。母上の問はおほよそ此の如くなりき。  フラア・マルチノの答へけるやう。さなり。まことにいはるゝ如き事あり。かの輩のうちには善き人少からず。されどおん身は何故に然るかを知り給ふか。見給へ。世中をめぐりありく惡魔は、邪宗の人の所詮おのが手に落つべきを知りたるゆゑ、強ひてこれを誘はむとすることなし。このゆゑに彼輩は何の苦もなく善行をなし、罪惡をのがる。善き加特力教徒はこれと殊にて神の愛子なり、これを陷れむには惡魔はさま〴〵の手立を用ゐざること能はず。惡魔はわれ等を誘ふなり。われ等は弱きものなればその手の中に落つること多し。されど邪宗の人は肉體にも惡魔にも誘はるゝことなしと答へき。  母上はこれを聞きて復た言ふべきこともあらねば、便なき少年の上をおもひて大息つき給ひぬ。かたへ聞せしわれは泣き出しつ。こはかの人の永く地獄にありて燄に苦められむつらさをおもひければなり。かの人は善き人なるに、わがために美しき畫をかく人なるに。  わが穉きころ、わがためにおほいなる意味ありと覺えし第三の人はペツポのをぢなりき。惡人ペツポといふも西班牙磴の王といふも皆その人の綽號なりき。此王は日ごとに西班牙磴の上に出御ましましき。(西班牙廣こうぢよりモンテ、ピンチヨオの上なる街に登るには高く廣き石級あり。この石級は羅馬の乞兒の集まるところなり。西班牙廣こうぢより登るところなればかく名づけられしなり。)ペツポのをぢは生れつき兩の足痿えたる人なり。當時そを十字に組みて折り敷き居たり。されど穉きときよりの熟錬にて、をぢは兩手もて歩くこといと巧なり。其手には革紐を結びて、これに板を掛けたるが、をぢがこの道具にて歩む速さは健かなる脚もて行く人に劣らず。をぢは日ごとに上にもいへるが如く西班牙磴の上に坐したり。さりとて外の乞兒の如く憐を乞ふにもあらず。唯だおのが前を過ぐる人あるごとに、詐ありげに面をしかめて「ボン、ジヨオルノオ」(我俗の今日はといふ如し)と呼べり。日は既に入りたる後もその呼ぶ詞はかはらざりき。母上はこのをぢを敬ひ給ふことさまでならざりき。あらず。親族にかゝる人あるをば心のうちに恥ぢ給へり。されど母上はしば〳〵我に向ひて、そなたのためならば、彼につきあひおくとのたまひき。餘所の人の此世にありて求むるものをば、かの人筐の底に藏めて持ちたり。若し臨終に、寺に納めだにせずば、そを讓り受くべき人、わが外にはあらぬを、母上は恃みたまひき。をぢも我に親むやうなるところありしが、我は其側にあるごとに、まことに喜ばしくおもふこと絶てなかりき。或る時、我はをぢの振舞を見て、心に怖を懷きはじめき。こは、をぢの本性をも見るに足りぬべき事なりき。例の石級の下に老いたる盲の乞兒ありて、往きかふ人の「バヨツコ」(我二錢許に當る銅貨)一つ投げ入れむを願ひて、薄葉鐵の小筒をさら〳〵と鳴らし居たり。我がをぢは、面にやさしげなる色を見せて、帽を揮り動しなどすれど、人々その前をばいたづらに過ぎゆきて、かの盲人の何の會釋もせざるに、錢を與へき。三人かく過ぐるまでは、をぢ傍より見居たりしが、四人めの客かの盲人に小貨幣二つ三つ與へしとき、をぢは毒蛇の身をひねりて行く如く、石級を下りて、盲の乞兒の面を打ちしに、盲の乞兒は錢をも杖をも取りおとしつ。ペツポの叫びけるやう。うぬは盜人なり。我錢を竊む奴なり。立派に廢人といはるべき身にもあらで、たゞ目の見えぬを手柄顏に、わが口に入らむとする「パン」を奪ふこそ心得られねといひき。われはこゝまでは聞きつれど、こゝまでは見てありつれど、この時買ひに出でたる、一「フオリエツタ」(一勺)の酒をひさげて、急ぎて家にかへりぬ。  大祭日には、母につきてをぢがり祝にゆきぬ。その折には苞苴もてゆくことなるが、そはをぢが嗜めるおほ房の葡萄二つ三つか、さらずば砂糖につけたる林檎なんどなりき。われはをぢ御と呼びかけて、その手に接吻しき。をぢはあやしげに笑ひて、われに半「バヨツコ」を與へ、果子をな買ひそ、果子は食ひ畢りたるとき、迹かたもなくなるものなれど、この錢はいつまでも貯へらるゝものぞと教へき。  をぢが住めるところは、暗くして見苦しかりき。一間には窓といふものなく、また一間には壁の上の端に、破硝子を紙もて補ひたる小窓ありき。臥床の用をもなしたる大箱と、衣を藏むる小桶二つとの外には、家具といふものなし。をぢがり往け、といはるゝときは、われ必ず泣きぬ。これも無理ならず。母上はをぢにやさしくせよ、と我にをしへながら、我を嚇さむとおもふときは、必ずをぢを案山子に使ひ給ひき。母上の宣たまひけるやう。かく惡劇せば、好きをぢ御の許にやるべし。さらば汝も磴の上に坐して、をぢと共に袖乞するならむ、歌をうたひて「バヨツコ」をめぐまるゝを待つならむとのたまふ。われはこの詞を聞きても、あながち恐るゝことなかりき。母上は我をいつくしみ給ふこと、目の球にも優れるを知りたれば。  向ひの家の壁には、小龕をしつらひて、それに聖母の像を据ゑ、その前にはいつも燈を燃やしたり。「アヱ、マリア」の鐘鳴るころ、われは近隣の子供と像の前に跪きて歌ひき。燈の光ゆらめくときは、聖母も、いろ〳〵の紐、珠、銀色したる心の臟などにて飾りたる耶蘇のをさな子も、共に動きて、我等が面を見て笑み給ふ如くなりき。われは高く朗なる聲して歌ひしに、人々聞きて善き聲なりといひき。或る時英吉利人の一家族、我歌を聞きて立ちとまり、歌ひ畢るを待ちて、長らしき人われに銀貨一つ與へき。母に語りしに、そなたが聲のめでたさ故、とのたまひき。されどこの詞は、その後我祈を妨ぐること、いかばかりなりしを知らず。それよりは、聖母の前にて歌ふごとに、聖母の上をのみ思ふこと能はずして、必ず我聲の美しきを聞く人やあると思ひ、かく思ひつゝも、聖母のわがあだし心を懷けるを嫉み給はむかとあやぶみ、聖母に向ひて罪を謝し、あはれなる子に慈悲の眸を垂れ給へと願ひき。  わが餘所の子供に出で逢ふは、この夕の祈の時のみなりき。わが世は靜けかりき。わが自ら作りたる夢の世に心を潜め、仰ぎ臥して開きたる窓に向ひ、伊太利の美しき青空を眺め、日の西に傾くとき、紫の光ある雲の黄金色したる地の上に垂れかゝりたるをめで、時の遷るを知らざることしば〳〵なりき。ある時は、遠くクヰリナアル(丘の名にて、其上に法皇の宮居あり)と家々の棟とを越えて、紅に染まりたる地平線のわたりに、眞黒に浮き出でゝ見ゆる「ピニヨロ」の木々の方へ、飛び行かばや、と願ひき。我部屋には、この眺ある窓の外、中庭に向へる窓ありき。我家の中庭は、隣の家の中庭に並びて、いづれもいと狹く、上の方は木の「アルタナ」(物見のやうにしたる屋根)にて鎖されたり。庭ごとに石にて甃みたる井ありしが、家々の壁と井との間をば、人ひとり僅かに通らるゝほどなれば、我は上より覗きて、二つの井の内を見るのみなりき。緑なるほうらいしだ(アヂアンツム)生ひ茂りて、深きところは唯だ黒くのみぞ見えたる。俯してこれを見るたびに、われは地の底を見おろすやうに覺えて、ここにも怪しき境ありとおもひき。かゝるとき、母上は杖の尖にて窓硝子を淨め、なんぢ井に墜ちて溺れだにせずば、この窓に當りたる木々の枝には、汝が食ふべき果おほく熟すべしとのたまひき。    隧道、ちご  我家に宿りたる畫工は、廓外に出づるをり、我を伴ひゆくことありき。畫を作る間は、われかれを妨ぐることなかりき。さて作り畢りたるとき、われ穉き物語して慰むるに、かれも今はわが國の詞を解して、面白がりたり。われは既に一たび畫工に隨ひて、「クリア、ホスチリア」にゆき、昔游戲の日まで猛獸を押し込めおきて、つねに無辜の俘囚を獅子、「イヱナ」獸なんどの餌としたりと聞く、かの暗き洞の深き處まで入りしことあり。洞の裡なる暗き道に、我等を導きてくゞり入り、燃ゆる松火を、絶えず石壁に振り當てたる僧、深き池の水の、鏡の如く明にて、目の前には何もなきやうなれば、その足もとまで湛へ寄せたるを知らむには、松火もて觸れ探らではかなはざるほどなる、いづれもわが空想を激したりき。われは怖をば懷かざりき。そは危しといふことを知らねばなりけり。  街のはつる處に、「コリゼエオ」(大觀棚)の頂見えたるとき、われ等はかの洞の方へゆくにや、と畫工に問ひしに、否、あれよりは逈に大なる洞にゆきて、面白きものを見せ、そなたをも景色と倶に寫すべし、と答へき。葡萄圃の間を過ぎ、古の混堂の址を圍みたる白き石垣に沿ひて、ひたすら進みゆく程に羅馬の府の外に出でぬ。日はいと烈しかりき。緑の枝を手折りて、車の上に揷し、農夫はその下に眠りたるに、馬は車の片側に弔り下げたる一束の秣を食ひつゝ、ひとり徐に歩みゆけり。やう〳〵女神エジエリアの洞にたどり着きて、われ等は朝餐を食べ、岩間より湧き出づる泉の水に、葡萄酒混ぜて飮みき。洞の裏には、天井にも四方の壁にも、すべて絹、天鵝絨なんどにて張りたらむやうに、緑こまやかなる苔生ひたり。露けく茂りたる蔦の、おほいなる洞門にかゝりたるさまは、カラブリア州の谿間なる葡萄架を見る心地す。洞の前數歩には、その頃いと寂しき一軒の家ありて、「カタコンバ」のうちの一つに造りかけたりき。この家今は潰えて斷礎をのみぞ留めたる。「カタコンバ」は人も知りたる如く、羅馬城とこれに接したる村々とを通ずる隧道なりしが、半はおのづから壞れ、半は盜人、ぬけうりする人なんどの隱家となるを厭ひて、石もて塞がれたるなり。當時猶存じたるは、聖セバスチヤノ寺の内なる穹窿の墓穴よりの入口と、わが言へる一軒家よりの入口とのみなりき。さてわれ等はかの一軒家のうちなる入口より進み入りしが、おもふに最後に此道を通りたるはわれ等二人なりしなるべし。いかにといふに此入口はわれ等が危き目に逢ひたる後、いまだ幾もあらぬに塞がれて、後には寺の内なる入口のみ殘りぬ。かしこには今も僧一人居りて、旅人を導きて穴に入らしむ。  深きところには、軟なる土に掘りこみたる道の行き違ひたるあり。その枝の多き、その樣の相似たる、おもなる筋を知りたる人も踏み迷ふべきほどなり。われは穉心に何ともおもはず。畫工はまた豫め其心して、我を伴ひ入りぬ。先づ蝋燭一つ點し、一をば猶衣のかくしの中に貯へおき、一卷の絲の端を入口に結びつけ、さて我手を引きて進み入りぬ。忽ち天井低くなりて、われのみ立ちて歩まるゝところあり、忽ち又岐路の出づるところ廣がりて方形をなし、見上ぐるばかりなる穹窿をなしたるあり。われ等は中央に小き石卓を据ゑたる圓堂を過りぬ。こゝは始て基督教に歸依したる人々の、異教の民に逐はるゝごとに、ひそかに集りて神に仕へまつりしところなりとぞ。フエデリゴはこゝにて、この壁中に葬られたる法皇十四人、その外數千の獻身者の事を物語りぬ。われ等は石龕のわれ目に燭火さしつけて、中なる白骨を見き。(こゝの墓には何の飾もなし。拿破里に近き聖ヤヌアリウスの「カタコンバ」には聖像をも文字をも彫りつけたるあれど、これも技術上の價あるにあらず。基督教徒の墓には、魚を彫りたり。希臘文の魚といふ字は「イヒトユス」なれば、暗に「イエソウス、クリストス、テオウ ウイオス、ソオテエル」の文の首字を集めて語をなしたるなり。此希臘文はこゝに耶蘇基督神子救世者と云ふ。)われ等はこれより入ること二三歩にして立ち留りぬ。ほぐし來たる絲はこゝにて盡きたればなり。畫工は絲の端を控鈕の孔に結びて、蝋燭を拾ひ集めたる小石の間に立て、さてそこに蹲りて、隧道の摸樣を寫し始めき。われは傍なる石に踞けて合掌し、上の方を仰ぎ視ゐたり。燭は半ば流れたり。されどさきに貯へおきたる新なる蝋燭をば、今取り出してその側におきたる上、火打道具さへ帶びたれば、消えなむ折に火を點すべき用意ありしなり。  われはおそろしき暗黒天地に通ずる幾條の道を望みて、心の中にさま〴〵の奇怪なる事をおもひ居たり。この時われ等が周圍には寂として何の聲も聞えず、唯だ忽ち斷え忽ち續く、物寂しき岩間の雫の音を聞くのみなりき。われはかく由なき妄想を懷きてしばしあたりを忘れ居たるに、ふと心づきて畫工の方を見やれば、あな訝かし、畫工は大息つきて一つところを馳せめぐりたり。その間かれは頻に俯して、地上のものを搜し索むる如し。かれは又火を新なる蝋燭に點じて再びあたりをたづねたり。その氣色ただならず覺えければ、われも立ちあがりて泣き出しつ。  この時畫工は聲を勵まして、こは何事ぞ、善き子なれば、そこに坐りゐよ、と云ひしが、又眉を顰めて地を見たり。われは畫工の手に取りすがりて、最早登りゆくべし、こゝには居りたくなし、とむつかりたり。畫工は、そちは善き子なり、畫かきてや遣らむ、果子をや與へむ、こゝに錢もあり、といひつゝ、衣のかくしを探して、財布を取り出し、中なる錢をば、ことごとく我に與へき。我はこれを受くるとき、畫工の手の氷の如く冷になりて、いたく震ひたるに心づきぬ。我はいよ〳〵騷ぎ出し、母を呼びてます〳〵泣きぬ。畫工はこの時我肩を掴みて、劇しくゆすり搖かし、靜にせずば打擲せむ、といひしが、急に手巾を引き出して、我腕を縛りて、しかと其端を取り、さて俯してあまたゝび我に接吻し、かはゆき子なり、そちも聖母に願へ、といひき。絲をや失ひ給ひし、と我は叫びぬ。今こそ見出さめ、といひ〳〵、畫工は又地上をかいさぐりぬ。  さる程に、地上なりし蝋燭は流れ畢りぬ。手に持ちたる蝋燭も、かなたこなたを搜し索むる忙しさに、流るゝこといよ〳〵早く、今は手の際まで燃え來りぬ。畫工の周章は大方ならざりき。そも無理ならず。若し絲なくして歩を運ばば、われ等は次第に深きところに入りて、遂に活路なきに至らむも計られざればなり。畫工は再び氣を勵まして探りしが、こたびも絲を得ざりしかば、力拔けて地上に坐し、我頸を抱きて大息つき、あはれなる子よ、とつぶやきぬ。われはこの詞を聞きて、最早家に還られざることぞ、とおもひければ、いたく泣きぬ。畫工にあまりに緊しく抱き寄せられて、我が縛られたる手はいざり落ちて地に達したり。我は覺えず埃の間に指さし入れしに、例の絲を撮み得たり。こゝにこそ、と我呼びしに、畫工は我手を※(てへん+參)りて、物狂ほしきまでよろこびぬ。あはれ、われ等二人の命はこの絲にぞ繋ぎ留められける。  われ等の再び外に歩み出でたるときは、日の暖に照りたる、天の蒼く晴れたる、木々の梢のうるはしく緑なる、皆常にも増してよろこばしかりき。フエデリゴは又我に接吻して、衣のかくしより美しき銀の※(金+表)を取り出し、これをば汝に取らせむ、といひて與へき。われはあまりの嬉しさに、けふの恐ろしかりし事共、はや悉く忘れ果てたり。されど此事を得忘れ給はざるは、始終の事を聞き給ひし母上なりき。フエデリゴはこれより後、我を伴ひて出づることを許されざりき。フラア・マルチノもいふやう。かの時二人の命の助かりしは、全く聖母のおほん惠にて、邪宗のフエデリゴが手には授け給はざる絲を、善く神に仕ふる、やさしき子の手には與へ給ひしなり。されば聖母の恩をば、身を終ふるまで、ゆめ忘るゝこと勿れといひき。  フラア・マルチノがこの詞と、或る知人の戲に、アントニオはあやしき子なるかな、うみの母をば愛するやうなれど、外の女をばことごとく嫌ふと見ゆれば、あれをば、人となりて後僧にこそすべきなれ、といひしことあるとによりて、母上はわれに出家せしめむとおもひ給ひき。まことに我は奈何なる故とも知らねど、女といふ女は側に來らるゝだに厭はしう覺えき。母上のところに來る婦人は、人の妻ともいはず、處女ともいはず、我が穉き詞にて、このあやしき好憎の心を語るを聞きて、いとおもしろき事におもひ做し、強ひて我に接吻せむとしたり。就中マリウチアといふ娘は、この戲にて我を泣かすること屡なりき。マリウチアは活溌なる少女なりき。農家の子なれど、裁縫店にて雛形娘をつとむるゆゑ、華靡やかなる色の衣をよそひて、幅廣き白き麻布もて髮を卷けり。この少女フエデリゴが畫の雛形をもつとめ、又母上のところにも遊びに來て、その度ごとに自らわがいひなづけの妻なりといひ、我を小き夫なりといひて、迫りて接吻せむとしたり。われ諾はねば、この少女しば〳〵武を用ゐき。或る日われまた脅されて泣き出しゝに、さては猶穉兒なりけり、乳房啣ませずては、啼き止むまじ、とて我を掻き抱かむとす。われ慌てゝ迯ぐるを、少女はすかさず追ひすがりて、兩膝にて我身をしかと挾み、いやがりて振り向かむとする頭を、やう〳〵胸の方へ引き寄せたり。われは少女が揷したる銀の矢を拔きたるに、豐なる髮は波打ちて、我身をも、露れたる少女が肩をも掩はむとす。母上は室の隅に立ちて、笑みつゝマリウチアがなすわざを勸め勵まし給へり。この時フエデリゴは戸の片蔭にかくれて、竊に此群をゑがきぬ。われは母上にいふやう。われは生涯妻といふものをば持たざるべし。われはフラア・マルチノの君のやうなる僧とこそならめといひき。  夕ごとにわが怪しく何の詞もなく坐したるを、母上は出家せしむるにたよりよき性なりとおもひ給ひき。われはかゝる時、いつも人となりたる後、金あまた得たらむには、いかなる寺、いかなる城をか建つべき、寺の主、城の主となりなん日には、「カルヂナアレ」の僧の如く、赤き衷甸に乘りて、金色に裝ひたる僕あまた隨へ、そこより出入せんとおもひき。或るときは又フラア・マルチノに聞きたる、種々なる獻身者の話によそへて、おのれ獻身者とならむをりの事をおもひ、世の人いかにおのれを責むとも、おのれは聖母のめぐみにて、つゆばかりも苦痛を覺えざるべしとおもひき。殊に願はしく覺えしは、フエデリゴが故郷にたづねゆきて、かしこなる邪宗の人々をまことの道に歸依せしむる事なりき。  母上のいかにフラア・マルチノと謀り給ひて、その日とはなりけむ。そはわれ知らでありしに、或る朝母上は、我に小き衣を着せ、其上に白衣を打掛け給ひぬ。此白衣は膝のあたりまで屆きて、寺に仕ふる兒の着るものに同じかりき。母上はかく爲立てゝ、我を鏡に向はせ給ひき。我は此日より尖帽宗の寺にゆきてちごとなり、火伴の童達と共に、おほいなる弔香爐を提げて儀にあづかり、また贄卓の前に出でゝ讚美歌をうたひき。總ての指圖をばフラア・マルチノなしつ。われは幾程もあらぬに、小き寺のうちに住み馴れて、贄卓に畫きたる神の使の童の顏を悉く記え、柱の上なるうねりたる摸樣を識り、瞑目したるときも、醜き龍と戰ひたる、美しき聖ミケルを面前に見ることを得るやうになり、鋪床に刻みたる髑髏の、緑なる蔦かづらにて編みたる環を戴けるを見てはさま〴〵の怪しき思をなしき。(聖ミケルが大なる翼ある美少年の姿にて、惡鬼の頭を踏みつけ、鎗をその上に加へたるは、名高き畫なり。)    美小鬟、即興詩人  萬聖祭には衆人と倶に骨龕にありき。こはフラア・マルチノの嘗て我を伴ひて入りにしところなり。僧どもは皆經を誦するに、我は火伴の童二人と共に、髑髏の贄卓の前に立ちて、提香爐を振り動したり。骨もて作りたる燭臺に、けふは火を點したり。僧侶の遺骨の手足全きは、けふ額に新しき花の環を戴きて、手に露けき花の一束を取りたり。この祭にも、いつもの如く、人あまた集ひ來ぬ。歌ふ僧の「ミゼレエレ」(「ミゼレエレ、メイ、ドミネ」、主よ、我を愍み給へ、と唱へ出す加特力教の歌をいふ)唱へはじむるとき、人々は膝を屈めて拜したり。髑髏の色白みたる、髑髏と我との間に渦卷ける香の烟の怪しげなる形に見ゆるなどを、我は久しく打ち目守り居たりしに、こはいかに、我身の周圍の物、皆獨樂の如くに𢌞り出しつ。物を見るに、すべて大なる虹を隔てゝ望むが如し。耳には寺の鐘百ばかりも、一時に鳴るらむやうなる音聞ゆ。我心は早き流を舟にて下る如くにて、譬へむやうなく目出たかりき。これより後の事は知らず。我は氣を喪ひき。人あまた集ひて、鬱陶しくなりたるに、我空想の燃え上りたるや、この眩暈のもとなりけむ。醒めたるときは、寺の園なる檸檬の木の下にて、フラア・マルチノが膝に抱かれ居たり。  わが夢の裡に見きといふ、首尾整はざる事を、フラア・マルチノを始として、僧ども皆神の業なりといひき。聖のみたまは面前を飛び過ぎ給ひしかど、はるかなき童のそのひかり耀けるさまにえ堪へで、卒倒したるならむといひき。これより後、われは怪しき夢をみること頻なりき。そを母上に語れば、母上は又友なる女どもに傳へ給ひき。そが中には、われまことにさる夢を見しにはあらねど、見きと詐りて語りしもありき。これによりて、我を神のおん子なりとする、人々の惑は、日にけに深くなりまさりぬ。  さる程に嬉しき聖誕祭は近づきぬ。つねは山住ひする牧者の笛ふき(ピツフエラリ)となりたるが、短き外套着て、紐あまた下げ、尖りたる帽を戴き、聖母の像ある家ごとに音信れ來て、救世主の誕れ給ひしは今ぞ、と笛の音に知らせありきぬ。この單調にして悲しげなる聲を聞きて、我は朝な〳〵覺むるが常となりぬ。覺むれば説教の稽古す。おほよそ聖誕日と新年との間には、「サンタ、マリア、アラチエリ」の寺なる基督の像のみまへにて、童男童女の説教あること、年ごとの例なるが、我はことし其一人に當りたるなり。  吾齡は甫めて九つなるに、かしこにて説教せむこと、いとめでたき事なりとて、歡びあふは、母上、マリウチア、我の三人のみかは。わがありあふ卓の上に登りて、一たびさらへ聞かせたるを聞きし、畫工フエデリゴもこよなうめでたがりぬ。さて其日になりければ、寺のうちなる卓の上に押しあげられぬ。我家のとは違ひて、この卓には毯を被ひたり。われはよその子供の如く、諳じたるまゝの説教をなしき。聖母の心より血汐出でたる、穉き基督のめでたさなど、説教のたねなりき。我順番になりて、衆人に仰ぎ見られしとき、我胸跳りしは、恐ろしさゆゑにはあらで、喜ばしさのためなりき。これ迄の小兒の中にて、尤も人々の氣に入りしもの、即ち我なること疑なかりき。さるをわが後に、卓の上に立たせられたるは、小き女の子なるが、その言ふべからず優しき姿、驚くべきまでしほらしき顏つき、調清き樂に似たる聲音に、人々これぞ神のみつかひなるべき、とさゝやきぬ。母上は、我子に優る子はあらじ、といはまほしう思ひ給ひけむが、これさへ聲高く、あの女の子の贄卓に畫ける神のみつかひに似たることよ、とのたまひき。母上は我に向ひて、かの女子の怪しく濃き目の色、鴉青いろの髮、をさなくて又怜悧げなる顏、美しき紅葉のやうなる手などを、繰りかへして譽め給ふに、わが心には妬ましきやうなる情起りぬ。母上は我上をも神のみつかひに譬へ給ひしかども。  鶯の歌あり。まだ巣ごもり居て、薔薇の枝の緑の葉を啄めども、今生ぜむとする蕾をば見ざりき。二月三月の後、薔薇の花は開きぬ。今は鶯これにのみ鳴きて聞かせ、つひには刺の間に飛び入りて、血を流して死にき。われ人となりて後、しば〳〵此歌の事をおもひき。されど「アラチエリ」の寺にては、我耳も未だこれを聞かず、我心も未だこれを會せざりき。  母上、マリウチア、その外女どもあまたの前にて、寺にてせし説教をくりかへすこと、しば〳〵ありき。わが自ら喜ぶ心はこれにて慰められき。されど我が未だ語り厭かぬ間に、かれ等は早く聽き倦みき。われは聽衆を失はじの心より、自ら新しき説教一段を作りき。その詞は、まことの聖誕日の説教といはむよりは、寺の祭を敍したるものといふべき詞なりき。そを最初に聞きしはフエデリゴなるが、かれは打ち笑ひ乍らも、そちが説教は、兎も角もフラア・マルチノが教へしよりは善し、そちが身には詩人や舍れる、といひき。フラア・マルチノより善しといへる詞は、わがためにいと喜ばしく、さて詩人とはいかなるものならむとおもひ煩ひ、おそらくは我身の内に舍れる善き神のみつかひならむと判じ、又夢のうちに我に面白きものを見するものにやと疑ひぬ。  母上は家を離れて遠く出で給ふこと稀なりき。されば或日の晝すぎ、トラステヱエル(テヱエル河の右岸なる羅馬の市區)なる友だちを訪はむ、とのたまひしは、我がためには祭に往くごとくなりき。日曜に着る衣をきよそひぬ。中單の代にその頃着る習なりし絹の胸當をば、針にて上衣の下に縫ひ留めき。領巾をば幅廣き襞に摺みたり。頭には縫とりしたる帽を戴きつ。我姿はいとやさしかりき。  とぶらひ畢りて、家路に向ふころは、はや頗る遲くなりたれど、月影さやけく、空の色青く、風いと心地好かりき。路に近き丘の上には、「チプレツソオ」、「ピニヨロ」なんどの常磐樹立てるが、怪しげなる輪廓を、鋭く空に畫きたり。人の世にあるや、とある夕、何事もあらざりしを、久しくえ忘れぬやうに、美しう思ふことあるものなるが、かの歸路の景色、また然る類なりき。國を去りての後も、テヱエルの流のさまを思ふごとに、かの夕の景色のみぞ心には浮ぶなる。黄なる河水のいと濃げに見ゆるに、月の光はさしたり。碾穀車の鳴り響く水の上に、朽ち果てたる橋柱、黒き影を印して立てり。この景色心に浮べば、あの折の心輕げなる少女子さへ、扁鼓手に把りて、「サルタレルロ」舞ひつゝ過ぐらむ心地す。(「サルタレルロ」の事をば聊注すべし。こは單調なる曲につれて踊り舞ふ羅馬の民の技藝なり。一人にて踊ることあり。又二人にても舞へど、その身の相觸るゝことはなし。大抵男子二人、若くは女子二人なるが、跳ねる如き早足にて半圈に動き、その間手をも休むることなく、羅馬人に産れ付きたる、しなやかなる振をなせり。女子は裳裾を蹇ぐ。鼓をば自ら打ち、又人にも打たす。其調の變化といふは、唯遲速のみなり。)サンタ、マリア、デルラ、ロツンダの街に來て見れば、こゝはまだいと賑はし。魚蝋の烟を風のまにまに吹き靡かせて、前に木机を据ゑ、そが上に月桂の青枝もて編みたる籠に貨物を載せたるを飾りたるは、肉鬻ぐ男、果賣る女などなり。剥栗並べたる釜の下よりは、火燄立昇りたり。賈人の物いひかはす聲の高きは、伊太利ことば知らぬ旅人聞かば、命をも顧みざる爭とやおもふらむ。魚賣る女の店の前にて、母上識る人に逢ひ給ひぬ。女子の間とて、物語長きに、店の蝋燭流れ盡むとしたり。さて連れ立ちて、其人の家の戸口までおくり行くに、街の上はいふもさらなり、「コルソオ」の大道さへ物寂しう見えぬ。されど美しき水盤を築きたるピアツツア、ヂ、トレヰイに曲り出でしときは、又賑はしきさま前の如し。  こゝに古き殿づくりあり。意なく投げ疊ねたらむやうに見ゆる、礎の間より、水流れ落ちて、月は恰も好し棟の上にぞ照りわたれる。河伯の像は、重き石衣を風に吹かせて、大なる瀧を見おろしたり。瀧のほとりには、喇叭吹くトリイトンの神二人海馬を馭したり。その下には、豐に水を湛へたる大水盤あり。盤を繞れる石級を見れば農夫どもあまた心地好げに月明の裡に臥したり。截り碎きたる西瓜より、紅の露滴りたるが其傍にあり。骨組太き童一人、身に着けたるものとては、薄き汗衫一枚、鞣革の袴一つなるが、その袴さへ、控鈕脱れて膝のあたりに垂れかゝりたるを、心ともせずや、「キタルラ」の絃、おもしろげに掻き鳴して坐したり。忽ちにして歌ふこと一句、忽にして又奏づること一節。農夫どもは掌打ち鳴しつ。母上は立ちとまり給ひぬ。この時童の歌ひたる歌こそは、いたく我心を動かしつれ。あはれ此歌よ。こは尋常の歌にあらず。この童の歌ふは、目の前に見え、耳のほとりに聞ゆるが儘なりき。母上も我も亦曲中の人となりぬ。さるに其歌には韻脚あり、其調はいと妙なり。童の歌ひけるやう。青き空を衾として、白き石を枕としたる寢ごゝろの好さよ。かくて笛手二人の曲をこそ聞け。童は斯く歌ひて、「トリイトン」の石像を指したり。童の又歌ひけるやう。こゝに西瓜の血汐を酌める、百姓の一群は、皆戀人の上安かれと祈るなり。その戀人は今は寢て、聖ピエトロの寺の塔、その法皇の都にゆきし、人の上をも夢みるらむ。人々の戀人の上安かれと祈りて飮まむ。又世の中にあらむ限の、箭の手開かぬ少女が上をも、皆安かれと祈りて飮まむ。(箭の手開かぬ少女とは、髮に揷す箭をいへるにて、處女の箭には握りたる手あり、嫁ぎたる女の箭には開きたる手あり。)かくて童は、母上の脇を※(てへん+諂のつくり)りて、さて母御の上をも、又その童の鬚生ふるやうになりて、迎へむ少女の上をも、と歌ひぬ。母上善くぞ歌ひしと讚め給へば、農夫どもゝジヤコモが旨さよ、と手打ち鳴してさゞめきぬ。この時ふと小き寺の石級の上を見しに、こゝには識る人ひとりあり。そは鉛筆取りて、この月明の中なる群を、寫さむとしたる畫工フエデリゴなりき。歸途には畫工と母上と、かの歌うたひし童の上につきて、語り戲れき。その時畫工は、かの童を即興詩人とぞいひける。  フエデリゴの我にいふやう。アントニオ聞け。そなたも即興の詩を作れ。そなたは固より詩人なり。たゞ例の説教を韻語にして歌へ。これを聞きて、我初めて詩人といふことあきらかにさとれり。まことに詩人とは、見るもの、聞くものにつけて、おもしろく歌ふ人にぞありける。げにこは面白き業なり。想ふにあながち難からむとは思はれず、「キタルラ」一つだにあらましかば。わが初の作の料になりしは、向ひなる枯肉鋪なりしこそ可笑しけれ。此家の貨物の排べ方は、旅人の目にさへ留まるやうなりければ、早くも我空想を襲ひしなり。月桂の枝美しく編みたる間には、おほいなる駝鳥の卵の如く、乾酪の塊懸りたり。「オルガノ」の笛の如く、金紙卷きたる燭は並び立てり。柱のやうに立てたる腸づめの肉の上には、琥珀の如く光を放ちて、「パルミジヤノ」の乾酪据わりたり。夕になれば、燭に火を點ずるほどに、其光は腸づめの肉と「プレシチウツトオ」(らかん)との間に燃ゆる、聖母像前の紅玻璃燈と共に、この幻の境を照せり。我詩には、店の卓の上なる猫兒、店の女房と價を爭ひたる、若き「カツプチノ」僧さへ、殘ることなく入りぬ。此詩をば、幾度か心の内にて吟じ試みて、さてフエデリゴに歌ひて聞かせしに、フエデリゴめでたがりければ、つひに家の中に廣まり、又街を踰えて、向ひなるひものやの女房の耳にも入りぬ。女房聞きて、げに珍らしき詩なるかな、ダンテの神曲とはかゝるものか、とぞ稱へける。  これを手始に、物として我詩に入らぬはなきやうになりぬ。我世は夢の世、空想の世となりぬ。寺にありて、僧の歌ふとき、提香爐を打ち振りても、街にありて、叫ぶ賈人、轟く車の間に立ちても、聖母の像と靈水盛りたる瓶の下なる、小き臥床の中にありても、たゞ詩をおもふより外あらざりき。冬の夕暮、鍛冶の火高く燃えて、道ゆく百姓の立ち倚りて手を温むるとき、我は家の窓に坐して、これを見つゝ、時の過ぐるを知らず。かの鍛冶の火の中には、我空想の世の如き殊なる世ありとぞ覺えし。北山おろし劇しうして、白雪街を籠め、廣こうぢの石の「トリイトン」に氷の鬚おふるときは、我喜限なかりき。憾むらくは、かゝる時の長からぬことよ。かゝる日には年ゆたかなる兆とて、羊の裘きたる農夫ども、手を拍ちて「トリイトン」のめぐりを踊りまはりき。噴き出づる水に雨は、晴れなんとする空にかゝれる虹の影映りて。    花祭  六月の事なりき。年ごとにジエンツアノにて執行せらるゝ、名高き花祭の期は近づきぬ。(ジエンツアノはアルバノ山間の小都會なり。羅馬と沼澤との間なる街道に近し。)母上とも、マリウチアとも仲好き女房ありて、かしこなる料理屋の妻となりたり。(伊太利の小料理屋にて「オステリア、エエ、クチイナ」と招牌懸けたる類なるべし。)母上とマリウチアとが此祭にゆかむと約したるは、數年前よりの事なれども、いつも思ひ掛けぬ事に妨げられて、えも果さゞりき。今年は必ず約を履まむとなり。道遠ければ、祭の前日にいで立たむとす。かしまだちの前の夕には、喜ばしさの餘に、我眠の穩ならざりしも、理なるべし。 「ヱツツリノ」といふ車の門前に來しときは、日未だ昇らざりき。我等は直に車に上りぬ。是れより先には、われ未だ山に入りしことあらざりき。祭の事を思ひての喜に胸さわぎのみぞせられたる。身の邊なる自然と生活とを、人となりての後、當時の情もて觀ましかば、我が作る詩こそ類なき妙品ならめ。街道の靜けさ、鐵物いかめしき閭門、見わたす限遙なるカムパニアの野邊に、物寂しき墳墓のところ〴〵に立てる、遠山の裾を罩めたる濃き朝霧など、我がためにはこたび觀るべき、めでたき祕事の前兆の如くおもはれぬ。道の傍に十字架あり。そが上には枯髏殘れり。こは辜なき人を脅したる報に、こゝに刑せられし強人の骨なるべし。これさへ我心を動すことたゞならざりき。山中の水を羅馬の市に導くなる、許多の筧の數をば、はじめこそ讀み見むとしつれ、幾程もあらぬに、倦みて思ひとゞまりつ。さて我は母上とマリウチアとに問ひはじめき。壞れ傾きたる墓標のめぐりにて、牧者が焚く火は何のためぞ。羊の群のめぐりに引きめぐらしたる網は何のためぞ。問はるゝ人はいかにうるさかりけむ。  アルバノに着きて車を下りぬ。こゝよりアリチアを越す美しき道の程をば徒にてぞゆく。木犀草(レセダ)又はにほひあらせいとう(ヘイランツス)の花など道の傍に野生したり。緑なる葉の茂れる橄欖樹の蔭は涼しくして、憩ふ人待貌なり。遠き海をば、我も望み見ることを得き。十字架立ちたる山腹を過ぐるとき、少女子の一群笑ひ戲れて過ぐるに逢ひぬ。笑ひ戲れながらも、十字架に接吻することをば忘れざりき。アリチアの寺の屋根、黒き橄欖の林の間に見えたるをば、神の使が戲に据ゑかへたる聖ピエトロ寺の屋根ならむとおもひき。索にて牽かれたる熊の、人の如くに立ちて舞へるあり。人あまた其周につどひたり。熊を牽ける男の吹く笛を聞けば、こは羅馬に來て聖母の前に立ちて吹く、「ピツフエラリ」が曲におなじかりき。男に軍曹と呼ばるゝ猿あり。美しき軍服着て、熊の頭の上、脊の上などにて翻筋斗す。われは面白さにこゝに止らむとおもふほどなりき。ジエンツアノの祭も明日のことなれば、止まればとて遲るゝにもあらず。されど母上は早く往きて、友なる女房の環飾編むを助けむとのたまへば、甲斐なかりき。  幾程もなく到り着きて、アンジエリカが家をたづね得つ。ジエンツアノの市にて、ネミといふ湖に向へる方にありき。家はいとめでたし。壁よりは泉湧き出でゝ、石盤に流れ落つ。驢馬あまたそを飮まむとて、めぐりに集ひたり。  料理屋に立ち入りて見るに賑しき物音我等を迎へたり。竈には火燃えて、鍋の裡なる食は煮え上りたり。長き卓あり。市人も田舍人も、それに倚りて、酒飮み、醃藏にせる豚を食へり。聖母の御影の前には、青磁の花瓶に、美しき薔薇花を活けたるが、其傍なる燈は、棚引く烟に壓されて、善くも燃えず。帳場のほとりなる卓に置きたる乾酪の上をば、猫跳り越えたり、鷄の群は、我等が脚にまつはれて、踏まるゝをも厭はじと覺ゆ。アンジエリカは快く我等を迎へき。險しき梯を登りて、烟突の傍なる小部屋に入り、こゝにて食を饗せられき。我心にては、國王の宴に召されたるかとおぼえつ。物として美しからぬはなく、一「フオリエツタ」の葡萄酒さへ其瓶に飾ありて、いとめでたかりき。瓶の口に栓がはりに揷したるは、纔に開きたる薔薇花なり。主客三人の女房、互に接吻したり。我も否とも諾とも云ふ暇なくして、接吻せられき。母上片手にて我頬を撫り、片手にて我衣をなほし給ふ。手尖の隱るゝまで袖を引き、又頸を越すまで襟を揚げなどして、やう〳〵心を安じ給ひき。アンジエリカは我を佳き兒なりと讚めき。  食後には面白き事はじまりぬ。紅なる花、緑なる梢を摘みて、環飾を編まむとて、人々皆出でぬ。低き戸口をくゞれば庭あり。そのめぐりは幾尺かあらむ。すべてのさま唯だ一つの四阿屋めきたり。細き欄をば、こゝに野生したる蘆薈の、太く堅き葉にて援けたり。これ自然の籬なり。看卸せば深き湖の面いと靜なり。昔こゝは火坑にて、一たびは焔の柱天に朝したることもありきといふ。庭を出でゝ山腹を歩み、大なる葡萄架、茂れる「プラタノ」の林のほとりを過ぐ。葡萄の蔓は高く這ひのぼりて、林の木々にさへ纏ひたり。彼方の山腹の尖りたるところにネミの市あり。其影は湖の底に印りたり。我等は花を採り、梢を折りて、且行き且編みたり。あらせいとうの間には、露けき橄欖の葉を織り込めつ。高き青空と深き碧水とは、乍ち草木に遮られ、乍ち又一樣なる限なき色に現れ出づ。我がためには、物としてめでたく、珍らかならざるなし。平和なる歡喜の情は、我魂を震はしめき。今に到るまで、この折の事は、埋沒したる古城の彩石壁畫の如く、我心目に浮び出づることあり。  日は烈しかりき。湖の畔に降りゆきて、葡萄蔓纏へる「プラタノ」の古樹の、長き枝を水の面にさしおろしたる蔭にやすらひたる時、我等は纔に涼しさを迎へて、編みものに心籠むることを得つ。水草の美しき頭の、蔭にありて、徐に頷くさま、夢みる人の如し。これをも祈りて編み込めつ。暫しありて、日の光は最早水面に及ばずなりて、ネミとジエンツアノとの家々の屋根をさまよへり。我等が坐したるところは、次第にほの暗うなりぬ。我は遊ばむとて、群を離れたれど、岸低く、湖の深きを母上氣づかひ給へば、數歩の外には出でざりき。こゝには古きヂアナの祠の址あり。その破壞して形ばかりになりたる裡に、大なる無花果樹あり。蔦蘿は隙なきまでに、これにまつはれたり。われは此樹に攀ぢ上りて、環飾編みつゝ、流行の小歌うたひたり。 ”―Ah rossi, rossi flori, Un mazzo di violi! Un gelsomin d'amore―“ (あはれ、赤き、赤き花よ。 菫の束よ。 戀のしるしの素馨〔ジエルソミノ〕の花よ。) この時あやしく咳枯れたる聲にて、歌ひつぐ人あり。 ”―Per dar al mio bene!“ (摘みて取らせむその人に。)  忽ちフラスカアチの農家の婦人の裝したる媼ありて、我前に立ち現れぬ。その脊はあやしき迄眞直なり。その顏の色の目立ちて黒く見ゆるは、頭より肩に垂れたる、長き白紗のためにや。膚の皺は繁くして、縮めたる網の如し。黒き瞳は眶を填めん程なり。この媼は初め微笑みつゝ我を見しが、俄に色を正して、我面を打ちまもりたるさま、傍なる木に寄せ掛けたる木乃伊にはあらずや、と疑はる。暫しありていふやう。花はそちが手にありて美しくぞなるべき。彼の目には福の星ありといふ。我は編みかけたる環飾を、我唇におし當てたるまゝ、驚きて彼の方を見居たり。媼またいはく。その月桂の葉は、美しけれど毒あり。飾に編むは好し。唇にな當てそといふ。此時アンジエリカ籬の後より出でゝいふやう。賢き老女、フラスカアチのフルヰア。そなたも明日の祭の料にとて、環飾編まむとするか。さらずは日のカムパニアのあなたに入りてより、常ならぬ花束を作らむとするかといふ。媼はかく問はれても、顧みもせで我面のみ打ち目守り、詞を續ぎていふやう。賢き目なり。日の金牛宮を過ぐるとき誕れぬ。名も財も牛の角にかゝりたりといふ。此時母上も歩み寄りてのたまふやう。吾子が受領すべきは、緇き衣と大なる帽となり。かくて後は、護摩焚きて神に仕ふべきか、棘の道を走るべきか。そはかれが運命に任せてむ、とのたまふ。媼は聞きて、我を僧とすべしといふ意ぞ、とは心得たりと覺えられき。されど當時は、我等悉く媼が詞の顛末を解すること能はざりき。媼のいふやう。あらず。此兒が衆人の前にて説くところは、げに格子の裏なる尼少女の歌より優しく、アルバノの山の雷より烈しかるべし。されどその時戴くものは大なる帽にあらず。福の座は、かの羊の群の間に白雲立てる、カヲの山より高きものぞといふ。この詞のめでたげなるに、母上は喜び給ひながら、猶訝しげにもてなして、太き息つきつゝ宣給ふやう。あはれなる兒なり。行末をば聖母こそ知り給はめ。アルバノの農夫の車より福の車は高きものを、かゝるをさな子のいかでか上り得むとのたまふ。媼のいはく。農車の輪のめぐるを見ずや。下なる輻は上なる輻となれば、足を低き輻に踏みかけて、旋るに任せて登るときは、忽ち車の上にあるべし。(アルバノの農車はいと高ければ、農夫等かくして登るといふ。)唯だ道なる石に心せよ。市に舞ふ人もこれに躓く習ぞといふ。母上は半ば戲のやうに、さらばその福の車に、われも倶に登るべきか、と問ひ給ひしが、俄に打ち驚きてあなやと叫び給ひき。この時大なる鷙鳥ありて、さと落し來たりしに、その翼の前なる湖を撃ちたるとき、飛沫は我等が面を濕しき。雲の上にて、鋭くも水面に浮びたる大魚を見付け、矢を射る如く來りて攫みたるなり。刃の如き爪は魚の脊を穿ちたり。さて再び空に揚らむとするに、騷ぐ波にて測るにも、その大さはよの常ならぬ魚にしあれば、力を極めて引かれじと爭ひたり。鳥も打ち込みたる爪拔けざれば、今更にその獲ものを放つこと能はず。魚と鳥との鬪はいよ〳〵激しく、湖水の面ゆらぐまに〳〵、幾重ともなき大なる環を畫き出せり。鳥の翼は忽ち斂まり、忽ち放たれ、魚の背は浮ぶかと見れば又沈みつ。數分時の後、雙翼靜に水を蔽ひて、鳥は憩ふが如く見えしが、俄にはたゝく勢に、偏翼摧け折るゝ聲、岸のほとりに聞えぬ。鳥は殘れる翼にて、二たび三たび水を敲き、つひに沈みて見えずなりぬ。魚は最後の力を出して、敵を負ひて水底に下りしならむ。鳥も魚も、しばしが程に、底のみくづとなるならむ。我等は詞もあらで、此光景を眺め居たり。事果てゝ後顧みれば、かの媼は在らざりき。  我等は詞少く歸路をいそぎぬ。森の木葉のしげみは、闇を吐き出だす如くなれど、夕照は湖水に映じて纔にゆくてに迷はざらしむ。この時聞ゆる單調なる物音は粉碾車の轢るなり。すべてのさま物凄く恐ろしげなり。アンジエリカはゆく〳〵怪しき老女が上を物語りぬ。かの媼は藥草を識りて、能く人を殺し、能く人を惑はしむ。オレワアノといふ所に、テレザといふ少女ありき。ジユウゼツペといふ若者が、山を越えて北の方へゆきたるを戀ひて、日にけに痩せ衰へけり。媼さらば其男を喚び返して得させむとてテレザが髮とジユウゼツペが髮とを結び合せて、銅の器に入れ、藥草を雜へて煮き。ジユウゼツペは其日より、晝も夜も、テレザが上のみ案ぜられければ、何事をも打ち棄てゝ歸り來ぬとぞ。我は此物語を聞きつゝ、「アヱ、マリア」の祈をなしつ。アンジエリカが家に歸り着きて、我心は纔におちゐたり。  新に編みたる環飾一つを懸けたる、眞鍮の燈には、四條の心に殘なく火を點し、「モンツアノ、アル、ポミドロ」といふ旨きものに、善き酒一瓶を添へて供せられき。農夫等は下なる一間にて飮み歌へり。二人代る〴〵唱へ、末の句に至りて、坐客齊しく和したり。我が子供と共に、燃ゆる竈の傍なる聖母の像のみまへにゆきて、讚美歌唱へはじめしとき、農夫等は聲を止めて、我曲を聽き、好き聲なりと稱へき。その嬉しさに我は暗き林をも、怪しき老女をも忘れ果てつ。我は農夫等と共に、即興の詩を歌はむとおもひしに、母上とゞめて宣給ふやう。そちは香爐を提ぐる子ならずや。行末は人の前に出でゝ、神のみことばをも傳ふべきに、今いかでかさる戲せらるべき。謝肉の祭はまだ來ぬものを、とのたまひき。されど我がアンジエリカが家の廣き臥床に上りしときは、母上我枕の低きを厭ひて、肱さし伸べて枕せさせ、頼ある子ぞ、と胸に抱き寄せて眠り給ひき。我は旭の光窓を照して、美しき花祭の我を喚び醒すまで、穩なる夢を結びぬ。  その旦先づ目に觸れし街の有樣、その彩色したる活畫圖を、當時の心になりて寫し出さむには、いかに筆を下すべきか。少しく爪尖あがりになりたる、長き街をば、すべて花もて掩ひたり。地は青く見えたり。かく色を揃へて花を飾るには、園生の草をも、野に茂る枝をも、摘み盡し、折り盡したるかと疑はる。兩側には大なる緑の葉を、帶の如く引きたり。その上には薔薇の花を隙間なきまで並べたり。この帶の隣には又似寄りたる帶を引きて、その間をば暗紅なる花もて填めたり。これを街の氈の小縁とす。中央には黄なる花多く簇めて、その角立ちたる紋を成したる群を星とし、その輪の如き紋を成したる束を日とす。これよりも骨折りて造り出でけんと思はるゝは、人の名頭の字を花もて現したるにぞありける。こゝにては花と花と聯ね、葉と葉と合せて形を作りたり。總ての摸樣は、まことに活きたる五色の氈と見るべく、又彩石を組み合せたる牀と見るべし。されどポムペイにありといふ床にも、かく美しき色あるはあらじ。このあした、風といふもの絶てなかりき。花の落着きたるさまは、重き寶石を据ゑたらむが如くなり。窓といふ窓よりは、大なる氈を垂れて石の壁を掩ひたり。この氈も、花と葉とにて織りて、おほくは聖書に出でたる事蹟の圖を成したり。こゝには聖母と穉き基督とを騎せたる驢あり、ジユウゼツペその口を取りたり。顏、手、足なんどをば、薔薇の花もて作りたり。こあらせいとう(マチオラ)の花、青き「アネモオネ」の花などにて、風に翻りたる衣を織り成せり。その冠を見れば、ネミの湖にて摘みたる白き睡蓮(ニユムフエア)の花なりき。かしこには尊きミケルの毒龍と鬪へるあり。尊きロザリアは深碧なる地球の上に、薔薇の花を散らしたり。いづかたに向ひて見ても、花は我に聖書の事蹟を語れり。いづかたに向ひて見ても、人の面は我と同じく樂しげなり。美しき衣着裝ひて、出張りたる窓に立てるは、山のあなたより來し異國人なるべし。街の側には、おのがじし飾り繕ひたる人の波打つ如く行くあり。街の曲り角にて、大なる噴井あるところに、母上は腰掛け給へり。我は水よりさしのぞきたるサチロ(羊脚の神)の神の頭の前に立てり。  日は烈しく照りたり。市中の鐘ことごとく鳴りはじめぬ。この時美しき花の氈を踏みて、祭の行列過ぐ。めでたき音樂、謳歌の聲は、その近づくを知らせたり。贄櫃の前には、兒あまた提香爐を振り動かして歩めり。これに續きたるは、こゝらあたりの美しき少女を撰り出でて、花の環を取らせたるなり。もろ肌ぬぎて、翼を負ひたる、あはれなる小兒等は、高卓の前に立ちて、神の使の歌をうたひて、行列の來るを待てり。若人等は尖りたる帽の上に、聖母の像を印したる紐のひら〳〵としたるを付けたり。鎖に金銀の環を繋ぎて、頸に懸けたり。斜に肩に掛けたる、彩りたる紐は、黒天鵝絨の上衣に映じて美し。アルバノ、フラスカアチの少女の群は、髮を編みて、銀の箭にて留め、薄き面紗の端を、やさしく髻の上にて結びたり。ヱルレトリの少女の群は、頭に環かざりを戴き、美しき肩、圓き乳房の露るゝやうに着たる衣に、襟の邊より、彩りたる巾を下げたり。アプルツチイよりも、大澤よりも、おほよそ近きほとりの民悉くつどひ來て、おの〳〵古風を存じたる打扮したれば、その入り亂れたるを見るときは、餘所の國にはあるまじき奇觀なるべし。花を飾りたる天蓋の下に、華美なる式の衣を着けて歩み來たるは、「カルヂナアレ」なり。さま〴〵の宗派に屬する僧は、燃ゆる蝋燭を取りてこれに隨へり。行列のことごとく寺を離るゝとき、群衆はその後に跟いて動きはじめき。我等もこの間にありしが、母上はしかと我肩を按へて、人に押し隔てられじとし給へり。我等は人に揉まれつゝ歩を移せり。我目に見ゆるは、唯だ頭上の青空のみ。忽ち我等がめぐりに、人々の諸聲に叫ぶを聞きつ。我等は彼方へおし遣られ、又此方へおし戻されき。こは一二頭の仗馬の物に怯ぢて駈け出したるなり。われは纔にこの事を聞きたる時、騷ぎ立ちたる人々に推し倒されぬ。目の前は黒くなりて、頭の上には瀑布の水漲り落つる如くなりき。  あはれ、神の母よ、哀なる事なりき。われは今に至るまで、その時の事を憶ふごとに、身うち震ひて止まず。我にかへりしとき、マリウチアは泣き叫びつゝ、我頭を膝の上に載せ居たり。側には母上地に横り居給ふ。これを圍みたるは、見もしらぬ人々なり。馬は車を引きたる儘にて、仆れたる母上の上を過ぎ、轍は胸を碎きしなり。母上の口よりは血流れたり。母上は早や事きれ給へり。  人々は母上の目を瞑らせ、その掌を合せたり。この掌の温きをば今まで我肩に覺えしものを。遺體をば、僧たち寺に舁き入れぬ。マリウチアは手に淺痍負ひたる我を伴ひて、さきの酒店に歸りぬ。きのふは此酒店にて、樂しき事のみおもひつゝ、花を編み、母上の腕を枕にして眠りしものを。當時わがいよ〳〵まことの孤になりしをば、まだ熟くも思ひ得ざりしかど、わが穉き心にも、唯だ何となく物悲しかりき。人々は我に果子、くだもの、玩具など與へて、なだめ賺し、おん身が母は今聖母の許にいませば、日ごとに花祭ありて、めでたき事のみなりといふ。又あすは今一度母上に逢はせんと慰めつ。人々は我にはかく言ふのみなれど、互にさゝやぎあひて、きのふの鷙鳥の事、怪しき媼の事、母上の夢の事など語り、誰も〳〵母上の死をば豫め知りたりと誇れり。  暴馬は街はづれにて、立木に突きあたりて止まりぬ。車中よりは、人々齡四十の上を一つ二つ踰えたる貴人の驚怖のあまりに氣を喪はんとしたるを助け出だしき。人の噂を聞くに、この貴人はボルゲエゼの族にて、アルバノとフラスカアチとの間に、大なる別墅を搆へ、そこの苑にはめづらしき草花を植ゑて樂とせりとなり。世にはこの翁もあやしき藥草を知ること、かのフルヰアといふ媼に劣らずなど云ふものありとぞ。此貴人の使なりとて、「リフレア」着たる僕盾銀(スクヂイ)二十枚入りたる嚢を我に貽りぬ。  翌日の夕まだ「アヱ、マリア」の鐘鳴らぬほどに、人々我を伴ひて寺にゆき、母上に暇乞せしめき。きのふ祭見にゆきし晴衣のまゝにて、狹き木棺の裡に臥し給へり。我は合せたる掌に接吻するに、人々共音に泣きぬ。寺門には柩を擔ふ人立てり。送りゆく僧は白衣着て、帽を垂れ面を覆へり。柩は人の肩に上りぬ。「カツプチノ」僧は蝋燭に火をうつして挽歌をうたひ始めたり。マリウチアは我を牽きて柩の旁に隨へり。斜日は蓋はざる棺を射て、母上のおん顏は生けるが如く見えぬ。知らぬ子供あまたおもしろげに我めぐりを馳せ𢌞りて、燭涙の地に墜ちて凝りたるを拾ひ、反古を捩りて作りたる筒に入れたり。我等が行くは、きのふ祭の行列の過りし街なり。木葉も草花も猶地上にあり。されど當時織り成したる華紋は、吾少時の福と倶に、きのふの祭の樂と倶に、今や跡なくなりぬ。幽堂の穹窿を塞ぎたる大石を推し退け、柩を下ししに、底なる他の柩と相觸れて、かすかなる響をなせり。僧等の去りしあとにて、マリウチアは我を石上に跪かせ、「オオラ、プロオ、ノオビス」(祷爲我等)を唱へしめき。  ジエンツアノを立ちしは月あかき夜なりき。フエデリゴと知らぬ人ふたりと我を伴ひゆく。濃き雲はアルバノの巓を繞れり。我がカムパニアの野を飛びゆく輕き霧を眺むる間、人々はもの言ふこと少かりき。幾もあらぬに、我は車の中に眠り、聖母を夢み、花を夢み、母上を夢みき。母上は猶生きて、我にものいひ、我顏を見てほゝ笑み給へり。    蹇丐  羅馬なる母上の住み給ひし家に歸りし後、人々は我をいかにせんかと議するが中に、フラア・マルチノはカムパニアの野に羊飼へる、マリウチアが父母にあづけんといふ。盾銀二十は、牧者が上にては得易からぬ寶なれば、この兒を家におきて養ふはいふもさらなり、又心のうちに喜びて迎ふるならん。さはあれ、この兒は既に半ば出家したるものなり。カムパニアの野にゆきては、香爐を提げて寺中の職をなさんやうなし。かくマルチノの心たゆたふと共に、フエデリゴも云ふやう。われは此兒をカムパニアにやりて、百姓にせんこと惜しければ、この羅馬市中にて、然るべき人を見立て、これにあづくるに若かずといふ。マルチノ思ひ定めかねて、僧たちと謀らんとて去る折柄、ペツポのをぢは例の木履を手に穿きていざり來ぬ。をぢは母上のみまかり給ひしを聞き、又人の我に盾銀二十を貽りしを聞き、母上の追悼よりは、かの金の發落のこゝろづかひのために、こゝには訪れ來ぬるなり。をぢは聲振り立てゝいふやう。この孤の族にて世にあるものは、今われひとりなり。孤をばわれ引き取りて世話すべし。その代りには、此家に殘りたる物悉くわが方へ受け收むべし。かの盾銀二十は勿論なりといふ。マリウチアは臆面せぬ女なれば、進み出でゝ、おのれフラア・マルチノ其餘の人々とこゝの始末をば油斷なく取り行ふべければ、おのが一身をだにもてあましたる乞丐の益なきこと言はんより、疾く歸れといふ。フエデリゴは席を立ちぬ。マリウチアとペツポのをぢとは、跡に殘りてはしたなく言ひ罵り、いづれも多少の利慾を離れざる、きたなき爭をなしたり。マリウチアのいふやう。この兒をさほど欲しと思はゞ、直に連れて歸りても好し。若し肋二三本打ち折りて、おなじやうなる畸形となし、往來の人の袖に縋らせんとならば、それも好し。盾銀二十枚をば、われこゝに持ち居れば、フラア・マルチノの來給ふまで、決して他人に渡さじといふ。ペツポ怒りて、頑なる女かな、この木履もてそちが頭に、ピアツツア、デル、ポヽロの通衢のやうなる穴を穿けんと叫びぬ。われは二人が間に立ちて、泣き居たるに、マリウチアは我を推しやり、をぢは我を引き寄せたり。をぢのいふやう。唯だ我に隨ひ來よ。我を頼めよ。この負擔だに我方にあらば、その報酬も受けらるべし。羅馬の裁判所に公平なる沙汰なからんや。かく云ひつゝ、強ひて我を扯きて戸を出でたるに、こゝには襤褸着たる童ありて、一頭の驢を牽けり。をぢは遠きところに往くとき、又急ぐことあるときは、枯れたる足を、驢の兩脇にひたと押し付け、おのが身と驢と一つ體になりたるやうにし、例の木履のかはりに走らするが常なれば、けふもかく騎りて來しなるべし。をぢは我をも驢背に抱き上げたるに、かの童は後より一鞭加へて驅け出させつ。途すがらをぢは、いつもの厭はしきさまに賺し慰めき。見よ吾兒。よき驢にあらずや。走るさまは、「コルソオ」の競馬にも似ずや。我家にゆき着かば、樂しき世を送らせん。神の使もえ享けぬやうなる饗應すべし。この話の末は、マリウチアを罵る千言萬句、いつ果つべしとも覺えざりき。をぢは家を遠ざかるにつれて、驢を策たしむること少ければ、道行く人々皆このあやしき凹騎に目を注けて、美しき兒なり、何處よりか盜み來し、と問ひぬ。をぢはその度ごとに我身上話を繰り返しつ。この話をば、ほと〳〵道の曲りめごとに浚へ行くほどに、賣漿婆はをぢが長物語の酬に、檸檬水一杯を白にて與へ、をぢと我とに分ち飮ましめ、又別に臨みて我に核の落ち去りたる松子一つ得させつ。  まだをぢが栖にゆき着かぬに、日は暮れぬ。我は一言をも出さず、顏を掩うて泣き居たり。をぢは我を抱き卸して、例の大部屋の側なる狹き一間につれゆき、一隅に玉蜀黍の莢敷きたるを指し示し、あれこそ汝が臥床なれ、さきには善き檸檬水呑ませたれば、まだ喉も乾かざるべく、腹も減らざるべし、と我頬を撫でゝ微笑みたる、その面恐しきこと譬へんに物なし。マリウチアが持ちたる嚢には、猶銀幾ばくかある。馭者に與ふる錢をも、あの中よりや出しゝ。貴人の僕は、金もて來しとき、何といひしか。かく問ひ掛けられて、我はたゞ知らずとのみ答へ、はては泣聲になりて、いつまでもこゝに居ることにや、あすは家に歸らるゝことにや、と問ひぬ。勿論なり。いかでか歸られぬ事あらん。おとなしくそこに寐よ。「アヱ、マリア」を唱ふることを忘るな。人の眠る時は鬼の醒めたる時なり。十字を截りて寐よ。この鐵壁をば吼る獅子も越えずといふ。神を祈らば、あのマリウチアの腐女が、そちにも我にも難儀を掛けたるを訴へて、毒に中り、惡瘡を發するやうに呪へかし。おとなしく寐よ。小窓をば開けておくべし。涼風は夕餉の半といふ諺あり。蝙蝠をなおそれそ。かなたこなたへ飛びめぐれど、入るものにはあらず。神の子と共に熟寐せよ。斯く云ひ畢りて、をぢは戸を鎖ぢて去りぬ。  をぢの部屋には久しく立ち働く音聞えしが、今は人あまた集へりと覺しく、さま〴〵の聲して、戸の隙よりは光もさしたり。部屋のさまは見まほしけれど、枯れたる玉蜀黍の莢のさわ〳〵と鳴らば、おそろしきをぢの又入來ることもやと、いと徐に起き上りて、戸の隙に目をさし寄せつ。燈心は二すぢともに燃えたり。卓には麺包あり、莱菔あり。一瓶の酒を置いて、丐兒あまた杯のとりやりす。一人として畸形ならぬはなし。いつもの顏色には似もやらねど、知らぬものにはあらず。晝はモンテ、ピンチヨオの草を褥とし、繃帶したる頭を木の幹によせかけ、僅に唇を搖すのみにて、傍に侍らせたる妻といふ女に、熱にて死に垂としたる我夫を憐み給へ、といはせたるロレンツオは、高趺かきて面白げに饒舌り立てたり。(注。モンテ、ピンチヨオには公園あり。西班牙磴、法蘭西大學院よりポルタ、デル、ポヽロに至る。羅馬の市の過半とヰルラ、ボルゲエゼの内苑とはこゝより見ゆ。)十指墮ちたるフランチアは盲婦カテリナが肩を叩きて、「カワリエエレ、トルキノ」の曲を歌へり。戸に近き二人三人は蔭になりて見えわかず。話は我上なり。我胸は騷ぎ立ちぬ。あの小童物の用に立つべきか、身内に何の畸形なるところかある、と一人云へば、をぢ答へて。聖母は無慈悲にも、創一つなく育たせしに、丈伸びて美しければ、貴族の子かとおもはるゝ程なりといふ。幸なきことよ、と皆口々に笑ひぬ。瞽たるカテリナのいふやう。さりとて聖母の天上の飯を賜ふまでは、此世の飯をもらふすべなくては叶はず。手にもあれ、足にもあれ、人の目に立つべき創つけて、我等が群に入れよといふ。をぢ。否〻母親だに迂闊ならずば、今日を待たず、善き金の蔓となすべかりしものを。神の使のやうなる善き聲なり。法皇の伶人には恰好なる童なり。人々は我齡を算へ、我がために作さでかなはぬ事を商量したり。その何事なるかは知らねど、善きことにはあらず。奈何してこゝをば逭れむ。われは穉心にあらん限りの智慧を絞り出しつ。固よりいづこをさして往かんと迄は、一たびも思ひ計らざりき。鋪板を這ひて窓の下にいたり、木片ありしを踏臺にして窓に上りぬ。家は皆戸を閉ぢたり。街には人行絶えたり。逭るゝには飛びおるゝより外に道なし。されどそれも恐ろし。とつおいつする折しも、この挾き間の戸ざしに手を掛くる如き音したれば、覺えず窓縁をすべりおちて、石垣づたひに地に墜ちぬ。身は少し痛みしが、幸にこゝは草の上なりき。  跳ね起きて、いづくを宛ともなく、狹く曲りたる巷を走りぬ。途にて逢ひたるは、杖もて敷石を敲き、高聲にて歌ふ男一人のみなりき。しばらくして廣きところに出でぬ。こゝは見覺あるフオヽルム、ロマアヌムなりき。常は牛市と呼ぶところなり。    露宿、わかれ  月はカピトリウム(羅馬七陵の一)の背後を照せり。セプチミウス・セヱルス帝の凱旋門に登る磴の上には、大外套被りて臥したる乞兒二三人あり。古の神殿のなごりなる高き石柱は、長き影を地上に印せり。われはこの夕まで、日暮れてこゝに來しことなかりき。鬼氣は少年の衣を襲へり。歩をうつす間、高草の底に横はりたる大理石の柱頭に蹶きて倒れ、また起き上りて帝王堡の方を仰ぎ見つ。高き石がきは、纏はれたる蔦かづらのために、いよゝおそろし氣なり。青き空をかすめて、ところ〴〵に立てるは、眞黒におほいなるいとすぎの木なり。毀れたる柱、碎けたる石の間には、放飼の驢あり、牛ありて草を食みたり。あはれ、こゝには猶我に迫り、我を窘めざる生物こそあれ。  月あきらかなれば、物として見えぬはなし。遠き方より人の來り近づくあり。若し我を索むるものならば奈何せん。われは巨巖の如くに我前に在る「コリゼエオ」に匿れたり。われは猶きのふ落したる如き重廊の上に立てり。こゝは暗くして且冷なり。われは二あし三あし進み入りぬ。されど谺響にひゞく足音おそろしければ、徐に歩を運びたり。先の方には焚火する人あり。三人の形明に見ゆ。寂しきカムパニアの野邊を夜更けては過ぎじとて、こゝに宿りし農夫にやあらん。さらずばこゝを戍る兵土にや。はた盜にや。さおもへば打物の石に觸るゝ音も聞ゆる如し。われは却歩して、高き圓柱の上に、木梢と蔦蘿とのおほひをなしたるところに出でぬ。石がきの面をばあやしき影往來す。處々に抽け出でたる截石の將に墜んとして僅に懸りたるさま、唯だ蔓草にのみ支へられたるかと疑はる。  上の方なる中の廊を行く人あり。旅人の此古跡の月を見んとて來ぬるなるべし。その一群のうちには白き衣着たる婦人あり。案内者に續松とらせて行きつゝ、柱しげき間に、忽ち顯れ忽ち隱るゝ光景今も見ゆらん心地す。  暗碧なる夜は大地を覆ひ來たり、高低さまざまなる木は天鵝絨の如き色に見ゆ。一葉ごとに夜氣を吐けり。旅人のかへり行くあとを見送りて、ついまつの赤き光さへ見えずなりぬる時、あたりは闃として物音絶えたり。この遺址のうちには、耶蘇教徒が立てたる木卓あまたあり。その一つの片かげに、柱頭ありて草に埋もれたれば、われはこれに腰掛けつ。石は氷の如く冷なるに、我頭の熱さは熱を病むが如くなりき。寐られぬまゝに思ひ出づるは、この「コリゼエオ」の昔語なり。猶太教奉ずる囚人が、羅馬の帝の嚴しき仰によりて、大石を引き上げさせられしこと、この平地にて獸を鬪はせ、又人と獸と相搏たせて、前低く後高き廊の上より、あまたの市民これを觀きといふ事、皆我當時の心頭に上りぬ。  そも〳〵この「コリゼエオ」は楕圓なる四層のたてものにして、「トラヱルチイノ」石もてこれを造る。層ごとに組かたを殊にす。「ドロス」、「イオン」、「コリントス」の柱の式皆備はりたり。基督生れてより七十餘年の後、ヱスパジアヌス帝の時、この工事を起しつ。これに役せられたる猶太教徒の數一萬二千人とぞ聞えし。櫛形の迫持八十ありて、これをめぐれば千六百四十一歩。平地の周匝には八萬六千坐を設け、頂に二萬人を立たしむべかりきといふ。今はこゝにて基督教の祭儀を執行せしむ。バイロン卿詩あり。 この場のあらん限は 内日刺す都もあらん このにはのなからん時は うちひさす都もあらじ うちひさす都あらずば あはれ〳〵この世間もあらじとぞおもふ  頭の上にあたりて物音こそすれ。見あぐれば物の動くやうにこそおもはるれ。影の如き人ありて、椎を揮ひ石をたゝむが如し。その人を見れば、色蒼ざめて黒き髯長く生ひたり。これ話に聞きし猶太教徒なるべし。積み疊ぬる石は見る見る高くなりぬ。「コリゼエオ」は再び昔のさまに立ちて、幾千萬とも知られぬ人これに滿ちたり。長き白き衣着たるヱスタの神の巫女あり。帝王の座も設けられたり。赤條々なる力士の血を流せるあり。低き廊の方より叫ぶ聲、吼ゆる聲聞ゆ。忽ち虎豹の群ありて我前を奔り過ぐ。我はその血ばしる眼を見、その熱き息に觸れたり。あまりのおそろしさに、かの柱頭にひたと抱きつきて、聖母の御名をとなふれども、物騷がしさは未だ止まず。この怪しき物共の群りたる間にも、幸なるかな、大なる十字架の屹として立てるあり。こはわがこゝを過ぐるごとに接吻したるものなり。これを目當に走り寄りて、緊と抱きつくほどに、石落ち柱倒れ、人も獸もあらずなりて、我は復た人事をしらず。  人心地つきたる時は、熱すでに退きたれど、身は尚いたく疲れて、われはかの木づくりの十字架の下に臥したり。あたりを見るに、怪しき事もなし。夜は靜にして、高き石垣の上には鶯鳴けり。われは耶蘇をおもひ、その母をおもひぬ。わが母上は今あらねば、これよりは耶蘇の母ぞ我母なるべき。われは十字架を抱きて、その柱に頭を寄せて眠りぬ。  幾時をか眠りけん。歌の聲に醒むれば、石垣の頂には日の光かゞやき、「カツプチノ」僧二三人蝋燭を把りて卓より卓に歩みゆきつゝ、「キユリエ、エレイソン」(主よ、憫め)と歌へり。僧は十字架に來り近づきぬ。俯して我面を見るものは、フラア・マルチノなりき。わが色蒼ざめてこゝにあるを訝りて、何事のありしぞと問ひぬ。われはいかに答へしか知らず。されどペツポのをぢの恐ろしさを聞きたるのみにて、僧は我上を推し得たり。我は衣の袖に縋りて、我を見棄て給ふなと願ひぬ。連なる僧もわれをあはれと思へる如し。かれ等は皆我を知れり。われはその部屋をおとづれ、彼等と共に寺にて歌ひしことあり。  僧は我を伴ひて寺に歸りぬ。壁に木板の畫を貼したる房に入り、檸檬樹の枝さし入れたる窓を見て、われはきのふの苦を忘れぬ。フラア・マルチノは我をペツポが許へは還さじと誓ひ給へり。同寮の僧にも、このちごをば蹇へたる丐兒にわたされずとのたまふを聞きつ。  午のころ僧は莱菔、麪包、葡萄酒を取り來りて我に飮啖せしめ、さて容を正していふやう。便なき童よ。母だに世にあらば、この別はあるまじきを。母だに世にあらば、この寺の内にありて、尊き御蔭を被り、安らかに人となるべかりしを。今は是非なき事となりぬ。そちは波風荒き海に浮ばんとす。寄るところは一ひらの板のみ。血を流し給へる耶蘇、涙を墮し給ふ聖母をな忘れそ。汝が族といふものは、その外にあらじかし。此詞を聞きて、われは身を震はせ、さらば我をばいづかたにか遣らんとし給ふと問ひぬ。これより僧は、われをカムパニアの野なる牧者夫婦にあづくること、二人をば父母の如く敬ふべき事、かねて教へおきし祈祷の詞を忘るべからざる事など語り出でぬ。夕暮にマリウチアと其父とは寺門迄迎へに來ぬ。僧はわれを伴ひ出でゝ引き渡しつ。この牧者のさまを見るに、衣はペツポのをぢのより舊りたるべし。塵を蒙り、裂けやぶれたる皮靴を穿き、膝を露し、野の花を揷したる尖帽を戴けり。かれは跪きて僧の手に接吻し、我を顧みて、かゝる美しき童なれば、我のみかは、妻も喜びてもり育てんと誓ひぬ。マリウチアは財嚢を父にわたしつ。われ等四人はこれより寺に入りて、人々皆默祷す。われも共に跪きしが、祈祷の詞は出でざりき。我眼は久しき馴染の諸像を見たり。戸の上高きところを舟に乘りてゆき給ふ耶蘇、贄卓の神の使、美しきミケルはいふもさらなり、蔦かづらの環を戴きたる髑髏にも暇乞しつ。別に臨みて、フラア・マルチノは手を我頭上に加へ、晩餐式施行法(モオドオ、ヂ、セルヰレ、ラ、サンクタ、メツサア)と題したる、繪入の小册子を贈りぬ。  既に別れて、ピアツツア、バルベリイニの街を過ぐとて、仰いで母上の住み給ひし家をみれば、窓といふ窓悉く開け放たれたり。新しきあるじを待つにやあらん。    曠野  羅馬城のめぐりなる大曠野は、今我すみかとなりぬ。古跡をたづね、美術を究めんと、初てテヱエル河畔の古都に近づくものは、必ずこの荒野に歩をとゞめて、これを萬國史の一ひらと看做すなり。起てる丘、伏したる谷、おほよそ眼に觸るゝもの、一つとして史册中の奇怪なる古文字にあらざるなし。畫工の來るや、古の水道のなごりなる、寂しき櫛形迫持を寫し、羊の群を牽ゐたる牧者を寫し、さてその前に枯れたる薊を寫すのみ。歸りてこれを人に示せば、看るもの皆めでくつがへるなるべし。されど我と牧者とは、おの〳〵其情を殊にせり。牧者は久しくこゝに住ひて、この焦れたる如き草を見、この熱き風に吹かれ、こゝに行はるゝ疫癘に苦められたれば、唯だあしき方、忌まはしき方のみをや思ふらん。我は此景に對して、いと面白くぞ覺えし。平原の一面たる山々の濃淡いろいろなる緑を染め出したる、おそろしき水牛、テヱエルの黄なる流、これを溯る舟、岸邊を牽かるゝ軛負ひたる牧牛、皆目新しきものゝみなりき。われ等は流に溯りて行きぬ。足の下なるは丈低く黄なる草、身のめぐりなるは莖長く枯れたる薊のみ。十字架の側を過ぐ。こは人の殺されたるあとに立てしなり。架に近きところには、盜人の屍の切り碎きて棄てたるなり。隻腕、隻脚は猶その形を存じたり。それさへ心を寒からしむるに、我栖はこゝより遠からずとぞいふなる。  此家は古の墳墓の址なり。この類の穴こゝらあれば、牧者となるもの大抵これに住みて、身を戍るにも、又身を安んずるにも、事足れりとおもへるなり。用なき窪をば填め、いらぬ罅をば塞ぎ、上に草を葺けば、家すでに成れり。我牧者の家は丘の上にありて兩層あり。隘き戸口なるコリントスがたの柱は、當初墳墓を築きしときの面影なるべし。石垣の間なる、幅廣き三條の柱は、後の修繕ならん。おもふに中古は砦にやしたりけん。戸口の上に穴あり。これ窓なるべし。屋根の半は葦簾に枯枝をまじへて葺き、半は又枝さしかはしたる古木をその儘に用ゐたるが、その梢よりは忍冬(カプリフオリウム)の蔓長く垂れて石垣にかゝりたり。  こゝが家ぞ、と途すがら一言も物いはざりしベネデツトオ告げぬ。われは怪しげなる家を望み、またかの盜人の屍をかへり見て、こゝに住むことか、と問ひかへしつ。翁にドメニカ、ドメニカと呼ばれて、荒𣑥の汗衫ひとつ着たる媼出でぬ。手足をばことごとく露して髮をばふり亂したり。媼は我を抱き寄せて、あまたゝび接吻す。夫の詞少きとはうらうへにて、この媼はめづらしき饒舌なり。そなたは薊生ふる沙原より、われ等に授けられたるイスマエル(亞伯拉罕の子)なるぞ。されどわが饗應には足らぬことあらせじ。天上なる聖母に代りて、われ汝を育つべし。臥床はすでにこしらへ置きぬ。豆も烹えたるべし。ベネデツトオもそなたも食卓に就け。マリウチアはともに來ざりしか。尊き爺(法皇)を拜まざりしか。醃豚をば忘れざりしならん。眞鍮の鉤をも。新しき聖母の像をも。舊きをば最早形見えわかぬ迄接吻したり。ベネデツトオよ。おん身ほど物覺好き人はあらじ。わがかはゆきベネデツトオよ。かく語りつゞけて、狹き一間に伴ひ入りぬ。後にはこの一間、わがためには「ワチカアノ」(法皇の宮)の廣間の如く思はれぬ。おもふに我詩才を産み出ししは、此ひとつ家ならんか。  若き棕櫚は重を負ふこといよ〳〵大にして、長ずることいよ〳〵早しといふ。我空想も亦この狹き處にとぢ込められて、却りて大に發達せしならん。古の墳墓の常とて、此家には中央なる廣間あり。そのめぐりには、許多の小龕並びたり。又二重の幅闊き棚あり。處々色かはりたる石を甃みて紋を成せり。一つの龕をば食堂とし、一つには壺鉢などを藏し、一つをば廚となして豆を煮たり。  老夫婦は祈祷して卓に就けり。食畢りて媼は我を牽きて梯を登り、二階なる二龕にいたりぬ。是れわれ等三人の臥房なり。わが龕は戸口の向ひにて、戸口よりは最も遠きところにあり。臥床の側には、二條の木を交叉はせて、其間に布を張り、これにをさな子一人寐せたり。マリウチアが子なるべし。媼が我に「アヱ、マリア」唱へしむるとき、美しき色澤ある蜥蝪我が側を走り過ぎぬ。おそろしき物にはあらず、人をおそれこそすれ、絶てものそこなふものにはあらず、と云ひつゝ、かの穉兒をおのが龕のかたへ遷しつ。壁に石一つ抽け落ちたるところあり。こゝより青空見ゆ。黒き蔦の葉の鳥なんどの如く風に搖らるゝも見ゆ。我は十字を切りて眠に就きぬ。亡き母上、聖母、刑せられたる盜人の手足、皆わが怪しき夢に入りぬ。  翌朝より雨ふりつゞきて、戸は開けたれどいと闇き小部屋に籠り居たり。わが帆木綿の上なる穉子をゆすぶる傍にて、媼は苧うみつゝ、我に新しき祈祷を教へ、まだ聞かぬ聖の上を語り、またこの野邊に出づる劫盜の事を話せり。劫盜は旅人を覗ふのみにて、牧者の家抔へは來ることなしとぞ。食は葱、麺包などなり。皆旨し。されど一間にのみ籠り居らんこと物憂きに堪へねば、媼は我を慰めんとて、戸の前に小溝を掘りたり。この小テヱエル河は、をやみなき雨に黄なる流となりて、いと緩やかにながるめり。さて木を刻み葦を截りて作りたるは羅馬よりオスチア(テヱエル河口の港)にかよふなる帆かけ舟なり。雨あまり劇しきときは、戸をさして闇黒裡に坐し、媼は苧をうみ、われは羅馬なる寺のさまを思へり。舟に乘りたる耶蘇は今面前に見ゆる心地す。聖母の雲に駕りて、神の使の童供に舁かせ給ふも見ゆ。環かざりしたる髑髏も見ゆ。  雨の時過ぐれば、月を踰ゆれども曇ることなし。われは走り出でゝ遊びありくに、媼は戒めて遠く行かしめず、又テヱエルの河近く寄らしめず。この岸は土鬆ければ、踏むに從ひて頽るることありといへり。そが上、岸近きところには水牛あまたあり。こは猛き獸にて、怒るときは人を殺すと聞く。されど我はこの獸を見ることを好めり。蠎蛇の鳥を呑むときは、鳥自ら飛びて其咽に入るといふ類にやあらん。この獸の赤き目には、怪しき光ありて、我を引き寄せんとする如し。又此獸の馬の如く走るさま、力を極めて相鬪ふさま、皆わがために興ある事なりき。我は見たるところを沙に畫き、又歌につゞりて歌ひぬ。媼は我聲のめでたきを稱へて止まず。  時は暑に向ひぬ。カムパニアの野は火の海とならんとす。瀦水は惡臭を放てり。朝夕のほかは、戸外に出づべからず。かゝる苦熱はモンテ、ピンチヨオにありし身の知らざる所なり。かしこの夏をば、我猶記えたり。乞兒は人に小銅貨をねだり、麪包をば買はで氷水を飮めり。二つに割りたる大西瓜の肉赤く核黒きは、いづれの店にもありき。これをおもへば唾湧きて堪へがたし。この野邊にては、日光ますぐに射下せり。我が立てる影さへ我脚下に沒せんばかりなり。水牛は或は死せるが如く枯草の上に臥し、或は狂せるが如く驅けめぐりたり。われは物語に聞ける亞弗利加沙漠の旅人になりたらんやうにおもひき。  大海の孤舟にあるが如き念をなすこと二月間、何の用事をも朝夕の涼しき間に濟ませ、終日我も出でず人も來ざりき。烘く如き熱、腐りたる蒸氣の中にありて、我血は湧きかへらんとす。沼は涸れたり。テヱエルの黄なる水は生温くなりて、眠たげに流れたり。西瓜の汁も温し。土石の底に藏したる葡萄酒も酸くして、半ば烹たる如し。我喉は一滴の冷露を嘗むること能はざりき。天には一纖雲なく、いつもおなじ碧色にて、吹く風は唯だ熱き「シロツコ」(東南風)のみなり。われ等は日ごとに雨を祈り、媼は朝夕山ある方を眺めて、雲や起ると待てども甲斐なし。蔭あるは夜のみ。涼風の少しく動くは日出る時と日入る時とのみ。われは暑に苦み、この變化なき生活に倦みて、殆ど死せる如くなりき。風少しく動くと覺ゆるときは、蠅蚋なんど群がり來りて人の肌を刺せり。水牛の背にも、昆蟲聚りて寸膚を止めねば、時々怒りて自らテヱエルの黄なる流に躍り入り、身を水底に滾してこれを攘ひたり。羅馬の市にて、闃然たる午時の街を行く人は、綫の如き陰影を求めて夏日の烈しきをかこつと雖、これをこの火の海にたゞよひ、硫黄氣ある毒燄を呼吸し、幾萬とも知られぬ惡蟲に膚を噛まるゝものに比ぶれば、猶是れ樂土の客ならんかし。  九月になりて氣候やゝ温和になりぬ。フエデリゴはこの燒原を畫かんとて來ぬ。我が住める怪しき家、劫盜の屍をさらしたる處、おそろしき水牛、皆其筆に上りぬ。我には紙筆を與へて畫の稽古せよと勸め、又折もあらば迎へに來て、フラア・マルチノ、マリウチア其外の人々に逢はせばやと契りおきぬ。惜むらくはこの人久しく約を履まざりき。    水牛  十一月になりぬ。こゝに來しより最快き時節なり。爽なる風は山々よりおろし來ぬ。夕暮になれば、南の國ならでは無しといふ、たゞならぬ雲の色、目を驚かすやうなり。こは畫工のえうつさぬところなるべく、また敢て寫さぬものなるべし。あめ色の地に、橄欖(オリワ)の如く緑なる色の雲あるをば、樂土の苑囿に湧き出でたる山かと疑ひぬ。又夕映の赤きところに、暗碧なる雲の浮べるをば、天人の居る山の松林ならんと思ひて、そこの谷かげには、美しき神の童あまた休みゐ、白き翼を扇の如くつかひて、みづから涼を取るらんとおもひやりぬ。或日の夕ぐれ、いつもの如く夢ごゝろになりてゐたるが、ふと思ひ付きて、鍼もて穿ちたる紙片を目にあて、太陽を覗きはじめつ。ドメニカこれを見つけて、そは目を傷ふわざぞとて日の見えぬやうに戸をさしつ。われ無事に苦みて、外に出でゝ遊ばんことを請ひ、許をえたる嬉しさに、門のかたへ走りゆき、戸を推し開きつ。その時一人の男遽だしく驅け入りて、門口に立ちたる我を撞きまろばし、扉をはたと閉ぢたり。われは此人の蒼ざめたる面を見、その震ふ唇より洩れたる「マドンナ」(聖母)といふ一聲を聞きも果てぬに、おそろしき勢にて、外より戸を衝くものあり。裂け飛んだる板は我頭に觸れんとせり。その時戸口を塞ぎたるは、血ばしる眼を我等に注ぎたる、水牛の頭なりき。ドメニカはあと叫びて、我手を握り、上の間にゆく梯を二足三足のぼりぬ。逃げ込みたる男は、あたりを見𢌞はし、ベネデツトオが銃の壁に掛かりたるを見出しつ。こは賊なんどの入らん折の備にとて、丸をこめおきたるなり。男は手早く銃を取りぬ。耳を貫く響と共に、烟は狹き家に滿ちわたれり。われは彼男の烟の中にて、銃把を擧げて、水牛の額を撃つを見たり。獸は隘き戸口にはさまりて前にも後にもえ動かざりしなり。  こは何事をかし給ふ。君は物の命を取り給ひぬ。この詞はドメニカが纔にわれにかへりたる口より出でぬ。かの男。否聖母の惠なりき。我等が命を拾ひぬとこそおもへ。さて我を抱き上げて、されどわがために戸を開きしはこの恩人なりといひき。男の面は猶蒼く、額の汗は玉をなしたり。その語を聞くに外國人にあらず。その衣を見るに羅馬の貴人とおぼし。この人草木の花を愛づる癖あり。けふも採集に出でゝ、ポンテ、モルレにて車を下り、テヱエル河に沿ひてこなたへ來しに、圖らずも水牛の群にあひぬ。その一つ、いかなる故にか、群を離れて衝き來たりしが、幸にこの家の戸開きて、危き難を免れきとなり。ドメニカ聞きて。さらばおん身を救ひしは、疑もなく聖母のおんしわざなり。この童は聖母の愛でさせ給ふものなれば、それに戸をば開かせ給ひしなり。おん身はまだ此童を識り給はず。物讀むことには長けたれば、書きたるをも、印したるをも、え讀まずといふことなし。畫かくことを善くして、いかなる形のものをも、明にそれと見ゆるやうに寫せり。「ピエトロ」寺の塔をも、水牛をも、肥えふとりたるパアテル・アムブロジオ(僧の名)をもゑがきぬ。聲は類なくめでたし。おん身にかれが歌ふを聞かせまほし。法皇の伶人もこれには優らざるべし。そが上に性すなほなる兒なり。善き兒なり。子供には譽めて聞かすること宜しからねば、その外をば申さず。されどこの子は、譽められても好き子なりといふ。客。この子の穉きを見れば、おん身の腹にはあらざるべし。ドメニカ。否、老いたる無花果の木には、かかる芽は出でぬものなり。されど此世には、この子の親といふもの、われとベネデツトオとの外あらず。いかに貧くなりても、これをば育てむと思ひ侍り。そは兎まれ角まれ、この獸をばいかにせん。(頭より血流るゝ、水牛の角を握りて。)戸口に挾まりたれば、たやすく動くべくもあらず。ベネデツトオの歸るまでは、外に出でんやうなし。こを殺しつとて、咎めらるゝことあらば、いかにすべき。客。そは心安かれ。あるじの老女も聞きしことあるべきが、われはボルゲエゼの族なり。媼。いかでか、と答へて衣に接吻せんとせしに、客はその手をさし出して吸はせ、さて我手を兩の掌の間に挾みて、媼にいふやう。あすは此子を伴ひて、羅馬に來よ。われはボルゲエゼの館に住めり。ドメニカは忝しとて涙を流しつ。  ドメニカはわが日ごろ書き棄てたる反古あまた取り出でゝ、客に示しゝに、客は我頬を撫で、小きサルワトル・ロオザ(名高き畫工)よと讚め稱へぬ。媼。まことに宣ふ如し。穉きものゝ業としては、珍しくは候はずや。それ〳〵の形明に備はりたり。この水牛を見給へ。この舟を見給へ。こはまた我等の住める小家なり。こは我姿を寫したるなり。鉛筆なれば、色こそ異なれ、わが姿のその儘ならずや。又我に向ひて、何にもあれ、この御方に歌ひて聞せよ。自ら作りて歌ふが好し。この童は長き物語、こまやかなる法話をさへ、歌に作りて歌ひ侍り。年長けたる僧にも劣らじと覺ゆ。客は我等二人のさまを見て、おもしろがり、我には疾く歌ひて聞せよ、と勸めつ。われは常の如く遠慮なく歌ひぬ。媼は常の如くほめそやしつ。されど其歌をば記憶せず。唯だ聖母、貴き客人、水牛の三つをくりかへしたるをば未だ忘れず。客は默坐して聽きゐたり。媼はそのさまを見て、童の才に驚きて詞なきならんと推し量りつ。  歌ひ畢りしとき、客は口を開きていふやう。さらば明日疾くその子を伴ひ來よ。否、夕暮のかたよろしからん。「アヱ、マリア」の鐘鳴る時より、一時ばかり早く來よ。さて我は最早退るべきが、いづくよりか出づべき。水牛の塞ぎたる口の外、この家には口はなきか。又こゝを出でゝ車まで行かんに、水牛に追はるゝやうなる虞なからしめんには、いかにして好かるべきか。媼。かしこの壁に穴ありて、それより這ひ出づるときは、石垣も高からねば、すべりおりんこと難からず。わが如き老いたるものも、かしこより出入すべく覺え侍り。されど貴きおん方を案内しまゐらすべき口にはあらず。客は聞きも果てず、梯を上りて、穴より頭を出し、外の方を覗きていふやう。否、善き降口なり。「カピトリウム」に降りゆく階段にも讓らず。水牛の群は河のかたに遠ざかりぬ。道には眠たげなる百姓あまた、籘の束積みたる車を、馬に引かせて行けり。あの車に沿ひゆかば、また水牛に襲はるとも身を匿すに便よからん。かく見定めて、客は媼に手を吸はせ、わが頬を撫で、再びあすの事を契りおきて、茂れる蔦かづらの間をすべりおりぬ。われは窓より見送りしが、客は間もなく籘の車に追ひすがりて、百姓の群と倶に見えずなりぬ。    みたち  牧者二三人の帮を得て、ベネデツトオは戸口なる水牛の屍を取り片付けつ。その日の物語は止むときなかりしかど、今はよくも記えず。翌朝疾く起きいでゝ、夕暮に都に行かんと支度に取り掛りぬ。數月の間行李の中に鎖されゐたる我晴衣はとり出されぬ。帽には美しき薔薇の花を揷したり。身のまはりにて、最も怪しげなりしは履ものなり。靴とはいへど羅馬の鞋に近く覺えられき。  カムパニアの野道の遠かりしことよ。その照る日の烈しかりしことよ。ポヽロの廣こうぢに出でゝ、記念塔のめぐりなる石獅の口より吐ける水を掬びて、我涸れたる咽を潤しゝが、その味は人となりて後フアレルナ、チプリイの酒なんどを飮みたるにも増して旨かりき。〔北より羅馬に入るものは、ポルタア、デル、ポヽロの關を入りて、ピアツツア、デル、ポヽロといふ美しく大なる廣こうぢに出づ。この廣こうぢはテヱエル河とピンチヨオ山との間にあり。兩側にはいとすぎ、亞刺比亞護謨の木(アカチア)茂りあひて、その下かげに今樣なる石像、噴水などあり。中央には四つの石獅に圍まれたる、セソストリス時代の記念塔あり。前には三條の直道あり。即ちヰア、バブヰノ、イル、コルソオ、ヰア、リペツタなり。イル、コルソオの兩角をなしたるは、同じ式に建てたる兩伽藍なり。歐羅巴に都會多しと雖、古羅馬のピアツツア、デル、ポヽロほど晴やかなるはあらじ。〕我は熱き頬を獅子の口に押し當て、水を頭に被りぬ。衣や潤はん、髮や亂れん、とドメニカは氣遣ひぬ。ヰア、リペツタを下りゆきて、ボルゲエゼの館に近づきぬ。我もドメニカも、此館の前をば幾度となく過りしかど、けふ迄は心とめて見しことなし。今歩を停めて仰ぎ見れば、その大さ、その豐さ、その美しさ、譬へんに物なしと覺えき。殊に目を駭かせるは、窓の裡なる長き絹の帷なり。あの内にいます君は、いま我等が識る人となりぬ。きのふその君の我家に來給ひし如く、いま我等はそのみたちに入らんとす。斯く思へば嬉しさいかばかりならん。  中庭、部屋々々を見しとき、身の震ひたるをば、われ決して忘れざるべし。あるじの君は我に親し。彼も人なり。我も人なり。然はあれどこの家居のさまこそ譬へても言はれね。聖と世の常の人との別もかくやあらん。方形をなして、いろ〳〵なる全身像、半身像を据ゑつけたる、白塗の𢌞廊のいと高きが、小き園を繞れるあり。(後にはこゝに瓦を敷きて中庭とせり。)高き蘆薈、霸王樹なんど、廊の柱に攀ぢんとす。檸檬樹はまだ日の光に黄金色に染められざる、緑の實を垂れたり。希臘の舞女の形したる像二つあり。力を併せて、金盤一つさし上げたるがその縁少しく欹だちて、水は肩に迸り落ちたり。丈高く育ちたる水草ありて、露けき緑葉もてこの像を掩はんとす。烈しき日に燒かれたるカムパニアの瘠土に比ぶるときは、この園の涼しさ、香しさ奈何ぞや。  闊き大理石の梯を登りぬ。龕あまたありて、貴き石像立てり。其一つをば、ドメニカ聖母ならんと思ひ惑ひて、立ち停りてぬかづきぬ。後に聞けば、こはヱスタの像なりき。これも人間の奇しき處女にぞありける。(譯者のいはく。希臘の竈の神なり。男神二人に挑まれて、嫁せずして終りぬと云ひ傳ふ。)飾美しき「リフレア」着たる僮出で迎へつ。その面持の優しさには、こゝの間ごとの大さ、美しさかくまでならずば、我胸の躍ることさへ治りしならん。床は鏡の如き大理石なり。壁といふ壁には、めでたき畫を貼したり。その間々には、玻瓈鏡を嵌め、その上に花束、はなの環など持たる神童の飛行せるを畫きたり。又色美しき鳥の、翼を放ちて、赤き、黄なる、さま〴〵の木の實を啄めるを畫きたるあり。かく華やかなるものをば、今まで見しことあらざりき。  暫し待つほどに、あるじの君出でましぬ。白衣着たる、美しき貴婦人の、大なる敏き目を我等に注ぎたるを、伴ひ給へり。婦人は我額髮を撫で上げ、鋭けれども優しき目にて、我面を打ち守り、さなり、君を助けしは神のみつかひなり、この見ぐるしき衣の下に、翼はかくれたるべしと宣ひぬ。主人。否、この兒の紅なる頬を見給へ。翼の生ゆるまでにはテヱエルの河波あまた海に入るならん。母もこの兒の飛び去らんをば願はざるべし。さにあらずや。この兒を失はんことは、つらかるべし。媼。げにこの兒あらずなりなば、我小家の戸も窓も塞がりたるやうなる心地やせん。我小家は暗く、寂しくなるべし。否、このかはゆき兒には、われえ別れざるべし。婦人。されど今宵しばらくは、別るとも好からん。二三時間立ちて迎へに來よ。歸路は月あかゝるべし。そち達は盜を恐るゝことはあらじ。主人。さなり。兒をばしばしこゝにおきて、買ふものあらば買ひもて來よ。斯く云ひつゝ、主人は小き財嚢をドメニカが手に渡し、猶何事をか語り給ふに、我は貴婦人に引かれて奧に入りぬ。  奧の座敷の美しさ、賓客の貴さに、我魂は奪はれぬ。我はあるは壁に畫ける神童の面の、緑なる草木の間にほゝゑめるを見、あるは日ごろ半ば神のやうにおもひし、紫の韈穿ける議官、紅の袴着たる僧官達を見て、おのれがかゝる間に入り、かゝる人に交ることを訝りぬ。殊に我眼をひきしは、一間の中央なる大水盤なり。醜き龍に騎りたる、美しきアモオルの神を据ゑたり。龍の口よりは、水高く迸り出でゝ、又盤中に落ちたり。  貴婦人のこはをぢの命を救ひし兒ぞ、と引き合せ給ひしとき、賓客達は皆ほゝゑみて、我に詞を掛け、議官僧官さへ頷き給ひぬ。法皇の禁軍の號衣を着たる、少く美しき士官は我手を握りぬ。人々さま〴〵の事を問ふに、我は臆することなく答へつ。その詞に、人々或は譽めそやし、或は高く笑ひぬ。主人入り來りて、我に歌うたへといふに、我は喜んで命に從ひぬ。士官は我に報せんとて、泡立てる酒を酌みてわたしゝかば、我何の心もつかで飮み乾さんとせしに、貴婦人快く傍より取り給ひぬ。我口に入りしは少許なるに、その酒は火の如く燄の如く、脈々をめぐりぬ。貴婦人はなほ我傍を離れず、笑を含みて立ち給へり。士官我にこの御方の上を歌へと勸めしに、我又喜んで歌ひぬ。何事をか聯ねけん、いまは覺えず。人々はわが詞の多かりしを、才豐なりと稱へ、わが臆せざるを、心敏しと譽めたり。カムパニアなる貧きものゝ子なりとおもへば、世の常なる作をも、天才の爲せるわざの如く、愛でくつがへるなるべし。人々は掌を鳴せり。士官は座の隅なる石像に戴かせたりし、美しき月桂冠を取り來りて、笑みつゝ我頭の上に安んじたり。こは固より戲謔に過ぎざりき。されどわが幼き心には、其間に眞面目なる榮譽もありと覺えられて、又なく嬉しかりき。我は尚席上にて、マリウチア、ドメニカ等に教へられし歌をうたひ、又曠野の中なる古墳の栖家、眼の光おそろしき水牛の事など人々に語り聞せつ。時は惜めども早く過ぎて、我は媼に引かれて歸りぬ。くだもの、果子など多く賜り、白銀幾つか兜兒にさへ入れられたるわが喜はいふもさらなり、媼は衣服、器什くさ〴〵の外、二瓶の葡萄酒をさへ購ひ得て、幸ある日ぞとおもふなるべし。夜は草木の上に眠れり。されど仰いでおほ空を見れば、皎々たる望月、黄金の船の如く、藍碧なる青雲の海に泛びて、焦れたるカムパニアの野邊に涼をおくり降せり。  家に還りてより、優しき貴女の姿、賑はしき拍手の聲、寤寐の間斷えず耳目を往來せり。喜ばしきは折々我夢の現になりて、又ボルゲエゼの館に迎へらるゝ事なりき。かの貴婦人はわが人に殊なる性を知りておもしろがり給へば、我も亦ドメニカに對する如く、これに對して物語するやうになりぬ。貴婦人はこれを興あることに思ひて、主人の君に我上を譽め給ふ。主人の君も我を愛し給ふ。この愛は、曩に料らずも我母上を、おのが車の轍にかけしことありと知りてより、愈〻深くなりまさりぬ。逸したる馬の母上を踏仆しゝとき、車の中に居たるは、こゝの主人の君にぞありける。  貴婦人の名をフランチエスカといふ。我を率て宮のうちなる畫堂に入り給ひぬ。美しき畫幀に對して、我が穉き問、癡なる評などするを、面白がりて笑ひ給ひぬ。後人々に我詞を語りつぎ給ふごとに、人々皆聲高く笑はずといふことなし。午前は旅人この堂に滿ちたり。又畫工の來ていろ〳〵なる畫を寫し取れるもあり。午後になれば、堂中に人影なし。此時フランチエスカの君我を伴ひゆきて、畫ときなどし給ふなり。  特に我心に愜ひしは、フランチエスコ・アルバニが四季の圖なり。「アモレツトオ」といふ者ぞ、と教へられたる、美しき神の使の童どもは、我夢の中より生れ出でしものかと疑はる。その春と題したる畫の中に群れ遊べるさまこそ愛でたけれ。童一人大なる砥を運すあれば、一人はそれにて鏃を研ぎ、外の二人は上にありて飛行しつゝも、水を砥の上に灌げり。夏の圖を見れば、童ども樹々のめぐりを飛びかひて、枝もたわゝに實りたる果を摘みとり、又清き流を泳ぎて、水を弄びたり。秋は獵の興を寫せり。手に繼松取りたる童一人小車の裡に坐したるを、友なる童子二人牽き行くさまなり。愛はこの優しき獵夫に、共に憩ふべき處を指し示せり。冬は童達皆眠れり。美しき女怪水中より出でゝ、眠れる童たちの弓矢を奪ひ、火に投げ入れて焚き棄つ。  神の使の童をば、何故「アモレツトオ」(愛の神童)といふにか。その「アモレツトオ」は、何故箭を放てる。こは我が今少し詳に知らんと願ふところなれど、フランチエスカの君は教へ給はざりき。君の宣ふやう。そは文にあれば、讀みて知れかし。おほよそ文にて知らるゝことは、その外にもいと多し。されど讀みおぼゆる初は、あまり樂しきものにはあらず。汝は終日榻に坐して、文を手より藉かじと心掛くべし。カムパニアの野にありて、山羊と戲れ、友達を訪はんとて走りめぐることは、叶はざるべし。そちは何事をか望める。かのフアビアニの君のやうなる、美しき軍服に身をかためて、羽つきたる鍪を戴き、長き劍を佩きて、法皇のみ車の傍を騎りゆかんとやおもふ。さらずば美しき畫といふ畫を、殘なく知り、はてなき世の事を悟り、我が物語りしよりも、逈に面白き物語のあらん限を記えんとや思ふ。我。されど左樣なる人になりては、ドメニカが許には居られぬにや。また御館へは來られぬにや。フランチエスカ。汝は猶母の上をば忘れぬなるべし。初の栖家をも忘れぬなるべし。亡き母御にはぐゝまれ、かの栖家にありしときは、ドメニカが事をも、我上をも思はざりしならん。然るに今はドメニカと我と、そちに親きものになりぬ。この交もいつか更ることあらん。かく更りゆくが人の身の上ぞ。我。されどおん身は、我母上の如く果敢なくなり給ふことはあらじ。斯く云ひて、我は涙にくれたり。フランチエスカ。死にて別れずば、生きながら分れんこと、すべての人の上なり。そちが我等とかく交らぬやうにならん折、そちが上の樂しく心安かれ、とおもひてこそ、我は今よりそちが發落を心にかくるなれ。我涙は愈〻繁くなりぬ。我はいかなる故と、明には知らざりしが、斯く諭されたる時、限なき幸なさを覺えき。フランチエスカは我頬を撫でゝ、我が餘りに心弱きを諫め、かくては世に立たんをり、いと便なかるべしと氣づかひ給ひぬ。この時主人の君は、曾て我頭の上に月桂冠を戴せたるフアビアニといふ士官と倶に一間に歩み入り給ひぬ。  ボルゲエゼの別墅に婚禮あり。世に罕なるべき儀式を見よ。この風説は或る夕カムパニアなるドメニカがあばら屋にさへ洩れ聞えぬ。フランチエスカの君はかの士官の妻になるべき約を定めて、遠からずフイレンチエなるフアビアニ家の莊園に遷らんとす。儀式あるべき處は羅馬附近の別墅なり。檞いとすぎ桂など生ひ茂りて、四時緑なる天を戴けり。昔も今も、羅馬人と外國人と、恆に來り遊ぶ處なり。麗しく飾りたる馬車は、緑しげき檞の並木の道を走り、白き鵝鳥は、柳の影うつれる靜けき湖を泳ぎ、機泉は積み累ねたる巖の上に迸り落つ。道傍には、農家の少女ありて、鼓を打ちて舞へり。胸(乳房)ゆたかなる羅馬の女子は、燿く眼にこの樣を見下して、車を驅れり。我もドメニカに引かれて、恩人のけふの祝に、蔭ながら與らばやと、カムパニアを立出で、別墅の苑の外に來ぬ。燈の光は窓々より洩れたり。フランチエスカとフアビアニとは、彼處にて禮を卒へつるなり。家の内より、樂の聲響き來ぬ。苑の芝生に設けたる棧敷の邊より、烟火空に閃き、魚の形したる火は青天を翔りゆく。偶〻とある高窓の背後に、男女の影うつれり。あれこそ夫婦の君なれと、ドメニカ耳語きぬ。二人の影は相依りて、接吻する如くなりき。ドメニカは合掌して祈祷の詞を唱へつ。我も暗きいとすぎの木の下についゐて、恩人の上を神に祈りぬ。我傍なるドメニカは二人の御上安かれとつぶやきぬ。烟火の星の、數知れず亂れ落るは、我等が祈祷に答ふる如くなりき。されどドメニカは泣きぬ。こは我がために泣くなり。我が遠からず、分れ去るべきをおもひて泣くなり。ボルゲエゼの主人の君は、「ジエスヰタ」派の學校の一座を買ひて我に取らせ給ひしかば、我はカムパニアの野と牧者の媼とに別れて、我行末のために修行の門出せんとす。ドメニカは歸路に我にいふやう。我目の明きたるうちに、おん身と此野道行かんこと、今日を限なるべし。ドメニカなどの知らぬ、滑なる床、華やかなる氈をや、おん身が足は踏むならん。されどおん身は優しき兒なりき。人となりてもその優しさあらば、あはれなる我等夫婦を忘れ給ふな。あはれ、今は猶果敢なき燒栗もて、おん身が心を樂ましむることを得るなり。おん身が籘を焚く火を煽ぎ、栗のやくるを待つときは、我はおん身が目の中に神の使の面影を見ることを得るなり。かく果敢なき物にて、かく大なる樂をなすことは、おん身忘れ給ふならん。カムパニアの野には薊生ふといへど、その薊には尚紅の花咲くことあり。富貴の家なる、滑なる床には、一本の草だに生ひず。その滑なる上を行くものは、蹉き易しと聞く。アントニオよ。一たび貧き兒となりたることを忘るな。見まくほしき物も見られず、聞かまくほしき事も聞かれざりしことを忘るな。さらば御身は世に成りいづべし。我等夫婦の亡からん後、おん身は馬に騎り、又は車に乘りて、昔の破屋をおとづれ給ふこともあらん。その時はおん身に搖られし籃の中なる兒は、知らぬ牧者の妻となりて、おん身が前にぬかづくならん。おん身は人に驕るやうにはなり給はじ。その時になりても、おん身は我側に坐して栗を燒き、又籃を搖りたることを思ひ給ふならん。言ひ畢りて、媼は我に接吻し、面を掩ひて泣きぬ。我心は鍼もて刺さるゝ如くなりき。この時の苦しさは、後の別の時に増したり。後の別の時には、媼は泣きつれど、何事をもいはざりき。既に閾を出でしとき、媼走り入りて、薫に半ば黒みたる聖母の像を、扉より剥ぎ取りて贈りぬ。こは我が屡〻接吻せしものなり。まことにこの媼が我におくるべきものは、この外にはあらぬなるべし。    學校、えせ詩人、露肆  フランチエスカの君は夫に隨ひて旅立ち給ひぬ。我は「ジエスヰタ」派の學校の生徒となりたり。わが日ごとの業もかはり、われに交る人の面も改まりて、定なき演劇めきたる生涯の端はこゝに開かれぬ。時々刻々の變化のいと繁きに、歳月の遷りゆくことの早きことのみぞ驚かれし。當時こそ片々の畫圖となりて我目に觸れつれ、今に至りて首を囘せば、その片々は一幅の大畫圖となりて我前に横はれり。是れわが學校生活なり。旅人の高山の巓に登り得て、雲霧立ち籠めたる大地を看下すとき、その雲霧の散るに從ひて、忽ち隣れる山の尖あらはれ、忽ち日光に照されたる谿間の見ゆるが如く、我心の世界は漸く開け、漸く擴ごりぬ。カムパニアの野を圍める山に隔てられて、夢にだに見えざりける津々浦々は、次第に浮び出で、歴史はそのところ〴〵に人を住はせ、そのところ〴〵にて珍らしき昔物語を歌ひ聞せたり。一株の木、一輪の花、いづれか我に興を與へざる。されど最も美しく我前に咲き出でたるは、わが本國なる伊太利なりき。我も一個の羅馬人ぞとおもふ心には、我を興起せしむる力なからんや。我都のうちには、寸尺の地として、我愛を引き、我興を催さゞるものなし。街の傍に棄てられて、今は界の石となりたる、古き柱頭も、わがためには、神聖なる記念なり、わがためには、めでたき音色に心を惱ますメムノンが塔なり。(昔物語にアメノフイスといふ王ありき。エチオピアを領しつるが、希臘のアヒルレエスに滅されぬ。その像を刻める塔、埃及なるヂオスポリスに立てり、日出日沒ごとに鳴るといひ傳ふ。)テヱエル河に生ふる蘆の葉は風に戰ぎて、我にロムルスとレムスとの上を語れり。凱旋門、石の柱、石の像は、皆我心に本國の歴史を刻ましめんとす。我心はつねに古希臘、古羅馬の時代に遊びて、師の賞譽にあづかりぬ。  凡そ政界にも、教界にも、旗亭に集まるものも、富豪の骨牌卓のめぐりに寄るものも、社會といふ社會の限、必ず太郎冠者のやうなるものありて、もろ人の嘲戲は一身に聚まる習なり。學校にも亦此の如き人あり。我等少年生徒の眼は、早くも嘲戲の的を見出したり。そは我等が教師多かる中にて、最眞面目なる、最怒り易き、最可笑しき一人なりき。名をば「アバテ」ハツバス・ダアダアとなんいひける。元と亞拉伯の産なるが、穉き時より法皇の教の庭に遷されて、こゝに生ひ立ち、今はこの學校の趣味の指南役、テヱエル大學院の審美上主權者となりぬ。  詩といふ神のめづらしき賜につきては、われ人となりて後、屡〻考へたづねしことあり。詩は深山の裏なる黄金の如くぞおもはるゝ。家庭と學校との教育は、さかしき鑛掘、鑛鋳などのやうに、これを索め出だし、これを吹き分くるなり。折々は初より淨き黄金にいで逢ふことあり。自然詩人が即興の抒情詩これなり。されど鑛山の出すものは黄金のみにあらず。白銀いだす脈もあり。錫その外卑き金屬を出す脈もあり。その卑きも世に益あるものにしあれば、只管に言ひ腐すべきにもあらず。これを磨き、これに鏤むるときは、金とも銀とも見ゆることあらん。されば世の中の詩人には、金の詩人、銀の詩人、銅の詩人、鐵の詩人などありとも謂ふことを得べし。こゝに此列に加はるべきならぬ、埴もて物作る人ありて、強ひて自ら詩人と稱す。ハツバス・ダアダアは實にその一人なりき。  ハツバス・ダアダアは當時一流の埴瓮つくりはじめて、これを氣象情致の逈に優れたる詩人に擲げ付け、自ら恥づることを知らざりき。字法句法の輕捷なる、體制音調の流麗なる、詩にあらねども詩とおもはれ、人々の喝采を受けたり。平生ペトラルカを崇むも、その「ソネツトオ」の音調のみ會し得たるにやあらん。さらずば、矮人觀場なりしか。又狂人にありといふなる固執の妄想か。兎まれ角まれ、ペトラルカとハツバス・ダアダアとは似もよらぬ人なるは、爭ひ難かるべし。ハツバス・ダアダアは我等にかの亞弗利加と題したる、長き敍事詩の四分の一を諳誦せしめんとせしかば、幾行の涙、幾下の鞭か、我等が世々のスチピオを怨む媒をなしたりけん。 ペトラルカは基督暦千三百四年七月二十日アレツツオに生れき。いにしへの希臘羅馬時代にのみ眼を注ぎたりしが、千三百二十七年アヰニヨンにてラウラといふ婦人に逢ひ、その戀に引かれて、又現世の詩人となりぬ。おのが上と世々のスチピオ(羅馬の名族)の上とを、千載の下に傳へんと、長篇の敍事詩亞弗利加を著しつ。今はその甚だ意を經ざりし小抒情詩世に行はれて、復た亞弗利加を説くものなし。 我等は日ごとにペトラルカの深邃なる趣味といふことを教へられき。ハツバス・ダアダアの云ふやう。膚淺なる詩人は水彩畫師なり、空想の子なり。凡そ世道人心に害あること、これより甚しきものあらじ。その群にて最大なりとせらるゝダンテすら、我眼より見るときは、小なり、極めて小なり。ペトラルカは抒情詩の寸錦のみにても、尚朽ちざることを得べきものなり。ダンテは不朽ならんがために、天堂人間地獄をさへ擔ひ出しゝものなり。さなり。ダンテも韻語をば聯ねたり。そのバビロン塔の如きもの、後の世に傳はりたるは、これが爲なり。されど若しその詞だにも拉甸ならましかば、後の世の人せめては彼が學殖をおもひて、些の敬をば起すなるべし。さるを彼は俚言もて歌ひぬ。ボツカチヨオの心醉せる、これを評して、獅の能く泳ぎ、羊の能く踏むべき波と云ひき。我はその深さをも、その易さをも見ること能はず。通篇脚を立つべき底あることなし。唯だ昔と今との間を、ゆきつ戻りつするを見るのみ。我が眞理の聖使たるペトラルカを見ずや。既往の天子法皇を捉へて、地獄に墮すを、手柄めかすやうなる事をばなさず、その生れあひたる世に立ちて、男性のカツサンドラ(希臘の昔物語に見えたる巫女)となり、法皇王侯の嗔を懼れずして預言したるは、希臘悲壯劇の中なる「ホロス」の群の如くなりき。嘗て面り査列斯四世を刺りて、徳の遺傳せざるをば、汝に於いてこれを見ると云ひき。羅馬と巴里とより、月桂冠を贈らんとせしとき、ペトラルカは敢て輙ち受けずして、三日の考試に應じき。その謙遜なりしこと、今の兒曹も及ばざるべし。考試畢りて後、彼は「カピトリウム」の壇に上りぬ。拿破里の王は手づから濃紫の袍を取りて、彼が背に被せき。これに月桂の環をわたしたるは、羅馬の議官なりき。此の如き光榮は、ダンテの身を終ふるまで受くること能はざりしところなり。 ダンテは千二百六十五年フイレンチエに生れぬ。そのはじめの命名はヅランテなりき。神曲に見えたるベアトリチエとの戀は、夙く九歳の頃より始りぬ。千二百九十年戀人みまかりぬ。是れダンテが女性の美の極致にして、ダンテはこれに依りて、心を淨め懷を崇うせしなり。アレツツオとピザとの戰ありしときは、ダンテ軍人たりき。後政治家となりて、千三百二十一年ラヱンナにて歿す。 ハツバス・ダアダアが講説は、いつも此の如くペトラルカを揚げダンテを抑ふるより外あらざりき。この兩詩人をば、匂ふ菫花、燃ゆる薔薇の如く並び立たせてもあるべきものを。ペトラルカが小抒情詩をば、盡く諳んぜしめられき。ダンテが作をば生徒の目に觸れしめざりき。我は僅に師の詞によりて、そのおもなる作は、地獄、淨火、天堂の三大段に分れたるを知れりしのみ。この分けかたは、既に我空想を喚び起して、これを讀まんの願は、我心に溢れたり。されどダンテは禁斷の果なり。その味は、竊むにあらでは知るに由なし。  或る日ピアツツア、ナヲネ(大なる廣こうぢにて、夏の頃水を湛ふることあり)を漫歩して、積み疊ねたる柑子、地に委ねたる鐵の器、破衣、その外いろ〳〵の骨董を列ねたる露肆の側に、古書古畫を賣るものあるを見き。こゝに卑き戲畫あれば、かしこに刃を胸に貫きたる聖母の圖あり。似も通はぬものゝ伍をなしたる中に、ふとメタスタジオが詩集一卷我目にとまりぬ。我懷には猶一「パオロ」ありき。こは半年前ボルゲエゼの君が、小遣錢にせよと賜りし「スクヂイ」の殘にて、わがためには輕んじ難き金額なりき。(一「スクウド」は約我一圓五十錢に當る。十「パオリ」に換ふべし。一「パオロ」は十五錢許なり。十「バヨツチ」に換ふべし。「スクウド」、「パオロ」は銀貨、「バヨツチ」は銅貨なり。)幾個の銅錢もて買ふべくば、この卷見逭すべきものならねど、「パオロ」一つを手離さんはいと惜しとおもひぬ。價を論ずれども成らざりしかば、思ひあきらめて立ち去らんとしたる時、一書の題簽に「ヂヰナ、コメヂア、ヂ、ダンテ」(ダンテが神曲)と云へるあるを見出しつ。嗚呼、これこそは我がために、善惡二途の知識の木になりたる、禁斷の果なれ。われはメタスタジオの集を擲ちて、ダンテの書を握りつ。さるに哀きかな、この果は我手の屆かぬ枝になりたり。その價は二「パオリ」なりき。露肆の主人は、一錢も引かずといふに、わが銀錢は掌中に熱すれども、二つにはならず。主人、こは伊太利第一の書なり、世界第一の詩なりと稱へて、おのれが知りたる限のダンテの名譽を説き出しつ。ハツバス・ダアダアには無下にいひけたれたるダンテの名譽を。  露肆の主人のいふやう。この卷は一葉ごとに一場の説教なり。これを書きしは、かう〴〵しき預言者にて、その指すかたに向ひて往くものは、地獄の火燄を踏み破りて、天堂に抵らんとす。若き華主よ。君はまだ此書を讀み給ひし事なきなるべし。然らずば君一「スクウド」をも惜み給はぬならん。二「パオリ」は言ふに足らざる錢なり。それにて生涯讀み厭くことなき、伊太利第一の書を藏することを得給はゞ、實にこよなき幸ならずや。  嗚呼、われは三「パオリ」をも惜まざるべし。されど我手中にはその錢なきを奈何せん。かの伊蘇普が物語に、おのがえ取らぬ架上の葡萄をば、酸しといひきといふ狐の事あり。われはその狐の如く、ハツバス・ダアダアに聞きたるダンテの難を囀り出し、その代にはいたくペトラルカを讚め稱へき。露肆の主人は聞畢りて。さなりさなり。おのれの無學なる、固より此の如き大家を囘護せん力は侍らず。されど君もまだ歳若ければ、此の如き大家を非難すべきにあらざるべし。おのれはえ讀まぬものなり。君は未だ讀まざるものなり。されば褒むるも貶すも、遂に甲斐なき業ならずや。唯だ訝かしきは、君はまだ讀まぬ書をいひおとし給ふことの苛酷なることぞといふ。われは心に慙ぢて、我詞の全く師の口眞似なるを白状したり。主人も我が樸直なるをや喜びけん、書を取りて我にわたしていふやう。好し、一「パオロ」にて君に賣らん。その代には早く讀み試みて、本國の大詩人をあしざまに言ふことを止め給へ。    神曲、吾友なる貴公子  何等の快事ぞ。神曲は今我書となりぬ。我が永く藏することを得るものとなりぬ。ハツバス・ダアダアが非難をば、我始より深く信ぜざりき。わが奇を好む心は、かの露肆の主人が言に挑まれて、愈〻熾になりぬ。われは人なき處に於いて、はじめて此卷を繙かん折を、待ち兼ぬるのみなりき。  われは生れかはりたる如くなりき。ダンテは實にわがために、新に發見したる亞米利加なりき。我空想は未だ一たびも斯く廣大に、斯く豐饒なる天地を望みしことなかりしなり。その岩石何ぞ峨々たる。その色彩何ぞ奕々たる。我は作者と共に憂へ、作者と共に樂み、作者と共に當時の生活を閲し盡したり。地獄の關に刻めりといふ銘は、全篇を讀む間、我耳に響くこと、世の末の裁判の時、鳴りわたるらん鐘の音の如くなりき。その銘に云く。 こゝすぎて  うれへの市に   こゝすぎて  歎の淵に こゝすぎて  浮ぶ時なき   群に社  人は入るらめ あたゝかき  情はあれど   おぎろなき  心にたづね きはみなき  ちからによりて   いつくしき  法をうき世に しめさんと  この關の戸を   神や据ゑけん われは飇風に捲き起さるゝ沙漠の砂の如き、常に重く又暗き空氣を見き。われは亡魂の風に向ひて叫喚するとき、秋深き木葉の如く墜ちゆく亞當が族を見き。而れども言語の未だ血肉とならざりし世にありし靈魂の王たる人々のこゝにあるを見るに迨びて、我眼は千行の涙を流しつ。ホメロス、ソクラテエス、ブルツス、ヰルギリウス、これ皆永く樂土の門に入ること能はずしてこゝに留りたるものなりき。ダンテが筆は、此等の人に、地獄といふに負かざらん限の、安さ樂しさを與へたれど、そのこゝにあるは、呵責ならぬ苦、希望なき恨にして、長く浮ぶ瀬なき罪人の陷いるなる、毒泡迸り、瘴烟立てる、深き池沼に圍まれたる大牢獄の裡なること、よその罪人に殊ならず。われはこれを讀みて、平なること能はざりき。基督の一たび地獄に降りて、又主の傍に昇りしとき、彼は何故にこゝの谿間の人々を隨へゆかざりしか。彼は當時同じ不幸にあへるものに、同じ憐を垂れざることを得たりしか。われは讀むところの詩なるを忘れつ。沸きかへる膠の海より聞ゆる苦痛の聲は、我胸を衝きたり。われは「シモニスト」の群を見き。その浮き出でゝは、鬼の持てる鋭き鐵搭にかけられて、又沈めらるゝを見き。ダンテが敍事の生けるが如きために、其状深くも我心に彫りつけられたるにや、晝は我念頭に上り、夜は我夢中に入りぬ。我囈語の間には、屡〻「パペ、サタン、アレツプ、サタン、パペ」といふ詞聞えぬ。こはわが讀みたる神曲の文なるを、同房の書生はさりとも知らねば、我魂まことに惡魔に責められたるかと疑ひ惑ひぬ。教場に出でゝも、我心は課程に在らざりき。師の聲にて、アントニオよ、又何事をか夢みたる、と問はるゝ毎に、われは且恐れ且恥ぢたり。されどこの儘に神曲を擲たんことは、わがなすこと能はざるところなりき。  我が暮らす日の長く又重きことは、ダンテが地獄にて負心の人の被るといふ鍍金したる鉛の上衣の如くなりき。夜に入れば、又我禁斷の果に匍ひ寄りて、その惡鬼に我妄想の罪を數めらる。かの人を螫しては燄に入り、一たびは烟となれど、又「フヨニツクス」(自ら焚けて後、再び灰より生るゝ怪鳥)の如く生れ出でゝ、毒を吐き人を傷るといふ蛇の刺をば、われ自ら我膚の上に受くと覺えき。  わが夢中に地獄と呼び、罪人と叫ぶを聞きて、同房の書生は驚き醒むることしば〳〵なりき。或る朝老僧の舍監を勤むるが、我臥床の前に來しに、われ眠れるまゝに眼を睜き、おのれ魔王と叫びもあへず、半ば身を起してこれに抱きつき、暫し角力ひて、又枕に就きしことあり。  わがよな〳〵惡魔に責めらるといふ噂は、やう〳〵高くなりぬ。我床には呪水を灑ぎぬ。わが眠に就くときは、僧來りて祈祷を勸めたり。此處置は益〻我心を妥ならざらしめき。囈語の由りて出づるところは、われ自ら知れり。これを隱して人を欺くことの快からぬために、我血はいよ〳〵騷ぎ立ちぬ。數日の後、反動の期至り、我心は風の吹き荒れたる迹の如くなりぬ。  學校の書生衆しといへども、その家世、その才智、並に人に優れたるは、ベルナルドオといふ人なりき。遊戲に日をおくるは咎むべきならねど、あまりに情を放ちて自ら恣にするさまも見えき。或ときは四層の屋の棟に騎り、或ときは窓より窓にわたしたる板を踐みて、人の膽を寒からしめき。凡そこの學校國に、内訌起りぬといふときは、其責は多く此人の身に歸することなり。しかもベルナルドオこれを寃とすること能はざるが常なりき。舍内の靜けさ、僧尼の房の如くならんは、人々の願なるに、このベルナルドオあるがために、平和はいつも破られき。されど彼が戲は人を傷ふには至らざりしが、獨りハツバス・ダアダアに對しての振舞は、やゝ中傷の嫌ありとおもはれぬ。ハツバス・ダアダアはこれを憎みてあはれ福の神は、直なる「ピニヨロ」の木を顧みで、珠を朽木に抛げ與へしよ抔いひぬ。ベルナルドオは羅馬の議官の甥にて、その家富みさかえたればなるべし。  ベルナルドオは何事につけても、人に殊なる見を立て、これを同學のものに説き聞かせて、その聽かざるものをば、拳もて制しつれば、いつも級中にて、出色の人物ともてはやされき。彼と我とは性質太く異なるに、彼は能く我に親みき。唯だわがあまりに爭ふ心に乏きをば、ベルナルドオ嘲り笑ひぬ。  或時ベルナルドオの我にいふやう。われ若し我拳の、一たび爾を怒らしむるを知らば、われは必ず爾を打つべし。汝は人に本性を見するときなきか。わが汝を嘲るとき、汝は何故に拳を揮ひて我面を撲たんとせざる。その時こそ我は汝がまことの友となるならめ。されど今はわれこの望を絶ちたりといひき。  わがダンテの熱の少しく平らぎたる頃なりき。ひと日ベルナルドオは我前なる卓に腰掛けて、しばし故ありげなる笑をもらしつゝ我顏を見つめ居たるが、忽ち我にいふやう。汝は我にもまして横着なる男なり。善くも狂言して人を欺くことよ。床は呪水に濡らされ、身は護摩の煙に薫さるゝは、これがために非ずや。我知らじとやおもふ、汝はダンテを讀みたるを。  血は我頬に上りぬ。われは爭でかさる禁を犯すべきと答へき。ベルナルドオのいはく。汝が昨夜物語りし惡魔の事は、全く神曲の中なる惡魔ならずや。汝が空想はゆたかなれば、わが説くを厭かず聽くならん。地獄に火燄の海、瘴霧の沼あるは、汝が早くより知るところならん。されど地獄には又深き底まで凍りたる海あり。その中に閉ぢられたる亡者も亦少からず。その底にゆきて見れば、恩に負きし惡人ども集りたり。「ルチフエエル」(魔王)も神に背きし報にて、胸を氷にとぢられたるが、その大いなる口をば開きたり。その口に墮ちたるは、ブルツス、カツシウス、ユダス・イスカリオツトなり。中にもユダス・イスカリオツトは、魔王が蝙蝠の如き翼を振ふ隙に、早く半身を喉の裡に沒したり。この「ルチフエエル」が姿をば、一たび見つるもの忘るゝことなし。われもダンテが詩にて、彼奴と相識になりたるが、汝はよべの囈語に、その魔王の状を、詳に我に語りぬ。その時われは今の如く、汝はダンテを讀みたるかと問ひぬ。夢中の汝は、今より直にて、我に眞を打ち明け、ハツバス・ダアダアが事をさへ語り出でぬ。何故に覺めたる後には我を隔てんとする。我は汝が祕事を人に告ぐるものにあらず。汝が禁を犯したるは、汝が身に取りて譽となすべき事なり。我は久しく汝が上にかゝることあらんを望みき。されど彼書をば、汝何處にてか獲つる。我も一部を藏したれば、汝若し蚤く我に求めば、我は汝に借しゝならん。我はハツバス・ダアダアがダンテを罵りしを聞きしより、その良き書なるを推し得て、汝に先だちて買ひ來りぬ。われは長く机に倚ることを好まず。神曲の大いなる二卷には、我とほ〳〵厭みしが、これぞハツバス・ダアダアが禁ずるところとおもひ〳〵、勇を鼓して讀みとほしつ。後にはかのふみ我にさへ面白くなりて、今は早や三たび閲しつ。その地獄のめでたさよ。汝はハツバス・ダアダアの墮つべきを何處とか思へる。火のかたなるべきか、冰のかたなるべきか。  わが祕事は訐かれたり。されどベルナルドオはこれを人に語るべくもあらず。ベルナルドオとわれとの交は、この時より一際密になりぬ。旁に人なき時は、われ等の物語は必ず神曲の事にうつりぬ。わがこれを讀みて感じたるところをば、必ずベルナルドオに語り聞かせたり。この間にわが文字を知りてよりの初の詩は成りぬ。その題はダンテと其神曲となりき。  わが買ひ得たる神曲の首には、ダンテが傳を刻したりき。そはいたく省略したるものなりしかど、尚わが詩材とするに堪へたれば、われはこれに據りて、此詩人の生涯を歌ひき。ベアトリチエとの淨き戀、戰爭の間の苦、逐客となりてアルピイ山を踰えし旅の憂さ、異郷の鬼となりし哀さ、皆我詩中のものとなりぬ。わが最も力を用ゐしは、ダンテが靈魂天翔りて、人間地獄を見おろす一段なりき。その敍事は省筆を以て、神曲の梗概を摸寫したるものなりき。淨火は又燃え上れり。果實累々たる、樂園の木のこずゑは、漲り落つる瀑布の水に浸されたり。ダンテが乘りたる、そら行く舟は、神童の白く大なる翼を帆としたり。その舟次第に騰りゆく程に、山々は搖り動されたり。太陽とそのめぐりなる神童の群とは、明鏡の如く、神の光明を映じ出せり。この時に遇ふものは、賢きも愚なるも、こゝろ〴〵に無上の樂を覺えたり。  誦してベルナルドオに聞せしに、彼はこれを激稱せり。彼のいはく。アントニオよ。次の祭の日には、汝其詩を讀み上げよ。ハツバス・ダアダアいかなる面をかすらん。面白し〳〵。汝が讀むべき詩は、その外にはあらじ。斯く勸めらるゝに、われは手を揮りて諾はざりき。ベルナルドオ語を繼ぎていふやう。さらば汝はえ讀まぬなるべし。我にその詩を得させよ。われダンテの不朽をもて、ハツバス・ダアダアを苦めんとす。汝はおのが美しき羽を拔きて、このおほおそ鳥を飾らんを惜むか。讓るは汝が常の徳にあらずや。いかに〳〵、と勸めて止まざりき。我もその日のありさまいかに面白からんとおもへば、詩稿をば直にベルナルドオにわたしつ。  今も西班牙廣こうぢの「プロパガンダ」といふ學校にては、毎年一月十三日に、祭の式行はるゝ事なるが、當時は「ジエスヰタ」學校に、おなじ式ありき。諸生徒はおの〳〵その故郷の語、若くはその最も熟したる語にて、一篇の詩を作り、これを式場に持ち出でゝ讀むことなり。題をば自ら撰びて、師の認可を請ひ、さて章を成すを法とす。  題の認可の日に、ハツバス・ダアダアはベルナルドオにいふやう。君は又何の題をも撰び給はざりしならん。君は歌ふ鳥の群にあらねば。ベルナルドオのいはく。否。ことしは例に違ひて作らんとおもへり。伊太利詩人の中にて題とすべきものを求めたるが、その第一の大家を歌はんは、わが力の及ばざるところなり。さればわれは稍〻小なるものをとて、ダンテを撰びぬ、ハツバス・ダアダア冷笑ひていふ。ダンテを詠ずとならば、定めて傑作をなすなるべし。そは聞きものなり。さはあれ式の日には、僧官たちも皆臨席せらるゝが上に、外國の貴賓も來べければ、さる戲はふさはしからず。謝肉の祭をこそ待ち給ふべけれ。この詞にて、他人ならば思ひとゞまるべきなれど、ベルナルドオはなか〳〵屈すべくもあらず。別の師の許を得て、かの詩を讀むことゝ定めき。われは本國を題として、新に一篇を草しはじめつ。  學校の規則には、詩賦は他人の助を藉ることを允さずと記したり。されどいつも雨雲に蔽はれたるハツバス・ダアダアが面に、些の日光を見んと願ふものは、先づ草稿を出して閲を請ひ、自在に塗抹せしめずてはかなはず。大抵原の語は、纔にその半を存するのみなり。さて詩の拙さは、すこしも始に殊ならず。その始に殊なるは、唯だその癖、その手段のみなるべし。斯く改めたる作、他日よそ人に譽めらるゝ時は、ハツバス・ダアダアは必ずおのれが刪潤せしを告ぐ。こたび讀むべき詩も、多く一たびハツバス・ダアダアが手を經たるが、ひとりベルナルドオが詩のみは、遂にその目に觸れざりき。  兎角する程にその日となりぬ。馬車は次第に學校の門に簇りぬ。老僧官たちは、赤き法衣の裾を牽きて式場に入り、美しき椅子に倚り給ひぬ。詩の題、その國語、その作者など列記したる刷ものは、來賓に頒たれぬ。ハツバス・ダアダア先づ開場の演説をなし、諸生徒は次を逐ひて詩を讀みたり。シリア、カルデア、新埃及、其外梵文英語の作さへありて、その耳ざはり愈〻あやしうして、喝采の聲は愈〻盛なりき。但だ喝采の聲には、拍手なんどのみならで、高笑もまじるを常とす。  われは胸を跳らせて進み出で、伊太利を頌したる短篇を讀みき。喝采の聲は幾度となく起りぬ。老いたる僧官達も手を拍ち給ひぬ。ハツバス・ダアダア出來る限のやさしき顏をなし、手中の桂冠を動かしつ。伊太利語の詩もて、我後に技を奏すべきは、獨りベルナルドオあるのみにて、其次なる英語は固より賞を得べくもあらねば、あはれ此冠は我頭の上に落ちんとぞおもはれける。  その時ベルナルドオは壇に登りぬ。我はあやぶみながら友の言動に耳を傾け目を注ぎつ。友は些の怯れたる氣色もなく、かのダンテを詠ずる詩を誦したり。式場は忽ち水を打ちたるやうに鎭まりぬ。讀誦の力あるに、聽くもの皆感動したるなり。われは初より隻句を遺さず諳じたり。されど今改めてこれを聽けば、ほと〳〵ダンテ其人の作を聞くが如くおもはれぬ。誦し畢りし時、場に臨みたる人々は、悉く喝采せり。僧官達は席を離れ給ひぬ。式はこゝに終れるが如く、桂冠はベルナルドオがものと定りぬ。次なる英語の詩をば、人々止むことを得ずして聽き、又止むことを得ずして拍手せしのみ。その畢るや、滿場の話柄はベルナルドオがダンテの詩の上にかへりぬ。  我頬は火の如くなりき。我胸は擴まりたり。我心は人々のベルナルドオがために焚ける香の烟を吸ひて、ほと〳〵醉へるが如くなりき。この時われは友の方を打ち見たるに、彼が容貌はいたく常にかはりて見えき。その面色土の如く、目を床に注ぎて立てるさまは、重き罪を犯したる人の如くなりき。ハツバス・ダアダアも亦いたく不興げなるおも持して、心こゝにあらねばか、その手にしたる桂冠を摘み碎かんとする如くなりき。僧官のうちなる一人、迺ちこれを取りて、ベルナルドオが前に進み給ひぬ。我友は此時跪きたるが、もろ手に面を掩ひて、この冠を頭に受けたり。  式畢りて後、われは友の側に歩み寄りしに、彼は明日こそと云ひもあへず、走り去りぬ。翌日になりても、彼は我を避けて、共に語らざりき。我は唯だ一人なる友を失へるやうに覺えて、憂きに堪へざりき。二日過ぎて、ベルナルドオは我頸を擁き、我手を把りていふやう。アントニオよ。今こそは我心を語らめ。桂冠の我頭に觸れたる時は、われは百千の棘もて刺さるゝ如くなりき。人々の我を譽むる聲は、我を嘲るが如くなりき。この譽を受くべきは、我に非ずして汝なればなり。我は汝が目のうちなる喜の色を見き。汝知らずや。この時われは汝を憎みたり。おもふに我はこゝにありて、今迄の如く汝に交ることを得ざるべし。この故に我はこゝを去らんとす。試におもへ。明年の式あらんとき、われ又汝が羽毛を借らずば、人々の前に出づることを得ざるべし。我心爭でかこれに堪へん。我に勢あるをぢあり。我はこれに我上を頼みき。我は身を屈して願ひき。こはわが未だ嘗て爲さざることなり。わが敢てせざるところなり。我はその時又汝が事をおもひ出しつ。斯くわが心に負きて人に頼るも、その原は汝に在るらんやうにおもはれぬ。この故に我は汝に對して、忍びがたき苦を覺ゆるなり。我は一たびこゝを去りて、別に身を立つるよすがを求め、その上にて又汝が友とならん。アントニオよ。願はくはその時を待て。吾は去らん。  この夕ベルナルドオは晩く歸りて床に入りしが、翌朝は彼が退校の噂諸生の間に高かりき。ベルナルドオは思ふよしありて、目的を變じたりとぞ聞えし。  ハツバス・ダアダアは冷笑の調子にていはく。彼男は流星の如く去りぬ。その光を放てると、その影を隱しゝとは、一瞬の間なりき。その學校生涯は爆竹の遽に耳を駭かす如くなりき。その詩も亦然なり。彼草稿は猶我手に留まれり。何等の怪しき作ぞ。熟〻これを讀むときは、畢竟是れ何物ぞ。斯くても尚詩といはるべき歟。全篇支離にして、絶て格調の見るべきなし。看て瓶となせば、これ瓶。盞となせば、是れ盞。劍となせば、これ劍。その定まりたる形なきこと、これより甚しきはあらず。字を剩すこと凡そ三たび。聞くに堪へざる平字の連用(ヒアツス)あり。神といふ字を下すことおほよそ二十五處、それにて詩をかう〴〵しくせんとにや。性靈よ、性靈よ。誰かこれのみにて詩人とならん。このとりとめなき空想能く何事をか做し出さん。こゝに在りと見れば、忽焉としてかしこに在り。汝は才といふか。才果して何をかなさん。眞の詩人の貴むところは、心の上の鍛錬なり。詩人はその題のために動さるゝこと莫れ。その心は冷なること氷の如くならんを要す。その心の生ずるところをば、先づ刀もて截り碎き、一片々々に査べ視よ。かく細心して組み立てたるを、まことの名作とはいふなり。厭ふべきは熱なり、激興なり。誰かその熱に感じて、桂冠を乳臭兒の頭に加へし。その詩に史上の事實を矯め、聞くに堪へざる平字の連用をなしたるなど、皆笞ち懲すべき科なるを。我はまことに甚しき不快を覺えき。かゝる事に逢ふごとに、我は健康をさへ害せられんとす。ベルナルドオのこわつぱ奴。ハツバス・ダアダアが批評は大抵此の如くなりき。  學校の中、ベルナルドオが去りしを惜まざるものなかりき。されどその惜むことの最も深きは我なりき。身のめぐりは遽に寂しくなりぬ。書を讀みても物足らぬ心地して、胸の中には遺るに由なき悶を覺えき。さて如何してこれを散ずべき。唯だ音樂あるのみ。我生活我願望はこれを樂の裡に求むるとき、始めて殘るところなく明なる如くなりき。こゝを思へば、詩には猶飽き足らぬところあり。ダンテが雄篇にも猶我心を充たすに足らざるところあり。詩は我魂を動せども、樂はわが魂と共に、わが耳によりてわが魄を動せり。夕されば我窓の外に、一群の小兒來て、聖母の像を拜みて歌へり。その調は我にわが穉かりける時を憶ひ起さしむ。その調はかの笛ふきが笛にあはせし搖籃の曲に似たり、又或時は野邊送の列、窓の下を過ぐるを見て、これをおくる僧尼の挽歌を聽き、昔母上を葬りし時を思ひ出しつ。我心はこしかたより行末に遷りゆきぬ。我胸は押し狹めらるゝ如くなりぬ。昔歌ひし曲は虚空より來りて我耳を襲へり。その曲は知らず識らず我唇より洩れて歌聲となりぬ。  ハツバス・ダアダアが室は、我室を去ること近からぬに、我聲は覺えず高くなりて、そこまで聞えぬ。ハツバス・ダアダア人して言はしむるやう。こゝは劇場にもあらず、又唱歌學校にもあらず、讚美歌に非ざる歌の聞ゆるこそ心得られねとなり。われは默して答へず。頭を窓の縁に寄せかけて、目を街のかたに注ぎたれど、心はこゝに在らざりき。  忽ち街上より「フエリチツシイマ、ノツテエ、アントニオ」(幸あらん夜をこそ祈れ、アントニオよといふ事なり、北歐羅巴にては善き夜をとのみいふめれど、伊太利の夜の樂きより、かゝる詞さへ出來ぬるなるべし)と呼ぶ人あり。窓の前にて、美しく猛き若駒に首を昂げさせ、手を軍帽に加へて我に禮を施し、振り返りつゝ馳せ去りしは、法皇の禁軍なる士官なりき。嗚呼、我はその顏を見識りたり。これわがベルナルドオなり。わが幸あるベルナルドオなり。  我生活は今彼に殊なること幾何ぞ。われは深くこれを思ふことを好まず。われは傍なる帽を取りて、目深にかぶり、惡魔に逐はるゝ如く、學校の門を出でぬ。おほよそ「ジエスヰタ」學校、「プロパガンダ」學校、その外この教國の學校生徒は、外に出づるとき、おのれより年長けたる、若くはおのれと同じ齡なる、同學のものに伴はるゝを法とす。稀に獨り行くには、必ず許可を請ふことなり。こは誰も知りたる掟なるを、われはこの時少しも思ひ出でざりき。老いたる番僧はわが出づるを見つれど、許可を得たるものとや思ひけん、我を誰何めざりき。    めぐりあひ、尼君  大路に出づれば馬車ひきもきらず。羅馬の人を載せたるあり、外國の客を載せたるあり。往くあり、還るあり。こは都の習なる夕暮の逍遙乘といふものにいでたる人々なるべし。銅版畫を挂けつらねたる技藝品鋪の前には、人あまた立てり。その衣にまつはれて錢を得んとするは、乞兒の群なり。されば車の間を馳せぬくることを厭ひては、こゝを行くべくもあらず。我が車の隙を覗ひて走りぬけんとしたる時「ボン、ジヨオルノオ、アントニオ」(吉日をこそ、アントニオ)と呼ぶは、むかし聞き慣れたる忌はしき聲なり。見卸せば、ペツポのをぢ例の木履を手に穿きて、地上にすわり居たり。この人にかく近づきたることは、この年頃絶てなかりき。西班牙の磴を避けてとほり、道にて逢ふときは面を掩ひて知らしめず、式の日などに諸生の群にありてこれに近づくときは、友の身を盾に取りて見付けられぬ心がまへしたりき。ペツポは我裳裾を握りて離たずしていふやう。血を分けたるアントニオよ。そちがをぢなるペツポを知らぬ人のやうになあしらひそ。尊きジユウゼツペ(ペツポはこの名を約めたるなり)の上を思はゞ、我名を忘るゝことなからん。暫く見ぬ隙に、おとなびたることよ。かく親しく物言はるゝ程に、道行く人は怪みて我面を見たり。我は放ち給へと叫びて裾を引けども、ペツポは容易く手をゆるめず。アントニオよ。共に驢に乘りし日の事を忘れしか。善き兒なるかな。今は丈高き馬に乘れば、最早我を顧みざるならん。母の同胞の西班牙の磴にあるを訪はざるならん。そちも我手に接吻せしことあり。そちも我宿の一束の藁を敷寢せしことあり。昔をわすれなせそ。かくかきくどかるゝうるさゝに、我は力を極めて裾ひきはなち、車の間をくゞりぬけて、横街に馳せ入りぬ。  我胸は跳れり。こは驚のためのみにはあらず、辱のためなりき。我はをぢがもろ人の前に我を辱めたりとおもひき。されど此心は久しからずして止み、これに代りて起りしは、これよりも苦しき情なりき。をぢが詞は一つとして僞ならず。われはまことにペツポが一人の甥なり。わがこれに對して恩すくなかりしは、そも〳〵何故ぞ。若し餘所に見る人なくば、我は昔の如くをぢの手に接吻せしならん。さるを今かく殘忍なる振舞せしは、わが罪深き名譽心にあらずや。われは自ら愧ぢ、又神に恥ぢて、我胸は燃ゆる如くなりき。  この時聖アゴスチノ寺の「アヱ、マリア」の鐘の聲響きしかば、われは懺悔せんとて寺の内に入りぬ。高き穹窿の下は暗くして人影絶えたり。卓の上なる蝋燭は僅に燃ゆれども光なかりき。われは聖母の前に伏し沈みて、心の重荷をおろさんとしつ。忽ち我側にありて、我名を呼ぶ人あり。アントニオの君よ。館も御奧もフイレンツエより歸り來ませり。かしこにて設け給ひし穉き姫君をも伴ひ給ひぬ。今より共に往きて喜をのべ給はずやといふ。寺の内の暗さに見えざりしが、かく言はれてその人を見れば、我恩人の館なる門者の妻にてフエネルラといふものなりき。年久しく相見ざりし人々に逢はせんといふが嬉しさに、われは共に足を早めてボルゲエゼの館にゆきぬ。  フアビアニの君はやさしく我をもてなし給ひ、フランチエスカの君は又母の如くいたはり給ひぬ。姫君にも引きあはせ給ひぬ。名をばフラミニアといふ。目の美しく光ある穉子なり。我に接吻し、我側に來居たるが、まだ二分時ならぬに、はや我に昵み給へり。かき抱きて間のうちをめぐり、可笑しき小歌うたひて聞せしかば、面白しと打笑ひ給ひぬ。館は微笑みつゝ。穉き尼君を世の中の少女の樣になせそ。法皇の手づから授けられし壻君をば、今より胸にをさめたるをとのたまふ。げにこの姫君は、白かねもて造りたる十字架に基督の像つきたるを、鎖もて胸に懸け給へり。(伊太利の俗、尼寺に入れんと定めたる女兒をば、夙くより小尼公など呼ぶことあり。)夫婦の君は婚禮の初、喜のあまりに始て生るべき子をば、み寺に參らせんと誓ひ給ひしなり。勢ある家の事とて、羅馬に名高き尼寺の首座をば、今よりこの姫君の爲めに設けおけりとぞ。さればこの君には、苟且の戲にも法の掟に背かぬやうなることのみをぞ勸め參らせける。小尼公は偶人いれたる箱取り出でゝ、中なる穉き耶蘇の像、またあまたの白衣きたる尼の像を示し給ふ。さて尼の人形を二列に立てて、日ごとにかく歩ませて供養のにはに連れゆくとのたまひぬ。又尼どもは皆聲めでたく歌ひて、穉き耶蘇を拜めりとのたまひぬ。こは皆保姆が教へつるなり。我は畫かきて小尼公を慰めき。長き※(曷+毛)衣を着て、噴水のトリイトンの神のめぐりに舞ふ農夫、一人の匍匐ひたるが上に一人の跨りたる侏儒抔、いたく姫君の心にかなひて、始はこれに接吻し給ひしが、後には引き破りて棄て給ひぬ。兎角する程に、はや常に眠り給ふ時過ぎぬとて、うば抱きて入りぬ。  夫婦の君は我上を細に問ひて、今より後も助にならんと契り、こゝに留らん間は日ごとに訪へかしとのたまひぬ。カムパニアの野邊に住める媼が事を語り出で給ひしかば、我は春秋の天氣好き折、かしこに尋ねゆきて、我臥床の跡を見、媼が經卷珠數と共に藏したる我畫反古を見、また爐の側にて燒栗を噛みつゝ昔語せばやとおもふ心を聞え上げぬ。暇乞して出でんとせしとき、夫人は館を顧みてのたまふやう。學校は智育に心を用ゐると覺ゆれど、作法の末まではゆきとゞかぬなるべし。この子の禮するさまこそ可笑しけれ。世の中に出でん後は、これをも忽にすべからず。されど、アントニオよ、心をだに附けなば、そはおのづから直るべきものぞ。  學校に還らんとて館を出でしは、まだ宵の程なりしが、街はいと暗かりき。羅馬の市に竿燈を點くるは近き世の事にて、其の頃はまださるものなかりしなり。狹き枝みちに歩み入れば、平ならざる道を照すもの唯だ聖母の像の御前に供へたる油燈のみなり。われは心のうちに晝の程の事どもを思ひめぐらしつゝ、徐にあゆみを運びぬ。固より咫尺の間もさやかには見えねば、忽ち我手に觸るゝものあるに驚きて、われはまだ何とも思ひ定めぬ時、耳慣れたる聲音にて、奇怪なる人かな、目をさへ撞きつぶされなば、道はいよ〳〵見えずやならんといふ。われは喜のあまりに聲高く叫びて、さてはベルナルドオなるよ、嬉くも逢ひけるものかなといひぬ。アントニオか、可笑き再會もあるものよと、友は我を抱きたり。さるにても何處よりか來し。忍びて訪ふところやある。そは汝に似合はしからず。されど我に見現されぬれば是非なし。例の獄丁はいづくに居る。學校よりつけたる道づれは。我。否けふはひとりなり。ベルナルドオ。ひとりとは面白し。汝も天晴なる少年なり。我と共に法皇の護衞に入らずや。  我は恩人夫婦のこゝに來ませし喜を告げしに、吾友も亦喜びぬ。これよりは足の行くに任せて、暗路を辿りつゝ、別れての後の事どもを語りあひぬ。    猶太の翁  途すがらベルナルドオの云ふやう。我は今こそ浮世の樣をも見ることを得つれ。そなた等が世にあるは、唯だ世にありといふ名のみにて、まだ襁褓の中を出でざるにひとし。冷なる學校の榻に坐して、黴の生えたるハツバス・ダアダアが講釋に耳傾けんは、あまりに甲斐なき事ならずや。見よ、我が馬に騎りて市を行くを。美しき少女達は、燃ゆる如き眼なざしして、我を仰ぎ瞻るなり。わが貌は醜からず。われには號衣よく似合ひたり。此街の暗きことよ、汝は我號衣を見ること能はざるべし。我が新に獲たる友は、善く我を導けり。彼等は汝が如き窮措大めきたる男にあらず。我等は御國を祝ひて盞を傾け、又折に觸れてはおもしろき戲をもなせり。されど其戲をもの語らんは、汝が耳の聽くに堪へざるところならん。そなたの世を渡るさまをおもへば、男に生れたる甲斐なくぞおもはるゝ。我はこの二三月が程に十年の經驗をなしたり。我はわが少年の血氣を覺えたり。そは我血を湧し、我胸を張らしむ。我は人生の快樂を味へり。我唇はまだ燃え、我咽はまだ痒きに、我身はこれを受用すること醉ひたる人の水を飮むらんやうなり。斯く説き聞せられて、我はいつもながら氣沮みて聲も微に、さらば君が友だちといふはあまり善き際にはあらぬなるべしと答へき。ベルナルドオはこらへず。善き際にあらず、とは何をか謂ふ。我に向ひて道徳をや説かんとする。吾友だちは汝にあしさまに言はるべきものにはあらず。吾友だちは羅馬にあらん限の貴き血統にこそあなれ。われ等は法皇の禁軍なり。縱ひわづかの罪ありとも、そは法皇の免除するところなり。われも學校を出でし初には、汝が言ふ如き感なきにあらざりしが、われは敢て直ちにこれを言はず、敢て友等に知らしめざりき。われは彼輩のなすところに傚ひき。そは我意志の最も強き方に從ひたるのみ。我意馬を奔らしめて、その往くところに任するときは、我はかの友だちに立ち後るゝ憂なかりしなり。されど此間我胸中には、猶少しの寺院教育の滓殘り居たれば、我も何となく自ら安ぜざる如き思をなすことありき。我はをり〳〵此滓のために戒められき。我は生れながらの清白なる身を涜すが如くおもひき。かゝる懸念は今や名殘なく失せたり。今こそ我は一人前の男にはなりたるなれ。かの教育の滓を身に帶びたる限は、その人小兒のみ、卑怯者のみ。おのれが意志を抑へ、おのれが欲するところを制して、獨り鬱々として日を送らんは、その卑怯ものゝ舉動ならずや、餘に饒舌りて途のついでをも顧みざりしこそ可笑しけれ。こゝはキヤヰカの前なり。類なき酒家にて、羅馬の藝人どもの集ふところなり。我と共に來よ。切角の邂逅なれば、一瓶の葡萄酒を飮まん。この家のさまの興あるをも見せまほしといふ。われ。そは思ひもよらぬ事なり。若し學校の人々、わが禁軍の士官と倶に酒店にありしを聞かば奈何。ベルナルドオ。現に酒一杯飮まんは限なき不幸なるべし。されど試に入りて見よ。外國の藝人等が故郷の歌をうたふさまいと可笑し。獨逸語あり。法朗西語あり。英吉利語あり。またいづくの語とも知られぬあり。これ等を聞かんも興あるべし。われ。否、君には酒一杯飮まんこと常の事なるべけれど、我は然らず。強ひて伴はんことは君が本意にもあらざるべし。斯く辭ふほどに、傍なる細道の方に、許多の人の笑ふ聲、喝采する聲いと賑はしく聞えたり。われはこれに便を得て、友の臂を把りていはく。見よ、かしこに人あまた集りたるは何事にかあらん。想ふに聖母の御龕の下にて手品使ふものあるならん。我等も往きてこそ觀め。  我等が往方を塞ぎたるは、極めて卑き際の老若男女なりき。この人々は聖母のみほごらの前にて長き圈をなし、老いたる猶太教徒一人を取り卷きたり。身うち肥えふとりて、肩幅いと廣き男あり。手に一條の杖を持ちたるが、これを翁が前に横へ、翁に跳り超えよと促すにぞありける。  凡そ羅馬の市には、猶太教徒みだりに住むことを許されず。その住むべき廓をば嚴しく圍みて、これを猶太街といふ。(我國の穢多まちの類なるべし。)夕暮には廓の門を閉ぢ、兵士を置きて人の出入することを許さず。こゝに住める猶太教徒は、歳に一たび仲間の年寄をカピトリウムに遣り、來ん年もまた羅馬にあらんことを許し給はゞ、謝肉祭の時の競馬の費用をも例の如く辨へ、又定の日には加特力教徒の寺に往きて、宗旨がへの説法をも聽くべし、と願ふことなり。  今杖の前に立てる翁は、こよひ此街のをぐらき方を、靜に走り過ぎんとしたるなり。「モルラ」といふ戲せんと集ひたりし男ども、道に遊び居たりし童等は、早くこれを見付けて、見よ人々、猶太の爺こそ來ぬれと叫びぬ。翁はさりげなく過ぎんとせしに、群衆はゆくてに立ちふさがりて通さず。かの肥えたる男は、杖を翁が前に横へて、これを跳り超えて行け、さらずは廓の門の閉ぢらるゝ迄えこそは通すまじけれ、我等は汝が足の健さを見んと呼びたり。童等はもろ聲に、超えよ超えよ、亞伯罕の神は汝を助くるならんといと喧しく囃したり。翁は聖母の像を指ざしていふやう。人々あれを見給へ。おん身等もかしこに跪きては、慈悲を願ひ給ふならずや。我はおん身等に對して何の辜をもおかしゝことなし。我髮の白きを憫み給はゞ、恙なく家に歸らしめ給へといふ。杖持ちたる男冷笑ひて、聖母爭でか猶太の狗を顧み給はん、疾く跳り超えよといひつゝいよ〳〵翁に迫る程に、群衆は次第に狹き圈を畫して、翁の爲んやうを見んものをと、息を屏めて覗ひ居たり。ベルナルドオはこの有樣を見るより、前なる群衆を押し退けて圈の中に躍り入り、肥えたる男の側につと寄せて、その杖を奪ひ取り、左の手にこれを指し伸べ、右の手には劍を拔きて振り翳し、かの男を叱して云ふやう。この杖をば、汝先づ跳り超えよ。猶與ふことかは。超えずは、汝が頭を裂くべしといふ。群衆は唯だ呆れてベルナルドオが面を打ち眺めたり。彼男はしばし夢見る如くなりしが、怒氣を帶びたる詞、鞘を拂ひし劍、禁軍の號衣、これ皆膽を寒からしむるに足るものなりければ、何のいらへもせず、一跳して杖を超えたり。ベルナルドオは男の跳り超ゆるを待ちて杖を擲ち、その肩口をしかと壓へ、劍の背もて片頬を打ちていふやう。善くこそしつれ。狗にはふさはしき舉動かな。今一たびせよさらば免さんといふ。男は是非なく又跳り超えぬ。初め呆れ居たる群衆は、今その可笑しさにえ堪へず、一度にどつと笑ひぬ。ベルナルドオのいはく。猶太の翁よ。邪魔をば早や拂ひたれば、いざ送りて得させんといふ。されど翁はいつの間にか逃げゆきけん、近きところには見えざりき。  我はベルナルドオを引きて群衆の中を走り出でぬ。來よ我友。今こそは汝と共に酒飮まんとおもふなれ。今より後は、たとひいかなる事ありても、われ汝が友たるべし。ベルナルドオ。そなたは昔にかはらぬ物ずきなるよ。されど我が知らぬ猶太の翁のかた持ちて、かの癡人と爭ひしも、おなじ物ずきにやあらん。  我等は酒家に入りぬ。客は一間に滿ちたれども、別に我等に目を注くるものあらざりき。隅の方なる小卓に倚りて、共に一瓶の葡萄酒を酌み、友誼の永く渝らざらんことを誓ひて別れぬ。  學校の門をば、心やすき番僧の年老いたるが、仔細なく開きて入れぬ。あはれ、珍しき事の多かりし日かな。身の疲に酒の醉さへ加はりたれば、程なく熟睡して前後を知らず。    猶太をとめ  許をも受けで校外に出で、士官と倶に酒店に入りしは、輕からぬ罪なれば、若し事露れなば奈何にすべきと、安き心もあらざりき。さるを僥倖にもその夕我を尋ねし人なく、又我が在らぬを知りたるは、例の許を得つるならんとおもひて、深くも問ひ糺さで止みぬ。我が日ごろの行よく謹めるかたなればなりしなるべし。光陰は穩に遷りぬ。課業の暇あるごとに、恩人の許におとづれて、そを無上の樂となしき。小尼公は日にけに我に昵み給ひぬ。我は穉かりしとき寫しつる畫など取り出でゝ、み館にもて往き、小尼公に贈るに、しばしはそれもて遊び給へど、幾程もあらぬに破り棄て給ふ。我はそをさへ拾ひ取りて、藏めおきぬ。  その頃我はヰルギリウスを讀みき。その六の卷なるエネエアスがキユメエの巫に導かれて地獄に往く條に至りて、我はその面白さに感ずること常に超えたり。こはダンテの詩に似たるがためなり。ダンテによりて我作をおもひ、我作によりて我友をおもへば、ベルナルドオが面を見ざること久しうなりぬ。恰も好しワチカアノの畫廊開かるべき日なり。且は美しき畫、めでたき石像を觀、且はなつかしき友の消息を聞かばやとおもひて、われは又學校の門を出でぬ。  美しきラフアエロが半身像を据ゑたる長き廊の中に入りぬ。仰塵にはかの大匠の下畫によりて、門人等が爲上げたりといふ聖經の圖あり。壁を掩へるめづらしき飾畫、穹窿を填めたる飛行の童の圖、これ等は皆我が見慣れたるものなれど、我は心ともなくこれに目を注ぎて、わが待つ人や來るとたゆたひ居たり。欄に凭りて遠く望めば、カムパニアの野のかなたなる山々の雄々しき姿をなしたる、固より厭かぬ眺なれど、鋪石に觸るゝ劍の音あるごとに、我は其人にはあらずやとワチカアノの庭を見おろしたり。されどベルナルドオは久しく來ざりき。  間といふ間を空くめぐり來ぬ。ラオコオンの群の前をも徒に過ぎぬ。我はほと〳〵興を失ひて、「トルソオ」をも「アンチノウス」をも打ち棄てゝ、家路に向はんとせしとき、忽ち羽つきたる鍪を戴き、長靴の拍車を鳴して、輕らかに廊を歩みゆく人あり。追ひ近づきて見ればベルナルドオなり。友の喜は我喜に讓らざりき。語るべき事多ければ、共に來よと云ひつゝ、友は我を延きて奧の方へ行きぬ。  汝はわが別後いかなる苦を嘗めしかを知らざるべし。又その苦の今も猶止むときなきを知らぬなるべし。譬へば我は病める人の如し。そを救ふべき醫は汝のみ。汝が採らん藥草の力こそは、我が唯一の頼なれ。斯くさゝやきつゝ、友は我を延いて大なる廳を過ぎ、そこを護れる禁軍の瑞西兵の前を歩みて、當直士官の室に入りぬ。君は病めりと云へど、面は紅に目は輝けるこそ訝しけれ。さなり。我身は頭の頂より足の尖まで燃ゆるやうなり。我はそれにつきて汝が智惠を借らんとす。先づそこに坐せよ。別れてより後の事を語り聞すべし。  汝はかの猶太の翁の事を記えたりや。聖母の龕の前にて、惡少年に窘められし翁の事なり。我はかの惡少年を懲して後、翁猶在らば、家まで送りて得させんとおもひしに、早やいづち往きけん見えずなりぬ。その後翁の事をば少しも心に留めざりしに、或日ふと猶太廓の前を過ぎぬ。廓の門を守れる兵士に敬禮せられて、我は始めてこゝは猶太街の入口ぞと覺りぬ。その時門の内を見入りたるに、黒目がちなる猶太の少女あまた群をなして佇みたり。例のすきごゝろ止みがたくて、我はそが儘馬を乘り入れたり。こゝに住める猶太教徒は全き宗門の組合をなして、その家々軒を連ねて高く聳え、窓といふ窓よりは、「ベレスヒツト、バラ、エロヒム」といふ祈の聲聞ゆ。街には宗徒簇りて、肩と肩と相摩するさま、むかし紅海を渡りけん時も忍ばる。簷端には古衣、雨傘その外骨董どもを、懸けも陳べもしたり。我駒の行くところは、古かなもの、古畫を鬻ぐ露肆の間にて、目も當てられず穢れたる泥淖の裡にぞありける。家々の戸口より笑みつゝ仰ぎ瞻る少女二人三人を見るほどに、何にても買ひ給はずや、賣り給ふ物あらば價尊く申し受けんと、聲々に叫ぶさま堪ふべくもあらず。想へ汝、かゝる地獄めぐりをこそダンテは書くべかりしなれ。  忽ち傍なる家より一人の翁馳せ出でゝ、我馬の前に立ち迎へ、我を拜むこと法皇を拜むに異ならず。貴き君よ、我命の親なる君よ。再び君と相見る今日は、そも〳〵いかなる吉日ぞ。このハノホ老いたれども、恩義を忘れぬほどの記憶はありとおぼされよ。かく語りつゞけて、末にはいかなる事をか言ひけん、悉くは解せず、又解したるをも今は忘れたれば甲斐なし。これ去ぬる夜惡少年の杖を跳り越ゆべかりし翁なり。翁は我手の尖に接吻し、我衣の裾に接吻していふやう。かしこなるは我破屋なり。されど鴨居のいと低くて君が如き貴人を入らしむべきならぬを奈何せん。かく言ひては拜み、拜みては言ふ隙に、近きわたりの物共は、我等二人のまはりに集ひ、あからめもせず打ち守りたる、そのうるさゝにえ堪へず、我は早や馬を進めんとしたり。この時ふと仰ぎ見れば、翁が家の樓上よりさし覗きたる少女あり。色好なる我すらかゝる女子を見しことなし。大理石もて刻めるアフロヂテの神か。されど亞剌伯種の少女なればにや、目と頬とには血の温さぞ籠りたる。想へ汝、我が翁に引かれて、辭はずその家に入りしことの無理ならぬを。  廊の闇さはスチピオ等の墓に降りゆく道に讓らず。木の欄ある梯は、行くに足の尖まで油斷せざる稽古を、怠りがちなる男にせさするに宜しかるべし。部屋に入りて見れば、さまで見苦しからず。されど例の少女はあらず。少女あらずば、われこゝに來て何をかせん。技癢に堪へざる我心をも覺らず、かの翁は永々しき謝恩の演説をぞ始めける。その辭に綴り込めたる亞細亞風の譬喩の多かりしことよ。汝が如き詩人ならましかば、そを樂みて聞きもせん。我は恰も消化し難き饌に向へる心地して、肚のうちには彼女子今か出づるとのみおもひ居たり。此時翁は感ずべき好き智慧を出しぬ。あはれ此智慧、好き折に出でなば、いかにか我を喜ばしめしならん。翁のいはく。貴きわたりに交らひ給ふ殿達は、定めて金多く費し給ふならん。君も卒かに金なくてかなはぬ時、餘所にてそを借り給はば、二割三割などいひて、夥しき利息を取られ給ふべし。さる時あらば、必ず我許に來給へ。利息は申し受けずして、いくばくにても御用だて侍らん。そはイスラエルの一枝を護りたる君が情の報なりといひぬ。我は今さる望なきよし答へぬ。翁さらに語を繼ぎて。さらば先づ平かに居給へ。好き葡萄酒一瓶あれば、そを獻らんといふ。我は今いかなる事を答へしか知らず。されどその詞と共に一間に入り來りしは彼少女なり。いかなる形ぞ。いかなる色ぞ。髮は漆の黒さにてしかも澤あり。こは彼翁の娘なりき。少女はチプリイの酒を汲みて我に與へぬ。我がこれを飮みて、少女が壽をなしゝとき、その頬にはサロモ王の餘波の血こそ上りたれ。汝はいかにかの天女が、言ふにも足らぬ我腕立を謝せしを知るか。その聲は世にたぐひなき音樂の如く我耳を打ちたり。あはれ、かれは斯世のものにはあらざりけり。されば其姿の忽ち見えずなりて、唯だ翁と我とのみ座に殘りしも宜なり。  この物語を聞きて、我は覺えず呼びぬ。そは自然の詩なり。韻語にせばいかに面白からん。    媒 士官のいふやう。この時よりして我がいかばかり戀といふものゝ苦を嘗めたるを知るか。我が幾たび空中に樓閣を築きて、又これを毀ちたるを知るか。我が彼猶太をとめに逢はんとていかなる手段を盡しゝを知るか。我は用なきに翁を訪ひて金を借りぬ。我は八日の期限にて、二十「スクヂイ」を借らんといひしに、翁は快く諾ひて粲然たる黄金を卓上に並べたり。されど少女は影だに見せざりき。我は三日過ぎて金返しに往きぬ。初翁は我を信ぜること厚しとは云ひしが、それには世辭も雜りたりしことなれば、今わが斯く速に金を返すを見て、翁が喜は眉のあたりに呈れき。我は前の日の酒の旨かりしを稱へしかど、翁自ら瓶取り出して、顫ふ痩手にて注ぎたれば、これさへあだなる望となりぬ。この日も少女は影だに見せざりき。たゞ我が梯を走りおりしとき、半ば開きたる窓の帷すこしゆらめきたるやうなりき。是れ我少女なりしならん。さらば君よ、とわれ呼びしが、窓の中はしづまりかへりて何の應もなし。おほよそ其頃よりして、今日まで盡しゝ我手段は悉くあだなりき。されど我心は決して撓むことなし。我は少女が上を忘るゝこと能はず。友よ。我に力を借せ。昔エネエアスを戀人に逢せしサツルニアとヱヌスとをば、汝が上とこそ思へ。いざ我をあやしき巖室に誘はずや。われ。そは我身にはふさはしからぬ業なりと覺ゆ。さはれおん身は猶いかなる手段ありて、我をさへ用ゐんとするか、かゝる筋の事に、この身用立つべしとは、つや〳〵思ひもかけず。士官。否々。汝が一諾をだに得ば、我事は半ば成りたるものぞ。ヘブライオスの語は美しき詞なり。その詩趣に富みたること多く類を見ずと聞く。汝そを學びて、師には老いたるハノホを撰べ。彼翁は廓内にて學者の群に數へられたり。彼翁汝がおとなしきを見て、娘にも逢はせんをり、汝我がために娘に説かば、我戀何ぞ協はざることを憂へん。されど此手段を行はんには、決して時機を失ふべからず。駈足にせよ歩度を伸べたる驅足にせよ。燃ゆる毒は我脈を循れり。そは世におそろしき戀の毒なり。異議なくば、あすをも待たで猶太の翁を訪へ。われ。そは餘りに無理なる囑なり。我が爲すべきことの面正しからぬはいふも更なり、汝が志すところも卑しき限ならずや。その少女縱令美しといふとも、猶太の翁が子なりといへば。士官。それ等は汝が解し得ざる事なり。貨だに善くば、その産地を問ふことを須ゐず。友よ、善き子よ。我がためにヘブライオスの語を學べ。我も諸共に學ばんとす。たゞその學びさまを殊にせんのみ。想へ、我がいかに幸ある人となるべきかを。我。わが心を傾けて汝に交るをば、汝知りたるべし。汝が意志、汝が勢力のおほいなる、常に我心を左右するをも、汝知りたるべし。汝若し惡人とならば、我おそらくは善人たることを得じ。そは怪しき力我を引きて汝が圈の中に入るればなり。我は素より我心を以て汝が行を匡さんとせず。人皆天賦の性あり。そが上に我は必ずしも汝が將に行はんとする所を以て罪なりとせず。汝が性然らしむればなり。されど此事は、縱令成りたらんも、汝が上にまことの福を降すべきものにあらずとおもへり。士官。善し〳〵。我はたゞ汝に戲れたるのみ。我がために汝を驅りて懺悔の榻に就かしめんは、初より我願にあらず。たゞ汝がヘブライオスの語を學ばんに、いかなる障あるべきか、そは我に解せられず。況んやそを猶太の翁に學ぶことをや。されどこの事に就きては、我等また詞を費さゞるべし。今日は善くこそ我を訪ねつれ。物欲しからずや。酒飮まずや。  友なる士官がかく話頭を轉じたるとき、我はその特なる目なざしを見き。こはベルナルドオが學校にありしとき屡〻ハツバス・ダアダアに對してなしたる目なざしなりき。友の擧動、その言語、一つとして不興のしるしならぬはなし。我も快からねば程なく暇乞して還りぬ。別るゝときは友の恭しさ常に倍して、その冷なる手は我が温なる手を握りぬ。我はわが辭退の理に愜へる、友の腹立ちしことの我儘に過ぎざるを信じたりき。されど或時は無聊に堪へずしてベルナルドオなつかしく、我詞の猶穩ならざるところありしを悔みぬ。一日散歩のついで、吾友の上をおもひつゝ、かの猶太廓に入りぬ。若し期せずして其人に逢はゞ、我友の怒を霽す便にもならんとおもひき。されど我は彼翁をだに見ざりき。門よりも窓よりも、知らぬ人面を出せり。街の兩側なる敷石の上には、例の古衣、古かねなど陳べたるその間には見苦き子供遊べり。物買はずや、物賣らずやと呼ぶ聲は、我を聾にせんとする如し。少女あり。向ひの家なる友と、窓より窓へ毬投げつゝ戲れ居たり。そが一人は頗美しと覺えき。吾友の戀人はもしこれにはあらずや。我は圖らず帽を脱したり。嗚呼、おろかなる振舞せしことよ。我は人の思はん程も影護くて、手もて額を拭ひつ。こは帽を脱したるは、少女のためならで、暑に堪へねばぞと、見る人におもはしめんとてなりき。  一とせの月日は事なくして過ぎぬ。稀にベルナルドオに逢ふことありても、交情昔のごとくならず。我はそのやさしき假面の背後に、人に慠る貴人の色あるを見て、友の無情なるを恨むのみにて、かの猶太廓の戀のなりゆきを問ふに遑あらざりき。ボルゲエゼの館をば頻におとづれて、主人の君、フアビアニ、フランチエスカの人々のやさしさに、故郷にある如き思をなしつ。されどそれさへ時としては胸を痛むる媒となることありき。我胸には慈愛に感ずる情みち〳〵たれば、彼人々の一たび顰めることあるときは、徑に我世の光を蔽はるゝ如く思ひなりぬ。フランチエスカの我性を譽めつゝも、強ひて備はらんことを我に求めて、わが立居振舞、わが詞遣の疵を指すことの苛酷なる、主人の君のわが獨り物思ふことの人に踰えたるを戒めて、わが草木などの細かなる區別に心入れぬを咎め、我を自ら卷きて終には萎るゝ葉に比べたる、皆我心を苦むるものなりき。我齡は早く十六になりぬ。さるを斯ばかりの事に逢ひて、必ず涙を墮すは何故ぞや。主人の君は我が憂はしげなるさまを見るときは、又我頬を撫でゝ、聖母の善き人を得給はんためには、美しき花の壓さるゝ如く、人も壓されではかなはぬが浮世の習ぞと慰め給ひぬ。獨りフアビアニの君のみは、何事をもをかしき方に取りなして、岳翁と夫人との教の嚴なることよと打笑ひ、さて我に向ひてのたまふやう。君は父上の如き學者とはならざるべし。はた妻のやうに怜悧なる人ともならざるならん。されど君が如き性もまた世の中になくて協はぬものぞと宣ふ。斯く裁判し畢りて、小尼公を召し給へば、我はその遊び戲れ給ふさまのめでたきを見て、身の憂きことを忘れ果てつ。人々は來ん年を北伊太利にて暮さんとその心構し給へり。夏はジエノワにとゞまり、冬はミラノに往き給ふなるべし。我は來ん年の試驗にて、「アバテ」の位を受けんとす。人々は首途に先だちて、大いなる舞踏會を催し、我をも招き給ひぬ。門前には大篝を焚かせたり。賓客の車には皆松明とりたる先供あるが、おの〳〵其火を石垣に設けたる鐵の柄に揷したれば、火の子迸り落ちて赤き瀑布を見る心地す。法皇の兵は騎馬にて門の傍に控へたり。門の内なる小き園には五色の紙燈を弔り、正面なる大理石階には萬點の燭を點せり。階を升るときは奇香衣を襲ふ。こは級ごとに瓶花、盆栽の檸檬樹を据ゑたればなり。階の際なる兵は肩銃の禮を施しつ。「リフレア」着飾りたる僕は堂に滿ちたり。フランチエスカの君は眩きまで美かりき。珍らしき樂土鳥の羽、組緒多くつけたる白き「アトラス」の衣はこれに一層の美しさを添へたり。そのやさしき指に觸れたるときの我喜はいかなりし。廣間二つに樂の群を居らせて、客の舞踏の場としたり。舞ふ人の中にベルナルドオありき。金絲もて飾りたる緋羅紗の上衣、白き細袴、皆發育好き身形に適ひたり。その舞の敵手はこよひ集ひし少女の中にて、すぐれて美しき一人なるべし。纖き手をベルナルドオが肩に打ち掛けて秋波を送れり。我が舞を知らざることの可悔かりしことよ。客に相識る人少ければ、我を顧みるものなし。ベルナルドオが舞果てゝ我傍に來りしとき、我憂は忽ち散じたり。紅なる帷の長く垂れたる背後にて、我等二人は「シヤムパニエ」酒の杯を傾け、別後の情を語りぬ。面白き樂の調は耳より入りて胸に達し、昔日の不興をば少しも殘さず打ち消しつ。われ遠慮せで猶太少女の事を語り出でしに、友は唯だ高く笑ひぬ。その胸の内なる痍は早くも愈えて跡なきに至りしものなるべし。友のいはく。われはその後聲めでたき小鳥を捕へたり。この鳥我戀の病を歌ひ治しき。これある間は、よその鳥はその飛ぶに任せんのみ。その猶太廓より飛び去りしは事實なり。人の傳ふるが信ならば、今は羅馬にさへ居らぬやうなり。友と我とは又杯を擧げたり。泡立てる酒、賑はしき樂は我等が血を湧しつ。ベルナルドオは又舞踏の群に投ぜり。我は獨り殘りたれど、心の中には前に似ぬ樂しさを覺えき。街のかたを見おろせば、貧人の兒ども簇りて、松明より散る火の子を眺め、手を打ちて歡び呼べり。われも昔はかゝる兒どもの夥伴なりしに、今堂上にありて羅馬の貴族に交るやうになりたるは、いかなる神のみ惠ぞ。われは帷の蔭に跪きて神に謝したり。    謝肉祭  その夜は曉近くなりて歸りぬ。二日たちて人々は羅馬を立ち給ひぬ。ハツバス・ダアダアは日ごとに我を顧みて、ことしは「アバテ」の位受くべき歳ぞと、いましめ顏にいふ。されば此頃は文よむ窓を離れずして、ベルナルドオをも外の友をも尋ぬることなかりき。週を累ね月を積みて、試驗畢る日とはなりぬ。  黒き衣、短き絹の外套。是れ久しく夢みし「アバテ」の服ならずや。目に觸るゝもの一つとして我を祝せざるなし。街を走る吹聽人はいふも更なり、今咲き出づる「アネモオネ」の花、高く聳ゆる松の末より空飛ぶ雲にいたるまで、皆我を祝する如し。恰も好しフランチエスカの君は、臨時の費もあるべく又日ごろの勞をも忘れしめんとて、百「スクヂイ」の爲換を送り給ひぬ。我はあまりの嬉さに、西班牙磴を驅け上りて、ペツポのをぢに光ある「スクウド」一つ抛げ與へ、そのアントニオの主公と呼ぶ聲を後に聞きて馳せ去りぬ。  頃は二月の初なりき。杏花は盛に開きたり。柑子の木日を逐ひて黄ばめり。謝肉祭は既に戸外に來りぬ。馬に跨り天鵞絨の幟を建て、喇叭を吹きて、祭の前觸する男も、ことしは我がためにかく晴々しくいでたちしかと疑はる。ことしまでは我この祭のまことの樂しさを知らざりき。穉かりし程は、母上我に怪我せさせじとて、とある街の角に佇みて祭の盛を見せ給ひしのみ。學校に入りてよりは、「パラツツオオ、デル、ドリア」の廡作りの平屋根より笑ひ戲るゝ群を見ることを許されしのみ。すべて街のこなたよりかなたへ行くことだに自由ならず。矧や「カピトリウム」に登り、「トラステヱエル」(河東の地なり、テヱエル河の東岸に當れる羅馬の一部を謂ふ)に渡らんこと思ひも掛けざりき。かゝれば我がことしの祭に身を委ねて、兒どもの樣なる物狂ほしき振舞せしも、無理ならぬ事ならん。唯だ怪しきは此祭我生涯の境遇を一變するに至りしことなり。されどこれも我がむかし蒔きて、久しく忘れ居たりし種の、今緑なる蔓草となりて、わが命の木に纏へるなるべし。  祭は全く我心を奪ひき。朝にはポヽロの廣こうぢに出でゝ、競馬の準備を觀、夕にはコルソオの大道をゆきかへりて、店々の窓に曝せる假粧の衣類を閲しつ。我は可笑しき振舞せんに宜しからんとおもへば、状師の服を借りて歸りぬ。これを衣て云ふべきこと爲すべきことの心にかゝりて、其夜は殆と眠らざりき。  明日の祭は特に尊きものゝ如く思はれぬ。我喜は兒童の喜に遜らざりき。横街といふ横街には「コンフエツチイ」の丸賣る浮鋪簷を列べて、その卓の上には美しき貨物を盛り上げたり。(「コンフエツチイ」の丸は石灰を豌豆の大さに煉りたるなり。白きと赤きと雜りたり。中には穀物の粒を石膏泥中に轉して作れるあり。謝肉祭の間は人々互に此丸を擲ちて戲るゝを習とす。)コルソオの街を灑掃する役夫は夙に業を始めつ。家々の窓よりは彩氈を垂れたり。佛蘭西時刻の三點に我は「カピトリウム」に出でゝ祭の始を待ち居たり。(伊太利時刻は日沒を起點とす。かの「アヱ、マリア」の鐘鳴るは一時なり。これより進みて二十四時を數ふ。毎週一度日景を瞻て、𣑥の汗衫を被りたるが、その衫の上に縫附けたる檸檬の殼は大いなる鈕に擬へたるなり。肩と鞾とには青菜を結びつけたり。頭に戴けるは「フイノツキイ」(俗曲中にて無遠慮なる公民を代表したる役なり)の假髮にて、目に懸けたるは柚子の皮を刳りぬきて作りし眼鏡なり。我は彼等に對ひて立ち、手に持ちたる刑法の卷を開きてさし示し、見よ、分を踰えたる衣服の奢は國法の許さゞるところなるぞ、我が告發せん折に臍を噬む悔あらんと喝したり。工人は拍手せり。我は進みてコルソオに出でたるに、こゝは早や變じて假裝舞の廣間となりたり。四方の窓より垂れたる彩氈は、唯だおほいなる欄の如く見ゆ。家々の簷端には、無數の椅子を並べて、善き場所はこゝぞと叫ぶ際物師あり。街を行く車は皆正しき往還の二列をなしたるが、これに乘れる人多くは假裝したり。中にも月桂の枝もて車輪を賁りたるあり。そのさま四阿屋の行くが如し。家と車との隙間をば樂しげなる人填めたり。窓には見物の人々充ちたり。そが間には軍服に假髭したる羅馬美人ありて、街上なる知人に「コンフエツチイ」の丸を擲てり。我これに向ひて、「コンフエツチイ」もて人の面を撃つは、國法の問ふところにあらねど、美しき目より火箭を放ちて人の胸を射るは、容易ならぬ事なれば許し難しと論告せしに、喝采の聲と倶に、花の雨は我頭上に降り灑ぎぬ。公民の妻と覺しき婦人の際立ちて飾り衒へるあり。權夫(夫に代りて婦人に仕ふる者、「チチスベオ」)と覺しき男これに扈從したり。この時我はぬけ道の前に立ちたるが、道化役に打扮ちたる一群戲に相鬪へるがために、しばし往還の便を失ひて、かの婦人と向きあひゐたり。我は廼ちこれに對して論じていはく。君よ。かくても誓に負かざることを得るか。かくても羅馬の俗、加特力の教に背かざることを得るか。嗚呼、タルクヰニウス・コルラチニウスが妻なるルクレチア(辱を受けて自殺す、事は羅馬王代の末、紀元前五百九年に在り)は今安にか在る。君は今の女子の爲すところに倣ひて、謝肉祭の間、夫を河東に遣りて、僧と倶に精進せしめ給ふならん。君が良人は寺院の垣の内に籠りて日夜苦行し、復た滿城の士女狂せるが如きを顧みず、其心には、あはれ我最愛の妻も家に籠りて齋戒するよとおもふならん。さるを君は何の心ぞ。この時に乘じて自在に翼を振ひ、權夫に引かれてコルソオをそゞろありきし給ふ。君よ。我は刑法第十六章第二十七條に依りて、君が罪を糺さんとす。語未だ畢らざるに、婦人は手中の扇をあげてしたゝかに我面を撃ちたり。その撃ちかたの強さより推すに、我は偶〻女の身上を占ひて善く中てたるものならん。友なる男は、アントニオ、物にや狂へると私語ぎて、急に婦人を拉きつゝ、巡査、希臘人、牧婦などにいでたちたる人の間を潛りて逋れ去りぬ。その聲を聞くに、ベルナルドオなりき。さるにても彼婦人は誰にかあらん。椅子を借さんとて、觀棚々々(ルオジ、ルオジ、パトロニ)と呼ぶ聲いと喧し。われは思慮する遑あらざりき。されど謝肉祭の間に思慮せんといふも、固より世に儔なき好事にやあらん。忽ち肩尖と靴の上とに鈴つけたる戲奴(アレツキノ)の群ありて、我一人を中に取卷きて跳ね𢌞りたり。忽ち又いと高き踊したる状師あり。我傍を過ぐとて、我を顧みて冷笑ひていはく。あはれなる同業者なるかな。君が立脚點の低きことよ。おほよそ地上にへばり着きたるものは、正を邪に勝たしむること能はず。我は高く擧りたり。我に代言せしむるものは、天の祐を得たらん如し。かく誇りかに告げて大蹈歩に去りぬ。ピアツツア、コロンナに伶人の群あり。非常を戒めんと、徐にねりゆく兵隊の間をさへ、學士、牧婦などにいでたちたるもの踊りくるひて通れり。我は再び演説を始めしに、書記の服着たる男一僕を隨へたるが我前に來て、僕に鐸を鳴さする其響耳を裂くばかりなれば、われ我詞を解し得ずして止みぬ。この時號砲鳴りぬ。こは車の大道を去るべき知らせなり。我は道の傍に築きたる壇に上りぬ。脚下には人の頭波立てり。今やコルソオの競馬始らんとするなれば、兵士は人を攘はんことに力を竭せり。街の一端に近きポヽロの廣こうぢに索を引きて、馬をば其後に並べたり。馬は早や焦躁てり。脊には燃ゆる海綿を貼り、耳後には小き烟火具を裝ひ、腋には拍車ある鐵板を懸けたり。口際に引き傍ひたる壯丁はやうやくにして馬の逸るを制したり。號砲は再び鳴りぬ。こは埒にしたる索を落す合圖なり。馬は旋風の如く奔りて、我前を過ぎぬ。幣の如く束ねたる薄金はさら〳〵と鳴り、彩りたる紐は鬣と共に飄り、蹄の觸るゝ處は火花を散せり。かゝる時彼鐵板は腋を打ちて、拍車に釁ると聞く。群衆は高く叫びて馬の後に從ひ走れり。そのさま艫打つ波に似たり。けふの祭はこれにて終りぬ。    歌女  衣脱ぎ更へんとて家にかへれば、ベルナルドオ訪ひ來て我を待てり。われ。いかなれば茲には來たる。さきの婦人をばいづくにかおきし。友は指を堅てゝ我を威すまねしていはく。措け。我等は決鬪することを好まず。さきに邂逅ひたるときの狂態は何事ぞ。言ふこともあるべきにかゝることをばなど言ひたる。然れどもこのたびは釋すべし。今宵は我と倶に芝居見に往け。「ヂド」(カルタゴ女王の名にて又樂劇の名となれり)を興行すといふ。音樂よの常ならず。女優の中には世に稀なる美人多し。加旃ず主人公に扮するは、嘗てナポリに在りしとき、闔府の民をして物に狂へる如くならしめきといふ餘所の歌女なり。その發音、その表情、その整調、みな我等の夢にだに見ざるところと聞く。容貌も亦美し、絶だ美しと傳へらる。汝は筆を載せて從ひ來よ。若し世人の言半ば信ならんには、汝が「ソネツトオ」の工を盡すも、これに贈るに堪へざらんとす。我はけふの謝肉祭に賣り盡して、今は珍しきものになりたる菫の花束を貯へおきつ。かの歌女もし我心に協はゞ、我はこれを贄にせんといふ。我は共に往かんことを諾ひぬ。すべて謝肉祭に連りたる樂をば、つゆ遺さずして嘗みんと誓ひたればなり。  今は我がために永く諼るべからざる夕となりぬ。我羅馬日記を披けば、けふの二月三日の四字に重圈を施したるを見る。想ふにベルナルドオ如し日記を作らば、また我筆に倣はざることを得ざるならん。そも〳〵「アルベルトオ」座といへるは、羅馬の都に數多き樂劇部の中にて最大なるものなり。飛行の詩神を畫ける仰塵、オリユムポスの圖を寫したる幕、黄金を鏤めたる觀棚など、當時は猶新なりき。棚ごとに壁に鉤して燭を立てたれば、場内には光の波を湧かしたり。女客の來て座を占むるあれば、ベルナルドオ必ずその月旦を怠ることなし。  開場の樂(ウヱルチユウル)は始りぬ。こは音を以て言に代へたる全曲の敍と看做さるべきものなり。狂飇波を鞭ちてエネエアスはリユビアの瀲に漂へり。風波に駭きし叫號の聲は神に謝する祈祷の歌となり、この歌又變じて歡呼となる。忽ち柔なる笛の音起れり。是れヂドが戀の始なるべし。戀といふものは我が未だ知らざるところなれど、この笛の音は、我に髣髴としてその面影を認めしめたり。忽ち角聲獵を報ず。暴風又起れり。樂聲は我を引いて怪しき巖室の中に入りぬ。是れ温柔郷なり。一呼一吸戀にあらざることなし。忽ち裂帛の聲あり。幕は開きたり。  エネエアスは去らんとす。去りてアスカニウス(エネエアスの子)がために、ヘスペリヤ(晩國の義、伊太利)を略せんとす。去りてヂドを棄てんとす。憐むべしヂドはおのれが榮譽と平和とを捧げて、これを無情の人におくり、その夢猶未だ醒めざるなり。エネエアスが歌にいはく。その夢は早晩醒むべし。トロアスの兵黒き蟻の群の如く獲を載せて岸に達せば、その夢いかでか醒めざることを得ん。  ヂドは舞臺に上りぬ。その始めて現はるゝや、萬客屏息してこれを仰ぎ瞻たり。その態度、その嚴なること王者の如くにして、しかも輕らかに優しき態度には、人も我も徑に心を奪はれぬ。初めわれこのヂドといふ役を我心に畫きしときは、その姿いたく今見るところに殊なりしかど、この歌女の意外なる態度はすこしも我興を損ふことなかりき。その優しく愛らしく、些の塵滓を留めざる美しさは、名匠ラフアエロが空想中の女子の如し。烏木の光ある髮は、美しく凸なる額を圍めり。深黒なる瞳には、名状すべからざる表情の力あり。忽ち喝采の聲は柱を撼さんとせり。こは未だその藝を讚むるならずして、先づ其色を稱ふるなり。所以者何といふに、彼は今纔に場に上りて、未だ隻音をも發せざればなり。彼は面に紅を潮して輕く會釋し、その天然の美音もて、百錬千磨したる抑揚をその宣敍調の上にあらはしつ。  友は遽に我臂を把りて、人にも聞ゆべき程なる聲していはく。アントニオよ。あれこそ例の少女なれ、飛び去りたる例の鳥なれ、その姿をば忘るべくもあらず。その聲さへ昔のまゝなり、われ心狂ひたるにあらずば、わがこの目利は違ふことなし。われ。例のとは誰が事ぞ。友。猶太廓の少女なり。されど彼の少女いかにしてこの歌女とはなりし。不思議なり。有りとしも思はれぬ事なり。友は再び眼を舞臺に注ぎて詞なし。ヂドは戀の歡を歌へり。清き情は聲となりて肺腑より迸り出づ。是時に當りて、我心は怪しく動きぬ。久しく心の奧に埋もれたりし記念は、此聲に喚び醒されんとする如し。この記念は我が全く忘れたるものなりき。この記念は近頃夢にだに入らざるものなりき。さるを忽ちにして我はその目前に現るゝを覺えき。今は我も亦ベルナルドオと倶に呼ばんとす。あれこそ例の少女なれ。われ穉かりし時、「サンタ、マリア、アラチエリ」の寺にて聖誕日の説教をなしき。その時聲めでたき女兒ありて、その人に讚めらるゝこと我右に出でき。今聞くところは其聲なり。今見るところ或は其人にはあらずや。  エネエアスは無情なる語を出せり。我は去りなん。我は嘗ておん身を娶りしことなし。誰かおん身が婚儀の松明を見しものぞ。この詞を聞きたるときの心をば、ヂドいかに巧にその眉目の間に畫き出しゝ。事の意外に出でたる驚、ことばに現すべからざる痛、負心の人に對する忿、皆明かに觀る人の心に印せられき。ヂドは今主なる單吟に入りぬ。譬へば千尋の海底に波起りて、倒に雲霄を干さんとする如し。我筆いかでか此聲を畫くに足らん。あはれ此聲、人の胸より出づとは思はれず。姑く形あるものに喩へて言はんか。大いなる鵠の、皎潔雪の如くなるが、上りては雲を裂いて灝氣たゞよふわたりに入り、下りては波を破りて蛟龍の居るところに沒し、その性命は聲に化して身を出で去らんとす。  喝采の聲は屋を撼せり。幕下りて後も、アヌンチヤタ、アヌンチヤタと呼ぶ聲止まねば、歌女は面を幕の外にあらはして、謝することあまたゝびなりき。  第二齣の妙は初齣を踰ゆること一等なりき。これヂドとエネエアスとの對歌なり。ヂドは無情なる夫のせめては啓行の日を緩うせんことを願へり。君が爲めにはわれリユビアの種族を辱めき。君がためにはわれ亞弗利加の侯伯に負きぬ。君がために恥を忘れ、君がために操を破りたるわれは、トロアスに向けて一隻の舟をだに出さゞりき。我はアンヒイゼス(エネエアスの父)が靈の地下に安からんことを勉めき。これを聞きて我涙は千行に下りぬ。この時萬客聲を呑みてその感の我に同じきを證したり。  エネエアスは行きぬ。ヂドは色を喪ひて凝立すること少らくなりき。その状ニオベ(子を射殺されて石に化した女神)の如し。俄にして渾身の血は湧き立てり。これ最早ヂドならず、戀人なるヂド、棄婦なるヂドならず。彼は生ながら怨靈となれり。その美しき面は毒を吐けり。その表情の力の大いなる、今まで共に嘆きし萬客をして忽又共に怒らしむ。フイレンツエの博物館に、レオナルドオ・ダ・ヰンチが畫きたるメヅウザ(おそろしき女神)の頭あり。これを觀るもの怖るれども去ること能はず。大海の底に毒泡あり。能くアフロヂテを作りぬ。その目の状は言ふことを須たず、その口の形さへ、能く人を殺さんとす。  エネエアスが舟は波を蹴て遠ざかりゆけり。ヂドは夫の遺れたる武器を取りて立てり。その歌は沈みてその聲は重く、忽ちにして又激越悲壯なり。同胞なるアンナアが彼を焚かんとて積み累ねたる薪は今燃え上れり。幕は下りぬ。喝采の聲は暴風の如くなりき。歌女はその色と聲とを以て滿場の客を狂せしめたるなり。觀棚よりも土間よりも、アヌンチヤタ、アヌンチヤタと呼ぶ聲頻なり。幕上りて歌女出でたり。その羞を含める姿は故の如くなりき。男は其名を呼び、女は紛𢌞りゆきて、歌女が車に上るを見んとするなるべし。我も衆人の間に介まりて、おなじ方に歩みぬれど、後には傍へなる石垣に押し付けられて動くこと能はず。歌女は樂屋口に出でぬ。客は皆帽を脱ぎてその名を唱へたり。われもこれに聲を合せつゝ、言ふべからざる感の我胸に滿つるを覺えき。ベルナルドオはもろ人を押し分けて進み、早くも車に近寄りて、歌女がためにその扉を開きぬ。少年の群は轅にすがりて馬を脱したり。こは自ら車を輓かんとてなりき。アヌンチヤタは聲を顫せてこれを制せんとしつれど、その聲は萬人のその名を呼べるに打ち消されぬ。ベルナルドオは歌女を車に載せ、おのれは踏板に上りて説き慰めたり。我も轅を握りてかの少年の群と共に喜びぬ。惜むらくは時早く過ぎて、たゞ美しかりし夢の痕を我心の中に留めしのみ。  歸路に珈琲店に立寄りしに、幸にベルナルドオに逢ひぬ。羨むべき友なるかな。彼はアヌンチヤタに近づき、アヌンチヤタともの語せり。友のいはく。アントニオよ。奈何なりしぞ。汝が心は動かずや。若し骨焦がれ髓燃えずば、汝は男子にあらじ。さきの年我が彼に近づかんとせしとき、汝は實に我を妨げたり。汝は何故にヘブライオス語を學ぶことを辭みしか。若し辭まずば、かゝる女と並び坐することを得しならん。汝は猶アヌンチヤタの我猶太少女なることを疑ふにや。我にはかく迄似たる女の世にあらんとは信ぜられず。アヌンチヤタはたしかに猶太をとめなり。我にチプリイの酒を飮せし少女なり。少女は巣を立ちし「フヨニツクス」鳥の如く、かの穢はしき猶太廓を出でつるなり。われ。そは信じ難き事なり。我も昔一たびかの女を見きと覺ゆ。若し其人ならば、猶太教徒にあらずして加特力教徒なること疑なし。汝も熟々彼姿を見しならん。不幸なる猶太教徒の皆負へるカイン(亞當の子)が印記は、一つとしてその面に呈れたるを見ざりき。又その詞さへその聲さへ、猶太の民にあるまじきものなり。ベルナルドオよ。我心はアヌンチヤタが妙音世界に遊びて、ほと〳〵歸ることを忘れたり。汝は彼少女に近づきたり。汝は彼少女ともの語せり。彼少女は何をか云ひし。彼少女も我等と同じくこよひの幸を覺えたりしか。友。アントニオよ。汝が感動せるさまこそ珍らしけれ。「ジエスヰタ」の學校にて結びし氷今融くるなるべし。アヌンチヤタが何を云ひしと問ふか。彼少女は粗暴なる少年に車を挽かれて、且は懼れ且は喜びたりき。彼少女は面紗を緊しく引締めて、身をば車の片隅に寄せ居たり。我は途すがらかゝる美しき少女に言ふべきことの限を言ひしかど、彼は車を下るとき我がさし伸べたる手にだに觸れざりき。われ。汝が大膽なることよ。汝は歌女と相識れるにあらずして、よくもさまで馴々しくはもてなしゝよ。こは我が決して敢てせざる所ぞ。友。我もさこそ思へ。汝は世の中を知らず、又女の上を知らねばなり。今日はかの女いまだ我に答へざりしかど、我には猶多少の利益あり。そは少女が我面を認めたることなり。我友はこれより我にさきの詩を誦せしめて聞き、頗妙なり、羅馬日記に刻するに足ると稱へき。我等二人は杯を擧げてアヌンチヤタが壽をなしたり。我等のめぐりなる客も皆歌女の上を語りて口々に之を讚め居たり。  我がベルナルドオに別れて家に歸りしは、夜ふけて後なりき。床に上りしかど、いも寐られず。われはこよひ見し阿百拉の全曲を繰り返して心頭に畫き出せり。ヂドが初めて場に上りし時、單吟に入りし時、對歌せし時より、曲終りし時まで、一々肝に銘じて、其間の一節だに忘れざりき。我は手を被中より伸べて拍ち鳴らし、聲を放ちてアヌンチヤタと呼びぬ。次に思ひ出したるは我が心血を濺ぎたる詩なり。起きなほりてこれを寫し、寫し畢りてこれを讀み、讀みては自ら其妙を稱へき。當時はわれ此詩のやゝ情熱に過ぐるを覺えしのみにて、その名作たることをば疑はざりき。アヌンチヤタは必ず我詩を拾ひしならん。今は彼少女家に歸りて半ば衣を脱ぎ、絹の長椅の上に坐し、手もて頤を支へて、ひとり我詩を讀むならん。 きみが姿を仰ぎみて、君がみ聲を聞くときは、おほそら高くあま翔り、わたつみふかくかづきいり、かぎりある身のかぎりなき、うき世にあそぶこゝちして、うた人なりしいにしへのダヌテがふみをさながらに、おとにうつしてこよひこそ、聞くとは思へ、うため(歌女)の君に。 我は嘗てダンテの詩をもて天下に比なきものとなしき。さるを今アヌンチヤタが藝を見るに及びて、その我心に入ること神曲よりも深く、その我胸に迫ること神曲よりも切なるを覺えたり。その愛を歌ひ、苦を歌ひ、狂を歌ふを聞けば、神曲の變化も亦こゝに備はれり。アヌンチヤタ我詩を讀まば、必ず我意を解して、我を知らんことを願ふならん。斯く思ひつゞけて、やう〳〵にして眠に就きぬ。後に思へば、我は此夕我詩を評せしにはあらで、始終詩中の人をのみ思ひたりしなり。    をかしき樂劇  翌日になりて、ベルナルドオを尋ね求むるに、何處にもあらざりき。ピアツツア、コロンナをばあまたゝび過ぎぬ。アントニウスの像を見んとてにはあらず。アヌンチヤタの影を見る幸もあらんかとてなり。彼君はこゝに住へり。外國人にして共に居るものもあり。いかなる月日の下に生れあひたる人にか。「ピアノ」の響する儘に耳聳つれど、彼君の歌は聞えず。二聲三聲試みる樣なるは、低き「バツソオ」の音なり。樂長ならずば彼群の男の一人なるべし。幸ある人々よ。殊に羨ましきはエネエアスの役勤めたる男なるべし。かの君と目を見あはせ、かの君の燃ゆる如き目なざしに我面を見させ、かの君と共に國々を經めぐりて、その譽を分たんとは。かく思ひつゞくる程に、我心は怏々として樂まずなりぬ。忽ち鈴つけたる帽を被れる戲奴、道化役者、魔法つかひなどに打扮ちたる男あまた我圍を跳り狂へり。けふも謝肉の祭日にて、はや其時刻にさへなりぬるを、われは心づかでありしなり。かゝる群の華かなる粧、その物騷がしき聲々はます〳〵我心地を損じたり。車幾輛か我前を過ぐ。その御者はこと〴〵く女裝せり。忌はしき行裝かな。女帽子の下より露れたる黒髯、あら〳〵しき身振、皆程を過ぎて醜し。我はきのふの如く此間に立ちて快を取ること能はず。今しも最後の眸を彼君の居給ふ家に注ぎて、はや踵を囘さんとしたるとき、その家の門口より馳せ出る人こそあれ。こはベルナルドオなり。滿面に打笑みて。そこに立ち盡すは何事ぞ。疾く來よ。アヌンチヤタに引きあはせ得さすべし。彼君は汝を待ち受けたり。こは我友誼なれば。なに彼君が。と我は言ひさして、血は耳廓に昇りぬ。戲すな。我をいづくにか伴ひゆかんとする。友。汝が詩を贈りし人の許へ、汝も我も世の人も皆魂を奪れたる彼人の許へ、アヌンチヤタの許へ。かく云ひつゝ、友は我手を取りて門の内へ引き入れたり。我。先づわれに語れ。いかにして彼君の家に往くことゝはなしたる。いかにして我を紹介するやうにはなりし。友。そは後にゆるやかにこそ物語らめ。先づその沈みたる顏色をなほさずや。我。されどこのなよびたる衣をいかにせん。かの君にあまりに無作法なりとや思はれん。かく言ひつゝ我は衣など引き繕ひてためらひ居たり。友。否々その衣のままにて結構なり。兎角いひ爭ふほどに我等ははや戸の前に來ぬ。戸は開けり。我はアヌンチヤタが前に立てり。  衣は黒の絹なり。半紅半碧の紗は肩より胸に垂れたり。黒髮を束ねたる紐の飾は珍らしき古代の寶石なるべし。傍に、窓の方に寄りて坐りたるは、暗褐色の粗服したる媼なり。彼君の目の色、顏の形は猶太少女といはんも理なきにあらずと思はる。我友がむかし猶太廓にて見きといふ少女の事は、忽ち胸に浮びぬ。されど我心に問へば、この人その少女ならんとは思はれず。室の内には、尚一人の男居あはせたるが、わが入り來るを見て立ちあがれり。アヌンチヤタも亦起ちて笑みつゝ我を迎へたり。友はわざとらしき聲音にて。これこそ我友なる大詩人に候へ。名をばアントニオといひ、ボルゲエゼの族の寵兒なり。主人の姫は我に向ひて。許し給へ。おん目にかゝらんことは、寔に喜ばしき限なれど、かく強ひて迎へまつらんこと本意なく、二たび三たび止めしに、ベルナルドオの君聽かれねば是非なし。さきにはめでたき歌を賜はりぬ。その作者は君なること、おん友達より承りて、いかでおん目にかゝらんと願ひ居りしに、窓より君を見付けて、わが詞を聞かで呼び入れ給ひぬ。禮なしとや思ひ給ひけん。されどおん友達の上は、我より君こそよく知りておはすらめ。ベルナルドオは戲もて姫がこの詞に答へ、我は僅にはじめて相見る喜を述べたり。我頬は燃ゆる如くなりき。姫のさし伸べたる手を握りて、我は熱き唇に當てたり。姫は室にありし男を我に引き合せつ。すなはちこの群の樂長なりき。又媼は姫のやしなひ親なりといふ。その友と我とを見る目なざしは廉ある如く覺えらるれど、姫が待遇のよきに、我等が興は損はるゝに至らざりき。  樂長は我詩を讚めて、われと握手し、かゝる技倆ある人のいかなれば樂劇を作らざる、早くおもひ立ちて、その初の一曲をば、おのれに節附せさせよと勸めたり。姫その詞を遮りて。彼が言を聞き給ふな。君にいかなる憂き目をか見せんとする。樂人は作者の苦心をおもはず、聽衆はまた樂人よりも冷淡なるものなり。こよひの出物なる樂劇の本讀といふ曲はかゝる作者の迷惑を書きたるものなるが、まことは猶一層の苦界なるべし。樂長の答へんとするに口を開かせず、姫は我前に立ちて語を繼ぎたり。君こゝろみに一曲を作りて、全幅の精神をめでたき詞に注ぎ、局面の體裁人物の性質、いづれも心を籠めてその趣を盡し、扨これを樂人の手に授け給へ。樂人はこゝにかゝる聲を揷まんとす。君が字句はそのために削らるべし。かしこには笛と鼓とを交へむとす。君はこれにつれて舞はしめられん。さておもなる女優は來りて、引込の前に歌ふべき單吟の華かなるを一つ作り添へ給はでは、この曲を歌はじといふべし。全篇の布置は善きか惡きか。そは俳優の責にあらず。「テノオレ」うたひの男も、これに讓らぬ我儘をいはむ。君は男女の役者々々を訪ひて項を曲げ色を令くし、そのおもひ付く限の注文を聞きてこれに應ぜざるべからず。次に來るは座がしらなり。その批評、その指擿、その刪除に逢ふときは、その人いかに愚ならんも、枉げてこれに從はでは協はず。道具かたはそれの道具を調へんは、我座の力の及ぶところにあらずといふ。かゝる場合に原作を改むることを、芝居にては曲を曲ぐといふ。畫工は某の畑、某の井、其の積み上げたる芻秣をばえ寫さじといふ。これがためにさへ曲ぐべき詞も出來たるべし。最後におもなる女優又來りて、それの詞の韻脚は囀りにくし、あの韻をば是非とも阿のこゑにして賜はれといふ。これがためにいかなる重みある詞を削り給はんも、又いづくより阿のこゑの韻脚を取り給はんも、そは唯だ君が責に歸せん。かくあまたゝび改めて、ほと〳〵元の姿を失ひたる曲を革に掛けたるとき、看客のうけあしきを見て、樂長はかならず怒りて云はむ。拙劣なる詩のために、いたづらなる骨折せしことよ。わが譜の翼を借したれども、癡重なるかの曲はつひに地に墜ちたりと云はむ。  外よりは樂の聲おもしろげに聞えたり。假面着けたる人はこゝの街にもかしこの辻にもみち〳〵たり。たちまち拍手の音と共に聞ゆる喝采の響いとかしましきに、一座の人々みな窓よりさし覗きぬ。いまわれ意中の人の傍にありて見れば、さきに厭はしと見つるとは樣かはりて、けふの祭のにぎはひ又面白く、我はふたゝびきのふ衆人に立ち廁りて遊びたはぶれし折に劣らぬ興を覺えき。  道化役者にいでたちたるもの五十人あまり。われ等のさし覗ける窓の下につどひ來て、おのれ等が中より一人の王を選擧せんとす。これに中りたるものは、彩りたる旗、桂の枝の環飾、檸檬の實の皮などを懸けたる小車に乘り遷りぬ。その旗のをかしく風に翻るさま、衣の紐などの如く見えき。王の着座するや、其頭には金色に塗りて更にまた彩りたる鷄卵を並べて作れる笠を冠として戴かせ、其手には「マケロニ(麪類の名)つけたる大いなる玩具の柄つきの鈴を笏として持たせたり。さて人々その車のめぐりを踊りめぐれば、王はいづかたへも向ひて頷きたり。やゝありて人々は自ら車の綱取りて挽き出せり。この時王は窓にアヌンチヤタあるを見つけ、親しげに目禮し、車の動きはじむると共に聲を揚げ。きのふは汝、けふは我。羅馬の牧のまことの若駒を轅に繋ぐ快さよ、とぞ叫びける。姫は面をさと赤めて一足退きしが、忽ち心を取直したる如く、又手を欄にかけて、聲高く。我にも汝にも過分なる事ぞ。かりそめにな思ひそといふ。群集も亦きのふの歌女を見つけたりけるが、今その王との問答を聞きて、喝采の聲しばしは鳴りも止まず、雨の如き花束は樓の上なる窓に向ひて飛びぬ。その花束の一つ、姫が肩に觸れて我前に落ちたれば、我はそを拾ひて胸におしつけ、何物にも換へがたき寶ぞと藏めおきぬ。  ベルナルドオは祭の王のよしなき戲を無禮しといきどほり、そのまゝ樓を走り降りて筈ち懲らさばやといひしを、樂長は餘のひと〴〵と共になだめ止むるほどに、「テノオレ」うたひの頭なる男おとづれ來ぬ。その男は歌女に初對面なりといふ「アバテ」一人と外國うまれの樂人一人とを伴へり。續いて外國の藝人あまた打連れ來りて對面を請ひぬ。これにて一間に集ひし客の數俄に殖えたれば、物語さへいと調子づきて、さきの夕「アルジエンチナ」座にて興行したる可笑き假粧舞の事、詩女の導者たるアポルロン、古代の力士、圓鐵板投ぐる男の像等に肖せたる假面の事など、次を逐ひて談柄となりぬ。獨りかの猶太種と覺しき老女のみはこの賑しき物語に與らで、をり〳〵姫がことさらに物言掛けたる時、僅に輕く頷くのみなりき。この時姫の態度に心をつくるに、きのふ芝居にて思ひしとは、甚しき相違あり。その家にありてのさまは、世を面白く渡りて、物に拘ることなき尋常の少女なり。されどわが姫を悦ぶ心はこれがために毫しも減ぜず。この穉き振舞は却りてあやしく我心に協ひき。姫は譯もなき戲言をも、面白くいひ出でゝ、我をも人をも興ぜさせ居たりしが、俄にこゝろ付きたるやうに※(金+表)を見て、はや化粧すべき時こそ來ぬれ、今宵は樂劇の本讀のうちなる役に中り居ればとて座を起ち、側なる小房のうちに入りぬ。  門を出でたるとき。われ。汝が惠によりてゆくりなき幸に逢ひしことよ。舞臺なるを見し面白さに讓らぬ面白さなりき。さはれ汝はいかにして彼君とかく迄親くはなりし。又いかにして我をさへ紹介しつる。我は猶さきよりの事を夢かと疑はんとす。友。わが少女の許を訪れしは、別にめづらしき機會を得しにあらず。羅馬貴族の一人、法皇禁軍の一將校、すべての美しきものを敬する人のひとりとして、姫をば見舞つるなり。若し又戀といふものゝ上より云はゞ、この理由の半ばをだに須ゐざるならん。されば我が姫を訪ひて、汝も前に見つる如き紹介なき客に劣らぬ、善き待遇を得しこと、復た怪むに足らざるべし。且戀はいつも我交際の技倆を進む。彼と相對するときは、倦怠せしめざる程の事我掌中に在り。相見てよりまだ半時間を經ざるに、我等は頗る相識ることを得き。さてかくは汝をさへ引合せつるなり。我。さては汝彼君を愛すといふか。眞心もて愛すといふか。友。然り、今は昔にもまして愛するやうになりぬ。さきに猶太廓にて我に酒を勸めし少女の、今のアヌンチヤタなることは、最早疑ふべからず。わが始て居向ひしとき、姫は分明に我を認むるさまなりき。かの老いたる猶太婦人の詞すくなく、韈編めるも、わがためには一人の證人なり。されどアヌンチヤタは生れながらの猶太婦人にあらず。初め我がしかおもひしは、其髮の黒く、其瞳の暗きと其境界とのために惑はされしのみ。今思へば姫は矢張基督教の民なり。終には樂土に生るべき人なり。  この夕ベルナルドオと芝居にて逢ふことを約しき。されど餘りの大入なれば、我はつひに吾友を見出すこと能はざりき。我は辛く一席を購ふことを得き。いづれの棧敷にも客滿ちて、暑さは人を壓するやうなり。演劇はまだ始まらぬに、我身は熱せり。きのふけふの事、わがためには渾て夢の如くなりき。かゝる折に逢ひて、我心を鎭めんとするに、最も不恰好なるは、蓋し今宵の一曲なりしならん。世に知れわたりたる如く、樂劇の本讀といふは、極めて放肆なる空想の産物なり。全篇を貫ける脈絡あるにあらず。詩人も樂人も、只管觀客をして絶倒せしめ、兼ねて許多の俳優に喝采を博する機會を與へんことを勉めたるなり。主人公は我儘にして動き易き性なる男女二人にして、これを主なる歌女及譜を作る樂人とす。絶間なき可笑しさは、盡る期なき滑稽の葛藤を惹起せり。主人公の外なる人物には人のおのれを取扱ふこと一種の毒藥の如くならんことを望める俳優をのみ多く作り設けたり。かくいふをいかなる意ぞといふに、そは能く人を殺し又能く人を活す者ぞとなり。此群に雜れる憐むべき詩人は、始終人に制せられ役せられて、譬へば猶犧牲となるべき價なき小羊のごとくなり。  喝采の聲と花束の閃は場に上りたるアヌンチヤタを迎へき。その我儘にて興ある振舞、何事にも頓着せずして面白げなる擧動を見て、人々は高等なる技といへど、我はそを天賦の性とおもひぬ。いかにといふに、姫が家にありてのさまはこれと殊なるを見ざればなり。その歌は數千の銀の鈴齊く鳴りて、柔なる調子の變化極なきが如く、これを聞くもの皆頭を擧げて、姫が目より漲り出づる喜をおのが胸に吸ひたり。姫と作譜者と對して歌ふとき相代りて姫男の聲になり、男姫の聲になる條あり。この常に異なる技は、聽衆の大喝采を受けたるが、就中姫が最低の「アルトオ」の聲を發し畢りて、最高の「ソプラノ」の聲に移りしときは、人皆物に狂へる如くなりき。姫が輕く艷なる舞は、エトルリアの瓶の面なる舞者に似て、その一擧一動一として畫工彫工の好粉本ならぬはなかりき。われはこのすべての技藝を見て姫の天性の發露せるに外ならじとおもひき。アヌンチヤタがヂドは妙藝なり、その歌女は美質なり。曲中には間何の縁故もなき曲より取りたる、可笑しき節々を揷みたるが、姫が滑稽なる歌ひざまは、その自然ならぬをも自然ならしめき。姫はこれを以て自ら遣り又人に戲るゝ如くなりき。大團圓近づきたるとき、作譜者、これにて好し、場びらきの樂を始めんとて、舞臺の前なるまことの樂人の群に譜を頒てば、姫もこれに手傳ひたり。樂長のいざとて杖を擧ぐると共に、耳を裂くやうなる怪しき雜音起りぬ。作譜者と姫と、旨し〳〵と叫びて掌を拍てば、觀客も亦これに和したり。笑聲は殆ど樂聲を覆へり。我は半ば病めるが如き苦悶を覺えき。姫の姿は驕兒の恣まゝに戲れ狂ふ如く、その聲は古の希臘の祭に出できといふ狂女の歌ふに似たり。されどその放縱の間にも猶やさしく愛らしきところを存せり。我はこれを見聞きて、ギドオ・レニイ(伊太利畫工)が仰塵畫の朝陽と題せるを想出しぬ。その日輪の車を繞りて踊れる女のうちベアトリチエ・チエンチイ(羅馬に刑死せし女の名)の少かりしときの像に似たるありしが、その面影は今のアヌンチヤタなりき。我もし彫工にして、この姿を刻みなば、世の人これに題して清淨なる歡喜となしたるなるべし。あら〳〵しき雜音は愈〻高く、作譜者と姫とは之に連れて歌ひたるが、忽ち旨し〳〵、場びらきの樂は畢りぬ、いざ幕を開けよといふとき幕閉づ。これを此曲の結局とす。姫はこよひもあまたゝび呼び出されぬ。花束、緑の環飾、詩を寫したるむすび文、彩りたる紐は姫が前に翻りぬ。    即興詩の作りぞめ  この夕我と同じ年頃なる人々にて、中には我を知れるものも幾人か雜りたるが、アヌンチヤタが家の窓の下に往きて絃歌を催さむといふ。我は崇拜の念止み難き故をもて、膽太くもまたこの群に加りぬ。唱歌といふものをば止めてより早や年ひさしくなりたるにも拘らで。  姫が歸りてより一時間の後なりき。一群はピアツツア、コロンナに至りぬ。出窓の内よりは猶燈の光さしたり。樂器執りたる人々は窓の前に列びぬ。我心は激動せり。我聲は臆することなく人々の聲にまじりたり。歌の一節をば、われ一人にて唱へき。この時我は唯だアヌンチヤタが上をのみ思ひて、すべての世の中を忘れ果てたり。さて深く息して聲を出すに、その力、その柔さ、能くかく迄に至らんとは、みづからも初より思ひかけざる程なりき。火伴のものは覺えず微なる聲にて喝采す。その聲は微なりと雖、猶我耳に入りて、我はおのが聲の能く調へるに心付きたり。喜は我胸に滿ちたり。神は我身に舍り給へり。アヌンチヤタが出窓よりさし覗きて、身を屈し禮をなしたるときは、その禮を受くるもの殆ど我一人なる如くおもはれき。我は我聲の一群を左右する力ありて、譬へば靈魂の肢體を役するが如くなるを覺えき。事果てて後家に歸りしが、身は唯だ夢中に起ちてさまよひありく、怪しき病ある人の如くにして、その夜枕に就きての夢には始終アヌンチヤタが我歌を喜べるさまをのみ見き。  翌日姫をおとづれぬ。ベルナルドオ、昨夜の火伴の二人三人は我に先だちて座にありき。姫のいはく。きのふ絃歌の中にて「テノオレ」の聲のいと善きを聞きつといふ。我面はこの詞と共に火の如くなりぬ。それこそアントニオなれと告ぐるものあり。姫は直ちに我を引きて「ピアノ」の前に往き、倶に歌へと勸む。我は法廷に立てるが如き心地して、再三辭みたるに、人々側より促して止まず、又ベルナルドオは聲を勵まして、さては汝切角の姫の聲をさへ我等に聞せざらんとするかと責めたり。姫に手を拉かれたる我は、捕られし小鳥に殊ならず。縱ひ羽ばたきすとも、歌はでは叶はず。姫の歌はんといふは、わが知れる雙吟なり。姫は「ピアノ」に指を下して、先づ聲を擧げ、我は震ひつゝもこれに和したり。この時姫の目なざしは、我に膽々とさゝやきて、我をその妙音界に迎ふる如くなりき。わが怯は已みて、我聲は朗になりぬ。一座は喝采を吝まず、かの猶太おうなさへやさしげに頷きぬ。  このときベルナルドオは汝はいつも人の意表に出づる男ぞとつぶやきて、さて衆人に向ひ、吾友には猶かくし藝こそあれ、そは即興の詩を作ることなり、作らせて聞き給はずやといひき。喝采に醉ひたる我は、アヌンチヤタが一言の囑を待ちて、大膽にも即興の詩を歌はんとせり。この技は人と成りての後未だ試みざるものなるを。我は姫の「キタルラ」を把りぬ。姫は直に不死不滅といふ題を命ぜり。材には豐なる題なりき。しばしうち案じて、絃を撥くこと二たび三たび、やがて歌は我肺腑より流れ出でたり。詩神は蒼茫たる地中海を渡り、希臘の緑なる山谷の間にいたりぬ。雅典は荒草斷碑の中にあり。こゝに野生の無花果樹の摧け殘りたる石柱を掩へるあり。この間には鬼の欷歔するを聞く。むかしペリクレエスの世には、この石柱の負へる穹窿の下に、笑ひさゞめく希臘の民往來したりき。そは美の祭を執り行へるなり。ライス(名娼の名)の如く美しき婦人は環飾を取りて市に舞ひ、詩人は善と美との不死不滅なるを歌ひぬ。忽ちにして美人は黄土となりぬ。當時の民の目を悦ばしたる形は世の忘るゝ所となりぬ。詩神は瓦礫の中に立ちて泣くほどに、人ありて美しき石像を土中より掘り出せり。こは古の巨匠の作れるところにして、大理石の衣を着けて眠りたる女神なり。詩神はこれを見て、さきの希臘の美人の俤を認めき。あはれ古人が美をかう〴〵しき迄に進めて、雪の如き石に印し、これを後昆に遺したるこそ嬉しけれ。見よや、死滅するものは浮世の權勢なり。美いかでか死滅すべき。詩神は又波を踏みて伊太利に渡り、古の帝王の住みつる城址に踞して、羅馬の市を見おろしたり。テヱエル河の黄なる水は昔ながらに流れたり。されどホラチウス・コクレスが戰ひし處には、今筏に薪と油とを積みてオスチアに輸るを見る。されどクルチウスが炎火の喉に身を投ぜし處には、今牧牛の高草の裡に眠れるを見る。アウグスツスよ。チツスよ。汝が雄大なる名字も、今は破れたる寺、壞れたる門の稱に過ぎず。羅馬の鷲、ユピテルの猛き鳥は死して巣の中にあり。あはれ羅馬よ。汝が不死不滅はいづれの處にか在る。鷲の眼は忽ち耀きて、その光は全歐羅巴を射たり。既に倒れたる帝座は、又起ちてペトルスの椅子(法皇座)となり、天下の王者は徒跣してこゝに來り、その下に羅拜せり。おほよそ手の觸るべきもの、目の視るべきもの、いづれか死滅せざらん。されどペトルスの刀いかでか鏽を生ずべき。寺院の勢いかでか墮つる期あるべき。縱ひ有るまじきことある世とならんも、羅馬は猶その古き諸神の像と共に、その無窮なる美術と共に、世界の民に崇められん。東よりも西よりも、又天寒き北よりも、美を敬ふ人はこゝに來て、羅馬よ、汝が威力は不死不滅なりといはん。この段の畢るや、喝采の聲は座に滿ちたり。獨りアヌンチヤタは靜座して我面を見たるが、其姿はアフロヂテの像の如く、其眸には優しさこもれり。我情は猶輕き詩句となりて、唇より流れ出でたり。詩境は廣き世界より狹き舞臺に遷れり。こゝに技倆すぐれたる俳優あり。その所作、その唱歌は萬客の心を奪へり。歌ひてこゝに至りたるとき、姫は頭を低れたり。そは我上とおもへばなるべし。座中の人々も、亦我敍述する所によりて我意の在るところを認めしならん。かゝる俳優も歌歇み幕落ちて、喝采の聲絶ゆるときは、其藝術は死なん。死して美き屍となりて、聽衆の胸に瘞められたるのみならん。されど詩人の胸は衆人の胸に殊なり。譬へば聖母の墓の如し。こゝに瘞めらるゝものは、悉く化して花となり香となり、死者は再びこれより起たん。しかしてその詩は一たび死したる藝術をして、不死不滅の花となりて開かしめん。我目はアヌンチヤタが顏を見やりたり。我心は吐き盡したり。われは起ちて禮をなしたるに、人々は我を圍みて謝したり。姫は我を視て、君は深く我心を悦ばしめ給ひぬといひぬ。我は僅に唇をやさしき手に押し當てたり。  そも〳〵劇は虹の如きものなり。彼も此も天地の間に架したる橋梁なり。彼も此も人皆仰いで其光彩を喜ぶ。然はあれどその倐忽にして滅するや、彼も此も迹の尋ぬべきなし。アヌンチヤタとアヌンチヤタが技とは、其運命實にかくの如し。姫はわがこれを不朽にせんとする心を、この時能く曉り得たり。姫が我を解することの斯く深かりしことは、當時我未だ知ること能はざりしが、後に至りて明かになりぬ。  我は日ごとに姫をおとづれき。わづかに殘れる謝肉祭の日はいつしか夢の如くに過ぎ去りぬ。されどこの間われは遺憾なくこのまつりの興を受用し盡せり。そはアヌンチヤタが我に賦したる樂天主義の賜なりき。或時ベルナルドオのいふやう。汝はやうやくまことの男とならんとす。われ等に變らぬ眞の男とならんとす。されど汝はまだ唇を杯の縁にあてしに過ぎず。我は明かに知る、汝が唇の未だ曾て女子の口に觸れず、汝が頭の女子の肩に倚らざるを。今若しアヌンチヤタまことに汝を愛せばいかに。我。思ひも掛けぬ事かな。アヌンチヤタは我が僅に能く仰ぎ見るものゝ名にして、我手の屆くべきものゝ名にあらず。彼。あらず。高くもあれ低くもあれ、アヌンチヤタとは女子の名なり。汝は詩人にあらずや。詩人は測るべからざる性あるものなり。その女子の胸の片隅を占むるや、その奧に進むべき鍵は、詩人の手にあるものぞ。我。姫がやさしさ、賢しさ、姫が藝術のすぐれたるをこそ慕へ。これに戀せんなどとは、われ實に夢にだにおもひしことなし。彼。汝が眞面目なるおも持こそをかしけれ。好し〳〵、我は汝が言を信ぜん。汝は素より蛙なんどに等しき水陸兩住の動物なり。現の世のものか、夢の世のものか、そを誰か能く辨ぜん。汝はまことに彼君を愛せざるべし、わが愛する如く、世の人の戀するときに愛する如く愛せざるべし。されど汝が姫に對する情果して戀に非ずば、今より後彼に對して面をあかめ、火の如き目なざしゝて彼に向ふことを休めよ。そは彼君のためにあしかりなん。傍より見ん人の心のおもはれて。されど姫はあさて此地を立つといへば、最早その憂もあらざるべし。基督再生祭の後には歸るといへど、そも恃むべきにはあらず。これを聞きたるとき、我胸は躍りぬ。アヌンチヤタを見るべからざること五週に亙るべし。彼君はフイレンツエの芝居に傭はれ、斷食日の初にこゝを立つなりとぞ。ベルナルドオは語を繼ぎていはく。かしこに至らば崇拜者の新なる群は姫がめぐりに集ふべし。さらば舊きは忘れられん。譬へば汝が即興の詩の如きも、その時こそ姫のやさしき目なざしに、汝に謝する色現れつれ、かしこにては思出さるゝ暇なからん。さはあれ一個の婦人にのみ心を傾くるは癡漢の事なり。羅馬には女子多し。野に遍き花のいろ〳〵は人の摘み人の采るに任するにあらずや。  この夕我はベルナルドオと共に芝居に往きぬ。アヌンチヤタは再びヂドとなりて出でぬ。その歌、その振、始に讓らざりき。完備せるものゝ上には完備を添ふるに由なし。姫が技藝はまことに其域に達したるなり。こよひは姫また我理想の女子となりぬ。その本讀の曲にての役、その平生の擧動は、例へば天上の仙の暫くこの世に降りて、人間の態をなせるが如くぞおもはるる。その態も好し。されどヂドの役にては、姫が全幅の精神を見るべし。姫がまことの我を見るべし。萬客は又狂せり。想ふにこの羅馬の民のむかし該撤とチツスとを迎へけん歡も、おそらくは今宵の上に出でざるならん。曲畢りて姫は衆人に向ひて謝辭を陳べ、再びこゝに來んことを約せり。姫はこよひもあまたゝび呼出されぬ。歸途に人々の車を挽けるも亦同じ。我もベルナルドオと共に車に附き添ひて、姫がやさしき笑顏を見送りぬ。    謝肉祭の終る日  翌日は謝肉祭の終る日なりき。又アヌンチヤタが滯留の終る日なりき。我は暇乞におとづれぬ。市民がその技能に感じて與へたる喝采をば、姫深く喜びたり。フイレンチエはその自然の美しき、その畫廊の備れる、居るに宜しきところなれど、再生祭の後こゝに歸らんことは、今より姫の樂むところなり。姫はかしこの景色を物語りぬ。アペンニノの森林、豪貴の人々の別莊の其間に碁布せるピアツツア、デル、グランヅカ、其外美しき古代の建築物など、その言ふところ人をして目のあたりに見る心地せしめき。  姫のいはく。我は再び畫廊に往かむ。我に彫刻を喜ぶこゝろを生ぜしめしは彼處なり。プロメテウスが死者に生を與ふるに同じく、人間の心の偉大なるを、わが悟りしはかしこなり。彼廊に一室あり。そは最も小なる室にして、わが最も好める室なり。今若し君をかしこに在らしむることを得ば、君は能くわがむかしの喜を解し、又能くわが今日そを想起す喜を解し給はん。この八角に築きたる室には、實に全廊の尤物を擢でゝ陳列せり。されどその尤物の皆けおさるるは、メヂチのヱヌスの石像あればなり。かくまでに生けるが如き石像をば、われこの外に見しことなし。その目は人を視る如し。あらず。人の心の底を觀る如し。石像の背後には、チチアノの畫けるヱヌスの油畫二幅を懸けたり。その色彩目を奪ふと雖、こゝに寫し得たるは人間の美しさにして、彼石の現せるは天上の美しさなり。ラフアエロがフオルナリイナ(作者意中の人)は心を動すに足らざるにあらず。されどヱヌスの生けるをば、われあまたゝび顧みざること能はず。否々、おほよそ世に彫像多しと雖、いづれか彼ヱヌスの右に出づべき。ラオコオンにてはまことに石の痛楚のために泣くを見る。しかも猶及ばざるところあり。獨り我ヱヌスと美を※(女+貔のつくり)ぶるは、君も知り給へるワチカアノのアポルロンならん。その詩神を摸したる力量は、彼ヱヌスに於きてやさしき美の神を造れるなり。我答へて。君の愛で給ふ像を石膏に寫したるをば、我も見き。姫。否、われは石膏の型ばかり整はざるものはなしと思へり。石膏の顏は死顏なり。大理石には命あり靈あり。石はやがて肌肉となり、血は其下を行くに似たり。フイレンチエまで共に行き給はずや。さらばわれ君が案内すべし。我は姫が志の厚きを謝して、さていひけるは、さらば再生祭の後ならでは、又相見んこと難かるべしといふ。姫こたへて。さなり。聖ピエトロ寺の燈を點し、烟火戲を上ぐる折は、我等が相逢ふべき時ならん。それまでは君われを忘れ給ふな。我はまたフイレンチエの畫廊に往きて君とけふ物語れることを想ふべし。われは常に面白きことに逢ふごとに、我友のその樂を分たざるを恨めり。これも旅人の故郷を偲ぶたぐひなるべし。我は姫の手に接吻して、戲に。この接吻をばメヂチのヱヌスに傳へ給へ。姫。さては我にとてにはあらざりしか。我は決して私することなかるべしといひぬ。我は分れて一間を出でしとき夢みる人の如くなりき。戸の外にて家の媼に出で逢ひ、心の常ならぬけにやありけむ、われその手を取りて接吻せしに、これは善き性の人なるよとつぶやくを聞きつ。  最後の謝肉祭の日をば、飽く迄樂まむと思ひぬ。唯だアヌンチヤタと別れむことは、猶現とも覺えず。又逢はむ日は遙なる後にはあらで、明日の朝にはあらずやとおもはる。假面をば被りたらねど、「コンフエツチイ」の粒擲ぐることは、人々に劣らざりき。道の傍なる椅子には人滿ちたり。家ごとの窓よりも人の頭あらはれたり。車のゆきかふこと隙間なく見ゆるに、その餘せる地にはうれしげなる面持したる人肩摩るほどに集へり。歩まむとする人は、車と車との隙を行くより外すべなし。音樂の聲は四面より聞ゆ。車の内よりも「イル、カピタノ」(大尉)の歌洩りたり。陸に海に立てたる勳とぞ歌ふなる。腰に木馬を結びたる童あり。首と尾とのみ見えて、四足のところは膝かけの色ある巾にて掩はれたり。童の足二つにて、馬の足の用をなせるなり。かゝるものさへ車と車との間に入れば、混雜はまた一入になりぬ。われは楔の如く車の間に介まりて、後へも先へも行くこと叶はず。後なる車挽ける馬の沫は我耳に漑げり。わがこれにえ堪へで、前なる車の踏板に飛び乘りたるを、これに乘れる寢衣着たる翁とやさしき花賣娘とは、早くも惡劇のためよりは避難のためと見て取りぬと覺しく、娘は輕く我手背を敲き、例の玉のつぶて二つ投げかけしのみなれど、翁の打つ飛礫は雨の如くなりき。娘もこの攻撃を興あることにや思ひけん、遂には翁の所爲に傚ひて、持てる籠の空しくならんとするをも厭はで唯だ打ちに打つ程に、我衣は斑々として雪を被れる如くぞなりぬる。われはこの地點を守りかねて、飛びおるれば、戲奴にいでたちたる男走り來て、手に持てる采配もて、我衣を拂ひ呉れたり。  暫し避けて佇む程に、さきの車又かへり路に我を見て、再び「コンフエツチイ」を投げかけたり。わが未だ迎へ戰ふに遑あらざる時、砲聲地に震ひて、くらべ馬始まるをしらせしかば、車は皆狹き横道に入りて、翁と娘とも見えずなりぬ。二人は我を識りたりと覺し。奈何なる人にかあらん。ベルナルドオは今日街に見えざりき。かの翁は其人にて、娘はアヌンチヤタにはあらずや。  我は街の角に近き椅子に倚りぬ。砲は再び響きて、競馬は街のたゞ中をヱネチアの廣こうぢさして馳せゆき、荒浪の寄するが如き群衆はその後に隨ひぬ。わが踵を旋して還らむとするとき、馬よ〳〵と呼ぶ聲俄に喧しく、競馬の内なる一頭の馬、さきなる埒にて留まらず、そが儘街を引きかへし來れるに、最早馬過ぎたりと心許しゝ群衆は、あわて騷ぐこと一かたならず。吾心頭には稻妻の如く昔のおそろしかりしさま浮びたり。瞬くひまに街の兩側に避けたる人の黒山の如くなる間を、兩脇より血を流し、鬣戰ぎ、口より沫出でたる馬は馳せ來たり。されど我前を過ぐるとき、いかにかしけむ銃もて撃れたる如く打ち倒れぬ。怪我せし人やあると、人々しばしは安き心あらざりしが、こたびは聖母やさしき手を信者の頭の上に擴げ給ひて、一人をだに傷け給はざりき。  危さの容易く過ぎ去りしは、祭の興を損ぜずして、却りて人の心を亂し、人の歡を助けたり。これよりは謝肉祭の大詰なる燭火の遊(モツコロ)始まらんとす。今まで列を成したりし馬車は漸く亂れて、街上の雜遝は人聲の噪しさと共に加はり、空の暗うなりゆくを待ち得て、人々持たる燭に火を點せり。中には一束を握りて、こと〴〵く燃せるもあり。徒なるも車なるも燭を把りたるに、窓のうちに坐したる人さへ火持たぬはあらねば、この美しき夜は地にも星ある如くなり。家々より街の上へさし出せる火には、いろ〳〵なる提灯、燈籠ありて、おの〳〵功を爭へり。さて人々皆おのが火を護りて、人のを消さむとす。火持たぬ人は死ね(リア、アムマツアトオ、キイ、ノン、ポルタア、モツコオリ)と叫ぶ聲は、次第に喧しくなりまされり。我が持てる燭も、人に觸れさせじとする骨折は其甲斐なくて、打ち滅さるゝこと頻なりければ、われ餘りのもどかしさに、智慧ある人は我に倣へよと叫びつゝ、柄ながらに投げ棄てつ。道の傍なる婦人數人は、その燭を家々の窖の窓にさし込みて、これをば誰もえ消さじと心安んじ、我を指ざして燭なき人の笑止さよと嘲るほどに、家の童どもいつか窖に降り行きて、その燭を吹き滅したり。又高き窓なる人々は竿に着けたる堤燈さし出して誇貌なるを、屋根に這ひ出でたる男ども竿の尖に紛※(巾+兌)結びたるを揮ひて、これをさへ拂ひ消すめり。  異國人にて此祭見しことなきものは、かゝる折の雜遝を想ひ遣ること能はざるべし。立錐の地なき人ごみに、燃やす燭の數限なければ、空氣は濃く熱くのみなり勝りぬ。忽ち街の角を曲らんとする馬車二三輌あるを認めて頭を囘しゝに、かの覆面したる翁と娘とを載せたる車は我側に來りぬ。寢衣纏ひたる老紳士の燭は早や消えたり。花賣に扮したる娘は猶四五尺許なる籘の竿に蝋燭幾本か束ねたるを着けて高く翳せり。彼の紛※(巾+兌)結びたる竿の長足らで、我火をえ消さざるを見て、娘は嬉し氣に笑ひぬ。老紳士は又娘の火に近づくものありと見るごとに、容赦なく「コンフエツチイ」の霰を迸らせたり。われはこれをこそと思ひければ、車の背後に飛び乘り、籘の竿をしかと握るに、娘はあなやと叫び、男は石膏の丸を放つこと雨より繁かりしかど、屈せずしてかの竿を撓ませんとせしに、竿は半ばよりほきと折れて、燭の束ははたと落つ。群衆は喝采せり。娘はアントニオ、餘りならずやと怨じたり。その聲は我骨を刺すが如く覺えぬ。そはアヌンチヤタが聲なればなり。娘は籠の内なる丸の有らん限を我頭に擲げ付け、續いて籠を擲げ付けしに、われ驚きて跳り下るれば、車ははや彼方へ進み、和睦のしるしなるべし、娘のうしろざまに投じたる花束一つ我掌に留りぬ。われは車を追はんとせしが、雜沓甚しきため其甲斐なく、遂にとある横街に身を避けつ。  身の周圍の混雜收りて心落つくと共に、心に懸かるはアヌンチヤタが同乘したる男の上なり。察するにベルナルドオが故意と翁に扮したるなるべし。いで二人の家に歸るを待ち受けて確めばやと人通り少かるべき横街を駈け拔けて、姫が住めるコロンナの廣こうぢに出で、戸口に立ちて待つほどに、車は果して歸り着きぬ。われは家の僮僕などの如き樣して走り寄りつゝ、車より下る二人を援けんとするに、姫は我手に縋らで先づおり立ちぬ。さて彼老神士に心を着くるに、その立ちあがりいざりおるゝ樣にて、わが推せし人ならぬは早く明かになりたりしが、寢衣の裾より出でたる褐色の裳を見るに及びて、姫が家の媼なることは漸く知られぬ。媼はわがさし伸ばす手に縋りて下りぬ。われは姫の供したる人の男ならざりし嬉しさに、幸あらん夜をこそ祈れと聲高く呼びて去らんとせしに、姫進み寄りて、惡しき人かな、早くフイレンチエに遁れ行かばやといひつゝも、手さし出せるを握るに、かなたも親く握り返しつ。嬉しさに嬉しさの重なりたる我は、火持たぬ手うち振りて、火持たぬ人は死ねと叫び行きぬ。我心の中には姫が徳を頌する念滿ちたり。その車の傍なる座をば、樂長にも許さず、吾友にも許さで、彼媼を伴ひしこそ、姫が心の清き證なれ。彼媼は又かゝる遊を喜ぶべき人とも見えぬに、男寢衣を身に着けて供せしを思へば、壹ら姫を悦ばせんがために心を竭せるものなるべし。唯だ姫が側なる人をベルナルドオならんと疑ひしとき、我心の噪がしかりしは、妬なるか否ざるか、そはわが考へ定めざるところなりき。  われは殘れる謝肉祭の時間を面白く過さんとて、假粧舞の場に入りぬ。堂の内には處狹きまで燈燭を懸け列ねたり。假粧せる土地の人、素顏のまゝなる外國人と打ち雜りて、高き低き棧敷を占めたり。平土間より舞臺へ幅廣き梯をわたしたるが、樂人の群の座はその梯の底となりたり。舞臺には畫紙を貼り、環飾紐飾を掛けて、客の來り舞ふに任せたり。樂人は二組ありて、代る代る演奏す。今は酒の神なるバツコスとその妻なる女神アリアドネとの姿したる人を圍みて、貸車の御者に扮したる男あまた踊り狂ふ最中なりき。われは梯を踏みてその群に近づき、引かるゝまゝに共に舞ひしが、心樂しく身輕きに、曲二つまで附き合ひて、夜更けたる後塒に歸りぬ。  眠りしは短き間にて、翌朝は天氣好かりき。姫は今羅馬を立つにやあらむ。華かにして賑はしく、熱して騷がしかりし謝肉祭は、今我を殘して去りぬ。外に出でゝ風に吹かれなば、心寂しきけふを慰むるに足ることもやと思ひて、獨り街に立ち出でぬ。家々の戸は閉されたり。物賣る店もまだ起き出でざりき。昨日は人の波打ちしコルソオの大道には、往き交ふ人疎にして、白衣に藍色の縁取りしを衣たる懲役人の一群、霰の如く散りぼひたる石膏の丸を掃き居たり。塵を積むべき車の轅には、骨立したる老馬の繋がれつゝ、側なる一團の芻秣を噛めるあり。とある家の戸口には、貸車の御者立ちて、あき箱あき籠あまた車の上に載せ、その上をば毛布もて覆ひ、背後に結び附けたる革行李の凹くなるまで鐵の鎖を引き締め居たり。この車は横街より出でたる、同じ樣に梱載せる車と共に去りぬ。ナポリにや行くらん。フイレンチエにや行くらん。耶蘇更生祭の來ん日まで、羅馬は五週間の長眠をなさんとするなり。    精進日、寺樂  事なくして靜に日を暮せば、その永さの常にもあらで覺えらるゝと共に、謝肉祭の間の珍らしかりし事、その事の中心をなせる姫が上のみ心頭に往來せり。墳墓の如き靜けさは日ごとに甚しくなりぬ。わが胸の空虚は書卷の能く填むるところにあらざりき。ベルナルドオはわが無二の友なり。然るに今はその音容に接することの厭はしくなれるぞ怪しき。嗚呼我等二人の間にはアヌンチヤタの立てるなり。縱ひ友を失はんも、彼君のためには惜からじと一たびは思ひぬ。されどつら〳〵思ひ返せば、友は我に先だちて姫と交を結びぬ。わが姫と相識ることを得しは、全く友の紹介の賜なり。われは友に對して、我が姫に運ぶ情の戀にあらず、藝術上の感歎なるを誓ひたり。ベルナルドオはわが無二の友なり。われは今これを欺かんとす。悔恨の棘は我心を刺せり。されどわれは遂にアヌンチヤタを忘るゝこと能はず。  アヌンチヤタを懷ふはアヌンチヤタの我に與へたる歡喜を懷ふなり。されどその歡喜をなしゝは昔日の事にして、今これが記念を喚び起せば、一として悲痛に非ざるものなし。譬へば亡人の肖像の笑へるが如し。その笑はたま〳〵以て我を泣かしむるに足る。學校にありしころ人の世途の難を説くを聞きては、或課題のむづかしき、或師匠の意地わるきなどに思ひ比べて、我も亦早く其味を知れりといひしことあり。今やその非なるを悟りぬ。われ若し能く此戀に克つにあらずば、此力以て世途の難を排するに足るとはいふべからず。試に此戀の前途を思へ。アヌンチヤタは尋常の歌妓に非ずして、その妙藝は現に天下の仰ぎ望むところなりと雖、われ往いてこれに從はゞ、その形迹世の蕩子と擇ぶことなからん。我友はこれを何とか言はむ。加之ず若し心術の上より論ぜば、我守護神たる聖母もこれよりは復我を憐み給はざるべし。況や此戀は果して能く成就せんや否や。我は口惜しきことながら、實に未だアヌンチヤタの心を知らざりき。我は寺に往きて聖母の前に叩頭き、いかで我に己に克つ力を授け給はれと祈りて、さて頭を擧げしに、何ぞ料らむ聖母の面は姫の面となりて我を悦ばせ又我を苦めむとは。我は縱ひ姫再び來んも、誓ひて復た逢はじとおもひ定めつ。  我は嘗て古の信徒の自ら笞ち自ら傷けしを聞きて、其情を解せざりしに、今や自らその爲す所に倣はんと欲するに至りぬ。燃ゆるが如き我血を冷さんとて、我は聖母の像の下に伏して、我唇をその冷なる石の足に觸れたり。憶ひ起せば、わがまだ穉き時の心安かりしことよ。母の膝下にて過す精進日は、常にも増して樂き時節なりき。四邊の光景は今猶昨のごとくなり。街の角、四辻などには金紙銀紙の星もて飾りたる常磐木の草寮あり。處々に懸けし招牌には押韻したる文もて精進食の名を列べ擧げたり。夕になれば緑葉の下に彩りたる提燈を弔れり。雜食品賣る此頃の店は我穉き目に空想界を現ぜる如く見えにき。銀紙卷きたる腸詰肉を柱とし、ロヂイ産の乾酪を穹窿としたる小寺院中にて酪もて塑ねたる羽ある童の舞ふさまは、我最初の詩料なりき。食品店の妻は我詩を聞きて、ダンテの神曲なりと稱へき。當時われは不幸にして未だこの譽ある歌人のいかに世を動かしゝかを知らず、又幸にして未だアヌンチヤタが如き才貌ある歌妓のいかに人を動かすかを知らざりしなり。嗚呼、われは奈何してアヌンチヤタを忘るゝことを得べきぞ。  われは羅馬の七寺を巡りて、行者と偕に歌ひぬ。吾情は眞にして且深かりき。然るをこれに出で逢ひたるベルナルドオは、刻薄なる語氣もて我に耳語していふやう。コルソオの大道にて戲謔能く人の頤を解きしは誰ぞ。アヌンチヤタが家にて即興の詩を誦んじ座客を驚しゝは誰ぞ。今は目に懺悔の色を帶び頬に死灰の痕を印して、殊勝なる行者と伍をなせり。汝はいかなる役をも辭せざる名優なるよ。此の如きは我が遂にアントニオに及ばざるところぞといひぬ。吾友の言ふところは實録なりき。されど當時我を傷ること此實録より甚しきはあらざりしなり。  精進の最後週は來ぬ。外國人は多く羅馬に歸り集ひぬ。ポヽロ門よりもジヨワンニ門よりも、馬車相驅逐して進み入りぬ。水曜日午後にはワチカアノのシクスツス堂にて「ミゼレエレ」(ミゼレエレ、メイ、ドミネ、憐を我に垂れよ、主よの句に取りたるにて、第五十頌の名なり)の樂あり。われは樂を聽きて悶を遣らんがために往きぬ。聽衆は堂の内外に押し掛け居たり。前なる椅榻には貴婦人肩を連ねたり。色絹、天鵝絨もて飾れる觀棚の彫欄の背後には、外國の王者並び坐せり。法皇の護衞なる瑞西隊は正裝して、その士官は鍪に唐頭を揷めり。この裝束は今若き貴婦人に會釋せるベルナルドオには殊に好く似合ひたり。  われ裏面より埒に近き處に席を占めしに、こゝは歌者の席なる斗出せる棚に遠からざりき。背後には許多の英吉利人あり。この人々は謝肉祭の頃假粧して街頭を彷徨ひたりしが、こゝにさへ假粧して集ひしこそ可笑しけれ。推するにその打扮は軍隊の號衣に擬したるものならん。されど十歳許の童までこれを着けたるはいかにぞや。その華美ならんことを欲することの甚しきを證せんがために、こゝに一例を擧げんに、其人の上衣は淡碧にして銀絲の縫ひあり、長靴には黄金を鏤め、扁圓なる帽には羽毛連珠を着けたり。英吉利人のかゝる習をなしゝは、美しき號衣の好き座席を得しむる利益を知りたるためなるべし。我傍よりは笑を抑ふる聲洩れたり。されどわがそを可笑しと見しは、唯だ一瞬間なりき。  老いたる僧官達は紫天鵝絨の袍の領に貂の白き毛革を附けたるを穿て、埒の内に半圈状をなして列び坐せり。僧官達の裾を捧げ來し僧等は共足元に蹲りぬ。贄卓の傍なる小き扉は開きぬ。そこより出でたるは、白帽を戴き濃赤色の袍を纏へる法皇なりき。法皇は交椅に坐したり。侍者等は香爐を搖り動したり。紅衣の若僧の松明取りたるもの數人法皇と贄卓との前に跪けり。  讀誦は始まりぬ。(絃歌に先だちて十五章の讀誦あり。壇上に巨燭十五枝を燃やしおきて、一章終るごとに一燭を滅す。)われは心を死せる文字の間に濳むること能はず、魂を彼のミケランジエロが世に罕なる丹青の力もて此堂の天井と四壁とに現ぜしめたる幻界に馳せたり。その活けるが如き預言者等の形は一個々皆大册の藝術論の資をなすに餘あるべし。その力量ある容貌風采とこれを圍める美しき羽ある兒の群とは、我眼を引くこと磁石の鐵を引く如くなりき。こは畫にあらず。活ける神人なり。エワが果を夫に贈りし智慧の木は鬱蒼として彼處に立てり。父なる神は、古の畫工の作れる如く羽ある童に擔はれたるにはあらで、その肢體の上、その風に翻る衣裳の上に、許多の羽ある童を載せつゝ、水の上を天翔り給ふ。われはけふ始めて此畫を觀たるにあらず。されど此畫の我心を動かすこと今日の如きは未だ有らず。われはけふの群集のためにや、わが熱したる情のためにや知らねど、此畫中に限なき詩趣あるを認めたり。或は想ふにこは我が抒情の興多き心を畫中に投じ入れたるにはあらずや。そは兎まれ角まれ、此畫に對して此情をなすは、恐らくは獨り我のみならず、こは我に先だてる幾多の詩人の亦免れざるところなりしなるべし。  險しきを行くこと夷なる如き筆力、望み瞻る方嚮に從ひて無遠慮なるまで肢體の尺を縮めたる遠近法は、個々の人物をして躍りて壁面を出でしめんとす。昔基督の山上に在りて言語もて説き給ひし法(馬太五至七)は、今此大匠によりて色彩と形象ともて現されたるなり。吾人はラフアエロと共に膝を此大匠の技倆の前に屈せんとす。此數多き預言者は、一つとして同じ人の石もて刻める摩西に劣ることなし。何等の魁偉なる人物ぞ。堂に入るものゝ心目は先づこれがために奪はるゝなり。  吾人はこゝに心目を淨め畢りて、さて頭を擧げて堂の後壁に向ふなり。下は大床より上は天井に至るまで、立錐の地を剩さゞるこの大密畫は、即ち是れ一顆の寶玉にして、堂内の諸畫は悉くこれを填めんがために設けし文飾ある枠たるに過ぎず。これを世の季の審判の圖となす。  判官たる基督は雲中に立てり。使徒と聖母とは不便なる人類のために憐を乞はんとて手をさし伸べたり。死人は墓碣を搖り上げて起たんとす。惠に逢へる精靈は拜みつゝ高く翔り、地獄はその腭を開いて犧牲を呑めり。宣告を受けたる同胞の早く毒蛇に卷かれたるを、雲に駕せる靈の援け出さんとするあり。悔い恨める罪人の拳もて我額を撃ちつゝ、地獄の底深く沈み行くあり。天堂と地獄との間には、或は登り或は降る神將力士あまたありて、例の大膽なる遠近法もて寫し出されたり。優しく人を恤みがほなる天使、再會して相悦べる靈ども、金笛の響に母の懷に俯したる穉子など、いづれ自然ならざるなく、看るものは覺えず身を圖中に寘きて、審判のことばに耳を傾く。ミケランジエロは蓋し能くダンテの歌ひしところを畫けるなり。  恰も好し將に沒せんとする夕日はそのなごりの光を最高列の窓より射込みたり。圖の下の端なる死人の起つあたり、艤せる羅刹の罪あるものを拉き去るあたりは、早や暗黒裡に沒せるに、基督とその周匝なる天翔る靈とは猶金色に照されたり。日の入ると共に最後の燭は吹き滅されて、讀誦は全く果てたり。暗黒は審判の圖の全面を覆へり。絲聲肉聲は又湧きて、世の季の審判の喜怒哀樂皆洋々たる音となりつゝ、われ等の頭上を漲り過ぐ。  法皇は式の衣を脱ぎて、贄卓の前に立ち、十字架を拜せり。金笛の響凄じく、「ポプルス、メウス、クヰツト、フエチイ、チビイ」の歌は起りぬ。低階の調に雜る軟なる天使の聲は、男の胸よりも出でず、女の胸よりも出でず、こは天上より來れるなり。こは天使の涙の解けて旋律に入りたるなり。  われはこれを聽きて、力づき甦り、この頃になき歡喜は胸に滿ちたり。われはアヌンチヤタを愛し、ベルナルドオを愛せり。この瞬時の愛はかの天上の靈の相愛するに殊ならざるべし。祈祷の我に與へざりし安慰は、今音樂にて我に授けられたるなり。    友誼と愛情と  式終りてベルナルドオが許を訪ひぬ。手を握り襟を披きて語るに、高興は能辯の母なるを知りぬ。けふ聞きつるアレエグリイ(寺樂の作者)が曲、我が夢物語めきたる生涯、我と主人との友誼は我に十分なる談資を與へたり。けふの樂はいかに我憂を拂ひし。未だ聽かざりし時の我疑懼、鬱悶、苦惱は幾何なりし。われは此等の事を殘なく物語りしが、唯だこれが因縁をなしゝものゝ主に我友なりしか、又はアヌンチヤタなりしかをば論じ究めざりき。我が今友に對して展べ開くことを敢てせざる心の襞はこれ一つのみなりき。友は打ち笑ひて、さて〳〵面倒なる男かな、カムパニアの羊かひの頃よりボルゲエゼの館に招かるゝまで、女子の手して育てられしさへあるに、「ジエスヰタ」派の學校に在りしなれば、斯くむづかしき性質にはなりしならん、切角の伊太利の熱血には山羊の乳を雜ぜられたり、「ラ、トラツプ」派の僧侶めきたる制欲は身を病ましめたり、馴れたる小鳥一羽ありて、美しき聲もて汝を喚び、夢幻境を出で現實界に入らしめざるこそ憾なれ、汝が心身の全く癒えんは人なみになりたる上の事ぞといひぬ。われ。我等二人の性は懸隔すること餘りに甚し。然るを我は怪しきまで汝を愛せり。折々は共に棲まばやとさへ思ふことあり。友。そは啻に我等を温めざるのみならず、却りて何時ともなくこの交を絶つべし。友誼と戀情とは別離によりて長ず。我は時に夫婦の生活のいかに我を倦ましむべきかを思へり。斷えず相見て互に心の底まで知りあはむ程興なき事はあらざるべし。さればおほかたの夫婦は幾もあらぬに厭き果つれども、名聞を憚ると人よきとにて、其縁の絲は猶繋がれたるなり。我は思ふに、我情いかに一女子のために燃えんも、その女子の情いかに我に過ぎたらんも、その燄の相合ふ時は即ち相滅する時ならん。愛とは得んと欲する心なり。得んと欲する心は既に得て止むべし。われ。若し汝が妻アヌンチヤタの如く美しく又賢からむには奈何。友。其薔薇花の美しき間は、わが愛づべきこと慥なり。されど色香一たび失せたらむ日には、われは我心のいかになり行くべきを知らず。汝はわが今何事を思ひしかを知るや。この念は忽ち生じ忽ち滅すれど、今始て生ぜるにはあらず。われは汝の血のいかに赤きかを見んと願ふことあらむも計られず。されどわれには智あり。汝は我友なり。わが潔白なる友なり。縱令われ等二人同じ女に懸想することあらんも、相鬪ふには至らざるべし。斯く言ひつゝ友は聲高く笑ひ、我首を抱きて戲れながらにいふやう。我に馴れたる小鳥ありて、その情はいと濃かなれど、この頃は些し濃かなるに過ぎて厭はしくなりぬ。思ふに汝には氣に入るべし。こよひ我と共に來よ。親友の間には隱すべきことなし。面白く一夜を遊び明さむ。さて日曜日にならば、法皇は我等が罪を洗ひ淨め給ふべきぞ。われ。否、我は共に往かざるべし。友。そは卑怯なり。汝は汝の血を傾け盡して、只だ山羊の乳のみを留めんとするか。汝が目は我目に等しく耀くことあり。われは嘗てこれを見き。汝が鬱悶、汝が苦惱、汝が懺悔、是れ畢竟何物ぞ。われあからさまに言ふべきか。是れ得んと欲して得ざるところあるなり。その得ざるところのものは、赤き唇なり、軟なる膚なり。汝が假面の被りざま拙ければ、われは明白に看破せり。いざ往いてその得んと欲する所のものを得よ。汝否といはゞ、そは卑怯なり、臆病なり。われ。止めよ。そは餘りなる詞なり。そは我を辱むる詞なり。友。されど汝はその辱を甘んじ受けざること能はざるべし。これを聞きしとき、我血は上りて頭を衝きしが、我涙も亦湧きて目に溢れたり。いかなれば汝はかくまでに無情なる。我は汝を愛し汝は我を弄ぜんとす。アヌンチヤタと汝との間にわれ立てりと思へるにはあらずや。アヌンチヤタの我を視ること汝より厚しとおもへるにはあらずや。友。否、決して然らず。わが空想家ならずして思遣少きは汝も知りたらん。されど女の事をば姑く置け。唯だ心得がたきは、汝がいつも愛々といふことなり。我等二人は手を握りて友となりたり。その外には何も無し。我は汝と共に夸張すること能はず。我をばたゞ此儘にてあらせよ。對話はおほよそ此の如くなりき。ベルナルドオが毒箭は痛く我胸を傷けしが、別に臨みて我に握らせたる手は、遂にわれ等が交情を滅するに至らずして止みぬ。    をさなき昔  翌日は木曜の祭日なりき。鐘の音は我を聖ピエトロの寺に誘ひぬ。嘗て外國人ありて此寺の堂奧はこゝに盡きたりとおもひぬといふ、いと廣き前廳に、人あまた群れたるさま、大路の上又天使橋の上に殊ならず。羅馬の民はけふ悉くこゝに集へるなり。されば彼外國人ならぬものも、おなじ迷を起すべう思はる。何故といふに、人愈〻衆くして廳は愈〻闊しと見ゆればなり。  歌は頭の上に起りぬ。伶人の群をば棚の二箇處に居らせて、其聲相應ずるやうにせり。群衆は洗足の禮の今始まるを見んとて押し合へり。(此日法皇老若の僧徒十三人の足を洗ひ、僧徒は法皇の手に接吻して、おの〳〵「マチオラ」の花束を賜り退くことなり。)偶〻貴婦人席より我に目禮するものあり。誰ぞと視ればアヌンチヤタなりき。彼君は歸りぬ。彼君は此堂にあり。我胸はいたく騷げり。その席幸に遠からねば、我等は詞を交すことを得たり。姫は咋日歸りしかど、樂ははや果てし後にて、僅に「アヱ、マリア」の時此寺には來ぬとなり。  姫。此寺の光景はきのふ暗くて見しかた、けふのめでたきにも増してめでたかりき。聖ピエトロの墓の前なる一燈の外には何の光もなく、その光さへ最近き柱を照すに及ばざる程なるに、人々跪きて祷れば、われも亦跪きぬ。緘默の裡に無量の深祕あるをば、その時にこそ悟り侍りしかといふ。側にありし例の猶太婦人は、長き紗もて面を覆ひたれば、今までそれと知らざりしに、優しく我に會釋しつ。式は早や終りぬれば、姫はおのれを車に導くべき從者や來ると顧みたれど、その影だに見えず。若き人々の姫を認めて耳語き合ふもあれば、姫は早くこの堂を出でんとおもへる如し。われは車に導かんことを請ひしに、猶太婦人は直ちに手を我肘に懸け、姫は我と並びて行けり。我は姫に我肘に倚らんことを勸むる膽なかりき。されど表口の戸に近づきて、人の籠み合ふこと甚しかりしとき、姫は手を我肘に懸けたり。我脈には火の循り行くを覺えき。車をば直ちに見出だしつ。わが暇を告げんとせしとき、姫今は精進の時なれば何もあらねど、夕餉參らすべければ來まさずやと案内したるに、媼は快手くおのれが座の向ひなる榻に外套、肩掛などあるを片付け、こゝに場所あり、いざ乘り給へと、我手を把りぬ。共に車に載せんといひしならぬを、媼の耳疎くしてかく聞き誤りたるなれば、姫ははしたなくや思ひけん、顏さと赧めたり。されど我は思慮する遑もあらで乘り遷り、御者も亦早く車を驅りぬ。  膳は豐なるにはあらねど、一として王侯の口に上すとも好かるべき贅澤品ならぬはなし。姫はフイレンチエにての事細かに語りて、さて精進日の羅馬はいかなりしと問ひぬ。こは我がためにはあからさまに答ふべくもあらぬ問なりき。  われ。土曜日には猶太教徒の洗禮あるべし。君も往きて觀給ふべきか。此詞は料らず我口より出でしが、われは忽ち彼媼の側にあるを思ひ出だして、氣遣はしげにかなたを見き。姫。否、心に掛け給ふな。御身の詞は聞えざりき。されど聞ゆとも惡しく聞くべうもあらず。唯だ彼人の往かんは妥ならねば、我もえ往かざるべし。そが上コンスタンチヌスの寺なる彼儀式は固より餘り愛でたからぬ事なり。(この儀式は歳ごとに基督再生祭に先だつこと一日にして行へり。猶太教徒若くは囘々教徒數人をして加特力教に歸依せしめ、洗禮を行ふなり。羅馬年中行事に「シイ、アフ、イル、バツテシイモ、ヂイ、エブレイ、エ、ツルキイ」と記せり。)僧侶は異教の人の歸依せるをもて正法の功力の所爲となし、看る人に誇れども、その異教の人のまことに心より宗旨を改むるは稀なり。われもをさなき時一たび往きて觀しことあり。その折の厭ふべき摸樣は今に至るまで忘られず。拉き來りしは六つ七つばかりの猶太人の童なりき。櫛の痕なき頭髮の蓬々たるに、寺の贈なる麗しき素絹の上衣を纏へり。靴と韈とは汚れ裂けたるまゝなり。後に跟きて來たるは同じさまに汚れたる衣着たる父母なりき。この父母はおのれ等の信ぜざる後世のために、その一人の童を賣りしなるべし。われ。君はをさなき時この羅馬にありてそを見きとのたまふか。姫。然なり。されど我は羅馬のものにはあらず。われ。我は始て君が歌を聽きしとき、直ちに君のむかし識りたる人なることを想ひき。そを何故とも言ひ難けれど、この念は今も猶失することなし。若しわれ等輪𢌞應報の教を信ぜば、われも君も前生は小鳥にて、おなじ梢に飛びかひぬともいひつべし。君にはさる記念なしや。何處にてか我を見しことありとはおぼさずや。姫は我と目を見あはせて、絶てさる事なしと答へき。われ詞を繼ぎて。初めわれ君は穉きときより西班牙に居給ひぬと思ひしに、今のおん詞にては羅馬にも居ましゝなり。我惑はいよ〳〵深くなりぬ。君既にをさなくして此都に居給ひきといへば、若しこゝの稚き子等と共に、「アラチエリ」の寺にて説教のまねし給ひしことあらずや。姫。あり〳〵。まことにさやうなる事侍りき。さてはかの折人々の目に留まりし童はアントニオ、おん身なりしか。われ。いかにも初め目に留まりしは我なりき。されど勝をば君に讓りしなり。姫はげに思ひも掛けぬ事かなと、我兩手を把りて我面を見るに、媼さへその氣色の常ならぬを訝りて、椅子をいざらせ、我等が方をうちまもりぬ。姫は珍らしき再會の顛末を媼に説き聞せつ。われ。我母もその外の人々も暫くは君が上をのみ物語りぬ。その姿のやさしさ、その聲の軟さをば、穉き我心にさへ妬ましきやうに覺えき。姫。その時君は金の控鈕附きたる短き上衣を着たまひしこと今も忘れず。その衣をめづらしと見しゆゑ、久しく記憶に殘れるなるべし。我。君は又胸の上に美しき赤き鈕を垂れ給ひぬ。されど最も我目に留まりしはそれにはあらず。君が目、君が黒髮なりき。人となり給へる今も、その俤は明に殘れり。始て君がヂドに扮し給へるを見しとき、われは直ちにこの事をベルナルドオに語りぬ。さるをベルナルドオはそを我迷ぞといひ消して、却りておのれが早く君を見きと覺ゆる由を語りぬ。姫、そは又いかにしてと問ひしが、その聲うち顫ふ如くなりき。われ。ベルナルドオが君を見きといふは、いたく變りたる境界なり。惡しくな聞き給ひそ。ベルナルドオも後に誤れることを覺りぬ。君が髮の色濃きなど、人にしか思はるゝ端となりしなるべし。君は、君はわが加特力教の民にあらず、されば「アラチエリ」の寺にて説教のまねし給ふ筈なしとの事なりき。姫は媼の方を指ざして、さては我友とおなじ教の民ぞといひしなるべしといふ。われは直にその手を取りて、わが詞のなめしきを咎め給ふなと謝したり。姫微笑みて、君が友の我を猶太少女とおもひきとて、われ爭でか心に掛くべき、君は可笑しき人かなといひぬ。この話は我等の交を一と際深くしたるやうなりき。わが日頃の憂さは悉く散じたり。さてわが再び見じとの決心は、生憎にまた悉く消え失せたり。  姫はふと基督再生祭前のこの頃閉館中なる羅馬の畫廊の事を思ひ出でゝ、かゝる時好き傳を得て往き看ば、いと面白かるべしといふに、姫の願としいへば何事をも協へんとおもふわれ、幸にボルゲエゼの館の管守、門番など皆識りたれば、そは容易き事なりとて、あくる朝姫と媼とを伴ひ往かんことを約しつ。かの館は羅馬の畫廊のうちにて最も備れる一つなり。フランチエスカの君の穉き我を伴ひ往き給ひしはかしこなれば、アルバニが畫の羽ある童は皆わが年ごろの相識なり。  靜なる我室に歸りて、つら〳〵物を思ふに、ベルナルドオはまことに彼君を戀ふるに非ず。卑しき色慾を知りて、高き愛情を解せざる男の心と、深けれども能く澹泊に、大いなれども能く抑遜せる我心とは、日を同じくして語るべからず。さきの日の物語の憎かりしことよ。彼はたゞ驕慢なり。彼はたゞ放縱なり。かくて飽くまで我を傷けたり。そはアヌンチヤタの我に優しきを妬みてなるべし。初め我を紹介せしは、いかにも彼男なりき。されど今その心を推すれば、好意とはおもはれず。おのが風采態度のすぐれたるを彼君に見するとき、その側に世馴れぬ我を居らせて反映せしめんためにはあらずや。さるを我歌我詩は端なく彼君の心にかなひぬ。妬の心はこれより萌せるならん。さて我を又姫に逢はせじとて、かくは我を脅しゝなるべし。幸にわれ好き機會を得て、今は姫との交いと深くなりぬ。姫は我を憐めり。加之ず姫は我戀を知りたり。かく思ひつゞけつゝ、我は枕に接吻せり。さるにても口惜しきは、わが意氣地なき性質なり。いかなれば我は先の日直ちに彼の無禮を責めざりしぞ。かの詞にはかく答ふべかりしなり。かの辱をばかく雪ぐべかりしなり。我血は湧き上りたり。無上の快樂に無比の慙恨打ち雜りて、我は睡ること能はざりしが、曉近くおもひの外に妥なる夢を結びぬ。  翌朝は夙く起き、管守を訪ひて預めことわりおき、さて姫と媼とを急がせつゝ共にボルゲエゼの館に往きぬ。    畫廊  畫廊はわが穉かりしとき、惠深き貴婦人の我を伴ひ往きて、おろかなる問、いまだしき感の我口より出で我言に發するごとに、面白しとて嬉み笑ひ給ひしところにして、又わが獨り入りて遊び暮らしゝところなれば、今アヌンチヤタを導き往くことゝなりたる我胸には、言ひ知らず怪しき情漲り起れり。既に入りて畫を看れば、幅ごとに舊知なるごとく思はる。されど姫は却りてこれを知ること我より深かりき。姫は生れながらの官能に養ひ得たる鑒識をさへ具へたれば、その妙處として指し示すところは悉く我を服せしめ、我にその神會の尋常に非ざるを歎ぜしめたり。  姫はジエラルドオ・デル・ノツチイの名ある作なるロオト(ソドムに住みしハランの子)とその女兒との圖の前に立てり。われはをゝしき父の面、これに酒を勸むる樂しげなる少女の姿、暗く繁りあひたる木立のあなたに見ゆる夕映の空などめでたしと稱へしに、姫我ことばを遮りて、げに〳〵奇なる才激せる情もて畫けるものと覺し、作者の筆の傅色表情の一面は寔に貴むべし、さるを此の如き題(ロオトは其女子と通じたり)を選みしこそ心得られね、畫にも禮儀あり、品性あらんは我がつねに望む所なり、コルレジヨオがダナエなども、己れは人の愛づらんやうには愛でず、少女(ダナエを謂ふ、希臘諸神の祖なるチエウス黄金の雨となりて遘き給ひ、ペルセウスを生ませ給ふ)の貌はいかにも美しく、臥床の上にて黄金掻き集むる羽ある童の形もいと神々しけれど、その事餘りにみだりがはしくして、興さむる心地す、ラフアエロの大なるはこゝにあり、わが知れる限は、その採るところの題、毎に高雅にして些の穢れだになし、かくてこそめでたき聖母の面影をば傳ふべかりしなれといふ。われ。仰せは理あるに似たれども、畫の妙は題の穢を忘れしむることあるべし。姫。そはきはめて有るべからざる事なり。藝術はその枝その葉の末までも、清淨醇白なるべきものにて、理想の高潔は人を動かすこと形式の美麗に倍す。古の作者の手に成りし聖母の像を視るに、すべて硬く鋭くして、支那人の畫もかくやとおもはるれども、我はこれに打ち向ふごとに、必ず心の底に徹する如き念をなせり。この高潔といふものは、その作畫者のために缺くべからざること、度曲者に於けると同じ。名作中こゝかしこに稍〻過ぎたりと見ゆる節あるをば、その作者の一時の出來心と看做して、恕すこともあるべけれど、その疵瑕は遂に疵瑕たることを免るべからず。わがまことに愛づるは無瑕の美玉にこそ。われ。さらば君は變化を命題の間に求めんことをば是とし給はずや。いかなる大家鉅匠にても、幅ごとに題を同うせば人の厭倦を招くなるべし。姫。否々、そは我が言はんと欲せしところにあらず。わが本意は畫工に聖母のみ畫かせんとにはあらず。めでたき山水も好し。賑はしき風俗畫、颶風に抗ふ舟の圖も好し。サルワトオレ・ロオザが山賊の圖もいかでか好からざらん。われは唯だ藝術の境に背徳を容れじとこそ云へ。わが趣味より視れば、かの「シヤリア」宮なるシドオニイの畫の如きすら、その巧緻その汚穢を掩ふに足らず。君は猶彼圖を記し給ふや。驢に騎りたる農夫二人石垣の下を過ぐ。垣の上に髑髏ありて、一鼷鼠、一蚯蚓、一木蝱これに集り、石面には「エツト、エゴオ、イン、アルカヂア」と云ふ四つの拉甸語を書したり。われ。その畫はラフアエロの「ヰオリノ」彈きの隣に懸けられたるを、われも記憶す。姫。さなり。そのラフアエロが落欵の見苦しき彼圖の上邊にあるこそ憾なれ。  既にしてわれ等はフランチエスコ・アルバニイが四季の圖の前に來ぬ。われは昔穉かりし日にこゝに遊び、この圖の中なる羽ある童を見て感ぜし時の事を語りぬ。姫は君が穉くて樂しき日を送り給ひしこそ羨ましけれといひて、憂をかくすやうなるさまなり。昔の身の上にや思ひ比べけんと、あはれに覺ゆ。われ。君とても樂しき日少なからざりしならん。わが初めて相見しときは、君は幸ありげなるをさな子なりき、人々に感覆られたるをさな子なりき。わが再び相逢ふ日は、羅馬全都の君がために狂するを見る。餘所目には君、まことに樂しく見え給へり。さるを心には樂しとおもひ給はずや。かく問ひつゝ、我は頭を傾けて姫の面を俯し視たるに、姫はそのそこひ知られぬ目なざしもて打ち仰ぎ、そのめでくつがへられたるをさな子は、父もなく母もなきあはれなる身となりぬ、譬へば木葉落ち盡したる梢にとまる小鳥の如し、そを籠の内に養ひしは世の人にいやしまれ疎まるゝ猶太教徒なり、その翼を張りておそろしき荒海の上に飛び出でたるはかの猶太教徒の惠なりといひかけて、忽ち頭を掉り動かし、あな無益なる詞にもあるかな、由縁なき人のをかしと聞き給ふべき筋の事にはあらぬをといふ。由縁なき人とはわれかと、姫の手首とりてさゝやくに、暫しあらぬ方打ち目守りてありしが、その面には憂の影消え去りて、微笑の波起りぬ。否々、われも樂しかりし日なきにあらず、その樂しかりし日をのみ憶ひてあるべきに、君が昔話を聞きて、端なくもわが心の裡に雕られたる圖を繰りひろげつゝ、身のめぐりなるめでたき畫どもを忘れたりとて、姫は我に先だちて歩を移しき。  わがアヌンチヤタと老媼とを伴ひて旅館にかへりしとき、門守る男はベルナルドオが留守におとづれしことを告げたり。我友はこの男の口より二婦人を連れ出だしゝものゝ我なるを聞けりといふ。友の怒は想ふに堪へたり。かゝる事あるごとに、我は前の日には必ず氣遣ひ憂ふる習なりしが、アヌンチヤタに對する戀は我に彼友に抗する心を生ぜしめき。さきには友我を性格なし、意志なしと罵りき。今はわれ友に見すに我性格と我意志とをもてすべしとおもひぬ。  姫が猶太教徒の籠の内に養はれきといふ詞は、絶えず我耳の根にあり。依りておもふに、友がハノホの許にて見きといふ少女はアヌンチヤタなりしならん。されど又姫にそを問ふ機會あるべきか、心許なし。  あくる日往きしときは、姫は一間にありて某の役を浚ひ居たり。われはおうなに物言ひこゝろみしに、この人はおもひしよりも耳疎かりき。されどそのさま我が詞を交ふるを喜べる如し。われは前の日即興の詩を歌ひしとき、この人の嬉み聽けるさまなりしをおもひ出でゝ、その故をたづねしに、あやしとおもひ給ひしも理りなり、君の面を見、君の詞の端々を聞きて、おほよそに解したるなり、さてその解したるところはいとめでたかりき、平生アヌンチヤタが歌うたふを聽くときも亦同じ、耳の遠くなりゆくまゝに、目もて人の聲を聞くすべをば、やう〳〵養ひ成せりといふ。媼はベルナルドオが上を問ひ、そのきのふ留守の間におとづれて、共に畫廊に往くこと能はざりしを惜みき。われ媼がベルナルドオを喜べるゆゑを問ふに、かの人の心ざまには優れたるふしあり、われその證を見しことあればよく知りたり、猶太の徒も基督の徒も、神の目より視ば同じかるべければ、彼人の行末を護り給ふならんといふ。やうやくにして媼はことば多くなりぬ。その姫を愛でいつくしむ情はいと深しと見えたり。物語のはし〴〵より推するに、姫が過ぎ來し方のおほかたは明かになりぬ。姫は西班牙に生れき。父も母も彼國の人なり。穉くて羅馬に來つるに、ふた親はやく身まかりて、頼るべき方もなし。猶太の翁ハノホは西班牙に旅せしころ、彼親達を識りつれば、孤兒を引き取りて養へりしに、故郷なる某の貴婦人あはれがりて迎へ歸り、音樂の師に就きて學ばしめき。その頃某の貴公子この若草手に摘まばやとてさま〴〵のてだてを盡しゝに、姫の餘りにつれなかりしかば、公子その恨にえたへで、果はおそろしき計をさへ運らしつ。その始末をば媼深く祕めかくす樣なれど、姫の命も危かるべき程の事なりきとぞ。姫は彼公子に索ね出されじとて、再び羅馬に逃れ來たり。かくて昔のやしなひ親にたよりて、人目少き猶太廓に濳み居たるは、一年半ばかり前の事といへば、ベルナルドオが逢ひしは此時なり。幾もなくして彼公子身まかりぬ。姫はこれより一身をミネルワの神(藝術の神)に捧げまつりて、その始て桂冠を戴きしはナポリにての催しなりき。媼はその頃より姫のほとりを離れずといふ。語り畢りて媼は、姫の才あり智ありて、敬神の心いよ〳〵深きを稱ふること頻りなりき。  旅館を出でしは祝射の眞盛なりき。玄關よりも窓よりも、小銃拳銃などの空射をなせり。こは精進日の終を告ぐるなり。寺々の壁畫を覆へる黒布をば、此聲とゝもに截りて落すなり。鬱陶しき時はけふ去りて、蘇生祭のうれしき月はあすよりぞ來るなる。その嬉しさはアヌンチヤタと媼とを祭見に誘ひ得たるにて、又一層を加へたり。    蘇生祭  祭の鐘は鳴りわたれり。僧官を載せたる彩車は聖ピエトロの寺に向ひて奔りゆく。車の後なる踏板には、式の服着たる僮僕あまた立てり。外國人の車馬、ところの子女の裙屐に、狹き巷の往來はむづかしき程になりぬ。神使の丘の巓には、法皇の徽章、聖母の肖像を染めたる旗閃き動けり。ピエトロの辻には樂人の群あり。道の傍には露肆をしつらひて、もろ手さし伸べたる法皇授福の木板畫、念珠などを賣りたり。噴水の銀線は日にかゞやけり。柱弓の下には榻あまた置きたるに、家の人も賓客も居ならびたり。群衆は忽ち寺門より漲り出でたり。供養の儀式聲樂を見聞き、磔柱の鐵釘、長鎗などありがたき寶物を拜み得しなるべし。廣き十字街は人の頭の波打ちて、車は相倚りて隙間なき列をなせり。傖父少童には石像の趺に攀ぢ上れるあり。全羅馬の生活の脈は今此辻に搏動するかと思はる。既にして法皇の行列寺門を出づ。藍色の衣を纏へる僧六人に舁かせたる、華美なる手輿に乘りたるは法皇なり。若僧二人大なる孔雀の羽もて作りたる長柄の翳を取りて後に隨ひ、香爐搖り動かす童子は前に列びてぞゆく。輿に引き添ひて歩めるは 僧官達なり。行列の門を出づるや、樂隊は一齊に聲を揚ぐ。輿を大理石階の上に舁き上げて、法皇の姿廊の上に見ゆるを相圖として、廣き辻なる老若の群集は跪けり。隊伍をなせる兵士もこれに倣へり。こゝかしこに立てる人の殘りしは、新教を奉ずる外國人なるべし。アヌンチヤタは停めたる車の内に跪きて、その美しき目を法皇の面に注げり。われは見るべからざる法雨のこの群の上に降り灑ぐを覺えき。廊の上より紙二ひら翩り落つ。一は罪障消滅の符、一は怨敵調伏の符なり。衆人はその片端を得んとてひしめきあへり。鐘の音再び響き、奏樂又起りぬ。われ等の乘れる車の此辻を離るゝとき、ベルナルドオが馬、側を過ぎたり。馬上の友はアヌンチヤタと媼とに禮して、我をば顧みざりき。姫は君が友の色の蒼さよ、病めるにあらずやとさゝやきぬ。われはたゞさることはあらざるべしと答へしが、我心は明に友の面色土の如くなりし所以を知りたり。而してわれは我決心の期到れるを覺えき。  わが姫を慕ふ情は甚だ深し。姫にしてわれを棄てずば、我は一生を此戀に委ぬとも可なり。われは嘗て我才の戲場に宜くして、我吭の喝采を博するに足るを驗し得たれば、一たび意を決して俳優の群に投ぜば、多少の發展を見んこと難からざるべし。ベルナルドオ畢竟何爲者ぞ。その年ごろ姫に近づかんとする心にして、公正なる情ならば、われ決してこれが妨碍をなさじ。友と我との間に擇ばんは、一にアヌンチヤタが寸心に存ず。姫我を取らば友去れかし。友を取らば我退かん。この日われは机に對ひて書を裁し、これをベルナルドオが許に寄せたり。筆を落すに臨みて舊情を喚び起せば、不覺の涙紙上に迸りぬ。發送せし後は心やゝ安きに似たれど、或は姫を失はんをりの苦痛を想ひ遣りて、プロメテウスの鷲の嘴に刺さるゝ如き念をなし、或は姫に許されて戲場を雙棲のところとなさん日の樂奈何なるべきと思ひ浮べて、獨り微笑を催すなど、ほとほど心亂れたる人に殊ならざりき。    燈籠、わが生涯の一轉機  夕の勤行の鐘響く頃、姫と媼とを伴ひて御寺の燈籠見に往きぬ。聖ピエトロの伽藍には中央なる大穹窿、左右の小穹窿、正面の簷端、悉く透き徹りたる紙もて製したる燈籠を懸け連ねたるが、その排置いと巧なれば、此莊嚴なる大廈は火燄の輪廓もて青空に畫き出されたるものゝ如くなり。人の群れ集へること、晝の祭の時にも増されるにや、車をば並足にのみ曳かせて、僅に進む事を得たり。神使の橋の上より、御寺の全景を眺むるに、燈の光は黄なるテヱエル河の波を射て、遊び嬉む人の限を載せたる無數の舟を照し、爰に又一段の壯觀をなせり。樂の聲、人の歡び呼ぶ聲の滿ちわたれるピエトロの廣こうぢに來りし時、火を換ふる相圖傳へられぬ。御寺の屋根々々に分ち上したる數百の人は、一齊に鐵盤中なる松脂環飾に火を點ず。小き燈のかず〳〵忽ち大火燄と化したる如く、この時聖ピエトロの寺は羅馬の大都を照すこと、いにしへベトレヘムの搖籃の上に照りし星にもたとへつべきさまなり。(原註。寺院もそのめぐりなる家屋も、皆石もて築き立てたるものなれば、この盤中の火は松脂の盡くるまで燃ゆれども、火虞あるべきやうなし。)群衆の歡び呼ぶ聲はいよ〳〵盛になりぬ。アヌンチヤタこの活劇を眺めたるが、遽に我に向ひていふやう。かの大穹窿の上なる十字架に火皿を結び付くる役こそおそろしけれ。おもひ遣るに身の毛いよ竪つ心地す。われ。げに埃及の尖塔にも劣らぬ高さなり。かしこに攀ぢしむるには膽だましひ世の常ならぬ役夫を選むことにて、預め法皇の手より膏油の禮を受くと聞けり。姫。さてはひと時の美觀のために、人の命をさへ賭するなりしか。われ。これも神徳をかゞやかさんとての業なり。世には卑しき限の事に性命を危くする人さへ少からず。かく語るうち、車の列は動きはじめたり。人々はモンテ、ピンチヨオの頂にゆきて、遙かにかゞやく御寺と其光を浴むる市とを見んとす。われ重ねて。御寺に光を放たせて、都の上に照りわたらしむるは、いとめでたき意匠にて、コルレジヨオが不死の夜の傑作も、これよりや落想しつるとおもはる。姫。さし出がましけれど、そのおん説は時代たがへり。彼圖は御寺に先だちて成りたり。作者は空に憑りて想ひ得しなるべく、又まことに空に憑りて想ひ得たりとせんかた、藍本ありとせんよりめでたからん。モンテ、ピンチヨオは餘りに雜遝すべければ、やゝ遠きモンテ、マリヨへ往かばや。こゝより市門まではいと近ければといふ。われは馭者に命じて、柱廊の背後を𢌞らしめ、幾ほどもなく市外に出でたり。丘の半腹なる酒店の前に車を停めて見るに、穹窿の火の美しさ、前に見つるとはまた趣を殊にして、正面の簷こそは隱れたれ、星を聯ねたる火輪の光の海に漂へるかとおもはる。この景色は四邊のいと暗くして、大空なるまことの星の白かねの色をなして、高く隔たりたる處に散布せるによりて、いよ〳〵その美觀を添へ、人をして自然の大なるすら羅馬の蘇生祭には歩を讓りたるを感ぜしむ。鐘の響、樂の聲はこゝまでも聞えたり。  われは車を下りて、些の稍事を買はゞやと酒店の中に入りぬ。店の前には狹き廊ありて、小龕に聖母を崇きまつり、さゝやかなる燈を懸けたり。わが店を出でんとて彼龕の前に來ぬるとき、忽ちベルナルドオが吾前に立ち塞がりたるを見き。その面の色は、むかし「ジエスヰタ」派の學校のこゝろみの日に、桂冠を受け戴きしをりに殊ならず。眼は熱を病める如くかゞやけり。物狂ほしく力を籠めて我臂を握り、あやしく抑へ鎭めたる聲して、アントニオ、われは卑しき兇行者たらんを嫌へり、然らずば直ちに此劍もて汝が僞多き胸を刺すならん、汝は臆病ものなれば辭まむも知れねど、われは強ひて潔き決鬪を汝に求む、共に來れといふ。われは把られたる臂を引き放さんとすまひつゝ、ベルナルドオ、物にや狂へると問ふに、友は焦燥つ聲を抑へて、叫ばんとならば叫べ、男らしく立ち向ふ心なくば、人をも呼べ、この兩腕の縛らるゝ迄には、汝が息の根とめでは置かじ、兵はこゝにあり、我に恥ある殺人罪を犯させじとおもはゞ疾く來れといひつゝ、拳銃一つ我手にわたし、われを廊の外に拉き行かんとす。われは遞與されたる拳銃を持ちながら、猶身を脱せんとして爭へり。友。彼君は淺はかにも汝に靡きしならん。汝は誇らしくも、そを我に、そを羅馬の民に示さんとす。われを出し拔きしは猶忍ぶべし。いかなれば我に弔辭めきたる書を贈りて、重ねて我を辱めたる。われ。ベルナルドオ、そは皆病める人の詞なり。先づその手を弛めずや。われは力を極めて友の體を撥ね退けたり。  その時われは銃聲の耳邊に轟くを聞きたり。我右臂には衝動を感じたり。烟は廊道に滿ちたり。われは又叫ぶに似て叫ぶにあらざる一種の氣息を聞きたり。この氣息の響は我耳を襲ふよりは寧ろ我心を襲ひき。發したるは我手中の銃にして、黒く數石を染めたる血に塗れて我前に横れるは我友なり。われは喪心者の如く凝立して、拘攣せる五指の間に牢く拳銃を攫みたり。  わが此不慮此不幸の全範圍を感ぜしは、酒店の人の罵り噪ぎつゝ走り寄りアヌンチヤタと媼との我前に來るを見し時なりき。わがベルナルドオと叫びて、その躯に抱き付かんとするに先だちて、姫は早くもその傍に跪き、鮮血湧き出づる創口を押へたり。姫はかく我友をいたはりつゝ、血の色全く失せたる面を擧げて、我を凝視せり。媼は我臂を搖り動かして、疾く此場をと呼べり。  われは胸裂くるが如き苦痛を覺えき。われは叫び出せり。思ひ掛けぬ怪我なり。殺さんと欲せしは他なり。銃は他の我にわたしゝなり。われは身を脱せんとして撥條に觸れたり。アヌンチヤタ聞き給へ。我等二人は命に懸けて君を慕ひしなり。君がために血を流さんことは、われも厭はざるべきこと、我友と同じ。われはおん身が一言を聞きて去らん。おん身は我友を愛し給ひしか、我を愛し給ひしか。  友の介抱に餘念なき姫は、詞のあやもしどろに、疾く往き給へといひて、手を揮りたり。姫は往き給へと繰反したり。われは心もそらに再び、友なりしか我なりしかと叫びたり。  その時われはアヌンチヤタが友の上に俯して唇をその顙に觸るゝを見、その聲を呑みて微かに泣くを聞きたり。  次第に集りたる衆人の中より、忽ち邏卒々々と呼ぶ聲を聞けり。われは目に見えぬ幾條の腕もて拉き去らるゝ心地して、此場を遁れたり。    基督の徒  愛せられしは友なり。この一條の毒箭は我渾身の血を濁して、人を殺せり友を殺せりといふ悔悟の情の頭を擡ぐるをさへ妨げんとす。灌木雜草を踏みしだき、棘に面を傷られ、梢に袖を裂かれつゝも、幾畝の葡萄畠を限れる低き石垣を乘り越え乘り越え、指すかたをも分かでモンテ、マリヨの丘を走り下るに、聖ピエトロの御寺の火は、昔カインの奔りしとき、同胞の躯を供へたる贄卓の火のゆくてを照しゝ如くなり。(譯者云。カインは亞當が第一の子にして、弟を殺して神に供へき。)この間幾時をか經たる、知らず。わが足を駐めしは、黄なるテヱエルの流の前を遮るを見し時なりき。羅馬より下、地中海の荒波寄するあたりまで、この流には橋もなし、また索むとも舟もあらざるべし。この時我は我胸を噬む卑怯の蛆の兩斷せらるゝを覺えしが、そは一瞬の間の事にて、蛆は忽又蘇りたり。われは復たいかなる決斷をもなすこと能はざりき。  われはふと首を囘らしてあたりを見しに、我を距ること數歩の處に、故墳の址あり。むかしドメニカが許に養はれし時、往きて遊びし冢に比ぶれば、大さは倍して荒れたることも一入なり。頽れ墮ちたるついぢの石に、三頭の馬を繋ぎたるが、皆おの〳〵顋下に弔りたる一束の芻を噛めり。  墓門より下ること二三級なる窪みに、燃え殘りたる焚火を圍める三個の人物あり。その火影の早く我目に映らざりしにても、我が慌てたるを知るに足るべし。火の左右に身を横へたる二人は、逞ましげに肥えたる農夫なるが、毛を表にしたる羊の裘を纏ひ、太き長靴を穿き、聖母の圖を貼けたる尖帽を戴き、短き烟管を銜みて對ひあへり。第三個は鼠色の大外套にくるまり、帽をまぶかに被りてついぢに靠りかゝりたるが、その身材はやゝ小く、瓶を口にあてゝ酒飮み居たり。  わが渠等を認めしとき、渠等も亦我を認めき。肥えたる二人は齊しく銃を操りて立ち上りたり。客人は何の用ありてこゝに來しぞ。われ。舟をたづねて河をこさんとす。三人は目を合せたり。甲。むづかしきたづねものかな。挈げ持ちて旅するものは知らず。こゝ等には舟も筏もなし。乙。客人は路にや迷ひ給ひし。こゝは物騷なる土地なり。デ・チエザアリが夥伴は遠き處まで根を張れば、法皇はいかに鋤を揮り給ふとも、御腕の痛むのみなり。甲。客人はなどて何の器械をも持ち給はぬ。見られよ、この銃は三連發なり。爲損じたるときの用心には腰なる拳銃あり。丙。この小刀も馬鹿にはならぬ貨物なり。(かの身材小さき男は冰の如き短劍を拔き出だして手に持ちたり。)乙。早く※(革+室)に納めよ。年若き客人は刃物は嫌ひなるべし。客人、われ等に逢ひ給ひしは爲合せなり。若し惡棍などに逢ひ給はゞ、素裸にせられ給はん。金あらば我等にあづけ給へ。  われは今三人の何者なるかを知りたり。我五官は鈍りて、我性命は價なきものとなりぬ。諸君よ、わが持てる限の物をば、悉く贈るべし、されどおん身等を饜かしむるに足らざるこそ氣の毒なれと答へて、われは進寄りつゝ、手を我衣兜にさし籠みたり。われは兜兒の中に猶盾銀二つありしを記したり。而るに我手に觸れたるは、重みある財布なりき。抽き出して見れば、手組の女ものなるが、その色は曾てアヌンチヤタが媼の手にありしものに似たり。落人の盤纏にとて、危急の折に心づけたる、彼媼の心根こそやさしけれ。三人ひとしくさし伸ぶる手を待たで、われは財布の底を掴みて振ひしに、焚火に近き匾石の上に、こがねしろかね散り布けり。眞物ぞと呼びつゝ、人々拾ひ取りて勿體なき事かな、盜人などに取られ給はゞいかにし給ふといふ。われ。貨物はそれ丈なり。疾く我命を取り給へ。生甲斐なき身なれば毫しも惜しとはおもはず。甲。思ひも寄らぬ事なり。我等はロツカ・デル・パアパに住める正直なる百姓仲間なり。同じ教の人を敬ふ基督の徒なり。酒少し殘りたり。これを飮みて、かく怪しき旅し給ふ事のもとを明し給へ。われ。そはわが祕事なり。かく答へて我は彼瓶を受け、燥きたる咽を潤したり。  三人は何事をかさゝやきあひしが、小男は嘲み笑ふ如き面持して我に向ひ、煖き夕のかはりに寒き夜をも忍び給へといひて立ちぬ。渠は驅歩の蹄の音をカムパニアの廣野に響かせて去りぬ。甲。いざ客人、船を待ち給はんは望なき事なり。我馬の尾に縋りて泅がんこともたやすからねば、鞍の半を分けて參らすべし。渠は我を後ざまに馬の脊に掻き載せて、おのれは前の方に跨り、水に墜さぬ用心なりとて、太き綱を我胸と肘とのめぐりに卷きて、脊中合せにしかと負ひたり。我には手先を動かす餘地だになかりき。逞ましき馬は前脚もて搜りつゝ流に入りしが、水の脇腹に及ぶころほひより、巧に泳ぎて向ひの岸に着きぬ。渠は河ごしは濟みたりと笑ひて、綱を弛むる如くなりしが、こたびは我脊を緊しく縛りて、その端を鞍に結ひつけ、鞍をしかと掴みておはせ、墜ちなば頸の骨をや摧き給はんといひて、靴の踵を馬の脇に加ふれば、連なる男も同じく足をはたらかせたり。かくて二匹の馬三個の人は、弦を離れし矢の如くカムパニアの原野を横ぎりたり。前なる男の長き髮は、風に亂れて我頬を拂へり。頽れたる家の傍、斷えたる水道の柱弓の畔を、夢心に過ぎゆけば、血の如く紅なる大月地平線より輾り出で、輕く白き靄騎者の首を繞りてひらめき飛べり。    山塞  友を殺し、女に別れ、國を去りて、兇賊の馬背に縛められ、カムパニアの廣野を馳す。一切の事、おもへば夢の如く、その夢は又怪しくも恐ろしからずや。あはれ此夢いつかは醒めん、醒めてこの怖るべき形相は消え淪びなん。心を鎭めて目を閉づれば、冷なる山おろしの風は我頬を繞りて吹けり。  山路にさしかゝると覺しき時、騎者は背後なる我を顧みて詞をかけたり。程なく大母の蔽膝の下に息らふべければ、客人も心安くおぼせよ。良き馬にあらずや。この頃聖アントニオの禳を受けたり。小童の絹の紐もて飾りて牽き往きしに、經を聽かせ水を灌せられぬれば、今年中はいかなる惡魔の障碍をも免るゝならん。  岩間の細徑に踏み入る頃、東の天は白みわたりぬ、連なる騎者馬さし寄せて、夜は明けんとす、客人の目疾せられぬ用心に、涼傘さゝせ申さんと、大なる布を頭より被せ、頸のまはりに結びたれば、それより方角だに辨へられず。諸手をば縛められたり。我身上は今や獵夫に獲られたる獸にも劣れり。されど憂に心昧みたる上なれば、苦しとも思はでせくゞまり居たり。馬の前足は大方仰ぐのみなれど、ともすれば又暫し阪道を降る心地す。茂りあひたる梢は頻りに我頬を拊てり。道なき處をや騎り行くらん覺束なし。  久しき後馬より卸して、我を推して進ましむ。かれこれ復た隻語を交へず。狹き門を過ぎて梯を降りぬ。心神定まらず、送迎忙はしき際の事とて、方角道程よくも辨へねど、山に入ること太だ深きにはあらずと思はれぬ。わがその何れの地なるを知りしは、年あまた過ぎての事なり。後には外國人も尋ね入り、畫工の筆にも上りぬ。こゝは古のツスクルムの地なり。栗の林、丈高き月桂の村立ある丘陵にて、今フラスカアチと呼ばるゝ處の背後にぞ、この古跡はあなる。「クラテエグス」、野薔薇などの枝生ひ茂りて、重圈をなせる榻列の石級を覆へり。山のところどころには深き洞穴あり、石の穹窿あり。皆草叢に掩はれて、迫り視るにあらでは知れ難かるべし。谷のあなたに聳てるはアプルツチイの山にて、沼澤を限り、この邊の景に、物凄き色を添ふ。あはれ此山の容よ。この故址斷礎の間より望むばかり、人を動すことは、またあらぬなるべし。  騎者等の我を拉き往くは、とある洞窟の一つにて、その入口は石楠の枝といろ〳〵なる蔓艸とに隱されたり。我等は足を駐めつ。徐かに口笛吹く聲と共に、扉を開く響す。再び數級の石磴を下る。數人の亂れ語る聲我耳に入りし時、頭に纏へる布は取り除けられぬ。わが身は大穹窿の裏に在り。中央なる大卓の上に眞鍮の燈二つ据ゑて、許多の燈心に火を點じ、逞しげなる大漢數人の羊の裘着たるが、圍み坐して骨牌を弄べり。火光の照し出せる面ざしは、苦みばしりて落ち着きたるさまなり。人々は生面の客あるを見ても、絶て怪み訝ることなく、我に榻を與へて坐せしめ、我に盞を與へて飮ましめ、肴せんとて鹽肉團をさへ截りてくれたり。その相語るを聞くに、方言にて解すべからず、されど我上に關はらざる如くなりき。  我は飢を覺えずして、たゞ燃ゆる如き渇を覺えしかば、酒を飮みつゝ四邊を見たり。隅々には脱ぎ棄てたる衣服と解き卸したる兵器とあるのみ。一角に龕の如く窪みたる處あり。その天井には半ば皮剥ぎたる兎二つ弔り下げたり。初め心付かざりしが、その窪みたる處には一人の坐せるあり。年老いたる媼の身うち痩せ細りたるが、却りて脊直にすくやかげなる坐りざまして、あたりに心留めざる如く、手はゆるやかに絲車を𢌞せり。銀の如き髮の解けたるが、片頬に墜ちかゝりて、褐色なる頸のめぐりに垂るゝを見る。その墨の如き瞳は、とこしへに苧環の上に凝注せり。焚きさしたる炭の半ば紅なるが、媼の座の畔にちりぼひたるは、妖魔の身邊に引くといふ奇しき圈とも看做さるべし。まことに是れ一幅クロトの活畫像なり。(譯者云。古説に三女ありて人生運命の泰否を掌る。性命の絲を繰るをクロトと曰ひ、これを撮みたるをラヘシスと曰ひ、これを斷つをアトロポスと曰ふ。姉妹神なり。)  人々の我事にかゝづらはざりしは、久しからぬ程なりき。忽ち糺問は始まりぬ。職業は何ぞ、資産ありや否や、親戚ありや否や抔いふことなりき。我は徐かに答へき。わが帶び來たるところのものをば、最早君等に傾け贈りぬ。かくてこの身はやうなき貨となりぬ。縱ひ羅馬わたりに持ち往きて沽らんとし給ふとも、盾銀一つ出すものだにあらじ。廉ある生活の業をも知らず。頃日は拿破里に往きて、客に題をたまはりて、即座に歌作りて謳はんと志したり。斯く語るついでに、われはこたび身を以て逃れたる事のもとさへ、包み藏さずして告げぬ。唯だアヌンチヤタが上をば少しも言はざりき。さてわが物語の終は、この上殊なる望なければ、この身を官府に引き渡して、襃美にても受け給へといふことなりき。  一人の男のいはく。さりとては珍らしき望なるかな。想ふに羅馬市には、黄金の耳環を典して、客人を贖ひ取ることを吝まざる人あるならん。拿破里の旅稼は、その後の事とし給はんも妨あらじ。さはあれ強ひて直ちに拿破里に往かんとならば、あぶなげなく彊を越させ申さんことも、亦我等の手中に在り。留りて此樂園に居らんとならば、それも好し。こゝに在るは善き人々なるをば、客人も夙く悟り給ひしならん。されど此等の事思ひ定め給はんには、先づ快く一夜の勞を醫し給ふに若かず。こゝに佳き牀あり。それのみならず、來歴ある好き衾をも借し參らせん。巽風吹く頃の夕立をも、雪ふゞきをも凌ぎし衾ぞとて、壁よりはづして投げ掛くるは、褐色なる大外套なり。牀といふは卓の一端の地上に敷ける藁蓆なり。その男は何やらん一座のものに言置き、「ヂツセンチイ、オオ、ミア、ベツチイナ」(降り來よ、やよ、我戀人)と俚歌口ずさみて出行きぬ。    血書  われは眠ることを期せずして、身を藁蓆の上に僵しゝに、前の日よりの恐ろしき經歴は魘夢の如く我心を劫し來りぬ。されど氣疲れ力衰へたればにや目眶おのづから合ひ、いつとは知らず深き眠に入りて、終日復た覺むることなかりき。  醒めたる時は心地爽かになりて、前に心身を苦めつる事ども、唯だ是れ一場の夢かと思はるゝ程なりき。然はれそは一瞬の間にして、身の在るところを顧み、四邊なる男等の蹙みたる顏付を見るに及びては、我魘夢の儼然として動すべからざる事實なるを認めざることを得ざりき。  一客あり。灰色の外套を偏肩に引掛け、腰に拳銃を帶びたるが、馬に騎りたる如く長椅に跨りて、男等と語れり。穹窿の隅の方には、彼の雜種いろしたる老女の初の如く坐して繰車まはせるあり。黒地に畫ける像の如し。座のめぐりには、新き炭を添へて、その煖氣は室に滿ちたり。われは客の、彈は脇を擦過りたり、些の血を失ひつれど、一月の間には治すべしといふを聞き得たり。  わが頭を擡げしを見て、われを鞍に縛せし男のいふやう。客人醒め給ひしよ。十二時間の熟睡は好き保養なるべし。こゝなるグレゴリオは羅馬より好き信をもて來たり。そはおん身の喜び給ふべき筋の事なり。手を下しゝはおん身に極つたり。時も所も符を合す如し。驕りたる評議廳の官人は、おん身がために、容赦なくその長裾を踏まれぬと見えたり。お身の大膽なる射撃に遭ひしは、評議官の從子なりき。これを聞きてわれは僅に、命にはさはらずやと問ふことを得き。グレゴリオの云はく。先づ死なで濟むべし。醫者は然云ひきとぞ。鶯の如き吭ありといふ、美しき外國婦人の夜を徹して護り居たるに、醫者は心を勞し給ふな、本復疑なしといひきとぞといふ。我を伴ひ來し男の云はく。われおもふに、君は男の身を錯り射給ひしのみにあらず、女の心をも亦錯り射給ひしなり。雌雄は今雙び飛ぶべし。君は唯だこゝに在せ。自由なる快活なる生計なり。君は小なる王者たることを得べし。而してその危さは決して世間の王位より甚しからず。酒は酌めども盡きざるべし。女は君を欺きし一人の代りに、幾人をも寵し給へ。同じく是れ生活なり、餘瀝を嘗むると、滿椀を引くと、唯だ君が選み給ふに任すと云ひき。  ベルナルドオは死せず。我は人を殺さず。この信は我がために起死の藥に侔しかりき。獨りアヌンチヤタを失ひつる憂に至りては、終に排するに由なきなり。われは猶豫することなく答へき。我身は只君等の處置するに任すべし。されどわが嘗て受けし教と、現に懷ける見とは、俘囚たるにあらずして、君等が間に伍すべきやうなし。これを聞きて、我を伴ひ來し男の顏は、忽ち嚴なる色を見せたり。盾銀六百枚は定まりたる身のしろなり。そを六日間に拂ひ給はゞ、君は自由の身なるべく、さらずば君が身は、生きながらか、殺してか、我物とせではおかじ。こは此處の掟なれば、君が紅顏も我丹心も、寛假の縁とはならぬなるべし。六百枚なくば、我等の義兄弟となりて生きんとも、彼處なる枯井の底にて、相擁して永く眠れる人々の義兄弟となりて終らんとも、二つに一つと思はれよ。身のしろ求むる書をば、友達に寄せ給はんか、又彼歌女に寄せ給はんか。おん身の一撃媒となりて、二人はその心を明しあひつれば、さばかりの報恩をば、喜びてなすなるべし。斯く語りつゝ、男は又から〳〵と笑ひて云ふ。廉き價なり。この宿の客人に、還錢のかく迄廉きことは、その例少からん。都よりの馬のしろ、六日の旅籠を思ひ給へ。われ。我志をば既に述べたり。我はさる書をも作らざるべく、又君等が夥伴にも入らざるべし。男。さて〳〵強情なる人かな。されどその強情は憎くはあらず。我彈丸の汝が胸を貫かんまでも、その心をば讚めて進ずべし。命惜まぬ客人よ。生くといふには種々あり。少年の心は物に感じ易しといふに、吾黨がかく累なく障なき世渡するを見て、羨ましとは思はずや。そが上おん身は詩人にて、即興詩もて口を糊せんといふにあらずや。吾黨の自由不羇の境界を見て心を動すことはなきか。客人試みに此境界を歌ひ給へ。題をば巖穴の間なる不撓の氣象とも曰ふべきならん。客人若しこれを歌はゞ、彼生活といひ性命といふものゝ、樂む可く愛す可きを説かざることを得ぬなるべし。その杯を傾けて、歌ひて我等に聽せ給へ。出來好くば六日の期を一日位は延ばすべしといふ。男は手をさし伸べて、壁上なる「キタルラ」を取りて我に授けつ。賊の群は立ちて我席を繞りたり。  われはそを把りて暫く首を傾けたり。課する所の題は巖穴山野にて、こは我が曾て經歴せざるところなり。前の夜こゝに來し時は、目を掩はれたれば甲斐なし。昔見しところを言はゞ、羅馬のボルゲエゼ、パムフイリの兩苑に些の松林ありしに過ぎず。まことの山とては、幼かりし程ドメニカが家の窓より望みしより外知らず。已むことなくば只だ一たび山を見き。ジエンツアノの花祭に往きし途すがらの事なり。ネミ湖畔の高原を歩みしに、道は暗く靜けき森林の間を通じたり。彼祭はわが爲には悲き祭なりければ、湖畔の道にて花束つくりしことをさへ、今猶忘れでありしなり、景は心目に上り來れり。今かく物語する時間の半をだに費さずして、景は情を生じ、情は景を生ずるほどに、我は絃を撥きたり。情景は言の葉となり、言の葉は波起り波伏す詩句となりぬ。且我が歌ひしところを聽け。深き湖あり。暗き林はそを環れり。湖の畔なる巖は聳ちて天を摩せんとす。こゝに暴鷲の巣あり。母鳥は雛等に教へて、穉き翼を振はしめ、またその目を鋭くせんために、日輪を睨ましめき。扨母鳥の云ひけるやう。汝達は諸鳥の王なるぞ。目は利く、拳は強し。いでや飛べ。飛びて母の側を去れ。我目は汝を送り、我情は彼の死に臨める大鵝の簧舌の如く汝が上を歌ふべし。その歌は不撓の氣力を題とせんといひき。雛等は巣立せり。一隻は翅を近き巖の頂に斂めて、晴れたる空の日を凝矚すること、其光のあらん限を吸ひ取らんと欲する如くなりき。一隻は高く虚空に翔りて、大圈を畫し、林樾沼澤を下瞰するが如くなりき。岸に近き水面には緑樹の影を倒せるありて、その中央には碧空の光を蘸すを見る。時に大魚の浮べるあり。その脊は覆りたる舟の如し。忽ち彼雛鷲は電の撃つ勢もて、さと卸し來つ。刃の如き利爪は魚の背を攫みき。母鳥は喜、色に形れたり。然るに鳥と魚とは力相若くものなりければ、鳥は魚を擧ぐること能はず、魚は鳥を沈むること能はず、打ち込みたる爪の深かりしために、これを拔かんとするも、亦意の如くならず。こゝに生死の爭は始まりぬ。今まで靜なりける湖水の面は、これがために搖り動され、大圈をなせる波は相重りて岸に迫れり。既にして波上の鳥と波底の魚と、一齊に鎭まり、鷲の翼の水面を掩ふこと蓮葉の如くなりき。忽ち隻翼は又聳ち起り、竹を割く如き聲と共に、一翼はひたと水に着き、一翼は劇しく水を鞭ち沫を飛ばすと見る間に、鳥も魚も沈みて痕なくなりぬ。母鳥は悲鳴して、巖角なる一隻の雛を顧みるに、こもいつか在らずなりて、首を仰いで遠く望めば、只だ一黒斑の日に向ひて飛ぶを見き。母鳥は悲を轉じて喜となしたり。その胸は高く躍りて、その聲は折るれども撓まぬ力を歌ひぬ。我歌はこゝに終り、喝采の聲は座に滿ちぬ。獨り我は瞚きもせで、龕の前なる老女をまもり居たり。そは我が歌ひて半に至りし時、老女の絲繰る手やうやく緩く、はては全く歇みて、暗き瞳の光は我面を穿つ如く、こなたに注がれたればなり。又我が能く少時の夢を喚び起して、この詩中に入るゝことの、かくまで細かなることを得しは、この老女の振舞與りて力ありければなり。  媼は忽ち身を起し、健かなる歩みざまして我前に來て云ふやう。能くも歌ひて、身のしろを贏ち得つるよ。吭の響はやがて黄金の響ぞ。鳥と魚との水底に沈みし時にこそ、この姥は汝が星の躔るところを見つれ。鷲よ。いで日に向ひて飛べ。老いたる母は巣にありて、喜の目もてそを見送らんとす。汝が翼をば、誰にも折らせじといふ。我に勸めて歌はせし男恭しく媼の前に磕頭きて、さてはフルヰアの君は此わかうどを見給ひしことあるか、又その歌を聞き給ひしことあるかと問ひぬ。媼。そは汝の知らぬ事なり。われは早く幸運の兒の身と光と眼の星とを見き。兒はむかし花の環を作りぬ。後又愈〻美しき花の環を作るならん。その臂を縛むべきことかは。六日が程は巣にあれかし。脊に爪打ち込みしにはあらず。六日立たば、汝この雛を放ち遣りて、日の邊へ飛ばしめよ。斯くつぶやきつゝ、媼は壁の前なる筐を探りて、紙と筆とを取り出でつ。あな、やくなし。墨は巖の如くなりぬ。コスモよ。人の上のみにはあらず。汝が腕の血を呉れずやといふ。コスモと喚ばれし彼男は、一語をも出さで、刀を拔きて淺くその膚を截りたり。媼はその血に筆を染めて我にわたし、「往拿破里」と書して名を署せしめて云ふ。好し好し、法皇の封傳に劣らぬものぞとて、懷にをさめつ。傍なる一人の男、その紙何の用にか立つべきとつぶやきしに、媼目を見張りて、蛆のもの言はんとするにや、大いなる足の蹂躙らんを避けよといふ。コスモは首を低れて不敢不敢汝の命は神璽靈寶にも代へじといひき。人々と媼との物語はこれにて止み、卓を圍める一座の興趣は漸くに加はりて、瓶は手より手にと忙はしく遣り取りせらるゝことゝなりぬ。さて食を供するに至りて、賊の中にはわが肩を敲きて、皿に肉塊を盛りて呉るゝもありき。唯だ彼媼は故の如く、室隅に坐して、飮食の事には與らざりき。賊の一人は火をその坐のめぐりに添へて、大母よ、汝は凍ゆるならんといひき。我は媼の詞につきて熟〻おもふに、むかし母とマリウチアとに伴はれて、ネミ湖畔に花束作りし時、わが上を占ひしことあるは此媼なりしなるべし。我運命の此媼の手中にありと見ゆること、今更にあやしくこそ覺えらるれ。媼はわれに往拿破里と書かしめき。こは固より我が願ふところなり。されど封傳なくして、いかにして拿破里には往かるべきぞ。又縱令かしこに往き着かんも、識る人とては一人だに無き身の、誰に頼りてか活をなさん。前にはわれ一たび即興詩もて世を渡らんとおもひき。されど羅馬にて人を傷けたりと知られんことおそろしければ、舞臺に出づべきこゝろもなし。されど方言をばよく知りたり、聖母のわれを見放ち給ふことだにあらずば、ともかくもして身を立てんと、強ひて安堵の念を起しつ。あはれ、あやしきものは人のこゝろにもあるかな。この時アヌンチヤタが我を卻けて人に從ひし悲痛は、却りて我心を抑し鎭むる媒となりぬ。我がこの時の心を物に譬へて言はゞ、商人のおのが舟の沈みし後、身一つを三版に助け載せられて、知らぬ島根に漕ぎゆかるゝが如しといふべき歟。  かくて一日二日と過ぎ行きぬ。新に來り加はる人もあり、又もとより居たる人の去りていづくにか往けるもあり。ある日彼媼さへ、ひねもす出でゝ歸らざりしかば、我は賊の一人とこの山寨の留守することゝなりぬ。この男は年二十の上を一つばかりも超えたるならん。顏は卑しげなるものから、美しき髮長く肩に掛かり、その目なざしには、常にいと憂はしげなる色見えて、をり〳〵は又手負ひたる獸などの如きおそろしき氣色現るゝことあり。我と此男とは暫し對ひ坐して語を交ふることなく、男は手を額に加へて物案ずるさまなりしが、忽ち頭を擧げて我面をまもりたり。    花ぬすびと  若者はふと思ひ付きたる如く。おん身は物讀むことを能くし給ふならん。此卷の中なる祈誓の歌一つ讀みて聞せ給へとて、懷より小き讚美歌集一卷取出でたり。われいと易き程の事なりとて、讀み初めしに、若者の黒き瞳子には、信心の色いと深く映りぬ。暫しありて若者我手を握りて云ふやう。いかなれば汝は復た此山を出でんとするか。人情の詐多きは、山里も都大路も殊なることなけれど、山里は爽かに涼しき風吹きて、住む人の少きこそめでたけれ。汝はアリチアの婚禮とサヱルリ侯との昔がたりを知るならん。壻は卑しき農夫なりき。婦は貧しき家の子ながら、美しき少女なりき。侯爵の殿は婚禮の筵にて新婦が踊の相手となり、宵の間にしばし花園に出でよと誘ひ給へり。壻この約を婦に聞きて、婦の衣裳を纏ひ、婦の面紗を被りて出でぬ。好くこそ來つれと引き寄せ給ふ殿の胸には、匕首の刃深く刺されぬ。これは昔がたりなり。われも此の如き貴人を知りたり。そは某といふ伯爵の殿なりき。又此の如き壻を知りたり。唯だ婦は此の如く打明けて物言ふ性ならねば、新枕の樂しさを殿に讓りて、おのれは新佛の通夜することゝなりぬ。刃の詐多き胸を貫きし時、膚は雪の如くかゞやきぬとぞ語りし。  わが心中には畏怖と憐愍と交〻起りぬ。われは詞はなくて、若者の面を打まもりしに、若者又云ふやう。彼も一時なり。此も一時なり。われを女の肌知らぬものと思ひ給ふな。英吉利の老婦人ありて、年若き男女と共に、拿破里へ往かんと、此山の麓を過ぎぬ。我等は此一群を馬車より拉き卸したり。我等は三人を擒にして、財物を掠め取りつ。少女は若き男の許嫁の婦なりしならん。顏ばせつやゝかに、目なざし涼しかりき。男をば木に括りたり。女は猶處子なりき。われはサヱルリ侯に扮することを得たり。賠ひの金屆きて一群の山を下りし時、少女の顏は色褪せて、目は光鈍りたりき。深山は蔭多きけにやあらん。  この物語にわれは覺えず面をそむけしかば、若者は分疏らしく詞を添へて、されど新教の女なりき、惡魔の子なりきとつぶやきぬ。われ等二人はしばし語なくして相對へり。若者は今一つ讀み給へと乞ひぬ。われは喜びて又尊き書を開きつ。    封傳  夕ぐれにフルヰアの媼歸りて、われに一裹の文書を遞與して云ふやう。山々は濕衾を被きたるぞ。巣立するには、好き折なり。往方は遙なるに、禿げたる巖の面には麪包の木生ふることなし。腹よく拵へよといふ。若者のかひ〴〵しく立ち働きて、忙しげに供ふる饌に、われは言はるゝ儘に飢を凌ぎつ。媼は古き外套を肩に被き、手を把りて暗き廊道を引き出でつゝ云ふやう。我雛鷲よ。疆守る兵も汝が翼を遮ることあるまじきぞ。その一裹は尊き神符にて、また打出の小槌なり。おのが寶を掘り出さんまで、事闕くことはあらじ。黄金も出づべし、白銀も出づべしといふ。媼は痩せたる臂さし伸べて、洞門を掩へる蔦蘿の帳の如くなるを推し開くに、外面は暗夜なりき。濕りたる濃き霧は四方の山岳を繞れり。媼の道なき處を疾く奔るに、われはその外套の端を握りて、やう〳〵隨ひ行きぬ。木立草むらを左右に看過して、媼は魔神の如くわれを導き去りぬ。  數時の後挾き山の峽に出でぬ。こゝに伊太利の澤池にめづらしからぬ藁小屋一つあり。籘に藁まぜて、棟より地まで葺き下せり。壁といふものなし。燈の光は低き戸の隙間洩りたり。媼は我を延きて進み入りぬ。小屋の裡は譬へば大なる蜂窩の如くにして、一方口より出で兼ねたる烟は、あたりの物を殘なく眞黒に染めたり。梁柱はいふもさらなり、籘の一條だに漆の如く光らざるものなし。間の中央に、長さ二三尺、幅これに半ばしたる甎爐あり。炊ぐも煖むるも、皆こゝに火焚きてなすなるべし。炭と灰とはあたりに散りぼひたり。奧に孔ありて小き間につゞきたるが、そのさま芋塊に小芋の附きたる如し。その中には女子一人臥して、二三人の小兒はそのめぐりに横れり。隅の方に立てる驢は、頭を延べて客を見たり。主人なるべし、腰に山羊の皮を卷き、上半身は殆ど赤條々なる老夫は、起ちて媼の手に接吻し、一語を交へずして羊の皮をはふり、驢を門口に率き出し、手まねして我に騎れと教へぬ。媼は我に向ひて、カムパニアの馬に勝るべき足どりの駒なり、幸運の門出は今ぞとさゝやきぬ。われはその志の嬉しければ、媼の手に接吻せんとせしに、媼は肩に手を掛け、額髮おし上げて、冷なる唇を我額に當てたり。  老夫は鞭を驢に加へて、おのれもひたと引き添ひつゝ、暗き徑を馳せ出せり。われは猶媼の一たび手もて揮くを見しが、その姿忽ち重る梢に隱れぬ。心細さに馬夫に物言ひ掛くれば、聞き分き難き聲立てゝ、指を唇に加へたり。さては瘖なるよと思ひぬ。いよ〳〵心もとなくて媼の授けし裹み引き出すに、種々の書ものありと覺ゆれど、夜暗うして一字だに見え分かず。兎角して曉がたになりぬ。路は山の脊に出でゝ、裸なる巖には些許りなる蔓草纏ひ、灰色を帶びて緑なる亞爾鮮の葉は朝風に香を途りぬ。空には星猶輝けり。脚下には白霧の遠く漂へるを見る。是れ大澤の地なり。此澤はアルバノ山下に始まりて、北ヱルレトリより南テルラチナに至る。馬夫のしばし歩を留めし時、われは仰いで青空の漸く紅に染まりゆきて、山々の色の青天鵝絨の如くなるを視き。偶〻山腹に火を焚くものあり。その黄なる燄は晴天の星の如くなりき。われは覺えず驢背に合掌して、神の惠の大なるを謝したり。  われは漸くにして媼の賜を見ることを得き。その一通の文書は羅馬警察衙の封傳にして、拿破里公使の奧がきあり。旅人の欄には分明に我氏名を注したり。一通は又拿破里フアルコネツトオ銀行に振り込みたる爲換金五百「スクヂイ」の劵なり。これに添へたる紙片に二三行の女文字あり。手負ひたる人の上をば、みこゝろ安く思されよ。遠からぬ程に癒ゆべしと申すことに侍り。されどしばらくは羅馬に歸り給はぬこそよろしく侍らめとあり。フルヰアは我を欺かざりき。わがためには、これに増す神符あらじとおもひぬ。  道は少し夷になりぬ。とみれば一群の牧者あり。草を藉きて朝餉たうべて居たり。我馬夫は兼て相識れるものと覺しく、進み寄りて手まねするに、牧者は我等にその食を分たんといふ。水牛の乾酪と麪包とにて飮ものには驢の乳あり。われは快く些の食事をしたゝめしに、馬夫は手まねして別を告げたり。さて牧者のいふやう。この徑を下りゆき給へ。只だ山を左に見て行き給はゞ、小河の流に逢ひ給はん。そは山より街道に出づる水なり。霧晴れなば、そこより街樾の長く續けるを見給ふならん。流に沿ひて街樾の方へ往き給はゞ、程なく街道の側なる廢寺の背後に出で給はん。その寺今は「トルレ、ヂ、トレ、ポンテ」とて旅籠屋となりたり。目の暮れぬ内にテルラチナに着き給ふべしといひぬ。我は此人々に報せんとおもふに、拿破里にて受取るべき爲換の外には、身に附けたるものなし。されど財布をこそ人にやりつれ、さきに兜兒の裡に入れ置きし「スクヂイ」二つ猶在らば、人々に取らせんものをと、かい探ぐるにあらず。馬夫には領なる絹の紛※(巾+兌)解きて與へ、牧者等と握手して、ひとり徑を下りゆきぬ。    大澤、地中海、忙しき旅人  世の人はポンチネの大澤(パルウヂ、ポンチネ)といふ名を聞きて、見わたす限りの曠野に泥まじりの死水をたゝへたる間を、旅客の心細くもたどり行くらんやうにおもひ做すなるべし。そはいたく違へり。その土地の豐腴なることは、北伊太利ロムバルヂアに比べて猶優りたりとも謂ふべく、茂りあふ草は莖肥えて勢旺なり。廣く平なる街道ありてこれを横斷せり。(耶蘇紀元前三百十二年アピウス・クラウヂウスの築く所にして、今猶アピウス街道の名あり。)車にて行かば坐席極めて妥なるべく、菩提樹の街樾は鬱蒼として日を遮り、人に暑さを忘れしむ。路傍は高萱と水草と、かはる〴〵濃淡の緑を染め出せり。水は井字の溝洫に溢れて、處々の澱みには、丈高き蘆葦、葉闊き睡蓮(ニユムフエア)を長ず。羅馬の方より行けば左に山岳の空に聳ゆるあり。その半腹なる村落の白壁は、鼠いろなる岩石の間に亂點して、城郭かとあやまたる。左は海に向へる青野のあなたに、チルチエオの岬(プロモントリオ、チルチエオ)の隆く起れるあり。こは今こそ陸つゞきになりたれ、古のキルケが島にして、オヂツセウスが舟の着きしはこゝなり。(ホメロスの詩に徴するに、トロヤの戰果てゝ後、希臘イタカ王オヂツセウスこの島に漂流せしに、妖婦キルケ舟中の一行を變じて豕となす、オヂツセウス神傳の藥草にて其妖術を破りぬといふ。)  霧は歩むに從ひて散ぜり。晒せる布の如き溝渠、緑なる氈の如き草原の上なる薄ぎぬは、次第に褰げ去られたり。時はまだ二月末なれど、日はやゝ暑しと覺ゆる程に照りかゞやきぬ。水牛は高草の間に群れり。若駒の馳せ狂ひて、後脚もて水を蹴るときは、飛沫高く迸り上れり。その疾く捷き運動を、畫かく人に見せばやとぞ覺ゆる。左の方なる原中に一道の烟の大なる柱の如く騰れるあり。こはこの地の習にて、牧者どものおのが小屋のめぐりなる野を燒きて、瘴氣を拂ふなるべし。  途にて農夫に逢ひぬ。その痩せたる姿、黄ばみし面は、あたりの草木のすくやかに生ひ立てると表裏にて、冢を出でたる枯骨にも譬へつべし。驪に騎りて、手に長き槍めきたるものを執れるが、こは水牛を率て返るとき、そは驅り集むる具なりとぞ。げにこゝらの水牛の多きことその幾何といふことを知らず。草むらを見もてゆけば、斗らず黒く醜き頭と光る眼とを認め得て、こゝにも臥したるよと驚くこと間々あり。  道に沿ひて處々に郵亭を設けたり。その造りざま、小きながら三層四層ならぬはなし。こは瘴氣を恐るればなり。亭は皆白壁なれど、礎より簷端迄、緑いろなる黴隙間なく生ひたり。人も家も、渾べて腐朽の色をあらはして、日暖に草緑なる四邊の景と相容れざるものゝ如し。わが病める心はこれを見て、つく〴〵人生の頼みがたきを感じたり。 「アヱ、マリア」の鐘響くに先だつこと一時ばかりにして、澤地のはづれに出でぬ。山脈の黄なる巖は漸く迫り近づきて、南國の風光に富めるテルラチナの市は、忽ち我前に横りぬ。三株の棕櫚樹高く道の傍に立てるが、その實は累々として葉の間に垂れたり。山腹の果圃は黄なる斑紋ある青氈に似たり。その斑紋は檸檬、柑子などの枝たわむ程みのりたるなり。一農家の前に熟し落ちたる檸檬を堆く積みたるを見るに、餘所にて栗など搖りおとして掃き寄するさまと殊なることなし。岩石のはざまよりは、青き迷迭香(ロスマリヌス)、赤き紫羅欄花など生ひ上りたるが、その巓にはチウダレイクスが廢城の殘壁ありて、猶巍々として雲を凌げり。(譯者云。東「ゴトネス」族の王なり。西暦四百八十九年東羅馬帝の命を奉じて敵を破り、伊太利を領す。)  我心は景色に撲たれて夢みる如くなりぬ。忽ち海の我前に横はるに逢ひぬ。われは始て海を見つるなり、始て地中海を見つるなり。水は天に連りて一色の琉璃をなせり。島嶼の碁布したるは、空に漂ふ雲に似たり。地平線に近きところに、一條の烟立ちのぼれるは、ヱズヰオの山(モンテ、ヱズヰオ)なるべし。沖の方は平なること鏡の如きに、岸邊には青く透きとほりたる波寄せたり。その岩に觸るゝや、鼓の如き音立てゝぞ碎くる。われは覺えず歩を駐めたり。わが滿身の鮮血は蕩け散りて氣となり、この天この水と同化し去らんと欲す。われは小兒の如く啼きて、涙は兩頬に垂れたり。市に大なる白堊の屋ありて、波はその礎を打てり。下の一層は街に面したる大弓道をなして、その中には數輛の車を並べ立てたり。こはテルラチナの驛舍にして、羅馬拿破里の間第一と稱へらる。  鞭聲の反響に、近き山の岩壁を動かして、駟馬の車を驛舍の前に駐むるものあり。車座の背後には、兵器を執りたる從卒數人乘りたり。車中の客を見れば、痩せて色蒼き男の斑に染めたる寢衣を纏ひて、懶げに倚り坐せるなり。馭者は疾く下りて、又二たび三たび其鞭を鳴し、直ちに馬を續ぎ替へたり。さて護衞の士兵ありやと問へば、十五分間には揃ふべしと答へぬ。こはゆくての山路に、フラア・ヂヤヲロ、デ・チエザレの流を汲むものありとて、當時こゝを過ぐる旅客の雇ふものとぞ聞えし。(前者は伊太利大盜の名にして、同胞魔君の義なり。實の氏名をミケレ・ペツツアといふ。千七百九十九年夥伴を率ゐて拿破里王に屬し、佛兵と戰ひて功あり。官職を授けらる。後佛兵のために擒にせられて、千八百六年拿破里に斬首せらる。後者も亦名ある盜なり。)客は英吉利語に伊太利語まぜて、此國の人の心鈍く氣長き爲に、旅人の迷惑いかばかりぞと罵りしが、やうやく思ひあきらめたりと覺しく、大なる紛※(巾+兌)を結びて頭巾となし、兩の耳も隱るゝやうに被り、眼を閉ぢて默坐せり。馭者の語るを聞けば、この英人は伊太利に來てより十日あまりなるべし。北伊太利、中伊太利をばことごとく見果てつ。羅馬をば一日に看盡したり。此より拿破里にゆきて、ヱズヰオに登り、汽船にて馬耳塞に渡り、南佛蘭西を遊歴すべしとなり。士兵八騎はいかめしく物具して至れり。馭者は鞭を揮へり。馬も車も、忽ち黄なる岩壁にそひたる閭門を過ぎ去りぬ。    一故人  客舍の前にはたけ矮く逞ましげなる男ありて、車の去るを見送りたるが、手に持てる鞭を揮ひて鳴らし、あたりの人に向ひていふやう。護衞はいかに嚴めしくとも、兵器の數はいかに多くとも、我客人となりて往くことの安穩なるには若かじ。英吉利人ほど心忙しきものはなし。馬はいつも驅歩なり。氣まぐれなる人柄かなと嘲み笑へり。われこれに聲かけて、おん身の車には既に幾位の客人をか得給ひしと問へば、隅ごとに眞心一つなれば、四人は早く備りたり、されど二輪車の中は未一人のみなり。ナポリへと志し給はゞ、明後日は旭日のまだサンテルモ城(ナポリ府を横斷する丘陵あり、其巓の城を「カステル、サンテルモ」といふ)に刺さぬ間に送り屆け參らすべしと答ふ。爲換ありて現金なき我がためには、此勸めのいと嬉しく、談合は忽ちに纏まりぬ。(原註。伊太利の旅を知らぬ人のために註すべし。彼國の車主は例として前金を受けず、途中の旅籠一切をまかなひくれたる上、小使錢さへ客に交付し、安着の後決算するなり。)  車主は客人も零錢の御用あるべければとて、五「パオリ」の銀貨一枚撮み出して我に渡しつ。われ。さらば食卓の好き座席と臥床とを頼むなり。明日は滯なく車を出してよ。車主。勿論にこそ候へ。聖アントニオと我馬との思召だにくるはずば、正三時には出で立つべし。されど明日はむづかしき日にて候ふ。税關の調べ二度、手形の改め三度あるべし。さらば、平かに憩はせ給へとて、車主は手を帽庇に加へ、輕く頷きて去りぬ。  誘はれたる部屋は海に向へり。折しも風輕く起りて、窓の下には長き形したる波の寄ては又返すを見る。こゝの景色はカムパニアの景色とは全く殊なるに、いかなれば吾胸中には、少時の住家の事、ドメニカの媼の事など浮び出でけん。世の中は廣けれど、眞ごゝろより我上を氣遣ひ呉るゝ人、彼媼の如きはあらじ。近きところに住みながら、屡〻往きて訪ふことだになかりしは、我と我身の怪まるゝばかりなり。彼フランチエスカの君の如きは、我を愛し給はざるにあらねど、凡そ恩をきるものと恩をきするものとの間には、未だ報恩の志を果さゞる限は、大なる溝渠ありて、縱ひ優しき情の蔓草の生ひまつはりて、これを掩ふことあらんも、能く全くこれを填むることなし。漸くにして、ベルナルドオとアヌンチヤタとの上に想ひ及ぶとき、われは頬の邊の沾ふを覺えき。涙にやありし、又窓の下なる石垣に中りし波の碎け散りて面に濺ぎたるにやありし。  翌日は夜のまだ明けぬに、車に乘りてテルラチナを立ちぬ。領分境に至りて、手形改めあるべしとて、人々車を下りぬ。此の時始めて同行の人を熟視したるに、齡三十あまりと覺しく、髮の色明く瞳子青き男我目にとまれり。何處にてか見たりけん、心におぼえある顏なり。その詞を聞けば外國音なり。  手形は多く外國文もて認めたるに、境守る兵士は故里の語だによくは知らねば、檢閲は甚しく手間取りたり。瞳子青き男は帖一つ取出でゝ、あたりの景色を寫せり。げに街道に据ゑたる關の、上に二三の尖れる塔を戴きたる、その側なる天然の洞穴、遠景たるべき山腹の村落、皆好畫料とぞ思はるゝ。  わが背後よりさし覗きし時、畫工はわれを顧みて、あの大なる洞の中なる山羊の群のおもしろきを見給へと指ざし示せり。その詞未だ畢らざるに、洞の前に横へたる束藁は取り除けられたり。山羊は二頭づゝの列をなして洞より出で、山の上に登りゆけり。殿には一人の童子あり。尖りたる帽を紐もて結び、褐色の短き外套を纏ひ、足には汚れたる韈はきて、鞋を括り付けたり。童は洞の上なる巖頭に歩を停めて、我等の群を見下せり。  忽ち車主の一聲の因業を叫びて、我等に馳せ近づくを見き。手形の中、不明なるもの一枚ありとの事なり。われはその一枚の必ず我劵なるべきを思ひて、滿面に紅を潮したり。畫工は劵の惡しきにはあらず、吏のえ讀まぬなるべしと笑ひぬ。  我等は車主の後につきて、彼塔の一つに上りゆき戸を排して一堂に入りて見るに、卓上に紙を伸べ、四五人の匍匐ふ如くにその上に俯したるあり。この大官人中の大官人と覺しく、豪さうなる一人頭を擡げて、フレデリツクとは誰ぞと糺問せり。畫工進み出でゝ、御免なされよ、それは小生の名にて、伊太利にていふフエデリゴなりと答ふ。吏。然らばフレデリツク・シイズとはそこなるか。畫工御免なされよ。それは劵の上の端に記されたる我國王の御名なるべし。吏。左樣か。(と謦咳一つして讀み上ぐるやう。)「フレデリツク、シイズ、パアル、ラ、グラアス、ド、ヂヨオ、ロア、ド、ダンマルク、デ、ワンダル、デ、ゴオト。」さてはそこは「ワンダル」なるか。「ワンダル」とは近ごろ聞かぬ野蠻人の名ならずや。畫工。いかにも野蠻人なれば、こたび開化せんために伊太利には來たるなり。その下なるが我名にて、矢張王の名と同じきフレデリツクなり、フエデリゴなり。(「ワンダル」は二千年前の日耳曼種の名なり。文に天祐に依りて璉馬の王、「ワンダル」、「ゴオツ」諸族の王などゝ記するは、彼國の舊例なり。)書記の一人語を揷みて、英吉利人なりしよと云へば、外の一人冷笑ひて、君はいづれの國をも同じやうに視給ふか、劵面にも北方より來しことを記せり、無論魯西亞領なりといふ。  フエデリゴ、璉馬、この數語はわが懷しき記念を喚び起したり。璉馬の畫工フエデリゴとは、むかし我母の家に宿り居たる人なり、我を窟墓に伴ひし人なり。我がために畫かき、我に銀※(金+表)を貽りし人なり。  關守る兵卒は手形に疑はしき廉なしと言渡しつ。この宣告の早かりしにはフエデリゴの私かに贈りし「パオロ」一枚の效驗もありしなるべし。塔を下るとき、われフエデリゴに名謁りしに、この人は想ふにたがはぬ舊相識にて、さては君は可哀き小アントニオなりしかと云ひて我手を握りたり。車に上るとき、人に請ひて席を換へ、われとフエデリゴとは膝を交へて坐し、再び手を握りて笑ひ興じたり。  われは相別れてより後の身の上をつゞまやかに物語りぬ。そはドメニカが家にありしこと、羅馬に返りて學校に入りしことなどにて、それより後をばすべて省きつるなり。我は詞を改めて、さてこれよりはナポリへ往かんとすと告げたり。  むかし畫工と最後に相見たるは、カムパニアの野にての事なりき。その時畫工は早晩一たび我を羅馬に迎へんと約したり。畫工は猶當時の言を記し居りて、我にその約を履まざりしを謝したり。君に別れて羅馬に歸りしに、故郷の音信ありて、直ちに北國へ旅立つことゝなりぬ。その後數年の間は、故里にありしが、伊太利の戀しさは始終忘れがたく、このたびはいよ〳〵思ひ定めて再遊の途に上りぬ。こゝはわが心の故郷なり。色彩あり、形相あるは、伊太利の山河のみなり。わが曾遊の地に來たる樂しさをば、君もおもひ遣り給へといふ。  彼問ひ我答ふる間に、路程の幾何をか過ぎけん。フオンヂイの税關の煩ひをも、我心には覺えざりき。途上一微物に遭ふごとに、友はその詩趣を發揮して我心を慰めたり。この憂き旅の道づれには、フエデリゴこそげに願ひても無かるべき人物なりしなれ。  友は往手を指ざしていふやう。かしこなるが我が懷かしき穢きイトリの小都會なり。汝は故里の我が居る町をいかなる處とかおもへる。街衢の地割の井然たるは、幾何學の圖を披きたる如く、軒は同じく出で、梯は同じく高く、家々の並びたるさまは、檢閲のために列をなしたる兵卒に殊ならず。清潔なることはいかにも清潔なり。されどかくては復た何の趣をかなさん。イトリに入りて灰色に汚れたる家々の壁を仰ぎ見よ。その窓には太だ高きあり、太だ低きあり、大なるあり、小なるあり。家によりては異樣に高き梯の巓に門口を開けるあり。その内を望めば、繅車の前に坐せる老女あり。側なる石垣の上よりは黄に熟したる木の實の重げに生りたる枝さし出でたるべし。この參差錯落たる趣ありてこそ、好畫圖とはなるべきなれといふ。  車のイトリに入らんとするとき、同じく乘れる一客は、これフラア・ヂヤヲロの故郷なりと叫びぬ。この小都會は削立千尺の大岩石の上にあり。これを貫ける街道は僅に一車を行るべし。こゝ等の家は、概ね皆平家に窓を穿つことなく、その代りには戸口を大いにしたり。戸の内なる泣く小兒、笑ふ女子は、皆襤褸を身に纏ひて、旅人の過ぐるごとに、手を伸べ錢を索む。馬の足掻の早きときは、窓より首を出すべからず。石垣に觸るゝ虞あればなり。時ありて出窓の下を過ぐるときは、隧道の中を行くが如し。唯だ黒烟の戸窓より溢れて、壁に沿ひて上るを見るのみ。  閭門を出づるに及びて、友は手を拍ちつゝ、美なる都會かなと叫びぬ。車主は顧みて、否、盜人の巣なり、警察の累絶ゆる間なければとて、一たび市民の半を山のあなたに徙し、その跡へは餘所より移住せしめしことあり、されどそれさへ雜草の叢に穀物の種を蒔きしに似て、何の利益もあらで止みぬ、兎角は貧の上の事にて、貧人の根絶やし出來ねば、無駄なるべしと、諭し顏に物語りぬ。  げにも羅馬とナポリとの間ほど、劫掠に便よきところはあらざるべし。奧の知られぬ橄欖の蒼林、所々に開ける自然の洞窟より、昔がたりの一目の巨人が築きぬといふ長壁のなごりまで、いづれか身を隱し人を覗ふに宜しからざる。  友は蔦蘿の底に埋れたる一堆の石を指ざして、キケロの墓を見よといへり。是れ無慙なる刺客の劍の羅馬第一の辯士の舌を默せしめし處なりき。(キケロの別墅はこゝを距ること遠からざるフオルミエにあり。該撤歿後、アントニウス一派の刺客キケロを刺さんと欲す。キケロ身を以て逃れ、將にブルツスの陣に投ぜんとして、遂に刺客の及ぶところとなりぬ。時に西暦前四十三年十二月七日なり。)友は語をつぎて、車主はこたびもモラ、ヂ、ガエタ(即ち昔のフオルミエ)の別墅に車を停むるならん、今は酒店となりて、眺望好きがために人に知らるといひぬ。    旅の貴婦人  山嶽は秀で、草木は茂れり。車は月桂の街樾を過ぎて客舍の門に抵りぬ。薦巾を肘にしたる房奴は客を迎へて、盆栽花卉もて飾れる闊き階の下に立てり。車を下る客の中に、稍〻肥えたる一夫人あるを見て進み近づき、扶けて下らしめ、ことさらに挨拶す。相識の客なればなるべし。夫人の顏色は太だ美し。その瞳子の漆の如きにて、拿破里うまれの人なるを知りぬ。  われ等の衆人と共に、門口に近き食堂に入る時、夫人は房奴に語りぬ。こたびの道づれは婢一人のみ。例の男仲間は一人だになし。かく膽太く羅馬拿破里の間を往來する女はあらぬならん、奈何などいへり。  夫人は食堂の長椅子に、はたと身を倚せ掛け、いたく倦じたる體にて、圓く肥えたる手もて頬を支へ、目を食單に注げり。「ブロデツトオ、チポレツタ、フアジヲロ」とか。わが汁を嫌ふをば、こゝにても早く知れるならん。否々、わが「アムボンポアン」の「カステロ、デ、ロヲオ」の如くならんは、堪へがたかるべし。「アニメルレ、ドオラテ」に「フイノツキイ」些計あらば足りなん。まことの晩餐をばサンタガタにてしたゝむべし。こゝは早く拿破里の風の吹くが快きなり。「ベルラ、ナポリ」と呼びつゝ、夫人は外套の紐を解き、苑に向へる廊の扉を開き、もろ手を擴げて呼吸したり。(此詞の中には食單の品目に見えたる料理の稱多し。「ブロデツトオ」は卵の※(「穀」の「禾」に代えて「黄」)を入れたる稀き肉羹汁、「チポレツタ」は葱、「フアジヲロ」は豆、「カステロ、デ、ロヲオ」は卵もて製したる菓子、「アニメルレ、ドオラテ」は犢の臟腑の料理、「フイノツキイ」は香料なり。「アムボンポアン」は肥胖、「ベルラ、ナポリ」は美しき拿破里といふ程の事なり。)  われは友を顧みて、拿破里は最早こゝより見ゆるかと問ひしに、友は笑ひて、まだ見えず、されどヘスペリアは見ゆるなり、アルミダの奇しき園は見ゆるなりと答へき。(譯者云。ヘスペリアは希臘語、晩國、西國の義なり。或は伊太利を斥して言ひ、或は西班牙を斥して言ふ。されどこゝには、希臘神話にヘスペリアといふ女神ありて、西方の林檎園を守れるを謂ふならん。アルミダはタツソオが詩中の妖艷なる王女なり。基督教徒を惑はし、丈夫リナルドオをアンチオヒアの園に誘ひて、酒色に溺れしむ。フエデリゴが詞の意は、山水を問ふこと勿れ、彼美人を見よとなり。)  友と廊に出でゝ望むに、その景色の好きこと、想像の能く及ぶ所にあらず。脚の下には柑子、檸檬などの果樹の林あり。黄金いろしたる實の重きがために、枝は殆ど地に低れんとす。丈高き針葉樹の園を限りたるさまは、北伊太利の柳と相似たり。この木立の極めて黒きは、これに接したる末遙なる海原の極めて明ければなり。園の一邊の石垣の方を見れば、寄せ來る波は古の神祠温泉の址を打てり。白帆懸けたる大舟小舟は、徐かに高き家の軒を並べたるガエタの灣に進み入る。(原註。ガエタはカエタより出でたる名なりといふ。是れヰルギリウスが詩の主人公エネエアスが乳媼の名にして、此港を以て其埋骨の地となせるなり。)灣の背後に一山の聳ゆるありて、その嶺には古壘壁を見る。友は左の方を指してヱズヰオの烟を見よといふ。眸を轉じて望めば、火山の輪廓は一抹の輕雲の如く、美しき青海原の上に現れたり。われは小兒の情もて此景物を迎へ、心の裡に名状すべからざる喜を覺えき。  われ等は相携へて果園に下りぬ。われは枝上の果に接吻して、又地に墜ちたるを拾ひ、毬の如くに玩びたり。友の云ふやう。げに伊太利はめでたき國なる哉。北方の故郷に在りし間、常に我懷に往來せしものはこの景なり、この情なり。嘗て夢裡に呑みつる霞は、今うつゝに吸ふ霞なり。故郷の牧を望みては、此橄欖の林を思ひ、故郷の林檎を見ては、此柑子を思ひき。されど北海の緑なる波は、終に地中海の水の藍碧なるに似ず、北國の低き空は、終に伊太利の天の光彩あるに似ざりき。汝はわが伊太利を戀ひし情のいかに切なりしかを知るか。一たび淨土を去りたるものゝ不幸は、嘗て淨土を見ざりしものゝ不幸より甚し。我故郷なる璉馬は美ならざるに非ず。山毛欅の林の鬱として空を限るあり。東海の水の闊くして天に連るあり。されど是れ皆猶人界の美のみ。伊太利は天國なり、淨土なり。かへす〴〵も嬉しきは再び斯土に來しことぞと云ふ。友はわれと同じく枝なる果に接吻し、又目に喜の涙を浮べて、我項を抱き我額に接吻せり。  火は火を呼び、情は情を呼ぶ。われは最早此舊相識に對して、胸臆を開き緘嘿を破ることを禁じ得ざりき。われは我が羅馬に在りての遭遇を語りて、高くアヌンチヤタの名を唱へたり。人を傷けて亡命せしこと、身を賊寨に托せしことより、怪しき媼の我を救ひしことまで、一も忌み避くることなかりき。友の手は牢く我手を握りて、友の眼光は深く我眼底を照せり。  忽ち啜泣の聲の背後に起るあり。背後はキケロの温泉の入口にて、月桂朱欒の枝繁りあひたれば、われは始より人あるべしとは思ひ掛けざりしなり。枝推し分けて見れば、彼温泉の入口なる石に踞して泣く女あり。そは前の拿破里の夫人なりき。  夫人は涙の顏を擧げて我に謝して云ふやう。我が無禮なるを恕し給へ。君等の歩み寄り給ひしときは、われ早くこゝに坐して涼を貪り居たり。御物語の祕事と覺しきには、後に心付きしが、せんすべなかりしなり。されど哀れ深き御物語を聞きつとこそ思ひまゐらすれ、人に告ぐべきにはあらねば、惡しく思ひ取り給ふなといふ。われは間の惡さを忍びて夫人に禮を施し、友と共に踵を旋したり。友は我を慰めて云ふやう。彼夫人の期せずして我等と物言ひしは、或は他日我等に利あらんも知るべからず。斯く言へば土耳格人めきたれど、われは運命論者なり。且汝の語りし所は國家の祕密などにはあらず。誰が心中の帳簿にも、此種の暗黒文字數葉なきことはあらざるべし。彼夫人の汝が言を聞きて泣きしは、或は他人の語中より自家の閲歴を聽き出し、他人の杯酒もて自家の磊塊に澆ぎしにはあらずや。涙は己れのために出で易く、人のために出で難きこと、なべての情なればといひき。  我等は再び車に乘り途に上りぬ。四邊の草木はいよ〳〵茂れり。車に近き庭園、田圃の境には、多く蘆薈を栽ゑたるが、その高さ人の頭を凌げり。處々の垂楊の枝は低れて地に曳かんとせり。  日の夕にガリリヤノの河を渡りぬ。古のミンツルネエ(羅馬の殖民地)は此岸にありしなり。我好古の眼もて視るときは、是れ猶古のリリス河にして、其水は蘆荻叢間の黄濁流をなし、敗將マリウスが殘忍なるズルラに追躡せられて身を此岸に濳めしも、昨の猶くぞおもはるゝ。(紀元前八十八年ズルラ政柄を得つる時、マリウスこれと兵馬の權を爭ふ。所謂第一内訌是なり。マリウス敗れて此河岸に濳み、萬死を出で一生を得て、難を亞弗利加に避けしが、その翌年土を捲きて重ねて來るや、羅馬府を陷いれ、兵を縱ちて殺戮せしむること五日間なりき。)此よりサンタガタまでは、まだ若干の路程あるに、闇は漸く我等の車を罩まんとす。馭者は畜生を連呼して、鞭策亂下せり。拿破里の夫人は心もとながりて、頻りに車窓を覗き、賊の來りて、行李を括り付けたる索を截らんを恐るゝさまなり。われ等は纔に前面に火光あるを認めて、互に相慶したり。須臾にして車はサンタガタに抵りぬ。  晩餐の間、夫人は何事をか思ふさまにて、いともの靜なりき。さるをその目の斷えずわが方に注げるをば、われ心に訝りぬ。翌朝車の出づべき期に迫りて、われは一盞の珈琲を喫せんために、食堂に下りしに、堂には夫人只一人在りき。優しく我を迎へて詞を掛け、われを惡しく思ひ給ふな、總べて思ひ設けぬ事なりしなればと云ふ。われは夫人を慰めて、否、あしき人に聞かれたりとは思ひ候はず、言はであるべき事をば言ひ給ふべき方ならねばと答へき。夫人。さなり。おん身はまだ我をよくも識り給はず。或は我を識り給ふ期あらんも知るべからず。おん身は知らぬ大都會に往き給ふといへば、かしこにて一度我家におとづれ、我夫と相識になり給はんかた宜しからん。交際は無くて協はぬものにて、又一たび誤りてあらぬ人と相結ぶときは、悔あるべきことなりといふ。われは深くその好意を謝して、善人は隨處にありといふ諺の虚しからぬを喜びぬ。夫人は我側に寄りて、兼ねても聞き給ふならん、拿破里は少き人には危き地なりなど云ひ、猶何事をか告げんとせしに、フエデリゴも房より出でしかば、物語はこゝに絶えぬ。  我等は又車に乘りたり。今は車中の客も漸く互に打解けて、はかなき世語などしつゝ拿破里の市に近づきぬ。偶〻驢に騎りたる一群の過ぐるあり。我友はこれを見て、いたくめでたがりたり。紅の上衣を頂より被りて、一人の穉兒には乳房を啣ませ、一人の稍〻年たけたる子をば、腰の邊なる籠の中に睡らせたる女あり。又一家族を擧げて一驢の脊に托したりと覺しく、眞中には男騎りて、背後なる妻は臂と頭とを夫の肩に倚せて眠り、子は父の膝の間に介まれて策を手まさぐり居たるあり。いづれもピニエルリが風俗畫の拔け出でたるかと怪まるゝばかりなり。  空氣は鼠色にて雨少し降れり。ヱズヰオの山もカプリの島も見えず。葡萄の纏ひ付きたる高き果樹と白楊との間には、麥の露けく緑なるあり。夫人我等を顧みて、見給へ、此野はさながらに饗應のむしろなり、麪包あり、葡萄酒あり、果あり、最早わが樂しき市と美しき海との見ゆるに程あらじといひぬ。  夕に拿破里に着きぬ。トレドの街の壯觀は我前に横はりぬ。(原註。羅馬及ミラノにては大街をコルソオと曰ひ、パレルモにてはカツサロと曰ひ、拿破里にてはトレドと曰ふ。)硝子燈と彩りたる燈籠とを點じたる店相並びて、卓には柑子無花果など堆く積み上げたり。道の傍には又魚蝋を焚き列ねて、見渡す限、火の海かとあやまたる。兩邊の高き家には、窓ごとに床張り出したるが、男女の群のその上に立ち現れたるさまは、こゝは今も謝肉祭の最中にやとおもはるゝ程なり。馬車あまた火山の坑より熔け出でし石を敷きたる街を馳せ交ひて、間〻馬のその石面の滑なるがために躓くを見る。小なる雙輪車あり。五六人これに乘りて、背後には襤褸着たる小兒をさへ載せ、又この重荷の小づけには、網床めくものを結び付けたる中に半ば裸なる賤夫のいと心安げにうまいしたるあり。挽くものは唯だ一馬なるが、その足は驅歩なり。一軒の角屋敷の前には、焚火して、泅袴に扣鈕一つ掛けし中單着たる男二人、對ひ居て骨牌を弄べり。風琴、「オルガノ」の響喧しく、女子のこれに和して歌ふあり。兵士、希臘人、土耳格人、あらゆる外國人の打ち雜りて、且叫び且走る、その熱鬧雜沓の状、げに南國中の南國は是なるべし。この嬉笑怒罵の天地に比ぶれば、羅馬は猶幽谷のみ、墓田のみ。夫人は手を拍ち鳴して、拿破里々々々と呼べり。  車はラルゴ、デル、カステルロに曲り入りぬ。(原註。拿破里大街の一にして其末は海岸に達す。)同じ闐溢、同じ喧囂は我等を迎へたり。劇場あり。軒燈籠懸け列ねて、彩色せる繪看板を掲げたり。輕技の家あり。その群の一家族高き棚の上に立ちて客を招けり。婦は叫び、夫は喇叭吹き、子は背後より長き鞭を揮ひて爺孃を亂打し、その脚下には小き馬の後脚にて立ちて、前に開ける簿册を讀む眞似したるあり。一人あり。水夫の環坐せる中央に立ちて、兩臂を振りて歌へり。是れ即興詩人なり。一翁あり。卷を開いて高く誦すれば、聽衆手を拍ちて賞讚す。是れ「オランドオ、フリオゾ」を讀めるなり。(譯者云。わが太平記よみの類なるべし。讀む所はアリオストオの詩なり。)  夫人は忽ちヱズヰオと呼びぬ。げに〳〵廣こうぢの盡くる處に、彼の世界に名高き火山の半空に聳ゆるを見る。熔けたる巖の山腹を流れ下るさま、血の創より出づる如し。嶺の上に片雲あり。その火光を受けたる半面は殷紅なり。されど此偉觀の我眼に入りしは一瞬間なりき。車は廣こうぢを横ぎりて、旅店「カアザ、テデスカ」の前に駐まりぬ。店の隣には、小き傀儡場あり。一人ありてその前に立ち、道化役の偶人を踊らせ、且泣き且笑ひ、又可笑しき演説をなさしめたり。衆人は環り視て笑へり。向ひの家の石級には一僧あり。船頭らしき、肩幅闊く逞しげなる男に、基督の像を刻み附けたる十字架を捧げさせて説教せり。此方には聽衆いと少し。  僧は目を瞋らして傀儡師の方を見やりて云ふやう。斯くても精進日なるか。天主に仕ふる日なるか。反省して苦行する日なるか。汝達がためには、春の初より冬の終迄、日として謝肉祭ならぬはなし。斯く跳り狂ひ笑み戲れて、一歩一歩地獄に進み近づくなり。疾く奈落の底に往きて狂ひ戲れよといふ。僧の聲は漸く大に、我耳はこの拿破里訛を聞くこと、一篇の詩を聞く如くなりき。されど僧の叫ぶこと愈〻大なれば、偶人の跳ること愈〻忙しく、群衆は舊に依りて傀儡師に面し談義僧に背けり。僧は最早え堪へずして、石級を飛び下りさまに連なる男の手より聖像を奪ひ取り、そを高くかざして衆人の間に分け入りたり。見よ〳〵。これがまことの傀儡なり。汝達に眼あるは、これを視んためなり。耳あるはこれの教を聽かんためなり。「キユリエ、エレイソン」(主よ、慈を垂れよの義にして、歌頌の首句)とぞ唱へける。聖像は流石人に敬を起さしめて、四圍の群衆忽ち跪けば、傀儡師も亦壇を下りて跪きぬ。  われは車の側に立ちてこれを見つゝ、心に神恩の深きと人心のやさしきとを思へり。フエデリゴは夫人のために辻の馬車を雇へり。夫人は友の手を握りて謝すと見えしが、その軟き兩臂は俄に我頸を卷きて、我唇の上には燃ゆる如き接吻を覺えき。    慰籍  友の眠に就きし後、われは猶寖久しく出窓に坐して、外の方を眺め居たり。こゝよりは啻に廣こうぢの隈々迄見ゆるのみならず、かのヱズヰオの山さへ眞向に見えたり。夢の裡に移り來しにはあらずやと疑はるゝ此境の景色は、われをして容易く臥床に上ることを得ざらしめしなり。目の下なる街は漸く靜になりて、燈火の數も亦減ぜり。最早眞夜中過ぎたるなるべし。  ヱズヰオの山の姿は譬ば焔もて畫きたる松柏の大木の如し。直立せる火柱はその幹、火光を反射せる殷紅なる雲の一群はその木の巓、谷々を流れ下る熔巖はその闊く張りたる根とやいふべき。わがこれに對する情をば、いかなる詞もて寫し出すべきか、われは神と面相向へり。神の聲は彼火坑より發して直ちに我耳に響けり。神の威力、智慧、矜恤、愛憐は我胸に徹したり。その迅雷風烈を放ち出す手は、また一隻の雀をだに故なくして地に墮すことなきなり。わが久しき間の經歴は我前に現じて一瞬時の事蹟に同じく、神の扶掖嚮導の絲は分明に辨識せられたり。われは敢て自家を以て否運の兒となさじ。神の禍を轉じて福となし給へる迹は掩ふ可からざるものあればなり。初めわれ不測の禍のために母上を喪ひまゐらせき。されど故とならぬ其罪を贖はんとてこそ、車上の貴人は我に字を識り書を讀むことを教へしめ給ひしなれ。マリウチアとペツポとのわが身を爭ひて、わが全く寄邊なき身の上となりしは、寔に限なき不幸なりき。されど斯くてわれカムパニアの曠野に日を送ることなくば、かゝる貴人の爭でか我を認め得給はん。此の如く因果の鐺を手繰りもて行くに、われは神の最大の矜恤、最大の愛憐を消受せしこと疑ふべからず。唯だ凡慮に測り知られぬは我とアヌンチヤタとの上なり。ベルナルドオが姫を得んと欲せしは卑陋なる色慾にして、縱ひ渠一たびその願の成らざるを憂ふとも、渠は月日を費すことなくして、その失望を慰めその遺憾を忘れしならん。わが情はいと高くいと深くして、われ若し姫を獲たらんには、此世の中には最早何の欲望をも殘さゞりしならん。さるを姫は我を棄てゝ渠を取りたり。我黄金なす夢は一旦にして塵芥となり畢ぬ。こはそもいかなる故ぞや。此煩惱の間、我は忽ち「キタルラ」の音の街上に起るを聞く。見下せば肩に輕く一領の外套を纏ひて、手に樂器を把り、戀の歌の一曲を試みんとする男あり。未だ數彈ならざるに、對ひの家の扉は響なくして開き、男の姿は戸に隱れぬ。想ふに此人を待つものは、優しき接吻と囘抱となるべし。われは星斗のきらめける空を仰ぎ、又熔巖の影處々に紅を印したる青海原を見遣りたり。好し々々、我は我戀人を獲たり。我戀人は自然なり。自然よ。汝はわがためにその霽やかなる天を打明けて何の隱すところもなし。汝はそよ吹く風の優しきを送りて、我額我唇に觸るゝことを嫌はず。我は汝が美しさを歌はん、汝が我心を動す所以を歌はん。言ふこと莫れ、汝が心の痍は尚血を瀝らすと。針に貫かれたる蝶の猶その五彩の翼を揮ふを見ずや。落ちたぎつ瀧の水の沫と散りて猶麗しきを見ずや。これはこれ詩人の使命なり。この世は束の間の夢なり。あの世に到らんには、アヌンチヤタも我も淨き魂にて、淨き魂は必ず相愛し相憐み、手に手を取りて神のみまへに飛び行かむ。  氣力と希望とは再び我胸に入り來れり。わが此より即興詩人として世に立たんは、なか〳〵に樂しかるべき事ぞと思ひ返されぬ。只だ猶心に懸るは、恩人なる貴人の思ひ給はん程奈何なるべきといふ事なり。彼人はわれ舊に依りて羅馬にありて書を讀めりとおもひ給ふならん。彼人のわが都を逃れしさまと我新境界とを聞き知り給はんには、果して何とか言はるべき。われは今宵を過ごさで書を裁して、人々に我未來の事を認め許されんことを請ふことゝなしたり。我書には、子の母に言はんが如く、些の繕ふことなく有の儘に、我とアヌンチヤタとの中を語り、我が一たび絶望の境に陷りて後、今又慰藉を自然と藝術とに求むるに至れる顛末を敍して、さて人々の憐を垂れてわが即興詩人となることを許されんを願ひぬ。われはその答を得ん日までは、敢て公衆のために歌はざるべしと誓へり。これを書く時、涙は紙上に墜ちて斑をなし、われは心の中に答書の至らんこと一月の間にあらんことを祈るのみなりき。書き畢りて、われは久し振にて心安く眠に就きぬ。  翌日フエデリゴはとある横町なる賃房に移り、己れは猶さきの獨逸宿屋なる、珍らしき山と海との眺ある一間に留まりぬ。われは聚珍館(ムゼオ、ボルボニイコ)、劇場、公苑など尋ねめぐりて、未だ三日ならぬに、早く此都會の風俗のおほかたを知ることを得たり。    考古學士の家  或日房奴は我に一封の書をわたしたり。披きて讀めば、博士マレツチイと夫人サンタとの案内状にして、フエデリゴ君をも伴ひて來ませとあり。初めはわれこは屆先を誤りたる書ならずやと疑ひぬ。宿屋の人に博士はいかなる人ぞと問ふに、いと名高き學者にて、考古學とやらんに長け給ふと聞ゆ、その夫人近きころ羅馬より歸り給ひしなれば、客人は途上にて相識になり給ひしにはあらずやといふ。嗚呼、われこれを獲たり。これこそ前の拿破里の貴婦人なるらめ。  夕暮にフエデリゴを誘ひて往きぬ。いと廣き間に客あまた集へり。滑なる大理石の床は、蝋燭の光を反射し、鐵の格子を繞らしたる火鉢(スカルヂノ)は、程好き煖さを一間の内に頒てり。  サンタと名告れる夫人は、嬉しげに我等二人を迎へて、一坐の客達に引合せ、又我等に、毫しも心をおかで家に在る如く振舞はんことを勸めたり。夫人は今宵空色の衣を着たるが、いと善く似合ひたり。我等は若し此人をして少し痩せしめば、第一流の美人たるべきものをとさゝやきたり。  我等は夫人に促されて坐せり。此時一少女ありて「ピアノ」に對ひ、短歌を唱ひ出せり。その曲は偶〻アヌンチヤタがヂドに扮して唱ひしものと同じけれども、その力を用ゐる多少と人を動す深淺とは、固より日を同うして語るべきならず。われは只だ衆のなすところに傚ひて、共に拍手したるのみ。少女は又輕快なる舞の曲を彈じ出せり。男客の三人四人は、急に傍なる婦人を誘ひて舞ひはじめたり。われは避けて、とある窓龕に躱れたり。  初めわれは席に入りしとき、痩せたる小男の眼鏡懸けたるが、忙しげに此間に出入するを見たり。この男わが窓龕にかくれしを見て、我前に立ち留まり、慇懃なる禮をなせり。われはその何人なるを知らねども、姑く共に語らばやとおもひて、ヱズヰオの山の噴火の事を説き、その熔巖の流れ下る状など、外より來るものゝ目を驚かす由を云ひたり。小男の答ふるやう。否。今の噴火の景などは言ふに足らず。プリニウスの書に見えたる九十六年の破裂は奈何なりけん。灰はコンスタンチノポリスにさへ降りしなり。近き年の破裂の時も、我等拿破里人は傘さして行きしが、均しく灰降るといふも、拿破里に降るとコンスタンチノポリスに降るとは殊なり。何事によらず、今の世は遠く古の希臘羅馬の世に及ばずと知り給へ。澆季の世は古に復さんよしもなしと、かこち顏なり。われ芝居話に轉ずれば、彼は遠くテスピスの車に遡りて、(世に傳ふ、テスピスは前五四〇年頃の雅典人にして、舞臺を車上にしつらひ、始て劇を演じたりと)希臘俳優の被りぬといふ、悲壯劇の假面と滑稽劇との假面とを列擧せり。われ又近頃禁軍の檢閲ありしを聞きつと噂すれば、彼は希臘の兵制を論じて、マケドニア歩兵の方陣の操錬を細敍すること目撃の状の如くなり。既にして彼は我に考古學又は美術史を研究し給ふやと問ひぬ。われ答へて、己れは専門の學をなさずと雖、凡そ宇宙の事は一として我研究の資料ならぬはなし、己れは詩人たらんと心掛くるなりと云へば、彼手を拍ちて喜び、ホラチウスが句を朗誦し、我琴を以てヨヰスの神の龜甲琴に比したり。  忽ちサンタ我前に來て云ふやう。さては終に生捕られ給ひしよ。おん身等の物語は、定めてセソストリス時代の事なるべし。(希臘傳説に見えたる埃及王の名なり。前十四五紀の間の名ある王二人の上を混じて説けり。)客人には現世の用事あり。かしこに少き貴婦人の敵手なくて寂しげなるあり。願はくは誘ひ出して舞の群に入り給へとなり。われ逡巡して、否われは舞ふこと能はず、曾て舞ひしことなしと答ふれば、サンタ重ねて、家のあるじたる我身おん身に請はゞ奈何といふ。われ。まことに濟まぬ事ながら、われ若し強ひて踊り出でば、おのれ一人跌き轉ぶのみならず、敵手の貴婦人をさへ拉き倒すならん。夫人打ち笑ひて、そは好き見ものなるべしといひつゝ、フエデリゴの方に進み近づき、直ちに伴ひて舞の群に入りぬ。小男は我を顧みて、氣輕なる女なり、されど貌は醜からず、さは思ひ給はずやといふに、我はまことに仰の如く、めでたき姿なりと讚め稱へき。此よりいかなる話の運なりしか知らねど、我等二人は忽ち又古のエトルリヤ人(昔羅馬の北に住みし民)の遺しゝ陶器の事を論ぜざるべからざることゝなりぬ。彼は此地の聚珍館内なる瓶又は壺の數々を擧げて、これに畫きし畫工に説き及ぼし、次いでその畫工の技巧を辯明したり。此等の陶畫は、皆濕に乘じて筆を用ゐるものなれば、一點一畫と雖、漫然これを下すべきにあらずなど云へり。彼は猶其詳なるを教へんために、不日我を聚珍館に連れ往かんと約せり。  夫人は再び我前に來て、さては論文はまだ結局とならぬにや、以下次號とし給へと呼び、急に我手を把りて拉き去りつゝ、聲を低うして云ふやう。おん身は餘りに人好きにはあらずや。我夫はいつも此の如くなれば、うるさき時は忍びて聽き給ふには及ばず。おん身の兎角沈み勝になり給ふは惡しき事なり。人々と共に樂み給へ。いざ我身おん相手となるべければ、何にても語り聞せ給へ。こゝに來給ひてより、何をか見給ひし、何をか聞き給ひし、何をか最もめでたしと思ひ給ひしといふ。われ。兼ておん身の告げ給ひしに違はず、拿破里はいとめでたき地なり。今日の午過ぎなりき。獨り歩みてポジリツポの巖窟に往きしに、葡萄の林の繁れる間に古寺の址あり。そこに貧しき人住めり。可哀げなる子供あまた連れたる母はなほ美しき女なりき。我は女の注ぎくれたる葡萄酒を飮みて、暫くそこに憩ひしが、その情その景、さながらに詩の如くなりきと語りぬ。夫人は示指を竪てゝ、笑みつゝ我顏を打守り、油斷のならぬ事かな、さるいちはやき風流をし給ふにこそ、否々、面をあかめ給ふことかは、君の齡にては、精進日の説法聞きて心を安じ給ふべきにはあらぬものをとさゝやきぬ。  夫婦の上にて、此夕わが知ることを得たるところは、いと少かりき。されどサンタが性の拿破里婦人の特色と覺しく、語を出すに輕快にして直截なる、人に接するに自然らしく情ありげなるは、深く我心に銘せり。その夫は博學の人と見えたり。共に聚珍館に遊ばんには、これに増す人あるべからず。  われは次第に足近く彼家に出入するやうになりぬ。サンタの待遇は漸く厚く親くなりて、われは早くも心の底を打明けて此婦人に語りぬ。後に思へば、われは世馴れぬ節多く、男女の間の事などに昧きは、赤子に異ならぬ程なれば、サンタの如き女に近づくことの、多少の危險あるべきを知るに由なかりしなり。サンタが夫は卑しき饒舌家ならずして、まことに學殖ある人なりしこと、此往來の間に明になりぬ。  或日われはサンタに語るに、アヌンチヤタと別れし時の事を以てせり。サンタは我を慰めて、ベルナルドオの心ざまを難じ、又アヌンチヤタの性をさへ貶め言へり。そのベルナルドオを難ずる詞は、多少我創痍に灌ぐ藥油となりたれども、アヌンチヤタを貶むる詞は、わが容易く首肯し難きところなりき。  サンタのいふやう。彼女優をばわれも屡〻見き。舞臺に上る身としては、丈餘りに低く、肌餘りに痩せたりき。拿破里にありても、若き人々の崇拜尋常ならざりしが、そは聲の好かりしためなり。アヌンチヤタが聲は人を空想界に誘ひ行く力ありき。而してその小く痩せたる身も亦空想界に屬するものゝ如くなりしなり。おん身若し我言を非へりとし給はゞ、そは猶肉身なくて此世に在らんを好しとし給ふごとくならん。假令われ男に生るとも、抱かば折るべき女には懸想せざるべしといへり。われは覺えず失笑せり。想ふにサンタは話の理に墜つるを嫌ふ性なれば、始より我を失笑せしめんとて此説をなしゝならんか。奈何といふにサンタもアヌンチヤタが品性の高尚なると才藝の人に優れたるとをば一々認むといひたればなり。  或時われは詩稿を懷にして往きぬ。こは拿破里に來てよりの近業にて、獄中のタツソオ、托鉢僧など題せる短篇の外、無題一首ありき。われは愛情の犧牲なり。わが曾て敬し曾て愛しつる影像は、皆碎けて塵となり、わが寄邊なき靈魂は其間に漂へり。われはサンタに向ひ居て詩稿を讀み始めしに、未だ一篇を終らずして、情迫り心激し、われは鳴咽して聲を續ぐことを得ざりき。サンタは我手を握りて、我と共に泣きぬ。わがサンタに親むことは、此より舊に倍したり。  サンタの家は我第二の故郷となりぬ。われは日ごとにサンタと相見て、日ごとに又その相見ることの晩きを恨みつ。この婦人の家にあるさまを見るに、其戲謔も愛すべく其氣儘も愛すべし。これをアヌンチヤタの一種近づくべからず褻るべからざる所ありしに比ぶれば、固より及ぶべくもあらねど、かの捉へ難き過去の幻影には、最早この身近き現在の形相を斥くる力なかりしなり。  或時我は又サンタと對坐して語れり。夫人。近ごろポジリツポの眺好き家と顏好き女とを尋ね給ひしか。われ。否、前後二たび往きしのみ。夫人。女は最早餘程おん身になじみしならん。子供は案内者に雇はれ、主人は漁に出でゝ在らざりしにはあらずや。用心し給へ、拿破里の海の底は、やがて地獄なりといへば。われ。否、我心を引くものは唯景色のみなり。かの賤女いかに美しとて、決して我を誘ひ寄すること能はざるべし。夫人。吾友よ、われは明におん身の心を知れり。曩にはその心に初戀の充牣したるため、些の餘地だになかりき。われは君が初戀を陋しとせざるべし。されどその敵手なる女の、君の直きが如く直からざりしは、爭ふべからざる事實なるべし。否、我話の腰を折り給ふな。さてその初戀の眞の價は兎まれ、角まれ、その君が心に充牣したるもの、今や無慙にも引き放ちて棄てられ、その跡は空虚になりぬ。この空虚は何物もて填むべきか。君は昔こそ書を讀み空想に耽りて自ら足れりとし給ひけめ、彼女優の一たび君を現實世界に引き出したる上は、君も亦我等と同じく血あり肉ある人となり給ひて、その血その肉はその本來の權利を求めでは止まざるべし。少壯幾時かある。男兒何の敢てすべからざる事かあらん。されば我に物隱さんとし給ふには及ばざるにあらずや。われ。おん説の前半は、げにさもあるべく思はれて、空虚の事などは首肯しても好し。されどそを填めん策をば未だ講ぜしことあらず。夫人。さらば君は猶我説を問はんとし給ふか。君の既に一たび空想を出でながら、猶再びこれに還りて、一個の空想人物とならんとし給ふが怪しきなり。アヌンチヤタは君が理想の女ならずや。高尚なる人物ならずや。それすら空想人物のアントニオの君を棄てゝ、人柄下りたるベルナルドオを取りしなり。アヌンチヤタも男欲しかりしなり。斯く言ひ掛けて、サンタは愛らしき聲して笑ひ、おん身の餘りに罪なき性なるため、我に女の口より言ひ難き事さへ言はしめ給ふこそ憎けれとて、指もて我頬を彈きたり。  旅店に還りて獨り思ふに、サンタの我を評する言は、昔ベルナルドオの我を評せし言と同じ。此頃又フエデリゴの話を聞きしに、その羅馬にありし日の經歴には、我の夢にだに知らざるやうなることもありて、賤しきマリウチアさへその事に與れりといふ。世の人はわが厭ひおそるゝところのものを悦び樂むにや。アヌンチヤタの我を棄てゝベルナルドオを取りしなどは、現にもこれを證して餘あるが如くなり。果して然らばアヌンチヤタは我感情を愛して我意志を嫌ひしにやあらん。あらず、わが意志の闕乏を嫌ひしにやあらん、いと覺束なく心許なき事にこそ。    絶交書  拿破里に來てより既に一月を經ぬ。さるにアヌンチヤタとベルナルドオとの上に就きては、何の聞くところもあらず。或夕一封の書は到りぬ。何人のいかなる便するにかと、打ち返してこれを見るに、印はボルゲエゼ家の印にして、筆は主公の筆なり。われは心に聖母を祈りつゝ、開いてこれを讀みたり。其文に曰く。 御書状拜讀仕候。素と拙者の貴君の御世話可致と決心候節、貴君の爲めに謀候は、當地に於いて正當なる教育を受けられ、社會に益ある一人物となられ候樣にと希望候儀に有之候。然處貴君の行跡全く此希望と相反候は、今更是非なき次第と諦念候より外無之候。當初御萱堂不幸之砌、存寄らざる儀とは申ながら、拙者の身上共禍因と連係候故、報謝の一端にもと志候御世話も、此の如く相終候上は、最早債を償ひ劵を折候と同じく、何の恩讐も無之、一切事濟と看做候て宜かるべしと存候。然上は即興詩人と爲り藝人と爲りて公衆の前に出でられ候とも、拙者に於いて故障等可申には無之候。唯此際申入置度は、後日貴君の拙者一家に於ける從來の關係等、一切口外下さる間敷儀に御座候。生涯當家の恩義忘却致さずとは先年度々申聞けられ候處に有之候へども、拙者に報ずる所以の最大事件たる學問修行をば塵芥の如く棄てられ候て、今は其最小事件即ち拙者を呼ぶに恩人を以てせられ候儀さへ、拙者の心に屑とせざるものと成果候段、歎息の外無之候。草々不宣。  われは血の胸に迫るを覺えて、兩手は力なく膝の上に垂れたり。泣かば心鎭まるべけれども涙出でず、祈らば力着くべけれども語出でず。我は悶絶せる人の如く、頭を卓上に支へて坐すること良〻久しかりしが、其間何の思ふところもあらざりき。われは痛苦をだに明には覺えざりしなり。只だ心の底には言ふべからざる寂しさを感じて、今は聖母さへ世の人と同じく我を見放し給ふかと疑ひおもへり。  フエデリゴはこゝに來ぬ。進みて我手を握りて云ふやう。病めるか、アントニオ。獨り物思ふは惡しき事なり。汝はアヌンチヤタを失ひて不幸なりといへど、我は汝のアヌンチヤタを得て幸なるべかりしや否やを知らず。我經歴に徴するに、大抵わが遭逢せし所は、後に顧みるにわが最も宜しき所なりし也。然れども運命の人を引き𢌞すは、間〻頗る手荒きものにて、人はこれを痛苦とし不幸とするなりといふ。我は詞なくて、卓上の書状を指し、友のこれを讀む間、これに背きて涙を拂ひつ。友は我肩を撫でゝ、泣くが好し、泣かば心落着くべしと云へり。暫しありて友は我に、此書状を見たる後、既に思ひ定むる所ありやと問ひたり。此時われは忽ち思ひ付くよしありて、友に向ひて語り出でぬ。聞け吾友、われは僧とならんとす。我は幼きより聖母に仕へたるが、今思へば淺からぬ縁ありしならん。聖母の慈悲は廣大なれば、縱ひ一たび我を棄て給ふとも、いかでか我懺悔を聞き給はざることあらん。われは空想人物にて、汝等と同じからず。世間に立ち交るとも、何の益かあるべき。若かじ、今の機到り縁熟せるを幸として、平和を寺院の中に求めんには。友。おろかなり、アントニオ。否運に遭ひて志を屈せずしてこそ人たる甲斐はあれ。汝の氣力あり技倆あるを、傲慢なる羅馬の貴人に見せよ、世間に見せよ。詩人は賤しき業にあらず。汝は才あり學あればこそ、詩人とならんとは思ひ立ちしなれ。汝が前途は多望なり。されどわれおもふに、わが斯く辭を費すはいたづら事にはあらずや。汝が僧とならんといふは、けふの黄昏の暗黒なる思案にて、あすは旭日の光に觸れて泡沫のごとく消え去るべきものにはあらずや。兎まれ角まれ、汝が病をばわが手ぬかりにて長じたりと覺し、汝は獨り籠り居て蟲をおこしたるならん。あすは車一輛倩ひて、エルコラノ、ポムペイに往き、それよりヱズヰオの山に登るべし。先づ今宵は大路まで出でゝ、面白く時を過さん。世の中は驅足して行く如し。而して人々のおのが荷を負ひたり。鉛の重さなるもあり。翫具と一般なるもあり。友は斯く語りつゝ我を促し立てゝ出で行かんとせり。嗚呼、我にも猶此の如く慰め呉るゝ友あるこそ嬉しけれ。我は默して帽を戴き、友の後に跟きて出でぬ。    好機會  戸を出づれば小屋掛の小劇場より賑かなる音樂の聲聞ゆ。われ等二人は群集の間に立ちてその劇場の状を看たり。夫婦と覺しき男女、表をのみ飾りたる衣を纏ひて板敷の上に立ちたるが、客を喚ぶことの忙しさに、聲は全く嗄れたり。色蒼ざめたる一童子「ピエロオ」(滑稽役)の服を着けて、悲しげに「ヰオリノ」彈けば、姉妹なるべし、少女二人のこれを繞りて踊るを見る。哀なるかな此人々。その運命のはかなきこと我と同じきなるべし。我は大息を抑へて友の肩に倚りたり。友は慰めて云ふやう。物思も好き程にせよ。暫くこの邊を漫歩して、汝が目の赤きを風に吹き消させ、さて共にマレツチイ夫人の許に往かん。夫人は汝と共に笑ひ共に泣きて、汝が厭ふをも知らぬなるべし。こは我が能くせざるところにして夫人の能くするところなり。いざ〳〵と勸めつゝ、友は我を拉きて街上を行き巡り、遂に博士の家に入りぬ。  夫人は出で迎へて、好くこそ來給ひたれ、君等の定の日を待たで來給はんは何時なるべきと、兼ねてより思ひ居たりといふ。友。わがアントニオは又例の物の哀といふものに襲はれ居れば、そを少し爽かなる方に向はせんは、おん宅ならではと思ひて參りしなり。明日は共にエルコラノとポムペイとに往きて、ヱズヰオの山にも登らんとす。折好く噴火の壯觀あれかしと願ふのみといふ。博士聞きて友に對ひて云ふやう。そはいと好き消遣の法なり。われも暇あらば共にこそ往かまほしけれ。ヱズヰオに登らんは煩はしけれど、ポムペイの發掘の近状を見んこと面白かるべし。われはかしこより彩色の硝子器數種を得たれば、この頃そを時代別にして小論文一篇を作りぬ。今君に見せて、彩色に關する二三の疑を質さばやと思ふなり。アントニオ君はしばし妻の許に居給へ。後には集りて一瓶の「フアレルノ」(フアレルナに産する葡萄酒)を傾け、ホラチウスが詩を歌はんと云ふ。かくて主人は友を延いて入り、我をばサンタ夫人の許に留め置きぬ。  夫人。君は又新しき詩を作り給ひしならん。君が面を見るにその經營慘憺とやらんいふことの痕深く刻まれたる如きを覺ゆるなり。さきにはタツソオの詩を誦して聞せ給ひしが、その句は今も我懷に往來して、時ありては獨り涙を墮すことあり。そはわが泣蟲なるためにはあらず。など少しく氣を霽やかにして我面を見て面白き事を語り聞せ給はざる。尚默して居給ふか。若し言ふべきことなくば、わがこの新しき衣をだに譽め給へ。好く似合ひたるにあらずや。體にひたと着きてめでたからずや。詩人はかゝる些細なる事をも心に留めでは叶はぬものなり。我姿のすらりと痩せて「ピニヨロ」の木の如くなるを見給はずや。われ。そは直ちに心付き候ひぬ。夫人。おん身はまことに世辭好き人なり。我姿はいつもの通りなり。衣は緩く包みし袱の如し。否々、面を赤うし給ふことかは。おん身も年若き男達の癖をばえ逃れ給はずと思はる。今少し多く女子に交り給へ。われ等はおん身を教育すべし。おん身の友と我夫とは、今その考古學の深みに嵌まり居て、身動きだにせざるならん。いざ共に「フアレルノ」を飮まん。後には人々と同じく改めて杯を把り給ひても好しといふ。夫人に斯く勸められて、われは急に酒飮むことを辭み、世の常の物語せばやと、一言二言いひ試みしが、胸の憂に詞淀みて、いかにも心苦しければ、夫人よ恕し給へ、われは今快からず、さるを強ひて物語せば、そは徒におん身を惱ますに近からんと云ひつゝ、起ちて帽を取らんとせしに、夫人は忽ち我手を把りて再び椅子に着かしめ、優しく我顏を目守りて云ふやう。今は歸し參らせじ。おん身は何事にか遭ひ給ひしならん。心を隔て給ふことかは。わが氣輕なる詞つきは、おん身の心を傷つけたらんも計られねど、そは稟賦なれば、是非なし。われはまことにおん身の上を氣遣へり。何事にか遭ひ給ひしならば、包まずわれに語り給へ。故里の文をや得給ひし。ベルナルドオが創のためにみまかりしにはあらずやと云ふ。初めわれは主公の書を得たることを此人に告げん心なかりしが、斯く問はれて心弱く、有の儘に物語りぬ。さて詞を續ぎて、われは全く世に棄てられたり、世には一人の猶我を愛するものなしと欷歔して叫びし時、否、アントニオと云ふ聲耳に響きて、われは温き掌の我額を撫で、忽又熱き唇の其上に觸るゝを覺えき。否、アントニオ猶おん身を愛する人あり。おん身は善き人なり、可哀き人なり。夫人はかく言ひつゝ、もろ手もて我頭を抱き、その頬は我耳の邊に觸れたり。我血は湧き返りて、渾身震ひ氣息塞がりたり。此時人の足音して一間の扉は外より開かれ、主人はフエデリゴと共に入り來りぬ。サンタ夫人は徐に友を顧みて、好き處に來給ひたり、アントニオ君は熱を患へ給ふにやあらん、心地惡しとのたまひつゝ、忽ち青くなり又赤くなり給ふ故、安き心はあらざりきなど云ひ、又我に向ひて、いかに、今は前の如くにはあらざるならんと云ふ。その面持すこしも常に殊ならず。われは心の底に、言ふべからざる羞と憤とを覺えて、口に一語をも出すこと能はざりき。博士は例の古語を引きて、客人心地はいかなるにか、クピド(愛の神)の磨く箭にや中り給ひしなどいひつゝ、われ等に酒を勸めたり。夫人はわれと杯を打碰せて、意味ありげなる目を我面に注ぎ、これを乾さばや、好機會のためにと云ふに、我友點頭きてげに好機會は必ず來べきものぞ、屈せずして待つが丈夫の事なりと云ふ。この時博士も亦杯を擧げて、さらば我もその好機會のために飮まんと云ひぬ。夫人は高く笑ひて手もて我頬を撫でたり。    古市  翌朝フエデリゴは博士マレツチイと共に我客舍に來て促し立て、打ち連れて馬車に上りぬ。車は拿破里の入江を匝りて行くに、爽かなる朝風は海の面より吹き來れり。友は遙にヱズヰオの山を指さして、あの烟の渦卷き騰る状を見よ、今宵は興ある遊となるべきぞと云ひしに、博士首を掉りて、かばかりの烟は物の數ならず、紀元七十九年の噴火の時を想ひ見給へと云ひぬ。拿破里の町はづれを過ぎて、程なくサンジヨワンニイ、ポルチチ、レジナの三市の相連れるを見る。そのさま一市をなせるが如し。レジナに至りて車を下れば、われ等の踐める所の脚下は、早く是れ熔巖熱灰のために埋沒せられしエルコラノの古市なり。  博士に延かれて一家に入れば、その中庭に大なる枯井あるを見る。井の裏には螺旋梯を架したり。博士われ等を顧みて云ふやう。見給へ人々。これこそ紀元千七百二十年エルボヨフ公の掘らせし井なれ。穿つこと僅に數尺にして石人現れければ、その工事は遽に止められき。これより人の手を此井に觸れざること三十年。西班牙王カルロス此に來て猶深く掘らせしに、見給へ、かしこの奧に見ゆる石階に掘り當てたりと云ふ。われ等はその井をさし覗くに、日光はエルコラノの市なる大劇場の石階の隅を照せり。案内者は燭を點して、われ等をして各〻これを手にせしめつ。降りて石階の上に立てば、誰か能く懷舊の情の胸間に叢り起るを覺えざらん。是れ千七百載の昔、羅馬の民の集ひ來て、齊しく眸を舞臺の光景に凝し、共に笑ひ共に感動し共に喝采歡呼せし處なるにあらずや。側なる低く小き戸を過ぐれば、闊き廊あり。われ等は舞庭に下りぬ。(舞臺と觀棚との間に在り。)樂人房、衣房、舞臺などを見めぐるに、其結構の宏壯なるは、深く我心を感ぜしめき。燭光の照すところは數歩の外に出でざれども、われはその大さ「サン、カルロ」座に踰ゆべしと想ひぬ。われ等の四邊は空虚幽暗寂寥にして、われ等の頭上には別に一箇の熱鬧世界あるなり。世には既に死したる人のわれ等の間に迷ひ來て相交ることありとおもへるものあり。われは今これに反して、獨り泉下に入りて身を古の羅馬人の精靈の間に寘きたりとおもひぬ。われは人々を促して梯を登りぬ。  右に轉じて一小巷に入れば、古市の一小部の發掘せられたるあり。數條の徑、小房多き數軒の家あり。その壁には丹青の色殘れり。エルコラノの市の天日に觸るゝ處は唯だこれのみなりといへば、工事の未だはかどらざることポムペイの比にあらずと覺し。  レジナを背にして車を馳すれば、目の及ばん限、只だ大海の忽ち凝りて黒がねとなれるかと疑はるゝ平原を見るのみ。半ば埋れたる寺塔は寂しげに道の側に立てり。處々に新に造りたる人家と葡萄圃とあり。博士われ等を顧みて云ふやう。この境の慘状をばわれ目のあたり見ることを得たり。われは猶幼かりき。この車轍の過ぐるところは、其時火燄の海をなし、その怖ろしき流は山岳の方より希臘塔市(トルレ、デル、グレコ)の方へ向ひたり。葡萄圃は多く熔巖に掩はれ、父とわれとの立てる側なる岩は其光を受けて殷紅なり。寺院の火海の中央に漂へるさまはノアの船に異ならず、その燈の未だ滅せざるが微かに青く見えたり。われは生涯その時の事を忘れず。父の燒け殘りたる葡萄を摘みてわれに食はせしは、今も猶昨のごとしと云ひぬ。  凡そ拿破里の入江の諸市は、譬へば葡萄の蔓の梢より梢にわたりて相連れるが如く、一市を行き盡せば一市又前に横る。(希臘塔市の次は即トルレ、デル、アヌンチヤタの市なり。)道は此熔巖の平野に至るまで、都會の大街に異ならず。馬に乘る人、驢に騎る人、車を驅る人など絶えず往來して、その間には男女打ち雜りたる旅人の群の一しほの色彩を添ふるあり。  初めわれはエルコラノもポムペイも深く地の底に在りと思ひき。されど其實は然らず。古のポムペイは高處に築き起したるものにして、その民は葡萄圃のあなたに地中海を眺めしなり。われ等は漸く登りて、今暗黒なる燼餘の灰壘を打ち拔きたる洞穴の前に立てり。洞穴の周圍には灌木、草綿など少しく生ひ出でゝ、この寂しき景に些の生色あらせんと勉むるものゝ如し。われ等は番兵の前を過ぎて、ポムペイの市の口に入りぬ。  博士マレツチイは我等を顧みて、君等は古のタチツスをもプリニウスをも讀み給ひしならん、凡そ此等の書の最も好き註脚は此市なりと云ひたり。われ等の進み入りたる道を墳墓街と名づく。許多の石碣並び立てり。二碑の前に彫鏤したる榻あり。是れポムペイの士女の郊外に往反するときしばらく憩ひし處なるべし。想ふに當時この榻に坐するものは、碑碣のあなたなる林木郊野を見、往來織るが如き街道を見、又波靜なる入江を見つるならん、今は唯だ窓牖ある石屋の處々に立てるを望むのみ。屋は地震の初に受けたりと覺しき許多の創痕を留めて、その形枯髑髏の如く、窓は空しき眼窼かと疑はる。間〻當時普請の半ばなりし家ありて、彫りさしたる大理石塊、素燒の模型などその傍に横れり。  われ等は漸くにして市の外垣に到りぬ。これに登るに幅廣き石級あり。古劇場の觀棚の如し。當面には細長き一條の町ありて通ず。熔巖の板を敷けること拿破里の街衢と異なることなし。蓋しこの板は遠く彼基督紀元七十九年の前にありて噴火せし時の遺物なるべし。今その面を見るに、深く車轍を印したればなり。家壁には時に戸主の姓氏を刻めるを見る。又招牌の遺れるあり。偶々その一を讀めば、石目細工の家と題したり。  家裏を窺ふに、多くは小房なり。門扇上若くは仰塵より光を採りたり。中庭の大さは大抵僅に一小花壇若くは噴水ある一水盤を容るゝに足り、柱廊ありてこれを繞れり。壁又歩牀には石目もて方圓種々の飾文を作る。白青赤などの顏料もて畫ける壁を見るに、舞妓、神物の類猶頗る鮮明なり。博士とフエデリゴとはこの美麗にして久しきに耐ふる顏料の性状を論ずと見えしが、いつかバヤルヂイが大著述の批評に言ひ及びて、身の何の處に在るかを忘るゝものゝ如くなりき。(バヤルヂイの著カタロオゴ、デリ、アンチイキイ、モヌメンチイ、デルコラノは大判紙十卷ありて千七百五十五年の刊行なり。)幸に我は平生多く書を讀まざりしかば、此物語に引き入れらるゝ虞なく、詩趣ゆたかなる四圍の光景は、十分に我心胸に徹して、平生の苦辛はこれによりて全く排せられ畢ぬ。  われ等はサルルストが故宅の前に立てり。博士帽を脱して云ふやう。縱ひ靈魂は逸し去らんも、吾豈その遺骸を拜せざらんやと。前壁には、ヂアナとアクテオンとの大圖を畫けり。(アクテオンは、希臘の男神の名なり、女神ヂアナを垣間見て、罰のために鹿に變ぜられ、畜ふ所の群犬に噬まる。)二個の「スフインクス」(女首獅身の石像)を脚としたる大理石の巨卓あり。傳へいふ、初めこの皓潔玉の如き卓を發掘せしとき、工夫は驚喜の餘、覺えず聲を放ちて叫びぬと。されど我を動すことこれより深かりしは、色褪せたる人骨と灰に印せる美しき婦人の乳房となりき。  われ等は廣こうぢを過ぎて、ユピテルの祠の前に至りぬ。日は白き大理石の柱を照せり。其背後にはヱズヰオの山あり。巓よりは黒烟を吐き、半腹を流れ下る熔巖の上には濃き蒸氣簇れり。  われ等は劇場に入りて、磴級をなせる石榻に坐したり。舞臺を見るに、その柱の石障石扉、昔のまゝに殘りて、羅馬の俳優のこゝに演技せしは咋の如くぞおもはるゝ。されど今は音樂の響も聞えず、公衆の喝采に慣れたるロスチウスが聲も聞えず。わが觀るところの演劇は、緑肥えたる葡萄圃、行人絡繹たるサレルノ街道、其背後の暗碧なる山脈等を道具立書割として、自ら悲壯劇の舞群となれるポムペイ市の死の天使の威を歌へるなり。われは覿面に死の天使を見たり。その翼は黒き灰と流るゝ巖とにして、一たびこれを開張するときは、幾多の市村はこれがために埋めらるゝなり。    噴火山  熔巖は月あかりにて見るべきものぞとて、我等は暮に至りてヱズヰオに登りぬ。レジナにて驢を雇ひ、葡萄圃、貧しげなる農家など見つゝ騎り行くに、漸くにして草木の勢衰へ、はては片端になりたる小灌木、半ば枯れたる草の莖もあらずなりぬ。夜はいと明けれど、強く寒き風は忽ち起りぬ。將に沒せんとする日は熾なる火の如く、天をば黄金色ならしめ、海をば藍碧色ならしめ、海の上なる群れる島嶼をば淡青なる雲にまがはせたり。眞に是れ一の夢幻界なり。灣に沿へる拿破里の市は次第に暮色微茫の中に沒せり。眸を放ちて遠く望めば、雪を戴けるアルピイの山脈氷もて削り成せるが如し。  紅なる熔巖の流は、今や目睫に迫り來りぬ。道絶ゆるところに、黒き熔巖もて掩はれたる廣き面あり。驢馬は蹄を下すごとに、先づ探りて而る後に踏めり。既にして一の隆起したる處に逢ふ。その状新に此熔巖の海に涌出せる孤島の如し。されど其草木は只だ丈低き灌木の疎に生ぜるを見るのみ。この處に山人の草寮あり。兵卒數人火を圍みて聖涙酒を呑めり。(「ラクリメエ、クリスチイ」とて葡萄酒の名なり。)こは遊覽の客を護りて賊を防ぐものなりとぞ。われ等を望み見て身を起し、松明を點じて導かんとす。劇しき風に焔は横さまに吹き靡けられ、滅えんと欲して僅に燃ゆ。博士は疲れたりとて草寮に留まりぬ。我等の往手は巖の間なる細徑にて、熔巖の塊の蹄に觸るゝもの多し。處々道の險しき谿に臨めるを見る。  既にして黒き灰もて盛り成したる山上の山ありて、我等の前に横はりぬ。我等は皆徒立となりて、驢をば口とりの童にあづけおきぬ。兵卒は松明振り翳して斜に道取りて進めり。灰は踝を沒し又膝を沒す。石片又は熔巖の塊ありて、歩ごとに滾り落つるが故に、縱に列びて登るに由なし。我等は雙脚に鉛を懸けたる如く、一歩を進みては又一歩を退き、只だ一つところに在るやうに覺えたり。兵卒は、巓近し、今一息に候と叫びて、我等を勵したり。されど仰ぎ視れば山の高きこと始に異ならず。一時許にして僅に巓に到りぬ。われは奇を好む心に驅られて、直に踵を兵卒に接したれば、先づ足を此山の巓に着けたり。  巓は大なる平地にして、大小いろ〳〵なる熔巖の塊錯落として途に横る。平地の中央に圓錐形の灰の丘あり。是れ火坑の堤なり。火球の如き月は早く昇りて、此丘の上に懸れり。我等の來路に此月を見ざりしは、山のために遮られぬればなり。忽ちにして坑口黒烟を噴き、四邊闇夜の如く、山の核心と覺しき處に不斷の雷聲を聞く。地震ひ足危ければ、人々相倚りて支持す。忽ち又千百の巨礮を放てる如き聲あり。一道の火柱直上して天を衝き、迸り出でたる熱石は「ルビン」を嵌めたる如き觀をなせり。されど此等の石は或は再び坑中に沒し、或は灰の丘に沿ひて顛り下り、復た我等の頭上に落つることなし。われは心裡に神を念じて、屏息してこれを見たり。  兵卒は、客人達は山の機嫌好き日に來あはせ給ひぬとて、我等を揮きて進ましめたり。われは初めその何處に導くべきかを知らざりき。火を噴ける坑口は今近づくべきにあらねばなり。導者は灰の丘を左にして進まんとす。忽ち見る。我等の往手に火の海の横れるありて、身幹數丈なる怪しき人影のその前にゆらめくを。これ我等に前だてる旅客の一群なり。我等は手足を動して熔岩の塊を避けつゝ進めり。色褪せたる月の光と松明の光とは、岩の隈々に濃き陰翳を形りて、深谷の看をなせり。忽ち又例の雷聲を聞きて、火柱は再び立てり。手もて探りて漸く進むに、石土の熱きを覺ゆるに至りぬ。巖罅よりは白き蒸氣騰上せり。既にして平滑なる地を見る。こは二日前に流れ出でたる熔岩なり。風に觸るゝ表層こそは黒く凝りたれ、底は猶紅火なり。この一帶の彼方には又常の石原ありて、一群の旅客はその上に立てり。導者は我等一行を引きて此火殼を踐ましめたるに、足跡炙ぶるが如く、我等の靴の黒き地に赤き痕を印するさま、橋上の霜を踏むに似たり。處々に斷文ありて、底なる火を透し見るべし。我等は凝息して行くほどに、一英人の導者と共に歸り來るに逢ひぬ。渠、汝等の間に英人ありやと問ふに、われ、無しと答ふれば、一聲畜生と叫びて過ぎぬ。  我等は彼旅客の群に近づきて、これと同じく一大石の上に登りぬ。此石の前には新しき熔岩流れ下れり。譬へば金の熔爐より出づる如し。其幅は極めて闊し。蒸氣の此流を被へるものは火に映じて殷紅なり。四圍は暗黒にして、空氣には硫黄の氣滿ちたり。われは地底の雷聲と天半の火柱と此流とを見聞して、心中の弱處病處の一時に滅盡するを覺えたり。われは胸前に合掌して、神よ、詩人も亦汝の預言者なり、その聲は寺裏に法を説く僧侶より大なるべし、我に力あらせ給へ、我心の清きを護り給へと念じたり。  われ等は歸途に就きたり。此時身邊なる熔岩の流に、爆然聲ありて、陷穽を生じ炎焔を吐くを見き。されどわれは復た戰き慄ふことなかりき。一行は積灰の新に降れる雪の如きを蹴て、且滑り且降るほどに、一時間の來路は十分間の去路となりて、何の勞苦をも覺えざりき。われもフエデリゴも心に此遊の徒事ならざりしを喜びあへり。驢に乘りて草寮に至れば、博士は踞座して我等を待てり。促し立てゝ共に出づるに、風斂り月明かなり。拿破里灣に沿ひて行けば、熔岩の赤き影と明月の青き影と、波面に二條の長蛇を跳らしむ。聞説らく、昔はボツカチヨオ涙をヰルギリウスの墳に灑ぎて、譽を天下に馳せたりとぞ。われ韮才、固よりこれに比すべきにあらねど、けふヱズヰオの山の我詩思を養ひしは、未だ必ずしもむかし詩人の墳のボツカチヨオの天才を發せしに似ずばあらず。  博士はわれ等を誘ひて其家にかへりぬ。われは前度の別をおもひて、サンタ夫人との應對いかがあらんと氣遣ひしに、夫人の優しく打解けたるさまは、毫も疇昔に異ならざりき。夫人はわが即興の手際を見んとて、こよひの登山を歌はせ、辭を窮めて我才を讚めたり。    嚢家  サンタのわれに優しきことは昔に變らず。されど人なき處にてこれと相見んことの影護たくて、若しフエデリゴの共に往かざるときは、必ず人の先づ集ひたらん頃を待ちて、始ておとなふこととなしつ。現にあやしきものは人の心なり。曾て心にだに留めざりし人と、ゆくりなく浮名立てらるゝときは、その人はそもいかなる人にかと疑ふより、これに心付くるやうになり、心付けて見るに隨ひて、美しくもおもはれ慕はしくもおもはるゝことありと聞く。我が夫人に於けるも亦これに似たるなるべし。前の事ありしより、我が夫人を見る目は昔に同じからで、その豐なる肌、媚ある振舞の胸騷の種となりそめしぞうたてき。  我がナポリに來てより早や二月とはなりぬ。次の日曜日はわが「サン、カルロ」の大劇場に出づべき期なり。其日の興行はセヰルラの剃手にて、その末折の終りてより、我即興詩は始まるべしとぞ掟てられし。番付には流石にわが實の苗字をしるさんことの恥かしくて、假にチエンチイと名告りたり。この運命の定まるべき日の、切に待たるゝと共に、あるときは其成功の覺束なき心地せられて、熱病む人の如くなることあり。けふも博士の家をおとづれたれど、われは人々の背後にかくれて物言ふことも稀なりき。フエデリゴは我が物思はしげなるを見ていふやう。いかに心地や惡しき。われとても同じさまなり。こは火山の所爲にて、この郷の空氣の惡しくなれるならん。ヱズヰオの噴火は次第に熾なり。熔巖の流は早く麓に到りて、トルレ、デル、アヌンチヤタの方へ向へりと聞く。今宵は激しき音の聞ゆるならん。空氣には灰多く雜れり。山に近き處にては、木々の梢皆灰に掩はれたり。巓の上は黒雲覆ひ重りて、爆發の度ごとに青き燄その中に立ち昇れりといふ。サンタは色蒼く、瞳常ならず耀けるが、友の詞を聞きていふやう。われも熱に罹れりと覺ゆ。されど日曜日には病を力めて往くべし。友のためには命をさへ輕んずべし。その翌日熱に苦めらるゝこと前に倍すとも、そは顧みるべき事ならず。友は嬉しとおもふや、あらずや、そは知るべきならねどなど、心ありげに云へり。  われは日ごとに公苑に往き戲園に入り、又心安からぬまゝに寺院を尋ねて、聖母の足の下に俯することあり。頬燃え胸跳るばかりなる怖ろしき誘惑に想ひ到れば、懺悔の念轉〻深く、志を遂げ功を成さんと欲する大いなる企圖を顧み思へば、祈祷の心愈〻切なり。されど我靈は我肉と鬪へり。わが心機の一轉すべき期は、想ふに日曜日にあるならん。われは慰藉を得ずして、空しく聖母の膝下を走り出でぬ。  一たび偕に嚢家(博奕場)に往かずや、いかなる境界をも詩人は知らざるべからずとは、吾友フエデリゴの曾て云ひしところなり。されど友は我を伴ひしことなく、我も亦獨り往かん心を生ずることなかりき。こは見んことの願はしからざるにあらず、心の怯れたるなり。むかしベルナルドオの我にいひしことあり。汝はドメニカに育てられ、「ジエスヰタ」派の學校に人となりて、その血中には山羊の乳汁雜れり。されば汝は臆病なりといひき。當時われはその無禮を怒りしが、今思ふに此言は幾分の理なきにあらず。われまことに詩人となりて、善く社會の状態を歌はんには、先づかゝる怯懦の心を棄てざるべからず。わが此念をなしゝは、夕ぐれに此市に聞えたる嚢家の門を過ぐる時なりき。これぞ我膽を試みるべき好き機會なるべき、自ら博奕せでもあるべし、後に相識れる人々に語るとも、必ず咎むるものはあらじなど、自ら問ひ自ら答へて、騷ぐ胸を押し鎭めつゝ門に入りぬ。こゝには嚴かなる裝したる門者立てり。兩邊に燈を點じたる石階を登れば、前房あり。僮僕あまた走り迎へて、我帽と杖とを受取り、我が爲めに正面なる扉を排開したり。  戸内には燈明き室あまたあり。室ごとに大卓幾箇か据ゑたるを、男女打雜りたる客圍み坐せり。われは勇を鼓して先づ最も戸に近き一室を大股に歩み過ぎしに、諸人は顧みんとだにせざりき。卓の上には堆く金貨を積みたり。我目に留まりしは、十年前までは美しかりけんと思はるゝ、さたすぎたる婦人の服飾美しく面に紅粉を施せるが、痩せたる掌に骨牌緊しく握り持ちて、鷙鳥の如き眼を卓上の黄金に注ぎたるなり。若く美しき女子も二人三人見えたるが、その周匝には少年紳士群り立ちて、何事をか語るさまなりき。老若いづれはあれど、皆嘗て能く人の心を動しゝ人の、今は他の心文牌に目を注ぐやうになりしなるべし。  稍〻狭き室に紅緑に染め分けたる一卓あり。客は柱文銀(「コロンナアトオ」といふ、その文樣に依りて名づく、我二圓十五錢許に當る)一塊若くは數塊を一色の上に置く。球ありて此卓上を走り、その留まる處の色は、賭者をして倍價の銀を贏ち得しむ。傍より覗ふに、その速なることは我脈搏と同じく、黄白の堆は忽ち卓に上り又忽ち卓を下る。われは覺えず兜兒を搜りて一塊の柱文銀を取り、漫然卓上に擲ちたるに、銀は紅色の上に駐まれり。監者は我面を注視して、其色の意に適へりや否やを問ふものゝ如し。われは又覺えず頷きたり。球は走り、我銀は二塊となりぬ。われはこれを收むるを愧ぢて、銀を其處に放置せり。球は走り又走りて、銀の數は漸く加りぬ。運命は我に與するにやあらん。銀の嵩は次第に大いになりて、金貨さへその間に輝けり。われは喉嚨の燃ゆるが如きを覺えたれば、葡萄酒一杯を買ひてこれに灌ぎつ。黄白の山はみる〳〵我前に聳えたり。忽ち球は我色に背きて、監者は冷かに我銀の山を撈ひ取りぬ。われは夢の醒めたる如くなりき。我がまことに失ひしは柱文銀一つのみと、獨り自ら慰めて次の室に入りぬ。  こゝには數人の少女あり。中なる一人の姿貌は宛然たるアヌンチヤタなるが、只だ身幹高く稍〻肥えたるを異なりとす。われは暫くこれに注目せしに、少女は我前に歩み寄りて、傍なる小卓を指し、おん敵手にはなるまじけれどと耳語きたり。わが輕く辭みて數歩を退き去るを、少女は訝かしげに見送り居たり。  奧の詰なる室には、少年紳士等打寄りて撞球戲をなせり。婦人も幾人か立ち雜りたるに、紳士中には上衣を脱ぎたるあり。われは初め此社會の風儀のかくまで亂れたるをば想ひ測らざりしなり。入口の戸に近く、此方に背を向けて撞杖を揮へる丈高き一男子あり。今の撞きざまや巧なりけん、人々喝采せしに、前に我に骨牌を勸めし少女も彼男子の面を覗きて、笑みつゝ何事をかさゝやきたり。男は振り向きざまにその頬に接吻し、女は嬌嗔してその男を打てり。われは遙に彼男の横顏を望み見て慄慴せり。そはその餘りにベルナルドオに肖たるが爲めなり。われは進みてこれに近づくべき膽力なかりき。されどその眞のベルナルドオなりや否やを知らんことの願はしければ、傍にほの暗き室の戸の開きありたるを見て、我より窺ふべく彼より見るべからざらしめんために、壁に沿ひて徐に歩み、そとこれに進み入れり。天井には紅白の硝子燈を弔りたれど、わざと明闇相半して處々蔭多からしめたり。室は假の庭園なり。薄片鐵を塗りて葉となしたる蔓艸は、幾箇のさゝやかなる亭に纏ひ附きて、その間には巧に盆栽の橘柚等を排べたり。亭の前なる梢には剥製の鸚鵡の止まりたるあり。冷なる風は窓より入りて、自奏器の樂聲人の眠を催さんとす。  わが此裝置を一瞥し畢りし時、彼のベルナルドオに肖たる男はこなたに向ひて足の運び輕げに歩み來たり。われは思慮を費すに遑あらずして、近き亭の内に濳みしに、男は面に笑を湛へて閾上に立ち留まりぬ。その面は恰も我方へ眞向になりたるが、われはそのまがふ方なきベルナルドオなることを認め得たり。渠は隣なる亭に歩み入り、長椅に身を投げ掛けて、微かに口笛を鳴し居たり。我胸裏には萬感叢起せり。ベルナルドオこゝに在り。我と他と咫尺す。われはかく思ふと共に、身うちの悉く震ひわなゝくを覺えて、力なく亭内なる長椅の上に坐したり。花卉の薫、幽かなる樂聲、暗き燈火、軟なる長椅は我を夢の世界に誘ひ去らんとす。現に夢の世界ならでは、この人に邂逅すべくもあらぬ心地ぞする。少焉ありて前のアヌンチヤタに似たる少女は此室に入り、將に進みて我が居る亭に入らんとす。われは心にいたく驚きて、身内の血の湧き立つを覺えき。その時ベルナルドオは忽ち聲朗かに歌ひはじめたり。少女は聲をしるべに隣の亭に入りぬ。衣の戰ぎと共に接吻の聲我耳を襲へり。此聲は我心を焦し爛かせり。嗚呼アヌンチヤタは我を去りて此輕薄男子に就きしなり。この男子アヌンチヤタを獲てより幾時をか經し。而るに其唇は早く既にこの淤泥もて捏ね成したる妖姫の身に觸るゝなり。われは此室を馳せ出で、此家を馳せ出でたり。我胸は怒と悲とのために裂けんとす。此夜は曉近うして纔にまどろむことを得たり。  我が「サン、カルロ」の劇場に登るべき日は明日となりぬ。これを待つ疑懼の情と、さきの夜戀の敵に出逢ひたる驚愕の念とは我をして暫くも安んずること能はざらしむ。わが聖母其他の諸聖を祈る心の切なりしこと此時に過ぐるはなかりき。われは寺院に往きて、彼の救世者流血の身に擬したる麪包を乞ひ受け、その奇しき力の我を清淨にし我を康強にせんことを祷りぬ。尊き麪包は果して我に多少の安堵を與へぬ。されどこゝに最も心にかゝる一事あり。そはアヌンチヤタの此地にあるにはあらずや、ベルナルドオはこれに隨ひて來たるにはあらずやといふ疑問なりき。既にしてフエデリゴは我が爲めに偵知して、アヌンチヤタのこゝにあらず、ベルナルドオの四日前に單身こゝに到りしを報ず。友は綿密に市の來賓簿を閲しくれたるなり。サンタの熱は未だ痊えず、されど明日の興行には必ず往かんと誓へり。ヱズヰオは火を噴き灰を雨らすること故の如し。而して我名を載せたる番付は早く通衢に貼り出されたり。    初舞臺  日暮れて劇場の馬車の我を載せ行きしは、樂劇の幕の既に開きたる後なりき。若し運命の女神にして、剪刀を手にして此車中に座したらんには、恐らくは我は、いざ、截れと呼ぶことを得しならん。われは只だ神を頼みて餘念なかりき。  場内の逍遙場には俳優と文士と打雜りたる一群ありき。中には我と同業なる即興詩人さへありて、其名をサンチイニイと云ふ。平素人に佛蘭西語を教ふ。われはその群に近づきたり。會話は甚だ輕く、交ふるに笑謔を以てす。セヰルラの剃手の曲の爲めに登場する俳優は、乍ち去り乍ち來り、演戲のその心を擾さゞること尋常の社交舞に異ならず。舞臺はその定住の地なればさもあるべし。  サンチイニイの云ふやう。吾等は君に難題を與ふべし。譬へば殼硬き胡桃の拆き難きが如し。されど君は能く拆き能く解き給ふならん。われも猶初めて登場せし時の戰慄の状を記せり。されど我智は我に祕訣を授けたり。そは閨情、懷古、伊太利風土の美、藝術、詩賦等、何物にも附會し易きものあるを用ゐ、又人の喝采を博すべき段をば先づ作りて諳んじ置くことを得る事なりと云ふ。われ絶て此種の準備なしと答へしに、サンチイニイ頭を掉りて、否、そは隱し給ふなり、要するに君の如き怜悧なる人には此業いと易しと耳語けり。  剃手の曲は終りて、われは獨り廣闊なる舞臺の上に立てり。座長は笑を帶びて我顏を打目守り、斷頭臺は築かれたりと耳語きて、道具方に相圖せり。幕は開きたり。斯て此大劇場の觀棚に對して立てる時、わが視る所は譬へば黒洞々たる大坑に臨める如く、僅に伶人席の最前列と高き觀棚の左右の端となる人の頭を辨ずることを得るのみ。濃く温なる空氣は漲り來りて我面を撲てり。われは我精神の此の如く安く夷なるべきをば期せざりき。その状態は固より興奮せり。而れどもその諸機に※(てへん+長)觸し易き性は十分に備はりたり。われは自家の精神作用の緊張を覺ゆると共に、又其明徹を覺えたり。猶晴れたる冬の日の空氣の極めて冷に兼ねて極めて明なるがごとくなるべし。  看客は片紙に題を記して出し、警吏これを檢して、その法律に抵觸せざるを認めたる後、われに交付す。われは數題中に就いて其一を簡み取る自由あり。初なる一紙には侍奉紳士と題せり。こは人妻に事ふる男を謂ふ。中世士風の一變したるものなるべし。されどわれは未だ深く心をこれに留めしことなし。(原註。「イル、カワリエル、セルヱンテ」又「チチスベオ」、今侍奉紳士と翻す。此俗本とジエノワ府商賈より出づ。その行販して郷を離るゝもの婦を一友に托す。これを侍奉紳士といふ。初め僧に托するを常とせしが、後又俗士を擇む。侍奉紳士は婦の早起盥漱する時より、深更寢に就く時に至るまで、其身邊に在りて奉侍す。他婦を顧みることを容さず、聞く侍奉紳士中媱褻に及ばざるもの往々にして有り。嘗て一男子の歿するや、其誄辭中侍奉紳士となりて責を負ひ任を全うすといふ語ありきと。)われは此俗を歌ふ一曲の人口に膾炙するものあるを知れど、急にこれに依りて思を搆ふること能はず、(曲とは「フエミナ、ヂ、コスツメ、ヂ、マニエレ」と題するものを謂ふ、「ソネツトオ」なり、ミユルレルの羅馬と其士女との卷中に收めたり。)望を第二紙に屬してこれを開きたり。紙上にはカプリと書せり。是れ亦わが爲めの難題なり。われは拿破里よりその山脈の美しきを賞しつれども、未だ一たびも此島に航せしことあらず。若し二者中一を取らば、猶侍奉紳士をこそ辭を措き易しとせめ。われは第三紙を開きたり。題して拿破里の窟墓といふ。これも亦我未知の境なり。されど窟墓の一語は忽ち少時の怖ろしき經歴を想ひ起す媒となりぬ。フエデリゴとの漫歩より地下に路を失ひたる時の心の周章など、悉く目前に浮びぬ。われは直ちに絃を撥きて歌ひ出でぬ。章句は自らにして成りぬ。われは唯だ自家少時の經歴を語りしのみ、唯だ羅馬の地下窟を以て拿破里の地下窟となしゝのみ。即興詩の末解は、一たび失ひつる絲の端を再び探り得たる喜を敍したり。喝采はあまたゝび起りぬ。われは脈絡中に三鞭酒の循るが如き感をなしたり。  われは第二曲の題として蜃氣樓を得たり。こは拿破里又シチリアの水濱にて屡〻見るゝものといへど、われは未だ嘗て見しことあらず。唯だ此重樓複閣の奧には、我に親しき神女棲み給ふ。これをフアンタジア(空想)の君とはいふなり。われは唯だ平生夢裏に遊べる境界を歌はんのみ。その中には同じ神女の宮殿あり、苑囿あり。われは急に我資材を引纏めて、一の布局を定め、一の物語となしたり。歌ひ出づるに從ひて、新しき思想は多く來り加はりぬ。先づ敍したるは荒廢せる一寺院なりき。景をポジリツポに取りて、わざと其名をば擧げざりき。簷傾き廊朽ちて、今や漁父の栖家となりぬ。聖像を燒き附けたる窓の下に床ありて、一童子臥したり。月あかくいと靜けき夜、美しき童女來りおとづれぬ。その美しさは譬へんに物なく、その身の輕きことそよ吹く風に殊ならず。兩の肩には五彩燦然たる翼生ひたり。二人は共に嬉み遊べり。少女は漁家の子を引きて、緑深き葡萄園に往き、又近きわたりの山に分け入るに、まだ見ぬ景色いと多く、殊に山腹の自ら闢けて、その中にめでたき壁畫と數多き贄卓とある寺院の見えたるなど、言へば世の常なり。或るときは共に舟に棹して青海原を渡り、烟立つヱズヰオの山に漕ぎ寄せつるに、山は全く水晶より成れりと覺しく、巖の底なる洪爐中に、烟渦卷き火燃え上るさま掌に指すが如くなり。或るときは共に地下の古市に遊ぶに、康衢屋舍悉く存じて、往來織るが如く、その殷富豐盛なること、書讀む人の遺蹟を見て説き聞かするところに増したり。少女は嘗て其羽を脱ぎ卸して、その童子の肩に結び、いざ共に空に翔らんといふ。おのれは風なす輕き身なれば、羽なきと羽あると殊ならずとなり。橘柚檸檬の林を見下し、高くは山巓の雲を踏み、低くは水草茂れる沼澤の上を飛びしときは、終に茫漠たる平野の正中なる羅馬の都城に至りぬ。鏡の如き蒼海を脚下に見、カプリの島の外遠く翔りて、夕陽の雲の奧深く入りしときは、忽ち粉堞彫墻の前に横はるを見て、これは何ぞと問ひしに、少女答へて、母君の築き給ひし城よと云ひぬ。少女は童子と樂しき日をこの城の内に送りしこと數〻なりき。童子の齡漸く長ずるに及びて、少女の訪ひ來ること漸く稀になり、はてはをり〳〵葡萄棚の葉の間又は柑子の樹の梢の隙より、美しき目もてそとさし覗くのみとなりぬ。童子はこれを見るごとに戀しく懷かしきこと限なく、人知らぬ愛に胸を苦めたりき。漁父は童子を伴ひて海に往き、艫を搖し帆を揚げ、暴風と爭ひ怒濤と鬪ふことを教へつ。年長けて後、この少年の今は影だに見せぬ昔の友を懷ふ情は愈〻深くのみなりゆきぬ。月清く波靜なる夜半に、獨り舟中にあるときは、ともすれば艫を搖す手のおのづから休み、澄み渡りて底深く生ふる藻のゆらめくさへ見ゆる水にきと目を注けて、瞬もせず打目守ることあり。かゝる時は昔の少女、その嬌眸を睜きて水底より覗き、或は頷き或は招けり。とある朝漁村の男女あまた岸邊に集ひぬ。そは旭日の波間より出でんとする時、一箇の奇しく珍らしき島國のカプリに近き處に湧き出でたればなり。飛簷傑閣隙間なく立ち並びて、その翳なきこと珠玉の如く、その光あること金銀の如く、紫雲棚引き星月麗れり。現にこの一幅の畫圖の美しさは、譬へば長虹を截ちてこれを彩りたる如し。蜃氣樓よと漁父等は叫びて、相指して嬉み笑へり。彼の漁父の子のみは獨り笑はざりき。知らずや、かの樓閣はわが昔少女と共に遊び暮しゝ處なるを。懷舊の念しきりにして、戀慕の情止むことなく、雙眸涙に曇る時、島國は忽ち滅えたり。月あかき宵の事なりき。島國は又湧き出でぬ。忽ち一隻の舟ありて、漁父等の立てる岬の下より、弦を離れし征箭の如く、波平かなる海原を漕ぎ出で、かの怪しき島國の方に隱れぬ。黒雲空を蔽ひて、海面には暗緑なる大波を起し、潮水倒立して一條の巨柱を成せり。須臾にして雲斂まり月清く、海面復た平かになりぬ。されど小舟は見えざりき。彼漁父の子も亦あらずなりぬ。歌ひ畢るとき、喝采の聲前に倍し、我膽力は漸く大に、我興會は漸く高し。  第三曲の題はタツソオなりき。われは一たびタツソオたりしことあり。レオノオレは即ちアヌンチヤタなり。我等はフエルララ宮中に相見たり。われは囹圄の苦を嘗め、懷裡に死を藏して又自由の身となり、波立てる海を隔てゝソルレントオより拿破里を望み、また聖オノフリイ寺の檞樹の下に坐し、戴冠式の鐘聲カピトリウム街頭に起るを聞けり。されど冥使早く至りて其冠をわれに授けつ。是れ不死不滅の冠なりき。思想の急流は我を漂し去りて、我心跳は常に倍せり。  最後の一曲はサツフオオの死を題とす。嫉妬の苦も亦我が自ら味ひたるところなり。アヌンチヤタが痍負ひたるベルナルドオに吝まざりし接吻は、今憶ふも猶胸焦がる。サツフオオの美はアヌンチヤタに似て、その戀情の苦は我に似たり。波濤はこの可憐なる佳人を覆ひ了んぬ。(十六世紀の伊太利詩人タツソオと前七世紀の希臘女詩人サツフオオとの傳は今煩を憚りて悉く註せず。)看客は皆泣けり。拍手の聲は狂瀾怒濤の如く、幕一たび墮ちて後、われは二たび幕の外に呼び出されぬ。  喜は身に滿ち兼ねて胸を壓せり。舞臺を下りて、人々の來り賀するに逢ひし時、われは痙攣のさましたる啼泣を發したり。此夕サンチイニイ、フエデリゴ及二三の俳優は我が爲めに小筵を開けり。我心は嬉みたれど我舌は緘ぼれたりき。フエデリゴ打興じて曰ふやう。此男は一の明珠なり。その一失は第二のヨゼツフたるにあり。(ヨゼツフは童貞女の夫にして耶蘇の義父なり。)盍ぞ薔薇を摘まざる、その凋落せざるひまに。  夜更けて後客舍に歸り、聖母と救世主との我を棄て給はざりしを謝して、いと穩なる夢を結びつ。    人火天火  翌朝は心地爽かに生れ更りたる如くにて、われはフエデリゴに對して心のうちの喜を語ることを得たり。身の周圍なる事々物々、皆我を慰むるものに似たり。又我心は一夜の間に老成人となりたるを覺えぬ。そは喝采の雨露の我性命樹上に墜ちて、其果實を熟せしめたるにやあらん。われは昨夜サンタの劇場にありしを知る。いでや往きて彼夫人をたづね、その讚詞をも受けてましと、足の運も常より輕く、マレツチイ博士の家に往きぬ。博士は繰り返しつゝよろこびを陳べて、さてその妻の劇場より歸りし後夜もすがら熱に惱みしを告げたり。又曰ふ、今は眠れり、眠醒めなば必ず快きに至るならん、夕暮に再び訪ひ給へと。午餐にはフエデリゴ新に獲たる友だちと、我を誘ひ出して酒店に至り、初め白き基督涙號を傾け、次いで赤き「カラブリア」號を倒し、わが最早え飮まずと辭むに迨びて、さらば三鞭酒もて熱を下せなどいひ、歡を盡して別れぬ。街に歩み出づれば、大空は照りかゞやきぬ。そはヱズヰオの山の噴火一層の劇しさを加へて、熔巖の流愈〻闊く漲り遠く下ればなり。岸邊には早くそを看んとて、舟を買ひて漕ぎ出づるものあり。 「アヱ、マリア」の鐘鳴り止む頃、再び博士の家に往きぬ。門に進みて婢に問へば、家にいますは夫人のみにて、目覺めて後は快くなれりとのたまへり。間雜の客をばことわれと仰せられつれど、檀那は直ちに入り給ひても宜しからんとなり。美しくして晴れがましからず、心もおのづから靜まりぬべき室なり。窓の前には厚き質の幌を垂れたるが、長く床を拂へり。鏃研ぐ愛の神の童の大理石像あり。アルガント燈は人を迷はさんと欲する如き光もてこれを照し出せり。こはわが轉瞬の間に看出したる室内のさまなりき。夫人は輕げなる寢衣を着て、素絹の長椅の上に横はりたりしが、我が入るを見て半ば身を起し、左手もて被を身に纏ひ、右手を我にさし伸べたり。  アントニオの君よ、思の儘に捷ち給ひぬ、おん身も嬉しと思ひ給ふならん、千萬人の心は渾て君に奪はれたり、君は初め我がいかに君のために胸を跳らせ、後君の成功の期するところに倍するに及びて、いかに君のために安心の息を瘥えんとす、君も生れ更り給へる如し、舞臺に立ち給ひしとき、君の姿は美しかりき、極めて美しかりき、興會に乘じて歌ひ給ふに及びては、この世の人とは覺えざりき、又その歌ひ給ふところは皆君が上なるやうに聞き做されたり、地下の窟に迷ひ入りし少年と畫工とは、君とフエデリゴの君とに外ならず思はれたりといふ。われ。いかにもそは宣ふところの如し。我が歌ひしは皆我閲歴なりしなり。夫人。しかなるべし。君は戀の喜をも知り給へり、戀の悲をも知り給へり。君は樂を享くべき福ある人なり。今よりその福を消受し給はんことをこそ祈れといふ。われ隨即きのふより心爽かになりて、四邊のものごとの我を樂ましむる由を語りしに、夫人は我手を引き寄せて我と目と目を見合せたり。その目なざしは人の心の奧深く穿ち透すものゝ如くなりき。夫人は現に美しき女なりき。又此時は常にも増して美しく見えたり。その頬は薄紅に匂へり。形好くつやゝかなる額際より、平に後ざまに櫛けづりたる黒髮は、ゆたかなる波打ちて背後に垂れたり。譬へば古のフイヂアスならではえ作るまじきユノの姿にも似たるなるべし。夫人。されば君は世のために生存へ給ふべき人なり、世の寶なり、幾百萬の人をか喜ばせ樂ませ給ふらん。ゆめ一人の人になその尊き身を私せしめ給ひそ。世の中の人、誰かおん身を戀ひ慕はざらん。おん身の才、おん身の藝は、いかなる頑なる人の心をも挫きつべし。斯く云ひつゝ、夫人は我を引きて、其長椅の縁に坐けさせ、さて詞を繼ぎて云ふやう。猶改めておん身に語るべき事こそあれ。疇昔の日おん身が物思はしげに打沈みてのみ居給ひしとき、拙き身のそを慰め參らせばやとおもひしことあり。その時より今日までは、まだしみ〴〵とおん物語せしことなし。いかに申し解き侍らんか。おん身は妾が心を解き誤り給ひしにはあらずやと思はれ侍りといふ。嗚呼、此詞は深く我を動したり、我もしば〳〵或は情厚き夫人の詞、夫人の振舞を誤り解したるにはあらずやと、自ら疑ひ自ら責めしことあり。われは唯だ、御身が情は餘りに厚し、我身はそを受くるにふさはしからずと答へて、夫人の手背に接吻し、自ら勵まし自ら戒めて、淨き心、淨き目もて夫人の面を仰ぎ視たり。夫人の美しく截れたる目の深黒なる瞳は、極めて靜かに極めて重く、我面を俯視す。若し人ありて、此時我等二人を窺ひたらんには、われその何の辭もてこれを評すべきを知らず。されどわれは聖母に誓ふことを得べし。我心は清淨無垢にして、譬へば姉と弟との心を談じ情を話するが如くなりしなり。さるを夫人の目には常ならぬ光ありて、その乳房のあたりは高く波立てり。われはその自ら感動するを以爲へり。夫人は呼吸の安からざるを覺えけん、領のめぐりなる紐一つ解きたり。夫人は、おん身にふさはしからざる情といふものあるべしや、おん身の才あり、おん身の貌ありてとさゝやきて、徐かに臂を我肩に纏ひ、きと目と目を見合せて、無際限の意味ありげなる、名状すべからざる微笑を面に湛へ、猶其詞を繼いで云ふやう。いかなれば妾は初め君を知る明なくして、空想に耽り實世に疎き、偏僻なる人とは看做したりけん。おん身は機微を知り給へり。機微を知るものは必ず能く勝を制す。妾が血を焚いて熱をなすものは何ぞ。妾を病ましむるものは何ぞ。妾は寤めて何をか思へる。妾は寐て何をか夢みたる。おん身の愛憐のみ。おん身の接吻のみ。アントニオよ。妾が身を生けんも殺さんも、唯だおん身の命のまゝなり。夫人はひしと我身を抱けり。一道の猛火は夫人の朱唇より出でゝ、我血に、我心に、我靈に燃えひろごりたり。彼時速し、此時遲し。はたと我頂を撃つものあり。嗚呼、功徳無量なる聖母よ。こはおん身の像を寫せる小匾額にして、偶〻壁頭より墮ち來りしなり。否ず、偶〻墮ち來りしに非ず。聖母は我が慾海の波に沈み果てんを愍みて、ことさらに我を喚び醒し給ひしなり。否〻と叫びて、我は起ち上りぬ。我渾身の血は涌き返る熔巖にも比べつべし。アントニオよ、妾を殺せ、妾を殺せ、只だ妾を棄てゝな去りそと、夫人は叫べり。其臉、其眸、其瞻視、其形相、一として情慾に非ざるもの莫く、而も猶美しかりき。火もて畫き成せる天人の像とや謂ふべき。我身の内なる千萬條の神經は一時に震動せり。我は一語を出すこと能はずして、室を出で階を下りぬ、怖ろしきものに逐はれたらん如く。  戸の外の皆火なること、身の内の皆火なると同じかりき。薫赫の氣は先づ面を撲てり。ヱズヰオの嶺は炎焔霄を摩し、爆發の光遠く四境を照せり。涼を願ふ煩心は、我を驅りてモロの船橋を下り、汀灣に出でしめたり。我は身を波打際にはたと僵しつ。我は自ら面の灼くが如く目の血走りたるを覺えて、巾を鹹水に漬して額の上に加へ、又水を渡り來る汐風の些しをも失はじと、衣の鈕を鬆開せり。されど到る處皆火なるを奈何せん。山腹を流れ下る熔巖の色は海波に映じて、海もまた燃えんとす。眸を凝らして海を望めば、髣髴の間、サンタが姿のこの火焔の波を踏みて立ち、その燃ゆる如き目なざしもて我を責め我を訴ふるを視、耳邊忽ち又妾を殺せ、妾を殺せと叫ぶを聞く。われ眼を閉ぢ耳を掩ひ、心に聖母を念じて、又眶を開けば、怖るべき夫人の身は踉蹌きて後に踣れんとす。そのさま火焔の羽衣を燒くかとぞ見えし。あはれ、其罪を想ふだに、畏怖の念の此の如きあり。その罪を遂げたらん後は、果して奈何なるべき。    もゆる河  舟に召さずや、檀那、トルレ、デル、アヌンチヤタへ渡しまゐらせんと呼ぶ聲は、身のほとりより起りて、そのアヌンチヤタといふ語は、猶能く思に沈みし我を喚び起せり。頭を擡げて見れば、岸近く櫂を止めたる舟人あり。熔巖の流るゝこと一分時に三臂長なりといへり、(伊太利の尺の名)往きて看給はんとならば、半時間には渡しまゐらせんといふ。舟は我熱を冷すに宜しからんとおもへば乘りぬ。舟人は棹取りて岸邊を離れ、帆を揚げて風に任せたるに、さゝやかなる端艇の快く、紅の波を凌ぎ行く。汐風兩の頬を吹きて、呼吸漸く鎭まり、彼方の岸に登りしときは、心も頗るおちゐたり。  我は心に誓ひけるやう。我は再び博士の閾を踰えじ。禁ぜられたる果を指ざし示す美しき蛇に近づきて、何にかはすべき。幾千の人か、これによりて我を嘲り我を侮るべけれど、猶良心に責められんには逈に優れり。壁の上なる聖母は、我を墮さじとてこそ自ら墮ち給ひけめ。斯く思ふにつけて、聖母の惠の袖に掩はれつゝ、水をも火をも避け得つべき喜は一身に溢れ、心の中に有りとあらゆる善なるもの正なるものは一齊に凱歌を奏し、我は復た心の上の小兒となりぬ。天に在す父よ、願はくは禍を轉じて福となし給へと唱へつゝ、身を終ふるまでの安樂の基を立てもしたらん如く、足は心と共に輕く、こゝの小都會を歩み過ぎて、田圃間の街道に出でぬ。  人叫び、人笑ひ、人歌ひ、徒にて走るものあり、大小くさ〴〵の車を驅るものあり。その騷しさ言はん方なし。熔巖の流は今しも山麓なる二三の村落を襲へるなり。一群の老若男女ありて奔り逃れんとす。左に嬰兒を抱き、右に裹みを挾める村婦の、且泣き且走るあり。われは財嚢を傾けてこれに贈りぬ。われは山に向ふ看者の間に介まりて、推されながらも、白き石垣もて仕切りたる葡萄圃の中なる徑を登り行きぬ。衆人は先を爭ひて、熔巖の將に到らんとする部落の方へと進めり。われは數畝の葡萄圃を隔てゝ、始て熔巖を望み見たり。數間の高さなる火の海は墻を掩ひ屋を覆ひて漲り來れり。難に遭へるものは號泣し、壯觀に驚ける外國人は讙呼して、御者商人などは客を招き價を論ぜり。馬に跨れる人あり、車を驅れる人あり、燒酎鬻ぐ露肆を圍みて喧譟せる農夫の群あり。凡そ此等のもの總て火光に照し出されたれば、そのさま筆舌もて描き盡すべからず。  熔巖は同じ嚮に流れ行くものなれば、好事のものは歩み近づきて迫り視ることを得べし。杖の尖又は貨幣などを揷込みて、熔巖の凝りて着きたるを拔き出し、こを看たる記念にとて持ち行くものあり。流れ下る熱質の一部、その高きが爲めに分れて迸り落つることありて、その奇觀は岸拍つ波に似たり。その落ちて地上に留まるや、猶暫くその火紅を存じて、銀河の側に輝く星を看る如し。既にして空氣は漸くその隅角と周縁とを冷却して黒變せしめ、そのさま黒き絲もて編める網に黄金を裹める如し。  熔巖の流れ行く先なる葡萄の幹に聖母の像を懸けたるものあり。こはその功徳もて熔巖の炎を避けんとのこゝろしらひなるべし。されど熔巖はその方嚮を改めず。像を懸けたる一本の葡萄は、早く熱のために葉を焦し、その幹は傾きて、首を垂れ憐を乞ふ如くなり。衆人の中なる淳樸なる民等が眼は、その發落いかならんとこの尊き神像に注げり。幹は愈〻曲り低れて、今や聖母のおほん裳裾と火の流との間數尺となりぬ。忽ち我が立てる側なるフランチスクス派の一僧ありて、もろ手高くさし上げて叫べり。聖母は火に燒かれ給はんとす。汝等を永劫不滅の火焔の中より救ひ給ふ聖母なるぞ。早や助け出さずやといふ。衆人は皆震慄して一歩退き、畏怖の眼を睜りて、次第に撓む梢頭の尊像を仰げり。一人の女房あり。口に聖母の御名を唱へつゝ、走りて火に赴きて死せんとす。爾時僅に數尺を剩したる烈火の壁面と女房との間に、馬を躍らして騎り入りたる一士官あり。手に白刃を拔き持ちてかの女房を逐ひ郤け、大音に呼びけるやう。物にや狂ふ、女子、聖母爭でか汝が援を求めん。聖母は彼拙く彩りたる、罪障深きものゝ手に穢されたる影像の、灰燼となりて滅せんことをこそ願ふなれといふ。その聲はベルナルドオが聲なり。その行は倐忽の間に一人の命を助けて、その言は俗僧の妄誕をいましめ得たるなり。われはこの昔の友を敬する念を禁ずること能はずして、運命の我等二人を遠離けしを憾とせり。されど我胸は高く跳りて、今渠に對ひて名告り合ふことを欲せず、又能はざりき。    舊羈靮  アントニオならずやと呼ぶ聲あり。我に迫りて手を靮の再び我身に纏るゝを覺えて、只だ恩人に見放されたる不幸なる身の上を侘ちぬ。公子は我を慰めがほに、又詞を繼いで云ふやう。否々、おん身を見放さんはをぢ君の志にあらず。我車に上りて共に來よ。今宵は妻のために思掛なき客を伴ひ還らんとす。カステラマレは遠くもあらず。旅宿は狹けれど、猶おん身が憩はん程の房はあるべし。をぢ君の性急なるはおん身も兼ねて知れるならずや。この和睦をばわれ誓ひて成し遂ぐべしといふ。我は首を垂れてこの成ぎの覺束なかるべきを告げしに、公子は無造作に我詞を打消して、我を延きて車の方に往きぬ。  車に乘りてより、公子は我に別後の事を語れと迫りぬ。わが賊寨に入りしことを語るに及びて、公子は面に笑を帶びて、そは即興詩にはあらずや、記憶より出でずして空想より出づるにはあらずやといひ、又恩人の絶交書の事を語るに及びて、苛酷なり、太だ苛酷なり、されどそはおん身の改悛すべきを期してなり、おん身を愛してなり、おん身はよもや非を遂げて劇場に出でなどはせざりしならんといふ。われは直ちに、否、昨晩出でたりと答へき。公子。そは實に大膽なる事なりき。結果はいかなりしか。われ。望外なりき。喝采の聲止まずして、幕の外に出でゝ謝すること再びなりき。公子。御身にかゝる成功ありしか。そは責めてもの事なりき。此詞は我材能に疑を挾めるものなれば、われはそを聞きて快からずおもひぬ、されど恩惠の我口を塞げるを奈何せん。われは夫人に會はんことの心苦しさを訴へしに、公子は唯だ戲に、そは説法なくては濟まぬならん、されど説法を聽聞せんもおん身に害あらじと答へぬ。  兎角いふ程に、車は旅店の門に到りぬ。一少年の髮に燒※(土へん+曼)當てゝ好き衣着たるが、門前に立てり。公子を迎へて云ふやう。フアビアニなるか。好くこそ歸り來たれ。細君は待ち兼ね給へり。かく云ひつゝ我を視て、扨は新顏の即興詩人を伴ひ歸りしか、チエンチイといふなるべし、違へりやと云ふ。公子はチエンチイとはと我面を顧みたり。われ。そは我が番附に書かせし名なり。公子。然なりしか。そは責めてもの思案なりき。少年。フアビアニ、御身は此人のいかに戀愛を歌ひしを想ひ得るか。昨夜おん身が「サン、カルロ」座に往かざりしこそ遺憾なれ。めでたき才藝にこそとて、我と握手し、我と相見る喜びを述べ、又フアビアニに向ひて云ふ。今宵はおん身に晩餐の馳走を所望すべし。この好謳者をおん身等夫婦にて私せんとはせじ。公子。問はるゝまでもなく、おん身は何時にても我方に歡迎せらるゝならずや。少年。さるにてもおん身は、何故に猶我等二人のために紹介の勞を取らずして、互にその名を知ることを得ざらしむるぞ。公子。そはいらぬ禮儀なり。われは熟く渠と相知れり。汝は我友なれば、渠は特らに紹介をば求めざるべし。渠は唯だおん身を知ることを得たるを喜ぶならんといふ。此挨拶は固より我心に慊ねど、われは又恩惠のために口を塞がれたり。少年は我方に向ひぬ。さらばわれ自ら我身を紹介すべし。おん身の何人たるは我既に知れり。我名はジエンナロなり。國王陛下の護衞たる一將校なり。(微笑みつゝ)拿破里の名族にて、世の人は第一に位すとぞいふ。そは僞にもあらざるべし。就中わがをばは頗るこれに重きを置けり。おん身の如きを知るは、大いなる幸なり。おん身の才と云ひおん身の吭と云ひと、猶詞を繼がんとするを、フアビアニは押しとゞめて、止めよ〳〵、さる挨拶を受くることは猶不慣なるべし、紹介とやらんも最早濟みたるべければ、夫人の許に往かん、かしこには又和議といふ難關あり、おん身仲裁の煩を避けずば、今の辯舌を殘し置きて其時の用に立てよと云ひつゝ、彼士官と我とを延きて、旅店の一間に進み入りぬ。われはこの生客の前にて、我身の上の大事を語らるゝを喜ばねど、二人は親しき友なるべければと自ら思ひのどめて、遲れ勝に跟ひ行きぬ。  やうやくにして歸り給ひしよと迎ふるは、久しく面を見ざりしフランチエスカの君なりき。公子。現にやうやくにして歸りぬ。されど二人の賓客を伴へり、夫人は一聲アントニオと云ひしが、忽又調子を更へてアントニオ君と云ひつゝ、その嚴かに落つきたる目を擧げて、夫と我とを見くらべたり。われは身を僂めてその手に接吻せんとせしに、夫人は我を顧みず、手をジエンナロにさし伸べて、晩餐の友を得たる喜を述べ、夫に向ひて、ヱズヰオの爆發はいかなりし、熔巖はいづ方へ流れんとするなど問ひぬ。公子は略ぼ見しところを語りて、我等の邂逅の事に及び、今は客として伴ひたれば昔の事を責め給ふなと云へり。ジエンナロ。然なり。此人いかなる罪を犯しゝか知らず。されど天才には何事をも許さるべきならずや。夫人は纔に面を和げて我に會釋しつゝジエンナロに對ひて云ふやう。君のいつも面白げに見え給ふことよ。犯しゝ科もあらねば、免すべき筋の事もなし。けふは何の新しき事を齎し給ふ。佛蘭西新聞には何の記事かありし。昨夜はいづくにてか時を過し給ひしと問ひぬ。ジエンナロ。新聞には珍らしき事も候はず。昨夜は劇場にまゐりぬ。セヰルラの剃手の僅に末齣を餘したる頃なりき。ジヨゼフイインはまことに天使の如く歌ひしが、一たびアヌンチヤタを聞きし耳には、猶飽かぬ節のみぞ多かりし。さはいへ我が往きしは彼曲のためにはあらず。即興詩を聞かんとてなりき。夫人。その即興詩人は君の心に協ひしか。ジエンナロ。わが期する所の上に出でたり。否、衆人の期せし所の上に出でたり。我は諛はんことを欲せず。又藝術は我等の批評もて輕重すべきものにあらず。されど我は夫人に告げんとす。夫人よ、渠の即興詩をいかなる者とか思ひ給ふ。謳者の人物はその詩中に活動して、滿場の客はこれが爲めに魅せらるゝ如くなりき。何等の情ぞ。何等の空想ぞ。題にはタツソオあり、サツフオオあり、地下窟ありき。篇々皆書卷に印して、不朽に垂るとも可なるやう思ひ候ひぬ。夫人。そは珍らしき才ある人なるべし。きのふ往きて聽かざりしこそ口惜しけれ。ジエンナロ。(我方を見て)夫人は其詩人の今宵の客なるをば、まだ知らでやおはせし。夫人。さてはアントニオなりとか。舞臺にまで上りて、即興詩を歌ひしとか。ジエンナロ。然なり。その歌は舞臺の上にも珍らしき出來なりき。されど夫人は舊く相識り給ふことなれば、定めて屡〻その技倆を試み給ひしならん。夫人。(ほゝ笑みつゝ)まことに屡〻聞きたり。まだ童なりし頃より、アントニオが技倆をば讚め居りしなり。公子。その時われは早く桂の冠をさへ戴かせたり。夫人は處女なりしとき其即興詩の題となりぬ。されど今は食卓に就くべき時なり。ジエンナロ、おん身はフランチエスカを伴ひ往け。われは外に婦人なければ即興詩人を伴はん。いざ、アントニオ君、手を携へて往かんと、戲れつゝ我を導けり。ジエンナロ。さるにても、フアビアニ、おん身は何故我に一たびもチエンチイの事を語らざりしぞ。公子。我家にてはアントニオと呼びならへり。その即興詩人となれるを夢にだに知らねばこそ、前の和睦の一段は生じたるなれ。アントニオは言はゞ我家の子なり。アントニオ、然にはあらずや。(我は公子を仰ぎ視て會釋せり。)アントニオは好き人物なり。唯だ物學ぶことを嫌へり。ジエンナロ。渠は既に萬物を師とする詩人なり。いかなれば強ひて書を讀ませんとはし給ひし。夫人。(戲の調子にて)餘りに讚めちぎり給ふな。我等が渠の机に對ひて數學理學に思を覃むるを期せし時、渠は拿破里の女優に懸想してうはの空なりしなり。ジエンナロ。そは多情多恨なる證なるべし。女優とはいかなる美人なりしぞ。その名をば何とかいひし。夫人。アヌンチヤタとて人柄も技倆も共に優れし女なりき。ジエンナロ。(盃を擧げて)アヌンチヤタは我も迷ひし一人なり。そは好趣味ありと謂ふべし。さらば、即興詩人の君、アヌンチヤタの健康を祝して一杯を傾けてん。(我は苦痛を忍びて盞を碰せたり。)夫人。そも一わたりの迷にあらず。議官の甥と鞘當して、敵手には痍を負はせたれど、不思議にその場を遁れ得たり。かくてこたび「サン、カルロ」座には出でしなり。アントニオをば舊く知りたれども、その大膽なることかくまでならんとは、我等も思ひ掛けざりき。ジエンナロ。その議官の甥と宣ふは、近頃こゝに來て禁軍の指揮官となりし男ならん。我も前の夜出逢ひしが、才氣ある好男子と思はれたり。想ふに情夫先づ來りて、アヌンチヤタも繼いで至るにはあらずや。此推測にして差はずば、拿破里はアヌンチヤタが最後の興行とその合※(丞/己)の禮とを見るならん。夫人。禁軍の將校たるものゝ爭でか歌妓を娶るべき。そは家を汚すに當るべければ。われ。(震ふ聲をえも隱さで)名士の妻を藝術界に求めて、幸福と名譽とを得たるは、その例ありとこそ思ひ候へ。夫人。幸福は或は有らん。名譽は有るべきやうなし。ジエンナロ。否、おん身に忤ふには似たれど、己れなどはアヌンチヤタを得ば、名譽此上なしとおもへり。されば人も然ならんとおもふなり。そは兎まれ角まれ、アントニオの君、今宵の即興を聞せ給へ。夫人は君がために好き題を撰み給ふべければ。夫人。そは撰むまでもなし。ジエンナロの好むところにしてアントニオの能くするところといはゞ、題は戀愛と定まり居るならずや。ジエンナロ。善くこそ宣ひたれ。その戀愛とアヌンチヤタとを題とせん。われ。又の日にはいかなる題をも辭まざるべし。今宵のみは免し給へ。心地も常ならぬやうなり。外套着ずして汐風を受け、直ちに火山の熱さに逢ひ、歸るさの車にて又涼風に觸れし故にや。公子。アントニオも早や技藝家の自重といふことを覺えたりと見えたり。今宵は免すべければ、明日は共にペスツムに往け。かしこには詩料あり。こも亦拿破里におん身が自重を示す手段なるべし。(我はえ辭まで會釋せり。)ジエンナロ。好し、渠を伴ひて行かん。渠一たび希臘廢祠の中に立たば、神來の興忽ち動きて、古のピンダロスを欺く詩を得るならん。公子明日より四日の旅路なり。歸るさにはアマルフイイとカプリとを見んとす。夫人。旅の事をば猶明朝かたらふべし。夫人先づ起ちて我等は卓を離れ、我は始て夫人の手に接吻することを得たり。公子は今夜書を作りてをぢに寄せ、我がために地をなさんと云ひぬ。ジエンナロは打ち戲れて、我はアヌンチヤタを夢にだに見ん、夢なれば決鬪を求むる人はあらじと云ひて別れぬ。  われ若しこの遊を辭みなば、我生涯の運命はこゝに一變したるならん。後に思へば、此遊の四日は我少壯時代の六星霜を奪ひ去りたるなりき。誰か人間を自由なりと謂ふ。いかにも我は、目前に張りたる交錯せる綱を擇み引くことを得べし。されど我はその綱のいづれの處に結ばれたるを知るに由なし。我は恩人の勸に會ひて諾と曰ひたり。こは我生涯の未來の幾齣のために、舞臺の幕を緊しく閉づべき綱なりしを奈何せん。已みぬるかな。  われは數行の書をフエデリゴに寄せて、この思掛なき邂逅と小旅行とを報ぜんとす。こを寫し畢りしとき、我胸には種々の情の群り起るを覺えき。さても此夕の事多かりしことよ。サンタが道ならぬ戀、ベルナルドオの再び逢ひて名告り合はざる、恩人にめぐりあひての後の境遇、彼といひ此といひ、此身は風のまに〳〵弄ばるる一片の木葉にも譬へつべき心地ぞする。きのふは縁なくゆかりなき公衆の喝采を得て、けふは世に稀なるべき美人のわが優しき一言を希ひ求むるに逢ふも我なり。忽ち舊誼の絲に手繰り寄せられて、一餐の惠に頭を垂れ、再び素のカムパニアの孤となるも我なり。恩人夫婦はわが昔の罪を宥して我を食卓に列らしめ、我を遊山に伴はんとす。豈慈愛に非ざらんや。唯だ富人の手に任せて輕く投卑するときは、その賚は貧人心上の重荷となるを奈何せん。    苦言  伊太利風景の美は羅馬又はカムパニアの郊野に在らず。されば我が少しくこれを觀ることを得しは、曾てネミの湖畔に遊びし時と近ごろ拿破里に來し時とのみ。こたび尋ねし勝概こそは、始めて我心を滿ち足らしめ、我をして平生夢寐する所の仙郷に居る念をなさしめしものなれ。凡そ外國の人などの此境を來り訪ふものは、これをその曾て見し所の景に比べて、或は勝れりとし或は劣れりともするなるべし。足本國の外を踐まざる我徒に至りては、只だその瑰偉珍奇なるがために魂を褫はれぬれば、今復たその髣髴をだに語ることを得ざるならん。  素とわれは山水の語ることを得べきや否やを疑ふものなり。山水の全景は一齊に人目を襲ふ。而るにこれを筆舌に上すときは、語を累ねて句を作し、句を積みて章を作し、一の零碎の景に接するに他の零碎の景を以てす。譬へば寄木細工の如し。いかなる能辯能文の士なりとも、その描寫遺憾なきことを得ざらん。そが上に我が臚列する所の許多の小景は、われ自らこれを前後左右に排置して寄木の如くならしむるに由なし。その排置の如きは、一に聽者讀者の空想に委ぬ。是に於いてや、我が説く所の唯一の全景は、人々の心鏡に映じて千樣萬態窮極することなし。且人をして面貌を語らしめて聽け。目は此の如し、鼻は此の如しと云はんも、到底これに縁りて其眞相を想像するに由なからん。唯だ君の識る所の某に似たりと云ふに至りて、僅にこれを彷彿すべきのみ。山水を談ずるも亦復是の如し。人ありて我にヘスペリアの好景を歌へと曰はゞ、我は此遊の見る所を以てこれに應ふるならん。而して聽者のその空想の力を殫して自ら描出する所のものは、竟にわが目撃せし所の美に及ばざるなるべし。蓋し自然の空想圖は逈に人間の空想圖の上にあるものなればなり。  カステラマレを發せしは天氣めでたき日の朝なりき。これを憶へば烟立つヱズヰオの巓、露けく緑深き葡萄の蔓の木々の梢より梢へと纏ひ懸れる美しき谿間、或は苔を被れる岩壁の上に顯れ或は濃き橄欖の林に遮られたる白堊の城砦など、皆猶目前に在る心地ぞする、穹窿あり大理石柱ある竈女の祠の、今や聖母の堂となりたる(マドンナ、サンタ、マリア)は、古を好む人の心を留むべき遺蹟なり。一壁崩壞して、枯髏殘骨の露呈せる處に、葡萄の覃ひ來りて、半ばそを覆ひたるは、心ありてこの悲慘の景を見せじとするにやとさへ思はれたり。  我目前には猶突兀たる山骨の立てるあり。物寂しく獨り聳えたる塔の尖に水鳥の群立ち來らんを候ひて網を張りたるあり。脚底の波打際を見おろせばサレルノの市の人家碁子の如く列れり。而して會〻その街を過ぐる一行ありしがために、此一寰區は特に明かなる印象を我心裡に留むることを得たり。角極て長き二頭の白牛一車を輓けり。車上には山賊四人を縛して載せたるが、その眼は猛獸の如く、炯々として人を射る。瞳黒く貌美しきカラブリア人あり。銃を負ひて、車の兩邊を騎行せり。  旅の初一日の宿をばサレルノと定めたり。この中古學問の淵叢たる市に近づくとき、ジエンナロのいふやう。縑帛は黄變すべし。サレルノ騷壇の光は今既に滅せり。されど自然といふ大著述は歳ごとに鏤梓せらる。予はアントニオと同じく、師とするところ此に在りて彼に在らずといふ。われ答へて、自然固より師とすべし、只だ書册も亦未だ棄つべからず、譬へば酒飯の並びに廢すべからざるが如しといひしに、フランチエスカの君は我言を是なりとし給ひぬ。  此時フアビアニ公子傍より、アントニオよ、言ふは易く行ふは難きものぞ、羅馬に歸りての後は、その詞の僞ならぬを明にせよといふ。羅馬の一語は我が思ひ掛けざるところなりき。我は心の中に、復た羅馬には往かじと誓ひながら、詞に出して爭はんとはせざりき。  公子は更に語を繼ぎてさま〴〵の事をいひ出で、人々のこれに答へなどするひまに一行は早くサレルノに到りぬ。我等は先づ一寺院に入りたり。ジエンナロ進み出でゝいふやう。こゝにてはわれ案内者たることを得べし。これはサレルノにてみまかり給ひし法皇グレゴリヨ七世(獨帝と爭ひて位を逐はれ、千八十五年此に終りぬ)の遺骨を收めし龕なり。その大理石像はかしこなる贄卓の上に立てり。さてこの石棺は歴山大帝の遺骸を藏むといふ。公子。何とかいふ、歴山大帝の躯こゝにありとや。ジエンナロ、我が聞きしは然なりき、さにはあらずや、と寺僮を顧みれば、まことに仰の如しと答ふ。われつら〳〵棺を見て、否、そは誤りなるべし、歴山大帝の躯こゝに在りといはんは、歴史を蔑にするに近し、この浮彫の圖樣は大帝凱旋の行列なれば、かゝる誤を傳へしにや、見給へ、かしこなる寺門に近き處にもこれに似たる石棺ありて、その圖様は酒神の行列なり、彼棺は素とペスツムに在りしを、こゝに移してサレルノの一貴人の永眠の處となし、その石像をば傍に立てたり、此類の棺槨いと多し、大帝の事を圖したりとて其屍を藏むとは定め難しといふ。ジエンナロは唯だ冷かに、現にさることあらんも計られずとのみ答へしに、フランチエスカの君我耳に付きて、自ら怜悧がりて人を屈するは惡しき習ぞと宣ふ。我は頭を低れて人々の後に退きぬ。  晩鐘の鳴る頃、公子とジエンナロとは散歩にとて出で、我は夫人に侍して客舍の軒に坐し居たり。海づらは乳の如き白色に見え、熔巖石を敷きたる街路より薔薇紅にかゞやける地平線のあたりまで、いと廣やかに晴れ渡り、波打際は藍色にきらめけり。かゝる色彩の配合は羅馬の無きところなり。われ、めでたき彩繪には候はずやと云へば、夫人、見よ、雲は今「フエリチツシイマ、ノツテ」(幸ある夜を祈る)を言ふ時ぞ、と山嶽の方を指ざし給ふ。橄欖の林に隱顯せる富人の別業の邊よりは逈に高く、二塔の巓を摩する古城よりは又逈に低く、一叢の雲は山腹に棚引きたり。われ。彼雲の中に棲みて、大海の潮の漲落を觀ばや。夫人。さなり。かしこに住みて即興詩を吟ぜよ。唯だ聽くものなきが恨なるべし。われ。のたまふ如く、其恨は思ひ棄て難し。詩人の喝采を受くるは草木の日光を受くると同じ。囹圄のタツソオが身を害ひしは、獨り戀路の關を据ゑられしが爲めのみにあらず。その詩の爲めに知音を得ざるを恨みしが爲めなり。夫人。われは今おん身が上を語れり。タツソオが事を言はず。われ。タツソオは詩人なり。されば好き例と思ひて引き出でしまでに候ふ。夫人。アントニオよ、さてはおん身は自ら詩人なりと許す心あるにやあらん。我上を語らんときは、不朽の業ある人の名をば呼ばぬぞ好き。おん身は物に感動し易き情ありて、又能くさる情を解するより、直ちに己れの詩人たるを信ぜんとするならん。そは世間幾多の人の具ふる所にして、又能くする所なり。これに惑ひて徒らに思ひ上がりなどせば、生涯の不幸となるべきものぞといふ。われは面の火の如くなれるを覺えて、仰せはさる事ながら、わが自ら深く信ずるところをば包まで申すを聞き給へ、「サン、カルロ」座なる數千の客は我に何の由縁もなきに、口を齊うして喝采したり、われは惠深き君の我喜を分ち給はんことを忖りしにと答へたり。夫人。おん身の友は多かるべし。されどまことにおん身の喜を分たんもの我が如きは少からん。おん身の情に厚きこと、心ざまの卑からぬことは、我等よく知りたり。さればこそをぢ君の御腹立をも申解かばやとさへ思ふなれ。おん身には好き稟賦あり。學ばゞ一廉の人物ともなるらん。されど今の儘にては、その才僅かに坐客の耳を悦ばしむるに足りて、未だ世に立ち名を成さんには遑あらざるべし。われ。才の拙く學の足らざるは、げにおん詞の如くなり。されどわが公衆に對せし時の成功をば、君の親しく視給はねば知らせ參らせんやうなし。只だ君の信ぜさせ給ふと覺しきジエンナロの君は彼夕劇場にありて、我技を賞し給ひきと申さば足りなん。夫人。おん身はジエンナロを證人とせんとやいふ。ジエンナロは好き紳士なれど、われは其藝術上の批評には重きを置かず。劇場に集ひし一夜の公衆に至りては、いよ〳〵信ずべからず。おん身若し彼夕もろひとに辱められんには、われ深く憾とすべし。その事なくして畢りしは、まことに自他の幸なり。おん身が場に上りしは唯だ一夜にして、假名をさへ用ゐぬれば、かゝる夢の如きよしなしごとの久しく人の記憶に殘らん憂はあらじ。三日の後には我等又拿破里に在り。そのあくる日には羅馬へ旅立すべし。羅馬に往きて、おん身の耐忍と勉勵とを見せよ。おん身に眞の事を告ぐるは我のみぞとのたまひぬ。    古祠、瞽女  ペスツムは宿るべき家もなく、こゝよりかしこへの道は賊などの出沒することもありと聞えければ、翌日まだ暗きに一行は車に上りぬ。騎馬の憲兵は護衞として車の傍に隨へり。  道の左右には柑子の林ありて、その鬱茂せる状は深山の森にも似たるべし。セラの流を渡るときは、垂柳月桂の澄める水の面に影を倒せるを見き。荒蕪せる丘陵の間、時に穀の長ぜる田圃あり。道に沿ひて蘆薈霸王樹など野生したるが、皆ところ得がほに延び育ちたり。  既にして一行は一古祠の前に立てり。即ち二千年前の建立にして、その樣式希臘時代の粹と稱せらる。この祠、見苦しき酒店一軒、貧しげなる人家三棟、籘もて作れる小屋三つ四つ。是れ世界に名高きペスツムの村なり。いにしへは此村薔薇に名あり。見渡す限り紅の霞に掩はれたりし由物に見えたれども、今は一株をだに留めず。身邊渾て是れ緑にして、其色遙に山嶽に連れり。平地には菫花多く、薊その外の雜草の間に咲きひろごりたり。自然の力餘ありて人間の工を加へざる處なれば、草といふ草、木といふ木、おのがじし生ひ榮ゆるが中に、蘆薈、無花果、色紅なる「ピユレトルム、インヂクム」などの枝葉さしかはしたる、殊に目ざましくぞ覺えられし。  シチリアの自然、その豐饒の一面と荒蕪の一面とはこゝにあり。シチリアの希臘古祠はこゝにあり。而してシチリアの貧窶もまたこゝにあり。一行のめぐりには一群の乞丐來り集ひたり。その状南海諸島の蕃人にも似たるべし。男子は長き羊の皮を、毛を表にして身に纏へり。暗褐色なる雙脚には靴を穿かず、剪らざる髮は黒き面の邊に翻り垂れたり。妬ましき迄に直に美しく生ひ立ちたる娘たちのこれに隨へるを見るに、そのさま半ば赤はだかなりといふべし。膝の上まで截り開きたる短衣は裂け綻び、鬆く肩に纏へる外套めきたる褐色の布は垢つきよごれ、長き黒髮をば項に束ね、美しき目よりは恐ろしき光を放てり。  此群に十二歳を踰えじと見ゆる、すぐれて麗しき娘あり。アヌンチヤタとなるべき姿にもあらず、さればとて又サンタとなるべき貌にもあらず。前にアヌンチヤタが物語に聞きつる、メヂチ家の愛憐神女の像は、かゝる面影あるにはあらずやと思はる。實に此少女の清き容は、人をして囘抱せんと欲せしむるものにあらで、却りて膜拜せんと欲せしむるものなり。  この少女は少し群を離れて立てり。褐色なる方巾偏肩より垂れたるが、巾を纏はざる方の胸と臂とは悉く現はれたり。雙脚には何物をも着けざりき。かくはかなき身と生れても、流石に粧ひ飾る心をば持ちたるにや、髮平かに結ひ上げて、一束の菫花を揷せるが、額の上に垂れ掛れり。われその容を窺ふに、羞慙あり、慧巧あり。而して別に一種言ふべからざる憂愁の色を帶びたる如くなりき。唯だその雙眸は恆に地上に注ぎて、人の面を見んことを恐るゝものゝ如し。  口々に物乞ふ中に、この少女のみは一言をだに發せざりき。ジエンナロ先づ進み寄りてこれに錢を與へ、手を頤の下に掛けて、此群には惜しき佳き兒ぞといふ。公子夫婦もまことに然なりといひぬ。われは少女の面の紅を潮するをみたり。少女は目を開けり。而してわれ始てその瞽なるを知りぬ。  われは同じくこれに物を贈らんと欲して敢てせざりき。既にして人々は乞丐の群に窘められて、酒店の軒に避けたれば、獨り立ち戻りて、盾銀一つ握らせたり。盲人の敏き習として、少女はその常の錢ならぬを知りたるなるべし、顏は燃ゆる如くなりて、その健かに美しき唇は我手背に觸れたり。われはその接吻の渾身の血に浸み渡る心地して、遽しく我手を引き退け、酒店の軒に馳せ入りぬ。  酒店は只だ一室ありて、大いなる竈殆どその全幅を占めたり。惜しげもなく投げ入れたる薪は盛に燃えあがりて、烟は岫を出づる雲の如く、騰りて黒みたる仰塵に至り、更に又出口を求めて室内をさまよへり。主人の蔭多き大柳樹の下にありて、誂へし朝餉の支度する間に、我等はこの烟煤の窟を逭れ、古祠を見に往くことゝしたり。委它たる細徑は荊榛の間に通ぜり。公子とジエンナロとは手を組み合せて、フランチエスカはこれに腰掛けつゝ舁かれ行く。  漫歩には似つかはしからぬ恐ろしき道かな、と夫人笑みつゝ云へば、案内者の一人、さのたまへど三とせの前迄は此道全く棘に塞がれたりき、又己れが幼き頃社の圓柱のめぐりに、砂土堆く積もり居しを記え居り候ふと答ふ。案内者は皆この詞の誤らざるを證せり。一行の後には、さきの乞丐の群猶隨ひ來り、皆目を睜りて我等を打目守れり。若しわれ等にしてふとその一人の面を見ることあるときは、その手は忽ち賜を受くるがために伸べられ、その口は忽ち「ミゼラビレ」(憐を乞ふ語)を唱へ出すなり。瞽女はいづち往きけん見えず。われはあはれなる少女の、獨りいかなる道の邊に蹲り居るかを思ひ遣りぬ。  我等は一の劇場と一の平和神祠との迹なる斷礎の上を登り行きぬ。ジエンナロ人々を顧みて、あはれ平和と演劇との二つのもの、いかなればかく迄相親むことを得たるぞと云ふ。(劇場の徒の多く相嫉視するを諷するにや。)我等は海神祠の前に立てり。世にはこれを「バジリカ」とぞいふ。近き頃、彼ポムペイの古市と同じく、闇黒の裡より出でゝ人の遺忘を喚び醒したるものは、此祠と穀神祠となり。この祠の荊棘に鎖され、土石に埋められたること幾百年ぞ。幸に外國の一畫師ありてこゝを過ぎ、柱尖の僅に露出せるを見、その美を喜びて寫し歸りしより、世の人こゝに注目し、終に棘を刈り土を掘りて、此の宏壯なる柱堂の、新に落せるものゝ如く、耽古者流の愛で翫ぶところとなるには至りしなり。圓柱は黄なるトラヱルチイノ石もて作られたり。(相待上新しき地層の石にして、石灰分ある温泉の鹽類の凝りて生ずる所なり。)無花果樹はその匝に枝さしかはし、野生の葡萄は柱頭迄攀ぢ上り、石質の罅隙を生じたる處には、菫花の紫と「マチオラ」の紅とを見る。  我等は倒れたる一圓柱の趺の上に踞したり。ジエンナロの力に頼りて、乞兒の群を逐ひ拂ふことを得たりしかば、我等の心靜に四邊の風景を玩ぶには、復た何の妨もあらざりき。山の姿、海の色、この古神祠の頽敗の状など、一として我情を動さゞるものなし。公子、今こそは我等がために一篇の即興詩を作すことを辭せざるならめ、と問ひ掛け給へば、夫人も頷きて同じ心を表し給ふ。われは柱を背にして立ち、少時記せしところの一歌謠の調を借りて、目前の景を歌ひ出せり。山水の美、古藝術のすぐれたる遺蹟を見るにつけ、哀なるはかの目しひたる少女の上にぞある。この自然の無盡藏は誰も受くべき賜なるに、少女はそをだに受くることを得ずといふ。是れ我一曲の主なる着想なりき。歌闋る比ひには、われ聲涙共に下るを禁ずること能はざりき。ジエンナロは手を拍ちて激賞し、公子夫妻はわが多少の情あるを認諾せり。  人々は石級を下りぬ。われはこれに從はんと欲して、ふと頭を囘らしゝに、我が倚りたりし柱の背後に、身を薫高き「ミユルツス」の叢に埋めて、もろ手を項に組み合せたる人あるを見き。而してそはかの目しひたる少女なりき。われはこの哀むべき少女の我歌を聞きしを知りぬ、我がその限なき不幸を歌ふを聞きしを知りぬ。餘りの便なさに、身を僂めてさし覗けば、袖は梢に觸れてさや〳〵と鳴り、少女はさとくも頭を擡げつ。われは思做にや、その面の色のさきより蒼きを覺えたるが、少女を驚さんことのいとほしくて、身を動すことを敢てせざりき。少女は暫し耳を欹てゝアンジエロにやと呼びぬ。われは覺えず屏息せり。少女は又俯きて坐せり。前にアヌンチヤタの我に語りし希臘の神女も、石彫の像なれば瞻視をば闕きたるべし。今我が見るところは殆ど全くこれに契へりとやいふべき。少女は祠の礎に腰掛けて、身を無花果樹と「ミユルツス」との裡に埋め、手に一物を取りてこれを朱唇に宛て、面に微笑を湛へたり。何ぞ料らん、その物は我が與へしところの盾銀ならんとは。  我情はこれに動かされて耐へ忍ぶべからざるに至りぬ。我は再び身を僂めて少女の額に接吻せり。少女はあなやと叫び、物に驚きたる牝鹿の如く、瞬く隙に馳せ去りぬ。その叫びし聲は我骨髓に徹し、その遽しく奔り去りし状は我心魂を奪ひ、われは身邊の柱楹草木悉く旋轉するを覺えて、何故ともなく馳せ出し、荊莽の上を踏みしだきつゝ徐かに歩める人々を追ひ越し行きぬ。  アントニオ、アントニオと呼ぶ公子の聲逈なる後に聞えて、我は始て我にかへりぬ。兎をや獵せんとする、否ずば天馬空を行くとかいふ詩想の象徴をや示さんとする、と公子語を繼いで云へば、ジエンナロ、否、われ等の跬歩に蹇める處を、渠は能く飛行すと誇るなるべし、いざ我が濟勝の具の渠に劣らぬを證せんとて、我傍に引き傍うて走り出しぬ。公子後より、汝等は我が夫人の手を拉きて同じ戲をなすことを要むるにやといふとき、ジエンナロは直に歩を駐めたり。  酒店に歸り着きし後は、瞽女は影だに見えざりき。その叫びし聲の猶絶間なく耳に聞ゆるを、怪しとおもひてつく〴〵聽けば、そは我心跳のかく聞做さるゝにぞありける。嗚呼卑むべきは我心にもあるかな。少女が胸中の苦を永言して、これをして深く生涯の不幸を感ぜしめ、終にはその額に接吻して驚かしたるは何事ぞや。そが上にかの接吻は我が婦女に與へたる第一の接吻なり。少女の貧しきを侮り、その目しひたるを奇貨として、我は我が未だ嘗て敢てせざりしところのものを敢てしたり。我はベルナルドオを輕佻なりとせり。而るに我が爲すところも亦此の如し。現に塵の世に生れたる人、誰か罪業なきことを得ん。いかなれば我は自ら待つことの寛くして、人を責むることの酷なりしぞ。われ若し再び瞽女に逢はば唯だ地上に跪いてこれに謝せん。  一行は車に上りてサレルノに歸らんとす。我は心に今一度瞽女を見んことを願ひしが、人に問ふことを憚りたり。忽ちジエンナロの案内者を顧みて、さるにても彼の目しひたる娘はいかにしたると問ふを聞く。案内者の一人答へてララが事にて候ふや、海神祠のほとりにやあるらん、常に彼處にあることを好めばといふ。ジエンナロは「ベルラ、ヂヰナ」(神々しきまで美しき子よとなり)と呼びて、手もて接吻の眞似したり。車は動き出しぬ。さては彼子の名をばララといふとこそ覺ゆれ。われは馭者と脊中合せに乘りたれば、古祠の柱列のやうやく遠ざかりゆくを見やりつゝ、耳には猶少女の叫びし聲を聞きて、限なき心の苦しさを忍び居たり。  路傍に「チンガニイ」族の一群あり。火を溝渠の中に焚きて食を調へたり。手に小鼓を把りて、我等を要して卜筮せんとしつれど、馭者は馬に策ちて進み行きぬ。黒き瞳子の※(目+炎)電の如き少女二人、暫し飛ぶが如くに車の迹を追ひ來りしが、ジエンナロはこれをも美しと愛で稱へき。されどララの氣高きには比ぶべうもあらざりき。  夕にサレルノに還りぬ。明日はアマルフイイに往きて、それよりカプリに𢌞りて還らんとなり。公子の宣給ふやう。拿破里に還らば、留まることは一日にして羅馬へ立たんとぞ思ふ。アントニオが準備も暇取ることはあらじと宣給ふ。われは羅馬に往くことを願はねど、例の恩誼に口を塞がれて、僅かに、老公のおほん憤の氣遣はれてとのみ云ひしに、そはわれ等申し解くべしと答へて我に詞を繼がしめ給はず。兎角する程に、賓客のおとづれ來て、會話はこゝに絶え、我不幸なる運命もまた定まりぬ。    夜襲  天氣好き日の朝舟出して、海より望めばサレルノの美しさは又一しほなるを覺えぬ。筋骨逞ましき男六人艣を搖せり。畫にしても見まほしき美少年一人柁の傍に蹲りたるが、名を問へばアルフオンソオと答ふ。水は緑いろにして透き徹り、硝子もて張りたる如し。右手なる岸の全景は、空想のセミラミスや築き起しゝ、唯だ是れ一大苑囿の波上に浮べる如くなり。その水に接する處には許多の洞窟あり。その状柱列の迫持を戴けるに似て、波はその門に走り入り、その内にありて戲れ遊べり。突き出でたる巖端に城あり、城尖の邊には、一帶の雲ありて徐かに靡き過ぎんとす。我等は大島小島(マユウリイ、ミヌウリイ)を望みて、程なく彼マサニエルロとフラヰオ・ジヨオヤとの故郷の緑いろ濃き葡萄丘の間に隱見するを認め得たり。(マサニエルロは十七世紀の一揆の首領なり。オベエルが樂曲の主人公たるを以て人口に膾炙す。フラヰオ・ジヨオヤは羅針盤を創作せし人なり。)  伊太利に名どころ多しと雖、このアマルフイイの右に出づるもの少かるべし。われは天下の人のことごとくこれを賞することを得ざるを憾とす。此地は廣袤幾里の間、四時春なる芳園にして、其中央なる石級上にアマルフイイの市あり。西北の風絶て至ることなければ、寒さといふものを知らず。風は必ず東南より起り、棕櫚橘柚の氣を帶びて、清波を渉り來るなり。  市の層疊して高く聳ゆる状は、戲園の觀棚の如く、その白壁の人家は皆東國の制に從ひて平屋根なり。家ある處を踰えて上り、山腹に逼るものは葡萄丘なり。山上には堞壁もて繞らされたる古城ありて雲を※(てへん+(掌の手に代えて牙))ふる柱をなし、その傍には一株の「ピニヨロ」樹の碧空を摩して立てるあり。  舟の着く處は遠淺なれば、舟人は我等を負ひて岸に上らしめたり。岸には岩窟多くして、水に浸されたると否ざるとあり。小舟三つ四つ水なき處に引上げたるを、好き遊びどころにして、子供あまた集へり。身に挂けたるは、大抵襦袢一枚のみにて、唯だ稀に短き中單を襲ねたるが雜れり。「ラツツアロオネ」といふ賤民(立坊抔の類)の裸裎なるが煖き沙に身を埋めて午睡せるあり。その常に戴ける褐色の帽は耳を隱すまで深く引き下げられたり。寺院の鐘は鳴り渡れり。紫衣の若僧の一行あり。頌を唱へて過ぐ。捧ぐる所の磔像には、新に摘みたる花の環を懸けたり。  市の上なる山の左手に、深き洞穴に隣れる美しき大僧堂あり。今は外人の旅館となりて、凡そこゝに來らん程のもの一人としてこれに投ぜざるはなし。夫人をば輿に載せて舁かせ、我等はこれに隨ひて深く巖に截り込みたる徑を進みぬ。下には清き蒼海を瞰る。一行は僧堂の前に留りぬ。内暗き洞穴は我等に向ひて其腭を開けり。穴の裏には十字架三基ありて、耶蘇と二賊との像これに懸り、巖上には彩衣を着て大いなる白き翼を負ひたる數人の天使跪けり。皆美術品などいふべき限のものにはあらず、木もて彫り斑にいろどりたるまでなり。されど信仰の温き情は影を此拙作の上に留めて、おのづから美を現ぜり。  小き中庭を歩みて宿るべき部屋々々に登り着きぬ。我室の窓より見れば、烟波渺茫として、遠きシチリアのあたりまで只だ一目に見渡さる。地平線の際に、しろかね色したるものゝ點々數ふべきは舟なり。  ジエンナロは我を遊歩に誘はんとて來ぬ。いかに詩人よ。共に麓のかたに降り行きて、かしこの風景の美のこゝに殊なりや否やを見んとおもはずや。少くも女性の美は麓のかたの優れたること疑ふべからず。こゝの隣房なる英吉利婦人の色蒼ざめて心冷なるは、我が堪ふること能はざる所なり。おん身も女子を見ることをば嫌ひ給はぬならん。恕し給へ、こは我ながらおろかなる問なりき。女子を見ることを嫌ひ給はねばこそ、君はこゝらわたりを彷徨ひて、我は又この邂逅の奇縁を結ぶことを得つるなれ。斯く戲れつゝ、ジエンナロは我を促し立てゝ石徑を下り行けり。途すがら又いふやう。猶忘れ難きは彼の目しひたる娘の美しさなり。拿破里に歸りての後、カラブリア酒誂へんをりは、かの娘をも共に取寄せんとぞおもふ。我血を沸き立たしむる功は此も彼に讓らざるべし。  我等は市街に歩み入りぬ。アマルフイイの市は裹める貨物をみだりに堆積したる状をなせり。羅馬なる猶太街の狹きも、これに比べては尚通衢大路と稱するに足るならん。こゝの街といふは、まことは家と家との間に通じ、又は家を貫きて通じたるろぢの類のみ。或るときは狹く長き歩廊を行くが如く、左右に小き窓ありて、許多の暗黒なる房に連れり。或るときは巖壁と石垣との間に、二人並び歩むに堪へざるばかりの道を開けるが、暗くして曲り、濕りて穢れ、級を登り級を降りて、その窮極するところを知らず。我等はをり〳〵身の戸外に在るを忘れて、大いなる廢屋の内を彷徨ふ念をなせり。所々燈を懸けて闇を照すを見る。而して山上は日獨り高かるべき時刻なりしなり。  既にして我等は稍〻開豁なる處に出でたり。一の石橋あり。こなたの巖端よりかなたの巖端に架したり。橋下の辻は市内第一の大逵なるべし。二少女ありて「サタレルロ」の舞を演せり。貌めでたく膚褐いろなる裸裎の一童子の、傍に立ちてこれを看るさま、愛の神童に彷彿たり。人の説くを聞くに、この境寒を知らず、數年前祁寒と稱せられしとき、塞暑針は猶八度を指したりといふ。(寒暑針はレオミユウル式ならん。)  巖頭に小さき塔ありて、美しき入江の景色の、遠く大小二島の邊まで見ゆる處より、蘆薈、「ミユルツス」の間を通ずる迂曲せる小みちあり。これを行けば、幾もあらぬに、穹窿の如く茂りあへる葡萄の下に出づ。我等は渇を覺えぬれば、葡萄圃のあなたに白き屋壁の緑樹の間より見ゆるを心あてに歩をそなたへ向けたり。輕暖の空氣の中には草木の香みち〳〵て、美しき甲蟲あまた我等の身邊に飛びめぐれり。  到り着きて見れば、この小家のさまの畫趣多きこと言はんかたなし。壁には近き故墟より掘り出したる石柱頭と石臂石脚とを塗り籠めて飾とせり。屋上に土を盛りて園とし、柑子の樹又はくさ〴〵の蔓草類を栽ゑたるが、その枝その蔓四方に垂れ下りて、緑の天鵞絨もて掩へる如し、戸前には薔薇叢ありて花盛に開けるが、殆ど野生の状をなせり。六つ七つばかりの美しき小娘二人その傍に遊び戲れ、花を摘みて環となす。されどそれより一際美きは、此家の門口に立ち迎へたる女子なり。髮をば白き枲布もて束ねたり。その瞻視の情ありげなる、睫毛の長く黒き、肢體の品高くすなほなる、我等をして覺えず恭しく帽を脱し禮を施さゞること能はざらしめたり。  ジエンナロ進み近づきて、さては此家あるじこそは、土地に匹儔なき美人なりしなれ、疲れたる旅人二人に、一杯の飮を惠み給はんやと云へば、いと易き程の御事なり、戸外に持ち出でてまゐらせん、されど酒は只だ一種ならでは貯へ侍らずと笑ひつゝ答ふ。その眞白なる齒に、唇の紅はいよ〳〵美さを増すを覺えき。ジエンナロ。酒はいかなる酒にもあれ、君の酌みて給はらんに、旨からぬことやはある。美しき娘の酌める酒をば、われ平生嗜みて飮めり。女主人。されどけふは美しき娘のあらねば、色香なき人妻の酌みてまゐらするを許し給へ。ジエンナロ。さらば君ははや主ある花となり給ひしにや、そのうら若さにて。女主人。否、われははや年多くとりたり。この時傍聽したりしわれ、おん身の芳紀いくばくぞと問ひぬ。想ふにこの女子まだ十五ばかりなるべけれど、脊丈伸びて恰好なれば、行酒女神の像の粉本とせんも似つかはしかるべし。女主人はわが何の爲めに問ひしかを疑ふものゝ如く、我面を暫し守りて二十八歳と答へつ。ジエンナロ。そはまことに好き年紀にて、殊におん身には似あひたり。さるにても人の妻となりてより幾年をか經給ひし。女主人。最早十とせあまりになりぬ。かしこなる娘たちに問ひ試み給へかしといふ。この時先に門の口にて遊び居たりし二人の娘、我等が前に走り來りぬ。われは故意と娘等に向ひて、これは汝たちの母なりやと問ひしに、娘等はゑましげに主人を見て、さなり〳〵と頷きつゝ右ひだりより主人に倚り添ひたり。  女主人は酒もち來りて薦めたり。その味はいとめでたかりき。我等は杯を擧げてあるじの健康を祝したり。ジエンナロわれを指さして、この男は詩人なり、舞臺に出でゝ即興詩といふ者を歌ふを業とす、されば拿破里の婦人をばことごとく迷はしたれど、生來頑なること石の如く、世に謂ふ女嫌ひなどいふものにや、まだ婦人に接吻したることなしといへり、珍らしき人にあらずやといへば、主人、さる人は世に有りがたからんとて笑へり。ジエンナロ語を繼ぎてわれはそれとは表裏なり、あらゆる美しき女を愛し、あらゆる美しき女に接吻し、あらゆる美しき女の身方となりて、到るところ人の心をやはらぐ、されば美しき女に接吻を求むるは我權利なり、我が受け納るべき租税なり、これをばおん身も拂ひ給はざるべからずといひて、つとあるじの手を逈に善き人なりと云へり。われ女の手を取りて、努彼詞に耳傾けんとなし給ひそ、彼黄金の色に目を注がんとなし給ひそ、彼男は惡しき人なり、願はくは彼男にの面當に、われに接吻一つ許し給へといひぬ。女はきと我面を見たり。われ重ねて、さきに彼男の我上を語りし中に、唯だ一つの實事あり、われ未だ一たびも女の唇に觸れずといひしは是なり、我唇は清淨なり、われに接吻し給ふは小兒に接吻し給ふと同じといひぬ。ジエンナロ。さて〳〵狡猾なる事を言ふものかな。女をくどく方便のみはわれ汝に優れりと覺えつるに、今は汝又我を凌がんとす。女主人。否々、御身は金をこそ持ち給へれ、心ざま善ならぬ人なり。我が黄金をも何ともおもはず、接吻をも何とも思はぬをおん身に見せんため、我はこの詩人の方に接吻すべし。新く言ひ畢りて、女主人は雙手もて我頬を押へ、我唇に接吻して、家の内に走り入りぬ。  日の入り果てし頃、われは獨り山上なる寺院の一房に坐して、窓より海を眺め居たり。波頭の殘紅は薔薇色をなして、岸打つ潮に自然の節奏を聞く。舟人は漁舟を陸に曳き上げたり。暮色漸く至れば、新に點したる燈火その光を増して、水面は碧色にかゞやけり。一時四隣は寂として聲なかりき。忽ち歌曲の聲の岸より起るあり。こは漁父の妻子と共に歌ひ出せるにて、子どもらしき「ソプラノ」の音は低き「バツソオ」の音にまじりたり。一種の言ふべからざる情は我胸に溢れて、我心はこれがために震ひ動けり。一の流星あり。その疾きこと撃石火の如く、葡萄の林のあなたに隕ちぬとぞ見えし。けふ我に接吻せし氣輕なる新婦の家も亦彼林のあなたにあり。われは彼女主人の美かりしをおもひ出で、又彼海神祠の畔なる瞽女の美しかりしをおもひ出でしが、その背後には心と身と皆美しかりしアヌンチヤタありて、その一たび點したる火は今も猶我身を焦せり。我は餘りの堪へ難さに、口に聖母の御名を唱へて、瓶裡の薔薇一輪摘み、そを唇に押し當てつゝ心には猶アヌンチヤタが上を思へり。われは情に堪へずして、僧堂を出で、海の方へ降り行きぬ。即ち星輝を浴びたる波の岸に碎くる處、漁父の歌ふ處、涼風の面を撲つ處なり。歩みて晝間過ぎし所の石橋の上に至りぬ。この時一人の身に大外套を被り、忙しげに我傍を馳せ去りたるあり。われはその姿勢態度を見て、直ちにそのジエンナロなるを知りぬ。ジエンナロは驀地に走りて、曾て憩ひし白壁の家に向へり。我は心ともなく、その後に跟ひ行きぬ。家の窓よりは燈火の影洩りたるが、彼の外套着たる姿は其光に照されて、窓の直下に浮び出でぬ。われは葡萄架の暗き處に躱れ、石に踞して其状を覗ひ居たり。帷を引かざれば、室の内外の光景は明白に我眼に映ぜり。この家の裏の方、側廂に通ずる大なる梯の室内より見ゆる處に、別に又一つの窓あるをも、われは此時始て認め得たり。  室内には一小卓を安んじ、上に十字架を立てたるが、燈をばその前に點せるなり。二人の小娘は衣を脱して、白き汗衫を鬆やかに身に纏ひ、卓の下に跪きて讚美歌を歌へり。姉なる新婦も亦二人の間に坐せり。我目に映じたる此一幅の圖はラフアエロの筆に成りたる聖母と二天使との圖と擇むことなかりき。新婦の漆黒なる瞳子は上に向ひて、その波紋をなせる髮は白き肩に亂れ落ち、もろ手は曲線美しき胸の上に組み合されたり。  われは屏息してこれを窺ひ居て、我脈搏の亢進するを覺えたり。既にして三人は立ちあがりぬ。新婦は二兒を延きて梯を上り、しばらくありて靜かに傍廂の戸を閉ぢ、獨り梯を下り來りぬ。さて窓に近きところを往來して、物取り片付けなどし、ふと何事をか思ひ出でしものゝ如く、箪笥の前に坐して、その抽箱より紅色の手帳一つ取り出だしつ。打ち返し見てほゝ笑み、開き見んとするさまなりしが、忽ち又首打ち掉りて、手快く抽箱の中に投じたり。そのさま密事して父母などに見られしに驚く小兒に似たりき。  暫くして裏の方なる窓を敲く音す。新婦は驚きて頭を擡げ、耳欹てゝ聞けり。敲く音は又響きて、何事をか戸外にて言ふ如くなれど、基詞は我が居るところには聞えず。新婦は忽ち聲高く呼べり。檀那は何とて斯く遲くこゝに來給ひしぞ。何の用のおはすにか。うしろめたき事には侍らずやといふ。戸外の人は又何やらん言ひたり。新婦。さなり〳〵。おん詞はまことなり。おん身は手帳を忘れ置き給へり。さきに妹に持せて、麓なる宿屋まで遣りたれど、かしこにてはさる檀那は宿り給はずといひぬ。定めて山の上に宿り給ふならん。つとめて又持たせ遣らんとこそ思ひ侍りしなれ。手帳は現にこゝに在り。斯く云ひて、新婦は抽箱よりさきの手帳を取出せり。戸外の人は何やらん言へり。新婦は首を掉りて、否々、門の口をばえひらき侍らず、おん身のこゝに來給はんは宜しからずと云ひ、起ちてかなたの窓を開きつ。手帳をわたさんとして差し伸べたる新婦の手をば、外より握りたりと覺しく、手帳ははたと音して窓の外に落ちたり。ジエンナロの頭は此響と共に窓の内に顯れたり。新婦は走りてこなたの窓のほとりに來つ。これより後我は明に二人の詞を辨ずることを得るに至りぬ。  ジエンナロ。さらば君はわが感謝のために君の手に接吻するをだに許し給はぬにや。物落しし人の拾ひ主に謝するは世の習ならずや。そが上に走りてこゝに來つれば、喉乾きて堪へ難し。我に一杯の酒を飮ませ給ふとも、誰かはそを惡しき事といはん。何故に君は我がそこに入らんとするを拒み給ふぞ。新婦。否、かく夜ふけておん身と物言ひ交すだに影護き事なり。疾くおん身の手帳を取りて歸り給へ、我は窓を鎖すべきに。ジエンナロ。我はおん身の手を握らでは歸らず。おん身のけふ我に惜みて、彼馬鹿者に與へ給ひし接吻を取り返さでは歸らず。新婦は周章の間に一聲の笑を洩せり。否々。君は人の與へざる所のものを奪はんとし給ふにや。君強ひて奪はんとし給はゞ、われまた誓ひて與へざるべしといふ。ジエンナロは哀れげなる聲していふやう。我等の相見るはこれを限なるを思ひ給へ。われは再び此地に來るものにあらず。さるを君は我が手を握らんといふをだに聽き納れたまはず。我胸には君に言ふべき事さはなれど、君が手を握らんの願の外は、われ敢て口に出さじ。聖母は我等に何とか教へ給ふぞ。人は兄弟姉妹の如く相愛せよとこそ宣給へ。われはおん身の兄弟なり。我黄金をおん身と分ちて、おん身の艷やかなる姿を飾る料となさんとこそ願へ。貴き飾を身に着け給はば、おん身の美しさ幾倍なるべきぞ。おん身の友だちは皆おん身を羨むべし。されど我とおんみとの中をば世に一人として知るものなからん。斯く云ひも果てず、ジエンナロは一躍して窓より入りぬ。新婦は高く聖母の名を叫べり。  われは表の窓に走り寄りて、力を極めて其扉を打ちたり。硝子はから〳〵と鳴りたり。我は目に見えぬ威力に驅らるゝものゝ如く、走りて裏口に至り、得物もがなと見𢌞す傍の、葡萄架の横木引きちぎりつ。女はニコオロにやと叫べり。さなり、我なりと、われは假聲して答へたり。室内の燈消ゆると共に、ジエンナロは窓より跳り出で、いち足出して逃げて行く。其外套は風に翻れり。ニコオロよ、いかにしておん身は歸りし、これも聖母の御惠にこそといひつゝ、女は窓に走り寄りぬ。その聲は猶慄けり。われは吃りて、恕し給へ君と叫びぬ。あなやと呼ぶ女の聲と共に、扉ははたと鎖され、われは茫然として獨り窓外に立てり。  暫しありて、我は新婦の靜かに歩ゆみ、戸を開き、戸を閉ぢ、鑰を下す響を聞き、今は心安しとおもひて、そと歸途に就きぬ。われは心中に無量の喜を覺えたり。かくてこそわれは晝間の接吻に報い得つるなれ。若し彼女主人にして豫め守護の功を測り知りたらんには、渠は猶一たび接吻することをも辭せざりしなるべし。  僧堂に歸りしは恰も晩餐の時なり。人々は我が外に出でしを知らざるさまなり。食卓に就きて程經ぬるに、ジエンナロのみ來ざりければ、フランチエスカの君は心を勞し、公子はあまたたび人を馳せて、その歸るを候はせぬ。ジエンナロはやうやくにして來りぬ。漫歩して岐に迷ひ、農夫に教へられて纔に歸ることを得つといふ。夫人その姿を見て、げにおん身の衣は綻びたりといへば、ジエンナロ手もてその破れたる處を摘み、この端の斷れたるは棘にかゝりて跡に殘りぬ、われは直ちに心附きぬれど、奈何ともすること能はざりき、このあたりにて斯くまで道を失はんとは、流石に思掛けざりき、目暮の景色を弄ぶ中、俄に暗くなりしを見て、近道より歸らんとおもひしが事の原なりといふ。一座は此遊の可笑しき話柄を得たりとて打ち興じ、杯を擧げて、此迷失兒の健康を祝しつ。こゝの葡萄酒はいと旨きに、人々醉を帶び、歡を竭して分れぬ。  わが寢室に入りしとき、隣室なるジエンナロは上衣を脱ぎ襦袢一つとなりて進み來り、いとさかしげに笑ひつゝ、掌を我肩上に置きて、晝見つる美人の爲めに思を勞すること莫れといふ。われ。然か宣給へど、接吻をばわれ博し得たり。渠。そは固よりなり。されどわれを始終繼子たりしものとな思ひそ。われ。繼子たりしや否やは知らず。唯だ繼子らしかりしは事實なり。渠。われは未だ曾て繼子たりしことなし。おん身若し能く祕密を守らば、われは敢て告ぐるところあらんとす。われ。何事まれ語り給へ。われは誓ひて餘所に洩さゞるべし。渠。さらば包まず語るべし。われは歸るさに故意と手帳を遺れ置きぬ。そは日暮れて再び往かん爲めなり。原と女といふものは、只二人居向ひては頑ならぬが多し。さて我は再び往きぬ。衣の綻びたるは、墻踰え籬を穿ちし時の過なり。われ。さらば女はいかなりし。渠。晝見しよりも美しかりき。美しくして頑ならざりき。わが預め度りし如く、さし向ひとなりては何のむづかしき事もなかりき。おん身が得しは只一つの接吻なりしが、わが得しは千萬にて總て殘る隈なき爲合なりき。これよりはその時のさまを樂しき夢に見んとぞおもふ。便なきアントニオよと語りもあへず、ジエンナロはおのが臥房に跳り入りぬ。    たつまき  僧堂を辭し去る朝、大空は灰色の紗を被せたる如くなりき。岸には腕たしかなる漕手幾人か待ち受け居て、一行を舟に上らしめたり。纔を解きてカプリに向ふ程に、天を覆ひたりし紗は次第に斷れて輕雲となり、大氣は見渡す限澄み透りて、水面には一波の起るをだに認めず。美しきアマルフイイは巖のあなたに隱れぬ。ジエンナロは後を指ざして、かしこにてはわれ薔薇を摘み得たりと云ふ。われは頷きて、心の中にはこの男の強顏なることよ、まことは刺に觸れて自ら傷けしものをとおもひぬ。  舟のゆくては杳茫たる蒼海にして、その抵る所はシチリアの島なり、あらず、亞弗利加の岸なり。ゆん手の方は巖石屹立したる伊太利の西岸にして、所々に大なる洞穴あり。洞前に小村落あるものは、其幾個の人家、わざと洞中より這ひ出でゝ、背を日に曝すものゝ如く、洞の直ちに水に臨めるものゝ前には漁人の火を焚き食を調へ又は小舟に爹兒を塗れるあり。  舷下の水は碧くして油の如し。試みに手をもて探れば、手も亦水と共に碧し。舟の影の水に落ちたるは極て濃き青色にして、艪の影は濃淡の紋理ある青蛇を畫けり。われは聲を放ちて叫びぬ。げに美しきは海なる哉。若し彼蒼の大いなるを除かば、何物か能く之と美を※(女+貔のつくり)ぶべき。我は幼かりし時、地に仰臥して天を觀つるを思ひ出でぬ。今見る所の海は即ち當時見し所の天にして、譬へば夢の一變して現となれるが如し。  舟はイ、ガルリといふ巖より成れる三小嶼の傍を過ぎぬ。そのさま海底より石塔を築き上げて、その上に更に石塔を僵し掛けたる如し。青き波は緑なる石を洗へり。想ふに風雨一たび到らば、このわたりは群狗吠ゆてふ鳴門(スキルラ)の怪の栖なるべし。  不毛にして石多きミネルワの岬は、眠るが如き潮これを繞れり。いにしへ妙音の女怪の住めりきといふはこゝなり。而してカプリの風流天地はこれと相對せり。いにしへチベリウス帝が奢をきはめ情を縱にし、灣頭より眸を放ちて拿破里の岸を望みきといふはこゝなり。  舟人は帆を揚げたり。我等は風と波とに送られて、漸くカプリの島邊に近づきぬ。水のまことの清さ、まことの明さを知らんと欲せば、この海を見ざるべからず。舷に倚りて水を望めば、一塊の石、一叢の藻、歴々として數ふべく、晴れたる日の空氣といへども、恐らくはこの玲瓏透徹なからんとぞおもはるゝ。  カプリの島は唯だ一面の近づくべきあるのみ。その他は皆削り成せる斷崖にして、その地勢拿破里に向ひて級を下るが如く、葡萄圃と橘柚橄欖の林とは交る〴〵これを覆へり。岸に沿へる處には、數軒の蜑戸と一棟の哨舍とを見る。稍〻高き林木の間に、屋瓦の叢を成せるはアンナア、カプリイの小都會なり。一橋一門ありてこれに通ず。一行は棕櫚の木立てるパガアニイが酒店の前に歩を留めつ。  我等はこゝに朝餐して、公子夫婦は午時まで休憩し、それより驢を倩ひてチベリウス帝の別墅の址を訪はんとす。われは憩はんこゝろなければ、ジエンナロと共に此島を一周し、南に突き出でたる大石門をも見ばやとて、漕手二人を呼び、岸なる舟に乘り遷りぬ。  風少し起りたれば、我等は行程の半ばばかり帆の力に頼ることを得べし。巖壁に近き處には、漁人の網を張りたるあれば、舟はこれを避けて沖の方に進みぬ。既にして奇景の人目を驚すに足るものあるを見る。灰色なる巨石の直立すること千丈なるあり。その頂は天を摩し、所々僅に一石塊を容るべき罅隙を存じて、蘆薈若くは紫羅欄これに生じたり。青き焔の如き波に洗はれたる低き岩根には、紅殼の毛星族(クリノイデア)いと繁く着きたるが、その紅の色は水を被りて愈〻紅に、岩石の波に觸れて血を流せるかと疑はる。  既にして我等は海を右にし島を左にする處に至りぬ。水を呑吐する大小の窟許多ありて、中には波の返す毎に僅かに其天井を露すあり。こは彼妙音の女怪のすみかにして、草木繁茂せるカプリの島は唯だこれを蓋へる屋上たるに過ぎざるにやあらん。  漕手の一人なる白髮の翁のいふやう。這裏には惡しきもの住めり。人若し過ちて此門に入るときは、多くは再びこれを出づることを得ず。その或は又出づるものは、痴なるが如く狂せるが如く、復た尋常人間の事を解せずといふ。往手のかたに稍〻大なる一窟あり。されど若し舟に棹さしてこれに入らんとせば、帆を卸し頭を屈するも、猶或は難からんか。柁取りの年少き男のいふやう。これ魔窟なり。黄金珠玉その内にみち〳〵たれど、これを探らんとするものは妖火のために身を焚かる。げにいふだに恐ろしき事なり。尊きルチアよ、(サンタ、ルチア)我を護り給へといふ。ジエンナロ。彼妙音の女怪の一人此舟の中に來ぬこそ殘惜しけれ。その容色はいと好しとぞ聞く。さるものを待遇せんは、わが徒の難んぜざるところぞ。われ。おほよそ女といふ女のおん身の言に從はぬはあらざるべければ、化しやうのものなりとも、其數には洩れぬなるべし。ジエンナロ。接吻し囘抱するは波濤の常態なれば、その上に泛べるものも之に倣ふべき筈ならずや。責ては彼アマルフイイの女房をなりとも、共に載せて來べかりしものを。げに得易からぬ女なり。然おもひ給はずや。おん身も一たびは彼唇の味を試み給ひぬ。われはその人前にておとなしぶりたるを怪しとおもふなり。憾むらくはおん身はその夜のさまを見給はざりき。その迎ふる情の熱さは我が送る情の熱きに讓らざりき。ジエンナロが此詞は遂に我をして耐へ忍ぶこと能はざらしむるに至りぬ。我はいと冷かに、されどわが彼夕見しところは、いたくおん詞と違へりといひぬ。ジエンナロは驚きたる面持して、暫し我顏を打ち守りつゝ、何とかいふ、おん身の詞は解し難しと問ひ返しつ。われ重ねて、おん身の女子にもてはやされ給ふべきをば、われ露ばかりも疑はねど、彼夕はわれふと同じ處に落ち合ひてまことのさまを目撃したり、さればわれは始よりおん身の詞の戲言なるべきを知りぬといふ。ジエンナロは猶訝しげに我顏を見て一語をも出さゞりき。われ微笑みつゝジエンナロが前夜の口吻を眞似て、おん身のけふ我に惜みて彼馬鹿者に與へ給ひし接吻を取返さでは歸らずといひたり。ジエンナロの面は血色全く失せて、さてはおん身は立聞せしか、おん身は我を辱めたり、我と決鬪せよといふ。其聲極て冷に、極てあらゝかなりき。わが實を述べたる一語の、此の如く渠を激せんことは、わが預期せざる所なりき。われは徐かに、ジエンナロよ、そはよも眞面目なる詞にはあらじといひて、其手を握りしに、ジエンナロは手を引き面を背け、舟人に陸に着けよと命ぜり。老いたる方の漕手答へて、舟を停むべきところは、さきに漕ぎ出でしところの外絶て無ければ、是非とも島を一周せでは叶はずといひつゝ、艣を搖す手を急にしたり。舟は深碧の水もて繞されたる高き岩窟に近づきぬ。ジエンナロは杖を揮ひて舷側の水を打てり。われは且怒り且悲みて、傍より其面を打ち目守りぬ。爾時年少き漕手いと慌だしく、龍卷(ウナ、トロムバ)と叫べり。その瞠視たる方を見れば、ミネルワの岬より起りて、斜に空に向ひて竪立せる一道の黒雲あり。形は圓柱の如く、色は濃墨の如し。その四邊の水、恰も鍋中の湯の滾沸せるが如くなり。ジエンナロはいづかたに避くるかと問へり。少年は後々といへり。われ。されば又全島を巡らんとするか。少年。風なき方の岩に沿うて漕がん。龍卷は島を離れて走る如し。翁。此小舟の若し岩に觸れて碎けずば幸なり。語未だ畢らず、龍卷の嚮は一轉せり。一轉して吾舟の方に進めり。その疾きこと飇風の如し。舟若し高く岩頭に吹き上げられずば、必ず岩根に傍ひて千尋の底に壓し沈めらるべし。われは翁と共に艣を握りつ。ジエンナロも亦少年を扶けて働けり。されど風聲は早く我等の頭上に鳴りて、狂瀾は既に我等の脚下に翻れり。二人の漕手は異口同音に、尊きルチア、助け給へと叫びつゝ、艣を捨てゝ跪拜せり。ジエンナロ聲を勵して、など艣を捨つると叱すれども、二人は喪心せるものゝ如く、天を仰いで凝坐す。われは忽ち乘る所の舟の、木葉の旋風に弄ばるる如きを覺え、暗黒なる物の左舷に迫るを視、舟は高く高く登り行けり。飛瀑の如き水は我頭上に灌ぎ、身は非常なる氣壓の加はるところとなりて、眼中血を迸らしめんと欲するものゝ如く、五官の能既に廢して、わが絶えざること縷の如き意識は唯だ死々と念ずるのみ。われは終に昏絶せり。    夢幻境  わが再び眼を開きし時の光景は、今猶目に在ること、彼壯大なる火山の活畫の如く、又彼沈痛なるアヌンチヤタの別離の記念の如し。我身を繞れるものは、八面皆碧色なる灝氣にして、俯仰の間物として此色を帶びざるはなかりき。試みに臂を擧ぐれば、忽ち無數の流星の身邊に飛ぶを見る。われは身の既に死して無際空間の氣海に漂へるを覺えたり。我身は將に昇りて天に在せる父の許に往かんとす。然るに一物の重く我頭上を壓するあり。是れ我罪障なるべし。此物はわが昇天を妨げ、我身を引いて地に向へり。而して冷なること海水の如き灝氣は我顱頂の上に注げり。  われは心ともなく手を伸べて身邊を摸し、何物とも知られぬながら、竪き物の手に觸るゝを覺えて、しかとこれに取り付きたり。我疲勞は甚だしく、我身には復た血なく、我骨には復た髓なきに似たり。我魂は天上の法廷に招かれ、我骸は海底に横れるにやあらん。われは纔にアヌンチヤタと呼びて、又我眼を閉ぢたり。  われはこの人事不省の境にあること久しかりしならん。既にしてわれは己れの又呼吸するを覺え、我疲勞の稍〻恢復すると共に、我意識は稍〻鬯明なりき。我身は冷にして堅き物の上に在り。こは一の巨巖の頭なるべし。而して此巖は高く天半に聳えたるものゝ如く、彼の光ある碧色の灝氣のこれを繞れる状は、前に見しと殊なることなし。天は碧穹窿をなして我を覆ひ、怪しき圓錐形の雲ありてこれに浮べり。雲の色は天と同じく碧かりき。四邊寂として音響なく、天地皆墓穴の靜けさを現ず。われは寒氣の骨に徹するを覺えたり。われは徐かに頭を擡げたり。我衣は青き火の如く、我手は磨ける銀の如し。されどこの怪しき身の虚き影にあらずして、實なる形なるは明なりき。我は疲れたる腦髓に鞭うちて、強ひて思議せしめんとしたり。われは眞に既に死したるか、又或は猶生けるか。われは手を展べて身下の碧氣を探りしに、こは冷なる波なりき。されどその我手に觸れて火花を散らす状は、酒精の火に殊ならず。我側には怪しき大圓柱あり。その形は小なれども、略ぼ前に見つる龍卷に似て、碧き光眼を射たり。こはわが未だ除かざる驚怖の幻出する所なるか、將た未だ滅えざる記念の化現する所なるか。暫しありて、われは手をもてこれを摸することを敢てしたるに、その堅くして冷なること石の如くなりき。摸して後邊に至れば、手は堅く滑なる大壁に觸る。その色は暗碧なること夜の天色の如し。  そも〳〵われは何處にか在る。前に身下に積氣ありとおもひしは、燃ゆれども熱からざる水なりき。我四圍を照すものは、彼燃ゆる水なるか、さらずば彼穹窿と巖壁と皆自ら光を放つものなるか。こは幽冥の境なるか、わが不死の靈魂の宅なるか。われは現世に此の如き境ありとおもふこと能はず。凡そ身邊の物、一として深淺種々の碧光を放たざることなく、我身も亦内より碧火を發して、その光明は十方を照すものの如し。  身に近き處に大石級あり。琅玕もて削り成せるが如し。これに登らんと欲すれば、巖扉密に鎖して進むべからず。推するに、こは天堂に到る階級にして、其門扉は我が爲めに開かざるならん。我は一人の怒を齎して地下に入りぬ。ジエンナロはいかにしたるぞ、又二人の舟人はいかにしたるぞ。  われは獨り此境に在り。我母を懷ひ、ドメニカをおもひ、フランチエスカの君をおもひ、我記憶の常に異ならざるを知りぬ。さればわが見る所のものは、必ず幻影に非ざるならん。我は故の我なり。只だ在るところの境の幽明いづれに屬するかを辨ずること能はざるのみ。  彼邊の壁に罅隙ありて、一の大なる物を安んず。手もて摸すれば銅の鉢なり。その内には金銀貨を盛りて溢れんと欲す。われは此異境の異の愈〻益〻甚しきを覺えたり。  地平線に接する處に、我身を距ること甚だ遠からず、青光まばゆき一星ありて、その清淨なる影は波面に長き尾を曳けり。われは俄に彼星の、譬へば日月の蝕の如く、其光を失ふを見たり。既にして黒き物の其前に現るゝあり。諦視すれば、一葉の舟の、海底より湧き出でもしたらん如く、燃ゆる水の上を走り來るにぞありける。  その漸く近づくを候へば、靜かに艣を搖すものは一人の老翁なり。艣の一たび水を打つごとに、波は薔薇花紅を染め出せり。舟の舳に一人の蹲れるあり。その形女子に似たり。舟は漸く近づけども、二人は口に一語を發せず、その動かざること石人の如く、動くものは唯だ翁が手中の艣のみ。忽ち聲ありて、一の長大息の如く、我耳に入り來りぬ。その聲は曾て一たび聞けるものゝ如くなりき。  舟は岸に近づきて圈を劃き、我が起ちて望める邊に漕ぎ寄せられたり。翁が手は艣を放てり。女子はこの時もろ手高くさし上げて、哀に悲しげなる聲を揚げ、神の母よ、我を見棄て給ふな、我は仰を畏みてこゝに來たりと云へり。われは此聲を聞きて一聲ララと叫べり。舟中の女子は彼ペスツム古祠の畔なる瞽女なりしなり。  ララは我に對ひて起ち、聲振り絞りて、我に光明を授け給へ、我に神の造り給ひし世界の美しさを見ることを得させたまへと祈願したり。その聲音は尋常ならず、譬へば泉下の人の假に形を現して物言ふが如くなりき。我即興詩は漫りに混沌の竅を穿ちて、少女に宇宙の美を教へき。今や少女は期せずして我前に來り、我に眼を開かんことを請へり。われは少女の聲の我心魂に徹するを覺えて、口一語を出すこと能はず、只だ手を少女の方にさし伸べたるのみ。少女は再び身を起して、我に光明を授け給へと唱へかけしが、張り詰めし氣や弛みけん、小舟の中にはたと伏し、舷側なる水ははら〳〵と火花を飛しつ。  翁は暫く身を屈して、少女のさまを覗ひ居たるが、やをら岸に登りて、きと眼を我姿に注ぎ、空中に十字を書し、彼大銅鉢を抱いて舟中に移し、己も續いて乘りうつれり。われは思慮するに遑あらずして、同じく舟に上りしに、翁は我を迎へんともせず、さればとて又我を拒まんともせず、只だ目を睜りて我を視るのみ。翁は又艣を握りて、彼青き星に向ひて漕ぎ行けり。冷なる風は舟に向ひて吹き來れり。舟は巖窟の中に進み入りて、我等の頭は巖に觸んとす。われは身をララの上に俯したり。忽にして舟は杳茫として涯なき大海の上に出でぬ。頭を囘せば、斷崖千尺、斧もて削り成せる如くにして、乘る所の舟は崖下の小洞穴より濳り出でしなり。  新月の光は怪しきまでに清澄なりき。斷崖の一隅に龕の形をなしたる低き岸あり。灌木疎に生じて、深紅の花を開ける草之に雜れり。岸邊には一隻の帆船を繋げるを見る。翁は小舟を其側に留めしに、少女は期する所ある如く、身を起して我に向へり。われはその手に觸るゝことをだに敢てせずして、心の裡に我が遇ふ所の夢に非ず幻に非ず、さればとて又現にも非ず、人も我も遊魂の陰界に相見るものなるべきを思ひぬ。少女は、いざ藥草を采りて給へと云ひて、右手を我にさし着けたり。われは鬼に役せらるるものゝ如く、岸に登りて彼香しき花を摘み、束ねて少女に遞與しつ。この時われは堪へ難き疲を覺えて、そのまゝ地上に僵れ臥したり。われは猶首を擡げて、翁が手快くララを彼帆船に抱き上げ、わが摘みし花束をも移し載せて、自らこれに乘りうつり、小舟を艫に結び付けて、帆を揚げて去るを見たり。されど我は身を起すこと能はず、又聲を出すこと能はずして、徒らに身を悶え手を振るのみ。我は死の我心に迫りて、心の裂けんと欲するを覺えたり。    蘇生  かくては性命の虞はあらじとは、始て我耳に入りし詞なりき。われは眼を開いてフアビアニ公子と夫人フランチエスカとを見たり。されど彼語を出しゝは、我手を握りて、眞面目なる思慮ありげなる目を我面に注ぎたる未知の男なりき。我は廣闊にして敞明なる一室に臥せり。時は白晝なりき。われは身の何の處にあるを知らずして、只だ熱の脈絡の内に發りたるを覺えき。わがいかにして救はれ、いかにしてこゝに來しを審にすることを得しは、時を經ての後なりき。  きのふジエンナロとわれとの歸り來ざりしとき、人々はいたく心を苦め給ひぬ。我等を載せて出でし舟人を尋ぬるに、こも行方知れずとの事なりき。さて島の南岸に沿ひて、龍卷ありしを聞き給ひしより、人々は早や我等の生きて還らざるべきを思ひ給ひぬ。搜索の爲めに出し遣られし二艘の舟は、一はこなたより漕ぎ往き、一はかなたより漕ぎ戻りて、末遂に一つところに落ち合ふやうに掟てられしに、その舟皆歸り來て、舟も人もその踪跡を見ずといふ。フランチエスカの君は我がために涙を墮し給ひ、又ジエンナロと舟人との上をも惜み給ひぬと聞えぬ。  その時公子の宣給ふやう。かくて思ひ棄てんは、猶そのてだてを盡したりといふべからず。若し舟中の人にして、或は浪に打ち揚げられ、或は自ら泅ぎ着きて、巖のはざまなどにあらんには、人に知られで飢渇の苦艱を受けもやせん。いでわれ親ら往いて求めんとて、朝まだきに力強き漕手四人を倩ひ、湊を舟出して、こゝかしこの洞窟より巖のはざまゝで、名殘なく尋ね給ひぬ。されど彼魔窟といふところには、舟人辭みて行かじといふを、公子強ひて説き勸め、草木生ひたりと見ゆる岸邊をさして漕ぎ近づかせしに、程近くなるに從ひて、人の僵れ臥したりと覺しきを認め、さてこそ我を救ひ取り給ひしなれ。われは緑なる灌木の間に横はり、我衣は濱風に吹かれて半ば乾きたりしなり。公子は舟人して我を舟に扶け載せしめ、おのれの外套もて被ひ、手の尖胸のあたりなど擦り温めつゝ、早く我呼吸の未だ絶え果てぬを見給ひぬといふ。われはかくてこゝに伴はれ、醫師の治療を受けつるなりけり。  さればジエンナロと二人の舟人とは魚腹に葬られて、われのみ一人再び天日を見ることゝなりしなり。人々は我に當時の事を語らしめたり。われは光まばゆき洞窟の中に醒めしを姶とし、目しひたる少女を載せ來し翁に遭へるに至るまで、そのおほよそを語りしに、人々笑ひて、そは熱ある人の寒き夜風に觸れ、半醒半夢の間にありて妄想せるならんといへり。げにわれさへ事の餘りに怪しければ、夢かと疑ふ心なきにしもあらねど、また熟〻思へばしかはあらじと思ひ返さざることを得ず。かへす〴〵も奇しく怪しきは、彼洞天の光景と舟中の人物となり。  我物語を傍聽せし醫師は公子に向ひ頭を傾けて、さては君の此人を搜し得給ひしは彼魔窟の畔なりけるよといひぬ。公子。さなり。さりとて君は世俗のいふ魔窟に、まことに魔ありとは、よも思ひ給はじ。醫師。そは輒く答へまつるべうもあらぬ御尋なり。自然は謎語の鉤鎖にして吾人は今その幾節をか解き得たる。  我心は次第に爽かになりぬ。抑〻わが見し洞窟はいかなる處なりしぞ。舟人の物語に、この石門の奧に光りかゞやくところありといひしは、わが漂ひ着きし別天地を斥して言へるにはあらざるか。かの怪しき翁の舟の、狹き穴より濳り出しをば、われ明かに記憶せり。夢まぼろしにてはよもあらじ。さらば彼洞窟は幽魂の往來するところにして、我は一たび其境に陷り、聖母の惠によりて又現世に歸りしにや。われはかく思ひ惑ひつゝも、わが掌を組み合せて彼舟中の少女の上を懷ひぬ。まことに彼少女は我を救へる天使なりき。  年經て我夢の夢に非ざることは明かになりぬ。彼洞窟は今カプリ島の第一勝、否伊太利國の第一勝たる琅玕洞(グロツタ、アツウラ)にして、舟中の少女も亦實にかのペスツムの瞽女ララなりしなり。    歸途  公子夫婦は我を率て拿破里に歸らんために、猶カプリに留まること二日なりき。二人の我を待つ言動は、始の程こそ屡〻我感情を傷ふこともありつれ、遭難の後病弱の身となりては、親族にも稀なるべき人々の看護の難有さ身にしみて、羅馬へ伴ひ行かんと云はるゝが嬉しとおもはるゝやうになりぬ。そが上かの洞窟の内に遭遇せし怪異と、萬死を出でゝ一生を獲たる幸とは、いたくわが興奮したる腦髓を刺戟して、我をして無形の威力の人の運命を左右することの復た疑ふべからざるを思はしめぬれば、我は公子夫婦の羅馬へ往けと勸め給ふを聞きても、又直ちにその聲を以て運命の聲となさんとしたり。わが健康の漸く故に復らんとする頃、公子夫婦は又我床頭にありて、何くれとなく語り慰め給ひき。夫人。アントニオよ。おん身の往方まだ知れざりし程は、我等は屡〻おん身の爲めに泣きぬ。おん身の不思議に性命を全うせしは、聖母の御惠なりしならん。今はおん身情強きも、よも再び拿破里に住みて、ベルナルドオと面をあはせんとは云はぬならん。公子。そは勿論なるべし。われ等は只だ羅馬に伴ひ歸りて、曾て過ありしアントニオは地中海の底の藻屑となりぬ、今こゝに來たるはその昔幼く可哀ゆかりしアントニオなりと云はん。夫人。さるにても便なきはジエンナロなり。才も人に優れ情も深かりしものを、いかなれば神は末猶遠き此人の命を助けんとはし給はざりけん。惜みても餘あることならずやなど宣給へり。  醫師は屡〻病牀をおとづれて、數時間を我室に送れり。この人は拿破里に住みて、いまは用事ありて此カプリに來居たるなりといふ。第三日に至りて、醫師我を診して健康の全く故に復りたるを告げ、己れも我等の一行と共に歸途に就きぬ。醫師の我を健全なりといふは、形體上より言へるにて、若し精神上より言はゞ、われは自ら我心の健全ならざるを覺えき。わが少壯の心は、かの含羞草といふものゝ葉と同じく萎み卷きて、曩に一たび死の境界に臨みてよりこのかた、死の天使の接吻の痕は、猶明かに我額の上に存せり。公子夫婦の我と醫師とを引き連れて舟に上り給ふとき、我は澄み渡れる海水を見下して、忽ち前日の事を憶ひ起し、激しく心を動したり。今日影のうらゝかに此積水の緑を照すを見るにつけても、我は永く此底に眠るべき身の、恙なくて又此天日の光に浴するを思ひ、涙の頬に流るゝを禁ずること能はざりき。人々は皆優しく我を慰めたり。フランチエスカの君は我才を稱へ、我を呼びて詩人となし、醫師に我が拿破里の劇場に上りて、即興詩を歌ひしことを語り給ひしに、醫師驚きたる面持して、さてはかの謳者は此人なりしか、公衆の稱歎は尋常ならざりき、重ねて技を演じ給はゞ、世に名高き人ともなり給はんものをなどいへり。風の餘り好かりければ、初めソレントオより陸に上るべかりし航路を改め、直ちに拿破里の入江を指して進むことゝなりぬ。  われは拿破里の旅寓に入りて、三通の書信に接したり。その一は友人フエデリゴが手書なり。フエデリゴはきのふイスキアの島に遊び、三日の後ならでは還らずとの事なりき。明日の午頃には人々こゝを立たんと宣給へば、われはこの唯だ一人なる友にだに、暇乞することを得ざらんとす。その二はわが宿を出でし次の日に來しものなる由、房奴われに語りぬ。これを讀むに唯だ二三行の文あり。心誠なるものゝおん身の爲め好かれとおもへるありて、今宵おん身の來まさんことを願ふとのみ書きて、末に昔の友なる女と署し、會合の家を指し示せり。其三はこれと同じ手して書けるものなり。その文左の如くなりき。 よしなき御疑念など起し給はで、御出下されかしと、ひたすら御待申上候。御別申上候節は、實に思ひ掛けぬ事にて、胸騷ぎ魂消えて、申上ぐべき詞をもえ辨へ侍らざりしかど、今は御許にても、あわたゞしかりし當時の事を思ひ棄て給ひつらんと存じ候。御許にて思ひ違へ給ひしにはあらずやと思はるゝ節も候へども、そはすべて御目にかゝりたる上にて申解くべく候。只だ一刻も早く御目にかゝり度御待申上ぐるより外無御座候。かしこ。 末には又昔の友なる女と署したり。會合の家は知らぬ巷に在れど、サンタならではかゝる文書くべき婦人あるべうもあらず。われは今更彼婦人に逢ひて何とかすべきと思ひぬれば、御返事もやあると促しに來し男を呼び入れて、詞短かにいひぬ。われは遽かに思ひ定むる事ありて、拿破里を去らんとす。今までの厚き御惠は誓ひて忘れ侍らじ。御目に掛かりて御暇乞すべきなれど、あわたゞしき折なれば、唯だこの由御使に申すなりといひぬ。フエデリゴには數行の書を作りて遺し置きつ。その概略は今物書くべき心地もせねば、精しき事の顛末をば、羅馬に到り着きて後にこそ告ぐべけれ、手を握らで別れ去ることの心苦しさを察せよといふ程の意なりき。  暇乞にとては、何處へも往かざりき。街上にてベルナルドオの面を見んことの影護く、又此地に來てより交を結びし人には、相見んことの願はしくもあらねば、われは旅寓の一室にたれこめて此日を暮さんとおもひ居たり。さるを公子の車を誂へ置きたれば、共に醫師の家訪はずやと宣給ふがことわりなれば、隨ひて行きぬ。小く心安げなる家にて、年長けたる姉の家政を掌れるあり。質直なる性質眉目の間に現はれて、むかしカムパニアの野邊にありける時、鞠育の恩を受けしドメニカに似たるところあり。されど此は教育ある人なれば、起居振舞のみやびやかなる、いろ〳〵なる藝能ある抔、日を同じうして語るべくもあらざるなるべし。  翌朝われは先づヱズヰオの山を仰ぎ見て別を告げたり。嶺は深く烟霧の裏に隱れて、われに送別の意を表せんともせざる如し。是日海原はいと靜にして、又我をして洞窟と瞽女との夢を想はしむ。嗚呼、此拿破里の市も、今よりは同じ夢中の物となり了るならん。  房奴はけふの拿破里日報(ヂアリオ、ヂ ナポリ)を持ち來りぬ。披きて見れば、我假名あり。さきの日の初舞臺の批評なりき。いかなる事を書けるにかと、心忙しく讀みもて行くに、先づ空想の贍にして、章句の美しかりしを稱へ、恐らくは是れパンジエツチイの流を酌めるものにて、摸倣の稍〻甚しきを嫌ふと斷ぜり。パンジエツチイといふ人はわれ夢にだに見しことあらず。われは唯だ我天賦の情に本づきて歌ひしなり。想ふに彼批評家といふものは、おのれ常に摸擬の筆を用ゐるより、人の藝術も亦然ならんと思へるにやあらん。末の方には例に依りて、奬勵の語を添へたり。いはく。此人終に名を成すべき望なきにあらず、今の見る所を以てするも、猶非凡なる材能たることを失はざるべし、空想感情靈應の諸性具備したりと見ゆればなりとあり。此評は惡しき方にはあらねど、當日の公衆の喝采に比ぶるときは、その冷かなること著しとおもはる。われは此新聞紙を疊みて行李の中に藏めたり。そは他年わが拿破里の遭遇の悉く夢ならぬを證せん料にもとてなり。嗚呼、われ拿破里を見たり、拿破里の市を彷徨せり。わが得しところそも幾何ぞ、わが失ひしところはたそも幾何ぞ。知らず、フルヰアの預言は既に實現し盡せりや否や。  われ等は拿破里を出立ちたり。葡萄栽ゑたる丘陵は見る〳〵烟雲の間に沒せり。一行は羅馬に向ひて行くこと四日なりき。わが行くところの道は、二月の前にフエデリゴ、サンタの二人と與に行きし道なりき。モラの旅亭に來て見れば、柑子の林は今花の眞盛なり。われは再び我祕言をサンタに偸み聽かれし木蔭に立寄りたり。人の離合聚散の測り難きこと、また今更に驚かれぬ。イトリの狹隘を過ぐる時、われはフエデリゴが上を憶ひ起しつ。旅劵を閲する國境には、けふも洞穴の中に山羊の群をなせるあり。されどフエデリゴが筆に上りし當時の牧童は見えざりき。  一行はテルラチナに宿りぬ。夜明くれば天氣晴朗なりき。あはれ、美しき海原よ。汝は我を懷抱し我をゆり動かして、我にめでたき夢を見させ、我をかう〴〵しきララに逢はせき。今はわれ汝に別れんとぞすなる。水の天に接する處には、猶エズヰオの山の雄々しき姿見えて、立昇る烟の色は淡き藍色を成し、そのさま清明にして而も幽微に、譬へば霞を以て顏料となし、かゞやく空の面に畫ける如し。われは大息して呼べり。さらば〳〵、いで我は羅馬に入らん。我墓穴は我を待つこと久し。  われは曾て怪しき媼フルヰアとさまよひありきし山を望みき。われはジエンツアノ市を過ぎて、我母の車に觸れてみまかり給ひし廣こうぢを見き。路の傍なる乞兒は我衣服の卑しからぬを見て、われを殿樣と呼べり。むかし母に手を拉かれて祭を見し貧家の子幸ありといはんか、今ボルゲエゼ家の賓客となりて歸れる紳士幸ありといはんか、そは輒く答へ難き問なるべし。  一行はアルバノの山を踰えたり。カムパニアの曠野は我前に横れり。道の傍なる、蔦蘿深く鎖せるアスカニウスの墳は先づ我眼に映ぜり。古墓あり、水道の殘礎あり、而して聖彼得寺の穹窿天に聳えたる羅馬の市は、既に目睫の中に在り。(アスカニウスは昔アルバ、ロンガの基を立てし人なり。是れ拉甸人の始めて市を成せる處にして、後の羅馬市はこれより生ぜりといふ。)  車の聖ジヨワンニイの門(ポルタ、サン、ジヨワンニイ)より入るとき、公子は我を顧みて、いかに樂しき景色にはあらずやと宣給へり。「ラテラノ」の寺、丈長き尖柱、「コリゼエオ」の大廈の址、トラヤヌスの廣こうぢ、いづれか我舊夢を喚び返す媒ならざる。  羅馬は拿破里の熱鬧に似ず。コルソオの大路は長しと雖、繁華なるトレドの街と異なり。車の窓より道行く人を覗ふに、むかし見し人も少からず。老いたる教師ハツバス・ダアダアのボルゲエゼ家の車の章に心づきて、蹣跚たる歩を住め我等を禮したるは、おもはずなる心地せらる。コンドツチイ街(ヰヤ、コンドツチイ)の角を過ぐれば、むかしながらのペツポが手に屐まがひの木片を裝ひて、道の傍に坐せるを見る。  フランチエスカの君の、やう〳〵我家に歸り着きぬと宣給ふに答へて、まことにさなりと云ひつゝも、我は心の内に名状し難き感情の迫り來るを覺えき。我は今曾て訣絶の書を賜ひし舊恩人を拜せざるべからず。その待遇は果していかなるべきか。我はこゝに至りて、復たこれを避けんと欲することなく、却りて二馬の足掻の猶太だ遲きを恨みき。譬へば死の宣告を受けたるものゝ、早く苦痛の境を過ぎて彼岸に達せんことを願ふが如くなるべし。  車はボルゲエゼの館の前に駐まりぬ。僮僕は我を誘ひて館の最高層に登り、相接せる二小房を指して、我行李を卸さしめき。  少選ありて食卓に呼ばれぬ。われは舊恩人たる老公の前に出でゝ、身を僂めて拜せしに、アントニオが席をば我とフランチエスカとの間に設けよと宣給ふ。是れ我が久し振にて耳にせし最初の一語なりき。  會話の調子は輕快なりき。われは物語の昔日の過に及ばんことを慮りしに、この御館を遠ざかりたりしことをだに言ひ出づる人なく、老公は優しさ舊に倍して我を欵待し給ひぬ。されどわれは此一家の復た我に厚きを喜ぶと共に、人の我を恕するは我を輕んずる所以なるを思ふことを禁じ得ざりき。    教育  ボルゲエゼ家の宮殿は今わが居處となりぬ。人々の我をもてなし給ふさまは、昔に比ぶれば優しく又親しかりき。時として我を輕んずるやうなる詞、我を侮るやうなる行なきにしもあらねど、そはわが爲め好かれとて言ひもし行ひもし給ふなれば、憎むべきにはあらざるなるべし。  夏は人々暑さを避けんとて餘所に遷り給へば、われ獨り留まりて大廈の中にあり。涼しき風吹き初むれば人々歸り給ふ。かく我は漸く又此境遇に安んずることゝなりぬ。  我は最早カムパニアの野の童にはあらず。最早當時の如く人の詞といふ詞を信ずること、宗教に志篤き人の信條を奉ずると同じきこと能はず。我は最早「ジエスヰタ」派學校の生徒にはあらず。最早教育の名をもてするあらゆる束縛を甘んじ受くること能はず。さるを憾むらくは人々、猶我を視ることカムパニアの野の童、「ジエスヰタ」派學校の生徒たる日と異ならざりき。此間に處して、我は六とせを經たり。今よりしてその生活を顧みれば、波瀾層疊たる海面を望むが如し。好くも我はその波濤の底に埋沒し畢らざりしことよ。讀者よ、わが物語を聞くことを辭まざる讀者よ。願はくは一氣に此一段の文字を讀み去れ。われは唯だ省筆を用ゐて、その大概を敍して已みなんとす。  この六年の歴史はわが受けし精神上教育の歴史なり。この教育は人の師たるを好むものゝことさらに設けたる所にして、不便なる我はこれを身に受けざること能はざりしなり。人々は我を善人とし、我に棄て難き機根ありとして、競ひて自ら教育の任を負へり。恩人はその恩を以て我に臨みて我師たり。恩人ならぬ人はわが人好きに乘じて僭して我師となれり。我は忍びて無量の苦を受けたり。そは教育といふを以ての故なり。  主公はわが學の膚淺なるを責め給へり。我はいかに自ら勵まんも、わが一書を讀みたる後、何物か我胸中に殘れると問はゞ、そはたゞ其卷册の裡より我心に適へるものを抽き出し得たりといふのみにて、譬へば蜂の百花の上に翼を休めて、唯だ一味の蜜を探らんが如くなるべし。こは老侯の喜び給ふところにあらざりしなり。家の常の賓客、その他われを愛すといふ人々には、おの〳〵その理想ありて、われを測るにその合理想の尺度をもてす。人々いかでかわが成績に甘んずることを得ん。數學者はアントニオあまりに空想に富みて、冷靜の資なしと云ひ、儒者はアントニオの拉甸語に精しからざることよと云ひ、政治家は稠人の前にありて、ことさらに我に問ふにわが知らざるところの政治上の事をもてし、われを苦めて自ら得たりとし、遊戲をもて性命とせる貴公子は、また我と馬相を論じて、わが馬を愛することの己れの身を愛するごとくならざるを怪み、貴族にして毒舌ある一婦人の、まことは人に超えたる智あるにあらずして、漫りに批評に長ぜりと稱せられたるは、また我詩稿を刪潤せんと欲し、我に一枚づゝ寫して呈せんことを求めたり。その外、ハツバス・ダアダアの如く、むかし有望の少年たりしわが、今才盡き想涸れたるを歎ずるものあり、舞踏を善くする某の如く、わが舞場に出でゝ姿勢の美を闕くを憾むものあり、文法に精しき某の如く、わが往々讀に代ふるに句を以てするを難ずるものあり。就中フランチエスカの君は、もろ人の我を襃むるに過ぎて、わが慢心のこれがために長ずべきを惜むとて、毎に峻嚴と威儀とをもて我に臨まんとし給へり。おほよそ此等の毒は滴々我心上に落ち來りて、われは我心のこれが爲めに硬結すべきか、さらずば又これが爲めにその血を瀝らし盡すべきをおもひたりき。  我心は一物に逢ふごとに、その高尚と美妙との方面よりして強く刺戟せられ深く悦懌す。われは獨り閑室に坐するとき、首を囘して彼の我師と稱するものを憶ふに、一種の奇異なる感の我を襲ひ來るに會ひぬ。世界は譬へば美しき少女の如し。その心その姿その粧は、わが目を注ぎ心を傾くるところなり。さるを靴工は、彼の穿ける靴を見よ、その身上第一の飾はこれぞと云ひ、縫匠は、否、彼の着たる衣を見よ、その裁ちざまの好きことよ、その色あひを吟味し、その縫際に心留むるにあらでは、少女の姿を論ずべからずと云ひ、理髮師は、否々、彼の美しき髮のいかに綰ねられたるかを見ずやと云ひ、語學の師はその會話の妙をたゝへ、舞の師はその擧止のけだかさを讚む。彼の我師と稱するものは、この工匠等に異ならず。されどわれ若し憚ることなくして、人々よ、我も一々の美を見ざるにあらねど、我を動かすものは彼に在らずしてその全體の美に在り、是れ我職分なりと曰はゞ、人々は必ず陽に、げに〳〵我等の教ふるところは汝詩人の目の視るところより低かるべしと曰ひつゝ、陰に我愚を笑ふなるべし。  天地の間に生物多しと雖、その最も殘忍なるものは蓋し人なるべし。われ若し富人ならば、われ若し人の廡下に寄るものならずば、人々の旗色は忽ちにして變ずべきならん。人々の聰明ぶり博識ぶりて、自ら處世の才に長けたりげに振舞ふは、皆我が食客たるをもてにあらずや。我は泣かまほしきに笑ひ、唾せんと欲して却りて首を屈し、耳を傾けて俗士婦女の蝋を嚼むが如き話説を聽かざるべからず。所謂教育は果して我に何物をか與へし。面從腹誹、抑鬱不平、自暴自棄などの惡癖陋習の、我心の底に萌しゝより外、又何の效果も無かりしなり。  十の指は我があらゆる暗黒面を指し、却りて我をして我に一光明面なしや否やを思はしめ、我をして自ら己の長を覓め、自ら己の能を衒はしめたり。而して彼指は又この影を顧みて自ら喜ぶ情を指して、更に一の暗黒面を得たりとせり。  人々はわが我見の強くして固きを難ぜり。政治家のわが我見を責むるは、われ心を政況に委ねざればなり、馬を愛づる貴公子のわが我見を責むるは、われ馬を品し馬に乘りて居諸を送ること能はざればなり、曾て又一少年の審美學の書に耽るものありしが、其人は我にいかに思惟し、いかに吟詠し、いかに批評すべきを教へ、一朝わがその授くる所の規矩に遵はざるを見るに及びては、忽又わが我執を責めたり。こはわが我執あるにはあらで、人々の我執あるにはあらざるか。そを翻りてわれ我執ありといふは、わが人の恩蔭を被りたる貧家の孤たるを以てにあらずや。  名よりして言はんか、我は貴族にあらず。されど心よりして觀んか、我豈賤人ならんや。されば我は人に侮蔑せらるゝごとに、必ず深き苦痛を忍べり。いかなれば我は赤心を棒げて人々に依頼せしに、人々は我をして鹽の柱と化すること彼ロオト(亞伯拉罕の甥)が妻の如くならしめしぞ。是に於いてや、悖戻の情は一時我心上に起り來りて、自信自重の意識は緊縛をわが恆の心に加へ、此緊縛の中よりして、増上慢の鬼は昂然として頭を擡げ、我をして平生我に師たる俗客を脚底に見下さしめ、我耳に附きて語りて曰はく。汝の名は千載の後に傳へらるべし。彼の汝に師たるものゝ名は、これに反して全く忘らるべし。縱令忘られざらんも、その偶〻存ずるは汝が囹圄の桎梏として存じ、汝が性命の杯中に落ちたる毒藥として存ずるならんといふ。われはタツソオの上をおもへり。矜持せるレオノオレよ。驕傲なるフエルララの朝廷よ。その名は今タツソオによりて僅に存ずるにあらずや。當時の王者の宮殿は今瓦石の一堆のみ、その詩人を拘禁せし牢舍は今巡拜者の靈場たりなどゝおもへり。此の如き心の卑むべきは、われ自ら知る。されど所謂教育は我をして此の如き心を生ぜしめざること能はず。われ若し彼教育を受けて、此心をだに生ぜざりせば、われは性命を保ちて今に到るに由なかりしなり。わが潔白なる心、敬愛の情は、一言の奬勵、一顧の恩惠を以て雨露となしゝに、人々は却りて毒水を灌ぎてこれを槁枯せしめしなり。  今の我は最早昔の如き無邪氣の人ならず。さるを人々は猶無邪氣なるアントニオと呼べり。今の我は斷えず書を讀み、自然と人間とを觀察し、又自ら我心を顧みて己の長短利病を審にせんとせり。さるを人々は始終物學びせぬアントニオと呼べり。この教育は六年の間續きたり、否、七年ともいふことを得べし。されど六とせ目の年の末には、早く多少の風波の我生涯の海の面に噪ぎ立つを見たり。この教育の六年の間、猶書かまほしき事なきにあらねど、今より顧みれば、皆流れて毒水一滴となり了んぬ。こは門地なく金錢なき才子の常に仰ぎ常に服するところのものにして、此毒水は此類の才子の爲には、人の呼吸するに慣れたる空氣に異ならずともいふべきならん。  われは「アバテ」となりぬ。われは又即興詩人として名を羅馬人の間に知られぬ。そは「チベリナ」學士會院(アカデミア、チベリナ)の演壇の、我が上りて詩稾を讀み、又即興詩を吟ずることを許しゝがためなり。されどフランチエスカの君は、會院の吟誦には喝采を得ざるものなしといふをもて、わが自負の心を抑へ給へり。  ハツバス・ダアダアは會院中の最も名高き人なり。その名の最も高きは、その演説し著述することの最も多きがためなり。院内の人々は一人としてハツバス・ダアダアの〻意を得て、只管書きに書き説きに説けり。ある日我詩稾を閲し、評して水彩畫となし、ボルゲエゼ家の人々に謂ふやう。アントニオに才藻の萌芽ありしをば、嘗て我生徒たりしとき認め得たりしに、惜いかな、其芽は枯れて、今の作り出すところは畸形の詩のみ。アントニオは古の名家の少時の作を世に公にせしものあるを見て、或はおのれのをも梓行せんとすることあらんか。そは世の嘲を招くに過ぎず。願はくは人々彼を諫めて、さる無謀の企を思ひ留まらしめ給へとぞいひける。  アヌンチヤタが上はつゆばかりも聞えざりき。アヌンチヤタは我が爲めには隔世の人たり。されどこの女子は死に臨みて、その冷なる手もて我胸を壓し、これをして事ごとに物ごとに苦痛を感ずることよの常ならざらしめしなり。ナポリの旅と當時の記憶とは、なつかしく美しきものながら、今はその美しさの彼メヅウザに逢ひて化石したるにはあらずやとおもはれたり。(メヅウザは希臘神話中の恐るべき處女神にして、之を視るものは忽ち石に化したりといふ。)煖き巽風の吹くごとに、われはペスツムの温和なる空氣をおもひ出して意中にララが姿を畫き、ララによりて又その邂逅の處たる怪しき洞窟に想ひ及びぬ。われは彼物教へんとする賢き男女の人々の間に立ちて、上校の兒童の如くなるとき、心にはむかし賊寨にて博せし喝采と「サン、カルロ」座にて聞きつる讙呼の聲とを思ひ、又人々の我を遇すること極めて冷なるが爲めに、身を室隅に躱けたるとき、心にはむかしサンタがもろ手さし伸べて、我を棄てゝ去らんよりは寧ろ我を殺せと叫びしことをおもひぬ。六とせは此の如くに過ぎ去りて、我齡は二十六になりぬ。    小尼公  フアビアニ公子とフランチエスカ夫人との間に生れし姫君の名をばフラミニアといひぬ。されど搖籃の中にありて、早く神に許嫁せさせ給ひしより、人々小尼公とのみ稱ふることゝなりぬ。この小尼公には、むかし我手にかき抱きて、をかしき畫などかきて慰めまつりし頃より後、再び見ゆることを得ざりき。小尼公は教育の爲めにとて、四井街の尼寺にあづけられ給ひしより、早や六とせとなりぬ。境内を出で給ふことなく、母君なるフランチエスカの夫人ならでは往きて逢ふことを許されねば、父君すら一たびも面を合せ給ふことあらざりき。われ等は唯だ人傳に姫君の今は全く人となり給ひて、その學藝をさへ人並ならず善くし給ふを聞きしのみ。  寺の掟に依るに、凡そ尼となるものは、授戒に先だてる數月間親々の許に還り居て、浮世の歡を味ひ盡し、さて生涯の暇乞して俗縁を斷つことなり。この時となりて、再び寺に入るとそが儘我家に留まるとは、その女子の意志の自由に委ぬといへど、そは只だ掟の上の事のみにて、まことは幼きより尼の裝したる土偶を翫ばしめ、又寺に在る永き歳月の間世の中の罪深きを説きては威しすかし、寺院の靜かにして戒行の尊きを説きては勸め誘ひ、必ず寺に歸り入らしむる習なりとぞ。  是より先きわれは四井街の邊を過ぐるごとに、この尼寺の築泥の蔭にこそ、わが嘗て抱き慰めし姫君は居給ふなれ、今はいかなる姿にかなり給ひしと、心の内におもひ續けざることなかりき。一日われは尼寺に往きて、格子の奧にて尼達の讚美歌を歌ふを聽きしことあり。あの歌ふ人々の間に小尼公はおはさずやとおもひしかど、流石心に咎められて、教子として寺に宿れるものゝ、彼歌樂の群に加はるや否やを問ひあきらむることを果さゞりき。既にしてわれはこのもろ聲の中より、一人の聲の優れて高く又清く、一種言ふべからざる凄切の調をなせるものあるを聞き出しつ。その聲のアヌンチヤタが聲にいと好く似たりければ、把住し難き我空想は忽ちはかなき舊歡の影をおもひ浮べて、彼ボルゲエゼ家の少女の事を忘れぬ。  次の月曜日にはフラミニアこそ歸り來べけれと、老公宣給ひぬ。この詞はあやしく我情を動して、その人と成りしさまの見まほしさはよの常ならざりき。想ふに小尼公も亦我と同じき籠中の鳥なり。こたび家に歸り給ふは、譬へば先づ絲もてその足を結びおき、暫し籠より出だして翺翔せしむるが如くなるべし。傷ましきことの極ならずや。  わが姫の面を見しは午餐の時なりき。げに人傳に聞きつる如くおとなびて見え給へど、世の人の美しとてもてはやす類の姿貌にはあらざるべし。面の色は稍〻蒼かりき。唯だ惠深く情厚きさまの、さながらに眉目の間に現れたるがめでたく覺えられぬ。  食卓に就きたるは近親の人々のみなり。されど一人の姫に我の誰なるを告ぐるものなく、姫も又我面を認め得ざるが如くなりき。さてわれは姫に對ひてかたばかりの詞を掛けしに、その答いと優しく、他の親族の人々と我との間に、何の軒輊するところもなき如し。こは此御館に來てより、始ての欵待ともいひつべし。  人々は打解けてくさ〴〵の物語などし、姫は笑ひ給ふ。われは覺えず興に乘じて、その頃羅馬に行はれたりし一口話を語りぬ。姫はこれをも可笑しとて笑ひ給ふに、外の人々は遽かに色を正して、中にもかゝる味なき事を可笑しとするは何故ならんなどいふ人さへあり。われ。しか宣給へど、今語りしは近頃流行の一口話にて、都人士のをかしとするところなるを奈何せん。夫人。否、おん身の話は掛詞の類のいと卑しきをさげとせり。人の腦髓のかくまで淺はかなる事を弄ぶことを嫌はざるは、げに怪しき限ならずや。嗚呼、我とても爭でかことさらに此の如き事のために、我腦髓を役せんや。我は唯だ世の人の多く語るところにして、我が爲めにもをかしとおもはるゝものなるからに、人々の一粲を博する料にもとおもひし迄なり。  日暮れて客あり。數人の外國人さへ雜りたり。われは晝間の譴責に懲りて、室の片隅に隱れ避け、一語をだに出ださゞりき。人々は圈の形をなして、ペリイニイといふものゝめぐりに集へり。この人は齡略ぼ我と同じくして、その家は貴族なり。心爽かにして頓智あり、會話も甚巧なれば、人皆その言ふところを樂み聽けり。忽ち人々の一齊に笑ふ聲して、老公の聲の特さらに高く聞えければ、われは何事ならんとおもひつゝ、少しく歩み近づきたり。然るに我は何事をか聞きし。晝間我が語りて人々の咎に逢ひし、彼一口話は今ペリイニイの口より出でゝ人々に喝采せらるゝなりき。ペリイニイは一句を添へず又一句を削らず、その口吻態度些の我に殊なることなくして、人々は此の如く笑ひしなり。語り畢る時、老公は掌を撫して、側に立ちて笑ひ居たる姫に向ひ、いかにをかしき話ならずやと宣給へり。姫、まことに仰せの如くに侍り、けふ午の食卓にて、アントニオが語りし時より然かおもひ侍りきと答へ給ふ。その語調はいと温和にて、怨み憤る色もなく辨へ難ずる色もなし。われは心の内にて、この優しき小尼公の前に跪かんとしたり。この時フランチエスカの君も、げに〳〵をかしき物語なりきと宣給ふ。われは心の跳るを覺えて、そと人々に遠ざかり、身を長き幌の蔭に隱して、窓の外なる涼しき空氣を呼吸したり。  この一口話の事をば、われ唯だ一の例として、かく詳にはしるしゝなり。これより後も、日としてこれに似たる辱を被らざることなかりき。唯だ小尼公のすゞしき目の我面を見上げて、衆人の罪惡の爲めに代りて我に謝するに似たるありて、われはその辱の疇昔よりも忍び易きを覺えたり。竊におもふに我にはまことに弱點あり。そを何ぞといふに、影を顧みて自ら喜ぶ性ありて、難きを見て屈せざる質なきこと是なり。そもこの弱點はいづれの處よりか生ぜし。生を微賤の家に稟けしにも因るべく、最初に受けし教育にも因るべく、又恆に人の廡下に倚る境遇にも因るなるべし。我は胸に溢れ口に發せんと欲するところのものあるごとに、必ず先づ身邊の嘗て我に恩惠を施したる人々を顧みて、自ら我舌を結び、終に我不屈不撓の氣象を發展するに及ばずして止みぬ。若し自から辯護して評せばこも謙讓の一端なるべし。されどその弱點たることは到底掩ふべからざるを奈何せん。  今の勢をもてすれば、その恩義の絆を斷たんこといとむづかし。人々は我にいかなる苦痛を與へ給はんも、我が受けたるところの恩義は飽くまで恩義なり。そは人々なかりせば、我は或は饑渇の爲めに苦められけんも計り難きが故なり。我が人々の爲めに身にふさはしき業して、恩義に酬いんとせしことは幾度ぞ。我は報恩の何の義なるかを知らざるにあらず、良心のいかなるものなるかを解せざるにあらず。いかなれば人々は此良心の發動、報恩の企圖を妨碍して、天才は俗事に用なしといひ、又思想多きに過ぎて世務に適せずといふぞ。若しまことに天才を視ること此の如く、思想を視ること此の如くならば、そは天才をも思想をも知らざるなり。  その頃我は大闢を題として長篇を作りぬ。この詩は字々皆我心血なりき。昔の不幸なる戀と拿破里客中の遭遇とは、常に胸裡に往來して、侯爵家の人々の所謂教育は斷えず腦髓を刺戟し、我を驅りて詩國に入らしめ、我心頭には時として我生涯の一篇の完璧をなして浮び出づることあり。その中にはいかなる瑣細なる事も、いかなる厭ふべく苦むべき事も、一として滿分の詩趣を具へざるはなかりき。我中情は此の如く詠歎の聲を迫り出して、我をしてダヰツトの故事の最も當時の感興を寓するに宜しきを覺えしめしなり。  詩成りて、我は復たその名作たるを疑はざりき。而して我は神に謝する情の胸に溢るゝを見たり。そは我平生の習として、一詩句を得るごとに、未だ嘗て神の我靈魂を護りて、詩思を生ぜしめ給ふを謝せざることあらざればなり。此作は我心の瘡痍を醫すべき藥液なりき。我は自ら以爲へらく。人々若し我此作を讀まば、その我に苦痛を與ふることの非なるを悟りて、善く我を遇するに至るならんと。  詩成りて、作者より外、未だ一人の肉眼のこれに觸れたるものあらず。この塵を蒙らざる美の影圖は、その氣高きこと彼「ワチカアノ」なるアポルロンの神の像の如く、儼然として我前に立てり。嗚呼、この影圖よ。今これを知りたるものは、唯だ神と我とのみ。我は學士會院に往きてこれを朗讀すべき日を樂み待てり。  さるを一日フアビアニ公子とフランチエスカ夫人との優しさ常に倍するを覺えければ、我は此二恩人に對して心中の祕密を守ること能はざりき。こは小尼公の來給ひしより二三日の後なりきと覺ゆ。公子夫婦は聞きて、さらばその詩をば我等こそ最初に聽くべけれと宣給ふ。我は直ちに諾しつれど、心にはこの本讀の發落いかにと氣遣はざること能はざりき。さて我詩を讀むべき夕には、老侯も席に出で給ふ筈なりき。此日となりて又期せずしてハツバス・ダアダアの侯爵家を訪ふに會ひぬ。フランチエスカはこれを留めて、渠にも我が讀むべき詩を聽かしめんといひぬ。われは此翁の偏執の念強くして人の才を妬み、特に平生我を喜ばざるを知れり。公子夫婦の心冷なる、既に好き聽衆とすべきならぬに、今又此毒舌の翁を獲つ。我が本讀の前兆は太だ佳ならざるが如くなりき。  我胸の跳ることは、嘗て「サン、カルロ」座の舞臺に立ちし時より甚しかりき。若し我が期するところの效果にして十分ならば、人々はこれを聽きて、その常に我を遇する手段の正しからざるを悟り、未來に於いて自ら改むるに至るならん。是れ一種の精神上の治療法なり。われは明かに我が期するところの難きを知る。さるを猶これを敢てするものは、深く自ら「ダヰツト」の一篇の傑作なることを信じたればなり、又小尼公の優しき目の暗に我を鼓舞するに似たるあるに感じたればなり。  我詩は一として自家の閲歴に本づかざる者なし。此篇も亦然なり。首段は牧童たるダヰツトの事を敍す。即ち我が穉かりし頃、ドメニカにはぐゝまれてカムパニアの茅屋に住めりし時の境界に外ならず。フランチエスカの君聞もあへず、そは汝が上にあらずや、汝がカムパニアの野にありし時の事に非ずやと叫び給へば、老侯笑ひて、そは預期すべき事なり、いかなる題に逢ひても、自家の感情をもてこれに附會することを得るはアントニオが長技ならずやと答へ給ふ。ハツバス・ダアダアは嗄れたる聲振り絞りていふやう。句々洗錬の足らざるが恨なり、ホラチウスの教を知らずや、唯だ放置せよ、放置してその熟するを待てといへり、おん身の作も亦然なり。  人々は早く既に一槌をわが美しき彫像に加へしなり。我は猶二三章を讀みしかど、只だ冷澹にして輕浮なる評語の我耳に詣り入るあるのみ。人々は又我肺腑中より流れ出でたる句を聞きて、古人某の集より剽竊せるかと疑へり。嗚呼、初め我が人をして聳聽せしむべく、怡悦せしむべき句ぞとおもひしものは、今は人々の一顧にだに價せざらんとす。我は第二折の末に到りて、興全く盡きぬれば、人々に謝して讀むことを止めたり。此に至りて、自ら我手中の詩篇を顧みれば、復た前の綽約たる姿なくして、彼三王日の前夜フイレンチエ市を擔ひ行くなる「ベフアアナ」といふ偶人の、面色極めて奇醜にして、目には硝子球を嵌めたるにも譬へつべきものとなりぬ。是れ聽衆の口々より※(口+罅のつくり)きたる毒氣のわが美の影圖をして此の如く變化せしめしにぞありける。  おん身のダヰツトは市井の俗人をだに殺すことなからん、とはハツバス・ダアダアが總評なりき。人々は又評して宣給ふやう。篇中往々好き處なきにあらず。そは情深きと無邪氣なるとの二つに本づけりとなり。我は頭を低れて口に一語を出さず、罪囚の刑の宣告を受くるやうなる心地にて、人々の前に凝立せり。ハツバス・ダアダアは再びホラチウスの教を忘れ給ふなと繰返しつゝも、猶慇懃に我手を握りて、詩人よ、懋めよやと云ひぬ。我は室の一隅に退きたりしが、暫しありて同じハツバス・ダアダアが耳疎き人の癖とて、聲高くフアビアニ公子にさゝやくを聞きつ。そは杜撰彼篇の如きは己れの未だ嘗て見ざるところぞとの事なりき。  人々は我詩を解せざらんとせり。又我を解せざらんとせり。こは我が忍ぶこと能はざるところなり。室の隣には、開爐に炭火を焚きたる廣間あり。われはこれに退き入り、手に詩稾を把りて、爪甲の掌を穿たんばかりに握りたり。嗚呼、我夢は一瞬の間に醒め、我希望は一瞬の間に破壞せられたり。我身は神の御姿の摸造ながら、自ら顧みれば苦燄の間に僵しつ。我は夢心地の間に姫を抱き起しつ。人々は何事やらんと馳せ集へり。  フランチエスカ夫人は聖母の御名を唱へつ。我手に抱き上げられたる姫は、眞蒼なる顏もて母上を仰ぎ見つゝ、足すべりて爐の中に倒れ、手少し傷け侍り、アントニオなかりせば大いなる怪我をもすべかりしをと宣給ひぬ。われは激しき感情に襲はれて、口に一語を發すること能はず、只だ喪心せるものゝ如くなりき。  姫は右手を劇しく燒き給へり。一家の騷擾は一方ならず。彼問ひ此答ふる繁き詞の中にも、幸にして人の我詩卷を問ふ者なく、我も亦默ありければ、ダヰツトの詩篇の事は終に復た一人の口に上ることなかりき。あらず、後に至りてこれに言ひ及びし人唯一人あり。そは我が爲めに翼を焦しゝ天使なりき、小尼公なりき。嗚呼、小尼公なかりせば、われは全く厭世の淵に沈み果てしならん。われをして人の心の猶頼むべきを覺えしめ、われをして少時の淨き心を喚び返さしめたるは、げにこのボルゲエゼ一家の守護神たる小尼公なりき。小尼公の手は痛むこと十四日の間なりき。我胸の痛むことも亦十四日の間なりき。  ある日われは獨り姫の病牀に侍することを得て、わが久しく言はんと欲するところを言ふことを得たり。われ。フラミニアの君よ、願はくは我罪を許し給へ。君は我が爲めに其苦痛を受け給へり。姫。否、その事をば再び口に出し給ふな。又ゆめ餘所に洩し給ふな。そが上に、さのたまふはおん身自ら歎き給ふにてこそあれ。我足のすべりしは事實なり。おん身若し扶け起し給はずば、わが怪我はいかなりけん。されば我はおん身の恩を荷へり。父母も然か思ひて、御身のいちはやく救ひ給ひしを感じ給ひぬ。獨り此事のみにはあらず。父母の御身を愛し給ふ心のまことの深さをば、おん身は未だ全く知り給はぬごとし。われ。そは宣給ふまでもなし。わが今日あるは皆御家の賜なり。かくて一日ごとに我が受くるところの恩澤は加はりゆくなり。姫。否、さる筋の事をいふにはあらず。わが二親のおん身を遇し給ふさまをば、此幾日の間に我熟く知れり。二親はかくするが好しとおもひ給ふなれば、そは奈何ともし難けれど、總ておん身を惡しとおもひ給ひてにはあらず。殊に母上の我に對しておん身を譽め給ふ御詞をば、おん身に聞せまほしきやうなり。師の尼君の宣給ふに、おほよそ人と生れて過失なきものあらじとぞ。憚あることには侍れど、おん身にも總て過失なしとはいひ難くや侍らん。例之ばおん身は、いかなれば一時怒に任せて、彼美しき詩を焚き給ひし。われ。そは世に殘すべき價なければなり。唯だ焚くことの遲かりしこそ恨なれ。姫。否々、われは世の人の心の險しきを憶ひ得たり。靜かなる尼寺の垣の内にありて、優しき尼達に交らんことの願はしさよ。われ。げに君が淨き御心にては、しかおもひ給ふなるべし。我心は汚れたり。惠の泉の甘きをば忘れ易くして、一滴の毒水をば繰返して味ふこと、まことに罪深き業にこそ侍らめと答へぬ。  この館には一人として我を憎むものなし。されど尼寺の心安きには似ず。こは小尼公の獨り我に對し給ふとき、屡〻宣給ひし詞なり。われはこの姫をもて我感情の守護神、わが清淨なる思想の守護神とし、漸くこれに心を傾けつ。想ふに姫の歸り來給ひしより、館の人々の我を遇し給ふさま、面色よりいはんも語氣よりいはんも、著く温和に著く優渥なるは、この優しき人の感化に因るなるべし。  姫は數〻我をして平生の好むところを語らしめ給ひぬ、詩を談ぜしめ給ひぬ。興に乘じて古人の事を談ずるときは、われは自ら我辯舌の暢達になれるに驚きぬ。姫はもろ手の指を組み合せて、我面を仰ぎ見給ふ。姫。おん身の如く詩をもて業とするは、まことに人生の幸福なるべし。されど神の預言者たるべき詩人の、神の徳、天國の平和をば歌はで、人の業、現世の爭奪を歌ふは何故ぞ。おん身は世の人に福を授け給ふことも多かるべけれど、又禍を遺し給ふことも少からざるならん。われ。否、詩人の人を歌ふは隨即神を歌ふなり。神は己れの徳を表さんとて、人をば造り給ひしなり。姫。おん身の宣給ふところには、わが諾ひ難き節あれど、われは我心を明すべき詞を求め得ず。人の心にも世のたゝずまひにも、げに神の御心は顯れたるべし。さればそを指し示して、世の人をして神の懷に歸り入らしめんこそ、詩人の務とはいふべけれ。さるを却りて世の人を驅りて、おそろしき呑噬爭奪の境界に墮ちしめんとする如くなるは、好しとはおもはれず。そは兎まれ角まれ、おん身はいかにして即興の詩を歌ひ給ふか。われ。題を得るときは思想は招かずして至るものなり。姫。さなり。其思想は神の賜ふ所なること人皆知る。されどそを句とし章とし、それに美しき姿しらべを賦し給ふは奈何。われ。君は尼寺に居給ふとき、「プサルモス」の歌を聽き、又古の聖の上を綴りたる韻語を學び給ひしならん。さてある時端なく一の思想の浮び出づるに逢ひて、これと與に曾て聞ける歌、曾て聞ける韻語を憶ひ得給ひしことはあらずや。憾むらくは、おん身はかゝる機會を逸し給ひて、筆とりて其思想を寫さんことを試み給はざりしなり。おん身若しそを試み給ひしならば、思想の全き形の心頭に顯れたるものは凝りて散ぜず、句は句を生じ章は章を生じ、詩は無意識の間になりしならん。こは唯だ我一人の經驗ながら、詩人の製作といふものはかくあらんとおもふなり。われは詩を作るごとに、我詩の前世の記憶の如く、前身の搖籃中にて聞きし歌の名殘の如きを感ず。われは創作すと感ぜず、われは復誦すと感ず。姫。その思想といふものも、いかなるが詩となすに宜しかるべきか知るよしなけれど、わが尼寺にありし時、ふと物の懷かしき如き情、遠きに騁する如き情の胸に溢るゝことあり。その懷かしきは何ぞ、その騁するは何をあてぞといはば、われ自ら答ふるところを知らず。されど夢に吾夫たるべき耶蘇を見、又聖母を見るときは、我心はこれに慰められたり。かゝる情も詩となるべしや否や、覺束なし。館に歸りての後は、耶蘇聖母の夢に見え給ふこと稀にして、華やかなる浮世の事、罪深き人間の事のみ夢に入りぬ。されば唯だ尼寺に返らんことこそ願はしけれ。アントニオよ。おん身は親しき友なれば告ぐべし。われはこの頃漸く心の汚れんとするを覺ゆるなり。そは粧ひ飾らんとする願起りて、人の美しと褒むるが喜ばしくなれるにて知らる。尼寺の人々に知られなば、何とかいはれん。われ。世に君の如く淨き心あるべしや。われは唯だ我心の君に似ざるを愧づるのみ。今我目もて見るときは、君の心の淨さは、昔穉くて此御館に居給ひし日に殊ならず。(われはかく言ひて姫の手に接吻せり。)姫。その頃おん身の我を抱き給ひしこと、我が爲めに畫かきて賜はりしことをば、まだ忘れ侍らず。われ。おん身の其畫を看畢りて、破り棄て給ひしをも、われは忘れず。姫。そを憎しとおもひ給ひしや。われ。世の人は我胸中なる美しき繪の限を破り棄てぬれど、われはそれすら憎むことなし。  わが小尼公に親む心は日にけに増さり行きぬ。われは世の人の皆我敵にして、唯だ小尼公のみ身方なるを覺えき。    落飾  暑き二箇月の間は、館の人々チヲリに遊び給ひぬ。わがその群に入ることを得つるは、恐らくは小尼公の緩頬に由れるなるべし。橄欖の茂き林、石走る瀧津瀬など、自然の豐かに美しき景色の我心を動すことは、嘗てテルラチナに來て始て海を觀つる時と殊なることなかりき。この山のたゝずまひ、この風の清く涼しきに、我は復たナポリの夢を喚び起すことを得たり。我は羅馬の塵多き衢、焦げたるカムパニアの野、汗流るゝ午景を背にせしを喜びて、人々の我を伴ひ給ひしを謝したり。  小尼公の侍女と共に驢に騎りてチヲリの谷間に遊び給ふときは、我はこれに隨ひ行くことを許されたり。姫は頗る自然を愛する情に富みて、我に些の寫生を試みしめ給ひぬ。荒漠たるカムパニアの野の盡くるところに、聖彼得寺の塔の湧出したる、橄欖の林、葡萄の圃の緑いろ濃く山腹を覆ひたる、瀑布幾條か漲り墮つる巖の上にチヲリの人家の簇りたるなど、皆かつがつ我筆に上りしなり。  終の圖に筆を染むる時、姫の宣給ふやう。かく麓より眺むれば、この落ちたぎつ水の勢は、早晩巖石を穿ち碎き、押し流して、その上なる人家も底なき瀧壺に陷らずやと怖しく思はると宣給ふ。われ。まことに宜給ふ如し。されどそを憂へずして、彼家々に栖める人の笑ひ樂みて日を送れるこそ神の惠ならめ。神は憫むべき人類のために、おそろしき地下のさまを掩ひ隱し給ふとおぼし。君は此水をすらおそろしと見給へども、ナポリの市の地下のさまはいかなるべきか。此は水なり、彼は火なり。かしこの民は、沸き返る熔巖の釜の上に生涯を送れるなりと答へぬ。我又語を繼ぎて、ヱズヰオの火山の形、わが其巓に登りし時の事、エルコラノとポムペイとの來歴など、姫に聞えまつりしに、姫は耳を傾け給ひて、館に還りての後、猶大澤の彼方の珍らしき事どもを語り聞せよと宣給ひぬ。  姫は海のいかなるものなるを想ひ見ること能はずと宣給ふ。そは親しく海と云ふ者を觀給ひしは唯一たびにて、それさへ山の巓より、地平線を限れる一帶の銀色したる物を認め給ひしに過ぎざればなり。われは姫に告げて、まことの海原は我脚底に又一の碧空を視る如しと云ひしに、姫は手を組み合せて、神の此世界を飾り給ひしことの極みなく奇しきをたゝへ給ひぬ。この時我は、その奇しく妙なる世界を背にして、狹き尼寺の垣の内に籠らんとし給ふ御心こそ知られねと云はんと欲せしが、姫の思ひ給はん程のおぼつかなくて默しつ。ある日姫と我等とは、荒れたる神巫寺の傍に立ちて雲霧の如く漲り下る二條の大瀑を下瞰したり。一道の白き水烟は、小暗き林木を穿ちて逆立し、その末は青き空氣の中に散じ、日光はこれに觸れて彩虹を現じ出せり。側なる小瀑の上なる岩窟には、一群の鴿ありて巣を營みたり。その時ありて大いなる圈を畫きて、我等の脚下を飛ぶや、噴珠と共に亂れて、見る目まばゆき程なり。姫は歎賞すること久しうして、我に即興を求め給へり。われは平生夢寐の間に往來する所の情の、終に散じ終に銷すること此飛泉と同じきを想ひて、忽ち歌ひ起していはく。人生の急湍は須臾も留まることなし。太陽同じく照すといへど、一滴一沫よりして見れば、その光を仰ぎその温を被らざるあり。惟だ美妙の大光明は全景を覆ひ盡すのみと云ひぬ。姫は我歌を遮り留めて、止めよ、われは悲傷の詞を聞かんことを願はず、汝が心まことに樂しからずば、姑く我が爲めに歌ふことを休めよと宣給ひぬ。  姫の我を信じ給ふことの厚きは、我が姫を信ずることの厚きに殊ならず。ある時姫の詞に、いかなる故とも知る由なけれど、館に往來する他の男子には語り難き事をも、おん身には語り易し、御身の親しきは父母に劣らざる心地すといはれしことあり。されば我もまた心を置かで、何くれとなく物語するやうになりぬ。幼かりし日の事を語りて、地下の石窟に入りて路を失ひし話よりジエンツアノの花祭に老侯の馬車の我母を轢殺せし話に至りしときは、姫の驚一方ならざりき。姫は我手を※(てへん+參)りて、我面を打目守り、その事をば館の人々まだ一たびも我に告げざりき、さては我族の御身に負ふ所はいと大いなりと宣給ひぬ。カムパニアの媼ドメニカには、姫深き同情を寄せ給ひて、おん身は定めて今も怠らずおとづれ給ふなるべしと宣給ひぬ。われは少しく心に恥ぢながら、去年は唯だ二たび訪ひしのみなれど、彼方より尋ね來たるごとに、些の小づかひ錢をば分ち與ふるを例とすと答へぬ。  われは姫に促されて、我自傳を語りつゞけ、ベルナルドオの上に及び、又アヌンチヤタの上に及びぬ。されど我面に注ぎたる姫の涼しき目は、我をして縱に戀愛を説き嫉妬を説くこと能はざらしめき。われは話題を轉じてナポリの紀行に入り、ララの事を語り、こたびは又サンタの事にさへ及びぬ。  最も姫の心に愜ひしはララなり。姫の宜給ふやう。アヌンチヤタは美しくもありしなるべく、賢しくもありしなるべし。されど面を公衆の前に曝すことを憚らず、浮薄なる貴公子を戀ひ慕へるなど、われはいかなる詞もて評すべきを知らぬながら、その人のおん身の妻とならざりしをば喜ぶなり。ララはこれに異にて、まことにおん身の爲めの守護神なるべし。おん身の靈の天上に在らん時、先づ來りて相見んものはララならずして誰ぞやと宣給ひぬ。  サンタをば姫いたく怖れ給ひて、燃ゆる山、闊き海の景色はいかに美しからんも、かゝる怖ろしき人の住める地に往かんことは、わが願にあらず、おん身の恙なかりしは、聖母の御惠なりと宣給ふ。われは此詞を聞きて、さきに包み藏して告げざりしサンタとの最後の會見の事を憶ひ起しつ。現に我頭を撃ちて我夢を醒ましゝは、尊き聖母の御影なりき。姫若しわが當時の惑を知らば、猶我に許すに善人をもてすべしや否や。我肉身の弱きことは、よその男子に殊ならざりしなり。姫は又我に迫りて、嘗て即興詩人として劇場に上りし折の事を語らしめ給ひぬ。山深き賊寨にて歌はんは易く、大都の舞臺にて歌はんは難かるべしとは、姫の評なりき。われは行李を探りて、かの拿破里日報を出して姫に見せつ。姫は先づ當時の評語を讀みて、さて知らぬ都會の新聞紙のいかなる事を載せたるかを見ばやとて、あちこち翻し見給ひしが、忽ち我面を仰ぎ視て、おん身はアヌンチヤタの同じ時ナポリに在りしをば、まだ我に告げ給はざりきと宣給ふ。われはこの思ひ掛けぬ詞に、アヌンチヤタの爭でかとつぶやきつゝ、彼新聞紙に目を注ぎつ。われは此一枚の紙を手にとりしこと幾度なるを知らねど、いつも評語をのみ讀みつれば、アヌンチヤタの事を書ける雜報あるには心付かざりしなり。  姫の指ざし給ふ雜報には、アヌンチヤタ明日登場すべしとあり。その明日といへるは即ち我が拿破里を發せし日なり。われは姫と目を見合せて、暫くはものいふこと能はざりき。既にして我は纔に口を開き、さるにても我が再び面をあはせざりしは、せめてもの幸なりきといひぬ。姫。さは宣給へど、今其人に逢ひ給はゞいかに。定めて喜ばしと思ひ給ふならん。われ。否、われは悲しと思ふべし。そを何故といふに、わが昔崇拜せしアヌンチヤタは今亡せたり、昔の理想の影は今消えぬ、わがこれを思ふは泉下の人を思ふ如し、さるを若しそのアヌンチヤタならぬアヌンチヤタ又出でゝ、冷なる眼もて我を見ば、瘥えなんとする心の創は復た綻びて、却りてわれに限なき苦痛を感ぜしむるなるべし。  いと暑き日の午後、われは共同の廣間に出でしに、緑なる蔓草の纏ひ付きたる窓櫺の下に、姫の假寢し給へるに會ひぬ。纖手もて頬を支へて眠りたるさま、只だ戲に目を閉ぢたるやうに見えたり。胸の波打つは夢見るにやあらん。忽ち微笑の影浮びて、姫の眠は醒めぬ。アントニオそこにありや。われは料らずも眠りて、料らずも夢見たり。おん身はわが夢に見えしは何人の上なりとかおもふ。われ。ララにはあらずや。この答はわが姫の目を閉ぢたるを見し時、心に浮びし人を指して言へるのみなりしに、期せずして中りしなり。姫。さなり。われはララと共に飛行して、大海の上を渡りゆきぬ。海の中には一の島山ありき。その山の巓はいと高きに、われ等は猶おん身の物思はしげなる面持して石に踞して坐し給ふを見ることを得つ。ララは翼を振ひて上らんとす。われはこれに從はんとして、羽搖するごとに後れ、その距離千尋なるべく覺ゆるとき、忽ち又ララとおん身との我側にあるを見き。われ。そは死の境界なるべし。生きて千里を隔つるものも、死しては必ず相逢ふ。死は惠深きものにて、我に我が愛するところのものを與ふ。姫。われは遠からず尼寺に歸らんとす。これより後の我生涯は、おん身の爲めには死せると同じ。おん身は能く我を忘れずして、死後相見んことを期し給はんや。姫の此詞はいたく我心を動して、我をして輒ち答ふること能はざらしめき。  ある日フランチエスカ夫人は姫を伴ひてヰルラ、デステの園の中をそゞろありきし給へり。我も亦許されてその後に從ひぬ。園は高き絲杉あるをもて世に聞えたるところなり。一行の人工の噴泉ある長き街樾の間を歩むとき、路上に襤褸を纏ひたる貧人の群の草を拔くありき。われそが一人に「パオロ」銀一箇(我二十錢餘)を與へしに、姫もまた微笑みつゝ一箇を與へ給ひぬ。草拔く人は、美しき姫君と壻君とに聖母の御惠あれかしと呼びたり。フランチエスカ夫人はこれを聞きて高く笑へり。われは熱血の身を焦すを覺えて、姫の面を覗ふことを敢てせざりき。われは今明に姫の我が爲めに離れ難き人となりしを覺りぬ。されど此情は嘗てアヌンチヤタの爲に發せしと逈に殊にて、又ララに對して生ぜしとも同じからず。アヌンチヤタの才と色とは殆ど我をして狂せしめ、ララの理想めきたる美は魔力を吾頭上に加へ、並に皆我をしてその人を我物にせん願を起さしめしなり。獨り小尼公に至りては、我友情を催すこと極て深きに、われは却りて又我慾念のこれが爲めに抑へらるゝを覺えき。  幾もあらぬに我等は又羅馬に歸りぬ。姫は二三週の後には尼寺に返り給ふべく、返り給ひては直ちに覆面の式を行はせらるべしと傳ふ。姫の長き髮はこれを截り、その身には生きながら凶衣を被らしめ、輓歌を歌ひ鯨音を鳴し、法の如く假に葬りて、さて天に許嫁せる人となりて蘇生せしむ。是れ式のあらましなり。姫は面に喜の色を湛へてこれを語りぬ。われは聞くに忍びずして、いかなれば君は自ら壙穴を穿ちて自ら下り入らんとはし給ふぞといひぬ。姫は色を正して、さる詞を人にな聞せそ、此塵の世に心牽かるゝことおん身の如くならんも拙し、少しは後の世の事をも思へかしと宣給ふ。その聲音さへ常ならぬに我はいたく驚きぬ。霎時ありて、姫は詞の過ぎたるを悔み給ひしにや、面に紅を潮して我手を取り、アントニオとても我心の平和を破り、我に要なき物思せさせんとにはあらざるべしと宣給ふ。我は詞なくて姫の金蓮の下に臥し轉びつ。  別の舞踏會は御館にて催されぬ。われは姫の最後に色ある衣を着け給ふを見き。是れ人々の生贄の羔を飾れるなり。姫は我傍に歩み寄りて、おん身も人々の歡を分ち給はずや、われ若しおん身の憂はしき面を見て別れ去らば、尼寺に入りて後に屡〻御身の上を氣づかふならん、かくてはおん身我に罪障を増させ給ふなりと宣給ふ。其聲は我が爲めに、瀕死の人の氣息を聞くが如くなりき。  出立ち給ふ前の日の夕となりぬ。姫は神色常の如く、父君と老侯とに接吻して、あすの別の事を語り給ふ。其詞つきの、唯だ假初の旅路抔に出立ち給ふにかはらぬぞ、なか〳〵に哀なりける。アントニオに暇乞せずやといふは、フアビアニ公子の聲なり。坐上にて、獨り此君のみは面に憂の色を帶び給へり。我は趨りて姫の前に出で、白く細き右手に接吻せり。姫はアントニオと我名を呼び掛け給ひしが、流石にしばし口籠りて、世に幸ある人となり給へ、さらばとて、我額に接吻し給ふ。われは夢心に其間を走り出でゝ、我室に泣きに入りぬ。  終にその日とはなりぬ。空は晴れ渡りて、日は麗かに照りぬ。我は父君母君の盛妝せる姫を贄卓の前に導き行き給ふを見、歌頌の聲を聞き、けふの式を拜まんとて來り集へる衆人の我四邊を圍めるを覺えき。されど僧徒の群に引かれてつくゑの前に跪き給へる、天使の如き姫君の、色白く優しげなる面のみは、我心の上に殊に明かなる印象を與へて、年經ての後も消ゆることなかりき。我は僧等の姫が頭上の紗を剥ぎて、雲の如き髩髮の亂れ墜ちて兩の肩を掩へるを見、これを斷つ剪刀の響を聞きつ。僧等は幾襲の美しき衣を脱がせて、姫を柩の上に臥させまつり、下に白き希を覆ひ、上に又髑髏の文樣ある黒き布を重ねたり。忽ち鐘の音聞えて、僧等の口は一齊に輓歌を唱へ出しつ。かくて姫は此世を隱れましゝなり。爾來尼院に連れる廊道の前なる黒漆の格子擧りて、式の白衣を着たる一群の尼達現れ、高く天使の歌を歌ふ。僧官は姫の手を取りて扶け起しつ。姫は早や天に許嫁し給ひて、御名さへエリザベツタと改まりぬ。我は姫の群集の上に投じ給ふ最後の一瞥を望み見たり。一人の故參の尼は姫の手を引きて入りぬ。黒漆の格子は下りて、姫の姿、姫の裳裾は見えずなりぬ。    なきあと  ボルゲエゼ家の館は賀客絡繹たり。エリザベツタの天に許嫁せしを賀するなり。フランチエスカ夫人は面に微笑を浮べて客に接し給へど、その良心のまことに平なるにあらざるをば、われ猶能くこれを知れり。  フアビアニ公子は我を招きて一包の金を賜ひぬ。汝は好き方人を失ひぬれば、氣色すぐれず見ゆるも理なきにあらず。姫は我に此金を殘しおきて、カムパニアの媼に與へんことを頼み聞えぬ。想ふに姫はドメニカの上を汝に聞きて知りたりしならん。持ち往きて與へよとなり。  死は蛇の如く我心を纏へり。我は自殺の念の一種の旨味あるを覺えて、心に又此念の生じ來れるを怖れたり。御館の廣き間ごと間ごとに、我はうらさびしき空虚を感ぜり。我はこゝを出でゝカムパニアの野に往かんことの樂しかるべきをおもひぬ。そは我搖籃のありつる處、ドメニカが子もり歌の響きし處の、今更に懷しき心地したればなり。  カムパニアの廣き野は、この頃の暑さに焦げ爛れて、些の生氣をだに留めざりき。黄なるテヱエルの流の、層々の波を滾し去るは、そをして海に沒せしめんが爲めなるべし。われは又蔦蘿の壁にまとひ屋根にまとへる、小さなる石屋を見たり。是れ實にわが少時の天地なりしなり。門の戸は開けり。われは媼の我を見て喜ぶべきを思ひて、胸に樂しく又哀なる一種の感を起しつ。先に此家をおとづれてより、早や一とせを經ぬ。先に羅馬にて彼媼を見しより、早や八月を經ぬ。此間われは媼を忘れたりしならず、起臥ごとに思ひ出でゝ、小尼公にも語り聞せつ。されどチヲリの避暑、御館にかへりて後の心の憂などは、我を妨げてカムパニアに來させざりしなり。家の見え初めてより、われは媼の歡び迎ふる詞を想像しつゝ、歩を早めたりしが、家の門近くなりては、又跫音の疾く聞えんことを恐れて、ぬきあししつゝ進み寄りぬ。  門口より見るに、土間の中央に籘を折り加べて火を燃やし、大いなる鐵の銚を弔りたり。その下に火を吹く童ありて、こなたへ振り向くを見ればピエトロなり。昔はわれ此童の搖籃を護りしことありしに、此頃はいと逞しきものにぞなりぬる。聖ジユウゼツペ、檀那の來ましつるよ、さきに來ましゝより早や久しくなり候ふとて、立ち上りて迎へぬ。わがさし伸ばす手に、童の接吻せんとするを遮りつゝ、われ、無面目くも忘られしよとおもへるならん、忘れたるにはあらずとことわりつ。童。否、母もさは思ひ候はざりき、生存へたらばいかに嬉しとおもふらんものを。われ。何とか言ふ。ドメニカは最早世にあらずとか。童。地の下に埋めてより、既に半年になりぬ。病みしは僅に二日ばかりなりしが、その間アントニオ、アントニオとのみ呼び續け候ひぬ。わがかく檀那の御名をいふを無禮しとおもひ給ふな。母は唯一目アントニオを見て死なんといひき。今宵はとおもはれし日の午過ぎて、われは羅馬の御館に參りしに、檀那はチヲリに往き給ひし後なりき。歸りて見れば、母は息絶えたり。言ひ畢りて、ピエトロは手もて面を掩ひぬ。  ピエトロが物語は、句ごとに言ごとに、我胸を刺す如くなりき。恩情母に等しきドメニカが、死に垂んとして我名を呼びしとき、我は避暑の遊をなして、心のどかに日を暮しつ。媼の餘命いくばくもあらぬをば、われ爭でか知らざらん。何故に我はチヲリに往くに先だちて、一たび媼の許には來ざりしぞ。我はかくても猶自ら辯護して、我は善き人ぞといはんとするか。  われは彼金包を取りいで、我身邊に帶び來りし錢をも添へて、悉く童に與へつ、童は土間に跪きて、我を天使と呼べり。我が爲めには此詞の嘲謔の意あるが如く聞えて、我は此家の内にあるに堪へず、一つの憂をもて來し身の、今は二つの憂を懷きて、逃るが如く馳せ去りぬ。    未錬  カムパニアの野より御館までは、いかにして歸り着きけん知らず。われは限なき苦惱を覺えて、我臥床の上に僵れ臥しゝに、忽ち高熱を發して人事を知らざること三晝夜なりき。看病にはフエネルラとて、聾ひたる女を附けられしかば、幸に我譫語も人に怪まるゝことあらざりしならん。されどフアビアニ公子の屡〻病床に來給ひぬといふは、猶胸苦しき心地ぞする。  我恢復は頗る遲かりき。館の人に見舞はるゝごとに、我は勉めて面を和げ快げにもてなせども、胸の中の苦しさは譬へんに物無かりき。此間人々は一たびも小尼公の名を我前に唱ふることなかりき。かくて小尼公の尼寺に入り給ひしより、六週の後となりし時、醫師は始て我に戸外を逍遙することを許しつ。  我は期する所あるに非ずして、ポルタ、ピアの傍に立ち、目を四井街の方に注ぎつ。されど我は猶心に憚りて、尼寺の門に到ることを果さゞりき。二三日の後、我は新月の光を趁ひて、又同じところに來しに、こたびは自ら禁ずること能はずして、進みて灰色の寺壁の下に立ち、格子窓を仰ぎ視たり。我は自らことわりて、誰かわが此墳墓を展るを難ずることを得んと云ひぬ。これよりして、我足は日として四井街に向はざることなく、偶〻識る人に逢ふことあれば、散歩のゆくてはヰルラ、アルバニなりと欺きつ。  我足の尼寺の築泥の外に通ふこと愈〻繁く、我情の迫ること愈〻切に、われはこの通路の行末いかになるべきかを危まざること能はざるに至りぬ。果せる哉、ある暗き夕我が尼寺の一窓の微に燈光を洩せるを仰ぎ見て、心に小尼公をおもふ時、忽ち傍よりアントニオと呼ぶものあるを聞きつ。アントニオ、おん身はこゝに何をか爲せる。我は頭を囘して公子の面を認め得たり。公子は直ちに我を促して共に歸りぬ。公子は途上復たわれと一語を交へざるに、われは心に公子の思はん程の恥かしくて、その面を見ることを敢てせざりき。我室に入りて相對せる時、公子容を改めて宣給ふやう。アントニオよ。御身の病はまだ痊えずと覺し。少しく世の人に立ち交りて、氣鬱を散ぜんかた、身の爲めに宜しからん。曩にはおん身一たび翼を張りて飛ばんとせしを、われ強ひて抑留し、おん身をして久しく樊籠の中にあらしめき。そは我過にはあらざりしか。人各〻意志あり。行かんと欲するところに行き、住まらんと欲するところに住まりて、さて不幸に遭はば、そは自ら作せるなれば、悔ゆることもあらざるべし。おん身は最早童にあらねば、人の監督を受くることをば喜ばざるべし。この頃醫師に謀りしに、これも轉地を勸めたり、拿破里の方をば既に見つれば、こたびは北伊太利を見に往けかし。一とせの間の費をば、われいかにともすべし。此館にありし間の我等の待遇には、おん身は或は慊ざりしならん。されど又世間に出でゝは、誠の心もておん身を待つ人少きことを忘れ給ふな。われ等は未來一年の間のおん身の振舞を見て、過去の我等の待遇のおん身に利ありしか利あらざりしかを驗すべしといはれぬ。  公子は我答を待たずして室を出で給ひぬ。こは我に謀るにあらずして我に命ずるものなればなり、我に命ずるは我を逐ふものなればなり。世途は艱難ならん。されどその我を毒すること今の生涯に孰與ぞ。今や公子はわれに自由を與へ給ふ。こは仙方なり、靈藥なり。われは只だその仙方靈藥の劇毒の如く我創痍を刺し、我に苦痛を與ふるを感ずるのみ。去らんかな、羅馬を去らんかな。いでや、記念の花の匂へる南國を出でゝ、アペンニノの山を踰え、雪深き北地に入らん。アルピイおろしの寒威は、恰も好し、我が沸きかへる血を鎭むるならん。いでや浮島のヱネチアに往かん、わたつみの配てふヱネチアに往かん。神よ、我をして復た羅馬に歸らしむること勿れ、我記念の墳墓を訪はしむること勿れ。さらば羅馬、さらば故郷。    梟首  車は物寂びたるカムパニアの野を走りぬ。サン、ピエトロの寺塔は丘陵のあなたに隱れぬ。既にして我はモンテ、ソラクテの側を過ぎ、山を踰えてネピの市に入りぬ。明月は市の狹き巷を照せり。一僧の酒肆の前に立ちて説法するあり。群衆は活聖マリアの聲に和しつゝ僧に隨ひて去れり。われはこれを避けて歩を轉ぜり。蔦蘿に包まれたる水道の址とこれを圍める橄欖の茂林とは、黯澹たる一幅の圖をなして、わが刻下の情に愜へり。われは又前に過ぎたる門を出でたり。門外に大廢屋あり。その城壘たりしと寺觀たりしとを知らず。今の街道はその廣間を貫きて通ぜり。側なる細徑を下れば、小房の蜂窠の如きありて、常春藤と石長生とは其壁を掩ひ盡せり。進みて一の廣間に入るに、地に委ねたる石柱の頭と瓦石の堆とは高草の底に沒し、こゝかしこに色硝子の斷片を留めたる尖弧式の窓をば幅廣き葡萄の若葉物珍らしげにさし覗き、數丈の高さなる墻壁の上には荊棘叢り生ぜり。偶〻月光の一の壁面を照すを見れば、半ば剥蝕せられたる鮮畫は、箭に貫かれたる聖セバスチアノの像を物せり。此廣間は絶えず遠雷の如き響ありて、四壁に反響す。われその響を追ひて狹き戸を濳り出でしに、道は「ミユルツス」と葡萄との鬱茂せる間に窮まりて、脚底千仞の斷崖を形づくれり。一の瀑布ありてこれに懸る。月光其泡沫を射て、銀丸を擲つ如し。凡そ此等の景は、なべて世の好奇心あるものを動かすに足るものなるべし。されど富時の我の憂愁に沈める、或は等閑に看過したらんも知るべからず。幸に我は此境に在りて、別に一事に遭ひたり。我は其事を我心上に血書して復た消滅すべからざらしめしが故に、亦併せて此景の詳なることを記し得たり。  崖に沿ひて一條の細徑あり。迂𢌞して初の街道に通ず。われは高萱を分け小草を踏みて行きしに、月は高き石垣の上を照して、三人の色蒼ざめたる首の、鐵格の背後より、我を覗ふを見たり。こは山賊を梟せるなりき。ネピの人の此壁上に梟首するは、羅馬の人のアンジエロ門(ポルタ、デル、アンジエロ)の上に梟首するに殊ならず。首を鐵籠中に置くことはた同じ。常の我ならば、遠く望みて走り去るべきに、此頃の痛苦は我に哲學思想を與へ、我をして冷眼もてこれを視ることを敢てせしめき。嗚呼、王侯の前に屈せざりし首よ、人を殺し火を放つ計を出しゝ首よ、深山の荒鷲に似たる男等の首よ。今は靜に身を籠中に托すること、人に馴れたる小鳥の如し。近づくこと一歩にして見れば、刎ねられてよりまだ日を經ざるものと覺しく、鬚眉猶生けるがごとし。既にして我は中央なる首級の少しく異なるものあるを認め得たり。こは分明に老女の首なりしなり。我はこの褐いろの顏、半ば開ける眶、格子の外に洩れ出でゝ風に亂るゝ銀髮を凝視して、我脈搏の忽ち亢進するを覺えき。われは眼を壁に懸けたる石版に注げり。版には土地の習にて、梟せられたるものゝ氏名と其罪科とを彫りたり。果せるかな、中央に老女フルヰア、フラスカアチの産と記せり。われはいたく感動して、覺えず歩み退くこと二三歩なりき。嗚呼、嘗て一たび我性命を救ひ、我に拿破里に至る盤纏を給せしフルヰアは、今此梟木の上より我と相見るなり。この藍色なる唇は、曾て我額に觸れしことあり。この物言はざる口は、曾て我に未來の運命を語りしことあり。汝は我福祉を預言したり。汝の猛き鷲は日邊に到らずして其翼を折けり、世のまがつみと戰ひてネミの湖に沈みたり。われは涙を灑いでフルヰアの名を呼び、盤散として閭門の外なる街道に歩み旋りぬ。  翌朝ネピを發してテルニイに抵りぬ。こは伊太利疆内にて最も美しく最も大なる瀑布ある處なり。われは案内者と共に、騎して市を出で、暗く茂れる橄欖の林に入りぬ。濕ひたる雲は山巓に棚引けり。我は羅馬以北の景を看て、その概ね皆陰鬱なるに驚きぬ。大澤の畔の如くならず、テルラチナなる橄欖の林の棕櫚を交へたるが如くならず。されど我は猶此感の我中情より出でたるにあらざるかを疑へり。  道は一苑を過ぎて、巖壁と激流との間なる街樾に入りぬ。その木は皆鬱蒼たる橄欖なり。これを行く間、われは早く水沫の雲の如く半空に騰上して、彩虹の其中に現ぜるを見き。蝦夷石南と「ミユルツス」との路を塞げるを、押し分けつゝ攀ぢ登りて見れば、大瀑は山の絶巓より起り、削れる如き巖壁に沿ひて倒下す。側に一支流ありて、迂曲して落つ。其状銀色の帶を展べたる如し。この細大二流は、わが立てる巖の前に至りて合し、幅闊き急流となり、乳色の渦卷を生じて底なき深谷に漲り落つ。雷の如き響は我胸を鼓盪して、我失望我苦心と相應じ、我をして前に小尼公の爲めにチヲリの瀧の前に立ちて、即興の詩を吟ぜし時の情を憶ひ起さしむ。げにや、碎け、消え、死するは自然の運命なること、獨り此瀑布のみにはあらず。  導者はわれを顧みていふやう。昨年英吉利人ひとり山賊に撃ち殺されしは、此巖の上にての事なりき。賊はサビノの山のものなりといへど、羅馬のテルニイとの間に出沒して、人その踪蹤を審にすること能はず。警吏は直ちに來りて、そが夥伴なる三人を捕へき。われはその車上に縛せられて市に入るを見たり。市の門にはフルヰアの老女立ち居たり。老女は天の下の奇しき事どもを多く知れるものにて、世には法皇の府の僧官達も及ばざること遠しとぞいふ。その時老女の車上の賊に向ひて語りしは、何事にかありけん、例の怪しき詞なれば、傍聽せしものは辨へ知らん由なかりき。さるを後には老女を彼賊の同類なりとし、ことし數人の賊と共に彼老女をさへ刎ねて、ネピの石垣の上に梟けたりと語りぬ。    妄想  自然と云ひ人事と云ひ、一として我心の憂を長ずる媒とならざるものなし。暗黒なる橄欖の林はいよ〳〵濃き陰翳を我心の上に加へ、四邊の山々は來りて我頭を壓せんとす。われは飛ぶが如くに、里といふ里を走り過ぎて、早く海に到らんことを願へり、風吹く海に、下なる天の我を載すること上なる天の我を覆ふが如くなる處に。  我胸は愛を求むるが爲めに燃ゆ。是より先き此火は既に二たび點ぜられしなり。昔のアヌンチヤタは我が仰ぎ瞻しところ、我が新に醒めたる心の力もて攀ぢんと欲せしところなるに、憾むらくは我を棄てゝ人に往けり。今のフラミニアは我を眩せしめず、我を狂せしめずして、漸く我心と膠着すること、寶石のまばゆからざる光の、久しきを經て貴きことを覺えしむるが如くなりき。フラミニアは我手を握ること、妹の兄の手を握る如く、我にこれに接吻することを許すこと、妹の兄に許す如く、又我を説き慰め、我が爲めに祈りて世の穢を受けざらしめんとして、その度ごとに知らず識らず鏃を我心に沒せしめたり。我はこれを愛すること許嫁の婦を愛するが如くならず。されどその人の婦とならんをば、われまた冷に傍より看ること能はざりしならん。今やフラミニアは死せり、現世の爲めには亡人の數に入りたり。世にはこれを抱き、その唇に觸るゝことを得るものなし。是れ我が責てもの慰藉也。  海に往かん、往いて海の驚くべき景を觀ん。是れ我が新なる境界なり。ヱネチアよ、水に泛べる都城よ、ハドリアの海の王女よ、願はくは我をして重れる山と黒き林とを過ぎることを須ゐず、空に翔り波を凌ぎて汝と會することを得しめよとは、我が當時の夢なりき。  初め我は先づフイレンチエに往き、かしこよりボロニア、フエルララを經て、ヱネチアに達せんと欲せしに、今は忽ち前の計畫を擲ち、スポレツトオより雇車を下り、暗夜身を郵便車に托してアペンニノの嶺を踰え、ロレツトオの地をさへ、尊き御寺を拜まずして馳せ過ぎつ。  山道を登りて巓に至りし時、我は早く地平線上一帶の銀色を認め得たり。是れハドリア海なり。脚下に大波の層疊せるを見るは、群巒の起伏せるなり。既にして碧波の上に、檣竿の林立せるを辨ず。種々なる旗章は其尖に翻れり。光景は略ぼ拿破里に似たれど、ヱズヰオの山の黒烟を吐けるなく、又カプリの島の港口に横れるなし。此夜の夢に、我はフルヰアのおうなとフラミニアの君とに逢ひしに、二人皆面に微笑を湛へて、君が福祉の棕櫚は緑ならんとすと告げたり。  眠醒めしとき、日は旅店の窓よりさし入りたり。房奴來りていふやう。客人よ、ヱネチアに渡る舟は今帆を揚げんとす、猶留りてこのわたりの景色を觀んとやし給ふといふ。否、舟あるこそ幸なれ、さらば直ちにヱネチアに往かんと答へつ。我心は何故とも知る由なけれど、唯だ推され輓かるゝ如くなりき。われは埠頭におり立ちて、行李を搬び來らしめ、目を放ちて海原を望み見たり。さらば〳〵我故郷。われは足の此土を離れんとするに臨みて、いよ〳〵新なる世界の我が爲めに開くべきを感ぜり。北伊太利國の自然の全く相殊なるべきは始より疑ふべからず。就中ヱネチアは盛飾せる海の配偶にして、他の伊太利諸市と全く其趣を異にすべきこと明なり。我が乘るところの此舟は、即ちヱネチアの舟にして、翼ある獅子の旗は早く我が頭上に翻れり。帆は風に饜きて、舟は忽ち外海に※(馬+央)り出で、我は艙板の上に坐して、藍碧なる波の起伏を眺め居たるに、傍に一少年の蹲れるありて、ヱネチアの俚謠を歌ふ。其歌は人生の短きと戀愛の幸あるとを言へり。こゝに大概を意譯せんか。其辭にいはく。朱の唇に觸れよ、誰か汝の明日猶在るを知らん。戀せよ、汝の心の猶少く、汝の血の猶熱き間に。白髮は死の花にして、その咲くや心の火は消え、血は氷とならんとす。來れ、彼輕舸の中に。二人はその蓋の下に隱れて、窓を塞ぎ戸を閉ぢ、人の來り覗ふことを許さゞらん。少女よ、人は二人の戀の幸を覗はざるべし。二人は波の上に漂ひ、波は相推し相就き、二人も亦相推し相就くこと其波の如くならん。戀せよ、汝の心の猶少く、汝の血の猶熱き間に。汝の幸を知るものは、唯だ不言の夜あるのみ、唯だ起伏の波あるのみ。老は至らんとす、氷と雪ともて汝の心汝の血を殺さん爲めに。少年は一節を唱ふごとに、其友の群を顧みて、互に相頷けり。友の群は劇場の舞群の如くこれに和せり。まことに此歌は其辭卑猥にして其意放縱なり。さるを我はこれを聞きて輓歌を聞く思ひをなせり。老は至らんとす。少壯の火は消えなんとす。我は尊き愛の膏油を地上に覆して、これを焚いて光を放ち熱を發せしむるに及ばざりき。こは濫用して人に禍せしならねど、遂に徒費して天に背きしことを免れず。そも〳〵我は誓約の良心を縛するあるにあらず、責任の云爲を妨ぐるあるにあらずして、何故に我前に湧ける愛の泉を汲まざりしぞ。かく思ひ續くれば、一種の言ふべからざる情はわが胸に溢れたり。これに名づけて自ら慊ざる情ともいふべきか。こは我慾火の勢を得て、我智慧を燬くにやあらん。  我がサンタを畏れて走り避けしは何故ぞ。聖母の像の壁上より落ちぬればなり。否々、鏽びたる釘はいづれの時か折れざらん。まことに我をして走り避けしめしものは、我脈絡中なる山羊の乳のみ、「ジエスヰタ」派學校の教育のみ。われはサンタの艶色を憶ひ起して、心目にその燃ゆる如き目なざしを見心耳にその渇せる如き聲音を聞き、我と我を嘲り我と我を卑めり。何故に我は世上の男子の如く、ベルナルドオの如くなることを得ざる。愛を求むるは我心にあらずや。我心は神の授け給ひし光明にあらずや。さらば愛を求むるは神にあらずや。此時我は此の如くに思議せり。此の如くに思議して、ヱネチアの繁華をおもひ、その女ありて雲の如くなるをおもひ、我血の猶熱せるをおもひ、忽ち聲を放ちて我少年の歌に和したり。  嗚呼、是れ皆熱の爲めに發せし譫語のみ、苦痛の餘なる躁狂のみ。我に心の光明を授け給ひし神よ、我運命の柄を握り給ふ神よ。我は御身の我罪を問ひ給ふことの刻薄ならざるべきを知る。人の心中には舌頭に上すべからざる發作あり、爭鬪あり。是れ吾人の清廉なる守護神の膝を惡魔の前に屈する時なり。世の能く欲して能く遂ぐる人々は、我がいたづらに欲せしところに就いて、自在に評論せよ。されど汝等は裁決せざれ。さらば汝等は裁決せられざるならん。汝等は呪誼せざれ。さらば汝等は呪誼せられざるべし。我は實に此の如く思議せり。此の如く思議して、復た祷の詞を出すこと能はずして寢たり。舟は穩に我夢を載せて、北のかたヱネチアに向へり。    水の都  曉に起きて望めば、前面早く家々の壁と寺塔とを辨ずることを得たり。そのさま譬へば帆を揚げたる無數の舟の横に列れるが如し。左のかたにはロムバルヂアの岸の平遠なる景を畫けるあり。遙に地平線に接してはアルピイの山脈の蒼靄に似たるあり。われはこれを望みて、彼蒼の廣大なるを感ぜり。天球の半は一時に影を我心鏡に映ずることを得たるなり。  爽涼なる朝風は我感情を冷却せり。我は心裡にヱネチアの歴史を繰り返して、その古の富、古の繁華、古の獨立、古の權勢乃至大海に配すといふ古の大統領の事を思ひぬ。(ヱネチア共和國に「ドオジエ」を置きしは、第八世紀より千七百九十七年に至る。)既にして舟は漸く進み、鹹澤(ラグウナ)の上なる個々の人家を見るに、その壁は黄を帶びたる灰色を呈し、古代の樣式にもあらず、又近時の設計にもあらねば、要するに好觀にあらざりき。名に聞えたるマルクスの塔は思ひしよりも高からず。舟は陸と鹹澤との間を進めり。後なるものは曲りたる堤の如く、海中に斗出したり。土地は全體極めて卑しとおぼしく、岸の水より高きこと僅に數寸なるが如し。偶〻數戸の小屋の群を成せるあれば、指ざして市と云ふ。こゝかしこには一叢の木立あり。其他は渾て是れ平地なりき。  われはヱネチアの既に甚だ近きを覺えしに、今傍人に問へば猶一里ありと答ふ。而して此一里の間は、皆瀦留せる沼澤の水のみ。處々には泥土の島嶼の状をなして頭を露せるあり。その上には一鳥の足を留むるなく、一莖の草の萌え出づるなし。沼澤の中に、深き渠を穿ちて、杭を立て泥を支ふるあり。是れ舟を行る道なり。われは始て「ゴンドラ」といふ小舟を見き。皆黒塗にして、その形狹く長く、波を截りて走ること弦を離れし箭に似たり。逼りて視れば、中央なる船房にも黒き布を覆へり。水の上なる柩とやいふべき。拿破里の水は岸に近づきても猶藍いろなるに、こゝは漸く變じて汚れたる緑となれり。偶〻一島の傍を過ぐるに、その家々は或は直ちに水面より起れる如く、或は廢れたる舟の上に立てる如し。最も高き石壁の頂に、幼き耶蘇を抱ける聖母の御像ありて、この荒涼なる天地を眺め居給ふ。水の淺きところは、別に一種の鴨緑色をなして、一面深き淵に接し、一面は黒き泥土の島に接す。日は明くヱネチアの市を照して、寺々の鐘は皆鳴り響けり。されど街衢は闃として人影なきに似たり。船渠を覗へば、只だ一舟の横れるありて、こゝにも人を見ざりき。  我は身を彼水上の柩に托して、水の衢に入りぬ。樓屋軒をならべて石階の裾は直ちに水面に達し、復た犬ばしり程の土をだに着けず。家々の穹窿門は水に架して橋梁の如く、中庭は大なる井の如し。この中庭には舟に帆掛けて入るべけれど、舳艫を旋さんことは難かるべし。海水はその緑なる苔皮をして、高く石壁に攀ぢ登らしめ、巍々たる大理石の宮殿も、これが爲めに水中に沈まんと欲する状をなし、人をして危殆の念を生ぜしむ。況や金薄半ば剥げたる大窓の斲 」の「斤」に代えて「りっとう」、132-中段-24]らざる板もて圍まれたるありて、大廈の一部まことに朽敗になん〳〵としたるをや。既にして梵鐘は聲を斂めて、檝の水を撃つ音より外、何の響をも聞かずなりぬ。われは猶未だ人影を見ずして、只だ美しきヱネチアの鵠の尸の如く波の上に浮べるを見るのみ。  舟は轉じて他の水路に入りぬ。その幅頗る狹くして石橋あまたかゝれり。こゝには人ありて、或は橋を渡りて家の間に隱れ、或は石壁の門を出入す。されど街と名づくべきものは、水路の外有ることなし。舟人の棹を留めたるとき、われは何處に往くべきぞと問ひぬ。舟人は家と家との間を通ずる、橋の側なる隘き巷を指ざし教へつ。兩邊の家に住める人は、おの〳〵六層樓上の窓を開いて、互に手を握ることを得べく、この日光を受けざる巷は、僅に三人の並び行くことをゆるすなるべし。我舟は既に去りて、身邊また寂として人を見ず。  あはれヱネチアとは是か、海の配偶と云ひ、世界第一の富強者と云ひしヱネチアとは是か。われは名に聞えたるマルクスの廣こうぢに入りぬ。こはヱネチアの心胸と稱すべき處にして、國の性命は此に存ずといふなるに、その所謂繁華は羅馬のコルソオに孰與ぞ、又拿破里の市に孰與ぞ。石の迫持の下なる長き廊道には、書肆あり珠玉店あり繪畫鋪あれども、足を其前に留むるもの多からず。唯だ骨喜店の前には、幾個の希臘人、土耳格人などの彩衣を纏ひて、口に長き烟管を啣み、默坐したるあるのみ。日は「マルクス」寺の星根の鍍金せる尖と寺門の上なる大いなる銅馬とを照して、チユペルス、カンヂア、モレア等の舟の赤檣の上なる徽章ある旗は垂れて動かず。數千の鴿は廣こうぢを飛びかひて、甃石の上に𩛰れり。  われは進みてポンテ、リアルトオに到りて、いよ〳〵斯土の風俗を知りぬ。ヱネチアは大いなる悲哀の郷なり、我主觀の好き對象なり。而して此郷の水の上に泛べること、古のノアの舟と同じ。われは小き舟を下りて、この大いなる舟に上りしなり。  日の夕となりて、模糊として力なき月光の全都を被ひ、隨處に際立ちたる陰翳を生ぜしとき、われはいよ〳〵ヱネチアの眞味を領略することを得たり。死せる都府の陰森の氣は、光明に宜しからずして幽暗に宜しければなり。われは客亭の窓を開いて立ち、黒き小舟の矢を射る如く黒き波を截り去るを望み、前の舟人の歌ひし戀の歌を憶ひ起せり。われは此時アヌンチヤタを恨みき。いかなれば彼佳人は我を棄てゝベルナルドオに奔りしぞ。こは誠實を去りて輕薄に就きしにあらずや。われは此時フラミニアをさへ恨みき。いかなれば彼少女は我を棄てゝ尼寺に入りしぞ。こは情愛を去りて平和に就きしにあらずや。我胸は一種の言ふべからざる空虚を感じたり。我胸はあらゆる我を喜ばせしものとあらゆる我を慰めし者とを一掃して去らんと欲せり。然るにかく思議する間、終始我心目の前に往來するものは、可哀きララと罪深きサンタとの面影なりき。われは蹣跚として階を下り、舟を喚びて水の衢を逍遙せり。二人の柁手は相和して歌ふ。其歌は古の恢復せられたるエルザレム(ジエルザレムメ、リベラアタ)の調にあらず、大統領の族絶えて、獅子の翼の外人に縛せられてより、ヱネチアの民はその歌謠の上の國粹をさへ失ひつるなり。われは獨語して、いでや人生の渦裏に投じて、人生の樂を受用し、誓ひて餘瀝なからしめんと云ふとき、舟はもとの旅館の階下に留まりぬ。われは又蹣跚として階を上り、おぼつかなき孤客の夢を結びぬ。    颶風  羅馬より齎したる紹介状は、我をして相識を得しめ、我をして所謂朋友あらしめたり。人々は我を「アバテ」と喚べり。我言の善きをば人皆褒め、我才をば人皆稱せり。羅馬なる恩人は常に我に不快なる事を告げ、中にはことさらに我に快からざるべき事どもを探り覓めて、そを我に告ぐる如くなりしに、今はさる詞を耳にすることなし。羅馬にては常に長上にのみ交ることゝて、フラミニアの姫の情あるすら、我をして抑壓の苦を忘れしむること能はざりしに、今は心にさる負荷を覺ゆることなし。苦言を聞かざるは、信ある友なきなりといへば、こゝには信ある友は絶て無きなるべし。  われは大統領の館の輪奐の美を討ねて、その華麗を極めたる空しき殿堂を經𢌞り、おそろしき活地獄の圖ある鞠問所を觀き。われは彼四面皆塞りたる橋の、小舟通ふ溝渠の上に架せられたるを渡りぬ。是れ館より牢獄に往く道にして、名づけて歎息橋と曰ふとぞ。橋に接する處は即ち牢井なり。廊に點じたる燈火は僅かに狹き鐵格を穿ちて、最上層の獄を照し出せり。此層の如きは、これを下層に比するときは、猶晴やかなる房と稱すべきならん。濕ひて菌を生じたる床は、逈に溝渠の水面の下にあり。あはれ、此房の壁は幾何の人の歎息と叫喚とを聞きつる。われは慴然として肌膚の粟を生ずるを覺え、急に舟を呼んで薄赤いろなる古宮殿、獅子を刻める石柱の前を過ぎ、鹹澤の方に向ひぬ。舟の指すところは即ち所謂岸區なりき。  われは岸區に近づくとき、何物をか見し。ここには一の大いなる墓田ありき。外國人と新教徒とは、この水と水とに挾まれたる一帶の土の、殆ど時々刻々洗ひ去らるゝ状をなせる處に埋めらるゝなり。白き人骨は沙の表に露れて、これが爲めに哭するものは、只だ浪の音あるのみ。  漁父の危きを冒して沖に出でたるとき、その妻そのいひなづけの妻などの、坐して夫の舟の歸るを待つは、此岸區なりといふ。颶風の勢少しく挫けたるとき、こゝに坐したる女子の、彼恢復せられたるエルザレム中の歌を歌ひ、耳を傾けて夫の聲のこれに應ずるや否やを覗ひしこと幾度ぞ。さるをその懷かしき夫の聲の終に應ずることなく、可憐の女子の獨り不言の海に對して口は復た歌ふこと能はず、目は空しく沙上の髑髏を見、耳は徒らに岸打浪の音を聞きて、暮色の漸く死せる古都を掩ふを覺えしこと又幾度ぞ。  この暗澹たる畫圖は我心目に上りて消えず、我情調はこれに一層の悲慘の色を添へんとせり。わが對するところの自然は、無常と歴劫との觀を惹き起すこと、一の寺院の如くなりき。フラミニアの姫の詞は、此時端なく憶ひ出されぬ。詩人は神の預言者にあらずや。何故に詩人は神の徳を頌せんことを勉めざる。嗚呼、我は忽ち此詞の眞理なることを感得せり。不滅なる詩人の心は不滅なる神をこそ詩料とすべきなれ。目前の榮華は泡沫の五彩の色を現ずるに異ならずして、その生ずる時はやがてその滅する時なり。われは忽ち興到り氣奮ふを覺えしに、忽ち又興散じて氣衰ふるを覺え、悄然として舟に上り、大海に臨める岸區に着きぬ。  海はやゝ浪立てり。われは佇立してアマルフイイの灣を憶ひ起しつゝ、目を轉じて身邊を顧みれば、波のもて來し藻草と小石との間に坐して、草畫を作れる男あり。われは其姿に些の見おぼえあるをもて、徐にこれに近づくほどに男は身を起して此方に向へり。こは我がヱネチアに來てよりの新相識の一人なる貴族の少年にて名をポツジヨといふものなりき。  ポツジヨのいふやう。こゝにて君と相見んとは思ひ掛けざりき。この怒り易く恃み難きハドリアの海の、能く君を招き致したるは、唯だその紅波白浪の美あるがためか、そも〳〵別に美なるものありて、この岸區に住めるにはあらざるかといひぬ。我等は互に進み寄りて手を握りつ。  人の語るを聞くに、ポツジヨは畫才ありて資力なき人なり。その人に對する言語動作は活溌にして、間々放縱なるかとさへ疑はるゝ節あれども、まことはいみじき厭世家なり。言ふところはドン・ホアンを欺く蕩子なる如くにして、まことは聖アントニウスの誘惑を峻拒する氣概あり。無邪氣なること赤子の如く、胸中一事を包藏するに堪へざるものに似て、智を恃める士流は遂にその底蘊を窮むること能はず。こは深き憂に中れるが爲めなるべけれど、その憂は貧か戀か、そも〳〵別に尋常ならざる祕密あるか。これを知るもの絶て無しとぞ。われは人の若語るを聞きて、かねてよりポツジヨに親まんことを願ひしかば、今ゆくりなくこれに逢ひて、心にこの邂逅を喜び、早く胸の狹霧のこれがために晴るゝを覺えき。  ポツジヨは海を指ざしてかゝる青く波立てる大面積は羅馬の無き所なり、おほよそ地上の美なるもの海に若くはなかるべし、宜なり海はアフロヂテの母にしてと云ひさし、少し笑ひて、又ヱネチア歴代の大統領の未亡人なりといへり。われ。海を愛する心は、ヱネチアの人殊に深かるべき理あり。海は己れが母なるヱネチアの母にして、己れを愛撫し己れを游嬉せしむる祖母なればなり。ホツジヨ。その氣高かりし海の女の今は頭を低れたるぞ哀なる。われ。フランツ帝の下にありて幸ありとはいふべからざるか。ポツジヨ。われは政治を解せず。ヱネチア人は今も不平を説くことを須ゐざるなるべし。されどわが解するところのものは美妙なり。陸上宮殿の柱像たらんは、海の女王たらんことの崇高なるには若かず。おもふに君の美妙を崇拜し給ふこと我に殊ならざるべければ、君はかしこより來る彼美の呼び迎ふるをも辭み給はぬならん。こは識る所の酒亭の娘なり。共に往き給はずやといふ。われはポツジヨと少女に誘はれて、海に枕める小家に入りぬ。酒は旨し。友は善く談ぜり。誰かポツジヨが軽快なる辯と怡悦の色とを見て、その厭世の客たるを知り得ん。我は共に坐すること二時間ばかりなりしに、舟人は急に我を呼びて歸途に就かんことを促せり。こは颶風の候ありて、岸區とヱネチアとの間なる波は、最早小舟を危うするに足るが故なりと云へり。ポツジヨは耳を欹てたり。何とか云ふ。颶風は我が久しく觀んことを願ひしところなり。「アバテ」も暫く我と共に留まり給へ。日の暮るゝまでには凪ぐべし。若凪がずば、枕をこの茅屋根の下に安くして、波の音を聞くこと、昔子もり歌を聞きしが如くせんといふ。我は舟人を顧みて、舟を要せば別に雇ふべければ、汝達は去留自在にせよといひて、暇を取らせつ。  須臾にして波濤洶々の音漸く高く、風力の衝突は頻りに全屋を撼せり。我とポツジヨとは偕に戸外に出でゝ瞻望したり。時に夕陽は震怒したる海の暗緑なる水を射て、大波の起る處雪花亂れ翻れり。地平線に近き邊には、層雲堆を成して、稻妻の其間より閃發せるさま、幾箇の火山の噴坑を開けるに似たり。我等は忽ち二三の舟の紙上の黒點の如く彼雲に映ずるを見しが、忽ち又之を失へり。岸を噬む水は、石に觸れて倒立し、鹹沫は飛んで二人の面を撲てり。ポツジヨの興は風浪の高きに從ひて高く、掌を抵ちて哄笑し、海に對して快哉を連呼せり。此興は我に感じ傳はりて、我は胸中の苦悶の天地の忿怒に壓倒せらるゝを覺え、亦ポツジヨの聲に應じて叫びぬ。  暮色は急に襲ひ至りぬ。我等は亭に入りて、當壚の女をして良酒を供せしめ、續けさまに數杯を傾けて、此自然の活劇を翫べり。忽ちポツジヨの聲を放ちて歌ふを聞きつ。其曲は嘗て此地に來りしとき舟中にありて聞きしと同じき戀の歌なり。われ杯を擧げて、ヱネチアの美人の健康のために飮まんと云へば、ポツジヨ、さらば我は羅馬の美人のために飮まんと云ふ。若し相識らぬ人の、我等の狂態を見たらんには、定めて尋常時に及びて行樂する徒となすなるべし。ポツジヨのいふやう。女子の美は羅馬に若くはなし。君はいかにおもひ給ふか。憚ることなく答へ給へ。われ。そは我が首肯する所なり。ポツジヨ。さもあるべし。されど伊太利第一の美人は此ヱネチアにこそあれ。憾むらくは君未だ市長の女を見給はず。清楚なること此の如きは、世の絶て無くして僅に有るところにして、これをや精神上の美とは云ふべき。若しカノワにして此女を識りたらましかば、その三美の像の最も少きをば、必ず此女の姿によりて摸し成ししならん。(カノワは彫匠なり。ポツサニヨに生れヱネチアに歿す。三美の像は獨逸ミユンヘンに在り。)われは嘗て晩餐式ありしとき、寺院にて見、又聖摩西の劇場にて一たび見たり。その高根の花に似て、仰ぎ看るだに容易からぬを恨むものは、獨り我のみにはあらず。おほよそヱネチアの少年紳士にして同じ恨を抱かぬはあらざるならん。只だ人々と我と相異なるは、彼は懸想し我は懸想せざるのみ。我俗眼もて見れば、彼人は餘りに天人めきたり。されど天人は崇拜の對象とすべきならん。「アバテ」はいかに思ひ給ふといふ。われは此語を聞いて、フラミニアの事を思ひ出し、喜の色は我面より消え失せたり。ポツジヨ。酒は好し。風波は我筵の爲めに歌舞す。いかなれば君愁の色を見せ給ふぞ。われ。市長は客を招き筵を張ることありや。ポツジヨ。稀にそのことなきにあらず。されど招請を慎むこといと嚴なり。矧や彼人は物に怯るゝこと鹿子の如く、同じ席に列るものもたやすく近づくこと能はざるを奈何せん。われは必ずしもかの人心より此の如しと説かず。そは人にめづらしがられんとてかく振舞ふ女も少からねばなり。そが上に彼人の身上には明白ならざる處なきにしもあらず。わが聞くところに依れば、市長に二人の妹ありて、皆久しく遠國に住めりき。その最も少き方の妹は希臘人に嫁ぎたりしに、その夫婦の間に彼の奇しき少女はまうけられぬといふ。今一人の妹は猶處子なり、しかも老いたる處子なり。四とせ前の頃彼の少女を伴ひて歸り來りしは、此の老處子に他ならざりき。  夜の如き闇黒は急に酒亭を襲ひて、ポツジヨが話の腰を折りたり。あなやと驚く隙もあらせず、赫然たる電光は身邊を繞り、次いで雷聲大に震ひ、我等二人をして覺えず首を低れて、十字を空に畫かしめつ。  酒亭の女主人色を變じて馳せ來りて云ふやう。氣の毒なることこそ出來り候ひぬれ。岸區の優れたる舟人六人未だ海より歸らずして、就中憐むべきアニエエゼは子供五人と共に岸に坐して待てり。いかになり行くことならん。只だ聖母の御惠を祈らんより外術なしといひぬ。忽ち歌頌の聲はわれ等の耳に入れり。戸を出でゝ覗へば、彼の激浪倒立すること十丈なる岸頭に、一群の女子小兒の立てるあり。小兒等は十字架を棒げ持てり。群のうちに一人の年少き女の、地に坐して海上を凝視せるあり。この女は赤子に乳房を銜ませたるに、別に年稍〻長ぜる一兒の膝に枕したるさへありき。忽ち一道の雷火下り射ると共に、颶風は引き去らんと欲する状をなせり。地平線には小き稻妻亂れ起りて、暗碧なる浪の尖なる雪花はほの〴〵と白み來れり。彼女は俄に蹶起して、舟はかしこにと呼べり。われ等はその指す方に一の黒點あるを認め得たり。黒點は次第に鮮かになりぬ。時に一人の老漁ありて、褐いろなる無庇帽を戴き指を組み合せて立ちたりしに、不意にあなやと叫べり。聲未だ畢らざるに、我等は黒點の泡立てる巨濤の蔭に隱るゝを見たり。果せるかな老漁の目は我を欺かざりき。一群の人は周章の色を現せり。天の漸く明かに、海の漸く靜に、舟人遭難の事の漸く確實になりゆくと共に、周章の色は加はり來れり。小兒は捧げ持ちたりし十字架を地に委ねて、泣き號びつゝ母に縋りぬ。その時老漁は十字架を地より拾ひて、救世主の足に接吻し、更に高くこれを擎げて口に聖母の御名を唱へき。  半夜に至りて天に纖雲なく、皎月はヱネチアと岸區との間なる風なき水を照せり。われはポツジヨと舟を倩ひて岸區を離れたり。そは留まりて彼の五子の母を慰藉し、又これを救恤するに由なかりしが爲めなり。    感動  翌晩われはポツジヨとヱネチア屈指の富人某の家に會せり。こはわが出納の事を托したる銀行の主人なり。會するものはいと多かりしかど、席上一の我が相識れる婦人なく、又一の我が相識らんことを欲する婦人なかりき。  會話は昨夜の暴風の事に及べり。ポツジヨは舟人の横死と遺族の窮乏とを語りて、些少なる棄損のいかに大いなる功徳をなすべきかを諷し試みたれども、人々は只だその笑止なることなるかなとて、肩を聳かして相視たるのみにて、眞面目にこれに應ふるものなく、會話は餘所の題目に移りぬ。  頃くして席は遊藝を競ふところとなり、ポツジヨは得意の舟歌(バルカルオラ)を歌へり。我は友の笑を帶びたる容貌の背後に、暗に富貴なる人々の卑吝を嘲る色を藏したるかを疑ひぬ。舟歌畢りしとき、主婦は我に對ひて、君は歌ひ給はずやと問ひぬ。われ、さらば即興の詩一つ試みばやと答へぬ。四邊には渠は即興詩人なりと耳語く聲す。婦人の群は優しき目もて我を促し、男子等は我を揖して請へり。われは「キタルラ」の琴を抱きて人々に題を求めつ。忽ち一少女の臆する色なく目を我面に注ぎてヱネチアと呼ぶあり。男子幾人か之に應じてヱネチア、ヱネチアと反復せり。そはかの少女の頗る美なるが爲めなり。われは絃を理めて、先づヱネチア往古の豪華を説きたり。人々は歴史と空想とを編み交ぜたる我詞章に耳を傾けつゝ、彼過去の影をもて此現在の形となすにやあらん、その眼光は皆耀けり。われは心中にララをおもひサンタをおもひつゝ、月明かなる夜、渠水に枕める出窓の上に、美人の獨りたゝずめる状を敍したり。婦人等はこれを聞きて、謳ふもの直ちに己れを讚むとなすにやあらん、繊手を拍ちて我に酬いぬ。わが席上の成功はスグリツチ(原註、知名の即興詩人)にも讓らざる如くなりき。  ポツジヨは我耳に附きて、市長の姪あり、此席にありとさゝやきしが、會〻婦人數人と老いたる貴族某との坐客を代表して、我に再演を請ひたりしが爲めに、われは友と多く語を交ふること能はざりき。此請は我が預め期したるところなりき。われは好機會を得て、昨夜の暴風と難船との事を敍し、前に友の雄辯もて遂ぐること能はざりしところをも、詞章もて遂げんと期したりしなり。  我はチチアノの贊といふ題を得たり。即興はおもふまゝなる喝采を博して、古名匠の贊はわが自贊となりぬ。されどチチアノは海を畫く人ならざりしが爲めに、われは此題を利用して我志を果すに由なかりき。  主婦は我に近づきていふやう。君の如く自家の技藝もてかくあまたの人を樂ましめ感ぜしめんは、いかに快き事なるべきか。われ。詩人第一の快事は詩の成功なり。主婦。さらば能くその快きを題として歌ひ給はんや。君の辭を措き給ふことの容易げなるよりわれ等は、頻りに請ふことの無禮げなるをさへ忘れんとす。われ。こゝに一の奇術あり。そは人々皆詩人となりて、能く詩人の快さを體驗することなり。われは此術を善くすれども、かゝる術の常として、報なくては演ずべきにあらず。わが此詞は果して座客をして耳を敧てしめ、人々は爭ひ進みて、願はくはその奇術を見ることを得んと云へり。我は側なる卓を指ざして、報せんと思ふ方々は、金錢にもせよ珠玉首飾の類にもせよ、此上に出し給へと云ひぬ。婦人の一人は戲に、さらば我はこの黄金の鎖を置かんと云ひて、言ふところの品を卓上に擲てり。一男子は笑ひつゝ、さらば我は骨牌の爲めに帶び來れる此金殘らずを置かんと云ひて、その財嚢を擲てり。われ。人々よ、我詞は戲言にあらず、人々は再び其品を得給ふまじといふに、滿座の客は、さもあらばあれ君が奇術こそ見まほしけれと、金銀、指環、鎖の類を堆く卓上に積みたり。軍服着たる一老人、若しその奇術奇ならざるときは、われは我が「ヅカアチイ」二個(約三圓三十八錢)を取り返すことを得んかといひしに、ポツジヨは我に代りて、若し疑はしとおもひ給はゞ、夥伴に入り給はでもあるべきにと答へぬ。人々はこれを聞きて打笑ひ、只管我が演じいだす所のいかなるべきを俟ち居たり。  われは將に口を開かんとするに臨みて、神の我に光明を與へ給ふを覺えたり。先づヱネチアの配偶なる、威力ある海を敍し、それより海の兒孫なる航海者に及び、性命を一葦に托する漁者に及べり。次に前夕の目撃せしところに就きて颶風を敍し、岸に臨みて翹望せる婦幼に及び、十字架を落す兒童とこれを拾ひて高く擎ぐる漁翁とに及べり。我は殆ど歌ふところのものゝ即ち神の御聲にして、我身の唯だ此聲を發する器具に過ぎざるを覺えき。時に廣座の間寂として人なきが如く、處々に巾もて涙を拭ふものあるを見る。われはこれより茅屋のうちなる寡婦孤兒の憐むべき生活を敍し、賑恤の必要と其效果とに及べり。われは人間の快さは取るに在らずして與ふるに在り、與ふる快さは即ち神の御心にして、此心あるものは誰か眞の詩人たらざらんと云へり。我聲の威力、その幅員は曲の末解に至りて強さと大さとを加へき。我曲は能く衆人を感動せしめき。我が卓上の物を取りてポツジヨに交付し、これに救助の事を托せしときは喝采の聲屋を撼したり。爾時一の年わかき婦人ありて、我前に來り跪き、我手を握り、その涙に潤へる黒き瞳もて我面を見上げ、神の母の報は君が上にあれと呼びたり。われは婦人の黒き瞳を見て、曾て夢中に相逢ひたる如き念をなし、深くこれに動されぬ。婦人は此言をなし畢りて、纔におのれの擧動の矩を踰えたるを曉れりとおぼしく、臉に火の如き紅を上して席をすべり出でぬ。  座客は皆我傍に集ひて、わが博愛の心を稱へ、わが即興の作を讚む。ポツジヨは我を擁して、幸ある友よ、人の仰ぎ視ることをだに敢てせざる美人は、膝を君が前に屈せしにあらずやとささやけり。われ。渠は何人なりしか。ポツジヨ。ヱネチア第一の美人なり。市長の姪なり。一の老婦人ありて我に歩み近づきて、君は最早我を忘れ給ひしか、そは理なきにあらず、唯だ一たび相見てより後、年あまた經ぬればと云ひつゝ、我に手をさし伸べたり。われ、一たび相見しことある御方とは知れど、何時何處にての事ともおもひ定め難しといふに、老婦人、我同胞は醫師にて拿破里に居たり、君はボルゲエゼ家の公子と共に弟を訪ひ給ひぬといふ。われ。まことに宣給ふ如し。こゝにて逢ひまつらんとは思ひ掛けざりしなり。老婦人。拿破里の弟は妻なかりし故、われに家政をとりまかなはせしに、四とせ前にみまかりぬ。今はこゝなる兄の許に住めり。我姪はその性人と殊なれば、一たび家に歸らんといひ出でゝは、思ひ留まるべくもあらず、又こそ御目にかゝらめとて、老婦人は出で去りぬ。ポツジヨは再び我にさゝやくやう。かへすがへすも幸ある友よ。市長の妹の君が相識にて、君と再會を約せしは願ひてもなき事ならずや。ヱネチアの少年紳士にして君を羨まぬものはあらじ。人々は遠距離にありてだに心に傷を負へるを、君は敵の陣地に入ることなれば、注意して自ら護り給へといふ。市長の姪の去りしには、座客氣付きぬれど、皆その心の優しきこと姿の美しきにかはらずとて、讚め稱へて已まざりき。  善行は心に光明を與ふ。われは久しぶりに心の中の快活を感じて、ポツジヨと杯を碰せ、此より兄弟の如くならんことを誓ひぬ。家に歸りしは夜半なりき。直ちに眠に就くべき心地ならねば、窓に坐して清風明月に對せり。渠水波なく、古宮空しく聳ゆる處、我が爲めには神話中の夢幻界を現じ來れり。我は兒童の如く合掌して祈祷したり。父よ、我諸惡を免せ。我に氣力を賦して善良の人たることを得しめよ、我をして些の羞慚の心なく、彼尼院中なるフラミニアを懷ふことを得しめよ。  翌朝は身極めて爽快なりき。我は舟人を喚びて市長の家に往くことを命ぜしに、舟人そのオテルロ宮(パラツツオオ、ドテルロ)なるを告げたり。オテルロとは彼シエエクスピイアの戲曲ヱネチアの黒人の主人公にして、市長の家は其舊館なれば、英吉利人は此地に來る毎に必ずこれを尋ぬること、マルクス寺又は武庫に殊ならずといふ。  市長の一家は歡びて我を迎へ、主人の妹なるロオザ夫人は、亡弟の記念と拿破里の繁華とを語りて、我に再遊の願の甚だ切なるを告げ、主人の姪なるマリアは我をして復たララの姿を見、フラミニアの才を見る心地せしめき。マリアとララとの相肖たるは驚くべき程なり。さるにても身に襤褸を纏ひて、髮に一束の董花を揷みし乞丐の女の、能くヱネチア第一の美人と美を※(女+貔のつくり)ぶるこそ不思議なれ。是より我は頻りに此家に往來して、ロオザ夫人の爲めにダンテの神曲、アルフイエリ、ハコリイニイ(並に詩人の名)等の集を朗讀せり。ポツジヨもわが紹介によりて市長の常の客となることを得たり。  即興詩人としての我名は漸くヱネチアの都に傳はり、美術會院(アカデミア、デル、アルテ)は一日我を招きて技を奏せしめき。われはダンドロのコンスタンチノポリス征服とマルクス寺の銅馬とを題として即興の詩を歌ひ、會員證を授與けられたり。(ダンドロはヱネチアの大統領なりき。千二百三年コンスタンチノポリスを征服す。即ち所謂第四次十字軍なり。)されどその頃我は別に一物の此會員證より貴きものを得つ。そは極めて細かなる貝を絹紐もて貫きたる瓔珞なり。岸區の漁者の遺族は我がために作りてポツジヨに托し、ポツジヨはマリアにあづけ置きぬ。ある日マリアは我が往きて訪ふを待ちて、美しく愛らしきものならずやと云ひつゝ我手にわたし、ロオザ夫人は傍より、他日おん身の許嫁の妻に掛けさせ給ふべき品なり、作りし人もその心ありしなるべしと詞を添へつ。われは料らずも眉を蹙めて、我に許嫁の妻なし、未來にも亦さる人なからんと叫びぬ。マリアの面には失望の色をあらはせり。そはこの贈を取次ぎて我を悦ばしめんことを期せしが故なり。われは手に瓔珞を捧げて、心にこれをマリアに與へんことを願ひぬ。マリアの顏の紅を潮せしは、我心を忖り得たるにやあらん、覺束なし。    末路  とある夕わが爲換金を取扱ふ商家を尋ねしに、主人の妻のいふやう。近頃はおん身の來給ふこと稀になりぬ。そは市長の許に往き給ふことの頻なるが爲めなるべし。我家にはマリアの如き美しき人あるにあらねば、誰かおん身の足の彼方にのみ向くを理ならずとせん。マリアは今ヱネチア第一の美人にして、御身はヱネチア第一の才子におはすれば、彼此似つかはしき中なるに、マリアが所有なりといふカラブリアの地面はいと廣しといへば、おん二人の生計さへ豐かなることを得べきならん。御身若し早く心を決めて誓約をだになし給はゞ、ヱネチア全市の男子一人としておん身を羨まざるものなからんといふ。われ。いかなれば我をさまで利己心多きものとはし給ふぞ。わがマリアを尊むは、あらゆる美しきものを尊む情に外ならず。これをしも愛と謂はゞ、何人かマリアを愛せざらん。縱ひわれマリアを愛せんも我心は又決してその財産に左右せらるゝことなかるべし。主人の妻。否、さてはおん身はつまさだめするものゝ先づ心得べき事あるを知り給はぬなるべし、粮廚に滿ち酒窖に滿ちて、始て夫婦の間の幸福は全きものぞ。古き諺にも、生活を先にし戀愛を後にすといへるにあらずやと云ひぬ。  人の我上をかくおもへる、既に我が忍ぶべきところならず。況や面りこれを語るをや。我は喜んで市長一家の人々と交れども、此の如き嫌疑を受くることを甘んじて、猶その家に出入すべくもあらず。今宵も市長の家を訪ふべかりし我は、歩を轉じてヱネチアの狹き巷をさまよひめぐりぬ。相向へる二列の家は、簷と簷と殆ど相觸れんとし、市店の燈を張ること多きが爲めに、火光は到らぬ隈もなく、士女の往來織るが如くなり。渠水を望めば、燈影長く垂れて、橋を負へる石弓の下に、「ゴンドラ」の舟の箭よりも疾く駛るを見る。忽ち歌聲の耳に入るあり。諦聽すれば、是れ戀愛と接吻との曲なり。迷路の最も邃き處に一軒の稍〻大なる家ありて、火の光よそよりも明かに、人多く入りゆくさまなり。こはヱネチアの數多き小芝居の一にして、座の名をば聖ルカスと云へりとぞ。大抵樂劇の一組ありて、日ごとに二曲を興行すること、拿破里の「フエニチエ」座に同じ。初の一曲は午後四時に始まり六時頃には早く終り、次なる曲は夕の八時より始まる。素より精しき技藝、高き趣味をこゝに求むべきにはあらねど、些の音樂に耳を悦ばしめんとする下層の市民の願をばこれによりて遂げしむることを得べく、又旅人などの消遣の爲めに來り觀るも少からざるべし。觀棚の料は甚だ廉く晝夜とも空席を留めぬを例とす。  招牌を仰げば、「ドンナ、カリテア、レジナ、ヂ、スパニア」(西班牙女王カリテア夫人)と大書し、作譜者の名をばメルカダンテと注せり。われ心の中におもふやう。かゝる時にこそ、我脈絡にカムパニアの野なる山羊の乳汁循らずして、温き血環れるを人に示すべきなれ、我が世馴れたることのベルナルドオにもフエデリゴにも劣らぬを示すべきなれ。兎も角も一たび此場内に入りて、美しき女優の面を見ばや。若し興なくば、曲の終るを待たで出でんも妨あらじとおもひぬ。入場劵を買ふに、小き汚れたる牌を與へつ。我觀棚は極めて舞臺に近き處なりき。  此劇場には高下二列の觀棚あり。平間をばいと低く設けたり。されど舞臺の小なること、給仕盆の如しとも謂ふべし。あはれ、此舞臺にいくばくの人か登り得べきとおもふに、例の小芝居の習とて、中むかしの武弁の上をしくめる大樂劇の、行列の幕あり戰鬪の幕あるものをさへ興行するなるべし。觀棚は内壁の布張汚れ裂けて、天井は鬱悒きまで低し。少焉ありて、上衣を脱ぎ襯衣の袖を攘げたる男現れて、舞臺の前なる燭を點しつ。客は皆無遠慮に聲高く語りあへり。又少時ありて、樂人出でゝ奏樂席に就きぬ。これを視るに、只是れ四奏の一組なりき。彼と云ひ此と云ひ、今宵の受用の覺束なかるべき前兆ならぬものなけれど、われは猶せめて第一折を觀んとおもひて、獨り觀棚に坐し居たり。  場内の女客に美しきはあらずやと左を顧み右を盻しかど、遂にさる者を認め得ざりき。忽ち隣席に就く人あり。こは嘗て某の筵にて相見しことある少年紳士なりき。紳士は笑みつゝ我手を握りて云ふやう。こゝにて君に逢はんとは思ひ掛けざりき。君はその邊の消息を知り給ふか知らねど、かゝる處にては、折々面白き女客と肩を並ぶることあり。かくて薄暗き燈火は、これと親む媒となるものなりと云ひぬ。紳士の詞は未だ畢らぬに、傍より叱々と警むる聲す。そは開場の曲の始まれるが爲めなりき。  音樂は心細きまで微弱なりき。幕は開きたり、只だ見る、男子三人女子二人より成れる一群の唱和するを。その骨相を看れば、座主は俄に畎畝の間より登庸し來りて、これに武士の服を衣せしにはあらずやと疑はれぬ。隣席の紳士は我を顧みて、餘りに力を落し給ふな、單吟には稍〻觀る可きものなきにあらず、此組にも好き道化師あり、大劇場に出だしても恥かしからぬ男なりなど云ふ。この時今宵の曲の女王は、侍姫に扮せる二女優と共に場に上りぬ。紳士眉を顰めて、さては女王は渠なりしか、全曲は最早一錢の價だにあらざるべし、あはれジヤンネツテならましかばとつぶやきぬ。  女王は身の丈甚だ高からず、面の輪廓鋭くして、黒き目は稍〻陷りたり。衣裳つきはいと惡し。無遠慮に評せば、擬人せる貧窶の妃嬪の裝束したるとやいふべき。さるを怪むべきは此女優の擧止のさま都雅にして、いたく他の二人と異なる事なり。われは心の中に、若し少き美しき娘に此行儀あらば奈何ならんとおもひぬ。既にして女王は進みて舞臺の縁に點し連ねたる燈火の處に到りぬ。此時我心は我目を疑ひ、我胸は劇しき動悸を感じたり。われは暫くの間、傍なる紳士に其名を問ふことを敢てせざりき。われ。此女優の名をば何とかいふ。紳士。アヌンチヤタといへり。歌ふことを善くせぬに、その顏ばせさへこれが償をなすに足らねば、顧みる人なきもことわりなり。此詞は句々腐蝕する藥の如く我心上に印せり。われは瞠目枯坐して心を喪ふものゝ如くなりき。  女王は歌ひはじめき。否、こはアヌンチヤタが聲ならず。微かにして恃なく、濁りて響かず。紳士。この喉には些の修行の痕あるに似たれど、氣の毒なるは聲に力なきことなり。われ。(騷ぐ胸を押し鎭めて)さきには羅馬、拿破里に譽を馳せたる西班牙生れの少女ありしが、この女優は偶〻其名を同じうして、色も聲もこれに似ること能はざりしよ。紳士。否、この女優こそはその名譽あるアヌンチヤタがなれる果なれ。盛名一時に騷ぎしは七八年前のことなるべし。當時は年もまだ若くて、聲はマリブランの如くなりきとぞ。されど今はしも薄落ちたり。こはかゝる伎もて名を馳せし人の常なり。暫くは日の天に中するが如き位にありて、世の人の讚歎の聲に心惑ひ、おのが伎の時々刻々降りゆくを曉らず、若し此時に當り早く謀をなさゞるときは、公衆先づ其演奏の前に殊なるところあるを覺ゆべし。かゝるなりはひする女子の習として、財を獲ること多しといへども、隨ひて得れば隨ひて散じ、暮年の計をおもはねば、その落魄もいと速なり。君のこの女優を見給ひぬといふは、羅馬にての事にやありけん。われ。然り。其頃面を見ること二三度なりき。紳士。さらば變化の甚しきを覺え給ふならん。人の噂には、四五年前に重き病に罹りてより、聲はたとつぶれぬといふ。その人の爲めにはいと笑止なる事ながら、聽衆の過去の美音を喝采せざるをば、奈何ともすべからず。いざ、昔のよしみに拍手し給へ。われも應援すべしとて、先づ激しく掌を打ち鳴しつ。平土間なる客二三人、何とかおもひけん、これに和したるに、叱々と呼びて、この過當の褒美にあらがふもの少からず。女王はこの毀譽を心に介せざる如く、首を昂げて場を下りしに、紳士見送りて、我等はトロヤ人なりきとつぶやきぬ。(原語「フイムス、トロエス」は猶已矣と云はんが如し。)  代りて場に上りしは、此曲の女主人公にして、これに扮せるは二八ばかりの女なりき。色好む男の一瞥して心を動すべき肉おき豐かに、目なざし燃ゆる如くなれば、喝采の聲は屋を撼せり。此時むかしの記念は我胸を衝いて起りぬ。羅馬の市民のアヌンチヤタの爲めに狂せし状はいかなりしぞ。いにしへの帝王の凱旋の儀をまねびつる、アヌンチヤタが車のよそほひはいかなりしぞ。わが崇拜の念はいかなりしぞ。さるを今はこの尋常なる容色にすらけおされ畢んぬ。あはれ、薄倖なるベルナルドオは身病み色衰ふるに及びて君を棄てしか。さらずば、君は始より眞成にベルナルドオを愛せざりしか。君が唇のベルナルドオの額に觸れしをば、われ猶記す。君爭でかベルナルドオを愛せざらん。思ふにかの無情男子は君が色を愛して、君が心を愛せざりしなり。  アヌンチヤタは再び場に上りぬ。老いたるかな、衰へたるかな、只だ是れ屍の脂粉を傅けて行くものゝみ。われは覺えず肌に粟生ぜり、われもアヌンチヤタが色に迷ひし一人なれども、その才の高く情の優しかりしをば、わが戀愛に蔽はれたりし心すら、猶能く認め得たりき。縱令色は衰ふとも、才情はむかしのまゝなるべし。かへす〴〵も惡むべきはベルナルドオが忍びて彼才彼情を棄てつるなる哉。我心緒は此不幸なる女子を憐み、彼無情なる友を憎むが爲めに、亂るゝこと麻の如くなりき。傍なる紳士は、我面色の土の如くなるを見て、いかにし給ひしぞ、不快なるにはあらずやと問ひぬ。此棧敷の餘りに暑き故なるべしと答へつゝ、我は起ちて劇場の外に走り出でぬ。  胸中の苦悶は我を驅りて、狹きヱネチアの巷を、縱横に走り過ぎしめしに、ふと立ち留りて頭を擡ぐれば、われは又前の劇場の前に在り。時に一人の老僕ありて、入口に貼りたるけふの名題を剥ぎ取り、代ふるにあすのをもてせんとす。われは進みて此僕の耳に附き、アヌンチヤタの宿はいづくぞと問ひしに、僕は首を𢌞して我顏を打目もり、アヌンチヤタと宣給ふか、そはアウレリアの誤なるべし、けふもアウレリアが部屋をばおとづれ給ひし檀那達いと多かりき、宿に案内しまゐらするは易けれど、歸るには些の隙あるべしと答ふ。われ、否、アヌンチヤタなり、けふ女王の役を勤めし人なりといふに、僕は暫し目を睜りて、訝しげに我を見居たるが、さてはあの痩骨を尋ね給ふか、檀那は別に御用ありての事なるべければ、案内しまゐらせん、されどこれも歸らんは一時間の後なるべし、そが上に人に問はるゝことなき女なれば、出でゝ御目に掛かるべきか、覺束なしとつぶやきぬ。好し、さらば一時間の後の事にすべければ、こゝにて我が來んを待てと契り置きて、我は岸邊に往き、舟を雇ひて、何處をあてともなく漕ぎ行かせつ。  我心緒はいよゝ亂れに亂れぬ。只だ心中に往來する切なる願は、今一たびアヌンチヤタと相見て、今一たびこれに詞をかはさんといふことのみ。嗚呼、アヌンチヤタはまことに不幸なりき。されど我はその不幸を救ひ得べき地位にあらざりしを奈何せん。指す方もなき水上の逍遙ながら、痛苦に逐はるゝ我心は、猶船脚の太だ遲きを覺えぬ。  一時間の後、舟を初の岸に繋げば、老僕は早く劇場の前に立ちて待てり。引かるゝまゝに、いぶせき巷を縫ひ行きて、遂にとある敗屋の前に出でしとき、僕は星根裏の小き窓に燈の影の微かなるを指ざしたり。僕は先に立ちて暗き梯を登りゆくに、我は詞もあらでその後に隨ひぬ。僕は戸外の鈴索を牽いたり。内より誰ぞやといふは女の聲なり。マルコオ、ルガノと名告ると共に、戸はあきて、我等は暗黒なる一室の中に立てり。聖母を畫けりと覺しき小幅の前に捧げし燈明は既に滅えて、燈心の猶燻るさま、一點の血痕の如し。忽ち頭の上に戸の軋る音して、覺束なき火の光洩れ來しとき、我は側に小き梯あるを認めつ。御尋の女はあれにといふ老僕の手に、些の銀貨を握らすれば、あまたゝびぬかづき謝して、直ちに戸外に出で去りぬ。わが最後の梯を登りゆくとき、一人の女の小き絹の片にて髮を裹み、闊き暗色の上衣を着たるが入口に現れて、あすの名題や變りし、蹶き給ふな、マルコオと云ひつゝ迎へぬ。我はつと室内に進みぬ。  我はアヌンチヤタと相對して立てり。あな、おん身は何人ぞ、何の爲に此には來ましゝと、驚きたる女主人は問ひぬ。我は一聲アヌンチヤタと叫べり。暫し我面を打まもりし主人は、再びあなやといひもあへず、もろ手もて顏を掩ひつ。何人にもあらず、昔の友の一人なり、むかしおん身の惠にて、あまたの樂しき時を過し、あまたの幸福ある日を送りしものなり、何の爲めにか來べき、唯だ今一たび相見んの願ありて來つるのみといふ我聲は恥かしき迄震ひぬ。アヌンチヤタは靜に手を垂れて頭を擧げたり。肉落ちて血色なく、死人の如き面なれど、これのみは年も病もえ奪はざりけん、暗黒にして、渡津海のそこひなきにも譬へつべき瞳は、磁石の鐵を吸ふ如く、我面に注がれたり。アントニオ、かくて御身と相見んとは、つや〳〵思ひ掛けざりき。同じ憂き世の山路なれど、おん身はそを登る人、われはそを降る身なれば、相見て又何をかいふべき。疾く行き給へと口には言へど、つれなき涙は眶に餘りて、頬の上に墮ち來りぬ。われ。そは餘りに情なし。われはおん身の今不幸なるを知りぬ。むかし一言の白、一目の介もて、萬人に幸福を與へしおん身なるを。アヌンチヤタ。幸福は妙齡と美貌とに伴ふものにて、才と情との如きは、その顧みるところにあらざるを奈何せん。われ。おん身は病に臥し給ひきとは實か。アヌンチヤタ。病はいと重く、一とせの久しきにわたりしかど、死せしは我容色と我音聲とのみなりき。公衆は此二つの屍を併せ藏せる我身を棄てたり。醫師はこの死を假死なりとなし、我身は果敢なくもこれを信じたりき。我身は舊に依りて衣食を要するに、平生の蓄をば病の爲めに用ゐ盡しぬれば、彼死を祕して、詐りて猶ほ生きたるものゝ如くし、又脂粉を塗りて場に上ることゝなりぬ。されど流石に人を驚さんことの心苦しくて、わざと燈燭の數少き、薄暗き小劇場に出づるにこそ。おん身の記憶に存じたるアヌンチヤタは早や死して、その遺像は只だかしこの壁にありといひぬ。われは此詞を聞きて、向ひの壁を仰ぎ看しに、一面の大畫幅あり。枠を飾れる黄金の光の、燦然として四邊を射るさま、室内貧窶の摸樣と、全く相反せり。圖するところはヂドに扮したるアヌンチヤタが胸像なりき。氣高く麗しきその面輪、威ありて險しからざる其額際、皆我が平生の夢想するところに異ならず。我視線は覺えずすべりて、壁間の畫より座上の主人に移りぬ。アヌンチヤタは面を掩ひて、世の人の我を忘れし如く、おん身も今は我を忘れて、疾く行き給へといふ。われ。否、われ爭でか行くことを得ん、爭でか此儘に行くことを得ん。おん身は聖母の惠を忘れ給ふか。聖母はおん身を救ひ給はん、我等を救ひ給はん。アヌンチヤタ。おん身は衰運に乘じて人を辱めんとはし給はざるべし。むかし交らひ侍りし時より、おん身の心のさる殘忍なる心ならざるを知る。さらばおん身は何故に、世擧りて我を譽め我に諛ふ時我を棄てゝ去り、今ことさらに我が世に棄てられたる殘躯の色も香もなきを訪ひ給ふぞ。われ。情なき事をな宣給ひそ。我爭でかおん身を棄つべき。我を棄て給ひしは、我を逐ひて風塵の巷に奔らしめ給ひしは、おん身にこそあれ。かく言はゞ、おん身は我を自ら揣らざるものとやし給はん。さらば只だ我を驅逐せしものは我運命なり、我因果なりとやいはん。此詞纔に出でゝ、アヌンチヤタはその猶美しき目を睜り、ことばはなくて我面を凝視し、その色を失へる唇はものいはんと欲する如くに動きて又止み、深き息徐ろに洩れて、目は地上に注がるゝことしばらくなりき、アヌンチヤタは忽ち右手を擧げて、緩にその額を撫でたり。一の祕密の神とおのれとのみ知れるありて、此時心頭に浮び來りしにやあらん。アヌンチヤタは再び口を開きぬ。我は君と再會せり。此世にて再會せり。再會していよ〳〵君が情ある人なることを知る。されど薔薇は既に凋れ、白鵠は復た歌はずなりぬ。おもふに君は聖母の恩澤に浴して、我に殊なる好き運命に逢ひ給ふなるべし。今はわれに唯だ一つの願あり。アントニオよ、能くそを愜へ給はんかといふ。われ手に接吻して、いかなるおん望にもあれ、身にかなふ事ならばといふに、アヌンチヤタ、さらばこよひの事をば夢とおぼし棄て給ひて、いまより後いついづくにて相見んとも、おん身と我とは識らぬ人となりなんこと、是れわが唯だ一つの願ぞ、さらば、アントニオ、これより善き世界に生れ出でなば、また相見ることもあらんとて、我手を握りぬ。苦痛の重荷に押し据ゑられたる我は、アヌンチヤタが足の下に伏しまろびしに、アヌンチヤタ徐かに扶け起し、すかして戸外に伴ひ出でぬ。我は小兒の如くすかされて、小兒の如く泣きつゝ、又來んを許し給へ、許し給へと繰返しつ。戸は、さらばといふ最後の一こゑに鎖されて、われは空しく暗黒なる廊の中に立てり。街に出づれば、その暗黒は屋内に殊ならざりき。神よ。おん身の造り給ふところのものゝ中に、かゝる不幸もありけるよと、獨り泣きつゝ我は叫びぬ。此夜は家に返りて些の眠をだに得ずして止みぬ。  翌日はわれアヌンチヤタが爲めに百千の計畫を成就し、百千の計畫を破壞して、終には身の甲斐なさを歎くのみなりき。嗚呼、われは素とカムパニアの野の棄兒なり。羅馬の貴人は我を霑す雨露に似て、實は我を縛する繩索なりき。恃むところは單だ一の技藝にして、若し意を決して、これによりて身を立てんとせば、成就の望なきにしもあらず。されども技藝の聲價、技藝の光榮は、縱令其極處に詣らんも、昔のアヌンチヤタが境遇の上に出づべくもあらず。而るにそのアヌンチヤタが末路は奈何なりしぞ。假に彩虹の色をやどしつゝ飛泉の水の、末はポンチニの沼澤に沈み去るにも似たらずや。  思慮はたゞ一つところを馳せ𢌞るに似て、一日一夜は過ぎぬ。次の朝には、胸中僅かに今一たび相見んの願を存ずるのみなりき。われは再びさきの狹き巷に入り、晝猶暗き梯を上りぬ。鎖されたる戸をほと〳〵と打叩けば、腰曲りたる老女入口に現れて、貸家見に來たまひしや、檀那がたの御用には立ち難くや候はんといふ。今まで住みし人はと問へば、きのふ立ち退き候ひぬ、何かは知らず、火急なる事ありと覺しくて、いとあわたゞしく見え候ひぬ。われ。行方をば知り給はぬか。老女。旅にとは申しゝが、いづくにかあらん。パヅア、トリエステ、フエルララなどにや候はんと、答へもあへず戸を鎖したり。直ちに劇場に往きて見れば、これも鎖されたり。近隣の人に聞けば、きのふ打留なりきといふ。  アヌンチヤタはいづくにか之きし。ベルナルドオなかりせば、彼人は不幸に陷らで止みしならん。否、彼人のみかは、我も或は生涯の願を遂げ、即興詩人の名を成して、偕老の契を全うせしならんか。嗚呼、絶ゆる期なき恨なるかな。  友なるポツジヨおとづれ來ていふやう。何といふ顏色ぞ。恐しき巽風もぞ吹く。若しその熱き風胸より吹かば、中なる鳥の埃及人の火紅鳥ならぬが、焦がれ死するなるべし。野にゆきては茨のうちなる赤き實を啄み、窓に上りては盆栽の薔薇花に止まりてこそ、鳥は健かにてあるものなれ。わが胸の鳥の樂を血の中に歌ひ籠めて、我におもしろく世を渡らするを見ずや。殊に詩人たらんものは、庭の花をも茨の實をも知り、天上の灝氣にも下界の毒霧にも搏つ鳥を畜へでは協はずといふ。我。是の如く詩人を觀んは、卑きに過ぐるには非ずや。友。基督は地獄に下りて極惡の幽鬼をさへ見きと聞く。天の澄めると地の濁れると相觸れてこそ、大事業大制作は成就すべけれ。否、かくてはわれ汝が爲めに説法するにや似たらん。われはさる説法のためにこゝに來しにはあらず。われは市長一家の使節なり。おん身の伺候を懈ること三日なりしは、ロオザに聞きつ。何といふ亡状ぞや。疾く往きて荊を負ひて罪を謝せよ。但し懈怠の申譯もあらば聽くべし。われ。此二日三日は不快の爲めに門を出ざりき。友。そは拙き申譯なり。他人は知らず、我はそを諾はざるべし。さきの夜樂劇に往きしは何人なりけん。しかも劇場は、かの頻りに艷種の主人公たりしアウレリアが出づる劇場なりしならずや。されどおん身もかゝる路傍の花の爲めに頭を痛めしにはあらじ。兎まれ角まれ、けふの午餉にはおん身を市長の家に伴ひ行かでは、我責務の果し難きを奈何せん。われ。今は包み隱さで告ぐべし。わが暫く市長を訪はざりしは、世のさかしらの厭はしければなり、市長の娘の美くて、カラブリアに廣き地所を持てるを、わが彼家に出入する目的物なるやうに言ひ做すものあればなり。友。其噂は珍らしからず。カラブリアの地所は知らず、マリアが美しきは人も我も認むるところにて、おん身がその崇拜者の一人なるをば、われとても疑はざるものを。われ。崇拜とは過ぎたり。むかし我が愛せし盲の子に姿貌の似たればこそ、われはマリアに心を牽かれしなれ。友。マリアが目も拿破里なるをぢの治療にて、始て開きしものと聞けば、盲ひたる子に似たりといはんも、その由なきにあらねど、我には別に解釋あり。戀は固より盲なるものなり。その戀の神なるアモオルをこそ、むかしおん身は見つるならめ。今おん身の心のマリアに惹かるゝは、戀の神の所爲なれば、人の噂は遠からず事實となりて現るゝならん。われ。否、マリアはさて置き、何人をも我は終身娶らざるべし。友。そは又輒くは信じ難き豫言なり、おん身にふさはしからで我にふさはしかるべき豫言なり。好し、さらばわれ君と誓はん。おん身若し我に先ちて妻を持たば、婚禮の日に三鞭酒二瓶を飮ませ給へ。われ。尤も好し、その酒をば君こそ我に飮ましめ給はめ。  友は我を拉いて市長の許に至りぬ。市長とロオザとは戲言まじりに我無情を譴め、おとなしきマリアは局外に立ちて主客の爭をまもり居たり。ロオザが杯を擧げて、我健康を祝せんとする時、友は急に遮りて、否々、凡そ婦人たるものは、決してアントニオが健康を祝すべからず、そは此男終身娶らずと誓ひぬればなりといふ。市長。そは「アバテ」の天才より産まれし思想中の最も惡しきものなり。されどそを吹聽せんも氣の毒なり。友。吾意見は御主人とは異なり。かゝる惡しき思想をば梟木に懸けて、その腦裏に根を張らざるに乘じて、枯らし盡さゞるべからずといひぬ。佳殽美酒は我前に陳ぜられて、我をしてアヌンチヤタの或は飢渇に苦むべきを想はしめぬ。辭して出づるとき、ロオザは我に日ごとにおとづれて、シルヰオ・ペリコの集を朗讀すべきことを契らしめき。  わが日ごとに市長の家に往くこと、はや一月となりぬ。此間我は絶てアヌンチヤタが消息を聞くこと能はざりき。ある夕例の如く市長がりおとづれしにマリアは思ふところありげにて、顏には深き憂の痕を印したり。朗讀畢りて、ロオザ席を起ちて去りぬ。我とマリアとの陪席者なくて對坐するはこれを始とす。我は冥々の裡に、一の凶音の來り迫るを覺えながら、強ひて口を開きて、ペリコの政客たる生活の其詩に及ぼしゝ影響を説き出しつ。マリアは忽ち容を改めて、「アバテ」の君と呼び掛けたり。その聲調は、始て我をしてさきよりの月旦評の毫もマリアが耳に入らざりしを悟らしめき。「アバテ」の君、我はおん身に語るべきことあり、此會談は我が瀕死の人と結びし約束の履行なり、日ごろ疎からぬおん身に聞かせまつることながら、これを語る苦しさをば察し給へといふ。その面は色を失ひて、唇は打顫へり。我が、あな、何事のおはせしぞと驚き問ふ時、マリアは兜兒の中より、一封の書を取出て、さて語を續けて云ふやう。不可思議なる神の御手は、我を延きておん身の生涯の祕密の裡に立ち入らしめ給ひぬ。されど心安くおもひ給へ。われは沈默を死者に誓ひしが故に、ロオザにだに何事をも語らざりき。祕密の何物なるかは、此封を開かば明ならん。これを我手に受けてより、はや二日を過ぎぬ。今おん身にわたしまゐらせて、我は約を果し侍りぬといふ。われ、その死者とは何人ぞ、此書は何人の手より出でしぞと問ふに、マリア、そは御身の祕密なるものをとて、起ちて一間を出でぬ。  家に歸りて封を啓けば、内より先づ二三枚の紙出でたり。先づ取上げたる一枚は我手して鉛筆もてしるせる詩句なりき。紙の下端には墨汁もて十字三つを劃したるさま、何とやらん碑銘にまぎらはしくおぼゆ。此詩句は、わが初めてアヌンチヤタを見つるとき、觀棚より舞臺に投げしものなり。さては此一封をマリアに托しきといふはアヌンチヤタなりしか。死せしはアヌンチヤタなりしか。  紙の間には別に重封の書ありて、アントニオ樣へとうは書せり。遽しく裂きて中なる書をとりいだすに、いと長き消息の、前半は墨濃く筆のはこびも慥なれど、後半は震ふ筆もて微かに覺束なくしるされたるを見る。其文に曰く。 文して戀しく懷かしきアントニオの君に申上𢌞らし候へば、そは君が世に棄てられたるアヌンチヤタを棄て給はぬ唯一の恩人にましませばならんと存瘥えぬれども、聲潰れたれば、身を助くべき藝もあらず、貧しきが上に貧しき境界に陷いり、空しく七年の月日を過して、料らずも君にめぐりあひ候ひぬ。君はこよひの舞臺にて、むかし羅馬の通衢を驅るに凱旋の車をもてせしアヌンチヤタがいかに賤客に嘲られ、口笛吹きて叱責せられたるかを見そなはし給ひしなるべし。私は運命の蹙まりしと共に、胸狹くなりしを自ら覺え居候。扨見苦しき假住ひに御尋下され候時、我目を覆ひし面紗の忽ち落つるが如く、君の初より眞心もて我を愛し給ひしことを悟り候ひぬ。汝こそは我を風塵中に逐ひ出しつれとは、君の御詞なりしかど、私のいかに君を慕ひまゐらせ、いかに君の方へ手をさし伸べ居たりしをば、君のしろしめさゞりしを奈何かせん。私は再び君に見ゆることを得て、君の温なる唇を我手背に受け候ひぬ。今や戸外に送りいだしまゐらせて、私は再び屋根裏の一室に獨坐し居り候。この室をば直ちに立退き申すべく、此ヱネチアをも直ちに立去り申すべく候。アントニオの君よ。願はくは我が爲めに徒らに歎き悲み給ふな。私は世には棄てられ候へども、聖母は私を護り給ふこと、君を護り給ふに同じかるべく候。アントニオの君よ、さきには我を思ひ棄て給へと申候へども、未錬ともおぼさばおぼせ、猶親しかりし人のみまかりしを思ひ給ふが如く、我を思ひ給はんことのみは望ましく存※(「まいらせそろ」の草書体文字)。  涙は讀むに隨ひて流れ、わが心の限の涙と化して融け去るを覺えたり。此より下は、かすかなる薄墨の痕猶新にして、數日前に寫されしものと知らる。 苦を受くる月日も最早些子を餘し候のみと存※(「まいらせそろ」の草書体文字)。今まで受けつるあらゆる快樂の聖母の御惠なると等しく、今まで受けつるあらゆる苦痛も亦聖母の御惠と存※(「まいらせそろ」の草書体文字)。死は既に我胸に迫り候。血は我胸より漲り流れ候。いま一囘轉して漏刻の水は傾け盡され申すべく候。人の傳へ候ところに依れば、ヱネチア第一の美人は君がいひなづけの妻となり居候由に候。私の死に臨みての願は、御二人の永く幸福を享け給はんことのみに候、あはれ、此數行の文字を托すべき人は、その人ならで又誰か有るべき。その人の私の請を容れて、こゝに來給ふべきをば、何故か知らねど、牢く信じ居※(「まいらせそろ」の草書体文字)。生死の境に浮沈し居る此身の、一杯の清き水を求むべき手は、その人の手ならではと存※(「まいらせそろ」の草書体文字)。さらば〳〵、アントニオの君よ。私の此土に在りての最終の祈祷、彼土に往きての最初の祈祷は、君が御上と、私の徒らに願ひてえ果さず、その人の幸ありて成し遂げ給ふなる、君が偕老の契の上とに在るのみなることを、御承知下され度存※(「まいらせそろ」の草書体文字)。今更繰言めき候へども、聖母の我等二人を一つにし給はざりしは、其故なからずやは。私は世人にもてはやされ讚め稱へられて、慢心を増長し居候ひぬれば、君にして當時私を娶り給ひなば、君の生涯は或は幸福を完うし給ふこと能はざりしにあらずやと存※(「まいらせそろ」の草書体文字)。さらば〳〵、アントニオの君よ。過ぎ去りしは苦痛、現然せるは安樂にして末期は今と存※(「まいらせそろ」の草書体文字)。アントニオの君よ。又マリアの君よ。私の爲めに祈祷し給へかし。 アヌンチヤタ。  悲歎の極には聲なく涙なし。我は茫然として涙に濡れたる遺書を瞠視すること久しかりき。暫しありて、猶封中より落ち散りたりし一ひら二ひらの紙を取り上げ見れば、一はわが拿破里に往くとしるして、フルヰアのおうなに渡しゝ筆の蹟なり。又一はベルナルドオがアヌンチヤタに與へし文にして、負傷の爲めに床に臥したりし程の、懇なる看護の恩を謝し、今はよしなき望を絶ちて餘所の軍役に服せんとおもへば、最早羅馬にて相見ることはあらじと書せり。嗚呼、おもひの外の事どもなるかな。アヌンチヤタは初より我を戀ひたりしなり。我が拿破里に往くことを得しは、アヌンチヤタの惠なりしなり。拿破里の旅店より書を寄せて、相見んことを求めしはアヌンチヤタにしてサンタにはあらざりしなり。その恩情窮なきアヌンチヤタは今や亡き人となりしなり。さるにてもアヌンチヤタはマリアを病床に招き寄せて、いかなる事を物語りし。既にマリアをわがいひなづけの妻といへば、巷説は早くアヌンチヤタの病床に聞え居りて、マリアさへ其口より、さがなき人の言草を聞きつるなるべし。再びマリアの面を見んは影護き限なれども、アヌンチヤタの爲めにも我が爲めにも天使に等しきマリアに、一ことの謝辭を述べずして止まんやうなし。  舟を倩ひて市長の家に往きしに、ロオザとマリアとは一と間の中にありて手仕事に餘念なかりき。我はしばし相對して物語しつれど、心に言はんと欲する事の、口に言ひ難ければ、問はるゝことあるごとに、あらぬ答をのみしたりき。ロオザは忽ち我手を把りて口を開きて云ふやう。おん身は深き憂に沈み居給ふとおぼし。われ等の君がまことの友たるを知り給はゞ、打開けて物語し給へと云ふ。われ。さなり。君は何事をも知り給ふならん。ロオザ。否われは未だ何事をも知らず。マリアこそは聞きつることもあらめ。(マリアは鼻じろみて、その詞を遮らんとしたり。)われ。おん身二人には、われ又何事をか隱し候ふべき。初よりの事のもとすゑを打開けんも我が心やりなれば、煩はしけれど聞き給へとて、われは昔語をぞ始めける。よるべなき孤なりし生立より、羅馬にてアヌンチヤタと相識り、友なりけるベルナルドオを傷けて、拿破里に逃れ去りし慘劇まで、涙と共に語り出でしに、可憐なるマリアの掌を組合せて、我面を仰ぎ見るさま、我記憶の中に殘れるフラミニアが姿に髣髴たり。われはマリアが面前にありて、ララが事、琅玕洞の事のみは、語ることを憚りたれば、直ちにヱネチアにての再會の段に移りて、アヌンチヤタの末路を敍し畢りぬ。ロオザ。おん身の上に、さる深き關繋あるべきをば、初め少しも知らざりき。さきの日尼寺の病室より、識らぬ女の文とゞきて、今生死の際に在るものなるが、マリアに逢ひて申し殘したき事ありといへば、舟にてかしこに伴ひゆき、われは尼達の許に留まりて、マリアを病人の室に遣りぬ。マリア。かくてその人に逢ひ侍りぬ。記念の一封をばさきに渡しまゐらせつ。我。アヌンチヤタはその時何とか申し候ひし。マリア。人知れずこれをアントニオに渡し給へといひぬ。おん身の上をば、妹の兄の上を語るらんやうに語りぬ。爾時アヌンチヤタが唇は血に染まり居たり。死は遽に襲ひ至りて、アヌンチヤタはわが面をまもりつゝこときれ侍りと、語りもあへず、マリアは泣き伏したり。われは詞はあらで、マリアの手を握りつ。  われは寺院に往きてアヌンチヤタが爲めに祈祷し、又その墓に尋ね詣でつ。此地の瑩域は、高き石垣もて水面より築き起されたるさま、いにしへのノアが舟の洪水の上に泛べる如し。草むらの中に黒き十字架あまた立てるあたりに歩み寄れば、わが尋ぬる墓こそあれ。只是一片の石に、アヌンチヤタと彫り付けたり。一基の十字架の上に、緑の色の猶鮮なる月桂の環を懸けたるは、ロオザとマリアとの手向なるべし。われは墓前に跪きて、亡人の悌をしのび、更に頭を囘して情あるロオザとマリアとに謝したり。    流離  その頃フアビアニ公子の書状屆きしに、文中公子のわがヱネチアに留まること四月の久しきに至るを怪み、強ひてにはあらねど、我にミラノ若くはジエノワに遊ばんことを勸めたる一節あり。われつら〳〵念ふやう。わが猶此地に留まれるは、そも〳〵何の故ぞや。此地にはげに兄弟に等しきポツジヨあり、姉妹に等しきロオザ、マリアあれど、是等の交は永遠なるべきものにあらず。中にも女友二人の如きは、相見るごとに我が悲哀の記憶を喚び醒すことを免れず。われは悲哀を懷いてヱネチアに來ぬ。而してヱネチアは更に我に悲哀を與へしなり。われは遽にヱネチアを去らんと欲する心を生じて、そを告げんために、市長の家をおとづれたり。  月光始めて渠水に落つるころほひ、我は二女と市長の家の廣間なる、水に枕める出窓ある處に坐し居たり。マリアはすでに一たび燈火を呼びしかど、ロオザがこの月の明きにといふまゝに、主客三人は猶月光の中に相對せり。マリアはロオザに促されて、穴居洞の歌を歌ひぬ。聲と情との調和好き此一曲は、清く軟かなる少女の喉に上りて、聞くものをして積水千丈の底なる美の窟宅を想見せしむ。ロオザ。この曲には音節より外、別に一種の玲瓏たる精神ありとはおぼさずや。われ。洵に宣給ふごとし。若し精神といふもの形體を離れて現ぜば、應に此詩の如くなるべし。マリア。生れながらに目しひなる子の世界の美を想ふも亦是の如し。ロオザ。さらば目開きての後に、實世界に對せば、初の空想の非なることを知るならん。マリア。實世界は空想の如く美ならず。されど又空想より美なるものなきにあらず。話頭は直ちにマリアが初め盲目なりし事に入りぬ。こはポツジヨが早く我に語りしところなれども、今はわれ二女の口より此物語を聞きつ。ロオザは弟の手術を讚め、マリアも亦その恩惠を稱へたり。マリアの云ふやう。目しひなりし時の心の取像ばかり奇しきは莫し。先づ身におぼゆるは日の暖さ、手に觸るゝは神社の圓柱の大いなる、霸王樹の葉の闊き、耳に聞くはさま〴〵の人の馨音などなり。一の官能の闕くるものは、その有るところの官能もて無きところのものを補ふ。人の天青し、海青し、菫の花青しといふを聽きて、われは董の花の香を聞き、そのめでたさを推し擴めて、天のめでたかるべきをも海のめでたかるべきをも思ひ遣りぬ。視根の光明闇きときは、意根の光明却りて明なるものにやといふ。これを聞く我は、ララが髮に揷みし菫の花束と、ペスツム祠の圓柱とを憶ひ起すことを禁ずること能はざりき。話頭は轉じて自然の美に入り、ロオザは拿被里の山水の景の慕はしさを説き出せり。われはこの好機會を得て、ヱネチアを去る意を洩しつ。そは思ひも掛けぬ事かなとロオザ訝れば、さては最早再び此地には來給ふまじきかとマリア氣遣ふさまなり。否々、ミラノまで往かば、又此地を經て羅馬に還らんとこそ思ひ候へと我は答へつれど、實はまだこゝを立ちていづ方に往かんとも思ひ定めざりしなり。  わがヱネチアに別るゝ涙を見せしは、アヌンチヤタが墓とマリアが居間とのみなりき。墓に詣でゝは、石上に殘れる輪飾の一葉を摘みて、夾袋の中に藏めつ。われは此石の下に、唯だ一團の塵を留むるのみなるを知る、アヌンチヤタが魂の聖母の御許に在り、その影の我胸中に在りて、此石の下なる塵のわが執着すべき價あるものにあらざるを知る。されどわれは猶低徊して此方數尺の地を去ること能はざりき。市長の家に往きては一家の人々とポツジヨとの餞宴を受けたり。市長は三鞭酒の盃を擧げて別を告げ、ポツジヨはめぐる車の云々といふ旅の曲と、自由なる自然に遊ぶ云々といふ鳥の歌とを唱ひぬ。ロオザは、君若し妻を娶り給はゞ、偕に我家に來給へ、我は君が物語の中なる彼亡人を愛する如く、君の伴ひ來給はん其人をも愛せんといひ、マリアは唯だ、健かに樂しげにて、又我家をおとづれ給へといひぬ。  ポツジヨは例の「ゴンドラ」の舟にて、フジナまで送らんとて、我と共に立出づれば、ロオザとマリアとは出窓に立ちて、紛※(巾+兌)を打振りぬ。別に臨みてポツジヨは聲高く笑ひつゝ、許嫁の女極まらば、彼約束を忘るなといひぬ。われは、けふさる戲言いふことかはと戒めつゝも、心の中にその笑顏の涙を掩ふ假面なるをおもひて、竊に友の情誼に感じぬ。  車は情なくして走り、一堆の緑を成せるブレンタの側を過ぎ、垂楊の列と美しき別業とを見、又遠山の黛の如きを望みて、夕暮にパヅアに着きぬ。聖アントニウス寺の七穹窿は、恰も好し月光に耀けり。柱列の間には行人絡繹として、そのさまいと樂しげなれども、われは獨り心の無聊に堪へざりき。  白晝となりてより、我無聊は愈〻甚だしければ、又車を驅りてこゝを立ち、一の平原に入りぬ。緑草の鬱茂せるさまはポンチニイの大澤に讓らず。瀑布の如くなる大柳樹は古塚を掩ひ、所々に聖母の像を安じたる贄卓を見る。像の古りたるは色褪せて、これを圍める彩畫ある板壁さへ、半ば朽ちて地に委ねたれど、中には聖母兒の丹粉猶鮮かなるもなきにあらず。御者はその古きに逢ひては顧みだにせねど、その新なるを見るごとに、必ず脱帽して過ぐ。われはその何の心なるを知らずして、唯〻聖母の貴きすら、色褪せては人に崇めらるゝことなきを歎じたり。  ヰチエンツアを過ぎぬれど、パラヂオ(中興時代の名ある畫師)が美術も光明を我胸の闇に投ずること能はざりき。ヱロナは始て稍〻我心を動したり。石級のコリゼエオに似たるありて、幸に兵燹を免れ、人をして小羅馬に入る感あらしむ。柱列の間なる廣き處は、今税關となり、演戲場の中央には、板を列ね幕を張りて、假に舞臺を補理ひ、旅役者の興行に供せり。夜に入りて我は試に往きて看つ。ヱロナの市人の石榻に坐せるさまは、猶古のごとくにて、演ずる所の曲をば、「ラ、ジエネレントオラ」と題せり。役者の群は、ヱネチアにて見しアヌンチヤタが組なりき。アウレリアはこよひも此樂曲の主人公に扮したり。一張の「コントルバス」に氣壓さるゝ若干の管絃なれど、聽衆は喝采の聲を惜まざりき。趨りて場を出づれば、月光遍く照して一塵動かず、古の劇場の石壁石柱は巋然として、今の破れ小屋のあなたに存じ、廣大なる黒影を地上に印せり。  我はカプレツチイ第を訪ひぬ。昔カプレツチイ、モンテキイの二豪族相爭ひて、少年少女の熱情を遮り斷ちしに、死は能くその合ふべからざるものを合せ得たり。シエエクスピイアがものしつる「ロメオ、エンド、ジユリエツト」の曲即ち是なり。此第はロメオが初てジユリエツトに來り見えて共に舞ひし所にして、今は一の旅館となりぬ。われはロメオの夜な〳〵通ひけん石の階を踐みて、曾て盛に聲樂を張りてヱロナの名流をつどへしことある大いなる舞臺に上りぬ。闊き窓の下鋪板に達するまでに切り開かれたる、丹青目を眩したりけん壁畫の今猶微かに遺れるなど、昔の豪華の跡は思はるれど、壁の下には石灰の桶いくつともなく並べ据ゑられ、鋪板には芻秣、藁などちりぼひ、片隅には見苦しき馬具と農具との積み累ねられたるを見る。まことに榮枯盛衰のはかなきこと、夢まぼろしはものかは。さればこの假の世を、フラミニアの厭ひしも、アヌンチヤタの去りぬるも、なかなかに慰む方ありとやいふべき。  月の末にミラノに着きぬ。新に交を求めん心なければ、人の情の紹介幾通かありしを、一としてその宛名の家にとゞくることなかりき。一夜「ラ、スカラ」座に入りて樂曲を聽きたり。帷を垂れたる六層の觀棚も、積あまりに大いにして客常に少ければ、却りて我をして一種の寂寥と沈鬱とを覺えしめき。奏する所の曲は「タツソオ」にして、主なる女優はドニチエツチイといふものなりき。一折畢るごとに、客の喝采してあまたゝび幕の外に呼び出すを、愛らしき笑がほして謝し居たり。わが厭世の眼は、この笑の底におそろしき未來の苦惱の濳めるを見て、あはれ此美人目前に死せよ、さらば世間もこれが爲めに泣くことなか〳〵に少かるべく、美人も世を恨むことおのづから淺からんとおもひぬ。「バレツトオ」の舞には玉の如き穉き娘達打連れて踊りぬ。われはその美しさを見るにつけて、血を嘔くおもひをなしつゝ、悄然として場を出でたり。  ミラノの客舍の無聊は日にけにまさり行きて、市長の家族も、親友と稱せしポツジヨも我書に答ふることなかりき。われは或ときは蔭多き衢をそゞろありきし、或ときは一室に枯坐して新に戲曲の稿を起しつ。曲の主人公はレオナルドオ・ダ・ヰンチなりき。レオナルドオの住みしは此地なり。その不朽の名畫晩餐式はこゝに胚胎せしなり。その戀人の尼寺の垣内に隱れて、生涯相見ざりしは、わがフラミニアに於ける情と古今同揆なりとやいはまし。  われは日ごとにミラノの大寺院に往きぬ。此寺はカルララの大理石もて、人の力の削り成しし山ともいふべく、月あかき夜に仰ぎ見れば、皎潔雪を欺く上半の屋蓋は、高く碧空に聳えて、幾多の簷角、幾多の塔尖より石人の形の現れたるさま、この世に有るべきものともおもはれず。晝その堂内に入れば、採光の程度ほゞ羅馬の「サン、ピエトロ」寺に似て、五色の窓硝子より微かに洩るゝ日光は、一種の深祕世界を幻出し、人をして唯一の神こゝに在すかと觀ぜしむ。ミラノに來てより一月の後、我は始て此寺の屋上に登りぬ。日は石面を射て白光身を繞り、ここの塔かしこの龕を見めぐらせば、宛然立ちて一の大逵に在るごとし。許多の聖者獻身者の像にして、下より望み見るべからざるものは、新に我目前に露呈し來れり。われは絶頂なる救世主の巨像の下に到りぬ。ミラノ全都の人烟は螺紋の如く我脚底に畫かれたり。北には暗黒なるアルピイの山聳え、南には稍〻低き藍色のアペンニノ横はりて、此間を填むるものは、唯だ緑なる郊原のみ。譬へばカムパニアの野を變じて一の花卉多き園囿となしたらんが如し。われは眦を決して東のかたヱネチアを望みたるに、一群の飛鳥ありて、列を成してかなたへ飛び行くさま、一片の帛の風に翻弄せらるゝに似たり。われはマリアを憶ひ、ロオザを憶ひ、ポツジヨを憶へり。昔幼かりし時、母とマリウチアとに伴はれて、ネミの湖に往きしかへるさ、アンジエリカが我に物語りし事こそあれ。その物語は今我空想に浮び來ぬ。オレワアノにテレザといふ少女ありき。戀人なるジユウゼツペが山を踰えて北の國に往きしより、戀慕の念止むことなく、日を經るに從ひて痩せ衰へぬ。フルヰアの老媼はテレザの髮とその藏め居たりしジユウゼツペの髮とを銅銚に投じて、奇しき藥艸と共に煮ること數日なりき。ジユウゼツペは他郷に在りしが、我毛髮の彼銚中に入ると齊しく、今まで忘れ居つるテレザの慕はしくなりて、醒めては現に其聲を聞き、寢ねては夢に其姿を視、そぞろに旅のやどりを立出でゝ、おうなが銚の下に歸りぬといふ。ヱネチアには我髮を烹る銚あるにあらねど、わがこれを憶ふ情は、恰も幻術の力の左右するところとなれるが如くなりき。われ若し山國の産ならば、此情はやがて世に謂ふ思郷病なるべし。(歐洲人は思郷病は山國の民多くこれを患ふとなせり。)されど又ヱネチアのわが故郷ならぬを奈何せむ。われは悵然として此寺の屋上より降りぬ。  客舍に歸れば、卓上に一封の書あるを見る。こはポツジヨが許より來れるなり。これを讀むに、袂を分ちてより第二の書を作る云々と書せり。さらば友の初の一書は我手に入るに及ばずして失はれしなるべし。ヱネチアには何の變りたる事もあらねど、マリアは病に臥したり。その病のさま一時は性命をさへ危くすべくおもはれぬれど、今は早や恢復に近し。猶戸外には出でずとなり。末文には、例の戲言多く物して、まだミラノの少女に擒にせられずや、三鞭酒をな忘れそなど云へり。われは讀み畢りて、ポツジヨが滑稽の天性にして、世の人のそを假面と看做すことの謬れるを信ぜんとせり。さればこそ同じ無稽の巷説は、わがマリアを敬することロオザを敬すると殊ならざるを見ながら、謬りて我をもてマリアに戀するものとなすなれ。  われは消遣の爲めに市の外廓より出でゝ、武具の辻(ピアツツア、ダルミイ)を過ぎ、拿破崙の凱旋塔の下に至りぬ。世のいはゆるセムピオオネの門(ポルタ、セムピオオネ)とは是なり。塔は猶未だ其工事を終らず、板がこひを繞らして、これに格子戸を裝ひたり。戸より入りて見れば、新に大理石もて彫り成せる大いなる馬二頭地上に据ゑられ、青艸はほしいまゝに長じて趺石を掩はんと欲す。四邊には既に刻める柱頭あり、粗ごなししたる石塊あり。許多の工人は織るが如くに來往せり。  時に一の旅人ありて我を距ること數歩の處に立ち、手簿を把りて導者の言を記せり、年の頃は三十ばかりなるべし。胸には拿破里の勳章二つを懸けたり。此旅人の迫持の石柱を仰ぎ見るに及びて、我はそのベルナルドオなるを識りぬ。彼方も亦直ちに我を認め得つとおぼしく、何の猶豫ふさまもなく、我側に歩み寄りて我胸を抱き、めづらしきかな、アントニオ、われ等の相別れし夕は賑やかなりき、われ等は祝砲をさへ放ちたり、されど想ふに我等の友情は舊の如くなるべしといひぬ。我は肌の粟を生ずる心地しつゝ、纔に口を開きて、さてはベルナルドオなりしよ、圖らざりき、おん身と伊太利の北のはてなる、アルピイ山の麓にて相見んとはと答へつ。  我等は共に歩みて新劇場の邊に往き、轉じて市の廓に入りぬ。ベルナルドオは道すがら語りていふやう。汝は此地を指してアルピイ山の麓といへり。われはまことのアルピイの巓に登りて世界の四極を見たり。曩に拿破里に在りし時、獨逸の士官等の、瑞西の山水を説くを聞き、一たび往いて觀んことを願ふこと漸く切なるに、汽船もて達し易きジエノワを距ること遠くもあらぬを知れば、意を決して往くことゝしつ。シヤムニイの谿をも渡りぬ。モンブランの頂にも、ユングフラウの頂にも登りぬ。現にユングフラウは「ベルラ、ラガツツア」(美少女)なれど、かくまで冷かなる女子は復た有るべからず。これよりはジエノワに往きて、約束せし妻とその父母とを訪はんとす。もはや眞面目なる一家のあるじとならんも遠からぬ程なるべし。汝若し我が昔日の生涯を語らず、彼の馴るゝ小鳥の事、愛らしき歌妓の事などを祕せんと誓はゞ、われは汝を伴ひてジエノワに往くべし。いかに、三日の後に我と共に發足せずやといひぬ。われ。否々、我は明日此地を立たんとす。ベルナルドオ。そは何處へ往くにか。われ。ヱネチアに往くなり。ベルナルドオ。汝が漫遊の日程は、よも變更を容さぬにはあらざるべし。枉げて我言に從はずや。われはベルナルドオにかく説き勸められて、反復しておのれのヱネチアに往かざるべからざるを辯じ、果は自らこの漫然口を衝いて發せし語の、實にその故あるが如きを覺ゆるに至りぬ。  われは客舍に返りて、不可思議なる力に役せらるゝものゝ如く、倉皇我行李を整へ、あるじに明朝の發軔を告げたり。此夜は臥床に入れども、胸打ち騷ぎて熱を病むものゝ如く、眠をなさゞること久しかりき。翌朝ベルナルドオを訪ひて、我が爲めに善くその未來の妻に傳へんことを頼み聞え、忙はしく車を驅りてヱネチアに向ひぬ、二月前に去りしヱネチアに。    心疾身病  車はフジナに到りぬ。われは又泥深き海、衣色の石垣、「マルクス」寺の塔を望むことを得たり。怪むべし、われは足一たびヱネチアの地を踏むと齊しく、吾心の劇變せるを覺えき。今までヱネチアへ、ヱネチアへと呼びし意欲は俄に迹を戢めて、一種の言ふべからざる羞慚の情生じ、人の汝は何故に復た來れると問はゞ、辭の答ふべきなからんと氣遣ふやうになりぬ。  われは直ちに舊寓に入りて、衣服を改め、身の疲れたるをも顧みで、市長の家に往きぬ。舟の苔を被れる屋壁と高き窓とに近づくとき、怪しき映象は我胸に浮びぬ。そはわれ若しマリアが結婚の席に往きあはゞいかにといふことなりき。われは此念の頭を擡げ來るを見て、又急にこれを抑へ、否、われは求婚の爲めに往くならねば、そも亦妨なしと云ひぬ。されど我心は遂に全く平なること能はざりき。  門を叩けば僕出で迎へて、あるじはおん身來まさば、案内することを須ゐざれと宣給ひぬといふ。そのさま吾が至るを期したるに似たり。廣間には幌を卸して、闃として物音を聞かず。われは、是れデスデモナが悲歎せし處なるべし、されどオテルロの苦痛はこれより甚しかりしならんとおもひぬ。わが此時恰も此念をなしゝも、亦頗るあやしき事なり。既にして導かれてロオザが房に入るに、こゝも幌を垂れて日光を遮りたれば、外より入るものはその暗きに驚かんとす。わがミラノにて覺えし奇しき情、我を驅りてヱネチアへ來させし奇しき情は忽又起りて、その幻術に似たる力は一層の強さを加へ、我手足は震慄せり。われは手もて壁を支へて、僅に地に倒れざることを得たり。  主人は温顏もて我を迎へ、我身を囘抱して、再見の喜を述べたり。われは二婦人の何處に在るを問ひぬ。彼等は親族と共にパヅアに往きたり、二三日の後ならでは歸り來ざるべしといふ。その面色その態度を察するに、何とやらん言を構へて我を欺く如くなり。されどわれは又此人の平生を顧みて、わが疑の邪推なるべきをおもへり。主人は我を留めて晩餐を供せり。卓に就きたる間、我は限なき寂寞を感じ、又主人の面の爽かならざるを覺えぬ。われはおそる〳〵その不興の因由を問ひしに、主人頭を掉りて、否、益なき訴訟の事ありて、些の不安を感ずるに過ぎず、ポツジヨは久しくおとづれず、おん身さへ健康すぐれ給はざる如し、兎も角も此一盃を傾け給へといひつゝ、我前なる杯に葡萄酒を注がんとせしに、忽ちその手を駐めて、おん身は心地惡しきにはあらずやと叫びぬ。そは我面色の土の如く變じたればなるべし。われは室内の物の旋風の如く動搖するを覺えて、そのまゝはたと地に僵れぬ。  此より我は半醒半睡の間に在ること幾日なるを知らず。市長は時として我臥床の傍に坐して、われに心を安んじて全快を待たんことを勸め、ロオザの遠からず來りて病を瞻るべきを告げたり。或日家の内騷がしく、人の到着しつと覺しきさまなりしに、忽ちロオザは吾前に來ぬ。その面には憂の色を帶びたり。その日の暮つかた、われは家内の又さきにも増して物騷がしきを覺え、側なる奴婢に問はんとするに、一人として我に答ふるものなし。階下の室には人多くゆききする足音頻に、屋外の大渠には小舟の梶音賑はしかりき。われは暫し目蕩みしに、ふとマリアの死せることを知り得たり。さきにはポツジヨ我にマリアの病を告げて、その病は瘥えぬと云へり。されど病は再發して、マリアは既に死し、家人は我に祕して、こよひそを葬るなり。われは明かにロオザの祈祷の聲を聞き、マリアの菫花もて飾れる棺は明かに心目の前にあらはれぬ。忽ち我は病の既に去りて力の既に復せるを感じ、蹶然として臥床より起ち、人の我側に在らざるに乘じて、壁に懸けたる外套を纏ひ、岸邊なる小舟を招きて、「デイ、フラアリイ」の寺に往かんことを命じつ。こは市長が累世の墓ある處にして、われは曾て一たび其窟墓を窺ひしことありき。夜は暗くして、「アヱ、マリア」の鐘と共に閉されたる門の前には人影早や絶えたり。われは扉をほと〳〵と敲きしに、寺僮は我が爲めに門を開きつ。そは曾てわが市長に伴はれて來ぬる時、我にチチヤノとカノワとの墓を指し教へしことあれば、猶我面を見知り居たりしなり。寺僮は我心を計り得て、君は遺骸を見に來給ひしならん、今は猶贄卓の前に置かれたれど、あすは龕に藏めらるべしとて、燭を點して我を導き、鑰匙取り出でゝ側なる小き戸を開きつ。寺僮と我との足音は、穹窿の間に寂しき反響を喚起せり。寺僮の柩はかしこにと指して、立ち留まるがまゝに、我はひとり長廊を進めり。聖母の御影の前に、一燈微かに燃え、カノワが棺のめぐりなる石人は朧氣なる輪廓を畫けり。贄卓に近づけば、卓前に三つの燈の點ぜられたるを見る。董花のかほり高き邊、覆はざる柩の裏に、堆き花瓣の紫に埋もれたる屍こそあれ。長なる黒髮を額に綰ねて、これにも一束の菫花を揷めり。是れ瞑目せるマリアなりき。我が夢寐の間に忘るゝことなかりしララなりき。われは一聲、ララ、など我を棄てゝ去れると叫び、千行の涙を屍の上に灑ぎ、又聲ふりしぼりて、逝け、わが心の妻よ、われは誓ひて復た此世の女子を娶らじと呼び、我指に嵌めたりし環を抽きて、そを屍の指に遷し、頭を俯して屍の額に接吻しつ。爾時我血は氷の如く冷えて、五體戰ひをのゝき、夢とも現とも分かぬ間に、屍の指はしかと我手を握り屍の唇は徐かに開きつ。われは毛髮倒に竪ちて、卓と柩との皆獨樂の如く旋轉するを覺え、身邊忽ち常闇となりて、頭の内には只だ奇しく妙なる音樂の響きを聞きつ。  忽ち温なる掌の我額を摩するを覺えて、再び目を開きしに、燈は明かに小き卓の上を照し、われは我枕邊の椅子に坐し、手を我頭に加へたるものゝロオザなるを認め得たり。又一人の我臥床の下に蹲まりて、もろ手もて顏を掩へるあり。ロオザの我に一匙の藥水を薦めつゝ熱は去れりと云ふ時、蹲れる人は徐かに起ちて室を出でんとす。われ。ララよ、暫し待ち給へ。われは夢におん身の死せしを見き。ロオザ。そは熱のなしゝ夢なるべし。われ。否、我夢は夢にして夢に非ず。若しこれをしも夢といはゞ、人世はやがて夢なるべし。マリアよ。われはおん身のララなるを知る。昔はおん身とペスツムに相見、カプリに相見き。今この短き生涯にありて、幸にまた相見ながら、爭でか名告りあはで止むべき。我はおん身を愛す。語り畢りて手をさし伸ばせば、マリアは跪きて我手を握り、我手背に接吻したり。  數日の後、我はマリアと柑子の花香しき出窓の前に對坐して、この可憐なる少女の清淨なる口の、その清淨なる情を語るを聞きつ。少女の語りけらく。わが幼かりし時は、唯だ日の暖きを知り、董花の香しきを知るのみなりき。或時「チンガニイ」族のおうなありて、我目の必ず開く時あるべきを告げしが、その時期はいつなるべきか、絶て知るよしあらざりき。ペスツムの古祠の下にて、おん身の唇の暖きこと、日の暖きが如くなるを覺えし夕、彼おうな夢に見えて、汝のやしなひ親なるアンジエロとともに、カプリの島なる窟に往け、アンジエロは富貴を獲べく、汝はトビアスの如く、(舊約全書を見よ)光明を獲べしと云ひぬ、醒めて後アンジエロに語れば、これも同じ夜に同じ夢を見き。アンジエロは我を伴ひて島に渡りしに、天使はおん身に似たる聲して我名を呼び、我に藥艸を與へき。歸りて之を煮んとする時、ロオザが兄なる人我等の住める草寮に憩ひて、我目の開くべきを見窮め、我を拿破里に率て往きぬ。手術は功を奏せり。ロオザが兄なる醫師は、我を養ひて子となし、希臘にてみまかりし子の名を取りて、我をマリアと呼びぬ。ある日アンジエロは、忽ち醫師のもとに來て、われは命の久しからざるべきを知りぬ、我が貯へし金を讓らん人ララならではあらざるべし、先づこれをあづけまゐらせんとて、金あまた取出て、逗留すること數日にして眠るが如くみまかりぬ。われはさきの夜の席にて、おん身の舟人の不幸を歌ひ給ふを聞き、おん身の聲を聞き知りて、直ちにおん身の脚下に跪きぬ。アヌンチヤタが末期の詞の我に希望の光明を與へしと、おん身のつれなき旅立の我を病に臥さしめしとは、おん身自ら推し給へといひぬ。  われはマリアと贄卓の前に手を握りぬ。おほよそ市長の家にゆきかふものは、皆歡喜の聲を發しつれど、其聲の最も大いなるはポツジヨなりき。越ゆること二日にして、我等はロオザと倶に田舍の別墅に移りぬ。こはアンジエロが遺産もて買ひしものなりき。ポツジヨは一書を我別墅に寄せて、飄然としてヱネチアを去りぬ。その書には、唯だ左の數句あるのみなりき。曰く、我は汝と賭して贏ちたり、されど實に贏ちしは我に非ざりきと。憐むべし、ポツジヨが意中の人は即亦我意中の人なりしなり。  フアビアニ公子とフランチエスカ夫人とは、わが好き妻を得しを喜び、かの腹黒きハツバス・ダアダアさへ皺ある面に笑を湛へて、我新婚を祝したり。わが昔の知人の僅に生き殘れるは、西班牙磴の下なるペツポのをぢのみにて、その「ボン、ジヨオルノ」(好日)の語は猶久しく行人の耳に響くなるべし。    琅玕洞  千八百三十四年三月六日の事なりき。旅人あまたカプリ島なるパガアニイが客舍の一室に集ひぬ。中にカラブリア産の一美人ありて、群客の目を駭せり。その美しき黒き瞳はこれに右手を借したる丈夫の面に注げり。是れララと我となり。吾等は夫婦たること既に三年、今ヱネチアに至る途上、再び此島に遊びて、昔日奇遇の蹟を問はんとするなり。室の一隅には、又一老婦のもろ手を幼女の肩に掛けたるあり。容貌魁偉なる一外人この幼女を愛する餘りに、覺束なげなる伊太利語もてその名を問ふに、幼女は遽に答ふべくもあらねば、老婦代りてアヌンチヤタと答へつ。こはララが生みし子に附けし名にて、そを外人に告げたるはロオザなり。われ進みて之と語を交へて、その璉馬人なるを知りぬ。嗚呼、是れ畫工フエデリゴと彫匠トオルワルトゼンとの郷人なり。フエデリゴは今故郷に在り、トオルワルトゼンは猶羅馬に留れりと聞く。現に後者が技術上の命脈は斯土に在れば、その久しくこゝに居るもまた宜なるかな。  我等は群客と共に岸に下りて舟に上りぬ。舟はおの〳〵二客を舳と艫とに載せて、漕手は中央に坐せり。舟の行くこと箭の如く、ララと我との乘りたるは眞先に進みぬ。カプリ島の級状をなせる葡萄圃と橄欖樹とは忽ち跡を沒して、我等は矗立せる岩壁の天に聳ゆるを見る。緑波は石に觸れて碎け、紅花を開ける水草を洗へり。  忽ち岩壁に一小罅隙あるを見る。その大さは舟を行るに堪へざるものゝ如し。我は覺えず聲を放ちて魔穴と呼びしに、舟人打ち微笑みて、そは昔の名なり、三とせ前の事なりしが、獨逸の畫工二人ありて泅ぎて穴の内に入り、始てその景色の美を語りぬ、その畫工はフリイスとコオピツシユとの二人なりきと云ひぬ。  舟は石穴の口に到りぬ。舟人は艣を棄てゝ、手もて水をかき、われ等は身を舟中に横へしに、ララは屏息して緊しく我手を握りつ。暫しありて、舟は大穹窿の内に入りぬ。穴は海面を拔くこと一伊尺に過ぎねど、下は百伊尺の深さにて海底に達し、その門閾の幅も亦略ぼ百伊尺ありとぞいふなる。さればその日光は積水の底より入りて、洞窟の内を照し、窟内の萬象は皆一種の碧色を帶び、艪の水を打ちて飛沫を見るごとに、紅薔薇の花瓣を散らす如くなるなれ。ララは合掌して思を凝らせり。その思ふところは必ずや我と同じく、曾て二人のこゝに會せしことを憶ひ起すに外ならざるべし。彼アンジエロの獲つる金は、むかし人の魔穴を怖れて、敢て近づくことなかりし時、海賊の匿しおきつるものなるべし。  巖穴の一點の光明は忽ち失せて、第二の舟は窟内に入り來りぬ。そのさま水底より浮び出づるが如くなりき。第三、第四の舟は相繼いで至りぬ。凡そこゝに集へる人々は、その奉ずる所の教の新舊を問はず、一人として此自然の奇觀に逢ひて、天にいます神父の功徳を稱へざるものなし。  舟人は俄に潮滿ち來と叫びて、忙はしく艪を搖かし始めつ。そは滿潮の巖穴を塞ぐを恐れてなりき。遊人の舟は相銜みて洞窟より出で、我等は前に渺茫たる大海を望み、後に琅玕洞の石門の漸く細りゆくを見たり。 (明治二十五年十一月―三十四年二月)
底本:「定本限定版 現代日本文學全集 13 森鴎外集(二)」筑摩書房    1967(昭和42)年11月20日発行 入力:三州生桑 校正:松永正敏 2005年8月25日作成 2008年9月17日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 むかしむかし、あるところに、ひとりの商人がいました。この人は、たいへんなお金持で、町の大通りをすっかりと、そのうえ小さな横町までも、銀貨でぎっしりと、しきつめることができるくらい、お金を持っていました。けれども、そんなことはしませんでした。もっとそれとはちがった、お金の使い方を知っていたのです。つまり、一シリング出せば、一ターレルもどってくる、というようなやり方です。この人は、そういうりこうな商人でした。――そのうちに、この人は死にました。  息子は、そのお金をみんな、もらいました。そして、毎日毎日、楽しくくらしていました。毎晩、仮装舞踏会へ出かけたり、お金の札でたこをこしらえたり、海へ行けば、石のかわりに、金貨で水切りをしてあそんだりしました。こんなふうでは、お金がいくらあったところで、すぐになくなってしまいます。ほんとにそのとおりで、どんどんなくなっていきました。しまいには、とうとう、四シリングだけになってしまいました。着るものといえば、スリッパが一足と、古い寝巻が一つあるだけです。  こうなると、友だちもだれひとり、相手にしてくれるものはありません。だって、これでは、大通りをいっしょに歩いても、はずかしくてやりきれませんからね。でも、なかに、親切な友だちがひとりいて、その友だちが、古いトランクを送ってよこして、 「荷物でも入れたまえ」と、言ってくれました。ほんとうに、なんといっていいかわからないほど、ありがたいことでした。といっても、このトランクにつめるようなものは、なんにもありません。そこで、自分が、その中にすわりました。  ところで、これはまた、まことにふしぎなトランクでした。錠をおせば、このトランクは、たちまちとびだすしかけになっていたのでした。ですから、この息子が錠をおすと、トランクは息子を乗せたなり、ヒューッ、と、えんとつの中をつきぬけて、高く高く雲の上までとびあがってしまったのです。そして、なおも、さきへさきへと、とんでいきました。  ところが、そのうちに、トランクの底のほうで、ミシミシいう音がしてきました。商人の息子は、トランクがこわれてしまうのではないかと、びくびくしました。そんなことにでもなれば、きっと、みごとなトンボ返りをやってのけるでしょうからね。こりゃあたまらん!  ところが、そうこうしているうちに、トルコ人の国へやってきました。息子は、トランクを森の中の枯れ葉の下にかくしておいて、町へ出かけました。寝巻に、スリッパという姿で。なぜって、トルコ人はだれもかれも、息子と同じように、寝巻を着て、スリッパをはいて、歩いていましたから。そのうちに、赤ん坊をだいた乳母に、出会いました。 「もし、トルコの乳母さん!」と、商人の息子は言いました。「あの町のすぐそばの、ほら、あんな高いところに窓のある、大きなお城は、いったい、どういうお城ですか?」 「あそこには、王さまのお姫さまが、住んでいらっしゃるんですよ」と、乳母は言いました。「じつはね、お姫さまは、お好きな人のために、たいそうふしあわせになるという、予言があるんです、ですから、王さまとお妃さまがいらっしゃる時でなければ、だれも、お姫さまのところへ行くことができないんですよ」 「ありがとう」と、商人の息子は言いました。それから、森の中へもどって、トランクの中にはいりました。そうして、お城の屋根の上へとんでいって、窓からお姫さまの部屋の中へもぐりこみました。  お姫さまは、長椅子に横になって、眠っていました。見れば、たいへん美しい方でしたので、商人の息子は、どうしてもキスをしないではいられなくなりました。お姫さまは、目をさまして、びっくりぎょうてんしました。でも、息子が、ぼくはトルコの神さまで、いま空をとんできたところです、と、言うと、お姫さまは安心しました。  そこで、ふたりは、ならんで腰をおろしました。息子は、お姫さまの目についてお話をしました。お姫さまの目は、なによりも美しい、黒い湖で、そこには、考えが人魚のように泳いでいます、と、ほめました。つづいて、息子は、お姫さまのひたいについてお話をしました。お姫さまのひたいは、このうえもなく美しい広間や絵を持った、雪の山です、と、ほめたたえました。それから、かわいい、小さな赤ちゃんを連れてくる、コウノトリについてのお話もしました。  どれもこれも、ほんとうにすてきなお話でした。それから、息子は、お姫さまに結婚してください、と、言いました。すると、お姫さまは、すぐに、はい、と、答えました。 「では、今度の土曜日に、ここへ来てくださいませね」と、お姫さまは言いました。「そのときには、王さまとお妃さまとが、あたしのところへおいでになって、お茶を召しあがりますの。あたしがトルコの神さまと結婚するということを、おふたりがお聞きになれば、きっと、ずいぶんご自慢になさるでしょう。でもね、そのときも、ほんとにおもしろいお話をしてくださいませね。おとうさまも、おかあさまも、とってもお話がお好きなんですのよ。おかあさまは、道徳的な、じょうひんなお話がお好きですわ。だけど、おとうさまは、聞いている人が、ふきだしてしまうような、おかしいお話がお好きですの」 「ええ、それでは、結婚の贈り物には、お話だけを持ってくることにします」と、息子は言いました。  それから、ふたりは、別れました。その別れぎわに、お姫さまは息子に、金貨のちりばめてある、サーベルをおくりました。これは、息子にとって、とくべつ役に立ちました。  さて、息子はとんで帰りました。そして、新しい寝巻を買い、森の中にすわって、お話を考えました。そのお話は、土曜日までに、作りあげなければなりません。ところが、いざ考えはじめてみると、どうしてどうして、やさしいことではありませんでした。  それでも、息子はどうにか、お話をつくりあげました。こうして、土曜日になりました。  王さま、お妃さま、それに宮廷じゅうの人々が、お姫さまのところでお茶を飲みながら、息子の来るのを、今か今かと待っていました。息子は、たいそうていねいに、むかえられました。 「では、お話をしてください」と、お妃さまが言いました。「深い意味があって、ためになるようなお話をね」 「だが、笑いださずにはいられんようなのをな」と、王さまが言いました。 「よろしゅうございます」と、息子は言って、話しはじめました。ひとつ、みんなで、このお話を聞くことにしましょう。 「むかしむかし、一たばのマッチがありました。このマッチたちは、家がらがよかったものですから、それを、たいそう自慢にしていました。その、もとの木というのは、マッチの小さなじく木が生れてきた、大きなマツの木のことなのです。それは、森の中の、大きな古い木でした。このマッチたちは、いま、たなの上で、火打箱と古い鉄なべとのあいだに横になって、自分たちの若いころのことを話していました。 『そう、ぼくたちが、緑の枝の上にいたときは』と、マッチたちは言いました。『ぼくたちは、ほんとうに、緑の枝の上にいたんですよ。あのころは、毎朝毎晩、ダイヤモンドのお茶がありました。もっとも、それは、露のことですがね。お日さまが照っているときは、一日じゅう、お日さまの光をあびていましたよ。小鳥たちは、みんな、いろんな話を聞かせてくれましたっけ。それに、ぼくたちはお金持でしたよ。なにしろ、かつよう樹たちなんかは、夏のあいだしか、着物を着ていられないんですが、ぼくたちの家族ときたら、夏でも冬でも、緑の着物を、ずっと着ていることができたんですからね。  ところが、そこへ木こりがやってきたんで、大革命が起ったってわけですよ。それで、ぼくたちの家族は、ちりぢりばらばらになってしまったんです。いちばんの本家は、船のメインマストになりました。その船は、世界じゅうを航海しようと思えば、航海できるくらい、りっぱな船なんですよ。ほかの枝も、それぞれ、別の地位につきました。ところでぼくたちは、こうして、下の階級の、一般の人たちのために、火をつけてあげる役目を持っているんです。まあ、こういうようなわけで、ぼくたちみたいな上の階級の人間が、こんな台所にやってきたんですよ』 『ぼくは、そんなのとは、ずいぶんちがってるよ』と、マッチたちのそばにいた、鉄なべが言いました。『ぼくは、世の中に生れてくると、すぐっから、何度もみがかれたり、煮られたりしたんだよ。ぼくは、長持ちするようにと、そればっかり、心にかけているんだ。ほんとのことを言えば、この家では、ぼくが第一番のものさ。ぼくのたった一つの楽しみは、御飯のあとで、気持よくさっぱりとなって、たなの上にすわり、仲間の者とおもしろいおしゃべりをすることだよ。けれど、手おけくんだけは、ときどき中庭へおりていくから、別としても、ぼくたちはいつも、家の中でばかり暮している。ぼくたちにあたらしいニュースを持ってきてくれるのは、市場に行く手かごくんだけなんだ。ただ、このひとは、政治とか人民のことを話しだすと、ひどく過激になってしまうがね。まったくのところ、ついこのあいだも、年とったつぼが、その話を聞くと、びっくりして、ころがり落ちて、こなごなになってしまったしまつだよ。あのひとは、危険な考えをもった人だ!』 『おまえさんは、すこし、しゃべりすぎるよ』と、火打箱が言いました。そして、火打がねを火打石に打ちつけたので、火花がとび散りました。『ひと晩を、ゆかいにすごそうじゃありませんか?』 『それがいい。じゃ、だれが、いちばんじょうひんか、それについて話しましょうよ』と、マッチたちが言いました。 『いいえ、あたしは、自分のことを話すのなんか、いやですわ』と、土なべが言いました。『どうでしょう、それよりも今夜は、なにか、よきょうでもなさっては! あたしが、はじめに、なにかお話ししましょう。みなさん、ご経験になったことですわ。それなら、みなさん、よくご存じのことですし、たいへんおもしろいと思いますの。バルト海のほとりの、デンマークの、ブナの木の森のそばに――』 『すばらしいはじまりだなあ!』と、お皿たちが、口をそろえて言いました。『これは、きっと大好きなお話になるよ』 『で、あたしは、ある静かな家庭で、若いころをすごしました。その家では、家具はきれいにみがかれて、床はていねいに洗われておりました。そしてカーテンは、二週間めごとに、あたらしい、きれいなのに、取りかえられたものです』 『きみの話は、なんておもしろいんだろう!』と、ほうきが言いました。『話しているのが、女のひとだってことは、すぐわかるよ。話を聞いてると、どことなく、清らかなものがある』 『まったく、だれでもそう思うよ』と、手おけが言いました。そして、うれしくなって、ちょっとはねあがったものですから、床の上に、ピシャッと、水がこぼれました。  土なべは話しつづけました。そして、終りのほうも、はじまりと同じように、すてきでした。  お皿たちは、みんなよろこんで、ガチャガチャ言いました。ほうきは、砂穴から緑のパセリを持ってきて、それで花輪のように、土なべをかざりました。こんなことをすれば、ほかのものたちを怒らせることはわかりきっていたのですが、おなかの中で、『きょう、ぼくがあのひとを飾ってあげれば、あしたは、あのひとがぼくを飾ってくれるだろう』と、こんなふうに、ほうきは考えたのです。 『じゃ、あたしは踊りましょう!』と、火ばしが言って、踊りだしました。おや、おや! どうして、あんなに片足を高く上げることができるのでしょう。むこうのすみにあった、古い椅子カバーが、それを見ると、思わず、ほころびてしまいました。『あたしも、花輪で飾っていただけるの?』と、火ばしは言いました。そして、そのとおりに、飾ってもらいました。 『まったく、つまらん連中ばっかりだ!』と、マッチたちは思いました。  今度は、お茶わかしが、歌をうたう番になりました。ところが、お茶わかしは、あたしは、いま、かぜをひいていますし、それに、煮たっている時でなければうたえません、と、申しました。でも、それは、ただおじょうひんぶって、そう言っているだけでした。つまり、ちゃんとご主人たちのいるテーブルの上でなければ、うたいたくなかったのです。  窓のところに、女中さんが字を書くとき、いつも使っている、古ペンがすわっていました。このペンについては、とくべつ取りたてて言うこともありませんでしたが、ただ、インキつぼの中に深くひたっていました。そして、それを、自慢に思っていました。 『お茶わかしさんが歌をうたいたくないのなら、それでもいいじゃありませんか。おもてのかごの中には、歌をうたえるナイチンゲールがおりますよ。といっても、あのひとは教育はないんですがね、でも、まあ、今夜は、わる口を言うのはよしましょうよ!』 『それは、だんぜん、いけないと思うわ』と、湯わかしが言いました。このひとは、台所の歌い手で、それに、お茶わかしとは腹ちがいの姉妹だったのです。『あたしたちの仲間でもない、あんなよその鳥の歌を聞くなんて! そんなこと、愛国的といえるでしょうか? 市場へ行く手かごさんに、きめていただきたいわ!』 『じつに、ふゆかいだ!』と、市場へ行く手かごが、言いました。『ぼくが、どんなにふゆかいか、だれにも想像できないでしょう。いったい、これが、今夜をおもしろくすごす、正しいやり方なんですかね? もっと家の中を、きれいに、きちんとしておくほうが、ほんとうじゃないですかね? みんな、それぞれ、自分の場所に帰るべきでしょう。ひとつ、ぼくが指図をすることにします。そうすれば、すこしはよくなるでしょう』 『そうだ、ひとさわぎ、やらかしましょう!』と、みんなが、口々に言いました。そのとたんに、ドアがあきました。女中さんがはいってきたので、みんなはしーんとして、だれひとり口をきくものはありませんでした。しかし、そこにいるおなべたちは、みんながみんな、心の中で、自分にできる力や、自分がどんなにじょうひんかということを、考えているのでした。 『そうだ、わたしがそのつもりになっていたら』と、みんなは思いました。『きっと、おもしろい晩になっていたろうに!』  女中さんがマッチを取って、火をつけました。――おやまあ、マッチはパッと火花を散らして、明るく燃えあがったではありませんか。 『さあ、これでわかったろう』と、マッチたちは心に思いました。『ぼくたちが、第一番のものだってことが! なんて、ぼくたちは、かがやいているんだろう! なんという明るさだろう!』――  こうして、マッチたちは燃えきってしまいました」 「すてきなお話でしたわ」と、お妃さまは言いました。「まるで、お台所のマッチたちのそばにいるような気がしましたわ。ようございます。娘は、おまえにあげましょう」 「よろしい」と、王さまが言いました。「月曜日に、娘はおまえにやることにしよう」ふたりとも、商人の息子のことを、「おまえ」と言いましたが、この息子がもう家族のひとりになったようなつもりで、そう呼んだのです。  こうして、婚礼の式がきまりました。そして、その前の晩は、町じゅうに、あかあかと、明りがともされました。みんなは、おいしいパンやビスケットを、ほしいだけもらいました。子供たちは、つまさきで立ちあがって、ばんざい、とさけんだり、指を口にあてて、口笛をふいたりしました。ふつうでは、とても見られない、それはそれはすばらしいありさまでした。 「うん、そうだ。ぼくもなにかやってみるか」と、商人の息子は考えました。そこで、打上げ花火やら、かんしゃく玉やら、そのほか、花火という花火を買いこんで、それをトランクの中に入れて、空へとびあがりました。  ポン、ポン! と、花火は空高くあがって、大きな音をたてて、爆発しました。  それを見ると、トルコ人たちは、みんなびっくりして、スリッパが耳のあたりまでとぶほど、はねあがりました。いままで、こんなにすごい空の光景を見たことがなかったのです。これで、お姫さまをもらう人が、トルコの神さまだということは、だれにもよくわかりました。  商人の息子は、トランクに乗って、また森の中へもどってきましたが、すぐに考えました。「ひとつ、町へ出かけていって、みんながどんなうわさをしているか、聞いてこよう」息子がそうしたいと思ったのも、まったくむりもない話です。  いや、ところが、人々の話というのはどうでしょう! 聞く人ごとに、めいめい、ちがったふうに見ていたのです。それでも、すばらしかったということだけは、だれの目にも、同じようにうつっていました。 「わたしはトルコの神さまを見ました」と、ひとりが言いました。「神さまの目は、キラキラ光る星のようでした。ひげは、まるで、あわだつ水のようでしたよ」 「神さまは、火のマントを着て、とんでいましたよ」と、ほかの者が言いました。「きれいなきれいな、かわいい天使さまたちが、マントのひだの間から、のぞいていましたっけ」  ほんとに、耳にはいるのは、すばらしいことばかりでした。おまけに、つぎの日は婚礼の日ときています。  商人の息子は、トランクの中へはいって、やすもうと思いながら、森へ帰ってきました。――ところが、どうしたというのでしょう! トランクは? トランクはどこでしょう? それは燃えてしまったのです。花火の火の子が、一つのこっていて、それから火がついて、トランクは灰になってしまったのです。こうなっては、もうとぶことができません。花嫁さんのところへ、ゆくこともできません。  花嫁さんは、一日じゅう、屋根の上に出て、待っていました。いまでも、まだ待っているのです。ところで、商人の息子のほうは、世界じゅうを歩きまわって、お話をしています。でも、あのマッチたちのお話をした時のように、おもしろい話はひとつもありません。
底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1981(昭和56)年5月30日21刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年4月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 かわいそうなヨハンネスは、おとうさんがひどくわずらって、きょうあすも知れないほどでしたから、もうかなしみのなかにしずみきっていました。せまいへやのなかには、ふたりのほかに人もいません。テーブルの上のランプは、いまにも消えそうにまばたきしていて、よるももうだいぶふけていました。 「ヨハンネスや、おまえはいいむすこだった。」と、病人のおとうさんはいいました。「だから、世の中へでても、神さまがきっと、なにかをよくしてくださるよ。」  そういって、やさしい目でじっとみながら、ふかいため息をひとつつくと、それなり息をひきとりました。それはまるでねむっているようでした。でも、ヨハンネスは泣かずにいられません、この子はもう、この世の中に、父親もなければ、母親もないし、男のきょうだいも、女のきょうだいもないのです。かわいそうなヨハンネス。ヨハンネスは、寝台のまえにひざをついて、死んだおとうさんの手にほおずりして、しょっぱい涙をとめどなくながしていました。そのうち、いつか目がくっついて、寝台のかたい脚にあたまをおしつけたなり、ぐっすり寝こんでしまいました。  寝ているうちに、ヨハンネスは、ふしぎな夢をみました。お日さまとお月さまとがおりて来て*礼拝をするところをみました。それから、なくなったおとうさんが、またげんきで、たっしゃで、いつもほんとうにうれしいときするようなわらい声をきかせました。ながい、うつくしい髪の毛の上に、金のかんむりをかぶったうつくしいむすめが、ヨハンネスに手をさしのべました。するとおとうさんが「ごらん、なんといいおよめさんをおまえはもらったのだろう。これこそ世界じゅうふたりとないうつくしいひとだ。」といいました。おや、とおもうとたん、ヨハンネスは目がさめました。うつくしい夢はかげもかたちもなくて、おとうさんは死んで、つめたくなって、寝台にねていました。たれひとりそこにはいません。なんてかわいそうなヨハンネス。 *ヨセフまたひとつ夢をみてこれをその兄弟に述べていいけるは我また夢をみたるに日と月と十一の星われを拝せりと。(創世記三七ノ九)  次の週に、死人はお墓の下にうまりました。ヨハンネスはぴったり棺につきそって行きました。これなりもう、あれほどやさしくしてくださったおとうさんの顔をみることはできなくなるのです。棺の上にばらばら土のかたまりの落ちていく音を、ヨハンネスはききました。いよいよおしまいに、棺の片はしがちらっとみえました。そのせつな、ひとすくい土がかかると、それもふさがってしまいました。みているうち、いまにも胸がちぎれそうに、かなしみがこみあげて来ました。まわりでうたうさんび歌がいかにもうつくしくきこえました。きくうちヨハンネスは、目のなかに涙がわきだして来ました。で、泣きたいだけ泣くと、かえって心持がはっきりして来ました。お日さまが、みどりぶかい木立の上に晴ればれとかがやいて、それは「ヨハンネス、そんなにかなしんでばかりいることはないよ。まあ、青青とうつくしい空をごらん。おまえのとうさんも、あの高い所にいて、どうかこのさきおまえがいつもしあわせでいられるよう、神さまにおねがいしているところなのだよ。」と、いっているようでした。「ああ、ぼく、あくまでいい人になろう。」と、ヨハンネスはいいました。「そうすれば、また天国でおとうさんにあうことになるし、あえたら、どんなにたのしいことだろう。そのときは、どんなにたくさん、話すことがあるだろう、そうして、おとうさんからも、ずいぶんいろいろのことをおしえてもらえるだろう。天国のりっぱな所もたくさんみせてもらえるだろう。それは生きているとき、地の上の話を、たんとおとうさんはしてくださったものだった。ああ、それはどんなにたのしいことになるだろうな。」  ヨハンネスは、こうはっきりとじぶんにむかっていってみて、ついほほえましくなりました。そのそばから、涙はまたほほをつたわってながれました。あたまの上で小鳥たちが、とちの木の木立のなかから、ぴいちくち、ぴいちくちさえずっていました。小鳥たちはおとむらいに来ていながら、こんなにたのしそうにしているのは、この死んだ人が、いまではたかい天国にのぼっていて、じぶんたちのよりももっとうつくしい、もっと大きいつばさがはえていることや、この世で心がけのよかったおかげで、あちらへいっても、神さまのおめぐみをうけて、いまではしあわせにくらしていることをよく知っているからでした。この小鳥たちが、緑ぶかい木立をはなれて、とおくの世界へとび立っていくところを、ヨハンネスはみおくって、じぶんもいっしょにとんでいきたくなりました。  けれども、さしあたりまず、大きな木の十字架を切って、それをおとうさんのお墓に立てなければなりません。さて、夕がた、それをもっていきますと、どうでしょう、お墓にはまあるく砂が盛ってあって、きれいな花でかざられていました。それはよその知らない人がしてくれたのです。なくなったおとうさんはいい人でしたから、ひとにもずいぶん好かれていました。  さて、あくる日朝はやく、ヨハンネスは、わずかなものを包にまとめ、のこった財産の五十ターレルと二、三枚のシリング銀貨とを、しっかり腰につけました。これだけであてもなしに世の中へ出て行こうというのです。いよいよ出かけるまえ、まず墓地へいって、おとうさんのお墓におまいりして、主のお祈をとなえてから、こういいました。 「おとうさん、さよなら。ぼくは、いつまでもいい人間でいたいとおもいます。ですから、神さまが、幸福にしてくださるように、たのんでください。」  ヨハンネスがこれからでていこうという野には、のこらずの花があたたかなお日さまの光をあびて、いきいきと、美しい色に咲いていました。そうして、風のふくままに、それが、がってんがってんしていました。「みどりの国へよくいらっしゃいましたね、ここはずいぶんきれいでしょう。」といっているようでした。けれど、ヨハンネスは、もういちどふりかえって、ふるいお寺におなごりをおしみました。このお寺で、ヨハンネスはこどものとき洗礼をうけました。日曜日にはきまって、おとうさんにつれられていって、おつとめをしたり、さんび歌をうたったりしました。そのとき、ふと、たかい塔の窓の所に、お寺の*小魔が、あかいとんがり頭巾をかぶって立っているのがみえました。小魔は目のなかに日がさしこむので、ひじをまげてひたいにかざしているところでした。ヨハンネスはかるくあたまをさげて、さよならのかわりにしました、小魔は赤い頭巾をふったり胸に手をあてたり、いくどもいくども、**投げキッスしてみせました。それは、ヨハンネスのためにかずかす幸福のあるように、とりわけ、たのしい旅のつづくようにいのってくれる、まごころのこもったものでした。 *家魔。善魔で矮魔の一種。ニース(Nis)。人間の家のなかに住み、こどもの姿で顔は老人。ねずみ色の服に赤い先の尖った帽子をかぶる。お寺にはこの仲間が必ずひとりずついて塔の上に住み、鐘をたたいたりするという。 **じぶんの手にせっぷんしてみせて、はなれている相手にむかってその手をなげる形。  ヨハンネスは、これから、大きなにぎやかな世間へでたら、どんなにたくさん、おもしろいことがみられるだろうとおもいました。それで、足にまかせて、どこまでも、これまでついぞ来たこともない遠くまで、ずんずんあるいて行きました。通っていく所の名も知りません。出あうひとの顔も知りません。まったくよその土地に来てしまっていました。  はじめての晩は、野ッ原の、枯草を積んだ上にねなければなりませんでした。ほかに寝床といってはなかったのです。でも、それがとても寝ごこちがよくて、王さまだってこれほどけっこうな寝床にはお休みにはなるまいとおもいました。ひろい野中に小川がちょろちょろながれていて、枯草の山があって、あたまの上には青空がひろがっていて、なるほどりっぱな寝べやにちがいありません。赤い花、白い花があいだに点点と咲いているみどりの草原は、じゅうたんの敷物でした。にわとこのくさむらとのばらの垣が、おへやの花たばでした。洗面所のかわりには、小川が水晶のようなきれいな水をながしてくれましたし、そこにはあしがこっくり、おじぎしながら、おやすみ、おはようをいってくれました。お月さまは、おそろしく大きなランプを、たかい青天井の上で、かんかんともしてくださいましたが、この火がカーテンにもえつく気づかいはありません。これならヨハンネスもすっかり安心してねられます。それでぐっすり寝こんで、やっと目をさますと、お日さまはもうとうにのぼって、小鳥たちが、まわりで声をそろえてうたっていました。 「おはよう。おはよう。まだ起きないの。」  お寺では、かんかん、鐘がなっていました。ちょうど日曜日でした。近所のひとたちが、お説教をききに、ぞろぞろでかけていきます。ヨハンネスも、そのあとからついていって、さんび歌のなかまにまじって、神さまのお言葉をききました。するうち、こどものとき、洗礼をうけたり、おとうさんにつれられて、さんび歌をいっしょにうたった、おなじみぶかいお寺に来ているようにおもいました。  お寺のそとの墓地には、たくさんお墓がならんでいて、なかには高い草のなかにうずまっているものもありました。それをみると、ヨハンネスは、おとうさんのお墓も草むしりして、お花をあげるものがなければ、やがてこんなふうになるのだとおもいました。そこで、べったりすわって、草をぬいてやったり、よろけている十字架をまっすぐにしてやったり、風でふきとんでいる花環をもとのお墓の所へおいてやったりしました。そんなことをしながら、ヨハンネスはかんがえました。 「たぶん、おとうさんのお墓にも、たれかが、おなじことをしておいてくれるでしょう、ぼくにできないかわりに。」  墓地の門そとに、ひとり、年よりのこじきがいて、よぼよぼ、松葉づえにすがっていました。ヨハンネスは、もっていたシリング銀貨をやってしまいました。それですっかりたのしくなり、げんきになって、またひろい世の中へでていきました。  夕方、たいへんいやなお天気になりました。どこか宿をさがそうとおもっていそぐうち、夜になりました。でもどうやら、小山の上にぽっつり立っているちいさなお寺にたどりつきました。しあわせと、おもての戸があいていたので、そっとそこからはいりました。そうして、あらしのやむまでそこにいることにしました。 「どこかすみっこにかけさせてもらおう。」と、ヨハンネスはいって、なかにはいっていきました。 「なにしろひどくくたびれている、すこし休まずにはいられない。」  こういって、ヨハンネスはそこにどたんとすわって、両手をくみあわせて、晩のお祈をいいました。こうして、いつか知らないまに寝込んで、夢をみていました。そのあいだに、そとでは、かみなりがなったり、いなづまが走ったりしていました。  やっと目がさめてみると、もう真夜中で、あらしはとうにやんで、お月さまが、窓からかんかん、ヨハンネスのねている所までさし込んでいました。ふとみると、本堂のまんなかに、死んだ人を入れた棺が、ふたをあけたまま置いてありました。まだお葬式がすんでいなかったのです。ヨハンネスは正しい心の子でしたから、ちっとも死人をこわいとはおもいません。それに死人がなにもわるいことをするはずのないことはよくわかっていました。生きているわるいひとたちこそよくないことをするのです。ところへ、ちょうど、そういう生きているわるい人間のなかまがふたり、死人のすぐわきに来て立ちました。この死人はまだ埋葬がすまないので、お寺にあずけておいてあったのです。それをそっと棺のなかに休ませておこうとはしずに、お寺のそとへほうりだしてやろうという、よくないたくらみをしに来たのです。死んだ人を、きのどくなことですよ。 「なんだって、そんなことをするのです。」と、ヨハンネスは声をかけました。「ひどい、わるいことです。エスさまのお名にかけて、どうぞそっとしてあげておいてください。」 「くそ、よけいなことをいうない。」と、そのふたりの男はこわい顔をしました。「こいつはおれたちをいっぱいはめたんだ。おれたちから金を借りて、かえさないまま、こんどはおまけにおッ死んでしまやがったんだ。おかげで、おれたちの手には、びた一文かえりやしない。だからかたきをとってやるのだ。寺のそとへ、犬ッころのようにほうりだしてやるのだ。」 「ぼく、五十ターレル、お金があります。」と、ヨハンネスはいいました、「これがもらったありったけの財産ですが、そっくりあなた方に上げましょう。そのかわり、けっしてそのかわいそうな死人のひとをいじめないと、はっきり約束してください。なあに、お金なんかなくってもかまわない。ぼくは手足はたっしゃでつよい、それにしじゅう神さまが守っていてくださるとおもうから。」 「そうか。」と、そのにくらしい男どもはいいました。「きさま、ほんとうにその金をはらうなら、おれたちもけっして手だしはしないさ、安心しているがいい。」  こういって、ふたりは、ヨハンネスのだしたお金をうけとって、この子のお人よしなのを大わらいにわらったのち、どこかへ出て行きました。でも、ヨハンネスは死人を、またちゃんと棺のなかへおさめてやって、両手を組ませてやりました。さて、さよならをいうと、こんどもすっかりあかるい、いい心持になって、大きな森のなかへはいっていきました。  森のなかをあるきながらみまわすと、月あかりが木立をすけてちらちらしているなかに、かわいらしい妖女たちのおもしろそうにあそんでいるのが目にはいりました。妖女たちはへいきでいました。それは、いま方はいって来たヨハンネスが、やさしい、いい人間だということをよく知っているからでした。わるい人間だけには、妖女のすがたがみたくとも見えないのです。まあ、かわいらしいといって、ほんとうに、指だけのせいもない妖女もいましたが、それぞれながい金いろの髪の毛を、金のくしですいていました。ふたりずつ組になって、木の葉や、たかい草の上にむすんだ大きな露の玉の上でぎったんばったんしていました。ときどきこの露の玉がころがりだすと、のっているふたりもいっしょにころげて、ながい草のじくのあいだでとまります。すると、ほかのちいさいなかまに、わらい声とときの声がおこりました。それはずいぶんおもしろいことでした、そのうち、みんな歌をうたいだしましたが、きいているうち、ヨハンネスは、こどものじぶんおぼえた歌を、はっきりおもいだしました。銀のかんむりをあたまにのせた大きなまだらぐもが、こちらの垣からむこうの垣へ、ながいつり橋や御殿を網で張りわたすことになりました。さて、そのうえにきれいな露がおちると、あかるいお月さまの光のなかでガラスのようにきらきらしました。こんなことがそれからそれとつづいているうち、お日さまがおのぼりになりました。すると、妖女たちは、花のつぼみのなかにはい込みました。朝の風が、つり橋やお城をつかむと、それなり大きなくもの網になって、空の上にとびました。  さて、ヨハンネスがいよいよ森を出ぬけようとしたとき、しっかりした男の声で、うしろからよびとめるものがありました。 「もしもし、ご同行、どこまで旅をしなさる。」 「あてもなくひろい世間へ。」と、ヨハンネスはいいました。「父親もなし、母親もなし、たよりのないわかものです。でも神さまは、きっと守ってくださるでしょう。」 「わたしも、あてもなく世間へでていくところだ。」と、その知らないひとはいいました。「ひとつ、ふたりでなかまになりましょうか。」 「ええ、そうしましょう。」と、ヨハンネスもいいました。そこで、ふたりは、いっしょに出かけました。じき、ふたりは仲よしになりました。なぜといって、ふたりともいい人たちだったからです。ただ、ヨハンネスは、この知らない道づれが、じぶんよりもはるかはるかかしこい人だということに、気がつきました。この人は世界じゅうたいていあるいていて、なんだって話せないことはないくらいでした。  お日さまが、もうすいぶんたかくのぼったので、ふたりは大きな木の下に腰をおろして、朝の食事にかかかりました。そこへ、ひとりのおばあさんがあるいて来ました。いやはや、ずいぶんなおばあさん、まるではうように腰をまげてあるいて、やっとしゅもくづえにすがっていました。それでも、森でひろいあつめたたきぎをひとたば、せなかにのせていました。前掛が胸でからげてあって、ヨハンネスがふとみると*しだの木のじくにやなぎの枝をはめた大きいむちが三本、そこからとびだしていました。で、ふたりのいるまえをよろよろするうち、片足すべらしてころぶとたん、きゃあとたかい声をたてました。きのどくに、このおばあさん、足をくじいたのですね。 *しだの木は魔法の木。しだの木のむちに、やなぎの枝の柄をはめる。  ヨハンネスはそのとき、ふたりでおばあさんをかかえて、住居までおくっていってやろうといいました。道づれの知らない人は、はいのうをあけて、小箱をだして、いや、このなかにこうやくがはいっている、これをつければ、すぐと足のきずがなおって、もとどおりになるから、ひとりでうちへかえれて、足をくじいたことなぞないようになるといいました。そして、そのかわりに、といっても、なあに、その前掛にくるんでいる三本のむちをもらうだけでいいのだがね、といいました。 「とんだ高い薬代だの。」と、おばあさんはいって、なぜかみょうに、あたまをふりました。  それで、なかなか、このむちを手ばなしたがらないようすでしたが、くじいた足のままそこにたおれていることも、ずいぶんらくではないので、とうとう、むちをゆずることになりました。そのかわり、ほんのちょっぴりくすりをなすったばかりで、このおばあさん、すぐぴんと足が立って、まえよりもたっしゃに、しゃんしゃんあるいていきました。これはまさしく、このこうやくのききめでした。でも、それだけに、薬屋などでめったに手にはいるものではありません。 「そんなむちみたいなもの、なんにするんです。」と、ヨハンネスは、そこで旅なかまにたずねました。 「どうして、三本ともけっこうな草ぼうきさ。」と、相手はいいました。「こんなものをほしがるのは、わたしもとんだかわりものさね。」  さて、それからまた、しばらくの道のりを行きました。 「やあ、いけない、空がくもって来ますよ。」と、ヨハンネスはいいました。「ほら、むくむく、きみのわるい雲がでて来ましたよ。」 「いんや。」と、旅なかまはいいました。「あれは雲ではない。山さ。どうしてりっぱな大山さ。のぼると雲よりもたかくなって、澄んだ空気のなかに立つことになる。そこへいくと、どんなにすばらしいか。あしたは、もうずいぶんとおい世界に行っていることになるよ。」  でも、そこまでは、こちらでながめたほど近くはありませんでした。まる一日たっぷりあるいて、やっと山のふもとにつきました。見あげると、まっくろな森が空にむかってつっ立っていて、町ほどもありそうな大きな岩がならんでいました。それへのぼろうというのは、どうしてひととおりやふたとおり骨の折れるしごとではなさそうです。そこで、ヨハンネスと旅なかまは、ひと晩、ふもとの宿屋にとまって、ゆっくり休んで、あしたの山のぼりのげんきをやしなうことにしました。  さて、その宿屋の下のへやの、大きな酒場には、おおぜい人があつまっていました。人形芝居をもって旅まわりしている男が来て、ちょうどそこへ小さい舞台をしかけたところでした。みんなはそれをとりまいて、幕のあくのを待つさいちゅうでした。ところで、いちばんまえの席は、ふとった肉屋のおやじが、ひとりでせんりょうしていましたが、それがまた最上の席でもあったでしょう。しかも大きなブルドッグが、それがまあなんとにくらしい、くいつきそうな顔をしていたでしょう。そやつが主人のわきに座をかまえて、いっぱし人間なみに、大きな目をひからしていました。  そのうち、芝居がはじまりましたが、それは王さまと女王さまの出てくる、なかなかおもしろい喜劇でした。ふたりの陛下は、びろうどの玉座に腰をかけて、どうしてなかなかの衣裳もちでしたから、金のかんむりをかぶって、ながいすそを着物のうしろにひいていました。ガラスの目玉をはめて、大きなうわひげをはやした、それはかわいらしいでくのぼうが、どの戸口にも立っていて、しめたり、あけたり、おへやのなかにすずしい風のはいるようにしていました。どうもなかなかおもしろい喜劇で、いい気ばらしになりました。そのうち、人形の女王さまは立ち上がって、ゆかの上をそろそろあるきだしました。そのときまあ、れいのブルドッグが、いったい、なんとおもったのでしょうか、それをまた主人がおさえもしなかったものですから、いきなり、舞台にとびだして来て、おやというまもなく、女王さまのかぼそい腰をぱっくりかみました。とたん、「がりッがりッ」という音がきこえました。いやはや、おそろしいことでした。  かわいそうに、人形つかいの男はすっかりしょげて、女王さまの人形をかかえて、おろおろしていました。それは一座のなかでも、いちばんきりょうよしの人形でしたのに、にくにくしいブルドッグのために、あたまをかみきられてしまったのですからね。けれども、みんな見物が散ってしまったあと、ヨハンネスといっしょにみに来ていた旅なかまが、こんども、そのきずをなおしてやろうといいだしました。そこで、れいの小箱をあけて、おばあさんのくじいた足を立たせてやったあのこうやくを、人形にぬってやりました。人形は、こうやくをぬってもらうと、さっそくきずがきれいになおって、おまけに、じぶんで手足までたっしやにうごかせるようになりました。もう糸であやつることもいらなくなりました。人形はまるで、生きた人のようでした。ただ口がきけないだけです。人形芝居の親方は、どんなによろこんだでしょう。人形つかいがつかわないでも、この人形は勝手にじぶんでおどれるのです。これは、ほかの人形にまねのならないことでした。  夜中になって、宿屋にいた人たちがのこらず寝しずまろうというとき、どこかでしくしくすすり泣く声がして、いつまでもやまないものですから、みんな気にして起きあがって、いったい、たれが泣いているのか見ようとしました。それがどうも人形芝居の舞台のほうらしいので、親方がすぐ行ってみますと、でくのぼうは、王さまはじめのこらずの近衛兵がかさなりあって、そこにころがっていました。いまし方かなしそうにしくしくやっていたのは、このガラス目だまをきょとんとさせている人形なかまであったのです。それは、女王さまとおなじように、ちよっぴり、こうやくをぬってもらって、じぶんで勝手にうごけるようになりたいというのです。すると、女王さまもそばで、べったりひざをついて、そのりっぱな金かんむりをたかくささげながら「どうぞ、わたくしからこのかんむりをおとりあげください、そのかわり、夫にも、家来たちにも、どうぞお薬をぬっていただけますように。」といのりました。そうきいて、この人形芝居の親方は、きのどくに、人形たちが、ふびんでふびんでついいっしょに泣きだしました。親方はそこで、旅なかまにたのんで、あすの晩の興行のあがりをのこらずさしあげます。どうぞ、せめて四つでも五つでも、なかできりょうよしな人形にだけでも、こうやくを塗ってやってはもらえますまいかと、くれぐれたのみました。ところで、旅なかまは、ほかのものは一切いらない、わたしのほしいのは、そのおまえさんの腰につるしている剱だけだといいました。そうして、剱を手に入れると、六つの人形のこらずにこうやくをぬってやりました。すると人形たちは、さっそくおどりだしました。しかもその踊のうまいこと、そこにみていたむすめたちが、生きている人間のむすめたちのこらずが、すぐといっしょにおどりださずにはいられないくらいでした。するうち、御者と料理番のむすめも、つながっておどりだしました。給仕人もへや女中も、おどりだしました。お客たちも、いっしょにおどりだしました。とうとう十能と火ばしまでが、組になっておどりだしました。でも、このひと組は、はじめひとはねはねると、すぐところんでしまいました。いやもう、ひと晩じゅう、にぎやかで、たのしかったことといったら。  つぎの朝、ヨハンネスは旅なかまとつれ立って、みんなからわかれて行きました。高い山にかかって、大きなもみの林を通っていきました。山道をずんずんのぼるうちに、いつかお寺の塔が、ずっと目のしたになって、おしまいにはそれが、いちめんみどりのなかにぽっつりとただひとつ、赤いいちごの実をおいたようにみえました。もうなん里もなん里もさきの、ついいったことのない遠方までがみはらせました。――このすばらしい世界に、こんなにもいろいろとうつくしいものを、いちどに見るなんということを、ヨハンネスは、これまでに知りませんでした。お日さまは、さわやかに晴れた青空の上からあたたかく照りかがやいて、峰と峰とのあいだから、りょうしの吹く角笛が、いかにもおもしろく、たのしくきこえました。きいているうちにもう、うれし涙が目のなかにあふれだしてくると、ヨハンネスは、おもわずさけばずにはいられませんでした。 「おお、ありがたい神さま、こんないいことをわたしたちにしてくださって、この世界にあるかぎりのすばらしいものを、惜しまずみせてくださいますあなたに、まごころのせっぷんをささげさせてください。」  旅なかまも、やはり、手を組んだまま、そこに立って、あたたかなお日さまの光をあびているふもとの森や町をながめました。ちょうどそのときふと、あたまの上で、なんともめずらしく、かわいらしい声がしました。ふたりがあおむいてみると、大きいまっ白なはくちょうが一羽、空の上に舞っていました。そのうたう声はいかにもうつくしくて、ほかの鳥のうたうのとまるでちがっていました。でも、その歌が、だんだんによわって来たとき、鳥はがっくりうなだれました。そうして、それは、ごくものしずかに、ふたりの足もとに落ちて来ました。このうつくしい鳥は死んで、そこに横たわっているのです。 「こりゃあ、そろってみごとなつばさだ。」と、旅なかまはいいました。「どうだ、このまっ白で大きいこと、この鳥のつばさぐらいになると、ずいぶんの金高だ、これは、わたしがもらっておこう。みたまえ、剱をもらって来て、いいことをしたろうがね。」  こういって、旅なかまは、ただひとうち、死んだはくちょうのつばさを切りおとして、それをじぶんのものにしました。  さて、ふたりは山を越えて、またむこうへなん里もなん里も旅をつづけていくうちに、とうとう、大きな町のみえる所に来ました。その町にはなん百とない塔がならんで、お日さまの光のなかで、銀のようにきらきらしていました。町のまんなかには、りっぱな大理石のお城があって、赤い金で屋根が葺けていました。これが王さまのお住居でした。  ヨハンネスと旅なかまとは、すぐ町にはいろうとはしないで、町の入口で宿をとりました。ここで旅のあかをおとしておいて、さっぱりしたようすになって、町の往来をあるこうというのです。宿屋のていしゅの話では、王さまという人は、心のやさしい、それはいいひとで、ついぞ人民に非道をはたらいたことはありません。ところがその王さまのむすめというのが、やれやれ、なさけないことにひどいわるもののお姫さまだというのです。きりょうがすばらしくよくて、世にはこんなにもしとやかな人があるものかとおもうほどですが、それがなんになるでしょう、このお姫さまがいけない魔法つかいで、もうそのおかげで、なんどとなくりっぱな王子が、いのちをなくしました。――それはたれでもお姫さまに結婚を申しこむおゆるしが出ていて、それは王子であろうとこじきであろうと、たれでもかまわない、というのですが、そのかわり、お姫さまのおもっている三つのことをたずねられたら、それをそっくりあてなければならないのです。そのかわり、あたればお姫さまをおよめにして、おとうさまの王さまのおかくれになったあとでは、けっこうこの国の王さまにもなれる。けれどもその三つともあたらなければ、首をしめられるか、切られるかしなければなりません。このうつくしいお姫さまが、こんなにもひどい、わるものなのでした。おとうさまの老王さまも、そのことでは、ずいぶんつらがっておいでなのですが、そんなむごたらしいことをするなととめるわけにいかないというのは、いつかお姫さまのむこえらみについては、けっして口だししないといいだされたため、お姫さまはなんでもじぶんのしたいままにしてよいことになっているからです。それで、あとから、あとから、ほうぼうの国の王子が代る代るやつて来て、なぞをときそこなっては、首をしめられたり、切られたりしました。そのくせ、まえもっていいきかされていることですから、なにも申込をしなければいいのですが、やはりお姫さまをおよめにたれもしたがりました。お年よりの王さまは、かさねがさねこういうかなしい不幸なことのおこるのを、心ぐるしくおもって、年に一日、日をきめて、のこらずの兵隊をあつめて、ともども神さまのまえにひれ伏して、どうか王女が善心にかえるようにとせつないおいのりをなさるのですが、をなさるのですが、お姫さまはどうしてもそれをあらためようとはしないのです。この町で年よりの女たちが、ブランデイをのむにも、黒くしてのむのは、それほどかなしがっている心のしょうこをみせるつもりでしょう。まあ、そんなことよりほかにしょうがないのですよ。 「いやな王女だなあ。」と、ヨハンネスはいいました。「そんなのこそ、ほんとうにむちでもくらわしたら、ちっとはよくなるかもしれない。わたしがそのお年よりの王さまだったら、とうにひどくこらしめてやるところなのに。」  そのとき、そとで、町の人たちが、万歳万歳とさけぶ声がしました。ちようど王女のお通りなのです。なるほど、王女はじつに目のさめるようなうつくしさで、このお姫さまがわるい人間だということをわすれさせるほどでしたから、ついたれも万歳をさけばずにはいられなかったのです。十二人のきれいな少女がおそろいの白絹の服で、手に手に金のチューリップをささげてもち、まっ黒な馬にのって、両わきにしたがいました。王女ご自身は、雪とみまがうような白馬に、ダイヤモンドとルビイのかざりをつけてのっていました。お召の乗馬服は、純金の糸を織ったものでした、手にもったむちは、お日さまの光のようにきらきらしました。あたまにのせた金のかんむりは、大空のちいさな星をちりばめたようですし、そのマントはなん千とないちょちょうのはねをあつめて、縫いあわせたものでした。そのくせ、そんなにしてかざり立てたのこらずの衣裳も、王女みずからのうつくしさにはおよびませんでした。  ヨハンネスは、王女をみたせつな、顔いちめんかっと赤くほてって、ただひとしずくの血のしたたりのようになりました。もうひと言もものがいえなくなりました。まあ、この王女は、おとうさんのなくなった晩、ヨハンネスが夢でみた、あの金のかんむりのうつくしいむすめにそっくりなのです。あんまりうつくしいので、いやおうなしに、いきなり大好きにさせられてしまいました。この人が、じぶんのかけたなぞが、そのとおりにとけないといって、ひとの首をしめたり、きらせたりするわるい魔法つかいの女だなんて、そんなはずがあるものか。「たれでも、それは、この上ないみじめなこじきでも、お姫さまに結婚を申し込むことはかまわないということだ。よし、ぼくもお城へでかけよう。 「どうしたっていかずにはいられないもの。」  ところでみんなは、口をそろえて、そんなまねはしないがいい、ほかのものと同様、うきめをみるにきまっているといいました。  旅なかまも、やはり、おもいとまるようにいいきかせました。でも、ヨハンネスは、大じょうぶ、うまくやってみせますといって、くつと上着のちりをはらって、顔と手足をあらって、みごとな金髪にくしを入れました。それからひとりで町へでていって、お城の門まで来ました。 「おはいり。」ヨハンネスが戸をたたくと、なかで、お年よりの王さまがおこたえになりました。――ヨハンネスがあけてはいると、ゆったりした朝着のすがたに、縫いとりした上ぐつをはいた王さまが、出ておいでになりました。王冠をあたまにのせて、王しゃくを片手にもって、王さまのしるしの地球儀の珠を、もうひとつの手にのせていました。 「ちょっとお待ちよ。」と、王さまはいって、ヨハンネスに手をおだしになるために、珠を小わきにおかかえになりました。ところが、結婚申込に来た客だとわかると、王さまはさっそく泣きだして、しゃくも珠も、ゆかの上にころがしたなり、朝着のそでで、涙をおふきになるしまつでした。おきのどくな老王さま。 「それは、およし。」と、王さまはおっしゃいました。「「ほかのもの同様、いいことはないよ。では、おまえにみせるものがある。」  そこで、王さまは、ヨハンネスを、王女の遊園につれていきました。なるほどすごい有様です。どの木にもどの木にも、三人、四人と、よその国の王さまのむすこたちが、ころされてぶら下がっていました。王女に結婚を申し込んで、もちだしたなぞをいいあてることができなかった人たちです。風がふくたんびに、死人の骨がからから鳴りました。それを、小鳥たちもこわがって、この遊園には寄りつきません。花という花は、人間の骨にいわいつけてありました。植木ばちには、人間のしゃりッ骨が、うらめしそうに歯をむきだしていました。まったく、これが王さまのお姫さまの遊園とはうけとれない、ふうがわりのものでした。 「ほらね、このとおりだ。」お年よりの王さまは、おっしゃいました。「いずれおまえも、ここにならんでいる人たちとそっくりおなじ身の上になるのだから、これだけはどうかやめておくれ。わたしになさけないおもいをさせないでおくれ。わしは心ぐるしくてならないのだからな。」  ヨハンネスは、この心のいいお年よりの王さまのお手にせっぷんしました。そうして、わたくしはうつくしいお姫さまを心のそこからしたっています。きっと、うまくいくつもりですといいました。  そういっているとき、当のお姫さまが、侍女たちのこらず引きつれて、馬にのったまま、お城の中庭へのり込んで来ました。そこで、王さまも、ヨハンネスもそこへいってあいさつしました。お姫さまはそれこそあでやかに、ヨハンネスに手をさし出しました。それで、よけい好きになりました。世間の人たちがうわさするように、このひとがそんなわるい魔法つかいの女なぞであるわけがありません。それから、みんなそろって広間へあがると、かわいいお小姓たちが、くだもののお砂糖漬だの、くるみのこしょう入りのお菓子だのをだしました。でも、王さまはかなしくて、なんにもお口に入れるどころではなく、それに、くるみのこしょう入お菓子はかたくて、お年よりには歯が立ちませんでした。  さて、ヨハンネスは、そのあくる日、またあらためてお城へくることになりました。そこに審判官と評定官のこらずがあつまって、問答をきくことになっていました。はじめの日うまく通れば、そのあくる日また来られます。でも、これまでは、もう最初の日からうまくいったためしがないのです。そうなれば、いやでもいのちひとつふいにしなくてはなりません。  ヨハンネスは、いったいどうなるかなんのという心配はしません。ただもううきうきと、うつくしいお姫さまのことばかりかんがえていました。そうしておめぐみぶかい神さまが、きっとたすけてくださるとかたく信じていました。ではどういうふうにといっても、それはわかりません。そんなことはかんがえないほうがいいとおもっていました。そこで、宿へかえる道道も、往来をおどりおどりくると、旅なかまが待ちかまえていました。  ヨハンネスは、王女がやさしくもてなしてくれたこと、いかにもうつくしいひとだということ、それからそれととめどなく話しました。あしたはいよいよお城へでかけて、みごとになぞをいいあてて、運だめしをするのだといって、もうそればかり待ちこがれていました。  けれども、旅なかまは、かぶりをふって、うかない顔をしていました。 「わたしは、とてもきみを好いているのだ。」と、旅なかまはいいました。「だから、おたがいこれからもながくいっしょにいたいとおもうのに、これなりおわかれにならなくてはならない。ヨハンネス、きみはきのどくなひとだよ。わたしは泣きたくてならないが、こうしているのも今夜かぎりだろうから、せっかくのきみのたのしみをさまたげるでもない。愉快にしていようよ。大いに愉快にね。泣くことなら、あす、きみのでていったあとで、存分に泣けるからな。」  お姫さまのところへ、あたらしい結婚の申し込み手がやって来たことを、もうさっそく町じゅうの人たちが知っていました。それで、たれも大きなかなしみにおそわれました。芝居は木戸をしめたままです。お菓子屋さんたちは申しあわせたように、小ぶたのお砂糖人形を黒い、喪のリボンで巻きました。王さまは、お寺で坊さんたちにまじって、神さまにお祈をささげました。どこもかしこもしめっぽいことでした。それはどうせ、ヨハンネスだけに、これまでのひとたちとちがったいい目が出ようとは、たれにもおもえなかったからでした。  その夕方、旅なかまは、大きなはちにいっぱい、くだもののお酒のポンスをこしらえて来て、それでは大いに愉快にやって、ひとつ王女殿下の健康をいわって乾杯しようといいました。ところが、ヨハンネスは、コップに二はいのむと、もうすっかりねむくなって、目をあけていることができなくなり、そのままぐっすり寝込んでしまいました。旅なかまは、ヨハンネスをそっといすからだき上げて寝床に入れました。夜がふけて、そとはまっくらやみになりました。旅なかまは、れいのはくちょうから切りとった二枚の大きなつばさを、しっかりと、肩にいわいつけました。そうして、あのころんで足をくじいたおばあさんからもらった三本のむちのなかの、いちばんながいのをかくしにつっこむと、窓をあけて、町の丘から、お城のほうへ、ひらひらとんでいきました。それから王女の寝べやの窓下に来て、そっと片すみにしのんでいました。  町はひっそりしていました。ちょうど時計は十二時十五分まえをうったところです。ふと窓があいたとおもうと、王女はながい白マントの上に、まっ黒なつばさをつけて、ひらりと舞い上がりました。町の空をつっきって、むこうの大きな山のほうへとんでいきました。ところで、旅なかまは、王女に気づかれないように、からだをみえなくしておいて、そのあとを追いながら、王女をむちでうちました。うたれるそばから、ひどく血がでました。ほほう、たいへんな空の旅があったものですね。風が王女のマントを、それこそ大きな舟の帆のように、いっぱいにふくらませて行く上から、ほんのりとお月さまの光がすけてみえました。 「おお、ひどいあられだ、ひどいあられだ。」  王女は、むちのあたるたんびにこういいました。なに、ぶたれるのはあたりまえです。それでもやっと山まで来て、とんとん戸をたたきましたとたんに、ごろごろひどいかみなりの音がして、山はぱっくり口をあきました。王女はなかへはいりました。旅なかまもつづいてはいりました。でも、姿がみえなくしてあるので、たれも気がつきません。ふたりがながい廊下をとおっていくと、両側の壁が奇妙にきらきら光りました。それは、なん千とない火ぐもが、壁の上をぐるぐるかけまわって、火花のように光るためでした。それから、金と銀でつくってある大広間にはいりました。そこには、ひまわりぐらい大きい赤と青の花が、壁できらきらしていました。でもその花をつむことはできません。というのは、その花のじくがきみのわるい毒へびで、花というのも、その大きな口からはきだすほのおだからです。天井には、いちめん、ほたるが光っているし、空いろのこうもりが、うすいつばさをばたばたさせていました。じつになんともいえないかわったありさまでした。ゆかのまん中に、王さまのすわるいすがひとつすえてあって、これを四頭の馬のがい骨が背中にのせていました。その馬具はまっ赤な火ぐもでした。さて、そのいすは、乳いろしたガラスで、座ぶとんというのも、ちいさな黒ねずみがかたまって、しっぽをかみあっているものでした。いすの上に、ばらいろのくもの巣でおった天蓋がつるしてあって、それにとてもきれいなみどり色したかわいいはえが、宝石をちりばめたようにのっていました。ところで、王冠をかぶって、王しゃくをかまえて、にくらしい顔で、王さまのいすにじいさんの魔法つかいが、むんずと座をかまえていました。魔法つかいはそのとき、王女のひたいにせっぷんすると、すぐわきのりっぱないすにかけさせました。やがて音楽がはじまりました。大きな黒こおろぎが、ハーモニカをふいて、ふくろうが太鼓のかわりに、はねでおなかをたたきました。それは、とぼけた音楽でした。かわいらしい、豆粒のような小鬼どもは、ずきんに鬼火をつけて、広間のなかをおどりまわりました。こんなにみんないても、たれにも旅なかまの姿はみえませんでしたから、そっと王さまのいすのうしろに立ってて、なにもかもみたりきいたりしました。さて、そこへひとかど、もったいらしく気どって、魔法御殿のお役人や女官たちが、しゃなりしゃなり出て来ました。でも正しくもののみえる目でみますと、すぐとばけの皮があらわれました。それはほうきの柄にキャベツのがん首をすげたばけもので、それが縫いとりした衣裳を着せてもらって、魔法つかいの魔法で、息を吹き込んでもらって、動いているだけでした。どのみち、こけおどかしにしていたことで、なにがどうだってかまったことはありません。  しばらくダンスがあったあとで、王女は魔法つかいに、あたらしく、結婚の申し込み手の来たことを話しました。それで、あしたの朝お城へやってくるが、相手をためすには、なにを心におもっていることにしようか、相談をかけました。 「よろしい、おききなさいよ。」と、魔法つかいはいいました。「まあ、なんでもごくたやすいことをかんがえるのさ。すると、かえって、わからないものだ。そう、じぶんのくつのことでもかんがえるのだなあ。それならまずあたるまい。それで首をきらせてしまう。ところで、あすの晩くるとき、その男の目だまをもってくることを、わすれないようにな。久しぶりでたべたいから。」  王女は、ていねいにあたまをさげて、目だまはわすれずにもって来ますといいました。魔法つかいが山をあけてやりますと、王女はお城へとんでかえりました。でも、旅なかまはどこまでもあとについていって、したたかむちでぶちました。王女は、あられがひどい、ひどいとこぼし、こぼし、一生けんめいにげて、やっと寝べやの窓から、なかへはいりました。旅なかまも、それなり宿のほうへとんでかえっていきますと、ヨハンネスは、まだねむったままでしたから、そっとつばさをぬいで、じぶんも床にはいりました。なにしろ、ずいぶんつかれていたでしょうからね。  さて、あくる日まだくらいうちから、ヨハンネスは目をさましました。旅なかまもいっしょに起きて、じつにゆうべはふしぎで、お姫さまと、それからお姫さまのくつの夢をみたという話をして、だから、ためしに、お姫さま、あなたはごじぶんのくつことをおもって、それをきこうとなさるのでしょうといってごらん、といいました、これは、山で魔法つかいのいったことばを、そっくりきいていっているだけなのですが、そんなことはおくびにもださず、ただ、王女がじぶんのくつのことをかんがえていやしないか、きいてみよとだけいったのです。 「ぼくにしてみれば、なにをどうこたえるのもおなじです。」と、ヨハンネスはいいました。「たぶんあなたが夢でごらんになったとおりでしょう。それはいつだって、やさしい神さまが、守っていてくださるとおもって、安心しているのですからね。けれど、おわかれのごあいさつだけはしておきましょうよ。答をまちがえれば、もう、二どとおめにかかれないんですから。」  そこで、ふたりはせっぷんしあいました。やがて、ヨハンネスは、町へでて、お城にはいって行きました。大広間には、もういっぱい人があつまっていました。審判官はよりかかりのあるいすに、からだをうずめて、ふんわりと鳥のわた毛を入れたまくらを、あたまにかっていました。なにしろこのひとたちは、たくさんにものをかんがえなくてはならないのでしてね。そのとき、お年よりの王さまは立ち上がって、白いハンカチを目におあてになりました。するうち、お姫さまがはいって来ました。きのうみたよりまた一だん立ちまさってうつくしく、一同にむかって、にこやかにあいさつしました。でも、ヨハンネスには、わざわざ手をさしのべて、「あら、おはようございます。」といいました。  さて、ヨハンネスがいよいよ、お姫さまのかんがえていることをあてるだんになりました。まあ、そのとき、お姫さまは、なんという人なつこい目で、ヨハンネスをみたことでしょう。ところが、ヨハンネスの口から、ただひとこと「くつ」とでたとき、お姫さまの顔はさっとかわって、白墨ように白くなりました。そうして、からだじゅう、がたがたふるえていました。けれどもう、どうにもなりません。みごと、ヨハンネスはいいあてたのですもの。  ほほう、ほほう。お年よりの王さまは、どんなにうれしかったでしょう。あんまりうれしいので、みごとなとんぼをひとつ、王さまはきっておみせになりました。すると、みんなもうれしがって手をたたいて、王さまと、それから、はじめてみごとにいいあてたヨハンネスを、はやし立てました。  旅なかまも、まずうまくいったときいて、ほっとしました。ヨハンネスは、でも、手をあわせて、神さまにお礼をいいました。そして、神さまは、あとの二どもきっと守ってくださるにちがいないとおもいました。さて、あくる日もつづいてためされることになっていました。  その晩も、ゆうべのようにすぎました。ヨハンネスがねむっているあいだに、旅なかまは、王女のあとについて、山までとぶ道道、こんどはむちも二本もちだして来て、まえよりもひどく王女をぶちました。旅なかまはたれにも見られないで、なにもかも耳に入れて来ました。王女は、あしたは手袋のことをかんがえるはずでしたから、そのとおりをまた、夢にみたようにして、ヨハンネスに話しました。ヨハンネスはこんどもまちがいなくいいあてたので、お城のなかはよろこびの声があふれました。王さまがはじめしておみせになったように、こんどは御殿じゅうが、そろってとんぼをきりました。そのなかで王女は、ソファに横になったなり、ただひとことも物をいいませんでした。さて、こうなると、三どめも、みごとヨハンネスにいいあてられるかどうか、なにごともそれしだいということになりました。それさえうまくいけば、うつくしいお姫さまをいただいた上、お年よりの王さまのおなくなりなったあとは、そっくり王国をゆずられることになるのです。そのかわり、やりそこなうと、いのちをとられたうえ、魔法つかいが、きれいな青い目だまをぺろりとたべてしまうでしょう。  その晩も、ヨハンネスは、はやくから寝床にはいって、晩のお祈をあげて、それですっかり安心してねむりました。ところが、旅なかまは、ねむるどころではありません。れいのつばさをせなかにいわいつけて、剱を腰につるして、むちも三本ともからだにつけて、それから、お城へとんでいきました。  そとは、目も鼻もわからないやみ夜でした。おまけにひどいあらしで、屋根の石かわらはけしとぶし、女王の遊園のがい骨のぶら下がっている木も、風であしのようにくなくなにまがりました。もうしきりなし稲光がして、かみなりがごろごろ、ひと晩じゅうやめないつもりらしく、鳴りつづけました。やがて、窓がぱあっとあいて、王女は、とびだしました。その顔は「死」のように青ざめていましたが、このひどいお天気を、それでもまだ荒れかたが足りないといいたそうにしていました。王女の白マントは風にあおられて、空のなかを舞いながら、大きな舟の帆のように、くるりくるりまくれ上がりました。ところで、旅なかまは、れいの三本のむちで、びしびしと、それこそ地びたにぽたりぽたり、血のしずくがしたたりおちるほどぶちましたから、もうあぶなく途中でとべなくなるところでした。でもどうにかこうにか、山までたどりつきました。 「どうもひどいあられでしたの。」と、王女はいいました。「こんなおてんきにそとへでたのははじめて。」 「その代り、こんどは、よすぎてこまることもあるさ。」と、魔法つかいはいいました。  王女はそのとき、二どまでうまくいいあてられたことを話して、あしたまたうまくやられて、いよいよヨハンネスが勝ちときまると、もう二度と山へは来られないし、魔法もつかえなくなるというので、すっかりしょげかえっていました。 「こんどこそはあたらないよ。」と、魔法つかいはいいました。「なにかその男のとてもかんがえつかないことをおもいつこう。万一、これがあたるようなら、その男はわしよりずっとえらい魔法つかいにちがいなかろう。だが、まあ愉快にやろうよ。」  そういって、魔法つかいは、王女の両手をとって、ちょうどそのへやにいた小鬼や鬼火などと輪をつくって、いっしょにおどりました。すると、壁の赤ぐもまでが、上へ下へとおもしろそうにとびまわって、それはまるで火花が火の子をとばしているようにみえました。ふくろうは太鼓をたたくし、こおろぎは口ぶえをふく、黒きりぎりすは、ハーモニカをならしました。どうしてなかなかにぎやかな舞踏会でした。  みんなが、たっぷりおどりぬいてしまうと、王女は、もうここらでかえりましょう、お城が大さわぎになるからといいました。そこで、魔法つかいは、せめて途中までいっしょにいられるように、そこまで送っていくといいました。  そこで、ふたりは、ひゅうひゅう、ひどいあらしのふくなかへとびだした。旅なかまは、ここぞと三本のむちで、ふたりのせなかもくだけよとばかり、したたかぶちのめしました。さすがの魔法つかいも、これほどはげしいあられ空に、そとへでたのははじめてでした。さて、お城ちかくまで来たとき、いよいよわかれぎわに、魔法つかいは王女の耳のはたに口を寄せて、 「わしのあたまをかんがえてこらん。」といいました。けれども、旅なかまは、それすらのこらず耳にしまい込んでしまいました。そうして、王女が窓からすべりこむ、魔法つかいが引っかえそうとするとたん、ぎゅッと魔法つかいのながい黒ひげをつかむがはやいか、剱をひきぬいて、そのにくらしい顔をした首を、肩のつけ根からずばりと切りおとしました。まるで、相手にこちらの顔をみるすきさえあたえなかったのです。さて、その首のないむくろは、みずうみの魚に投げてやりましたが、首だけは、水でよくあらって、絹のハンケチにしっかりくるんで、宿までかかえて、もってかえって、ゆっくり床に休んで寝ました。  そのあくる朝、旅なかまは、ヨハンネスに、ハンケチの包をさずけて、王女が、いよいよじぶんのかんがえているものはなにかといって問いかけるまで、けっして、むすび目をほどいてはいけないといいました。  お城の大広間には、ぎっしり人がつまって、それはまるで、だいこんをいっしょにして、たばにくくったようでした。評定官は、れいのとおり、ながながといすによりかかって、やわらかなまくらをあたまにあてがっていました。老王さまは、すっかり、あたらしいお召ものに着かえて、金のかんむりもしゃくも、ぴかぴかみがき立てて、いかめしいごようすでした。それにひきかえ、お姫さまのほうは、もうひどく青い顔をして、おとむらいにでもいくような、黒ずくめの服でした。 「なにを、わたしはかんがえていますか。」  王女は、ヨハンネスにたずねました。  すぐ、ヨハンネスは、ハンケチのむすび目をほどきました。すると、いきなり、魔法つかいの首が、目にはいったので、たれよりもまずじぶんがぎょっとしました。あんまり、すごいものをみせられて、みんなもがたがたふるえだしました。そのなかで、王女はひとり、石像のようにじいんとすわり込んだなり、ひとこともものがいえませんでした。それでも、やっと立ち上がって、ヨハンネスに手をさしのべました。なにしろ、みごとにいいあてられてしまったのです。王女は、もう、たれの顔をみようともしないで、大きなため息ばかりついていました。 「さあ、あなたは、わたしの夫です。今晩、式をあげましょう。」 「そうしてくれると、わしもうれしい。」と、お年よりの王さまはいいました。「ぜひ、そういうことにしよう。」  みんなは、万歳をとなえました。近衛の兵隊は、音楽をやって、町じゅうねりあるきました。お寺の鐘は鳴りだしますし、お菓子屋のおかみさんたちは、お砂糖人形の黒い喪のリボンをどけました。どこにもここにも、たいへんなよろこびが、大水のようにあふれました。三頭の牛のおなかに、小がもやにわとりをつめたまま、丸焼にしたものを、市場のまん中にもちだして、たれでも、ひと切れずつ、切ってとっていけるようにしました。噴水からは、とびきり上等のぶどう酒がふきだしていました。パン屋で一シリングの堅パンひとつ買うと、大きなビスケットを六つ、しかも乾ぶどうのはいったのを、お景物にくれました。  晩になると、町じゅうあかりがつきました。兵隊はどんどん祝砲を放しますし、男の子たちはかんしゃく玉をぱんぱんいわせました。お城では、のんだり、たべたり、祝杯をぶつけあったり、はねまわったり、紳士も、うつくしい令嬢たちも、組になって、ダンスをして、そのうたう歌が遠方まできこえて来ました。 ダンス輪おどり大すきな みんなきれいなむすめたち、 まわるよまわるよ糸車。 くるりくるりと踊り子むすめ、 おどれよ、はねろよ、いつまでも、 くつのかかとのぬけるまで。  さて、ご婚礼はすませたものの、お姫さまは、まだ、もとの魔法つかいのままでしたから、ヨハンネスをまるでなんともおもっていませんでした。そこで、旅なかまは心配して、れいのはくちょうのつばさから三本のはねをぬきとって、それと、ほんのちよっぴり、くすりの水を入れた小びんをヨハンネスにさずけました。そうして、おしえていうのには、水をいっぱいみたした大きなたらいを、お姫さまの寝台のまえにおく、お姫さまが、知らずに寝台へ上がるところを、うしろからちょいと突けばお姫さまは水のなかにおちる。たらいの水には、前もって、三本の羽をうかして、くすりの水を二、三滴たらしておいて、その水に三どまで、お姫さまをつけて、さて、引き上げると、魔法の力がきれいにはなれて、それからは、ヨハンネスをだいじにおもうようになるだろうというのです。  ヨハンネスは、おしえられたとおりにしました。王女は水に落ちたとき、きゃっとたかいさけび声を立てたとおもうと、ほのおのような目をした、大きな、黒いはくちょうになって、おさえられている手の下で、ばさばさやりました。二どめに、水からでてくると、黒いはくちょうはもう白くなっていて、首のまわりに、黒い輪が、二つ三つのこっているだけでした。ヨハンネスは、心をこめて神さまにお祈をささげながら、三ど、はくちょうに水をあびせました。そのとたん、はくちょうはうつくしいお姫さまにかわりました。お姫さまは、まえよりもなおなおうつくしくなって、きれいな目にいっぱい涙をうかべながら、魔法をといてくれたお礼をのべました。  その次の朝、老王さまは、御殿じゅうの役人のこらずをひきつれて出ておいでになりました。そこで、お祝をいいにくるひとたちが、その日はおそくまで、あとからあとからつづきました。いちばんおしまいに来たのは、旅なかまでしたが、もうすっかり旅じたくで、つえをついて、はいのうをしょっていました。ヨハンネスは、その顔をみると、なんどもなんどもほおずりして、もうどうか旅なんかしないで、このままここにいてください。こんなしあわせな身分になったのも、もとはみんなあなたのおかげなのだからといいました。けれども、旅なかまは、かぶりをふって、でも、あくまでやさしい、人なつこいちょうしでいいました。 「いいや、いいや、わたしのかえっていく時が来たのだ。わたしはほんの借をかえしただけだ。きみはおぼえていますか、いつか、わるものどものためにひどいはずかしめを受けようとした死人のことを。あのとききみは、持っていたもののこらず、わるものどもにやって、その死人をしずかに墓のなかに休ませてくれましたね。その死人が、わたしなのですよ。」  こういうがはやいか、旅なかまの姿は消えました。  さて、ご婚礼のおいわいは、まるひと月もつづきました。ヨハンネスと王女とは、もうおたがいに、心のそこから好きあっていました。老王さまは、もう毎日、たのしい日を送っておいでになりました。かわいらしいお孫さんたちを、かわるがわるおひざの上にのせて、かってにはねまわらせたり、しゃくをおもちゃにしてあそばせたりなさいました。ヨハンネスはかわりに、王さまになって、王国のこらずおさめることになりました。
底本:「新訳アンデルセン童話集第一巻」同和春秋社    1955(昭和30)年7月20日初版発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 ※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のあるページの下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。 入力:大久保ゆう 校正:秋鹿 2006年1月18日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 かわいそうに、ヨハンネスは、たいそう悲しんでいました。むりもありません。おとうさんが重い病気で、もう、たすかるのぞみがなかったのですからね。この小さな部屋には、ヨハンネスとおとうさんのほかには、だれもいませんでした。テーブルの上のランプは、いまにも、燃えきってしまいそうでした。もう、夜もすっかりふけていました。 「おまえはいい子だったね、ヨハンネス」と、病気のおとうさんは言いました。「世の中へ出ても、きっと、神さまがたすけてくださるよ」  こう言って、おとうさんは思いつめた目つきで、やさしくヨハンネスを見つめました。それから、深い息をつくと、それなり死んでしまいました。見たところでは、まるで、眠っているとしか見えません。  ヨハンネスは、わっと泣き出しました。いまは、この世の中に、おとうさん・おかあさんもいなければ、ねえさんや妹も、にいさんや、弟も、だれひとりいないのです。ああ、かわいそうなヨハンネス! ベッドの前にひざをついて、死んだおとうさんの手にキスをしました。そして、さめざめと泣いて、あつい涙をたくさん流しました。けれども、そうしているうちに、いつのまにか、両方の目がふさがって、とうとう、ベッドのかたい足に、頭をもたせかけたまま、眠りこんでしまいました。  すると、ヨハンネスは、ふしぎな夢を見ました。夢の中では、お日さまとお月さまとが、自分におじぎをするのです。それから、おとうさんが、またもとのように、元気になっているのです。そして、何かうれしいときによく笑う、あの、いつもの、おとうさんの笑い声が聞えるのです。長い、きれいな髪の毛に、金のかんむりをかぶった、美しい少女が、ヨハンネスに手をさしのべました。すると、おとうさんが、 「すばらしいお嫁さんをもらったもんだな。世界一きれいだよ」と言いました。  そのとたんに、目がさめて、楽しかった夢は、消えうせてしまいました。おとうさんは、やっぱり死んでいて、ベッドの中につめたく、横たわっています。あたりを見まわしても、ほかには、だれひとりいません。ああ、かわいそうなヨハンネス!  つぎの週に、お葬式をしました。ヨハンネスは、お棺のすぐうしろについていきました。あんなに自分をかわいがってくれた、大好きなおとうさんの顔を見るのも、いよいよ、きょうかぎりです。やがて、人々がお棺の上に、土を投げかける音がしました。でも、まだ、お棺のいちばんはしは見えています。けれども、シャベルで、土をもう一すくいして投げかけると、それも見えなくなりました。ヨハンネスは、悲しくて悲しくてたまりません。あんまり悲しいので、いまにも、胸がはりさけそうでした。  お墓のまわりで、みんなが讃美歌をうたいはじめました。その歌が、心の中までしみとおるようにひびきましたので、ヨハンネスの目には、涙がうかんできました。ヨハンネスは泣きました。でも、泣いたために、かえって、悲しみが、いくらかまぎれました。  お日さまが、緑の木々を、明るく照らしていました。まるで、こんなふうに、言っているようでした。 「そんなに悲しんではいけないよ、ヨハンネス。まあ、ごらん。お空があんなにきれいに、青々としているだろう。あの上に、いま、おまえのおとうさんはいるのだよ。そうして、おまえがいつもしあわせでいられるようにと、神さまにお願いをしているのだよ」 「ぼくは、いつまでも、よい人でいます」と、ヨハンネスは言いました。 「そうして、いつかは、天国のおとうさんのところへ行きます。ああ、おとうさんに、また会えたら、どんなにうれしいでしょう。ぼくには、おとうさんにお話ししてあげることが、いっぱいあるんです。おとうさんも、きっとまた、この世の中に生きていたときと同じように、ぼくにいろんなものを見せてくださったり、天国のすばらしいことを、たくさんお話ししてくださるでしょう。ああ、そうなったら、どんなにうれしいかしれません」  ヨハンネスは、そのときのありさまを、心の中に思いうかべてみました。すると、涙がまだ、頬をつたわり落ちているというのに、思わず知らず、にっこりとほほえみました。小鳥たちは、トチノキのこずえにとまって、ピーチク、ピーチク、さえずっていました。お葬式にきているのに、小鳥たちがこんなにうれしそうにしていたのには、ちゃんと、わけがあったのです。というのも、小鳥たちは、死んだおとうさんが、いまは天国で、自分たちの羽よりも、ずっと大きなつばさを持っているということや、また、おとうさんはこの世の中でよいことをした人でしたから、いまではしあわせになっているということを、すっかり知っていたからです。  ヨハンネスは、小鳥たちが、緑の木々を離れて、遠い世界へとんでいくのを見ると、自分もいっしょにとんでいきたくなりました。でも、それよりさきに、おとうさんのお墓の上に立てるように、大きな木の十字架をつくりました。ヨハンネスは、夕方、それを持って、お墓へ行きました。ところが、どうでしょう。お墓には、きれいに砂がもってあって、そのうえ、花まで飾ってあるではありませんか。これは、よその人たちが、しておいてくれたのです。というのは、死んだおとうさんは、みんなにたいそう好かれていたからでした。  あくる朝早く、ヨハンネスは、小さなつつみをこしらえました。そして、おとうさんの、のこしてくれた五十ターレルと、いくつかのシリング銀貨を、みんな、帯の中へしまいこみました。いよいよ、これから、広い世の中へ出ていこうというのです。でも、出かけるまえに、まず、おとうさんのお墓におまいりして、「主の祈り」をとなえました。そして、こう言いました。 「おとうさん、さようなら。ぼくは、いつまでもよい人間でいますよ。だから、ぼくがしあわせになれるように、神さまにお願いしてくださいね」  ヨハンネスが野原を歩いていくと、どの花もどの花も、暖かなお日さまの光をあびて、それはそれは美しく、いきいきとしていました。風にゆられながら、みんなは、うなずいてみせました。そのようすは、まるで、「よく来ましたね。ここは青々としていて、きれいでしょう」と言っているようでした。  ヨハンネスは、もう一度、うしろをふりむいて、古い教会にお別れをつげました。この教会で、ヨハンネスは、赤んぼうのとき、洗礼をうけたのです。日曜日ごとに、いつも、おとうさんといっしょに、この教会へ行っては、讃美歌をうたったものでした。  そのとき、ふと見ると、塔のてっぺんの小窓のところに、赤いとんがり帽子をかぶった、小さな教会の妖精が立っていました。妖精は、お日さまの光が目にあたらないように、手をひたいにかざしています。ヨハンネスは、さようなら、というつもりで、妖精にむかって頭をさげました。すると、ちっぽけな妖精のほうでも、赤い帽子をふったり、手を胸にあてて、幾度も幾度も、キスを投げたりしてくれました。こうして、ヨハンネスがしあわせでいるように、そしてまた、楽しい旅をすることができるように、願っていることを、見せようとしたのです。  大きな、すばらしい世の中へ出ていったら、さぞかし、たくさんの、美しいものが見られるだろうなあ、と、ヨハンネスは思いました。そこで、さきへさきへと、ずんずん歩いていきました。とうとう、今までに一度も来たことのない、遠いところまで来てしまいました。通りすぎる町も、見たことがありませんし、出会う人たちも、だれひとり見知った人はいません。もう、ヨハンネスは、遠い、よその国へ来てしまったのです。  さいしょの晩は、野原のまん中の、かれ草の山の上で、眠りました。それよりほかには、寝床がなかったのです。けれども、この寝床は、とってもすてきでした。どんな王さまだって、こんなすてきな、寝床はもっていらっしゃらないだろう、と、ヨハンネスは思いました。  小川の流れている、広い広い野原、かれ草の山、見わたすかぎり広がっている青い空。なんとすばらしい寝室ではありませんか。赤だの白だの、小さな花の咲いている、緑の草原は、しきものです。ニワトコの茂みと、野バラの生垣は、花たばです。顔をあらうのには、きれいな、つめたい水の流れている小川がありました。そこでは、アシがおじぎをして、「おやすみ」とか、「おはよう」と言っていました。お月さまは、青い天井に高くかかっている、大きな大きなランプです。このランプなら、カーテンを燃やす心配はありません。ですから、ヨハンネスは、安心して、眠ることができました。そして、ほんとうにぐっすりと眠ったので、あくる朝、目がさめたときには、もうお日さまが高くのぼって、小鳥たちがまわりで歌をうたっていました。 「おはよう、おはよう。まだ起きないの?」  鐘の音が、教会からひびいてきました。きょうは、ちょうど、日曜日だったのです。人々はお説教を聞きに、教会へ行きました。ヨハンネスも、みんなのあとからついていって、いっしょに讃美歌をうたい、神さまのお言葉を聞きました。そうしていると、小さいときに洗礼をうけて、それからもたびたび、おとうさんといっしょに讃美歌をうたった、あのなつかしい教会にいるような気がしてなりませんでした。  教会のうらの墓地には、ずいぶんたくさんのお墓がありました。中には、草がぼうぼうに生えているお墓も、いくつかありました。それを見ると、ヨハンネスは、おとうさんのお墓を思い出しました。おとうさんのお墓も、いつかは、こんなふうになってしまうかもしれません。だって、いまは、自分で草をとったり、おそうじをしてあげることができないのですから。  そこで、ヨハンネスは、地べたにすわりこんで、草をぬいたり、たおれている木の十字架を立てなおしたり、風のためにお墓から吹きとばされた花輪を、もとのところへおいたりしました。心の中では、「もしかしたら、だれかが、おとうさんのお墓を、こういうようにしてくれるかもしれない。ぼくには、いま、自分でしてあげることができないんだもの」と思っていました。  墓地の門の前に、ひとりの年とったこじきが、松葉杖にすがって、立っていました。ヨハンネスは、持っていたシリング銀貨を、のこらずやりました。それから、気もはればれとして、元気よく、また広い世の中へと歩いていきました。  夕方から、おそろしくひどい天気になりました。ヨハンネスは、どこかにとまるところはないかと思って、いそいで歩いていきました。ところが、まもなく、まっ暗になってしまいました。それでも、やっとのことで、丘の上にたった一つ、ぽつんと立っているお堂に、たどりつきました。ありがたいことに、とびらが、すこしあいていました。ヨハンネスは、そこから中にはいって、あらしがやむまで、ここで待つことにしました。 「このすみっこに、腰かけるとしよう」と、ヨハンネスは言いました。「すっかりくたびれちゃった。すこし、休まなくちゃいけない」  こう言いながら、ヨハンネスは、そこにひざまずき、手を合せて、夜のお祈りをとなえました。それから、いつのまにか、眠りこんで、夢を見ていました。外では、そのあいだも、いなずまがピカピカ光り、かみなりがゴロゴロ鳴っていました。  ヨハンネスが、目をさましたときは、もう、ま夜中でした。あらしは、とっくにすぎさっていて、お月さまが、窓から、ヨハンネスのところまで、明るくさしこんでいました。お堂のまん中に、ふたのしてない、お棺がおいてあって、その中に、死んだ人がはいっていました。この人は、まだお葬式をしてもらっていなかったのです。  ヨハンネスは、それを見ても、心の正しい子供でしたから、ちっともこわくはありませんでした。それに、死んだ人は、なんにもわるいことはしないということも、よく知っていました。わたしたちにめいわくをかけたりするのは、生きている、わるい人たちだけなのですからね。ところが、そういうよくない、生きている人間がふたり、死んだ人のお棺のそばに立っていました。このふたりは、ほんとうによくないことをしようとしていました。死んだ、このかわいそうな人を、お棺の中に、そっと寝かしておかないで、お堂の外へほうり出してしまおうとしていたのです。 「どうして、そんなことをするんですか?」と、ヨハンネスはたずねました。「わるいことじゃありませんか。その人を、どうかそこに、休ませておいてあげてください」 「ばかやろう」と、ふたりのひどい男は、言いました。「こいつは、おれたちをだましたんだぞ。おれたちから、金をかりておきゃあがって、返しもしねえうちに、死んじまやがったんだ。おれたちにゃ、一円だってはいりゃしねえ。だから、そのかたきをとってやろうってのよ。こいつを、イヌみたいに、お堂の外へおっぽり出しちまうんだ」 「ぼくには、五十ターレルしかありませんが」と、ヨハンネスは言いました。「でもこれは、おとうさんがのこしてくれた、お金のぜんぶなんです。もしおじさんたちが、そのかわいそうな死んだ人を、そっとしておいてあげると、約束してくださるんなら、このお金をあげましょう。ぼくは、お金がなくったって、平気です。ぼくには、こんなにじょうぶで、強い手足があるんですもの。それに、神さまは、いつだって、ぼくをたすけてくださるんです」 「ふん、そうか。おめえが、こいつの借りをはらおうってんなら、おれたちゃ、なんにもしねえよ。約束すらあ」と、そのひどい男たちは言って、ヨハンネスの出したお金をうけとると、こいつは、なんて人のいいこぞうだ、と、笑いながら、行ってしまいました。  ヨハンネスは、死んだ人を、お棺の中にもう一度ちゃんと寝かせて、手をくみあわせてやりました。それから、さようならをいって、心も楽しく、大きな森の中を、ずんずん歩いていきました。  あたりを見ると、木の枝のあいだからもれてくる、お月さまの光の中で、かわいらしい、小さな妖精たちが、いかにも楽しそうに、あそんでいます。妖精たちは、ヨハンネスがやさしい、よい子供だということを知っていましたので、さわいだり、逃げたりしないで、そのままあそんでいました。妖精の姿を見ることができないのは、わるい人たちだけなんですよ。  妖精たちの中には、指の大きさくらいしかないのもいました。みんな、長い金色の髪の毛を、金のくしでかきあげていました。見れば、小人たちは、ふたりずつに別れて、木の葉や、高い草の上にたまっている、大きな露のしずくの上で、玉乗りあそびをしていました。ときどき、しずくがころがり落ちると、その上に乗っている小人たちも、長い草のくきのあいだに、ころがり落ちました。すると、ほかの小人たちは、きゃっきゃっと笑って、大さわぎをしました。なんて、おもしろおかしいんでしょう! 妖精たちは、歌もうたいました。それは、ヨハンネスが小さいころにおぼえた、美しい歌でした。  銀のかんむりをかぶった、きれいな大きいクモが、生垣から生垣へとわたり歩いて、長いつり橋をかけたり、御殿をつくったりしていました。その上にきれいな露がおりて、それが、明るいお月さまの光をうけると、まるで、光りかがやく水晶のように見えました。こうして、お日さまがのぼるまで、みんなは、楽しくあそびつづけました。けれども、お日さまがのぼるといっしょに、小さな妖精たちは、花のつぼみの中にはいってしまいました。橋だの、御殿だのは、風に吹かれて、大きなクモの巣のように、空にとび散りました。  ヨハンネスが、ちょうど森から出たときです。うしろのほうから、大きな声で、 「おーい、旅の人。どこへ行くのかね?」とさけぶ、男の声が聞えました。 「広い世の中へ!」と、ヨハンネスは答えました。「ぼくは、おとうさんもおかあさんもない、あわれなものなんです。でも、神さまが、きっと、たすけてくださるんです」 「わたしも、広い世の中へ出たいんだよ」と、その知らない男は言いました。「どうだね、ふたりで仲間になって、行かないかね?」 「ええ、いいですよ」と、ヨハンネスは言いました。それから、ふたりは、いっしょに歩いていきました。ふたりとも、よい人たちでしたから、すぐに、仲よしになりました。けれども、ヨハンネスは、旅の仲間が、自分よりもずっとりこうなのに、すぐ気がつきました。この人は、いままでに、ほとんど世界じゅうを歩きまわっていて、なんでも知っているのです。  お日さまは、もう、高くのぼっていました。そこで、ふたりは、とある大きな木の下に、腰をおろして、朝御飯を食べようとしました。  すると、そこへ、ひとりのおばあさんがやってきました。見れば、まあ、なんという年よりでしょう! それこそ、もうよぼよぼで、腰もすっかりまがっているのです。それでも、おばあさんは、杖にすがって、背中には、森の中で集めてきた、まきを一たば、しょっていました。前にからげた前かけの中からは、シダとヤナギの枝でつくった、大きなむちが三本、のぞいていました。  おばあさんは、ふたりのそばまで来たとき、つるりと足をすべらせて、ころびました。いたいっ、と、おばあさんは、大きな声をあげました。むりもありません。ころんだ拍子に、片方の足をくじいてしまったのですもの。ほんとうに、気の毒なおばあさんです。 「ふたりで、このおばあさんを、うちまで連れていってあげましょうよ」と、すぐに、ヨハンネスが言い出しました。ところが、旅の仲間は、はいのうを開いて、小さな箱をとり出しました。そして、こう言うのです。 「この中に、こうやくがはいっているんだよ。これをおばあさんの足にぬってやれば、すぐになおるんだよ。そうすれば、おばあさんは、もとのように元気になって、ひとりで歩いて帰れるんだよ」それから、おばあさんにむかって、言いました。「おばあさん、足をなおしてあげるかわりに、その前掛けの中にある、三本のむちをくださいよ」 「そりゃ、高すぎますよ」と、おばあさんは言って、みょうなふうに頭をふりました。そのむちは、どうしても、やりたくなかったのです。そうかといって、足をくじいたまま、こうしてたおれているのも、いやです。それで、おばあさんは、しかたなく、そのむちをわたすことにしました。  おばあさんは、くじいた足に、こうやくをぬってもらうと、すぐに立ちあがって、前よりも元気に歩いていきました。もちろん、そうなったのも、こうやくのおかげです。といっても、このこうやくは、どこのくすり屋ででも、買えるというわけのものではありません。 「そんなむちを、どうするんですか?」と、ヨハンネスは旅の仲間にたずねました。 「これで、きれいな花たばが三つできるよ」と、旅の仲間は言いました。「わたしは、こういうものが好きでね。かわりものだからさ」  それから、ふたりは、また、かなり歩いていきました。 「あっ、天気がわるくなってきますよ」と、ヨハンネスは、言いながら、むこうの空を指さしました。「あんなにおそろしい黒雲が、むくむくと出てきましたよ」 「いやいや、あれは雲じゃない。山だよ。しかも、山も山、大きな、りっぱな山なんだよ。てっぺんにのぼれば、雲の上に出て、すがすがしい空気がすえるんだ。まったくすばらしいよ。あしたは、きっと、あの山をこえて、もっとさきの広い世の中へ、行ってるだろう」と、旅の仲間は言いました。山は、見かけほど近くはありませんでした。ふたりが、山のふもとまで行くのに、まる一日かかってしまいました。山には、黒々とした森が、空にむかって、まっすぐつき立っていました。それから、町くらいもありそうな、ものすごく大きな岩もありました。こんな山をのぼるのは、さぞかし、骨がおれるにちがいありません。そこで、ヨハンネスと旅の仲間は、まず、宿屋にはいりました。ここで、ゆっくり休んで、あしたの山のぼりのために、元気をつけておこうと思ったのです。  宿屋の一階にある大きな酒場には、大ぜいの人が集まっていました。それというのも、人形芝居をする男が来ていたからです。ちょうどいま、人形つかいが、小さな舞台をこしらえおわったところでした。みんなは、芝居を見物しようとして、ぐるりと、そのまわりに、腰をおろしていました。いちばん前の、しかもいちばんいい席には、でっぷりとした、肉屋の親方が、腰かけていました。おとなりには、親方の大きなブルドッグがすわって、みんなと同じように、目玉をぐりぐりやっていました。おまけに、いまにもかみつきそうな顔をして。  さて、芝居がはじまりました。王さまとお妃さまの出てくる、おもしろい芝居でした。おふたりは、頭に金のかんむりをかぶり、長いすそをうしろにひいて、それは美しい玉座に腰をおろしていました。おふたりは、たいへんなお金持でしたから、こんなりっぱなかっこうをしていることができたのです。ガラスの目をした、大きな八の字ひげのある、すてきにかわいらしい木の人形が、ドアというドアのところに立っていました。そして、あたらしい空気を部屋の中に入れるために、ドアをあけたり、しめたりしていました。  芝居のすじは、たいそうおもしろいもので、悲しいところなどは、すこしもありませんでした。ところが、お妃さまが立ちあがって、床を歩こうとしたときです。あの大きなブルドッグめは、いったい、なにを考えたというのでしょう。ふとった肉屋の親方がおさえなかったものですから、いきなり、舞台の上にとびあがって、お妃さまのほっそりした腰に、がぶりとかみついたのです。メリメリッという音がしました。いやはや、なんともおそろしいことです!  かわいそうに、人形つかいは、びっくりぎょうてん。こわれたお妃さまのことを、心からなげき悲しみました。なぜって、このお妃さまは、この人の持っている人形の中で、いちばんきれいな人形なのでしたから。それなのに、いま、このにくらしいブルドッグめが、頭をかみ切ってしまったのです。  ところが、人々が、みんな行ってしまうと、ヨハンネスの旅の仲間が、その人形を、もとのようになおしてあげましょう、と言い出しました。そして、あの小さな箱をとり出して、人形にこうやくをぬってやりました。そら、前にも、かわいそうなおばあさんが足をくじいたとき、ぬって、なおしてやった、あのこうやくですよ。  それをぬったとたんに、人形は、もとどおりになりました。いやいや、それどころか、今度は、ひとりで、手足を動かすことができるようにさえなりました。これなら、もう、だれも、糸であやつってやる必要はありません。この人形は、ただ話すことができないだけで、あとは、生きている人間と、なんのかわりもなくなりました。人形芝居の親方は、心からよろこびました。だって、そうでしょう。この人形は、ひとりで踊れるんですからね。もうこれからは、手で持っていなくてもいいわけです。こんなまねのできる人形は、ほかにはありません。  やがて、夜がふけました。宿屋の人たちは、みんな、寝床にはいりました。すると、どこかで、だれかが、深いため息をついています。しかも、そのため息が、いつまでもいつまでもつづくのです。そこで、みんなは、もう一度起きあがって、だれだろうと、見に行きました。人形芝居の親方は、どうも、そのため息が、自分の小さな舞台のほうから、聞えてくるような気がしました。そこで、行ってみると、木の人形たちは、王さまをはじめ、王さまをまもっている兵隊たちまで、みんなかさなりあって、横になっています。この人形たちが、大きなガラスの目で、どこともなく、じいっと見つめながら、あんなあわれなため息をついているのでした。なぜって、みんなも、お妃さまと同じように、ちょっとこうやくをぬってもらって、ひとりで動くことができるようになりたかったのです。  お妃さまは、すぐにひざをついて、りっぱな金のかんむりを高くささげながら、 「これをさしあげますから、どうか、わたしの夫と家来たちに、くすりをぬってやってくださいませ」と、たのみました。  それを聞くと、この芝居の舞台と、ぜんぶの人形を持っている男は、かわいそうになって、思わず、涙ぐみました。この人は、心の底から、人形たちがかわいそうになったのです。そこで、さっそく、旅の仲間にむかって、 「四つか五つでけっこうですから、この中のいちばんきれいな人形に、くすりをぬってやってください。そうすれば、あしたの晩、芝居をやって、もうけたお金は、のこらず、あなたにさしあげます」と、申し出ました。  ところが、旅の仲間は、 「あなたが腰にさげている、そのサーベルをください。ほかには、なんにもいりません」と、答えました。そして、サーベルをもらうと、旅の仲間は、六つの人形にこうやくをぬってやりました。すると、人形たちは、みるみるうちに、踊り出しました。その踊りのかわいらしいことといったら、人間の娘たちまでが、それを見ていた、ほんとうの人間の娘たちまでが、いっしょに踊りだしたくらいです。すると、今度は、御者と料理女も踊り出しました。つづいて、下男と女中たちも、見ていたお客さんたちも、みんな踊りはじめました。そればかりではありません。じゅうのうと、火ばしまでも、踊り出したのです。けれども、じゅうのうと、火ばしは、さいしょに一はねしたとたんに、ひっくりかえってしまいました。いやもう、なんともいえない、ゆかいな晩でした。――  あくる朝、ヨハンネスと旅の仲間は、みんなに別れをつげて、高い山をのぼりはじめました。大きなモミの木の森を通って、ずいぶん高くのぼっていきました。やがて、下のほうに見える教会の塔は、いちめんの緑にかこまれて、小さな赤いイチゴのようになりました。山の上からは、まだ行ったこともない、何マイルも何マイルも遠くのほうまで、見わたすことができました。こんなに美しい世界の、こんなにたくさんのすばらしいものを、いっぺんに見たことは、まだ一度もありませんでした。  お日さまは、すがすがしい青い空から、それはそれは暖かく照っていました。かりゅうどたちが、山の中で吹いている角笛のひびきも、聞えてきました。その音色は、たとえようもないほど美しくて、心にしみ入るようでした。ヨハンネスの目には、ひとりでに、よろこびの涙が浮んできました。そして、思わず知らず、こう言いました。 「ああ、おなさけ深い神さま。ぼくは、あなたにお礼のキスをいたします。あなたは、ぼくたちみんなに、こんなに親切で、この世の中の、ありとあらゆる美しいものをくださったんですもの」  旅の仲間も、手をあわせて、立っていました。そして、暖かなお日さまの光をあびながら、森や町をながめわたしていました。  そのとき、頭の上で、びっくりするほど美しい声がしました。見ると、大きな白いハクチョウが一羽、空をとんでいます。姿が美しいばかりか、そのうたう歌声は、いままで、どんな鳥からも聞いたことがないくらいでした。ところが、その歌声が、だんだん弱ってきました。と思っているうちに、ハクチョウは頭をたれて、ゆっくりと、ふたりの足もとに落ちてきました。そして、それなり、この美しい鳥は死んでしまいました。 「この鳥のつばさは、こんなに白くて大きいし、それに、こんなにきれいだから、二枚そろっていれば、きっと、お金になる。これを持っていこう。それそれ、サーベルをもらっておいたのが、こんなとき、役にたつだろう」と、旅の仲間は言いながら、死んだハクチョウのつばさを二枚、さっと切り落して、それを持っていきました。  ふたりは、それからも山をこえて、何マイルも何マイルも旅をつづけました。とうとう、大きな町が、むこうのほうに見えてきました。何百という、たくさんの塔が、お日さまの光をあびて、銀のようにかがやいています。町のまん中には、赤い金の屋根をいただいた、りっぱな大理石の御殿がありました。そこに、この国の王さまが住んでいたのです。  ヨハンネスと旅の仲間は、すぐに、町の中へはいっていかないで、町はずれの、とある宿屋によりました。町中を歩くとき、きちんとしたかっこうでいられるように、ここで身なりをととのえておこうと思ったのです。宿屋の主人は、ふたりにむかって、こんな話をしました。 「この国の王さまは、たいへんおやさしい、よい方で、どんな人をも苦しめるようなことはなさいません。それなのに、お嬢さまといったら、ほんとになさけない話ですが、それはひどいお姫さまなんですよ。おきれいなことは、たしかに、おきれいです。お姫さまくらいお美しくて、人の心をまよわすような方は、どこにもいませんでしょう。でも、そんなことが、なんになりましょう。と申しますのも、お姫さまは、ほんとうは、たちのわるい魔女なんですからね。りっぱな王子さまがたが、大ぜい命をなくされたのも、みんな、この方のためなんです。  お姫さまには、どんな人が結婚を申しこんでも、さしつかえないことになっています。その人が、王子さまであっても、たとえ、こじきであっても、そんなことはかまいません。だれでもよろしいのです。ただ、その人は、お姫さまのお出しになる三つのなぞを、うまくとかなければなりません。もし、うまくとければ、お姫さまをお嫁さんにして、お姫さまのおとうさまが、おなくなりになったあとは、この国の王さまになれるというわけです。しかし、なぞがうまくとけない場合は、たいへんでして、その人は、その場で首をくくられるか、切られるかしてしまうのです。お姫さまは、お美しいのに、こんなにもひどい方なんですよ。  お年よりの王さまは、このことを、たいそう悲しんでいらっしゃいます。けれども、そんなひどいことをしてはいけないと、お姫さまにおっしゃれないわけがあるんです。じつは、王さまは、以前に、 『おまえのところへ結婚を申しこんでくるものについては、なにも口を出さんことにする。おまえの好きなようにしなさい』と、お姫さまにおっしゃったことがあるものですからね。  王子さまが、方々からおいでになって、お姫さまをもらおうと思って、なぞをとこうとなさいます。けれども、そのたびに、いつもうまくいかないで、首をくくられるか、切られるかしてしまうんです。むろん、そんなときには、町の人たちは、前もって王子さまがたに、結婚の申しこみをするのはおよしなさいと、とめはするんですがね。  お年よりの王さまは、たびたび、こういう悲しい出来事が起るのを、心からなげいていらっしゃいます。年に一度は、かならず、兵隊たちといっしょに、一日じゅう、神さまのまえにひざまずいて、 『姫が、どうか、よい人間になってくれますように』と、お祈りをなさいます。  しかし、そうなさっても、やっぱりお姫さまは、もとのままで、少しもおかわりになりません。町のおばあさんたちは、ブランデーを飲むときには、まず、まっ黒にしてから飲みます。そのくらい、みんなは、悲しんでいるんですよ。しかし、それ以上は、どうすることもできないのです」 「ひどいお姫さまだなあ!」と、ヨハンネスは言いました。「そんなお姫さまこそ、ほんとうに、むちで打ってやるといい。そうすれば、すこしはよくなるかもしれない。もしぼくが、お年よりの王さまだったら、うんと、ひどいめにあわせてやるんだがなあ!」  そのとき、おもてで、人々が、ばんざい、ばんざい、とさけぶ声が、聞えてきました。見れば、お姫さまのお通りです。なるほど、お姫さまは、たいそう美しい方です。そのため、だれもかれもが、お姫さまがひどい方であることも忘れて、ばんざい、ばんざい、とさけんでいるのでした。  白い絹の着物を着た、十二人の美しい少女たちが、手に金のチューリップを持ち、まっ黒なウマに乗って、おそばにしたがっていました。お姫さまはと見れば、ダイヤモンドとルビーで、キラキラとかざりたてた、雪のようにまっ白なウマに乗っていました。お姫さまの乗馬服は、金の糸で織ってありました。手に持っているむちは、お日さまの光のようにさえ思われました。頭にいただいている金のかんむりは、まるで、夜空にきらめく星のようでした。がいとうは、何千もの、きれいなチョウの羽を集めて、ぬいあわせたものでした。それでも、お姫さまのほうが、こんな着物よりも、まだまだずっと美しかったのです。  ヨハンネスは、お姫さまを一目見たとたん、まるで顔から血がしたたっているように、まっかになりました。ひとことも、口をきくことができません。このお姫さまこそ、おとうさんが死んだ晩に見た、夢の中の、あの、金のかんむりをかぶった、美しい少女にそっくりです。お姫さまがあんまり美しいので、ヨハンネスは、たちまち、大好きになりました。みんなの話だと、このお姫さまは、なぞをうまくとくことのできない人たちの、首をくくらせたり、切らせたりする、わるい魔女だということです。でも、そんなことは、うそにちがいない、と、ヨハンネスは心に思いました。 「そうだ。だれでも、お姫さまに結婚の申しこみをすることができるという話だ。たとえ、どんなに貧しいこじきでも。よし、ぼくも、これから御殿へ出かけよう。だって、もう、じっとしてはいられないもの」と、ヨハンネスは言いました。 「そんなことは、およしなさい。きっと、ほかの人たちと、同じようなめに会いますよ」と、みんなは、口をそろえて言って聞かせました。旅の仲間も、あきらめるようにすすめました。けれども、ヨハンネスは、 「ぜったいに、うまくいきます」と言って、靴や着物にブラシをかけたり、顔や手をあらって、きれいなブロンドの髪の毛に、くしを入れたりしました。それから、たったひとりで、町の中へはいって、御殿をさして行きました。  ヨハンネスが、御殿のとびらを、トントンとたたくと、お年をとった王さまが、「おはいり」と、言いました。――ヨハンネスがとびらをあけると、お年よりの王さまが、長いガウンを着、ししゅうをしたスリッパをはいて、出てきました。頭には金のかんむりをいただいて、片手に、しゃくを持ち、もう一方の手には、金のたからの玉を持っていました。 「ちょっとお待ち」と、王さまは言って、金の玉をわきの下にかかえてから、ヨハンネスに手をさし出しました。けれども、ヨハンネスが、ぼくは、お姫さまに結婚の申しこみをしにきました、と言うのを聞くと、はらはらと涙をこぼして、思わず、しゃくも金の玉も、床に落してしまいました。それから、ガウンで目の涙をふきました。なんという、お気の毒な、お年よりの王さまでしょう。 「それだけはよしなさい」と、王さまは言いました。「おまえも、ほかのものたちと同じように、ひどいめに会いますぞ。まあ、これを見てごらん」  こう言って、王さまは、ヨハンネスを、お姫さまの庭に連れていきました。見れば、身の毛もよだつような、おそろしい光景です!  木という木には、お姫さまに結婚を申しこんで、なぞを、うまくとくことのできなかった王子が、三人、四人と、つるされているのです。風が吹いてくるたびに、がいこつが、カタカタと鳴っているではありませんか。小鳥たちさえも、こわがって、この庭の中へは、はいってこようとしないのです。花は、どれもこれも、人間の骨にゆわえつけてあります。植木ばちには、人間の頭の骨が植わっていて、歯をむき出しています。ほんとうに、なんということでしょう。これが、お姫さまの庭なんですからね。 「わかったかね」と、お年よりの王さまは言いました。「おまえも、ここにいるほかの人たちと、同じめに会うことになるのだよ。だから、どうか、やめておくれ。おまえに、もしものことがあったら、わしは、ますます悲しくなって、いっそう不幸になるのだよ」  ヨハンネスは、やさしいお年よりの王さまの手にキスをして、言いました。 「だいじょうぶ、うまくいきますよ。ぼくは、美しいお姫さまが大好きなのです」  そのとき、お姫さまが、侍女たちを連れて、ウマに乗って、中庭へはいってきました。王さまとヨハンネスは、お姫さまをむかえて、あいさつしました。お姫さまは、ほんとうに美しい方です。いま、ヨハンネスにむかって、やさしく手をさしのべました。ヨハンネスは、前よりももっと、お姫さまが好きになりました。このお姫さまが、みんなの言うように、たちのわるい魔女だとは、どうしても考えられません。  みんなは、広間へはいりました。小姓たちが、砂糖づけのくだものだの、コショウのはいったクルミ菓子だのを持ってきました。しかし、お年よりの王さまは、悲しすぎて、なんにも食べることができませんでした。もっとも、クルミ菓子は、お年よりの王さまにとっては、すこしかたすぎましたがね。  ヨハンネスは、あくる朝、もう一度、御殿へ来るように言われました。そのときには、裁判官と顧問官が、みんな集まって、ヨハンネスがどんな答えをするか、聞くわけなのです。うまくなぞがとければ、あと、もう二度、御殿へ来ることになっていました。といっても、いままでのところでは、さいしょのときに、なぞがとけたものは、ひとりもありませんでした。第一回めで、みんな、命をなくしてしまったのです。  ヨハンネスは、自分がどうなるかということなどは、まるで考えてもみませんでした。それどころか、心から楽しそうに、いまはただ、美しいお姫さまのことばかり考えているのでした。そして、神さまが、きっとおたすけくださるものと、思っていました。でも、どういうふうにして、助けてくださるのかということは、さっぱりわからないのです。そこで、そのことは、考えないことにしました。ヨハンネスは、大通りを、小おどりしながら、旅の仲間の待っている宿屋に帰っていきました。  ヨハンネスは、お姫さまがとっても親切にしてくれたことや、びっくりするほど美しい方だったということを、くりかえしくりかえし、話しました。そして、あしたが待ち遠しくてなりませんでした。あしたは、いよいよ、御殿へ行って、なぞをといて、自分の運をためすのです。  ところが、旅の仲間は、頭をふって、いかにも悲しそうなようすで、言うのでした。 「わたしは、おまえさんが大好きだよ。だから、もっといっしょにいたいんだが、ああ、もう、別れなければならないのか。  かわいそうなヨハンネスさん。わたしは、泣きたいよ。だが、今夜は、きっと、ふたりでいっしょにすごす、さいごの晩になるんだから、おまえさんのよろこびをぶちこわしたくはない。ゆかいに、うんと楽しくすごそうよ。あした、おまえさんが出かけてしまったら、思いきり泣けるんだからね」  町の人たちは、すぐに、だれかがまた、お姫さまに結婚を申しこんだことを知りました。それで、町じゅうが、深い悲しみにつつまれました。芝居小屋はしまってしまうし、菓子屋のおかみさんたちは、砂糖菓子の子ブタに、黒い喪章をまきつけました。王さまと牧師さんたちは、教会でひざまずいて、神さまにお祈りをしました。ほんとうに、どこもかしこも、悲しみでいっぱいでした。むりもありません。ヨハンネスが、いままでの人たちよりも、うまくやるだろうとは、だれにも考えられませんでしたからね。  夕方になると、旅の仲間は、大きなはちに、ポンスをいっぱい、作りました。そして、ヨハンネスにむかって、 「さあ、ゆかいにやろうよ。お姫さまのために、かんぱいしようじゃないか」と、言いました。  ヨハンネスは、ポンスを二はい飲むと、どうにも眠たくなって、目をあけていることができなくなりました。そして、とうとう、眠りこんでしまいました。旅の仲間は、ヨハンネスを椅子から、そっとだきあげて、ベッドの中に寝かしてやりました。  やがて、夜がふけて、あたりはまっ暗になりました。すると、旅の仲間は、ハクチョウから切りとってきた、あの大きな二つのつばさをとり出して、自分の肩に、しっかりとゆわえつけました。それから、いつか、足をくじいたおばあさんからもらった、三本のむちの中で、いちばん大きいのを、ポケットに入れました。それから、旅の仲間は、窓をあけて、御殿をさして、町の上をとんでいきました。御殿につくと、お姫さまの寝室の窓のすぐ下のすみっこに、ちぢこまってかくれました。  町じゅうが、しーんと、しずまりかえっていました。時計が、十二時十五分前をうちました。と、窓があいて、お姫さまが、長いまっ白ながいとうを着て、大きな黒いつばさをつけて、とび出しました。お姫さまは、町をこえて、大きな山のほうへむかって、とんでいきました。旅の仲間は、自分のからだが、よそから見えないようにしていました。それで、お姫さまには見つからずに、すぐそのあとを追いかけて、お姫さまのからだを、むちで打ちました。打ったところからは、血が流れ出ました。ああ、なんとおそろしい空の旅でしょう! 風のために、お姫さまのがいとうはあおられて、まるで、大きな帆のように、あっちへもこっちへもひろがりました。それをすかして、お月さまの光が、ぼんやり見えました。 「まあ、ひどいあられだこと! ひどいあられだこと!」と、お姫さまは、むちで打たれるたびに言いました。  でも、お姫さまは、むちで打たれるくらい、しかたがありません。それでも、とうとう、山につきました。山につくと、お姫さまは、トントンと山をたたきました。すると、かみなりの鳴るような、すさまじい音がして、山がさっと開きました。  お姫さまは、中へはいっていきました。旅の仲間も、すぐあとにつづいて、はいりました。よそからは、からだが見えないようにしていましたから、だれも、旅の仲間に気がついたものはありませんでした。お姫さまと、旅の仲間は、大きな、長い廊下を通っていきました。廊下のかべは、ふしぎな光をはなっていました。それもそのはず、何千とも知れない光グモが、かべをはいあがったり、おりたりして、火のように光っていたからです。  やがて、ふたりは、金と銀とでつくられた、大きな広間に出ました。ヒマワリほどもある、赤や青の大きな花が、かべにかがやいていました。けれども、この花をつむことは、だれにもできません。なぜなら、くきと見えたのは、じつは、見るもおそろしい、毒のあるヘビでしたし、また、花と思われたのは、そのヘビの口からはき出すほのおだったのです。天井では、ホタルがピカリピカリと光り、空色のコウモリが、うすいつばさを、バタバタうっていました。そのありさまは、なんともいいようのない、ふしぎな光景でした。  広間のまん中に、玉座がありましたが、それは、四つのウマのがいこつの上にのっていました。くつわは、まっかな火のクモでできていました。玉座はといえば、乳色のガラスでできていました。クッションは、たがいにしっぽをかみあっている、小さな黒ネズミたちです。玉座の上には、バラのように赤いクモの巣の、天がいがありました。それには、見るもかわいらしい、小さな緑のハエがちりばめてあって、宝石のようにキラキラしていました。  その玉座には、ひとりの年とった魔法使いが、みにくい頭にかんむりをかぶり、手には、しゃくを持って、すわっていました。魔法使いは、お姫さまのひたいにキスをして、自分のそばのりっぱな椅子に、腰をおろさせました。  やがて、音楽がはじまりました。大きな黒いキリギリスが、ハーモニカを吹き鳴らしました。フクロウは、たいこがないので、かわりに、自分のおなかをたたきました。なんておかしなコンサートでしょう。ちっぽけな黒い小人が、ずきんに鬼火をつけて、広間の中を踊りまわりました。  そうしているあいだも、旅の仲間の姿は、だれにも見えませんでした。ほんとうは、玉座のすぐうしろに立っていて、なにもかも、のこらず見たり、聞いたりしていたのでした。  そのうちに、宮中の役人たちが出てきました。見れば、たいそうきれいで、じょうひんなようすをしています。しかし、ほんとうにものを見ることができる人ならば、その役人たちがなんであるか、すぐにわかるはずです。  じつは、この役人たちは、ほうきのえに、キャベツの頭が、くっついているだけだったのです。魔法使いが、それに命をふきこんで、ししゅうをした着物をきせてやっていたのです。けれども、そんなことは、どうだってかまいません。ただ、にぎやかに飾りたてるためのものだったのですから。  それからも、踊りは、しばらくつづきました。そのあとで、お姫さまは魔法使いに、またあたらしく、結婚を申しこみに来た人のあることを話しました。そして、 「あしたの朝、その人が御殿へ来たら、どんなことを心に思っていて、たずねてみましょうか?」と、ききました。 「いいかい。おまえに、いいことを教えてやろう」と、魔法使いは言いました。「なにか、ごくやさしいことを考えていなさい。そういうことは、あんがい思いつかんもんでな。そうだ、おまえの靴のことでも考えていなさい。まず、あたりっこないね。そうしたら、すぐ首を切らせなさい。だが、あすの晩、わしのところへ来るときには、忘れずに、そいつの目玉を持ってくるんじゃよ。もう、目玉が食いたくてたまらんからのう」 「はい、目玉は、忘れずに持ってまいります」と、お姫さまは、ていねいにおじぎをして、言いました。魔法使いが山を開いてやると、お姫さまは、御殿を目ざして、とんで帰りました。旅の仲間も、すぐそのあとを追いかけて、お姫さまをむちで、打って打って、打ちのめしました。なんてひどいあられなんだろう、と、お姫さまは、深いため息をつきつき、大いそぎでとんで帰って、窓から寝室の中へはいりこみました。  いっぽう、旅の仲間は、ヨハンネスがまだ眠っている宿屋にとんで帰りました。つばさをはずすと、くたびれきっていましたので、すぐに寝床にはいりました。  あくる朝、ヨハンネスは、ずいぶん早くから目をさましました。旅の仲間も起きあがって、こんなことを言いました。 「ゆうべは、みょうな夢を見ましたよ。それが、お姫さまと、お姫さまの靴の夢なんでね。だから、ヨハンネスさんや、『お姫さまは、ご自分の靴のことを、考えていらっしゃるんじゃありませんか』と、きいてごらんなさいよ」  もちろん、これは、旅の仲間が、山の魔法使いから、自分の耳で、じかに聞いたことなのです。しかし、ヨハンネスには、そのことは、なんにも言いませんでした。 「ぼくは、なんて言うか、まだきめてないんです」と、ヨハンネスは言いました。 「あなたが夢でごらんになったことは、きっと、ほんとうのことにちがいありません。だって、ぼくは、神さまが、きっと助けてくださると信じているんですもの。だけど、あなたともお別れですね。もしも、ぼくがやりそこなったら、もうこれっきり、お会いできないんですからね」  そこで、ふたりは、キスをしあいました。それから、ヨハンネスは、町へはいって、御殿をさして行きました。  大きな広間は、人でいっぱいでした。裁判官たちは、ひじかけ椅子に腰かけて、頭のうしろに、カモのやわらかいわた毛のつまったふとんをあてていました。それというのも、この人たちは、いろんなことを、どっさり考えなければなりませんからね。  お年よりの王さまは、立ちあがって、白いハンカチで、目の涙をふきました。まもなく、お姫さまがはいってきました。きょうはまた、お姫さまは、きのうよりもずっと美しく見えます。そして、そこにいる人々に、あいそよくあいさつしてから、ヨハンネスに手をさし出して、「おはようございます」と、言いました。  いよいよ、ヨハンネスは、お姫さまが何を考えているか、言いあてることになりました。お姫さまは、やさしくやさしく、ヨハンネスを見つめました。ところが、たったひとこと、「くつ」という言葉が、ヨハンネスの口から出ると、お姫さまの顔の色は、たちまち、雪のようにまっ白になって、からだじゅうが、ぶるぶるふるえだしました。もう、どうすることもできません。ヨハンネスは、みごとに言いあてたのです。 「みごとじゃ。よくやったのう!」お年よりの王さまは、どんなによろこんだことでしょう。あんまりうれしすぎて、つい、トンボ返りをうちました。それを見ていた人たちは、だれもかれも、王さまと、それから、はじめてうまく言いあてたヨハンネスとにむかって、さかんに拍手を送りました。  旅の仲間も、うまくいったことを聞いて、たいそうよろこびました。ヨハンネスは、すぐに手をあわせて、神さまにお礼を申しあげました。神さまは、これからの二回も、きっと助けてくださるでしょう。つぎの日も、また、なぞをとくことになっていました。  その晩も、ゆうべとそっくり同じでした。ヨハンネスが眠ってしまうと、旅の仲間は、お姫さまのあとを追いかけて、山までとんでいくあいだじゅう、ゆうべよりももっと強く、むちでお姫さまを打ちました。今夜は、はじめから、むちを二本持っていったのです。そして、やっぱり、だれにも姿を見られずに、なにからなにまで、のこらず聞いてしまいました。今度は、お姫さまは、手袋のことを考えることになりました。そこで、旅の仲間は、またそれを夢で見たことにして、ヨハンネスに話してやりました。ですから、ヨハンネスは今度も、うまく言いあてることができました。  御殿では、みんな大よろこびです。役人たちは、きのう、王さまがなさったように、きょうは、みんなで、トンボ返りをうちました。けれども、お姫さまだけは、ソファに横になったきり、口をきこうともしませんでした。  さあ、ヨハンネスは、はたして、三度めも、うまく言いあてることができるでしょうか。もしもうまくいけば、美しいお姫さまをもらうばかりか、お年よりの王さまがなくなったあとは、この国ぜんぶを受けつぐことになるのです。そのかわり、もしもしくじれば、命をなくしてしまうのです。おまけに、美しい青い目を、あの魔法使いに食べられてしまうのです。  その晩も、ヨハンネスは、早く寝床にはいって、夜のお祈りをとなえました。それから、ぐっすりと眠りました。いっぽう、旅の仲間は、背中につばさをゆわえつけ、腰にサーベルをさげて、そして今夜は、むちを三本とも持って、御殿をさしてとんでいきました。  今夜は、まっ暗やみでした。おまけに、ひどいあらしになりました。屋根のかわらは吹きとばされ、がいこつのぶらさがっている庭の木々は、風が吹くたびに、アシのようにゆれ動きました。いなずまは、ひっきりなしにピカピカ光り、かみなりは一晩じゅう、ゴロゴロ鳴りつづけました。  そのうちに、窓があいて、お姫さまがとび出しました。見れば、顔の色は、死んだ人のように青ざめています。けれども、このくらいのあらしなら、まだたいしたことはない、といった顔つきで、このすさまじいあらしをも、鼻さきで笑っていました。お姫さまの白いがいとうは、風に吹かれて、大きな船の帆のように、空にパタパタひるがえりました。旅の仲間は、三本のむちで、お姫さまを打ちのめしました。血がぼたぼた地面にしたたり落ちました。お姫さまは、やっとの思いでとんでいきました。それでも、どうにか、山にたどりつきました。 「ひどいあられが降って、おそろしいあらしですわ」と、お姫さまは言いました。「こんなお天気に外へ出たことは、いままで一度もありません」 「なあに、いいことだって、たんとあるだろうさ」と、魔法使いは言いました。  お姫さまは魔法使いに、ヨハンネスが二度めも、ちゃんと言いあてたことを話しました。そして、 「もし、あしたも、うまく言いあてれば、あの男の勝ちになって、あたしは、あなたのところへ来られなくなりますし、いままでのように、魔法を使うこともできなくなります」と、言って、たいそう悲しみました。 「今度こそ、言いあてさせるものか。よし、そいつの思いもおよばないことを考え出してやろう。それでも、だめなら、そいつは、わしよりえらい魔法使いにちがいない。まあ、そりゃあそうとして、ゆかいにさわごうじゃないか」と、魔法使いは言って、お姫さまの手をとりました。それから、ふたりは、広間にいる小人や鬼火たちといっしょに、ぐるぐる踊りまわりました。赤いクモも、元気よく、かべをとびあがったり、とびおりたりしました。ですから、火の花が、火花を散らしているように見えました。フクロウはたいこをたたき、コオロギは口笛を吹き、黒いキリギリスはハーモニカを吹き鳴らしました。いやはや、じつにゆかいな舞踏会です!  それから、みんなは、さんざん踊りぬきました。もうぼつぼつ、お姫さまは、御殿へ帰らなければなりません。このくらいで帰らないと、御殿の人たちが、お姫さまのいないのに、気がついてしまいます。 「御殿まで送っていってやるよ。そうすれば、そのあいだだけでも、いっしょにいられるからね」と、魔法使いが言いました。  そこで、ふたりは、すさまじいあらしの中へ、とび出していきました。旅の仲間は、ふたりの背中を、三本のむちで、力いっぱい、打ちのめしました。さすがの魔法使いも、こんなにひどくあられの降る中を、とんだことはありませんでした。御殿の上まで来ると、魔法使いは、お姫さまに別れをつげて、 「わしの頭のことを考えていなさい」と、そっと、ささやきました。それでも、旅の仲間には、その声が、はっきりと聞きとれました。  お姫さまは、窓からそっと、寝室の中へすべりこみました。魔法使いのほうは、ひき返そうとしました。ところが、そのときです。旅の仲間は、魔法使いの長い、まっ黒なひげをつかんだかと思うと、いきなりサーベルを引きぬいて、そのみにくい頭を、首のつけ根のところから、切り落してしまいました。とうとう、魔法使いは、一度も、旅の仲間の姿を見ることができませんでした。旅の仲間は、魔法使いのからだを、湖の中へほうりこんで、さかなのえさにしました。頭だけは、水でよくあらってから、絹のハンカチにつつんで、宿屋に持って帰りました。それから、寝床にはいって眠りました。  あくる朝、旅の仲間は、ヨハンネスにハンカチのつつみをわたしながら、 「お姫さまが、『あたしは、なにを考えていますか?』と、きくまでは、このつつみをほどいてはいけませんよ」と、言いました。  御殿の大きな広間には、大ぜいの人たちが、ぎっしりつめかけていました。まるで、赤ダイコンをたばにしたみたいなありさまです。顧問官たちは、椅子に腰かけて、やわらかなふとんを頭のうしろにあてていました。お年よりの王さまは、あたらしい着物を着ていました。金のかんむりと、しゃくとは、ピカピカにみがいてあって、たいそうりっぱに見えました。ところが、お姫さまはというと、顔の色はすっかり青ざめています。しかも、お葬式に出かけるときのような、まっ黒な着物を着ているのです。 「あたしは、いま、なにを考えていますか?」と、お姫さまは、ヨハンネスにたずねました。  そこで、ヨハンネスは、ハンカチのつつみをほどきました。ところが、どうでしょう。ほどいたとたん、だれよりもさきに、自分のほうがびっくりしてしまいました。なにしろ、おそろしい魔法使いの首が、ころがり出たんですからね。あまりのものすごさに、だれもかれもが、ふるえあがりました。お姫さまは、石の像のように、じっとしたまま、ひとことも口をきくことができません。それでも、とうとう、立ちあがって、ヨハンネスに手をさし出しました。とにかく、ヨハンネスは、ぴたりと言いあててしまったのですからね。  お姫さまは、だれの顔も見ないで、深いため息をつきながら、言いました。 「あたしは、あなたの奥さまになりますわ。今夜、結婚式をあげましょう」 「よかった、よかった。では、そういうことにいたそう」と、お年よりの王さまは言いました。  人々は、ばんざい、ばんざい、とさけびました。軍楽隊は、音楽をかなでながら、通りを行進しました。教会の鐘が鳴りわたりました。菓子屋のおかみさんたちは、砂糖菓子の子ブタから、黒い喪章を、またはずしました。いまは、町じゅうに、よろこびがみちあふれていましたから。  おなかにカモとニワトリをつめて、まる焼きにしたウシが、三頭も、広場のまん中に持ち出されました。だれでも、それを一きれずつ、切りとっていいのです。ふんすいからは、すばらしくおいしいブドウ酒がほとばしり出ました。パン屋で一シリングのパンを買うと、大きなこむぎパンを六つも、おまけにくれました。それも、ほしブドウ入りの、上等のこむぎパンをです。  夜になると、町じゅうにイルミネーションがつきました。兵隊たちは、お祝いの大砲をうちました。子供たちは、かんしゃく玉を鳴らしてあそびました。御殿では、にぎやかな宴会が開かれて、食べたり、飲んだり、かんぱいしたり、とんだり、はねたりで、たいへんな騒ぎです。おじょうひんな紳士がたと、美しいお嬢さんたちが、ひとりのこらず、手をとりあってダンスをしました。みんなのうたう声は、遠くのほうまで聞えました。 そうら、そらそら、きれいなむすめ、 みんなでそろって、踊ろうよ。 さあさ、たいこを鳴らしておくれ。 かわいい、この子よ、くるっとまわれ。 トントントンと、踊ろうよ、 靴のかかとのとれるまで。  けれども、お姫さまは、まだ、魔女のままでした。ですから、ヨハンネスが、ちっとも好きになれません。旅の仲間は、それに気がつきました。そこで、ハクチョウのつばさからぬきとった、三枚の羽と、水ぐすりの少しはいっている小さなびんとを、ヨハンネスにわたして、こう言いました。 「水をいっぱい入れた大きなたらいを、花嫁さんのベッドのそばに、置いておかせなさい。そして、お姫さまがベッドにはいろうとしたら、ちょっと押してごらん。そうすれば、お姫さまは水の中へ落ちるから。  そこでだね、水の中には、前もって、羽と、水ぐすりとを入れておいて、その中にお姫さまを、三度ほど、しずめなさい。そうすれば、魔法の力がとけて、お姫さまは、おまえさんが好きになるよ」  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底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1981(昭和56)年5月30日21刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年11月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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(クリスマスのお話)  ひろいひろい海にむかった、きゅうな海岸の上に、森があります。その森の中に、それはそれは年とった、一本のカシワの木が立っていました。年は、ちょうど、三百六十五になります。でも、こんなに長い年月も、この木にとっては、わたしたち人間の、三百六十五日ぐらいにしかあたりません。  わたしたちは、昼のあいだは起きていて、夜になると眠ります。眠っているときに、夢を見ます。ところが、木は、ちがいます。木は、一年のうち、春と夏と秋のあいだは起きていて、冬になってはじめて、眠るのです。冬が、木の眠るときなのです。ですから、冬は、春・夏・秋という、長い長い昼のあとにくる、夜みたいなものです。  夏の暑い日には、よく、カゲロウが、この木のこずえのまわりを、とびまわります。カゲロウは、いかにも楽しそうに、ふわふわダンスを踊ります。それから、この小さな生きものは、カシワの木の大きな、みずみずしい葉の上にとまって、ちょっと休みます。そういうときには、心から幸福を感じています。  すると、カシワの木は、いつも、こう言いました。 「かわいそうなおちびさん。たった一日が、おまえにとっての一生とはねえ。なんとみじかい命だろう! まったくもって、悲しいことだなあ!」 「悲しいことですって?」と、そのたびに、カゲロウは言いました。「それは、どういうことなの? なにもかもが、こんなに、たとえようもないほど明るくて、暖かくて、美しいじゃありませんか。あたしは、とってもしあわせなのよ!」 「だが、たった一日だけ。それで、なにもかもが、おしまいじゃないか」 「おしまい?」と、カゲロウは言いました。「なにがおしまいなの? あなたも、おしまいになる?」 「いいや。わしは、おそらく、おまえの何千倍も生きるだろうよ。それに、わしの一日というのは、一年の、春・夏・秋・冬ぜんぶにあたるのだ。とても長くて、おまえには、かぞえることはできんだろうよ」 「そうね。だって、あなたのおっしゃることが、わかりませんもの。あなたは、あたしの、何千倍も、生きているんですのね。でも、あたしだって、一瞬間の何千倍も生きて、楽しく、しあわせに、くらしますわ。あなたが死ぬと、この世の美しいものは、みんな、なくなってしまいますの?」 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さあさあ、お眠り。おれたちが、歌をうたって、眠らせてやるよ。ゆすぶって、眠らせてやるよ。  どうだい。古い枝も、気持よさそうにしているよ。うれしくって、ギシギシいってるだろう。  ぐっすり、お眠り。ぐっすり、お眠り。おまえの、三百六十五日めの夜だよ。おまえはまだ、ほんとうは、一つの赤んぼうだよ。  ぐっすり、お眠り。雲が、雪を降らせてくれるよ。それは、やわらかい寝床になるよ。おまえの足もとをつつむ、暖かい、掛けぶとんになるよ。  ぐっすり、眠って、楽しい夢をごらん」  そこで、カシワの木は、からだから、葉っぱの着物をのこらず、ぬいでしまいました。こうして、長い冬のあいだを、ゆっくり、休むことにしたのです。そのあいだに、夢もみました。カシワの木の見る夢も、人間の夢と同じに、いつもきまって、それまでに、自分の身に起ったことばかりでした。  このカシワの木にしても、一度は、小さいときがありました。いやいや、それどころか、ほんの小さなドングリを、ゆりかごにしていたこともありました。人間がかぞえたところでは、この木は、もう、四百年近くも、生きていました。森の中で、いちばん大きくて、いちばんりっぱな木なのです。木の頂は、ほかの木よりもずっとずっと、高くそびえていました。海のはるかおきのほうからも、はっきりと見えましたので、船の目じるしになりました。けれども、カシワの木のほうでは、大ぜいの人が、自分を目じるしとしてさがしていようとは、夢にも知りませんでした。  高い、緑のこずえには、野バトが巣をつくり、カッコウが歌をうたいました。  秋になって、葉が打ちのばされた銅板のようになると、わたり鳥もとんできました。わたり鳥たちは、海をこえて、とんでいくまえに、まずここで、ひと休みすることにしていました。  けれども、いまは冬です。カシワの木は、葉っぱをすっかりおとして、立っていました。ですから、枝が、どんなに、まがりくねってのびているかが、はっきりとわかりました。大ガラスや小ガラスが、とんできました。カラスたちは、かわるがわる、枝にとまっては、 「また、いやなときがはじまるねえ。まったく、冬のあいだは、食べものをさがすのがたいへんだよ」と、話しあいました。  この木が、いちばん美しい夢を見たのは、きよらかなクリスマスの晩でした。では、わたしたちも、その話を聞くことにしましょう。  きょうは、お祭りだな、と、カシワの木は、はっきりと感じました。気のせいか、近所の町の教会の、鐘という鐘が鳴っているようです。それに、おだやかで、暖かくて、まるで、すばらしい夏の日のようです。  カシワの木は、生き生きとした、緑のこずえを、力づよくのばしました。お日さまの光が、葉と、枝のあいだに、ちらちらたわむれています。空気は、草や、やぶのにおいで、いっぱいです。色とりどりのチョウが、おにごっこをして、あそんでいます。カゲロウは、ダンスをしています。まるで、なにもかもが、ただ、ダンスをして、楽しむために生きているようでした。  長い長い年月のあいだには、この木には、さまざまのことが起りました。いろいろなことも、見てきました。そうしたことが、まるで、お祭りの行列のように、つぎからつぎへと、目のまえを通りすぎていきました。  むかしの騎士と貴婦人たちが、ウマに乗って、森を通っていきます。帽子には羽かざりをつけ、手にはタカをとまらせています。狩りの角笛がひびきわたり、イヌがワンワンほえたてました。  今度は、敵の兵士たちがあらわれました。きらびやかな服装をして、ぴかぴかの武器を持っています。やりだの、ほこやりだのを、手に手に持っているのです。兵士たちは、テントをはったり、かたづけたりしました。かがり火も、どんどんたきました。カシワの木の、ひろがった枝の下で、歌をうたい、それから眠りました。  今度は、恋人たちが、お月さまの光をあびて、静かな幸福につつまれて、出会っています。ふたりは、自分たちの名前の、さいしょの文字を、緑がかった、灰色のみきに、ほりつけました。  それから、だいぶたちました。あるとき、旅をして歩く、陽気な職人たちが、ことや、たてごとを、この木の枝に、かけたことがありました。それは、いまもまだ、そのまま、かかっていて、美しい音をひびかせています。  野バトは、まるで、この木が心に感じていることを話そうとでもするように、クークー鳴きました。カッコウは、この木が、これからさき、まだまだ、たくさんの夏の日をすごさなければならないことを、うたいました。  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ありとあらゆるすばらしい夢を見ていながらも、この堂々としたカシワの木は、まだ、ほんとうに幸福にはなりきっていなかったのです。カシワの木は、まわりのすべてのものが、小さなものも、大きなものも、みんな、自分といっしょに、よろこびを感じないうちは、満足できなかったのです。こういう心からの思いをこめて、カシワの木は、枝や葉を、ぶるぶるっとふるわせました。ちょうど、人間が、胸をふるわすようにです。  カシワの木のこずえは、なにか、たりないものをさがそうとするように、しきりに、身を動かしました。  ふと、うしろを見ると、クルマバソウのにおいが、ぷーんとしてきました。つづいて、スイカズラとスミレのにおいが、それよりも、もっと強くしてきました。カッコウは、なんだか、自分の気持にこたえて、うたってくれているようです。  おや、森の緑の頂が、いつのまにか、雲の上まで、顔を出してきました。見れば、下のほうから、ほかの木も、自分と同じように、ぐんぐん大きくのびています。やぶも草も、高く高く、のびあがってきます。なかには、大いそぎで、のびようとして、地べたから、根までひきぬいてしまったものさえありますよ。なかでも、いちばん早く大きくなってきたのが、シラカバです。シラカバは、ほっそりとしたみきを、白いいなずまのように、ぴちぴちとのばしてきました。枝は、まるで、緑色のしゃか、旗のように、波うって、ひろがりました。  こうして、森ぜんたいが、大きくなってきました。かっしょくの、わた毛のはえたアシまでも、いっしょにのびてきました。小鳥たちも、あとを追って、歌をうたいました。草のくきは、長い、緑色の、絹のリボンのように、ゆれていました。そのくきの上には、バッタがすわって、羽で、すねの骨をうっては、音楽をかなでていました。  コガネムシやミツバチは、ブンブンうなり、小鳥という小鳥は、歌をうたいました。なにもかもが、歌とよろこびにみちあふれました。それは、天までとどくかとさえ思われました。 「しかし、あの水ぎわの、小さな、青い花も、いっしょに、大きくなってこなければいかんな」と、カシワの木は言いました。「それに、あの赤いフウリンソウや、それから、小さなヒナギクもだ」  じっさい、カシワの木は、なにもかも、自分といっしょに、大きくならせたかったのです。 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クリスマスの朝になりました。お日さまがのぼったときには、あらしは、もう、すぎさっていました。教会の鐘という鐘が、おごそかに鳴りました。どの家のえんとつからも、貧乏なお百姓さんの家の、ちっぽけなえんとつからさえも、ちょうど、ドルイド教徒のさいだんからのぼる煙のように、かんしゃをこめた、ささげものの煙が、うす青く立ちのぼりました。  海は、だんだんにしずまってきました。おきの、大きな船には、クリスマスをお祝いする、色とりどりの旗がかかげられて、美しく風にはためいていました。この船は、ゆうべの、はげしいあらしにも、負けなかったのです。 「あの木が見えないぞ、年とったカシワの木が! おれたちの目じるしだったのになあ」と、水夫たちは、言いました。「ゆうべのあらしで、たおれたんだ。あの木のかわりになりそうなものは、なにかあるかな。なんにもないなあ!」  カシワの木は、海べで、雪のふとんの上に、長々と、横になっていました。でも、いま、みじかいけれども、こんなに心のこもった言葉を、お別れにうけたのです。  船の上からは、讃美歌が聞えてきました。クリスマスのよろこびをうたい、キリストによる人間の魂のすくいと、かぎりない命とをたたえる讃美歌です。 うたえ、高らかに、世の人よ。 ハレルヤ。主は生まれたまいぬ。 このよろこびぞ、たぐいなし。 ハレルヤ、ハレルヤ。  なつかしい讃美歌は、空にひびきわたりました。船の上の人たちは、みんな、この歌をうたい、お祈りをしたおかげで、魂が高められたように感じました。ちょうど、クリスマスの前夜に、年とったカシワの木が、さいごの、いちばん美しい夢のなかで、高められていったようにです。
底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1981(昭和56)年5月30日21刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2019年7月30日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 あるとき、ノミと、バッタと、とび人形(注)が、われわれの中で、だれがいちばん高くとべるか、ひとつ、ためしてみようじゃないか、と言いました。そこで、さっそく、世界じゅうの人々に招待状を出して、このすばらしいとびくらべを見たいと思う人は、だれでも、呼んであげることにしました。  さて、いよいよ、この三人の高とびの選手たちが、そろって部屋の中にはいってきました。 「では、いちばん高くとんだものに、わしの娘をやることにしよう」と、王さまが言いました。「せっかく、高くとんでも、ほうびがなにもないのでは、かわいそうだからのう」  ノミが、いちばんさきに出てきました。ノミは、礼儀作法をちゃんと心得ていて、あっちへもこっちへも、ていねいにおじぎをしました。むりもありません。ノミのからだの中には、お嬢さんの血が流れているのですからね。それに、ノミがいつもおつきあいしているのは、人間ばかりですしね。これも、忘れてはならない、たいせつなことです。  二番めに、バッタが出てきました。ノミよりも、ずっと重たそうなからだつきをしていましたが、それでも、からだの動かしかたなどは、なかなかじょうずなものでした。そして、緑色の制服を着ていましたが、これは生れたときから、身につけているものでした。それに、自分で話しているところによると、なんでも、エジプトという国の、たいへん古い家がらの生れだそうで、その国ではみんなからたいそう尊敬されている、ということでした。でも、ほんとうのところ、このバッタは、おもての原っぱから連れてこられて、三階だての、トランプの家の中に入れられたのです。そのトランプの家というのは、トランプのカードの絵のあるほうを、内側へむけて、作ったものでした。戸や窓もちゃんとついていて、ちょうど、ハートの女王のからだのところにありました。 「ぼくがうたいますとね」と、バッタは言いました。「じつは、この国で生れたコオロギが、十六ぴきいるんですが、その連中ときたら、小さいときから、ピーピー鳴いているのに、いまになっても、まだトランプの家に入れてもらえないものですから、ぼくがうたうのを聞くたびに、しゃくにさわって、まえよりも、もっともっとやせてしまうんですよ」  こうして、ノミとバッタのふたりは、自分たちが、どういうものであるかを、かわるがわる、しゃべりたてました。そして準備もじゅうぶんにして、自分こそ、お姫さまをお嫁さんにもらうことができるものと、思いこんでいました。  とび人形は、なんにも言いませんでした。でも、かえって、それだけ考えぶかいのだと、人々は言いました。それから、イヌは、ただにおいをかいだだけで、このとび人形は生れがいいと、うけあいました。また、だまってばかりいるので、そのごほうびに、勲章を三つもいただいた年よりの顧問官は、このとび人形はたしかに予言の力をもっております、と申したてました。その背中を見れば、ことしの冬はおだやかなのか、それとも、きびしいのか、そういうことも、わかるというのです。だけど、そんなことは、こよみを書く人の背中を見たって、とてもわかるものではないんですがね。 「そうか、わしは、なにも言わんでおこう」と、年とった王さまは言いました。「だが、わしには、自分のやりかたもあるし、自分の考えもあるのじゃ」  いよいよ、とびくらべが、はじまりました。  ノミは、あんまり高くはねあがったものですから、どこへ行ったのやら、だれにもわかりませんでした。ですから、みんなは、ちっともとびはしなかった、と言いはりました。でも、それでは、ずいぶんひどいですね。  バッタは、その半分くらいしか、とびませんでした。ところが、ぐあいのわるいことに、ちょうど王さまの顔にぶつかってしまったので、王さまは、 「これは、けしからん」と、言いました。  とび人形は、長いあいだ、じっとして、静かに考えこんでいました。それで、とうとうしまいには、みんなも、こいつはとぶことができないんだろう、と思うようになりました。 「気持でも、わるくなったのでなければいいが」と、イヌは言って、またそばへよって、においをかぎました。と、そのとたんに、パン、と、とび人形がはねあがりました。ちょっとななめにとんで、低い金の椅子に腰かけていたお姫さまの、ひざにとびこみました。  そのとき、王さまが言いました。 「いちばん高くとぶということは、つまり、わしの娘のところまで、とびあがるということじゃ。そこが、なかなかだいじなところだ。しかし、それを思いつくのには頭がいる。ところが、いま見ていると、このとび人形は、頭のあることを見せてくれた。頭に骨があるというわけじゃ」  こういうわけで、とび人形は、お姫さまをいただきました。 「なんてったって、ぼくがいちばん高くとんだんだ」と、ノミは言いました。「だが、そんなことは、もうどうだっていいや。お姫さまには、木の切れっぱしと、マツやにのついたガチョウの骨でもやっておきゃいいのさ。なんてったって、ぼくがいちばん高くとんだんだ。だけど、世の中でみとめてもらうのには、だれにでも見える、からだがいるんだなあ!」  その後、ノミは、外国に行って、軍隊にはいりましたが、人の話では、戦死したということです。  バッタは、外のみぞの中にすわって、世の中ってもののことを、じっと考えていました。そして、ノミと同じように、 「からだがいる! からだがいる!」と、言いました。そして、この虫だけがもっている、独特の、悲しげな歌をうたいました。いましているお話は、その歌からかりてきたものなのです。といっても、このお話は、こんなふうに印刷されてはいますけれども、うそかもしれませんよ。 (注)とび人形というのは、原書では、とびガチョウとなっています。つまり、ガチョウの骨で作ってある子供のおもちゃのことで、それにさわると、とびあがるしかけになっています。
底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1981(昭和56)年5月30日21刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年9月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "059375", "作品名": "とびくらべ", "作品名読み": "とびくらべ", "ソート用読み": "とひくらへ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC K949", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2020-10-19T00:00:00", "最終更新日": "2020-09-28T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/card59375.html", "人物ID": "000019", "姓": "アンデルセン", "名": "ハンス・クリスチャン", "姓読み": "アンデルセン", "名読み": "ハンス・クリスチャン", "姓読みソート用": "あんてるせん", "名読みソート用": "はんすくりすちやん", "姓ローマ字": "Andersen", "名ローマ字": "Hans Christian", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1805-04-02", "没年月日": "1875-08-04", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集Ⅲ)", "底本出版社名1": "新潮文庫、新潮社", "底本初版発行年1": "1967(昭和42)年12月10日", "入力に使用した版1": "1981(昭和56)年5月30日21刷", "校正に使用した版1": "1982(昭和57)年3月5日22刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "チエコ", "校正者": "木下聡", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/59375_ruby_71881.zip", "テキストファイル最終更新日": "2020-09-28T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/59375_71928.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2020-09-28T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 中国という国では、みなさんもごぞんじのことと思いますが、皇帝は中国人です。それから、おそばにつかえている人たちも、みんな中国人です。さて、これからするお話は、もう今からずっとむかしにあったことですけれど、それだけに、かえって今お話しておくほうがいいと思うのです。なぜって、そうでもしておかなければ、忘れられてしまいますからね。  皇帝の住んでいる御殿は、世界でいちばんりっぱな御殿でした。なにもかもが、りっぱな瀬戸物で作られていました。それには、ずいぶんお金がかかっていました。ただ、とってもこわれやすいので、うっかり、さわりでもすれば、たいへんです。ですから、みんなは、よく気をつけなければなりません。  お庭には、世にもめずらしい花が咲きみだれていました。なかでも、いちばん美しい花には、銀の鈴がゆわえつけてありました。その鈴は、たいそうよい音をたてて、リンリンと鳴りましたので、そのそばを通るときには、だれでも、つい、花のほうに気をとられるほどでした。  ほんとうに、皇帝のお庭にあるものは、なにもかもが、さまざまの工夫をこらしてありました。おまけに、そのお庭の広いことといったら、おどろいてしまいます。お庭の手入れをする植木屋でさえも、いったい、どこがお庭のおわりなのか、見当もつかないくらいだったのです。そのお庭をどんどん歩いて行くと、このうえもなく美しい森に出ました。そこには、高い木々がしげっていて、深い湖がいくつもありました。森は、青々とした深い湖の岸までつづいていて、木々の枝は水の上までひろがっていました。大きな船でも、帆をはったまま、その下を通ることができました。  さて、その枝に、一羽のナイチンゲールが住んでいました。その歌声は、ほんとうにすばらしいものでした。ですから、仕事にいそがしい、貧しい漁師でさえも、夜、網をうちにでて、ナイチンゲールの歌声を耳にすると、思わず仕事の手をやすめてはじっと聞きいったものでした。 「ああ、なんというきれいな声だ!」と、漁師は言いました。けれども、また仕事にかからねばなりません。それで、鳥のことは、それなり忘れてしまいました。けれども、またつぎの晩、漁にでかけて、ナイチンゲールの歌を聞くと、漁師はまた同じように言うのでした。 「ああ、まったく、なんというきれいな声だ!」  世界じゅうの国々から、旅行者が皇帝の都にやってきました。みんなは、御殿とお庭を見ると、そのすばらしさに、ただただおどろきました。ところが、ナイチンゲールの歌声を聞くと、 「ああ、これこそ、いちばんだ」と、口々に言いました。  旅行者たちは、自分の国へ帰ると、さっそく、そのことを人に話しました。学者たちは、皇帝の都と、御殿と、お庭とについて、幾冊も幾冊も、本を書きました。もちろん、ナイチンゲールのことを、忘れるようなことはありません。それどころか、ナイチンゲールは、いちばんすぐれたものとされました。詩をつくることのできる人たちは、あの深い湖のほとりの森に住んでいるナイチンゲールについて、それはそれは美しい詩をつくりました。  こういう本は、世界じゅうにひろまりました。ですから、そのうちのいくつかは、しぜんと皇帝の手にもはいりました。皇帝は、自分の金の椅子に腰かけて、何度も何度も、くりかえし読みました。そして、ひっきりなしにうなずきました。それもそのはず、自分の都や、御殿や、お庭のことが、美しく書かれているのを読むのは、うれしいことにちがいありませんからね。 「しかし、なんといっても、ナイチンゲールが、いちばんすぐれている」と、そこには書いてありました。 「これは、なんじゃ?」と、皇帝は言いました。「ナイチンゲールじゃと? そのような鳥は、知らんわい! そんな鳥が、このわしの国にいるんじゃと? おまけに、わしの庭にいるそうじゃが。はて、わしは、まだ聞いたこともないが。本を読んで、はじめて知ったというわけか」  そこで、皇帝は、侍従を呼びました。この侍従は、たいそう身分の高い人でしたので、自分より位の低いものが、こわごわ話しかけたり、なにかたずねたりしても、ただ、「プー!」と答えるだけでした。むろん、この返事には、なんの意味もありません。 「わが国に、世にもめずらしい鳥がおるそうじゃな。ナイチンゲールとか、申すそうじゃが」と、皇帝は言いました。「なんでも、わが大帝国の中で、いちばんすぐれたものだということじゃ。なぜ今まで、わしに、そのことを、ひとことも申さなかったのか」 「わたくしは、今までに、そのようなもののことを、聞いたことがございません」と、侍従は申しました。「今日まで、そのようなものが、宮中に、まかりでたことはございません」 「今夜にも、さっそく、そのものを連れてまいって、わしの前でうたわせてみよ」と、皇帝は言いました。「世界じゅうのものが、知っておるというのに、わしだけが、自分のもっているものを知らんとは、あきれかえった話じゃ」 「わたくしは、いままでに、そのようなもののことを、聞いたこともございません」と、侍従は言いました。「ですが、かならず、そのものをさがしだし、見つけてまいります」  でも、いったい、どこへいったら、見つかるのでしょう? 侍従は、階段という階段を、あがったり、おりたり、広間をかけぬけたり、廊下を走りまわったりしました。しかし、だれに出会っても、ナイチンゲールのことを聞いたという人はひとりもいないのです。それで、侍従は、また、皇帝のところへかけもどって、「おそらくそれは、本を書いた人たちの作り話にちがいございません」と、申しあげました。 「陛下が、書物に書かれておりますことを、すべて、お信じになりませぬよう、お願い申しあげます。なかには、いろいろの作りごともございますし、また、妖術などといわれておりますようなものもございますので」 「だが、わしが読んだという本は」と、皇帝は言いました。「りっぱな、日本の天皇より、送られてきたものじゃ。それゆえ、うそいつわりの、書いてあろうはずがない。わしは、ぜがひでも、ナイチンゲールのうたうのを聞きたい。どうあっても、今夜、ナイチンゲールをここへ連れてまいれ。なにをおいても、いちばんかわいがってやるぞ。しかし、もしも連れてまいらぬときは、よいか、宮中の役人どもは、夕食のあとで、ひとりのこらず、腹をぶつことにいたすぞ」 「チン、ペー!」  と、侍従は言って、またまた、階段をあがったり、おりたり、広間をかけぬけたり、廊下を走りまわったりしました。すると、宮中のお役人の半分もの人たちが、いっしょになってかけずりまわりました。だれだって、おなかをぶたれるのはいやですからね。こうして、世界じゅうの人々が知っているのに、宮中の人たちだけが知らない、ふしぎなナイチンゲールの捜索がはじまったのです。  とうとうしまいに、みんなは、台所で働いている、貧しい小娘に出会いました。ところが、娘はこう言いました。 「ああ、ナイチンゲールのことでございますか。それなら、あたし、よく知っておりますわ。はい、ほんとに、じょうずにうたいます。  毎晩、あたしはおゆるしをいただきまして、かわいそうな、病気の母のところへ、お食事ののこりものを、すこしばかり持ってまいりますの。母は、浜べに住んでいるのでございます。あたしが、御殿へもどってまいりますとき、つかれて、森の中で休んでおりますと、ナイチンゲールの歌声が、聞えてくるのでございます。それを聞いておりますと、思わず、涙が浮んでまいります。まるで、母が、あたしにキスをしてくれるような気持がいたしますの」 「これ、これ、娘」と、侍従が言いました。「わしたちを、そのナイチンゲールのところへ、連れていってくれ。そのかわり、わしは、おまえを、お台所の役人にしてやろう。そのうえ、皇帝さまが、お食事をめしあがるところも、見られるようにしてやろう。というのは、皇帝さまが、今夜ナイチンゲールを連れてくるようにと、おっしゃっておいでなのでな」  それから、みんなで、ナイチンゲールがいつも歌をうたっているという、森へでかけました。宮中のお役人も、半分ほどの人たちが、ぞろぞろとついていきました。こうして、みんなが、いさんで歩いて行くと、一ぴきのめウシが鳴きはじめました。 「ああ、あれだ!」と、小姓たちが言いました。「やっと、見つかったぞ。だが、あんなちっぽけな動物なのに、ずいぶん力強い声を出すんだなあ。だけど、あれなら、前にも、たしかに聞いたことがあるぞ」 「いいえ、あの声は、めウシでございます」と、お台所の小娘が言いました。「その場所までは、まだまだ、かなりございます」  今度は、沼の中でカエルが鳴きました。 「なるほど、すばらしい! おお、聞える、聞える。まるで、お寺の小さな鐘が、鳴っているようだの」と、宮中づきの中国人の坊さんが言いました。 「いいえ、いいえ、あれは、カエルでございます」と、お台所の小娘は言いました。「ですが、もうじき、聞えると思います」  やがて、ナイチンゲールが鳴きはじめました。 「あれでございます」と、小娘が言いました。「お聞きください! お聞きください! そら、そら、あそこにおりますわ」  こう言いながら、娘は、上のほうの枝にとまっている、小さな灰色の鳥を指さしました。 「これは、おどろいたな」と、侍従が言いました。「あんなものとは、思いもよらなかった。ふつうのつまらん鳥と、すこしもかわらんではないか。さては、こんなに大ぜい、えらい人たちがきたものだから、鳥のやつ、色をうしなってしまったんだな」 「かわいいナイチンゲールさん!」と、お台所の小娘は、大きな声で呼びかけました。「あたしたちの、おめぐみぶかい皇帝さまが、あなたに歌をうたってもらいたい、とおっしゃってるのよ」 「このうえもない、しあわせでございます」  ナイチンゲールは、こう言って、なんともいえない、きれいな声でうたいました。 「まるで、ガラスの鈴が鳴るようではないか!」と、侍従が言いました。「あの小さなのどを見なさい。なんとまあ、よく動くではないか。わしたちが、今まで、これを聞いたことがないというのは、まったくふしぎなくらいだ。しかし、これなら、宮中でも、きっとうまくやるだろう」 「もう一度、皇帝さまに、うたってさしあげましょうか?」  ナイチンゲールは、皇帝もそこにいるものと思ってこう言いました。 「これは、これは、すばらしいナイチンゲールどの!」と、侍従は言いました。「今夜、あなたを、宮中の宴会におまねきするのは、わしにとって大きなよろこびです。宮中へまいりましたら、あなたの美しい声で、どうか、皇帝陛下のみ心を、おなぐさめ申しあげてください」 「わたくしの歌は、このみどりの森の中で聞いていただくのが、いちばんよいのでございます」と、ナイチンゲールは言いました。けれども、皇帝がお望みになっていると聞いたので、よろこんで、いっしょについていきました。  御殿の中は、きらびやかにかざりつけられました。瀬戸物でできているかべや床は、幾千もの金のランプの光で、キラキラとかがやきました。ほんとうに、鈴のような音をたてて鳴る、このうえもなく美しい花々が、いくつもいくつも廊下におかれました。そこを、人々が走りまわったり、風が吹きこんできたりすると、どの花も、いっせいにリンリンと鳴りましたので、人の話も聞えないくらいでした。  皇帝のいる、大きな広間のまんなかに、金のとまり木がおかれました。そこに、ナイチンゲールがとまることになっていたのです。この広間に、宮中のお役人が、ひとりのこらず集まりました。お台所の小娘も、とびらのうしろに立っていてよいという、おゆるしをいただきました。なにしろ、いまでは、この小娘も、「宮中お料理人」という、名前をいただいているのですからね。だれもかれもが、いちばんりっぱな服を着ていました。みんなは、小さな灰色の鳥のほうを、じっと見ていました。そのとき、皇帝が、鳥にむかってうなずいてみせました。  すると、ナイチンゲールが、それはそれは美しい声でうたいはじめました。みるみるうちに、皇帝の目には涙が浮んできて、やがて、頬をつたわって流れおちました。すると、ナイチンゲールは、ますますきれいな声でうたいました。それは、人の心の奥底まで、しみとおるほどでした。皇帝は、心からよろこんで、自分の金のスリッパを、ナイチンゲールの首にかけてやるように、と言いました。ところが、ナイチンゲールは、お礼を申しあげて、ごほうびは、もうじゅうぶんいただきました、と申しました。 「わたくしは、皇帝陛下のお目に、涙が浮びましたのを、お見うけいたしました。それこそ、わたくしにとりましては、なににもまさる、宝でございます。皇帝陛下の涙には、ふしぎな力があるのでございます。ほんとうに、ごほうびは、それでじゅうぶんでございます」  そう言うと、またまた、人の心をうっとりさせる、美しい、あまい声で、うたいました。 「まあ、なんて、かわいらしいおせじを言うのでしょう!」と、まわりにいた貴婦人たちが言いました。それからというもの、この婦人たちは、だれかに話しかけられると、口の中に水をふくんで、のどをコロコロ言わせました。こうして、自分たちも、ナイチンゲールになったような気でいるのでした。  いや、侍従や侍女たちまでも、満足しているようすをあらわしました。だけど、このことは、たいへんなことなのですよ。なぜって、この人たちを満足させるなどということは、とてもとてもむずかしいことだったのですから。こういうわけで、ナイチンゲールは、ほんとうに、大成功をおさめました。  ナイチンゲールは、宮中にとどまることになりました。自分の鳥かごも、いただきました。そして、昼には二度、夜には一度、毎日、散歩にでかけるおゆるしもいただきました。でも、散歩に行くときにも、十二人の召使がおともについていくのです。おまけに、召使たちは絹のリボンをナイチンゲールの足にゆわえつけて、それをしっかりと持っているのです。こんなふうでは、散歩にでかけたところで、ちっとも楽しいはずがありません。  町じゅうの人たちは、よるとさわると、このふしぎな鳥のうわさをしあいました。ふたりの人が、道で出会うと、きまって、そのひとりが、「ナイチン――」と言いました。すると、もうひとりは、そのあとをうけて、「ゲール」と答えました。そして、ふたりは、ほっとため息をつくのでした。これで、ふたりには、おたがいの気持が、よくわかったのです。また、そればかりではありません。食料品屋の子供などは、十一人までもが、ナイチンゲールという名前をつけてもらいました。もっとも、名前ばかりはいくらよくっても、声のいい子はひとりもいませんでしたがね。  ある日のこと、大きなつつみが、皇帝の手もとへ届きました。見ると、つつみの上には、「ナイチンゲール」と書いてあります。 「また、この有名な鳥のことを書いた、新しい本がきたようじゃな」と、皇帝は言いました。  けれども、それは本ではありませんでした。箱の中にはいっていたのは、小さな置物です。見れば、ほんとうによくできていて、生きているほんものにそっくりの、ナイチンゲールでした。そのうえ、からだじゅうに、ダイヤモンドや、ルビーや、サファイヤがちりばめてありました。このつくりものの鳥は、ねじをまけば、ほんものの鳥がうたう歌の一つをうたいました。そして、歌をうたいながら、尾を上下にふりうごかすので、そのたびに、金や、銀が、ピカピカ光りました。首のまわりに、小さなリボンがさがっていて、それには、 「日本のナイチンゲールの皇帝は、中国のナイチンゲールの皇帝にくらべると、見おとりがします」と、書いてありました。 「これはすばらしい!」と、みんながみんな、申しました。そして、このつくりものの鳥を持ってきた男は、さっそく、「宮中ナイチンゲール持参人」という名前をいただきました。 「では、二羽の鳥をいっしょにうたわせてみよう。そうすれば、きっと、すばらしい二重唱になるだろう」  こうして、二羽の鳥が、いっしょにうたうことになりました。ところが、さっぱり、うまくいきません。ほんもののナイチンゲールは、自分かってにうたいますし、いっぽう、つくりものの鳥は、ワルツしかうたわないのですから。 「この鳥には、なんの罪もございません」と、楽長が申しました。「ことに、拍子も正しゅうございますし、わたくしの流儀にも、ぴったりあっております」  そこで、つくりものの鳥が、ひとりでうたうことになりました。――つくりものの鳥は、ほんもののナイチンゲールと同じように、みごとに成功しました。いや、見たところでは、かえって、ほんものよりもずっと美しく見えました。まるで、腕輪か、ブローチのように、キラキラかがやいたからです。  つくりものの鳥は、同じ一つの歌を、三十三回もうたわされました。しかし、それでも、つかれるということはありませんでした。人々は、またはじめから聞きたいと申しましたが、皇帝は、今度は、生きているナイチンゲールにも、なにかうたわせよう、と言いました。――ところが、あの鳥は、どこにいるのでしょう? すがたが見えないではありませんか。いつのまにか、あいている窓から飛びだして、みどりの森へ帰っていってしまったのです。けれども、それには、だれも気がつかなかったのです。 「いやはや、なんたることじゃ!」と、皇帝は言いました。  宮中の人たちは、口々に、ナイチンゲールのことをわるくいって、「なんという、恩しらずの鳥だ」と言いました。「だが、わたしたちのところには、いちばんいい鳥がいる」と、人々は言いました。  こうして、つくりものの鳥は、またまた、うたわされることになりました。これで、もう、三十四回目です。うたう歌は、いつも同じなのですが、まだだれも、その歌をすっかりおぼえることができませんでした。そんなにも、むずかしい歌だったのです。そんなわけで、楽長はこの鳥をほめちぎりました。「たしかに、この鳥はほんもののナイチンゲールよりもすぐれています。たとえば、着ているものにしても、たくさんの美しいダイヤモンドにしても、そればかりか、からだの中にしても、まちがいなくすぐれています」と。 「と申しますのは、陛下、および、皆々さま。ほんもののナイチンゲールの場合には、どんな歌が飛びだしてまいりますやら、わたくしどもには、見当もつきません。ところが、つくりものの鳥の場合には、なんでも、きちんときまっております。しかも、いつも、きまったとおりであって、それとちがったようになることは、けっしてございません。  わたくしどもは、それを説明することができるのでございます。中を開きまして、人間がどのような工夫をこらしたかを、だれにでも見せることができるのでございます。たとえば、ワルツはどんなふうにはいっているか、そして、どんなふうに動くか、そしてまた、どの曲のあとに、どの曲がつづいてくるか、ということなども、明らかにすることができるのでございます」 「わたくしも、そう思います」と、みんなは、口々に言いました。楽長は、つぎの日曜日に、この鳥を国民に見せてもよい、というおゆるしをいただきました。 「では、歌も聞かせてやるがよい」と、皇帝は言いました。  人々は、その歌を聞くと、まるで、お茶に酔ったように、とても楽しくなりました。この、お茶に酔うというのは、まったく中国式なのです。みんなは、「オー!」と言って、「つまみぐい」と呼んでいる人さし指を空にむけてうなずきました。けれども、ほんもののナイチンゲールのうたうのを聞いたことのある、あの貧しい漁師たちだけは、こう言いました。 「たしかにいい声だし、姿もよく似ている。だが、なんとなく、ものたりないな。それがなんだかは、わからないが」  ほんもののナイチンゲールは、とうとう、この国から追い出されてしまいました。  つくりものの鳥は、皇帝の寝床のすぐそばに、絹のふとんをいただいて、その上にいることになりました。あっちこっちから送られてきた、金だの、宝石だのが、そのまわりに置かれました。つくりものの鳥は、「皇帝のご寝室づき歌手」という、名前をいただき、位は左側第一位にのぼりました。皇帝は、心臓のある左側のほうが、右側よりもすぐれていると、思っていたからです。やっぱり、皇帝でも、心臓は左側にありますからね。  楽長は、つくりものの鳥について、二十五冊も本を書きました。その本はたいへん学問的で、たいそう長く、おまけに、とんでもなくむずかしい中国の言葉で書いてありました。けれども、みんなはそれを読んで、よくわかった、と言いました。なぜって、そう言わなければ、ばかものあつかいされて、おなかをぶたれてしまいますからね。  こうして、まる一年たちました。いまでは、皇帝も、宮中の人たちも、そのほかの中国人たちも、みんな、このつくりものの鳥のうたう歌なら、どんな小さな節でも、すっかりそらでおぼえてしまいました。それだからこそ、みんなはこの鳥を、いちばんすばらしいものに思いました。みんなは、いっしょに、うたうこともできるようになりました。そして、じっさい、いっしょにうたいました。通りの子供たちまで、「チ、チ、チ! クルック、クルック、クルック!」と、うたいました。皇帝も、いっしょになって、うたいました。――ほんとうに、またとない、楽しいことでした。  ところが、ある晩のことです。つくりものの鳥が、いつものようにじょうずに歌をうたい、皇帝が寝床の中にはいって、それを聞いていますと、きゅうに、鳥のからだの中で、「プスッ」という音がしました。そして、なにかが、はねとびました。と、たちまち、歯車という歯車が、「ブルルル!」と、からまわりをして、音楽が、はたとやんでしまったではありませんか。  皇帝は、すぐさま寝床からはねおきて、お医者さまを呼びました。でも、お医者さまに何ができましょう! そこで、今度は、時計屋を呼んでこさせました。時計屋は、いろいろとたずねたり、しらべたりしてから、どうにか、もとのようになおしました。ところが、 「これは、たいせつにしていただかなくてはこまります。拝見いたしますと、心棒がすっかりすりへっておりますが、と言って、音楽がうまく鳴るように、新しい心棒を入れかえることはできないのでございますから」ということでした。  さあ、なんという悲しいことがふってわいたのでしょう! これからは、つくりものの鳥の歌を、一年にたった一度しか聞くことができなくなったのです。おまけに、それさえも、きびしくいえば、まだまだ多すぎるというのです。けれども、楽長がむずかしい言葉で、短い演説をして、これは以前と同じようによろしい、と申しました。たしかに、そう言われてみれば、前と同じように、よいものでした。  いつのまにか、五年の年月がたちました。今度は、国じゅうが、ほんとうに大きな悲しみにつつまれました。国民は、だれもが皇帝を心からしたっていましたが、その皇帝が病気になって、ひとのうわさでは、もうそんなに長くはなかろう、ということなのです。もう、新しい皇帝もえらばれていました。人々は、おもての通りに出て、皇帝のおぐあいはいかがですか、と、侍従にたずねました。 「プー!」と、侍従は言って、頭をふりました。  皇帝は、大きな美しい寝床の中に、つめたく青ざめて、やすんでいました。宮中の人たちは、もうおなくなりになったものと思って、みんな、新しい皇帝にごあいさつするために、かけていってしまいました。おつきの召使たちも、さっさと、出ていって、皇帝のことをおしゃべりしていました。女官たちはといえば、にぎやかなお茶の会を開いていました。まわりの広間や廊下には、足音がしないように、じゅうたんがしきつめてありました。そのため、あたりは、それはそれはひっそりとして、静まりかえっていました。  ところが、皇帝は、まだなくなったのではありません。からだをこわばらせながら、青ざめた顔をして、まわりに長いビロードのカーテンと、おもたい金のふさのたれさがっている、りっぱな寝床の中に、じっと寝ていました。そのずっと上のところに、窓が一つあいていて、そこから、お月さまの光がさしこんで、皇帝と、つくりものの鳥とを照らしていました。  気の毒な皇帝は、もうほとんど、息をすることもできませんでした。まるで、何かが、胸の上にのっているような気がしました。そこで、目をあけてみると、胸の上に死神がのっているではありませんか。死神は、頭に皇帝の金のかんむりをかぶって、片手に皇帝の金のつるぎを持ち、もういっぽうの手に皇帝の美しい旗を持っていました。まわりの、大きなビロードのカーテンのひだからは、あやしげな顔が、幾つも幾つも、のぞいていました。なかには、ものすごくみにくい顔もありましたが、なごやかな、やさしい顔も見えました。それらは、皇帝が今までにやってきた、わるい行いと、よい行いだったのです。いま、死神が皇帝の胸の上にのりましたので、みんなは、皇帝をながめていたのです。 「これを、おぼえていますか?」と、そうした顔は、つぎつぎにささやきました。「これを、おぼえていますか?」  こうして、あやしげなものたちが、いろいろなことをしゃべりだしたので、とうとう、皇帝のひたいから汗が流れだしました。 「そんなことは、なにも知らん」と、皇帝は言いました。 「音楽だ! 音楽だ! 大きな中国だいこをたたけ!」と、大きな声で言いました。「このものどもの言うことが、なにも聞えんようにしてくれ」  けれども、あやしげな顔は、なおも、しゃべりつづけました。死神はとみれば、まるで中国人そっくりに、いちいち、みんなの言うことにうなずいているのです。 「音楽だ! 音楽だ!」と、皇帝はさけびました。「これ、かわいい、やさしい金の鳥よ。どうか、うたってくれ! うたってくれ! わしはおまえに、金も、宝石も、やったではないか。わしの手で、おまえの首のまわりに、金のスリッパもかけてやったではないか。さあ、うたってくれ! うたってくれ!」  それでも、鳥は、やっぱり、だまったままでした。ねじをまいてくれる人が、だれもいないのです。ねじをまかなければ、うたうはずがありません。死神はあいかわらず、大きなからっぽの目で、皇帝をじっと見つめていました。あたりはひっそりとして、気味のわるいほど静まりかえっていました。  と、そのときです。窓のすぐそばから、それはそれは美しい歌が聞えてきました。それは、生きている、あの小さなナイチンゲールでした。たったいま、外の木の枝に飛んできて、うたいはじめたところでした。ナイチンゲールは、皇帝がご病気だと聞いて、それでは、歌をうたって、なぐさめと、希望とをあたえてあげようと、飛んできたのでした。ナイチンゲールがうたうにつれて、あやしいもののかげは、だんだん、うすくなっていきました。そればかりではありません。皇帝の弱りきったからだの中を、血がいきおいよく、ぐんぐんめぐりはじめました。死神さえも、きれいな歌声にじっと耳をかたむけて、聞きいりました。そして、しまいには、 「もっとつづけろ、小さなナイチンゲール! もっとつづけろ!」と、言いました。 「ええ、うたいましょう。でもそのかわり、わたしに、そのりっぱな金のつるぎをください。その美しい旗をください。それから、その皇帝のかんむりをください」  死神はナイチンゲールが歌をうたうたびに、宝物を一つずつ、わたしました。ナイチンゲールは、どんどんうたいつづけました。それは、まっ白なバラの花が咲き、ニワトコの花がよいにおいを放ち、青々とした草が、あとに生きのこった人々の涙でぬれる、静かな墓地の歌でした。それを聞くと、死神は、自分の庭がこいしくなって、つめたい白い霧のように、ふわふわと、窓から出ていってしまいました。 「ありがとうよ! ありがとうよ!」と、皇帝は言いました。「天使のような、かわいい小鳥よ。わしはおまえを、よく知っているぞ。おまえをこの国から追いだしたのは、このわしじゃ。それなのに、おまえは歌をうたって、あのわるいやつどもを、わしの寝床から追いだしてくれ、わしの胸から死神を追いはらってくれた。おまえに、どういうお礼をしたらよいかな?」 「ごほうびは、もう、いただきました」と、ナイチンゲールは言いました。「わたくしが、はじめて歌をうたいましたとき、陛下のお目には涙があふれました。あのことを、わたくしはけっして忘れはいたしません。それこそ、うたうものの心をよろこばす、なによりの宝なのでございます。――でも、いまは、もう、お休みくださいませ。そうして、元気に、じょうぶに、おなりくださいませ。では、わたくしが、歌をうたってお聞かせいたしましょう」  そして、ナイチンゲールはうたいだしました。――皇帝は、すやすやと眠りました。それは、ほんとうにやすらかな、気持のよい眠りでした。  お日さまの光が、窓からさしこんできて、皇帝を照らすころ、皇帝は、すっかり元気になって、目をさましました。見れば、おそばのものたちは、まだだれひとり、もどってきてはおりません。みんながみんな、皇帝はもうおなくなりになったものと、思いこんでいたのです。でも、ナイチンゲールだけは、ずっとそばにいて、歌をうたいつづけていました。 「おまえは、これからは、いつも、わしのそばにいておくれ」と、皇帝は言いました。「おまえは、うたいたいときにだけ、うたってくれればよいのだ。このつくりものの鳥などは、こなごなに、くだいてくれよう」 「そんなことは、なさらないでくださいませ」と、ナイチンゲールは申しました。「あの鳥も、できるだけのことはしてまいったのでございます。いままでのように、おそばにお置きくださいませ。わたくしは、御殿に巣をつくって、住むことはできません。でも、わたくしの好きなときに、こさせていただきとうございます。  そうすれば、わたくしは、夕方、窓のそばの、あの枝にとまりまして、陛下がおよろこびになりますように、そしてまた、お考えが深くなりますように、歌をうたってお聞かせいたしましょう。わたくしは、しあわせな人たちのことも、苦しんでいる人たちのことも、うたいましょう。また、陛下のまわりにかくされている、わるいことや、よいことについても、うたいましょう。歌をうたう小鳥は、貧しい漁師や、農家の屋根の上をも飛びまわりますし、陛下や、この御殿からはなれた、遠いところにいる人たちのところへも、飛んでいくのでございます。  わたくしは、陛下のかんむりよりも、お心のほうが好きなのでございます。と申しましても、陛下のかんむりのまわりには、なにか、神々しいもののかおりが、ただよってはおりますが。――  わたくしは、またまいりまして、陛下に歌をお聞かせいたします。――ですが、一つだけ、わたくしに、お約束をしてくださいませ」 「なんでもいたす!」と、皇帝は言って、自分で皇帝の着物を着て立ちました。それから、金でできている、おもたいつるぎを胸にあてて、ちかいました。 「では、一つだけ、お願いしておきます。陛下に、なにもかも申しあげる小鳥がおりますことを、どなたにもおっしゃらないでくださいませ。そうしますれば、いっそう、うまくまいりますでしょう」  こう言って、ナイチンゲールは飛んでいきました。  召使たちが、おなくなりになった皇帝を見に、はいってきました。――や、や、みんなは、びっくりぎょうてんして、そこに立ちどまってしまいました。すると、皇帝が言いました。 「おはよう!」
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2019年1月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 いかにも楽しそうな顔つきをした、かなりの年の人が、汽船に乗っていました。もし、ほんとうにその顔つきどおりとすれば、この人は、この世の中で、いちばんしあわせな人にちがいありません。じっさい、この人は、自分で、そう言っていましたよ。わたしは、それを、この人自身の口から、ちょくせつ聞いたのです。  この人は、デンマーク人でした。つまり、わたしと同じ国の人で、旅まわりの芝居の監督だったのです。この人は、一座のものを、いつもみんな、引きつれていました。それは、大きな箱の中にはいっていました。というのも、この人は人形つかいだったからです。この人の話によると、生れたときから陽気だったそうですが、それが、ある工科大学の学生によって清められ、そのおかげで、ほんとうにしあわせになったということです。  わたしには、この人の言う意味が、すぐにはわかりませんでしたが、まもなく、この人は、その話をすっかり説明してくれました。これが、そのお話です。  あれはスラゲルセの町でしたよ、と、この人は、話しはじめました。わたしは、駅舎で芝居をやっていたんです。芝居小屋もすばらしいし、お客さんもすばらしい人たちでした。といっても、おばあさんが二、三人いたほかは、みんな堅信礼もすんでいない、小さなお客さんたちでしたがね。  するとそこへ、黒い服を着た、学生らしい人がきて、腰かけました。その人は、おもしろそうなところになると、かならず笑って、手をたたいてくれました。こういう人は、ほんとにめずらしいお客さんなんですよ。そこで、わたしは、この人がどういう人か、知りたくなりました。人に聞いてみると、地方の人たちを教えるために、つかわされてきている、工科大学の学生だということでした。  わたしの芝居は八時におしまいになりました。だって、子どもたちは、早く寝なければいけませんでしょう。わたしたちは、お客さまのつごうを考えなければなりませんからね。九時になると、学生は講義と実験をはじめました。今度は、わたしが聞き手にまわりました。  しかし、講義を聞いたり、実験を見たりしているうちに、なんだか、とてもふしぎな気持になりましたよ。たいていのことは、わたしの頭をすどおりしてしまいましたが、これだけは、いやでも考えさせられましたね――われわれ人間が、こういうことを考えだすことができるとすれば、われわれは、地の中にうめられるまでに、もっと長生きできてもいいはずだが、とね。  あの学生のやったことは、ほんの小さな奇蹟にすぎませんでしたが、なにもかもが、すらすらといって、まるで、自然に行われているようでした。モーゼや預言者の時代であったら、あの工科大学の学生は、国の賢者のひとりとなったにちがいありません。それが、もし中世の時代だったら、おそらく、火あぶりにされたでしょうよ。  その晩、わたしは一晩じゅう、眠れませんでした。つぎの晩にも、わたしが芝居をやっていると、その学生は、また見にきてくれました。で、わたしは、すっかりうれしくなりました。わたしは、ある役者から、こんな話を聞いたことがあります。その役者が、恋人の役をやるときには、お客の中の、ただひとりの女の人のことだけを、心に思い浮べて、その人のために役を演じて、ほかのことは、小屋からなにから、いっさい忘れてしまうというのです。わたしにとっては、この工科大学の学生が、その「女の人」になったのです。この学生のためにのみ、わたしは、芝居をして見せることになったのです。  芝居がおわると、人形たちはみんな、舞台に呼びだされました。そして、わたしは、工科大学の学生からブドウ酒を一ぱい、ごちそうになりました。学生はわたしの芝居について話し、いっぽうわたしは、学生の学問について話しました。あのとき、わたしたちは、おたがいに、たいへん楽しく話しあったように思います。  それにしても、あのとき、学生の言った言葉は、今もなお、わたしの頭にこびりついています。というのは、その話の中には、学生自身でも、説明できないようなことが、たくさんありましたからね。たとえば、一片の鉄がコイルの中を通ると磁石になるといったことがらも、その一つです。ほんとに、これはどういうわけでしょうか? 霊気が、それに働きかけるのです。しかし、その霊気は、どこから来るのでしょう? わたしの考えでは、この世の中の人間についても、同じではないか、という気がしますね。神さまは、人間を時のコイルの中を通過させます。そうすると、霊気が働きかけて、ナポレオンのような人や、ルーテルのような人や、あるいはまた、それと似たような人が、できあがるのです。 「全世界は、奇蹟の連続ですよ」と、学生は言いました。「ところが、われわれは、それになれすぎているものだから、あたりまえのことのように思っているんです」  それから、学生はいろいろと話したり、説明したりしてくれました。で、とうとう、わたしは、すっかり目を開かれたようになりました。そこで、わたしは、もしこんなに年をとっていなければ、すぐにでも工科大学へはいって、この世の中のことを、いろいろと調べてみたいんだが、まあ、それができないにしても、わたしはもっともしあわせな人間のひとりだと、正直に白状しました。 「もっともしあわせな人間のひとりですって!」と、学生は、ひとことひとことを、味わうように言いました。「あなたは、ほんとうにしあわせなんですか?」と、学生はたずねました。 「ええ」と、わたしは答えました。「わたしはしあわせですよ。わたしが、一座のものを連れていけば、どこの町でも、大かんげいをしてくれます。といっても、もちろんわたしにも、一つの願いがありますがね。それが、ときどき、ばけものか、夢にあらわれる悪魔のように、わたしにおそいかかってきて、わたしの上きげんを、めちゃめちゃにしてしまいます。つまり、その願いというのは、生きた人間の一座の、ほんとうの人間社会の、劇場監督になることなんです」 「それでは、あなたは、人形が命を持つことを、望んでいらっしゃるんですね。人形たちが、ほんとうの役者になることを望んでいらっしゃるんですね」と、学生は言いました。「そして、あなた自身が監督になれば、それであなたは、完全に幸福になると、信じていらっしゃるんですか?」  学生はそれを信じませんでしたが、わたしは信じました。わたしたちは、さらにそのことについて、いろいろと話しあい、とうとう、意見もほとんど一致しました。そこで、わたしたちは、グラスをかちあわせて、かんぱいしました。ブドウ酒はたいへん上等なものでしたが、その中には、なにか魔法のくすりでも、はいっていたんでしょうよ。なぜって、いつもなら、いい気持になって、酔ってしまうのですが、このときは、そうではなくて、逆に、わたしの目は、はっきりとしてきたんです。  と、きゅうに、部屋の中に太陽がさしこんできたように、明るくなりました。その光は、工科大学の学生の顔から、さしているのです。思わず、わたしは、永遠の若さで、地上を歩きまわっていたという、大昔の神さまたちを、思わずにはいられませんでした。わたしが、そのことを言うと、学生はほほえみました。わたしは、この学生こそ、姿をかえた神さまか、そうでなければ、神さまの家族のものにちがいない、と、ちかってもいいとさえ、思ったほどでした。――ところが、ほんとうに、そうだったんですよ――わたしのいちばんの願いが、かなえられたんです。人形たちが生きて、わたしは生きた、ほんとうの人間の一座の、監督になったんです。  わたしたちは、お祝いのかんぱいをしました。学生は、わたしの人形を一つのこらず、木の箱につめて、それを、わたしの背中にしばりつけました。そして、わたしを、ドスンと、コイルの中に入れました。そのとき、ドスンと落ちた音が、いまでも、わたしの耳に聞えてきますよ。わたしは、床の上に横たわりました。これは、ほんとうの話ですよ。すると、一座のものが、みんな箱から飛びだしてきました。つまり、霊気が、みんなの上に働きかけたってわけです。人形という人形が、すばらしい芸術家になりました。みんながみんな、自分で、そう言うんです。そして、このわたしは、監督になったんです。  第一回めの上演の準備は、もうすっかりできあがりました。ところが、一座のものがひとりのこらず、なにか、わたしに話したいことがあるというんです。お客さんもおんなじです。踊り子は、自分が片足で立たないと劇場はつぶれてしまう。なにしろ、自分は舞踊界の大家なんだから、それにふさわしいように、待遇してもらいたい、と、言いだしました。すると、皇后の役をやった人形は舞台の外でも、皇后としてあつかってもらいたい、そうでないと、へたになってしまうから、と、言いました。  また、手紙を持って登場する役の人形は、一座の中でいちばんの色男役のつもりで、もったいぶっていました。なぜって、芸術の世界では、小さいものも、大きいものと同じように重要なのだから、と、この男は言いたてました。いっぽう、主人公役は、自分が出るときは、いつも幕切れのまえでなければこまる、なぜなら、お客さんはそこで拍手するのだから、と、言いました。それから、プリマドンナは、自分が出るときは、赤い照明にしてもらいたい、それが、自分にはよく似合うのだから、と言いました――そして、青い照明ではいやだ、と言うのです。  みんなのうるさいことといったら、まるで、ハエがびんの中で、ブンブンいっているようでした。しかも、このわたしは、そのびんの中にいなければならないんですよ。なにしろ、監督ですからね。息はつまりそうになるし、頭はくらくらしてくる、わたしはこの上もなくみじめな人間になってしまいました。今までに見たこともないような、とんでもない種類の人間の中にはいってしまったのです。わたしは、もう一度みんなを箱の中に入れてしまいたい、と思いました。もうどんなことがあっても、監督にはなるまい、と思いました。わたしは、みんなにむかって、正直に、きみたちは、なんのかんのと言ったって、けっきょくは、人形にすぎないじゃないか、と、言ってやりました。すると、みんなは、いきなり、わたしに打ってかかりました。  気がついてみると、わたしは、自分の部屋のベッドに寝ていました。わたしが、どんなふうにして、そこへもどってきたかは、工科大学の学生は知っていたにちがいありません。けれども、わたしはなんにも知りませんでした。月の光が、床の上にさしこんでいました。そこには、人形の箱がひっくりかえっていて、人形たちは、大きいのも小さいのも一つのこらず、つまり、わたしの商売道具がみんな、ほうり出されていました。わたしは、のろのろせず、すぐさま、ベッドから飛びだしました。すると、みんなは、箱の中にはいっていきました。ある者は頭のほうから、ある者は足のほうから、というぐあいに。わたしは、ふたをして、その箱の上に、どっかと、腰をおろしました。そのときのようすは、絵にでもかいておきたいようでしたよ。あなたには想像できますか。わたしには、今もなお目に見えるようですよ。 「さあ、おまえたちは、そこにはいっているんだよ」と、わたしは言いました。「わたしは、もう、おまえたちが、血と肉を持つようになることを、願わないよ」  わたしは、たいへん気が楽になりました。わたしは、この世で、もっともしあわせな人間になりました。あの工科大学の学生が、わたしの心を清めてくれたのです。わたしは、なんともいえない幸福な気持にひたっているうちに、箱にこしかけたまま、いつのまにか、寝こんでしまいました。そして、朝になっても、――いや、ほんとうは、もう、お昼になっていました。びっくりするほど、寝坊をしてしまったものです――わたしは、まだ箱の上に腰かけていました。あいかわらず、しあわせな気持でした。なにしろ、前から胸にいだいていた、あのたった一つの願いが、ばかばかしいものであるということを、知ったのですから。わたしは、工科大学の学生のことをたずねてみました。すると、あの学生は、まるでギリシャやローマの神さまたちのように、もう、消えうせてしまっているのでした。このときからというもの、わたしは、世にもしあわせな人間なんですよ。幸福な監督なんです。わたしの一座のものは、りくつをこねません。お客さんも、おんなじです。みんな、心の底からよろこんでくれています。  わたしは、自分の芝居を、自由に組み立てることができます。いろんな芝居から、自分の好きな、いちばんいいところを、取ってきても、だれひとり、腹をたてる者もありません。大きな劇場では、今は見むきもされませんが、三十年前にはお客をひきつけて、涙を流させた、というような作品を、わたしは取りあげて、小さいお客さんたちに、やってみせるのです。そうすると、小さいお客さんたちは、むかし、おとうさんやおかあさんが泣いたように、泣いてくれるのです。わたしは、「ヨハンナ・モンフォーコン」や「ダイヴェケ」を上演します。でも、ちぢめてですよ。というのは、小さいお客さんたちは、長たらしい愛のおしゃべりなんか、きらいですからね。あの人たちが好きなのは、不幸です。それも、てっとり早いのが、好きなんです。  わたしは、今までにデンマークを、すみからすみまで旅してまわりました。そして、あらゆる人を知り、またわたしも、あらゆる人に知られました。いま、わたしはスウェーデンに行くところです。もしスウェーデンでも、運がよくて、お金をたくさんもうけたら、わたしはスカンジナビア会にはいるつもりです。でも、もうけなければ、はいりませんよ。この話は、あなたが同じ国のかただから、申しあげるのです。  そして、同じ国の人間であるわたしは、この話を、さっそくそのまま、お伝えしたわけです。ただお話ししたいばっかりにね。
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年7月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 はるか、沖合へでてみますと、海の水は、およそうつくしいやぐるまぎくの花びらのように青くて、あくまですきとおったガラスのように澄みきっています。でも、そこは、ふかいのなんのといって、どんなにながく綱をおろしても底にとどかないというくらいふかいのです。お寺の塔を、いったい、いくつかさねて積み上げたら、水の上までとどくというのでしょうか。そういうふかい海の底に、海のおとめたち――人魚のなかまは住んでいるのです。  ところで、海の底なんて、ただ、からからな砂地があるだけだろうと、そうきめてしまってはいけません。どうして、そこには、世にもめずらしい木や草がたくさんしげっていて、そのじくや葉のしなやかなことといったら、ほんのかすかに水がゆらいだのにも、いっしょにゆれて、まるで生きものがうごいているようです。ちいさいのも、おおきいのも、いろんなおさかなが、その枝と枝とのなかをつうい、つういとくぐりぬけて行くところは、地の上で、鳥たちが、空をとびまわるのとかわりはありません。この海の底をずっと底まで行ったところに、海の人魚の王さまが御殿をかまえています。その御殿の壁は、さんごでできていて、ほそながく、さきのとがった窓は、すきとおったこはくの窓でした。屋根は貝がらでふけていて、海の水がさしひきするにつれて、貝のふたは、ひとりでにあいたりしまったりします。これはなかなかうつくしいみものでした。なぜといって、一枚一枚の貝がらには、それひとつでも女王さまのかんむりのりっぱなそうしょくになるような、大きな真珠がはめてあるのでしたからね。  ところで、この御殿のあるじの王さまは、もうなが年のやもめぐらしで、そのかわり、年とったおかあさまが、いっさい、うちのことを引きうけておいでになりました。このおかあさまは、りこうな方でしたけれど、いちだんたかい身分をほこりたさに、しっぽにつける飾りのかきをごじぶんだけは十二もつけて、そのほかはどんな家柄のものでも、六つから上つけることをおゆるしになりませんでした。――そんなことをべつにすれば、たんとほめられてよい方でした。とりわけ、お孫さんにあたるひいさまたちのおせわをよくなさいました。それはみんなで六人、そろってきれいなひいさんたちでしたが、なかでもいちばん下のひいさまが、たれよりもきりょうよしで、はだはばらの花びらのようにすきとおって、きめがこまかく、目はふかいふかい海のようにまっ青でした。ただほかのひいさまたちとおなじように、足というものがなくて、そこがおさかなの尾になっていました。  ながいまる一日、ひいさまたちは、海の底の御殿の、大広間であそびました。そとの壁からは、生きた花が咲きだしていました。大きなこはくの窓をあけると、おさかながつういとはいって来ます。それはわたしたちが窓をあけると、つばめがとび込んでくるのに似ています。ただ、おさかなは、すぐと、ひいさまたちの所まで泳いで行って、その手からえさをとってたべて、なでいたわってもらいました。  御殿のそとには、大きな花園があって、はでにまっ赤な木や、くらいあい色の木がしげっていました。その木の実は金のようにかがやいて、花はほのおのようにもえながら、しじゅうじくや葉をゆらゆらさせていました。海の底は、地面からしてもうこまかい砂でしたが、それは硫黄の火のように青く光りました。そこでは、なにもかも、ふしぎな、青い光につつまれているので、それはふかい海の底にいるというよりも、なにか宙に浮いていて、上にも下にも青空をみているようでした。海のないでいるときには、お日さまが仰げました。それはむらさきの花のようで、そのうてなからながれだす光が、海の底いちめんひろがるようにおもわれました。  ひいさまたちは、めいめい、花園のなかに、ちいさい花壇をもっていて、そこでは、すき自由に、掘りかえすことも植えかえることもできました。ひとりのひいさまは、花壇を、くじらの形につくりました。するともうひとりは、じぶんのは、かわいい人魚に似せたほうがいいとおもいました。ところが、いちばん下のひいさまは、それをまんまるく、そっくりお日さまのかたちにこしらえて、お日さまとおなじようにまっ赤に光る花ばかりを咲かせました。このひいさまはひとりちがって、ふしぎとものしずかな、かんがえぶかい子でした。ほかのおねえさまたちが、難船した船からとって来ためずらしい品物をならべたててよろこんでいるとき、このひいさまだけは、うつくしい大理石の像をひとつとって来て、大空のお日さまの色に似た、ばら色の花の下に、それをおいただけでした。それはまっ白にすきとおる石をきざんだ、かわいらしい少年の像で、難破して海の底にしずんだ船のなかにあったものでした。この像のわきに、ひいさまは、ばら色したしだれやなぎを植えました。それがうつくしくそだって、そのみずみずしい枝が像をこして、むこうの赤い砂地の上までたれました。そこに濃いむらさきの影ができて、枝といっしょにゆれました。それはまるで、こずえのさきと根とがからみあって、たわむれているようにみえました。  このひいさまにとつて、海の上にある人間の世界の話をきくほど、おおきなよろこびはありません。おばあさまにせがむと、船のことや、町のことや、人間やけもののことや、知っていらっしゃることはなにもかも話してくださいました。とりわけ、ひいさまにとってめずらしくおもわれたのは、海の底ではついないことなのに、地の上では、お花がにおっているということでした。それと、森がみどり色していて、その森のこずえのなかに、おさかなが、高い、かわいらしい声で歌がうたえて、それがきくひとの耳をたのしくするということでした。その、おばあさまがおさかなとおっしゃったのは、小鳥のことでした。だって、ひいさまたちは、小鳥というものをみたことがないのですもの、そういって話さなければわからないでしょう。 「まあ、あなたたち、十五になったらね。」と、おばあさまはいいました。「そのときは、海の上へ浮かび出ていいおゆるしをあげますよ。そうすれば、岩に腰をかけて、お月さまの光にひたることもできるし、大きな船のとおるところもみられるし、森や町だってみられるようになるよ。」  来年は、いちばん上のおねえさまが、十五になるわけでした。でも、ほかのおねえさまたちは――そう、めいめい、一年ずつ年がちがっていましたから、いちばん下のひいさまが、海の底からあがっていって、わたしたちの世界のようすをみることになるまでには、まる五年も待たなければなりません。でも、ひとりがいけば、ほかのひとたちに、はじめていった日みたこと、そのなかでいちばんうつくしいとおもったことを、かえって来て話す約束ができました。なぜなら、おばあさまのお話だけでは、どうも物たりなくて、ひいさまたちの知りたいとおもうことが、だんだんおおくなって来ましたからね。  そのなかでも、いちばん下のひいさまは、あいにく、いちばんながく待たなくてはならないし、ものしずかな、かんがえぶかい子でしたから、それだけたれよりもふかくこのことをおもいつづけました。いく晩もいく晩も、ひいさまは、あいている窓ぎわに、じっと立ったまま、くらいあい色した水のなかで、おさかながひれやしっぽをうごかして、およぎまわっているのをすかしてみていました。お月さまと星もみえました。それはごくよわく光っているだけでしたが、でも水をすかしてみるので、おかでわたしたちの目にみえるよりは、ずっと大きくみえました。ときおり、なにかまっ黒な影のようなものが、光をさえぎりました。それが、くじらがあたまの上をおよいでとおるのか、またはおおぜい人をのせた船の影だということは、ひいさまにもわかっていました。この船の人たちも、はるか海の底に人魚のひいさまがいて、その白い手を、船のほうへさしのべていようとは、さすがにおもいもつかなかったでしょう。  さて、いちばん上のひいさまも、十五になりました。いよいよ、海の上に出られることになりました。  このおねえさまがかえって来ると、山ほどもおみやげの話がありましたが、でも、なかでいちばんよかったのは、波のしずかな遠浅の海に横になりながら、すぐそばの海ぞいの大きな町をみていたことであったといいます。そこでは、町のあかりが、なん百とない星の光のようにかがやいていましたし、音楽もきこえるし、車や人の通るとよめきも耳にはいりました。お寺のまるい塔と、とがった塔のならんでいるのが見えたし、そこから、鐘の音もきこえて来ました。でも、そこへ上がっていくことはできませんから、ただなにくれと、そういうものへのあこがれで、胸をいっぱいにしてかえって来たということでした。  まあ、いちばん下のひいさまは、この話をどんなに夢中できいたことでしょう。それからというもの、あいた窓ぎわに立って、くらい色の水をすかして上を仰ぐたんびに、このひいさまは、いろいろの物音ととよめきのする、その大きな町のことをかんがえました。するうち、そこのお寺の鐘の音が、つい海の底までも、ひびいてくるようにおもいました。  そのあくる年、二ばんめのおねえさまが、海の上へあがって行って、好きな所へおよいでいっていい、おゆるしがでました。このおねえさまが、浮き上がると、そのときちょうどお日さまが沈みましたが、これこそいちばんうつくしいとおもったものでした。大空がいちめん金をちらしたようにみえて、その光をうつした雲のきれいだったこと、とてもそれを書きあらわすことばはないといいました。くれないに、またむらさきに、それがあたまの上をすうすう通ってながれていきました。けれども、その雲よりももっとはやく、野のはくちょうのむれが、それはながい、白いうすものが空にただようように、しずんで行く夕日を追って、波の上をとんでいきました。このおねえさまも、これについてまけずにおよいでいきましたが、そのうち、お日さまはまったくしずんで、ばら色の光は、海の上からも、雲の上からも消えていきました。  また次の年には、三ばんめのおねえさまが上がっていきました。このおねえさまは、たれよりもむこうみずな子でしたから、大きな川が海にながれだしている、そこの川口をさかのぼっておよいでいってみました。そこにはぶどうのつるにおおわれたうつくしいみどりの丘がみえました。むかしのお城や荘園が、みごとに茂った森のなかからちらちらしていました。いろんな鳥のうたいかわす声も聞きました。するうちお日さまが、照りつけて来たので、ほてった顔をひやすために、たびたび水にもぐらなくてはなりませんでした。水がよどんでちいさな入江になった所で、かわいい人間のこどもたちのかたまって、あそんでいるのに出あいました。まるはだかで、かけまわって、ぼちゃぼちゃ水をはねかしました。いっしょにあそぼうとすると、みんなおどろいて逃げていってしまいました。するとそこへ、ちいさな、まっ黒な動物がでて来ました。これは犬でしたが、犬なんて、みたことはなかったし、いきなり、はげしくほえかかって来たので、こわくなって、またひろい海へおよいでもどりました。でも、あのうつくしい森もみどりの丘も、それから、おさかなのしっぽももっていないくせに、水におよげるかわいらしいこどもたちのことをも、このひいさまは、いつまでもわすれることができませんでした。  さて、四ばんめのおねえさまは、それほどむこうみずではありませんでしたから、そこで、ひろい大海のまんなかに居ずくまったままでしたが、でもそこがどこよりもいちばんうつくしかったと話しました。もうぐるりいちめん、なんマイルと先の知れないとおくまで見はらせて、あたまの上の青空は、とほうもなく大きなガラス鐘のようなものでした。船というものもみました。でも、それはただ遠くにはなれていて、まるでかもめのようにみえていました。それからおどけもののいるかが、とんぼがえりしたり、大きなくじらが鼻のあなから、しおをふきだして、そのへんいちめんに、なん百とない噴水がふきだしたようでした。  こんどは、五ばんめのおねえさまの番になりました。このひいさまは、おたん生日が、ちょうど冬のあいだでしたので、ほかのおねえさまたちのみなかったものをみました。海はふかいみどり色をたたえて、その上に、氷の山がまわりをとりまいて浮いていました。そのひとつびとつが白く光って、まるで真珠の山のようでしたが、それも人間の建てたお寺の塔よりもずっと高いものだつたといいました。それがまたきみょうともふしぎともいいようのないかたちをして、どれもダイヤモンドのようにちかちかかがやいていました。このおねえさまは、そのなかのいちばん大きい山に腰をかけて、そのながい髪の毛を風のなぶるままにさせていますと、そのまわりに寄って来た帆船の船頭は、みんなおどろいて、船をかえしました。でも、夕方になると空は雲でつつまれて、かみなりが鳴ったり、いなづまが走ったり、まっ黒な波が大きな氷の山を高くつき上げて、いなづまのつよい光にあてました。のこらずの船が帆をおろして、そこには、おそれとおののきとがたかまっていました。けれども、人魚のむすめは、へいきで、ちかちか光る氷の山の上に腰をのせたまま、かがやく海の上に、いなづま形に射かける稲光の青い色をながめていました。  さて、こうして、おねえさまたちは、めいめいに、はじめて海の上へ浮かんで出てみた当座こそ、まのあたりみた、めずらしいもの、うつくしいものに心をうばわれました。けれども、いまは一人まえのむすめになって、いつどこへでも好きかってにいかれるとなると、もうそれも心をひかなくなりました。またうちがこいしくなって来て、やがて、ひと月もすると、やはり海の底ほどけしきのいい所はどこにもないし、うちほどけっこうな住居はないわ、といいあうようになりました。  もういく晩も、夕方になると、五人のおねえさまたちは、おたがい手を組んで、つながって、水の上へあがっていきました。みんな、どんな人間もおよばないうつくしい声をもっていました。あらしが来かけると、やがて船はしずむほかないことが分かっていますから、みんなして船のそばへおよいでいって、やさしい歌をうたってやりました。海の底がどんなにうつくしいか、だから船人たちはしずむことをそんなにこわがるにはおよばない、そううたってやるのです。でも、そのことばは、人間には分かりません。それをやはりあらしの音だとおもっていました。それにまた、しずんでいくひとたちが、しずみながら海の底をみるなんて、そんなうまいわけにはいかないのです。なぜなら、船がしずむと、それなり船人はおぼれてしまいます。そうして、しかばねになって、人魚の王さまの御殿へはこばれてくるのですもの。  きょうだいたちが、こうして手をつないで、夕方、水の上へあがっていくとき、いちばん下のひいさまだけは、いつもひとりぼっちあとにのこっていました。そうしてみんなのあとをみおくっていると、なんだか泣かずにいられない気持になりました。けれども、海おとめには、涙というものがないのです。そのため、よけい、せつないおもいをしました。 「ああ、あたし、どうかしてはやく十五になりたいあ。」と、このひいさまはいいました。「あたしにはわかっている。あの上の世界でも、そこにうちをつくって住んでいる人間でも、あたしきっと好きになれるでしょう。」  するうち、とうとう、ひいさまも十五になりました。 「さあ、いよいよ、あなたも、わたしの手をはなれるのだよ。」と、ごいんきょのおばあさまがおっしゃいました。「では、いらっしゃい、おねえさまたちとおなじように、あなたにもおつくりをしてあげるから。」  こういって、おばあさまは、白ゆりの花かんむりを、ひいさまの髪にかけました。でも、その花びらというのが、一枚一枚、真珠を半分にしたものでした。それからまだおばあさまは、八つまで、大きなかきを、ひいさまのしっぽにすいつかせて、それを高貴な身分のしるしにしました。 「そんなことをおさせになって、あたし、いたいわ。」と、ひいさまはいいました。 「身分だけにかざるのです。すこしはがまんしなければね。」と、おばあさまは、おっしゃいました。ああ、こんなかざりものなんか、どんなにふり捨てたかったでしょう。おもたい花かんむりなんか、どんなにほうりだしたかったでしょう、ひいさまは、花壇に咲いている赤い花のほうが、はるかよく似合うことはわかっていました。でも、いまさら、それをどうすることもてきません。 「いってまいります。」と、ひいさまはいって、それはかるく、ふんわりと、まるであわのように、水の上へのぼっていきました。  ひいさまが、海の上にはじめて顔をだしたとき、ちょうどお日さまはしずんだところでした。でもどの雲もまだ、ばら色にも金色にもかがやいていました。そうして、ほの赤い空に、よいの明星が、それはうつくしくきらきら光っていました。空気はなごやかに澄んでいて、海はすっかりないでいました。そこに三本マストの大きな船が横たわっていました。そよとも風がないので、一本だけに帆が上げてあって、それをとりまいて、水夫たちが、帆綱や帆げたに腰をおろしていました。  そのうち、音楽と唱歌の声がして来ました。やがて夕やみがせまってくると、なん百とない色がわりのランプに火がともって、それは各国の国旗が、風になびいているように見えました。人魚のひいさまは、その船室の窓の所までずんずんおよいでいきました。波にゆり上げられるたんびに、ひいさまは、水晶のようにすきとおった窓ガラスをすかして、なかをのぞくことができました。そこには、おおぜい、晴着を着かざった人がいました、でも、そのなかで目立ってひとりうつくしいのは、大きな黒目をしたわかい王子でした。王子はまだ満十六歳より上にはなっていません。ちょうどきょうがおたん生日で、このとおりさかんなお祝をしているしだいでした。水夫たちは、甲板でおどっていました。そこへ、わかい王子がでてくると、なん百とない花火が打ち上げられて、これがひるまのようにかがやいたので、ひいさまはびっくりして、いったん水のなかにしずみました。けれどまたすぐ首をだすと、もうまるで大空の星が、いちどにおちかかってくるようにおもわれました。こんな花火なんというものを、まだみたことはありませんでした。大きなお日さまがいくつもいくつも、しゅうしゅういいながらまわりました。すばらしくきれいな火魚が青い中空にはね上がりました。そうして、それがみんな鏡のようにたいらな海の上にうつりました。それよりか船の上はとてもあかるくて、甲板の上の帆綱が、ごくほそいのまで一本一本わかるくらいだ、とみんなはいっていました。でも、まあ、わかい王子のほんとうにりっぱなこと。王子はたれとも握手をかわして、にぎやかに、またにこやかにわらっていました。そのあいだも、音楽は、この晴れがましい夜室にひびきつづけました。  夜がふけていきました。それでも、人魚のひいさまは、船からも、そこのうつくしい王子からも、目をはなそうとはしませんでした。色ランプは、とうに消され、花火ももう上がらなくなりました。祝砲もとどろかなくなりました。ただ、海の底で、ぶつぶつごそごそ、ささやくような音がしていました。ひいさまは、やはり水の上にのっかって、上に下にゆられながら、船室のなかをのぞこうとしていました。でも、船はだんだんはやくなり、帆は一枚一枚はられました。するうち、波が高くなって来て、大きな黒雲がわきだしました。遠くでいなづまが、光りはじめました。やれやれ、おそろしいあらしになりそうです。それで水夫たちはおどろいて、帆をまき上げました。大きな船は、荒れる海の上をゆられゆられ、とぶように走りました。うしおが大きな黒山のようにたかくなって、マストの上にのしかかろうとしました。けれど、船は高い波と波のあいだを、はくちょうのようにふかくくぐるかとおもうと、またもりあがる高潮の上につき上げられてでて来ました。これは海おとめの身にすると、なかなかおもしろい見ものでしたが、船の人たちはどうしてそれどころではありません。船はぎいぎいがたがた鳴りました。さしもがんじょうな船板も、ひどく横腹を当てられて曲りました。マストはまんなかからぽっきりと、まるであしかなんぞのようにもろく折れました。船は横たおしになって、うしおがどどっと、所かまわず船にながれ込みました。ここではじめて、人魚のひいさまも、船の人たちの身の上のあぶないことが分かりました。そればかりかじぶんも、水の上におしながされた船のはりや板きれにぶつからない用心しなければなりませんでした。ふと一時、すみをながしたようなやみ夜になって、まるでものがみえなくなりました。するうち、いなびかりがしはじめるとまたあかるくなって、船の上のようすが手にとるようにわかりました。みんなどうにかして助かろうとしてあがいていました。わかい王子のすがたを、ひいさまはさがしもとめて、それがちらりと目にはいったとたん、船がふたつにわれて、王子も海のそこふかくしずんでいきました。はじめのうち、ひいさまはこれで王子がじぶんの所へ来てくれるとおもって、すっかりたのしくなりました。でも、すぐと、水のなかでは、人間が生きていけないことをおもいだしました。そうすると、この王子も死んで、おとうさまの御殿にいきつくほかはないとおもいました。まあ、この人を死なせるなんて、とんでもないことです。そこで、波のうえにただようはりや板きれをかきわけかきわけ、万一、ぶつかってつぶされることなぞわすれて、夢中でおよいでいきました。で、いったん水のそこふかくしずんで、またたかく波のあいだに浮きあがったりして、やっと、わかい王子の所までおよいでいけましたが、王子は、もうとうに荒れくるう海のなかで、およぐ力がなくなっていて、うつくしい目もとじていました。人魚のひいさまが、そこへ来てくれなかったら、それなり死ぬところだったでしょう。ひいさまは、王子のあたまを水の上にたかくささげて、あとは、波が、じぶんと王子とを、好きな所へはこぶままにまかせました。  そのあけがた、ひどいあらしもやみました。船のものは、木ッぱひときれのこってはいませんでした。お日さまが、まっかにかがやきながら、たかだかと海のうえにおのぼりになりますと、それといっしょに、王子のほおにもさっと血の気がさしてきたようにおもわれました。でも、目はとじたままでした。人魚のひいさまは、王子のたかい、りっぱなひたいにほおをつけて、ぬれた髪の毛をかき上げました。こうして見ると、海のそこの、あのかわいい花壇にすえた大理石の像に似ていました。ひいさまは、もういっぺんほおづけして、どうかいのちのありますようにとねがっていました。たかい、青い山山のいただきに、ふんわり雪がつもって、きらきら光っているのが、ちょうどはくちょうが寝ているようでした。そのふもとの浜ぞいには、みどりみどりした、うつくしい森がしげっていて、森をうしろに、お寺か、修道院かよくわからないながら、建物がひとつ立っていました。レモンとオレンジの木が、そこの園にしげっていて、門の前には、せいのたかいしゅろの木が立っていました。海の水はそこで、ちいさな入江をつくっていて、それは鏡のようにたいらなまま、ずっとふかく、すのところまで入りこんでいて、そこにまっしろに、こまかい砂が、もり上がっていました。ひいさまは、王子をだいてそこまでおよいでいって、ことに、あたまの所をたかくして、砂の上にねかせました。これはあたたかいお日さまの光のよくあたるようにという、やさしい心づかいからでした。  そのとき、そこの大きな白い建てもののなかから、鐘がなりだしました。そうして、その園をとおって、わかい少女たちがおおぜい、そこへでて来ました。そこで、人魚のひいさまは、ずっとうしろの水の上に、いくつか岩の突き出ている所までおよいでいって、その陰にかくれました。たれにも顔のみえないように、髪の毛にも胸にも、海のあわをかぶりました。こうしてきのどくな王子のそばへ、たれがまずやってくるか、気をつけてみていました。  もうまもなく、ひとりのわかいむすめが、そこへ来ました。むすめはたいへんおどろいたようでしたが、ほんのちょっとのあいだで、すぐとほかの人たちをつれて来ました。人魚のひいさまがみていますと、王子はとうとういのちをとりとめたらしく、まわりをとりまいているひとたちに、にんまりほほえみかけました。けれど、ひいさまのほうへは笑顔をみせませんでした。ひいさまにたすけてもらったことも、王子はまるで知りませんでした。ひいさまは、ずいぶんかなしくおもいました。そのうち、王子は、大きな建てもののなかへはこばれていってしまうと、ひいさまも、せつないおもいをしながら水にしずんで、そのまま、おとうさまの御殿へかえっていきました。  いったいに、いつもものしずかな、ふかくおもい込むたちのひいさまでしたけれど、これからは、それがよけいひどくなりました。おねえさまたちは、この妹が、海の上ではじめてみて来たものがなんであったか、たずねましたが、ちょっぴりともその話はしませんでした。  晩に、朝に、いくたびとなく、このひいさまは、王子をおいて来た浜ちかく上がっていってみました。園のくだものが実のって、やがてもがれるのもみました。山山のいただきに、雪の消えるのもみました。けれども、ひいさまは、もう王子のすがたをみることはありませんでした。そうして、そのたんびに、いつもよけいせつないおもいでかえって来ました。こうなると、ただひとつのたのしみは、れいのちいさな花壇のなかで、うつくしい王子に似た大理石の像に、両腕をかけることでした。けれども花壇の花にはもうかまわなくなりました。それは、路のうえまで茂りほうだいしげって、そのながくのびたじくや葉を、あたりの木の枝に、所かまわずからみつけましたから、そこらはどこも、おぐらくなっていました。  とうとう、いつまでもこうしているのが、ひいさまにはたえられなくなりました。それで、ひとりのおねえさまにうちあけますと、やがて、ほかのおねえさまたちの耳にもはいりました。でも、このひいさまたちと、そのほかに二、三人の、海おとめたちのほかたれ知るものはなく、そのおとめたちも、ただごく仲のいいお友だちのあいだでその話をしただけでした。ところで、そのお友だちのうちに、ひとり、王子を知っているむすめがありました。それから、あの晩、船の上でお祝のあったこともみていました。そのむすめは、王子がどこから来たひとで、その王国がどこにあるかということまで知っていました。 「さあ、いってみましょうよ。」と、おねえさまたちは、いちばん下のちいさい妹をさそいました。そうして、おたがい腕を肩にかけて、ながい列を組んで、海の上にうき上がりました。そこは王子の御殿のあるときいた所でした。  その御殿は、クリーム色に光をもった石で建てたものでしたが、そこのいくつかある大理石の階段のうち、ひとつはすぐと海へおりるようになっていました。平屋根の上には、一だんたかく、金めっきしたりっぱな円屋根がそびえていました。建物のぐるりをかこむ円柱のあいだに、いくつもいくつも大理石の像が、生きた人のようにならんでいました。たかい窓にはめ込んだあかるいガラスをすかすと、なかのりっぱな広間がみえました。その広間の壁には、高価な絹のとばりや壁かけがかかっていました。壁という壁は、名作の画でかざられていて、みるひとの目をたのしませました。こういう広間のいくつかあるなかの、いちばんの大広間のまんなかに、大きな噴水がふきだしていて、そのしぶきは、ガラスの円天井まで上がっていましたが、その天井からは、お日さまがさしこんで、噴水の水と大水盤のなかにういている、うつくしい水草の上にきらきらしていました。  こうして王子のすみかがわかると、それからは、もう夕方から夜にかけて、毎晩のように、そこの水の上に、妹のひいさまはでてみました。もうほかの人魚たちのいきえない丘ちかくの所までも、およいでいきました。ついには、せまい水道のなかにまでくぐって、そのながい影を水の上に投げている大理石の露台の下までもいってみました。そこにじいっといて、みあげると、わかい王子が、じぶんひとりいるつもりで、あかるいお月さまの光のなかに立っていました。  夕方、たびたび、王子はうつくしいヨットに帆をはって、音楽をのせて、風に旗を吹きなびかせながら、海の上を走らせるところを、ひいさまは見ました。ひいさまは、それを青青としげったあしの葉のあいだからすきみしました。すると風が来て、ひいさまの銀いろしたながいヴェールをひらひらさせました。たまにそれを見たものは、はくちょうがつばさをひろげたのだとおもいました。  夜な夜な、船にかがりをたいて、りょうに出るりょうしたちからも、ひいさまはたびたび、わかい王子のいいうわさをききました。そうして、そんなにもほめものになっているひとが波の上に死にかけてただよっているところを、じぶんがすくったのだとおもってうれしくなりました。それから、あのとき、あの方のおつむりは、なんておだやかにあたしの胸のうえにのっていたことかしら、それをあたしはどんなに心をこめて、ほおずりしてあげたことかしらとおもっていました。そのくせ、王子のほうでは、むろんそういうことをまるで知りませんでした。つい、夢にすらみてはくれないのです。  だんだんに、だんだんに、人間というものが、とうとくおもわれて来ました。だんだんに、だんだんに、どうぞして人間のなかまにはいっていきたいと、ねがうようになりました。人間の世界は、人魚の世界にくらべて、はるかに大きくおもわれました。人間は、船にのって海の上をとびかけることもできますし、雲よりもたかい山にのぼることもできました。人間のいる国ぐにには森も畑もあって、それは人魚の目のとどかないとおくまではてしなくひろがっていました。そこで、このひいさまの知りたいことは山ほどあっても、おねえさまたちのちからでは、そののこらずにこたえることはできません。ですから、おばあさまにうかがうことにしました。このあばあさまはさすがに、上の世界のことをずっとよく知っておいでになりました。上の世界というのは、このおばあさまが、まことにうまく、海の上の国ぐにに名づけたものでした。 「ねえ、おばあさま、人間は、水におぼれさえしなければね、」と、ひいさまはたずねました。「それはいつまででも生きられるのでしょう。あたしたち海のそこのもののようには死なないのでしょう。」 「どうしてさ。」と、おばあさまは、おっしゃいました。「人間だって、やはり死ぬのですよ。わたしたちよりも、かえって寿命はみじかいくらいです。わたしたちは三百年まで生きられます。ただ、いったん、それがおわると、それなり、水の上のあわになって、おたがいむつまじくして来たひとたちのなかに、お墓ひとつのこしては行けません。わたしたちには、死なないたましいというものがないのだよ。またの世にうまれかわるということがないのだよ。いわば、あのみどり色したあしのようなもので、いちど刈りとられると、もう二どと青くなることがない。そこへいくと、人間にはたましいというものがあって、それがいつまででも生きている、からだが土にかえってしまったあとでも、たましいは生きている。それが、澄んだ大空の上にのぼって、あのきらきら光るお星さまの所へまでものぼって行くのです。ちょうど、わたしたちが、海の上にうき上がって、人間の国をながめるように、人間のたましいは、わたしたちにとても見られない、知らない神さまのお国へうかび上がっていくのです。」 「なぜ、あたしたち、死なないたましいをさずからなかったの。」と、人魚のひいさまは、かなしそうにいいました。「あたし、なん百年の寿命なんてみんなやってしまってもいいわ。そのかわり、たった一日でも人間になれて、死んだあとで、その天国とやらの世界へのぼるしあわせをわけてもらえるならね。」 「まあ、そんなことをおもうものではないよ。」と、おばあさまはおっしゃいました。「わたしたちは、あの上の世界の人間なんかより、ずっとしあわせだし、ずっといいものなのだからね。」 「でも、あたし、やはり死んであわになって、海の上にういて、もう波の音楽もきかれないし、もうきれいな花もみられないし、赤いお日さまもみられなくなるのですもの。どうにかして、ながいいのちのたましいを、さずかるくふうってないものかしら。」 「それはあるまいよ。」と、おばあさまはいいました。「だがね、こういうことはあるそうだよ。ここにひとり人間があってね、あなたひとりが好きになる。そう、その人間にとっては、あなたというものが、おとうさまやおかあさまよりもいいものになるのだね。そうして、それこそありったけのまごころとなさけで、あなたひとりのことをおもってくれる。そこで、お坊さまが来て、その人間の右の手をあなたの右の手にのせて、この世も、ながいながいのちの世もかわらない、かたい約束を立てさせる。そうなると、その人間のたましいがあなたのからだのなかにながれこんで、その人間のしあわせを分けてもらえることになる。しかも、その人間はあなたにたましいを分けても、じぶんのたましいはやはりなくさずにもっているというのさ。だが、そんなことはけっしてありっこないよ。だって、この海のそこの世界でなによりうつくしいものにしているおさかなのしっぽを、地の上ではみにくいものにしているというのだもの。それだけのよしあしすら、むこうはわからないものだから、むりに二本、ぶきような、つっかい棒みたいなものを、かわりにつかって、それに足という名をつけて、それでいいつもりでいるのだよ。」  そういわれて、人魚のひいさまも、いまさらため息しながら、じぶんのおさかなの尾にいじらしくながめ入りました。 「さあ、陽気になりましょう。」と、おばあさまはいいました。「せっかくさずかることになっている三百年の寿命です。そのあいだは、好きにおどってはねてくらすことさ。それだけでもずいぶんながい一生ですよ。それだけに、あとはきれいさっぱり、安心して休めるというものだ。今夜は宮中舞踏会をやりましょう。」  さて、この舞踏会が、なるほど、地の上の世界では見られないごうかなものでした。大きな舞踏の間の壁と天井とは、あつぼったい、そのくせ、よくすきとおったガラスで張りめぐらされていました。ばら色や草みどり色した大きな貝がらが、なん百としれず、四方の壁にかけつらねてあって、そのひとつひとつに、青いほのおの火がともっていました。それが広間をくまなくてらした上、壁のそとへながれだす光が、すっかり海をあかるくしました。ですから、大も小もなく、それこそかぞえきれないほどのさかなが、ガラスの壁にむかっておよいでくるのが、手にとるようにみえました。うろこをむらさき紅の色に光らせてくるのもありました。銀と金の色にかがやいてくるものもありました。――ちょうど、広間のまん中のところを、ひとすじ、大きくゆるやかな海のながれがつらぬいている、その上で、男の人魚たちと女の人魚たちとが、人魚だけのもっているやさしい歌のふしでおどっていました。こんなうつくしい歌声が、地の上の人間にあるでしょうか。あのいちばん下の人魚のひいさまは、そのなかでも、たれおよぶもののないうつくしい声でうたいました。みんないちどに手をたたいて、その歌をほめそやしました。そのせつな、さすがにこのひいさまも心がうかれました。それは、地の上はもちろん、海のなかにもまたふたりとないうつくしい声を、じぶんがもっていることが分かったからでした。でも、すぐとまた、上の世界のことをかんがえるいつものくせに引きこまれました。あのうつくしい王子のことをわすれることはできませんし、あのひととおなじに、死なないたましいをもっていないことが心をくるしめました。そこで、こっそり、ひいさまは、おとうさまの御殿をぬけだしました。そうして、たれもそこで、歌って、陽気にうかれているまに、しぶんひとり、れいのちいさい花壇のなかに、しょんぼりすわっていました。そのとき、ひとこえ角笛のひびきが、海の水をわたって来ました。その音をききながら、ひいさまはおもいました。 「まあ、いまごろ、あの方きっと、帆船をはしらせていらっしゃるのね。ほんとうに、おとうさまよりもおかあさまよりももっと好きなあの方が、しじゅうあたしのこころからはなれないあの方が、そのお手にあたしの一生の幸福をささげようとねがっているあの方が、あそこにいらっしゃるのね。あたし、どうぞして、死なないたましいが手にはいるものなら、どんなことでもしてみるわ。そうだ、おねえさまたちが、御殿でおどっていらっしゃるうち、あたし、海の魔女の所へ行ってみよう。いつもはずいぶんこわいのだけれど、でもきっと、あの女なら相談相手になって、いいちえをかしてくれるでしょう。」  そこで、人魚のひいさまは、花園をでて、ぶつぶつあわ立つうず巻の流れのなかへむかっていきました。このうず巻のむこうに、魔女のすまいがありました。こんな道をとおるのははじめてのことでした。そこには花も咲いていず、藻草も生えていません。ただむきだしな灰いろの砂地が、うずのながれの所までつづいていて、そのながれはうなりを立てて、水車の車輪のようにくるりくるりまわっていました。そうして、このうず巻のなかにはいってくるものは、なんでもつかまえて、こなごなにくだいて、ふかいふちに引きこみました。このはげしいうずのながれの、しかもまん中をとおって行くほかに海の魔女の領分にはいる道はありませんし、それも、ながいあいだ、ぶつぶつ煮えて、あわだっているどろ沼をわたって行くよりほかに道はないのです。この沼を、じぶんのすくも田という名で魔女はよんでいました。これを行きつくした奥に、きみのわるい森が茂っていて、そのなかに魔女の住居はありました。その森のなかの木立もやぶも、半分は動物、半分は植物というさんご虫なかまで、それはいわば、百あたまのあるへびが、地のなかから、にょろにょろわき出ているようなものでした。その一本一本の枝が、ながい、ねばねばした腕で、くなくなと、さなだ虫のような指が出ていました。そうして下の根もとから枝のずっとさきまで、ふしぶしが自由にうごきました。ですから、海のなかで手につかめるものは、なんでもつかんで、しっかりとそれにからみついて放そうとはしません。人魚のひいさまは、すっかりおびえて、そのまえに立ちすくみました。もうおそろしくて、心臓がどきどき波をうって、なんべんもそこから引きかえそうとおもいました。でもまた王子のことと、人間のたましいのことをおもうと、勇気がでました。ひいさまは、そこでまず、うるさくまつわるながい髪の毛を、しっかりあたまにまきつけて、さんご虫につかまらないようにしました。それから、両手を胸の上で重ねて、おさかなが水のなかをつういとつっきるように、いやらしいさんご虫どもが、くなくなした指と腕とをのばそうとしているなかをつっきって行きました。まあ、このいやな虫は、みると、そのひとつひとつが、そのつかんだものを、まるでつよい鉄の帯でしめつけるように、そのなん百とないちいさな腕で、ぎりぎりつかまえていました。海でおぼれて、このふかい底までしずんだ人間が、白骨になって、さんご虫の腕のあいだにちらちらみえていました。船のかいや箱のようなものまでも、さんご虫はしっかりつかまえていました。おかの動物のがい骨もありましたが、人魚のむすめがひとり、つかまってしめころされているのが、なかでもおそろしいことにおもわれました。  やがて、ひいさまは、森のなかの広場のぬるぬるすべる沼のような所へ来ました。そこには脂ぶとりにふとった水へびが、くねくねといやらしい白茶けた腹をみせていました。この沼のまんなかに、難船した人たちの白骨でできた家がありました。その家に、海の魔女はすわっていて、一ぴきのひきがえるに、口うつしでたべさせているところでしたが、そのようすは、人間がカナリヤのひなにお砂糖をつつかせるのに似ていました。あのいやらしく、肥ぶとりした水へびを、魔女はまた、うちのひよっ子と名をつけて、じぶんのぶよぶよ大きな胸の上で、かってにのたくらせていました。 「ご用むきはわかっているよ。」と、海の魔女はいいました。「ばかなことかんがえているね。だが、まあ、したいようにするほかはあるまい、そのかわり、べっぴんのおひいさん、その男ではさぞつらいめをみることだろうよ。おまえさん。そのおさかなのしっぽなんかどけて、かわりに二本のつっかい棒をくっつけて、人間のようなかっこうであるきたいのだろう。それでわかい王子をつって、ついでに死なないたましいまで、手に入れようってのだろう。」  こういって、魔女はとんきょうな声をたてて、うすきみわるくわらいました。そのひびきで、かえるもへびも、ころころところげおちて、のたくりまわっていました。 「おまえさん、ちょうどいいときに来なすったよ。」と、魔女はいいました。「あしたの朝、日が出てしまうと、もうそのあとでは、また一年まわってくるまで、どうにもしてあげられないところだったよ。では、くすりを調合してあげるから、それをもって、日の出る前、おかの所までおよいでいって、岸に上がって、それをのむのだよ。すると、おまえさんのそのしっぽが消えてなくなって、人間がかわいい足と、名をつけているものにちぢまる。だが、ずいぶん痛かろうよ。それはちょうど、するどいつるぎを、からだにつッこまれるようだろうよ。さて、出あったものは、たれだって、おまえさんのことを、こんなきれいな人間のむすめを見たことがないというだろう。おまえさんが浮くようにかるく足をはこぶところは、人間の踊り子にまねもできまい。ただ、ひと足ごとに、おまえさん、するどい刄物をふむようで、いまにも血がながれるかとおもうほどだろうよ。それをみんながまんするつもりなら、相談にのって上げる。」 「ええ、しますわ。」と、人魚のひいさまは、声をふるわせていいました。そうして、王子のことと、それから、死なないたましいのことを、しっかりとおもっていました。 「でも、おぼえておいで。」と、魔女はいいました。「おまえさんは、いちど人間のかたちをうけると、もう二どと人魚にはなれないのだよ。海のなかをくぐって、きょうだいたちのところへも、おとうさんの御殿へもかえることはできないし、それから王子の愛情にしても、もうおまえさんのためには、おとうさんのこともおかあさんのこともわすれて、あけてもくれてもおまえさんのことばかりを、かんがえていて、もうこの上は、お坊さんにたのんで、王子とおまえさんとふたりの手をつないで、晴れてめおととよばせることにするほかない、というところまでいかなければ、やはり、死なないたましいは、おまえさんのものにはならないのだよ。それがもしかちがって、王子がほかの女と結婚するようなことになると、もうそのあくる朝、お前さんの心臓はやぶれて、おまえさんはあわになって海の上にうくのだよ。」 「かまいません。」と、人魚のひいさまはいいました。けれど、その顔は死人のように青ざめていました。 「ところで、おまえさん、お礼もたっぷりもらわなきゃならないよ。」と、魔女はいいました。「どうして、わたしののぞむお礼は、お軽少なことではないよ。おまえさんは、この海の底で、だれひとりおよぶもののないうつくしい声をもっておいでだね。その声で、たぶん、王子をまよわそうとおもっているのだろう。ところが、その声をわたしはもらいたいのだよ。そのおまえさんのもっているいちばんいいものを、わたしのだいじな秘薬とひきかえにしようというのさ。なにしろそのくすりには、わたしだって、じぶんの血をまぜなくてはならないのだからね。それで、くすりにも、もろ刄のつるぎのようなするどいききめがあらわれようというものさ。」 「でも、あたし、声をあげてしまったら、」と、ひいさまは、いいました。「あとになにがのこるのでしょう。」 「なあに、まだ、そのうつくしいすがたが、」と、魔女はいいました。「それから、そのかるい、うくようなあるきつきが、それから、そのものをいう目があるさ。それだけで、りっぱに人間のこころをたぶらかすことはできようというものだ。はてね、勇気がなくなったかね。さあ、その舌をお出し、それを代金にはらってもらう。そのかわり、よくきくくすりをさし上げるよ。」 「ええ、そうしてください。」と、人魚のひいさまはいいました。そこで、魔女は、おなべを火にかけて、魔法ののみぐすりを煮はじめました。 「ものをきれいにするのは、いいことさ。」と、魔女はいって、へびをくるくるとむすびこぶにまるめて、それでおなべをみがきました。それからじぶんの胸をひっかいて、黒い血をだして、そのなかへたらしこみました。その湯気が、なんともいえないふしぎなきみのわるい形で、むくむくと立って、身の毛もよだつようでした。  魔女はしじゅうそれからそれと、なにくれとおなべのなかへ投げ込んでいました。やがて、ぼこぼこ煮え立ってくると、それが*わにの泣き声に似た音を立てました。とうとう、のみぐすりが煮え上がりましたが、それはただ、すみ切った水のようにみえました。 *わにはこどもの泣声に似た声をだしておびきよせるという西洋中世のいいつたえがある。 「さあ、できましたよ。」と、魔女はいいました。  そこで、のみぐすりをわたして、代りにひいさまの舌を切りました。もうこれで、ものもいえず、歌もうたえない、おしになったのです。 「もしか、かえりみちに、森のなかをとおって、さんご虫どもにつかまりそうになったらね。」と、魔女はいいました。「このくすりをたった一てきでいい、たらしておやり、そうすると、やつら、腕も指もばらばらになってとんでしまう。」  けれど人魚のひいさまは、そんなことをしないでもすみました。さんご虫は、ひいさんの手のなかで、星のようにきらきらするのみぐすりをみただけで、おじけて引っこみました、それで、苦もなく、森もぬけ、すくも田もとおって、うずまきの流れもくぐってかえりました。  そこに、おとうさまの御殿がみえました。大きな舞踏の間も、もうあかりが消えていました。きっともう、みんな寝たのでしょう。けれど、ひいさまも、いまはもうおしでしたし、このまま、ながいおわかれをしようというところでしたから、おねえさまたちを、さがしにはいっていこうとはしませんでした。もう、せつなくて、胸がはりさけるようでした。そっと、花園にはいって、おねえさまたちの花壇から、めいあいに、ひとつずつ花をつみとって、御殿のほうへ、指で、もうなんべんとしれないほど、おわかれのキッスをなげたのち、くらいあい色の海をぬけて、上へ上がっていきました。  ひいさまが、王子のお城をみつけて、そこのりっぱな階段を上がっていったとき、お日さまはまだのぼっていませんでした。お月さまだけが、うつくしくさえていました。人魚のひいさまは、やきつくように、つんとつよいくすりをのみました。すると、きゃしゃなふしぶしに、するどいもろ刄のつるぎを、きりきり突きとおされたようにかんじて、それなり気がとおくなり、死んだようになってたおれました。やがて、お日さまの光が、海の上にかがやきだしたとき、ひいさまは目がさめました。とたんに、切りさかれるような痛みをかんじました。けれど、もうそのとき、すぐ目のまえには、うつくしいわかい王子が立っていました。王子は、うるしのような黒い目でじっとひいさまをみつめていました。はっとして、ひいさまは目を伏せました。すると、あのおさかなのしっぽは、きれいになくなっていて、わかいむすめだけしかないような、それはそれはかわいらしい、まっ白な二本の足とかわっているのが、目にはいりました。でも、まるっきり、からだをおおうものがないので、ひいさまは、ふっさりとこくながい髪の毛で、それをかくしました。王子はそのとき、いったい、あなたはたれかどこから来たのかといって、たずねました。ひいさまは、王子の顔を、やさしく、でも、あくまでかなしそうに、そのこいあい色の目でみあげました。もう、口をききたくもきけないのです。そこで、王子はひいさまの手をとって、お城のなかへつれていきました。なるほど、魔女があらかじめいいきかせていたように、ひいさまは、ひと足ごとに、とがった針か、するどい刄ものの上をふんであるくようでしたが、いさんで、それをこらえました。王子の手にすがって、ひいさまは、それこそシャボン玉のようにかるく上がっていきました。すると、王子もおつきの人たちもみんな、ひいさまのしなやかな、かるい足どりをふしぎそうに見ました。  さて、ひいさまは、絹とモスリンの高価な着物をいただいて着ました。お城のなかでは、たれひとりおよぶもののないうつくしさでした。けれど、おしで、歌をうたうことも、ものをいうこともできません。絹に金のぬいとりした着物を着かざったうつくしい女のどれいたちがでて来て、王子と、王子のご両親の王さま、お妃さまのご前で歌をうたいました。そのなかでひとり、たれよりもひときわじょうずによくうたう女があったので、王子は手をたたいてやって、そのほうへにっこりわらいかけました。でも、人魚のひいさまは、じぶんなら、はるかずっといい声でうたえるのにとおもって、かなしくなりました。そこで、 「ああ、王子さまのおそばに来たいばかりに、あたしは、みらいえいごう、声をひとにやってしまったのです。せめて、それがおわかりになったらね。」と、ひいさまはおもっていました。  こんどは、女のどれいたちが、それはけっこうな音楽にあわせて、しとやかに、かるい足どりで、おどりました。すると、人魚のひいさまも、うつくしい白い腕をあげて、つま先立ちして、たれにもまねのならないかるい身のこなしで、ゆかの上をすべるようにおどりあるきました。ひとつひとつ、しぐさをかさねるにしたがって、この人魚のひいさまの世にないうつくしさが、いよいよ目に立ちました。その目のはたらきは、どれいたちの女の歌とくらべものにならない、ふかいいみを、見る人びとのこころに語っていました。  そこにいた人たちは、たれも、酔ったようになっていました。とりわけ、王子は、ひいさまの名を「かわいいひろいむすめさん」とつけてよろこんでいました。ひいさまは、いくらでもおどりつづけました。そのくせ地に足がふれるたんびに、するどい刄ものの上をふむようでした。王子は、いつまでもじぶんの所にいるようにといって、すぐじぶんのへやのまえの、びろうどのしとねにねることをゆるしました。  王子は、ひいさまを馬にのせてつれてあるけるように、男のお小姓の着る服をこしらえてやりました。ふたりは、いいにおいのする森のなかを、馬であるきました。すると、みどりのこい木の枝が、ふたりの肩にさわったり、小鳥たちが、みすみずしい葉かげで歌をうたいました。ひいさまは、王子について、たかい山にものぼりました。そんなとき、きゃしゃな足から血がながれて、ほかのひとたちの目につくほどになっても、ひいさまはわらっていました。そうして、どこまでも王子にくっついていって、雲が、よその国へわたっていく鳥のむれのように、とんでいるところを、はるか目のしたにながめました。  うちで、王子のお城のなかにいるとき、夜な夜な、ほかのひとたちのねむっているあいだに、ひいさまは、大理石の階段のうえに出ました。そうして、もえるような足を、つめたい海の水にひたしました。そうしているうち、はるか下の海のそこの、わかれて来たひとたちのことが、こころにうかんで来ました。  そういう夜のつづいているとき、ある晩、夜ぶかく、人魚のおねえさまたちが、手をつなぎあってでて来ました。波のうえにうきながら、おねえさまたちは、かなしそうにうたいました。ひいさまが手まねきして知らせると、むこうでもみつけて、あちらでは、みんな、どんなにさびしがっているか話してきかせました。それからは、毎晩のように、このおねえさまたちはでて来ました。いちどなどは、もう何年とないひさしい前から、海の上にでておいでにならなかつたおばあさまの姿を、とおくでみつけました。かんむりをおつむりにのせたおとうさまの人魚の王さまも、ごいっしょのようでした。おばあさまも、おとうさまも、ひいさまのほうへ手をさしのべましたが、おねえさまたちのようには、おもいきっておか近くへ寄りませんでした。  日がたつにつれて、王子はだんだん人魚のひいさまが好きになりました。王子は、心のすなおな、かわいいこどもをかわいがるように、ひいさまをかわいがりました。けれど、このひいさまを、お妃がしようなんということは、まるっきりこころにうかんだことがありません。でも、ひいさまとしては、どうしても王子のおよめにしていただかなければ、もう死なないたましいのさずかるみちはありません。そうして、王子がほかのお妃をむかえた次の朝、海のあわになってきえなければなりませんでした。 「わたくしを、だれよりもいちばんかわいいとはおおもいにならなくて。」と、王子が人魚のひいさまを腕にかかえて、そのうつくしいひたえにほおをよせるとき、ひいさまの目は、そうたずねているようにみえました。 「そうとも、いちばんかわいいとも。」と、王子はいいました。「だって、おまえはだれよりもいちばんやさしい心をもっているし、いちばん、ぼくをだいじにしてつかえてくれる。それに、ぼくがいつかあったことがあって、それなりもう二どとはあえまいとおもうむすめによく似ているのだよ。ぼくはあるとき、船にのって、難破したことがあった、波がぼくを、あるとうといお寺のちかくの浜にうち上げてくれた。そのお寺にはおおぜい、わかいむすめたちが、おつとめしていた。そのなかでいちばんわかい子が、ぼくを浜でみつけて、いのちをたすけてくれた。ぼくは、その子を二どみただけだった。その子だけが、ぼくのこの世の中で好きだとおもったただひとりのむすめだった。ところで、おまえがそのむすめに生きうつしなのだ。あまり似ているので、ぼくの心にのこっていたせんのむすめのすがたが、いまではどうやらとおくにおしのけられそうだ。そのむすめは、とうといお寺につかえているむすめだから、ぼくの幸運の神さまが、その子のかわりに、おまえをぼくのところへよこしてくれたのだ。いつまでもいっしょにいようね。」―― 「ああ、あの方は、あの方のおいのちをたすけてあげたのは、このあたしだということをお知りにならないのね。」と、人魚のひいさまはおもいました。「あたし、あの方をかかえて海の上を、お寺のある森の所まではこんであげたのだわ。あたし、そのとき、あわのかげにかくれて、たれかひとは来ないかみていたのだわ。あの方が、あたしよりもっと好きだとおっしゃるそのうつくしいむすめも、みて知っている。」と、ここまでかんがえて、人魚のひいさまは、ふかいため息をしました。人魚は泣きたくも泣けないのです。「でも、そのむすめさんは、とうといお寺につかえている身だから、世の中へでてくることはないと、あの方はおっしゃった。おふたりのあうことはきっともうないのね。あたしはこうしてあの方のおそばにいる。まいにち、あの方のお顔をみている。あたし、あの方をよくいたわってあげよう。あの方にやさしくしよう、あたしのいのちを、あの方にささげよう。」  ところが、そのうちに、王子がいよいよ結婚することになった、おとなりの王国のきれいなお姫さまをお妃にむかえることになった、といううわさが立ちました。そのために、王子さまは、りっぱな船を一そう、おしたてさせになったともいいました。  こんどの王子の旅行は、おもてむき、おとなりの王国を見学にいかれるということになっているけれど、じつは王さまのお姫さまにあいにいくのだということでした。たくさんのおともの人数もきまっていました。でも、人魚のひいさまは、つむりをふって、にっこりしていました。  王子の心は、たれよりもよく、このひいさまに分かっているはずでした。 「ぼくは旅をしなければならないよ。」と、王子は人魚のひいさまにいいました。「きれいな王女のお姫さまにあいにいくのさ。おとうさまとおかあさまのおのぞみでね。だが、ぜひともそのお姫さまをぼくのおよめにもらって来いというのではないよ。だが、ぼくはそのお姫さまが好きにはなれまいよ。おまえがそれにそっくりだといった、あのお寺のきれいなむすめには似ていないだろうからね。そのうち、どうしてもおよめえらびをしなければならなくなったら、ぼくはいっそおまえをえらぶよ。口はきけないかわり、ものをいう目をもっている、ひろいむすめのおまえをね。」  こういって、王子は、ひいさまのあかいくちびるにくちをつけました。それからながい髪の毛をいじって、その胸に顔をおしつけました。それだけでもうひいさまのこころには、人間にうまれた幸福と、死なないたましいのことが、夢のようにうかびました。 「でも、おしのひろいむすめさんは、海をこわがりはしないだろうね。」と、王子はいいました。そのとき、ふたりは、おとなりの王さまの国へ行くはずのりっぱな船の上にいました。それから王子に、海のしけとなぎのこと、海のそこのふしぎな魚のこと、そこで潜水夫のみて来ていることなどを、なにくれと話しました。でも、話のなかで、ひいさまはついほほえみかけました。そうでしょう、海のそこのことなら、たれがなんといったって、このひいさまにかなうものはないでしょうから。  月のいい晩で、舵の所に立っている舵とりひとりのこして、船のなかの人たちはみんな寝しずまっていました。人魚のひいさまは、船のへりに腰をかけて、澄んだ水のなかを、じっとながめていました。おとうさまの御殿が、そこにみえているようにおもわれました。御殿のいちばんの高殿には、おつむりに銀のかんむりをのせたおばあさまが立っていらしって、はやいうしおの流れをすかして、じいっとこちらの船の竜骨をみ上げておいでになるようです。するうち、おねえさまたちが、波の上に出て来ました。そうして、かなしそうな顔で、こちらをみて、その白い手を、せつなそうにこすりました。  ひいさまは、おねえさまたちにあいずして、にっこりわらいかけて、こちらは不足なくしあわせにしている話をしようとすると、そこへ、船のボーイがふしんらしく寄って来たので、おねえさまたちは水にもぐりました。それで、ボーイも、いま、ちらと白いものがみえたのは、海のあわであったかとおもって、それなりにしてしまいました。  そのあくる朝、船はおとなりの王さまの国の、きらびやかな都の港にはいっていきました。町のお寺の鐘が、いっせいに鳴りだしました。そこここのたかい塔で、大らっぱを吹きたてました。そのなかで兵隊が、旗を立てて、銃剣をひからせて行列しました。  さて、それからは、まいにち、なにかしらお祝ごとの催しがありました。舞踏会だの、宴会だの、それからそれとつづきました。でも王さまのお姫さまは、まだすがたをみせません。うわさでは、どこかとおい所の、あるとうといお寺にあずけられていて、そこで王妃たるべき人のいっさいの道を、修めておいでになるということでした。するうち、そのお姫さまもやっとおかえりになりました。  人魚のひいさまも、いったいどんなにうつくしいのか、はやくそのひとをみたいものだと、気にかかっていましたが、いまみて、いかにも人がらの優美なのに、かんしんしずにはいられませんでした。はだはうつくしく透きとおるようですし、ながいまっ黒なまつ毛の奥には、ふかい青みをもった、貞実な目がやさしく笑みかけていました。 「あなたでしたよ。」と、王子はいいました。「そう、あなたでした。ぼくが死がいも同様で海岸にうち上げられていたとき、すくってくださったのは。」  こう、王子はいつて、顔をあからめている花よめを、しっかり胸にかかえました。 「ああ、ぼくはあんまり幸福すぎるよ。」と、王子は、人魚のひいさまにいいました。「最上の望みが、しょせん望んでもむだだとあきらめていたそれが、みごとかなったのだもの、おまえ、ぼくの幸福をよろこんでくれるだろう、だっておまえは、どのだれにもまさって、ぼくのことをしんみにおもっていてくれたのだもの。」  こういわれて、人魚のひいさまは、王子の手にくちびるをあてましたが、心臓はいまにもやぶれるかとおもいました。ふたりのご婚礼のあるあくる朝は、このひいさまが死んで、あわになって、海の上にうく日でしたものね。  のこらずのお寺の鐘が、かんかん鳴りわたりました。先ぶれは町じゅう馬をはしらせて、ご婚約のことを知らせました。あるかぎりの祭壇には香油が、もったないような銀のランプのなかでもえていました。坊さんたちが香炉をゆすっているなかで、花よめ花むこは手をとりかわして、大僧正の祝福をうけました。人魚のひいさまは、絹に金糸の晴れの衣裳で、花よめのながいすそをささげてもちました。でも、お祝の音楽もきこえません。儀式も目にうつりません。ひいさまは、うわの空で、いちずに、くらい死の影を追いました。いっさいこの世でなくしてしまったもののことをおもいました。  もうその夕方、花よめ花むこは、船にのって海へ出ました。大砲がなりとどろいて、あるだけの旗がひるがえりました。船のまん中には、王家ご用の金とむらさきの天幕が張れて、うつくしいしとねがしけていました。花よめ花むこが、そこですずしい、しずかなひと夜をおすごしになるはずでした。  帆は風でふくれて、船は、鏡のように平らな海の上を、かるく、なめらかにすべって行きました。くらくなると、さまざまな色ランプがともされて、水夫たちは、甲板にでて、おどけた踊をおどりました。人魚のひいさまも、はじめて海からでて来て、この晩のような華やかな、たのしいありさまを目にみたときのことを、おもいうかべずにはいられませんでした。それで、ひいさまもついなかまにまじって、おどりくるいたくなりました。ひいさまは、それはまるで、つばめが追われて、身をひるがえして逃げるときのような身がるさでおどりまわりました。そのみごとな踊りぶりを、みんなやんやとさわいでほめました。姫にしてもこれほどみごとに踊ったのははじめてです。おどりながら、きゃしゃな足は、するどい刄もので切りさかれるようにかんじました。けれどそれを痛いともおもいません。それよりか、胸を切りさかれる痛みをせつなくおもいました。  王子をみるのも、今夜がかぎりということを、ひいさまは知っていました。このひとのために、ひいさまは、親きょうだいをも、ふるさとの家をも、ふり捨てて来ました。せっかくのうつくしい声もやってしまったうえ、くる日もくる日も、はてしないくるしみにたえて来ました。そのくせ、王子のほうでは、そんなことがあったとは、ゆめおもってはいないのです。ほんとうに、そのひととおなじ空気を吸っていて、ふかい海と星月夜の空をながめるのも、これがさいごの夜になりました。この一夜すぎれば、ものをおもうことも、夢をみることもない、ながいながいやみが、たましいをもたず、ついもつことのできなかった、このひいさまを待っていました。船の上では、でも、たれも陽気にたのしくうかれて、真夜中すぎまでもすごしました。そのなかで、ひいさまは、こころでは、死ぬことをおもいながら、いっしょにわらっておどりました。王子がうつくしい花よめにくちびるをつけると、王女は王子の黒い髪をいじっていました。そうして、手をとりあって、きらびやかな天幕のなかへはいりました。  船の上は、ひっそり人音もなくなりました、ただ、舵とりだけが、あいかわらず、舵をひかえて立っていました。人魚のひいさまは、船のへりにその白い腕をのせて、赤らんでくる東の空をじっとながめていました。そのはじめてのお日さまの光が、じぶんをころすのだ、とひいさまはおもいました。そのときふと、おねえさまたちが、波のなかから出てくるのがみえましたが、たれもひいさまとおなじように、青い顔をしていました。しかも、そのうつくしい髪の毛も、風になびかしてはいませんでした。それはきれいに切りとられていました。 「あたしたち、髪を魔女にやってしまったのよ、あなたをたすけてもらおうとおもってね。なんでもあなたを今夜かぎり死なせたくないのだもの。すると魔女が、ほらこのとおり、短刀をくれましたの。ごらん、ずいぶんよく切れそうでしょう。お日さまののぼらないうち、これで王子の胸をぐさりとやれば、そのあたたかい血が足にかかって、それがひとつになって、おさかなの尾になるの。するち、あんたはまたもとの人魚のむすめになって、海のそこのあたしたちの所にかえれて、このまま死んで塩からい海のあわになるかわりに、このさき三百年生きられるでしょう。さあ、はやくしてね。王子が死ぬかあんたが死ぬか、お日さまののぼるまでに、どちらかにきめなくてはならないのよ。おばあさまは、あまりおなげきになったので、白いお髪がぬけおちておしまいになったわ。あたしたちの髪の毛が魔女のはさみで切りとられてしまったようにね。王子をころして、かえっておいでなさい。早くしてね。ほらもう、あのとおり空に赤みがさして来たわ。もうすぐ、お日さまがおあがりになるわ。すると、いやでも死ななくてはならないのよ。」  こういって、おねえさまたちは、いかにもせつなそうにため息をつくと、波のなかにすがたをかくしました。  人魚のひいさまは、天幕にたれたむらさきのとばりをあけました。うつくしい花よめは、王子の胸にあたまをのせて、休んでいました。ひいさまは、腰をかがめて、王子のうつくしいひたいに、そっとくちびるをつけました。東の空をみると、もうあけ方のあかね色がだんだんはっきりして来ました。ひいさまは、そのとき、するどい短刀のきっさきをじっとみて、その目をふたたび王子の上にうつしました。王子は夢をみながら、花よめの名をよびました。王子のこころのなかには、花よめのことだけしかありません。短刀は、人魚のひいさまの手のなかでふるえました。――でも、そのとき、ひいさまは短刀を波間とおく投げ入れました。投げた所に赤い光がして、そこから血のしずくがふきだしたようにおもわれました。もういちど、ひいさまは、もう半分うつろな目で、王子をみました、そのせつな、身をおどらせて、海のなかへとび込みました。そうしてみるみる、からだがあわになってとけていくようにおもいました。  いま、お日さまは、海の上にのぼりました。その光は、やわらかに、あたたかに、死のようにつめたいあわの上にさしました。人魚のひいさまは、まるで死んで行くような気がしませんでした。あかるいお日さまの方を仰ぎました。すると、空の上に、なん百となく、すきとおるような神神しいもののかたちがみえました。そのすきとおるもののむこうに、船の白い帆や、空のあかい雲をみました。空のその声はそのままに歌のふしでしたが、でもそれはたましいの声で、人間の耳にはきこえません。そのすがたもやはり人間の目ではみえません。それは、つばさがなくても、しぜんとかるいからだで、ふうわり空をただよいながら上がって行くのです。人魚のひいさまも、やはりそれとおなじものになって目にはみえないながら、ただよう気息のようなものが、あわのなかから出て、だんだん空の上へあがって行くのがわかりました。 「どこへ、あたし、いくのでしょうね。」と、人魚のひいさまは、そのときたずねました。その声は、もうそこらにうきただよう気息のなかまらしく、人間の音楽にうつしようのない、たましいのひびきのようになっていました。すると、 「大空のむすめたちのところへね。」と、ほかのただよう気息のなかまがいいました、「人魚のむすめに死なないたましいはありません。人間の愛情をうけないかぎり、それをじぶんのものにすることはできません。かぎりないいのちをうけるには、ほかの力にたよるほかありません。大空のむすめたちもながく生きるたましいをもたないかわり、よい行いによって、じぶんでそれをもつこともできるのです。(あたしたちは、あつい国へいきますが、そこは人間なら、むんむとする熱病の毒気で死ぬような所です。そこへすずしい風をあたしたちはもっていきます。空のなかに花のにおいをふりまいて、ものをさわやかにまたすこやかにする力をはこびます。こうして、三百年のあいだつとめて、あたしたちの力のおよぶかぎりのいい行いをしつくしたあと、死なないたましいをさずかり、人間のながい幸福をわけてもらうことになるのです。お気のどくな人魚のひいさま、あなたもやはりあたしたち同様まごころこめて、おなじ道におつとめになったのね。よくも苦みをおこらえなさったのね。それで、いま、大空の気息の世界へ、ごじぶんを引き上げるまでになったのですよ。あと三百年、よい行いのちからで、やがて死ぬことのないたましいがさずかることになるでしょう。」  そのとき、人魚のひいさまは、神さまのお日さまにむかって、光る手をさしのべて、生まれてはじめての涙を目にかんじました。――そのとき、船の上は、またもがやがやしはじめました。王子と花よめがじぶんをさがしているのを、ひいさまはみました。ふたりは、かなしそうに、わき立つ海のあわをながめました。ひいさまが海にはいってそれがあわになったことを知っているもののようでした。目にはみえないながら、ひいさまは、花よめのひたいにせっぷんをおくって、王子にほほえみかけました。さて、ほかの大空のむすめたちとともども、そらのなかにながれてくるばら色の雲にまぎれて、たかくのぼって行きました。 「すると、三百年たてば、あたしたち、こうしてただよいながら、やがて神さまのお国までものぼって行けるのね。」 「いいえ、そう待たないでも、いけるかもしれませんの。」と、大空のむすめのひとりがささやいてくれました。「目にはみえないけれど、あたしたちは、こどもたちのいるところなら、どの人間の家にもただよっています。そこで毎日、その親たちをよろこばせ、その愛しみをうけているいい子をみつけるたんびに、そのためしのときがみじかくなります。こどもは、いつ、あたしたちがへやのなかへはとんで行くかしらないのです。でも、あたしたちが、いいこどもをみて、ついよろこんでほほえみかけるとき、三百年が一年へります。けれど、そのかわり、いたずらな、またはいけないこどもをみて、かなしみの涙をながさせられると、そのひとしずくのために、あたしたちのためしのときも、一日だけのびることになるのですよ。」
底本:「新訳アンデルセン童話集第一巻」同和春秋社    1955(昭和30)年7月20日初版発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 ※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のあるページの下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。 入力:大久保ゆう 校正:秋鹿 2005年8月18日作成 2012年5月15日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 海のおきへ、遠く遠く出ていきますと、水の色は、いちばん美しいヤグルマソウの花びらのようにまっさおになり、きれいにすきとおったガラスのように、すみきっています。けれども、そのあたりは、とてもとても深いので、どんなに長いいかり綱をおろしても、底まで届くようなことはありません。海の底から、水の面まで届くためには、教会の塔を、いくつもいくつも、積みかさねなければならないでしょう。そういう深いところに、人魚たちは住んでいるのです。  みなさんは、海の底にはただ白い砂地があるばかりで、ほかにはなんにもない、などと思ってはいけません。そこには、たいへんめずらしい木や、草も生えているのです。そのくきや葉は、どれもこれもなよなよしています。ですから、水がほんのちょっとでも動くと、まるで生き物のように、ゆらゆらと動くのです。  それから、この陸の上で、鳥が空をとびまわっているように、水の中では、小さなさかなや大きなさかなが、その枝のあいだをすいすいとおよいでいます。  この海の底のいちばん深いところに、人魚の王さまのお城があるのです。お城のかべは、サンゴでつくられていて、先のとがった高い窓は、よくすきとおったこはくでできています。それから、たくさんの貝がらがあつまって、屋根になっていますが、その貝がらは、海の水が流れてくるたびに、口をあけたりとじたりしています。その美しいことといったら、たとえようもありません。なにしろ、貝がらの一つ一つに、ピカピカ光る真珠がついているのですから。その中の一つだけをとって、女王さまのかんむりにつけても、きっと、りっぱなかざりになるでしょう。  そのお城に住んでいる人魚の王さまは、もう何年も前にお妃さまがなくなってからは、ずっと、ひとりでくらしていました。ですから、お城の中のご用事は、お年をとったおかあさまが、なんでもしているのでした。おかあさまは、かしこい方でしたが、身分のよいことを、たいへんじまんにしていました。ですから、自分のしっぽには、十二もカキをつけているのに、ほかの人たちには、どんなに身分が高くても、六つしかつけることをゆるさなかったのです。でも、このことだけを別にすれば、どんなにほめてあげてもよい方でした。わけても孫むすめの、小さな人魚のお姫さまたちを、それはそれはかわいがっていました。  お姫さまは、みんなで六人いました。そろいもそろって、きれいな方ばかりでしたが、なかでもいちばん下のお姫さまがいちばんきれいでした。はだは、バラの花びらのように、きめがこまやかで美しく、目は、深い深い海の色のように、青くすんでいました。でも、やっぱり、ほかのおねえさまたちと同じように、足がありません。胴のおしまいのところが、しぜんと、さかなのしっぽになっているのでした。  一日じゅう、お姫さまたちは、海の底の、お城の中の大広間であそびました。広間のかべには、生きている花が咲いていました。大きなこはくの窓をあけると、さかなたちがおよいではいってきました。ちょうど、わたしたちが窓をあけると、ツバメがとびこんでくるのと同じように。さかなたちは、小さなお姫さまたちのそばまでおよいできて、手から食べ物をもらったり、なでてもらったりしました。  お城の外には、大きなお庭がありました。お庭には、火のように赤い木や、まっさおな木が生えていました。そういう木々は、くきや葉を、しょっちゅうゆり動かすので、木の実は、金のようにかがやき、花は、燃えるほのおのようにきらめきました。底の地面は、とてもこまかい砂地になっていましたが、いおうのほのおのように、青く光っていました。  こうして、あたりいちめんに、ふしぎな青い光がキラキラとかがやいていましたので、海の底にいるような気がしません。頭の上を見ても、下を見ても、どこもかしこも青い空ばかりで、かえって、空高くに浮んでいるような気がしました。風がやんでいるときには、お日さまを見ることもできました。お日さまは、むらさき色の花のようで、そのうてなから、あたりいちめんに光が流れ出てくるように思われました。  小さなお姫さまたちは、お庭の中に、自分々々の小さい花壇を持っていました。そこでは、自分の好きなように、土をほったり、お花を植えたりすることができました。ひとりのお姫さまは、花壇をクジラの形に作りました。もうひとりのお姫さまは、かわいい人魚の形にしました。ところが、いちばん下のお姫さまは、お日さまのようにまんまるい花壇を作って、お日さまのように、赤くかがやく花だけをうえました。  このいちばん下のお姫さまは、すこしかわっていて、たいへんもの静かな、考え深い子供でした。おねえさまたちが、浅瀬に乗りあげた船からひろってきた、めずらしいものをかざってあそんでいるようなときでも、このお姫さまだけはちがいました。お姫さまは、ずっと上のほうにかがやいているお日さまに似た、バラのように赤い花と、それから、美しい大理石の、たった一つの像だけを、だいじにしていました。その像というのは、すきとおるように白い大理石にほった、美しい少年の像で、あるとき、難破した船から、海の底へしずんできたものだったのです。  お姫さまは、この像のそばに、バラのように赤いシダレヤナギをうえました。ヤナギの木は、いつのまにか美しく、大きくなりました。若々しい枝は、その像の上にかぶさって、先は青い砂地にまでたれさがりました。すると、枝が動くにつれて、そのかげがむらさき色にうつって、ゆらめきました。そのありさまは、まるで、枝の先と根とが、たがいにキスをしようとして、ふざけあっているようでした。  お姫さまたちにとっては、上のほうにある人間の世界のお話を聞くことが、なによりの楽しみでした。お年よりのおばあさまは、船だの町だの、人間だの動物だのについて、知っていることを、なんでも話してくれました。そのお話の中で、お姫さまたちが、なによりもおもしろく、ふしぎに思ったのは、陸の上では、花がよいかおりをして、におっているということでした。むりもありません。海の底にある花には、なんのにおいもないのですからね。それからまた、森はみどりの色をしていて、木の枝と枝とのあいだに、見えたりかくれたりするさかなたちは、美しい、高い声で、楽しい歌をうたうということも、ふしぎに思われました。おばあさまがさかなと言ったのは、じつは、小鳥のことでした。なぜって、そうでも言わなければ、まだ鳥を見たことのないお姫さまたちには、どんなに説明しても、わかるはずがありませんからね。 「おまえたちが、十五になったらね」と、あるとき、おばあさまが言いました。「海の上に浮びあがることをゆるしてあげますよ。そのときには、明るいお月さまの光をあびながら、岩の上に腰をおろして、そばを通っていく大きな船を見たり、森や町をながめたりすることができるんですよ」  つぎの年には、いちばん上のお姫さまが十五になりました。あとのお姫さまたちは、年が一つずつ下でした。ですから、いちばん下のお姫さまが、海の底から浮びあがって、わたしたち人間の世界のありさまを見ることができるようになるまでには、まだまだ五年もありました。  そこで、お姫さまたちは、はじめて海の上に浮びあがった日に見たことや、いちばん美しいと思ったことを、帰ってきたら、妹たちに話そうと、たがいに約束しあいました。なぜって、みんなは、もう、おばあさまのお話だけでは満足できなくなっていましたからね。お姫さまたちが人間の世界について知りたいと思うことは、とてもとてもたくさんあったのです。  とりわけ、いちばん下のお姫さまは、海の上の世界のながめられる日を、だれよりもずっと強く待ちこがれていました。それなのに、いちばん長いあいだ待たなければならないのです。けれども、お姫さまは、もの静かな、考え深い娘でした。幾晩も幾晩も、開かれた窓ぎわに立って、さかなたちがひれやしっぽを動かしながらおよいでいる、まっさおな水をすかして、上のほうをじっとながめていました。すると、お月さまやお星さまも見えました。その光は、すっかり弱くなって、ぼんやりしていましたが、そのかわり、水をとおして見ていますので、お月さまもお星さまも、わたしたちの目にうつるよりは、ずっと大きく見えました。  ときには、黒い雲のようなものが、光をさえぎって、すべっていくこともありました。それは、頭の上をおよいでいくクジラか、でなければ、大ぜいの人間を乗せている船だということは、お姫さまも知っていました。でも、船の中の人たちは、美しい小さな人魚のお姫さまが、海の底に立っていて、白い手を、船のほうへさしのべていようとは、夢にも思わなかったことでしょう。  さて、いちばん上のお姫さまは、十五になったので、海の上に浮びあがってもよいことになりました。  このお姫さまが、海の底に帰ってきたときには、妹たちに話したいと思うことを、それはそれはたくさん持っていました。お姫さまの話によりますと、いちばん美しかったのは、お月さまの明るい晩、静かな海べの砂地に寝ころんで、海岸のすぐ近くにある、大きな町をながめたことでした。その町には、たくさんの光が、何百とも知れない星のようにかがやいていたということです。それから、音楽に耳をかたむけたり、車のひびきや、人々のざわめきを聞くのもすてきなことでしたし、また、たくさんの教会の塔をながめて、鐘の鳴るのを聞くのも楽しかったそうです。いちばん下のお姫さまは、まだまだ、しばらくのあいだ、海の上へ浮びあがっていくことができないだけに、だれよりもいっそうあこがれて聞きいりました。  ああ、いちばん下のお姫さまは、どんなに熱心に、そういうお話に耳をかたむけたことでしょう! それからというものは、夕方になると、あけはなされた窓ぎわに立って、青い水をすかして、上のほうを見あげるのでした。そして、そのたびに、いろいろなもの音のするという、大きな町のことを、心に思ってみるのでした。すると、そんなときには、教会の鐘の音までが、遠い海の底の、自分のところまで、ひびいてくるような気がしてならないのでした。  一年たつと、二番めのお姫さまが、海の上に浮びあがって、どこへでも好きなところへおよいでいってよい、というおゆるしをいただきました。  お姫さまが浮びあがったとき、お日さまがちょうど沈むところでした。そのながめが、このうえもなく美しく思われました。空いちめんが金色にかがやいて、と、これは、お姫さまのお話です。雲の美しいこと、ほんとうに、そのありさまは、言葉などでは言いあらわすことができません。雲は赤く、スミレ色にもえて、頭の上を流れていきました。けれども、その雲よりもずっとずっと速く、ハクチョウの一むれが、長い白いベールのように、一羽、また一羽と、波の上を、今しずもうとしているお日さまのほうにむかって飛んでいきました。お姫さまも、そちらのほうへおよいでいきました。しかし、まもなく、お日さまが沈んでしまうと、バラ色のかがやきは、海の面からも雲の上からも消えてしまいました。  また一年たつと、今度は、三番めのお姫さまが、海の上に浮びあがっていきました。  このお姫さまは、みんなの中で、いちばんだいたんでしたから、海に流れこんでいる、大きな川を、およいでのぼっていきました。やがて、ブドウのつるにおおわれた、美しいみどりの丘が見えてきました。こんもりとした大きな森のあいだには、お城や農園が見えたりかくれたりしています。いろんな鳥がさえずっているのも聞えてきました。お日さまがあまり暑く照りつけるので、何度も何度も水の中にもぐっては、ほてった顔をひやさなくてはなりません。  小さな入り江に来ると、人間の子供たちが、大ぜい集まっていました。みんなまっぱだかで、水の中をピチャピチャはねまわっていました。人魚のお姫さまも、子供たちといっしょにあそびたくなりました。ところが、子供たちのほうでは、びっくりして、逃げていってしまいました。そこへ、小さな黒い動物が一ぴき、やってきました。じつは、それはイヌだったのです。でも、お姫さまは、それまでに、イヌというものを見たことがありません。それに、お姫さまにむかって、イヌがワンワンほえたてたものですから、お姫さまはすっかりこわくなって、また、もとの広々とした海へもどってきました。それにしても、あの美しい森や、みどりの丘や、それから、さかなのしっぽもないのに、水の中をおよぐことのできる、かわいらしい子供たちのことは、けっして忘れることができませんでした。  四番めのお姫さまは、それほどだいたんではありませんでした。ですから、広い広い海のまっただ中に、じっとしていました。それでも、お姫さまの話では、そこがいちばん美しいところだったということです。どちらを向いても、何マイルも先まで見わたすことができました。空は、大きなガラスのまる天井かと思われました。ときどき目にうつる船は、ずっと遠くに、カモメのように見えました。ふざけんぼうのイルカは、トンボ返りをうっていました。そうかと思うと、大きなクジラが、鼻の穴から水を吹きあげていました。そうすると、まわりに、何百ものふんすいができたように見えました。  今度は、五番めのお姫さまの番になりました。お誕生日が、ちょうど冬の最中でしたから、このお姫さまは、おねえさまたちとはちがったものを見ました。海は、すっかりみどり色になっていて、まわりには大きな氷山が浮んでいました。その氷山の一つ一つが、真珠のようにかがやいて、人間のたてた教会の塔よりも、ずっとずっと大きかったと、お姫さまは話しました。おまけに、そういう氷山は、世にもふしぎな形をしていて、ダイヤモンドのようにキラキラかがやいていました。  お姫さまは、いちばん大きな氷山の一つに、腰をおろしました。船の人たちは、お姫さまが、氷山の上にすわって、長い髪の毛を風になびかせているのを見ると、びっくりして、向きをかえて行ってしまいました。  やがて、日がくれかかると、空は雲でおおわれました。いなずまがピカピカ光り、かみなりがゴロゴロ鳴りだしました。黒い海の波に、大きな氷山が、高く持ちあげられ、赤いいなずまに照らしだされて、キラキラ光りました。どの船も、みんな帆をおろして、船の中の人たちは、おそろしさにふるえていました。お姫さまは、波のあいだをただよう氷山の上に静かに腰をおろして、青いいなずまが、ジグザグに、ピカピカ光る海の面にきらめき落ちるのをながめていました。  おねえさまたちは、はじめて海の底から水の上に浮びあがったとき、新しいものを見たり、美しいものを目にして、みんな夢中になってよろこんでいました。けれども、一人前の娘になって、好きなときに、いつでも行けるようになると、いままでほど心をひかれなくなりました。それどころか、かえって、うちが恋しくなりました。一月もたつと、海の底がやっぱりどこよりも美しくて、うちにいるのがいちばんいいと、口々に言うようになりました。  五人のおねえさまたちは、夕方になると、よく手をつないでは、ならんで、海の上に浮びあがっていきました。  お姫さまたちは、どんな人間よりも、美しい、きれいな声をもっていました。あらしがおこって、船が沈みそうになると、その船の前をおよぎながら、それはそれはきれいな声で、海の底がどんなに美しいかをうたいました。そして、船の人たちに、海の底へ沈んでいくのをこわがらないでください、とたのむのでした。けれども、船の人たちには、お姫さまたちのうたう言葉がわかりません。あらしの音だろうぐらいに思いました。それから、その人たちは、美しい海の底を見ることもできません。それもそのはず、船が沈めば、人間はおぼれて、死んでしまうのです。そうしてはじめて、人魚の王さまのお城に行くのですからね。  こうして、夕方、おねえさまたちが、手をとりあって、海の上に浮びあがっていってしまうと、いちばん下の小さなお姫さまは、たったひとり取りのこされて、おねえさまたちのあとを見送るのでした。そんなときには、さびしくって、泣きたいような気がしました。けれども、人魚のお姫さまには、涙というものがありません。涙がないだけに、もっと苦しい、つらい思いをしなければなりませんでした。 「ああ、あたしも、早く十五になれないかしら」と、お姫さまは言いました。「海の上の世界と、そこに家をたてて住んでいるという人間が、きっと好きになれそうだわ」  とうとう、お姫さまも十五になりました。 「もう、おまえも大きくなりました」と、お姫さまにとってはおばあさまにあたる、王さまのおかあさまが言いました。「さあ、おいで。おけしょうをしてあげましょう。おねえさんたちにしてやったようにね」  こう言って、おばあさまは、白ユリの花輪をお姫さまの髪につけてやりました。見ると、その花びらは、一つ一つが、真珠を半分にしたものでした。それから、お姫さまが高い身分であることをあらわすために、お姫さまのしっぽを八つの大きなカキにはさませました。 「あら、いたいっ!」と、人魚のお姫さまは言いました。 「りっぱになるのには、すこしくらい、がまんをしなくてはいけませんよ」と、おばあさまが言いました。  お姫さまは、そんなおかざりなどは、どんなにはらい落してしまいたかったかしれません。重たい花輪なども、取ってしまいたいと思いました。そんなものよりも、お庭に咲いている赤い花のほうが、お姫さまにはずっとよく似合うにきまっています。でも、いまさら、そうしようとも思いません。 「行ってまいります」と、お姫さまは言って、すきとおったあわのように、かろやかに、水の中を上へ上へとのぼっていきました。  お姫さまが海の上に頭を出したとき、ちょうどお日さまが沈みました。けれども、雲という雲は、まだバラ色に、あるいは金色に照りはえていました。うすモモ色の空には、よいの明星が明るく、美しく光っていました。風はおだやかで、空気はすがすがしく、海の面は鏡のように静かでした。  むこうのほうに、三本マストの大きな船が浮んでいました。風がすこしもないので、帆は、たった一つしかあげていません。そのまわりの綱具や、帆げたの上には、水夫たちがすわっていました。船からは、音楽と歌も聞えてきます。そのうちに、夕やみがこくなってくると、色とりどりの、何百ものちょうちんに、火がともされました。そのようすは、まるで万国旗が風にひらひらと、ひるがえっているようでした。  人魚のお姫さまは、船室の窓のすぐそばまでおよいでいきました。からだが波に持ちあげられるたびに、すきとおった窓ガラスを通して、中のようすをのぞくことができました。そこには、きれいに着かざった人たちが、大ぜいいました。なかでも美しく見えたのは、大きな黒い目をした、若い王子でした。年のころは十六ぐらいでしょうか。それより上には見えません。きょうは、この王子の誕生日だったのです。それで、こんなににぎやかに、お祝いの会が開かれているのでした。水夫たちが、甲板で踊りをはじめました。そこへ、若い王子が出てきますと、花火が百いじょうも空高く打ちあげられました。そのため、あたりが、ま昼のように明るくなりました。  人魚のお姫さまは、びっくりぎょうてんして、水の中にもぐりこみました。でも、すぐまた、頭を出してみました。と、どうでしょう。空のお星さまが、みんな、自分のほうへ落ちてくるようです。お姫さまは、こういう花火というものをまだ一度も見たことがなかったのです。大きなお日さまが、いくつもいくつも、シュッ、シュッと音をたてながら、まわりました。すばらしい火のさかなが、青い空に飛びあがりました。そうしたすべてのありさまが、すみきった、静かな海の面にうつりました。  船の上は、あかあかと照らし出されました。人間の姿はもちろんのこと、どんなに細い帆づなでも、一本一本をはっきりと見わけることができました。ああ、それにしても、若い王子は、なんという美しい方でしょう! 王子は、にこにこしながら、人々とあくしゅしていました。そのあいだも、このはなやかな夜空に、音楽はたえず鳴りひびいていました。  夜はふけました。それでも、人魚のお姫さまは、船と、美しい王子から、目をはなすことができませんでした。もう今は、色とりどりのちょうちんの火は消えて、花火も空に上がらなくなりました。お祝いのための大砲の音もとどろきません。けれども、深い海の底では、低くブツブツといううなりがしていました。お姫さまは、あいかわらず、水の上に浮びながら、波のまにまにゆられて、船室の中をのぞいていました。  ところが、船は、きゅうに、今までよりも速く走りだしました。帆が一つ、また一つと、張られました。気がついてみると、波は山のように高くなり、空には黒雲が集まってきて、遠くのほうでは、いなずまがピカピカ光っているではありませんか。ああ、おそろしいあらしがやってきそうです。このありさまに、水夫たちはまた帆をおろしました。大きな船は、あれくるう海の上を、ゆれながらも、矢のように速くつき進んでいます。波は、大きな山のように、黒々ともりあがって、今にもマストをつきたおそうとします。  船は、まるでハクチョウのように、高い波の谷間に沈むかと思うと、すぐまた、塔のような波のてっぺんに持ちあげられました。人魚のお姫さまには、おもしろい航海のように思われました。ところが、船の人たちにしてみれば、それどころではありません。船は、うめくような音をたてて、ミシミシときしりはじめました。大波が船にはげしくぶつかると、そのいきおいで、あつい船板がまがり、海の水が流れこみました。マストは、アシかなにかのように、まんなかから、ポキッと折れてしまいました。船は横にかたむいて、水がどっと船倉へ流れこんできました。  船の中の人たちの命が、あぶなくなりました。人魚のお姫さまも、ようやく、そのことに気がつきました。でも、そうは思っても、お姫さま自身が、海の上をただよっている、船の材木や板切れに、気をつけなくてはなりません。  そのとき、きゅうに、あたりがまっ暗になって、なに一つ見えなくなりました。と、思うまもなく、また、いな光りがして、ぱっと明るくなりました。船の上のものが、またみんな見えました。だれもかれもが、大さわぎをしています。お姫さまは、その中で、あの若い王子の姿をさがしました。と、船がまっ二つにさけたとたん、深い海の中へ、王子の落ちこんでいくのが見えました。  その瞬間、お姫さまは、すっかりうれしくなりました。王子が、海の底の、自分のそばへくるものと思ったからです。けれども、すぐまた、人間は水の中では生きていられない、ということを思い出しました。だから、この王子も死ななければ、おとうさまのお城へは降りていくことができないのだと気がつきました。ああ、王子さまを死なせてはいけない! どうしても死なせてはならない! そう思うと、お姫さまは、自分の身の危険も忘れて、海の上をただよっている材木や板のあいだをかきわけて、王子のほうへおよいでいきました。もし、その材木の一つでも、からだにあたれば、お姫さまは押しつぶされてしまうのです。  お姫さまは、水の中へ深くもぐったり、大きな波のあいだに浮びあがったりしているうちに、とうとう、若い王子のところへおよぎつきました。王子は、もうこれ以上あれくるう海の中をおよぐことはできなくなっていました。手足はつかれきって、もう、しびれはじめていたのです。美しい目は、しっかりととじていました。もしもこのとき、人魚のお姫さまがきてくれなかったなら、きっと死んでしまったことでしょう。お姫さまは、王子の頭を水の上に持ちあげて、どこともなく、波に身をまかせて、ただよっていきました。  明けがた近く、あらしはすぎさりました。船はかげも形もなく、あたりには、切れはし一つ見えません。お日さまがあかあかとのぼって、海の面をキラキラと照らしました。すると、気のせいか、王子の頬にも、血の気がさしてきたように思われました。でも、やっぱり、目はかたくとじたままでした。人魚のお姫さまは、王子の高い、美しいひたいにキスをして、ぬれた髪の毛をなであげてやりました。見れば、王子は、どことなく、海の底の小さな花壇にある、あの大理石の像に似ているような気がします。お姫さまは、もう一度キスをして、王子さまが、どうか生きていてくれますように、と、心の中で祈りました。  やがて、むこうのほうに陸地が見えてきました。高い、青い山々のいただきには、ちょうど、ハクチョウが寝ているようなかっこうで、まっ白い雪がキラキラ光っていました。下の海べには、美しいみどりの森があって、その前に一つの建物が立っていました。それは教会なのか修道院なのか、お姫さまにはよくわかりませんでした。見ると、庭にはレモンやオレンジの木が生えていて、門の前には高いシュロの木が立っています。海は、ここで小さな入り江になっていました。入り江の中はとても静かでしたが、おくの岩のところまでたいそう深くなっていました。その岩のあたりでは、白いこまかい砂が波にあらわれていました。  人魚のお姫さまは、美しい王子をだいて、そこへおよいでいきました。そして、王子を砂の上に寝かせましたが、そのときも王子の頭を高くして、暖かいお日さまの光がよくあたるように、気をつけてあげました。  そのとき、大きな白い建物の中で、鐘が鳴りました。そして、若い娘たちが大ぜい、庭から出てきました。それを見ると、人魚のお姫さまは、そこから離れて、二つ三つ海の面につき出ている、大きな岩のかげまでおよいでいきました。そこで、海のあわを髪の毛や胸にかぶって、だれにも顔を見られないようにしてから、この気の毒な王子のそばに、どんな人がやってくるか、じっと見ていました。  まもなく、ひとりの若い娘が歩いてきました。娘は、王子を見ると、たいそうびっくりしたようでした。でも、すぐにもどっていって、ほかの人たちを呼んできました。人魚のお姫さまが、なおも目を離さずに見ていますと、王子は、とうとう気がついて、まわりにいる人たちにほほえみかけました。けれども、命をたすけてくれた人魚のお姫さまのほうへは、ほほえんでも見せませんでした。考えてみれば、むりもありません。お姫さまに命をたすけてもらったことなどは、夢にも知らないのですからね。でも、お姫さまは、たいそう悲しくなりました。まもなく、王子が大きな建物の中にはこばれていってしまうと、人魚のお姫さまは、悲しみながら水の中へしずんで、おとうさまのお城へもどっていきました。  このお姫さまは、もともと、もの静かで、考え深いたちでしたが、今では、それがもっともっとひどくなりました。 「ねえ、海の上で、どんなものを見てきたの?」と、おねえさまたちはしきりにたずねましたが、お姫さまはなんにも話しませんでした。  それからは、幾晩も幾朝も、お姫さまは、王子と別れた海べに浮びあがっていきました。いつのまにか、庭の木の実が熟してもぎとられていくのを見ました。高い山々の雪が、とけていくのも見ました。それでも、王子の姿は見えません。そのたびに、お姫さまは、前よりもいっそう悲しくなって、うちへ帰っていくのでした。  いまのお姫さまにとっては、自分の小さな花壇の中にすわって、王子に似ている、あの美しい大理石の像を腕にだくことだけが、たった一つのなぐさめとなりました。もう、お姫さまは、花の手入れもしてやりません。ですから、草花は、まるで荒れ野のように、道の上までぼうぼうとおいしげってしまいました。おまけに、長いくきや葉が、木の枝とからみあっているものですから、あたりはまっ暗になりました。  とうとう、人魚のお姫さまは、もうこれ以上がまんができなくなりました。自分の苦しい気持をおねえさまのひとりに、そっと打ちあけました。すると、すぐに、ほかのおねえさまたちにも知れてしまいました。でも、この話を知っているのは、おねえさまたちと、ほかに、二、三人の人魚の娘たちだけでした。みんなは、ごくなかのいい友だちにしか話さなかったからです。ところが、ぐうぜんなことに、その友だちの中に、王子のことを知っている娘がいました。その娘も、いつか船の上で開かれていた、王子の誕生日のお祝いを見ていたのでした。そして、うれしいことに、王子がどこの国の人で、その国はどこにあるのかということまで、知っていました。 「さあ、行きましょう」と、ほかのお姫さまたちが言いました。そして、みんなで、腕と肩とを組んで、長く一列にならんで、王子のお城のあるという海べへ浮びあがっていきました。  そのお城は、つやつやした、うす黄色の石で作られていました。大きな大理石の階段がいくつもあって、その一つは海の中まで降りていました。上には、金色の、すばらしいまる屋根がそびえていました。まる柱が建物のまわりをとりまいていましたが、その柱と柱のあいだには、ほんとうに生きているのではないかと思われるような、大理石の像が立っていました。  高い窓のすきとおったガラスからは、中が見えました。そこには、たとえようもないくらいりっぱな広間がつづいていて、りっぱな絹のカーテンと、じゅうたんとがかかっていました。それに、かべというかべには、大きな絵がいくつもかざってあって、いくら見ていても、あきないくらいでした。いちばん大きな広間のまんなかには、大きなふんすいが、サラサラと音をたてていました。そのしぶきは高く飛びちって、ガラスばりのまる天井まで、届くほどでした。お日さまの光が、ガラスの天井からさしこんできて、水の上や、大きな水盤に浮んでいる美しい水草を、キラキラと照らしていました。  こうして、王子の住んでいるところがわかると、人魚のお姫さまは、それからというものは、夕方から夜にかけて、何度も何度も、その海べへ浮びあがっていきました。そして、ほかの人たちには、とてもまねのできないくらい、陸の近くまでおよいでいきました。それどころか、しまいには、せまい水路をさかのぼって、美しい大理石のテラスの下まで行きました。テラスのかげは、水の面に長くうつっていました。  人魚のお姫さまは、そのテラスの下に身をかくして、若い王子を見あげました。王子のほうでは、ほかにだれかいようとは夢にも知らず、ただひとり、明るいお月さまの光をあびて立っていました。  お姫さまは、王子が音楽をかなでながら、旗をひらひらとなびかせた、美しいボートに乗って、夕方海に出ていくのを、何度もながめました。お姫さまは、みどりのアシのあいだから、そっとのぞいていたのでした。風がそよそよと吹いてきて、お姫さまのしろがね色の、長いベールをひらひらさせると、それを見た人は、ハクチョウがつばさをひろげたのだろうと思いました。  漁師たちが、晩にたいまつをともして、海の上で漁をしながら、若い王子のうわさをしてほめているようなことが、よくありました。お姫さまは、それを聞くたびに、この王子が、いつかあれくるう波にもまれて、いまにも死にかかっていたとき、自分が、その命をたすけてあげたのだと思うと、うれしくてなりませんでした。そして、王子の頭が、自分の胸の上にじっともたれていたことや、王子のひたいに、心をこめてキスをしたことなどを思い出すのでした。でも、王子のほうでは、そんなことはなんにも知らないのです。お姫さまのことなどは、夢にも思ってみたことがありませんでした。  お姫さまは、だんだんに人間をしたうようになりました。ますます、人間の世界へのぼっていって、仲間にはいりたいと思うようになりました。人間の世界は、海の人魚の世界よりも、ずっとずっと大きいように思われました。人間は、海の上を船に乗って走ることができます。雲の上までそびえている、高い山にものぼることができます。それに、人間の住んでいる陸地には、森や畑があって、それが、お姫さまの目の届かないほど遠くまで、どこまでもどこまでもひろがっているのです。  お姫さまの知りたいと思うことは、まだまだたくさんありました。おねえさまたちにきいてみても、だれもみんな答えてくれることはできません。そこで、お姫さまは、お年をとったおばあさまにたずねてみました。おばあさまなら、上の世界のことをよく知っていましたから。上の世界というのは、おばあさまが海の上の陸地につけた、なかなかうまい名前だったのです。 「人間というものは、おぼれて死ななければ、いつまでも生きていられるんでしょうか? 海の底のあたしたちのように、死ぬことはないんですか?」と、人魚のお姫さまはたずねました。 「いいえ、おまえ、人間だって死にますとも」と、おばあさまは言いました。「それに、人間の一生は、かえって、わたしたちの一生よりも短いんだよ。わたしたちは、三百年も生きていられるね。けれども、死んでしまえば、わたしたちはあわになって、海の面に浮いて出てしまうから、海の底のなつかしい人たちのところで、お墓を作ってもらうことができないんだよ。わたしたちは、いつまでたっても、死ぬことのない魂というものもなければ、もう一度生れかわるということもない。わたしたちは、あのみどりの色をした、アシに似ているんだよ。ほら、アシは、一度切りとられれば、もう二度とみどりの葉を出すことができないだろう。  ところが、人間には、いつまでも死なない魂というものがあってね。からだが死んで土になったあとまでも、それは生きのこっているんだよ。そして、その魂は、すんだ空気の中を、キラキラ光っている、きれいなお星さまのところまで、のぼっていくんだよ。わたしたちが、海の上に浮びあがって、人間の国を見るように、人間の魂は、わたしたちがけっして見ることのできない、美しいところへのぼっていくんだよ。そこは天国といって、人間にとっても、前から知ることのできない世界なんだがね」 「どうして、あたしたちには、いつまでたっても死なないという魂がさずかりませんの?」と、人魚のお姫さまは、悲しそうにたずねるのでした。「あたしの生きていられる、何百年という年を、すっかりお返ししてもいいから、そのかわり、たった一日だけでも、人間になりたいわ。そうして、その天国とかいうところへのぼっていきたいわ」 「そんなことを考えちゃいけないよ」と、おばあさまが言いました。「わたしたちは、あの上の世界の人間よりも、ずっとしあわせなんだからね」 「だって、それなら、あたしは死んでしまうと、あわになって、海の上をただよわなくてはならないんでしょう。そうなれば、もう、波の音楽も聞かれないでしょうし、きれいなお花や、まっかなお日さまも見られないんでしょう。ああ、どうにかして、いつまでも死なないという、その魂をさずかることはできないものでしょうか?」 「そんなことをいってもねえ」と、おばあさまが言いました。「でも、たった一つ、こういうことがあるよ。人間の中のだれかが、おまえを好きになって、それこそ、おとうさんよりもおかあさんよりも、おまえのほうが好きになるんだね。心の底からおまえを愛するようになって、牧師さまにお願いをする。すると、牧師さまが、その人の右手をおまえの右手に置きながら、この世でもあの世でも、いついつまでも、ま心はかわりませんと、かたいちかいをたてさせてくださる。そうなってはじめて、その人の魂が、おまえのからだの中につたわって、おまえも人間の幸福を分けてもらえるようになるということだよ。その人は、おまえに魂を分けてくれても、自分の魂は、ちゃんと、もとのように持っているんだって。  でも、そんなことは、起るはずがない。だって、考えてもごらん。この海の底では、美しいと思われているものでも、たとえばだね、おまえの持っている、そのさかなのしっぽにしたって、陸の上にいる人間の目には、みにくく見えるんだからね。人間には、そのねうちがわからないんだよ。だから、そのかわりに、かっこうのわるい、二本のつっかい棒を持たなければならないんだよ。人間は、うまく言いつくろうために、そのつっかい棒のことを、足なんて言っているけどね」  それを聞くと、人魚のお姫さまは、ほっとため息をついて、悲しそうに自分のさかなのしっぽをながめました。 「さあさあ、ゆかいになろうよ」と、おばあさまが言いました。「はねたり踊ったりして、わたしたちの生きていられる三百年のあいだを、楽しく暮そうよ。三百年といえば、ずいぶん長い年月じゃないの。それからあとは、思いのこすこともなく、ゆっくり休むことができるというものさ。そうそう、今夜は、舞踏会を開こうね」  その晩の舞踏会は、陸の上ではとても見られない、美しい、はなやかなものでした。  大きな部屋のかべや天井は、あついけれども、よくすきとおるガラスでできていました。広間のどこを見まわしても、かべというかべには、バラ色や草色の大きな貝がらが、二、三百も列を作ってならんでいました。そして、その貝がらの一つ一つに、青いほのおの燃えている明りがともっていて、広間じゅうを明るく照らしていました。そのうえ、かべをとおして、外のほうまでさしていましたから、まわりの海は青い光で、明るく照らしだされていました。  かぞえきれないほどたくさんのさかなたちが、ガラスのかべのほうにむかっておよいでくるのが見えました。まっかなうろこをキラキラさせているさかなもあれば、金色や銀色のうろこをきらめかせているのもありました。  広間のまんなかを、はばの広い流れが一すじ、サラサラと音をたてて流れていました。その流れの上では、人魚の男や女たちが、美しい人魚の歌をうたいながら、それに合せて踊っていました。そんな美しい声は、とても地上の人間にはありません。わけても、いちばん下のお姫さまは、だれよりも、美しい声でうたいました。みんなは、手をたたいてほめそやしました。お姫さまも、心の中ではうれしく思いました。陸の上にも、海の中にも、自分より美しい声を持っているものがないことを思ったからでした。けれども、すぐまた、上の世界のことを思うのでした。あの美しい王子のこと、王子の持っているような、死ぬことのない魂が、自分にはないという悲しみを、どうしても忘れることができませんでした。  それを思うと、お姫さまはたまらなくなって、おとうさまのお城からこっそり抜けだしました。みんなは、お城の中でにぎやかにうたったり、踊ったりしているというのに、お姫さまだけは、たったひとりで、自分の小さな花壇の中に、悲しみに沈んですわっていました。  そのとき、ふと、角ぶえのひびきが、水の中をつたわって聞えてきました。お姫さまは、はっとして、思いました。 「きっと、いま、あのかたが海の上を、船に乗ってお通りになっているのだわ。おとうさまよりもおかあさまよりももっと好きなあのかたが。あたしがいつも思っているあのかたが。あのかたのお手に、あたしの一生のしあわせをおまかせしてもいいわ。あのかたと死ぬことのない魂とが、あたしのものになるのなら、どんなことでもやってみるわ。おねえさまたちが、おとうさまのお城の中で踊っているあいだに、魔法使いのおばあさんのところへ行ってみよう。あの魔法使いは、今まではこわくてならなかったけど、でも、きっといい知恵をかして、助けてくれるわ」  そこで、人魚のお姫さまは、庭から出て、ゴーゴーとすさまじい音をたてている、うずまきのほうへ行きました。魔法使いは、このうずまきのむこうに住んでいるのです。  人魚のお姫さまは、この道をまだ一度も通ったことがありませんでした。そこには、花も咲いていなければ、海草も生えていません。ただ、なんにもない、灰色の砂地があるばかりです。それが、うずのまいているところまでひろがっていました。そこでは、海の水がゴーゴーと音をたてて、水車のようにうずをまいていました。いったん、その中にまきこまれたが最後、どんなものでも、深い底のほうへひきずりこまれてしまうのでした。どんなものをも、粉々にくだいてしまう、このうずのまんなかを通りぬけていかなければ、魔法使いの国へは行くことができないのです。おまけに、そこまで行くのには、ずいぶん長いあいだ、ブクブクとあわのたっている、あついどろの上を行くほかには道がありません。  このどろのところを、魔法使いは、どろ沼と言っていました。そのむこうに、ふしぎな森があって、そのまんなかに、魔法使いの家があるのです。  森の中の木ややぶは、どれもこれも、はんぶんは動物で、はんぶんは植物のポリプでした。そのありさまは、ちょうど百の頭を持ったヘビが、地から生え出ているようでした。枝はといえば、みんな、ねばねばした長い腕で、まるで、ミミズのようにまがりくねる指を持っていました。そして、根もとから、いちばん先のはしまで、一節一節を動かすことができました。こうしていて、水の中で何かをつかまえようものなら、それがどんなものであろうと、しっかりとまきついて、二度とはなしはしないのです。  人魚のお姫さまは、ここまでやってくると、すっかりこわくなって、立ちすくみました。あまりのおそろしさに、胸はどきどきしています。引きかえそうかとも思いましたが、王子のことや、人間の魂のことなどを思って、また、勇気をふるいおこしました。そこで、まず、ほどけた長い髪の毛を、頭にしっかりと巻きつけて、ポリプにつかまらないようにしました。それから、両手を胸の上にかさねて、さかなが水の中をすいすいとおよぐように、気味のわるいポリプのあいだをすりぬけていきました。そのあいだじゅう、ポリプたちは、腕と指とをお姫さまのほうへ、うねうねと伸ばしていました。  見れば、どのポリプも、つかまえたものを、何百という小さな腕でぎゅっとしめつけているのです。まるで、がんじょうな鉄のひもででもしめつけているようなぐあいに。海で死んで、底深く沈んできた人間が、白骨となって、ポリプの腕のあいだからのぞいていました。船のかいや、箱もしめつけられていました。そうかと思うと、陸の動物の骨も見えました。ほかにもまだ、小さな人魚の娘がひとりつかまって、しめ殺されていました。そのありさまが、お姫さまには、この上もなくおそろしいものに思われました。  やがて、お姫さまは、森の中の、どろどろした広いところへきました。そこには、あぶらぎった、大きなウミヘビがとぐろをまいて、気味のわるい、うす黄色の腹を見せていました。広場のまんなかに、一けんの家が立っていましたが、それは、船が沈んだときに死んだ人間の白骨で、作ったものでした。  その家の中に、魔法使いがいたのです。魔法使いは、ちょうど、人間が小さなカナリアにおさとうをなめさせてやるようなぐあいに、自分の口から、ヒキガエルにえさをやっているところでした。そして、あの見るもいやらしい、ふとったウミヘビを、魔法使いは、「かわいいひなっこや」と呼んで、だぶだぶした大きな胸の上をはいずりまわらせていました。 「おまえさんがなんできたのか、わたしにゃ、ちゃんとわかってるよ」と、魔法使いの女は言いました。「ばかなことはやめておおき。わがままを押し通すと、今にふしあわせになるよ、きれいなお姫さん。おまえさんは、さかなのしっぽを取っちゃって、そのかわり、人間みたいに、歩くときに使う、二本のつっかい棒がほしいんだろ。そうして、若い王子がおまえさんを好きになって、おまえさんは、王子と死ぬことのない魂を手に入れようってつもりだね」  こう言って、魔法使いは、ぞっとするような高い声で笑いました。そのひょうしに、ヒキガエルとウミヘビは下にころがり落ちて、あたりをはいずりまわりました。 「だが、おまえさんは、いいときにきたんだよ」と、魔法使いは言いました。 「あしたになって、おてんとさまがのぼっちまえば、あと一年たたないことにゃ、おまえさんを助けてやるわけにはいかなかったんだよ。  どれ、ひとつ、飲みぐすりをこしらえてやろうかね。おまえさんは、それを持って、おてんとさまののぼらないうちに、陸地におよいでいくんだよ。それから、岸にあがって、くすりをお飲み。そうすりゃ、おまえさんのしっぽはちぢんでしまって、足ってものになるよ。ほら、人間がきれいな足といってる、あれさ。だが、そりゃあ痛いのなんのって。まるで、するどい剣でつきさされるようだよ。  そのかわり、おまえさんを見れば、どんな人間でも、ああ、今までに見たことのないきれいな娘だ、と言うにきまってるよ。おまえさんの歩きかたはじょうひんで、軽そうで、どんな踊り子だって、おまえさんみたいにはいかないさ。だが、歩けば、ひとあしごとに、するどいナイフをふんで、血が出るような思いをするだろうよ。どうだい。それでも、がまんができるというのなら、力をかしてやってもいいよ」 「はい、お願いします」と、人魚のお姫さまは、ふるえる声で言いました。王子のことを思い、死なない魂を手に入れることを、じっと思っていました。 「だが、これだけは忘れちゃいけないよ」と、魔法使いが言いました。「一度、人間の姿になっちまえば、もう二度と、人魚の娘にもどることはできないんだよ。二度と水の中をくぐって、ねえさんたちや、おとうさんのお城へ、もどってはこられないんだよ。それにだね、王子が、おとうさんやおかあさんのことを忘れてしまうほど、おまえさんを好きになって、心の底から、おまえさんのことばかり思うようになり、牧師さんにたのんで、おまえさんたちふたりの手をにぎらせてもらって、夫婦にしてもらわなきゃ、死なない魂は、おまえさんの手には、はいりっこないんだよ。もしも王子が、だれかほかの女とでも結婚しようもんなら、そのつぎの朝には、おまえさんの心臓ははれつして、おまえさんは、水の上のあわとなってしまうんだよ」 「それでもかまいません」と、人魚のお姫さまは言いました。けれども、顔の色は、死人のように青ざめました。 「それから、わたしにはらう代金のことも、忘れちゃこまるよ」と、魔法使いは言いました。「なにしろ、わたしのほしいってのは、ちょっとやそっとのものじゃないからね。おまえさんは、この海の底のだれよりもきれいな声を持っている。その声で王子の心をまよわそうってつもりなんだろうが、じつはその声を、わたしゃもらいたいのさ。  だいじな飲みぐすりをやるんだから、そのかわりに、おまえさんの持っているいちばんいいものを、もらいたいってわけだよ。なにしろ、飲みぐすりが、もろ刃のつるぎのようによくきくようにするためにゃ、わたしゃあ、自分の血を、その中へまぜこまなきゃならないんだからね」 「でも、あなたに、この声をあげてしまったら、あたしには、いったい、何がのこるんでしょう?」と、人魚のお姫さまが言いました。 「おまえさんにゃ、きれいな姿と、軽い、じょうひんな歩きかたと、ものをいう目があるじゃないか。それだけありゃ、人間の心をまよわすことができるってもんさ。  おや、おまえさん、勇気がなくなったかい? さあ、さ、その小さな舌をお出し。くすりのお代に切らせてもらうよ。そのかわり、よくきくくすりはやるからね」 「いいわ、どうぞ」と、人魚のお姫さまは言いました。  魔法使いは、なべを火にかけて、魔法のくすりを作りにかかりました。 「まず、きれいにしてとね」  魔法使いは、こう言って、ヘビをくるくると結んで、それで、なべをみがきました。それがすむと、今度は、自分の胸をひっかいて、黒い血をなべの中にたらしました。すると、そこから湯気が、もうもうとたちのぼって、なんともいえない、気味のわるい形になりました。  そのようすは、まったくおそろしくて、ぞっとするほどでした。魔法使いは、ひっきりなしに、なべの中に新しいものを入れました。やがて、それがよくにたつと、まるで、ワニの鳴くような音をたてました。こうして、とうとう、くすりができあがりました。見ただけでは、まるで、きれいにすんだ水のようでした。 「さてと、できたよ」と、魔法使いは言いました。そして、人魚のお姫さまの舌を切りとりました。これで、お姫さまはおしになってしまいました。もうこれからは、歌もうたえませんし、ものを言うこともできません。 「おまえさんが、これから森の中を帰っていくとき、ポリプどもにつかまりそうになったら」と、魔法使いは言いました。「たった一たらしでいいから、この飲みぐすりをかけてやんなさい。そうすりゃ、やつらの腕や指は、みんな粉々に飛んじまうから」  でも、そんなことをするまでもありませんでした。ポリプたちは、お姫さまの手の中で、くすりがお星さまのようにキラキラ光っているのを見ると、はっとおそれて、からだをひっこめてしまいました。ですから、お姫さまは、なんの苦もなく、森もどろ沼も、はげしいうずまきの中をも通りぬけていきました。  おとうさまのお城が見えてきました。大きな部屋の明りは、もう消えています。みんなは、きっと寝ているのにちがいありません。お姫さまは、みんなのところへ行こうとはしませんでした。今は、ものを言うこともできませんし、それに、きょうかぎり、一生のお別れをしようと思っているのです。お姫さまの心は、悲しみのためにはりさけそうでした。そっとお庭の中にはいっていって、おねえさまたちの花壇から、一つずつ花をつみとりました。そして、お城のほうへ、何度も何度もキスを投げてから、青い海の中を上へ上へとのぼっていきました。  まだ、お日さまののぼらないころ、人魚のお姫さまは、王子のお城を見あげながら、りっぱな大理石の階段の上にのぼりました。お月さまが、美しく、明るくかがやいていました。人魚のお姫さまは、燃えるように強いくすりを飲みました。すると、もろ刃のつるぎで、かぼそいからだをつきさされたような気がしました。たちまち、気が遠くなって、死んだようにその場にたおれました。  やがて、お日さまがキラキラと海の面を照らしました。人魚のお姫さまはようやく気がつきましたが、はげしい痛みをからだに感じました。目をあげて見れば、すぐ前に、あの美しい、若い王子が立っています。王子は、黒い目で、じっと、お姫さまを見つめていました。お姫さまは、思わず、その目をふせました。と、どうでしょう。さかなのしっぽは、いつのまにか消えてしまって、かわいらしい人間の娘しか持っていないような、世にも美しい、小さな白い足が生えているではありませんか。けれども、お姫さまは、なんにも着ていません。はだかでしたので、ゆたかな長い髪の毛で、からだをかくしました。 「あなたは、どういうかたですか? どうしてここへきたのですか?」と、王子はたずねました。  お姫さまは、青い目で、いかにもやさしそうに、でも、たいそう悲しげに、王子を見つめました。なぜって、お姫さまは、口をきくことができないのですから。王子は、お姫さまの手をとって、お城の中へ連れていきました。お姫さまは、ひとあし歩くたびごとに、魔法使いが前に言ったとおり、とがった針か、するどいナイフの上をふんでいるような思いがしました。けれども、このくらいの苦しみはよろこんでがまんしました。王子に手を引かれながら、お姫さまは、水のあわかと思われるほど、たいそうかろやかに、のぼっていきました。その軽々とした、かわいらしいお姫さまの歩きかたに、王子もほかの人たちも、ただただおどろいていました。  お姫さまは、絹やモスリンの、りっぱな着物をいただきました。お城の中で、お姫さまが、だれよりもいちばんきれいでした。でも、かわいそうに、おしだったのです。歌をうたうことも、ものを言うこともできません。絹と金とで着かざった、美しい女のどれいたちが出てきて、王子と、王子のご両親の王さま、お妃さまの前で、歌をうたいました。中のひとりが、ほかのものよりもじょうずにうたいました。すると、王子は手をたたいて、その女のほうへほほえみかけました。それを見ると、人魚のお姫さまはとても悲しくなりました。自分だったら、もっともっとよい声でうたうことができたのに、と思ったのです。そして、心の中で言いました。 「ああ、王子さま、あなたのおそばにいたいために、あたしは、永久に声をすててしまったのです。せめて、それだけでも、わかってくださったら」  やがて、女のどれいたちは、すばらしい音楽に合せて、今度は、美しく、かろやかに踊りました。人魚のお姫さまも、美しい白い腕をあげて、つま先で立ちながら、床の上をすべるように、軽々と踊りました。そんなにみごとに踊ったものは、だれもありません。踊って動くたびごとに、お姫さまの美しさが、いよいよ加わりました。その目は心の中の思いをあらわして、どれいたちの歌よりも、強く強く人の心を打ちました。  人々は、みんな、うっとりと見とれていました。なかでも、王子のよろこびかたはたいへんなもので、「かわいいすて子さん」と呼びました。お姫さまは、足が床にさわるたびごとに、するどいナイフの上をふむような思いをしました。それでも、じっとがまんして、踊りつづけました。  王子はお姫さまに、これからは、いつも自分のそばにいるように、と言いました。そのうえ、お姫さまは、王子の部屋の前にある、ビロードのふとんに寝てもいい、というおゆるしもいただきました。  王子は、お姫さまのために、男の着物を作らせて、ウマに乗っていくおともをさせました。ふたりは、かおりのよい森の中を通っていきました。みどりの枝が肩にふれたり、小さな鳥が若葉のかげでさえずったりしていました。  お姫さまは、王子といっしょに高い山にものぼりました。か弱い足からは、だれの目にもわかるくらい、血がにじみ出ましたが、それでも、お姫さまはただ笑って、どんどん王子のあとについていきました。とうとう、雲の上まで出ました。そこから見ると、下のほうを流れている雲は、遠くの国へ飛んでいく、鳥のむれのように見えました。  王子のお城で、ほかの人たちが夜になって寝てしまうと、お姫さまは、はばの広い大理石の階段をおりて、燃えるような足をつめたい海の水の中にひたして、ひやしました。そんなときには、深い海の底にいる、なつかしい人たちのことが思い出されるのでした。  ある晩のこと、おねえさまたちが、手をつないで、海の上に出てきました。みんなは、波のまにまに浮びながら、ひどく悲しい歌をうたいました。お姫さまが、手まねきすると、おねえさまたちのほうでも、それに気がつきました。 「海の底ではね、あなたがいなくなってから、みんな、とっても悲しんでいるのよ」と、おねえさまたちは話しました。  それからというものは、おねえさまたちは、毎晩たずねてきてくれました。ある晩などは、もう何年も海の上に出てきたことのない、お年よりのおばあさまと、頭にかんむりをかぶった、人魚の王さまの姿までも、ずっと遠くのほうに見えました。おばあさまもおとうさまも、お姫さまのほうへ手をさしのばしました。けれども、おねえさまたちのように、陸の近くまでこようとはしませんでした。  一日ごとに、王子は、お姫さまが好きになりました。といっても、王子は、おとなしい、かわいい子供をかわいがるように、お姫さまをかわいがっていたのです。ですから、お妃にしようなどとは、夢にも思っていませんでした。ところが、お姫さまのほうでは、どうしても、王子のお妃にならなければなりません。さもなければ、死ぬことのない魂を、手に入れることができないのです。いや、それどころか、王子が結婚したつぎの朝には、海の上のあわとなってしまうのです。  王子が人魚のお姫さまを腕にだいて、美しいひたいにキスをすると、お姫さまの目は、 「あたしが、だれよりもかわいいとはお思いになりませんか?」と言っているように思われました。 「うん、おまえがいちばん好きだよ」と、王子は言いました。「だって、おまえは、だれよりもやさしい心を持っていて、ぼくにま心をつくしてくれているんだもの。それに、おまえは、ある若い娘さんに似ているんだよ。その娘さんには、いつか一度会ったことがあるけれど、きっともう、会うことはないだろう。  ぼくが船に乗って、海に出たときのことだよ。乗っていた船は、あらしにあって、沈んだけれど、ぼくは波に打ちあげられて、岸べについた。見ると、その近くには修道院があって、若い娘さんが、何人もおつとめをしていた。その中のいちばん若い娘さんが、岸べに打ちあげられているぼくを見つけて、命を助けてくれたんだよ。そのとき、ぼくは、その娘さんの顔を、二度しか見なかった。でも、ぼくがこの世の中で、いちばん好きに思うのは、ただ、その娘さんだけなんだよ。  だけど、おまえを見ていると、とても、その娘さんによく似ている。だから、ぼくの心の中にある、その娘さんの姿も、押しのけられてしまいそうなくらいだよ。でも、その娘さんは、あの修道院に一生いる人だから、幸福の神さまが、かわりに、おまえをぼくによこしてくださったんだよ。これからは、どんなことがあっても、離れずにいよう」 「ああ、王子さまは、あたしが命を助けてあげたことをごぞんじないんだわ」と、人魚のお姫さまは心の中で思いました。「あたしが、海の上を、修道院のある森のところまで連れていってあげたのに。それから、あたしは、海のあわをかぶって、だれかこないかと見ていたんだわ。そうしたら、きれいな娘さんがきたんだわ。その娘さんを、王子さまは、あたしよりも好いていらっしゃる」  人魚のお姫さまは、深いため息をつきました。けれども、泣くことはできませんでした。 「そのむすめさんは、一生修道院につかえているんだと、王子さまはおっしゃったわ。そうすると、この世の中へは出てこられないんだから、おふたりはもう会えないわけだわ。それにくらべれば、あたしは、こうしておそばにいて、毎日毎日、お顔を見ている。あたしは、王子さまのお世話をしてあげよう。心から王子さまをおしたいしよう。そして、王子さまのためなら、この命もよろこんでささげよう」  ところが、そのうちに、王子は結婚することになりました。おとなりの国の王さまの美しい王女を、お妃にむかえるという、うわさがたちました。そのために、船もたいそう美しくかざりつけられました。王子は、となりの国を見るために、旅に出かけるのだと言われましたが、ほんとうは、その国の王女にお会いになるためだったのです。おともの人たちも、大ぜいついていくことになりました。でも、人魚のお姫さまは、頭をふって、ほほえみました。王子が心の中に考えていることは、だれよりもよく知っていたからです。 「ぼくは、旅に出なければならない」と、王子は、お姫さまに言いました。「美しい王女に会ってこなければならないんだよ。おとうさまやおかあさまが、そうするようにとおっしゃるからね。しかし、その王女を、どうでもお嫁さんにして帰ってくるように、とはおっしゃっていないよ。ぼくが、その王女を好きになんかなれるはずはない。だって、修道院で見た、あの美しい娘さんに似ているはずがないもの。あの娘さんに似ているのは、おまえだけだよ。ぼくが、いつかお嫁さんをえらばなければならないとしたら、いっそのこと、おまえをえらぶよ。ものをいう目をした、口のきけないすて子の、かわいいおまえをね」  こう言って、王子はお姫さまの赤い唇にキスをしました。そして、お姫さまの長い髪の毛をいじりながら、お姫さまの胸に頭をおしあてました。お姫さまの心は、人間のしあわせと、死ぬことのない魂とを、夢に見ているのでした。 「だけど、海はこわくないだろうね、口のきけないすて子さん」  おとなりの国へ出かける、りっぱな船の上に立ったとき、王子はお姫さまに、こう言いました。それから、王子は、あらしのこと、海の静かなときのこと、深いところにいるふしぎなさかなのこと、それから潜水夫が海の中で見る、めずらしいもののことなどを、いろいろと話してやりました。お姫さまはほほえみながら、王子の話を聞いていました。だって、海の底のことなら、お姫さまはだれよりもよく知っていたのですから。  お月さまの明るい晩、かじとりだけが、かじのところに立っていました。ほかの人たちは、みんな、寝しずまっていました。そのとき、お姫さまは船べりにすわって、すみきった水の中をじっと見つめていました。すると、おとうさまのお城が見えたような気がしました。お城のいちばん高いところには、なつかしいおばあさまが頭に銀のかんむりをかぶって、立っていました。おばあさまは、速い水の流れをとおして、船のほうをじっと見あげていました。  そのとき、おねえさまたちが、海の面に浮びあがってきて、お姫さまを悲しそうに見つめながら、もうだめだというように、白い手をもみあわせました。  お姫さまは、おねえさまたちのほうへうなずいて、ほほえみながら、なにもかもがうまくいっていることを話そうとしました。ところがそこへ、船のボーイが近づいてきましたので、おねえさまたちは、水の中へもぐってしまいました。ですから、ボーイは、今なにか白いものを見たような気がしましたが、それはきっと、海のあわだったろうと思いました。  あくる朝、船はおとなりの国の、美しい都にある港にはいりました。教会という教会の鐘が鳴りわたり、高い塔からは、ラッパが吹き鳴らされました。兵士たちは、ひるがえる旗を持ち、きらめく銃剣を持って、立ちならびました。  毎日毎日、宴会がもよおされ、舞踏会だの、いろいろの会が、つぎからつぎへと開かれました。それなのに、この国の王女は、まだ一度も姿を見せたことがありません。なんでも、ずっと遠くの、ある修道院で教育をうけて、王女にふさわしい、いろいろの勉強をしているということでした。とうとう、その王女が帰ってきました。  人魚のお姫さまは、その王女が、どんなに美しいかたか、早く見たいと思っていたのですが、見れば、なるほど、こんなに美しい姿の人は、いままでに見たことがない、というよりほかはありませんでした。はだは、きめがこまやかで、すきとおるような美しさでした。長い黒いまつげの奥には、ま心のこもった青い目が、にこやかにほほえんでいました。 「ああ、あなただ! ぼくが死んだようになって、海べにたおれていたとき、ぼくの命を助けてくださったのは!」と、王子はさけんで、はずかしそうに、顔を赤くしている王女を腕にだきしめました。  それから、今度は、人魚のお姫さまにむかって、言いました。 「ああ、ぼくは、なんてしあわせなんだろう! どんなに願っても、とてもかなえられないと思っていた夢が、かなえられたんだよ。おまえも、ぼくのしあわせをよろこんでくれるだろう。だれよりもいちばん、ぼくのことを思っていてくれたおまえだものね」  人魚のお姫さまは、王子の手にキスをしました。けれども、胸は今にもはりさけそうでした。むりもありません。王子が結婚すれば、そのあくる朝、お姫さまは死んで、海の上のあわとなってしまうのです。  教会という教会の鐘が、鳴りわたりました。お使いのものが、ウマに乗って町の中をかけめぐり、ご婚約のことを知らせました。どこの祭壇でも、りっぱな銀のランプに、よいかおりのする油が燃やされました。牧師さんたちが香炉をふりました。花嫁と花婿はたがいに手をとりあって、僧正さまの祝福をうけました。  人魚のお姫さまは、絹と金とで着かざって、花嫁の長いすそをささげていました。けれども、お祝いの音楽も、耳にはいりません。おごそかな儀式も、目にはうつりません。ただ、死んでからの、暗い暗いやみのことばかりを思っていました。この世でなくしてしまった、すべてのことを思っているのでした。  その日の夕方、花嫁と花婿は船に乗りこみました。大砲がとどろきわたり、たくさんの旗が、風にひるがえりました。船のまんなかには、金とむらさきの、りっぱなテントがはられて、このうえもなく美しいふとんがしかれました。ここで、ふたりが、静かな、すずしい一夜をすごすことになっていたのです。  帆は風をうけて、いっぱいにふくらんでいました。船は、すみきった海の上を、たいしてゆれもせずに、軽々とすべっていきました。  あたりが暗くなると、色とりどりのランプに火がともされ、水夫たちは甲板に出て、楽しそうに踊りはじめました。人魚のお姫さまは、はじめて海の上に浮びあがった晩のことを思い出さずにはいられませんでした。あの晩も、いま目の前に見ているのと同じように、にぎやかによろこびさわいでいるありさまが、目にうつったのでした。お姫さまも、みんなの仲間にはいって、くるくる踊りまわりました。そのありさまは、なにかに追いかけられて、身をひるがえしながら、軽々と飛んでいくツバメのようでした。見ている人々は、みんな、手をたたいてほめそやしました。お姫さまが、こんなにみごとに踊ったことは、今までにもありません。か弱い足は、するどいナイフでつきさされるようでしたが、いまはそれを感じないほどに、心のきずは、もっともっと痛んでいるのでした。  お姫さまには、よくわかっているのです。今夜かぎりで、王子の顔も見られません。この王子のために、お姫さまは家族をすて、家をすてたのです。美しい声もあきらめたのです。くる日もくる日も、かぎりない苦しみをがまんしてきたのです。それなのに、王子のほうでは、そんなことは夢にも知らないのです。王子とおなじ空気をすうのも、深い海をながめるのも、星のきらめく夜空をあおぐのも、今夜かぎりとなりました。考えることのない、夢見ることのない、はてしなくつづくやみの夜だけが、お姫さまを待っているのでした。思えば、お姫さまには魂がありません。得ようとしても、いまとなっては、手に入れることのできないお姫さまなのです。  船の上は、にぎやかなよろこびにみちあふれていました。もう、ま夜中をすぎています。それでも、お姫さまは、ほほえみを浮べながら、踊りつづけるのでした。心の中では、ただ死ぬことだけを思いながら。王子は美しい花嫁にキスをしました。花嫁は、王子の黒い髪の毛をなでました。そして、花嫁と花婿は手に手をとって、りっぱなテントの中にはいって、やすみました。  やがて、船の中は、ひっそりと静かになりました。いまは、かじとりだけが、かじのところに立っているばかりです。人魚のお姫さまは、白い腕を船べりにかけながら、東の空に目をむけて、朝やけをながめていました。お日さまの光がさしてくれば、その最初の光で、お姫さまは死ぬのです。それは、お姫さまにはわかっていました。  と、そのとき、おねえさまたちが、またもや、海の面へ浮びあがってくるのが見えました。おねえさまたちも、お姫さまと同じように青ざめていました。見れば、長い美しい髪の毛が、いつものように風になびいてはおりません。ぶっつりと、根もとから、たち切られているではありませんか。 「あたしたち、魔法使いに、髪の毛をやってしまったのよ。あなたが、今夜、死なないですむように、魔法使いの助けをかりに行ったの。そしたら、ナイフをくれたわ。ほら、これよ。ねえ、よく切れそうでしょう。お日さまがのぼらないうちに、あなたは、これで、王子の心臓をつきささなくてはいけないのよ。王子のあたたかい血が、あなたの足にかかると、足がちぢこまって、また、さかなのしっぽが生えるのよ。だから、また、もとの人魚になれるわけ。そうして、水の中へはいって、あたしたちのところへもどってくれば、死んで、塩からい海のあわになるまで、三百年も生きていられるのよ。  さあ、早く! お日さまののぼらないうちに、王子かあなたか、どちらかひとりが死ななければならないのよ。おばあさまは、あんまり心配なさったものだから、白い髪が、すっかりぬけ落ちてしまったわ。あたしたちの髪の毛が、魔法使いのはさみで切られてしまったのと、そっくりよ。  王子を殺して、帰ってきなさいね! さあ、いそぐのよ! 空が、うっすらと赤くなってきたじゃないの。もうすぐ、お日さまがのぼるわ。そしたら、あなたは死ななければならないのよ」  こう言うと、おねえさまたちは、それはそれは悲しそうに、深いため息をついて、波間に沈みました。  人魚のお姫さまは、テントのむらさき色のたれまくを引きあけました。中では、美しい花嫁が、王子の胸に頭をもたせて眠っています。お姫さまは身をかがめて、王子の美しいひたいにキスをしました。空を見れば、夜あけの空が赤くそまって、だんだん明るくなってきました。お姫さまは、するどいナイフをじっと見つめました。それから、また目を王子にむけました。王子は夢のなかで、花嫁の名前を呼びました。ほかのことは、すっかり忘れて、王子の心は、ただただ花嫁のことでいっぱいだったのです。人魚のお姫さまの手の中で、ナイフがふるえました。――  しかし、その瞬間、お姫さまは、それを遠くの波間に投げすてました。すると、ナイフの落ちたところが、まっかに光って、まるで血のしたたりが、水の中からふき出たように見えました。お姫さまは、なかばかすんできた目を開いて、もう一度王子を見つめました。と、船から身をおどらせて、海の中へ飛びこみました。自分のからだがとけて、あわになっていくのがわかりました。  そのとき、お日さまが海からのぼりました。やわらかい光が、死んだようにつめたい海のあわの上を、あたたかく照らしました。人魚のお姫さまは、すこしも死んだような気がしませんでした。  明るいお日さまをあおぎ見ました。すると、中空に、すきとおった美しいものが、何百となく、ただよっていました。それをすかして、むこうのほうに、船の白い帆と、空の赤い雲が見えました。そのすきとおったものの話す声は、美しい音楽のようでした。といっても、人間の耳には聞えない、まことにふしぎな魂の世界のものでした。その姿も、人間の目では見ることができないものでした。つばさがなくても、からだが軽いために、空中にただよっているのでした。  人魚のお姫さまは、そのものたちと同じように、自分のからだも軽くなって、あわの中からぬけ出て、だんだん上へ上へとのぼっていくのを感じました。 「どなたのところへ行くのでしょうか?」と、お姫さまはたずねました。  その声は、あたりにただよっている、ほかのものたちと同じように、美しく、とうとく、ふしぎにひびきました。それは、とてもこの世の音楽などでは、まねすることもできません。 「空気の娘たちのところへ!」と、みんなが答えました。「人魚の娘には、死ぬことのない魂というものがありませんね。人間に心から愛されなければ、どんなにしても、それを持つことができません。人魚がいつまでも生きていられる命を得るためには、ほかのものの力にたよらなければならないのです。空気の娘たちにも、やっぱり、死ぬことのない魂はありません。けれども、よい行いをすれば、やがてはそれをさずかることができるのです。  あたしたちは、暑い国へ飛んでいきます。そこでは、空気がむし暑くて、毒を持っていますから、そのために人間は死んでしまいます。ですから、そこで、あたしたちはすずしい風を送ってあげるのです。それから、空に花のかおりをふりまいて、だれもが、さっぱりした気分になるように、みんなが元気になるようにしてあげるのです。こうして、三百年のあいだ、あたしたちにできるだけの、よい行いをするようにつとめれば、死ぬことのない魂をさずかって、かぎりない人間のしあわせをもらうことができるのです。  まあ、お気の毒な人魚のお姫さま。あなたも、あたしたちと同じように、ま心をつくして、つとめていらっしゃいましたのね。ずいぶんと苦しみにお会いになったでしょうが、よくがまんしていらっしゃいました。こうして、いまは、空気の精の世界へのぼっていらっしゃったのですよ。さあ、あと三百年、よい行いをなされば、死ぬことのない魂が、あなたにもさずかりますのよ」  人魚のお姫さまは、すきとおった両腕を、神さまのお日さまのほうへ高くさしのべました。そのとき、生れてはじめて、涙が頬をつたわるのをおぼえました。――  船の中が、また、がやがやとさわがしくなりました。見れば、王子が美しい花嫁といっしょに、お姫さまをさがしています。お姫さまが、波の中に身を投げたのを、ふたりは、まるで知ってでもいるように、あわだつ波間を悲しそうに見つめていました。  人の目には見えないけれども、人魚のお姫さまは、花嫁のひたいにそっとキスをして、王子にはほほえみかけました。それから、ほかの空気の娘たちといっしょに、空にただよう美しいバラ色の雲のほうへとのぼっていきました。 「そうすると、三百年たったら、あたしたちも、神さまのお国へ浮んでいけますのね」 「でも、もっと早く行けるかもしれませんよ」と、空気の娘のひとりが、ささやきました。「あたしたちは、人に見られないで、子供のいる人間の家にはいっていくのです。そうして、おとうさんやおかあさんをよろこばせて、おとうさんやおかあさんにかわいがられているよい子供を、毎日見つけるのです。そうすると、神さまがそれをごらんになっていて、あたしたちをおためしになる時を短くしてくださるのです。  その子には、あたしたちが、いつお部屋の中を飛んでいるのかわかりません。でも、そういう子供を見つけると、あたしたちはうれしくなって、つい、にっこりと笑いかけてしまいます。そうすると、すぐに三百年のうちから一年へらしてもらえるのです。けれども、その反対に、おぎょうぎのわるい、よくない子どもを見ると、悲しくなって、思わず泣いてしまいます。そうすると、今度は、涙をこぼすたびごとに、神さまのおためしになる時が、一日ずつのびていくのです」――
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 ※表題は底本では、「人魚の姫《ひめ》」となっています。 入力:チエコ 校正:木下聡 2019年3月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 世界じゅうで、眠りの精のオーレ・ルゲイエぐらい、お話をたくさん知っている人はありません!――オーレ・ルゲイエは、ほんとうに、いくらでもお話ができるのですからね。  夜になって、子供たちがまだお行儀よくテーブルにむかっていたり、低い椅子に腰かけたりしているころ、オーレ・ルゲイエがやってきます。オーレ・ルゲイエは、静かに静かに階段を上ってきます。なぜって、靴下しかはいていないのですからね。オーレ・ルゲイエは、そっとドアをあけて、子供たちの目の中に、シュッと、あまいミルクをつぎこみます。でも、ほんの、ほんのちょっぴりですよ。けれど、それだけでも、子供たちは、もう目をあけてはいられなくなるのです。ですから、子供たちには、オーレ・ルゲイエの姿が見えません。  オーレ・ルゲイエは、子供たちのうしろにしのびよって、首のところをそっと吹きます。すると、子供たちの頭が、だんだん重くなってきます。ほんとですよ。でも、べつに害をくわえたわけではありません。だって、オーレ・ルゲイエは、子供たちが大好きなんですから。ただ、子供たちに静かにしていてもらいたい、と思っているだけなのです。それには、子供たちを寝床へ連れていくのがいちばんいいのです。オーレ・ルゲイエは、これからお話を聞かせようと思っているので、子供たちに静かにしていてもらいたいのです。――  さて、子供たちが眠ってしまうと、オーレ・ルゲイエは寝床の上にすわります。見れば、たいへんりっぱな身なりをしています。上着は絹でできています。でも、それがどんな色かは、お話しすることができません。というのも、オーレ・ルゲイエがからだを動かすと、それにつれて、緑にも、赤にも、青にも、キラキラ光るのですから。両腕には、こうもりがさを一本ずつ、かかえています。一本のかさには、絵がかいてあります。それをよい子供たちの上にひろげると、その子供たちは、一晩じゅう、それはそれは楽しいお話を夢に見るのです。もう一本のかさには、なんにもかいてありません。これをお行儀のわるい子供たちの上にひろげると、その子たちは、ばかみたいに眠りこんでしまって、あくる朝目がさめても、なんにも夢を見ていないのです。  ではこれから、オーレ・ルゲイエがヤルマールという小さな男の子のところへ、一週間じゅう毎晩、出かけていって、どんなお話をして聞かせたか、わたしたちもそれを聞くことにしましょう。お話はみんなで七つあります。一週間は、七日ですからね。 月曜日 「さあ、お聞き」オーレ・ルゲイエは、晩になると、ヤルマールを寝床へ連れていって、こう言いました。「今夜は、きれいにかざろうね」  そうすると、植木ばちの中の、花という花が、みんな大きな木になりました。そして、長い枝を、天井の下や、かべの上にのばしました。ですから、部屋全体が、たとえようもないほど美しい、あずまやのようになりました。どの枝にもどの枝にも、花がいっぱい咲いています。しかも、その花の一つ一つが、バラの花よりもきれいで、たいそうよいにおいをはなっているのです。おまけに、それを食べれば、ジャムよりも甘いのです。実は、金のようにキラキラ光っています。そればかりか、ほしブドウではちきれそうな菓子パンまでも、ぶらさがっているのです。ほんとうに、なんてすばらしいのでしょう!  ところがそのとき、ヤルマールの教科書のはいっている机の引出しの中で、なにかがはげしく泣きだしました。 「おや、なんだろう?」と、オーレ・ルゲイエは言いながら、机のところへ行って、引出しをあけてみました。すると、石盤の上で、なにやらさかんに、押し合いへし合いしているではありませんか。それは、こういうわけです。算数の計算のときにまちがった数が、いつのまにか、そこへはいりこんできたため、それを押し出そうとして、数たちが、今にも散らばろうとしているところだったのです。石筆が、ひもにゆわえられたまま、まるで小イヌのように、とんだりはねたりしていました。石筆は、なんとかして計算を助けようとしていたのですが、ちっともうまくいきません。――  と、今度は、ヤルマールの習字帳の中から、とても聞いてはいられないほど、泣きわめく声が聞えてきました。そこで習字帳をあけてみると、どのページにも、全部の大文字が、縦に一列にならんでいました。その大文字のとなりには、小文字が一つずつ、ならんでいました。これはお手本の字です。けれども、またそのそばに、二つ三つ字が書いてありました。これらの字は、自分では、お手本の字に似ているつもりでいました。なにしろ、ヤルマールがお手本の字を見て書いたものだったのですから。ところが、これらの字は、鉛筆で引いた線の上に立っていなければいけないのに、ころんだように、横だおれになっていました。 「ほら、いいかい。こんなふうに、からだを起すんだよ」と、お手本の字が言いました。「ほうら。こんなふうに、いくぶんななめにして、それから、ぐうんとはねるんだぜ」 「ぼくたちだって、そうしたいんだよ」と、ヤルマールの書いた字が言いました。「だけど、できないのさ。ぼくたち、気分がわるいんだもの」 「じゃ、おまえたちは、げざいを飲まなきゃいけないね」と、オーレ・ルゲイエが言いました。 「いやだよ、いやだよ!」と、みんなはさけぶといっしょに、さっと起き上がりました。そのありさまは、見ていておかしいほどでした。 「今夜は、お話はしてあげられないよ」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「これから、訓練をしなければならないんだよ! 一、二! 一、二!」それから、みんなは訓練をうけました。そうすると、お手本の字のように、元気よく、まっすぐに立ちました。けれども、オーレ・ルゲイエが行ってしまって、つぎの朝、ヤルマールが目をさましたときには、みんなは、やっぱりきのうと同じように、なさけないかっこうをしていました。 火曜日  ヤルマールが寝床にはいったとたん、オーレ・ルゲイエは、小さな魔法の注射器で、部屋の中の、ありとあらゆる家具にさわりはじめました。すると、さわられた家具は、つぎつぎとしゃべりだしました。しかも、みんながみんな、自分のことばかりしゃべりたてました。なかにただひとり、痰壺だけは、だまりこくって立っていました。けれども、心の中では、みんながあんまりうぬぼれが強く、自分のことばかりを考え、自分のことばかりをじまんしていて、おとなしくすみっこに立って、つばをはきかけられているもののことなどは、ちっとも考えてくれないのを、ふんがいしていました。  たんすの上には、一枚の大きな絵が、金ぶちの額に入れられてかかっていました。その絵は風景画でした。大きな年とった木々や、草原に咲いている花や、大きな湖が、かいてありました。湖からは、ひとすじの川が流れでて、森のうしろをめぐり、たくさんのお城のそばを通って、遠くの大海にそそいでいました。  オーレ・ルゲイエは、魔法の注射器でその絵にさわりました。と、たちまち、絵の中の鳥は、歌をうたいはじめ、木々の枝は風にそよぎ、雲は空を流れてゆきました。そして、雲の影が、野原の上にうつってゆくのさえ、見えました。  さて、オーレ・ルゲイエは、小さなヤルマールを、額ぶちのところまで持ちあげてやりました。そこで、ヤルマールは、絵の中の深い草の中に足をふみいれて、そこに立ちました。お日さまが、木々の枝のあいだからヤルマールの頭の上にさしてきました。ヤルマールは湖のほうへかけていって、ちょうどそこにあった、小さなボートに乗りました。ボートは、赤と白とにぬってありました。帆は、銀のように、キラキラ光っていました。ボートは、六羽のハクチョウに引かれていきました。ハクチョウたちは、みんな首のところに黄金の輪をつけ、頭にはきらめく青い星をいただいていました。ボートが緑の森のそばを通ると、森の木々は、盗賊や魔女の話をしてくれました。森の花は、かわいらしい、小さな妖精のことや、チョウから聞いた話をしてくれました。  見るも美しいさかなが、金や銀のうろこをきらめかせながら、ボートのうしろからおよいできました。ときどき、水の上にはね上がっては、ピチャッ、ピチャッと、音をたてました。赤い鳥や青い鳥が、大きいのも小さいのも、長く二列にならんで、ボートのあとから飛んできました。ブヨはダンスをし、コガネムシはぶんぶん歌をうたいました。そして、みんながみんな、ヤルマールのあとについてこようとしました。しかも、みんな、めいめい一つずつのお話を持っててです!  なんというすばらしい船あそびではありませんか! やがて、森が深くなって、うす暗くなりました。と、思うまもなく、すぐまた、お日さまのキラキラ照っている、世にも美しい花園に出ました。花園には、ガラスと大理石でできた、大きな御殿が、いくつも立っていました。そして、御殿の露台には、お姫さまたちが立っていました。しかし、どのお姫さまも、ヤルマールが前にあそんだことのある、よく知っている、小さな女の子たちばかりでした。みんなは、手をさし出しました。見れば、菓子屋のおばさんのところでもめったに売っていないような、すてきにおいしい、小ブタのさとう菓子を持っていました。ヤルマールは通りすぎるときに、その小ブタのさとう菓子のはしをつかみました。けれども、お姫さまがそれをしっかりとにぎっていたので、さとう菓子は二つに割れてしまいました。そして、お姫さまの手には小さいほうが残り、ヤルマールの手には大きいほうが残りました。どの御殿の前にも、小さな王子が番兵に立っていました。みんな、金のサーベルで敬礼しながら、ほしブドウと、すずの兵隊さんを、雨のように降らせてくれました。だからこそ、ほんとの王子というものです!  まもなく、ヤルマールのボートは森の中をぬけました。それから大きな広間のようなところを通ったり、町の中を通りすぎたりしました。そのうちに、ヤルマールがごく小さかったころ、おもりをして、たいそうかわいがってくれた、子もり娘の住んでいる町へ、やってきました。娘はうなずいて手をふりながら、かわいらしい歌をうたいました。その歌は、まえに自分で作って、ヤルマールに送ってくれたものでした。 いとしいわたしのヤルマール、 思うはあなたのことばかり! かわいい唇、赤い頬、 キスしたことも、忘られぬ。 あなたのさいしょのかたことを 耳にしたのは、このわたし。 だのに、いまは会えないの。 わたしの天使のしあわせを ひとりわたしは祈りましょう!  すると、鳥も、みんないっしょにうたいだしました。花はくきの上でダンスをし、年とった木々はうなずきました。まるで、オーレ・ルゲイエのお話を、みんなが聞いているようでした。 水曜日  まあまあ、外は、なんというひどい雨でしょう! 眠っていても、ヤルマールには雨の音がよく聞えました。オーレ・ルゲイエが窓をあけると、水が窓わくのところまで届いていました。外には、大きな湖ができています。ところが、りっぱな船が一そう、家の前にきていました。 「ヤルマールや! 船に乗って、旅に出かけよう」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「今夜のうちに、よその国へ行って、あしたの朝は、ここへもどってこられるからね」  そこで、ヤルマールは、さっそく晴着を着て、そのりっぱな船のまんなかに乗りこみました。すると、すぐにお天気がよくなりました。そして、船は通りを走りだしました。教会をぐるっとまわると、大きな広い海に出ました。船は、それから長いあいだ走りつづけました。もう、陸地は、かげも形も見えなくなりました。  コウノトリが、むれをつくって飛んでゆくのが見えました。コウノトリたちは、いま、ふるさとを去って、暖かい国へゆこうというのです。一羽また一羽と、一列になって飛んでいました。みんなは、今までに、とてもとても長いこと飛んできました。ですから、そのうちの一羽は、つかれきって、もうこれ以上つばさを動かして、飛んでいくことができなくなりました。その鳥は、列のいちばんおしまいを飛んでいましたが、そのうちに、みんなからずっと離れてしまいました。そして、とうとうしまいには、つばさをひろげたまま、下へ下へと落ちていきました。二度、三度、つばさをバタバタやりましたが、もう、どうしようもありません。足が、船の帆綱にさわりました。帆の上をすべり落ちて、バタッと、甲板の上に落ちました。  船のボーイがこのコウノトリをつかまえて、ニワトリや、アヒルや、シチメンチョウのはいっている、トリ小屋の中に入れました。あわれなコウノトリは、しょんぼりして、みんなの中に立っていました。 「みなさん、ごらんなさいな!」と、メンドリたちが、いっせいに言いました。  すると、シチメンチョウは、思いきり、ぷうっとふくらんで、おまえはだれだい、とたずねました。アヒルたちはあとずさりして、たがいに押しあいながら、「早く言いな。早く言いな」と、ガアガアさわぎたてました。  そこで、コウノトリは、暖かいアフリカのこと、ピラミッドのこと、砂漠を野ウマのように走るダチョウのこと、などを話しました。しかし、アヒルたちには、コウノトリの言うことがわかりません。それで、たがいに押しあいながら、言いました。「どうだい、みんな、こいつばかだと思うだろう!」 「うん、たしかに、こいつはばかだよ!」シチメンチョウはこう言って、のどをコロコロ鳴らしました。コウノトリは何も言わずに、ただアフリカのことばかりを心に思っていました。 「おまえさんは、きれいな細い足をしているね」と、シチメンチョウは言いました。「五十センチでいくらするんだい?」  すると、アヒルたちは、「ガア、ガア、ガア!」と、ばかにしたように、笑いました。けれども、コウノトリは、なんにも聞えないような顔をしていました。 「いっしょに笑ったらどうだい」と、シチメンチョウは言いました。「ずいぶん、しゃれたつもりなんだからな。それとも、おまえさんには低級すぎたかい。おや、おや! こいつはちっと足りないや! おれたちは、おれたちだけで、ゆかいにやろうぜ!」こう言って、クッ、クッと鳴きました。すると、アヒルたちは、「ガア、ガア、ガア!」とさわぎたてました。こうして、みんながおもしろがっているありさまは、おそろしいほどでした。  けれども、ヤルマールはトリ小屋へ行って、戸をあけて、コウノトリを呼びました。コウノトリは、ヤルマールのあとから甲板にとび出てきました。いまでは、からだも、じゅうぶんに休まりました。コウノトリは、ヤルマールにお礼を言いたそうに、うなずいているみたいでした。それから、つばさをひろげて、暖かい国へむかって飛んでいきました。ニワトリたちはクッ、クッと鳴き、アヒルたちはガアガアおしゃべりをし、シチメンチョウは顔をまっかにしました。 「あした、おまえたちをスープにしてやるぞ」と、ヤルマールは言いました。けれども、やがて目がさめたときには、いつもの小さな寝床の中に寝ていました。それにしても、オーレ・ルゲイエが、ゆうべさせてくれた旅は、ほんとうにふしぎな旅でした! 木曜日 「いいかね」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「こわがっちゃいけないよ。ごらん。ここに、小さなハツカネズミがいるね」こう言いながら、かわいい、ちっちゃなハツカネズミを持った手を、ヤルマールのほうへ差しだしました。「このハツカネズミは、おまえを結婚式に招待しにきたんだよ。ここで、二ひきのハツカネズミが、今夜、結婚することになっているのさ。そのふたりは、おまえのおかあさんの食物部屋の床下に住んでいるんだよ。あそこは、とても住みごこちのいいところなんだって!」 「でもね、ちっちゃなネズミの穴から、どうして床下へはいっていけるの?」と、ヤルマールは聞きました。 「わたしにまかせておけば、大丈夫!」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「いま、おまえを小さくしてあげるよ」それから、オーレ・ルゲイエが、あの魔法の注射器でヤルマールのからだにさわると、ヤルマールのからだは、たちまち、どんどん小さくなって、とうとう、指ぐらいの大きさになってしまいました。「もう、すずの兵隊さんの服が、かりられるよ。きっと、似合うだろう! 宴会のときは、軍服を着ていたほうが、スマートに見えるからね」 「うん、そうだね」と、ヤルマールが言ったとたん、もう、このうえなくかわいらしいすずの兵隊さんのように、ちゃんと軍服を着ていました。 「どうか、おかあさまの指ぬきの中に、おすわりくださいませ」と、小さなハツカネズミが言いました。「そうすれば、あたくしが引っぱってまいりますから」 「おや、お嬢さんに、そんなお骨折りをしていただいては、申しわけありません」と、ヤルマールは言いました。こうして、みんなは、ハツカネズミの結婚式へ出かけていきました。  はじめに、みんなは、床下の長い廊下にはいりました。そこは、指ぬきに乗って、やっと通れるくらいの高さでした。くさった木の切れはしのあかりが置いてあるので、廊下じゅうが明るくなっていました。 「ここは、いいにおいが、しやしません?」と、ヤルマールを引っぱっているハツカネズミが言いました。「廊下じゅうに、ベーコンの皮がしいてあるんですのよ。こんなにすてきなことってありませんわ!」  まもなく、みんなは式場へ来ました。右側には、小さなハツカネズミの婦人たちが、ひとりのこらず立っていて、ひそひそ声で話しては、ふざけあっていました。左側にはハツカネズミの紳士たちが立ちならんでいて、前足でひげをなでていました。部屋のまんなかに、花嫁、花婿の姿が見えました。ふたりは、中身をくりぬいたチーズの皮の中に立っていて、みんなの見ている前で、何度も何度もキスをしていました。むりもありません。ふたりはもう婚約しているのですし、それに、いまにも結婚式をあげようというのですからね。  それから、お客さまが、ますますふえてきました。とうとうしまいには、おたがいが、もうすこしで、踏み殺されそうなくらいになりました。そのうえ、花嫁と花婿が戸口に立っていたものですから、だれひとり出ることも、はいることもできません。部屋の中にも、廊下と同じように、ベーコンの皮がしきつめてありました。これが、ご馳走の全部だったのです。デザートには、エンドウマメが一つぶでました。このエンドウマメには、家族の中のひとりが、花嫁と花婿の名前を歯でかみつけておきました。といっても、頭文字だけですがね。こんなところは、ふつうの結婚式とは、まったくかわっていました。  ハツカネズミたちは、口々に、りっぱな結婚式だった、それに、話もなかなかおもしろかった、と言いあいました。  そこで、ヤルマールも家へ帰りました。こうして、ほんとうにじょうひんな宴会に行ってきたのです。ただ、からだをちぢこめて、小さくなって、すずの兵隊さんの軍服を着ていかなければなりませんでしたが。 金曜日 「ちょっと信じられないことだが、おとなの中にも、わたしにそばにいてもらいたい人が、大ぜいいるんだよ」と、オーレ・ルゲイエが言いました。「わけても、なにかわるいことをした人が、そうなんだよ。『やさしい、小さなオーレさん』と、その人たちは、わたしに言う。『ああ、どうしても眠れません。一晩じゅう、こうして横になっていると、今までにやったわるい行いが、みんな目に見えてくるんですよ。ちっぽけな、みにくい魔物の姿になって、寝床のはしにすわり、熱い湯をおれたちにひっかけるんです。どうか、きて、そいつらを追っぱらってください。ぐっすり寝られるように!』こう言って、深いため息をつくんだよ。そしてまた、『お礼はよろこんでしますとも。それじゃ、おやすみなさい、オーレさん! お金は窓のところにありますよ』と、言うのさ。でも、わたしは、お金がほしくて、そんなことをするんじゃないんだよ」と、オーレ・ルゲイエは言いました。 「今夜は、どんなことをするの?」と、ヤルマールはききました。 「そう、どうだね、今夜も、もう一度、結婚式へ行く気があるかい? きのうのとは、もちろんちがうけどね。おまえのねえさんは、ヘルマンという、男のような顔をした大きな人形を持っているだろう。あれがベルタという人形と結婚することになっているんだよ。それに、きょうは、この人形の誕生日だしするから、贈り物も、きっと、うんとたくさんくるよ」 「うん、それなら、ぼくもよく知ってるよ」と、ヤルマールは言いました。「人形たちに新しい着物がいるようになると、いつもねえさんは、誕生日のお祝いか、結婚式をやらせるんだよ。きっと、もう百回ぐらいになるよ」 「そうだよ。今夜が、百一回めの結婚式なんだよ。でも、この百一回がすめば、それで、みんな、おわってしまうのさ。だから、今夜のは、とくべつすばらしいだろうよ。まあ、見てごらん」  そう言われて、ヤルマールがテーブルの上を見ると、そこには、小さな紙の家が立っていて、どの窓にも明りがついていました。そして、家の前には、すずの兵隊さんが、みんな、捧銃をしていました。花嫁と花婿は、床にすわって、テーブルの足によりかかり、なにか物思いにふけっていました。もちろん、それには、それだけのわけがあったのです。オーレ・ルゲイエは、おばあさんの黒いスカートをつけて、坊さんのかわりに、式を行いました。式がすむと、部屋じゅうの家具という家具が、みんなで声をそろえて、鉛筆の作った、美しい歌をうたいました。その歌は、兵隊さんが兵舎に帰るときのラッパの節でした。 歌えや、歌え! この喜び、 われら歌わん、ふたりのために! 見よや、見よ! 顔こわばらせ、楽しげに、 中に立つは、われらの革人形! ばんざい! ばんざい! 革人形! われら歌わん、声高らかに!  それから、ふたりは贈り物をもらいました。しかし、食べ物は、みんなことわりました。だって、ふたりは愛情だけで、もういっぱいだったのですから。 「ところで、ぼくたちは、いなかに住むことにしようか、それとも、外国へでも旅行しようか?」と、花婿がたずねました。そして、たくさん旅行をしているツバメと、五度もひなをかえしたことのある、年よりのメンドリに相談してみました。すると、ツバメは、美しい、暖かい国のことを話しました。そこには、大きなブドウの房が、おもたそうにたれさがっていて、気候はじつにおだやかで、山々は、ここではとうてい見られないような、すばらしい色をしていると。 「でも、そこには、わたしたちのところにあるような、青キャベツはないでしょう」と、メンドリが言いました。「わたしは、子供たちといっしょに、いなかで、一夏をすごしたことがあるんですがね。そこには、砂利取り場があって、わたしたちは、その中を歩きまわって、土をかきまわしたものですよ。それから、青キャベツの畑にはいることも、ゆるしてもらいましたよ。ああ、ほんとに青々としていましたっけ。あそこよりいいところなんて、わたしにはとても考えられませんわ!」 「だけど、キャベツなんて、どこのだっておんなじですよ」と、ツバメは言いました。「それに、ここは、ときどき、とてもひどい天気になるじゃありませんか!」 「そうですね、でもそんなことには、みんな、なれてしまっていますよ」と、メンドリは言いました。 「でも、ここは寒くって、氷もはりますよ!」 「そのほうが、キャベツにはいいんですよ」と、メンドリは言いました。「それに、ここも暖かになることだってありますわ。四年前のことですがね、夏が五週間もつづいたんですよ。あのときは、暑くて暑くて、それこそ、息をするのもやっとでしたわ! それからここには、暑い国にいるような、毒をもった動物がいませんよ。どろぼうの心配もありません。この国をどこよりも美しい国だと思わないような人は、わるい人です! そんな人は、この国にいる、ねうちがありません!」こう言うと、メンドリは泣きだしました。「わたしだって、旅行をしたことはありますよ。かごにはいって、十二マイル以上も旅をしてきたんですからね。でも旅行なんて、ちっとも楽しいものじゃありませんわ!」 「そうだわ。ニワトリの奥さんのおっしゃるとおりよ」と、人形のベルタは言いました。「あたし、山の旅行なんていやだわ! だって、登ったり、下りたりするだけなんですもの。ねえ、あたしたちも、砂利取り場の近くへ行きましょうよ。そうして、キャベツ畑を散歩しましょうね」  そして、そのとおりになりました。 土曜日 「さあ、お話してね」ヤルマールは、オーレ・ルゲイエに寝床へ連れていってもらうと、すぐに、こう言いました。 「今夜は、お話しているひまがないんだよ」オーレはこう言って、見るも美しいこうもりがさを、ヤルマールの上にひろげました。 「まあ、この中国人をごらん」  見ると、こうもりがさは、全体が大きな中国のお皿のようで、それには青い木々や、とがった橋の絵が、かいてありました。その橋の上に、小さな中国人が立っていて、こちらにむかってうなずいていました。 「わたしたちは、あしたの朝までに、世界じゅうをきれいにしておかなければならないんだよ」と、オーレは言いました。「あしたは日曜日で、神聖な日だからね。わたしは、これから教会の塔へ行って、教会のこびとの妖精が鐘をみがいて、いい音がでるようにしておいたかどうかを見なければならないし、畑へも行って、風が草や木の葉から、ほこりを吹きはらってくれたかどうかも見なければならないんだよ。でも、いちばん大事な仕事は、空の星をみんな下ろして、みがくことだよ。わたしは、それを前掛けに入れて、持ってくるんだがね、その前に、一つ一つの星に、番号をつけておかなければならないのさ。そして、取り出したあとの穴にも、同じ番号をつけなければならないんだよ。星が帰ってきたときに、ちゃんと、もとの場所へもどれるようにね。もしちがった穴へでもはいってしまうと、ちゃんとすわっていられないから、あとからあとからころがり落ちて、流れ星があんまりたくさんできてしまうからね」 「もしもし、ルゲイエさん!」と、そのとき、ヤルマールの寝ている、上のかべにかかっている、古い肖像画が言いました。「わしはヤルマールの曾祖父です。子供にいろいろ話を聞かせてくださって、あつくお礼を申します。しかし、子供の考えを迷わさないように願いますぞ。空の星は、取り下ろしたり、みがいたりできるものではありませんからな。星というものは、われわれの地球と同じく、天体なのですぞ。そしてまた、それがいいところなんですからな」 「ありがとう、お年よりのひいおじいさま!」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「ありがとう! あなたは、一家のお頭です。あなたは『古い』お頭です。しかし、わたしは、あなたよりももっと古いのです。わたしは、むかしの異教徒なのです。ローマ人やギリシャ人は、わたしのことを、『眠りの精』と呼んだものですよ。わたしは、いちばんとうとい家の中へもはいっていきましたし、今でもはいっていきます。わたしは、小さい人とも大きい人とも、おつきあいができるのです! それでは、今夜は、あなたが話をしてやってください!」――  こう言うと、オーレ・ルゲイエは、こうもりがさを持って、行ってしまいました。 「今では、自分の考えを言うこともできんのか!」と、古い肖像画が言いました。  そのときヤルマールは目がさめました。 日曜日 「今晩は!」と、オーレ・ルゲイエは言いました。すると、ヤルマールはうなずきました。けれども、すぐさまとんで行って、ひいおじいさんの肖像画を、かべのほうへ向けてしまいました。こうしておかないと、またゆうべのように、口を出されて、お話が聞けなくなってしまいますからね。 「さあ、お話を聞かせて。『一つのさやに住んでいる、五つぶの青いエンドウマメの話』や、『メンドリの足に愛をささやいた、オンドリの足の話』や、『あんまり細いので、ぬい針だとうぬぼれている、かがり針の話』なんかをね」 「お話のほかにも、ためになることはたくさんあるよ」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「ところで、今夜は、ぜひともおまえに見せたいものがあるんだよ。わたしの弟なんだがね、名前は、やっぱりオーレ・ルゲイエだよ。もっとも、弟は、どんな人のところへも、一度しかこないがね。くれば、すぐに、その人をウマに乗せて、お話を聞かせてやる。ところが、そのお話というのは、二つっきり。一つは、だれも思いおよばないような、すばらしく美しいお話、もう一つは、ぞっとするような、恐ろしい、――とても書くことができないような、お話なんだよ」  そこで、オーレ・ルゲイエは、小さなヤルマールを窓のところへだき上げて、言いました。「ほら、あそこに見えるのが、わたしの弟で、もうひとりのオーレ・ルゲイエだよ。人間は、弟のことを、死神とも言っている。だけど、ごらん。絵本だと、骸骨ばかりの、恐ろしい姿にかかれているけれども、そんなふうじゃないね。それどころか、銀のししゅうをした、上着を着ている。まるで、美しい軽騎兵の軍服のようじゃないか! 黒いビロードのマントが、ウマの上でひらひら、ひるがえっている! あれあれ、あんなに速くウマを走らせているよ!」  言われて、ヤルマールがながめると、そのオーレ・ルゲイエがウマを走らせていました。そして、若い者や、年とった者を、ウマに乗せていました。ある者は前に、また、ある者はうしろに乗せました。けれども乗せる前に、オーレ・ルゲイエは、いつもこうたずねました。 「成績表はどんなだね?」 「いい成績です」と、だれもかれもが、言いました。 「よろしい、ちょっと見せたまえ」と、オーレ・ルゲイエは言いました。  そこで、みんなは、成績表を見せなければなりません。その結果、「秀」と「優」とをもらっていた者は、ウマの前のほうに乗って、楽しいお話を聞かせてもらいます。ところが、「良」と「可」とをもらっていた者は、ウマのうしろのほうにすわって、ぞっとするようなお話を聞かなければならないのです。その人たちは、ふるえながら、泣いていました。ウマからとび下りようとしても、だめなのです。なぜって、みんなはウマに乗せられたとたん、たちまち、根が生えたように、動けなくなってしまうからです。 「だけど、死神って、とってもりっぱなオーレ・ルゲイエだねえ!」と、ヤルマールは言いました。「ぼく、ちっともこわくないよ」 「そう、こわがることなんかないね」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「いい成績表を、もらえるようにしさえすればいいんだよ」 「さよう、これはためになる!」と、ひいおじいさんの肖像画が、つぶやきました。「やっぱり、自分の考えを言えば、役にたつのじゃな!」こう言って、肖像画は満足しました。  みなさん! これが眠りの精のオーレ・ルゲイエのお話です。今夜は、オーレ・ルゲイエが、みなさんに、もっといろいろのお話をしてくれるかもしれませんよ!
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 ※表題は底本では、「眠《ねむ》りの精」となっています。 入力:チエコ 校正:木下聡 2019年7月30日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 ここからは、はるかな国、冬がくるとつばめがとんで行くとおい国に、ひとりの王さまがありました。王さまには十一人のむすこと、エリーザというむすめがありました。十一人の男のきょうだいたちは、みんな王子で、胸に星のしるしをつけ、腰に剣をつるして、学校にかよいました。金のせきばんの上に、ダイヤモンドの石筆で字をかいて、本でよんだことは、そばからあんしょうしました。  この男の子たちが王子だということは、たれにもすぐわかりました。いもうとのエリーザは、鏡ガラスのちいさな腰掛に腰をかけて、ねだんにしたらこの王国の半分ぐらいもねうちのある絵本をみていました。  ああ、このこどもたちはまったくしあわせでした。でもものごとはいつでもおなじようにはいかないものです。  この国のこらずの王さまであったおとうさまは、わるいお妃と結婚なさいました。このお妃がまるでこどもたちをかわいがらないことは、もうはじめてあったその日からわかりました。ご殿じゅうこぞって、たいそうなお祝の宴会がありました。こどもたちは「お客さまごっこ」をしてあそんでいました。でも、いつもしていたように、こどもたちはお菓子や焼きりんごをたくさんいただくことができませんでした。そのかわりにお茶わんのなかに砂を入れて、それをごちそうにしておあそびといいつけられました。  その次の週には、お妃はちいちゃないもうと姫のエリーザを、いなかへ連れていって、お百姓の夫婦にあずけました。そうしてまもなくお妃はかえって来て、こんどは王子たちのことでいろいろありもしないことを、王さまにいいつけました。王さまも、それでもう王子たちをおかまいにならなくなりました。 「どこの世界へでもとんでいって、おまえたち、じぶんでたべていくがいい。」と、わるいお妃はいいました。「声のでない大きな鳥にでもなって、とんでいっておしまい。」  でも、さすがにお妃ののろったほどのひどいことにも、なりませんでした。王子たちは十一羽のみごとな野の白鳥になったのです。きみょうななき声をたてて、このはくちょうたちは、ご殿の窓をぬけて、おにわを越して、森を越して、とんでいってしまいました。  さて、夜のすっかり明けきらないまえ、はくちょうたちは、妹のエリーザが、百姓家のへやのなかで眠っているところへ来ました。ここまできて、はくちょうたちは屋根の上をとびまわって、ながい首をまげて、羽根をばたばたやりました。でも、たれもその声をきいたものもなければ、その姿をみたものもありませんでした。はくちょうたちは、しかたがないので、また、どこまでもとんでいきました。上へ上へと、雲のなかまでとんでいきました。とおくとおく、ひろい世界のはてまでもとんでいきました。やがて、海ばたまでずっとつづいている大きなくろい森のなかまでも、はいっていきました。  かわいそうに、ちいさいエリーザは百姓家のひと間にぽつねんとひとりでいて、ほかになにもおもちゃにするものがありませんでしたから、一枚の青い葉ッぱをおもちゃにしていました。そして、葉のなかに孔をぽつんとあけて、その孔からお日さまをのぞきました。それはおにいさまたちのすんだきれいな目をみるような気がしました。あたたかいお日さまがほおにあたるたんびに、おにいさまたちがこれまでにしてくれた、のこらずのせっぷんをおもい出しました。  きょうもきのうのように、毎日、毎日、すぎていきました。家のぐるりのいけ垣を吹いて、風がとおっていくとき、風はそっとばらにむかってささやきました。 「おまえさんたちよりも、もっときれいなものがあるかしら。」  けれどもばらは首をふって、 「エリーザがいますよ。」とこたえました。  それからこのうちのおばあさんは、日曜日にはエリーザのへやの戸口に立って、さんび歌の本を読みました。そのとき、風は本のページをめくりながら、本にむかって、 「おまえさんたちよりも、もっと信心ぶかいものがあるかしら。」といいました。するとさんび歌の本が、 「エリーザがいますよ。」とこたえました。そうしてばらの花やさんび歌の本のいったことはほんとうのことでした。  このむすめが十五になったとき、またご殿にかえることになっていました。けれどお妃はエリーザのほんとうにうつくしい姿をみると、もうねたましくも、にくらしくもなりました。いっそおにいさんたち同様、野のはくちょうにかえてしまいたいとおもいました。けれども王さまが王女にあいたいというものですから、さすがにすぐとはそれをすることもできずにいました。  朝早く、お妃はお湯にはいりにいきます。お湯殿は大理石でできていて、やわらかなしとねと、それこそ目がさめるようにりっぱな敷物がそなえてありました。そのとき、お妃はどこからか三びき、ひきがえるをつかまえてきて、それをだいて、ほおずりしてやりながら、まずはじめのひきがえるにこういいました。 「エリーザがお湯にはいりに来たら、あたまの上にのっておやり。そうすると、あの子はおまえのようなばかになるだろうよ――。」  それから二ひきめのひきがえるにむかって、こういいました。 「あの子のひたいにのっておやり、そうするとあの子は、おまえのようなみっともない顔になって、もう、おとうさまにだって見分けがつかなくなるだろうよ――。」  それから、三びきめのひきがえるにささやきました。 「あの子の胸の上にのっておやり。そうすると、あの子にわるい性根がうつって、そのためくるしいめにあうだろうよ。」  こういって、お妃は、三びきのひきがえるを、きれいなお湯のなかにはなしますと、お湯は、たちまち、どろんとしたみどり色にかわりました。そこでエリーザをよんで、着物をぬがせて、お湯のなかにはいらせました。エリーザがお湯につかりますと、一ぴきのひきがえるは髪の上にのりました。二ひきめのひきがえるはひたいの上にのりました。三びきめのひきがえるは胸の上にのりました。けれどもエリーザはそれに気がつかないようでした。やがて、エリーザがお湯から上がると、すぐあとにまっかなけしの花が三りん、ぽっかり水の上に浮いていました。このひきがえるどもが、毒虫でなかったなら、そうしてあの魔女の妃がほおずりしておかなかったら、それは赤いばらの花にかわるところでした。でも、毒があっても、ほおずりしておいても、とにかくひきがえるが花になったのは、むすめのあたまやひたいや胸の上にのったおかげでした。このむすめはあんまり心がよすぎて、罪がなさすぎて、とても魔法の力にはおよばなかったのです。  どこまでもいじのわるいお妃は、それをみると、こんどはエリーザのからだをくるみの汁でこすりました。それはこの王女を土色によごすためでした。そうして顔にいやなにおいのする油をぬって、うつくしい髪の毛も、もじゃもじゃにふりみださせました。これでもう、あのかわいらしいエリーザのおもかげは、どこにもみられなくなりました。  ですから、おとうさまは王女をみると、すっかりおどろいてしまいました。そうして、こんなものはむすめではないといいました。もうたれも見分けるものはありません。知っているのは、裏庭にねている犬と、のきのつばめだけでしたが、これはなんにももののいえない、かわいそうな鳥けものどもでした。  そのとき、かわいそうなエリーザは、泣きながら、のこらずいなくなってしまったおにいさまたちのことをかんがえだしました。みるもいたいたしいようすで、エリーザは、お城から、そっとぬけだしました。野といわず、沢といわず、まる一日あるきつづけて、とうとう、大きな森にでました。じぶんでもどこへ行くつもりなのかわかりません。ただもうがっかりしてつかれきって、おにいさまたちのゆくえを知りたいとばかりおもっていました。きっとおにいさまたちも、じぶんと同様に、どこかの世界にほうりだされてしまったのだろう、どうかしてゆくえをさがして、めぐり逢いたいものだとおもいました。  ほんのしばらくいるうちに、森のなかはもうとっぷり暮れて、夜になりました。まるで道がわからなくなってしまったので、エリーザはやわらかな苔の上に横になって、晩のお祈をとなえながら、一本の木の株にあたまを寄せかけました。あたりはしんとしずまりかえって、おだやかな空気につつまれていました。草のなかにも草の上にも、なん百とないほたるが、みどり色の火ににた光をぴかぴかさせていました。ちょいとかるく一本の枝に手をさわっても、この夜ひかる虫は、ながれ星のようにばらばらと落ちて来ました。  ひと晩じゅう、エリーザは、おにいさまたちのことを夢にみました。みんなはまだむかしのとおりのこども同士で、金のせきばんの上にダイヤモンドの石筆で字をかいたり、王国の半分もねうちのあるりっぱな絵本をみたりしていました。でも、せきばんの上にかいているものは、いつもの零や線ではありません。みんながしてきた、りっぱな行いや、みんながみたりおぼえたりしたいろいろのことでした。それから、絵本のなかのものは、なにもかも生きていて、小鳥たちは歌をうたうし、いろんな人が本からぬけてでて来て、エリーザやおにいさまたちと話をしました。でもページをめくるとぬけだしたものは、すぐまたもとへとんでかえっていきますから、こんざつしてさわぐというようなことはありませんでした。  エリーザが目をさましたとき、お日さまは、もうとうに高い空にのぼっていました。でも高い木立が、あたまの上で枝をいっぱいひろげていましたから、それをみることができませんでした。ただ光が金の紗のきれを織るように、上からちらちら落ちて来て、若いみどりの草のにおいがぷんとかおりました。小鳥たちは肩のうえにすれすれにとまるようにしました。水のしゃあしゃあながれる音もきこえました。これはこのへんにたくさんの泉があって、みんな底にきれいな砂のみえているみずうみのなかへながれこんでいくのです。みずうみはふかいやぶにかこまれていましたが、そのうち一箇所に、しかが大きなではいり口をこしらえました。エリーザはそこからぬけて、みずうみのふちまでいきました。みずうみはほんとうにあかるくきれいにすみきっていて、風がやぶや木の枝をふいてうごかさなければ、そこにうつる影は、まるで、みずうみの底にかいてある絵のようにみえました。  そこには一枚一枚の葉が、それはお日さまが上から照っているときでも、かげになっているときでも、おなじようにはっきりとうつって、すんでみえました。  エリーザは水に顔をうつしてみて、びっくりしました。それは土色をしたみにくい顔でした。でも水で手をぬらして、目やひたいをこすりますと、まっ白なはだがまたかがやきだしました。そこで着物をぬいで、きれいな水のなかにはいっていきました。もうこのむすめよりうつくしい王さまのむすめは、この世界にふたりとはありませんでした。それから、また着物を着て、ながい髪の毛をもとのように編んでから、こんどはそこにふきだしている泉のところへいって、手のひらに水をうけてのみました。それからまた、どこへいくというあてもなしに、森のなかをさらに奥ぶかく、さまよいあるきました。エリーザはなつかしいおにいさまたちのことをかんがえました。けっしておみすてにならない神さまのことをおもいました。ほんとうに神さまは、そこへ野生のりんごの木をならせて、空腹をしのがせてくださいました。神さまはエリーザに、なかでもいっぱいなったりんごの実のおもみで、しなっている木をおみせになりました。そこでエリーザはたっぷりおひるをすませて、りんごのしなった枝につっかい棒をかってやりました。それからまた、森のいちばん暗い奥の奥にはいっていきました。それはじつにしずかで、あるいて行くじぶんの足音もきこえるくらいでしたし、足の下で枯れッ葉のかさこそくずれる音もきこえました。一羽の鳥の姿もみえませんでした。ひとすじの日の光も暗い木立のなかからさしこんでは来ませんでした。高い樹の幹が押しあってならんでいて、まえをみると、まるで垣根がいくえにも結ばれているような気がしました。ああ、これこそうまれてまだ知らなかったさびしさでした。  すっかりくらい夜になりました。もう一ぴきのほたるも草のなかに光ってはいませんでした。わびしいおもいでエリーザは横になって眠りました。すると、木木の枝があたまの上で分かれて、そのあいだから、やさしい神さまの目が、空のうえからみておいでになるようにおもいました。そうして、そのおつむりのへんに、またはお腕のあいだから、かわいらしい天使がのぞいているようにおもわれました。  朝になっても、ほんとうに朝になったのか、夢をみているのか、わかりませんでした。エリーザはふた足三足いきますと、むこうからひとりのおばあさんが、かごのなかに木いちごを入れてもってくるのにであいました。  おばあさんは木いちごをふたつ三つだしてくれました。エリーザはおばあさんに、十一人の王子が馬にのって、森のなかを通っていかなかったかとたずねました。 「いいえ。」と、おばあさんがこたえました。「だが、きのう、あたしは十一羽のはくちょうが、めいめいあたまに金のかんむりをのせて、すぐそばの川でおよいでいるところをみましたよ。」  そこで、おばあさんはエリーザをつれて、すこしさきの坂になったところまで案内しました。その坂の下にちいさな川がうねってながれていました。その川のふちには、木立が長い葉のしげった枝と枝とをおたがいにさしかわしていました。しぜんのままにのびただけでは、葉がまざり合うまでになれないところには、木の根が、地のなかから裂けてでて、枝とをからまり合いながら、水の上にたれていました。  エリーザはおばあさんに「さようなら」をいうと、ながれについて、この川口が広い海へながれ出している所まで下っていきました。  大きなすばらしい海が、むすめの目のまえにあらわれました。けれどひとつの帆もそのおもてにみえてはいませんでした。いっそうの小舟もそのうえにうかんではいませんでした。どうしてそれからさきへすすみましょう。王女は、浜のうえに、数しらずころがっている小石をながめました。水がその小石をどれもまるくすりへらしていました。ガラスでも、鉄くずでも、石でも、そこらにあるものは、王女のやわらかな手よりももっとやわらかな水のために、かたちをかえられていました。 「波はあきずに巻きかえっている。それで堅いものでもいつかすべっこくなる。わたしもそのとおりあきずにいつまでもやりましょう。あとからあとからきれいに寄せてくる波よ。おまえにいいことを教えてもらってよ。なんだかいつか、おまえたちのおかげでおにいさまたちのところへつれて行ってもらえるような気がするわ。」  うちよせられた海草の上に、白いはくちょうの羽根が十一枚のこっていました。それをエリーザは花たばにしてあつめました。その羽根の上には、水のしずくがたれていました。それは露の玉か、涙のしずくかわかりません。浜の上はいかにもさびしいものでした。けれど大海のけしきが、いっときもおなじようでなく、しじゅうそれからそれとかわるので、さほどさびしいともかんじませんでした。それは二三時間のあいだに、おだやかな陸にかこまれた内海が一年かかってするよりも、もっとたくさんの変化をみせました。するうち、まっくろな大きな雲がでて来ました。海も「おれだってむずかしい顔をするぞ。」というようにおもわれました。やがて風が吹きだして、波が白い横腹をうえに向けました。でも雲がまっ赤にかがやきだして、風がぴったりとまると、海はばらの花びらのようにみえました。それからまた青くなったり白くなったりしました。でもいかほど海がおだやかにないでも、やはり浜辺にはいつもさざなみがゆれていました。海の水はねむっているこどもの胸のように、やさしくふくれあがりました。  お日さまがちょうどしずもうとしたとき、十一羽の野のはくちょうが、めいめいあたまに金のかんむりをのせて、おかのほうへとんでくるところをエリーザはみました。一羽また一羽と、あとからあとから行儀よくつづいてくるのでそれはただひとすじながくしろい帯をひいてとるようにみえました。そのときエリーザは坂にあがって、そっとやぶかげにかくれました。はくちょうたちは、すぐそのそばへおりて来て、大きな白いつばさをばたばたやりました。いよいよお日さまが海のなかにしずんでしまうと、とたんに、はくちょうの羽根がぱったりおちて、十一人のりっぱな王子たちが、エリーザのおにいさまたちが、そこに立ちました。エリーザはおもわず、あッと大きなさけび声をたてました。それはおにいさまたちはずいぶん、せんとかわっていました。けれど、やはりそれにちがいないことが、すぐとわかったからでした。そこでみんなの腕のなかにとびこんでいって、ひとりひとり、名まえをよびました。王子たちは、そうして王女がまたでて来たのをみて、それはもうせいも高くなり、きりょうもずっとうつくしくなってはいましたけれど、じぶんたちのいもうとということがわかって、いいようもなくうれしくおもいました。みんなは泣いたりわらったりしました、そうして、こんどのおかあさまが、きょうだいのこらずに、どんなにひどいことをしたか、おたがいの話でやがてわかりました。 「ぼくたちきょうだいはね、」と、いちばん上のおにいさまがいいました。「みんな、お日さまが空にでているあいだ、はくちょうになってとびまわるが、お日さまがしずむといっしょに、また人間のかたちにかえるのだよ。だから、しじゅう気をつけて、お日さまがしずむころまでには、どこかに、かならず足を休める場所をみつけておかなければならないのさ。それをしないで、うかうか雲のほうへとんで行けば、たちまち人間とかわって、海の底へしずまなければならないのだよ。わたしたちはここに住んでいるのではない。海のむこうに、ここと同様、きれいな国がある。でもそこまでいく道はとても長くて、ひろい海のうえをわたっていかなければならない。その途中には夜をあかす島もない。ただちいさな岩がひとつ海のなかにつきでているだけだ。でもどうやら、そこにはみんながくっつき合ってすわるだけのひろさはある。海が荒れているときには、波がかぶさってくるが、それでも、その岩のあるのがどのくらいありがたいかしれない。そこでぼくたち、夜だけ、人間のかたちになって明かすのだからね。まったくこの岩でもなかったら、ぼくたちは、好きなふるさとへかえることができないだろう。なにしろ、そこまでいくのは一年のなかでもいちばん長い日を、二日分とばなければならないのだからね。一年にたったいっぺん、ふるさとの国をたずねることがゆるされている。そうして、十一日のあいだここにとどまっていて、この大きな森のうえをとびまわる。まあ、この森のうえから、ぼくたちのうまれたおとうさまの御殿もみえるし、おかあさまのうめられていらっしゃるお寺の塔もみえるというわけさ。――だからこのあたりのものは、やぶでも木立でも、ぼくたちの親類のようにおもわれる。ここでは野馬がこどものじぶんみたとおり草原をはしりまわっている。炭焼までが、ぼくたちがむかし、そのふしにあわせておどったとおりの歌をいまでもうたう。ここにぼくたちのうまれた国があるのだ。どうしてもここへぼくたちは心がひかれるのだ。そうしてここへ来たおかげで、とうとう、かわいいいもうとのおまえをみつけたのだ。もう二日、ぼくたちはここにいることができる。それからまた海をわたってむこうのうつくしい国へいかなければならない。けれどもそこはぼくたちのうまれた国ではないのだ。でもどうしたらおまえをつれていけようね。ぼくたちには船もないし、ボートもないのだからね。」 「どうしたらわたしは、おにいさんたちをたすけて、もとの姿にかえして上けることができるでしょうね。」と、いもうともいいました。こうしてきょうだいは、ひと晩じゅう話をして、ほんの二、三時間うとうとしただけでした。  エリーザはふと、あたまの上ではくちょうの翼がばさばさ鳴る音で目がさめました。きょうだいたちはまた姿を変えられていました。やがてみんなは大きな輪をつくってとんでいきました。けれどもそのなかでひとり、いちばん年下のおにいさまだけが、あとにのこっていました。そのはくちょうは、あたまを、いもうとのひざのうえにのせていました。こうして、まる一日、ふたりはいっしょになっていました。夕方になると、ほかのおにいさまたちがかえって来ました。やがて、お日さまがしずむと、みんなまたあたりまえのすがたにかえりました。 「あしたはここからとんでいって、こんどはまる一年たつまでかえってくることはできない。でもおまえをこのままここへおくことはどうしたってできない。おまえ、わたしたちといっしょに行く勇気があるかい。わたしたち、腕一本でも、おまえをかかえて、この森を越すだけの力はある。だからみんなのつばさを合わせたら、海のうえをはこんでわたれないことはなかろう。」 「ええ、ぜひつれていってください。」と、エリーザはいいました。  そこでひと晩じゅうかかって、みんなしてよくしなうかわやなぎの木の皮と、強いあしとで網を織りました。それは大きくて丈夫にできました。この網のうえにエリーザは横になりました。やがてお日さまがのぼると、おにいさまたちははくちょうのすがたに変って、てんでんくちばしで網のさきをくわえました。そうして、まだすやすやねむっている、かわいいいもうとをのせたまま、雲のうえたかくとんでいきました。ちょうどお日さまの光が顔にあたるものですから、一羽のはくちょうは、いもうとのあたまのうえでとんでやって、その大きなつばさでかげをこしらえてやりました。――  やがてエリーザが目をさましたじぶんには、もうずいぶんとおくへ来ていました。エリーザはまるで夢をみているような気持でした。空を通って、海を越えて、高くはこばれて行くということが、どんなにふしぎにおもわれたことでしょう。すぐそばには、おいしそうにじゅくしたいちごの実をつけたひと枝と、いいかおりのする木の根がひと束おいてありました。それらはあのいちばん年の若いおにいさまが、取って来てくれたものでした。いもうとはそのおにいさまのはくちょうをみつけて、下からにっこり、うれしそうにわらいかけました。あたまの上をとんで、つばさでかげをつくっていてくれているのも、このおにいさまでした。  もうすいぶん高くとんで、はじめ下でみつけた大きな船は、いつか白いかもめのように、ぼっつり水のうえに浮いていました。ひとかたまりの大きな雲が、すぐうしろにぬっとあらわれましたが、それはどこからみても、ほんとうの山でした。その雲の山に、エリーザはじぶんの影や十一羽のはくちょうの影がうつるのをみました。みんな、それこそ見上げるような大きな鳥になってとんでいました。まったくみたこともないすばらしい影でした。でもお日さまがずんずん高くのぼって、雲がずっとうしろに取りのこされると、その影のようにうかんでいる絵が消えてなくなりました。  まる一日、はくちょうたちは、空のなかを、かぶら矢のようにうなってとびつづけました。  でもなにしろ、いもうとひとりつれているのですから、おくれがちで、いつものようにはとべません。するうち、いやなお天気になって来て、夕暮もせまって来ました。エリーザはしずみかけているお日さまをながめて、まだ海のなかにさびしく立っている岩というのが目にはいらないものですから、心配そうな顔をしていました。はくちょうたちがよけいはげしく羽ばたきしはじめたようにおもわれました。ああ、おにいさまたちみんなが、おもいきって早くとぶこともできないのは、エリーザのためだったのです。やがてお日さまがしずむと、みんなは人間にかえって滝のなかに落ちておぼれなければなりません。そのとき、エリーザはこころの底から、お祈のことばをとなえました。でもまだ岩はみつかりません。まっくろな雲がむくむく近よって来ました。やがてそれは大きなきみわるく黒い雲の山になって、まるで、鉛のかたまりがころがってくるようでした。ぴかりぴかり稲妻が、しきりなしに光りだして来ました。  いよいよお日さまが海のきわまで落ちかけて来ました。エリーザの胸は、わなわなふるえました。そのときはくちょうたちは、まっしぐらに、まるで、さかさになって落ちくだるいきおいでおりて行きました。はっとおもうとたん、またふと浮きあがりました。お日さまは、半分もう水の下にかくれました。でも、そのときはじめて目の下に小さい岩をみつけました。それはあざらしというけものはこんなものかとおもわれるほどの大きさで、水のうえにちょっぴり顔をだしていました。お日さまはみるみる沈んでいきました。とうとうそれがほんの星ぐらいにちいさくみえたとき、エリーザの足はしっかりと大地につきました。  お日さまは紙きれが燃えきれて、さいごにのこった火花のようにみえてふと消えてしまいました。おにいさまたちは、手をとりあってエリーザのまわりに立っていました。でも、それだけしか場所はなかったのです。波はたえず岩にぶつかって、しぶきのようにエリーザのあたまにふりそそぎました。空はしっきりなしにあかあかともえる火で光って、ごろごろ、ごろごろ、たえず音がして、かみなりはなりつづきました。でも、きょうだいおたがいにしっかりと手をとりあって、さんび歌をうたいますと、それがなぐさめにもなり、げんきもついて来ました。  明け方のうすあかりでみると、空気はすみきって風もおだやかでした。お日さまがのぼるとすぐ、はくちょうたちはエリーザをつれて、この島をぱっととび立ちました。海はまだすごい波が立っていました。やがて高く舞り上がって、下をみると、紺青の海のうえに立つ白いあわは、なん百万と知れないはくちょうが、水のうえでおよいでいるようでした。  お日さまがいよいよ高く高くのぼったとき、エリーザは目のまえに、山ばかりの国が半分空のうえに浮いているのをみつけました。その山のいただきには、まっしろに光る氷のかたまりがそびえ、そのまんなかに、なんマイルもあろうとおもわれるお城が立っていて、そのまわりにきらびやかな柱がいくつもいくつもならんでいました。エリーザはこれがみんなのいこうとする国なのかとたずねました。けれどはくちょうたちは首をふりました。なぜというにエリーザの今みたのは、しんきろうといってりっぱに見えても、それはたえずかわっている雲のお城で、人のいけるところではなかったのです。なるほどエリーザがみつめているうちに、山も林もお城もくずれてしまって、そのかわりに、こんどは、どれもおなじようなりっぱなお寺が、二十も高い塔やとがった窓をならべていました。なんだかそこからオルガンがひびいてくるような気がしましたが、でもそれは海鳴りの音をききちがえたものでした。やがてお寺のすぐそばまでいきますと、みるみるそれは艦隊になって、海をわたっていきました。でもよくながめると、それもただ海の上を霧がはっているだけでした。そんなふうに、しじゅう目のまえにかわったまぼろしを見ながらとんでいくうちに、とうとう目ざすほんものの国をみつけました。そこには、うつくしい青い山がそびえて、すぎ林が茂って、町もあり、お城もありました。お日さまがまだ高いうちに、大きなほら穴のまえの岩のうえにおりました。そこにはやわらかなみどり色のつる草が、縫いとりした壁かけのようにうつくしくからんでいました。 「さあ、ここで、今夜はおまえもどんな夢をみるだろうね。」と、末のおにいさまがいって、いもうとのねべやをみせてくれました。 「どうか、神さまが夢で、どうしたらおにいさまたちをすくって、もとの姿にかえしてあげられるかおしえてくださるといいのですわ――。」と、いもうとはこたえました。  このかんがえが、しっきりなし、エリーザの心にはたらいていました。それでエリーザは神さまのお助けを熱心にいのりました。それはねむっているあいだもいのりつづけました。するうち、エリーザはたかく空のうえに舞い上がって、しんきろうの雲のお城までもとんでいったようにおもいました。すると、うつくしいかがやくような妖女がひとり、おむかえにでて来ました。ところでその妖女が、あの森のなかでいちごの実をくれて、金のかんむりをあたまにのせたはくちょうの話をしてくれたおばあさんによくにていました。 「おにいさまたちは、もとの姿にもどれるだろうよ。」と、その妖女はいいました。「でも、おまえさんにそこまでの勇気と辛抱があるかい。ほんとうに、水はおまえのきゃしゃな手よりもやわらかだ。けれどもあのとおり石のかたちを変える。でもそれをするには、おまえさんの指がかんじるような痛みをかんじるわけではない。あれには心がない。おまえさんがこらえなければならないような苦しみをうけることもない。だからおまえさん、そら、あたしが手に持っているイラクサをごらん。こういう草はおまえさんが眠っているほら穴のぐるりにもたくさん生えているのだよ。その草と、お寺の墓地に生えているイラクサだけがいまおまえさんの役に立つのだからね。それは、おまえさんの手をひどく刺して、火ぶくれにするほど痛かろうけれど、がまんして摘みとらなければならないだよ。そのイラクサをおまえさんの足で踏みちぎって、それを麻のかわりにして、それでおまえさんは長いそでのついたくさりかたびらを十一枚編まなければならない。そうしてそれを十一羽のはくちょうに投げかければ、それで魔法はやぶれるのだよ。でもよくおぼえておいでなさい。おまえさんがそのしごとをはじめたときから、それができ上がるまで、それはなん年かかろうとも、そのあいだ、ちっとも口をきいてはならないのですよ。おまえきんの口から出たはじめてのことばが、もうすぐおにいさまたちの胸を短刀のかわりにさすだろう。あの人たちのいのちは、おまえさんの舌しだいなのだ。それをみんなしっかりと心にとめておぼえておいでなさいよ。」  こういって、妖女はエリーザの手をイラクサでさわりました。それはもえる火のようにあつかったので、エリーザはびくりとして目がさめました。すると、もう、そとはかんかんあかるいまひるでした。ねむっていたすぐそばに、夢のなかでみたとおなじようなイラクサが生えていました。エリーザはひざをついて、神さまにお礼のお祈をしました。それからほら穴をでて、しごとにかかりました。  エリーザはきゃしゃな手で、いやらしいイラクサのなかをさぐりました。草は火のようにあつく、エリーザの腕をも手首をも、やけどするほどひどく刺しました。けれどもそれでおにいさまたちをすくうことができるなら、よろこんで痛みをこらえようとおもいました。それからつみ取ったイラクサをはだしでふみちぎって、みどり色の麻をそれから取りました。  お日さまがしずむと、おにいさまたちはかえって来ました。いもうとがおしになったのをみて、みんなびっくりしました。これもわるいまま母がかわった魔法をかけたのだろうとおもいました。でも、いもうとの手をみて、じぶんたちのためにしてくれているのだとわかると、末のおにいさまは泣きました。このおにいさまの涙のしずくが落ちると、もう痛みがなくなって、手の上のやけどのあとも消えてしまいました。  エリーザは夜もせっせと仕事にかかっていました。もうおにいさまたちをすくいだすまでは、いっときもおちつけないのです。そのあくる日も一日、はくちょうたちがよそへとんで行っているあいだ、エリーザはひとりぼっちのこっていました。けれどこのごろのように時間の早くたつことはありません。もうくさりかたびらは一枚でき上がりました。こんどは二枚目にかかるところです。  そのとき猟のつの笛が山のなかできこえました。エリーザはおびえてしまいました。そのうちつの笛の音はずんずん近くなって。猟犬のほえる声もきこえました。エリーザはおどおどしながら、ほら穴のなかににげこんで、あつめてとっておいたイラクサをひと束にたばねて、その上に腰をかけていました。  まもなく、大きな犬が一ぴき、やぶのなかからとび出して来ました。それから二ひき、三びきとつづいてとび出して来て、やかましくほえたてました。いったんかけもどってはまたかけ出して来ました。そのすぐあとから、猟のしたくをした武士たちが、のこらずほら穴のまえにいならびました。そのなかでいちばんりっぱなようすをした人が、この国の王さまでした。王さまはエリーザのほうへつかつかとすすんで来ました。王さまはうまれてまだ、こんなうつくしいむすめをみたことがなかったのです。 「かわいらしい子だね。どうしてこんなところへ来ているの。」と、王さまはおたずねになりました。  エリーザは首をふりました。口をきいてはたいへんです。おにいさまたちがすくわれなくなって、おまけにいのちをうしなわなければなりません。そうして、エリーザは両手を前掛の下にかくしました。痛めている手を王さまにみられまいとしたのです。 「わたしといっしょにおいで。」と、王さまはいいました。「おまえはこんなところにいる人ではない。おまえの顔がうつくしいように、心もやさしいむすめだったら、わたしはおまえにびろうどと絹の着物をきせて、金のかんむりをあたまにのせてあげよう。そうして、おまえは世にもりっぱなわたしのお城に住んで、この国の女王になるのだよ。」  こういって、王さまはエリーザを、じぶんの馬のうえにのせました。エリーザは泣いて両手をもみました。けれども王さまはこうおっしゃるだけでした。 「わたしは、ただおまえの幸福をのぞんでいるだけだ。いつかおまえはわたしに礼をいうようになろう。」  それで、じぶんのまえにエリーザをのせたまま、王さまは山のなかを馬でかけていきました。武士たちも、すぐそのあとにつづいてかけていきました。  お日さまがしずんだとき、うつくしい王さまの都が目のまえにあらわれました。お寺や塔がたくさんそこにならんでいました。やがて、王さまはエリーザをつれてお城にかえりました。  そこの高い大理石の大広間には、大きな噴水がふきだしていました。壁と天井には目のさめるような絵がかざってありました。けれども、エリーザににそんなものは目にはいりませんでした。ただ泣いて、泣いて、せつながってばかりいました。そうしてただ、召使の女たちにされるままに、お妃さまの着る服を着せられ、髪に真珠の飾をつけて、やけどだらけの指に絹の手袋をはめました。  エリーザがすっかりりっぱにしたくができて、そこにあらわれますと、それは目のくらむようなうつくしさでしたから、お城の役人たちは、ひとしおていねいにあたまをさげました。そこで王さまは、エリーザをお妃に立てようとしました、そのなかでひとり、この国の坊さまたちのかしらの大僧正が首をふって、このきれいな森のむすめはきっと魔女で、王さまの目をくらまし、心を迷わせているにちがいないとささやきました。  けれども王さまはそのことばには耳をかしませんでした。もうすぐにおいわいの音楽をはじめよとおいいつけになりました。第一等のりっぱなお料理をこしらえさせて、よりぬきのきれいなむすめたちに踊らせました。そうして、エリーザは、香りの高い花園をぬけて、きらびやかな広間に案内されました。けれどもそのくちびるにも その目にも、ほほえみのかげもありませんでした。ただそこには、まるでかなしみの涙ばかりが、世世にうけついで来たままこりかたまって、いつまでもながくはなれないとでもいうようでした。そのとき王さまは、エリーザを休ませるためことに用意させた、そばのちいさいへやの戸を開きました。このへやは、高価なみどり色のかべかけでかざってあって、しかも今までエリーザのいたほら穴とそっくりおなじような作りでした。ゆかの上にはイラクサから紡い麻束がおいてありました。天井にはしあげのすんだくさりかたびらがぶらさがっていました。これはみんな、武士のひとりが、めずらしがって持ちはこんで来たものでした。 「さあ、これでおまえはもとのすまいにかえった夢でもみるがいい。」と、王さまはおっしゃいました。「ほら、これがおまえのしかけていたしごとだ。そこでいま、このうつくしいりっぱなものずくめのなかにいて、むかしのことをかんがえるのもたのしみであろう。」  エリーザはしじゅう心にかかっている、この品じなをみますと、ついほほえみがくちびるにのぼって来て、赤い血がぽおっとほおを染めました。エリーザはおにいさまたちをすくうことを心におもいながら、王さまの手にくちびるをつけました。王さまはエリーザを胸にだき寄せました。そうして、のこらずのお寺の鐘をならさせて、ご婚礼のお祝のあることを知らせました。森から来たおしのむすめは、こうしてこの国の女王になりました。  そのとき大僧正は、王さまに不吉なことばをささやきました。けれどもそれは王さまの心の中へまでははいりませんでした。結婚の式はぶじにあげられることになりました。しかも大僧正みずからの手で金のかんむりをお妃のあたまにのせなければなりませんでした。いじのわるい、にくみの心で、大僧正はわざとあたまに合わないちいさな輪をむりにはめ込んだので、お妃はひたいがいたんでなりませんでした。でも、それよりももっとおもたい輪がお妃の心にくびり込んではなれません。それはおにいさまたちをいたましくおもう心でした。それにくらべては、からだの痛みなどはまるでかんじないくらいでした。ただひと言、ことばを口にだしても、おにいさまたちの命にかかわることでしたから、くちびるはかたくむすんで、あくまでおしをつづけました。でもその目は、やさしい、りっぱな王さまをこのましくおもってみていました。王さまはエリーザのためには、どんなことでもなさいました。それでエリーザも、一日、一日と、日がたつにしたがって、ありったけの心をかたむけて、王さまをだいじにするようになりました。ああ、それを口にだして王さまにうちあけることができたら、そして心のかなしみをかたることができたら、どんなにうれしいことでしょう。けれどいまは、どこまでもおしでいなければなりません。おしのままでいて、しごとをしあげなければなりません。ですから、夜になると、王さまのおそばからそっとぬけ出して、あのほら穴のようにかざりつけた小べやにはいって、くさりかたびらを、一枚一枚編みました。けれどいよいよ七枚めにかかったとき、麻糸がつきてしまいました。  エリーザは、お寺の墓地へいけば、イラクサの生えていることを知っていました。けれどそれには、じぶんでいってつんでこなければならないのです。どうしてそこまででていきましょう。 「ああ、わたしの心にいだく苦しみにくらべては、指の痛みぐらいなんだろう。」と、エリーザはおもいました。「わたしはどうしたってそれをしなければならない。そうすれば神さまのおたすけがきっとあるにちがいない。」  それこそまるでなにか悪事でもくわだてているように、胸をふるわせながら、エリーザは月夜の晩、そっとお庭へぬけだして、長い並木道をとおって、さびしい通をいくつかぬけて、お寺の墓地へでていきました。すると、そこのいちばん大きな墓石の上に、血を吸う女鬼のむれがすわっているのをみつけました。このいやらしい魔物どもは、水でもあびるしたくのように、ぼろぼろの着物をぬいでいました。やがて骨ばった指で、あたらしいお墓にながいつめをかけました。そうして餓鬼のように、死がいのまわりにあつまって、肉をちぎってたべました。エリーザはそのすぐそばをとおっていかなければなりません。すると女鬼どもは、おそろしい目でにらみつけました。けれども心のなかでお祈しながら、エリーザは燃えるイラクサをあつめて、それをもってお城へかえりました。  このときただひとり、エリーザをみていたものがありました。それはれいの大僧正でした。この坊さんは、ほかのひとたちのねむっているときに、ひとり目をさましているのです。そこで今夜のことをみとどけたうえは、いよいよじぶんのかんがえが正しかったとおもいました。こんなことはお妃たるもののすべきことではない。女はたしかに魔女だったのだ。だからああして王さまと人民を迷わしたのだと、かんがえました。  お寺の懺悔座で、大僧正は王さまに、じぶんの見たことと、おもっていることとを話しました。ひどいのろいのことばが、大僧正の口からはきだされると、お寺のなかの昔のお上人たちの像が首をふりました。それがもし口をきいたら、「そうではないぞ、エリーザに罪はないのだぞ。」と、いいたいところでしたろう。けれども大僧正はそれを、まるでちがったいみにとりました。――あべこべに、それこそエリーザに罪のあるしょうこで、その罪をにくめばこそ、あのとおり首をふっているのだとおもいました。そのとき、ふた粒まで大粒の涙が、王さまのほおをこぼれ落ちました。王さまは、はじめて、うたがいの心をもってお城にかえりました。どうして落ちついてねむるどころではありません。はたしてエリーザがそっと起きあがるところをみつけました。それからは毎晩、おなじことをしました。そのたびにそっと、あとをつけていって、エリーザがれいのほら穴のへやに姿をかくしてしまうところをみとどけました。  日一日と、王さまの顔はくらく、くらくなりました。エリーザはそれをみつけて、それがなぜかわけはわかりませんが、心配でなりませんでした。そのうえ、きょうだいたちのことを心のなかでおもって苦しんでいました。エリーザのあつい涙は、お妃の着るびろうどと紫絹の服のうえにながれて、ダイヤモンドのようにかがやいてみえました。そのりっぱなよそおいをみるものは、たれもお妃になりたいとうらやみました。そうこうするうちに、エリーザのしごともいつしかあがっていきました。あとたった一枚のくさりかたびらが出来かけのままでいるだけでした。一本のイラクサももうのこっていませんでした。そこでもういちど、行きおさめにお寺の墓地へいって、ほんのひとつかみの草をぬいてこなければなりません。さすがにエリーザも、ひとりぼっちくらやみのなかをいくことと、あのおそろしい魔物に出あうことをかんがえると、心がおくれました。けれども神さまにたよる信心のかたいように、エリーザの決心はあくまでもかたいものでした。  エリーザはでかけていきました。ところで、王さまと大僧正もそのあとをつけて行きました。ふたりは、エリーザが格子門をぬけて、墓地のなかへ消えていくところをみました。そばへ寄ってみますと、血を吸う魔物どもが、エリーザが見たとおりに墓石のうえにのっていました。王さまはそのなかまにエリーザがいるようにおもって、ぎょっとしました。ついその夕方までも、そのお妃がじぶんの胸にいたことをおもいだしたからです。 「さばきは人民にまかせよう。」と、王さまはいいました。そこで、人民は、「エリーザを火あぶりの刑に処する。」と、いう宣告を下しました。目のさめるようなりっぱな王宮の広間から、くらい、じめじめした穴蔵のろうやへエリーザは押し込められました。風は鉄格子の窓からぴゅうぴゅう吹き込みました。今までのびろうどや絹のかわりに、エリーザのあつめたイラクサの束がほおりこまれました。その上にエリーザはあたまをのせることをゆるされました。エリーザの編んだ、かたいとげで燃えるようなくさりかたびらが、羽根ぶとんと夜着になりました。けれどエリーザにとって、それよりうれしいおくりものはありません。エリーザはまたしごとをつづけながらお祈をしました。そとでは、町の悪太郎どもが、わるくちの歌をうたっていました。たれひとりだって、やさしいことばをかけるものはありませんでした。  ところが、夕方になって、鉄格子のちかくにはくちょうの羽ばたきがきこえました。これはいちばん末のおにいさまでした。おにいさまはいもうとをみつけてくれました。いもうとはうれしまぎれに声をあげて、すすり泣きました。そのくせ、心のなかでは、もうほどなく夜になれば、この世のみおさめだとおもっていました。でも、しごとはもうひといきでしあがります。おにいさまたちはしかもそこへ来ているのです。  大僧正は王さまと約束して、おわりのときまで、エリーザのそばについていることにしました。それで、このときそばへ寄って来て、そのことをいうと、エリーザは首をふって、目つきと身ぶりとで、どうかでていってもらいたいとたのみました。今夜こそしごとをしあげてしまおう。それでなければせっかくいままでにながしたなみだも、苦しみも、ねむらない夜を明かしたことも、みんなむだになってしまうのです。大僧正はいじのわるい、のろいのことばをのこしてでていきました。でもエリーザはじぶんになんの罪もないことを知っていました。そこでかまわずしごとをつづけました。  ちいさなハツカネズミが、ちょろちょろゆかの上をかけまわって、イラクサを足のところまでひいいてきてくれました。エリーザのお手つだいをしてくれるつもりでした。すると、ツグミも窓の格子の所にとまって、ひとばんじゅう、一生けんめい、おもしろい歌をうたって、気をおとさないようにとはげましてくれました。  まだそとは、夜明けまえのうすあかりでした。もう一時間たたなければ、お日さまはのぼらないでしょう。そのとき、十一人のきょうだいは、お城の門のところへ来て、王さまにお目どおりねがいたいとたのみました。けれどもまだ夜があけないのだから、そんなことはできないといわれました。王さまはねむっていらっしゃる、それをおさまたげしてはならないのだというのです。それでもきょうだいはたのんだり、おどかしたりしました。近衛の兵隊がでて来ました。いや、そのうちに王さままででておいでになって、どういうわけかとおたずねになりました。するともう、きょうだいたちの姿はみえませんでした。ただ十一羽の野のはくちょうが、お城の上をとびかけって行きました。  人民たちがのこらず町の門にあつまって来て、魔女の焼きころされるところをみようとひしめきあいました。よぼよぼのやせ馬が一頭、罪人ののる馬車をひいてきました。やがてエリーザはそまつな麻の着物を着せられました。あのうつくしい髪の毛は、きれいな首筋にみだれたまま下がっていました。ほおは死人のように青ざめでいました。くちびるはかすかにうごいていました。そのくせ指はまだみどり色の麻をせっせと編んでいました。いよいよ死刑になりにいく道みちも、やりかけたしごとをやめようとはしませんでした。十枚のくさりかたびらは足の下にありました。いま十一枚目をこしらえているところなのです。人民たちはあつまって来て、口ぐちにあざけりました。 「見ろ、魔女がなにかぶつぶついっている。さんびかの本ももっていやしない。どうして、まだいやな魔法をやっているのだ。あんなもの、ばらばらにひき裂いてしまえ。」  こういって、みんなひしひしとそばへ寄って来て、くさりかたびらを引き裂こうとしました。そのとき、十一羽の野のはくちょうがさあッとまいおりました。馬車のうえにとまって、エリーザをかこんで、つばさをばたばたやりました。すると群衆はおどろいてあとへ引きました。 「あれは天のおさとしだ。きっとあの女には罪はないのだ。」と、おおぜいのものがささやきました。けれど、たれもそれを大きな声ではっきりといいきるものはありませんでした。  そのとき、役人が来て、エリーザの手をおさえました。そこで、エリーザはあわてて、十一枚のくさりかたびらをはくちょうたちのうえになげかけました。すると、すぐ十一人のりっぱな王子が、すっとそこに立ちました。けれどいちばん末のおにいさまだけは片手なくって、そのかわりにはくちょうの羽根をつけていました。それはくさりかたびらの片そでが足りなかったからでした。もうひといきで、みんなでき上がらなかったのです。 「さあ、もうものがいえます。」と、エリーザはいいました。「わたくしに罪はございません。」  すると、いま目の前におこった出来事を見た人民たちはとうといお上人さまのまえでするように、いっせいにうやうやしくあたまを下げました。けれどもエリーザは死んだもののようになって、おにいさまたちの腕にたおれかかりました。これまでの張りつめた心と、ながいあいだの苦しみが、ここでいちどにきいて来たのです。 「そうです。エリーザに罪はありません。」と、いちばんうえのおにいさまがいいました。  そこで、このおにいさまは、これまであったことをのこらず話しました。話しているあいだに、なん百万というばらの花びらがいちどににおいだしたような香りが、ぷんぷん立ちました。仕置柱のまえにつみあげた火あぶりの薪に、一本一本根が生えて、枝がでて、花を咲かせたのでございます。そこには赤いばらの花をいっぱいつけた生垣が、高く大きくゆいまわされて、そのいちばんうえに、星のようにかがやく白い花が一りん吹いていました。その花を王さまはつみとって、エリーザの胸にのせました。するとエリーザはふと目をさまして、心のなかは平和と幸福とでいっぱいになりました。  そのとき、のこらずのお寺の鐘がひとりでに鳴りだしました。小鳥たちがたくさんかたまってとんで来ました。それから、それはどんな王さまもついみたこともないようなさかんなお祝の行列が、お城にむかって練っていきました。
底本:「新訳アンデルセン童話集第一巻」同和春秋社    1955(昭和30)年7月20日初版発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 入力:大久保ゆう 校正:秋鹿 2006年1月18日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 あるいなかに、古いお屋敷がありました。そのお屋敷には、年をとった地主が住んでいました。地主にはふたりの息子がありましたが、ふたりとも、ものすごくおりこうで、その半分でもたくさんなくらいでした。ふたりは、王さまのお姫さまに結婚を申しこもうと思いました。どうしてそんなことを考えたかというと、じつは、こうなのです。お姫さまは、だれよりもじょうずにお話のできる人をお婿さんにする、と、国じゅうにふれまわらせていたからです。  そこで、ふたりは、一週間のあいだ、いろいろと準備をしました。つまり、それだけしか、ひまがなかったのです。でも、それだけあればたくさんでした。なぜって、ふたりには予備知識というものがあったからです。しかも、この予備知識というものは、いつでも役に立つものなのです。ひとりは、ラテン語の辞書を全部と、町の新聞を三年分、すっかり、そらでおぼえていました。おまけにそれが、前からでも後からでも、自由じざいだったのです。もうひとりは、組合の規則を残らずおぼえていて、組合長ならだれでも知っていなければならないことを、ちゃんと心得ていました。ですから、政治のことなら、だれとでも話すことができるつもりでいました。それに、じょうひんで、手先も器用でしたから、ウマのひきがわにししゅうをすることもできました。 「お姫さまは、わたしがもらう!」と、ふたりとも言いました。おとうさんは、めいめいに、りっぱなウマを一頭ずつやりました。辞書と新聞とをそらでおぼえているほうの息子は、炭のように黒いウマをもらい、組合長のようにりこうで、ししゅうのできる息子は、乳色の白いウマをもらいました。それから、ふたりは口ばたに肝油をぬって、よくすべるようにしました。召使の者はみんな中庭へ出て、ふたりがウマに乗るのを見ていました。  そのとき、三番めの息子が出てきました。じつをいうと、兄弟は三人だったのです。しかし、この三番めの息子を兄弟の中にかぞえる者は、ひとりもありませんでした。というのは、ふたりのにいさんたちのように、いろいろな知識というものを、持っていませんでしたから。そして、この息子は、みんなから、のろまのハンスと呼ばれていました。 「そんないい着物なんか着て、どこへ行くんだ?」と、ハンスがたずねました。 「王さまの御殿へ行って、お姫さまと話をするのさ。たいこを鳴らして、国じゅうにふれまわっていたのを、おまえ、聞かなかったのか?」そう言って、ふたりはハンスにそのことを話してやりました。 「こいつぁあ、たまげた! じゃあ、おれもいっしょに行くべえ」と、のろまのハンスは言いました。にいさんたちは、ハンスを笑って、そのままウマに乗って行ってしまいました。 「とっちゃん、おれにもウマをくだせえ」と、のろまのハンスは大きな声で言いました。「おれも嫁さんをもらいてえ。お姫さまがおれをもらうんなら、おれをもらやあいい。お姫さまがおれをもらわなくったって、おれのほうでお姫さまをもらってやらあ!」 「何をつまらんことを言ってるんだ!」と、おとうさんが言いました。「ウマはやれん。おまえにゃ、話なんぞできっこない! だがな、にいさんたちはりっぱな若者だ!」 「ウマがもらえねえんなら」と、のろまのハンスは言いました。「じゃあ、ヤギに乗ってくよ。あいつはおれのもんだし、それに、あいつだって、おれを乗せて行くぐらいできるさ!」こう言って、ヤギの背中にまたがると、その横っ腹をかかとでけとばして、大通りをいっさんにかけだしました。うわあ! その速いこと、速いこと! 「ここだよお!」と、のろまのハンスはどなりました。それから、あたりに鳴りひびくような大声で、歌をうたいました。  しかし、にいさんたちは黙って、ウマを先に進ませて行きました。ふたりはひとことも言いませんでした。いまはそれどころではありません。お姫さまの前へ出たときに、話そうと思っているうまい思いつきを、はじめから念には念をいれて、考えなおさなければならなかったのです。 「オーイ、オーイ!」と、のろまのハンスがどなりました。「ここだよお! おれが大通りで見つけたものを見てくれ」そう言いながら、途中で見つけてきた、死んだカラスを見せました。 「のろま!」と、ふたりは言いました。「それで、どうしようっていうんだ?」 「お姫さまにあげようと思うだ」 「うん、そうしな」ふたりはそう言って、笑いながら、なおもウマを進めていきました。 「オーイ、オーイ! ここだよお! いま見つけたものを見てくれ。まいんち、大通りで見つかるようなもんじゃあねえ」  そこで、にいさんたちは、またうしろを振り返って、こんどは何だろうと、ながめてみました。「のろま!」と、ふたりは言いました。「古い木靴だな。おまけに、上のほうが取れちゃってるじゃないか! それも、お姫さまにあげるってのかい?」 「そうだよ」と、のろまのハンスが言いました。にいさんたちは笑いながら、どんどんウマを進めていきました。こうして、だいぶ先へ行きました。 「オーイ、オーイ! ここだあ!」と、のろまのハンスがどなりました。「いやどうも、今度は、だんだんひどくなったぞ。オーイ、オーイ! こいつぁあ、すげえ!」 「今度は、何を見つけたんだ?」と、ふたりの兄弟がたずねました。 「ああ!」と、のろまのハンスが言いました。「言うほどのこたあねえ! お姫さま、どんなにうれしがるかしれねえ!」 「チェッ!」と、ふたりの兄弟は言いました。「そりゃあ、どぶから掘り出してきた、どろんこじゃないか」 「うん、そうさ」と、のろまのハンスは言いました。「それに、こりゃあ、いちばんじょうひんなもんよ。手に持ってるわけにもいかねえ」こう言って、ポケットに、ぎゅうぎゅうつめこみました。  しかし、にいさんたちは、できるだけ早くウマを走らせて、たっぷり一時間も先に、町の門のところへ着きました。見れば、そこには、お姫さまに結婚を申しこむ人たちが、着いた順に番号をもらって、ならんでいました。一列に六人ずつ、それこそ腕も動かせないくらい、ぎっしりとならんでいるのでした。けれども、かえって、それでよかったのです。でないと、だれもかれも先になろうとして、おたがいに着物の背中を引きさきっこしていたかもしれませんからね。  その国のほかの人たちは、みんな御殿のまわりに集まって、窓のほうを見上げていました。お姫さまが、結婚を申しこみにやってきた人たちをどんなふうに迎えるか、それを見物していたのです。ところが、どうしたというのでしょう。結婚を申しこむ人たちは、お部屋の中へはいったとたん、きゅうに、なんにも話すことができなくなってしまうのです。 「なんの役にも立たないわ」と、お姫さまは言いました。「おさがり!」  いよいよ、辞書をそらでおぼえている、にいさんの番になりました。ところが、長いあいだ列の中に並んでいたものですから、なにもかもきれいさっぱり、忘れてしまいました。それに、床はぎしぎし鳴りますし、天井は鏡のガラスでつくられているので、自分の姿が、さかさまにうつって見えるしまつです。それから、どの窓のところにも、三人の書記と、ひとりの書記長がいて、ここで話すことを、一つのこらず書き取っていました。そして、すぐにそれが新聞にのって、町かどで二シリングで売られるのです。まったく、恐ろしいことではありませんか。しかも、ストーブの中では、火がかんかんに燃えていて、胴のところがまっかになっているのです! 「このお部屋は、じつに暑うございますね」と、このにいさんは言いました。 「それはね、おとうさまが、きょう、ひな鳥をお焼きになるからよ」と、お姫さまが言いました。 「ヒェー!」この男は、ぼんやり立ちつくしてしまいました。こんな返事をされようとは、思いもしなかったのです。もう、ひとことも言うことができません。だって、そうでしょう。自分では、なにか面白いことを言おうと思っていたのですもの。おや、おや! 「なんの役にも立たないわ」と、お姫さまが言いました。「おさがり!」こうして、この男は、引きさがらなければなりませんでした。今度は、もうひとりのにいさんが、はいってきました。 「ここは、ひどく暑うございますね」と、その男は言いました。 「ええ、きょうはひな鳥を焼くのよ」と、お姫さまが言いました。 「な、な、なんですって?」と、その男が言いましたので、書記たちはみんな、な、な、なんですって、と、書きました。 「なんの役にも立たないわ」と、お姫さまは言いました。「おさがり!」  とうとう、のろまのハンスの番がやってきました。ハンスはヤギの背中にまたがったまま、お部屋の中へはいってきました。「こりゃあまあ、ひでえ暑さですね」と、ハンスが言いました。 「それはね、あたしがひな鳥を焼くからよ」と、お姫さまが言いました。 「そいつぁ、うめえこった!」と、のろまのハンスが言いました。「じゃあ、このカラスも焼いてくれますかね?」 「ああ、いいわよ」と、お姫さまが言いました。「だけど、焼くのに、なにか入れ物を持っておいでかい? あたしには、おなべも、フライパンもないのよ」 「なあに、ちゃんと持ってますだ」と、のろまのハンスが言いました。「すずの手のついた、料理道具があるんでさ」こう言いながら、古い木靴を取り出して、カラスをそのまんなかに入れました。 「まあ、すばらしいお食事だわね!」と、お姫さまが言いました。「でも、ソースはどうしたらいいの?」 「そいつなら、ポケットにありますよ」と、のろまのハンスが言いました。「うんとあるから、ちったあ、むだにしたってかまいませんさ」そう言って、ポケットから、どろをすこしこぼしてみせました。 「いいわよ」と、お姫さまが言いました。「あなたは返事ができるわ! それに、お話もできるから、あたし、あなたを夫にするわ! でもね、あなた、ごぞんじ? あたしたちが今までに言ったり、これから言う言葉は、ぜんぶ書き取られて、あしたの新聞にのるのよ。ごらんなさい、どの窓のところにも、書記が三人と、年とった書記長がひとりいるでしょう。ことに、あの書記長ったら、いちばんいやな人よ。だって、ひとの言うことなんか、なんにもわからないんだから!」こう言って、お姫さまはハンスをこわがらせようとしました。すると、書記たちはへんな声で笑って、床の上にインキのしみをつけてしまいました。 「みんな、りっぱな人たちだ」と、のろまのハンスが言いました。「じゃあ、おれも、書記長さんに、いちばんいいものをあげにゃあなるめえ!」こう言うと、ポケットをひっくりかえして、いきなり、書記長の顔にどろを投げつけました。 「まあ、すてき!」と、お姫さまが言いました。「とてもそんなこと、あたしにはできないわ! でも、そのうちに習いましょう」――  こうして、のろまのハンスは王さまになりました。お姫さまをお妃さまにして、王冠をかぶって、玉座についたのです。ただ、これは、書記長の新聞から見てきたことなんですよ。――ですから、あんまりあてにはできませんがね。
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2021年1月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 いまからずっとずっとむかしのこと、ひとりの皇帝がいました。皇帝は、あたらしい、きれいな着物がなによりも好きでした。持っているお金をのこらず着物に使って、いつもいつも、きれいに着かざっていました。皇帝は、自分のあたらしい着物を人に見せたいと思うときのほかは、兵隊のことも、芝居のことも、森へ遠乗りすることも、なにからなにまで、きれいさっぱり忘れているのでした。  とにかく、皇帝は、一日のうち一時間ごとに、ちがった着物に着かえるのです。ですから、よその国ならば、王さまは、会議に出ていらっしゃいます、というところを、この国ではいつも、「皇帝は、衣装部屋にいらっしゃいます」と、言いました。――  皇帝の住んでいる大きな町は、たいへんにぎやかなところでした。毎日毎日、よその国の人たちが大ぜい来ました。  ある日のこと、ふたりのうそつきがやってきました。ふたりは、 「わたしどもは、機織りでして、みなさんの思いもおよばない、美しい織物を織ることができます。それに、その織物は色とがらとが、びっくりするほど美しいばかりではございません。その織物でこしらえた着物は、まことにふしぎな性質をもっておりまして、自分の役目にふさわしくない人や、どうにも手のつけられないようなばかものには、この着物は見えないのでございます」と、言いふらしました。 「ふうん、それはまた、おもしろい着物だな」と、皇帝は考えました。「そのような着物を着れば、この国のどの役人が役目にふさわしくないか、知ることができるわけじゃな。それから、りこうものと、ばかものを見わけることもできるわけだ。そうだ、さっそく、その織物を織らせるとしよう」  そこで、ふたりのうそつきにたっぷりお金をやって、仕事にかかるように言いつけました。  ふたりは、機を二台すえつけて、いかにも働いているようなふりをしました。けれども、ほんとうは、機の上には、なんにもなかったのです。ふたりは、すぐに、 「いちばん上等の絹と、いちばんりっぱな金をください」と、願い出ました。  ところが、絹と金とをもらうと、それをさっさと、自分たちのさいふの中に入れてしまいました。そして、からっぽの機にむかって、夜おそくまで働いていました。 「織物は、もう、どのくらいできたかな」と、皇帝は考えました。  けれども、ばかなものや、自分の役目にふさわしくないものには、それが見えないという話を思い出しますと、ちょっとへんな気持になりました。もちろん、自分はそんなことを気にする必要はないと思っていましたが、それでも、ひとまず、だれかを先にやって、どんなぐあいか見させることにしました。  もうそのころには、町の人たちも、この織物が世にもふしぎな性質を持っていることを知っていました。みんながみんな、おとなりに住んでいるのは、わるい人ではあるまいか、それともばかではなかろうか、知りたいものだと思っていたのです。 「機織りのところへは、あの年とった、正直者の大臣をやることにしよう」と、皇帝は考えました。「あの男なら、織物がどんなぐあいか、いちばんよくわかるにちがいない。頭もいいし、それに、あの男くらい役目にぴったりのものは、まずないからなあ!」  そこで、年とった正直者の大臣は、ふたりのうそつきが、からっぽの機にむかって働いている広間へはいっていきました。 「どうか、神さま!」と、年よりの大臣は、心の中で祈りながら、目を大きくあけました。「や、や、なにも見えんぞ!」  けれども、もちろん、見えない、とは言いませんでした。 「さあ、もっと近よってごらんください。いかがでございましょう。がらもきれいですし、色合いも美しいではございませんか」などと、うそつきどもは、しきりに言いながら、からっぽの機を指さしました。  気の毒に、年よりの大臣は、なおも目を開いて見ましたが、やっぱりなんにも見えません。それもそのはず、機には、なんにもないのですからね。 「これは、たいへんだ!」と、大臣は思いました。「このわしが、ばかだというのか。そんなことは、まだ考えてみたこともない。それにしても、これは人に知られてはならん! このわしが、役目にむかんというのか。こりゃいかん。織物が見えないなどと、うっかり言おうものなら、たいへんだぞ」 「いかがでございましょう。なんともおっしゃっていただけませんが」と、織っていたひとりが言いました。 「おお、みごとじゃ! まことに美しいのう!」と、年とった大臣は言って、めがねでよくながめました。 「このがらといい、色合いといい! さよう、わしはたいへん気に入ったぞ。皇帝に、そう申しあげておこう」 「それは、まことにありがたいことでございます」と、ふたりの機織りは言いました。  それから、色の名前や、めずらしいがらの説明をしました。年とった大臣は、皇帝のところへもどっても、同じことが言えるように、よく気をつけて聞いていました。そして、そのとおりに申しあげました。  さて、うそつきどもは、前よりももっとたくさんのお金と、絹と、金とを願い出ました。そういうものが、反物を織るのに必要だというのです。ところが、それをもらうと、みんな、自分たちのさいふの中へ入れてしまいました。ですから、機の上には、あいかわらず、糸一本はられません。それでも、ふたりは、前と同じように、からっぽの機にむかって、せっせと働きつづけました。  皇帝は、まもなく、今度は、べつの正直なお役人をやって、仕事はどのくらい進んでいるか、織物はもうすぐできあがるか、見させることにしました。このお役人も、大臣とおんなじでした。何度も何度も見なおしましたが、なんにも見えません。からの機のほかには、なにもないのですから、それもむりもない話です。 「いかがでしょう。美しい織物ではございませんか」  ふたりのうそつきは、こう言って、ありもしない美しいがらを指さしながら、説明しました。 「おれが、ばかだなんてはずはない」と、この役人は考えました。「そうすると、このおれは、いまの、ありがたい役目に向いていないというのか。おかしな話だな。だが、人に気づかれんようにしなくてはまずい」  そこで、見えもしない織物をほめて、きれいな色合いも、美しいがらも、すっかり気に入ったと、うけあいました。そして皇帝には、 「はい、まことに、たとえようもないほど美しいものでございます」と、申しあげました。  町の人たちは、寄るとさわると、このすばらしい織物のうわさばかりしていました。  さて、皇帝も、その織物が機にあるうちに、一度見ておきたい、と思いました。そこで、えりぬきのご家来を大ぜい連れて、ずるいうそつきどものところへ行きました。ご家来の中には、前にお使いに行ったことのある、ふたりの年とった、正直者のお役人もまじっていました。うそつきどもは、このときとばかり、いっしょうけんめいに織っていました。けれども、もちろん、一すじの糸もありません。 「まことにすばらしいものではございませんか!」と、正直者のふたりのお役人が言いました。「陛下、ようくごらんくださいませ。なんというよいがら、なんという美しい色合いでございましょう!」  こう言いながら、ふたりは、からの機を指さしました。なぜって、ほかの人たちには、この織物が見えるものと思ったからです。 「や、や、なんとしたことじゃ!」と、皇帝は思いました。「わしには、なんにも見えんわい。こりゃ、えらいことになったぞ。このわしが、ばかだというのか。わしは、皇帝にふさわしくないというのか。わしにとっては、なによりもおそろしいことじゃ」  けれども、口に出しては、こう言いました。 「おお、なるほど。じつにきれいじゃのう! 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底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年12月15日32刷改版    1992(平成4)年4月5日34刷 ※表題、副題は底本では、「はだかの王さま(皇帝《こうてい》のあたらしい着物)」となっています。 入力:チエコ 校正:木下聡 2021年3月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "060190", "作品名": "はだかの王さま", "作品名読み": "はだかのおうさま", "ソート用読み": "はたかのおうさま", "副題": "(皇帝のあたらしい着物)", "副題読み": "(こうていのあたらしいきもの)", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC K949", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2021-04-02T00:00:00", "最終更新日": "2021-03-27T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/card60190.html", "人物ID": "000019", "姓": "アンデルセン", "名": "ハンス・クリスチャン", "姓読み": "アンデルセン", "名読み": "ハンス・クリスチャン", "姓読みソート用": "あんてるせん", "名読みソート用": "はんすくりすちやん", "姓ローマ字": "Andersen", "名ローマ字": "Hans Christian", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1805-04-02", "没年月日": "1875-08-04", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集Ⅲ)", "底本出版社名1": "新潮文庫、新潮社", "底本初版発行年1": "1967(昭和42)年12月10日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年4月5日34刷", "校正に使用した版1": "2009(平成21)年11月30日42刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "チエコ", "校正者": "木下聡", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/60190_ruby_72962.zip", "テキストファイル最終更新日": "2021-03-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/60190_73009.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2021-03-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 むかし、あるとき、お金持のあきんどがありました。どのくらいお金持だといって、それは町の大通のこらず銀貨で道をこしらえて、そのうえ横町の小路にまでそれをしきつめて、それでもまだあまるほどのお金を持っていました。でも、このあきんどは、そんなことはしません。もっとほかにお金をつかうことをかんがえて、一シリングだせば、一ターレルになってもどってくる工夫をしました。まあ、そんなにかしこいあきんどでしたが――そのうち、このあきんども死にました。  そこで、むすこが、のこらずのお金をもらうことになりました。そうしてたのしくくらしました。毎晩、仮装舞踏会へでかけたり、お札でたこをはってあげたり、小石の代りに、金貨で海の水を打ってあそんだりしました。まあこんなふうにすれば、いくらあっても、お金はさっさとにげていってしまうでしょう。とうとうむすこはたった四シリングの身代になってしまいました。身につけているものといっては、うわぐつ一足と、古どてらのねまきのほかには、なにもありません。こうなると、友だちも、いっしょに往来をあるくことをきまりわるがってまるでよりつかなくなりました。でもなかでひとり、しんせつな友だちがいて、ふるいかばんをひとつくれました。かばんのうえには、「これになにかおつめなさい。」とかいてありました。いやどうもこれはたいへんありがたいことでした。けれど、あいにくなにもつめるものがないので、むすこはじぶんがそのかばんのなかにはいっていました。  ところが、これが、とんだとぼけたかばんでした。錠前をおすといっしょに、空のうえにまい上がるのです。ひゅうッ、さっそく、かばんはひこうをはじめました。ふわりふわり、かばんはむすこをのせたまま、煙突の穴をぬけて、雲をつきぬけて、とおくへとおくへとんでいきました。でも、かばんの底が、みしみしいうたんびに、むすこは、はらはらしました。途中でばらばらになって、空のうえからまっさかさまに木の葉落しということになったら、すばらしいどころではありません。やれやれこわいこと、まあこんなふうにして、むすこは、トルコの国までいきました。そこでかばんを、ひとまず、森の落ち葉のなかにかくして、町へけんぶつにでかけました。けっこう、そのままのなりでね。なぜなら、トルコ人なかまでは、みんながこの男とおなじように、どてらのねまきをひきずって、うわぐつをはいていましたもの。ところで、むすこがきょろきょろしながらあるいていきますと、むこうから、どこかのばあやが、こどもをつれてくるのにであいました。 「ねえもし、トルコのばあやさん。」と、むすこはたずねました。「この町のすぐそとにある大きなお城はどういうお城ですね。ずいぶん高い所に、窓がついていますね。」 「あれは、王さまのお姫さまのおすまいです。」と、ばあやがこたえました。「お姫さまは、お生まれになるさっそく、なんでもたいへん運のわるいおむこさんをおむかえになるという、いやなうらないがでたものですから、そのわるいおむこさんのよりつけないように、王さまとお妃さまがごいっしょにおいでのときのほか、だれもおそばにいけないのでよ。」 「いや、ありがとう。」  むすこはこういって、また森へもどっていきました。そうして、すぐかばんのなかにはいると、そのままお城の屋根のうえへとんでいって、お姫さまのおへやの窓からそっとなかにはいりました。  お姫さまは、ソファのうえで休んでいました。それが、いかにもうつくしいので、むすこはついキスしずには、いられませんでした。それで、お姫さまは目をさまして、たいそうびっくりした顔をしました。  でも、むすこは、こわがることはない、わたしは、トルコの神さまで、空をあるいて、わざわざやって来たのだといいますと、お姫さまはうれしそうににっこりしました。  ふたりはならんで腰をかけて、いろんな話をしました。むすこはまず、お姫さまの目のことを話しました。なんでもそれはこのうえなくきれいな黒い水をたたえた、ふたつのみずうみで、うつくしいかんがえが、海の人魚のように、そのなかでおよぎまわっているというのです。それから、こんどはお姫さまの額のことをいって、それは、このうえなくりっぱな広間と絵のある雪の山だといいました。それから、かわいらしい赤ちゃんをもってくるこうのとりのことを話しました。  そう、どれもなかなかおもしろい話でした。そこで、むすこは、お姫さまに、わたしのおよめさんになってくださいといいました、お姫さまは、すぐ「はい。」とこたえました。「でもこんどいらっしゃるのは土曜日にしていただきますわ。」と、お姫さまはいいました。「その晩は王さまとお妃さまがここへお茶においでになるのですよ。わたしそこでトルコの神さまとご婚礼するのよといって上げたら、おふたりともずいぶん鼻をたかくなさるでしょう。でも、あなた、そのときはせいぜいおもしろいお話をしてあげてくださいましね。両親とも、たいへんお話ずきなのですからね。おかあさまは、教訓のある、高尚なお話が好きですし、おとうさまは、わらえるような、おもしろいお話が好きですわ。」 「ええ、わたしは、お話のほかには、なんにも、ご婚礼のおくりものをもってこないことにしましょう。」と、むすこはいいました。そうして、ふたりはわかれました。でも、わかれぎわに、お姫さまは剣をひとふり、むすこにくれました。それは金貨でおかざりがしてあって、むすこには、たいへんちょうほうなものでした。  そこで、むすこはまたとんでかえっていって、あたらしいどてらを一枚買いました。それから、森のなかにすわって、お話をかんがえました。土曜日までにつくっておかなければならないのですが、それがどうしてよういなことではありませんでした。  さて、どうにかこうにか、お話ができ上がると、もう土曜日でした、  王さまとお妃さまと、のこらずのお役人たちは、お姫さまのところで、お茶の会をして待っていました。むすこは、そこへ、たいそうていねいにむかえられました。 「お話をしてくださるそうでございますね。」と、お妃さまがおっしゃいました。「どうか、おなじくは、いみのふかい、ためになるお話が伺いとうございます。」 「さようさ。だが、ちょっとはわらえるところがあってもいいな。」と、王さまもおっしゃいました。 「かしこまりました。」と、むすこはこたえて、お話をはじめました。そこで、みなさんもよくきくことにしてください―― 『さて、あるとき、マッチの束がございました。そのマッチは、なんでもじぶんの生まれのいいことをじまんにしていました。けいずをただすと、もとは大きな赤もみの木で、それがちいさなマッチの軸木にわられて出てきたのですが、とにかく、森のなかにある古い大木ではありました。ところでマッチはいま、ほくち箱とふるい鉄なべのあいだに坐っていました。で、こういうふうに、若いときの話をはじめました。マッチのいうには、「そうだ、わたしたちが、まだみどりの枝のうえにいたときには、いや、じっさい、みどりの枝のうえにいたのだからな。まあ、そのじぶんは毎日、朝と晩に、ダイヤモンドのお茶をのんでいた。それはつまり、露のことだがね。さて、日がでさえすれば、一日のどかにお日さまの光をあびる、そこへ小鳥たちがやって来て、お話をしてきかせてくれたものだ。なんでも、わたしたちがたいそうなお金持だったということはよく分かる。なぜなら、ほかの広い葉の木たちは、夏のあいだだけきものを着るが、わたしたちの一族にかぎって、冬のあいだもずっと、みどりのきものを着つづけていたものな。ところが、ある日、木こりがやってきて 森のなかにえらい革命さわぎをおこした、それで一族は、ちりぢりばらばらになってしまった。でも、宗家のかしらは第一等の船の親柱に任命されたが、その船はいつでも世界じゅう漕ぎまわれるというりっぱな船だ。ほかの枝も、それぞれの職場におちついている。ところで、わたしたちは、いやしい人民どものために、あかりをともしてやるしごとを引きうけた。そういうわけで、こんな台所へ、身分のあるわれわれが来たのも、まあはきだめにつるがおりたというものだ。」 「わたしのうたう歌は、すこし調子がちがっている。」と、マッチのそばにいた鉄なべがいいました。「わたしが世の中に出て来たそもそもから、どのくらい、わたしのおなかで煮たり沸かしたり、そのあとたわしでこすられたか分からない。わたしは徳用でもちのよいことを心がけているので、このうちではいちばんの古参と立てられるようになった。わたしのなによりのたのしみは、食事のあとで、じぶんの居場所におさまって、きれいにみがかれて、なかまのひとたちと、おたがいもののわかった話をしあうことだ。バケツだけは、ときどき裏までつれていかれるが、そのほかのなかまは、いつでもうちのなかでくらしている。わたしたちのなかまで新聞種の提供者は、市場がよいのバスケットだ。ところが、あの男は、政府や人民のことで、だいぶおだやかでない話をする。それで、こないだも、古瓶のじいさんが、びっくりしてたなからころげおちて、こなごなにこわれたくらいだ。あいつは、自由主義だよ、まったく。」 「さあ、きみは、あんまりしゃべりすぎるぞ。」と、ほくち箱が、くちをはさみました。そして、火切石にかねをぶつけたので、ぱっと火花がちりました。 「どうだ、おたがいに、おもしろく、ひと晩すごそうじゃないか。」 「うん、このなかで、だれがいちばん身分たかく生まれてきたか、いいっこしようよ。」と、マッチがいいました。 「いいえ、わたくし、じぶんのことをとやかく申したくはございません。」と、石のスープ入がこたえました。「まあ、それよりか、たのしい夕べのあつまりということにいたしてはどうでございましょう。さっそく、わたくしからはじめますよ。わたくしは、じっさい出あったお話をいたしましょう、まあどなたもけいけんなさるようなことですね。そうすると、たれにもよういにそのばあいがそうぞうされて、おもしろかろうとおもうのでございます。さて、東海は、デンマルク領のぶな林で――」 「いいだしがすてきだわ。この話、きっとみんなおもしろがるわ。」と、お皿たちがいっせいにさけびました。 「さよう、そこのある、おちついた家庭で、わたくしはわかい時代をおくったものでしたよ。そのうちは、道具などがよくみがかれておりましてね。ゆかはそうじがゆきとどいておりますし、カーテンも、二週間ごとに、かけかえるというふうでございました。」 「あなたは、どうもなかなか話じょうずだ。」と、毛ぼうきがいいました。「いかにも話し手が婦人だということがすぐわかるようで、きいていて、なんとなく上品で、きれいな感じがする。」 「そうだ。そんな感じがするよ。」と、バケツがいって、うれしまぎれに、すこしとび上がりました。それで、ゆかのうえに水がはねました。  で、スープ入は話をつづけましたが、おしまいまで、なかなかおもしろくやってのけました。  お皿なかまは、みんなうれしがって、ちゃらちゃらいいました。ほうきは、砂穴からみどり色をしたオランダぜりをみつけてきて、それをスープ入のうえに、花環のようにかけてやりました。それをほかの者がみてやっかむのはわかっていましたが、「きょう、あの子に花をもたしておけば、あしたはこっちにしてくれるだろうよ。」と、そう、ほうきはおもっていました。 「さあ、それではおどるわ。」と、火かきがいって、おどりだしました。ふしぎですね、あの火かきがうまく片足でおどるじゃありませんか。すみっこの古椅子のきれがそれをみて、おなかをきってわらいました。 「どう、わたしも、花環がもらえて。」と、火かきがねだりました、そうして、そのとおりしてもらいました。 「どうも、どいつもこいつも、くだらない奴らだ。」と、マッチはひとりでかんがえていました。  さて、こんどはお茶わかしが、歌をうたう番でした。ところが風をひいているといってことわりました。そうしていずれ、おなかでお茶がにえだしたら、うたえるようになるといいました。けれどこれはわざと気どっていうので、ほんとうは、お茶のテーブルのうえにのって、りっぱなお客さまたちのまえでうたいたかったのです。  窓のところに、一本、ふるい鵞ペンがのっていました。これはしじゅう女中たちのつかっているものでした。このペンにべつだん、これというとりえはないのですが、ただインキの底にどっぷりつかっているというだけで、それをまた大したじまんの種にしていました。 「お茶わかしさんがうたわないというなら、かってにさせたらいいでしょう、おもての鳥かごには、小夜鳴鳥がいて、よくうたいます。これといって教育はないでしょうが、今晩はいっさいそういうことは問わないことにしましょう。」  すると、湯わかしが、 「どうして、そんなことは大はんたいだ。」と、いいだしました。これは、台所きっての歌うたいで、お茶わかしとは、腹がわりの兄さんでした。「外国鳥の歌をきくなんて、とんでもない。そういうことは愛国的だといえようか、市場がよいのバスケット君にはんだんしておもらい申しましょう。」  ところで、バスケットは、おこった声で、 「ぼくは不愉快でたまらん。」といいました。「心のなかでどのくらい不愉快に感じているか、きみたちにはそうぞうもつかんだろう。ぜんたい、これは晩をすごすてきとうな方法でありましょうか。家のなかをきれいに片づけておくほうが、よっぽど気がきいているのではないですか。諸君は、それぞれじぶんたちの場所にかえったらいいでしょう。その上で、ぼくが、あらためて司会をしよう。すこしはかわったものになるだろう。」 「よし、みんなで、さわごうよ。」と、一同がいいました。  そのとき、ふと戸があきました。このうちの女中がはいって来たのです。それでみんなはきゅうにおとなしくなって、がたりともさせなくなりました。でも、おなべのなかまには、ひとりだって、おもしろいあそびをしらないものはありませんでしたし、じぶんたちがどんなになにかができて、どんなにえらいか、とおもわないものはありませんでした。そこで、 「もちろん、おれがやるつもりになれば、きっとずいぶんおもしろい晩にしてみせるのだがなあ。」と、おたがいにかんがえていました。  女中は、マッチをつまんで、火をすりました。――おや、しゅッと音がしたとおもうと、ぱっときもちよくもえ上がったではありませんか。 「どうだ、みんなみろよ。やっぱり、おれはいちばんえらいのだ。よく光るなあ。なんというあかるさだ――」と、こうマッチがおもううち、燃えきってしまいました。』 「まあ、おもしろいお話でございましたこと。」と、そのとき、お妃さまがおっしゃいました。「なんですか、こう、台所のマッチのところへ、たましいがはこばれて行くようにおもいました。それではおまえにむすめはあげることにしますよ。」 「うん、それがいいよ。」と、王さまもおっしゃいました。「それでは、おまえ、むすめは月曜日にもらうことにしたらよかろう。」  まず、こんなわけで、おふたりとももう、うちのものになったつもりで、むすこを、おまえとおよびになりました。  これで、いよいよご婚礼ときまりました。そのまえの晩は、町じゅうに、おいわいのイリュミネーションがつきました。ビスケットやケーキが、人民たちのなかにふんだんにまかれるし、町の少年たちは、往来にあつまって、ばんざいをさけんだり、指をくちびるにあてて、口笛をふいたりしました。なにしろ、すばらしいけいきでした。 「そうだ。おれもお礼になにかしてやろう。」と、あきんどのむすこはおもいました。そこで、流星花火だの、南京花火だの、ありとあらゆる花火を買いこんで、それをかばんに入れて、空のうえにとび上がりました。  ぽん、ぽん、まあ、花火がなんてよく上がることでしょう。なんて、いせいのいい音を立てることでしょう。  トルコ人は、たれもかれも、そのたんびに、うわぐつを耳のところまでけとばして、とび上がりました。  こんなすばらしい空中現象を、これまでたれもみたものはありません。そこで、いよいよ、お姫さまの結婚なさるお相手は、トルコの神さまにまちがいなしということにきまりました。  むすこは、かばんにのったまま、また森へおりていきましたが、「よし、おれはこれから町へ出かけて、みんな、おれのことをどういっているか、きいてこよう。」とかんがえました。なるほど、むすこにしてみれば、そうおもい立ったのも、むりはありません。  さて、どんな話をしていたでしょうか。それはてんでんがちがったことをいって、ちがった見方をしていました。けれども、なにしろたいしたことだと、たれもいっていました。 「わたしは、トルコの神さまをおがんだよ。」と、ひとりがいいました。「目が星のように光って、ひげは、海のあわのように白い。」 「神さまは火のマントを着てとんでいらしった。」と、もうひとりがいいました。「それはかわらしい天使のお子が、ひだのあいだからのぞいていた。」  まったくむすこのきいたことはみんなすばらしいことばかりでした。さて、あくる日はいよいよ結婚式の当日でした。そこで、むすこは、ひとまず森にかえって、かばんのなかでひと休みしようとおもいました。――ところがどうしたということでしょう。かばんは、まる焼けになっていました。かばんのなかにのこっていた花火から火がでて、かばんを灰にしてしまったのです。  むすこはとぶことができません。もうおよめさんのところへいくこともできません。  およめさんは、一日、屋根のうえにたって待ちくらしました。たぶん、いまだに待っているでしょう。けれどむすこはあいかわらずお話をしながら、世界じゅうながれあるいていました、でも、マッチのお話のようなおもしろい話はもうつくれませんでした。
底本:「新訳アンデルセン童話集第一巻」同和春秋社    1955(昭和30)年7月20日初版発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 入力:大久保ゆう 校正:秋鹿 2006年1月18日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 むかしむかし、ひとりの貧しい王子がいました。王子は一つの国をもっていましたが、それはとても小さな国でした。でも、いくら小さいとはいっても、お妃をむかえるのに、ふそくなほどではありませんでした。さて、この王子はお妃をむかえたいと思いました。  それにしても、この王子が皇帝のお姫さまにむかって、「わたくしと結婚してくださいませんか?」などと言うのは、あまりむてっぽうすぎるというものでした。けれども、王子は、思いきって、そうしてみました。なぜって、王子の名前は遠くまで知れわたっていましたし、それに、王子が結婚を申しこめば、よろこんで、はい、と、言いそうなお姫さまは、何百人もいたからです。ところで皇帝のお姫さまは、はい、と、言ったでしょうか?  では、わたしたちは、そのお話を聞くことにしましょう。  王子のおとうさまのお墓の上には、一本のバラの木が生えていました。それは、なんともいえないほど美しいバラの木でした。花は五年めごとにしか咲きませんが、そのときにも、ただ一りんしか咲かないのです。でも、そのにおいのよいことといったら、またとありません。一度そのにおいをかぐと、だれでも、どんないやなことも、心配ごとも、忘れてしまうほどでした。王子はまた、一羽のナイチンゲールを持っていました。このナイチンゲールは、たいへんじょうずに歌をうたうことができました。その小さなのどの中には、美しい節が、いっぱい、つまっているのではないかと思われました。王子は、このバラの花と、ナイチンゲールを、お姫さまにさしあげようと思いました。そこで、さっそく、その二つを大きな銀の入れ物に入れて、お姫さまのところへ持っていかせました。  皇帝は、その贈り物を大きな広間に運びこませて、自分も、あとからついていきました。その広間では、お姫さまが侍女たちと、「お客さまごっこ」をして、あそんでいました。お姫さまたちには、ほかのことは、なんにもできなかったのです。お姫さまは、贈り物のはいっている、大きな入れ物を見ると、大よろこびで手を打ちました。 「かわいらしい小ネコが、はいっていますように!」と、お姫さまは言いました。――ところが、出てきたのは、美しいバラの花でした。 「まあ、なんてきれいに造ってあるのでございましょう!」と、侍女たちが、口々に申しました。 「きれいどころではない!」と、皇帝は言いました。「なんと言ったらいいのか! じつに美しい!」  ところが、お姫さまは、花にさわってみて、もうすこしで泣き出しそうになりました。 「まあ、いやですわ、おとうさま!」と、お姫さまは言いました。「これは造ったお花ではなくって、ほんとのお花ですわ!」 「あら、いやですこと!」と、侍女たちも、口をそろえて言いました。「ほんとのお花でございますわ!」 「さあ、さあ、おこっていないで、もう一つのほうに、何がはいっているか、見ようではないか」と、皇帝は言いました。すると、今度は、ナイチンゲールが出てきました。そして、ナイチンゲールはたいそう美しい声で歌をうたいましたので、だれもこの鳥には、すぐに文句の言いようがありませんでした。 「シュペルブ! シャルマン!(まあ、すてき! うっとりするようですわ!)」侍女たちは、みんなフランス語がしゃべれましたので、フランス語でこう言いました。ひとりが、なにか言いだすと、そのたびに、だんだん大げさになっていきました。 「この鳥のうたうのを聞いておりますと、わたくしには、おかくれなさいました皇后さまの、音楽時計が思い出されます!」と、年とった家来が申しました。「ああ、それ、それ、声も、歌も、まったく、あのとおりでございます!」 「そうじゃな」皇帝はこう言って、まるで小さな子供のように、泣きました。 「でも、ほんとの鳥とは思われませんわ」と、お姫さまが言いました。 「いいえ、ほんとの鳥でございます」と、贈り物を持ってきた、使いの者たちが、言いました。 「それじゃ、そんな鳥、とばせておしまいなさい!」と、お姫さまは言いました。そして、王子が来るのを、どうしても承知しようとはしませんでした。  しかし、こんなことがあったって、王子のほうは平気です。そのくらいのことでは、ひっこんでいません。すぐさま、顔に茶いろや黒のきたない色をぬりつけ、帽子を深くかぶって、御殿の門の戸をたたきました。 「ごめんください、皇帝さま!」と、王子は言いました。「この御殿で、わたくしを使ってくださいませんか?」 「さようか、働きたいと言ってくる者が、ずいぶんいるからのう」と、皇帝は言いました。「だが、ちょっとお待ち。――そう、そう、ブタの番をする者が、だれかひとり入用じゃ。なにしろ、ブタがたくさんいるのでのう!」  そこで、王子は、御殿のブタ飼いにやとわれました。そして、下のブタ小屋のそばに、みすぼらしい小さな部屋を一ついただいて、そこに住むことになりました。  王子は、一日じゅう、そこにすわって、いっしょうけんめい、なにかを作っていました。そして夕方ごろには、もう、かわいらしい、小さなつぼを作りあげていました。つぼのまわりには、鈴がついていました。つぼの中のお湯がわくと、その鈴はたいへん美しい音色をたてて、リンリンと鳴るのです。そして、 ああ、いとしいアウグスチン、 もうおしまいよ、なにもかも!  という、むかしからの、なつかしい節をかなでました。  けれども、このつぼには、もっともっとじょうずなしかけがしてありました。そのつぼの中から立ちのぼる湯気に指をつけると、町じゅうの台所で、いまどんな料理が作られているかを、ここにいながら、たちまち、かぎわけることができるのでした。ね、これはまた、バラの花とは、まったくちがっているでしょう。  さて、お姫さまは侍女たちを連れて、散歩に出かけました。ふと、この節を耳にしますと、立ちどまって、たいそううれしそうな顔をしました。「ああ、いとしいアウグスチン!」というこの節なら、お姫さまも、ピアノでひくことができたからです。もっとも、これだけが、お姫さまにできる、たった一つの節でしたが。それも、一本指でひくのでした。 「あれは、あたしにもひける節よ」と、お姫さまは言いました。「あのブタ飼いは、きっと、学問のある人にちがいないわ。ねえ、あそこへ行って、あの楽器のおねだんをきいてきてちょうだい」  こういうわけで、侍女のひとりが、その中へはいっていかなければならないことになりました。けれども、侍女は、まずその前に、木の上靴にはきかえました。―― 「そのつぼは、いくらでゆずっていただけるの?」と、侍女はたずねました。 「お姫さまのキスを十ください」と、ブタ飼いは答えました。 「まあ、とんでもない!」と、侍女は言いました。 「でも、それ以下では、お売りできません」と、ブタ飼いは言いました。 「ね、なんと言って?」と、お姫さまはたずねました。 「とても、あたくしには申しあげられませんわ!」と、侍女は申しました。「だって、あんまりでございますもの!」 「じゃ、そっと言ってちょうだい」そこで、侍女は、お姫さまにそっと申しあげました。 「まあ、なんて失礼なひとなんでしょう!」そう言うと、お姫さまはいそいで歩き出しました。――ところが、ほんのちょっと行ったかと思うと、もうまた、あの鈴が、かわいらしい音をたてて、鳴り出しました。 ああ、いとしいアウグスチン、 もうおしまいよ、なにもかも! 「ねえ」と、お姫さまは言いました。「あたしの侍女たちのキスを十でもいいかって、きいてきてちょうだい」 「いいえ、ごめんこうむります」と、ブタ飼いは言いました。「お姫さまからキスを十いただかなければ、つぼはおゆずりできません」 「なんて、いやなことを言うんでしょう!」と、お姫さまは言いました。「じゃ、だれにも見られないように、みんな、あたしの前に立っていておくれ」  そこで、侍女たちは、お姫さまの前に立ちならんで、スカートのはしをつまんで、ひろげました。そこで、ブタ飼いは、お姫さまからキスを十もらいました。そして、お姫さまは、ブタ飼いからつぼをもらったのです。  さあ、これはおもしろいことになったと、みんなは大よろこびです。夜も昼も、つぼの中のお湯を、チンチンわかせておきました。この町の中なら、ご家来のお屋敷でも、靴屋の家でも、いまその台所で、どんな料理が作られているか、わからないような家は、一けんもありませんでした。侍女たちは、踊りながら、手をたたいてよろこびました。 「あたしたちには、だれが、おいしいスープとパンケーキを食べるのか、ちゃんとわかりますのよ。それから、オートミールとカツレツを食べるのは、だれだかも、みんな知ってますのよ。ほんとに、おもしろいったらありませんわ!」 「ほんとにおもしろうございますわ!」と、侍女の頭が言いました。 「そうね、でも、だまっていなくてはいけませんよ。あたしは、皇帝の娘なんですからね」 「はい、はい、そうでございますとも」と、みんなは、口をそろえて言いました。  あのブタ飼いは、ほんとうは王子なんですが、だれも、そんなことは、夢にも知りません。ただ、ほんとうのブタ飼いとばかり、みんなは思いこんでいました。ところが、このブタ飼いは、一日もむだに日を送るようなことはしません。また、何かやっていましたが、見ると、今度はガラガラを作りました。それを振りまわせば、世の中に知られている曲という曲、ワルツでも、ギャロップでも、ポルカでも、どんな曲でも、鳴らすことができるのでした。 「まあ、すてき!」と、お姫さまは、そこを通りかかって、言いました。「こんな美しい曲は、あたし、まだ聞いたことがないわ。ねえ、あそこへ行って、あの楽器のおねだんをきいてきてちょうだい。でも、もうあたし、キスはいやよ」 「お姫さまのキスを百、いただきたいと申しております」ききに行った侍女が、もどってきて、そう言いました。 「きっと、頭がへんなんだわ」お姫さまは、こう言いすてて、歩き出しました。けれども、ほんのちょっと行くか行かないうちに、また立ちどまりました。 「芸術というものは、すすめてやったり、はげましてやらなければならないわ」と、お姫さまは言いました。「それに、あたしは皇帝の娘ですもの。あの男に、こう言ってちょうだい。あたしは、きのうと同じように、キスを十してあげます。あとは、侍女たちがしてあげますって」 「はい。ですけど、そんなこと、あたしたち、いやでございますわ」と、侍女たちは申しました。 「ばかなことを言うんじゃないよ」と、お姫さまは言いました。あたしだって、キスするのだもの、おまえたちだって、そのくらいのことできるでしょう。そのかわりね、おまえたちには、おいしいものや、お金をあげますよ」  こうして、あの侍女は、またもや、はいっていかなければなりませんでした。 「お姫さまのキスを百!」と、ブタ飼いは言いました。「でないと、わたしのものは、なにもあげません」 「おまえたち、あたしの前に立っておくれ」と、お姫さまは言いました。侍女たちは、みんな、お姫さまの前に立ちならびました。それから、お姫さまは、ブタ飼いにキスをしはじめました。 「あの、下のブタ小屋のところには、あんなに人が集まっているが、いったい、どうしたことじゃ?」そのとき、露台に出てきた皇帝が、言いました。そして、目をこすって、めがねをかけました。「あそこでさわいでいるのは、どうやら侍女たちじゃな。どれ、おりていって、見てやろう!」  こう言って、皇帝はスリッパのかかとを、ぐっと上げました。いつもはいている靴は、かかとをふみつぶしてしまって、スリッパになっていたのです。  おや、おや、皇帝の早いこと、早いこと! たいへんないそぎようでした。  庭におりると、皇帝は、そっと、しのび足で歩きはじめました。侍女たちは、ブタ飼いのもらうキスが、多すぎも少なすぎもしないで、きちんと数だけもらうように、むちゅうになってキスの数をかぞえていましたので、皇帝のおいでになったことには、すこしも気がつきませんでした。皇帝は、のび上がって、ごらんになりました。 「いや、はや、なんたることじゃ!」と、皇帝は、ふたりがキスしているのを見て、言いました。そして、ブタ飼いが、ちょうど八十六回めのキスをもらったときに、かたほうのスリッパで、ふたりの頭を打ちました。 「出ていけ!」と、皇帝は、かんかんにおこって、言いました。  こうして、お姫さまも、ブタ飼いも、とうとう、この国から追い出されてしまいました。  お姫さまは立ちどまって、泣き出しました。ブタ飼いは、ぶつぶつ文句を言っていました。そのうちに、雨がざあざあ降ってきました。 「ああ、あたしは、なんてみじめな人間なんでしょう!」と、お姫さまは言いました。「あの美しい王子さまを、おむかえしておけばよかったのに! ああ、なんてあたしは、ふしあわせなんでしょう!」  そのとき、ブタ飼いは近くにある、木のかげにいって、顔にぬっていた、茶色や黒のきたない色をふきとりました。それから、きたならしい着物をぬぎすてて、今度は、自分の王子の着物を着て、出てきました。さあ、こうなると、目もさめるほどりっぱなものですから、思わず、お姫さまも、王子の前におじぎをしないではいられませんでした。 「ぼくは、あなたをさげすまずにはいられません!」と、王子は言いました。「あなたは、りっぱな王子をむかえようとはなさらなかった! バラの花やナイチンゲールの、ほんとうのねうちも、あなたにはおわかりにならなかった! それなのに、おもちゃなんかのためには、ブタ飼いにまでもキスをなさる! さあ、いまこそ、あなたは、そのばつをお受けになったのです!――」  こう言うと、王子は、自分の国へ帰って、門をしめ、かんぬきをさしてしまいました。ですから、今度は、お姫さまが門の外に立って、うたいました。 ああ、いとしいアウグスチン、 もうおしまいよ、なにもかも!
底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1981(昭和56)年5月30日21刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年2月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 ある、詩人の部屋の中でのお話です。だれかが、詩人の机の上にあるインキつぼを見て、こう言いました。 「こんなインキつぼの中から、ありとあらゆるものが生れてくるんだから、まったくもってふしぎだなあ! 今度は、いったい、なにが出てくるんだろう? いや、ほんとにふしぎなもんさ」 「そうなのよ」と、インキつぼは言いました。「それが、あたしには、どうしてもわからないの。いつも言ってることなんですけどね」と、インキつぼは、鵞ペンだの、そのほか、机の上にのっている、耳の聞えるものたちにむかって、言いました。 「この、あたしの中から、どんなものでも、生れてくるのかと思うと、ほんとにふしぎな気がするわ。ちょっと、信じられないくらいよ。  人間があたしの中から、インキをくみ出そうとするとき、今度は、どんなものが出てくるのか、あたし自身にもわからないの。あたしの中から、たった一しずく、くみ出しさえすれば、それで、半ページは書けるのよ。おまけに、その紙の上には、どんなものだって、書きあらわされるのよ。ほんとに、ふしぎったらないわ!  あたしの中から、詩人のあらゆる作品が生れてくるのよ。読んでいる人が、どこかで見たと思うくらいに、いきいきとえがかれている人物も、しみじみとした感情も、それから、しゃれたユーモアも、美しい自然の描写もよ。といっても、ほんとは、あたし、自然て、なんだか知りませんけどね。だって、自然なんてものは、見たことがないんですもの。だけど、あたしの中にあることだけは、まちがいないわ。  あの、身のかるい、美しい娘たちのむれも、鼻からあわをふいている、荒ウマにまたがった、いさましい騎士たち、ペール・デヴァーや、キルスデン・キマーも、みんな、あたしの中から生れてきたんだし、これからも生れてくるのよ。もちろん、あたし自身が知ってるわけじゃないけど。だいいち、あたし、そんなこと考えてもみなかったわ」 「たしかに、あなたの言うとおりですよ」と、鵞ペンが言いました。 「あなたは、考えてみるということを、なさらない。もしもあなたが、ちょっとでも考えてみるとする。そうすれば、あなたから出てくるものは、ただの液体だということぐらい、すぐわかるはずですからね。あなたが、その液体をくださる。それで、わたしは話をすることができるんですよ。わたしのうちにあるものを、紙の上に見えるようにすることができるんです。つまり、書きおろすというわけなんですよ。  いいですか。書くのは、ペンですからね。これだけは、どんな人間も、うたがいはしませんよ。ところが、詩のこととなると、たいていの人間が、古いインキつぼと同じくらいの考えしか、持っていないんですからねえ」 「まだ、世間のことも、ろくに知らないくせに」と、インキつぼは言いました。「あなたなんか、やっと一週間ばかり、働いただけで、もう半分、すりきれてしまったじゃないの。ご自分では、詩人の気でいるのね。あなたなんて、ただの召使よ。あたしはね、あなたが来るまえに、もうずいぶん、あなたの親類をつかっているのよ。ガチョウ一家のものも、イギリスの工場から来たものもよ。鵞ペンだって、はがねのペンだって、どっちも、よく知ってるわ。そりゃ、たくさん、つかったんですもの。  でも、あの人間がね、そら、あたしのために働いてくれる人間のことよ。あの人間がやってきて、あたしの中からくみ出したものを、書きおろすようになれば、もっともっとたくさん、つかうようになるわ。それにしても、あたしの中から、くみ出されるさいしょのものは、いったい、どんなものになるのかしら」 「ふん、インキだるめ!」と、ペンは言いました。  その晩おそく、詩人は家に帰ってきました。詩人は音楽会に行っていたのです。有名なバイオリンの名人の、すばらしい演奏を聞いて、すっかり心をうたれ、頭の中は、それでいっぱいでした。音楽家が楽器から引き出したのは、ほんとうにおどろくべき音の流れでした。それは、サラサラと音をたてる、水のしずくのようにも、真珠と真珠のふれあう音のようにも聞えました。また、あるときには、小鳥たちが、声を合せてさえずるようにも、聞えました。そうかと思うと、モミの木の森に、あらしがふきすさぶようにも、聞えました。  詩人は、自分の心のすすり泣く声が、聞えるような気がしました。けれども、それは、女の人の美しい声でなければ、とうてい聞くことができないようなメロディーでした。  ただ、バイオリンの弦だけが、鳴っているのではありません。こまも、せんも、共鳴板も、みんな鳴っているようでした。ほんとうに、おどろくべきことでした。曲は、むずかしいものでした。でも、見たところでは、まるで遊んでいるように、弓が弦の上を、あちこちと、動きまわっているだけでした。これなら、だれにでも、まねすることができそうでした。  バイオリンは、ひとりでに鳴り、弓はひとりでに動いて、まるで、この二つだけで、音楽が鳴っているようでした。みんなは、それを演奏し、それに命と、魂とをふきこんでいる、バイオリンの名人のことは、忘れていました。そうです、その名人のことを、みんなは、忘れていたのです。しかし、詩人は、今、その音楽家のことを思い出していました。詩人は、その人の名を口にし、自分の感想を、つぎのように書きしるしました。 「弓とバイオリンとが、自分のことをじまんするとしたら、じつに、ばかげたことだ。しかし、われわれ人間も、たびたび、同じような、あやまちをする。詩人にしても、芸術家にしても、学者にしても、将軍にしてもだ。われわれは、自分をじまんする。――だが、われわれは、みんな、神の演奏なさる楽器にすぎないのだ。神にのみ、さかえあれ! われわれには、だれひとりとして、じまんすべきものは、なにもないのだ」  詩人は、こう書きつけると、比喩として、「名人と楽器」という題をつけました。 「みごとに、やられましたね、奥さん」と、ペンはインキつぼにむかって、ふたりきりになったとき、言いました。「いま詩人が読みあげたのは、わたしの書きおろしたものですが、お聞きになったでしょうな」 「ええ、あたしが、あなたにあげた、書く材料でね」と、インキつぼは言いました。「あれは、あなたのごうまんを、こらしめるための一うちよ。あなたは、自分がからかわれているのも、わからないじゃないの。あたしはね、心の奥底からの一うちを、あなたにさしあげたのよ。あたし、自分の皮肉ぐらい、わかってよ」 「なに、このインキ入れめ!」と、ペンは言いました。 「ふん、この字書き棒!」と、インキつぼも、やりかえしました。  これで、ふたりとも、それぞれに、うまい返事をした気でいました。うまい返事をしたと思うと、気持がすうっとして、ぐっすり眠れるものです。で、ふたりは、眠ってしまいました。  けれども、詩人は眠りませんでした。さまざまの思いが、バイオリンの中から、わき出てくる音のように、あとからあとから、わきおこってきました。ときには真珠のふれあうように、またときには、森に吹きすさぶあらしのように。詩人は、その中に、自分自身の心を感じました。永遠の名人からの光を一すじ、感じました。  永遠の名人にのみ、さかえあれ。
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2021年4月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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「おそろしい話なのよ!」と、一羽のメンドリが言いました。  そこは、町のはずれで、このお話のできごとのあったところとは、なんの関係もない場所でした。 「むこうの、トリ小屋で起った、おそろしい話なのよ。あたし、今夜は、とっても、ひとりでなんか、眠れそうもないわ。でも、あたしたちは、こうやってみんないっしょに、とまり木の上にかたまっているからいいけれど」  それから、メンドリは話しはじめました。すると、ほかのメンドリたちは、毛をさかだて、オンドリたちは、とさかを、だらりとたれました。ほんとにそのとおり!  それでは、はじめから、ちゃんと、お話しすることにしましょう。さて、その出来事のはじまりというのは、町のむこうはずれの、トリ小屋の中で起ったことなのです。  お日さまがしずむと、ニワトリたちは、とまり木に飛びあがりました。その中に一羽、まっ白な羽をした、足の短いメンドリがいました。卵もきちんきちんと、よく生みますし、メンドリとしては、どこからみても申し分のない、りっぱなメンドリでした。このメンドリが、とまり木に飛びあがろうとしながら、自分の羽をくちばしでつついたのです。すると、そのひょうしに、小さな羽が一枚、ぬけおちました。 「あら、羽が一枚ぬけたわ」と、そのメンドリは言いました。「でも、いいわ。あたしは、羽をつつけばつつくほど、きれいになっていくんですもの」  もちろん、これは、じょうだんに言ったことなのです。なぜって、このメンドリは、仲間の中でも、ほがらかなたちだったんですから。それに、さっきもお話ししたとおり、たいへんりっぱなメンドリだったのです。それから、このメンドリは眠ってしまいました。  あたりは、まっ暗でした。メンドリたちは、からだをすりよせて眠っていました。ところが、そのメンドリのおとなりにいたメンドリだけは、まだ眠っていませんでした。このメンドリは、聞いても聞かないようなふりをしていました。だれでも、この世の中を無事に、のんきに、暮していこうと思えば、そんなふりをしなければならないものですがね。けれども、別のおとなりさんに、つい、こう言ってしまいました。 「ねえ、おまえさん。今言ったこと、聞いた? だれって、べつに名前は言わないけどね、この中に、自分をきれいにみせようとして、わざわざ、自分の羽をむしりとるメンドリが、一羽いるのよ。もし、あたしがオンドリだったら、そんなメンドリは、けいべつしてやるわ」  ニワトリたちのいるすぐ上に、フクロウのおかあさんが、だんなさんと子供たちといっしょに、すわっていました。この一家の人たちは、みんな早耳でしたから、いま、おとなりのメンドリが言ったことを、のこらず聞いてしまいました。みんなは、目をまんまるくしました。フクロウのおかあさんは、羽をばたばたさせながら、言いました。 「あんなこと、聞かないほうがいいわ。でも、いま、下で言ったこと、聞いたでしょう。あたしは、この耳でちゃんと聞きましたよ。あなたが元気でいるうちに、いろんなことを聞いておかなくちゃなりませんものね。  あそこにいるニワトリの中には、一羽だけ、いやなメンドリがいるんですよ。メンドリのくせに、自分が、メンドリであることを忘れてしまってね、自分の羽をみんなむしりとって、オンドリの気をひこうっていうんですからね」 「プルネー ギャルド オー ザンファン(子供たちに、気をおつけ)」と、フクロウのおとうさんが、フランス語で言いました。「そんな話は、子供にはよくないからね」 「でも、おむかいの、フクロウさんには話してやりましょう。あの人は、だれとおつきあいしても、評判のいいひとですからね」こう言って、フクロウのおかあさんは飛んでいきました。 「ホー、ホー、ホホー」と、二羽のフクロウは鳴きながら、おむかいの、ハト小屋にいる、ハトにむかって言いました。「お聞きになった? お聞きになった? ホホー。オンドリに見せようとして、羽をみんなむしりとってしまった、メンドリがいるんですって。まだ死にはしないけど、きっとそのうちに、こごえて死んでしまうわ。ホホー」 「どこで? どこで?」と、ハトがクークー鳴きました。 「おむかいの中庭でよ。あたしは、この目で見たもおんなじなの。へんな話をするようだけど、ほんとにそのとおり!」 「おい、聞いてくれよ、聞いてくれよ。ぜったいに、ほんとうの話なんだから」ハトはこう言って、クークー鳴きながら、鳥飼い場へ飛んでいきました。 「一羽のメンドリがね、いや、話によると、二羽だというひともいるけどね。その二羽のメンドリがさ、ほかの仲間とはちがったかっこうをして、オンドリの気をひくために、羽をみんなむしりとっちゃったんだってよ。ずいぶん思いきったことを、やったもんじゃないか。そんなことをすりゃあ、かぜをひいて、熱を出して、死ぬのもあたりまえだよ。二羽とも、死んじまったんだってさ」 「起きろ! 起きろ!」と、オンドリが、大きな声で鳴きながら、板がこいの上に飛びあがりました。まだねむたそうな目つきをしていましたが、それでも、大きな声をはりあげて、鳴きました。 「かわいそうに、三羽のメンドリが、一羽のオンドリを好きになって、そのために、死んだんだとさ。みんな、自分の羽をむしりとってしまったんだ。じつに、なさけない話じゃないか。おれは、自分ひとりの胸にしまっておきたくない。みんなに知らせてやろう」 「みんなに知らせてやろう」と、コウモリは、チーチー鳴き、メンドリはコッコと鳴き、オンドリはコケッコ、コケッコと鳴きました。「みんなに知らせてやろう。みんなに知らせてやろう」  こうして、このお話は、トリ小屋からトリ小屋へとつたわって、とうとうしまいには、そのお話のでた、もとのところへ、もどってきました。そしてそのときには、 「五羽のメンドリがいてね」ということになっていました。「それが、一羽のオンドリを好きになって、だれが、そのために、いちばん気をつかって、やせてしまったかを見せようとしてさ、みんな、自分の羽をむしりとってしまったんだって。それから、血まみれになって、けりっこをしているうちに、とうとう、たおれて死んでしまったんだね。一家の不名誉と、恥辱は、このうえもないし、飼い主にとっても、大きな損害さ」  ところが、あのメンドリは、小さな羽が一枚ぬけおちて、なくなっただけなのですから、まさか、これが、自分の話とは知るはずもありません。それに、このメンドリは、りっぱなメンドリでしたから、こう言いました。 「あたし、そんなメンドリは、けいべつしてやるわ。でも、そういうひとたちって、ずいぶんいるものね。そういうことは、かくしておいてはいけないわ。ひとつ、この話が、新聞にのるようにしてやりましょう。そうすれば、国じゅうにひろまるわ。そのくらいの目にあったって、そのメンドリたちや、家族のものには、しかたがないことだわ」  こうして、このお話は新聞にのりました。それから、本にも印刷されました。ほんとにそのとおり! 小さな一枚の羽が、しまいには、五羽のメンドリになれるんですよ。
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2021年5月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 それはそれは寒い日でした。雪が降っていて、あたりはもう、暗くなりかけていました。その日は、一年のうちでいちばんおしまいの、おおみそかの晩でした。この寒くて、うす暗い夕ぐれの通りを、みすぼらしい身なりをした、年のいかない少女がひとり、帽子もかぶらず、靴もはかないで、とぼとぼと歩いていました。  でも、家を出たときには、スリッパをはいていたのです。けれども、そんなものがなんの役に立つでしょう! なぜって、とても大きなスリッパでしたから。むりもありません。おかあさんが、この間まで使っていたものですもの。ですから、とても大きかったわけです。それを、少女ははいて出かけたのですが、通りをいそいで横ぎろうとしたとき、二台の馬車がおそろしい勢いで走ってきたので、あわててよけようとした拍子に、なくしてしまったのです。かたいっぽうは、そのまま、どこかへ見えなくなってしまいました。もういっぽうは、男の子がひろって、いまに赤ん坊でも生れたら、ゆりかごに使うんだ、と言いながら、持っていってしまいました。  こういうわけで、いま、この少女は、かわいらしい、はだしの足で、歩いているのでした。その小さな足は、寒さのために、赤く、青くなっていました。古ぼけたエプロンの中には、たくさんのマッチを入れていました。そして、手にも一たば持っていました。きょうは、一日じゅう売り歩いても、だれひとり買ってもくれませんし、一シリングのお金さえ、めぐんでくれる人もありませんでした。おなかはへってしまい、からだは氷のようにひえきって、みるもあわれな、いたいたしい姿をしていました! ああ、かわいそうに!  雪がひらひらと、少女の長いブロンドの髪の毛に、降りかかりました。その髪は、えり首のところに、それはそれは美しく巻いてありました。けれども、いまは、そんな自分の姿のことなんか、とてもかまってはいられません。見れば、窓という窓から、明りが外へさしています。そして、ガチョウの焼肉のおいしそうなにおいが、通りまで、ぷんぷんとにおっています。それもそのはず、きょうはおおみそかの晩ですもの。 「そうだわ。きょうは、おおみそかの晩なんだもの」と少女は思いました。  ちょうど、家が二けん、ならんでいました。一けんの家はひっこんでいて、もう一けんは、それよりいくらか、通りのほうへつき出ていましたが、その間のすみっこに、少女はからだをちぢこめて、うずくまりました。小さな足を、からだの下にひっこめてみましたが、寒さは、ちっともしのげません。それどころか、もっともっと寒くなるばかりです。  それでも、少女は家へ帰ろうとはしませんでした。マッチは一つも売れてはいませんし、お金だって、一シリングももらっていないのですから。このまま家へ帰れば、おとうさんにぶたれるにきまっています。それに、家へ帰ったところで、やっぱり寒いのはおんなじです。屋根はあっても、ただあるというだけです。大きなすきまには、わらや、ぼろきれが、つめてはありますけれど、それでも、風はピューピュー吹きこんでくるのです。  少女の小さな手は、寒さのために、もう死んだようになっていました。ああ、こんなときには、たった一本の小さなマッチでも、どんなにありがたいかしれません! マッチのたばから一本取り出して、それをかべにすりつけて、火をつけさえすれば、つめたい指は暖かくなるのです。  とうとう、少女は一本引きぬきました。「シュッ!」ああ、火花が散って、マッチは燃えつきました。暖かい明るいほのおは、まるで、小さなろうそくの火のようでした。少女は、その上に手をかざしました。それは、ほんとうにふしぎな光でした。なんだか、ピカピカ光るしんちゅうのふたと、しんちゅうの胴のついている、大きな鉄のストーブの前にすわっているような気がしました。まあ、火は、なんてよく燃えるのでしょう! そして、なんて気持よく暖かいのでしょう! ほんとうにふしぎです!  少女は、足も暖めようと思って、のばしました。と、そのとたんに、ほのおは、消えてしまいました。ストーブも、かき消すように見えなくなりました。――少女の手には、燃えつくしたマッチの燃えさしが、のこっているばかりでした。  また、新しいマッチをすりました。マッチは燃えついて、あたりが明るくなりました。光がかべにさすと、かべはベールのようにすきとおって、少女は中の部屋を、すかして見ることができました。部屋の中には、かがやくように白いテーブル・クロスをかけた、食卓があって、りっぱな陶器の食器がならんでいます。しかも、そこには、おなかにスモモやリンゴをつめて焼いたガチョウが、ほかほかと、おいしそうな湯気を立てているではありませんか。けれども、もっとすばらしいことには、そのガチョウが、ぴょいとお皿からとびおりて、背中にフォークやナイフをつきさしたまま、床の上を、よたよたと歩きだしたのです。そして貧しい少女のほうへ、まっすぐにやってくるのです。  と、そのとき、マッチの火が消えてしまいました。あとには、ただ、厚い、つめたいかべが、見えるばかりでした。  少女はもう一本、新しいマッチをつけました。すると、今度は、たとえようもないほど美しいクリスマスツリーの下に、すわっているのでした。それは、この前のクリスマスのときに、お金持の商人の家で、ガラス戸ごしに見たのよりも、ずっと大きくて、ずっとりっぱに飾りたててありました。何千本とも、かぞえきれないほどの、たくさんのろうそくが、緑の枝の上で、燃えていました。そして、商店の飾り窓にならべてあるような、色とりどりの美しい絵が、自分のほうを見おろしているのです。思わず、少女は、両手をそちらのほうへ、高くさしのべました。――  と、そのとき、またもや、マッチの火が消えてしまいました。たくさんのクリスマスの光は、高く高くのぼっていきました。そしてとうとう、明るいお星さまになりました。その中の一つが、空に長い長い光の尾を引いて、落ちていきました。 「ああ、だれかが死んだんだわ」と、少女は言いました。なぜって、いまは、この世にはいませんが、世界じゅうでたったひとりだけ、この子をかわいがってくれていた、年とったおばあさんが、よく、こう言っていたからです。「星が落ちるときにはね、ひとりの人の魂が、神さまのみもとに、のぼっていくんだよ」  少女は、もう一本、マッチをかべにすりつけました。あたりが、ぱっと明るくなりました。その光の中に、あの年とったおばあさんが、いかにもやさしく、いかにも幸福そうに、光りかがやいて立っているのでした。 「おばあさん!」と、少女はさけびました。「ああ、あたしも、いっしょに連れていって! だって、マッチの火が消えちゃえば、おばあさんは行っちゃうんでしょ。さっきの、あったかいストーブや、おいしそうな焼きガチョウや、それから、あの大きくて、すてきなクリスマスツリーみたいに!」  そう言って、少女は、たばの中にのこっているマッチを、大いそぎで、みんな、すりました。こうして、おばあさんを、しっかりと、自分のそばにひきとめておこうとしたのです。マッチは、あかあかと燃えあがって、あたりはま昼よりも、もっと明るくなりました。おばあさんが、このときぐらい、美しく、大きく見えたことはありませんでした。おばあさんは、小さな少女を、腕にだき上げました。ふたりは、光とよろこびにつつまれながら、高く高く、天へとのぼっていきました。もう、少女には、寒いことも、おなかのすくようなことも、こわいこともありません。――ふたりは、神さまのみもとに、召されていったのです!  けれども、寒い寒いあくる朝のこと、あの家のすみっこには、小さな少女が頬を赤くして、口もとにはほほえみを浮べて、うずくまっていました。――ああ、でも、死んでいたのです。古い年のさいごの晩に、つめたく、こごえ死んでしまったのでした。あたらしい年のお日さまがのぼって、小さななきがらの上を、照らしました。少女は、マッチのたばをもったまま、うずくまっていましたが、その中の一たばは、もうほとんど、燃えきっていました。  この子は暖まろうとしたんだね、と、人々は言いました。けれども、少女がどんなに美しいものを見たかということも、また、どんな光につつまれて、おばあさんといっしょに、うれしい新年をむかえに、天国へのぼっていったかということも、だれひとり知っている人はありませんでした。
底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年12月15日32刷改版    1992(平成4)年4月5日34刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2021年3月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 いなかは、ほんとうにすてきでした。夏のことです。コムギは黄色くみのっていますし、カラスムギは青々とのびて、緑の草地には、ほし草が高くつみ上げられていました。そこを、コウノトリが、長い赤い足で歩きまわっては、エジプト語でぺちゃくちゃと、おしゃべりをしていました。コウノトリは、おかあさんから、エジプト語をおそわっていたのでした。  畑と草地のまわりには、大きな森がひろがっていて、その森のまんなかに、深い池がありました。ああ、いなかは、なんてすばらしいのでしょう! そこに、暖かなお日さまの光をあびて、一けんの古いお屋敷がありました。まわりを、深い掘割りにかこまれていて、へいから水ぎわまで、大きな大きなスカンポが、いっぱいしげっていました。スカンポは、とても高くのびていましたから、いちばん大きいスカンポの下では、小さな子供なら、まっすぐ立つこともできるくらいでした。そこは、まるで、森のおく深くみたいに、ぼうぼうとしていました。  ここに、アヒルの巣がありました。巣の中には、一羽のおかあさんのアヒルがすわって、今ちょうど、卵をかえそうとしていました。けれども、かわいい子供は、なかなか生れてきませんし、それに、お友だちもめったに、あそびにきてくれないものですから、今では、もうすっかり、あきあきしていました。ほかのアヒルたちにしてみれば、わざわざ、このおかあさんのところへ上っていって、スカンポの下におとなしくすわって、おしゃべりなんかするよりも、掘割りの中を、かってに泳ぎまわっているほうが、おもしろかったのです。  とうとう、卵が一つ、また一つと、つぎつぎに割れはじめました。ピー、ピー、と、鳴きながら、卵のきみが、むくむくと動き出して、かわいい頭をつき出しました。 「ガー、ガー。おいそぎ、おいそぎ」と、おかあさんアヒルは、言いました。すると、子供たちは、大いそぎで出てきて、緑の葉っぱの下から、四方八方を、きょろきょろ見まわしました。そのようすを見て、おかあさんは、みんなに見たいだけ見せてやりました。なぜって、緑の色は、目のためにいいですからね。 「世の中って、すごく大きいんだなあ!」と、子供たちは、口をそろえて言いました。もちろん、卵の中にいたときとは、まるでちがうのですから、こう言うのも、むりはありません。 「おまえたちは、これが、世の中のぜんぶだとでも思っているのかい?」と、おかあさんアヒルは言いました。「世の中っていうのはね、このお庭のむこうのはしをこえて、まだまだずうっと遠くの、牧師さんの畑のほうまで、ひろがっているんだよ。おかあさんだって、まだ行ったことがないくらいなのさ! ――ええと、これで、みんななんだね」  こう言って、おかあさんアヒルは、立ちあがりました。 「おや、まだみんなじゃないわ。いちばん大きい卵が、まだのこっているね。この卵は、なんて長くかかるんだろう! ほんとに、いやになっちゃうわ」こう言いながら、おかあさんアヒルは、しかたなく、またすわりこみました。 「ちょいと、どんなぐあいかね?」と、そのとき、おばあさんのアヒルが、お見舞いにきて、こうたずねました。 「この卵が、一つだけ、ずいぶんかかりましてねえ!」と、卵をかえしていた、おかあさんアヒルが、言いました。「いつまでたっても、穴があきそうもありませんの。でも、まあ、ほかの子たちを見てやってくださいな。みんな、見たこともないほど、きれいなアヒルの子供たちですわ! おとうさんにそっくりなんですのよ。それだのに、あのしょうのない人ったら、お見舞いにもきてくれないんですの」 「どれ、どれ、その割れないという卵を、わたしに見せてごらん!」と、おばあさんアヒルは、言いました。「こりゃあね、おまえさん、シチメンチョウの卵だよ。わたしも、いつか、だまされたことがあってね。そりゃあ、ひどい目にあったもんさ。生れた子供には、さんざん苦労させられてね。だって、おまえさん、その子ったら、水をこわがるんだからね。いくら、水の中へ入れてやろうと思ったって、だめだったよ。どんなに、わたしががみがみ言って、つっつこうと、食いつこうと、そりゃあ、どうしたって、だめなのさ! ――その卵を見せてごらん。ああ、やっぱり、シチメンチョウの卵だよ! こりゃあ、このままにしておいて、ほかの子供たちに、泳ぎでも教えてやるほうがいいね」 「でも、もうすこし、すわっていてみますわ」と、おかあさんアヒルは、言いました。「せっかく、長いあいだ、こうやってすわっていたんですもの。もうすこし、がまんしてみます」 「まあ、お好きなように」おばあさんアヒルは、こう言って、行ってしまいました。  とうとう、その大きな卵が割れました。ピー、ピー、と、ひよこが鳴きながら、ころがり出てきました。ところが、その子ったら、ずいぶん大きくて、ひどくみっともないかっこうをしています。おかあさんアヒルは、その子をじいっとながめて、言いました。「まあ、とんでもなく大きい子だこと! ほかの子には、似てもいやしない! こりゃあ、ほんとうに、シチメンチョウの子かもしれないよ。まあ、いいわ。すぐわかるんだもの。ひとつ、水のところへ連れてって、つきとばしてやりましょう」  あくる日は、すっかり晴れわたって、とても気持のよいお天気でした。お日さまは、キラキラとかがやいて、緑のスカンポの上を照らしています。おかあさんアヒルは、子供たちをみんな連れて、掘割りにやってきました。パチャーン! と、おかあさんは、まっさきに水の中へとびこんで、「ガー、ガー。さあ、おいそぎ!」と、みんなに言いました。すると、アヒルの子供たちは、一羽ずつ、あとからあとからとびこみました。水が頭の上までかぶさりましたが、みんなは、すぐに浮び上がって、じょうずに泳ぎ出しました。足は、ひとりでに動きました。こうやって、みんなは水の上に浮んでいました。見れば、あのみにくい灰色の子も、いっしょに泳いでいます。 「あら、あの子はシチメンチョウなんかじゃないわ」と、おかあさんアヒルは、言いました。「まあ、まあ、足をとってもじょうずに使っていること! からだも、あんなにまっすぐ起してさ! もう、あたしの子にまちがいないわ。それに、よくよく見れば、やっぱりかわいいもの。ガー、ガー、――さあ、みんな、おかあさんについておいで。おまえたちを、世の中へ連れてってあげるからね。鳥小屋のみなさんにも、ひきあわせてあげるよ。だけど、おかあさんのそばから離れちゃいけないよ。ふまれたりすると、たいへんだからね。それから、ネコに気をおつけ!」  そのうちに、みんなは、鳥小屋につきました。ところが、そこでは、おそろしいさわぎの起っている、まっさいちゅうでした。二けんの家のものが、一つのウナギの頭を取りっこして、けんかをしていたのです。ところが、そのあいだに、ネコが、横から取っていってしまいました。 「いいかい、世の中って、こんなものなんだよ」と、アヒルの子供たちのおかあさんは、言いながら、自分も、くちばしをピチャピチャやりました。ほんとうは、おかあさんも、ウナギの頭がほしかったのです。 「さあ、今度は、足を使うようにしましょうね」と、おかあさんアヒルは、言いました。「みんな、いそいで行けるかしらねえ。いいこと、あそこにいる、アヒルのおばあさんの前へ行ったら、おじぎをするんですよ。あの方は、ここにいるひとたちの中で、いちばん身分の高いひとなんだからね。スペインで生れたひとなんだよ。だから、あんなにふとっていらっしゃるのさ! それから、ほら、足に赤い布をつけているでしょう。きれいで、すてきじゃないの。あれはね、わたしたちアヒルがもらうことのできる、いちばんりっぱな勲章なんだよ! あれをつけているのはね、あのひとがいなくならないようにというためと、動物からも、人間からも、すぐわかるようにというためなんだよ。――  さあ、さあ、いそいで! ――足を内側へ向けるんじゃありませんよ。おぎょうぎのいいアヒルの子は、足をぐっと、外側へ開くんですよ。そら、おとうさんや、おかあさんを見てごらん。いいかい、こんなふうにするのよ。さあ、今度は首をまげて、ガー、と、言ってごらん」  そこで、子供たちはみんな、言われたとおりにしました。ほかのアヒルたちが、まわりに集まってきて、みんなをじろじろながめながら、大きな声で言いました。「おい、見ろよ。また、チビが、うんとこさやってきたぞ! おれたちだけじゃ、まだ足りないっていうみたいだ。チェッ、あのアヒルの子は、ありゃあ、なんてやつだ。あんなのはごめんだぜ」――そして、すぐに、一羽のアヒルがとんできて、その子の首すじにかみつきました。 「ほっといてちょうだい」と、おかあさんアヒルは、言いました。「この子は、なんにもしないじゃないの」 「うん。だけど、こいつ、あんまり大きくて、へんてこだもの」と、いま、かみついたアヒルが、言いました。「だから、追っぱらっちゃうんだ」 「かわいい子供さんたちだねえ、おかあさん!」と、足に布をつけている、おばあさんのアヒルが、言いました。「みんな、かわいい子供たちだよ。でも、一羽だけは、べつだがね。かわいそうに。作りかえることができたら、いいのにねえ!」 「そうはまいりませんわ、奥さま!」と、おかあさんアヒルは、言いました。「この子は、かわいらしくは見えませんが、でも気だては、たいへんよいのでございます。それに、泳ぐことも、ほかの子供たちと同じようにできます。いいえ、かえって、すこしじょうずなくらいでございますわ。大きくなれば、もうすこしきれいにもなりましょうし、時がたてば、小さくもなりますでしょう。きっと、卵の中に長くいすぎたものですから、こんなへんな形になってしまいましたのでしょう」こう言って、その子の首すじをつついて、羽をきれいになおしてやりました。 「それに、この子は男の子なんでございますもの」と、おかあさんアヒルは言いました。「ですから、かっこうのわるいなんてことは、どうでもいいことだと思いますわ。きっと、りっぱな強いものになって、生きていってくれるだろうと、思います」 「ほかの子たちは、ほんとうにかわいいね」と、おばあさんアヒルは、言いました。「さあ、さあ、みんな。自分のうちにいるようなつもりで、らくにしておいで。それから、おまえさんたち、ウナギの頭を見つけたら、わたしのところへ持ってきておくれよ。いいかね」――  こう言われたものですから、みんなは、うちにいるように、らくな気持になりました。  けれども、いちばんおしまいに卵から出てきた、みにくいかっこうのアヒルの子だけは、かわいそうに、アヒルの仲間たちばかりか、ニワトリたちからも、かみつかれたり、つつかれたり、ばかにされたりしました。 「こいつ、でかすぎるぞ!」と、みんながみんな、こう言うのです。なかでも、シチメンチョウは、生れつきけづめを持っていたので、皇帝のようなつもりでいたのですが、それだけに、このアヒルの子を見ると、帆に風をいっぱい受けた船のように、からだをぷうっとふくらませて、つかつかと近よってきました。そして、のどをゴロゴロ鳴らしながら、顔をまっかにしました。これを見ると、かわいそうなアヒルの子は、もうどうしたらよいのか、わかりません。自分の姿が、たいそうみにくいために、みんなから、こんなにまでもばかにされるのが、なんともいえないほど悲しくなりました。  さいしょの日は、こんなふうにしてすぎましたが、それからは、だんだんわるくなるばかりです。かわいそうに、アヒルの子は、みんなに追いかけられました。にいさんや、ねえさんたちさえも、やさしくしてくれるどころか、かえっていじわるをして、いつも言うのでした。 「おい、みっともないやつ。おまえなんか、ネコにでもつかまっちまえばいいんだ!」  おかあさんも、 「おまえさえ、どこか遠いところへ行ってくれたらねえ!」と、言いました。ほかのアヒルたちには、かみつかれ、ニワトリたちには、つつきまわされました。鳥にえさをやりにくる娘からは、足でけとばされました。  とうとう、アヒルの子は逃げだして、生垣をとびこえました。すると、やぶの中にいた小鳥たちが、びっくりして、ぱっと舞いあがりました。 「ああ、これも、ぼくがみっともないからなんだなあ!」と、アヒルの子は思って、目をつぶりました。けれども、どんどんさきへ走っていきました。やがて、野ガモの住んでいる、大きな沼地に出ました。アヒルの子は、ここで、一晩ねることにしました。だって、ここまできたら、もうすっかりくたびれていましたし、それに、悲しくってたまらなかったのですもの。  朝になると、野ガモたちはとびたって、あたらしい仲間を見つけました。「きみは、いったい何者だい?」と、みんなは、たずねました。アヒルの子は、あっちへもこっちへも、できるだけていねいにおじぎをしました。 「きみはまた、おっそろしく、みっともないかっこうをしているな」と、野ガモたちは、言いました。「でも、そんなことは、どうだっていいや。ぼくたちの家族のものと結婚しなけりゃ、いいんだ」  かわいそうなアヒルの子は、結婚なんて、夢にも思ってみたことがありません! それどころか、ただ、アシのあいだに休ませてもらって、沼の水をほんのすこし飲ませてもらえば、それだけでよかったのです。  アヒルの子は、そこに二日のあいだ、いました。すると、そこへ、おすのガンが二羽、とんできました。このガンは、卵から出て、まだ、いくらもたっていませんでしたから、すこしむてっぽうすぎました。 「おい、きみ!」と、ガンは言いました。「きみは、なんて、みっともないかっこうをしているんだ! だけど、ぼくは、そのみっともないところが気にいった。どうだい、いっしょに行って、渡り鳥にならないかい? じつは、この近くのもう一つの沼にな、きれいな、かわいい女のガンが二、三羽、住んでいるんだ。むろん、みんなお嬢さんさ。ガー、ガー、って、じょうずにおしゃべりすることもできるんだ。きみが、いくらみっともないかっこうでも、そこへ行けば、幸福をつかむことができるんだぞ」―― 「ダーン、ダーン!」と、そのとき、空で鉄砲の音がしました。とたんに、二羽のガンは、アシの中へ、まっさかさまに落ちて、死にました。水が、血の色でまっかにそまりました。 「ダーン、ダーン!」と、また鉄砲の音がしました。すると、ガンのむれが、アシの中から、ぱっととびたちました。つづいて、また鉄砲の音がしました。大じかけの猟が、はじまったのです。かりゅうどたちは、沼のまわりを、ぐるりと取りまいていました。いや、中には、もっと近くまできて、アシの上にのび出ている木の枝に、腰をおろしている者さえ、二、三人ありました。青い煙が、まるで雲のように、うす暗い木々の間をぬけて、遠く水の面にたなびいていました。  沼の中へ、猟犬が、ピシャッ、ピシャッと、とびこんできました。アシは、あっちへもこっちへも、なびきました。かわいそうに、アヒルの子にとっては、なんというおそろしい出来事だったでしょう! アヒルの子は、びっくりぎょうてんしました。思わず、頭をちぢこめて、羽の下にかくしました。  と、ちょうどその瞬間、おそろしく大きなイヌが、すぐ目の前にとび出してきました。舌はだらりと長くたらして、目はぞっとするほど、ギラギラ光っていました。鼻づらを、アヒルの子のほうへぐっと近づけて、するどい歯をむきだしました。――  ところが、どうしたというのでしょう。アヒルの子にはかみつきもしないで、また、ピシャッ、ピシャッと、むこうへもどっていってしまいました。 「ああ、ありがたい!」と、アヒルの子は、ほっとして、言いました。「ぼくが、あんまりみっともないものだから、イヌまでかみつかないんだな」  アヒルの子は、そのまま、じっとしていました。けれど、そのあいだも、ひっきりなしに、鉄砲のたまが、アシの中へとんできて、ザワザワと音をたてました。  お昼すぎになってから、やっと、あたりが静かになりました。けれども、かわいそうなアヒルの子は、すぐには、起きあがる元気もありませんでした。それから、また、だいぶ時間がたってから、やっと、あたりを見まわしました。そして、大いそぎで、沼から逃げ出しました。畑をこえ、草原をこえて、どんどん走っていきました。そのうちに、はげしい風が吹いてきました。そのため、今度は、とっても走りにくくなりました。  夕方ごろ、とあるみすぼらしい、小さな百姓家にたどりつきました。その家は、見るもあわれなありさまで、自分でも、どっちへたおれようとしているのか、わからないようなようすでした。それでも、まだ、とにかく、こうして、立っているのでした。そうしているうちにも、風が、ピューピュー吹きつけてきました。アヒルの子は、たおれないようにするために、風のほうへしっぽを向けて、からだをささえなければなりません。けれども、風は、ますますひどくなるばかりです。そのとき、ふと見ると、入り口の戸のちょうつがいが一つはずれていて、戸が、いくぶん開いています。どうやら、そのすきまから、部屋の中へ、はいっていくことができそうです。そこで、アヒルの子は、さっそく、そこからはいっていきました。  この家には、ひとりのおばあさんが、一ぴきのネコと、一羽のニワトリといっしょに、住んでいました。おばあさんは、このネコのことを、「坊やちゃん」と呼んでいました。「坊やちゃん」は背中をまるくしたり、のどをゴロゴロ鳴らしたりすることができました。そのうえ、火花を散らすこともできました。もっとも、火花を散らすためには、だれかに、毛をさかさにこすってもらわなければなりません。ニワトリは、たいへんかわいらしい、短い足をしているので、おばあさんは、「短い足のコッコちゃん」と、呼んでいました。「短い足のコッコちゃん」は、とってもよい卵を生むので、おばあさんは、まるで、自分の子供みたいに、かわいがっていました。  あくる朝になると、ネコも、ニワトリも、すぐに、いままで見たことのない、アヒルの子がいるのに気がつきました。ネコは、のどをゴロゴロ鳴らし、ニワトリは、コッコと鳴きだしました。 「どうしたんだね?」と、おばあさんは言って、あたりを見まわしました。けれども、おばあさんは、目があんまりよくなかったものですから、このアヒルの子を、どこからか迷いこんできた、ふとったアヒルだと、かんちがいしてしまいました。 「こりゃあ、いいものがはいってきてくれた」と、おばあさんは言いました。「これからは、アヒルの卵も食べられるってわけだもの。だけど、おすのアヒルでなけりゃいいがねえ。まあ、ためしに飼ってみるとしよう」  こういうわけで、アヒルの子は、三週間のあいだ、ためしに飼われることになりました。でも、もちろん、卵は生みませんでした。ところで、この家では、ネコがご主人で、ニワトリが奥さんでした。そして、いつもふたりは、「われわれと世界は!」と、言っていました。なぜって、ふたりは、おたがいが世界のよいはんぶんで、それも、いちばんよいはんぶんだと、思っていたからです。アヒルの子は、これとはちがったふうに考えることもできるような気がしました。でも、ニワトリは、それをみとめてくれませんでした。 「あんたは、卵を生むことができるの?」と、ニワトリはたずねました。 「いいえ」 「じゃあ、だまっていたらどう!」  すると、今度は、ネコが口を出しました。 「おまえは、背中をまるくすることができるかい? のどをゴロゴロ鳴らすことができるかい? それから、火花を散らすことができるかい?」 「いいえ」 「じゃあ、りこうな人たちが話しているときは、だまっているものだよ」  こうして、アヒルの子は、すみっこにひっこんでいましたが、ちっともおもしろくはありません。そうしているうちに、すがすがしい、気持のよい空気と、お日さまの光が、なつかしく思い出されてきて、たまらないほど、水の上を泳ぎたくなってきました。アヒルの子は、とうとう、がまんができなくなって、そのことを、ニワトリの奥さんにうちあけました。 「あんた、何を言うのよ」と、ニワトリの奥さんは、言いました。「なんにもすることがないもんだから、そんなとんでもない気まぐれを起すんだよ。卵でも生むとか、のどでも鳴らすとかしてごらん。そんなばかげた気まぐれは、どっかへとんでっちゃうから」 「でも、水の上を泳ぐのは、すばらしいんですよ」と、アヒルの子は言いました。「頭から水をかぶったり、水の底のほうまでもぐっていったりするのは、とっても楽しいんですもの」 「ふん、さぞかし、楽しいでしょうよ」と、ニワトリの奥さんは、言いました。「あんたは、気でもちがったんだよ。じゃあ、ネコのだんなさんに聞いてごらん。あのひとは、あたしの知っている人の中で、いちばんりこうな方だがね、あのひとに、水の上を泳いだり、もぐったりするのは、お好きですかって、さ! あたしは、自分のことはなんにも言いたかないわ。――あたしたちのご主人のおばあさんにも、聞いてごらん。あのおばあさんよりりこうな人は、世の中にはいないんだよ。あんた、いったい、あのおばあさんが、泳いだり、水を頭からかぶったりするのが好きだとでも、思うの?」 「ぼくの言うことが、あなたがたには、おわかりにならないんです!」と、アヒルの子は、言いました。 「ふん、あたしたちにおまえさんの言うことがわからなければ、いったい、だれにならわかるっていうの? あんた、まさか、ネコのだんなさんや、あのおばあさんよりも、自分のほうがりこうだなんて、言うんじゃないだろうね。まあ、あたしは、別にしたところでさ! あんまり、なまいきなことを言うんじゃないよ! 子供のくせに! そんなことばかり言ってないで、まあ、まあ、ひとが親切にしてくれたことでも、ありがたく思うんだね。  あんたは、こうして暖かい部屋に入れてもらって、あたしたちの仲間に入れてもらったんじゃないか。おまけに、いろんなことまで、教えてもらったんじゃないの! それだのに、あんたはまぬけよ! あたし、あんたなんかとつき合ってると、おもしろかないわ。だけど、さ、ね! あたしはあんたのことを思うからこそ、こんないやなことまで言ってしまうのよ。だから、ほんとのお友だちというものさ。さあ、さあ、これからは、いっしょうけんめいに、卵を生むとか、のどをゴロゴロ鳴らして、火花でも散らすようにするといいわ!」 「でも、ぼくは、外の広い世の中へ、出ていきたいんです!」と、アヒルの子は、言いました。 「それなら、かってにおし!」と、ニワトリの奥さんは、言いました。  そこで、アヒルの子は出ていきました。そして、楽しそうに水の上を泳いだり、水の中にもぐったりしました。けれども、姿がみにくいために、どの動物からも相手にされませんでした。  やがて、秋になりました。森の木の葉は、黄色や茶色になりました。強い風が吹いてくると、木の葉は、くるくると舞いあがりました。高い空のほうは、寒々としていました。雲は、あられや雪をふくんで、どんよりと、たれさがっていました。生垣の上には、カラスがとまって、いかにも寒そうに、カー、カーと、鳴いていました。考えてみただけでも、ぶるぶるっとしそうな寒さです。こんなとき、あのアヒルの子はどうしていたでしょうか。かわいそうに、すっかり弱っていました。  ある夕方、お日さまが、キラキラと美しくかがやいて、しずみました。そのとき、アヒルの子がまだ見たこともないような、美しい大きな鳥のむれが、茂みの中からとびたちました。みんな、からだじゅうが、かがやくようにまっ白で、長い、しなやかな首をしています。それは、ハクチョウたちだったのです。ハクチョウのむれは、ふしぎな声をあげながら、美しい大きなつばさをひろげて、寒いところから暖かい国へいこうと、広い広い海をめがけて、とんでいくところでした。ハクチョウたちは、高く高くのぼって行きました。  それを見ているうちに、みにくいアヒルの子は、なんともいえない、ふしぎな気持になりました。それで、水の中で、車の輪のように、ぐるぐるまわると、首をハクチョウたちのほうへ高くのばして、自分でもびっくりするほどの、大きな、ふしぎな声をあげて、さけびました。ああ、なんという美しい鳥でしょう! あの美しい鳥、幸福な鳥を、アヒルの子は、けっして忘れることができませんでした。  ハクチョウたちの姿が見えなくなると、みにくいアヒルの子は、水の底までもぐっていきました。けれども、もう一度浮びあがったときには、まるで、むがむちゅうになっていました。アヒルの子は、あの美しい鳥がなんという名前なのか知りません。そして、どこへとんでいったのかも知りません。けれども、いままでのどんなものよりも、いちばんなつかしく思われるのです。なんだか、好きで好きでたまらないのです。でも、うらやましいなどとは、すこしも思いませんでした。アヒルの子にしてみれば、あんな美しい姿になろうなんて、どうして願うことができましょう。ただ、ほかのアヒルたちが、自分を仲間に入れてくれさえすれば、それだけで、どんなにうれしいかしれないのです。――ああ、なんてかわいそうな、みにくいアヒルの子でしょう!  いよいよ、冬になりました。ひどい、ひどい寒さです。アヒルの子は、水の面がすっかりこおってしまわないように、ひっきりなしに、泳ぎまわっていなければなりませんでした。けれども、一晩、一晩とたつうちに、泳ぎまわる場所が、だんだんせまくなり、小さくなりました。あたりは、まもなく、ミシミシと音をたてるほど、こおりついてきました。アヒルの子は、氷のために、泳ぐ場所をみんなふさがれてしまわないように、しょっちゅう、足を動かしていなければなりませんでした。でも、とうとうしまいには、くたびれきって、動くこともできなくなり、氷の中にとじこめられてしまいました。  つぎの朝早く、ひとりのお百姓さんが通りかかって、あわれなアヒルの子を見つけました。お百姓さんは、すぐさま、そばへやってきて、木靴で氷をくだいて、家のおかみさんのところへ持って帰りました。こうして、アヒルの子は生きかえりました。  お百姓さんの子どもたちは、大よろこびで、アヒルの子とあそぼうとしました。ところが、アヒルの子のほうは、またいじめられるにちがいないと思って、こわくてこわくてたまりません。で、あんまりびくびくしていたものですから、ミルクつぼの中へとびこんでしまいました。おかげで、ミルクが、部屋じゅうにとび散りました。おかみさんは大声でわめきたてて、両手を高く上げて、打ちあわせました。それで、アヒルの子は、またびっくりしてしまい、今度は、バターの入れてある、たるの中にとびこみました。それから、ムギ粉のおけの中へとびこんで、そのあげく、やっとのことで、とび出してきました。いやはや、たいへんなさわぎです! おかみさんは、きんきんした声でさけびながら、火ばしで、アヒルの子をぶとうとしました。いっぽう、子供たちは子供たちで、アヒルの子をつかまえようとして、ぶつかりっこをしては、笑ったり、わめいたり。いやもう、たいへんなことになりました! ――  ところが、ありがたいことに、戸があけはなしになっていました。それを見るが早いか、アヒルの子は、いま降ったばかりの雪の中の、茂みの中へ、とびこみました。――そして、まるで冬眠でもしているように、そこに、じっとしていました。  さて、このあわれなアヒルの子が、きびしい冬のあいだに、たえしのばなければならなかった、苦しみや、悲しみを、みんなお話ししていれば、あまりにも悲しくなってしまいます。―― ――やがて、いつのまにか、お日さまが、暖かくかがやきはじめました。そのころ、アヒルの子は、まだやっぱり、沼のアシのあいだに、じっとしていました。もう、ヒバリが歌をうたいはじめました。――いよいよ、すてきな春になったのです。  そのとき、アヒルの子は、きゅうに、つばさを羽ばたきました。すると、つばさは前よりも強く空気をうって、からだが、すうっと持ちあがり、らくらくととぶことができました。そして、なにがなんだか、よくわからないうちに、とある大きな庭の中に来ていました。庭には、リンゴの木が美しく花を開き、ニワトコはよいにおいをはなって、長い緑の枝を、静かにうねっている掘割りのほうへ、のばしていました。ああ、ここは、なんて美しいのでしょう! なんて、あたらしい春のかおりに、みちみちているのでしょう!  そのとき、目の前の茂みの中から、三羽の美しい、まっ白なハクチョウが出てきました。ハクチョウたちは羽ばたきながら、水の上をかろやかに、すべるように、泳いできました。アヒルの子は、この美しいハクチョウたちを知っていました。そして、いまその姿を見ると、なんともいえない、ふしぎな、悲しい気持になりました。 「ぼくは、あの美しい、りっぱなハクチョウたちのところへとんでいこう。けれど、ぼくはこんなにみにくいんだから、近よっていったりすれば、きっと殺されてしまうだろう。でも、いいや。どうせ、ぼくなんかは、ほかのアヒルからはいじめられ、ニワトリからはつっつかれ、えさをくれる娘からは、けとばされるんだもの。それに、冬になれば、いろんな悲しいことや、苦しいことを、がまんしなければならないんだもの。それを思えば、ハクチョウたちに殺されるほうが、どんなにいいかしれやしない」こう思って、アヒルの子は水の上にとびおりて、美しいハクチョウたちのほうへ、泳いでいきました。これを見ると、ハクチョウたちは、美しく羽をなびかせながら、近づいてきました。 「さあ、ぼくを殺してください」と、かわいそうなアヒルの子は、言いながら、頭を水の上にたれて、殺されるのを待ちました。――ところが、すみきった水の面には、いったい、何が見えたでしょうか? そこには、自分の姿がうつっていました。けれども、それはみにくくて、みんなにいやがられた、かっこうのわるい、あの灰色の鳥の姿ではありません。それは、美しい一羽のハクチョウではありませんか。  そうです。ハクチョウの卵からかえったものならば、たとえ鳥小屋で生れたにしても、やっぱり、りっぱなハクチョウにちがいないのです。  アヒルの子は、いままでに受けてきた、さまざまの苦しみや、悲しみのことを思うにつけて、いまの幸福を心からうれしく思いました。そして、いまの自分に与えられている幸福や、すばらしさが、いまはじめてわかりました。ほんとうに、なんてしあわせなことでしょう! ――大きなハクチョウたちは、このあたらしいハクチョウのまわりを泳ぎながら、くちばしで羽をなでてくれました。  そのとき、小さな子供たちが二、三人、お庭の中へはいってきました。みんなは、パンくずや、ムギのつぶを、水の中へ投げてくれました。そのうちに、いちばん小さい子が、大声でさけびました。 「あっ、あそこに、あたらしいハクチョウがいるよ!」  すると、ほかの子供たちも、いっしょに、うれしそうな声をあげました。 「ほんとだ。あたらしいハクチョウがきた!」  みんなは、手をたたいて、踊りまわると、おとうさんとおかあさんのところへ駆けていきました。それから、またパンやお菓子を投げこんでくれました。そして、だれもかれもが、言いました。 「あたらしいハクチョウが、いちばんきれいだね。とても若くて、美しいね」  すると、年上のハクチョウたちが、若いハクチョウのまえに頭をさげました。  若いハクチョウは、はずかしさでいっぱいになり、どうしてよいかわからなくなって、頭をつばさの下にかくしました。ハクチョウは、とてもとても幸福でした。でも、すこしも、いばったりはしませんでした。心のすなおなものは、けっして、いばったりはしないものなのです。ハクチョウは、いままで、どんなにみんなから追いかけられたり、ばかにされたりしたかを、思い出しました。けれども、いまは、みんなが、自分のことを、美しい鳥の中でもいちばん美しい、と、言ってくれているのです。ニワトコは、水の上のハクチョウのほうへ枝をさしのべて、頭をさげました。お日さまは、それはそれは暖かく、やさしく照っていました。ハクチョウは、羽を美しくなびかせて、ほっそりとした首をまっすぐに起しました。そして、心の底からよろこんで言いました。 「ぼくがみにくいアヒルの子だったときには、こんなに幸福になれようとは、夢にも思わなかった!」
底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1981(昭和56)年5月30日21刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2019年11月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 それは田舎の夏のいいお天気の日の事でした。もう黄金色になった小麦や、まだ青い燕麦や、牧場に積み上げられた乾草堆など、みんなきれいな眺めに見える日でした。こうのとりは長い赤い脚で歩きまわりながら、母親から教わった妙な言葉でお喋りをしていました。  麦畑と牧場とは大きな森に囲まれ、その真ん中が深い水溜りになっています。全く、こういう田舎を散歩するのは愉快な事でした。  その中でも殊に日当りのいい場所に、川近く、気持のいい古い百姓家が立っていました。そしてその家からずっと水際の辺りまで、大きな牛蒡の葉が茂っているのです。それは実際ずいぶん丈が高くて、その一番高いのなどは、下に子供がそっくり隠れる事が出来るくらいでした。人気がまるで無くて、全く深い林の中みたいです。この工合のいい隠れ場に一羽の家鴨がその時巣について卵がかえるのを守っていました。けれども、もうだいぶ時間が経っているのに卵はいっこう殻の破れる気配もありませんし、訪ねてくれる仲間もあまりないので、この家鴨は、そろそろ退屈しかけて来ました。他の家鴨達は、こんな、足の滑りそうな土堤を上って、牛蒡の葉の下に坐って、この親家鴨とお喋りするより、川で泳ぎ廻る方がよっぽど面白いのです。  しかし、とうとうやっと一つ、殻が裂け、それから続いて、他のも割れてきて、めいめいの卵から、一羽ずつ生き物が出て来ました。そして小さな頭をあげて、 「ピーピー。」 と、鳴くのでした。 「グワッ、グワッってお言い。」 と、母親が教えました。するとみんな一生懸命、グワッ、グワッと真似をして、それから、あたりの青い大きな葉を見廻すのでした。 「まあ、世界ってずいぶん広いもんだねえ。」 と、子家鴨達は、今まで卵の殻に住んでいた時よりも、あたりがぐっとひろびろしているのを見て驚いて言いました。すると母親は、 「何だね、お前達これだけが全世界だと思ってるのかい。まあそんな事はあっちのお庭を見てからお言いよ。何しろ牧師さんの畑の方まで続いてるって事だからね。だが、私だってまだそんな先きの方までは行った事がないがね。では、もうみんな揃ったろうね。」 と、言いかけて、 「おや! 一番大きいのがまだ割れないでるよ。まあ一体いつまで待たせるんだろうねえ、飽き飽きしちまった。」  そう言って、それでもまた母親は巣に坐りなおしたのでした。 「今日は。御子様はどうかね。」  そう言いながら年とった家鴨がやって来ました。 「今ねえ、あと一つの卵がまだかえらないんですよ。」 と、親家鴨は答えました。 「でもまあ他の子達を見てやって下さい。ずいぶんきりょう好しばかりでしょう? みんあ父親そっくりじゃありませんか。不親切で、ちっとも私達を見に帰って来ない父親ですがね。」  するとおばあさん家鴨が、 「どれ私にその割れない卵を見せて御覧。きっとそりゃ七面鳥の卵だよ。私もいつか頼まれてそんなのをかえした事があるけど、出て来た子達はみんな、どんなに気を揉んで直そうとしても、どうしても水を恐がって仕方がなかった。私あ、うんとガアガア言ってやったけど、からっきし駄目! 何としても水に入れさせる事が出来ないのさ。まあもっとよく見せてさ、うん、うん、こりゃあ間違いなし、七面鳥の卵だよ。悪いことは言わないから、そこに放ったらかしときなさい。そいで早く他の子達に泳ぎでも教えた方がいいよ。」 「でもまあも少しの間ここで温めていようと思いますよ。」 と、母親は言いました。 「こんなにもう今まで長く温めたんですから、も少し我慢するのは何でもありません。」 「そんなら御勝手に。」  そう言い棄てて年寄の家鴨は行ってしまいました。  とうとう、そのうち大きい卵が割れてきました。そして、 「ピーピー。」 と鳴きながら、雛鳥が匐い出してきました。それはばかに大きくて、ぶきりょうでした。母鳥はじっとその子を見つめていましたが、突然、 「まあこの子の大きい事! そしてほかの子とちっとも似てないじゃないか! こりゃあ、ひょっとすると七面鳥かも知れないよ。でも、水に入れる段になりゃ、すぐ見分けがつくから構やしない。」 と、独言を言いました。  翌る日もいいお天気で、お日様が青い牛蒡の葉にきらきら射してきました。そこで母鳥は子供達をぞろぞろ水際に連れて来て、ポシャンと跳び込みました。そして、グワッ、グワッと鳴いてみせました。すると小さい者達も真似して次々に跳び込むのでした。みんないったん水の中に頭がかくれましたが、見る間にまた出て来ます。そしていかにも易々と脚の下に水を掻き分けて、見事に泳ぎ廻るのでした。そしてあのぶきりょうな子家鴨もみんなと一緒に水に入り、一緒に泳いでいました。 「ああ、やっぱり七面鳥じゃなかったんだ。」 と、母親は言いました。 「まあ何て上手に脚を使う事ったら! それにからだもちゃんと真っ直ぐに立ててるしさ。ありゃ間違いなしに私の子さ。よく見りゃ、あれだってまんざら、そう見っともなくないんだ。グワッ、グワッ、さあみんな私に従いてお出で。これから偉い方々のお仲間入りをさせなくちゃ。だからお百姓さんの裏庭の方々に紹介するからね。でもよく気をつけて私の傍を離れちゃいけないよ。踏まれるから。それに何より第一に猫を用心するんだよ。」  さて一同で裏庭に着いてみますと、そこでは今、大騒ぎの真っ最中です。二つの家族で、一つの鰻の頭を奪いあっているのです。そして結局、それは猫にさらわれてしまいました。 「みんな御覧、世間はみんなこんな風なんだよ。」 と、母親は言って聞かせました。自分でもその鰻の頭が欲しかったと見えて、嘴を磨りつけながら、そして、 「さあみんな、脚に気をつけて。それで、行儀正しくやるんだよ。ほら、あっちに見える年とった家鴨さんに上手にお辞儀おし。あの方は誰よりも生れがよくてスペイン種なのさ。だからいい暮しをしておいでなのだ。ほらね、あの方は脚に赤いきれを結えつけておいでだろう。ありゃあ家鴨にとっちゃあ大した名誉なんだよ。つまりあの方を見失わない様にしてみんなが気を配ってる証拠なの。さあさ、そんなに趾を内側に曲げないで。育ちのいい家鴨の子はそのお父さんやお母さんみたいに、ほら、こう足を広くはなしてひろげるもんなのだ。さ、頸を曲げて、グワッって言って御覧。」  家鴨の子達は言われた通りにしました。けれどもほかの家鴨達は、じろっとそっちを見て、こう言うのでした。 「ふん、また一孵り、他の組がやって来たよ、まるで私達じゃまだ足りないか何ぞの様にさ! それにまあ、あの中の一羽は何て妙ちきりんな顔をしてるんだろう。あんなのここに入れてやるもんか。」  そう言ったと思うと、突然一羽跳び出して来て、それの頸のところを噛んだのでした。 「何をなさるんです。」 と、母親はどなりました。 「これは何にも悪い事をした覚えなんか無いじゃありませんか。」 「そうさ。だけどあんまり図体が大き過ぎて、見っともない面してるからよ。」 と、意地悪の家鴨が言い返すのでした。 「だから追い出しちまわなきゃ。」  すると傍から、例の赤いきれを脚につけている年寄家鴨が、 「他の子供さんはずいみんみんなきりょう好しだねえ、あの一羽の他は、みんなね。お母さんがあれだけ、もう少しどうにか善くしたらよさそうなもんだのに。」 と、口を出しました。 「それはとても及びませぬ事で、奥方様。」 と、母親は答えました。 「あれは全くのところ、きりょう好しではございませぬ。しかし誠に善い性質をもっておりますし、泳ぎをさせますと、他の子達くらい、――いやそれよりずっと上手に致します。私の考えますところではあれも日が経ちますにつれて、美しくなりたぶんからだも小さくなる事でございましょう。あれは卵の中にあまり長く入っておりましたせいで、からだつきが普通に出来上らなかったのでございます。」  そう言って母親は子家鴨の頸を撫で、羽を滑かに平らにしてやりました。そして、 「何しろこりゃ男だもの、きりょうなんか大した事じゃないさ。今に強くなって、しっかり自分の身をまもる様になる。」 こんな風に呟いてもみるのでした。 「実際、他の子供衆は立派だよ。」 と、例の身分のいい家鴨はもう一度繰返して、 「まずまず、お前さん方もっとからだをらくになさい。そしてね、鰻の頭を見つけたら、私のところに持って来ておくれ。」 と、附け足したものです。  そこでみんなはくつろいで、気の向いた様にふるまいました。けれども、あの一番おしまいに殻から出た、そしてぶきりょうな顔付きの子家鴨は、他の家鴨やら、その他そこに飼われている鳥達みんなからまで、噛みつかれたり、突きのめされたり、いろいろからかわれたのでした。そしてこんな有様はそれから毎日続いたばかりでなく、日に増しそれがひどくなるのでした。兄弟までこの哀れな子家鴨に無慈悲に辛く当って、 「ほんとに見っともない奴、猫にでもとっ捕った方がいいや。」 などと、いつも悪体をつくのです。母親さえ、しまいには、ああこんな子なら生れない方がよっぽど幸だったと思う様になりました。仲間の家鴨からは突かれ、鶏っ子からは羽でぶたれ、裏庭の鳥達に食物を持って来る娘からは足で蹴られるのです。  堪りかねてその子家鴨は自分の棲家をとび出してしまいました。その途中、柵を越える時、垣の内にいた小鳥がびっくりして飛び立ったものですから、 「ああみんなは僕の顔があんまり変なもんだから、それで僕を怖がったんだな。」 と、思いました。それで彼は目を瞑って、なおも遠く飛んで行きますと、そのうち広い広い沢地の上に来ました。見るとたくさんの野鴨が住んでいます。子家鴨は疲れと悲しみになやまされながらここで一晩を明しました。  朝になって野鴨達は起きてみますと、見知らない者が来ているので目をみはりました。 「一体君はどういう種類の鴨なのかね。」  そう言って子家鴨の周りに集まって来ました。子家鴨はみんなに頭を下げ、出来るだけ恭しい様子をしてみせましたが、そう訊ねられた事に対しては返答が出来ませんでした。野鴨達は彼に向って、 「君はずいぶんみっともない顔をしてるんだねえ。」 と、云い、 「だがね、君が僕達の仲間をお嫁にくれって言いさえしなけりゃ、まあ君の顔つきくらいどんなだって、こっちは構わないよ。」 と、つけ足しました。  可哀そうに! この子家鴨がどうしてお嫁さんを貰う事など考えていたでしょう。彼はただ、蒲の中に寝て、沢地の水を飲むのを許されればたくさんだったのです。こうして二日ばかりこの沢地で暮していますと、そこに二羽の雁がやって来ました。それはまだ卵から出て幾らも日の経たない子雁で、大そうこましゃくれ者でしたが、その一方が子家鴨に向って言うのに、 「君、ちょっと聴き給え。君はずいぶん見っともないね。だから僕達は君が気に入っちまったよ。君も僕達と一緒に渡り鳥にならないかい。ここからそう遠くない処にまだほかの沢地があるがね、そこにやまだ嫁かない雁の娘がいるから、君もお嫁さんを貰うといいや。君は見っともないけど、運はいいかもしれないよ。」  そんなお喋りをしていますと、突然空中でポンポンと音がして、二羽の雁は傷ついて水草の間に落ちて死に、あたりの水は血で赤く染りました。  ポンポン、その音は遠くで涯しなくこだまして、たくさんの雁の群は一せいに蒲の中から飛び立ちました。音はなおも四方八方から絶え間なしに響いて来ます。狩人がこの沢地をとり囲んだのです。中には木の枝に腰かけて、上から水草を覗くのもありました。猟銃から出る青い煙は、暗い木の上を雲の様に立ちのぼりました。そしてそれが水上を渡って向うへ消えたと思うと、幾匹かの猟犬が水草の中に跳び込んで来て、草を踏み折り踏み折り進んで行きました。可哀そうな子家鴨がどれだけびっくりしたか! 彼が羽の下に頭を隠そうとした時、一匹の大きな、怖ろしい犬がすぐ傍を通りました。その顎を大きく開き、舌をだらりと出し、目はきらきら光らせているのです。そして鋭い歯をむき出しながら子家鴨のそばに鼻を突っ込んでみた揚句、それでも彼には触らずにどぶんと水の中に跳び込んでしまいました。 「やれやれ。」 と、子家鴨は吐息をついて、 「僕は見っともなくて全く有難い事だった。犬さえ噛みつかないんだからねえ。」 と、思いました。そしてまだじっとしていますと、猟はなおもその頭の上ではげしく続いて、銃の音が水草を通して響きわたるのでした。あたりがすっかり静まりきったのは、もうその日もだいぶん晩くなってからでしたが、そうなってもまだ哀れな子家鴨は動こうとしませんでした。何時間かじっと坐って様子を見ていましたが、それからあたりを丁寧にもう一遍見廻した後やっと立ち上って、今度は非常な速さで逃げ出しました。畑を越え、牧場を越えて走って行くうち、あたりは暴風雨になって来て、子家鴨の力では、凌いで行けそうもない様子になりました。やがて日暮れ方彼は見すぼらしい小屋の前に来ましたが、それは今にも倒れそうで、ただ、どっち側に倒れようかと迷っているためにばかりまだ倒れずに立っている様な家でした。あらしはますますつのる一方で、子家鴨にはもう一足も行けそうもなくなりました。そこで彼は小屋の前に坐りましたが、見ると、戸の蝶番が一つなくなっていて、そのために戸がきっちり閉っていません。下の方でちょうど子家鴨がやっと身を滑り込ませられるくらい透いでいるので、子家鴨は静かにそこからしのび入り、その晩はそこで暴風雨を避ける事にしました。  この小屋には、一人の女と、一匹の牡猫と、一羽の牝鶏とが住んでいるのでした。猫はこの女御主人から、 「忰や。」 と、呼ばれ、大の御ひいき者でした。それは背中をぐいと高くしたり、喉をごろごろ鳴らしたり逆に撫でられると毛から火の子を出す事まで出来ました。牝鶏はというと、足がばかに短いので 「ちんちくりん。」 と、いう綽名を貰っていましたが、いい卵を生むので、これも女御主人から娘の様に可愛がられているのでした。  さて朝になって、ゆうべ入って来た妙な訪問者はすぐ猫達に見つけられてしまいました。猫はごろごろ喉を鳴らし、牝鶏はクックッ鳴きたてはじめました。 「何だねえ、その騒ぎは。」 と、お婆さんは部屋中見廻して言いましたが、目がぼんやりしているものですから、子家鴨に気がついた時、それを、どこかの家から迷って来た、よくふとった家鴨だと思ってしまいました。 「いいものが来たぞ。」 と、お婆さんは云いました。 「牡家鴨でさえなけりゃいいんだがねえ、そうすりゃ家鴨の卵が手に入るというもんだ。まあ様子を見ててやろう。」  そこで子家鴨は試しに三週間ばかりそこに住む事を許されましたが、卵なんか一つだって、生れる訳はありませんでした。  この家では猫が主人の様にふるまい、牝鶏が主人の様に威張っています。そして何かというと 「我々この世界。」 と、言うのでした。それは自分達が世界の半分ずつだと思っているからなのです。ある日牝鶏は子家鴨に向って、 「お前さん、卵が生めるかね。」 と、尋ねました。 「いいえ。」 「それじゃ何にも口出しなんかする資格はないねえ。」  牝鶏はそう云うのでした。今度は猫の方が、 「お前さん、背中を高くしたり、喉をごろつかせたり、火の子を出したり出来るかい。」 と、訊きます。 「いいえ。」 「それじゃ我々偉い方々が何かものを言う時でも意見を出しちゃいけないぜ。」  こんな風に言われて子家鴨はひとりで滅入りながら部屋の隅っこに小さくなっていました。そのうち、温い日の光や、そよ風が戸の隙間から毎日入る様になり、そうなると、子家鴨はもう水の上を泳ぎたくて泳ぎたくて堪らない気持が湧き出して来て、とうとう牝鶏にうちあけてしまいました。すると、 「ばかな事をお言いでないよ。」  と、牝鶏は一口にけなしつけるのでした。 「お前さん、ほかにする事がないもんだから、ばかげた空想ばっかしする様になるのさ。もし、喉を鳴したり、卵を生んだり出来れば、そんな考えはすぐ通り過ぎちまうんだがね。」 「でも水の上を泳ぎ廻るの、実際愉快なんですよ。」 と、子家鴨は言いかえしました。 「まあ水の中にくぐってごらんなさい、頭の上に水が当る気持のよさったら!」 「気持がいいだって! 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こうしてとうとうみんなの姿が全く見えなくなると、子家鴨は水の中にぽっくり潜り込みました。そしてまた再び浮き上って来ましたが、今はもう、さっきの鳥の不思議な気持にすっかりとらわれて、我を忘れるくらいです。それは、さっきの鳥の名も知らなければ、どこへ飛んで行ったのかも知りませんでしたけれど、生れてから今までに会ったどの鳥に対しても感じた事のない気持を感じさせられたのでした。子家鴨はあのきれいな鳥達を嫉ましく思ったのではありませんでしたけれども、自分もあんなに可愛らしかったらなあとは、しきりに考えました。可哀そうにこの子家鴨だって、もとの家鴨達が少し元気をつける様にしてさえくれれば、どんなに喜んでみんなと一緒に暮したでしょうに!  さて、寒さは日々にひどくなって来ました。子家鴨は水が凍ってしまわない様にと、しょっちゅう、その上を泳ぎ廻っていなければなりませんでした。けれども夜毎々々に、それが泳げる場所は狭くなる一方でした。そして、とうとうそれは固く固く凍ってきて、子家鴨が動くと水の中の氷がめりめり割れる様になったので、子家鴨は、すっかりその場所が氷で、閉ざされてしまわない様力限り脚で水をばちゃばちゃ掻いていなければなりませんでした。そのうちしかしもう全く疲れきってしまい、どうする事も出来ずにぐったりと水の中で凍えてきました。  が、翌朝早く、一人の百姓がそこを通りかかって、この事を見つけたのでした。彼は穿いていた木靴で氷を割り、子家鴨を連れて、妻のところに帰って来ました。温まってくるとこの可哀そうな生き物は息を吹きかえして来ました。けれども子供達がそれと一緒に遊ぼうとしかけると、子家鴨は、みんながまた何か自分にいたずらをするのだと思い込んで、びっくりして跳び立って、ミルクの入っていたお鍋にとび込んでしまいました。それであたりはミルクだらけという始末。おかみさんが思わず手を叩くと、それはなおびっくりして、今度はバタの桶やら粉桶やらに脚を突っ込んで、また匐い出しました。さあ大変な騒ぎです。おかみさんはきいきい言って、火箸でぶとうとするし、子供達もわいわい燥いで、捕えようとするはずみにお互いにぶつかって転んだりしてしまいました。けれども幸いに子家鴨はうまく逃げおおせました。開いていた戸の間から出て、やっと叢の中まで辿り着いたのです。そして新たに降り積った雪の上に全く疲れた身を横たえたのでした。  この子家鴨が苦しい冬の間に出遭った様々な難儀をすっかりお話しした日には、それはずいぶん悲しい物語になるでしょう。が、その冬が過ぎ去ってしまったとき、ある朝、子家鴨は自分が沢地の蒲の中に倒れているのに気がついたのでした。それは、お日様が温く照っているのを見たり、雲雀の歌を聞いたりして、もうあたりがすっかりきれいな春になっているのを知りました。するとこの若い鳥は翼で横腹を摶ってみましたが、それは全くしっかりしていて、彼は空高く昇りはじめました。そしてこの翼はどんどん彼を前へ前へと進めてくれます。で、とうとう、まだ彼が無我夢中でいる間に大きな庭の中に来てしまいました。林檎の木は今いっぱいの花ざかり、香わしい接骨木はビロードの様な芝生の周りを流れる小川の上にその長い緑の枝を垂れています。何もかも、春の初めのみずみずしい色できれいな眺めです。このとき、近くの水草の茂みから三羽の美しい白鳥が、羽をそよがせながら、滑らかな水の上を軽く泳いであらわれて来たのでした。子家鴨はいつかのあの可愛らしい鳥を思い出しました。そしていつかの日よりももっと悲しい気持になってしまいました。 「いっそ僕、あの立派な鳥んとこに飛んでってやろうや。」 と、彼は叫びました。 「そうすりゃあいつ等は、僕がこんなにみっともない癖して自分達の傍に来るなんて失敬だって僕を殺すにちがいない。だけど、その方がいいんだ。家鴨の嘴で突かれたり、牝鶏の羽でぶたれたり、鳥番の女の子に追いかけられるなんかより、どんなにいいかしれやしない。」 こう思ったのです。そこで、子家鴨は急に水面に飛び下り、美しい白鳥の方に、泳いで行きました。すると、向うでは、この新しくやって来た者をちらっと見ると、すぐ翼を拡げて急いで近づいて来ました。 「さあ殺してくれ。」 と、可哀そうな鳥は言って頭を水の上に垂れ、じっと殺されるのを待ち構えました。  が、その時、鳥が自分のすぐ下に澄んでいる水の中に見つけたものは何でしたろう。それこそ自分の姿ではありませんか。けれどもそれがどうでしょう、もう決して今はあのくすぶった灰色の、見るのも厭になる様な前の姿ではないのです。いかにも上品で美しい白鳥なのです。百姓家の裏庭で、家鴨の巣の中に生れようとも、それが白鳥の卵から孵る以上、鳥の生れつきには何のかかわりもないのでした。で、その白鳥は、今となってみると、今まで悲しみや苦しみにさんざん出遭った事が喜ばしい事だったという気持にもなるのでした。そのためにかえって今自分とり囲んでいる幸福を人一倍楽しむ事が出来るからです。御覧なさい。今、この新しく入って来た仲間を歓迎するしるしに、立派な白鳥達がみんな寄って、めいめいの嘴でその頸を撫でているではありませんか。  幾人かの子供がお庭に入って来ました。そして水にパンやお菓子を投げ入れました。 「やっ!」 と、一番小さい子が突然大声を出しました。そして、 「新しく、ちがったのが来てるぜ。」  そう教えたものでしたら、みんなは大喜びで、お父さんやお母さんのところへ、雀躍しながら馳けて行きました。 「ちがった白鳥がいまーす、新しいのが来たんでーす。」 口々にそんな事を叫んで。それからみんなもっとたくさんのパンやお菓子を貰って来て、水に投げ入れました。そして、 「新しいのが一等きれいだね、若くてほんとにいいね。」 と、賞めそやすのでした。それで年の大きい白鳥達まで、この新しい仲間の前でお辞儀をしました。若い白鳥はもうまったく気まりが悪くなって、翼の下に頭を隠してしまいました。彼には一体どうしていいのか分らなかったのです。ただ、こう幸福な気持でいっぱいで、けれども、高慢な心などは塵ほども起しませんでした。  見っともないという理由で馬鹿にされた彼、それが今はどの鳥よりも美しいと云われているのではありませんか。接骨木までが、その枝をこの新しい白鳥の方に垂らし、頭の上ではお日様が輝かしく照りわたっています。新しい白鳥は羽をさらさら鳴らし、細っそりした頸を曲げて、心の底から、 「ああ僕はあの見っともない家鴨だった時、実際こんな仕合せなんか夢にも思わなかったなあ。」 と、叫ぶのでした。
底本:「小學生全集第五卷 アンデルゼン童話集」興文社、文藝春秋社    1928(昭和3)年8月1日発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 その際、次の書き換えを行いました。 「或→ある 余り→あまり 一向→いっこう 一旦→いったん 中→うち 彼→か 却って→かえって かも知れない→かもしれない 位→くらい 此処→ここ 此の→この 随分→ずいぶん 直ぐ→すぐ 其処→そこ 其・其の→その 其中→そのうち 大分→だいぶ・だいぶん 沢山→たくさん 唯→ただ 多分→たぶん 為→ため 段々→だんだん 丁度→ちょうど 一寸→ちょっと て居る→ておる 何→ど 何処→どこ 兎に角→とにかく 程→ほど 益々→ますます 又→また 迄→まで 間もなく→まもなく 余っぽど→よっぽど」 入力:大久保ゆう 校正:秋鹿 2006年1月18日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 町はずれの森の中に、かわいいモミの木が一本、立っていました。そこはとてもすてきな場所で、お日さまもよくあたり、空気もじゅうぶんにありました。まわりには、もっと大きな仲間の、モミの木やマツの木が、たくさん立っていました。  けれども、小さなモミの木は、ただもう、大きくなりたい、大きくなりたいと思って、じりじりしていました。そんなわけで、暖かなお日さまのことや、すがすがしい空気のことなんか、考えてもみなかったのです。農家の子供たちが、野イチゴやキイチゴをつみにきて、そのへんを歩きまわっては、おしゃべりをしても、そんなことは気にもとめませんでした。子供たちは、イチゴをかごにいっぱいつんだり、野イチゴをわらにさしたりすると、よく、小さなモミの木のそばにすわって、言いました。 「ねえ、なんてちっちゃくて、かわいいんだろう!」  ところが、モミの木にしてみれば、そんなことは聞きたくもなかったのです。  つぎの年になると、モミの木は、長い芽だけ、一つ大きくなりました。またそのつぎの年になると、もっと長い芽だけ、また一つ大きくなりました。モミの木からは、毎年毎年新しい芽がでて、のびていきますから、その節の数をかぞえれば、その木が幾つになったかわかるのです。 「ああ、ぼくも、ほかの木とおんなじように、大きかったらなあ!」と、小さなモミの木はため息をつきました。「そうだったら、ぼくは、枝をうんとまわりにひろげて、てっぺんから広い世界をながめることができるんだ! 鳥も、ぼくの枝のあいだに巣をつくるだろうなあ! 風が吹いてくりゃ、ぼくだって、ほかの木とおんなじように、じょうひんにうなずくこともできるんだがなあ!」  明るいお日さまの光も、鳥も、頭の上を朝に晩に流れてゆく赤い雲も、モミの木の心を、すこしもよろこばせてはくれませんでした。  そのうちに、冬になりました。あたりいちめんに、キラキラかがやくまっ白な雪が降りつもりました。すると、ウサギが何度もとび出してきて、この小さな木の上をとびこえて行きました。――ああ、まったくいやになっちまう!――  でも、冬が二度すぎて、三度めの冬になると、この木もずいぶん大きくなりました。ですから、ウサギは、そのまわりを、まわって行かなければならなくなりました。ああ、大きくなる! 大きくなって、年をとるんだ! 世の中に、これほどすてきなことはありゃあしない、と、モミの木は思いました。  秋には、いつもきこりがやってきて、いちばん大きな木を二、三本、切り倒しました。これは、毎年毎年くり返されることです。いまではすっかり大きくなった、この若いモミの木は、それを見ると、ぶるぶるっとふるえました。なにしろ、大きいりっぱな木が、メリメリポキッと、恐ろしい音をたてて、地べたにたおれるんですからね。それから、枝が切り落されると、まるはだかになってしまって、ひょろ長く見えました。こうなれば、もうもとの形なんか、ほとんどわからないくらいです。やがて、車にのせられて、それから、ウマにひかれて、森の外へ運ばれていってしまいました。  いったい、どこへ行くのでしょう? そして、これからどうなるのでしょう?  春になって、ツバメやコウノトリが飛んでくると、モミの木はたずねてみました。「あの木がみんな、どこへ連れていかれたか、あなたがた、知りませんか? 途中で会いませんでしたか?」  ツバメは、なにも知りませんでした。しかし、コウノトリは、なにか考えこんでいるようでした。そして、やがてうなずきながら、こう言いました。「そうだ。きっと、こうだろうよ。ぼくがエジプトから飛んできたとき、新しい船にたくさん出会ったんだよ。船には、りっぱな帆柱があったけど、きっと、それがそうだよ。モミのにおいもしていたしね。みんな、高く高くそびえていたよ! これが、きみに教えられることさ!」 「ああ、海をこえていけるくらい、ぼくも大きかったらなあ! その海ってのは、いったいどんなものですか? どんなものに似ているんですか?」 「そいつを説明しだしたら、とっても長くなっちまうよ」コウノトリはこう言うと、むこうへ行ってしまいました。 「おまえの若さを楽しみなさい」と、お日さまがキラキラかがやきながら言いました。「おまえの若々しい成長を、しあわせに思いなさい。おまえの中にある若い命を楽しみなさい」  すると、風はモミの木にキスをして、露はその上に涙をこぼしました。けれども、モミの木には、なんのことかさっぱりわかりませんでした。  クリスマスのころになると、ずいぶん若い木が、幾本も切りたおされました。その中には、ほんとに小さな若い木もあって、このモミの木ほど大きくもなければ、年もそんなにちがわないものもありました。ところで、モミの木は、ちっとも落着いてはいられません。やっぱり、どこかへ行きたくて、行きたくてならなかったのです。切られた若い木々は、どれもこれも、よりによって、美しい木ばかりでした。そして、いつも枝をつけられたまま、車にのせられました。そして、馬にひかれて、森の外へ運ばれていってしまうのです。 「みんなどこへ行くんだろう?」と、モミの木はたずねました。「ぼくより大きくもないのになあ。それに、ぼくよりずっと小さいのだってあった。どうして、みんな枝をつけたままなんだろう? どこへ行くんだろう?」 「ぼくたちは知ってるよ。ぼくたちは知ってるよ」と、スズメたちがさえずりました。「ぼくたちはね、むこうの町で、窓からのぞいたんだよ。みんなどこへ連れていかれたか、ぼくたちは知ってるよ! とってもとってもりっぱに、きれいになっていたよ。ぼくたち、窓からのぞいてみたんだもの。あったかい部屋のまんなかに植えられて、そりゃあ、きれいなものでかざられていてね、金色にぬったリンゴや、ハチ蜜のはいったお菓子や、おもちゃや、それから、何百っていうろうそくで、きれいにかざられていたよ!」 「で、それから――?」と、モミの木は、枝という枝をふるわせて、聞きました。「それから? ねえ、それからどうなったの?」 「それから先は、ぼくたち見なかったよ。だけど、くらべるものもないくらい、とってもすてきだったよ!」 「ぼくも、そういうすばらしい道を進んでいくようになるだろうか?」と、モミの木は、うれしそうにさけびました。「海の上を行くよりも、このほうがずっといい! ああ、たまらないや! クリスマスだったらいいのになあ! もうぼくだって、こんなに大きくなって、去年連れて行かれた木ぐらいになっているんだもの!――ああ、早く車の上にのりたいなあ! あったかい部屋の中で、きれいに、りっぱになれたらなあ!  だけど、それから――? うん、それからは、もっといいことが、もっときれいなものがくるんだ。そうでなきゃ、ぼくを、そんなにきれいにかざってなんかくれやしないだろう。そうだ、もっと大きなことが、もっとすばらしいことがくるにちがいない――! だけど、何だろう? ああ、苦しい! とてもたまらない! この気持、自分でもよくわからないや」 「こうしてわたしがいるのを、よろこびなさい!」と、空気とお日さまが言いました。「この広い広いところで、おまえの若さを楽しみなさい!」  しかし、モミの木は、すこしもよろこびませんでした。でも、ずんずん大きくなっていきました。冬も夏も、みどりの色をしていました。こいみどりの色をして、立っていたのです。人々はモミの木を見ると、「こりゃあ、きれいな木だ!」と、言いました。  クリスマスのころになると、どの木よりもまっさきに切りたおされました。おのが、からだのしんまで、深くくいいりました。モミの木は、うめき声をあげて、地べたにたおれました。からだがいたくていたくて、気が遠くなりそうでした。とても、しあわせなどとは思えません。かえって、生れ故郷をはなれ、大きくなったこの場所からわかれてゆくのが、悲しくなりました。もうこれっきり、大好きな、なつかしいお友だちや、まわりの小さなやぶや、花にも会うことができないんだ、そればかりか、きっともう鳥にも会えないんだろう、と、モミの木は思いました。こうして、旅に出かけるということは、楽しいものではありませんでした。  モミの木は、どこかの中庭について、ほかの木といっしょに車から下ろされたとき、はじめて、われにかえりました。ちょうどそのとき、そばで人の声がしました。「これがりっぱだ! ほかのは、いらないよ」  そこへ制服を着た召使が、ふたりやってきて、モミの木を、大きな美しい広間の中へ運びこみました。まわりのかべには、肖像画がかかっていました。タイル張りの、大きなストーブのそばには、ライオンのふたのついている、大きな中国の花瓶がありました。それから、ゆり椅子や、絹張りのソファや、大きなテーブルもありました。テーブルの上には、絵本やおもちゃがいっぱいありました。それは、百ターレルの百倍ぐらいもするものでした。――すくなくとも、子供たちは、そう言っていました。  モミの木は、砂のつまった、大きなたるの中に立てられました。でも、それがたるであるとは、だれの目にも見えませんでした。というのは、そのたるのまわりには、みどり色の布がかけられていましたし、おまけに、色とりどりの、大きなじゅうたんの上に置かれていましたから。  ああ、モミの木は、うれしくて、どんなにふるえたことでしょう! それにしても、これから、いったい、どうなるのでしょう?  召使とお嬢さんがきて、モミの木をきれいにかざってくれました。枝の上には、色紙を切りぬいてこしらえた、小さな網の袋がかけられました。見れば、どの袋にも、あまいお菓子がつまっています。それから、金色にぬったリンゴや、クルミがさげられましたが、それらは、まるで、そこになっているようでした。そして、赤や青や白の小さなろうそくが、百以上も、枝のあいだにしっかりとつけられました。ほんとの人間にそっくりのお人形が――モミの木は、いままでに、こんなものを見たことがありませんでした――みどりの枝のあいだでゆれていました。木のいちばんてっぺんには、金箔をつけた、大きな星が一つ、かざられました。それはほんとうに美しく、まったくくらべものもないくらいりっぱなものでした。 「今夜ね」と、みんなは言いました。「今夜は、光りかがやくよ!」 「ああ!」と、モミの木は思いました。「早く、夜になればいいなあ! 早く、ろうそくに火がつけばいいなあ! でも、それから、どうなるんだろう? 森から、ほかの木がここへやってきて、ぼくを見てくれるだろうか? スズメが、窓ガラスのところへとんでくるだろうか? ぼくは、しっかりとここに生えていて、冬も夏も、きれいにかざられているんだろうか?」  まったく、モミの木が、こんなふうに思うのも、むりはありません。しかし、あんまりいろいろなことを、あこがれて考えるものですから、木の皮が、ひどく痛みはじめました。木の皮が痛むというのは、わたしたち人間にとって頭がずきずきするのと同じことです。木にしてみれば、じつにつらいことなのです。  やがて、ろうそくに火がともされました。なんというかがやきでしょう! なんという美しさでしょう! モミの木は、うれしくてうれしくて、枝という枝をふるわせました。すると、ろうそくの一本にみどりの葉がさわって、火がついてしまいました。そのため、すっかりこげてしまいました。 「あら、たいへん!」と、お嬢さんたちはさけんで、いそいで火を消しました。  モミの木は、もう二度とからだをふるわせたりはしませんでした。ああ、まったくおそろしいことでした! それに、自分のからだのおかざりが、なにかなくなりはしないかと、それはそれは心配でした。そして、あたりがあんまり明るいので、すっかりぼんやりしてしまいました。――  と、そのとき、入り口のドアが、さっと両側に開かれました。それといっしょに、子供たちのむれが、モミの木をひっくりかえそうとするような勢いで、どっと、部屋の中へとびこんできました。おとなたちは、そのあとからゆっくりとはいってきました。小さな子供たちは、じっとだまりこんで、立っていました。――しかし、それもほんのちょっとの間で、すぐまた、あたりに鳴りひびくほど、うれしそうな声を出して、はしゃぎました。そして、木のまわりを踊りながら、贈り物を一つ、また一つと、つかみとりました。 「この子たちは、何をしようっていうんだろう?」と、モミの木は考えました。「どんなことが起るんだろう?」やがて、ろうそくは小さくなって、枝のところまで燃えてきました。こうして、だんだん小さくなってくると、順々に火が消されました。それから、子供たちは、木についているものを何でももぎ取っていいという、おゆるしをもらいました。うわあ、子供たちは、モミの木めがけて突進してくるではありませんか。さあ、たいへん。どの枝もどの枝も、みしみしなります。もしも木のてっぺんと金の星とが、天井にしっかりと結びつけられてなかったなら、モミの木は、きっと、たおされてしまったことでしょう。  子供たちは、きれいなおもちゃを持って、踊りまわりました。もうだれひとり、木のほうなどを見るものはありません。ただ、年とったばあやがきて、枝のあいだをのぞきこんでいました。でもそれは、イチジクかリンゴの一つぐらい、忘れて、のこっていやしないかと、ながめていたのです。 「お話! お話!」と、子供たちは大声に言いながら、ふとった、小がらの人を、モミの木のほうへ引っぱってきました。その人は、木のま下に腰をおろして、「こりゃあ、緑の森の中にいるようだね」と、言いました。「これじゃ、この木が、いちばんとくをするというものだ。だが、わたしは一つしかお話をしてあげないよ。おまえたちは、イヴェデ・アヴェデのお話が聞きたいかね? それとも、階段からころがり落ちたのに、王さまになって、お姫さまをもらった、クルンベ・ドゥンベのお話が聞きたいかね?」 「イヴェデ・アヴェデ!」と、さけぶ者もあれば、「クルンベ・ドゥンベ!」と、さけびたてる者もありました。がやがやとさわぎたてて、いやもう、まったくたいへんでした。ただ、モミの木だけは、だまりこんでいました。心の中では、「ぼくは仲間じゃないんだろうか? 何かすることはないんだろうか?」と、考えていました。もちろん、モミの木は仲間でした。しかも、自分のしなければならないことは、もう、すましてしまっていたのです。  ところで、あの小がらの人は、階段からころがり落ちたのに、王さまになって、お姫さまをもらった、クルンベ・ドゥンベのお話をしました。すると、子供たちは、大よろこびで手をたたいて、「もっと話して! もっと話して!」と、さけびました。子供たちは、イヴェデ・アヴェデのお話も聞きたかったのです。でも、このときは、クルンベ・ドゥンベのお話しか聞かせてもらえませんでした。  モミの木は、じっと黙りこんだまま、考えていました。森の中の鳥たちは、いままで一度だって、こんなお話をしてくれたことはありません。「クルンベ・ドゥンベは、階段からころがり落ちたのに、お姫さまをもらったんだ。うん、うん、世の中って、そういうものなんだ」と、モミの木は考えて、このお話をした人は、あんなにいい人なんだから、きっと、これはほんとうのことなんだ、と思いこんでしまいました。「そうだ、そうだ。ぼくだって、もしかしたら、階段からころがり落ちて、お姫さまをもらうようになるかもしれないんだ!」こうして、モミの木は、つぎの日も、ろうそくや、おもちゃや、金の紙や、果物などで、かざってもらえるものと思って、楽しみにしていました。 「あしたは、ぼくはふるえないぞ!」と、モミの木は心に思いました。「ぼくがきれいになったところを見て、うんと楽しもう。あしたもまた、クルンベ・ドゥンベのお話を聞くんだ。それから、イヴェデ・アヴェデのお話も、きっと聞けるだろう」こうして、モミの木は、一晩じゅう、じっと考えこんで立っていました。  あくる朝になると、下男と下女がはいってきました。 「さあ、またかざりつけてくれるんだ!」と、モミの木は思いました。ところが、みんなは、モミの木を部屋の外へ引っぱり出して、階段を上り、とうとう、屋根裏部屋に持っていってしまいました。そして、お日さまの光もさしてこない、うすぐらいすみっこに置いていきました。「こりゃあ、いったい、どういうことなんだ?」と、モミの木は考えました。「いったい、こんなとこで、何をさせようっていうんだろう? それに、こんなとこで、何が聞かせてもらえるんだろう?」  こうして、モミの木は、かべに寄りかかって立ったまま、いつまでもいつまでも考えつづけました。――時間はいくらでもありました。だって、そうしたまま、幾日も幾晩もすぎていったのですもの。だれも、上ってきませんでした。しかし、とうとう、だれかが上ってきました。でも、それは、大きな箱を二つ三つ、すみっこに置くためだったのです。おかげで、モミの木は、すっかりかくれてしまいました。このようすでは、モミの木のことなんか、みんなは忘れてしまったのでしょう。 「外は、いま冬なんだ」と、モミの木は考えました。「地面はかたくて、雪がつもっているもんだから、ぼくを植えることができないんだ。だから、春になるまで、ぼくをここへ置いて、守っていてくれるんだ! それにしても、なんて考え深いんだろう! なんて、みんな親切なんだろう!――だけど、ここがこんなに暗くて、こんなにさびしくなけりゃいいんだけど。――なにしろ、小ウサギ一ぴき、いないんだからなあ!――あの森の中は、楽しかったなあ! 雪がつもると、ウサギがとび出してきたっけ。うん、そう、そう、そしてぼくの頭の上を、とびこえていったっけ。でもあのときは、そんなことは、ちっともうれしくなかったんだ。そりゃあそうと、この屋根裏部屋はおっそろしいほどさびしいなあ!」  そのとき、小さなハツカネズミが一ぴき、チュウ、チュウ、鳴きながら、ちょろちょろ出てきました。そのあとから、小さいのがまた一ぴき、出てきました。二ひきのハツカネズミは、モミの木のそばへよって、においをかいでいましたが、やがて枝のあいだへはいりこみました。 「とっても寒いわ!」と、小さなハツカネズミたちは言いました。「でも、ここは、ほんとにいいとこね。ねえ、お年よりのモミの木さん!」 「ぼくは年よりじゃない!」と、モミの木は言いました。「ぼくなんかより、ずっと年とったのがたくさんいるんだよ」 「あなたは、どこからきたの?」と、ハツカネズミたちがたずねました。「あなたは、どんなことを知っているの?」このハツカネズミたちは、ほんとに聞きたがりやでした。「ねえ、世の中でいちばんきれいなところのお話をしてちょうだい。あなた、そういうところへ行ったことがあるの? こんなすてきな食べ物のあるお部屋へ行ったことはない? チーズがたなにあって、ハムが天井からさがっていて、あぶらろうそくの上で踊りがおどれて、おまけに、はいっていくときはやせていても、出てくるときはふとっている、ねえ、こんなすてきなお部屋はない?」 「そんなとこは知らないね」と、モミの木は言いました。「だけど、森は知ってるよ。お日さまがキラキラかがやいて、鳥が歌をうたっている森のことならね」そして、小さい時のことを、のこらず話してきかせました。小さなハツカネズミたちは、いままでにそんな話を聞いたことがなかったので、夢中になって聞いていました。そして、「まあ、あなたは、ずいぶんいろんなことをごらんになったのね! あなたは、なんてしあわせなんでしょう!」と、言いました。 「ぼくが?」と、モミの木は言って、自分の話したことを考えてみました。「そうだ。あのころが、まったくのところ、ほんとに楽しい時だったんだ!」――それから、お菓子やろうそくでかざってもらった、クリスマス前夜のことを話しました。 「まあ!」と、小さなハツカネズミたちは言いました。「あなたは、なんてしあわせなんでしょう、お年よりのモミの木さん!」 「ぼくは、年よりじゃないったら!」と、モミの木は言いました。「やっとこの冬、森から来たばっかりなんだよ。ぼくは、いま、いちばん元気のいい年ごろなのさ。ただ、すこし大きくなりすぎたけどね」 「ほんとに、お話がお上手だこと!」と、ハツカネズミたちは言いました。つぎの晩には、ハツカネズミたちは、ほかに四ひきの仲間を連れて、モミの木の話を聞きにやってきました。モミの木は話をすればするほど、だんだん、なにもかも、はっきりと思い出してくるのでした。そして、心の中でこう思いました。「それにしても、あのころは、まったく楽しい時だった。だけど、ああいう時が、また来るかもしれない。また来るかもしれないんだ! クルンベ・ドゥンベは、階段からころがり落ちたって、お姫さまをもらったじゃないか。ぼくだって、もしかしたら、お姫さまをもらえるかもしれないんだ」  そうして、モミの木は、あの森の中に生えていた、小さな、かわいらしいシラカバの木を思い出すのでした。モミの木にとっては、そのシラカバの木は、ほんとうに美しいお姫さまのようだったのです。 「クルンベ・ドゥンベっていうのは、だれ?」と、小さなハツカネズミたちがたずねました。そこで、モミの木は、その話をすっかり聞かせてやりました。モミの木は、一つ一つの言葉まで思い出すことができたのです。それを聞くと、小さなハツカネズミたちは、うれしくてたまらなくなって、もうすこしで、モミの木のてっぺんまでとび上がるところでした。  そのつぎの晩になると、もっともっとたくさんのハツカネズミたちがきました。そして日曜日には、二ひきのドブネズミまでもやってきました。ところが、そんな話はおもしろくなんかありゃしない、と、ドブネズミたちは言うのです。そうすると、小さなハツカネズミたちも悲しくなりました。もう、前のようにおもしろいとは、思われなくなったのです。 「おまえさんは、その話がたった一つしかできないのかね?」と、ドブネズミたちがたずねました。 「これ一つだけ!」と、モミの木は答えました。「その話は、ぼくがいちばんしあわせだった晩に聞いたんだよ。でもそのころは、ぼくがどんなにしあわせかってことを、思ってもみなかったんだ」 「じつにばかばかしい話だ! おまえさんは、ベーコンとか、あぶらろうそくとかいうようなものの話は、なんにも知らないのかね? 食物部屋の話なんかも知らないのかい?」 「知らない」と、モミの木は言いました。 「ふん、じゃあ、ごめんよ」ドブネズミたちは、こう言うと、さっさと、自分たちの仲間のところへ帰ってしまいました。  そのうちに、小さなハツカネズミたちも、行ってしまったまま、とうとう、こなくなってしまいました。モミの木はため息をついて、言いました。 「あのすばしっこい小さなハツカネズミたちが、ぼくのまわりにすわって、ぼくの話を聞いてくれたときは、ほんとに楽しかったなあ! でも、それも、もうおしまいさ。――だけど、今度、ここから連れていってもらったら、忘れないで、楽しくなるようにしよう」  しかし、いつ、そうなったでしょうか?――そうです。ある朝のことでした。人々が上ってきて、屋根裏部屋の中をかきまわしはじめました。とうとう箱が動かされて、モミの木が引っぱり出されました。モミの木は、ちょっと荒っぽく床に投げだされましたが、すぐに下男が、お日さまの照っている、階段の方へ引きずっていきました。 「さあ、またぼくの人生がはじまるんだ!」と、モミの木は思いました。モミの木は、すがすがしい空気と、お日さまの光をからだに感じました。――このときは、もう、おもての中庭にいたのです。なにもかも、すっかり変っていました。モミの木は、自分自身をながめることを、まるで忘れてしまって、思わず、まわりのいろいろなものに見とれてしまいました。  この中庭は花園のとなりにありましたが、見れば花園では、いろいろな花が今をさかりと、咲きみだれていました。バラの花は低い垣の上にたれ下がって、すがすがしい、よいにおいを放っていました。ボダイジュの花も、いま、まっさかりでした。ツバメがあたりを飛びまわって、「ピイチク! ピイチク! あたしの夫がきましたわ!」と、うたっていました。けれども、それは、モミの木のことではありませんでした。 「さあ、これから生きるんだ!」と、モミの木は、うれしそうに大きな声を出しました。そして、枝をうんとひろげてみました。ところが、なんということでしょう。枝はみんな、かれてしまって、黄色くなっているのです。モミの木は、雑草やイラクサの生えている、すみっこのほうに横になっていました。金の紙でつくった星が、まだてっぺんについていて、明るいお日さまの光を受けて、キラキラかがやいていました。  中庭では、元気そうな子供たちが二、三人、あそんでいました。それは、クリスマスのときに、モミの木のまわりを踊って、あんなによろこんでいた、子供たちだったのです。その中のいちばん小さな子が走ってきて、金の星をむしり取ってしまいました。 「ねえ、こんなきたない、古ぼけたクリスマスツリーに、まだこんなものがついてたよ!」こう言いながら、その子は、枝をふみつけました。靴の下で、枝がポキポキ鳴りました。  モミの木は、花園に咲きみだれている美しい花、いきいきとした花をながめました。それから、自分自身の姿を振りかえってみて、いっそのこと、あの屋根裏部屋の、うす暗いすみっこにいたほうがましだった、と思いました。そして、森の中ですごした若かったころのこと、楽しかったクリスマス前夜のこと、クルンベ・ドゥンベのお話を、あんなによろこんで聞いていた、小さなハツカネズミたちのことなどを、つぎつぎに思い出すのでした。 「おしまいだ、おしまいだ!」と、かわいそうなモミの木は、言いました。「楽しめるときに、楽しんでおけばよかったなあ! おしまいだ、おしまいだ!」  そのとき、下男がやってきて、モミの木を、小さく切りわってしまいました。こうして、まきのたばができあがりました。やがて、モミの木は、お酒をつくる大きなおかまの下で、まっかに燃え上がりました。モミの木は、深く深くため息をつきました。そして、ため息をつくたびに、なにか、パン、パン、と、小さくはじけるような音がしました。それを聞きつけると、あそんでいた子供たちがかけこんできて、火の前にすわりました。そして、中をのぞいて、「ピッフ! パッフ!」と、大声にさけびました。  モミの木は、深いため息をついてパチパチ音をたてるたびに、森の中の夏の日のことや、キラキラとお星さまのかがやく冬の夜のことを、思い出すのでした。それから、クリスマス前夜のことを、また人から聞かせてもらって、自分も話すことのできた、たった一つのお話、クルンベ・ドゥンベのことを、思い浮べるのでした。――こうしているうちに、とうとう、モミの木は、燃えきってしまいました。  それからまた、男の子たちは、中庭であそびました。見ると、いちばん小さな男の子は、胸に金の星をつけていました。それは、モミの木がいちばんしあわせだった晩に、つけてもらったものです。でも、今は、それもおしまいです。そして、モミの木も、おしまいになりました。それから、このお話もおしまいです。みんなおしまい、おしまい。お話というものは、みんな、こんなふうにおしまいになるものですよ。
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2019年11月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 まちそとの森に、いっぽん、とてもかわいらしい、もみの木がありました。そのもみの木は、いいところにはえていて、日あたりはよく、風とおしも十分で、ちかくには、おなかまの大きなもみの木や、はりもみの木が、ぐるりを、とりまいていました。でもこの小さなもみの木は、ただもう大きくなりたいと、そればっかりねがっていました。ですから森のなかであたたかいお日さまの光のあたっていることや、すずしい風の吹くことなどは、なんともおもっていませんでした。また黒いちごや、オランダいちごをつみにきて、そこいらじゅうおもしろそうにかけまわって、べちゃくちゃおしゃべりしている百姓のこどもたちも、気にかからないようでした。こどもたちは、つぼいっぱい、いちごにしてしまうと、そのあとのいちごは、わらでつないで、ほっとして、小さいもみの木のそばに、腰をおろしました。そして 「やあ、ずいぶんかわいいもみの木だなあ。」 と、いいいいしました。けれど、そんなことをいわれるのが、このもみの木は、いやで、いやで、なりませんでした。  つぎの年、もみの木は新芽ひとつだけはっきりのび、そのつぎの年には、つづいてまた芽ひとつだけ大きくなりました。そんなふうで、もみの木の歳は、まいねんふえてゆく節のかずを、かぞえて見ればわかりました。  小さいもみの木は、ためいきをついて、こういいました。 「わたしも、ほかの木のように大きかったら、さぞいいだろうなあ。そうすれば、枝をうんとのばして、たかい梢の上から、ひろい世のなかを、見わたすんだけど。そうなれば、鳥はわたしの枝に巣をかけるだろうし、風がふけば、ほかの木のように、わたしも、おうように、こっくりこっくりしてみせてやるのだがなあ。」  こんなふうでしたから、もみの木は、お日さまの光を見ても、とぶ鳥を見ても、それから、あさゆう、頭の上をすうすうながれていく、ばらいろの雲を見ても、ちっともうれしくありませんでした。  やがて冬になりました。ほうぼう雪が白くつもって、きらきらかがやきました。するとどこからか一ぴきの野うさぎが、まい日のように来て、もみの木のあたまをとびこえとびこえしてあそびました。――ああ、じつにいやだったらありません。――でも、それからのち、ふた冬とおりこすと、もみの木はかなり、せいが高くなりましたから、うさぎはもうただ、そのまわりを、ぴょんぴょん、はねまわっているだけでした。 「ああうれしい。だんだんそだっていって、今に大きな年をとった木になるんだ。世のなかにこんなにすばらしいことはない。」  もみの木は、こんなことを考えていました。  秋になると、いつも木こりがやって来て、いちばん大きい木を二、三本きりだします。これは、まい年のおきまりでした。そのときは、見あげるほど高い木が、どしんという大きな音をたてて、地面の上にたおされました。そして枝をきりおとされ、太いみきのかわをはがれ、まるはだかの、ほそっこいものにされて、とうとう、木だかなんだかわけのわからないものになると、この若いもみの木は、それをみてこわがってふるえました。けれども、それが荷車につまれて、馬にひかれて、森を出ていくとき、もみの木はこうひとりごとをいって、ふしぎがっていました。  みんな、どこへいくんだろう。いったいどうなるんだろう。  春になって、つばめと、こうのとりがとんで来たとき、もみの木はさっそくそのわけをたずねました。 「ねえ、ほんとにどこへつれて行かれたんでしょうね。あなたがた。とちゅうでおあいになりませんでしたか。」  つばめはなんにもしりませんでした。けれどもこうのとりは、しきりとかんがえていました。そしてながいくびを、がってん、がってんさせながら、こういいました。 「そうさね、わたしはしっているとおもうよ。それはね、エジプトからとんでくるとちゅう、あたらしい船にたくさん、わたしは出あったのだが、どの船にもみんな、りっぱなほばしらが立っていた。わたしはきっと、このほばしらが、おまえさんのいうもみの木だとおもうのだよ。だって、それにはもみの木のにおいがしていたもの。そこで、なんべんでも、わたしはおことづけをいいます。大きくなるんだ、大きくなるんだってね。」 「まあ、わたしも、遠い海をこえていけるくらいな、大きい木だったら、さぞいいだろうなあ。けれどこうのとりさん、いったい海ってどんなもの。それはどんなふうに見えるでしょう。」 「そうさな、ちょっとひとくちには、とてもいえないよ。」  こうのとりはこういったまま、どこかへとんでいってしまいました。そのとき、空の上でお日さまの光が、しんせつにこういってくれました。 「わかいあいだが、なによりもいいのだよ。ずんずんのびて、そだっていくわかいときほど、たのしいことはないのだよ。」  すると、風も、もみの木にやさしくせっぷんしてくれました。つゆもはらはらと、しおらしいなみだを、かけてくれました。けれどももみの木には、それかどういうわけかわかりませんでした。  クリスマスがちかくなってくると、わかい木がなんぼんもきりたおされました。なかには、このもみの木よりもわかい小さいのがありましたし、またおない年ぐらいのもありました。ですからもみの木は、じぶんも早くよその世界へでたがって、まいにち、気が気でありませんでした。そういうわかい木たちは、なかでも、ことに枝ぶりの美しい木でしたから、それなりきられて、車につまれて、馬にひかれて、森をでていきました。 「どこへいくんだろう。あの木たちは、みんな、わたしより小さいし、なかにはずっと小さいのもある。それからまた、なんだって、枝をきりおとされないんだろう。いったい、どこへつれていかれるんだろう。」  もみの木は、こういってきくと、そばですずめたちが、さえずっていいました。 「しっているよ、しっているよ、町へいったとき、ぼくたちは、まどからのぞいたから、しっているよ。みんなは、そりゃあすばらしいほど、りっぱになるんだよ。まどからのぞくとね、あたたかいおへやのまんなかに、小さなもみの木は、みんな立っていたよ。金いろのりんごだの、蜜のお菓子だの、おもちゃだの、それから、なん百とも知れないろうそくだので、それはそれは、きれいにかざられていたっけ。」 「で、それから――。」と、もみの木は、のこらずの枝をふるわせながらたずねました。「ねえ、それから、どうしたの。」 「うん、それからどうしたか、ぼくたちはしらないよ。とにかく、あんなきれいなものは、ほかでは見たことがないね。」 「ああ、どうかして、そんなはなばなしい運がめぐってこないかなあ。」と、もみの木は、とんきょうな声をあげました「それこそ白い帆をかけて、とおい海をこえていくよりも、ずっとよさそうだ。ああ、いきたいな。いきたいな。はやく、クリスマスがくればいいなあ。わたしはもう、去年、つれていかれた木とおなじくらい、せいが高くなったし、すっかり大きくそだってしまった。――ああ、どうかして、はやく荷車の上に、つまれるようになればいいなあ、そして、目のさめるように、りっぱになって、あたたかいへやに、すみたいものだなあ。だが、それからは、それからはどうなるだろう。――たぶん、それからは、もっといいことがおこるだろう。もっとおもしろいことに、ぶつかるだろう。もしそうでなければ、そんなにきれいに、わたしたちをかざっておくはずがないもの。きっとなにか、たいしたことがおこるんだろう。すばらしいことが、やってくるんだろう。だがそれはなんだろうなあ。――なんだかわからないが、ただいきたい。ああ、たまらないぞ。もう、じぶんでじぶんがわからないんだ。」  そのときまた、風とお日さまの光とが、やさしく声をかけました。 「わたしたちのなかにいるほうがきらくだよ。このひろびろしたなかで、げんきのいい、わかいときを、十分にたのしむのがいいのだよ。」  けれども、もみの木は、そんなことをきいても、ちっともうれしくありませんでした。  こうして冬が去って、夏もすぎました。もみの木はずんずんそだっていって、いつもいつもいきいきした、みどりの葉をかぶっていました。ですからたれも、このもみの木をみた人で、 「なんてまあきれいな木だろうね。」 と、いわないものはありませんでした。  それで、クリスマスの季節になると、このもみの木は、とうとう、まっさきにきられました。そのとき、おのが、木のしんまできりこんだので、もみの木は、うめきごえを立てて、地の上にたおれました。からだじゅう、ずきずきいたんで、だんだん、気が遠くなりました。かんがえてみると、うれしいどころではありません。じぶんがはじめて芽を出した森の家からはなれるのは、しみじみかなしいことでした。こどものときからおなじみの、ちいさな木や花などにも、それからたぶん小鳥たちにも、もうあえないだろうとおもいました。まったく旅に出るというのは、つらいものにちがいありませんでした。  やっと、しょうきづいて見ると、もみの木は、ほかの木といっしょにわらにくるまれて、どこかのうちのにわのなかにおかれていました。そばではひとりの男がこういっていました。 「この木はすてきだなあ。これいっぽんあればたくさんだ。」  そこへはっぴをきた、ふたりの男がやってきました。そしてもみの木を、りっぱにかざった、大きなへやにはこんでいきました。へやのかべにはいろいろながくが、かかっていました。タイルばりの大きなだんろのそばには、ししのふたのついた、青磁のかめが、おいてありました。そこには、ゆりいすだの、きぬばりのソファだの、それから、すくなくとも、こどもたちのいいぶんどおりだとすると、百円の百倍もするえほんや、おもちゃののっている、大きなテーブルなどがありました。もみの木は、砂がいっぱいはいっている、大きなおけのなかにいれられました。けれど、たれの目にも、それはおけとは見えませんでた。それは青あおした、きれでつつまれて、うつくしい色もようのしきものの上においてありました。まあ、このさき、どんなことになるのかしら、もみの木はぶるぶるふるえていました。召使たちについて、お嬢さんたちも出てきて、もみの木のおかざりを、はじめました。枝にはいろがみをきりこまざいてつくったあみをかけました。そのあみの袋には、どれもボンボンや、キャラメルがいっぱいはいっていました。金紙をかぶせたりんごや、くるみの実が、ほんとうになっているように、ぶらさがりました。それから、青だの、赤だの、白だのの、ろうそくを百本あまり、どの枝にも、どの杖にもしっかりとさしました。まるで人間かと思われるほど、くりくりした目のにんぎょうが、葉と葉のあいだにぶらさがっていました。まあにんぎょうなんて、もみの木は、これまでに見たことがありませんでした。――木のてっぺんには、ぴかぴか光る金紙の星をつけました。こんなにいろいろなものでかざりたてましたから、もみの木は、それこそ、見ちがえるように、りっぱになりました。 「さあ、こんばんよ。」と、その人たちは、みんないっていました。「これでこんばん、あかりがつきます。」  それをきいて、もみの木はかんがえました。 「いいなあ、こんばんからだってねえ。はやくばんになって、あかりがつけばいいなあ。それからどんなことがあるだろう。森からいろいろな木があいにくるかしら。それとも、すずめたちがまどガラスのところへ、とんでくるかしら。もしかしたら、このままここで根がはえて、冬も夏もこうやってかざられたまま、立っているのかもしれない。」  そんなふうに、あれやこれやとかんがえるのも、もっともなことでした。けれども、もみの木はあんまりかんがえつめたので、からだのかわが、いたくなりました。ちょうど、にんげんが、ずつうでくるしむように、木にとっては、このかわのいたいのは、かなりこまるびょうきなのでした。  さて、ろうそくのあかりがつきました。なんというかがやかしさなのでしょう。なんというりっぱさなのでしょう。もみの木は、うれしまぎれに、枝という枝をぶるぶるさせました。そのため、いっぽんのろうそくの火がゆれて、あおい葉にもえうつりました。おかげで、かなりこげました。 「あぶないわ。」と、お嬢さんたちはさけんで、あわてて火をけしました。そこでもみの木は、もうからだをふるわすこともできませんでした。こうなると、それはまったくおそろしいほどでした。もみの木はせっかくのかざりを、ひとつもなくすまいと、しんぱいしました。それに、あんまり明るすぎるので、ただもうぼうっとなりました。――  やがて、両びらきのとびらがさあっとあいて、こどもたちが、まるで、クリスマスの木ごとたたきおとしそうないきおいで、とびこんできました。おとなたちも、そのあとからしずかについてきました。こどもたちは、ほんのちょっとのあいだ、だまって立っていましたが、――たちまち、わあっというさわぎになって、木のまわりをおどりまわりながら、クリスマスのおくりものを、ひとつ、ひとつ、さらっていきました。 「この子たちはなにをするんだろう。なにがはじまるんだろう。」と、もみの木はかんがえました。するうち、枝のところまで、ろうそくは、だんだんともえていきました。そしてひとつずつ消されてしまいました。やがて、木の枝につけてあるものを取ってもいいというおゆるしが出ました。やれやれたいへん、こどもたちは、いきなり木をめがけて、とびつきました。木はみしみしと音を立てました。もみの木のてっぺんにつけてある金紙の星が、うまくてんじょうにしばりつけてなかったら、きっと木は、あおむけにひっくりかえされたことでしょう。  こどもたちは、もぎ取ったりっぱなおもちゃを、てんでんにもって、おどりまわりました。ですからたれひとり、もう木をふりかえって見るものはありませんでした。たったひとり、ばあやが、木につけてあった、いちじくやりんごを、こどもたちがとりのこしていやしないかとおもって、枝のなかに首をさしいれて、のぞきこんだだけでした。 「おはなししてね、おはなししてね。」  こどもたちはそうさけんで、ずんぐりしたひとりの小さい人を、木のところへひっぱっていきました。その人は、木の下に腰をおろしてこういいました。 「よしよし、こうしていれば、みなさんはみどりの森のなかにいるようなものだ。だから、この木もうれしがって、おはなしをきくだろう。だがおはなしはひとつだけだよ。*イウェデ・アウェデのおはなしをしようかね。それとも、だんだんからころげおちたくせに、うまく出世して、王女さまをおよめさんにした、でっくりもっくりさんのおはなしをしようかね。」 *イウエデ、アウエデ、キウエデ、カウエデ―というようにつづくことばあそび。 「イウェデ・アウェデ。」と、五六人のこどもたちはさけびました。するとほかのこどもたちは、「でっくりもっくりさん。」とさけびました。みんながそうやって、くちぐちに、わいわいいいたてるので、がやがや、がやがや、おおさわぎになりました、けれども、もみの木ばかりは、だまってこうおもっていました。 「わたしには、そうだんしてくれないのかしら。わたしは、このおなかまではないのかしら。」  なるほどおなかまにはちがいないのです。けれどももみの木のおやくめは、もうすんでいました。  やがていまの人は、だんだんをころげおちたくせに、出世して、王女さまをおよめさんにした、でっくりもっくりさんのおはなしをしました。おはなしがすむと、こどもたちは、ぱちぱち手をたたいて、 「もひとつして、もひとつして。」と、さけびたてました。こどもたちはイウェデ・アウェデのおはなしもしてもらいたかったのでしたが、でっくりもっくりさんのおはなしだけで、がまんしなければなりませんでした。もみの木はびっくりしたような、それでいて、かんがえこんでいるようなようすをしていました。だって、森の鳥たちは、そんなはなしは、ちっともしてくれませんでしたからね。 「でっくりもっくりさんは、だんだんから、ころげおちたくせに、王女さまを、およめさんにしたとさ。そうだ、そうだ。それが世のなかというものなんだ。」と、もみの木はかんがえました。そしてあんなりっぱな人が、そうはなしたんだから、それはほんとうのことにちがいないと思いました。 「そうだ、そうだ、わたしだって、だんだんからころげおちて、王女さまをおよめさんにもらうかもしれない。」  これで、あしたもまた、あかりをつけてもらって、おもちゃだの、金のくだものだので、かざられるのだと思って、もみの木はぞくぞくしていました。 「あしたはもうふるえないぞ。こんなにりっぱになったのだから、うんとうれしそうな、とくいらしいかおをしていよう。きっとまた、でっくりもっくりさんのおはなしをしてもらえるだろうし、ことによったら、イウェデ・アウェデのおはなしもしてもらえるかもしれない。」  こうしてもみの木は、じっとひと晩じゅうかんがえあかしました。  つぎの朝、召使たちがやってきました。 「ああ、きっともういちど、りっぱにかざりなおしてくれるんだな。」と、もみの木は思いました。けれども、召使たちは、木をへやのそとへ、ひきずっていきました。そして、はしごだんをあがっていって、屋根うらのものおきのうすぐらいすみへ、ほうりあげました。そこにはまるで、お日さまの光がさして来ませんでした。 「どうしたっていうんだろう。こんなところで、なにができるんだろう。こんなところで、はなしをしても、なにがきこえるだろう。」と、もみの木はかんがえました。そしてかべにもたれたまま、いつまでも、あきずに、かんがえつづけていました。――もうずいぶん時間がありました。なにしろ、いく日となく、いく晩となく、すぎて行きましたからね。けれども、たれひとりやっては来ませんでした。それでも、とうとうたれかが上がってきましたが、なにかふたつ三つ大きな箱を、すみのほうへほうりだして行ったばかりでした。おかげで、もみの木は、その箱の下じきになって、かくれてしまいました。まあその木のいることなど、まるで、忘れられてしまったのでしょう。 「今は、そとは冬なのだ。地めんはかちかちにこおって、雪がかぶさっている。だから、あの人たちは、わたしをうえることができない。それで、わたしは春がくるまで、ここでかこわれているのだ。ほんとに、なんてかんがえぶかい人たちだろう。――ただ、ここがこんなに、うす暗いさびしいところでなければいいとおもうな。――なにしろ、野うさぎ一ぴき、はねてこないのだもの。――雪がつもって、うさぎがそばをはねまわったりするじぶん、あの町そとの森のなかは、ずいぶん、よかったなあ。そうそう、兎がよく、あたまのうえをとびこえたっけ。あのときは、すいぶん、はらがたったがなあ。それも今ではなつかしい。それにくらべては、ここの屋根うらのおそろしいほどな、さびしさといったら。」 「チュウ、チュウ。」  そのとき、ふと、小ねずみがなきながら、ちょろちょろとはいだしてきました。そのあとから、もう一ぴきの、小ねずみが出てきました。ねずみたちは、もみの木のにおいをかいで見て、枝のあいだを、はいまわりました。 「ひどいさむさですねえ。」と、小ねずみたちはいいました。「でもここはずいぶんいいところでしょう。そうはおもいませんか、もみの木のおじいさん。」 「わたしは、そんなおじいさんじゃないぞ。」と、もみの木は少しおこっていいました。「まだまだ、ぼくより、としをとっている木は、たくさんあるよ。」 「あなたはどこからきたの。いろんなことを知っているの。」と、小ねずみたちは、たいへんなにかをききたがっていました。「ねえ、もみの木さん。世のなかで、いちばんすばらしいところのことを、おはなししてください。あなたは、そこからきたんでしょう。そら、たなの上にチーズがのっていたり、てんじょうから、ハムがぶらさがっていたり、あぶらろうそくの上で、おどりをおどったりして、はいるとき、ひょろひょろ、出るとき、むっくりでっくり――、と、いうようなところにいたんでしょう。」 「どうも、そんな所は知らないね。」と、もみの木はいいました。「けれど、森のことならしっているよ。そこではお日さまの光はよくあたるし、鳥がうたをうたっているよ。」  それからもみの木は、じぶんのわかかったときのことを、すっかりはなしました。小ねずみは、これまでに、そんなことをちっともききませんでしたので、めずらしがってきいていました。それからあとでこういいました。 「まあずいぶんいろいろなものを、たくさん見たんですねえ。ずいぶんしあわせだったんですねえ。」 「わたしがかい。」  そういわれて、もみの木は、はじめて、いま、じぶんのはなしたことをかんがえてみました。 「なるほど、そういえばしあわせだったよ。そう、つまりあのじぶんが、わたしもいちばんしあわせだったなあ。」  それから、もみの木は、おいしいおかしや、ろうそくのあかりでかざられた、クリスマスの前の晩のはなしをしました。 「まあ、ずいぶんしあわせだったのね、もみの木のおじいさん。」と、小ねずみがいいました。 「わたしは、そんなにおじいさんではないというのに。」と、もみの木はいいました。「この冬、はじめて森のなかから出てきたばかりだもの。わたしは、今がさかりの年なんだ。ただすこしのっぽにそだちすぎたかもしれない。」 「おじさんのはなしはおもしろいね。」 と、小ねずみがいいました。  つぎの晩にも、小ねずみは、ほかに四ひきのなかまをつれて、話をききにやってきました。もみの木は、話していればいるほど、あれもこれもはっきりおもいだせました。そして、こうかんがえました。 「あのじぶんは、ほんとにしあわせだったけれど、ああいうじだいがまたやってくるだろう。きっとまたやってくるだろう。でっくりもっくりさんは、だんだんからころげおちたくせに、王女さまをおよめさんにもらった。だからわたしだって、たぶん王女さまをおよめさんにするかもしれない。」  それから、もみの木は、森のなかにはえていた、かわいらしい白かばの木のことをおもいだしました。その白かばの木は、ほんとにきれいでしたから、もみの木には、それがうつくしい王女さまのようにおもわれました。 「でっくりもっくりさんて、だれなんですか。」 と、小ねずみたちがたずねました。もみの木は、ひとつもまちがえずに、そのおはなしを、すっかりはなしてやりました。小ねずみたちは、それはそれはうれしがって、もみの木のいちばん高い枝にとびつきそうにしていました。つぎの晩には、もっと、たくさんのねずみたちがきました。にちよう日には二ひきのおやねずみさえ出てきました。けれど、このおやねずみは、そんなはなしは、いっこうおもしろくないといいました。そういわれると、小ねずみたちも、すこし、がっかりしていました。なるほど、それはせんほどおもしろくおもわれませんでしたものね。 「君のしっているお話は、それひとつきりなのかい。」と、おやねずみはいいました。 「ああ、これひとつさ。」と、もみの木はこたえました。「なにしろわたしはうまれていちばんしあわせだった晩に、そのおはなしをきいたのだからね。けれど、そのときは、それがそんなにしあわせだとはしらなかった。」 「ずいぶん、つまらないおはなしだなあ。君は豚のあぶらみとか、あぶらろうそくというようなものはなんにもしらないのかね。たべものやのはなしは、しらないのかね。」 「しらないねえ。」と、もみの木はこたえました。 「そう。じゃあどうもありがとう。」と、おやねずみたちはいって、なかまのところへかえっていきました。とうとう、小ねずみたちもいってしまいました。すると、もみの木は、またひとりぼっちになったので、ためいきをつきながらいいました。 「げんきのいい、小ねずみたちが、わたしをとりまいて、おもしろそうに、はなしをきいてくれたのは、ほんとにゆかいだったなあ。だが、それもおわりさ。でも今にここからはこびだされれば、せいぜいものをたのしくかんがえることだ。」  ところで、いつそんなことになったでしょうか。  なるほど、あくる朝、大勢してがたがた、ものおきをかたづけにきました。そして箱をどけて、もみの木をはこびだしました。それから、かなりらんぼうに床のうえになげだしました。やがてひとりの下男が、それをそのままはしごだんのほうへひきずっていきました。こうしてもみの木は、もういちど、日の目を見ることができました。 「さあ、また生きかえったぞ。」と、もみの木はおもいました。もみの木は、すずしい風に吹かれて、朝のお日さまの光にあたりました。――そこはほんとうに家のそとの、にわのなかでした。いろいろなことが、目まぐるしいほど、はたで、どんどんおこってくるので、もみの木はすっかり、じぶんのことをわすれてしまいました。ぐるりにはたくさん、目につくものがありました。このにわは、すぐ花ぞのにつづいていて、そこには、いろいろの花が、いっばい咲いていました。ほんのりいいにおいのするばらが、ひくいかきねにからんでいましたし、ぼだいじゅも、ちょうど花ざかりでした。つばめたちは、その上をとびまわりながら、さえずっていました。 「びいちくち、ぴいちくち、うちのひとがかえってきましたよ。」  けれどもそれは、もみの木のことではありませんでした。 「さあ、いよいよこれから、わたしは生きるのだぞ。」 と、うれしそうな声をだして、もみの木はおもいきり、枝をいっぱいのばしました。けれど、やれやれかわいそうに、その枝のさきは、がさがさに乾からびて、黄いろくなっていました。そして、じぶんはにわのすみっこで、雑草や、いばらのなかに、ころがされていました。金紙の星はまだあたまのてっぺんについていました。そしてその星は、あかるいお日さまの光で、きらきらかがやいていました。  ところで、そのとき、にわには、あのクリスマスの晩、この木のまわりをとびまわった、けんきのいいこどもたちが、あそんでいました。するとひとり、いちばんちいさい子がかけてきて、いきなり金の星を、もぎとってしまいました。 「ごらんよ。きたない、ふるいもみの木にくっついていたんだよ。」  その子はそうさけびながら、枝をふんづけましたから、枝はくつの下で、ぽきぽき音を立てました。  もみの木は、目のさめるようにうつくしい、花ぞののなかの花をみました。そしてみすぼらしいじぶんのすがたを見まわしてみて、これならいっそ、ものおきのくらいかたすみにほうり出されていたほうが、よかったとおもいました。それからつづいて森のなかにいたときの、わかいじぶんのすがたを、目にうかべました。楽しかったクリスマスの前の晩のことを、おもいだしました。でっくりもっくりさんのおはなしを、うれしそうにきいていた、小ねずみたちのことをおもいだしました。 「もうだめだ、もうだめだ。」と、かわいそうなもみの木はためいきをつきました。「たのしめるときに、たのしんでおけばよかった。もうだめだ。もうだめだ。」  やがて、下男が来て、もみの木を小さくおって、ひとたばの薪につかねてしまいました。それから大きなゆわかしがまの下へつっこまれて、かっかと赤くもえました。もみの木はそのとき、ふかいためいきをつきました。そのためいきは、パチパチ弾丸のはじける音のようでした。ですから、そこらであそんでいるこどもたちは、みんなかけてきて、火のなかをのぞきこみながら、 「パチ、パチ、パチ。」と、まねをしました。  もみの木は、あいかわらず、ふかいためいきのかわりに、パチ、パチいいながら、森のなかの、夏のまひるのことや、星がかがやいている、冬の夜半のことをおもっていました。またクリスマスの前の晩のことや、たったひとつきいて、しかも、そのとおりにおはなしのできるでっくりもっくりさんの、むかしばなしのことを、かんがえていました――するうち、木はもえきってしまいました。  こどもたちは、やはり、にわであそんでいました。そのいちばん小さい子は、金の星をむねの上につけていました。その星は、もみの木が一生のうちで、いちばんたのしかった晩、あたまにつけていたものでした。けれど、いまはそれも、おしまいになりました。もみの木も、そのおはなしも、おしまいになりました。おしまい。おしまい。さて、どんなおはなしも、そうしておしまいになっていくのです。
底本:「新訳アンデルセン童話集第二巻」同和春秋社    1955(昭和30)年7月15日初版発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 ※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のあるページの下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。 入力:大久保ゆう 校正:秋鹿 2006年1月18日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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「ぼくのからだの中で、ミシミシ音がするぞ。まったく、すばらしく寒いや!」と、雪だるまが言いました。「風がピューピュー吹きつけて、まるで命を吹きこんでくれようとしているようだ。だが、あの光ってるやつは、いったい、どこへ行くんだろう? あんなにギラギラにらんでいるぞ!」雪だるまが、そう言っているのは、お日さまのことでした。お日さまは、いまちょうど、しずもうとするところだったのです。「あんなやつが、いくらまばたきさせようったってまばたきなんかするもんか。まだまだこのかけらが、しっかりと目にくっついているんだからな」  雪だるまの目になっているのは、大きな三角の形をした、二枚の屋根がわらのかけらだったのです。口は、古い、こわれた草かきでできていました。ですから、雪だるまには、歯もあったわけです。  この雪だるまは、男の子たちが、うれしそうに、ばんざい、とさけんだのといっしょに、生れてきたのでした。そしてそのとき、そりの鈴の音や、むちの音が、ちょうど挨拶でもするように、雪だるまをむかえてくれました。  お日さまがしずみました。すると、青い空に、まんまるい大きなお月さまが、明るく、美しくのぼりました。 「今度はまた、あんなちがったほうから出てきたぞ」と、雪だるまが言いました。雪だるまは、また出てきたのが、お日さまだと思ったのでした。「でも、いいや。あいつが、ぼくをギラギラにらむのだけは、やめさしてやったぞ。ああして、あんな高いとこにぶらさがって、光ってるんなら光っているがいい。おかげで、ぼくは、自分のからだがよく見えるというもんだ。  さてと、どうしたら、からだを動かすことができるんだろうなあ。それさえわかったらなあ! ああ、なんとかして動いてみたい! もし動くことができたら、ぼくもあの男の子たちのやってたみたいに、氷の上をすべって行くんだけどなあ! だけど、どうして走ったらいいのか、わかりゃしないや」 「ワン! ワン!」そのとき、くさりにつながれている、年とったイヌが、ほえました。このイヌは、いくらか声がしゃがれていました。もっとも、まだ部屋の中に飼われて、ストーブの下に寝ころんでいたときから、そんなふうにしゃがれ声だったのです。「どうしたら走れるか、今に、お日さまが教えてくれるよ。わしはな、去年、おまえの先祖が教わってたのを見たんだし、それから、そのまた前の先祖も、やっぱり、同じように教わってたのを見たんだよ。ワン! ワン! そうして、みんな行っちゃったのさ」 「きみの言うことは、ぼくにはちっともわからないよ」と、雪だるまが言いました。「じゃあ、あんな上のほうにいるものが、ぼくに走り方を教えてくれるのかい?」雪だるまが、そう言っているのは、お月さまのことだったのです。「ほんとうにね、さっき、ぼくがじっと見ていたときは、あいつ、どんどん走っていたよ。だけど、今度はね、またべつのほうから、そっと出てきたんだよ」 「おまえは、なんにも知らないんだね」と、くさりにつながれているイヌが言いました。「それもそうだな。おまえは、ついさっき、作ってもらったばっかりなんだからな。おまえが、いま見ているのは、お月さまというものだよ。さっき見えなくなったのが、お日さまさ。お日さまは、朝になると、また出てきて、堀の中へすべりこむやり方を、きっと、おまえに教えてくれるよ。おや、もうすぐ、天気がかわるぞ。わしは、左の後足でそれがわかるんだ。そこんとこが、ずきずきするもんだからね。きっと、天気ぐあいがかわるよ」 「あのイヌの言うことは、ちっともわからない」と、雪だるまは言いました。「だけど、なんだか、ぼくによくないことを言ってることだけは、わかる。さっき、ぼくをギラギラにらみつけて、しずんでいったのは、たしかお日さまと言ってたが、あれも、ぼくの友だちなんかじゃないようだ。どうも、そんな気がする」 「ワン! ワン!」くさりにつながれているイヌが、ほえました。それから、三べんまわって、自分の小屋にはいって、眠ってしまいました。  やがて、天気ぐあいが、ほんとうにかわってきました。明け方になると、こい、しめっぽい霧が、あたりいちめんに、おおいかかりました。お日さまののぼるすこし前に、風が吹きはじめました。風は氷のようにつめたくて、まるで、骨のずいまでしみとおるようでした。  ところが、お日さまがのぼると、なんというすばらしい景色があらわれたことでしょう! 木という木、やぶというやぶが、みんな霜でおおわれて、まるで、まっ白なサンゴの林のように見えました。どの枝にも、キラキラかがやくまっ白な花が、咲いているのではないかと思われました。数かぎりない、細い、小さな枝は、夏にはたくさんの葉が茂っていたために見えなかったのですが、いまは一つ一つが、はっきりとあらわれているのでした。そのありさまは、まるで、キラキラ光る白いレースもようのようでした。まっ白な光が、一つ一つの枝から流れ出ているようでした。シラカバは、ゆらゆらと風にゆれていました。それは、夏のころ、ほかの木がいきいきとしているように、いま、いきいきとしていました。ほんとうに、なんて美しいのでしょう! とても、ほかのどんなものにもくらべることができません。  やがて、お日さまが、かがやきはじめました。すると、あたりいちめんは、まるでダイヤモンドの粉をふりまかれたように、美しくきらめきました。地面に降りつもった雪の上には、大きなダイヤモンドが、キラキラとかがやいているのでした。でなければ、白い白い雪よりも、もっとまっ白な、数知れない小さな光が燃えているのだと、思うこともできたでしょう。 「まあ、なんてきれいなんでしょう!」若い男といっしょに庭へ出てきた、ひとりの若い娘が、雪だるまのすぐそばに立ちどまって、キラキラ光る木々のほうをながめながら、そう言いました。「夏には、こんな美しい景色はとても見られないわ!」と、娘は、目をかがやかせて、言いました。 「それから、ここにいるこんなやつだって、夏にはとても見られないね」と、若い男は言って、雪だるまを指さしました。「うまくできているじゃないの」  娘はほほえんで、雪だるまのほうにむかって、うなずいてみせました。それから、友だちといっしょに、雪の上を踊るようにして、むこうへ行ってしまいました。すると、まるで澱粉の上でも歩いているように、足の下で、雪がギシギシ鳴りました。 「あのふたりは、だれなの?」と、雪だるまは、くさりにつながれているイヌに、たずねました。「きみは、このお屋敷では、ぼくより古いんだから、あの人たちを知ってるだろう?」 「もちろん、知ってるさ」と、くさりにつながれているイヌが言いました。「あの娘さんは、わしをなでてくださるし、男のひとは骨をくださるんだよ。だから、あのふたりには、かみつかないことにしているのさ」 「だけど、あのふたりは、どういう人たちなんだい?」と、雪だるまはたずねました。 「いいい……いいなずけさ!」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「これから、イヌ小屋へ行って、いっしょに骨をかじろうってのさ。ワン! ワン!」 「あのふたりも、やっぱり、きみとぼくのようなものかい?」と、雪だるまはたずねました。 「ご主人の家のかたにきまってるじゃないか!」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「じっさい、きのう生れてきたばかりのものは、なんにも知らんものさ。おまえを見りゃあ、すぐわかるよ。わしは年をとっているし、いろいろなことを知っている。このお屋敷の人だって、みんな知ってるんだ。それに、今でこそ、こうやって寒いとこに、くさりでつながれているんだが、そんなことのなかった時のことだって、知ってるんだ。ワン! ワン!」 「寒いのは、すてきじゃないか!」と、雪だるまは言いました。「話してくれよ、話してくれよ。だけど、そんなに、くさりをガチャガチャさせないでくれたまえ。からだの中まで、びんびんひびいてくるからね」 「ワン! ワン!」と、くさりにつながれているイヌが、ほえました。「まだそのころは、わしも小イヌだった。ちっちゃくて、かわいかったそうだ。そのころは、お屋敷の中で、ビロードを張った椅子の上に寝かしてもらったり、ご主人のひざの上に抱いてもらったりしたものだよ。そればかりじゃない。口にキスをしていただいたり、ししゅうをしたハンカチで、足をふいていただいたりしたものさ。みんなはわしのことを、『きれいな子』だとか『かわいい、かわいい子』なんて、呼んでくれたんだ。  ところが、そのうちに、わしがあんまり大きくなりすぎたものだから、女中頭のところへやられてしまったんだ。それから、地下室で暮すようになったのさ。そら、おまえの立ってるところから、その中が見えるだろう。わしがご主人だった、その部屋がさ。そこでは、わしがご主人だったんだ。上にいた時より、部屋は小さかったけれど、かえって住みごこちはよかったよ。上にいた時のように、子供たちにこづきまわされたり、引っぱりまわされたりしないですんだんだからね。それに、食べ物だって、前と同じように、いいものがもらえたんだ。いや、かえって、前よりいいくらいだった。  それから、ふとんも、自分のがちゃんとあったし、おまけに、ストーブもあったんだ。このストーブってのは、ことに、いまみたいに寒いときは、世の中でいちばんすてきなものだからなあ! わしがそのストーブの下にはいこむと、すっかりからだがかくれてしまうんだ。ああ、いまでもわしは、そのストーブの夢を見るのさ。ワン! ワン!」 「ストーブって、そんなにきれいかい?」と、雪だるまがたずねました。「じゃあ、ぼくみたいかい?」 「おまえとは、まるで反対さ! それは、炭のようにまっ黒で、長い首と、しんちゅうの胴を持っているんだ! まきを食べるもんだから、口から火をはきだしているのさ。わしらは、そのそばにいなければいけないんだが、その上か、下にいてもいいんだ。そうすると、なんとも言えないほど、いい気持なんだ! おまえの立ってるところから、窓ごしに見えるだろう」  そう言われて、雪だるまがのぞいてみると、そこには、ほんとうにしんちゅうの胴を持った、ピカピカにみがきあげられた、まっ黒なものが立っていました。そして、赤いほのおが、下のほうからかがやいていました。それを見ているうちに、雪だるまは、まったくへんな気持になりました。自分でも、さっぱり、わけがわかりません。なにか、雪だるまの知らないものがやってきたのです。しかし、雪だるまでないほかの人たちには、それがなんだかわかっているのです。 「じゃあ、どうしてきみは、あの女のひとのそばから出て来てしまったんだい?」と、雪だるまは言いました。雪だるまは、ストーブが女のひとにちがいない、と感じたのです。「どうして、そんなにいいところから来たんだね?」 「そうさせられてしまったのさ」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「わしは、外へ追い出されて、こんなところにくさりでつながれてしまったんだよ。いちばん下の坊ちゃんが、わしのしゃぶってた骨をけとばしたもんだから、それで、その足にかみついてやったんだ。骨には骨で返せ、と、わしは思ったのさ! ところが、それを、みんなにわるくとられてしまって、その時から、こうして、ここで、くさりにつながれているんだ。わしのいい声も、ひどくなってしまった。どうだい、ずいぶんしゃがれた声だろう。ワン! ワン! これでおしまいだよ」  雪だるまは、もう、イヌの言うことなどを聞いてはいませんでした。ただじっと、地下室にある、女中頭の部屋の中を、のぞきこんでいたのです。そこには、ストーブが、鉄の四本足で立っていました。それは、ちょうど、雪だるまと同じくらいの大きさに見えました。 「ぼくのからだの中が、いやにミシミシいうぞ」と、雪だるまが言いました。「どうしても、あそこへは入っていけないんだろうか? こんなのは、罪のない願いなんだがなあ。罪のない願いというものは、きっとかなえてもらえるものなんだがな。これが、ぼくのいちばんのお願いで、おまけに、たった一つのお願いなんだ。もしこの願いがきいてもらえないとすれば、そりゃあ、まったく不公平というものだ。よし、どうしてもぼくは、窓ガラスをこわしてでも、入っていって、あのストーブによりかかってやろう」 「おまえは、あんなところへ、入っていけやしないよ」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「それに、もしおまえが、ストーブのそばになんか行けば、とけて消えちまうよ。ワン! ワン!」 「もう、とけているのもおんなじようなものだ」と、雪だるまは言いました。「ぼくは、まるで切りきざまれているような気持だ」  一日じゅう、雪だるまはそこに立って、窓ごしに部屋の中をのぞきこんでいました。あたりがうす暗くなると、部屋の中は、ますます楽しそうに見えてきて、雪だるまの心は、もっともっとそこにひきつけられました。ストーブからは、たいそうやわらかな光がさしていました。それは、お月さまの光ともちがいますし、お日さまの光ともちがっていました。ほんとうに、それは、ストーブの中に何かがはいっているとき、ストーブだけが出すことのできる光でした。ドアが開かれると、そのたびに、ほのおがさっと外に出てきました。それは、ストーブの持っている、いつものくせだったのです。するとそのほのおは、雪だるまの白い顔にまっかにうつりました。そして、胸の上をも、赤々と照らしだしました。 「ああ、もう、とてもたまらないや」と、雪だるまが言いました。「ああして、舌を出すようすは、ほんとうによく似合っている!」  たいそう長い夜でした。けれども、雪だるまには、そんなに長いとも思われませんでした。雪だるまは、自分の楽しい空想にふけっていたのです。そして、からだはつめたくこおりついて、ミシミシいっていました。  朝になると、地下室の窓には、いちめんに氷が張っていました。そして、雪だるまが心から望んでいる氷の花が、それはそれは美しく、いっぱい咲いていました。でも、そのために、ストーブはかくれてしまいました。窓ガラスの氷は、とけそうもありません。雪だるまは、あのストーブの姿を見ることができませんでした。あたりでは、ミシミシ、パチパチ、音がしています。まったく、雪だるまが心の底からよろこびそうな、霜の多い、きびしい寒さでした。それなのに、雪だるまはちっともよろこびません。ほんとうなら、きっと、しあわせに感じたでしょうし、また、しあわせに感じるはずだったのですが、じつは、すこしもしあわせには思いませんでした。それもそのはず、雪だるまは、ただもうストーブのことばかり考えて、恋しがっていたのですもの。 「雪だるまにとっちゃ、そりゃあ、わるい病気だよ」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「前にわしも、この病気にかかったことがあるが、もう今では、すっかりなおってしまった。ワン! ワン!――おや、天気ぐあいがかわるぞ!」  やがて、ほんとうに、空もようがかわってきました。だんだん、雪がとけるようすです。  ますます暖かくなってきて、雪だるまはとけはじめました。もう、何も言いません。不平もこぼしません。こうなると、いよいよほんものです。  ある朝、雪だるまは、とうとうくずれてしまいました。雪だるまの立っていたところには、ほうきのえのようなものが、つっ立っていました。それをしんにして、子供たちが、雪だるまをこしらえたのでした。 「なるほど、これでやっと、あいつがあんなに、ストーブを恋しがってたわけがわかった」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「雪だるまは、からだの中に、ストーブの火かきを持っていたんだな。それが、あいつのからだの中で、あんなに動いていたんだ。でも、もうおしまいさ。ワン! ワン!」  こうして、寒い冬も、やがてすぎてしまいました。 「ワン! ワン! おしまいだ、おしまいだ!」と、くさりにつながれているイヌが、ほえました。お屋敷では、小さな女の子たちがうたいはじめました。 クルマバソウよ! 青いきれいな芽をお出し! ヤナギは毛糸の手袋おぬぎ! カッコウ、ヒバリがきて鳴けば、 楽しい春が、もうきます! わたしもいっしょにうたいましょ! カッコウ! やさしいお日さま、はあやくきてよ!  今はもう、雪だるまのことを思い出す人は、だれもありませんでした。
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年12月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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さいしょのお話 鏡と、鏡のかけらのこと  さあ、いいですか、お話をはじめますよ。このお話をおしまいまで聞けば、わたしたちは、いまよりも、もっといろいろなことを知ることになります。それは、こういうわけなのですよ。  あるところに、ひとりのわるいこびとの妖魔がいました。それは妖魔の中でも、いちばんわるいほうのひとりでした。つまり、「悪魔」です。ある日のこと、悪魔は、たいそういいごきげんになっていました。というのは、この悪魔は、まことにふしぎな力をもつ、一枚の鏡をつくったからでした。つまり、その鏡に、よいものや、美しいものがうつると、たちまち、それが小さくなり、ほとんどなんにも見えなくなってしまうのです。ところが、その反対に、役に立たないものとか、みにくいものなどは、はっきりと大きくうつって、しかもそれが、いっそうひどくなるというわけです。たとえようもないほど美しい景色でも、この鏡にうつったがさいご、まるで、煮つめたホウレンソウみたいになってしまうのです。どんなによい人間でも、みにくく見えてしまいます。さもなければ、胴がなくなって、さかさまにうつってしまうのです。顔は、すっかりゆがめられてしまって、見わけることさえできません。そのかわり、そばかすが一つあっても、それが、鼻や口の上までひろがって、はっきりと見えてくるしまつです。 「こいつは、とてつもなくおもしろいや」と、悪魔は言いました。たとえばですよ、なにか信心深い、よい考えが、人の心の中に起ってきたとしますね、すると、鏡の中には、しかめっつらがあらわれてくるのです。こびとの悪魔は、自分のすばらしい発明に、思わず、吹き出してしまいました。悪魔は、妖魔学校の校長をしていましたが、この学校にかよっている生徒たちは、みんな、奇蹟が起った、と、言いふらしました。そして、いまこそはじめて、世の中と、人間のほんとうの姿が見られるのだ、と、口々に言いました。  こうして、みんなが、その鏡をさかんに持ち歩いたものですから、とうとうしまいには、その鏡に、ゆがんでうつらない国も、人間も、なくなってしまいました。そこで、今度は、天までのぼっていって、天使や、神さまをからかってやろうと、とんでもないことを考え出しました。みんなが、鏡を持って、高くのぼっていくと、鏡の中にうつるしかめっつらが、ますますひどくなってきました。そして、鏡をしっかり持っているのが、やっとになりました。みんなは、それでもかまわず、ずんずんのぼっていって、だんだん神さまと天使のところに近づきました。  が、そのとき、鏡は、しかめっつらをしながら、おそろしくふるえだしました。そのため、とうとう、みんなの手から離れて、地上に落っこちてしまいました。そして、何千万、何億万、いやいや、もっとたくさんの、こまかいかけらに、くだけてしまいました。こうして、いままでよりももっと大きな不幸を、世の中にまき散らすことになったのです。というのは、くだけ散ったかけらの中には、やっと砂粒ぐらいの大きさしかないのも、いくつかあったからです。こういうかけらは、広い世の中にとび散りました。そして、それが、人間の目の中にはいると、そこにいすわってしまうのです。そうすると、その人の目は、なにもかもあべこべに見たり、でなければ、物のわるいところばかりを、見てしまうようになるのです。なにしろ、一つ一つの、ほんの小さな鏡のかけらでも、鏡ぜんたいと、同じ力を持っているのですからね。  小さな鏡のかけらは、幾人かの人たちの心の中にさえ、はいりこみました。しかし、そうなると、ほんとうにおそろしいことです。その人の心は、ひとかたまりの氷のようになってしまうのです。また、鏡のかけらの中には、窓ガラスに使われるくらい、大きいのもありました。けれども、この窓から友だちを見ようとしたところで、そんなことは、とてもむりな話です。それから、めがねになった、かけらもあります。けれども、このめがねをかければ、物を正しく見たり、正しくふるまったりすることは、とうていできません。これを見た悪魔は、笑いころげて、もうすこしで、おなかが、破裂してしまいそうになりました。でも、ゆかいでたまりませんでした。まあ、それはともかくとして、外では、まだこの小さなガラスのかけらが、空中を舞っていました。  さあ、それでは、つぎのお話を聞きましょう! 二番めのお話 男の子と女の子  大きな町には、たくさんの家があって、大ぜいの人が住んでいます。ですから、みんながみんな、めいめいの庭を持つだけの場所がありません。それで、たいていの人は、植木ばちに花を植えて、それで満足しなければならないのです。  ちょうどそういうような町に、ふたりの貧しい子供がいました。ふたりは、植木ばちよりもいくらか大きい庭を持っていました。このふたりは、兄妹ではありませんが、まるで、ほんとの兄妹のように仲よしでした。ふたりの両親は、おとなりどうしで、どちらも屋根裏部屋に住んでいました。一方の家の屋根は、おとなりの家の屋根につづいていて、両方ののきを、雨どいがつたっていました。そして、その二つの屋根裏部屋から、小さな窓がむかいあっていて、といを、ひとまたぎしさえすれば、一方の窓からむこうの窓へ行くことができました。  どちらの両親も、窓のそとに大きな木の箱を置いて、その中に、みんなの食べる野菜を植えていました。それから、小さなバラも、一かぶずつ植えていました。バラは、みごとにしげっていました。そして、この箱は、といをまたいで置いてありましたので、箱の両はしが、もうすこしで、むこうの家の窓にとどきそうになっていました。ですから、両側に、いきいきとした、二つの花のかべができているようなぐあいでした。エンドウのつるは、箱の外へたれさがり、バラの木は長い枝を出して、窓のまわりにからみついて、たがいにおじぎをしあっていました。そのありさまは、まるで、緑の葉と花とでできた、がいせん門を見るようでした。箱はずいぶん大きかったし、それに、子供たちは、その上にはいのぼってはいけないと言われていましたから、ふたりはときどき、おかあさんのおゆるしをいただいて、屋根の上に出ました。そして、バラの下に置いてある、小さな椅子に腰かけて楽しくあそびました。  冬になると、こういう楽しみもなくなりました。窓ガラスは、よく、こおりついてしまいました。でも、そんなときには、子供たちは、銅貨をストーブであたためて、その熱い銅貨を、こおりついた窓ガラスに押しあてました。そうすると、そこに、まん丸い、すてきな、のぞき穴ができるのです。両方の窓ののぞき穴からは、やさしい、なごやかな目が、一つずつ、のぞいていました。それは、小さい男の子と、女の子の目でした。男の子はカイ、女の子はゲルダといいました。夏のあいだは、ふたりとも、ひとまたぎで、行ったり、来たりすることができました。ところが、冬になると、たくさんの階段をおりて、それからまた、たくさんの階段をのぼっていかなければなりません。外では、雪が、さかんに降っていました。 「あれは、白いミツバチが、むらがっているんだよ」と、年とったおばあさんが言いました。 「あの中には、ミツバチの女王もいる?」と、小さい男の子がききました。この子は、ほんとうのミツバチの中には女王がいることを、ちゃんと知っていたのです。 「ああ、いるよ」と、おばあさんは言いました。「女王バチはね、ミツバチが、いちばんたくさんむらがっているところを、とんでいるんだよ。みんなの中で、いちばん大きいのが女王バチでね、地面の上にちっともじっとしていないんだよ。黒い雲のほうへ、すぐまたとんでいってしまうのさ。冬の夜には、女王バチは、よく、町の通りをとびまわって、ほうぼうの家の窓からのぞきこむんだよ。そうして、ふしぎなことに、そのまま窓ガラスにこおりついてしまって、まるで、花をくっつけたようになるんだよ」 「うん、ぼく、見たことあるよ」「あたしもよ」と、ふたりの子供は、口々に言いました。そして、ふたりとも、それがほんとうのことだということを知りました。 「雪の女王は、ここへはいってくることができる?」と、小さい女の子がたずねました。 「はいってきたっていいや」と、男の子は言いました。「そしたら、ぼく、あついストーブの上にのせてやるから。そうすりゃ、とけちまうさ」  けれども、おばあさんは、男の子の髪の毛をなでながら、ほかのお話をして聞かせました。  夕方、カイは、部屋の中で着物をぬいでいました。ぬぎかけで、窓ぎわの椅子の上によじのぼって、小さなのぞき穴から外をのぞいてみました。外には、雪のひらが、二つ三つ、ひらひらと舞っていました。その中でいちばん大きいのが、花の箱のふちにのっかりました。と、その雪のひらは、みるみる大きくなって、とうとう、女の人の姿になりました。そのひとが身につけている着物は、とてもうすい、まっ白なしゃでできていましたが、それは、お星さまのようにキラキラする雪のひらを、何百万も集めてつくったものでした。そのひとは、見れば見るほど美しい、ほっそりとしたひとでした。でも、からだは、氷でできていました。キラキラする、まぶしいほどの氷で、できているのでした。それでも、そのひとは生きていました。目は、明るい、二つのお星さまのように、かがやいてはいましたが、おちついた、やすらかなようすは見えませんでした。女のひとは、窓のほうにむかってうなずきながら、手まねきしました。男の子は、ふるえあがって、椅子からとびおりました。なんだか、そのとき、窓の外を、一羽の大きな鳥が、とびさったような気がしました。  あくる日は、霜のおりた、よいお天気になりました。――それから、雪がとけはじめました。――やがて、春になりました。お日さまはキラキラかがやき、緑の草が顔を出し、ツバメは巣をつくりました。そして、窓は、あけはなたれました。小さな子供たちは、ふたたび、高い高い屋根の上の、小さいお庭にすわって、あそびました。  バラの花は、この夏は、たとえようもないほど美しく咲きました。小さな女の子は、讃美歌を一つおぼえました。その中には、バラの花のこともうたってありました。そして、歌の中にバラの花のことが出てくるたびに、女の子は、自分の花のことを思い出しました。女の子は、男の子にうたって聞かせました。そして、男の子も、いっしょにうたいました。 バラの花 かおる谷間に あおぎまつる おさな子イエスきみ  それから、子供たちは、手を取りあって、バラの花にキスをしました。そして、神さまの明るいお日さまの光をあおいで、まるで、そこにみどり子イエスさまがいらっしゃるように、話しかけました。なんという美しい夏の日でしょう! 家の外で、いきいきとしたバラの花にかこまれているのは、まことに気持のよいものです。バラの花は、いつまでもいつまでも、咲きつづけようとしているようでした。  カイとゲルダは、そこにすわって、動物や鳥の絵本を見ていました。そのとき、教会の大きな塔で、時計がちょうど五時を打ちました。――カイが、こう言いました。 「あ、いたっ! 胸のとこを、なにかに、ちくりとさされたよ。目の中に、なにかはいったんだ!」  小さな女の子は、男の子の首をだきました。男の子は、目をぱちぱちやりました。けれども、なんにも見つかりませんでした。 「もう出てしまったんだろう」と、男の子は言いました。でも、まだ出てしまったのではありません。あの鏡、ほら、あの悪魔の鏡からとび散った、小さなかけらの一つが、とびこんだのです。わたしたちは、まだよくおぼえていますね。あのわるい鏡には、ふしぎな力があって、なんでも大きく美しいものは、小さくみにくく見えるのに、わるい、いやなものは、はっきりと大きくうつって、物のわるいところばかりが、すぐに目につくのでしたね。カイの心臓の中には、そのかけらが一つはいったのです。かわいそうなカイ! カイの心臓は、まもなく、氷のかたまりのようになるでしょう。しかし、いまは、もう、いたくはありません。けれども、やっぱりそれは、まだはいっていたのです。 「どうして泣くんだい?」と、カイはききました。「なんて、へんてこな顔をしてるんだい! ぼくは、もうなんともないんだぜ。チェッ!」それから、すぐまた、きゅうにさけびました。「そこのバラは、虫にくわれてらあ! それからさ、あっちのは、あんなにまがってるよ。きたならしいバラの花だなあ! まるで、植わっている箱みたいだ!」  こう言うと、カイは、はげしく箱をけとばしました。それから、二つのバラの花を、むしりとってしまいました。 「カイちゃん、なにするのよ!」と、女の子はさけびました。カイは、ゲルダがびっくりしたのを見ると、さらに、もう一つのバラの花も、むしってしまいました。そして、かわいらしいゲルダのそばを離れて、自分の家の窓の中にとびこんでしまいました。  それから、ゲルダが絵本を持っていくと、今度は、カイは、そんなのは赤ん坊の見るものだ、と言いました。また、おばあさんがお話をすると、ひっきりなしに、「だって、だって」と言っては、口をはさみました。そればかりではありません。すきさえあれば、すぐに、おばあさんのうしろへまわります。そして、めがねをかけて、おばあさんの話すまねをするのです。しかも、それがとってもうまかったので、みんなは、大笑いをしました。まもなく、カイは、近所じゅうの人たちの話し方も、歩き方も、まねすることができるようになりました。みんなのくせとか、よくないところを、カイは、じょうずにまねすることができました。それを見て、人々は、 「あの子の頭はすばらしい!」と、言いあいました。  けれども、それは、カイの目の中にはいって、心臓の中につきささっている、ガラスのせいだったのです。カイを心の底から好いている、小さなゲルダをさえ、からかうようになったのも、そのためだったのです。  あそびかたも、これまでとは、すっかりかわってきました。なんとなく、頭を働かせるような、あそびになりました。――雪の降りしきっている、ある冬の日のことでした。カイは、大きなレンズを持って、外に出ました。そして、自分の青い上着のすそをひろげて、その上に、雪のひらをつもらせました。 「ゲルダちゃん、このレンズをのぞいてごらん」と、カイは、言いました。見れば、雪のひらの一つ一つが、たいへん大きくなって、美しい花か、六角形のお星さまのようでした。それは、ほんとうに美しいものでした。 「ほら、とってもうまくできてるだろう」と、カイは言いました。「ほんとの花なんかより、ずっとおもしろいじゃないか。みんな、きちんとして、わるいとこなんか、ちっともないんだからね。だけど、とけなきゃいいんだけどなあ!」  それからすこしたつと、カイは大きな手袋をはめ、そりを肩にかついで、出てきました。そして、ゲルダの耳もとにこう言いました。「ぼくはね、みんなのあそんでいる広場で、そりに乗ってもいいって、言われたんだよ」こう言うと、カイは、さっさと、行ってしまいました。  広場では、いせいのいい子供たちが、ときどき、自分たちのそりを、お百姓の車に結びつけては、ずいぶん遠くまで、いっしょに走っていました。そうすると、すばらしく、よく走るのです。こうして、みんなが、いかにも楽しそうにあそんでいると、大きなそりが一台、やってきました。そのそりは、まっ白にぬってありました。なかには、あらい、白い毛皮にくるまって、白い、あらい帽子をかぶった人が、すわっていました。  このそりは、広場を二回、ぐるぐるまわりました。カイは、自分の小さなそりを、すばやく、そのそりに、しっかりと結びつけました。すると、カイのそりも、いっしょに走り出しました。そりは、だんだん早くなりました。またたくうちに、となりの通りへはいりました。そのとき、そりを走らせていた人が、ふりかえって、カイに親しそうに、うなずいてみせました。なんだか、ふたりは、もう前から知っているような気がしました。カイが、自分の小さなそりをほどこうとすると、そのたびに、その人がうなずいてみせるのです。それで、カイは、ついそのまま、また、すわってしまうのでした。  まもなく、ふたりは、町の門を通りぬけました。雪は、ますますはげしく、降ってきました。目の前に手をのばしても、もう見えないくらいになりました。けれども、そりはどんどん走りつづけます。そのとき、カイは、いそいで綱をゆるめて、大きなそりから離れようとしました。しかし、そうしてみたところで、どうにもなりません。カイの小さなそりは、大きいそりに、しっかりと結びつけられているのです。しかも、二つのそりは、風のように早く走っていきます。  カイは、大きな声でさけびました。でも、だれの耳にも聞えません。雪は降りしきっています。そりは、矢のようにとんでいきます。ときどき、そりは、はねあがりましたが、それは堀や生垣をとびこしているようでした。カイは、こわくてたまらなくなって、「主の祈り」をとなえようとしました。ところが、どうしても、大きな九九の表しか思い出すことができないのです。  雪のひらは、だんだん大きくなって、とうとう、大きな白いニワトリのようになりました。そして、それらが両側にとびのくといっしょに、大きなそりがとまりました。すると、そりを走らせていた人が、立ちあがりました。見れば、毛皮も、帽子も、雪でできています。そのひとは、すらりとした、背の高い女のひとでした。かがやくように白い、女のひとでした。このひとこそ、雪の女王だったのです。 「ずいぶん遠くまできたのよ」と、雪の女王は言いました。「おやおや、ふるえているのね。わたしのシロクマの毛皮の中に、おはいりなさい!」女王は、こう言うと、カイを大きなそりに乗せて、自分のそばにすわらせました。そして、毛皮をかけてやりましたが、カイは、まるで雪の吹きだまりの中に、はいったような気がしました。 「まだふるえているの?」と、雪の女王はたずねました。そして、カイのひたいにキスをしました。ああ、しかし、なんというつめたさでしょう! 氷よりも、もっとつめたいのです。そして、それはもう氷のかたまりになりかけていた、カイの心臓の中にしみこみました。カイは、いまにも死にそうな気がしました!――けれども、それはほんの一瞬でした。すぐに、気持がよくなりました。もう、自分の身のまわりのつめたさを、感じなくなったのです。 「ぼくのそり! ぼくのそりを忘れないでね!」カイは、そりのことを、なによりもさきに思い出したのです。そこで、そりは、白いニワトリの一羽にゆわえつけられました。ニワトリは、そりを背中に乗せて、あとからとんできました。雪の女王は、カイにもう一度キスをしました。すると、カイは、小さなゲルダのことも、おばあさんのことも、家のことも、みんな、きれいに忘れてしまいました。 「もう、キスはしてあげないよ」と、雪の女王は言いました。「今度わたしがキスをすると、おまえは死ぬことになるからね」  カイは、雪の女王をながめました。なんという美しさでしょう! これよりもかしこそうな、じょうひんな顔は、思いうかべようとしても、とても思いうかべることはできません。この姿を見れば、いつか、窓の外から、自分のほうへ手まねきした時のように、氷でできているとは、とても思えません。カイの目には、女王は、どこにも欠点のない、美しい人に見えたのです。いまでは、すこしもこわくはありません。  そこでカイは、女王に、自分は暗算ができることを、それも、分数の暗算ができることを話したり、国の平方マイルのことや、「人口はどのくらい?」のことなどを、話したりしました。女王は、しょっちゅう、にこにこして聞いていました。けれども、カイは、自分の知っていることは、まだまだじゅうぶんではないような気がしました。ふと、広い広い大空を見上げました。すると、女王はカイを連れて、空高く黒い雲の上までとんでいきました。あらしが、ものすごい音をたてて、吹きまくっています。まるで、むかしの歌でもうたっているようでした。ふたりは、森をこえ、湖をこえ、海をこえ、陸をこえて、とんでいきました。はるか下のほうでは、寒い風が、ピューピュー吹いていました。オオカミがほえていました。雪がキラキラ光っていました。その上を、黒いカラスが、カーカー鳴きながら、とんでいきました、上のほうには、お月さまが、大きく、明るく、かがやいていました。長い長い冬の夜じゅう、カイは、そのお月さまをながめていました。そして、昼のあいだは、雪の女王の足もとで眠りました。 三番めのお話 魔法を使うおばあさんの花園  お話かわって、カイがいなくなってから、小さなゲルダはどうしたでしょうか? それにしても、カイはどこへ行ってしまったのでしょう?――知っている人は、ひとりもいませんでした。教えてくれる人も、ありませんでした。子供たちの話によれば、カイが、自分の小さなそりを、大きな、りっぱなそりに結びつけて、通りを走りぬけて、町の門から出ていくのを見たというだけです。だれひとりとして、カイがどこにいるのか、知りませんでした。みんなは、涙をながして、悲しみました。ことに、小さなゲルダは、いつまでもいつまでも泣いていました。――こうして、カイは、町のすぐそばを流れている川に落ちて、死んだのだろう、ということになりました。そのため、ほんとうに長い暗い、冬の日が、つづきました。  やがて、暖かいお日さまのかがやく、春になりました。 「カイちゃんは死んでね、どこかへ行ってしまったのよ」と、小さなゲルダは言いました。 「わたしは、そうは思わないよ」と、お日さまは言いました。 「カイちゃんは死んでね、どこかへ行ってしまったのよ」と、ゲルダはツバメに言いました。 「ぼくは、そうは思いませんよ」と、ツバメは答えました。みんなが、こう言うので、小さなゲルダも、しまいには、そうは思わなくなりました。 「あたし、あたらしい、赤い靴をはこうっと」と、ある朝、ゲルダは言いました。「あの靴は、カイちゃんも、まだ見たことがなかったわ。あれをはいて、川へ行って、カイちゃんのことをきいてみよう」  夜が明けたばかりのころでした。ゲルダは、まだ眠っているおばあさんにキスをすると、赤い靴をはいて、たったひとりで、町の門を出て、川へ行きました。 「あなたが、あたしの仲よしを取ってしまったっていうの、ほんとうなの? あなたが、もしカイちゃんをかえしてくれれば、この赤い靴をあげてよ」  と、どうでしょう。ふしぎなことに、なんだか、波が、うなずいたような気がします。そこで、ゲルダは、自分の、だいじなだいじな赤い靴をぬいで、両方とも川の中へ投げこみました。けれども、靴は岸の近くに落ちたものですから、小さい波が、すぐまた、その靴を陸におしかえしてきました。まるで、ゲルダのいちばんだいじなものを取ってしまうのは気の毒だ、と言っているように見えました。だって、そうでしょう。川は、カイを取りはしなかったのですからね。しかし、ゲルダは、靴を遠くまで投げなかったからだと思いました。そこで、アシのあいだにあった、ボートにはいあがって、そのいちばんさきまで行きました。そして、そこから、靴を投げこみました。ところが、このボートは、しっかりつないでありませんでした。ですから、ボートの中で、ゲルダが動いたとたんに、ボートは、するすると岸を離れました。ゲルダも、それに気がつきました。それで、岸に上ろうとして、あわててボートのこっち側のはしまで、もどってきましたが、そのときにはもう、ボートは一メートル以上も、岸から離れていました。そして、そのまま、ぐんぐん早く、すべり出しました。  このありさまに、小さなゲルダはびっくりして、わっと泣き出しました。けれども、スズメたちのほかは、だれにも聞えません。かといって、スズメたちでは、ゲルダを陸に連れもどしてくれることはできません。スズメたちは、ゲルダをなぐさめようとでもするように、岸づたいにとびながら、 「あたしたちは、ここよ。あたしたちは、ここよ」と、さえずりました。  ボートは流れにつれて、くだっていきました。小さなゲルダは、靴下のまま、ボートの中でじっとしていました。小さな赤い靴は、あとから流れてきました。けれども、ボートのほうが早いため、追いつくことはできません。  流れの両岸は、美しい景色でした。きれいな花や、年とった木々や、ヒツジやウシのいる丘が、目にうつりました。けれども、人の姿はさっぱり見えません。 「もしかしたら、この川が、あたしをカイちゃんのところへ連れて行ってくれるのかもしれないわ」と、ゲルダは思いました。そう思うと、いままでよりも、ずっと元気がでてきました。そして、ボートの中に立ちあがって、美しい緑の両岸を、なん時間もながめていました。そのうちに、大きなサクラの園へ、さしかかりました。園の中には、小さな家が一けん、立っていました。そして、赤と青の、ふしぎな窓が見えました。屋根は、ワラでふいてあって、入り口には、木の兵隊さんがふたり、立っていました。そして、舟に乗ってとおる人に、捧げ銃をしていました。  ゲルダは、その兵隊さんたちが生きていると思って、呼びかけました。けれども、兵隊さんたちは、もちろん返事をしませんでした。やがて、川の流れが、ゲルダのボートを岸に近づけてくれたので、兵隊さんたちのそばまできました。  ゲルダは、もっと大きな声を出して、もう一度呼んでみました。すると、家の中から、それはそれは年をとったおばあさんが、撞木杖にすがって、出てきました。おばあさんは、大きな日よけ帽子をかぶっていました。見ると、その帽子には、とてもきれいな花の絵がかいてありました。 「おやまあ、かわいそうに!」と、おばあさんは言いました。「こんなに大きな、流れのはげしい川を、よくもまあ、こんな遠くまで来たもんだ!」おばあさんは、こう言うと、水の中まではいってきて、撞木杖をボートにひっかけて、岸に引きよせてくれました。そして、小さいゲルダを陸にあげてくれました。  ゲルダは、陸にあがれたので、うれしくてなりませんでしたが、この知らないおばあさんは、なんとなく気味わるく思いました。 「さあ、おいで。おまえは、どこの子だね? どうして、ここへ来たんだね? わたしに話してごらん」と、おばあさんは言いました。  そこで、ゲルダはおばあさんに、いままでのことをのこらず話しました。おばあさんは、首をふりながら、「ふん、ふん」と言って、きいていました。ゲルダは、すっかり話してしまうと、カイちゃんを見かけませんでしたか、ときいてみました。すると、おばあさんの言うのには、そんな子はまだここを通らないね、でも、いまにきっとくるだろう、まあ、あんまり悲しまないほうがいいよ、サクランボでも食べたり、花でも見たりしていなさい、ここの花は、どんな絵本よりもきれいなんだよ、それに、その一つ一つが、お話をすることもできるんだよ、と言いました。それから、おばあさんは、ゲルダの手を取って、小さい家の中にはいって、入り口の戸をしめました。  窓は、かなり高いところにありました。窓ガラスは、赤と青と黄色でしたので、お日さまの光がさしてくると、部屋の中は、色さまざまの、ふしぎな光にみたされました。テーブルの上には、いかにもおいしそうな、サクランボがのっていました。ゲルダは、いくら食べてもいいよ、と言われたものですから、好きなだけ食べました。こうして、ゲルダが食べていると、おばあさんは、金のくしでゲルダの髪をすいてくれました。髪の毛は、波形にちぢれて、それはそれは美しく金色に光りました。そして、バラの花のように、まるくて、かわいらしい、ゲルダの小さな顔のまわりに、たれさがりました。 「わたしはね、おまえのような、かわいい女の子が、ほしくてならなかったんだよ!」と、おばあさんは言いました。「ふたりで、仲よくやっていこうじゃないか」  おばあさんがゲルダの髪をとかしているうちに、ゲルダは、だんだん、仲よしのカイのことを忘れていきました。それもそのはず、このおばあさんは、魔法を使うことができたのですからね。といっても、わるい魔法使いではありませんでした。ただ自分のなぐさみのために、ちょっとばかし、魔法を使うだけだったのです。いまも、かわいらしいゲルダを、自分のそばにおいておきたかっただけなのです。おばあさんは、庭へ出ていって、咲きみだれている、バラの木のほうへ、撞木杖をのばしました。すると、あんなにも美しく咲いていたバラの花が、たちまち、黒い土の中へ、消えうせてしまいました。もう、こうなれば、いままでバラの花がどこにあったのか、だれにもわかりません。おばあさんとしては、ゲルダがバラの花を見たら、自分の家のバラの花や、小さなカイのことを思い出して、逃げていきはしないかと、それが心配だったのです。  さて、今度は、おばあさんは、ゲルダを花園へ連れていってくれました。――まあ! そのかおりのよいこと! 美しいこと! なんという、すてきなところでしょう! 花という花が、しかも、春、夏、秋、冬、どの季節もの花が、いまをさかりと、美しく咲きほこっているのです。どんな絵本でも、こんなに色あざやかで、美しいものはありません。ゲルダは、うれしさのあまり、とびあがりました。そして、お日さまが、高いサクラの木のうしろにしずんでしまうまで、むちゅうになって、あそびつづけました。それから、きれいなベッドの中へはいって、青いスミレの花をつめた、赤い絹の掛けぶとんをかけて、眠りました。そして、女王さまがご婚礼の日に見るような、すてきな夢を見ました。  ゲルダは、つぎの日も、暖かいお日さまの光をあびて、花といっしょにあそびました。――こうして、幾日も幾日も、すぎました。ゲルダは、いまでは、どんな花でも知っています。でも、どんなにたくさんの花があっても、なんだか一つ、たりないような気がしてなりません。けれども、それがなんの花かはわからないのです。  ある日のこと、ゲルダは腰をおろして、花の絵のかいてある、おばあさんの日よけ帽子をながめていました。その絵の中で、いちばんきれいなのは、バラの花でした。おばあさんは、庭のバラの花は、のこらず地面の中にかくしてしまいましたが、帽子にかいてあるバラの花だけは、消すのを忘れていたのです。でも、こうしたことは、ちょっとうっかりすると、よくあるものですね。 「あら」と、ゲルダは言いました。「ここには、バラの花がないわ」  こう言うと、花園の中へとびだしていって、いっしょうけんめい、バラの花をさがしました。けれども、いくらさがしても、見つかりません。ゲルダは、とうとう、そこにすわりこんで、泣き出しました。すると、ゲルダの熱い涙が、ちょうど、バラの木のしずんだ地面の上に、はらはらとこぼれ落ちました。と、暖かい涙に土がうるおされたものですから、たちまち、バラの木が芽を出して、大きくなってきました。そして、しずむ前と同じように、それはそれはきれいな花を咲かせました。ゲルダは、それにだきついて、バラの花にキスをしました。と、そのとたんに、家にある美しいバラの花のことを、それといっしょに、小さいカイのことを、思い出しました。 「まあ、あたしったら、どうしてこんなに、ぐずぐずしてしまったんでしょう」と、小さなゲルダは言いました。「カイちゃんをさがさなければならないのに! ――あなたがた、カイちゃんはどこにいるか知らない?」と、ゲルダは、バラの花にたずねました。「カイちゃんは死んで、どこかへ行ってしまったと思う?」 「死んではいませんわ」と、バラの花は言いました。「あたしたちは、いままで地面の下にいたんですのよ。そこには、死んだ人はみんないるんですけど、カイちゃんはいませんでしたわ」 「ありがとう」と、小さなゲルダは言いました。それから、今度は、ほかの花のところへ行って、そのがくをのぞきこんで、たずねました。「あなたたち、カイちゃんがどこにいるか知らない?」  けれども、どの花も、気持よさそうにお日さまの光をあびて、うつらうつらと、自分のおとぎばなしや、お話を夢に見ていました。小さなゲルダは、そういうお話を、それはそれはたくさん聞かされました。そのくせ、カイのことを知っている花は、一つもありませんでした。  では、オニユリは、なんと言ったでしょうか? 「ドン、ドンという、たいこの音が聞えますね。ただ、この二つの音だけですよ。いつまでも、ドン、ドンと。女たちの悲しい歌をお聞きなさい。坊さんたちの、さけび声をお聞きなさい!  インド人の女が、長いまっかな着物を着て、火葬のまきの上に立っています。ほのおが、その女と、死んだ夫のまわりに燃えあがりましたよ。しかし、インド人の女は、そこに集まっている人たちの中の、ひとりの男のことを、心に思っているのです。その男の目は、ほのおよりも熱く燃えています。その男の目のかがやきは、ほのおよりももっと強く、女の心にせまっています。女のからだは、もうすぐ、ほのおのために焼きつくされて、灰になるのです。けれども、心のほのおは、火葬のほのおの中で、死にたえてしまうものなのでしょうか?」 「そんなこと、あたしにはわからないわ」と、小さなゲルダは言いました。 「これが、わたしのお話ですよ」と、オニユリは言いました。  ヒルガオは、なんと言ったでしょうか? 「せまい岩道の上までつきでるように、むかしのお城がそびえています。しげったキヅタが、古びた、赤いかべをはいのぼって、葉を一枚一枚とかさねながら、高い露台のところまで、まつわりついています。その露台には、ひとりの美しいお嬢さんが立っています。お嬢さんは、らんかんから、からだをのり出して、下の道を見おろしています。バラの木にすがすがしく咲いている花も、このお嬢さんほど清らかではありません。風に運ばれてくるリンゴの花も、このお嬢さんのように軽やかではありません。美しい絹の着物が、サラサラと音をたてています。でも、このお嬢さんの待っている人は、来ないのでしょうか?」 「それ、カイちゃんのこと?」と、小さなゲルダはたずねました。 「あたしはね、ただ、あたしのおとぎばなしをお話ししただけよ。あたしの夢なのよ」と、ヒルガオは答えました。  小さいマツユキソウは、なんと言ったでしょうか? 「木と木のあいだに、長い板が綱でつるしてあるわ。ブランコなのよ。かわいらしい女の子がふたり、ブランコしているわ。――着物は、雪のようにまっ白で、帽子には、緑色の、長い、絹のリボンがひらひらしていてよ。――ふたりのにいさんがブランコにのって、腕を綱にまきつけて、からだをささえているわ。だって、片方の手には小さなお皿を持ってるし、もう一方の手にはねんどのパイプを持っているんですもの。そうして、シャボン玉を吹いてるのよ。ブランコがゆれて、シャボン玉が、いろんなきれいな色になって、とんでくわ。いちばんおしまいのシャボン玉は、まだパイプのさきにぶらさがって、風にゆられてるわ。ブランコが動いててよ。シャボン玉みたいに軽そうな、黒い小さなイヌが、後足で立ちあがって、いっしょにブランコに乗ろうとしているわ。ブランコがゆれたので、イヌが落っこちたわ。あらあら、キャンキャンほえて、おこってる! からかわれてるのよ。シャボン玉がこわれたわ。――ゆらゆら揺れるブランコと、ふわふわとんでく水の泡、これがあたしの歌なのよ」 「あなたのお話は、おもしろそうだわ。でも、なんとなく悲しそうにお話しするのね。それに、カイちゃんのことは、なんにも言ってくれないわ。じゃ、ヒヤシンスさんのお話は?」 「美しい三人姉妹がおりました。三人とも、からだが、すきとおるように、ほっそりとしていました。ひとりは赤、ひとりは青、もうひとりはまっ白の着物を着ていました。三人は、お月さまのかがやく明るい晩に、静かな湖の岸べで、手を取りあって、踊りました。けれども、この三人は妖精の娘ではありません。人間の娘たちなのです。あたりには、あまいかおりが、ただよっていました。やがて、娘たちは、森の中へ姿を消しました。かおりは、いっそう強くなりました。――  三つのお棺が、あの美しい娘たちのはいっている三つのお棺が、森の茂みから出て、湖の上を静かにすべってゆきました。ホタルが、そのまわりを、空に浮んでいる小さな明りのように、光りながらとびまわっていました。踊りをおどった娘たちは、眠っているのでしょうか、それとも、死んだのでしょうか? ――花のかおりは、言っています、あれは、娘さんたちのなきがらですよ、と。ゆうべの鐘が、死んだ人たちの上に、悲しげに鳴りひびいています」 「あなたのお話を聞いているうちに、すっかり悲しくなったわ!」と、小さなゲルダは言いました。「あなたのにおいが、ずいぶん強いものだから、あたしもその死んだ娘さんのことを思いうかべてしまうわ。ああ、だけど、カイちゃんはほんとうに死んだのかしら? バラの花は地面の下にしずんだのだけど、カイちゃんは死んではいなかったって言ってるわ!」 「リン、リン」と、ヒヤシンスの鐘が鳴りました。「あたしたちは、カイちゃんのために鳴っているのじゃありませんよ。あたしたちは、そんな人を知りません。ただ、あたしたちの歌をうたっているだけですわ。あたしたちの知っている、たった一つの歌をね」  それから、ゲルダは、つやつやした緑の葉のあいだから、かがやき出ている、タンポポの花のところへ行きました。 「あなたは、小さな明るいお日さまのようね」と、ゲルダは言いました。「どこへ行ったら、あたしのお友だちが見つかるか、あなた知らない?」  すると、タンポポは、それは美しくかがやいて、もう一度ゲルダをながめました。タンポポは、どんな歌をうたったでしょうか? でも、その歌も、カイのことではありませんでした。 「春のはじめのころでした。とある小さい庭に、神さまのお日さまが、暖かく照っていました。お日さまの光は、となりの家の白いかべをつたわって、すべり落ちていました。そのかべのすぐそばに、春のさいしょの黄色い花が咲いていました。そして、暖かいお日さまの光をうけて、キラキラと金色にかがやいていました。年とったおばあさんが、庭の椅子に腰かけていました。そこへ小間使いをしている、貧しい、きれいな孫娘が、ちょっとたずねてきました。娘は、おばあさんにキスをしました。このしあわせなキスには、黄金が、心の黄金がありました。口に黄金、地に黄金、朝の空にも黄金! ほら、これが、わたしのお話ですよ」と、タンポポは言いました。 「ああ、お気の毒な、あたしのおばあさん!」と、ゲルダはため息をついて、言いました。「きっと、あたしに会いたがっていらっしゃるでしょうね。そして、カイちゃんがいなくなった時と同じように、あたしのことを悲しんでいらっしゃるでしょうね。でも、あたし、すぐにおうちに帰ってよ。カイちゃんも、いっしょに連れてね。――お花たちにきいても、だめだわ。みんな、自分の歌ばっかしうたっていて、カイちゃんのことは、ちっとも教えてくれないんですもの」  それから、ゲルダはかわいい着物のすそをからげて、早く走れるようにしました。けれども、スイセンの上をとびこそうとしたとき、スイセンがゲルダの足をうちました。そこで、ゲルダは立ちどまって、細長い黄色い花を見て、「なにか知っているの?」と、たずねながら、スイセンのほうへからだをかがめました。  スイセンは、なんと言ったでしょうか? 「わたしは自分が見えるんですよ。自分を見ることができるんですよ」と、スイセンは言いました。「ああ、わたしは、なんていいにおいなんでしょう! ――上の小さな屋根裏部屋に、かわいらしい踊り子が、衣装を半分だけつけて、立っていますよ。踊り子は、一本足で立ったり、両足で立ったりしています。こうして、世界じゅうをふみつけているのです。でも、まぼろしみたいなものですよ。踊り子は、手に持っている布に、お茶わかしから水をかけます。それはコルセットですけどもね。――きれいにするのは、いいことですよ! 白い着物が、くぎにかかっています。これもお茶わかしの中であらって、屋根の上でかわかしたんですよ。踊り子はこの着物を着て、サフラン色の布を首にまきつけます。そうすると、着物が、いちだんと白くかがやきます。足を高く! ごらんなさい、くきの上に立っている姿を! わたしは、自分が見えるんですよ。自分を見ることができるんですよ」 「そんなこと、どうだっていいわよ」と、ゲルダは言いました。「わざわざ、あたしに話すほどのことじゃないわ」ゲルダは、こう言いすてて、庭のはずれまで走っていきました。  戸はしまっていました。けれども、さびついた掛金をおすと、それがうまくはずれて、戸があきました。そこで、ゲルダは、はだしのまま、広い世の中へかけ出していきました。ゲルダは、三度もあとを振りかえってみましたが、だれも追いかけてくるようすがありません。あんまり走ったので、とうとう、もうそれ以上、走れなくなりました。そこで、そばにあった、大きな石の上に腰をおろしました。  ふと、あたりをながめると、いつのまにか、夏はすぎさって、秋も、もう、終りに近づいているではありませんか。あの美しい花園にいたのでは、それに気がつくわけがありません。あの花園では、いつもいつもお日さまがキラキラとかがやいていて、一年じゅうのあらゆる花が、咲きかおっていたのですからね。 「あらまあ、なんて、ぐずぐずしてしまったんでしょう!」と、小さなゲルダは言いました。「もう、秋になってしまったわ。休んでもいられない!」  そこで、ゲルダは、立ちあがって、また歩いていきました。  ああ、ゲルダの小さな足は、どんなにか傷つき、つかれはてたことでしょう! あたりを見まわしても、目にうつるものは、寒々とした、ものさびしい景色ばかりです。長いヤナギの葉は、すっかり黄色になっていました。露がその葉から、雨のように、したたり落ちていました。葉が一枚、また一枚と、散っていました。リンボクだけが、まだ実をつけていました。でも、その実は、食べてもすっぱいので、おもわず、口をすぼめてしまうほどでした。ああ、目に見えるかぎりの世界は、なんて灰色で、いんうつなのでしょう! 四番めのお話 王子と王女  ゲルダは、また休まなければなりません。ゲルダが腰をおろすと、ちょうどそのむこうの雪の上を、大きなカラスが一羽、ピョンピョンとんでいました。カラスは、やがて立ちどまって、長いこと、ゲルダの顔をながめていました。それから、頭をゆらゆらさせながら、「カー、カー。こんちは、こんちは!」と、言いました。カラスには、これ以上、うまく言えなかったのです。けれども、この小さな女の子が好きになりましたので、こんな広い世の中を、ひとりぽっちで、どこへ行くの、と、ききました。  この「ひとりぽっちで」という言葉は、ゲルダにもよくわかりました。そして、この言葉には、いろんな意味があることを感じました。そこで、ゲルダは、カラスに、自分の身の上を、すっかり話して聞かせました。そして、カイちゃんを見かけませんでしたか、とたずねてみました。  すると、カラスは、おもおもしくうなずいて、こう言いました。 「あれかもしれない。あれかもしれない」 「あら、ほんと?」と、小さなゲルダは、思わず、大きな声を出しました。そして、カラスを思いきり強くだきしめて、キスをしました。 「おちついて! おちついて!」と、カラスは言いました。「ぼくは、あれがカイちゃんだと思うよ。でも、いまは、王女さまのことで頭がいっぱいだから、きみのことは忘れているらしいよ」 「カイちゃんは王女さまのところにいるの?」と、ゲルダはたずねました。 「うん。まあ、お聞き」と、カラスは言いました。「だけど、きみたちの言葉で話すのは、とっても骨がおれるんだよ。きみが、カラスの言葉をわかってくれると、もっとうまく話せるんだけどなあ!」 「でもね、カラスの言葉は、あたし習わなかったのよ」と、ゲルダは言いました。「おばあさんだったら、わかるんだけど。それに、おばあさんは、赤ちゃんの言葉だってわかるのよ。あたしも習っておけばよかったわねえ!」 「いいよ、いいよ」と、カラスは言いました。「できるだけ、うまく話してみるよ。まずいだろうけどね」それから、カラスは、知っていることを話しはじめました。 「いま、ぼくたちのいるこの国に、ひとりの王女さまが住んでいるよ。この方は、ものすごくりこうなひとでね、世界じゅうの、ありとあらゆる新聞を読んで、しかも、それをきれいに忘れてしまうといった、ひとなんだよ。そのくらい、りこうなひとなのさ。王女さまは、さいきん、玉座についたよ。でも、玉座についたところで、ちっともおもしろいものじゃないからね。  あるとき、王女さまはこんな歌を口ずさんだんだよ。それはね、『どうして、わたしは結婚してはいけないの』って歌なのさ。『そうだわ、この歌の言うことは、ほんとだわ』と、王女さまは言って、結婚しようという気になったんだよ。しかし、おむこさんにむかえようという人は、だれかに話しかけられたら、ちゃんと答えることのできる人で、ただじょうひんぶって、立っているだけの人ではいけない、というんだよ。だって、そうだろう、そんな人だと、たいくつだものね。そこで、女官たちをみんな集めて、そのことを話したのさ。その話を聞くと、女官たちは、とってもよろこんで、 『けっこうなことにぞんじます』と、みんな、口をそろえて言ったものさ。『わたくしどもも、このごろ、同じことを考えておりました』ってね。――ぼくの言うことは、一つ一つがほんとうなんだよ!」と、カラスは言いました。「じつを言うと、ぼくには、人間に飼われている、いいなずけがいてね、彼女が御殿の中を自由に歩きまわることができるもんだから、なにもかも、ぼくに話してくれたんだよ」  カラスのいいなずけが、カラスであることは、言うまでもありません。なんでも、自分の仲間をもとめるものですからね。 「そこで、さっそく、ハート形と、王女さまのお名前の頭文字とを、ふちにとった新聞が、でたってわけさ。それを読むと、姿の美しい青年なら、だれでも自由に御殿へ行って、王女さまとお話することができる、そして、だれが聞いていても、気らくに話をし、しかも、いちばんじょうずに話のできた人を、おむこさんにえらぶ、と、こう書いてあるんだよ! ――ほんとだよ、ほんとだよ!」と、カラスは言いました。「ぼくが、ここにすわっているのと同じくらい、たしかなことなんだよ。すると、人々が、どっと押しよせてきた。まったくたいへんな人で、ごったがえすような、ありさまだったよ。ところが、さいしょの日も、つぎの日も、ひとりとして、うまくやってのける者がない。みんな、往来にいるときは、なかなかよくしゃべるのさ。  ところが、御殿の門をくぐって、銀色の服を着た番兵を見たり、階段をのぼって、金ピカのお役人を見たり、キラキラした大広間へ通されたりすると、ぼうっとなってしまうんだよ。こうして、いよいよ、王女さまのいる玉座の前に立つと、王女さまの言ったさいごの言葉をくりかえすのが、やっとになるのさ。でも、王女さまは、自分の言った言葉を、もう一度聞きたいとは思っていやしない。そこへいくと、だれもかれもが、まるで、かぎタバコをおなかにのみこんだようになって、ぼんやりしてしまう、しまつなのさ! みんなは、往来へ出てからはじめて、もとのように、しゃべることができるようになるんだよ。人々の列は、町の門から御殿までつづいたっけ。ぼくも、そこへ行って見たんだよ」と、カラスは言いました。「みんなは、おなかもすくし、のどもかわく。けれども、御殿では、なまぬるい水一ぱい、もらえない。頭のいい連中の中には、バターパンを持っていった者もあるけど、もちろん、となりの人にわけてやったりはしないよ。この連中は、腹の中で、『腹のへったような顔をさせておきゃ、王女さまも、こいつをえらんだりはなさるまい』と考えていたのさ」 「だけど、カイちゃんは? 小さなカイちゃんは?」と、ゲルダは聞きました。「いつ来たの? その大ぜいの中にいたの?」 「まあ、あわてないで。あわてないで。すぐその話になるから。三日めのことだったっけ。小さな男の子が、馬にも乗らず、馬車にも乗らないで、いかにも楽しそうに、御殿をさして歩いてきたんだよ。目は、きみの目のようにかがやいていて、髪の毛は、長くて、きれいだった。だけど、着物はみすぼらしいものだったよ」 「それが、カイちゃんだわ!」と、ゲルダは、うれしそうにさけびました。「ああ、とうとう、見つかったわ!」こう言って、手をたたいてよろこびました。 「その子は、背中に小さいランドセルをしょっていたよ」と、カラスが言いました。 「ちがうわ。それは、きっと、そりよ」と、ゲルダは言いました。「そりをもったまま、どこかへ行ってしまったんですもの」 「そうかもしれないよ」と、カラスは言いました。「ぼくは、よく見たわけじゃないからね。だけど、飼われている、ぼくのいいなずけの話によると、その子は、御殿の門をくぐって、銀色の服を着た番兵を見ても、階段をのぼって、金ピカのお役人にであっても、びくともしなかったってことだよ。そうして、その人たちにうなずいてみせて、『階段の上に立っているのは、たいくつでしょう。ぼくは、奥へ行きますよ』って言ったんだって。広間には、明りが、こうこうとかがやいていてね、顧問官や大臣たちが、はだしで、金のうつわを持って、歩いていたんだよ。そんなだと、だれでも、おごそかな気持になるものさ。すると、その子の靴がものすごく高く鳴ったんだよ。でも、その子は、ちっともこわがらなかったんだってさ」 「カイちゃんにちがいないわ」と、ゲルダは言いました。「カイちゃんには、あたらしい靴があるんですもの。おばあさんのお部屋で、キュッ、キュッ、鳴ってたのよ」 「そう、キュッ、キュッ、鳴ったんだってさ」と、カラスは言いました。「それから、元気よく王女さまの前へ行ったんだよ。王女さまは、つむぎ車ぐらいもある、大きなしんじゅの上に腰かけていてね、そのまわりには、女官たちと貴族たちがひかえていたんだけど、その人たちばかりじゃなく、女官たちの小間使いと、またその小間使いの小間使いや、貴族たちの侍僕と、またその侍僕たちが、ずらっと、ならんでいたんだよ。そして、その侍僕が、また小姓を連れていたのさ。おまけに、入り口の近くに立っている者ほど、いばったようすをしていたんだよ。侍僕の侍僕につかえている小姓なんかは、ふだんは、上靴をはいて歩きまわっているくせに、このときは、顔も見られないくらい、えらそうな顔をして、戸口に立っていたのさ」 「ずいぶん、こわかったでしょうね」と、小さなゲルダは言いました。「それで、カイちゃんは王女さまと結婚したの?」 「ぼくだって、カラスでなけりゃ、王女さまと結婚するよ。たとえ、だれかと婚約していたってね。その人は、ぼくが、カラスの言葉で話すときのように、すらすらと、じょうずに話したそうだよ。ぼくのいいなずけが、そう言ってたもの。その子は、ほがらかで、かわいらしい子供だったんだよ。ほんとうは、王女さまに結婚を申しこむために、御殿へ来たのじゃなくってね、王女さまがかしこいというものだから、ただそれを知りたいと思って、来たんだよ。でも、その結果、その子は王女さまが好きになり、王女さまのほうでも、その子が好きになったというわけさ」 「きっと、そうよ。そのひとが、カイちゃんだわ」と、ゲルダは言いました。「カイちゃんは、とってもりこうなんですもの。分数の暗算だって、できるのよ。――ねえ、あたしを、御殿へ連れてってくれない!」 「うん、口で言うのは、かんたんだがね」と、カラスは言いました。「さてと、どうしたもんかな? そうだ、ぼくのいいなずけに相談してみるとしよう。きっと、いい知恵をかしてくれるよ。なぜかっていうとね、きみのような小さい女の子は、御殿へはいってもいい、という、おゆるしがもらえないんだよ!」 「それなら、だいじょうぶ」と、ゲルダは言いました。「あたしがここへ来たってことを、カイちゃんが聞けば、すぐ出てきて、あたしをむかえてくれるわよ」 「あそこの生垣のそばで、待っててよ」カラスは、こう言うと、頭をふりながら、とんでいきました。  あたりが暗くなってから、カラスは、やっともどってきました。そして、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と、言いました。「ぼくのいいなずけが、くれぐれもよろしくって言ってたよ。これは、きみにあげるパンなんだけど、いいなずけが御殿の台所から取ってきてくれたんだよ。台所には、まだたくさんあるよ。きみは、きっと、おなかがへってるだろうからね。  きみが御殿の中へはいるのは、とてもむりだよ。だって、きみは、はだしなんだもの。銀色の服を着た番兵と、金ピカのお役人が、ゆるしてくれっこないよ。でも、そういったからって、泣かなくってもいいんだよ。御殿へは、きっと連れてってあげるからね。ぼくのいいなずけは、寝室へあがる、小さい裏ばしごを知ってるのさ。それに、かぎのありかだって、知ってるんだから」  それから、ふたりは、庭の中へはいって、大きな並木道を歩いていきました。木の葉が、一枚、また一枚と、散っています。そのうちに、御殿の明りが、一つ、また一つと、消えました。そこで、カラスは、ゲルダを連れて、裏門のところへ来ました。門は、いくらかあいていました。  ああ、ゲルダの胸は、心配と、あこがれとで、どんなにどきどきしたことでしょう! まるで、なにかわるいことでも、しようとしているような気持でした。ゲルダは、その人がカイちゃんかどうかを、知りたいと思っているだけなのです。たしかに、その人は、カイちゃんにちがいありません。ゲルダは、カイのかしこそうな目と、長い髪の毛とを、ありありと思いうかべました。そしてまた、ふたりが家のバラの花の下にすわっていた時のように、にこにこ笑っているカイの姿が、目に見えるようでした。カイがゲルダに会ったなら、しかもゲルダが、自分のために、どんなに遠い道を歩いてきたかを聞いたなら、そしてまた、自分が帰らないために、家の人たちが、どんなに悲しんでいるかを知ったなら、カイは、きっと、よろこぶにちがいありません。ああ、そう思うと、こわいようでもあるし、うれしいようでもありました。  やがて、ふたりは、はしご段の上に来ました。小さいランプが、たなの上にともっていました。床のまんなかに、いいなずけのカラスが立っていて、頭をあっちこっちへ動かして、ゲルダをながめました。そこで、ゲルダは、おばあさんから教わっていたように、ていねいにおじぎをしました。 「小さなお嬢さん、あなたのことは、わたしのいいなずけが、とってもほめておりましたわ」と、御殿のカラスが言いました。「あなたの履歴とか申しますものは、ずいぶん悲しいんですのね。――それでは、そのランプを持ってくださいませね。あたしがさきに立って、ご案内しますから。ここからまっすぐ、まいりましょう。もう、だれにも会いませんわ」 「あたしのすぐあとから、なにかが、来るような気がするわ」と、ゲルダは言いました。ほんとに、そのとおりです。なにかが、サッと音を立てて、ゲルダのそばを通りすぎました。それは、影が、かべにうつっていくようでした。たてがみを風になびかせ、やせこけた足をした馬、かりゅうどたちのむれ、馬に乗った紳士に、貴婦人、そういったものの、影でした。 「あれは、ただの夢なんですよ!」と、カラスが言いました。「みんなは、ああして、ご主人の考えを狩りに連れていこうと、むかえにきたんですよ。でも、かえって、つごうがいいですわ。そのほうが、寝ているところを、ずっとよくごらんになれますもの。ですけど、あなたがいまにえらくおなりになったら、あたしたちにお礼をくださるのを、お忘れにならないでね!」 「そんなことは、言うものじゃないよ」と、森のカラスが言いました。  みんなは、さいしょの広間にはいりました。広間のかべには、きれいな花もようのついている、バラ色のしゅすが、はってありました。ここでも、夢は、みんなのそばを、音をたてて通りすぎていきました。ところが、あんまり早くとんでいってしまったものですから、ゲルダの目には、ご主人の姿は見えませんでした。広間は、通りぬけるにつれて、だんだんりっぱになっていきました。ほんとうに、ただただ、あきれてしまうばかりです。  いよいよ、みんなは、寝室へきました。天井は、まるで、大きなシュロの木が、ガラスでできている葉を、それも上等のガラスでできている葉を、ひろげているようでした。床のまんなかにある、くきのような、ふとい、金の柱には、ユリの花かと思われるベッドが二つ、つるしてありました。一つはまっ白で、その中に王女が眠っていました。もう一つは、まっかでした。その中には、ゲルダのさがしているカイが、眠っているはずです。ゲルダが、赤い花びらの一つを、そっとわきへのけると、日にやけた首すじが見えました。――ああ、それはカイです!――ゲルダは、大声でカイの名を呼びながら、ランプをさし出しました。――またもや、夢が、馬に乗って、音をたてながら、この部屋にもどってきました。――その人は、目をさまして、顔をゲルダのほうへむけました。と、―― ――それは、カイではありません。  王子は、首すじのところだけが、カイに似ていたのでした。見れば、若くて、きれいなひとです。そのとき、白いユリの花のベッドから、王女が顔を出して、そこにいるのはだれ、とたずねました。そこで、ゲルダは、泣きじゃくりながら、いままでの物語や、カラスが自分のためにしてくれたことなどを、すっかり話しました。 「まあ、かわいそうに!」と、王子と王女は言いました。それから、カラスをほめてやりました。そして、自分たちは、すこしもおこってはいないけれども、こんなことは、そうたびたびしてはいけないよ、と言い聞かせました。それはともかくとして、二羽のカラスは、ごほうびをいただくことになりました。 「おまえたちは、自由にとびまわりたい?」と、王女はききました。「それとも、宮中ガラスという、ちゃんとした地位について、お台所のこぼれものをみんないただきたい?」  すると、二羽のカラスは、おじぎをして、ちゃんとした地位のほうをお願いしました。つまり、二羽のカラスは、年とってからのことを考えたわけです。そして、 「年よりになっても、らくに暮せるようにしておくのは、よいことでございます」と、言いました。  王子はベッドから起きあがって、ゲルダをそこに寝かせてくれました。ゲルダにとって、これよりうれしいことはありません。ゲルダは、小さな手をあわせました。そして、「人にしても、動物にしても、なんて親切なんでしょう!」と、心に思いました。それから、目をつぶって、ぐっすり眠りました。また、さまざまな夢が、とんではいってきました。こんどは、みんな、かわいらしい天使のように見えます。そして、みんなで、小さなそりを一つ、ひっぱっています。そのそりの上には、カイがすわって、うなずいています。でも、これはみんな、ただの夢にすぎません。ですから、ゲルダが目をさますといっしょに、消えうせてしまいました。  あくる日になると、ゲルダは頭のさきから、つまさきまで、絹とビロードの着物につつんでもらいました。そして、いつまでもこの御殿にいて、楽しく暮すように、とすすめられました。けれども、ゲルダはそれをことわって、小さな馬車と、それをひく馬と、それから、小さな長靴を一そく、いただけませんか、とお願いしました。そうすれば、その馬車に乗って、広い世の中へもう一度カイちゃんをさがしにいってみたいと思います、と申しました。  すると、ゲルダは長靴ばかりか、手をあたためるマフまでも、いただきました。身じたくも、きれいにできあがりました。こうして、いよいよ出かけようというとき、門の前に、なにからなにまで金でできている、あたらしい馬車がとまりました。その馬車には、王子と王女の紋章が、お星さまのようにキラキラ光っていました。御者と下僕と先乗りが、――そうです、先乗りまでがいたんですよ――みんな、金の冠をかぶって、ひかえていました。王子と王女は、ゲルダをたすけて馬車に乗せてくれました。それから、お別れを言って、ゲルダのしあわせを祈ってくれました。  森のカラスは、いまでは結婚していましたが、きょうは、ゲルダを三マイルばかり送ってくれることになりました。カラスは、ゲルダとならんで、すわりました。なぜかというと、カラスは、うしろむきに、馬車へ乗ることができないからです。もう一羽は、門のところに立って、羽をバタバタさせていました。このカラスは送ってきませんでした。それはこういうわけです。ちゃんとした地位についてからは、食べ物があんまりたくさんありすぎるためか、どうにも、頭がいたくてしかたがなかったのです。馬車の内側には、お砂糖のはいったビスケットが、いっぱいつめこんであって、腰掛けの下にも、果物やコショウ入りのお菓子が、はいっていました。 「さようなら、さようなら」と、王子と王女はさけびました。ゲルダは、わっと泣き出しました。カラスも泣きました。――こうして、早くも三マイルばかり、来ました。そこで、カラスも、さようならを言いました。ほんとうに、つらいつらいお別れでした。カラスは、道ばたの木の上にとびあがって、馬車が見えなくなるまで、黒い羽をバタバタさせていました。馬車は、いつまでもいつまでも、明るいお日さまのように、キラキラしていました。 五番めのお話 小さな山賊の娘  馬車は、うす暗い森の中を通っていました。けれども、たいまつの明りのように、キラキラ光っていましたので、それが山賊たちの目にとまりました。それを見ると、山賊たちは、がまんができなくなりました。 「金だぞ! 金だぞ!」と、山賊たちは、口々にさけびながら、馬車をめがけて、どっと、おそいかかりました。馬をつかまえて、先乗りや御者や下僕をうち殺しました。そして、ゲルダを馬車から引きずりおろしました。 「この子は、ふとっていて、かわいい子だわい。クルミの実で、ふとったんだろ」と、山賊のばあさんが、言いました。このばあさんには、長い、こわいひげが生えていて、まゆ毛は、目の上までかぶさっていました。 「こえた小ヒツジみたいに、うまそうじゃ。さてと、どんな味かな」ばあさんは、こう言って、短刀を引きぬきました。それは、よく切れそうにピカピカ光っていて、おそろしさに身の毛もよだつばかりでした。 「あ、いたっ!」と、その瞬間、ばあさんはさけびました。自分の小さな娘に、耳をかみつかれたのです。娘は、ばあさんの背中にぶらさがっていました。この子は乱暴で、手のつけられない子でした。いまも、おもしろがって、こんなことをしたのです。「こいつめ!」と、ばあさんは言いましたが、そのために、ゲルダを殺すことはできませんでした。 「この子は、あたしとあそぶんだもの」と、小さな山賊の娘が言いました。「それに、この子はあたしに、マフときれいな着物をくれるんだよ。そして、あたしの寝床でいっしょに寝るのさ」そして、またもやかみついたものですから、ばあさんは、とびあがって、ぐるぐるまわりをしました。ほかの山賊たちは、そのようすに大笑いをして、「見ろよ、ばあさんが、てめえのがきと踊ってるじゃねえか」と、言いました。 「あたし、あの馬車に乗ろうっと!」と、小さな山賊の娘は言いました。この子は、あまやかされて、育てられたうえに、人いちばい、ごうじょうときています。ですから、いったん言いだしたことは、どこまでも押しとおします。とうとう、ゲルダといっしょに、馬車に乗りこみました。そして、切りかぶや、イバラの茂みを乗りこえ乗りこえ、森のおく深くへ、馬車をずんずん走らせていきました。山賊の娘は、ゲルダと同じくらいの背かっこうでしたが、肩はばがひろいし、はだもこげ茶色で、ゲルダよりもずっと強そうでした。まっ黒な目をしていましたが、どことなく、悲しいようすが見うけられました。娘は、ゲルダのからだをだいて、言いました。 「あたし、おまえがきらいにならないうちは、だれにも殺させやしないよ。おまえは、きっと、王女さまなんだろう?」 「いいえ」と、小さなゲルダは言いました。そして、いままでのことを、のこらず話して聞かせました。それから、自分がどんなにカイちゃんを好きかということも、話しました。  小さな山賊の娘は、まじめな顔をして、ゲルダをじいっと見ていましたが、ちょっとうなずいてから、 「おまえがきらいになったって、だれにも殺させやしないよ。そうなったら、あたしが自分で殺すから!」と、言って、ゲルダの目をふいてやりました。そして、両手を、たいそうやわらかくて、暖かい、きれいなマフの中へ、つっこみました。  やがて、馬車がとまりました。そこは、山賊のお城の中庭でした。お城は、上から下までひびがいって、さけていました。大きいカラスや小さいカラスが、そういうさけ穴からとび出しました。人間のひとりぐらいはのみこめそうな、大きいブルドッグが幾ひきも、高くとびはねていました。しかし、ほえはしませんでした。なぜって、ほえてはいけないと、かたくとめられていたからです。  すすだらけの、古い大きな広間の中では、石だたみの床の上で、火がさかんに燃えていました。煙は天井まで立ちのぼって、出口をさがしていました。大きな大きなおかまの中で、汁が煮えたぎっていました。そして、野ウサギや、家ウサギが、くしざしにされて、火の上でぐるぐるまわされていました。 「おまえはね、今夜は、あたしといっしょに、あたしの小さな動物たちのところで寝るんだよ」と、山賊の娘は言いました。ふたりは、食べ物や飲み物をもらって、すみっこへ行きました。そこには、ワラとふとんが、しいてありました。頭の上の、はりや棒の上には、ハトが百羽ばかり、とまっていました。見たところ、みんな眠っているようでしたが、ふたりが近づくと、ちょっとからだを動かしました。 「これはみんな、あたしのなんだよ」小さな山賊の娘は、こう言うと、いきなり、手近にいた一羽をつかまえました。そして、足をつかんで、ゆすぶったので、ハトは羽をバタバタやりました。「キスしてやんな」娘は、こう言って、そのハトで、ゲルダの頬をうちました。「あっちにいるのが、森のやくざ者だよ」と、娘は話しつづけながら、かべの高いところの穴の前にうちこんである、横木のうしろを指さしました。「あそこにいる、あの二羽が、森のやくざ者なのさ。しっかりとじこめておかないと、すぐとんでっちまうんだよ。それから、ここにいるのが、あたしの古い友だちのベーだよ」こう言うと、一ぴきのトナカイを、角をつかまえて、ひっぱり出してきました。そのトナカイの首には、ピカピカ光る銅の首輪がはめてあって、それでつながれていたのでした。 「こいつも、しっかりしばっておかなくちゃならないんだよ。でないと、すぐに、あたしたちんとこから、とび出していっちまうのさ。毎晩、あたしはよく切れるナイフで、こいつの首をくすぐってやるんだよ。そうすると、こいつ、とってもこわがるから」こう言うと、小さな娘は、かべのさけ目から長いナイフを取り出して、それでトナカイの首すじをなでました。かわいそうに、トナカイは足をバタバタやりました。山賊の娘は、おもしろそうに笑いころげました。それから、ゲルダといっしょに寝床にはいりました。 「あなたは、寝ているあいだも、ナイフを持っているの?」と、ゲルダはききました。そして、ちょっとこわそうに、そのナイフをながめました。 「寝ているときだって、ナイフは持ってるよ」と、小さな山賊の娘は言いました。「なにが起るか、わかったもんじゃないからね。だけど、さっき話してくれたカイちゃんのことを、もう一度話しておくれよ。それから、おまえが、この広い世の中へ、どうして出てきたかってこともね」  そこで、ゲルダは、もう一度はじめから話をしました。すると、森のハトが、上のかごの中でクークー鳴きました。ほかのハトは、眠っていました。小さな山賊の娘は、ゲルダの首のまわりに腕をまきつけて、片手にナイフを持ったまま、いびきをかいて、眠りこんでしまいました。しかし、ゲルダは、目をつぶるどころではありません。これからさき、生きていられるのか、死ななければならないのか、ぜんぜんわからないのです。山賊たちは、火のまわりにすわりこんで、さかんにうたったり、飲んだりしています。ばあさんは、トンボ返りを打っています。ああ、しかし、小さなゲルダにとっては、なんというおそろしい光景だったでしょう!  そのとき、森のハトが言いました。 「クー、クー! ぼくたち、カイちゃんを見たよ。白いニワトリが、カイちゃんのそりを運んでいてね、カイちゃんは雪の女王の車に乗ってたよ。ぼくたちが森の巣の中で寝ていると、森の上をすれすれにとんでいったっけ。そのとき、雪の女王がぼくたち子どもに息を吹きかけたもんだから、ぼくたちふたりのほかは、みんな、こごえ死んじゃったんだよ。クー、クー!」 「あなたたち、そこで、なんて言ってるの?」と、ゲルダは大きな声で言いました。「その雪の女王は、どこへ行ったの? あなたがた、知ってる?」 「きっと、ラップランドだろうよ。あそこは一年じゅう、雪と氷ばっかりだからね。そこにつながれている、トナカイさんにきいてごらん」 「そうですよ、あそこは雪と氷ばかりで、じつにめぐまれた、すばらしい所ですよ!」と、トナカイは言いました。「キラキラ光る大きな谷間を、みんなは自由にとびまわるんです! そこに、雪の女王は夏のテントをはるんですが、女王のほんとうのお城は、北極の近くにあるスピッツベルゲンという島にあるんですよ」 「ああ、カイちゃん、カイちゃん!」と、ゲルダはため息をつきました。 「静かに寝ていなよ」と、山賊の娘が言いました。「でないと、このナイフを横っ腹へつきさすよ」  あくる朝、ゲルダは、森のハトの言ったことを、のこらず山賊の娘に話しました。娘は、たいそうまじめな顔をして、聞いていましたが、やがてうなずいて、こう言いました。「そんなことは、どっちだっていいや。どっちだっていいや。――おまえは、ラップランドがどこにあるか、知ってんの?」と、トナカイにききました。 「わたしよりよく知っている者なんて、まず、ないでしょうね」トナカイは、こう言って、目をかがやかせました。「わたしは、あそこで生れて、大きくなったんですよ。あそこの雪の原を、とびまわったんですよ」 「ねえ、おまえ」と、小さな山賊の娘は、ゲルダにむかって言いました。「男はみんな出かけちまって、いまいるのは、おっかさんだけだろ。おっかさんは、うちにのこってるんだけど、朝飯のとき、大きなびんから酒を飲んで、またちょいと寝こんじまうんだよ。――そしたら、いいことしてやるよ!」こう言うと、娘は寝床からはね起きて、おっかさんの首っ玉にとびつきました。そして、そのひげをひっぱりながら、こう言いました。「あたしの大好きなヤギさん、おはよう!」  すると、おっかさんは、指で、何度も何度も、娘の鼻をはじきましたので、しまいには、鼻が赤く青くなってしまいました。けれども、これは、ただかわいくって、しただけのことなのです。  そのうちに、おっかさんは、びんのお酒を飲んで、寝こんでしまいました。そのようすを見ると、山賊の娘は、トナカイのところへ行って、言いました。「あたしは、もっともっと、おまえをピカピカしたナイフで、くすぐってやりたいんだよ。だってそうすりゃ、とってもおもしろいもの。だけど、いいさ。おまえの綱をほどいて、逃がしてやるから、ラップランドへ行きな。だけど、いっしょうけんめい走って、この女の子を雪の女王のお城へ連れていくんだよ。そこに、この子の友だちがいるんだから。おまえも、この子が話していたとき、聞いてただろ。あんなに大きな声でしゃべってたんだもの。それに、おまえだって、耳をすまして聞いてたんだから」  トナカイは、うれしさのあまり、はねあがりました。山賊の娘は、小さなゲルダを押し上げて、トナカイの背中に乗せてくれました。そして、ゲルダのからだを、しっかりとゆわえつけて、そのうえ、小さな座ぶとんまでもくれました。山賊の娘は、こんなにまでも、いろいろと気をつかってくれたのです。 「どうだっていいや」と、娘は言いました。「これが、おまえの毛の長靴だよ。これから、うんと寒くなるからね。だけど、マフはもらっておくよ。とってもきれいなんだもの。といったって、おまえに寒い思いはさせないから。この、おっかさんの大きな指なし手袋を持ってきな。おまえなら、ひじのとこぐらいまであるだろ。さあ、はめてみな! ――ふうん、手だけ見てると、まるで、あたしのきたないおっかさんみたいだよ」  ゲルダは、うれしさのあまり、泣き出しました。 「めそめそするのは、ごめんだよ」と、小さな山賊の娘は言いました。「それよか、うれしそうな顔でもしな。それから、ここにあるパンを二つと、ハムを一つやるからね。これだけあれば、おなかもすかないだろ」二つとも、トナカイの背中のうしろに、ゆわえつけられました。山賊の娘は、戸をあけて、大きなイヌをみんなおびき入れました。それから、ナイフでトナカイの綱を切って、言いました。「さあ、走ってきな。でも、背中の女の子に気をつけるんだよ」  そこで、ゲルダは、大きな指なし手袋をはめた手を、山賊の娘のほうへのばして、「さようなら!」と言いました。それから、トナカイはかけ出して、やぶや、切りかぶをとびこえ、大きな森をつきぬけ、沼地や草原をこえて、いっさんに走っていきました。オオカミがほえ、カラスが鳴きさけびました。空のほうで、「シュー、シュー!」いう音がしました。まるで、なにかが、赤い火をはいているようでした。 「あれは、わたしの昔なじみの極光ですよ」と、トナカイは言いました。「ごらんなさい、あんなによく光ってますよ」  それから、トナカイは、いままでよりももっと早く、夜も昼も、走りつづけました。パンは、もうすっかり、食べてしまいました。ハムも食べきってしまいました。そのとき、ラップランドにつきました。 六番めのお話 ラップランドのおばあさんとフィンランドの女  トナカイは、とある小さな家の前でとまりました。その家は、たいそうみすぼらしい家でした。屋根が地面についていて、そのうえ、入り口がたいへん低かったので、家の人たちは、腹ばいになって、出入りしなければなりませんでした。家の中には、ラップランドのおばあさんがひとりいるだけで、ほかには、だれの姿も見えませんでした。おばあさんは、魚油ランプのそばに立って、さかなを焼いていました。トナカイは、おばあさんに、ゲルダのことをすっかり話しました。もっとも、それよりもさきに、自分のことを話しました。つまり、自分のことのほうが、ずっとだいじに思われたからです。だいいち、ゲルダは、寒さのために、すっかりまいってしまって、話すこともできないありさまでした。 「おやおや、かわいそうに!」と、ラップランドのおばあさんは言いました。「それなら、まだまだ、ずいぶん行かなきゃならないよ。ここから百マイルいじょうもさきの、フィンマルケンまで行かなきゃだめだね。雪の女王は、いまそこに行っていて、毎晩毎晩、青い火を燃やしているんだから。どれ、紙がないから干ダラにでも、ひとこと書いてあげようか。それを持って、わしの知ってるフィンランドの女のとこへ行くがいい。その女のほうが、わしよりか、くわしく教えてくれるだろうよ」  ゲルダは、火にあたって、暖まりながら、食べたり飲んだりしました。そのあいだに、ラップランドのおばあさんは、干ダラに、ひとことふたこと書いて、それをだいじに持っていくようにと、ゲルダに言いました。それから、またゲルダをトナカイの背中に、しっかりとゆわえてくれました。そこで、トナカイは、いっさんにかけ出しました。空のほうで、「シュー、シュー!」いう音がしました。たとえようもなく美しい、青い極光が、一晩じゅう燃えていました。  そのうちに、とうとう、フィンマルケンに来ました。ふたりは、フィンランドの女の家のえんとつをたたきました。なぜって、この家には戸口がなかったからです。  家の中は、たいそう暑かったので、フィンランドの女は、まるで、はだかのようなかっこうをしていました。このひとは背が低くて、ひどくいんきそうでした。けれども、ゲルダを見ると、すぐに着物をぬがせて、手袋と長靴を取ってくれました。この部屋の中では、こうしていないと、暑すぎてたまらなかったのです。トナカイには、頭の上に氷を一かたまり、のせてやりました。そうしてから、干ダラに書きつけてある手紙を読みました。三度ほど、くりかえして読みました。そして、すっかりそらでおぼえてしまうと、その干ダラを鉄なべの中へ、ほうりこみました。こうすれば、まだまだおいしく食べられるのです。このひとは、どんなものでも、そまつにしないひとでした。  トナカイは、まず自分の話をして、そのあと、小さなゲルダのことを話しました。フィンランドの女は、かしこそうな目をパチパチさせて聞いていましたが、なんとも言いませんでした。 「あなたは、たいへんかしこい方です」と、トナカイは言いました。「あなたは、世界じゅうの風をくくりあわせて、一本のぬい糸にしてしまうことができるんですね。わたしは、ちゃんと知ってますよ。船頭が、その一つの結び目をとくと、追風が吹き、二番めの結び目をとくと、強い風が吹き、三番め、四番めと、といていくと、あらしになって、森の木々もたおれてしまうんですね。ところで、この娘さんに、飲み物をこしらえてやってくれませんか。この娘さんが十二人力になって、雪の女王を負かすことができるような、そういう飲み物をこしらえてやってくれませんか」 「十二人力だって?」と、フィンランドの女は言いました。「さぞ、役に立つだろうよ!」それから、女はたなのところへ行って、ぐるぐるまいた、大きな毛皮を取り出して、それをひろげました。そこには、ふしぎな文字が書いてありました。フィンランドの女はそれを読んでいましたが、読んでいるうちに、ひたいから、汗がぽたぽた落ちはじめました。  しかし、トナカイは、小さいゲルダのために、もう一度熱心にたのみました。ゲルダも、目に涙をいっぱいためて、心からお願いするように、フィンランドの女を見つめました。女は、また目をパチパチやりはじめました。そして、トナカイをすみっこへ連れていって、そこであたらしい氷を頭の上にのせてやりながら、こうささやきました。 「そのカイって子は、たしかに雪の女王のところにいるけどね、いまは、なにもかもが自分の思いどおりになっているものだから、世界じゅうに、こんないいところはないと思っているんだよ。だけど、そんなふうに思っているのはね、ガラスのかけらが、カイの心臓の中につきささって、小さいガラスの粉が、目の中へはいっているためなんだよ。まずさいしょに、それを取り出さなければだめだね。さもないと、その子は、二度と、ちゃんとした人間にはなれないし、いつまでも雪の女王の言うなりに、なっていなければならないんだよ!」 「それじゃ、そういうすべてのものに打ち勝つようなものを、ゲルダさんにやってはいただけませんか?」 「わたしにはね、ゲルダがいま持っている力よりも、大きな力をやることはできないね! いまのゲルダの力がどんなに大きいか、おまえにはわからないの? どんな人間でも、どんな動物でも、ゲルダを助けてやらないではいられないじゃないか。だからこそ、ああして、はだしのまま、こんな世界の遠くまでも、こられたんじゃないか。それが、おまえにはわからないの? あの子の力は、わたしたちから教わったりする必要はないのさ。だって、あの子自身の、心の中にあるんだから。つまり、ゲルダが清らかで、罪のない子供だからなんだよ。それこそ、大きな力なのさ。もしゲルダが、自分で雪の女王のところへ行って、カイのからだから、ガラスのかけらを取り出すことができないようだったら、わたしたちではどうすることもできないね!  ここから二マイルばかり行くと、雪の女王の庭になるから、そこまで、あの子を連れてってやりなさい。雪の中に、赤い実のなっている、大きな茂みがあるから、そのそばに、ゲルダをおろしてきなさい。だけど、いつまでもおしゃべりしてないで、いそいで帰ってくるんだよ!」  こう言って、フィンランドの女は、小さなゲルダをトナカイの上に乗せてくれました。トナカイは、力のかぎり走っていきました。 「あっ、長靴を忘れちゃった! 手袋もだわ!」ゲルダは、はだをもつきさすような、寒さに気がついて、こうさけびました。しかし、トナカイは、立ちどまってはくれません。どんどん走りつづけて、とうとう、赤い実のなっている、大きな茂みのところまで来ました。そこで、トナカイは、ゲルダをおろして、ゲルダの口にキスをしました。そのとき、キラキラ光る大つぶの涙が、トナカイの頬を、はらはらとつたわり落ちました。それから、トナカイは、いま来た道を、大いそぎで引きかえしていきました。こうして、かわいそうなゲルダは、靴もなく、手袋もなく、見わたすかぎり氷の原の、寒い寒いフィンマルケンの、まっただなかに、取りのこされたのです。  ゲルダは、前へ前へと、いっしょうけんめい、かけていきました。と、とつぜん、雪のひらの軍勢が現われてきました。けれども、それは、空から降ってきたのではありません。空は晴れわたっていて、極光がかがやいていました。雪のひらは、地面の上をまっすぐに走ってくるのです。しかも、近づいてくればくるほど、ますます大きくなってくるのです。ゲルダは、いつかレンズで雪のひらを見たとき、それがどんなに大きく、どんなに美しく見えたかを、いまでもはっきりとおぼえていました。でも、ここの雪のひらは、それとはまったくちがって、はるかに大きく、はるかにおそろしいものでした。ここの雪のひらは、生きているのです。それは、雪の女王を守る前衛部隊です。しかも、まことにきみょうな形をしているのです。あるものは、みにくい大きなヤマアラシのように見えます。またあるものは、とぐろをまいて、かま首をもたげている、ヘビのように見えます。またあるものは、毛をさかだてている、ふとった、小グマのように見えます。そのどれもこれもが、まっ白に光っています。どれもこれもが、生きている雪のひらなのです。  そのとき、小さなゲルダは、「主の祈り」をとなえました。寒さがあんまりきびしいので、自分のはく息が、よく見えます。煙のように、口から出ていきます。その息がだんだんこくなって、しまいには、小さな明るい天使の姿になりました。天使たちは、地面にふれるたびに、ずんずん大きくなりました。見れば、ひとりのこらず、頭にはかぶとをかぶり、手にはやりと、たてとを持っています。天使の数は、ますます多くなるばかりです。ゲルダが「主の祈り」をとなえおわったときには、ゲルダのまわりを、天使の軍隊がとりまいていました。天使たちは、やりをふるって、おそろしい雪のひらの軍勢をつきさしましたので、雪のひらは、ちりぢりにとび散ってしまいました。  そこで、ゲルダは安心して、元気よく歩いていきました。天使たちがゲルダの手や足をさすってくれましたから、いままでのような、ひどい寒さは感じなくなりました。こうして、ゲルダは、雪の女王のお城をさして、ずんずん歩いていきました。  ところで、カイは、その後、どうしていることでしょう? ここで、ちょっと、カイのことをお話ししておきましょう。カイは、いまではゲルダのことなどは、すこしも考えていませんでした。ましてや、いま、ゲルダがお城の外にきていようなどとは、夢にも知りませんでした。 七番めのお話 雪の女王のお城で起ったことと、それからのお話  お城のかべは、降りしきる雪でできていて、窓や戸は、身を切るような風でできていました。お城には、大きな広間が百いじょうもありましたが、それは、みんな雪が吹きよせられて、できたものでした。いちばん大きな広間は、なんマイルもなんマイルもひろがっていました。その上を、光の強い極光が、明るく照らしていました。見わたすかぎり、なに一つなく、はてしのないところでした。あたりいちめんの氷がキラキラと光って、それはそれは寒いところでした。ここには、楽しさというものがありません。吹きすさぶあらしの伴奏にあわせて後足で踊り、ちゃんとした礼儀作法を心得ている、北極グマの小さな舞踏会もありません。口や手足を打っての、小さな宴会もありません。白ギツネのお嬢さんたちの、ちょっとしたコーヒーの会も、あるわけではありません。ほんとうに、雪の女王の広間は、がらんとして、だだっぴろい、寒々としたところでした。極光は、きちんきちんと燃えあがっていましたので、それがいちばん高いのはいつかも、また、いちばん低いのはいつかも、よくわかりました。  この、かぎりなく広々とした、雪の大広間のまんなかに、こおった湖が一つありました。湖の面は、なん千万という、小さいかけらにわれていました。けれども、そのかけらの一つ一つが、まったく同じようでしたから、そのぜんたいが、一つのすばらしい美術品のように見えました。雪の女王は、お城にいるときは、いつも、この湖のまんなかにすわっているのです。そして女王は、あたしは理知の鏡にすわっているのです、この鏡は世界じゅうにたった一つしかない、いちばんすぐれた鏡ですよ、と、言っていました。  小さなカイは、寒さのために、まっさおになっていました。いやそれどころか、どす黒くさえなっていました。でも、自分では、それがわからないのです。むりもありません。いまでは、雪の女王がキスをして、カイから寒いという感じを、とってしまっていたのですからね。それに、カイの心臓は、まるで氷のかたまりのように、つめたかったのです。  カイは、とがった、ひらたい氷のかけらを、いくつか引きずってきて、それをいろいろに組みあわせていました。こうして、なにかをつくり出そうというのです。ちょうど、わたしたちが、小さい木切れを、さまざまな形にならべてあそぶ、あの「中国遊び」というのに、似ていました。カイは、いろいろの形にならべてみました。それは、「知恵の遊び」といって、いちばんくふうのいるものでした。カイの目には、こういういろいろの形が、とってもすばらしくて、しかもいちばん意味があるように思われたのです。それもこれも、カイの目の中にはいりこんでいる、ガラスのかけらのしわざなのです! ぜんぶをちゃんとした形にならべると、それは一つの言葉になるのです。ところが、カイがならべたいと思っている言葉だけは、どうしてもうまくならびません。それは、永遠ということばです。そして、雪の女王は、前から、こう言っていました。 「おまえがね、その形をつくりだすことができたら、おまえを自由にしてあげるよ。そのうえ、わたしは全世界とあたらしいスケート靴とを、おまえにあげるよ」  しかし、カイには、それがどうしてもできないのです。 「わたしは、これから、暑い国々へ行ってくるよ!」と、雪の女王は言いました。「そこへ行ったら、黒い鉄なべをのぞいてこよう」――黒い鉄なべと言ったのは、エトナとかベスビオスとか言われている、火をふきだす山のことだったのです。――「わたしは、それをちょっと白くぬってやるんだよ! そうすると、レモンやブドウのために、とってもいいからね」  こう言って、雪の女王はとんでいきました。こうして、カイは、たったひとりのこされて、何マイルも何マイルもある、広々とした、氷の大広間のまんなかにすわっていました。そして、氷のかけらを見つめて、じっと考えこんでいました。しまいには、からだの中がミシミシいうほど、かたくこおりついてきました。それでも、じっとすわっていました。このようすを見れば、だれでも、カイはこごえ死んだのだろう、と思うことでしょう。  ゲルダが大きな門をくぐって、お城の中へはいってきたのは、ちょうどこの時でした。お城の中は、身を切るような風が吹いていました。けれども、ゲルダが「夕べの祈り」をとなえると、吹きまくっていた風も、まるで眠ろうとでもするように、みるみるうちに静まってしまいました。そこで、ゲルダは、寒々とした、なに一つない大広間にはいりました。――と、そこに、カイの姿が見えました。ゲルダには、カイであることが、すぐわかりました。ゲルダは、カイの首にとびついて、しっかりとだきしめながら、さけびました。「カイちゃん! なつかしいカイちゃん! ああ、とうとう見つけたわ!」  ところが、カイはつめたくなって、かたくなったまま、じっと動きません。――と見ると、ゲルダは、熱い涙をはらはらとこぼしました。その涙がカイの胸に落ちて、心臓の中にしみこんでいきました。そして、氷のかたまりをとかして、その中にあった、小さな鏡のかけらを、くいつくしてしまいました。カイはゲルダをながめました。そのとき、ゲルダは讃美歌をうたいました。 バラの花 かおる谷間に あおぎまつる おさな子イエスきみ!  この歌を聞くといっしょに、カイはわっと泣き出しました。そして、あんまりはげしく泣いたので、とうとう、鏡のかけらが、目からころがりでました。とたんに、カイはゲルダに気がついて、うれしそうな声をあげました。 「ああ、ゲルダちゃん! なつかしいゲルダちゃん! ――きみは長いあいだ、どこへ行ってたの? それで、ぼくはどこにいるんだろう?」こう言いながら、あたりを見まわしました。「ここは、なんて寒いんだろう! なんて広々として、がらんとしたところなんだろう!」  こう言って、カイはゲルダにしがみつきました。ゲルダは、ただただうれしくて、泣いたり、笑ったりしました。そのようすが、あんまりしあわせそうなものですから、氷のかけらまでがうれしくなって、ぐるぐる踊りまわりました。やがて、踊りつかれて、横になりました。ところが、どうでしょう。今度は、あのことばのつづりどおりに、ならんだではありませんか。そら、雪の女王が、うまくできたら、自由にして、全世界とあたらしいスケート靴とをあげると言った、あの言葉があらわれているのです。  ゲルダは、カイの頬にキスをしました。すると、その頬に、赤みがさしてきました。目にキスをしました。すると、ゲルダの目のように、いきいきとしてきました。手と足にキスをしました。すると、カイはすっかり元気になりました。もうこうなれば、雪の女王がいつ帰ってきたって、だいじょうぶです。カイを自由にするという約束の文字が、キラキラかがやく氷のかけらで、いまは、はっきりと書き表わされているのです。  それから、ふたりは手を取りあって、この大きな城から出ました。ふたりは、おばあさんのことや、屋根の上のバラのことを話しました。こうして、ふたりが歩いていくと、風は静まり、お日さまはキラキラと顔を出しました。  赤い実のなっている、茂みのところまでくると、もうそこには、トナカイがきていて、ふたりを待っていました。けれども、今度は、もう一ぴき、若いトナカイもいっしょにいました。見ると、そのトナカイの乳房は、大きくふくらんでいて、ちょうどいま、子供たちに暖かいお乳を飲ませて、その口にキスをしてやっていました。二ひきのトナカイは、ゲルダとカイを乗せて、まっさきにフィンランドの女のところへ連れていきました。ここで、ふたりは、暖かい部屋の中でからだを暖めて、帰り道のことを教わりました。それから、ラップランドのおばあさんのところへ行きました。おばあさんは、ふたりにあたらしい着物をぬってくれたり、そりの用意をしてくれたりしました。  二ひきのトナカイは、そりとならんで走って、国ざかいのところまで送ってくれました。ここまでくると、はじめて、緑の草が大地から顔をのぞかせていました。ここで、ふたりは、トナカイとラップランドのおばあさんに、お別れをしました。「さようなら!」と、みんなは、口々に言いました。  そのうちに、さいしょの小鳥がさえずりはじめました。森には、緑の芽がもえでていました。そのとき、森の中から、ひとりの娘が、りっぱなウマにまたがって、出てきました。そのウマには、ゲルダは見おぼえがあります。――そうです、それは、金の馬車をひいていたウマです。――娘は、キラキラ光る、赤い帽子をかぶり、腰にピストルを二ちょう、さしていました。それは、あの小さな山賊の娘でした。娘は、家にいるのがたいくつになったので、まず北のほうへ行ってみようと思って、やってきたところだったのです。そして、もしそこがおもしろくなければ、今度は、べつの所へ行ってみようと思っていたのでした。娘には、ゲルダがすぐわかりました。ゲルダのほうでも、すぐわかりました。ふたりは、どんなによろこんだかしれません。 「おまえさんは、おもしろいひとだね。ずいぶんあっちこっち、ほっつき歩いたんだろう」と、娘は、カイにむかって言いました。「おまえさんをさがしに、世界のはてまで、行くほどのねうちがあるのかねえ?」  けれども、ゲルダは、娘の頬をなでながら、王子と王女のことをたずねました。 「あの人たちは、外国へ旅行に出かけたよ」と、山賊の娘は言いました。 「じゃ、カラスは?」と、小さなゲルダはききました。 「うん、あのカラスは死んだよ」と、娘は答えました。「おかみさんのカラスは、後家さんになってね、黒い毛糸の切れっぱしを足につけて歩いてるよ。とんでもなくなげき悲しんでるよ。なにもかも、ばかばかしいことばっかしさ! ――だけどおまえさんは、あれからどうしたんだい? で、このひとを、どうやってつかまえたんだい? それを話しておくれよ」  そこで、ゲルダとカイは、いままでのことを、ふたりで、のこらず話しました。 「なるほど、それで、ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ、ぺちゃっとね!」と、山賊の娘は言いました。それから、ふたりの手をにぎって、いつかふたりの町を通ることがあったら、きっとたずねていくよ、と約束しました。そして、広い世の中へウマをとばしていきました。  カイとゲルダは、また手を取りあって、歩いていきました。ふたりが行くにつれて、あたりは、花と緑につつまれた、美しい春になりました。やがて、教会の鐘の音が聞えてきました。そして、見おぼえのある、高い塔が見え、大きな町が見えてきました。それは、ふたりの住んでいた町だったのです。  ふたりは、町の中へはいって、おばあさんの家の戸口まで行きました。そして、階段をのぼって、部屋の中にはいりました。部屋の中のようすは、なにもかもむかしのままです。時計は、カチ、カチ、いっていました。時計の針も、まわっていました。けれども、入り口を通ったときに、ふたりは、いつのまにか、自分たちがおとなになっているのに、気がつきました。屋根の雨どいの上に咲いているバラの花が、開かれた窓から、中をのぞいていました。そこに、小さな子供椅子が置いてありました。カイとゲルダは、めいめいの椅子に腰をおろして、手をにぎりあいました。ふたりは、雪の女王のお城の、なに一つない、寒々とした美しさを、おもくるしい夢のように、忘れてしまいました。  おばあさんは、神さまの明るいお日さまの光をあびて、聖書を読んでいました。「もし、なんじら、おさな子のごとくならずば、天国に入ることを得じ!」  カイとゲルダは、たがいに目を見あわせました。そのとき、きゅうに、あの古い讃美歌の意味が、よくわかってきました。 バラの花 かおる谷間に、 あおぎまつる おさな子イエスきみ!  こうして、このふたりは、おとなであって、しかも子供のふたりは、そうです、心の子供たちは、そこにすわっていました。いまは夏でした。暖かい、めぐみゆたかな夏でした。
底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1981(昭和56)年5月30日21刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年11月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "059261", "作品名": "雪の女王", "作品名読み": "ゆきのじょおう", "ソート用読み": "ゆきのしよおう", "副題": "――七つのお話からできている物語――", "副題読み": "――ななつのおはなしからできているものがたり――", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC K949", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2020-12-25T00:00:00", "最終更新日": "2020-11-27T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/card59261.html", "人物ID": "000019", "姓": "アンデルセン", "名": "ハンス・クリスチャン", "姓読み": "アンデルセン", "名読み": "ハンス・クリスチャン", "姓読みソート用": "あんてるせん", "名読みソート用": "はんすくりすちやん", "姓ローマ字": "Andersen", "名ローマ字": "Hans Christian", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1805-04-02", "没年月日": "1875-08-04", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集Ⅲ)", "底本出版社名1": "新潮文庫、新潮社", "底本初版発行年1": "1967(昭和42)年12月10日", "入力に使用した版1": "1981(昭和56)年5月30日21刷", "校正に使用した版1": "1982(昭和57)年3月5日22刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "チエコ", "校正者": "木下聡", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/59261_ruby_72279.zip", "テキストファイル最終更新日": "2020-11-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/59261_72327.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2020-11-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 第一のお話    鏡とそのかけらのこと  さあ、きいていらっしゃい。はじめますよ。このお話をおしまいまできくと、だんだんなにかがはっきりしてきて、つまり、それがわるい魔法使のお話であったことがわかるのです。この魔法使というのは、なかまでもいちばんいけないやつで、それこそまがいなしの「悪魔」でした。  さて、ある日のこと、この悪魔は、たいそうなごきげんでした。というわけは、それは、鏡をいちめん作りあげたからでしたが、その鏡というのが、どんなけっこうなうつくしいものでも、それにうつると、ほとんどないもどうぜんに、ちぢこまってしまうかわり、くだらない、みっともないようすのものにかぎって、よけいはっきりと、いかにもにくにくしくうつるという、ふしぎなせいしつをもったものでした。どんなうつくしいけしきも、この鏡にうつすと、煮くたらしたほうれんそうのように見え、どんなにりっぱなひとたちも、いやなかっこうになるか、どうたいのない、あたまだけで、さかだちするかしました。顔は見ちがえるほどゆがんでしまい、たった、ひとつぼっちのそばかすでも、鼻や口いっぱいに大きくひろがって、うつりました。 「こりゃおもしろいな。」と、その悪魔はいいました。ここに、たれかが、やさしい、つつましい心をおこしますと、それが鏡には、しかめっつらにうつるので、この魔法使の悪魔は、じぶんながら、こいつはうまい発明だわいと、ついわらいださずには、いられませんでした。  この悪魔は、魔法学校をひらいていましたが、そこにかよっている魔生徒どもは、こんどふしぎなものがあらわれたと、ほうぼうふれまわりました。  さて、この鏡ができたので、はじめて世界や人間のほんとうのすがたがわかるのだと、このれんじゅうはふいちょうしてあるきました。で、ほうぼうへその鏡をもちまわったものですから、とうとうおしまいには、どこの国でも、どの人でも、その鏡にめいめいの、ゆがんだすがたをみないものは、なくなってしまいました。こうなると、図にのった悪魔のでしどもは、天までも昇っていって、天使たちや神さままで、わらいぐさにしようとおもいました。ところで、高く高くのぼって行けば、行くほど、その鏡はよけいひどく、しかめっつらをするので、さすがの悪魔も、おかしくて、もっていられなくなりました。でもかまわず、高く高くとのぼっていって、もう神さまや天使のお住居に近くなりました。すると、鏡はあいかわらず、しかめっつらしながら、はげしくぶるぶるふるえだしたものですから、ついに悪魔どもの手から、地の上へおちて、何千万、何億万、というのではたりない、たいへんな数に、こまかくくだけて、とんでしまいました。ところが、これがため、よけい下界のわざわいになったというわけは、鏡のかけらは、せいぜい砂つぶくらいの大きさしかないのが、世界じゅうにとびちってしまったからで、これが人の目にはいると、そのままそこにこびりついてしまいました。すると、その人たちは、なんでも物をまちがってみたり、ものごとのわるいほうだけをみるようになりました。それは、そのかけらが、どんなちいさなものでも、鏡がもっていたふしぎな力を、そのまま、まだのこしてもっていたからです。なかにはまた、人のしんぞうにはいったものがあって、そのしんぞうを、氷のかけらのように、つめたいものにしてしまいました。そのうちいくまいか大きなかけらもあって、窓ガラスに使われるほどでしたが、そんな窓ガラスのうちから、お友だちをのぞいてみようとしても、まるでだめでした。ほかのかけらで、めがねに用いられたものもありましたが、このめがねをかけて、物を正しく、まちがいのないように見ようとすると、とんださわぎがおこりました。悪魔はこんなことを、たいへんおもしろがって、おなかをゆすぶって、くすぐったがって、わらいました。ところで、ほかにもまだ、こまかいかけらは、空のなかにただよっていました。さあ、これからがお話なのですよ。  第二のお話    男の子と女の子  たくさんの家がたてこんで、おおぜい人がすんでいる大きな町では、たれでも、庭にするだけの、あき地をもつわけにはいきませんでした。ですから、たいてい、植木ばちの花をみて、まんぞくしなければなりませんでした。  そういう町に、ふたりのまずしいこどもがすんでいて、植木ばちよりもいくらか大きな花ぞのをもっていました。そのふたりのこどもは、にいさんでも妹でもありませんでしたが、まるでほんとうのきょうだいのように、仲よくしていました。そのこどもたちの両親は、おむこうどうしで、その住んでいる屋根うらべやは、二軒の家の屋根と屋根とがくっついた所に、むかいあっていました。そのしきりの所には、一本の雨どいがとおっていて、両方から、ひとつずつ、ちいさな窓が、のぞいていました。で、といをひとまたぎしさえすれば、こちらの窓からむこうの窓へいけました。  こどもの親たちは、それぞれ木の箱を窓の外にだして、台所でつかうお野菜をうえておきました。そのほかにちょっとしたばらをひと株うえておいたのが、みごとにそだって、いきおいよくのびていました。ところで親たちのおもいつきで、その箱を、といをまたいで、横にならべておいたので、箱は窓と窓とのあいだで、むこうからこちらへと、つづいて、そっくり、生きのいい花のかべを、ふたつならべたように見えました。えんどう豆のつるは、箱から下のほうにたれさがり、ばらの木は、いきおいよく長い枝をのばして、それがまた、両方の窓にからみついて、おたがいにおじぎをしあっていました。まあ花と青葉でこしらえた、アーチのようなものでした。その箱は、高い所にありましたし、こどもたちは、その上にはいあがってはいけないのをしっていました。そこで、窓から屋根へ出て、ばらの花の下にある、ちいさなこしかけに、こしをかけるおゆるしをいただいて、そこでおもしろそうに、あそびました。  冬になると、そういうあそびもだめになりました。窓はどうかすると、まるっきりこおりついてしまいました。そんなとき、こどもたちは、だんろの上で銅貨をあたためて、こおった窓ガラスに、この銅貨をおしつけました。すると、そこにまるい、まんまるい、きれいなのぞきあなができあがって、このあなのむこうに、両方の窓からひとつずつ、それはそれはうれしそうな、やさしい目がぴかぴか光ります、それがあの男の子と、女の子でした。男の子はカイ、女の子はゲルダといいました。夏のあいだは、ただひとまたぎで、いったりきたりしたものが、冬になると、ふたりのこどもは、いくつも、いくつも、はしごだんを、おりたりあがったりしなければ、なりませんでした。外には、雪がくるくる舞っていました。 「あれはね、白いみつばちがあつまって、とんでいるのだよ。」と、おばあさんがいいました。 「あのなかにも、女王ばちがいるの。」と、男の子はたずねました。この子は、ほんとうのみつばちに、そういうもののいることを、しっていたのです。 「ああ、いるともさ。」と、おばあさんはいいました。「その女王ばちは、いつもたくさんなかまのあつまっているところに、とんでいるのだよ。なかまのなかでも、いちばんからだが大きくて、けっして下にじっとしてはいない。すぐと黒い雲のなかへとんではいってしまう。ま夜中に、いく晩も、いく晩も、女王は町の通から通へとびまわって、窓のところをのぞくのさ。するとふしぎとそこでこおってしまって、窓は花をふきつけたように、見えるのだよ。」 「ああ、それ、みたことがありますよ。」と、こどもたちは、口をそろえて叫びました。そして、すると、これはほんとうの話なのだ、とおもいました。 「雪の女王さまは、うちのなかへもはいってこられるかしら。」と、女の子がたずねました。 「くるといいな。そうすれば、ぼく、それをあたたかいストーブの上にのせてやるよ。すると女王はとろけてしまうだろう。」と、男の子がいいました。  でも、おばあさんは、男の子のかみの毛をなでながら、ほかのお話をしてくれました。  その夕方、カイはうちにいて、着物を半分ぬぎかけながら、ふとおもいついて、窓のそばの、いすの上にあがって、れいのちいさなのぞきあなから、外をながめました。おもてには、ちらちら、こな雪が舞っていましたが、そのなかで大きなかたまりがひとひら、植木箱のはしにおちました。するとみるみるそれは大きくなって、とうとうそれが、まがいのない、わかい、ひとりの女の人になりました。もう何百万という数の、星のように光るこな雪で織った、うすい白い紗の着物を着ていました。やさしい女の姿はしていましたが、氷のからだをしていました。ぎらぎらひかる氷のからだをして、そのくせ生きているのです。その目は、あかるい星をふたつならべたようでしたが、おちつきも休みもない目でした。女は、カイのいる窓のほうに、うなずきながら、手まねぎしました。カイはびっくりして、いすからとびおりてしまいました。すぐそのあとで、大きな鳥が、窓の外をとんだような、けはいがしました。  そのあくる日は、からりとした、霜日よりでした。――それからは、日にまし、雪どけのようきになって、とうとう春が、やってきました。お日さまはあたたかに、照りかがやいて、緑がもえだし、つばめは巣をつくりはじめました。あのむかいあわせの屋根うらべやの窓も、また、あけひろげられて、カイとゲルダとは、アパートのてっぺんの屋根上の雨どいの、ちいさな花ぞので、ことしもあそびました。  この夏は、じつにみごとに、ばらの花がさきました。女の子のゲルダは、ばらのことのうたわれている、さんび歌をしっていました。そして、ばらの花というと、ゲルダはすぐ、じぶんの花ぞののばらのことをかんがえました。ゲルダは、そのさんび歌を、カイにうたってきかせますと、カイもいっしょにうたいました。 「ばらのはな さきてはちりぬ  おさなごエス やがてあおがん」  ふたりのこどもは、手をとりあって、ばらの花にほおずりして、神さまの、みひかりのかがやく、お日さまをながめて、おさなごエスが、そこに、おいでになるかのように、うたいかけました。なんという、楽しい夏の日だったでしょう。いきいきと、いつまでもさくことをやめないようにみえる、ばらの花のにおいと、葉のみどりにつつまれた、この屋根の上は、なんていいところでしたろう。  カイとゲルダは、ならんで掛けて、けものや鳥のかいてある、絵本をみていました。ちょうどそのとき――お寺の、大きな塔の上で、とけいが、五つうちましたが――カイは、ふと、 「あッ、なにかちくりとむねにささったよ。それから、目にもなにかとびこんだようだ。」と、いいました。  あわてて、カイのくびを、ゲルダがかかえると、男の子は目をぱちぱちやりました。でも、目のなかにはなにもみえませんでした。 「じゃあ、とれてしまったのだろう。」と、カイはいいましたが、それは、とれたのではありませんでした。カイの目にはいったのは、れいの鏡から、とびちったかけらでした。そら、おぼえているでしょう。あのいやな、魔法の鏡のかけらで、その鏡にうつすと、大きくていいものも、ちいさく、いやなものに、みえるかわり、いけないわるいものほど、いっそうきわだってわるく見え、なんによらず、物事のあらが、すぐめだって見えるのです。かわいそうに、カイは、しんぞうに、かけらがひとつはいってしまいましたから、まもなく、それは氷のかたまりのように、なるでしょう。それなり、もういたみはしませんけれども、たしかに、しんぞうの中にのこりました。 「なんだってべそをかくんだ。」と、カイはいいました。「そんなみっともない顔をして、ぼくは、もうどうもなってやしないんだよ。」 「チェッ、なんだい。」こんなふうに、カイはふいに、いいだしました。「あのばらは虫がくっているよ。このばらも、ずいぶんへんてこなばらだ。みんなきたならしいばらだな。植わっている箱も箱なら、花も花だ。」  こういって、カイは、足で植木の箱をけとばして、ばらの花をひきちぎってしまいました。 「カイちゃん、あんた、なにをするの。」と、ゲルダはさけびました。  カイは、ゲルダのおどろいた顔をみると、またほかのばらの花を、もぎりだしました。それから、じぶんのうちの窓の中にとびこんで、やさしいゲルダとも、はなれてしまいました。  ゲルダがそのあとで、絵本をもってあそびにきたとき、カイは、そんなもの、かあさんにだっこされている、あかんぼのみるものだ、といいました。また、おばあさまがお話をしても、カイはのべつに「だって、だって。」とばかりいっていました。それどころか、すきをみて、おばあさまのうしろにまわって、目がねをかけて、おばあさまの口まねまで、してみせました。しかも、なかなかじょうずにやったので、みんなはおかしがってわらいました。まもなくカイは、町じゅうの人たちの、身ぶりや口まねでも、できるようになりました。なんでも、ひとくせかわったことや、みっともないことなら、カイはまねすることをおぼえました。 「あの子はきっと、いいあたまなのにちがいない。」と、みんないいましたが、それは、カイの目のなかにはいった鏡のかけらや、しんぞうの奥ふかくささった、鏡のかけらのさせることでした。そんなわけで、カイはまごころをささげて、じぶんをしたってくれるゲルダまでも、いじめだしました。  カイのあそびも、すっかりかわって、ひどくこましゃくれたものになりました。――ある冬の日、こな雪がさかんに舞いくるっているなかで、カイは大きな虫目がねをもって、そとにでました。そして青いうわぎのすそをひろげて、そのうえにふってくる雪をうけました。 「さあ、この目がねのところからのぞいてごらん、ゲルダちゃん。」と、カイはいいました。なるほど、雪のひとひらが、ずっと大きく見えて、みごとにひらいた花か、六角の星のようで、それはまったくうつくしいものでありました。 「ほら、ずいぶんたくみにできているだろう。ほんとうの花なんか見るよりも、ずっとおもしろいよ。かけたところなんか、ひとつだってないものね。きちんと形をくずさずにいるのだよ。ただとけさえしなければね。」と、カイはいいました。  そののちまもなく、カイはあつい手ぶくろをはめて、そりをかついで、やってきました。そしてゲルダにむかって、 「ぼく、ほかのこどもたちのあそんでいる、ひろばのほうへいってもいいと、いわれたのだよ。」と、ささやくと、そのままいってしまいました。  その大きなひろばでは、こどもたちのなかでも、あつかましいのが、そりを、おひゃくしょうたちの馬車の、うしろにいわえつけて、じょうずに馬車といっしょにすべっていました。これは、なかなかおもしろいことでした。こんなことで、こどもたちたれも、むちゅうになってあそんでいると、そこへ、いちだい、大きなそりがやってきました。それは、まっ白にぬってあって、なかにたれだか、そまつな白い毛皮にくるまって、白いそまつなぼうしをかぶった人がのっていました。そのそりは二回ばかり、ひろばをぐるぐるまわりました。そこでカイは、さっそくそれに、じぶんのちいさなそりを、しばりつけて、いっしょにすべっていきました。その大そりは、だんだんはやくすべって、やがて、つぎの大通を、まっすぐに、はしっていきました。そりをはしらせていた人は、くるりとふりかえって、まるでよくカイをしっているように、なれなれしいようすで、うなずきましたので、カイはついそりをとくのをやめてしまいました。こんなぐあいにして、とうとうそりは町の門のそとに、でてしまいました。そのとき、雪が、ひどくふってきたので、カイはじぶんの手のさきもみることができませんでした。それでもかまわず、そりははしっていきました。カイはあせって、しきりとつなをうごかして、その大そりからはなれようとしましたが、小そりはしっかりと大そりにしばりつけられていて、どうにもなりませんでした。ただもう、大そりにひっぱられて、風のようにとんでいきました。カイは大声をあげて、すくいをもとめましたが、たれの耳にも、きこえませんでした。雪はぶっつけるようにふりしきりました。そりは前へ前へと、とんでいきました。ときどき、そりがとびあがるのは、生がきや、おほりの上を、とびこすのでしょうか、カイはまったくふるえあがってしまいました。主のおいのりをしようと思っても、あたまにうかんでくるのは、かけざんの九九ばかりでした。  こな雪のかたまりは、だんだん大きくなって、しまいには、大きな白いにわとりのようになりました。ふとその雪のにわとりが、両がわにとびたちました。とたんに、大そりはとまりました。そりをはしらせていた人が、たちあがったのを見ると、毛皮のがいとうもぼうしも、すっかり雪でできていました。それはすらりと、背の高い、目のくらむようにまっ白な女の人でした。それが雪の女王だったのです。 「ずいぶんよくはしったわね。」と、雪の女王はいいました。「あら、あんた、ふるえているのね。わたしのくまの毛皮におはいり。」  こういいながら女王は、カイをじぶんのそりにいれて、かたわらにすわらせ、カイのからだに、その毛皮をかけてやりました。するとカイは、まるで雪のふきつもったなかに、うずめられたように感じました。 「まださむいの。」と、女王はたずねました。それからカイのひたいに、ほおをつけました。まあ、それは、氷よりももっとつめたい感じでした。そして、もう半分氷のかたまりになりかけていた、カイのしんぞうに、じいんとしみわたりました。カイはこのまま死んでしまうのではないかと、おもいました。――けれど、それもほんのわずかのあいだで、やがてカイは、すっかり、きもちがよくなって、もう身のまわりのさむさなど、いっこう気にならなくなりました。 「ぼくのそりは――ぼくのそりを、わすれちゃいけない。」  カイがまず第一におもいだしたのは、じぶんのそりのことでありました。そのそりは、白いにわとりのうちの一わに、しっかりとむすびつけられました。このにわとりは、そりをせなかにのせて、カイのうしろでとんでいました。雪の女王は、またもういちど、カイにほおずりしました。それで、カイは、もう、かわいらしいゲルダのことも、おばあさまのことも、うちのことも、なにもかも、すっかりわすれてしまいました。 「さあ、もうほおずりはやめましょうね。」と、雪の女王はいいました。「このうえすると、お前を死なせてしまうかもしれないからね。」  カイは女王をみあげました。まあそのうつくしいことといったら。カイは、これだけかしこそうなりっぱな顔がほかにあろうとは、どうしたっておもえませんでした。いつか窓のところにきて、手まねきしてみせたときとちがって、もうこの女王が、氷でできているとは、おもえなくなりました。カイの目には、女王は、申しぶんなくかんぜんで、おそろしいなどとは、感じなくなりました。それでうちとけて、じぶんは分数までも、あんざんで、できることや、じぶんの国が、いく平方マイルあって、どのくらいの人口があるか、しっていることまで、話しました。女王は、しじゅう、にこにこして、それをきいていました。それが、なんだ、しっていることは、それっぱかしかと、いわれたようにおもって、あらためて、ひろいひろい大空をあおぎました。すると、女王はカイをつれて、たかくとびました。高い黒雲の上までも、とんで行きました。あらしはざあざあ、ひゅうひゅう、ふきすさんで、昔の歌でもうたっているようでした。女王とカイは、森や、湖や、海や、陸の上を、とんで行きました。下のほうでは、つめたい風がごうごううなって、おおかみのむれがほえたり、雪がしゃっしゃっときしったりして、その上に、まっくろなからすがカアカアないてとんでいました。しかし、はるか上のほうには、お月さまが、大きくこうこうと、照っていました。このお月さまを、ながいながい冬の夜じゅう、カイはながめてあかしました。ひるになると、カイは女王の足もとでねむりました。    第三のお話      魔法の使える女の花ぞの  ところで、カイが、あれなりかえってこなかったとき、あの女の子のゲルダは、どうしたでしょう。カイはまあどうしたのか、たれもしりませんでした。なんの手がかりもえられませんでした。こどもたちの話でわかったのは、カイがよその大きなそりに、じぶんのそりをむすびつけて、町をはしりまわって、町の門からそとへでていったということだけでした。さて、それからカイがどんなことになってしまったか、たれもしっているものはありませんでした。いくにんもの人のなみだが、この子のために、そそがれました。そして、あのゲルダは、そのうちでも、ひとり、もうながいあいだ、むねのやぶれるほどになきました。――みんなのうわさでは、カイは町のすぐそばを流れている川におちて、おぼれてしまったのだろうということでした。ああ、まったくながいながい、いんきな冬でした。  いま、春はまた、あたたかいお日さまの光とつれだってやってきました。 「カイちゃんは死んでしまったのよ。」と、ゲルダはいいました。 「わたしはそうおもわないね。」と、お日さまがいいました。 「カイちゃんは死んでしまったのよ。」と、ゲルダはつばめにいいました。 「わたしはそうおもいません。」と、つばめたちはこたえました。そこで、おしまいに、ゲルダは、じぶんでも、カイは死んだのではないと、おもうようになりました。 「あたし、あたらしい赤いくつをおろすわ。あれはカイちゃんのまだみなかったくつよ。あれをはいて川へおりていって、カイちゃんのことをきいてみましょう。」と、ゲルダは、ある朝いいました。で、朝はやかったので、ゲルダはまだねむっていたおばあさまに、せっぷんして、赤いくつをはき、たったひとりぼっちで、町の門を出て、川のほうへあるいていきました。 「川さん、あなたが、わたしのすきなおともだちを、とっていってしまったというのは、ほんとうなの。この赤いくつをあげるわ。そのかわり、カイちゃんをかえしてね。」  すると川の水が、よしよしというように、みょうに波だってみえたので、ゲルダはじぶんのもっているもののなかでいちばんすきだった、赤いくつをぬいで、ふたつとも、川のなかになげこみました。ところが、くつは岸の近くにおちたので、さざ波がすぐ、ゲルダの立っているところへ、くつをはこんできてしまいました。まるで川は、ゲルダから、いちばんだいじなものをもらうことをのぞんでいないように見えました。なぜなら、川はカイをかくしてはいなかったからです。けれど、ゲルダは、くつをもっととおくのほうへなげないからいけなかったのだとおもいました。そこで、あしのしげみにうかんでいた小舟にのりました。そして舟のいちばんはしへいって、そこからくつをなげこみました。でも、小舟はしっかりと岸にもやってなかったので、くつをなげるので動かしたひょうしに、岸からすべり出してしまいました。それに気がついて、ゲルダは、いそいでひっかえそうとしましたが、小舟のこちらのはしまでこないうちに、舟は二三尺も岸からはなれて、そのままで、どんどんはやく流れていきました。  そこで、ゲルダは、たいそうびっくりして、なきだしましたが、すずめのほかは、たれもその声をきくものはありませんでした。すずめには、ゲルダをつれかえる力はありませんでした。でも、すずめたちは、岸にそってとびながら、ゲルダをなぐさめるように、 「だいじょうぶ、ぼくたちがいます。」と、なきました。  小舟は、ずんずん流れにはこばれていきました。ゲルダは、足にくつしたをはいただけで、じっと舟のなかにすわったままでいました。ちいさな赤いくつは、うしろのほうで、ふわふわういていましたが、小舟においつくことはできませんでした。小舟のほうが、くつよりも、もっとはやくながれていったからです。  岸は、うつくしいけしきでした。きれいな花がさいていたり、古い木が立っていたり、ところどころ、なだらかな土手には、ひつじやめうしが、あそんでいました。でも、にんげんの姿は見えませんでした。 「ことによると、この川は、わたしを、カイちゃんのところへ、つれていってくれるのかもしれないわ。」と、ゲルダはかんがえました。  それで、だんだんげんきがでてきたので、立ちあがって、ながいあいだ、両方の青あおとうつくしい岸をながめていました。それからゲルダは、大きなさくらんぼばたけのところにきました。そのはたけの中には、ふうがわりな、青や赤の窓のついた、一けんのちいさな家がたっていました。その家はかやぶきで、おもてには、舟で通りすぎる人たちのほうにむいて、木製のふたりのへいたいが、銃剣肩に立っていました。  ゲルダは、それをほんとうのへいたいかとおもって、こえをかけました。しかし、いうまでもなくそのへいたいは、なんのこたえもしませんでした。ゲルダはすぐそのそばまできました。波が小舟を岸のほうにはこんだからです。  ゲルダはもっと大きなこえで、よびかけてみました。すると、その家のなかから、撞木杖にすがった、たいそう年とったおばあさんが出てきました。おばあさんは、目のさめるようにきれいな花をかいた、大きな夏ぼうしをかぶっていました。 「やれやれ、かわいそうに。どうしておまえさんは、そんなに大きな波のたつ上を、こんなとおいところまで流れてきたのだね。」と、おばあさんはいいました。  それからおばあさんは、ざぶりざぶり水の中にはいって、撞木杖で小舟をおさえて、それを陸のほうへひっぱってきて、ゲルダをだきおろしました。ゲルダはまた陸にあがることのできたのをうれしいとおもいました。でも、このみなれないおばあさんは、すこし、こわいようでした。 「さあ、おまえさん、名まえをなんというのだか、またどうして、ここへやってきたのだか、話してごらん。」と、おばあさんはいいました。そこでゲルダは、なにもかも、おばあさんに話しました。おばあさんはうなずきながら、「ふん、ふん。」と、いいました。ゲルダは、すっかり話してしまってから、おばあさんがカイをみかけなかったかどうか、たずねますと、おばあさんは、カイはまだここを通らないが、いずれそのうち、ここを通るかもしれない。まあ、そう、くよくよおもわないで、花をながめたり、さくらんぼをたべたりしておいで。花はどんな絵本のよりも、ずっときれいだし、その花びらの一まい、一まいが、ながいお話をしてくれるだろうからといいました。それからおばあさんは、ゲルダの手をとって、じぶんのちいさな家へつれていって、中から戸にかぎをかけました。  その家の窓は、たいそう高くて、赤いのや、青いのや、黄いろの窓ガラスだったので、お日さまの光はおもしろい色にかわって、きれいに、へやのなかにさしこみました。つくえの上には、とてもおいしいさくらんぼがおいてありました。そしてゲルダは、いくらたべてもいいという、おゆるしがでたものですから、おもうぞんぶんそれをたべました。ゲルダがさくらんぼをたべているあいだに、おばあさんが、金のくしで、ゲルダのかみの毛をすきました。そこで、ゲルダのかみの毛は、ばらの花のような、まるっこくて、かわいらしい顔のまわりで、金色にちりちりまいて、光っていました。 「わたしは長いあいだ、おまえのような、かわいらしい女の子がほしいとおもっていたのだよ。さあこれから、わたしたちといっしょに、なかよくくらそうね。」と、おばあさんはいいました。そしておばあさんが、ゲルダのかみの毛にくしをいれてやっているうちに、ゲルダはだんだん、なかよしのカイのことなどはわすれてしまいました。というのは、このおばあさんは魔法が使えるからでした。けれども、おばあさんは、わるい魔女ではありませんでした。おばあさんはじぶんのたのしみに、ほんのすこし魔法を使うだけで、こんども、それをつかったのは、ゲルダをじぶんの手もとにおきたいためでした。そこで、おばあさんは、庭へ出て、そこのばらの木にむかって、かたっぱしから撞木杖をあてました。すると、いままでうつくしく、さきほこっていたばらの木も、みんな、黒い土の中にしずんでしまったので、もうたれの目にも、どこにいままでばらの木があったか、わからなくなりました。おばあさんは、ゲルダがばらを見て、自分の家のばらのことをかんがえ、カイのことをおもいだして、ここからにげていってしまうといけないとおもったのです。  さて、ゲルダは花ぞのにあんないされました。――そこは、まあなんという、いい香りがあふれていて、目のさめるように、きれいなところでしたろう。花という花は、こぼれるようにさいていました。そこでは、一ねんじゅう花がさいていました。どんな絵本の花だって、これよりうつくしく、これよりにぎやかな色にさいてはいませんでした。ゲルダはおどりあがってよろこびました。そして夕日が、高いさくらの木のむこうにはいってしまうまで、あそびました。それからゲルダは、青いすみれの花がいっぱいつまった、赤い絹のクションのある、きれいなベッドの上で、結婚式の日の女王さまのような、すばらしい夢をむすびました。  そのあくる日、ゲルダは、また、あたたかいお日さまのひかりをあびて、花たちとあそびました。こんなふうにして、いく日もいく日もたちました。ゲルダは花ぞのの花をのこらずしりました。そのくせ、花ぞのの花は、かずこそずいぶんたくさんありましたけれど、ゲルダにとっては、どうもまだなにか、ひといろたりないようにおもわれました。でも、それがなんの花であるか、わかりませんでした。するうちある日、ゲルダはなにげなくすわって、花をかいたおばあさんの夏ぼうしを、ながめていましたが、その花のうちで、いちばんうつくしいのは、ばらの花でした。おばあさんは、ほかのばらの花をみんな見えないように、かくしたくせに、じぶんのぼうしにかいたばらの花を、けすことを、ついわすれていたのでした。まあ手ぬかりということは、たれにでもあるものです。 「あら、ここのお庭には、ばらがないわ。」と、ゲルダはさけびました。  それから、ゲルダは、花ぞのを、いくどもいくども、さがしまわりましたけれども、ばらの花は、ひとつもみつかりませんでした。そこで、ゲルダは、花ぞのにすわってなきました。ところが、なみだが、ちょうどばらがうずめられた場所の上におちました。あたたかいなみだが、しっとりと土をしめらすと、ばらの木は、みるみるしずまない前とおなじように、花をいっぱいつけて、地の上にあらわれてきました。ゲルダはそれをだいて、せっぷんしました。そして、じぶんのうちのばらをおもいだし、それといっしょに、カイのこともおもいだしました。 「まあ、あたし、どうして、こんなところにひきとめられていたのかしら。」と、ゲルダはいいました。「あたし、カイちゃんをさがさなくてはならなかったのだわ――カイちゃん、どこにいるか、しらなくって。あなたは、カイちゃんが死んだとおもって。」と、ゲルダは、ばらにききました。 「カイちゃんは死にはしませんよ。わたしどもは、いままで地のなかにいました。そこには死んだ人はみないましたが、でも、カイちゃんはみえませんでしたよ。」と、ばらの花がこたえました。 「ありがとう。」と、ゲルダはいって、ほかの花のところへいって、ひとつひとつ、うてなのなかをのぞきながらたずねました。「カイちゃんはどこにいるか、しらなくって。」  でも、どの花も、日なたぼっこしながら、じぶんたちのつくったお話や、おとぎばなしのことばかりかんがえていました。ゲルダはいろいろと花にきいてみましたが、どの花もカイのことについては、いっこうにしりませんでした。  ところで、おにゆりは、なんといったでしょう。 「あなたには、たいこの音が、ドンドンというのがきこえますか。あれには、ふたつの音しかないのです。だからドンドンといつでもやっているのです。女たちがうたう、とむらいのうたをおききなさい。また、坊さんのあげる、おいのりをおききなさい。――インド人のやもめは、火葬のたきぎのつまれた上に、ながい赤いマントをまとって立っています。焔がその女と、死んだ夫のしかばねのまわりにたちのぼります。でもインドの女は、ぐるりにあつまった人たちのなかの、生きているひとりの男のことをかんがえているのです。その男の目は焔よりもあつくもえ、その男のやくような目つきは、やがて、女のからだをやきつくして灰にする焔などよりも、もっとはげしく、女の心の中で、もえていたのです。心の焔は、火あぶりのたきぎのなかで、もえつきるものでしょうか。」 「なんのことだか、まるでわからないわ。」と、ゲルダがこたえました。 「わたしの話はそれだけさ。」と、おにゆりはいいました。  ひるがおは、どんなお話をしたでしょう。 「せまい山道のむこうに、昔のさむらいのお城がぼんやりみえます。くずれかかった、赤い石がきのうえには、つたがふかくおいしげって、ろだいのほうへ、ひと葉ひと葉、はいあがっています。ろだいの上には、うつくしいおとめが、らんかんによりかかって、おうらいをみおろしています。どんなばらの花でも、そのおとめほど、みずみずとは枝にさきだしません。どんなりんごの花でも、こんなにかるがるとしたふうに、木から風がはこんでくることはありません。まあ、おとめのうつくしい絹の着物のさらさらなること。  あの人はまだこないのかしら。」 「あの人というのは、カイちゃんのことなの。」と、ゲルダがたずねました。 「わたしは、ただ、わたしのお話をしただけ。わたしの夢をね。」と、ひるがおはこたえました。  かわいい、まつゆきそうは、どんなお話をしたでしょう。 「木と木のあいだに、つなでつるした長い板がさがっています。ぶらんこなの。雪のように白い着物を着て、ぼうしには、ながい、緑色の絹のリボンをまいた、ふたりのかわいらしい女の子が、それにのってゆられています。この女の子たちよりも、大きい男きょうだいが、そのぶらんこに立ってのっています。男の子は、かた手にちいさなお皿をもってるし、かた手には土製のパイプをにぎっているので、からだをささえるために、つなにうでをまきつけています。男の子はシャボンだまをふいているのです。ぶらんこがゆれて、シャボンだまは、いろんなうつくしい色にかわりながらとんで行きます。いちばんおしまいのシャボンだまは、風にゆられながら、まだパイプのところについています。ぶらんこはとぶようにゆれています。あら、シャボンだまのように身のかるい黒犬があと足で立って、のせてもらおうとしています。ぶらんこはゆれる、黒犬はひっくりかえって、ほえているわ。からかわれて、おこっているのね。シャボンだまははじけます。――ゆれるぶらんこ。われてこわれるシャボンだま。――これがわたしの歌なんです。」 「あなたのお話は、とてもおもしろそうね。けれどあなたは、かなしそうに話しているのね。それからあなたは、カイちゃんのことは、なんにも話してくれないのね。」  ヒヤシンスの花は、どんなお話をしたでしょう。 「あるところに、三人の、すきとおるようにうつくしい、きれいな姉いもうとがおりました。なかでいちばん上のむすめの着物は赤く、二ばん目のは水色で、三ばん目のはまっ白でした。きょうだいたちは、手をとりあって、さえた月の光の中で、静かな湖のふちにでて、おどりをおどります。三人とも妖女ではなくて、にんげんでした。そのあたりには、なんとなくあまい、いいにおいがしていました。むすめたちは森のなかにきえました。あまい、いいにおいが、いっそうつよくなりました。すると、その三人のうつくしいむすめをいれた三つのひつぎが、森のしげみから、すうっとあらわれてきて、湖のむこうへわたっていきました。つちぼたるが、そのぐるりを、空に舞っているちいさなともしびのように、ぴかりぴかりしていました。おどりくるっていた三人のむすめたちは、ねむったのでしょうか。死んだのでしょうか。――花のにおいはいいました。あれはなきがらです。ゆうべの鐘がなくなったひとたちをとむらいます。」 「ずいぶんかなしいお話ね。あなたの、そのつよいにおいをかぐと、あたし死んだそのむすめさんたちのことを、おもいださずにはいられませんわ。ああ、カイちゃんは、ほんとうに死んでしまったのかしら。地のなかにはいっていたばらの花は、カイちゃんは死んではいないといってるけれど。」 「チリン、カラン。」と、ヒヤシンスのすずがなりました。「わたしはカイちゃんのために、なっているのではありません。カイちゃんなんて人は、わたしたち、すこしもしりませんもの。わたしたちは、ただ自分のしっているたったひとつの歌を、うたっているだけです。」  それから、ゲルダは、緑の葉のあいだから、あかるくさいている、たんぽぽのところへいきました。 「あなたはまるで、ちいさな、あかるいお日さまね。どこにわたしのおともだちがいるか、しっていたらおしえてくださいな。」と、ゲルダはいいました。  そこで、たんぽぽは、よけいあかるくひかりながら、ゲルダのほうへむきました。どんな歌を、その花がうたったでしょう。その歌も、カイのことではありませんでした。 「ちいさな、なか庭には、春のいちばんはじめの日、うららかなお日さまが、あたたかに照っていました。お日さまの光は、おとなりの家の、まっ白なかべの上から下へ、すべりおちていました。そのそばに、春いちばんはじめにさく、黄色い花が、かがやく光の中に、金のようにさいていました。おばあさんは、いすをそとにだして、こしをかけていました。おばあさんの孫の、かわいそうな女中ぼうこうをしているうつくしい女の子が、おばあさんにあうために、わずかなおひまをもらって、うちへかえってきました。女の子はおばあさんにせっぷんしました。このめぐみおおいせっぷんには金が、こころの金がありました。その口にも金、そのふむ土にも金、そのあさのひとときにも金がありました。これがわたしのつまらないお話です。」と、たんぽぽがいいました。 「まあ、わたしのおばあさまは、どうしていらっしゃるかしら。」と、ゲルダはためいきをつきました。「そうよ。きっとおばあさまは、わたしにあいたがって、かなしがっていらっしゃるわ。カイちゃんのいなくなったとおなじように、しんぱいしていらっしゃるわ。けれど、わたし、じきにカイちゃんをつれて、うちにかえれるでしょう。――もう花たちにいくらたずねてみたってしかたがない。花たち、ただ、自分の歌をうたうだけで、なんにもこたえてくれないのだもの。」  そこでゲルダは、はやくかけられるように、着物をきりりとたくしあげました。けれど、黄ずいせんを、ゲルダがとびこえようとしたとき、それに足がひっかかりました。そこでゲルダはたちどまって、その黄色い、背の高い花にむかってたずねました。 「あんた、カイちゃんのこと、なんかしっているの。」  そしてゲルダは、こごんで、その花の話すことをききました。その花はなんといったでしょう。 「わたし、じぶんがみられるのよ。じぶんがわかるのよ。」と、黄ずいせんはいいました。「ああ、ああ、なんてわたしはいいにおいがするんだろう。屋根うらのちいさなへやに、半はだかの、ちいさなおどりこが立っています。おどりこはかた足で立ったり、両足で立ったりして、まるで世界中をふみつけるように見えます。でも、これはほんの目のまよいです。おどりこは、ちいさな布に、湯わかしから湯をそそぎます。これはコルセットです。――そうです。そうです、せいけつがなによりです。白い上着も、くぎにかけてあります。それもまた、湯わかしの湯であらって、屋根でかわかしたものなのです。おどりこは、その上着をつけて、サフラン色のハンケチをくびにまきました。ですから、上着はよけい白くみえました。ほら、足をあげた。どう、まるでじくの上に立って、うんとふんばった姿は。わたし、じぶんが見えるの。じぶんがわかるの。」 「なにもそんな話、わたしにしなくてもいいじゃないの。そんなこと、どうだって、かまわないわ。」と、ゲルダはいいました。  それでゲルダは、庭のむこうのはしまでかけて行きました。その戸はしまっていましたが、ゲルダがそのさびついたとってを、どんとおしたので、はずれて戸はぱんとひらきました。ゲルダはひろい世界に、はだしのままでとびだしました。ゲルダは、三度もあとをふりかえってみましたが、たれもおっかけてくるものはありませんでした。とうとうゲルダは、もうとてもはしることができなくなったので、大きな石の上にこしをおろしました。そこらをみまわしますと、夏はすぎて、秋がふかくなっていました。お日さまが年中かがやいて、四季の花がたえずさいていた、あのうつくしい花ぞのでは、そんなことはわかりませんでした。 「ああ、どうしましょう。あたし、こんなにおくれてしまって。」と、ゲルダはいいました。「もうとうに秋になっているのね。さあ、ゆっくりしてはいられないわ。」  そしてゲルダは立ちあがって、ずんずんあるきだしました。まあ、ゲルダのかよわい足は、どんなにいたむし、そして、つかれていたことでしょう。どこも冬がれて、わびしいけしきでした。ながいやなぎの葉は、すっかり黄ばんで、きりが雨しずくのように枝からたれていました。ただ、とげのある、こけももだけは、まだ実をむすんでいましたが、こけももはすっぱくて、くちがまがるようでした。ああ、なんてこのひろびろした世界は灰色で、うすぐらくみえたことでしょう。    第四のお話      王子と王女  ゲルダは、またも、やすまなければなりませんでした。ゲルダがやすんでいた場所の、ちょうどむこうの雪の上で、一わの大きなからすが、ぴょんぴょんやっていました。このからすは、しばらくじっとしたなりゲルダをみつめて、あたまをふっていましたが、やがてこういいました。 「カア、カア、こんちは。こんちは。」  からすは、これよりよくは、なにもいうことができませんでしたが、でも、ゲルダをなつかしくおもっていて、このひろい世界で、たったひとりぼっち、どこへいくのだといって、たずねました。この「ひとりぼっち。」ということばを、ゲルダはよくあじわって、しみじみそのことばに、ふかいいみのこもっていることをおもいました。ゲルダはそこでからすに、じぶんの身の上のことをすっかり話してきかせた上、どうかしてカイをみなかったか、たずねました。  するとからすは、ひどくまじめにかんがえこんで、こういいました。 「あれかもしれない。あれかもしれない。」 「え、しってて。」と、ゲルダは大きなこえでいって、からすをらんぼうに、それこそいきのとまるほどせっぷんしました。 「おてやわらかに、おてやわらかに。」と、からすはいいました。「どうも、カイちゃんをしっているような気がします。たぶん、あれがカイちゃんだろうとおもいますよ。けれど、カイちゃんは、王女さまのところにいて、あなたのことなどは、きっとわすれていますよ。」 「カイちゃんは、王女さまのところにいるんですって。」と、ゲルダはききました。 「そうです。まあ、おききなさい。」と、からすはいいました。「どうも、わたしにすると、にんげんのことばで話すのは、たいそうなほねおりです。あなたにからすのことばがわかると、ずっとうまく話せるのだがなあ。」 「まあ、あたし、ならったことがなかったわ。」と、ゲルダはいいました。「でも、うちのおばあさまは、おできになるのよ。あたし、ならっておけばよかった。」 「かまいませんよ。」と、からすはいいました。「まあ、できるだけしてみますから。うまくいけばいいが。」  それからからすは、しっていることを、話しました。 「わたしたちがいまいる国には、たいそうかしこい王女さまがおいでなるのです。なにしろ世界中のしんぶんをのこらず読んで、のこらずまたわすれてしまいます。まあそんなわけで、たいそうりこうなかたなのです。さて、このあいだ、王女さまは玉座におすわりになりました。玉座というものは、せけんでいうほどたのしいものではありません。そこで王女さまは、くちずさみに歌をうたいだしました。その歌は『なぜに、わたしは、むことらぬ』といった歌でした。そこで、『なるほど、それももっともだわ。』と、いうわけで、王女さまはけっこんしようとおもいたちました。でも夫にするなら、ものをたずねても、すぐとこたえるようなのがほしいとおもいました。だって、ただそこにつっ立って、ようすぶっているだけでは、じきにたいくつしてしまいますからね。そこで、王女さまは、女官たち、のこらずおめしになって、このもくろみをお話しになりました。女官たちは、たいそうおもしろくおもいまして、 『それはよいおもいつきでございます。わたくしどもも、ついさきごろ、それとおなじことをかんがえついたしだいです。』などと申しました。 「わたしのいっていることは、ごく、ほんとうのことなのですよ。」と、からすはいって、「わたしには、やさしいいいなずけがあって、その王女さまのお城に、自由にとんでいける、それがわたしにすっかり話してくれたのです。」と、いいそえました。  いうまでもなく、その、いいなずけというのはからすでした。というのは、にたものどうしで、からすはやはり、からすなかまであつまります。  ハートと、王女さまのかしらもじでふちどったしんぶんが、さっそく、はっこうされました。それには、ようすのりっぱな、わかい男は、たれでもお城にきて、王女さまと話すことができる。そしてお城へきても、じぶんのうちにいるように、気やすく、じょうずに話した人を、王女は夫としてえらぶであろうということがかいてありました。 「そうです。そうです。あなたはわたしをだいじょうぶ信じてください。この話は、わたしがここにこうしてすわっているのとどうよう、ほんとうの話なのですから。」と、からすはいいました。 「わかい男の人たちは、むれをつくって、やってきました。そしてたいそう町はこんざつして、たくさんの人が、あっちへいったり、こっちへきたり、いそがしそうにかけずりまわっていました。でもはじめの日も、つぎの日も、ひとりだってうまくやったものはありません。みんなは、お城のそとでこそ、よくしゃべりましたが、いちどお城の門をはいって、銀ずくめのへいたいをみたり、かいだんをのぼって、金ぴかのせいふくをつけたお役人に出あって、あかるい大広間にはいると、とたんにぽうっとなってしまいました。そして、いよいよ王女さまのおいでになる玉座の前に出たときには、たれも王女さまにいわれたことばのしりを、おうむがえしにくりかえすほかありませんでした。王女さまとすれば、なにもじぶんのいったことばを、もういちどいってもらってもしかたがないでしょう。ところが、だれも、ごてんのなかにはいると、かぎたばこでものまされたように、ふらふらで、おうらいへでてきて、やっとわれにかえって、くちがきけるようになる。なにしろ町の門から、お城の門まで、わかいひとたちが、れつをつくってならんでいました。わたしはそれをじぶんで見てきましたよ。」と、からすが、ねんをおしていいました。 「みんなは自分のばんが、なかなかまわってこないので、おなかがすいたり、のどがかわいたりしましたが、ごてんの中では、なまぬるい水いっぱいくれませんでした。なかで気のきいたせんせいたちが、バタパンご持参で、やってきていましたが、それをそばの人にわけようとはしませんでした。このれんじゅうの気では――こいつら、たんとひもじそうな顔をしているがいい。おかげで王女さまも、ごさいようになるまいから――というのでしょう。」 「でも、カイちゃんはどうしたのです。いつカイちゃんはやってきたのです。」と、ゲルダはたずねました。「カイちゃんは、その人たちのなかまにいたのですか。」 「まあまあ、おまちなさい。これから、そろそろ、カイちゃんのことになるのです。ところで、その三日目に、馬にも、馬車にものらないちいさな男の子が、たのしそうにお城のほうへ、あるいていきました。その人の目は、あなたの目のようにかがやいて、りっぱな、長いかみの毛をもっていましたが、着物はぼろぼろにきれていました。」 「それがカイちゃんなのね。ああ、それでは、とうとう、あたし、カイちゃんをみつけたわ。」と、ゲルダはうれしそうにさけんで、手をたたきました。 「その子は、せなかに、ちいさなはいのうをしょっていました。」と、からすがいいました。 「いいえ、きっと、それは、そりよ。」と、ゲルダはいいました。「カイちゃんは、そりといっしょに見えなくなってしまったのですもの。」 「なるほど、そうかもしれません。」と、からすはいいました。「なにしろ、ちょっと見ただけですから。しかし、それは、みんなわたしのやさしいいいなずけからきいたのです。それから、その子はお城の門をはいって、銀の軍服のへいたいをみながら、だんをのぼって、金ぴかのせいふくのお役人の前にでましたが、すこしもまごつきませんでした。それどころか、へいきでえしゃくして、 『かいだんの上に立っているのは、さぞたいくつでしょうね。ではごめんこうむって、わたしは広間にはいらせてもらいましょう。』と、いいました。広間にはあかりがいっぱいついて、枢密顧問官や、身分の高い人たちが、はだしで金の器をはこんであるいていました。そんな中で、たれだって、いやでもおごそかなきもちになるでしょう。ところへ、その子のながぐつは、やけにやかましくギュウ、ギュウなるのですが、いっこうにへいきでした。」 「きっとカイちゃんよ。」と、ゲルダがさけびました。 「だって、あたらしい長ぐつをはいていましたもの。わたし、そのくつがギュウ、ギュウいうのを、おばあさまのへやできいたわ。」 「そう、ほんとうにギュウ、ギュウってなりましたよ。」と、からすはまた話しはじめました。 「さて、その子は、つかつかと、糸車ほどの大きなしんじゅに、こしをかけている、王女さまのご前に進みました。王女さまのぐるりをとりまいて、女官たちがおつきを、そのおつきがまたおつきを、したがえ、侍従がけらいの、またそのけらいをしたがえ、それがまた、めいめい小姓をひきつれて立っていました。しかも、とびらの近くに立っているものほど、いばっているように見えました。しじゅう、うわぐつであるきまわっていた、けらいのけらいの小姓なんか、とてもあおむいて顔が見られないくらいでした。とにかく、戸ぐちのところでいばりかえっているふうは、ちょっと見ものでした。」 「まあ、ずいぶんこわいこと。それでもカイちゃんは、王女さまとけっこんしたのですか。」と、ゲルダはいいました。 「もし、わたしがからすでなかったなら、いまのいいなずけをすてても、王女さまとけっこんしたかもしれません。人のうわさによりますと、その人は、わたしがからすのことばを話すときとどうよう、じょうずに話したということでした。わたしは、そのことを、わたしのいいなずけからきいたのです。どうして、なかなかようすのいい、げんきな子でした。それも王女さまとけっこんするためにきたのではなくて、ただ、王女さまがどのくらいかしこいか知ろうとおもってやってきたのですが、それで王女さまがすきになり、王女さまもまたその子がすきになったというわけです。」 「そう、いよいよ、そのひと、カイちゃんにちがいないわ。カイちゃんは、そりゃりこうで、分数まであんざんでやれますもの――ああ、わたしを、そのお城へつれていってくださらないこと。」と、ゲルダはいいました。 「さあ、くちでいうのはたやすいが、どうしたら、それができるか、むずかしいですよ。」と、からすはいいました。「ところで、まあ、それをどうするか、まあ、わたしのいいなずけにそうだんしてみましょう。きっと、いいちえをかしてくれるかもしれません。なにしろ、あなたのような、ちいさな娘さんが、お城の中にはいることは、ゆるされていないのですからね。」 「いいえ、そのおゆるしならもらえてよ。」と、ゲルダがこたえました。「カイちゃんは、わたしがきたときけば、すぐに出てきて、わたしをいれてくれるでしょう。」 「むこうのかきねのところで、まっていらっしゃい。」と、からすはいって、あたまをふりふりとんでいってしまいました。  そのからすがかえってきたときには、晩もだいぶくらくなっていました。 「すてき、すてき。」と、からすはいいました。「いいなずけが、あなたによろしくとのことでしたよ。さあ、ここに、すこしばかりパンをもってきてあげました。さぞ、おなかがすいたでしょう。いいなずけが、だいどころからもってきたのです。そこにはたくさんまだあるのです。――どうも、お城へはいることは、できそうもありませんよ。なぜといって、あなたはくつをはいていませんから、銀の軍服のへいたいや、金ぴかのせいふくのお役人たちが、ゆるしてくれないでしょうからね、だがそれで泣いてはいけない。きっと、つれて行けるくふうはしますよ。わたしのいいなずけは、王女さまのねまに通じている、ほそい、うらばしごをしっていますし、そのかぎのあるところもしっているのですからね。」  そこで、からすとゲルダとは、お庭をぬけて、木の葉があとからあとからと、ちってくる並木道を通りました。そして、お城のあかりが、じゅんじゅんにきえてしまったとき、からすはすこしあいているうらの戸口へ、ゲルダをつれていきました。  まあ、ゲルダのむねは、こわかったり、うれしかったりで、なんてどきどきしたことでしょう。まるでゲルダは、なにかわるいことでもしているような気がしました。けれど、ゲルダはその人が、カイちゃんであるかどうかをしりたい、いっしんなのです。そうです。それはきっと、カイちゃんにちがいありません。ゲルダは、しみじみとカイちゃんのりこうそうな目つきや、長いかみの毛をおもいだしていました。そして、ふたりがうちにいて、ばらの花のあいだにすわってあそんだとき、カイちゃんがわらったとおりの笑顔が、目にうかびました。そこで、カイちゃんにあって、ながいながい道中をして自分をさがしにやってきたことをきき、あれなりかえらないので、どんなにみんなが、かなしんでいるかしったなら、こうしてきてくれたことを、どんなによろこぶでしょう。まあ、そうおもうと、うれしいし、しんぱいでした。  さて、からすとゲルダとは、かいだんの上にのぼりました。ちいさなランプが、たなの上についていました。そして、ゆか板のまん中のところには、飼いならされた女がらすが、じっとゲルダを見て立っていました。ゲルダはおばあさまからおそわったように、ていねいにおじぎしました。 「かわいいおじょうさん。わたしのいいなずけは、あなたのことを、たいそうほめておりました。」と、そのやさしいからすがいいました。「あなたの、そのごけいれきとやらもうしますのは、ずいぶんおきのどくなのですね。さあ、ランプをおもちください。ごあんないしますわ。このところをまっすぐにまいりましょう。もうだれにもあいませんから。」 「だれか、わたしたちのあとから、ついてくるような気がすることね。」と、なにかがそばをきゅうに通ったときに、ゲルダはいいました。それは、たてがみをふりみだして、ほっそりとした足をもっている馬だの、それから、かりうどだの、馬にのったりっぱな男の人や、女の人だのの、それがみんなかべにうつったかげのように見えました。 「あれは、ほんの夢なのですわ。」と、からすがいいました。「あれらは、それぞれのご主人たちのこころを、りょうにさそいだそうとしてくるのです。つごうのいいことに、あなたは、ねどこの中であのひとたちのお休みのところがよくみられます。そこで、どうか、あなたがりっぱな身分におなりになったのちも、せわになったおれいは、おわすれなくね。」 「それはいうまでもないことだろうよ。」と、森のからすがいいました。  さて、からすとゲルダとは、一ばんはじめの広間にはいっていきました。そこのかべには、花でかざった、ばら色のしゅすが、上から下まで、はりつめられていました。そして、ここにもりょうにさそうさっきの夢は、もうとんで来ていましたが、あまりはやくうごきすぎて、ゲルダはえらい殿さまや貴婦人方を、こんどはみることができませんでした。ひろまから、ひろまへ行くほど、みどとにできていました。ただもうあまりのうつくしさに、まごつくばかりでしたが、そのうち、とうとうねままではいっていきました。そこのてんじょうは、高価なガラスの葉をひろげた、大きなしゅろの木のかたちになっていました。そして、へやのまんなかには、ふたつのベッドが、木のじくにあたる金のふとい柱につりさがっていて、ふたつとも、ゆりの花のようにみえました。そのベッドはひとつは白くて、それには王女がねむっていました。もうひとつのは赤くて、そこにねむっている人こそ、ゲルダのさがすカイちゃんでなくてはならないのです。ゲルダは赤い花びらをひとひら、そっとどけると、そこに日やけしたくびすじが見えました。――ああ、それはカイちゃんでした。  ――ゲルダは、カイちゃんの名をこえ高くよびました。ランプをカイちゃんのほうへさしだしました。……夢がまた馬にのって、さわがしくそのへやの中へ、はいってきました。……その人は目をさまして、顔をこちらにむけました。ところが、それはカイちゃんではなかったのです。  いまは王子となったその人は、ただ、くびすじのところが、カイちゃんににていただけでした。でもその王子はわかくて、うつくしい顔をしていました。王女は白いゆりの花ともみえるベッドから、目をぱちくりやって見あげながら、たれがそこにきたのかと、おたずねになりました。そこでゲルダは泣いて、いままでのことや、からすがいろいろにつくしてくれたことなどを、のこらず王子に話しました。 「それは、まあ、かわいそうに。」と、王子と王女とがいいました。そして、からすをおほめになり、じぶんたちはけっして、からすがしたことをおこりはしないが、二どとこんなことをしてくれるな、とおっしゃいました。それでも、からすたちは、ごほうびをいただくことになりました。 「おまえたちは、すきかってに、そとをとびまわっているほうがいいかい。」と、王女はたずねました。「それとも、宮中おかかえのからすとして、台所のおあまりは、なんでもたべることができるし、そういうふうにして、いつまでもごてんにいたいとおもうかい。」  そこで、二わのからすはおじぎをして、自分たちが、としをとってからのことをかんがえると、やはりごてんにおいていただきたいと、ねがいました。そして、 「だれしもいっていますように、さきへいってこまらないように、したいものでございます。」と、いいました。  王子はそのとき、ベッドから出て、ゲルダをそれにねかせ、じぶんは、それなりねようとはしませんでした。ゲルダはちいさな手をくんで、「まあ、なんといういい人や、いいからすたちだろう。」と、おもいました。それから、目をつぶって、すやすやねむりました。すると、また夢がやってきて、こんどは天使のような人たちが、一だいのそりをひいてきました。その上には、カイちゃんが手まねきしていました。けれども、それはただの夢だったので、目をさますと、さっそくきえてしまいました。  あくる日になると、ゲルダはあたまから、足のさきまで、絹やびろうどの着物でつつまれました。そしてこのままお城にとどまっていて、たのしくくらすようにとすすめられました。でも、ゲルダはただ、ちいさな馬車と、それをひくうまと、ちいさな一そくの長ぐつがいただきとうございますと、いいました。それでもういちど、ひろい世界へ、カイちゃんをさがしに出ていきたいのです。  さて、ゲルダは長ぐつばかりでなく、マッフまでもらって、さっぱりと旅のしたくができました。いよいよでかけようというときに、げんかんには、じゅん金のあたらしい馬車が一だいとまりました。王子と王女の紋章が、星のようにひかってついていました。ぎょしゃや、べっとうや、おさきばらいが――そうです、おさきばらいまでが――金の冠をかぶってならんでいました。王子と王女は、ごじぶんで、ゲルダをたすけて馬車にのらせ、ぶじにいってくるようにおっしゃいました。もういまはけっこんをすませた森のからすも、三マイルさきまで、みおくりについてきました。このからすは、うしろむきにのっていられないというので、ゲルダのそばにすわっていました。めすのほうのからすは、羽根をばたばたやりながら、門のところにとまっていました。おくっていかないわけは、あれからずっとごてんづとめで、たくさんにたべものをいただくせいか、ひどく頭痛がしていたからです。その馬車のうちがわは、さとうビスケットでできていて、こしをかけるところは、くだものや、くるみのはいったしょうがパンでできていました。 「さよなら、さよなら。」と、王子と王女がさけびました。するとゲルダは泣きだしました。――からすもまた泣きました。――さて、馬車が三マイル先のところまできたとき、こんどはからすが、さよならをいいました。この上ないかなしいわかれでした。からすはそこの木の上にとびあがって、馬車がいよいよ見えなくなるまで、黒いつばさを、ばたばたやっていました。馬車はお日さまのようにかがやきながら、どこまでもはしりつづけました。    第五のお話      おいはぎのこむすめ  それから、ゲルダのなかまは、くらい森の中を通っていきました。ところが、馬車の光は、たいまつのようにちらちらしていました。それが、おいはぎどもの目にとまって、がまんがならなくさせました。 「やあ、金だぞ、金だぞ。」と、おいはぎたちはさけんで、いちどにとびだしてきました。馬をおさえて、ぎょしゃ、べっとうから、おさきばらいまでころして、ゲルダを馬車からひきずりおろしました。 「こりゃあ、たいそうふとって、かわいらしいむすめだわい。きっと、年中くるみの実ばかりたべていたのだろう。」と、おいはぎばばがいいました。女のくせに、ながい、こわいひげをはやして、まゆげが、目の上までたれさがったばあさんでした。「なにしろそっくり、あぶらののった、こひつじというところだが、さあたべたら、どんな味がするかな。」  そういって、ばあさんは、ぴかぴかするナイフをもちだしました。きれそうにひかって、きみのわるいといったらありません。 「あッ。」  そのとたん、ばあさんはこえをあげました。その女のせなかにぶらさがっていた、こむすめが、なにしろらんぼうなだだっ子で、おもしろがって、いきなり、母親の耳をかんだのです。 「このあまあ、なにょをする。」と、母親はさけびました。おかげで、ゲルダをころす、はなさきをおられました。 「あの子は、あたいといっしょにあそぶのだよ。」と、おいはぎのこむすめは、いいました。 「あの子はマッフや、きれいな着物をあたいにくれて、晩にはいっしょにねるのだよ。」  こういって、その女の子は、もういちど、母親の耳をしたたかにかみました。それで、ばあさんはとびあがって、ぐるぐるまわりしました。おいはぎどもは、みんなわらって、 「見ろ、ばばあが、がきといっしょにおどっているからよ。」と、いいました。 「馬車の中へはいってみようや。」と、おいはぎのこむすめはいいました。  このむすめは、わんぱくにそだって、おまけにごうじょうっぱりでしたから、なんでもしたいとおもうことをしなければ、気がすみませんでした。それで、ゲルダとふたり馬車にのりこんで、きりかぶや、石のでている上を通って、林のおくへ、ふかくはいっていきました。おいはぎのこむすめは、ちょうどゲルダぐらいの大きさでしたが、ずっと、きつそうで、肩つきががっしりしていました。どす黒いはだをして、その目はまっ黒で、なんだかかなしそうに見えました。女の子は、ゲルダのこしのまわりに手をかけて、 「あたい、おまえとけんかしないうちは、あんなやつらに、おまえをころさせやしないことよ。おまえはどこかの王女じゃなくて。」と、いいました。 「いいえ、わたしは王女ではありません。」と、ゲルダはこたえて、いままでにあったできごとや、じぶんがどんなに、すきなカイちゃんのことを思っているか、ということなぞを話しました。  おいはぎのむすめは、しげしげとゲルダを見て、かるくうなずきながら、 「あたいは、おまえとけんかしたって、あのやつらに、おまえをころさせやしないよ。そんなくらいなら、あたい、じぶんでおまえをころしてしまうわ。」と、いいました。  それからむすめは、ゲルダの目をふいてやり、両手をうつくしいマッフにつけてみましたが、それはたいへん、ふっくりして、やわらかでした。  さあ、馬車はとまりました。そこはおいはぎのこもる、お城のひろ庭でした。その山塞は、上から下までひびだらけでした。そのずれたわれ目から、大がらす小がらすがとびまわっていました。大きなブルドッグが、あいてかまわず、にんげんでもくってしまいそうなようすで、高くとびあがりました。でも、けっしてほえませんでした。ほえることはとめられてあったからです。  大きな、煤けたひろまには、煙がもうもうしていて、たき火が、赤あかと石だたみのゆか上でもえていました。煙はてんじょうの下にたちまよって、どこからともなくでていきました。大きなおなべには、スープがにえたって、大うさぎ小うさぎが、あぶりぐしにさして、やかれていました。 「おまえは、こん夜は、あたいや、あたいのちいさなどうぶつといっしょにねるのよ。」と、おいはぎのこむすめがいいました。  ふたりはたべものと、のみものをもらうと、わらや、しきものがしいてある、へやのすみのほうへ行きました。その上には、百ぱよりも、もっとたくさんのはとが、ねむったように、木摺や、とまり木にとまっていましたが、ふたりの女の子がきたときには、ちょっとこちらをむきました。 「みんな、このはと、あたいのものなのよ。」と、おいはぎのこむすめはいって、てばやく、てぢかにいた一わをつかまえて、足をゆすぶったので、はとは、羽根をばたばたやりました。 「せっぷんしておやりよ。」と、いって、おいはぎのこむすめは、それを、ゲルダの顔になげつけました。 「あすこにとまっているのが、森のあばれものさ。」と、そのむすめは、かべにあけたあなに、うちこまれたとまり木を、ゆびさしながら、また話しつづけました。「あれは二わとも森のあばれものさ。しっかり、とじこめておかないと、すぐにげていってしまうの。ここにいるのが、昔からおともだちのベーよ。」  こういって、女の子は、ぴかぴかみがいた、銅のくびわをはめたままつながれている、一ぴきのとなかいを、つのをもってひきだしました。 「これも、しっかりつないでおかないと、にげていってしまうの。だから、あたいはね、まい晩よくきれるナイフで、くびのところをくすぐってやるんだよ。すると、それはびっくりするったらありゃしない。」  そういいながら、女の子はかべのわれめのところから、ながいナイフをとりだして、それをとなかいのくびにあてて、そろそろなでました。かわいそうに、そのけものは、足をどんどんやって、苦しがりました。むすめは、おもしろそうにわらって、それなりゲルダをつれて、ねどこに行きました。 「あなたはねているあいだ、ナイフをはなさないの。」と、ゲルダは、きみわるそうに、それをみました。 「わたい、しょっちゅうナイフをもっているよ。」と、おいはぎのこむすめはこたえました。 「なにがはじまるかわからないからね。それよか、もういちどカイちゃんって子の話をしてくれない、それから、どうしてこのひろい世界に、あてもなくでてきたのか、そのわけを話してくれないか。」  そこで、ゲルダははじめから、それをくりかえしました。森のはとが、頭の上のかごの中でくうくういっていました。ほかのはとはねむっていました。おいはぎのこむすめは、かた手をゲルダのくびにかけて、かた手にはナイフをもったまま、大いびきをかいてねてしまいました。けれども、ゲルダは、目をつぶることもできませんでした。ゲルダは、いったい、じぶんは生かしておかれるのか、ころされるのか、まるでわかりませんでした。  たき火のぐるりをかこんで、おいはぎたちは、お酒をのんだり、歌をうたったりしていました。そのなかで、ばあさんがとんぼをきりました。ちいさな女の子にとっては、そのありさまを見るだけで、こわいことでした。  そのとき、森のはとが、こういいました。 「くう、くう、わたしたち、カイちゃんを見ましたよ。一わの白いめんどりが、カイちゃんのそりをはこんでいました。カイちゃんは雪の女王のそりにのって、わたしたちが、巣にねていると、森のすぐ上を通っていったのですよ。雪の女王は、わたしたち子ばとに、つめたいいきをふきかけて、ころしてしまいました。たすかったのは、わたしたち二わだけ、くう、くう。」 「まあ、なにをそこでいってるの。」と、ゲルダが、つい大きなこえをしました。「その雪の女王さまは、どこへいったのでしょうね。そのさきのこと、なにかしっていて。おしえてよ。」 「たぶん、*ラップランドのほうへいったのでしょうよ。そこには、年中、氷や雪がありますからね。まあ、つながれている、となかいに、きいてごらんなさい。」 *ヨーロッパ洲の極北、スカンジナビア半島の北東部、四〇万平方キロ一帯の寒い土地。遊牧民のラップ人がすむ。  すると、となかいがひきとって、 「そこには年中、氷や雪があって、それはすばらしいみごとなものですよ。」といいました。 「そこでは大きな、きらきら光る谷まを、自由にはしりまわることができますし、雪の女王は、そこに夏のテントをもっています。でも女王のりっぱな本城は、もっと北極のほうの、*スピッツベルゲンという島の上にあるのです。」 *ノルウェーのはるか北、北極海にちかい小島群(一名スヴァルバルド)。 「ああ、カイちゃんは、すきなカイちゃんは。」と、ゲルダはためいきをつきました。 「しずかにしなよ。しないと、ナイフをからだにつきさすよ。」と、おいはぎのこむすめがいいました。  あさになって、ゲルダは、森のはとが話したことを、すっかりおいはぎのこむすめに話しました。するとむすめは、たいそうまじめになって、うなずきながら、 「まあいいや。どっちにしてもおなじことだ。」と、いいました。そして、 「おまえ、ラップランドって、どこにあるのかしってるのかい。」と、むすめは、となかいにたずねました。 「わたしほど、それをよくしっているものがございましょうか。」と、目をかがやかしながら、となかいがこたえました。「わたしはそこで生まれて、そだったのです。わたしはそこで、雪の野原を、はしりまわっていました。」 「ごらん。みんなでかけていってしまうだろう。おっかさんだけがうちにいる。おっかさんは、ずっとうちにのこっているのよ。でもおひるちかくなると、大きなびんからお酒をのんで、すこしのあいだ、ひるねするから、そのとき、おまえにいいことをしてあげようよ。」と、おいはぎのこむすめはゲルダにいいました。  それから女の子は、ぱんと、ねどこからはねおきて、おっかさんのくびのまわりにかじりついて、おっかさんのひげをひっぱりながら、こういいました。 「かわいい、めやぎさん、おはようございます。」  すると、おっかさんは、女の子のはなが赤くなったり紫色になったりするまで、ゆびではじきました。  でもこれは、かわいくてたまらない心からすることでした。  おっかさんが、びんのお酒をのんで、ねてしまったとき、おいはぎのこむすめは、となかいのところへいって、こういいました。 「わたしはもっと、なんべんも、なんべんも、ナイフでおまえを、くすぐってやりたいのだよ。だって、ずいぶんおかしいんだもの、でも、もういいさ。あたい、おまえがラップランドへ行けるように、つなをほどいてにがしてやろう。けれど、おまえはせっせとはしって、この子を、この子のおともだちのいる、雪の女王のごてんへ、つれていかなければいけないよ。おまえ、この子があたいに話していたこと、きいていたろう。とても大きなこえで話したし、おまえも耳をすまして、きいていたのだから。」  となかいはよろこんで、高くはねあがりました。その背中においはぎのこむすめは、ゲルダをのせてやりました。そして用心ぶかく、ゲルダをしっかりいわえつけて、その上、くらのかわりに、ちいさなふとんまで、しいてやりました。 「まあ、どうでもいいや。」と、こむすめはいいました。「そら、おまえの毛皮のながぐつだよ。だんだんさむくなるからね。マッフはきれいだからもらっておくわ。けれど、おまえにさむいおもいはさせないわ。ほら、おっかさんの大きなまる手ぶくろがある。おまえなら、ひじのところまで、ちょうどとどくだろう。まあ、これをはめると、おまえの手が、まるであたいのいやなおっかさんの手のようだよ。」と、むすめはいいました。  ゲルダは、もううれしくて、涙がこぼれました。 「泣くなんて、いやなことだね。」と、おいはぎのこむすめはいいました。「ほんとは、うれしいはずじゃないの。さあ、ここにふたつ、パンのかたまりと、ハムがあるわ。これだけあれば、ひもじいおもいはしないだろう。」  これらの品じなは、となかいの背中のうしろにいわえつけられました。おいはぎのむすめは戸をあけて、大きな犬をだまして、中にいれておいて、それから、よくきれるナイフでつなをきると、となかいにむかっていいました。 「さあ、はしって。そのかわり、その子に、よく気をつけてやってよ。」  そのとき、ゲルダは、大きなまる手ぶくろをはめた両手を、おいはぎのこむすめのほうにさしのばして、「さようなら。」といいました。  とたんに、となかいはかけだしました。木の根、岩かどをとびこえ、大きな森をつきぬけて、沼地や草原もかまわず、いっしょうけんめい、まっしぐらにはしっていきました。おおかみがほえ、わたりがらすがこえをたてました。ひゅッ、ひゅッ、空で、なにか音がしました。それはまるで花火があがったように。 「あれがわたしのなつかしい北極光です。」と、となかいがいいました。「ごらんなさい。なんてよく、かがやいているでしょう。」  それからとなかいは、ひるも夜も、前よりももっとはやくはしって行きました。  パンのかたまりもなくなりました。ハムもたべつくしました。となかいとゲルダとは、ラップランドにつきました。   第六のお話     ラップランドの女とフィンランドの女  ちいさな、そまつなこやの前で、となかいはとまりました。そのこやはたいそうみすぼらしくて、屋根は地面とすれすれのところまでも、おおいかぶさっていました。そして、戸口がたいそうひくくついているものですから、うちの人が出たり、はいったりするときには、はらばいになって、そこをくぐらなければなりませんでした。その家には、たったひとり年とったラップランドの女がいて、鯨油ランプのそばで、おさかなをやいていました。となかいはそのおばあさんに、ゲルダのことをすっかり話してきかせました。でも、その前にじぶんのことをまず話しました。となかいは、じぶんの話のほうが、ゲルダの話よりたいせつだとおもったからでした。  ゲルダはさむさに、ひどくやられていて、口をきくことができませんでした。 「やれやれ、それはかわいそうに。」と、ラップランドの女はいいました。「おまえたちはまだまだ、ずいぶんとおくはしって行かなければならないよ。百マイル以上も北の*フィンマルケンのおくふかくはいらなければならないのだよ。雪の女王はそこにいて、まい晩、青い光を出す花火をもやしているのさ。わたしは紙をもっていないから、干鱈のうえに、てがみをかいてあげよう。これをフィンランドの女のところへもっておいで。その女のほうが、わたしよりもくわしく、なんでも教えてくれるだろうからね。」 *ノルウェーの北端、最低地方。  さてゲルダのからだもあたたまり、たべものやのみものでげんきをつけてもらったとき、ラップランドの女は、干鱈に、ふたことみこと、もんくをかきつけて、それをたいせつにもっていくように、といってだしました。ゲルダは、またとなかいにいわえつけられてでかけました。ひゅッひゅッ、空の上でまたいいました。ひと晩中、この上もなくうつくしい青色をした、極光がもえていました。――さて、こうして、となかいとゲルダとは、フィンマルケンにつきました。そして、フィンランドの女の家のえんとつを、こつこつたたきました。だってその家には、戸口もついていませんでした。  家の中は、たいへんあついので、その女の人は、まるではだか同様でした。せいのひくいむさくるしいようすの女でした。女はすぐに、ゲルダの着物や、手ぶくろや、ながぐつをぬがせました。そうしなければ、とてもあつくて、そこにはいられなかったからです。それから、となかいのあたまの上に、ひとかけ、氷のかたまりを、のせてやりました。そして、ひだらにかきつけてあるもんくを、三べんもくりかえしてよみました。そしてすっかりおぼえこんでしまうと、スープをこしらえる大なべの中へ、たらをなげこみました。そのたらはたべることができたからで、この女の人は、けっしてどんなものでも、むだにはしませんでした。  さて、となかいは、まずじぶんのことを話して、それからゲルダのことを話しました。するとフィンランドの女は、そのりこうそうな目をしばたたいただけで、なにもいいませんでした。 「あなたは、たいそう、かしこくていらっしゃいますね。」と、となかいは、いいました。「わたしはあなたが、いっぽんのより糸で、世界中の風をつなぐことがおできになると、きいております。もしも舟のりが、そのいちばんはじめのむすびめをほどくなら、つごうのいい追風がふきます。二ばんめのむすびめだったら、つよい風がふきます。三ばんめと四ばんめをほどくなら、森ごとふきたおすほどのあらしがふきすさみます。どうか、このむすめさんに、十二人りきがついて、しゅびよく雪の女王にかてますよう、のみものをひとつ、つくってやっていただけませんか。」 「十二人りきかい。さぞ役にたつだろうよ。」と、フィンランドの女はくりかえしていいました。  それから女の人は、たなのところへいって、大きな毛皮のまいたものをもってきてひろげました。それには、ふしぎなもんじがかいてありましたが、フィンランドの女は、ひたいから、あせがたれるまで、それをよみかえしました。  でも、となかいは、かわいいゲルダのために、またいっしょうけんめい、その女の人にたのみました。ゲルダも目に涙をいっぱいためて、おがむように、フィンランドの女を見あげました。女はまた目をしばたたきはじめました。そして、となかいをすみのほうへつれていって、そのあたまにあたらしい氷をのせてやりながら、こうつぶやきました。 「カイって子は、ほんとうに雪の女王のお城にいるのだよ。そして、そこにあるものはなんでも気にいってしまって、世界にこんないいところはないとおもっているんだよ。けれどそれというのも、あれの目のなかには、鏡のかけらがはいっているし、しんぞうのなかにだって、ちいさなかけらがはいっているからなのだよ。だからそんなものを、カイからとりだしてしまわないうちは、あれはけっしてまにんげんになることはできないし、いつまでも雪の女王のいうなりになっていることだろうよ。」 「では、どんなものにも、うちかつことのできる力になるようなものを、ゲルダちゃんにくださるわけにはいかないでしょうか。」 「このむすめに、うまれついてもっている力よりも、大きな力をさずけることは、わたしにはできないことなのだよ。まあ、それはおまえさんにも、あのむすめがいまもっている力が、どんなに大きな力だかわかるだろう。ごらん、どんなにして、いろいろと人間やどうぶつが、あのむすめひとりのためにしてやっているか、どんなにして、はだしのくせに、あのむすめがよくもこんなとおくまでやってこられたか。それだもの、あのむすめは、わたしたちから、力をえようとしてもだめなのだよ。それはあのむすめの心のなかにあるのだよ。それがかわいいむじゃきなこどもだというところにあるのだよ。もし、あのむすめが、自分で雪の女王のところへ、でかけていって、カイからガラスのかけらをとりだすことができないようなら、まして、わたしたちの力におよばないことさ。もうここから二マイルばかりで、雪の女王のお庭の入口になるから、おまえはそこまで、あの女の子をはこんでいって、雪の中で、赤い実をつけてしげっている、大きな木やぶのところに、おろしてくるがいい。それで、もうよけいな口をきかないで、さっさとかえっておいで。」  こういって、フィンランドの女は、ゲルダを、となかいのせなかにのせました。そこで、となかいは、ぜんそくりょくで、はしりだしました。 「ああ、あたしは、長ぐつをおいてきたわ。手ぶくろもおいてきてしまった。」と、ゲルダはさけびました。  とたんに、ゲルダは身をきるようなさむさをかんじました。でも、となかいはけっしてとまろうとはしませんでした。それは赤い実のなった木やぶのところへくるまで、いっさんばしりに、はしりつづけました。そして、そこでゲルダをおろして、くちのところにせっぷんしました。  大つぶの涙が、となかいの頬を流れました。それから、となかいはまた、いっさんばしりに、はしっていってしまいました。かわいそうに、ゲルダは、くつもはかず、手ぶくろもはめずに、氷にとじられた、さびしいフィンマルケンのまっただなかに、ひとりとりのこされて立っていました。  ゲルダは、いっしょうけんめいかけだしました。すると、雪の大軍が、むこうからおしよせてきました。  けれど、その雪は、空からふってくるのではありません。空は極光にてらされて、きらきらかがやいていました。雪は地面の上をまっすぐに走ってきて、ちかくにくればくるほど、形が大きくなりました。ゲルダは、いつか虫めがねでのぞいたとき、雪のひとひらがどんなにか大きくみえたことを、まだおぼえていました。けれども、ここの雪はほんとうに、ずっと大きく、ずっとおそろしくみえました。この雪は生きていました。それは雪の女王の前哨でした。そして、ずいぶんへんてこな形をしていました。大きくてみにくい、やまあらしのようなものもいれば、かまくびをもたげて、とぐろをまいているへびのようなかっこうのもあり、毛のさかさにはえた、ふとった小ぐまににたものもありました。それはみんなまぶしいように、ぎらぎら白くひかりました。これこそ生きた雪の大軍でした。  そこでゲルダは、いつもの主の祈の「われらの父」をとなえました。さむさはとてもひどくて、ゲルダはじぶんのつくいきを見ることができました。それは、口からけむりのようにたちのぼりました。そのいきはだんだんこくなって、やがてちいさい、きゃしゃな天使になりました。それが地びたにつくといっしょに、どんどん大きくなりました。天使たちはみな、かしらにはかぶとをいただき、手には楯とやりをもっていました。天使の数はだんだんふえるばかりでした。そして、ゲルダが主のおいのりをおわったときには、りっぱな天使軍の一たいが、ゲルダのぐるりをとりまいていました。天使たちはやりをふるって、おそろしい雪のへいたいをうちたおすと、みんなちりぢりになってしまいました。そこでゲルダは、ゆうきをだして、げんきよく進んで行くことができました。天使たちは、ゲルダの手と足とをさすりました。するとゲルダは、前ほどさむさを感じなくなって、雪の女王のお城をめがけていそぎました。  ところで、カイは、あののち、どうしていたでしょう。それからまずお話をすすめましょう。カイは、まるでゲルダのことなど、おもってはいませんでした。だから、ゲルダが、雪の女王のごてんまできているなんて、どうして、ゆめにもおもわないことでした。  第七のお話    雪の女王のお城でのできごとと そののちのお話  雪の女王のお城は、はげしくふきたまる雪が、そのままかべになり、窓や戸口は、身をきるような風で、できていました。そこには、百いじょうの広間が、じゅんにならんでいました。それはみんな雪のふきたまったものでした。いちばん大きな広間はなんマイルにもわたっていました。つよい極光がこの広間をもてらしていて、それはただもう、ばか大きく、がらんとしていて、いかにも氷のようにつめたく、ぎらぎらして見えました。たのしみというものの、まるでないところでした。あらしが音楽をかなでて、ほっきょくぐまがあと足で立ちあがって、気どっておどるダンスの会もみられません。わかい白ぎつねの貴婦人のあいだに、ささやかなお茶の会がひらかれることもありません。雪の女王の広間は、ただもうがらんとして、だだっぴろく、そしてさむいばかりでした。極光のもえるのは、まことにきそく正しいので、いつがいちばん高いか、いつがいちばんひくいか、はっきり見ることができました。このはてしなく大きながらんとした雪の広間のまん中に、なん千万という数のかけらにわれてこおった、みずうみがありました。われたかけらは、ひとつひとつおなじ形をして、これがあつまって、りっぱな美術品になっていました。このみずうみのまん中に、お城にいるとき、雪の女王はすわっていました。そしてじぶんは理性の鏡のなかにすわっているのだ、この鏡ほどのものは、世界中さがしてもない、といっていました。  カイはここにいて、さむさのため、まっ青に、というよりは、うす黒くなっていました。それでいて、カイはさむさを感じませんでした。というよりは、雪の女王がせっぷんして、カイのからだから、さむさをすいとってしまったからです。そしてカイのしんぞうは、氷のようになっていました。カイは、たいらな、いく枚かのうすい氷の板を、あっちこっちからはこんできて、いろいろにそれをくみあわせて、なにかつくろうとしていました。まるでわたしたちが、むずかしい漢字をくみ合わせるようでした。カイも、この上なく手のこんだ、みごとな形をつくりあげました。それは氷のちえあそびでした。カイの目には、これらのものの形はこのうえなくりっぱな、この世の中で一ばんたいせつなもののようにみえました。それはカイの目にささった鏡のかけらのせいでした。カイは、形でひとつのことばをかきあらわそうとおもって、のこらずの氷の板をならべてみましたが、自分があらわしたいとおもうことば、すなわち、「永遠」ということばを、どうしてもつくりだすことはできませんでした。でも、女王はいっていました。 「もしおまえに、その形をつくることがわかれば、からだも自由になるよ。そうしたら、わたしは世界ぜんたいと、あたらしいそりぐつを、いっそくあげよう。」  けれども、カイには、それができませんでした。 「これから、わたしは、あたたかい国を、ざっとひとまわりしてこよう。」と、雪の女王はいいました。「ついでにそこの黒なべをのぞいてくる。」黒なべというのは、*エトナとかヴェスヴィオとか、いろんな名の、火をはく山のことでした。「わたしはすこしばかり、それを白くしてやろう。ぶどうやレモンをおいしくするためにいいそうだから。」 *エトナはイタリア半島の南シシリー島の火山。ヴェスヴィオはおなじくナポリ市の東方にある火山。  こういって、雪の女王は、とんでいってしまいました。そしてカイは、たったひとりぼっちで、なんマイルというひろさのある、氷の大広間のなかで、氷の板を見つめて、じっと考えこんでいました。もう、こちこちになって、おなかのなかの氷が、みしりみしりいうかとおもうほど、じっとうごかずにいました。それをみたら、たれも、カイはこおりついたなり、死んでしまったのだとおもったかもしれません。  ちょうどそのとき、ゲルダは大きな門を通って、その大広間にはいってきました。そこには、身をきるような風が、ふきすさんでいましたが、ゲルダが、ゆうべのおいのりをあげると、ねむったように、しずかになってしまいました。そして、ゲルダは、いくつも、いくつも、さむい、がらんとしたひろまをぬけて、――とうとう、カイをみつけました。ゲルダは、カイをおぼえていました。で、いきなりカイのくびすじにとびついて、しっかりだきしめながら、 「カイ、すきなカイ。ああ、あたしとうとう、みつけたわ。」と、さけびました。  けれども、カイは身ゆるぎもしずに、じっとしゃちほこばったなり、つめたくなっていました。そこで、ゲルダは、あつい涙を流して泣きました。それはカイのむねの上におちて、しんぞうのなかにまで、しみこんで行きました。そこにたまった氷をとかして、しんぞうの中の、鏡のかけらをなくなしてしまいました。カイは、ゲルダをみました。ゲルダはうたいました。 ばらのはな さきてはちりぬ おさな子エス やがてあおがん  すると、カイはわっと泣きだしました。カイが、あまりひどく泣いたものですから、ガラスのとげが、目からぽろりとぬけてでてしまいました。すぐとカイは、ゲルダがわかりました。そして、大よろこびで、こえをあげました。 「やあ、ゲルダちゃん、すきなゲルダちゃん。――いままでどこへいってたの、そしてまた、ぼくはどこにいたんだろう。」こういって、カイは、そこらをみまわしました。「ここは、ずいぶんさむいんだなあ。なんて大きくて、がらんとしているんだろうなあ。」  こういって、カイは、ゲルダに、ひしととりつきました。ゲルダは、うれしまぎれに、泣いたり、わらったりしました。それがあまりたのしそうなので、氷の板きれまでが、はしゃいでおどりだしました。そして、おどりつかれてたおれてしまいました。そのたおれた形が、ひとりでに、ことばをつづっていました。それは、もしカイに、そのことばがつづれたら、カイは自由になれるし、そしてあたらしいそりぐつと、のこらずの世界をやろうと、雪の女王がいった、そのことばでした。  ゲルダは、カイのほおにせっぷんしました。みるみるそれはぽおっと赤くなりました。それからカイの目にもせっぷんしました。すると、それはゲルダの目のように、かがやきだしました。カイの手だの足だのにもせっぷんしました。これで、しっかりしてげんきになりました。もうこうなれば、雪の女王がかえってきても、かまいません。だって、女王が、それができればゆるしてやるといったことばが、ぴかぴかひかる氷のもんじで、はっきりとそこにかかれていたからです。  さて、そこでふたりは手をとりあって、その大きなお城からそとへでました。そして、うちのおばあさんの話だの、屋根の上のばらのことなどを、語りあいました。ふたりが行くさきざきには、風もふかず、お日さまの光がかがやきだしました。そして、赤い実のなった、あの木やぶのあるところにきたとき、そこにもう、となかいがいて、ふたりをまっていました。そのとなかいは、もう一ぴきのわかいとなかいをつれていました。そして、このわかいほうは、ふくれた乳ぶさからふたりのこどもたちに、あたたかいおちちを出してのませてくれて、そのくちの上にせっぷんしました。それから二ひきのとなかいは、カイとゲルダをのせて、まずフィンランドの女のところへ行きました。そこでふたりは、あのあついへやで、じゅうぶんからだをあたためて、うちへかえる道をおしえてもらいました。それからこんどは、ラップランドの女のところへいきました。その女は、ふたりにあたらしい着物をつくってくれたり、そりをそろえてくれたりしました。  となかいと、もう一ぴきのとなかいとは、それなり、ふたりのそりについてはしって、国境までおくってきてくれました。そこでは、はじめて草の緑がもえだしていました。カイとゲルダとは、ここで、二ひきのとなかいと、ラップランドの女とにわかれました。 「さようなら。」と、みんなはいいました。そして、はじめて、小鳥がさえずりだしました。森には、緑の草の芽が、いっぱいにふいていました。  その森の中から、うつくしい馬にのった、わかいむすめが、赤いぴかぴかするぼうしをかぶり、くらにピストルを二ちょうさして、こちらにやってきました。ゲルダはその馬をしっていました。(それは、ゲルダの金の馬車をひっぱった馬であったからです。)そして、このむすめは、れいのおいはぎのこむすめでした。この女の子は、もう、うちにいるのがいやになって、北の国のほうへいってみたいとおもっていました。そしてもし、北の国が気にいらなかったら、どこかほかの国へいってみたいとおもっていました。このむすめは、すぐにゲルダに気がつきました。ゲルダもまた、このむすめをみつけました。そして、もういちどあえたことを、心からよろこびました。 「おまえさん、ぶらつきやのほうでは、たいしたおやぶんさんだよ。」と、そのむすめは、カイにいいました。「おまえさんのために、世界のはてまでもさがしにいってやるだけのねうちが、いったい、あったのかしら。」  けれども、ゲルダは、そのむすめのほおを、かるくさすりながら、王子と王女とは、あののちどうなったかとききました。 「あの人たちは、外国へいってしまったのさ。」と、おいはぎのこむすめがこたえました。 「それで、からすはどうして。」と、ゲルダはたずねました。 「ああ、からすは死んでしまったよ。」と、むすめがいいました。「それでさ、おかみさんがらすも、やもめになって、黒い毛糸の喪章を足につけてね、ないてばかりいるっていうけれど、うわさだけだろう。さあ、こんどは、あれからどんな旅をしたか、どうしてカイちゃんをつかまえたか、話しておくれ。」  そこで、カイとゲルダとは、かわりあって、のこらずの話をしました。 「そこで、よろしく、ちんがらもんがらか、でも、まあうまくいって、よかったわ。」と、むすめはいいました。  そして、ふたりの手をとって、もしふたりのすんでいる町を通ることがあったら、きっとたずねようと、やくそくしました。それから、むすめは馬をとばして、ひろい世界へでて行きました。でも、カイとゲルダとは、手をとりあって、あるいていきました。いくほど、そこらが春めいてきて、花がさいて、青葉がしげりました。お寺の鐘がきこえて、おなじみの高い塔と、大きな町が見えてきました。それこそ、ふたりがすんでいた町でした。そこでふたりは、おばあさまの家の戸口へいって、かいだんをあがって、へやへはいりました。そこではなにもかも、せんとかわっていませんでした。柱どけいが「カッチンカッチン」いって、針がまわっていました。けれど、その戸口をはいるとき、じぶんたちが、いつかもうおとなになっていることに気がつきました。おもての屋根のといの上では、ばらの花がさいて、ひらいた窓から、うちのなかをのぞきこんでいました。そしてそこには、こどものいすがおいてありました。カイとゲルダとは、めいめいのいすにこしをかけて、手をにぎりあいました。ふたりはもう、あの雪の女王のお城のさむい、がらんとした、そうごんなけしきを、ただぼんやりと、おもくるしい夢のようにおもっていました。おばあさまは、神さまの、うららかなお日さまの光をあびながら、「なんじら、もし、おさなごのごとくならずば、天国にいることをえじ。」と、高らかに聖書の一せつをよんでいました。  カイとゲルダとは、おたがいに、目と目を見あわせました。そして、 ばらのはな さきてはちりぬ おさな子エスやがてあおがん というさんび歌のいみが、にわかにはっきりとわかってきました。  こうしてふたりは、からだこそ大きくなっても、やはりこどもで、心だけはこどものままで、そこにこしをかけていました。  ちょうど夏でした。あたたかい、みめぐみあふれる夏でした。
底本:「新訳アンデルセン童話集 第二巻」同和春秋社    1955(昭和30)年7月15日初版発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 ※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のあるページの下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。 ※見出しの字下げは底本通りとしました。 入力:大久保ゆう 校正:鈴木厚司 2005年11月22日作成 2014年3月27日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "042387", "作品名": "雪の女王", "作品名読み": "ゆきのじょおう", "ソート用読み": "ゆきのしよおう", "副題": "七つのお話でできているおとぎ物語", "副題読み": "ななつのおはなしでできているおとぎものがたり", "原題": "SNEDRONNINGEN", "初出": "", "分類番号": "NDC K949", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2005-12-25T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/card42387.html", "人物ID": "000019", "姓": "アンデルセン", "名": "ハンス・クリスチャン", "姓読み": "アンデルセン", "名読み": "ハンス・クリスチャン", "姓読みソート用": "あんてるせん", "名読みソート用": "はんすくりすちやん", "姓ローマ字": "Andersen", "名ローマ字": "Hans Christian", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1805-04-02", "没年月日": "1875-08-04", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "新訳アンデルセン童話集 第二巻", "底本出版社名1": "同和春秋社", "底本初版発行年1": "1955(昭和30)年7月15日", "入力に使用した版1": "1955(昭和30)年7月15日初版", "校正に使用した版1": " ", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "大久保ゆう", "校正者": "鈴木厚司", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/42387_ruby_20531.zip", "テキストファイル最終更新日": "2014-03-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/42387_20568.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2014-03-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
 むかしむかし、心の高ぶった、わるい王さまがいました。この王さまは、わしの力で、世界じゅうの国々をせいふくしてやろう、わしの名前を聞いただけで、あらゆる人間をふるえあがらせてやりたいものだ、と、こんなことばかり考えていました。  王さまは、火と刀を持って、国から国へと進んで行きました。王さまの兵隊たちは、畑の穀物をふみにじり、農家に火をつけました。赤いほのおは、めらめらと燃えあがって、木々の葉を焼きはらいました。あとには、まっ黒こげの枝に、焼けた木の実が、ぶらさがっているばかりでした。  かわいそうに、おかあさんたちは、生れたばかりの、はだかの赤んぼうをかかえて、まだ、ぶすぶすと煙のあがっている、かべのかげにかくれました。ところが、兵隊たちは、すみからすみまで、さがしまわりました。うまく、おかあさんと子供を見つけると、まるで悪魔のように、よろこびました。どんなにわるい悪魔でも、これ以上にひどいことはできなかったでしょう。ところが、王さまときたら、こんなことをしても、あたりまえのことのように平気でいるのでした。  王さまの力は、一日、一日と、強くなりました。王さまの名前を耳にすると、だれもかれもが、ふるえあがりました。王さまのすることは、いつもうまくいきました。占領した町からは、黄金や、たくさんの宝物を、持ってかえってきました。王さまの都には、世界じゅうの宝が、山と積みあげられました。これほどの宝は、どんな都にも見られません。  王さまは、りっぱなお城や、お寺や、アーケードなどを、つぎからつぎへと、たてさせました。そのすばらしいありさまを見た人たちは、みんな口をそろえて、 「なんという、えらい王さまだ」と、ほめそやしました。  もちろん、こういう人たちは、よその国の人たちの受けている、苦しみのことなどは、考えてもみませんでした。焼きはらわれた町から聞えてくるため息や、なげき悲しむ声には、耳をもかたむけなかったのです。  王さまは、黄金の山をながめ、りっぱな建物をながめました。そのたびに、大ぜいの人たちと同じように、こう思いました。 「わしは、なんというえらい王さまだ。しかし、もっともっと、手に入れねばならん。もっともっと、いろいろなものを! わしと同じ力を持っているものが、あってはならん。まして、わし以上の力を持っているものが、あってはならん!」  そこで、またもや、となり近所の国々に、戦争をしかけました。どの国をも、かたっぱしから、せいふくしていきました。王さまは、まけた国の王さまたちを、金のくさりでしばって、自分の車にゆわえつけました。こうして王さまは、町じゅうを、ふんぞりかえって乗りまわしたのです。そればかりではありません。食事のときには、王さまや、おつきの家来たちの足もとに、まけた国の王さまたちを、はわせておきました。そして、パンくずを投げてやっては、それを食べさせたのです。  王さまは、自分の像を、広場や、お城の中に、たてさせました。でも、それだけでは、まだたりません。こんどは、お寺の中の、神さまの聖壇の前にも、たてさせようとしました。けれども、坊さんたちはいいました。 「王さま。あなたは、えらいお方です。しかし、神さまは、もっとおえらいのです。こればかりは、わたしたちにはできません」 「よろしい」と、わるい王さまは言いました。「それでは、わしは、神さまをもせいふくしよう」  こう言うと、心のおごった、ばかな王さまは、空を飛んでいくことのできる、一そうの船を作らせました。その船は、クジャクの尾のように、美しい色をしていました。そして、何千という、目のようなものを持っていました。ところが、その目というのは、じつは、鉄砲をうつための、穴だったのです。  王さまは、船のまんなかにすわって、ただ、ばねを押しさえすればよかったのです。そうすれば、何千というたまが、いっせいに、とび出すしかけになっていたのです。しかも、そのあとには、すぐまた、あたらしいたまが、こめられるようになっていました。  強いワシが、何百羽も、船の前に結びつけられました。いよいよ、船はお日さまめがけて、飛びあがりました。地球は、たちまち、ずっと下のほうになりました。さいしょのうちは、山や森のあるところは、すきおこされた、畑のように見えました。ちょうど、みどり色の草が、ほりかえされた芝土から、頭を出しているようなぐあいです。それから、ひらたい地図みたいになって、やがて、霧と雲の中に、すっかりかくれてしまいました。  ワシたちは、なおもぐんぐん高く、飛んでいきました。  いっぽう、神さまは、かぞえきれないほどたくさんいる天使たちの中から、たったひとりの天使を、おくってよこされました。すると、わるい王さまは、その天使めがけて、何千というたまを、うち出しました。たまは、天使にあたりました。けれども、天使のかがやくつばさにあたったとたん、はねかえって、雨あられのように落ちてきました。そのとき、天使の白いつばさから、血が一しずく、たった一しずく、したたりました。その一しずくの血は、王さまのすわっている、船の上に落ちました。  と、どうでしょう。その血は、火のかたまりのようになりました。しかも、何千キログラムもある、おもたいなまりのようになって、船をおさえつけました。船は、ものすごい速さで、地球めがけて落ちていきました。ワシたちの強いつばさも、うちくだかれてしまいました。  風は、王さまの頭のまわりを、ヒューヒュー、吹きまくりました。雲がむくむくと、まわりにわきあがってきました。しかも、それは、焼きはらわれた町々から、立ちのぼる煙があつまって、できた雲なのです。雲は、いろんな、おそろしい形になりました。何マイルもありそうな、大きなカニの形になって、ものすごいはさみを、王さまのほうへのばしてきます。そうかと思うと、いまにもころがってきそうな岩の形になったり、火をはくリュウの形になったりするのです。  王さまは、はんぶん、死んだようになって、船の中にたおれてしまいました。とうとう、船は、深い森の中に落ちて、しげった木の枝にひっかかりました。 「わしは、神さまをせいふくするのだ」と、王さまは言いました。「前に、そうちかった。いったんちかったことは、かならずやりとげてみせる」  王さまは、今度は、七年もかかって、空を飛ぶための船を作らせました。それから、いちばんかたいはがねで、いなずまをきたえさせました。これで、天国のお城のかべを、うちやぶろうと思ったのです。それから、せいふくした国々から、たくさんの兵隊をかりあつめました。ものすごい、大軍隊が、できあがりました。なにしろ、兵隊がひとりひとりならべば、二、三マイル四方の場所が、兵隊でうずまってしまったのですからね。  まず、大軍隊が、船に乗りこみました。王さまも、自分の船に乗ろうとして、船のそばへあゆみよりました。と、とつぜん、神さまは、ハチのむれを、王さまのところへ、おくってよこされました。といっても、ほんの小さなハチのむれです。ハチたちは、王さまのまわりをブンブン飛びまわって、顔といわず、手といわず、めちゃめちゃに、さしました。  王さまは、かんかんにおこって、刀を引きぬきました。しかし刀をうちふるっても、空を切るばかりで、ハチたちにはすこしもあたりません。そこで、王さまは、 「上等のじゅうたんを持ってこい。わしのからだに、まきつけるんだ」と、家来に言いつけました。じゅうたんを、からだにまいていれば、いくらハチでも、針をつきさすことはできまい、と思ったのです。  家来は、言いつけられたとおりにしました。ところが、一ぴきだけ、じゅうたんのうちがわにとまっていた、ハチがいました。そのハチが、王さまの耳の中にはいこんで、ちくりとさしたのです。と、たちまち、王さまの耳は、火のようにあつくなりました。毒は、頭の中にまではいりこみました。  王さまは、身をもがいて、じゅうたんをふりすてました。着物までも、ひきさきました。やばんで、らんぼうな兵隊たちの前で、王さまは、はだかのまま、踊りまわりました。  兵隊たちは、気が狂った王さまをばかにして、げらげら笑いころげました。なにしろ、神さまの国をせめようとして、たった一ぴきの、小さなハチのために、あっというまに、やっつけられてしまったんですからね。
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2021年5月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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三両のやせ馬 「馬がほしい、馬がほしい、武士が戦場で、功名するのはただ馬だ。馬ひとつにある。ああ馬がほしい」  川音清兵衛はねごとのように、馬がほしいといいつづけたが、身分は低く、年は若く、それに父の残した借金のために、ひどく貧乏だったので、馬を買うことは、思いもおよばなかった。清兵衛は、毛利輝元の重臣宍戸備前守の家来である。  かれはなぜそんなに馬をほしがったか。それというのは、豊臣秀吉がここ二、三年のうちに、朝鮮征伐を実行するらしかったので、もしそうなると、清兵衛もむろん毛利輝元について出陣せねばならぬ。そのとき、テクテク徒歩で戦場をかけめぐることは、武士たるものの名誉にかかわる、まことに不面目な話だからである。そこで、ひどい工面をして、やっと三両の金をこしらえた清兵衛は、いそいそと、領内の牧場へ馬を買いに出かけた。二、三日たって、かれがひいてかえったのは、まるで、生まれてから一度も物を食ったことがないのかと思うような、ひどいやせ馬だった。  清兵衛は、うれしくてたまらない様子で、これに朝月という名をつけ、もとより、うまやなどなかったので、かたむいた家の玄関に、屋根をさしかけて、そこをこの朝月の小屋にした。友人たちは、骨と皮ばかりの馬を、清兵衛が買ってきたのでおどろいた。 「これは、朝月でなくて、やせ月だ」  そして、 「清兵衛、この名馬はどこで手に入れた」と、からかい半分にきいたりしようものなら、 「ほう、おぬしにもこれが名馬だとわかるか」  清兵衛は得意になって、朝月を見つけた話をきかせたうえ、 「これが三両で手にはいったのだ、たった三両だよ」とつけくわえる。  その様子があまりまじめなので、あきれかえった友だちは、しまいには、ひやかすのをやめたが、いつしか三両でやせ馬を買ったというところから「三両清兵衛」のあだなをつけられてしまった。  清兵衛は、そんなことにはすこしもかまわず、自分は食うものも、食わないようにして、馬にだけ大豆や、大麦などのごちそうを食わせた。朝月は主人清兵衛の心がよくわかったとみえ、そのいうことをききわけた。そして、しだいに肥え太ってきた。このことが、宍戸備前守の耳に入ると、 「清兵衛のような貧乏な者が、馬をもとめたとは、あっぱれな心がけ、武士はそうありたいものだ」  と、さっそくおほめのことばとともに、金五十両をあたえられた。  清兵衛は、この金を頂戴すると、第一に新しいうまやを建てた。そして、自分のすむ家は、屋根がやぶれて雨もりがするので、新築のうまやのすみに、三畳敷きばかりの部屋を作らせて、 「朝月、今日から貴様のところへやっかいになるぞ、よろしくたのむて」  と、ふとんも机も、鎧びつまでもここへもちこんできて、馬糞の臭いのプンプンする中に、平気で毎日毎日寝起きしていた。 「三両清兵衛は、馬のいそうろうになったぞ」  友人たちは笑った。清兵衛はあいかわらず平気なもの。 「朝月。いまに貴様とふたりで、笑ったやつを笑いかえしてやる働きをしてやろうな。そのときにはたのむぞ」 「ウマクやりますとも、ひ、ひん!」  まさかそんなことはいわなかったが、清兵衛のことばがわかったと見えて、朝月は首をたれた。清兵衛は一生懸命になって、朝月を養ったので、その翌年には見ちがえるような駿馬になった。 「おや、おや、あのばけもの馬がりっぱな馬になったぞ」 「さすがに清兵衛は馬を見る目がある。あのやせ馬があんなすばらしいものになろうとは、思えなかった」 「いや、あれほど心を入れて飼えば、駄馬でも名馬にならずにはいまい」  昨日まで笑っていた友だちは、朝月の駿馬ぶりを見て、心からかんぷくしてしまったのであった。 夜うちを知っていななく朝月  このときである。  うわさの朝鮮征伐が、いよいよ事実となってあらわれた。加藤清正、小西行長、毛利輝元らが、朝鮮北方さして、進軍しているうちに冬となった。北朝鮮の寒さには、さすがの日本軍もなやまされ、春の雪どけまで、蔚山に城をきずいて籠城することになった。加藤清正、浅野幸長、それに毛利勢の部将宍戸備前守らがいっしょである。  清兵衛が、残念でたまらなかったのは、まだ一度も、よき敵の首をとらず籠城することであったが、こればかりはどうすることもできなかった。 「朝月、残念だなア」  馬の平首をたたいてなげきながら、毎日備前守受け持ちの工事場へ出て、人夫のさしずをしていた。  城がどうやらできあがったころ、明軍十四万の大兵が京城に到着し、この蔚山城をひともみに、もみ落とそうと軍議していることがわかった。  十二月二十二日の夜半である。蔚山城のうまやの中でも、あいかわらず、清兵衛は愛馬朝月といっしょに、わらの中にもぐってねむっていると、どうしたことか、にわかに朝月が一声いなないて、そこにおいてあった鞍をくわえた。 「どうしたのじゃ朝月、寒いのか」  清兵衛は、そのはなづらをなでていった。うまやの外の広場には、下弦の月が雪を銀に照らしていた。そこにあったむしろを背へかけてやろうとすると、朝月はそれをはね落として、鞍をぐいぐいとひいた。なにか事変の起こるのを感じたらしい様子である。 「おお、そうか、なにか貴様は感じたのだなア」  清兵衛が、朝月に鞍をつけると、静かになったので、 「ははあ、こりゃ、明兵が夜討ちをかけるのを、こいつ、さとったのだな、りこうなやつだ。よし、殿に申しあげよう」  と気がついて、清兵衛は、あたふたと、備前守の寝所の外の戸のところへ立って、 「川音清兵衛、殿にまで申しあげます。拙者の乗馬朝月が、こよい異様にさわぎまして、鞍をかみます。そこで、鞍をつけてやりますと、静かにあいなりました。察するに、なにか異変のあるしらせかとぞんじます」  と、どなった。 「よくぞ知らせた。たったいま軍奉行より、明軍は、すでに三里さきまでおし寄せてまいった、防戦のしたくせよ、と通知がまいったところであった。それを早くもさとったとは、さすがに三両で買った名馬、あっぱれ物の役に立つぞ。清兵衛、そちは急ぎ陣中に防戦のしたくいたせと、どなって歩け」 「はっ」  朝月をほめられて、清兵衛は、うれしくてたまらない。陣中を大声でどなり、眠っている者を起こして歩いて、うまやにかけもどるなり、朝月の平首へかじりつくようにして、 「おい、よく知らせてくれた。やっぱり明兵が、夜討ちをかけるらしいのだ。殿から貴様はほめられたぞ」  清兵衛は、自分のほめられたより、うれしくてならなかった。そして、その鞍の上にひらりと打ちまたがって塀の方へゆくと、月下に鎧の袖をならす味方が、黒々と集まって静まりかえっている。 すわこそ、主君あやうし!  夜明けに間もなかった。月がすッと山のかなたに落ちていったと思うと、林や谷のあたりから、天地もくずれるばかりのときの声が上がって、金鼓、銅鑼の音がとどろきわたった。明軍は月の入りを待っていたのである。うしおのように、柵の外までおしよせてくると、待ちかまえていた日本軍――浅野幸長、太田飛騨守、宍戸備前守以下、各将のひきいる二万の軍兵は、城門サッとおしひらき、まっしぐらに突撃した。不意をおそうつもりだった明軍は、かえって日本軍に不意をうたれたかたちで、 「これは――」  とばかり、おどろきあわて、見ぐるしくも七、八町みだれしりぞき、清水という川のところでやっとふみとどまった。  川音清兵衛、今日こそ手柄をたてんものと、いつも先陣に馬をかけさせていたが、このときうしろの小高い山かげから、ど、ど、どと、山くずれのような地ひびき立てて、大将軍刑玠の指揮する数万の明兵が、昇天の竜の黒雲をまくように、土けむりを立てて、まっさか落としに攻めくだってきた。 「さては伏兵、急ぎ城へ引っ返せ!」  城中から、清正の使者がとんできたときには、日本軍はまったくうしろを断たれ、君臣たがいに散り散りになって、生死も知らぬありさまだった。宍戸備前守は、わずかに八人に守られて、もう討ち死にの覚悟で戦っている。そこへ、かけつけたのは清兵衛で、大声にさけんだ。 「殿、早々、御城へお退きなされませ。拙者と朝月が先登つかまつります。朝月、一期の大事、たのむぞ」  ぴしっと一むちくれて、あとをかこんだ明兵の中にとびこんだ清兵衛は、槍をふるってなぎたてた。朝月は朝月で、近づく敵兵の肩、腕、兜のきらいなくかみついてはふりとばし、また、まわりの敵をけちらしふみにじる。この勢いに、勝ちほこった明兵もおじけ立って、わあッ! と左右に道を開くと、 「殿、この道を、この道を――」  清兵衛は血槍で、そこに開けた道を指してさけんだ。  宍戸備前守は、そこをまっしぐらに城へと馬を走らせた。 悲しい籠城  有名な蔚山籠城の幕は、切って落とされたのである。  明軍は、城の三方をひたひたとおしつつみ、夜となく昼となく、鉄砲をうちかけた。  明軍にかこまれると、すぐに糧食はたたれてしまったが、味方の勇気はくずれなかった。よくかためよく防ぎ戦った。だが難戦苦闘である。柵はやぶられた。石垣のあたりには、敵味方の死者がころがった。鼻をつく鮮血のにおい、いたでに苦しむもののうめきは夜空に風のようにひびいた。  城中には飲む水さえなくなった。 「なにくそッ」  将士は、額から流れて兜のしのびの緒につららになった汗をヒキもぎり、がりがりかんでかわきをとめながら戦った。食うものがすくないので、しかたなく馬をほふってたべねばならなくなった。 「拙者の馬をころすやつがあったら、この腰の刀に物いわせるぞ」  清兵衛はがんばった。そして、日に一度ぐらい渡されるにぎりめしを自分は食わずに馬に食わせたり、また、戦場にころがった明兵の腰から、兵糧をさぐって朝月にあたえた。 「清兵衛の馬をいかしておくのは、もったいないな」 「朝月もやってしまおう」  ある夜、清兵衛が徒歩で、城の外に出ていったのを知った城兵二、三人は、うまやにしのんで、朝月をころして食おうとした。そして、槍をひねってつき殺そうとした、間一髪、 「ヒ、ヒン」  いなないた朝月は、たづなをふり切って、その槍を取った兵の肩さきに、電光石火の早さでかぶりつくと、大地にたたきつけた。それと見てにげ出そうとした一人は、腰をけとばされて息もできずのめってしまった。  それがために、もう、だれもおそれて、朝月を殺して食いたいなどと思う者はなくなった。 「よくやった。よくやっつけた」  清兵衛は、朝月の首をだいてうれしなきにないた。 「朝月、死ぬ時にはいっしょだぞ。よいか、よいか――おお、まだ、水を今日はのませなかったな、待てよ」  清兵衛は、大地にふり積もった雪を、兜の中にかきこみ、火をたくにも薪がなかったので、自分の双手をつっこみ、手のひらのあたたかみでもんで水にとかして、 「朝月、のめよ」  と口もとに持っていってやるのだった。  心なしか朝月の大きな目がしらに、涙が光っているようだった。そしてその水をのんで、長い顔をこすりつけてくる、その顔を静かにさすって、 「朝月、やせたのう」  と、うなだれた。 敵陣へ飯食いに  悲しかったのは、清兵衛ばかりでなかった。城兵たちはみな悲しかった。このままうえ死にするよりも、いっそのこと、はなばなしく戦って討ち死にがしたかった。 「どうだ、おのおの、生きておればひもじいから、飯がくいたくなる。死にさえしたらなんのことはないから、今晩、殿に願って、きって出ようではないか」 「死にさえすりゃ、ひもじくはない。賛成だ」 「拙者も」 「死ね死ね」 「日本武士が朝鮮まできて、うえ死にしたとあっては恥だ。きって出ろ」 「夜討ちをかけて、敵の食物をうばったら、そいつを食って一日生きのび、明日の夜また討って出よう」  夜討ちをかけることに賛成した者は、三百人からあった。その中に、川音清兵衛も加わったのである。五、六人のものは、宍戸備前守の前にかしこまって、 「ただいまから夜討ちをかけ、敵の飯を食ってまいりとうございます」 「なに敵陣へ飯食いにまいるか」 「は、腹いっぱいになってもどってまいります」  こうして夜討ちの準備ができた。丑満ごろになると、三百余騎は城門を開き、明軍の中に突撃した。  まさかとゆだんしていたところを、おそわれた明軍は、日本軍何万かわからないので、ろうばいするところへ、得たりとばかりに、その陣に火をかけた。 「さア、いまだ、首よりもまず飯だ、飯だ!」  清兵衛は、うき足立った敵陣へ、まっしぐらに、朝月をおどりこませ、左右につきふせた敵兵の腰をさぐり、一袋の粟を発見すると、 「朝月、飯だぞ飯だぞ」  と、せわしく食わせて、自分も生の粟をほおばるのだった。 「さア――」  と、朝月に、ふたたびまたがり、乱軍の中にかけこもうとした。 「倭奴、待てッ」  えんえんともえあがる猛火に、三尺の青竜刀をあおく輝かし、ゆくてに立った六尺ゆたかの明兵があった。 「そこどけッ」  清兵衛は粟をくって、元気が出かかったところである。槍をひねってつきふせようとすると、ひらりとそれをはずした明兵は、かわしざまに、その槍の千段まきを、ななめにきり落とした。 「しまったッ」  からりと槍の柄をすてた清兵衛は、大刀をぬきはなって斬りおろせば、明兵は、左の鎧の袖でかちりと受けとめた。傷を負わなかったところをみると、よほどいい鎧であった。これには清兵衛も、いささかおどろいているところへ、すかさず明兵はうちかかってきた。  朝月は高くいなないて、あと足立ちになり、その明兵を前肢の間にだきこもうとする。 「えい」  ぐっとたづなを左手にしめて、清兵衛は二の太刀を討ちおろす。相手はぱっととびのきざま、横にはらった一刀で、清兵衛のひざがしらを一寸ばかりきった。 「あっ!」  中心を失った清兵衛は、もんどり打って馬から落ちた。とたんに二の太刀、 「えい」  と、清兵衛のかぶった椎形の兜の八幡座をきったが兜がよかったので、傷は受けなかったものの、六尺の大男の一げきに、ズーンとこたえ、目はくらくらとくらみ、思わずひざをついたところを、また明兵が一げき加えようとすると、ぱっと空をおどり、その敵におどりかかったのは朝月であった。 「おお」  気をのまれた明兵は、横にとびのいた。そのすきに立ち上がった清兵衛。 「まいれ」  ときりかかった。  朝月は畜生ながら、主人の恩を知っていた。清兵衛が立ち上がったとみて、うれしそうにいななき、明兵のうしろにかけまわって、すきがあらばとびかかろうとする。 「お、お、おッ」  明兵もおどろいた。前後に人馬の敵を受けたので必死。清兵衛は朝月の助太刀に力を得て、 「えいッ」  と、最後の突撃。さアッと太刀を横にうちふると、その太刀さきは、敵の左頬から右眼にかけ、骨をくだいて切りわったので、 「ああッ」  と、明兵はあおむけに、打ちたおれたところを、起こしも立てず、その胸にいなごのように、とびかかった清兵衛は、 「この畜生、畜、畜生――畜……」  とさけびながら、胸板をつづけさまに二太刀さして、 「まだ、まだ、まいらぬか」  と、えぐっていたが、さきほどよりの激戦に、力つきた清兵衛は、敵がたおれたと知って、そのまま、おりかさなって気絶してしまった。 敵のかこみを蹴破って  朝月は、狂気のようになって、いななきながら、その周囲をかけめぐった。そこを通りかかったのは七、八人の明兵で、 「倭奴がたおれている」 「首を斬れ」  と、清兵衛を引き起こそうとするのを見た朝月は、いきなり一人の肩さきをくわえ、空中にほうり上げ、さらに二人をけつぶした。 「わあッ」 「これは竜馬だ」 「生け捕れ」 「殺せ」  明兵は、朝月めがけて、槍や青竜刀をかざしてせまった。人馬一騎討ちのものすごい光景が、どっと、もえあがる火にうき上がったのを見たのは味方であった。 「おお、あれは朝月ではないか」 「清兵衛はどうした」 「馬でも日本の馬だ。明兵にうたせるな」 「心得た」 「朝月――」  と声をかけて、そこへどやどやとかけつけてくる。味方を見た朝月は、いきなり気絶した清兵衛の鎧の胴をくわえ、明兵をけちらして、まっしぐらに、城の門へとかけこんでいった。 「朝月だ」 「清兵衛をくわえているぞ」 「おい、しっかりしろ、清兵衛」  城兵たちは、朝月の口から清兵衛を受け取って、かいほうした。一方では血にまみれた朝月のからだを、ふきとってやる者もあった。朝月は五ヵ所ばかり傷をうけていたが、ただ、清兵衛ばかり気づかいらしく、じっと見ていた。 「う、うーむ」  と、清兵衛は、やがて息をふき返したが、まだ、目はかすんでいたので、そこに朝月のいるのが見えなかった。 「おのおの、かたじけない――だが、朝……朝月はどうなったろう、朝月は――」 「無事だ、ここにいる」  城兵たちは、朝月をそこへひきよせていった。 「おお、朝月」  清兵衛は起きようとすると、朝月は前肢を折って、近々と顔をおしつけるようにした。清兵衛は、その首にとりすがった。この光景を見た城兵たちは、胸をしめつけられて声もなかった。この朝月が、主人清兵衛をくわえて帰ったことをきいた宍戸備前守は、そこへあらわれて、 「朝月は稀代の名馬だ。よくぞ働いてくれた」  と、たいせつな糒をひとにぎり、朝月の口へ入れてやった。ところへ、清兵衛の討ち取った、明兵の馬と着ていた鎧をかついで、味方は引きあげてきた。見るとその鎧は雑兵の着るものではなかった。 「名ある大将分らしい。捕虜を引き出して首実検させて見よ」  こう、備前守はいった。  七、八人の明兵がひき出され、たき火でその馬の主は何人かと、実検させた。すると、一人の捕虜はとび上がってさけんだ。 「これは五十人力といわれた呂州判官にございます」 「なに呂州判官と申すか」  城兵たちも思わずさけんで、顔を見合わせた。  呂州判官とは、日本軍にまできこえた明の豪将、一万の兵を従える呂州判官兵使柯大郎といって、紺地錦の鎧を着ていたのであった。宍戸備前守はじめ、人々は、川音清兵衛のこの戦功を、いまさらのようにおどろいてしまった。 「敵一万の大将を討ち取ったとは、あっぱれな働きである。いそぎ軍奉行の太田飛騨守へ、この旨をとどけ出せ。毛利輝元勢宍戸備前守の臣、川音清兵衛、討ち取ったとな、大声で――大声でいうのじゃぞ」  備前守は清兵衛を、のぞきこむようにしていった。自分の部下からこんな勇士が出たのが、うれしくてたまらなかったからである。 「殿、功は拙者一人のものではありませぬ。こ、この朝月も働きました。このことを、戦功帳に書いていただくことはあいなりませぬか」  清兵衛は、自分の手柄よりも、愛馬朝月の戦功を永久に残しておきたいのである。 「うむ、その方の心のままにいたせ」 「朝月、おゆるしが出たぞ。戦功帳にきさまの名がのるのだ。さあ、いっしょにゆこう――」  朝月はうれしそうにいなないた。 「三両で買った馬も、こうなるとたいしたものだ」 「うらやましいな」 「たとえ千両、万両出した馬でも、主人にやさしい心がなかったら、名馬にならぬ。馬よりも清兵衛のふだんの心がけが、いまさらうらやましくなってきたぞ」  去ってゆく馬と、清兵衛を見て、人々はささやきかわした。      ×   ×   ×   ×  蔚山城のかこみのとけたのは、正月三日で、宇喜多秀家、蜂須賀阿波守、毛利輝元など十余大将が、背後から明の大軍を破った。このとき入城してきた毛利輝元は、重臣宍戸備前守にむかって、 「朝月という名馬が見たいぞ――川音清兵衛をほめてやりたい。これへよべ。これへ馬をひけ」  と、なによりさきにいった。そこへ、やせた清兵衛がやせた朝月をひいてあらわれると、毛利輝元は、籠城の苦しさを思いやって、さすがに目に涙を見せ、 「これへ……これへ……」  やさしくまねいて、みごとな陣太刀一振りを清兵衛にあたえた。 「ありがたきしあわせ。朝月にかわって御礼申し上げます」  こういった清兵衛は、その太刀を朝月の首にかけてやって、そこへかしこまった姿は、いいようのないゆかしいものがあった。 (昭和六年六月号)
底本:「少年倶楽部名作選 3 少年詩・童謡ほか」講談社    1966(昭和41)年12月17日 底本の親本:「少年倶楽部」講談社    1931(昭和6)年6月号 初出:「少年倶楽部」講談社    1931(昭和6)年6月号 ※表題は底本では、「[#1段階小さな文字]三|両《りょう》清兵衛《せいべえ》と[#小さな文字終わり](改行)名馬《めいば》朝月《あさづき》」となっています。 入力:sogo 校正:noriko saito 2021年5月27日作成 2021年7月6日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 この犬は名を附けて人に呼ばれたことはない。永い冬の間、何処にどうして居るか、何を食べて居るか、誰も知らぬ。暖かそうな小屋に近づけば、其処に飼われて居る犬が、これも同じように饑渇に困められては居ながら、その家の飼犬だというので高慢らしく追い払う。饑渇に迫られ、犬仲間との交を恋しく思って、時々町に出ると、子供達が石を投げつける。大人も口笛を吹いたり何かして、外の犬を嗾ける。そこでこわごわあちこち歩いた末に、往来の人に打突ったり、垣などに打突ったりして、遂には村はずれまで行って、何処かの空地に逃げ込むより外はない。人の目にかからぬ木立の間を索めて身に受けた創を調べ、この寂しい処で、人を怖れる心と、人を憎む心とを養うより外はない。  たった一度人が彼に憫みを垂れたことがある。それは百姓で、酒屋から家に帰りかかった酔漢であった。この男は目にかかる物を何でも可哀がって、憐れで、ああ人間というものは善いものだ、善い人間が己れのために悪いことをするはずがない、などと口の中で囁く癖があった。この男がたまたま酒でちらつく目にこの醜い犬を見付けて、この犬をさえ、良い犬可哀い犬だと思った。 「シュッチュカ」とその男は叫んだ。これは露西亜で毎に知らぬ犬を呼ぶ名である。「シュッチュカ」、来い来い、何も可怖いことはない。  シュッチュカは行っても好いと思った。そこで尻尾を振って居たが、いよいよ行くというまでに決心がつかなかった。百姓は掌で自分の膝を叩いて、また呼んだ。「来いといったら来い。シュッチュカ奴。馬鹿な奴だ。己れはどうもしやしない。」  そこで犬は小股に歩いて、百姓の側へ行掛かった。しかしその間に百姓の考が少し変って来た。それは今まで自分の良い人だと思った人が、自分に種々迷惑をかけたり、自分を侮辱したりした事があると思い出したのだ、それで心持が悪くなって訳もなく腹を立って来た。シュッチュカは次第に側へ寄って来た。その時百姓は穿いて居る重い長靴を挙げて、犬の腋腹を蹴た。 「ええ。畜生奴、うぬまで己の側へ来やがるか。」犬は悲しげに啼いた。これはさ程痛かったためではないが、余り不意であったために泣いたのだ。さて百姓は蹣跚きながら我家に帰った。永い間女房を擲って居た。そうしてたった一週間前に買って遣った頭に被る新しい巾を引き裂いた。  それからこの犬は人間というものを信用しなくなって、人が呼んで摩ろうとすると、尾を股の間へ挿んで逃げた。時々はまた怒って人間に飛付いて噛もうとしたが、そんな時は大抵杖で撲たれたり、石を投付けられたりして、逃げなければならぬのであった。ある年の冬番人を置いてない明別荘の石段の上の方に居処を占めて、何の報酬も求めないで、番をして居た。夜になると街道に出て声の嗄れるまで吠えた。さて草臥れば、別荘の側へ帰って独で呟くような声を出して居た。  冬の夜は永い。明別荘の黒い窓はさびしげに物音の絶えた、土の凍た庭を見出して居る。その内春になった。春と共に静かであった別荘に賑が来た。別荘の持主は都会から引越して来た。その人々は大人も子供も大人になり掛かった子供も、皆空気と温度と光線とに酔って居る人達で、叫んだり歌を謡ったり笑ったりして居る。  その中でこの犬と初めて近づきになったのは、ふと庭へ走り出た美しい小娘であった。その娘は何でも目に見えるものを皆優しい両手で掻き抱き、自分の胸に押しつけたいと思うような気分で、まず晴れ渡った空を仰いで見て、桜の木の赤味を帯びた枝の方を見て、それから庭の草の上に寝ころんで顔を熱く照らす日に向けて居た。しかしそれも退屈だと見えて、直ぐに飛び上がって手を広げて、赤い唇で春の空気に接吻して「まあ好い心持だ事」といった。  その時何と思ったか、犬は音のしないように娘の側へ這い寄ったと思うと、着物の裾を銜えて引っ張って裂いてしまって、直ぐに声も出さずに、苺の木の茂って居る中へ引っ込んだ。娘は直ぐに別荘に帰って、激した声で叫んだ。「喰付く犬が居るよ。お母あさんも、みんなも、もう庭へ出てはいけません。本当に憎らしい犬だよ」といった。  夜になって犬は人々の寝静まった別荘の側に這い寄って、そうして声を立てずにいつも寝る土の上に寝た。いつもと違って人間の香がする。熱いので明けてある窓からは人の呼吸が静かに漏れる。人は皆な寝て居るのだ。犬は羨ましく思いながら番をして居る。犬は左右の眼で交る交る寝た。そうして何か物音がする度に頭を上げて、燐のように輝く眼を睜いた。種々な物音がする。しかしこの春の夜の物音は何れも心を押し鎮めるような好い物音であった。何とは知らず周囲の草の中で、がさがさ音がして犬の沾れて居る口の端に這い寄るものがある。木の上では睡った鳥の重りで枯枝の落ちる音がする。近い街道では車が軋る。中には重荷を積んだ車のやや劇しい響をさせるのもある。犬の身の辺には新らしい爹児の匂いがする。  この別荘に来た人たちは皆好い人であった。その好い人が町を離れて此処で清い空気を吸って、緑色な草木を見て、平日よりも好い人になって居るのだ。初の内は子供を驚かした犬を逐い出してしまおうという人もあり、中には拳銃で打ち殺そうなどという人もあった。その内に段々夜吠える声に聞き馴れて、しまいには夜が明けると犬のことを思い出して「クサカは何処に居るかしらん」などと話し合うようになった。  このクサカという名がこういう風に初めてこの犬に附けられた。稀には昼間も木立の茂った中にクサカの姿が見える。しかし人が麺包を遣ろうと思って、手を動かすと、その麺包が石ででもあるかのように、犬の姿は直ぐ見えなくなる。その内皆がクサカに馴れた。何時か飼犬のように思って、その人馴れぬ処、物を怖れる処などを冷かすような風になった。そこで一日一日と人間とクサカとを隔てる間が狭くなった。クサカも次第に別荘の人の顔を覚えて、昼食の前半時間位の時になると、木立の間から顔を出して、友情を持った目で座敷の方を見るようになった。その内高等女学校に入学して居るレリヤという娘、これは初めて犬に出会った娘であったが、この娘がいよいよクサカを別荘の人々の近づきにする事になった。 「クサチュカ、私と一しょにおいで」と犬を呼んで来た。「クサチュカ、好い子だね。お砂糖をあげようか。おいでといったらおいでよ」といった。  しかしクサカは来なかった。まだ人間を怖れて居る。レリヤは平手で膝を打って出来るだけ優しい声で呼んだ。それでも来ないので、自分が犬の方へ寄って来た。しかし迂濶に側までは来ない。人間の方でも噛まれてはならぬという虞があるから。 「クサチュカ、どうもするのじゃないよ。お前は可哀い眼付をして居る。お前の鼻梁も中々美しいよ。可哀がって遣るから、もっと此方へおいで」といった。  レリヤはこういって顔を振り上げた。犬を誉めた詞の通りに、この娘も可哀い眼付をして、美しい鼻を持って居た。それだから春の日が喜んでその顔に接吻して、娘の頬が赤くなって居るのだ。  クサカは生れてから、二度目に人間の側へ寄って、どうせられるか、打たれるか、摩られるかと思いながら目を瞑った。しかし今度は摩られた。小さい温い手が怖る怖る毛のおどろになって居る、犬の頭に触れた。次第に馴れて来て、その手が犬の背中を一ぱいに摩って、また指尖で掻くように弄った。  レリヤは別荘の方に向いて、「お母あさんも皆も来て御覧。私今クサカを摩って居るのだから」といった。  子供たち大勢がわやわやいって走り寄った。クサカの方ではやや恐怖心を起して様子を見て居た。クサカの怖れは打たれる怖れではない。最早鋭い牙を、よしや打たれてもこの人たちに立てることが出来ぬようになったのを怖れるのだ。平生の人間に対する憤りと恨みとが、消えたために、自ら危んだのだ。どの子もどの子も手を出して摩るのだ。摩られる度に、犬はびくびくした。この犬のためにはまだ摩られるのが、打たれるように苦痛なのであった。  次第にクサカの心持が優しくなった。「クサカ」と名を呼ばれる度に何の心配もなく庭に走り出るようになった。クサカは人の持物になった。クサカは人に仕えるようになった。犬の身にとっては為合者になったのではあるまいか。  この犬は年来主人がなくて饑渇に馴れて居るので、今食物を貰うようになっても余り多くは喰べない。しかしその少しの食物が犬の様子を大相に変えた。今までは処々に捩れて垂れて居て、泥などで汚れて居た毛が綺麗になって、玻璃のように光って来た。この頃は別荘を離れて、街道へ出て見ても、誰も冷かすものはない。ましてや石を投げつけようとするものもない。  しかし犬が気持ちよく思うのはこの時もただ独り居る時だけであった。人に摩られる時はまだ何だか苦痛を覚える。何か己の享けるはずでない事を享けるというような心持であった。クサカはまだ人に諂う事を知らぬ。余所の犬は後脚で立ったり、膝なぞに体を摩り付けたり、嬉しそうに吠えたりするが、クサカはそれが出来ない。  クサカの芸当は精々ごろりと寝て背中を下にして、目を瞑って声を出すより外はない。しかしそれだけでは自分の喜びと、自分の恩に感ずる心とを表わすことが出来ぬと思った。それでふいと思い出したことがある。それは昔余所の犬のするのを見て、今までは永く忘れて居たことであった。クサカはそれをやる気になって、飛びあがって、翻筋斗をして、後脚でくるくる廻って見せた。それも中々手際よくは出来ない。  レリヤはそれを見て吹き出して、「お母あさんも皆も御覧よ。クサカが芸をするよ。クサカもう一反やって御覧。それでいい、それでいい」といった。  人々は馳せ集ってこれを見て笑った。クサカは相変らず翻筋斗をしたり、後脚を軸にしてくるくる廻ったりして居るのだ、しかし誰もこの犬の目に表われて居る哀願するような気色を見るものはない。大人でも子供でも「クサチュカ、またやって御覧」という度に、犬は翻筋斗をしてくるくる廻って、しまいには皆に笑われながら仆れてしまう。  次第にクサカは食物の心配などもないようになった。別荘の女中が毎日時分が来れば食物を持って来る。何時も寝る処に今は威張って寝て、時々は人に摩られに自分から側へ寄るようになった。そうしてクサカは太った。時々は子供たちが森へ連て行く。その時は尾を振って付いて行って、途中で何処か往ってしまう。しかし夜になれば、別荘の人々には外で番をして吠える声が聞えるのである。  その内秋になった。雨の日が続いた。次第に処々の別荘から人が都会へ帰るようになった。  この別荘の中でも評議が初まった。レリヤが、「クサカはどうしましょうね」といった。この娘は両手で膝を擁いて悲しげに点滴の落ちている窓の外を見ているのだ。  母は娘の顔を見て、「レリヤや。何だってそんな行儀の悪い腰の掛けようをして居るのだえ。そうさね。クサカは置いて行くより外あるまいよ」といった。「可哀そうね」とレリヤは眩いた。「可哀そうだって、どうも為様はないじゃありませんか。内には庭はないし。それだといって、家の中へあんなものを連れて這入る訳にいかない事は、お前にだって解ろうじゃありませんか」と母はいった。「可哀そうね」とレリヤは繰り返して居たが、何だか泣きそうな顔になった。  その内別荘へ知らぬ人が来て、荷車の軋る音がした。床の上を重そうな足で踏む響がした。クサカは知らぬ人の顔を怖れ、また何か身の上に不幸の来るらしい感じがするので、小さくなって、庭の隅に行って、木立の隙間から別荘を見て居た。  其処へレリヤは旅行の時に着る着物に着更えて出て来た。その着物は春の頃クサカが喰い裂いた茶色の着物であった。「可哀相にここに居たのかい。こっちへ一しょにおいで」とレリヤがいった。そして犬を連れて街道に出た。街道の傍は穀物を刈った、刈株の残って居る畠であった。所々丘のように高まって居る。また低い木立や草叢がある。暫く行くと道標の杙が立って居て、その側に居酒屋がある。その前に百姓が大勢居る。百姓はこの辺りをうろつく馬鹿者にイリュウシャというものがいるのをつかまえて、からかって居る。 「一銭おくれ」と馬鹿は大儀そうな声でいった。「ふうむ薪でも割ってくれれば好いけれど、手前にはそれも出来まい」と憎げに百姓はいった。馬鹿は卑しい、卑褻な詞で返事をした。  レリヤは、「此処は厭な処だから、もう帰りましょうね」と犬に向かっていって、後ろも見ずに引き返した。  レリヤは皆と別荘を離れて停車場にいって、初めてクサカに暇乞をしなかったことを思い出した。  クサカは別荘の人々の後について停車場まで行って、ぐっしょり沾れて別荘の処に帰って来た。その時クサカは前と変った芸当を一つしたが、それは誰も見る人がなかった。芸当というのは、別荘の側で、後脚で立ち上がって、爪で入口の戸をかりかりと掻いたのであった。最早別荘は空屋になって居る。雨は次第に強くふって来る。秋の夜長の闇が、この辺を掩うてしまう。別荘の周囲が何となく何時もより広いような心持がする。  その内全く夜になった。犬は悲しげに長く吠えた。その声はさも希望のなさそうな、単調な声であった。その声を聞くものは、譬えば闇の夜が吐く溜息を聞くかと思った。その声を聞けば、何となく暖かい家が慕わしくなる。愛想のある女の胸が慕わしくなる。犬は吠え続けた。 (明治四十三年一月)
底本:「於母影 冬の王 森鴎外全集12」ちくま文庫、筑摩書房    1996(平成8)年3月21日第1刷発行 底本の親本:「森鴎外全集」岩波書店 入力:鈴木修一 校正:松永正敏 2003年8月20日作成 2003年11月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 一  三日三晩のあいだ、謎のような死の手に身をゆだねていたラザルスが、墓から這い出して自分の家へ帰って来た時には、みんなも暫くは彼を幽霊だと思った。この死からよみがえったということが、やがてラザルスという名前を恐ろしいものにしてしまったのである。  この男が本当に再生した事がわかった時、非常に喜んで彼を取り巻いた連中は、引っ切りなしに接吻してもまだ足りないので、それ食事だ飲み物だ、それ着物だと、何から何までの世話をやいて、自分たちの燃えるような喜びを満足させた。そのお祭り騒ぎのうちに彼は花聟さまのように立派に着飾らせられ、みんなの間に祭り上げられて食事を始めると、一同は感きわまって泣き出した。それから主人公たちは近所の人々を呼び集めて、この奇蹟的な死からよみがえった彼を見せて、もう一度それらの人々とその喜びを倶にした。近所の町や近在からも見識らぬ人たちがたずねて来て、この奇蹟を礼讃して行った。ラザルスの姉妹のマリーとマルタの家は、蜜蜂の巣箱のように賑やかになった。  そういう人達に取っては、ラザルスの顔や態度に新しく現われた変化は、みな重病と最近に体験した種々の感動の跡だと思われていた。ところが、死に依るところの肉体の破壊作用が単に奇蹟的に停止されたというだけのことで、その作用の跡は今も明白に残っていて、その顔や体はまるで薄いガラス越しに見た未完成のスケッチのように醜くなっていた。その顳顬の上や、両眼の下や、両頬の窪みには、濃い紫の死びと色があらわれていた。又その色は彼の長い指にも爪ぎわにもあった。その紫色の斑点は、墓の中でだんだんに濃い紅色になり、やがて黒くなって崩れ出す筈のものであった。墓のなかで脹れあがった唇の皮はところどころに薄い赤い亀裂が出来て、透明な雲母のようにぎらぎらしていた。おまけに、生まれつき頑丈な体は墓の中から出て来ても依然として怪物のような格好をしていた上に、忌にぶくぶくと水ぶくれがして、その体のうちには腐った水がいっぱいに詰まっているように感じられた。墓衣ばかりでなく、彼の体にまでも滲み込んでいた死びとのような強い匂いはすぐに消えてしまい、とても一生涯癒りそうもなかった唇のひびも幸いに塞がったが、例の顔や手のむらさきの斑点はますますひどくなって来た。しかも、埋葬前に彼を棺桶のなかで見たことのある人達には、それも別に気にならなかった。  こういうような肉体の変化と共に、ラザルスの性格にも変化が起こって来たのであるが、そこまではまだ誰も気が付かなかった。墓に埋められる前までのラザルスは快活で、磊落で、いつも大きい声を出して笑ったり、洒落を言ったりするのが好きであった。したがって彼は、神様からもその悪意や暗いところの微塵もないからりとした性質を愛でられていた。ところが、墓から出て来た彼は、生まれ変わったように陰気で無口な人になってしまって、決して自分から冗談などを言わなくなったばかりではなく、相手が軽口を叩いてもにこりともせず、自分がたまに口をきいても、その言葉は極めて平凡普通であった。よんどころない必要に迫られて、心の奥底から無理に引き出すような言葉は、喜怒哀楽とか飢渇とかの本能だけしか現わすことの出来ない動物の声のようであった。無論、こうした言葉は誰でも一生のうちに口にする事もあろうが、人間がそれを口にしたところで、何が心を喜ばせるのか、苦しませるのか、相手に理解させることは出来ないものである。  顔や性格の変化に人々が注目し始めたのは後の事で、かれが燦爛たる黄金や貝類が光っている花聟の盛装を身につけて、友達や親戚の人たちに取り囲まれながら饗宴の席に着いていた時には、まだ誰もそんなことに気が付かなかった。歓喜の声の波は、あるいはさざなみのごとくに、あるいは怒濤のごとくに彼を取り巻き、墓の冷気で冷やかになっている彼の顔の上には温かい愛の眼がそそがれ、一人の友達はその熱情を籠めた手のひらで彼のむらさき色の大きな手を撫でていた。  やがて鼓や笛や、六絃琴や、竪琴で音楽が始まると、マリーとマルタの家はまるで蜂や、蟋蟀や、小鳥の鳴き声で掩われてしまったように賑やかになった。  二  客の一人がふとした粗相でラザルスの顔のベールをはずした途端に、あっと声を立てて、今まで彼に感じていた敬虔な魅力から醒めると、事実がすべての赤裸な醜さのうちに暴露された。その客はまだ本当に我にかえらないうちに、もうその唇には微笑が浮かんで来た。 「むこうで起こった事を、なぜあなたは私たちにお話しなさらないのです。」  この質問に一座の人々はびっくりして、俄かに森となった。かれらはラザルスが三日のあいだ墓のなかで死んでいたということ以外に、別に彼の心身に変わったことなぞはないと思っていたので、ラザルスの顔を見詰めたまま、どうなることかと心配しながらも彼の返事を待っていた。ラザルスはじっと黙っていた。 「あなたは私たちには話したくないのですね。あの世というところは恐ろしいでしょうね。」  こう言ってしまってから、その客は初めて自分にかえった。もしそうでなく、こういう前に我にかえっていたら、その客はこらえ切れない恐怖に息が止まりそうになった瞬間に、こんな質問を発する筈はなかったであろう。不安の念と待ち遠しさを感じながら、一同はラザルスの言葉を待っていたが、彼は依然として俯向いたままで、深い冷たい沈黙をつづけていた。そうして、一同は今更ながらラザルスの顔の不気味な紫色の斑点や、見苦しい水脹れに注目した。ラザルスは食卓ということを忘れてしまったように、その上に彼の紫の瑠璃色の拳を乗せていた。  一同は、待ち構えている彼の返事がそこからでも出てくるように、じーっとラザルスの拳に見入っていた。音楽師たちはそのまま音楽をつづけてはいたが、一座の静寂はかれらの心にまでも喰い入って来て、掻き散らされた焼木杭に水をかけたように、いつとはなしに愉快な音色はその静寂のうちに消えてしまった。笛や羯鼓や竪琴の音も絶えて、七絃琴は糸が切れたように顫えてきこえた。一座ただ沈黙あるのみであった。 「あなたは言いたくないのですか。」  その客は自分のおしゃべりを抑え切れずに、また同じ言葉を繰り返して言ったが、ラザルスの沈黙は依然として続いていた。不気味な紫の瑠璃色の拳も依然として動かなかった。やがて彼は微かに動き出したので、一同は救われたようにほっとした。彼は眼をあげて、疲労と恐怖とに満ちたどんよりとした眼でじっと部屋じゅうを見廻しながら、一同を見た。――死からよみがえったラザルスが――  以上は、彼が墓から出て来てから三日目のことであった。もっともそれまでにも、絶えず人を害するような彼の眼の力を感じた人たちもたくさんあったが、しかもまだ彼の眼の力によって永遠に打ち砕かれた人や、あるいはその眼のうちに「死」と同じように「生」に対する神秘的の反抗力を見いだした者はなく、彼の黒いひとみの奥底にじーっと動かずに横たわっている恐怖の原因を説明することも出来なかった。そうして、この三日の間、ラザルスはいかにも穏かな、質朴な顔をして、何事も隠そうなどという考えは毛頭なかったようであったが、その代りに又、何ひとつ言おうというような意思もなかった。彼はまるで人間界とは没交渉な、ほかの生物かと思われるほどに冷やかな顔をしていた。  多くの迂闊な人たちは往来で彼に近づいても気が付かなかった。そうして、眼も眩むような立派な着物をきて、触れるばかりにのそりのそりと自分のそばを通って行く冷やかな頑丈な男はいったい誰であろうかと、思わずぞっとした。無論、ラザルスが見ている時でも、太陽はかがやき、噴水は静かな音を立てて湧き出で、頭の上の大空は青々と晴れ渡っているのであるが、こういう呪われた顔かたちの彼に取っては、噴水のささやきも耳には入らず、頭の上の青空も目には見えなかった。ある時は慟哭し、また或る時には我とわが髪を引きむしって気違いのように救いを求めたりしていたが、結局は静かに冷然として死のうという考えが、彼の胸に起こって来た。そこで彼はそれから先きの幾年を諸人の見る前に鬱々と暮らして、あたかも樹木が石だらけの乾枯びた土のなかで静かに枯死するように、生色なく、生気なく、しだいに自分のからだを衰弱させて行った。彼を注視している者のうちには、今度こそは本当に死ぬのではないかと気も狂わんばかりに泣くものもあったが、また一方には平気でいる人もあった。  話はまた前に戻って、かの客はまだ執拗く繰り返した。 「そんなにあなたは、あの世で見て来たことを私に話したくないのですか。」  しかしもうその客の声には熱がなく、ラザルスの眼に現われていた恐ろしいほどの灰色の疲れは、彼の顔全体を埃のように掩っていたので、一同はぼんやりとした驚愕を感じながら、この二人を互い違いに見詰めているうちに、かれらはそもそもなんの為にここへ集まって来て、美しい食卓に着いているのか判らなくなって来た。この問答はそのまま沙汰止みになって、お客たちはもう帰宅する時刻だとは思いながら、筋肉にこびりついた懶い疲労にがっかりして、暫くそこに腰を下ろしたままであったが、それでもやがて闇の野に飛ぶ鬼火のように一人一人に散って行った。  音楽師は金を貰ったので再び楽器を手に取ると、悲喜こもごも至るというべき音楽が始まった。音楽師らは俗謡を試みたのであるが、耳を傾けていたお客たちは皆なんとなく恐ろしい気がした。しかもかれらはなぜ音楽師に絃の調子を上げさせたり、頬をはち切れそうにして笛を吹かせたりして、無暗に賑やかな音楽を奏させなければならないのか、なぜそうさせたほうが好いのか、自分たちにもわからなかった。 「なんというくだらない音楽だ。」と、ある者が口を開いたので、音楽師たちはむっとして帰ってしまった。それに続いてお客たちも次々に帰って行った。その頃はもう夜になっていた。  静かな闇に出て、初めてほっと息をつくと、忽ちかれらの眼の前に盛装した墓衣を着て、死人のような紫色の顔をして、かつて見たこともないほどに恐怖の沈滞しているような冷やかな眼をしたラザルスの姿が、物凄い光りのなかに朦朧として浮き上がって来た。かれらは化石したようになって、たがいに遠く離れてたたずんでいると、闇はかれらを押し包んだ。その闇のなかにも三日のあいだ謎のように死んでいた彼の神秘的な幻影はますます明らかに輝き出した。三日間といえば、その間には太陽が三度出てまた沈み、子供らは遊びたわむれ、小川は礫の上をちょろちょろと流れ、旅びとは街道に砂ほこりを立てて往来していたのに、ラザルスは死んでいたのであった。そのラザルスが今や再びかれらのあいだに生きていて、かれらに触れ、かれらを見ているではないか。しかも彼の黒いひとみの奥からは、黒ガラスを通して見るように、未知のあの世が輝いているのであった。  三  今では友達も親戚もみなラザルスから離れてしまったので、誰ひとりとして彼の面倒を見てやる者もなく、彼の家はこの聖都を取り囲んでいる曠原のように荒れ果てて来た。彼の寝床は敷かれたままで、消えた火をつける者とても無くなってしまった。彼の姉妹、マリーもマルタも彼を見捨てて去ったからである。  マルタは自分のいないあかつきには、兄を養い、兄を憫れむ者も無いことを思うと、兄を捨てて去るに忍びなかったので、その後も長い間、兄のために或いは泣き、或いは祈っていたのであるが、ある夜、烈しい風がこの荒野を吹きまくって、屋根の上に掩いかかっているサイプレスの木がひらひらと鳴っている時、彼女は音せぬように着物を着がえて、ひそかに我が家をぬけ出してしまった。ラザルスは突風のために入口の扉が音を立てて開いたのに気が付いたが、起ち上がって出て見ようともせず、自分を棄てて行った妹を捜そうともしなかった。サイプレスの木は夜もすがら彼の頭の上でひゅうひゅうと唸り、扉は冷たい闇のなかで悲しげに煽っていた。  ラザルスは癩病患者のように人々から忌み嫌われたばかりではなく、実際癩病患者が自分たちの歩いていることを人々に警告するために頸に鈴を付けているように、彼の頸にも鈴を付けさせようと提議されたが、夜などに突然その鈴の音が、自分たちの窓の下にでも聞こえたとしたら、どんなに恐ろしいことであろうと、顔を真っ蒼にして言い出した者があったので、その案はまずおやめになった。  自分のからだをなおざりにし始めてから、ラザルスは殆んど餓死せんばかりになっていたが、近所の者は漠然たる一種の恐怖のために彼に食物を運んでやらなかったので、子供たちが代って彼のところへ食物を運んでやっていた。子供らはラザルスを怖がりもしなければ、また往々にして憐れな人たちに仕向けるような悪いたずらをして揶揄いもしなかった。かれらはまったくラザルスには無関心であり、彼もまたかれらに冷淡であったので、別にかれらの黒い巻髪を撫でてやろうともしなければ、無邪気な輝かしいかれらの眼を覗こうともしなかった。時と荒廃とに任せていた彼の住居は崩れかけて来たので、飢えたる山羊どもは彷徨い出て、近所の牧場へ行ってしまった。そうして、音楽師が来たあの楽しい日以来、彼は新しい物も古い物も見境いなく着つづけていたので、花聟の衣裳は磨り切れて艶々しい色も褪せ、荒野の悪い野良犬や尖った茨にその柔らかな布地は引き裂かれてしまった。  昼のあいだ、太陽が情け容赦もなくすべての生物を焼き殺すので、蠍が石の下にもぐり込んで気違いのようになって物を螫したがっている時にでも、ラザルスは太陽のひかりを浴びたまま坐って動かず、灌木のような異様な髯の生えている紫色の顔を仰向けて、熱湯のような日光の流れに身をひたしていた。  世間の人がまだ彼に言葉をかけていた頃、彼は一度こんな風に訊ねられた事があった。 「ラザルス君、気の毒だな。そんなことをしてお天道さまと睨みっくらをしていると、こころもちが好いかね。」  彼は答えた。 「むむ、そうだ。」  ラザルスに言葉をかけた人たちの心では、あの三日間の死の常闇が余りにも深刻であったので、この地上の熱や光りではとても温めることも出来ず、また彼の眼に沁み込んだ、その常闇を払い退けることが出来ないのだと思って、やれやれと溜め息をつきながら行ってしまうのであった。  爛々たる太陽が沈みかけると、ラザルスは荒野の方へ出かけて、まるで一生懸命になって太陽に達しようとでもしているように、夕日にむかって一直線に歩いて行った。彼は常に太陽にむかって真っ直ぐに歩いてゆくのである。そこで、夜になって荒野で何をするのであろうと、そのあとからそっと付いて来た人たちの心には、大きな落陽の真っ赤な夕映を背景にした、大男の黒い影法師がこびり付いて来る上に、暗い夜がだんだんに恐怖と共に迫って来るので、恐ろしさの余りに初めの意気組などはどこへやらで、這々のていで逃げ帰ってしまった。したがって、彼が荒野で何をしていたか判らなかったが、かれらはその黒や赤の幻影を死ぬまで頭のなかに焼き付けられて、あたかも眼に刺をさされた獣が足の先きで夢中に鼻面をこするように、ばかばかしいほど夢中になって眼をこすってみても、ラザルスの怖ろしい幻影はどうしても拭い去ることが出来なかった。  しかし遥かに遠いところに住んでいて、噂を聞くだけで本人を見たことのない人たちは、怖い物見たさの向う見ずの好奇心に駆られて、日光を浴びて坐っているラザルスの所へわざわざ尋ねて来て話しかけるのもあった。そういう時には、ラザルスの顔はいくらか柔和になって、割合いに物凄くなくなって来るのである。こうした第一印象を受けた人には、この聖都の人々はなんという馬鹿ばかり揃っているのであろうと軽蔑するが、さて少しばかり話をして家路につくと、すぐに聖都の人たちはかれらを見付けてこう言うのである。 「見ろよ。あすこへ行く連中は、ラザルスにお眼を止められたくらいだから、おれ達よりも上手の馬鹿者に違いないぜ。」  かれらは気の毒そうに首を振りながら、腕をあげて、帰る人々に挨拶した。  ラザルスの家へは、大胆不敵の勇士が物凄い武器を持ったり、苦労を知らない青年たちが笑ったり歌を唄ったりして来た。笏杖を持った僧侶や、金をじゃら付かせている忙がしそうな商人たちも来た。しかもみな帰る時にはまるで違った人のようになっていた。それらの人たちの心には一様に恐ろしい影が飛びかかって来て、見馴れた古い世界に一つの新しい現象をあたえた。  なおラザルスと話してみたいと思っていた人たちは、こう言って自己の感想を説明していた。 「すべて手に触れ、眼に見える物体は漸次に空虚な、軽い、透明なものに化するもので、謂わば夜の闇に光る影のようなものである。この全宇宙を支持する偉大なる暗黒は、太陽や、月や、星によって駆逐さるることなく、一つの永遠の墓衣のように地球を包み、一人の母のごとくに地球を抱き締めているのである。  その暗黒がすべての物体、鉄や石の中までも沁み込むと、すべての物体の分子は互いの連絡がゆるんで来て、遂には離れ離れになる。そうして又、その暗黒が更に分子の奥底へ沁み込むと、今度は原子が分離して行く。なんとなれば、この宇宙を取り巻いているところの偉大なる空間は、眼に見えるものによって満たされるものでもなく、また太陽や、月や、星に依っても満たされるものでもない。それは何物にも束縛されずに、あらゆるところに沁み込んで、物体から分子を、分子から原子を分裂させて行くのである。  この空間に於いては、空虚なる樹木は倒れはしまいかという杞憂のために、空虚なる根を張っている。寺院も、宮殿も、馬も実在しているが、みな空虚である。人間もこの空間のうちに絶えず動いているが、かれらもまた軽く、空虚なること影の如くである。  なんとなれば、時は虚無であって、すべての物体には始めと同時に終りが接しているのである。建設はなお行なわれているけれども、それと同時に建設者はそれを槌で打ち砕いて行き、次から次へと廃墟となって、再び元の空虚となる。今なお人間は生まれて来るが、それと同時に絶えず葬式の蝋燭は人間の頭上にかがやき、虚無に還元して、その人間と葬式の蝋燭の代りに空間が存在する。  空間と暗黒によって掩い包まれている人間は、永遠の恐怖に面して、絶望に顫えおののいているのである。」  しかしラザルスと言葉を交すことを好まない人たちは、更にいろいろのことを言った。そうして、みな無言のうちに死んでいるのであった。  四  この時代に、ローマにアウレリウスという名高い彫刻家がいた。かれは粘土や大理石や青銅に、神や人間の像を彫刻し、人々はそれらの彫刻を不滅の美として称えていた。しかし彼自身はそれに満足することが出来ず、世には更に美しい何物かが存在しているのであるが、自分はそれを大理石や青銅へ再現することが出来ないのであると主張していた。 「わたしは未だ曾て月の薄い光りを捉えることも出来ず、又は日の光りを思うがままに捉え得なかった。私の大理石には、魂がなく、わたしの美しい青銅には生命がなかった。」と、彼は口癖のように言っていた。そうして、月の晩にはサイプレスの黒い影を踏みながら、彼は自分の白い肉衣を月光にひらめかして見ていたので、道で出逢った彼の親しい人たちは心安立てに笑いながら言った。 「アウレリウスさん。月の光りを集めていなさいますね。なぜ籠を持ってこなかったのです。」  彼も笑いながら自分の両眼を指さして答えた。 「それ、ここに籠がありますよ。この中へ月光と日光とを入れておくのです。」  実際彼のいう通り、それらの光りは彼の眼のうちで輝いていた。しかし古い貴族出の彼は良い妻や子とともに、物質上にはなに不自由なく暮らしていたが、どうしてもその月光や日光を大理石の上に再現させることが出来ないので、自分の刻んだ作品に絶望を感じながら、怏々として楽しまざる日を送っていた。  ラザルスの噂がこの彫刻家の耳にはいった時、彼は妻や友達と相談した上で、死から奇蹟的によみがえった彼に逢うためにユダヤへの長い旅についた。アウレリウスは近頃どことなく疲れ切っているので、この旅行が自分の鈍りかかった神経を鋭くしてくれれば好いがと思ったくらいであったから、ラザルスに付いてのどんな噂にも、彼は驚かなかった。元来、彼自身も死ということについては度々熟考し、あながちそれを好む者ではなかったが、さりとて生を愛着するの余りに、人の物笑いになるような死にざまをする人たちを侮蔑していた。 この世に於いて、人生は美し。 あの世に於いて、死は謎なり。  彼はこう思っていたのである。人間にとって、人生を楽しむと、すべての生きとし生けるものの美に法悦するほど好いことはない。そこで、彼は自分の独自の人生観の真理をラザルスに説得して、その魂をもよみがえらせることに自信ある希望を持っていた。この希望はあながち至難の事ではなさそうであった。すなわちこの解釈し難い異様な噂は、ラザルスについて本当のことを物語っているのではなく、ただ漠然と、ある恐怖に対する警告をなしているに過ぎなかったからであった。  ラザルスはあたかも荒野に沈みかかっている太陽を追おうとして、石の上から起ち上がった時、一人の立派なローマ人がひとりの武装した奴隷に護られながら彼に近づいて来て、朗かな声で呼びかけた。 「ラザルスよ。」  美しい着物や宝石を身に付けたラザルスは、その荘厳な夕日を浴びた深刻な顔をあげた。真っ赤な夕日の光りがローマ人の素顔や頭をも銅の人像のように照り輝かしているのに、ラザルスも気が付いた。すると、彼は素直に再び元の場所にかえって、その弱々しい両眼を伏せた。 「なるほど、お前さんは醜い。可哀そうなラザルスさん。そうして又、お前さんは物凄いですね。死というものは、お前さんがふとしたおりに彼の手に落ちた日だけその手を休めてはいませんでした。しかしお前さんは実に頑丈ですね。一体あの偉大なるシーザーが言ったように、肥った人間には悪意などのあるものではありません。それであるから、なぜ人々がお前さんをそんなに恐れているのか、私には判らないのです。どうでしょう、今夜わたしをお前さんの家へ泊めてくれませんか。もう日が暮れて、私には泊まる処がないのですが……。」と、そのローマ人は金色の鎖をいじりながら静かに言った。  今までに誰ひとりとして、ラザルスを宿のあるじと頼もうとした者はなかった。 「わたしには寝床がありません。」と、ラザルスは言った。 「私はこれでも武士の端くれであったから、坐っていても眠られます。ただ私たちは火さえあれば結構です。」と、ローマ人は答えた。 「わたしの家には火もありません。」 「それでは、暗やみのなかで、友達のように語り明かしましょう。酒のひと壜ぐらいはお持ちでしょうから。」 「わたしには酒もありません。」  ローマ人は笑った。 「なるほど、やっと私にも判りました。なぜお前さんがそんなに暗い顔をして自分の再生を厭うかということが……。酒がないからでしょう。では、まあ仕方がないから、酒なしで語り明かそうではありませんか。話というものはファレルニアンの葡萄酒よりも、よほど人を酔わせると言いますから。」  合図をして、奴隷を遠ざけて、彼はラザルスと二人ぎりになった。そこで再びこのローマの彫刻家は談話を始めたのであったが、太陽が沈んで行くにつれて、彼の言葉にも生気を失って来たらしく、だんだんに力なく、空虚になって、疲労と酒糟に酔ったようにしどろもどろになって、言葉と言葉とのあいだに大空間と大暗黒とを暗示したような黒い割け目を生じた。 「さあ、わたしはお前さんのお客であるから、お前さんはお客に親切にしてくれるでしょうね。客を款待するということは、たとい三日間あの世に行っていた人たちでも当然の義務ですよ。噂によると、三日も墓の中で死んでいたそうですね。墓の中は冷たいに相違ない。そこでその以来、火も酒もなしで暮らすなどという悪い習慣が付いたのですね、私としては大いに火を愛しますね――なにしろ急に暗くなって来ましたからな。お前さんの眉毛と額の線はなかなか面白い線ですね。まるで地震で埋没した不思議な宮殿の廃墟のようですね。しかしなぜお前さんはそんな醜い奇妙な着物を着ているのです。そうそう、私はこの国の花聟たちを見た事があります。その人たちはそんな着物を着ていましたが、別に恐ろしいとも、滑稽とも思いませんでしたが……。お前さんは花聟さんですか。」と、ローマの彫刻家は言った。  太陽は既に消えて、怪物のような黒い影が東の方から走って来た。その影は、あたかも巨人の素足が砂の上を走り出したようでもあった。寒い風の波は背中へまでも吹き込んで来た。 「この暗がりの中だと、さっきよりももっと頑丈な男のように、お前さんは大きく見えますね。お前さんは暗やみを食べて生きているのですか、ラザルスさん。私はほんの小さな火でも得られるなら、もうどんな小さな火でもいいと思いますが……。私はなんとなく寒さを感じて来たのですが、お前さんは毎晩、こんな野蛮な寒い思いをなさるのですか。もしもこんなに暗くなかったら、お前さんが私を眺めているということが判るのですが……。そう、どうも私を見ているような気がしますがね。なぜ私を見つめているのです。しかしお前さんは笑っていますね。」  夜が来て、深い闇が空気を埋めた。 「あしたになって太陽がまた昇ったら、どんなに好いでしょうな。私は、まあ友達などの言うところに依りますと、お前さんも知っている筈の、名の売れた彫刻家です。わたしは創作をします。そうです、まだ実行にまでは行きませんが、私には太陽が要るのです。そうして、その日光を得られれば、私には冷たい大理石に生命をあたえ、響きある青銅を輝く温かい火で鎔すことが出来るのです。――やあ、お前さんの手がわたしに触れましたね。」 「お出でなさい。あなたは私のお客です。」と、ラザルスは言った。  二人は帰路についた。そうして、長い夜は地球を掩い包んだ。  朝になって、もう太陽が高く昇っているのに、主人のアウレリウスが帰って来ないので、奴隷は主人を捜しに行った。彼は主人とラザルスをそれからそれへと尋ねあるいて、最後に燬くが如くにまばゆい日光を正面に受けながら、二人が黙って坐ったままで、上の方を眺めているのを発見した。奴隷は泣き出して叫んだ。 「旦那さま、あなたはどうなすってしまったのです、旦那さま。」  その日に、アウレリウスはローマへ帰るべく出発した。道中も彼は深い考えに沈み、ほとんど物も言わずに、往来の人とか、船とか、すべての事物から、何物をか頭のなかに烙き付けようとでもするように、一々に注目して行った。沖へ出ると、風が起こって来たが、彼は相変わらず甲板の上に残って、どっと押し寄せては沈んでゆく海を熱心に眺めていた。  家に帰り着くと、彼の友達らはアウレリウスの様子が変わっているのに驚いた。しかし彼はその友達らを鎮めながら意味ありげに言った。 「わたしは遂にそれを発見したよ。」  彼はほこりだらけの旅装束のままで、すぐに仕事に没頭した。大理石はアウレリウスの冴えた槌の音をそのままに反響した。彼は長い間、誰をも仕事場へ入れずに、一心不乱に仕事に努めていたが、ある朝彼はいよいよ仕事が出来上がったから、友達の批評家らを呼び集めるようにと家人に言い付けた。彼は真っ紅な亜麻織りに黄金を輝かせた荘厳な衣服にあらためて、かれらを迎えた。 「これがわたしの作品だ。」と、彼は深い物思いに耽りながら言った。  それを見守っていた批評家らの顔は深い悲痛な影に掩われて来た。その作品は、どことなく異様な、今までに見慣れていた線は一つもなく、しかも何か新らしい、変わった観念の暗示をあたえていた。細い曲がった一本の小枝、と言うよりはむしろ小枝に似たある不格好な細長い物体の上に、一人の――まるで形式を無視した、醜い盲人が斜めに身を支えている。その人物たるや、まったく歪んだ、なにかの塊を引き延ばしたとも、或いはたがいに離れようとして徒らに力なくもがいている粗野な断片の集まりとも見えた。唯どう考えても偶然としか思えないのは、この粗野な断片の一つのもとに、一羽の蝶が真に迫って彫ってあって、その透き通るような翼を持った快活な愛らしさ、鋭敏さ、美しさは、まさに飛躍せんとする抑え難き本能に顫えているようであった。 「この見事な蝶はなんのためなんだね、アウレリウス。」と、誰かが躊躇しながら言った。 「おれは知らない。」と、アウレリウスは答えた。  結局、アウレリウスから本心を聞かされないので、彼を一番愛していた友達の一人が断乎として言った。 「これは醜悪だよ、君。壊してしまわなければいかん。槌を貸したまえ。」  その友達は槌でふた撃ち、この怪奇なる盲人を微塵に砕いてしまって、生きているような蝶だけをそのままに残して置いた。  以来、アウレリウスは創作を絶って、大理石にも、青銅にも、また永遠の美の宿っていた彼の霊妙なる作品にも、まったく見向きもしなくなった。彼の友達らは彼に以前のような仕事に対する熱情を喚起させようというので、彼を連れ出して、他の巨匠の作品を見せたりしたが、依然として無関心なるアウレリウスは微笑みながら口をつぐんで、美に就いてのかれらのお談議に耳を傾けてから、いつも疲れた気のなさそうな声で答えた。 「だが、それはみな嘘だ。」  太陽のかがやいている日には、彼は自分の壮大な見事な庭園へ出て、日影のない場所を見つけて、太陽のほうへ顔を向けた。赤や白の蝶が舞いめぐって、酒機嫌の酒森の神のゆがんだ唇からは、水が虹を立てながら大理石の池へ落ちていた。しかしアウレリウスは身動ぎもせずにすわっていた。ずっと遠い、石ばかりの荒野の入口で、熾烈の太陽に直射されながら坐っていたあのラザルスのように――。  五  神聖なるローマ大帝アウガスタス自身がラザルスを召されることになった。皇帝の使臣たちは、婚礼の儀式へ臨むような荘厳な花聟の衣裳をラザルスに着せた。そうして、彼は自分の一生涯をおそらく知らないであろうと思われる花嫁の聟としてこの衣裳を着ていた。それはあたかも古い腐った棺桶に金鍍金をして、新しい灰色の総で飾られたようなものであった。華やかな服装をした皇帝の使臣たちは、ラザルスのうしろから結婚式の行列のように騎馬でつづくと、その先頭では高らかに喇叭を吹き鳴らして、皇帝の使臣のために道を開くように人々に告げ知らせた。しかしラザルスの行く手には誰も立つ者はなかった。彼の生地では、この奇蹟的によみがえった彼の増悪すべき名前を呪っていたので、人々は恐ろしい彼が通るということを知って、みな散りぢりに逃げ出した。真鍮の金属性の音はいたずらに静かな大空にひびいて、荒野のあなたに谺していた。ラザルスは海路を行った。  彼の乗船は非常に豪奢に装飾されていたにも拘らず、かつて地中海の瑠璃色の波に映った船のうちでは最も悼ましい船であった。他の客も大勢乗合わせていたが、寂寞として墓のごとく、傲然とそり返っている船首を叩く波の音は絶望にむせび泣いているようであった。ラザルスは他の人々から離れて、太陽にその顔を向けながら、さざなみの呟きを静かに傾聴していた。水夫や使臣たちは遥か向うで、ぼんやりとした影のように一団をなしていた。もしも雷が鳴り出して、赤い帆に暴風が吹き付けたらば、船はきっと覆ってしまったかも知れない程に、船上の人間たちは、生のために戦う意志もなく、ただ全くぽかんとしていた。そのうちに、ようようのことで二、三人の水夫が船べりへ出て来て、海の洞にひらめく水神の淡紅色の肩か、楯を持った酔いどれの人馬が波を蹴立てて船と競走するのかを見るような気で、透き通る紺碧の海を熱心に見つめた。しかも深い海は依然として荒野の如く、唖のごとくに静まり返っていた。  ラザルスはまったく無頓着に、永遠の都のローマに上陸した。人間の富や、荘厳無比の宮殿を持つローマは、あたかも巨人によって建設されたようなものであったが、ラザルスに取ってはそのまばゆさも、美しさも、洗練された人生の音楽も、結局荒野の風の谺か、沙漠の流砂の響きとしか聞こえなかった。戦車は走り、永劫の都の建設者や協力者の群れは傲然として巷を行き、歌は唄われ、噴水や女は玉のごとくに笑い、酔える哲学者が大道に演説すれば、素面の男は微笑をうかべて聴き、馬の蹄は石の鋪道を蹴立てて走っている。それらの中を一人の頑丈な、陰鬱な大男が沈黙と絶望の冷やかな足取りで歩きながら、こうした人々の心に不快と、忿怒と、なんとはなしに悩ましげな倦怠とを播いて行った。ローマに於いてすら、なお悲痛な顔をしているこのラザルスを見た市民は、驚異の感に打たれて眉をひそめた。二日の後にローマ全市は、彼が奇蹟的によみがえったラザルスであることを知るや、恐れて彼を遠ざけるようになった。  その中には又、自分たちの胆力を試してみようという勇気のある人たちもあらわれて来た。そういう時には、ラザルスはいつも素直に無礼なかれらの招きに応じた。皇帝アウガスタスは国事に追われて、彼を召すのがだんだんに延びていたので、ラザルスは七日のあいだ、他の人々のところへ招かれて行った。  ラザルスが一人の享楽主義者の邸へ招かれたとき、主人公は大いに笑いながら彼を迎えた。 「さあ、一杯やれ、ラザルス君。お前が酒を飲むところを御覧になったら、皇帝も笑わずにはいられまいて。」と、主人は大きい声で言った。  半裸体の酔いどれの女たちはどっと笑って、ラザルスの紫色の手に薔薇の花びらを振りかけた。しかもこの享楽主義者がラザルスの眼をながめたとき、彼の歓楽は永劫に終りをつげてしまった。彼は一滴の酒も口にしないのに、その余生をまったく酔いどれのように送った。そうして、酒がもたらすところの楽しい妄想の代りに、彼は恐ろしい悪夢に絶えずおそわれ、昼夜を分かたずその悪夢の毒気を吸いながら、かの狂暴残忍なローマの先人たちよりも更に物凄い死を遂げた。  ラザルスは又、ある青年と彼の愛人のところへ呼ばれて行った。かれらはたがいに恋の美酒に酔っていたので、その青年はいかにも得意そうに、恋人を固く抱擁しながら、穏かに同情するような口ぶりで言った。 「僕たちを見たまえ、ラザルス君。そうして、僕たちが悦びを一緒に喜んでくれたまえ。この世の中に恋より力強いものがあろうか。」  ラザルスは黙って二人を見た。その以来、この二人の恋人同士は互いに愛し合っていながらも、かれらの心はおのずから楽しまず、さながら荒れ果てた墓地に根をおろしているサイプレスの木が、寥寂たる夕暮れにその頂きを徒らに天へとどかせようとしているかのように、その後半生を陰鬱のうちに送ることとなった。不思議な人生の力に駆られて互いに抱擁し合っても、その接吻にはにがい涙があり、その逸楽には苦痛がまじるので、この若い二人は、自分たちはたしかに人生に従順なる奴隷であり、沈黙と虚無の忍耐強い召使いであると思うようになった。常に和合するかと思えば、また夫婦喧嘩をして、かれらは火花の如くに輝き、火花のごとくに常闇の世界へと消えて行った。  ラザルスは更に又、ある高慢なる賢人の邸へ招かれた。 「わたしはお前が顕わすような恐怖ならば、みな知っている。お前はこのわたしを恐れさせるような事が出来るかな。」と、その賢人は言った。  しかもその賢人は、恐怖の知識というものは恐怖そのものではなく、死の幻影は死そのものではない事をすぐに知った。また賢こさと愚かさとは無限の前には同一である事、何となればそれらの区別はただ人間が勝手に決めたのであって、無限には賢こさも愚かさもないことを識った。したがって、有智と無智、真理と虚説、高貴と卑賤とのあいだの犯すべからざる境界線は消え失せて、ただ無形の思想が空間にただよっているばかりとなってしまった。そこで、その賢人は白髪の頭を掴んで、狂気のように叫んだ。 「わたしには判らない。私には考える力がない。」  こうして、この奇蹟的によみがえった男を、ひと目見ただけで、人生の意義と悦楽とはすべて一朝にして滅びてしまうのである。そこで、この男を皇帝に謁見させることは危険であるから、いっそ彼を亡き者にして窃かに埋めて、皇帝にはその行くえ不明になったと申し上げた方がよかろうという意見が提出された。それがために首斬り刀はすでに研がれ、市民の安寧維持をゆだねられた青年たちが首斬り人を用意した時、あたかも皇帝から明日ラザルスを召すという命令が出たので、この残忍な計画は破壊された。  そこで、ラザルスを亡き者にすることが出来ないまでも、せめては彼の顔から受ける恐ろしい印象を和らげる事ぐらいは出来るであろうという意見で、腕のある画家や、理髪師や、芸術家らを招いて、徹夜の大急ぎでラザルスの髭を刈って巻くやら、絵具でその顔や手の死びと色の斑点を塗り隠すやら、種々の細工が施された。今までの顔に深いみぞを刻んでいた苦悩の皺は、人々に嫌悪の情を起こさせるというので、それもみな塗りつぶされて、そのあとは温良な笑いと快活さとを巧妙な彩筆をもって描くことにした。  ラザルスは例の無関心で、大勢のなすがままに任せていたので、たちまちにして如何にも好く似合った頑丈な、孫の大勢ありそうな好々爺に変わってしまった。ついこの間まで糸を紡ぎながら浮かべていた微笑が、今もその口のほとりに残っているばかりか、その眼のどこかには年寄り独特の穏かさが隠れているように見えた。しかもかれらは婚礼の衣裳までも着換えさせようとはしなかった。又、この世の人間と未知のあの世とを見詰めている、二つの陰鬱な物凄い、鏡のような彼の両眼までも取り換えることは出来なかったのである。  六  ラザルスは宮殿の崇高なるにも、心を動かされなかった。彼に取っては荒野に近い崩れ家も、善美を尽くした石造の宮殿もまったく同様であったので、相変わらず無関心に進み入った。彼の足の下では堅い大理石の床も荒野の砂にひとしく、彼の眼には華美な宮廷服を身にまとった傲慢な人々も、すべて空虚な空気に過ぎなかった。ラザルスがそばを通ると、誰もその顔を正視する者もなかったが、その重い足音がまったく聞こえなくなると、かれらは宮殿の奥深くへだんだんに消えてゆくやや前かがみの老偉丈夫のうしろ姿を穿索するように見送った。死そのもののような彼が過ぎ去ってしまえば、もうこの以上に恐ろしいものはなかった。今までは死せる者のみが死を知り、生ける者のみが人生を知っていて、両者のあいだには何の連絡もないものと考えられていたのであるが、ここに生きながらに死を知っている、謎のような恐るべき人物が現われて来たということは、人々に取って実に呪うべき新知識であった。 「彼はわれわれの神聖なるアウガスタス大帝の命を取るであろう。」と、かれらは心のうちで思った。そうして、奥殿深く進んでゆくラザルスのうしろ姿に呪いの声を浴びせかけた。  皇帝はあらかじめラザルスの人物を知っていたので、そのように謁見の準備を整えておいた。しかも皇帝は勇敢な人物で、自己の優越なる力を意識していたので、死から奇蹟的によみがえった男と生死を争う場合に、臣下の助勢などを求めるのをいさぎよしとしなかった。皇帝はラザルスと二人ぎりで会見した。 「お前の眼をわしの上に向けるな、ラザルス。」と、皇帝はまず命令した。「お前の顔はメドュサの顔のようで、お前に見詰められた者は誰でも石に化すると聞いていたので、わしは石になる前に、まずお前に逢い、お前と話してみたいのだ。」  彼は内心恐れていないでもなかったが、いかにも皇帝らしい口ぶりでこう言い足した。それからラザルスに近寄って、熱心に彼の顔や奇妙な礼服などを調べてみた。彼は鋭い眼力を持っていたにも拘らず、ラザルスの変装に騙されてしまった。 「ほう、お前は別に物凄いような顔をしていないではないか。好いお爺さんだ。もしも恐怖というものがこんなに愉快な、むしろ尊敬すべき風采を具えているならば、われわれに取っては却って悪い事だとも言える。さて、話そうではないか。」  アウガスタスは座に着くと、言葉よりも眼をもってラザルスにむかいながら問答を始めた。 「なぜお前はここへはいって来た時に、わしに挨拶をしなかったのだ。」 「わたしはその必要がないと思いましたからです。」と、ラザルスは平気で答えた。 「お前はクリスト教徒か。」 「いいえ。」  アウガスタスはさこそと言ったようにうなずいた。 「よし、よし。わしもクリスト教徒は嫌いだ。かれらは人生の樹に実がまだいっぱいに生らないうちにその樹をゆすって、四方八方に撒き散らしている。ところで、お前はどういう人間であるのだ。」  ラザルスは眼に見えるほどの努力をして、ようように答えた。 「わたしは死んだのです。」 「それはわしも聞き及んでいる。しかし現在のお前は如何なる人物であるのか。」  ラザルスは黙っていたが、遂にうるさそうな冷淡な調子で、「私は死んだのです。」と、繰り返し言った。  皇帝は最初から思っていたことを言葉にあらわして、はっきりと力強く言った。 「まあ聞け、外国のお客さん。わしの領土は現世の領土であり、わしの人民は生きた人間ばかりで死んだ人間などは一人もいない。したがって、お前はわしの領土では余計な者だ。わしはお前が如何なる者であり、又このローマをいかに考えているかを知らない。しかしお前が嘘を言っているのならば、わしはお前のその嘘を憎む。又、もし本当のことを語っているのならば、わしはお前のその真実をも憎む。わしの胸には生の鼓動を感じ、わしの腕には力を感じ、わしの誇りとする思想は鷲のごとくに空間を看破する。わしの領土のどんな遠い所でも、わしの作った法律の庇護のもとに、人民は生き、働き、そうして享楽している。お前には死と戦っているかれらの叫び声が聞こえないのか。」  アウガスタスはあたかも祈祷でもするように両腕を差し出して、更におごそかに叫んだ。 「幸いあれ。おお、神聖にして且つ偉大なる人生よ。」  ラザルスは沈黙を続けていると、皇帝はますます高潮して来る厳粛の感に堪えないように、なおも言葉をつづけた。 「死の牙から辛うじて救われた、哀れなる人間よ。ローマ人はお前がここに留まることを欲しない。お前は人生に疲労と嫌悪とを吹き込むものだ。お前は田畑の蛆虫のように、歓喜に満ちた穂をいぶかしそうに見詰めながら、絶望と苦悩のよだれを垂らしているのだ。お前の真理はあたかも夜の刺客の手に握られている錆びた剣のようなもので、お前はその剣のために刺客の罪名のもとに死刑に処せらるべきである。しかしその前におまえの眼をわしに覗かせてくれ。おそらくお前の眼を怖れるのは臆病者ばかりで、勇者の胸には却って争闘と勝利に対する渇仰を呼び起こさせるであろう。その時にはお前は恩賞にあずかって、死刑は赦されるであろう。さあ、わしを見ろ。ラザルス。」  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「人民らも死を宣告されている。」と、彼はおぼろげに考えた。無限の暗黒の恐ろしい影――それを思うと恐怖がますます彼に押し掛かって来た。 「沸き立っている生き血を持ち、悲哀と共に偉大なる歓喜を知る心を持つ、破れ易い船のような人民――」と、皇帝は心のうちで叫んだ時、心細さが彼の胸を貫いた。  かくの如く、生と死との両極のあいだにあって反省し、動揺しているうちに、皇帝は次第に生命を回復して来ると、苦痛と歓喜との人生のうちに、空虚なる暗黒と無限の恐怖を防ぐだけの力のある楯のあることに気が付いた。 「ラザルス。お前はわしを殺さなかったな。しかしわしはお前を殺してやろう。去れ。」と、皇帝は断乎として言った。  その夕方、神聖なる皇帝アウガスタスは、いつもになく愉快に食事を取った。しかも時々に手を突っ張ったままで、火の如くに輝いている眼がどんよりと陰って来た。それは彼の足もとに恐怖の波の動くのを感じたからであった。打ち負かされたが、しかも破滅することなく、永遠に時の来たるのを待っている「恐怖」は、皇帝の一生を通じて一つの黒い影――すなわち死のごとくに彼のそばに立っていて、昼間は人生の喜怒哀楽に打ち負かされて姿を見せなかったが、夜になると常に現われた。  次の日、絞首役人は熱鉄でラザルスの両眼をえぐり取って、彼を故国へ追い帰した。神聖なる皇帝アウガスタスも、さすがにラザルスを死刑に処することは出来なかったのである。  ラザルスは故郷の荒野に帰ると、荒野はこころよい風の肌触わりと、輝く太陽の熱とをもって彼を迎えた。彼は昔のままに石の上に坐ると、その粗野な髭むじゃな顔を仰向けた。二つの眼の代りに、二つの黒い穴はぼんやりとした恐怖の表情を示して空を見つめていた。遥かあなたの聖都は休みなしに騒然とどよめいていたが、彼の周囲は荒涼として、唖のごとくに静まり返っていた。奇蹟的に死からよみがえった彼の住居に、誰も近づく者とてはなく、遠い以前から近所の人たちは自分の家を捨てて立ち去ってしまった。  熱鉄によって眼から追い出されたので、彼の呪われたる死の知識は頭蓋骨の奥底にひそんで、そこを隠れ家とした。そうして、あたかもその隠れ家から飛び出して来るように、呪われたる死の知識は無数の、無形の眼を人間に投げかけた。誰ひとりとして敢てラザルスを正視するものはなかった。  夕日がいっそう大きく紅くなって、西の地平線へだんだんに沈みかけると、盲目のラザルスはその後を追ってゆく途中、頑丈ではあったが又いかにも弱々しそうに、いつも石につまずいて倒れた。真っ赤な夕日に映ずる彼の黒いからだと、まっすぐに開いた彼の両手とは、さながら巨大なる十字架のように見えた。  ある日、いつものように夕日を追って行ったままで、ラザルスは遂に帰って来なかった。こうして謎のように死から奇蹟的によみがえった彼が再生の生涯も、終りを告げたのであった。
底本:「澁澤龍彦文学館 12 最後の箱」筑摩書房    1991(平成3)年10月25日初版第1刷発行 入力:和井府 清十郎 校正:もりみつじゅんじ、土屋隆 2008年10月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 文吉は操を渋谷に訪うた。無限の喜と楽と望とは彼の胸に漲るのであった。途中一二人の友人を訪問したのはただこれが口実を作るためである。夜は更け途は濘んでいるがそれにも頓着せず文吉は操を訪問したのである。  彼が表門に着いた時の心持と云ったら実に何とも云えなかった。嬉しいのだか悲しいのだか恥しいのだか心臓は早鐘を打つごとく息は荒かった。何んでもその時の状態は三分間も彼の記憶に止まらなかったのである。  彼は門を入って格子戸の方へ進んだが動悸はいよいよ早まり身体はブルブルと顫えた。雨戸は閉って四方は死のごとく静かである。もう寐るのだろうか、イヤそうではない、今ヤット九時を少過ぎたばかりである。それに試験中だから未だ寐ないのには定っている。多分淋しい処だから早くから戸締をしたのだろう。戸を叩こうか、叩いたらきっと開けてくれるには相違ない。しかし彼はこの事をなすことが出来なかった。彼は木像のように息を凝らして突立っている。なぜだろう? なぜ彼は遥々友を訪問して戸を叩くことが出来ないのだろう? 叩いたからと云って咎められるのでもなければ彼が叩こうとする手を止めるのでもない、ただ彼は叩く勇気がないのである。ああ彼は今明日の試験準備に余念ないのであろう。彼は吾が今ここに立っているということは夢想しないのであろう。彼と吾とただ二重の壁に隔たれて万里の外の思をするのである。ああどうしよう、せっかくの望も喜も春の雪と消え失せてしまった。ああこのままここを辞せねばならぬのか。彼の胸には失望と苦痛とが沸き立った。仕方なく彼は踵を返して忍足でここを退った。  井戸端に出ると汗はダラダラと全身に流れて小倉の上服はさも水に浸したようである。彼はホット溜息を洩らすと夏の夜風は軽く赤熱せる彼が顔を甞めた。彼の足は進まなかった。彼は今度は裏から廻ってみたが、やはり雨戸は閉って、ランプの光が微かに闇を漏れるのみであった。モウ最後である。彼の手頼は尽きたのである。彼は決心したらしく傍目も振らずにズンズンと歩き出した。彼は表門を出て坂を下りかけてみたが、先刻は何の苦もなくスラスラと登って来た坂が今度は大分下り難い。彼は二三度踉めいた。半許下りかけたが、彼は何と思ってかハタと立ち止った。行きたくないからである。何か好い方法を考えたからである。前なる通の電柱の先に淋しく瞬いている赤い電燈は、夏の夜の静けさを増すのであった。  彼はここに立って考えているのである。吾は明日帰るではないか、明日帰れば来学期にならないと彼の顔を見ることが出来ないのである。ああどうしよう? 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底本:「〈外地〉の日本語文学選3 朝鮮」新宿書房    1996(平成8)年3月31日第1刷発行 底本の親本:「白金学報 第一九号」    1909(明治42)年12月 初出:「白金学報 第一九号」    1909(明治42)年12月 ※底本の編者による脚注は省略しました。 ※初出時の署名は「李寳鏡」です。 ※「ちょっと顔を※[#「口+陟のつくり+頁」、第3水準1-15-29]《しか》める」の「口」の部分が底本では印刷の汚れで「日」に見えています。 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2020年2月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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四角の中の四角の中の四角の中の四角 の中の四角。 四角な円運動の四角な円運動 の 四角 な 円。 石鹸の通過する血管の石鹸の匂を透視する人。 地球に倣つて作られた地球儀に倣つて作られた地球。 去勢された襪子。(彼女のナマヘはワアズであつた) 貧血緬𫃠。アナタノカホイロモスヅメノアシノヨホデス。 平行四辺形対角線方向を推進する莫大な重量。 マルセイユの春を解纜したコテイの香水の迎へた東洋の秋。 快晴の空に鵬遊するZ伯号。蛔虫良薬と書いてある。 屋上庭園。猿猴を真似てゐるマドモアゼル。 彎曲された直線を直線に走る落体公式。 文字盤にⅫに下された二個の濡れた黄昏。 ドアアの中のドアアの中の鳥籠の中のカナリヤの中の嵌殺戸扉の中のアイサツ。 食堂の入口迄来た雌雄の様な朋友が分れる。 黒インクの溢れた角砂糖が三輪車に積荷れる。 名刺を踏む軍用長靴。街衢を疾駆する造花金蓮。 上から降りて下から昇つて上から降りて下から昇つた人は下から昇らなかつた上から降りなかつた下から昇らなかつた上から降りなかつた人。 あのオンナの下半はあのオトコの上半に似てゐる。(僕は哀しき邂逅に哀しむ僕) 四角な箱棚が歩き出す。(ムキミナコトダ) ラヂエエタアの近くで昇天するサヨホナラ。 外は雨。発光魚類の群集移動。
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十一集第七号」朝鮮建築会    1932(昭和7)年7月 初出:「朝鮮と建築 第十一集第七号」朝鮮建築会    1932(昭和7)年7月 ※底本は横組みです。 入力:坂本真一 校正:春日井ひとし 2017年12月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053717", "作品名": "AU MAGASIN DE NOUVEAUTES", "作品名読み": "AU MAGASIN DE NOUVEAUTES", "ソート用読み": "", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「朝鮮と建築 第十一集第七号」朝鮮建築会、1932(昭和7)年7月", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2018-01-11T00:00:00", "最終更新日": "2018-01-11T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53717.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱作品集成", "底本出版社名1": "作品社", "底本初版発行年1": "2006(平成18)年9月15日", "入力に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "校正に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "底本の親本名1": "朝鮮と建築 第十一集第七号", "底本の親本出版社名1": "朝鮮建築会", "底本の親本初版発行年1": "1932(昭和7)年7月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "春日井ひとし", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53717_ruby_63488.zip", "テキストファイル最終更新日": "2017-12-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53717_63532.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2017-12-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
長イモノ 短イモノ 十文字      ×  然シ CROSS ニハ油ガツイテイタ  墜落  已ムヲ得ナイ平行  物理的ニ痛クアツタ  (以上平面幾何学)      × をれんぢ 大砲 匍匐      ×  若シ君ガ重症ヲ負フタトシテモ血ヲ流シタトスレバ味気ナイ  おー  沈黙ヲ打撲シテホシイ  沈黙ヲ如何ニ打撲シテ俺ハ洪水ノヨウニ騒乱スベキカ  沈黙ハ沈黙カ  めすヲ持タヌトテ医師デアリ得ナイデアラウカ  天体ヲ引キ裂ケバ音位スルダラウ  俺ノ歩調ハ継続スル  何時迄モ俺ハ屍体デアラントシテ屍体ナラヌコトデアラウカ 1931・6・5
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年7月 初出:「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年7月 ※底本の編者による語注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:きゅうり 2018年8月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053691", "作品名": "BOITEUX ・ BOITEUSE", "作品名読み": "BOITEUX ・ BOITEUSE", "ソート用読み": "", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会、1931(昭和6)年7月", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2018-09-14T00:00:00", "最終更新日": "2019-09-09T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53691.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱作品集成", "底本出版社名1": "作品社", "底本初版発行年1": "2006(平成18)年9月15日", "入力に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "校正に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "底本の親本名1": "朝鮮と建築 第十集第七号", "底本の親本出版社名1": "朝鮮建築会", "底本の親本初版発行年1": "1931(昭和6)年7月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "きゅうり", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53691_txt_65653.zip", "テキストファイル最終更新日": "2018-08-28T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53691_65748.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2018-08-28T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 焔の様な風が吹いたけれどもけれども氷の様な水晶体はある。憂鬱は DICTIONAIRE の様に純白である。緑色の風景は網膜へ無表情をもたらしそれで何んでも皆灰色の朗らかな調子である。  野鼠の様な地球の険しい背なかを匍匐することはそも誰が始めたかを痩せて矮少である ORGANE を愛撫しつゝ歴史本の空ペエヂを翻へす心は平和な文弱である。その間にも埋葬され行く考古学は果して性慾を覚へしむることはない所の最も無味であり神聖である微笑と共に小規模ながら移動されて行く糸の様な童話でなければならないことでなければ何んであつたか。  濃緑の扁平な蛇類は無害にも水泳する硝子の流動体は無害にも半島でもない或る無名の山岳を島嶼の様に流動せしめるのでありそれで驚異と神秘と又不安をもを一緒に吐き出す所の透明な空気は北国の様に冷くあるが陽光を見よ。鴉は恰かも孔雀の様に飛翔し鱗を無秩序に閃かせる半個の天体に金剛石と毫も変りなく平民的輪郭を日没前に贋せて驕ることはなく所有しているのである。  数字の COMBINATION をかれこれと忘却していた若干小量の脳髄には砂糖の様に清廉な異国情調故に仮睡の状態を唇の上に花咲かせながらいる時繁華な花共は皆イヅコへと去り之れを木彫の小さい羊が両脚を喪ひジツト何事かに傾聴しているか。  水分のない蒸気のためにあらゆる行李は乾燥して飽くことない午後の海水浴場附近にある休業日の潮湯は芭蕉扇の様に悲哀に分裂する円形音楽と休止符、オオ踊れよ、日曜日のビイナスよ、しはがれ声のまゝ歌へよ日曜日のビイナスよ。  その平和な食堂ドアアには白色透明なる MENSTRUATION と表札がくつ附いて限ない電話を疲労して LIT の上に置き亦白色の巻煙草をそのまゝくはへているが。  マリアよ、マリアよ、皮膚は真黒いマリアよ、どこへ行つたのか、浴室の水道コツクからは熱湯が徐々に出ているが行つて早く昨夜を塞げよ、俺はゴハンが食べたくないからスリツパアを蓄音機の上に置いてくれよ。  数知れぬ雨が数知れぬヒサシを打つ打つのである。キツト上膊と下膊との共同疲労に違ひない褪め切つた中食をとつて見るか――見る。マンドリンはひとりでに荷造りし杖の手に持つてその小さい柴の門を出るならばいつなん時香線の様な黄昏はもはや来たと云ふ消息であるか、牡鶏よ、なるべくなら巡査の来ないうちにうなだれたまゝ微々ながら啼いてくれよ、太陽は理由もなくサボタアジをほしいまゝにしていることを全然事件以外のことでなければならない。 一九三一、六、一八
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 初出:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 ※底本の編者による語注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2019年8月30日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053692", "作品名": "LE URINE", "作品名読み": "LE URINE", "ソート用読み": "", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会、1931(昭和6)年8月", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2019-09-14T00:00:00", "最終更新日": "2019-08-30T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53692.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱作品集成", "底本出版社名1": "作品社", "底本初版発行年1": "2006(平成18)年9月15日", "入力に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "校正に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "底本の親本名1": "朝鮮と建築 第十集第八号", "底本の親本出版社名1": "朝鮮建築会", "底本の親本初版発行年1": "1931(昭和6)年8月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "hitsuji", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53692_txt_69036.zip", "テキストファイル最終更新日": "2019-08-30T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53692_69127.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2019-08-30T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
紙製ノ蛇ガ紙製ノ蛇デアルトスレバ ▽ハ蛇デアル ▽ハ踊ツタ ▽ノ笑ヒヲ笑フノハ破格デアツテ可笑シクアツタ すりつぱガ地面ヲ離レナイノハ余リ鬼気迫ルコトダ ▽ノ目ハ冬眠デアル ▽ハ電燈ヲ三等ノ太陽ト知ル      × ▽ハ何所ヘ行ツタカ ココハ煙突ノてつ片デアルカ 俺ノ呼吸ハ平常デアル 而シテたんぐすてんハ何デアルカ (何ンデモナイ) 屈曲シタ直線 ソレハ白金ト反射係数ヲ相等シクスル ▽ハてーぶるノ下ニ隠レタカ      × 1 2 3 3ハ公倍数ノ征伐ニ赴イタ 電報ハ来テイナイ 1931・6・5
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年7月 初出:「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年7月 入力:坂本真一 校正:きゅうり 2018年8月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053693", "作品名": "▽ノ遊戯――", "作品名読み": "▽ノゆうぎ――", "ソート用読み": "▽のゆうき", "副題": "△ハ俺ノ AMOUREUSE デアル", "副題読み": "△ハおれノ AMOUREUSE デアル", "原題": "", "初出": "「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会、1931(昭和6)年7月", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2018-09-14T00:00:00", "最終更新日": "2019-09-09T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53693.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱作品集成", "底本出版社名1": "作品社", "底本初版発行年1": "2006(平成18)年9月15日", "入力に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "校正に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "底本の親本名1": "朝鮮と建築 第十集第七号", "底本の親本出版社名1": "朝鮮建築会", "底本の親本初版発行年1": "1931(昭和6)年7月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "きゅうり", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53693_txt_65654.zip", "テキストファイル最終更新日": "2018-08-28T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53693_65749.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2018-08-28T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 妻は駱駄の様に手紙を呑んだまゝ死んで行くらしい。疾くに私はそれを読んでしまつている。妻はそれを知らないのか。午前十時電灯を消さうとする。妻が止める。夢が浮出されているのだ。三月の間妻は返事を書かうとして未だに書けていない。一枚の皿の様に妻の表情は蒼く痩せている。私は外出せねばならない。私に頼めばよい。オマエノコヒビトヲヨンデヤラウ アトレスモシツテイル
底本:「李箱詩集」花神社    2004(平成16)年4月1日初版1刷 底本の親本:「李箱全集 第二巻 詩集」泰成社    1956(昭和31)年 ※本文末の蘭明氏による注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2021年10月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053782", "作品名": "朝", "作品名読み": "あさ", "ソート用読み": "あさ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2021-11-08T00:00:00", "最終更新日": "2021-10-27T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53782.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱詩集", "底本出版社名1": "花神社", "底本初版発行年1": "2004(平成16)年4月1日", "入力に使用した版1": "2004(平成16)年4月1日初版1刷", "校正に使用した版1": "2004(平成16)年4月1日初版1刷", "底本の親本名1": "李箱全集 第二巻 詩集", "底本の親本出版社名1": "泰成社", "底本の親本初版発行年1": "1956(昭和31)年", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "hitsuji", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53782_txt_74372.zip", "テキストファイル最終更新日": "2021-10-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53782_74410.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2021-10-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
任意ノ半径ノ円(過去分詞ノ相場) 円内ノ一点ト円外ノ一点トヲ結ビ付ケタ直線 二種類ノ存在ノ時間的影響性 (ワレワレハコノコトニツイテムトンチヤクデアル) 直線ハ円ヲ殺害シタカ 顕微鏡 ソノ下ニ於テハ人工モ自然ト同ジク現象サレタ。      × 同ジ日ノ午後 勿論太陽ガ在ツテイナケレバナラナイ場所ニ在ツテイタバカリデナクソウシナケレバナラナイ歩調ヲ美化スルコトヲモシテイナカツタ。 発達シナイシ発展シナイシ コレハ憤怒デアル。 鉄柵ノ外ノ白大理石ノ建築物ガ雄壮ニ建ツテイタ 真々5″ノ角ばあノ羅列カラ 肉体ニ対スル処分法ヲせんちめんたりずむシタ。 目的ノナカツタ丈 冷静デアツタ 太陽ガ汗ニ濡レタ背ナカヲ照ラシタ時 影ハ背ナカノ前方ニアツタ 人ハ云ツタ 「あの便秘症患者の人はあの金持の家に食塩を貰ひに這入らうと希つてゐるのである」 ト ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1931・6・5
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年7月 初出:「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年7月 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2019年3月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 一階の上の二階の上の三階の上の屋上庭園に上つて南を見ても何もないし北を見ても何もないから屋上庭園の下の三階の下の二階の下の一階へ下りて行つたら東から昇つた太陽が西へ沈んで東から昇つて西へ沈んで東から昇つて西へ沈んで東から昇つて空の真中に来ているから時計を出して見たらとまつてはいるが時間は合つているけれども時計はおれよりも若いじやないかと云ふよりはおれは時計よりも老つているじやないとどうしても思はれるのはきつとさうであるに違ひないからおれは時計をすてゝしまつた。 一九三一、八、一一
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 初出:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 入力:坂本真一 校正:きゅうり 2019年7月30日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053695", "作品名": "運動", "作品名読み": "うんどう", "ソート用読み": "うんとう", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会、1931(昭和6)年8月", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2019-08-20T00:00:00", "最終更新日": "2019-07-30T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53695.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱作品集成", "底本出版社名1": "作品社", "底本初版発行年1": "2006(平成18)年9月15日", "入力に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "校正に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "底本の親本名1": "朝鮮と建築 第十集第八号", "底本の親本出版社名1": "朝鮮建築会", "底本の親本初版発行年1": "1931(昭和6)年8月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "きゅうり", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53695_txt_68721.zip", "テキストファイル最終更新日": "2019-07-30T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53695_68770.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2019-07-30T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
ねおんさいんハさつくすふおおんノ様ニ痩セテイル。 青イ静脈ヲ剪ツタラ紅イ動脈デアツタ。  ――ソレハ青イ動脈デアツタカラデアル――  ――否! 紅イ動脈ダツテアンナニ皮膚ニ埋レテイルト…… 見ヨ! ネオンサインダツテアンナニジーツトシテイル様ニ見ヘテモ 実ハ不断ニネオンガスガ流レテイルンダヨ。  ――肺病ミガサツクスフオーンヲ吹イタラ危イ血ガ検温計ノ様ニ  ――実ハ不断ニ寿命ガ流レテイルンダヨ。
底本:「李箱詩集」花神社    2004(平成16)年4月1日初版1刷 底本の親本:「李箱全集 第二巻 詩集」泰成社    1956(昭和31)年 ※本文末の蘭明氏による注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2022年5月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053783", "作品名": "街衢ノ寒サ", "作品名読み": "がいくノさむサ", "ソート用読み": "かいくのさむさ", "副題": "――一九三三 二月十七日ノ室内ノコト――", "副題読み": "――せんきゅうひゃくさんじゅうさん にがつじゅうしちにちノしつないノコト――", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2022-06-04T00:00:00", "最終更新日": "2022-05-28T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53783.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱詩集", "底本出版社名1": "花神社", "底本初版発行年1": "2004(平成16)年4月1日", "入力に使用した版1": "2004(平成16)年4月1日初版1刷", "校正に使用した版1": "2004(平成16)年4月1日初版1刷", "底本の親本名1": "李箱全集 第二巻 詩集", "底本の親本出版社名1": "泰成社", "底本の親本初版発行年1": "1956(昭和31)年", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "hitsuji", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53783_txt_75617.zip", "テキストファイル最終更新日": "2022-05-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53783_75647.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2022-05-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
最モ無力ナ男ニナルタメニ私ハ痘痕デアツタ 世ノ一人ノ女性モガ私ヲ顧ルコトハナイ 私ノ怠惰ハ安心デアル 両腕ヲ剪リ私ノ職務ヲ避ケタ モウ私ニ仕事ヲ云ヒ付ケル者ハナイ 私ノ恐レル支配ハドコニモ見当ラナイ 歴史ハ重荷デアル 世ノ中ヘノ私ノ辞表ノ書方ハ尚更重荷デアル 私ハ私ノ文字ヲ閉ジテシマツタ 図書館カラノ召喚状ガモウ私ニハ読メナイ 私ハモウ世ノ中ニ合ハナイ着物デアル 封墳ヨリモ私ノ義務ハ少ナイ 私ニハナニモノカヲ理解スル苦シミハ完全ニナクナツテイル 私ハ何物ヲモ見ハシナイ デアレバコソ私ハ何物カラモ身ヘハシマイ 始メテ私ハ完全ナ卑怯者ニナルコトニ成功シタ訳デアル
底本:「李箱詩集」花神社    2004(平成16)年4月1日初版1刷 底本の親本:「李箱詩全作集」甲寅出版社    1978(昭和53)年5月5日発行 ※本文末の蘭明氏による注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2021年9月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053794", "作品名": "悔恨ノ章", "作品名読み": "かいこんノしょう", "ソート用読み": "かいこんのしよう", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2021-10-12T00:00:00", "最終更新日": "2021-09-29T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53794.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱詩集", "底本出版社名1": "花神社", "底本初版発行年1": "2004(平成16)年4月1日", "入力に使用した版1": "2004(平成16)年4月1日初版1刷", "校正に使用した版1": "2004(平成16)年4月1日初版1刷", "底本の親本名1": "李箱詩全作集", "底本の親本出版社名1": "甲寅出版社", "底本の親本初版発行年1": "1978(昭和53)年5月5日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "hitsuji", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53794_txt_74175.zip", "テキストファイル最終更新日": "2021-09-29T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53794_74212.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2021-09-29T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 ひもじい顔を見る。  つや〳〵した髪のけのしたになぜひもじい顔はあるか。  あの男はどこから来たか。  あの男はどこから来たか。  あの男のお母さんの顔は醜いに違ひないけれどもあの男のお父さんの顔は美しいに違ひないと云ふのはあの男のお父さんは元元金持だつたのをあの男のお母さんをもらつてから急に貧乏になつたに違ひないと思はれるからであるが本当に子供と云ふものはお父さんよりもお母さんによく似ていると云ふことは何も顔のことではなく性行のことであるがあの男の顔を見るとあの男は生れてから一体笑つたことがあるのかと思はれる位気味の悪い顔であることから云つてあの男は生れてから一度も笑つたことがなかつたばかりでなく泣いたこともなかつた様に思はれるからもつともつと気味の悪い顔であるのは即ちあの男はあの男のお母さんの顔ばかり見て育つたものだからさうであるはづだと思つてもあの男のお父さんは笑つたりしたことには違ひないはづであるのに一体子供と云ふものはよくなんでもまねる性質があるにもかゝはらずあの男がすこしも笑ふことを知らない様な顔ばかりしてゐるのから見るとあの男のお父さんは海外に放浪してあの男が一人前のあの男になつてもそれでもまだまだ帰つて来なかつたに違ひないと思はれるから又それぢやあの男のお母さんは一体どうしてその日その日を食つて来たかと云ふことが問題になることは勿論だが何はとれもあれあの男のお母さんはひもじかつたに違ひないからひもじい顔をしたに違ひないが可愛い一人のせがれのことだからあの男だけはなんとかしてでもひもじくない様にして育て上げたに違ひないけれども何しろ子供と云ふものはお母さんを一番頼りにしてゐるからお母さんの顔ばかりを見てあれが本当にあたりまへの顔だなと思ひこんでしまつてお母さんの顔ばかりを一生懸命にまねたに違ひないのでそれが今は口に金歯を入れた身分と時分とになつてももうどうすることも出来ない程固まつてしまつているのではないかと思はれるのは無理もないことだがそれにしてもつやつやした髪のけのしたになぜあの気味の悪いひもじい顔はあるか。 一九三一、八、一五
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 初出:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2019年8月30日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053696", "作品名": "顔", "作品名読み": "かお", "ソート用読み": "かお", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会、1931(昭和6)年8月", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2019-09-14T00:00:00", "最終更新日": "2019-08-30T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53696.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱作品集成", "底本出版社名1": "作品社", "底本初版発行年1": "2006(平成18)年9月15日", "入力に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "校正に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "底本の親本名1": "朝鮮と建築 第十集第八号", "底本の親本出版社名1": "朝鮮建築会", "底本の親本初版発行年1": "1931(昭和6)年8月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "hitsuji", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53696_txt_69035.zip", "テキストファイル最終更新日": "2019-08-30T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53696_69126.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2019-08-30T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
ヲンナでああるS子様には本当に気の毒です。そしてB君 君に感謝しなければならないだらう。われわれはS子様の前途に再びと光明のあらんことを祈らう。  蒼白いヲンナ  顔はヲンナ履歴書である。ヲンナの口は小さいからヲンナは溺死しなければならぬがヲンナは水の様に時々荒れ狂ふことがある。あらゆる明るさの太陽等の下にヲンナはげにも澄んだ水の様に流れを漂はせていたがげにも静かであり滑らかな表面は礫を食べたか食べなかつたか常に渦を持つてゐる剥げた純白色である。  カツパラハウトスルカラアタシノハウカラヤツチマツタワ。  猿の様に笑ふヲンナの顔には一夜の中にげにも美しくつやつやした岱赭色のチヨコレエトが無数に実つてしまつたからヲンナは遮二無二チヨコレエトを放射した。チヨコレエトは黒檀のサアベルを引摺りながら照明の合間合間に撃剣を試みても笑ふ。笑ふ。何物も皆笑ふ。笑ひが遂に飴の様にとろとろと粘つてチヨコレエトを食べてしまつて弾力剛気に富んだあらゆる標的は皆無用となり笑ひは粉々に砕かれても笑ふ。笑ふ。青く笑ふ、針の鉄橋の様に笑ふ。ヲンナは羅漢を孕んだのだと皆は知りヲンナも知る。羅漢は肥大してヲンナの子宮は雲母の様に膨れヲンナは石の様に固いチヨコレエトが食べたかつたのである。ヲンナの登る階段は一段一段が更に新しい焦熱氷地獄であつたからヲンナは楽しいチヨコレエトが食べたいと思はないことは困難であるけれども慈善家としてのヲンナは一と肌脱いだ積りでしかもヲンナは堪らない程息苦しいのを覚へたがこんなに迄新鮮でない慈善事業が又とあるでしようかとヲンナは一と晩中悶へ続けたけれどもヲンナは全身の持つ若干個の湿気を帯びた穿孔(例へば目其他)の附近の芥は払へないのであつた。  ヲンナは勿論あらゆるものを棄てた。ヲンナの名前も、ヲンナの皮膚に附いてゐる長い年月の間やつと出来た垢の薄膜も甚だしくはヲンナの唾腺を迄も、ヲンナの頭は塩で浄められた様なものである。そして温度を持たないゆるやかな風がげにも康衢煙月の様に吹いてゐる。ヲンナは独り望遠鏡でSOSをきく、そしてデツキを走る。ヲンナは青い火花の弾が真裸のまゝ走つてゐるのを見る。ヲンナはヲロウラを見る。デツキの勾欄は北極星の甘味しさを見る。巨大な膃肭臍の背なかを無事に駆けることがヲンナとして果して可能であり得るか、ヲンナは発光する波濤を見る。発光する波濤はヲンナに白紙の花ビラをくれる。ヲンナの皮膚は剥がれ剥がれた皮膚は羽衣の様に風に舞ふているげにも涼しい景色であることに気附いて皆はゴムの様な両手を挙げて口を拍手させるのである。  アタシタビガヘリ、ネルニトコナシヨ。  ヲンナは遂に堕胎したのである。トランクの中には千裂れ千裂れに砕かれた POUDRE VERTUEUSE が複製されたのとも一緒に一杯つめてある。死胎もある。ヲンナは古風な地図の上を毒毛をばら撒きながら蛾の様に翔ぶ。をんなは今は最早五百羅漢の可哀相な男寡達には欠ぐに欠ぐべからざる一人妻なのである。ヲンナは鼻歌の様な ADIEU を地図のエレベエシヨンに告げ NO. 1-500の何れかの寺刹へと歩みを急ぐのである。 一九三一、八、一七
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 初出:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 ※底本の編者による語注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2020年4月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 白紙の上に一條の鉄道が敷かれている。此は冷へ行く心の図解である。私は毎日虚偽な電報を発信する。アスアサツクと。又私は私の日用品を毎日小包で発送した。私の生活はこの災地の様な距離に馴れて来た。
底本:「李箱詩集」花神社    2004(平成16)年4月1日初版1刷 底本の親本:「李箱全集 第二巻 詩集」泰成社    1956(昭和31)年 ※本文末の蘭明氏による注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2021年10月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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右手ニ菓子袋ガナイ ト云ツテ 左手ニ握ラレテアル菓子袋ヲ探シニ今来タ道ヲ五里モ逆戻リシタ      × コノ手ハ化石シタ コノ手ハ今ハモウ何物モ所有シタクモナイ所有セルモノノ所有セルコトヲ感ジルコトヲモシナイ      × 今落チツツアルモノガ雪ダトスレバ 今落チタ俺ノ涙ハ雪デアルベキダ 俺ノ内面ト外面ト コノコトノ系統デアルアラユル中間ラハ恐ロシク寒イ 左 右 コノ両側ノ手ラガオ互ノ義理ヲ忘レテ 再ビト握手スルコトハナク 困難ナ労働バカリガ横タワツテイルコノ片附ケテ行カネバナラナイ道ニ於テ独立ヲ固執スルノデハアルガ 寒クアラウ 寒クアラウ      × 誰ハ俺ヲ指シテ孤独デアルト云フカ コノ群雄割拠ヲ見ヨ コノ戦争ヲ見ヨ      × 俺ハ彼等ノ軋轢ノ発熱ノ真中デ昏睡スル 退屈ナ歳月ガ流レテ俺ハ目ヲ開イテ見レバ 屍体モ蒸発シタ後ノ静カナ月夜ヲ俺ハ想像スル 無邪気ナ村落ノ飼犬ラヨ 吠エルナヨ 俺ノ体温ハ適当デアルシ 俺ノ希望ハ甘美クアル。 1931・6・5
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年7月 初出:「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年7月 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2019年7月30日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 整形外科はヲンナの目を引き裂いてとてつもなく老ひぼれた曲芸象の目にしてしまつたのである。ヲンナは飽きる程笑つても果又笑はなくても笑ふのである。  ヲンナの目は北極に邂逅した。北極は初冬である。ヲンナの目には白夜が現はれた。ヲンナの目は膃肭臍の背なかの様に氷の上に滑り落ちてしまつたのである。  世界の寒流を生む風がヲンナの目に吹いた。ヲンナの目は荒れたけれどもヲンナの目は恐ろしい氷山に包まれてゐて波濤を起すことは不可能である。  ヲンナは思ひ切つて NU になつた。汗孔は汗孔だけの荊莿になつた。ヲンナは歌ふつもりで金切声でないた。北極は鐘の音に慄へたのである。      ◇       ◇  辻音楽師は温い春をばら撒いた乞食見たいな天使。天使は雀の様に痩せた天使を連れて歩く。  天使の蛇の様な鞭で天使を擲つ。  天使は笑ふ、天使は風船玉の様に膨れる。  天使の興行は人目を惹く。  人々は天使の貞操の面影を留めると云はれる原色写真版のエハガキを買ふ。  天使は履物を落して逃走する。  天使は一度に十以上のワナを投げ出す。      ◇       ◇  日暦はチヨコレエトを増す。  ヲンナはチヨコレエトで化粧するのである。  ヲンナはトランクの中に泥にまみれたヅウヲヅと一緒になき伏す。ヲンナはトランクを持ち運ぶ。  ヲンナのトランクは蓄音機である。  蓄音機は喇叭の様に赤い鬼青い鬼を呼び集めた。  赤い鬼青い鬼はペンギンである。サルマタしかきていないペンギンは水腫である。  ヲンナは象の目と頭蓋骨大程の水晶の目とを縦横に繰つて秋波を濫発した。  ヲンナは満月を小刻みに刻んで饗宴を張る。人々はそれを食べて豚の様に肥満するチヨコレエトの香りを放散するのである。 一九三一、八、一八
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 初出:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2019年3月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053697", "作品名": "興行物天使", "作品名読み": "こうぎょうものてんし", "ソート用読み": "こうきようものてんし", "副題": "――或る後日譚として――", "副題読み": "――あるごじつだんとして――", "原題": "", "初出": "「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会、1931(昭和6)年8月", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2019-04-17T00:00:00", "最終更新日": "2019-03-29T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53697.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱作品集成", "底本出版社名1": "作品社", "底本初版発行年1": "2006(平成18)年9月15日", "入力に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "校正に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "底本の親本名1": "朝鮮と建築 第十集第八号", "底本の親本出版社名1": "朝鮮建築会", "底本の親本初版発行年1": "1931(昭和6)年8月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "hitsuji", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53697_txt_67685.zip", "テキストファイル最終更新日": "2019-03-29T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53697_67737.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2019-03-29T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 ヨクモ血ニ染マラナイデ白イママ  ペンキ塗リノ林檎ヲ鋸デ割ツタラ中味ハ白(木)イママ  神様ダツテペンキ塗リ細工ガお好キ――林檎ガイクラ紅クテモ中味ハ白イママ。神様ハコレデ人間ヲゴマカサウト。  墨竹ヲ写真ニ撮ツテ種板ヲスカシテゴラン―骨骼ノ様ダ  頭蓋骨ハ柘榴ノ様デ イヤ柘榴ノ陰画ガ頭蓋骨様ダ(?)  アナタ 生キタ人ノ骨片見タコトアル? 手術室デ―ソレハ死ンデイルワ 生キタ骨片見タコトアル? 歯ダ―アラ マア 歯モ骨片カシラ。ジヤ爪モ骨片?  アタシ人間ダケハ植物ダト思フワ。
底本:「李箱詩集」花神社    2004(平成16)年4月1日初版1刷 底本の親本:「李箱全集 第二巻 詩集」泰成社    1956(昭和31)年 ※本文末の蘭明氏による注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2021年8月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053785", "作品名": "骨片ニ関スル無題", "作品名読み": "こっぺんニかんスルむだい", "ソート用読み": "こつへんにかんするむたい", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2021-09-23T00:00:00", "最終更新日": "2021-08-28T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53785.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱詩集", "底本出版社名1": "花神社", "底本初版発行年1": "2004(平成16)年4月1日", "入力に使用した版1": "2004(平成16)年4月1日初版1刷", "校正に使用した版1": "2004(平成16)年4月1日初版1刷", "底本の親本名1": "李箱全集 第二巻 詩集", "底本の親本出版社名1": "泰成社", "底本の親本初版発行年1": "1956(昭和31)年", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "hitsuji", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53785_txt_74030.zip", "テキストファイル最終更新日": "2021-08-28T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53785_74068.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2021-08-28T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
林檎一個が墜ちた。地球は壊れる程迄痛んだ。最後。 最早如何なる精神も発芽しない。
底本:「李箱詩集」花神社    2004(平成16)年4月1日初版1刷 底本の親本:「李箱全集 第二巻 詩集」泰成社    1956(昭和31)年 ※本文末の蘭明氏による注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2021年11月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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亀裂の入つた荘稼泥地に一本の棍棒を挿す。 一本のまま大きくなる。 樹木が生える。 以上 挿すことと生えることとの円満な融合を示す。 沙漠に生えた一本の珊瑚の木の傍で豕の様なヒトが生埋されることをされることはなく 淋しく生埋することに依つて自殺する。 満月は飛行機より新鮮に空気を推進することの新鮮とは珊瑚の木の陰欝さをより以上に増すことの前のことである。 輪不輾地 展開された地球儀を前にしての設問一題。 棍棒はヒトに地を離れるアクロバテイを教へるがヒトは了解することは不可能であるか。 地球を掘鑿せよ。 同時に 生理作用の齎らす常識を抛棄せよ。 一散に走り 又 一散に走り 又 一散に走り 又 一散に走る ヒト は 一散に走る ことらを停止する。 沙漠よりも静謐である絶望はヒトを呼び止める無表情である表情の無智である一本の珊瑚の木のヒトの脖頸の背方である前方に相対する自発的の恐懼からであるがヒトの絶望は静謐であることを保つ性格である。 地球を掘鑿せよ。 同時に ヒトの宿命的発狂は棍棒を推すことであれ*。 *事実且8氏は自発的に発狂した。そしていつの間にか且8氏の温室には隠花植物が花を咲かしていた。涙に濡れた感光紙が太陽に出会つては白々と光つた。
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十一集第七号」朝鮮建築会    1932(昭和7)年7月 初出:「朝鮮と建築 第十一集第七号」朝鮮建築会    1932(昭和7)年7月 ※底本は横組みです。 ※表題は底本では、「且8氏[#「8氏」は上付き小文字]の出発」となっています。 ※誤植を疑った箇所を、「近代朝鮮文学日本語作品集 セレクション4 詩」緑蔭書房、2008(平成20)年6月発行の表記にそって、あらためました。 入力:坂本真一 校正:春日井ひとし 2017年12月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053719", "作品名": "且8氏の出発", "作品名読み": "しゃ8しのしゅっぱつ", "ソート用読み": "しやしのしゆつはつ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「朝鮮と建築 第十一集第七号」朝鮮建築会、1932(昭和7)年7月", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2018-01-11T00:00:00", "最終更新日": "2018-01-11T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53719.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱作品集成", "底本出版社名1": "作品社", "底本初版発行年1": "2006(平成18)年9月15日", "入力に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "校正に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "底本の親本名1": "朝鮮と建築 第十一集第七号", "底本の親本出版社名1": "朝鮮建築会", "底本の親本初版発行年1": "1932(昭和7)年7月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "春日井ひとし", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53719_ruby_63568.zip", "テキストファイル最終更新日": "2017-12-26T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53719_63533.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2017-12-26T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 露を知らないダーリヤと海を知らない金魚とが飾られている。囚人の作つた箱庭だ。雲は何うして室内に迄這入つて来ないのか。露は窓硝子に触れて早や泣く許り。  季節の順序も終る。算盤の高低は旅費と一致しない。罪を捨て様。罪を棄て様。
底本:「李箱詩集」花神社    2004(平成16)年4月1日初版1刷 底本の親本:「李箱詩全作集」甲寅出版社    1978(昭和53)年5月5日発行 ※本文末の蘭明氏による注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2021年3月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053787", "作品名": "囚人の作つた箱庭", "作品名読み": "しゅうじんのつくつたはこにわ", "ソート用読み": "しゆうしんのつくつたはこにわ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2021-04-17T00:00:00", "最終更新日": "2021-03-27T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53787.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱詩集", "底本出版社名1": "花神社", "底本初版発行年1": "2004(平成16)年4月1日", "入力に使用した版1": "2004(平成16)年4月1日初版1刷", "校正に使用した版1": "2004(平成16)年4月1日初版1刷", "底本の親本名1": "李箱詩全作集", "底本の親本出版社名1": "甲寅出版社", "底本の親本初版発行年1": "1978(昭和53)年5月5日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "hitsuji", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53787_txt_72987.zip", "テキストファイル最終更新日": "2021-03-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53787_73034.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2021-03-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
Ⅰ 虚偽告発と云ふ罪目が僕に死刑を言渡した。様姿を隠匿した蒸気の中に身を構へて僕はアスファルト釜を睥睨した。 ―直に関する典古一則― 其父攘羊 其子直之 僕は知ることを知りつつあつた故に知り得なかつた僕への執行の最中に僕は更に新いものを知らなければならなかつた。 僕は雪白に曝露された骨片を掻き拾ひ始めた。 「肌肉は以後からでも着くことであらう」 剥落された膏血に対して僕は断念しなければならなかつた。 Ⅱ 或る警察探偵の秘密訊問室に於ける 嫌疑者として挙げられた男子は地図の印刷された糞尿を排泄して更にそれを嚥下したことに就いて警察探偵は知る所の一つを有たない。発覚されることはない級数性消化作用 人々はこれをこそ正に妖術と呼ぶであらう。 「お前は鉱夫に違ひない」 因に男子の筋肉の断面は黒曜石の様に光つてゐたと云ふ。 Ⅲ 号外 磁石収縮し始む 原因頗る不明なれども対内経済破綻に依る脱獄事件に関聯する所多々有りと見ゆ。斯道の要人鳩首秘かに研究調査中なり。 開放された試験管の鍵は僕の掌皮に全等形の運河を掘鑿してゐる。軈て濾過された膏血の様な河水が汪洋として流れ込んで来た。 Ⅳ 落葉が窓戸を滲透して僕の正装の貝釦を掩護する。 暗殺 地形明細作業の未だに完了していないこの窮僻の地に不可思議な郵逓交通が既に施行されてゐる。僕は不安を絶望した。 日暦の反逆的に僕は方向を失つた。僕の眼睛は冷却された液体を幾切にも断ち剪つて落葉の奔忙を懸命に幇助していなければならなかつた。 (僕の猿猴類への進化)
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十一集第七号」朝鮮建築会    1932(昭和7)年7月 初出:「朝鮮と建築 第十一集第七号」朝鮮建築会    1932(昭和7)年7月 ※底本は横組みです。 ※「掘鑿してゐる。軈て濾過された」の改行無しの組版は「近代朝鮮文学日本語作品集 セレクション4 詩」緑蔭書房、2008(平成20)年6月発行により確認しました。 入力:坂本真一 校正:春日井ひとし 2017年12月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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▽よ 角力に勝つた経験はどれ丈あるか。 ▽よ 見れば外套にブツつゝまれた背面しかないよ。 ▽よ 俺はその呼吸に砕かれた楽器である。  俺に如何なる孤独は訪れ来様とも俺は××しないことであらう。であればこそ。  俺の生涯は原色に似て豊富である。 しかるに俺はキヤラバンだと。 しかるに俺はキヤラバンだと。 一九三一、六、一
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 初出:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 入力:坂本真一 校正:きゅうり 2018年8月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053701", "作品名": "神経質に肥満した三角形", "作品名読み": "しんけいしつにひまんしたさんかくけい", "ソート用読み": "しんけいしつにひまんしたさんかくけい", "副題": "▽は俺の AMOUREUSE である", "副題読み": "▽はおれのAMOUREUSEである", "原題": "", "初出": "「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会、1931(昭和6)年8月", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2018-09-14T00:00:00", "最終更新日": "2018-08-28T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53701.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱作品集成", "底本出版社名1": "作品社", "底本初版発行年1": "2006(平成18)年9月15日", "入力に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "校正に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "底本の親本名1": "朝鮮と建築 第十集第八号", "底本の親本出版社名1": "朝鮮建築会", "底本の親本初版発行年1": "1931(昭和6)年8月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "きゅうり", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53701_txt_65655.zip", "テキストファイル最終更新日": "2018-08-28T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53701_65750.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2018-08-28T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
或る患者の容態に関する問題。 1234567890・ 123456789・0 12345678・90 1234567・890 123456・7890 12345・67890 1234・567890 123・4567890 12・34567890 1・234567890 ・1234567890 診断 0:1 26・10・1931 以上 責任医師 李箱
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十一集第七号」朝鮮建築会    1932(昭和7)年7月 初出:「朝鮮と建築 第十一集第七号」朝鮮建築会    1932(昭和7)年7月 ※底本は横組みです。 入力:坂本真一 校正:春日井ひとし 2017年12月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053838", "作品名": "診断 0:1", "作品名読み": "しんだん 0:1", "ソート用読み": "しんたん", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「朝鮮と建築 第十一集第七号」朝鮮建築会、1932(昭和7)年7月", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2018-01-11T00:00:00", "最終更新日": "2018-01-11T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53838.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱作品集成", "底本出版社名1": "作品社", "底本初版発行年1": "2006(平成18)年9月15日", "入力に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "校正に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "底本の親本名1": "朝鮮と建築 第十一集第七号", "底本の親本出版社名1": "朝鮮建築会", "底本の親本初版発行年1": "1932(昭和7)年7月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "春日井ひとし", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53838_txt_63494.zip", "テキストファイル最終更新日": "2017-12-26T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53838_63538.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2017-12-26T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
松葉杖の長さも歳と共に長くなつていつた。 新らしい儘溜まる片方の靴の数で悲しく歩いた距離が測られた。 何時も自分は地上の樹木の次のものであると思つた。
底本:「李箱詩集」花神社    2004(平成16)年4月1日初版1刷 底本の親本:「李箱全集 第二巻 詩集」泰成社    1956(昭和31)年 ※本文末の蘭明氏による注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2021年8月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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一  私ノ肺ガ盲腸炎ヲ病ム 第四病院ニ入院 主治医盗難――亡命ノ噂立ツ  季節遅レノの蝶々ヲ見ル 看護婦人形仕入  模造盲腸ヲ制作シ 一枚ノ透明硝子ノ彼方ニ対称点ヲ設ク 自宅治療ノ妙ヲ極ム  遂ニ 胃病併発シテ 顔面蒼白 貧血 二  心臓去處不明 胃ニアリ 胸ニアリ 二説紛紛シテ食い止めない  多量ノ出血ヲ見ル 血液分析ノ結果 私ノ血ハ 無機物ノ混合デアルト判明シ  退院 巨大でシヤープナ 記念碑建ツ 白色少年ソノ前面ニテ狭心症タメニ斃ル 三  私ノ顔面ニ草ガ生エタ 之ハ不撓不屈ノ美徳ヲ象徴スル  私ハ自ラヲ此上モナイ忌ミ 等辺形コースノ散歩ヲ毎日トナク続ケタ 疲労ガ来タ  嵐ニ図ルヤ、之ハ 一九三二年五月七日(父親ノ死日)大理石発芽事件の前兆デアツタ  ガソノ時ノ私ハ未ダ一個ノ 方程式無機論ノ熱烈ナル信奉者デアツタ 四  脳髄替換問題 遂ニ重大化サル  私ハ秘カニ 精虫ノ一元論ヲ固持シ 精虫ノ有機質ノ分離実験ニ成功ス  有機質ノ無機化問題 残ル  R青年公爵ニ邂逅シ CREAM LEBRA ノ秘密ヲ聞ク 彼ノ紹介ニヨリ梨嬢ニ相識シ 例ノ問題ニ 光明見エル 五  混血児Y 私トノ接吻ニ依リ毒殺サル  監禁サル 六  再ビ入院ス 私ハ斯クモ暗澹タル運命ニ直面シ自殺ヲ決意シ 秘カニ 一挺ノ匕首(長サ三尺)ヲ手に入レタ  夜陰ニ乗ジテ私ハ病室カラ脱ケ出タ 狗ガ吠ヘタ 私ハココゾトバッタリニ 匕首ヲ私ノ臍に突差シタ  不幸ニモ 私ヲ逮捕ニ追躯シテ来タ私ノ母ガ私ノ背中ニ 私ヲ抱イタマゝ殺害サレテイタ 私ハ無事デアツタ 七  地球儀ノ上ニ逆立チ シタト云フ理由デ私ハ第三インタナシヨナル党員タチ カラ袋叩キニサレタ  ソシテ 操縦士ノナイ飛行機ニ乗セラレタマヽ空中ニ放サレタ 酷刑ヲ哂ツタ  私ハ地球儀ニ近ヅク 地球ノ財政ノ裏面ヲ コノ時厳密仔細ニ検算スル機会を得タ 八  娼婦ノ分娩シタ死児ノ皮膚一面ニ刺青ガ施サレテアツタ 私ハソノ暗号ヲ解題シタ  ソノ死児ノ祖先ハ徃昔機関車ヲ轢イデソノ機関車ヲシテ流血淋漓 逃ゲサラレタ一世ノ豪傑ダツタト云フコトガ記録サレテイタ 九  私ハ第三本目ノ脚 第四本目ノ脚ノ設計中 爀ヨリノ「脚ヲ断ツ」ノ悲報ニ接シ愕然ス 十  私ノ室ノ時計 突然 十三ヲ打ツ ソノ時号外ノ鈴ガナル 私ノ脱獄ノ記事  不眠症ト腫眼病トニ悶エサレテイル私ハ常ニ左右ノ岐路ニ立ツタ  私ノ内部ニ向ツテ 道徳ノ記念碑ガ壊シナガラ倒レタ 重傷 世ハ錯誤を伝ヘル  13+1=12 翌日(即チソノ時)カラ私ノ時計ノ針ハ三本デアツタ 十一  三次角ノ余角ヲ発見ス 次ニ 三次角ト三次角ノ余角トノ和ハ 三次角ト補角ヲナスコトヲ発見ス  人口問題ノ応急手当 確定サル 十二  鏡ノ屈折反射ノ法則ハ時間方向留任問題ヲ解決ス (軌跡ノ光年運算)  私ハ鏡ノ数量ヲ閃光の速度ニ依ッテ計算シタ ソコデ ロケツトノ設計ヲ中止シタ  別報 梨嬢 R青年公爵家伝ノ簾ニ巻カレテ惨死ス  別報 象形文字ニ依ル死都発掘探険隊 ソノ機関紙ヲ以テ声明書ヲ発表ス  鏡ノ不況ト共ニ悲観説台頭ス
底本:「李箱詩集」花神社    2004(平成16)年4月1日初版1刷 底本の親本:「李箱全集 第二巻 詩集」泰成社    1956(昭和31)年 ※本文末の蘭明氏による注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2021年8月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053789", "作品名": "一九三一年 作品 第一番", "作品名読み": "せんきゅうひゃくさんじゅういちねん さくひん だいいちばん", "ソート用読み": "せんきゆうひやくさんしゆういちねんさくひんたいいちはん", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2021-09-23T00:00:00", "最終更新日": "2021-08-28T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53789.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱詩集", "底本出版社名1": "花神社", "底本初版発行年1": "2004(平成16)年4月1日", "入力に使用した版1": "2004(平成16)年4月1日初版1刷", "校正に使用した版1": "2004(平成16)年4月1日初版1刷", "底本の親本名1": "李箱全集 第二巻 詩集", "底本の親本出版社名1": "泰成社", "底本の親本初版発行年1": "1956(昭和31)年", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "hitsuji", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53789_txt_74031.zip", "テキストファイル最終更新日": "2021-08-28T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53789_74069.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2021-08-28T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 1234567890 1●●●●●●●●●● 2●●●●●●●●●● 3●●●●●●●●●● 4●●●●●●●●●● 5●●●●●●●●●● 6●●●●●●●●●● 7●●●●●●●●●● 8●●●●●●●●●● 9●●●●●●●●●● 0●●●●●●●●●● (宇宙は羃に依る羃に依る) (人は数字を捨てよ) (静かにオレを電子の陽子にせよ) スペクトル 軸X 軸Y 軸Z  速度 etc の統制例へば光は秒毎三〇〇〇〇〇キロメートル逃げることが確かなら人の発明は秒毎六〇〇〇〇〇キロメートル逃げられないことはキツトない。それを何十倍何百倍何千倍何万倍何億倍何兆倍すれば人は数十年数百年数千年数万年数億年数兆年の太古の事実が見れるじやないか、それを又絶えず崩壊するものとするか、原子は原子であり原子であり原子である、生理作用は変移するものであるか、原子は原子でなく原子でなく原子でない、放射は崩壊であるか、人は永劫である永劫を生き得ることは生命は生でもなく命でもなく光であることであるである。 嗅覚の味覚と味覚の嗅覚 (立体への絶望に依る誕生) (運動への絶望に依る誕生) (地球は空巣である時封建時代は涙ぐむ程懐かしい) 一九三一、五、三一、九、一一
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年10月 初出:「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年10月 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2020年3月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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1+3 3+1 3+1 1+3 1+3 3+1 1+3 1+3 3+1 3+1 3+1 1+3 線上の一点 A 線上の一点 B 線上の一点 C A+B+C=A A+B+C=B A+B+C=C 二線の交点 A 三線の交点 B 数線の交点 C 3+1 1+3 1+3 3+1 3+1 1+3 3+1 3+1 1+3 1+3 1+3 3+1 (太陽光線は、凸レンズのために収斂光線となり一点において赫々と光り赫々と燃えた、太初の僥倖は何よりも大気の層と層とのなす層をして凸レンズたらしめなかつたことにあることを思ふと楽しい、幾何学は凸レンズの様な火遊びではなからうか、ユウクリトは死んだ今日ユウクリトの焦点は到る処において人文の脳髄を枯草の様に焼却する収斂作用を羅列することに依り最大の収斂作用を促す危険を促す、人は絶望せよ、人は誕生せよ、人は誕生せよ、人は絶望せよ) 一九三一、九、一一
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年10月 初出:「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年10月 ※底本の編者による語注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:きゅうり 2020年3月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 123 1●●● 2●●● 3●●●  321 3●●● 2●●● 1●●● ∴ nPn=n(n-1)(n-2)……(n-n+1) (脳髄は扇子の様に円迄開いた、そして完全に廻転した) 一九三一、九、一一
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年10月 初出:「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年10月 入力:坂本真一 校正:きゅうり 2020年7月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053703", "作品名": "線に関する覚書3", "作品名読み": "せんにかんするおぼえがき3", "ソート用読み": "せんにかんするおほえかき3", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会、1931(昭和6)年10月", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2020-08-20T00:00:00", "最終更新日": "2020-07-27T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53703.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱作品集成", "底本出版社名1": "作品社", "底本初版発行年1": "2006(平成18)年9月15日", "入力に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "校正に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "底本の親本名1": "朝鮮と建築 第十集第十号", "底本の親本出版社名1": "朝鮮建築会", "底本の親本初版発行年1": "1931(昭和6)年10月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "きゅうり", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53703_txt_71417.zip", "テキストファイル最終更新日": "2020-07-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53703_71466.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2020-07-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 弾丸が一円壔を走つた(弾丸が一直線に走つたにおける誤謬らの修正) 正六砂糖(角砂糖のこと) 瀑筒の海綿質填充(瀑布の文学的解説)一九三一、九、一二
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年10月 初出:「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年10月 ※表題は底本では、「線に関する覚書4[#改行]     [#1段階小さな文字](未定稿)[#小さな文字終わり]」となっています。 入力:坂本真一 校正:きゅうり 2020年7月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 人は光よりも迅く逃げると人は光を見るか、人は光を見る、年齢の真空において二度結婚する、三度結婚するか、人は光よりも迅く逃げよ。  未来へ逃げて過去を見る、過去へ逃げて未来を見るか、未来へ逃げることは過去へ逃げることゝ同じことでもなく未来へ逃げることが過去へ逃げることである。拡大する宇宙を憂ふ人よ、過去に生きよ、光よりも迅く未来へ逃げよ。  人は再びオレを迎へる、人はより若いオレに少くとも相会す、人は三度オレを迎へる、人は若いオレに少くとも相会す、人は適宜に待てよ、そしてフアウストを楽めよ、メエフイストはオレにあるのでもなくオレである。  速度を調節する朝人はオレを集める、オレらは語らない、過去らに傾聴する現在を過去にすることは間もない、繰返される過去、過去らに傾聴する過去ら、現在は過去をのみ印刷し過去は現在と一致することはそのことらの複数の場合においても同じである。  聯想は処女にせよ、過去を現在と知れよ、人は古いものを新しいものと知る、健忘よ、永遠の忘却は忘却を皆救ふ。  来るオレは故に無意識に人に一致し人よりも迅くオレは逃げる新しい未来は新しくある、人は迅く逃げる、人は光を通り越し未来において過去を待ち伏す、先づ人は一つのオレを迎へよ、人は全等形においてオレを殺せよ。  人は全等形の体操の技術を習へよ、さもなければ人は過去のオレのバラバラを如何にするか。  思考の破片を食べよ、さもなければ新しいものは不完全である、聯想を殺せよ、一つを知る人は三つを知ることを一つを知ることの次にすることを已めよ、一つを知ることの次は一つのことを知ることをなすことをあらしめよ。  人は一度に一度逃げよ、最大に逃げよ、人は二度分娩される前に××される前に祖先の祖先の祖先の星雲の星雲の星雲の太初を未来において見る恐ろしさに人は迅く逃げることを差控へる、人は逃げる、迅く逃げて永遠に生き過去を愛撫し過去からして再びその過去に生きる、童心よ、童心よ、充たされることはない永遠の童心よ。一九三一、九、一二
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年10月 初出:「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年10月 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2020年7月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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数字の方位学 数字の力学 時間性(通俗思考に依る歴史性) 速度と座標と速度 etc  人は静力学の現象しないことゝ同じくあることの永遠の仮設である、人は人の客観を捨てよ。  主観の体系の収斂と収斂に依る凹レンズ。 4 第四世 4 一千九百三十一年九月十二日生。 4 陽子核としての陽子と陽子との聯想と選択。  原子構造としてのあらゆる運算の研究。  方位と構造式と質量としての数字の性状性質に依る解答と解答の分類。  数字を代数的であることにすることから数字を数字的であることにすることから数字を数字であることにすることから数字を数字であることにすることへ(1234567890の疾患の究明と詩的である情緒の棄場)  数字のあらゆる性状 数字のあらゆる性質 このことらに依る数字の語尾の活用に依る数字の消滅  算式は光と光よりも迅く逃げる人とに依り運算せらること。  人は星―天体―星のために犠牲を惜むことは無意味である、星と星との引力圏と引力圏との相殺に依る加速度函数の変化の調査を先づ作ること。一九三一、九、一二
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年10月 初出:「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年10月 入力:坂本真一 校正:Juki 2020年8月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053706", "作品名": "線に関する覚書6", "作品名読み": "せんにかんするおぼえがき6", "ソート用読み": "せんにかんするおほえかき6", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会、1931(昭和6)年10月", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2020-09-14T00:00:00", "最終更新日": "2020-08-28T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53706.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱作品集成", "底本出版社名1": "作品社", "底本初版発行年1": "2006(平成18)年9月15日", "入力に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "校正に使用した版1": "2006(平成18)年9月15日第1刷", "底本の親本名1": "朝鮮と建築 第十集第十号", "底本の親本出版社名1": "朝鮮建築会", "底本の親本初版発行年1": "1931(昭和6)年10月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "Juki", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53706_txt_71627.zip", "テキストファイル最終更新日": "2020-08-28T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53706_71673.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2020-08-28T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 空気構造の速度―音波に依る―速度らしく三百三十メートルを模倣する(何んと光に比しての甚だしき劣り方だらう)  光を楽めよ、光を悲しめよ、光を笑へよ、光を泣けよ。  光が人であると人は鏡である。  光を持てよ。  ――  視覚のナマエを持つことは計画の嚆矢である。視覚のナマエを発表せよ。 □ オレノのナマエ。 △ オレの妻のナマエ(既に古い過去においてオレの AMOUREUSE は斯くの如く聡明である)  視覚のナマエの通路は設けよ、そしてそれに最大の速度を与へよ。  ――  ソラは視覚のナマエについてのみ存在を明かにする(代表のオレは代表の一例を挙げること)  蒼空、秋天、蒼天、青天、長天、一天、蒼穹(非常に窮屈な地方色ではなからうか)ソラは視覚のナマエを発表した。  視覚のナマエは人と共に永遠に生きるべき数字的である或る一点である、視覚のナマエは運動しないで運動のコヲスを持つばかりである。  ――  視覚のナマエは光を持つ光を持たない、人は視覚のナマエのために光よりも迅く逃げる必要はない。  視覚のナマエらを健忘せよ。  視覚のナマエを節約せよ。  人は光よりも迅く逃げる速度を調節し度々過去を未来において淘汰せよ。一九三一、九、一二
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年10月 初出:「朝鮮と建築 第十集第十号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年10月 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2020年8月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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章魚ヲ始メテ食ベタ ノハ誰カ 鶏卵ヲ始メテ食ベタノハ誰カ 向シロ十分腹ガ空テイルニ違ヒナイ 石ト石トガ摺合イヲシ 長イ***ハ ヤハリ子供ガ出来ルラシイ 石ハ好キナ石ノトコロヘハ行ケナイ 私ノ路ノ前方ニ 一本ノ標杭ガ打ツテアル 私ノ不道徳ガ行刑サレテイル証據デアル 私ノ心ガ死ンデイル ト思ツテ私ノ肉体ハ動ク必要モアルマイト思ツタ 月ガ私ノ丸クナル背中ヲ恰モ 墓墳ヲ照ラス気持デアル コレガ私ノ惨殺サレタ現場ノ光景デアツタ
底本:「李箱詩集」花神社    2004(平成16)年4月1日初版1刷 ※手稿で字が小さく、正確に読み取れない状態を底本は「***」で表示しています。 ※本文末の蘭明氏による注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2021年8月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 白イ天使 (コノ鬍ノ生ヘタ天使ハキユビツトノ祖父様デアル。 鬍ノ全然(?)生ヘナイ天使ト ヨク結婚シタリスル。)  私ノ肋骨ハ2ダーズ(ン)。一ツ一ツニノツクヲシテ見ル。ソノ中デハ海綿ニ濡レタお湯ガ沸イテイル。白イ天使ノペンネームハ聖ピーターダト。ゴムノ電線(チンチンゴロゴロ) 鍵孔カラ偸聴。 (発信)ユダヤ人の王さまおやすみ? (返信)ツートツートトツーツー(1)ツートツートトツーツー(2)ツートツートトツーツー(3)  白ペンキ塗リノ礫架デ私ガグン〴〵お延ビヲスル。聖ピーター君ガ私ニ三度モ知ラナイト云フ ヤ否ヤ 鶏が羽搏ク……      オツト お湯ヲ コボシチヤ タイヘン――
底本:「李箱詩集」花神社    2004(平成16)年4月1日初版1刷 底本の親本:「李箱全集 第二巻 詩集」泰成社    1956(昭和31)年 ※副題は底本では表題の下に「[#割り注]――自家用福音――[#改行]――或ハ エリエリラマサバクタニ――[#割り注終わり]」と表記されています。 ※本文末の蘭明氏による注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2021年3月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "053791", "作品名": "内科", "作品名読み": "ないか", "ソート用読み": "ないか", "副題": "――自家用福音―― ――或ハ エリエリラマサバクタニ――", "副題読み": "――じかようふくいん―― ――あるいハ エリエリラマサバクタニ――", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2021-04-17T00:00:00", "最終更新日": "2021-03-27T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/card53791.html", "人物ID": "001597", "姓": "李", "名": "箱", "姓読み": "い", "名読み": "さん", "姓読みソート用": "い", "名読みソート用": "さん", "姓ローマ字": "I", "名ローマ字": "Sang", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1910-09-23", "没年月日": "1937-04-17", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "李箱詩集", "底本出版社名1": "花神社", "底本初版発行年1": "2004(平成16)年4月1日", "入力に使用した版1": "2004(平成16)年4月1日初版1刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "李箱全集 第二巻 詩集", "底本の親本出版社名1": "泰成社", "底本の親本初版発行年1": "1956(昭和31)年", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "坂本真一", "校正者": "hitsuji", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53791_ruby_72986.zip", "テキストファイル最終更新日": "2021-03-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001597/files/53791_73033.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2021-03-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 私は24歳。丁度母が私を産んだ齢である。聖セバスチアンの様に美しい弟、ローザルクサムブルグの木像の様な妹、母は吾等三人に孕胎分娩の苦楽を話して聞かせた。私は三人を代表して ――遂に――  オカアサマ ボクラ モスコシキョウダイガホシカツタンデス ――遂に母は弟の次の孕胎に六個月で流産した顛末を告げた。  アレハオトコダツタンダ コトシデ19  (母の溜息)  三人は各々見識らぬ兄弟の幻の面貌を見た。――コノクライモ大――と形容する母の腕と拳固は痩せている。二回もの咯血をした私が冷清を極めている家族のために早く娶らうと焦る気持ちであつた。私は24歳 私も母が私を産んだ様に――何か産まねばと私は思ふのであつた。
底本:「李箱詩集」花神社    2004(平成16)年4月1日初版1刷 底本の親本:「李箱全集 第二巻 詩集」泰成社    1956(昭和31)年 ※本文末の蘭明氏による注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:hitsuji 2021年9月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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前後左右を除く唯一の痕跡に於ける 翼段不逝 目大不覩 胖矮小形の神の眼前に我は落傷した故事を有つ。  ┌──┐    ┌──┐  │  │    │  │  │ ←┘    └→ │  └──────────┘ (臓腑 其者は浸水された畜舎とは異るものであらうか)
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十一集第七号」朝鮮建築会    1932(昭和7)年7月 初出:「朝鮮と建築 第十一集第七号」朝鮮建築会    1932(昭和7)年7月 ※底本は横組みです。 入力:坂本真一 校正:春日井ひとし 2017年12月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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1931年の風雲を寂しく語つてゐるタンクが早晨の大霧に赭く錆びついてゐる。 客桟の炕の中。(実験用アルコホルランプが灯の代りをしてゐる) ベルが鳴る。 小孩が二十年前に死んだ温泉の再噴出を知らせる。
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十一集第七号」朝鮮建築会    1932(昭和7)年7月 初出:「朝鮮と建築 第十一集第七号」朝鮮建築会    1932(昭和7)年7月 ※底本は横組みです。 ※表題は底本では、「熱河略図 No.2(未定稿)」となっています。 ※底本の編者による語注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:春日井ひとし 2017年12月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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俺は仕方ナク泣イタ 電燈ガ煙草ヲフカシタ ▽ハデアル      × ▽ヨ! 俺ハ苦シイ 俺ハ遊ブ ▽ノすりつぱーハ菓子ト同ジデナイ 如何ニ俺ハ泣ケバヨイノカ      × 淋シイ野原ヲ懐ヒ 淋シイ雪ノ日ヲ懐ヒ 俺ノ皮膚ヲ思ハナイ 記憶ニ対シテ俺ハ剛体デアル ホントウニ 「一緒に歌ひなさいませ」 ト云ツテ俺ノ膝ヲ叩イタ筈ノコトニ対シテ ▽ハ俺ノ夢デアル すてつき! 君ハ淋シク有名デアル ドウシヤゥ      × 遂ニ▽ヲ埋葬シタ雪景デアツタ。 1931・6・5
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年7月 初出:「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年7月 ※底本の編者による語注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:Juki 2020年3月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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1 目ガアツテ居ナケレバナラナイ筈ノ場所ニハ森林デアル 笑ヒガ在ツテ居タ 2 人参 3 あめりかノ幽霊ハ水族館デアルガ非常ニ流麗デアル ソレハ陰欝デデモァルコトダ 4 渓流ニテ―― 乾燥シタ植物性デアル 秋 5 一小隊ノ軍人ガ東西ノ方向ヘト前進シタト云フコトハ 無意味ナコトデナケレバナラナイ 運動場ガ破裂シ亀裂スルバカリデアルカラ 6 三心円 7 粟ヲツメタめりけん袋 簡単ナ須臾ノ月夜デアツタ 8 何時デモ泥棒スルコト許リ計画シテ居タ ソウデハナカツタトスレバ少クトモ物乞ヒデハアツタ 9 疎ナルモノハ密ナルモノノ相対デアリ又 平凡ナモノハ非凡ナモノノ相対デアツタ 俺ノ神経ハ娼女ヨリモモツト貞淑ナ処女ヲ願ツテイタ 10 馬―― 汗――      × 余事務ヲ以テ散歩トスルモ宜シ 余天ノ青キニ飽ク斯ク閉鎖主義ナリ 1931・6・5
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年7月 初出:「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年7月 入力:坂本真一 校正:きゅうり 2019年3月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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キリストは見窄らしい着物で説教を始めた。 アアルカアボネは橄欖山を山のまゝ拉撮し去つた。      × 一九三〇年以後のこと――。 ネオンサインで飾られた或る教会の入口では肥つちよのカアボネが頬の傷痕を伸縮させながら切符を売つていた。一九三一、八、一一
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 初出:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 ※底本の編者による語注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:きゅうり 2019年9月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 アアルカアボネの貨幣は迚も光沢がよくメダルにしていゝ位だがキリストの貨幣は見られぬ程貧弱で何しろカネと云ふ資格からは一歩も出ていない。  カアボネがプレツサンとして送つたフロツクコオトをキリストは最後迄突返して已んだと云ふことは有名ながら尤もな話ではないか。 一九三一、八、一一
底本:「李箱作品集成」作品社    2006(平成18)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 初出:「朝鮮と建築 第十集第八号」朝鮮建築会    1931(昭和6)年8月 ※底本の編者による語注は省略しました。 入力:坂本真一 校正:きゅうり 2019年9月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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