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 或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待つてゐた。  廣い門の下には、この男の外に誰もゐない。唯、所々丹塗の剥げた、大きな圓柱に、蟋蟀が一匹とまつてゐる。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男の外にも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありさうなものである。それが、この男の外には誰もゐない。  何故かと云ふと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか云ふ災がつゞいて起つた。そこで洛中のさびれ方は一通りでない。舊記によると、佛像や佛具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に賣つてゐたと云ふ事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てゝ顧る者がなかつた。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。盗人が棲む。とうとうしまひには、引取り手のない死人を、この門へ持つて來て、棄てゝ行くと云ふ習慣さへ出來た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも氣味を惡るがつて、この門の近所へは足ぶみをしない事になつてしまつたのである。  その代り又鴉が何處からか、たくさん集つて來た。晝間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて高い鴟尾のまはりを啼きながら、飛びまはつてゐる。殊に門の上の空が、夕燒けであかくなる時には、それが胡麻をまいたやうにはつきり見えた。鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、啄みに來るのである。――尤も今日は、刻限が遲いせいか、一羽も見えない。唯、所々、崩れかゝつた、さうしてその崩れ目に長い草のはへた石段の上に、鴉の糞が、點々と白くこびりついてゐるのが見える。下人は七段ある石段の一番上の段に洗ひざらした紺の襖の尻を据ゑて、右の頬に出來た、大きな面皰を氣にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めてゐるのである。  作者はさつき、「下人が雨やみを待つてゐた」と書いた。しかし、下人は、雨がやんでも格別どうしようと云ふ當てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ歸る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたやうに、當時京都の町は一通りならず衰微してゐた。今この下人が、永年、使はれてゐた主人から、暇を出されたのも、この衰微の小さな餘波に外ならない。だから「下人が雨やみを待つてゐた」と云ふよりも、「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれてゐた」と云ふ方が、適當である。その上、今日の空模樣も少からずこの平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申の刻下りからふり出した雨は、未に上るけしきがない。そこで、下人は、何を措いても差當り明日の暮しをどうにかしようとして――云はゞどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考へをたどりながら、さつきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いてゐた。  雨は、羅生門をつゝんで、遠くから、ざあつと云ふ音をあつめて來る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍先に、重たくうす暗い雲を支へてゐる。  どうにもならない事を、どうにかする爲には、手段を選んでゐる遑はない。選んでゐれば、築土の下か、道ばたの土の上で、饑死をするばかりである。さうして、この門の上へ持つて來て、犬のやうに棄てられてしまふばかりである。選ばないとすれば――下人の考へは、何度も同じ道を低徊した揚句に、やつとこの局所へ逢着した。しかしこの「すれば」は、何時までたつても、結局「すれば」であつた。下人は、手段を選ばないといふ事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつける爲に、當然、その後に來る可き「盗人になるより外に仕方がない」と云ふ事を、積極的に肯定する丈の、勇氣が出ずにゐたのである。  下人は、大きな嚏をして、それから、大儀さうに立上つた。夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しい程の寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗の柱にとまつてゐた蟋蟀も、もうどこかへ行つてしまつた。  下人は、頸をちゞめながら、山吹の汗衫に重ねた、紺の襖の肩を高くして門のまはりを見まはした。雨風の患のない、人目にかゝる惧のない、一晩樂にねられさうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かさうと思つたからである。すると、幸門の上の樓へ上る、幅の廣い、之も丹を塗つた梯子が眼についた。上なら、人がゐたにしても、どうせ死人ばかりである。下人は、そこで腰にさげた聖柄の太刀が鞘走らないやうに氣をつけながら、藁草履をはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。  それから、何分かの後である。羅生門の樓の上へ出る、幅の廣い梯子の中段に、一人の男が、猫のやうに身をちゞめて、息を殺しながら、上の容子を窺つてゐた。樓の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしてゐる。短い鬚の中に、赤く膿を持つた面皰のある頬である。下人は、始めから、この上にゐる者は、死人ばかりだと高を括つてゐた。それが、梯子を二三段上つて見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火を其處此處と動かしてゐるらしい。これは、その濁つた、黄いろい光が、隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、ゆれながら映つたので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしてゐるからは、どうせ唯の者ではない。  下人は、守宮のやうに足音をぬすんで、やつと急な梯子を、一番上の段まで這ふやうにして上りつめた。さうして體を出來る丈、平にしながら、頸を出來る丈、前へ出して、恐る恐る、樓の内を覗いて見た。  見ると、樓の内には、噂に聞いた通り、幾つかの屍骸が、無造作に棄てゝあるが、火の光の及ぶ範圍が、思つたより狹いので、數は幾つともわからない。唯、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の屍骸と、着物を着た屍骸とがあると云ふ事である。勿論、中には女も男もまじつてゐるらしい。さうして、その屍骸は皆、それが、甞、生きてゐた人間だと云ふ事實さへ疑はれる程、土を捏ねて造つた人形のやうに、口を開いたり手を延ばしたりしてごろごろ床の上にころがつてゐた。しかも、肩とか胸とかの高くなつてゐる部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなつてゐる部分の影を一層暗くしながら、永久に唖の如く默つていた。  下人は、それらの屍骸の腐爛した臭氣に思はず、鼻を掩つた。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩ふ事を忘れてゐた。或る強い感情が、殆悉この男の嗅覺を奪つてしまつたからである。  下人の眼は、その時、はじめて、其屍骸の中に蹲つている人間を見た。檜肌色の着物を著た、背の低い、痩せた、白髮頭の、猿のやうな老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片を持つて、その屍骸の一つの顏を覗きこむやうに眺めてゐた。髮の毛の長い所を見ると、多分女の屍骸であらう。  下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸をするのさへ忘れてゐた。舊記の記者の語を借りれば、「頭身の毛も太る」やうに感じたのである。すると、老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めてゐた屍骸の首に兩手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱をとるやうに、その長い髮の毛を一本づゝ拔きはじめた。髮は手に從つて拔けるらしい。  その髮の毛が、一本ずゝ拔けるのに從つて下人の心からは、恐怖が少しづつ消えて行つた。さうして、それと同時に、この老婆に對するはげしい憎惡が、少しづゝ動いて來た。――いや、この老婆に對すると云つては、語弊があるかも知れない。寧、あらゆる惡に對する反感が、一分毎に強さを増して來たのである。この時、誰かがこの下人に、さつき門の下でこの男が考へてゐた、饑死をするか盗人になるかと云ふ問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であらう。それほど、この男の惡を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片のやうに、勢よく燃え上り出してゐたのである。  下人には、勿論、何故老婆が死人の髮の毛を拔くかわからなかつた。從つて、合理的には、それを善惡の何れに片づけてよいか知らなかつた。しかし下人にとつては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髮の毛を拔くと云ふ事が、それ丈で既に許す可らざる惡であつた。勿論、下人は、さつき迄自分が、盗人になる氣でゐた事なぞは、とうに忘れてゐるのである。  そこで、下人は、兩足に力を入れて、いきなり、梯子から上へ飛び上つた。さうして聖柄の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよつた。老婆が驚いたのは、云ふ迄もない。  老婆は、一目下人を見ると、まるで弩にでも弾かれたやうに、飛び上つた。 「おのれ、どこへ行く。」  下人は、老婆が屍骸につまづきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞いで、こう罵つた。老婆は、それでも下人をつきのけて行かうとする。下人は又、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は屍骸の中で、暫、無言のまゝ、つかみ合つた。しかし勝敗は、はじめから、わかつている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへ扭ぢ倒した。丁度、鷄の脚のやうな、骨と皮ばかりの腕である。 「何をしてゐた。さあ何をしてゐた。云へ。云はぬと、これだぞよ。」  下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘を拂つて、白い鋼の色をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は默つてゐる。兩手をわなわなふるはせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球が眶の外へ出さうになる程、見開いて、唖のやうに執拗く默つてゐる。これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されてゐると云ふ事を意識した。さうして、この意識は、今まではげしく燃えてゐた憎惡の心を何時の間にか冷ましてしまつた。後に殘つたのは、唯、或仕事をして、それが圓滿に成就した時の、安らかな得意と滿足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を見下しながら、少し聲を柔げてかう云つた。 「己は檢非違使の廳の役人などではない。今し方この門の下を通りかゝつた旅の者だ。だからお前に繩をかけて、どうしようと云ふやうな事はない。唯、今時分、この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさへすればいいのだ。」  すると、老婆は、見開いてゐた眼を、一層大きくして、ぢつとその下人の顏を見守つた。眶の赤くなつた、肉食鳥のやうな、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、殆、鼻と一つになつた唇を、何か物でも噛んでゐるやうに動かした。細い喉で、尖つた喉佛の動いてゐるのが見える。その時、その喉から、鴉の啼くやうな聲が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ傳はつて來た。 「この髮を拔いてな、この女の髮を拔いてな、鬘にせうと思うたのぢや。」  下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。さうして失望すると同時に、又前の憎惡が、冷な侮蔑と一しよに、心の中へはいつて來た。すると、その氣色が、先方へも通じたのであらう。老婆は、片手に、まだ屍骸の頭から奪つた長い拔け毛を持つたなり、蟇のつぶやくやうな聲で、口ごもりながら、こんな事を云つた。  成程、死人の髮の毛を拔くと云ふ事は、惡い事かも知れぬ。しかし、かう云ふ死人の多くは、皆、その位な事を、されてもいゝ人間ばかりである。現に、自分が今、髮を拔いた女などは、蛇を四寸ばかりづゝに切つて干したのを、干魚だと云つて、太刀帶の陣へ賣りに行つた。疫病にかゝつて死ななかつたなら、今でも賣りに行つてゐたかもしれない。しかも、この女の賣る干魚は、味がよいと云ふので、太刀帶たちが、缺かさず菜料に買つてゐたのである。自分は、この女のした事が惡いとは思はない。しなければ、饑死をするので、仕方がなくした事だからである。だから、又今、自分のしてゐた事も惡い事とは思はない。これもやはりしなければ、饑死をするので、仕方がなくする事だからである。さうして、その仕方がない事を、よく知つてゐたこの女は、自分のする事を許してくれるのにちがひないと思ふからである。――老婆は、大體こんな意味の事を云つた。  下人は、太刀を鞘におさめて、その太刀の柄を左の手でおさへながら、冷然として、この話を聞いてゐた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持つた大きな面皰を氣にしながら、聞いてゐるのである。しかし、之を聞いてゐる中に、下人の心には、或勇氣が生まれて來た。それは、さつき、門の下でこの男に缺けてゐた勇氣である。さうして、又さつき、この門の上へ上つて、この老婆を捕へた時の勇氣とは、全然、反對な方向に動かうとする勇氣である。下人は、饑死をするか盗人になるかに迷はなかつたばかりではない。その時のこの男の心もちから云へば、饑死などと云ふ事は、殆、考へる事さへ出來ない程、意識の外に追ひ出されてゐた。 「きつと、そうか。」  老婆の話が完ると、下人は嘲るやうな聲で念を押した。さうして、一足前へ出ると、不意に、右の手を面皰から離して、老婆の襟上をつかみながら、かう云つた。 「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もさうしなければ、饑死をする體なのだ。」  下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとつた。それから、足にしがみつかうとする老婆を、手荒く屍骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を數へるばかりである。下人は、剥ぎとつた檜肌色の着物をわきにかゝへて、またゝく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。  暫、死んだやうに倒れてゐた老婆が、屍骸の中から、その裸の體を起したのは、それから間もなくの事である。老婆は、つぶやくやうな、うめくやうな聲を立てながら、まだ燃えてゐる火の光をたよりに、梯子の口まで、這つて行つた。さうして、そこから、短い白髮を倒にして、門の下を覗きこんだ。外には、唯、黒洞々たる夜があるばかりである。  下人は、既に、雨を冐して、京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。 ――四年九月――
底本:「新選 名著復刻全集 近代文学館 芥川龍之介著 羅生門 阿蘭陀書房版」ほるぷ出版    1976(昭和51)年4月1日発行 ※疑問点の確認にあたっては、「日本の文学33 羅生門」ほるぷ出版、1984(昭和59)年8月1日初版第1刷発行を参照しました。 入力:j.utiyama 校正:もりみつじゅんじ、野口英司 1999年6月9日公開 2010年11月4日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。  広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。  何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか云う災がつづいて起った。そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。  その代りまた鴉がどこからか、たくさん集って来た。昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾のまわりを啼きながら、飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいたようにはっきり見えた。鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、啄みに来るのである。――もっとも今日は、刻限が遅いせいか、一羽も見えない。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉の糞が、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖の尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面皰を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。  作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申の刻下りからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。  雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍の先に、重たくうす暗い雲を支えている。  どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はない。選んでいれば、築土の下か、道ばたの土の上で、饑死をするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊した揚句に、やっとこの局所へ逢着した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。  下人は、大きな嚔をして、それから、大儀そうに立上った。夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗の柱にとまっていた蟋蟀も、もうどこかへ行ってしまった。  下人は、頸をちぢめながら、山吹の汗袗に重ねた、紺の襖の肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の患のない、人目にかかる惧のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子が眼についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。下人はそこで、腰にさげた聖柄の太刀が鞘走らないように気をつけながら、藁草履をはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。  それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の容子を窺っていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い鬚の中に、赤く膿を持った面皰のある頬である。下人は、始めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高を括っていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしているらしい。これは、その濁った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。  下人は、守宮のように足音をぬすんで、やっと急な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。そうして体を出来るだけ、平にしながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内を覗いて見た。  見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸が、無造作に棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるという事である。勿論、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土を捏ねて造った人形のように、口を開いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖の如く黙っていた。  下人は、それらの死骸の腐爛した臭気に思わず、鼻を掩った。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからだ。  下人の眼は、その時、はじめてその死骸の中に蹲っている人間を見た。檜皮色の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片を持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分女の死骸であろう。  下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身の毛も太る」ように感じたのである。すると老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱をとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。  その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。――いや、この老婆に対すると云っては、語弊があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、饑死をするか盗人になるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上り出していたのである。  下人には、勿論、何故老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。  そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、梯子から上へ飛び上った。そうして聖柄の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚いたのは云うまでもない。  老婆は、一目下人を見ると、まるで弩にでも弾かれたように、飛び上った。 「おのれ、どこへ行く。」  下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞いで、こう罵った。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は死骸の中で、しばらく、無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへ扭じ倒した。丁度、鶏の脚のような、骨と皮ばかりの腕である。 「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」  下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、白い鋼の色をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球が眶の外へ出そうになるほど、見開いて、唖のように執拗く黙っている。これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を見下しながら、少し声を柔らげてこう云った。 「己は検非違使の庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄をかけて、どうしようと云うような事はない。ただ、今時分この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだ。」  すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。眶の赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉の啼くような声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。 「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘にしようと思うたのじゃ。」  下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑と一しょに、心の中へはいって来た。すると、その気色が、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、蟇のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。 「成程な、死人の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」  老婆は、大体こんな意味の事を云った。  下人は、太刀を鞘におさめて、その太刀の柄を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな面皰を気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いている中に、下人の心には、ある勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。 「きっと、そうか。」  老婆の話が完ると、下人は嘲るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰から離して、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。 「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」  下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。  しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪を倒にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。  下人の行方は、誰も知らない。 (大正四年九月)
底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年9月24日第1刷発行    1997(平成9)年4月15日第14刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第一巻」筑摩書房    1971(昭和46)年3月5日初版第1刷発行 初出:「帝国文学」    1915(大正4)年11月号 ※底本の編者による脚注は省略しました。 入力:平山誠、野口英司 校正:もりみつじゅんじ 1997年10月29日公開 2022年7月16日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 この集にはいっている短篇は、「羅生門」「貉」「忠義」を除いて、大抵過去一年間――数え年にして、自分が廿五歳の時に書いたものである。そうして半は、自分たちが経営している雑誌「新思潮」に、一度掲載されたものである。  この期間の自分は、東京帝国文科大学の怠惰なる学生であった。講義は一週間に六七時間しか、聴きに行かない。試験は何時も、甚だ曖昧な答案を書いて通過する、卒業論文の如きは、一週間で怱忙の中に作成した。その自分がこれらの余戯に耽り乍ら、とにかく卒業する事の出来たのは、一に同大学諸教授の雅量に負う所が少くない。唯偏狭なる自分が衷心から其雅量に感謝する事の出来ないのは、遺憾である。  自分は「羅生門」以前にも、幾つかの短篇を書いていた。恐らく未完成の作をも加えたら、この集に入れたものの二倍には、上っていた事であろう。当時、発表する意志も、発表する機関もなかった自分は、作家と読者と批評家とを一身に兼ねて、それで格別不満にも思わなかった。尤も、途中で三代目の「新思潮」の同人になって、短篇を一つ発表した事がある。が、間もなく「新思潮」が廃刊すると共に、自分は又元の通り文壇とは縁のない人間になってしまった。  それが彼是一年ばかり続く中に、一度「帝国文学」の新年号へ原稿を持ちこんで、返された覚えがあるが、間もなく二度目のがやっと同じ雑誌で活字になり、三度目のが又、半年ばかり経って、どうにか日の目を見るような運びになった。その三度目が、この中へ入れた「羅生門」である。その発表後間もなく、自分は人伝に加藤武雄君が、自分の小説を読んだと云う事を聞いた。断って置くが、読んだと云う事を聞いたので、褒めたと云う事を聞いたのではない。けれども自分はそれだけで満足であった。これが、自分の小説も友人以外に読者がある、そうして又同時にあり得ると云う事を知った始である。  次いで、四代目の「新思潮」が久米、松岡、菊池、成瀬、自分の五人の手で、発刊された。そうして、その初号に載った「鼻」を、夏目先生に、手紙で褒めて頂いた。これが、自分の小説を友人以外の人に批評された、そうして又同時に、褒めて貰った始めである。  爾来程なく、鈴木三重吉氏の推薦によって、「芋粥」を「新小説」に発表したが、「新思潮」以外の雑誌に寄稿したのは、寧ろ「希望」に掲げられた、「虱」を以て始めとするのである。  自分が、以上の事をこの集の後に記したのは、これらの作品を書いた時の自分を幾分でも自分に記念したかったからに外ならない。自分の創作に対する所見、態度の如きは、自ら他に発表する機会があるであろう。唯、自分は近来ます〳〵自分らしい道を、自分らしく歩くことによってのみ、多少なりとも成長し得る事を感じている。従って、屡々自分の頂戴する新理智派と云い、新技巧派と云う名称の如きは、何れも自分にとっては寧ろ迷惑な貼札たるに過ぎない。それらの名称によって概括される程、自分の作品の特色が鮮明で単純だとは、到底自信する勇気がないからである。  最後に自分は、常に自分を刺戟し鼓舞してくれる「新思潮」の同人に対して、改めて感謝の意を表したいと思う。この集の如きも、或は諸君の名によって――同人の一人の著作として覚束ない存在を未来に保つような事があるかも知れない。そうなれば、勿論自分は満足である。が、そうならなくとも亦必ずしも満足でない事はない。敢て同人に語を寄せる所以である。     大正六年五月 芥川龍之介
底本:「日本の文学 33 羅生門」ほるぷ出版    1984(昭和59)年8月1日初版第1刷発行    1986(昭和61)年12月1日初版第3刷発行 底本の親本:「羅生門」阿蘭陀書房    1917(大正6)年5月発行 入力:j.utiyama 校正:earthian 1998年12月28日公開 2004年3月17日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000022", "作品名": "羅生門の後に", "作品名読み": "らしょうもんのあとに", "ソート用読み": "らしようもんのあとに", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「時事新報」1917(大正6)年5月5日", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "1998-12-28T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card22.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "日本の文学 33 羅生門", "底本出版社名1": "ほるぷ出版", "底本初版発行年1": "1984(昭和59)年8月1日", "入力に使用した版1": "1986(昭和61)年12月1日初版第3刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "羅生門", "底本の親本出版社名1": "阿蘭陀書房", "底本の親本初版発行年1": "大正6年5月発行", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "j.utiyama", "校正者": "もりみつじゅんじ", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/22_ruby_983.zip", "テキストファイル最終更新日": "2004-03-17T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/22_15282.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2004-03-17T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
     一  リチヤアド・バアトン(Richard Burton)の訳した「一千一夜物語」――アラビヤン・ナイツは、今日まで出てゐる英訳中で先づ一番完全に近いものであるとせられてゐる。勿論、バアトン以前に出た訳本も数あつて、一々挙げる遑も無い程であるが、先づ「一千一夜物語」を欧羅巴に紹介した最初の訳本は一七〇四年に出たアントアン・ガラン(Antoine Galland)教授の仏訳本である。これは勿論完訳ではない。ただ甚だ愛誦するに足る抄訳本と云ふ位のものである。ガラン以後にも手近い所でフオスタア(Foster)だとかブツセイ(Bussey)だとかいろいろ訳本の無い訣ではない。併し何れも訳語や文体は仏蘭西臭味を漂はせた、まづ少年読物と云ふ水準を越えないものばかりである。  ガラン教授から一世紀の後――即ち一八〇〇年以後の主なる訳者を列挙して見ると、大体下の通りである。 1. Dr. Jonathan Scott. (1800) 2. Edward Wortley. (1811) 3. Henry Torrens. (1838) 4. Edward William Lane. (1839) 5. John Pane. (1885)  トレンズの訳本は、在来のもののやうに英仏臭味を帯びないもので、其の点では一歩を進めたものであるが、訳者が十分原語に通暁してゐなかつたし、殊に埃及やシリヤの方言などを全く知らなかつた為に、憾むらくは所期の点に達し得なかつた。而も十分の一位で中絶して居るのは、甚だ惜むべきことである。  レエンの訳本――日本へは最も広く流布してゐる。殊にボオン(Bohn)叢書の二巻ものは、本郷や神田の古本屋でよく見受けられる――は底本としたバラク(Bulak)版が元々省略の多いものであり、其の上に二百ある話の中から半分の百だけを訳出したもので、随つて残りの百話の中に却つて面白いものが有ると云ふやうな訣で、お上品に出来過ぎて了つて、応接間向きの趣向は好いとしても、慊らないこと夥しい。お負けに、レエンは一夜一夜を章別にした上に、或章は註の中に追入れて了つたり、詩を散文に訳出したり又は全然捨てて了つたりして居るし、児戯に類する誤訳も甚だ多いと云ふ次第。  次にペエン――フランソア・ヴイヨン(François Vilon)の詩を英訳した――の「一千一夜物語」の訳は、旧来のものに比べると格段に優れてゐる。話の数もガラン訳の四倍あり其の他のものの三倍はあるが、手の届かぬ所が無いでもない。しかし兎も角好訳であるが、私版を五百部刊行しただけで、遂に稀覯書の中に這入つて了つた。ただ一つ特記すべきことは、巻頭にバアトンへの献詞が附いてゐることである。  バアトンの訳本も、一千部の限定出版で、容易に手に入り難い。出版当時十ポンドであつたものが、今日では三十ポンド内外の市価を唱へられてゐるのは、「一千一夜物語」愛好者の為に聊か気の毒である。尤も此のバアトン訳の剽竊版(Pirate Edition)が亜米利加で幾つも出来てゐるが、中身は何うだらうか。  バアトンの訳本の表題は左の通り。 A PLAIN AND LITERAL TRANSLATION OF THE ARABIAN NIGHTS ENTERTAINMENTS, NOW ENTITLED THE BOOK OF THE THOUSAND NIGHTS AND A NIGHT WITH INTRODUCTION EXPLANATORY NOTES ON THE MANNERS AND CUSTOMS OF MOSLEM MEN AND A TERMINAL ESSAY UPON THE HISTORY OF THE NIGHTS BY RICHARD F. BURTON.  巻数は補遺共十八冊で、出版所はバアトン倶楽部、一八八五年から一八八八年へかけて刊行されてゐる。  訳者バアトン並びにバアトン訳本の次第は次々に話すことにしませう。      二  訳者バアトンは東方諸国を跋渉した英吉利の陸軍大尉であるが、本の方を中心にしてお話すると、バアトンの訳本の成立ちは、第一巻の「訳者の序言」と第十一巻の「一千一夜物語の伝記並に其の批評者の批評」とに収められて居る。  抑もバアトンが此の翻訳を思ひ立つたのは、アデン在留の医師ジヨン・スタインホイザアと一緒に、メヂヤ、メツカを旅行した時のことで、バアトンが第一巻を此のスタインホイザアに献じてゐるのを以て視ても、二人の道中話がどんなであつたかは分る。  其の旅行は一八五二年の冬のことで、其の途中で、バアトンはスタインホイザアと亜剌比亜のことをいろいろ話してゐる中に、おのづと話題が「一千一夜物語」に移つて行つて、とうとう二人の口から、「一千一夜物語」は子供の間に知れ渡つてゐるにも拘はらず本当の値打が僅かに亜剌比亜語学者にしか認められてゐないと云ふ感慨が洩れて出た。それから話が一歩進んで、何うしても完全な翻訳が出したいと云ふことに纏まり、スタインホイザアが散文を、バアトンが韻文を訳出する筈に決して、別れた。  それから両人は互に文通して、励まし合つてゐたが、幾も無くスタインホイザアが瑞西のベルンで卒中で斃れて了つた。スタインホイザアの稿本は散逸して、バアトンの手に入つたものは僅かであつた。  その後バアトンは、西部亜弗利加や南亜米利加に客寓中、独り稿を継いで行つた。其の間に於ける彼の胸中は、「他人目には何うか知らないけれども、自分では何よりの慰藉と満足との泉であつた」と云ふ彼自身の言葉が尽して居る。  斯くて稿を畢つて、一八七九年の春から清書に取掛つて行つたが、一八八二年の冬、或雑誌に、ジヨン・ペインの訳本が刊行されると云ふ予告が出た。バアトンが之を知つたのは、恰も西部亜弗利加の黄金海岸へ遠征しようと云ふ間際であつた。乃でペインに「小生も貴君と同様の事業を企て居り候へども、貴君の既に之を完成されたるは結構千万の儀にて、先鞭の功は小生よりお譲り可申云々」と云ふ手紙を送つた。その中にペインの訳本が出た。で、バアトンは一時中止した。  バアトンが又続けて言つて居る。「東部亜弗利加のゼイラに二箇月間滞在してゐた時にも、ソマリイを横断の陣中でも、此の「一千一夜」が何の位自分を慰めて呉れたか解らない」と。  然らば此のバアトンの訳本は、欧洲の天地を遠く離れて、而も瘴煙蛮雨の中で生れたもので、恰もタイチに赴いたゴオガンの絵と好対照である。  一八八四年に、バアトンはトリエストに滞在中、最初の二巻を脱稿した。  茲で問題は印刷部数である。或学者が曰ふ、「百五十部乃至二百五十部で宣しからう」と。其の学者と謂ふのは、本文を十六万部も刷つて、六シルリングの廉価本より五十ギニイの高価本まで売り尽した男である。又或出版業者は「五百部がよい」と云つた。ただ素人の一友人が「二千から三千がよい」と勧めた。バアトンも迷つた末、一千部に決めた。  バアトンはそれから知人未知人を問はず、買ふらしい人の表を作つて、広告を配つた。其の要綱は、全十冊、一冊一ギニイ、各冊とも代金は本と引換へのこと、廉価版は発行しない。一千部限り印行、十八箇月内に完結の予定、と云ふ規定であつた。広告配布数は二万四千で、その費用は百二十六ポンド掛つた。返事の来たのは八百通。  翌年バアトンは英国に帰つて着々と事を進めてゐると、八百の予約はとうとう二千に殖えた。中には「差当り第一巻を見本として送られ度、気に入り候はば引続いて願上候」といふ素見客もあつた。  之に送つたバアトンの返事は、「先づ十ギニイ送金有之度、その上にて一冊御申込になるとも全十冊御申込になるとも御勝手に候」と。其れから取次業者連中は、安く踏倒さうと思つて種々画策をやつた。又、本を受取つても金を払はない連中も廿人位あつた。  バアトンは最初から取次業者を眼中に置かず、危険を冒して自分で刊行しようと企てたのである。知名の文学者なり又文学団体の協賛を希望したけれども、誰れ一人応じなかつた。バアトンの計画を嘲笑した「印刷タイムス」の如きもあつた。「バ氏の此の事業に関係して居る筈の某々の氏名が訳本に載つて居らぬ。印刷者の手落ちならば正に罰金を課すべきである。又「一千一夜物語」の完訳は風俗上許し難い。縦令ひ私版であるとしても、公衆道徳を傷ける虞ある以上はバ氏に罰金を課するが至当だ」と云ふやうな調子であつた。バアトンは此の挑戦に応じて「出版者は著者自身である。斯かる類の書を出版業者の手に移すことは不快の至りで、著者自身の手に依つて、東洋語学者並びに考古学者の為に出版するのである」と発表した。      三  バアトンの「一千一夜物語」十七巻の中、七巻は補遺である。その第十巻の終りに Terminal Essay が附いてゐて、此の物語の起源、亜剌比亜の風俗、欧羅巴に於ける訳本等が精しく討究されてゐる。殊に亜剌比亜並びに東方諸国の風俗に関する論文は、学術上の貴い研究資料であると共に、専門家ならぬ者にも頗る興趣あるものである。  バアトンは本文を、一話一話に分けないで、原文通り一夜一夜に別けてゐる。又、韻文は散文とせずに韻文に訳出してゐる。之を以て観てもバアトンが如何に原文に忠実であつたかは推察出来ると思ふ。  例へば、亜剌比亜人の形容を其儘翻訳して居るのに非常に面白いものがある。男女の抱擁を「釦が釦の孔に嵌まるやうに一緒になつた」と叙してある如き其の一つである。又、バクダッドの宮室庭園を写した文章の如きは、微に入り細を穿つて居つて、光景見るが如きものがある。第三十六夜(第二巻)の話にある Harunal-Rashid の庭園の描写などは其の好例である。  バアトンは又基督教的道徳に煩はされずして、大胆率直に東洋的享楽主義を是認した人で、随つて其の訳本も在来の英訳「一千一夜物語」とは甚だ趣を異にしてゐる。例へば、第二百十五夜(第三巻)に Budur 女王の歌ふ詩に次の如きものがある。 The penis smooth and round was made with anus best to match it, Had it been made for cunnus' sake it had been formed like hatchet!  併し概して言ふと、下がかつた事も、原文が無邪気に堂々と言ひ放つてゐるのを其儘訳出してあるから、近代の小説中に現はれる Love scene よりも婬褻の感を与へない。  脚註が亦頗る細密なるものである。而も其の註が尋常一様のものでなく、バアトン一流のものである。単に語句の上のみでなく、事実上の研究にも及んでゐる。例へば Shahriyar 王の妃が黒人の男を情夫にする条の註を見ると、亜剌比亜の女が好んで黒人の男子を迎へるのは他ではない。亜剌比亜人の penis は欧羅巴人のよりも短い。然るに黒人のは欧羅巴人のよりも更に長く、且つ黒人のは膨脹律が少なくて duration が長い。其の為めに亜剌比亜女が黒人を情夫に持つのであるといふ類である。現にバアトンが計測した黒人の penis は平均長さ何吋だ抔と註してある。(未完) (大正十三年七月) 〔談話〕
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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        一  宇治の大納言隆国「やれ、やれ、昼寝の夢が覚めて見れば、今日はまた一段と暑いようじゃ。あの松ヶ枝の藤の花さえ、ゆさりとさせるほどの風も吹かぬ。いつもは涼しゅう聞える泉の音も、どうやら油蝉の声にまぎれて、反って暑苦しゅうなってしもうた。どれ、また童部たちに煽いででも貰おうか。 「何、往来のものどもが集った? ではそちらへ参ると致そう。童部たちもその大団扇を忘れずに後からかついで参れ。 「やあ、皆のもの、予が隆国じゃ。大肌ぬぎの無礼は赦してくれい。 「さて今日はその方どもにちと頼みたい事があって、わざと、この宇治の亭へ足を止めて貰うたのじゃ。と申すはこの頃ふとここへ参って、予も人並に双紙を一つ綴ろうと思い立ったが、つらつら独り考えて見れば、生憎予はこれと云うて、筆にするほどの話も知らぬ。さりながらあだ面倒な趣向などを凝らすのも、予のような怠けものには、何より億劫千万じゃ。ついては今日から往来のその方どもに、今は昔の物語を一つずつ聞かせて貰うて、それを双紙に編みなそうと思う。さすれば内裡の内外ばかりうろついて居る予などには、思いもよらぬ逸事奇聞が、舟にも載せ車にも積むほど、四方から集って参るに相違あるまい。何と、皆のもの、迷惑ながらこの所望を叶えてくれる訳には行くまいか。 「何、叶えてくれる? それは重畳、では早速一同の話を順々にこれで聞くと致そう。 「こりゃ童部たち、一座へ風が通うように、その大団扇で煽いでくれい。それで少しは涼しくもなろうと申すものじゃ。鋳物師も陶器造も遠慮は入らぬ。二人ともずっとこの机のほとりへ参れ。鮓売の女も日が近くば、桶はその縁の隅へ置いたが好いぞ。わ法師も金鼓を外したらどうじゃ。そこな侍も山伏も簟を敷いたろうな。 「よいか、支度が整うたら、まず第一に年かさな陶器造の翁から、何なりとも話してくれい。」         二  翁「これは、これは、御叮嚀な御挨拶で、下賤な私どもの申し上げます話を、一々双紙へ書いてやろうと仰有います――そればかりでも、私の身にとりまして、どのくらい恐多いかわかりません。が、御辞退申しましては反って御意に逆う道理でございますから、御免を蒙って、一通り多曖もない昔話を申し上げると致しましょう。どうか御退屈でもしばらくの間、御耳を御借し下さいまし。 「私どものまだ年若な時分、奈良に蔵人得業恵印と申しまして、途方もなく鼻の大きい法師が一人居りました。しかもその鼻の先が、まるで蜂にでも刺されたかと思うくらい、年が年中恐しくまっ赤なのでございます。そこで奈良の町のものが、これに諢名をつけまして、鼻蔵――と申しますのは、元来大鼻の蔵人得業と呼ばれたのでございますが、それではちと長すぎると申しますので、やがて誰云うとなく鼻蔵人と申し囃しました。が、しばらく致しますと、それでもまだ長いと申しますので、さてこそ鼻蔵鼻蔵と、謡われるようになったのでございます。現に私も一両度、その頃奈良の興福寺の寺内で見かけた事がございますが、いかさま鼻蔵とでも譏られそうな、世にも見事な赤鼻の天狗鼻でございました。その鼻蔵の、鼻蔵人の、大鼻の蔵人得業の恵印法師が、ある夜の事、弟子もつれずにただ一人そっと猿沢の池のほとりへ参りまして、あの采女柳の前の堤へ、『三月三日この池より竜昇らんずるなり』と筆太に書いた建札を、高々と一本打ちました。けれども恵印は実の所、猿沢の池に竜などがほんとうに住んでいたかどうか、心得ていた訳ではございません。ましてその竜が三月三日に天上すると申す事は、全く口から出まかせの法螺なのでございます。いや、どちらかと申しましたら、天上しないと申す方がまだ確かだったのでございましょう。ではどうしてそんな入らざる真似を致したかと申しますと、恵印は日頃から奈良の僧俗が何かにつけて自分の鼻を笑いものにするのが不平なので、今度こそこの鼻蔵人がうまく一番かついだ挙句、さんざん笑い返してやろうと、こう云う魂胆で悪戯にとりかかったのでございます。御前などが御聞きになりましたら、さぞ笑止な事と思召しましょうが、何分今は昔の御話で、その頃はかような悪戯を致しますものが、とかくどこにもあり勝ちでございました。 「さてあくる日、第一にこの建札を見つけましたのは、毎朝興福寺の如来様を拝みに参ります婆さんで、これが珠数をかけた手に竹杖をせっせとつき立てながら、まだ靄のかかっている池のほとりへ来かかりますと、昨日までなかった建札が、采女柳の下に立って居ります。はて法会の建札にしては妙な所に立っているなと不審には思ったのでございますが、何分文字が読めませんので、そのまま通りすぎようと致しました時、折よく向うから偏衫を着た法師が一人、通りかかったものでございますから、頼んで読んで貰いますと、何しろ『三月三日この池より竜昇らんずるなり』で、――誰でもこれには驚いたでございましょう。その婆さんも呆気にとられて、曲った腰をのしながら、『この池に竜などが居りましょうかいな。』と、とぼんと法師の顔を見上げますと、法師は反って落ち着き払って、『昔、唐のある学者が眉の上に瘤が出来て、痒うてたまらなんだ事があるが、ある日一天俄に掻き曇って、雷雨車軸を流すがごとく降り注いだと見てあれば、たちまちその瘤がふっつと裂けて、中から一匹の黒竜が雲を捲いて一文字に昇天したと云う話もござる。瘤の中にさえ竜が居たなら、ましてこれほどの池の底には、何十匹となく蛟竜毒蛇が蟠って居ようも知れぬ道理じゃ。』と、説法したそうでございます。何しろ出家に妄語はないと日頃から思いこんだ婆さんの事でございますから、これを聞いて肝を消しますまい事か、『成程そう承りますれば、どうやらあの辺の水の色が怪しいように見えますわいな。』で、まだ三月三日にもなりませんのに、法師を独り後に残して、喘ぎ喘ぎ念仏を申しながら、竹杖をつく間もまだるこしそうに急いで逃げてしまいました。後で人目がございませんでしたら、腹を抱えたかったのはこの法師で――これはそうでございましょう。実はあの発頭人の得業恵印、諢名は鼻蔵が、もう昨夜建てた高札にひっかかった鳥がありそうだくらいな、はなはだ怪しからん量見で、容子を見ながら、池のほとりを、歩いて居ったのでございますから。が、婆さんの行った後には、もう早立ちの旅人と見えて、伴の下人に荷を負わせた虫の垂衣の女が一人、市女笠の下から建札を読んで居るのでございます。そこで恵印は大事をとって、一生懸命笑を噛み殺しながら、自分も建札の前に立って一応読むようなふりをすると、あの大鼻の赤鼻をさも不思議そうに鳴らして見せて、それからのそのそ興福寺の方へ引返して参りました。 「すると興福寺の南大門の前で、思いがけなく顔を合せましたのは、同じ坊に住んで居った恵門と申す法師でございます。それが恵印に出会いますと、ふだんから片意地なげじげじ眉をちょいとひそめて、『御坊には珍しい早起きでござるな。これは天気が変るかも知れませぬぞ。』と申しますから、こちらは得たり賢しと鼻を一ぱいににやつきながら、『いかにも天気ぐらいは変るかも知れませぬて。聞けばあの猿沢の池から三月三日には、竜が天上するとか申すではござらぬか。』と、したり顔に答えました。これを聞いた恵門は疑わしそうに、じろりと恵印の顔を睨めましたが、すぐに喉を鳴らしながらせせら笑って、『御坊は善い夢を見られたな。いやさ、竜の天上するなどと申す夢は吉兆じゃとか聞いた事がござる。』と、鉢の開いた頭を聳かせたまま、行きすぎようと致しましたが、恵印はまるで独り言のように、『はてさて、縁無き衆生は度し難しじゃ。』と、呟いた声でも聞えたのでございましょう。麻緒の足駄の歯を扭って、憎々しげにふり返りますと、まるで法論でもしかけそうな勢いで、『それとも竜が天上すると申す、しかとした証拠がござるかな。』と問い詰るのでございます。そこで恵印はわざと悠々と、もう朝日の光がさし始めた池の方を指さしまして、『愚僧の申す事が疑わしければ、あの采女柳の前にある高札を読まれたがよろしゅうござろう。』と、見下すように答えました。これにはさすがに片意地な恵門も、少しは鋒を挫かれたのか、眩しそうな瞬きを一つすると、『ははあ、そのような高札が建ちましたか。』と気のない声で云い捨てながら、またてくてくと歩き出しましたが、今度は鉢の開いた頭を傾けて、何やら考えて行くらしいのでございます。その後姿を見送った鼻蔵人の可笑しさは、大抵御推察が参りましょう。恵印はどうやら赤鼻の奥がむず痒いような心もちがして、しかつめらしく南大門の石段を上って行く中にも、思わず吹き出さずには居られませんでした。 「その朝でさえ『三月三日この池より竜昇らんずるなり』の建札は、これほどの利き目がございましたから、まして一日二日と経って見ますと、奈良の町中どこへ行っても、この猿沢の池の竜の噂が出ない所はございません。元より中には『あの建札も誰かの悪戯であろう。』など申すものもございましたが、折から京では神泉苑の竜が天上致したなどと申す評判もございましたので、そう云うものさえ内心では半信半疑と申しましょうか、事によるとそんな大変があるかも知れないぐらいな気にはなって居ったのでございます。するとここにまた思いもよらない不思議が起ったと申しますのは、春日の御社に仕えて居りますある禰宜の一人娘で、とって九つになりますのが、その後十日と経たない中に、ある夜母の膝を枕にしてうとうとと致して居りますと、天から一匹の黒竜が雲のように降って来て、『わしはいよいよ三月三日に天上する事になったが、決してお前たち町のものに迷惑はかけない心算だから、どうか安心していてくれい。』と人語を放って申しました。そこで娘は目がさめるとすぐにこれこれこうこうと母親に話しましたので、さては猿沢の池の竜が夢枕に立ったのだと、たちまちまたそれが町中の大評判になったではございませんか。こうなると話にも尾鰭がついて、やれあすこの稚児にも竜が憑いて歌を詠んだの、やれここの巫女にも竜が現れて託宣をしたのと、まるでその猿沢の池の竜が今にもあの水の上へ、首でも出しそうな騒ぎでございます。いや、首までは出しも致しますまいが、その中に竜の正体を、目のあたりにしかと見とどけたと申す男さえ出て参りました。これは毎朝川魚を市へ売りに出ます老爺で、その日もまだうす暗いのに猿沢の池へかかりますと、あの采女柳の枝垂れたあたり、建札のある堤の下に漫々と湛えた夜明け前の水が、そこだけほんのりとうす明く見えたそうでございます。何分にも竜の噂がやかましい時分でございますから、『さては竜神の御出ましか。』と、嬉しいともつかず、恐しいともつかず、ただぶるぶる胴震いをしながら、川魚の荷をそこへ置くなり、ぬき足にそっと忍び寄ると、采女柳につかまって、透かすように、池を窺いました。するとそのほの明い水の底に、黒金の鎖を巻いたような何とも知れない怪しい物が、じっと蟠って居りましたが、たちまち人音に驚いたのか、ずるりとそのとぐろをほどきますと、見る見る池の面に水脈が立って、怪しい物の姿はどことも知れず消え失せてしまったそうでございます。が、これを見ました老爺は、やがて総身に汗をかいて、荷を下した所へ来て見ますと、いつの間にか鯉鮒合せて二十尾もいた商売物がなくなっていたそうでございますから、『大方劫を経た獺にでも欺されたのであろう。』などと哂うものもございました。けれども中には『竜王が鎮護遊ばすあの池に獺の棲もう筈もないから、それはきっと竜王が魚鱗の命を御憫みになって、御自分のいらっしゃる池の中へ御召し寄せなすったのに相違ない。』と申すものも、思いのほか多かったようでございます。 「こちらは鼻蔵の恵印法師で、『三月三日この池より竜昇らんずるなり』の建札が大評判になるにつけ、内々あの大鼻をうごめかしては、にやにや笑って居りましたが、やがてその三月三日も四五日の中に迫って参りますと、驚いた事には摂津の国桜井にいる叔母の尼が、是非その竜の昇天を見物したいと申すので、遠い路をはるばると上って参ったではございませんか。これには恵印も当惑して、嚇すやら、賺すやら、いろいろ手を尽して桜井へ帰って貰おうと致しましたが、叔母は、『わしもこの年じゃで、竜王の御姿をたった一目拝みさえすれば、もう往生しても本望じゃ。』と、剛情にも腰を据えて、甥の申す事などには耳を借そうとも致しません。と申してあの建札は自分が悪戯に建てたのだとも、今更白状する訳には参りませんから、恵印もとうとう我を折って、三月三日まではその叔母の世話を引き受けたばかりでなく、当日は一しょに竜神の天上する所を見に行くと云う約束までもさせられました。さてこうなって考えますと、叔母の尼さえ竜の事を聞き伝えたのでございますから、大和の国内は申すまでもなく、摂津の国、和泉の国、河内の国を始めとして、事によると播磨の国、山城の国、近江の国、丹波の国のあたりまでも、もうこの噂が一円にひろまっているのでございましょう。つまり奈良の老若をかつごうと思ってした悪戯が、思いもよらず四方の国々で何万人とも知れない人間を瞞す事になってしまったのでございます。恵印はそう思いますと、可笑しいよりは何となく空恐しい気が先に立って、朝夕叔母の尼の案内がてら、つれ立って奈良の寺々を見物して歩いて居ります間も、とんと検非違使の眼を偸んで、身を隠している罪人のような後めたい思いがして居りました。が、時々往来のものの話などで、あの建札へこの頃は香花が手向けてあると云う噂を聞く事でもございますと、やはり気味の悪い一方では、一かど大手柄でも建てたような嬉しい気が致すのでございます。 「その内に追い追い日数が経って、とうとう竜の天上する三月三日になってしまいました。そこで恵印は約束の手前、今更ほかに致し方もございませんから、渋々叔母の尼の伴をして、猿沢の池が一目に見えるあの興福寺の南大門の石段の上へ参りました。丁度その日は空もほがらかに晴れ渡って、門の風鐸を鳴らすほどの風さえ吹く気色はございませんでしたが、それでも今日と云う今日を待ち兼ねていた見物は、奈良の町は申すに及ばず、河内、和泉、摂津、播磨、山城、近江、丹波の国々からも押し寄せて参ったのでございましょう。石段の上に立って眺めますと、見渡す限り西も東も一面の人の海で、それがまた末はほのぼのと霞をかけた二条の大路のはてのはてまで、ありとあらゆる烏帽子の波をざわめかせて居るのでございます。と思うとそのところどころには、青糸毛だの、赤糸毛だの、あるいはまた栴檀庇だのの数寄を凝らした牛車が、のっしりとあたりの人波を抑えて、屋形に打った金銀の金具を折からうららかな春の日ざしに、眩ゆくきらめかせて居りました。そのほか、日傘をかざすもの、平張を空に張り渡すもの、あるいはまた仰々しく桟敷を路に連ねるもの――まるで目の下の池のまわりは時ならない加茂の祭でも渡りそうな景色でございます。これを見た恵印法師はまさかあの建札を立てたばかりで、これほどの大騒ぎが始まろうとは夢にも思わずに居りましたから、さも呆れ返ったように叔母の尼の方をふり向きますと、『いやはや、飛んでもない人出でござるな。』と情けない声で申したきり、さすがに今日は大鼻を鳴らすだけの元気も出ないと見えて、そのまま南大門の柱の根がたへ意気地なく蹲ってしまいました。 「けれども元より叔母の尼には、恵印のそんな腹の底が呑みこめる訳もございませんから、こちらは頭巾もずり落ちるほど一生懸命首を延ばして、あちらこちらを見渡しながら、成程竜神の御棲まいになる池の景色は格別だの、これほどの人出がした上からは、きっと竜神も御姿を御現わしなさるだろうのと、何かと恵印をつかまえては話しかけるのでございます。そこでこちらも柱の根がたに坐ってばかりは居られませんので、嫌々腰を擡げて見ますと、ここにも揉烏帽子や侍烏帽子が人山を築いて居りましたが、その中に交ってあの恵門法師も、相不変鉢の開いた頭を一きわ高く聳やかせながら、鵜の目もふらず池の方を眺めて居るではございませんか。恵印は急に今までの情けない気もちも忘れてしまって、ただこの男さえかついでやったと云う可笑しさに独り擽られながら、『御坊』と一つ声をかけて、それから『御坊も竜の天上を御覧かな。』とからかうように申しましたが、恵門は横柄にふりかえると、思いのほか真面目な顔で、『さようでござる。御同様大分待ち遠い思いをしますな。』と、例のげじげじ眉も動かさずに答えるのでございます。これはちと薬が利きすぎた――と思うと、浮いた声も自然に出なくなってしまいましたから、恵印はまた元の通り世にも心細そうな顔をして、ぼんやり人の海の向うにある猿沢の池を見下しました。が、池はもう温んだらしい底光りのする水の面に、堤をめぐった桜や柳を鮮にじっと映したまま、いつになっても竜などを天上させる気色もございません。殊にそのまわりの何里四方が、隙き間もなく見物の人数で埋まってでもいるせいか、今日は池の広さが日頃より一層狭く見えるようで、第一ここに竜が居ると云うそれがそもそも途方もない嘘のような気が致すのでございます。 「が、一時一時と時の移って行くのも知らないように、見物は皆片唾を飲んで、気長に竜の天上を待ちかまえて居るのでございましょう。門の下の人の海は益広がって行くばかりで、しばらくする内には牛車の数も、所によっては車の軸が互に押し合いへし合うほど、多くなって参りました。それを見た恵印の情けなさは、大概前からの行きがかりでも、御推察が参るでございましょう。が、ここに妙な事が起ったと申しますのは、どう云うものか、恵印の心にもほんとうに竜が昇りそうな――それも始はどちらかと申すと、昇らない事もなさそうな気がし出した事でございます。恵印は元よりあの高札を打った当人でございますから、そんな莫迦げた気のすることはありそうもないものでございますが、目の下で寄せつ返しつしている烏帽子の波を見て居りますと、どうもそんな大変が起りそうな気が致してなりません。これは見物の人数の心もちがいつとなく鼻蔵にも乗り移ったのでございましょうか。それともあの建札を建てたばかりに、こんな騒ぎが始まったと思うと、何となく気が咎めるので、知らず知らずほんとうに竜が昇ってくれれば好いと念じ出したのでございましょうか。その辺の事情はともかくも、あの高札の文句を書いたものは自分だと重々承知しながら、それでも恵印は次第次第に情けない気もちが薄くなって、自分も叔母の尼と同じように飽かず池の面を眺め始めました。また成程そう云う気が起りでも致しませんでしたら、昇る気づかいのない竜を待って、いかに不承不承とは申すものの、南大門の下に小一日も立って居る訳には参りますまい。 「けれども猿沢の池は前の通り、漣も立てずに春の日ざしを照り返して居るばかりでございます。空もやはりほがらかに晴れ渡って、拳ほどの雲の影さえ漂って居る容子はございません。が、見物は相不変、日傘の陰にも、平張の下にも、あるいはまた桟敷の欄干の後にも、簇々と重なり重なって、朝から午へ、午から夕へ日影が移るのも忘れたように、竜王が姿を現すのを今か今かと待って居りました。 「すると恵印がそこへ来てから、やがて半日もすぎた時分、まるで線香の煙のような一すじの雲が中空にたなびいたと思いますと、見る間にそれが大きくなって、今までのどかに晴れていた空が、俄にうす暗く変りました。その途端に一陣の風がさっと、猿沢の池に落ちて、鏡のように見えた水の面に無数の波を描きましたが、さすがに覚悟はしていながら慌てまどった見物が、あれよあれよと申す間もなく、天を傾けてまっ白にどっと雨が降り出したではございませんか。のみならず神鳴も急に凄じく鳴りはためいて、絶えず稲妻が梭のように飛びちがうのでございます。それが一度鍵の手に群る雲を引っ裂いて、余る勢いに池の水を柱のごとく捲き起したようでございましたが、恵印の眼にはその刹那、その水煙と雲との間に、金色の爪を閃かせて一文字に空へ昇って行く十丈あまりの黒竜が、朦朧として映りました。が、それは瞬く暇で、後はただ風雨の中に、池をめぐった桜の花がまっ暗な空へ飛ぶのばかり見えたと申す事でございます――度を失った見物が右往左往に逃げ惑って、池にも劣らない人波を稲妻の下で打たせた事は、今更別にくだくだしく申し上るまでもございますまい。 「さてその内に豪雨もやんで、青空が雲間に見え出しますと、恵印は鼻の大きいのも忘れたような顔色で、きょろきょろあたりを見廻しました。一体今見た竜の姿は眼のせいではなかったろうか――そう思うと、自分が高札を打った当人だけに、どうも竜の天上するなどと申す事は、なさそうな気も致して参ります。と申して、見た事は確かに見たのでございますから、考えれば考えるほど益審でたまりません。そこで側の柱の下に死んだようになって坐っていた叔母の尼を抱き起しますと、妙にてれた容子も隠しきれないで、『竜を御覧じられたかな。』と臆病らしく尋ねました。すると叔母は大息をついて、しばらくは口もきけないのか、ただ何度となく恐ろしそうに頷くばかりでございましたが、やがてまた震え声で、『見たともの、見たともの、金色の爪ばかり閃かいた、一面にまっ黒な竜神じゃろが。』と答えるのでございます。して見ますと竜を見たのは、何も鼻蔵人の得業恵印の眼のせいばかりではなかったのでございましょう。いや、後で世間の評判を聞きますと、その日そこに居合せた老若男女は、大抵皆雲の中に黒竜の天へ昇る姿を見たと申す事でございました。 「その後恵印は何かの拍子に、実はあの建札は自分の悪戯だったと申す事を白状してしまいましたが、恵門を始め仲間の法師は一人もその白状をほんとうとは思わなかったそうでございます。これで一体あの建札の悪戯は図星に中ったのでございましょうか。それとも的を外れたのでございましょうか。鼻蔵の、鼻蔵人の、大鼻の蔵人得業の恵印法師に尋ねましても、恐らくこの返答ばかりは致し兼ねるのに相違ございますまい…………」         三  宇治大納言隆国「なるほどこれは面妖な話じゃ。昔はあの猿沢池にも、竜が棲んで居ったと見えるな。何、昔もいたかどうか分らぬ。いや、昔は棲んで居ったに相違あるまい。昔は天が下の人間も皆心から水底には竜が住むと思うて居った。さすれば竜もおのずから天地の間に飛行して、神のごとく折々は不思議な姿を現した筈じゃ。が、予に談議を致させるよりは、その方どもの話を聞かせてくれい。次は行脚の法師の番じゃな。 「何、その方の物語は、池の尾の禅智内供とか申す鼻の長い法師の事じゃ? これはまた鼻蔵の後だけに、一段と面白かろう。では早速話してくれい。――」       (大正八年四月)
底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年12月1日第1刷発行    1996(平成8)年4月1日第8刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1998年12月8日公開 2004年3月13日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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天主初成世界  随造三十六神  第一鉅神  云輅斉布児(中略)  自謂其智与天主等  天主怒而貶入地獄(中略)  輅斉雖入地獄受苦  而一半魂神作魔鬼遊行世間  退人善念 ―左闢第三闢裂性中艾儒略荅許大受語― 一  破提宇子と云う天主教を弁難した書物のある事は、知っている人も少くあるまい。これは、元和六年、加賀の禅僧巴毗弇なるものの著した書物である。巴毗弇は当初南蛮寺に住した天主教徒であったが、その後何かの事情から、DS 如来を捨てて仏門に帰依する事になった。書中に云っている所から推すと、彼は老儒の学にも造詣のある、一かどの才子だったらしい。  破提宇子の流布本は、華頂山文庫の蔵本を、明治戊辰の頃、杞憂道人鵜飼徹定の序文と共に、出版したものである。が、そのほかにも異本がない訳ではない。現に予が所蔵の古写本の如きは、流布本と内容を異にする個所が多少ある。  中でも同書の第三段は、悪魔の起源を論じた一章であるが、流布本のそれに比して、予の蔵本では内容が遥に多い。巴毗弇自身の目撃した悪魔の記事が、あの辛辣な弁難攻撃の間に態々引証されてあるからである。この記事が流布本に載せられていない理由は、恐らくその余りに荒唐無稽に類する所から、こう云う破邪顕正を標榜する書物の性質上、故意の脱漏を利としたからでもあろうか。  予は以下にこの異本第三段を紹介して、聊巴毗弇の前に姿を現した、日本の Diabolus を一瞥しようと思う。なお巴毗弇に関して、詳細を知りたい人は、新村博士の巴毗弇に関する論文を一読するが好い。 二  提宇子のいわく、DS は「すひりつあるすすたんしや」とて、無色無形の実体にて、間に髪を入れず、天地いつくにも充満して在ませども、別して威光を顕し善人に楽を与え玉わんために「はらいそ」とて極楽世界を諸天の上に作り玉う。その始人間よりも前に、安助(天使)とて無量無数の天人を造り、いまだ尊体を顕し玉わず。上一人の位を望むべからずとの天戒を定め玉い、この天戒を守らばその功徳に依って、DS の尊体を拝し、不退の楽を極むべし。もしまた破戒せば「いんへるの」とて、衆苦充満の地獄に堕し、毒寒毒熱の苦難を与うべしとの義なりしに、造られ奉って未だ一刻をも経ざるに、即ち無量の安助の中に「るしへる」と云える安助、己が善に誇って我は是 DS なり、我を拝せよと勧めしに、かの無量の安助の中、三分の一は「るしへる」に同意し、多分は与せず、ここにおいて DS「るしへる」を初とし、彼に与せし三分の一の安助をば下界へ追い下し、「いんへるの」に堕せしめ給う。即安助高慢の科に依って、「じゃぼ」とて天狗と成りたるものなり。  破していわく、汝提宇子、この段を説く事、ひとえに自縄自縛なり、まず DS はいつくにも充ち満ちて在ますと云うは、真如法性本分の天地に充塞し、六合に遍満したる理を、聞きはつり云うかと覚えたり。似たる事は似たれども、是なる事は未だ是ならずとは、如此の事をや云う可き。さて汝云わずや。DS は「さひえんちいしも」とて、三世了達の智なりとは。然らば彼安助を造らば、即時に科に落つ可きと云う事を知らずんばあるべからず。知らずんば、三世了達の智と云えば虚談なり。また知りながら造りたらば、慳貪の第一なり。万事に叶う DS ならば、安助の科に堕せざるようには、何とて造らざるぞ。科に落つるをままに任せ置たるは、頗る天魔を造りたるものなり。無用の天狗を造り、邪魔を為さするは、何と云う事ぞ。されど「じゃぼ」と云う天狗、もとよりこの世になしと云うべからず。ただ、DS 安助を造り、安助悪魔と成りし理、聞えずと弁ずるのみ。  よしまた、「じゃぼ」の成り立は、さる事なりとするも、汝がこれを以て極悪兇猛の鬼物となす条、甚以て不審なり。その故は、われ、昔、南蛮寺に住せし時、悪魔「るしへる」を目のあたりに見し事ありしが、彼自らその然らざる理を述べ、人間の「じゃぼ」を知らざる事、夥しきを歎きしを如何。云うこと勿れ、巴毗弇、天魔の愚弄する所となり、妄に胡乱の言をなすと。天主と云う名に嚇されて、正法の明なるを悟らざる汝提宇子こそ、愚痴のただ中よ。わが眼より見れば、尊げに「さんた・まりあ」などと念じ玉う、伴天連の数は多けれど、悪魔「るしへる」ほどの議論者は、一人もあるまじく存ずるなり。今、事の序なれば、わが「じゃぼ」に会いし次第、南蛮の語にては「あぼくりは」とも云うべきを、あらあら下に記し置かん。  年月のほどは、さる可き用もなければ云わず。とある年の秋の夕暮、われ独り南蛮寺の境内なる花木の茂みを歩みつつ、同じく切支丹宗門の門徒にして、さるやんごとなきあたりの夫人が、涙ながらの懺悔を思いめぐらし居たる事あり。先つごろ、その夫人のわれに申されけるは、「このほど、怪しき事あり。日夜何ものとも知れず、わが耳に囁きて、如何ぞさばかりむくつけき夫のみ守れる。世には情ある男も少からぬものをと云う。しかもその声を聞く毎に、神魂たちまち恍惚として、恋慕の情自ら止め難し。さればとてまた、誰と契らんと願うにもあらず、ただ、わが身の年若く、美しき事のみなげかれ、徒らなる思に身を焦すなり」と。われ、その時、宗門の戒法を説き、かつ厳に警めけるは、「その声こそ、一定悪魔の所為とは覚えたれ。総じてこの「じゃぼ」には、七つの恐しき罪に人間を誘う力あり、一に驕慢、二に憤怒、三に嫉妬、四に貪望、五に色欲、六に餮饕、七に懈怠、一つとして堕獄の悪趣たらざるものなし。されば DS が大慈大悲の泉源たるとうらうえにて、「じゃぼ」は一切諸悪の根本なれば、いやしくも天主の御教を奉ずるものは、かりそめにもその爪牙に近づくべからず。ただ、専念に祈祷を唱え、DS の御徳にすがり奉って、万一「いんへるの」の業火に焼かるる事を免るべし」と。われ、さらにまた南蛮の画にて見たる、悪魔の凄じき形相など、こまごまと談りければ、夫人も今更に「じゃぼ」の恐しさを思い知られ、「さてはその蝙蝠の翼、山羊の蹄、蛇の鱗を備えしものが、目にこそ見えね、わが耳のほとりに蹲りて、淫らなる恋を囁くにや」と、身ぶるいして申されたり。われ、その一部始終を心の中に繰返しつつ、異国より移し植えたる、名も知らぬ草木の薫しき花を分けて、ほの暗き小路を歩み居しが、ふと眼を挙げて、行手を見れば、われを去る事十歩ならざるに、伴天連めきたる人影あり。その人、わが眼を挙ぐるより早く、風の如く来りて、問いけるは、「汝、われを知るや」と。われ、眼を定めてその人を見れば、面はさながら崑崙奴の如く黒けれど、眉目さまで卑しからず、身には法服の裾長きを着て、首のめぐりには黄金の飾りを垂れたり。われ、遂にその面を見知らざりしかば、否と答えけるに、その人、忽ち嘲笑うが如き声にて、「われは悪魔「るしへる」なり」と云う。われ、大に驚きて云いけるは、「如何ぞ、「るしへる」なる事あらん。見れば、容体も人に異らず。蝙蝠の翼、山羊の蹄、蛇の鱗は如何にしたる」と。その人答うらく、「悪魔はもとより、人間と異るものにあらず。われを描いて、醜悪絶類ならしむるものは画工のさかしらなり。わがともがらは、皆われの如く、翼なく、鱗なく、蹄なし。況や何ぞかの古怪なる面貌あらん。」われ、さらに云いけるは、「悪魔にしてたとい、人間と異るものにあらずとするも、そはただ、皮相の見に止るのみ。汝が心には、恐しき七つの罪、蝎の如くに蟠らん、」と。「るしへる」再び、嘲笑う如き声にて云うよう、「七つの罪は人間の心にも、蝎の如くに蟠れり。そは汝自ら知る所か」と。われ罵るらく、「悪魔よ、退け、わが心は DS が諸善万徳を映すの鏡なり。汝の影を止むべき所にあらず、」と。悪魔呵々大笑していわく、「愚なり、巴毗弇。汝がわれを唾罵する心は、これ即驕慢にして、七つの罪の第一よ。悪魔と人間の異らぬは、汝の実証を見て知るべし。もし悪魔にして、汝ら沙門の思うが如く、極悪兇猛の鬼物ならんか、われら天が下を二つに分って、汝が DS と共に治めんのみ。それ光あれば、必ず暗あり。DS の昼と悪魔の夜と交々この世を統べん事、あるべからずとは云い難し。されどわれら悪魔の族はその性悪なれど、善を忘れず。右の眼は「いんへるの」の無間の暗を見るとも云えど、左の眼は今もなお、「はらいそ」の光を麗しと、常に天上を眺むるなり。さればこそ悪において全からず。屡 DS が天人のために苦しめらる。汝知らずや、さきの日汝が懺悔を聞きたる夫人も、「るしへる」自らその耳に、邪淫の言を囁きしを。ただ、わが心弱くして、飽くまで夫人を誘う事能わず。ただ、黄昏と共に身辺を去来して、そが珊瑚の念珠と、象牙に似たる手頸とを、えもならず美しき幻の如く眺めしのみ。もしわれにして、汝ら沙門の恐るる如き、兇険無道の悪魔ならんか、夫人は必ず汝の前に懺悔の涙をそそがんより、速に不義の快楽に耽って、堕獄の業因を成就せん」と。われ、「るしへる」の弁舌、爽なるに驚きて、はかばかしく答もなさず、茫然としてただ、その黒檀の如く、つややかなる面を目戍り居しに、彼、たちまちわが肩を抱いて、悲しげに囁きけるは、「わが常に「いんへるの」に堕さんと思う魂は、同じくまた、わが常に「いんへるの」に堕すまじと思う魂なり。汝、われら悪魔がこの悲しき運命を知るや否や。わがかの夫人を邪淫の穽に捕えんとして、しかもついに捕え得ざりしを見よ。われ夫人の気高く清らかなるを愛ずれば、愈夫人を汚さまく思い、反ってまた、夫人を汚さまく思えば、愈気高く清らかなるを愛でんとす。これ、汝らが屡七つの恐しき罪を犯さんとするが如く、われらまた、常に七つの恐しき徳を行わんとすればなり。ああ、われら悪魔を誘うて、絶えず善に赴かしめんとするものは、そもそもまた汝らが DS か。あるいは DS 以上の霊か」と。悪魔「るしへる」は、かくわが耳に囁きて、薄暮の空をふり仰ぐよと見えしが、その姿たちまち霧の如くうすくなりて、淡薄たる秋花の木の間に、消ゆるともなく消え去り了んぬ。われ、即ち匇惶として伴天連の許に走り、「るしへる」が言を以てこれに語りたれど、無智の伴天連、反ってわれを信ぜず。宗門の内証に背くものとして、呵責を加うる事数日なり。されどわれ、わが眼にて見、わが耳にて聞きたるこの悪魔「るしへる」を如何にかして疑う可き。悪魔また性善なり。断じて一切諸悪の根本にあらず。  ああ、汝、提宇子、すでに悪魔の何たるを知らず、況やまた、天地作者の方寸をや。蔓頭の葛藤、截断し去る。咄。 (大正七年八月)
底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年10月28日第1刷発行    1996年(平成8)7月15日第11刷発行 親本:筑摩全集類聚版芥川龍之介全集    1971(昭和46)年3月~11月 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1998年12月7日公開 2010年11月4日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 媒酌結婚で結構です  媒酌結婚と自由結婚との得失といふことは、結局、この二種の結婚様式が結婚後の生活の上に、如何なる幸福を導き出し、如何なる不幸を齎すかといふことのやうに解せられる。併し結婚生活の幸福とは果して如何なることを意味するであらうか、それも考へなければならぬ。太く短く楽しむのか、細く長く楽しむのか、それとも又た夫婦間に衝突のある生活なのか、俄かに決定することの出来ない問題である。又た恋愛といふもの、昔の人達の考へたやうな清浄高潔な恋愛といふものが、世の中にあるだらうか否かといふことについても、私は疑ひを懐いてゐるものである。  実際に於て、さういふ生活があり得るか否かは別問題として、一般の人たちが考へるやうに、太く長く且つ平和に楽しめる夫婦生活といふものを、理想とし幸福として考へるならば、聡明な男女には自由結婚が適して居り、聡明でない男女には媒酌結婚が適してゐると私は言ひたい。併し聡明といふことと、青年といふことは、多くの場合一致しないものである。だから大抵の場合、媒酌結婚で結構だと思ふ。  ホリデイ・ラブ  右は大体について言うたのであるが、無知な大人が媒酌する結婚は、聡明でない青年男女が自由結婚をするのよりも遥かに危険である。ここに無知といふのは、理解といふ言葉の意味を広義に解釈したときの無理解といふことである。即ち現在二人が如何なる人生観を有つてゐるか、それが将来如何に変化してゆくだらうかといふ点まで考へないことである。結婚が人生の大きな時期を作るものであることは申すまでもない。結婚前の人物や思想といふものは、結婚によつて変ることが多く、結婚前の愛は結婚と同時になくなる、少くも変形するものである。  結婚後、湧いてくる新しい夫婦愛といふものは、人生の好伴侶として配偶者を見る愛であつて、結婚前の恋愛とは別箇のものである。私は愛の恒久性や純潔さを疑ふ。愛の変化消滅といふことについては厭世的である。恋愛の陶酔といふものが永続するとは考へられない。結婚して幻滅の悲哀を感ずるとは、よく聞くところであるが、結婚のみならず人生は総て幻滅の連続であらうと思ふ。結婚前の陶酔した恋愛とても、その過程の中には幾多の幻滅があるし、結婚後の永い生活の間にも屡々幻滅を感ずる。幻滅のない恒久性の愛といふものは考へられない。この点から私はホリデイラヴ、即ち一週間に一度の恋愛を主張する。  又、結婚後に幻滅を感じたら、その上、不愉快な生活を続けるよりも離婚したらよい。商事契約に於て、解約すれば権利も義務もなくなり全然無関係となるやうな具合に、結婚や離婚に対しても、もつとあつさり考へたい。離婚や再婚を罪悪視するのは余りにこだはつた考へ方であると思ふ。況んや見合ひなどした際、どちらか一方が幻滅を感じたにも拘らず、当座の義理や体裁から、これを有耶無耶に葬つて結婚するなどに至つては笑止の極であると思ふ。  媒酌と自由との調和  いかに自分は仁慈の君主であるか、いかに自分は天意を受けて君主の寵位に在るものであるかを、どうして国民に知らしめようかしらと苦心した帝王が東洋の昔にも西洋の昔にも沢山あるが、これと同じやうに親子、夫婦の間には虚偽の生活、瞞着し合ふ生活が少くない。子供たちが恋仲になり、続いて結婚しようとする所謂自由結婚と信じてゐるものゝ中に、あらゆる媒酌結婚の長所を取入れさせるだけの用意を持つてゐない親達は馬鹿であると共に、自分たちの恋愛結婚を、形式上媒酌人は立てゝもいゝから、父母を始として周囲の人たちの眼に、立派な結婚らしく映らせることの出来ない子供達、言葉を換へて云ふなら、親達が正式の結婚と信じてゐるものゝ中に、あらゆる自由結婚の長所を含ませるだけの働のない子供達は、これ亦た聡明を欠いてゐるといはなければならぬ。この点について、しつかりした考へを持つてゐる親子が揃ふと理想的の親子といへる。又かういふ親子ばかりだと、世の中は平和に面白く行くわけなんだが、事実かゝる怜悧な親達も子供達も少いものである。  英国のハンキングの戯曲中に次のやうなのがあつた。或る財産家の息子が、小間使だつたと記憶してゐるが。兎に角一人の田舎者の少女と恋に陥つたところ、母親は別に何とも言はないで、その少女と婚約さす、さうしておいて、花やかな社交界に二人をドシドシと出入させた。賑やかな交際社会へ入つてみると、今まで綺麗だと思つてゐた田舎者の少女も、美しい令嬢、夫人たちに伍すると非常に見劣りがして、その上、礼儀、作法、人品、言葉遣ひなど種々の点で、これでは結婚後不便だらうと思はれるやうなあらが沢山眼に見えてきたので、息子の方から破約を申出たといふのである。これを読んだときは、惨酷な手段を取つたものだなあと思つたが、よく考へてみると、その結果は息子のためにも少女のためにも、又周囲の人達の為にも、幸福――当座は不幸であつたかも知れないにしても――であつたに違ひない。ブルの婆々め非道いことやつたなとも考へられないではないが、兎に角、これだけの用意を心に持つた親といふものは滅多にないものである。  恋愛を余り高調するな  今の若い人達は余り恋愛といふものを高調し過ぎる。恋愛に関して非常に感傷的になつてゐると私には思はれる。婦人が殊に甚しいやうである。尤も男子のやうな社会的生活をすることが少いから、婦人に於ける性の意義は男子のそれよりも重く、それだけに婦人が当然の帰結として恋愛を高調するのかも知れないが、実に馬鹿げたことである。恋愛といふものはそんなに高潔であり恒久永続するものではなくて、互に『変るまいぞや』『変るまい』と契つた仲でも、常に幾多の紆余曲折があり幻滅が伴ふものである。だから私は先に言うたやうにホリデーラヴを主張するのである。よしんば其の恋愛が途中の支障がなく、順調に芽を育まれて行つたにしても、結婚によつて、それは消滅し又は全く形を変へてしまふのである。  自由結婚にしても媒酌結婚にしても、結婚生活といふものは幻滅であつて、或る意味に於て凡ての結婚といふものは、決して幸福なものではないと思ふ。
底本:「芥川龍之介全集 第十一巻」岩波書店    1996(平成8)年9月9日発行 入力:もりみつじゅんじ 校正:綾小路毅 2002年4月30日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 橋場の玉川軒と云う茶式料理屋で、一中節の順講があった。  朝からどんより曇っていたが、午ごろにはとうとう雪になって、あかりがつく時分にはもう、庭の松に張ってある雪よけの縄がたるむほどつもっていた。けれども、硝子戸と障子とで、二重にしめきった部屋の中は、火鉢のほてりで、のぼせるくらいあたたかい。人の悪い中洲の大将などは、鉄無地の羽織に、茶のきんとうしの御召揃いか何かですましている六金さんをつかまえて、「どうです、一枚脱いじゃあ。黒油が流れますぜ。」と、からかったものである。六金さんのほかにも、柳橋のが三人、代地の待合の女将が一人来ていたが、皆四十を越した人たちばかりで、それに小川の旦那や中洲の大将などの御新造や御隠居が六人ばかり、男客は、宇治紫暁と云う、腰の曲った一中の師匠と、素人の旦那衆が七八人、その中の三人は、三座の芝居や山王様の御上覧祭を知っている連中なので、この人たちの間では深川の鳥羽屋の寮であった義太夫の御浚いの話しや山城河岸の津藤が催した千社札の会の話しが大分賑やかに出たようであった。  座敷は離れの十五畳で、このうちでは一番、広い間らしい。籠行燈の中にともした電燈が所々に丸い影を神代杉の天井にうつしている。うす暗い床の間には、寒梅と水仙とが古銅の瓶にしおらしく投げ入れてあった。軸は太祇の筆であろう。黄色い芭蕉布で煤けた紙の上下をたち切った中に、細い字で「赤き実とみてよる鳥や冬椿」とかいてある。小さな青磁の香炉が煙も立てずにひっそりと、紫檀の台にのっているのも冬めかしい。  その前へ毛氈を二枚敷いて、床をかけるかわりにした。鮮やかな緋の色が、三味線の皮にも、ひく人の手にも、七宝に花菱の紋が抉ってある、華奢な桐の見台にも、あたたかく反射しているのである。その床の間の両側へみな、向いあって、すわっていた。上座は師匠の紫暁で、次が中洲の大将、それから小川の旦那と順を追って右が殿方、左が婦人方とわかれている。その右の列の末座にすわっているのがこのうちの隠居であった。  隠居は房さんと云って、一昨年、本卦返りをした老人である。十五の年から茶屋酒の味をおぼえて、二十五の前厄には、金瓶大黒の若太夫と心中沙汰になった事もあると云うが、それから間もなく親ゆずりの玄米問屋の身上をすってしまい、器用貧乏と、持ったが病の酒癖とで、歌沢の師匠もやれば俳諧の点者もやると云う具合に、それからそれへと微禄して一しきりは三度のものにも事をかく始末だったが、それでも幸に、僅な縁つづきから今ではこの料理屋に引きとられて、楽隠居の身の上になっている。中洲の大将の話では、子供心にも忘れないのは、その頃盛りだった房さんが、神田祭の晩肌守りに「野路の村雨」のゆかたで喉をきかせた時だったと云うが、この頃はめっきり老いこんで、すきな歌沢もめったに謡わなくなったし、一頃凝った鶯もいつの間にか飼わなくなった。かわりめ毎に覗き覗きした芝居も、成田屋や五代目がなくなってからは、行く張合がなくなったのであろう。今も、黄いろい秩父の対の着物に茶博多の帯で、末座にすわって聞いているのを見ると、どうしても、一生を放蕩と遊芸とに費した人とは思われない。中洲の大将や小川の旦那が、「房さん、板新道の――何とか云った…そうそう八重次お菊。久しぶりであの話でも伺おうじゃありませんか。」などと、話しかけても、「いや、もう、当節はから意気地がなくなりまして。」と、禿頭をなでながら、小さな体を一層小さくするばかりである。  それでも妙なもので、二段三段ときいてゆくうちに、「黒髪のみだれていまのものおもい」だの、「夜さこいと云う字を金糸でぬわせ、裾に清十郎とねたところ」だのと云う、なまめいた文句を、二の上った、かげへかげへとまわってゆく三味線の音につれて、語ってゆく、さびた声が久しく眠っていたこの老人の心を、少しずつ目ざませて行ったのであろう。始めは背をまげて聞いていたのが、いつの間にか腰を真直に体をのばして、六金さんが「浅間の上」を語り出した時分には、「うらみも恋も、のこり寝の、もしや心のかわりゃせん」と云うあたりから、目をつぶったまま、絃の音にのるように小さく肩をゆすって、わき眼にも昔の夢を今に見かえしているように思われた。しぶいさびの中に、長唄や清元にきく事の出来ないつやをかくした一中の唄と絃とは、幾年となくこの世にすみふるして、すいもあまいも、かみ分けた心の底にも、時ならない情の波を立てさせずには置かないのであろう。 「浅間の上」がきれて「花子」のかけあいがすむと、房さんは「どうぞ、ごゆるり。」と挨拶をして、座をはずした。丁度、その時、御会席で御膳が出たので、暫くはいろいろな話で賑やかだったが、中洲の大将は、房さんの年をとったのに、よくよく驚いたと見えて、 「ああも変るものかね、辻番の老爺のようになっちゃあ、房さんもおしまいだ。」 「いつか、あなたがおっしゃったのはあの方?」と六金さんがきくと、 「師匠も知ってるから、きいてごらんなさい。芸事にゃあ、器用なたちでね。歌沢もやれば一中もやる。そうかと思うと、新内の流しに出た事もあると云う男なんで。もとはあれでも師匠と同じ宇治の家元へ、稽古に行ったもんでさあ。」 「駒形の、何とか云う一中の師匠――紫蝶ですか――あの女と出来たのもあの頃ですぜ。」と小川の旦那も口を出した。  房さんの噂はそれからそれへと暫くの間つづいたが、やがて柳橋の老妓の「道成寺」がはじまると共に、座敷はまたもとのように静かになった。これがすむと直ぐ、小川の旦那の「景清」になるので、旦那はちょっと席をはずして、はばかりに立った。実はその序に、生玉子でも吸おうと云う腹だったのだが、廊下へ出ると中洲の大将がやはりそっとぬけて来て、 「小川さん、ないしょで一杯やろうじゃあ、ありませんか。あなたの次は私の「鉢の木」だからね。しらふじゃあ、第一腹がすわりませんや。」 「私も生玉子か、冷酒で一杯ひっかけようと思っていた所で、御同様に酒の気がないと意気地がありませんからな。」  そこで一緒に小用を足して、廊下づたいに母屋の方へまわって来ると、どこかで、ひそひそ話し声がする。長い廊下の一方は硝子障子で、庭の刀柏や高野槙につもった雪がうす青く暮れた間から、暗い大川の流れをへだてて、対岸のともしびが黄いろく点々と数えられる。川の空をちりちりと銀の鋏をつかうように、二声ほど千鳥が鳴いたあとは、三味線の声さえ聞えず戸外も内外もしんとなった。きこえるのは、薮柑子の紅い実をうずめる雪の音、雪の上にふる雪の音、八つ手の葉をすべる雪の音が、ミシン針のひびくようにかすかな囁きをかわすばかり、話し声はその中をしのびやかにつづくのである。 「猫の水のむ音でなし。」と小川の旦那が呟いた。足をとめてきいていると声は、どうやら右手の障子の中からするらしい。それは、とぎれ勝ちながら、こう聞えるのである。 「何をすねてるんだってことよ。そう泣いてばかりいちゃあ、仕様ねえわさ。なに、お前さんは紀の国屋の奴さんとわけがある……冗談云っちゃいけねえ。奴のようなばばあをどうするものかな。さましておいて、たんとおあがんなはいだと。さあそうきくから悪いわな。自体、お前と云うものがあるのに、外へ女をこしらえてすむ訳のものじゃあねえ。そもそもの馴初めがさ。歌沢の浚いで己が「わがもの」を語った。あの時お前が……」 「房的だぜ。」 「年をとったって、隅へはおけませんや。」小川の旦那もこう云いながら、細目にあいている障子の内を、及び腰にそっと覗きこんだ。二人とも、空想には白粉のにおいがうかんでいたのである。  部屋の中には、電燈が影も落さないばかりに、ぼんやりともっている。三尺の平床には、大徳寺物の軸がさびしくかかって、支那水仙であろう、青い芽をつつましくふいた、白交趾の水盤がその下に置いてある。床を前に置炬燵にあたっているのが房さんで、こっちからは、黒天鵞絨の襟のかかっている八丈の小掻巻をひっかけた後姿が見えるばかりである。  女の姿はどこにもない。紺と白茶と格子になった炬燵蒲団の上には、端唄本が二三冊ひろげられて頸に鈴をさげた小さな白猫がその側に香箱をつくっている。猫が身うごきをするたびに、頸の鈴がきこえるか、きこえぬかわからぬほどかすかな音をたてる。房さんは禿頭を柔らかな猫の毛に触れるばかりに近づけて、ひとり、なまめいた語を誰に云うともなく繰り返しているのである。 「その時にお前が来てよ。ああまで語った己が憎いと云った。芸事と……」  中洲の大将と小川の旦那とは黙って、顔を見合せた。そして、長い廊下をしのび足で、また座敷へ引きかえした。  雪はやむけしきもない。…… (大正三年四月十四日)
底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年9月24日第1刷発行    1997(平成9)年4月15日第14刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:野口英司 校正:野口英司 1998年2月21日公開 2004年3月13日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 わが裏庭の垣のほとりに一株の臘梅あり。ことしも亦筑波おろしの寒きに琥珀に似たる数朶の花をつづりぬ。こは本所なるわが家にありしを田端に移し植ゑつるなり。嘉永それの年に鐫られたる本所絵図をひらきたまはば、土屋佐渡守の屋敷の前に小さく「芥川」と記せるのを見たまふらむ。この「芥川」ぞわが家なりける。わが家も徳川家瓦解の後は多からぬ扶持さへ失ひければ、朝あさのけむりの立つべくもあらず、父ぎみ、叔父ぎみ道に立ちて家財のたぐひすら売りたまひけるとぞ。おほぢの脇差しもあとをとどめず。今はただひと株の臘梅のみぞ十六世の孫には伝はりたりける。 臘梅や雪うち透かす枝の丈 (大正十四年五月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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       一  六の宮の姫君の父は、古い宮腹の生れだつた。が、時勢にも遅れ勝ちな、昔気質の人だつたから、官も兵部大輔より昇らなかつた。姫君はさう云ふ父母と一しよに、六の宮のほとりにある、木高い屋形に住まつてゐた。六の宮の姫君と云ふのは、その土地の名前に拠つたのだつた。  父母は姫君を寵愛した。しかしやはり昔風に、進んでは誰にもめあはせなかつた。誰か云ひ寄る人があればと、心待ちに待つばかりだつた。姫君も父母の教へ通り、つつましい朝夕を送つてゐた。それは悲しみも知らないと同時に、喜びも知らない生涯だつた。が、世間見ずの姫君は、格別不満も感じなかつた。「父母さへ達者でゐてくれれば好い。」――姫君はさう思つてゐた。  古い池に枝垂れた桜は、年毎に乏しい花を開いた。その内に姫君も何時の間にか、大人寂びた美しさを具へ出した。が、頼みに思つた父は、年頃酒を過ごした為に、突然故人になつてしまつた。のみならず母も半年ほどの内に、返らない歎きを重ねた揚句、とうとう父の跡を追つて行つた。姫君は悲しいと云ふよりも、途方に暮れずにはゐられなかつた。実際ふところ子の姫君にはたつた一人の乳母の外に、たよるものは何もないのだつた。  乳母はけなげにも姫君の為に、骨身を惜まず働き続けた。が、家に持ち伝へた螺鈿の手筥や白がねの香炉は、何時か一つづつ失はれて行つた。と同時に召使ひの男女も、誰からか暇をとり始めた。姫君にも暮らしの辛い事は、だんだんはつきりわかるやうになつた。しかしそれをどうする事も、姫君の力には及ばなかつた。姫君は寂しい屋形の対に、やはり昔と少しも変らず、琴を引いたり歌を詠んだり、単調な遊びを繰返してゐた。  すると或秋の夕ぐれ、乳母は姫君の前へ出ると、考へ考へこんな事を云つた。 「甥の法師の頼みますには、丹波の前司なにがしの殿が、あなた様に会はせて頂きたいとか申して居るさうでございます。前司はかたちも美しい上、心ばへも善いさうでございますし、前司の父も受領とは申せ、近い上達部の子でもございますから、お会ひになつては如何でございませう? かやうに心細い暮しをなさいますよりも、少しは益しかと存じますが。……」  姫君は忍び音に泣き初めた。その男に肌身を任せるのは、不如意な暮しを扶ける為に、体を売るのも同様だつた。勿論それも世の中には多いと云ふ事は承知してゐた。が、現在さうなつて見ると、悲しさは又格別だつた。姫君は乳母と向き合つた儘、葛の葉を吹き返す風の中に、何時までも袖を顔にしてゐた。……        二  しかし姫君は何時の間にか、夜毎に男と会ふやうになつた。男は乳母の言葉通りやさしい心の持ち主だつた。顔かたちもさすがにみやびてゐた。その上姫君の美しさに、何も彼も忘れてゐる事は、殆誰の目にも明らかだつた。姫君も勿論この男に、悪い心は持たなかつた。時には頼もしいと思ふ事もあつた。が、蝶鳥の几帳を立てた陰に、燈台の光を眩しがりながら、男と二人むつびあふ時にも、嬉しいとは一夜も思はなかつた。  その内に屋形は少しづつ、花やかな空気を加へ初めた。黒棚や簾も新たになり、召使ひの数も殖えたのだつた。乳母は勿論以前よりも、活き活きと暮しを取り賄つた。しかし姫君はさう云ふ変化も、寂しさうに見てゐるばかりだつた。  或時雨の渡つた夜、男は姫君と酒を酌みながら、丹波の国にあつたと云ふ、気味の悪い話をした。出雲路へ下る旅人が大江山の麓に宿を借りた。宿の妻は丁度その夜、無事に女の子を産み落した。すると旅人は生家の中から、何とも知れぬ大男が、急ぎ足に外へ出て来るのを見た。大男は唯「年は八歳、命は自害」と云ひ捨てたなり、忽ち何処かへ消えてしまつた。旅人はそれから九年目に、今度は京へ上る途中、同じ家に宿つて見た。所が実際女の子は、八つの年に変死してゐた。しかも木から落ちた拍子に、鎌を喉へ突き立ててゐた。――話は大体かう云ふのだつた。姫君はそれを聞いた時に、宿命のせんなさに脅された。その女の子に比べれば、この男を頼みに暮してゐるのは、まだしも仕合せに違ひなかつた。「なりゆきに任せる外はない。」――姫君はさう思ひながら、顔だけはあでやかにほほ笑んでゐた。  屋形の軒に当つた松は、何度も雪に枝を折られた。姫君は昼は昔のやうに、琴を引いたり双六を打つたりした。夜は男と一つ褥に、水鳥の池に下りる音を聞いた。それは悲しみも少いと同時に、喜びも少い朝夕だつた。が、姫君は不相変、この懶い安らかさの中に、はかない満足を見出してゐた。  しかしその安らかさも、思ひの外急に尽きる時が来た。やつと春の返つた或夜、男は姫君と二人になると、「そなたに会ふのも今宵ぎりぢや」と、云ひ悪くさうに口を切つた。男の父は今度の除目に、陸奥の守に任ぜられた。男もその為に雪の深い奥へ、一しよに下らねばならなかつた。勿論姫君と別れるのは、何よりも男には悲しかつた。が、姫君を妻にしたのは、父にも隠してゐたのだから、今更打ち明ける事は出来悪かつた。男はため息をつきながら、長々とさう云ふ事情を話した。 「しかし五年たてば任終ぢや。その時を楽しみに待つてたもれ。」  姫君はもう泣き伏してゐた。たとひ恋しいとは思はぬまでも、頼みにした男と別れるのは、言葉には尽せない悲しさだつた。男は姫君の背を撫でては、いろいろ慰めたり励ましたりした。が、これも二言目には、涙に声を曇らせるのだつた。  其処へ何も知らない乳母は、年の若い女房たちと、銚子や高坏を運んで来た。古い池に枝垂れた桜も、蕾を持つた事を話しながら。……        三  六年目の春は返つて来た。が、奥へ下つた男は、遂に都へは帰らなかつた。その間に召使ひは一人も残らず、ちりぢりに何処かへ立ち退いてしまふし、姫君の住んでゐた東の対も或年の大風に倒れてしまつた。姫君はそれ以来乳母と一しよに侍の廊を住居にしてゐた。其処は住居と云ふものの、手狭でもあれば住み荒してもあり、僅に雨露の凌げるだけだつた。乳母はこの廊へ移つた当座、いたはしい姫君の姿を見ると、涙を落さずにはゐられなかつた。が、又或時は理由もないのに、腹ばかり立ててゐる事があつた。  暮しのつらいのは勿論だつた。棚の厨子はとうの昔、米や青菜に変つてゐた。今では姫君の袿や袴も身についてゐる外は残らなかつた。乳母は焚き物に事を欠けば、立ち腐れになつた寝殿へ、板を剥ぎに出かける位だつた。しかし姫君は昔の通り、琴や歌に気を晴らしながら、ぢつと男を待ち続けてゐた。  するとその年の秋の月夜、乳母は姫君の前へ出ると、考へ考へこんな事を云つた。 「殿はもう御帰りにはなりますまい。あなた様も殿の事は、お忘れになつては如何でございませう。就てはこの頃或典薬之助が、あなた様にお会はせ申せと、責め立てて居るのでございますが、……」  姫君はその話を聞きながら、六年以前の事を思ひ出した。六年以前には、いくら泣いても、泣き足りない程悲しかつた。が、今は体も心も余りにそれには疲れてゐた。「唯静かに老い朽ちたい。」……その外は何も考へなかつた。姫君は話を聞き終ると、白い月を眺めたなり、懶げにやつれた顔を振つた。 「わたしはもう何も入らぬ。生きようとも死なうとも一つ事ぢや。……」         *      *      *  丁度これと同じ時刻、男は遠い常陸の国の屋形に、新しい妻と酒を斟んでゐた。妻は父の目がねにかなつた、この国の守の娘だつた。 「あの音は何ぢや?」  男はふと驚いたやうに、静かな月明りの軒を見上げた。その時なぜか男の胸には、はつきり姫君の姿が浮んでゐた。 「栗の実が落ちたのでございませう。」  常陸の妻はさう答へながら、ふつつかに銚子の酒をさした。        四  男が京へ帰つたのは、丁度九年目の晩秋だつた。男と常陸の妻の族と、――彼等は京へはひる途中、日がらの悪いのを避ける為に、三四日粟津に滞在した。それから京へはひる時も、昼の人目に立たないやうに、わざと日の暮を選ぶ事にした。男は鄙にゐる間も、二三度京の妻のもとへ、懇ろな消息をことづけてやつた。が、使が帰らなかつたり、幸ひ帰つて来たと思へば、姫君の屋形がわからなかつたり、一度も返事は手に入らなかつた。それだけに京へはひつたとなると、恋しさも亦一層だつた。男は妻の父の屋形へ無事に妻を送りこむが早いか、旅仕度も解かずに六の宮へ行つた。  六の宮へ行つて見ると、昔あつた四足の門も、檜皮葺きの寝殿や対も、悉今はなくなつてゐた。その中に唯残つてゐるのは、崩れ残りの築土だけだつた。男は草の中に佇んだ儘、茫然と庭の跡を眺めまはした。其処には半ば埋もれた池に、水葱が少し作つてあつた。水葱はかすかな新月の光に、ひつそりと葉を簇らせてゐた。  男は政所と覚しいあたりに、傾いた板屋のあるのを見つけた。板屋の中には近寄つて見ると、誰か人影もあるらしかつた。男は闇を透かしながら、そつとその人影に声をかけた。すると月明りによろぼひ出たのは、何処か見覚えのある老尼だつた。  尼は男に名のられると、何も云はずに泣き続けた。その後やつと途切れ途切れに、姫君の身の上を話し出した。 「御見忘れでもございませうが、手前は御内に仕へて居つた、はした女の母でございます。殿がお下りになつてからも、娘はまだ五年ばかり、御奉公致して居りました。が、その内に夫と共々、但馬へ下る事になりましたから、手前もその節娘と一しよに、御暇を頂いたのでございます。所がこの頃姫君の事が、何かと心にかかりますので、手前一人京へ上つて見ますと、御覧の通り御屋形も何もなくなつて居るのでごさいませんか? 姫君も何処へいらつしやつた事やら、――実は手前もさき頃から、途方に暮れて居るのでございます。殿は御存知もございますまいが、娘が御奉公申して居つた間も、姫君のお暮しのおいたはしさは、申しやうもない位でございました。……」  男は一部始終を聞いた後、この腰の曲つた尼に、下の衣を一枚脱いで渡した。それから頭を垂れた儘、黙然と草の中を歩み去つた。        五  男は翌日から姫君を探しに、洛中を方々歩きまはつた。が、何処へどうしたのか、容易に行き方はわからなかつた。  すると何日か後の夕ぐれ、男はむら雨を避ける為に、朱雀門の前にある、西の曲殿の軒下に立つた。其処にはまだ男の外にも、物乞ひらしい法師が一人、やはり雨止みを待ちわびてゐた。雨は丹塗りの門の空に、寂しい音を立て続けた。男は法師を尻目にしながら、苛立たしい思ひを紛らせたさに、あちこち石畳みを歩いてゐた。その内にふと男の耳は、薄暗い窓の櫺子の中に、人のゐるらしいけはひを捉へた。男は殆何の気なしに、ちらりと窓を覗いて見た。  窓の中には尼が一人、破れた筵をまとひながら、病人らしい女を介抱してゐた。女は夕ぐれの薄明りにも、無気味な程痩せ枯れてゐるらしかつた。しかしその姫君に違ひない事は、一目見ただけでも十分だつた。男は声をかけようとした。が、浅ましい姫君の姿を見ると、なぜかその声が出せなかつた。姫君は男のゐるのも知らず、破れ筵の上に寝反りを打つと、苦しさうにこんな歌を詠んだ。 「たまくらのすきまの風もさむかりき、身はならはしのものにざりける。」  男はこの声を聞いた時、思はず姫君の名前を呼んだ。姫君はさすがに枕を起した。が、男を見るが早いか、何かかすかに叫んだきり、又筵の上に俯伏してしまつた。尼は、――あの忠実な乳母は、其処へ飛びこんだ男と一しよに、慌てて姫君を抱き起した。しかし抱き起した顔を見ると、乳母は勿論男さへも、一層慌てずにはゐられなかつた。  乳母はまるで気の狂つたやうに、乞食法師のもとへ走り寄つた。さうして、臨終の姫君の為に、何なりとも経を読んでくれと云つた。法師は乳母の望み通り、姫君の枕もとへ座を占めた。が、経文を読誦する代りに、姫君へかう言葉をかけた。 「往生は人手に出来るものではござらぬ。唯御自身怠らずに、阿弥陀仏の御名をお唱へなされ。」  姫君は男に抱かれた儘、細ぼそと仏名を唱へ出した。と思ふと恐しさうに、ぢつと門の天井を見つめた。 「あれ、あそこに火の燃える車が。……」 「そのやうな物にお恐れなさるな。御仏さへ念ずればよろしうござる。」  法師はやや声を励ました。すると姫君は少時の後、又夢うつつのやうに呟き出した。 「金色の蓮華が見えまする。天蓋のやうに大きい蓮華が。……」  法師は何か云はうとしたが、今度はそれよりもさきに、姫君が切れ切れに口を開いた。 「蓮華はもう見えませぬ。跡には唯暗い中に風ばかり吹いて居りまする。」 「一心に仏名を御唱へなされ。なぜ一心に御唱へなさらぬ?」  法師は殆ど叱るやうに云つた。が、姫君は絶え入りさうに、同じ事を繰り返すばかりだつた。 「何も、――何も見えませぬ。暗い中に風ばかり、――冷たい風ばかり吹いて参りまする。」  男や乳母は涙を呑みながら、口の内に弥陀を念じ続けた。法師も勿論合掌した儘、姫君の念仏を扶けてゐた。さう云ふ声の雨に交る中に、破れ筵を敷いた姫君は、だんだん死に顔に変つて行つた。……        六  それから何日か後の月夜、姫君に念仏を勧めた法師は、やはり朱雀門の前の曲殿に、破れ衣の膝を抱へてゐた。すると其処へ侍が一人、悠々と何か歌ひながら、月明りの大路を歩いて来た。侍は法師の姿を見ると、草履の足を止めたなり、さりげないやうに声をかけた。 「この頃この朱雀門のほとりに、女の泣き声がするさうではないか?」  法師は石畳みに蹲まつた儘、たつた一言返事をした。 「お聞きなされ。」  侍はちよつと耳を澄ませた。が、かすかな虫の音の外は、何一つ聞えるものもなかつた。あたりには唯松の匂が、夜気に漂つてゐるだけだつた。侍は口を動かさうとした。しかしまだ何も云はない内に、突然何処からか女の声が、細そぼそと歎きを送つて来た。  侍は太刀に手をかけた。が、声は曲殿の空に、一しきり長い尾を引いた後、だんだん又何処かへ消えて行つた。 「御仏を念じておやりなされ。――」  法師は月光に顔を擡げた。 「あれは極楽も地獄も知らぬ、腑甲斐ない女の魂でござる。御仏を念じておやりなされ。」  しかし侍は返事もせずに、法師の顔を覗きこんだ。と思ふと驚いたやうに、その前へいきなり両手をついた。 「内記の上人ではございませんか? どうして又このやうな所に――」  在俗の名は慶滋の保胤、世に内記の上人と云ふのは、空也上人の弟子の中にも、やん事ない高徳の沙門だつた。 (大正十一年七月)
底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房    1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行 入力:j.utiyama 校正:林めぐみ 1998年12月2日公開 2004年3月16日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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        一  午砲を打つと同時に、ほとんど人影の見えなくなった大学の図書館は、三十分経つか経たない内に、もうどこの机を見ても、荒方は閲覧人で埋まってしまった。  机に向っているのは大抵大学生で、中には年輩の袴羽織や背広も、二三人は交っていたらしい。それが広い空間を規則正しく塞いだ向うには、壁に嵌めこんだ時計の下に、うす暗い書庫の入口が見えた。そうしてその入口の両側には、見上げるような大書棚が、何段となく古ぼけた背皮を並べて、まるで学問の守備でもしている砦のような感を与えていた。  が、それだけの人間が控えているのにも関らず、図書館の中はひっそりしていた。と云うよりもむしろそれだけの人間がいて、始めて感じられるような一種の沈黙が支配していた。書物の頁を飜す音、ペンを紙に走らせる音、それから稀に咳をする音――それらの音さえこの沈黙に圧迫されて、空気の波動がまだ天井まで伝わらない内に、そのまま途中で消えてしまうような心もちがした。  俊助はこう云う図書館の窓際の席に腰を下して、さっきから細かい活字の上に丹念な眼を曝していた。彼は色の浅黒い、体格のがっしりした青年だった。が、彼が文科の学生だと云う事は、制服の襟にあるLの字で、問うまでもなく明かだった。  彼の頭の上には高い窓があって、その窓の外には茂った椎の葉が、僅に空の色を透かせた。空は絶えず雲の翳に遮られて、春先の麗らかな日の光も、滅多にさしては来なかった。さしてもまた大抵は、風に戦いでいる椎の葉が、朦朧たる影を書物の上へ落すか落さない内に消えてしまった。その書物の上には、色鉛筆の赤い線が、何本も行の下に引いてあった。そうしてそれが時の移ると共に、次第に頁から頁へ移って行った。……  十二時半、一時、一時二十分――書庫の上の時計の針は、休みなく確かに動いて行った。するとかれこれ二時かとも思う時分、図書館の扉口に近い、目録の函の並んでいる所へ、小倉の袴に黒木綿の紋附をひっかけた、背の低い角帽が一人、無精らしく懐手をしながら、ふらりと外からはいって来た。これはその懐からだらしなくはみ出したノオト・ブックの署名によると、やはり文科の学生で、大井篤夫と云う男らしかった。  彼はそこに佇んだまま、しばらくはただあたりの机を睨めつけたように物色していたが、やがて向うの窓を洩れる大幅な薄日の光の中に、余念なく書物をはぐっている俊助の姿が目にはいると、早速その椅子の後へ歩み寄って、「おい」と小さな声をかけた。俊助は驚いたように顔を挙げて、相手の方を振返ったが、たちまち浅黒い頬に微笑を浮べて「やあ」と簡単な挨拶をした。と、大井も角帽をかぶったなり、ちょいと顋でこの挨拶に答えながら、妙に脂下った、傲岸な調子で、 「今朝郁文堂で野村さんに会ったら、君に言伝てを頼まれた。別に差支えがなかったら、三時までに『鉢の木』の二階へ来てくれと云うんだが。」         二 「そうか。そりゃ難有う。」  俊助はこう云いながら、小さな金時計を出して見た。すると大井は内懐から手を出して剃痕の青い顋を撫で廻しながら、じろりとその時計を見て、 「すばらしい物を持っているな。おまけに女持ちらしいじゃないか。」 「これか。こりゃ母の形見だ。」  俊助はちょいと顔をしかめながら、無造作に時計をポッケットへ返すと、徐に逞しい体を起して、机の上にちらかっていた色鉛筆やナイフを片づけ出した。その間に大井は俊助の読みかけた書物を取上げて、好い加減に所々開けて見ながら、 「ふん Marius the Epicurean か。」と、冷笑するような声を出したが、やがて生欠伸を一つ噛み殺すと、 「俊助ズィ・エピキュリアンの近況はどうだい。」 「いや、一向振わなくって困っている。」 「そう謙遜するなよ。女持ちの金時計をぶら下げているだけでも、僕より遥に振っているからな。」  大井は書物を抛り出して、また両手を懐へ突こみながら、貧乏揺りをし始めたが、その内に俊助が外套へ手を通し出すと、急に思い出したような調子で、 「おい、君は『城』同人の音楽会の切符を売りつけられたか。」と真顔になって問いかけた。 『城』と言うのは、四五人の文科の学生が「芸術の為の芸術」を標榜して、この頃発行し始めた同人雑誌の名前である。その連中の主催する音楽会が近々築地の精養軒で開かれると云う事は、法文科の掲示場に貼ってある広告で、俊助も兼ね兼ね承知していた。 「いや、仕合せとまだ売りつけられない。」  俊助は正直にこう答えながら、書物を外套の腋の下へ挟むと、時代のついた角帽をかぶって、大井と一しょに席を離れた。と、大井も歩きながら、狡猾そうに眼を働かせて、 「そうか、僕はもう君なんぞはとうに売りつけられたと思っていた。じゃこの際是非一枚買ってやってくれ。僕は勿論『城』同人じゃないんだが、あすこの藤沢に売りつけ方を委託されて、実は大いに困却しているんだ。」  不意打を食った俊助は、買うとか買わないとか答える前に、苦笑しずにはいられなかった。が、大井は黒木綿の紋附の袂から、『城』同人の印のある、洒落れた切符を二枚出すと、それをまるで花札のように持って見せて、 「一等が三円で、二等が二円だ。おい、どっちにする? 一等か。二等か。」 「どっちも真平だ。」 「いかん。いかん。金時計の手前に対しても、一枚だけは買う義務がある。」  二人はこんな押問答を繰返しながら、閲覧人で埋まっている机の間を通りぬけて、とうとう吹き曝しの玄関へ出た。するとちょうどそこへ、真赤な土耳其帽をかぶった、痩せぎすな大学生が一人、金釦の制服に短い外套を引っかけて、勢いよく外からはいって来た。それが出合頭に大井と顔を合せると、女のような優しい声で、しかもまた不自然なくらい慇懃に、 「今日は。大井さん。」と、声をかけた。         三 「やあ、失敬。」  大井は下駄箱の前に立止ると、相不変図太い声を出した。が、その間も俊助に逃げられまいと思ったのか、剃痕の青い顋で横柄に土耳其帽をしゃくって見せて、 「君はまだこの先生を知らなかったかな。仏文の藤沢慧君。『城』同人の大将株で、この間ボオドレエル詩抄と云う飜訳を出した人だ。――こっちは英文の安田俊助君。」と、手もなく二人を紹介してしまった。  そこで俊助も已むを得ず、曖昧な微笑を浮べながら、角帽を脱いで黙礼した。が、藤沢は、俊助の世慣れない態度とは打って変った、いかにも如才ない調子で、 「御噂は予々大井さんから、何かと承わって居りました。やはり御創作をなさいますそうで。その内に面白い物が出来ましたら、『城』の方へ頂きますから、どうかいつでも御遠慮なく。」  俊助はまた微笑したまま、「いや」とか「いいえ」とか好い加減な返事をするよりほかはなかった。すると今まで皮肉な眼で二人を見比べていた大井が、例の切符を土耳其帽に見せると、 「今、大いに『城』同人へ御忠勤を抽んでている所なんだ。」と、自慢がましい吹聴をした。 「ああ、そう。」  藤沢は気味の悪いほど愛嬌のある眼で、ちょいと俊助と切符とを見比べたが、すぐその眼を大井へ返して、 「じゃ一等の切符を一枚差上げてくれ給え。――失礼ですけれども、切符の御心配はいりませんから、聴きにいらして下さいませんか。」  俊助は当惑そうな顔をして、何度も平に辞退しようとした。が、藤沢はやはり愛想よく笑いながら、「御迷惑でもどうか」を繰返して、容易に出した切符を引込めなかった。のみならず、その笑の後からは、万一断られた場合には感じそうな不快さえ露骨に透かせて見せた。 「じゃ頂戴して置きます。」  俊助はとうとう我を折って、渋々その切符を受取りながら、素っ気ない声で礼を云った。 「どうぞ。当夜は清水昌一さんの独唱もある筈になっていますから、是非大井さんとでもいらしって下さい。――君は清水さんを知っていたかしら。」  藤沢はそれでも満足そうに華奢な両手を揉み合せて、優しくこう大井へ問いかけると、なぜかさっきから妙な顔をして、二人の問答を聞いていた大井は、さも冗談じゃないと云うように、鼻から大きく息を抜いて、また元の懐手に返りながら、 「勿論知らん。音楽家と犬とは昔から僕にゃ禁物だ。」 「そう、そう、君は犬が大嫌いだったっけ。ゲエテも犬が嫌いだったと云うから、天才は皆そうなのかも知れない。」  土耳其帽は俊助の賛成を求める心算か、わざとらしく声高に笑って見せた。が、俊助は下を向いたまま、まるでその癇高い笑い声が聞えないような風をしていたが、やがてあの時代のついた角帽の庇へ手をかけると、二人の顔を等分に眺めながら、 「じゃ僕は失敬しよう。いずれまた。」と、取ってつけたような挨拶をして、匇々石段を下りて行った。         四  二人に別れた俊助はふと、現在の下宿へ引き移った事がまだ大学の事務所まで届けてなかったのを思い出した。そこでまたさっきの金時計を出して見ると、約束の三時までにはかれこれ三十分足らずも時間があった。彼はちょいと事務所へ寄る事にして、両手を外套の隠しへ突っこみながら、法文科大学の古い赤煉瓦の建物の方へ、ゆっくりした歩調で歩き出した。  と、突然頭の上で、ごろごろと春の雷が鳴った。仰向いて見ると、空はいつの間にか灰汁桶を掻きまぜたような色になって、そこから湿っぽい南風が、幅の広い砂利道へ生暖く吹き下して来た。俊助は「雨かな」と呟きながら、それでも一向急ぐ気色はなく、書物を腋の下に挟んだまま、悠長な歩みを続けて行った。  が、そう呟くか呟かない内に、もう一度かすかに雷が鳴って、ぽつりと冷たい滴が頬に触れた。続いてまた一つ、今度は触るまでもなく、際どく角帽の庇を掠めて、糸よりも細い光を落した。と思うと追々に赤煉瓦の色が寒くなって、正門の前から続いている銀杏の並木の下まで来ると、もう高い並木の梢が一面に煙って見えるほど、しとしとと雨が降り出した。  その雨の中を歩いて行く俊助の心は沈んでいた。彼は藤沢の声を思い出した。大井の顔も思い出した。それからまた彼等が代表する世間なるものも思い出した。彼の眼に映じた一般世間は、実行に終始するのが特色だった。あるいは実行するのに先立って、信じてかかるのが特色だった。が、彼は持って生れた性格と今日まで受けた教育とに煩わされて、とうの昔に大切な、信ずると云う機能を失っていた。まして実行する勇気は、容易に湧いては来なかった。従って彼は世間に伍して、目まぐるしい生活の渦の中へ、思い切って飛びこむ事が出来なかった。袖手をして傍観す――それ以上に出る事が出来なかった。だから彼はその限りで、広い世間から切り離された孤独を味うべく余儀なくされた。彼が大井と交際していながら、しかも猶俊助ズィ・エピキュリアンなどと嘲られるのはこのためだった。まして土耳其帽の藤沢などは……  彼の考がここまで漂流して来た時、俊助は何気なく頭を擡げた。擡げると彼の眼の前には、第八番教室の古色蒼然たる玄関が、霧のごとく降る雨の中に、漆喰の剥げた壁を濡らしていた。そうしてその玄関の石段の上には、思いもよらない若い女がたった一人佇んでいた。  雨脚の強弱はともかくも、女は雨止みを待つもののごとく、静に薄暗い空を仰いでいた。額にほつれかかった髪の下には、潤いのある大きな黒瞳が、じっと遠い所を眺めているように見えた。それは白い――と云うよりもむしろ蒼白い顔の色に、ふさわしい二重瞼だった。着物は――黒い絹の地へ水仙めいた花を疎に繍い取った肩懸けが、なだらかな肩から胸へかけて無造作に垂れているよりほかに、何も俊助の眼には映らなかった。  女は俊助が首を擡げたのと前後して、遠い空から彼の上へうっとりとその黒瞳勝ちな目を移した。それが彼の眼と出合った時、女の視線はしばらくの間、止まるとも動くともつかず漂っていた。彼はその刹那、女の長い睫毛の後に、彼の経験を超越した、得体の知れない一種の感情が揺曳しているような心もちがした。が、そう思う暇もなく、女はまた眼を挙げて、向うの講堂の屋根に降る雨の脚を眺め出した。俊助は外套の肩を聳やかせて、まるで女の存在を眼中に置かない人のように、冷然とその前を通り過ぎた。三度頭の上の雲を震わせた初雷の響を耳にしながら。         五  雨に濡れた俊助が『鉢の木』の二階へ来て見ると、野村はもう珈琲茶碗を前に置いて、窓の外の往来へ退屈そうな視線を落していた。俊助は外套と角帽とを給仕の手に渡すが早いか、勢いよく野村の卓子の前へ行って、「待たせたか」と云いながら、どっかり曲木の椅子へ腰を下した。 「うん、待たない事もない。」  ほとんど鈍重な感じを起させるほど、丸々と肥満した野村は、その太い指の先でちょいと大島の襟を直しながら、細い鉄縁の眼鏡越しにのんびりと俊助の顔を見た。 「何にする? 珈琲か。紅茶か。」 「何でも好い。――今、雷が鳴ったろう。」 「うん、鳴ったような気もしない事はない。」 「相不変君はのんきだな。また認識の根拠は何処にあるかとか何とか云う問題を、御苦労様にも考えていたんだろう。」  俊助は金口の煙草に火をつけると、気軽そうにこう云って、卓子の上に置いてある黄水仙の鉢へ眼をやった。するとその拍子に、さっき大学の中で見かけた女の眼が、何故か一瞬間生々と彼の記憶に浮んで来た。 「まさか――僕は犬と遊んでいたんだ。」  野村は子供のように微笑しながら、心もち椅子をずらせて、足下に寝ころんでいた黒犬を、卓子掛の陰からひっぱり出した。犬は毛の長い耳を振って、大きな欠伸を一つすると、そのまままたごろりと横になって、仔細らしく俊助の靴の匀を嗅ぎ出した。俊助は金口の煙を鼻へ抜きながら、気がなさそうに犬の頭を撫でてやった。 「この間、栗原の家にいたやつを貰って来たんだ。」  野村は給仕の持って来た珈琲を俊助の方へ押しやりながら、また肥った指の先を着物の襟へちょいとやって、 「あすこじゃこの頃、家中がトルストイにかぶれているもんだから、こいつにも御大層なピエルと云う名前がついている。僕はこいつより、アンドレエと云う犬の方が欲しかったんだが、僕自身ピエルだから、何でもピエルの方をつれて行けと云うんで、とうとうこいつを拝領させられてしまったんだ。」  と、俊助は珈琲茶碗を唇へ当てながら、人の悪い微笑を浮べて、調戯うように野村を一瞥した。 「まあピエルで満足しとくさ。その代りピエルなら、追っては目出度くナタシアとも結婚出来ようと云うもんだ。」  野村もこれには狼狽したものと見えて、しばらくは顔を所斑に赤くしたが、それでも声だけはゆっくりした調子で、 「僕はピエルじゃない。と云って勿論アンドレエでもないが――」 「ないが、とにかく初子女史のナタシアたる事は認めるだろう。」 「そうさな、まあ御転婆な点だけは幾分認めない事もないが――」 「序に全部認めちまうさ。――そう云えばこの頃初子女史は、『戦争と平和』に匹敵するような長篇小説を書いているそうじゃないか。どうだ、もう追つけ完成しそうかね。」  俊助はようやく鋒芒をおさめながら、短くなった金口を灰皿の中へ抛りこんで、やや皮肉にこう尋ねた。         六 「実はその長篇小説の事で、今日は君に来て貰ったんだが。」  野村は鉄縁の眼鏡を外すと、刻銘に手巾で玉の曇りを拭いながら、 「初子さんは何でも、新しい『女の一生』を書く心算なんだそうだ。まあ Une Vie à la Tolstoï と云う所なんだろう。そこでその女主人公と云うのが、いろいろ数奇な運命に弄ばれた結果だね。――」 「それから?」  俊助は鼻を黄水仙の鉢へ持って行きながら、格別気乗りもしていなさそうな声でこう云った。が、野村は細い眼鏡の蔓を耳の後へからみつけると、相不変落着き払った調子で、 「最後にどこかの癲狂院で、絶命する事になるんだそうだ。ついてはその癲狂院の生活を描写したいんだが、生憎初子さんはまだそう云う所へ行って見た事がない。だからこの際誰かの紹介を貰って、どこでも好いから癲狂院を見物したいと云っているんだ。――」  俊助はまた金口に火を付けながら、半ば皮肉な表情を浮べた眼で、もう一度「それから?」と云う相図をした。 「そこで君から一つ、新田さんへ紹介してやって貰いたいんだが――新田さんと云うんだろう。あの物質主義者の医学士は?」 「そうだ――じゃともかくも手紙をやって、向うの都合を問い合せて見よう。多分差支えはなかろうと思うんだが。」 「そうか。そうして貰えれば、僕の方は非常に難有いんだ。初子さんも勿論大喜びだろう。」  野村は満足そうに眼を細くして、続けさまに二三度大島の襟を直しながら、 「この頃はまるでその『女の一生』で夢中になっているんだから。一しょにいる親類の娘なんぞをつかまえても、始終その話ばかりしているらしい。」  俊助は黙って、埃及の煙を吐き出しながら、窓の外の往来へ眼を落した。まだ霧雨の降っている往来には、細い銀杏の並木が僅に芽を伸ばして、亀の甲羅に似た蝙蝠傘が幾つもその下を動いて行く。それがまた何故か彼の記憶に、刹那の間さっき遇った女の眼を思い出させた。…… 「君は『城』同人の音楽会へは行かないのか。」  しばらく沈黙が続いた後で、野村はふと思出したようにこう尋ねた。と同時に俊助は、彼の心が何分かの間、ほとんど白紙のごとく空しかったのに気がついた。彼はちょいと顔をしかめて、冷くなった珈琲を飲み干すと、すぐに以前のような元気を恢復して、 「僕は行こうと思っている。君は?」 「僕は今朝郁文堂で大井君に言伝てを頼んだら何でも買ってくれと云うので、とうとう一等の切符を四枚押つけられてしまった。」 「四枚とはまたひどく奮発したものじゃないか。」 「何、どうせ三枚は栗原で買って貰うんだから。――こら、ピエル。」  今まで俊助の足下に寝ころんでいた黒犬は、この時急に身を起すと、階段の上り口を睨みながら、凄じい声で唸り出した。犬の気色に驚いた野村と俊助とは、黄水仙の鉢を隔てて向い合いながら、一度にその方へ振り返った。するとちょうどそこにはあの土耳其帽の藤沢が、黒いソフトをかぶった大学生と一しょに、雨に濡れた外套を給仕の手に渡している所だった。         七  一週間の後、俊助は築地の精養軒で催される『城』同人の音楽会へ行った。音楽会は準備が整わないとか云う事で、やがて定刻の午後六時が迫って来ても、容易に開かれる気色はなかった。会場の次の間には、もう聴衆が大勢つめかけて、電燈の光も曇るほど盛に煙草の煙を立ち昇らせていた。中には大学の西洋人の教師も、一人二人は来ているらしかった。俊助は、大きな護謨の樹の鉢植が据えてある部屋の隅に佇みながら、別に開会を待ち兼ねるでもなく、ぼんやり周囲の話し声に屈托のない耳を傾けていた。  するとどこからか大井篤夫が、今日は珍しく制服を着て、相不変傲然と彼の側へ歩いて来た。二人はちょいと点頭を交換した。 「野村はまだ来ていないか。」  俊助がこう尋ねると、大井は胸の上に両手を組んで、反身にあたりを見廻しながら、 「まだ来ないようだ。――来なくって仕合せさ。僕は藤沢にひっぱられて来たもんだから、もうかれこれ一時間ばかり待たされている。」  俊助は嘲るように微笑した。 「君がたまに制服なんぞ着て来りゃ、どうせ碌な事はありゃしない。」 「これか。これは藤沢の制服なんだ。彼曰、是非僕の制服を借りてくれ給え、そうすると僕はそれを口実に、親爺のタキシイドを借りるから。――そこでやむを得ず、僕がこれを着て、聴きたくもない音楽会なんぞへ出たんだ。」  大井はあたり構わずこんな事を饒舌りながら、もう一度ぐるり部屋の中を見渡して、それから、あすこにいるのは誰、ここにいるのは誰と、世間に名の知られた作家や画家を一々俊助に教えてくれた。のみならず序を以て、そう云う名士たちの醜聞を面白そうに話してくれた。 「あの紋服と来た日にゃ、ある弁護士の細君をひっかけて、そのいきさつを書いた小説を御亭主の弁護士に献じるほど、すばらしい度胸のある人間なんだ。その隣のボヘミアン・ネクタイも、これまた詩よりも女中に手をつけるのが、本職でね。」   俊助はこんな醜い内幕に興味を持つべく、余りに所謂ニル・アドミラリな人間だった。ましてその時はそれらの芸術家の外聞も顧慮してやりたい気もちがあった。そこで彼は大井が一息ついたのを機会にして、切符と引換えに受取ったプログラムを拡げながら、話題を今夜演奏される音楽の方面へ持って行った。が、大井はこの方面には全然無感覚に出来上っていると見えて、鉢植の護謨の葉を遠慮なく爪でむしりながら、 「とにかくその清水昌一とか云う男は、藤沢なんぞの話によると、独唱家と云うよりゃむしろ立派な色魔だね。」と、また話を社会生活の暗黒面へ戻してしまった。  が、幸、その時開会を知らせるベルが鳴って、会場との境の扉がようやく両方へ開かれた。そうして待ちくたびれた聴衆が、まるで潮の引くように、ぞろぞろその扉口へ流れ始めた。俊助も大井と一しょにこの流れに誘われて、次第に会場の方へ押されて行ったが、何気なく途中で後を振り返ると、思わず知らず心の中で「あっ」と云う驚きの声を洩らした。         八  俊助は会場の椅子に着いた後でさえ、まだ全くさっきの驚きから恢復していない事を意識した。彼の心はいつになく、不思議な動揺を感じていた。それは歓喜とも苦痛とも弁別し難い性質のものだった。彼はこの心の動揺に身を任せたいと云う欲望もあった。で同時にまたそうしてはならないと云う気も働いていた。そこで彼は少くとも現在以上の動揺を心に齎さない方便として、成る可く眼を演壇から離さないような工夫をした。  金屏風を立て廻した演壇へは、まずフロックを着た中年の紳士が現れて、額に垂れかかる髪をかき上げながら、撫でるように柔しくシュウマンを唱った。それは Ich Kann's nicht fassen, nicht glauben で始まるシャミッソオの歌だった。俊助はその舌たるい唄いぶりの中から、何か恐るべく不健全な香気が、発散して来るのを感ぜずにはいられなかった。そうしてこの香気が彼の騒ぐ心を一層苛立てて行くような気がしてならなかった。だからようやく独唱が終って、けたたましい拍手の音が起った時、彼はわずかにほっとした眼を挙げて、まるで救いを求めるように隣席の大井を振返った。すると大井はプログラムを丸く巻いて、それを望遠鏡のように眼へ当てながら、演壇の上に頭を下げているシュウマンの独唱家を覗いていたが、 「成程、清水と云う男は、立派に色魔たるべき人相を具えているな。」と、呟くような声で云った。  俊助は初めてその中年の紳士が清水昌一と云う男だったのに気がついた。そこでまた演壇の方へ眼を返すと、今度はそこへ裾模様の令嬢が、盛な喝采に迎えられながら、ヴァイオリンを抱いてしずしずと登って来る所だった。令嬢はほとんど人形のように可愛かったが、遺憾ながらヴァイオリンはただ間違わずに一通り弾いて行くと云うだけのものだった。けれども俊助は幸と、清水昌一のシュウマンほど悪甘い刺戟に脅かされないで、ともかくも快よくチャイコウスキイの神秘な世界に安住出来るのを喜んだ。が、大井はやはり退屈らしく、後頭部を椅子の背に凭せて、時々無遠慮に鼻を鳴らしていたが、やがて急に思いついたという調子で、 「おい、野村君が来ているのを知っているか。」 「知っている。」  俊助は小声でこう答えながら、それでもなお眼は金屏風の前の令嬢からほかへ動かさなかった。と、大井は相手の答が物足らなかったものと見えて、妙に悪意のある微笑を漂わせながら、 「おまけにすばらしい美人を二人連れて来ている。」と、念を押すようにつけ加えた。  が、俊助は何とも答えなかった。そうして今までよりは一層熱心に演壇の上から流れて来るヴァイオリンの静かな音色に耳を傾けているらしかった。……  それからピアノの独奏と四部合唱とが終って、三十分の休憩時間になった時、俊助は大井に頓着なく、逞い体を椅子から起して、あの護謨の樹の鉢植のある会場の次の間へ、野村の連中を探しに行った。しかし後に残った大井の方は、まだ傲然と腕組みをしたまま、ただぐったりと頭を前へ落して、演奏が止んだのも知らないのか、いかにも快よさそうに、かすかな寝息を洩らしていた。         九  次の間へ来て見ると、果して野村が栗原の娘と並んで、大きな暖炉の前へ佇んでいた。血色の鮮かな、眼にも眉にも活々した力の溢れている、年よりは小柄な初子は、俊助の姿を見るが早いか、遠くから靨を寄せて、気軽くちょいと腰をかがめた。と、野村も広い金釦の胸を俊助の方へ向けながら、度の強い近眼鏡の後に例のごとく人の好さそうな微笑を漲らせて、鷹揚に「やあ」と頷いて見せた。俊助は暖炉の上の鏡を背負って、印度更紗の帯をしめた初子と大きな体を制服に包んだ野村とが、向い合って立っているのを眺めた時、刹那の間彼等の幸福が妬しいような心もちさえした。 「今夜はすっかり遅くなってしまった。何しろ僕等の方は御化粧に手間が取れるものだから。」  俊助と二言三言雑談を交換した後で、野村は大理石のマントル・ピイスへ手をかけながら、冗談のような調子でこう云った。 「あら、いつ私たちが御手間を取らせて? 野村さんこそ御出でになるのが遅かったじゃないの?」  初子はわざと濃い眉をひそめて、媚びるように野村の顔を見上げたが、すぐにまたその視線を俊助の方へ投げ返すと、 「先日は私妙な事を御願いして――御迷惑じゃございませんでしたの?」 「いや、どうしまして。」  俊助はちょいと初子に会釈しながら、後はやはり野村だけへ話しかけるような態度で、 「昨日新田から返事が来たが、月水金の内でさえあれば、いつでも喜んで御案内すると云うんだ。だからその内で都合の好い日に参観して来給え。」 「そうか。そりゃ難有う。――で、初子さんはいつ行って見ます?」 「いつでも。どうせ私用のない体なんですもの。野村さんの御都合で極めて頂けば好いわ。」 「僕が極めるって――じゃ僕も随行を仰せつかるんですか。そいつは少し――」  野村は五分刈の頭へ大きな手をやって、辟易したらしい気色を見せた。と、初子は眼で笑いながら、声だけ拗ねた調子で、 「だって私その新田さんって方にも、御目にかかった事がないんでしょう。ですもの、私たちだけじゃ行かれはしないわ。」 「何、安田の名刺を貰って行けば、向うでちゃんと案内してくれますよ。」  二人がこんな押問答を交換していると、突然、そこへ、暁星学校の制服を着た十ばかりの少年が、人ごみの中をくぐり抜けるようにして、勢いよく姿を現した。そうしてそれが俊助の顔を見ると、いきなり直立不動の姿勢をとって、愛嬌のある挙手の礼をして見せた。こちらの三人は思わず笑い出した。中でも一番大きな声を出して笑ったのは、野村だった。 「やあ、今夜は民雄さんも来ていたのか。」  俊助は両手で少年の肩を抑えながら、調戯うようにその顔を覗きこんだ。 「ああ、皆で自動車へ乗って来たの。安田さんは?」 「僕は電車で来た。」 「けちだなあ、電車だなんて。帰りに自動車へ乗せて上げようか。」 「ああ、乗せてくれ給え。」  この間も俊助は少年の顔を眺めながら、しかも誰かが民雄の後を追って、彼等の近くへ歩み寄ったのを感ぜずにはいられなかった。         十  俊助は眼を挙げた。と、果して初子の隣に同年輩の若い女が、紺地に藍の竪縞の着物の胸を蘆手模様の帯に抑えて、品よくすらりと佇んでいた。彼女は初子より大柄だった。と同時に眼鼻立ちは、愛くるしかるべき二重瞼までが、遥に初子より寂しかった。しかもその二重瞼の下にある眼は、ほとんど憂鬱とも形容したい、潤んだ光さえ湛えていた。さっき会場へはいろうとする間際に、偶然後へ振り返った、俊助の心を躍らせたものは、実にこのもの思わしげな、水々しい瞳の光だった。彼はその瞳の持ち主と咫尺の間に向い合った今、再び最前の心の動揺を感じない訳には行かなかった。 「辰子さん。あなたまだ安田さんを御存知なかったわね。――辰子さんと申しますの。京都の女学校を卒業なすった方。この頃やっと東京詞が話せるようになりました。」  初子は物慣れた口ぶりで、彼女を俊助に紹介した。辰子は蒼白い頬の底にかすかな血の色を動かして、淑かに束髪の頭を下げた。俊助も民雄の肩から手を離して、叮嚀に初対面の会釈をした。幸、彼の浅黒い頬がいつになく火照っているのには、誰も気づかずにいたらしかった。  すると野村も横合いから、今夜は特に愉快そうな口を出して、 「辰子さんは初子さんの従妹でね、今度絵の学校へはいるものだから、それでこっちへ出て来る事になったんだ。所が毎日初子さんが例の小説の話ばかり聞かせるので、余程体にこたえるのだろう。どうもこの頃はちと健康が思わしくない。」 「まあ、ひどい。」  初子と辰子とは同時にこう云った。が、辰子の声は、初子のそれに気押されて、ほとんど聞えないほど低い声だった。けれども俊助は、この始めて聞いた辰子の声の中に、優しい心を裏切るものが潜んでいるような心もちがした。それが彼には心強い気を起させた。 「画と云うと――やはり洋画を御やりになるのですか。」  相手の声に勇気を得た俊助は、まだ初子と野村とが笑い合っている内に、こう辰子へ問いかけた。辰子はちょいと眼を帯止めの翡翠へ落して、 「は。」と、思ったよりもはっきりした返事をした。 「画は却々うまい。優に初子さんの小説と対峙するに足るくらいだ。――だから、辰子さん。僕が好い事を教えて上げましょう。これから初子さんが小説の話をしたら、あなたも盛に画の話をするんです。そうでもしなくっちゃ、体がたまりません。」  俊助はただ微笑で野村に答えながら、もう一度辰子に声をかけて見た。 「お体は実際お悪いんですか。」 「ええ、心臓が少し――大した事はございませんけれど。」  するとさっきから退屈そうな顔をして、一同の顔を眺めていた民雄が、下からぐいぐい俊助の手をひっぱって、 「辰子さんはね、あすこの梯子段を上っても、息が切れるんだとさ。僕は二段ずつ一遍にとび上る事が出来るんだぜ。」  俊助は辰子と顔を見合せて、ようやく心置きのない微笑を交換した。         十一  辰子は蒼白い頬に片靨を寄せたまま、静に民雄から初子へ眼を移して、 「民雄さんはそりゃお強いの。さっきもあの梯子段の手すりへ跨って、辷り下りようとなさるんでしょう。私吃驚して、墜ちて死んだらどうなさるのって云ったら――ねえ、民雄さん。あなたあの時、僕はまだ死んだ事がないから、どうするかわからないって仰有ったわね。私可笑しくって――」 「成程ね、こりゃ却々哲学的だ。」  野村はまた誰よりも大きな声で笑い出した。 「まあ、生意気ったらないのね。――だから姉さんがいつでも云うんだわ、民雄さんは莫迦だって。」  部屋の中の火気に蒸されて、一層血色の鮮になった初子が、ちょっと睨める真似をしながら、こう弟を窘めると、民雄はまだ俊助の手をつかまえたまま、 「ううん。僕は莫迦じゃないよ。」 「じゃ利巧か?」  今度は俊助まで口を出した。 「ううん、利巧でもない。」 「じゃ何だい。」  民雄はこう云った野村の顔を見上げながら、ほとんど滑稽に近い真面目さを眉目の間に閃かせて、 「中位。」と道破した。  四人は声を合せて失笑した。 「中位は好かった。大人もそう思ってさえいれば、一生幸福に暮せるのに相違ない。こりゃ初子さんなんぞは殊に拳々服膺すべき事かも知れませんぜ。辰子さんの方は大丈夫だが――」  その笑い声が静まった時、野村は広い胸の上に腕を組んで、二人の若い女を見比べた。 「何とでもおっしゃい。今夜は野村さん私ばかりいじめるわね。」 「じゃ僕はどうだ。」  俊助は冗談のように野村の矢面に立った。 「君もいかん。君は中位を以て自任出来ない男だ。――いや、君ばかりじゃない。近代の人間と云うやつは、皆中位で満足出来ない連中だ。そこで勢い、主我的になる。主我的になると云う事は、他人ばかり不幸にすると云う事じゃない。自分までも不幸にすると云う事だ。だから用心しなくっちゃいけない。」 「じゃ君は中位派か。」 「勿論さ。さもなけりゃ、とてもこんな泰然としちゃいられはしない。」  俊助は憫むような眼つきをして、ちらりと野村の顔を見た。 「だがね、主我的になると云う事は、自分ばかり不幸にする事じゃない。他人までも不幸にする事だ。だろう。そうするといくら中位派でも、世の中の人間が主我的だったら、やっぱり不安だろうじゃないか。だから君のように泰然としていられるためには、中位派たる以上に、主我的でない世の中を――でなくとも、先ず主我的でない君の周囲を信用しなけりゃならないと云う事になる。」 「そりゃまあ信用しているさ。が、君は信用した上でも――待った。一体君は全然人間を当てにしていないのか。」  俊助はやはり薄笑いをしたまま、しているとも、していないとも答えなかった。初子と辰子との眼がもの珍らしそうに、彼の上へ注がれているのを意識しながら。         十二  音楽会が終った後で、俊助はとうとう大井と藤沢とに引きとめられて、『城』同人の茶話会に出席しなければならなくなった。彼は勿論進まなかった。が、藤沢以外の同人には、多少の好奇心もない事はなかった。しかも切符を貰っている義理合い上、無下に断ってしまうのも気の毒だと云う遠慮があった。そこで彼はやむを得ず、大井と藤沢との後について、さっきの次の間の隣にある、小さな部屋へ通ったのだった。  通って見ると部屋の中には、もう四五人の大学生が、フロックの清水昌一と一しょに、小さな卓子を囲んでいた。藤沢はその連中を一々俊助に紹介した。その中では近藤と云う独逸文科の学生と、花房と云う仏蘭西文科の学生とが、特に俊助の注意を惹いた人物だった。近藤は大井よりも更に背の低い、大きな鼻眼鏡をかけた青年で、『城』同人の中では第一の絵画通と云う評判を荷っていた。これはいつか『帝国文学』へ、堂々たる文展の批評を書いたので、自然名前だけは俊助の記憶にも残っているのだった。もう一人の花房は、一週間以前『鉢の木』へ藤沢と一しょに来た黒のソフトで、英仏独伊の四箇国語のほかにも、希臘語や羅甸語の心得があると云う、非凡な語学通で通っていた。そうしてこれまた Hanabusa と署名のある英仏独伊希臘羅甸の書物が、時々本郷通の古本屋に並んでいるので、とうから名前だけは俊助も承知している青年だった。この二人に比べると、ほかの『城』同人は存外特色に乏しかった。が、身綺麗な服装の胸へ小さな赤薔薇の造花をつけている事は、いずれも軌を一にしているらしかった。俊助は近藤の隣へ腰を下しながら、こう云うハイカラな連中に交っている大井篤夫の野蛮な姿を、滑稽に感ぜずにはいられなかった。 「御蔭様で、今夜は盛会でした。」  タキシイドを着た藤沢は、女のような柔しい声で、まず独唱家の清水に挨拶した。 「いや、どうもこの頃は咽喉を痛めているもんですから――それより『城』の売行きはどうです? もう収支償うくらいには行くでしょう。」 「いえ、そこまで行ってくれれば本望なんですが――どうせ我々の書く物なんぞが、売れる筈はありゃしません。何しろ人道主義と自然主義と以外に、芸術はないように思っている世間なんですから。」 「そうですかね。だがいつまでも、それじゃすまないでしょう。その内に君の『ボオドレエル詩抄』が、羽根の生えたように売れる時が来るかも知れない。」  清水は見え透いた御世辞を云いながら、給仕の廻して来た紅茶を受けとると、隣に坐っていた花房の方を向いて、 「この間の君の小説は、大へん面白く拝見しましたよ。あれは何から材料を取ったんですか。」 「あれですか。あれはゲスタ・ロマノルムです。」 「はあ、ゲスタ・ロマノルムですか。」  清水はけげんな顔をしながら、こう好い加減な返事をすると、さっきから鉈豆の煙管できな臭い刻みを吹かせていた大井が、卓子の上へ頬杖をついて、 「何だい、そのゲスタ・ロマノルムってやつは?」と、無遠慮な問を抛りつけた。         十三 「中世の伝説を集めた本でしてね。十四五世紀の間に出来たものなんですが、何分原文がひどい羅甸なんで――」 「君にも読めないかい。」 「まあ、どうにかですね。参考にする飜訳もいろいろありますから。――何でもチョオサアやシェクスピイアも、あれから材料を採ったんだそうです。ですからゲスタ・ロマノルムだって、中々莫迦には出来ませんよ。」 「じゃ君は少くとも材料だけは、チョオサアやシェクスピイアと肩を並べていると云う次第だね。」  俊助はこう云う問答を聞きながら、妙な事を一つ発見した。それは花房の声や態度が、不思議なくらい藤沢に酷似していると云う事だった。もし離魂病と云うものがあるとしたならば、花房は正に藤沢の離魂体とも見るべき人間だった。が、どちらが正体でどちらが影法師だか、その辺の際どい消息になると、まだ俊助にははっきりと見定めをつける事がむずかしかった。だから彼は花房の饒舌っている間も、時々胸の赤薔薇を気にしている藤沢を偸み見ずにはいられなかった。  すると今度はその藤沢が、縁に繍のある手巾で紅茶を飲んだ口もとを拭いながら、また隣の独唱家の方を向いて、 「この四月には『城』も特別号を出しますから、その前後には近藤さんを一つ煩わせて、展覧会を開こうと思っています。」 「それも妙案ですな。が、展覧会と云うと、何ですか、やはり諸君の作品だけを――」 「ええ、近藤さんの木版画と、花房さんや私の油絵と――それから西洋の画の写真版とを陳列しようかと思っているんです。ただ、そうなると、警視庁がまた裸体画は撤回しろなぞとやかましい事を云いそうでしてね。」 「僕の木版画は大丈夫だが、君や花房君の油絵は危険だぜ。殊に君の『Utamaro の黄昏』に至っちゃ――あなたはあれを御覧になった事がありますか。」  こう云って、鼻眼鏡の近藤はマドロス・パイプの煙を吐きながら、流し眼にじろりと俊助の方を見た。と、俊助がまだ答えない内に、卓子の向うから藤沢が口を挟んで、 「そりゃ君、まだ御覧にならないのですよ。いずれその内に、御眼にかけようとは思っているんですが――安田さんは絵本歌枕と云うものを御覧になった事がありますか。ありません? 私の『Utamaro の黄昏』は、あの中の一枚を装飾的に描いたものなんです。行き方は――と、近藤さん、あれは何と云ったら好いんでしょう。モオリス・ドニでもなし、そうかと云って――」  近藤は鼻眼鏡の後の眼を閉じてしばらく考に耽っていたが、やがて重々しい口を開こうとすると、また大井が横合いから、鉈豆の煙管を啣えたままで、 「つまり君、春画みたいなものなんだろう。」と、乱暴な註釈を施してしまった。  ところが藤沢は存外不快にも思わなかったと見えて、例のごとく無気味なほど柔しい微笑を漂わせながら、 「ええ、そう云えば一番早いかも知れませんね。」と、恬然として大井に賛成した。         十四 「成程、そりゃ面白そうだ。――ところでどうでしょう、春画などと云う物は、やっぱり西洋の方が発達しているんですか。」  清水がこう尋ねたのを潮に、近藤は悠然とマドロス・パイプの灰をはたきながら、大学の素読でもしそうな声で、徐に西洋の恁うした画の講釈をし始めた。 「一概に春画と云いますが、まあざっと三種類に区別するのが至当なので、第一は××××を描いたもの、第二はその前後だけを描いたもの、第三は単に××××を描いたもの――」  俊助は勿論こう云う話題に、一種の義憤を発するほど、道徳家でないには相違なかった。けれども彼には近藤の美的偽善とも称すべきものが――自家の卑猥な興味の上へ芸術的と云う金箔を塗りつけるのが、不愉快だったのもまた事実だった。だから近藤が得意になって、さも芸術の極致が、こうした画にあるような、いかがわしい口吻を弄し出すと、俊助は義理にも、金口の煙に隠れて、顔をしかめない訳には行かなかった。が、近藤はそんな事には更に気がつかなかったものと見えて、上は古代希臘の陶画から下は近代仏蘭西の石版画まで、ありとあらゆるこうした画の形式を一々詳しく説明してから、 「そこで面白い事にはですね、あの真面目そうなレムブラントやデュラアまでが、斯ういう画を描いているんです。しかもレムブラントのやつなんぞは、やっぱり例のレムブラント光線が、ぱっと一箇所に落ちているんだから、振っているじゃありませんか。つまりああ云う天才でも、やっぱりこの方面へ手を出すぐらいな俗気は十分あったんで――まあ、その点は我々と似たり寄ったりだったんでしょう。」  俊助はいよいよ聞き苦しくなった。すると今まで卓子の上へ頬杖をついて、半ば眼をつぶっていた大井が、にやりと莫迦にしたような微笑を洩すと、欠伸を噛み殺したような声を出して、 「おい、君、序にレムブラントもデュラアも、我々同様屁を垂れたと云う考証を発表して見ちゃどうだ。」  近藤は大きな鼻眼鏡の後から、険しい視線を大井へ飛ばせたが、大井は一向平気な顔で、鉈豆の煙管をすぱすぱやりながら、 「あるいは百尺竿頭一歩を進めて、同じく屁を垂れるから、君も彼等と甲乙のない天才だと号するのも洒落れているぜ。」 「大井君、よし給えよ。」 「大井さん。もう好いじゃありませんか。」  見兼ねたと云う容子で、花房と藤沢とが、同時に柔しい声を出した。と、大井は狡猾そうな眼で、まっ青になった近藤の顔をじろじろ覗きこみながら、 「こりゃ失敬したね。僕は何も君を怒らす心算で云ったんじゃないんだが――いや、ない所か、君の知識の該博なのには、夙に敬服に堪えないくらいなんだ。だからまあ、怒らないでくれ給え。」  近藤は執念深く口を噤んで、卓子の上の紅茶茶碗へじっと眼を据えていたが、大井がこう云うと同時に、突然椅子から立ち上って、呆気に取られている連中を後に、さっさと部屋を出て行ってしまった。一座は互に顔を見合せたまま、しばらくの間は気まずい沈黙を守っていなければならなかった。が、やがて俊助は空嘯いている大井の方へ、ちょいと顎で相図をすると、微笑を含んだ静な声で、 「僕は御先へ御免を蒙るから。――」  これが当夜、彼の口を洩れた、最初のそうしてまた最後の言葉だったのである。         十五  するとその後また一週間と経たない内に、俊助は上野行の電車の中で、偶然辰子と顔を合せた。  それは春先の東京に珍しくない、埃風の吹く午後だった。俊助は大学から銀座の八咫屋へ額縁の註文に廻った帰りで、尾張町の角から電車へ乗ると、ぎっしり両側の席を埋めた乗客の中に、辰子の寂しい顔が見えた。彼が電車の入口に立った時、彼女はやはり黒い絹の肩懸をかけて、膝の上にひろげた婦人雑誌へ、つつましい眼を落しているらしかった。が、その内にふと眼を挙げて、近くの吊皮にぶら下っている彼の姿を眺めると、たちまち片靨を頬に浮べて、坐ったまま、叮嚀に黙礼の頭を下げた。俊助は会釈を返すより先に、こみ合った乗客を押し分けて、辰子の前の吊皮へ手をかけながら、 「先夜は――」と、平凡に挨拶した。 「私こそ――」  それぎり二人は口を噤んだ。電車の窓から外を見ると、時々風がなぐれる度に、往来が一面に灰色になる。と思うとまた、銀座通りの町並が、その灰色の中から浮き上って、崩れるように後へ流れて行く。俊助はそう云う背景の前に、端然と坐っている辰子の姿を、しばらくの間見下していたが、やがてその沈黙がそろそろ苦痛になり出したので、今度はなる可く気軽な調子で、 「今日は?――御帰りですか。」と、出直して見た。 「ちょいと兄の所まで――国許の兄が出て参りましたから。」 「学校は? 御休みですか。」 「まだ始りませんの。来月の五日からですって。」  俊助は次第に二人の間の他人行儀が、氷のように溶けて来るのを感じた。と、広告屋の真紅の旗が、喇叭や太鼓の音を風に飛ばせながら、瞬く間電車の窓を塞いだ。辰子はわずかに肩を落して、そっと窓の外をふり返った。その時彼女の小さな耳朶が、斜にさして来る日の光を受けて、仄かに赤く透いて見えた。俊助はそれを美しいと思った。 「先達は、あれからすぐに御帰りになって。」  辰子は俊助の顔へ瞳を返すと、人懐しい声でこう云った。 「ええ、一時間ばかりいて帰りました。」 「御宅はやはり本郷?」 「そうです。森川町。」  俊助は制服の隠しをさぐって、名刺を辰子の手へ渡した。渡す時向うの手を見ると、青玉を入れた金の指環が、細っそりとその小指を繞っていた。俊助はそれもまた美しいと思った。 「大学の正門前の横町です。その内に遊びにいらっしゃい。」 「難有う。いずれ初子さんとでも。」  辰子は名刺を帯の間へ挟んで、ほとんど聞えないような返事をした。  二人はまた口を噤んで、電車の音とも風の音ともつかない町の音に耳を傾けた。が、俊助はこの二度目の沈黙を、前のように息苦しくは感じなかった。むしろ彼はその沈黙の中に、ある安らかな幸福の存在さえも明かに意識していたのだった。         十六  俊助の下宿は本郷森川町でも、比較的閑静な一区劃にあった。それも京橋辺の酒屋の隠居所を、ある伝手から二階だけ貸して貰ったので、畳建具も世間並の下宿に比べると、遥に小綺麗に出来上っていた。彼はその部屋へ大きな西洋机や安楽椅子の類を持ちこんで、見た眼には多少狭苦しいが、とにかく居心は悪くない程度の西洋風な書斎を拵え上げた。が、書斎を飾るべき色彩と云っては、ただ書棚を埋めている洋書の行列があるばかりで、壁に懸っている額の中にも、大抵はありふれた西洋名画の写真版がはいっているのに過ぎなかった。これに常々不服だった彼は、その代りによく草花の鉢を買って来ては、部屋の中央に据えてある寄せ木の卓子の上へ置いた。現に今日も、この卓子の上には、籐の籠へ入れた桜草の鉢が、何本も細い茎を抽いた先へ、簇々とうす赤い花を攅めている。……  須田町の乗換で辰子と分れた俊助は、一時間の後この下宿の二階で、窓際の西洋机の前へ据えた輪転椅子に腰を下しながら、漫然と金口の煙草を啣えていた。彼の前には読みかけた書物が、象牙の紙切小刀を挟んだまま、さっきからちゃんと開いてあった。が、今の彼には、その頁に詰まっている思想を咀嚼するだけの根気がなかった。彼の頭の中には辰子の姿が、煙草の煙のもつれるように、いつまでも美しく這い纏っていた。彼にはその頭の中の幻が、最前電車の中で味った幸福の名残りのごとく見えた。と同時にまた来るべき、さらに大きな幸福の前触れのごとくも見えるのだった。  すると机の上の灰皿に、二三本吸いさしの金口がたまった時、まず大儀そうに梯子段を登る音がして、それから誰か唐紙の向うへ立止ったけはいがすると、 「おい、いるか。」と、聞き慣れた太い声がした。 「はいり給え。」  俊助がこう答える間も待たないで、からりとそこの唐紙が開くと、桜草の鉢を置いた寄せ木の卓子の向うには、もう肥った野村の姿が、肩を揺ってのそのそはいって来た。 「静だな。玄関で何度御免と言っても、女中一人出て来ない。仕方がないからとうとう、黙って上って来てしまった。」  始めてこの下宿へ来た野村は、万遍なく部屋の中を見廻してから、俊助の指さす安楽椅子へ、どっかり大きな尻を据えた。 「大方女中がまた使いにでも行っていたんだろう。主人の隠居は聾だから、中々御免くらいじゃ通じやしない。――君は学校の帰りか。」  俊助は卓子の上へ西洋の茶道具を持ち出しながら、ちょいと野村の制服姿へ眼をやった。 「いや、今日はこれから国へ帰って来ようと思って――明後日がちょうど親父の三回忌に当るものだから。」 「そりゃ大変だな。君の国じゃ帰るだけでも一仕事だ。」 「何、その方は慣れているから平気だが、とかく田舎の年忌とか何とか云うやつは――」  野村は前以て辟易を披露するごとく、近眼鏡の後の眉をひそめて見せたが、すぐにまた気を変えて、 「ところで僕は君に一つ、頼みたい事があって寄ったのだが――」         十七 「何だい、改まって。」  俊助は紅茶茶碗を野村の前へ置くと、自分も卓子の前の椅子へ座を占めて、不思議そうに相手の顔へ眼を注いだ。 「改まりなんぞしやしないさ。」  野村は反って恐縮らしく、五分刈の頭を撫で廻したが、 「実は例の癲狂院行きの一件なんだが――どうだろう。君が僕の代りに初子さんを連れて行って、見せてやってくれないか。僕は今日行くと、何だ彼だで一週間ばかりは、とても帰られそうもないんだから。」 「そりゃ困るよ。一週間くらいかかったって、帰ってから、君が連れて行きゃ好いじゃないか。」 「ところが初子さんは、一日も早く見たいと云っているんだ。」  野村は実際困ったような顔をして、しばらくは壁に懸っている写真版へ、順々に眼をくばっていたが、やがてその眼がレオナルドのレダまで行くと、 「おや、あれは君、辰子さんに似ているじゃないか。」と、意外な方面へ談柄を落した。 「そうかね。僕はそうとも思わないが。」  俊助はこう答えながら、明かに嘘をついていると云う自覚があった。それは勿論彼にとって、面白くない自覚には相違なかった。が、同時にまた、小さな冒険をしているような愉快が潜んでいたのも事実だった。 「似ている。似ている。もう少し辰子さんが肥っていりゃ、あれにそっくりだ。」  野村は近眼鏡の下からしばらくレダを仰いでいた後で、今度はその眼を桜草の鉢へやると、腹の底から大きな息をついて、 「どうだ。年来の好誼に免じて、一つ案内役を引き受けてくれないか。僕はもう君が行ってくれるものと思って、その旨を初子さんまで手紙で通知してしまったんだが。」  俊助の舌の先には、「そりゃ君の勝手じゃないか」と云う言葉があった。が、その言葉がまだ口の外へ出ない内に、彼の頭の中へは刹那の間、伏目になった辰子の姿が鮮かに浮び上って来た。と、ほとんどそれが相手に通じたかのごとく、野村は安楽椅子の肘を叩きながら、 「初子さん一人なら、そりゃ君の辟易するのも無理はないが、辰子さんも多分――いや、きっと一しょに行くって云っていたから、その辺の心配はいらないんだがね。」  俊助は紅茶茶碗を掌に載せたまま、しばらくの間考えた。行く行かないの問題を考えるのか、一度断った依頼をまた引受けるために、然るべき口実を考えるのか――それも彼には判然しないような心もちがした。 「そりゃ行っても好いが。」  彼は現金すぎる彼自身を恥じながら、こう云った後で、追いかけるように言葉を添えずにはいられなかった。 「そうすりゃ、久しぶりで新田にも会えるから。」 「やれ、やれ、これでやっと安心した。」  野村はさもほっとしたらしく、胸の釦を二つ三つ外すと、始めて紅茶茶碗を口へつけた。         十八 「日はア。」  俊助の眼はまだ野村よりも、掌の紅茶茶碗へ止まり易かった。 「来週の水曜日――午後からと云う事になっているんだが、君の都合が悪るけりゃ、月曜か金曜に繰変えても好い。」 「何、水曜なら、ちょうど僕の方も講義のない日だ。それで――と、栗原さんへは僕の方から出かけて行くのか。」  野村は相手の眉の間にある、思い切りの悪い表情を見落さなかった。 「いや、向うからここへ来て貰おう。第一その方が道順だから。」  俊助は黙って頷いたまま、しばらく閑却されていた埃及煙草へ火をつけた。それから始めてのびのびと椅子の背に頭を靠せながら、 「君はもう卒業論文へとりかかったのか。」と、全く別な方面へ話題を開拓した。 「本だけはぽつぽつ読んでいるが――いつになったら考えが纏るか、自分でもちょいと見当がつかない。殊にこの頃のように俗用多端じゃ――」  こう云いかけた野村の眼には、また冷評されはしないかと云う懸念があった。が、俊助は案外真面目な調子で、 「多端――と云うと?」と問い返した。 「君にはまだ話さなかったかな。僕の母が今は国にいるが、僕でも大学を卒業したら、こちらへ出て来て、一しょになろうと云うんでね。それにゃ国の田地や何かも整理しなけりゃならないから、今度はまあ親父の年忌を兼ねて、その面倒も見に行く心算なんだ。どうもこう云う問題になると、中々哲学史の一冊も読むような、簡単な訳にゃ行かないんだから困る。」 「そりゃそうだろう。殊に君のような性格の人間にゃ――」  俊助は同じ東京の高等学校で机を並べていた関係から、何かにつけて野村一家の立ち入った家庭の事情などを、聞かせられる機会が多かった。野村家と云えば四国の南部では、有名な旧家の一つだと云う事、彼の父が政党に関係して以来、多少は家産が傾いたが、それでも猶近郷では屈指の分限者に相違ないと云う事、初子の父の栗原は彼の母の異腹の弟で、政治家として今日の位置に漕つけるまでには、一方ならず野村の父の世話になっていると云う事、その父の歿後どこかから妾腹の子と名乗る女が出て来て、一時は面倒な訴訟沙汰にさえなった事があると云う事――そう云ういろいろな消息に通じている俊助は、今また野村の帰郷を必要としている背後にも、どれほど複雑な問題が蟠まっているか、略想像出来るような心もちがした。 「まず当分はシュライエルマッヘルどころの騒ぎじゃなさそうだ。」 「シュライエルマッヘル?」 「僕の卒業論文さ。」  野村は気のなさそうな声を出すと、ぐったり五分刈の頭を下げて、自分の手足を眺めていたが、やがて元気を恢復したらしく、胸の金釦をかけ直して、 「もうそろそろ出かけなくっちゃ。――じゃ癲狂院行きの一件は、何分よろしく取計らってくれ給え。」         十九  野村が止めるのも聞かず、俊助は鳥打帽にインバネスをひっかけて、彼と一しょに森川町の下宿を出た。幸とうに風が落ちて、往来には春寒い日の暮が、うす明くアスファルトの上を流れていた。  二人は電車で中央停車場へ行った。野村の下げていた鞄を赤帽に渡して、もう電燈のともっている二等待合室へ行って見ると、壁の上の時計の針が、まだ発車の時刻には大分遠い所を指していた。俊助は立ったまま、ちょいと顎をその針の方へしゃくって見せた。 「どうだ、晩飯を食って行っては。」 「そうさな。それも悪くはない。」  野村は制服の隠しから時計を出して、壁の上のと見比べていたが、 「じゃ君は向うで待っていてくれ給え。僕は先へ切符を買って来るから。」  俊助は独りで待合室の側の食堂へ行った。食堂はほとんど満員だった。それでも彼が入口に立って、逡巡の視線を漂わせていると、気の利いた給仕が一人、すぐに手近の卓子に空席があるのを教えてくれた。が、その卓子には、すでに実業家らしい夫婦づれが、向い合ってフオクを動かしていた。彼は西洋風に遠慮したいと思ったが、ほかに腰を下す所がないので、やむを得ずそこへ連らせて貰う事にした。もっとも相手の夫婦づれは、格別迷惑らしい容子もなく、一輪挿しの桜を隔てながら、大阪弁で頻に饒舌っていた。  給仕が註文を聞いて行くと、間もなく野村が夕刊を二三枚つかんで、忙しそうにはいって来た。彼は俊助に声をかけられて、やっと相手の居場所に気がつくと、これは隣席の夫婦づれにも頓着なく、無造作に椅子をひき寄せて、 「今、切符を買っていたら、大井君によく似た人を見かけたが、まさか先生じゃあるまいな。」 「大井だって、停車場へ来ないとは限らないさ。」 「いや、何でも女づれらしかったから。」  そこへスウプが来た。二人はそれぎり大井を閑却して、嵐山の桜はまだ早かろうの、瀬戸内の汽船は面白かろうのと、春めいた旅の話へ乗り換えてしまった。するとその内に、野村が皿の変るのを待ちながら、急に思い出したと云う調子で、 「今初子さんの所へ例の件を電話でそう云って置いた。」 「じゃ今日は誰も送りに来ないか。」 「来るものか。何故?」  何故と尋かれると、俊助も返事に窮するよりほかはなかった。 「栗原へは今朝手紙を出すまで、国へ帰るとも何とも云っちゃなかったんだから――その手紙も電話で聞くと、もう少しさっき届いたばかりだそうだ。」  野村はまるで送りに来ない初子のために、弁解の労を執るような口調だった。 「そうか。道理で今日辰子さんに遇ったが何ともそう云う話は聞かなかった。」 「辰子さんに遇った? いつ?」 「午すぎに電車の中で。」  俊助はこう答えながら、さっき下宿で辰子の話が出たにも関らず、何故今までこんな事を黙っていたのだろうと考えた。が、それは彼自身にも偶然か故意か、判断がつけられなかった。         二十  プラットフォオムの上には例のごとく、見送りの人影が群っていた。そうしてそれが絶えず蠢いている上に、電燈のともった列車の窓が、一つずつ明く切り抜かれていた。野村もその窓から首を出して、外に立っている俊助と、二言三言落着かない言葉を交換した。彼等は二人とも、周囲の群衆の気もちに影響されて、発車が待遠いような、待遠くないような、一種の慌しさを感じずにはいられなかった。殊に俊助は話が途切れると、ほとんど敵意があるような眼で、左右の人影を眺めながら、もどかしそうに下駄の底を鳴らしていた。  その内にやっと発車の電鈴が響いた。 「じゃ行って来給え。」  俊助は鳥打帽の庇へ手をかけた。 「失敬、例の一件は何分よろしく願います。」と、野村はいつになく、改まった口調で挨拶した。  汽車はすぐに動き出した。俊助はいつまでもプラットフォオムに立って、次第に遠ざかって行く野村を見送るほど、感傷癖に囚われてはいなかった。だから彼はもう一度鳥打帽の庇へ手をかけると、未練なくあたりの人影に交って、入口の階段の方へ歩き出した。  が、その時、ふと彼の前を通りすぎる汽車の窓が眼にはいると、思いがけずそこには大井篤夫が、マントの肘を窓枠に靠せながら、手巾を振っているのが見えた。俊助は思わず足を止めた。と同時にさっき大井を見かけたと云う野村の言葉を思い出した。けれども大井は俊助の姿に気がつかなかったものと見えて、見る見る汽車の窓と共に遠くなりながらも、頻に手巾を振り続けていた。俊助は狐につままれたような気がして、茫然とその後を見送るよりほかはなかった。  が、この衝動から恢復した時、俊助の心は何よりも、その手巾の閃きに応ずべき相手を物色するのに忙しかった。彼はインバネスの肩を聳かせて、前後左右に雪崩れ出した見送り人の中へ視線を飛ばした。勿論彼の頭の中には、女づれのようだったと云う野村の言葉が残っていた。しかしそれらしい女の姿を、いくら探しても見当らなかった。と云うよりもそれらしい女が、いつも人影の間にうろうろしていた。そうしてその代りどれが本当の相手だか、さらに判別がつかなかった。彼はとうとう物色を断念しなければならなかった。  中央停車場の外へ出て、丸の内の大きな星月夜を仰いだ時も、俊助はまださっきの不思議な心もちから、全く自由にはなっていなかった。彼には大井がその汽車へ乗り合せていたと云う事より、汽車の窓で手巾を振っていたと云う事が、滑稽なくらい矛盾な感を与えるものだった。あの悪辣な人間を以て自他共に許している大井篤夫が、どうしてあんな芝居じみた真似をしていたのだろう。あるいは人が悪いのは附焼刃で、実は存外正直な感傷主義者が正体かも知れない。――俊助はいろいろな臆測の間に迷いながら、新開地のような広い道路を、濠側まで行って電車に乗った。  ところが翌日大学へ行くと、彼は純文科に共通な哲学概論の教室で、昨夜七時の急行へ乗った筈の大井と、また思いがけなく顔を合せた。         二十一  その日俊助は、いつよりもやや出席が遅れたので、講壇をめぐった聴講席の中でも、一番後の机に坐らなければならなかった。所がそこへ坐って見ると、なぞえに向うへ低くなった二三列前の机に、見慣れた黒木綿の紋附が、澄まして頬杖をついていた。俊助はおやと思った。それから昨夜中央停車場で見かけたのは、大井篤夫じゃなかったのかしらと思った。が、すぐにまた、いや、やはり大井に違いなかったと思い返した。そうしたら、彼が手巾を振っているのを見た時よりも、一層狐につままれたような心もちになった。  その内に大井は何かの拍子に、ぐるりとこちらへ振返った。顔を見ると、例のごとく傲岸不遜な表情があった。俊助は当然なるべきこの表情を妙にもの珍しく感じながら、「やあ」と云う挨拶を眼で送った。と、大井も黒木綿の紋附の肩越に、顎でちょいと会釈をしたが、それなりまた向うを向いて、隣にいた制服の学生と、何か話をし始めたらしかった。俊助は急に昨夜の一件を確かめたい気が強くなって来た。が、そのためにわざわざ席を離れるのは、面倒でもあるし、莫迦莫迦しくもあった。そこで万年筆へインクを吸わせながら、いささか腰を擡げ兼ねていると、哲学概論を担当している、有名なL教授が、黒い鞄を小脇に抱えて、のそのそ外からはいって来てしまった。  L教授は哲学者と云うよりも、むしろ実業家らしい風采を備えていた。それがその日のように、流行の茶の背広を一着して、金の指環をはめた手を動かしながら、鞄の中の草稿を取り出したりなどしていると、殊に講壇よりは事務机の後に立たせて見たいような心もちがした。が、講義は教授の風采とは没交渉に、その面倒なカント哲学の範疇の議論から始められた。俊助は専門の英文学の講義よりも、反って哲学や美学の講義に忠実な学生だったから、ざっと二時間ばかりの間、熱心に万年筆を動かして、手際よくノオトを取って行った。それでも合い間毎に顔を挙げて、これは煩杖をついたまま、滅多にペンを使わないらしい大井の後姿を眺めると、時々昨夜以来の不思議な気分が、カントと彼との間へ靄のように流れこんで来るのを感ぜずにはいられなかった。  だからやがて講義がすんで、机を埋めていた学生たちがぞろぞろ講堂の外へ流れ出すと、彼は入口の石段の上に足を止めて、後から来る大井と一しょになった。大井は相不変ノオト・ブックのはみ出した懐へ、無精らしく両手を突込んでいたが、俊助の顔を見るなりにやにや笑い出して、 「どうした。この間の晩の美人たちは健在か。」と、逆に冷評を浴びせかけた。  二人のまわりには大勢の学生たちが、狭い入口から両側の石段へ、しっきりなく溢れ出していた。俊助は苦笑を漏したまま、大井の言葉には答えないで、ずんずんその石段の一つを下りて行った。そうしてそこに芽を吹いている欅の並木の下へ出ると、始めて大井の方を振り返って、 「君は気がつかなかったか、昨夜東京駅で遇ったのを。」と、探りの一句を投げこんで見た。         二十二 「へええ、東京駅で?」  大井は狼狽したと云うよりも、むしろ決断に迷ったような眼つきをして、狡猾そうにちらりと俊助の顔を窺った。が、その眼が俊助の冷やかな視線に刎返されると、彼は急に悪びれない態度で、 「そうか。僕はちっとも気がつかなかった。」と白状した。 「しかも美人が見送りに来ていたじゃないか。」  勢いに乗った俊助は、もう一度際どい鎌をかけた。けれども大井は存外平然と、薄笑を唇に浮べながら、 「美人か――ありゃ僕の――まあ好いや。」と、思わせぶりな返事に韜晦してしまった。 「一体どこへ行ったんだ?」 「ありゃ僕の――」に辟易した俊助は、今度は全く技巧を捨てて、正面から大井を追窮した。 「国府津まで。」 「それから?」 「それからすぐに引返した。」 「どうして?」 「どうしてったって、――いずれ然るべき事情があってさ。」  この時丁子の花の匀が、甘たるく二人の鼻を打った。二人ともほとんど同時に顔を挙げて見ると、いつかもうディッキンソンの銅像の前にさしかかる所だった。丁子は銅像をめぐった芝生の上に、麗らかな日の光を浴びて、簇々とうす紫の花を綴っていた。 「だからさ、その然るべき事情とは抑も何だと尋いているんだ。」  と、大井は愉快そうに、大きな声で笑い出した。 「つまらん事を心配する男だな。然るべき事情と云ったら、要するに然るべき事情じゃないか。」  が、俊助も二度目には、容易に目つぶしを食わされなかった。 「いくら然るべき事情があったって、ちょいと国府津まで行くだけなら、何も手巾まで振らなくったって好さそうなもんじゃないか。」  するとさすがに大井の顔にも、瞬く間周章したらしい気色が漲った。けれども口調だけは相不変傲然と、 「これまた別に然るべき事情があって振ったのさ。」  俊助は相手のたじろいだ虚につけ入って、さらに調戯うような悪問いの歩を進めようとした。が、大井は早くも形勢の非になったのを覚ったと見えて、正門の前から続いている銀杏の並木の下へ出ると、 「君はどこへ行く? 帰るか。じゃ失敬。僕は図書館へ寄って行くから。」と、巧に俊助を抛り出して、さっさと向うへ行ってしまった。  俊助はその後を見送りながら、思わず苦笑を洩したが、この上追っかけて行ってまでも、泥を吐かせようと云う興味もないので、正門を出るとまっすぐに電車通りを隔てている郁文堂の店へ行った。ところがそこへ足を入れると、うす暗い店の奥に立って、古本を探していた男が一人、静に彼の方へ向き直って、 「安田さん。しばらく。」と、優しい声をかけた。         二十三  ほとんど常に夕暮の様な店の奥の乏しい光も、まっ赤な土耳其帽を頂いた藤沢を見分けるには十分だった。俊助は答礼の帽を脱ぎながら、埃臭い周囲の古本と相手のけばけばしい服装との間に、不思議な対照を感ぜずにはいられなかった。  藤沢は大英百科全書の棚に華奢な片手をかけながら、艶かしいとも形容すべき微笑を顔中に漂わせて、 「大井さんには毎日御会いですか。」 「ええ、今も一しょに講義を聴いて来たところです。」 「僕はあの晩以来、一度も御目にかからないんですが――」  俊助は近藤と大井との間の確執が、同じく『城』同人と云う関係上、藤沢もその渦中へ捲きこんだのだろうと想像した。が、藤沢はそう思われる事を避けたいのか、いよいよ優しい声を出して、 「僕の方からは二三度下宿へ行ったんですけれど、生憎いつも留守ばかりで――何しろ大井さんはあの通り、評判のドン・ジュアンですから、その方で暇がないのかも知れませんがね。」  大学へはいって以来、初めて大井を知った俊助は、今日まであの黒木綿の紋附にそんな脂粉の気が纏綿していようとは、夢にも思いがけなかった。そこで思わず驚いた声を出しながら、 「へええ、あれで道楽者ですか。」 「さあ、道楽者かどうですか――とにかく女はよく征服する人ですよ。そう云う点にかけちゃ高等学校時代から、ずっと我々の先輩でした。」  その瞬間俊助の頭の中には、昨夜汽車の窓で手巾を振っていた大井の姿が、ありありと浮び上って来た。と同時にやはり藤沢が、何か大井に含む所があって、好い加減に中傷の毒舌を弄しているのではないかとも思った。が、次の瞬間に藤沢はちょいと首を曲げて、媚びるような微笑を送りながら、 「何でも最近はどこかのレストランの給仕と大へん仲が好くなっているそうです。御同様羨望に堪えない次第ですがね。」  俊助は藤沢がこう云う話を、むしろ大井の名誉のために弁じているのだと云う事に気がついた。それと共に、頭の中の大井の姿は、いよいよその振っている手巾から、濃厚に若い女性の匀を放散せずにはすまさなかった。 「そりゃ盛ですね。」 「盛ですとも。ですから僕になんぞ会っている暇がないのも、重々無理はないんです。おまけに僕の行く用向きと云うのが、あの精養軒の音楽会の切符の御金を貰いに行くんですからね。」  藤沢はこう云いながら、手近の帳場机にある紙表紙の古本をとり上げたが、所々好い加減に頁を繰ると、すぐに俊助の方へ表紙を見せて、 「これも花房さんが売ったんですね。」  俊助は自然微笑が唇に上って来るのを意識した。 「梵字の本ですね。」 「ええ、マハアバラタか何からしいですよ。」         二十四 「安田さん、御客様でございますよ。」  こう云う女中の声が聞えた時、もう制服に着換えていた俊助は、よしとか何とか曖昧な返事をして置いて、それからわざと元気よく、梯子段を踏み鳴しながら、階下へ行った。行って見ると、玄関の格子の中には、真中から髪を割って、柄の長い紫のパラソルを持った初子が、いつもよりは一層溌剌と外光に背いて佇んでいた。俊助は閾の上に立ったまま、眩しいような感じに脅かされて、 「あなた御一人?」と尋ねて見た。 「いいえ、辰子さんも。」  初子は身を斜にして、透すように格子の外を見た。格子の外には、一間に足らない御影の敷石があって、そのまた敷石のすぐ外には、好い加減古びたくぐり門があった。初子の視線を追った俊助は、そのくぐり門の戸を開け放した向うに、見覚えのある紺と藍との竪縞の着物が、日の光を袂に揺りながら、立っているのを発見した。 「ちょいと上って、御茶でも飲んで行きませんか。」 「難有うございますけれど――」  初子は嫣然と笑いながら、もう一度眼を格子の外へやった。 「そうですか。じゃすぐに御伴しましょう。」 「始終御迷惑ばかりかけますのね。」 「何、どうせ今日は遊んでいる体なんです。」  俊助は手ばしこく編上の紐をからげると外套を腕にかけたまま、無造作に角帽を片手に掴んで、初子の後からくぐり門の戸をくぐった。  初子のと同じ紫のパラソルを持って、外に待っていた辰子は、俊助の姿を見ると、しなやかな手を膝に揃えて、叮嚀に黙礼の頭を下げた。俊助はほとんど冷淡に会釈を返した。返しながら、その冷淡なのがあるいは辰子に不快な印象を与えはしないだろうかと気づかった。と同時にまた初子の眼には、それでもまだ彼の心中を裏切るべき優しさがありはしまいかとも思った。が、初子は二人の応対には頓着なく、斜に紫のパラソルを開きながら、 「電車は? 正門前から御乗りになって。」 「ええ、あちらの方が近いでしょう。」  三人は狭い往来を歩き出した。 「辰子さんはね、どうしても今日はいらっしゃらないって仰有ったのよ。」  俊助は「そうですか?」と云う眼をして、隣に歩いている辰子を見た。辰子の顔には、薄く白粉を刷いた上に、紫のパラソルの反映がほんのりと影を落していた。 「だって、私、気の違っている人なんぞの所へ行くのは、気味が悪いんですもの。」 「私は平気。」  初子はくるりとパラソルを廻しながら、 「時々気違いになって見たいと思う事もあるわ。」 「まあ、いやな方ね。どうして?」 「そうしたら、こうやって生きているより、もっといろいろ変った事がありそうな気がするの。あなたそう思わなくって?」 「私? 私は変った事なんぞなくったって好いわ。もうこれで沢山。」         二十五  新田はまず三人の客を病院の応接室へ案内した。そこはこの種の建物には珍しく、窓掛、絨氈、ピアノ、油絵などで、甚しい不調和もなく装飾されていた。しかもそのピアノの上には、季節にはまだ早すぎる薔薇の花が、無造作に手頃な青銅の壺へ挿してあった。新田は三人に椅子を薦めると、俊助の問に応じて、これは病院の温室で咲かせた薔薇だと返答した。  それから新田は、初子と辰子との方へ向いて、予め俊助が依頼して置いた通り、精神病学に関する一般的智識とでも云うべきものを、歯切れの好い口調で説明した。彼は俊助の先輩として、同じ高等学校にいた時分から、畠違いの文学に興味を持っている男だった。だからその説明の中にも、種々の精神病者の実例として、ニイチェ、モオパッサン、ボオドレエルなどと云う名前が、一再ならず引き出されて来た。  初子は熱心にその説明を聞いていた。辰子も――これは始終伏眼がちだったが、やはり相当な興味だけは感じているらしく思われた。俊助は心の底の方で、二人の注意を惹きつけている説明者の新田が羨しかった。が、二人に対する新田の態度はほとんど事務的とも形容すべき、甚だ冷静なものだった。同時にまた縞の背広に地味な襟飾をした彼の服装も、世紀末の芸術家の名前を列挙するのが、不思議なほど、素朴に出来上っていた。 「何だか私、御話を伺っている内に、自分も気が違っているような気がして参りました。」  説明が一段落ついた所で、初子はことさら真面目な顔をしながら、ため息をつくようにこう云った。 「いや、実際厳密な意味では、普通正気で通っている人間と精神病患者との境界線が、存外はっきりしていないのです。況んやかの天才と称する連中になると、まず精神病者との間に、全然差別がないと云っても差支えありません。その差別のない点を指摘したのが、御承知の通りロムブロゾオの功績です。」 「僕は差別のある点も指摘して貰いたかった。」  こう俊助が横合から、冗談のように異議を申し立てると、新田は冷かな眼をこちらへ向けて、 「あれば勿論指摘したろう。が、なかったのだから、やむを得ない。」 「しかし天才は天才だが、気違いはやはり気違いだろう。」 「そう云う差別なら、誇大妄想狂と被害妄想狂との間にもある。」 「それとこれと一しょにするのは乱暴だよ。」 「いや、一しょにすべきものだ。成程天才は有為だろう。狂人は有為じゃないに違いない。が、その差別は人間が彼等の所行に与えた価値の差別だ。自然に存している差別じゃない。」  新田の持論を知っている俊助は、二人の女と微笑を交換して、それぎり口を噤んでしまった。と、新田もさすがに本気すぎた彼自身を嘲るごとく、薄笑の唇を歪めて見せたが、すぐに真面目な表情に返ると、三人の顔を見渡して、 「じゃ一通り、御案内しましょう。」と、気軽く椅子から立ち上った。         二十六  三人が初めて案内された病室には、束髪に結った令嬢が、熱心にオルガンを弾いていた。オルガンの前には鉄格子の窓があって、その窓から洩れて来る光が、冷やかに令嬢の細面を照らしていた。俊助はこの病室の戸口に立って、窓の外を塞いでいる白椿の花を眺めた時、何となく西洋の尼寺へでも行ったような心もちがした。 「これは長野のある資産家の御嬢さんですが、何でも縁談が調わなかったので、発狂したのだとか云う事です。」 「御可哀そうね。」  辰子は細い声で、囁くようにこう云った。が、初子は同情と云うよりも、むしろ好奇心に満ちた眼を輝かせて、じっと令嬢の横顔を見つめていた。 「オルガンだけは忘れないと見えるね。」 「オルガンばかりじゃない。この患者は画も描く。裁縫もする。字なんぞは殊に巧だ。」  新田は俊助にこう云ってから、三人を戸口に残して置いて、静にオルガンの側へ歩み寄った。が、令嬢はまるでそれに気がつかないかのごとく、依然として鍵盤に指を走らせ続けていた。 「今日は。御気分はいかがです?」  新田は二三度繰返して問いかけたが、令嬢はやはり窓の外の白椿と向い合ったまま、振返る気色さえ見せなかった。のみならず、新田が軽く肩へ手をかけると、恐ろしい勢いでふり払いながら、それでも指だけは間違いなく、この病室の空気にふさわしい、陰鬱な曲を弾きやめなかった。  三人は一種の無気味さを感じて無言のまま、部屋を外へ退いた。 「今日は御機嫌が悪いようです。あれでも気が向くと、思いのほか愛嬌のある女なんですが。」  新田は令嬢の病室の戸をしめると、多少失望したらしい声を出したが、今度はそのすぐ前の部屋の戸を開けて、 「御覧なさい。」と、三人の客を麾いた。  はいって見ると、そこは湯殿のように床を叩きにした部屋だった。その部屋のまん中には、壺を埋けたような穴が三つあって、そのまた穴の上には、水道栓が蛇口を三つ揃えていた。しかもその穴の一つには、坊主頭の若い男が、カアキイ色の袋から首だけ出して、棒を立てたように入れてあった。 「これは患者の頭を冷す所ですがね、ただじゃあばれる惧があるので、ああ云う風に袋へ入れて置くんです。」  成程その男のはいっている穴では蛇口の水が細い滝になって、絶えず坊主頭の上へ流れ落ちていた。が、その男の青ざめた顔には、ただ空間を見つめている、どんよりした眼があるだけで、何の表情も浮んではいなかった。俊助は無気味を通り越して、不快な心もちに脅かされ出した。 「これは残酷だ。監獄の役人と癲狂院の医者とにゃ、なるもんじゃない。」 「君のような理想家が、昔は人体解剖を人道に悖ると云って攻撃したんだ。」 「あれで苦しくは無いんでしょうか。」 「無論、苦しいも苦しくないもないんです。」  初子は眉一つ動かさずに、冷然と穴の中の男を見下していた。辰子は――ふと気がついた俊助が初子から眼を転じた時、もうその部屋の中にはいつの間にか、辰子の姿が見えなくなっていた。         二十七  俊助は不快になっていた矢先だから、初子と新田とを後に残して、うす暗い廊下へ退却した。と、そこには辰子が、途方に暮れたように、白い壁を背負って佇んでいた。 「どうしたのです。気味が悪いんですか。」  辰子は水々しい眼を挙げて、訴えるように俊助の顔を見た。 「いいえ、可哀そうなの。」  俊助は思わず微笑した。 「僕は不愉快です。」 「可哀そうだとは御思いにならなくって?」 「可哀そうかどうかわからないが――とにかくああ云う人間が、ああしているのを見たくないんです。」 「あの人の事は御考えにならないの。」 「それよりも先に、自分の事を考えるんです。」  辰子の青白い頬には、あるかない微笑の影がさした。 「薄情な方ね。」 「薄情かも知れません。その代りに自分の関係している事なら――」 「御親切?」  そこへ新田と初子とが出て来た。 「今度は――と、あちらの病室へ行って見ますか。」  新田は辰子や俊助の存在を全く忘れてしまったように、さっさと二人の前を通り越して、遠い廊下のつき当りにある戸口の方へ歩き出した。が、初子は辰子の顔を見ると、心もち濃い眉をひそめて、 「どうしたの。顔の色が好くなくってよ。」 「そう。少し頭痛がするの。」  辰子は低い声でこう答えながら、ちょいと掌を額に当てたが、すぐにいつものはっきりした声で、 「行きましょう。何でもないわ。」  三人は皆別々の事を考えながら、前後してうす暗い廊下を歩き出した。  やがて廊下のつき当りまで来ると、新田はその部屋の戸を開けて、後の三人を振返りながら、「御覧なさい」と云う手真似をした。ここは柔道の道場を思わせる、広い畳敷の病室だった。そうしてその畳の上には、ざっと二十人近い女の患者が、一様に鼠の棒縞の着物を着て雑然と群羊のごとく動いていた。俊助は高い天窓の光の下に、これらの狂人の一団を見渡した時、またさっきの不快な感じが、力強く蘇生って来るのを意識した。 「皆仲良くしているわね。」  初子は家畜を見るような眼つきをしながら、隣に立っている辰子に囁いた。が、辰子は静に頷いただけで、口へ出しては、何とも答えなかった。 「どうです。中へはいって見ますか。」  新田は嘲るような微笑を浮べて、三人の顔を見廻した。 「僕は真っ平だ。」 「私も、もう沢山。」  辰子はこう云って、今更のようにかすかな吐息を洩らした。 「あなたは?」  初子は生々した血の気を頬に漲らせて、媚びるようにじっと新田の顔を見た。 「私は見せて頂きますわ。」         二十八  俊助と辰子とは、さっきの応接室へ引き返した。引き返して見ると、以前はささなかった日の光が、斜に窓硝子を射透して、ピアノの脚に落ちていた。それからその日の光に蒸されたせいか、壺にさした薔薇の花も、前よりは一層重苦しく、甘い匀いを放っていた。最後にあの令嬢の弾くオルガンが、まるでこの癲狂院の建物のつく吐息のように、時々廊下の向うから聞えて来た。 「あの御嬢さんは、まだ弾いていらっしゃるのね。」  辰子はピアノの前に立ったまま、うっとりと眼を遠い所へ漂わせた。俊助は煙草へ火をつけながら、ピアノと向い合った長椅子へ、ぐったりと疲れた腰を下して、 「失恋したくらいで、気が違うものかな。」と、独り語のように呟いた。と、辰子は静に眼を俊助の顔へ移して、 「違わないと御思いになって?」 「さあ――僕は違いそうもありませんね。それよりあなたはどうです。」 「私? 私はどうするでしょう。」  辰子は誰に尋ねるともなくこう云ったが、急に青白い頬に血の色がさすと、眼を白足袋の上に落して、 「わからないわ。」と小さな声を出した。  俊助は金口を啣えたまま、しばらくはただ黙然と辰子の姿を眺めていたが、やがてわざと軽い調子で、 「御安心なさい。あんたなんぞは失恋するような事はないから。その代り――」  辰子はまた静に眼を挙げて俊助の眉の間を見た。 「その代り?」 「失恋させるかも知れません。」  俊助は冗談のように云った言葉が、案外真面目な調子を帯びていたのに気がついた。と同時に真面目なだけ、それだけ厭味なのを恥しく思った。 「そんな事を。」  辰子はすぐに眼を伏せたが、やがて俊助の方へ後を向けると、そっとピアノの蓋を開けて、まるで二人をとりまいた、薔薇の匀いのする沈黙を追い払おうとするように、二つ三つ鍵盤を打った。それは打つ指に力がないのか、いずれも音とは思われないほど、かすかな音を響かせたのに過ぎなかった。が、俊助はその音を聞くと共に、日頃彼の軽蔑する感傷主義が、彼自身をもすんでの事に捕えようとしていたのを意識した。この意識は勿論彼にとって、危険の意識には相違なかった。けれども彼の心には、その危険を免れたと云う、満足らしいものはさらになかった。  しばらくして初子が新田と一しょに、応接室へ姿を現した時、俊助はいつもより快活に、 「どうでした。初子さん。モデルになるような患者が見つかりましたか。」と声をかけた。 「ええ、御蔭様で。」  初子は新田と俊助とに、等分の愛嬌をふり撒きながら、 「ほんとうに私ためになりましたわ。辰子さんもいらっしゃれば好いのに。そりゃ可哀そうな人がいてよ。いつでも、御腹に子供がいると思っているんですって。たった一人、隅の方へ坐って、子守唄ばかり歌っているの。」         二十九  初子が辰子と話している間に、新田はちょいと俊助の肩を叩くと、 「おい、君に一つ見せてやる物がある。」と云って、それから女たちの方へ向きながら、 「あなた方はここで、しばらく御休みになって下さい。今、御茶でも差上げますから。」  俊助は新田の云う通り、おとなしくその後について、明るい応接室からうす暗い廊下へ出ると、今度はさっきと反対の方向にある、広い畳敷の病室へつれて行かれた。するとここにも向うと同じように、鼠の棒縞を着た男の患者が、二十人近くもごろごろしていた。しかもそのまん中には、髪をまん中から分けた若い男が、口を開いて、涎を垂らして、両手を翼のように動かしながら、怪しげな踊を踊っていた。新田は俊助をひっぱって、遠慮なくその連中の間へはいって行ったが、やがて膝を抱いて坐っていた、一人の老人をつかまえると、 「どうだね。何か変った事はないかい。」と、もっともらしく問いかけた。 「ございますよ。何でも今月の末までには、また磐梯山が破裂するそうで、――昨晩もその御相談に、神々が上野へ御集りになったようでございました。」  老人は目脂だらけの眼を見張って、囁くようにこう云った。が、新田はその答には頓着する気色もなく、俊助の方を振返って、 「どうだ。」と、嘲るような声を出した。  俊助は微笑を洩したばかりで、何ともその「どうだ」には答えなかった。と、新田はまた一人、これはニッケルの眼鏡をかけた、癇の強そうな男の前へ行って、 「いよいよ講和条約の調印もすんだようだね。君もこれからは暇になるだろう。」  が、その男は陰鬱な眼を挙げて、じろりと新田の顔を見ながら、 「とても暇にはなりませんよ。クレマンソオはどうしても、僕の辞職を聴許してくれませんからね。」  新田は俊助と顔を見合せたが、そこに漂っている微笑を認めると、また黙然と病室の隅へ歩を移して、さっきからじっと二人を見つめていた、品の好い半白の男に声をかけた。 「どうした。まだ細君は帰って来ないかね。」 「それがですよ。妻の方じゃ帰りたがっているんですが、――」  その患者はこう云いかけて、急に疑わしそうな眼を俊助へ向けると、気味の悪いほど真剣な調子になって、 「先生、あなたは大変な人を伴れて御出でなすった。こりゃあの評判の女たらしですぜ。私の妻をひっかけた――」 「そうか。じゃ早速僕から、警察へ引き渡してやろう。」  新田は無造作に調子を合わすと、三度俊助の方へ振り返って、 「君、この連中が死んだ後で、脳髄を出して見るとね、うす赤い皺の重なり合った上に、まるで卵の白味のような物が、ほんの指先ほど、かかっているんだよ。」 「そうかね。」  俊助は依然として微笑をやめなかった。 「つまり磐梯山の爆発も、クレマンソオへ出した辞職届も、女たらしの大学生も、皆その白味のような物から出て来るんだ、我々の思想や感情だって――まあ、他は推して知るべしだね。」  新田は前後左右に蠢いている鼠の棒縞を見廻しながら、誰にと云う事もなく、喧嘩を吹きかけるような手真似をした。         三十  初子と辰子とを載せた上野行の電車は、半面に春の夕日を帯びて、静に停留場から動き出した。俊助はちょいと角帽をとって、窓の内の吊皮にすがっている二人の女に会釈をした。女は二人とも微笑していた。が、殊に辰子の眼は、微笑の中にも憂鬱な光を湛えて、じっと彼の顔に注がれているような心もちがした。彼の心には刹那の間、あの古ぼけた教室の玄関に、雨止みを待っていた彼女の姿が、稲妻のように閃いた。と思うと、電車はもう速力を早めて、窓の内の二人の姿も、見る見る彼の眼界を離れてしまった。  その後を見送った俊助は、まだ一種の興奮が心に燃えているのを意識していた。彼はこのまま、本郷行の電車へ乗って、索漠たる下宿の二階へ帰って行くのに忍びなかった。そこで彼は夕日の中を、本郷とは全く反対な方向へ、好い加減にぶらぶら歩き出した。賑かな往来は日暮が近づくのに従って、一層人通りが多かった。のみならず、飾窓の中にも、アスファルトの上にも、あるいはまた並木の梢にも、至る所に春めいた空気が動いていた。それは現在の彼の気もちを直下に放出したような外界だった。だから町を歩いて行く彼の心には、夕日の光を受けながら、しかも夕日の色に染まっていない、頭の上の空のような、微妙な喜びが流れていた。………  その空が全く暗くなった頃、彼はその通りのある珈琲店で、食後の林檎を剥いていた。彼の前には硝子の一輪挿しに、百合の造花が挿してあった。彼の後では自働ピアノが、しっきりなくカルメンを鳴らしていた。彼の左右には幾組もの客が、白い大理石の卓子を囲みながら、綺麗に化粧した給仕女と盛に饒舌ったり笑ったりしていた。彼はこう云う周囲に身を置きながら、癲狂院の応接室を領していた、懶い午後の沈黙を思った。室咲きの薔薇、窓からさす日の光、かすかなピアノの響、伏目になった辰子の姿――ポオト・ワインに暖められた心には、そう云う快い所が、代る代る浮んだり消えたりした。が、やがて給仕女が一人、紅茶を持って来たのに気がついて、何気なく眼を林檎から離すと、ちょうど入口の硝子戸が開いた所で、しかもその入口には、黒いマントを着た大井篤夫が、燈火の多い外の夜から、のっそりはいって来る所だった。 「おい。」  俊助は思わず声をかけた。と、大井は驚いた視線を挙げて、煙草の煙の立ちこめている珈琲店の中を見廻したが、すぐに俊助の顔を見つけると、 「やあ、妙な所へ来ているな。」と云いながら、彼の卓子の向うへ歩み寄って、マントも脱がずに腰を下した。 「君こそ妙な所が御馴染じゃないか。」  俊助はこう冷評しながら、大井に愛想を売っている給仕女を一瞥した。 「僕はボヘミヤンだ。君のようなエピキュリアンじゃない。到る処の珈琲店、酒場、ないしは下って縄暖簾の類まで、ことごとく僕の御馴染なんだ。」  大井はもうどこかで一杯やって来たと見えて、まっ赤に顔を火照らせながら、こんな下らない気焔を挙げた。         三十一 「但し御馴染だって、借のある所にゃ近づかないがね。」  大井は急に調子を下げて、嘲笑うような表情をしたが、やがて帳場机の方へ半身を扭じ向けると、 「おい、ウイスキイを一杯。」と、横柄な声で命令した。 「じゃ、至る所、近づけなかないか。」 「莫迦にするな。こう見えたって――少くとも、この家へは来ているじゃないか。」  この時給仕女の中でも、一番背の低い、一番子供らしいのがウイスキイのコップを西洋盆へ載せて、大事そうに二人の所へ持って来た。それは括り頤の、眼の大きい、白粉の下に琥珀色の皮膚が透いて見える、健康そうな娘だった。俊助はその給仕女がそっと大井の顔へ親しみのある眼なざしを送りながら、盛りこぼれそうなウイスキイのコップを卓子の上へ移した時、二三日前に郁文堂であの土耳其帽の藤沢が話して聞かせた、最近の大井の情事なるものを思い出さずにはいられなかった。と、果して大井も臆面なく、その給仕女の方へまっ赤になった顔を向けると、 「そんなにすますなよ。僕が来て嬉しかったら、遠慮なく嬉しそうな顔をするが好いぜ。こりゃ僕の親友でね、安田と云う貴族なんだ。もっとも貴族と云ったって、爵位なんぞがある訳じゃない。ただ僕よりゃ少し金があるだけの違いなんだ。――僕の未来の細君、お藤さん。ここの家じゃ、まず第一の美人だね。もし今度また君が来たら、この人にゃ特別に沢山ティップを置いて行ってくれ。」  俊助は煙草に火をつけながら、微笑するよりほかはなかった。が、娘はこの種類の女には珍しい、純粋な羞恥の血を頬に上らせながら、まるで弟にでも対するように、ちょいと大井を睨めると、そのまま派手な銘仙の袂を飜して、匇々帳場机の方へ逃げて行ってしまった。大井はその後姿を目送しながら、わざとらしく大きな声で笑い出したが、すぐに卓子の上のウイスキイをぐいとやって、 「どうだ。美人だろう。」と、冗談のように俊助の賛同を求めた。 「うん、素直そうな好い女だ。」 「いかん、いかん。僕の云っているのは、お藤の――お藤さんの肉体的の美しさの事だ。素直そうななんぞと云う、精神的の美しさじゃない。そんな物は大井篤夫にとって、あってもなくっても同じ事だ。」  俊助は相手にならないで、埃及の煙ばかり鼻から出していた。すると大井は卓子越しに手をのばして、俊助の鼈甲の巻煙草入から金口を一本抜きとりながら、 「君のような都会人は、ああ云う種類の美に盲目だからいかん。」と、妙な所へ攻撃の火の手を上げ始めた。 「そりゃ君ほど烱眼じゃないが。」 「冗談じゃないぜ。君ほど烱眼じゃないなんぞとは、僕の方で云いたいくらいだ。藤沢のやつは、僕の事を、何ぞと云うとドン・ジュアン呼ばわりをするが、近来は君の方へすっかり御株を取られた形があらあね。どうした。いつかの両美人は?」  俊助は何を措いても、この場合この話題が避けたかった。そこで彼は大井の言葉がまるで耳へはいらないように、また談柄をお藤さんなる給仕女の方へ持って行った。         三十二 「幾つだ、あのお藤さんと云うのは?」 「行年十八、寅の八白だ。」  大井はまた新に註文したウイスキイをひっかけながら、高々と椅子の上へあぐらをかいて、 「年まわりから云や、あんまり素直でもなさそうだが、――まあ、そんな事はどうでも好い、素直だろうが、素直でなかろうが、どうせ女の事だから、退屈な人間にゃ相違なかろう。」 「ひどく女を軽蔑するな。」 「じゃ君は尊敬しているか。」  俊助は今度も微笑の中に、韜晦するよりほかはなかった。と、大井は三杯目のウイスキイを前に置いて、金口の煙を相手へ吹きかけながら、 「女なんてものは退屈だぜ。上は自動車へ乗っているのから下は十二階下に巣を食っているのまで、突っくるめて見た所が、まあ精々十種類くらいしかないんだからな。嘘だと思ったら、二年でも三年でも、滅茶滅茶に道楽をして見るが好い。すぐに女の種類が尽きて、面白くも何ともなくなっちまうから。」 「じゃ君も面白くない方か。」 「面白くない方か? 冗談だろう。――いや、皮肉なら皮肉でも好い。面白くないと云っている僕が、やっぱりこうやって女ばかり追っかけている。それが君にゃ莫迦げて見えるんだろう。だがね、面白くないと云うのも本当なんだ。同時にまた面白いと云うのも本当なんだ。」  大井は四杯目のウイスキイを命じた頃から、次第に平常の傲岸な態度がなくなって、酔を帯びた眼の中にも、涙ぐんでいるような光が加わって来た。勿論俊助はこう云う相手の変化を、好奇心に富んだ眼で眺めていた。が、大井は俊助の思わくなぞにはさらに頓着しない容子で、五杯六杯と続けさまにウイスキイを煽りながら、ますます熱心な調子になって、 「面白いと云うのはね、女でも追っかけていなけりゃ、それこそつまらなくってたまらないからなんだ。が、追っかけて見た所で、これまた面白くも何ともありゃしない。じゃどうすれば好いんだと君は云うだろう。じゃどうすれば好いんだと――それがわかっているぐらいなら、僕もこんなに寂しい思いなんぞしなくってもすむ。僕は始終僕自身にそう云っているんだ。じゃどうすれば好いんだと。」  俊助は少し持て余しながら、冗談のように相手を和げにかかった。 「惚れられるさ。そうすりゃ、少しは面白いだろう。」  が、大井は反って真面目な表情を眼にも眉にも動かしながら、大理石の卓子を拳骨で一つどんと叩くと、 「所がだ。惚れられるまでは、まだ退屈でも我慢がなるが、惚れられたとなったら、もう万事休すだ。征服の興味はなくなってしまう。好奇心もそれ以上は働きようがない。後に残るのはただ、恐るべき退屈中の退屈だけだ。しかも女と云うやつは、ある程度まで関係が進歩すると、必ず男に惚れてしまうんだから始末が悪い。」  俊助は思わず大井の熱心さに釣りこまれた。 「じゃどうすれば好いんだ?」 「だからさ。だからどうすれば好いんだと僕も云っていたんだ。」  大井はこう云いながら、殺気立った眉をひそめて、七八杯目のウイスキイをまずそうにぐいと飲み干した。         三十三  俊助はしばらく口を噤んで、大井の指にある金口がぶるぶる震えるのを眺めていた。と、大井はその金口を灰皿の中へ抛りこんで、いきなり卓子越しに俊助の手をつかまえると、 「おい。」と、切迫した声を出した。  俊助は返事をする代りに、驚いた眼を挙げて、ちょいと大井の顔を見た。 「おい、君はまだ覚えているだろう、僕があの七時の急行の窓で、女の見送り人に手巾を振っていた事があるのを。」 「勿論覚えている。」 「じゃ聞いてくれ。僕はあの女とこの間まで同棲していたんだ。」  俊助は好奇心が動くと共に、もう好い加減にアルコオル性の感傷主義は御免を蒙りたいと云う気にもなった。のみならず、周囲の卓子を囲んでいる連中が、さっきからこちらへ迂散らしい視線を送っているのも不快だった。そこで彼は大井の言葉には曖昧な返事を与えながら、帳場の側に立っているお藤に、「来い」と云う相図をして見せた。が、お藤がそこを離れない内に、最初彼の食事の給仕をした女が、急いで卓子の前へやって来た。 「勘定をしてくれ。この方の分も一しょだ。」  すると大井は俊助の手を離して、やはり眼に涙を湛えたまま、しげしげと彼の顔を眺めたが、 「おい、おい、勘定を払ってくれなんていつ云った? 僕はただ、聞いてくれと云ったんだぜ。聞いてくれりゃ好し、聞いてくれなけりゃ――そうだ。聞いてくれなけりゃ、さっさと帰ったら好いじゃないか。」  俊助は勘定をすませると、新に火をつけた煙草を啣えながら、劬るような微笑を大井に見せて、 「聞くよ。聞くが、ね、我々のように長く坐りこんじゃ、ここの家も迷惑だろう。だから一まず外へ出た上で、聞く事にしようじゃないか。」  大井はやっと納得した。が、卓子を離れるとなると、彼は口が達者なのとは反対に、頗る足元が蹣跚としていた。 「好いか。おい。危いぜ。」 「冗談云っちゃいけない。高がウイスキイの十杯や十五杯――」  俊助は大井の手をとらないばかりにして、入口の硝子戸の方へ歩き出した。と、そこにはもうお藤が、大きく硝子戸を開けながら、心配そうな眼を見張って、二人の出て来るのを待ち受けていた。彼女はそこの天井から下っている支那燈籠の光を浴びて、最前よりはさらに子供らしく、それだけ俊助にはさらに美しく見えた。が、大井はまるでお藤の存在には気がつかなかったものと見えて、逞い俊助の手に背中を抱えられながら、口一つ利かずにその前を通りすぎた。 「難有うございます。」  大井の後から外へ出た俊助には、こう云うお藤の言葉の中に、彼の大井に対する厚情を感謝しているような響が感じられた。彼はお藤の方を振り返って、その感謝に答うべき微笑を送る事を吝まなかった。お藤は彼等が往来へ出てしまってからも、しばらくは明い硝子戸の前に佇みながら、白い前掛の胸へ両手を合せて、次第に遠くなって行く二人の後姿を、懐しそうにじっと見守っていた。         三十四  大井は角帽の庇の下に、鈴懸の並木を照らしている街燈の光を受けるが早いか、俊助の腕へすがるようにして、 「じゃ聞いてくれ。迷惑だろうが、聞いてくれ。」と、執念くさっきの話を続け出した。  俊助も今度は約束した手前、一時を糊塗する訳にも行かなかった。 「あの女は看護婦でね、僕が去年の春扁桃腺を煩った時に――まあ、そんな事はどうでも好い、とにかく僕とあの女とは、去年の春以来の関係なんだ。それが君、どうして別れるようになったと思う? 単にあの女が僕に惚れたからなんだ。と云うよりゃ偶然の機会で、惚れていると云う事を僕に見せてしまったからなんだ。」  俊助は絶えず大井の足元を顧慮しながら、街燈の下を通りすぎる毎に、長くなったり短くなったりする彼等の影を、アスファルトの上に踏んで行った。そうしてややもすると散漫になり勝ちな注意を、相手の話へ集中させるのに忙しかった。 「と云ったって、何も大したいきさつがあった訳でも何でもない。ただ、あいつが僕の所へ来た手紙の事で、嫉妬を焼いただけの事なんだ。が、その時僕はあの女の腹の底まで見えたような気がして、一度に嫌気がさしてしまったじゃないか。するとあいつは嫉妬を焼いたと云う、その事だけが悪いんだと思ったもんだから、――いや、これも余談だった。僕が君に話したいのは、その僕の所へ来た手紙と云うやつなんだがね。」  大井はこう云って、酒臭い息を吐きながら、俊助の顔を覗くようにした。 「その手紙の差出人は、女名前じゃあったけれど、実は僕自身なんだ。驚くだろう。僕だって、自分で驚いているんだから、君が驚くのはちっとも不思議はない。じゃ何故僕はそんな手紙を書いたんだ? あの女が嫉妬を焼くかどうか、それが知りたかったからさ。」  さすがにこの時は俊助も、何か得体の知れない物にぶつかったような心もちがした。 「妙な男だな。」 「妙だろう。あいつが僕に惚れている事がわかりゃ、あいつが嫌になると云う事は、僕は百も承知しているんだ。そうしてあいつが嫌になった暁にゃ、余計世の中が退屈になると云う事も知っているんだ。しかも僕は、その時に、九分九厘まではあの女が嫉妬を焼く事を知っていたんだぜ。それでいて、手紙を書いたんだ。書かなけりゃいられなかったんだ。」 「妙な男だな。」  俊助は目まぐるしい人通りの中に、足元の怪しい大井をかばいながら、もう一度こう繰返した。 「だから僕の場合はこうなんだ。――女が嫌になりたいために女に惚れる。より退屈になりたいために退屈な事をする。その癖僕は心の底で、ちっとも女が嫌になりたくはないんだ。ちっとも退屈でいたくはないんだ。だから君、悲惨じゃないか。悲惨だろう。この上仕方のない事はないだろう。」  大井はいよいよ酔が発したと見えて、声さえ感動に堪えないごとく涙ぐむようになって来た。         三十五  その内に二人は、本郷行の電車に乗るべき、ある賑な四つ辻へ来た。そこには無数の燈火が暗い空を炙った下に、電車、自動車、人力車の流れが、絶えず四方から押し寄せていた。俊助は生酔の大井を連れてこの四つ辻を向うへ突切るには、そう云う周囲の雑沓と、険呑な相手の足元とへ、同時に気を配らなければならなかった。  所がやっと向うへ辿りつくと、大井は俊助の心配には頓着なく、すぐにその通りにあるビヤホオルの看板を見つけて、 「おい、君、もう一杯ここでやって行こう。」と、海老茶色をした入口の垂幕を、無造作に開いてはいろうとした。 「よせよ。そのくらい御機嫌なら、もう大抵沢山じゃないか。」 「まあ、そんな事を云わずにつき合ってくれ。今度は僕が奢るから。」  俊助はこの上大井の酒の相手になって、彼の特色ある恋愛談を傾聴するには、余りにポオト・ワインの酔が醒めすぎていた。そこで今まで抑えていたマントの背中を離しながら、 「じゃ、君一人で飲んで行くさ。僕はいくら奢られても真平だ。」 「そうか。じゃ仕方がない。僕はまだ君に聞いて貰いたい事が残っているんだが――」  大井は海老茶色の幕へ手をかけたまま、ふらつく足を踏みしめて、しばらく沈吟していたが、やがて俊助の鼻の先へ酒臭い顔を持って来ると、 「君は僕がどうしてあの晩、国府津なんぞへ行ったんだか知らないだろう。ありゃね、嫌になった女に別れるための方便なんだ。」  俊助は外套の隠しへ両手を入れて、呆れた顔をしながら、大井と眼を見合せた。 「へええ、どうして?」 「どうしてったって、――まず僕が是非とも国へ帰らなければならないような理由を書き下してさ。それから女と泣き別れの愁歎場がよろしくあって、とどあの晩汽車の窓で手巾を振ると云うのが大詰だったんだ。何しろ役者が役者だから、あいつは今でも僕が国へ帰っていると思っているんだろう。時々国の僕へ宛てたあいつの手紙が、こっちの下宿へ転送されて来るからね。」  大井はこう云って、自ら嘲るように微笑しながら、大きな掌を俊助の肩へかけて、 「僕だってそんな化の皮が、永久に剥げないとは思っていない。が、剥げるまでは、その化の皮を大事にかぶっていたいんだ。この心もちは君に通じないだろうな。通じなけりゃ――まあ、それまでだが、つまり僕は嫌になった女に別れるんでも、出来るだけ向うを苦しめたくないんだ。出来るだけ――いくら嘘をついてもだね。と云って、何もその場合まで好い子になりたいと云うんじゃない。向うのために、女のために、そうしてやるべき一種の義務が存在するような気がするんだ。君は矛盾だと思うだろう。矛盾もまた甚しいと思うだろう。だろうが、僕はそう云う人間なんだ。それだけはどうか呑み込んで置いてくれ。――じゃ失敬しよう。わが親愛なる安田俊助。」  大井は妙な手つきをして、俊助の肩を叩いたと思うと、その手に海老茶色の垂幕を挙げて、よろよろビヤホオルの中へはいってしまった。 「妙な男だな。」  俊助は軽蔑とも同情とも判然しない一種の感情に動かされながら三度こう呟いて、クラブ洗粉の広告電燈が目まぐるしく明滅する下を、静に赤い停留場の柱の方へ歩き出した。         三十六  下宿へ帰って来た俊助は、制服を和服に着換ると、まず青い蓋をかけた卓上電燈の光の下で、留守中に届いていた郵便へ眼を通した。その一つは野村の手紙で、もう一つは帯封に乞高評の判がある『城』の今月号だった。  俊助は野村の手紙を披いた時、その半切を埋めているものは、多分父親の三回忌に関係した、家事上の紛紜か何かだろうと云う、朧げな予期を持っていた。ところがいくら読んで行っても、そう云う実際方面の消息はほとんど一句も見当らなかった。その代り郷土の自然だの生活だのの叙述が、到る所に美しい詠歎的な文字を並べていた。磯山の若葉の上には、もう夏らしい海雲が簇々と空に去来していると云う事、その雲の下に干してある珊瑚採取の絹糸の網が、眩く日に光っていると云う事、自分もいつか叔父の持ち船にでも乗せて貰って、深海の底から珊瑚の枝を曳き上げたいと思っていると云う事――すべてが哲学者と云うよりは、むしろ詩人にふさわしい熱情の表現とも云わるべき性質のものだった。  俊助にはこの絢爛たる文句の中に、現在の野村の心もちが髣髴出来るように感ぜられた。それは初子に対する純粋な愛が遍照している心もちだった。そこには優しい喜びがあった。あるいはかすかな吐息があった。あるいはまたややもすれば流れようとする涙があった。だからその心もちを通過する限り、野村の眼に映じた自然や生活は、いずれも彼自身の愛の円光に、虹のごとき光彩を与えられていた。若葉も、海も、珊瑚採取も、ことごとくの意味においては、地上の実在を超越した一種の天啓にほかならなかった。従って彼の長い手紙も、その素朴な愛の幸福に同情出来るもののみが、始めて意味を解すべき黙示録のようなものだった。  俊助は微笑と共に、野村の手紙を巻きおさめて、今度は『城』の封を切った。表紙にはビアズリイのタンホイゼルの画が刷ってあって、その上に l'art pour l'art と、細い朱文字で入れた銘があった。目次を見ると、藤沢の「鳶色の薔薇」と云う抒情詩的の戯曲を筆頭に、近藤のロップス論とか、花房のアナクレオンの飜訳とか、いろいろな表題が行列していた。俊助ははなはだ同情のない眼で、しばらくそれらの表題を見廻していたが、やがて「倦怠」――大井篤夫と云う一行の文字にぶつかると、急にさっきの大井の姿が鮮かに記憶に浮んで来たので、早速その小説が載っている巻末の頁をはぐって見た。と、それは三人称でこそ書いてはあるが、実は今夜聞いた大井の告白を、そのまま活字にしたような小説だった。  俊助はわずか十分ばかりの間に、造作なく「倦怠」を読み終るとまた野村の手紙をひろげて見て、その達筆な行の上へ今更のように怪訝の眼を落した。この手紙の中に磅礴している野村の愛と、あの小説の中にぶちまけてある大井の愛と――一人の初子に天国を見ている野村と、多くの女に地獄を見ている大井と――それらの間にある大きな懸隔は、一体どこから生じたのだろう。いや、それよりも二人の愛は、どちらが本当の愛なのだろう。野村の愛が幻か。大井の愛が利己心か。それとも両方がそれぞれの意味で、やはり為のない愛だろうか。そうして彼自身の辰子に対する愛は?  俊助は青い蓋をかけた卓上電燈の光の下に、野村の手紙と大井の小説とを並べたまま、しばらくは両腕を胸に組んで、じっと西洋机の前へ坐っていた。 (以上を以て「路上」の前篇を終るものとす。後篇は他日を期する事とすべし。) (大正八年七月)
底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年12月1日第1刷発行    1996(平成8)年4月1日第8刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年3月1日公開 2004年3月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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笑は量的に分てば微笑哄笑の二種あり。質的に分てば嬉笑嘲笑苦笑の三種あり。……予が最も愛する笑は嬉笑嘲苦笑と兼ねたる、爆声の如き哄笑なり。アウエルバツハの穴蔵に愚昧の学生を奔らせたる、メフイストフエレエスの哄笑なり。 ――カアル・エミリウス――      ユダ  逾越と云へる「種入れぬ麺包の祭」近づけり。祭司の長学者たち、如何にしてかイエスを殺さんと窺ふ。但民を畏れたり。偖悪魔十二の中のイスカリオテと称ふるユダに憑きぬ。ユダ橄欖の林を歩める時、悪魔彼に云ひけるは、「イエスを祭司の長たちに売せ。然すれば三十枚の銀子を得べし。」されどユダ耳を蔽ひ、林の外に走り去れり。後又イエルサレムの町をさまよへる時、悪魔彼に云ひけるは、「イエスを祭司の長たちに売せ。然らずば爾もイエスと共に、必十字架に釘けらるべし。」されどユダ耳を蔽ひ、イエスのもとに走り去れり。イエス彼に云ひけるは、「ユダよ。我誠に爾を知る。爾は荒野の獅子よりも強し。但小羊の心を忘るる勿れ。」ユダ、イエスの言葉を悦べり。されどその意味を覚らざりき。逾越の祭来りし時、イエス弟子と共に食に就けり。悪魔三度ユダに云ひけるは、「イエスを祭司の長たちに売せ。然すれば爾の名、イエスの名と共に伝はらん。イエスの名太陽よりも光あれば、爾の名黒暗よりも恐怖あらん。爾は天国の奴隷たらざるも、必地獄の王たるべし。バビロンの淫婦は爾の妃、七頭の毒竜は爾の馬、火と煙と硫黄とは汝が黒檀の宝座の前に、不断の香煙を上らしめん。」ユダこの声を聞きし時、目のあたりに地獄の荘厳を見たり。イエス忽ちユダに一撮の食物を与へ、静かに彼に云ひけるは、「爾が為さんとする事は速かに為せ。」ユダ一撮の食物を受け、直ちに出でたり。時既に夜なりき。ユダ祭司の長カヤパの前に至り、イエスを彼に売さんと云へり。カヤパ駭きて云ひけるは、「爾は何物なるか、イエスの弟子か、はたイエスの師か。」そはユダの姿、額は嵐の空よりも黒み、眼は焔よりも輝きつつ、王者の如く振舞ひしが故なり。……      眼 ――中華第一の名庖丁張粛臣の談――  眼をね、今日は眼を御馳走しようと思つたのです。何の眼? 無論人間の眼をですよ。そりや眼を召上がらなければ、人間を召上つたとは云はれませんや。眼と云ふやつはうまいものですぜ。脂があつて、歯ぎれがよくつて、――え、何にする? まあ、湯へ入れるんですね。丁度鳩の卵のやうに、白眼と黒眼とはつきりしたやつが、香菜が何かぶちこんだ中に、ふはふは浮いてゐやうと云ふんです。どうです? 悪くはありますまい。私なんぞは話してゐても、自然と唾気がたまつて来ますぜ。そりや清湯燕窩だとか清湯鴒蛋だとかとは、比べものにも何にもなりませんや。所が今日その眼を抜いて見ると、――これにや私も驚きましたね。まるで使ひものにやならないんです。何、男か女か? 男ですよ。男も男も、髭の生えた、フロツク・コオトを着てゐる男ですがね。御覧なさい。此処に名刺があります。Herr Stuffendpuff. ちつとは有名な男ですか? 成程ね、つまりその新聞や何かに議論を書いてゐる人間なんでせう。そいつの眼玉がこれぢやありませんか? そら、壁へ叩きつけても、容易な事ぢや破れませんや。驚いたでせう。二つともこの通り入れ眼ですよ。硝子細工の入れ眼ですよ。      疲労  雨を孕んだ風の中に、竜騎兵の士官を乗せた、アラビア種の白馬が一頭、喘ぎ喘ぎ走つて行つた。と思ふと銃声が五六発、続けさまに街道の寂寞を破つた。その時白楊の並木の根がたに、尿をしやんだ一頭の犬は、これも其処へ来かかつた、仲間の尨犬に話しかけた。 「どうだい、あの白馬の疲れやうは?」 「莫迦々々しいなあ。馬ばかりが獣ぢやあるまいし、――」 「さうとも、僕等に乗つてくれれば、地球の極へも飛んで行くのだが、――」  二匹の犬はかう云ふが早いか、竜騎兵の士官でも乗せてゐるやうに、昂然と街道を走つて行つた。      魔女  魔女は箒に跨りながら、片々と空を飛んで行つた。  それを見たものが三人あつた。  一人は年をとつた月だつた。これは又かと云ふやうに、黙々と塔の上にかかつてゐた。  もう一人は風見の鶏だつた。これはびつくりしたやうに、ぎいぎい桿の上に啼きまはつた。  最後の一人は大学教授 Dundergutz 先生だつた。これはその後熱心に、魔女が空を飛んで行つたのは、箒が魔女を飛ばせたのか、魔女が箒を飛ばせたものか、どちらかと云ふ事を研究し出した。  何でも先生は今日でも、やはり同じ大問題を研究し続けてゐるさうである。  魔女は箒に跨りながら、昨夜も大きな蝙蝠のやうに、片々と空を飛んで行つた。      遊び  崖に臨んだ岩の隙には、一株の羊歯が茂つてゐる。トムはその羊歯の葉の上に、さつきから一匹の大土蜘蛛と、必死の格闘を続けてゐる。何しろ評判の渾名通り、親指位しかない男だから、蜘蛛と戦ふのも容易ではない。蜘蛛は足を拡げた儘、まつしぐらにトムへ殺到する。トムはその度に身をかはせては、咄嗟に蜘蛛の腹へ一撃を加へる。……  それが十分程続いた後、彼等は息も絶え絶えに、どちらも其処へゐすくまつてしまつた。  羊歯の生えた岩の下には、深い谷底が開いてゐる。一匹の毒竜はその谷底に、白馬へ跨つた聖ヂヨオヂと、もう半日も戦つてゐる。何しろ相手の騎士の上には、天主の冥護が加つてゐるから、毒竜も容易に勝つ事は出来ない。毒竜は火を吐きかけ、吐きかけ、何度も馬の鞍へ跳り上る。が、何時でも竜の爪は、騎士の鎧に辷つてしまつた。聖ヂヨオヂは槍を揮ひながら、縦横に馬を跳らせてゐる。軽快な蹄の音、花々しい槍の閃き、それから毒竜の炎の中に、毿々と靡いた兜の乱れ毛、……  トムは遠い崖の下に、勇ましい聖ヂヨオヂの姿を見ると、苦々しさうに舌打ちをした。 「畜生。あいつは遊んでゐやがる。」      Don Juan aux enfers  ドン・ジユアンは舟の中に、薄暗い河を眺めてゐる。時々古い舟べりを打つては、蒼白い火花を迸らせる、泊夫藍色の浪の高さ。その舟の艫には厳のやうに、黙々と今日も櫂を取つた、おお、お前! 寂しいシヤアロン!  或霊は遠い浪の間に、高々と両手をさし上げながら、舟中の客を呪つてゐる。又或霊は口惜しさうに、舟べりを煙らせた水沫の中から、ぢつと彼の顔を見上げてゐる。見よ! あちらの舳に縋つた、或霊の腕の逞ましさを! と思ふとこちらの艫にも、シヤアロンの櫂に払はれたのか、真逆様に沈みかかつた、或霊の二つの足のうら!  妻を盗まれた夫の霊、娘を掠められた父親の霊、恋人を奪はれた若者の霊。――この河に浮き沈む無数の霊は、一人も残らず男だつた。おお、わが詩人ボオドレエル! 君はこの地獄の河に、どの位夥しい男の霊が、泣き叫んでゐたかを知らなかつた!  しかしドン・ジユアンは冷然と、舟中に剣をついた儘、匀の好い葉巻へ火をつけた。さうして眉一つ動かさずに、大勢の霊を眺めやつた。何故彼はこの時でも、流俗のやうに恐れなかつたか? それは一人も霊の中に彼程の美男がゐなかつたからである!      幽霊  或古本屋の店頭。夜。古本屋の主人は居睡りをしてゐる。かすかにピアノの音がするのは、近所にカフエエのある証拠らしい。  第一の幽霊 (さもがつかりしたやうに、朦朧と店さきへ姿を現す。)此処にも古本屋が一軒ある。存外かう云ふ所には、品物が揃つてゐるかも知れない。(熱心に棚の書物を検べる。)近松全集、万葉集略解、たけくらべ、アンナ・カレニナ、芭蕉句集、――ない。ない。やつぱりない。ないと云ふ筈はないのだが……  第二の幽霊 (これもやはり大儀さうに、ふはりと店へはひつて来る。)おや、今晩は。  第一の幽霊 今晩は。どうだね、その後君の戯曲は?  第二の幽霊 駄目、駄目。何処の芝居でも御倉にしてゐる。やつてゐるのは不相変、黴の生えた旧劇ばかりさ。君の小説はどうなつたい?  第一の幽霊 これも御同様絶版と来てゐる。もう僕の小説なぞは、誰も読むものがなくなつたのだね。  第二の幽霊 (冷笑するやうに。)君の時代も過ぎ去つたかね。  第一の幽霊 (感傷的に。)我々の時代が過ぎ去つたのだよ。尤も僕等が往生したのは、もう五十年も前だからなあ。  第三の幽霊 (これは燐火を飛ばせながら、愉快さうに漂つて来る。)今晩は。何だかいやにふさいでゐるぢやないか? 幽霊が悄然としてゐるなんぞは、当節がらあんまりはやらないぜ。僕は批評家たる職分上、諸君の悪趣味に反対だね。  第一の幽霊 僕等がふさいでゐるのぢやない。君が幽霊にしては陽気過ぎるのだよ。  第三の幽霊 そりや大きにさうかも知れない。しかし僕は今夜という今夜、始めて死に甲斐を感じたね。  第二の幽霊 (冷笑すやうに。)君の全集でも出来るのかい?  第三の幽霊 いや、全集は出来ないがね。兎に角後代に僕の名前が、伝はる事だけは確になつたよ。  第二の幽霊 (疑はしさうに。)へええ。  第一の幽霊 (喜しさうに。)本当かい?  第三の幽霊 本当とも。まあ、これを見てくれ給へ。(書物を一冊出して見せる。)これは今日出来た本だがね。この本の中に僕の事が、ちやんと五六行書いてあるのだ。どうだい? これぢやいくら幽霊でも、はしやぎまはらずにはゐられないぢやないか?  第二の幽霊 ちよいと借してくれ給へ。(一生懸命に頁をはぐる。)僕の名前は出てゐないかしら?  第一の幽霊 名前位は出てゐるだらう。僕のも次手に見てくれ給へ。  第三の幽霊 (得意さうに独り言を云ふ。)おれもとうとう不朽になつたのだ。サント・ブウヴやテエヌのやうに。――不朽と云ふ事も悪いものぢやないな。  第二の幽霊 (第一の幽霊に。)どうも君の名は見えないやうだよ。  第一の幽霊 君の名も見えないやうだね。  第二の幽霊 (第三の幽霊に。)君の事は何処に書いてあるのだ?  第三の幽霊 索引を見給へ。索引を。××××と云ふ所を引けば好いのだ。  第二の幽霊 成程、此処に書いてある。「当時数の多かつた批評家中、永久に記憶さるべきものは、××××と云ふ論客である。……」  第三の幽霊 まあ、ざつとそんな調子さ。其処まで読めば沢山だよ。  第二の幽霊 次手にもう少し読ませ給へ。「勿論彼は如何なる点でも、毛頭才能ある批評家ではない。……」  第一の幽霊 (満足さうに。)それから?  第二の幽霊 (読み続ける。)「しかし彼は不朽になるべき、十分な理由を持つてゐる。……」  第三の幽霊 もうそれだけにして置き給へ。僕はちよいと行く所があるから。  第二の幽霊 まあ、しまひまで読ませ給へ。(愈大声に。)「何となれば彼は――」  第三の幽霊 ぢや僕は失敬する。  第一の幽霊 そんなに急がなくつても好いぢやないか?  第二の幽霊 もうたつた一行だよ。「何となれば彼は終始一貫――」  第三の幽霊 (やけ気味に。)ぢや勝手に読み給へ。左様なら。(燐火と共に消える。)  第一の幽霊 何だつてあんなに慌てたのだらう?  第二の幽霊 慌てる筈さ。まあ、これを聞き給へ。「何となれば彼は終始一貫、芥川竜之介の小説が出ると、勇ましい悪口を云ひ続けた。……」  第一の幽霊 (笑ふ。)そんな事だらうと思つたよ。  第二の幽霊 不朽もかうなつちや禍だね。(書物を抛り出す。)  その音に主人が眼をさます。  主人 おや、棚の本が落ちたかしら。こりやまだ新しい本だが。  第二の幽霊 (わざと物凄い声をする。)それもぢきに古くなるぞ。  主人 (驚いたやうに。)誰だい、お前さんは?  第一の幽霊 (第二の幽霊に。)罪な事をするものぢやない。さあ、一しよに Hades へ帰らう。(消える。)  第二の幽霊 ちつとは僕の本も店へ置けよ。(消える。)  主人は呆気にとられてゐる。 (大正十年十一月)
底本:「芥川龍之介作品集第三巻」昭和出版社    1965(昭和40)年12月20日発行 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月26日公開 2004年3月6日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000094", "作品名": "LOS CAPRICHOS", "作品名読み": "ロス カプリチョス", "ソート用読み": "ろすかふりちよす", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「人間」1922(大正11)年1月", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "1999-01-26T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card94.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "芥川龍之介作品集第三巻", "底本出版社名1": "昭和出版社", "底本初版発行年1": "1965(昭和40)年12月20日", "入力に使用した版1": "1965(昭和40)年12月20日", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "j.utiyama", "校正者": "かとうかおり", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/94_ruby_1357.zip", "テキストファイル最終更新日": "2004-03-06T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/94_15098.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2004-03-06T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 わたしの作品がロシア語に飜譯されると云ふことは勿論甚だ愉快です。近代の外國文藝中、ロシア文藝ほど日本の作家に、――と云ふよりも寧ろ日本の讀書階級に影響を與へたものはありません。日本の古典を知らない青年さへトルストイやドストエフスキイやトゥルゲネフやチェホフの作品は知つてゐるのです。我々日本人がロシアに親しいことはこれだけでも明らかになることでせう。のみならずわたし自身の考へによれば、ロシアが生んだ近代の政治的天才、レニンのことを考へても、所謂 Europe がレニンを理解しなかつたのは餘りにレニンが東洋的な政治的天才だつた爲かも知れません。最も理想に燃え上つたと共に最も現實を知つてゐたレニンは日本が生んだ政治的天才たち、源頼朝や徳川家康に可なり近い天才です。言はば東洋の草花の馨りに滿ちた、大きい一臺の電氣機關車です。近代の日本文藝が近代ロシア文藝から影響を受けることが多かつたのは勿論近代の世界文藝が近代のロシア文藝から影響を受けることが多かつたのにも原因があるのに違ひありません。しかしそれよりも根本的な問題は何かロシア人には日本人に近い性質がある爲かと思ひます。我々近代の日本人は大きいロシアの現實主義者たちの作品を通して(durch, through)兎に角ロシアを理解しました。どうか同樣にロシア人諸君も我々日本人を理解して下さい。(我々日本人は世界的には美術や美術工藝を除いた藝術的には全然孤立してゐるものです。)わたしは日本の現代の作家たちの中でも大作家の一人ではありません。のみならずロシアに紹介されるのに最も適當な一人かどうかも疑問であると思つてゐます。千八百八十年以後の日本は大勢の天才たちを生みました。それ等の天才たちは或は Walt Whitman のやうに人間に萬歳の聲を送り、或は Flaubert のやうに正確にブルヂヨアの生活を寫し、或は又世界中にひとり我々の日本にだけある、傳統的な美を歌ひ上げてゐます。若しわたしの作品の飜譯を機會にそれ等の天才たちの作品もロシア人諸君に知られるとしたらば、それは恐らくはわたし一人の喜びだけではありますまい。この文章は簡單です。しかしあなたがたのナタアシアやソオニアに我々の柹」の「木」に代えて「女」、374-10]妹を感じてゐる一人の日本人の書いたものです。どうかさう思つて讀んで下さい。
底本:「芥川龍之介全集 第九卷」岩波書店    1978(昭和53)年4月24日初版発行    1983(昭和58)年1月20日第2刷発行 底本の親本:「芥川龍之介全集 第八卷」岩波書店    1935(昭和10)年発行 入力:高柳典子 校正:多羅尾伴内 2003年6月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     秋夜  火鉢に炭を継がうとしたら、炭がもう二つしかなかつた。炭取の底には炭の粉の中に、何か木の葉が乾反つてゐる。何処の山から来た木の葉か?――今日の夕刊に出てゐたのでは、木曾のおん岳の初雪も例年よりずつと早かつたらしい。 「お父さん、お休みなさい。」  古い朱塗の机の上には室生犀星の詩集が一冊、仮綴の頁を開いてゐる。「われ筆とることを憂しとなす」――これはこの詩人の歎きばかりではない。今夜もひとり茶を飲んでゐると、しみじみと心に沁みるものはやはり同じ寂しさである。 「貞や、もう表をしめておしまひなさい。」  この呉須の吹きかけの湯のみは十年前に買つたものである。「われ筆とることを憂しとなす」――さう云ふ歎きを知つたのは爾来何年の後であらう。湯のみにはとうに罅が入つてゐる。茶も亦すつかり冷えてしまつた。 「奥様、湯たんぽを御入れになりますか?」  すると何時か火鉢の中から、薄い煙が立ち昇つてゐる。何かと思つて火箸にかけると、さつきの木の葉が煙るのであつた。何処の山から来た木の葉か?――この匀を嗅いだだけでも、壁を塞いだ書棚の向うに星月夜の山山が見えるやうである。 「そちらにお火はございますか? わたしもおさきへ休ませて頂ますが。」      椎の木  椎の木の姿は美しい。幹や枝はどんな線にも大きい底力を示してゐる。その上枝を鎧つた葉も鋼鉄のやうに光つてゐる。この葉は露霜も落すことは出来ない。たまたま北風に煽られれば一度に褐色の葉裏を見せる。さうして男らしい笑ひ声を挙げる。  しかし椎の木は野蛮ではない。葉の色にも枝ぶりにも何処か落着いた所がある。伝統と教養とに培はれた士人にも恥ぢないつつましさがある。檞の木はこのつつましさを知らない。唯冬との※(門<兒)ぎ合ひに荒荒しい力を誇るだけである。同時に又椎の木は優柔でもない。小春日と戯れる樟の木のそよぎは椎の木の知らない気軽さであらう。椎の木はもつと憂鬱である。その代りもつと着実である。  椎の木はこのつつましさの為に我我の親しみを呼ぶのであらう。又この憂鬱な影の為に我我の浮薄を戒めるのであらう。「まづたのむ椎の木もあり夏木立」――芭蕉は二百余年前にも、椎の木の気質を知つてゐたのである。  椎の木の姿は美しい。殊に日の光の澄んだ空に葉照りの深い枝を張りながら、静かに聳えてゐる姿は荘厳に近い眺めである。雄雄しい日本の古天才も皆この椎の老い木のやうに、悠悠としかも厳粛にそそり立つてゐたのに違ひない。その太い幹や枝には風雨の痕を残した儘。……  なほ最後につけ加へたいのは、我我の租先は杉の木のやうに椎の木をも神と崇めたことである。      虫干  この水浅黄の帷子はわたしの祖父の着た物である。祖父はお城のお奥坊主であつた。わたしは祖父を覚えてゐない。しかしその命日毎に酒を供へる画像を見れば、黒羽二重の紋服を着た、何処か一徹らしい老人である。祖父は俳諧を好んでゐたらしい。現に古い手控への中にはこんな句も幾つか書きとめてある。 「脇差しも老には重き涼みかな」 (おや。何か映つてゐる! うつすり日のさした西窓の障子に。)  その小紋の女羽織はわたしの母が着た物である。母もとうに歿してしまつた。が、わたしは母と一しよに汽車に乗つた事を覚えてゐる。その時の羽織はこの小紋か、それともあの縞の御召しか? ――兎に角母は窓を後ろにきちりと膝を重ねた儘、小さい煙管を啣へてゐた。時時わたしの顔を見ては、何も云はずにほほ笑みながら。 (何かと思へば竹の枝か、今年生えた竹の枝か。)  この白茶の博多の帯は幼いわたしが締めた物である。わたしは脾弱い子供だつた。同時に又早熟な子供だつた。わたしの記憶には色の黒い童女の顔が浮んで来る。なぜその童女を恋ふやうになつたか? 現在のわたしの眼から見れば、寧ろ醜いその童女を。さう云ふ疑問に答へられるものはこの一筋の帯だけであらう。わたしは唯樟脳に似た思ひ出の匀を知るばかりである。 (竹の枝は吹かれてゐる。娑婆界の風に吹かれてゐる。)      線香 わたしは偶然垂れ布を掲げた。…… 妙に薄曇つた六月の或朝。 八大胡同の妓院の或部屋。  垂れ布を掲げた部屋の中には大きい黒檀の円卓に、美しい支那の少女が一人、白衣の両肘をもたせてゐた。  わたしは無躾を恥ぢながら、もと通り垂れ布を下さうとした。が、ふと妙に思つた事には、少女は黙然と坐つたなり、頭の位置さへも変へようとしない。いや、わたしの存在にも全然気のつかぬ容子である。  わたしは少女に目を注いだ。すると少女は意外にも幽かに眶をとざしてゐる。年は十五か十六であらう。顔はうつすり白粉を刷いた、眉の長い瓜実顔である。髪は水色の紐に結んだ、日本の少女と同じ下げ髪、着てゐる白衣は流行を追つた、仏蘭西の絹か何からしい。その又柔かな白衣の胸には金剛石のブロオチが一つ、水水しい光を放つてゐる。  少女は明を失つたのであらうか? いや、少女の鼻のさきには、小さい銅の蓮華の香炉に線香が一本煙つてゐる。その一本の線香の細さ、立ち昇る煙のたよたよしさ、――少女は勿論目を閉ぢたなり、線香の薫りを嗅いでゐるのである。  わたしは足音を盗みながら、円卓の前へ歩み寄つた。少女はそれでも身ぢろぎをしない。大きい黒檀の円卓は丁度澄み渡つた水のやうに、ひつそりと少女を映してゐる。顔、白衣、金剛石のブロオチ――何一つ動いてゐるものはない。その中に唯線香だけは一点の火をともした先に、ちらちらと煙を動かしてゐる。  少女はこの一炷の香に清閑を愛してゐるのであらうか? いや、更に気をつけて見ると、少女の顔に現れてゐるのはさう云ふ落着いた感情ではない。鼻翼は絶えず震えてゐる。脣も時時ひき攣るらしい。その上ほのかに静脈の浮いた、華奢な顳顬のあたりには薄い汗さへも光つてゐる。……  わたしは咄嗟に発見した。この顔に漲る感情の何かを!  妙に薄曇つた六月の或朝。  八大胡同の妓院の或部屋。  わたしはその後、幸か不幸か、この美しい少女の顔程、病的な性慾に悩まされた、いたいたしい顔に遇つたことはない。      日本の聖母  山田右衛門作は天草の海べに聖母受胎の油画を作つた。するとその夜聖母「まりや」は夢の階段を踏みながら、彼の枕もとへ下つて来た。 「右衛門作! これは誰の姿ぢや?」 「まりや」は画の前に立ち止まると、不服さうに彼を振り返つた。 「あなた様のお姿でございます。」 「わたしの姿! これがわたしに似てゐるであらうか、この顔の黄色い娘が?」 「それは似て居らぬ筈でございます。――」  右衝門作は叮嚀に話しつづけた。 「わたしはこの国の娘のやうに、あなた様のお姿を描き上げました。しかもこれは御覧の通り、田植の装束でございます。けれども円光がございますから、世の常の女人とは思はれますまい。 「後ろに見えるのは雨上りの水田、水田の向うは松山でございます。どうか松山の空にかかつた、かすかな虹も御覧下さい。その下には聖霊を現す為に、珠数懸け鳩が一羽飛んで居ります。 「勿論かやうなお姿にしたのは御意に入らぬことでございませう。しかしわたしは御承知の通り、日本の画師でございます。日本の画師はあなた様さへ、日本人にする外はございますまい。何とさやうではございませんか?」 「まりや」はやつと得心したやうに、天上の微笑を輝かせた。それから又星月夜の空へしづしづとひとり昇つて行つた。……      玄関  わたしは夜寒の裏通りに、あかあかと障子へ火の映つた、或家の玄関を知つてゐる。玄関を、――が、その蝦夷松の格子戸の中へは一遍も足を入れたことはない。まして障子に塞がれた向うは全然未知の世界である。  しかしわたしは知つてゐる。その玄関の奥の芝居を。涙さへ催させる人生の喜劇を。  去年の夏、其処にあつた老人の下駄は何処へ行つたか?  あの古い女の下駄とあの小さい女の子の下駄と――あれは何時も老人の下駄と履脱ぎの石にあつたものである。  しかし去年の秋の末には、もうあの靴や薩摩下駄が何処からか其処へはひつて来た。いや、履き物ばかりではない。幾度もわたしを不快にした、あの一本の細巻きの洋傘! わたしは今でも覚えてゐる。あの小さい女の子の下駄には、それだけ又同情も深かつたことを。  最後にあの乳母車! あれはつい四五日前から、格子戸の中にあるやうになつた。見給へ、男女の履き物の間におしやぶりも一つ落ちてゐるのを。  わたしは夜寒の裏通りに、あかあかと障子へ火の映つた、或家の玄関を知つてゐる。丁度まだ読まない本の目次だけざつと知つてゐるやうに。 (大正十一年十二月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "003812", "作品名": "わが散文詩", "作品名読み": "わがさんぶんし", "ソート用読み": "わかさんふんし", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-08-06T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card3812.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1971(昭和46)年6月5日", "入力に使用した版1": "1979(昭和54)年4月10日初版第11刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "土屋隆", "校正者": "松永正敏", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3812_ruby_27268.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3812_27356.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 小学校時代。――尋常四年の時に始めて十七字を並べて見る。「落葉焚いて葉守りの神を見し夜かな」。鏡花の小説など読みゐたれば、その羅曼主義を学びたるなるべし。  中学時代。――「獺祭書屋俳話」や「子規随筆」などは読みたれど、句作は殆どしたることなし。  高等学校時代。――同級に久米正雄あり。三汀と号し、朱鞘派の俳人なり。三汀及びその仲間の仕事は詩に於ける北原白秋氏の如く、俳諧にアムプレシヨニスムの手法を用ひしものなれば、面白がりて読みしものなり。この時代にも句作は殆どせず。  大学時代。――略ぼ前時代と同様なり。  教師時代。――海軍機関学校の教官となり、高浜先生と同じ鎌倉に住みたれば、ふと句作をして見る気になり、十句ばかり玉斧を乞ひし所、「ホトトギス」に二句御採用になる。その後引きつづき、二三句づつ「ホトトギス」に載りしものなり。但しその頃も既に多少の文名ありしかば、十句中二三句づつ雑詠に載るは虚子先生の御会釈ならんと思ひ、少々尻こそばゆく感ぜしことを忘れず。  作家時代。――東京に帰りし後は小沢碧童氏の鉗鎚を受くること一方ならず。その他一游亭、折柴、古原艸等にも恩を受け、おかげさまにて幾分か明を加へたる心地なり、尤も新傾向の句は二三句しか作らず。つらつら按ずるにわが俳諧修業は「ホトトギス」の厄介にもなれば、「海紅」の世話にもなり、宛然たる五目流の早じこみと言ふべし。そこへ勝峯晉風氏をも知るやうになり、七部集なども覗きたれば、愈鵺の如しと言はざるべからず。今日は唯一游亭、魚眠洞等と閑に俳諧を愛するのみ。俳壇のことなどはとんと知らず。又格別知らんとも思はず。たまに短尺など送つて句を書けと云ふ人あれど、短尺だけ恬然ととりつ離しにして未だ嘗書いたことなし。この俳壇の門外漢たることだけは今後も永久に変らざらん乎。次手を以て前掲の諸家の外にも、碧梧桐、鬼城、蛇笏、天郎、白峯等の諸家の句にも恩を受けたることを記しおかん。白峯と言ふは「ホトトギス」にやはり二三句づつ載りし人なり。 (大正十三年)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:浅原庸子 2007年4月13日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 蓬平作墨蘭図一幀、司馬江漢作秋果図一幀、仙厓作鐘鬼図一幀、愛石の柳陰呼渡図一幀、巣兆、樗良、蜀山、素檗、乙二等の自詠を書せるもの各一幀、高泉、慧林、天祐等の書各一幀、――わが家の蔵幅はこの数幀のみなり。他にわが伯母の嫁げる狩野勝玉作小楠公図一幀、わが養母の父なる香以の父龍池作福禄寿図一幀等あれども、こはわが一族を想ふ為に稀に壁上に掲ぐるのみ。陶器をペルシア、ギリシア、ワコ、新羅、南京古赤画、白高麗等を蔵すれども、古織部の角鉢の外は言ふに足らず。古玩を愛する天下の士より見れば、恐らくは嗤笑を免れざるべし。わが吉利支丹の徒の事蹟を記せるを以て、所謂「南蛮もの」を蔵すること多からんと思ふ人々もなきにあらざれども、われは数冊の古書の外に一体のマリア観音を蔵するに過ぎず。若しわれをしも蒐集家と言はば、張三李四の徒も蒐集家たるべし。然れどもわが友に小穴一游亭あり。若し千古の佳什を得んと欲すれば、必しもかの書画家の如く叩頭百拝するを須ひず。当来の古玩の作家を有するは或は古玩を有するよりも多幸なる所以なり。  古玩は前人の作品なり。前人の作品を愛するは必しも容易の業にあらず。われは室生犀星の陶器を愛するを見、その愛を共にするに一年有半を要したり。書画、篆刻、等を愛するに至りしも小穴一游亭に負ふ所多かるべし。天下に易々として古玩を愛するものあるを見る、われは唯わが性の迂拙なるを歎ずるのみ。然れども文章を以て鳴るの士の蒐集品を一見すれば、いづれも皆古玩と称するに足らず。唯室生犀星の蒐集品はおのづから蒐集家の愛を感ぜしむるに足る。古玩にして佳什ならざるも、凡庸の徒の及ばざる所なるべし。  われは又子規居士の短尺の如き、夏目先生の書の如き、近人の作品も蔵せざるにあらず。然れどもそは未だ古玩たらず。(半ば古玩たるにもせよ。)唯近人の作品中、「越哉」及び「鳳鳴岐山」と刻せる浜村蔵六の石印のみは聊か他に示すに足る古玩たるに近からん乎。わが家の古玩に乏しきは正に上に記せるが如し。われを目して「骨董好き」と言ふ、誰か掌を拊つて大笑せざらん。唯われは古玩を愛し、古玩のわれをして恍惚たらしむるを知る。売り立ての古玩は価高うして落札すること能はずと雖も、古玩を愛するわが生の豪奢なるを誇るものなり。文章を作り、女人を慕ひ、更に古玩を弄ぶに至る、われ豈君王の楽しみを知らざらんや。旦暮に死するも亦瞑目すと言ふべし。雨後花落ちて啼鳥を聴く。神思殆ど無何有の郷にあるに似たり。即ちペンを走らせて「わが家の古玩」の一文を艸す。若し他日わが家の古玩の目録となるを得ば、幸甚なるべし。 (昭和二年) 〔遺稿〕
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 伊香保の事を書けと云ふ命令である。が、遺憾ながら伊香保へは、高等学校時代に友だちと二人で、赤城山と妙義山へ登つた序に、ちよいと一晩泊つた事があるだけなんだから、麗々しく書いて御眼にかける程の事は何もない。第一どんな町で、どんな湯があつたか、それさへもう忘れてしまつた。唯、朧げに覚えてゐるのは、山に蔓る若葉の中を電車でむやみに上つて行つた事だけである。それから何とか云ふ宿屋へとまつたら、隣座敷に立派な紳士が泊り合せてゐて、その人が又非常に湯が好きだつたものだから、あくる日は朝から六度も一しよに風呂へ行つた。さうしたら腹の底からへとへとにくたびれて、廊下を歩くのさへ大儀になつた。けれどもくたびれた儘で、安閑と宿屋へ尻を据ゑてもゐられないから、その日の暮方その紳士と三人で、高崎の停車場まで下つて来たが、さて停車場へ来てみると、我々の財布には上野までの汽車賃さへ残つてゐない。そこで甚恐縮しながら、その紳士に事情を話して、確か一円二十銭ばかり借用した。以上の如く伊香保と云つても、溪山の風光は更に覚えてゐないが、この紳士の記憶だけは温泉の話が出る度に必ず心に浮んで来る。何でも湯の中で話した所によると、この人は一人乗りの小さな自働車を製造したいとか云ふ事だつた。今日の新聞で見ると、乗合自働車はもう出来たさうであるが、一人乗りの小さな自働車が出来たと云ふ噂はどこにもない。今ごろあの紳士はどうしてゐるかしら。 (大正八年八月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "003806", "作品名": "忘れられぬ印象", "作品名読み": "わすれられぬいんしょう", "ソート用読み": "わすれられぬいんしよう", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-08-09T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card3806.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1971(昭和46)年6月5日", "入力に使用した版1": "1979(昭和54)年4月10日初版第11刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "土屋隆", "校正者": "松永正敏", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3806_ruby_27270.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3806_27358.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
一、ロマンスの中の女性は善悪共皆好み候。 二、あゝ云ふ女性は到底この世の中にゐないからに候。
底本:「芥川龍之介全集 第六巻」岩波書店    1996(平成8)年4月8日発行 底本の親本:「婦人画報 第170号」    1920(大正9)年4月1日発行 初出:「婦人画報 第170号」    1920(大正9)年4月1日発行 ※「婦人画報」編集部からの「一、私の好きなロマンス中の女性 二、並にその好きな理由」というアンケートへの答えとして掲載された。 入力:砂場清隆 校正:高柳典子 2006年2月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "004871", "作品名": "私の好きなロマンス中の女性", "作品名読み": "わたしのすきなロマンスちゅうのじょせい", "ソート用読み": "わたしのすきなろまんすちゆうのしよせい", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「婦人画報 第170号」1920(大正9)年4月1日", "分類番号": "NDC 916", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2006-03-27T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card4871.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "芥川龍之介全集 第一巻", "底本出版社名1": "岩波書店", "底本初版発行年1": "1996(平成8)年4月8日", "入力に使用した版1": "1996(平成8)年4月8日", "校正に使用した版1": "1996(平成8)年4月8日", "底本の親本名1": "婦人画報 第170号", "底本の親本出版社名1": " ", "底本の親本初版発行年1": "1920(大正9)年4月1日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "砂場清隆", "校正者": "高柳典子", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/4871_txt_20865.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-02-21T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/4871_21840.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-02-21T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
一 信濃の国は十州に   境連ぬる国にして   聳ゆる山はいや高く   流るる川はいや遠し   松本伊那佐久善光寺   四つの平は肥沃の地   海こそなけれ物さわに   万ず足らわぬ事ぞなき 二 四方に聳ゆる山々は   御嶽乗鞍駒ヶ岳   浅間は殊に活火山   いずれも国の鎮めなり   流れ淀まずゆく水は   北に犀川千曲川   南に木曽川天竜川   これまた国の固めなり 三 木曽の谷には真木茂り   諏訪の湖には魚多し   民のかせぎも豊かにて   五穀の実らぬ里やある   しかのみならず桑とりて   蚕飼いの業の打ちひらけ   細きよすがも軽からぬ   国の命を繋ぐなり 四 尋ねまほしき園原や   旅のやどりの寝覚の床   木曽の棧かけし世も   心してゆけ久米路橋   くる人多き筑摩の湯   月の名にたつ姨捨山   しるき名所と風雅士が   詩歌に詠みてぞ伝えたる 五 旭将軍義仲も   仁科の五郎信盛も   春台太宰先生も   象山佐久間先生も   皆此国の人にして   文武の誉たぐいなく   山と聳えて世に仰ぎ   川と流れて名は尽ず 六 吾妻はやとし日本武   嘆き給いし碓氷山   穿つ隧道二十六   夢にも越る汽車の道   みち一筋に学びなば   昔の人にや劣るべき   古来山河の秀でたる   国は偉人のある習い
底本:「淺井洌」松本市教育会    1990(平成2)年12月20日発行 ※底本には、長野県歌として制定した際、「信濃教育会保存の昭和六年浅井洌直筆のものを基礎とし、用字を一部改めた」とあります。 入力:大野晋 校正:川山隆 2009年12月8日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "050555", "作品名": "県歌 信濃の国", "作品名読み": "けんか しなののくに", "ソート用読み": "けんかしなののくに", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2010-01-21T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000380/card50555.html", "人物ID": "000380", "姓": "浅井", "名": "洌", "姓読み": "あさい", "名読み": "れつ", "姓読みソート用": "あさい", "名読みソート用": "れつ", "姓ローマ字": "Asai", "名ローマ字": "Retsu", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1849-10-10", "没年月日": "1938-02-27", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "淺井洌", "底本出版社名1": "松本市教育会", "底本初版発行年1": "1990(平成2)年12月20日", "入力に使用した版1": "1990(平成2)年12月20日", "校正に使用した版1": "1990(平成2)年12月20日 ", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "大野晋", "校正者": "川山隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000380/files/50555_ruby_36916.zip", "テキストファイル最終更新日": "2009-12-08T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000380/files/50555_37463.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2009-12-08T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
信濃の國は十州に 境つらぬる國にして 山は聳えて峯高く 川は流れて末遠し 松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地 海こそなけれ物さはに 萬たらわぬことそなき 四方に聳ゆる山々は 御岳乘鞍駒か岳 淺間は殊に活火山 いつれも國の鎭めなり 流れ淀ます行く水は 北に犀川千曲川 南に木曽川天龍川 これまた國の固めなり 木曽の谷には眞木茂り 諏訪の湖には魚多し 民のかせぎは紙麻綿 五穀みのらむ里やある しかのみならす桑取て 蠶養の業の打ひらけ 細きよすかも輕からぬ 國の命をつなくなり 尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寐覺の床 木曽の棧かけし世も 心してゆけ久米路橋 くる人多き束摩の湯 月の名にたつ姨捨山 しるき名所とみやびをが 詩歌によみてぞ傳へたる 旭將軍義仲も 仁科五郎信盛も 春臺太宰先生も 象山佐久間先生も 皆この國の人にして 文武のほまれたくひなく 山と聳へて世に仰き 川と流れて名は盡きす 吾妻はやとし日本武 嘆き給ひし碓氷山 うがつとんねる二十六 夢にも超ゆる滊車の道 道ひとすちに學ひなば 昔の人にや劣るべき 古來山河の秀でたる 國は偉人のあるならひ
底本:「淺井洌」松本市教育会    1990(平成2)年12月20日発行 初出:「信濃教育会雑誌 第一五三号」信濃教育会    1899(明治32)年6月号 ※初出時の表題は「長野県小学校用唱歌新作」です。 入力:大野晋 校正:川山隆 2009年12月8日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "050549", "作品名": "信濃国", "作品名読み": "しなののくに", "ソート用読み": "しなののくに", "副題": "明治三十二年", "副題読み": "めいじさんじゅうにねん", "原題": "", "初出": "「信濃教育会雑誌  第一五三号」1899(明治32)年6月号", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "旧字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2010-01-21T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000380/card50549.html", "人物ID": "000380", "姓": "浅井", "名": "洌", "姓読み": "あさい", "名読み": "れつ", "姓読みソート用": "あさい", "名読みソート用": "れつ", "姓ローマ字": "Asai", "名ローマ字": "Retsu", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1849-10-10", "没年月日": "1938-02-27", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "淺井洌", "底本出版社名1": "松本市教育会", "底本初版発行年1": "1990(平成2)年12月20日", "入力に使用した版1": "1990(平成2)年12月20日", "校正に使用した版1": "1990(平成2)年12月20日", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "大野晋", "校正者": "川山隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000380/files/50549_ruby_36917.zip", "テキストファイル最終更新日": "2009-12-08T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000380/files/50549_37464.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2009-12-08T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
一、吉田内閣不信任決議案賛成演説      一九五三(昭和二十八)年三月十四日 衆議院本会議  私は、日本社会党を代表いたしまして、ただいま議題になりました改進党並びに両社会党の共同提案による吉田内閣不信任案に対し賛成の意を表明せんとするものであります。  吉田内閣は、日本独立後初めて行われた総選挙のあとをうけて昨年十月召集され、現に開かれておる第十五国会において成立せる内閣であります。その内閣が、同じ特別国会に於て不信任案が提出され、その間五カ月有余というのでありますから、いかに吉田内閣が独立日本の要望にこたえ得ず、その立っている基盤がいかに脆弱であるかということを示す証左であると思うのであります。以下、不信任案に対する賛成の理由を述べて、各位の賛同を求めたいと思います。  第一には、第四次現吉田内閣は、独立後初めて成立せる内閣でありますから、独立後の日本をどうするかという抱負経綸が示され、日本国民に独立の気魄を吹き込み、民族として立ち上る気力を与えることが、その務めであるにもかかわらず、吉田内閣積年の宿弊は、独立後の日本の政治を混迷と彷徨の中に追い込んでおるのであります。終戦六年にして独立をかち得た国民は占領下に失われた国民としての自覚をとりもどし、民主主義的な民族として再建に努力せんとの熱意に燃えておるのであります。しかるに、吉田内閣は、この国民の熱情に何らこたえるところなく、いたずらに、外交はアメリカ追随、内政は反動と逆コースを驀進し、進歩的な国民を絶望に追い込むファッショ反動の政治を抬頭せしめ、一面、共産党に跳梁の間隙を与え、左右全体主義への道を開き、祖国と民主主義を危機に直面せしめておるのであります。民族の生気をとりもどし、国民を奮起せしめるためには、まず吉田内閣の打倒から始めなければなりません。これ、わが不信任案賛成の第一の理由であります。  第二には、日本の完全独立と平和確保のためにその退陣を要求するものであります。お互いの愛する祖国日本は、昨年四月二十八日、独立国家として国際場裡に再出発をしたのであります。現実に独立をした日本の姿を見れば、日米安全保障条約並びに行政協定に基づいて、日本の安全はアメリカの軍隊によって保障され、アメリカ軍人、軍属並びにこれらの家族には、日本の裁判権は及びません。およそ一国が他国の軍隊によってその安全が保障され、その期間が長きに及べば、独立は隷属に転化することを知らねばならぬのであります。日本に居住するものに対し日本の裁判権の及ばざることは、一種の治外法権であって、完全なる独立というわけには参りません。  加えて、領土問題についてこれを見るに、日本が発展途上に領有いたしました領土は、それぞれその国に帰すことはやむを得ぬとするも、南樺太、千島の領土権を失い、歯舞、色丹島は、北海道の行政区にあるにもかかわらず、ソビエトの占拠するところとなり、奄美大島、沖縄諸島、小笠原、硫黄島等、これらのものは特別なる軍事占領が継続され、百数十万の同胞は、日本の行政の外にあるのであります。まさに民族の悲劇といわなければなりません。しかも、これらの同胞は、一日も早く日本への復帰を望んでおるのであります。  従って、吉田内閣は、日本の完全独立のために、安全保障条約並びに行政協定の根本的改訂に、最大の努力をなさねばならぬにかかわらず、吉田総理、岡崎外相は、その都度外交と称せられる、アメリカ追従外交を展開し、日本国家の主体性を没却し、行政協定の改訂期を前にして何らの動きを示さず、領土問題についても何ら解決への努力を示さず、その買弁的性格をますます露骨に現わしておるのであります。特に、日本独立後国連軍を無協定のまま日本に駐屯せしめておるその外交の不手際を、断固糾弾しなければならぬと思うのであります。  また、国際情勢を見れば、アイゼンハワー将軍のアメリカ大統領就任、ダレス氏の国務長官就任、その巻きかえし外交の進展、ソ連スターリン首相の死、マレンコフ新首相の就任と動く中にも、世界は一種の引締って行く姿を見るのであります。世界人類には、依然として平和か戦争かということが重大なる課題となっております。しかるに、対日平和条約に対しては、まだ多くの未調印国家、未批准国家があり、特に一衣帯水のソ連並びに中共との間には戦争の状態が残っておるのであります。かかる中にあって、いかに世界平和に寄与せんとするかということは、日本外交の重大問題であります。これがためには、日本は絶対に戦争に介入しないという一大原則のもとに、自由アジアの解放と、自由アジアと西欧を結ぶ平和のかけ橋となることを日本外交の基本的方針として、自主独立の外交を展開して参らなければなりません。このことは、吉田内閣のごとく、その主体性を没却せる、アメリカ追従外交政策によっては断じて打開ができないのであります。われわれが不信任案に賛成せんとする第二の理由であります。  第三には、吉田内閣は、占領政策の行き過ぎ是正と称して、わが国民主化に最も必要なる諸制度を廃棄して、戦前及び戦時中の諸制度に還えさんとして、反動逆コースの政治を行わんとしております。われらは、この反動逆コースの政治に断固反対し、その退陣を迫らんとするものであります。およそ占領政策の行き過ぎがあるとすれば、その責任の大半は吉田総理それ自体が負わなければならないのであります。しかも、行き過ぎと称するものは、おおむね進歩的政策であって、是正せんとする方向は、反動と逆コースであります。われらが占領政策の行き過ぎを是正せんとするものは、国会軽視の傾向であり、行政府独善の観念であり、ワン・マンの名によって代表せられたる不合理と独裁の傾向であり、官僚政治の積弊であります。  しかるに、吉田内閣は、警察法の改正により戦前の警察国家の再現を夢み、全国民治安維持のための警察をして一政党の権力維持のための道具たらしめんとしております。また義務教育学校職員法の制定によって、義務教育費全額国庫負担という美名のもとに、教員を国家公務員として、その政治活動の自由を奪い、教職員組合の寸断、弱体化を期し、封建的教育専制を考慮しておるのであります。労働争議のよってもって起る原因を究明せず、最近の労働争議が吉田内閣の政策貧困から来ていることを意識せず、ただ弾圧だけすれば事足りると考え、電産、石炭産業の労働者のストライキ権に制限を加えるがごときは、労働者の基本的人権を無視したものにして、逆コースもはなはだしいものといわなければなりません。また、農村においては、農地の改革は事実上停止せられ、農業団体再編成の名のもとに官僚的農村支配を復活せんとしており、さらには、独占禁止法の改正によって財閥の復活を意図しておるのであります。今にしてこの反動逆コースを阻止せんとするにあらざれば、日本は財閥独裁、警察国家を再来いたしまして、日本国民の民主的、平和的国家建設の努力は水泡に帰するということを知らなければならぬのであります。これわれらが不信任案に賛成せんとする第三の理由であります。  第四には、吉田内閣の手によっては、日本の経済の自立と国民生活の安定は期せられません。かかる見地から、吉田内閣の退陣を要求するものであります。民族の独立の蔭には、経済の自立がなくてはなりません。日本は狭き領土において資源少なく、その中に、賠償を払いながら八千四百万の人間が生きて行かなければならぬのであります。これがためには、自由党の自由放任の資本主義経済によっては断じて打開されないと思うのであります。これには、われらの主張いたしますところの計画経済による以外に道はありません。現在、わが国経済界の実情は物資不足の時期は通り過ぎて、物資過剰のときとなって、資本家、企業家は生産制限をたくらんでおります。しかるに政府は、独占禁止法の精神を無視して、その生産制限の要求を容認しております。その結果は物価のつり上げとなって現われて来るのであります。この状態を打開するには、それは国内における購買力の増大が絶対に必要であります。これがためには、勤労者の所得の増大をはかるとともに、一面においては貿易の振興をはかって参らなければなりません。しかるに、吉田内閣の政策は、労働者には低賃金、農民には低米価、中小企業者には重税、貿易政策においてはまったく計画性を持たず、特需、新特需に依存をしておるのであります。  吉田内閣の農業政策を見るに、米は統制で抑え、肥料は自由販売として、日本の農民には高い肥料を売りつけ、安い米を買い上げ、外国には安い肥料を売って、高い米を輸入しているのであります。一体だれのための農政だか、解釈に苦しむものがあるのであります。農民の熾烈なる要求に申訳的に肥料の値下げをやりましたが、農民の憤激は高まっております。吉田内閣打倒の声は農村に満ち満ちておるといっても過言ではないと思うのであります。労働者、農民、中小企業者の生活安定なくしては、日本の経済の再建はありません。それは労働者を不逞のやからと呼び、貧乏な日本には労働争議はぜいたくといい、中小企業者は死んで行ってもしかたがない、金持ちは米を食って貧乏人は麦を食え、といったような性格の吉田内閣によっては、とうてい望みがたいものといわなければなりません。これわれらが第四に不信任案に賛成する理由であります。  第五点は、吉田内閣の憲法の精神の蹂躪、国会軽視の事実を指摘して、その退陣を要求するものであります。吉田内閣が、警察予備隊を保安隊に切りかえその装備を充実しつつあることは、憲法第九条の違反の疑い十分なることは、何人といえどもこれを認めるところであります。自衛力の漸増計画に名をかって、あえて憲法の規定を無視し、事実上の再軍備をやっておるのであります。一国の総理が、憲法を勝手に解釈し、その規定を無視するがごとき行動は、まさに専制政治家の態度というべきであります。また、吉田内閣は、これのみにとどまらず、警察法の改正によって、地方自治団体の財産を一片の法令によって、国家に取りあげ、憲法の精神を蹂躪せんとしておるのであります。  憲法は国家活動の源泉であり、その基準であります。また、憲法第九十九条には、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と規定しておるのであります。しかるに、吉田内閣は、憲法を軽視し、蹂躪し、ときには無視するがごとき行動をあえてとるのであります。まさに日本民主主義の敵であると思うのであります。民主日本に対する反逆者といって、あえて私は過ぎたる言葉でないと存ずるのであります。  吉田総理の国会無視の傾向は、第一次、第二次、第三次、第四次内閣と、数え来れば枚挙にいとまがございません。本国会においても、国会無視の発言をなしてこれを取消し、本会議、委員会にはほとんど出席せず、国民の代表とともに国政を論ずるという熱意を欠き、ワン・マン行政部独裁の態度を持っておることは、今更言をまたないところであります。われわれはかつて凶刃に倒れた浜口元民政党総裁が、議会の要求に応じて病を押して出席し、遂に倒れて行った態度と対比してみまして、吉田総理の非民主的な、封建的な行動は、民主的日本の総理として、その資格を欠くものと断じ、われらが憲法を守り、総理の国会軽視を糾弾するのが、不信任案賛成の第五の理由であります。  第六点は、道義の昂揚、綱紀粛正の面から吉田内閣を弾劾し、不信任案に賛成せんとするものであります。吉田総理は、口を開けば、綱紀粛正といい、道義の昂揚を叫び、本年二月の施政方針の演説の中には、特に道義の昂揚を掲げておるのであります。しかも、吉田内閣のもとでは、綱紀はそれほど紊乱しておらないと強弁されておるが、第十五国会の決算委員会に現れた報告書によれば、昨年度官庁においてむだに使われた金が三十億五千八百万円といわれておる。この数字は、会計検査院の限られたる人手で調査されたものでありますから、実際の数字はこの数倍に上ることと思います。国民の血税がかくのごとく使われておるのでありますから、これ綱紀の頽廃にあらずして何ぞやと私はいいたいのであります。吉田内閣のもとにおいては、あらゆる問題が利権の対象となっておるのであります。只見川問題といい、四日市燃料廠問題といい、炭鉱住宅問題といい、一つとして利権とつながらざるものはございません。  過日、この壇上において、人格者をもって任ぜられておる閣僚の一人から、待合政治の合理化、さらに妥当性の答弁を聞き、何ら反省の態度を見なかったことは、はなはだ遺憾といわなければなりません。総理みずからは、予算委員会に於て、一国の総理として品位を落すがごとき暴言を口にし、議員並びに国民を侮辱し、懲罰委員会に付せられておるのであります。およそ一国の総理大臣が懲罰委員会に付せられるということは、前代未聞、世界に類例のないことであろうと思うのであります。かかる立場に立った総理でありますならば、その道義的責任を感じて辞職するのが当然であるといわなければなりません。しかるに、多数を頼んで、懲罰委員会においてはその審議を引延ばし、取消せば事は済むというがごとき印象を与えておるのであります。  政治家にとって最も必要なことは、発言であり、意見の発表であります。一度発言したことに対しては、責任をとるのが政治家のとる態度でなければならぬと私は思っておるのであります。最近吉田内閣の閣僚の中には、取消せば事が済むがごとく考えておる者が多々あることは、はなはだ政治的道徳をわきまえざるものといわなければなりません。さらに、選挙違反の疑い濃厚な者が一国の外務大臣となり、一国の総理大臣が懲罰委員会にかけられておるという現実を見て、これが、日本の独立後の姿かと思い、諸外国が一体いかに考えるかということになりまするならば、国民の一人として冷水三斗という思いがするのであります。  道義の昂揚は理論ではありません。理屈ではありません。これは実践であります。百万遍の道義の理屈よりも、総理みずから道義的責任を感じて退陣されることが道義昂揚の最上の方法であるといわなければなりません。これ、われらが退陣を迫り、不信任案に賛成する第六の理由であります。  第七には、自由党の内紛の結果は、すでに自由党が多数党たる資格を失い、政局担当の能力を失っている点を指摘しなければなりません。この事実から、我々は吉田内閣に退陣を迫らんとするものであります。吉田総理は、現在政界の不安定の原因が自由党の内部矛盾の上にあるという事を知らねばなりません。さきに組閣に際してその内情を暴露した自由党は、さらに、池田通産大臣の不信任にあって党内不一致を露呈し、また多数党たる自己政党の総裁を懲罰委員会に付するがごとき、また不信任案上程を前にして内部混乱のごとき姿は、その政党としての機能を失ったものといわなければなりません。すなわち、政界不安定の原因が自由党の内紛であり、その責任の全部が、総裁たる吉田首相の統率力の欠如にあるといわなければなりません。自由党幹部の中には、自由党は、民同派、広川派なきものとして、少数党内閣として事に当らければならないと言明しております。二つの党首を持ち、二つの異なっている政策を持つのが、現実に自由党の姿であるといわなければなりません。多数党たる資格はなくなって、政権担当の任務は終ったのであります。もはや多数党としての権利を主張し、その責任をとらんとしても不可能であります。自由党が多数党としての資格を失っている以上、内閣が退陣をすることが当然であるといわなければなりません。  最後に申し上げたいことは、終戦後八年、内閣のかわる事八回、そのうち、吉田茂氏が内閣を組織すること四回であります。その期間五年六カ月に及んでおります。そうして、その任命せる大臣六十余名、延べ百三十余名といわれ、吉田総理のワン・マンぶりは徹底して、すでに民心は吉田内閣を去っております。今こそ人心一新のときであります。吉田内閣の退陣は国民の要望するところであります。吉田内閣の退陣が一日早ければ、それだけ国家の利益は益すということになるのであります。吉田総理も、政権に恋々とせず、しりぞくべきときにはしりぞくべきだと思います。今まさにその時であります。政治家はそのときを誤ってはなりません。しかるに吉田内閣並びにその側近派は、解散をもって反対党を恫喝しております。われらまた、解散もとより恐れるものではありません。しかし、自由党の内紛によってさきに国会が解散され、さらに半年を経ざる今日、同じ理由をもって、総理指名の議決を受けた特別国会を解散するというがごときは、天下の公器たる解散権を自己政党の内紛鎮圧に利用せんとするものであり、われら、これは北村君がいうがごとく一種のクーデターであると断言するものであります。さきに、政府方針の質問演説の際、我党の三宅正一君が、解散すべきは国会にあらずして自由党そのものであると喝破したものでありますが、まさにその通りであります。われらは、この際、吉田内閣は総辞職し、自由党は出直すべきときであると考えるのであります。ここに、吉田内閣退陣を強く要求いたします。  以上をもちまして、私の吉田内閣不信任案に対する賛成演説を終るのでありますが、各位の賛同を心よりお願いいたす次第であります。 二、政治協商会議講堂における講演      一九五九(昭和三十四)年三月十二日 社会党第二次訪中使節団々長として  中国の友人の皆さん、私はただいまご紹介にあずかりました日本社会党訪中使節団の団長浅沼稲次郎であります。私どもは一昨年四月まいりまして今回が二回目であります。一昨年まいりましたときも人民外交学会の要請で講演をやりましたが、今回はまた講演の機会をあたえられましたので要請されるままにこの演壇に立ちました。つきましては私はみなさんに、日本社会党が祖国日本の完全独立と平和、さらにはアジアの平和についていかに考えているかを率直に申しあげたいと存じます。(拍手) 一  今日世界の情勢をみますならば、二年前私ども使節団が中国を訪問した一九五七年四月以後の世界の情勢は変化をいたしました。毛沢東先生はこれを、東風が西風を圧倒しているという適切な言葉で表現されていますが、いまではこの言葉は中国のみでなく世界的な言葉になっています。いま世界では、平和と民主主義をもとめる勢力の増大、なかんずくアジア、アフリカにおける反植民地、反帝国主義の高揚は決定的な力となった大勢を示しています。(拍手)もはや帝国主義国家の植民地体制は崩れさりつつあります。がしかし極東においてもまだ油断できない国際緊張の要因もあります。それは金門、馬祖島の問題であきらかになったように、中国の一部である台湾にはアメリカの軍事基地があり、そしてわが日本の本土と沖縄においてもアメリカの軍事基地があります。しかも、これがしだいに大小の核兵器でかためられようとしているのであります。日中両国民はこの点において、アジアにおける核非武装をかちとり外国の軍事基地の撤廃をたたかいとるという共通の重大な課題をもっているわけであります。台湾は中国の一部であり、沖縄は日本の一部であります。それにもかかわらずそれぞれの本土から分離されているのはアメリカ帝国主義のためであります。アメリカ帝国主義についておたがいは共同の敵とみなしてたたかわなければならないと思います。(拍手)  この帝国主義に従属しているばかりでなく、この力をかりて、反省のない、ふたたび致命的にまちがった外交政策をもってアジアにのぞんでいるのが岸内閣の外交政策であります。それは昨年末とくに日米軍事同盟の性格を有する日米安保条約の改定と強化をし、更に将来はNEATOの体制の強化へと向わんとする危険な動きであります。この動きは中国との友好と国交正常化を阻害しようとする動きでもあります。これらの動きはあるいは警職法反対の日本国民のたたかいや平和を要求する国民の勢力によって動揺しつつあるが、しかし、これが今日、日中関係の不幸な原因を作っている根本になっています。以上の日米安保条約の改定と日中関係の不幸な状態とは、いずれも関係しあって岸内閣の基本的外交方針であり、アメリカ追随の岸内閣の車の両輪であります。それは昨年末のNBCブラウン記者にたいする岸信介の放言において彼みずからがこれをはっきりと裏書きしております。これらの政策を根本的に転換させてアジアに平和体制を作る方向に向かわないかぎり、日本国民に明るい前途はなく、ここにもまた日中両国民にとって緊急かつ共通の課題がございます。  このような問題をいかに解決するかという点に関し中日関係について申上げまするならば、昨年五月いらい岸内閣の政策によって中日関係はきわめて困難な事態におちいりました。それまでは、国交回復はおこなわれていないにかかわらず、中国と日本においてはさきに私と張奚若先生との共同声明をはじめとしまして数十にあまる友好と交流の協定を結び、日本国民もまた国交回復をめざしながら懸命に交流、友好の努力をつみかさねてまいりました。しかしついに中絶状態におちいったのであります。このことにつきましては日本国民は非常な悲しみを感じ、かつ岸内閣に鋭い怒りを感じているものであります。(拍手)ここでわが党の参議院議員佐多忠隆君が貴国を訪問して三原則、三措置、すなわち、(1)ただちに中国を敵視する言動と行動を中止しふたたびくりかえさないこと (2)二つの中国をつくる陰謀をやめること (3)中日両国の正常な関係の回復をはばまないこと――これを受けとり、これを正確に国民大衆につたえたのであります。  これにもとづきましてわが社会党は一九五八年九月に新しい日中関係打開の基本方針の決定をいたしました。すなわちその項目はつぎのとおりであります。岸内閣の政策転換の要求、(1)二つの中国の存在を認めるが如き一切の行動をやめ中華人民共和国との国交の回復を実現する (2)台湾問題は中国の内政問題であり、これをめぐる国際緊張は関係諸国のあいだで平和的に解決する (3)中国を対象とするNEATOのごとき軍事体制には参加しない (4)日本国内に核兵器を持ちこまない (5)国連その他の機構をつうじ中華人民共和国の国連代表権を支持する (6)長崎における国旗引きおろし事件にたいしては陳謝の意を表し今後中華人民共和国の国旗の尊厳を保障するため万全の措置を講ずる (7)友好と平和とを基礎にする人的、文化的、技術的、経済的交流を拡大し国交正常化を妨害することなくこれに積極的支持と協力をあたえる。とくに第四次貿易協定の完全実施を実現する。さらに台湾海峡をめぐる問題にかんしていえば、蒋介石グループにたいする軍事的支援、とくに台湾に米軍を駐屯することがアジアに緊張を激化するものであるとして、日本政府にたいしては慎重なる態度をとることを要請したのであります。(拍手)  さらにまた社会党は以上の基本方針にもとづきまして日中国交回復、正常化のために国民運動を展開し、もりあげることにいたしました。その要項は、第一、岸政府の政策の全面的転換を実現するためにすべての国民の力を広範に結集し、強力な運動を展開する。第二、現在の岸政府をもってしては現状の打開はきわめて困難であることの認識に立ち、長期かつねばり強い運動を展開できる態勢を整える。第三、この運動をするにあたっては原水爆反対、沖縄返還、軍事基地反対、憲法擁護などの運動と密接に提携してすすめる。第四、わが党は労働組合、農民組合、青年婦人団体、各経済・文化・民主団体などを結集して財界、保守党の良心分子にいたるまで運動に参加せしめる、とくにわが党が協力している中日国交回復国民会議を強化し、これを通じ積極的に運動を展開する。  わが党は以上のごとき国民運動および日本の岸政府にたいする政策転換のたたかいをもとめまして、中国側にたいしても浅沼・張奚若先生との共同コミュニケの精神にのっとり日中関係の改善にたいし積極的な協力をもとめる、こういうふうにしたわけであります。さらに去年四月の日本社会党中央委員会ではいままでの軍事基地反対運動、平和憲法擁護運動、原水爆禁止運動、沖縄返還および日中国交回復国民運動と日米安保条約体制打破の国民運動を、とくに本年におきましては日中国交回復国民運動と日米条約体制打破の国民運動に力を結集してたたかうことを決定したのであります。さらにこの運動の一環として時期をみて日本社会党の訪中使節団を送ることを決定しました。それは、いかに不幸な事態においても中日両国民のあいだの友好と交流はたえず努力していかねばならないこと、またそれによって岸内閣の政策に反対する中日両国民の国交回復運動が大きく前進することを期待しているためにほかならないのであります。(拍手) 二  この決定にもとづいて私たち使節団はふたたび中国を訪問したわけでありますが、同時に訪中の目的のためには、中国の姿をありのままに沢山みて、その姿を正しく日本の勤労大衆、国民につたえるためであります。私どもが日本を発つにあたって日本において民主団体、平和団体は日中国交回復の国民大会をひらいて次のごとき決議を決定いたしました。そしてわれわれ使節団を激励してくれたのであります。いま参考までに決議文を朗読してみます。  決議。政府は現在安保条約を改定する方針を明らかにしている。この改定は現行の安保体制を固定化するだけでなく、日本自からの意志でアメリカの軍事ブロックに参加することを再確認し、さらにアメリカとの共同防衛体制に公然と加入することになり、日本の軍事力の増強とアメリカへの軍事的義務の遂行を強制されることによって海外派兵はさけられなくなり、憲法第九条はまったく空文化することになる。とくにこの改定によってアメリカの核兵器持ちこみを許し日本が自ら核武装への道を歩むことは明らかであり、その結果中日関係は決定的事態におちいり、現在の日中関係の打開はおろか、国交回復は最も望みえないものになることもまた明らかである。日本の平和と繁栄を望みいかなる国とも平等に友好関係を保持することを望むわれわれは、かかる危険な安保体制とその遂行のために企図されている秘密保護法、防諜法制定の動きや、警職法改悪にあらわれた国民の基本的人権と自由の圧迫、軍事力強化にともなう国民生活の破壊などにたいして断固としてたたかわなければならない。われわれは昨年警職法改悪の意図を粉砕した経験と成果をもっている。このエネルギーはいまなお国民一人一人の中に強く燃えつづけ、たたかえば勝てるという確信はいよいよたかまりつつある。この集会に結集したわれわれは決意をあらたにしてあらゆる階層とその要求、行動を統一して安保条約改定を断固阻止し、すすんで安保条約を解消し、アメリカのクサリを断固切り、平和政策を樹立し、中日国交回復を実現しよう。右決議する。  これが内容です。(拍手)この決議にもられているものは、平和と民主主義を愛し、一日も早く中日の国交回復をやりたいという日本国民の熱烈な願望でございます。(拍手)  私ども中国にまいりましてから約一週間になりました。私たちは人民外交学会をはじめとして中国の皆さんの確固たる原則的態度と同時に大きな友情を感じております。とくに過日農業博覧会において農作物の爆発的な増産をする姿をみ、また工場建設の飛躍的な発展をみまして、とくに人民公社に深い感銘をおぼえたのであります。今後多くの日本国民とりわけ農民諸君が中国にきて、論より証拠のこの実情を目のあたりみられるようにしたいと考えております。(拍手) 三  今後中日両国民のあいだにおける重要な問題は、なによりも私たちが、日本における中日国交回復の国民運動を三原則の正しい方針のもとに力強くもりあげて、岸政府の反動政策を打破しさることが第一であると確信しております。しかしそれだけでは日本国民のアジアにたいする責任は解決されません。アジア全体の脅威はどうなっているかと申しあげまするならば、外国の軍事基地を日本と沖縄からなくさなければアジアにおける平和はこないことを私どもは感じます。それは私どもの責任と思っているわけであります。そのため社会党は安保条約体制の打破を中心課題としてたたかっているのであります。この安保条約を廃棄させて日本の平和の保障が確立するならば、すなわち日本が完全独立国家になることができまするならば、中ソ友好同盟条約中にあるところの予想される日本軍国主義とその背後にある勢力にたいする軍事条項もおのずから必要はなくなると私どもは期待をするのであります。そうしてさらに中ソ日米によるアジア全体の全般的な平和安全保障体制を確立して日本とアジアに永久平和がくることを日本の社会党はつねに念願としてたたかっているのであります。(拍手)昨年末この日本社会党の一貫した自主独立、積極的中立政策について中ソ両国が再確認をしたことにたいしましては、私ども平和外交の前進のために心から喜ぶものであります。  このようなアジアと日本の平和のためにはまず中国と日本との国交の回復がなされなければなりません。中国は一つ、台湾は中国の一部であります。中国においては、六億八千万の各位が中華人民共和国を作りあげておるのであります。日本はこの中華人民共和国とのあいだに国交を回復しなければなりません。また中華人民共和国が国際連合に加盟することも当然と信じます。また同時に日本と台湾政府のあいだにある日台条約は解消されるのが必然であると私どもは考えております。(拍手)日本は戦争で迷惑をかけた国々とのあいだに平和を回復し大公使を交換しています。しかるに満州事変いらい第二次世界戦争が終るまでいちばん迷惑をかけた中国とのあいだには国交が回復しておりません。それは保守党政策のあやまりであります。はなはだ遺憾と存ずるしだいであります。  私ども社会党は、一日も早く中国との国交回復をのぞんでやみません。元来、日本外交の過失はどこにあるかと考えてみまするならば、つねに遠くと結んで近くのものに背を向けたところにあったと思います。明治年間には遠くイギリスと日英同盟を結んでアジアにおける番兵のごとき役割をはたし、第二次世界戦争のさいはこれまた遠くドイツ、イタリアと軍事同盟を結び中国ならびに東南アジア諸国に背を向け、軍事的侵入を試み帝国主義的発展をなしたところに大失敗があったといわなければならないと思うのであります。いままたアメリカと結び、アメリカの東南アジアへの帝国主義的発展の媒介的な役割を果そうとしております。これは私どもが厳に政府にたいして警告し、これの転換をせまっているのであります。わが社会党はかかる外交方針に反対をいたします。すなわち、遠くと結び近くを攻めるという遠交近攻の政策より善隣友好の政策へと転換すべきであると思います。すなわち、いずれの国とも友好関係を結ぶことはもちろんでありますが、いずれの陣営にも属さず自主独立・善隣友好の外交、すなわち中国との国交正常化、アジア・アフリカ諸国との提携の強化、世界平和のために外交政策を推進しなければならないと考えているものであります。(拍手)  つぎに経済的には日本と中国は一衣帯水でかたく結ばなければならないと思います。現在日本経済はアメリカとの片貿易の上に立ちアメリカの特需の上に立っているのであります。またMSA協定にもとづく余剰農産物の輸入は、これまたアメリカと結び、アメリカの戦争経済に依存している姿であると私どもは考えさせられます。これにたいして一種の不安を感じています。経済の自立のないところに民族の自立はありません。日本が完全なる自主独立の国家として生きるためには、対米依存から脱却しなければなりません。日本が本来一つであるべきアジアと完全に一致せずアメリカの特需や輸入調達にもとづいているところに、今日の不幸な状態が生れ、またこれが背景となって岸内閣の反動的政策の経済的基礎となっていることも事実であろうと信ずるのであります。したがって、私どもは岸内閣に対し社会党への政権の引渡しをせまり、根本的な政策転換と中日国交回復をおこなった上、躍進しつつある中国の第二次五カ年計画と結びついた安全性のある中日貿易の交流、アジア諸国との経済協定の飛躍的な前進を期待しているものであります。(拍手)かくて日本は独立・中立政策の経済の基礎を確立して、その重工業の技術、設備、飛行機工場にいたるまで平和なアジアの建設のために奉仕するようにしたいと考えるものであります。  私たちはこのように平和と友好の願いをもって中国へまいりました。みなさんとアジアは一つであるというかたい友情の交歓をいたしまして帰国いたしますと、私たちは国会において岸内閣不信任案の提出、さらにつづいて私たちの中国訪問の報告を全国に遊説し、さらにまた四月からおこなわれまするところの地方選挙、参議院選挙が待っているのでありまして、この二つの選挙闘争も、国会の解散と岸内閣を倒す、これに集中してたたかいをすすめてまいりたいと考えているものであります。(拍手)このたたかいは、われわれが前進をするか、彼らが立ちなおるかの大きなわかれ目に立っているのであります。しかし最近、日本においては平和と革新の力が強まれば強まるほど、岸内閣は資本家階級と一体となってこれに対抗して必死の努力をかまえてきております。私たちはこのたたかいを必ずかちぬきたいと考えるわけであります。今後の政局と政策の根本的な転換をかちとるためにどうしてもかちぬかなければならないと思うのであります。中国ならびに全アジアのみなさんとともにアジアの平和とさらに世界の平和のためにもたたかいぬいてまいりたいと考えております。(拍手) 四  最後に申し上げたいと思いますことは、一昨年中国にまいりましたさいに毛沢東先生におあいいたしまして、そのときに先生はこういうことをいわれたのであります。中国はいまや国内の矛盾を解決する、すなわち資本主義の矛盾、階級闘争も解決し、帝国主義の矛盾、戦争も解決し、封建制度の矛盾、人間と人間の争い、これを解決して社会主義に一路邁進している。すなわちいまや中国においては六億八千万の国民が一致団結をして大自然との闘争をやっているんだということをいわれたのであります。私はこれに感激をおぼえて帰りました。今回中国へまいりまして、この自然との争いの中で勝利をもとめつつある中国人民の姿をみまして本当に敬服しているしだいであります。(拍手)植林に治水に農業に工業に中国人民の自然とのたたかいの勝利の姿をみるのであります。揚子江にかけられた大鉄橋、黄河の三門峡、永定河に作られんとする官庁ダム、さらに長城につらなっているところの緑の長城、砂漠の中の工場の出現、鉄道の建設と、飛躍しております姿をあげますならば枚挙にいとまありません。つねに自然とたたかいつつある人民勝利の姿があらゆる面にあらわれているのであります。(拍手)  人間本然の姿は人間と人間が争う姿ではないと思います。階級と階級が争う姿ではないと思います。また民族と民族が争って血を流すことでもないと思います。人間はこれらの問題を一日も早く解決をして、一切の力を動員して大自然と闘争するところに人間本然の姿があると思うのであります。このたたかいは社会主義の実行なくしてはおこないえません。中国はいまや一切の矛盾を解決して大自然に争いを集中しております。ここに社会主義国家前進の姿を思うことができるのであります。このたたかいに勝利を念願してやみません。(拍手)われわれ社会党もまた日本国内において資本主義とたたかい帝国主義とたたかって資本主義の矛盾、帝国主義の矛盾を克服して国内矛盾を解決し次には一切の矛盾を解決し、つぎに一切の力を自然との争いに動員して人類幸福のためにたたかいぬく決意をかためるものであります。(拍手)  以上で講演を終ります。ご謹聴を感謝申上げます。(拍手)  躍進中国の社会主義万才(拍手)  中日国交回復万才(拍手)  アジアと世界の平和万才(拍手) 三、最後の演説      一九六〇(昭和三十五)年十月十二日 日比谷公会堂・三党首立会演説会  諸君、臨時国会もいよいよ十七日召集ということになりました。今回開かれる国会は、安保条約改定の国民的な処置をつけるための解散国会であろうと思うのであります。この解散、総選挙を前にいたしまして、NHK、選挙管理委員会、さらには公明選挙連盟が主催をいたしまして自民、社会、民社の代表を集めて、その総選挙に臨む態度を表明する機会を与えられましたことを、まことにけっこうなことだと考え、感謝をするものであります。以下、社会党の考えを申し上げてみたいと思うのであります。  諸君、政治というものは、国家社会の曲がったものをまっすぐにし、不正なものを正しくし、不自然なものを自然の姿にもどすのが、その要諦であると私は思うのであります。しかし現在のわが国には、曲がったもの、不正なもの、不自然なものがたくさんあります。そこで私は、そのなかの重大な問題をあげ、政府の政策を批判しつつ社会党の立場を明らかにしてまいります。  第一は、池田内閣が所得倍増をとなえる足元から物価はどしどし上がっておるという状態であります。月給は二倍になっても、物価は三倍になったら、実際の生活程度は下がることはだれでもわかることであります。池田内閣は、その経済政策を、日本経済の成長率を九%とみて所得倍増をとなえておるのであります。これには多くの問題を内包しております。終戦後、勤労大衆の苦労によってやっと鉱工業生産は戦前の三倍になりましたが、大衆の生活はどうなったか、社会不安は解消されたか、貧富の差は、いわゆる経済の二重構造はどうなったか、ほとんど解決されておりません。自民党の河野一郎君も、表面の繁栄のかげに深刻なる社会不安があると申しております。かりに池田内閣で、十年後に日本の経済は二倍になっても、社会不安、生活の不安、これらは解消されないと思うのであります。たとえば来年は貿易の自由化が本格化して七〇%は完成しようとしております。そのために、北海道では大豆の値段が暴落し、また中小下請工場は単価の引き下げに悩んでおります。通産省の官僚が発表したところによっても、貿易の自由化が行なわれれば、鉱工業の生産に従事する従業員は百三十七万人失業者が出るであろうといわれておるのであります。まったく所得倍増どころの話ではありません。現在、日本国民は、所得倍増の前に物価倍増が来そうだと、その不安は高まっております。その上、池田総理は、農村を合理化するために六割の小農を離村せしむる、つまり小農切り捨てをいっております。このうえに農村から六百万有余の失業者が出たら、いったいどうなるのでありましょうか。来年のことをいうとオニが笑うといっておりますが、これではオニも笑えないだろうと思うのであります。  物価をきめるにしても、金融や財政投融資、これらのものの問題につきましては、とうぜん勤労大衆の代表者が参加し、計画的経済のもと、農業、中小企業の経営の向上、共同化、近代化を大にして経済政策の確立が必要であります。政府の発表でも、今年度の自然増収は二千百億円、来年度は二千五百億であると発表しております。この自然増収というものは、簡単にいえば税金の取り過ぎのものであります。国民大衆が汗水を流して働いたあげくかせいだ金が余分に税金として吸い上げられているわけであります。池田総理は、この大切な国民の血税の取り過ぎを、まったく自分の手柄のように考えて、一晩で減税案はできると自慢をしておりますが、自然増収はなにも政府の手柄でなく、国民大衆の勤労のたまものであります。(拍手)したがって国民にかえすのがとうぜんであります。さらに四年後には再軍備増強計画は倍加されて三千億になるといわれております。  わが社会党は、これを中止して、こうした財政を国民大衆の平和な暮らしのために使え、本然の社会保障、減税に使えと主張するものであります。(拍手)  池田総理は、投資によって生産がふえ、生産がふえれば所得がふえ、所得がふえれば貯蓄がふえ、貯蓄がふえればまた投資がふえる、こういっておるのでありますが、池田総理のいうように、資本主義の経済が循環論法で動いていたら、不景気も、恐慌も、首切りも、賃下げもなくなることになります。しかしながら――しかしながら、どうでしょうか。戦後十五年間、この間三回にわたる不景気がきておるのであります。なぜ、そういうことになるかといえば、生産が伸びた割に国民大衆の収入が増加しておらない、ところで、物が売れなくなった結果であります。したがってほんとうに経済を伸ばすためには、国民大衆の収入をふやすための社会保障、減税などの政策が積極的に取り入れられなければならぬと思うのであります。  ところで最近では、政府の社会保障と減税とは、最初のかけ声にくらべて小さくなる一方、他方大資本家をもうけさせる公共投資ばかりがふくらんでおるのであります。こんな政策がつづいてまいりましたならば、不景気はやってこないとだれが保障できるでありましょうか。池田総理は、財源はつくりだすものであるといっておりますが、財源は税金の自然増収であります。日本社会党は、社会保障、減税の財源として自然増収によるばかりでなく、ほんとうの財源を考えておるのであります。  その一つは、大企業のみ税金の特別措置をとっておる、措置法を改正して、大企業からもっとより多く税金をとるべきであると、私どもは主張するのであります。(拍手)  ここで一言触れておきたいと思いますることは、来年四月一日より実施されんとする国民年金法の問題であります。本年政府は準備しておりまして、二十歳以上から百円、三十五歳になったならば百五十円と五十九歳まで一ぱい積んで、六十五歳から一カ月三千五百円の年金を支給しようというのであります。二十歳から百円、三十五歳から百五十円と五十九歳までかけると五分五厘の複利計算で二十六万有余円になるのであります。それを六十五歳からは三千五百円支給してもらうということは、自分で積み立てた金を自分でもらうということになって、これは私は、社会保障というよりかも、一種の社会保険、保険制度であろうと思うのであります。しかも死亡すれば終りという多くの問題を含んでおります。社会党としては、その掛金は収入によって考えて、さらに国民年金の運営については、その費用は国家が負担し、積立金も勤労国民大衆のために使う、この福祉に使うということを主張しておるのであります。したがいまして、この実施を一年ないし二年延期をいたしまして、りっぱな内容あるものにして実施をすべきであると強く主張しておるものであります。  第二は、日米安全保障条約の問題であります。いよいよ解散、総選挙でありますが、日米安全保障条約に関して、主権者たる国民がその意思表示をなすということになっておるのであります。いわば今度の選挙の意義は、まことに重大なものがあろうと思うのであります。アメリカ軍は占領中をふくめて、ことしまで十五年日本に駐留をいたしましたが、条約の改正によってさらに十年駐とんせんとしておるのであります。外国の軍隊が二十五年の長きにわたって駐留するということは、日本の国はじまっていらいの不自然なできごとであります。インドのネールは「われわれは外国の基地を好まない。外国の基地が国内にあることは、その心臓部に外国の勢力が入り込んでいるようなことを示すものであって、常にそれは戦争のにおいをただよわす」こういっておるのでありますが、私どももまったく、これと同じ感じに打たれるのであります。(拍手)  日米安全保障条約は昭和二十六年、対日平和条約が締結された日に調印されたものであります。じらい日本は、アメリカにたいして軍事基地の提供をなし、アメリカは日本に軍隊を駐とんせしめるということになったのであります。日本は戦争がすんでから偉大なる変革をとげたのであります。憲法前文にもありますとおり、政府の行為によって日本に再び戦争のおこらないようにという大変革をとげました。第一は主権在民の大原則であります。第二には言論、集会、結社の自由、労働者の団結権、団体交渉権、ストライキ権が憲法で保障されることになったのであります。第三は、憲法第九条で「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」これがためには陸海空軍一切の戦力は保有しない、国の交戦権は行使しないと決定をしたのであります。この決定によって、日本は再軍備はできない、他国にたいして軍事基地の提供、軍事同盟は結ばないことになったはずであります。しかるに日米安全保障条約の締結によって大きな問題を残しておるのであります。日本がアメリカに提供した軍事基地、それはアメリカの飛び地のようなものであります。その基地の中には日本の裁判権は及ばない、その基地の中でどんな犯罪が行なわれましても、日本の裁判権は及ばないのであります。(拍手)  また日本の内地において犯罪を犯した人が基地の中へ飛び込んでしまったら、どうすることもできない。まさに治外法権の場所であるといわなければならぬと私は思うのであります。(拍手)  このような姿は完全なる日本の姿ではありません。これが、はじめ締結された当時においては七百三十カ所、四国大のものがあったのであります。いまでも二百六十カ所、水面を使っておりまする場所が、九十カ所ある。これは日本完全独立の姿ではないと私は思うのであります。(拍手)  さらにここには、アメリカに軍事的に日本が従属をしておる姿が現われておるといっても、断じて過言ではないと私は思うのであります。(拍手)  そればかりではない。この基地を拡大するために、日本人同士が血を流し合う、たとえば立川飛行場は、現在アメリカの基地になっておる、このアメリカの基地を拡大するために、砂川の農民の土地を取り上げようとする、砂川の農民は反抗する、そうすると調達庁の役人は警察官をよんでまいりまして、これを弾圧する。農民の背後には日本の完全独立を求める国民があって支援する。そうやって、おたがいにいがみ合って血を流し、日本の独立はアメリカの飛び地を拡大するために、日本人同士が血を流さなければならぬという矛盾を持っておる独立であるといっても、断じて過言ではないと私は思うのであります。(拍手)  したがいまして日本が完全独立国家になるためには、アメリカ軍隊には帰ってもらう、アメリカの基地を返してもらう、そうして積極的中立政策を行なうことが日本外交の基本でなければならぬと思うのであります。ところが岸内閣の手によって条約の改定が行なわれ、この春の通常国会で自民党の単独審議、一党独裁によって批准書の交換が行なわれたのであります。これによって日本とアメリカとの関係は、相互防衛条約を結ぶことになった。そうして戦争への危険性が増大をしてまいったのであります。  さらに加えて、日本はアメリカにたいして防衛力の拡大強化をなすという義務をおうようになりまして、生活的には増税となって圧迫をうけ、おたがいの言論、集会、結社の自由もそくばくをうけるという結果を招来しておるのであります。(拍手)  さらにわれわれが心配をいたしまするのは、防衛力の増大によって憲法改正、再軍備、徴兵制度が来はしないかということを心より心配するものであります。しかも防衛力の拡充については、日米間において協議をするということになっておりますから、一歩誤まれば、ここらから私はアメリカの内政干渉がきはしないかという心配をもつものであります。いずれにいたしましても、われわれは、このさいアメリカとの軍事関係は切るべきであろうと思う。同時に中ソ両国の間にある対日軍事関係も切るべく要求すべきであろうと思うのであります。そうして日本とアメリカとソビエトと中国、この四カ国、いわば両陣営を貫いた四カ国が中心になって、新しい安全保障体制をつくることが日本外交の基本でなければならぬと、私は主張するものであります。(拍手)  諸君、もう一つの根源をなすものは、おたがいの独立は尊重する、領土は尊重する、内政の干渉をやらない、侵略はしない、互恵平等の立場にたって、そうして新しい安全保障体制というのがとうぜんでなければならぬと私は思うのであります。ある意味あいにおきまして、私どもはこんどの選挙をつうじまして、この安保条約の危険性を国民に訴えまして、議会においてはああいう状態になっておるけれども、日本の主権者たる国民が安保条約に対して正しき立場を投票に表わすのが、主権者の任務なりと訴えてまいりたいと考えております。  第三の問題は、日本と中国の関係であります。日本は第二次世界大戦が終わるまで、最近五十年の間に五回ほど戦争をやっております。そのところがどうであったかと申しまするならば、主として中国並びに朝鮮において行なわれておるのであります。満州事変いらい日本が中国に与えた損害は、人命では一千万人、財貨では五百億ドルといわれております。これほど迷惑をかけた中国との関係には、まだ形式的には戦争の状態のままであります。これは修正をされていかなければならぬと思うのであります。現在、日本と台湾とを結んで日華平和条約がありまするが、これで一億人になんなんとする中国のかなたとの関係が正常化されたと考えることは、非常に私は無理もはなはだしいといわなければならぬと思うのであります。中国は一つ、台湾は中国の一部であると私どもは考えなければならぬのであります。(拍手)  したがって日本は一日も早く中国との間に国交を正常化することが日本外交の重大なる問題であると思うのであります。しかるに池田内閣は、台湾政府との条約にしがみついて、国連においては、中国の代表権問題にかんして、アメリカに追従する反対投票を行なっているのであります。まさに遺憾しごくなことであるといわなければなりません。われわれはいま国連の内部の状況をみるときに、私どもと同じように中立地域傾向が高まっておるということを見のがしてはならぬと私は思うのであります。(拍手)  もしアジア、アフリカに中立主義を無視して、日本がアメリカ追従の外交をやっていけば、アジアの孤児になるであろうということを明言してもさしつかえないと思うのであります。(拍手)  諸君、さいきん中国側においては、政府の間で貿易協定を結んでもいいといっておるのであります。池田総理は、共産圏との貿易はだまされるといっておるのでありまするが、一国の総理大臣からこういうようなことをきけば、いかがであろうかと思うのであります。池田総理は口を開けば、共産圏から畏敬される国になりたいといっている。これでは畏敬どころではない。軽蔑される結果になりはしないかと思うのでありまして、はなはだ残念しごくといわなければならないと思うのであります。自民党のなかにも、石橋湛山氏、松村謙三氏のように常識をもち、よい見通しをもった方々がおるのであります。(拍手)  かつて鳩山内閣のもとにおいて日ソ国交が正常化するについて、保守陣営には多くの反対がありました。社会党は積極的に支持したのであります。われわれは保守陣営のなかでも、中国との関係を正常化することを希望して行動する人がありますならば、党派をこえて、その人を応援するにやぶさかでないということを申し上げておきたいと思うのであります。(拍手)  第四は、議会政治のあり方であります。さいきん数年間、国会の審議は、ときに混乱し、ときには警官を議場に導入して、やっと案の通過をはかるというようなことさえ起こりました。いったい、こんな凶暴な事態が、こんな異常な事態がなぜ起こるかということを、われわれは考えてみなければならぬと思うのであります。国会の審議をみましても、社会党は政府ならびに自民党の提出します法案のうち、約八割はこれに賛成をしておるのであります。わが党が反対しておる法案は、警察官の職務執行法とかあるいは新安保条約とか、わが国の平和と民主主義に重大な影響を与えるものに対して、この大部分に対して私どもは反対しておるのであります。政府が憲法をこえた立法をせんとするものが大部分であります。日本社会党がこれらのものに本気になって反対しなかったら、わが国の再軍備はもっと進み、憲法改正、再軍備、お互いの生活と権利はじゅうりんされるような結果になってきておったといっても断じて私はいいすぎではないと思うのであります。  諸君、議会政治で重大なことは警職法、新安保条約の重大な案件が選挙のさいには国民の信を問わない、そのときには何も主張しないで、一たび選挙で多数をとったら、政権についたら、選挙のとき公約しないことを平気で多数の力で押しつけようというところに、大きな課題があるといわなければならぬと思うのであります。(拍手。場内騒然) 〈司会〉会場が大へんそうぞうしゅうございまして、お話がききたい方の耳に届かないと思います。だいたいこの会場の最前列には、新聞社の関係の方が取材においでになっているわけですけれども、これは取材の余地がないほどそうぞうしゅうございますので、このさい静粛にお話をうかがいまして、このあと進めたいと思います。(拍手)それではお待たせいたしました、どうぞ―― (浅沼委員長ふたたび)選挙のさいは国民に評判の悪いものは全部捨てておいて、選挙で多数を占むると―― (このとき暴漢がかけ上がり、浅沼委員長を刺す。場内騒然) 〈以下は浅沼委員長がつづけて語るべくして語らなかった、この演説の最終部分にあたるものの原案である〉 ――どんな無茶なことでも国会の多数にものをいわせて押し通すというのでは、いったい何のために選挙をやり、何のために国会があるのか、わかりません。これでは多数派の政党がみずから議会政治の墓穴を掘ることになります。  たとえば新安保条約にいたしましても、日米両国交渉の結果、調印前に衆議院を解散、主権者たる国民に聞くべきであったと思います。しかし、それをやらなかった。五月十九日、二十日に国会内に警官が導入され、安保条約改定案が自民党の単独審議、単独強行採決がなされた。これにたいして国民は起って、解散総選挙によって主権者の判断をまつべきだととなえ、あの強行採決をそのまま確定してしまっては、憲法の大原則たる議会主義を無視することになるから、解散して主権者の意志を聞けと二千万人に達する請願となったのであります。しかるに参議院で単独審議、自然成立となって、批准書の交換となったのであります。かくて日本の議会政治は、五月十九日、二十日をもって死滅したといっても過言ではありません。かかる単独審議、一党独裁はあらためられなければなりません。また既成事実を作っておいて、今回解散と来てもおそすぎると思います。わが社会党は、日本の独立と平和、民主主義に重大な関係のある案件であって国民のなかに大きな反対のあるものは、諸外国では常識になっておるように総選挙によって、国民の賛否を問うべきであると主張する、社会党は政権を取ったら、かならずこのとおりに実行することを誓います。議会政治は国会を土俵として、政府と反対党がしのぎをけずって討論し合う、そして発展をもとめるものであります。それには憲法のもと、国会法、衆議院規則、慣例が尊重されなければなりません。日本社会党はこの上に行動をいたします。  最後に申し上げたいのは現在、日本の政治は金の政治であり、金権政治であります。この不正を正さねばなりません。現在わが国の政治は選挙でばく大なカネをかけ、当選すればそれを回収するために利権をあさり、時には指揮権の発動となり、カネをたくさん集めたものが総裁となり、総裁になったものが総理大臣になるという仕組みになっております。  政治がこのように金で動かされる結果として、金次第という風潮が社会にみなぎり、希望も理想もなく、その日ぐらしの生活態度が横行しております。戦前にくらべて犯罪件数は十数倍にのぼり、とくに青少年問題は年ごろのこどもをもつ親のなやみのタネになっております。政府はこれにたいして道徳教育とか教育基本法の改正とかいっておりますが、それより必要なことは、政治の根本が曲がっている、それをなおしてゆかねばなりません。  政府みずからが憲法を無視してどしどし再軍備をすすめ、最近では核弾頭もいっしょに使用できる兵器まで入れようとしておるのに、国民にたいしては法律を守れといって、税金だけはどしどし取り立ててゆく。これでは国民はいつまでもだまってはいられないと思います。  政治のあり方を正しくする基本はまず政府みずから憲法を守って、きれいな清潔な政治を行なうことであります。そして青少年には希望のある生活を、働きたいものには職場を、お年寄りには安定した生活を国が保障するような政策を実行しなければなりません。日本社会党が政権を取ったら、こういう政策を実行することをお約束申します。以上で演説を終りますが、総選挙終了後、日本の当面する最大の問題は、第一は中国との国交回復の問題であり、第二には憲法を擁護することであります。これを実現するには池田内閣では無理であります。それは、社会党を中心として良識ある政治家を糾合した、護憲、民主、中立政権にしてはじめて実行しうると思います。  諸君の積極的支持を切望します。 ――おわり――
底本:「浅沼稲次郎 私の履歴書ほか」日本図書センター    1998(平成10)年8月25日第1刷発行 底本の親本:「驀進 人間機関車ヌマさんの記録」日本社会党機関紙局    1961(昭和36)年 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2010年11月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 もう銀婚式をあげる時がきている。しかし住居は依然として深川白河町の狭いアパート、事務所と併用の様なものなので生活にはなんの進展もない。  自分は早稲田を出て以来、三十年あまり、身を社会運動に投じ、自己を犠牲にして大衆に奉仕し、社会主義実現のために闘うことが、歴史的任務と考えて微力をつくしてきた。これはどうしても家庭を犠牲にする。戦後日本社会党が結成されてから、幹部の一人として、全国遊説、党組織ととびまわり、家庭にいるのは一ヵ月の三分の一くらいである。経済的にもらくではない。妻はよくかゝる生活に耐えてくれた。人間的にみれば、社会運動も酷なものと考えさせられることがある。家庭生活の解放、確立なくして、なんの社会運動かと思われることもある。  私は常に妻の協力に感謝しつつ、お互の生活のなかに休養を取る日はいつの日かと思いつゝ、仕事に専心している。(右派社会党書記長)
底本:「週刊朝日2月15日号 第58巻第7号通巻第1735号」朝日新聞社    1953(昭和28)年2月15日発行 入力:かな とよみ 校正:持田和踏 2022年9月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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早稲田の森の青春  早稲田に入ったのは、大正六年で学校騒動で永井柳太郎、大山郁夫氏等が教授をやめられた年の九月であるが、早稲田を志望したのは早稲田は大隈重信侯が、時の官僚の軍閥に反抗して学問の独立、研究の自由を目標として創立した自由の学園であるという所に青年的魅惑を感じて憧れて入学したのである。丁度当時は、第一次欧洲戦争の影響で、デモクラシーの思想が擡頭して来た時代である。  そこで、学生の立場から民主主義、社会主義の研究を始めたのであるが、外部の社会主義運動、労働運動からの影響もあって学生の中に、思想的に飛躍しようとする者と、実際の面に即した者と、二つの流れが出てきた。  思想的に行こうとするのは、高津正道氏などがその側で、あの人達は、だんだん発展して、日本における最初の共産党事件、暁民共産党事件に連坐した。我々は建設者同盟をつくり、その指導者とも云う可き北沢新次郎教授が池袋に住んでいたので、その裏に同盟本部を設置して社会主義学生の共同生活が行われた。  当時の仲間は、和田巌、中村高一、平野力三、三宅正一、川俣清音、宮井進一、吉田実、田所輝明、稲村隆一等々で、学生が若き情熱に燃えて社会主義社会を建設するという理想の下に民衆の中へというモットーが労働運動、農民運動と連絡しながら日本労働総同盟、日本農民組合と関係を持って実際的の運動をやるようになった。私は労働運動の方でも、鉱夫組合の運動に興味をもって当時足尾の鉱山にはよく行ったものである。  学生時代での一番の思い出は、大正十二年五月十日だと思うが、その頃、早稲田に軍事研究団というものができた。早稲田は何といっても、自由の学園で、大隈重信侯が官僚軍閥に反抗してつくった学校であるから、ここを軍国主義化することができれば、大学の所謂学生運動全体に甚大な影響を与えることができるという立場からだと思うが、軍部のお声がかりで学校当局並びに学生の一部が参加して軍事研究団なるものをつくって、講堂で発会式を挙げた。そのころ早大内部の学生運動は、文化同盟という形で集結されておったが、その連中、軍事研究団の発会式に傍聴に出かけて猛烈なる弥次闘争を展開した。当日は名前は忘れたが第一師団長?が幕僚を従えて大勢乗り込んで、激励の辞をやったのであるが「汝らの勲章から、われわれ同胞の血がしたたる」とか「一将功成って万骨枯る」とか「早稲田を軍閥に売るな」「学生はしっかりしろ」とかと弥次って研究団の発会式も思うように行かなかった。その上に文化同盟の連中は、余勢をかって臨時学生有志大会を開いて盛んに気勢を挙げた。  その日私は、先日なくなられて早稲田大学政治経済部葬になった市村今朝蔵氏が英国で勉強する為に――洋行するので、横浜に見送りに行っていて、発会式の時のことを知らなかった。帰って来ると、学生が訪ねて来て、実は昨日こういう事件が起きた、ひとつ学生大会をやって、大いに軍事研究団反対の気勢を挙げてほしいと言う。私は、卒業の時期が延びて、まだ学校に籍があって雄弁会に関係して居たものだから、雄弁会主催という事で学生大会をやった。  大隈侯の銅像の前に五、六千の学生が集った。今は故人の安達正太郎君という雄弁会の幹事が出て、開会の辞をやり、次いで私が決議文をよんで、さてこれから私が演説を始めるという時に、黒マントを被った、柔道部、相撲部の連中が殴り込んで来た。中には、汚い話だが、糞尿を投げるやつがある、あっちでも、こっちでも大乱闘が始まる。戸叶武君の如きは大隈侯の銅像の上から落され、負傷するという始末で学生大騒乱の中に終った。丁度この日は金曜日だったので、われわれ学生はこれを「血の金曜日」と呼んで、大に気勢をあげたものである。  それ以後は、この文化同盟と、暴行学生の中心団体たる縦横倶楽部という右傾学生の集団との間に対峙が続いて、われわれは捕まると殴られるというので普通の学生の恰好をしては、危なくて歩けない状態であった。それでぶつかるのを極力避けていたのだがたまたま乱闘の四、五日か一週間後だったと思う、学校の裏を歩いていた時、到頭縦横倶楽部の連中にぶつかった。「一寸来い」といって、私は縦横倶楽部の事務所に連れられて行った。柔道部の連中が大勢私を取巻いて、「お前、社会主義者に煽動されて、ああいう大会をやったんだろう、怪しからんじゃないか、謝り状を一本書け」と言う。私はそれに対して「自分はなにも社会主義者から煽動されたわけではない。早稲田の学生として、純真な立場から、殊に大隈重信侯の官僚軍閥に反対して学問の独立と研究の自由の学園としてたてた早稲田のこの建学の精神を守るという学生的情熱でやったんだから書けない」と断った。それからは、殴る、打つ、蹴るで、瀕死の状態に陥ってしまったが遂に謝り状は書かずに朝迄頑張ってコブだらけの顔でビッコを引き乍らやっとのことで友人の家に辿り着いた。さあそれから、学生が大勢集って来て、大変なことになった。当時、大山郁夫、北沢新次郎、佐野学、猪俣津南雄教授これが教授側の指導者であったので足尾の坑夫が出て来て、これ等の教授宅には泊り込みで護衛する。また文化同盟の事務所には、学生が合宿して用意を整えて対峙する。私も当時日本橋におったが、いつ押しかけて来るか分らないので、何時も用意して対峙すると云った様に深刻な場面がつづいた。その中に六月五日に所謂暁の手入というのがあって第一次共産党事件の検挙が行われた。此の時には佐野教授が姿を晦ましてしまったので、学生のおどろきは相当なものがあった。此の共産党事件に佐野教授が関係があるというので大学内における佐野教授の研究室の捜査が行われた。これに対してまた、われわれ学生の憤激が爆発した。大学の中に捜査の手を伸べるとは何事か。我等は学問の独立と研究の自由を守らなければならない。大学擁護の運動を起さなければならんというのでその時には、三宅雪嶺先生、福田徳三先生、大山郁夫先生の三人を中心として、神田の基督教青年会館で大学擁護の一大講演会を開いた。その日は社会主義者高尾平兵衛が誰かに射殺された日で、息づまる雰囲気の中で演説会をやった。今でも忘れないが、この日は三人とも大雄弁で、殊に三宅雪嶺が、あの訥々の弁で、大いに学問の独立を擁護しなければならぬ、あくまで研究の自由を守らなければならぬと叫ばれたことはいまも印象に残っている。  当時の学生運動を振返ってみて、今の学生の動き方について考えさせられることは、この間も早稲田大学の全学連事務所は家宅捜索を受けたのだが、これに対して、学生の中から、研究の自由、学問の自由を擁護する運動が起っておらない。更に学校内の集会が禁止されても不思議を感じない、もっと飛躍した反抗運動はやるが、現実に自分達の学校が官憲から脅かされている姿に対して、学生が何の不思議も感じていない、あるいは感じているのかもしれないが、直接自分達の学校を守ろうという意欲の生れて来ないことは、昔を顧みて学生運動は現実的の動きの中でやらなければならんのではなかろうかという気がする。そういう意味で、また此の学生時代に鍛錬された自分の姿を顧みて学生運動は私にとっていつまでも忘れ得ない思い出の一つである。  もう一つ忘れられない思い出がある。大正十三年の夏か秋だったと思う。秋田県の阿仁合鉱山に争議が起きて、私と、今東京都議会の副議長をしている高梨君とが応援に行った。坑夫の家に泊められておったが、夜中に石が飛んで来る。竹槍がスッと突出して来る、というわけで、物情騒然たるものがあった。警察では、もう君らの生命は保障できないから、警察に来てくれ、と言って来た。そこでわれわれは裏山に逃げたが、結局警察に捕って保護検束されてしまった。すると、百人近い坑夫が揃って警察に押しかけて来て、君たちの生命を警察が保障できないなら、俺らの方で保障しますから帰ってくれ、と言うのでまた坑夫の家に行って泊った。三日三晩というもの、カンテラと鶴嘴で守ってもらった感激は、今でも忘れることができない。  しかし、最後には到頭もちきれなくなって結局、秋田県警察部から退去命令が出たので阿仁合川を、われわれを一人宛舟にのせて警官が五、六人乗って、急流下りをやった。あの圧迫の中での急流下りの快味も、未だに忘れることのできない思い出の一つである。  とにかく鉱山労働者の、同志に対する熱情は非常に強い。そのために到頭、足尾事件で五箇月監獄にぶち込まれることになった。  監獄に行ったのは、震災当時に市ヶ谷刑務所にぶち込まれたのと、足尾事件の時と、この二度である。  その代り、留置場入りは、枚挙に遑がない。演説会で中止命令に服さないといっては持って行かれ、争議で示威運動をやったといっては検束された。この頃地方に行くと、「昔あんたをよく検束したもんだが、最近は私も社会党が一番いいと思う、今は社会党ファンです」などと言ってくれる昔私を検束した警察官だった人と会うことがある。 アメリカの姿  私はアメリカへはこの間行って来たが、二カ月やそこらアメリカに行っていただけで、アメリカがどうのこうのと言うのはおこがましくて言いたくないのだが、ただ、こういうことは言えると思う。  われわれ渡米議員団では、この間帰って来てから、四月二十五日我が国会運営に就て改革意見書を両院議長に出したが、それは、われわれがかねて考えていたことを、アメリカに行って実地を見て来て確認したという形で理屈においてそう変ったことはない。日本にいても、アメリカの憲法の在り方は解るし、運営についても一応は紹介されているが、これを現実に見てこの視察の結果としての改革意見書を提出、これが改革の一つのきっかけになれば幸いである。これが実現の為大いに努力したいと思う。  そのことは別として、向うに行って考えさせられたことは、アメリカにも、戦争を割切った者と、割切らない者がいる。そのことは日本でも同じであろうと思う。戦争を割切っている人たちは、非常にわれわれを歓迎してくれた。日本を非常に理解して呉れる様になって居る。  先日尾崎行雄氏がアメリカ上院で歓迎された記事を見たが、我々議員団も南カロライナ州マサチュウセッツ州、ニューヨーク州の州議会を見学したが、各州議会共山崎団長と松本代議士を演壇に案内して議長が歓迎の辞を述べ山崎団長に謝辞を演説せしめ、松本代議士に通訳せしめると云った調子で一寸我が国では想像出来ない歓迎振であった。連邦議会においては上院議長―副大統領バークレー氏更には下院議長にも会う機会があったが、上院では議場内を通ってその後方に席を与え、先ず議長が一々我々を紹介し歓迎の辞を述べ、更に多数党―民主党の代表者、少数党―共和党の代表者が起って歓迎の辞を述べ、亦日本に来た事のある上院議員が起ち我々を排撃したボストンを選挙区にもつ議員も起って歓迎の辞を述べ、更に我々の名前を議事録にのせることを可決、またお互いに意見を述べ合うために二十分ほどの時間を与えて議場内でお互に意見の交換する事が出来た。これは異例のことだそうである。しかも上院、下院議長共に歓迎の辞の中で「君たちを迎えるのは、戦争の相手方として迎えるのではない。デモクラシーの友として迎えるのである、将来は世界のデモクラシーを擁護する立場において相提携したい」と述べられた。これらは戦争を割切った人達である。  しかし一方には、戦争を割切っていない人達がいる。ボストン事件もその一例である。ただあの真相は、日本の新聞が伝えているのとは一寸違っている。ボストンでは、われわれが行く一週間ほど前に、市長選挙が行われて、三十二歳の市の一書記が一躍市長に選挙された。それで決議機関である市会と市長側とうまく行かない点もあったと思う。市長はわれわれと会った時、マッカーサー元帥からの電報も来ている、自分も心から歓迎すると述べ、署名入の絵などを呉れて、非常に歓待してくれた。ところが市会では傍聴を禁止するという決議をしてしまった。つまり、市長の政治力の弱さ、市会の理事者側に対する厭がらせのとばっちりを受けたものと思う。亦一つはやはり戦争を割切らないで日本の将来に対する疑惑をもっている人達がある。それがボストン市会に現れたと云っても過言でもない、我々は民主化された、日本の姿を知らしめてゆかなければならないと思う。  しかしながら、何といってもアメリカは日本の二十何倍の広さをもち、物資もきわめて豊富である。もちろん失業者もあれば、資本主義の矛盾もいろいろ出てはいるが、皆が生活を楽しんでいる。ところが日本は今、生きるか死ぬかという生活をしている。従って少くとも経済の部面においては、雲泥の差があることは、常に考えていなければならない。アメリカの姿をそのまま日本にもって来ることも少し無理があると思う。日本の現状はイギリスのそれによく類似して居るのではあるまいか。  私は、六畳、四畳半、三畳三間の、深川のアパートにもう二十年も住んでいる。狭い上に訪客も多いので、疲れが休まらない。時折場所を換えてはと思うこともあるが長い間ひと所にいると、なかなかよそに移る気があっても決断が出来ない。近所の人達も行くなと言うし、自分としても少しよくなったからといって、このアパートを出て行く気がしないのである。そればかりでなく、私は此処で協同組合の組合長をしている。協同組合で風呂、魚屋、八百屋を経営して居るからいわば魚屋のオヤジであり、八百屋のオヤジであり、風呂屋のオヤジでもある。それでなおのこと近所中と親しくしているので、人情が移ってなかなか動けないでいる。党務で遊説等の為旅行して居る事が多いが在宅という事が分るといろんな方々が訪ねて来る。人に会う事はくたびれる仕事だが、会うことは亦愉快な事でもある。 私は純粋社会党員でありたい  社会党は政党として結党したのであるが、時々左右の対立などと新聞に書かれて非常に損をして居るが、古い社会党員には戸籍みたいなものがある。私の戸籍は、強いて言えば日労党である。しかし、日労の前は、労働農民党であり、さらにその前は農民労働党である。要するに統一政党の中から生れたものであるが、しかしやはり日本の無産政党の陣営の戸籍がある。たとえば、片山哲氏といえば安部先生と共に、すぐ社会民衆党だと言い、私とか麻生氏、河上氏、三宅氏等は日労党のかたまりだと言う。日本無産党というと、鈴木、加藤と来る。社会党はこれらの戸籍を全部やめて、そういう古い社会主義者に新しい分子を加えてつくった統一政党であるが、やはり何か事があると、古い仲間が集って、どうだ、どうだということになる。そういうことが、党内に派閥があるかのごとく見られるのである。  社会党は大衆政党であるから議論する場合、時には左的議論あり右的議論がある事は当然である。ただ左、右と固定化して派閥になることは警戒しなければならない。昨年一月の総選挙は共産党は四名から一躍三十五名になり自由党は二百七十名院内絶対過半数を穫得した所が、日本の労働階級は勝った共産党を求めないで敗れた社会党を選んで、国鉄、新産別、日教組、自治協、総同盟、炭労等々大量入党を開始した。亦四月大会では労組関係の六十五名の代議員を認めて再建方式を定めて社会党再建闘争に乗り出したのであるが、その成熟しない中に本年一月の大会で分裂の非運に遭遇したのであるが、日本勤労階級の社会党統一の要求は四月大会に於てその統一を完成し今回の参議院議員の改選には一大進出をなし、党内における労働階級の指導性は確立せられんとして居る。  一月大会の分裂は党員によりよき教訓を与え此の自己批判の上に社会党躍進の大勢は整備されつつある。私は私年来の主張たる社会党一本の姿の具現の為にあらゆる努力を捧げたいと思って居る。私は右の信念の下に党の運営の為東奔西走しつつあるのであるが、よく人は私を「まあまあ居士」だとか「優柔不断」だとか「小心」だとか「消極的」だとか、いろいろ批評されているが、およそ大衆団体の中にあって行動するのには、一つの運動方針を決めてやって行くのだから、大会で決めた方針を皆が遵奉して行けば、そこには対立もなければ、分裂もないわけである。大会は大衆の意思で決まるのだから、その時にどう決っても、これはやむを得ない。たとえば、昨年の大会で、鈴木茂三郎が書記長と決ったとき、私は組織局長として一年間喜んで協力した。  今は私が書記長であるが、加藤君が組織局長として協力してくれている。片山前委員長、鈴木前書記長、和田、三宅、波多野君にしても水谷君にしても、今度の選挙では、ほんとうに一本になって協力してくれました。だから、大会なり委員会で決ったことを、党員が私心を挟まないで行動して行けば、社会党には対立も、派閥も、分裂もないのである。ところがやはり人間のことだから、何度も一緒に集って飯を食ったりすると、ついやはり人情がうつるということもあろうと思うが、しかし大衆団体では、あくまでも全体の決定に従うということでなければならないと思う。少くとも私は、決ったことをやって行くというだけで、それ以外には何も考えていない。それで前に言ったような批評をされるのだと思うが、私はこの間の党の自己批判の時にも言ったのだが、皆が、純粋社会党員というか、俺は社会党員だ、右でも、左でもない、社会党員だという考えに皆がならなければならない。  それからもう一つは、いろんなことを決めるときに、多数決で決めるといっても、これはデモクラシーの原則だから当然だが、政党は同志の集団なのだから、そこには話合いも、妥協もあっていいと思う。労働組合は利害中心の集団だが、社会党は日本の社会主義的な変革を民主主義的方途を以ってしようという同志の集団なのである。同志には話合いも妥協も時によっては必要である。また、いかに議論が百出しても、纏めるべき所で纏めるということがあっていいのではないかと思う。しかしそういう考え方が「まあまあ居士」と言われる所以かもしれない。社会党の如き大衆団体の中にはまとめ役とも称す可きものはあってもいいと思う。社会党にかけて居たのは斯かる役割の人ではないかと思う。
底本:「浅沼稲次郎 私の履歴書ほか」日本図書センター    1998(平成10)年8月25日第1刷発行 底本の親本:「文藝春秋」文藝春秋新社    1950(昭和25)年8月特別号 初出:「文藝春秋」文藝春秋新社    1950(昭和25)年8月特別号 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2010年11月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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一、生まれ故郷は三宅島  わが生まれ故郷三宅島は大島、八丈島などとともに近世の流罪人の島として有名である。わたくしは先祖をたずねられると『大方流罪人の子孫だろう』と答えているが、事実、三宅島の歴史をみると遠くは天武天皇三年(皇紀一三三六年)三位麻積王の子を伊豆七島に流すと古書にある。島には有名流罪人の史跡が多い。三宅島という名の由来も養老三年(皇紀一三七九年)に、多治見三宅麿がこの島に流されてから三宅島と名づけられたといわれている。わたくしが子供のころ、三宅島の伊ヶ谷にはこれらの流罪人を入れた牢屋がまだ残っていた。三宅島の流罪人名士をあげると竹内式部、山県大弐の勤王学者、絵師英一蝶、「絵島生島」の生島新五郎、侠客小金井小次郎など多士多彩だ。しかしこれらの流罪名士の中の英雄はなんといっても源為朝であろう。わたくしの友人で郷土史研究家の浅沼悦太郎君が『キミが国会で力闘しているのは為朝の血を引いているからだ』といっていたが、現代の為朝にみられてちょっとくすぐったかった。島の文化は流罪人から非常な影響を受けたことは事実で、父も流人の漢学の素養のある人から日本外史、十八史略などを教えられたそうだ。私は母とともに十三歳までこの三宅島で暮した。三宅島時代で最も印象に残っているのは、小学校の五、六年ごろと思うが、断崖にかけてある樋を渡って母にしかられた思い出だ。三宅島は火山島で水に不便だ。清水を部落までひく樋がよく谷間にかかっている。私の渡った樋は高さ数十丈、長さ十丈ぐらいの谷間にかけられたもので、学校友だちと泳ぎに行った帰りに、『あの樋を渡れるかい』とけしかけられて渡った。一緒にいた従兄の井口知一君が最初に渡ったものだから、私も負けん気になって渡り、ご愛敬にも途中でしゃがんで樋の中にあった小石を拾って谷間に投げ込んでみせた。なんとも乱暴なことをしたもので、今でも故郷に帰るとこれが昔話にされる。私は知れると母にしかられるので黙っていたが、母はどこかで聞いたとみえ畑仕事から帰ると目から火の出るほどしかられた。母として丹精して育てたわが子の無謀が許せなかったのだろうが、私は恐れをなして外に逃げ、後で家に帰っても俵の中にかくれていた。  小学校六年の終りに上京、砂町にいた父の膝もとから砂町小学校に通い、ついで府立三中(今の両国高校)に入学した。このとき砂町小学校から七人三中を受け、私一人しか合格しなかったのをおぼえている。  府立三中は本所江東橋にあって、いわゆる下町の子弟が多く、そのため庶民精神が横溢していて、名校長八田三喜先生の存在と相まって進歩的な空気が強かった。この学校の先輩には北沢新次郎、河合栄治郎の両教授のような進歩的学者、作家では芥川龍之介、久保田万太郎の両氏、あるいは現京都府知事の蜷川虎三氏などがいる。  三中に入学した年の秋、学芸会があり、雄弁大会が催された。私はおだてられて出たが、三宅島から上京したばかりの田舎者であるから、すっかり上がってしまった。会場は化学実験の階段教室であるから聴衆が高い所に居ならんでいる。原稿を持って出たが、これを読むだけの気持の余裕がなく、無我夢中、やたらにカン高い声でしゃべってしまったが、わが生涯最初の演説はさんざんの失敗であった。これで演説はむずかしいものとキモに銘じた。  その後、三年のころだったか、八田校長が当時チョッキというアダ名で有名な蔵原惟郭代議士(現共産党中央指導部にいる蔵原惟人氏の父君)を連れてきて講演させたことがあった。内容はおぼえていないが、この講演には当時、非常な感銘を受けた。また学校の学芸会の際、河合栄治郎氏がしばしば白線入りの一高帽で来たり、帝大入学後は角帽姿で後輩を指導したことは忘れられず、私が政治に生きたいと考えるようになったさまざまの刺激の一つとなったものである。 二、早大生のころ  大正五年、府立三中を出た私は『早稲田大学に入って政治家になりたい』と父にいったところ、えらくしかられた。父は『政治家というものは財産をスリ減らして家をつぶすのがオチだ、実業家か、慶応の医科に入って医者になれ』という。その反動からどうせ一度は兵隊に行くのだから、いっそのこと軍人を少しやり、しかる後に早大に入ろうと思い、陸軍士官学校を二回、海軍兵学校を一回受けたが、いずれも落第してしまった。早大志望は募るばかりで、同年九月第二学期から編入試験を受けて、早稲田大学に入った。もちろん父の了解を得ず入学したものだから、家を飛び出して馬喰町の友人が経営する文房具店で働きながら勉強した。そのころは第一次大戦は終り、ロシア革命などの影響もあってデモクラシーが思想界を風靡した時代で、大正七年暮には東大に“新人会”が生まれた。早稲田でも東大に負けてなるものかと、同八年高橋清吾、北沢新次郎の両教授に、校外の大山郁夫教授が中心になって“民人同盟会”を作った。  しかしこの“民人同盟会”も、当時の思想界の変動とともに急進派と合理派に分れる羽目になり、急進派の学生は高津正道氏らを中心に暁民会を作り、暁民共産党に発展した。一方、私たちは北沢新次郎教授を中心に和田厳、稲村隆一、三宅正一、平野力三、中村高一らが集まって建設者同盟を結成した。建設者同盟は「本同盟は最も合理的な新生活の建設を期す」という文句を綱領として、池袋の北沢教授宅の隣りに本部を置き、雑誌“建設者”を発行、盛んに活動した。  池袋の本部合宿所は“大正の梁山泊”ともいうべきもので、同人が集まっては口角泡をとばして盛んに天下国家を論じたものだった。  建設者同盟での最大の思い出は反軍事研究団事件である。大正十二年、早稲田大学の乗馬学生団を中心に右翼学生の手で軍事研究団が組織され、五月十日その発会式が行われた。『学園を軍閥の手に渡すな』と憤激した学生は続々と会場につめかけ、来賓として出席した軍人や右翼教授たちを徹底的にヤジリ倒した。青柳団長が『わたくしは……』といえば『軍国主義者であります』とくる。ついで『私は……』というと『軍閥の犬であります』といった調子である。  私はその日、用事があって、現場には居合わせなかったが、仲間から発会式の模様をきき、翌日、さっそく学校の許可を受け、十二日正午から軍研反対の学生大会を開くことにした。  ところが相撲部など運動部を中心とする右翼学生が『売国奴を膺懲し、軍事研究団を応援しろ』というビラをはり、大会をつぶしにかかった。私は相撲部員であり、かつボートも漕いだから、稲村隆一君とともに相撲部に手を引くように頼みに行った。ところが議論をつくし説得しているうちに、稲村君の持っている鉄棒が問題になり乱闘に発展した。  やがて不気味なふん囲気の中に大隈侯銅像前で学生大会が開かれ、私が「自由の学府早稲田大学が軍閥官僚に利用されてはいけない」との決議文を朗読したまではよかったが、雄弁会幹事戸叶武君が演説を始めようとすると、突如、相撲部、柔道部の部員が襲いかかってきたので、会場は一大修羅場と化した。また校外より「縦横クラブ」一派の壮士も侵入し、打つ、ける、なぐるの乱暴の限りをつくした。この間、暴力学生側では糞尿を入れたビンを投げ、会場は徹底的に蹂躙された。われらは悲憤の涙にくれ、五月十二日を忘れるなと叫び、この日を“流血の金曜日”と名づけたものである。  この暴力の背後にひそむものは軍閥であり、その糸を引く警視庁、またそれを背景とする「縦横クラブ」であった。私は事件後も縦横クラブ員につかまって、その合宿所に一晩中監禁され、打つ、ける、なぐる、ほとんど人事不省になるリンチを受けた。こうした学生運動をやる一面、私はボートを漕ぎ、相撲をとり、運動部員としても活躍して、各科対抗のボート・レースには政経科の選手として出場、勝利をおさめ、ボート・レースを漕ぐ姿のまま大隈侯にお目にかかった。大隈侯はその時私の体をたたいて『いい身体だなあ』といわれたことが今でも印象に残っている。 三、震災→監獄→島流し  反軍事研究団事件のあと、わたくしは卒業をまたずに早稲田を飛び出し、社会運動の戦列に加わった。この年の九月一日、あの関東大震災は私にとって初めての大試練であった。この日私は群馬県大間々町で麻生久、松岡駒吉氏らとともに八百名の聴衆を前に社会問題演説会を行っている。会場がゆれる、聴衆がざわめく、初めて地震と気がついたが大したことはあるまいと思った。  無事演説会が終ってからも、せっかくここまで来たんだからというわけで、わたくしだけ足尾銅山に足を伸ばした。ところが足尾についてみると、東京が大変だというのであわてて帰京した。二、三日池袋の建設者同盟本部に身を寄せていたが、たまたま一年志願で入営していた田原春次君(現社会党代議士)が見舞にやってきて『お前らねらわれてるぞ、気をつけろ』と注意して帰った。社会主義者と朝鮮人に対する弾圧のことである。  そこで池袋の同志は一応思い思いの所に分散した。私はその夜早稲田大学裏にあった農民運動社に泊まったが、夜中の一時すぎ、窓や台所から乱入した二十五、六名の兵隊によってゆり起された。そして銃剣で、抵抗すれば撃つとおどかされながら、同宿の者数名とともに戸山ヶ原騎兵連隊の営倉にぶちこまれた。真暗で妙なにおいだけが鼻につく営倉の中で落付けるわけがない。翌日の夜練兵場に引張り出されたときはもうだめかと思った。しかし係官が住所、姓名を聞いただけで、また営倉にもどされた。いのちだけは助かったかと思っていると、こんどは市ヶ谷監獄へぶち込まれた。監獄に入ったものの何の理由で、いつまでおかれるのかとんと分らない。いまから考えると全く無茶な話だ。当時市ヶ谷には堺利彦、徳田球一、小岩井浄、田所輝明など第一次共産党事件関係者などもいて警戒は厳重、看守の態度もきわめて非人間的であった。  私はトコトンまで追い詰められて、かえって反抗気分が高まったようだ。巡回で通りかかった看守に『退屈だから本を読ませてくれ』と申入れた。看守は『忙しい』と簡単に断わったが、こちらはなおもしつこく要求した。それが悪かったらしい。夜九時ごろ看守の詰所に引張り出され『さっき何といったか、もう一度いってみろ』という。『本を貸せといったまでだ』というと『この口で悪たれをついたろう』と言いながら指を二本私の口に突込んで引張り上げ、床の上に転がして寄ってたかって打つ、ける、なぐるという始末。おまけに監房に帰された時は革手錠で後手にくくりあげられていた。革手錠は一週間ぐらいだったが、苦しくてろくろく寝ることも食うこともできなかった。  しかしこれでもまだ軽い方だったというから、いかに震災下とはいいながらむごたらしかったかがわかる。革手錠をはずされてから手錠磨きを命ぜられた。自分の手にかける手錠を自分で磨くのだからこれ以上の皮肉はない。約一ヵ月のち釈放されたが、出迎人は身寄りや友人ではなく早稲田警察の特高であった。仕方なく早稲田警察に行くと『田舎へ帰っておとなしくしてなきゃ検束する』と言い渡された。こうして私はしょんぼり故郷三宅島へ帰った。三宅島は昔流罪人の流された島、まさに「大正の遠島」というところだ。  平和な故郷に要注意人物として帰った私をみる島民の目は冷たかった。また私も離れ島でじっとしていることに耐えられなくなり、滞在わずか数ヵ月で東京に舞いもどった。翌年徴兵検査でまた三宅島へ帰ったが、この時はわざわざ東京から憲兵が一人私を尾行してきた。皮肉なことに村長をしていた父が徴兵検査の執行責任者だった。先の島流しといいこんどの監視つきといい、父もよほど困ったらしい。村長をやめようとまで言い出したが、私は子供の思想の責任を親が負う必要はないといって思いとどまらせた。陸士、海兵まで受けた私が憲兵の監視つきで徴兵検査を受ける身となったのも、皮肉といえば皮肉である。 四、三時間天下の書記長  新人会でも建設者同盟でも、当時の学生運動をやっていたものは民衆の中へということをよく言い、学生時代から実践運動に入っている者が多かった。建設者同盟の同志も和田巌が早くから友愛会に関係していたし、三宅、平野、稲村、私らは日本農民組合に参加していた。それで学窓を離れるや仲間はタモトを連ねて農民運動にとびこんだ。日農から平野力三は山梨県、三宅正一は新潟県、川俣清音は秋田県というように、それぞれ分担地区を割当てられ活躍したものである。これらの諸君が後年、故郷でもないそれらの分担地区から代議士に打って出たのも、若き日の活躍ぶりを示すに十分であろう。私は千葉県、新潟県、秋田県と各地を転戦した。  そのうち大正十四年、普選が成立した。この普選の実施は労働運動を政治運動に発展せしめる一転機をなしたもので、日本労働総同盟は政治運動への方向転換の宣言を行い、私の属する日農は単一無産政党の結成を提唱した。私たちはこの準備にかけ回ったが、その中途において労働組合戦線が分裂するとともに、右の労働総同盟が脱退、左の労働評議会も相ついで脱退した。結局、日農を中心として中立的な労働組合と農民組合が集まり、大正十四年十二月一日、東京神田のキリスト教青年会館で農民労働党の結党式をあげ、中央執行委員長欠員のもとに私が書記長、細野三千雄が会計に選ばれた。  この時の私は数え年二十九歳、負けん気と責任感から書記長を引受け、臨席する多数の警官を前にして「無産階級解放のために闘う」と勇ましい就任演説をやった。  ところが結党式を終えて間もなく、警視庁から新幹部へ呼出しがかかった。『なんだろう』と私たちが警視庁に出向くと、治安警察法により結社禁止、解散が言渡されたのである。これがなんと結党して三時間後のことだった。  半歳にわたる苦労は一片の禁止令によってふっとんだ。私は横暴な弾圧に心からの憤激を覚え、いうべき言葉はなかった。責任者として命令受領書に署名を強要され、やむなく浅沼稲次郎と書き拇印を押したが、怒りにふるえた悪筆の署名文字がいまだに印象に残っている。昔から三日天下という言葉があるが農民労働党は三時間天下であり、したがって私の第一回書記長もたった三時間であった。  しかし私は書記長となったとき今後党をどう運営してゆくか、離れ去った同志をどう農民労働党に結びつけるか、党の運営資金をどう調達するかの不安でいっぱいになっており、同志には済まないが個人としてはホッとした気持になったことは事実だ。われわれはこの弾圧に屈することなく、同十五年三月労働農民党を作った。日本最初の単一無産政党である。しかしこの労働農民党もただちに、左翼の残留派、中間の日本労農党、右翼の社会民衆党、極右の日本農民党の四つに分解し、以来無産政党は分裂と結合の長い歴史をたどった。  私は労働農民党解体後日本労農党に参加し、以来日労系主流のおもむくところに従い、日本大衆党、全国労農大衆党、社会大衆党と、戦争中政党解消がなされるまで数々の政党を巡礼した。労働農民党分裂のさいできた労農派、日労系、社民系は現在でも社会運動史上の戸籍とされているが、私は日労系とされている。  この戦前無産政党時代、私はずっと組織部長をやったが、これが政党人としての私の成長に非常なプラスになった。実際活動としては演説百姓の異名で全国をぶち歩き、またデモとなれば先頭に飛び出したので“デモの沼さん”ともいわれた。昭和五年のころと思うが、メーデーがあり、私は関東木材労働組合の一員として芝浦から上野までデモったことがある。そのときジグザグ行進で熱をあげたため検束された。当時の私は二十四貫ぐらいで非常に元気であった。私は無抵抗ではあるが、倒れるクセがあるので、検束するのに警官五、六人がかからねば始末におえない。このとき、暴れたあげく、荷物のように警察のトラックにほうりこまれた。若き日の思い出はつきない。 五、検束回数のレコードホルダー  私は戦前、無産政党に籍をおくと同時に日本農民組合、日本労働総同盟、日本鉱夫組合にも参加して労働運動もやってきた。その間数々の小作争議、鉱山争議、工場ストを経験したが、いまのストライキにくらべて感慨無量なものがある。  早大在学中、ふと足尾銅山のメーデーに参加したことが、私を鉱山労働運動に結びつけた。当時の足尾銅山には石山寅吉、高梨二夫、高橋長太郎、可児義雄など優秀な労働運動家がおり、日本鉱夫組合本部にも麻生久、加藤勘十、佐野学などの人がいて、私は鉱山労働運動に強くひきつけられた。以来、足尾銅山、小坂鉱山、花岡鉱山、阿仁銅山、別子銅山等の労働争議に参加した。そのうちで特に印象が深いのは大正十二年の秋田の阿仁銅山の争議である。  阿仁銅山の現地から鉱山労働組合本部へ首切りがあった旨の通知があったので、私は高梨君とともに現地に行った。阿仁銅山に到着し、鉱夫長屋の一室で作戦をねっていると、夜中の一時ごろと思うが、突然会社側のやとった暴力団が鉱夫長屋に押しかけてきた。暴力団はワイワイわめきながら、長屋を取巻き、石を投げたり、竹槍で無茶苦茶についてまわる。私はこれはヤラレたと覚悟したが、その時、私服の警官が入ってきて『君たちの生命は保障できないから、警察まできてくれ』という。私たちは負けてなるものかとがんばっていたが、騒ぎはますます激しくなるばかりなので、裏口から山の中へ逃込んだ。そして多少ホトボリもさめたろうと町へ出てくると警察に検挙され、阿仁合警察署に留置された。ところが今度は鉱夫たちが警察署に大挙押しかけてきて、警察が私たちの生命を保障できないなら自分たちがあずかると私たちを警察から出してくれ、三日三晩、カンテラとツルハシで守ってくれた。しかし事態は二転し、私たちはまた検束され後から応援にきた可児義雄君の三人、ともども警官五人に守られて再び阿仁合川を下り、そのまま秋田県から追放された。  その翌年足尾銅山の精練工場の首切りがあり、ストライキとなった。私は応援に行き、デモに加わったが、警官隊と衝突、治安警察法違反と公務執行妨害罪で検束され、栃木の女囚監獄の未決に入れられた。この私の事件で裁判の弁護をやってくれたのが、若き日の片山哲、麻生久、三輪寿壮の諸氏であった。裁判の最後になって『被告になにかいうことはないか』と裁判長がいったので『デモの妨害をしたのは警官である。その妨害した警官が罪にならず、なんの抵抗もしない私たちが罪になるのは了解に苦しむ。無罪だ』と述べたが懲役五ヵ月をくった。  獄中でゲタの鼻緒の芯をない、封筒はりをしたが、獄房の中へもシャバのタヨリが伝わってくる。ある房から新潟県の木崎村で大小作争議が起っていることを知らされた。私は友人の三宅正一、稲村隆一の両君が活躍していることを思い、いても立ってもおられず出獄したら、すぐその足で新潟に行き応援しようと心に決め、獄房の中で小さな声でアジ演説の練習をしていた。獄中の決心の通りに出獄後新潟にとんで行ったら、三宅君はすでに騒じょうの罪で新潟監獄につかまっていた。その後、昭和五年、日本農民組合(労農党系)と全日本農民組合(日労系)が合同して全国農民組合ができたが、私は争議部長に選ばれ、全国の小作争議をかけ回らされた。  昭和四年、日本大衆党の公認をうけ東京市深川区から市会議員に立候補した関係で、深川のアパートに住むようになり、それ以来、江東地区の労働運動に関係するようになった。関東木材産業労働組合、東京地方自由労働者組合、東京製糖労働組合の組合長をやり、日本労働総同盟に参加して、深川木場の労働者のために多くの争議を指導した。たしか昭和十年ごろと思うが、ある深川の製材工場が釘で厳重にロック・アウトをしたことがあった。われわれはこれをぶちこわして強引に工場へ入ったところ、会社側も負けじとお雇い人夫を動員、トビ口やコン棒を振上げ襲いかかってきた。あわや血の雨の降る大乱闘になろうという時、救いの神ともいうべき警官が現われ平野警察署長青木重臣君(のちの平沼内閣書記官長、愛媛県知事)の命令で、労使ともに検束されてしまった。留置場はまさに呉越同舟、敵も味方も一しょくたにされていたが、そのおかげで留置場内で話がまとまり、争議が解決したのだからケッ作だ。青木署長もなかなか思い切ったことをしたものである。  演説をやれば「注意、中止、検束」、デモでは先頭にいて「検束」という具合で、この当時の社会運動家の中ではわたくしが検束の回数では筆頭だったようだ。 六、鍛え上げたガラガラ声 沼は演説百姓よ 汚れた服にボロカバン きょうは本所の公会堂 あすは京都の辻の寺  これは大正末年の日労党結党当時、友人の田所輝明君が、なりふり構わず全国をブチ歩く私の姿をうたったものだ。以来演説百姓は私の異名となり、今では演説書記長で通っている。私は演説百姓の異名をムシロ歓迎した。無産階級解放のため、黙々と働く社会主義者を、勤勉そのもののごとく大地に取組む農民の姿にナゾらえたもので、私はかくあらねばならぬと念じた。  まことに演説こそは大衆運動三十余年間の私の唯一の闘争武器であった。私は数年前「わが言論闘争録」という演説集を本にして出したが、その自序の中で「演説の数と地方遊説の多いことは現代政治家中第一」とあえて広言した。私は全国をブチ歩き、ラジオにもよく出るので私のガラガラ声が大衆の周知のものとなった。ラジオや寄席の声帯模写にもしばしば私の声の声色が登場して苦笑している。徳川夢声氏と対談したとき『あれは沼さんの声だと誰でも分るようになれば大したものだ』とほめられたことがある。  しかし私の声ははじめからこんなガラガラ声ではなかった。学生時代から江戸川の土手や三宅島の海岸で怒濤を相手にし、あるいは寒中、深夜、野原に出て寒げいこを行い、また謡曲がよいというので観世流を習ったりして声を練った結果、現在の声となった。これらの鍛練は大きな声と持続性の研究であり、おかげで私は水も飲まずに二、三時間の演説をやるのはいまでも平気だ。演説の思い出は多いが、その中でアジ演説で印象に残ったものを、自慢話めくが二、三披露してみよう。  その一つは昭和初年山形県の酒田公会堂で行われた日本農民組合の地主糾弾演説会である。二千人の聴衆を前にして、私は当時酒田に君臨していた本間一族など地主の横暴を非難し、小作民解放を説く大熱弁? をふるった。ところが二階から突然『そうだ』と叫び一壮漢が立上がったかとみるや、下にとび降りた。とび降りた当人はなんでもなかったが、天井から人が降ったのだから、その下敷になった人はたまらない。一人が打ちどころが悪くて死んだということである。私の演説が間接的にしろ殺人を行ったのである。  その二は昭和六年冬、全国労農党秋田県大会が行われたときである。私は細野三千雄、川俣清音、黒田寿男らの諸氏とともに、雪の降りしきる秋田県についた。駅には多数の出迎えの人があり、地元では駅前でブッて気勢をあげ、会場までデモる計画だったらしい。私たちはつぎつぎと演説したが、私が激越な口調でブッたところ、立会の警官から『弁士中止』の声がかかった。それにも構わず続けていると『検束!』という声がかかり、聴衆と警官との間に大乱闘が始まったのである。  私のところにも警官が押寄せたが、その時、私の前に立ちふさがり、私をかばってくれたのが五尺八寸、二十数貫という巨漢佐藤清吉君であった。佐藤君は相撲取りをしたことがあり、力があるので指揮者の警部補を殴りつけて傷を負わしてしまった。そのため私はすぐ釈放されたが、佐藤君は公務執行妨害で八ヵ月の刑を受けた。当時私は佐藤君にすまないと思い、しばらく寝ざめが悪かった。  その三は昭和二十四年の第一次吉田内閣当時、定員法をめぐって与野党が衝突したときのことである。社会党など革新派は首切り法案(定員法案)を葬るため頑張ったのだが、ついに審議引延しのタネが切れてしまった。ところへ田中織之進君が『国税庁設置の大蔵省設置法一部改正案の提案理由の中に“最高司令官の要求にもとづき……”とあるのを問題にしたらどうか』と提案、私がこれをタネにして本会議で一席弁じ審議引延しをすることになった。私は同法案が『政府の責任で出したものか、マ司令部の責任で出したものか、日本の国会の審議権を守れ』と迫った。ところが『修正した』と答弁があったので『それは削除か、誤字修正か』と手続きを問題にし、また当時の池田蔵相の前日の失言をとらえて食い下がった。私は四たび登壇してねばり、とうとう演壇から強制的におろされたがその途中、私の演説を聞いて共産党議員がいきり立って、民自党議員と乱闘を演じ、共産党の立花君が民自党の小西寅松親分の頭をポカポカなぐる騒ぎとなった。このため本会議は休憩となり、私はしてやったりとほくそ笑んだが、私のアジ演説は共産党員を走らせたのだから共産党以上だといわれた。 七、戦前の選挙戦  私の衆議院議員当選回数は昭和十一年に初めて当選して以来八回になった。社会党では西尾末広、水谷長三郎の両氏の十回に続き、私と片山氏が八回で古い方に数えられる。衆議院は十回立候補して二回落選、東京市会議員は四回立候補して二回当選、都会議員当選一回というわけで、立候補十五回の当選十回は必ずしも悪い率ではないと思っている。とくに戦後の選挙は安定性があったが、かけ出し時代の選挙はらくではなかった。  普選第一回の総選挙(昭和三年一月二十一日)は私は年が足りないので立候補できないので、群馬県第一区から立った須永好君の応援に出かけた。当時の無産党候補者の演説会には必ず警官が臨席して候補者が政府を攻撃し、社会主義を説くと「弁士中止」を命じ、聞かなければ検束となり、ついで大乱闘となったものだった。また一般の人も無産党候補の演説会とあれば、乱闘みたさに押寄せたもので「押すな押すなの三十八票」といわれ、実際の票にはならなかった。  昭和四年、日本大衆党から公認をうけて深川区から東京市会議員選挙に出て、初めての選挙をやったが得票数千二百票ばかりで敗れた。  その後昭和五年、当時の東京第四区(本所、深川)からはじめて衆議院議員選挙に打って出たが、これも三千二百票ばかりで惨敗した。ついで満州事変直後の昭和七年一月、総選挙が実施されたが、分裂した無産政党の大同団結がなり、全国労農大衆党が結成された直後でもあるので、私も大いに張切った。そのとき私ども全国大衆党の立候補者は“帝国主義戦争絶対反対”をスローガンとしてかかげた。ところが投票前夜に社会民衆党の公認候補馬島僩氏側が「満州を支那に返せという大衆党(浅沼)は国賊である」とのビラを全選挙区にばらまいた。  私も運動員たちもこの選挙は必勝を期していたところであり、投票前夜の意識的な中傷のビラには全く怒ってしまった。そこで演説会を終ると私の選挙運動員は大挙して馬島僩事務所を襲撃、大乱闘となり、私の運動員は全員検挙された。残ったのは私と事務長の山花秀雄君(現社会党代議士)の二人であり、この乱闘の結果、私はまた落選してしまった。  ついで昭和八年、東京市会議員選挙に立候補したが、このときは最高点で当選した。友人が酒の四斗樽を一本寄付してくれたので、選挙事務所に千余名が集まり、大祝杯をあげたが、あまりの雑踏でデモのような状態となり、数十名の警官が出て取締りに当った。  この東京市会議員の選挙からは芽が出て、昭和十一年の衆院議員選挙に当選し、トントン拍子に運ぶようになった。そうなってくると時の社会大衆党本部では、君はどこで選挙をやっても当選しそうだからと、昭和十二年の林内閣食逃げ解散後の選挙には、第四区(本所、深川)から第三区(京橋、日本橋、浅草)に移れという。私にとって第三区ははじめての選挙区ではあり、相手には頼母木桂吉、安藤正純、田川大吉郎、伊藤痴遊というそうそうたる人がひかえている。京橋、日本橋、浅草はまさに東京のヘソであり、日本の中心である。私はこれこそ男子の本懐と考え、本気になって闘い抜いた。その結果、安藤、田川の両強豪をおさえて、頼母木氏についで第二位で当選した。この時ばかりは本当に勝ったという感じがした。  その後、昭和十七年の翼賛選挙には立候補したが、直ちに辞退した。またその年、東京市会議員の改選に立候補したが、弾圧が激しく落選した。ついで都制施行とともに都会議員に当選し副議長になったが、終戦は都会議員で迎えた。  いま弾圧と迫害の中に闘われた戦前の選挙を思い、戦後の選挙とくらべると、その変り方に驚くばかりである。昭和十二年の選挙のときだったか、ある人が路に倒れた私の選挙の立看板を立て直したため検挙されたことがあった。バカげた話であるが、戦後はそんなこともなく明るくなったのが喜ばしい。 八、社会党誕生す  私は終戦の勅語を深川の焼け残ったアパートの一室で聞いたが、このときの気持を終生忘れることができない。二、三日前飛んできたB29のまいたビラを読んで、薄々は感づいていたものの、まるで全身が空洞になったような虚脱感に襲われた。私はこれまで何度か死線をさまよった。早大反軍研事件後の右翼のリンチ、東京大震災のときの社会主義者狩りと市ヶ谷監獄、秋田の阿仁銅山争議など――。しかしこれらのものは社会主義者としての当然の受難とも思えたのである。しかし戦争はもっと残酷なものだった。戦闘員たると否とにかかわらずすべてを滅亡させる。私の住んでいた深川の清砂アパートは二十年三月十日の空襲で全焼し、私はからくも生き残ったが、一時は死んだとのウワサがとんで、友人の川俣代議士が安否をたずねに来たことがある。無謀な戦争をやり、われわれ社会主義者の正当な声を弾圧した結果は、かかるみじめな敗戦となった。私は戦争の死線をこえて、つくづく生きてよかったと思い、これからはいわば余禄の命だと心に決めた。そしてこの余禄の命を今後の日本のために投げださねばならぬと感じた。  やがて敗戦の現実の中に、各政党の再建が進められ、保守陣営の進歩党、自由党の結党と呼応して、われわれ無産陣営でも新党を結成することになった。二十年九月五日、戦後初の国会が開かれたのを機会に、当時の代議士を中心として戦前の社会主義運動者、河上丈太郎、松本治一郎、河野密、西尾末広、水谷長三郎氏が集まり第一回の準備会を開いた。そこで戦前の一切の行きがかりを捨て、大同団結する方針が決まり、全国の生き残った同志に招待状を出すことになった。当時私は衆議院議員を一回休み、都会議員をしていたが、河上丈太郎氏から『君は戦前の無産党時代ずっと組織部長をしていたから全国の同志を知っているだろう。新党発起人の選考をやってくれ』と頼まれ、焼け残った書類を探しだして名簿を作成した。その名簿によって当時の社会主義運動家の長老、安部磯雄、賀川豊彦、高野岩三郎の三氏の名で招待状を出し同年九月二十二日、新橋蔵前工業会館で結党準備会を開いた。  ついで十一月二日、全国三千の同志を集め、東京の日比谷公会堂で結党大会を開いた。私はこのとき司会者をつとめたが、会場を見渡すといずれも軍服、軍靴のみすぼらしい格好ながら同じ理想と目的のため、これほど多くの人々が全国からはせ参じてくれたかと思うとうれしくてたまらなかった。同大会は松岡駒吉氏が大会議長をつとめ、水谷長三郎氏が経過報告をやり、党名を「日本社会党」と決め、委員長欠員のまま初代書記長に片山哲氏を選んだ。またこの大会での思い出として残っているのは、党名が日本社会党か、日本社会民主党かでもめたことである。結局国内的には日本社会党でゆき、国外向けには日本社会民主党ということに落ちついた。  結党当時、私は戦前同様組織部長をやったが、当時の社会党は西尾末広、水谷長三郎、平野力三の三氏のいわゆる「社会党三人男」で運営されていた。西尾氏が中心になり、水谷氏がスポークスマン、平野氏が選挙対策の責任者というわけだったが、現在、西尾氏が長老になり、水谷氏また病み、平野氏も違った陣営にあることを思うと、十年の歳月を感じて感無量である。  ついで社会党は二十一年の総選挙で九十八名、二十二年の総選挙で百四十三名を獲得、第一党となって、当時の民主党、国民協同党と協力して片山内閣を作った。そのときの特別国会では、衆院議長も第一党たる社会党がとることに話合いがつき、松岡駒吉氏が議長に選ばれ、ついで首班指名では松岡議長から『片山哲君が内閣総理大臣に指名されました』と宣告した。「松岡議長に片山首相」私はいまこそ社会運動三十年の夢が実現したのだと思い、涙がぽろぽろこぼれてくるのをどうしようもなかった。 九、野人で通す“マア・マア”居士  私の社会党書記長は二十三年以来であるからもう九年になる。なか一回、一年だけ書記長を休み、片山、河上、鈴木の三委員長のもとにずっと書記長をつとめてきたのであるから長いものである。おかげで今日では万年書記長の異名をとっている。この間、社会党は天下を取ったことがあり、また党自体が分裂、統一といったお家騒動の悲劇を演じてきた。私はその間ずっと書記長を通し、この歴史の渦中に動いたのであるから思い出は多い。  二十二年片山社会党内閣が成立し、当時の西尾書記長が国務大臣兼官房長官として入閣した。私はこのとき、西尾書記長の後を引受けて書記長代理を八ヵ月つとめたのが、現在の書記長商売の手始めで、翌二十三年一月の大会では正式に書記長に就任した。この当時の社会党はいわゆる与党であり、私は党務の責任者だ。野党慣れした私が当時の野党であった自由党に対抗、法案通過や、不信任案の否決に努力したり、とかく勝手の違った感じで苦労した。西尾官房長官に不信任案が出たときも、党内の左派が同調の動きをみせたので、これをまとめて否決するのに苦労した。  やがて与党の書記長にも別れる時がきた。二十四年春社会党は第一党の百四十三名から一挙に四十八名に転落、委員長の片山前首相も落選する大事件が起きた。私はこの敗戦の責任を問われ、続く大会では鈴木現社会党委員長と書記長を争って大敗を喫し、組織局長に格下げになった。組織局長は一年で辞め、鈴木委員長実現とともにまた書記長にもどったが、社会党はこれから分裂、統一をくり返し、書記長として党内をとりまとめるのに非常に苦労をした。  書記長の仕事は中央執行委員会の取りまとめの主任務のほかに、演説の要請があれば出ていく、国会対策にも足もふみ込むなど非常に忙しい。党務がいつも主であるから、家庭のことは二の次にされる。  二十五年の一月、早稲田大学講堂で党大会が開かれたが、その会場に父の死が知らされた。このときは私が書記長に再就任した大会ではあり、その大会で父の死を発表するのはエンギをかつぐのではないが、党に悪いと思ってこれを秘しかくした。その翌日、故米窪満亮氏の党葬があったが、私は葬儀委員長となっていたので、その葬式を終えてやっと三宅島に向かった。そのときは船便がないため、百トンばかりの小舟で三宅島に帰ったが、あわてたために、途中のタクシーの中にモーニングを置き忘れた。父にさからって政治家になった天罰か、親の死に目にも会えないのみか、かかる失敗もやった。  こういう私ごとは別として書記長の最大の仕事は党内とりまとめである。私は“マア・マア居士”といわれている。ある座談会でマア・マアという言葉をやたらに連発したので、つけられたのが初めだが、その後は党内をマア・マアとまとめるからということになった。事実私は中央執行委員会などの会議では採決をしない。たった一度、二十六年秋に、講和、安保両条約の賛否で党内が分れたとき採決をやったが、これが原因で党内左右派が大分裂した。  といっても書記長をしていれば、時におもしろいことにもぶつかる。二十四年の選挙で大敗した後、国会で首班選挙が行われた。片山委員長がいないときは書記長が代理で出ろといわれ、首班指名に七十八票もらったことがある。私は松岡前議長を推したのだが、私に決まり、共産党も社会党に同調したので思わぬ票になった。当時は家にふろがなく、銭湯に出かけていたが、湯ぶねの中で、近所の者に『あんなアパートから総理大臣候補が出るのはおかしい』とからかわれた。  最後に私は書記長としての自分を批判してみよう。私は昔から党会計に関係しない。社会主義政党は昔から党会計が委員長、書記長とならんで党三役と呼ばれ、重要な職務となっている。この会計がいるため、私の書記長は続いているともいえよう。また私は党のオモシとなって鎮座しているのは苦手である。“雀百まで踊りを忘れず”というべきか、書記長兼アジ・プロ部長心得で動いているのがすきだ。理論家でない私にとって行動こそが、私の唯一の武器であり、党につくす道であると思っている。私は学校を出て以来三十余年、議員以外の一切の勤めをしたことがない。自分でもよく今まで食ってこられたと不思議に思うが、野人はよくよく私の性にあっているのだろう。
底本:「浅沼稲次郎 私の履歴書ほか」日本図書センター    1998(平成10)年8月25日第1刷発行 底本の親本:「私の履歴書 第2集」日本経済新聞社    1957(昭和32)年 初出:「日本経済新聞」日本経済新聞社    1956(昭和31)年 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2010年11月26日作成 2013年12月2日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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底本:「霊界通信 小桜姫物語」潮文社    1985(昭和60)年7月31日第1刷発行    1998(平成10)年7月31日第9刷発行 底本の親本:「霊界通信 小櫻姫物語」心霊科学研究会出版部    1937(昭和12)年2月初版発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 入力:浅野和三郎・著作保存会(泉美、老神いさお、MUPさくら) 校正:POKEPEEK2011 2014年6月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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舌代  本物語は謂わば家庭的に行われたる霊界通信の一にして、そこには些の誇張も夾雑物もないものである。が、其の性質上記の如きところより、之を発表せんとするに当りては、亡弟も可なり慎重な態度を採り。霊告による祠の所在地、並に其の修行場などを実地に踏査する等、いよいよ其の架空的にあらざる事を確かめたる後、始めて之を雑誌に掲載せるものである。  霊界通信なるものは、純真なる媒者の犠牲的行為によってのみ信を措くに足るものが得らるるのであって、媒者が家庭的であるか否かには、大なる関係がなさそうである。否、家庭的なものの方が寧ろ不純物の夾雑する憂なく、却って委曲を尽し得べしとさえ考えらるるのである。  それは兎に角として、また内容価値の如何も之を別として、亡弟が心を籠めて遣せる一産物たるには相違ないのである。今や製本成り、紀念として之を座右に謹呈するに当たり、この由来の一端を記すこと爾り。 昭和十二年三月淺野正恭 序  霊界通信――即ち霊媒の口を通じ或は手を通じて霊界居住者が現界の我々に寄せる通信、例を挙ぐれば Gerldine Cummins の Beyond Human Personality は所謂「自動書記」の所産である。此書中に含まるる論文は故フレデリク・マイヤーズ――詩人として令名があるが、特に心霊科学に多大の努力貢献をした人――が霊界よりカムミンスの手を仮りて書いたものと信ずる旨をオリバ・ロッヂ卿、ローレンス・ヂョンス卿が証言した。(昨年十二月十八日の〟The Two Words〝所掲)  カムミンスの他の自動書記は是迄四五種ある。其文体は各々相違して居る。又彼の自著小説があるが、是は全く右数種の自動書記と相違している。心霊科学に何等の実験がなく、潜在意識の所産などなどと説く懐疑者の迷を醒ますに足ると思う。  小櫻姫物語は解説によれば鎌倉時代の一女性がT夫人の口を借り数年に亘って話たるものを淺野和三郎先生が筆記したのである。但し『T夫人の意識は奥の方に微かに残っている』から私の愚見に因れば多少の Fiction は或はあり得ぬとは保障し難い。  しかしこれらを斟酌しても本書は日本に於いては破天荒の著書である。是を完成し終った後、先生は二月一日突然発病し僅々三十五時間で逝いた。二十余年に亘り、斯学の為めに心血を灑ぎ、あまりの奮闘に精力を竭尽して斃れた先生は斯学における最大の偉勲者であることは曰う迄もない。  私は昨年三月二十二日、先生と先生の令兄淺野正恭中将と岡田熊次郎氏とにお伴して駿河台の主婦の友社来賓室に於て九條武子夫人と語る霊界の座談会に列した。主婦の友五月号に其の筆記が載せられた。  日本でこの方面の研究は日がまだ浅い、この研究に従事した福来友吉博士が無知の東京帝大理学部の排斥により同大学を追われたのは二十余年前である。英国理学の大家、エレクトロン首先研究者、クルクス管の発明者、ローヤル・ソサィティ会長の故クルックス、ソルボン大学教授リシエ博士(ノーベル勲章受領者)、同じくローヤル・ソサィティ会長オリバ・ロッヂ卿……これら諸大家の足許にも及ばぬ者が掛かる偉大な先進の努力と研究とのあるを全く知らず、先入が主となるので、井底の蛙の如き陋見から心霊現象を或は無視し或は冷笑するのは気の毒千万である。淺野先生が二十余年に亘る研究の結果の数種の著述心霊講座、神霊主義と共に本書は日本に於ける斯学にとりて重大な貢献である。 仙台に於いて土井晩翠 解説 ――本書を繙かるる人達の為に―― 淺野和三郎  本篇を集成したるものは私でありますが、私自身をその著者というのは当らない。私はただ入神中のT女の口から発せらるる言葉を側で筆録し、そして後で整理したというに過ぎません。  それなら本篇は寧ろT女の創作かというに、これも亦事実に当てはまっていない。入神中のT女の意識は奥の方に微かに残ってはいるが、それは全然受身の状態に置かれ、そして彼女とは全然別個の存在――小櫻姫と名告る他の人格が彼女の体躯を司配して、任意に口を動かし、又任意に物を視せるのであります。従ってこの物語の第一の責任者はむしろ右の小櫻姫かも知れないのであります。  つまるところ、本書は小櫻姫が通信者、T女が受信者、そして私が筆録者、総計三人がかりで出来上った、一種特異の作品、所謂霊界通信なのであります。現在欧米の出版界には、斯う言った作品が無数に現われて居りますが、本邦では、翻訳書以外にはあまり類例がありません。  T女に斯うした能力が初めて起ったのは、実に大正五年の春の事で、数えて見ればモー二十年の昔になります。最初彼女に起った現象は主として霊視で、それは殆んど申分なきまでに的確明瞭、よく顕幽を突破し、又遠近を突破しました。越えて昭和四年の春に至り、彼女は或る一つの動機から霊視の他に更に霊言現象を起すことになり、本人とは異った他の人格がその口頭機関を占領して自由自在に言語を発するようになりました。『これで漸くトーキーができ上がった……』私達はそんな事を言って歓んだものであります。『小櫻姫の通信』はそれから以後の産物であります。  それにしても右の所謂『小櫻姫』とは何人か? 本文をお読みになれば判る通り、この女性こそは相州三浦新井城主の嫡男荒次郎義光の奥方として相当世に知られている人なのであります。その頃三浦一族は小田原の北條氏と確執をつづけていましたが、武運拙く、籠城三年の後、荒次郎をはじめ一族の殆んど全部が城を枕に打死を遂げたことはあまりにも名高き史的事蹟であります。その際小櫻姫がいかなる行動に出たかは、歴史や口碑の上ではあまり明らかでないが、彼女自身の通信によれば、落城後間もなく病にかかり、油壺の南岸、浜磯の仮寓でさびしく帰幽したらしいのであります。それかあらぬか、同地の神明社内には現に小桜神社(通称若宮様)という小社が遺って居り、今尚お里人の尊崇の標的になって居ります。  次に当然問題になるのは小櫻姫とT女との関係でありますが、小櫻姫の告ぐる所によれば彼女はT女の守護霊、言わばその霊的指導者で、両者の間柄は切っても切れぬ、堅き因縁の羈絆で縛られているというのであります。それに就きては本邦並に欧米の名ある霊媒によりて調査をすすめた結果、ドーも事実として之を肯定しなければならないようであります。  尚お面白いのは、T女の父が、海軍将校であった為めに、はしなくも彼女の出生地がその守護霊と関係深き三浦半島の一角、横須賀であったことであります。更に彼女はその生涯の最も重要なる時期、十七歳から三十三歳までを三浦半島で暮らし、四百年前彼女の守護霊が親める山河に自分も親しんだのでありました。これは単なる偶然か、それとも幽冥の世界からのとりなしか、神ならぬ身には容易に判断し得る限りではありません。  最後に一言して置きたいのは筆録の責任者としての私の態度であります。小櫻姫の通信は昭和四年春から現在に至るまで足掛八年に跨がりて現われ、その分量は相当沢山で、すでに数冊のノートを埋めて居ります。又その内容も古今に亘り、顕幽に跨り、又或る部分は一般的、又或る部分は個人的と言った具合に、随分まちまちに入り乱れて居ります。従ってその全部を公開することは到底不可能で、私としては、ただその中から、心霊的に観て参考になりそうな個所だけを、成るべく秩序を立てて拾い出して見たに過ぎません。で、材料の取捨選択の責は当然私が引受けなければなりませんが、しかし通信の内容は全然原文のままで、私意を加へて歪曲せしめたような個所はただの一箇所もありません。その点は特に御留意を願いたいと存じます。 (十一、十、五) 一、その生立  修行も未熟、思慮も足りない一人の昔の女性がおこがましくもここにまかり出る幕でないことはよく存じて居りまするが、斯うも再々お呼び出しに預かり、是非くわしい通信をと、つづけざまにお催促を受けましては、ツイその熱心にほだされて、無下におことわりもできなくなって了ったのでございます。それに又神さまからも『折角であるから通信したがよい』との思召でございますので、今回いよいよ思い切ってお言葉に従うことにいたしました。私としてはせいぜい古い記憶を辿り、自分の知っていること、又自分の感じたままを、作らず、飾らず、素直に申述べることにいたします。それがいささかなりとも、現世の方々の研究の資料ともなればと念じて居ります。何卒あまり過分の期待をかけず、お心安くおきき取りくださいますように……。  ただ私として、前以てここに一つお断りして置きたいことがございます。それは私の現世生活の模様をあまり根掘り葉掘りお訊ねになられぬことでございます。私にはそれが何よりつらく、今更何の取得もなき、昔の身上などを露ほども物語りたくはございませぬ。こちらの世界へ引移ってからの私どもの第一の修行は、成るべく早く醜い地上の執着から離れ、成るべく速かに役にも立たぬ現世の記憶から遠ざかることでございます。私どもはこれでもいろいろと工夫の結果、やっとそれができて参ったのでございます。で、私どもに向って身上噺をせいと仰ッしゃるのは、言わば辛うじて治りかけた心の古疵を再び抉り出すような、随分惨たらしい仕打なのでございます。幽明の交通を試みらるる人達は常にこの事を念頭に置いて戴きとう存じます。そんな訳で、私の通信は、主に私がこちらの世界へ引移ってからの経験……つまり幽界の生活、修行、見聞、感想と言ったような事柄に力を入れて見たいのでございます。又それがこの道にたずさわる方々の私に期待されるところかと存じます。むろん精神を統一して凝乎と深く考え込めば、どんな昔の事柄でもはっきり想い出すことができないではありませぬ。しかもその当時の光景までがそっくりそのまま形態を造ってありありと眼の前に浮び出てまいります。つまり私どもの境涯には殆んど過去、現在、未来の差別はないのでございまして。……でも無理にそんな真似をして、足利時代の絵巻物をくりひろげてお目にかけて見たところで、大した価値はございますまい。現在の私としては到底そんな気分にはなりかねるのでございます。  と申しまして、私が今いきなり死んでからの物語を始めたのでは、何やらあまり唐突……現世と来世との連絡が少しも判らないので、取りつくしまがないように思われる方があろうかと感ぜられますので、甚だ不本意ながら、私の現世の経歴のホンの荒筋丈をかいつまんで申上げることに致しましょう。乗りかけた船とやら、これも現世と通信を試みる者の免れ難き運命――業かも知れませぬ……。  私は――実は相州荒井の城主三浦道寸の息、荒次郎義光と申す者の妻だったものにございます。現世の呼名は小櫻姫――時代は足利時代の末期――今から約四百余年の昔でございます。もちろんこちらの世界には昼夜の区別も、歳月のけじめもありませぬから、私はただ神さまから伺って、成るほどそうかと思う丈のことに過ぎませぬ。四百年といえば現世では相当長い星霜でございますが、不思議なものでこちらではさほどにも感じませぬ。多分それは凝乎と精神を鎮めて、無我の状態をつづけて居る期間が多い故でございましょう。  私の生家でございますか――生家は鎌倉にありました。父の名は大江廣信――代々鎌倉の幕府に仕へた家柄で、父も矢張りそこにつとめて居りました。母の名は袈裟代、これは加納家から嫁いでまいりました。両親の間には男の児はなく、たった一粒種の女の児があったのみで、それが私なのでございます。従って私は小供の時から随分大切に育てられました。別に美しい程でもありませぬが、体躯は先ず大柄な方で、それに至って健康でございましたから、私の処女時代は、全く苦労知らずの、丁度春の小禽そのまま、楽しいのんびりした空気に浸っていたのでございます。私の幼い時分には祖父も祖母もまだ存命で、それはそれは眼にも入れたいほど私を寵愛してくれました。好い日和の折などには私はよく二三の腰元どもに傅れて、長谷の大仏、江の島の弁天などにお詣りしたものでございます。寄せてはかえす七里ヶ浜の浪打際の貝拾いも私の何より好きな遊びの一つでございました。その時分の鎌倉は武家の住居の建ち並んだ、物静かな、そして何やら無骨な市街で、商家と言っても、品物は皆奥深く仕舞い込んでありました。そうそう私はツイ近頃不図した機会に、こちらの世界から一度鎌倉を覗いて見ましたが、赤瓦や青瓦で葺いた小さな家屋のぎっしり建て込んだ、あのけばけばしさには、つくづく呆れて了いました。 『あれが私の生れた同じ鎌倉かしら……。』私はひとりそうつぶやいたような次第で……。  その頃の生活状態をもっと詳しく物語れと仰っしゃいますか――致方がございませぬ、お喋りの序でに、少しばかり想い出して見ることにいたしましょう。もちろん、順序などは少しも立って居りませぬから何卒そのおつもりで……。 二、その頃の生活  先ずその頃の私達の受けた教育につきて申上げてみましょうか――時代が時代ゆえ、教育はもう至って簡単なもので、学問は読書、習字、又歌道一と通り、すべて家庭で修めました。武芸は主に薙刀の稽古、母がよく薙刀を使いましたので、私も小供の時分からそれを仕込まれました。その頃は女でも武芸一と通りは稽古したものでございます。処女時代に受けた私の教育というのは大体そんなもので、馬術は後に三浦家へ嫁入りしてから習いました。最初私は馬に乗るのが厭でございましたが、良人から『女子でもそれ位の事は要る』と言われ、それから教えてもらいました。実地に行って見ると馬は至って穏和しいもので、私は大へん乗馬が好きになりました。乗馬袴を穿いて、すっかり服装がかわり、白鉢巻をするのです。主に城内の馬場で稽古したのですが、後には乗馬で鎌倉へ実家帰りをしたこともございます。従者も男子のみでは困りますので、一人の腰元にも乗馬の稽古を致させました。その頃ちょっと外出するにも、少くとも四五人の従者は必らずついたもので……。  今度はその時分の物見遊山のお話なりといたしましょうか。物見遊山と申してもそれは至って単純なもので、普通はお花見、汐干狩、神社仏閣詣で……そんな事は只今と大した相違もないでしょうが、ただ当時の男子にとりて何よりの娯楽は猪狩り兎狩り等の遊びでございました。何れも手に手に弓矢を携え、馬に跨って、大へんな騒ぎで出掛けたものでございます。父は武人ではないのですが、それでも山狩りが何よりの道楽なのでした。まして筋骨の逞ましい、武家育ちの私の良人などは、三度の食事を一度にしてもよい位の熱心さでございました。『明日は大楠山の巻狩りじゃ』などと布達が出ると、乗馬の手入れ、兵糧の準備、狩子の勢揃い、まるで戦争のような大騒ぎでございました。  そうそう風流な、優さしい遊びも少しはありました。それは主として能狂言、猿楽などで、家来達の中にそれぞれその道の巧者なのが居りまして、私達も時々見物したものでございます。けれども自分でそれをやった覚えはございませぬ。京とは異って東国は大体武張った遊び事が流行ったものでございますから……。  衣服調度類でございますか――鎌倉にもそうした品物を売り捌く商人の店があるにはありましたが、さきほども申した通り、別に人目を引くように、品物を店頭に陳列するような事はあまりないようでございました。呉服物なども、良い品物は皆特別に織らせたもので、機織がなかなか盛んでございました。尤もごく高価の品は鎌倉では間に合わず、矢張りはるばる京に誂えたように記憶して居ります。  それから食物……これは只今の世の中よりずっと簡単なように見受けられます。こちらの世界へ来てからの私達は全然飲食をいたしませぬので、従ってこまかいことは判りませぬが、ただ私の守護しているこの女(T夫人)の平生の様子から考えて見ますと、今の世の調理法が大へん手数のかかるものであることはうすうす想像されるのでございます。あの大そう甘い、白い粉……砂糖とやら申すものは、もちろん私達の時代にはなかったもので、その頃のお菓子というのは、主に米の粉を固めた打菓子でございました。それでも薄っすりと舌に甘く感じたように覚えて居ります。又物の調味には、あの甘草という薬草の粉末を少し加えましたが、ただそれは上流の人達の調理に限られ、一般に使用するものではなかったように記憶して居ります。むろん酒もございました……濁っては居りませぬが、しかしそう透明ったものでもなかったように覚えて居ります。それから飲料としては桜の花漬、それを湯呑みに入れて白湯をさして客などにすすめました。  斯う言ったお話は、あまりつまらな過ぎますので、何卒これ位で切り上げさせて戴きましょう。私のようなあの世の住人が食物や衣類などにつきて遠い遠い昔の思い出語りをいたすのは何やらお門違いをしているようで、何分にも興味が乗らないで困ってしまいます……。 三、輿入れ  やがて私の娘時代にも終りを告ぐべき時節がまいりました。女の一生の大事はいうまでもなく結婚でございまして、それが幸不幸、運不運の大きな岐路となるのでございますが、私とてもその型から外れる訳にはまいりませんでした。私の三浦へ嫁ぎましたのは丁度二十歳の春で山桜が真盛りの時分でございました。それから荒井城内の十幾年の武家生活……随分楽しかった思い出の種子もないではございませぬが、何を申してもその頃は殺伐な空気の漲った戦国時代、北條某とやら申す老獪い成上り者から戦闘を挑まれ、幾度かのはげしい合戦の挙句の果が、あの三年越しの長の籠城、とうとう武運拙く三浦の一族は、良人をはじめとして殆んど全部城を枕に打死して了いました。その時分の不安、焦燥、無念、痛心……今でこそすっかり精神の平静を取り戻し、別にくやしいとも、悲しいとも思わなくなりましたが、当時の私どもの胸には正に修羅の業火が炎々と燃えて居りました。恥かしながら私は一時は神様も怨みました……人を呪いもいたしました……何卒その頃の物語り丈は差控えさせて戴きます……。  大江家の一人娘が何故他家へ嫁いだか、と仰せでございますか……あなたの誘い出しのお上手なのにはほんとうに困って了います……。ではホンの話の筋道だけつけて了うことに致しましょう。現世の人間としては矢張り現世の話に興味を有たるるか存じませぬが、私どもの境涯からは、そう言った地上の事柄はもう別に面白くも、おかしくも何ともないのでございます……。  私が三浦家への嫁入りにつきましては別に深い仔細はございませぬ。良人は私の父が見込んだのでございます。『たのもしい人物じゃ。あれより外にそちが良人と冊くべきものはない……』ただそれっきりの事柄で、私はおとなしく父の仰せに服従したまででございます。現代の人達から頭脳が古いと思われるか存じませぬが、古いにも、新らしいにも、それがその時代の女の道だったのでございます。そして父のつもりでは、私達夫婦の間に男児が生れたら、その一人を大江家の相続者に貰い受ける下心だったらしいのでございます。  見合いでございますか……それは矢張り見合いもいたしました。良人の方から実家へ訪ねてまいったように記憶して居ります。今も昔も同じこと、私は両親から召ばれて挨拶に出たのでございます。その頃良人はまだ若うございました。たしか二十五歳、横縦揃った、筋骨の逞ましい大柄の男子で、色は余り白い方ではありません。目鼻立尋常、髭はなく、どちらかといえば面長で、眼尻の釣った、きりっとした容貌の人でした。ナニ歴史に八十人力の荒武者と記してある……ホホホホ良人はそんな怪物ではございません。弓馬の道に身を入れる、武張った人ではございましたが、八十人力などというのは嘘でございます。気立ても存外優さしかった人で……。  見合の時の良人の服装でございますか――服装はたしか狩衣に袴を穿いて、お定まりの大小二腰、そして手には中啓を持って居りました……。  婚礼の式のことは、それは何卒おきき下さらないで……格別変ったこともございません。調度類は前以て先方へ送り届けて置いて、後から駕籠にのせられて、大きな行列を作って乗り込んだまでの話で……式はもちろん夜分に挙げたのでございます。すべては皆夢のようで、今更その当時を想い出して見たところで何の興味も起りません。こちらの世界へ引越して了へば、めいめい向きが異って、ただ自分の歩むべき途を一心不乱に歩む丈、従って親子も、兄弟も、夫婦も、こちらではめったにつきあいをしているものではございません。あなた方もいずれはこちらの世界へ引移って来られるでしょうが、その時になれば私どもの現在の心持がだんだんお判りになります。『そんな時代もあったかナ……』遠い遠い現世の出来事などは、ただ一片の幻影と化して了います。現世の話は大概これで宜しいでしょう。早くこちらの世界の物語に移りたいと思いますが……。  ナニ私が死ぬる前後の事情を物語れと仰っしゃるか……。それではごく手短かにそれだけ申上げることに致しましょう。今度こそ、いよいよそれっきりでおしまいでございます……。 四、落城から死  足掛三年に跨る籠城……月に幾度となく繰り返される夜打、朝駆、矢合わせ、切り合い……どっと起る喊の声、空を焦す狼火……そして最後に武運いよいよ尽きてのあの落城……四百年後の今日思い出してみる丈でも気が滅入るように感じます。  戦闘が始まってから、女子供はむろん皆城内から出されて居りました。私の隠れていた所は油壺の狭い入江を隔てた南岸の森の蔭、そこにホンの形ばかりの仮家を建てて、一族の安否を気づかいながら侘ずまいをして居りました。只今私が祀られているあの小桜神社の所在地――少し地形は異いましたが、大体あの辺だったのでございます。私はそこで対岸のお城に最後の火の手の挙るのを眺めたのでございます。 『お城もとうとう落ちてしまった……最早良人もこの世の人ではない……憎ッくき敵……女ながらもこの怨みは……。』  その時の一念は深く深く私の胸に喰い込んで、現世に生きている時はもとよりのこと、死んでから後も容易に私の魂から離れなかったのでございます。私がどうやらその後人並みの修行ができて神心が湧いてまいりましたのは、偏に神様のおさとしと、それから私の為めに和やかな思念を送ってくだされた、親しい人達の祈願の賜なのでございます。さもなければ私などはまだなかなか済われる女性ではなかったかも知れませぬ……。  兎にも角にも、落城後の私は女ながらも再挙を図るつもりで、僅ばかりの忠義な従者に護られて、あちこちに身を潜めて居りました。領地内の人民も大へん私に対して親切にかばってくれました。――が、何を申しましても女の細腕、力と頼む一族郎党の数もよくよく残り少なになって了ったのを見ましては、再挙の計劃の到底無益であることが次第次第に判ってまいりました。積もる苦労、重なる失望、ひしひしと骨身にしみる寂しさ……私の躯はだんだん衰弱してまいりました。  幾月かを過す中に、敵の監視もだんだん薄らぎましたので、私は三崎の港から遠くもない、諸磯と申す漁村の方に出てまいりましたが、モーその頃の私には世の中が何やら味気なく感じられて仕ょうがないのでした。  実家の両親は大へんに私の身の上を案じてくれまして、しのびやかに私の仮宅を訪れ、鎌倉へ帰れとすすめてくださるのでした。『良人もなければ、家もなく、又跡をつぐべき子供とてもない、よくよくの独り身、兎も角も鎌倉へ戻って、心静かに余生を送るのがよいと思うが……。』いろいろ言葉を尽してすすめられたのでありますが、私としては今更親元へもどる気持ちにはドーあってもなれないのでした。私はきっぱりと断りました。―― 『思召はまことに有難うございまするが、一たん三浦家へ嫁ぎました身であれば、再びこの地を離れたくは思いませぬ。私はどこまでも三崎に留まり、亡き良人をはじめ、一族の後を弔いたいのでございます……。』  私の決心の飽まで固いのを見て、両親も無下に帰家をすすめることもできず、そのまま空しく引取って了われました。そして間もなく、私の住宅として、海から二三丁引込んだ、小高い丘に、土塀をめぐらした、ささやかな隠宅を建ててくださいました。私はそこで忠実な家来や腰元を相手に余生を送り、そしてそこでさびしくこの世の気息を引き取ったのでございます。  落城後それが何年になるかと仰ッしゃるか――それは漸く一年余り私が三十四歳の時でございました。まことに短命な、つまらない一生涯でありました。  でも、今から考えれば、私にはこれでも生前から幾らか霊覚のようなものが恵まれていたらしいのでございます。落城後間もなく、城跡の一部に三浦一族の墓が築かれましたので、私は自分の住居からちょいちょい墓参をいたしましたが、墓の前で眼を瞑って拝んで居りますと、良人の姿がいつもありありと眼に現われるのでございます。当時の私は別に深くは考えず、墓に詣れば誰にも見えるものであろう位に思っていました。私が三浦の土地を離れる気がしなかったのも、つまりはこの事があった為めでございました。当時の私に取りましては、死んだ良人に逢うのがこの世に於ける、殆んど唯一の慰安、殆んど唯一の希望だったのでございます。『何としても爰から離れたくない……』私は一図にそう思い込んで居りました。私は別に婦道が何うの、義理が斯うのと言って、六ヶしい理窟から割り出して、三浦に踏みとどまった訳でも何でもございませぬ。ただそうしたいからそうしたまでの話に過ぎなかったのでございます。  でも、私が死ぬるまで三浦家の墳墓の地を離れなかったという事は、その領地の人民の心によほど深い感動を与えたようでございました。『小櫻姫は貞女の亀鑑である』などと、申しまして、私の死後に祠堂を立て神に祀ってくれました。それが現今も残っている、あの小桜神社でございます。でも右申上げたとおり、私は別に貞女の亀鑑でも何でもございませぬ。私はただどこまでも自分の勝手を通した、一本気の女性だったに過ぎないのでございます。 五、臨終  気のすすまぬ現世時代の話も一と通り片づいて、私は何やら身が軽くなったように感じます。そちらから御覧になったら私達の住む世界は甚だたよりのないように見えるかも知れませぬが、こちらから現世を振りかえると、それは暗い、せせこましい、空虚な世界――何う思い直して見ても、今更それを物語ろうという気分にはなり兼ねます。とりわけ私の生涯などは、どなたのよりも一層つまらない一生だったのでございますから……。  え、まだ私の臨終の前後の事情がはっきりしていないと仰っしゃるか……そういえばホンにそうでございます。では致方がございません、これから大急ぎで、一と通りそれを申上げて了うことに致しましょう。  前にも述べたとおり、私の躯はだんだん衰弱して来たのでございます。床についてもさっぱり安眠ができない……箸を執っても一向食物が喉に通らない……心の中はただむしゃくしゃ……、口惜しい、怨めしい、味気ない、さびしい、なさけない……何が何やら自分にもけじめのない、さまざまの妄念妄想が、暴風雨のように私の衰えた躰の内をかけめぐって居るのです。それにお恥かしいことには、持って生れた負けずぎらいの気性、内実は弱いくせに、無理にも意地を通そうとして居るのでございますから、つまりは自分で自分の身を削るようなもの、新しい住居に移ってから一年とも経たない中に、私はせめてもの心遣りなる、あのお墓参りさえもできないまでに、よくよく憔悴けて了いました。一と口に申したらその時分の私は、消えかかった青松葉の火が、プスプスと白い煙を立て燻っているような塩梅だったのでございます。  私が重い枕に就いて、起居も不自由になったと聞いた時に、第一に馳せつけて、なにくれと介抱に手をつくしてくれましたのは矢張り鎌倉の両親でございました。『斯うかけ離れて住んで居ては、看護に手が届かんで困るのじゃが……。』めっきり小鬢に白いものが混るようになった父は、そんな事を申して何やら深い思案に暮れるのでした。大方内心では私の事を今からでも鎌倉に連れ戻りたかったのでございましたろう。気性の勝った母は、口に出しては別に何とも申しませんでしたが、それでも女は矢張り女、小蔭へまわってそっと泪を拭いて長太息を漏らしているのでございました。 『いつまでも老いたる両親に苦労をかけて、自分は何んという親不孝者であろう。いっそのことすべてをあきらめて、おとなしく鎌倉へ戻って専心養生につとめようかしら……。』そんな素直な考えも心のどこかに囁かないでもなかったのですが、次ぎの瞬間には例の負けぎらいが私の全身を包んで了うのでした。『良人は自分の眼の前で打死したではないか……憎いのはあの北條……縦令何事があろうとも、今更おめおめと親許などに……。』  鬼の心になり切った私は、両親の好意に背き、同時に又天をも人をも怨みつづけて、生甲斐のない日子を算えていましたが、それもそう長いことではなく、いよいよ私にとりて地上生活の最後の日が到着いたしました。  現世の人達から観れば、死というものは何やら薄気味のわるい、何やら縁起でもないものに思われるでございましょうが、私どもから観れば、それは一疋の蛾が繭を破って脱け出るのにも類した、格別不思議とも無気味とも思われない、自然の現象に過ぎませぬ。従って私としては割合に平気な気持で自分の臨終の模様をお話しすることができるのでございます。  四百年も以前のことで、大変記憶は薄らぎましたが、ざっと私のその時の実感を述べますると――何よりも先ず目立って感じられるのは、気がだんだん遠くなって行くことで、それは丁度、あのうたた寝の気持――正気のあるような、又無いような、何んとも言えぬうつらうつらした気分なのでございます。傍からのぞけば、顔が痙攣たり、冷たい脂汗が滲み出たり、死ぬる人の姿は決して見よいものではございませぬが、実際自分が死んで見ると、それは思いの外に楽な仕事でございます。痛いも、痒いも、口惜しいも、悲しいも、それは魂がまだしっかりと躯の内部に根を張っている時のこと、臨終が近づいて、魂が肉のお宮を出たり、入ったり、うろうろするようになりましては、それ等の一切はいつとはなしに、何所かえ消える、というよりか、寧ろ遠のいて了います。誰かが枕辺で泣いたり、叫んだりする時にはちょっと意識が戻りかけますが、それとてホンの一瞬の間で、やがて何も彼も少しも判らない、深い深い無意識の雲霧の中へとくぐり込んで了うのです。私の場合には、この無意識の期間が二三日つづいたと、後で神さまから教えられましたが、どちらかといえば二三日というのは先ず短い部類で、中には幾年幾十年と長い長い睡眠をつづけているものも稀にはあるのでございます。長いにせよ、又短かいにせよ、兎に角この無意識から眼をさました時が、私たちの世界の生活の始まりで、舞台がすっかりかわるのでございます。 六、幽界の指導者  いよいよこれから、こちらの世界のお話になりますが、最初はまだ半分足を現世にかけているようなもので、矢張り娑婆臭い、おきき苦しい事実ばかり申上げることになりそうでございます。――ナニその方が人間味があって却って面白いと仰っしゃるか……。御冗談でございましょう。話すものの身になれば、こんな辛い、恥かしいことはないのです……。  これは後で神様からきかされた事でございますが、私は矢張り、自力で自然に眼を覚ましたというよりか、神さまのお力で眼を覚まして戴いたのだそうでございます。その神さまというのは、大国主神様のお指図を受けて、新らしい帰幽者の世話をして下さる方なのでございます。これにつきては後で詳しく申上げますが、兎に角新たに幽界に入ったもので、斯う言った神の神使、西洋で申す天使のお世話に預からないものは一人もございませんので……。  幽界で眼を覚ました瞬間の気分でございますか――それはうっとりと夢でも見ているような気持、そのくせ、何やら心の奥の方で『自分の居る世界はモー異っている……。』と言った、微かな自覚があるのです。四辺は夕暮の色につつまれた、いかにも森閑とした、丁度山寺にでも臥て居るような感じでございます。  そうする中に私の意識は少しづつ回復してまいりました。 『自分はとうとう死んで了ったのか……。』  死の自覚が頭脳の内部ではっきりすると同時に、私は次第に激しい昂奮の暴風雨の中にまき込まれて行きました。私が先ず何よりつらく感じたのは、後に残した、老いたる両親のことでした。散々苦労ばかりかけて、何んの報ゆるところもなく、若い身上で、先立ってこちらへ引越して了った親不孝の罪、こればかりは全く身を切られるような思いがするのでした。『済みませぬ済みませぬ、どうぞどうぞお許しくださいませ……』何回私はそれを繰り返して血の涙に咽んだことでしょう!  そうする中にも私の心は更に他のさまざまの暗い考えに掻き乱されました。『親にさえ背いて折角三浦の土地に踏みとどまりながら、自分は遂に何の仕出かしたこともなかった! 何んという腑甲斐なさ……何んという不運の身の上……口惜しい……悲しい……情けない……。』何が何やら、頭脳の中はただごちゃごちゃするのみでした。  そうかと思えば、次ぎの瞬間には、私はこれから先きの未知の世界の心細さに慄い戦いているのでした。『誰人も迎えに来てくれるものはないのかしら……。』私はまるで真暗闇の底無しの井戸の内部へでも突き落されたように感ずるのでした。  ほとんど気でも狂うかと思われました時に、ひょくりと私の枕辺に一人の老人が姿を現しました。身には平袖の白衣を着て、帯を前で結び、何やら絵で見覚えの天人らしい姿、そして何んともいえぬ威厳と温情との兼ね具った、神々しい表情で凝乎と私を見つめて居られます。『一体これは何誰かしら……』心は千々に乱れながらも、私は多少の好奇心を催さずに居られませんでした。  このお方こそ、前に私がちょっと申上げた大国主神様からのお神使なのでございます。私はこのお方の一と方ならぬ導きによりて、辛くも心の闇から救い上げられ、尚おその上に天眼通その他の能力を仕込まれて、ドーやらこちらの世界で一人立ちができるようになったのでございます。これは前にものべた通り、決して私にのみ限ったことではなく、どなたでも皆神様のお世話になるのでございますが、ただ身魂の因縁とでも申しましょうか、めいめいの踏むべき道筋は異います。私などは随分きびしい、険しい道を踏まねばならなかった一人で、苦労も一しお多かったかわりに、幾分か他の方より早く明るい世界に抜け出ることにもなりました。ここで念の為めに申上げて置きますが、私を指導してくだすった神様は、お姿は普通の老人の姿を執って居られますが、実は人間ではございませぬ。つまり最初から生き通しの神、あなた方の自然霊というものなのです。斯う言った方のほうが、新らしい帰幽者を指導するのに、まつわる何の情実もなくて、人霊よりもよほど具合が宜しいと申すことでございます。 七、祖父の訪れ  私がお神使の神様から真先きに言いきかされたお言葉は、今ではあまりよく覚えても居りませぬが、大体こんなような意味のものでございました。―― 『そなたはしきりに先刻から現世の事を思い出して、悲嘆の涙にくれているが、何事がありても再び現世に戻ることだけは協わぬのじゃ。そんなことばかり考えていると、良い境涯へはとても進めぬぞ! これからは俺がそなたの指導役、何事もよくききわけて、尊い神さまの裔孫としての御名を汚さぬよう、一時も早く役にもたたぬ現世の執着から離れるよう、しっかりと修行をして貰いますぞ! 執着が残っている限り何事もだめじゃ……。』  が、その場合の私には、斯うした神様のお言葉などは殆んど耳にも入りませんでした。私はいろいろの難題を持ち出してさんざん神様を困らせました。お恥かしいことながら、罪滅ぼしのつもりで一つ二つここで懺悔いたして置きます。  私が持ちかけた難題の一つは、早く良人に逢いたいという註文でございました。『現世で怨みが晴らせなかったから、良人と二人力を合わせて怨霊となり、せめて仇敵を取り殺してやりたい……。』――これが神さまに向ってのお願いなのでございますから、神さまもさぞ呆れ返って了われたことでしょう。もちろん、神様はそんな註文に応じてくださる筈はございませぬ。『他人を怨むことは何より罪深い仕業であるから許すことはできぬ。又良人には現世の執着が除れた時に、機会を見て逢わせてつかわす……。』いとも穏かに大体そんな意味のことを諭されました。もう一つ私が神様にお願いしたのは、自分の遺骸を見せて呉れとの註文でございました。当時の私には、せめて一度でも眼前に自分の遺骸を見なければ、何やら夢でも見て居るような気持で、あきらめがつかなくて仕方がないのでした。神さまはしばし考えていられたが、とうとう私の願いを容れて、あの諸磯の隠宅の一と間に横たわったままの、私の遺骸をまざまざと見せてくださいました。あの痩せた、蒼白い、まるで幽霊のような醜くい自分の姿――私は一と目見てぞっとして了いました。『モー結構でございます。』覚えずそう言って御免を蒙って了いましたが、この事は大へん私の心を落つかせるのに効能があったようでございました。  まだ外にもいろいろありますが、あまりにも愚かしい事のみでございますので、一と先ずこれで切り上げさせて戴きます。現在の私とて、まだまだ一向駄眼でございますが、帰幽当座の私などはまるで醜くい執着の凝塊、只今想い出しても顔が赭らんで了います……。  兎に角神様も斯んなききわけのない私の処置にはほとほとお手を焼かれたらしく、いろいろと手をかえ、品をかえて御指導の労を執ってくださいましたが、やがて私の祖父……私より十年ほど前に歿りました祖父を連れて来て、私の説諭を仰せつけられました。何にしろとても逢われないものと思い込んでいた肉親の祖父が、元の通りの慈愛に溢れた温容で、泣き悶えている私の枕辺にひょっくりとその姿を現わしたのですから、その時の私のうれしさ、心強さ! 『まあお爺さまでございますか!』私は覚えず跳び起きて、祖父の肩に取り縋って了いました。帰幽後私の暗い暗い心胸に一点の光明が射したのは実にこの時が最初でございました。  祖父はさまざまに私をいたわり、且つ励ましてくれました。―― 『そなたも若いのに歿なって、まことに気の毒なことであるが、世の中はすべて老少不定、寿命ばかりは何んとも致方がない。これから先きはこの祖父も神さまのお手伝として、そなたの手引きをして、是非ともそなたを立派なものに仕上げて見せるから、こちらへ来たとて決して決して心細いことも、又心配なこともない。請合って、他の人達よりも幸福なものにしてあげる……。』  祖父の言葉には格別これと取り立てていうほどのこともないのですが、場合が場合なので、それは丁度しとしとと降る春雨の乾いた地面に浸みるように、私の荒んだ胸に融け込んで行きました。お蔭で私はそれから幾分心の落付きを取り戻し、神さまの仰せにもだんだん従うようになりました。人を見て法を説けとやら、こんな場合には矢張り段違いの神様よりも、お馴染みの祖父の方が、却って都合のよいこともあるものと見えます。私の祖父の年齢でございますか――たしか祖父は七十余りで歿りました。白哲で細面の、小柄の老人で、歯は一本なしに抜けて居ました。生前は薄い頭髪を茶筌に結っていましたが、幽界で私の許に訪れた時は、意外にもすっかり頭顱を丸めて居りました。私と異って祖父は熱心な仏教の信仰者だった為めでございましょう……。 八、岩窟  話が少し後に戻りますが、この辺で一つ取りまとめて私の最初の修行場、つまり、私がこちらの世界で真先きに置かれました境涯につきて、一と通り申述べて置くことに致したいと存じます。実は私自身も、初めてこちらの世界に眼を覚ました当座は、只一図に口惜しいやら、悲しいやらで胸が一ぱいで、自分の居る場所がどんな所かというような事に、注意するだけの心の余裕とてもなかったのでございます。それに四辺が妙に薄暗くて気が滅入るようで、誰しもあんな境遇に置かれたら、恐らくあまり朗かな気分にはなれそうもないかと考えられるのでございます。  が、その中、あの最初の精神の暴風雨が次第に収まるにつれて、私の傷けられた頭脳にも少しづつ人心地が出てまいりました。うとうとしながらも私は考えました。―― 『私は今斯うして、たった一人法師で寝ているが、一たいここは何んな所かしら……。私が死んだものとすれば、ここは矢張り冥途とやらに相違ないであろうが、しかし私は三途の川らしいものを渡った覚えはない……閻魔様らしいものに逢った様子もない……何が何やらさっぱり腑に落ちない。モー少し光明が射してくれると良いのだが……。』  私は少し枕から頭部を擡げて、覚束ない眼つきをして、あちこち見𢌞したのでございます。最初は、何やら濛気でもかかっているようで、物のけじめも判りかねましたが、その中不図何所からともなしに、一条の光明が射し込んで来ると同時に、自分の置かれている所が、一つの大きな洞穴――岩屋の内部であることに気づきました。私は、少なからずびっくりしました。―― 『オヤオヤ! 私は不思議な所に居る……私は夢を見ているのかしら……それとも爰は私の墓場かしら……。』  私は全く途方に暮れ、泣くにも泣かれないような気持で、ひしと枕に噛りつくより外に詮術もないのでした。  その時不意に私の枕辺近くお姿を現わして、いろいろと難有い慰めのお言葉をかけ、又何くれと詳しい説明をしてくだされたのは、例の私の指導役の神様でした。痒い所へ手が届くと申しましょうか、神様の方では、いつもチャーンとこちらの胸の中を見すかしていて、時と場合にぴったり当てはまった事を説ききかせてくださるのでございますから、どんなに判りの悪い者でも最後にはおとなしく耳を傾けることになって了います。私などは随分我執の強い方でございますが、それでもだんだん感化されて、肉身のお祖父様のようにお慕い申上げ、勿体ないとは知りつつも、私はいつしかこの神様を『お爺さま』とお呼び申上げるようになって了いました。前にも申上げたとおり私のような者がドーやら一人前のものになることができましたのは、偏にお爺さまのお仕込みの賜でございます。全く世の中に神様ほど難有いものはございませぬ。善きにつけ、悪しきにつけ、影身に添いて、人知れず何彼とお世話を焼いてくださるのでございます。それがよく判らないばかりに、兎角人間はわが侭が出たり、慢心が出たりして、飛んだ過失をしでかすことにもなりますので……。これはこちらの世界に引越して見ると、だんだん判ってまいります。  うっかりつまらぬ事を申上げてお手間を取らせました。私は急いで、あの時、神様が幽界の修行の事、その他に就いて私に言いきかせて下されたお話の要点を申上げることに致しましょう。それは大体斯うでございました。―― 『そなたは今岩屋の内部に居ることに気づいて、いろいろ思い惑って居るらしいが、この岩屋は神界に於いて、そなたの修行の為めに特にこしらえてくだされた、難有い道場であるから、当分比所でみっしり修行を積み、早く上の境涯へ進む工夫をせねばならぬ。勿論ここは墓場ではない。墓は現界のもので、こちらの世界に墓はない……。現在そなたの眼にはこの岩屋が薄暗く感ずるであろうが、これは修行が積むにつれて自然に明るくなる。幽界では、暗いも、明るいもすべてその人の器量次第、心の明るいものは何所に居ても明るく、心の暗いものは、何所へ行っても暗い……。先刻そなたは三途の川や、閻魔様の事を考えていたらしいが、あれは仏者の方便である。嘘でもないが又事実でもない。あのようなものを見せるのはいと容易いがただ我国の神の道として、一切方便は使わぬことにしてある……。そなたはただ一人この道場に住むことを心細いと思うてはならぬ。入口には注連縄が張ってあるので、悪魔外道の類は絶対に入ることはできぬ。又たとえ何事が起っても、神の眼はいつも見張っているから、少しも不安を感ずるには及ばぬ……。すべて修行場は人によりてめいめい異う。家屋の内部に置かるるものもあれば、山の中に置かるる者もある。親子夫婦の間柄でも、一所には決して住むものでない。その天分なり、行状なりが各自異うからである。但し逢おうと思えば差支ない限りいつでも逢える……。』  一応お話が終った時に、神様はやおら私の手を執って、扶け起こしてくださいました。『そなたも一つ元気を出して、歩るいて見るがよい。病気は肉体のもので、魂に病気はない。これから岩屋の模様を見せてつかわす……。』  私はついふらふらと起き上りましたが、不思議にそれっきり病人らしい気持が失せて了い、同時に今迄敷いてあった寝具類も烟のように消えて了いました。私はその瞬間から現在に至るまで、ただの一度も寝床の上に臥たいと思った覚えはございませぬ。  それから私は神様に導かれて、あちこち歩いて見て、すっかり岩屋の内外の模様を知ることができました。岩屋は可なり巨きなもので、高さと幅さは凡そ三四間、奥行は十間余りもございましょうか。そして中央の所がちょっと折れ曲って、斜めに外に出るようになって居ります。岩屋の所在地は、相当に高い、岩山の麓で、山の裾をくり抜いて造ったものでございました。入口に立って四辺を見ると、見渡す限り山ばかりで、海も川も一つも見えません。現界の景色と比べて別に格段の相違もありませぬが、ただこちらの景色の方がどことなく浄らかで、そして奥深い感じが致しました。  岩屋の入口には、神様の言われましたとおり、果たして新しい注連縄が一筋張ってありました。 九、神鏡  一と通り見物が済むと、私達は再び岩屋の内部へ戻って来ました。すると神様は私に向い、早速修行のことにつきて、噛んでくくめるようにいろいろと説きさとしてくださるのでした。 『これからのそなたの生活は、現世のそれとはすっかり趣が変るから一時も早くそのつもりになってもらわねばならぬ。現世の生活にありては、主なるものが衣食住の苦労、大概の人間はただそれっきりの事にあくせくして一生を過して了うのであるが、こちらでは衣食住の心配は全然ない。大体肉体あっての衣食住で、肉体を棄てた幽界の住人は、できる丈早くそうした地上の考えを頭脳の中から払いのける工夫をせなければならぬ。それからこちらの住人として何より慎まねばならぬは、怨み、そねみ、又もろもろの欲望……そう言ったものに心を奪われるが最後、つまりは幽界の亡者として、いつまで経っても浮ぶ瀬はないことになる。で、こちらの世界で、何よりも大切な修行というのは精神の統一で、精神統一以外には殆んど何物もないといえる。つまりこれは一心不乱に神様を念じ、神様と自分とを一体にまとめて了って、他の一切の雑念妄想を払いのける工夫なのであるが、実地に行って見ると、これは思いの外に六ヶしい仕事で、少しの油断があれば、姿はいかに殊勝らしく神様の前に坐っていても、心はいつしか悪魔の胸に通っている。内容よりも外形を尚ぶ現世の人の眼は、それで結構くらませることができても、こちらの世界ではそのごまかしはきかぬ。すべては皆神の眼に映り、又或る程度お互の眼にも映る……。で、これからそなたも早速この精神統一の修行にかからねばならぬが、もちろん最初から完全を望むのは無理で、従って或る程度の過失は見逃しもするが、眼にあまる所はその都度きびしく注意を与えるから、そなたもその覚悟で居てもらいたい。又何ぞ望みがあるなら、今の中に遠慮なく申出るがよい。無理のないことであるならすべて許すつもりであるから……。』  漸く寝床を離れたと思えば、モーすぐこのようなきびしい修行のお催促で、その時の私は随分辛いことだ、と思いました。その後こちらで様子を窺って居りますと、人によりては随分寛やかな取扱いを受け、まるで夢のような、呑気らしい生活を送っているものも沢山見受けられますが、これはドーいう訳か私にもよく判りませぬ。私などはとりわけ、きびしい修行を仰せつけられた一人のようで、自分ながら不思議でなりませぬ。矢張りこれも身魂の因縁とやら申すものでございましょうか……。  それは兎も角も、私は神様から何ぞ望みのものを言えと言われ、いろいろと考え抜いた末にたった一つだけ註文を出しました。 『お爺さま、何うぞ私に一つの御神鏡を授けて戴き度う存じます。私はそれを御神体としてその前で精神統一の修行を致そうと思います。何かの目標がないと、私にはとても神様を拝むような気分になれそうもございませぬ……。』 『それは至極尤もな願いじゃ、直ちにそれを戴いてつかわす。』  お爺さまは快く私の願いを入れ、ちょっとあちらを向いて黙祷されましたが、モー次ぎの瞬間には、白木の台座の附いた、一体の御鏡がお爺さまの掌に載っていました。右の御鏡は早速岩屋の奥の、程よき高さの壁の凹所に据えられ、私の礼拝の最も神聖な目標となりました。それからモー四百余年、私の境涯はその間に幾度も幾度も変りましたが、しかし私は今も尚おその時戴いた御鏡の前で静座黙祷をつづけて居るのでございます。 十、親子の恩愛  参考の為めに少し幽界の修行の模様をききたいと仰っしゃいますか……。宜しうございます。私の存じていることは何なりとお話し致しますが、しかし現界で行るのと格別の相違もございますまい。私達とて矢張り御神前に静座して、心に天照大御神様の御名を唱え、又八百万の神々にお願いして、できる丈きたない考えを払いのける事に精神を打ち込むのでございます。もとより肉体はないのですから、現世で行るような、斎戒沐浴は致しませぬ。ただ斎戒沐浴をしたと同一の浄らかな気持になればよいのでございまして……。  それで、本当に深い深い統一状態に入ったとなりますと、私どもの姿はただ一つの球になります。ここが現世の修行と幽界の修行との一ばん目立った相違点かも知れませぬ。人間ではどんなに深い統一に入っても、躯が残ります。いかに御本人が心で無と観じましても、側から観れば、その姿はチャーンと其所に見えて居ります。しかるに、こちらでは、真実の精神統一に入れば、人間らしい姿は消え失せて、側からのぞいても、たった一つの白っぽい球の形しか見えませぬ。人間らしい姿が残って居るようでは、まだ修行が積んでいない何よりの証拠なのでございます。『そなたの、その醜るしい姿は何じゃ! まだ執着が強過ぎるぞ……。』私は何度醜るしい姿をお爺様に見つけられてお叱言を頂戴したか知れませぬ。自分でも、こんな事では駄目であると思い返して、一生懸命神様を念じて、飽まで浄らかな気分を続けようとあせるのでございますが、あせればあせるほど、チラリチラリと暗い影が射して来て統一を妨げて了います。私の岩屋の修行というのは、つまり斯うした失敗とお叱言の繰りかえしで、自分ながらほとほと愛想が尽きる位でございました。私というものはよくよく執着の強い、罪の深い、女性だったのでございましょう。――この生活が何年位続いたかとのお訊ねでございますか……。自分では一切夢中で、さほどに永いとも覚えませんでしたが、後でお爺さまから伺いますと、私の岩屋の修行は現世の年数にして、ざっと二十年余りだったとの事でございます。  現世的執着の中で、私にとりて、何よりも断ち切るのに骨が折れましたのは、前申すとおり矢張り、血を分けた両親に対する恩愛でございました。現世で何一つ孝行らしい事もせず、ただ一人先立ってこちらの世界に引越して了ったのかと考えますと、何ともいえずつらく、悲しく、残り惜しく、相済まなく、坐ても立っても居られないように感ぜられるのでございました。人間何がつらいと申しても、親と子とが順序をかえて死ぬるほど、つらいことはないように思われます。無論私には良人に対する執着もございました。しかし良人は私よりも先きに歿なって居り、それに又神さまが、時節が来れば逢わしてもやると申されましたので、そちらの方の断念は割合早くつきました。ただ現世に残した父母の事はどうあせりましてもあきらめ兼ねて悩み抜きました。そんな場合には、神様も、精神統一も、まるきりあったものではございませぬ。私はよく間近の岩へ齧りついて、悶え泣きに泣き入りました。そんな真似をしたところで、一たん死んだ者が、とても現世へ戻れるものでない事は充分承知しているのですが、それで矢張り止めることができないのでございます。  しかも何より困るのは、現世に残っている父母の悲嘆が、ひしひしと幽界まで通じて来ることでございました。両親は怠らず、私の墓へ詣でて花や水を手向け、又十日祭とか、五十日祭とか申す日には、その都度神職を招いて鄭重なお祭祀をしてくださるのでした。修行未熟の、その時分の私には、現界の光景こそ見えませんでしたが、しかし両親の心に思っていられることは、はっきりとこちらに感じて参るばかりか、『姫や姫や!』と呼びながら、絶え入るばかりに泣き悲しむ母の音声までも響いて来るのでございます。あの時分のことは今想い出しても自ずと涙がこぼれます……。  斯う言った親子の情愛などと申すものは、いつまで経ってもなかなか消えて無くなるものではないようで、私は現在でも矢張り父は父としてなつかしく、母は母として慕わしく感じます。が、不思議なもので、だんだん修行が積むにつれて、ドーやら情念の発作を打消して行くのが上手になるようでございます。それがつまり向上なのでございましょうかしら……。 十一、守刀  躯がなくなって、こちらの世界に引移って来ても、現世の執着が容易に除れるものでない事は、すでに申上げましたが、序でにモー少しここで自分の罪過を申上げて置くことに致しましょう。口頭ですっかり悟ったようなことを申すのは何でもありませぬが、実地に当って見ると思いの外に心の垢の多いのが人間の常でございます。私も時々こちらの世界で、現世生活中に大へん名高かった方々にお逢いすることがございますが、そうきれいに魂が磨かれた方ばかりも見当りませぬ。『あんな名僧知識と謳われた方がまだこんな薄暗い境涯に居るのかしら……。』時々意外に感ずるような場合もあるのでございます。  さてお約束の懺悔でございますが、私にとりて、何より身にしみているのを一つお話し致しましょう。それは私の守刀の物語でございます。忘れもしませぬ、それは私が三浦家へ嫁入りする折のことでございました、母は一振りの懐剣を私に手渡し、 『これは由緒ある御方から母が拝領の懐剣であるが、そなたの一生の慶事の紀念に、守刀としてお譲りします。肌身離さず大切に所持してもらいます……。』  両眼に涙を一ぱい溜めて、赤心こめて渡された紀念の懐剣――それは刀身といい、又装具といい、まことに申分のない、立派なものでございましたが、しかし私に取りましては、懐剣そのものよりも、それがなつかしい母の形見であることが、他の何物にもかえられぬほど大切なのでございました。私は一生涯その懐剣を自分の魂と思って肌身に附けて居たのでした。  いよいよ私の病勢が重って、もうとても難しいと思われました時に、私は枕辺に坐って居られる母に向かって頼みました。『私の懐剣は何卒このまま私と一緒に棺の中に納めて戴きとうございますが……。』すると母は即座に私の願を容れて、『その通りにしてあげますから安心するように……。』と、私の耳元に口を寄せて力強く囁いてくださいました。  私がこちらの世界に眼を覚ました時に、私は不図右の事柄を想い出しました。『母はあんなに固く請合ってくだされたが、果して懐剣が遺骸と一緒に墓に収めてあるかしら……。』そう思うと私はどうしてもそれが気懸りで気懸りで耐らなくなりました。とうとう私はある日指導役のお爺様に一伍一什を物語り、『若しもあの懐剣が、私の墓に収めてあるものなら、どうぞこちらに取寄せて戴きたい。生前と同様あれを守刀に致し度うございます……。』とお依みしました。今の世の方々には守刀などと申しても、或は頭に力強く響かぬかも存じませぬが、私どもの時代には、守刀はつまり女の魂、自分の生命から二番目の大切な品物だったのでございます。  神様もこの私の願を無理からぬ事と思召めされたか、快くお引受けしてくださいました。そして例のとおり、ちょっと精神の統一をして私の墓を透視されましたが、すぐにお判りになったものと見え『フムその懐剣なら確かに彼所に見えている。宜しい神界のお許しを願って、取寄せてつかわす……。』  そう言われたかと見ると、次ぎの瞬間には、お爺さまの手の中に、私の世にも懐かしい懐剣が握られて居りました。無論それは言わば刀の精だけで、現世の刀ではないのでございましょうが、しかしいかに査べて見ても、金粉を散らした、濃い朱塗りの装具といい、又それを包んだ真紅の錦襴の袋といい、生前現世で手慣れたものに寸分の相違もないのでした。私は心からうれしくお爺様に厚くお礼を申上げました。  私は右の懐剣を現在とても大切に所持して居ります。そして修行の時にはいつも之を御鏡の前へ備えることにして居るのでございます。  これなどは、一段も二段も上の方から御覧になれば、やはり一種の執着と言わるるかも存じませぬが、私どもの境涯では、どうしてもまだ斯うした執着からは離れ切れないのでございます。 十二、愛馬との再会  岩屋の修行中に、モー一つちょっと面白い話がございますから、序でに申上げることに致しましょう。それは私が、こちらで自分の愛馬に再会したお話でございます。  前にもお話し致しましたが、私は三浦家へ嫁入りしてから初めて馬術の稽古をいたしました。最初は馬に乗るのが何やら薄気味悪いように思われましたが、行って居ります内にだんだんと乗馬が好きになったと言うよりも、寧ろ馬が可愛くなって来たのでございます。乗り馴らした馬というものは、それはモー不思議なほど可愛くなるもので、事によると経験のないお方には、その真実の味いはお判りにならぬかも知れません。  私の愛馬と申しますのは、良人がいろいろと捜した上に、最後に、これならば、と見立ててくれたほどのことがございまして、それはそれは優さしい、美事な牡馬でございました。背材はそう高くはございませぬが、総体の地色は白で、それに所々に黒の斑点の混った美しい毛並は今更自慢するではございませぬが、全く素晴らしいもので、私がそれに乗って外出をした時には、道行く者も足を停めて感心して見惚れる位でございました。ナニ乗者に見惚れたのではないかと仰っしゃるか……。御冗談ばかり、そんな酔狂な者は只の一人だってございません。私の馬に見惚れたのでございます……。  そうそうこの馬の命名につきましては、良人と私との間に、なかなかの悶着がございました。私は優さしい名前がよいと思いまして、さんざん考え抜いた末にやっと『鈴懸』という名を思いついたのでございます。すると良人は私と意見が違いまして、それは余り面白くない、是非『若月』にせよと言い張って、何と申しても肯き入れないのです。私は内心不服でたまりませんでしたが、もともと良人が見立ててくれた馬ではあるし、とうとう『若月』と呼ぶことになって了いました。『今度は私が負けて置きます。しかしこの次ぎに良い馬が手に入った時はそれは是非鈴懸と呼ばせていただきます……。』私はそんなことを良人に申したのを覚えて居ります。しかしそれから間もなく、あの北條との戦闘が起ったので、私の望みはとうとう遂げられずに終りました。  とに角名前につきては最初斯んないきさつがありましたものの、私は若月が好きで好きで耐らないのでした。馬の方でも亦私によく馴染んで、私の姿が見えようものなら、さもうれしいと言った表情をして、あの巨きな躯をすり附けて来るのでした。  落城後私があちこち流浪をした時にも、若月はいつも私に附添って、散々苦労をしてくれました。で、私の臨終が近づきました時には、私は若月を庭前へ召んで貰って、この世の訣別を告げました。『汝にもいろいろ世話になりました……。』心の中でそう思った丈でしたが、それは必らず馬にも通じたことであろうと考えられます。これほど可愛がった故でもございましょう、私が岩屋の内部で精神統一の修行をしている時に、ある時思いも寄らず、若月の姿が私の眼にはっきりと映ったのでございます。 『事によると若月は最う死んだのかも知れぬ……。』  そう感じましたので、お爺さまにお訊ねして見ますと、果してこちらの世界に引越して居るとの事に、私は是非一と目昔の愛馬に逢って見たくて耐らなくなりました。 『甚だ勝手なお願いながら、一度若月の許へ連れて行ってくださる訳にはまいりますまいか……。』 『それはいと易いことじゃ。』と例の通りお爺さまは親切に答へてくださいました。『馬の方でもひどくそなたを慕っているから一度は逢って置くがよい。これから一緒に連れて行って上げる……。』  幽界では、何所をドー通って行くのか、途中のことは殆んど判りませぬ。そこが幽界の旅と現世の旅との大した相違点でございますが、兎も角も私達は、瞬く間に途中を通り抜けて、或る一つの馬の世界へまいりました。そこには見渡す限り馬ばかりで、他の動物は一つも居りません。しかし不思議なことには、どの馬もどの馬も皆逞ましい駿馬ばかりで、毛並みのもじゃもじゃした、イヤに脚ばかり太い駄馬などは何処にも見かけないのでした。 『私の若月も爰に居るのかしら……。』  そう思い乍ら、不図向うの野原を眺めますと、一頭の白馬が群れを離れて、飛ぶが如くに私達の方へ馳け寄ってまいりました。それはいうまでもなく、私の懐かしい、愛馬でございました。 『まァ若月……汝、よく来てくれた……。』  私は心から嬉しく、しきりに自分にまつわり附く愛馬の鼻を、いつまでもいつまでも軽く撫でてやりました。その時の若月のうれしげな面持……私は覚えず泪ぐんで了ったのでございました。  しばらく馬と一緒に遊んで、私は大へん軽い気持になって戻って来ましたが、その後二度と行って見る気にもなれませんでした。人間と動物との間の愛情にはいくらかあっさりしたところがあるものと見えます……。 十三、母の臨終  岩屋の修行中に誰かの臨終に出会ったことがあるか、とのお訊ねでございますか。――それは何度も何度もあります。私の父も、母も、それから私の手元に召使っていた、忠実な一人の老僕なども、私が岩屋に居る時に前後して歿しまして、その都度私はこちらから、見舞に参ったのでございます。何れあなたとしては、幽界から観た臨終の光景を知りたいと仰ッしゃるのでございましょう。宜しうございます。では、標本のつもりで、私の母の歿った折の模様を、ありのままにお話し致しましょう。わざわざ査べるのが目的で、行った仕事ではないのですから、むろんいろいろ見落しはございましょう。その点は充分お含みを願って置きます。機会がありましたら、誰かの臨終の実況を査べに出掛て見ても宜しうございます。ここに申上げるのはホンの当時の私が観たまま感じたままのお話でございます。  それは私が歿ってから、最うよほど経った時……かれこれ二十年近くも過ぎた時でございましょうか、ある日私が例の通り御神前で修行して居りますと、突然母の危篤の報知が胸に感じて参ったのでございます。斯うした場合には必らず何等かの方法で報知がありますもので、それは死ぬる人の思念が伝わる場合もあれば、又神様から特に知らせて戴く場合もあります。その他にもまだいろいろありましょう。母の臨終の際には、私は自力でそれを知ったのでございました。  私はびっくりして早速鎌倉の、あの懐かしい実家へと飛んで行きましたが、モーその時はよくよく臨終が迫って居りまして、母の霊魂はその肉体から半分出たり、入ったりしている最中でございました。人間の眼には、人の臨終というものは、ただ衰弱した一つの肉体に起る、あの悲惨な光景しか映りませぬが、私にはその外にまだいろいろの光景が見えるのでございます。就中一番目立つのは肉体の外に霊魂――つまりあなた方の仰っしゃる幽体が見えますことで……。  御承知でもございましょうが、人間の霊魂というものは、全然肉体と同じような形態をして肉体から離れるのでございます。それは白っぽい、幾分ふわふわしたもので、そして普通は裸体でございます。それが肉体の真上の空中に、同じ姿勢で横臥している光景は、決してあまり見よいものではございませぬ。その頃の私は、もう幾度も経験がありますので、さほどにも思いませんでしたが、初めて人間の臨終に出会た時は、何とまァ変怪なものかしらんと驚いて了いました。  最う一つおかしいのは肉体と幽体との間に紐がついて居ることで、一番太いのが腹と腹とを繋ぐ白い紐で、それは丁度小指位の太さでございます。頭部の方にもモー一本見えますが、それは通例前のよりもよほど細いようで……。無論斯うして紐で繋がれているのは、まだ絶息し切らない時で、最後の紐が切れた時が、それがいよいよその人の死んだ時でございます。  前申すとおり、私が母の枕辺に参りましたのは、その紐が切れる少し前でございました。母はその頃モー七十位、私が最後にお目にかかった時とは大変な相違で、見る影もなく、老いさらぼいて居りました。私はすぐ耳元に近づいて、『私でございます……』と申しましたが、人間同志で、枕元で呼びかわすのとは異い、何やらそこに一重隔てがあるようで、果してこちらの意思が病床の母に通じたか何うかと不安に感じられました。――尤もこれは地上の母に就いて申上げることで、肉体を棄てて了ってからの母の霊魂とは、むろん自由自在に通じたのでございます。母は帰幽後間もなく意識を取りもどし、私とは幾度も幾度も逢って、いろいろ越し方の物語に耽りました。母は、死ぬる前に、父や私の夢を見たと言って居りましたが、もちろんそれはただの夢ではないのです。つまり私達の意思が夢の形式で、病床の母に通じたものでございましょう……。  それは兎に角、あの時私は母の断末魔の苦悶の様を見るに見兼ねて、一生懸命母の躯を撫でてやったのを覚えています。これは只の慰めの言葉よりも幾分かききめがあったようで、母はそれからめっきりと楽になって、間もなく気息を引きとったのでございました。すべて何事も赤心をこめて一心にやれば、必らずそれ丈の事はあるもののようでございます。  母の臨終の光景について、モー一つ言い残してならないのは、私の眼に、現世の人達と同時に、こちらの世界の見舞者の姿が映ったことでございます。母の枕辺には人間は約十人余り、何れも眼を泣きはらして、永の別れを惜んでいましたが、それ等の人達の中で私が生前存じて居りましたのはたった二人ほどで、他は見覚えのない人達ばかりでした。それからこちらの世界からの見舞者は、第一が、母よりも先きへ歿った父、つづいて祖父、祖母、肉身の親類縁者、親しいお友達、それから母の守護霊、司配霊、産土の御神使、……一々数えたらよほどの数に上ったでございましょう。兎に角現世の見舞者よりはずっと賑かでございました。第一、双方の気分がすっかり異います。一方は自分達の仲間から親しい人を失うのでございますから、沈み切って居りますのに、他方は自分達の仲間に親しき人を一人迎えるのでございますから、寧ろ勇んでいるような、陽気な面持をしているのでございます。こんな事は、私の現世生活中には全く思いも寄らぬ事柄でございまして……。  他にも気づいた点がまだないではありませぬが、拙な言葉でとても言い尽せぬように思われますので、母の臨終の物語は、一と先ずこれ位にして置きましょう。 十四、守護霊との対面  第一期の修行中に経験した、重なる事柄につきては、以上で大体申上げたつもりでございますが、ただもう一つここで是非とも言い添えて置かねばならないと思いますのは私の守護霊の事でございます。誰にも一人の守護霊が附いて居ることは、心霊に志す方々の御承知の通りでございますが、私にも勿論一人の守護霊が附いて居り、そしてその守護霊との関係はただ現世のみに限らず、肉体の死後も引きつづいて、切っても切れぬ因縁の絆で結ばれて居るのでございます。もっとも、そうした事柄がはっきり判りましたのはよほど後の事で、帰幽当時の私などは、自分に守護霊などと申すものが有るか、無いかさえも全然知らなかったのでございます。で、私がこちらの世界で初めて自分の守護霊にお目にかかった時は、少なからず意外に感じまして、従ってその時の印象は今でもはっきりと頭脳に刻まれて居ります。  ある日私が御神前で、例の通り深い精神統一の状態に入って居た時でございます、意外にも一人の小柄の女性がすぐ眼の前に現われ、いかにも優さしく、私を見てにっこりと微笑まれるのです。打見る所、年齢は二十歳余り、顔は丸顔の方で、緻致はさしてよいとも言われませぬが、何所となく品位が備わり、雪なす富士額にくっきりと黛が描かれて居ります。服装は私の時代よりはやや古く、太い紐でかがった、広袖の白衣を纏い、そして下に緋の袴を穿いて居るところは、何う見ても御所に宮仕えして居る方のように窺われました。  意外なのは、この時初めてお目に懸ったばかりの、全然未知のお方なのにも係らず、私の胸に何ともいえぬ親しみの念がむくむくと湧いて出たことで……。それにその表情、物ごしがいかにも不思議……先方は丸顔、私は細面、先方は小柄、私は大柄、外形はさまで共通の個所がないにも係らず、何所とも知れず二人の間に大変似たところがあるのです。つまりは外面はあまり似ないくせに、底の方でよく似て居ると言った、よほど不思議な似方なのでございます。 『あの、どなた様でございますか……。』  漸く心を落つけて私の方から訊ねました。すると先方は不相変にこやかに―― 『あなたは何も知らずに居られたでしょうが、実は自分はあなたの守護霊……あなたの一身上の事柄は何も彼も良う存じて居るものなのです。時節が来ぬ為めに、これまで蔭に控えて居ましたが、これからは何事も話相手になって上げます。』  私は嬉しいやら、恋しいやら、又不思議やら、何が何やらよくは判らぬ複雑な感情でその時初めて自分の魂の親の前に自身を投げ出したのでした。それは丁度、幼い時から別れ別れになっていた母と子が、不図どこかでめぐり合った場合に似通ったところがあるかも知れませぬ。何れにしてもこの一事は私にとりてまことに意外な、又まことに意義のある貴い経験でございました。  激しい昂奮から冷めた私は、もちろん私の守護霊に向っていろいろと質問の矢を放ち、それでも尚お腑に落ちぬ個所があれば、指導役のお爺様にも根掘り葉掘り問いつめました。お蔭で私の守護霊の素性はもとより、人間と守護霊の関係、その他に就きて大凡の事が漸く会得されるようになりました。――あの、それを残らず爰で物語れと仰っしゃるか……宜しうございます。何も御道の為めとあれば、私の存じて居る限りは逐一申上げて了いましょう。話が少し堅うございまして、何やら青表紙臭くなるかも存じませぬが、それは何卒大目に見逃がして戴きます。又私の申上げることにどんな誤謬があるかも計りかねますので、そこはくれぐれもただ一つの参考にとどめて戴きたいのでございます。私はただ神様やら守護霊様からきかされたところをお取次ぎするのですから、これが誤謬のないものだとは決して言い張るつもりはございませぬ……。 十五、生みの親魂の親  成るべく話の筋道が通るよう、これからすべてを一と纏めにして、私が長い年月の間にやっとまとめ上げた、守護霊に関するお話を順序よく申上げて見たいと存じます。それにつきては、少し奥の方まで溯って、神様と人間との関係から申上げねばなりませぬ。  昔の諺に『人は祖に基き、祖は神に基く』とやら申して居りますが、私はこちらの世界へ来て見て、その諺の正しいことに気づいたのでございます。神と申しますのは、人間がまだ地上に生れなかった時代からの元の生神、つまりあなた方の仰っしゃる『自我の本体』又は高級の『自然霊』なのでございます。畏れ多くはございますが、我国の御守護神であらせられる邇々藝命様を始め奉り、邇々藝命様に随って降臨された天児屋根命、天太玉命などと申す方々も、何れも皆そうした生神様で、今も尚お昔と同じく地の神界にお働き遊ばしてお出でになられます。その本来のお姿は白く光った球の形でございますが、余ほど真剣な気持で深い統一状態に入らなければ、私どもにもそのお姿を拝することはできませぬ。まして人間の肉眼などに映る気づかいはございませぬ。尤もこの球の形は、凝とお鎮まり遊ばした時の本来のお姿でございまして、一たんお働きかけ遊ばしました瞬間には、それぞれ異なった、世にも神々しい御姿にお変り遊ばします。更に又何かの場合に神々がはげしい御力を発揮される場合には荘厳と言おうか、雄大と申そうか、とても筆紙に尽されぬ、あの怖ろしい竜姿をお現わしになられます。一つの姿から他の姿に移り変ることの迅さは、到底造り附けの肉体で包まれた、地上の人間の想像の限りではございませぬ。  無論これ等の元の生神様からは、沢山の御分霊……つまり御子様がお生れになり、その御分霊から更に又御分霊が生れ、神界から霊界、霊界から幽界へと順々に階段がついて居ります。つまりすべてに亘りて連絡はとれて居り乍ら、しかしそのお受持がそれぞれ異うのでございます。こちらの世界をたった一つの、無差別の世界と考えることは大変な間違いで、例えば邇々藝命様に於かれましても、一番奥の神界に於てお指図遊ばされる丈で、その御命令はそれぞれの世界の代表者、つまりその御分霊の神々に伝わるのでございます。おこがましい申分かは存じませぬが、その点の御理解が充分でないと、地上に人類の発生した径路がよくお判りにならぬと存じます。稀薄で、清浄で、殆んど有るか無きかの、光の凝塊と申上げてよいようなお形態をお有ち遊ばされた高い神様が、一足跳びに濃く鈍い物質の世界へ、その御分霊を植え附けることは到底できませぬ。神界から霊界、霊界から幽界へと、だんだんにそのお形態を物質に近づけてあったればこそ、ここに初めて地上に人類の発生すべき段取に進み得たのであると申すことでございます。そんな面倒な手続を踏んであってさえも、幽から顕に、肉体のないものから肉体のあるものに、移り変るには、実に容易ならざる御苦心と、又殆んど数えることのできない歳月を閲したということでございます。一番困るのは物質というものの兎角崩れ易いことで、いろいろ工夫して造って見ても、皆半途で流れて了い、立派に魂の宿になるような、完全な人体は容易に出来上らなかったそうでございます。その順序、方法、又発生の年代等に就きても、或る程度まで神様から伺って居りますが、只今それを申上げている遑はございませぬ。いずれ改めて別の機会に申上げることに致しましょう。  兎に角、現在の人間と申すものが、最初神の御分霊を受けて地上に生れたものであることは確かでございます。もっとくわしくいうと、男女両柱の神々がそれぞれ御分霊を出し、その二つが結合して、ここに一つの独立した身魂が造られたのでございます。その際何うして男性女性の区別が生ずるかと申すことは、世にも重大なる神界の秘事でございますが、要するにそれは男女何れかが身魂の中枢を受持つかできまる事だそうで、よく気をつけて、天地の二神誓約の段に示された、古典の記録を御覧になれば大体の要領はつかめるとのことでございます。  さて最初地上に生れ出でた一人の幼児――無論それは力も弱く、智慧もとぼしく、そのままで無事に生長し得る筈はございませぬ。誰かが傍から世話をしてくれなければとても三日とは生きて居られる筈はございませぬ。そのお世話掛がつまり守護霊と申すもので、蔭から幼児の保護に当るのでございます。もちろん最初は父母の霊、殊に母の霊の熱心なお手伝もありますが、だんだん生長すると共に、ますます守護霊の働きが加わり、最後には父母から離れて立派に一本立ちの身となって了います。ですから生れた子供の性質や容貌は、或る程度両親に似て居ると同時に、又大変に守護霊の感化を受け、時とすれば殆んど守護霊の再来と申しても差支ない位のものも少くないのでございます。古事記の神代の巻に、豐玉姫からお生れになられたお子様を、妹の玉依姫が養育されたとあるのは、つまりそう言った秘事を暗示されたものだと承ります。  申すまでもなく子供の守護霊になられるものは、その子供の肉親と深い因縁の方……つまり同一系統の方でございまして、男子には男性の守護霊、女子には女性の守護霊が附くのでございます。人類が地上に発生した当初は、専ら自然霊が守護霊の役目を引き受けたと申すことでございますが、時代が過ぎて、次第に人霊の数が加わると共に、守護霊はそれ等の中から選ばれるようになりました。むろん例外はありましょうが、現在では数百年前乃至千年二千年前に帰幽した人霊が、守護霊として主に働いているように見受けられます。私などは帰幽後四百年余りで、さして新らしい方でも、又さして古い方でもございませぬ。  こんな複雑った事柄を、私の拙い言葉でできる丈簡単にかいつまんで申上げましたので、さぞお判りにくい事であろうかと恐縮して居る次第でございますが、わたくしの言葉の足りないところは、何卒あなた方の方でよきようにお察しくださるようお願い致します。 十六、守護霊との問答  岩屋の修行中に私が自分の守護霊と初めて逢ったお話を申上げたばかりに、ツイ斯んな長談議を致して了いました。斯んな拙い話が幾分たりともあなた方の御参考になればこの上もなき僥倖でございます。  序に、その際私と私の守護霊との間に行われた問答の一部を一応お話し致して置きましょう。格別面白くもございませぬが、私にとりましてはこれでも忘れ難い想い出の種子なのでございます。 問『あなたが私の守護霊であると仰っしゃるなら、何故もっと早くお出ましにならなかったのでございますか? 今迄私はお爺様ばかりを杖とも柱とも依りにして、心細い日を送って居りましたが、若しもあなたのような優さしい御方が最初からお世話をして下さったら、どんなにか心強いことであったでございましたろう……。』 答『それは一応尤もなる怨言であれど、神界には神界の掟というものがあるのです。あのお爺様は昔から産土神のお神使として、新たに帰幽した者を取扱うことにかけてはこの上もなくお上手で、とても私などの足元にも及ぶことではありませぬ。私などは修行も未熟、それに人情味と言ったようなものが、まだまだ大へんに強過ぎて、思い切ってきびしい躾を施す勇気のないのが何よりの欠点なのです。あなたの帰幽当時の、あの烈しい狂乱と執着……とても私などの手に負えたものではありませぬ。うっかりしたら、お守役の私までが、あの昂奮の渦の中に引き込まれて、徒らに泣いたり、怨んだりすることになったかも知れませぬ。かたがた私としては態とさし控えて蔭から見守って居る丈にとどめました。結局そうした方があなたの身の為めになったのです……。』 問『では今までただお姿を見せないという丈で、あなた様は私の狂乱の状態を蔭からすっかり御覧になっては居られましたので……。』 答『それはもちろんのことでございます。あなたの一身上の事柄は、現世に居った時のことも、又こちらの世界に移ってからの事も、一切知り抜いて居ります。それが守護霊というものの役目で、あなたの生活は同時に又大体私の生活でもあったのです。私の修行が未熟なばかりに、随分あなたにも苦労をさせました……。』 問『まあ勿体ないお言葉、そんなに仰せられますと私は穴へも入りたい思いがいたします……。それにしてもあなた様は何と仰っしゃる御方で、そしていつ頃の時代に現世にお生れ遊されましたか……。』 答『改めて名告るほどのものではないのですが、斯うした深い因縁の絆で結ばれている上からは、一と通り自分の素性を申上げて置くことに致しましょう。私はもと京の生れ、父は粟屋左兵衞と申して禁裡に仕えたものでございます。私の名は佐和子、二十五歳で現世を去りました。私の地上に居った頃は朝廷が南と北との二つに岐れ、一方には新田、楠木などが控え、他方には足利その他東国の武士どもが附き随い、殆んど連日戦闘のない日とてもない有様でした……。私の父は旗色の悪い南朝方のもので、従って私どもは生前に随分数々の苦労辛酸を嘗めました……。』 問『まあそれはお気の毒なお身の上……私の身に引きくらべて、心からお察し致します……。それにしても二十五歳で歿なられたとの事でございますが、それまでずっとお独身で……。』 答『独身で居りましたが、それには深い理由があるのです……。実は……今更物語るのもつらいのですが、私には幼い時から許嫁の人がありました。そして近い内に黄道吉日を択んで、婚礼の式を挙げようとしていた際に、不図起りましたのがあの戦乱、間もなく良人となるべき人は戦場の露と消え、私の若き日の楽しい夢は無残にも一朝にして吹き散らされて了いました……。それからの私はただ一個の魂の脱けた生きた骸……丁度蝕まれた花の蕾のしぼむように、次第に元気を失って、二十五の春に、さびしくポタリと地面に落ちて了ったのです。あなたの生涯も随分つらい一生ではありましたが、それでも私のにくらぶれば、まだ遥かに花も実もあって、どれ丈幸福だったか知れませぬ。上を見れば限りもないが、下を見ればまだ際限もないのです。何事も皆深い深い因縁の結果とあきらめて、お互に無益の愚痴などはこぼさぬことに致しましょう。お爺様の御指導のお蔭で近頃のあなたはよほど立派にはなりましたが、まだまだあきらめが足りないように思います。これからは私もちょいちょい見まわりにまいり、ともども向上を図りましょう……。』  その日の問答は大体斯んなところで終りましたが、斯うした一人のやさしい指導者が見つかったことは、私にとりて、どれ丈の心強さであったか知れませぬ。その後私の守護霊は約束のとおり、しばしば私の許に訪れて、いろいろと有難い援助を与えてくださいました。私は心から私のやさしい守護霊に感謝して居るものでございます。 十七、第二の修行場  私の最初の修行場――岩屋の中での物語は一と先ずこの辺でくぎりをつけまして、これから第二の山の修行場の方に移ることに致しましょう。修行場の変更などと申しますと、現世式に考えれば、随分億劫な、何やらどさくさした、うるさい仕事のように思われましょうが、こちらの世界の引越しは至極あっさりしたものでございます。それは場所の変更と申すよりは、むしろ境涯の変更、又は気分の変更と申すものかも知れませぬ。現にあの岩屋にしても、最初は何やら薄暗い陰鬱な処のように感ぜられましたが、それがいつとはなしにだんだん明るくなって、最後には全然普通の明るさ、些しも穴の内部という感じがしなくなり、それに連れて私自身の気持もずっと晴れやかになり、戸外へ出掛けて漫歩でもして見たいというような風になりました。たしかにこちらでは気分と境涯とがぴッたり一致しているもののように感ぜられます。  ある日私がいつになく統一の修行に倦きて、岩屋の入口まで何とはなしに歩み出た時のことでございました。ひょっくりそこへ現われたのが例の指導役のお爺さんでした。―― 『そなたは戸外へ出たがっているようじゃナ。』  図星をさされて私は少しきまりが悪く感じました。 『お爺さま、何ういうものか今日は気が落付かないで困るのでございます……。私はどこかへ遊びに出掛けたくなりました。』 『遊びに出たい時には出ればよいのじゃ。俺がよい場所へ案内してあげる……。』  お爺さんまでが今日はいつもよりも晴々しい面持で誘って下さいますので、私も大へんうれしい気分になって、お爺さんの後について出掛けました。  岩屋から少し参りますと、モーそこはすぐ爪先上りになって、右も左も、杉や松や、その他の常盤木のしんしんと茂った、相当険しい山でございます。あの、現界の景色と同一かと仰ッしゃるか……左様でございます。格別異っても居りませぬが、ただ現界の山よりは何やら奥深く、神さびて、ものすごくはないかと感じられる位のものでございます。私達の辿る小路のすぐ下は薄暗い谿谷になって居て、樹叢の中をくぐる水音が、かすかにさらさらと響いていましたが、気の故か、その水音までが何となく沈んで聞えました。 『モー少し行った所に大へんに良い山の修行場がある。』とお爺さんは道々私に話しかけます。 『多分そちの気に入るであろうと思うが、兎も角も一応現場へ行って見るとしようか……。』 『何卒お願い致します……。』  私はただちょっと見物する位のつもりで軽く御返答をしたのでした。  間もなく一つの険しい坂を登りつめると、其処はやや平坦な崖地になっていました。そして四辺にはとても枝ぶりのよい、見上げるような杉の大木がぎッしりと立ち並んで居りましたが、その中の一番大きい老木には注連縄が張ってあり、そしてその傍に白木造りの、小さい建物がありました。四方を板囲いにして、僅かに正面の入口のみを残し、内部は三坪ばかりの板敷、屋根は丸味のついたこけら葺き、どこにも装飾らしいものはないのですが、ただすべてがいかにも神さびて、屋根にも、柱にも、古い苔が厚く蒸して居り、それが塵一つなき、飽まで浄らかな環境としっくり融け合って居りますので、実に何ともいえぬ落付きがありました。私は覚えず叫びました。 『まァ何という結構な所でございましょう! 私、こんなところで暮しとうございます……。』  するとお爺さんは満足らしい微笑を老顔に湛へて、徐ろに言われました。―― 『実はここがそちの修行場なのじゃ。モー別に下の岩屋に帰るにも及ばぬ。早速内部へ入って見るがよい。何も彼も一切取り揃えてあるから……。』  私はうれしくもあれば、また意外でもあり、言わるるままに急いで建物の内部へ入って見ますと、中央正面の白木の机の上には果して日頃信仰の目標である、例の御神鏡がいつの間にか据えられて居り、そしてその側には、私の母の形見の、あのなつかしい懐剣までもきちんと載せられてありました。  私はわれを忘れて御神前に拝跪して心から感謝の言葉を述べたことでございました。  大体これが岩屋の修行場から山の修行場へ引越した時の実況でございます。現世の方から見れば一片の夢物語のように聴えるでございましょうが、そこが現世と幽界との相違なのだから何とも致方がございませぬ。私どもとても、幽界に入ったばかりの当座は、何やらすべてがたよりなく、又飽気なく思われて仕方がなかったもので……。しかしだんだん慣れて来ると矢張りこちらの生活の方が結構に感じられて来ました。僅か半里か一里の隣りの村に行くのにさえ、やれ従者だ、輿物だ、御召換だ……、半日もかかって大騒ぎをせねばならぬような、あんな面倒臭い現世の生活を送りながら、よくも格別の不平も言わずに暮らせたものである……。私はだんだんそんな風に感ずるようになったのでございます。何れ、あなた方にも、その味がやがてお判りになる時が参ります……。 十八、竜神の話  山の修行場へ移ってからの私は、何とはなしに気分がよほど晴れやかになったらしいのが自分にも感ぜられました。主なる仕事は矢張り御神前に静座して精神統一をやるのでございますが、ただ合間合間に私はよく室外へ出て、四辺の景色を眺めたり、鳥の声に耳をすませたりするようになりました。  前にも申上げた通り、私の修行場の所在地は山の中腹の平坦地で、崖の上に立って眺めますと、立木の隙間からずっと遠方が眼に入り、なかなかの絶景でございます。どこにも平野らしい所はなく、見渡すかぎり山又山、高いのも低いのも、又色の濃いのも淡いのも、いろいろありますが、どれも皆樹木の茂った山ばかり、尖った岩山などはただの一つも見えません。それ等が十重二十重に重なり合って絵巻物をくり拡げているところは、全く素晴らしい眺めで、ツイうっとりと見とれて、時の経つのも忘れて了う位でございます。  それから又あちこちの木々の茂みの中に、何ともいえぬ美しい鳥の音が聴えます。それは、昔鎌倉の奥山でよくきき慣れた時鳥の声に幾分似たところもありますが、しかしそれよりはもッと冴えて、賑かで、そして複雑った音色でございます。ただ一人の話相手とてもない私はどれ丈この鳥の音に慰められたか知れませぬ。どんな種類の鳥かしらと、或る時念の為めにお爺さんに伺って見ましたら、それはこちらの世界でもよほど珍らしい鳥で、現界には全然棲んでいないと申すことでございました。尤も音色が美しい割に毛並は案外つまらない鳥で、ある時不図近くの枝にとまっているところを見ると、大さは鳩位、幾分現界の鷹に似て、頚部に長い毛が生えていました。幽界の鳥でも矢張り声と毛並とは揃わぬものかしらと感心したことでございました。  もう一つ爰の景色の中で特に私の眼を惹いたものは、向って右手の山の中腹に、青葉がくれにちらちら見える一つの丹塗のお宮でございました。それはホンの三尺四方位の小さい社なのですが、見渡す限りただ緑の一色しかない中に、そのお宮丈がくッきりと朱く冴えているので大へんに目立つのでございます。私の心は次第に、そのお宮にひきつけられるようになりました。  で、ある日お爺さんが見舞われた時私は訊ねました。―― 『お爺さま、あそこに大そう美しい、丹塗のお宮が見えますが、あれはどなた様をお祀りしてあるのでございますか。』 『あれは竜神様のお宮じゃ。これからは俺にばかり依らず、直接に竜神様にもお依みするがよい……。』 『竜神様でございますか?』私は大へん意外に感じまして、 『一体それは何ういう神様でございますか?』 『そろそろそちも竜神との深い関係を知って置かねばなるまい。よほど奥深い事柄であるから、とても一度で腑には落ちまいが、その中だんだん判って来る……。』  お爺さんはあたかも寺子屋のお師匠さんと言った面持で、いろいろ講釈をしてくださいました。お爺さまは斯んな風に説き出されました。―― 『竜神というのは一と口に言えば元の活神、つまり人間が現世に現われる前から、こちらの世界で働いている神々じゃ。時として竜の姿を現わすから竜神には相違ないが、しかしいつもあんな恐ろしい姿で居るのではない。時と場合でやさしい神の姿にもなれば、又一つの丸い球にもなる。現に俺なども竜神の一人であるが、そちの指導役として現われる時は、いつも斯のような、老人の姿になっている……。ところで、この竜神と人間との関係であるが、人間の方では、何も知らずに、最初から自分一つの力で生れたもののように思って居るが、実は人間は竜神の分霊、つまりその子孫なのじゃ。ただ竜神はどこまでもこちらの世界の者、人間は地の世界の者であるから、幽から顕への移りかわりの仕事はまことに困難で、長い長い歳月を経て漸くのことでモノになったのじゃ。詳しいことは後で追々話すとして、兎に角人間は竜神の子孫、汝とても元へ溯れば、矢張りさる尊い竜神様の御末裔なのじゃ。これからはよくその事を弁えて、あの竜神様のお宮へお詣りせねばならぬ。又機会を見て竜宮界へも案内し、乙姫様にお目通りをさしてもあげる。』  お爺さんのお話は、何やらまわりくどいようで、なかなか当時の私の腑に落ち兼ねたことは申すまでもありますまい。殊におかしかったのが、竜宮界だの、乙姫様だのと申すことで、私は思わず笑い出して了いました。―― 『まァ竜宮などと申すものが実際この世にあるのでございますか。――あれは人間の仮構事ではないでしょうか……。』 『決してそうではない。』とお爺さんは飽まで真面目に、『人間界に伝わる、あの竜宮の物語は実際こちらの世界で起った事実が、幾分尾鰭をつけて面白おかしくなっているまでじゃ。そもそも竜宮と申すのは、あれは神々のおくつろぎ遊ばす所……言わば人間界の家庭の如きものじゃ。前にものべた通り、こちらの世界は造りつけの現界とは異り、場所も、家屋も、又姿も、皆意思のままにどのようにもかえられる。で、竜宮界のみを竜神の世界と思うのは大きな間違で、竜神の働く世界は、他に限りもなく存在するのである。が、しかし神々にとりて何よりもうれしいのは矢張りあの竜宮界である。竜宮界は主に乙姫様のお指図で出来上った、家庭的の理想境なのじゃ。』 『乙姫様と仰ッしゃると……。』 『それは竜宮界で一番上の姫神様で、日本の昔の物語に豐玉姫とあるのがつまりその御方じゃ。神々のお好みがあるので、他にもさまざまの世界があちこちに出来てはいるが、それ等の中で、何と申しても一番立ち優っているのは矢張りこの竜宮界じゃ。すべてがいかにも清らかで、優雅で、そして華美な中に何ともいえぬ神々しいところがある。とても俺の口で述べ尽せるものではない。そちも成るべく早く修行を積んで、実地に竜宮界へ行って、乙姫様にもお目通りを願うがよい……。』 『私のようなものにもそれが協いましょうか……。』 『それは勿論協う……イヤ協わねばならぬ深い因縁がある。何を隠そう汝はもともと乙姫様の系統を引いているので、そちの竜宮行は言わば一種の里帰りのようなものじゃ……。』  お爺さんの述べる所はまだしッくり私の胸にはまりませんでしたが、しかしそれが一ト方ならず私の好奇心をそそったのは事実でございました。それからの私は絶えず竜宮界の事、乙姫様の事ばかり考え込むようになり、私の幽界生活に一の大切なる転換期となりました。  が、私の竜宮行きはそれからしばらく過ぎてからの事でございました。 十九、竜神の祠  順序として、これからポツポツ竜宮界のお話を致さねばならなくなりましたが、もともと口の拙ない私が、私よりももっと口の拙ない女の口を使って通信を致すのでございますから、さぞすべてがつまらなく、一向に多愛のない夢物語になって了いそうで、それが何より気がかりでございます。と申して、この話を省いて了えば私の幽界生活の記録に大きな孔が開くことになって筋道が立たなくなるおそれがございます。まあ致方がございませぬ、せいぜい気をつけて、私の実地に観たまま、感じたままをそっくり申上げることに致しましょう。  ここでちょっと申添えて置きたいのは、私の修行場の右手の山の半腹に在る、あの小さい竜神の祠のことでございます。私は竜宮行をする前に、所中そのお祠へ参拝したのでございますが、それがつまり私に取りて竜宮行の準備だったのでございました。私はそこで乙姫様からいろいろと有難い教訓やら、お指図やら、又おやさしい慰めのお言葉やらを戴きました。お蔭で私は自分でも気がつくほどめきめきと元気が出てまいりました。『その様子なら汝も近い内に乙姫様のお目通りができそうじゃ……。』指導役のお爺さんもそんなことを言って私を励ましてくださいました。  ここで私が竜神様のお祠へ行って、いろいろお指図を受けたなどと申しますと、現世の方々の中には何やら異様にお考えになられる者がないとも限りませぬが、それは現世の方々が、まだ神社というものの性質をよく御存じない為めかと存じます。お宮というものは、あれはただお賽銭を上げて、拍手を打って、首を下げて引きさがる為めに出来ている飾物ではないようでございます。赤心籠めて一生懸命に祈願をすれば、それが直ちに神様の御胸に通じ、同時に神様からもこれに対するお応答が降り、時とすればありありとそのお姿までも拝ませて戴けるのでございます……。つまり、すべては魂と魂の交通を狙ったもので、こればかりは実に何ともいえぬほど巧い仕組になって居るのでございます。私が山の修行場に居りながら、何うやら竜宮界の模様が少しづつ判りかけたのも、全くこの難有い神社参拝の賜でございました。もちろん地上の人間は肉体という厄介なものに包まれて居りますから、いかに神社の前で精神の統一をなされても、そう容易に神様との交通はできますまいが、私どものように、肉体を棄ててこちらの世界へ引越したものになりますと、殆んどすべての仕事はこの仕掛のみによりて行われるのでございます。ナニ人間の世界にも近頃電話だの、ラヂオだのという、重宝な機械が発明されたと仰っしゃるか……それは大へん結構なことでございます。しかしそれなら尚更私の申上げる事がよくお判りの筈で、神社の装置もラジオとやらの装置も、理窟は大体似たものかも知れぬ……。  まあ大へんつまらぬ事を申上げて了いました。では早速これから竜宮行の模様をお話しさせて戴きます……。 二十、竜宮へ鹿島立  こちらの世界の仕事は、何をするにも至極あっさりしていまして、すべてが手取り早く運ばれるのでございますが、それでもいよいよこれから竜宮行と決った時には、そこに相当の準備の必要がありました。何より肝要なのは斎戒沐浴……つまり心身を浄める仕事でございます。もちろん私どもには肉体はないのでございますから、人間のように実地に水などをかぶりは致しませぬ。ただ水をかぶったような清浄な気分になればそれで宜しいので、そうすると、いつの間にか服装までも、自然に白衣に変って居るのでございます。心と姿とがいつもぴったり一致するのが、こちらの世界の掟で、人間界のように心と姿とを別々に使い分けることばかりはとてもできないのでございます。  兎も角も私は白衣姿で、先ず御神前に端坐祈願し、それからあの竜神様のお祠へ詣でて、これから竜宮界へ参らせて戴きますと御報告申上げました。先方から何とか返答があったかと仰っしゃるか……それは無論ありました。『歓んであなたのお出でをお待ちして居ります……。』とそれはそれは鄭重な御挨拶でございました。  竜神様のお祠から自分の修行場へ戻って見ると、もう指導役のお爺さんが、そこでお待ちになって居られました。 『準備ができたらすぐに出掛けると致そう。俺が竜宮の入口まで送ってあげる。それから先きは汝一人で行くのじゃ。何も修行の為めである。あまり俺に依る気になっては面白うない……。』  そう言われた時に、私は何やら少し心細く感じましたが、それでもすぐに気を取り直して旅仕度を整えました。私のその時の旅姿でございますか……。それは現世の旅姿そのまま、言わばその写しでございます。かねて竜宮界は世にも奇麗な、華美なところと伺って居りますので、私もそのつもりになり、白衣の上に、私の生前一番好きな色模様の衣裳を重ねました。それは綿の入った、裾の厚いものでございますので、道中は腰の所で紐で結えるのでございます。それからもう一つ道中姿に無くてはならないのが被衣……私は生前の好みで、白の被衣をつけることにしました。履物は厚い草履でございます。  お爺さんは私の姿を見て、にこにこしながら『なかなか念の入った道中姿じゃナ。乙姫様もこれを御覧なされたらさぞお歓びになられるであろう。俺などはいつも一張羅じゃ……。』  そんな軽口をきかれて、御自身はいつもと同一の白衣に白の頭巾をかぶり、そして長い長い一本の杖を持ち、素足に白鼻緒の藁草履を穿いて私の先きに立たれたのでした。序でにお爺さんの人相書をもう少しくわしく申上げますなら、年齢の頃は凡そ八十位、頭髪は真白、鼻下から顎にかけてのお髭も真白、それから睫毛も矢張り雪のように真白……すべて白づくめでございます。そしてどちらかと云へば面長で、眼鼻立のよく整った、上品な面差の方でございます。私はまだ仙人というものをよく存じませぬが、若し本当に仙人があるとしたら、それは私の指導役のお爺さんのような方ではなかろうかと考えるのでございます。あの方ばかりはどこからどこまで、きれいに枯れ切って、すっかりあくぬけがして居られます。  山の修行場を後にした私達は、随分長い間険しい山道をば、下へ下へ下へと降ってまいりました。道はお爺さんが先きに立て案内して下さるので、少しも心配なことはありませぬが、それでもところどころ危つかしい難所だと思ったこともございました。又道中どこへ参りましても例の甲高い霊鳥の鳴声が前後左右の樹間から雨の降るように聴えました。お爺さんはこの鳥の声がよほどお好きと見えて、『こればかりは現界ではきかれぬ声じゃ。』と御自慢をして居られました。  漸く山を降り切ったと思うと、たちまちそこに一つの大きな湖水が現われました。よほど深いものと見えまして、湛えた水は藍を流したように蒼味を帯び、水面には対岸の鬱蒼たる森林の影が、くろぐろと映って居ました。岸はどこもかしこも皆割ったような巌で、それに松、杉その他の老木が、大蛇のように垂れ下っているところは、風情が良いというよりか、寧ろもの凄く感ぜられました。 『どうじゃ、この湖水の景色は……汝は些と気に入らんであろうが……。』 『私はこんな陰気くさい所は厭でございます。でもここは何ぞ縁由 のある所でございますか?』 『ここはまだ若い、下級の竜神達の修行の場所なのじゃ。俺は時々見𢌞わりに来るので、善うこの池の勝手を知っている。何も修行じゃ、汝もここでちょっと統一をして見るがよい。沢山の竜神達の姿が見えるであろう……。』  あまり良い気持は致しませんでしたが、修行とあれば辞むこともできず、私はとある巌の上に坐って統一状態に入って見ますと、果して湖水の中は肌の色の黒っぽい、あまり品の良くない竜神さんでぎっしり填っていました。角のあるもの、無いもの、大きなもの、小さなもの、眠っているもの、暴れているもの……。初めてそんな無気味な光景に接した私は、覚えずびっくりして眼を開けて叫びました。―― 『お爺さま、もう沢山でございます。何うぞもっと晴れやかな所へお連れ下さいませ……。』 二十一、竜宮街道  しばらく湖水の畔を伝って歩るいて居る中に、山がだんだん低くなり、やがて湖水が尽きると共に山も尽きて、広々とした、少しうねりのある、明るい野原にさしかかりました。私達はその野原を貫く細道をどこまでもどこまでも先きへ急ぎました。  やがて前面に、やや小高い砂丘の斜面が現われ、道はその頂辺の所に登って行きます。『何やら由井ヶ浜らしい景色である……。』私はそんなことを考えながら、格別険しくもないその砂丘を登りつめましたが、さてそこから前面を見渡した時に、私はあまりの絶景に覚えずはっと気息づまりました。砂丘のすぐ真下が、えも言われぬ美しい一ツの入江になっているのではありませぬか!  刷毛で刷いたような弓なりになった広い浜……のたりのたりと音もなく岸辺に寄せる真青な海の水……薄絹を拡げたような、はてしもなくつづく浅霞……水と空との融け合うあたりにほのぼのと浮く遠山の影……それはさながら一幅の絵巻物をくりひろげたような、実に何とも言えぬ絶景でございました。  明けても暮れても、眼に入るものはただ山ばかり、ひたすら修行三昧に永い歳月を送った私でございますから、尚更この海の景色が気に入ったのでございましょう、しばらくの間私は全くすべてを打忘れて、砂丘の上に立ち尽して、つくづくと見惚れて了ったのでございました。 『どうじゃ、なかなかの良い眺めであろうが……。』  そう言われて私はやっと自分に戻りました。 『お爺さま、わたくし、こんななごやかな、良い景色は、まだ一度も見たためしがございませぬ……。ここは何と申すところでございますか?』 『これが竜宮界の入口なのじゃ。ここから竜宮はそう遠くない……。』 『竜宮は矢張り海の底にあるのでございますか?』 『イヤイヤあれは例によりて人間どもの勝手な仮構事じゃ。乙姫様は決して魚族の親戚でもなければ又人魚の叔母様でもない……。が、もともと竜宮は理想の別世界なのであるから、造ろうと思えば海の底にでも、又その他の何処にでも造れる。そこが現世の造りつけの世界と大へんに異う点じゃ……。』 『左様でございますか……。』  何やらよくは腑に落ち兼ねましたが、私はそう御返答するより外に致方がないのでした。 『さて』とお爺さんは、しばらく経ってから、いと真面目な面持で語り出でました。『俺の役目はここまで汝を案内すればそれで済んだので、これから先きは汝一人で行くのじゃ。あれ、あの入江のほとりから、少し左に外れたところに見ゆる真平な街道、あれをどこまでもどこまでも辿って行けば、その突き当りがつまり竜宮で、道を間違えるような心配は少しもない……。又竜宮へ行ってからは、どなたにお目にかかるか知れぬが、何れにしても、ただ先方のお話を伺う丈では面白うない。気のついたこと、腑に落ちぬことは、少しの遠慮もなく、どしどしお訊ねせんければ駄目であるぞ。すべて神界の掟として、こちらの求める丈しか教えられぬものじゃ。で、何事も油断なく、よくよく心の眼を開けて、乙姫様から愛想をつかされることのないよう心懸けてもらいたい……。では俺はこれで帰りますぞ……。』  そう言って、つと立ち上ったかと思うと、もうお爺さんの姿はどこにも見えませんでした。  例によりてその飽気なさ加減と言ったらありません。私はちょっと心さびしく感じましたが、それはほんの一瞬間のことでございました。私は斯んな場合にいつも肌から離さぬ、例の母の紀念の懐剣を、しっかりと帯の間にさし直して、急いで砂丘を降りて、お爺さんから教えられた通り、あの竜宮街道を真直に進んだのでした。  その後も私は幾度となくこの竜宮街道を通りましたが、何度通って見ても心地のよいのはこの街道なのでございます。それは天然の白砂をば何かで程よく固めたと言ったような、踏み心地で、足触りの良さと申したら比類がありませぬ。そして何所に一点の塵とてもなく、又道の両側に程よく配合った大小さまざまの植込も、実に何とも申上げかねるほど奇麗に出来て居り、とても現世ではこんな素晴らしい道路は見られませぬ。その街道が何の位続いているかとお訊ねですか……さァどれ位の道程かは、ちょっと見当がつきかねますが、よほど遠いこと丈は確かでございます。街道の入口の辺から前方を眺めても、霞が一帯にかかっていて、何も眼に入りませぬが、しばらく過ぎると有るか無きかのように、薄っすりと山の影らしいものが現われ、それから又しばらく過ぎると、何やらほんのりと丹塗りの門らしいものが眼に映ります。その辺からでも竜宮の御殿まではまだ半里位はたっぷりあるのでございます……。何分絵心も何も持ち合わせない私の力では、何のとりとめたお話もできないのが、大へんに残念でございます。あの美しい道中の眺めの、せめて十分の一なりとも皆様にお伝えしたいのでございますが……。 二十二、唐風の御殿  しばらくしてから私はとうとう竜宮界の御門の前に立っていましたが、それにしても私は四辺の光景があまりにも現実的なのをむしろ意外に思ったのでございました。お爺さんの御話から考えて見ましても、竜宮はドウやら一の蜃気楼、乙姫様の思召でかりそめに造り上げられる一の理想の世界らしく思われますのに、実地に当って見ますと、それはどこにあぶなげのない、いかにもがッしりとした、正真正銘の現実の世界なのでございます。『若しもこれが蜃気楼なら世の中に蜃気楼でないものは一つもありはしない……。』私は心の中でそう考えたのでございました。  竜宮界の大体の見た感じでございますが――さァ一と口に申したら、それはお社と言うよりかも、寧ろ一つの大きな御殿と言った感じ、つまり人間味が、たっぷりしているのでございます。そして何処やらに唐風なところがあります。先ずその御門でございますが、屋根は両端が上方にしゃくれて、大そう光沢のある、大型の立派な瓦で葺いてあります。門柱その他はすべて丹塗り、別に扉はなく、その丸味のついた入口からは自由に門内の模様が窺われます。あたりには別に門衛らしいものも見掛けませんでした。  で、私は思い切ってその門をくぐって行きましたが、門内は見事な石畳みの舗道になって居り、あたりに塵一つ落ちて居りませぬ。そして両側の広々としたお庭には、形の良い松その他が程よく植え込みになって居り、奥はどこまであるか、ちょっと見当がつかぬ位でございます。大体は地上の庭園とさしたる相違もございませぬが、ただあんなにも冴えた草木の色、あんなにも香ばしい土の匂いは、地上の何所にも見受けることはできませぬ。こればかりは実地に行って見るより外に、描くべき筆も、語るべき言葉もあるまいと考えられます。  御門から御殿まではどの位ありましょうか、よほど遠かったように思われます。御殿の玄関は黒塗りの大きな式台造り、そして上方の庇、柱、長押などは皆眼のさめるような丹塗り、又壁は白塗りでございますから、すべての配合がいかにも華美で、明朗で、眼がさめるように感じられました。  私はそこですっかり身づくろいを直しました。むろん心でただそう思いさえすればそれで宜しいので、そうすると今までの旅装束がその場できちんとした謁見の服装に変るのでございます。そんな事でもできなければ、たッた一人で、腰元も連れずに、竜宮の乙姫さまをお訪ねすることはできはしませぬ。 『御免くださいませ……。』  私は思い切ってそう案内を乞いました。すると、年の頃十五位に見える、一人の可愛らしい小娘がそこへ現われました。服装は筒袖式の桃色の衣服、頭髪を左右に分けて、背部の方でくるくるとまるめて居るところは、何う見ても御国風よりは唐風に近いもので、私はそれが却って妙に御殿の構造にしっくりと当てはまって、大へん美しいように感ぜられました。 『私は小櫻と申すものでございますが、こちらの奥方にお目通りをいたし度く、わざわざお訪ねいたしました……。』  乙姫様とお呼び申すのも何やらおかしく、さりとて神様の御名を申上ぐるのも、何やら改まり過ぎるように感じられ、ツイうっかり奥方と申上げて了いました。こちらへ来ても矢張り私には現世時代の呼び癖がついてまわって居たものと見えます。それでも取次ぎの小娘には私の言葉がよく通じたらしく、『承知致しました。少々お待ちくださいませ。』と言って、踵をかえして急いで奥へ入って行きました。 『乙姫様に首尾よくお目通りが叶うかしら……。』  私は多少の不安を感じながら玄関前に佇みました。 二十三、豐玉姫と玉依姫  間もなく以前の小娘が再び現われました。 『何うぞおあがりくださいませ……。』  言われるままに私は小娘に導かれて、御殿の長い長い廊下を幾曲り、ずっと奥まれる一と間に案内されました。室は十畳許りの青畳を敷きつめた日本間でございましたが、さりとて日本風の白木造りでもありませぬ。障子、欄間、床柱などは黒塗り、又縁の欄干、庇、その他造作の一部は丹塗り、と言った具合に、とてもその色彩が複雑で、そして濃艶なのでございます。又お床の間には一幅の女神様の掛軸がかかって居り、その前には陶器製の竜神の置物が据えてありました。その竜神が素晴らしい勢で、かっと大きな口を開けて居たのが今も眼の前に残って居ります。  開け放った障子の隙間からはお庭もよく見えましたが、それが又手数の込んだ大そう立派な庭園で、樹草泉石のえも言われぬ配合は、とても筆紙につくせませぬ。京の銀閣寺、金閣寺の庭園も数奇の限りを尽した、大そう贅沢なものとかねてきき及んで居りますので、或る時私はこちらからのぞいて見たことがございますが、竜宮界のお庭に比べるとあれなどはとても段違いのように見受けられました。いかに意匠をこらしても、矢張り現世は現世だけの事しかできないものと見えます……。  ナニそのお室で乙姫様にお目にかかったか、と仰ッしゃるか――ホホホ大そうお待ち兼ねでございますこと……。ではお庭の話などはこれで切り上げて、早速乙姫様にお目通りをしたお話に移りましょう。――尤も私がその時お目にかかりましたのは、玉依姫様の方で、豐玉姫様ではございませぬ。申すまでもなく竜宮界で第一の乙姫様と仰ッしゃるのが豐玉姫様、第二の乙姫様が玉依姫様、つまりこの両方は御姉妹の間柄ということになって居るのでございますが、何分にも竜宮界の事はあまりにも奥が深く、私にもまだ御両方の関係がよく判って居りませぬ。お二人が果して本当に御姉妹の間柄なのか、それとも豐玉姫の御分霊が玉依姫でおありになるのか、何うもその辺がまだ充分私の腑に落ちないのでございます。ただしそれが何うあろうとも、この御二方が切っても切れぬ、深い因縁の姫神であらせられることは確かでございます。私は其の後幾度も竜宮界に参り、そして幾度も御両方にお目にかかって居りますので、幾分その辺の事情には通じて居るつもりでございます。  この豐玉姫様と言われる御方は、第一の乙姫様として竜宮界を代表遊ばされる、尊い御方だけに、矢張りどことなく貫禄がございます。何となく、竜宮界の女王様と言った御様子が自然にお躯に備わって居られます。お年齢は二十七八又は三十位にお見受けしますが、もちろん神様に実際のお年齢はありませぬ。ただ私達の眼にそれ位に拝まれるというだけで……。それからお顔は、どちらかといえば下ぶくれの面長、眼鼻立ちの中で何所かが特に取り立てて良いと申すのではなしに、どこもかしこもよく整った、まことに品位の備わった、立派な御標致、そしてその御物越しは至ってしとやか、私どもがどんな無躾な事柄を申上げましても、決してイヤな色一つお見せにならず、どこまでも親切に、いろいろと訓えてくださいます。その御同情の深いこと、又その御気性の素直なことは、どこの世界を捜しても、あれ以上の御方が又とあろうとは思われませぬ。それでいて、奥の方には凛とした、大そうお強いところも自ずと備わっているのでございます。  第二の乙姫様の方は、豐玉姫様に比べて、お年齢もずっとお若く、やっと二十一か二か位に思われます。お顔はどちらかといえば円顔、見るからに大そうお陽気で、お召物などはいつも思い切った華美造り、丁度桜の花が一時にぱっと咲き出でたというような趣がございます。私が初めてお目にかかった時のお服装は、上衣が白の薄物で、それに幾枚かの色物の下着を襲ね、帯は前で結んでダラリと垂れ、その外に幾条かの、ひらひらした長いものを捲きつけて居られました。これまで私どもの知っている服装の中では、一番弁天様のお服装に似て居るように思われました。  兎に角この両方は竜宮界切っての花形であらせられ、お顔もお気性も、何所やら共通の所があるのでございますが、しかし引きつづいて、幾代かに亘りて御分霊を出して居られる中には、御性質の相違が次第次第に強まって行き、末の人間界の方では、豐玉姫系と玉依姫系との区別が可なりはっきりつくようになって居ります。概して豐玉姫の系統を引いたものは、あまりはしゃいだところがなく、どちらかといえばしとやかで、引込思案でございます。これに反して玉依姫系統の方は至って陽気で、進んで人中にも出かけてまいります。ただ人並みすぐれて情義深いことは、お両方に共通の美点で、矢張り御姉妹の血筋は争われないように見受けられます……。  あれ、又しても話が側路へそれて先走って了いました。これから後へ戻って、私が初めて玉依姫様にお目にかかった時の概況を申上げることに致しましょう。 二十四、なさけの言葉  先刻も申上げたとおり、私は小娘に導かれて、あの華麗な日本間に通され、そして薄絹製の白の座布団を与えられて、それへ坐ったのでございますが、不図自分の前面のところを見ると、そこには別に一枚の花模様の厚い座布団が敷いてあるのに気づきました。『きっと乙姫様がここへお坐りなさるのであろう。』――私はそう思いながら、乙姫様に何と御挨拶を申上げてよいか、いろいろと考え込んで居りました。  と、何やら人の気配を感じましたので頭をあげて見ますと、天から降ったか、地から湧いたか、モーいつの間にやら一人の眩いほど美しいお姫様がキチンと設けの座布団の上にお坐りになられて、にこやかに私の事を見守ってお出でなさるのです。私はこの時ほどびっくりしたことはめったにございませぬ。私は急いで座布団を外して、両手をついて叩頭をしたまま、しばらくは何と御挨拶の言葉も口から出ないのでした。  しかし、玉依姫様の方では何所までも打解けた御様子で、尊い神様と申上げるよりはむしろ高貴の若奥方と言ったお物越しで、いろいろと優しいお言葉をかけくださるのでした。―― 『あなたが竜宮へお出でなさることは、かねてからお通信がありましたので、こちらでもそれを楽しみに大へんお待ちしていました。今日はわたくしが代ってお逢いしますが、この次ぎは姉君様が是非お目にかかるとの仰せでございます。何事もすべてお心易く、一切の遠慮を棄てて、訊くべきことは訊き、語るべきことは語ってもらいます。あなた方が地の世界に降り、いろいろと現界の苦労をされるのも、つまりは深き神界のお仕組で、それがわたくし達にも又となき良い学問となるのです。きけばドウやらあなたの現世の生活も、なかなか楽なものではなかったようで……。』  いかにもしんみりと、溢るるばかりの同情を以て、何くれと話しかけてくださいますので、いつの間にやら私の方でも心の遠慮が除り去られ、丁度現世で親しい方と膝を交えて、打解けた気分でよもやまの物語に耽ると言ったようなことになりました。帰幽以来何十年かになりますが、私が斯んな打寛いだ、なごやかな気持を味わったのは実にこの時が最初でございました。  それから私は問われるままに、鎌倉の実家のこと、嫁入りした三浦家のこと、北條との戦闘のこと、落城後の侘住居のことなど、有りのままにお話ししました。玉依姫様は一々首肯きながら私の物語に熱心に耳を傾けてくだされ、最後に私が独りさびしく無念の涙に暮れながら若くて歿ったことを申上げますと、あの美しいお顔をばいとど曇らせて涙さえ浮べられました。―― 『それはまァお気毒な……あなたも随分つらい修行をなさいました……。』  たッた一と言ではございますが、私はそれをきいて心から難有いと思いました。私の胸に積り積れる多年の鬱憤もドウやらその御一言できれいに洗い去られたように思いました。 『斯んなお優しい神様にお逢いすることができて、自分は何と幸福な身の上であろう。自分はこれから修行を積んで、斯んな立派な神様のお相手をしてもあまり恥かしくないように、一時も早く心の垢を洗い浄めねばならない……。』  私は心の底で固くそう決心したのでした。 二十五、竜宮雑話  一と通り私の身上噺が済んだ時に、今度は私の方から玉依姫様にいろいろの事をお訊ねしました。何しろ竜宮界の初上り、何一つ弁えてもいない不束者のことでございますから、随分つまらぬ事も申上げ、あちらではさぞ笑止に思召されたことでございましたろう。何をお訊ねしたか、今ではもう大分忘れて了いましたが、標本のつもりで一つ二つ想い出して見ることに致しましょう。  真先きに私がお訊ねしたのは浦島太郎の昔噺のことでございました。―― 『人間の世界には、浦島太郎という人が竜宮へ行って乙姫さまのお婿様になったという名高いお伽噺がございますが、あれは実際あった事柄なのでございましょうか……。』  すると玉依姫様はほほとお笑い遊ばしながら、斯う訓えてくださいました。―― 『あの昔噺が事実そのままでないことは申すまでもなけれど、さりとて全く跡方もないというのではありませぬ。つまり天津日継の皇子彦火々出見命様が、姉君の御婿君にならせられた事実を現世の人達が漏れきいて、あんな不思議な浦島太郎のお伽噺に作り上げたのでございましょう。最後に出て来る玉手箱の話、あれも事実ではありませぬ。別にこの竜宮に開ければ紫の煙が立ちのぼる、玉手箱と申すようなものはありませぬ。あなたもよく知るとおり、神の世界はいつまで経っても、露かわりのない永遠の世界、彦火々出見命様と豐玉姫様は、今も昔と同じく立派な御夫婦の御間柄でございます。ただ命様には天津日継の大切な御用がおありになるので、めったに御夫婦揃ってこの竜宮界にお寛ぎ遊ばすことはありませぬ。現に只今も命様には何かの御用を帯びて御出ましになられ、乙姫様は、ひとりさびしくお不在を預かって居られます。そんなところが、あのお伽噺のつらい夫婦の別離という趣向になったのでございましょう……。』  そう言って玉依姫には心持ちお顔を赧く染められました。  それから私は斯んな事もお訊きしました。―― 『斯うして拝見致しますと竜宮は、いかにもきれいで、のんきらしく結構に思われますが、矢張り神様にもいろいろつらい御苦労がおありなさるのでございましょう?』 『よい所へお気がついてくれました。』と玉依姫様は大そうお歓びになってくださいました。 『寛いで他にお逢いする時には、斯んな奇麗な所に住んで、斯んな奇麗な姿を見せて居れど、わたくし達とていつも斯うしてのみはいないのです。人間の修行もなかなか辛くはあろうが、竜神の修行とて、それにまさるとも劣るものではありませぬ。現世には現世の執着があり、霊界には霊界の苦労があります。わたくしなどは今が修行の真最中、寸時もうかうかと遊んでは居りませぬ。あなたは今斯うしている私の姿を見て、ただ一人のやさしい女性と思うであろうが、実はこれは人間のお客様を迎える時の特別の姿、いつか機会があったら、私の本当の姿をお見せすることもありましょう。兎に角私達の世界にはなかなか人間に知られない、大きな苦労があることをよく覚えていてもらいます。それがだんだん判ってくれば、現世の人間もあまり我侭を申さぬようになりましょう……。』  こんな真面目なお話をなさる時には、玉依姫様のあの美しいお顔がきりりと引きしまって、まともに拝むことができないほど神々しく見えるのでした。  私がその日玉依姫様から伺ったことはまだまだ沢山ございますが、それはいつか別の機会にお話しすることにして、ただ爰で是非附け加えて置きたいことが一つございます。それは玉依姫の霊統を受けた多くの女性の中に弟橘姫が居られることでございます。『あの人はわたくしの分霊を受けて生まれたものであるが、あれが一ばん名高くなって居ります……。』そう言われた時には大そうお得意の御模様が見えていました。  一と通りおききしたいことをおききしてから、お暇乞いをいたしますと『又是非何うぞ近い中に……。』という有難いお言葉を賜わりました。私は心から朗かな気分になって、再び例の小娘に導かれて玄関に立ち出で、そこからはただ一気に途中を通過して、無事に自分の山の修行場に戻りました。 二十六、良人との再会  前回の竜宮行のお話は何となく自分にも気乗りがいたしましたが、今度はドーも億劫で、気おくれがして、成ろうことなら御免を蒙りたいように感じられてなりませぬ。帰幽後生前の良人との初対面の物語……婦女の身にとりて、これほどの難題はめったにありませぬ。さればとて、それが話の順序であれば、無理に省いて仕舞う訳にもまいりませず、本当に困って居るのでございまして……。ナニ成るべく詳しく有りのままを話せと仰っしゃるか。そんなことを申されると、尚更談話がし難くなって了います。修行未熟な、若い夫婦の幽界に於ける初めての会合――とても他人さまに吹聴するほど立派なものでないに決って居ります。おきき苦しい点は成るべく発表なさらぬようくれぐれもお依みして置きます……。  いつかも申上げた通り、私がこちらの世界へ参りましたのは、良人よりも一年余り遅れて居りました。後で伺いますと、私が死んだことはすぐ良人の許に通知があったそうでございますが、何分当時良人はきびしい修行の真最中なので、自分の妻が死んだとて、とてもすぐ逢いに行くというような、そんな女々しい気分にはなれなかったそうでございます。私は又私で、何より案じられるのは現世に残して置いた両親のことばかり、それに心を奪われて、自分よりも先へ死んで了っている良人のことなどはそれほど気にかからないのでした。『時節が来たら何れ良人にも逢えるであろう……。』そんな風にあっさり考えていたのでした。  右のような次第で、帰幽後随分永い間、私達夫婦は分れ分れになったきりでございました。むろん、これがすべての男女に共通のことなのか何うかは存じませぬ。これはただ私達がそうであったと申す丈のことで……。  そうする中に私は岩屋の修行場から、山の修行場に進み、やがて竜宮界の訪問も済んだ頃になりますと、私のような執着の強い婦女にも、幾分安心ができて来たらしいのが自覚されるようになりました。すると、こちらからは別に何ともお願いした訳でも何でもないのに、ある日突然神様から良人に逢わせてやると仰せられたのでございます。『そろそろ逢ってもよいであろう。汝の良人は汝よりもモー少し心の落付きができて来たようじゃ……。』指導役のお爺さんが、いとどまじめくさってそんなことを言われるので、私は気まりが悪くて仕方がなく、覚えず顔を真紅に染めて、一たんはお断りしました。―― 『そんなことはいつでも宜しうございます。修行の後戻りがすると大変でございますから……。』 『イヤイヤ一度は逢わせることに、先方の指導霊とも手筈をきめて置いてある。良人と逢った位のことで、すぐ後戻りするような修行なら、まだとても本物とは言われぬ。斯んなことをするのも、矢張り修行の一つじゃ。神として無理にはすすめぬから、有りのままに答えるがよい。何うじゃ逢って見る気はないか?』 『それでは、宜しきようにお願いいたしまする……。』  とうとう私はお爺さんにそう御返答をして了いました。 二十七、会合の場所  私の修行場を少し下へ降りた山の半腹に、小ぢんまりとした一つの平地がございます。周囲には程よく樹木が生えて、丁度置石のように自然石があちこちにあしらってあり、そして一面にふさふさした青苔がぎっしり敷きつめられて居るのです。そこが私達夫婦の会合の場所と決められました。  あなたも御承知の通り、こちらの世界では、何をやるにも、手間暇間は要りません。思い立ったが吉日で、すぐに実行に移されて行きます。 『話が決った上は、これからすぐに出掛けるとしよう……。』  お爺さんは眉一つ動かされず、済まし切って先きに立たれますので、私も黙ってその後について出掛けましたが、しかし私の胸の裡は千々に砕けて、足の運びが自然遅れ勝ちでございました。  申すまでもなく、十幾年の間現世で仲よく連れ添った良人と、久しぶりで再会するというのでございますから、私の胸には、夫婦の間ならでは味われぬ、あの一種特別のうれしさが急にこみ上げて来たのは事実でございます。すべて人間というものは死んだからと言って、別にこの夫婦の愛情に何の変りがあるものではございませぬ。変っているのはただ肉体の有無だけ、そして愛情は肉体の受持ではないらしいのでございます。  が、一方にかくうれしさがこみあぐると同時に、他方には何やら空恐ろしいような感じが強く胸を打つのでした。何にしろここは幽界、自分は今修行の第一歩をすませて、現世の執着が漸くのことで少しばかり薄らいだというまでのよくよくの未熟者、これが幾十年ぶりかで現世の良人に逢った時に、果して心の平静が保てるであろうか、果して昔の、あの醜しい愚痴やら未練やらが首を擡げぬであろうか……何う考えて見ても自分ながら危ッかしく感じられてならないのでした。  そうかと思うと、私の胸のどこやらには、何やら気まりがわるくてしょうのないところもあるのでした。久し振りで良人と顔を合わせるのも気まりがわるいが、それよりも一層恥かしいのは神さまの手前でした。あんな素知らぬ顔をして居られても、一から十まで人の心の中を洞察かるる神様、『この女はまだ大分娑婆の臭みが残っているナ……。』そう思っていられはせぬかと考えると、私は全く穴へでも入りたいほど恥かしくてならないのでした。  それでも予定の場所に着く頃までには、少しは私の肚が据ってまいりました。『縦令何事ありとも涙は出すまい。』――私は固くそう決心しました。  先方へついて見ると、良人はまだ来て居りませんでした。 『まあよかった……。』その時私はそう思いました。いよいよとなると、矢張りまだ気おくれがして、少しでも時刻を延ばしたいのでした。  お爺さんはと見れば何所に風が吹くと言った面持で、ただ黙々として、あちらを向いて景色などを眺めていられました。 二十八、昔語り  良人がいよいよ来着したのは、それからしばしの後で、私が不図側見をした瞬間に、五十余りと見ゆる一人の神様に附添われて、忽然として私のすぐ前面に、ありし日の姿を現わしたのでした。 『あッ矢張り元の良人だ……。』  私は今更ながら生死の境を越えて、少しも変っていない良人の姿に驚嘆の眼を見張らずにはいられませんでした。服装までも昔ながらの好みで、鼠色の衣裳に大紋打った黒の羽織、これに袴をつけて、腰にはお定まりの大小二本、大へんにきちんと改った扮装なのでした。  これが現世での出来事だったら、その時何をしたか知れませぬが、さすがに神様の手前、今更取り乱したところを見られるのが恥かしうございますから、私は一生懸命になって、平気な素振をしていました。良人の方でも少しも弱味を見せず、落付払った様子をしていました。  しばし沈黙がつづいた後で、私から言葉をかけました。―― 『お別れしてから随分長い歳月を経ましたが、図らずも今ここでお目にかかることができまして、心から嬉しうございます。』 『全く今日は思い懸けない面会であった。』と良人もやがて武人らしい、重い口を開きました。 『あの折は思いの外の乱軍、訣別の言葉一つかわす隙もなく、あんな事になって了い、そなたも定めし本意ないことであったであろう……。それにしてもそなたが、斯うも早くこちらの世界へ来るとは思わなかった。いつまでも安泰に生き長らえて居てくれるよう、自分としては蔭ながら祈願していたのであったが、しかし過ぎ去ったことは今更何とも致方がない。すべては運命とあきらめてくれるよう……。』  飾気のない良人の言葉を私は心からうれしいと思いました。 『昔の事はモー何とも仰っしゃってくださいますな。あたにお別れしてからの私は、お墓参りが何よりの楽しみでございましたが、矢張り寿命と見えて、直にお後を慕うことになりました。一時の間こそ随分くやしいとも、悲しいとも思いましたが、近頃は、ドーやらあきらめがつきました。そして思いがけない今日のお目通り、こんなうれしい事はございませぬ……。』  かれこれと語り合っている中にも、お互の心は次第次第に融け合って、さながらあの思出多き三浦の館で、主人と呼び、妻と呼ばれて、楽しく起居を偕にした時代の現世らしい気分が復活して来たのでした。 『いつまで立話しでもなかろう。その辺に腰でもかけるとしようか。』 『ほんにそうでございました。丁度ここに手頃の腰掛けがございます。』  私達は三尺ほど隔てて、右と左に並んでいる、木の切株に腰をおろしました。そこは監督の神様達もお気をきかせて、あちらを向いて、素知らぬ顔をして居られました。  対話はそれからそれへとだんだん滑かになりました。 『あなたは生前と少しもお変りがないばかりか、却って少しお若くなりはしませぬか。』 『まさかそうでもあるまいが、しかしこちらへ来てから何年経っても年齢を取らないというところが不思議じゃ。』と良人は打笑い、『それにしてもそなたは些と老けたように思うが……。』 『あなたとお別れしてから、いろいろ苦労をしましたので、自然窶が出たのでございましょう。』 『それは大へん気の毒なことであった。が、斯うなっては最早苦労のしようもないから、その中自然元気が出て来るであろう。早くそうなってもらいたい。』 『承知致しました。みっちり修行を積んで、昔よりも若々しくなってお目にかけます……。』  さして取りとめのない事柄でも、斯うして親しく語り合って居りますと、私達の間には言うに言われぬ楽しさがこみ上げて来るのでした。 二十九、身上話  ここで一つ変っているのは、私達が殆んど少しも現世時代の思い出話をしなかったことで、若しひょっとそれを行ろうとすると、何やら口が填って了うように感じられるのでした。  で、自然私達の対話は死んでから後の事柄に限られることになりました。私が真先きに訊いたのは良人の死後の自覚の模様でした。―― 『あなたがこちらでお気がつかれた時はどんな塩梅でございましたか?』 『俺は実はそなたの声で眼を覚ましたのじゃ。』と良人はじっと私を見守り乍らポツリポツリ語り出しました。『そなたも知る通り、俺は自尽して果てたのじゃが、この自殺ということは神界の掟としてはあまりほめたことではないらしく、自殺者は大抵皆一たんは暗い所へ置かれるものらしい。俺も矢張りその仲間で、死んでからしばらくの間何事も知らずに無我夢中で日を過した。尤も俺のは、敵の手にかからない為めの、言わば武士の作法に協った自殺であるから、罪は至って軽かったようで、従って無自覚の期間もそう長くはなかったらしい。そうする中にある日不図そなたの声で名を呼ばれるように感じて眼を覚ましたのじゃ。後で神様から伺えば、これはそなたの一心不乱の祈願が、首尾よく俺の胸に通じたものじゃそうで、それと知った時の俺のうれしさはどんなであったか……。が、それは別の話、あの時は何をいうにも四辺が真暗でどうすることもできず、しばらく腕を拱いてぼんやり考え込んでいるより外に道がなかった。が、その中うっすりと光明がさして来て、今日送って来てくだされた、あのお爺さんの姿が眼に映った。ドーじゃ、眼が覚めたか?――そう言葉をかけられた時のうれしさ! 俺はてっきり自分を救ってくれた恩人であろうと思って、お名前は? と訊ねると、お爺さんはにっこりして、汝は最早現世の人間ではない。これから俺の申すところをきいて、十分に修行を積まねばならぬ。俺は産土の神から遣わされた汝の指導者である、と申しきかされた。その時俺ははっとして、これは最う愚図愚図していられないと思った。それから何年になるか知れぬが、今では少し幽界の修行も積み、明るい所に一軒の家屋を構えて住わして貰っている……。』  私は良人の素朴な物語を大へんな興味を以てききました。殊に私の生存中の心ばかりの祈願が、首尾よく幽明の境を越えて良人の自覚のよすがとなったというのが、世にもうれしい事の限りでした。  入れ代って今度は良人の方で、私の経歴をききたいということになりました。で、私は今丁度あなたに申上げるように、帰幽後のあらましを物語りました。私が生きている時から霊視がきくようになり、今では坐ったままで何でも見えると申しますと、『そなたは何と便利なものを神様から授っているであろう!』と良人は大へんに驚きました。又私がこちらで愛馬に逢った話をすると、『あの時は、そなたの希望を容れないで、勝手な名前をつけさせて大へんに済まなかった。』と良人は丁寧に詫びました。その外さまざまの事がありますが、就中良人が非常に驚きましたのは私の竜宮行の物語でした。『それは飛んでもない面白い話じゃ。ドーもそなたの方が俺よりも資格がずっと上らしいぞ。俺の方が一向ぼんやりしているのに、そなたはいろいろ不思議なことをしている……。』と言って、大そう私を羨ましがりました。私も少し気の毒気味になり、『すべては霊魂の関係から役目が異うだけのもので、別に上下の差がある訳ではないでしょう。』と慰めて置きました。  私達はあまり対話に身が入って、すっかり時刻の経つのも忘れていましたが、不図気がついて見ると何処へ行かれたか、二人の神さん達の姿はその辺に見当らないのでした。  私達は期せずして互に眼と眼を見合わせました。 三十、永遠の愛  思い切って私はここに懺悔しますが、四辺に神さん達の眼が見張っていないと感付いた時に、私の心が急にむらむらとあらぬ方向へ引きづられて行ったことは事実でございます。 『久しぶりでめぐり合った夫婦の仲だもの、せめて手の先尖位は触れても見たい……。』  私の胸はそうした考えで、一ぱいに張りつめられて了いました。  物堅い良人の方でも、うわべはしきりに耐え耐えて居りながら、頭脳の内部は矢張りありし昔の幻影で充ち充ちているのがよく判るのでした。  とうとう堪えきれなくなって、私はいつしか切株から離れ、あたかも磁石に引かれる鉄片のように、一歩良人の方へと近づいたのでございます……。  が、その瞬間、私は急に立ち止って了いました。それは今まではっきりと眼に映っていた良人の姿が、急にスーッと消えかかったのに驚かされたからでございます。 『この眼がどうかしたのかしら……。』  そう思って、一歩退いて見直しますと、良人は矢張り元の通りはっきりした姿で、切株に腰かけて居るのです。  が、再び一歩前へ進むと、又もやすぐに朦朧と消えかかる……。  二度、三度、五度、幾度くりかえしても同じことなのです。  いよいよ駄目と悟った時に、私はわれを忘れてその場に泣き伏して了いました……。         ×      ×      ×      × 『何うじゃ少しは悟れたであろうが……。』  私の肩に手をかけて、そう言われる者があるので、びっくりして涙の顔をあげて振り返って見ますと、いつの間に戻られたやら、それは私の指導役のお爺さんなのでした。私はその時穴があったら入りたいように感じました。 『最初から申しきかせた通り、一度逢った位ですぐ後戻りする修行はまだ本物とは言われない。』とお爺さんは私達夫婦に向って諄々と説ききかせて下さるのでした。『汝達には、姿はあれど、しかしそれは元の肉体とはまるっきり異ったものじゃ。強いて手と手を触れて見たところで、何やらかさかさとした、丁度張子細工のような感じがするばかり、そこに現世で味わったような甘味も面白味もあったものではない。尚お汝は先刻、良人の後について行って、昔ながらの夫婦生活でも営みたいように思ったであろうが……イヤ隠しても駄目じゃ、神の眼はどんなことでも見抜いているから……しかしそんな考えは早くすてねばならぬ。もともと二人の住むべき境涯が異っているのであるから、無理にそうした真似をしても、それは丁度鳥と魚とが一緒に住おうとするようなもので、ただお互に苦しみを増すばかりじゃ。そち達は矢張り離れて住むに限る。――が、俺が斯う申すのは、決して夫婦間の清い愛情までも棄てよというのではないから、その点は取り違いをせぬように……。陰陽の結びは宇宙万有の切っても切れぬ貴い御法則、いかに高い神々とてもこの約束からは免れない。ただその愛情はどこまでも浄められて行かねばならぬ。現世の夫婦なら愛と欲との二筋で結ばれるのも止むを得ぬが、一たん肉体を離れた上は、すっかり欲からは離れて了わねばならぬ。そち達は今正にその修行の真最中、少し位のことは大目に見逃がしてもやるが、あまりにそれに走ったが最後、結局幽界の落伍者として、亡者扱いを受け、幾百年、幾千年の逆戻りをせねばならぬ。俺達が受持っている以上、そち達に断じてそんな見苦しい真似わさせられぬ。これからそち達はどこまでも愛し合ってくれ。が、そち達はどこまでも浄い関係をつづけてくれ……。』         ×      ×      ×      ×  それから少時の後、私達はまるで生れ変ったような、世にもうれしい、朗かな気分になって、右と左とに袂を別ったことでございました。  ついでながら、私と私の生前の良人との関係は今も尚お依然として続いて居り、しかもそれはこのまま永遠に残るのではないかと思われます。が、むろんそれが互に許し合った魂と魂との浄き関係であることは、改めて申上げるまでもないと存じます。 三十一、香織女  良人との再会の模様を物語りました序に、同じ頃私がこちらで面会を遂げた二三の人達のお話をつづけることに致しましょう。縁もゆかりもない今の世の人達には、さして興味もあるまいと思いますが、私自身には、なかなか忘れられない事柄だったのでございます。  その一つは私がまだ実家に居た頃、腰元のようにして可愛がって居た、香織という一人の女性との会合の物語でございます。香織は私よりは年齢が二つ三つ若く、顔立はあまり良くもありませぬが、眼元の愛くるしい、なかなか悧溌な児でございました。身元は長谷部某と呼ぶ出入りの徒士の、たしか二番目の娘だったかと覚えて居ります。  私が三浦へ縁づいた時に、香織は親元へ戻りましたが、それでも所中鎌倉からはるばる私の所へ訪ねてまいり、そして何年経っても私の事を『姫さま姫さま』と呼んで居りました。その中香織も縁あって、鎌倉に住んでいる、一人の侍の許に嫁ぎ、夫婦仲も大そう円満で、その間に二人の男の児が生れました。気質のやさしい香織は大へんその子供達を可愛がって、三浦へまいる時は、一緒に伴て来たことも幾度かありました。  そんな事はまるで夢のようで、詳しい事はすっかり忘れましたが、ただ私が現世を離れる前に、香織から心からの厚い看護を受けた事丈は、今でも深く深く頭脳の底に刻みつけられて居ります。彼女は私の母と一緒に、例の海岸の私の隠れ家に詰め切って、それはそれは親身になってよく尽してくれ、私の病気が早く治るようにと、氏神様へ日参までしてくれるのでした。  ある日などは病床で香織から頭髪を解いて貰ったこともございました。私の頭髪は大へんに沢山で、日頃母の自慢の種でございましたが、その頃はモー床に就き切りなので、見る影もなくもつれて居ました。香織は櫛で解かしながらも、『折角こうしてきれいにしてあげても、このままつくねて置くのが惜しい。』と言ってさんざんに泣きました。傍で見ていた母も、『モー一度治って、晴衣を着せて見たい……。』と言って、泣き伏して了いました。斯んな話をしていると、私の眼には今でもその場の光景が、まざまざと映ってまいります……。  いよいよ最う駄目と観念しました時に、私は自分が日頃一ばん大切にしていた一襲の小袖を、形見として香織にくれました。香織はそれを両手にささげ、『たとえお別れしても、いつまでもいつまでも姫さまの紀念に大切に保存いたします……。』と言いながら、声も惜まず泣き崩れました。が、私の心は、モーその時分には、思いの外に落付いて了って、現世に別れるのがそう悲しくもなく、黙って眼を瞑ると、却って死んだ良人の顔がスーッと眼前に現われて来るのでした。  兎に角こんなにまで深い因縁のあった女性でございますから、こちらの世界へ来ても矢張り私のことを忘れない筈でございます。ある日私が御神前で統一の修行をして居りますと、急に躯がぶるぶると慓えるように感じました。何気なく背後を振り返って見ると、年の頃やや五十許と見ゆる一人の女性が坐って居りました。それが香織だったのでございます。 三十二、無理な願 『何やら昔の香織らしい面影が残って居れど、それにしては随分老け過ぎている……。』私が、そう考えて躊躇して居りますと、先方では、さも待ち切れないと言った様子で、膝をすり寄せてまいりました。―― 『姫さまわたくしをお忘れでございますか……香織でございます……。』 『矢張りそうであったか。――私はそなたがまだ息災で現世に暮して居るものとばかり思っていました。一たいいつ歿ったのじゃ……。』 『もう、かれこれ十年位にもなるでございましょう。私のようなつまらぬものは、とてもこちらで姫さまにお目にかかれまいとあきらめて居りましたが、今日図らずも念願がかない、こんなうれしいことはございませぬ。よくまァ御無事で……些ッとも姫さまは往時とお変りがございませぬ。お懐かしう存じます……。』現世らしい挨拶をのべながら、香織はとうとう私の躯にしがみついて、泣き入りました。私もそうされて見れば、そこは矢張り人情で、つい一緒になって泣いて了いました。  心の昂奮が一応鎮まってから、私達の間には四方八方の物語が一しきりはずみました。―― 『そなたは一たい、何処が悪くて歿ったのじゃ?』 『腹部の病気でございました。針で刺されるようにキリキリと毎日悩みつづけた末に、とうとうこんなことになりまして……。』 『それは気の毒であったが、何うしてそなたの死ぬことが、私の方へ通じなかったのであろう……。普通なら臨終の思念が感じて来ない筈はないと思うが……。』 『それは皆わたくしの不心得の為めでございます。』と香織は面目なげに語るのでした。『日頃わたくしは、死ねば姫さまの形見の小袖を着せてもらって、すぐお側に行ってお仕えするのだなどと、口癖のように申していたのでございますが、いざとなってさッぱりそれを忘れて了ったのでございます。どこまでも執着の強い私は、自分の家族のこと、とりわけ二人の子供のことが気にかかり、なかなか死切れなかったのでございます。こんな心懸の良くない女子の臨終の通報が、どうして姫さまのお許にとどく筈がございましょう。何も彼も皆私が悪かった為めでございます。』  正直者の香織は、涙ながらに、臨終に際して、自分の心懸の悪かったことをさんざん詫びるのでした。しばらくして彼女は言葉をつづけました。―― 『それでもこちらへ来て、いろいろと神様からおさとしを受けたお蔭で、わたくしの現世の執着も次第に薄らぎ、今では修行も少し積みました。が、それにつれて、日ましに募って来るのは姫さまをお慕い申す心で、こればかりは何うしても我慢がしきれなくなり、幾度神様に、逢わせていただきたいとお依みしたか知れませぬ。でも神さまは、まだ早い早いと仰せられ、なかなかお許しが出ないのでございます。わたくしはあまりのもどかしさに、よくないことと知りながらもツイ神様に喰ってかかり、さんざん悪口を吐いたことがございました。それでも神様の方では、格別お怒りにもならず、内々姫さまのところをお調べになって居られたものと見えまして、今度いよいよ時節が来たとなりますと、御自身で私を案内して、連れて来て下すったのでございます。――姫さま、お願いでございます、これからは、どうぞお側にわたくしを置いてくださいませ。わたくしは、昔のとおり姫さまのお身のまわりのお世話をして上げたいのでございます……。』  そう言って香織は又もや私に縋りつくのでした。  これには私もほとほと持ちあつかいました。 『神界の掟としてそればかりは許されないのであるが……。』 『それは又何ういう訳でございますか? わたくしは是非こちらへ置いて戴きたいのでございます。』 『それは現世ですることで、こちらの世界では、そなたも知る通り、衣服の着がえにも、頭髪の手入にも、少しも人手は要らぬではないか。それに何とも致方のないのはそれぞれの霊魂の因縁、めいめいきちんと割り当てられた境涯があるので、たとえ親子夫婦の間柄でも、自分勝手に同棲することはできませぬ。そなたの芳志はうれしく思いますが、こればかりはあきらめてたもれ。逢おうと思えばいつでも逢える世界であるから何処に住まなければならぬということはない筈じゃ。それほど私のことを思ってくれるのなら、そんな我侭を言うかわりに、みっしり身相応の修行をしてくれるがよい。そして思い出したらちょいちょい私の許に遊びに来てたもれ……。』  最初の間、香織はなかなか腑に落ちぬらしい様子をしていましたが、それでも漸くききわけて、尚おしばらく語り合った上で、その日は暇を告げて自分の所へ戻って行きました。  今でも香織とは絶えず通信も致しまするし、又たまには逢いも致します。香織はもうすっかり明るい境涯に入り、顔なども若返って、自分にふさわしい神様の御用にいそしんで居ります。 三十三、自殺した美女  今度は入れ代って、或る事情の為めに自殺を遂げた一人の女性との会見のお話を致しましょう。少々陰気くさい話で、おききになるに、あまり良いお気持はしないでございましょうが、斯う言った物語も現世の方々に、多少の御参考にはなろうかと存じます。  その方は生前私と大へんに仲の良かったお友達の一人で、名前は敦子……あの敦盛の敦という字を書くのでございます。生家は畠山と言って、大そう由緒ある家柄でございます。その畠山家の主人と私の父とが日頃別懇にしていた関係から、私と敦子さまとの間も自然親しかったのでございます。お年齢は敦子さまの方が二つばかり下でございました。  お母さまが大へんお美しい方であった為め、お母さま似の敦子さまも眼の覚めるような御縹緻で、殊にその生際などは、慄えつくほどお綺麗でございました。『あんなにお美しい御縹緻に生れて敦子さまは本当に仕合せだ……。』そう言ってみんなが羨ましがったものでございますが、後で考えると、この御縹緻が却ってお身の仇となったらしく、矢張り女は、あまり醜いのも困りますが、又あまり美しいのもどうかと考えられるのでございます。  敦子さまの悩みは早くも十七八の娘盛りから始まりました。諸方から雨の降るようにかかって来る縁談、中には随分これはというのもあったそうでございますが、敦子さまは一つなしに皆断って了うのでした。これにはむろん訳があったのでございます。親戚の、幼馴染の一人の若人……世間によくあることでございますが、敦子さまは早くから右の若人と思い思われる仲になり、末は夫婦と、内々二人の間に堅い約束ができていたのでございました。これが望みどおり円満に収まれば何の世話はないのでございますが、月に浮雲、花に風とやら、何か両家の間に事情があって、二人は何うあっても一緒になることができないのでした。  こんな事で、敦子さまの婚期は年一年と遅れて行きました。敦子さまは後にはすっかり棄鉢気味になって、自分は生涯嫁には行かないなどと言い張って、ひどく御両親を困らせました。ある日敦子さまが私の許へ訪れましたので、私からいろいろ言いきかせてあげたことがございました。『御自分同志が良いのは結構であるが、斯ういうことは、矢張り御両親のお許諾を得た方がよい……。』どうせ私の申すことはこんな堅苦しい話に決って居ります。これをきいて敦子さまは別に反対もしませんでしたが、さりとて又成る程と思いかえしてくれる模様も見えないのでした。  それでも、その後幾年か経って、男の方があきらめて、何所からか妻を迎えた時に、敦子さまの方でも我が折れたらしく、とうとう両親の勧めに任せて、幕府へ出仕している、ある歴々の武士の許へ嫁ぐことになりました。それは敦子さまがたしか二十四歳の時でございました。  縁談がすっかり整った時に、敦子さまは遥るばる三浦まで御挨拶に来られました。その時私の良人もお目にかかりましたが、後で、『あんな美人を妻に持つ男子はどんなに仕合わせなことであろう……。』などと申した位に、それはそれは美しい花嫁姿でございました。しかし委細の事情を知って居る私には、あの美しいお顔の何所やらに潜む、一種の寂しさ……新婚を歓ぶというよりか、寧しろつらい運命に、仕方なしに服従していると言ったような、やるせなさがどことなく感じられるのでした。  兎も角こんな具合で、敦子さまは人妻となり、やがて一人の男の児が生れて、少くとも表面には大そう幸福らしい生活を送っていました。落城後私があの諸磯の海辺に佗住居をして居た時分などは、何度も何度も訪れて来て、何かと私に力をつけてくれました。一度は、敦子さまと連れ立ちて、城跡の、あの良人の墓に詣でたことがございましたが、その道すがら敦子さまが言われたことは今も私の記憶に残って居ります。―― 『一たい恋しい人と別れるのに、生別れと死別れとではどちらがつらいものでしょうか……。事によると生別れの方がつらくはないでしょうか……。あなたの現在のお身上もお察し致しますが、少しは私の身の上も察してくださいませ。私は一つの生きた屍、ただ一人の可愛い子供があるばかりに、やっとこの世に生きていられるのです。若しもあの子供がなかったら、私などは夙の昔に……。』  現世に於ける私と敦子さまとの関係は大体こんなところでお判りかと存じます。 三十四、破れた恋  それから程経て、敦子さまが死んだこと丈は何かの機会に私に判りました。が、その時はそう深くも心にとめず、いつか逢えるであろう位に軽く考えていたのでした。それより又何年経ちましたか、或る日私が統一の修行を終えて、戸外に出て、四辺の景色を眺めて居りますと、私の守護霊……この時は指導役のお爺さんでなく、私の守護霊から、私に通信がありました。『ある一人の女性が今あなたを訪ねてまいります。年の頃は四十余りの、大そう美しい方でございます。』私は誰かしらと思いましたが、『ではお目にかかりましょう。』とお答えしますと、程なく一人のお爺さんの指導霊に連れられて、よく見覚えのある、あの美しい敦子さまがそこへひょっくりと現われました。 『まァお久しいことでございました。とうとうあなたと、こちらでお会いすることになりましたか……。』  私が近づいて、そう言葉をかけましたが、敦子さまは、ただ会釈をしたのみで、黙って下方を向いた切り、顔の色なども何所やら暗いように見えました。私はちょっと手持無沙汰に感じました。  すると案内のお爺さんが代って簡単に挨拶してくれました。―― 『この人は、まだ御身に引き合わせるのには少し早過ぎるかとは思われたが、ただ本人が是非御身に逢いたい、一度逢わせてもらえば、気持が落ついて、修行も早く進むと申すので、御身の守護霊にも依んで、今日わざわざ連れてまいったような次第……御身とは生前又となく親しい間柄のように聞き及んでいるから、いろいろとよく言いきかせて貰いたい……。』  そう言ってお爺さんは、そのままプイと帰って了いました。私はこれには、何ぞ深い仔細があるに相違ないと思いましたので、敦子さまの肩に手をかけてやさしく申しました。―― 『あなたと私とは幼い時代からの親しい間柄……殊にあなたが何回も私の佗住居を訪れていろいろと慰めてくだされた、あの心尽しは今もうれしい思い出の一つとなって居ります。その御恩がえしというのでもありませぬが、こちらの世界で私の力に及ぶ限りのことは何なりとしてあげます。何うぞすべてを打明けて、あなたの相談相手にしていただきます。兎も角もこちらへお入りくださいませ。ここが私の修行場でございます……。』  敦子さまは最初はただ泣き入るばかり、とても話をするどころではなかったのですが、それでも修行場の内部へ入って、そこの森とした、浄らかな空気に浸っている中に、次第に心が落ついて来て、ポツリポツリと言葉を切るようになりました。 『あなたは、こんな神聖な境地で立派な御修行、私などはとても段違いで、あなたの足元にも寄りつけはしませぬ……。』  こんな言葉をきっかけに、敦子さまは案外すらすらと打明話をすることになりましたが、最初想像したとおり、果して敦子さまの身の上には、私の知っている以上に、いろいろこみ入った事情があり、そして結局飛んでもない死方――自殺を遂げて了ったのでした。敦子さまは、斯んな風に語り出でました。―― 『生前あなたにも、あるところまでお漏らししたとおり、私達夫婦の仲というものは、うわべとは大へんに異い、それはそれは暗い、冷たいものでございました。最初の恋に破れた私には、もともと他所へ縁づく気持などは少しもなかったのでございましたが、ただ老いた両親に苦労をかけては済まないと思ったばかりに、死ぬるつもりで躯だけは良人にささげましたものの、しかし心は少しも良人のものではないのでした。愛情の伴わぬ冷たい夫婦の間柄……他人さまのことは存じませぬが、私にとりて、それは、世にも浅ましい、つまらないものでございました……。嫁入りしてから、私は幾度自害しようとしたか知れませぬ。わたくしが、それもえせずに、どうやら生き永らえて居りましたのは、間もなく私が身重になった為めで、つまり私というものは、ただ子供の母として、惜くもないその日その日を送っていたのでございました。』 『こんな冷たい妻の心が、何でいつまで良人の胸にひびかぬ筈がございましょう。ヤケ気味になった良人はいつしか一人の側室を置くことになりました。それからの私達の間には前にもまして、一層大きな溝ができて了い、夫婦とはただ名ばかり、心と心とは千里もかけ離れて居るのでした。そうする中にポックリと、天にも地にもかけ換のない、一粒種の愛児に先立たれ、そのまま私はフラフラと気がふれたようになって、何の前後の考もなく、懐剣で喉を突いて、一図に小供の後を追ったのでございました……。』  敦子さまの談話をきいて居りますと、私までが気が変になりそうに感ぜられました。そして私には敦子さまのなされたことが、一応尤もなところもあるが、さて何やら、しっくり腑に落ちないところもあるように考えられて仕方がないのでした。 三十五、辛い修行  それから引きつづいて敦子さまは、こちらの世界に目覚めてからの一伍一什を私に物語ってくれましたが、それは私達のような、月並な婦女の通った路とは大へんに趣が異いまして、随分苦労も多く、又変化にも富んで居るものでございました。私は今ここでその全部をお漏しする訳にもまいりませんが、せめて現世の方に多少参考になりそうなところだけは、成るべく漏れなくお伝えしたいと存じます。  敦子さまが、こちらで最初置かれた境涯は随分みじめなもののようでございました。これが敦子さま御自身の言葉でございます。―― 『死後私はしばらくは何事も知らずに無自覚で暮しました。従ってその期間がどれ位つづいたか、むろん判る筈もございませぬ。その中不図誰かに自分の名を呼ばれたように感じて眼を開きましたが、四辺は見渡すかぎり真暗闇、何が何やらさっぱり判らないのでした。それでも私はすぐに、自分はモー死んでいるな、と思いました。もともと死ぬる覚悟で居ったのでございますから、死ということは私には何でもないものでございましたが、ただ四辺の暗いのにはほとほと弱って了いました。しかもそれがただの暗さとは何となく異うのでございます。例えば深い深い穴蔵の奥と言ったような具合で、空気がしっとりと肌に冷たく感じられ、そして暗い中に、何やらうようよ動いているものが見えるのです。それは丁度悪夢に襲われているような感じで、その無気味さと申したら、全くお話しになりませぬ。そしてよくよく見つめると、その動いて居るものが、何れも皆異様の人間なのでございます。――頭髪を振り乱しているもの、身に一糸を纏わない裸体のもの、血みどろに傷いて居るもの……ただの一人として満足の姿をしたものは居りませぬ。殊に気味の悪かったのは私のすぐ傍に居る、一人の若い男で、太い荒縄で、裸身をグルグルと捲かれ、ちっとも身動きができなくされて居ります。すると、そこへ瞋の眥を釣り上げた、一人の若い女が現われて、口惜しい口惜しいとわめきつづけながら、件の男にとびかかって、頭髪を毮ったり、顔面を引っかいたり、足で蹴ったり、踏んだり、とても乱暴な真似をいたします。私はその時、きっとこの女はこの男の手にかかって死んだのであろうと思いましたが、兎に角こんな苛責の光景を見るにつけても、自分の現世で犯した罪悪がだんだん怖くなってどうにも仕方なくなりました。私のような強情なものが、ドーやら熱心に神様にお縋りする気持になりかけたのは、偏にこの暗闇の内部の、世にもものすごい懲戒の賜でございました……。』  敦子さまの物語はまだいろいろありましたが、だんだんきいて見ると、あの方が何より神様からお叱りを受けたのは、自殺そのものよりも、むしろそのあまりに強情な性質……一たん斯うと思えば飽までそれを押し通そうとする、我侭な気性の為めであったように思われました。敦子さまはこんな事も言いました。―― 『私は生前何事も皆気随気侭に押しとおし、自分の思いが協わなければこの世に生甲斐がないように考えて居りました。一生の間に私が自分の胸の中を或る程度まで打明けたのは、あなたお一人位のもので、両親はもとよりその他の何人にも相談一つしたことはございませぬ。これが私の身の破滅の基だったのでございます。その性質はこちらの世界へ来てもなかなか脱けず、御指導の神様に対してさえ、すべてを隠そう隠そうと致しました。すると或時神様は、汝の胸に懐いていること位は、何も彼もくわしく判っているぞ、と仰せられて、私が今まで極秘にして居った、ある一つの事柄……大概お察しでございましょうが、それをすつぱりと言い当てられました。これにはさすがの私も我慢の角を折り、とうとう一切を懺悔してお恕しを願いました。その為めに私は割合に早くあの地獄のような境地から脱け出ることができました。尤も私の先祖の中に立派な善行のものが居ったお蔭で、私の罪までがよほど軽くされたと申すことで……。何れにしても私のような強情な者は、現世に居っては人に憎まれ、幽界へ来ては地獄に落され、大へんに損でございます。これにつけて、私は一つ是非あなたに折入ってお詫びしなければならぬことがございます。実はこのお詫をしたいばかりに、今日わざわざ神様にお依みして、つれて来て戴きましたような次第で……。』  敦子さまはそう言って、私に膝をすり寄せました。私は何事かしらと、襟を正しましたが、案外それはつまらないことでございました。―― 『あなたの方で御記憶があるかドーかは存じませぬが、ある日私がお訪ねして、胸の思いを打ちあけた時、あなたは私に向い、自分同志が良いのも結構だが、斯ういうことは矢張り両親の許諾を得る方がよい、と仰っしゃいました。何を隠しましょう、私はその時、この人には、恋する人の、本当の気持は判らないと、心の中で大へんにあなたを軽視したのでございます。 ――しかし、こちらの世界へ来て、だんだん裏面から、人間の生活を眺めることが、できるようになって見ると、自分の間違っていたことがよく判るようになりました。私は矢張り悪魔に魅れて居たのでございました。――私は改めてここでお詫びを致します。何うぞ私の罪をお恕し遊ばして、元のとおりこの不束な女を可愛がって、行末かけてお導きくださいますよう……。』         ×      ×      ×      ×  この人の一生には随分過失もあったようで、従って帰幽後の修行には随分つらいところもありましたが、しかしもともとしっかりした、負けぬ気性の方だけに、一歩一歩と首尾よく難局を切り抜けて行きまして、今ではすっかり明るい境涯に達して居ります。それでも、どこまでも自分の過去をお忘れなく、『自分は他人さまのように立派な所へは出られない。』と仰っしゃって、神様にお願いして、わざと小さな岩窟のような所に籠って、修行にいそしんで居られます。これなどは、むしろ私どもの良い亀鑑かと存じます。 三十六、弟橘姫  あまりに平凡な人達の噂ばかりつづきましたから、その埋合せという訳ではございませぬが、今度はわが国の歴史にお名前が立派に残っている、一人の女性にお目にかかったお話を致しましょう。外でもない、それは大和武尊様のお妃の弟橘姫様でございます……。  私達の間をつなぐ霊的因縁は別と致しましても、不思議に在世中から私は弟橘姫様と浅からぬ関係を有って居りました。御存じの通り姫のお祠は相模の走水と申すところにあるのですが、あそこは私の縁づいた三浦家の領地内なのでございます。で、三浦家ではいつも社殿の修理その他に心をくばり、又お祭でも催される場合には、必ず使者を立てて幣帛を献げました。何にしろ婦女の亀鑑として世に知られた御方の霊場なので、三浦家でも代々あそこを大切に取扱って居たらしいのでございます。そして私自身もたしか在世中に何回か走水のお祠に参拝致しました……。  ナニその時分の記憶を物語れと仰っしゃるか……随分遠い遠い昔のことで、まるきり夢のような感じがするばかり、とてもまとまったことは想い出せそうもありませぬ。たしか走水という所は浦賀の入江からさまで遠くもない、海と山との迫り合った狭い漁村で、そして姫のお祠は、その村の小高い崖の半腹に建って居り、石段の上からは海を越えて上総房州が一と目に見渡されたように覚えて居ります。  そうそういつか私がお詣りしたのは丁度春の半ばで、あちこちの山や森には山桜が満開でございました。走水は新井の城から三四里ばかりも隔った地点なので、私はよく騎馬で参ったのでした。馬はもちろん例の若月で、従者は一人の腰元の外に、二三人の家来が附いて行ったのでございます。道は三浦の東海岸に沿った街道で、たしか武山とか申す、可成り高い一つの山の裾をめぐって行くのですが、その日は折よく空が晴れ上っていましたので、馬上から眺むる海と山との景色は、まるで絵巻物をくり拡げたように美しかったことを今でも記憶して居ります。全くあの三浦の土地は、海の中に突き出た半島だけに、景色にかけては何処にもひけは取りませぬようで……。尤もそれは現世での話でございます。こちらの世界には竜宮界のようなきれいな所がありまして、三浦半島の景色がいかに良いと申しても、とてもくらべものにはなりませぬ。  領主の奥方が御通過というので百姓などは土下座でもしたか、と仰っしゃるか……ホホまさかそんなことはございませぬ。すれ違う時にちょっと道端に避けて首をさげる丈でございます。それすら私には気づまりに感じられ、ツイ外へ出るのが億劫で仕方がないのでした。幸いこちらの世界へ参ってから、その点の気苦労がすっかりなくなったのは嬉しうございますが、しかしこちらの旅はあまり、あっけなくて、現世でしたように、ゆるゆると道中の景色を味わうような面白味はさっぱりありませぬ……。  こんな夢物語をいつまで続けたとて致方がございませぬから、良い加減に切り上げますが、兎に角弟橘姫様に対する敬慕の念は在世中から深く深く私の胸に宿って居たことは事実でございました。『尊のお身代りとして入水された時の姫のお心持ちはどんなであったろう……。』祠前に額いて昔を偲ぶ時に、私の両眼からは熱い涙がとめどなく流れ落ちるのでした。  ところがいつか竜宮界を訪れた時に、この弟橘姫様が玉依姫様の末裔――御分霊を受けた御方であると伺いましたので、私の姫をお慕い申す心は一層強まってまいりました。『是非とも、一度お目にかかって、いろいろお話を承り、又お力添を願わねばならぬ……。』――そう考えると矢も楯もたまらぬようになり、とうとうその旨を竜宮界にお願いすると、竜宮界でも大そう歓ばれ、すぐその手続きをしてくださいました。  私がこちらで弟橘姫様にお目通りすることになったのはこんな事情からでございます。 三十七、初対面  竜宮界からかねて詳しい指図を受けて居りましたので、その時の私は思い切ってたった一人で出掛けました。初対面のこと故、服装なども失礼にならぬよう、日頃好みの礼装に、例の被衣を羽織ました。  ヅーッと何処までもつづく山路……大へん高い峠にかかったかと思うと、今度は降り坂になり、右に左にくねくねとつづらに折れて、時に樹木の間から蒼い海原がのぞきます。やがて行きついた所はそそり立つ大きな巌と巌との間を刳りとったような狭い峡路で、その奥が深い深い洞窟になって居ります。そこが弟橘姫様の日頃お好みの御修行場で、洞窟の入口にはチャーンと注連縄が張られて居りました。むろん橘姫様はいつもここばかりに引籠って居られるのではないのです。現世に立派なお祠があるとおり、こちらの世界にも矢張りそう言ったものがあり、御用があればすぐそちらへお出ましになられるそうで……。 『御免遊ばしませ……。』  口にこそ出しませんが、私は心でそう思って、会釈して洞窟の内部へ歩み入りますと、早くもそれと察して奥の方からお出ましになられたのは、私が年来お慕い申していた弟橘姫様でございました。打ち見るところお年齢はやっと二十四五、小柄で細面の、大そう美しい御縹緻でございますが、どちらかといえば少し沈んだ方で、きりりとやや釣り気味の眼元には、すぐれた御気性がよく伺われました。御召物は、これは又私どもの服装とはよほど異いまして、上衣はやや広い筒袖で、色合いは紫がかって居りました、下衣は白地で、上衣より二三寸下に延び、それには袴のように襞が取ってありました。頭髪は頭の頂辺で輪を造ったもので、ここにも古代らしい匂が充分に漂って居りました。又お履物は黒塗りの靴見いなものですが、それは木の皮か何ぞで編んだものらしく、そう重そうには見えませんでした……。 『私は斯ういうものでございますが、現世に居りました時から深くあなた様をお慕い申し、殊に先日乙姫さまから委細を承りましてから、一層お懐かしく、是非一度お目通りを願わずには居られなくなりました、一向何事も弁えぬ不束者でございますが、これからは末長くお教えを受けさせて戴きとう存じまする……。』 『かねて乙姫様からのお言葉により、あなたのお出でを心待ちにお待ち申して居りました。』とあちら様でも大そう歓んで私を迎えてくださいました。『自分とて、ただ少し早くこちらの世界へ引移ったという丈、これからはともどもに手を引き合って、修行することに致しましょう。何うぞこちらへ……。』  その口数の少ない、控え目な物ごしが、私には何より有難く思われました。『矢張り歴史に名高い御方だけのことがある。』私は心の中で独りそう感心しながら、誘わるるままに岩屋の奥深く進み入りました。  私自身も山の修行場へ移るまでは、矢張り岩屋住いをいたしましたが、しかし、ここはずっと大がかりに出来た岩屋で、両側も天井ももの凄いほどギザギザした荒削りの巌になって居ました。しかし外面から見たのとは違って、内部はちっとも暗いことはなく、ほんのりといかにも落付いた光りが、室全体に漲って居りました。『これなら精神統一がうまくできるに相違ない。』餅屋は餅屋と申しますか、私は矢張りそんなことを考えるのでした。  ものの二丁ばかりも進んだ所が姫の御修行の場所で、床一面に何やらふわっとした、柔かい敷物が敷きつめられて居り、そして正面の棚見たいにできた凹所が神床で、一つの円い御神鏡がキチンと据えられて居るばかり、他には何一つ装飾らしいものは見当りませんでした。  私達は神床の前面に、左と右に向き合って座を占めました。その頃の私は最う大分幽界の生活に慣れて来ていましたものの、兎に角自分より千年あまりも以前に帰幽せられた、史上に名高い御方と斯うして膝を交えて親しく物語るのかと思うと、何やら夢でも見て居るように感じられて仕方がないのでした。 三十八、姫の生立  私達の間には、それからそれへと、物語がとめどなくはずみました。霊の因縁と申すものはまことに不思議な力を有っているものらしく、これが初対面であり乍ら、相互の間の隔ての籬はきれいに除り去られ、さながら血を分けた姉妹のように、何も彼もすっかり心の底を打ち明けたのでございました。  私というものは御覧の通り何の取柄もない、短かい生涯を送ったものでございますが、それでも弟橘姫様は私の現世時代の浮沈に対して心からの同情を寄せて、親身になってきいてくださいました。『あなたも随分苦労をなさいました……。』そう言って、私の手を執って涙を流された時は、私は忝いやら、難有いやらで胸が一ぱいになり、われを忘れて姫の御膝に縋りついて了いました。  が、そんな話はただ私だけのことで、あなた方には格別面白くも、又おかしくもございますまいが、ただ其折弟橘姫様御自身の口づから漏された遠き昔の思い出話――これはせめてその一端なりとここでお伝えして置きたいと存じます。何にしろ日本の歴史を飾る第一の花形といえば、女性では弟橘姫様、又男性では大和武尊様でございます。このお二人にからまる事蹟が少しでも現世の人達に伝わることになれば、私の拙き通信にも初めて幾らかの意義が加わる訳でごさいます。私にとりてこんな冥加至極なことはございませぬ。尤も私の申上ぐるところが果して日本の古い書物に載せてあることと合っているか、いないか、それは私にはさっぱり判りませぬ。私はただ自分が伺いましたままをお伝えする丈でございますから、その点はよくよくお含みの上で取拾して戴き度う存じます。  それからもう一つ爰でくれぐれもお断りして置きたいのは、私がお取次ぎすることが、決して姫御自身のお言葉そのままでなく、ただ意味だけを伝えることでございます。当時の言語は含蓄が深いと申しますか、そのままではとても私どもの腑に落ちかぬるところがあり、私としては、不躾と知りつつも、何度も何度も問いかえして、やっとここまで取りまとめたのでございます。で、多少は私のきき損ね、思い違いがないとも限りませぬから、その点も何卒充分にお含み下さいますよう……。 『あなた様の御生立を伺わして戴き度う存じまするが……。』  機会を見て私はそう切り出しました。すると姫はしばらく凝乎と考え込まれ、それから漸く唇を開かれたのでございました。―― 『いかにも遠い昔のこと、所の名も人の名も、急には胸に浮びませぬ。――私の生れたところは安芸の国府、父は安藝淵眞佐臣……代々この国の司を承って居りました。尤も父は時の帝から召し出され、いつもお側に仕える身とて、一年の大部は不在勝ち、国元にはただ女小供が残って居るばかりでございました……。』 『御きょうだいもおありでございましたか。』 『自分は三人のきょうだいの中の頭、他は皆男子でございました。』 『いつもお国元のみにお暮らしでございましたか?』 『そうのみとも限りませぬ。偶には父のお伴をして大和にのぼり、帝のお目通りをいたしたこともございます……。』 『アノ大和武尊様とも矢張り大和の方でお目にかかられたのでございまするか?』 『そうではありませぬ……。国元の館で初めてお目にかかりました……。』  山間の湖水のように澄み切った、気高い姫のお顔にも、さすがにこの時は情思の動きが薄い紅葉となって散りました。私は構わず問いつづけました。―― 『何卒その時の御模様をもう少しくわしく伺わせていただく訳にはまいりますまいか? あれほどまでに深い深い夫婦の御縁が、ただかりそめの事で結ばれる筈はないと存じますが……。』 『さァ……何所から話の糸口を手繰り出してよいやら……。』  姫はしばらくさし俯いて考え込んで居られましたが、その中次第にその堅い唇が少しづつ綻びてまいりました。お話の前後をつづり合わせると、大体それは次ぎのような次第でございました……。 三十九、見合い  それはたしかに、ある年の夏の初、館の森に蝉時雨が早瀬を走る水のように、喧しく聞えている、暑い真昼過ぎのことであったと申します――館の内部は降って湧いたような不時の来客に、午睡する人達もあわててとび起き、上を下への大騒ぎを演じたのも道理、その来客と申すのは、誰あろう、時の帝の珍の皇子、当時筑紫路から出雲路にかけて御巡遊中の小碓命様なのでございました。御随行の人数は凡そ五六十人、いずれも命の直属の屈強の武人ばかりでございました。序でにちょっと附け加えて置きますが、その頃命の直属の部下と申しますのは、いつもこれ位の小人数でしかなかったそうで、いざ戦闘となれば、何れの土地に居られましても、附近の武人どもが、後から後から馳せ参じて忽ち大軍になったと申します。『わざわざ遠方からあまたの軍兵を率いて御出征になられるようなことはありませぬ……。』橘姫はそう仰っしゃって居られました。何所へまいるにもいつも命の御随伴をした橘姫がそう申されることでございますから、よもやこれに間違はあるまいと存じます。  それは兎に角、不意の来客としては五六十人はなかなかの大人数でございます。ましてそれが日本国中にただ一人あって、二人とはない、軍の神様の御同勢とありましては大へんでございます。恐らく森の蝉時雨だって、ぴったり鳴き止んだことでございましょう。ただその際何より好都合であったのは、姫の父君が珍らしく国元へ帰って居られたことで、御自身采配を振って家人を指図し、心限りの歓待をされた為めに、少しの手落もなかったそうでございます。それについて姫は少しくお言葉を濁して居られましたが、何うやら小碓命様のその日の御立寄は必らずしも不意打ではなく、かねて時の帝から御内命があり、言わば橘姫様とお見合の為めに、それとなくお越しになられたらしいのでございます。  何れにしても姫はその夕、両親に促がされ、盛装してお側にまかり出で、御接待に当られたのでした。『何分にも年若き娘のこととて恥かしさが先立ち、格別のお取持もできなかった……。』姫はあっさりと、ただそれっきりしかお口には出されませんでしたが、何やらお二人の間を維いだ、切っても切れぬ固い縁の糸は、その時に結ばれたらしいのでございます。実際又何れの時代をさがしても、この御二人ほどお似合の配偶はめったにありそうにもございませぬ。申すもかしこけれど、お婿様は百代に一人と言われる、すぐれた御器量の日の御子、又お妃は、しとやかなお姿の中に凛々しい御気性をつつまれた絶世の佳人、このお二人が一と目見てお互にお気に召さぬようなことがあったら、それこそ不思議でございます。お年輩も、たしか命はその時御二十四、姫は御十七、どちらも人生の花盛りなのでございました。  これは余談でございますが、私がこちらの世界で大和武尊様に御目通りした時の感じを、ここでちょっと申上げて置きたいと存じます。あんな武勇絶倫の御方でございますから、お目にかからぬ中は、どんなにも怖い御方かと存じて居りましたが、実際はそれはそれはお優さしい御風貌なのでございます。むろん御筋骨はすぐれて逞しうございますが、御顔は色白の、至ってお奇麗な細面、そして少し釣気味のお目元にも、又きりりと引きしまったお口元にも、殆んど女性らしい優さしみを湛えて居られるのでございます。『成るほどこの方なら少女姿に仮装られてもさして不思議はない筈……。』失礼とは存じながら私はその時心の中でそう感じたことでございました。  それはさて置き、命はその際は二晩ほどお泊りになって、そのままお帰りになられましたが、やがて帝のお裁可を仰ぎて再び安芸の国にお降り遊ばされ、その時いよいよ正式に御婚儀を挙げられたのでございました。尤も軍務多端の際とて、その式は至って簡単なもので、ただ内輪でお杯事をされただけ、間もなく新婚の花嫁様をお連れになって征途に上られたとのことでございました。『斯ういう場合であるから何所へまいるにも、そちを連れる。』命はそう仰せられたそうで、又姫の方でも、いとしき御方と苦労艱難を共にするのが女の勤めと、固く固く覚悟されたのでした。 四十、相摸の小野  幾年かに跨る賊徒征伐の軍の旅路に、さながら影の形に伴う如く、ただの一日として脊の君のお側を離れなかった弟橘姫の涙ぐましい犠牲の生活は、実にその時を境界として始められたのでした。或る年の冬は雪沓を穿いて、吉備国から出雲国への、国境の険路を踏み越える。又或る年の夏には焼くような日光を浴びつつ阿蘇山の奥深くくぐり入りて賊の巣窟をさぐる。その外言葉につくせぬ数々の難儀なこと、危険なことに遇われましたそうで、歳月の経つと共に、そのくわしい記憶は次第に薄れては行っても、その時胸にしみ込んだ、感じのみは今も魂の底から離れずに居るとの仰せでございました。  こんな苦しい道中のことでございますから、御服装などもそれはそれは質素なもので、足には藁沓、身には筒袖、さして男子の旅装束と相違していないのでした。なれども、姫は最初から心に固く覚悟して居られることとて、ただの一度も愚痴めきたことはお口に出されず、それにお体も、かぼそいながら至って御丈夫であった為め、一行の足手纏いになられるようなことは決してなかったと申すことでございます。  かかる艱苦の旅路の裡にありて、姫の心を支うる何よりの誇りは、御自分一人がいつも命のお伴と決って居ることのようでした。『日本一の日の御子から又なきものに愛しまれる……。』そう思う時に、姫の心からは一切の不満、一切の苦労が煙のように消えて了うのでした。当時の習慣でございますから、むろん命の御身辺には夥多の妃達がとりまいて居られました。それ等の中には橘姫よりも遥かに家柄の高いお方もあり、又縹緻自慢の、それはそれは艶麗な美女も居ないのではないのでした。が、それ等は言わば深窓を飾る手活の花、命のお寛ぎになられた折の軽いお相手にはなり得ても、いざ生命懸けの外のお仕事にかかられる時には、きまり切って橘姫にお声がかかる。これでは『仮令死んでも……。』という考が橘姫の胸の奥深く刻み込まれた筈でございましょう。  だんだん伺って見ると、数限りもない御一代中で、最大の御危難といえば、矢張り、あの相摸国での焼打だったと申すことでございます。姫はその時の模様丈は割合にくわしく物語られました。―― 『あの時ばかりは、いかに武運に恵まれた御方でも、今日が御最後かと危まれました。自分は命のお指図で、二人ばかりの従者にまもられて、とある丘の頂辺に避けて、命の御身の上を案じわびて居りましたが、その中四方から急にめらめらと燃え拡がる野火、やがて見渡す限りはただ一面の火の海となって了いました。折から猛しい疾風さえ吹き募って、命のくぐり入られた草叢の方へと、飛ぶが如くに押し寄せて行きます。その背後は一帯の深い沼沢で、何所へも退路はありませぬ。もうほんの一と煽りですべては身の終り……。そう思うと私はわれを忘れて、丘の上から駆け降りようとしましたが、その瞬間、忽ちゴーッと耳もつぶれるような鳴動と共に、今までとは異って、西から東へと向きをかえた一陣の烈風、あなやと思う間もなく、猛火は賊の隠れた反対の草叢へ移ってまいりました……。その時たちまち、右手に高く、御秘蔵の御神剣を打り翳し、漆の黒髪を風に靡かせながら、部下の軍兵どもよりも十歩も先んじて、草原の内部から打って出でられた命の猛き御姿、あの時ばかりは、女子の身でありながら覚えず両手を空にさしあげて、声を限りにわあッと叫んで了いました……。後で御伺いすると、あの場合、命が御難儀を脱れ得たのは、矢張りあの御神剣のお蔭だったそうで、燃ゆる火の中で命がその御鞘を払われると同時に、風向きが急に変ったのだと申すことでございます。右の御神剣と申すのは、あれは前年わざわざ伊勢へ参られた時に、姨君から授けられた世にも尊い御神宝で、命はいつもそれを錦の袋に納めて、御自身の肌身につけて居られました。私などもただ一度しか拝まして戴いたことはございませぬ……。』  これが大体姫のお物語りでございます。その際命には、火焔の中に立ちながらも、しきりに姫の身の上を案じわびられたそうで、その忝ない御情意はよほど深く姫の胸にしみ込んで居るらしく、こちらの世界に引移って、最う千年にも余るというのに、今でも当時を想い出せば、自ずと涙がこぼれると言って居られました。  かくまで深いお二人の間でありながら、お児様としては、若建王と呼ばれる御方がただ一人――それも旅から旅へといつも御不在勝ちであった為めに、御自分の御手で御養育はできなかったと申すことでございました。つまり橘姫の御一生はすべてを脊の君に捧げつくした、世にも若々しい花の一生なのでございました。 四十一、海神の怒り  私が伺った橘姫のお物語の中には、まだいろいろお伝えしたいことがございますが、とても一度に語りつくすことはできませぬ。何れ又良い機会がありましたら改めてお漏しすることとして、ただあの走水の海で御入水遊ばされたお話だけは、何うあっても省く訳にはまいりますまい。あれこそはひとりこの御夫婦の御一代を飾る、尤も美しい事蹟であるばかりでなく、又日本の歴史の中での飛び切りの美談と存じます。私は成るべく姫のお言葉そのままをお取次ぎすることに致します。 『わたくし達が海辺に降り立ったのはまだ朝の間のことでございました。風は少し吹いて居りましたが、空には一点の雲もなく、五六里もあろうかと思わるる広い内海の彼方には、総の国の低い山々が絵のようにぽっかりと浮んで居りました。その時の私達の人数はいつもよりも小勢で、かれこれ四五十名も居ったでございましょうか。仕立てた船は二艘、どちらも堅牢な新船でございました。 『一同が今日の良き船出を寿ぎ合ったのもほんの束の間、やや一里ばかりも陸を離れたと覚しき頃から、天候が俄かに不穏の模様に変って了いました。西北の空からどっと吹き寄せる疾風、見る見る船はグルリと向きをかえ、人々は滝なす飛沫を一ぱいに浴びました。それにあの時の空模様の怪しさ、赭黒い雲の峰が、右からも左からも、もくもくと群がり出でて満天に折り重なり、四辺はさながら真夜中のような暗さに鎖されたと思う間もなく、白刃を植えたような稲妻が断間なく雲間に閃き、それにつれてどっと降りしきる大粒の雨は、さながら礫のように人々の面を打ちました。わが君をはじめ、一同はしきりに舟子達を励まして、暴れ狂う風浪と闘いましたが、やがて両三人は浪に呑まれ、残余は力つきて船底に倒れ、船はいつ覆るか判らなくなりました。すべてはものの半刻と経たぬ、ほんの僅かの間のことでございました。 『かかる場合にのぞみて、人間の依むところはただ神業ばかり……。私は一心不乱に、神様にお祈祷をかけました。船のはげしき動揺につれて、幾度となく投げ出さるる私の躯――それでも私はその都度起き上りて、手を合せて、熱心に祈りつづけました。と、忽ち私の耳にはっきりとした一つの囁き、『これは海神の怒り……今日限り命の生命を奪る……。』覚えずはっとして現実にかえれば、耳に入るはただすさまじき浪の音、風の叫び――が、精神を鎮めると又もや右の怪しき囁きがはっきりと耳に聞えてまいります……。 『二度、三度、五度……幾度くりかえしてもこれに間違のないことが判った時に、私はすべてを命に打ち明けました。命は日頃の、あの雄々しい御気性とて「何んの愚かなこと!」とただ一言に打ち消して了われましたが、ただいかにしても打ち消し得ないのは、いつまでも私の耳にきこゆるあの不思議の囁きでございました。私はとうとう一存で、神様にお縋りしました。「命は御国にとりてかけがえのない、大切の御身の上……何卒この数ならぬ女の生命を以て命の御生命にかえさせ玉え……。」二度、三度この祈りを繰りかえして居る内に、私の胸には年来の命の御情思がこみあげて、私の両眼からは涙が滝のように溢れました。一首の歌が自ずと私の口を突いて出たのもその時でございます。真嶺刺し、相摸の小野に、燃ゆる火の、火中に立ちて、問いし君はも……。 『右の歌を歌い終ると共に、いつしか私の躯は荒れ狂う波間に跳って居りました、その時ちらと拝したわが君のはっと愕かれた御面影――それが現世での見納めでございました。』         ×      ×      ×      ×  橘姫の御物語は一と先ずこれにて打ち切りといたしますが、ただ私として、ちょっとここで申添えて置きたいと思いますのは、海神の怒りの件でございます。大和武尊さまのような、あんな御立派なお方が、何故なれば海神の怒りを買われたか?――これは恐らくどなたも御不審の点かと存じまするが、実は私もこれにつきて、指導役のお爺さんにその訳を伺ったことがあるのでございます。その時お爺さんは斯う答えられました。―― 『それは斯ういう次第じゃ。すべて物には表と裏とがある。命が日本国にとりて並びなき大恩人であることはいうまでもなけれど、しかし殺された賊徒の身になって見れば、命ほど、世にも憎いものはない。命の手にかかって滅ぼされた賊徒の数は何万とも知れぬ。で、それ等が一団の怨霊となって隙を窺い、たまたま心よからぬ海神の援けを獲て、あんな稀有の暴風雨をまき起したのじゃ。あれは人霊のみでできる仕業でなく、又海神のみであったら、よもやあれほどのいたずらはせなかったであろう。たまたま斯うした二つの力が合致したればこそ、あのような災難が急に降って湧いたのじゃ。当時の橘姫にはもとよりそうした詳しい事情の判ろう筈もない。姫があれをただ海神の怒りとのみ感じたのはいささか間違って居るが、それはそうとして、あの場合の姫の心胸にはまことに涙ぐましい真剣さが宿っていた。あれほどの真心が何ですぐ神々の御胸に通ぜぬことがあろう。それが通じたればこそ大和武尊には無事に、あの災難を切りぬけることが出来たのじゃ。橘姫は矢張り稀に見るすぐれた御方じゃ。』  私はこの説明が果してすべてを尽しているか否かは存じませぬ。ただ皆さまの御参考までに、私の伺ったところを附け加えて置くだけでございます。 四十二、天狗界探検  あまり面会談ばかりつづいたようでございますから、今度は少し模様をかえて、その頃修行の為めに私がこちらで探検に参りました、珍らしい境地のお話をすることにいたしましょう。こちらの世界には、現世とは全く異った、それはそれは変ったものが住んで居るところがあるのでございます。それがあまりにも飛び離れ過ぎていますので、あなた方は事によると半信半疑、よもやとお考えになられるか存じませぬが、これが事実であって見れば、自分の考で勝手に手加減を加える訳にもまいりませぬ。あなた方がそれを受け入れるか、入れないかは全く別として、兎も角も私の眼に映じたままを率直に述べて見ることに致します。 『今日は天狗の修行場に連れて行く……。』  ある日例の指導役のお爺さんが私にそう言われます。私には天狗などというものを別に見たいという考もないのでございましたが、それが修行の為めとあればお断りするのもドーかと思い、浮かぬ気分で、黙ってお爺さんの後について、山の修行場を出掛けました。  いつもとは異なり、その日は修行場の裏山から、奥へ奥へ奥へとどこまでも険阻な山路を分け入りました。こちらの世界では、どんな山坂を登り降りしても格別疲労は感じませぬが、しかし何やらシーンと底冷えのする空気に、私は覚えず総毛立って、躯がすくむように感じました。 『お爺さま、ここはよほどの深山なのでございましょう……私はぞくぞくしてまいりました……。』 『寒く感ずるのは山が深いからではない。ここはもうそろそろ天狗界に近いので、一帯の空気が自ずと異って来たのじゃ。大体天狗界は女人禁制の場所であるから汝にはあまり気持が宜しくあるまい……。』 『よもや天狗さんが怒って私を浚って行くようなことはございますまい……。』 『その心配は要らぬ。今日は神界からのお指図を受けて尋ねるのであるから、立派なお客様扱いを受けるであろう。二度と斯うした所に来ることもあるまいから、よくよく気をつけて天狗界の状況をさぐり、又不審の点があったら遠慮なく天狗の頭目に訊ねて置くがよいであろう……。』  やがて古い古い杉木立がぎっしりと全山を蔽いつくして、昼尚お暗い、とてもものすごい所へさしかかりました。私はますます全身に寒気を感じ、心の中では逃げて帰りたい位に思いましたが、それでもお爺さんが一向平気でズンズン足を運びますので、漸との思いでついて参りますと、いつしか一軒の家屋の前へ出ました。それは丸太を切り組んで出来た、やっと雨露を凌ぐだけの、極めてざっとした破屋で、広さは畳ならば二十畳は敷ける位でございましょう。が、もちろん畳は敷いてなく、ただ荒削りの厚板張りになって居りました。 『ここが天狗の道場じゃ。人間の世界の剣術道場によく似て居るであろうが……。』  そんなことを言ってお爺さんは私を促して右の道場へ歩み入りました。  と見ると、室内には白衣を着た五十余歳と思わるる一人の修験者らしい人物が居て、鄭重に腰をかがめて私達を迎えました。 『良うこそ……。かねてのお達しで、あなた方のお出でをお待ち受けして居りました。』  私は直ちにこれが天狗さんの頭目であるな、と悟りましたが、かねて想像して居たのとは異って、格別鼻が高い訳でもなく、ただ体格が普通人より少し大きく、又眼の色が人を射るように強い位の相違で、そしてその総髪にした頭の上には例の兜巾がチョコンと載って居りました。 『女人禁制の土地柄、格別のおもてなしとてでき申さぬ。ただいささか人間離れのした、一風変っているところがこの世界の御馳走で……。』  案外にさばけた挨拶をして、笑顔を見せてくれましたので、私も大へんに心が落つき、天狗さんというものは割合にやさしい所もあるものだと悟りました。 『今日はとんだお邪魔を致しまする。では御免遊ばしませ……。』  私は履物を脱いで、とうとう天狗さんの道場に上り込んで了いました。 四十三、天狗の力業  斯んな風に物語ると、すべてがいかにも人間界の出来事のように見えて、をかしなものでございますが、もちろんこの天狗さんは、私達に見せる為めに、態と人間の姿に化けて、そして人間らしい挨拶をして居たのでございます。道場だって同じこと、天狗さんに有形の道場は要らない筈でございますが、種がなくては掴まえどころがなさ過ぎますから、人間界の剣術の道場のようなものを仮りに造り上げて私達に見せたのでございましょう。すべて天狗に限らず、幽界の住人は化るのが上手でございますから、あなた方も何卒そのおつもりで、私の物語をきいて戴き度う存じます。さもないと、すべてが一篇のお伽噺のように見えて、さっぱり値打がないものになりそうでございます。  それはそうと、私達がその時面会した天狗さんの頭目というのは、仲間でもなかなか力のある傑物だそうでございまして、お爺さんが何か一つ不思議な事を見せてくれと依みますと、早速二つ返事で承諾してくれました。 『われわれの芸と申すは先ずざっと斯んなもので……。』  言うより早く天狗さんは電光のように道場から飛び出したと思う間もなく、忽ちするすると庭前に聳えている、一本の杉の大木に駆け上りました。それは丁度人間が平地を駆けると同じく、指端一つ触れずに、大木の幹をば蹴って、空へ向けて駆け上るのでございますが、その迅さ、見事さ、とても筆や言葉につくせる訳のものではありませぬ。私は覚えず坐席から立ち上って、呆れて上方を見上げましたが、その時はモー天狗さんの姿が頂辺の枝の茂みの中に隠れて了って、どこに居るやら判らなくなって居ました。  と、やがて梢の方で、バリバリという高い音が致します。 『木の枝を折っているナ……。』  お爺さんがそう言われている中に、天狗さんは直径一尺もありそうな、長い大きな杉の枝を片手にして、二三十丈の虚空から、ヒラリと身を躍らして私の見ている、すぐ眼の前に降り立ちました。 『いかがでござる……人間よりも些と腕ぶしが強いでござろうが……。』  いとど得意な面持で天狗さんはそう言って、つづいて手にせる枝をば、あたかもそれが芋殻でもあるかのように、片端からいき毮っては棄て、引き毮っては棄て、すっかり粉々にして了いました。  が、私としては天狗さんの力量に驚くよりも、寧しろその飽くまで天真爛漫な無邪気さに感服して了いました。 『あんな鹿爪らしい顔をしているくせに、その心の中は何という可愛いものであろう! これなら神様のお使者としてお役に立つ筈じゃ……。』  私は心の裡でそんなことを考えました。私が天狗さんを好きになったのは全くこの時からでございます。尤も天狗と申しましても、それには矢張り沢山の階段があり、質のよくない、修行未熟の野天狗などになると、神様の御用どころか、つまらぬ人間を玩具にして、どんなに悪戯をするか知れませぬ。そんなのは私としても勿論大嫌いで、皆様も成るべくそんな悪性の天狗にはかかり合われぬことを心からお願い致します。が、困ったことに、私どもがこちらから人間の世界を覗きますと、つまらぬ野天狗の捕虜になっている方々が随分沢山居られますようで……。大きなお世話かは存じませぬが、私は蔭ながら皆様の為めに心を痛めて居るのでございます。くれぐれも天狗とお交際になるなら、できるだけ強い、正しい、立派な天狗をお選びなさいませ。まごころから神様にお願いすれば、きっとすぐれたのをお世話して下さるものと存じます……。 四十四、天狗の性来  さてこの天狗と申すものの性来――これはどこまで行っても私どもには一つの大きな謎で、査べれば査べるほど腑に落ちなくなるようなところがございます。兎も角、私があの時、天狗の頭目に就いて問いただしたところに基き、ざっとそのお話しを致して見ることにしましょう。  先ず天狗の姿から申し上げましょう。前にものべた通り、天狗は時と場合で、人間その他いろいろなものの姿に上手に化けます。かく申す私なども最初はうっかりその手に乗せられましたもので……。しかし近頃ではもうそんな拙な真似はいたしません。天狗がどんな立派な姿に化けていても、すぐその正体を看破して了います。大体に於て申しますと、天狗の正体は人間よりは少し大きく、そして人間よりは寧ろ獣に似て居り、普通全身が毛だらけでございます。天狗の中のごくごく上等のもののみが人間に近い姿をして居りますようで……。  但しこれは姿のある天狗に就いて申したのでございます。天狗の中には姿を有たないのもございます。それは青味がかった丸い魂で、直径は三寸位でございましょうか。現に私どもが天狗界の修行場に居った時にも、三つ四つ樹の枝にひっついて光って居りました。 『あれはモーすっかり修行が積んで、姿を棄てた天狗達でござる……。』  天狗の頭目はそう私に説明してくれました。  天狗の姿も不思議でございますが、その生立は一層不思議でございます。天狗には別に両親というものがなく、人間が地上に発生した、遠い遠い原始時代に、斯ういうものも必要であろうという神様の思召で言わば一種の副産物として生れたものだと申すことでございます。天狗の頭目も『自分達は人間になり切れなかった魂でござる……。』と、あっさり告白して居りました。私はそれをきいた時に、何やら天狗さんに対して気の毒に感じられたのでございました。  兎も角も斯んな手続きで生れたのでございますから、天狗というものは全部中性……つまり男性でも、又女性でもないのでございます。これでは天狗の気持が容易に人間にのみ込めない筈でございます。人間の世界は、主従、親子、夫婦、兄弟、姉妹等の複雑った関係で、色とりどりの綾模様を織り出して居りますが、天狗の世界はそれに引きかえて、どんなにも一本調子、又どんなにも殺風景なことでございましょう。天狗の生活に比べたら、女人禁制の禅寺、男子禁制の尼寺の生活でも、まだどんなにも人情味たっぷりなものがありましょう。『全く不思議な世界があればあるもの……。』私はつくづくそう感じたのでございました。  斯く天狗は本来中性ではありますが、しかし性質からいえば、非常に男らしく武張ったのと、又非常に女らしく優さしいのとの区別があり、化る姿もそれに準じて、或は男になったり、或は女になったりするとのことでございます。日本と申す国は古来尚武の気性に富んだお国柄である為め、武芸、偵察、戦争の駈引等にすぐれた、つまり男性的の天狗さんは殆んど全部この国に集って了い、いざとなれば目覚ましい働きをしてくれますので、その点大そう結構でございますが、ただ愛とか、慈悲とか言ったような、優さしい女性式の天狗は、あまりこの国には現われず、大部分外国の方へ行って了っているようでございます。西洋の人が申す天使――あれにはいろいろ等差があり、偶には高級の自然霊を指している場合もありますが、しかしちょいちょい病床に現われたとか、画家の眼に映ったとかいうのは、大てい女性化した天狗さんのようでございます。  大体天狗の働きはそう大きいものではないらしく、普通は人間に憑って小手先きの仕事をするのが何より得意だと申すことでございます。偶には局部的の風位は起せても、大きな自然現象は大抵皆竜神さんの受持にかかり、とても天狗にはその真似ができないと申すことでございます。  最後に私があの時天狗さんの頭目からきかされた、人浚いの秘伝をお伝えして置きましょう。 『人を浚うということが本当にできるものでございますか?』  そう私が訊ねますと、天狗の頭目はいとど得意の面持で、斯んな風に説明してくれたのでした。―― 『あれは本当といえば本当、ゴマカシといえばゴマカシでござる。われわれは肉体ぐるみ人間を遠方へ連れて行くことはめったにござらぬ。肉体は通例附近の森蔭や神社の床下などに隠し置き、ただ引き抽いた魂のみを遠方に連れ出すものでござる。人間というものは案外感じの鈍いもので、自分の魂が体から出たり、入ったりすることに気づかず、魂のみで経験したことを、宛かも肉体ぐるみ実地に見聞したように勘違いして、得意になって居るもので……。側でそれを見るのはよほど滑稽な感じがするものでござる……。』 四十五、竜神の修行場  天狗界の探検に引きつづいて、私は指導役のお爺さんから、竜神の修行場の探検を命ぜられました。―― 『いつかは竜宮界への道すがら、ちょっと竜神の修行場をのぞかしたこともあるが、あれではあまりにあっけなかった。もう一度汝を彼所へ連れて行くとしょう。あの修行場には一人の老練な監督者が居るから、不審の点は何なりとそれに訊ねるがよい。』 『そのお方も矢張り竜神さんでございますか……。』 『無論そうじゃ。が、俺と同様、人間と面会する時は人間の姿に化けて居る……。』  一度行ったことのある境地でございますから、道中の見物は一切ヌキにして、私達は一と思いに、あのものすごい竜神の湖水の辺へ出て了いました。こちらの世界では遅く歩くも、速く歩くも、すべて自分の勝手で、そこはまことに便利でございます。  と見ると、水辺の、とある巨大な巌の上には六十前後と見ゆる、一人の老人が、佇んで私達の来るのを待って居りました。服装その他大体は私の案内役のお爺さんに似たり寄ったり、ただいくらか肉附きがよく、年輩も二つ三つ若いように見えました。それが監督の竜神さんであることはここに断るまでもありますまい。  一応簡単な挨拶を済ませてから、私は早速右の監督のお爺さんに話かけました。―― 『修行場の模様はいつか拝見させて戴きましたので、今日はむしろ竜神さんの生活につきて、いろいろ腑に落ちかねる点を伺いたいのでございますが……。』 『何なりと訊ねて貰います。研究の為めとあれば、俺の方でもそのつもりで、差支なき限り何も彼も打ち明けて話すことにしましょう。竜神の世界は人間界とは大分に勝手が異うから、訊く方でも成るべくまごつかぬように……。』  あっさりとさばけた態度で、そう言われましたので、私の方でもすっかり安心して、思い浮ぶまま無遠慮にいろいろな事をおききしました、その時の問答の全部をここでお伝えする訳にもまいり兼ねますが、ただあなた方の御参考になりそうな個所は、成るべく洩なく拾い出しましょう。 問『竜神の子供は現在でも矢張り生れているのでございますか?』 答『人間の世界で子供が生れるように、こちらでもズンズン殖えます……。』 問『生れたての若い竜神の躯はどんな躯でございますか?』 答『別に変った躯でもないが、しかし人間からいえばつまり一の幽体、もちろん肉眼で見ることはできぬ。大さは普通三尺もあろうか……しかし伸縮は自由自在であるから、言わば大さが有って無いようなものじゃ……。』 問『蛇とは何う異いますか?』 答『蛇はもともと地上の下級動物、形も、性質も、資格も竜神とは全く別物じゃ。蛇がいかに功労経たところで竜神になれる訳のものでない……。』 問『竜神さんは矢張り人間の御先祖なのでございますか?』 答『左様、先祖といえば先祖であるが、寧ろ人間の遠祖、人間の創造者と言ったがよいであろう。つまり竜神がそのまま人間に変化したのではない。竜神がその分霊を地上に降して、ここに人類という、一つの新らしい生物を造り出したのじゃ。』 問『只今でも竜神さんはそう言ったお仕事をなさいますか?』 答『イヤこれは最初人類を創造り出す時の、ごく遠い大古の神業であって、今日では最早その必要はなくなった。そなたも知るとおり人間の男女は立派に人間の子を生んで居るであろうが……。』  そう言ってお爺さんはにっこりともせず、正面から私に鋭い一瞥を与えられました。 四十六、竜神の生活  私はひるまず質問をつづけました。―― 問『竜神にも人間のように死ぬことがございますか?』 答『人間界にて考えているような、所謂死というものはもちろんない。あれは物質の世界のみに起る、一つのうるさい手続なのじゃ。――が、竜神の躯にも一つの変化が起るのは事実である。そなたも知る蛇の脱殻――丁度あれに似た薄い薄い皮が、竜神の躯から脱けて落ちるのじゃ。竜神は通例しッとりした沼地のような所でその皮を脱ぎすてる……。』 問『竜神さんの分霊が人体に宿ることは、今日では絶対に無いのでございますか?』 答『竜神の分霊が直接人体に宿って、人間として生れるということは絶対にないと言ってよい……。が、一人の幼児が母胎に宿った時に、同一系統の竜神がその幼児の守護霊又は司配霊として働くことは決して珍らしいことでもない。それが竜神として大切な修業の一つでもあるのじゃ……。』 問『竜神にも成年期がございますか。』 答『それはある。竜神とて修行を積まねば一人前にはなれない……。』 問『大体成年期は何歳位でございますか?』 答『これはいかにも無理な質問じゃ。本来こちらの世界に年齢はないのじゃから……。が、人間の年齢に直して見たら、はっきりとは判らぬが、凡そ五六百年位のところであろうか……。』 問『矢張り人間のように婚礼の式などもございますもので……。』 答『人間界の儀式とは異うが、矢張り夫婦になる時には定まった礼儀があり、そして上の竜神様からのお指図を受ける……。』 問『矢張り一夫一婦が規則でございますか?』 答『無論それが規則じゃ。修行の積んだ、高い竜神となれば、決してこの規律に背くようなことはせぬ。しかし乍ら霊格の低い竜神の間にはそうのみも言われぬ節がある……。』 問『生れるのは矢張り一体づつでございますか?』 答『一体が普通じゃ、双生児などはめったにない……。』 問『お産ということもありますもので……。』 答『妊娠する以上お産もある。その際、女性の竜神は大抵どこかに姿を隠すもので……。』 問『一対の夫婦の間に生れる子供の数はどれ位でございましょうか?』 答『それは判らぬ。通例よほど沢山で、幾人と勘定はしかねるのじゃ。』 問『年齢を取れば矢張り子供を生まぬようになるものでございますか?』 答『年齢を取るからではない、浄化するから子供を生まぬようになるのじゃ……。』 問『浄化したのと、浄化しないのとの区別は、何うして見分けられますか? 矢張り色でございますか?』 答『左様、色で一番よく判る。最初生れたての竜神は皆茶ッぽい色をして居る。その次ぎは黒、その黒味が次第に薄れて消炭色になり、そして蒼味が加わって来る。そなたも知る通り、多く見受ける竜神は大てい蒼黒い色をして居るであろうが……。それが一段向上すると浅黄色になり、更に又向上すると、あらゆる色が薄らいで了って、何ともいえぬ神々しい純白色になって来る。白竜になるのには大へんな修行、大へんな年代を重ねねばならぬ……。』 問『夫婦になるのは大ていどの辺の色でございますか?』 答『色には拠らぬ。黒は黒同志で夫婦になり、そしていつまで経っても黒が脱けないのも少くない……。』 問『男女の区別は主に何処で判りますか?』 答『角が一番の目標じゃ。角のあるのは男、角のないのは女……。』 問『夫婦の竜神は矢張り同棲するものでございますか?』 答『竜神にとりて、一緒に棲む、棲まぬは問題でない。竜神の生活は自由自在、人間のように少しも場所などには縛られない。』 問『生れたばかりの子供は何うして居りまするか?』 答『しばらくは母親の手元に置かれるが、やがて修業場の方で引取るのじゃ。』 問『何ういう訳で池を修行場にしてあるのでございますか?』 答『池は一種の行場じゃ。人間界の御禊と同じく、水で浄められる意味にもなって居るのでナ……。』 四十七、竜神の受持  いかに訊ねても訊ねても、竜神の生活は何やら薄い幕を隔てたようで、シックリとは腑に落ちない個所がございます。相当長い間こちらの世界に住んで居る私達ですらそう感ずるのでございますから、現世の方々としては尚更のことで、容易に竜神の存在が信じられない筈だとお察しすることができます。――と申して竜神さんの物語を握りつぶせば、私として虚欺の通信を送ることになり、それも気がとがめてなりませぬ。で、皆さまの信ずる、信じないはしばらく別として、もう少し私がその時監督のお爺さんからきかされたところを物語らせていただきます。―― 問『竜神さんのお仕事というのは大体どんなものでございますか?』 答『竜神の受持はなかなか大きく、広く、そして複雑で、とてもそのすべてを語りつくすことはできぬ。ごく大まかに言ったら、人間の世界で天然現象と称えて居るものは、悉く竜神の受持であると思えばよいであろう。すべて竜神には竜神としての神聖な任務があり、それが直接人間界の利益になろうが、なるまいが、どうあっても遂行せねばならぬことになっている。風雨、寒暑、五穀の豊凶、ありとあらゆる天変地異……それ等の根抵には悉く竜神界の気息がかかって居るのじゃ……。』 問『産土神その他の御祭神は皆竜神様でございますか?』 答『奥の方は何れも竜神で固めてある……。』 問『外国にも産土はあるのでございますか?』 答『無論外国にもある。ただ外国には産土の社がないまでのことじゃ。産土の神があって、生死、疾病、諸種の災難等の守護に当ってくれればこそ、地上の人間は初めてその日その日の生活が営めるのじゃ。』 問『各神社には竜神様の外にもいろいろ眷族があるのでございますか?』 答『むろん沢山の眷族がある。人霊、天狗、動物霊……必要に応じていろいろ揃えてある……。』 問『産土神は皆男の神様でございますか?』 答『産土の主宰神は悉く男性に限るようじゃ。しかし幼児の保姆などにはよく女性の人霊が使われるようで……。』 問『仏教の信者などは死後何うなるのでございますか?』 答『いかなる教を信じても産土の神の司配を受けることに変りはないが、ただ仏の救いを信じ切って居るものは、その迷夢の覚めるまで、しばらく仏教の僧侶などに監督を任せることもある。――イヤしかしそなたの質問は大分俺の領分外の事柄に亘って来た。産土のことなら、俺よりもそなたの指導役の方が詳しいであろう。俺には成るべく竜神の修行場のことだけ訊いてもらいたいのじゃが……。』 問『ツイいろいろの事をお訊ねして相済まぬことでございました。実は平生指導役のお爺様からも、いろいろ承って居るのでございまするが、何やら腑に落ちかねるところもありますので、丁度良い折と考えて念を押して見たような次第で……。』 答『それも悪いとは申さぬが、しかし一升の桝には一升の分量しか入らぬ道理で、そなたの器量が大きくならぬ限り、いかにあせってもすべてが腑に落ちるという訳には参らぬ。今日はしばらくこの辺でとどめて置いては何うじゃナ?』 問『又とないよい機会でございますから、最う一つ二つ訊ねさせていただき度うございます。――――あの弁財天と申上げるのは、あれは皆女性の竜神様でございますか?』 答『その通り……。神に祀られている以上、何れも皆立派に修行の積める女神ばかりで、土地の守護もなされば、又人間の願事も、それが正しいことであれば、歓んで協えてくださる……。』 問『水天宮と申すのも矢張り……。』 答『あれは海上を守護される竜神……。』 問『最後にもう一つ伺わせて戴きます。あなた様はどんなお身分の御方で……。』 答『俺か……俺は妻もなく、又子もなく永久に独身の老いたる竜神じゃ……。竜神の中には斯う言った変り者も時としてないではない。現にそなたの指導役の老人なども矢張り俺のお仲間じゃ。――どりャ一応修行場の見𢌞りをすると致そう。今日はこれまで……。』  言いも終らずこの白衣の老人の姿はスーッと湖水の底に幻のように消えて行きました。 四十八、妖精の世界  竜神界、天狗界と、まるきり人間には見当のとれそうもない、別世界のお話を致した序でに、一つ思い切ってもっと見当のとれない或る世界の物語をさせていただきましょう。外でもない、それは妖精の世界のお話でございます。 『研究の為めに汝に見せてやらねばならぬ不思議な世界がまだ残っている。』と、或る日指導役のお爺さんが私に申されました。『人間は草や木をただ草や木とのみ考えるから、矢鱈に花を挘ったり、枝を折ったり、甚だしく心なき真似をするのであるが、実を言うと、草にも木にも皆精……つまり魂があるのじゃ。精があればこそあんなにも生を楽しみ、あんなにも美しい姿態を造りて、限りなく子孫を伝えて行くのじゃ。今日は汝を右の妖精達に引き合わせてやるから、成るべく無邪気な気持で、彼等に逢ってもらいたい。妖精というものは姿も可愛らしく、心も稚く、少しくこちらで敵意でも示すと、皆怖がって何所とも知れず姿を消して了う。人間界で妖精の姿を見る者が、大てい無邪気な小児に限るのもその故じゃ。今日の見物は天狗界や竜神界の大がかりな探検とはよほど勝手が異うぞ……。』  斯んな事を話してくれながら、お爺さんは私を促して山の修行場を出掛けたと思うと、そのまま一気に途中を飛び越して、忽ち一望眼も遥かなる、広い広い野原に出て了いました。見ればそこら中が、きれいな草地で、そして恰好の良いさまざまの樹草……松、梅、竹、その他があちこちに点綴して居るのでした。 『ここは妖精の見物には誂向きの場所じゃ。大ていの種類が揃って居るであろう。よく気をつけて見るがよい。』  そう注意されている中に、もう私の眼には蝶々のような羽翼をつけた、大さはやっと二三寸から三四寸位の、可愛らしい小人の群がちらちら映って来たのでした。 『まあ何という不思議な世界があればあったものでございましょう!』と私はわれを忘れて、夢中になって叫びました。『お爺さま、彼所に見ゆる十五、六歳位の少女は何と品位の良い様子をして居ることでございましょう。衣裳も白、羽根も白、そして白い紐で額に鉢巻をして居ります……。あれは何の精でございますか?』 『あれは梅の精じゃ。若木の梅であるから、その精も矢張り少女の姿をして居る……。』 『木の精でも矢張り年齢をとりまするか?』 『年齢をとるのは妖精も人間も同一じゃ。老木の精は、形は小さくとも、矢張り老人の姿をして居る……。』 『そして矢張り男女の区別がありまするか?』 『無論男女の区別があって、夫婦生活を営むのじゃ……。』  そう言っている中に、件の梅の精は、しばらく私達の方を珍らしそうに眺めて居ましたが、こちらに害意がないと知って安心したものか、やがてスーッと、丁度蜻蛉のように、空を横切って、私の足元に飛び来り、その無邪気な、朗かな顔に笑みを湛えて、下から私を見上げるのでした。  不図気がついて見ると、その小人の躰中から発散する、何ともいえぬ高尚な香気! 私はいつしかうっとりとして了いました。 『もしもし梅の精さん、あなたは何とまあ良い香を立てていなさるのです……。』  そう言いながら、私は成るべく先方を驚かさないように、徐かに徐かに腰を降して、この可愛い少女とさし向いになりました。 四十九、梅の精  梅の精は思いの外わるびれた様子もなく、私の顔をしげしげ凝視て佇って居ります。 『梅の精さん、あなた、お年齢はおいくつでございます?』  生前の癖で、私は真先きにそんな事を訊いて了いました。 『年齢? わたしそんなものは存じませぬ……。』  梅の精は銀の鈴のようなきれいな声で、そう答えてキョトンとしました。  私は自分ながら拙なことを訊いたとすぐ後悔しましたが、しかしこれで妖精とすらすら談話のできることが判って、嬉しくてなりませんでした。私はつづいて、いろいろ話しかけました。―― 『ホンに、あなた方に年齢などはない筈でございました……。でもあなた方にも矢張り、両親もあれば兄妹もあるのでしょうね?』 『私のお母ァさまは、それはそれはやさしい、良いお母ァさまでございます……。兄妹は、あんまり沢山で数が分りませぬ……。』 『あなたはよく怖がらずに、私の所へ来てくれましたね。』 『でも姨さまは私を可愛がってくださいますもの……。』 『可愛がってくれる人と、くれない人とが判りますか?』 『はっきり判ります。私達は気の荒らい、惨い人間が大嫌いでございます。そんな人間だと私達は決して姿を見せませぬ。だって、格別用事もないのに、折角私達が咲かした花を枝ごと折ったり、何かするのですもの……。』  そう言って、梅の精はそのきれいな眉に八の字を寄せましたが、私にはそれが却って可愛らしくてなりませんでした。 『でも、人間は、この枝振りが気に入らないなどと言って、時々鋏でチョンチョン枝を摘むことがあるでしょう。そんな時にあなた方は矢張り腹が立ちますか?』 『別に腹が立ちもしませぬ……。枝振りを直す為めに伐るのと、悪戯で伐るのとは、気持がすっかり異います。私達にはその気持がよく判るのです……。』 『では花瓶に活ける為めに枝を伐られても、あなた方はそう気まずくは思わないでしょう?』 『それは思いませぬ……。私達を心から可愛がってくださる人間に枝の一本や二本歓んでさしあげます……。』 『果実を採られる気持も同じですか?』 『私達が丹精して作ったものが、少しでも人間のお役に立つと思えば、却ってうれしうございます……。』 『木によっては、根元から伐り倒される場合もありますが、その時あなた方は何うなさる?』 『そりゃよい気持は致しませぬ。しかし伐られるものを、私達の力で何うすることもできませぬ。すぐあきらめて、木が倒れる瞬間にそこを立ちのいて了います……。』 『あなた方の中にも、人間が好きなものと嫌いなもの、又性質のさびしいものと陽気なものと、いろいろ相違があるでしょうね?』 『それは様々でございます。中には随分ひねくれた、気むつかしい性質のものがあり、どうかすると人間を目の仇に致します……。』  何と申しましても、人間と妖精とでは、距離が大分かけ離れていて、談話がしっくりと腑に落ちないところもございますが、それでも、こうしている中に、幾分か先方の心持が呑み込めたように思われてまいりました。それから私はよきほどに梅の精との対話を切り上げ、他の妖精達の査べにかかりましたが、人間から観れば何れも大同小異の妖しい小人というのみで、一々細かいことは判りかねました。標本として私はそれ等の中で少し毛色の異ったものの人相書を申上げて置くことにいたしましょう。  梅の精の次ぎに私が目をとめたのは、松の精で、男松は男の姿、女松は女の姿、どちらも中年者でございました。梅の精よりかも遥かに威厳があり、何所やらどっしりと、きかぬ気性を具えているようでございました。しかし、その大さは矢張り五寸許、蒼味がかった茶っぽい唐服を着て、そしてきれいな羽根を生やして居るのでした。  松や梅の精に比べると竹の精はずっと痩ぎすで、何やら少し貧相らしく見えましたが、しかし性質はこれが一番穏和しいようでございました。で、若し松竹梅と三つ並べて見たら、強いのと弱いのとの両極端が松と竹とで、梅はその中間に位して居るようでございます。  それから菫、蒲公英、桔梗、女郎花、菊……一年生の草花の精は、何れも皆小供の姿をしたものばかり、形態は小柄で、眼のさめるような色模様の衣裳をつけて居りました。それ等が大きな群を作って、大空狭しと乱れ飛ぶところは、とても地上では見られぬ光景でございます。中でどれが一番きれいかと仰っしゃるか……さあ草花の精の中では矢張り菊の精が一番品位がよく、一番巾をきかしているようでございました……。 五十、銀杏の精  一と通り野原の妖精見物を済ませますと、指導役のお爺さんは、私に向って言われました。―― 『この辺に見掛ける妖精達は概して皆年齢の若いものばかり、性質も無邪気で、一向多愛もないが、同じ妖精でも、五百年、千年と功労経たものになると、なかなか思慮分別もあり、うっかりするとヘタな人間は敵わぬことになる。例えばあの鎌倉八幡宮の社頭の大銀杏の精――あれなどはよほど老成なものじゃ……。』 『お爺さま、あの大銀杏ならば私も生前によく存じて居ります。何うぞこれからあそこへお連れ下さいませ……。一度その大銀杏の精と申すのに逢って置き度うございます。』 『承知致した。すぐ出掛けると致そう……。』  どこを何う通過したか、途中は少しも判りませぬが、私達は忽ちあの懐かしい鎌倉八幡宮の社前に着きました。巾の広い石段、丹塗の楼門、群がる鳩の群、それからあの大きな瘤だらけの銀杏の老木……チラとこちらから覗いた光景は、昔とさしたる相違もないように見受けられました。  私達は一応参拝を済ませてから、直ちに目的の銀杏の樹に近寄りますと、早くもそれと気づいたか、白茶色の衣裳をつけた一人の妖精が木蔭から歩み出で、私達に近づきました。身の丈は七八寸、肩には例の透明な羽根をはやして居りましたが、しかしよくよく見れば顔は七十余りの老人の顔で、そして手に一条の杖をついて居りました。私は一と目見て、これが銀杏の精だと感づきました。 『今日はわざわざこれなる女性を連れて来ました。』と指導役のお爺さんは老妖精に挨拶しました。『御手数でも、何かと教えてあげてください……。』 『ようこそ御出でくだされた。』と老妖精は笑顔で私を迎えてくれました。『そなたは気づかなかったであろうが、実はそなたがまだ可愛らしい少女姿でこの八幡宮へ御詣りなされた当時から、俺はようそなたを存じて居る……。人間の世界と申すものは瞬く間に移り変れど、俺などは幾年経っても元のままじゃ……。』  枯れた、落附いた調子でそう言って、老いたる妖精はつくづくと私の顔を打ちまもるのでございました。私も何やら昔馴染の老人にでもめぐり逢ったような気がして、懐かしさが胸にこみ上げて来るのでした。  老妖精は一層しんみりとした調子で、談話をつづけました。 『実を申すと俺はこの八幡宮よりももっと古く、元はここからさして遠くもない、とある山中に住んで居たのじゃ。然るにある年八幡宮がこの鶴岡に勧請されるにつけ、その神木として、俺が数ある銀杏の中から選び出され、ここに移し植えられることになったのじゃ。それから数えてももうずいぶんの星霜が積ったであろう。一たん神木となってからは、勿体なくもこの通り幹の周囲に注連縄が張りまわされ、誰一人手さえ触れようとせぬ。中には八幡宮を拝むと同時に俺に向って手を合わせて拝むものさえもある……。これと申すも皆神様の御加護、お蔭で他所の銀杏とは異なり、何年経てど枝も枯れず、幹も朽ちず、日本国中で無類の神木として、今もこの通り栄えて居るような次第じゃ。』 『長い歳月の間には随分いろいろの事を御覧になられたでございましょう……。』 『それは覧ました……。そなたも知らるる通り、この鎌倉と申すところは、幾度となく激しい合戦の巷となり、時にはこの銀杏の下で、御神前をも憚らぬ一人の無法者が、時の将軍に対して刃傷沙汰に及んだ事もある……。そうした場合、人間というものはさてさて惨いことをするものじゃと、俺はどんなに歎いたことであろう……。』 『でもよくこの銀杏の樹に暴行を加えるものがなかったものでございます……。』 『それは神木である御蔭じゃ。俺の外にこの銀杏には神様の御眷族が多数附いて居られる。若しいささかでもこれに暴行を加えようものなら、立所に神罰が降るであろう。ここで非命に斃れた、かの実朝公なども、今はこの樹に憑って、守護に当って居られる……。イヤ丁度良い機会じゃ。そなたも一応それ等の方々にお目にかかるがよいであろう。何れも爰にお揃いになって居られる……。』  そう言われて驚いて振り返って見ると、甲冑を附けた武将達だの、高級の天狗様だのが、数人樹の下に佇みて、笑顔で私達の様子を見守って居られましたが、中でも強く私の眼を惹いたのは、世にも気高い、若々しい実朝公のお姿でした……。         ×      ×      ×      ×  さなきだに不思議な妖精界の探検に、こんな意外の景物までも添えられ、心から驚き入ることのみ多かった故か、その日の私はいつに無く疲労を覚え、夢見心地でやっと修行場へ引き上げたことでございました。 五十一、第三の修行場  私の山の修行は随分長くつづきましたが、やがて又この修行場にも別れを告ぐべき時節がまいりました。 『汝の修行もここで一段落ついたようじゃ。これから別の修行場へ連れてまいる……。』  或る日指導役のお爺さんからそう言い渡されましたが、実をいうと私の方でも近頃はそろそろ山に倦が来きて、どこぞ別のところへ移って見たいような気分がして居たのでございました。私は二つ返事でお爺さんの言葉に従いました。  引越しは例によって至極お手軽でございました。私が自身で持参したのはただ母の形見の守刀だけで、いざ出発と決った瞬間に、今まで住んで居た小屋も、器具類もすうっと消え失せ、その跡には早くも青々とした蘇苔が隙間なく蒸して居るのでした。何があっけないと申して、斯んなあっけない仕事はめったにあるものでなく、相当幽界の生活に慣れた私でさえ、いささか物足りなさを感じない訳にもまいりませんでした。  が、お爺さんの方では、何処に風が吹くと言った面持で、振り向きもせず、ずんずん先きへ立って歩るき出されましたので、私も黙ってその後に跟いてまいりますと、いつしか道が下り坂になり、くねくねした九十九折をあちらへ繞り、こちらへ𢌞っている中に、何所ともなくすざまじい水音が響いてまいりました。 『お爺さま、あれは瀑布の音でございますか?』 『そうじゃ。今度の修行場はあの瀑布のすぐ傍にあるのじゃ。』 『まあ瀑布の修行場……。どんなに結構なところでございましょう。私も、何所か水のある所で修行したいような気分になって居りました。』 『それだから今度の瀑布の修行場となったのじゃ。汝も知る通り、こちらの世界の掟にはめったに無理なところはない……。』  そう話合っている中に、いつしか私達は飛沫を立てて流るる、二間ばかりの渓流のほとりに立っていました。右も左も削ったような高い崖、そこら中には見上げるような常盤木が茂って居り、いかにもしっとりと気分の落ちついた場所でした。  不図気がついて見ると、下方を流るる渓流の上手は十間余りの懸崕になって居り、そこに巾さが二三間ぐらいの大きな瀑布が、ゴーッとばかりすさまじい音を立てて、木の葉がくれに白布を懸けて居りました。  私はどこに一点の申分なき、四辺の清浄な景色に見惚れて、覚えず感歎の声を放ちましたが、しかしとりわけ私を驚かせたのは、瀑壺から四五間ほど隔てた、とある平坦な崖地の上に、私が先刻まで住んでいた、あの白木造りの小屋がいつの間にか移されて居たことでした。 『まあ斯んなところに……。』  私は呆れてそう叫びましたが、しかしお爺さんは例によってそんな事は当然だと言った風情で、ニコリともせず斯う言われるのでした。―― 『これから汝はここでみっしり修行するのじゃ。俺はこれで帰る……。』  言うが早いか、お爺さんの白衣の姿はぷいと烟のように消えて、私はただひとりポッネンと、この閑寂な景色の中に取り残されました。 五十二、瀑布の白竜  たった一人で、そんな山奥の瀑壺の辺に暮すことになって、さびしくはなかったかと仰っしゃるか……。ちっともさびしいだの、気味がわるいだのということはございませぬ。そんな気持に襲われるのは死んでから間のない、何も判らぬ時分のこと、少しこちらで修行がつんでまいりますと、自分の身辺はいつも神様の有難い御力に衛られているような感じがして、何所に行っても安心して居られるのでございます。しかも今度の私の修行場は、山の修行場よりも一段格の高い浄地で、そこには大そうお立派な一体の竜神様が鎮まって居られたのでした。  ある時私が一心に統一の修行をして居りますと、誰か背後の方で私の名を呼ぶものがあるのです。『指導役のお爺さんかしら……。』そう思って不図振りかえて見ると、そこには六十前後と見ゆる、すぐれて品位のよい、凛々しいお顔の、白衣の老人が黒っぽい靴を穿いて佇んでいました。私は一と目見て、これはきっと貴い神さまだとさとり、丁寧に御挨拶を致しました。それがつまりこの瀑布の白竜さまなのでございました。 『俺は古くからこの瀑布を預かっている老人の竜神じゃが、此度縁あって汝を手元に預かることになって甚だ歓ばしい。一度汝に逢って置かうと思って、今日はわざわざ老人の姿に化けて出現てまいった。人間と談話をするのに竜体ではちと対照が悪いのでな……。』  そう言って私の顔を見て微笑れました。私はこんな立派な神様が時々姿を現わして親切に教えてくださるかと思うと、忝ないやら、心強いやら、自ずと涙がにじみ出ました。―― 『これからは何卒よしなに御指導くださいますよう……。』 『俺の力量に及ぶことなら何なりと申出るがよい。すでに竜宮界からも、そなたの為めによく取計らえとのお指図じゃ。遠慮なく訊きたいことを訊いてもらいたい。』  親身になっていろいろとやさしく言われますので、私の方でもすっかり安心して、勿体ないとは思いつつも、いつしか懇意な叔父さまとでも対座しているような、打解けた気分になって了いました。 『あの大そう無躾なことを伺いますが、あなた様はよほど永くここにお住居でございますか。』 『さァ人間界の年数に直したら何年位になろうかな……。』と老竜神はにこにこし乍ら『少く見積っても三万年位にはなるであろうかな。』 『三万年!』と私はびっくりして、『その間には随分いろいろの変った事件が起ったでございましょう……。』 『もともとこちらの世界のことであるから、さまで変った事件も起らぬ。最初ここへ参った時に蒼黒かった俺の躯がいつの間にか白く変った位のものじゃ。その中俺の真実の姿を汝に見せて上げるとしょう……。』 『それは何時でございましょうか。只今すぐに拝まして戴きとう存じまするが……。』 『イヤすぐという訳にはまいらぬ。汝の修行がもう少し積んで、これならばと思われる時に見せるとしょう。』  その時はそんな対話をした丈でお分れしましたが、私としては一時も早くこの瀑布の竜神様の本体を拝みたいばかりに、それからというものは、一心不乱に精神統一の修行をつづけました。又場所が場所丈に、近頃の統一状態は以前よりもずっと深く、ずっと混りなくなったように自分にも感じられました。  それからどれ位経った時でございましょうか、ある日俄かに私の眼の前に、一道の光明がさながら洪水のように、どっと押し寄せてまいりました。一たんは、はっと愕きましたが、それが何かのお通報であろうと気がついて心を落ちつけますと、つづいて瀑布の方向に当って、耳がつぶれるばかりの異様の物音がひびきます。  私は直ちに統一を止めて、急いで滝壺の上に走り出て見ますと、果してそこには一体の白竜……爛々と輝く両眼、すっくと突き出された二本の大きな角、銀をあざむく鱗、鋒を植えたような沢山の牙……胴の周囲は二尺位、身長は三間余り……そう言った大きな、神々しいお姿が、どっと落ち来る飛沫を全身に浴びつつ、いかにも悠々たる態度で、巌角を伝わって、上へ上へと攀じ登って行かれる……。  眼のあたり、斯うした荘厳無比の光景に接した私は、感極りて言葉も出でず、覚えず両手を合わせて、その場に立ち尽したことでございました。  私は前にも幾度か竜体を目撃して居りますが、この時ほど間近く見、この時ほど立派なお姿を拝んだことはございませぬ。その時の光景はとても私の拙い言葉で尽すことはできませぬ。何卒然るべくお察しをお願いします……。 五十三、雨の竜神  瀑布の修行場では、私が実際瀑布にかかったかと仰っしゃるか……。かかりは致しませぬ。私はただ瀑布の音に溶け込むようにして、心を鎮めて坐って居たまでで、そうすると何ともいえぬ無我の境に誘れて行き、雑念などは少しもきざしませぬ。肉体のある者には水に打たれるのも或は結構でございましょうが、私どもにはあまりその効能がないようで……。又指導役のお爺さんも『瀑布にはかからんでも、その気分になればそれでよい……。』とのお言葉でございました。  或の日私が統一の修行に疲れて、瀑壺の所へ出てぼんやり水を眺めて居りますと、ここの竜神様が、又もや例の白衣姿で、白木の長い杖をつきながら、ひょっくり私の傍へお現われになりました。 『丁度よい機会であるから、汝を上の山へ連れて行って、一つ大へんに面白いものを見せて上げようと思うが……。』 『面白いものと言ってそれは何でございますか?』 『自分について来れば判る。汝は折角修行の為めにここへ寄越されているのであるから、この際できる丈何彼を見聞して置くがよいであろう……。』  もとより拒むべき筋合のものでございませぬから、私は早速身支度してこの親切な、老いたる竜神さんの後について出掛けることになりました。  瀑布の右手にくねくねと附いている狭い山道、私達はそれをば上へ上へと登って行きました。見るとその辺は老木がぎっしり茂っている、ごくごく淋しい深山で、そして不思議に山彦のよく響く処でございました。漸く山林地帯を出抜けると、そこは最う山の頂辺で、芝草が一面に生えて居り、相当に見晴しのきくところでございました。 『実は今日ここで汝に雨降りの実況を見せるつもりなのじゃ。と申して別に俺が直接にやるのではない。雨には雨の受持がある……。』  そう言って瀑布のお爺さんは、眼を閉じてちょっと黙祷をなさいましたが、間もなくゴーッという音がして、それがあちこちの山々にこだまして、ややしばらく音が止みませんでした。  と見ると、向うに一人の若い男子の姿が現われました。年の頃は三十許、身には丸味がかった袖の浅黄の衣服を着け、そして膝の辺でくくった、矢張り浅黄色の袴を穿き、足は草履に足袋と言った、甚だ身軽な扮装でした。頭髪は茶筌に結っていました。 『これは雨の竜神さんが化けて来たのに相違ない……。』一と目見た時に私はすぐそう感づきました。不思議なもので、いつ覚えたともなく、その頃の私にはそれ位の見わけがつくのでした。  お爺さんは言葉少なに私をこの若者に引き合わせた上で、 『今日は御苦労であるが、俺のところの修行者に一つ雨を降らせる実況を見せて貰いたいのじゃが……。』 『承知致しました。』  若者は快く引き受け、直ちにその準備にかかりました。尤も準備と言っても別にそううるさい手続のあるのでも何でもございませぬ。ただ上の神界に真心こめて祈願する丈で、その祈願が叶えば神界から雨を賜わることのようでございます。つまり自然界の仕事は幾段にも奥があり、いかに係りの竜神さんでも、御自分の力のみで勝手に雨を降らしたり、風を起したりはできないようでございます。  それはさて措き、年の若い雨の竜神さんは、瀑布の竜神さんと一緒になって、口の中で何か唱えごとをしながら、ややしばらく祈願をこめていましたが、それが終ると同時に、ぷいとその姿を消しました。 『あれは今竜体に戻ったのじゃ。』とお爺さんが説明してくれました。『竜体に戻らぬと仕事が出来ぬのでな……。その中直に始まるであろうから、しばらくここで待つがよい。』  そんなことを言っている中にも、何やら通信があるらしく、お爺さんはしきりに首肯いて居られます。 『何か差支でも起きたのでございますか?』 『いやそうではない。実は神界から、雨を降らせるに就いては、同時に雷の方も見せてやれとのお達しが参ったのじゃ。それで今その手筈をしているところで……。』 『まあ雷でございますか……。是非それも見せて戴き度うございます……。』 五十四、雷雨問答  それから間もなく、私は随分と激しい雷雨の実況を見せて戴いたのでございますが、外観からいえばそれは現世で目撃した雷雨の光景とさしたる相違もないのでした。先ず遥か向うの深山でゴロゴロという音がして、同時に眼も眩むばかりの稲妻が光る。その中、空が真暗くなって、あたりの山々が篠突くような猛雨の為めに白く包まれる……ただそれきりのことに過ぎませぬ。  が、内容からいえば、それは現世ではとても思いもよらぬような、不思議な、そして物凄い光景なのでございました。 『雨雲の中をよく見るがよい。眼を離してはならぬ。』  お爺さんからそう注意されるまでもなく、私はもう先刻から一心不乱に深い統一に入って、黒雲の中を睨みつめて居たのですが、たちまち一体の竜神の雄姿がそこに鮮かに見出されました。私は思わず叫びました。―― 『あれあれ薄い鼠色の男の竜神さんが、大きな口を開けて、二本の角を振り立てて、雲の中をひどい勢で駆けて行かれる……。』 『それが先刻爰に見えた、あの若者なのじゃ。』 『あれ、向うの峰を掠めて、白い、大きな竜神さんが、眼にもとまらぬ迅さで横に飛んで行かれる……あの凄い眼の色……。』 『それが雷の竜神の一人じゃ。力量はこの方が一段も二段も上じゃ……。』 『あれ、雨の竜神さんが、こちらを向いて、何やら相図をして向うの方に飛んで行かれます……。』 『それは、そろそろ雨を切上げる相図をしているのじゃ。もう間もなく雨も雷も止むであろう……。』  果して間もなく雷雨は、拭うが如く止み、山の上は晴れた、穏かな最初の景色に戻りました。私は夢から覚めたような気分で、しばらくは言葉もきけませんでした。  ややありて私は瀑布の竜神さんに向い、今日見せられた事柄に就いていろいろお訊ねしましたが、いかに訊ねても訊ねても矢張り私の器だけのことしか判る筈もなく、従ってあまり御参考にもならぬかと存じますが、兎も角その時の問答の一部をお伝えして置きます。―― 問『雨を降らすのと、雷を起すのとでは、いつもその受持が異うのでございますか?』 答『それは無論そうじゃ。俺達の世界にもそれぞれ受持がある……。』 問『どのような手続きで、あんな雨や雷が起るのでございますか?』 答『さあそれは甚だ六ヶしい……。一と口に言って了へば念力じゃが、むろんただそう言ったのみでは足らぬ。天地の間にはそこに動かすことのできぬ自然の法則があり、竜神でも、人間でも、その法則に背いては何事もできぬ。念力は無論大切で、念力なしには小雨一つ降らせることもできぬが、しかしその念力は、何は措いても自然の法則に協うことが肝要じゃ。先刻雨を降らせるにつきても、俺達が第一に神界のお許しを受けたのはそこじゃ。大きな仕事になればなるほど、ますます奥が深くなる。俺達は言わば神と人との中間の一つの活きた道具じゃ……。』 問『先刻の雨と雷とは、何れもお一人づつで行られたお仕事でございましたか?』 答『雨の方はただ一人の竜神の仕事じゃった。汝一人の為めに降らせたまでの俄雨であるから、従ってその仕掛もごく小さい……。が、雷の方はあれで二人がかりじゃ。こればかりは、いかなる場合にも二人は要る。一方は火竜、他方は水竜――つまり陽と陰との別な働きが加わるから、そこに初めてあの雷鳴だの、稲妻だのが起るので、雨に比べると、この仕事の方が遥かに手数がかかるのじゃ……。』 五十五、母の訪れ  私が滝の修行場へ滞在した期間はさして長くもなかった上に、あそこは言わば精神統一の特別の行場でございましたので、これはと言って特に申上げるほどの面白い出来事もございませぬ。私はあの滝の音をききながら、いつもその音の中に溶けこむような気分で、自分の存在も忘れて、うっとりとしていることが多いのでございました。お蔭様でそうした修行の結果、私の統一は以前にましてずっと深まり、物を視るにも、あれから大へんに楽になったように、自分にも感じられてまいりました。こちらの世界へ来てもすべては修行次第で、呑気に遊んでいたのでは、決して力量がつくものではないようでございます。実をいうと私などは、可なり執着も強く、しかも自分では成るべく呑気に構えていたい方なのですが、魂の因縁と申しましょうか、上の神様からのお指図で、いつも一つの修行から次ぎの修行へと追い立てられてまいりました為めに、やっと人並になれたのでございます。考えて見ると随分お恥かしい次第で……。  それはそうと滝の修行中にも、一つ二つの思い出の種子がない訳でもございませぬ。その一つは私の母がわざわざ訪ねて来てくれたことで、それが帰幽後に於ける母子の最初の対面でございました。  この対面につきては前以て指導役のお爺さんからちょっと前触がありました。『汝の母人も近頃は漸く修行が積んで、外出も自由にできるようになったので、是非一度汝に逢わそうかと思っている。何れ近い内にこちらに見えるであろう……。』――私はそれをきいた時は嬉しさで胸が一ぱいでございました。そして母に逢ったらこれも語ろう、あれも訊きたいと、生前死後にかけての積り積れるさまざまの事件が、丁度嵐のように私の頭脳の中に、一度に押し寄せて来たのでした。  それにつけても私の眼に特に力強く浮び出でたのは、前にも申上げた、母の臨終の光景でした。あの見る影もなく、老いさらばえる面影、あの断末魔のはげしい苦悶、あの肉体と幽体とをつなぐ無気味な二本の白い紐、それからあの臨終の床の辺をとりまいた現幽両界の多くの人達の集り……。私はその当時を憶い出して、覚えず涙に暮れつつも、近く訪れるこちらの世界の母がどんな様子をしていられるかを、あれか、これかと際限もなく想像するのでした。  すると、それから間もなく、森閑と鎮まり返った私の修行場の庭に、何やら人の訪れる気配がしましたので、不図振り向いて見ると、それは一人の指導役の老人に導かれた、私のなつかしい母親なのでした。 『お母さま‼』 『姫‼』  双方から馳せ寄った二人は互に縋りついて了いました。  現在の母の様子は、臨終の時の様子とはびっくりするほど変って了い、顔もすっかり朗かになり、年齢もたしかに十歳ばかり若返って居りました。母の方でも私が諸磯の佗住居にくすぼり返っていた時に比べて、あまりに若々しく、あまりに元気らしいのを見て、自分の事のように心から歓んでくれました。 『これほどあなたが立派な修行を積んでいるとは思わなかった。あなたの体からは丁度神さまのように光明が射します……。』  そんなことを言いながら、右から左からしげしげと私の姿を見まもるのでした。これも生みの母なればこそ、と思えば、自ずと先立つものは泪でございました。  不図気がついて見ると、庭先まで案内の労を執ってくだすった母の指導役のお爺さんは、いつの間にやら姿を消して、すべてを私達母子の為すところに任せられたのでした。 五十六、つきせぬ物語り  逢った上は心行くまましんみりと語り合おうと待ち構えていたのですが、さていよいよ斯うして母と膝を突き合わせて見ると、ひたぶるに胸が迫るばかりで、思って居ることの十が一も言葉に出でず、ともすれば泣きたくなって仕方がないのでした。 『こんなことでは余りにみつともない。今日は面白く語り合わねばならぬ……。』  私は一生懸命、成るべく涙を見せぬように努めましたが、それは母の方でも同様で、そっと涙を拭いては笑顔でかれこれと談話をつづけるのでした。 『あなたはこちらでどんな境地を通って来たのですか?』母は真先きにそう訊ねました。『最初からここではないようにきいて居りますが……。』 『私はこちらで修行場が三度ほどかわりました。最初は岩屋の修行場、そこはなかなか永うございました。その次ぎが山の修行場、その時代に竜宮界その他いろいろの珍らしい所へ連れて行かれ、又良人をはじめ多くの人達にも逢わせていただきました。現在この滝の修行場へ移ってからはまだ幾らにもなりませぬ……。』 『あなたはまあ何という結構な事ばかりして来られたことでしょう‼』と母は心から感心しました。『この母などは岩屋の修行だの、山の修行だのと、そんな変ったことはただの一つもして来はしませぬ。まして竜宮界などと言っては夢にだって見たこともない……。あなたはたしかに特別の御用を有って生れた人に相違ない……。私の指導役の神さまもそんなことを言って居られました……。』 『まさかそうでもございますまいが……。』 『イヤたしかにそうです。いつか時節が来たら、あなたにはきっと何ぞ大事のお仕事が授けられますよ。何うぞそのつもりで、今後もしっかり修行に精を出してください。母などは、他の多くの人達と同じく、こちらに参ってから、産土神様のお手元で、ある一室を宛てがわれ、そこで静かに修行をつづけているだけなのです……。』 『父上とは御一緒ではございませんか。』 『一緒ではありませぬ。現世に居た時分は、夫婦は同じ場所に行かれるものかと考えて居りましたが、こちらへ来て見ると同棲などは思いも寄りませぬ。魂の関係とやらで、良人は良人、妻は妻と、チャーンと区別がついているのです。もっとも私達の境涯でも逢おうと思えばいつでも逢われ、対話をしようと思えばいつでも対話はできますが……。斯んなことをいうとあなたから笑われるか知れませぬが、私は一度指導役の神様に向い、あまり心細いから、せめて良人とだけは一緒に住まわせて戴きたいと、お願いしたことがあるのです。それでも神様は何うあっても私の願いをおきき入れになってくださらないので、その時の私の力落しと云ったらなかったものです。私は今でも時々はいつの時代になったら、夫婦、親子、兄弟が昔のように楽しく同居することができるのかしらと思われてなりませぬ。あなたにはそんなことがないのですか?』 『ないでもございませぬが、近頃統一が深くなった為めか、だんだんそうした考えが薄らいでまいりました。相当に修行が積んだら、一緒に棲むとか、棲まないとか申すことは、さして苦労にならないようになって了うのではないでしょうか。竜宮界の上の神様達の御様子を見ても、いつも夫婦親子が同棲して居られることはないようでございます。それぞれ御用が異うので、平生は別々になってお働きになり、偶にしか御一緒になって、お寛ぎ遊ばすことがないと申します……。』 『神様でも矢張りそうなのでございますかね……。そうして見るとこの母などはまだ現世の執着が多分に残っている訳で、これからはあなたにあやかり、余り愚痴は申さぬことに気をつけましょう。今日は本当によいことを伺いました。あなたがそんなにまで修行が出来たのを見ると、私は心からうれしい……。』  そう言いながらも母の眼には、涙が一つぱい溜って居るのでした。 五十七、有難い親心  それから訊ねらるるままに、私は母に向って、帰幽後こちらの世界で見聞したくさぐさの物語を致しましたが、いつも一室に閉じこもって、単調なその日その日を送って居る母にとりては、一々びっくりすることのみ多いらしいのでした。最後に私が、最近滝の竜神さんの本体を拝ましていただいた話を致しますと、母の愕きは頂点に達しました。 『私はこちらの世界へ来て居りながら、ただの一度もまだ竜神さんの御本体を拝ましていただいたことがない。今日はあなたを訪れた紀念に、是非こちらの竜神さまにお目通りをしたい。あなたから篤とお依みしてくださらぬか……。』  これには私もいささか当惑して了いました。果して滝の竜神さんが快く母の依みを諾いてくださるか何うか、私にもまったく見当がとれないのでした。 『とも角も、私から折入ってお願いして見ることにいたしましょう。しばらくお待ちくださいませ……。』  私は単身瀑壺の側を通って上のお宮に詣で、母の願望をかなえさせてくださるようお依みしました。  滝の竜神さんはいつものように老人の姿でお現われになり、微笑を浮べて斯う言われるのでした。―― 『汝達の談話はよう俺にも聴えて居ました。人間の母子の情愛と申すものは、大てい皆ああしたものらしく、俺達の世界のようになかなかあっさりはして居らんな。それで汝の母人は、今日爰へ来た序に俺の本体を見物して、それを土産に持って帰りたいということのようであるが、これは少々困った註文じゃ。俺の方で勿体ぶる訳ではないが、汝の母人の修行の程度では、俺がいかに見せたいと思ってもまだとてもまともに俺の姿を見ることはできぬのじゃ……。が、折角の依みとあって見れば何とか便宜を図って上げずばなるまい。兎も角も母人を瀑壺のところへ連れてまいるがよかろう……。』  私は早速修行場から母を瀑壺の辺に連れ出しました。そして二人で、両手を合せて一心に祈願をこめて居りますと、やがてどっと逆落しに落ち来る滝の飛沫の中に、二間位の白い女性の竜神の優さしい姿が現われて、巌角を伝ってすーッと上方に消え去りました。 『あれは俺の子供の一人じゃが……。』  そう言われて、驚いて振りかえると、滝の竜神さんが、いつもの老人の姿で、にこにこしながら、私達の背後に来て、佇んで居られるのでした。  私は厚く今日のお礼をのべて母を引き合わせました。竜神さんはいとど優さしく、いろいろと母を労わってくださいましたので、母もすっかり安心して、丁度現世でするように私の身の上を懇々とお依みするのでした。 『不束な娘でございますが、何うぞ今後とも宜しうお導きくださいますよう……。さぞ何かとお世話が焼けることでございましょう……。』 『イヤあなたは良いお子さんを有たれて、大へんにお幸福じゃ。』竜神さんというよりもむしろ人間らしい挨拶ぶり。『近頃は大分修行も積まれてもう一と息というところじゃ。人間には執着が強いので、それを棄てるのがなかなかの苦労、ここまで来るのには決して生やさしい事ではない……。』 『これから先きは娘は何ういう風になるのでございますか。まだ他にもいろいろ修行があるのでございましょうか?』 『イヤそろそろ修行に一段落つくところじゃ。本人が生前大へんに気に入った海辺があるので、これからそこへ落付かせることになって居る……。』 『左様でございますか。どんなに本人にとりまして満足なことでございましょう。』と母は自分のことよりも、私の前途につきて心を遣ってくれるのでした。『それについては、私があまりたびたび訪ねるのは、却って修行の邪魔になりましょうから、成るべく自分の住所を離れずに、ただ折々の消息をきいて楽しむことに致しましょう。その内折を見てこの娘の良人なりと訪ねさせていただき度うございます。そうすれば修行をするにも何んなに張合いがあることでございましょう……。』 『イヤそれはもうしばらく待ってもらいたい。』と滝の竜神さんはあわて気味に母を制しました。『あの人にはあの人としての仕事があり、めいめい為ることが異います。良人を招ぶのは海辺の修行場へ移ってからのことじゃ……。』 『矢張りそんな訳のものでございますか……。私どもにはこちらの世界のことがまだよくのみ込めないので、ときどき飛んだ失策をいたします。何分神様の方で宜しきように……。』 『その点は何うぞ安心なさるように……。ではこれでお別れします。』  滝の竜神さんがプイと姿を消し、それと入れ代りに母の指導役のお爺さんが早速姿を現わしましたので、母は名残惜しげに、それでも大して泪も見せず、間もなく別れを告げて帰り行きました。 『矢張り生みの母は有難い……。』  見送る私の眼からはこらへこらへた溜涙が一度に滝のように流れました。 五十八、可憐な少女  母に逢ってからの私は、しばらくの間気分が何となく落つかず、統一の修行をやって見ても、ツイふらふらと鎌倉で過した処女時代の光景を眼の中に浮べて見るようなことが多いのでした。『こんなことでは本当の修行にも何にもなりはしない。気晴らしに少し戸外へ出て見ましょう……。』とうとう私は単身で滝の修行場を出かけ、足のまにまに、谷川を伝って、下方へ下方へと降りて行きました。  戸外は矢張り戸外らしく、私は直に何ともいえぬ朗かな気持になりました。それに一歩一歩と川の両岸がのんびりと開けて行き、そこら中にはきれいな野生の花が、所せきまで咲き匂っているのです。『まあ見事な百合の花……。』私は覚えずそう叫んで、巌間から首をさし出していた半開の姫百合を手折り、小娘のように頭髪に挿したりしました。  私がそうした無邪気な乙女心に戻っている最中でした、不図附近に人の気配がするのに気がついて、愕いて振り返って見ますと、一本の満開の山椿の木蔭に、年齢の頃はやっと十歳ばかりの美しい少女が、七十歳位と見ゆる白髪の老人に伴われて佇っていました。 『あれは山椿の精ではないかしら……。』  一たんはそう思いましたが、眼を定めてよくよく見ると、それは妖精でも何でもなく、矢張り人間の小供なのでした。その娘はよほど良い家柄の生れらしく、丸ポチャの愛くるしい顔にはどことなく気品が備わって居り、白練の下衣に薄い薄い肉色の上衣を襲ね、白のへこ帯を前で結んでだらりと垂れた様子と言ったら飛びつきたいほど優美でした。頭髪は項の辺で切って背後に下げ、足には分厚の草履を突かっけ、すべてがいかにも無造作で、どこをさがしても厭味のないのが、むしろ不思議な位でございました。  兎に角日頃ただ一人山の中に閉じこもり、めったに外界と接する機会のない私にとりて、斯うした少女との不意の会合は世にももの珍らしい限りでございました。私は不躾とか、遠慮とか言ったようなことはすっかり忘れて了い、早速近づいて附添のお爺さんに訊ねました。―― 『あの、このお児さまは、どこのお方でございますか?』 『これはもと京の生れじゃが、』と老人は一向済ました面持で『ごく幼い時分に父母に訣れ、そしてこちらの世界に来てからかくまで生長したものじゃ……。』 『まあこちらの世界で大きくなられたお方……私、まだ一度もそう言ったお方にお目にかかったことがございませぬ。もしお差支がなければ、これから私の滝の修行場までお出掛けくださいませぬか。ここからそう遠くもございませぬ……。』 『あなたの事はかねて滝の竜神さんから伺って居ります……。ではお言葉に従ってこれからお邪魔を致そうか……。雛子、この姨さまに御挨拶をなさい。』  そう言われると少女はにっこりして丁寧に頭をさげました。  私はいそいそとこの二人の珍客を伴いて、滝の修行場へと向ったのでした。 五十九、水さかずき  お客さまが見えた時に、こちらの世界で何が一ばん物足りないかといえば、それは食物のないことでございます。それも神様のお使者や、大人ならば兎も角も、斯うした小供さんの場合には、いかにも手持無沙汰で甚だ当惑するのでございます。  致方がないから、あの時私は御愛想に滝の水を汲んで二人に薦めたのでした。―― 『他に何もさし上げるものとてございませぬ。どうぞこの滝のお水なりと召し上れ……。これならどんなに多量でもございます……。』 『これはこれは何よりのおもてなし……雛子、そなたも御馳走になるがよいであろう。世界中で何が美味いと申しても、結局水に越したものはござらぬ……。』  指導役のお爺さんはそんな御愛想を言いながら、教え子の少女に水をすすめ、又御自分でも、さも甘そうに二三杯飲んでくださいました。私の永い幽界生活中にもお客様と水杯を重ねたのは、たしかこの時限りのようで、想い出すと自分ながら可笑しく感ぜられます。  それはそうとこの少女の身の上は、格別変った来歴と申すほどのものでもございませぬが、その際指導役の老人からきかされたところは、多少は現世の人々の御参考にもなろうかと存じますので、あらましお伝えすることに致しましょう。  老人の物語るところによれば、この少女の名は雛子、生れて六歳のいたいけざかりにこちらの世界に引き移ったものだそうで、その時代は私よりもよほど後れ、帰幽後ざっと八十年位にしかならぬとのことでございました。父親は相当高い地位の大宮人で、名は狭間信之、母親の名はたしか光代、そして雛子は夫婦の仲の一粒種のいとし児だったのでした。  指導役のお爺さんはつづいてかく物語るのでした。―― 『御身も知るとおり、こちらの世界では心の純潔な、迷いの少ないものはそのまま側路に入らず、すぐに産土神のお手元に引きとられる。殊に浮世の罪穢に汚されていない小供は例外なしに皆そうで、その為めこの娘なども、帰幽後すぐに俺の手で世話することになったのじゃ。しかるに困ったことにこの娘の両親は、きつい仏教信者であった為め、わが児が早く極楽浄土に行けるようにと、朝に晩にお経を上げてしきりに冥福を祈って居るのじゃ……。この娘自身はすやすやと眠っているから格別差支もないが、この娘の指導役をつとめる俺にはそれが甚だ迷惑、何とか良い工夫はないものかと頭脳を悩ましたことであった。むろん人間には、賢愚、善悪、大小、高下、さまざまの等差があるので、仏教の方便も穴勝悪いものでもなく、迷いの深い者、判りのわるい者には、しばらくこちらで極楽浄土の夢なりと見せて仏式で修行させるのも却ってよいでもあろう。――が、この娘としてはそうした方便の必要は毛頭なく、もともと純潔な小供の修行には、最初から幽界の現実に目覚めさせるに限るのじゃ。で、俺は、この娘がいよいよ眼を覚ますのを待ち、服装などもすぐに御国振りの清らかなものに改めさせ、そしてその姿で地上の両親の夢枕に立たせ、自分は神さまに仕えている身であるから、仏教のお経を上げることは止めてくださるようにと、両親の耳にひびかせてやったのじゃ。最初の間は二人とも半信半疑であったものの、それが三度五度と度重なるに連れて、漸くこれではならぬと気がついて、しばらくすると、現世から清らかな祝詞の声がひびいて来るようになりました……。イヤ一人の小供を満足に仕上げるにはなかなか並大抵の苦心ではござらぬ。幽界に於ても矢張り知識の必要はあるので、現世と同じように書物を読ませたり、又小供には小供の友達もなければならぬので、その取持をしてやったり、精神統一の修行をさせたり、神様のお道を教えたり、又時々はあちこち見学にも連れ出して見たり、心から好きでなければとても小供の世話は勤まる仕事ではござらぬ。が、お蔭でこの娘も近頃はすっかりこちらの世界の生活に慣れ、よく俺の指図をきいてくれるので大へんに助かって居ります。今日なども散歩に連れ出した道すがら図らずもあなたにめぐり逢い、この娘の為めには何よりの修行……あなたからも何とか言葉をかけて見てくだされ……。』  そう言って指導役の老人はあたかも孫にでも対する面持で、自分の教え子を膝元へ引き寄せるのでした。 『雛子さん』と私も早速口を切りました。『あなたはお爺さんと二人切りでさびしくはないのですか?』 『ちっともさびしいことはございません。』といかにもあっさりした返答。 『まァお偉いこと……。しかし時々はお父さまやお母さまにお逢いしたいでしょう。いつかお逢いしましたか?』 『たった一度しか逢いません……。お爺さんが、あまり逢っては良けないと仰っしゃいますから……。わたしそんなに逢いたくもない……。』  何をきかれてもこの娘の答は簡単明瞭、幽界で育った小供には矢張りどこか異ったところがあるのでした。 『これなら修行も案外に楽であろう……。』  私はつくづく肚の中でそう感じたことでした。 六十、母性愛  その日はそれ位のことで別れましたが、後で又ちょいちょいこの二人の来訪を受け、とうとうそれが縁で、私は一度こちらの世界でこの娘の母親とも面会を遂げることになりました。なかなかしとやかな婦人で、しきりに娘のことばかり気にかけて居りました。その際私達の間に交された問答の中には、多少皆様の御参考になるところがあるように思われますので、序にその要点だけここに申し添へて置きましょう。 問『あなた様は御生前に大そう厚い仏教の信者だったそうでございますが……。』 答『私どもは別に平生厚い仏教の信者というのでもなかったのでございますが、可愛い小供を亡った悲歎のあまり、阿弥陀様にお縋りして、あの娘が早く極楽浄土に行けるようにと、一心不乱にお経を上げたのでございました。こちらの世界の事情が少し判って見ると、それがいかに浅墓な、勝手な考であるかがよく判りますが、あの時分の私達夫婦はまるきり迷いの闇にとざされ、それがわが娘の済われるよすがであると、愚かにも思い込んで居たのでした。――あべこべに私ども夫婦はわが娘の手て済われました。夫婦が毎夜夢の中に続けざまに見るあの神々しい娘の姿……私どもの曇った心の鏡にも、だんだんとまことの神の道が朧気ながら映ってまいり、いつとはなしに御神前で祝詞を上げるようになりました。私どもは全く雛子の小さな手に導かれて神様の御許に近づくことができたのでございます。私がこちらの世界へまいる時にも、真先きに迎えに来てくれたのは矢張りあの娘でございました。その折私は飛び立つ思いで、今行きますよ……と申した事はよく覚えて居りますが、修行未熟の身の悲しさ、それから先きのことはさっぱり判らなくなって了いました。後で神さまから伺えば、私はそれから十年近くも眠っていたとのことで、自分ながらわが身の腑甲斐なさに呆れたことでございました……。』 問『いつお娘さまとはお逢いなされましたか……。』 答『自分が気がついた時、私はてっきりあの娘が自分の傍に居てくれるものと思い込み、しきりにその名を呼んだのでございます。――が、いかに呼べど叫べど、あの娘は姿を見せてくれませぬ。そして不図気がついて見ると、見も知らぬ一人の老人が枕辺に佇って、凝乎と私の顔を見つめて居るのでございます。やがて件の老人が徐ろに口を開いて、そなたの子供は今ここに居ないのじゃから、いかに呼んでも駄目じゃ。修行が積んだら逢わせてあげぬでもない……。そんなことを言われたのでございます。その時私は、何という不愛想な老人があればあるものかと心の中で怨みましたが、後で事情が判って見ると、この方がこちらの世界で私を指導してくださる産土神のお使者だったのでございました……。兎も角も、修行次第でわが娘に逢わしてもらえることが判りましたので、それからの私は、不束な身に及ぶ限りは、一生懸命に修行を励みました。そのお蔭で、とうとう日頃の願望の協う時がまいりました。どこをドウ通ったのやら途中のことは少しも判りませぬが、兎も角私は指導役の神さまに連れられて、あの娘の住居へ訪ねて行ったのでございます。あの娘の歿ったのは六歳の時でございましたが、それがこちらの世界で大分に大きく育っていたのには驚きました。稚な顔はそのままながら、どう見ても十歳位には見えるのでございます。私はうれしいやら、悲しいやら、夢中であの娘を両腕にひしとだきかかえたのでございます……。が、それまでが私の嬉しさの絶頂でございました。私は何やら奇妙な感じ……予て考えていたのとはまるきり異った、何やらしみじみとせぬ、何やら物足りない感じに、はっと愕かされたのでございます……。』 問『つまり軽くて温みがなく、手で触ってもカサカサした感じではございませんでしたか……。』 答『全くお言葉の通り……折角抱いてもさっぱり手応えがないのでございます。私にはいかに考えても、こればかりは現世の生活の方がよほど結構なように感じられて致方がございませぬ。神様のお言葉によれば、いつか時節がまいれば、親子、夫婦、兄弟が一緒に暮らすことになるとのことでございますが、あんな工合では、たとえ一緒に暮らしても、現世のように、そう面白いことはないのではございますまいか……。』  二人の問答はまだいろいろありますが、一と先ずこの辺で端折ることにいたしましょう。現世生活にいくらか未練の残っている、つまらぬ女性達の繰り言をいつまで申上げて見たところで、そう興味もございますまいから……。 六十一、海の修行場  前にも申上げた通り、私が滝の修行場に居りました期間は割合に短かく、又これと言って珍らしい話もありませぬ。私は大体彼所でただ統一の修行ばかりやっていたのでございますから……。  滝の修行時代がどれ位つづいたかと仰っしゃるか……。さァ自分にはさっぱりその見当がつきませぬが、指導役のお爺さんのお話では、あれでも現世の三十年位には当るであろうとの事でございました。三十年と申すと現世ではなかなか長い歳月でございますが、こちらでは時を量る標準が無い故か、一向それほどにも感じないのでございまして……。  それはそうと、私の滝の修行場生活もやがて終りを告ぐべき時がめぐってまいりました。ある日私が御神前で深い深い統一に入って居りますと、ひょっくり滝の竜神さんが、例の白衣姿ですぐ間近くお現われになり、斯う仰せられるのでございました。―― 『そなたの統一もその辺まで進めば先ず大丈夫、大概の仕事に差支えることもあるまい。従ってそなたがこの上ここに居る必要もなくなった訳……ではこれでお別れじゃ……。』  言いも終らず、プイと姿をお消しになり、そしてそれと入れ代りに私の指導役のお爺さんが、いつの間にやら例の長い杖をついて入口に立って居られました。  私はびっくりして訊ねました。―― 『お爺さま、これから何所ぞへお引越でございますか?』 『そうじゃ……今度の修行場はきっと汝の気に入るぞ……。すぐ出掛けるとしよう……。』  不相変あっさりしたものでございます。しかし、私の方でも近頃はいくらかこちらの世界の生活に慣れてまいりましたので、格別驚きも、怪しみもせず、ただ母の紀念の守刀を身につけた丈で、心静かに坐を起ちました。  が、それにつづいて起った局面の急転回には、さすがの私も少し呆れない訳にはまいりませんでした。お暇乞いの為めに私が滝の竜神さんの祠堂に向って合掌瞑目したのはホンの一瞬間、さて眼を開けると、もうそこはすでに滝の修行場でも何でもなく、一望千里の大海原を前にした、素晴らしく見晴らしのよい大きな巌の頂点に、私とお爺さんと並んで立っていたのでした。 『ここが今度の汝の修行場じゃ。何うじゃ気に入ったであろうが……。』  びっくりした私が御返答をしようとする間もあらせず、お爺さんの姿が又々烟のように側から消えて無くなって了いました。  重ね重ねの早業に、私は開いた口が容易に塞がりませんでしたが、漸く気を落ちつけて四辺の景色を見𢌞わした時に、私は三たび驚かされて了いました。何故かと申すに、巌の上から見渡す一帯の景色が、どう見ても昔馴染の三浦の西海岸に何所やら似通って居るのでございますから……。 六十二、現世のお浚  私はうれしいのやら、悲しいのやら、自分にもよくは判らぬ気分でしばらくあたりの景色に見とれて居ましたが、不図自分の住居のことが気になって来ました。 『お爺さんは私の住居について何とも仰っしゃられなかったが、一たいそれはどこにあるのかしら……。』  私は巌の上からあちこち見まわしました。  脚下は一帯の白砂で、そして自分の立っている巌の外にも幾つかの大きな巌があちこちに屹立して居り、それにはひねくれた松その他の常盤木が生えて居ましたが、不図気がついて見ると、中で一ばん大きな彼方の巌山の裾に、一つの洞窟らしいものがあり、これに新らしい注連縄が張りめぐらしてあるのでした。 『きっとあれが私の住居に相違ない……。』  私は急いで巌から降りてそこへ行って見ると、案に違わず巌山の底に八畳敷ほどの洞窟が天然自然に出来て居り、そして其所には御神体をはじめ、私が日頃愛用の小机までがすでにキチンと取り揃えられてありました。  一と目見て私は今度の住居が、心から好きになって了いました。洞窟と言っても、それはよくよく浅いもので明るさは殆んど戸外と変りなく、そして其所から海までの距離がたった五六間、あたりにはきれいな砂が敷きつめられていて、所々に美しい色彩の貝殻や香いの強い海藻やらが散ばっているのです。 『まるきり三浦の海岸そっくり……こんな場所なら、私はいつまでここに住んでもよい……。』  私は室を出たり、入ったり、しばらく坐ることも打忘れて小娘のようにはしゃいだことでした。  今日から振り返って考えると、この海の修行場は私の為めに神界で特に設けて下すったお浚いの場所ともいうべきものなのでございました。境遇は人の心を映すとやら、自分が現世時代に親んだのとそっくりの景色の中に犇と抱かれて、別に為すこともなくたった一人で暮らして居りますと、考はいつとはなしに遠い遠い昔に馳せ、ありとあらゆる、どんな細かい事柄までもはっきりと心の底に甦って来るのでした。紅い色の貝殻一つ、かすかにひびく松風一つが私にとりてどんなにも数多き思い出の種子だったでございましょう! それは丁度絵巻物を繰り拡げるように、物心ついた小娘時代から三十四歳で歿るまでの、私の生涯に起った事柄が細大漏れなく、ここで復習をさせられたのでした。  で、この海の修行場は私にとりて一の涙の棄て場所でもありました。最初四辺の景色が気に入ってはしゃいだのはホンの束の間、後はただ思い出しては泣き、更に思い出しては泣き、よくもあれで涙が涸れなかったと思われるほど泣いたのでございました。元来私は涙もろい女、今でも未だ泣く癖がとまりませぬが、しかしあの時ほど私がつづけざまに泣いたこともなかったように覚えて居ります。  が、思い出す丈思い出し、泣きたい丈泣きつくした時に、後には何ともいえぬしんみりと安らかな気分が私を見舞ってくれました。こんないくじのない者に幾分か心の落つきが出て来たように思われるのは、たしかにあの海の修行場で一生涯のお浚をしたお蔭であると存じます。私は今でもあれが私にとりて何より難有い修行場であったと感謝せずには居られませぬ。尚おここはただ昔の思い出の場所であったばかりでなく、現世時代に関係のあった方々との面会の場所でもあり、私は随分いろいろな人達とここでお逢いしました。標本として私が彼所で実家の忠僕及び良人に逢った話なりと致しましょうか。格別面白いこともございませぬが……。 六十三、昔の忠僕  私がある日海岸で遊んで居りますと、指導役のお爺さんが例の長い杖を突きながら彼方からトボトボと歩いて来られました。何うした風の吹きまわしか、その日は大へん御機嫌がよいらしく、老顔に微笑を湛えて斯う言われるのでした。―― 『今日は思い掛けない人を連れて来るが、誰であるか一つ当てて見るがよい……。』 『そんなこと、私にはできはしませぬ……できる筈がございませぬ。』 『コレコレ、汝は何の為めに多年精神統一の修行をしたのじゃ。統一というものは斯うした場合に使うものじゃ……。』 『左様でございますか。ではちょっとお待ち下さいませ……。』  私は立ちながら眼を瞑って見ると、間もなく眼の底に頭髪の真白な、痩せた老人の姿がありありと映って来ました。 『八十歳位の年寄でございますが、私には見覚がありませぬ……。』 『今に判る……。ちょっと待って居るがよい。』  お爺さんはいとも気軽にスーッと巌山をめぐって姿を消して了いました。  しばらくするとお爺さんは私が先刻霊眼で見た一人の老人を連れて再びそこへ現われました。 『何うじゃ実物を視てもまだ判らんかナ。――これは汝のお馴染の爺や……数間の爺やじゃ……。』  そう言われた時の私の頭脳の中には、旧い旧い記憶が電光のように閃きました。―― 『まァお前は爺やであったか! そう言えば成るほど昔の面影が残っています。――第一その小鼻の側の黒子……それが何より確かな目標です……。』 『姫さま、俺は今日のようにうれしい事はござりませぬ。』と数間の爺やは砂上に手をついてうれし涙に咽びながら『夙から姫さまに逢わせてもらいたいと神様に御祈願をこめていたのでござりますが、霊界の掟としてなかなかお許しが降りず、とうとう今日までかかって了いましたのじゃ。しかしお目にかかって見ればいつに変らぬお若さ……俺はこれで本望でござりまする……。』  考えて見れば、私達の対面は随分久しぶりの対面でございました。現世で別れた切り、かれこれ二百年近くにもなっているのでございますから……。数間の爺やのことは、ツイうっかりしてまだ一度もお風評を致しませんでしたが、これは、むかし鎌倉の実家に仕えていた老僕なのでございます。私が三浦へ嫁いだ頃は五十歳位でもあったでしょうが、夙に女房に先立たれ、独身で立ち働いている、至って忠実な親爺さんでした。三浦へも所中泊りがけで訪ねてまいり、よく私の愛馬の手入れなどをしてくれたものでございます。そうそう私が現世の見納めに若月を庭前へ曳かせた時、その手綱を執っていたのも、矢張りこの老人なのでございました。  だんだんきいて見ると、爺やが死んだのは、私よりもざっと二十年ばかり後だということでございました。『俺は生涯病気という病気はなく、丁度樹木が自然と立枯れするように、安らかに現世にお暇を告げました。身分こそ賎しいが、後生は至って良かった方でござります……。』そんなことを申して居りました。  こんな善良な人間でございますから、こちらの世界へ移って来てからも至って大平無事、丁度現世でまめまめしく主人に仕えたように、こちらでは後生大事に神様に仕え、そして偶には神様に連れられて、現世で縁故の深かった人達の許へも尋ねて行くとのことでございました。 『この間御両親様にもお目にかからせて戴きましたが、イヤその時は欣んでよいのやら、又は悲しんでよいのやら……現世の気持とは又格別でござりました……。』  爺やの口からはそう言った物語がいくつもいくつも出ました。最後に爺やは斯んなことを言い出しました。 『俺はこちらでまだ三浦の殿様に一度もお目にかかりませぬが、今日は姫さまのお手引きで、早速日頃の望を協えさせて戴く訳にはまいりますまいか。』 『さァ……。』  私がいささか躊躇って居りますと、指導役のお爺さんが直ちに側から引きとって言われました。―― 『それはいと易いことじゃが、わざわざこちらから出掛けずとも、先方からこちらへ来て貰うことに致そう。そうすれば爺やも久しぶりで御夫婦お揃いの場面が見られるというものじゃ。まさか夫婦が揃っても、以前のように人間臭い執着を起しもしまいと思うが、どうじゃその点は請合ってくれるかナ?』 『お爺さまモー大丈夫でございますとも……。』  とうとう良人の方からこの海の修行場へ訪ねて来ることになって了いました。 六十四、主従三人  間もなく良人の姿がすーッと浪打際に現われました。服装その他は不相変でございますが、しばらく見ぬ間に幾らか修行が積んだのか、何所となく身に貫禄がついて居りました。 『近頃は大へんに御無沙汰を致しました。いつも御機嫌で何より結構でございます……。』 『お互にこちらでは別に風邪も引かんのでナ、アハハハハハ。そなたも近頃は大そう若返ったようじゃ……。』  二三問答を交して居る中に、数間の爺やもそこへ現われ、私の良人と久しぶりの対面を遂げました。その時の爺やの歓びは又格別、『お二人で斯うしてお揃いの所を見ると、まるで元の現世へ戻ったような気が致しまする……。』そんなこと言って洟をすするのでした。  そうする中にも、何人がどう世話して下すったのやら、砂の上には折畳みの床几が三つほど据えつけられてありました。しかもその中の二つは間近く向き合い、他の一脚は少し下って背後の方へ……。何う見たって私達三人の為めに特別に設けてくれたとしか思えない恰好なのでございます。 『どりァ遠慮なく頂戴致そうか。』良人もひどく気を良くしてその一つに腰を降ろしました。 『こちらへ来てから床几に腰をかけるのはこれが初めてじゃが、なかなか悪るい気持は致さんな……。』  然るべく床几に腰を降ろした主従三人は、それからそれへと際限もなく水入らずの昔語りに耽りましたが、何にしろ現世から幽界へかけての長い歳月の間に、積り積った話の種でございますから、いくら語っても語っても容易に尽きる模様は見えないのでした。その間には随分泣くことも、又笑うこともありましたが、ただ有難いことに、以前良人と会った時のような、あの現世らしい、変な気持だけは、最早殆んど起らないまでに心がきれいになっていました。私は平気で良人の手を握っても見ました。 『随分軽いお手でございますね。』 『イヤ斯うカサカサして居てはさっぱりじゃ。こんな張子細工では今更同棲してもはじまるまい。』  私達夫婦の間にはそんな戯談が口をついて出るところまであっさりした気分が湧いて居ました。爺やの方では一層枯れ切ったもので、ただもううれしくて耐らぬと言った面持で、黙って私達の様子を打ち守っているのでした。  ただ一つ良人にとりての禁物は三崎の話でした。あちらに見ゆる遠景が丁度油壺の附近に似て居りますので、うっかり話頭が籠城時代の事に向いますと、良人の様子が急に沈んで、さも口惜しいと言ったような表情を浮べるのでした。『これは良けない……。』私は急いで話を他に外らしたことでございました。  困ったのは、この時良人も爺やもなかなか帰ろうとしないことで、現世でいうなら二人が二三日私の修行場に滞在するようなことになりました。尤も、それはただ気持だけの話でございます。こちらには昼も夜もないのですから、現世のようにとても幾日とはっきり数える訳には行かないのでございます。その辺がどうも話が大へんにしにくい点でございまして……。         ×      ×      ×      ×  海の修行場の話はこれで切り上げますが、兎に角この修行場は私にとりて最後の仕上げの場所で、そして私はこの時に神様から修行終了の仰せを戴いたのでございます。同時に現世の方ではすでに私の為めに一つの神社が建立されて居り、私は間もなくこの修行場からその神社の方へと引移ることになったのでございます。  それに就きての経緯は何れ改めてこの次ぎに申上げることに致しましょう。 六十五、小桜神社の由来  ツイうっかりお約束をして了いましたので、これから私が小桜神社として祀られた次第を物語らなければならぬ段取になりましたが、実は私としてこんな心苦しいことはないのでございます。御覧のとおり私などは別にこれと申してすぐれた器量の女性でもなく、又修行と言ったところで、多寡が知れて居るのでございます。こんなものがお宮に祀られるというのはたしかに分に過ぎたことで、私自身もそれはよく承知しているのでございます。ただそれが事実である以上、拠なく申上げるようなものの、決して決して私が良い気になって居る訳でも何でもないことを、くれぐれもお含みになって戴きとう存じます。私にとりてこんなしにくい話はめったにないのでございますから……。  だんだん事の次第をしらべますると、話はずっと遠い昔、私がまだ現世に生きて居た時代に遡るのでございます。前にもお話ししたとおり、良人の討死後私は所中そのお墓詣りを致しました。何にしろお墓の前へ行って瞑目すれば、必らず良人のありし日の面影がありありと眼に映るのでございますから、当時の私にとりてそれが何よりの心の慰めで、よほどの雨風でもない限り、めったに墓参を怠るようなことはないのでした。『今日も又お目にかかって来ようかしら……。』私としてはただそれ位のあっさりした心持で出掛けたまでのことでございました。この墓詣りは私が病の床につくまでざっと一年あまりもつづいたでございましょうか……。  ところが意外にもこの墓参が大へんに里人の感激の種子となったのでございます。『小櫻姫は本当に烈女の亀鑑だ。まだうら若い身でありながら再縁しようなどという心は微塵もなく、どこまでも三浦の殿様に操を立て通すとは見上げたものである。』そんな事を言いまして、途中で私とすれ違う時などは、土地の男も女も皆泪ぐんで、いつまでもいつまでも私の後姿を見送るのでございました。  里人からそんなにまで慕ってもらいました私が、やがて病の為めに殪れましたものでございますから、その為めに一層人気が出たとでも申しましょうか、いつしか私のことを世にも類なき烈婦……気性も武芸も人並すぐれた女丈夫ででもあるように囃し立てたらしいのでございます。その事は後で指導役のお爺さんから伺って自分ながらびっくりして了いました。私は決してそんなに偉い女性ではございませぬ。私はただ自分の気が済むように、一と筋に女子として当り前の途を踏んだまでのことなのでございまして……。  尤も、最初は別に私をお宮に祀るまでの話が出た訳ではなく、時々思い出しては、野良への往来に私の墓に香花を手向ける位のことだったそうでございますが、その後不図とした事が動機となり、とうとう神社というところまで話が進んだのでございました、まことに人の身の上というものは何が何やらさっぱり見当がとれませぬ。生きて居る時にはさんざん悪口を言われたものが、死んでから口を極めて讃められたり、又その反対に、生前栄華の夢を見たものが、墓場に入ってからひどい辱しめを受けたりします。そしてそれが少しも御本人には関係のない事柄なのですから、考えて見ればまことに不思議な話で、煎じつむれば、これは矢張り何やら人間以上の奇びな力が人知れず奥の方で働いているのではないでしょうか。少くとも私の場合にはそうらしく感じられてならないのでございます……。 六十六、三浦を襲った大海嘯  さて只今申上げました不図とした動機というのは、或る年三浦の海岸を襲った大海嘯なのでございました。それはめったにない位の大きな時化で、一時は三浦三崎一帯の人家が全滅しそうに思われたそうでございます。  すると、その頃、諸磯の、或る漁師の妻で、平常から私の事を大へんに尊信してくれている一人の婦人がありました。『小櫻姫にお願いすれば、どんな事でも協えて下さる……。』そう思い込んでいたらしいのでございます。で、いよいよ暴風雨が荒れ出しますと、右の婦人が早速私の墓に駆けつけて一心不乱に祈願しました。―― 『このままにして置きますと、三浦の土地は皆流れて了います。小櫻姫さま、何うぞあなた様のお力で、この災難を免れさせて戴きます。この土地でお縋りするのはあなた様より外にはござりませぬ。』  丁度その時私は海の修行場で不相変統一の修行三昧に耽って居りましたので、右の婦人の熱誠こめた祈願がいつになくはっきりと私の胸に通じて来ました。これには私も一と方ならず驚きました。―― 『これは大へんである。三浦は自分にとりて切っても切れぬ深い因縁の土地、このまま土地の人々を見殺しにはできない。殊にあそこには良人をはじめ、三浦一族の墓もあること……。一つ竜神さんに一生懸命祈願して見ましょう……。正しい願いであるならきっと御神助が降るに相違ない……。』  それから私は未熟な自分にできる限りの熱誠をこめて、三浦の土地が災厄から免れるようにと、竜神界に祈願を籠めますと、間もなくあちらから『願いの趣聴き届ける……。』との難有いお言葉が伝わってまいりました。  果して、さしものに猛り狂った大時化が、間もなく収まり、三浦の土地はさしたる損害もなくして済んだのでしたが、三浦以外の土地、例えば伊豆とか、房州とかは百年来例がないと言われるほどの惨害を蒙ったのでした。  斯うした時には又妙に不思議な現象が重なるものと見えまして、私の姿がその夜右の漁師の妻の夢枕に立ったのだそうでございます。私としては別にそんなことをしようという所思はなく、ただ心にこの正直な婦人をいとしい女性と思った丈のことでしたが、たまたま右の婦人がいくらか霊能らしいものを有っていた為めに、私の思念が先方に伝わり、その結果夢に私の姿までも見ることになったのでございましょう。そうしたことは格別珍らしい事でも何でもないのですが、場合が場合とて、それが飛んでもない大騒ぎになって了いました。―― 『小櫻姫はたしかに三浦の土地の守護神様だ。三浦の土地が今度不思議にも助かったのは皆小櫻姫のお蔭だ。現に小櫻姫のお姿が誰某の夢枕に立ったということだ……。難有いことではないか……。』  私とすればただ土地の人達に代って竜神さんに御祈願をこめたまでのことで、私自身に何の働きのあった訳ではないのでございますが、そうした経緯は無邪気な村人に判ろう筈もございません。で、とうとう私を祭神とした小桜神社が村人全体の相談の結果として、建立される段取になって了いました。  右の事情が指導役のお爺さんから伝えられた時に私はびっくりして了いました。私は真紅になって御辞退しました。―― 『お爺さま、それは飛んでもないことでございます。私などはまだ修行中の身、力量といい、又行状といい、とてもそんな資格のあろう筈がございませぬ。他の事と異い、こればかりは御辞退申上げます……。』  が、お爺さんはいつかな承知なさらないのでした。―― 『そなたが何と言おうと、神界ではすでに人民の願いを容れ、小桜神社を建てさせることに決めた。そなたの器量は神界で何もかも御存じじゃ。そなたはただ誠心誠意で人と神との仲介をすればそれでよい。今更我侭を申したとて何にもならんぞ……。』 『左様な訳のものでございましょうか……。』  私としては内心多大の不安を感じながら、そうお答えするより外に詮術がないのでございました。 六十七、神と人との仲介  以上のべたところで一と通り話の筋道だけはお判りになったことと存じます。神に祀られたといえば、ちょっと大変なことのように思われましょうが、内容は決してそれほどのことではないのでございまして……。  大体日本の言葉が、肉眼に見えないものを悉く神と言って了うから、甚だまぎらわしいのでございます。神という一字の中には飛んでもない階段があるのでございます。諺にも上には上とやら、一つの神界の上には更に一だん高い神界があり、その又上にも一層奥の神界があると言った塩梅に、どこまで行っても際限がないらしいのでございます。現在の私どもの境涯からいえば、最高のところは矢張り昔から教えられて居るとおり、天照大御神様の知しめす高天原の神界――それが事実上の宇宙の神界なのでございます。そこまでは、一心不乱になって統一をやればどうやら私どもにも接近されぬでもありませぬが、それから奥はとても私どもの力量には及びませぬ。指導役のお爺さんに伺って見ましても、あまり要領は獲られませぬ……。つまり無い訳ではないが、限りある器量ではどうにもしょうがないのでございましょう。  高天原の神界から一段降ったところが、取りも直さずわれわれの住む大地の神界で、ここに君臨遊ばすのが、申すまでもなく皇孫命様にあらせられます。ここになるとずっとわれわれとの距離が近いとでも申しましょうか、御祈願をこむれば直接神様からお指図を受けることもでき、又そう骨折らずにお神姿を拝むこともできます――。尤もこれは幾らか修行が積んでからの事で、最初こちらへ参ったばかりの時は、何が何やら腑に落ちぬことばかり、恥かしながら皇孫命様があらゆる神々を統率遊ばす、真の中心の御方であることさえも存じませんでした。『幽明交通の途が杜絶ているせいか、近頃の人間はまるきり駄目じゃ……。昔の人間にはそれ位のことがよく判っていたものじゃが……。』――指導役のお爺さんからそう言ってさんざんお叱りを受けたような次第でございました。私達でさえ、すでにこれなのでございますから、現世の方々が戸惑いをなさるのも或は無理からぬことかも知れませぬ。これは矢張りお爺さんの言われる通り、この際、大いに奮発して霊界との交通を盛んにする必要がございましょう。それさえできれば斯んなことは造作もなく判ることなのでございますから……。  今更申上ぐるまでもなく、皇孫命様をはじめ奉り、直接そのお指図の下にお働き遊ばす方々は何れも活神様……つまり最初からこちらの世界に活き通しの自然霊でございます。産土の神々は申すに及ばず、八幡様でも、住吉様でも、但しは又弁財天様のような方々でも、その御本体は悉くそうでないものはございませぬ。つまるところここまでが、真正の意味の神様なので、私どものように帰幽後神として祀られるのは真正の神ではありませぬ。ただ神界に籍を置いているという丈で……。尤も中には随分修行の積んた、お立派な方々もないではありませぬが、しかし、どんなに優れていても人霊は矢張り人霊だけのことしかできはしませぬ。一つ口に申したら、真正の神様と人間との中間に立ちてお取次ぎの役目をつとめるのが人霊の仕事――。まあそれ位に考えて戴けば、大体宜しいかと存じます。少くとも私のような未熟なものにできますことは、やっとそれだけでございます。神社に祀られたからと申して、矢鱈に六ヶしい問題などを私のところにお持込みになられることは固く御辞退いたします。精一ぱいお取次ぎはいたしますが、私などの力量で何一つできるものでございましょうか……。 六十八、幽界の神社  かれこれする中に、指導役のお爺さんからは、お宮の普請が、最う大分進行して居るとのお通知がありました。―― 『後十日も経てばいよいよ鎮座祭の運びになる。形こそ小さいが、普請はなかなか手が込んで居るぞ……。』  そんな風評を耳にする私としては、これまでの修行場の引越しとは異って、何となく気がかり……幾分輿入れ前の花嫁さんの気持、と言ったようなところがあるのでした。つまり、うれしいようで、それで何やら心配なところかあるのでございます。 『お爺さま、鎮座祭とやらの時には、私がそのお宮に入るのでございますか……。』 『イヤそれとも少し異う……。現界にお宮が建つ時には、同時に又こちらの世界にもお宮が建ち、そなたとしてはこちらのお宮の方に入るのじゃ。――が、そなたも知る通り現幽は一致、幽界の事は直ちに現界に映るから、実際はどちらとも区別がつけられないことになる……。』 『現界の方では、どんな個所にお宮を建てて居るのでございますか。』 『彼所は何と呼ぶか……つまり籠城中にそなたが隠れていた海岸の森蔭じゃ。今でも里人達は、遠い昔の事をよく記憶えていて、わざとあの地点を選ぶことに致したらしい……。』 『では油ヶ壺のすぐ南側に当る、高い崖のある所でございましょう、大木のこんもりと茂った……。』 『その通りじゃ。が、そんなことはこの俺に訊くまでもなく、自分で覗いて見たらよいであろう。現界の方はそなたの方が本職じゃ……。』  お爺さんはそんなことを言って、まじめに取合ってくださいませんので、止むを得ずちょっと統一して、のぞいて見ると、果してお宮の所在地は、私の昔の隠家のあったところで、四辺の模様はさしてその時分と変って居ないようでした。普請はもう八分通りも進行して居り、大工やら、屋根職やらが、何れも忙がしそうに立働いているのが見えました。 『お爺さま、矢張り昔の隠家のあった所でございます。大そう立派なお宮で、私には勿体のうございます。』 『現界のお宮もよくできて居るが、こちらのお宮は一層手が込んで居るぞ。もう夙に出来上っているから、入る前に一度そなたを案内して置くと致そうか……。』 『そうしていただけば何より結構でございますが……。』 『ではこれからすぐに出掛ける……。』  不相変お爺さんのなさることは早急でございます。  私達は連れ立ちて海の修行場を後に、波打際のきれいな白砂を踏んで東へ東へと進みました。右手はのたりのたりといかにも長閑な海原、左手はこんもりと樹木の茂った丘つづき、どう見ても三浦の南海岸をもう少しきれいにしたような景色でございます。ただ海に一艘の漁船もなく、又陸に一軒の人家も見えないのが現世と異っている点で、それが為めに何やら全体の景色に夢幻に近い感じを与えました。  歩いた道程は一里あまりでございましょうか、やがて一つの奥深い入江を𢌞り、二つ三つ松原をくぐりますと、そこは欝葱たる森蔭の小じんまりとせる別天地、どうやら昔私が隠れていた浜磯の景色に似て、更に一層理想化したような趣があるのでした。  不図気がついて見ると、向うの崖を少し削った所に白木造りのお宮が木葉隠れに見えました。大さは約二間四方、屋根は厚い杉皮葺、前面は石の階段、周囲は濡椽になって居りました。 『何うじゃ、立派なお宮であろうが……。これでそなたの身も漸く固った訳じゃ。これからは引越騒ぎもないことになる……。』  そう言われるお爺さんのお顔には、多年手がけた教え児の身の振り方のついたのを心から歓ぶと言った、慈愛と安心の色が湛って居りました。私は勿体ないやら、うれしいやら、それに又遠い地上生活時代の淡い思い出までも打ち混り、今更何と言うべき言葉もなく、ただ泪ぐんでそこに立ち尽したことでございました。 六十九、鎮座祭  そうする中にいよいよ鎮座祭の日がまいりました。 『現界の方では今日はえらいお祭騒ぎじゃ。』と指導役のお爺さんが説ききかせてくださいました。『地元の里はいうまでもなく、三里五里の近郷近在からも大へんな人出で、あの狭い海岸が身動きのできぬ有様じゃ。往来には掛茶屋やら、屋台店やらが大分できて居る……。が、それは地上の人間界のことで、こちらの世界は至って静謐なものじゃ。俺一人でそなたをあのお宮へ案内すればそれで事が済むので……。まァこれまでの修行場の引越しと格別の相違もない……。』  そう言ってお爺さんは一向に取済ましたものでしたが、私としては、それでは何やら少し心細いように感じられてならないのでした。 『あのお爺さま、』私はとうとう切り出しました。『私一人では何やら心許のうございますから、お差支なくば私の守護霊さまに一緒に来て戴きたいのでございますが……。』 『それは差支ない。そなたを爰まで仕上げるのには、守護霊さんの方でも蔭で一と方ならぬ骨折じゃった。――もう追ッつけ現界の方では鎮座祭が始まるから、こちらもすぐにその支度にかかると致そうか……。』  毎々申上げますとおり、私どもの世界では何事も甚だ手取り早く運びます。先ず私の服装が瞬間に変りましたが、今日は平常とは異って、身には白練の装束、手には中啓、足には木の蔓で編んだ一種の草履、頭髪はもちろん垂髪……甚ださッぱりしたものでございました。他に身につけていたものといえばただ母の紀念の守刀――こればかりは女の魂でございますから、いかなる場合にも懐から離すようなことはないのでございます。  私の服装が変った瞬間には、もう私の守護霊さんもいそいそと私の修行場へお見えになりました。お服装は広袖の白衣に袴をつけ、上に何やら白の薄物を羽織って居られました。 『今日は良うこそ私をお召びくださいました。』と守護霊さんはいつもの控え勝ちな態度の中にも心からのうれしさを湛え、『私がこちらの世界へ引移つてから、かれこれ四百年にもなりますが、その永い間に今日ほど肩身が広く感じられることはただの一度もございませぬ。これと申すも偏に御指導役のお爺さまのお骨折、私からも厚くお礼を申上げます。この後とも何分宜しうお依み申しまする……。』 『イヤそう言われると俺はうれしい。』とお爺さんもニコニコ顔、『最初この人を預かった当座は、つまらぬ愚痴を並べて泣かれることのみ多く、さすがの俺もいささか途方に暮れたものじゃが、それにしてはよう爰まで仕上ったものじゃ。これからは、何と言おうが、小桜神社の祭神として押しも押されもせぬ身分じゃ……。早速出掛けると致そう。』  お爺さんはいつもの通りの白衣姿に藁草履、長い杖を突いて先頭に立たれたのでした。  浪打際を歩いたように感じたのはホンの一瞬間、私達はいつしか電光のように途中を飛ばして、例のお宮の社頭に立っていました。  内部に入ってホッと一と息つく間もなく、忽ち産土の神様の御神姿がスーッと神壇の奥深くお現われになりました。その場所は遠いようで近く、又近いようで遠く、まことに不思議な感じが致しました。  恭しく頭を低げている私の耳には、やがて神様の御声が凛々と響いてまいりました。それは大体左のような意味のお訓示でございました。 『今より神として祀らるる上は心して土地の守護に当らねばならぬ。人民からはさまざまの祈願が出るであろうが、その正邪善悪は別として、土地の守護神となった上は一応丁寧に祈願の全部を聴いてやらねばならぬ。取捨は其上の事である。神として最も戒むべきは怠慢の仕打、同時に最も慎むべきは偏頗不正の処置である。怠慢に流るる時はしばしば大事をあやまり、不正に流るる時はややもすれば神律を紊す。よくよく心して、神から托された、この重き職責を果すように……。』  産土の神様のお馴示が終ると、つづいて竜宮界からのお言葉がありましたが、それは勿体ないほどお優さしいもので、ただ『何事も六ヶしい事はこちらに訊くように……。』とのことでございました。  私は今更ながら身にあまる責任の重さを感ずると同時に、限りなき神恩の忝さをしみじみと味わったことでございました。 七十、現界の祝詞  そうする中にも、今日の鎮座祭のことは、早くもこちらの世界の各方面に通じたらしく、私の両親、祖父母、良人をはじめ、その外多くの人達からのお祝いの言葉が、頻々と私の耳にひびいで参りました。それは別にあちらで通信しようとする意思はなくても、自然とそう感じられて来るのでございます。近頃は現界でも、電信とか、電話とか申すものが出来て、斯うした場合によく利用されるそうでございますが、こちらの世界でする仕事も大体それに似たもので、ただもう少し便利なように思われます。『思えば通ずる……。』それがいつも私どものヤリ口なのでございまして……。  さてその際私に感じて来た通信の中では、矢張り良人のが一ばん力強くひびきました。『そなたはいよいよ神として祀られることになり、多年連添った良人として決して仇やおろそかには考えられない。しかもその神社の所在地は、あの油壺の対岸の隠れ家の跡とやら、この上ともしっかりやって貰いますぞ……。』  兎角して居る中に、指導役のお爺さんから御注意がありました。―― 『現界ではいよいよ御霊鎮めの儀に取りかかった。そなたはすぐにその準備にかかるように……。』  私の身も心も、その時急に引きしまるように覚えました。 『これから自分はこのお宮に鎮まるのだ……。』  そう思った瞬間に、私の姿はいずくともなく消えて失せて了いました。  後でお爺さんから承るところによると、私というものはその時すっかり御幣の中に入って了ったのだそうで、つまり御幣が自分か、自分が御幣か、その境界が少しも判らなくなったのでございます。  その状態がどれ位つづいたかは自分には少しも判りませぬ。が、不思議なことに、そうして居る間、現世の人達が奏上する祝詞が手に取るようにはっきりと耳に響いて来るのでございます。その後何回斯うした儀式に臨んだか知れませぬが、いつもいつも同じ状態になるのでございまして、それは全く不思議でございます。  不図自分に返って見ると、お爺さんも、又守護霊さんも、先刻の姿勢のままで、並んで神壇の前に立って居られました。 『これで俺も一と安心じゃ……。』  お爺さんはしんみりとした口調で、ただそう仰ッしゃられたのみでした。つづいて守護霊さんも口を開かれました。―― 『ここまで来るのには、御本人の苦労も一と通りではありませぬが、蔭になり、日向になって、親切にお導きくだされた神さま方のお骨折りは容易なものではございませぬ。決して決してその御恩をお忘れにならぬよう……。』  その折の私としましては感極りて言葉も出でず、せき来る涙を払えもあえず、竜神さま、氏神さま、その外の方々に心から感謝のまことを捧げたことでございました。 七十一、神馬  鎮座祭が済んでから私は一たん海の修行場に引き上げました。それは小桜神社の祭神として実際の仕事にかかる前にまだ何やら心の準備が要ると考えましたからで……。  で、私は一生懸命深い統一に入り、過去の一切の羈絆を断ち切ることによりて、一層自由自在な神通力を恵まれるよう、心から神様に祈願しました。それは時間にすれば恐らく漸く一刻位の短かい統一であったと思いますが、心が引緊っている故か、私とすれば前後にない位のすぐれて深い統一状態に入ったのでございました。畏れ多くも私として、天照大御神様、又皇孫命様の尊い御神姿を拝し奉ったのは実にその時が最初でございました。他にいろいろ申上げたいこともありますが、それは主に私一人に関係した霊界の秘事に属しますので、しばらく控えさせて戴くことに致しましょう。  ただ一つここで御披露して置きたいと思いますことは、神馬の件で……。つまり不図した動機から小桜神社に神馬が一頭新たに飼われることになったのでございます。その経緯は斯うなのでございます。  私が深い統一から覚めた時に、思いも寄らず最前からそこに控えて待っていたのは、数間の爺やでございました。爺やは今日の鎮座祭の慶びを述べた後で、突然斯んなことを言い出しました。―― 『姫さまが今回神社にお入りなされるにつけては、是非神馬が一頭欲しいと思いまするが……。』 『ナニ神馬?』と私はびっくりしまして『そなたは又何うしてそんな事を言い出すのじゃ……。』 『実は姫様が昔お可愛がりになった、あの若月……あれがこちらの世界に来て居るのでござります。私は何回かあの若月に逢って居りますので……。』 『若月なら私も一度こちらで逢いました……。』 『もうお逢いなされましたか……何んとお早いことで……。が、それなら尚更のことでござります。是非あの若月を小桜神社の神馬に出世させておやり下さいませ。若月がどんなに歓ぶか知れませぬ。又苟且にも一つの神社に一頭の神馬もないとあっては何となく引立ちませんでナ……。』 『そんな勝手な事が、できるかしら……。』 『できても、できなくても一応神様に談判して戴きます。これ位の願いが許されないとあっては、俺にも料簡がござります……。』  数間の爺やの権幕と言ったら大へんなものでした。  そこでとうとう私から指導役のお爺さんにお話しすると、意外にも産土の神様の方ではすでにその手筈が整って居り、神社の横手に小屋も立派に出来て居るとの事でございました。それと知った時の数間の爺やの得意さと言ったらありませんでした。 『ソーれお見なされ姫様、他のことにかけては姫様がお偉いか知れぬが、馬の事にかけては矢張りこの爺やの方が一枚役者が上でござる……。』  間もなく私は海の修行場を引き上げて、永久に神社の方に引き移りましたが、それと殆んど同時に馬も数間の爺やに曳かれて、頭を打振り打振り歓び勇んで私の所に現われました。それからずっと今日まで馬は私の手元に元気よく暮して居りますが、ただこちらでは馬がいつも神社の境内につながれて居る訳ではなく、どこに行って居っても、私が呼べばすぐ現て来るだけでございます。さびしい時は私はよく馬を相手に遊びますが、馬の方でもあの大きな舌を持って来て私の顔を舐めたりします。それはまことに可愛らしいものでございまして……。  それから馬の呼名でございますが、私は予ての念願どおり、若月を改めて、こちらでは鈴懸と呼ぶことに致しました。私が神社に落ちついてから、真先きに訪ねてくれたのは父だの、母だの、良人だのでございましたが、私は何は措いても先ずこの鈴懸を紹介しました。その際誰よりも感慨深そうに見えたのは矢張り良人でございました。良人はしきりに馬の鼻面を撫でてやりながら『汝もとうとう出世して鈴懸になったか。イヤ結構結構! 俺はもう呼名について反対はせんぞ……。』そう言って、私の方を顧みて、意味ありげな微笑を漏したことでございました。 七十二、神社のその日その日  前申上げましたように、兎も角も私は小桜神社を預かる身となったのでございますが、それから今日まで引きつづいてざっと二百年、考えて見れば随分永いことでございます。私の任務というのはごく一と筋のもので、従って格別取り立てて吹聴するような珍らしい話の種とてもありませぬが、それでもこの永い星霜の間には何や彼やと後から後からさまざまの事件が湧いてまいり、とてもその全部を御伝えする訳にもまいりませぬ。中には又現世の人達に、今ここで御漏らししてはならないことも少しはあるのでございまして……。  で、いろいろと考えました末、これからあなた方に幾分か御参考になりそうな事柄だけを拾い出して御話しをいたし、そろそろこの拙き通信を切り上げさせて戴こうと存じます。  取り敢えず祭神となってからの生活の変化と言ったような点を簡単に申上げて置こうかと存じます。御承知の通り、私の仕事は大体上の神界と下の人間界との中間に立ちて御取次ぎを致すのでございますが、これでも相当に気骨が折れまして、うっかりして居ればどんな間違をするか知れません。修行時代には指導役の御爺さんが側から一々面倒を見てくださいましたから楽でございましたが、だんだんそうばかりも行かなくなりました。『汝には神様に伺うこともちゃんと教えてあるから、大概の事は自分の力で行らねばならぬぞ……。』そう言われるのでございます。又私としても、いつまでお爺さんにばかりお縋りするのもあまりに意気地がないように感じましたので、よくよくの重大事でもなければ、めったに御相談はせぬことに覚悟をきめました。  で、私として真先きに工夫したことは一日の区画を附けることでございました、本来からいえばこちらの世界に昼夜の区別はないのでございますが、それでは現界の人達と接するのにひどく勝手が悪く、どうにも仕方がございません。何にしろ人間界の方では朝は朝、夜は夜とちゃんと区画をつけて仕事をして居るのでございますから……。  乃で、私の方でもそれに調子を合わせて生活するように致し、丁度現世の人達が朝起きて洗面をすませ、神様を礼拝すると同じように、私も朝になれば斎戒沐浴して、天照大御神様をはじめ奉り、皇孫命様、竜神様、又産土神様を礼拝し、今日一日の任務を無事に勤めさせて下さいますようにと祈願を籠めることにしました。不思議なことにそんな場合には、いつも額いている私の頭の上で、さらっと幣の音が致します。その癖眼を開けて見ても、別に何も見えはしませぬ。恐らく斯うして神界から、人知れず私の躯を浄めて下さるのでございましょう……。  夜は夜で、又神様に御礼を申上げます。『今日一日の仕事を無事に勤めさせて戴きまして、まことに難有うございました……。』その気持は別に現世の時と些しも異りはしませぬ。兎に角これで初めて重荷が降りたように感じ、自分に戻って寛ぎますが、ただ現世と異うのは、それから床を敷いて寝るでもなく、たったひとりで懐かしい昔の思い出に耽って、しんみりした気分に浸る位のものでございます。  兎に角斯うして一日を区画って働くことは指導役のお爺さんからも大へんに褒められました。『よくそれ丈の考えがついた。それでこそ任務が立派に果される……。』そう仰しゃって戴いたのでございます。  ナニ参拝人の話をいたせと仰っしゃるか……宜しうございます。私もそのつもりで居りました。これからポツポツ想い出してその御話をして見ることに致しましょう。 七十三、参拝者の種類  神社の参拝者と申しましても、その種類はなかなか沢山でございます。近年は敬神の念が薄らぎました故か、めっきり参拝者の数が減り、又熱心さも薄らいだように感じられますが、昔は大そう真剣な方が多かったものでございます。時勢の変化はこちらから観て居ると実によく判ります。神霊の有るか、無いかもあやふやな人達から、単に形式的に頭を低げてもらいましても、ドーにも致方がございませぬ。神詣でには矢張り真心一つが資本でございます。たとえ神社へは参詣せずとも、熱心に心で念じてくだされば、ちゃんとこちらへ通ずるのでございますから……。  参拝者の中で一ばんに数も多く、又一ばんに美しいのは、矢張り何の註文もなしに、御礼に来らるる方々でございましょう。『毎日安泰に暮させていただきまして誠に難有うございます。何卒明日も無事息災に過せますよう……。』昔はこんなあっさりしたのが大そう多かったものでございます。殊に私が神に祀られました当座は、海嘯で助けられた御礼詣りの人々で賑いました。無論あの海嘯で相当沢山の人命が亡びたのでございますが、心掛の良い遺族は決して恨みがましいことを申さず、死ぬのも皆寿命であるとあきらめて、心から御礼を述べてくれるのでした。私として見れば、自分の力一つで助けた訳でもないのでございますから、そんな風に御礼を言われると却って気の毒でたまらず、一層身を入れてその人達を守護して上げたい気分になるのでした。  斯う言った御礼詣りに亜いで多いのは病気平癒の祈願、就中小供の病気平癒の祈願でございます。母性愛ばかりはこれは全く別で、あれほど純な、そしてあれほど力強いものはめったに他に見当りませぬ。それは実によく私の方に通じてまいります。――が、いかに依まれましても人間の寿命ばかりは何うにもなりませぬ。随分一心不乱になって神様に御縋りするのでございますが、死ぬものは矢張り死んで了います。そうした場合に平生心懸のよいものは、『これも因縁だから致方がございませぬ……。』と言って、立派にあきらめてくれますが、中には随分性質のよくないのがない訳でもございません。『あんな神様は駄目だ……幾ら依んだって些つとも利きはしない……。』そんな事を言って挨拶にも来ないのです。それが又よくこちらに通じますので……。矢張り人物の善悪は、うまく行った場合よりも拙く行った場合によく判るようでございます。  次ぎに案外多いのは若い男女の祈願……つまり好いた同志が是非添わしてほしいと言ったような祈願でございます。そんなのは篤と産土神様に伺いまして、差支のないものにはできる丈話が纏まるように骨を折ってやりますが、ひょっとすると、妻子のある男と一緒になりたいとか、又人妻と添はしてくれとか、随分道ならぬ、無理な註文もございます。無論私としてはそんな祈願を受附けないばかりか、次第によれば神様に申上げて懲戒を下して戴きもします。もぐりの流行神なら知らぬこと、苟くも正しい神として斯んな祈願に耳を傾けるものは絶対に無いと思えば宜しいかと存じます。  その外には事業成功の祈願、災難除けの祈願等いろいろございます。これは何れの神社でも恐らく同様かと存じます。人間はどんなに偉くても随分と隙間だらけのものであり、又随分と気の弱いものでもあり、平生は大きなことを申して威張って居りましても、まさかの場合には手も足も出はしませぬ。無論神の援助にも限りはありますが、しかし神の援助があるのと無いのとでは、そこに大へんな相違ができます。もともと神霊界ありての人間界なのでございますから、今更人間が旋毛を曲げて神様を無視するにも及びますまい。神様の方ではいつもチャーンとお膳立をして待って居て下さるのでございます。  それからモー一つ申上げて置きたいのは、あの願掛け……つまり念入りの祈願でございまして、これは大てい人の寝鎮まった真夜中のものと限って居ります。そうした場合には、むろん私の方でもよく注意してきいて上げ、夜中であるから良けないなどとは決して申しませぬ。現世でいうなら丁度急病人に呼び起されるお医者様と言ったところでございましょうか……。  まだまだ細かく申したら際限もありませぬが、参拝者の種類はざっと以上のようなところでございましょう、これから二つ三つ私の手にかけた実例をお話して見ることに致しますが、その前にちょっと申上げて置きたいのは、それ等の祈願を聴く場合の私の気持でございます。ただぼんやりしていたのでは聴き漏しがありますので、私は朝になればいつも深い統一状態に入り、そしてそのまま御弊と一緒になって了うのでございます。その方が参拝者達の心がずっとよく判るからでございます。つまり私の二百年間のその日その日はいつも御弊と一体、夜分参拝者が杜絶た時分になって初めて自分に返って御弊から離れると言った塩梅なのでございます。  ではこれからお約束の実例に移ります……。 七十四、命乞い  ここに私が神社に入ってから間もなく手にかけた事件がございますから、あまり珍らしくもありませぬが、それを一つお話しいたして見ましょう。それは水に溺れた五歳位の男の児の生命を助けたお話でございます。  その小供は相当地位のある人……たしか旗本とか申す身分の人の忰でございまして、平生は江戸住いなのですが、お附きの女中と申すのが諸磯の漁師の娘なので、それに伴れられてこちらへ遊びに来ていたらしいのでございます。丁度夏のことでございましたから、小供は殆んど家の内部に居るようなことはなく、海岸へ出て砂いじりをしたり、小魚を捕えたりして遊びに夢中、一二度は女中と一緒に私の許へお詣りに来たこともありました、普通なら一々参拝者を気にとめることもないのですが、右の女中と申すのが珍らしく心掛のよい、信心の熱い娘でございましたから、自然私の方でも目を掛けることになったのでございます。現と幽とに分れて居りましても、人情にかわりはなく、先方で熱心ならこちらでもツイその真心にほだされるのでございます。  すると或る日、この小供の身に飛んでもない災難が降って湧いたのでございます。御承知の方もありましょうが、三崎の西海岸には巌で囲まれた水溜があちこちに沢山ありまして、土地の漁師の小供達はよくそんなところで水泳ぎを致して居ります。真黒く日に焦けた躯を躍り狂わせて水くぐりをしているところはまるで河童のよう、よくあんなにもふざけられたものだと感心される位でございます。江戸から来ている小供はそれが羨しくて耐らなかったものでございましょう、自分では泳げもせぬのに、女中の不在の折に衣服を脱いで、深い水溜の一つに跳び込んだから耐りませぬ。忽ちブクブクと水底に沈んで了いました。しばらく過ぎてからその事が発見されて村中の大騒ぎとなりました。何にしろ附近に医師らしいものは居ない所なので、漁師達が寄ってたかって、水を吐かせたり、焚火で煖めたり、いろいろ手を尽しましたが、相当時刻が経っている為めに何うしても気息を吹き返さないのでした。  いよいよ絶望と決まった時に、私の許へ夢中で駆けつけたのが、例のお附の女中でございました。その娘はまるで半狂乱、頭髪を振り乱して階段の下に伏しまろび、一生懸命泣き乍ら祈願するのでした。―― 『小櫻姫様、どうぞ若様の生命を取りとめて下さいませ……。私の過失で大切の若様を死なせて了っては、ドーあってもこの世に生き永らえて居られませぬ。たとえ私の生命を縮めましても若様を生かしていただきます。小供の時分から信心して居る私でございます、今度ばかりは是非私の願いをお聴き入れ下さいませ……。』  私の方でも心から気の毒に思いましたから、時を移さず一生懸命になって神様に命乞いの祈願をかけましたが、何分にも相当手遅れになって居りますので、神界から、一応は駄目であるとのお告でございました。しかし人間の至誠と申すものは、斯うした場合に大した働きをするものらしく、くしびな神の力が私から娘に、娘から小供へと一道の光となって注ぎかけ、とうとう死んだ筈の小供の生命がとりとめられたのでございました。全く人間はまごころ一つが肝要で、一心不乱になりますと、躯の内部から何やら一種の霊気と申すようなものが出て、普通ではとてもできない不思議な仕事をするらしいのでございます。  兎に角死んだ筈の小供が生き返ったのを見た時は私自身も心から嬉しうございました。まして当人はよほど有難かったらしく、早速さまざまのお供物を携えてお礼にまいったばかりでなく、その後も終生私の許へ参拝を欠かさないのでした。こんなのは善良な信者の標本と言っても宜しいのでございましょう。 七十五、入水者の救助  今度は一つ夫婦のいさかいから、危く入水しようとした女のお話を致しましょうか……。大たい夫婦争いにあまり感心したものは少のうございまして、中には側で見ている方が却って心苦しく、覚えず顔を背けたくなる場合もございます。これなども幾分かその類でございまして……。  或る日一人の男が蒼白な顔をして、慌てて社の前に駆けつけました。何事かしらと、じっと見て居りますると、その男はせかせかとはずむ呼吸を鎮めも敢えず、斯んなことを訴えるのでした。―― 『神さま、何うぞ私の一生の願いをお聴き届け下さいませ……。私の女房奴が入水すると申して、家出をしたきり皆目行方が判らないのでございます。神様のお力でどうぞその足留めをしてくださいますよう……。実際のところ私はあれに死なれると甚だ困りますので……。私が他所に情婦をつくりましたのは、あれはホンの当座の出来心で、心から可愛いと思っているのは、矢張り永年連れ添って来た自家の女房なのでございます……。ただ彼女が余んまり嫉妬を焼いて仕方がございませんから、ツイ腹立まぎれに二つ三つ頭をどやしつけて、貴様のような奴はくたばって了えと呶鳴りましたが、心の底は決してそうは思っていないのでございます……。あんなことを言ったのは私が重畳悪うございました。これに懲りまして、私は早速情婦と手を切ります……。あの大切な女房に死なれては、私はもうこの世に生きている甲斐がありませぬ……。』  この男は三崎の町人で、年輩は三十四五の分別盛り、それが涙まじりに斯んなことを申すのでございますから、私は可笑しいやら、気の毒やら、全く呆れて了いました。でも折角の依みでございますから、兎も角も家出した女房の行方を探って見ますと、すぐその所在地が判りました。女は油ヶ壺の断崖の上に居りまして、しきりに小石を拾って袂の中に入れて居るのは、矢張り本当に入水するつもりらしいのでございます。そしてしくしく泣きながら、斯んなことを言って居りました。―― 『口惜しい口惜しい! 自分の大切な良人をあんな女に寝とられて、何で黙って置けるものか! これから死んで、あの女に憑依いて仇を取ってやるからそう思って居るがよい……。』  平生はちょいちょい私のところへもお詣りに来る、至って温和な、そして顔立もあまり悪くはない女なのでございますのに、嫉妬の為めには斯んなにも精神が狂って、まるきり手がつけられないものになって了うのでございます。  見るに見兼ねて私は産土の神様に、氏子の一人が斯んな事情になって居りますから、何うぞ然るべく……と、お願いしてやりました。寿命のない者は、いかにお願いしてもおきき入れがございませぬが、矢張りこの女にはまだ寿命が残って居たのでございましょう、産土の神様の御眷族が丁度神主のような姿をしてその場に現われ、今しも断崖から飛び込まうとする女房の前に両手を拡げて立ちはだかったのでございます。  不意の出来事に、女房は思わずキャッ! と叫んで、地面に臀餅をついて了いましたが、その頃の人間は現今の人間とは異いまして、少しは神ごころがございますから、この女もすぐさまそれと気がついて、飛んだ心得違いをしたと心から悔悟して、死ぬることを思いとどまったのでございました。  一方私の方ではそれとなく良人の心に働きかけて、油ヶ壺の断崖の上に導いてやりましたので、二人はやがてバッタリと顔と顔を突き合わせました。 『ヤレヤレ生きていてくれたか……何と難有いことであろう……。』 『これというのも皆神様のお蔭……これから仲よく暮しましょう……。』 『俺が悪かった、勘弁してくれ。』 『お前もこれからわたしを可愛がって……。』  二人は涙ながらに、しがみついていつまでもいつまでも離れようとしないのでした。  その後男はすっかり心を入れかえ、村人からも羨まるるほど夫婦仲が良くなりました。現在でもその子孫はたしか彼地に栄えて居る筈でございます……。 七十六、生木を裂れた男女  あまり多愛のないお話ばかりつづきましたので、今度は少しばかり複雑ったお話……一つ願掛けのお話を致して見ましょう。この願掛けにはあまり性質の良いのは少うございます。大ていは男に情婦ができて夫婦仲が悪くなり、嫉妬のあまりその情婦を呪い殺す、と言ったのが多いようで、偶には私の所へもそんなのが持ち込まれることもあります。でも私としては、全然そう言った厭らしい祈願にはかかり合わないことにして居ります。呪咀が利く神は、あれは又別で、正しいものではないのでございます。話の種子としては或はその方が面白いか存じませぬが、生憎私の手許には一つもその持ち合わせがございませぬ。私の存じて居りますのは、ただきれいな願掛けのお話ばかりで、あまり面白くもないと思いますが、一つだけ標本として申上げることに致しましょう……。  それは或る鎌倉の旧家に起りました事件で、主人夫婦は漸く五十になるか、ならぬ位の年輩、そして二人の間にたった一人の娘がありました。母親が大へん縹緻よしなので、娘もそれに似て鄙に稀なる美人、又才気もはじけて居り、婦女の道一と通りは申分なく仕込まれて居りました。此が年頃になったのでございますから、縁談の口は諸方から雨の降るようにかかりましたが、俚諺にも帯に短かし襷に長しとやら、なかなか思う壺にはまったのがないのでございました。  すると或る時、鎌倉のある所に、能狂言の催しがありまして、親子三人連れでその見物に出掛けました折、不図間近の席に人品の賎しからぬ若者を見かけました。『これなら娘の婿として恥かしくない……。』両親の方では早くもそれに目星をつけ、それとなく言葉をかけたりしました。娘の方でも、まんざら悪い気持もしないのでした。  それから早速人を依んで、だんだん先方の身元を査べて見ると、生憎男の方も一人息子で、とても養子には行かれない身分なのでした。これには双方とも大へんに困り抜き、何とか良い工夫はないものかと、いろいろ相談を重ねましたが、もともと男の方でも女が気に入って居り、又女の方でも男が好きだったものでございますので、最後に、『二人の間に子供ができたらそれを与る』という約束が成り立ちまして、とうとう黄道吉日を選んでめでたく婿入りということになったのでした。  夫婦仲は至って円満で、双方の親達も大そう悦こびました。これで間もなく懐胎って、男の児でも生れれば、何のことはないのでございますが、そこがままならぬ浮世の習いで、一年経っても、二年過ぎても、三年が暮れても、ドウしても小供が生れないので、婿の実家の方ではそろそろあせり出しました。『この分で行けば家名は断絶する……。』――そう言って騒ぐのでした。が、三年ではまだ判らないというので、更に二年ほど待つことになりましたが、しかしそれが過ぎても、矢張り懐胎の気配もないので、とうとう実家では我慢がし切れず、止むを得ないから離縁して帰ってもらいたい、ということになって了いました。  二人の仲はとても濃かで、別れる気などは更になかったのでございますが、その頃は何よりも血筋を重んずる時代でございましたから、お婿さんは無理無理、あたかも生木を裂くようにして、実家へ連れ戻されて了ったのでした。今日の方々は随分無理解な仕打と御思いになるか存じませぬが、往時はよくこんな事があったものでございまして……。  兎に角斯うして飽きも飽かれもせぬ仲を割かれた娘の、その後の歎きと言ったら又格別でございました。一と月、二た月と経つ中に、どことはなしに躯がすっかり衰えて行き、やがて頭脳が少しおかしくなって、良人の名を呼びながら、夜中に臥床から起き出してあるきまわるようなことが、二度も三度も重なるようになって了いました。  保養の為めに、この娘が一人の老女に附添われて、三崎の遠い親戚に当るものの離座敷に引越してまいりましたのは、それから間もないことで、ここではしなくも願掛けの話が始まるのでございます。 七十七、神の申子  或る夜社頭の階段の辺に人の気配が致しますので、心を鎮めてこちらから覗いて見ますと、其処には二十五六の若い美しい女が、六十位の老女を連れて立って居りましたが、血走った眼に洗い髪をふり乱して居る様子は、何う見ても只事とは思われないのでした。  女はやがて階段の下に跪いて、こまごまと一伍一什を物語った上で、『何卒神様のお力で子供を一人お授け下さいませ。それが男の子であろうと、女の子であろうと、決して勝手は申しませぬ……。』と一心不乱に祈願を籠めるのでした。  これで一と通り女の事情は判ったのでございますが、男の方を査べなければ何とも判断しかねますので、私はすぐ其場で一層深い精神統一状態に入り、仔細にその心の中まで探って見ました。すると男も至って志繰の確かな、優さしい若者で、他の女などには目もくれず、堅い堅い決心をして居ることがよく判りました。  これで私の方でも真剣に身を入れる気になりましたが、何分にも斯んな祈願は、まだ一度も手掛けたことがないものでございますから、何うすれば子供を授けることができるのか、更に見当がとれませぬ。拠なく私の守護霊に相談をかけて見ましたが、あちらでも矢張りよく判らないのでございました。  そうする中にも、女の方では、雨にも風にもめげないで、初夜頃になると必らず願掛けにまいり、熱誠をこめて、早く子供を授けていただきたいとせがみます。それをきく私は全く気が気でないのでございました。  とうとう思案に余りまして、私は指導役のお爺さんに御相談をかけますと、お爺さんからは、斯んな御返答がまいりました。―― 『それは結構なことであるから、是非子供を授けてやるがよい。但しその方法は自分で考えなければならぬ。それがつまり修行じゃ。こちらからは教えることはできない……。』  私としては、これは飛んでもないことになったと思いました。兎に角相手なしに妊娠しないことはよく判って居りますので、不取敢私は念力をこめて、あの若者を三崎の方へ呼び寄せることに致しました……。つまり男にそう思わせるのでございますが、これはなかなか並大ていの仕事ではないのでございまして……。  幸いにも私の念力が届き、男はやがて実家から脱け出して、ちょいちょい三崎の女の許へ近づくようになりました。乃で今度は産土の神様にお願いして、その御計らいで首尾よく妊娠させて戴きましたが、これがつまり神の申子と申すものでございましょう。只その詳しい手続きは私にもよく判りかねますので……。  これで先ず仕事の一段落はつきましたようなものの、ただこの侭に棄て置いては、折角の願掛けが協ったのか、協わないのかが、さっぱり人間の方に判りませんので、何とかしてそれを先方に通じさせる工夫が要るのでございます。これも指導役のお爺さんから教えられて、私は女が眠っている時に、白い珠を神様から授かる夢を見せてやりました。御存じの通り、白い珠はつまり男の児の徴号なのでございまして……。  女はそれからも引きつづいてお宮に日参しました。夢に見た白い玉がよほど気がかりと見えまして、いつもいつも『あれは何ういう訳でございますか?』と訊ねるのでございましたが、幽明交通の途が開けていない為めに、こればかりは教えてやることはできないので甚だ困りました。――が、その中、妊娠ということが次第に判って来たので、夫婦の歓びは一と通りでなく、三崎に居る間は、よく二人で連れ立ちてお礼にまいりました。  やかて月満ちて生れたのは、果して珠のような、きれいな男の児でございました。俗に神の申子は弱いなどと申しますが、決してそのようなものではなく、この児も立派に成人して、父親の実家の後を継ぎました。私のところにまいる信者の中では、この人達などが一番手堅かった方でございまして……。         ×      ×      ×      ×  斯う言った実話は、まだいくらでもございますが、そのおうわさは別の機会に譲り、これからごく簡単に神々のお受持につきて、私の存じて居るところを申し上げて、一と先ずこの通信を打ち切らせていただきとうございます。 七十八、神々の受持  神々のお受持と申しましても、これは私がこちらで実地に見たり、聞いたりしたところを、何の理窟もなしに、ありのまま申上げるのでございますから、何卒そのおつもりできいて戴きます。こんなものでも幾らか皆さまの手がかりになれば何より本望でございます。  現世の方々が、何は措いても第一に心得て置かねばならぬのは、産土の神様でございましょう。これはつまり土地の御守護に当らるる神様でございまして、その御本体は最初から活き通しの自然霊……つまり竜神様でございます。現に私どもの土地の産土様は神明様と申上げて居りますが、矢張り竜神様でございまして……。稀に人霊の場合もあるようにお見受けしますが、その補佐には矢張り竜神様が附いて居られます。ドーもこちらの世界のお仕事は、人霊のみでは何彼につけて不便があるのではないかと存じられます。  さて産土の神様のお任務の中で、何より大切なのは、矢張り人間の生死の問題でございます。現世の役場では、子供が生れてから初めて受附けますが、こちらでは生れるずっと以前からそれがお判りになって居りますようで、何にしましても、一人の人間が現世に生れると申すことは、なかなか重大な事柄でございますから、右の次第は産土の神様から、それぞれ上の神様にお届けがあり、やがて最高の神様のお手許までも達するとの事でございます。申すまでもなく、生れる人間には必らず一人の守護霊が附けられますが、これも皆上の神界からのお指図で決められるように承って居ります。  それから人間が歿なる場合にも、第一に受附けてくださるのが、矢張り産土の神様で、誕生のみが決してそのお受持ではないのでございます。これは氏子として是非心得て置かねばならぬことと存じられます。尤もそのお仕事はただ受附けて下さるだけで、直接帰幽者をお引受け下さいますのは大国主命様でございます。産土神様からお届出がありますと、大国主命様の方では、すぐに死者の行くべき所を見定め、そしてそれぞれ適当な指導役をお附けくださいますので……。指導役は矢張り竜神様でございます。人霊では、ややもすれば人情味があり過ぎて、こちらの世界の躾をするのに、あまり面白くないようでございます。私なども矢張り一人の竜神さんの御指導に預かったことは、かねがね申上げて居ります通りで、これは私に限らず、どなたも皆、その御世話になるのでございます。つまり現世では主として守護霊、又幽界では主として指導霊、のお世話になるものとお思いになれば宜しうございます。  尚お生死以外にも産土の神様のお世話に預かることは数限りもございませぬが、ただ産土の神様は言わば万事の切盛りをなさる総受附のようなもので、実際の仕事には皆それぞれ専門の神様が控えて居られます。つまり病気には病気直しの神様、武芸には武芸専門の神様、その外世界中のありとあらゆる仕事は、それぞれ皆受持の神様があるのでございます。人間と申すものは兎角自分の力一つで何でもできるように考え勝ちでございますが、実は大なり、小なり、皆蔭から神々の御力添えがあるのでございます。  さすがに日本国は神国と申されるだけ、外国とは異って、それぞれ名の附いた、尊い神社が到る所に見出されます。それ等の御本体を査べて見ますると、二た通りあるように存じます。一つはすぐれた人霊を御祭神としたもので、橿原神宮、香椎宮、明治神宮などがそれでございます。又他の一つは活神様を御祭神と致したもので、出雲の大社、鹿島神宮、霧島神宮等がそれでございます。ただし、いかにすぐれた人霊が御本体でありましても、その控えとしては、必らず有力な竜神様がお附き遊ばして居られますようで……。  今更申上ぐるまでもなく、すべての神々の上には皇孫命様がお控えになって居られます。つまりこの御方が大地の神霊界の主宰神に在しますので……。更にそのモー一つ奥には、天照大御神様がお控えになって居られますが、それは高天原……つまり宇宙の主宰神に在しまして、とても私どもから測り知ることのできない、尊い神様なのでございます……。  神界の組織はざっと右申上げたようなところでございます。これ等の神々の外に、この国には観音様とか、不動様とか、その他さまざまのものがございますが、私がこちらで実地に査べたところでは、それはただ途中の相違……つまり幽界の下層に居る眷族が、かれこれ区別を立てているだけのもので、奥の方は皆一つなのでございます。富士山に登りますにも、道はいろいろつけてございます。教えの道も矢張りそうした訳のものではなかろうかと存じられます。では一と先ずこれで……。(完結)
底本:「霊界通信 小桜姫物語」潮文社    1985(昭和60)年7月31日第1刷発行    1998(平成10)年7月31日第9刷発行 底本の親本:「霊界通信 小櫻姫物語」心霊科学研究会出版部    1937(昭和12)年2月初版発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※横組み中のダブルミニュートには、底本では、JIS X 0213規格票の、縦書き用字形が用いられています。 入力:浅野和三郎・著作保存会(泉美、老神いさお、MUPさくら) 校正:POKEPEEK2011 2012年9月18日作成 2014年6月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 三太郎の日記を永久に打切りにするために、從來公にした第一と第二との本文に、その後のものを集めた第三を加へて、此處に此の書を出版する。三太郎の日記は三十代に於ける自分の前半期の伴侶として、色々の意味に於いて思ひ出の多いものである。併しこの書を通讀する人が行間に於いて看取するを得べきが如く、自分は次第に此の類の告白、若しくは告白めきたる空想及び思索をしてゐるに堪へなくなつて來た。自分は最早永久にこの類の――篇中に於いて最も日記らしい體裁を具備する――文章を公にすることがないであらう。さうして後年再び告白の要求を痛切に感ずる時期が來ても――自分は早晩此の如き時期が來ることを豫想する――此の如き形式に於いてそれをすることは決してないであらう。故に自分は、自分の生涯に於ける此の如き時期を葬るために、又過去現在並びに――將來に渉つて自分のこの類の文章を愛して呉れ、若しくは愛して呉れるであらうところの友人に親愛の意を表はすために、Volksausgabe の形に於いて茲にこの書を殘して置く。  三太郎の日記は三太郎の日記であつて、その儘に阿部次郎の日記ではない。況して山口生によつて紹介されたる西川の日記が阿部次郎の日記でないことは云ふまでもない。此等の日記がどの程度に於いて私自身の日記であるか。此の如き歴史的の閑問題も、後世に至つて或は議題に上ることがあるかも知れない。併し現在の問題としては、自分は、自分が此等の文章の作者として、換言すればその内容の或者を自ら閲歴し、その内容の或者を自ら空想し、その内容の或者に自ら同情し――かくて此等の内容を愛したる一個の人格として、藝術的に全責任を負うてゐることを明言すればそれで足りると思ふ。  三太郎の日記第一は大正三年四月東雲堂から、三太郎の日記第二は大正四年二月岩波書店から出版されたものである。今この合本を出すに當つて自分は從來の兩書を絶版にする。自分は從來の兩書を此處に集めることと、それを絶版にすることを快諾された前記の二書肆に對して謝意を表しなければならない。今日以後三太郎の日記の唯一なる形としてこの書のみを殘すことは、自分の喜びとするところである。 來る可き春の豫表に心躍りつゝ 大正七年二月二十四日              東京中野にて著者識
底本:「合本三太郎の日記」角川書店    1950(昭和25)年3月15日初版発行    1966(昭和41)年10月30日50刷 初出:「合本三太郎の日記」岩波書店    1918(大正7)年6月 入力:Nana ohbe 校正:富田倫生 2012年3月5日作成 2012年4月4日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 私は昨日合本三太郎の日記の初校を了へた。もうこれからは永久に手を觸れることを罷めるつもりで、今囘は初校も再校も三校も凡て自分で眼を通すことにしたのである。さうして二度も三度も舊稿を讀みかへしながらどんな心持を經驗したか、私は今これを語ることをやめようと思ふ。此處に集めたものは既に一旦公けにしたものであれば、今更自ら恥ぢ自ら躊躇してももう及ばない。現在の自分がよいと思ふものと惡いと思ふものとをよりわけて、我慢が出來るものだけを殘すことにするにしても、そのよきものと惡きものとが分つべからざるほど絡み合つてゐる以上は、これも亦如何ともすることが出來ない。私は唯思想上藝術上人格上未熟を極めたる此等の文章も、猶當時の混亂せる内生から直接に發芽せる生氣の故に、私の如く内密な、恥かしい、とり紊したる思ひの多い人達に、幾分の慰藉と力とを與へ得ることを、せめてもの希望とするばかりである。  改めて云ふまでもなく、三太郎の日記は内生の記録であつて哲學の書ではない。若しこの書に幾分の取柄があるとすれば、それは物の感じ方、考へ方、並びにその感じ方と考へ方の發展の經路にあるのであつて、その結論にあるのではない。單に結論のみに就いて云へば、其處には不備や缺陷が多いことは云ふまでもなく、又相互の間に矛盾するところさへ少くないであらう。殊に本書の中にある思想をその儘に、今日の私の意見と解釋されることは私の最も不本意とするところである。私の哲學は今も猶成立の過程の最中にあつて、未だ定まれる形をとるに至らない。この問題に就いては他日又世間の批評を請ふ機會があることを期待する。併しこの三太郎の日記に於いては、特に内生の記録としてのみ評價せられむことを、親切なる讀者に希望して置きたい。  併し三太郎の日記の中には、少くともこれを書ける當時に、或種類の問題の解釋を求めて、その結果到達せる處を記録せる文章も亦少くない。從つてそれが餘りに現在の意見と背馳するか、あまりに一面觀に過ぐるか、若しくはあまりに大膽なる斷定を下してゐる場合には、現在の立脚地から見て、如何にもその儘に看過し難き拘泥を感ぜずにはゐられない。故に私はせめて二三の點に就いて、一言の註釋を附記して置きたいと思ふ。それは註釋のない部分は凡て現在の意見と合致するといふ意味ではない、唯註釋のある部分が到底そのまゝに通過し難きほど、現在の私にシヨツクを與へると云ふ意味なのである。 三太郎の日記 第一 人生と抽象(三〇―三三) 私は今このやうな廣い意味に於いて「抽象」といふ言葉を使ふことを躊躇する。世界の改造、並びに經驗の主觀的抑揚をも悉く「抽象」の概念の中に包括するのは、人の思索を迷路に陷らしむる虞がある。併し狹義の「抽象」にも世界の改造や經驗の主觀的抑揚と共通の動機あることを認めて、その意義を是認する點に於いては、私は今日と雖も猶この章の主旨に同感する。 影の人 「自然的科學的の立場がぐるりと其姿を代へて神祕的形而上學的の立場に變る刹那の經驗を持たない者は氣の毒である。甚だ稀有ながら此刹那の餘光を身に浴びて、魂の躍りを直接に胸に覺えることが出來る自分は幸福であつた」(六九)。自分は三太郎にかう云はしめる資格があるだらうか。現在の自分はこの言葉を書いたことを恥かしく思ふものである。 内面的道徳(七六―七八) 現在の自分は、「何をなすべきか」の問題にも、この文章を書いた當時以上の意義を認めてゐる。併し内面的道徳それ自身の重要なることを感ずる點に於いても、私の思想は當時以上に深くなつてゐると信じてゐる。故にこの文章の一面的な點を補へば、その趣旨は現在の自分の意見としてその儘に通用させても構はない。 個性、藝術、自然 「ロダンが彫刻と共に素描に長じ、カンヂンスキーが繪畫を描くと共に詩を作り、ワーグナーが音樂と共に劇詩と評論とを能くする等、近代的天才には精神的事業の諸方面に渉る者次第に多きを加へて來たとは云ふものゝ云々」(八五)。自分はこの一節を取消したく思ふ。實際十九世紀の中葉等にくらべれば、現今は稍〻綜合的精神の――從つて綜合的天才の時代が始まりかけてゐるといへるかも知れない。併しミケランジエロやレオナルドに比べれば、ロダンでさへその傍により付けないであらう。況してカンヂンスキーの如き名を此處に並べたことを私は非常に恥かしいことに思ふ。この文章を書いた時私は確かに流行に動かされてゐたに違ひない。私はその後彼の版畫といふものを見、彼の油畫の寫眞も可なり見て、特に珍重するに足るものでないことを感ずるやうになつた。さうして彼の Ueber das Ceistige in der Kunst といふ論文集を少し讀んでから、この人は一種の野次馬に過ぎないのではないかとさへ疑ふやうになつた。最後にワーグナーは十九世紀中葉の人であつて、彼は彼の時代にとつての除外例と云はなければならないであらう。一體に現在の私は「精神的事業の諸方面に渉る者」が多くなつて來たことを以つて「近代的天才」の特徴となすには、まだ實例が足りないと思つてゐる者である。 三太郎の日記 第二 聖フランシスとステンダール(一五一―一八〇) 私は今でもドン・ホアンを此處に用ゐたやうな意味の Classname に用ゐることを、それ自身に於いては不都合だと思つてゐない。しかしドン・ホアンそのものゝ心理に就いてはもつと深い解釋を下す餘地があり又必要があるに違ひないと思ふ。さうして我等はステンダール自身がドン・ホアンの味方ではなくてエルテルの味方を以つて自任してゐたことを記憶して置かなければならない(De l'amour LIX)。併しこの事實は彼が余の意味に於けるドン・ホアンであることの反證にはならないと思ふ。彼が L'amour á la Don Juan, L'amour á la Werther 等と名づけた命名の仕方が、既に彼の態度のドン・ホアン流であることを證明するものである。 序でながら Stendhal はベールがその崇拜するヰンケルマンの生地に因んで名づけた雅號である。これを佛蘭西風にスタンダールと發音するも、半ば獨逸風にステンダールと發音するも、共に大して差支はあるまいと思ふが、自分は大學の佛蘭西文學の教授H氏(佛蘭西人)の發音に從つてステンダールと云ひ馴れたのでこの方に從つたのである。Don Juan は New Standard Dictionary に Don hwan とあるのに從つた。 碎かれざる心 「固よりこれはこの時だけの氣分に過ぎないことを知つてゐた」(二三一)。私は今になつてこの言葉の當りすぎてゐたことを恥かしく思ふ。私は今この類の憧憬を語ることさへ身分不相應であるやうな氣がしてゐる。 三太郎の日記 第三 去年の日記から(二四八―二五八) これは私の實際の日記からの抄録である。(No. 21 を除く)。今ならばこの類の、斷片的な中にも斷片的なものを公にする氣にはならなかつたであらう。併し流石に捨て難い部分もあつて此處に編入した。大正三年の始めに、私は弟や妹と共に谷中の方に居り、妻は子供と共に柏木の方に別に家を持つてゐた。五月、一家は柏木の方に一緒になつて、私は一人鵠沼の方へ移轉した。これだけの事を註記して置かなければ讀者には大體の事情さへ通じないであらう。 五、六、七 當時近親に大病人があつて、妻は一年許り毎日病院の方へ行つてゐたために、私は小さい子を預つて女中と共に留守をしてゐなければならなかつた。私は丁度頭の中に醗酵してゐる仕事を持ちながら、何も出來ずいら〳〵して一年間を空過しなければならなかつた。此等の文章は當時の亂れた、斷片的な生活の記念として、全篇の中でも恐らくは最も落付かないものである。さうして讀者はその後に書いたものが急に理屈つぽくなつたことを感じられるであらう。事實上三太郎の日記はあの混亂せる時期を以つて死んでゐるのである。三太郎の日記の水脈は今後暫くは唯地下をのみ流れてゐなければならない。さうしてもつと纒つた形に於いて、何時か泉となつて噴出する時期が來ることを待つてゐなければならない。それはもつと蓄積して恐ろしいものとなる必要があるのである。 附録 西川の日記 西川の日記の思想に就いては私は直接に責任を負ふ必要を認めない。故に此等の文章に關する註釋は無用である。私は唯、今になつては、「自分は讀者に向つてそれだけでは理解し得ないやうな文章を提供するほど無責任な人間ではないつもりである」(三八五)と云へる山口生の豪語を信じないことと、「自分は自分の死ぬまでの間に、彼を主人公とした幾篇かの小説を書くことを堅く決心した」(同上)といふその決心が「堅い」ことに就いて疑を懷いてゐることを云つて置きたい。後の點に就いて云へば、私は、今にも降り出しさうにした夕立の雲の、いつの間にかあらぬ方に逸れてしまつてゐることを恐れるものである。(大正七年五月九日記)
底本:「合本三太郎の日記」角川書店    1950(昭和25)年3月15日初版発行    1966(昭和41)年10月30日50刷 初出:「合本三太郎の日記」岩波書店    1918(大正7)年6月 入力:Nana ohbe 校正:富田倫生 2012年3月5日作成 2012年4月4日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     1  千九百二十三年の七月、私は、独逸を出てから、和蘭・白耳義を経て再びパリにはひつた。其処の美術館で、前に見た目ぼしいものを見なほしたり、前に見のこして置いたものを見たりするのが私の主たる目的だつた。その月の二十七日の午後、私はルーヴルの大玄関をはひつて直ちに右に折れ、Galerie Mollien を突当つて同じ名を負ふ階段を二階に上り、左折して仏蘭西初期の画廊に入ると間もなく、又三階に上る階段を踏んで Collection Camondo に到達した。それは千九百十一年に死んだキャモンド伯の蒐集で印象派の絵画を以て有名なものである。さうしてこの蒐集には東洋芸術の遺品も又相応にまじつてゐるのである。  未だ階段の中途にあつて、私の眼は既に壁にかけた支那画にひきつけられた。階段を上りきつた小さい廊下には大きな座像仏が安置されてゐた。さうして其処から足を最初の室に踏み入れると、吾々の眼は四壁にかけた哥麿や写楽等の浮世絵によつて涼しくされる。客遊既に一年半、故国の趣味と生活とに対する郷愁を胸の奥に持つてゐる私に取つては、その微妙な色彩、その簡素な描線、そのほのかな静かな気分が、殆んど一種の救ひとして働きかけて来た。此処には色と線とに対する無量にデリケートな官能がある。此処には、日常生活の些事の中にも滲透して、戯れながらその味を吸ひ取りその美を掬い上げることの出来る芸術家のこゝろがある。凡そその素質のこまやかにその官能の豊かな点に於いて、此等の画家は、時代を等しくする欧羅巴の画家の多くに比較しても、決して遜色がないであらう。而も此等の浮世絵が特別の意味で民衆を代表し民衆に支持されてゐた芸術であることを思へば、此等の芸術を産んだ日本の民族も亦この誇を分つべき充分の資格を持つてゐるのである。一体に私は、故国を離れてから、他との比較によつて益々祖国に対する自信の篤くなることを感じて来た。さうしてこの自信が此処でも亦更に確められ得たことは、私の大なる喜びであつた。  併しこの喜びは、決して影のない光のみではなかつた。私の誇りは、その反面に羞恥に似た一種の感情に裏打せられることを、如何ともすることが出来なかつた。此等の画家と彼等を生んだ民族とが、優れた素質と豊かな官能とを持つてゐることについては、少くとも私にとつては何の疑ひもない。併し彼等はこの素質と官能とを如何なる自覚と意志とを以て率ゐてゐるか。彼等の絵のうちに、志すところの高さと、人生の第一義に参する者の自信とを捜し求めるとき、吾々は其処に何等か積極的に貫いてゐるものを発見することが出来るか。徹底するに先つて横に逸れた、小さい機智と皮肉との遊戯、一面に非難者の声を予想しつゝ、而もこれに耽溺することを禁じ得ぬ、意識的な反抗的な好色――かういふものがその素質と官能との純真を累ひして、芸術の本流との疎隔を余儀なくしてゐるやうなことはないか。特に最も悲むべきは、彼等がその画技の意義と尊厳とについて充分の自信を持ち得なかつたところにある。彼等が自ら自己の事業を卑下し、自分の仕事に就いて暗黙の間に一種の「良心の不安」を持つてゐたところにある。吾々は彼等から、「構ふものか」、「この道楽がやめられようか」といふやうな主張を聴くことは出来るであらう。道学も説教もこれを説破するを得ぬ「ぬきさしならず身に沁みる面白さ」の力を、彼等の芸術中に看取することは出来るであらう。併し小さい反抗と弁疏とを離れた腹の底からの自信、道学的の意味を超脱した大なる「正しさ」の自覚――此等のものが彼等の芸術の根柢にあつたかどうかは極めて疑問である。自分の仕事に対する動きなき自信の欠乏は彼等の芸術を小さくし、彼等の芸術から根本的の落付きを奪つてゐると云はれても、吾々はこれに抗弁する所以を知らないであらう。  この印象は、閾を越えて仏蘭西印象派の室に踏み入るに従つて更に確められる。其処には私の平生敬愛するセザンヌやゴーホのもの二三の外に、私が外遊後実物を見ることによつて始めてその真価値を知つたとも云ふべきコロー(特にその人物)マネー等の作品も相応にあるが、この場合特に比較に持ち来されるものはドガの諸作である。ドガが日本の浮世画家のやうに微妙な垢ぬけのした感覚(特に色彩感覚)を持つてゐたか、彼の舞妓の絵は浮世絵の遊女や美人のやうに透徹した味を持つてゐるか、此等の点に於いて後者を揚げて前者をその下位に置く者があつても、私はこれを不思議とはしないであらう。併しドガの絵は浮世絵の多くのもののやうな他念が――若くは邪念がない。彼は良心の不安や「士流」の非難に対する反抗なしに、余念なくその対象との「対話」に没頭する。自分の仕事の意義に対する積極的な「自覚」が、彼の絵の中に現されてゐるかどうか、縦令この点については疑問があつても、兎に角彼はその自信を脅す魔を持つてゐない。心を専らにして、欣々としてその仕事を追求してゐる点に於いて、彼の An sich の自信は聊かも紊されるところがないのである。如何に逆説めいて響くにもせよ、浮世絵はドガの舞妓の絵に較べて遥かに傾向的である、換言すれば好色の説教を含んでゐる。更に逆説を推し進めることを許されるならば、傾向的な傾向に於いては浮世絵は――その傾向の内容に天地の差異あることは云ふまでもないが――ミレーとの間により多くの親縁を持つとも云ひ得るであらう。而もその説教が、ミレーと異る「良心の不安」を背景とするが故に、如何なる長所を以てするも結局「日蔭の芸術」に近いことを如何ともなし得ないのである。  然らば十八世紀の浮世絵と十九世紀の仏蘭西印象派との間に此の如き相違を持来したものは何であるか――これは徳川時代の芸術を理解せむとする者が、誰でも一度は問はずにゐられぬ問題である。      2  千九百二十二年七月廿八日、ベルリンに著いて間もなくのことである。私は大使館のY君の私宅で端唄の「薄墨」のレコードを聴いた。その夏はベルリンでは寒い雨勝な夏であつた。独逸の困窮と不安とは未だ馴れぬ旅ごゝろを特に寂しく落付かぬものとした。さうしてこの不安ながたがたした町の中で、故国のしめやかな哀音を耳にするのは、何とも云へぬ心持であつた。この言葉少なな、溢れ出る感情を抑へに抑へた、咽び音のやうに幽かな魂の訴へは、欧羅巴のカフェーと其処でダンスにつれて奏せられる騒々しい音楽に比較して、何といふ深淵によつて隔てられてゐることであらう。此の如き音楽を伴奏とする日本の好色は、ヰッテンベルグ・プラッツの辺で吾々を擁する夜鷹の群と――ブラインドをおろした密室で裸踊りのはてに行はれるといふ現代欧羅巴の好色と――何といふ甚しい懸絶であらう。私は三千里の外にゐて日本流の絃歌に対するあこがれに堪へなかつた。さうして遂に、日本にゐる遊仲間と、彼と共に子供の時分から御座敷で逢ひ馴れてゐる歌妓とに、葉書を書くといふ誘惑に打勝つことが出来なかつた。      3  ミュンヒェンは私の未見の「師」リップスが、その生涯の最後の二十年を送つたなつかしい土地である。彼の遺族を其処にたづねて、彼に対する死後の感謝を致すことは、日本を発つときからの私の念願であつた。千九百二十三年の春、私は遺族の消息をたづねるために、故人の弟子で当時其処の大学の員外教授をしてゐたモーリッツ・ガイガーとの文通を始めた。さうして伊太利から独逸への帰途、六月一日から九日までミュンヒェンに滞在してゐるうち、殆んど毎日この人と逢つてゐた。音楽美学に関する一二の論文を書いた若い美学者フーバーとも其処で面識が出来た。  フーバーは日本の音楽をききたいと云つてゐた。私も亦彼にこれを聴かせてその批評をきいて見たいと思つたが、遂にその機会を得なかつた。ガイガーはアメリカの伯父を訪問したとき、其処で日本の総理大臣T氏の令嬢に日本の音楽をきかせて貰つたと云つてゐた。その時彼の受けた印象はどうであつたか。彼は Kolossal klagend(極めて歎きの深い)といふ要領を得た二語にその印象を要約した。吾々の音楽の溜息と深い歎きとは、教養ある欧羅巴人の魂にも亦直ちに通ずるところがあるのである。  日本の音楽が必ずしも吾々の間にのみ通ずる地方的音楽でないことを発見したのは、私の深い喜びであつた。      4  千九百二十三年九月、東京の大震災の後十日、未だ何の消息もない家族の運命に対する不安を抱きながら、私は加茂丸といふ小さい客船に乗つてマルセーユから帰国の途に就いた。当時日本に対するセンティメンタルな愛が極めて昂進してゐた私も、多くの日本人の顔を見ると一寸不思議を感ずるぐらゐに欧羅巴化してゐた。さればと云つて東洋行の英吉利人の中には、欧羅巴人の顔の美しさを代表するやうな男女がゐるわけもなかつた。同船の英吉利人は、往航の場合と等しく復航にも亦私の心を暗くした。この航海に於いて割合に親しく自分と話をしたのは、一人離れて日本に関する仏蘭西語の本を耽読してゐた一伊太利人――一見すればソヸェート・ロシアの共産党員らしい顔をしてゐながら、その実ムッソリーニやダンヌンチォの旗下に属してゐる男で、今度横浜で震死した領事の代りに日本に赴任するといふ、ミラノのアカデミアの教授――のみであつた。彼は武骨ではあるが真率であつた。さうして新しく赴任する日本の文化が最も多く彼の心をひいてゐるやうに見えた。彼は日本の音楽を聴きたいと云つた。さうして私は再び日本の音楽に対する外国人の批評を耳にし(若くは眼に見る)機会を得たのである。  人も知る如く、日本の客船には皆蓄音機を具へてゐる。併しそれは単調にして無趣味な現代欧米式ダンスの地に使はれるのみで、船客の音楽的要求を充すに極めて縁の遠いものであることは云ふまでもないであらう。私はデッキスチュワードに、日本のレコードがないかをたづねた。これに応じて彼が出してくれたものは、もう散々に痛んだ十数枚の俗曲落語の類であつた。私はそのうちから清元の十六夜清心を選んだ。さうして多少の説明を与へたあとで彼にこれをきかせた。  私はこれをきくときの彼のポーズを今でも忘れることが出来ない。彼は下を向いて膝の上に肱を支へ、拳の上に顔を支へた(たとへばロダンの「考へる人」のやうに、若くはミケランジェロのエレミヤのやうに)。さうしてそれでなくとも陰鬱な顔を一層陰鬱にして最後までじつときいてゐた。曲がをへたときに、彼は搾り出すように Schön, sehr schön といつた(私は彼と独逸語で話をしてゐたのである)。これが御世辞でないことは、彼が御世辞には最も遠い種類の人間であることを考へれば、直ちに首肯することが出来る。恐らく此処でも亦、この伊太利人は吾々の音楽の「哀愁」に心を掴まれたのである。吾々の音楽は此処でも憂鬱によつて「直ちに人心を指した」のである。私はこの Schön, sehr schön が kolossal klagend の同義語であることを疑ふことが出来ない。  欧羅巴にゐて未だ大地震の報に接せずにゐるあひだ、日本に帰つて折しも顔見世の芝居を見、なにがしの邦楽会に行つて久しぶりに三味線の冴えた音をきくことは、郷愁を慰めるための私の白日の夢であつた。併し震災後五十日にして東京に帰つた自分には、固よりこのやうな享楽の機会は絶対に与へらるべくもなかつた。私はせめてもの代償を亦蓄音機に求めた。例へば松尾太夫の吉田屋の如きは私の最も聴かむと欲する音楽であつた。生憎このレコードも亦求めて得られぬ恋に過ぎなかつたが、併し私は端唄や、清元や、新内の「明烏」のやうなものを買ひ求めて、暫くの間これに聴き耽つてゐた。さうして、悲しいかな、私は此処でも亦日本音楽の「限界」に触れることを余儀なくされたのである。  然らばその限界とは何であるか。それは Fiat lux(光をつくる力)を欠くことである。繰返し繰返しこれ等の音楽をきいてゐるうちに、私の心は陰鬱に、ひたすらに陰鬱になるのみであつた。私の心は底なき穴の中にひきずり込まれて行くことを感じた。さうしてその無底の洞穴を充すものは、はてしなき憂愁の響のみであつた。無限の哀音は東西を絶して薄明の中を流れる。私はこの「絶望」の声の中にゐるに堪へなくなつて、再びべートーヹンやバッハの音楽に救ひを求めた。  徳川時代に発達した日本の音楽は――三味線音楽は、何故に此の如き絶望の音楽となつたか。      5  私は更に一例を附加する。日本をたつとき、私は土産にするために復刻の哥麿浮世画集を持つて行つた。千九百二十二年の八月、ハイデルベルクの下宿に落付いたとき、私は日本好きの其処の夫人に、この画集中彼女自身の選んだ四五葉を贈つた。さうして自分は鏡台二美人図(上村屋版、橋口五葉氏の説に従へば寛政七年頃の作であるらしい)をかけて置いた。前向きに鏡に向つて、赤い櫛を持つて前髪との境をかきわけようとしてゐる、浅黄の縦横縞の浴衣を着た女は、暫くの間その婉柔な姿勢と顔とを以て私の心を和かにして呉れた。併し時を経るに従つて、そのしどけなくとけかかつた帯下や、赤い蹴出しを洩れる膝などが私の心をかき紊すやうになつて来た。私は五月蠅くなつてそれをとり外してしまつた。さうすると、或日夫人が私の部屋にやつて来て、それに気がついたと見えて、貴方はウタマーロを何処にやつたのですかときいた。私は、それは Erhebend(高める力あるもの)でなくていやになつたから取外してしまつたのです、と答へると、彼女は独逸流の卒直を以て、ではなぜそんなものを私に下すつたのですと反問した。「それは Erhebend ではないが Anmutend です、それでいゝぢやありませんか」――これが私の答へであつた。さうして私は今でもこれを遁辞だとは思つてゐないのである。  此等の芸術が人の心を高めること少くして而もこれを楽ましめることの多いのは何故であるか。人を Anmuten する点に於いて極めて長所を持つてゐながら、これを Erheben する力を欠くやうな芸術は如何なる地盤から生れて来たか――これが欧羅巴から私の持つて帰つた問題の一つである。 (大正十四年八月)
底本:「日本の名随筆 別巻94 江戸」作品社    1998(平成10)年12月25日第1刷発行 底本の親本:「阿部次郎選集4[#「4」はローマ数字4、1-13-24])―家つと」羽田書店    1948(昭和23)年5月発行 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2009年11月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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Es irrt der Mensch, solang er strebt. 自序  此類の書は序文なしに出版せらる可き性質のものではない。自分は自分の過去のために、小さい墓を建ててやるやうな心持で此書を編輯した。自分は自分の心から愛し且つ心から憎んでゐる過去のために墓誌を書いてやりたい心持で一杯になつてゐる。  此書に集めた數十篇の文章は明治四十一年から大正三年正月に至るまで、凡そ六年間に亙る自分の内面生活の最も直接な記録である。之を内容的に云へば、舊著「影と聲」の後を承けた彷徨の時代から――人生と自己とに對して素樸な信頼を失つた疑惑の時代から、少しく此信頼を恢復し得るやうになつた今日に至るまでの、小さい開展の記録である。自分は自分の悲哀から、憂愁から、希望から、失望から、自信から、羞恥から、憤激から、愛から、寂寥から、苦痛から促されて此等の文章を書いた。全體を通じて殆んど斷翰零墨のみであるが、如何なる斷翰零墨もその時々の内生の思出を伴つてゐないものはない。固より外面的に見れば、此等の文章の殆ど凡ては最も平俗な意味に於ける何等かの社會的動機に動かされて書いたものである。經濟上の必要や、友人の新聞雜誌記者に對する好意や、他人の依頼を斷りきれない自分の心弱さなどは、外から自分を動かして、此等の文章を書くための筆を握らせた。併し此等の外面的機縁は自分の文章の内容を規定する力をば殆ど全く持つてゐなかつた。自分は此等の外面的、社會的必要に應ずるために、常に内面的衝動の充實を待つてゐた。さうして内面的衝動の充實を待つて始めて筆を執つた。從つて自分は屡〻經濟上の窮乏を忍んだり、締切の日に後れて他人に迷惑をかけたり、口約束ばかりで半年も一年も引張つて置いたりしなければならなかつた。此等の文章は外面的機縁によつて火を導かれたが、外面的動機の力を以つて爆發したものではない。固より此等の文章は悉く内面に蓄積する心熱の苦しさに推し出されたものだと云ふのは誇張である。併し書くに足る程の内面的成熟を待つて之を記録したと云ふだけの權利は、自分に許されてゐると信じてゐる。自分は此等の文章がまだまだ熱と力に缺けてゐることを熟知してゐる。併し、その時々に自分の人格に許された限りの誠實を盡して、此等の文章を書いたと云ふことだけは憚らない。  とは云へ、誠實の深さも亦人格の深さと始終する。自分は從來に於ける自分の文章を貫く誠實が、甚だ淺く輕いものなことを思ふ時、そゞろに冷汗の流れることを覺える。囘想すれば、事物の眞相に透徹せむとする誠實も淺かつた。自分の生活を深く〳〵穿ち行かむとする誠實も亦淺かつた。――從來、自分は比較的に論理的客觀的思考の力に富んだ者と、世間から許されてゐるやうな氣がしてゐた。さうして自分も亦深い反省なしに、茫漠として此評價を受納れてゐた。然るに、その實、自分の思想は、現在刹那の内面的要求をのみ基礎として、事物の一面にのみ穿貫し行く部分觀に過ぎないものが甚だ多かつた。さうして自分は自分の内面的要求が特にその阻遏さるゝ點に於いて燃え立つことを經驗した。從つて自分は常に自分の要求を阻遏する一面にのみ極度に強い光を投げて、自然と人生と自己とを觀じて來た。自分の思想は、自然に就いても、自己に就いても、靜かに深い客觀性を缺いた少年の厭世主義が主調をなしてゐた。而も此厭世主義を自己に適用するに當つて、自分は解剖の一面にのみ熱して、開展に向ふ努力の一面を忘れ勝であつた。自分は自分の解剖が穿貫の力を缺いてゐるとは今でも思つてゐない。さうして現在と雖も、實相の凝視、解剖、並びに嫌厭を、無意味にして呪ふ可き事だとは少しも思はない。併し自分の人格は、何と云つても解剖の一面に停滯して、靜かなる包容と、根強き局面開展の力とを缺いて居た。自分は過去の自分を囘顧する時、此點に於いて自分が憎くて恥かしくてたまらない。殊に自分は今自分の内生が徐々として轉向しつゝあることを感じてゐる。從つて過去の自分に對する愛着は、次第に冷淡と憎惡とに變化しつゝあることを感じてゐる。自分は今此變化し行く心を以つて過去の文章を見る。さうして自ら生み、自ら育てて來た此等の小さい者に對して、流石に愛憐の情に堪へない。自分の此書を編輯するこゝろは捨てる子のためにその安息の處を――その墓を準備してやる母親のこゝろである。  併し此の如き未練愛着のこゝろは、舊稿を編輯する理由にはなつても、之を公表する理由にはならない。自分は何の權利があつて、敢て此書を公表するのであるか。自分の信ずる處では、自分は二ヶ條の理由によつて、此權利を享受する資格があるやうである。自分は此二ヶ條の理由によつて、此書の出版が現在の思想界に對して多少裨補する處ある可きを信じてゐる。  第一に此書に輯められたる文章には未熟、不徹底、其他あらゆる缺點あるに拘らず、眞理を愛するこゝろと、眞理を愛するがために矛盾缺陷暗黒の一面をもたじろがずに正視せむとする精神とは全篇を一貫して變らないと信ずる。此書の大部分を占めてゐる内容は、自分の矛盾と缺乏とに對する觀照である、從つて自分は此觀照の記録によつて他人のこゝろを温め清めることが出來るとは思つてゐない。此書は恐らくは讀者を不愉快にし陰氣にする書に相違あるまい。併し自分は自分の文章が徒らに、理由なくして、他人を不愉快にし陰氣にするとは信じてゐない。讀者が此書によつて陰氣になり不愉快になるならば、それは陰氣になり不愉快になることが、讀者その人の必ず一度は經過しなければならぬ必然だからである。自分はその人を往く可き處に往かしめるために、之を不愉快にし陰氣にすることを恐れない。矛盾を正視すること、矛盾の上を輕易に滑ることを戒めることは、凡ての人を第一歩に於て正路に就かしめる所以である。若し此書を貫く根本精神が多少なりとも生きてゐるならば、讀者の胸中に、矛盾を正視しながら、而も其中に活路を求むるの勇氣を鼓吹する點に於いて、幾分の裨補がない譯はないと思ふ。  第二に此書は單純なる矛盾と暗黒との觀照ではない。同時に暗黒に在つて光明を求める者の叫である。さうして又、實際、暗黒から少しづつ光明に向つて動きつゝある心の記録でもある。固より自分の心は魔障の多い心である。自分には、僅に一歩を進めるためにも、猶除かなければならぬ千の障礙がある。自分は千鈞の魔障を後にひいて、人生の道を牛歩する下根の者である。此六年の日子を費して自分の歩いた道は恐らくは一寸にも當らないであらう。併し、兎に角に、自分の内生は此間に多少の開展を經て來た。自分は道草を喰ひながら、どう〳〵𢌞りをしながら、迷ひながら、躓きながら、どうにかして此處まで歩いて來た。その間の勞苦は、自分にとつて決して小さいものではなかつた。假令個々の部分を形成する思想内容には見るに足るものが極めて少いにしても、此小なる開展の跡を貫く微かなる必然は、神と人との前に全然無意義なものではあるまい。自分が此書を編むに際して經驗する心持は、必ずしも羞恥の情のみではないのである。  自分は此小さい經驗の報告が、それ〴〵の道を進みつゝある現代の諸友に、多少なりとも參考になるやうにと切望してゐる。自分は過去に對する未練と愛着とによつて此書を編んだ。願くは之が同時に、現在並に將來の思想界を幾分なりとも裨補するの書ともならむことを。 大正三年二月十一日 谷中の寓居にて 阿部次郎 斷片  青田三太郎は机の上に頬杖をついて二時間許り外を眺めてゐた。さうして思出した樣に机の抽斗の奧を探つて三年振に其日記を取出した。三太郎の心持が水の上に滴した石油の樣に散つて了つて、俺はかう考へてゐる、俺はかう感じてゐると云ふ言葉さへ、素朴なる確信の響を傳へ得ぬ樣になつてからもう三年になる。彼は其間、書くとは内にあるものを外に出すことに非ずして、寧ろペンと紙との相談づくで空しき姿を隨處に製造することだと考へて來た。日記の上をサラ〳〵と走るペンのあとから、「嘘吐け、嘘吐け」と云ふ囁が雀を追ふ鷹の樣に羽音をさせて追掛けて來るのを覺えた。三太郎は其聲の道理千萬なのが堪らなかつた。解らぬのを本體とする現在の心持を、纒つた姿あるが如くに日記帳の上に捏造して、暗中に模索する自己を訛傳する、後日の證據を殘す樣なことは、ふつつり思ひ切らうと決心した。さうして三年の間雲の如く變幻浮動する心の姿を眺め暮した。併し三年の後にも三太郎の心は寂しく空しかつた。この空しく寂しい心は彼を驅つて又古い日記帳を取出させた。とりとめのない此頃の心持をせめては罫の細かな洋紙の上に寫し出して、半は製造し半は解剖して見たならば、少しは世界がはつきりして來はしまいかと、果敢ない望が不圖胸の上に影を差したのである。日記帳の傍には三年前のインキの痕を秩序もなく殘した白い吸取紙が、春の日の薄明りに稍〻卵色を帶びて見えてゐる。三太郎は碁盤に割つた細かな罫の上に、細く小さくペンを走らせて行く。 「生活は生活を咬み、生命は生命を蝕ふ。俺の生活は湯の煮えたぎる鐵瓶の蓋の上に、あるかなきかに積る塵埃である。其底に生命が充溢し、狂熱が沸騰してゐると云ふ意味ではない。俺の心は唯常に動搖してゐる。動搖を豫期する念々の不安は現在の靜安をも徒に脅迫してゐる。一皮を剥いた下には赤く爛れた樣々の心が、終夜の宴の終局を告ぐる疲れたる亂舞に狂ひ囘つてゐる。重ねて云へば、俺の生活は芝居の波である。波の底には離れ〴〵になつた心が、下𢌞りらしい乏しさを以つて、目的もなく唯藻掻いてゐる。この動亂こそ我が生存の唯一の徴候である。其處には純一なる生命もなく、一貫せる主義もなく、從つて又眞の生活もない。俺の生活は既に失はれた。俺は今眼を失へるフオルキユスの娘達の樣に、黄昏れる荒野の中に自らの眼球を搜し𢌞つてゐる。  俺は古の心美しき人達の歌に聲を合せる――俺にも昔は眞正の生活があつた。幼き日は全心に沁み渡る恐怖と悲哀と寂寞と、歡喜と爭心と親愛との間に過ぎた。俺は子供として又人として、無花果の嫩葉が延びる樣に純一蕪雜に生きて來た。俺の心は一方にスクスクと延びて行く命であつた、一方には又靜かに爽かなる鏡であつた。命が傷ついて鏡が曇つて、茲に動亂を本體とする現在が來る。明日になつては命が枯れるか鏡が碎けるか、現在の俺には何事も解らない。唯俺には滿足し得ざる現在がある、現在に滿足せざる焦躁がある。  尤も、猥雜によつて心の命を傷つけらる可き俺の運命は早くも幼年時代に萌してゐた。俺の幼い心には後年の教育と經驗とによりて蹂躪せらる可き空想の世界が早くより其種を卸してゐた。俺は羅馬舊教の傳説中に養はれた祖母に育てられて、北國の山村に成長した。山村の夜はとりわけ寂しく靜かであつた。此寂しく靜かなる山村の夜々に、桃太郎カチカチ山の昔噺と共に俺の心に吹込まれたるものは、天國煉獄地獄の話であつた。俺は幼心に自らの未來を推想して、到底直ちに天國に登るを許さる可き善人だとは自信し得なかつた。俺は地獄と煉獄との間に懸る自分の魂に、成年の感じ得ざる新鮮なる恐怖を感じてゐた。特に最も氣懸りなのは、煉獄の長い修練により、罪の淨めも了へて天國に送られる際に、苛責の血に汚れたる手足を洗ふ可き水の流れのあるなしであつた。俺は夜中に眼を醒して此事を思出すと堪らなかつた。さうして傍に眠てゐる祖母を搖起しては、よく泣き乍ら此問題の解答を求めたものであつた。死の恐怖と死後の想像とは幼年時代から少年時代にかけて久しく俺の生活の寂しく暗い一面を塗つてゐた。思ひ出すは十一二の時分に遭遇した大地震である。俺は母や弟妹と共に裂けて外れた雨戸から外に這出した。時は雨が上つて空がまだ曇つてゐる秋の夕暮であつた。素足に踏む土は冷く、又ジメジメしてゐた。火を失したのであらう、遠くの村々の燒ける炎は曇つた空に物凄く映つた。大地の底は沸騰した大釜の樣にゴーゴー唸つてゐた。さうして湯氣を噴出する口を求めて釜の蓋をゆるがす樣に、數分の間を置いては大地を震はしてゐた。俺は此の中に立つて、今犇々と胸にこたへる死の恐怖に比すれば、平日の念頭に上る死の壓迫などは丸で比較にならぬと思つたことを記憶してゐる。此の如き反省が直ちに念頭に上る迄に、死は當時の自分を威嚇してゐたのである――併し心の生命が傷つくと共に死の恐怖も亦其新鮮なる姿を失つた。俺は今死を恐れない、少くとも死の恐怖が現在の俺を支配してゐない。今の若さで、それ程迄に俺の生の色は褪めて了つた。それ程迄に俺の心は疲れ萎びて了つた。  兎に角羅馬舊教の世界は、周圍の雰圍氣によつて養成された自分の世界に、兩立し難き異彩を點綴したる最初であつた。爾來幾多の世界は別々の戸口を通して俺の頭腦の中に侵入して來た。其或者は俺の心に作用して從來知らざりし歡喜と悲哀とを教へた。其或者は俺の理解を強制して瘤の如く俺の頭の一角に固著した。此等の種々の世界は俺の心の中で、俺の頭の中で、若しくは俺の心と俺の頭とに相對壘して、相互の覇權を爭つてゐる。俺の生命は多岐に疲れて漸く其純一を失つて來た。過度の包攝は俺の心の生命を傷つけた。  俺の心の世界では一つの表象が他の無數の表象を伴ひ、一つの形象が他の無數の形象を伴つて來る。無數の表象と無數の形象とは相互に喧嘩口論をし乍らも、其手だけは源氏の白旗を握る小萬の手の如く緊乎と握り合ひつつ、座頭の行列の樣に慘ましくおどけ乍ら無限に心の眼の前を通つて行く。一つの表象が中心となり、一つの形象が焦點となつて、他の意識内容は皆情調の姿に於いて其背景を彩るのならば何の論もない。凡てが表象と形象との姿を現はして中心を爭ふが故に、俺の心の世界には精神集注 Konzent ration と云ふ跪拜に價する恩寵が天降らない。俺の意識は唯埒もなく動亂するのみである。俺の An Sich は苦しい夢の見通しである。  今あることとなければならぬことと、現に實現されたることと實現を求むる力として現實の上に壓迫して來ることと――約言すれば現實と理想との矛盾は、恐らくは精神と云ふ精神の必ず脱る可からざる状態であらう。此矛盾は健全なる自遜と努力とに導くのみであつて、何の悲觀する必要もない。併し俺の意識の中では現實と現實と、理想と理想とが相食んでゐる。樣々の心持が海の怪の樣に意識の中に戲れて、現に頭を擡げてゐる一怪を認めて俺の現實を代表させ樣とすれば、それぢやア駄目だよと云つて思ひがけぬ處に他の一怪が頭を波の上に突き出す。午後の日が彼等の長い髮の上にきらめいて、波が怪しい波紋を織り出してゐる。其上に一つの理想は西から吹いて西から波濤を起して來る。一つの理想は北から吹いて北から波濤を起して來る。心の海は今自らの姿に驚き呆れてゐる。  此の如くにして内界が分裂すると共に更に不思議なる現象が現はれて來た。俺は自らあることに滿足が出來なくなつた。現にあることとあるを迫ることの孰れをも含んで、兎に角自らあることに滿足が出來なくなつた。俺は飢ゑたる者の如くに自ら知ることを求める樣になつた。自らあることと自ら知ることと――〈ヘーゲルの言葉を藉りて云へば An Sich(本然?)と Für Sich(自覺?)とである。ヘーゲルの意味と俺の意味と全然相蓋うてゐぬことは云ふ迄もない。先人の用語は唯俺に都合のよい内容を盛る爲の容れ物に過ぎない〉――の對照は實に不思議なる宇宙の謎語である。自らあることは自ら知ると共に自らあることの内容を變更して來る。強き者は自らを強しと知ると共に多く驕傲と云ふ内容を得易い。單に強くありし者は其自覺と共に強く且つ驕れる者となつた。弱き者は自らを弱しと知ると共に謙遜と焦躁と努力との内容を得來る。單に弱きのみなりし者は弱きが爲に謙遜し焦躁し努力する者となつた。若し是が、自ら知ると共に自らあることも亦複雜になり豐富になるに止まるならば固より論はない。併し疑ふらくは自ら知ることは自らあることの純一に強盛に素樸に發動することを妨げると云ふ一般的傾向を持つてゐるらしい。若しくは自らあることの爛熟と頽廢との隨伴現象として來ると云ふ一般的傾向を持つてゐるらしい。ヘーゲルは「ミネルヷの梟は夕暮に飛ぶ」と云つたと聞く。Für Sich は An Sich を蠶食し陷沒せしむるものと云ふことが事實ならば、而して此事實を評價する者が俺の樣に An Sich の純粹と集中と無意識とを崇拜する者ならば、其者の哲學は遂に Pessimismus ならざるを得まい。少くとも自覺と本然との矛盾に就いて深き悲哀なきを得まい。俺には此點に就いて大なる疑問がある。俺の心が此疑問の生きたる Illustration である。  併し自覺と本然との一般的關係はどうでもよい。兎に角 An Sich が生命の純一を失つて徒に動亂する魂なりとすれば、此魂の自覺は益〻其悲哀を深くし、其矛盾を細密の點まで波及せしめ、其散漫を二重に三重に散漫にして、到底手も足も出し得ない者にする傾向あることは爭ふを許さぬ。Für Sich は動亂する本然の情態を靜かなる智慧の鏡に映して觀照 Anschauen を樂とする譯に行かない。俺の心は慟哭せむが爲に鏡に向ふ累である。鏡中の姿を怖るるが故に再度三度重ねて鏡を手にする累である。反省も批評も自覺も凡て病である。中毒である。Sucht である。  散漫、不純、放蕩、薄弱、顛倒、狂亂、痴呆――其他總ての惡名は皆俺の異名である。從つて俺は地獄に在つて天國を望む者の憧憬を以つて蕪雜と純潔と貞操と本能とを崇拜する。嗚呼俺は男と大人との名に疲れた。女になりたい。子供になりたい。兎に角俺は俺でないものになりたい。――  併し此の如く生活を失へる者の歌、失へる生活を求むる者の歌を聲高らかに歌ふことは餘りに俺の身分に相應しくない。嚴密の意味に於いて云へば、俺は失へる生活を求むる心さへ既に失つてゐる。俺は心から求めたことがない男である。求めよ然らば與へられむと云ふ言葉の眞僞を實際に試したことのない男である。素直にして殊勝なるロマンテイケルは何時の間にか其姿を晦ました。フオルキユスの娘は今も猶隱れん坊の對手を搜す樣に、其眼球を荒野の黄昏に搜し𢌞つてゐる。恐らく彼女は永久に眼球探しの遊戲をやめないであらう。處は荒野である。時は黄昏である。身は失明者である。搜されるものは失はれたる生活である。又何の缺けたることがあらう。彼女の眞實に求むる處は唯此暗く悲しい氣分である。」  三太郎は此迄書いて來て急に筆をすてた。さうして憎さげに罫の細かな洋紙の上に一瞥を投げた。「嘘吐け、嘘吐け」と云ふ囁が三年前と同じく、サラサラと走るペンのあとから、雀を追ふ鷹の樣に羽音をさせて追掛けて來た。三太郎は又ペンをとつて別の頁をあけた。 「俺の心の海にはまだ俺の知らぬ怪物が潛んでゐるらしい。俺の An Sich はまだ本當に Für Sich になつて居ない。俺は女の樣な物云ひをした。俺はあつて欲しいことを皆否定の方に誇張してゐる。俺は人生に向つていやですよと云つてゐるのである。  兎に角日記は矢張り書く可からざるものであつた。書くと云ふことは An Sich が生きて動くと云ふことではなかつた。Für Sich の鏡をキラキラと磨くと云ふことでもなかつた。唯指の先に涎をつけて、心の隅に積つた塵の上に、へへののもへじを書くことに過ぎなかつた。  結論は俺には何もわからないと云ふことである。」  かう書いて三太郎は日記帳を再び抽斗の奧に投げ込んだ。さうして何時の間にか點いてゐる電燈を仰いで薄笑をした。遠くの方から蛙の聲が聞えて來る。 (明治四十五年四月二十三日夜) 三太郎の日記 一 痴者の歌 1  世の中に出來ない相談と云ふ事がある。到底如何にもすることが出來ぬと頭では承知し乍ら、情に於いて之を思ひ切るに忍びぬ未練がある場合に、人は自分の前に突立つ冷かな鐵の壁に向つて出來ない相談を持ち掛け勝なものである。出來ない相談を持掛ける心持は「痴」の一字で盡されてゐる程果敢ないものに違ひない。十年壁に面して涙を滾してゐた處で冷かな壁は一歩でも道を開いて呉れ相にもない。實功の方面から云へば出來ない相談は無用なる精力の徒費である。唯出來ない相談を持掛けずに濟む心と之を持掛けずにはゐられぬ心との間には拒む可からざる人格の相違がある。  實現を斷念した悲しき人格の發表――此處に「痴」の趣がある。痴人でなければ知らぬ黄昏の天地がある。 2  我等には未來に對する樂しき希望がある。併し我等には又取返さねば立つてもゐても堪らぬ程の口惜しい過去もないことはない。過去の因果が現在の心持にだにの樣に食ひ込んで離れぬ場合も亦多からう。併し夢を食ふ貘でも過去を一舐にして消して呉れる力があらう筈もない。過去に向けられたる希望は凡て痴である。出來ない相談である。二十になつて漸く戀の心を悟つた藝者が、何も知らずに一本にして貰つた昔の事を考へて、取返しのつかぬ口惜しさに頬にかゝる後れ毛を噛み切つても、返らぬ昔は返らぬ昔である。血の涙でも昔を洗ひ去る譯に行かない。唯出來ない相談と知り乍ら又しても之を持掛けずにはゐられぬ心が誠の戀を知る證しにはなるのである。併し假令誠の戀を知る證しは立つても一旦受けた身と心とのしみは自然の世界では永恆にとれる期があるまい。燒け跡の灰は家にならない。燒け跡の灰は痴者の歌である。 3  自覺とは因果の連鎖の中にある一つの環が自ら第幾番目の環に當るかを悟ることである。自覺をしても因果の連鎖は切れない。因果を超越するものは唯「新生」である。嗚呼併し自然の世界の何處に新生があるか。新生とは限りなくなつかしく、限りなく恐ろしい言葉である。 4  因果の連鎖を辿り行く儘に吾人の世界には新しい眼界も開けよう。新しい歌も生れよう。併し其世界と其歌とには常に死靈の影が附纒つてゐる。天眞とも離れ過去の渾然たる文明とも離れた吾人の世界は「新生の歌」が響くには餘りに黴臭い。自分はせめて痴者の歌をきいて涙を流したいと思ふ。 (明治四十四年八月十四日) 二 ヘルメノフの言葉 1  余は獨立の人格である。故に余は獨自の思想を持つ。但し獨自の思想を持つとは其結合の状態、統一の方法が獨自の面目を呈露するの意味であつて、其要素が悉く獨得であると云ふ意味ではない。要素に於て悉く獨得なるは狂者の思想である。他人と全然交渉なき怪物である。要素に於て共通にして結合に於いて獨自なればこそ余は友を持ち戀人を持つ。同時に余は余として人生の大道を行く。  余が獨自の思想を組織する要素は、一面には現代の徒と共通である。一面には現代の徒と背いて古代の詩人哲學者と交感する。一面には現代と古代と共に超脱して獨得の閲歴に其根柢を置く。余は獨自の思想を詐りて苟くも安きを求むるの惡漢ではない。羊の皮を着て群羊の甘心を買ふの奸物ではない。余は獨自の思想を有する事を標榜して憚らず人生の大道を行く。  余は憚らず人生の大道を行く。併し余は余が思想人格の全部を白日の下に晒して大道を濶歩することを恐れる。余は現代と矛盾する思想を發表するには細心なる辯解を附して前後左右を護衞する。重大なる損失を齎すべき思想は暫く裹んで之を胸裡に藏する。汝怯者よ、汝覆面して人生の大道を行く者よ。  余の知慧は二重の組織より成る。内面の生活を蒸餾して其精髓を蓄へるは一つの知慧である。此知慧を警護して蛇の如く怜しく外界との調和を計るは今一つの知慧である。自分には此第二の知慧が苦々しい。第二の知慧は第一の知慧を保護すると共に又之を蒼白にする。小兒の如く無邪氣に、白痴の如く無選擇に、第一の智慧を放ちて世界を闊歩せしむる能はざるは、我が性格の弱きが故か、我が呼吸する雰圍氣の鉛の如く重きが故か。嗚呼我が魂よ、コボルトの如く躍れ跳れ。 2  赤兒を豺狼の群に投ずるは愚人の事である。汝の右と汝の左とには汝よりも遙かに巧みに自ら守る人多きを見よ、汝の蛇の知慧は寧ろ少きに過ぎると一つの聲は云ふ。汝は汝の所持する物を公表するに時の利害を考量するに過ぎぬ。持たざるを持てりとし、持てるを持たずとする虚僞に比すれば遙かに上品ぢやないかと今一つの聲が慰める。併し此二つの聲は世間に對する申譯の言葉とはなつても自分に對する申譯とはならない。苟も蛇の言葉を解することが余には堪へ難く苦々しいのである。  強者は自己の思想を外界に徹底せむが爲に發表の順序を考慮する。弱者は外界の壓迫を避けて靜に獨り往かむが爲に世間の鼻息を窺ふ。 3  自分にとつて興味ある對話の題目は唯自己と自己に屬するものとである。併し此題目は他人にとつて死ぬ程退屈なものであらう。又他人にとつて興味ある對話の題目は唯其人と其人に屬するものゝみである。併し他人にとつて興味ある對話は自分にとつて死ぬ程退屈なことである。故に吾人が他人と對話して非常に面白かつた場合には、自分の對手に與へた印象は甚だ惡かつたものと覺悟せねばならぬ。又對手に與へる印象をよくする爲には吾人は非常な退屈を忍ばねばならぬ。兩者半々ならば其人の經驗は甚だ幸福なる經驗である…………  レオパルヂは覺え帳にかう云ふ意味の言葉を書いた。此言葉を書いた時レオパルヂの唇には苦い、淋しい微笑が浮んだであらう。この苦い、淋しい微笑が此の如き蛇の言葉の生命である。處世の哲學を説く商業道徳の講師の樣に、ニコリともせずに此の如き言葉を發する者は一面に於て卑俗である、一面に於て痴愚である。 4  薄明(Dämmerung)が事物を美化することは屡〻云はれた。此事は其自身に美しい事物に關しては適用することが出來ない。印象派の畫家は強烈なる光の戲れを愛するが故に白日を擇ぶ。自然の風光は白日も美しく薄明も亦美しい。薄明は唯其自身に醜いものを美化する。薄明の美化は自然よりも寧ろ人生のことである。  自分の世界は呪はれたる世界である。我が意識の外に切り捨て、忘れ去り、葬り終るに非ざれば心の平安を保持し難き事柄が少からず眼前にウヨ〳〵してゐる。從つて我が心には抽象(Abstotraktion)の願切ならざるを得ぬ。抽象の願切なる限り、醜き物、厭はしき物、煩しき物に弱き光を與へて、之を意識の微かなる邊に移して呉れる朦ろは嬉しい光である。  更に薄明は我が想像に活動の餘地、添補の餘地を與へる。余は朦ろなる事物を余自身に價値あるものとして創造する。此創造によりて事物の本質(Wesen)が浮んで來るか否かは明白でない。唯余自身の本質が薄明に乘じて對象に乘り移るの事實丈は疑はれぬ。從つて如何なる事物にも一定の光の下には美しく見ゆべき條件が潛んでゐることも亦爭はれぬ。抽象の意義は唯本質の榮えむが爲に雜草を刈り去る處にある。本質を逸したる抽象は無意義である。  闇中に見る女の眼は凡て大きく潤を帶びて見える。此大きく潤のある眼を通じて想像の手を女の肌に觸れる時、女の肉體は凡て美しい。後姿の美しい女は其後姿が自分にとつては女の本質である。  嗚呼併し明るみの中に見むと欲するやみ難き要求よ。明るみの光に消え行く幻の悲哀よ。此悲哀に促されて更に辿り行く人生の薄明よ。 5  自分は未だインスピレーシヨンと云ふものを知らない。併し今まで散ばつてゐた思想が次第に纏つて、水面に散點してゐた塵埃の渦卷に近づくに從つて漸く密集し、歩調を整へて旋轉するが如き刹那の經驗は決してないことはない。思惟の脈搏が歩一歩に高まり、心のテンポが漸次に快速となるにつれて、肉體の上にも顏面の充血が感ぜられる。未だ鏡に向つて檢査する機會を持たないが恐らくは眼も潤ひ且つ輝いてゐよう。此時自分の心はムヅ痒いやうな苦しいやうな快感を覺える。  此状態は何時襲來するときまつてゐない。併し多くは讀書の後、安眠の後の散歩中に來る。自分は思想の湧く間散歩をつゞける。さうして前に湧いた思想が後に湧く思想に壓されて記憶の外に逸せむとする頃、急いで家に歸つて紙に向ふ。併し紙に向ふ迄には散佚して引汐の樣にひいて了ふ場合が多い。結論は形骸を頭の中にとゞめても新生の熱は冷灰となつて了ふ。偶〻寫しとゞめても讀み返して見れば下らぬことが多い。  自分が經驗する思想の坌湧は一尺ほれば湧いて來る雜水の樣なものであらう。深く鑿つて清冽なる純水に達する時の心持は自分にはわからない。併し湧き出るものは雜水で使用するに堪へずとも、兎に角坌湧の快感と苦痛とだけは知つてゐる。 6  夕燒の空が河を染めてゐる。河沿の途を大人と子供とが行く。「もう歸らうぢやありませんか」と手をひいてゐる女が云ふ。「いやア、もつと行かうよ」と手をひかれてゐる子供が云ふ。疲れた親は活力に溢れた子供のアスピレーシヨンに水をさす。活力に任する子供は疲れた親に同行を強ひる。親と子とが自然の愛によつて結合されたるはお互の因果である。親の手に縋る事なしに河沿の途を遠く〳〵行く術を知らぬ子供のアスピレーシヨンは運命の反語である。  夕燒の光は次第に消える。河筋は遠く白く闇の中に浮んで見える。河の面に霧が深くなる。 (四四、一一、二〇) 三 心の影 1  價値ある情調を伴つてこそ知識も、思想も、乃至情緒其物も始めて身に沁みる經驗となる。全心の共鳴を惹起すこともなく、數知れぬ倍音と融け合つて根強い響を發することもなく、離れて鳴り離れて消ゆる思想や知識は餘りに乾枯びて、餘りに貧しい。明るみに輝く焦點の後には、暗きに隱れ、薄明の中に見え隱れする背景がなければならぬ。一度鳴れば心の世界の隅々に反響を起して、消えての後も意識の底の國に餘韻永く響く樣な知識と思想と情緒とが欲しい。一言にして盡せば心の世界に靈活なるシンボリズムの流通を感ずる生活がしたい。  併し情調の生活は往々にして思想と人格とを拒むの生活となる。現實の生活が餘りに複雜にして思想の單純に括り難いことを知るからである。自我の發動が餘りに移り氣に、變幻多樣を極めて人格の不易に綜合し難いことを知るからである。昨日は何處に彷徨つてゐたやら、明日は如何なる國に漂ひ着くやら、此等は凡て知るを要せぬ、且知ることを得ぬ問題である。唯瞳を燒くが如く明かなるは現在の生活と其情調とである。其時々の情調を噛みしめて、其時々の共鳴を樂んで行くより外に吾人の生きる道がない。吾人の生活は刹那から刹那へとぼ〳〵と漂ひ流れて行く。  此の如く永久に刹那々々の情調を追つて行くのがロマンチシズムならば世にロマンチシズム程淋しいものはあるまい。情調の放蕩の外に此世に生きる道がないとしたら他人は知らず自分は耐らない。「昨日」に對する不信の意識も淋しく、「明日」に對する不安の意識も亦淋しい。依つて立ち依つて安んずるに足る可きもの、若しくは包んで温めて呉れるものがなかつたら自分の心は永久に不滿である。自分の心の空は永久に曇天である。我心は漂泊し放蕩する情調を括る不易の或物に向つて喘いでゐる。之に觸れゝば複雜にして移り氣な自我の全體が自然に響き出し躍り出す樣な一つのキイノートに向つて喘いでゐる。嗚呼我が知らざる「我」は何處の空に彷徨つてゐることであらう。  聖オーガスチンは神の中に憩ふに非ざれば平安あることなしと云つた。自分は要求の點に於て未だ中世に彷徨つてゐる男であらう。思想が欲しい。人格が欲しい。「神」が欲しい。 2  要求を現實に化する根強い力を持つてゐる人にとつては或時を劃して天地が引繰返るに違ひない。或時期を境界として其生涯が著しい二つの色に染分られるに違ひない。併しノラと共に奇蹟を信ずることが出來なくなつた吾人にとつては、精神の如何なる昂揚もやがては引き去る可き滿潮である。高潮に乘じて歡呼し熱狂する自我の背後には、冷かに檢温器の水銀を眺めてゐる第二の自我がある。「我身を共に襠の引纏ひ寄せとんと寢て抱付締寄せ」泣いてゐる美しい夕霧の後には、皺くちやな人形遣の手がまざ〳〵と見えてゐる。此の如き二重意識の呪を受けた者の世界は光も暗である。狂熱も嘲笑である。悲壯も滑稽である。要するに一切がフモールである。  此フモールの世界に安住して、目新しいフモールの發見に得意になつてゐられる人は幸福である。自分には其背後に奇蹟の要求が覗いてゐる。其笑には「現象の悲哀」が籠らぬ譯には行かない。 3  一つの感情が旋律をなして流れて行く文藝は固より美しいに違ひない。併し二重意識の洗禮を受けたる吾人は、樣々の感情が即いたり離れたり調和したり反照したりしながら複雜な和聲を拵へて行く文藝でなければ物足りない。抽象的な調和統一は如何でも構はぬ。多量のデイツソナンスを交へた處に微妙なる情調の統一を保つて行けばそれでよいのである。自分一個の嗜好から云へば眞面目と巫山戲との中が割れて兩者が綯ひ交られて行く處に妙に遣瀬ない情調を喚起する、フモリスチツシユの作品は隨分好きである。心の傷に手を觸れて身にこたへる苦しさを樂しまうとする類であらう。  嘗て富士松加賀太夫の膝栗毛市子の段を聽いた。洒落と浮氣で世を渡る彌次郎兵衞が其洒落と浮氣で持切れなくなつて、悄氣て弱つて本氣になる所に、しんみりした、悲しい、遣瀬ないフモールがあつた。又嘗て菊五郎の同じ膝栗毛赤坂の段を見た。併し其彌次郎兵衞は冥土の衢に彷徨つて、弱り切つて、本氣になつた彌次郎兵衞ではなかつた。踊り自慢の惡戲小僧が白張の提灯を被つて巫山戲てゐるとしか思はれなかつた。此場合に於いてフモールの印象を與へると與へぬとは作の本質を捉へると捉へざるとの相違である。自分は菊五郎を有望だと思ふ丈に、其現在の傾向を追うて慢心することを恐れる。菊五郎は一轉化しなければ唯鼻ツぱしの強い親分と、一通りの單純な滑稽の役者に過ぎない。悲壯と崇高とフモールとの役者になる爲にはもつと〳〵心の苦勞を積まねばならぬ。悲壯と崇高とフモールとを表現するに堪へざる俳優は吾人にとつて用のない俳優である。(四四、一二、三〇) 四 人生と抽象 1  普通の解釋に從へば抽象とは具象の正反對である。抽象する作用は常に事物の具象性を破壞し、抽象せられたるものは既に具象性を失つてゐるのである。併し自分の考は少しく普通の解釋と違つてゐる。自分の解釋が正しいならば、具象性を破壞するものは抽象作用其ものに非ずして抽象の方法である。從つて具象性を破壞する抽象もあれば、具象性の印象を一層明確深𨗉にする抽象もある。  若し事實と云ひ具象と云ふことが吾人の感官を刺戟する猥雜なる外界の一切を意味するものとすれば、彼の現實乃至具象の世界は既に吾人の知覺をすら逸してゐる。況して吾人の悟性乃至理性に映ずる世界の姿が此種の現實を離れ、具象性を失つてゐることは云ふ迄もない事柄である。知覺は無意識的に外來の刺戟を選擇する。更に悟性と理性とは經驗の價値と意義と強度とによりて知覺の世界に選擇を施す。選擇するとは或種の經驗を強調して或種の經驗を捨象することである。抽象作用を度外視して世界を認識することは徹頭徹尾不可能である。從つて現實の世界具象の世界は抽象作用を俟つて始めて吾人の頭腦中に成立するのである。世に抽象的に非ざる具象界は存在し得ない。具象の世界は抽象作用の子である。現實の世界は吾人の創造する處である。  吾人が猥雜なる外來の刺戟中より現實の世界を創造するに當りて、渾沌を剖判す可き重要なる原理となるものは、強調せられ若しくは捨象せらる可き經驗の意義である。而して經驗の意義を決定するにはリツプスも説けるが如く二樣の要素がある。一つは經驗そのものが意識に對して有する壓力である。強度である。一つは其經驗と吾人の要求との適合不適合の呼吸である。狹義に於ける其經驗の價値である。若し此兩面が美しい調和と平衡とを保つならば、其強度と壓力によりて吾人の世界に一定の地位を要請する經驗は、隱れたる自我の要求と何等の鬪爭なくして其要請する地位を占有することが出來、又自我の要求によりて強調せられ若しくは捨象せらる可き經驗は、知覺の側より何等の顯著なる抗議を受ることなくして其抑揚を完くすることが出來て、吾人は素朴無邪氣に古典主義の世界に優游するを得る譯である。併し吾人の世界に在つて古典主義は遠き世の破れたる夢となつた。破れたる夢を慕ひて新しき世に其復活を圖らむとする新古典主義はあつても、昔ながらに素朴無邪氣なる古典主義の姿は今の世の何處にも發見することを得ないであらう。少なくとも自分一己の世界に在りては、知覺の世界に於いて一定の強度と壓力とを有する經驗に對して、隱れたる自我の要求は我が求むる處は此の如く醜き者に非ずと顏を背ける。自我の要求より出發する經驗の抑揚に對して、知覺の世界は現實を離れたる白日の夢よと嘲弄する。要求の眼より見れば知覺の世界は姿醜く、品卑しく、碎け且つ歪んでゐる。知覺の世界に立脚すれば要求の世界は實相を離れたる空しき紙の花に過ぎない。茲に至りて始めて現實と理想とは主義として鬪爭し、具象と抽象とは兩立し難き極端となつて、抽象作用は意識的に非ざれば行はれ難い事となるのである。捨象とは拒斥である、放逐である。一面に、焦躁する自我は眼を瞋らし肩を聳かして醜き知識を擯出する。一面に、捨象せられたる經驗は怨靈となりて新しき世界の四周を脅迫する。此の故に吾人の世界は第一に知覺と要求との兩端に分裂し、第二に不安にして強制の陰影を殘し、第三に稀薄にして本能の強健を缺くのである。  併し吾人の意識に内界統一の願望ある限り、吾人は依然として抽象の歩を進めなければならぬ。經驗に抑揚を附して人生の精髓を選擇しなければならぬ。貧弱なる文明の遺産を繼承し、不統一なる知覺の世界に生れたるだけに、愈〻切に抽象の歩を進めなければならぬ。明治の日本に生れ合せたる吾人は大向うから人生の芝居を覗く連中である。前面にウヨウヨする無數の頭顱と、前後左右に雜談する熊公八公の徒と、場内の空氣を限る鐵の格子とを抽象して、せめて頭腦の世界に於いて棧敷の客とならなければならぬ。吾人の抽象に反抗と感傷との臭あるはやむを得ない。兎に角に予は抽象の生活を愛する。  抽象は超脱となり、超脱は包容となる。予と雖も之を知らざるものではない。併し此不統一なる世界に生れて、誰か自ら詐ることなくして包容の哲學を説くを得よう。予は抽象の低き階級に彷徨する。故に予は抽象の哲學を説く。 2  前段の論理を摘要し添補する。  具象とは五官よりする印象を、如實に遺漏なく保存するの意ならば、人間の世界には何處にも具象と云ふものはない。若し具象とは經驗の意義、本質、價値を掲げ出すの義ならば、内的要求より出發するの抽象は愈〻具象性を強烈にするの作用である。眞正の具象性は抽象の成果として到達せらる可き状態である。  第二の意味に於ける具象の概念は經驗の本質を掲揚し保存することを精髓とする。經驗の意義を捨象する作用が即ち具象性を破壞するの抽象である。抽象が具象性を破壞するには二樣の途がある。第一は經驗の内容を捨象して其形式のみを保存するのである。第二は猥雜なる官能的刺戟に執着して經驗の意義本質を逸するのである。感覺的現實を偏重する者は形式的普遍のみを求むる者と同樣に抽象的である。具象性を破壞する惡抽象たるに於いて兩者の間に二致がない。  事件や行動の報告よりは情調情緒の報告の方が更に具象的なる場合がある。情緒情調の報告よりは思想の報告の方が更に具象的なる場合がある。事件や行動の報告に非ざれば、事件や行動の報告を通じて思想感情を暗示するに非ざれば、具象的でない樣に考へるのは反省を缺ける淺薄なる思想である。  併し事件行動の如き知覺的具象と、思想感情の如き抽象を經たる具象との間には顯著なる一つの差別がある。それは後者が同樣の經驗を經て同樣の抽象を試みたる者に非ざれば通ぜざることである。思想感情の直寫は同類の間にのみ通ずる貴族的隱語である。思想感情の傳達を欲して事件行動の報告を欲せざる者の爲に存在する神祕的記號である。余は他人に煩されずして靜に自己の生活を經營することを欲するが故に、自己の生活を公衆の前に隱す抽象的原語を愛する。  但し茲に云ふ抽象とは知覺の世界に就いて順當に其意義本領を強調し、其偶然を刈除し行くの抽象である。知覺の世界に就いて抽象の歩を進むれば自然に價値の世界に到達すると云ふ一元的信念に基くの抽象である。 3  具象と鬪爭して相互に其根柢を奪ふ時、吾人の抽象は古き具象の征服となり、新しき具象の創造とならなければならぬ。吾人の世界は危機に臨んでゐる。進化の曲線は急激なる屈折を要する。自我の脈搏は今其調子を亂してゐる。吾人の内界には騷擾があり醗酵があり憤激がある。  新しき具象を創造するには、志士となつて所謂事實を改造するか、哲學者となつて事相を觀ずるの見地を變更するか、此二の外に道はあるまい。志士の事業は知覺の世界に就いて自我の要求に協ふ抽象を強制するのである。「永恆の相の下に」觀ずる哲學者と雖も經驗の抑揚を新にして知覺の世界に抽象を施すに非ざれば、換言すれば嘗て重大なる意義を附したるものを輕くし嘗て光を蔽はれたるものを明るくするに非ざれば、到底現實其儘を受納することを得まい。志士と哲學者の抽象は勇者の抽象である、進撃者の抽象である。  唯弱き者、感傷する者は身邊に蝟集する厭ふ可く、憎む可き知覺に對して、手を振つて之を斥けるよりも先づ眼を背けて其醜より遁れむとする。此の如き抽象の生活には固より不安と動搖と悲哀となきを得ない。現實の包圍に脅迫せらるゝ抽象の悲哀は吾人を超脱の努力に驅るのである。  事實の改造に絶望する時、暫く三面の交渉を絶つて靜かに一面の世界に沈湎せむとする時、眼を背くるの抽象は吾人の精神に搖籃の歌を唱ふの天使となるのである。流るゝ涙を拭ふの慈母となるのである。現實の光を遮るの黄昏となるのである。(四十五年三月九日記) 五 さま〴〵のおもひ 1  如何にして新聞雜誌を讀む可きか、此問題が僕にとつては一苦勞である。全然讀まないのは現代に對して餘りに失禮である、同時に自分にとつても少々心細い。多くを讀むのは餘りに煩さい。同時に更に〳〵有意義なる生活と修養とに費す可き時間が非常なる蠶食を受ける。  人格上思想上尊敬に價する少數の人を擇んで其人の作丈を讀むことゝすれば、甚だ簡單に現代日本との接觸が出來る譯であるが、それでは未だ知られざる者、竊に近づきつゝある者の豫感に觸れることが出來ない。現今の思想界藝術界には勿論尊敬す可き人が居るけれども、此等の人の大多數は唯自分と共鳴若しくは同感すると云ふ意味で尊敬に價するのみである、或は自分の持たぬものを持つてゐると云ふ意味に於いて尊敬に價するのみである。自分の精神を包んで之を高き處に押し進め、自分の精神の暗處を照して戰慄と羞恥と努力と精進とに躍らしむる者は後より來るか若しくは全然來らざるかの孰れかでなければならぬ。現代に對して觸れ甲斐のある觸れ樣をせむと欲する者は、決して未だ知られざる者を蔑視することを許されない。從つて名前を拾つて讀むことは未だ十分なる新聞雜誌閲讀法と云ふことが出來ない。  唯最も安全にして秋毫の申分なき省略法は名前によつて讀まないと云ふことである。特定の名前に遭逢する毎に何の躊躇もなくドシ〳〵頁を飛ばして行くことである。固より人には時にとつて出來不出來がある。併し其人の内生活以上に卓出する出來もあり得なければ、全然内生活の俤を傳へぬ程の不出來も亦ある譯がない。作品を通して作者の内的生命に觸れむと欲する者は凡下なる者の佳作よりも偉大なる者の拙作に接することを樂しむ。凡下なる者の佳作を蔑視するの勇氣は吾人を新聞雜誌の呵責から救ふ唯一の道である。此道に從ふことによつて吾人は千頁讀む處を百頁讀んで事足りる樣になる。此方面に於ける生活の單純化は茲に立派に解決を得る譯である。  尤も此の如くにして「讀まれざる文學者」は讀者によつてそれ〴〵に選擇を異にするであらう。從つて如何なる小作家と雖も凡ての人によつて讀まざる部類に編入されるやうなことはないであらう。世界は廣く、造化の配劑は妙を極めてゐる。群小に至るまで夫々の讀者を有して文壇の一角に存在の理由を有することは感謝す可き天帝の恩寵である。吾人が吾人の標準に從つて「讀まざる人」を決定することは決して天帝の仁慈を妨ぐる結果には立至らない。萬人に共通して許されたことは各自の「讀まざる人」を選擇することである。  ――僕はかう考へてゐる、併し僕は考へた通りに實行してゐない。退屈な時には讀まない筈のものも遂手にとることがある。手元にないものは假令讀まうと思つたものでも、遂愚圖々々してゐる間に敬意を表することを怠つて了ふ。斯のやうにして僕は親が附けて呉れた名前の三太郎らしく懶惰なる現代生活をしてゐるのである。併し考へ直して見れば、僕をひきずり出して雜誌屋の店頭にも立たしめず、雜誌持の友人の處にも走らしめないやうな作を讀まないからと云つて、何も大業に悲觀したり、親の附けて呉れた名前を侮辱したりするにも當らないことであつた。 2  ――は例によつて女性を痛罵してゐる。併し其言ふ處を聞くと彼の非難は申分なく男にも當嵌りさうである。少くとも男の一人なる僕にはヒシ〳〵と當る處が多い。僕は寧ろ女性を呪ふ前に男性を呪ひたい。寧ろ男女の區別なく人間を呪ひたい。男に對立したる意味の女に對して、僕は唯自ら持たざる者を持てる人に對する親愛と尊敬とを感ずる。男性の散漫と不純と放縱との羞恥を感ずる。  男は女の名によつて人間を呪つてゐる、女は男の名によつて人間を呪つてゐる。共に其最も求めてゐる處に就いて最も不滿を愬へてゐるのだから面白い。女を罵る男の根本の要求は本當に愛して呉れる女を發見することにあるのであらう。男を罵る女の根本の要求は本當に愛して呉れる男を發見することにあるのであらう。僕と雖も固より本當に愛して呉れる女が欲しい。併し僕はそれよりも先に、自ら本當の男であり、人間でありたい。僕の根本要求が茲にあるが故に、僕は男を嫌ひ、人間を嫌ふのである。問題は他人に在らずして自己にある、女に在らずして男にある。本當に男となり人間となるに非ざれば、假令眞正に愛して呉れる人があつても、僕には其愛を甘受し、味解する資格がない。淺ましきは男の要求に協はぬ女よりも寧ろ眞正に愛することを得ざる男である。三太郎は第一に男となり人間とならなければならぬ。僕の自己嫌惡には未だ女性を罵つてゐる程の空虚がない。 3  決定した態度を以つて人生の途を進んで行く人の姿程勇しくも亦羨しいものはない。此等の人の日に輝く凛々しさに比べれば、僕などは唯指を啣へて陰に潛むより仕方がない。併し汝等は何故に愚圖々々するぞと叱る人の姿を見る時其人の長き影には強制と作爲と威嚇と附景氣と、更に矯飾僞善の色さへ加はつてゐるのは如何したものであらう。彼等に比べれば僕等は丸で品等を異にする上品の人である。彼等は僞人である、僕等は眞人である。彼等は飴細工の加藤清正である。僕等は血の通つてゐる田吾作椋十である。吾人をして僅に自信を保たしむる者は實に此飴細工の加藤清正である。  僕は自分のつまらない者であることを忘れたくない。併し自分のつまらないことさへ知らぬ者に比べれば僕等は何と云ふ幸な日の下に生れたことであらう。此差はソクラテスと愚人との差である。此事を誇としないで、又何を誇としようぞ。 4  自分のつまらないことを知る者はつまらない者でなくなるか。――つまらぬ者でなくなる者は上品の人である。併し下品の者はつまらぬ者なることを知つて依然としてつまらぬ儘に止つてゐる。嚴密に云へば眞正に自覺せぬ者、眞正に碎かれざる者であらう。僕は上品中の下品に屬する。僕の心は未だ眞正に碎かれてゐない。眞正に碎かるゝ日の來る迄僕は此苦しい日夜を續けるのだ。  二三年前の夏、朝じめりする草を踏んで高野の山を下つた。宿坊を出る時に、一ヶ月の馴染を重ねた納所先生は、柔かい白い餅に、細かに篩つた、稍〻青味を帶びた黄粉をつけて、途中の用意にと持たして呉れた。山を下れば食料の必要なき僕も、人の好意を無にせぬ爲に難有く之を受取つて、稍〻持餘し氣味に風呂敷に包んで寺を出た。神谷の宿を出外れた坂路で僕は自分の前を行く一人の癩病やみに追付いた。僕は突差の間にあの餅を此人に呉れて荷物を輕くしようと思ひついた。癩病やみは其きたない顏に美しい笑を見せて、丁度飢じくつて弱つてゐる處でしたと、幾度も〳〵禮を云つた。さうして僕が輕く挨拶して通り過ぎる後から繰返し〳〵嬉しさうに感謝の念をのべた。僕は人にものをやつてあんなに嬉しがられた事がない。人から禮を云はれてあんなに嬉しかつたことがない。僕は自分の餅を呉れた動機を考へて恥かしくなつた。  僕は此眞正に飢ゑた人を見て羨しかつた。心の底から與へられた幸福を經驗する人を見て羨しかつた。癩病やみは柔に白い餅の返禮として、眞正に求むる者の幸福を僕の眼の前に突付けて呉れた。此中有に迷ふ生活から逃れて寧ろ彼の癩病やみになりたいと思ひながら僕は重い心を抱いて山を下つた。三年後の今日もまだ僕は眞正に求むる者の幸福を知らずにゐる。  僕は與へらるゝ日よりも寧ろ求め得る日を待兼ねてゐる。併し道草を食ふことの趣味に溺れたる者の上には、恐らく死ぬ迄も待兼ねる日は𢌞つて來ないであらう。 5  黒味を帶びた緑は日の影を濃くして、日の光を鮮かにする。初夏の森を彷徨つて、葉を洩るゝ光の戲れをじツと視凝めてゐると、自分は時として盲が眼を開いた時に感ずるだらうと思はれる程の驚きを感ずる。一瞬の間自然は「始めて見たる」ものゝの如く新鮮に自分の心に迫つて來る。何の誇張も虚僞もなく「驚いた」と名づけ得べき瞬間の經驗をすることが出來る自分は何と云ふ仕合者であらう。一切の哀歌に關らず僕の心は未だ死なゝかつた。嗚呼僕は黒ずんだ緑と、日の光と、初夏の空氣とに感謝する。(五月十五日正午) 六 夢想の家 1  貧しき者、淋しき者の慰安は夢想である。現實に於いて與へられざる事實と雖も之を夢裡に經驗するは各人の可憐なる自由である。此貧しき國に生れて、貧しきが中にも貧しき階級に育つ者にとつて固より此夢は灰になる迄實現される期はあるまい。併し堅く汚れた床の中に困臥する身にも、豐富華麗なる生活を夢みるだけの自由は許されてゐるのである。西洋文明史家の説に從へば古代の心は其末期に至つて屡〻怪しき夢の襲ふ所となつた、而して其怪しき夢は終に現實となつて、茲に新たなるロマンチツクの心が生れた。現今日本の住宅建築も亦正しく怪しき夢に襲はる可き時期に逢着してゐる。此夢は國家富力の充實と國民生活の精化とに從つて早晩實現されずには居ないであらう。自分の夢は此等の數多き夢の中の最も見すぼらしい、最も專門に遠い、而も最も實現し難き夢に屬してゐる。 2  平安朝以後に發達して來た日本住宅建築の特色如何と云ふ問題に對しては專門家の間に定めて精到な解釋があることであらう。構架の樣式、材料の選擇、裝飾應用方法等悉く日本建築固有の特色があるに違ひない。併し住宅建築は直接に國民生活と緊密の關係を有する實際的設備として藝術家乃至好事者の意匠にのみ放任する譯に行かない。住宅建築の根本特色を決定する主義となるものは寧ろ國民生活の理想である。如何に國民生活の要求を充し、如何に國民生活に影響するかの點に於いて、住宅建築の精神と特色とは成立するのである。故に今此點に於いて日本住宅建築の特色を求むれば、從來美術史家の屡〻自贊せる處に從つて、「自然との調和と抱合」とに在りとする外自分には新しい見解がない。固より昔の寢殿造書院造の如きは、今日吾々の起臥する家屋の樣に、吹晒し同樣とも云ふ可き程完全を極めたる「自然との抱合」を實現してゐなかつたであらう。併し其主義は依然として家屋内に於ける自然(外界)の支配を許容し歡迎するに在つたことは疑ひがない。 3  尤も「自然との調和抱合」と云つても外より見ると内より見ると二樣の區別がある。外より見るとは街頭を行き若しくは山莊を訪ふ人の眼に周圍との調和が美しく浮び出ることである。此の如き調和は固より無條件に望ましいことに違ひない。併し住宅建築本來の目的から云へば此の如きは寧ろ枝葉の閑問題である。吾人は盆景の中に陶製の家屋を置く樣に、自然景を點綴し補充し裝飾する爲に住宅を築くのではない。快く、暖かに、柔かに其中に住み、靜かに讀書し思索し戀愛し團欒し休息し安眠するが爲に住宅の功を起すのである。從つて自然と抱合するの主義も亦主として内に住む人の立場から解釋しなければならぬ。縁に彳みて庭を眺めて蟲を聽き、障子を開いて森に對し月を見るの便を主とするが如きは即ち内より見たる自然との抱合である。 4  自然が柔かに温く吾人の生活を包む限りに於いて、自然が吾人の思索と事業とに對する專念を妨げる程積極的に働きかけて來ない限りに於いて、自然との抱合を理想とする住宅は固より望ましいことである。併し自然は常に笑つてばかりは居ない。靜かに晴れ渡る若干の日と、降る雨のしめやかに、柔かに、煙籠むる若干の日とを除けば空は常に怒るか曇るか泣くかである。驟雨や強雨は障子を開けて眺めてゐる間こそ豪爽であるが、讀書思索勞作の孰れに對しても隨分落付かぬ氣分を誘ひ勝である。殊に灰色の雲の押かぶさる日と、風のざわ〳〵騷ぐ日は堪らない。然るに從來の住宅建築には此等の影響を調節する機關が具つてゐないから、吾人は野に彳む乞食の如く自然の支配に身を任せなければならないのである。雨の強い日風の烈しい日は雨戸を締めなければじつとして居られないのは吾人の住む明治の住宅である。而も障子を締めても雨戸を閉しても一家を包圍する自然の情調は遠慮なく室内に侵入して來るのである。殊に外部の音響に對する防禦機關の具備してゐない事は都會生活をする者にとつて取分け嚴酷なる責罰である。無數の騷音が波濤の如く沸き立つ中にあつて輕薄なる住宅に一身を托する生活は隨分堪らない。自然(街頭の音響周圍の人事をも含む)の調子の遙かに温柔であつた時代、若しくは自然の齎す情調を呼吸することを以つて生活の重なる内容とすることが出來た時代に於いては、自然との抱合を主義とする住宅も生活の理想と大なる矛盾を感ぜずに居られたであらう。吾人の如く興奮し易く疲勞し易き神經を持つて峻嶮なる自然と人事との中に生息する者にとつて、住宅建築は城砦の如く吾人の生活を外界の襲撃から保護して呉れるものでなければならぬ。自分の怪しき夢は既に根本主義に於いて在來の住宅に不滿を感ずるのである。特に借屋住居の身として節度なき自然の襲撃に疲れたる心には此不滿が一層の苦しさを以つて迫り來るのである。自分の夢想の家は「求心的統一」を、「外界よりの分離」を主義としてゐる。 5  此の如き主義の轉換は日本建築の樣式に少からぬ變化を要求する樣になるかも知れない。漫遊の外客は必ず之を痛惜し、保守と事大とを兼ぬる美術家は必ず之に附和するであらう。併し吾人は祖先の爲に隱居所を建立するに非ずして、自己及び子孫の爲に住宅を建築するのである。外國人のエギゾテイシズムに滿足を與へる爲の見世物を造るに非ずして、自らの身と心とを住ましむ可き安宅を設計するのである。大極殿の再建と住宅建築の樣式とは自ら區別して考へられなければならぬ。内より迫る必要は内より吾人の生活を變形して行く。吾人は此力に身を任せるに何の躊躇をも要しないのである。自分は將來に向つて日本の美術と日本の文學と日本の思想と日本の文明とを造るに最も適當なる住宅を求むるに過ぎない。 6  外界の侵入、特に音響の侵入を防ぐ爲に、夢想の家は石造でなければならぬ(石造と通氣及び温度との關係は專門家に諮るより仕方がない)。少くとも外界の威力を防遏して獨立の世界を形成するに堪へる程の威嚴ある材料によつて構成されなければならぬ。採光は自然の晴曇明暗に絶對的支配權を與へぬ範圍に於いて明るい方を好み、從來の日本建築に比して今少しく暗く今少しく深味のある光を採る。夢想の家に在つて自然は利用さる可き者であつて支配す可き者ではない。屋内の情調を構成する要素は其構造及裝飾から吹き來る一定の氣分でなければならぬ。屋内の情調に變化を與ふる權力も亦居住者の掌中に握つて、自然の氣まぐれなる干渉を許さない。 7  夢想の家に在つては一構の總體が外界に對して獨立するが如く、各室も亦相互に獨立してそれぞれの自主を保たなければならぬ。在來の日本建築に在つては外界に對する獨立が曖昧であつたと同時に各室の獨立も亦甚だ不安であつた。襖と障子とは極めて信頼す可からざる障壁である。室と室との間には音響が無遠慮に交流し、各室の獨立は隨時の闖入を豫想する不安に慄へてゐる。從つて讀書も思索も安眠も戀愛も凡て其專念と集注と沈潛とを奪はれて、眞正なる孤獨の經驗は容易に居住者の精神を見舞はない。自らを孤獨の境に置くことの自由を奪はるゝは生活の眞味に徹せむとする個人にとつて誠に非常なる損害である。故に夢想の家の各室は相互の孤獨を十分に尊敬することを以つて理想とする。主要なる室には必ず次の間がある。次の間と廊下との境には重い扉があつて内から鍵をかける樣に設備されてある。夢想の家に住む者は重い扉と次の間とを隔てゝ廊下の遠い音を聽き乍ら、外界の闖入を防禦したる石造の室にあつて讀書し思案し戀愛するのである。眞正の孤獨と閑寂とを領して魂の眼を内に向けるのである。 8  夢想の家の室内裝飾は各種の情緒情調と調和して此等と共鳴し助成するものでなければならぬ。餘りに積極的刺戟的に自己を主張する者は室内生活の凝滯を誘致する危險がある。書齋の壁は緑に燃ゆる五月の草の色に塗り(又は張り)たい。寢室の壁は北の國の新月に似た蒼色に塗らう。書齋の空氣は暖かに柔かに心を包むことを要する。寢室の空氣は寒いと云ふ感じもなく、悲哀の情緒をも刺戟せぬ限り、唯無限に沈靜の情調を吹いて精神を安靜の境に誘致することを理想とする。寢室の窓には深くカーテンを垂れて晝間と雖も刺戟に疲れて焦躁し興奮したる精神の避難所とする。 9  夢想の家も決して自然との抱合を拒まない。靜かなる雨の音、遠き蛙の聲、曉の枕に通ふ鶯の音、寢室の硝子窓を覗く木立と月光、此等の情調を歡迎するが爲に開閉の自在なる厚い硝子の窓と樣々の色に染めたカーテンとを具へて、書齋又は居室に於いて直接に自然と親むの機縁を開いて置く。而して更に自然との親和を緊密にせむが爲に、夢想の家には廣いバルコンを造る。草色の縁をとつた帆布は日光と微雨とに對してバルコンの上に團欒する大人と子供とを保護する。圓卓を圍む椅子には肱つきがある。 10  夢想の家は疊に寢そべる者の懶惰なる安逸を拒まない。併し疊の觸覺と温覺とは餘りに堅く餘りに冷たい。故に疊の代りにダーリヤの花の樣な深紅の色の天鵞絨を張つたソーフア數臺を備へて置く。 11  最後に夢想の家の庭園には茶室がなければならぬ。茶室は日本從來の住宅建築の理想の精髓である。常住に自然の支配下に立つに非ざる限り、此處に掛物を愛玩し、此處に湯の沸る音に心を澄し、此處に花を品し、此處に雨を愛した祖先の心は凡て懷しい。夢想の家に住む者は現代の繁雜を脱れて、古き世の夢を見むが爲に時々此茶室に安息を求めるのである。 12  夢想の家は時を經るに從つて益〻其細條を明にして行くであらう。併し朝毎に厨の音と子供の泣く音とに醒める身には何と云ふ遠い世の幽な夢であらう。(六月十七日朝) 七 山上の思索 1  赤城は柔かに懷かしい山である。併し頭上を密閉する雷雲と、身邊を去來する雲霧と、絶えて行人なき五里の山道とは人工に腐蝕せる都會の子を嚇すに十分であつた。自分は全存在の根柢を脅かして殺到し來る自然の威力の前に戰慄し乍ら、自分の生活の如何に宇宙の眞相に徹すること淺く、漂蕩し、浮動し、兒戲し、修飾する生活であるかを思つた。此大宇宙の中に在つて、自分が自由に快活に呼吸し得る空氣、自分の生活が眞正に自己の領域として享受し得る元素は極めて少い。一度家庭と朋友との團欒を離れ、一歩を都門の外に踏み出せば、自分の情調は直ちに混亂と迷惑とに陷らざるを得ない。今大自然の威力と面々相接して自分は頻りに自我の縮小を感ずる。併し此感情を征服して大自然と合一すること能はざるが故に、換言すれば生死を度外に附して威壓せらるゝの自己を威壓するの自然と融合せしむること能はざるが故に、自分の意識を占領する者は常に恐怖不安矛盾の情調であつて崇高の感情は遂に成立しないのである。自分の嘗て經驗したる崇高は自然と面接して其威力と融合し得たる雄偉なる先人の魂を掩堡として、藝術品の影に身を潛めつゝ、親の手に縋り乍ら僅かに怖ろしき物の一瞥を竊む小兒の如く、辛うじて近づき得たる矮小なる影の國に過ぎなかつた。眞正に崇高を解する者は、換言すれば眞正なる崇高の創造者は、自己の全存在を大自然の前に投出して其威力と親和抱合し、其威力と共に動き共に樂しむ者でなければならぬ。生活の根柢を深く宇宙の威力の中に托する者でなければならぬ。嗚呼我が魂よ、汝融和抱合の歡喜を知らざる矮小なる者よ、汝根柢に到らずして、浮萍の如く動搖する迷妄の影よ、肆意にして貧弱なる選擇の上に其生を托する不安の子よ。汝の道は遠い。汝の道は遠い。 2  社會の前に、歴史の前に、他の人類の前に、自分は餘りに多くのジヤステイフイケーシヨンを持つてゐる。從つて眞正の謙遜を感ずることが出來ない。反語と皮肉とに飽和したる自分の道徳は自分の魂をゴムの如く碎け難く、鰻の如く捕捉し得ざる存在にして了つた。唯舊約の神エホバは自然の威力の名に於いて雷雲の中より自分の魂を壓迫する。自分の弱小なる精神と肉體とはエホバの前には何等のジヤステイフイケーシヨンもなく、赤裸々の姿を暴露して戰慄し慴伏する。文明と都會とに害毒せられたる自分の魂は、自然と野蠻との神によりて先づ其心を碎かれ、根柢から邪氣を洗はれなければならないのかも知れない。自分は今驕慢と恐怖と反抗と相錯綜する心を以つて人跡未到の深山大澤にエホバを禮拜する者の心を思ふ。先づ其魂を襲ひ來る可き無限の寂寞と恐怖と無力の自覺とは眉を壓する許り鮮かに自分の想像に迫つて來る。更に此感情をイーバーヰンデンして其上に出で、始めてエホバを我神、我父と呼び得可き日の曉の心――心を衝きて湧き來る無限の力と、青くひそやかに全心を涵す可き無限の靜寂と――も亦我が豫感する心の上に、幽かに遙かなる影を落して來る。 3  自然は如何に荒涼寂寞を極めてゐても二人三人と隊を組んで此荒涼の中を探る者は要するに社會を率ゐて自然に迫るのである。社會の掩護の下に自然を強要するのである。徹頭徹尾唯自己一身を挺して、端的に自然に面する者に非ざれば、眞正に孤獨を經驗し、眞正に自然の威力を經驗することが出來まい。單身を以つてフレムトなる力の中に浸入して行く時、フレムトなる力の中に自己を沒却して而も其中に無限の親愛を開拓し行く時、始めて眞正に自己の中に動く力の頼もしさを感ずるを得よう。自分は人跡未到の地に入る探檢者と名山靈地を開ける名僧知識の心境に對して大なる崇敬の情を捧げる。エホバと和げる心も、未知の領域に邁往する勇氣も、荒涼たる自然の中に在つて新鮮に緊張せる情調も――悉く羨ましからぬものはない。物質の世界に於いても、精神の世界に於いても常に此「深み」と「張り」と「力」が欲しい。 4  人影も人里も見えぬ松の大木の並木路を辿る時には、どんなにか人と云ふものゝ臭が戀しかつたであらう。牛馬の踏み荒した無數の細路の間に迷つて、山巓から襲ひ來る霧の中に立盡した時、不圖眼に入つた牧牛者の影はどんなにか自分の心を温めたであらう。牧牛者は半里の山道を迂囘して自分を宿屋の前迄案内して呉れた。自分は禮心に袂の中にあつた吸ひ殘りの「八雲」をあげた。牧牛者は氣の毒さうに禮を云つて霧の中に隱れて行つた。  社會を離れて自然と自己との中に沒入せむとする時、自分は愈〻社會的要求の徹骨徹髓なるを悟る。自らを社會より遠ざける時、自分は益〻社會と自己とを繋ぐ縷の如く細きものの如何に自分の生活にとつて切要であるかを知る。余は山に入るに先だつて、山巓に自分を待つ可き靜かなる旅舍と、綿の入つた蒲團と、温かなる飯と、夜を照す燈火と、身を浸す可き湯と、親切なる主人とを豫想して來た。山に落付いた後、日毎に待たれるものは親しき人の音信である。余が自然と自己との中に沈湎すればする程、自分の周圍に在つて此沈湎を支へて呉れる人と云ふもの――社會と云ふもの――の温かなる好意が必要になつて來る。山中に迷ふ者を正路に導くことは八錢の「八雲」を以つて報いらる可き好意ではない。自分を快適に心の世界に逍遙せしむる爲に萬般の煩瑣なる世話を燒いて呉れることは、決して五十錢や一圓の旅籠料を以つて償ひ盡すことが出來ない。余は山に入つて始めて切實に社會に對する感謝の念を覺える。全然社會を蔑視し去るは忘恩である。  高きに翔る心が矮小なる者を蔑視し、卑俗なる者を嘲笑するはやむを得ない。併し純朴なる同胞の感情、小兒の如き社會的愛情を失ふことは決して些少なる損害ではない。 5  社會を嫌惡するは余が生活の一面に過ぎない。社會と隔離するは余が要求の一面に過ぎない。人類を嘲笑するは余が感情の一面に過ぎない。眞正の希望は社會と融和し人類と親愛したいのである。自然と社會と自己と、三面協和するに非ざれば吾人の生活は遂に全きを得ない。一切を包容する底知れぬ心を思ふ時、余が心は羞恥と憧憬とに躍る。 6  妥協を忌む、孤立を忌む、狷介を忌む。而も眞正なる融和包攝の心境の容易に到達し得ざることを思へば、慘として我が心痛む。 7  都會の猥雜なる刺戟を脱れて、靜かに本を讀み仕事をする爲に自分は山の中に來た。併し山の中に來て見れば自然は餘りに問題に富み、自然は餘りに自らの命に溢れてゐる。紙に刷つた文字の奧に浮ぶ朧な人生や、概念と概念とを校量し區別し排列する思索などを押し退けて、自然は今自分の生活の内容を滿してゐる。讀書と思索とに倦んだ際のリフレツシユメントに利用せむとしたのは餘りに自然を輕蔑した仕打であつた。躑躅の花の咲き殘る細徑は楢の森を出つ入りつして、緩かに峠の方に上つてゐる。自分は朝露の置く若草を踏み乍ら、色々のことを思ひつゝ行く。 8  人を對手にする生活は隨分苦しいことが多い。對手にする人も亦自己と同じ樣に弱い、氣の變り易い、自己と自然と社會との凡てに就いて樣々の苦惱を裹んでゐる人間であることを思ふ時、少くとも對手の心持を察してこれを勞らなければならぬ丈の苦勞がある。自分の察しが至らぬ爲に不知不識其神經を無視することはあらう。巫山戲る興味の圖に乘つて或程度迄人の神經を玩具にする樣な粗野な振舞も亦ないとは云へない。併し大體から云へば、憤怒と憎惡と輕蔑とに燃えて敢てデリカシイを無視する僅少の場合を除けば、人と人との間には相互に交讓する可憐なる苦勞の絶間もない。交讓は固より愛の發表である。併し假令愛の發表であつても、常に自分を加減し鹽梅する不自然と、我儘に自分の全體を露出し得ざるもどかしさと、對手に對する愛の名に於いて其前に自分の幾分を詐つてゐると意識する心元なさと、此等の入り亂れた感情が人と人との間に霧の如く立迷つて眞正に心の底の底迄さらけ出した朗かな融合を經驗することは人の一生に幾度もないであらう。親愛する魂と魂との間に於いても既にさうである。況して複雜なる利害の關係が混入し易い他人同士の應接は甚だ厭はしい場合が多い。人間は同類の間に於いて多く孤獨である。途中の遭逢に當つても素朴なる同類の親愛を感ずる程の優しさを持つてゐ乍ら、人の魂と魂とは何故か容易に根柢から一致することが出來ない。  同類の間に在つて孤獨なる人の魂は自然に向つて響を一つにするの對手を求める。自然にも固より個性がある。或自然は自分を威壓し或自然は自分を拒斥する。併し自然には自分の弱い神經を痛ましめて迄も勞つてやらなければならぬ程の脆さがない。思ひがけない方面に觸れて顏を反けなければならぬ程の卑さがない。自然の前に自分は我儘に露骨に自分の心をさらけ出すことが出來る。自分の心をさらけ出せば、苟も自分の親しみを感ずる程の自然ならば必ず自分と同じ心に動いて呉れる。自然の前に自分は孤獨ではない。暗室の中に一人淋しい思を培ふ時と、調を等しくする自然の中に獨歩する時と、吾人の經驗の色調の如何に性質を異にするかを思へ。同類の中に在つて孤獨なる人の魂に、自然は始めて奧底なき親しみと無限の融和との歡喜を教へるのである。  併し自分の親愛を感ずるは唯特定の自然である。嗚呼エホバと親愛し得る魂となり得むには、雲霧と雷霆との中にあつて之を親愛し得る魂となり得むには――(七月六日夕) 八 生と死と 1 死を怖れざることの論理――一厭世者の手記より。  余の生に何の執着に價する内容があるか。凡ての經驗は之と矛盾する何等かの記憶、何等かの豫想、何等かの論理に脅かされて、酒は水と交り、形は影と混じ、現在は過去と未來とに汚されてゐる。全心を擧げて追求す可き目標も、全身を抛つて愛着す可き對象も、全存在を震撼す可き歡喜と悲痛とも最早余にとつては存在してゐない。絶滅の恐怖は唯絶滅せしむるに忍びざる何物かを確實に占有する者にのみ許さるゝ情緒である。眞正に生きる者にのみ許さるゝ經驗である。然るに今死が余より奪はむと脅す處は眞正の生に非ずして唯生の影である。余の前に置かれたる選擇は生か死かに非ずして、生の影か死か、死に劣る生か死かに過ぎない。固より余は淺薄なる愛情によつて親朋に繋がれてゐる。余は彼等の世界から消失することを悲しみ、余の死を慟哭す可き彼等の悲哀を憐む。併し余に眞正の生を教へるの力なき一切の關係は要するに余にとつて眞正に存在の價値があるものではない。彼等は畢竟未練に過ぎない。幻想に過ぎない。此未練を擺脱すれば、余は常に死に對して準備されてゐる。死よ。汝の欲する時に來りて余を奪ひ去れ。  加ふるに死は生の自然の繼續である。最もよき生の後に最も惡き死が來る理由がない。死と死後とは人智の測り知る可からざる處であるが、唯死に對する最良の準備が最もよく生きることに在るは疑がない。名匠の手に成れる戲曲は最後の幕も亦美しいに違ひがない。余の問題は此苦痛と戰ひ、此悲哀と鈍麻との波をわけて、如何に斯生の價値を創造す可きかに在る。創造の成果は甚だ疑はしい。併し余が生存する間は此事を外にして第一義の問題がない、第一義の事業がない。死の恐怖は痴人の閑問題である。 2 死を恐怖することの論理――一懷疑者の手記より。  我が生には未だ深き執着に價する内容がない。併し此判斷は現在の余の事實に適用するのみである。此判斷は一切の生を擧げて其價値を否定し、余が生の蓋然性と可能性とを悉く破壞し去る丈の力を持つてゐない。一切の生と、其プロバビリテイとポツシビリテイとを擧げて無價値と斷じ去る者こそ眞正に死を怖れない者であらうが、此の如く斷じ去るは厭世者の誇張である。飛跳である。質實にして謙遜なる反省の上に立脚する者は、未だ知らざる生の豫感に動かされて、却て深く生を執着することを知る。眞正に生きたる者は即下に絶滅するも猶余は眞に生きたりと信ずる自覺が慰藉となる。眞生の豫想に生きる者は此豫想を絶滅せむとする死に對して特別の戰慄なきを得ない。死は其人の生を根柢から虚無に歸せしめるからである。余は生きず、余は生きむと欲す、故に余は死を恐る。余の死を恐るゝは嫩芽の霜を恐るゝ心である。  余は到底生きる力を持つてゐない者かも知れない。生に對する憧憬を抱いて永久に生きることの出來ない者かも知れない。併し余が肉體の生命を保つ限り、現在の事實として余には「生きむと欲する意志」がある。「生きむと欲する意志」は盲目に本能的に死を怖れてゐる。然るに死は常に一躍して余を捕へることをしない。鼠を弄ぶ猫の如く屡〻余の「生きむと欲する意志」を脅かして余が生に不安の影を落す。余を死に導く力に對して何等の覺悟なき限り、吾人の生には常に死の影が交つてゐる。一度自己を保護する薄弱なる人工の搖籃を離れて、人間と社會と文明とを包圍して其運命を掌中に握る偉大なるエホバの前に立つ時、死の不安は刻々吾人を脅かして、生きるだに堪へざらしめる。吾人は吾人の生を確立せんが爲に吾人を死なしむる力を凝視しなければならない。死の恐怖は吾人の生を生の根柢に驅る。  而して死が最後に其鐵腕を伸して急遽に余を襲ふ時、死に對して何等の準備なき余は、此フレムトなる力と對抗して不安に滿ち、絶望に滿ち、戰慄と動亂とに滿ちて其手に落ちるであらう。余は死の刹那に於ける此の如き精神的苦悶を豫想するに堪へない。單に此刹那に對する準備の爲にも、死の恐怖は何等かの解決を強請する問題と云はなければならぬ。  嗚呼「余を死に導く力」よ。余は汝を諦視し汝を理解せむと欲す。汝の中に潛む「必然」を認めて之と握手せむと欲す。これと握手して余の一身を汝に托せむと欲す。死を恐怖せざるの論理は胡魔化しに過ぎぬ。感覺鈍麻に過ぎぬ。 3  余には死に對する何等の準備もない。余は暴漢の手に捕へられたる妙齡の處女の如く、全力を擧げたる抗爭と、肺腑を絞り盡したる絶叫の後、力盡きて漸く死の手に歸するであらう。 4  余が急遽に死の手に奪ひ去られたとする。余の死後に此日記が殘つたとする。此日記を讀んで、余が唯死に對する不安恐怖の念にのみ滿されて、何等安立の地を得なかつたことを發見する時、余を愛する者の悲哀は實に絶大にして、全く慰藉の途なきを覺えるであらう。併し後人に殘す悲哀が如何に絶大であつても此事は事實である。余は死に對する不安と動亂とに滿ちて死んだのである。死に對する諦めもなく、死後の生活に對する光明もなく、みじめに力なく死んだのである――若し死の瞬間に奇蹟的の經驗が起つて余の精神を靈化するに非ざれば。 5  余を包圍する不思議なる力よ。余は汝を神と呼ぶ可きか惡魔と呼ぶ可きか、攝理と呼ぶ可きか運命と呼ぶ可きか、自然と呼ぶ可きか歴史と呼ぶ可きかを知らない。唯余は汝が余の一切の生活――歡喜と悲哀と戀愛と罪惡と――を漂し行く絶大なる力なることを知る。やむを得ずんば余は汝に對して弱小なる余を憐めと云はう。併し許さる可くは余は一切のセンチメンタルなる哀泣と嘆願とを避けて、唯汝と一つにならむことを祈りたい。汝と共に働き、汝と共に戲れ、汝と共に殘虐し、汝と共に慈愛する者とならむことを祈りたい。(七月六日夜) 九 三樣の對立 1  人は我持てりと云ふ。余は我持たずと云ふ。人は確信し宣言し主張する。余は困惑し逡巡し、自らの迷妄を凝視する。人はニイチエの如く自覺の高みに在つて迷へる者を下瞰する。余は麓に迷ひて遙かに雲深き峰頭を仰ぐ。人は一筋に前へ前へと雄叫びする。余は前へ進まむとして足を縛られたるが如き焦躁に捕へられ乍ら、自らの腑甲斐なきに涙ぐむ。人は日の光の鮮かに輝り渡る中に在つて占有と勞働との喜びに充ち溢れてゐる。余は霧の如きものの常に身邊を圍繞して晴れざることを嘆ずる。彼等は樂觀し余は悲觀する。彼等は肯定し余は否定に傾く。余をして悲觀と否定とに傾かしむる者は余の生活と運命とを支配する不思議なる力である。不思議なる力の命ずる限り、余は此苦しき生活に甘じて、身邊方寸の霧を照す可き微光を點じて生き存へなければならぬ。嗚乎併し暗き否定の底にも洞穴に忍び寄る潮の如く微かににじみ來る肯定の心よ。思ひがけもなく、ひそやかに、ほのかに、夕月の光の如く疑惑の森に匂ひ來る肯定の歡喜よ。此悲しき中にも温かなる思は、強暴なる肯定者に奪はれて、獨り脆弱なる否定者にのみ惠まるゝ人生の味であらう。 2  余は自覺せりと自信することは其自身に於いて既に力であるに違ひない。併し唯自覺せりと自信する輪廓のみあつて、自覺の内容が渾沌と薄弱とを極めてゐるならば――極めて薄弱なる内容にも極めて強烈なる自信が附隨し得ることを忘れてはならぬ――何の彼等を珍重する迄もなく、巣鴨に行きさへすれば其尤なる者が室と室とを相接して虎視してゐるのである。自覺の價値と眞實とを立證するものは自信に非ずして内容である。力に滿ちたる内容である。  自覺することと自覺を發表することとは本來別物である、内容を有することと内容を發表することとも亦本來別物である。併し單に自覺の自信のみを發表して自覺の内容を發表せぬ者が、世間の眼から見て僞豫言者とせらるゝはやむを得ない。發表に價するものは自信に非ずして内容であるからである。  今の世にも亦自覺せりと稱する者が尠くない。併し少數の謙遜なる自覺者を除けば、彼等の自覺の内容は、余の如き懷疑者の眼から見てさへ氣の毒な程新鮮さを缺き緻密を缺き眞實を缺いてゐる。余は無内容なる自覺者の外剛内柔なる態度を見る時、先づ微笑し苦笑する。彼等が猶自ら恥づることを知らずして、野蠻に他人を壓迫する時、余は聲を揚げて嘲笑をさへしてやらうと思ふ。自分にも身邊方寸の霧を照す微光がある。  内容を示せ。内容を示せ。 3  ダンテは自分の罪は傲慢と羨望とに在ると云つたと聞く。余の罪も亦傲慢と羨望とにあるらしい。力に於てダンテに似ずして罪に於いてダンテに似るは余の悲哀である。 4  獨創を誇るは多くの場合に於いて最も惡き意味に於ける無學者の一人よがりである。古人及び今人の思想と生活とに對して廣き知識と深き理解と公平なる同情とを有する者は、到る處に自己に類似して而も自己を凌駕する思想と生活とに逢着するが故に、廉價なる獨創の誇を振翳さない。古人及び今人に美しき先蹤あるを知らずして、古き思想を新しき獨創として誇説する無學者の姿程醜くも慘ましくも滑稽なるものは尠い。  自分の生活と思想とを獨得にせむが爲に古人及び今人と共通なる内容を驅逐するは、吾人の生活を極端に貧くすることである。プラトー、ポーロ、オーガスチン、聖フランシス、スピノーザ、カント、ゲーテ、シヨーペンハワー、ニイチエ、ロダン等の思想と生活とを拒んで吾人は如何なる新生活を獨創す可きであるか。  机上の萬葉集をとる。「朝に行く雁の鳴く音は吾が如く物思へかも聲の悲しき」と云ふ歌の思ひは明治の今日に於いて更に歌ひ返す可き社會的必要のない歌であらう。萬葉歌人の歌の内容を其儘に歌ひ返すことは明治の歌人の恥辱であらう。併し歌ふ必要のないことも經驗する必要はある。此歌の思ひを沁々と身に覺える事が出來ないことは如何なる世に於いても其人の生活の缺陷である。一度書き表はされたことは其物が失はれぬ限り再び書き返す必要がない。一度發見せられたる眞實は凡ての時に渡りて凡ての人の胸に噛み締められることを要する。獨創を急ぐは發表にのみ生きる者の卑しさである。  自己の生活を自然に發展せしめ行く間に、先人及び今人の經驗に逢着して「此處だな」と膝を打つ場合がある。彼等と同感して其の眞意義に悟入する場合がある。此等は凡て自己にとりて新たなる獲得であつて決して模倣ではない。  自己の中に他人と異る性格があり、現代に他の時代と異る要求がある限り、吾人は先人及び他人と異る者とならずにはゐない。強ひて自己を他人と異れる者にしようとする努力は人生の外道に過ぎない。商賣人の成功策に過ぎない。此努力が如何に其人を高處に押し進めても、其人の生活には必ず人生の至醇なる味に接觸し得ざる一味の空虚があるに違ひない。  自己を壓迫し強制するものとして先人の經驗は惡しき「型」である。自己の望んで得ざる處を實現せるものとして、自己の進撃せむとする方向を標示するものとして、先人の經驗はいとよき型である。吾人は惡しき型を蹂躪すると共によき型を崇敬することを知らなければならぬ。先人が經驗して吾人が未だ經驗せざる處、古人が殘し置きたる經驗にして吾人の悟入を要する處――吾人の前には如何にいとよき型の多いことであらう。吾等は此等のいとよき型の前に眞正の謙遜と敬虔とを學ばなければならぬ。悟入と模倣と一致と追隨を區別するは極めてデリケートな問題である。  余は他人と區別する爲めの獨創を求めずして、唯生活の中核に徹する眞實を求める。余は先人及び今人と一致することを恥ぢずして寧ろ内的必然を離れたる珍説を恥とする。 5  心の内に皮肉なる者の聲が聞える――汝の思想と生活とが先人及び今人と共通することの恥辱に非ざるは既に之を領す。汝の發表する思想と生活とが古人及び今人の思想と生活とに比して何の特色もなくば、何處に存在の理由があるか。  余は此詰問に對して答ふる所以を知らない。無學にして懶惰なる余は、余の思想と生活とが如何に古人及び今人と一致し、如何に古人及び今人と異なるかを判定するの力をすら持つてゐない。唯余の云ふ處が古人の云ふ處と何の異る處がない場合に於いても、余自身の生命を裏付けて再び之を繰返す處に微かなる滿足を感ずる丈である。(七月八日午前) 十 蚊帳 1  蚊帳は艶なもの、悲しいもの、親味の深い懷しいものである。木綿の蚊帳はあの手觸りのへな〳〵な處から、あの安つぽい褪め易い青色まで、如何にも貧乏らしくて情ないが、麻の蚊帳の古い錦繪に見る樣な青色や、打たての生蕎麥の樣なシヤリ〳〵した手觸りや、絽の蚊帳の輕い、滑かな、凉しい視覺觸覺など、蚊帳其者の感じが既に夏らしく爽かな氣分を誘つて來る。更に之を人事と聯關させて來ると蚊帳の齎す情調は隨分複雜に豐富になる。中形の浴衣に淡紅色の扱帶しどけなく、か細く白い腕もあらはに、鬢のほつれ毛を掻上げてゐる姿が、青い蚊帳の中に幽かに透いて見える場合もあらう。病人の蒼白い顏にフツ〳〵と浮ぶ汗の玉を蚊帳越しに覗いて見る痛ましい夜もあらう。幽靈は蚊帳の中には這入れないから、恨めしい人の寢姿を睨み乍ら夜通し蚊帳のぐるりを𢌞ると云ふ。雷よけの晝蚊帳は加賀鳶梅吉の女房にあらぬ濡衣をも着せた。蚊帳と云ふ青い物は悽い上にも色つぽく夏の生活を彩つてゐる。 2  一つ蚊帳に寢ることは一つ部屋に寢ると云ふよりも遙かに對手との親しみを深くする。久しぶりで逢つた友達でも、廣い部屋に離れ〴〵に寢るよりは小さい蚊帳の中に枕を並べて、互の汗の香を嗅ぎ乍ら寢苦しい一夜を明した方が、どの位思出の色が濃いことであらう。野と衢とは人と人との住む處として餘りに惶しく、餘りに空漠である。人と人との魂の距離を縮める爲に人の家はある。更に其距離を近くせんが爲に人の住む部屋はある。人の住む部屋の中に一區を劃して、人と人との魂の呼吸を最も親密に相通はしむる者は夏の夜の蚊帳である。 3  夜遲く外から歸つて自分の居間に通る。細目に點けてあるランプの光が蚊帳にうつつてゐるのを見る時の心持。蚊帳の中に幽かな寢息をきく時の心持。 4  母親は添乳の手枕を離れて、乳房を懷の中にかくし乍ら、スヤ〳〵と眠つてゐる子の上にソツと幌㡡をかける。女性獨特の世界と女性獨特の幸福が涙を誘ふ柔かさを以て男の想像の世界に迫つて來る。 5  自分は田舍で育つた。田舍では大抵の家に土藏があつて、蚊帳などは秋の初から翌る年の夏が來る迄土藏の隅に押し込められてゐる。下水の孑孑がそろ〳〵蚊になり出す頃に、祖母は屹度土藏に蚊帳を取出しに行く。根附の樣に祖母のあとを追𢌞してゐた自分はよく土藏の中に隨いて行つたものであつた。藏の二階の薄暗い隅から幽かに呻り乍ら飛び出す二三の晝蚊の羽音と、一年目に日の目を見る蚊帳の古臭い臭とは、自分の幼い頭にどんなに入梅の豫感を刻み込んだ事であらう。今でも入梅を思ふと、あの音とあの臭とが幽かに浮んで來る。 6  秋になつて蚊帳を釣らなくなつた晩の廣さ、淋しさ、うそ寒さも亦忘れることが出來ない。北の國では蚊帳の釣手の獨り殘る頃にはもう機織蟲が壁に來て鳴く。細めたランプの光を暗く浴び乍ら、蒲團の中に秋らしく小さくくるまつて、機織蟲の歌をきいて寢た頃の心持は未だにあり〳〵と意識の奧に浮んで來る。初めて蚊帳を釣らなくなつた晩に沁々と物懷しく秋になつたなと感じたあの心持――あの鮮かな、青く澄んだ、ふつくらした感覺をもう一度取返して、自然のあはれをつく〴〵味ふことが出來たら、それ以來積んで來た一切の經驗と知識とを代償とするに何の未練もない。 十一 別れの時 1  ニイチエは屡〻「別れの時」と言ふ言葉を使つた。彼の超人は一面から云へば幾度か「別れの時」を經過し來れる孤獨寂寥の人である。私はツアラトウストラを讀む毎に、此「別れの時」と云ふ言葉の含蓄に撃たれる。ニイチエ自身も亦「別れの時」を重ねたる悲しき經驗を有し、「別れの時」の悲哀と憂愁と温柔と縹緲とに對する微細なる感覺を持つてゐたに違ひない。其極愛せる祖母の死は早くも彼に「別れの時」の切なさを教へた。後年ワグネル及び其徒と背き去つた事が如何に深刻なる「別れの時」の悲哀を彼の腦裡に刻み込んだかは今更繰返す迄もないことである。彼の思想は彼の生活の寂寞を犧牲として購はれたる高價なる「必然」であつた。此故に私は彼の思想の眞實を信じ、此故に私は彼の人格の純潔と多感とを懷しむのである。  概括せる斷言は私の憚る處であるが、私の心臟の囁く處を何等の論理的反省なしに發言することを許されるならば、「別れの時」の感情はあらゆる眞正の進歩と革命とに缺く可らざる主觀的反映の一面である。あらゆる革命と進歩とに深沈の趣を與へて、其眞實を立證する唯一の標識である。「別れの時」の悲哀を伴はざる革命と進歩とは處僞か誇張か衒耀か、孰れにしても内的必然を缺く浮氣の沙汰とよりは思ひ難いのである。再び一己の感情に形而上學的背景を與へることを許されるならば、これは恐らくは世界及び人生の進化が一面に於いて必然に悲壯の要素を含蓄するからであらう。宇宙及び人生を此の如く觀、此の如く感ずる點に於いてはイプセンも亦吾人の味方である。  進む者は別れなければならぬ。而も人が自ら進まむが爲に別離を告ぐるを要する處は――自らの後に棄て去るを要する處は――曾て自分にとつて生命の如く貴く、戀人の如く懷しかつたものでなければならぬ。凡そ進歩は唯別るゝを敢てし、棄て去るを敢てする點に於いてのみ可能である。曾て貴く、懷しかつたものに別離を告ぐるに非ざれば、新たに貴く、懷しき者を享受することが出來ない。新たに生命を攫む者は過去の生命を殺さなければならぬ。眞正に進化する者にどうして「別れの時」の悲哀なきを得よう。思へば此の如くにして進化する人間の運命は悲しい。「別れの時」の悲哀に堪へぬ爲に進化を拒み過去の生命に執着する卑怯未練の魂も、其情愛の濃かに心情の柔かなる點を察すれば、亦憎くないと云はなければならぬ。  凡ての個人と等しく凡ての文明にも亦別れの時が來る。敢て之を乘り切ると逡巡して進化を拒むとの孰れを問はず、兎に角に別れの時は襲ひ來らなければならぬ。客觀的に見て日本の文明が「別れの時」に臨んでゐることは萬人の等しく認むる處である。然るに「別れの時」の感覺が痛切に人々の主觀を襲つて來ないのは何故であらう。  今の世に「新しい人」を以つて自任する人は多い。一方に「過去」を理想として現實を呪ふ人も亦次第に其數を増して來る有樣である。併し所謂「新しい人」は果して過去の餘影を留めざる全然新しき人であらうか。所謂國民精神の擁護者も亦果して古代理想を一身に體現し盡した人であらうか。私の見る處では、此の如きは兩者共に殆んど絶無に近い。事實上彼等は共に半ば新しく半ば舊き、不可思議なる混血兒であつて、唯理想上或は新に赴き或は舊に傾向するに過ないのである。從つて新と舊との戰は敢て社會一般に投影する迄もなく、彼等自身の中に其慘憺たる姿を現じなければならぬ筈である。然るに何事ぞ事實は之に反して、所謂「新しき人」は全然自ら與り知らぬ者の如くに舊を嘲り、所謂「國民精神の擁護者」は暴君の如き權威と自信と――並びに無知とを以て新を難じてゐる。此の如きは未だ問題を其焦點に持來すことを知らざる無自覺の閑葛藤であつて、哲學的に云へば未だ眞正に「別れの時」の問題に觸れざる者である。「別れの時」の感覺が痛切に各人の主觀に迫り來らざるも固より當然と云はなければならぬ。「別れの時」の感覺を伴はざるが故に、保守と急進との理想は日本の文明に於いて未だ決然たる對立を形成してゐない。「別れの時」の感覺は保守と急進との間に一味心情の交感を與へる、同時に避く可からざる抗爭の悲壯なる自覺を與へる。  所謂「新しき人」は先づ自己の中に在りて「舊」の如何に貴きかを見よ。見て而して之を否定せよ。「別れの時」の悲哀を力として却て更に強く「新」を肯定するの寂寥に堪へよ。所謂「保守」の士は先づ自己に感染して強健なる過去の本能を浸蝕せむとする「新」の前に恥ぢ且つ恐れよ。「別離」に堪へざるの濃情を以つて強く「舊」を保存し、烈しく「新」を反撥せよ。此の如くにして兩者の思想に始めて眞實と悲壯と深刻とがあるであらう。 2  他人の爲に自らの身を殺し得る人の心情は尊い。他人の生活を直ちに自己の生活の内容として、其人の死によりて直ちに自己の生活の中心義を奪はれたと感ずる程、深く他人を愛し、深く他人の魂と相結ぶことを得る人の心情は羨しさの限りである。眞正に愛を解し、眞正に他人と自己との融合を經驗するを得る純潔高貴なる魂にして、始めて他人の死を悲しみて自刃するを得るのである。私は此高貴なる魂の前に、眞正に他人との融合を經驗し得ず、純粹に個我を離れたる愛情に一身を托するを得ざる自分の矮小なる姿を恥ぢざるを得ない。少くとも純一なる主義、純一なる力を以つて自己の生活を一貫するを得ざる自らの迷妄を恥ぢざるを得ない。戀愛の爲に殉ずる人も、君主の爲に殉ずる人も、自分の不純を鞭つに於いては二致あるを感じないのである。  私は乃木大將の自殺が純粹の殉死であるか否かを知らない。又假令純粹に殉死であるとしても、其道義的意義が客觀的に情死者と同一であると信ずる者ではない。唯若し大將の自殺に少くとも殉死の一面があるならば、其殉死には情死者と共通なる「人として」の美はしさあることを感ずる丈である。其殉死には誠實と純潔との不滅の教訓あることを感ずる丈である。而して私が此意味に於いて深く大將の死に動かされたことを告白する丈である。  更に人をして其別離の情に殉ぜしむる所以の對象が殉死者の私情我慾と相渉る事少ければ少ない程殉死者の愛情は少くとも一層珍貴となり、稀有となり、哲學的となる。この意味に於いて君主に殉ずる者の心情が戀愛に殉ずる者の心情に比して獨得の意義を有し、特異の印象を與へ、特異の感化を及ぼすことは云ふ迄もない。吾人は大將の殉死によりて純潔と無我との教訓に接するのみならず、又特異なる愛情の實例を示された。私は人間心理の研究者として此特殊にして恐らくは次第に滅び行く可き現象に對して格段の興味を感ぜざるを得ない。大將の自殺は他人の愛情に殉ずる者の一般的關係を離れて尚一層深き問題を吾人の前に提出する。其問題は一面にトルストイの「他人に仕ふる生活」と共通の問題である、一面に社會と國家と、民衆と君主と、高調の方面を異にする點に於いてトルストイの立脚地と對立する。大將が其死後に遺したる此問題は一般國民の問題たること云ふ迄もないが特に公的生活によりて榮達し、公的生活によりて私情私慾の滿足を圖る人にとりて最も痛切なる問題であらう。大將の自殺によりて彼等の胸中に幾分なりとも不安の影が宿つたならば、私は彼等に與へたる不安の故に、大將の死に向つて感謝せざるを得ない。  私は大將自刃の動機と問題とに就いて如上の感想を抱く。大將自殺の客觀的意義と、大將の信奉せる武士道とに就いては、茲に輕率なる感想を語ることを好まない。唯火を睹るよりも明かなるは大將の死が此の如き客觀的方面にも種々の問題を殘してゐることである。而して此方面に於いて自由討究を試みるは國賊でも非國民でもないことである。日本將來の文明を如何にす可きかは至難にして至重なる問題である。乃木大將の悲壯なる死を以つてするも此問題に鐵案を下して、反對者を強ひるの權利なきは云ふ迄もない。私は此點に就いて倫理學者並に社會學者の愼重なる審議を希望する。私は唯人間の行動並に心理に對して其内的意義を考ふることを喜ぶ。 3  理想主義の人にとつて「ある事」は無意義にして、意義あるは唯「ある可き事」である。彼にとつて事實とは「ある事」に非ずして「ある可き事」である。此の如き主義及び教養の結果、「ある可き事」に關係すること少き或種の「ある事」は無に等しくなる。「ある可き事」のみを念頭に置くが故に「ある可からずして而もある事」は次第に意識より消えて、自然に自己を擧げて「ある可き事」のみを以つて充された人となるのである。彼等の世界は凡て意識と條理とである。彼等は此意識と條理との世界に於いて純潔に健全に感激に滿ちたる充實の生活をすることが出來るのである。  乃木大將は旅順に其二愛兒を失つた。又大將は明治末期の時勢に就いて頗る慷慨の情を抱いてゐたとの事である。此二事を根據として推測すれば大將晩年の心情には頗る寂寞の影なきを得なかつたであらう。武士の條理に明かなる大將が此寂寞の故に自殺したのでないことは云ふ迄もない。併し此寂寞の情が無意識に大將を動かして自殺の氣分を助成したことは必ずしもないとは云はれまい。假に此の如き心理作用が意識の奧に働いてゐたとしても、大將は之を意識の明るみに牽出して自ら解剖する樣な必要は寸毫も感じなかつたであらう。徹頭徹尾殉死、若しくは責任を果すの死と信じて、透明なる意識と幸福なる道義的自覺とを以つて自刃し得たであらう。而も此間に寸毫も虚僞と粉飾との痕を留めざるは大將が完全なる理想主義の人であつたからである。理想主義が其人格となつてゐたからである。  吾人は屡〻吾人の周圍に墮落せる理想主義の老人を見る。「ある可き事」と「ある事」との中間に迷ひて「ある可からずしてある事」を意識し乍ら、之を粉飾し塗抹する老人を見る。吾人は此の如き老人に毒せられて、理想主義其物を輕蔑するに馴れた。然るに今乃木大將は吾人の爲に理想主義の崇高なるものを示された。人間心理の研究者として、吾人は此稀有にして恐らくは將來益〻減少し行く可き實例に對して茲にも亦深き興味を感ぜざるを得ない。私は凡ての事件と行動とに就て其内的意義を觀察するを喜ぶ者である。(十月六日) 十二 影の人 1  俺は茲に一生の祕密を書きつける。俺の名は實は青田三太郎と云ふのではない。俺の親達は俺に瀬川菊之丞と云ふ美しい名前をつけて呉れたのだ。併し段々成長するに從つて此美しい名前は俺の御荷物になつて來た。俺は此のクラツシカルな美しい名前を護る爲に手も足も出ない達磨大師になつて了つた。俺の生活は正しく、嚴肅に、世間の眼から見て一點の非の打ち處もない生活であつた。併し同時に俺の生活の内容は、空しい、貧しい、仔の成長して了つた後の蜂の巣のやうなものであつた。俺の靈は、繼母の爲に糧を斷たれた小兒の樣に、日毎に青ざめて、痩せ衰へて來た。其處で俺は神樣に哀求して轉身の祕蹟を行つて貰つた。世間の奴は俺の前身を知らないが俺が青田三太郎となつたのは其時からである。瀬川菊之丞が青田三太郎となつたのは、表面から見れば、下情に通ずることを求める爲めに、殿樣が襤褸を着て御菰になつた趣があるとも云へよう。併し魂の方から見れば――之が本當の見方である――廣い世間を喰詰めた無頼漢が、河岸を變へて新しい眞面目な生活を始める爲に僞名をしてゐるのだと見る方が適當である。瀬川菊之丞の名を想出すのは恐ろしい。悲しい。だから俺は今まで自分の意識にさへ此事を祕密にしてゐた。俺は今一期の大事を打明ける樣におど〳〵しながら此事を自分の魂に囁くのだ。俺の云ひ樣が巫山戲てゐると云ふ人があるならば夫は巫山戲なければこんなことは云へないからだ。我魂よ、君は戀人を口説く前に酒を飮む男を卑怯だと許り貶して了ふ氣なのか。  菊之丞は三太郎になると共に思ひ切り「惡い子」になつてやらうと思つてゐた。苟も靈の糧となつて之を肥すことならば姦淫でも裏切りでも何でもやつつけてやらうと思つてゐた。併し轉身の祕蹟を行ふ時に神樣の火が弱過ぎたと見えて、菊之丞の性質が未だ燒き盡されずに三太郎の中に殘つてゐた。菊之丞の最も惡い性質――いゝ子で通さうと云ふ性質――を三太郎も亦承繼いでゐた。三太郎は新しい周圍の中に立つて、脆くも亦いゝ子になりたいと云ふ希望を起した。三太郎は姦淫も裏切りも出來なかつた。彼は今新しい社會に立つて、再び手も足も出ぬ達磨大師に收らむとしつゝある。三太郎は之を苦しいと思つてゐる。  尤も三太郎は菊之丞時代に比べれば少しは自由になつてゐる。菊之丞は學校に在つて論理學の成績の拔群な子供であつた。菊之丞の推論に誤りがないと云ふのではない。彼は時々隨分見當違ひの推論をしては自分でも苦笑してゐた。併し彼は不思議に論理學のエツセンスを攫んだ子であつた。論理的氣分と云ふ樣なものゝ強い子であつた。一言で云つて了へば彼にはコンゼクエンツを要求する氣分が隨分濃厚に働いてゐたのである。論理學の教師は菊之丞の此性質を見拔いて之を可愛がつた。併し此性質は決して菊之丞の幸福ではなかつた。彼は此性質の爲に自分の思想行動經驗氣分を檢査して一々其コンゼクエンツを討さなければ氣がすまなかつた。さうして其コンゼクエンツを檢査することは常にインコンゼクエンツを發見する結果に終つた。さうしてインコンゼクエンツに堪へざる彼にとつてインコンゼクエンツを發見することは同時に其生活に空虚を拵へることであつた。若しくは我と我身の自由に束縛を加へることであつた――轉身の祕蹟を行ふ時、神樣の火が菊之丞の此の性質を可なり燒盡したのは事實である。三太郎は其時の氣分次第で勝手に物を云つたり身を處したりすることが可成の程度迄出來る樣になつた。神々の火は三太郎に新しい信念を吹込んだ。三太郎は其時の心持にさへ詐りがなくばそれは自分にとつて常に眞實であると信ずる樣になつた。論理的不一貫も人格的一貫を妨げるに足りないと信ずる樣になつた。それで三太郎は可なり矛盾した事を平氣で云つたりしたりすることが出來るやうになつたのである。菊之丞としては出來ないことが三太郎として出來るやうになつたのである。――併し之は縛の繩が少し緩んだ位に過ぎない。三太郎は更に一層の自由を望んでゐる。  要するに三太郎は又自分の存在に苦しみ出した。三太郎はもつと氣紛れに物を云ひ、もつと氣まぐれに身を處することを切に望んでゐる。俺は更に神々に轉身の祕蹟を要求して阿呆の三五郎――我が魂よ、君は僕と一處に昇之助の紙治内を聽いた筈だ、何卒昇之助の調子で此の固有名詞を發音して呉れ給へ――と改名したくなつた。しかし轉身は神々から降る恩寵である。三太郎の哀求は唯降神を求めるインヺケーシヨンに過ぎない。幸ひにして三太郎には幻想の力がある。幻想によつて三五郎となることは三太郎の自由である。世間の物質論者から見れば三五郎は三太郎の頭の中の影に過ぎないであらう。併し三五郎は唯三太郎から物質と社會と論理との束縛を解き去つたといふ意味に於いて影となつたのである。現實は假相である。眞相は唯影の如く其奧に搖曳する。影となると云ふことは外面を擺脱して内面のみに生きると云ふことならば、影となることは人間の哲學的要求である。三五郎は三太郎の影として三太郎のなし得ざる所をなし、發表し得ざる所を發表し、經驗し得ざる處を經驗する。三五郎は益〻人生の間に惡を行つて靈の糧を其處に求めよう。三五郎は益〻其場限りのことを云つて辻褄の合はぬ出鱈目を並べよう。世間には自分の魂の爲めに善であり乍ら、他人を傷つける爲に惡とされる「惡」が多い。人の心には論理に於いて統一なくして魂に於いて統一ある矛盾が多い。此惡と此矛盾とを經驗するは影の人三五郎の役目である。 2  アガトンの家の饗宴に臨んで洒落者アリストフアネスのした卓上演説は不思議に俺の頭に忘れ難い印象を殘してゐる。彼の説に從へば其昔人間には「男」と「女」と「男女」との三種類があつた。彼等は腹背兩面に其「性」の機關を持つた圓い存在であつた。彼等は甚だ強かつた。彼等は其力を恃んで「天」を征服することを企てた。諸神は之を知つて大に驚き彼等の驕慢を罰するが爲に人間を眞中から梨子割りにして其力を分ち、更に永久に其罪を記憶せしめむが爲に、其顏を半𢌞轉して其切り割かれたる部分(現今の所謂腹)が常に其眼の前に見える樣にした。  此の如くにして二分せられたる人は其半身を求めて哀泣し彷徨した。偶〻相邂逅すれば緊く相抱擁して何時までも離れることを欲しなかつた。其爲に彼等は遂に飢餓と運動不足との爲に相踵いで死亡した。ツオイスは之を見て憐みを垂れ從來背部に殘つてゐた性の機關を前に移して、抱擁は繁殖を來し、少くとも一つになることによりて相互の慰藉を得る樣にしてやつた。人間の戀愛は分たれたる半身を求むるの憧憬である。男が女を求め、女が男を慕ふは即ち前生に「男女」であつたものである。女が女を、男が男を求めるのは即ち前生に「女」又は「男」であつた者の半身である。彼を自然とし此を不自然とするは論者の誤謬である。孰れにしても其半身を求める憧憬に二致がないから――  凡ての深入りした經驗は世界の光景の全然一變する刹那を經過するに違ひない。此刹那に於いては道端の石塊も俄然として光を發する。個物は象徴となり、現實は幻影となり、夢幻は實在となる。此の如き刹那は固より吾人にとつて甚だ稀に許さるゝ刹那である。併し此高められたる世界の一瞥が尊いか現在日常の生活の明確なる意識が尊いかは疑問である。少くとも彼に許さるゝ歡喜と充實と福祉との意識は此に許されない。若し此甚だ稀に許さるゝ刹那を永續せしめ、又は頻繁にすることが出來るならば、自分は現實の「眞」に生きるよりも、高められたる世界の「夢」に生きたい。  此高められたる世界に生きる時に、吾人の立脚地は自ら自然的科學的の立場を離れて宗教的神祕的の立場に移る。其刹那の經驗が宗教的神祕的の性質を帶びて來るからである。自然的科學的の立場がぐるりと其姿を代へて神祕的形而上學的の立場に變る刹那の經驗を持たない者は氣の毒である。甚だ稀有ながら此刹那の餘光を身に浴びて、魂の躍りを直接に胸に覺えることが出來る自分は幸福であつた。 「兩性」の生活に於いても此形而上的轉換を經驗し得た人は、換言すれば永遠の Zweisamkeit を刹那に經驗し得た人は、此刹那の經驗を説明するものとしてアリストフアネスの神話的假説を笑はないであらう。彼の假説には笑つてすますことの出來ない程嚴肅な――而も悲壯な――心の經驗が含まれてゐる。  此廣き宇宙の間に離れ〴〵に投げ込まれた二片の運命を考へて見る。處女の美しさと頬の紅味とに輝いて、幸福に其半身の尋ね來るのを待つてゐる者は蓋し稀有であらう。其或者は父母の命ずる儘に靈魂の上の他人に其身を任せて、日毎に心の底に囁く空虚の訴へに戰慄し乍ら、罪と破滅との蔭に微かに其半身の近づき來る跫音を待設けてゐる。其或者は眼と血とに欺かれたる抱擁の熱の次第に醒めて行く淋しさに始めて其前半身に對する切なる憧憬を感ずる。其或者は友人若しくは友人の妻として我知らず深くなり行く親しみに前世の因果の怪しく現在に働きかけて居ることを覺つて身慄ひする。其或者は其半身に𢌞りあはぬ間に空しく死んで了つてゐる。  されば此等の半身の邂逅は多く「罪」の名に於いて、「裏切り」の名に於いて、「不幸」の名に於いて果されるのである。假りの契りにも馴染はある。多年の共棲に對する温かき囘想も、捨てゝ行く人に對する切なき哀憐も、魂の他人と共に産んだ子の運命に對する心痛も、互の額に刻まるゝ「姦淫」の烙印も、乃至相互に異性の第一印象を他人によりて印刻せられたる悔恨も――此等は凡て割かれたる半身が再び一つになる爲の租税となるのである。  併し一切の暗き影にも拘らず、アリストフアネスの假説は樂天的である。其世界では何處かに自分を待つてゐる半身がある。死も猶其記憶と囘想とを奪ふことの出來ない半身がある。凡ての彷徨は唯其半身と邂逅する迄の假の姿である。  併し若し此半身が何處にも存在しなかつたら……。若し常に新鮮なる戀愛の恍惚境に居らむが爲には、永遠に戀人から戀人に移らなければならないものとしたら……。若し次から次に別れを告げることが虚僞を許さゞる兩性生活の形式であるとしたなら……。若し無限の彷徨が本來の面目であるとしたなら……。 十三 三五郎の詩 1 ある朝 眼を開けば、近眼の眼に、 波立つて見える障子の棧。 眼を閉づれば眼瞼の奧に、 渦卷き流れる異形の色。 世界よ、暫くヂッとしてゐろ、 心の火よ、無闇にチラ〳〵動くな。 あはれ、しづけさよ。魂の悲しきふるさとよ。 精靈の如く來りて、我が神經を空色の中に包めよ。 2 三五郎は森の中に住めり。一日心寂しさに森を出でゝ市内の電車に乘り、電車の中にて鼻紙に書きつけたる歌。 電車待つ間の五分間の長さよ。 飯を食ひ乍ら食卓の上に 新聞を乘せて讀む心惶しさよ。 心よ、心よ、あはれ我が心よ、 汝の忙しげに求むるものは何ぞ。 乞食の子の如く、はきだめの隅に 芋のきれはしをあさる心よ。 冷たき疊の上にいぎたなくねそべりて、 時々ピク〳〵と手と足との先を動かす心よ。 3 同じく 心の隅の穴よ、北風の隱家よ。 貴樣は又ピュー〳〵やり出さうとしてゐやがるな―― 此豫感する心の冷さと 美學一卷を讀み了へたる後の疲れと。 4 同じく やい、「重壓の精」奴、 どけやい、 どけやい、 どきやアがれやい。 女王樣の御通りだぞ。 假令着物は黒くても 顏の色は青ざめても 髮の毛は痩せほゝけても 踵の音は寂しくても、 女王樣は女王樣だぞ。 女王樣の悲しみは 女王樣の歡びと 一つに光つていらつしやるのだ。 黄金の色は曇つても 氣高い匂ひに二つはない。 貴樣は何だ、鉛ぢやないか、 歡びも、悲しみも、怒りも、恨みも、 重く、鈍く、光なく、薄汚く、 よぼ〳〵と、のろ〳〵と、跛り行かしむる 貴樣は鉛の精ぢやないか。 御通りなさるは女王樣だ。 どけやい、 どけやい、 どきやアがれやい。 5 同じく 眞向ひには、ほくろが五つある、黄色い女の顏、 其隣りの男の、顎の疣に生えた赤毛は 三四寸のびて、電車の中の風に もそろ〳〵と動いてゐやがる。 釣革につかまつてゐる小意氣な年増の 白粉のたまつてゐる耳の下には 眞赤な肉の上つてゐる瘰癧の切り痕、 瞼の上にやけどして片眼の釣上つた男は 平面の、顎の四角な、青ぶくれの其連と 何か話してはにた〳〵笑つてやがる。 前の男がちよいとよろければ 遠慮なくぷんと來る腋香の臭ひ。 眼をつぶれば我が胸の奧にて、 げえ〳〵上げてゐるコロリ病みの心―― 外は師走のから風に どんよりとした空の色。 勝手にしやがれ、畜生め。 死にやどいつにも用がない。 どうなるものか、あきらめろ。 (十二月一日) 十四 内面的道徳 1  自分にとつては自明なことでも社會にとつては自明でないことがある。自分にとつて自明なことと、社會にとつて自明でないことと――此の二つが永久に並存して相互に關係しないものならば問題はない。併し社會は社會自らにとつて自明ならぬことは凡て許す可からざることゝ推定する。個人にとつて自明にして、社會にとつて自明ならぬ場合に、個人が自己にとつて自明なる道を進まむとすれば、社會は之に干渉し、社會は之を壓迫する。茲に於いて個人は自明の道を進まむが爲に社會と戰ふ必要を生ずる。自らの爲に云ふ必要なくして、社會の爲に云はなければならぬ必要に逢着する。自分は之に名づけて啓蒙言と云ふ。内面的道徳の説は自分の啓蒙言である。 2  道徳とは偏に如何に行爲す可きかを教へるものとすれば、換言すれば行爲の規矩準繩を教へるものとすれば、道徳の人生に於ける價値は矮小卑吝である。そは精神的生活の末梢に位する、粗大な、外面的な價値を表示するに過ぎない。犬は飯を食ひ、人は飯を食ふ。飯を食ふことは犬と人とを分つに由ない。乞食も兵役に服し、市民も兵役に服する。兵役に服すると兵役に服せざるとは乞食と市民とを分つに由ない、大奸も遜り聖者も遜る。遜ると否とは大奸と聖者とを分つに由ない。飯を食ふことによつて價値を判ずれば犬と人とは價値を等しくする。兵役に服することを以つて價値を判ずれば乞食と市民とは價値を等しくする。遜ることを以つて價値を判ずれば、大奸と聖者とは價値を等しくする。外面的道徳も亦此の如き笑ふ可き價値の標準に過ぎない。天と地との如き相違を有する内的生活は、行爲の外形に於いて往々類似の形式をとる。形式の共通する行爲の外貌は往々天と地との如く相異る内的生活を包藏する。  内的生活の機微を識るものには、不信の内容にも天より地に至る迄の無限の階級がある。姦淫の内容にも西より東迄の無限の間隔がある。不幸の内容にも山から海迄の無數の高低がある。猶友情の内容にも天より地に至る迄の無限の階級があり、貞操の内容にも西より東迄の無限の間隔があり、孝悌の内容にも山から海迄の無數の高低があると同樣である。外面的道徳は内面生活無限の風光に與らない。豐富なる、多彩なる、陰影と明暗とに饒かなる精神的價値の世界に與らない。そは唯芋蟲の如く栗のイガを知る。そは僞善者の、商人の、法律書生の、教育者の、老人の、檢査官の道徳である。彼はドン・ホアンの罪と雷小僧の罪と、エデイツプスの罪と御酌を汚す老人の罪との高下を知らない。彼等は盜賊の罪と探偵の罪との美醜を知らない。彼等は失敗者の罪と成功者の罪との善惡を知らない。彼等は善人の罪と罪人の罪との眞僞を知らない。 3  併し内面生活に生きることを知る者にも亦道徳がある。道徳は精神的價値の世界に緊張と威嚴と「眞實」とを與へる。内面生活を支配する道徳は法律書生の、檢察官の道徳とは全然別樣の基礎の上に聳える。如何に行爲すべきかは今や枝葉の問題となる。如何なる態度に心を置く可きか、如何に精神を闊歩せしむ可きか、之が最高關心の問題である。精神の高貴、心情の純潔、動機の純粹――之が内面的道徳の世界に於いて無比の尊崇を受ける。此の世界に於いては紀伊國屋小春は盛名ある某貴族夫人の遙に上位に置かれる。衣食の保證を得むが爲に夫に貞操なる者はマダム・ボーヷリーの靴の紐を解くことを命ぜられる。黴毒の爲に狂死したモーパツサンは内面道徳の天國に在つて、體面國大總領僞善氏の地獄に墮つるを快げに瞰下する。ドン・ホアンは選ばれ、御酌の貞操を破る老人は面に唾して豚小屋の中の女豚に交る可く追放せられる。探偵は陰暗の國に困臥して盜賊の輝ける姿を仰視する。 4  外面道徳の世界に在つては、潛かに姦淫する者は、自己の姦淫を告白する者を嘲笑し、壓迫し、監督し、危險視するの權利を有する。彼等は僞善といふ外面道徳最高の善徳を有するからである。僞善によつて姦淫の暗示と傳染とを防ぐからである。併し内面道徳の世界から見れば道徳的悔恨を以つてする者は固より、藝術的誠實を以つて其姦淫を告白する者も遙に僞善者の上に置かれる。彼等は少くとも悔恨と誠實との美徳を有するからである。彼等は自己の眞價値に從つて他人から取扱はれることを恐れない程眞率だからである。彼等は其姦淫から精神的偉大を創造する丈の力を持つてゐるからである。最後に社會と人類とを此精神的創造によつて高貴にするの效果を齎すからである。内面道徳の世界には何處にも二重道徳を一元的道念の上に置くの論理がない―― 5  かう云つたら外面道徳の信者は云ふであらう。これはこれ大乘の教説、社會の公衆を導くには外面道徳の小乘説を以てするを要すると。彼等の矮小卑吝は遺憾なく此の一言中に暴露されてゐる。内面道徳は姦淫を奬勵するものに非ずして、姦淫の中にも高貴卑賤の階級あるを説くものである。心情の高潔を説く者に何の危險があらう。汝の外面道徳を保持せむとならば、之を内面道徳より流出派生せしめよ。此の外に櫻は絶對的に存在の理由を持たない。 6  外面道徳の專權は精神を萎縮し窒息せしめる。外面道徳の專權は人を野卑陋劣にする。今や法律書生と檢査官との道徳は白晝公然として街衢を横行し、内面の世界に生きむとする者は彼等の喧噪と惡臭とに堪へない。内面道徳の説なきを得ざる所以である。(十二、十五) 十五 生存の疑惑 1  解決されぬ儘に何時の間にか意識の闇に葬られて居た問題は、幾度目かに又俺の心に蘇つて來た。生活と生存と――眞正に生きることゝ食ふ爲めに働くことゝ――の矛盾は又俺の心を惱まし始めた。  吸收と創造とは交錯連續して魂を其往く可き途に導いて行く。創造の熱が鎭靜の悦に代る時、餘裕を得たる魂は快く息づき、身邊を繞つて流れる雰圍氣をば大らかに呼吸する。此の時に當つては世界との接觸も外物との交渉も、魂にとつて何の苦痛でもない。吸收は限りなき悦びである。魂は快活に、肯定的に一切を包容して流れ動く。  併し幾許もなく魂は外物に飽和する。世界は夢と影とに充ち溢れて重苦しく魂を壓迫する。處理を要する問題と展開を要する局面とは魂を未だ知らざる新しき世界に推し進めんとする。茲に於いて醗酵と苦悶と創造との時が押寄せて來る。魂は内に渦卷き溢れるものに集注し沈潛するに專らなるが爲に、外界との接觸に堪へない。内界の動亂に具象の姿を與へる爲に外物に攫みかゝることはあつても、靜かに外物を享樂して之と同化してゐる餘裕がない。心は熱に呻く。その脈搏は高まつて來る。外物の些細なる干渉も、創造の過敏なる神經を攪亂する。  吸收も創造もそれ自らに價値ある生活である。魂は此二つの層の交錯を通して其終局に――或者はオリンプスの蒼空に、或者は地獄の深みに――急ぐ。併し此二つの層が食ふ爲にする勞働――職業――に對する寛容の度には著しい逕庭がある。生活と生存との矛盾は、魂が此二つの層に出入する毎に明滅する。明滅の度に相違はあつても、恐らく此矛盾は魂が肉體と共に在る間永久に人間を惱ますことを止めまい。  吸收は餘裕ある状態である。物と遊ぶ間に自己を活かして行く状態である。從つて此場合には些細の讓歩を以つて――若しくは自己を活かす途そのまゝに、職業と調和することが出來る。外物と應接して倦まざる心は、或特定の外物と應接するにも、特殊の苦惱を感ずること少きを原則とする。固より全然内界に共鳴を喚起し得ざる事物は、魂に倦怠と苦痛とを感じさせるであらう。併し吸收の状態に在る時、魂は極めて多數の事物と共鳴し得る。魂はその共鳴を感ずる事物の間にも、肉體を支へるに足るだけの職業を發見し得る筈である。  之に反して創造の要求はあらゆる經濟的活動と矛盾する。創造の熱に惱む心は一部分を割いて職業に與へることを欲しない。創造の活動を中絶する經濟的活動は常に創造の熱を冷却する。創造の成果が偶然に或經濟的報酬を齎すことはあつても、經濟的報酬の要求と豫想とは常に創造の作用を不純にする。魂が醗酵し苦悶して内界に何等かの建設を試みる時、職業の強制は腸をかきむしる程の苦しさを以つて魂の世界を攪亂する。  俺の心には常に創造の要求がある。魂の底に潛む一種の不安は常に靜かなる外物の享樂を妨げてゐる。本を讀み乍ら、人と話し乍ら、外を歩き乍ら、酒を飮み乍ら、俺の心は常に最深の問題を胡麻化してゐる樣な不安を感ずる。道草を喰つてゐるのだと云ふ意識は常に當面の經驗に沒頭することを妨げてゐる。從つて俺には本當に我を忘れた朗かな吸收の時期がない。併し創造の脈搏緩かな時、俺は外物と應接することによつて紛れることが出來る。大なる苦痛なしに職業の人となることが出來る。  然るに運命は今俺の内面生活を危機に導いた。死と愛との姿は今眼について離れない。内界の平衡は著しく傾いて、此儘にしてはゐられないと云ふ意識は強く俺の魂をゆすぶる。俺の心は今此意識に面して顛倒してゐる。俺は苦しい。俺は此問題に對して正面からぶつつかつて行きたい。俺は今創造の熱に燃えてゐる。今一息押して行けば忽然として新しい世界が現前しさうだ。固より俺の創造は例によつて否定に向つてゐる。併し凡ての決然たる否定は常に積極的の創造である以上、何處に否定を恐れる理由があらう。俺には此儘にしてはゐられないと云ふ心がある。此心を押しつめた處に、何等かの形で新しい世界が開けて來ない譯はないと思ふ。  併し此創造は職業を棄てたる專念を要求する。さうして何時迄かゝると云ふ時間の豫約をして呉れない。然るに俺は貧乏人である。俺には借金があつても貯金はない、勞働をやめると共に俺は食料に窮する。のみならず病弱の母は藥餌の料に窮し、知識の渇望に輝く弟は學資に窮する。俺の創造は、俺の眞正の生活は、俺の今に迫る内部の必然は、俺の生存と矛盾する。母の健康と矛盾する。弟の前途と矛盾する。飛躍を要求する魂と、魂の翼を束縛する骨肉の愛と――俺は此矛盾をどうすればいゝのだらう。  忽然として頭の中に一つの聲が響いて來た。其聲は非難する樣な調子で俺の魂に囁く。――お前がどうしても職業に堪へないならば、母と弟とのことは心配するに及ばない。運命は屹度お前に代つて彼等を見守つて呉れるであらう。運命が見守つて呉れないならば、彼等は自分で苦しんで勝手に其途を拓いて行くに違ひない。又お前の肉身を支へる爲にはお前の物質的要求を極小に制限すればいゝのだ。お前は貧乏だと云ひ乍ら、必要以上に贅澤してゐる。其贅澤な習慣を抛棄するだけの決心が出來れば、お前の魂の徹底を障碍する樣な職業を無理にする必要を感じなくなるであらう。御前が餓死するまでには隨分時間がある。其時間を利用してお前の創造に專念してはどうだ。それが出來なければお前の魂は未だ本當に危機に臨んではゐないのだ。お前の心にはまだ職業に堪へるだけの餘裕があるのだ。此の問題にはつきりした解答を與へて見るがいゝ。その上でお前は始めて生活と生存との矛盾を云々するの資格を得るのだ。――  俺の魂には淋しい諦めと謙遜とが浮んで來た。俺が創造の熱に苦しんでゐることは確かである。併し此熱は俺の愛憐の情を破壞し、俺の生活上の習慣を轉覆し盡す程の力を持つてゐない。生活上の現状維持を根本假定とする以上、俺は職業の間を縫つて、内界の創造を仕上げて行くより仕方がない。創造の熱は職業の虐待に反抗して鬱積するであらう。さうして早晩鬱屈に堪へない爲に爆發するであらう。忍ばれるだけ忍べ。抑へられるだけ抑へよ。魂は劬らなければ育たない――之も一面の眞理である。魂は虐待しなければ育たない――之も一面の眞理である。抑へるに從つて潛熱が増す。魂のいのちは石垣の間に咲く菫の樣に、職業に奪はれる心の合間にも育つて行く。職業と魂とを堪へ難い迄に爭はせることも亦痛快な一經驗たるを失はない。放つて開かせる時期の來る迄俺は俺の爆發を抑へて行くのだ。  固より此樣に抑へて行けば何時迄經つても爆發する事がないかも知れない。抑へなければ育つ筈のものが、抑へた爲に枯れて死ぬことがあるかも知れない。併し抑へた爲に枯れて死ぬ樣な弱いものならば仕方がない。運命は枯れて死ぬことを命じてゐる。枯れて死ぬことを命ぜられたものは從順に萎れて死んで遣る迄のことだ。  此處に來ると金持は職業の爲に創造の熱を抑へる必要がない。金持を俺の境遇に置けば彼は何の躊躇もなく此迄の仕事を全然抛棄して了ふに違ひない。さうして彼は心の動く儘に本を讀み、温泉に行き、旅行をして、自分の魂を劬りながらその問題を育てゝ行くであらう。問題は育てられるに從つて育つて行く。彼は進歩した思想と平衡を得た頭とを以つて再び東京の生活に歸つて來る。彼にはその醗酵に自然の經過を與へる爲に、生活の樣式を一變する必要がない。愛憐の情を傷つけることもなく、物質的要求を抑へることもなく、爾餘のものを否定するの苦痛なしに、彼は素直に、長閑に一大事の肯定に進むことが出來るのである。  併し俺の樣な貧乏人はさうは行かない。俺は温泉に行くことも、旅行に出かけることも出來ないから、依然として机に向つて頭の勞働を續けて行く。魂の問題は時々仕事に行惱む頭の中に現はれてその進行を妨げる。仕事が捗取らないから癇癪を起す。勞働に妨げられて内から湧く問題を抑へつけるから自分が果敢なくなる。而も怒つたり悲觀したりしてゐる間に、仕事は兎に角進んで行く。問題も牛の樣にノロ〳〵と其歩みを運んで行く。其間に或種類の思想と感情とは芽を吹くか吹かずに闇から闇に葬られる。或種類の思想と感情とは素直な姿を失つてヒネクレて行く。思想の胎兒を流産するの寂しさも、行きたい方に行かずにムヅ〳〵するの腹立しさも、金持の人は恐らくは(此意味に於いては)知るまい。知ることのよしあしは別問題である。併し運命が金持と貧乏人とを導くに別々の徑路を以つてすることだけは爭はれない。貧乏人は虐待によつて育つて行く。虐待は彼を夭死に導き、又は彼を獨特の成長に導く。  要するに貧乏人の創造は金持よりも酷しい試金石にかけられてゐる。從つて金持が「何物か」になり得る場合にも、貧乏人は「無」で了るかも知れない。併し生育す可き魂にとつては、固より貧乏と金持との差別がある譯はない。  俺は貧乏人だ。俺は職業によつて食つて行かなければならない人間だ。此事を本當に覺悟するのは容易なことではない。未練なる俺の心は時々金持の眞似をしたくなつてフラ〳〵となる。併し俺は貧乏人だ。俺の煩されざる魂の生活は「汝等明日の糧を想ひ煩ふ忽れ」といふ言葉の意味を眞正に體得することによつて始まるのだ。此關門を通過するのは容易なことではない。併し「生存の爲の關心」を撥ね退けた力が爾後の生活にとつて無意味に了る譯はない。俺は貧乏人として特殊の發達を遂げなければならぬ苦痛を恨んではいけない。  出家とならずに、魂の救を得られるかどうかは疑問である。少くとも俺一人にとつては。 2  生きる爲の職業は魂の生活と一致するものを選ぶことを第一とする。然らざれば全然魂と關係のないことを選んで、職業の量を極小に制限することが賢い方法である。魂を弄び、魂を汚し、魂を賣り、魂を墮落させる職業は最も恐ろしい。  俺は牧師となることを恐れ、教育家となることを恐れ、通俗小説家となることを恐れる。(大正二年四月廿二日) 十六 個性、藝術、自然 1  物と物とを差別すると云ふことは、之を永遠に再會することなき並行線に分離させると云ふことではない。デカルトの哲學に於ける物と心との關係の樣に、差別される存在と存在とに無限の別離を申渡すことではない。差別された物と物とはまつはり合ひ、からみ合ひ、もつれ合ひ、融けあつて、最後に一つの窈深なるものに歸する。内容に於ける無限の差別は、窈深なる一つの生命を形成する必然的の要素である。差別の豐富を除いて生命の充溢なく、豐富なる差別の認識を豫想せずに、活き、動く生命の認識は成立たない。私は差別することを知らざるものの――祖先の用ゐ慣れた熟語を用ゐれば、菽麥を辨ぜざるものゝ――所謂「渾一觀」を信ずることが出來ない。彼等の世界には陰影がない、遞層がない。調和がない。交響がない。從つて又眞正の意味の戰鬪がない。彼等の世界には唯盲目なる動搖があるのみである。一切を包む夜があるのみである。思ひあがりたる渾沌があるのみである。  生命を、創造を、統一を、強調するは歡迎すべき思潮である。然し此等のものを強調すると稱して、創造の世界に於ける差別の認識を、生命の發動に於ける細部の滲透を、念頭に置かざるが如き無内容の興奮には贊成することが出來ない。否、啻に贊成が出來ないばかりではなく、私は彼等の所謂「生命」、所謂「創造」、所謂「統一」の思想の内面的充實を疑ふ。 2  個性を理解するに個性型(Individualtypen)を以つてすることがどれ位の程度まで妥當であるかは問題である。人間を差別するに哲學者政治家等の個性型を以つてし、藝術家を差別するに畫家彫刻家建築家文學者音樂家等の個性型を以つてすることがどれ位の程度迄妥當であるかは猶更問題である。併し人間の性格に哲學者政治家等に分化して行く可き自然の傾向があり、藝術家の空想に繪畫に據り彫刻に據り建築に據り文學音樂に據らむとする自然の個性があることは爭はれない。而して此等の個性型が或程度迄無限なる個性の變化を概括する用をなすに足ることも亦爭はれない。此限りに於いて政治家哲學者畫家彫刻家建築家文學者音樂者等の名は意味のある内容を持つてゐる筈である。然るに輕躁なる「生命崇拜者」は此等の差別の意味をも一笑に附し去らむとしてゐるやうである。  其處に生命があれば必ず個性があることは論者も固より異論のない處であらう。さうして或個性型に屬する個性はその人格開展の方向を――その内界建設の資料を――色と線とにとり、或者は之を量と面とにとり、或者は之を音響にとり、或者は之を思想にとり、或者は之を言語を所縁とする空想にとる。ヘーゲル以來云ひ古した通り、顏料をとるか石塑をとるか樂器をとるかは、藝術家の世界に對して――その創造と生命とに對して――決定的の意味を有する事件である。方向の相異はそれぞれの個性にとつて、生命の必然なるが如く必然である。政治家と哲學者と、音樂者と彫刻家とを内面的に區別するものは實に彼等の生命そのものに内具する特殊の傾向である。個性はその特殊の内面的傾向を最もよく實現する時に最もよく「人」である。從つてマイヨールは彫刻家として最もよく人であり、チヤイコフスキーは音樂者として最もよく人であり、セザンヌは畫家として最もよく人である。ロダンが彫刻と共に素描に長じ、カンヂンスキーが繪畫を描くと共に詩を作り、ワーグナーが音樂と共に劇詩と評論とを能くする等、近代的天才には精神的事業の諸方面に渉る者次第に多きを加へて來たとは云ふものゝ、彼等と雖も或る特殊なる藝術的性格として、始めて其「人」を實現してゐることは疑はれない。カントは哲學者である、さうして音樂者ではない。ルノアールは畫家である、さうして建築家ではない。彼等が哲學者に限られ、畫家に限られてゐることは、彼等の「人」であることに對して決して何の妨げにもならない。否寧ろ彼等は哲學者であり畫家であるが故に始めて「人」なのである。天才は自己を「人」として自覺すると共に「或もの」(哲學者音樂家其他)として自覺する。彼の「或もの」が――彼の個性を眞正に生かす可き或るエレメントの支配が――彼の「人」の内容だからである。(此「或もの)が此等の個性型の孰にも落付くことが出來ない限りに於いて、吾人は彷徨の「人」であつて哲學者でも藝術家でもない。) 「俺は畫家ではない、人だ」と云ふ言葉は、「畫家」の中から「職人」を排斥して「生命」を強調する點に於いてのみ意味がある。眞正に自分の個性を自覺した人が、まともの言葉を使つて云ふ場合には「俺は畫家として人だ」と云ふ可きである。繪を描く人がその「畫家」を殺して「人」を生さうとするのは、「俺の繪はゼロだ」と云ふに等しい。此の如き自覺の下に描かれた繪畫には、筆觸と色彩と形式と構圖との虐殺があるのみである。戸惑ひのシンボリズムとアレゴリーとがあるのみである。 3  藝術には技巧が必要である。と云ふ意味は資料(顏料、塑土、金石、言語等)の精を完全に掌握することが必要だと云ふ意味である。更に適切に云へば資料の精と空想の精とが神會融合してゐることが必要だと云ふ意味である。從つて或資料の精を完全に掌握してゐることは必ずしも他の資料を完全に掌握してゐると云ふことにはならない。或資料の中に實現されることを熱慕する空想世界は、往々他の資料を反撥して、その中に實現されることを嫌ふ。故に如何に彫刻の大家と雖も、強ひて顏料を以つてその空想を實現することを迫られる場合には、戸惑ひするのに何の不思議もない。彼は彫刻家だが畫家ではないと云ふ言葉は此點に於いてその意味を有するのである。  既に藝術内に於いてさへさうだとすれば、藝術と思想との間に於いては此間隔が更に甚しいのは當然である。彼は藝術家だが思想家ではないと云つたり、彼は思想家だが藝術家ではないと云つたりするのは決して無意味な言葉ではない。吾々は一つの部門に於ける強みが直に他の部門に於ける強みではないことを眞正に理解して、自己の能力に對する眞實な愛惜と敬虔な謙遜とを持たなければならない。吾等の「人」として「藝術家」としての眞正の發展は此自覺を基礎として始めて迷はざる途をとることが出來るのである。  固よりかう云ふのはあらゆる藝術的資料の精を掌握し、一切の藝術世界に妥當なる空想を兼有して、その上に思想上の創造にも卓越してゐるやうな偉大なる個性の可能を否定するのではない。又偉大なる藝術家であることが偉大なる思想家であることの一つの資格であり、偉大なる思想家であることが偉大なる藝術家であることの一つの資格であることを否認するものでもない。偉大なる藝術家はその豐富な藝術的經驗を以つて、思想家に極めて貴重なる材料を供給し、偉大なる思想家はその精神的訓練と哲學的人生觀とを以つて深く藝術家を指導するは寧ろ當然のことである。私は唯彫刻家の完成が直ちに畫家の完成でないことと、藝術家の完成が直ちに思想家の完成でないことを明かにしたいのである。此の如くにして彫刻と繪畫と、藝術と哲學との間には差別を生ずる。さうしてその差別の中に、又奧に、大なる「人」の統一が君臨するのである。 4  藝術は創造である。之は疑がない。併し藝術は創造であると云ふことは、一切の創造は藝術であると云ふ意味ではない。藝術は特殊の創造である。云はゞ第一の創造を描出する第二の創造である。藝術は一種の創造として人生そのものである。併し第一の創造(人生そのもの)を描寫するものとして、それは人生にあらずして、藝術である。云はゞ藝術は第二の人生である。  藝術の内容は人生である。故に藝術家は大なる人生を經驗したものでなければならない。換言すれば大なる「人」でなければ、大なる「藝術」の創造者となることが出來ない。併し之は大なる人生を經驗した者が、換言すれば大なる「人」が悉く大なる「藝術」を創造し得ると云ふ譯ではない。大なる藝術の創造者は第一の創造を深く内面的に把握して、之を外化し、之を感覺界に投射する第二の創造に堪へる人でなければならない。經驗を内化するが故に外化する祕義を攫んでゐる人でなければならない。此意味に於いて藝術家は「生」を深くすると共に「生」を殺戮する。此意味に於いて藝術家は質料を殺して「形式」を創造する。藝術家の個性は此形式を外にして現はれることが出來ない。從つて藝術はなまのまゝではいけない、質料そのまゝではいけない。云はゞ第一の創造は第二の創造によつて新しく蘇へる。蘇へる爲には第一の創造がなければならない。蘇へらせる爲には第二の創造がなければならない。要するに大なる「人」と大なる「藝術家」と――男なるアダムと、アダムの肋骨から出たイヴと――の交りによつて大なる「藝術」は生れるのである。  此の第二の創造に對して敬虔に跪くことを知らざる者は眞正に藝術を理解する者とは云ひ得ない。私はルノアールの繪に對する時――勿論原圖を見たのはたつた一枚であるが――此第二の創造の生氣溌剌たるを崇敬する。然るに人の語る處によればK氏はルノアールを唾棄すると云つたさうだ。私はK君の云つた意味を詳しく知らない。併しもしそれがルノアールの藝術に對する輕蔑をも意味してゐるならば、私はそんな人の藝術を信用しない。さうして其の人がセザンヌの繪の或エツセンシヤルな一面を理解してゐることをも信用しない。それにも拘らずK君の繪に或藝術的價値があるのは、K君の粗笨なる思索のヹールの底に、未だ眞正に眼醒めぬ藝術家が隱れてゐるからであらう。私はK君の樣な有望な畫家が――私は敢て畫家と云ふ――未だその渾沌たる思想を恥づる迄に自覺して呉れないことを惜しいと思ふ。 5  藝術が創造ならば、その中心生命は藝術品の如何なる細部にも滲透しなければならない筈である。私は色彩も筆觸も構圖も――換言すれば微細なる技巧が――問題にならない樣な繪は信用しない。文章や句調や其他のデテイルが問題にならない樣な文學は信用しない。舞臺裝飾や採光や人物の出入や場面のとり方が問題にならないやうな演劇は信用しない。街路や家屋や服飾や裝飾品の一々に波及する傾向を持たないやうな「美術界の新潮流」は信用しない。 6  藝術は自己内生の表現であると云ふ。湧き上る心をおし出したものであると云ふ。藝術家の個性の創造であると云ふ。凡て正しくその通りである。併しその表現される内生とは何ぞ。その湧上る心の内容は何ぞ。その個性によつて創造されるところのものは何ぞ。それは死んだ兒の着物をひろげて見せる三千代の姿である。サランボオの足に下に落ちてゐる金の鎖である。パオロの腕の上に見えるフランチエスカの顏とそのうしろにひいた腰の恰好とである。兩手を以つて髮を抑へてゐる裸の女と黒奴との上に落つる光である。それは凡て此等具象的のものであつて、藝術家の「哲學」でも、乾物の「個性」と「自己」とでも何でもない。もし表現を求める内生が、おし出して來る心が、個性によつて創造されるものが、此等抽象的のものならば、それが三千代となり、金の鎖となり、姿となり色となるのは餘りに間接に過ぎる。餘りに「おし出す」趣がなさすぎる。此等のものは哲學の講義となり、自己又は個性の讚美演説とはなつても、小説と彫刻と繪畫とにはならない筈である。唯藝術家の中からおし上げて來る内生が、姿であり色であり形であればこそ、その直接なる表現が藝術となるのである。藝術家の製作に當つて、直接にその意識に上つて來るものは、哲學や自己や個性であつてはいけない。此等のものは藝術家に作爲と強制と誇張と打算とを教へるにすぎない。藝術家の意識に上るものが色と形と姿とで――更に適切に云へば、いのちと融け合つた色と形と姿とで――あればこそ、その藝術は自然に直接に生氣があるのである。さうして藝術家の哲學や自己や個性は、自らその上に漂ひ、その中に顫へるのである。哲學や自己や個性の表現は自然の結果であつて努力の目的ではないのである。約言すれば藝術家の第一の努力は對象――物、自然、空想世界――の心の捕捉である。さうして藝術家の個性は對象を統覺する形式の上に、必然に、併し無意識に表現されるのである。  吾等は此の如き見地から藝術家の自然――現在の意味に於いて自然は對象の一代表者である――に對する崇敬を理解することが出來る。自然と自己と孰れが原本的實在なりやは藝術家の關知する處ではない。彼等は唯自己の前に――哲學的に云へば自己の中に――展べられたる美の無盡藏を見る。さうしてその美を自己の藝術中に生擒せむと踴躍する。私の見る處では、藝術家の自然に對する態度の相違は、自然の本質に對する理解の相違である。物質的に見るか精神的に見るか、如何に深く、如何なる方面より、如何なる強調を以つて自然を見るかの相違である。若しくは對象を狹義の自然にとるか、抽象的形式にとるか、空想的自然にとるかの相違である。自然を殺して自己を活すか、自己を殺して自然を活すかの問題ではない。若し意識的に此デイレンマに陷つた藝術家がありとすれば、それは其人の論理的迷妄であつて、實際彼の藝術の價値を上下するものは此デイレンマに對する解答ではあるまい。形象(對象)の熱愛に動かされざる藝術家は、必ず無價値なる藝術を殘したに違ひない。  ロダンの自然に對する崇敬は今更繰返す迄もない。彼の誇張は自己を表現する爲の誇張ではなくて、自然の心を生かす爲の誇張であつた。私の見る處では所謂表現派の代表者フアン・ゴーホの如きも實によく自然の心を攫み、物の精を活かした畫家であつた。ゴーホの強烈なる個性が常に畫面の上に渦卷いて、其中心情調をなしてゐることは今更云ふ迄もないことであるが、個性が猛烈に活きてゐると云ふことは物の虐殺を意味するとは限らない。彼の描く着物は暖かに人の身體を愛撫する、手觸りの新鮮な毛織である。彼の火は農婦の手にする鍋の下に暖かに燃えた。木の骨に革の腰掛をつけた椅子も、ガタ〳〵の硝子窓も、彼の繪の中には凡て活きた。彼の天を燒かむとするシプレスも、ゴーホの眼には確かにあの樣に恐ろしい心を語つたに違ひない。ゴーホは自然を心の横溢と見た。さうして自分も自然と一つになつて燃え上つた。併し私はゴーホの繪の前に、自然か自己かのデイレンマを見ることが出來ない。自己表現のイゴイズムが自然と物とを虐待してゐることを見ることが出來ない。哲學的に云へばゴーホの自然に生命を附與したものは固よりその特色ある個性である。併し藝術家ゴーホは自ら生命を附與した自然の前に跪いた。彼の活かさむとした處は、恐らくは自己でなくて自然であつたであらう。寧ろ自然を包む靈であつたであらう。  藝術家は個性の修錬によつてその藝術的形式を獲得し精練する。此意味で藝術家に個性の修練を説くのはよいことである。又藝術を説明して表現であり創造であると云ふのは固より結構である。併し個性の表現とは作爲と打算との奬勵ではない。創造と云ふのは對象の壓迫と主觀の放恣(換言すれば客觀的有機性の蔑視)ではない。此點に就いて特に念を押す必要があるやうに思ふ。 (註。ゴーホはテオドールに送つた手紙の中に、「例へば一友の肖像を描くに、單に眼に映じた處に拘泥することなく、自己を強く表現する爲に、彼に對する余の愛を表現する爲に、勝手に誇張して着色する云々」、と云ふ意味のことを云つてゐる。その云ふ處は一見私の説に反對することばかりのやうである。併し少し考へれば兩者の間に精神上の矛盾のないことは直に明かになるであらう。勝手に誇張して着色するのは對象の外形を無視してその本質を表現する爲である。自己を表現し、對象に對する愛を表現するのは換言すれば人を牽引し人を感動させる對象の力を表現することである。此處には自己表現と對象の本質の表現との間に何の矛盾もない。自己表現の中に對象の精を壓迫する何のイゴイズムもない。私の非難の理由は此矛盾此壓迫此イゴイズムにあつて、對象の表現に即する自己表現を難ずる意味ではないのである。) 7  藝術家は對象を――物を、自然を、色を、線を、形を、空想世界を――活かすことによつて自ら活きる。對象を活かす外に決して自ら活きる途がない。  藝術家らしい素朴を以て對象を自然と呼ぶも、又哲學者らしく之を自己と呼ぶも、それはどちらでも構はない。唯その自己は常に對象的内容を持つてゐることを忘れてはならない。  藝術家は物と遊ぶものである。その血まみれ汗まみれの勞苦によつて到達せむとする究竟の境地は、物と遊ぶの歡喜である。吾人の祖先が「天地の化育に參す」と云つたり、「萬物と遊ぶ」と云つたりした意味に於いて。シラーが「人は遊ぶ時にのみ完全に人である」と云つた意味に於いて。換言すれば物を深く、痛切に、而も自由に經驗すると云ふ意味に於いて。  此意味に於いて物と遊ぶものには、如何に慘苦なる内容に對する時と雖も、根柢に靜かなる歡喜があるに違ひない。之はクラツシツクの藝術家のみならず、デカダンの藝術家にも表現派の藝術家にも適用するに違ひない。 8  私達は戀愛によつて「成長」する。戀は成つても破れても、兎に角戀愛によつて成長する。併し成長する爲に、戀するのは、戀愛ではなくて戀愛の實驗である。成長の目的が意識にある限り、その戀愛の經驗は根柢に徹することが出來ない。成長も破滅も此戀に代へられなくなる時に、戀愛は始めて身に沁みる經驗となる。さうしてその戀の結果として私達は成長するのである。  之を一般的の言葉に移せば、私達は成長の目的を意識せずとも、凡て與へられたる經驗に深入りすることによつて成長(事實上)する。之に反して成長の意識は一度具體的經驗の深みに陷つて死ななければ、其目的を實現することが出來ない。成長の欲望を一度殺して蘇らせることを知つてゐる者でなければ、人生に於ける個々の經驗の意味を汲み盡すことが出來ない。その人の精神的生活の中心は永久に「成長の意識」に在つて、經驗内容の意識に移ることが出來ないからである。此の如き人生のパラドツクスは主我主義に固執する者が自我の内容を眞正に豐富にすることが出來ないのに似てゐる。 9  俺は強いぞと云ふ言葉は本當に強い人にとつては云ふを要しないことである。本當に強くない人にとつては、云ふ可からざることである。否啻に云ふ可からざることであるにとゞまらず、彼は此誤信によつて身分相應の謙遜を忘れ、自己の眞相に對する自覺を誤る。さうして彼は自ら膨れることによつて内容を空しくする。  曾て私は内省の過敏によつて苦しめられた。さうして殆んど内省の拘束なしに行きたい處に行き、したいことをなし得る人を羨んだ。併し私は今抑へる力の如何に眞正の生活に必要であるかを悟つた。膨れ上る力を抑へて、内に内にと沈潛して行くことによつて、私達は始めていのちの道に深入することが出來る。弱い者の人生に入る第一歩は自分を弱いと覺悟することの外にあり得ない。強い者に必要な謙遜は自分の強さを過信しないことである。鋭敏なる内省は如何なる意味に於いてもよいことである。私の罪は唯内省の過敏に釣合ふ程の旺盛な發動力を持つてゐないことであつた。此點に於いて私は本當に謙遜な心を以つて周圍の友人から學ばなければならない。併し私の内省は如何なる場合に於いても私の強みに違ひない。私は眞正の内省から出發しない思想の人間的眞實を信ずることが出來ない。  眞正に強さを示すものはその實現である。敵對力の征服である。この實現なしに、強者は自己に對してもその強さを承認させることが出來ない筈である。少くとも思想上にその強さを實現して見なければ――之は俺は強いぞと繰返すことではなくて、頭の中で想定した敵對力を實際に征服することでなければならぬ。――自分は強いとは云はれない筈である。若しこの順序を經ず、だしぬけに俺は強いぞと云ふ人があらば、私はその人の力の意識が内省の缺乏に因してゐることを何の疑惑もなく斷言することが出來る。若し又その事實により、その實現によつて眞正の強さを示す人があらば、私はその人の前に跪かうと思ふ。さうしてその人が自分の強さに就いて沈默すればする程、私は愈〻その人を崇敬する。  他人が眞正に強いか弱いかを檢査するのは、私の仕事ではない。唯繰返して云ふ、弱者は唯その弱さを自覺する處に人生の第一歩がある。さうして弱者と雖もその行く可き道を與へられてゐないのではない。弱者の行く可き道にも幾多の懷かしい先輩が我等を待つてゐるのである。弱者は決して強者の口眞似をすることによつて強くはならない。強者の眞似をすることによつて弱者は唯膨れるのみである。青膨れ又は赤膨れになるのみである。私は此の事を私自身の爲めに、又私自身と同じく弱い人達の爲めに云つて置きたい。(九月十一日) 十七 年少の諸友の前に 1  私は此一兩年になつて始めて自分より若い人の存在を感じ出した。此感じは一種不思議な經驗として、私に刺戟と鞭韃と悲哀とを與へてゐる。私は未だ此新しい經驗に馴染むことが出來ない。私の心は一種物珍らしい落付かない驚きを以つて、此新しい感じを――私の意識内に於ける新來の珍客を、右から左から眺めてゐる。  此迄私は唯思想文藝の世界に於ける最も若いゼネレーシヨンとのみ意識して、何の不思議をも感じなかつた。私の前には先輩がゐた、私の周圍には私と同じ樣に自分の世界を開拓して行かうとする友人がゐた。さうして私のあとから來るものは、未だ思想上文藝上何の問題とするに足らぬ子供ばかりだと思つてゐた。私は自分を日本に於ける最も若いゼネレーシヨンだと信じて、唯現在を開拓すること、未來を翹望することにのみ生きて來た。  現今と雖も、私は自分を如何なる意味に於いても完成品だなどとは思はない。自分の本當の仕事も――否、寧ろ本當の準備も、本當の創造に備へる眞劍な吸收も、凡て之からだと思つてゐる。併し自分でも知らずにゐる間に、日本の社會にはいつしか更に若いゼネレーシヨンが生れた。自分より年の若い幾多の人々はそれ〴〵活氣の多い、注目に値する仕事を始め出した。さうして彼等の或者は自分よりも更に新しい時代に育つて來た特徴を、鮮かにその思想と文藝との上にあらはすやうになつた。私は次第に自分より若い人の存在を信じない譯に往かない樣になつて來た。  さうしてゐるうちに、彼等と私との間に色々の私交が生れて來た。彼等の或者は私の宅へ尋ねて來たり、手紙を寄せたりして、樣々の相談を持込むやうになつた。さうして彼等は私を遇するに先輩を以つてした。何等かの意味に於いて「與へる者」に對するが如き態度を以つて私に對した。從來單に「受ける」者としてのみ生きて來た私は――現今と雖も「受ける者」以上の資格を持つてゐると自信することの出來ない私は、此新しい待遇に對して不安と壓迫と不思議とを感ぜざるを得なくなつた。併し私の如何なる遁避も、私を「與へる者」として待遇する少數の人の存在を防遏する譯に往かない。自ら知らぬ間に、私は小なる先輩の一人になつてゐることを感ずる。私の内省のあらゆる抗辯に拘らず、社會的に云へば私は小さい先輩の中の一人になつて了つたに違ひない。悲しむべき自覺は私にこの事實の承認を強ひる。  さうして此悲しむ可き自覺は、若い人達――私自身がこんな言葉を使はなければならないやうになつた。何と云ふ驚きだらう――との交りによつて、内容的にも亦確められざるを得なかつた。彼等との親しい交りによつて、私は彼等の或者が嘗て自分の經過した道を新しく經過する爲に苦しんでゐることを發見した。又私が落付いて正視するを得る事物の前に、彼等が困惑し動亂してゐることを發見した。併し之と同時に、私は彼等が新鮮なる感情と驚異とを以つて對する若干の事物に、最早同樣の感情と驚異とを以つて對する事が出來なくなつてゐることをも感ぜざるを得なかつた。さうして私の年少時代に與へられなかつた若干の經驗が彼等に與へられて、その精神の一養分となつてゐることをも亦感ぜざるを得なかつた。要するに私は彼等によつて、嘗て私の中に經過したものと、既に私の中に死滅したものと、運命が私に與へ惜んだところのものを發見せざるを得なかつた。此等の發見は私に「經過」を思はせた。漸く三十になつたばかりの私にも既に「過去」と云ふものがあることを思はせた。悲しいことには私が「先輩」になつてゐることは最早何の疑もなかつた。私は年と共に益〻痛切を加へ行く可き此新しい經驗の萌芽に面して困惑を感ずる。  併し此自覺は單に悲觀的の色彩をのみ帶びた經驗ではない。私は此自覺と共に、從來の樣々な疑惑と混亂とに拘らず不知不識の中に私の人格に凝成した些細な或者を感ずる。從來の模索と瞑搜との底に、些細ながらも或「確かなもの」のいつしか出來かゝつてゐることを感ずる。「更に若いゼネレーシヨン」との相違如何に拘らず、私には私の爲に與へられた一つの道が開けてゐることを感ずる。さうして之と共に「更に若いゼネレーシヨン」の功過を批評すべき人生の視點を與へられてゐることを感ずる。大體から云へば先輩と云ふ名は私にとつて甚だ厭ふ可き名である。併し自然の齎す善惡一切の經過は到底人力の能く囘避する處ではない。私は唯年少諸友の狂奔に對するにたじろがざる沈着と獨立とを以つてして、先輩と云ふ名の淋しさと果敢さとを堪へて往きたいと思ふ。 2  私は中學校から高等學校にかけて内村鑑三先生の文章を愛讀した。出來るならば先生に親炙して教を請ひたいと思つてゐた。之は私のゐた高等學校の位置と便宜の上から云つて決して出來ないことではなかつた。私の友達は段々先生の私宅を訪問したり、日曜日の聖書講義に出席したりするやうになつて來た。併し私は私の個性の獨立が早晩明瞭に發展して遂に先生に背かなければならぬ日が來ることの恐ろしさに、先生の親しい御弟子になる氣にはなれなかつた。思想の分立は遂に生活の分立となるは洵にやむを得ざる自然の經過である。併し、此最後の日の豫想は――先生の感ぜらる可き淋しさと、私の感ず可き苛責との豫想は、私の勇氣を挫いた。私は勇氣ある諸友の斷行を羨みながら、自分は依然として先生の文章にのみ親しんで、遠くから隱れて先生の感化に浴してゐた。  私は私のとつた態度を他人に薦めようとは思はない。今の私が本當に崇拜す可き人を發見するならば、あの樣な痴愚にして卑怯な態度をとらずに、逡巡しながらもその人の膝下に跪くに違ひないと思ふ。併しその時分にはどうしてもそれが出來なかつた。さうしてそれが出來なかつた心持が今でもまざ〳〵と私の記憶に殘つてゐる。  今になつて事情が轉換した。さうしてこの轉換した事情の上から、私は近頃又あの時分の心持をしみ〴〵思ひ返して見るやうになつた。私の性格から云へば、私は一生かゝつても先生の樣なセンセーシヨンを起すことが出來ないにきまつてゐる。併し小さくかすかながらも兎に角私は先輩の一人になつた。私の周圍には二三の「求める者」がゐる。從つて私は先輩の虚名に伴ふ特殊の離合を經驗す可き地位に置かれてゐる。嘗て内村先生の爲に考へてあげたことが、今は自分の爲に考へなければならないやうになつた。どんな意味に於いても別離は淋しいものである。  さうして嘗て求めるに怯懦であつた心は、今や與へるに逡巡する心となつて私に隱遁の誘惑を投げてゐるやうである。併し私ももう羞恥の情にのみ支配される紅顏の少年ではない。私も少しは強くなつた。私はもう求める者の身邊にあることを恐れない。詳しく言へば、逡巡はするが退却はしない、はにかみはするが隱遁はしない。求める者を身邊に吸收することを嫌ふが、求める者の自然に集つて來ることをば恐れない。  私の身には或る些細なものがあるやうだ。之が他人の發育に滋養となるならば、勝手に近づいて勝手にこれをとつて行くがいゝ。もし滋養分をとる爲に近づいても、其實彼等を益する何物もないのに失望するならば、勝手に自分を捨てゝ走るがよい。もし又自分の中から吸收し得るものは吸收し盡して、最早私に用がないならば、自由に私を離れて新しい途を往くがよい。此等の一切は私の本質に何の増減する處もない。求める者の集散去來に拘らず、私は常に私である。私の中には或る些細なものがあるやうだ。此些細なものを生育させるのが私の唯一の本質的事業である。  此迄も自分の奧底の問題に觸れる毎に、自分は常に孤獨であることを感じて來た。先輩も友人も父兄も愛人も自分の奧底には何の觸れる處がないことを感じて來た。さうして此孤獨に堪へて來た。私は今後と雖も、此孤獨の心を以つて求める者の去來を送迎するの寂しさに堪へることが出來ることを信ずる。求める者の到着を迎へる空しい華かさも、去る者の遠ざかり行く影を見送る切ない寂しさも、その時々の過ぎ行く影を投げるのみで、私の本質的事業には何の影響する處もないことを信ずる。「求める者」が隊をなして自分を圍繞しても、私の魂は遂に孤獨である。「求める者」の群が嘲罵の聲を殘して遠く去つても私は常に私である。  私は「求める者のむれ」を持つてゐない。さうして私の周圍にゐる二三の求める人は未だ一人も私を捨てない。併し神經質な私の心は、此等二三の友人との間に、屡〻小なる別離と小なる再會とを經驗する。さうして更に大なる別離と再會との心を思ふ。來る者を拒まず去る者を追はざる程の覺悟は既に私に出來てゐると信ずる。願くは去る者を送るに祝福を以つてする程の大いなる心を持ちたい。少くとも思想の上でその先輩に背かない樣な後輩は、要するに頼もしくない後輩に相違がないのだから。 3  崇拜者を求める爲に徒に聲を大きくして叫びたくない。崇拜者をつなぎとめる爲に、徒におどしたりすかしたりしたくない。之は私の樣な性格と境遇とにゐる者には殆んど何の誘惑にもならない心持である。併しもつと華かな、もつとセンセーシヨンを以つて迎へられるやうな性格と境遇とにゐる友人には、少くとも無意識の底に多少の誘惑になつてゐるらしい。  崇拜者の歡呼に浮かされて不知不識いゝ氣になつて納まつて了ふことは先輩に與へられる誘惑の一つである。自己の内生に對する感覺が鈍麻して、環境に對する神經のみが過敏になつて了ふことは先輩に與へられる一つの誘惑である。崇拜者の歡心を買ふに專らにして、内生の流動を公表するに怯懦となることは先輩に與へられる一つの誘惑である。殊に年少諸友の狂奔に暗示されて、自己の進路に迷ふ樣な先輩は憐憫に堪へない。  吾人は年少諸友の傾向を批評するに臆病であつてはいけない。吾人は「求める者」の群を捨てゝ新しい途に進むだけの勇氣を持たなければいけない。要するに自然によつて與へられた先輩の地位を、何等の意味に於いても、内なる「人」を縛る力としてはいけない。  ロマンテイクの運動が始まつてもゲーテはたじろがなかつた、さうして靜かに落付いて自分自身の途を進んだ。 4  眞正に自己の生命を愛惜する者は模倣と獨創との意味を深く理解して置く必要がある。模倣を嫌惡する意識と暗示に對する敏感とが手を携へて増長して行くことは注目すべき現象である。獨創を求める意識と作爲誇張とが蔓を並べてはびこつて行くことは看過す可からざる事實である。その結果として生れるものは獨創の外見とフレテンシヨンとの中に模倣の内容を盛つた鼻つぱしの強い思想と文藝とである。  新しい言葉と珍らしい思想との刺戟にひかされて、此新しい言葉を綴り合せ、此珍らしい思想をはぎ合せて嬉しがつてゐるのは、淺薄な、無邪氣な模倣である。此の如き模倣の經驗は私達の少年時代にも隨分あつた事である。今でも中學や女學校にゐる文藝愛好者の多數は、恐らくは此種の模倣衝動に浮かされてゐることゝ思ふ。此種の文藝には珍らしがり、新しがりの臭氣が著しく人の鼻を衝くから、他人も當人も此種の模倣によつて欺かれることが少ない、淺薄なだけに罪も少く又害も少い。  併し模倣とは此種のものばかりだと思ふのは大なる誤である。新しがり、珍らしがりの意識から出てゐるのでないから模倣でないと云ふ申開きは成立たない。模倣の深いもの、精かなものは「意識」に現はれずに「心」に潛んでゐる。「意志」にあらはれずに「本質」に隱れてゐる。模倣者に模倣せむとするつもりがなくとも、猶彼のする處は模倣に過ぎない場合が決して少くない。現今の青年によつて嫌惡されること模倣の名の如く劇しいものは滅多にないであらう。それにも拘らず彼等の思想文藝の多くに模倣の名を強ひなければならないのは悲しむ可き事實である。  模倣とは個性の底から湧いて來ない一切の精神的營爲に名づけらる可き名である。起源を外面のあるものに發し、經過の方向を外面のあるものより來る暗示によつて規定される行動は總て模倣である。碎いて云へば、自分の中から發する自然の衝動が溢れ出るのでなしに、眼に視耳に聽いたものに動かされて、視聽に映じた外部的存在と同じ型に從つて行動するものは總て模倣である。從つて模倣せむとする意志がなくとも猶模倣の事實がある。如何に興奮と熱情とを以つてする行爲の中にも猶模倣の事實がある。模倣を嫌惡する強烈な意識と獨創を誇りとする勇猛な自覺の下になされた行動の中にも猶模倣の事實がある。或る行動が模倣でないことを證據立てるものは興奮でも熱情でも獨創の自覺でも何でもない。それは唯興奮と興奮との推移の間に證明される深い人格的の連續性である。その行動がその人の全生活全生涯を押通して行く深い貫徹性である。この連續性と貫徹性とによつて證據立てられない行爲は、總て獨創として承認されることを要求する資格がない。此連續性と貫徹性とを裏切る樣な經過をとる一切の行動は、如何に興奮と熱情と獨創の自覺とを以つてするものと雖も畢竟するに模倣である。今の人は獨創と云ふことを餘りに廉價に考へ、模倣と云ふことを餘り淺薄に解しすぎてゐるやうだ。私達は自らに獨創の名を許すことが容易でないことを思ひ、自分から模倣の名を斥けるには深い内省を要することを思はなければいけない。  性情の輕薄で頭腦の雋敏なものは、外來の刺戟によつて容易に興奮する。さうして熱情と無意識(若しくは獨創の輕信)とを以つて模倣的に行動する。彼の模倣を證明するものはその興奮と興奮との間に人格的の連續がないことである。外來の刺戟に差等を附する人格的の判別が働かないことである。強力なる刺戟を反撥する餘儀なさと、世間の潮流と背進する寂しさとを知らないことである。外來の刺戟によつて生ずる興奮と興奮との間に、自ら道を開かむとする要求を感ぜざる懶惰が挾まれることである。彼等は自然主義來れば自然主義によつて興奮し、浪漫主義來れば浪漫主義によつて興奮する才人である。個性と獨創とを要求する聲が盛んとなれば、個性と獨創とを要求する叫びをさへ模倣し得る程「幸福」な人である。實際頭腦の雋敏な才人は、その興奮を抑へて内省するだけの底力を持つてゐない限り、殆んど模倣者に墮することを免れることが出來ない。彼等が模倣を斥け獨創を誇りとするの輕易なることは寧ろ彼等の模倣性に富む證據である。  先輩の影響は唯個性の萌芽を成育せしめる際にのみ、進路に困惑する個性の爲に新たなる道を指示する際にのみ、獨創の助けとなる。其他の影響は暗示にすぎない。模倣性の刺戟に過ぎない。此事は私一個の經驗として、私の閲歴から來る懺悔としても亦云ふを得ることである。  教育學者の説によれば模倣は兒童の發達に缺く可からざる階段であると云ふ。恐らくは教育學者の云ふ處に誤があるまい。併し模倣者が獨創者として自ら誇ることは孰れにしても不遜にすぎるやうだ。自ら知らざるに過ぎるやうだ。私は年少の諸友に向つて模倣と獨創との意味を再考することを要求したいと思ふ。 5  自分の天分を問題とすることは近來の一風潮である。さうして此問題に觸れる人は大抵自分は強いと云ふ自覺を得て自分のちからの意識に就いて飽くことを知らざる享樂を恣にしてゐるやうである。私は此の自覺を諸友と共にすることが出來ない自然の結果として、此等の人の自信に對しても亦多少の疑惑を感じない譯に行かないが、併し私には此等の人の内省に立入つて其缺陷を指摘するの資格もないし、又此の自信を持つことそれ自身は彼等にとつて非常の幸福に違ひないから、彼等の爲に之を悲しまうとも思はない。併し此自信が彼等の中に如何に働いてゐるかに就いては、多少の憂慮がないでもない。  或る天分を持つてゐるといふことは、その天分が實現して價値ある精神内容を創造することによつて始めて意味のあるものとなる。天分の有無は唯精神内容の創造に堪へるか堪へないかの問題に對する準備として始めてその意義を生ずるのである。從つて精神内容の創造に沒頭する人は大抵天分の問題を第二義の問題として閑却する。自己の天分に對する意識がなくとも、精神的内容の創造に堪へ得る人は寸毫もその價値を減じない。實際天分に對する神經過敏なる顧慮を缺くことは第一流の天才に共通なる特徴のやうに思はれる。彼等の内生の異常なる豐富と坌湧とは、輪廓に對する顧慮を問題としてとりあげてゐるの餘裕をなくなすからであらう。  併し或種の天才は自分のちからに對する自信がなければ精神内容の創造に堪へない。自己感情の興奮を原動力として、彼は始めて精神内容の創造に猛進することが出來るのである。此の如き人の精神的所産には、必ず強烈なる自己崇拜の色彩を伴つて來る。併し此際に在つても價値あるは精神的内容の精彩と芳烈とであつて、自己の耽溺にあるのではない。ニイチエの勇ましく慘ましい哲學を除いて、彼の自我狂が何であらう。彼の自己崇拜は、彼の精神的創造によつて許容と是認とを受く可き附加物に過ぎない。  自己の天分を問題としてゐる先輩同輩を通じて、私にも同感の出來るのは殆んど武者小路君一人の心持だけである。私の見る處では、彼は先づ認識論から始めなければ承知の出來ない哲學者のやうに、自分の天分に對する強烈な自信がなければ精神内容の創造に猛進することを得ざる弱い(此だけの意味で弱い)性格を持つてゐるやうに見える。それで彼は「お前には力があるかどうだ」と反復自問自答した。さうして最初には屡〻自信の動搖を感じて失望したり寂しがつたりした。併し内省の反復と共に彼には次第に自信が出來て來た。さうして彼は此自己感情の興奮を原動力として自分の事業に安んずることが出來るやうになつた。從つて此問題に對する彼の態度には内部的必然性を見ることが出來る。さうして此問題に對する肯定によつて精神的創造を勵まして行く趣を看取することが出來る。私は此意味で彼の自己崇拜を是認する。而も彼の價値はこの感情によつて仕上げて行く精神的創造の内容にあるので、自己崇拜の感情そのものゝ如きは其價値の末の末にすぎない。さうして彼の強烈な自信の當否は畢竟將來に於ける事業の分量によつてのみ決定される問題である。  併し武者小路君の結論を以つて直ちに其出發點とする年少諸友の自己肯定には、之と同じ位に深い根を認めることが出來ない。少くとも彼等の文章には之と同じ位に深い根を認めることが出來ない。凡そ或人の強いことを證明するものは之に敵對する偉力の征服である。險難を通じて其途を開いて來た閲歴である。此閲歴を提供せずして、其強さを承認させることは自分自身にとつても出來ない筈である。況んやその強さが客觀的妥當性を得るが爲めには、「俺は強いぞ」と云ふ宣言だけでは到底駄目である。然るに年少諸友の或者は此閲歴の報告をする前に、だしぬけに「俺は強いぞ」と云ふ。さうして之によつて他人を凌辱する當然の權利を要求する。併し第三者から見ればこの種の強がりは一種の愛嬌にすぎない。本當に強い者は敵對力の征服によつて自己を語るがよい。さうして自己の力を宣言することは強者をして更に強きものたらしむる所以ではないのである。  自己のちからに對する享樂は事業の成績のあり餘る人にのみ許される處である。假令その人格の中にちからが渦卷いてゐることを感ずるにしても、その貧弱なる實現と貧弱なる征服の記録を恥づる者は自己感情の興奮に耽溺すべきではない。ちからの必然の發現は詠嘆ではなくて事業である。さうしてちからの天賦が少い者と雖も、之を最もよく實現することによつて最もよく生きることが出來ることを知る者にとつて、天賦の大小は要するに第一義の問題ではない。(九月八日) 十八 沈潛のこゝろ 1  自己の天分に對する自信は、その天分の發展にたじろがざる歩調を與へるであらう。自己の力に對する自覺は、艱苦との鬪爭に屈撓せざる勇氣を與へるであらう。さうして自己の「成長」に對する意識は、その成長のいとなみに朗かなる喜びを與へるであらう。その限りに於いて、此等の自覺と意識とは、歡迎せらる可きものに相違ないのである。  しかし自己の天分と力と「成長」とを不斷の意識として、反復念を押して喜んでゐることは、必ずしも自己を大きくする所以ではない。輪廓の大小強弱に拘泥する心は、往々その生活内容に對する餘念のないいとなみを閑却する。抽象的なる「自己」に執する心は、往々自己の内容が全然そのいのちの中に開展する「世界」の充實と豐富とにかゝることを忘れる。さうして「自己」の名のために却て「世界」を貧しくする。換言すれば自己の輪廓のために却て自己の内容を空しくする。彼等は自ら住まむがために家を建てるかはりに、垣根の修繕にその日を暮す愚かな人たちである。  又自己の天分と力と「成長」とに對する不斷の懸念は、往々その公正なる内省の力を鈍くして、自己の周圍に徒らにはなやかなる妄想のまぼろしを描き上る。心の世界の中に内容と自意識との二つが分離して、神經は專ら自意識の上にあつまり、自意識はその内容と實力とに無關係に、自分勝手に大きく膨れる。さうして内容と實力とは尨大なる自意識の薄暗い下蔭に日の目を見ぬ草のやうに影の薄い朝夕を送つて行く。自意識と生活内容との懸隔甚だしくなるにつれて、彼等の次第に接近し行く方向は誇大妄想狂と云ふ精神病である。さうして彼等の自信と並行して昂進するものは、第三者の眼に映ずる空虚と滑稽との印象である。彼等の住む國は「自己」の末梢である。中樞は末梢の病的成長につれて萎縮の度を加へる。彼等は象のやうな四肢と、豆のやうな頭を持つ怪物として、自己の外廓をめぐる塵埃の多い日照道を倦むことなき精力を以つて匍匐して行くのである。併し無窮の匍匐も遂に彼等を眞正なる自己の國に導くことが出來ない。眞正なる自己の國に導く力は、どう〳〵めぐりではなくて、掘り下げ、推し進め、かつぎ入り、沈み込む力でなければならない。生活内容に對する――眞正の意味に於いて自己の「現實」に對する――公正な氣取り氣のない自覺は、先づ吾人に力の集注と結束とを教へる。更に生活内容そのものに内具する「神聖なる不安」は吾人に進撃と爆發との力を與へる。さうしてこの内容の實相に對する自覺と、内容の不安から推し出される張力とは、天分の大きいものと小さいものと、力の強いものと弱いものとの差別なく、各人を自己開展の無限なる行程に驅り出すのである。此やむにやまれぬ内部的衝動に驅らるゝものは、右顧左眄するの餘裕がない。(天分の大小強弱を問題とするは要するに右顧左眄である)。與へられたる素質と與へられたる力の一切を擧げて、專心に、謙遜に、純一に、無邪氣に、その内部的衝動の推進力に從ふ。眞正に生きる者の道は唯この沈潛の一路である。いのちの中樞を貫く、大らかな、深い、靜かな、忘我によつて實在の底を搜る心を解する者の一路である。外部との比較と他人の輕蔑とを生命とする所謂「自己肯定」はあづからない。自我の末梢に位する神經過敏はあづからない。 2  沈潛のこゝろを解せむと欲するものは、「神聖なる無意識」の前に跪くことを知らなければならぬ。  俺は偉大だぞと意識する者の中に、必ずしも「偉大」が存在するのではない。自己の偉大に對する意識が全然缺如する處に、必ずしも「偉大」が存在しないのではない。偉大と云ふ事實は、俺は弱小無力だと感ずる碎かれたる意識の底にも、猶存在しないとは限らないのである。眞正の偉大は無意識の底にあるので、意識の表面に浮草のやうに漂つてゐるのではない。偉大の意識は慾望の生むまぼろしとして、自己の眞相を覆ふ霧のやうに湧いて來ないとは限らないのである。意識と無意識との間に行はるゝ微妙なる協和不協和の消息を知らない者は、俺は偉大だと叫ぶ處に、本當に偉大があるのだと思つてゐる。さうして俺は偉大だぞと云ふ御題目の百萬遍を繰返すことによつて自己を偉大にし得ると妄信してゐる。併しこの御題目の功徳によつて顯現するものは唯萍のやうな偉大の意識であつて底から根を張つて來る偉大の事實ではない。意識と無意識との矛盾を解する者は、偉大の意識の中にも眞に侮蔑に堪へたる空虚と自己諂諛とを見る。さうして弱小無力の意識の底にも、涙を誘ふ純一と無邪氣との中にスク〳〵と延び行くいのちの尊さを看過しない。  私は刻々に推移する氣分の變化の、意識の把住力を超越し、意識の抗拒力を超越して、恣に出沒することを感ずる。私は私の心の奧に、或知られざるものゝ雲のやうに徂徠し、煙のやうに渦を卷いてゐることを感ずる。さうして私は私の心の底にある無意識の測り知る可からざる多樣のこゝろを思ふ。  私は逡巡を以つて始めたことの思ひがけぬ熱を帶びて燃えあがる驚きを經驗する。悲觀と萎縮との終局に、不思議なる力と勇氣とが待受けてゐて、窮窘の中にも新しい路を拓いて呉れることを經驗する。さうして私は意識の測定を超越する私の無意識の底力を思ふ。  私は又力の湧き立つ若干の日と夜とに、身も挫けよとばかり衝當る勢の、徒らに冷かなる扉によりてはね返される焦躁を經驗する。力の蓄積が缺乏を告げて、張りつめた勢が、空氣枕から空氣が拔け去るやうに音を立てゝ拔け去る刹那を經驗する。さうして私は意識の果敢なさと無意識の深さとのこゝろを思ふ。  又私は自ら努めず自ら求めざる無心の刹那に心の果實の思ひがけもなく熟して落つる響に驚かされる。無意識の中に行はれたる久しき準備と醗酵とが、天惠の如く突如として成熟せる喜びにいそ〳〵とする。さうして私の心は頻りに此無意識の讚美が一紙を隔てゝ運命と他力との信仰に隣することを思ひ、何時の日か迷妄の面帕が熱の落つるやうに落ち去る可きことを思ふ。  神聖なる無意識に跪くこゝろは、私に弱いものゝ前に遜ることを教へた。大らかに、ゆるやかに、深く、靜かに歩みを運ぶことの、喧噪しながら、焦躁しながら、他人の面上に唾を吐きかけながら、喚叫しながら、驅け出すよりも更に尊いことを教へた。それは又待ち望むことゝ、疲れたときに休むことゝ、力の拔けたときに怠けることゝ、巫山戲たい時に巫山戲ることゝ、結果と周圍とに無頓着に内面の聲に從ふなげやりの快さとを教へた。さうして私の心は此等の緊張と弛緩との幾層を通じて、不斷に或る人生の祕奧に牽引されることを感ずる。何處に往くかはわからない。何處まで行けるかもわからない。併し私の心に牽引されるちからの存在する限り、私は兎に角何ものかに沈潛するのである。さうして力盡きた時に破滅するのである。  私は自己の天分の強さと「成長」とを造次も忘れることの出來ない文士よりも、寧ろ貧苦の中にその妻子を愛護する農夫の間に、戀愛の熱に身を任せて行衞も知らぬ夢又夢の境を彷徨ひ行く少年男女の間に、遙かに眞率にして純一な、しめやかにして潤ひのあるいのちの響きを聽く。  生活の全局を蔽ふ深沈なる創造のいとなみに從ふ者は、固より困惑せる農夫と少年との無意識を以て滿足すべきではない。彼は無意識に伴ふ安詳にして鞏固なる意識を――明かに眞實を見る内省と、障碍と面爭してたじろがざる自信とを――持つ必要がある。併しいづれにしても無意識は君主にして意識は臣僕である。無意識の君主を蔑視するものは――「無意識」の神聖なる祭壇を蹂躪して我は顏をするものは、必ず神罰を蒙つて、眞實を視る眼と、人生を味ふ心と、實在に沈潛する力とを奪はれるに違ひない。 3  沈潛のこゝろを解せむと欲するものは、内省の意義を蔑視することを許されない。  内省は自己の長所を示すと共に又その短所を示す。内省は自己のちからを示すと共に又その弱小と矛盾と醜汚とを示す。内省の眼は、苟もそれが眞實である限り、如何なる暗黒と空洞の前にも囘避することを許さない。故に内省は時として吾等を悲觀と絶望と、猛烈なる自己嫌惡とに驅る。眞實を視るの勇なき者が、常に内省の前に面を背けて、その人生を暗くする力を呪ふのは洵に無理もない次第である。併し胸に暗黒を抱く者は、その暗黒を凝視してその醜さを嘆くの誠を外にして、暗黒から脱逸するの途がない。眞實の直視から來る悲觀と絶望と自己嫌惡とは、弱小なる者を生命の無限なる行程に驅るの善知識である。暗黒を恐れる者は、悲觀を恐れる者は、さうして此等のものを生むの母なる内省を恐れる者は、到底人生に沈潛する素質のない者である。  内省は時として理智の戲れとなる。力強い無意識の背景を缺く時、空洞なる者は空洞なる自己を觀照することによつて、其處に果敢ない慰めを發見する。無意識の底から押し上げて來る「神聖なる不安」を原動力とせざる限り、内省は唯まぼろしの上にまぼろしを築く砂上の戲れに過ぎない。さうして此の如き理智の戲れは直ちに情意の方面に於ける悲哀と憂愁との耽溺を伴つて來る。此種の内省、此種の多涙が、自意識の耽溺、「自己肯定」の耽溺と共に人生の左道たることは云ふまでもない。否、憂鬱症が誇大妄想狂や躁狂に比して一層不幸だと同じ意味に於いて、此種の「自己否定」は「自己肯定」に比して更に不幸である。さうして人生に於ける歡喜と活動とを拘束する意味に於いて更に有害である。私は從來屡〻此の意味に於けるセンチメンタリズムの領域とすれ〳〵に通つて來た。從つて私は可なり深くその危險を了解してゐると信ずる。私の内省を説くのは決して此意味に於いて自己辯護をするためではない。唯此處に明瞭に區別せむと欲するのは、内省そのものが決して此の如き理智の戲れと、之に伴ふ情感の耽溺とを意味するに限らないことである。理知の戲れと情感の耽溺とは内省の齎す必然の結果ではなくて、寧ろ無意識の空虚と疲勞とから來てゐる。此等のものを難ずることは決して内省そのものを難ずることにはならないのである。眞正の内省は無意識の底から必然に湧いて、その進展の方向を規定する。理智の戲れと情感の耽溺が此上もなく危險なるに拘らず、眞正の内省は依然として必要である。此種のセンチメンタリズムを難ずることは、決して無鐵砲なる「自己肯定」を正當とする申譯にはならないのである。  眞正なる内省は無鐵砲と盲動との正反對である。從つてそれは或意味に於いて行動の自由を拘束する。さうして時として無鐵砲と盲動とから來る僥倖をとり逃すことがあるに違ひない。併し眞正なる内省によつて抑へられるやうな行動は、本來發動せぬをよしとする行動である。さうして無鐵砲と盲動とによつて始めて得られるやうな僥倖は、之をとり逃しても決して眞正の意味の損失ではない。  眞正なる内省は征服せらる可きものを自己の中に視る。勇ましく、慘ましく、たじろがずに之を正視する。さうして征服せらる可きものゝ征服し盡されざる限り、彼れの内面的鬪爭は日星の運行の必然なるが如くに必然である。日星の運行の不斷なるが如くに不斷である。從つて彼は此の内面的衝動に促がされて、堅實に、鞏固に、深く、大きく、必然に動いて行く。彼の發動には躁急と強制と射僥の心とがない。彼の進路に内外兩面の障礙と機會とを置くものは運命である。此障礙の征服と機會の利用とによつて自己を建設し行く者は彼自身の内なる力である。或行動を拘束するのは、彼の人格の自由によつて、發動の氣まぐれを制御する更に深い力の發現である。盲動より來る僥倖を期待せざるは内面的必然によつて作り出されざる遭逢の遂に無意味に過ぎないことを知つてゐるからである。盲動から來る僥倖は事功の機縁とはなるであらう。軍人に金鵄勳章を與へ、政治家に公爵を授ける機縁とはなるであらう。併し精神上の生活に於いて、僥倖は全然無意味である。内面的必然に促されたる魂は、明かなる内省と靜かなる人格の發動とによつて、その要求にそぐふ程の世界を創造することを知つてゐる。さうして内からの準備の完からざる魂にとつては、如何なる外面的機縁も、常にその頭上を辷つて行つて了ふ。  無鐵砲は一切の内面的經驗を上滑りして通るに十分なる眼かくしである。彼等は自己の弱點を弱點として承認せず、自己の缺乏を缺乏として承認せざるが故に、その内面に何の征服せらる可き敵對力をも認めることが出來ない。從つて一切の精神的進歩の機縁たる可き内面的鬪爭の必然性を持たない。彼等は自己の弱點を樂觀することによつて、苦もなくその弱點の上を滑べる。さうしてその滑べり方の平滑なることを基礎として「自己肯定」の信仰を築き上げるのである。固より彼等はその無鐵砲によつて種々の外部的葛藤に遭逢するであらう。併しこの葛藤は永久に外面的葛藤たるに止つて、内面に沁み入る力を持たない。從つて彼等の遭遇す可き代表的運命は一切を經驗して一物をも體驗せざる大なる白痴である。此の如くにして無鐵砲なる勇者の生涯は、矮小なる實驗家の生涯と内容的に相接近して來る。  弱い者はその弱さを自覺すると同時に、自己の中に不斷の敵を見る。さうして此不斷の敵を見ることによつて、不斷の進展を促す可き不斷の機會を與へられる。臆病とは彼が外界との摩擦によつて内面的に享受する第一の經驗である。自己策勵とは彼が此臆病と戰ふことによつて内面的に享受する第二の經驗である。從つて臆病なる者は無鐵砲な者よりも沈潛の道に近い。彼は無鐵砲な者が滑つて通る處に、人生を知るの機會と自己を開展するの必然とを經驗するからである。弱い者は、自らを強くするの努力によつて、最初から強いものよりも更に深く人生を經驗することが出來る筈である。弱者の戒む可きはその弱さに耽溺することである。自ら強くするの要求を伴ふ限り、吾等は決して自己の弱さを悲觀する必要を見ない。  繰返して云ふ。無意識の背景を缺く内省の戲れと之に伴ふ情感の耽溺は無意味である。併し内省の根柢を缺く無鐵砲な自己肯定は更に更に無意味である。無鐵砲を必然だと云ふのは蹣跚たる醉歩が醉つぱらひにとつて必然だと云ふに等しい。醉つぱらひには遠く行く力がない。無鐵砲な者には人生に沈潛するこゝろがわかる筈がない。 4  大なるものを孕む心は眞正に謙遜を知る心である。  謙遜とは無力なる者の自己縮小感ではない。無意識の奧に底力を持たぬ者が自己の懶惰を正當とする申譯ではない。謙遜とは此の如きものであるならば、人生の道に沈潛せむとする者は決して謙遜であつてはいけない。  謙遜とは奸譎なる者がその處世を平滑にする爲の術策ではない。他人の前に猫を被つて、私はつまらない者でございますと御辭儀をして𢌞る者は、盲千人の世の中に在つては定めて得をすることであらう。併し此類の謙遜は内省に基かずして打算に基いてゐる。誠實に基かずして詐欺に基いてゐる。謙遜とは自己の長所に對する公正なる自認を塗りかくして周圍の有象無象に媚びることによつて釣錢をとることならば、奸詐を憎み高貴を愛する者は決して謙遜であつてはいけない。  謙遜とは人格の彈性を抑壓する桎梏ではない。謙遜とは月並の基督教が罪の意識を強ひる樣に、吾等の良心に對する税金として課せられるものならば、精神の高揚と自發とを重んずる者は決して謙遜であつてはいけない。吾等人格の獨立は此の如き謙遜を反撥することによつて漸く初まるのである。  眞正に輕蔑し反撥することを知る魂のみが、無邪氣に公正に自己を主張するの彈力ある魂のみが、眞正の謙遜を知る。謙遜とは獨立せる人格が自己の缺點を自認することである。覆ひかくす處なく、粉飾する處なく、男らしき公正を以つて自己の足らざるを足らずとすることである。此意味の謙遜を除いて眞正に人間に價する謙遜はある筈がない。  吾等の自ら認めて長所とする處が、總て矮小にして無意味なるを悟るときに、吾等の自ら恃みとする處が相踵いで崩落することを覺える時に、吾等は初めて絶對者の前に頭を擡げることが出來ない程の謙遜を感ずるであらう。偉なる者の認識が始まる時に、凡ての人は悉く從來の生活の空虚を感じなければならぬ。小なる世界の崩落を經驗し、大なる世界の創始を感じ始める者は、必ず謙虚な心を以つて絶對の前に跪く筈である。眞正なる謙遜を知らざる者は、大なる世界の曙を知らざる者である。私は此事を特に私自身に向つて云ふ。私は究竟の意味に於いて未だ謙遜のこゝろを知らない。さうして私は眞正に碎かれざる心の苦楚の故に黯然としてゐる。私の極小なる世界は一二の稍〻大なる世界を孕んだ。さうして私は一二の小なる謙遜のこゝろを味つた。併し大なる謙遜のこゝろの前に、私の小我は猶愚かなる跳梁を恣にしてゐることを感ずる。さうして私は先づ「大なる謙遜のこゝろ」の前に、知らざる神に跪くが如くに跪いてゐる。  謙遜のこゝろは孕むより産むに至るまでの母體の懊惱のこゝろである。 5  自己の否定は人生の肯定を意味する。自己の肯定は往々にして人生の否定を意味する。何等かの意味に於いて自己の否定を意味せざる人生の肯定はあり得ない。少くとも私の世界に於いてはあり得ない。私の見る處では、之が世界と人生と自己との組織である。私の見る處では、古今東西の優れたる哲學と宗教とは、凡て悉く自己の否定によつて人生を肯定することを教へてゐる。一本調子な肯定の歌は唯人生を知らぬ者の夢にのみ響いて來る單調なしらべである。  基督は死んで蘇ることを教へた。佛陀は厭離によつて眞如を見ることを教へた。ヘーゲルは純粹否定を精神の本質とした。さうして私の見る處では現代肯定宗の開山とも稱す可きニイチエと雖も、亦よく否定の心を知つてゐた人である。彼は超人を生まむが爲に放蕩と自己耽溺とその他種々なる人間性を否定した。彼の所謂超人が人間の否定でなくて何であらう。固より自己の如何なる方面を否定するかに就いては各個の間に大なる意見の相異がある。肯定せられたる究竟の價値と否定せらるゝ自己の内容との關係に就いても亦大なる個人的意見の差異があることは拒むことが出來ない。併し何れにしても大なる哲人は自己否定の慘苦なる途によつて、人生の大なる肯定に到達するこゝろを知つてゐた。彼等の中には渾沌として抑制する處なき肯定によつて、廉價なる樂天主義を立てた者は一人もゐない。人生と自己との眞相を見る者は此の如き淺薄な樂天觀を何處の隅からも拾つて來ることが出來ないからである。  一向きの否定は死滅である。一向きの肯定は夢遊である。自己の否定によつて本質的價値を強調することを知る者にとつては、否定も肯定である。肯定も否定である。之を詭辯だと云ふものは總ての宗教と哲學とに縁のない人だと云ふことを憚らない。  生活の焦點を前に(未來に)持つ者は、常に現在の中に現在を否定するちからを感ずる。現在のベストに活きると共に現在のベストに對する疑惑を感ずる。ありの儘の現實の中に高いものと低いものとの對立を感ずる。從つて彼の生活を押し出す力は常に何等かの意味に於いて超越の要求である。此の如き要求を感ぜざる者は遂に形而上的生活に參することが出來ない。  女は愛して貰ひたい心と、思ふ男に身も心も任せた信頼の心やすさと、母たらむとする本能とに慄へてゐる。さうして此心は女の生活を不斷の從屬に置き、常住の不安定に置く。此從屬と不安定との苦楚を脱れむが爲に、何等かの意味に於いて女性を超越せむとするは、女の哲學的要求である。  人は現象界の流轉に漂はされる無常の存在である。人の中には局部に執し、矮小に安んじ、自己肯定の己惚れに迷はむとする淺薄な性質が深くその根柢を植ゑてゐる。此無常と此猥雜と此局小とを超越せむとするは人間の哲學的要求である。  自己超越の要求は要するに不可能の要求であるかも知れない。併し生活の焦點が前に押し出す傾向を持つてゐる限り、不可能の要求は遂に人性の必然に萌す不可抗の運命である。人は此不可抗の運命に從ふことによつて、許さるゝ限りの最もいゝ意味に於いて人となるのである。押し出されるより外に生きる道がない。牽かれるより外に生きる道がない。  さうしてこの不可抗の要求に生きる者のこゝろは常に謙遜でなければならない。足らざるを知るこゝろでなければならない。いゝ氣になる事(Self-sufficiency)ほど人生の沈潛に有害なものは斷じてあり得ない。その一切の方面を盡して、そのあらゆる意味を通じて Self-sufficiency は人生最大の醜陋事である。(二、九、二五) 十九 人と天才と 1  何を與へるかは神樣の問題である。與へられたるものを如何に發見し、如何に實現す可きかは人間の問題である。與へられたるものの相違は人間の力ではどうすることも出來ない運命である。唯稟性を異にする總ての個人を通じて變ることなきは、與へられたるものを人生の終局に運び行く可き試煉と勞苦と實現との一生である。與へられたるものの大小に於いてこそ差別はあれ、試煉の一生に於いては――涙と笑とを通じて歩む可き光と影との交錯せる一生に於いては――總ての個人が皆同一の運命を擔つてゐるのである。若し與へられたるものゝ大小強弱を標準として人間を評價すれば、或者は永遠に祝福された者で或者は永遠に呪はれた者である。之に反して、與へられたるものを實現する勞苦と誠實とを標準として人間を評價すれば、凡ての人の價値は主として意思のまことによつて上下するものである。さうして天分の大なる者と小なる者と、強い者と弱い者とは、凡て試錬の一生に於ける同胞となるのである。 「天才」の自覺から出發す可きか、「人間」の自覺から出發すべきか。此二つが必ずしも矛盾するものでないことは云ふまでもない。併し出發點を兩者の孰れにとるかは人生に對する態度の非常な相違となる。「人間」の自覺を根柢とせざる「天才」の意識は人を無意味なる驕慢と虚飾と絶望とに驅り易い。或者は自己の優越を意識することによつて自分より弱小な者を侮蔑する權利を要求する。或者は天才を衒ふ身振によつて自己の弱小なる本質を強ひる。或者は天才の自覺に到達し得ざるがために、自己の存在の理由に絶望する。此種の驕慢と虚飾と絶望とは、彼等が能力の大小強弱の一面から人生を觀てゐる限り到底脱却し得ない處である。彼等の過は「人間」に與へられたる普遍の道を發見するに先だつて、特殊の個人に與へられたる特殊の道を唯一の道だと誤信する處にある。  天才には天才のみに許されたる特殊の寂寥と特殊の悲痛と特殊の矜持とがあるに違ひない。從つて天才には天才のみの歩む可き特殊の道があるに違ひない。併し天才としての自覺を人間としての自覺の根柢の上に築くことを知れる者は、己れ一人の淋しい道を歩み乍らも、猶平凡に生れついた者の誠實な、謙遜な、勞苦にみちた、小さな生涯に對して尊敬と同情とを持たなければならぬ筈である。平凡な者を指導す可き使命を感じなければならぬ筈である。若し世に平凡な者に對する同情と尊敬とを缺き、平凡な者を指導すべき使命の自覺を缺く天才があるならば、彼の非凡は妖怪變化の非凡に過ぎない。彼は人間の代表者ではなくて仲間外れである。平凡な者が彼の暴慢と自恣とに報いるに反抗と復讐とを以つてするは當然に過ぎる程の當然事である。  凡人には天才の知らざる拘泥と悲哀と曇りとがある。實現せむと欲して實現し得ざる焦躁と、些細の障碍と戰ふに當つても血の膏を搾らなければならぬ勞苦と、無邊の世界の中に小さく生きる果敢さのこゝろとがある。從つて凡才は常に天才の知らざる羞恥の心を以つて天才の天空を行く烈日の如き眩しさを仰ぎ見る。併し凡人としての自覺の底にも猶確乎たる「人間」の自覺を保持することを知る者は、決して天才に非ざるの故を以つて自分の生涯に失望しない。小さい者がその小さい天分を實現し行く勞苦の一生の中にも、猶人間の名に價する充實と緊張とがある。内より温める熱と自然に滲み出る汗と涙とがある。内からの要求に生きる者にとつて、第一義に於ける自己の問題は「天才」の有無ではなくて、精神生活に於ける不安である。自分が天才でないと云ふ自覺によつて全存在を覆す程の打撃を受けるのは、周圍の人との腕競べに生きようとする間違つた心掛を持つてゐるからである。  俺が天才であるか、俺が天才でないか、そんなことは凡て俺にはわからない。併し俺は今「人間」の自覺を生活の中心とすることによつて、漸く此意味に於ける「天才」の問題を確實に超越することが出來るやうになつたことを感じてゐる。假令俺は天才でなくても――多分俺は天才ではあるまい――俺には猶「人間」の自覺がある。さうして此自覺は確實に俺の將來の進展を指導して呉れてゐる。俺は天才でないにしても俺の生涯は決して無意味ではない。又萬々一俺は天才に生れてゐるにしても、俺が天才の自覺から出發せずに人間の自覺から出發することは少しも俺の天分を損ふ所以にはならない。さうして此自覺は他人に對する尊敬と包容とのこゝろを――一切の人類に對する同胞の感情を俺に教へて呉れた。  價値の標準を天賦の大小に置かずに、意志のまことに置く點に於いて、俺は古い古い宗教の徒弟である。俺は決して此事を恥としない。寧ろ俺は此によつて全人類を同胞として包容すべき新しい限界の漸く開け始めたことを嬉しいと思つてゐる。  俺は天才を崇敬する。同時に誠實なる凡人を尊敬する。俺は特に弱小にして誠實な者の味方である。俺は特に驕慢にして天才を衒ふ者の敵である。 2  天才の本質を能力の強さと大さとに置かずに、人生の祕奧に貫徹する力の深さに置く時、天才と凡人との關係は獅子と羊との對照にあらずして、導師と法弟との關係となる。更に天才と凡人とを、試煉と勞苦とに喘ぐ人間共通の運命に照し出す時、彼等は温情を以て涙と笑とを分かつ可き兄弟として、能力の大小強弱による相互の墻壁を撤する。  凡人が天才の出現を翹望するは、彼が彼等を代表して更に奧深い世界を開く可き鍵を握つてゐることを信ずるからである。從つて深く人類の惱みとあこがれとを體得して、人類全體の問題を一身に擔ふ者でなければ此翹望に答へることが出來ない。自己の未熟を鞭つ代りにその優越の意識に耽溺し、弱小なる凡人を救濟する代りに之を嘲笑して自ら高しとする樣な者は、反抗には價しても決して崇敬には價しない。 3  如何なる天分を有するかは何處に往く可きかの先決問題である。從つて天分の性質は各個人にとつて必然の問題である。併しその天分の大小強弱は各個人にとつて前者と同樣の必然性を持つ問題ではない。人が「或るもの」として生れて來た限り、その天分の大小強弱如何に拘らず、當然その天分の性質によつて動いて行かなければならぬ不安を植ゑ付けられてゐるからである。その不安の衝動力が生々と作用する限りに於いて、常により大きく、より強くなつて行くことが出來る筈だからである。自己開展の極限はその極限に到達して見なければ本當にわかる筈がない。その極限を性急に見極めなければ氣がすまないのと、極限の問題を度外に附して、現在の衝動力に信頼することが出來るのとは、各個人の性格の差別であつて、一切の人に通ずる必然の問題ではない。 4  天才は凡人に比して遙かに偉大なる事に堪へる。故にその用に就いて云へば凡人が天才の下位にあることは勿論である。從つて社會的又は人文史的見地より見る時、天才が殆んど一切なるに反して、凡人は殆んど零に近いのは止むを得ない。  天才の衷に實現せらるゝ世界が、凡人の慘憺たる勞苦によつて獲得せる世界に比して、遙かに豐富に、遙かに深遠に、遙かに自由に、遙かに精彩あることは云ふ迄もない。故にその世界の價値に就いて云へば、凡人の世界が天才の世界の下位にあることは勿論である。天才は下瞰して與へ、凡人は仰視して受ける。自然の世界に於いて大小強弱の對照が儼存することは洵にやむを得ない。  或人がなし得る處を或人はなし得ない。或人が到達し得る處に或人は到達し得ない。故に或る事をなし得るか得ないか、或る點に到達し得るか得ないかを主要問題とする時、各個人の天分はその性質に就いて問題となるのみならず又その大小強弱に就いて問題となる。此方面から見れば各個人の價値は殆ど宿命として決定されてゐることは否むことが出來ない。  併し觀察の視點を外面的比較的の立脚地より内面的絶對的の立脚地に遷し、成果たる事業の重視より追求の努力の誠實の上に移し、天分の問題より意志の問題に遷すとき、吾人の眼前には忽然として新なる視野が展開する。從來如何ともす可からざる對照として儼存せしものは容易に融和する。さうして一切の精神的存在は同胞となつて相くつろぐ。此世界にあつては各の個人がその與へられたる天分に從つてそれぞれ彼自身の價値を創造するのである。さうして此創造によつて「人間」としての意義を全くするのである。  内面的絶對的見地よりすれば、三尺の竿を上下する蝸牛は、千里を走る虎と同樣に尊敬に價する。さうして虎は蝸牛を輕蔑することの代りに、千里の道を行かずして休まむとする自己を恥づる。蝸牛はその無力に絶望することの代りに、三尺の竿を上下する運動の中にその生存の意義を發見する。 5  輕蔑に價するは小さい者が小さい者として誠實に生きて行くことにあらずして、小さい者が大きい者らしい身振りをすることである。或る眞理と或る價値とを體得しない者がその眞理と價値とを口舌の上で弄ぶことである。要するに Pretension と Reality との矛盾に對する無恥である。  詩人又は哲學者でない故を以つて、野に耕す農夫を嘲ることは出來ない。併し天才でもない癖に天才の積りになつて威張つてゐる文士は笑はずにはゐられない。況して天才でもない癖に天才の積りになつて平凡な者を凌辱する文士は憎まずにはゐられない。  乞食の子に石を投げるは冷酷なる惡戲小僧の強がりである。併し孔雀の羽根をさした烏を嘲笑するは、虚僞を憎む者の道義的公憤である。 6 「成長の意識」(詳しく云へば「成長の事實に對する意識」)と「成長の慾望」とは同一事ではない。成長の意識は過去と現在との比較がなければ成立することが出來ない。過去に熟せざりしものと現在に成熟せるものとの比較が始めて成長の意識を成立させるのである。さうしてこの成長の意識は或は自欺より生れて自己諂諛となり、或は公正なる内省より生れて靜かにして朗かなる自信となる。  之に反して「成長の慾望」は未來に對する翹望である。さうして成長の慾望は或は他人を凌駕せむとするアンビシヨンから生れて、必然の段階を履むの餘裕なき躁急となり、或は現實の矛盾から生れて、一歩を人生の奧に踏み込ましめる必然となる。從つて成長の慾望をその最も精神的な、最も内面的な、最も純粹な意味に於いて云ひ換へて見れば、それは「内容の不安から押し出される張力」である。さうして自己の道を發見せざる者が之を發見せむとする努力も、既に之を發見せる者がその途を拓かむとする努力と等しく「内容の不安から押し出される張力」である。等しく「成長の慾望」である。此意味に於いて「成長の慾望」を持たない者は始めから問題にならない。  但し「成長の慾望」は必ずしも常に「我の成長の慾望」として意識に現はれて來るのではない。多くの場合それは「個々の具體的經驗内容の不安」として意識に現はれて來るのである。從つて心理的に云へば「成長の慾望」と云ふ言葉は十分に妥當だとは云はれない。 7  トルストイを追越さうとする Ambition よりも、強く深く眞理を攫んで、人生究竟の價値に參せむとする Aspiration の方が、更に純粹な、更に精神的な、更に内面的な、さうして更に大きい慾望である。  比較の對象を自分の外に、自分に近く、さうして具體的な個人として持つてゐる時に、その人の努力は一層眞劔に、一層猛烈に、一層死物狂ひになるかも知れない。此意味に於いて、アンビシヨンは精神的創造の原動力として決して無意味なものではないであらう。アンビシヨンから行くのも一つの人情に近い行き方に相違ないことゝ思ふ。  併しトルストイを追越さうとするアンビシヨンは、強く深く眞理を攫んで、人生究竟の價値に參せむとするアスピレーシヨンに變形するに非ざれば實現の途に就く事が出來ない。他人に勝つ爲の唯一の途は、其競爭者よりも更に深く眞理の中に沈潛する事である。此途によらずして他人に勝たむとする者は、空虚なる名譽慾に囚はれて實質の問題に參する事を知らざる人生の外道である。從つてアンビシヨンの問題も其本質的意義に於いてはアスピレーシヨンの問題に歸する。アスピレーシヨンとならざるアンビシヨンは無意味である。併しアンビシヨンの背景を缺くアスピレーシヨンは決して無意味ではない。自己の周圍に競爭者なき場合と雖も、其人の精神に現實の不安から押し出さるゝ張力が働いてゐる限り、アスピレーシヨンは其純粹なる形に於いて作用する事が出來る筈だからである。  自分はアンビシヨンによつて眞理に深入りした二三の人を知つてゐる。さうして其人が眞理に深入した程度に從つて其人を尊敬することを忘れる者ではない。併しアンビシヨンは個人的性癖の問題であつて、アスピレーシヨンと同じ意味に於いて人間全體の問題ではない。アンビシヨンがなければ駄目だと云ふのは、個人的性癖を人間全體に通ずる必然として主張せむとする誤謬である。  自分は「人を對手にせずして天を對手にせよ」と云つた人の意味深い言葉を忘れることが出來ない。アンビシヨンからはひる道の外にも猶眞理に深入する途は儼存してゐるのである。自分は天を對手にするアスピレーシヨンが精神的創造の無限なる行程を導くに足る力であることを確信して疑はない。 8  俺の今云はむとすることを曾て先輩が更に力強い言葉で云つてゐるにしても、俺の今云ふ言葉は空にはならない。俺の今云ふ言葉に體得したる眞理の響が籠つてゐる限り、俺の弱い言葉は先人の聲によつて打消されはしない。先人の聲は基音として俺の聲を支へて呉れてゐる。さうして俺の言葉は先人の言葉の倍音としてその響に參加してゐる。俺の言葉には猶存在の理由があり、猶存在の意義がある。  俺の今悟入する處が先人の曾て發見した處以上に一歩も出でないにしても、俺の新しい悟入は無意味にはならない。俺の心は此悟入によつて新しい世界に入り、眞理は新しく俺の胸に生きることによつて其光を増す。先人の靈は恐らくは新しい同胞を得たるが爲に歡喜するであらう。さうして「精神生活」の殿堂は新たに一つの燈光を加へることによつて更に輝くであらう。俺の今悟入した眞理は新しくないにしても、俺が今此眞理に躍入した事は新しい事實である。此新しい事實は俺自身にとつて、俺の生存する時代にとつて、最後に眞理そのものにとつて、決して無意味に終る筈がない。最も重要なるは眞理が生きて働くことである。現在生きて働いてゐる眞理が過去に類似を有するか否かは要するに第一義の問題ではない。  俺はドストイエフスキーよりも小さいが俺はドストイエフスキーをその儘に縮小した模型ではない。俺の衷に俺でなければ何人も入り得ない世界があるのは、俺が自分と他人とを區別する必要から拵へ上げたのではなくて、俺の中に、俺の個性の芽が植ゑ付けられてゐるからである。俺の聲が他の何人とも異つてゐるのは、俺が自分の聲を他人の聲以上に耳に立つものにしようと努力したからではない。俺の聲には俺の音色が自然に與へられてゐるからである。若し俺が獨特の世界と聲音とを與へられてゐないとすれば――換言すれば他人の模型として拵へ上げられてゐるとすれば――俺は芝居をするより外に此宿命を脱れる途がない。併し俺は芝居によつてオリジナルな人になるよりは、寧ろ宿命に從つて完全な模型になりたいと思ふ。  俺は他人と自分とを區別しようとする慾望から出發しても、自然に俺自身になることに落ちて行くであらう。併し俺が俺自身になるには必ずしも他人と自分とを區別せむとする努力を要しない。内容の不安から押し出される張力は自然に俺を俺自身にして呉れるに違ひない。  俺の道が先輩の道と一致するならば、俺は一緒に行ける限り先輩の跡を追つて行かう。さうして愈〻一緒に往けなくなつた時にさやうならと云はう。俺が終生その先輩の跡を追ふにしても、或は幾許もなく俺一己の道に踏込むにしても、兎に角俺は眞理に深入することによつて最もよく生きるのである。さうして最もよく俺の事業を完成し、最もよく日本と世界とに貢獻するのである。(十二月十三日) 二十 自己を語る 1 「俺の事」が今俺の問題になつてゐる。俺は今自己を語らむとする衝動を感ずる。  俺は偉くも強くもない。俺は偉くなり強くなれる人間かも知れないが、兎に角今の俺は偉くも強くもない。偉いと云ふ言葉、強いと云ふ言葉は、俺にとつて深い、大きい、恐ろしい、容易に近づく可からざる内容を持つてゐる言葉である。此小つぽけな、ケチな、弱蟲の俺を偉い者強い者の中に置くのは、此等の者に對する觀念の純粹と態度の敬虔と――隨つて憧憬の信實とを傷つける恐ろしい冒涜である。俺は此の如き肯定によつて、偉いと云ふ言葉、強いと云ふ言葉を路傍の石のやうに輕易に弄ぶ野次馬の輩と同樣の滑稽に陷る。併し俺は如何に安價に見積つても、此等の輩と類を同くする恥知らずではない。俺は偉くもなく強くもない事實を恥とする、併し決して此自覺を恥としない。  俺は偉くも強くもないが、俺の周圍に蠢く張三李四に比べて確に一歩を進めてゐる。俺は俺の周圍に、俺よりも遙に劣等な生活内容を持ちながら、その劣等な生活内容を裏付けるに稀世の天才にのみ許される自信を以つてするチグハグな「自己肯定者」を見た。さうして彼等に比べて俺の知慧が確かに一歩を進めてゐることを思はずにはゐられなかつた。俺は又俺の周圍に、眼前の喜怒哀樂に溺れて、永遠の問題に無頓着なる胡蝶のやうな「デカダン」を見た。さうして此逡巡と牛歩と不徹底とを以つてするも、猶彼等に比べて俺の思想が確かに一歩を進めてゐることを思はずにはゐられなかつた。最後に俺は又俺の周圍に、他人の賞讚によつて僅に自信を支へてゐる「弱者」と、媚を先輩に呈することによつて僅にその存在を保つ「寄生蟲」と、斷えず流行の假聲を使ふことによつて漸く文壇を泳いで行く「游泳者」とを見た。さうして此小さゝと弱さとを以つてするも、猶俺は彼等の樣に無性格ではないと思はずにはゐられなかつた。彼等に比べれば俺の人格は、もつと獨立獨行で、もつと高慢で、もつと自己に眞實だと思はずにはゐられなかつた。凡て此等のことは未だ俺の中に生成せざるものの――未だ俺の中に實現せざる價値の羞恥に比べれば固より何者でもない。俺は張三李四を比較にとる優越感に溺れることの危險を深く恐れてゐる。俺は俺の生活の礎を決して此優越感の上に置いてはならない。併し俺は俺と彼等との間に或種の距離を感ずることが不當だとはどうしても考へられない。俺は此等の自己肯定者、デカダン、弱者、游泳者、寄生蟲と自分とを等位に置くことによつて、僅かに俺の中に實現したる「眞理」を辱しめる。俺は此優越感に耽溺することを恥ぢ、此優越感を刺戟すること多き張三李四の中に活きることを悲しむが併し此優越感を持つことをば恥ぢない。  俺は偉くも強くもない。併し俺は周圍の張三李四よりも一歩を進めてゐる。さうして俺は一歩を彼等の上に進めたものとして張三李四に對する。 2  俺は「優越感を持つことを恥ぢない」と云つた。俺が此意識を恥としないのは、これが虚僞の事實に基いてゐないからである。併し此意識がよい事、あつてほしい事、なければならぬ事、價値のある事――換言すれば理想だからではない。俺は張三李四に對して優越感を持つことを恥ぢない。併し此優越感を超越すればするほど俺の人格は益〻高まつて行くのである。俺は次第に此優越感を超越するやうに自分を養つて行かなければならない。俺は長く此優越感に固執することを恥とする。固執を恥とするは此意識が虚僞の事實に基いてゐるからではない。意識するに價せざることに或重さを置き、重さを置くに足らざる意識を執拗に把住する人格の矮小を恥づるのである。  優越感を超越する第一歩は意識の重心を眞理の實現者三太郎の優越に置かずして、三太郎の心に實現せられたる眞理の優越に置くことである。重心を眞理の優越に置くことによつて、俺は羊を屠る獅子の優越感を超越して、牧羊者としての――眞理の使者としての自覺に到達する。俺の優越感は弱者の陵辱として發現せずに、使命の自覺として――救濟の使命の自覺として發現して來る。俺は俺の優越に對して嚴肅なる愛惜と、眞理に對する敬虔と、小我の固執を離れたる謙抑とを感ずる。張三李四の前に優越の地歩を占めるのは畢竟自分の中に實現せられたる眞理を敬重するからである。自己の中に眞理の宿れることを信ずる者は、空しき謙遜を以つて、易々と他人に地歩を讓ることが出來ない。  併し自己の中に實現せられたる眞理の優越を意識することも要するに比較の見地を離れては成立し難い。此處に我を置き彼處に彼を置いて始めて我の――眞理の實現者三太郎及び三太郎の中に實現せられたる眞理の――優越感は成立するのである。人が若し絶對に、全然内面から、泉の溢るゝが如く自然に生きるやうになれば、假令相對を根本假定とする他人との應接に於いても、亦比較の見地を離れて動くことが出來る筈である。優越を意識せずして優越者の實績を擧げ、教化を目的とせずして自ら他人を薫化することが出來る筈である。茲に至つて優越者の中に於いて優越の意識が無意味となる。彼の問題は唯自然に生きることであつて、優越非優越は全然問題にならない。全然問題にならないと云ひきつて了ふのが惡いならば、全然問題にならない筈である。  今俺の心の中には此三つの層が――三太郎の優越感と、眞理の優越感と、優越の問題を超越せる自然と――相重つて横たはつてゐる。柔かなものゝ底に峻しいものが、峻しいものゝ底に汚いものが隱されてゐる。俺は優越感によつて生きてゐない――俺は此事を社會の前に、先哲の前に、自分の前に、公言することを憚らない。併し俺の優越感は容易に觸發される。さうして眞理の優越を意識する心の傍に三太郎の優越を意識する心が全然交らないとは云ひ難い。俺は深い屈辱の念を以つて此事實を承認する。俺は深い羞恥の情を以つて特に論爭が俺を醜化することを――三太郎の優越感を觸發することを承認する。此事を云ふは苦しい告白である。  併し俺は過度に自分を貶めてはいけない。如何なる場合にも俺の優越感は虚僞の事實を基礎としてはゐない。さうして俺の人格は少しづゝ優越感を超越せる至純の境地に向つて動きつゝあることを感ずる。俺は次第に小敵の前に喧嘩腰になる衝動を感じなくなつて來た。俺は持てる者の必然の流出は唯與へることにあることが漸く心の底からのみこめて來た。  俺の優越感を超越する道は、未來を信じて人格の成長を待つことである。此優越感を強ひて抑壓することは、俺を道學先生にはしても、俺を生きた人にはしない。俺は依然として傲慢なる敵である。同時に傲慢を恥づる求道者である。 3  俺の心が隅から隅まで渾沌に滿ちてゐると思つてゐた時には、他人のことがちつとも俺の問題にならなかつた。俺は唯悲しい、内氣な心を以つて俺一人の問題に沈湎してゐた。  併し俺の心に或確かなものが出來かゝつて來たと感ずると共に、俺は自分で確かだと感ずる點に就いて他人のことが問題になり出して來た。さうして他人のことが氣になる心持は、自分の中に確かだと感ずるものが増加するにつれて大きくなつて來た。俺にとつては、他人のことを氣にするとは自分のことを御留守にすると云ふ意味にはならない。從つて俺は他人のことが氣になることを恥づ可き事だとは思はない。  嘗て優れたる人は、天下に一人の迷へる者あるは悉く自分の責任だと感じたと聞く。俺も亦此の優れたる人のやうに、凡ての人のことが悉く氣になるやうになりたいと思つてゐる。換言すれば全人類を包容する博大なる同情を持つやうになりたいと思つてゐる。 4  眞理の愛によつて言動することは自分にも出來ると思つてゐる。併し敵に對する愛によつて言動することは容易なことではない。俺は如何なる場合にも他人に對する惡意や他人の損失を目的とする嫉妬によつて動いたことはない。併し常に他人に對する好意と温情のみによつて動いてゐるとは中々云ひ難い。眞理を愛する心と眞理に反する者を憐憫する心とは決して兩立し得ぬことではない。然るに俺は眞理を愛するが故に、眞理に反する者を憎まずにゐられない心持に煩はされ通しである。  眞理の愛を外にして言動しないことは自分にも出來ると思つてゐる。併し眞理の愛のみによつて言動することは容易なことではない。俺は眞理の愛を外にして論難攻撃した事はない。併し俺の論難攻撃が眞理の愛からのみ出てゐるとは中々云ひ難い。彼の心には人生を滑稽化する喜劇作者の衝動が根を張つてゐる。俺の論難攻撃には眞理の愛と喜劇作者の衝動とが雜居してゐる。俺は眞理を明かにする要求の底に、自分の敵を喜劇役者に仕立てる要求を包んでゐないとは云ひきり難い。俺は此意味で俺から喜劇役者に仕立上げられる人の反感を或程度まで是認しない譯に行かない。  喜劇癖によつて煩はされる事甚しい時に、俺は三太郎の優越感が此處に噴出の口を求めてゐるのではないかと自分自身を邪推する。併し之は自分を貶しめることを喜ぶ三太郎の誇張に過ぎない。本當の三太郎はもつと無關心に戲れることを知つてゐる。 5  俺は或事をする。さうして俺は自分のする事を凝視し、解剖し、理解する。俺には俺自身を見窮めむとする衝動が不可抗に働いて居るからである。  或人は或事をする。さうして自分のすることを註釋し、辯護し、説明する。他人が眞相を誤解することを――若しくは不利益なる眞相を看破することを恐れるからである。  自分で自己解剖の要求を感じない人は、他人の自己解剖の誠實を信ずることが出來ない。さうして自己に就いて語ることの一切を悉く淺い意味の自己辯護と解釋して了ふ。彼等には此以外の動機は理解し難いからである。  自分は自己解剖の衝動を感ずる。さうして之を語ることを恐れない。世人の誤解は自分に不安を感じさせずに却て彼等の粗大なる理解力に對する憐憫を感じさせる。 6  俺は特殊から普遍に漂ふこゝろを知つてゐる。俺は特殊から觸發されて普遍が中心問題となるこゝろを知つてゐる。俺は普遍の問題の中に特殊が溺れ死ぬこゝろを知つて居る。一時の問題から永遠の問題に、個體の問題から人類の問題に、個人の問題から潮流の問題に、漂ひ行くこゝろを知らぬ者は恐らくは哲學的素質を持つ者とは云ひ難からう。  普遍の問題に導くものは多く特殊なる個々の經驗である。併し一度普遍の問題に入れば考察は「特殊」のデテイルによつて拘束されない。問題が普遍に深入すればする程、かくて掘出されたる眞理は益〻「個體」の底に横たはる「人」に肉迫するであらう。併し細密に云へば此の如き眞理は如何なる「個體」にも當嵌らない。而も猶普遍の眞理は寸毫もその價値を減じないのである。 「個體」のデテイルを細密に闡明する努力と、「個體」に關する漠然たる直覺に觸發されて「普遍」の中に衝き進む努力とは全然相異る方向である。後の道をとるものは「個體」のデテイルを闡明する責任を負はない。此責任を負はないのは卑怯ではなくて、興味の中心が移動してゐるからである。  一種の文明評論家として日本現代の文明に對する時、俺は現在の俺をデテイルの細密なる闡明に驅る程興味ある個人を殆んど一人も發見しない。併し俺は此等の凡常なる人物によつて構成される潮流には無頓着であることが出來ない。故に茲暫くの間俺の問題は殆んど全く「文明の潮流」に限られてゐる。  嘗て俺は此の如き潮流の一つを問題とした。さうして俺の問題は潮流であつて個人ではないと云つた。然るに一人の畏敬する友人は、「君がその潮流を論ずる時君の頭の中には或特殊の個人があつたかも知れないのに、自分の問題は潮流に在つて個人にはないと云ふのは卑怯だ」と云つた。併し俺は此批評を承服しなかつた。潮流に對する興味は確に個々の事例によつて觸發されたに違ひない。併し俺は此等の事例に深入するだけの興味を持たなかつた。さうして問題は直に潮流の上に移つて行つた。俺の下す斷定は潮流の上に適用されるのみで、個人の上に適用されることを要求しない。故に俺の問題は潮流に在つて個人にはない。之は道徳の問題ではなくて、論理の問題である。 「お前は俺の惡口を云つたな」と云ふ時、「それがどうした」と買つて出るのは一應の意味で元氣さうな返事である。併し俺はそんなヒロイズムを尊敬しない。俺は哲學者の無感動を以つて、自分の最初の立場を固執する。さうして「俺の云ふのはお前達を對手にした賣言葉ぢやないよ」と冷かに問題をはぐらかす。俺が「男子の意地」に誘はれて、フラ〳〵と當初の立脚地に反する喧嘩に出かけない限り、此返事が最も自己に忠實な返事だからである。  卑怯だと云ふ非難に對する俺の返事は、哲學的考察の心持を理解せよと云ふことである。 7  俺は書かずにゐられない心持を知つてゐる。俺の中にたしかなものを感ずるにつれて、俺の此心持は愈〻切實になつて來る。  俺は書くことが出來ない心持を知つてゐる。大なる醗酵の時、大なる動亂の時には、肚の中に渦卷くもの、燃えるものを感ずるのみで姿が定まらない。半成の姿は之を筆にするに及ばずして、之を熔解し、之を破壞する力に逢着する。書けないと云ふ事は沒落の徴候ともなり又大なる準備の徴候ともなる。發育のカーヴが急轉する時、書くことが出來なくなるのは當然である。俺は書けない意味を知つてゐるつもりである。  俺は又書くことの危險を知つてゐる。或經驗を深く掘つて行く努力の方向と、或經驗を總攬し形成し――從つて書く――努力とは必ずしも一致しない。經驗の爛熟を待たずして、意識をその表現に轉向する時、經驗は往々その歩みをとゞめる。さうして徒に紙上に形成せられたる人形として、流産せる經驗はその死骸を晒す。俺は書かない者の多數にとつて、經驗は眞正に具體的の姿をとらないことも知つてゐるが、俺は又書かないものに比べて書く者の方に、經驗を半熟の姿に玩弄するオツチヨコチヨイが多いことをも知つてゐる。  書けることはよいことである。併し書けないことは必ずしも惡いことではない。書けない時に書くよりも――本當に書かずにゐられない事がないのに書き散らすよりも、書かない方がよいことである。さうして同じく書く可からざる状態にありながら、書けないことの苦しみを知らぬ者よりも、書けないことの苦しみを本當に經驗する者の方が優つてゐる。(三、一、一八)
底本:「合本 三太郎の日記」角川文庫、角川書店    1950(昭和25)年3月15日初版発行    1966(昭和41)年10月30日50版発行 ※底本の亀甲括弧は、アクセント記号と重複するため、山括弧の「〈」(1-1-50)と「〉」(1-1-51)に代えて入力しました。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:Nana ohbe 校正:山川 2011年8月4日作成 2021年10月4日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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Inzwischen treibe ich noch auf ungewissen Meeren; der Zufall schmeichelt mir, der glattzüngige; vorwärts und rückwärts schaue ich-, noch schaue ich kein Ende. 一 自ら疑ふ  A 出來るだけ自分の心の中の生活の底を見せること――これより外に俺には書くことがなかつた。併し俺の割つて見せる生活の底を誰が見るのだ、どんな奴が見るのだ。  B 僕は久しい間その疑惑の言葉を待受けてゐた。一體君がものを云ふ態度には頭隱して尻隱さずと云ふ趣がある。君は處女のやうな羞恥を以つて自分の生活の肌を見せることを恐れながら、而も普通以上の大膽を以つて自分の尻をまくつて見せてゐるのだ。尻をまくつて見せながら赤面してゐるのだ。君の自己告白の態度には、妙に極りが惡さうな、拘泥したところがあるから、平氣で云つてのければ特別の注意をひかずにすむところでも、君のやうな物の云ひやうをすると却つて他人の好奇心を煽るやうなことになるのだ。君の逡巡と内氣とは、却つて君の見せるを敢てしないところにまで、此處に注目せよとアンダーラインを引くと云ふ結果を持ち來してゐる。この間の矛盾は、君の表現の内容が深入りすればするほど、益〻著しくなつて來てゐるやうだ。  A 君の觀察は全く當つてゐる。それだから僕は物を書くたびに苦痛を感ずるのだ。人目は兎に角、自分が苦しいから、僕は一日も早く今日の態度を脱却したい。併しそれを脱却する爲に僕は Dialectic の方向をどちらに進めればいゝのだ。自分の生活の肌を全然裹んで了へばいゝのか。それとも何事も隱さずに裸かになつて世間の前に立つ方がいゝのか。  自分に最も興味のある問題は、自分の最も他人に見せることを恥とする生活の肌である。或部分を見せて或部分を隱さうとすれば、徹底を求める表現の要求が承知しない。表現の要求を十分に滿足させようとすれば、群集の前に隱れようとする處女の羞恥が顏を赧くする。僕は一體どうすればいゝのだ。  B The chariest maid is prodigal enough, if she unmask her beauty to the moon. 眞珠を豚に與へるのは愚かなことだ。  A いや、考へて見るとやつぱりさうぢやなかつた。生活の肌は肉體の肌と違つて、他人に見せるを恥とすべきことではない。僕の Dialectic の行く先は「頭隱しの尻隱し」として徹底することではなしに、「頭隱さず尻隱さず」として徹底することでなければならない。逡巡も疑惑も要するに通り過ぎる雲だ。僕は自分の生活の肌をすつかりむき出しにして、天と人と、敵と味方との前に玲瓏として突立つてゐられるやうになりたい。  B 君のやうに自分の生活を愛惜する人が、衆愚の前に自分の生活を投げ出さうとするのは可笑しいぢやないか。  A 僕が自分の生活を愛惜するのは、生活を愛惜するので體裁を愛惜するのではない。僕は自分の生活を愛惜するから、これを安つぽい實驗の道具にしたり、浮々と他人の煽動に乘つたり、下らない挑戰に應じたり、行き掛りのためにずる〳〵と引張り出されたりすることは、出來るだけしないつもりでゐる。併し僕の生活した限りを盡してこれを表現しても僕の生活の内容は少しも損はれない。尤も僕の表現されたる生活は色々な野次馬の玩具にされるだらう。僕が自分の生活の底を割つて見せれば見せるほど、浮氣で、醉興で、本當の意味で他人の生活を尊重することを知らぬ人たちは、喜んでこれを噂の種にするだらう。併し彼等が如何に僕の表現されたる生活を玩具にしたところで、僕の生活の内容は依然として昔のままである。僕は野次馬に對していやな氣はするが彼等を恐れはしない。「暴露」を恐れるのは體裁を愛惜する人のことで、生活を愛惜する人のことではない。  B 君の考へ方は例によつて抽象的にすぎる。君は此際に君自身の過敏な自意識をも勘定に入れて考へる必要がある。世間の評判は屹度過度に意識的な君自身の心に反射して來て、君の生活内容其物を不純の色に染めるやうになるに違ひない。それだから、本當に自分の生活を愛惜するものも、亦容易にその生活の祕密を他人の前に暴露すべきではないのだ。  A それは君の云ふ通りだ。本來過敏な僕の自意識が、自己表現の努力と世評に對する反應とのために、更にどれほど過敏にされて來たか、測り知れないほどなことは、僕自身も十分之を認めてゐる。表現の結果に對する十分の覺悟なしに、うか〳〵と自分の奧底をさらけ出してしまふことは、馬鹿でもあり間拔けでもあるに違ひない。併しそれは覺悟の足りない當人が惡いので、生活の表現そのものが惡いのではない。玩弄物にするのは世間のことだ。世間の玩弄に堪へて内生の純潔を保つて行くのは自分のことだ。この試煉を踏みこらへて行くことによつて僕等の生活は更に根柢を固め、輪廓を大きくして行く。  自分の生活の肌を見せる覺悟を固めるためには或程度までの性格の強さがなければならない。自己表現の社會的結果を踏みこらへて、更にこれを將來に於ける發展の原動力とするためにも、亦或程度までの性格の強さがなければならない。僕にその強さがあるかないか、それは君の判斷に任せよう。  B よし。君にその強さがあることを許すとしよう。併し自分の生活の肌を見せたり、自分の缺點を暴露したりすることが、自他にとつて何の利益になるのだ。トルストイでさへその傳記々者ビルコフに與へた手紙の中で、自己稱讚と Cynical Frankness とに陷らずに自分の生涯を記録することは恐ろしく困難だと云つたぢやないか。君は君自身の告白にもこの二つのものが混入して、知らず識らずの間に君自身の品性を墮落させたり、君の文章を讀む者に惡質の感化を及ぼしたりしてゐないことを保證することが出來るか。  A 悲しいけれども、僕はそれを保證することが出來ない。ルソー流の露出の快感は僕にとつて本來縁遠い誘惑であるけれども、自分を傑れたものにして見せようとする衝動と、Melancholia の患者に似た自己非難の快感とは決して僕の知らないところではない。此際僕の安んじて云ひ得ることは、唯これ等の衝動を根本動力にして書くのではないと云ふことと、これ等の衝動の侵入を防ぐために出來る丈嚴重な見張りをしてゐると云ふことだけだ。僕は僕の純粹な動機から來る美しいものが、不純な動機から來る混入物の醜さを償ふに足ることを希望するばかりだ。  一體自分の心掛けから云へば、僕は唯自分の弱點を見せるために、面白半分に自分の弱點を暴露してゐるのではない。僕は時として自分の弱點を――他人に見せるためではなしに自分一人の心底から――嘲弄せずにはゐられないやうな心持になる。さうしてこの嘲弄によつて、この弱點以上に立つ何等か積極的なものの生きて動くことを感ずる。だから僕はこの自己嘲弄の心持を表現するのだ。僕は又時として自分の短所を征服して一歩を新しい段階に進めたことを感ずる。だから僕はこの新しい段階に立つてたつた今通り拔けて來た自己征服の歴史を囘顧するのだ。僕の缺點や短所は、缺點や短所そのものとしては表現に價ひせぬ些事だが、この缺點に甘んずるを得ぬ憧憬や、この短所を否定する意志や、此等の缺點と短所とを征服した歴史は、表現に價ひする積極的價値を持つてゐるに違ひない。尤も自分の體得した價値を他人に見せるために、若しくは宣傳するために書くといふのは、僕の現在の實際には遠い心持だが、兎に角僕は自分の衷にいゝものゝ身動きを感じた時にのみ書くことが出來る。さうして自分の衷にいゝものゝ身動きを感じた時には、何等かの形でこれを記録せずにはゐられない。世間との關係に就いて云へば、自分を高めたもの、清めたものが他人に害をなす理由がない、と云ふのが自分の書いたものを江湖に放つときの自分の信仰だ。  併しこの信仰は時々動搖する。或時は高めらるゝを要する低きもの、清めらるゝを要する汚れたるものゝ存在を語るに聲の慄へることを覺える。或時は淨めの火の灼熱が足りないために不純の動機を燒き盡すことが出來ないことを恐れて、顏を覆ひたいやうな心持になる。僕はまだまだ自分の書いたものを他人にすゝめるだけの勇氣がない。僕は自分の書いたものを自分の面前で讀まれると顏を赧くする。而も僕は又足の弱い子を遠い旅に送つた親のやうに、世間を巡り行く我が子の朝夕を案じてはゐるのだ。忍男の子を持つた母親のやうに、恥ぢらひながらも自分の書いたものを愛してはゐるのだ。自分の書いたものを厚遇して呉れる人々の好意を心窃かに喜んではゐるのだ。  B 君は文章を書く時に、讀者の顏を明瞭に思ひ浮べたことがあるか。  A 思ひ浮べようとしたことはあるが、はつきり思ひ浮べることは出來なかつた。樣々なもや〳〵したものが僕の面前に立はだかつて、僕を羞かませたり躊躇させたりすることはあつても、底を叩けば僕は唯僕自身を相手にして自分の文章を書いてゐるのだ。さうして自分自身に通ればそれで滿足してゐるのだ。僕が割合に大膽に無邪氣に自分の生活の底を割つて見せることが出來るのは、一つはかう云ふ製作の心理に基いてゐるのだらう。若しはつきり讀者の顏を思ひ浮べることが出來たら、僕は今よりもつと臆病に小膽になつてゐたかも知れない。僕は結局讀者の顏をはつきり思ひ浮べることが出來ないことを仕合せに思ふ。  B 自分の子の苦痛を見まいとする母親のやうに――?併し君がいくら眼を瞑つても事實は事實だ。君の書いたものは昔から多くの「思想」が遭遇したと同樣の運命に逢つてゐるのだ。君の敵と味方とが君の「子」を取卷いてわい〳〵騷いでゐる。君の愛兒は肯緊を外れた攻撃と内容の充實を缺いた同感との眞中に立つて寂しく微笑んでゐる。さうして巷の雜閙の中にゐながら孤獨を感じてゐる。  A 君の云ふことは幾分か當つてゐる。感情の興奮した刹那には、僕自身も幾度君のやうに考へて來たことだらう。併し僕はもう君のやうな高慢な、誇張した考へ方はしたくない。孤獨は恐らくはあらゆる人間の運命だ。孤獨なのは決して僕一人ばかりではない。僕は嚴かな、愼ましい心持でこの運命を忍受するばかりだ。多くの偉大な先輩が忍受して來たものに比べれば、僕の孤獨などは實に物の數でもない。僕は自分と讀者との關係に就いては、寧ろ自分の多幸を感謝しなければならないと思ふ。  固より凡ての自己告白者に於けるが如く、僕の周圍にも亦一切の中から三面記事を讀まうとする野次馬がゐるには相違ない。僕は時として笑を含んだ好奇の眼が自分の顏を覗いてゐることを感じて堪らない心持になる。僕は此等の野次馬の前に自分の肉體的な顏をさへ晒すに堪へない。併しこれは凡て他人の注目を惹く地位に立つ者の必ず拂はなければならぬ税金である。而も僕の拂つてゐる此方面の税金は小説などを書く人に比べれば、どれほど廉いかわからない位であらうと思ふ。此種の野次馬は唯簡單に無視すればいゝのだ。野次馬の顏は自己告白の勇氣を挫くに足るものではない。  B 併し同感者の名に於いて集つて來る野次馬はそれほど簡單に無視する譯には行くまい。彼等は君の書いたものによつてひき出された心持を自分自身の育て上げた心持と混同して、君が勞苦して到達した段階に譯もなく攀ぢ登つて來る。さうして君と同じ言葉を用ゐ、君と同じ結論を振𢌞して、世界の前に君の戲畫を描いて見せる。君は「流行」となる。さうして「流行」の如くに間もなく超越される。君は君に同感すると稱する人の顏に、君の思想がちつとも實にならずに瘤のやうに附着してゐることを發見して、くすぐつたいやうな氣がした事はなかつたか。君の思想が讀者の胸に種を卸さずに、唯危く接穗されてゐるに過ぎない事を見て果敢さを感じた事はなかつたか。  A そんな經驗も亦ないとは云へない。併し自分の思想は他人が容易に同感し得ないほど特異なものだと考へるのは僕の高慢にすぎないだらう。僕は決して他人の同感を拒む資格を自分に許さない。僕は唯その同感が根本的なことを希望するばかりである。さうして多くの誠實な眞面目な讀者を持つてゐる點でも、僕は特別に幸福でないとは云へないやうだ。僕は僕の思想をその根本的な態度と問題とに於いて受取つて、これをその人自身の發展の參考としてゐる幾多の人があることを信じてゐる。現在僕が不安を感じてゐるのは寧ろ此方面から來る過度の尊敬と信頼とだ。僕は固より自分自身に就いて相應の自信がないものではない。併し僕の中には又尊敬と信頼とに價せぬ極めて多くの缺陷がある。さうして僕はこれを熟知しこれに苦しんでゐる。從つて僕は身分不相應の尊敬を平氣で受けてゐることが出來ない。僕は元來不足を感ずることばかりを知つて、感謝することを知らない男であつた。併し近來自分の缺陷の意識が明瞭になるにつれて、幾多のことを運命の過分な恩寵と感ずるやうになつて來た。さうして僕が最も「過分」と感じて恐縮してゐることの一つは自分の書いたものによつて受ける他人の尊敬である。僕は一つの告白を書く度に他人の非難と輕蔑とを豫期して身の縮むことを覺えた。僕は一つの文章を書く毎に、他人の輕蔑に堪へる覺悟を固めてかゝつた。併し事實は豫期に反して、自分は多くの友人から思ひがけない宥恕と尊敬とを受取ることゝなつた。僕は本當にこれを不思議に思ふ。僕はどうしてもこれを自分のメリツトと考へることが出來ない。だから僕は身分不相應の尊敬に逢ふ毎に、自ら省みて慚愧の念を深くする。君は尊敬される者の寂しさを感じたことがあるか。尊敬される者の寂しさを感ずる者は、時として極めて誠實な人によつて表示される尊敬の中にも運命の皮肉を讀む。併し自分の尊敬すべからざる所以は自分で他人に説明し得る事柄ではないから、僕はその人の好意に對する感謝と運命に對する畏怖とを以つて、誠實な人の尊敬を忍受してゐる。自分のメリツトではなしに「知られざる者」の意志として。尊敬されなくなる日を當然の歸結として豫期しながら。その人の事實に當らざる尊敬が僕の缺點に對する愛に變る日を心の中に待ち望みながら。  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それは僕が外面的歴史的眞實を書かうとせずに内面的眞實を書かうとしたからだ。僕の書いたことは假令行爲となつて露れないまでも、悉く僕の心と頭とで經驗したことばかりだ。換言すれば僕の實際ばかりだ。僕の人格は僕の書いた一言一句の責任からも脱れることが出來ない。而も僕の人格には書き現はされたものゝ外に更に審議せらるべき幾多の缺點があるのだ。僕は僕の心の最も暗い一面をば到底書くに堪へなかつた。さうして僕の日常生活の世界は僕の文章の世界に比べて、遙かに散漫な、弛んだ、調子の低い世界である。從つて内面的道徳の立場から云へば、僕は、書いたものゝ世界に於いて、實際の自分よりも遙かに善人になつてゐるに違ひない。僕は決して書いたものによつて自分を審かれることを恐れない。  僕は自分の穢さと低さとを反省する毎に正しき人の怒りが自分の頭上に爆發することを當然と思はないことはなかつた。僕は先輩の不信用よりも常に正しき人の怒りを恐れて來た。而も猶自分の中に鬱積するものを排除するために、自分の正しきを求める意志を生かすために、自分の生活の底を割つて見せずにはゐられなかつた。自分は多少纒つた告白を書く度毎に、これで愛想がつきるならつかして貰ひたいと云ふ心持で書いて來た。僕は恐れながらも猶待ち望む心を以つて、一切に捨てられ一切に背かるゝ日を豫期して來た。僕はこれ等のものを書く度毎に、自分の孤立を賭して來た。さうして心竊かにその孤立を望んで來た。孤立は僕の人格の罪の當然に償ひするところである。さうして僕はこの責罰によつて本當の自分の本心に立返ることが出來るのだ――僕はかう思ひながら、復活の日を待ち望むやうに孤立の日を待ち望んで來た。凡ての人から罵られ謗らるる日を待ち望んで來た。僕は世間の人があまりに寛容なために今不當に愛せられ、尊敬せられながらも、心の底には猶來るべき日の豫期を捨てることが出來ない。  僕はまだ〳〵損をすることが少すぎる。僕はもつともつと損をする人間になりたい。僕はまだ〳〵自分の生活の底を見せるに臆病にすぎる。僕はもつともつと自分の生活を露出する勇氣を養はなければならない。疑惑も逡巡も要するに通り過ぎる雲だ。僕は一切の衣を脱いで裸かになりたい。さうして首をのべて運命と世間との審判を待ちたい。生きるために。復活するために。人となるために。(四、六、九) 二 散歩の途上 1  ニイチエがトルストイを惡く云つたり、トルストイがニイチエを惡く云つたりすることは、俺がニイチエとトルストイと兩方の弟子であることを妨げない。ニイチエとトルストイとの間に彼等自身が考えたほどのギヤツプがあつたか、彼等自身が考へたほどの本質的矛盾が存在してゐたか、既にこのことからが疑問であるが、併し假に彼等の背反が或程度まで彼等自身の誤解に基いてゐたにしても、彼等自身の積極的方面がこの間に輝いてゐるがために、此誤解は彼等にとつてフエータルな缺點とはならない。唯この誤解を踏襲することが彼等の研究者にとつてフエータルとなるだけである。若し又彼等が相互に反撥するのはその間に深い本質的の矛盾があるためにしても、俺が彼と此との弟子であるには何の妨げともならない。俺の人格は俺の人格で、彼等の人格ではないからである。  凡ての優れたる人は自分の師である。如何に多くの人の影響を受けても、綜合の核が自分である限り、自分の思想は遂に自分自身の思想である。 2 「菩薩涅槃を修むる時身と心とに苦あり。されど思へらく、我若しこの苦を忍ばずば衆生をして煩惱の河を渡らしむること能はざらむと。故に菩薩は默して一切の苦を忍ぶ」(佛傳涅槃篇)  この句は忘れ難い中にも忘れ難い句である。この簡潔な一句の中に、自分は激勵と慰藉と、及び難き高みから射して來る靜かに清らかな光との錯綜を見る。「菩薩は默して一切の苦を忍ぶ。」自分がこの境地に到達し得るのは何の時だ。 3  愛には愛の對象と同一になつてゐる愛と同一になることを求めてゐる愛との二つの區別がある。自分は假に之を融合愛(Verschmelzungsliebe)と憧憬愛(Sehnsuchtsliebe)と名づける。友人の話によればキエルケゴールは反復愛と囘顧愛(Wiederholungsliebe und Erinnerungsliebe)の二つを區別してゐるさうだ。自分は愛する者と愛する者との關係から之を見、キエルケゴールは最初の愛の瞬間に對する關係から之を見てゐると云ふ差別はあるけれども、その意味は隨分似通つてゐるやうに思ふ。  ポロス(豐足)とペニヤ(貧窮)との間に産れたるプラトンのエロスは現象の世界に在つてその到達し難き觀念の世界を抱かむとする永久の憧憬愛である。憧憬の愛もその奧底に何等かの融合がなければならないとは云ふものの、その中には常に十全なる融合を缺くの意識がある故に、憧憬の愛は何時も寂しい、何時も苦しい。今自分は憧憬の愛に疲れてゐる。  自分は靜かな心を以つて自然に對する時――若しくは美的關係に於いて立つ限り人間に對する時と雖も――彼と此との間に融合愛が成立する刹那があることを知つてゐる。併し人と人とが倫理的關係に於いて立つ限り、融合愛の成立は實にむづかしい。自分は時としてセンチメンタルな心を以つて希望する――假令積極的に徹底せる融合の意識はなくとも、せめてこの噛むが如き非融合の意識なしに靜かに他人との愛に眠りたいと。 4  佛典を讀んで、「苦治」すると云ふ言葉に出逢つた。自分は苦治を喜び苦治に疲れてゐる。併し自分は矢張堅忍してこの病を苦治しなければならない。 5  途で乞食のやうな風體をしてゐる人に出逢つた。羊羹色もところ斑らになつた古ソフトを被つてゐた。色のうすはげた淺黄の大風呂敷で何かを背負つてゐた。肉の引しまつた、しかし、肉が柔かに骨をかくしてゐる蝋色の顏には、針のやうな鬚が茂生してゐた。帽子を眉深にかぶつたその逞しい眉の下には二つの眼が男らしく光つてゐた。自分はこの人をじつと見ながら一種の沈痛な滿足を感じた。  自分が感じたこの滿足の根柢には、自分がこの人の生命に貫徹し分關する經驗が横たはつてゐなければならない。併しこの滿足は恐らくは自分だけが持つてゐるもので、この人が感じてゐるものではあるまい。この人は恐らく自分の貧苦に就いて、身に覆ひかゝつてゐる何かの屈托に就いて思ひ沈んでゐるのであらう。この人の生命に分關することによつて生じた自分の經驗が、この人の持つてゐない滿足を伴つて來るのは何のためだ。  思ふにそれは、俺はこの人を「觀」てゐるのに、この人は自分自身を「觀」てゐないからである。俺は心を結束してこの人の生命を貫徹する「働き」をやつてゐるのに、この人はそれをやつてゐないからである。一つの生命は自分自身の中から動き出してゐる。その生命は動くにつれて喜び若しくは悲しみを感じてゐる。もう一つの生命は自ら動くにつれて喜び又は悲しんでゐる他の生命を追つて動いてゐる。それはつれて動いてゐるが故に、「觀」てゐるが故に、換言すれば動きながら正念を失はぬが故に、喜ぶものを追うても悲しむものを追うても常に底の方に獨特の喜びを感じてゐる。 「觀る」とは自分は靜止してゐて他の動いてゐるのに對立することではない。對立するものと共に自ら動くことでなければならない。寧ろ對立するものに即して自ら動くことでなければならない。併し「觀る」とは對立するものと全然同樣の意味に於いて顛倒し惑亂する意味でもない。顛倒すると共に「觀る」ことは消失する。「觀る」者は正念を以つて顛倒し惑亂し、呼吸の逼迫を經驗しなければならない。正念を失はずに一切を觀ずるを得るものにとつては、一切の顛倒も惑亂も罪惡も災禍も凡て宇宙の生命のあらはれとして悉く美しく見えるに違ひない。自分は固よりこの境地を知らない。自分は或物に就いては宇宙の生命のあらはれを觀得するを得ざるが故にそのものを醜しと見る。自分は或物に對しては對象と共に顛倒し惑亂し了するが故に、世界は實に悲しく苦しいものと見える。併し正智の眼を開いて法爾自然の相を觀ずる悟者にとつて、法界の一切が清淨の光を帶びて見えることは、自分が悲しめる人を見て沈痛の滿足を感ずる經驗より類推して首肯することが出來るのである。  しかし、觀ずるの喜びは觀ずるもの一個の幸福にとゞまる。觀ずるものは人生の起伏する波濤のなかに顛倒し、惑亂し、慟哭し、絶叫する無數の衆生を見てこれに同情しながらも、猶ほ彼れは涙に濡れた微笑を以つてよしと云ふのである。彼は自身の怒り、嘆き、迷ひ、苦しみに對してさへそのうちに或る物の光を認めてこれ等凡てよしと云ふのである。(自分の此處に云ふのは凡てがよくなると云ふ合目的觀の信仰を云ふのではない。凡て此の儘にてよしと云ふ美的世界觀に就いて云ふのである。前者の見方から云へば世界は猶勞苦に充ちたる努力によつて改造されなければならない。後者の見方から云へば問題は唯眼を開くと開かざるとの一點に懸るのである。眼を開いた者にとつては一切がこのまゝで正しいのである。)しかし觀ずる者によつてよしと稱せられたる衆生の煩惱はよしと觀ぜらるゝことによつてそれ自身には何の光をも受けることが出來ない。彼等は正智の眼を以つて法界を觀ずることを得ざるが故に、何時までも苦惱のうちに在つて何の慰藉もなく顛倒し惑亂し慟哭し絶叫してゐるのである。悟者の悟はそのまゝでは衆生の迷蒙を如何ともなし難いのである。悟者は幸福でも、世界は――嚴密に云へば正智の眼を開かざる衆生は――依然として闇黒のうちに轉々してゐるのである。  此の時にあたつて悟者には自分の悟りを恥づる心が湧かないだらうか。衆生の苦に對して自分の幸福を私と感ずる意識が動かないだらうか。自分の悟を齎らして山を下らうとする愛を――倫理的の愛を――感じないだらうか。この愛の徹底せざる限り自分の世界も再び新しい意味に於いて闇黒だとは思はれて來ないだらうか。自分は乞食のやうな風體をしてゐる人を見て一種の沈痛な滿足を感じた。而もこの滿足は自分一個の滿足で、この人を幸福にする力はちつともないのだと思つてすまないやうな氣がした。さうして自分のこの小さい經驗を根據にして悟者の心を推想するのである。  固より自分の此處に云ふ悟者は一切の悟者を指して云ふのではない。藝術の方面から入つた一種の悟者を指して云ふのである。この方面から入つた悟者には自己の幸福と他人の救濟とが最も分裂し易く、最も矛盾に陷り易いことを思ふのである。さうして美的の悟者も遂には一種の倫理的活動に轉移して行かなければならないことを信ずるのである。 6  幸福な、輝いた世界のみを取扱つてゐる藝術家のことは暫く云はない。人生の悲慘と暗黒と、此等のものゝ間に響くシンフオニーとを取扱つてゐる藝術家は、その取扱ふ世界の眞生命に徹底するために、先づその正念を失ふに瀕するまでに闇黒の世界に同化しなければならない。寧ろ一旦その正念を失つてしまふまでに、自ら慟哭し絶叫しなければならない。併しこの素朴の世界に彷徨し勞苦してゐる間、慟哭し絶叫するものと共に渾沌の間に昏迷してゐる間、彼の衷には彼の藝術が生れて來ない。彼はこの世界にさし込んで來る光か、この世界の底を流れてゐる流れかを探り當てるに從つて漸くその正念を囘復して來る。さうして彼の藝術の世界の形成と結晶とが始つて來る。彼の世界に一つの節奏が響き始めて來る。彼が素材の世界に貫徹するの深さはこの節奏の中に融かされて始めて特別の「美しさ」を生じて來るのである。彼の慟哭と絶叫とは始めて洪鐘のやうに響き渡るのである。  地獄を見ないものは地獄が描けない。地獄を忘れたものも地獄が描けない。地獄にゐるものも亦地獄が描けない。地獄を通つて來て而も現在鮮かに地獄を「觀」てゐるものにして始めて地獄は描けるのである。  正念とは冷かな超越ではない。(四年秋) 三 去年の日記から 1  晝寢から醒めて寂しい、空しい、落付かない心持になる。去年の暮から始まつた「一年間」の問題が一生の問題となり、讀書と修業(行法)とのデイレンマや、一切の仕事の空しさに對する感じなどに溺れて、中々讀書や仕事に手がつくところまでは漕ぎつけ難い。  夜、風ひどく吹く。廣小路に出て買物をして、歸つて一人で少し酒を飮む。涙ぐまるゝ心持。(一月) 2  生きるとは何ぞ。  平凡非凡併せて空となる。  前の生活が後の生活の基礎とならず、突發し霧消する生活の寂しさ。芝居を見、酒を飮み、遊宴歡語し、旅行をする。――凡てそれ〴〵の記憶を殘すのみで、過ぎてしまへば跡かたもない。酒醒めたる後、興奮のすぎ去りし後に殘るものは唯疲勞とデプレツシヨンとのみ。連續なき生活の果敢さ。  嗚呼、南無無量壽佛。南無無量光佛。 3  何のために書を讀むか。  知らないのが口惜しいから讀む。  商賣だから讀む。  現在の樂しみを求めるために讀む。  自分の生活の基礎を拵へるつもりで讀む。  讀んで行きながら、書中の問題又は書中の世界に同化するは何の用ぞと思ふ。或部分は自分自身の問題に心奪はれながら上の空で讀む。或部分は書中の問題に同化せむと努力するために自分の問題を殺してゐることを意識しながら苦しみ讀む。自分の問題と書中の問題とピタリと呼吸が逢ふことを感じながら、先を樂しんで讀むことは頗る稀である。況して全篇を通じて呼吸の一致を感じ通すことなどは殆んどない。  かくて自分は中々本が讀めないのである。 4  午前Xがその情人を連れて遊びに來る。輕い戲れるやうな好意を感じながら二人の巫山戲るのを見てゐる。  LとQから年始状の答禮が來ない。これが先生や長者ならば何とも思はないが、彼等が金持なる故に癪に觸るのである。自分が彼等に年始状を出したのは、彼等が金持だからでななくて、友達らしい親しみを見せたのを殊勝だと思つたからだ。自分は鐚一文だつて彼等の世話にならうなどとは思つてゐない。それを彼等の門前に蝟集して利益のこぼれに預からむとする書生並に取扱つてゐやがるのは何と云ふ不心得だ。もうこれから挨拶をしてやるものか。自分は憤慨と反抗との炎を燃やした。さうしてその炎の奧にはこの小さい拘泥を卑しむ哲學者の心が笑つてゐる。  併し悲觀するには及ばない。道は確かだ。唯雲が通りすぎるのだ。 5  夜Zと云ふ人が尋ねて來た。始めは五月蠅いと云ふ心持で話をきいてゐたが、後にはこの眞面目な、忙しい中に勉強を心がけてゐる、本を買ひたくとも金の餘裕のない、知識の乏しい、誠實な人に對する尊敬と同情とが起きて來て、しみ〴〵した心持になつた。さうして優しい心持で親切に話をした。――自分は此處に「此人の方が自分などよりはえらいのである」と書かうとしてハツと思つた。かういふ言葉はちつとも自分に損の行かない、寧ろ自分を寛容な人と思はせる利益のある、他人に喜ばれ易い言葉である。それだけこの言葉は輕々しく發すべき言葉ではない。自分がZと云ふ人の眞面目なのに感心して、自分が恥かしく思つたことは確かである。併し本當は自分は此人が一體に自分より偉いと思つてゐるのではないのである。今自分は自分が書かうとした言葉に、自分自身の優越を裏から肯定しようとする心持の影があることを認める。こんな言葉は本當に滅多に使ふものではない。 6  攫へたるもの指の間より逃ぐ。  Exaltation よりさめたる後の Depression のわびしさを如何にせむ。  戀、酒、事業、好景、歡會――これ等のものすべて皆空し。 7  能成の飜譯でニイチエの「此人を見よ」を讀む。  ニイチエとは自己に對する評價が丸で反對の立場にありながら、その思想が思ひがけぬところで一致するところがある。自分が獨りで考へてゐたところを、ニイチエが全く同じ言葉で云つてゐるところもある。自分はニイチエ反對者でないと共に、純粹のニイチエ主義者でもないと思ふ。ニイチエの主張には同感なところが多く、ニイチエの批評には反對なところが多い。ニイチエのメタフイジイクには科學的ポジテイヸズムがあることを思ふ。これが彼の哲學を誤謬又は時代遲れにする原因になりはしないかとも思ふ。色々の混雜した感じと、多少の濁つた落付かぬ心持と、全體を包む興奮とを經驗する。ニイチエに對する批評的研究の興味が新たに刺戟される。 8  K子を抱きて晝寢す。眠りながら三度四度續けて片頬に笑む。  力んで赤くなる顏。乳房をさがしてあせる口。笑より顰め面に變る表情のうつり目。利口に見えたり、小ましやくれて見えたり、巫山戲て見えたり、いたづらに見えたり、佛のやうに見えたりする人相の變化。  十時縁側より庭に下り立つ。月夜、霜夜、白く、遠く、一つにうす靄かゝれり。靜かなる幸福の心。 9  夜九時過、さつき買つて來た伏見の豆人形を机の上に行列させて樂しんでゐたが、遂にこれを床の間の長押の上に行列させることを思ひついた。二十五燭の電氣が青味がかつた光で隈なく照してゐる中を、小さい人達が小さい影を投げて長押の上に列んでゐる。其數凡そ六十。じつと見てゐると不思議な生物のやうに見えて來る。並べ了つたのは十一時半過。隣のT夫人が外から呼ぶので戸をあけて見たら月が墓地に冴えてゐた。  女中が二階に上つて來て蒲團に行火を入れてくれる。 10  三月二日。谷中の家の戸を締めて學校へ行き、歸りがけに僅かな金を持つて三越と松屋とに雛人形を買ひに行く。三越はもう賣切れてゐた。偶〻あるものは高くて手におへない。三越に緋毛氈を、松屋に五人囃と貝雛とを買ひ、貧しく乏しい心を抱いて衢に出ると、雨がハラハラと降つて來た。萬世橋から電車で柏木へ行き、貰つたのや買つて置いたのや今日買つて來たのなどを並べて見ると、見すぼらしくごた〳〵しながらも流石に賑かに見える。夕暮妻が桃の花を買ひに行つたあとでK子が大あばれをして僕を困らせる。夜十時過ぬるい湯に入つて寢た。何となく納らぬ心持である。  夜中、雨が降つて雷が鳴る。併しK子は何も知らず安らかに眠つてゐる。 11  天氣よし。K可哀し。午後近郊を散歩するに、春の風冷かな中に温みを帶びて、日の光が柔かに野の上に流れてゐた。其處此處に娘や子供が摘草をしてゐるものが多い。此世の美しさと此世に生きることの幸福とを感じて、靜かに、柔かに、感謝の祈りを捧げたい心持になつた。小川の縁に萠え出した草を藉いて、おぼろに暮れ迫る向ふの丘の雜木林や森かげの三重塔をじつと見てゐるうちに、久しい間唯求めるばかりで感ずることが出來なかつた神の近接を感じ得たやうな氣がして來た。Kを得てから、若い女を見るに Appetit の眼を以つてせずに、同胞に對する慈愛の眼を以つてする視野の開けて來たのも嬉しいことの一つである。Kを得てからKの母に對する色情と憎惡と共に和げられたるも亦嬉しいことの一つである。Kを得てから彼女の母の顏が著しく平和に、輝いて、幸福に見えて來たことも亦嬉しいことの一つである。Kに感謝しなければならぬ事が、どんなに多いことだらう。  五時柏木を出て、夕暮池の端のゑびす屋で米澤と伊豫のあねさまと、首ふりの虎とを買ひ之を本箱の上に飾る。おつとりと素直な姉さまの顏は又余の幸福感を助けた。この心を傳へるためにW夫婦に葉書を書く。 12  甘い心持の肌を感ずる。それで學校の歸途丸善にセガンチニを買つて、電車の中でも歸つてからも貪り見た。愛と涙と敬虔と、孤獨と寂寥と山と湖との心に充てるその材料の世界に云ひ難い親しみを感ずる。折から來合せたEと二人でしみ〴〵と見る。  夜十時半、客が歸つてから又セガンチニを見る。今度は一人なので本當に涙が出て來た。さうしてセガンチニの愛を以つて我子K子のことを思ふ。 13  夕暮頭が疲れたので屋根の上の物干臺に上る。靜かに、ほがらかに、氣高く暮れて行く湘南の海と山と眼の前に在り。外界を支配してゐる平和清明の感じと、疲れ鈍りたる自分の状態と。自分は此處に我と自然との背反を感ずる。主觀的状態の動搖を離れたる對象の權利を感ずる。我と世界との追分の心もとなさを感ずる。  自分の心は疲れ鈍りたるが故にこの美しい世界に同化することが出來ない。而もこの世界は疲れ鈍つた自分の心にも猶その本來の美しさを以つて押し迫つて來ることをやめない。自分は今この疲れた頭をかかへて、悄然として、靜かに、ほがらかに、氣高い海と山との夕暮に對立してゐる。  躍り込め。根を張れ。一つに生き、一つに燃え上れ。併し自分はそのために、何處までもこの弱い、疲れ易い主觀を錬りぬかなければならない。主觀の動搖を離れても大なる價値の世界がある。併しこの世界は魂あるものゝ主觀を離れて實現の地を持つてゐないのである。(五月、鵠沼) 14  ××××と云ふ田舍の雜誌から創刊の挨拶と原稿の請求状とを受取つた。往復葉書にせずに開封書状にしたのは、叮嚀にしようとのこゝろであらう。要求に應じていい加減な原稿を送つてやらないのは無論のことである。俺は從來往復葉書の質問を受取る度に、返事をせぬのは見知らぬ人に壹錢五厘の借金をしてゐるやうで心持が惡いから、その葉書を送り返す意味だけでも返事を出さずにはゐられなかつた。今度は返事を出さずともそんな氣がせずにすむから、返事は出してやるまいと思つた。併し思ひかへして、往復葉書にせずに書状にしたのは、田舍の人の氣の利かない禮儀である。それをいいことにして挨拶を出さずにすますのは餘りに思ひやりのない仕方だと思つた。それで斷りの返事を書くことにきめた。  ――これが俺の近來のやり方である。俺のやり方の純と不純と、到つたところと到らぬところとがこの小さいことの中に現はれてゐる。こんなことにも一寸したこだはりを感ずるのは、自分の程度ではどうにも仕方がない。  小さいことに波を立てる心よ。しづまれ、しづまれ。人に知らるな。 15  フト鏡の傍を通つて自分の顏を見た。自分の顏を見てK子が俺に似てゐると云ふ話を思ひ出した。それから一體に女の子は男親に似て、男の子は女親に似るといふ話を思出した。  男を女に生れ替らして見たり、女を男に生れ替らして見たりして、個性の動き方が男女によつてどんなに違ひ、どんなに一致するかを見るのは興味のある Experiment であらう。俺を女にしたり、Tを男にしたりしたらどんなものが出來るかしら。God, the scientist や God, the novelist があつたら、これも消閑の一つにはしてゐるかも知れない。 16  草と木と人とが俺の内にあるならば神も俺の内にあらう。草と木と人とが俺の外にあるならば神も俺の外にあらう。神は固より草や木とは異つた存在である。從つて神が俺の内又は外にあるありやうは、草や木と等しくないことは云ふまでもない。併し少くとも凡ての存在が客觀的であるとおなじ意味で客觀的であるに違いない。 17  俺はわかりのいい男ださうだ。或はさうかも知れない。併し俺の現在の立場から眼の屆かぬ境に對しては頑固にわかりの惡い男でもあるに違ひない。  此處に俺の人生を踏みしめる足がある。此處に俺の眞正の進歩の素質がある。 18 「お前のやり方はかうだ――お前は字を書きながら、一筆書いては俺はまづいなあと云つたり、俺もなか〳〵有望だよと云つたりする。まづいのも、有望なのもみんな本當でも、兎に角一々さう云はれては五月蠅くてたまらない。」 19 「彼は亡くなつた人の遺影に對して見えも飾りもない悲哀を感じた。暫くの後、彼はこの悲哀の表情が遺族の心に反映して彼等の顏に感謝と滿足との感情が浮んでゐることを讀んだ。さうして彼は對手に反映したこの心持を意識しながら更に悲哀の表情を持續した。彼は自分の態度に悲哀の Pose が交つて來たことを意識して苦々しいと思つた。  彼の人格を統御する善良なる意志がなかつたら、彼は僞善者となり籠絡家となる可き多くの素質を持つてゐるに違ひない。」 20 『三十前に何か一仕事した者でなければ、一生碌な事が出來ないものださうだ。君は三十前に何か一仕事してゐるかい』 『いゝや』 『それぢや君は一生碌なことが出來ない仲間だね』 『僕は三十前に、一仕事を仕上げはしなかつたけれども、三十前から大きい仕事を始めて今も猶その仕事を進行させてゐる。若し君の云ふ意味は三十前に何か大きい事をして見せなければ駄目だと云ふのなら僕はその前例を屹度破つて見せる。僕の今書いてゐるものは皆僕の大作のエチウドだ。僕は一生に一つ仕事をすればいいのだ。僕は Goetz や Iphigenie を書かずとも、一生のうちに一度僕の Faust を書いて見せる』 『それにしちやあ、君は餘りエチウドを惜まなすぎるよ。ゲーテはフアウスト斷片を賣物にして成上りはしなかつたからね』 『フアウスト斷片を公けにしてゐてもゐなくても、フアウストそのものの價値には變りがあるまい』 『世間の奴は飽きつぽいから、もうフアウスト斷片で鼻についてしまつて、本物のフアウストが出來上る頃には、見向きもしないやうになつてゐるだらうよ』 『どうせそんな浮氣な奴は、僕よりずつと先に駄目になつて、僕のフアウストが出來上る頃には、發言權を失つてゐるに極つてゐる。その時には更に新しいジエネレーシヨンが生れてゐて、フレツシユな心で僕のフアウストを讀んで呉れるだらう』 『お生憎樣だね。その新しいジエネレーシヨンは、もう君のフアウストよりもずつと進んでゐて、お爺さんの一人よがりを笑ひ飛ばすに違ひないねえ』 『その時には僕は永遠の後に生きるのだ、ゲーテのフアウストがロマンテイクよりも長生をしてゐるとおなじやうに』 21 『君は僕を侮辱したね。君は所謂「愛するがために」僕を侮辱したのか』 『いやさうぢやない。僕は君を憎むが故に侮辱したのだ。だから僕は君と逢ふと、少しテレて、窮屈で、息苦しいやうな心持がする。こんな心持がするのは、君を愛してゐないための刑罰だ。併し僕が君を侮辱したのは、社會と眞理とを愛するためだつた。社會と眞理とを愛する者は、君のやうな詐欺と瞞着との生活を憎まずにゐられないのだ。だから僕は君を侮辱したことを惡いと思はないばかりか、却つて廣く人間のためにいい事をしたと云う自覚を持つてゐる。だから僕は君と相對する時こそ妙な蟠りを感ずるけれども、世間の前ではちつとも自分のした事を恥かしいとは思はない。尤も若し僕が君その人に對しても、愛するが故の憎しみを感ずるのだつたら、僕は君と差向ひになつても、世間の前を闊歩すると同じやうに君の前を闊歩することが出來るだらう。固よりさうなるのは一番よい事で、さうなるやうに修業しないのは嘘に相違ないが、假令それ程の立派な事が出來ないにしても、君のする事に無頓着であるよりも、君を惡んで君を侮辱した方がいい事だと信じてゐる。君のやうな不眞面目な、上面の胡魔化しで瞞着して行く男から、何時までも國政を議してゐて貰ふやうでは、全く日本も心細いからね。』 (三太郎と代議士) 22  下らない事から力を拔く――一大事にウンと力を入れるために。  無用の爭ひを避ける――命がけの喧嘩をする力を蓄へるために。  上滑りをして通る――中心の問題に注意の焦點を集中するために。  力の足りないものは力の經濟を考へなければならない。俺の力はいくら愛惜して使つても、猶必要に應ずるにさへ足りない。  下らない事にも全力を注いでゐるやうな顏をしたがるな。何氣ない顏をしてゐる事が出來なくなるまでは何時までも何氣ないやうな顏をしてゐよ。  世間はうるさい。外來の刺戟は餘りに猥雜である。凡ての遭遇は内から抑揚をつけなければならない。  凡ての刺戟を其儘に受け入れて全力を刹那々々に用ゐ盡すを得る者は非常な強者である。若しくは無神經な馬鹿である。俺は強者でもない。馬鹿でもない。  凡ての避け得べからざる事の中に邁進して汝自身の生命をその中より發見し來れ。凡ての避け得べき事に就いて、進む可きと逃ぐ可きとの判別を明かにせよ。四年抄録) 四 日常些事 1  昨日何か考へたことがあつて、晝飯を食ひながらこれを日記に書かうと思つてゐた。しかし、茶碗を洗つて、椎茸をきつて、鍋に入れて、火にかけて、机の前に來てすわるまでの間に、何の事だつたかすつかり忘れてしまつた。新聞の帶封をきつて紙撚を拵へたり、御茶を飮んだりしながら考へ出さうと努めたけれども、遂に思ひ出せなかつた。今度は色々の手がゝりを見つけて、それからたぐり出さうとしたけれども、それも駄目であつた。忘れてしまはれる位のことならいゝぢやないかと思つても、手繰りかけた心の絲を中途で見失ふのがいやな心持であつた。俺はモナリザの笑を顏に浮べながら――西川が俺の笑ひ方をモナリザの笑ひ方だと云つた、さうして俺は幾分の得意と幾分の悲哀とを以つてこの言葉を肯定するのである――「三百おとした氣持たあ、よく云つたものだなあ」などと囁いて巫山戲ながら、午後の仕事にとりかゝつた。  その夜の九時にクロイツア・ソナータの譯が全部完成した。俺は雨戸を締めて、床をとつて、もぐり込めばいゝやうにして置いて外に出た。十日餘りの月が小さく空に懸つて、砂路に松の梢の斑な影をおとしてゐる。俺はステツキで砂を叩きながら、行く行く自然の美しさを思つた。さうしたら、自然に晝飯の時に考へたことが思ひ出されて來た。それはその前の日に讀んだトルストイの「リユセルン」の最後の一節に關したことであつた。俺は又この思想の絲をとりあげて考へながら、砂山の嶺傳ひに小松原の外れまで行つた。さうして歸つたら寢る前にこれを書いて置かうと思つてゐた。しかし十時過家に歸る頃にはあまり靜かな心持になつてゐたので、再びこれを興奮させて安眠が出來ないやうにするのは惜しいと思つた。それで、あんな心持は書きとめて置くほどのことでもないと思ひながら床に入つた。しかし、なぜだか俺は寢つかれなかつた。戸外の月夜を内から思ひやりながら、俺は久しく床の中で眼を覺してゐた。さうして寧ろこの前置に興味を感じながら、今朝になつてその事を書きつけるのである――  トルストイは富裕なる英吉利人の刻薄を憤つて、彼等によつて何の酬ひられるところもなかつた樂人のために色々のことをした。さうして最後に湖畔の月光の中に獨歩しながら、一切が神の中に調和を保つてゐることを思つて、自分の一向きな憤激の心を嗤ふやうな心持になつた。(鴎外先生著、水沫集、瑞西館參照)  しかし、神とならずして、如何なる人が神の眼から見た世界の大調和を底から悟り知ることが出來よう。この思想は豫感であつて、real になつた物の見方ではないから、往々にして眞正なる葛藤を胡魔化すための口實となる。併し吾人が眞實に吾人の現在獲得してゐる立場から世界と人生とを見る時、どうしてあの樣な英人の刻薄を憤らざるを得よう。吾人を眞正に生かすものは、彼の氣分に基く事後の調和觀にあらずして、此の苦々しい憤激の情である。人の生活が「離れ」た立場から「即く」立場に進むに從つて、益〻後の方の見方が重きをなして來るであらう。トルストイの一生も亦この方向をとつて進行して來たものと見ることが出來るのである。  現在眞正に獲得した立場から一切を地道に見て行きたい。而も更に高い立場の可能を忘れぬやうにしたい。憤激のうしろに反省がある。確信のうしろに懷疑がある。この反省と懷疑とは、未だ知られざる高みから差して來る光である。現在の憤激と確信とに一種のフレツキシビリテイを與へる靱體である。 2  凡ての立場にはそれ〴〵に限られたる視野がある。立場が推移すれば視野も亦推移する。併し究竟の立場に到達せざる限り、凡ての人には未だ視るを許されぬものがある筈である。その視野に入り來る一切のものゝ外に、未だ見るを得ざるものに對する敬虔なる豫感がある筈である。  或種の人は自己の視野に入り來る一切の事物を鮮明に的確に見る。さうして未だ見えざるものを未だ見えずとして、謙り、嘆き、仰ぎ見る。之に反して或種の人は渾沌として自己の視野に入り來るものをさへ見ることが出來ない。而もその視野を限る地平線を越えて遙かに遠き事物を透視する不思議な能力を持つてゐる。寧ろ最も自己に遠いものを最も自己に近いもの――現在直下に自己の中にあるものと盲信する幸福なる妄想を持つてゐる。  如何に「抽象」的なる思辨に耽る者と雖も、彼の生活が眞正にこれによつて支配されてゐる限り、彼の思想は最もいゝ意味に於いて具體的である。如何に「具體」的研究を主張する者と雖も、彼が眞正に具體の世界に生きることをしない限り、彼の具體思想は最も惡い意味に於いて抽象的である。或種の人は最も具體的に概念と形式とを取扱つた。或種の人は最も抽象的に事實と内容とを取扱つた。  自分の視野に入り來る事物を鮮明に的確に見る力を持つてゐる人を「わかりのいゝ」人と云ふならば、彼は自分の視線の到達し得ざる事物に就いては頑固に「わかりの惡い」人でなければならない。併し別に此の世には何でもかでもすつかりわかる人がある。自分の立脚地と全然無關係に、視野以内のことも視野以外のことも、何でもかでもわかる――若しくはわかるつもりでゐる人がある。後の意味に於いて「わかりのいゝ」人となることは實に恐ろしいことである。世に「無縁の衆生」と云ふものがあるならば、彼こそは正しく「無縁の衆生」の代表的なものである。  或人は登山者として今人生の中腹を登つて行く。或人は死骸のやうに、人形のやうに、若しくは絞首臺上の首のやうに、人生の絶頂に立つて、登山者の遲さを見下しながら齒をむいて笑つてゐる。立つてゐるところの高さを比較すれば登山者は決して山上の死骸の敵ではない。差別は、唯前者は眞正に征服することによつて、中腹に攀ぢ登り、後者は運び上げられることによつて山上に晒されてゐるところにあるのみである。或人は中腹に在つても生きることを冀ひ、或人は死骸となつても高き處に居らむことを冀ふ。  人類の到達し得たる最高の立場に易々と身を置いて人生を瞰下してゐる人達の顏に、自分は時として絞首臺上に晒されたる生首の相を見る。彼等の言葉は晒されたる首から來るものゝやうに響が足りない。自分は高い處から落ちて來る彼等の空つぽな聲を耳にしながら、若し自分が彼等と等しい高みに攀ぢ登る日が來たら、自分は決して彼等のやうに生き、彼等のやうに物を云ひはしないだらうと思ふ。彼等の聲は其處に生きてゐる者の聲ではない、其處に死んでゐる者の聲である。 3  夜、仕事が手につかないので古い手紙を整理する。昔親しかつた人で、心持の離れてしまつた人の多いことを今更に想ひかへした。昔の親しみを思ふと今離れてゐる人でも懷かしい。色々の人に世話になつた。世話になつた人に離れてゐる。すまないと思ふ。俺は薄情だと思ふ。知らず識らずの間に俺は多少の人を踏臺にして此處まで來てゐるのだと思ふ。  昔の方が今よりももつと本當に人に親しんでゐた。自分の中に立籠る寂しさ冷たさ固さが少かつた。今俺は愛を思ふ。さうして愛し得ざる寂しさに導かれて神に行かうとしてゐる。昔の俺は自分の享樂を思つた。さうしてその實もつと人を愛してゐた。  俺の友情にはセンターに這入つた人と這入らぬ人とがある。長く知合つてゐていつまでも這入らぬ人もゐる。後から來て直に這入つてしまふ人もゐる。概して云へば俺の心は肌合の濃かな、温かな、柔かな心に向つて開いて來た。俺の生涯にとつて忘れ難き人々の數よ――M、H、F、I、A、N、S、Y、U、K、W、E――父母兄弟の名は云ふまでもない。Tの名も亦云ふまでもない。或人とは喧嘩をして別れた。或人をば俺の方から避けた。或人とは知らぬ間に冷くなつてゐた。或人とは互に思ひながらも遠かつた。或人とは最も近づいて而も最も越え難い心の溝渠を感じてゐる。  僅か三十年餘の生涯も、魂と魂との遭逢離合を思へば、遠い、ほのかな心持がする。 4  内面的とは行爲に現はれないと云ふことではない。内部より發生すると云ふことである。外面的とは行爲に現はれたと云ふことではない。外部から附加されると云ふことである。全的であるには先づ内面的でなければならない。内面的とは全的でないと云ふことではない、頭だけに限ると云ふことではない。外面に發露することを禁止すると云ふことではない。 5  人を怒らせることによつて、その人を精神的に征服することがある。對手がブツ〳〵云ひながらも、自分の云つてやつたことが次第にその魂に沁みてその言動に現はれて來るのを見てゐるのはいゝ心持である。對手を咎めようとするのではない。自分の行爲の空しくなかつたことを自ら喜ぶのみである。 五 懊惱  今日又讀者からの手紙を受取つた。「主よ汝の愛するもの病めり」の一書によりて正に救はれたと云ふのである。  Xは俺の本を讀んで基督教に對する疑惑から救はれ、新しい方面から基督を見ることが出來るやうになつたと云つて來た。俺の書いたものを讀むと、熱と力と光とが無限に湧くと云つて來た。俺がそれに當らないと云つても彼女はそれを信じない。幾囘か議論を往復しても、この點に於いて二人は一致することが出來ない。二人の立場が異つてゐるから、一致することが出來ないのは固より當然である。併し自分の書くものに他人を照す力があるといふのが不思議でならない。  俺は今最も惡い状態にゐる。俺の生活は今最も弛んでだらけてゐる。併しこの時期が過雲のやうに通つてしまつても、自分は救はれてゐると云ふ意識が俺にやつて來ないことは疑ふ餘地がない。俺のだらけてゐる精力が張つて來れば、俺は現在の苦痛によつて生命の緊張することを感ずるであらう。更に一歩を進めなければならぬ要求を感ずるであらう。併し力を持ち、光を持ち、救ひを得たといふやうな意識は何時になつて與へられるかわからない。俺に感ぜられるものは、痛切に感ぜられるものは、唯内面の缺乏のみである。弛んでも張つても、俺は兎に角闇にゐる意識を離れることが出來ない。然るに人は俺によつて「力」を得、「光」を得、「熱」を得たと云ふ。何の意味ぞ、何の意味ぞ。俺にはわからない。  若しくは現在俺の中にあるものを所有するのみでも、猶人は新たに得たる歡喜を經驗するを得るのか。俺が常に缺乏の意識に苦しめられてゐるのは、飽くことなき貪慾の深さによるので、俺は實際俺の後から來る者に光と力とを與へることが出來るほど進んでゐるのか。俺はX等の言葉の誠實を疑ふことが出來ない。彼等の言葉の誠實を信ずれば、俺は兎に角彼等には歡喜を與へる力を持つてゐると思はなければならない。併しその力は猶俺に自信を與へない、歡喜を與へない、不斷の充實と緊張とを與へない。俺は却つて彼等の方が自分よりも遙かに緊張し、充實し、純粹に感謝し、歡喜してゐることを信じてゐる。俺は自分の力を喜ぶよりも、彼等の前に自分の不純と弛緩とを恥づる意識で一杯になつてゐる。假令俺の中に彼等を照す力があるとしても、俺はその故を以つて自分を彼等の上に置く氣にはとてもなれない。俺は唯忸怩として自分の前に跪く者の前に跪くばかりである。  若しくは俺は救濟の「器」に過ぎないのであるか。俺は救濟の器と云ふ言葉をこんな意味で經驗しようとは夢にも思はなかつた。俺には宗教的の意味に於いて力の自覺がない。自ら救はれてゐるといふ自信がない。從つて人を救ひ得ると云ふ自信がない。然るに人は自分から力を受け、自分に導かれて救ひを得たといふ。彼等の自分から受ける力を俺は知らない。彼等の自分から得る救ひを俺は知らない。俺は何時までも何時までも力と救ひとを唯求めてゐる。それだから俺は俺によつて力を得救ひを得た人を羨む。尊敬する。さうして自分はいつまでも悄然として頭を垂れてゐる。救濟の器といふ言葉がこんな皮肉な意味をも持つことが出來ようとは、思ひもよらぬことであつた。  彌勒菩薩は一切の衆生を救つて了ふまで自ら涅槃に入らないと誓つたとかきく。併し俺は誓つたのではなくて取殘されるのである。俺を一つの通路として俺の先に行つた烏を羨ましがつてゐるのである。此の如き憫む可き先覺や指導者が嘗てあつたであらうか、これからあるであらうか、一體あり得るであらうか。  若しくは俺はこれまで嘘ばかり云つて來たので、今その罰を受けるのであるか。神はこの嘘吐を道具としてその聖業をなし給ふのであるか。  俺は嘘吐か、嘘吐が俺の本體か。  否、俺の文章は闇にゐるといふ意識によつて緊張してゐるのみである。俺の文章は光を求める心によつて緊張してゐるのみである。俺の世界にはパースペクテイヴが開けてゐるのみで、俺は決して俺の求めてゐるものを現在獲得してゐるとは宣言しなかつた。恐らく俺は嘘吐ぢやあるまい。俺は嘘吐ぢやないやうに思ふ。  然らばこの骨に徹する皮肉は何の意味ぞ。  若しくは神この道によつて余を何處かに導かむとするか。  自分は又なんにもわからなくなつた。 六 “Ivan's Nightmare”           (メフイストの言葉) 1 『此處に一人の馬鹿がゐる。  御前は他人の運命に干渉することを愼むと云ふ意味に於いては、極めて神經質な Altruist である。お前は決して他人を損ふに堪へない。併し唯それだけの話である。お前は積極的に他人を愛したこともなければ、他人に善をなしたこともない。お前の「善」は唯凡ての他人に向つて、「君は君として生きたまへ、僕は關係しないから」と云ふに過ぎない。  さうしてそれはお前が他人から干渉されることを極端に嫌ふ性癖を論理的に徹底させたに過ぎないだらう。お前は他人から少しでも自分に觸られると直にその手をおしのけて、「僕のことは僕に任せ給へ、僕も君のことには干渉しないから」と云ふのである。  その癖お前は寂しいと云つてゐるね。融合の愛を求めると云つてゐるね。併し愛する者が大勢手を繋いで來て、お前の周圍をぐるりと取卷いたら、お前はどぎまぎしやしないかい。お前は本當は一人で寂しくしてゐたいんぢやないのかい。』 2 『お前の生活には何と云つてもまだ内容が足りない。文明史的の意味に於いても、現實的の意味に於いても。  現實的の生活は空しいだらう。併しお前はまだ碌にその生活を味つてゐないから、一方にはそれに對する未練があるし、一方にはそれを厭ふ心持が濃厚でない。それだから善にしろ惡にしろそれから來る刺戟を生々と受取ることが出來ないのだ。Experiment の態度でもいゝから、もつと戀愛と歡樂と迷ひとを獵つて見ろ。必然的に其處に墜ちて行くのなら一番いゝが、聰明で冷靜に過ぎるお前には中々そんな時期が來さうにもない。構ふものか、Experiment の心持でやつゝけろ。さうして誘惑を探しに出かけて行け。  お前は Kultur を消化してゐない。のみならずそれに接觸してさへゐない。そんなに無學ぢやてんで御話にならないぢやないか。生意氣を云はずに、もつと落付いて知識を獵つて見ろ。  お前には凡ての經驗に直接にぶつゝかつてゐる餘裕がないから、頭だけで見通し過ぎてゐる。素質と境遇とが共同してお前を「先が見え過ぎる者」にしてゐる。眞正に征服せずに先ばかり急がしてゐる。お前は貧弱な經驗を統一しようとしすぎる。お前は十分の幅なしにひよろ〳〵と背だけが延びてゐる。何と云つてもお前の「宗教的」は怪しい。こち〳〵に固まつてしまはない前に火にかけて見ろ。「懷疑」と「利己」と「享樂」との力を呼び醒して「神」に反抗して見ろ。征服して統一する前に、征服されるものを澤山喚び起して見ろ。構ふものか、Experiment の積りで、自分の意志で、自分のたくらみを承知しながら、自分の生涯に一つの時期を劃して見る積りで、墮落してみろ。  本を讀むこと、身慄ひの出るやうな恍惚をさがしに行くこと、さうしながら自分の考へをおしつめて行くこと、考への本當に熟した時に熟果の墜ちるやうに文章をポトリ〳〵とおとして行くこと――何と云ふ樂しい生活の夢だらう。  勿論、お前がさうしてゐる間にも多くの人は苦しんでゐるだらう。飢ゑてゐるだらう。併しお前は當分それに眼をつぶつてお前の樂しみを――お前の成熟を――求めて行かなくちやならない。さうしてお前がいくらお前の「實驗」に夢中になつたつて、實際今日以上に彼等の運命に冷淡になり得やうがない。お前は他人の未來の不幸を豫想して自分の享樂を控へる意味では今より「方正」でなくなるかも知れないが、現在貧しき者惱める者に對しては、もつと親切で慈悲深くなるだらう。  お前は罪と過失とによつて、もつと本當に他人を愛することを學んで來なければいけない。』 3 『お前は憐みのために他人の弱點に媚びることをせぬ點に於いては、相應に性格の強さを持つてゐる。お前は友人の誤謬を認め、敵の眞實を承認する點に於いても相應の公正を持つてゐる。お前は泣いて訴へる女に向つて、此點は貴女がいけないと思ふと云ふことが出來る。お前は過失を遂げようとする友人に對して、僕は君に贊成しないと云ふことが出來る。併しそれはその友人を愛する爲にその非を諫めるのか。自分の Konsequenz を愛するために情にほだされた態度をとることを恥づるのか。  一つにはこれは正しくないと思ふ。二つにはこれはこの人のためにならないと思ふ。三つには今この非に贊成すれば俺の思想と行動とが一貫を缺くと思ふ。世間の手前申譯が立たないとさへ思ふ。お前の心の中にこの三つが悉く働いてゐることは事實だが、孰れが最も先に來るか、孰れが最も重きをなしてゐるか。此處に來ると頗る疑問になる。  Yはお前を主義の人だと云つたね。全くお前は相應に主義の人でもある。併しそれは眞理を愛するためか、他人を愛するためか、自己を愛するためか。  眼先の見える奴は、自愛のためにも亦主義の人となり得るのだ。』 4 『お前がZに親切にするのは、まさか彼女が金持だからではあるまい。併し彼女が女だからでないかどうかは頗る疑はしい。  お前は顏を赧くするね。俺はお前がこの告白に堪へないことを知つてゐる。默つてゐろ、默つてゐろ。お前にそれだけの力がつくまでは。  唯お前は彼女の尊敬を自分の Merit として受ける資格がないことを承知してゐればいゝ。  お前がそれほどの不純な心を持つてゐることを承知してゐればいゝ。』 5 『お前は昨夜どんな夢を見た。  お前は夢の中で、頭をおかつぱにした、五つばかりの、唇が赤ん坊のやうに白く柔かな、土人形のやうな戀人をその前の男から誘惑したらう。お前は……………。さうしてお前はその夢の半ばで飯と火とを持つて來てくれた女中に起されたらう。  お前は女中のために戸をあけてやつて、直に床の中に藻繰り込んで、又その夢を追うた。この夢とこの夢を見る自分の人格とを呪ふ心持は、直にはお前の心に湧いて來なかつた。お前はこの醜い女たらしの夢から脱却する日の一日も早く來らむことを祈る心持にもならなかつた。お前は半ば見殘した樂しい繪でも思ひかへす樣にさつきの夢を思ひかへした。感覺の興味と殘酷の喜び(あゝこの蕩兒のみが知る殘酷の喜び!)を以つてお前は夢の中の畫面を思ひかへした。さうしてそれを貪り味つてから、漸くこれが神を求める者の心持か、これがドン・ホアンを否定するものゝ心持かと思つたのだつた。此處に至つてお前には始めて自ら恥ぢる心持が起つて來たのだつた。お前は「惡」そのものを憎まずに、惡を憎まぬ無恥を恥ぢることを知つてゐるのみだ。お前のハートにはまだ Conversion がちつとも行はれてゐない。お前の「恥」は表面的だ。お前の思想は實に根柢が淺い。  お前は嘗て厭ひしものを喜び、嘗て喜びしものを厭ふハートの轉換を經驗してゐない。お前は依然として嘗て喜びしものを喜び、嘗て喜びしものに溺れてゐる。お前は唯、この鬱陶しく、蒸暑く、酷たらしく、悲しく、落付かぬものが自分の究竟の境地でないことを感じてゐるだけだ。お前のやうに蕩兒の興味に生きてゐながら「神を求める者」も凄じい。お前を嘘吐きだと云ふ者も、お前の思想は生活を遊離してゐるといふ者も、お前を僞善者だと云ふ者も凡て正しいのだ。お前の「誠實」も、お前の思想に於ける「生活の根」も、唯その時々の Stimmung を欺かないと云ふ點に於いて意味を持つてゐるだけで、まだ人格的生活には徹してゐない。  お前は暫く物を云ふな。暫く默つてゐてその蕩兒の仕末をどうにかつけてしまへ。それでなければお前の考へることは、凡て究竟の意味で出鱈目に過ぎない。況してお前のやうな中ぶらりんな馬鹿野郎が書くことが何になるのだ。』(四、春から夏へかけて) 七 病床の傍にて 1  今持つてゐるこれんばかしのものがまだ持たぬものの多きに比べれば何になる。救ひを求めてゐる者が未だ救はれないと云ふ意識を前にして、自分の進んで來た路を自慢にする餘裕が何處にあらう。  ないものが欲しい。ないのが苦しい。少し持つてゐるものなんか糞喰へ。 2  お前は跪いたことがあるか。神の前に跪いたことがあるか。お前のあらゆる探求に際して、知られざる者の前に跪いたことがあるか。Frömmigkeit を知らざる者よ。 3  病人が苦しみ悶えてゐる。併しそれから數尺を隔てた椅子の上には、自分たちが腰をかけて何の苦痛をも感じてゐない。自分は平氣で病人を扇いでやつてゐる。如何に病人の苦痛に同情して手に汗を握つたところで、自分の肉體は病人の苦痛の億分の一をも感ずることが出來ないのである。自分は此五尺の躯の中に閉ぢ込められ、他と絶縁してコンセントレートされてゐる生命の不思議を感ずる。同時に病者と等しく苦痛を感ずることの出來ぬ個體と個體との隔たりに就いて一種の果敢さと寂しさとを感ずる。  苦しんでゐる人を唯見てゐなければならぬ苦しみを何としよう。 4 自然の世界に於ける偶然を通じて、神の意志行はるゝこと能はざるか。 自然の法則を自然の儘に行はれしめて、これを神の啓示とすること能はざるか。 根の緩みたる瓦は落つ――これ自然の法則なり。 落ちたる瓦はその下にあるものを打つ――これ自然の法則なり。 行かむと欲する者は行く――これ心理の法則なり。 或日或時行かむと欲する者が行く時、根のゆるみたる瓦が落ちてその人を打つとき、この自然の法則と心理の法則との契合の偶然。 これを通じて神の啓示作用し得ざるか。 神の意志、神のテレオロギー、作用し得ざるか。 凡ての偶然を一つの意志に統合し得る時、 恰も他人の人格を認めざるを得ざるほど必然に、 神の姿吾等の前に現前するに非ざるか。 5 一々の經驗に就いて何者かの意志の啓示を感ず。 推論して「神の意志でなければならぬ」といふ。 Sollen, Müssen が先に立ちて、「神」の姿明かならざるを如何せむ。 「神の意志なり」 此の如き絶對的認識に達するを得るは孰れの日ぞ。 嗚呼、「かくあり」、「かくあらず」 余は汝の單純なる確信を羨望す。 願くは舊約の世の如く眼のあたりにエホバを見奉らむことを。 6 惡を露はすは僞りて善なるよりよし。 惡を嘆くは惡を露はすよりよし。 惡を憎むは惡を嘆くよりよし。 惡と戰ふは惡を憎むよりよし。 善をなすは惡と戰ふよりよし。 善き人となるは善をなすよりよし。 善き人となれ。 凡てのことこの泉より流れ出でむ。 7 アルコールをとる。 神と人との姿が生々として來る。 今俺は葡萄酒の酒杯をあげて神と女とを思つてゐる。 健康のために藥を飮むやうに、 生命の流れを盛にするために酒を飮むのは何故いけないのだ。 酒によつて生命を拵へることは出來ない。 酒によつて生命の障礙を拭ふことは出來る。 今酒杯の中に神と女とが踊らうとする。 8  或る病人の云つた言葉の數々。  眠られない時に病人は云ふ――「Wさん(自分の教へた生徒)のやうな人を澤山袋に入れて、その中に自分も頭をつゝ込んで寢たら眠られさうな氣がする。」又云ふ――「お前たちも一緒に眠つておくれ、さうすると私も眠られるから」Tは涙聲で、「ええ、ええ、私たちも一生懸命に眠りますから、貴女も何卒よく眠つて頂戴」と答へる。  或時病人は云ふ――「眷族は大勢だが自分は一人だ。それが不思議で不思議でならないのです。」  又看護婦に云ふ……「貴女は誰のために働くのですか。云つて御覽なさい。私のためですつて。それが不思議でならないのですよ。」  愛に於いて祈りを共にする者の慰藉と疑惑と――自分は病人が半ば囈言のやうに云つた此等の言葉を長く忘れることが出來ない。(四年の暮) 八 二つの途 1  一己の私事から出發することを許して戴きたい。  一昨年の夏、早稻田文學社から「實社會に對する我等の態度」と云ふ往復葉書の質問を受取つた時、自分は 「私の今、力を集注しなければならないところは、どうしても自分自身の事ですから、大體の態度としては、成る可く實社會との深入した葛藤を逃げなければならないと思つてゐます。併しそれは私の力が足りないからで、凡ての人がさうなくてはならないからではありません。私の力がもつと充ち張つて溢れて來たら、私は十分に腰をすゑて實社會に突掛つて行きたいと思つてゐます。」 と云ふ返事を書いた。然るにC君は翌月の雜誌「反響」にその批評を書いて、 「自分の力がもつと充ち張つてから、實社會へ突掛つて行かうと云ふのは、自分といふものと實社會といふものとを切離して考へ――さう云ふ考へ方も場合によつて必要であるが――てばかりゐるのである。實社會が自分と云ふものゝ輪廓であり、自分が實社會といふものゝ焦點であるといふ大切な意識を缺いてゐる、自分をよりよくすることによつてのみ、社會をより善くすることが出來、社會をよりよくすることによつてのみ自分をより善くすることが出來ると云ふ大切な信念をつかんでゐないのである。」(當時の「反響」を座右に持合せないから「新日本」に出た反復を引用する。) と云つた。自分はこの批評が不服だつた。併し自分から云へば此の如く自明なる友人の誤謬を社會の前に指摘することを好まなかつた。故に自分は私信を以つてC君に自分の不服を述べ、不明なる點の説明を求めた。併し不幸にして自分はC君から何等の返答をも得ることが出來なかつた。さうして段々C君の書くものゝ中に横目で自分を睨んでゐるやうな物の云ひ振りを認めることが多くなつて來た(尤もこれは自分の僻目であるかも知れない。)故に自分はC君が自分との間に正面から事理を明かにする意志がないものと認めて、それ以來C君の言論を無視することに決心して來た。然るにC君が昨秋、新日本の大正聖代號(?)に於いて、又前に引用したやうな言葉を反復してゐるのを見て、自分は自分の態度に對する此の如き執拗なる誤解の前に默止してゐられないことを感ずるやうになつた。併し身邊の事情はこの誤解を正してゐる餘裕を自分に與へて呉れなかつた。故に自分は鬱積する感情を抱いて今日まで沈默して來た。今自分がこの小論を書くのは、固よりC君と論爭することを主なる目的とするのではない。併し冐頭先づC君の誤謬を正すことを以つて始めずにはゐられないことを感ずる。 2  一、自分が彼の返事に於いて「自分自身の事」と云つたのは、自己の物質的利益と享樂とを意味するものではないことは斷るまでもない。「自分自身の事」とは自己の中に規範(道、理想、信仰)を發見することゝ、この規範を發見又は實現するに堪へるまでに自己を精錬することゝを意味する。  又自分が彼の返書に於いて「實社會に突掛つて行く」と云つたその「實社會」とは、個人の多數(Mehrheit der Individuen)を意味するのではなくて、一種の合成體(Gesammtheit)を意味してゐることも亦煩く斷るまでもない。自分は實社會の名によつて父母兄弟妻子朋友隣人等凡そ他人との關係を意味させはしなかつた。政治によりて統治され、法律によりて支配され、教育によつて訓練せらるゝ一種の團體、具體的に云へば國家、地方自治體、その他職業又は階級等によりて組織せらるゝ Gesammtheiten を意味させたに過ぎなかつた。固より自分は父母や兄弟や朋友隣人などの間に在つても、暫く彼等に――この言葉に含まれてゐる敵對的の意味を除いて――「突掛つて行く」ことを避けて、靜かに、自分自身の胸の中で、彼等に對する自分自身の感情や思想を反省したり整理したり――これも亦自分自身のことの重要なる一内容である――しなければならない時期があることを知つてゐる。時々此の如き時期を挾むことによつて、自分と彼等との間が始めて本當に深くなり鞏くなることを知つてゐる。自分は或人の或時期に於いては妻子朋友その他一切の愛するものと離れる意味の遁世も決して無意味でないことを信じてゐる。併し自分に提出された問題はその事ではなかつた。故に自分は唯「實社會」に對する態度だけを答へた。  自分は上述の意味に於ける「自分自身の事」と「實社會の事」とを、自分の現在の努力の焦點を求めると云ふ特殊な問題に於いて對立させたのである。此の如き對立は、固より事實上社會が自己に影響し、自己の活動が社會に波及するといふ社會學的考察を否定するものではない。又此の如き準備によつて充實し來れる自己の活動が將來實社會と切實なる交渉を開始せずにゐられないこと、自己實現の最後の段階が萬物の救濟に到らざれば完成しないこと――此等の倫理的觀念をも否定するものではない。自分は此の如き將來に關する十分の豫想を以つてあの返事を書いた。これが何故に「自分といふものと實社會といふものとを切り離してばかりゐるのである」か。ばかりと云つたりのみと云つたりする意味深い言葉を此の如く誇張のために用ゐるのは通俗演説家の詐術として意味があるに過ぎない。苟も責任ある思想家の用うべき言葉では決してないのである。既にC君自身も「さう云ふ考へ方も場合によつて必要である」と云つた。此の場合こそ正にさう云ふ考へ方の必要な場合ではないのか。C君の所謂必要であるとは一體如何なる場合を云ふのか。此處にこそ眞正にC君と自分とを分つべき問題がある筈である。然るにC君はこの「場合」に對して何等自家の意見を提出することなしに、唯自分と社會とを切り離して考へてばかりゐると自分を誣ひた。自分は此の如き漠然たる批評に對して感謝すべき所以を知らない。  二、自分は現在に於ける自分の努力の焦點を何處に置く可きかを考へた。何事に現在の意識を集注して、何事を將來に期すべきかを考へた。此の如き問題のとり方(Fragesetzung)に對して「實社會が自分といふものゝ輪廓であり、自分が實社會と云ふものゝ焦點であると云ふ」謂ふ所の「大切な意識」が何の解答を與ふるものぞ。此の如き平面的敍述はC君の提唱を待つまでもなく社會學の腐儒が既に云ひ古したところである。意志の焦點を求むるの問題に此の如き平面的敍述を以つて答へる者は、飢ゑて飯を食はむとする者に向つて、飯は米で焚いたのだと教へるに等しい。而もC君は米を食ふよりも飯にしようなどゝ云ふのは、飯は米で焚くと云ふ大切な意識を缺いてゐるのだとさへ誣ひようとするのである。飢ゑて食はむとする者にとつては、生米と飯とは Entweder-oder となる。意志の焦點を求める者にとつては、父と母と、妻と子と、黒子の一寸上と一寸下とも亦 Entweder-oder となる。況んや自己と社會とをや。意志の焦點を求める問題に於いて自己と社會とを混一せむとする者は、輪廓は焦點でなく、焦點は輪廓でないといふ大切な意識を取逃してゐるものである。問題の中心を捉み損つて、惡い意味の抽象的思辨中に彷徨してゐるものである。  三、C君特愛の信條、「自分をより善くすることによつてのみ、社會をより善くすることが出來、社會をより善くすることによつてのみ自分をより善くすることが出來る」と云ふ言葉も亦――その中に敬重すべき眞理を含んでゐるにも拘らず――急卒にして曖昧なる概括である。  第一にこの絶句的命題――前後兩聯から成立してゐて、各聯はのみによつて接合されたる二句から成立してゐるから――を常識的に解釋するために、假にC君特愛ののみを除いて考へる。「自分をより善くすることによつて社會をより善くすることが出來る。」これには異議がない。「社會をより善くすることによつて自分をより善くすることが出來る。」これにも亦異議がない。確かに社會をよりよくすることゝ自分をよりよくすることゝは交互的である。次に前聯ののみを復活して考へる。「自分をよりよくすることによつてのみ社會をよりよくすることが出來る。」これにも亦異議がないやうだ。C君はこの前聯によつて、自己及び周圍の者に就いて、自分の事を棚に上げた社會改良家的淺薄を叱正せむとするのであらう。更に後聯ののみを復活して見る。「社會をよりよくすることによつてのみ自分をより善くすることが出來る。」これも亦一理はあるやうだ。C君はこれによつて周圍の獨善主義者を叱咤されたものであらう。併し此處までのみを復活して來てこの絶句的命題の全體を囘顧するとその意味は直ちに無窮のいたちごつこを始める。「自分をよりよくすることによつてのみ社會をよりよくすることが出來る。」故に社會をよりよくせむとする者は先づ自分をよりよくしなければならない。然し「社會をよりよくすることによつてのみ自分をよりよくすることが出來る。」故に自分をよりよくせむとする者は先づ社會をよりよくしなければならない。而も社會をよりよくするには先づ自己をよりよくし、自己をよりよくするには先づ社會をよりよくせざるべからざるを如何せむ。意志は、努力は、この無窮に循環する輪の何處から手をつけていゝかわからない。最初に社會をよりよくしようとせむか、それは自己をよりよくすることを基礎としてゐないから無意味である。最初に自己をよりよくしようとせむか、それは社會をよりよくすることを基礎としてゐないから無意味である。社會と自己とを同時に同樣によりよくしようとせむか。意志は、努力は焦點を求める。現在の意識を一つの點に集注して、或他の事を將來に期することを求める。然るに此處には動機の前後を決すべき何等の根據も與へられてゐない。若しくは社會でも自分でも手當り次第のところから出發すべしとせむか。自分は(稿者は)先づ自己をよりよくすることから出發しようとした。さうして「自分をより善くすることによつてのみ、社會をより善くすることが出來、社會をより善くすることによつてのみ自分をより善くすることが出來ると云ふ大切な信條をつかんでゐないのである」とされた。さうすれば自分の問題となつて來次第手當り次第に始めることも亦許されてゐないことは明白である。然らば自分は現在の努力の焦點を何處に求むべきであるか、一體にC君は、この信條によつて努力の焦點を求めむとする意志に、如何なる出發點を與へむとするか。恐らくは何の出發點をも與へることが出來まい。この絶句的信條は前聯と後聯との間に於ける重力の關係を明示せざるが故に、さうして各聯の上下二句を誇張を交へたるのみによつて緊密に限定し過ぎたるが故に最も周匝なるが如くにして最もフラ〳〵したものとなつてしまつた。  假に重心を少しく自己の方に移すとする。社會をよりよくせむとする者は先づ自己をよりよくしなければならないが、併し自己をよりよくせむとする心の底にも猶社會をより善くせむとする願ひが(意志の焦點ではないが一つの願望として)含まれてゐなければならないと云ふ意味だとする。上求菩提の努力の中にも下化衆生の大願を忘れてはならない。獨善主義や主我的な享樂主義は排斥さるべきである――自分はC君がその信條に於いて、一つはこの事を云ひたかつたのだと云ふことを疑はない。さうしてそれは確かに敬重すべき眞理である。併し自分は何時この眞理を否定したか。何時この眞理に矛盾することを云つたか。從つてC君はこの眞理を根據として自分の言葉を非難すべき權利を何處から持つて來たか。C君と自分との相違は唯、C君が漠然と並列させて置く上求菩提下化衆生の二句に就いて、自分は現在の努力の焦點として先づ上求菩提を採り、下化衆生の活動を將來に期したところに在るに過ぎない。或ひは此の如くにして焦點と輪廓とを區別したのは自分の誤謬であるか。若しこれが自分の誤謬であるならば――それならば、意志の焦點を求める時、人は上求菩提か下化衆生か孰れか一つを表にして孰れか一つを裏にすることなしに、兩者を同時に同樣に追及することが出來るか。下化衆生の「十分腰を据ゑた」活動を將來に期して先づ上求菩提の險難な途を行かうとする者は主我的享樂者か。それならば、論者は、或人の或時期に於いて上求菩提の願ひと下化衆生の願ひとが意志の焦點として矛盾する悲しみを考へたことがないのか。暫く下化衆生の逸る心を抑へて強ひて上求菩提の途に歸り行く者の修業苦を經驗したことがないのか。抑へ、退き、待つ者の心と、抑へ、退き、待つことを正しとする決定心とを經驗したことがないのか。上求菩提下化衆生は二つの句である。少しくこの二句の内容に滲透して考へたことのある者は、此等の間にも時として嚴肅なる矛盾と相鬩とあることを知つてゐる。固より人は何時までも此處に留つてゐる必要はない。或者は既にこの關門を踏破して遠くに行つてゐる。併し苟もこの段階を通過した者は、必ず這般の消息を解して此の如き對立の意義を認めなければならない筈である。これを認めることが出來ない者は、未だ上求菩提の一句の内容にさへ眞正に滲透することを得ざる者の言葉いぢりか。若しくは徒らに異を樹つることを快しとする一種の野次馬か。  更に重心を社會に移すとする。上求菩提下化衆生と云ふが如き對句は甚だまだるつこい。衆生を化することを外にして菩提に到るの途はないのである。衆生を救ふ事によつてのみ自己を救ふことが出來るのである。自分はC君があの信條の中で一つは(若しくは主として)この事を云ひたかつたのだと信じてゐる。これは大なる斷定である。さうしてこの斷定は、事が究竟の救ひに關する限り、恐る可き眞理を含んでゐるに違ひない。自分などはまだまだこの内容に近づくことが出來る程の境地に到達してゐないながらに、猶これを讚嘆するに於いては人後に落ちないことを期してゐるものである。併し究竟の救ひが其處にあるからと云つて、未だ究竟の救ひと云ふやうな段階に到達せざるものが、暫く自己の精錬と淨化とに專心せむとするのが何故に惡いのであるか。釋尊が道を求めて山に入つたのは誤謬であるか。基督が荒野の試みに逢つたのは無意義であるか。雪山の修道や荒野の試みや、彼等の大なる救世の活動にとつて必須なる準備ではなかつたのか。自分は謙遜なる心を以つて自分が未だ「救ひ」の道の麓に彷徨つてゐる者なることを承認する。さうして釋尊の求道に似た意味に於いて――大小の比較をするのではない、意味の類似を主張するのである――自己の救ひを求め、基督の自己鍛錬に似た意味に於いて――大小の比較をするのではない。意味の類似を主張するのである――自己の鍛錬に專心しようとするのである。これをさへ「社會をよりよくする事によつてのみ自分をよりよくする事が出來るといふ大切な信念をつかんでゐないのである」と非難する者は衆生濟度の「十分に腰を据ゑた」活動をするにはどれ程の準備と蓄積とが要るかを理解しないものか。「救ひ」の道に於ける自己の現在の位置を正直に反省することを敢てせざる大言壯語の徒か。「衆生」を救ふの道は唯「人」(Der Mensch)を救ふの道のみである。「人」を救ふの道を實證するものは唯「自己」を救ふの道のみである。さうしてあらゆる善業は――あらゆる社會をよりよくする活動は――それが内面的に把握されない限り、「自己」を救ふの道と關りなきこと、猶路傍の木石に等しい。此等の大切な信念を捉んでゐる者は、決して退いて自ら養ふの意義を見誤らない筈である。  併し自分がこの論文を書く主要なる目的は、C君の誤りを匡すことのみではなかつた。社會(前に云つた意味の實社會も、父母兄弟妻子朋友隣人等他人との關係も併せてこれを含ませる)と自己との關係に就いて、自分の現在考へてゐる事を云ひたいのであつた。それをするために、自分は今C君を離れて自分の考へを正面から敍述しなければならない。 3  社會は自分を培ふの土壤である。自分を圍繞するの雰圍氣である。社會は自分の環境中最も有力なる要素である。自分は山に遁れても完全に社會を脱却することが出來ない。海に浮んでも徹底的に社會を超脱することが出來ない。人は社會に對して、或ひは屈服し或ひは妥協し或ひは感謝し或ひは反抗する。孰れにしても人は社會の影響を脱れることが出來ない。  社會は自己實現の地である。人は自己の中に溢れる或物を感ずる時、社會に働きかけずにはゐられない。自己以外の物に對して愛を感ずる時、社會の中に動き出さずにはゐられない。自己の中に理想の成熟することを感ずる時、これを社會に與へずにはゐられない。自己の周圍に戰慄すべき罪惡を見、自己の中に戰ひに堪へる力あることを感ずる時、これと戰はずにはゐられない。孰れにしても自己の實現は社會に働きかけるにあらざれば完成しない。  人は社會と離れてものを考へることが出來ないか。人は天上の星と地上の花とを考へることが出來る。如何にこれ等のものを考へるか。その考へ方には常に社會の影響があるであらう。併し人が天上の星を考へ、地上の花を考へる時、社會を考へてゐるのではない。  人は凡そ物を離れて自己を考へることが出來ないか。離れて考へることは或ひは出來ないかも知れない。併し他人の事を考へることゝ、他人と自己との關係を考へることゝ、他人との關係に表れたる自己の力を考へることゝ――この三つは混同すべきではない。人は世界を縁として自己を考へることが出來る。さうして世界を縁として自己を考へることは直接に世界そのものを考へることゝは意味を異にする。この意味に於いて世界を考へずに自己を考へることが出來ないと云ふのは誤謬である。況んや社會をや。世界と社會と自己との間には固より緊密なる連鎖がある。併しそれにも拘らず自己の問題は世界や社會の問題に對して特殊にして獨立せる問題となり得るのである。此時意識の焦點に立つものは唯自己のみである。さうして世界と社會との問題が自らその中に含まれて來るのである。  實行の問題に於いて、社會と自己とを對立させて考へるのは無意味であるか。人は固よりどんなにしても社會を脱れることが出來ない。併し人の努力は社會の全面に擴がらむとする方向と、自己の一點に凝集せむとする方向と、二つの方向をとることが出來る。さうして二つの努力とも或程度までは有效である。故にこの意味に於いて自己と社會とを對立させて考へるのは、決して無意味なことではない。  如何にして自己の準據すべき「道」を發見せむか、如何にして自己の内面に一つの世界を建設せむか、如何にして「道」の實現に堪へるまでに自己を鍛錬せむか――此等の問題に對して決定的の意義を有する者は唯自己だけである、純粹に自己だけである。固より社會と環境とは色々の意味に於いてこの努力と交渉する。自己は先づ社會と世界とから豐富なる材料を吸收しなければならない。これを整理しこれを裁斷する方針に就いても、先覺の教に待つところがなければならない。彼を驅りてこの問題に向はしめた動機の中には世界苦の痛切なる印象と衆生濟度の大願とがある。私が發見すべき「道」の少くとも一つの重要なる内容は汝の隣人を愛せよといふことでなければならない。とは云へ材料は材料であつて解決ではない。先覺の教は唯參考であつて、その徹底せる識得は獨り自證によるのみである。衆生濟度の大願はその儘で救濟の道を與へるものではない。隣人を愛せよとは愛の對象又は内容が隣人だと云ふ意味であつて、愛せよといふ道そのものは決して隣人から自己に、器から器に水を移すやうにして與へられることが出來ない。凡てこれ等の事を決定するものは唯自己の一心である。この點に於いて、自己は社會と世界とを超越して、天地の間に寥然として唯獨り存在する。この方面に於いても自己に對する社會の權威を承認する者は、靈の獨立と意志の自律と云ふ大切な自覺をとりおとしたものである。  自己をよくせむとする者は努力の焦點を自己の内面に置かなければならない。經驗の蓄積と内化と、人格の精練と強化と、此等のことを外にして徹底的に自己を善くするの道は何處にもないのである。社會をよくする事は、身邊の空氣をよくすると略〻相似た意味に於いて人格の健康を増進する。他人をよくせむとする努力は、肉體の運動と略〻相似た意味に於いて精神の成長に裨益する。併し自己と社會とは焦點と輪廓との關係あるが故に、自己をよくするには先づ社會をよくしなければならないなどと云ふ者の愚は、他人に藥を飮ませて自分の病ひをなほさうとする者の愚に等しい。人格の健康の點に於いても、肉體の健康に於けると等しく、自己は自己であつて他人は他人である。  要するに、自己と社會との關係を主として見る時、自分は三種の生活を見る。第一は社會の子としての生活。第二は求道者としての生活。第三は廣義に於ける傳道者としての生活。第一の生活に於いて、社會と自己との關係は、最も同一と呼ばるゝ關係に近い。第二の生活に於いては、自己はその本質に於いて超社會的である。第三の生活に於いては、社會と自己とは相求め相反撥する。それは男と女との如く、對立として最も緊密なる交渉を保持する。此等三種の生活は固より相錯綜し相交互する。併し生活樣式の焦點に着目する時、人はこの三種の生活の差別を見誤ることが出來ない。 4  求道者としての生活にとつて社會の子としての生活は無意義なるか。否、心を虚くして社會の與へるものを受けることは彼の内界を豐富にする。他人との接觸は彼に思ひもかけぬ内省と思索と鍛錬との機會を與へる。久しく社會と遠ざかることによつて、彼の材料は貧寒となり、彼の内界は稀薄となる。  求道者としての生活にとつて傳道者としての生活は無意義なるか。否、苟も持てる者はこれを與へることによつて初めて實證される。金を持てる者は金を與へ、食を持てる者は食を與へることによつて、彼は己れ自らの靈に何者かの與へられることを覺える。少しの眞理を持つ者はその少しの眞理を他人に傳へることによつて自らよりよくなる。此の如くにして傳道の生活は又その求道の生活に反映し來つてこれを強めるのである。  併し社會の子としての生活によつて提供されたる材料を把握し内化して、これを内界の建設に資するの生活は、社會の子としての生活ではなくて求道者としての生活である。自ら持てるものを與へるの努力によつて新たに開けて來た局面に思索と省察とを集中して更に新たなる眞理の獲得に向つて準備するは、傳道者としての生活にあらずして求道者としての生活である。  人の生涯には、社會の與ふる材料の餘りに豐富にして複雜なるが爲に、之に對する自己の統覺が餘りに混亂し餘りに表面に蔓延してゐることを感ずる時期がある。自己の中にあるものが要するに他人を救ふに足らざることを悟つて、痛切に力の缺乏を感ずる時期がある。此時彼は新しい印象を求めるよりも寧ろ新しい原理を求めずにはゐられない。此時彼はその接觸する人と物とを小さく限りて、此等の對象によりて提供される經驗に、惑溺して思ひを潛めずにはゐられない。時として彼は過去の經驗を記憶の中に携へて山林に退き、靜思と内省と苦行との中に日を送らなければならぬことさへある。これ比較的純粹なる求道者の生活形式である。  併し此の如くにして彼が修業三昧に耽る間にも、世界はその罪惡と慘苦とを以つて流轉を續けて行く。處女は汚されつゝある。貧しき者は飢に泣きつゝある。賤しき者は虐げられつゝある。此の如き事實に面して彼の心には自ら疑惑が湧いて來ない譯に行かない。自分の修業三昧は悲慘なる者を忘れたる私ではないのか。自分は一切を捨てて彼等の救濟に走らなければならないのではないのか。併し彼は痛憤に湧きかへりながらも否々と叫び出す。自分の使命は根本的の救ひを齎すことである。自己の中に根本的救濟の道を發見すること――これが自分に負はせられたる最大最切の義務である。自分は未だこの救ひの道を體認するに至らない。故に自分には未だ眞正の意味に於いて彼等を救ふ力がない。暫く余の修業三昧を許せ。自分は自分一個のみの救ひを求めてゐるのではない。自分は汝等のために汝等を救ふの途を求めても亦ゐるのである。此の如くにして彼は重い心を抱きながら、一層の強さを以つて――衆生の苦をも負ふが故に一層の強さを以つて――求道の生活に歸つて行く。さうして彼の財嚢の許す限りに於いて、彼の身邊に起る限りに於いて、彼の時間の許す限りに於いて、これやあれや偶然彼の途を横ぎる慘苦に援助の手を藉すことによつて、僅かにその苦しい心を慰める。さうして唇を噛んで、この慘苦と罪惡との根に斧を加へ得る日の來るのを待ちに待つてゐる。  釋尊は老病死苦を見て心の痛みに堪へなかつた。 併し彼はそのために醫者ともならず、政治家ともならず、又國庫を開いて救卹の事に專心することもせずに、衆生と人間とを痛む心を抱いて山に入つた。彼は世界苦の根が醫術と社會改良とを以つて除却するには餘りに深いことを認めてゐたからである。救濟は先づ自證の途によつて獲得されなければならぬことを知つてゐたからである。  併し自分は茲に至つて自ら嘲る者の聲に耳を傾けずにはゐられない。汝が今讀書や研究の生活を送つてゐられるのは、衆生苦に對する汝の感覺が鈍麻してゐるからではないのか。汝は果して世界の慘苦を救はむがために驅け出さうとする心を抑へ抑へしながら、張り詰めた心を以つて修業の生活を送つてゐるのか。一體に汝の修業に張詰めた心があるのか。自分はこの詰問に對して、自分にも衆生苦に對する相應の感覺はあると答へることが出來るかも知れない。自分は決して修業の努力を弛緩せる儘に放置して自ら甘んずるものではないと答へることが出來るかも知れない。併し此の如き微弱なる答辯は畢竟何するものぞ。自分の衆生苦に對する感覺は確かに鈍麻してゐるに違ひない。自分の修業慾は確かに弛緩してゐるに違ひない。若しさうでないとすれば、どうして自分のやうな呑氣な生活を送つてゐられるものぞ。自分は理想を負ふ者の謙遜を以つてこの詰問の前に首を垂れる。求道の生活を送る者にとつて最も戒むべきは洵に懶惰と利己との混入することである。自分は更に衆生苦に對する感覺を鋭敏にして、修業の慾望を掻き立てなければならない。併し、然らば今直ちに傳道の生活に赴けと云はれゝば、否々、如何に衆生苦を負ふも、今は雪山に入れる釋尊の心に習つて、忍んで自ら養はなければならないと自分は答へよう。  固より自ら養ふの途には限りがない。さうして持てるものを與へるのも亦自ら養ふ所以の一つである。人は何處に求道中心の生活と傳道中心の生活との區別を劃すべきか。それが自己の完成する日に非ざるは云ふまでもない。自己完成の日を待たば永劫に輪𢌞するも遂に傳道の生活に入ることを得ざるは云ふを須ゐざるところである。然らばその時期は何の時ぞ。内面生活のカーヴが急峻なる角度を描いて𢌞轉する事を眞實に感知する時。 5  求道の生活と傳道の生活との關係問題と、道そのものは何ぞの問題と――この二つは固より同一の問題ではない。道そのものは何ぞ。道そのものゝ内容と社會との關係如何。  道そのものゝの内容として、自分は(基督の教へに從つて)少くとも二つの事を考へることが出來る――神を愛する事と、隣人を愛することゝ。  或人は曰ふ、凡ての人皆他人の幸福を圖れば、畢竟その幸福を享受する者は誰ぞ。それは凡ての人である。幸福を圖つて貰ふ者は、自ら他人の幸福を圖りながらも、亦その隣人によつて自分の幸福を圖つて貰ふことによつて幸福を感ずる。さうして他人の幸福を圖る者の最大の幸福は、自分が他人を幸福にすることそのものである。自己の私慾を捨てゝ他人の幸福に奉仕することそのものである。この間の關係を評して不合理と云ふものゝ愚は、猶億萬年の後に實現せらるべき超人の理想のために現在を犧牲にするは不合理だと云ふものゝ愚に等しい。超人の理想は永遠に實現し盡されることが出來ないかも知れない。併しこの理想は現在の刻々に働いて、現在を犧牲にすることによつて現在を活かしてゐる。他人を幸福にするとは、自己を幸福にしないことで、永遠の理想を抱くとは現在の生活を空虚にすることだと考へるのは、生活經驗に乏しい論理家の空論である。苟も愛したことのある者は、苟も理想を抱いたことのある者は、直ちに此の如き論理的遊戲の空しさを看破するであらう。  隣人に奉仕することは決して論者の云ふが如き空語ではない。併し神の愛と隣人の愛とは常に全然相覆ふてゐるか。神を愛する道は隣人を愛する道の外には存在しないか。若しくは隣人を愛することを忘却した刹那にも猶神を愛する道はあるか。  人には花に對する時、凝然として花に對する時、花の中に高きもの、美しきもの、換言すれば神の俤を見る。さうして神性の具現に對して云ひ難き愛を感ずる。併し人は此の如き觀照の中に沒入する時、社會と他人と他人の愛とを忘れる。彼がそのために(對照として人の醜さを想起し來らざる限り)社會を憎むのでないことは云ふまでもない。彼の心が間もなく世界と人間との愛に擴がり行くべきことも亦云ふまでもない。さうして彼が藝術家ならば、彼は恐らくこれを描いて、自分の觀照の幸福を他人にも傳へようとするであらう。併し兎に角に彼の幸福――さうして彼の他人に傳へむとする幸福は――觀照の幸福にある。直接に隣人に働きかけることから來る幸福ではない。若し人が此の如き觀照の生活を繼續するとすれば、彼はその間直接に隣人に働きかける生活から遠ざからなければならない。彼は此の如くにして學術や藝術と云ふが如き Kultur の世界に貢獻する。さうして長く觀照の生活に預る隣人を幸福にする。併しこれも亦隣人に奉仕する生活といふことを得るか。人は自己の中に觀照の幸福を蓄積して隣人をその饗宴に招待するの權利を有するか。  若しくは常に持てる者の一切を盡して直接に身邊の者に頒つ事のみ眞正に隣人に奉仕するの生活であるか。餓虎が食を欲すれば身を餓虎に與へ、「人汝の右の頬を批たば亦ほかの頬をも轉じてこれに向け、汝の裏衣をとらむとする者には外服をも亦とらせ、人汝に一里の公役を強ひなば之とともに二里行く」生活のみが眞正に神に協ふの生活であるか。人は他人をよりよくする事――と云ふよりも寧ろ全然自己を捨てゝ他人の欲望に奉仕すること――によつてのみ眞正に自ら富ますことが出來るのか。學者や藝術家はこの信念を捉まざるが故に救はるゝことが少いのか。一切を忘れて他人の難に赴く時、豁然として神はその人の前に現前するのか。  自分は此處に至れば最早何事をも斷定する力がない。自分は唯自己の生活によつて此間の問題に斷案を下した人の前に跪かむことを思ふばかりである。(五年三月十九日正午) 九 藝術のための藝術と人生のための藝術 1  自分がこの覺え書を書くのは主張するためではなくて整理するためである。新しき眞理を發見するためではなくて、古き眞理を一層明瞭に把握するためである。 2  藝術の製作並びに鑑賞は云ふまでもなく人間の一つの活動である。故にそれは一個人の内部生活に於いて、又個人の集團なる社會に於いて、他の諸〻の活動や目的や理想と交渉するところなきを得ない。此等諸〻の活動や理想の中に在つて、藝術の製作並びに鑑賞は如何なる位置を占め、如何なる價値を有し、如何なる使命を持つか――藝術は此の如き著眼點から評價されることを拒むことが出來ない。さうして他の凡ての活動と等しく、藝術も亦人生全體の意義と理想とに參加し、窮極理想の實現に貢獻する程度に從つてその價値を獲得する。この意味に於いて凡ての藝術が人生のための藝術でなければならないことは、繰返して云ふまでもないことである。若し藝術のための藝術と云ふ主張が、此の如き著眼點から藝術を評價する權利を拒むことを意味するならば、それは主張ではなくて片意地と我儘とである。思想ではなくて思想の放棄である。藝術の意義に對する解釋ではなくて、單にがむしやらなる獨斷である。故にこの意味に於ける藝術のための藝術と人生のための藝術との對立は、最初から考察に價しない。それが苟も一つの主張として意義あるものであるためには、藝術のための藝術とは他との比較を拒む獨斷ではなくて、他の諸〻の價値と比較せる後にも猶藝術の價値の優越又は至上なることを主張するものでなければならない。 3  逆に人生のための藝術と云ふ主張が、人生に於ける他の目的の方便として、單に功利的價値のみを藝術に許すことを意味するならば、それは唯商賣人と檢閲官と道學先生との信條であり得るのみである。凡そ方便とはその目的の實現さるゝとき、存在の理由を喪失するものでなければならぬ。然らば藝術とは理想的人生に於いて全然存在の理由を持つてゐないものであるか。我等がこの缺陷多き現實の生活に於いて眞正に「生き」たることの喜びを經驗し得る刹那は唯藝術以外の領域に於いてのみ許さるゝか。藝術家がその精神の全體を凝集して一つの世界を心裡に創造するとき、過去の閲歴を囘顧してその全體としての意義を把握するとき、心の表皮を掠めて去れる人生と自然との印象を追跡してこれを自己の内面に味會するとき、若しくは鑑賞家が雜念を刈除することによつて一つの世界に嵌まるの喜びを經驗するとき、一つの世界に沒入して其處に全精神を以つて沈潛して生きるとき、又藝術の鑑賞から出發して深き生命感情の心裡に横溢することを感ずるとき――その時我等は唯方便としてのみ意義ある生活をしてゐるのであるか。天成の俗人にあらざる限り何人もさうは思はないであらう。藝術は他の目的に對する方便ではなくてそれ自身に於いて一つの目的である。多くの目的の間に在つて獨自の地歩を占むる一つの目的である。若し藝術のための藝術とは、藝術の此の如き獨自なる價値を主張する意味ならば其處には固より多くの異論あることを許さない。故にこの意味に於いて人生のための藝術と藝術のための藝術とを對立せしむることも、亦甚だ急要な問題ではない。我等は唯明瞭なる自覺を以つて、藝術を唯方便としてのみ評價せむとする俗人を防禦すればそれで足りるのである。 4  此の如く、藝術のための藝術とは、藝術と他の價値との比較を拒む意味でもなく、又他の諸〻の活動と並べてその獨立せる價値を主張するだけの意味でもないとすれば、その眞正の意味は何處に在るか。この主張の底を流るゝ根本精神は何ものであるか。  自分は、人間の他のあらゆる眞摯なる主張に於けると等しく、此處にも亦よりよき生活に對する憧憬の心を見る。現實の生活は色彩に乏しく變化に乏しく、充實を缺き徹底を缺き、平凡で膚淺で散漫で多苦で煩しい。故にこの生活を超脱してよりよく生きむがために、彼等は藝術の世界に走らむとするのである。藝術の世界に走つて、其處に色彩と變化とに富み、充實し徹底し集注した生活をしようとするのである。此處に彼等のよりよく生きんとする意志の特異なる規定がある。彼等は生の解脱を宗教に求めず、他人に對する奉仕に求めず、現實世界に於ける活動に求めず、偏に生の表現の活動に求める。現實の生に於いて與へられないところを、何等かの途によつて生の表現の中に獲得しようとする。さればこそ「藝術は人生より尊い」のである。「人間は何物でもなくて、製作はあらゆる物」なのである。藝術のための藝術の主張の中には、他の活動と並べて藝術の獨立を主張するやうな理智の要素よりは、更に偏つた――同時に更に人間生活の深處に觸れた呻吟の心がある。それは藝術獨立の主張ではなくて藝術の優越若しくは至上の主張である。 5  藝術のための藝術の主張が如何によりよき生活に對する憧憬の心に基いてゐるかは、これと、藝術を現實の模倣、人生の再現と稱する主張との關係を一瞥すれば、更に明かとなるであらう。現實の模倣や人生の再現を能事とする藝術は、其處に人生をよりよくする意志が働いてゐない意味に於いて、人生のための藝術ではない。さうして表現を唯一の目的とする意味に於いてそれは確かに一種の藝術のための藝術である。故に一見すれば藝術至上主義と現實模倣主義は藝術のための藝術として相提携するのが當然のやうにも思はれる。然るにこの兩者は末流に至つて時に相合流するのみで、その本流に於いては――外見上時として相提携してゐるやうに見えながらも――寧ろ決然たる對立を成してゐるのは何故であるか。それは藝術至上主義が人生の Potenzierung(増盛)を――從つて現實以上の生を求めてゐるに反して、現實模倣主義は前者にとつては厭ふ可き現實生活そのまゝの再現を求めてゐるからである。前者は人生の苦を増盛することによつて人生の無味を脱れ(例之をフローベールの「サランボー」)「人生をより善く且つより惡くする」ことによつて人生の平淺を脱れむとするに反して、後者は無味にして平淺なる人生を如實に再現することによつて所謂「人生の眞」を表現せむとするからである。後者に屬する或者は、我等が日常生活に於いて韻文を以つて對話せざるの故を以つて、劇中人物の對話を韻文にするの不自然を攻撃する。併し藝術至上主義者は寧ろ日常生活に於いても韻文を以つて對話することによつて、「人生を藝術の模倣たらしめむ」とするのである。此の如き二つの主張がその本質上相一致することを得ざるは固より當然である。  現實模倣主義の背景には現實に信頼する樂天主義がなければならぬ。之に反して藝術至上主義の背景は現實に信頼するを得ざる厭世主義である。從つて前者にとつては藝術に於いて人生を増盛する必要がなく、後者にとつては藝術の中に人生を増盛することなしには生きてゐられない。故に前者に比すれば後者は寧ろより多く「人生のための藝術」である。我等は此の如くにして、茲に藝術のための藝術と人生のための藝術との不思議なる合致を發見する。併し少しく熟慮すればそれは何の不思議でもない。藝術至上主義は要するに他の諸〻の活動を輕視して、藝術を至上の人生とするものだからである。 6  藝術は現實の鏡ではない――少くとも現實の鏡ばかりではない。それは哲學や宗教と等しく、より善き人生を創造するための一つの機關である。人間が自己の現在を超越して更によき現實に進まむとする努力の一つの表現である。故にそれは現實を如實に映出すること――記憶と同樣の意味に於いて現在の状態を寫眞に撮つて置くことのみを以つて滿足することが出來ない。より善く生きむとする意志を缺くとき、彼は表現の努力を支持するに足る内面的緊張をさへも保つことが出來ないであらう。  固より藝術が現實超脱の努力に參加するには樣々の途がある。これは或ひは“La nouvelle Heroise”の著者ルソーの如く、自己の憧憬に姿を與へて、現實の生に於いて發展せしむるに由なかつた内奧の本質を藝術の世界に於いて生かすことであるかも知れない(Vgl. W. Dilthey: Das Erlebnis und die Dichtung. S. 217ff.)。或ひは“Leiden des jungen Werthers”の著者ゲーテの如く、夢魔の如く襲ひ來る過去の追憶を脱却して、「大懺悔をした跡のやうに自由に樂しい心持になつて、新しい生活を享ける權利」を囘復することであるかも知れない。或ひは又“Salambo”の著者フローベールの如く、人生の苦艱を増盛することによつて平淺と無味とから脱却することであるかも知れない。或ひは又「手」の彫刻者ロダンのやうに、對象の精髓を掴んで其處に萬物の底に流るゝ「心」を發見することであるかも知れない。孰れにしても藝術は現實の人生の奴隷ではなくて、現實以上の人生を我等に示唆するものである。我等を更に生き甲斐のある人生に導くものである。この意味に於いて、「藝術」を「人生」の上に置く思想は當然の理由を持つてゐると云はなければならぬ。藝術至上主義に對して如何なる態度をとるにしても、我等は先づこの事實を承認して置く必要がある。 7  併し我等が藝術を「人生」以上に置くと云ひ、藝術は「現實」の鏡ではないと云ふとき、その「人生」又は「現實」とは何を意味するか。それは與へられたる人生である。現在の自己に對立する現在の現實である。併し人生には單に與へられたる人生に對して、實現せらる可き人生がある。現實には目前に與へられたる現象に對して、現象の底に潛む本質、現在を導き行く可き理想がある。此の如き本質的理想的現實に對して藝術至上主義は如何なる態度をとるか、藝術のための藝術の主張は、一般により善き生活を求むる憧憬の中に在つて、此處にその特異なる點を持つてゐるのである。  藝術は人間の一つの活動として、それは人生の一部分である。併しそれは又人生の表現として人生そのものに對立する。我等が藝術を人生の上に置くことを許したのは、それがより善き人生の――理想的本質的人生の表現であるからであつた。併しそれはより善き人生の表現であるが故に、より善き人生そのものよりも猶優越してゐるか。凡そ表現はあらゆる意味に於ける現實以上であるか。我等はより善き人生を藝術のうちに表現することによつて、より善き人生を最も完全に實現したものといふことが出來るか。  藝術のための藝術を主張する者と雖も、恐らくはそれはさうだとは云はないであらう。併しより善き人生を現實の世界に實現することは、人生を知らざる青年の夢想であつて、現實の眞相を知れる者は人生に此の如き無邪氣なる信頼を懸けることが出來ない。世界は惡に充ちてゐる、人生は苦痛の谷である、故に我等はせめて藝術の世界に於いてより善き生活に生きようとするのである――藝術至上論者は恐らくはかう答へるであらう。藝術はこの世に存在するものゝ中最もよきものである。世界の惡と人生の苦と雖も、藝術の中に表現さるゝことによつて我等に深刻なる歡喜を與へる。藝術を除いて何處に此の如く一切を歡喜に變じ得るものがあるか――彼等の云はんと欲するところは恐らくかうである。故に其處には人生に對する深き懷疑がある。現實に對する底知れぬ絶望がある。藝術至上主義をこの根本情調に於いて理解するとき、自分は彼等の心境に對して一種の深き同情を感ぜざるを得ない。 8  併し此の如き態度の正否は暫く論外に置くにしても、此の如く現實との應酬を厭離して、表現的活動のみに生活の中心點を置くことは、少くとも可能であるか。藝術のみに生きむとする努力は恰かも夢にのみ生きむとする努力のやうなものである。我等は、夢ならぬ世界に身を置いて夢にのみ生きることが出來るためには、不斷に夢を防禦する警戒を緩めることが出來ない。現實の襲撃の不時に來らむことを思ふ虞れは我等の夢そのものをさへ不安にする。さうして現實の中に生きて夢といふ果敢ないものを護るの努力は要するに烈風の前に裸火を護らうとするにも似た果敢ない努力である。我等は現實を離れて藝術のみの中に孤立しようとする人達の生涯にこの類の果敢なさを認めずにはゐられない。  さうして夢にのみ生きむとする努力の支持し難きは單にこれのみではない。現實との交渉を厭ふことによつて夢はそれ自らの食養を失ふ。現實の生活は夢の根である。夢の命である。この根より離るゝとき夢そのものも次第に凋落する。その色彩は褪せ、その内容は貧弱となる。我等は、よき夢を樂しまむがためにはよき現實に生きなければならない。  藝術は固より夢ではない。それは人間の意欲を根柢とせる凝集せる精神の活動である。併し現實と藝術との關係を云へば、それは現實の生活と夢との關係と酷似してゐる。我等が現實の世界に於いて喜悲し翹望し追求し努力するあらゆる體驗は、藝術の世界に表現せらる可き内容を供給する。現實の中に立つて眞劔に經驗する感情――衣食の煩ひ、愛慾の悲しさ、他人のためにする努力、自己反省の苦しみ等――が次第に缺乏し行くとき、我等の藝術も亦次第に貧弱となる。凡そよき藝術の條件は二重である――よき生活とよき表現と。表現の努力のみを生活の中心とするとき、我等のその他の生活は空虚となる。鏡を磨くことにのみ專心するとき、鏡に映すべき姿は萎縮して了ふ。我等は固より藝術至上主義の藝術家の或者が、その藝術家的本能に導かれて、巧みにこの陷穽から脱れてゐることを知つてゐる。併し藝術のための藝術を徹底的に遂行するとき、彼等は遂にこのデイレンマに陷らずにはゐられないであらう。  此處に人生のための藝術を主張することの正當なる根據がある。現實の中により善き生活を開拓することは假令如何に困難であらうとも、我等は現實の自己と現實の人生とを根本的に改造することを外にして、徹底的によりよく生きる方法を持つてゐない。藝術も亦よりよき生活の表現として――よりよき生活の一要素としてその最後の存在理由を獲得する。故にそれは人生の諸〻の活動から孤立することを求めずに、人生の諸〻の活動と共同してよりよき人生の實現に參加しなければならない。かくすることによつて藝術そのものも始めて眞正に豐富なる内容を獲得する。人生全體の理想を求めて精進するあらゆる眞摯なる努力と、この努力に伴ふあらゆる複雜なる感情とは始めて藝術の内容となる。さうして藝術のための藝術さへ、そのよりよき生活に對する憧憬の根本精神によつて、此の如き人生のための藝術の一分子となることが出來るのである。 9  最後に藝術至上主義は現實に對する絶望の外に――寧ろその特殊なる場合として、民衆と社會とに對する絶望を伴つてゐる。人間の諸活動の中に於ける藝術の孤立の外に、人間社會に於ける藝術家の孤立を伴つてゐる。民衆は優秀なる藝術を理解する力がない。藝術は選ばれたる少數者のために存在するものである。故に我等は藝術の製作に際して民衆と社會とを顧慮してゐてはいけない――自分は此の如き主張の中にも猶相當の理由あることを認める。我等が藝術の製作に際して顧慮することを要するものは固より社會でも民衆でもなくて、直接に内面から押し迫つて來る表現の要求である。さうして社會の大多數が優秀なる藝術を理解し得ないのも亦事實であらう。併し我等は此の如くにして製作されたる藝術と、此の如く無鑑識なる社會との距離をこの儘に放置してよいであらうか。民衆を導いてこの優秀なる藝術を理解せしめるやうにす可きか、若しくはトルストイのやうに寧ろ民衆の中に健全なる本能の存在を認めて、我等の藝術の偏局と頽廢とを放棄す可きか、孰れにしても兩者の間にある非常なる罅隙を放置して、己れのみ優秀なる、若しくは優秀と稱する藝術の享樂に耽るは利己主義ではないであらうか。我等はこの事をも亦考へなければならぬ。自分は今自らこの事に就いて何事をも云ふ資格のないものであることを感じてゐる。故に自分は唯茲に眞摯にして偉大なる一つの靈魂の苦悶を引用してこの覺え書の筆を擱くことにしようと思ふ。それはトルストイの日記の一節である―― 「夜通し私は睡らなかつた。絶え間もなく心臟が痛む……父よ、救ひたまへ!昨日私は八十になるアキムを、外へ出るにも外套一枚上衣一枚持たないヤレミーチユフの家内を、それから、夫に凍死されて裸麥の刈手もなく、嬰兒を餓死せしめようとしてゐるマーリヤを見た。……然るに吾々はベートーヴヹンの解剖をしてゐるのである。私は、神が私をこの生活から釋放してくれることを祈つた。今も再び祈る。さうして苦痛のために叫ぶ。私は混亂した、憂悶した、自分ではどうすることも出來ない。私は自分を、自分の生活を憎む。」 (五、一二) 十 不一致の要求 1  トルストイの「藝術とは何ぞや」を讀んで、此人の思索の態度と特質とに就いて多少會得するところがあるやうに思ふ。  トルストイは藝術の定義を下して次のやうに云つた―― 「一應感じたる感情を自己の中に喚起して、これを自己の中に喚起したる後、運動や線や色彩や音響や、言語によつて表出される形象などによつて、他人も亦同樣の感情を感ずるやうにこの感情を再現すること――此處に藝術の活動が成立する。藝術とは、一人の人が意識的に、或外面的の記號によつて、自己の感じたる感情を他人に傳達することに於て――又他人がこの感情に感染してこれを追感することに於て成立する一つの人間的活動である。」  この定義は極めて周密にして要領を得たる定義である。假令一二の些末なる點に於いて猶訂正すべきところあるにもせよ(自分は藝術論をするつもりでないから、此處にはその問題に觸れない)、大體に於いて如何なる專門家も異存あることを得ないほど公正にして穩健なる定義である。併しトルストイはこの定義を立するために如何なる破邪を行はなければならなかつたか。彼は獨佛英伊等の美學者四十餘人の美の定義を列擧して悉くこれを排斥しなければならなかつた。悉く此等の學者の説を排斥して、而る後に自分の説を立てなければならなかつた。しかし彼の説は此等の學者の説とそれほどまでに遠隔してゐるか。彼は此等の學者の説の眞精神を捕捉することを得るまでにこれを研究したか。彼は彼等の學説の眞精神を捕捉せむと欲する意志さへも十分に持つてゐたか。彼は此等の學者の説を破壞し――否破壞ではない唯一束にして抛擲しただけである――抛擲しなければあの穩健な藝術の定義に到達することが出來なかつたか。餘人は兎に角として、佛蘭西のギイヨオとの類似の如きは寧ろ自ら強ひて見ないやうに努めた嫌ひさへないか。自分は此等の點にトルストイの主張と思索との態度の極めて特異なるものあることを認めざるを得ない。トルストイは自ら極めて正しいことを云ふ人である。又極めて鋭敏に他人の不正を發見し得る人である。然し彼の後の方の特質は、時として他人を不正なる者にせむとする意志によつて歪めらるゝことはないか。他人の中に正しきものを發見せむとする努力が、往々にして自己を他人と異れるものにせむとする欲求によつて裏切られることはないか。愛と正義との要求がその熾烈なる我執によつて覆ひ去らるゝところはないか。  トルストイは、現代の宗教的意識の要求は人と人との内面的一致であると云つた。さうして彼はその藝術論に於いて、この理想に反する故を以つて多くの優れたる藝術品を排斥した。然し彼自身の藝術論は如何。彼がその中に、熱烈に民衆との一致を求めてゐることは云ふまでもない。とは云へ彼は又宗教的意識の要求に從つて、學者との一致をも求めたと云ふことが出來るか。學者の中にも正しきものを求めて、遂にこれを求め得なかつたところから彼の憤怒は始つてゐるか。彼は學者との間に出來るだけの一致を求めて、到底一致し得ざるところから之と手を別つたか。寧ろ彼の心に求めてゐたものは最初から學者との不一致ではなかつたか。この不一致の要求の故に、彼は彼等の學説の眞精神に透徹する能力を失ひ、彼の味方をも猶その敵と誤認するに至つたのではなかつたか。  トルストイの藝術論の中には、我等の考へなければならぬ多くの問題がある。さうして其處には本當に我等の學ばなければならぬ思想も亦固より少くない。併しトルストイの藝術觀から正當に學ぶ可きものを學ぶためには、先づ不一致の要求と云ふ外衣を剥ぎ去つてその眞髓を見なければならぬ。さうしてトルストイの他の著作を讀むに當つても、亦恐らくは同樣の用意が必要である。 2  我等は時として、餘りに深く一つの事を感ずるために、却つて評價のバランスを誤ることがある。多くの偉人が往々凡庸人にさへ極めて明白な誤謬に陷ることがあるのは、此處にその一つの理由を持つてゐるのである。從つて評價の不均衡は必ずしも感受性の鈍さを證明するものではないと同時に、極めて均衡を得た評價と雖も、常に感受性の鋭さを證明することは出來ない。ローマン・ローランはトルストイの音樂の評價に就いて、明瞭にこのことを證據立てた。  トルストイが、その感受性の激しさのために、却つて評價の轉倒に導かれたことは、他の場合にも亦少なくないやうに思ふ。如何なる場合にも誤謬は固より誤謬である。併し自分は自分の感受性の鈍さに對する羞恥と、トルストイの激しさに對する尊敬とを感ずることなしに、これを難詰する氣にはなれない。自分はこの點に於いて何處までもトルストイを尊敬する。その誤謬をさへも尊敬する。  併し彼には別に、その感受性の鈍さの故に、貫穿の力の乏しさの故に、誤謬に陷つた點はないであらうか。自分は彼の哲學的思辨に於いて、特に他の哲學者に對する彼の批評に於いて、屡〻この疑ひに逢着する。我等がトルストイから學ぶ可きは恐らくはこの方面ではないであらう。この點に於いても、眞正にこの人の長所を學ぶために、我等はこの人から獨立した地歩を占めて置かなければならない。 3  思想界の偉人と偉人との間に相互の理解を缺くこと多きは、人生の痛ましき事實の一つである。此の如き現象は如何にして生ずるか。其處には固より多くの理由がなければならない。彼等の世界が餘りに明瞭に構成されてゐるために、他との異同があまりに明白に感ぜられることも一つの理由であらう。その感受性が一方に異常に發展する間に、他方面に對する感受性が不知不識萎縮してしまつてゐるやうなことも亦ないとは限るまい。併し自分は時として、彼等の間に、トルストイの藝術論に於けるが如き不一致の要求――更に甚しきは理解せざらむとする意志を發見することを悲しむ。自分は人間の我執の根の深さを此處に發見して、一種の悲愴なる感情を覺えざるを得ない。  併し彼等はこの我執の外に、彼等自身の中に猶極めて多くのよきものを持つてゐた。さうして彼等のこの我執にさへ――この不一致の要求にさへ、彼等を人生の深處に導く力があつた。故にこれは固より彼等にとつて致命的の缺點ではない。我等は彼等がこの我執の外に持つ――若しくはこの我執によつて到達する長所の故に、深く彼等を尊重する。併しこれは彼等に許すべきことであつて、彼等に學ぶ可きことではない。又學び得可きことでもない。我等は偉人の研究に當つては、特にこの不一致の要求を模倣することを愼まなければならない。  我等は時として、この不一致の要求の外に何物をも所持せざる――さうしてこの不一致の要求から何物をも産出することを知らざる、一種不思議なる動物を發見する。彼等の不一致の要求は自己を信ずることの篤さから來たのではなくて、他人の美を成すことを好まざる狹量から來てゐるが故に、其處には矜持すること高き者に特有なる品位がない。力の溢れてゐる者に特有なる一種無邪氣なる寛容がない。傲語と群集本能と、嘲罵と嫉妬と、僞惡と卑劣とが手を繋いで輪舞してゐるところに彼等の不思議なる特質がある。我等は偉人の不一致の要求を學ぶことによつて、この淤泥の中に轉落することを戒めなければならない。  如何なる偉人に在つても不一致を求むる意志は罪惡である。多くの優れたる人はその一生の慘苦によつてこの罪の贖ひをしなければならなかつた。さうして彼等の思想はこの贖罪によつてその深さを増した。而も猶彼等と聖者とを隔てるものがこの傲慢の罪に在るのではないと、誰が保證することが出來るか。 4  自分は恐らくは Synthesist である。  自分の世界にも固より幾つかの Entweder-Oder がある。併し自分は人生の中に「あれかこれか」を發見するに特に鋭敏なる感覺を持つてゐるか。自分はこれを發見する事に對する一種の要求、一種の歡喜とも名づく可きものを持つてゐるか。恐らくはさうではあるまい。自分の「あれかこれか」はやむを得ずして逢着する突當りの壁である。自分は寧ろ Sowohl-als auch を喜ぶ性情を持つてゐるらしい。さうして多くのものを並び行はれさせながら、その中に生きて行く能力をも亦相應に持つてゐるらしい。これは自分の天性である、從つて又自分の長所である。自分はこの長所を自信して他人の Entweder-Oder を模倣することを戒めなければならない。  多くのものを雜然と竝列して徒らに取材の豐富なるはフオルケルトの Sowohl-als auch である。併し自分の「あれもこれも」は恐らくはフオルケルトのそれではない。一切の存在の中にその存在の理由を――その固有の價値を認めて悉くこれを生かすこと、個々のものを眞正に認識することによつて普遍に到達すること、凡てのものと共に生きて而も自ら徹底して生きること――自分は自ら修養することによつて Sowohl-als auch のこの途を進んで行くことが出來ることを信じてゐる。さうしてこの途を進むことによつてトルストイの理解するを得なかつた若干の事物を理解し得るやうになることを信じてゐる。  自分はトルストイに學ばなければならぬ極めて多くのものを持つてゐる。併し自分は根柢に於いて彼と我との間に天稟の相違あることを忘れてはならない。さうしてその相違はあらゆる意味に於いて自分の稟性がトルストイに劣つてゐることを意味するのではない。自分は虚僞の謙遜を離れて敢て正直にこのことを云ふ。自分は大トルストイに對するときと雖も、猶自ら恃むところを保持しなければならぬ。  トルストイの藝術論の中には、Sowohl-als auch を許すものを強ひて Entweder-Oder にしてしまつたところがないとは云はれない。トルストイの愛の缺乏のためにその眞意義が理解されなかつた若干の――恐らくは多くの藝術や思想がないとも亦云はれない。不一致の要求を根據とする「あれかこれか」は、「あれかこれか」の下級なるものである。又愛の缺乏がこの感受性の鋭敏な人をさへ誤謬に導いたことを思へば、我等は更らに一層戒むるところがなければならない。トルストイの誤謬を楯として、自己の誤謬に對する寛容を要求するは無恥なる者のみよくするところである。自分はトルストイの藝術論の中に多くの警告を讀まなければならなかつた。  併し彼の藝術論は凡て作爲された「あれかこれか」から成立してゐるか。その中には如何にも身動きを許さぬ眞正の「あれかこれか」は存在しないか。誰か此の如き獨斷を下す權利を持つてゐよう。彼の藝術論の中には、眞正の「あれかこれか」がある。我等の思想と生活との不徹底を嘲る眞正の「あれかこれか」がある。自分の見るところに從へば、それは第一には本能か文化か、この意味に於ける民衆か貴族かである。彼は誤まれる文化の惱み、醉生する貴族の惱みをもつて、その救ひを民衆の健全なる本能に求めた。彼はデカダンスの嫌惡と、そのデカダンス嫌惡の精神とに於て、不思議にニイチエと共通の點を持つてゐる。彼が民衆の藝術感を尚ぶは、それが單に多數に共通であるためではなくて、寧ろ人間の清醇なる本性に基く藝術感であるからである。彼の藝術上の民衆主義を解して單純なる多數決主義とするものは淺い。彼の民衆主義の眞精神は、他の場合に於けるが如く、此處でも亦民衆崇拜である。更に透明なる言語を用ゐれば寧ろ自然と本能との崇拜である。  さうして第二の「あれかこれか」は、自己の享樂か民衆に對する義務かである。これは彼の一生を貫く悲痛なる懸案であつた。理論では解決して實行では解決するを得なかつた――而も死に至るまでその解決を求めてやまなかつた懸案であつた。さうしてそれは此處でも亦その藝術論を貫く主動機となつてゐるのである。我等はこの主動機に同感することなしに、彼れの藝術論の眞精神に觸れることは出來ない。我等がトルストイの如くこの問題を痛切に感ずることを得ない故を以つて、トルストイのあの熾烈なる民衆に對する義務感は誤謬であると云へようか。云ふを敢へてする者は自ら知らざる無恥の輩である。自分はこの點に於いては自分の鈍感を恥づる外に一言もないことを覺える。  この二つの「あれかこれか」を除けば、他は寧ろ枝葉に近いものである。藝術の目的は美か感情の傳達か、よき藝術は農婦の唄かベートーヴヹンか、此の如きは恐らくは不一致の要求から生れた人爲の二筋道である。我等はこの Entweder-Oder を Sowohl-als auch にかへることを憚る可きではない。(五、一二) 十一 身邊雜事 1  他人の長所を認めて、これを尊重し、劬り、助成することは、雜り氣のない朗かな歡びである。併し不幸にして我等が眼を開いて他に對するとき、我等の瞳にその影を落すものは他人の長所や美點ばかりではない。その弱點や短所も亦否應なしにその黒影を印象する場合がある。その時この餘儀ない印象を如何に取扱ふ可きか。この問題が自分にとつては一苦勞である。  その缺點が甚しく重大な、致命的なものでない限り、これをむきになつて憤慨したり、これを自分に加へられたる傷害として不愉快がつたりする心持からは、自分は可なり遠ざかつてゐる。この弱點を捕へてそれを玩具にして、調戲つたりくすぐつたりする惡戲氣も、近頃は隨分少くなつて來た。自分は對手の弱點を自分一人の腹で呑込んで、默つて之を看過して了ふか、若しくは好意ある微笑を以つて、對手がその弱點を始末して行く自然の經過を見護つてゐるかすることが出來るやうに思ふ。さうして必要に應じて適度の忠告と暗示とを與へて行くことが出來るやうに思ふ。對手の長所を重んじてこれを助成して行くことに中心の態度を置く限り、多少の缺點を寛容することは、そんな困難なことではない。  併し自分は自分の友人に、彼は俺の缺點を呑み込んで知らん顏をしてゐるといふ印象を與へることを恐れる。自分は無意識の間に、自分が對手の缺點を脅す態度をとつてゐることを恐れる。その人に十分の信頼を寄せてゐる場合でない限り、他人から呑込まれてゐると思ふことは、決して心持のいゝものではない。自分は他人から十分に信頼される資格を自分に許すことが出來ないから、自分が對手の缺點を看過して默つてゐることが、却つて對手に不安の念を與へることを恐れるのである。若しN先生のやうに、對手の弱點に對する不同意を即座に即刻に發表して、而も少しも相互の親愛を傷つけずに行くことが出來たら、自分はどんなにせい〳〵することであらう。併し現在のところ自分にはそれが出來ない。自分は對手の缺點を感じながら、或時が來るまではこれを自分の腹の中に藏つて置く。さうして或特別に靜かな時を擇んで、出來るだけ和かな言葉を以つて對手に忠告する。現在の自分にはこれ以上のことは徳が足りなくて企て及ばないのである。凡そ云へないことがあると云ふことは、人と人との間に在つて決して喜ばしいことではない。然るに自分には時として對手に云へない心持がある。若しこの沈默が善良な意志から出てゐることを信じ得なかつたら自分は嘸氣詰りな人に見えることであらう。唯自分の善良な意志を信ずることが出來る人のみ自分の友達となり得るのである。  さうして更に惡いことは、自分の輕々に看過したつもりでゐる缺點が、その實自分の心の底に引掛つて、對手に對する輕蔑若しくは怒りを構成してゐる場合があることである。自分は時として、意識的にその人の長所を見ながら――若しくは見ようと努めながら、無意識の間にその人を輕蔑してゐることを發見する。この矛盾を發見することは自分にとつて特に苦い經驗である。  この間Xが來てYの書いたものの話をしたとき――Yの書いたものの不合理を指摘してこれを笑つたとき、自分はどうにかしてYを辯護しようとした。一見明かに不合理なYの言葉をどうにかして助かるやうに解釋してやらうとした。併し惡いことには、Xの話をきいたとき自分も高々と笑つたさうだ。而も猶惡いことには、自分は自分が高々と笑つたことにまるで氣が付かずにゐた。自分は言葉でYを辯護して、心でYを笑つたに相違ないのである。氣取らうとして益〻桁を踏み外すYの態度を笑つたに相違ないのである。  固よりYを辯護した自分の言葉が虚僞の言葉でないことは、誰よりも自分自身が最もよくこれを知つてゐる。併しそれは如何にも底の淺い言葉である。輕蔑と肩を並べた好意、痛罵にも劣れる好意を、Yが喜び得ないのは固より當然である。自分はこのやうな好意がYと自分との間に好意として通用し得ないことを熟知してゐる。自分はそれが好意として通用し得る日が來るまで、沈默して之をしまつて置かなければならない。さうして努めて彼を痛罵する方の一面にエンフアシスを置かなければならない。痛罵の段階を經なければ、自分の彼に對する好意は何時までも生きて來ないであらう。 2  妻は自分の我儘を洩す唯一の拔け路である。不機嫌なとき、殘酷なことがしたくなるとき、自分は何時もその對手を妻に求める。そのために我等の間に一種の氣安さがあることは事實である。併し妻の身となつては隨分堪へ難いことに違ひない。而も近來の自分には、これを償ふに足る愛があるかどうかさへ頗る疑はしいのである。  このやうな我儘な氣安さの對象とせずに、假令他人に對するときのやうな遠慮を以つてするのでも、寧ろ一種の抑制と思遣りとを以つて之を取扱つた方が正當ではないであらうか。寂寥や焦躁や不機嫌や――凡て内面に喰入る孤獨を男らしく自分一人で堪へ凌いで、せめて妻を劬り慰めるだけの隔りを保つて行くのが道ではないであらうか。 (六、一、一) 十二 善と惡           (ある年少の友のために) 1  凡ての人には善心と惡心とがある、世界には純惡の人が存在しないと等しく純善の人も亦存在しない――これは改めて云ふまでもない凡常な眞理である。我等は固よりこの自然主義的眞理に就いて多くの抗議すべきものを持つてゐない。併しこの一つの眞理は、我等の善惡に關する考察の全局に對してどれほどの意義を持つてゐるか。我等は我等の實際生活の上に、この一つの眞理からどれだけの結論を導いて來ることが出來るか。自分は、この點に就いて明瞭な意識を缺いてゐるために、この自明の眞理によつて却つて恐る可き誤謬に導かれた多くの人を見た。故に自分は此等の人々のために、この一つの眞理から正當に導き得べき結論と、正當に導き得可からざる結論とを區別せむとする欲望を感ぜずにはゐられない。  正當に導き得可からざる結論から初めれば、第一に我等はこの一つの眞理を根據として、善惡無差別を主張することは出來ない。一人の人格の中に善もあり惡もあるといふ言葉は、既に善惡の差別を豫想するものである。善惡の差別を豫想せずに、人性に於ける善惡の混淆を云々するは無意味である。故に凡ての人に善心と惡心とがあると云ふ一つの事實は、惡を去り善に就かねばならぬと云ふ良心の負荷を輕減する理由とはならない。寧ろ人性は善惡の混淆なるが故に、惡を去り善に就く義務は一層痛切を加へるのである。  第二に我等はこの一つの眞理を根據として、善人惡人無差別を主張することも亦出來ない。人性が善惡の混淆であると云ふ事實は、云ふまでもなくその間に、より善いものとより惡いものとの差別があることを否定するものでもなく、又人がより善くなりより惡くなることが出來ると云ふ事實を否定するものでもない。人には、その素質上既に善人と惡人との比較的差別がある。而も後の條件を考慮の中に入れるとき、我等は更に善に向ふ心と惡に向ふ心と、その方向の上に截然たる對立を認めずにはゐられない。假令二人の人がその素質に於いて同等であり、その善惡混淆の度に於いて等量であると假定しても、その志すところの相違によつて、全然反對の方向をとることも亦あり得るのである。故に我等はその意志の所在により、その努力の方向により、その人格生活の焦點によつて、善人と惡人との間に隨分本質的な境界を劃することも亦出來る筈である。茲に二人の人があつて、共に同樣の罪過を犯し、共に同樣の過誤を重ねることがあるとしても、之を恥づると恥ぢざると、その過を改めむとするとその非を遂げむとすると、この兩樣の態度の差別によつて人格の善惡を判ずることは決して不可能のことではない。故に我等は凡ての人に善心と惡心とがあるといふ事實を根據として、善人と惡人との差別を破壞することも亦出來ない。カント以來云ひ古されたやうに、善人とは善き意志である。善き意志によつてその素質の惡を淨煉し、善に向ふ努力によつて善に協ふ本質を獲得したものである。之に反して惡人とは惡き意志である。その無恥なる惡の主張によつて素質の惡を更に倍加し行く者である。茲に同一の空間を相前後して經過する二つの矢があつても、その方向が相反對するとき、その Destiny も亦全然相反せずにはゐられない。善人と惡人との差別は此の如きものである。  此の如く、善惡の差別を廢し、善人惡人の區別を棄て、善の主張を無意義にし、惡に甘んずることを教へることが、善惡混淆の人生觀から正當に導き得べき結論でないとすれば、この一つの眞理が我等の實際生活の上に、正當に與へ得べき結論は何であるか。それは第一に、自己の善を輕信することの警戒である。惡は我等の素質の奧に深くその根を卸して容易に刈除することが出來ない。善良な動機から出た善良な行爲さへ微細にこれを解剖すれば惡き動機とからみ合つてゐる。善き人となることは如何に難きか。根柢から淨めらるゝことは如何に稀有であるか。我等は深くこの事を意識して自らいゝ氣になることを戒めなければならない。  第二にそれは他人に對する寛容を教へる。世に純善の人がないとすれば、我等は輕々しく他人に絶對善を要求す可きではない。さうして世に純惡の人がないとすれば、我等は凶惡無慚の徒の中にも猶本性の善を認めてこれを助成することを努めなければならぬ。我等は我等自身が決して純善の人でないことを記憶して、他人に善を責めるにも猶身の程を忘れぬやうにしなければならない。我等が凡ての人に善心と惡心とがあるといふ事實から、最初にひき出さなければならぬものは、「汝等のうち罪なきもの先づその女を打て」と云ふ基督の戒めである。  要するに我等がこの一つの眞理から導き出すことが出來るものは、自己の善を輕信しないと云ふ意味に於いても、他人の罪過を無慈悲に責めないと云ふ意味に於いても、共に最も直接にパリサイの徒に當るものである。然るに無恥なるパリサイの徒は彼等とは正反對の位置に立つこの一つの眞理を、僭越にも却つて自己防禦の用に供する。彼等は――この眞理によつて自己反省と他人に對する寛容とを學ぶことを知らざる彼等は、唯自己の不善を責めらるるとき、その不善を辯護するために、世には純善の人がないといふことを持つて來るのである。併しこの樣な自己辯護が彼の人格に就いて如何なる證明を與へることになるか、落付いてその意味を省思すれば、彼等と雖も赤面することを禁じ得ないであらう。他人の不善を口實にして自己の不善に甘んじてゐることが出來るほど求善の心弱きか、他人に對して提出する要求を以つて自己を律せむとすることを解せざるほど輕薄であるか、世間の前に不當に自己を正しく見せむとする虚榮心に躯られて、眞實の前に屑く頭を垂れることが出來ないほどに浮誇であるか――三つのうちの孰れかでなければ、この恥づ可き自己辯護を公言することが出來る筈がない。  汝は他を責めること嚴酷に過ぎるといふ非難に對する正當の自己辯護は、自分は嚴酷に他人を非難する資格があるほどに正しいといふことでなければならぬ。さうして汝は不善であるといふ非難に對する正當の自己辯護は、否余は不善ではないといふ主張ばかりである。世に純善の人がないことを理由として自己の不善を辯護するは、要するに逃げながら吠える犬のさもしさに過ぎない。殊に他を難ずるとき余はこれを敢てして恥づるところなき正義の士であると揚言したものが、逆に自己の不善を責めらるゝとき世に純善の人がないことを以つて遁辭とする如きは、實にさもしさの最も近づく可からざるものである。  重ねて年少の諸友に告ぐ――「汝等パリサイ人の麺麭種を愼め。」 2  僞善とは何ぞ。  自己の惡を隱蔽する者は僞善者であるか。自己の惡を隱蔽することによつて、自分を眞價以上によき者に見せむと欲する者は固より僞善者である。自分を眞價以上によき者に見せかけることによつて何等かの利得を身に收めむと欲する者は固より僞善者である。この意味に於いて政治家と教育者との間に如何に僞善者が多いことであらう。併し我等は此の如き僞善以外に、別に意味を異にする惡の隱蔽があることを忘れてはならない。この意味に於ける惡の隱蔽者は、自分の中に到底告白するに堪へぬ惡心があることを自覺してゐる。この惡心の極めて恥づ可きことを底から感じてゐる。さうして現在の生活の自然を破ることなしに之を社會の前に暴露するだけの性情の強さが與へられてゐないことを感知してゐる。故に彼はその惡を恥づるこゝろから、不自然なる開放を憚るこゝろから、自分を眞價以上に見せむとする慾望なしに、自分を眞價以上に見せかけることによつて何等かの利得を身に收めむとする打算なしに、本能的の羞恥を以つてその惡を隱蔽するのである。我等は此のやうな惡の隱蔽をも猶僞善と呼ばなければならないであらうか。固より惡意を以つてすれば、假令消極的にもせよ其處に外觀と實質との矛盾がある限り、これを僞善と呼ぶことも出來るであらう。併し此處にはその善を誇張して見せびらかさうとする意志なきが故に、又此處には惡を恥づる善心がその隱蔽の根據となつてゐるが故に、自分は――一つは自分自身のために――もつと優しい名稱を以つてこの弱點を呼んでやりたい。彼がこの弱點を脱却する途は唯三つあるのみである。第一の途は心の底に潛む惡心を根絶することである。第二の途はその惡心を懺悔し盡すことが出來るほどに玲瓏透徹の人格となることである。併しこの二つの途は修錬によつて自然に到達することが出來ることであつて、決心によつて即下に實踐することが出來る途ではない。故に剩されたる第三の途は、この惡心を家常茶飯事として開放するほど無恥になることのみである。Cynical Frankness の途のみである。併しこの途をとることによつて、彼は一つの弱點を脱却するために、より惡き罪過に陷らなければならない。この新しき罪過に陷らぬ限り、彼はこの弱點から即下に脱却する途を持つてゐない。從つて、惡意ある者の稱呼に從へば――僞善は現在の彼が履む可き正しき途である。彼は依然として、惡を恥づる心を以つて告白するに堪へない惡心を自分一人の胸に抱き締めて行かなければならない。善心の醇熟に先だつ安價なる告白を愼んで、隱忍して自分の人格の淨化を努めなければならない。さうしてその間、惡意ある者の侮辱を堪へて行かなければならない。  第二に、理想と現實との間に矛盾を持つてゐるものは僞善者であるか。現在即下に實現することの出來ぬ理想を抱く者は僞善者であるか。その理想が未だ自然的素質を征服し盡すに至らず、その求める善が時として之と矛盾する慾望によつて裏切られることがある限り、その人は常に僞善者であるか。若しこれをも猶僞善と呼ぶならば、人は僞善者である限りに於いてのみ人格の進歩があり、その人が僞善者でなくなるとき、その進歩は全然停止すると云はなければならないであらう。理想はその人の自然的素質と矛盾するが故に情熱を帶び、現實は理想と矛盾するが故に刻々に高められる。理想と現實と矛盾するは、繰返すまでもなく當然至極のことである。唯實現の情熱を伴はぬ善の空想を理想と稱して掲げ出すとき、理想と稱して掲げ出しながら之を實現せむとする情熱を心に貯へざるとき、又理想として要求するところを直ちに自己の實現であるかのやうに見せかけるとき、その生活には始めて虚僞を生ずる。併し實現し得ざる善を求めることと、持つてゐないものを持つてゐると見せかけることとは意味を異にするのである。シヨーペンハワーは死を恐れても、彼の意志否定の理想は虚僞にはならない。トルストイが妻と子とを持つてゐても、彼の絶對的貞潔の理想を僞りと呼ぶことは出來ない。シヨーペンハワーが余には死を恐るゝ心なしと提言するとき、トルストイがその妻と子とを社會の前に隱さうとするとき、彼等は始めて僞善者となるのである。  第三に、空想のなかに多くの善を夢想しながら、これを現實の世界に移すことに失敗するとき、心の中に多くの美しき意圖を描きながら、これを實行し貫く性格の根強さを缺くとき、その人は僞善者であるか。此處には空想と――理想ではない――現實との間の矛盾がある。從つて彼がその空想を言葉に現はすとき、彼の言葉と實行との間にも亦矛盾があるに違ひない。彼の空想は彼の現實より美しく、彼の言葉は彼の實行より美しきとき、我等は彼を僞善者と呼ぶに何の躊躇をも要しないやうに思ふであらう。併し現實の世界に移すことに失敗するとき、空想の善は常に虚僞であるか。これを實行し貫く性格の根強さを缺くとき、意圖の美は常に詐りであるか。或場合にはさうであらう。併し凡ての場合にさうであるといふのは早計なる概括である。現實の生活の中に圓熟せる者に非ざる限り、誠實に善を思ひ、誠實に善き意圖を抱き乍ら、猶その實現に於いて失敗することは極めて少くない。我等がこの場合に於いて概括的に云ひ得ることは、唯その善が薄弱なことである。固より薄弱は如何なる場合にも恥辱である。併し薄弱な善も、不善又は無善よりは遙かに優つてゐるであらう。空想の善や美しき意圖が幾度かその實行に於いて躓きながら、これによつて我等の性格の次第に大きく堅く練られて行くことは、凡ての人の知つてゐるところである。故に我等は空想の善や意圖のみの美しさを恥づるよりも、寧ろこれを乘切つてその先に行かなければならない。唯誠實に空想せざる善を美しき言葉に飾るとき、又心に醜き意圖を抱きながら、美しき意圖あるが如く人に見せかけるとき、我等は始めて僞善者となるのである。  僞善とは詐欺の意志若しくは衝動によつて成立する一種の特別なる惡徳である。僞善の特に憎むべきはその矛盾が詐欺によつて成立してゐるからである。  年少の諸友に告げよう――僞善とは極めてシヨツキングな言葉である。我等は此言葉を以つて屡〻自ら怯え、又人を脅す。併し我等は詐欺の意志に基く眞正の僞善と、一見之に類似しながら而も我等の忍んで通過しなければならぬ自然の諸段階とを混同してはならない。この混同は我等の生活の勇氣を挫き、又他人に對する我等の態度を不正にする。我等が開放するに堪へざる惡心の蠢きを心に感ずるとき、我等が理想として求める善を實現する力を缺くとき、又我等が空想の中に極めて美しく人類に對する愛を描きながら、現實の關係に於いては父母兄弟をさへ完全に愛することが出來ないとき――そのとき我等は深く屈辱を感ずるであらう。併しその屈辱は如何に深くとも、それは僞善ではない。直下に即刻に深く之を憎んで、惡疫の如く之を遠ざけなければならぬものは詐欺の僞善である。併し自然の發達のみが癒し得る若干の弱點は、忍んでその癒える日を待つてゐなければならぬ。あらゆる意味に於いて生活の矛盾を脱却することは、決して容易なことではないのである。 3  自己の惡を隱蔽して正しい者のやうな顏をするとき、自己の善を誇張して正善の人らしく歩き𢌞るとき、自己の中に最も多くその非難に價する惡徳を包藏しながら神の如き無恥を以つて他人と社會との惡徳を憤慨の種とするとき――さうしてその外觀と本質との矛盾が明瞭に我等の眼に暴露されるとき、その時我等は此等の徒を呼んで僞善者と呼ぶ。併し我等の僞善者といふ概念は、その外觀が一應我等を欺くに足るだけの尤もらしさを具へてゐる場合に特に剴切に通用する。その外觀と本質との矛盾が餘りに明々白々なるとき、我等は最初にその滑稽と出鱈目との印象に支配されて、僞善者とさへ思つてゐる餘裕がないのである。同一の隱蔽、同一の誇張、同一の無恥、同一の詐欺が、僞善として憎まれずに滑稽として笑はれるに過ぎないのは、馬鹿の一徳である。併し之は唯彼の詐欺が彼の愚によつて覆はれてゐることを證明するのみで、少しも彼をより善くする所以ではないのである。 (六、二、一六) 十三 夏目先生のこと  先生が亡くなられたとき、自分は、現代と後世との人々に先生の事業の一端を説明するに足るやうな、少し纒まつた論文を書いて、これを先生の靈前に捧げたいと思つてゐた。先生に對する自分の負荷はこの一つの論文で果すことにして、その他の斷片的なことは成る可く書かないやうにしようと思つてゐた。併しその後先生に關する色々の世評を見聞するにつれて、ちよい〳〵先生のために辯じて置きたいと思ふことが出て來た。自分は固より、今でも樣々の細々したことに就いて彼此云ひたいとは思はない。併し二三の重大な事に就いて、自分が自分なりの解釋を下してゐることを、早く世間の人に聞いて貰ひたい氣がする。それで云つて置きたいことの一つを今此處に公表する氣になつたのである。  自分の此處で考へようとするのは「早く注射をして呉れ、死ぬと困るから」と云はれた先生の言葉である。世間ではこの一語によつて、先生が臨終に當つて大變精神的に苦悶されたやうに解釋してゐるらしいが、それは事實に相違してゐる。最後の日の晝、もう臨終に間がないからといふので一同先生の枕頭に集つたときには、先生は本當に靜かにしてゐれらた。精神的の苦悶は固より、肉體的の苦痛さへ殆んど意識を亂してゐないやうに見えた。臨終の靜かなことは悲しみの中にも猶自分達の心を喜ばせた。自分達は嚴肅な敬虔な心持で先生の大往生を見守つてゐた。併しさうしてゐるうちに先生は少し身動きをされた。醫師はこれに力を得たらしく、もう一つやつて見ることがあるからと云つて、一同を病室から退かせた。あとで聞けばあの時食鹽注射をすると死際に激しい苦痛が來ることはわかつてゐたのださうである。主治醫眞鍋氏は先生の靜かな臨終を亂すに忍びないからと云つて、最初はこの食鹽注射に反對したのださうである。併し萬一を僥倖するために最後の食鹽注射は行はれた。さうして先生は少し持なほされた。素人の悲しさに自分達の心には何だか囘復の見込があるやうな氣が起つて來た。自分などはこのほつとした心持に欺かれて、今の間にと云つて一寸自宅に歸つたため、遂に先生の臨終に逢ふことが出來なかつた位である。こんなにして問題の苦悶は自分の居ない時に起り、問題の言葉は自分のゐない時に吐かれたのであるから、自分は直接の觀察によつてその時の有樣を語ることは出來ない。併しその時居合せた人達の言葉に徴するに先生の最後の苦しみは主として食鹽注射によつて自然の死を妨げられた肉體の苦しみであつたらしい。若し精神的の苦悶があつたにしても、その徴候は唯問題となつた一言によつて認め得るのみであつたらしい。故に自分はあの一言の意味を解釋するに先だつて、先づあの一言が如何にして發せられたかの事情を語つて置きたかつた。讀者にして若し上に述べた私の敍述を信ずるならば、假令この言葉の意味を如何に解釋するにせよ、それが先生の臨終に非常な精神的苦悶があつたことの證明にはならないことを領會されるであらう。(この事に就いては、眞鍋氏がその中病床日誌を公にして醫學上の説明を與へられるやうに聞いた。それが出たら先生の臨終の模樣は自分のやうな素人の敍述によるよりも、一層明かになるであらう。)  然らば先生はあの「死ぬと困るから」といふ言葉を、どんな心持で、どんな意味で云はれたか。先生の亡くなられた今日、何人も斷定的にその意味の解釋を下すことが出來ないのは勿論である。我等は唯前後の事情と、一般の人性とに照してその可能な意味を忖度するばかりである。それが當つてゐるかゐないか、それは唯自分達が死んで行つて先生に逢つたときに、先生から聽くことが出來るばかりである。  自分の考へるところによれば、先生のあの言葉は、三樣の意味に解釋することが出來る。第一は過去の記憶の斷片が、死にかけてゐる先生の意識の中に再生して、あの言葉となつたと解釋することである。この解釋に從へば、あの言葉は老耄病者の獨語と同樣な、その時の人格とは極めて縁の薄い言葉となるであらう。老耄病者に在つては意識の全體を統御する人格の働きが既にその力を失つてゐる。人格の統御と意志の選擇とを脱れた過去の記憶は、その時の人格要求とは大なる聯關なしに、晦迷なる意識の中に閃き又閃く。かくて過去に經驗した極めて些末な慾望、過去の或る瞬間に微かに意識を掠めて過ぎた僅かばかりの思想も、猶彼等の獨語の内容となることが出來るのである。さうして一度假死して漸く蘇つた先生の意識を老病者のそれに比較するは必ずしも失當とは云はれない。かう解釋すればあの言葉は、先生の人格とは殆んど關係のない、生理的心理的部分現象となつてしまふであらう。此間先生の舊居であの言葉の意味の解釋を話し合つたとき、生理學的に、若しくは生理的心理學的に説明しようとする人達は、この解釋に傾いてゐるやうであつた。  併し第一説のやうにあの言葉と先生の人格とを切り離して了ふには、「早く注射をしてくれ、死ぬと困るから」といふ言葉は、あまりに意義の明白な、さうしてあまりにその時の事情に適合し過ぎた言葉である。我等の窮理慾は、これをもつと先生の人格と聯關させて説明しなければ滿足が出來ない。第二の解釋は先生の奧に潛んでゐる盲目的な「生きむとする意志」(Wille zum Leben)がこの言葉を吐かせたと見る見方である。將に不可知の淵に投ぜむとするときに本能的に人の意志に閃く生への囘顧執着――この執着によつてあの言葉が生れたと見るのは、極めて自然な見方と云はなければならない。さうして世間の人達も最もこの解釋を喜んでゐるやうに見えた。唯自分が茲に力説して置きたいのは、この解釋に從つても、あの言葉が先生の思想と人格とを累するには足らぬといふことである。先生の死なれる一年程前、自分が先生にお目にかゝつたときには、先生は死は生に勝ると云つてゐられた。その後になつて先生は、もつと積極的の意味で生死を一にすることを説いてゐられたやうに聽いた。或人は先生の此等の思想と、先生の死前の言葉とが矛盾すると云つて先生を責めようとする。併し彼等は、如何なる人の場合に於いても、思想は――特に理想の形に於ける思想は――その自然的素質と矛盾するものであることを知らないのである。自然的素質との矛盾は思想の眞實を害するものでないことを知らないのである。思想とは自然的素質を規正し精錬し淨化するもの――從つてその本質上自然的素質と矛盾した一面を持つ可き筈のものである。思想は自然的素質の精錬が完成するところから始まるのではなくて、自然的素質を精錬するために生れて來るのである。然るに生きむとする意志は食色の本能と等しき――寧ろ更に根本的な人間の本能である。この本能が存在する故を以て生死を一にする思想――若しくは理想を抱く者を責めるのは、性慾を根絶し悉さぬ故を以つて、貞潔の理想を抱く者を責めると同樣の無理難題である。このやうな無理を要求するよりは、寧ろ人に向つて何故に汝は神でないかと責める方がよからう。先生が神でなかつたことが――臨終に當つて生きむとする意志の動きがあつたことが、何で先生の人格と思想とを累するに足らう。  さうして其處には別に、最もよく前後の事情と照應する第三の解釋があり得る。それは先生が生きてゐて爲たかつた仕事があると見ることである。少くともその仕事をしてしまふまで生きて居たかつたと見ることである。その仕事の慾望が半ば無意識にあの言葉を吐かせたと見ることである。然らばその仕事とは何であるか。最も直接に云へばそれは先生が百八十八囘まで書きかけた「明暗」である。先生が最初に血を吐かれた日の夜、あれほど鮮かな空想を以つてあれほど書き進んだ「明暗」は、屹度寢てゐても先生の眼に憑いて先生を魘すだらうと、自分はWと話し合つた。碁に熱中する者には碁盤が眼に付いて離れないと聞くが、同樣に先生には「明暗」が眼に憑いて離れなかつたであらう。さうしてこの眼に憑いて離れないものを完成してしまひたい願ひが、昏々として睡る間にも(而も先生は昏睡されたのではなかつたから)猶繼續してゐることは、極めて自然に想像し得ることである。而も「明暗」を外にしても、先生には猶生きてゐて爲たい仕事があり得た。それは最近になつて先生の悟入し得たと聽く眞理を傳へ殘して置くことである。先生は則天去私の眞理によつて多くの者の迷ひを覺してやりたいと云つてゐられたさうだ。小説家は五十以上にならなければ駄目だと云つてゐられたさうだ。則天去私の立脚地に立つ新しい文學論を大學で講じてもいゝと云つてゐられたさうだ。さうして見れば最後に近い先生の腦中には色々の仕事と、色々の仕事の計畫とがあつた筈である。かう云ふやうな「仕事」を持つてゐる人が、「死ぬと困る」と思ふのは何の不思議があらう。自分は寧ろ世の基督教徒と稱せらるゝ人が、先生のこの一言を捕へて、最後の煩悶憫む可しといふやうなことを口にするのを不思議に思ふ。彼等の師イエスは、「吾父よ若しかなはゞ此杯を我より離ちたまへ」とゲツセマネに祈つた人である。さうして馬可傳によれば、彼は十字架の上に在つて「わが神わが神何ぞ我を棄てたまふや」とさへ叫んだと傳へられてゐる。基督のこの最後の「煩悶」は何のためであつたか。それは彼がまだ爲可き仕事を持つてゐたためではなかつたか。自分は眞正の基督教徒は、先生の最後の言葉を尊崇はしても憫むことは出來ない筈であると思ふ。(かう云つたら先生は苦笑しながら、そんなに大袈裟なことにして呉れちや困るよと云はれるかも知れない。併し此の比較は唯仕事のために死を惜む心持の一點にあるのだから、先生からも宥して頂きたいと思ふ)。併し先生は固よりイエスではないから、我等は唯先生の唇から、「死ぬと困るから」と云ふ家常茶飯の言葉を聽いただけであつた。我等は先生から「此杯を我より離ちたまへ」といふ言葉と「聖旨に任せ給へ」と云ふ言葉との間に行はれる情熱の摩擦を聽くことが出來なかつた。若しかしたら先生は、死んでから、面倒な事をせずに濟んだのは有難いねと云つて微笑されたかも知れないと思ふ。兎に角先生は我等の間に一つの問題になる言葉を殘して、最も先生らしく死んで行かれた。さうして自分はこの言葉をどんな意味に解釋しても、それは先生の徳を累す可き性質のものでなかつたことを信じてゐる。(六、二、一六) 十四 一つの解釋 1  哲學的教養を受けたものがトルストイを讀むときに、最初に受けるシヨツクの一つは、恐らくは、トルストイの考へ方の多數決主義である。彼が藝術家の信條を受納するを得ぬ一つの理由は、「一人の人によつて表白されるあらゆる意見に對して、直ちにこれと對角線的反對をなす他のものが現はれるから」(「我が懺悔」第二章)であつた。彼が人生問題の解決を目的とする諸種の學術に對する不信の一つは、「一つの思想家と他の思想家との間に、甚しきは同一の思想家に於いてさへ、不斷の矛盾がある」からであつた(「同上」第五章)。さうして彼は又、勞働者や農民が受用し得ず理解し得ざる故を以つて、殆んどあらゆる近代の藝術を擯斥した(「藝術とは何ぞや」、特に第八章、第十章等)。一見すればトルストイの採用せる眞理の標準は、これをあらゆる人の前に提出するときあらゆる人が直ちにこれを眞理と認むるに躊躇せぬことであり、トルストイの是認する價値ある藝術は、鑑賞者の側に如何なる準備も態度の轉換もなく、凡ての人がこれを受用しこれを理解し得るものでなければならないやうに見える。一つの思想、一つの學説、一つの藝術の價値は、アングロ・サクソン人種や、兒耳曼人種や拉典人種や、スラヴ人種等の高架索人種のみならず、亞細亞や阿弗利加に於けるあらゆる人種の前に――自分は自分勝手に此等の人種を列擧するのではない。トルストイの擧げた名前を繰返すのである――これを提供して投票させるとき、それが如何に多數の票數を得るかによつて決定されるやうに見える。併し若し「一人の人によつて表白される意見に對して、これと對角線的反對をなす他の説が現はれる」故を以つて、直ちにこの二つの説とも同樣に信じ難いものとならなければならないならば――又、「一つの思想家と他の思想家との間に、甚しきは同一の思想家に於いてさへ、不斷の矛盾がある。」故を以つて、凡ての學説が信ず可からざるものとなるならば、他の多くの思想家と矛盾するところ極めて多き(少くともトルストイ自身はさう考へてゐたに違ひない)、又その生涯に於いて幾多の變遷を經たる、トルストイの思想と人生觀との如きは、最も信じ難きものとならなければならないであらう。さうして藝術に於いても、阿弗利加人やホツテントツト人にも直ちに通じ得べき藝術を求めるとき、これを求めてその條件に適はざるものを除外し行くとき最後に殘るものは極めて貧弱な低級な藝術のみとなるに違ひない。眞理の標準を此の如きものと思惟し、藝術の價値を此の如き標準を以つて測るは、一見明瞭を極めたる誤謬と云はなければならない。トルストイは實際此の如き標準を以つて思想の價値を測つてゐるであらうか。此の如き標準を以つて藝術を評價してゐるであらうか。 2  誤謬の存在は客觀的眞理の存在を破壞する理由とはならない。一人の小學生が計算を過つた故を以つて――この一つの事實も猶凡ての判斷の現實的一致といふものを破壞する理由とはなり得るのである――數學上の原理が成立し得ないならば、一人の片意地なる者が馬を指して鹿と云ひ張る故を以つて、馬が馬であるといふ事實が破壞されるならば、世界にはあらゆる意味に於いて眞理と云ふものが存在し得なくなるであらう。凡ての人の現實的不一致が眞理の存在を傷つくるに足らねばこそ、我等は誤謬の積層をおしわけおしわけして眞理に對する努力を續けることも出來るのである。凡ての人が反對するも余一人のみが眞理を把握してゐる場合も亦存在し得る。ガリレオが地動説を主張したとき多くの人は彼の説を無稽として彼を迫害した。併しその迫害者の子孫も今日に於いては地動説を認めないものはないであらう。それは事實と人性との本質に、凡ての人が地動説に一致すべき必然性が含まれてゐるからである。この意味に於いて凡ての眞理は萬人に共通なるもの――普遍的妥當性を持つてゐるものでなければならない。併し普遍的妥當性とは凡ての現實的判斷の統計によつて發見せらる可き性質のものではない。現實的判斷に於いては、九百九十九人が誤つてゐて、唯一人だけが普遍的妥當性を持つてゐる場合も亦存在し得る。時代に先んじたる偉人の場合は凡てこれである。多くの説が矛盾するとき、凡ての説が誤つてゐることも固より一つの可能なる場合である。併し其處には唯一つが正しくて他の凡てが間違つてゐる場合もあり、凡ての説が一つの眞理の徐々として完全に近づき行く認識の、諸〻の段階として歴史的に繋がつてゐる場合もある。トルストイの考へ方は、一見すれば、後の二つの可能性を無視する一面的な考へ方であるやうに見える。  或人は一つのことを善なりと云ひ、他の人は同じ一つの事を惡なりと云ふ。この矛盾は要するに善惡は迷妄であると云ふ結論に導き得るか。否、善惡は我等の本質の法則に合すると合せざるとによつて分れる。假令我等が我等の片意地を以つて、若しくは誤れる誠實を以つて、意識的には善であると主張するときと雖も、これを實行することによつて我等の本質が内面的に否定されるといふ事實があるならば、その行爲は客觀的の意味に於いて惡である。子供は南天の實が毒であることを知らない、若しくは片意地を以つて毒でないと主張する。併し彼の意識と主張との如何に關らず、之を食へば彼の肉體は傷害されるであらう。母親は南天を毒であると主張する。子供はこれを毒でないと主張する。兩者の間には一致がない。この一致せざる意見を以つて相爭ふとき、母親もその子と共に、「瘋癲病院」中のものであるか。南天を毒でないと主張するものがある故を以つて、南天が毒であると云ふ事實は破壞されるか。 3  此の如きは凡て繰返して云ふまでもない凡常の事實である。トルストイは果して此の如き凡常の事實を知らなかつたか。一見すればさう云ふより仕方がないやうに見える。併し自分はさうは思はない。自分の考へに從へば、トルストイは自分の認めたる一つの眞理を押し通すために、これと矛盾する、若しくは矛盾すると思惟せる諸説をすべて折伏したかつたのである。さうして無意識若しくは半意識的に、自分自身の上に最も痛切に歸つて來るやうな不利益な武器を用ゐたのである。現代の思想家中、トルストイほど自分一人の握つてゐる普遍的妥當性を主張した人が――主張することを喜んだ人が、他に幾人を數ふ可きであらう。  自分は茲に繰返して人口に膾炙せるトルストイの手紙の一節を引用する――「我等は相互に求め合ひて行く可きではない。我等は凡て神を求めなければならないのである。……貴君は云ふ、一緒にする方が容易であると――一緒にするとは、何を?勞働すること、刈入れをすることに於いては、然り。併し神に近づくことは――それは唯孤獨に於いてすることが出來るのみである。私は世界を一つの巨大なる殿堂と見る。其處には光が天上から、丁度その眞中に落つるのである。一致するためには、我等はみんな光の方へ行かなければならない。その時我等の凡ては、あらゆる方向から集つて來て、我等が搜し求めなかつた人達の群れの間に自分を發見するであらう。其處に悦びがあるのである。」――さうして神に於いて、神に於いてのみ凡てが一つになることを知つてゐた人が、本當に價値の標準を統計的多數決に置くが如きは決してあり得ざるところである。  彼は又その「藝術とは何ぞや」に於いて云ふ、「最高にして最善なる感覺の理解に對する障礙は、これも亦福音書に云はれてゐるやうに、決して發達や教養の缺乏にあるのではなくて、反對に、誤れる發達と誤れる教養とにあるのである」(第十章)と――果然、彼の嫌惡せるは多數の趣味と一致せぬ藝術ではなくて(固より多數に對する義務と云ふ點に就いて、「多數」は再び重要な問題となつて來るが、)その實偏局せる、人類の健全なる本能の頽廢せる藝術であつたのである。彼は彼の是認せる――多數決によらずして直ちに彼の心臟を以つて是認せる――藝術を民衆の間に見、飜りて所謂貴族的文學の間にその顛倒と墮落とを見た。同時にこの貴族的文學が傲然として最高最良の藝術を以つて自ら居る僭上を見た。故に彼はこの僭上を罰するに「多數」と一致せざることを以つてするのである。  トルストイが多數と一致せざる故を以つて擯斥する一切のものは、豫め彼自身の燃ゆるが如き心臟によつて端的に擯斥されたものである。さうして彼はこの擯斥を裝ふに「多數との不一致」を以つてするのである。若し彼自身の心臟の是認するものが「多數」と矛盾するならば、恐らくは彼は更に敢然として「多數」を排斥したであらう。  自分はトルストイの多數決主義を此の如くに解する。多數のための奉仕と多數なるが故の是認と――この二つを嚴密に區別することは、他の凡ての場合に於けると等しく、トルストイの眞意を汲むためにも亦必要である。(六、五、二五) 十五 思想上の民族主義 1  余は日本人である。  余は日本人の血を受けて生れ、日本の歴史によつて育まれ、日本の社會の中に生息してゐる。故に自ら好むと好まざるとを問はず、日本人であることは余の運命である。自己の素質に内省の眼を向けるとき、余は如何に多くの日本的なるものを自己の中に發見することであらう。自然の風物や四季の推移に「もののあはれ」を見る感じ易き心に於いて、余の中には平安朝文學の血が濃かに流れ動いてゐる。朦ろにして包むが如きもの、ほのかにして温かなるもの、外表の強さを缺きながら自己の中に歸る力の靜けさを保つものに對する特殊なる傾向を持つてゐる點に於いて、余の趣味は弄齋の旋律や古土佐の巧藝の傳統の繼承者である。さうして夢殿の祕佛や三月堂の諸佛や法隆寺金堂の壁畫や法華寺の彌陀三尊圖等に云ひ難き親愛と畏敬とを感ずる點に於いても、余は特に日本的なる素質――少くとも特に東洋的なる素質を持つてゐるに違ひない。更に古事記や萬葉集に現はれたる上代人の生活に特殊なる愛情を感ずるが如きも、恐らくは日本人ならぬ者の能くするところではないであらう。余の中に日本的なるよきものの生きてゐることを感ずるとき、余は余が日本人であることを喜びとする。さうして我等の祖先と共通なる局限を余自身の中にも發見するとき、余は余が日本人であることに就いて一種の悲哀を感ずる。併し如何にこれを喜ぶもこれを悲しむも、又如何なる意志の力を以つて日本人的素質を脱却せむと努力するも、余は遂に日本人ならぬものとなることは出來ない。余が日本人ならぬものとなり得ないのは、余が余ならぬ者となり得ないと同樣である。  併しかく云ふは、余は「日本人」と云ふ普通名詞であると云ふ意味ではない。一面から云へば、日本人の平均的性質以外、余には余自身の個性がある。從つて余が余として生きるとき、余の中には、過去の日本歴史に於いては嘗て實現せられざりし新生面を發展せしむ可き可能性が與へられてゐるかも知れないのである。又一面から云へば、余の中には民族的特質を超越して世界に於けるあらゆる他の民族と共通なる――釋迦や基督や孔子や、ソフオクレスやセネカやダンテや、シエーキスピーヤや、ルソーやゲーテ等と共通なる、「人」としての生活の一面がある。余は民族史に規定せらるゝと共に世界史に規定せられ、民族史によつて教育せらるゝと共に世界史によつて教育せらるゝ「世界人」である。我等は「日本人」であると云ふ事實によつて、余は又同時に「余」自身であり「世界人」であると云ふ事實を――これが事實であることは、曇らされざる眼を以つて自己と自己の内容とを反省したことがある者の何人も拒み得ないところである――この事實を閑却してはならない。 2  余は日本を愛する。  余が日本を愛するのは、凡ての人を愛するのが、余の義務であるからばかりではない。余は余の自然的素質の故に、血族的親近の故に、世界の中でも特に日本を愛せずにはゐられないのである。余は日本の文物に對するとき、故郷に歸れる者の親しさと悲しさと心安さとを感ぜざるを得ない。我等が萬葉を讀み芭蕉を讀むとき、法隆寺や藥師寺を訪ふとき、古土佐や光悦や宗達や光琳の繪畫を見るとき、又弄齋や富本や端唄を聽くとき、最後に日本の衣服を着て日本の疊の上に安座するとき、如何に我等自身のエレメントにゐることを感ずるであらう。更に我等は將來に渉つても、此等の文物を保護し發展せしめむとする、特殊なる負荷と憧憬との感情を抱き、特殊なる強さを以つて日本の文化に貢獻せむとする欲望を感ぜずにはゐられないのである。單に外面的政治的關係に於いてこれを見るも、日本が外國と戰ふとき、我等は反射的本能を以つて日本の勝利を切望し、日本人が外國に於いて虐待せらるる事實を聞くとき、同樣の本能的感情を以つて、日本人の世界的地位の低きを憤慨する。若し外國の軍隊が我國に侵入して、我等の老幼を虐殺し、我等の姉妹を姦淫するならば、余は如何に自ら抑制するも、到底銃を執つて立たずにはゐられないであらう。余が日本を愛するは、動物のその子を愛護するが如き自然的衝動に基いてゐるのである。  併し何故にこの自然的衝動に從ふことは正當であるか。あらゆる場合にこの自然的衝動に從つてのみ行動するのは、要するに民族の利己主義と呼ばる可きものではないのか。凡ての個人が他人の權利を認容し、他人を愛す可き義務を負ふが如く、凡ての民族も亦他の民族を愛し、他の民族の權利を認容す可き義務を負うてゐるのではないか。我等に正當防禦の權利があると同時に、如何なる意味に於いても他を侵害せざるの義務も亦我等に負はされてゐるのではないか。自己の中に起る不正なる意志と戰ふが如く、民族の不正なる意志と戰ふことも亦我等の人類と民族とに對して負ふ義務ではないのか――凡てこれ等の「ある可きこと」に關する問題は、單に民族を愛する自然的衝動が存在すると云ふ事實によつては何の答へられるところもない。  又自家の文化を愛す可き途が、自家の文物に愛着する自然的衝動によつて直ちに與へられてゐると云うことも亦出來ない。我等が成心を捨てて外國の文物を研究するとき、我等は其處に、我等の缺陷を補足するが故に特に我等にとつて切要なるもの、我等に親しからざるが故に特に我等を高むる力あるもの、我等の文物よりも更に深く「人」の本質に肉薄して、我等の文化の將來に於ける發展を指導し得るが如きものの多くに逢着する。此の如き場合に於いては、寧ろ我等の自然的衝動に逆つて外國の文化を研究すること、外國の文物に對する愛情を開拓することが、却つて眞正に我等の文化を愛する途ではないか。過去の文物に愛着する心安さに甘んずるとき、我等は却つて將來に於ける文化の發展を害することはあり得ないか。一切の眞正なる進歩に於て見るが如く、過去を嫌惡することが、却つて現在と將來とを愛する心の發現であるやうな場合は存在し得ないか――凡て此の如き自國を愛するの途に關する問題も、自家の文物に執着するといふ自然的事實によつては、何の答へられるところがないのである。 3  余は日本に對して義務を負うてゐる。一つには余は世界のあらゆる存在に對して義務を負ふが故に。二つには余は日本人として日本と特殊の關係に立つが故に。自己の享樂を追ふために同胞に對する義務を閑却するならば、自己の利害と安否とを唯一の關心事として民族の利害と休戚とに冷淡であるならば、それが正しき途であるとき自己の一身を犧牲にして民族の欲求に奉仕する覺悟を缺くならば、余は好んで生活内容を一個體のことに局限する憫む可き利己主義者に過ぎない。一個體としての自己と、一個體としての他人を對立せしむる生活の局小に堪へざるとき、自己の生活の普遍化に對する憧憬が心の中に育ち行くとき、余は必然に自己の屬する民族に奉仕せむとするの慾望を感ぜずにゐられないであらう。固より純粹なる心を以つて民族に奉仕することは、あらゆる無私なる奉仕と共に、あらゆる利己主義の征服と共に困難なる仕事である。併し生活の普遍化が個體的自己の義務である限り、この困難なる戰ひを戰つて普遍なるものに奉仕することは常に我等の義務でなければならない。さうして民族が我等の奉仕を要求する普遍的なるものの一つであることは疑ひを容れぬところである。  併しかく云ふは、民族が具體的なる唯一の最後の普遍であると云ふ意味ではない。我等の屬する民族の外にも他の民族があり、個々の民族の上には此等の民族の相互關係によつて成立する一つの「人類」が存在することは、曇らされざる眼を以つて事實を見る限り、何人も拒み得ざるところである。民族に對する奉仕の義務は、如何なる意味に於いても人類に對する奉仕の義務を妨げることが出來ない。固より我等は多くの場合、自己の屬する民族に對する奉仕を通じて始めて人類に對する奉仕を具體的にする。併しこの事實を承認することは、民族の不正なる意志に奉仕することによつて人類に對する奉仕の義務を傷害する權利を認容することではない。個人的利害の外に正邪があるやうに、民族的利害の外にも猶正邪があることを否認する理由とも亦なることを得ない。奉仕の對象を民族に局限するとき普遍に對する我等の憧憬は決して滿足することを得ないであらう。普遍に對する憧憬を眞正に自己の内面に體驗する者が、民族に對する奉仕に於いてその究竟の對象を發見し得ることは、余の信ずる能はざるところである。 4  民族主義とは、凡ての個人はその屬する民族の血液と歴史とによつて規定されるものであるといふ一つの事實の承認を要求するものならば、其處には固より何の異論もあることを得ない。又民族主義とは、すべての個人はその民族を偏愛する自然的衝動を持つてゐるといふ一つの事實の承認を求めるものならば、其處にも亦何等の異議がないであらう。併し此等の事實の承認は我等の生活に對して果して如何なる規範を與へるか――この問題は凡て此の如き事實の承認の彼方に横たはる問題である。民族心理學的乃至民族史的考察の權利を認容することと、思想上の――更に嚴密に云へば規範としての民族主義の主張を是認することとは決して同一ではない。思想上の民族主義を認容せざる故を以つて、民族心理學的乃至民族史的考察の權利と必要とをも亦認容せざる者と誤想するの愚なるは固より云ふまでもないことである。  さうして民族主義の主張が單に我等に一つの規範を與へむとするものであるならば我等は又色々の意味に於いて思想上の民族主義を認容することが出來る。自分は既に、民族に對する奉仕を一つの義務として承認する點に於いて、民族主義に是認を與へて來た。その他それは政治上教育上に於ける合目的の問題(Zweckmässigkeitsfrage)に於いて――換言すれば我等の政治的教育的理想を實現する方法の問題に於いて、極めて重大なる意義を持つてゐることをも亦認容しなければならない。民族の特長を尊重すること、最も民族に適合する途に從つてこれを教育すること、民族の傳統を生かすことは、固より民族教育にとつて重要なる着眼點である。民族の歴史中より復活せしめ得べきものを外國より移植せむとするは無用である。民族の特質を抑制して之を「人類」の平均數に歸せしめむとするは、個々の個性を強制してこれを民族的性格の概念に適合せしめむとすると同樣に有害である。民族の教育は固よりその民族に自然なる途に從つて行はれなければならない。この意味に於いて、我等の政治と教育とは猶甚しく民族の特質に關する洞察を缺いてゐるといふことが出來るであらう。既にこの意味に於いても日本の根本的研究は必要である。自分はこの限りに於いて民族主義の贊成者である。 5  而も我等が日本を知ることを要するは、單に我等の統治し教育せむと欲する對象が日本人であるからばかりではない。我等自身の自然的素質を知り、我等自身の自然的素質を育てむがためにも亦我等の屬する民族を知る必要がある。この意味に於いて、日本を知ることが我等の自覺並びに教養の重要なる一部分をなすことは拒むことが出來ない。余とは本來何者であるか、余は如何なる特質を持つてゐるか、余は如何なる方向に余の才能を發展せしむるを得策とすべきか。此の如き自然的素質の問題に答へるためには、余の中を流るゝ民族の血、余を生みたる民族の歴史を――無意識の間に余の自然的基礎をなせる諸〻の條件を、改めて意識的に把握し、改めて内面的に體驗して見ることも亦重要なる手段となるであらう。固より自己の本質を知らざるも余は遂に余なるが如く、特殊なる民族的教養と民族的自覺となきも、余は到底日本人である。併し「汝自身を知る」ことが我等の精神的發展にとつて必要なるが如く――寧ろ必要なるが故に――余の屬する民族を知ることも亦、余自身を知ることの一部分として、極めて重要なる事件たるを失はない。この意味に於いて、民族的自覺並びに教養は、我等の意識的努力を命ずる一つの規範であることが出來る。それは我等が自己を發見し自己を教養する努力の一部分として、その存在の理由を持つてゐるものである。  併し自己を發見する努力が民族的自覺を以つて終結し、自己を教養する努力が民族的教養によつて完成すると思惟するは大なる誤謬である。余の屬する民族は何物であるか。我等がこの問題を研究する材料は、過去の史實に限られ、我等がこの問題に對する解答は、精緻と粗雜との差別はあつても、要するに不完全にして歴史家自身の性癖に依從するところ多き部分的概括に過ぎない。多くの場合に於いて、我等は自己の性癖を史實の上に投影してこれを民族的特質と稱するに過ぎないのである。故に我等は此の如き覺束なき民族的特質の認識を以つて、自己の本質に對する自覺の代りに置くことが出來ない。余とは何物であるかの問に答へるものは、畢竟余自身の内面的知覺――種々の疑問を征服することによつて益〻鞏固に練り鍛へられて行く内面的知覺でなければならない。民族的特質の認識は單にこの内面的自覺を試錬し訂正し確むるために用ゐらる可き一つの參考以上のものであり得ないのである。眞正に余とは何ものぞやの問題に心を潛めたることある者は、何人もこの間の消息を知つてゐるであらう。  又假に過去の史實の中に實現せられたる民族的特質が、何等かの方法によつて完全に認識せられ得ると假定するも、これを根據として將來に於ける無限の可能性を測定し盡すことは到底人力の及ぶところではない。故に過去に實現せられたる民族性の認識を以つて直接なる内面的知覺に代へむとするとき、我等は自己の内容に不自然なる限定を置いて、自己の中に存在する無限の可能性に對する信仰を失ふ。歴史家の想像する民族性と一致するもせざるも、余が余自身の内部に確認するを得る一切の能力は余自身のものである。この能力に信頼することによつて、民族的特質に新たなる發相を與ふ可き運命が、余の一身に懸つてゐることがあり得ないと、誰が保證することが出來るか。歴史に對する意識的顧慮は多くの場合に於いて我等の自由なる活動を萎縮せしめる。固より自己の内面的衝動に信頼することを知る者も、民族的教養によつて自己の内容を豐富にすることを求めるであらう。併し彼は民族的傳統を顧慮することによつて自己の内容に限定を附することを屑しとしない。さうして民族的特質の中にある可能性を歩々に實現し行く者は、彼の屑々たる民族主義者流の間にあるよりも、恐らくは民族的傳統に對する反逆者の間にある。  故に民族的自覺の要求は、歴史家によつて構成せられたる民族性との一致を強制するもの、嘗て實現せられたるものの形骸を規矩として新なる可能性の開展を拒む者であつてはならない。我等は過去の形骸を破壞すること、嘗て實現せられたる民族的特質を嫌忌すること、破壞と嫌忌とを通じて眞正に過去を生かし民族精神を生かし民族に對する愛を生かすことの權利を保留しなければならない。過去に實現されたる一切の事物を賞讚することを以て日本を愛する所以なりとする俗見の捕虜となることを愼まなければならない。人は能く外國模倣を排斥して民族的自覺を奬説する。併し其處には模倣ならぬ外國研究も亦存在し得ると共に、所謂民族的自覺も亦時として個人に對する模倣の要求となることが出來る。個性の自由なる實現に對する他律的規範として民族的特質との一致が要求さるるとき民族主義とは畢竟過去の史實を模倣する要求である。而も民族的特質として掲げ出さるゝものが、その實人間として淺薄なる歴史家の僞善者的俗人的人格の投影であるとき、此の意味に於ける民族主義の主張は僞善者の曲りくねりたる自己主張に過ぎないであらう。我等は如何なる意味に於いても此の如き僞善者を模倣す可き義務を負ふことが出來ない。  さうして自己の教養として見るも、民族的教養は我等にとつて唯一の教養ではない。凡そ我等にとつて教養を求むる努力の根本的衝動なるものは普遍的内容を獲得せむとする憧憬である。個體的存在の局限を脱して全體の生命に參加せむとする欲求である。故に我等は民族と云ふ半普遍的なるものの生命に參加することによつてこの渇望を充すことは出來ない。我等の目標とする教養の理想が畢竟神的宇宙的生命と同化するところにあることは、自己の中に教養に對する内面的衝動を感じたことがあるほどの者の何人も疑ふことを得ざるところである。從つて我等が教養を求むるは「日本人」と云ふ特殊の資格に於いてするのではなくて、「人」と云ふ普遍的の資格に於いてするのである。日本人としての教養は「人」としての教養の一片に過ぎない。民族的教養が唯一の教養であり得ないことは、教養の本質より見て自明の道理である。故に我等が教養の材料を求むるとき、その材料の價値を定むる標準は、それが我等の祖先によつて作られたものであるかないかの點にあるのではなくて、それが神的宇宙的生命に滲透することの深さに依從するのである。この意味に於いて我等は我等の教養を釋迦に――自分は此處に自明のことを繰返して置く必要を感ずる。釋迦は日本人ではない、釋迦は蒙古人種でも亦ない――基督に、ダンテに、ゲーテに、ルソーに、カントに求むることに就いて何の躊躇を感ずる義務をも持つてゐない。唯其處に同樣の深さが實現されてゐるとき、他の民族に就くよりも同じ民族の祖先に就くことが自然なだけである。固より自己の祖先の中に、自然なる教養の模範を持つてゐる民族は幸福である。さうして歴史家と教育家との懶惰と迂愚とによつて、我等が我等の祖先の中に恐らくは多くの教養の材料を持つてゐながら、これを現在に生かしきることが出來ないのは我等の悲哀である。併し此等の凡てのことは、我等が我等の教養を唯その祖先の中にのみ求めなければならぬといふ一般的原理を承認する所以ではないのである。若しホツテントツトの紳士がその人間的教養の材料を求めるために余の意見を徴するならば、余は彼の祖先の遺業を措いて、先づ釋迦や基督の教に彼を導くであらう。  さうして我等が意識して民族的特性を殺戮せざる限り、我等が如何に普遍的内容を追求するも、又この追及の努力を助くるものとして釋迦や基督の宗教と、プラトーやカントの哲學と、ダンテやゲーテの文學とを研究するも、我等は民族的特性の喪失を憂ふる必要を見ない。民族性は我等の自然的規定である。故にそれは必然的に普遍的内容を追求する我等の努力の方向を規定し、從つて我等の發見する普遍的内容に民族性の特色を刻印する。この意味に於いて日本人には日本人の哲學があり日本人の宗教があるのは當然である。併しそれは我等の追求の對象が日本的東洋的妥當性にあるためではなくて、我等の普遍的妥當性に對する追求が必然に民族的素質によつて規定されるからである。我等が意識的に日本的哲學と日本的宗教とを求むるとき――換言すれば我等が我等の哲學と宗教とに日本的妥當性を與へることを目的とするとき、我等の哲學と宗教とは不自然に作爲されたる、根本動機の純眞を缺ける半哲學半宗教となるに止るであらう。民族的特性は生かされたものではなくて附加されたものに過ぎなくなるであらう。今日の如く世界の思想界に於いて淺薄なる民族主義が勢力を得むとする時代にあつては、特にこの間の關係を見失はぬやうにする必要がある。普遍的妥當性に對する純眞なる憧憬を缺くとき、あらゆる教養は、あらゆる學術はその根柢を喪失する。此の如き教養は民族と民族との間の憎惡を増進する「戰爭」の道具となるに過ぎないであらう。  個性の特色を拂拭することによつて、統計的に集合寫眞的に獲得せられたる抽象的普遍は、固より普遍の最も安價なるものである。併し普遍的内容に對する憧憬によつて生きるにあらざれば、個性は眞正に自己の特色を發揮することが出來ない。 6  或ひは云ふであらう。民族的自覺とは過去に實現せられたる民族的特質に適合することではなくて、過去と現在と未來とを通じて生きてゐる民族的精神に同化することである、民族的理想に服從し、民族的理想實現の目的に奉仕することであると。  併し過去に實現せられたる民族的特質の外に、我等は何處に民族的精神を發見すべきであるか。それは民族的教養によつて余自身の内面に生かされたる余自身の精神の外に何處にも存在の地を持つてゐない。余が民族的精神に同化することを要するは、それが民族の精神だからではなくて、それが余自身の本質だからである。寧ろ余自身の本質に合致する以外に、余は民族の精神に同化すべき義務を負ふことが出來ない。  又民族の理想が余にとつても亦理想となるは、それが余の本質の理想と一致するからである。余は唯余自身の本質に服從することを要するに止る。余は單に民族の理想なるが故に、余の本質ならぬものに服從すべき道徳的義務を持つてゐるのではない。  最後に余は人類に奉仕することを要するが故に、亦民族にも奉仕しなければならない。併し余は如何なる途によつて民族に奉仕するを得るか。唯余自身の體得せる「道」を民族の間に生かすことによつて。世界には、民族の異同と、歴史の相違によつて局限せられざる一つの「道」が存在する。この「道」は自我と宇宙との本質である。この「道」は歴史によつて徐々に實現されるものであるが、歴史によつて規定される性質のものではない。衞生の道に從ふ肉體が強健であり、これに從はざる肉體が病弱なるが如く、この「道」に從ふ民族は繁榮し、この「道」に從はざる民族は衰滅する。我等が民族に對して奉仕する唯一の途は、唯民族の意志をしてこの道に從はしめるところにのみある。その他の意味に於いて民族の欲望に奉仕するは、目前の愛に溺るゝ母と等しく、却つてその奉仕の對象を傷害する所以である。故に我等が民族に奉仕する途は必然に又苦諫の途、力爭の途でなければならない。我等は民族的理想が「道」に協はぬものであるとき、この理想に抗爭することによつて始めて民族に對する奉仕を全くする。我等が民族的理想實現の目的に奉仕することを要するは、それが民族の理想だからではなくて、民族の理想が「道」に協つてゐるからでなければならない。自己の本質によつて是認せられざるものに奉仕するは奴隷の奉仕である。  凡そ自己の生活を普遍化せむとする憧憬には三つの方面がある。一つは普遍的内容の獲得である。換言すれば普遍的教養である。二つは意志の對象の普遍である。換言すれば普遍的なるものに對する奉仕である。さうして第三は意志の根據の普遍である。換言すれば人間的本質に基く意志決定、意志の内面的自由、意志の自律である。さうして民族主義が一つの規範を與へるに滿足せずに、唯一の道徳原理たるの地位を要求するとき、それはあらゆる意味に於いて半途なる道徳原理である。半個人的、半利己的、半普遍的なる道徳原理である。我等の普遍的要求が此の如き道徳原理によつて充さるゝことを得ざるは固より當然の數である。 7  最後に自分は一つの注意を附記してこの覺え書を閉づる。余の此處に云ふ民族主義とは國家主義と同義ではない。民族を統一するものは血液と歴史とである。國家を統一するものは主權と其意志としての法律である。國家主義と民族主義との相違は政治上の主張として兩者を對照すれば最も明瞭になるであらう。現在の世界に於ける國境の區分は、強大なる民族の征服慾や政治的經濟的野心や、その他種々の理由によつて自然の境界を紊されてゐる。國家と國家とを區分する理由は、決して血族や歴史の一致ばかりではない。故に政治上に於ける民族主義は寧ろ帝國主義的國家主義に反抗して、世界主義人道主義の主張と握手するものである。それは猶一國内に於ける個人の自由の主張の如く、世界に於ける民族の釋放を主張するのである。凡ての民族をしてその血族上その歴史上の自然に從つて彼等の國家を組織せしめよ。凡ての民族を強國の壓制と征服慾とより釋放せよ。如何なる民族をも、強國が自ら肥るための犧牲、強大なる民族の貪婪なる欲望に奉仕するための奴隷となすことなかれ。政治上の民族主義は當然此の如き主張を以つて世界の政治的區劃を變革することを要求するものでなければならない。故に印度人や波蘭人や匈牙利人やスラヴ人種の或者に適用さるゝとき、民族主義の主張は、現在の主權にとつては危險なる反國家主義である。ヰルソンの民族主義とカイザー・ヰルヘルムの汎獨乙主義とは孰れが正當であるか、印度人は大英帝國に對して如何なる義務を負はざる可からざるか――此の如き政治上の問題は我等が此處に考察の自由を持つてゐる問題ではない。余が批評せむとしたるは主權によつて統一されたる國家主義ではなくて、血族と歴史とによつて統一されたる民族主義である。(六、五) 十六 奉仕と服從 1  奉仕とは「己れ」を捨てて「己れ」ならぬもののために盡すことである。服從とは「己れ」を捨てて「己れ」ならぬものの意志に從ふことである。奉仕も服從も、共に「己れ」の否定を意味する點に於いて共通なるものを持つてゐるが故に、我等は往々この兩者を混同して、あらゆる場合にその對象の意志に服從することを以つて、その對象に奉仕する所以の途であると思惟する。併し我等が奉仕に於いて否定する「己れ」と服從に於いて否定する「己れ」とは、唯一つの場合を除いては――「道」に對する奉仕と、「道」に對する服從との場合を除いては――全然その意味を異にするものである。さうして奉仕の場合に「己れ」の代りに立てられるものと、服從の場合に「己れ」の代りに立てられるものとも亦決して同一であるといふことが出來ない。故に我等が眞正に或る對象を愛してこれに奉仕せむと欲するとき、その對象の現實的意志に服從するよりは、寧ろこれを「諫」めてその意志の矯正を要請しなければならぬ場合も、亦決して少しとしないのである。これは古來――我等の祖先によつても――明瞭に認められて來た陳套の眞理である。併し今日の時勢は、痛切に、この眞理を再び明瞭に把握しなほすことの必要を思はせる。故に、余の理解せる限りに於いて、この明白なる眞理に幾分の根據を與へることは、この一篇の目的とするところである。併しこの問題は人生の至高なる問題の一つである。この問題に對する考察を進めて行くとき、余は屡〻自己の現在の體驗を超えて、豫感と憧憬との境に想を馳せ、未だ自ら十分に體得せざるところを以つて、自他を責めなければならぬ場合に遭遇するであらう。この問題を考察するに當つて、余は特に、自ら主張することの畢竟自ら責める所以であることを感ぜざるを得ない。 2  我等は何故に「己れ」ならぬものに奉仕せざる可からざるか。この世には限りなき享樂の對象がある。自然も美しく、女も美しく、酒も亦美しい。然るに我等は何故に此等のものの甘美なる享樂を捨てて――時には一切の享樂を可能にする自己の肉體の生命を犧牲にしてさへ、「己れ」ならぬものに奉仕せざる可からざるか。  答へて曰く、我等の本質を眞正に生かすために。若し奉仕とは我等の本質を眞正に生かすものでないならば――若し奉仕とはあらゆる意味に於いて我等の自我を殺すものに過ぎないならば、我等は固より何物に對しても奉仕の義務を負ふことが出來ない。この意味に於ける奉仕は、唯外から強制することを得るのみである。この場合に於いて我等の感ずる奉仕の義務は、唯屠らるゝものの餘儀なき諦め、首絞らるゝ者が自己の悲痛を紛らすための自欺に過ぎない。我等は唯屠らるゝ牛の如く、悲鳴を擧げつゝ奉仕する外に途はないであらう。併し我等の此處に考察せむとするところは、此の如き強制的奉仕ではないのである。我等が心から感ずる奉仕の義務、我等が悦びを以つて遂行する奉仕の行爲――此等一切の内面的奉仕は、唯それが我等の自我の本質を生かすときに於いてのみ始めて可能である。「己れ」を捨てることが却つて自我の本質を肯定する所以であるといふ信念の上に立たざる限り、――若しくは奉仕することによつて自我の本質が肯定さるゝ悦びを不知不識自己の内面に感ぜざる限り、如何なる道徳の教へも、我等に奉仕の義務を是認させることが出來ない。  然らば何故に「己れ」を捨てることが、自我の本質を生かす所以であるか。自我の本質を生かすために、何故に我等は「己れ」を捨てることを必要とするか。この命題を證明するためには、余は唯、恐らくは凡ての人の心の中にある「普遍を求むる憧憬」の衝動に訴へる外、他に道がないことを感ぜざるを得ない。茲にこの衝動をその本質の中に持つてゐない人があると假定すれば、その人にとつては、奉仕と云ふやうなことは、道徳的の意味に於いては、全然問題となり得ないであらう。彼は唯永久に、悲鳴をあげつゝ、瞞着と遁避との途に思ひ惑ひつゝ、強ひられたる奉仕を――人間の社會に生息する限り、彼はどの道その結果に於いて奉仕に當る行爲をしなければならない――遂行するより仕方がないであらう。若し又その本質の中に普遍に對する憧憬を持ちながら、未だこれを意識してゐない人があるならば、その人を自分と共通の地盤に持つて來るために、余は先づ彼の隱されたる本質の要求に訴へなければならぬ。奉仕に對する考察は、唯この衝動を承認する人々の間に於いてのみ、これを進めることが出來るのである。  「己れ」とは何であるか。それは「他」に對立するもの、他と局限し合ふもの、他より奪ふことによつて自ら肥り、他の肥ることに於いて自らの痩せることを發見する「個體的存在」である。他と區別するところに自己の存在の根據を求め、他を排斥することによつて始めて自己の主張を全くするが如き、我等の生活の最も暑苦しき一面である。一言にして盡せば、「己れ」とは局限である、摩擦である、相鬩である。「己れ」を根據として生きる限り、我等はこの廣い宇宙の間に於いて、小さい桶の中に入れられたる芋の子の如く押し合ひへし合ひしつゝ――互ひに己れの臂を張つて常に他人に對する一撃を準備しつゝ、局限せられたる生活を續けて行かなければならない。「己れ」の享樂は他の缺乏を條件とするものである。「他」の享樂は「己れ」から奪はれたるもの、「己れ」の羨望を誘ふものとして、常に我等の苦痛の種である。かくて、自他共に「己れ」のみに生きて行く限り、我等は相互の享樂をさへ、苦く濁れるものとせずにゐられないのである。  此の如き芋の子の如き生活、此の如き多くの「個我」の生活――この蒸暑く狹苦しき生活の厭離は、我等の眼を必然に、更に廣きもの、更に高きもの、更に普遍なるものに向はしめる。我等の自我の内容は果して此の如き「己れ」のみに限られてゐるか。我等の本質には、他と局限し合ふ事を必須とせざるもの、自己の獲得する所は自と他と共に所有するが如きもの、他の所有を悦ぶことによつて自己も亦その所有に與かるが如きもの――約言すれば個體的局限を超えたる超個體的の自我が含まれてゐないか。若し此の如き超個體的自我を發見して、これを局小なる「己れ」の代りに置くことが出來るならば、我等の生活は、その時始めて、廣く爽かに涼しく胖かなるものとなる事が出來るであらう。普遍に對する憧憬は、「己れ」に生きる生活の眞相を洞見させるほどの者が、恐らくは必ず感ぜざるを得ざる内面的衝動である。  さうしてこの内面的衝動に驅られて、「己れ」の陋屋を脱れ出でるとき、我等は我等の前途に、我等の憧憬を空に終らしめざるものの光――個我を脱却したる自他融合の境地の光――を認めることが出來るに違ひない。我等は既にこの現實の生に於いても、純粹なる觀照と愛との經驗に際して、我等が「己れ」を忘れて他人の幸福と不幸と歡喜と憂愁との中に生きることが出來るものであることを知り得た。さうして此の如き生活の廣さと胖けさとから來る云ひ知れぬ悦びを味ふことが出來た。若し我等が常にこの状態を持續して行くことが出來れば、「己れ」の狹苦しさを脱却することは決して空想に止らないであらう。茲に於いて、普遍に對する憧憬は我等の實際的努力を導く力となる。他の個我の蠶食を外にして、我等の生活には新たなる標的が與へられる。  固よりこの新たなる生活に於いても戰ひは依然として繼續するであらう。寧ろそれは一層苦く一層苦しくなるであらう。併しその戰ひは今や「他」との戰ひではなくて「己れ」との戰ひである。國家と國家との戰爭や、人と人との殺戮を條件とする戰ひではなくて、普遍を求むるこゝろと個我に踏み止らむとする欲情との戰ひである。故にその戰ひは内心によつて是認されたる戰ひ、正義の信念によつて裏付けられたる戰ひ、究竟の勝利の確信を伴ふ戰ひである。己れを生かすために他を殺さむとする戰ひではなくて、「人」を生かすために「己れ」を殺さむとする戰ひである。我等の超個體的自我はこの戰ひを經過することによつて始めて徐々として實現されるであらう。それは一面に於いては、歩々に「己れ」を捨てることである。さうして他の一面に於いては、次第に普遍的自我の光を増し行くことである。個我の局小に對する厭離を出發點としてこの新しき途を踏み始めたる者は、誰でも自我の本質を生かすことが同時に己れを捨てることを意味する宇宙と人生との組織を、やむを得ざるものとして承認するであらう。宇宙と人生とが此の如き宇宙と人生とである限り、「己れ」を捨てることは常に自我の本質を生かすことであり、自我の本質を生かすためには、常に、「己れ」を捨てることが必要である。奉仕と云ふ言葉を最も廣き意味に解釋するとき、自他の孰れに於けるを問はず、普遍的自我を生かすために「己れ」を捨てることは、悉く奉仕と名づけることが出來よう。  故に奉仕に於いて我等の捨てるところは、個體的自我の執着であつて自我そのものではない。我等が「己れ」の代りに立するところは、自我の本質であつて非我ではない。自我を捨てて非我を立することを奉仕と解するは非常なる誤解である。 3  奉仕に於いて否定す可きものと肯定す可きものとの對立を此の如くに解釋するとき、奉仕の對象が何ものである可きかに就いて、我等は一層明瞭なる觀念を持つことが出來るであらう。  常識の解釋するが如く、我等の奉仕すべきは、國家や君主や父母や上官や、凡て社會的地位に於いて我等の上に立つものに限られてゐるか。固より此等の長上も亦我等が心を盡して奉仕しなければならぬところである。彼等の擔當する特殊なる負荷の重さを思へば、我等は特に柔かなる心を以つて彼等の勞を慰藉しなければならない。さうして我等の彼等に負ふところ多き一面より見れば、我等は又特殊なる奉仕を彼等に致さなければならぬとも云ひ得るであらう。併し奉仕の對象を唯彼等のみに限りて、彼等以外の者に對する奉仕を閑却するとき、我等は不知不識上に立つ者に對する阿諛、權力を有する者に對する屈從、恩惠と報償との打算的交換の動機を交へるものと云はなければならない。その中に「普遍的自我」の萠芽を有する點に於いては、あらゆる人格的存在の間に差別がない。故に我等は單に長上に奉仕するのみならず、弟にも子にも婢僕にも、乞食にも盜賊にも同じく奉仕して、彼等の普遍的自我の實現を援けなければならない。而もこの實現の途に多くの障礙を有する點から見れば、弱者は強者より、卑しき者は貴き者より、惡人は善人より、我等の奉仕を要すること益〻切なるものがあるのである。  然らば我等の奉仕の對象は、凡そ我等自身ならぬもの、換言すれば一般に他人若しくは社會であるか。我等は固より上は君主より下は盜賊に至るまで一般に他人と社會とに奉仕しなければならない。さうして凡そ我等自身ならぬものに奉仕するは、常に「己れ」の脱却を條件とするが故に、普通の常識が一般に他人のためにする行爲を高しとするは一應無理ならぬことと云はなければならない。縱令我等の奉仕が他人の利害に向けらるゝ場合と雖も、他人の利害に奉仕することは他人の利害に生きることを條件とするが故に、我等自身の「己れ」は既に征服されてゐるのである。併し我等が「己れ」を捨てることによつて奉仕するを得るところは、決して我等自身ならぬものに限られてゐるのではない。我等は又「己れ」を捨てて我等自身の中にある普遍的自我に――我等の人格に奉仕することも亦出來る。さうして我等以外のものに對する奉仕は、凡て我等自身の人格を通じてのみ可能なるが故に、我等自身に對する奉仕はあらゆる奉仕の基礎をなしてゐるといふことも亦出來るであらう。自己に對する奉仕――換言すれば自己の内面に「道」を把握する努力を閑却するとき、我等の奉仕は外面的事功の一面にのみ馳せて、確乎たる内面的基礎を缺くこととなるに違ひない。  然らば我等の奉仕するを要するところは、畢竟するところ、自他の差別なく一般に人間であるか。「人間」の概念の如何によつては、余も又この思想に贊成することを躊躇しないであらう。併し「人間」といふ言葉を外延的普遍の意味にとるとき、その中に包括する個我の總計の意味にとるとき、我等は直ちに恐ろしき迷路に陷らなければならない。此の意味に於いて理解されたる「人間」は相互の間に無限の矛盾を包括するものである。彼等の欲情、彼等の現實的意志、彼等の利害は、常に錯綜し矛盾し分裂して、殆んど適歸するところを知り難き有樣である。曇らされざる眼を以つて世界の現状を見るとき、其處には國家の利害と矛盾する君主の利害もある、君主の利害と矛盾する大臣の利害もある、又國民の休戚と矛盾する政黨の利害もある。此等の個我に悉く一票を與へて――若しくはその代表する範圍の廣狹に從つてその投票權に差別を附して――我等の奉仕することを要する「人間」の本質を決定せむとするも、我等は到底何の成果にも達することが出來ないであらう。我等の奉仕の對象は一でなければならない。一を以つて貫かれたる多でなければならない。凡そ我等は何處に人間の一を求む可きであるか。我等の奉仕することを要するは人間の如何なる點にあるか。  我等の奉仕す可きは如何なる人間の欲情でも福利でもない。欲情と福利とは我等の「己れ」に屬する。欲情の滿足と福利の所有とは、單にそれのみによつて我等の本質を生かすことが出來ない。此等のものが「己れ」を強めるの用をなすに過ぎないとき、此等のものの所有が如何に國家と民族と個人とを滅亡に導いたか、小兒の偏愛とその品性の崩壞と、國家の富強とその内面的墮落とが如何に屡〻手を繋いで行くか、此等の事實は凡ての人の熟知してゐるところである。我等は、眞正に他人や社會に奉仕せむがためには、彼等の普遍的自我を喚び醒まして、これを彼等の中に生かさなければならない。我等の奉仕することを要するは「人間」の普遍的本質である。普遍的本質は「人類」の一である。「一貫の道」である。又「神」である。我等の奉仕の最後の對象は、畢竟「道」若しくは「神」に歸する。さうして凡ての個體的存在に對する奉仕は、唯この唯一なるものを彼等の中に生かすところにのみ成立するのである。 4  上來の所説に於いて容易に看取し得可きが如く、自分は本論に於いて三種の自我を豫想してゐる。第一は他と差別することを本義とする個體的存在としての自我である。換言すれば「己れ」である。第二は此の如き個體的自我と結合し、此の如き「己れ」に繋縛されながら、而もこの繋縛を脱して自ら實現せむとする普遍的自我である。若しくは普遍的自我を包藏する個體的自我、個體的自我に繋縛せられたる普遍的自我である。我等が現實の世界に於いて遭逢する一切の有情――余や他人や、君主や父母や、妻子や兄弟や、盜賊や婢僕等の所謂個人より、國家や社會の團體に至るまで、此等のものは凡て此種の自我である。自分は今假に此種の自我を呼んで現實的自我と名づける。我等が「自己」と呼び「他人」と呼ぶものはこの現實的自我内に於ける對立である。さうして第三に、此の如き「己れ」に繋縛せられざる普遍的自我そのものを考へるとき、我等は茲に「神」若しくは「道」の觀念に到達する。  我等がこの三種の自我の觀念を立するとき、其處には多くの困難な問題が蝟集して來る。個體的自我と普遍的自我とは如何に相互に關係するか。現實的自我はそのまゝに普遍的自我であるか、現實的自我は多くの段階を經て普遍的自我とならなければならないのであるか。普遍的自我は我等の追求の標的たる理想に止るか、若しくは我等と世界との根柢をなす實在であるか。それは自力を以つてのみ證悟すべき自性に止るか、若しくは念々に我等を救濟せむとする活動的意志であり、攝理であり、恩寵であり慈悲であるか――即身成佛か即身是佛か。此土即寂光土か厭離穢土欣求淨土か。見性か念佛か。此等種々の問題は我等の考察を限りなき高處に導き去らむとする。併し自分は、現在の場合、此等の問題に對して輕率な斷定を下す必要を認めない。自分は唯此處に一つの事を斷定し、一つの事を約束することを要するのみである。即ち第一に佛性は――普遍的自我は、少くとも現實的自我の證悟するを要するものとして、それは我等の實現することを要する理想である。我等は少くとも即身是佛の眞理を把握することによつて、佛とならなければならない。第二に自分は普遍的自我そのものを單に理想と見るのみならず世界根柢と見、單に自性と見るのみならず救濟の意志と見むことを欲する。併し現在の關係に於いては、自分は主として、これを現實的自我の實現することを要する理想の一面に限りて見ることを約束する。要するに現實的自我は二重の構成を持つてゐる。それは「己れ」にして同時に普遍的自我である。それは「己れ」を征服することによつて益〻普遍的自我を實現せんとする内面的衝動を――從つて道徳的義務を負ふ存在である。さうして此の如き衝動に標的を與へ、少くともその限りに於いて我等の道徳的生活の Causa finalis(究竟因)となるものは普遍的自我そのものである。  此の如くに三種の自我を考へるとき、我等の――「自己」といふ現實的自我の奉仕は、普遍的自我に對する時と、「他」といふ現實的自我に對する時と、自らその趣を異にせざるを得ない。普遍的自我は絶對的に在ることを要するものである。それは無條件の Sollen(當爲)であり斷言的命令である。故に我等は唯普遍的自我に隨順することによつてのみ――その要求に從ひ若しくはその意志を充たすことによつてのみこれに奉仕することが出來る。「神」若しくは「道」に奉仕するとは、心を盡し身を碎いて「神」若しくは「道」に服從する外に、別に何等の途があることが出來ない。併し「他の」現實的自我は――父母も長上も、君主も、國家も、凡て「己れ」の繋縛を脱却し得ざるもの、普遍的自我を實現し盡さざるもの、從つて普遍的自我を實現する事を理想とするものである。故に我等が此現實的自我に奉仕する途は、唯彼等を助けて普遍的自我實現の道を精進せしめる所にのみ成立するのである。從つて我等が他の現實的自我に奉仕する道は自ら二途に別れる。一つは彼等の中にある普遍的自我に服從し、若しくはこれを助成することである。二つは彼等の「己れ」を克伏して彼等の迷蒙を披拂することである。第二のものは普遍的自我に對する奉仕に於いてはある可からずして、現實的自我に對する奉仕に於いては必ず(少くとも原理上)あらざる可からざるものである。第二のものを覺悟せざるとき、我等は対象に狎襞し阿諛し屈從するに止る。君主や國民や民族等と雖も、それが現實的自我である限り、常に「己れ」に繋縛せらるゝもの、常に「己れ」を征服することを要するものであることは、曇らざる眼を以つて事實を見る者の、何人も拒むことを得ざるところである。故に我等は常に上の如き二つの視點を保持しつゝ、此等の現實的自我に奉仕しなければならない。茲に於いて我等は奉仕と服從との分岐點に逢着するのである。 5  奉仕とは自我の本質の肯定である。我等は我等の自我が擴充して對象を自己の中に包攝するとき、我等の自我が「己れ」の陋屋を出でて對象の上に轉移するとき、始めて心からその對象に奉仕することが出來る。約言すれば、奉仕の内面的根據は常に對象に對する我等の「愛」でなければならない。愛とは他から奪ふことではなくて、自己を他に與へることである。而も他の中に自己を失ふことではなくて、自己の中に他を包攝することである。それは自己を失ふことなくして自己を他に與へ、他から奪ふことなくしてこれを自己の中に吸收する。主客融合の境地、若しくは主客融合の境地に對する憧憬である。此の如き境地若しくは此の如き境地に對する憧憬を根據とせざるとき、奉仕とは畢竟内面的基礎を缺ける外部的強制に過ぎなくなるであらう。  固より我等が現實的自我である限り――我等の普遍的自我が「己れ」の繋縛を脱却し得ない限り、愛と雖も亦、「己れ」に對する普遍的自我の戰ひ及び征服――その限りに於いて内面的強制でなければならない。我等は逡巡として我等の「己れ」と別れ、遲々として普遍的自我の要求に從ふ。此間にあつて、愛は嚴厲なる我等の義務であり、當爲であり、理想であり――その限りに於いて我等に對する内面的強制であり、斷言的命令である。若し余は未だ對象に對して完全なる融合の愛を感ぜざるが故に、余はその對象に對する奉仕の義務を感じないといふならば、我等は永久に奉仕の生活に入ることが出來ないであらう。奉仕の義務は我等が彼を愛せよといふ普遍的自我の命令を聽く時に於いて既に始まつてゐるのである。さうして聖フランシスの所謂「余の力の及ぶ限り――余の力の及ぶ以上に」彼を愛せむと欲する意志は歩々に我等を導いて主客融合の境地に深入りさせるのである。思ふに愛の内面的強制に堪へないものは、凡そ奉仕に堪へないものでなければならない。  併し要するに奉仕とは愛を――融合の愛若しくは憧憬の愛を、内面的根據とするものである。故に愛を――愛の強制を感ぜぬものに對する奉仕は不可能でもあり且つ望ましい事でもない。さうして我等の感ずる愛は――愛の強制は、我等の置かれたる位置によつて異り、我等の中にある普遍的自我の成長の程度によつて異り、我等が現に自己及び世界に對して負ふ使命によつて異る。故に我等は凡ての人に向つて、同一の對象に對する同一の奉仕を要求することは出來ない。或人は、或場合に、甲といふ對象に奉仕しなければならない。而も他の或る人は、他の場合に、甲と云ふ對象に奉仕してはならない場合も――甲ならぬ乙に奉仕しなければならない場合も亦存在し得るのである。  佛本生傳に從へば、釋迦は、その前生に於いて雪山童子であつたとき、半偈を聽かむがために身を投げ、薩埵王子であつたとき、餓虎にその身を供養したといふ。併し彼は苦行六年、林中に「羸痩して氣力あることなき」とき、「身に力を求めんが爲の故に」麤食を求めて自己の肉體に供養することを憚らなかつた。彼の肉體には將に涅槃を證せむとする使命が宿つてゐたからである。我等は道を求め道に奉仕せむがために、不惜身命でなければならない。同時に自己の中に道の證を求むる者は、亦極度にその身命を愛惜しなければならないのである。 6  或ひは云ふであらう。奉仕とは對象に對する詮議を外にして、凡そ自己に要求さるゝものを、隨處に、無條件に、即下に充すことである。自己の使命を忘れ、對象の意志の善惡をも忘れ、唯對象の意志を充さざるを得ざるが故に充すことである。釋迦前生の餓虎供養、山上の垂訓の所謂「人汝の右の頬を批たば亦他の頬をも轉じて之を向けよ」といふが如きは、皆この意味に外ならないと。  固より「己れ」を捨てることはそれ自身に於いて朗かな喜びである。故に個體的自我に對する征服の殆んど完成せる人にとつては、輕く、執着なく、身を餓虎に與へ、若しくは左の頬をもその敵に差出すことは恐らくは、一種の名状し難き喜びであるであらう。併しそれが唯身體を餓虎に噛ましめることの喜び、左の頬に感ずる痛さの故の喜び――此の如き犧牲の快感の享樂に過ぎないならば、それは婆羅門若しくは中世の修道士にのみ相應しい一種の感情耽溺であつて、釋迦にも基督にも相應しいことではない。若し身を餓虎に供養したために、虎は一層狂暴になり、左の頬をも差出したために、その敵が一層猛惡となるならば――自己犧牲の結果が、對象を一層惡くし、世界を一層惡くするならばどうであらう。又此の如くにして身を猛獸若しくは惡人に供養したために、自己の神と人とに對して負へる使命が滅び亡せるならばどうであらう。この場合にも猶身を餓虎に供養し、右の頬を打つものに左の頬をも差出すものは、「無我」の快感を味はむがために神と道とを私するものである。餓虎供養若しくは左の頬の譬喩の理由をなすものは、恐らくは此の如き「無罣礙の享樂」以外になければならない。  自分の考へるところに從へば、此等の譬喩は一面に於いて、惡に抵抗するは惡を更に惡にする所以であり、惡に抵抗せざるは惡を善に赴かしめる所以であるとする信念――從つて餓虎供養は餓虎をより善くする所以であり、左の頬を批たしむるは惡人を幾分の善に赴かしめる所以であるとする信念を豫想するものである。善なるが故に助成することと共に惡なるが故にあらがはざることも、亦善に對する奉仕であるとする信念を豫想するものである。さうして一面には又、隨處に自己を犧牲にして、「三千大千世界にわが身命を捨置かざるところなき」ことが、即ち「神」と「道」とを證する所以であり、かく證するところに自己の使命があると信ずる信念を豫想するものでなければならない。この二つの信念を有するが故に、聖者は身を餓虎に供養し、右の頬を批たるゝ時左の頬をも亦これに向けることが出來るのである。  併し凡ての現實的自我には夫々に自己の程度に應じたる「境」がある。その「境」を超ゆるとき、自己以上の境を模倣することも亦惡である。重ねて思ふ、若し釋迦が成道に垂んとして、先づ身を健かにせむがために、かくて「一切衆生を成熟せむがための故に」牧牛女人から乳糜の供養を受けたとき、若し忽然として餓虎があらはれて彼を喰はむとしたならば、彼はその時にも猶その身をこれに與へたであらうか。 7  聖者が餓虎に逢ひて敢て抗はず、その血肉を彼が喰ふに任するとき、又正しき者が兇暴なる者に右の頬を批たれて更に左の頬をも差出すとき、彼等は猛獸に服從し、兇暴なる者に服從したのであるか、若し己れを捨てて對象の意志を成さしむる點よりのみ見れば、これも亦服從の一種でなければならないやうに見える。併し聖者が餓虎にその身を供養するとき、彼は己れを捨てて餓虎の意志を自己の中に生かすのではない。又正しき者が左の頬を差出すとき、彼は凶暴なる者の人格を自己の中に立して自己の人格をそのために捨てたのではない。故に彼等は餓虎若しくは惡者の意志に身を任せながら、その自我は超然として餓虎又は惡者の意志に染着せらるゝところがない。この場合に於いて彼等が「己れ」の代りに立するものは、神の意志若しくは道の要求である。彼等は餓虎又は惡者の意志を成さしめながら、自らは神若しくは道に服從してゐるのである。我等は、自己の意志を捨てて對象の意志を自己の中に立するとき、對象の意志を奉じてこれを自己の意志に代へるとき、始めてこれを名づけて服從といふ。故に餓虎供養や、左の頬をも差出すこと等は、この意味に於いて餓虎若しくは惡者に對する服從と云ふことが出來ない。自分は茲に、此の如く單純に「對者の意志を成さしむること」を服從の概念から除外する。  自分は又權力に對する服從を現在の問題から除外する。權力に對する服從は、ある場合には、餓虎にその身を與へること、右の頬を批つ者に左の頬をも差出すことと同樣の意味に於いて、我等の忍從である、自己犧牲である、神又は道に對する服從である。この場合に我等は權力に服從するのではなくて、神又は道に服從するのである。さうして又他の場合に於いては、自己の道徳的意志を獨立に保持しながら、權力關係に立てる限りの自己を、權力關係に立てる限りの長上の意志に服從させるのが權力に對する服從の眞髓となる。權力關係によつて秩序を與へられたる社會の一員である限り、我等はその社會を脱出せずには權力の命令を拒む權利を持つてゐないからである。併しこれは權力者の道徳的意志に自己の道徳的意志を服從させることとは全然別問題である。故に我等は又この意味の服從をも現在の問題から除外しなければならない。  又自己の意志が他の要求と全然一致してゐるとき、自己の意志が他の要求に逢つて一歩を進めることなしに、他の要求なきときと雖も全然同樣の方向に進行するが如きときに於いても――此の如く特殊の意味に於ける自他の意志の一致を條件とするときに於いても、我等はこれを特に服從と呼ぶことを避けたい。この場合に於いては、外來の要求は、我等の意志決定に對して何等の特殊なる意義を持つてゐない。故にそれは平俗の意味に於ける一致若しくは協同であつて、服從といふ言葉は強きに失すると云はなければならない。我等の此處に云ふ服從とは、自己の意志を排し、若しくは自己の意志に先んじ、若しくは自己の意志の空しきに當つて、他の意志が我等を率ゐ、我等を支配することを意味するものである。  自分は前に、服從とは「己れ」を捨てて「己れ」ならぬものの意志に從ふことであると云つた。併し上來獲得せる洞察によつて、更に嚴密に、而も一般に通ずるやうに、これを云ひなほせば、それは「自己」を――余と云ふ現實的自我の意志を捨てて、余ならぬものの――普遍的自我若しくは他の現實的自我の意志を自己の意志とすることである。故に我等が服從に於いて捨てるところのものは、單に我等の「己れ」ばかりではなくて、又我等の普遍的自我である場合も存在し得る。さうして我等が自己の意志の代りに立するところも亦單に普遍的自我に止らずして他の「己れ」――若しくは他の「己れ」を迂𢌞し來れる自己の「己れ」であることも亦あり得るのである。 8  奉仕は自我の擴充を根據とするに反して、服從は自我の無力を――自我無力の事實若しくは自覺を根據とする。換言すれば、奉仕の根據の愛なるに對して、服從の根據は謙遜である――眞實若しくは虚僞の謙遜である。  茲に服從の最も正當な場合を考察しよう。宗教的の欲求を心に持して自己の現實を反省するとき、我等の智慧は淺く、我等の意志は迷ひ易く、我等の内面的知覺は欺かれ易い。我等は煩惱具足の凡夫として、思へば思ふほど自ら信頼し難きことを感ずる。然るに、此處に人あつて、その人の指導に從ふとき、我等の生活の歩みが一歩々々に照さるゝことを覺え、自ら知らざりし本質の要求が喚び醒され且つ充されて行くことを感ずるとする。若しくは我等の衷に普遍的自我に對する――攝取不捨の意志として活動する普遍的自我に對する信があつて、その意志が刻々に自己の途を導いてゐることを感ずるとする。その時我等が弱小なる自己の意志を否定して、その「師」若しくはその「神」に服從するは當然である。我等は個體的存在の弱小を脱して、普遍的存在の中に歸るを得むがためにそれをするのである。自我の意志の確立せざるとき、自己の判斷の定め難きとき、自己の内面的知覺の恃み難きを感ずるとき、我等は未知を求むる憧憬と、未知の前に跪く敬虔と、本質を觸知する本能とを以つて、自己より優れたるものに服從する。  但しこの場合に於いて服從を正當にするものは、それが自我の本質を生かすものであるからである。我等の本能は、自ら認識すること能はず、自ら把握すること能はざるも、猶冥々の間に自己を生かすものを觸知する。さうしてこれに從ふことによつて眞正に自らの生きることを感ずる。故に彼は自ら知らざるものに服從することが出來るのである。我等の中に自己を生かすものを觸知す可き本能を缺くとき、所謂「師」若しくは「神」に對する服從は危險である。我等は此の如き服從によつて滅亡の途に陷ることも亦あり得るのである。我等は此の如き信を名づけて迷信と云ふ。迷信の對象は「師」でもなく「神」でもなくて「魔」と名づけらる可きものである。我等は正當に服從す可きものに服從するためにも、常に我等の内面的知覺を磨くことを心掛けなければならない。さうしてその服從によつて益〻内面的知覺を明かにして行かなければならない。 9  重ねて問ふ、我等が神若しくは師に服從することの正しき所以は何處にあるか。それは我等が自己の本質に從ふことをやめて、自己以外のものに聽いたところにあるのではない。不明瞭なる把握の代りに確なる本能の觸知を置いたところに、知らざるものを信じたところに、かくて本質的生活に一歩を深く進めたところに、其處にその正しさはあるのである。我等は神若しくは師の意志の中に、自ら知らざりし自己の本質の要求を聽く。神若しくは師とは、我等の知に先だつて、我等を我等の本質の深みに導くものである。從つて我等は我等ならぬものを自己の中に立するのではなくて、この服從によつて一層我等自身を生かすのである。この意味に於いて、我等は他に律せられるのではなくて、自ら律するのである。この服從は自律的服從なるが故に正當である。  然るに其處には自己の本質を殺す他律的服從も亦存在し得る。第一に我等の内容の貧弱なるとき、我等の中に知見のみならず又正しき本能をも缺くとき、我等が茫漠として自ら空虚なるとき、我等の中に闖入して我等の内面を支配するものは、凡そ有力なるものであつて必ずしも正しいものではない。「神」と共に「魔」も亦、我等の空虚に乘じて我等の中に來り住む。さうして、我等が自己の内面的知覺に――知見若しくは本能に照して自ら生きずして、單に「他」をして自己を支配させるに過ぎないならば、神に對する服從と雖も猶我等を殺すものである。此の如き服從によつては、我等は自ら生きずに、自ら死ぬのである。  然らば何故に神に對する服從も猶我等を殺すものであり得るか。我等が外なる神を迎ふるに内なる神を以つてせざるが故に。外なる神に導かれて内なる神が自ら伸びむとすることなきが故に。自己の任務を外なる神に讓つて、内なる神は惰眠を貪るが故に。自證によつて若しくは信仰によつて、自己の内面的知覺を磨くことは、要するに我等を普遍に導く唯一の途である。内面生活の途には馬も車もない。我等は唯自己の足を以つて――他に導かれ若しくは導かれずに――この途を歩くことが出來るばかりである。さうして我等に歩くことを忘れさせるものは、如何に美しきものと雖も、畢竟我等を欺くものである。この意味に於いて神も亦時として我等を欺く。否、神は我等を欺くのではないが、我等は神によつて自ら欺かれる。神に對する他律的服從は、我等の懶惰の故に、却つて神に往く道を塞ぐものとなるのである。此の如き神は、我等にとつて、神ではなくて寧ろ「善魔」である。それは我等を生かすものではなくて唯我等に憑くものに過ぎない。  固より善魔に――父母や長上も時としては我等にとつて善魔である――服從するとき、我等の行爲は自己の内面的知覺に從ふときよりも過失が少いかも知れない。我等の人生の途は一層滑かに、我等の行手には一層外面的幸福の光が裕かに輝くかも知れない。併し我等の本質はこの途によつて成長することが出來ない。多くの過失、多くの失敗、多くの蹉躓は、此の如き平滑、此の如き幸福よりも遙かに我等の本質の成長を助ける。凡ての人は眞正の人となるためには自己の心から生きなければならない。自己の責任を他に轉嫁して、他に服從することによつて過失の少い途を行かうとするものは、何時まで經つても生命の途に縁のない者である。  併し他律的服從の厭ふ可きは、自ら怠らむがために服從する場合のみに限られてゐるのではない。我等は又「己れ」を成さむがために、普遍的自我の聲を瞞着せむがために、先づ他人の「己れ」を成さしむる場合がある。茲に自分の上に立つ或人があつて或る命令を我等に下すとする。我等は自己の内面に、この命令を非認する或る聲の囁きを感ずる。併し我等はこの命令に對する服從を拒むことによつて、彼の恩惠を失ひ、責罰を受け、損失を蒙る。故にこの囁きを闇から闇に葬つて、顏を拭つて内心の否認する命令に服從する。恐らくは、彼は單に他の「己れ」を成さしむることによつて自己の利得を得むとするのみならず、又自らその内心の聲を聽くことを恐れてゐるのである。服從の美名の下に自らも普遍的自我を追求する勞苦を脱れむとするのである。故に此の如き服從は、自己の中にある「普遍的自我」を捨てて、他人の「己れ」を自己の中に立するのである。他人の「己れ」に乘じて更に自己の「己れ」を遂げむとするのである。  かくて他律的服從は盲目なる者の偸安か、奸譎なる者の阿諛便佞か――阿諛便佞を通じたる利己かである。故にそれは自己を汚し、他を汚し、重ねて道を汚す。それは普遍的自我の成長を妨げ、「己れ」の増長を助くるが故に自己を汚すのである。それは「他」の過ちを利用し、かくて彼の反省の眼を昏すが故に他を汚すのである。さうしてそれは自他の中に道の實現を妨げるが故に道を汚すのである。此の如き服從は實にあらゆる意味に於いて奉仕の正反對である。  我等が道を把握すること能はざるとき、我等は心を盡して自己の中に道を把握することを努めなければならない。さうして幾分なりとも之を把握し得たるとき、これを自己の中に生かし、これを他人の中に生かすことは、我等の絶對の義務である。此二つの意味に於いて我等はあくまでも自己に――普遍的自我を實現すべき自己に、又これを實現し得たる限りの自己に――固執しなければならない。この意味に於いて自己に固執するもののみ始めて自らの主である。この意味の自己を抛棄するは唯奴隷のみのよくするところである。さうして他律的服從は正しく此の如き奴隷のことである。之に反して奉仕は唯自ら主たる者のみのよくするところである。奉仕とは自ら主たる人格の甘んじて萬物の僕となることである。さうして自ら僕となることは、主のことであつて奴隷のことではない。自分はこの意味に於いて僕と奴隷とを區別する。我等は常に道の僕とならなければならない。併し同時に如何なる者の奴隷となつてもならない。  人は又この意味に於いて自己に固執することを個人主義と名づける。若し個人主義と云ふ言葉をこの意味に解するならば、あらゆる道を求むる者の立脚地は當然に個人主義でなければならない。個人主義に立脚する者のみ、普遍を追求する心境に參し、普遍を追求する努力に參し、歩々に自己の中に普遍を實現する生活に堪へるであらう。この意味に於ける個人主義の精神は、自ら反みて正しからば、千萬人と雖も我行かむと云ふこゝろである。(「倫理學の根本問題」參照) 10  最後に自分は二つの注意を附加して置くことの必要を感ずる。第一に個人主義とは自分のしたくないことをしないことではない、自己の爲すべからずと信ずることをしないことである。したくないことをしないのは「己れ」を恣にすることであつて、自己の中にある道を固執することではない。  第二に個人主義とは他に反抗すること、他人に逆ふことを意味するのではない。他人に逆ふことを喜ぶものは、「己れ」を成さむとする者である。道を傷つけるものである。此の如き反抗慾、此の如き爲我慾が如何に人と人との間の和ぎを妨げ、道の實現を礙げてゐるか、精細に世相を觀察するとき、我等は實にその甚しきに驚かざるを得ないであらう。固より我等は如何なる場合にも道ならざる意志に服從してはならない。併し我等は服從を拒むときと雖も、柔かなる心を以つて、對象に對する愛を以つて、對象に奉仕せむとする誠を以つて、この服從を拒まなければならない。荒立てる心を以つて世界に對せざることを――出來るならば如何なる場合にも對象の意志を成さしめむとする愛を以つて世界に對することを――「順」と名づけるならば、「順」も亦我等にとつて豐かなる考察の材料でなければならない。(六、六―八) 十七 某大學の卒業生と別るゝ辭  諸君と教場で逢ふのも今日が愈〻最後である。諸君の前には間もなく新しい生涯が開けるであらう。さうしてその新しい生涯は諸君に色々の喜びと悲しみと、驚きと失望とを持つて來るであらう。この新生涯の第一歩は諸君の一生にとつて極めて大切な一時期である。この時期に踏み迷ふことは、人の生涯にとつて隨分損害の多い事件でなければならない。自分はこの時期の通り過ぎ方に就いて、自ら多少の悔を持つてゐる者である。故に自分は自分の僅かなる經驗と智慧とを諸君に分けて、諸君に別るゝに當つての餞としたい。若しそれが多少なりとも諸君の參考になるならば自分の本懷である。  第一に自分は、凡ての人に勸めるにその生活の中心を拵へることを以つてしたい。その中心を中心として、日々の生活を調整することを以つてしたい。若しその中心を發見することが容易でないならば、自分は、生活の中心を求めることを以つて、それまでの生活の中心とすることを勸めたいと思ふ。  諸君が學校にゐる間は、學校の課程が外部的ながら諸君の生活に一種の中心を與へてゐる。諸君は諸君の生活を調整すべき具體的な秩序を手近に持つてゐる。從つて假令學校を詰らないもの下らないものと見る人々と雖も、猶これによつて自分の生活に一種の具體的内容を與へられてゐることは爭ふことが出來ないであらう。併し諸君が學校を卒業して授業時間や課題や練習や試驗の束縛を脱るゝとき、諸君は又一方に何となく日々の生活に具體的内容を缺いて、退屈と空虚とを覺えることを禁じ得ないであらう。學校に代つて諸君の生活の中心となるものが、直ちには諸君の手に落ちて來ないであらう。多くの人は、學校を卒業すると共に、何かしなければならぬ義務を、他人から負はされるか、若しくは自らの感情の中に負ふを常とする。併し今日の社會は我等の卒業を待受けてゐて、直ちに我等に適當なる活動の地を與へるやうな社會ではない。さうして自ら活動の地を造り出さうとするにも、我等は自己の内面に確かさの自信を缺き、我等の働きかける可き社會に對する適當の知識を缺いてゐるが故に、内外兩樣の意味に於いて、何處から手をつけていゝかがわからなくなる。かくて焦躁と空虚と、この二つの相反せるが如くにして相近似せる感情は、手を携へて我等の生活に迫つて來る。さうして我等は焦れば焦るほど、益〻生活の中心を失へる感じに捉はれなければならない。自分は學校を卒業すると直ちにこの病ひに捕はれて、學校卒業後の二三年は、まるで何事も手につかなかつた。さうしてこの状態を脱却するまでには、自分としては堪へ難いほどの忍耐と攝生とを積まなければならなかつた。故に自分は諸君の卒業を送るに當つても、特にこの點に關する注意を請はなければならない。凡そ人生は短く、人生は長い。爲す可きことを持つてゐる者には六七十年の歳月は須臾にして流れ去るであらう。併し何事にも倦める心にとつては、五十年の壽命も長い退屈な旅と思はれるに違ひないのである。さうしてこの短い生涯を空過しないためにも、この長い一生を退屈せずに暮すためにも、我等には生活の中心が必要である。自分は中心を缺いた生活の中にある充實と幸福とを考へることが出來ない。  固よりこの中心は強ひて拵へられたものではなくて、自分の中から發見したものでなければならない。學生に對する學校の課程、成年に對する職業の義務の如きものは、唯我等の内心の寂寞を胡麻化すための一時的手段となるのみで、我等の一生を貫く中心となることは決して出來ないであらう。さればと云つて眞正に内面的の意味に於いて、自己の生活の中心を發見することは却々容易なことではないに違ひない。茲に於て我等の問題は更に一歩を進めて、如何にして生活の中心を發見すべきかと云ふことに移る。この問題に對する解答も亦固より容易ではないが、自分にはその具體的方法として一つの考案がある。これは自分が大學在學時代から考へてゐたことで、而も未だ實行し得ないところであるから、これを自分の體得せるものとして語ることは憚らなければならないが、若し諸君がこれを實行するならば、屹度良好な結果が擧るに違ひないと信ずるから、自分のことは棚にあげて遠慮せずにこれを語りたいと思ふ。  と云つてもそれは何も珍らしいことではない。最も自分に適しさうな人を選んで、その人の内面的發展を精細に跡付け、その通つた道を自分も内面的に通つて見ることである。約言すれば自らその「師」を擇んで、自己の鍛錬をその師に托することである。師の奴隷とならずに、而も師に信頼して、常に「師」に照して自己を發見する途を進むことである。我等の時代はあまりに師弟の關係の薄い時代である。我等の間には、十分の責任を帶びて他人の靈魂の教育を引受ける心持も、尊信と親愛とを傾けて、自己の靈魂の訓練を長上に托する心持も――此等の崇高な、深入りした心と心との交渉が餘りに少い。自分は自分たちの受けて來た纒まりのない教育と、徒らに漠然として廣い知識と思ふ毎に、古人の受けた鍛錬と訓育とを羨しいと思ふ。自分はこの春、信濃の飯山に行つて、白隱和尚修業の地なる正受庵を訪うた。庵は高社の山を望み千曲川を望む小丘の上にあつて、杉の老樹の生い繁つた幽𨗉な境にある。初め白隱が惠端和尚をこの庵に訪うたとき、惠端は白隱を崖から蹴落したさうだ。白隱はそれにも懲りずに惠端に師事したさうだ。さうして或日白隱が一つの悟りを得てその座禪の座から(彼は戸外の石上に坐して工夫を積んだといふことである)歸つて來る時に、惠端は縁の端に出て遠くから手招ぎをしながら白隱を歡迎したさうだ。自分はその話をきいて白隱と惠端との間が羨しくてならなかつた。自分にも、自分を崖から蹴落して呉れる師匠、縁側から自分を手招ぎして呉れる師匠がゐたら、どんなに幸福なことであらう。師弟の關係を以つて奴隷と暴君との関係と見る者は淺薄である。師弟とは與へられるだけを與へ、受けられるだけを受けむとする、二個の獨立せる、而も相互に深く信頼せる靈魂の關係である。弟子をその個性の儘に一人の「人」とするところに師の師たる所以があり、その稟性に從つて一個の獨立せる人格となるところに弟子の最も多くその師に負ふ所以がある。「道」の傳統は何等かの意味に於ける師弟の關係を經て、始めて内面的に生きるのである。(法然と親鸞との關係を參考せよ)  併し今日に於いて師弟の關係が崩れたのは、人と人との精神的信頼が内面的に崩れたからである。他人の靈魂の鍛錬を引受けるほど自分を信ずる力と、自己の一切を傾倒して他人に信頼する力とが薄弱になつてゐるからである。故に我等はこの根柢の缺陷を別にして、人爲的に、樂々と、師弟の關係を昔に引戻すことは出來ない。我等の師となるに足るものは、疑ひ深き我等の心を征服して我等の尊信を餘儀なくするほど偉大なものでなければならない。從つて我等の師を求むる心が、おのづから身邊の人を離れて古人に向ひ、直接の關係を離れて書籍に向はむとするは洵にやむを得ないのである。故に極めて幸福なる少數の人を除けば、我等が「師」を持つとは一人の人の生涯の著作を通じて、その人の内面的經驗に參することである。その内面的經驗を參照し、通過することによつて、自己の出發點を固めることである。我等はこの順序を經ることによつて、恐らくは確乎たる自己の出發點を獲得することが出來るであらう。さうしてこの出發點を固めることは、精神的の意味に於いて生活の中心を發見することに當るのである。  固より師に就くとは、自分の生活内容をその師の供給に仰ぐと云ふことではない。我等が愛し憎しみ努め怒る心は我等が我等自身の中に豫め持つてゐなければならぬところである。此等の愛憎や喜悲は我等の生活を刻々に新たなる境涯に漂はしめ、往々にして我等の生涯を困惑と雍塞と彷徨と昏迷との境に導く。この窮境を拓きこの關門を透過する努力に於いて我等は始めて「師」の忠言を必要とするに至るのである。我等が師に就いて學ぶ可きところは、問題の解き方である。途の切り拓き方である。生活内容を流れ行かしむ可き方向である。若し我等自身の中に豫め生活内容を有することなく、一定の傾向を有することなく、解決を要する問題を有することがないならば、師に就くことは全然無意味でなければならない。故に生活の中心を求めるために古人の著作を研究するといふとき、我等の研究の意味は、讀書にあるのではなくて、我等の内面的知覺を開拓してこれを正しき方向に導いて行くところにあることは繰返すまでもないことである。書を讀むとは自ら生きることを停止することを意味するならば、又他人の著作を研究することは自ら省ることを中斷することを意味するならば、我等は固より如何なる場合にも、書を讀むことを、他人の思想を研究することを、生活の中心とすべきではない。茲に讀書と云ひ研究と云ひ、師に就くと云ふは、自ら生き、自ら省るための一つの途を意味するものであることは、明瞭に記憶して置く必要がある。我等が師に就いて學ぶことを要する第一義諦は、行住坐臥に師の言葉を讀誦することではなくて、何よりも先づ、師と同一の勇氣を以つて人生に衝當ることでなければならない。自己の直接經驗を基礎として人生の疑ひに觸れ、人生の疑ひを解く途を求めることでなければならない。  自分は前に最も自分に適しさうな人を選んでこれを師とす可きことを云つた。併し此處に「最も自分に適する」と云ふのは、現在の自分が最も愛好するもの、現在の自分が最も親しみ易きもの――換言すれば現在の自分の程度を以つても容易に接近し得可きものといふ意味ではないのである。此の如き「師」は唯我等を甘やかすもの、現在に於ける我等の偏局せる發展を更に一面的に偏局せしむるものに過ぎないであらう。現在の自分は自分の本質の一切ではない。我等の本質の中には無限の可能性がある。他日、我等の本質の中から、現在の自分には思ひも寄らぬ花が咲き出でる日がないことを、誰が保證することが出來よう。我等の「師」は我等の本質の中から此等の數多き可能性をひき出す力があるものでなければならない。我等を鞭撻して常により高き段階を望ましめる力を持つてゐるものでなければならない。約言すれば我等を叱り、我等をひき上げ、我等を打碎き、我等を改造するに足るほど、複雜で偉大なものでなければならない。この意味に於いて我等に「無理」を強ひる力のないものは、我等の師と仰ぐに價ひせぬものである。固より我等が師を選ぶは一層の冐險である。我等は固より彼を知悉して後に彼を師と仰ぐのではなくて、一種の豫感に導かれて未知の師に牽引されるのである。併しこの際我等の冐險を導くものは、我等の憧憬を充す可きものを嗅ぎ分ける本能であつて、現在の自分に最も親しみ易きものを擇り出す本能であつてはならない。多くの女性は、最も多く自分を甘やかすものを求める本能を以つて、最も多く自分の尊敬を要求するものを求める本能に代へるが故に、彼等は幾度か無價値なる男の欺くところとなる。同樣に自分の情熱を甘やかすものを求める衝動に從つてその師を擇ぶものも、亦遂にその師に欺かれるであらう。假に某々情話の作者をその師とする者があるとすれば、彼はこの選擇の過ちによつて生涯の迷路に陷るに相違ないのである。  茲に於いて、我等の問題はおのづから「自然」と「不自然」との問題に落ちる。我等にとつて「自然」なものとは何であるか。我等にとつて「不自然」なものとは何であるか。  自分はこの問題に答へるに Dialektik の觀念を持つて來たいと思ふ。自分は從來デイヤレクテイツシユの考へ方をするといふ廉を以つて度々某々の非難を受けた。併し自分は今も猶依然としてこの誤謬(?)に固執する。さうしてこの誤謬を諸君にも感染させたいと思ふ。デイヤレクテイクとは何であるか。それは一つのもの(These)がこれと矛盾するもの(Antithese)を放出することによつて世界を豐富にすることである。この二つのものの相互作用によつて新たなる立脚地(Synthese)に到達することである。さうしてこの「合」の中にあつて「正」も「反」も共に破壞され、高められ、保存(Aufheben)されることである。故にそれは單に認識の法則なるに止らずして又本質發展の法則である。寧ろそれは本質發展の法則なるが故に又認識の法則なのである。さうしてこれを本質發展の法則として見れば、それは矛盾の征服を通じて常に新たなる立脚地に進むこと――かくて無限の生々發展を續け行くことである。又これを認識の法則として見れば、矛盾するものの雙方にそれ〴〵に存在の理由を認めて、この二つのものが更に高き立脚地に於いて調和の地を持つことを信ずる點に於いて、それは普通の形式論理を超越する。凡そデイヤレクテイクは、我等の思惟を實在そのものと共に流動させることであつて、狹隘なる論理の方丈中に實在を幽閉せむとすることではないのである――少くとも自分はデヤレクテイクを此の如くに理解する。故に自分は宇宙と思想とのデイヤレクテイクに參する事の淺きを恥づるのみであつて、デイヤレクテイツシユの考へ方をする事を恥辱と感ずることが出來ない。  今、デイヤレクテイクの思想を現在の場合に應用するに、我等は自然と不自然との對立を一樣に解釋することが出來るであらう。一面から云へば、現在の自己と矛盾せざるもの、現在あるがまゝの自己を自由に流露させるもの――換言すればテーゼの立脚地に安んじて前進の努力によつて衝動せられざる生活は「自然」である。さうしてこれに反するものは「不自然」である。この意味に於いて「自然」に生きるとき、我等の生活には無理がなく、安易で、洒脱で、如何にも垢拔けのしたものと見えるであらう。同時に我等の生活は現在の立脚地に停滯して、新たなる立脚地から新たなる立脚地に前進するデイヤレクテイクの働きは鈍麻するであらう。併し自己の本質の中に活溌なるデイヤレクテイクを持つてゐるものは此の如き「自然」の境界に安住することが出來ない。現在に對する不滿、新たなるものに對する憧憬――從つて常住に襲ひ來る一種の「無理」、現在以上のものに對する不斷の「努力」が彼の生活の中心に立たずにはゐられないのである。此處に於いて我等は「自然」と「不自然」との新たなる對立に到達する。この場合に於いて自然なるものは、現在の自己に適合するものではなくて、自己の本質に適合するものである。現在の中にある矛盾と不安とに押し出されて永久に前進の努力を續ける生活こそ自然であつて、テーゼに甘んじてアンテイテーゼを通過しジユンテーゼに到達する努力を缺く生活は不自然である。現在に對して「無理」を加へる生活こそ自然であつて、現在の享樂のみに生きる生活は不自然である。我等が我等の本質を實現せむとするとき、我等の求む可きは後の意味に於ける「哲學的自然」であつて、前の意味に於ける「自然的自然」ではないのである。破壞は苦しく、努力は苦しく、緊張も亦苦しい。併し此等の苦しみを通してのみ眞正に生きることが出來るとすれば、この苦しみこそ人生の最も深き幸福、我等の生活の最も深き自然でなければならない。我等を強ひるもの、我等を叱咤するもの、我等を鞭撻するものの聲に耳を塞いで、唯現在にとつて自然なる生活のみに生きむとするは、懶惰なる怯者のことに過ぎない。さうして本質のデイヤレクテイクに從つて生きむとする勇氣は、單に「師」を撰ぶときにのみ必要な條件には止らないのである。  自分は諸君と別れるに當つて此等の言葉を餞にする。職業のことや、成功のことや、世間の注意を喚起する方法や、世間に認めらるゝ祕訣等に關しては、自分は何事をも云はうとは思はない。自分の諸君に希望するところは、世間的成功を收めることではなくて、人らしい人となることである。自分も亦人らしい人となることを心願として、これからも諸君と手を携へてデイヤレクテイクの途を進んで行きたいと思ふ。(六、七)
底本:「合本 三太郎の日記」角川書店    1950(昭和25)年3月15日初版発行    1966(昭和41)年10月30日50刷 入力:Nana ohbe 校正:山川 2012年2月9日作成 2012年3月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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   主よ我信ず、わが信なきを助けたまへ 一 思想と實行 1  實行とならぬ思想は無價値だと云ふ言葉は屡〻耳にするところである。併しこの言葉の意味は隨分粗雜で、その眞意を捕捉し難い。若し實行とは主觀が客觀(人及び物)に直接に働き掛ける事のみを意味するならば、或る種類の思想は本來實行となるまじき約束を持つてゐる。さうして實行とならずともその思想は決して無價値ではない。若し又實行とは主觀内の作用が他の主觀作用を――一つの思想感情が他の思想感情を――喚起する事をも意味するならば、凡ての眞實なる思想は必然的に實行となる。世界の何處にも實行とならぬ思想はあり得ない。  數學上の公理は幾多の定理と系と命題とを産んだ。物理學上の法則は宇宙間に行はるゝ幾多の具體的事實を説明した。思想は常に思想を産んで細密なる連續體を形成し、遂に吾人の世界觀を構造するに至る。如何なる場合に於ても思想は力である。  思想は力なるが故に、思想は波及する、又深みに行く。數學者又は物理學者の思想と雖も彼等の世界觀を規定し彼等の人格的生活を規定せずには措かない。況して哲學上藝術上の思想が哲學者藝術家の Gemüt(心ばえ)に作用して、彼等の主觀状態を改造することは云ふ迄もないことである。故に實行とならぬ思想は無價値だと云ふ主張が、單に力――心理的の力である物理的社會的の效果を惹起す可き力ではない――力のない思想、遊離せる思想、空華なる落想を拒斥するだけの意味ならば、固よりその主張は正當である。此主張は要するに虚僞なる思想は無價値だと云ふに等しい。改めて云ふまでもないことである。  併し凡ての力ある思想は必然的に客觀に働き掛ける性質を持つてゐると云ふ事は出來ない。固より凡ての力ある思想はその思想を懷抱する人の人格を規定する。從つてその人格が客觀に働き掛ける際の態度を何等かの意味に於いて規定する。故に間接に云へば凡ての思想は客觀に働き掛ける性質を持つてゐると云へない事はない。併し𢌞り𢌞つて客觀に働き掛ける結果となる事は、思想そのものが客觀に働きかける目的を持つてゐると云ふ事にはならない。又思想そのものが直接に客觀に働き掛ける性質を持つてゐると云ふ事にもならない。或種類の思想は先づ人格を規定して、その人格を通じて間接に客觀に作用する結果を産む。又或種類の思想は客觀に働き掛けむとする人格の意志より生れて、直接に客觀と折衝するの任に當る。若し實行とならぬ思想は無價値だと云ふ主張が第一種の思想を否認して、第二種の思想のみを是認するの意ならば、此主張の根據は躁急なる實利主義と淺膚なる巧利主義に在ると云はなければならぬ。此の如きは唯内面生活の權威を知らぬ商人のみの口にす可き主張である。  此意味の主張に從へば、數學と物理學とは器械工業の基礎としてのみ僅に存在の理由を有する。哲學宗教は教育と社會改良との根據を與へるにあらざる限りは無用の長物である。藝術の中で、許さる可き唯一の部門は傾向藝術である。密室の中に在りて神と交通する宗教家の生活は飮酒喫煙と種類を等しくする懶惰の生活である。彼等にとりて價値のある生活は、商賣人となりて算盤をとるか、政治家となりて國政を議するか、救世軍となりて街頭に太鼓を叩くかの外にはあり得ない。 2  或人は考察の生活、觀照の生活、瞑想の生活――約言すれば思想の空しきを説いて、事業と實行との生活に就く可き事を奬説する。此際に於いて問題となるものは、人間生活の理想としての思想と實行との對立である。  思想の生活はその客觀に對する態度から云へば受納の生活である。受動の生活である。思想は(客觀と關係する點から云へば)客觀より與へらるゝ處を受納し之を材料として主觀内に於いて溌剌たる能動の態度を採る。その對象とする處は「物」としての客觀にあらずして、自己主觀裡に攝取せられたる客觀である。故に思想の内容は森羅萬象を網羅するに拘はらず、思想家の面々相接する處は寧ろ思想家自身である。從つて思想家の生活には屡〻孤獨の感情、空漠の感情、遊離の感情が襲來し易い。思想家が往々自家の生活の空しきを感じて事業の生活、實行の生活を慕ひ、遂にその生活に轉移する心持は決して無理だとは思はれない。實行の生活に於いて、客觀は赤裸々に、その全面を呈露して「對象性」をとる。さうして主觀は此對象に對して能動の態度をとり、客觀は又主觀に對して溌溂として反應する。故に實行の生活は的確で、明晰で、痛快で、猛烈である。吾人は此生活に於て全人の根柢から搖り動かさるゝ機會を持つことが多い。自分も亦屡〻實行生活に對する憧憬によりて思想生活の根柢を震撼される心持を經驗する。自分は此類の主張に對して相應の理解を持つてゐるつもりである。  併し、確乎たる思想上の根柢を有せざる實行の生活も亦空しい。全體を統一する大なる力の支配の下に立たずして、きれ〴〵に、離れ離れに、唯動くが爲に動く生活の惶しさを思へ。内化されず、把握されぬ空しい動亂は、唯意識の表面を掠めるのみで、砂上の足跡のやうに果敢なく消えて了ふ。實行のために實行を追ふものは、唯無數の事件を經驗するのみで、眞正に「我」を經驗する機會を持たない。吾人の周圍にウヨウヨしてゐる所謂政治家、實業家、法律家、教育者の生活――彼等の生活こそ In Abstracto に實行の生活である――の空しさを見れば誰か面を背けて逃出さぬを得よう。空漠な、遊離せる思想の生活が厭はしいやうに、根柢に横たはる大きい深い者を原動力とせざる實行の生活も亦空しい。思想の生活を實にする者は恐らくは實行の生活のみではあるまい。思想の生活と實行の生活とを併せて實にする或者が、恐らくは此兩者の奧に君臨してゐるのであらう。  暫く自分の經驗の未だ及ばざる範圍に思索を馳せる事を許して頂きたい。宗教家の經驗するところに從へば神は愛であると云ふ。若し神が愛ならば、此神の愛を身に受けて之と交通するに餘念のない生活――瞑想のみの生活は眞正に宗教的な生活とは云ひ得ないであらう。神の愛を眞正に身に受けたる者は此愛を他の闇黒裡に蠢く同胞に光被させようとしなければならない筈であらう。約言すれば神より愛さるゝのみに滿足せずして、神と共に愛する者とならなければならない筈であらう。濟度の慾望とならず、傳道の慾望とならぬ宗教の不徹底な所以は自分にも微にのみ込めてゐる。宗教の信はその本來の性質上必然に行とならなければなるまい。換言すれば宗教上の思想生活は必然に實行生活に移らなければなるまい。併し神の愛を深く心の底に味はひしめた事のない者がどうして之を他人に與へることが出來よう。傳へるとは何を傳へるのか、與へるとは何を與へるのか。光は固より照さなければならない。照すは光の本質である。併し徒に照さむと焦る闇ほど滑稽なものはない。野に出でて叫ぶ者の活動を正しき者とするは唯密室に於ける神との交通である。唯内より輝き出づる光である。  神との交通は瞑想の生活を正しくする、又實行の生活を正しくする。瞑想の生活を實にする。又實行の生活を實にする。今自分の思想の生活は寂しい。自分は屡〻孤立を感じ、空漠を感じ、遊離を感ぜずにはゐられない。今自分の實行の生活は頼りがない。自分は屡〻動きながら逡巡する。進みながら疑惑する。此寂しさと此頼りなさは自分の「實なるものを實にする者」に對する、根本的實在に對する、「神」に對する憧憬である。それは、思想生活より實行生活に向ふ憧憬と解釋して了ふには、餘りに深い根柢を持つてゐる。餘りに内面的ななやみに溢れてゐる。  自分が思想の生活と實行の生活との根柢として待望むものは Vision(直視)の生活である。Vision の生活に進めば、自分の思想生活の對象は空漠を脱して溌溂として活躍するものとならう。從つて自分の思想生活の態度も亦痛烈にして勇猛なものとなるであらう。さうして自分の實行生活は根柢を得、内容を得、統一を得るであらう。 (三、五、一七) 二 理想と實現 1  或種の思想は、その本來の性質上、主觀内に於いて、若しくは客觀の世界に於いて、或種の状態を實現するの要求として現はれる。吾人は普通此の如き特殊なる思想を呼んで理想と云つてゐる。理想は常に現實の上に臨む力として其實現を求めてゐる。現實に對して實現を迫るの力なき理想は咏嘆に過ぎない、空語に過ぎない、饒舌に過ぎない。故に實行とならざる思想は無價値だと云ふ言葉は、その意味を限定して、實現せられざる理想は無價値だと云ふ意味とすれば、その内容は遙に鮮明にして妥當なるものとなる。  併し人のよく云ふやうに――さうしてトルストイも嘗て云つたやうに――實現せられたるものは理想ではない。理想は實現さるゝと共に理想ではなくなる。理想の理想たる所以は、それが常に現實の上に懸る力として、現實を高め淨むる力として、現實を指導して行く處にある。故に理想が理想たる限りはそれは現實と矛盾する。理想は現實を歩一歩に淨化して之を己に近接せしめながら、而も常に現實と一歩の間隔を保つて行く。實現の要求を伴はぬものは理想ではない。實現されて了つたものも亦理想ではない。實現の要求に驅られながら未だ實現せられぬ處に理想は存在するのである。  故に實現せられざる理想は無價値だと云ふ言葉は再び改鑄するの必要がある。既に實現せられたるものは理想ではない。實現を求むる切なる要求を伴はぬ理想こそ――實現に向ふ内的必然性を含まざる理想こそ、無價値なのである。實現せられざる理想が無價値ならば、凡ての理想はその本來の性質上無價値なものにならなければならない。  實現の結果を重視するものと、實現の意志を重視するものと――此二つの相違は人生の見方に非常な逕庭を生ずる。前者より見れば未だ結果に到達せざる思想は凡て無價値である。未だ實現せざる理想を主張する者は僞善者である。併し後者の立脚地より見れば、未だ實現せられず、未だ結果に到達せざる思想と雖も、猶ほ理想として特殊の價値を有する。此價値を證しするは、未來を洞察する豫感の力である。實現の要求を煽る現在の心熱である。刹那刹那に新生面を開展し行く現實の進歩である。  大なる理想を孕める者は、その理想が自分の内面に作用する力を刻々に感ずるであらう。此理想を實現するの困苦を泌々と身に覺えるであらう。さうして征服し盡されず、淨化し盡くされず、高揚し盡くされざる自分の現實に就いて堪へ難い羞恥を感ずるであらう。而も彼には直接内面の心證あるが故に、此屈辱と羞恥の感情を以つてするも、猶ほ此理想を抛擲することが出來ない。理想を負ふ者の矛盾と苦痛と自責と屈辱とを耐へ忍ぶ事は避く可からざる彼の運命である。  併し理想を負ふ者の苦しみを嘗め知らざる者は、此間の悲痛に就いて同情を寄せる事が出來ない。彼等は輕易に理想家の内に行はるゝ理想と生活との矛盾を指摘して、直に理想そのものと理想家その人とを否定する。故に理想家は内面的矛盾の苦しみの外に、又社會の罵詈と嘲笑とをも忍ばなければならない。トルストイのやうな一生は實に理想を負ふ者の代表的運命である。多かれ少かれ、理想を内に孕めるものはトルストイの運命を分たなければならないのである。  逃げむと欲する者は逃げよ。逃げむと欲するも逃げ得ぬ者は勇ましく此悲痛なる運命を負ふのみである。 2  理想はその現實の上に――事實現在の生活の上に、百歩を進めても關はない。理想が溌剌たる要求の性質を失はぬ限り、理想は高ければ高い程、その現實に作用する力は峻烈となり痛切となるであらう。從つて現實は益〻根本的に高められ淨められるであらう。  併し大なる理想に堪へる心は又現實の卑さを端視するに堪へる心でなければならない。大なる理想はしつかりとその生活の上に根を卸して丹念に誠慤に現實の卑さを淨化する努力を指導するものでなければならない。大なる理想は先づ現實の眞相を看破して、其處に第一の礎を築かなければならない。それは生活の進歩を一足先に見越して、まだ空な處にその基礎を据ゑようとしてはいけない。理想と現實との距離に對する鋭敏なる感覺は、理想の淨化作用を溌剌の儘に保つ爲の第一要件である。此距離の感覺を失ふ時、吾人は自分の生活に嚴峻なる鞭撻を加へるに疲れて、漸くその現實に媚び、之に慢心の理由を與へようとする。併し大なる理想に堪へると云ふ事はその人格の潛在性の大きさを證しする事にはなつても、決してその人格の現實性の大きさを證しする事にはならないのである。  優れたる人は曰ふ、「飛躍せよ飛躍せよ」と。茲に所謂飛躍とは本質の飛躍であつて、自意識の飛躍ではない。躁急なる飛躍者に在りては、自意識が飛躍して本質が取殘される。さうして飛躍せる自意識と取り殘されたる本質とは、中に横たはる罅隙を隔てて呆然として相對する。自意識の飛躍は餘りに輕易にして、餘りに人に親しい。眞正の飛躍を望む者は本質に飛躍す可き力の充ち溢れる迄押こらへて待つてゐなければならない。  基督は曰ふ、「終りまで待つ者は救はる可し」と。  惡魔は曰ふ、「終りまで待つ者は腐る可し」と。 3  理想は何物かを否定する、何物をも否定せざる理想は理想ではない。固より茲に云ふ否定とは存在を絶滅する事にあらずして、存在の意義を、存在の原理を更新する事である。本體論上の否定に非ずして、倫理哲學上の否定である。簡單に云へば Vernichtung(絶滅)にあらずして Verneinung(否定)である。ヘーゲルの所謂 Aufheben するのである。これを破すると共に、之れを高めて之を保存するのである。凡ての理想は此意味に於いて常に何物かを否定する。  人生に於ける一切の惡と醜とは凡て存在の理由を持つてゐるものかも知れない。惡と醜とを絶滅しようとするは畢竟無用な、神の世界を侮辱するの努力であるかも知れない。併し自分は惡と醜とが惡なるものゝ立場其儘に肯定さる可きものとはどうしても考へる事が出來ない。此世には單純に自分一個の便宜の爲に他人を陷れてゐる者がある。此世には處女を誘拐して之を賣笑婦に賣る者がある。自分にとつては此等の讒誣者此等の誘拐者の行爲をば彼等の立場其儘に是認することはどんなにしても出來ることではない。自分は彼等の存在を見て悲憤する。自分は彼等の爲に損はるゝ者を見て涙を流す。此處に自分の全人格的存在がある。若し此等の惡と醜とを否定す可からざるものとせば、自分と云ふ者が此世に存在するのは世界の原理と矛盾するの誤謬に違ひないと思ふ。  否定さる可きものは決して自分の外にのみあるのではない。自分は到底許す可からざる醜と惡とが自分の心の洞窟にウヨ〳〵として菌集するを見る。自分は自分の中に巣くう醜と惡とを見て羞恥の爲に飛上らざるを得ない。此醜と惡とを現在の儘で是認する事は自分の全人格が之を容さない。如何なる強辯を以つてするも自分の存在全體が之に反抗する。自分は全心の憎惡を以つて之を擯斥する。固より如何に之を擯斥するも自分の惡と醜とは容易に絶滅しない。併し自分は心から之を恥づる。さうして之を恥づることによりて自分の惡と醜とは一段の淨化を經た。自分の惡と醜とは少しく人間らしい「缺點」にまで高められた。之を恥づるは之を否定するのである。之を否定するは自分の全人格が彼の醜と惡との立場にゐないことを證しするのである。さうして全人格の立場を高き處にとれるが故に彼の醜と惡とも亦少しく淨められた。羞恥の誠を以つて包む事を外にして、醜と惡とを是認する事は到底考へ得ない。此の如きは全人格の經驗に反する空華の思想である。  優れたる人の立脚地よりすれば神の世界に於ける一切の現象は凡て肯定さる可きものかも知れない。併し一切の現象が肯定されるのは一切がその優れたる立場によりて淨化されたからである。換言すればその優れたる立場によつて下層の立場が悉く征服され否定されたからである。凡ての「あるもの」は此優れたる立場によつて益〻輝いて來るであらう。併し幾多の「見かた」、「考へかた」、「感じかた」は此立場によつて否定された。故に如何に一切を肯定する者と雖も野卑、奸譎、柔媚、陰險をば拒斥せざるを得ないのである。此等をも併せて肯定する途も(否定を經ずして肯定する途も)亦あるかも知れない。併し其途は現在の自分にとつて全然理解の途を絶してゐる。  理想は吾人の本質から生れて、吾人の現實を超越して、現實の上に淨化の力として作用して、最後に現實を永遠に渡さうとする。一切の立脚地が征服せられ、一切の存在が肯定されるやうになれば理想は最早その任務を果したのである。その時こそ凡ての價値は現實となつて吾人は無理想の自在境に入るであらう。併しそれ迄は――その久遠劫の後までは、理想は常に吾人を苦しめて吾人の本質を精練淨化するのである。吾人の生活に矛盾を拵へて、吾人の生活を開展させるのである。(三、五、一七) 三 遲き歩み 1  俺は未だ究竟の意味に於いて關門を突破した時の爽快と清朗との味を知つてゐるとは云ひ難い。第一義の生活に於いて、俺のやうに鈍根な、俺のやうに迷執の多い人間は他にあるまいと思はれるほど、俺は惑つて、困つて、ひつかゝつて、進み兼てゐる。併し俺の生活にも凝集する時期と發散する時期と、關門に向つて突進する時期と少しく此關門の通過を意識して眼界の稍〻開けた事を感ずる時期との交替はないことはない。併し悲しい哉鈍根の身には、打開の次に幾許もなく弛緩の時期が襲來する。從來鬱積し集中して來た心熱が、心身の小康と共に散漫に流れて、俺は暫く自分の生涯を貫く連續の絲を見失ふ事を感ずる。此間の空しさと淋しさの感情は比ぶ可きものもない程である。俺は此淋しさに驅られて再び魂を凝集するの努力に向つて行く。さうして俺の心は徐々として――眞に徐々としてその「張り」を恢復する。  俺は今日、自分の生涯に於ける連續と變化とを握りなほすために、過去に於ける俺の思想生活を思ひ返して見た。俺は俺の思想生活には、變化せざる多くの部分がある事を見た。連續して發展して來たと云ふよりも、寧ろその儘の姿に於いて俺の現在に殘存してゐる多くの思想を見た。俺は又久しく忘れられてゐた思想と問題とが新しい機縁に觸れて再び復活し、かくて隱現しながら俺の生涯を貫き縫つてゐる事を見た。併し俺は又俺の生活が徐々として開展し、俺の生活中心が遞次に移動してゐることをも亦認めざるを得なかつた。俺は現在の立脚地を明かにするために、暫く過去を囘顧しなければならない。 2  俺の頭は小さい時から理窟つぽい頭であつた。道理に從つて生活する事は幼年時代以來俺の人格に固着した欲求である。俺は小學校の終りか中學校の始めかに、父の本箱から古い倫理學の本をとり出してこれに讀み耽り、人生の目的に就いて、人間生活の理想に就いて樣々に思ひ惑つた。さうしてその倫理書中に羅列された諸説を自分の内面的知覺に照して見た。俺にとつて唯一の根據ある欲求は、「幸福」であつた。幸福説以外の諸説は凡て空に見えた。俺は若し「幸福」の追求が倫理學上眞正に許すべからざるものであつたら堪らないと思つた。俺は幸福説の立脚地に立つて嚴肅説や直覺説を非難し、その幼い論難を大眞面目になつて當時の日記に書いた事を覺えてゐる。  若し幸福とは吾等の本質的要求を徹底的に滿足させる事を意味するならば、俺の思想は、その形式に於いては、少年時代と少しも變らない。併し俺の問題は幸福の輪廓を棄てゝ幸福の内容に侵入した。現在の俺に興味のある問題は吾人の本質的要求は何ぞやと云ふ事である。如何にして本質的要求の徹底的滿足を發見すべきかと云ふ事である。現在の俺の考へに從へば、吾人の本質的要求は肉體に於ける個人生活の中から宇宙的内容を磨き出す事に在るらしい。此本質的要求を徹底的に滿足させる所以は、生活の基礎を「神」の上に築いて、神に於いて萬物を包容する愛の生活を送る事にあるらしい。從つて幸福に至る吾人の道には幾多の否定と戰鬪と飛躍とがなければならない。俺は今、幸福の代りに、併し幸福を究竟の意味に於いて實現するがために、「眞理」を、「神」を、「愛」を問題とせずにはゐられなくなつた。幸福を徐々として俺自身の生活に體現するために否定と戰鬪と飛躍との前途遼かなる努力を開始しなければならない事を感ずるようになつた。 3  俺は中學校の終りに、學校の權威に反抗したために放逐された。高等學校の始めに當つては、一つはその反動として、一つは清澤先生の感化によつて、一時非常に内觀的になつたけれども、高等學校の末から大學時代の全體を通じて、俺の心には再び權威に反抗するの精神が燃え出した。社會と、先輩と、歴史とが、青年の自由な、瑞〻しい發展を束縛する事實は――若しくは束縛すると感じた幻影は――事毎に俺の心を痛めた。「自己の權威」を主張する事が此時代に於ける思想生活の全内容であつた。高等學校に在つては、三四の勇氣ある友人の驥尾に附して所謂「個人主義」の主張者となつた。大學に在つては、思想の自律と、青年の權利とのために、華かな、興奮した(併し今から考へれば要するに空と云はなければならないやうな、)議論を書いて來た。  凡ての生活に於いて、自由と自發とを重んじて、壓迫と強制とに反撥する意味から云へば、俺は現在と雖も「自己の權威」の主張者である。さうして自覺せる妥協の外にも猶胡魔化しの妥協を行ひ勝な自分にとつては、今でも猶「自己の權威」の主張に顧みる必要がないとは云ひ難い。併し此事は自分にとつては最早自明の眞理となつた。俺は今繰返して之を思索し、之を主張してゐるほどの内面的必要を感じない。俺の中心問題は何時の間にか「自己の權威」から「自己の内容」に轉移して居た。  中心問題の轉移と共に俺の眼界も亦變化した。自己の生活を本質的の意味に於いて妨げてゐるものは、社會でも先輩でも歴史でもなくて唯自己自身であつた。クーノー・フイツシヤーの言葉を藉りれば、俺の生活は「自由」の問題から「救濟」の問題にその焦點を移さなければならなかつた。俺は自分の空しさに、自分の弱さに、自分の統一のなさに、嘗て經驗した事がない程の苦しみを嘗めた。生活内容の充實が何事に換へても望ましい事であつた。併し暫らくの間――可なり暫らくの間、何處に生活内容を充實する泉を汲む可きかを知らなかつた。併し今俺は略〻其途を會得したと思ふ。自己を充す者は客觀的、形而上的、宇宙的、人類的内容でなければならない。實在の中に沈潛する事は徹底的の意味に於いて自己の空疎を救ふ唯一の方法である。かう考へると共に「自己」の問題は、「自己」の問題を究竟の境まで推し詰めて行くために、必然的に「實在」や「神」や「眞理」や「愛」の問題に移らなければならなかつた。  今俺の生活は神と眞理と愛との問題を中心として旋轉してゐる。固より否定の力足らず、愛の力足らず、ヸジヨンの力足らぬがために、此等のものは凡てまだ俺の生活の内容とはなつてゐない。併し方針だけは既に決定した。俺は今、神と眞理と愛と――誤解のないやうに一言する、換言すればこれは生命の根原とその波及の途である――此等のものを、力強く體得することを外にして、自己の内容を徹底的に充實せしむ可き何物をも知らない。之と同時に俺は久しい間――誠に久しい間俺を惱まして來た自己と他人又は個人と社會との問題を、實踐的に解決す可き緒を與へられた事を感じてゐる。兩者の完全なる融和に到達するには猶幾度かの戰ひを要するが、併し自分と他人と、個人と社會とが「神」の中に融和の地を持つてゐる事は豫感の出來ない事ではない。昨日俺は或人が、眞理のためではない、自己のためだと云つて居るのを聞いた。併し自分から見ればそれは虚構のデイレンマである。自己のためなるが故に眞理のためである。眞理のためなるが故に自己のためである。眞理を内容とせざる自己は否定に價するのみである。自己を根柢から活かす力のない眞理は眞理ではない。 4  自分にとつては、歡樂も戀愛も、現實そのまゝの――換言すれば單純に現實的な立脚地から見た――姿に於いては凡て空しかつた。歡樂も戀愛も一時の忘我を與へるのみで、新しい生活の礎を置く力をば持つてゐなかつた。自分は現實の中到る處に空虚の存在を觸知せずにはゐられなかつた。甲から乙に移つても、丙から丁に轉じても、此空虚の感じは終に填められなかつた。俺の經驗した限りでは酒も畢竟は苦かつた。異性も畢竟は人形のやうに見えた。凡ての現實は、閃いて、消えて、虚無に歸する影のやうなものに過ぎなかつた。さうして俺は淋しかつた。  イエスが驥馬に乘つてイエルサレムの都城に入らんとする時、衆くの人は其衣を途に布き、或ひは樹枝を伐りて途に布きながら、或は前に行き或は後に從ひつゝ、歡呼して之を迎へた。俺も亦俺の都城に入つて、俺の中に君臨す可き「神」を迎へるために、衣を布き、橄欖を折らむとする願に堪へない。俺の心は今統治する者なき果敢さに惱み挫折れてゐる。神に對する俺の憧憬は、明日のためではなくて今日のためである。今日の生活の餘りに空しきに堪へ難いためである。新しい光によつて凡ての現實生活を根本的に實にしたい望みが抑へ難く俺の中に湧いて來るからである。 5  俺はまだ内容的に「神」を知らない。俺は努めて「神」と云ふ言葉を用ゐる事を避けたいと思ふ。併し空と山と野と海と人の心との奧に流れてゐる不思議な生命に觸れて之と共に生きる時、俺は何か神の樣なものに行逢ふ。又自分の生活の流れが開け、閉ぢ、撓み、繞り、進み行く姿を凝視して、俺の意識と意志とが後天的に之に參與する力の甚だ微弱な事を思ふ時、俺は何か神のやうなものに行逢ふ。俺は凡ての存在の奧を流れてゐるらしい此力に逢ふ毎に感激と充實とを經驗する。現在の處、「神」は俺の豫感に名づけた名で未だ信仰に名づけた名ではないけれども、此時に當つて俺の胸に湧く感激の經驗は、「神」の名によつて最もよく表現される事を感ずるのである。故に俺は逡巡しながらも猶之を神と呼ぶのである。現在俺の見てゐる神は「力」であつて「愛」ではない。もつと適當に云へば俺は未だ神の「力」の「愛」である事を明かに會得する事が出來ない。併し假令此根本的實在が惡魔であつても、その惡魔が俺の胸を充す感激の故に之を神と呼ぶのは、そんなに不當な事ではあるまいと思ふ。  俺が「知らざる神」を信じ出してから幾年の月日を經過した事であらう。俺は今日までも猶俺の神を「知らざる神」と呼ばなければならない事を悲しいと思ふ。併し俺は蠶が桑の葉を食ふやうに、徐々に――本當に徐々に神の中に喰ひ入つてゐる。此途は如何に長くとも、此生活は遂に空にはなるまい。 6  俺は八年前にスピノザを讀んだ時に、「實在の多少」、「實在の程度」と云ふ考へが本當にわからなかつた。當時の俺にとつては、問題は實在であるかないかの二つあるのみであつた。併し俺は今少しく「實在の多少」と云ふ感じを會得したやうに思ふ。俺の世界は實在の多少によつて影の濃淡疎密が差別されるやうになつて來た。秋の夜の徒然に障子に映す鳥差の影が光との距離に從つて濃淡を異にするやうに、凡ての存在、並に生活も、亦實在の多少によつて濃淡の影を異にするやうになつて來た。  實在の少い生活から脱れたい。實在の影を愈〻益〻濃くして行きたい。さうして最後に完全なる實在に到達したい。(三、五、二八) 四 形影の問答 1 「君の世界は小さくて、曇つてゐて、歪んでゐて、而も才はじけて浮々してゐる。併し君の魂の奧には、何物も其進行を阻む事が出來ないやうな、鞏固な、獨特な、運命と悲劇とが發展してゐるやうだ。君は君に與へられた運命のために、慢心と遊惰とを抑へて自愛しなければいけない。」 「僕も亦心竊にさう感じてゐた。此の感じは僕を謙遜にすると共に僕を傲慢にした。僕は惡魔の誘惑を恐れるやうに、此苦しくて甘い感じを恐れてゐた。併し僕は今、逡巡しながら君の言葉を承認する。君は僕の知己だ。」 2 「君はこれまで感心に自分の卑さに堪へて來た。君は高い理想を構成する能力と共に、自分の醜い現實を端視する勇氣を持つてゐた。さうして君は理想と現實の間に横たはる距離に對して、誠實な、敬虔な、鋭敏な感覺を失はなかつた。君の論理は誤謬に充ちてゐたが、其誤謬に充ちた論理を紡ぎ出す精神上の生活にはギヤツプがなかつた。君の思想は君の生活と等しく、緻密な連續を保つて來た。其處に大小の穿鑿を刎ね返すに足る君の思想の人格的價値があつた。然るに君も到頭待ちきれなくなつたと見えて、昨今になつて遂に一足飛をやつたやうだ。自分の醜い現實を端視する勇氣が、これまでの張りを失つたために、これまで活溌に働いて居た距離の感じが少し曇りを帶びて來たやうだ。君は自分の現實の上に、その慢心に媚びるやうな幻を描いて、醜い現實をそのまゝに肯定し始めたやうだ。」 「僕も亦心竊にその疑ひを感じてゐた。僕は今此疑ひを解くために、自分自身を檢査しなほしてゐる。僕は知己の言に感謝する。」 3 「君の思想には一つとして新しいものがない。君の中心思想は自己超越の要求にあるやうだが、それはカントの根本惡の思想や、ヘーゲルの自然に對する精神の思想や、オイケンの自然を征服した處に精神生活の基礎を置く考へや、飛んではニイチエの超人の思想などに、實に雄大に表現されてゐるぢやないか。さうして此等の色々の思想を根柢に於いて培つた基督教の罪惡觀は要するに君の所謂自己超越の要求の基礎ともなつてゐるぢやないか。否定によつて肯定に到達する修業の順序は、殆んど凡ての宗教で、昔から説いて説いて説き盡したところだ。理想に對する君の解釋は要するに一通りの倫理學者並みで、何の新しみをも持つてゐない。トルストイが君と同じ解釋をとつてゐると云つた處で、それはトルストイの思想中でも最も平凡な、最も黴臭い部分に過ぎない。君の求めてゐる「愛」や「神」が、耶蘇教のそれに較べて何處か違つてゐる。違つてゐるとすれば、それは君が到達し兼ねて魔誤魔誤してゐる處に、耶蘇教信者はとつくの昔に到達してゐると云ふだけの話だ。一體君の思想には何處に新しい處があるのだ。」 「全く君の云ふ通りだ。唯一つ僕に新しい處があるとすれば、僕の問題の中心がこれまで誰も考察の對象とした事のない「三太郎」と云ふ人間に在る位の處だが、三太郎と云ふ人物が土臺下らない人間だから、それは自慢にもならない話だ。僕は實際色々な人と思ひがけない處で鉢合せをして喫驚する事があるよ。若し世間の人が一人でも僕を新しいなどと思つてゐるやうなら、それは大變な間違ひだから、君がさう云つて呉れる事は、至當なばかりではなく、全く必要な事にも違ひない。  唯僕はもう新しくならうとする心掛を捨ててしまつてゐるから、その點から批評されても、僕の大事な處を見脱されてゐるやうな氣がするだけだ。僕は新しくても古くてもいゝから唯本當の生活をしたいのだ。本當の生活が出來るやうに色んな人から導いて貰ひたいのだ。僕は昔の人の本を讀んで、自分と同じ思想に邂逅ふ事は數限りもない。時には同じ云ひ𢌞しにさへぶつつかつてハツとする事もある位だ。その時には先を越されたなと思つて一寸淋しい氣がするが、又思ひ直して、前になつても後になつても本當の事は本當の事だ、偉い人と同じ事を考へたのは俺の名譽だと考へると、喜ばしい、心強い氣になつて、自分の古い事に感謝するのだ。」 4 「君は近頃少し評判がよすぎるやうだ。一體君はどつちかと云へば怜悧過ぎる方の性質だから、いゝ氣になつて擔ぎ上げられてゐるやうな事はまアあるまいが、君は怜悧過ぎる癖にまた隨分拔作でもあるから、そのために不知不識自分自身を過信するやうな事は或はないとも云へないだらう。其處が恐ろしい處だ。」 「君の云ふ通り、全く僕は少し評判がよすぎるやうだ。君も知つてゐる筈だが、僕は決して自分自身をアンダー・エスチメートし過ぎる方の性質ではない。それだのに、世間の一部では、僕が僕自身を評價してゐるよりもまだ評判がいゝんだから恐ろしい。假令一部分の人からにもせよ、自分の眞價以上に見積られると云ふ事は恐ろしい事だ。昔の偉い人は一生懸つてもその眞價を認められずに死んで了つたのに、僕は今の若さで自分の自信以上に認められてゐる。僕のやうな底の淺い者は、さうなるのが當然の運命で、當然以上の幸運なのかも知れないけれども、當人になつて見れば、今から Popular Writer になつて了つては堪らないと思ふ。之は君だけの話だが、近頃僕は時々、自分でも知らずにゐる間に、僕は今僕に許された Fame の絶頂に立つてゐるのではないかしらと思ふ事がある。僕は直にそんな事があつて堪るものかと強く此感じを打消して了ふが、併し僕は又、お前の先輩はお前よりも若くてそのフエームの絶頂に登つた、さうしてお前の年頃にはもう忘れられて居た、こんな事は現在の日本では決してあり得ない事ではないと反省しない譯に行かない。僕はそんな事を思ふと、評判のいゝのが嬉しいよりも、寧ろ不安で、淋しくて、馬鹿馬鹿しい氣がする。却々評判に浮かされて居る處の騷ぎぢやない。  僕はそんな氣がする毎に、顧て自分の Life を思ふ。フエームはそれとして、お前のライフはどうだ、お前は今お前のライフの絶頂に立つてゐるのかと自ら質問する。さうすると即座に山彦のやうに返つて來るものは、まだだまだだ、俺のライフはまだ碌に青くさへならないと云ふ返事だ。此返事を得て僕は安心する。僕にとつて肝要な問題はフエームではなくてライフだからだ。フエームなぞは御天氣次第で昇つても降つても、僕は屹度僕のライフを高く、高く、高く、上の方に推し上げて見せる。僕は可なり注意深く僕のライフを檢査して見たが、僕の目に映ずるものは見渡す限り問題の芽、いのちの芽だけで、僕のライフが頂點に達した徴候は――況して下り坂になつた徴候などは、藥にしたくも見つける事が出來なかつた。尤も僕は近頃少し自己肯定をやり過ぎた氣がしてゐる。云つた事は嘘だとは思はないが僕はまだまだ貪慾に貯め込まなければならない時機なのに、少しの施與位は出來さうな顏をした事を極りが惡いと思つてゐる。僕があれを云ふ時には、俺があれ位の事を云つたつて世間の人も笑ふまい位の氣はあつたから、多少世間の評判を當にした氣味合ひもないとは云へないけれども、その重なる點から云へば僕を輕蔑する奴の前に自分の地歩を占めて置く必要があつたからだ。僕のライフの半熟な處は僕自身の眼に餘りはつきり映り過ぎてゐるから、少しの評判ぢや中々胡魔化しきれやしない。君の親切は誠に有難いが、此點だけは安心してくれ給へ。  僕はもう青春と云ふ時代もどうにか通り越してしまつた。僕は此時代との別離が隨分辛かつた。僕は夢にも、戀にも――人生のあらゆる華かなものに別れて了ふやうな氣がして非常に心細かつた。併し今はもう此別離を大して悲しい事とは思はない。僕は昨今になつて頻に人間は長生しなければ駄目だと思つてゐる。人間の魂が本當に成熟するのはどうしても老年になつてからの事だ。大きい、靜かな、波のうねりの深い、見晴らしの廣い、重味のある生活は若い者にはとても味はれさうにもない。僕はロダンや、イプセンや、トルストイや、ゲーテの老年を思ふと恐ろしく、懷かしく、望みに充ちたやうな氣になる。死ぬ前にはゲーテのやうな顏になつて死にたいと云ふのが、おほ氣なくも僕の大野心だ。それだのに、今からライフの頂點に達したり、降り坂になつたりして堪るものか。日本の先輩が、これまで、早く衰へて了つたのは、彼等の心掛けが惡かつたせいだ。彼等に仕事をさせた力が、一生を貫く内面の要求ではなくて、一時的な青年の情熱に過ぎなかつたからだ。フエームに浮かされたり、酒色に耽溺したりして、直に内面の要求を見失つたからだ。内面の要求を緊乎と握つてゐる者には、老衰などは滅多に來る筈のものではない。先輩が早老だからと云つて、何も後輩がその眞似をしなければならない譯がないから、先輩が早老であればある程、僕達は晩老の新事例を開いて遣る責任があるのだ。僕は一つ晩老の模範を示してやらうと云ふ大野心を持つてゐる身だ。僕はフエームの沒落に就いて淋しさを感ぜずにゐられる程練れた人間でもないけれども、中々自信以上のフエームを甘受して一緒になつて増長してゐられる程の馬鹿でもない積りだ。」 5 鏡の多い部屋が俺を苦しめる。 今居る部屋がいゝのか、 他のもつと暗い部屋がいゝのか、 今の俺には本當の事が分らない。 鏡の多い部屋が、 今俺を苦しめてゐる。 (三、五、二八) 五 聖フランシスとステンダール 1  俺はまだ弱い。俺の生活の内容はまだ貧弱と空疎を極めてゐる。從つて俺は嚴肅な問題に突當る毎に、俺と傾向を等しくして俺よりも遙に大きい人を取つて、その人の内生に參ずることによつて自分の問題を廓大して見る必要を感ずる。  俺は此間中、俺の中のドン・ホアンを檢査する必要に逢着した。さうして自分のドン・ホアンを廓大するためにステンダールの著書をとつて之を拾ひ讀みした。俺は此人の中に俺の性格と響を一つにして鳴る數多くの――誠に數多くの性質を見た。甘い憂鬱と微笑する懷疑とに包まれたその享樂主義も、限りなき漂泊の傾向も、利害の打算から來ると云ふよりも寧ろ本能的な羞恥と他人に煩はされざる自恣の欲求とから來る自己隱閉のこゝろも、それにも拘らず常に自己解剖の要求に促されて始終「俺」の事を語らずにゐられなかつた――俺の事を語りながらその過敏な自意識を嗤つて「忘我」の心を求めずにゐられなかつた――その矛盾も、自分を樣々の姿に變へてみなければ窮屈を感じたらしいその轉身の要求も、自分の憂鬱を底に包んで、快活な、機知に富んだ、何氣のない社交的人物となり得たその二重性格も――此等一切の性質が俺の中にその反響を見出した。ブランデスが云つたやうに、彼の第一の問題は幸福であつた。さうして彼の幸福は主として戰爭と戀愛とに於いて見出さる可きものであつた。戰爭と戀愛とが人を幸福にするのは、此等のものが人の魂に根柢からの戰慄を與へるからである。身命を賭するに足る程の實なる情熱を喚起するからである。ステンダール自身の言葉に從へば、その愛した多くの嬌美なる女達は「文字通りに俺の全生涯を充した、その次に來るものは始めて俺の仕事である。」「俺は唯俺の愛した女達のためにのみ苦勞し通した。さうして一人も戀人を持たない時に、俺は夢みながら人間の事を觀察した。若しくは歡喜の情を以つてモンテスキユーかウオルター・スコツトを讀んだ。」彼は「氣狂のやうに」女を愛した。彼は五十までの間に十二人の女を戀してその六人を占領した。その中には女優もあつた。恩人にして上官なる者の妻もあつた。此等の戀愛は大抵三年か四年の間續いた。或者は結婚によつてその戀を確かにせむ事を希望したために、ステンダールは任地を離れると共に之と別れた。或者はステンダールを操り、利用し、最後に之を捨てた。四十二年のステンダールはミラノの女マチルデから愛してゐないと云ふ宣言を聞かされたために幾度も自殺を思つた。彼は幾度か苦い經驗を重ねても猶女性を崇拜する事を罷めなかつた。さうして此等の不從順な、見え坊な女達のために經驗して來た馬鹿な眞似を悔いなかつた。――俺は(三太郎は)今此人を俺の眼の前に据ゑる。さうして自分自身の生涯を考へる。俺の中にも少からぬドン・ホアンが見出された。併し要するに俺は俺の生涯をドン・ホアンにして了ふ事が許されないやうな境遇に居り、ドン・ホアンにして了ふ事が出來ないやうな性格と要求とを持つてゐると思はずにはゐられなかつた。  一、若し俺の貧弱なる經驗に信頼する事が出來るならば、俺は日本の何處にも「美的に精化された人」を醉はせるに足る程の「歡樂」の準備を見る事が出來なかつた。俺は俺の知つてゐる女性の中に「誠實」を見た、涙を見た。同情と助力とに價する程の自己教養の努力を見た。併しドン・ホアンの我儘な要求から見て「戀人」の名に價するやうな女性を見る事は出來なかつた。或者は人形らしい從順を理想とする教育によつてその個性の圭角を鎖磨されてゐた。或者は差當つての社會的經濟的獨立の要求に心奪はれて、感情上靈魂上の教養を忘れてゐた。前者には溌剌として手答のある反應が缺け、後者には包むやうな、温めるやうな、柔かさが缺けてゐた。さうして兩者を通じて、精化されたる感情と教養との缺乏があつた。性格の内面性から來る神祕的な誘惑の缺乏があつた。思ふにドン・ホアンにとつてその呼吸に快いやうな空氣は又妖婦の養成にも適する樣な空氣でなければならない。併し現在の日本にはまだ教養のある新しい妖婦が發生してゐさうにも思はれない。ステンダールは十八の年伊太利のミラノでアンジエラ・ピエトラグルアを見た。彼の心はアンジエラに對する熱情的な戀によつて、「地上から夢の國に――最も天國的な、最も尊い戲謔圖中に高められた。」しかし當時のアンジエラには他の戀人達がゐた。ステンダールはその後十一年の間、他の女と共に居りながらもアンジエラのことが忘れられなかつた。さうして二十九の年の九月その戀は始めて或意味に於いて酬いられた。彼は始めて「幸福の絶巓」に到達した。その十一月二日彼は當時他人の妻なるアンジエラと、街の灯の下に肩を並べて歩き𢌞りながら、「疑ひもなく俺がこれまで持つたうちの――さうして恐らくは曾て見たうちの、最も美しい女だ」と思つた。彼等は裏街の隱れた處でカフエーを飮んだ。「女の眼は輝いた。女の顏は明暗の中に甘美な調和を現はした。」ステンダールは女の超自然的な美を恐ろしいと感じた。さうして或人間以上の存在が、例へば巫神が此姿をとつて、その貫徹す眼で人間の魂の底までも見透すやうな氣がした。――併しカツフエー・ライオンは恐らくはステンダールとアンジエラとの占む可き席を持つてゐまい。實業家と云ふもの、政治家(更に具體的に云へば大臣と代議士と)官吏富豪と云ふものによつて女にされた「紅裙」の中には恐らくはアンジエラのやうな意味の妖婦はゐまい。所謂「教育ある夫人令孃」達の中にも亦恐らくはアンジエラはゐないだらう。アンジエラの居ないのは日本の幸福である。醜惡なる事實を表現するために最も醜惡なる言語を用ゐれば、現今の日本は和製ルーズヹルトの發生に適してゐるが、和製ドン・ホアンの發生には適してゐないらしい。俺は唯ドン・ホアンを志す幾多の氣の毒な青年が、掃溜の中から美味を獵つてゐるのを見るのみである。俺は、單に自分の置かれた境遇の上ばかりから云つても、俺がヰーンにも巴里にも移住せずに此處にかうしてゐる限りは、此等の氣の毒な青年の中に交つてドン・ホアンの修養に努める事をよさう。敢てしないのは――最も直截に云へば――自分の趣味である。  二、尤も俺がかう思ふのは俺の見聞が狹いためかも知れない。現にドン・ホアンを志してゐる多少の青年がある處を見れば、ドン・ホアンの對手たるに足る可き女が日本の何處かに――心當りを擧げて見たいけれども、言ひ草が野卑になる事を恐れて之を思ひきらう――現にゐるかも知れない。併し俺がドン・ホアンになりきれないのは、境遇以外更に深い性格上の根據がある事である。俺は三十を越す今日に至るまで未だドン・ホアンの歡喜を經驗した事がない。此事實は恐らくは境遇の不利益のみによつて説明し盡さる可き事ではあるまい。三十を越す今日に至るまで未だ曾てドン・ホアンの歡喜を經驗した事がない者が、今に至つてドン・ホアン修業を思ひ立つなどは餘りにおほ氣ない業である。  固より俺は俺に寄り縋る者に對するに憐みを以つてする事を知つてゐる。俺は俺に寄り縋る者の誠實と專心とに答へるに同情と愛とを以つてする事を知つてゐる。併し寄り縋る者に對する俺の愛は俺の全身を擧げて期待し追求してゐる一大事に對しては、不幸にして本質的に何の附加する處もない些事である。此愛は積極的に俺の本質的生活の焦點に立つ力を持つてゐないから、俺はステンダールと共に、此寄り縋る者が「文字通りに俺の生活を充した」と云ふ事が出來ない。其他の僅かな半ドン・ホアン的經驗に就いて云へば、或時は、俺は魂と魂との間に大なるギヤツプを挾みながら、肉體と肉體とが加速度をなして相接近せむとする卑しさに堪へ得なかつた。或時は、俺は異性の灼熱と專心とに對する俺の態度に優越と遊戲との微笑ある事を認めて俺自身を憎んだ。而も同時に女性の空虚と情事の寂寞とを痛むの情に堪へなかつた。要するに俺の切望してゐる魂と魂との合致は、ドン・ホアンの途によつては遂に到達し得さうにもなかつた。而も俺はこれも亦面白いと諦めて了ふ事が出來なかつた。俺の魂は酒と女とを前にして、俺の求めてゐるものは之ではないと囁かぬ譯に行かなかつた。これは俺の心にパツシヨンの熱が足りないためかも知れない。或は俺の運命が潛めるパツシヨンの火を灼熱させるやうな對手を與へて呉れなかつた爲かも知れない。孰れにしても情事の中に溢れるほどの充實を感ぜずして、空虚の悲哀に感傷し勝なものが、その生涯をドン・ホアンに捧げむとするは愚かな、卑しい、乞食らしい事である。ステンダールのドン・ホアン生活を美しくするものは、「氣が狂ふ」やうな熱情と恍惚と――もう一つ此等の底に動く憂鬱とであつた。  三、殊に俺の性格の奧にはドン・ホアンの敵なる「哲學者」がゐる。冷靜なる客觀性が大きく重く俺の全性格を抑へてゐる。然るにドン・ホアンの倫理的立脚地は徹底的主我主義でなければならない。ドン・ホアンの愛するは――彼がその熱情を傾倒し盡して異性を愛するは、自分をその愛する者の地位に置いて、專念に愛する者の生活の充實と福祉とを希求するのではない。愛する者によつて掻き鳴さるる我が魂の慄へを熱愛するのである。自分の歡樂のために他人を犧牲に供するに堪へない者は、ドン・ホアンとなる資格がない。ドン・ホアンにとつては、その愛する者は、嚴密な倫理的意義から云へば、人格ではなくて唯彼の魂にトレモロを準備するための器械である。故に自分の中に他人を見、他人の中に自分を見る者――之が客觀性の中核である――は容易にドン・ホアンを放つて、自分の衷に闊歩させる事が出來ない。逆にドン・ホアンも亦基督教的客觀主義――基督教の精神は、異教の「自然的」な精神に對して云へば要するに哲學的な精神と云はなければならない――と兩立する事が難いのである。曾てステンダールは“La Chartreuse de Parme”に於いて侯爵夫人サンセヹリナの恐怖を描いた。サンセヹリナは曾てその敵を除くために毒を用ゐた女である、而も今、自分の戀人が毒殺されむとしてゐると云ふ報知を耳にして、恐怖のために度を失つてゐる女なのである。作者は此瞬間に於ける侯爵夫人の心理を説明してかう云つた(これは俺が直接に讀んだのではない、ブランデスの中から孫引するのである)―― 「彼女には何の道徳的反省も起らなかつた。これが北方の宗教の一つの中に教育された女ならば直にその道徳的反省に驅られたであらう――北方の宗教は「私は毒を用ゐた、それで私は毒によつて罰せられるのだ」と云ふ自己檢察を許してゐるから。伊太利では、悲劇的狂熱の瞬間に際して此のやうな反省をする事は、丁度、巴里で、類似した事情の下に駄洒落を云ふのと同じやうに、如何にも馬鹿々々しく、その處を得ないものに見えるのである。」  ステンダールは此無反省な、野生のまゝな、素朴な熱情の故に、伊太利の女達を愛した。さうしてドン・ホアンの倫理的立脚地も此侯爵夫人と等しきイゴイズムになければならない。ドン・ホアンの美は彼が我慾を追ふ態度の狂熱と奔放と憂鬱とにある。約言すればドン・ホアンの生涯は異教の良心を以つてロマンテイシズムの夢を追ふ生涯である。俺は久しい間異教的良心の美に對して驚嘆の情を懸けて來た。異教的良心の純粹なる發現に――ホメーヤやソフオクレスの人物が持つてゐる敵愾心の強健と雄大と崇高とに牽付けられて來た。此方面から――これは人の魂と人の魂との交渉に關する、極めて重大な、極めて焦點的な視點である――異教の心と基督教の心との差別を明かにする事は俺の研究の計畫の一つであつた。俺は單に知識慾の上からではなく俺の人格上の必要から、異教的良心の神祕に參じて、祕蹟を受けむことを熱望してゐた。俺の基督教的良心は曇つて病んで惱んでゐる。此病は異教的良心の接觸によつて癒されなければならなかつた。  併し、夫ではお前は基督教的良心を捨てゝ道徳上の異教徒に改宗するかと云はれゝば、簡單に答へて云はう、俺にはそれが出來ない。出來ないところに俺の人格的存在がある。俺は男が女を讚美するやうに異教の良心を讚美する。俺は「主成分に對する酸のやうに」異教の心が俺の良心に作用する事を求めてゐる。俺は俺の人格を俺の人格の根柢のまゝに据ゑて置く。さうして異教の心が「汝の敵を愛せよ」と云ふ基督教の良心に「力」と「自然らしさ」とを與へることを求めるのである。基督教の良心は、それ自らの途によりて、獨得なる強健と雄大とに到達し得ない心ではない。彼にアヒレスやアヤスの怒のやうな「自然的」な崇高があれば、これにはカントの倫理や聖フランシスの生涯のやうな「内面的」な崇高がある。さうして基督教の「愛」の世界に於いても決してドン・ホアンの戀に比敵す可き恍惚の美を缺いてゐないのである。  俺の中にも確かに異教徒がゐる。これを兩性の關係に引移せば、俺の中にも明かに「ドン・ホアン」がゐて心の底にその美しい「戲謔圖」を織つてゐる。併し俺の中には又「基督教徒」がゐる。さうして俺の「ドン・ホアン」と爭つてゐる。此二つのものゝ爭はまだ〳〵俺の心の中に協和の道を見出してゐない。併し基督教の心は客觀的な心なるが故に、當然に又擴がらむとする心である。支配せむとする心である。俺はこの公明にして遍く照さむとする心を無視して全生涯をドン・ホアンに捧げる事が出來ない。これが俺のドン・ホアンになり得ぬ根柢の理由である。  四、最後にステンダールをそのドン・ホアネリーに驅つた根柢の動力は要するに何であつたか。彼は男と女とを問はず、その崇拜する者、その熱愛する者の前では「全然自分を忘れた。」「俺の自愛も、俺の利害も、俺の俺も、愛する者の面前では消え失せてしまつた。俺は愛する者の中に自分自身を失つた。」さうして彼は妖婦アンジエラの美しさの中に人間以上のものを見た。アンジエラは彼にとつて「崇高な」妖婦であつた。實に彼をして戰爭の中に「幸福」を發見させたのはナポーレオンに對するデヴオーシヨンである。戀愛の中に「幸福」を發見させたものはその「不從順な、見え坊な」女達に對する崇拜である。他人の上に夢を描く力、他人の上に自分の理想を投射する力、英雄を崇拜する情熱は、彼のドン・ホアネリーの根本的動力であつた。さうして彼はその愛に於いて自己を忘れ、その愛する者に於いて人間以上のものを見る事によつて「幸福」を感じた。彼のやうなイゴイストがそのイゴーの忘却によつて、その自己以上のものに對する沒入によつて、始めて幸福を發見したと云ふ事は極めて注目す可き事實である。或人はドン・ホアンの漂泊は神を求むるの苦悶であると云つた。恐らくは凡てのドン・ホアンの中心の動力と中心の要求とは此處に在るのではないだらうか。恐らくは――醜惡なる事實を表現するために醜惡なる言葉を用ゐれば――「女狩りの不良少年」や「和製ドン・ホアン」と、眞正のドン・ホアンの品位の懸絶は此處に基くのではないだらうか。  併しドン・ホアンの忘我は刹那に閃いて刹那に消失する。ドン・ホアンの沒入は哲學的に云へば浮動のものである事を免れない。固よりドン・ホアンの忘我と沒入とは直截で、端的で、充溢せるものであらう。併し全生涯を一貫す可き連續を缺くが故に、凡ての部分を全體の基礎の上に置き、凡ての刹那を「永遠」の象徴として生きようとする者にとつては、淋しく、空しく、頼りない感じがない譯に行かない。ステンダールは頑固なる公教的教育に反抗して育つて來たために、又その時代の僞善と愚鈍とに反抗して育つて來たために、早くから徹底的な無神論者であつた。從つて戰爭と戀愛とを外にして全身を沒入するやうな生活はあり得ないと考へたでもあらう。形而上的生活の如きは空しい、虚な、退屈な、あり得可からざる生活と考へたでもあらう。併し戰爭と戀愛との外にも猶恆久な、連續的な、確實な、忘我と沒入との生活があり得ないだらうか。官能の滿足を第一の關門とする生活の外にも、猶直截な、端的な、充實した、精神の生活があり得ないだらうか。戰爭と戀愛とを外にしても、猶自己以上のものと一つになる生活があり得ないだらうか。ドン・ホアンの戀を外にしても、もつと全人類を包容する、もつと吾等の本質に深い滿足を與へる「愛」の生活があり得ないだらうか。要するに、ステンダールが勇猛に否定したやうに、「神」は果してあり得ないだらうか。  ステンダールはその五十歳の秋、サン・ピエトロに登つて羅馬を瞰下した。太陽は美しく輝き、軟かなシロツコが知れない位に吹いて、アルパン連山の上には一二片の白雲が漂つてゐた。彼はもう直に滿五十歳になる事を思つた。「嗚呼、もう三ヶ月で俺は五十になる。それはあり得べき事だらうか。千七百八十三年……千七百九十三年……千八百〇三年……俺は指を折つてそれを數へたてる……それから千八百三十三年。五十!それはあり得べき事だらうか。直に俺は五十になるのだ。」彼は眼下の古跡を眺めながらハンニバルや古羅馬人の事を思つた。「俺より偉大な者が此年にならずにとうに死んでゐる。俺は俺の生涯を空過しなかつたか。」彼はサン・ピエトロの階段の上に腰をかけて一時間か二時間ばかり思ひに沈んだ。「俺はもう直に五十になる。もう俺が俺自身を知つてもいゝ頃になつた。俺は何であつたか。俺は何であるか。實際、俺はこれに答へる所以を知らない。」彼はその愛して來た女達との「不幸な戀」を思つた。彼が「氣狂ひのやうに」愛したにも拘らず遂に手に入れる事の出來なかつた四人の女の事を思つた。七年の間彼の全存在を充した――九年後の今日になつても猶その疵から癒える事の出來ない――マチルデの事を思つた。さうして「一體彼女は俺を愛した事があるのか」と思はずにはゐられなかつた。而も最も不幸なのは彼の「勝利」の――彼は昔、戰爭の事が頭一杯になつてゐる時分に、かう云ふ言葉を使つた――彼に齎した享樂が、彼の敗北によつて生じた深い苦惱に比べて半分も大きくない事であつた。「メンタを征服した驚く可き勝利は俺の中に唯一つの歡喜を――彼女がB氏に赴くために俺を棄てた時に、俺の中に殘して行つたなやみに比べれば百倍も薄弱な歡喜を、喚起したに過ぎなかつた」と彼は考へた。さうして彼は、一體俺は憂鬱なのか、快活なのかと自ら質した。  固より自分の生涯に對する此の樣な疑惑は決して彼の生涯の全體を否定させるまでには募らなかつた。俺はこの事を我が偉大なるドン・ホアンの名譽のために云つて置かなければならない。その五十三歳の九月、彼はアルパン湖畔に遊んでその砂の上に、これまで戀して來た女達の頭文字を一列に書いた。さうしてその占領した女達の下に1から5までの番號を打つた。彼は曰ふ「俺は此等の名前と、彼等によつて誘ひ込まれた、驚く可き馬鹿な眞似や、たわけな眞似に就いて深く幻想に耽つた。驚く可き、と俺は俺自身に云ふ、讀者に向つて云ふのではない。兎に角俺はそれを悔いない。」さうして「こんな事を書きながら、昨日アマリエと舞踏場でやつた長い御饒舌を思ひ出して、俺は全くいゝ氣持になつてゐる」のである。俺は此事を我が偉大なるドン・ホアンの名譽のために云つて置かなければならない。  併し兎に角、ステンダールはその晩年になつてその生涯の淋しさと空しさに就いて疑惑を感じなければならなかつた。人生には此淋しさのない、この空しさの音信れて來ない生活がないであらうか。もつと連續した、もつとどつしりした、もつと根柢のある、さうして究竟の意味に於いてもつと充實した生活がないであらうか。俺は深くステンダールの性格と運命とに同情する。併し、要するにその生涯の終局に就いて、此疑問を置かずにはゐられない事を感ずる。 2  俺は俺の中にゐる「神を求める者」を檢査するために、イエルゲンゼンの「聖フランシス」を讀んだ。此處に俺を待つものは、譬へるものもないやうに尊い、聖い魂が、惱みながらも猶踏み迷はず、右顧左眄せずに、痛快に切れ味よくその往く可き道を進んだ一生であつた。フランシスは、アツシジの富裕な、佛蘭西好きな商人の家に生れて、騎士の生活を理想とする十二世紀の末葉に育つた。彼の周圍にはプロヷンスの Chansons de geste やアーサー王及び圓卓の騎士の歌が響いて居た。プロヷンスの快活な智慧“La gaya scienza”が彼を捉へた。彼はアツシジの青年に交つて饗宴から饗宴に渡り歩いた。さうして夜は笛又は絃樂器に合せて歌ひながら街頭を彷徨ひあるいた。彼は自ら雜色なミンストレルの衣を拵へて之を着た。彼の富裕とその物惜みせぬ性質とは幾許もなく彼をアツシジ青年間の中心人物とした。彼は決して商家の事務に疎い者ではなかつたが、唯餘りに交游に夢中になる性質がその家人を惱ました。彼は食事中と雖も、友達が呼びに來れば直に飛出して歸る事を忘れた。併し彼はその歡樂の間にも貧しい者を忘れなかつた。一日彼は急いで店から飛出さうとして丁度其處にゐた乞食を追ひ退けた。さうして「此人が若し俺の友人から、伯爵又は男爵から遣された者ならば、その求めるものを與へられずにはゐないだらう。然るに俺は王の王、主の主から遣された此人を空手で歸した。」彼は自らかう云つて責めた。さうして此日から以後、神の名によつて彼に乞ふ者には必ず與へようと決心した。  二十一の年彼はペルージヤとの戰に於いて捕虜となつた。捕虜中に在つても彼は元氣よく歌つたり巫山戲たりしてゐた。人の之を責める者があれば彼は唯かう答へた。「君は偉なる未來が俺を待つてゐる事を知らないのか。その時が來れば世界がひれ伏して俺に祈るのだ」と答へた。翌年捕虜から歸つて、彼の貴族的な、華美な生活は一層その度を加へた。此の如き醉歌と遊宴との生活に始めて陰影を投じたものは、彼が二十三の年に患つた重病であつた。  その年の秋、葡萄の實の熟する頃、漸く病から癒えたフランシスは、杖に支へられながらアツシジの廓門の外に立つて、眼下に展げられた森と野と里とを眺めた。併しその輝いた色も、朗らかな空に美しい輪廓を刻む山の姿も、疇昔のやうに溢れるやうな喜びをば與へなかつた。これまであんなに若く、あんなに強く搏つてゐた彼の心臟も突然年を取つたやうに見えた。青春が逝くと云ふ感じが身慄ひのやうに彼を通つて過ぎた。彼に永遠の平和を與へる筈のものも、彼にとつて盡きざる寶と見えたものも、日の光も、青い空も、緑な野も、今は凡て價値のない、灰となり行くものになつた。フランシスは長く眺めてゐた。さうして杖に身を凭せながら徐かにアツシジに歸つて行つた。「併しコンヷージヨンの第一歩にある凡ての人のやうに、青年は自分自身のそれと共に直ちに他人の過ちを考へた。彼は自分の中に行はれた變化を感ずるにつれて、これまで幾度も一緒に此風景を嘆稱し合つた友人の上を思つた。さうして廓門に歸りながら、彼は一種の優越感を以つて、『彼等は何と云ふ馬鹿だらう、彼等の愛するのは滅す可きものだ』とその心に思つた。」  併し彼は此時其魂の空しさを感じただけで、病が全く癒えると共に又疇昔のやうな歡樂の生活に歸つた。さうして彼は騎士の冒險と華々しい生活とを夢みながら、獨逸勢撃退の軍に加はるためにアブリヤに向つた。途上、スポレートで熱を病むだ夜、彼は「故郷へ歸れ。其處に汝のなすべき事がある」、と云ふ主の聲を聽いて、翌曉アツシジに歸つて來たが、アツシジに歸つても彼の使命は示されなかつた。彼は又もや歡樂の生活に於いてアツシジ青年の中心に立つた。併し此世に就く心と、主に從つて命ずる「使命」を發見せむとする心との鬪ひが日毎に劇しさを加へた。二十四歳の夏、或る夕、フランシスは例にも増して盛大な饗宴を開いてその諸友を招いた。會衆は例によつて食卓を撤した後で歌ひながら街を通つた。併しフランシスは少し列から引下つて歩いた。彼は歌はなかつた。少しづゝ彼は列から後れた。さうして幾許もなくアツシジの巷の靜かな夜の中に唯一人とり殘された。此處で主が再び彼を見舞つた。此世と此世の空しきものとに疲れたフランシスの心は、今、全く他の感情を容れるの餘地がないほどな甘美に充された。彼は全く我を忘れ、時を忘れて立盡した。其處に彼を搜しに來た友人の一人がやつて來て、「ヘロー、フランシス、君は新婚の事を考へてゐるのか」と呼び掛けた。フランシスは澄んだ、星の燦いてゐる八月の夜空を見上げながら、「さうだ、僕は結婚の事を考へてゐる。併し僕の愛を求めてゐる花嫁は、君の知つてゐるどんな女よりもノーブルで、富裕で、美しいのだ」と答へた。丁度あとから遣つて來た友達の群が笑ひ出した――「それぢや裁縫屋が又仕事にありつくね、丁度君がアブリヤに出かけた時のやうに。」フランシスは彼等の笑ひ聲を聞いて心に怒つた。併し彼の怒つたのは友達の事ではなかつた。俄然として彼の從前の生活の愚かさが、その對象の缺乏が、その子供らしい空虚が、彼の眼の前に呈露された。さうして又彼の前には彼の怠つて來た生活が、眞の生活が、基督に於ける生活が、輝き渡る美しさを以つて現はれて來た。責む可きは唯彼自身であつた。「此時から、彼は自分を小さいものと思ひ始めた。」  彼は今その友を離れて、市外の洞窟に隱れて祈つた。「嗚呼主よ、汝の道を我に示したまへ、我に汝の道を教へたまへ」と云ふ詩篇の句が幾度かその唇に上つた。併し神はまだ答へなかつた。苦悶に充ちたる魂を以つて、洞窟の寂しく暗い中に、彼はその救濟の戰を戰つた。彼が此惱みに疲れ果てゝ再び白日の下に出て來た時には、殆んど昔の面影がなかつた。それほどまでに彼は窶れた。彼は又その客を換へて貧しい者をその饗宴に招いた。貧しい者を見、その憂苦を聽き、彼等の必要を補助する事が、その日以後彼の主なる關心事となつた。さうして彼は貧しい者を恤むだけでは滿足が出來なかつた。知人の多いアツシジを避けるために、彼は羅馬に巡禮して、其處で乞食の衣を藉りて、自ら物を乞うても見た。かくの如くにして神に對する祈りを續けてゐる間に一日神からの第一の答が來た。神の意志を知らんがためには、フランシスは從來肉に於いて愛着して來た一切を厭離しなければならなかつた。さうすれば從來美しく、愛す可しと見て來たものが凡て堪へ難く苦いものとなつて、從來忌避して來た一切のものが卓越せる歡喜となるべしとの事であつた。一日フランシスは此等の言葉を瞑想しながら、一人ウンブリヤの平原に馬を驅つた。突然として彼はその前に一人の癩を病む者を見た。癩病は彼の最も忌み嫌ふ處であつた。彼は飛上がつた。彼は出來るだけの速度で逃げ出したいと思つた。併し彼は主の言葉を想起して、馬から飛び降りた。さうして病者の膿を持つた指に接吻した。彼は興奮しきつて、どうして再び馬に乘つたかも知らない位であつた。彼の心には甘美と歡喜が溢れに溢れた。かくて主の言葉の第一は充された。併し誘惑は他の途から來た。日が照り渡つて野が緑に光る日であつた。彼は例の洞窟に赴く途で、不具な、埃塗れの女乞食を見た。彼の胸の奧には「汝は此等の凡てを捨てゝ、洞窟中の祈祷にその青春を空過するのか、さうして見すぼらしい老年を迎へるのか」と囁くものがあつた。併し洞窟に到達する頃には、彼は此誘惑を征服してゐた。  幾許もなく主の第二の答が來た。フランシスはよくサン・ダミヤノのよぼ〳〵な教會に行つて、十字架にかけられた基督の像の前に祈つた。或日も彼はその前に跪いて、此の如く祈りを捧げてゐた。――「偉大にして光榮なる神よ、我主耶蘇基督よ。仰ぎ願くは我に光を與へて、我が魂の暗黒を拂ひ給はむことを。まことなる信仰と、確かなる希望と、完全なる愛とを授け給はむことを。おゝ主よ、一切の事に於いて汝の光により、汝の意志に從ひて行ふを得るやうに、よく汝を知らむことを我に許したまへ。」彼が此祈りに沈んでゐた時に十字架の上から聲があつた。「いざ行け、フランシスよ、行きて余の家を建てよ。そは將に倒れむとしつゝあれば。」嗚呼祈りは終に聽かれた。神の意志は竟に示された。彼はその瞬間の壯嚴に慄へながら、十字架にかけられたる者の前に拜禮して、「主よ、歡喜を以つて我は汝の欲する處をなす可し」と答へた。素朴なるフランシスは主の命ずる處はサン・ダミヤノの修繕に在ると考へた。彼は直ちにその財布をとり出して、跪いて堂守の老僧に捧げ、飽氣にとられてゐる老僧を後にして、充ち溢れる心を抱いて、一歩毎に十字架にかけられたる者の姿を魂に刻み込みながら、其處を立去つた。「此の時より以來、主の受難の思想がフランシスの心を融かした。彼はこの時からその命の終りまで、主イエスの傷をその心に持つてゐた。」フランシスは遂にサン・ダミヤノで出家してしまつたのである。  世俗的な父は、その家の名譽の爲に、此事を喜ばなかつた。多少の紛紜の後、父と子とは、市民環視の間に、處の司教の前で顏を合せなければならなかつた。司教は父から受けた金を返す可き事をその子に命じた。フランシスの返したものは金ばかりではなかつた。彼は又その美しい衣を脱いで裸になつた。さうして四周の人に向つて、情緒に慄へる聲で云つた――「凡ての人々よ、私の云ふ處を聽け!これまで私はピエトロ・ディ・ベルナルドーネを父と呼んで來た。今私は彼から受けたその金と凡ての衣とを彼に返す。これより後、天にいます我等の父を除いて、父なるピエトロ・ディ・ベルナルドーネと云はざらむがために。」聽衆も司教も動かされた。司教はフランシスの傍に寄つて、その法衣を彼にかけた。さうしてその白い襞の中に裸なる青年を包みながら、之を自分の心臟に押しつけた。フランシスは司教の園丁が着た古い着物を貰ひ受けて、白墨を以つて其背に十字架を描いて、喜んで之を着ながら其處を立去つた。丁度その二十六の年の四月の事である。  彼はサン・ダミヤノの修繕に用ゐる金がないために、石を拾つて自ら大工の業に從つた。老僧の好意で食事には差支へる事がなかつた。併し一日彼は、これが果して從來理想とした貧しい者の生活だらうかと考へた。さうして翌日鉢を持つてアツシジの町に乞食に出かけた。骨や、パン屑や、サラダの葉などがその鉢を充した。フランシスはむかつく思ひをしながらその一片を口にした。然るに見よ、彼の心は聖靈の甘美に充された。彼はこれ程の美味を嘗て味つた事がないやうな氣がした。喜びに醉つて彼は馳せ歸つた。さうして老僧に之から自分で自分の食事を準備す可き事を告げた。一方寺の修繕は益〻進んだ。彼は燈明の油の貯を老僧に殘して置くためにアツシジの町に油を乞ひに出かけた。一日彼は昔の友達の家を過ぎた。内には饗宴の歡樂が高潮に達してゐた。彼には今の身を恥づるやうな心が起つた。彼はその家の前を數歩通り過ぎた。併し自分の弱さを愧ぢて、引返して來て友達に油を乞ひ、その前に自分の弱さを懺悔した。  二十八の年彼は再び神の啓示に接した。二月の二十四日ボルチウンクラの會堂に於ける使徒馬太のための祭式に彼は馬太傳第十章第七――第十三節の朗讀を聽いた。さうして二年前サン・ダミヤノで聽いた聲よりも、一層明かに、一層深く彼の使命が啓示されてゐる事を感じた。馬太傳を通じて啓示されたる彼の使命は「福音に從つて生き、神の平和を萬民に齎す」事であつた。彼は神徠を感じて、「これが私の要する處だ、私が全靈を擧げて私の生涯に於いて從ふを要する處はこれだ」と叫んだ。隱者フランシスは此時から傳道者フランシス、使徒フランシスとならなければならなかつた。彼は教會の戸を出るや否や、その靴を脱ぎ、その杖を投げ棄て、折からの寒さを凌ぐために着てゐた外套を脱ぎ捨てゝ、帶の代りに繩をその腰に締め、頭巾のついた百姓の衣を着て、主の使徒としてその平和を宣傳するために、裸足になつて世界のはてまで漂泊す可き準備をした。  この日より後も、彼の心に隱遁の願ひが音信れないではなかつた。併し彼は勇ましく傳道者としての使命を確守した。彼は隱れて神に祈るために靜かなる森や山を求めた。さうして福音の喜びを傳へるために巷に出た。神に祈る事と、神に於いて働く事とがその後の彼の全生涯であつた。彼は溢れる程の愛を以つて神の被造物を愛した。彼は單に人間のみならず、又深く自然界の事物を愛した――曾て神に往くために一度厭離した自然界の事物を愛した。姉妹なる「鳥」は喜んで彼の身邊に集り、大人しく彼の説教を聽いた。彼は又兄弟なる「太陽」、姉妹なる「月」、兄弟なる「風」、姉妹なる「水」、兄弟なる「火」、を讚美した。彼は神に在りて一切の存在を愛する事が出來た。彼の愛は又人を動かした。彼の身邊に集る者は次第に増加して來た。フランシス教團は次第に大きくなつた。彼はその教團の多くの兄弟のためにその身と心とを碎かなければならなかつた。併し教團の擴大と共に、フランシスにとつては悲しい事が起つて來た。それは法律と學者との精神が、最初の簡樸な、清素な精神を紊し始めた事であつた。フランシスは全力を擧げて此新しい傾向と戰つた。併し自然の推移は彼の力で堰き留め難く見えた。フランシスは疇昔の希望が空しくならむとするを見て、漸く寂寞の感なきを得ないやうになつた。一方には又極度なる清貧の生活が彼の健康を損つた。フランシスはその四十三年の八月、暫く隱れて神に祈るために、最も忠實なる四五人の「兄弟」と共にラ・ヹルナの山に退いた。  彼は山に到るや、その兄弟からも離れて、一人大きな山毛欅の木蔭に建てた小舍の中に住み、朝夕只管に神に祈つた。彼の魂を惱すものはその教團に於ける兄弟の事であつた。世間が彼から奪つて迷路に誘ひ込まうとしてゐる兄弟達の上であつた。彼は教團成立の最初のやうに彼と彼の「子供達」との間に何の蟠りもなく、再び完全なる一致に於いて住むやうになりたいと熱望した。併しそれは神の許さぬところであつた。一日彼は福音書をとつて兄弟レオに三度開かせた。さうして開かれた處は三度とも基督受難の章であつた。彼は終りまで苦しまなければならぬ事を悟つた。彼は神の意志にその身を任せた。その夜フランシスは眠りを成さなかつた。天國に於ける平和と幸福との希望が漸く彼を睡眠に誘つた。彼は眠の中に天使が彼のために神の座の前に奏する音樂を奏して呉れるのを聽いた。  聖母昇天の祝の後、彼は更に深く兄弟達と離れた處に住んだ。兄弟達のゐる處から彼の小舍に往くには、深い斷崖を過つて倒れてゐる大木の幹を渡らなければならなかつた。彼は唯兄弟レオが二十四時間内に二度、パンと水とを持つて來る事を許した。而ももしレオが呼んでもフランシスが返事をしなければ、レオはそのまゝ默つて引返さなければならなかつた。それは「フランシスが終日物を言ふ事が出來ない程歡喜に包まれる事があるから、彼がそれほど神に充される事があるから」であつた。九月十四日、十字架建立の祭日の黎明、彼は昇る日を待ちながら、顏を東に向けて、手を擧げ腕を擴げながら、祈りに祈つた。彼の祈る處は、第一に、耶蘇が受難の時に受けた苦艱を「出來る限り」自分の魂と肉體とに感ずる事であつた。第二に、神の子なる耶蘇を焦して罪人達のためにあれほどまでの苦艱を受けさせた過度の愛を「出來る限り」自分の心に受取ることであつた。此の如くにして久しく祈つてゐる間、彼は「被造物に出來る限り」神が此二つのものを彼に與へる事の確かなるを感じた。彼は大なる敬虔を以て基督の苦難と基督の限りなき愛とを瞑想し續けた。彼は愛と憐みのために、「全く耶蘇に作り變られる」事を感じた。茲に至つて六つの輝く翼を持つたセラフが天から降つて來た。セラフは十字架にかけられた人の像を支へてゐた。フランシスは歡喜と悲哀と驚異とに充されてセラフを見守つた。かくてフランシスは被造物の曾て經驗した事がないものを經驗した。彼はその肉體に基督の十字架の傷痕を受けたのである。其結果として第一に彼を充したものは從來知らなかつたほどの大歡喜であつた。基督教的歡喜の最高巓であつた。彼は「自分に惠まれた恩寵を感謝するために」讚美の歌を作つた。  九月三十日彼はレオと共に山を降りた。さうしてポルチウンクラに歸着すると間もなく又傳道の旅に出た。併し彼の肉體は聖なる傷を受けて後益〻衰弱を加へた。醫療の勸を彼は聽かなかつた。四十四年の夏、彼はこの病の中にゐて、野鼠の群に苦しめられながら、最も快活な、最も樂天的な「太陽の歌」を作つた。併し彼の健康は益〻惡かつた。法皇廳の醫者達は彼に説いた――「貴君の肉體は貴君の生涯を通じて、善良な、柔順な僕で且つ同盟者ではなかつたのか」と彼等は問ふ。フランシスはさうだと答へざるを得なかつた。「さうして貴君はその返報にどうそれを扱ひなすつた」と彼等は問ふ。フランシスは、その取扱ひ方が結構なものではなかつたと云はざるを得なかつた。フランシスは悲しみに打たれて終に叫び出した――「喜べ、兄弟『肉體』よ、我を許せ。今私は喜んで汝の願望を果させよう。」彼はこれ以來少しくその生活法を變へて、醫療をも受けるやうになつた。併し時は既に遲かつた。病者はアツシジに移つて其處でその遺書を書き、更にポルチウンクラに移つて、四十五の年の一月三日の夕、「われ聲をいだしてエホバによばはり聲をいだしてエホバにこひもとむ」と云ふダヸデの詩を聲高らかに誦しながら終に「姉妹なる」死の手に歸した。彼が現在未來に於ける一切の「兄弟」達の爲に殘した最後の言葉は、「余の力の及ぶ限り――余の力の及ぶ以上に、彼等を祝福する」と云ふ事であつた。  ――俺はこの人を前に置いて自分のことを考へなければならなかつた。俺は Speculum Perfectionis の前に俺の醜い顏を映して見なければならなかつた。 3  俺は此「完全の鏡」の前に立つて、自分の醜さ、小さゝ、卑しさ、穢さの覆ひ隱す可きものなきを切に感ずる。曾て山中に行惱んでエホバの前に慴伏した時と同じ樣に全然何の自己辯護もなく、此人の前に平伏しなければならない事を切に感ずる。ステンダールは五十歳の秋に、「俺より偉大な者が此年にならずにとうに死んでゐる。俺は俺の生涯を空過しなかつたか」と思ひ沈んだ。俺は「俺より偉大な者が此年にならずにその眞生活に躍入した。俺は此年になるまで一體何をしてゐたのだらう」と思ふの情に堪へない。  一、フランシスの經驗した世間の歡樂は、華かな、豐かな、青春の情熱に溢れたものであつた。併し世間の眼から見て、決して卑しく穢れたものではなかつた。傳記々者の證する處に從へば、フランシスの遊宴と醉歌との生活には、少しも淫蕩の痕跡がなかつたらしい。「異性との交りに關する一切の點に於いて彼は模範であつた。此事がその友人間に知れ渡つてゐたために、何人も彼の聞く前では、一言も卑猥な言語を發する事を敢てしなかつた。若しさうする者があれば、直ちに彼の顏は嚴肅な、峻嚴とも云ふ可き表情をとつた。さうして彼は答へなかつた。心の純潔なる一切の人と等しく、フランシスは性の祕密に對して、大なる崇敬を持つてゐた。」それにも拘らず、フランシスは此豐かな生活を空しと見、此純潔な生活を汚れたと見て、更に實なる、更に清い生活の追求に走つたのである。然るにフランシスの世間的生活に較べて、過去及現在に於ける俺の生活が何だらう。彼の生活に較べれば、俺の經驗した世間的歡樂は、遙かに貧しく、遙かに精彩乏しく、遙かに青春の情熱を缺くものであつた。併しそれにも拘らず、俺の生活は彼に較べて、もつと汚れて、もつと斑點の多いものでないとはどうして云はれよう。固より自分もフランシスと共に「性の祕密」に對して世間並以上の崇敬を持つてゐる。俺は從來如何に淫蕩なる生活との接觸に當つても、異性を弄び、異性を「買ふ」事を卑しとする自分の良心を抂げなかつた。併し純潔の理想を絶對にとり、異性の人格に對する尊敬を絶對にとる時、「買ふ」事と「遊ぶ」事との間にどれ程の距離があらう。俺の心の奧には俺の良心を裏切る樣々の慾望が常に動いてはゐなかつたか。俺のドン・ホアンが異性との何氣ない交際の間に、屡〻その卑怯なる拔け路を發見しようとはしなかつたか。俺は今此詰問に對して否と答へるだけの勇氣がない。お前はその生活を穢いとは思はないか、と問はれれば、俺は確かに穢いと思つてゐると答へない譯に行かない。お前はその生活を空しいと思はないか、と問はれれば、俺は確かに空しいと思つてゐると答へない譯に行かない。然るに此の汚さと空しさに對する嘆きが、俺の心の中に出離の願を決定して了はないのは何の爲だ。フランシスは俺に比べて遙かに豐かに、清い生活を送つて居てさへも、猶專心に神を求める生活に走らずにはゐられなかつた。もつと空しく、もつと汚れた生活を送りながら、而もその空しさと穢さとを意識し拔いてゐながら、猶病葉が秋の梢に縋り付くやうに、此生活に對する未練を斷絶し得ぬ俺の心弱さと俺の決定心の乏しさとを何と云はう。  二、フランシスにも亦人間らしい迷ひがない事はなかつた。彼は神の「使命」にその生涯を捧げようとする願を孕みながらも、猶暫くは歡樂の生活を捨て兼ねてゐた。既に神を求むる生活に躍入しながらも、時に猶「自然なる」生活の若さと快さとを囘顧するの情に堪へなかつた。既に乞食托鉢の生涯に入りながらも、亦舊友の前にその姿を恥づる念なきを得なかつた。既に使徒傳道者の生活に入りながらも、猶隱遁生活の靜かなる歡喜を慕ふ心が屡〻其衷に動いた。又その晩年に至つては、教團の兄弟達と離れ行く淋しさに堪へずして、歸らぬ昔に戀々するの情を如何ともする事が出來なかつた。併し此の如き多少の迷は、彼の生涯に人間らしい親しみと温かさとを添へるのみで、大局に通ずる勇猛精神の雄々しさをば聊かも毀損してゐない。彼は實に瞻仰するに堪へたる俊爽の態度を以つて、痛快に、切れ味よく、彼の前途を待受けてゐた幾關門を踏破した。彼は世も、友も、父も、一度捨つべきものは悉く捨てゝ了つた。癩者を忌む心も、托鉢を恥づる心も、十字架を逃れむとするの心も、凡て截斷するを要する心は、ズバリと之を截りさげて了つた。彼の生涯は實に「突き拔けた」瞬間の大悦に充ちてゐた。豁然として開けたる新光景の前に躍り上る喜びに溢れてゐた。然るに俺の曇つた、歪んだ、小さい、さもしい生活は實に何と云ふざまだ。俺は究竟の意味に於いて未だ第一の關門をさへ突破してゐない。俺は人生に於ける第一の「公案」をさへ解く事が出來ずに、十幾年と云ふものを徒らに鎖されたる扉の前に立盡してゐる。人生を掘り下げる俺の勞苦は唯その時々の難易に變化があるのみで、嘗て突き拔いた瞬間の大悦をば知らなかつた。俺の眼前に展べられたる人生の姿は、恰も半盲の前に擴げられたる自然の風光のやうに、微かなる明暗の交替を現ずるのみで、未だ曾て豁然たる新風光を呈露した事がなかつた。嗚呼、彼のフランシスの輝いた姿に比べて、此鈍根の身を何としよう。  三、フランシスの心は、世俗の生活に於いても、出離の生活に於いても、亦傳道の生活に於いても、常に充溢せる心であつた。彼は交友に耽つては食事を忘れた。彼は洞窟の中に祈ればその友人でさへ見違へる位に痩せ衰へた。彼は傳道者の使命を感ずれば、即座に帶を捨てゝ繩に代へ、靴を脱いで裸足になつた。貧者に對する彼の愛は彼自らを貧者にしなければやまなかつた。殊に晩年に於けるフランシスの生活は、丸で何人の手も屆かない程の高さに突拔けて了つた。彼の生活は深く、益〻深く神の中に沈濳して、其處に溢れに溢れたる歡喜を見出した。彼は「被造物に許されたる限り」神そのものにならなければ滿足が出來なかつた。神になるとは、彼にとつては、十字架に掛けられたるイエスとなる事である。フランシスの心に宿つたものは實に宗教生活に於ける最大のアスピレーシヨンであつた。さうして彼は此の如き大望を見事に突拔いた。彼の手足に受けた聖傷に對する科學的説明はどうであつても、十字架に對するフランシスの熱愛がその身體に生理的變化を起すまでに灼熱した事だけは疑ふ事が出來まい。古より今に至るまで、これほどまでに徹底した祈りの心を經驗した人が他に幾人ある事であらう。フランシスのやうに全人格を凝集して「神」の深みに突入し得た人が他に幾人ある事であらう。  自分の心は充溢し難い事と凝集し難い事とを特色とする心である。自分の生活が今日以上に散漫になつて了はないのは、俺が殆んど全力を盡して自分の心を引締めてゐるからである。俺は散亂せむとする心を漸くの思ひで引纒めて、覺束なくも第一義の問題に立ち向つて行く。而も此のやうにして多少の深みを獲得した經驗も、極端に貪慾なる俺の心には、常に充足の感じを與へる事が出來ない。俺の心に注ぎ込まれる凡ての經驗は底の方で淋しい音を立てるのみで、一度も充ちて溢れる思をさせて呉れなかつた。俺の心はその薄弱なる本質に、より多くを――常により多くを誅求してやまない。此の如く要求と本質との極端なる矛盾を、むしろ要求に應ずるの力なき薄弱なる本質を、包んでゐる凡人の立脚地から、フランシスのやうな天才の――フランシスのやうな人こそ根本的の意味に於いて「天才」である――天馬空を行くやうな生涯を瞻仰すれば、實に羨しいと云ふより外の言葉もない事を感ずる。併し恐らくは此處に俺のやうな凡人の十字架があるのであらうから、自分は決して自分に與へられざるものを羨んでばかりはゐない。俺はフランシスに降された使命とは頗る種類を異にする、小さい、凡下な、併し無意味ならぬ使命が俺に降されてゐるらしい事を感じてゐる。俺は從來幾度か此凡下に生れついた身を恨んだが、今は徒らに自分の天分に就いて悲觀しようとは思はない。唯自分の堪へ難く恥かしいのは、フランシスのやうに祈つて痩せざる自分の腑甲斐なさである。凡下の身には、凡下の身なるが故に、征服を要し、否定を要し、淨化を要する惡質が菌集してゐるのに、俺は恥かし氣もなく、友人と談笑し、遊樂し飮食する生活を續けてゐる。嗚呼俺は俺の無恥が恥かしい、俺の無神經が恥かしい。  四、此の如く考へ來れば聖フランシスと俺との間には全然共通點がないやうである。俺のやうな者が自分の性質を檢査するために聖フランシスを藉りて來るなどは、實に無恥とも大膽とも云はうやうのない企であるやうな氣がする。實際俺自身も心の底で自分の滑稽なる大膽を笑はずにはゐられない。併し精密に考へれば、器の大小の點に於ける懸絶は必ずしもその問題に於ける一致を妨げない。性格の點に於ける逕庭はその要求に於ける一致を妨げない。俺は果して聖フランシスと共通な問題と要求とを持つてゐないだらうか。  聖フランシスは、自分の歡喜に夢中になりながらも、猶その追ひ退けた乞食のために、その身になつて考へて遣らずにはゐられぬ性質であつた。俺の人格は如何に小さいにせよ、俺にも亦此種の客觀性があつて、俺の苦惱を形成してゐる事は――從つて俺の性格には本來基督教的な心がある事は、疑はれない。聖フランシスは世間的な歡樂の中に空虚を感じて出離を要求せずにはゐられなかつた。俺の態度は如何に曖昧にして微温を極めてゐるにもせよ、俺の世間的歡樂に對する畢竟の價値は要するに空虚の點に歸する。さうして出離の要求は明滅しながらも俺の衷心に固着して離れない。又聖フランシスが世間的歡樂の中に空虚を發見した究極の理由は、彼の心に永遠なるもの、眞實なるものに對する消し難き慾望があるからであつた。俺が世間的歡樂に對して空しさと淋しさとを感ぜずにゐられぬ最後の理由も亦「全體」に對する、「根本的實在」に對する、凡ての存在と融合して活きる事に對する憧憬が俺の人格の中に深く根據を据ゑてゐるからである。俺は聖フランシスの偉大と俊爽とに對すれば平伏せずにゐられぬ程に小さい。幾度繰返しても足りない程に小さい。併し俺をして聖フランシスの疾驅して通つた足跡をよろめきながら、匍ひながら、跛をひきながら、蠢き行かしめるものは、曾てアツシジの聖人を驅つたと等しく、深奧に沈潛せむとする憧憬である。生活の基礎を實在の上に、神の上に築かむとする熱望である。愛に於いて凡ての存在と――人と、自然と、神と、――一つになるまでは「自己」の幸福を完くする事を得ざる寂寥の思ひである。自分はアツシジの聖人を自分の師と呼び、先蹤と呼び、更に同胞と呼ぶ畏ろしさを恐れない。精神の世界に於けるアヒレス以上の勇猛と崇高とを以つて、「被造物に許された限り」の高さに登るのがフランシスの使命であつた。自分に出來るだけの細心と精緻とを以つて、一々の魔障を征服して、俺と等しく凡下な者のために、一生の間に經過する樣々な戰ひの小さい記録を殘すのが俺の使命であるらしい。  俺は茲に再び俺のドン・ホアンを喚起して、彼の到達す可き究竟の生活を、「神を求める者」の到達す可き究竟の生活と比較する必要を感ずる。後者の生活にも亦寂寥と悲痛とがない事はない。否、十字架に於いて神を見たる聖フランシスの生活は實に寂寥そのもの、悲痛そのものとも云ふ可きものであつた。彼の寂寥はその限り無き愛が愛する者によつて反撥され拒斥さるゝ處に在つた。彼の悲痛はその愛のために自己を犧牲にして、その苦痛の中に灼熱するが如き歡喜を發見する處に在つた。此寂しさの中に在る愛と、此痛さそのものの中に燃える歡喜とは實に「神を求める者」の――さうして「神と共に活きる者」の本質的生活でなければならない。此の如き寂寥と悲痛とに較べれば、ドン・ホアンの寂寥と悲痛とはまだまだ微小を極めてゐる。「神」に生きる者の寂寥と悲痛とを貫く痛いやうな必然に較べれば、ドン・ホアンの寂寥と悲痛とは戲れに過ぎない。さうして兩者の生活の色調を根本的に區別するものは、彼は凡て「實」にして、此は凡て「空」に瀕してゐる事である。神に於いて生きる者の寂寥はそれ自らにいのちの表現である。然るにドン・ホアンの寂寥は「無」の深淵に臨むの戰慄である。ステンダールは其の生涯の晩年に至つて多少の寂寥を感じた。さうして生涯を空過したのではないかと云ふ疑ひを抱いた。ミケランジエロの晩年に感じた寂寥は固よりステンダールの比較にならない程大きい。さうして生涯を空過した嘆きも亦ステンダールと同日の談ではない程深刻である。併しミケランジエロの嘆きはその爲す可き事を遂げ得なかつたため、その美しい本質が伴侶を見出し得なかつたための寂しさであつた。その寂寥にはステンダールのやうに「虚無」に瀕するの空しさがない。若しドン・ホアンとして生きた者の晩年にミケランジエロが經驗したやうな大きい、深刻な寂寥がやつて來たらどうであらう。想像するも身慄ひする程恐ろしい事と云はなければならない。  假に小賢しい現實論者に從つて、神を求めるは空な努力としても、信仰を求めるは羨ましい程呑氣な事としても、猶或人が此空なる「神」の故に、呑氣な「信仰」の故に、彼等の與り知らぬ程「實」なる、痛切なる經驗をした事だけは爭はれない。此人が感ずる悲痛も寂寥も歡喜も、彼等の小さい生涯に較べては比較にならぬ程深酷で、痛切で、幅が大きかつたと云ふ主觀的事實だけは爭はれない。約言すれば此等の「空」で「呑氣」なものを求めた人達は、小賢しい現實論者以上に、深い、複雜な、徹底した人生を經驗したことだけは間違ひがないのである。自分は人生を大きく深く經驗するために、彼等の所謂空な、呑氣なものを追求する事を恐れない。俺にとつて堪らなく恐ろしいのは、皮肉らしい顏をした現實論者と共に人生の深みに對する感覺を失ふ事である。現實論者にとつては感覺と主觀的感動との外に眞實なものが何處にあり得よう。彼等が灼熱する感覺と痛切なる主觀的感動とを準備する事實を否定するは無意味である。彼等が「空」といひ、「呑氣」と云ふは要するに自分の參加し得ぬ經驗を貶するの意味に過ぎない。  五、然らば俺は今日以後「神を求める生活」に、「神と共に活きる生活」に餘念なく沈潛しようと堅く決心してゐるか。俺は猶この問に答ふ可き所以を知らない。俺の心の中には猶父母妻子朋友と共に活き、小さい權利を享受し主張して、小さい義務を甘受し忍從して、人間らしい享樂と悲哀と恩愛と憂慮との間に活きて行く Natürlichkeit にひかされる心がある。俺には猶心身の快適と清爽とにひかされるエピキユリヤンの心がある。殊に俺には異性との間に於ける恍惚と歡樂と嘆息と變化との間に現實的の充實を求めるドン・ホアンの心が漲つてゐる。俺がドン・ホアンの滿足を知らぬ事は前にも云つた。併しそれは俺がドン・ホアンの衝動を感じないと云ふ意味では決してない。俺のドン・ホアンの衝動は行爲に發露せぬ前に殺戮されるのみで、俺の心密かなる記憶はドン・ホアンの屍骸に滿されてゐる。從前俺はこの性質を釋放して、公然たるドン・ホアンとして闊歩するを得ざる俺の卑怯を嘲つた。併し今俺はドン・ホアンに生涯を捧げて了ふ事が出來ないのは俺の一層根本的な性格と要求とに基く事を知るが故に、自分のドン・ホアンを討たむとする内面的鬪爭を卑怯とは思はない。併し此等の雜念が猛烈に自分の中に活きてゐる事を感じながら、自ら「神を求める者」を以つて任ずるのは餘りに口幅つたい仕業である。注意の焦點を全體に置かむがためには、先づ部分に對する未練を斷絶しなければならない。凡ての部分は一度否定されるにあらざれば、徹底的に肯定されることが出來ない。出家に堪へる者のみ眞正に神を求める者を以つて自任することを許されてゐる。俺は俺の内面にその力が蓄積される迄、此榮譽ある名稱を自ら許す資格がないのである。  併しドン・ホアンに志す意志を否定する意味に於いては――唯此意味のみに於いては、俺はもうドン・ホアンを脱離してゐる。俺のドン・ホアンは他日或はこの否定の裏をかいて、俺を汚贖と罪惡との淵に投ずるかも知れない。さうして俺の中にゐる「神を求める者」にこの汚贖と罪惡との始末を強ひるかも知れない。俺は屈辱と苦痛との幾層を通じて――若し此汚贖と罪惡とを征服する戰ひに勝を得るならば――更に深酷な、更に痛切な人生の光景に味到するであらう。さうすれば俺の中のドン・ホアンは、恰も神の世界に於ける惡魔と等しく、否定される事によつて肯定されるのである。併し神は常に惡魔を否定するやうに、俺の中なる「神を求める者」も亦常にドン・ホアンを否定する。否定する事によつてドン・ホアンに存在の意義を與へる。此外に俺は決して俺のドン・ホアンを許容する事をすまい。此點に於いては、俺の心は既に決してゐる。  併し俺はドン・ホアンを否定したと同じ程度で、ドン・ホアン主義の一つの變形とも見る可き Romantic Love の夢を否定したとは云ひ難い事を感じてゐる。俺は愛す可く、憐む可く、同情す可く、感傷す可くして、而も要するに俺の心を充すに堪へざる一つの魂を傍にして奧深く一つの夢想を續けてゐる。俺は此半熟なる愛憐の情を蹂躙して、俺の魂を根柢から戰慄させる樣な、他の一つの魂を待設けてゐないとは云はれない。俺の心には猶ワグネル流な悲壯と罪惡との豫期がある。俺は今此豫期を徹底的に處分す可き力を持つてゐない。併し、假令ポーロやトルストイのやうな單に「許さる可きもの」としての結婚觀が此の如き浪漫的戀愛の夢想を打破するに足らずとするも、「神」に對する憧憬と、凡ての存在と融合せむとする熱望から出發した者が此の如き浪漫的戀愛にその究竟の生活を發見し得ぬ事だけは既に現在の俺にとつても明白である。俺は浪漫的戀愛の夢が如何なる時にその對象を發見し來る可きかを知らない。又俺はその時に當つて自分の生活が、如何なる屈折を經て如何なる進路を發見す可きかを豫期する事も出來ない。自分は唯、此の如き冥搜と模索とが努力に價せざる事を知るのみである。此の如き豫想に活きる事の痴愚を極めてゐる事を知るのみである。  最後に最も戰慄す可きは、俺の心の底の底に、凡ての存在を愛によつて包容せむとする希望が、要するに人間にとつては實現す可からざる空想ではないかと思ふ懷疑がないとは云へない事である。ステンダールは曾て其友に書を送つてルソーの「到る處に義務と徳とを見るマニヤが彼の文體をペダンチツクにし、彼の生涯を不幸にしたのだ」と云つた。さうして人と人との接觸に關するベール(ステンダール)主義は要するに次のやうなものだと云つた。――「二人の人が相互に接近する。熱と醗酵とが發生する。併し此の如き状態は悉く無常である。それは放縱に享樂す可き花に過ぎない。」俺は此快樂主義に潛む憂鬱に對して戰慄を感ぜずにはゐられない。人と人との間には遂に包攝融合の道を絶してゐるとすれば、人生の寂寥は終にどうすればいゝのであらう。俺はこれを俺自身の經驗に質して見た。俺はどうしても愛によつて他人を包容し盡した經驗があるとは云へなかつた。俺の記憶の中に在るものは要するに究竟の意味に於いて他人と融合するを得ざる孤獨の苦しさのみであつた。俺は又「神に於いて」人を愛せむとした偉大の生涯を求めた。俺は先づトルストイに逢着して新しい痛みのために飛上らずにはゐられなかつた。  メレジコフスキーも云つたやうに、トルストイ程人を愛しようと努めた人は少い。併しメレジコフスキーも疑つたやうに、トルストイは終に人を愛する事が出來たか。彼の八十歳の長い生涯は要するに愛せむとして愛するを得ぬ悲劇に終らなかつたか。トルストイのやうな偉大な、誠實な、貫徹の力に溢れてゐた人も、猶眞に人を愛する事が出來なかつたとすれば、自分達のやうな鈍根な者がどうして愛に於いて他人を包容する事が出來よう。思へば人間の前に置かれた選擇は、他人を包容する愛が自我獨存の悲痛(又は寂寥又は自恣又は斷念)かにあらずして、愛を以つて他人を包容せんとする悲壯な、絶望的な努力か自我獨存の悲痛(又は寂寥又は自恣又は斷念)かに在るのかも知れないのである。併し俺は多少の考慮の後に、明かなる意識を以つて答へよう。假令愛に於いて他人を包容する努力は絶望的だとしても俺は猶此悲壯なる努力の道を選ぶ。ステンダールの幸福よりもトルストイの不幸を選ぶと。後者を選ばずにゐられないのは俺の性格の中に確固たる客觀性があるからである。客觀性の要求は愛に於いて他人を包容するに非ざれば徹底的に滿足する事が出來ないからである。此要求を充さうとする絶望的な努力も猶斷念と放擲とに優るからである。メレジコフスキーは其鋭利にして淺薄なる洞察を以つて――俺は此大膽なる斷定を敢てする――トルストイの本質を異教的な心だと斷じた。さうして異教的なトルストイが基督教徒らしく他人を愛せむとするのは無用な努力だと云ふ意味の口吻を洩した。併し假令トルストイの心がメレジコフスキーの説のやうに本來異教的な心だとしても、猶世界史上に於ける異教主義が基督教に轉移するには、果して異教主義そのものゝ中に此轉移を至當にする必然性がなかつたらうか。同樣にトルストイに於ける異教の心が基督教の愛を要求する處にも、猶必然性を見る事が出來ないだらうか。愛する事を得ざる者が愛せむとするのは――俺の見る處では――決して無用の努力ではない。愛の理想は假令究竟の意味に於いて實現せられぬまでも、猶刻々に此理想を懷抱する者の現實に作用して此を淨化する。愛せむとした懸命の努力の中にトルストイの生涯の意義を發見し得ぬ者は、如何に議論の精彩と微細とを極むるも要するにトルストイの本質を掴みかねたものと云はなければならない。トルストイの一生は實に偉大なる未完成の一生であつた。その惱みの強烈なのも懷かしい。その迷ひの執拗を極めてゐるのも懷かしい。トルストイは聖フランシスよりも遙かに親しい意味に於いて、自分の師であり又先蹤である。俺はトルストイの生涯を見る事によつて、愛の理想に對する疑惑を感ずるよりも、寧ろ精進の努力に對する鼓舞激勵の力を感ぜずにはゐられない。  さうして最後に神に於ける愛の理想の決して空想に終らぬ事を證するために、「被造物」フランシスの聖なる生涯がある。固よりフランシスの高みに攀ぢる事がトルストイにさへ出來なかつた事を思へば、自分達は究竟の意味に於いて他を愛する生涯をば決して輕易に見積る事を許されない。併し被造物フランシスは遂に愛の生涯を實現する事が出來た。フランシスの生涯は遙かなる彼方に於いて愛の生涯の可能な事を自分達に例示した。自分達の心には希望がなくならない。さうしてトルストイがフランシスのやうな愛の生涯に入り得なかつたのは、要するに彼の見た「神」の性質によらなかつたか。「神」を見るにあの方面からしなければならなかつた彼の内奧の性格によらなかつたか。さうして些かも囘避せずに此性格と戰ひ盡した處に、フランシスよりはもつと親しく、もつと手をとるやうに、俺のやうな凡下の輩を導く可きトルストイ獨特の偉大と使命とがあつたのではないか。  俺の周圍にはエホバの崇拜からマンモンの崇拜に轉移した轉倒の改宗者が少からずゐる。俺自身も亦他日此等の先輩のあとを追ふ事がないとは、神ならぬ身の斷言する由もない。併し俺の問題は未來ではなくて現在である。俺の心に「神」の要求がなくならぬ限り、俺の心に現實の生活の空しさが淋しく映つてゐる限り、俺の終生を貫くものは、曾てフランシスがサン・ダミヤノの會堂で十字架にかけられた者の前に捧げたやうな祈りでなければならない。固より俺は未だ「偉大にして光榮なる神よ、我主耶蘇基督よ」と呼ぶ事を許されてゐない。さうして此祈りは何時聽かれるかわからない。此祈りが聽かれた後になつても、フランシスのやうに使徒として傳導者としての自覺が授けられるかどうかもわからない。併し此祈りが一生聽かれないならば、俺は一生此事を祈り通すのみである。若し傳道者としての自覺を授けられないならば一生隱者として神に祈り通すのみである。さうして隱者の生涯を記録して、人類に對する愛を幾分なりとも實現するのみである。兎に角、俺は此祈りに活きる事の外、自分を眞正に活かす道を知らない―― 「明暗を驅使する力よ。我が知らざる神よ。仰ぎ願くは我に力を與へて、我が魂の暗黒を拂ひ給はむ事を。まことなる信仰と、確かなる希望と、完全なる愛とを我に授け給はむことを。おゝ神よ、一切の事に於いて汝の光により、汝の意志に從ひて行ふを得るやうに、よく汝を知らむ事を我に許したまへ。」 4  一月程前に俺は――詳しく云へば俺の中の羊飼ひ三太郎である。果樹園守り三太郎である――俺の中のドン・ホアンが友愛の美名の下に、親愛する同胞の手と心とを偸まむとしてゐることを發見した。俺の全心は騷ぎ立つた。俺は俺の品性の卑しさが堪らなかつた。俺のやうな奴が人格の高貴を説き、愛を説くなどは實に洒落臭さの骨頂だと思つた。俺は自分の心の中を檢査するにつれて、到底茲に書くに堪へないやうな恐ろしい、醜い思が其處に蛆のやうに湧いてゐる事を發見した。俺は此の如き醜い心を悉く對手の前に懺悔する事が出來るかどうか自分自身に訊いて見た。その小さいものは――對手から恕して貰へさうなものは――十分に否定の誠を盡して之を懺悔する事も出來よう。その大きいものは到底口にするだに堪へない。さうして俺には此大なる醜さを十分に否定し盡して之を發表するだけの人格の力がない。――之が俺自身の答であつた。俺はせめて此苦しみを日記になりとも書いて、幾分の休息を得たいと思つた。併しお前には之を日記に書くだけの態度さへ出來てゐるかと俺は再び自分を追窮しなければならなかつた。醜いものを十分に淨化するに足る程の高貴なる態度なしに、茶飮話をするやうに自分の罪過を告白する者は申分のない馬鹿である。日記に書くのも要するに自分自身の前に懺悔する事ではないか。お前には如何なる意味に於いても自分の醜さを懺悔する資格があるか。俺はないと答へない譯に行かなかつた。俺は日記さへ書けない苦しさに床にもぐり込んで呻吟した。さうして翌朝は薄暗い中に起きて、松原越しに遠く海を見渡す屋根の物干に登りながら、熱い頭を朝の空氣に冷した。此の日は丁度東京へ行かなければならない日であつた。俺は人の顏を見るのがつらいと思つた。  此日以來俺は此の事以外の事をしたり考へたりするに堪へなかつた。其當時俺は早くやつて了はなければ義理が立たない――さうして俺自身の生計のためにも之をやつて了ふことが極めて必要な――仕事を持つてゐた。併し思ひきつてその仕事も捨てた。俺は雨の降る中を濡れながら、松林を通つたり、砂丘に登つたりして歩き𢌞りながら、樣々の事を思ひ續けた。併し自分に對する呪ひが頂點に達した頃に、俺の心にはドン・ホアンの權利を主張する聲が響いて來た。お前は何故自分のドン・ホアンに就いて苦しむのだ。お前は何故公然ドン・ホアンとして活きる事が出來ないのだ。お前の抱いてゐる愛の理想は要するに根據のない空想ではないか。其聲は苦しみ悶えてゐる俺をかう云つて慰めた。俺は俺の中に在る「神を求める者」と俺の中に在るドン・ホアンとを對決させる必要に迫られて來た。俺は前者を廓大して見るために、聖フランシスの傳記をとり、後者を廓大して見るために、ステンダールの著書をとつて、且つ讀み且つ考へた。兩者ともに俺の中に響を返す澤山のものを持つてゐた。此の對決は容易に決定し難かつた。俺は解決に到達する前に漸く疲れて來た。例によつて松林と砂丘と海岸とを歩き𢌞りながら、俺の心は屡〻快い夢の中に逃れて現在の問題を避けようとした。俺のドン・ホアンは畑に麥を刈る百姓の娘の、日に燒けた、健康らしい、無智なる頭の中に、通りすがりの享樂を發見して、現在の問題から這ひ出ようとした。俺は何よりも先づ俺の心の張りの弱さが憎かつた。俺は散亂せむとする心を強ひて結束して同じ問題を考へ續けた。  去月の二十八日――(それから今日までにもう十日を經た。俺の敍述が此處に到達するまでに當時の心持も可なり色褪せて了つた。心の感動をその儘に文字に現はさうとする者にとつては、表現のために特別の努力と時間とを要する事は、時として甚だ果敢ない約束に見える。若し心の感動が形の影を伴ふやうに、自然な、直接な、反射的な、時間を要せぬ方法で文章となつて呉れたら。)――去月の二十八日、俺は松林を通つて、砂山を越えて、海岸に出た。俺の心には漸く一應の解決が出來た。その解決は要するに未解決のまゝに戰を明日に延さうとする決心をしたに過ぎない。併し俺は此解決によつて從來「神を求める者」に與へて來た王位を一層確かにする事が出來た。俺の中に於けるドン・ホアンに一層はつきりした使命を指定する事が出來た。さうして明日の戰に備へる元氣と快活とを幾分なりとも増進する事が出來た。俺は恥づ可く、嗤う可き奴だけれども、まだ救濟の見込がない程に墮落してゐない事だけは確かだつた。――此一應の解決に到達しただけでも、俺の心は隨分嬉しかつた。丁度空が晴れて富士山が洗ひ出されたやうに遙かなる海岸線の上に浮出してゐる日であつた。午前の海は紺青の色をなして、大きく、靜かにうねつてゐた。他には誰も見る人がゐなかつたから、俺は此の嬉しさを洩すために、打寄せる波と追掛けたり追掛けられたりして戲れながら、富士山を前にして、砂の上を躍り歩いた。他人の見る前で躍る事の出來ない性分の自分にとつては、三太郎の躍る恰好は定めて珍妙だつたらうねなどと云つて冷かす友人がゐなかつたのは幸だつた。俺は明日から又職業に歸る力を與へられたのだと思つた。俺は明日から又俺の心から愛憐を感じてゐる家族のために働く力を與へられたのだと思つた。さうして俺はこの小康の嬉しさに砂の上を躍り歩いた。  今夜俺は十日餘りの月を仰ぎながら砂丘の上に立つた。遠くに波の音がして、蛙の聲が降るやうに聽えて來る。俺は淋しさに涙ぐんだ。俺はもう俺のドン・ホアンを告白してしまつたのだ。俺は俺の親愛する友達に對するにも時としてドン・ホアンの衝動を感ぜずにゐられない事を告白してしまつたのだ。俺はもうあらゆる異性の友達を失つても之を恨むだけの資格がない。さうして決して恨むことをすまい。それより仕方がない。それがいゝのだ。孤獨なる寂しさの中に神を求めるのが俺のこれからの仕事だ。俺はその神のまだ遠い事を思つた。俺は俺の當然失はなければならぬあらゆる異性の友達の事を思つた。さうして俺は靜かな、朗かな、併し淋しい心持に涙ぐんだ。 (三、六、五) 六 愛と憎と 1  俺は誠に久しい間、俺よりも偉大な者に對して心竊かなる壓迫を感じ、俺よりも小さな者に對して腹の底に輕蔑を感ずる心持から脱却する事が出來なかつた。これは偉大な者と親しむ所以でもなく、小さい者を慈む所以でもない爲に、俺は常に此心持に就いて不安を感ぜずにはゐられなかつた。此不安は俺の心に、凡ての存在と愛に於いて一つになりたいと云ふ要求を刺傷した。俺は久しい間此落付かない態度から脱却する途を求めて來た。  俺は此苦しみによつて、凡ての人を「被造物」の點から、又「人間」の點から見る事を學んだ。「被造物」の點から見れば、偉大な者も小さい者も、苦しみ、惱み、限られた者として同一の運命を擔つてゐた。「人間」の點から見れば、偉大な者も、小さい者も、それぞれに内面に植ゑられた要求を以つて、器に應じて之を實現して行く長途の旅に於いては共通であつた。俺は此處に、偉大な者を尊敬し、小さい者を扶助して行く包容の視點を與へられてゐる事を感じた。俺は峠を一つ越したやうな氣がして嬉しかつた。さうして内心に行はれた此變化は、偉大を衒ふ者に對する特別な憎惡と、小さい者に對する特別な同情となつて現はれた。  併し此處にも亦新しい誘惑は潛んでゐた。俺は小さい者の無智と、無邪氣と、誠實とに同情するの餘り、小さい者をその小さいまゝに、弱い者をその弱いまゝに、卑しい者をその卑しいまゝに許容する傾向に陷らむとしてゐた。さうしてその奧には、自分の小さゝと弱さと卑しさとをその儘に看過する惰弱の心を挾んでゐないと云へなかつた。誘惑は狡猾に勝利の後を覘つてゐる。今俺は此誘惑を征服する新しい戰を戰はなければならない。  人生の意義は人間が人間を超越するところに在る。人間が眞正に人間になるにはその人間性を征服してしまはなければならない。此點に於いて俺は基督の弟子であり、カントの弟子であり、又ニイチエの弟子である。凡ての人を此長い大きい悲壯な戰ひに驅り出す事を外にして、眞正な愛はある譯がない。自己を愛する最眞の途も亦自己の惰弱を鞭つて此戰に赴かせる點に窮極しなければならない。甘やかさせたり、増長させたりするのは哲學的な愛の正反對である。俺は漸く此點を忘れかけて居た。  固より弱い者は劬らなければならない、自分の弱さに惱む者は他人の弱さにも思ひ遣りがなければならない。併し此憐憫と同情とに溺れて眞正の愛を忘れる者は、要するに自他を損ふ者である。劬りながら、同情しながら、涙を分ちながら而も結局は小さい自己の一毫をも磨き落させずには措かない處に凡ての人類に對する哲學的な愛があるのである。憐憫と同情との名によつて、兎の毛ほどの卑しさでも假借するのは俺の恥辱である。俺の「愛」の恥辱である。  人を愛する心は人を嘲るに堪へる心でなければならない。自己を愛する心は自己を嘲るに堪へる心でなければならない。單に自己だけに就いて云つて見ても、自嘲は強者の事である。自己憐憫は弱者の事である。固より弱く生れついた者には自己憐憫の心がない譯に行かない。併し自己憐憫から自己嘲笑に、自己嘲笑から自己超越に磨き上げるのが――カントの言葉を用ゐれば――彼の「義務」である。其處に彼の眞正な生活がある。 2  新しい意味に於いて憎しみと嘲りと怒りとの自由をとりかへしたい。俺の心は今、此等のものゝ禁止によつて、多少の窒息を感じてゐる。嗚呼、新しい意味に於いて憎惡と嘲笑と憤怒との自由をとりかへしたい。  俺は今或者を愛してゐる。此愛する者の故に、或他の者を憎んでゐる。俺の憎むのは、愛するが故に、愛する者を、憎むのではなくて、自分の愛する者を愛護せむがために、或他の者を憎むのである。憎む者を憎むが爲に憎むのである。俺の憎惡には愛の根柢がないから、愛せむとする俺の要求は此憎惡を禁止せずにはゐられない。  固より愛せむとする要求を撤囘すれば、憎惡と嘲笑と憤怒との自由を恢復する位は實に何でもない事である。併し斯くする事によつて、俺は俺の古い人格に復歸する。自分の事を棚に上げて他人を輕蔑したり嘲笑したりする事を自慢にしてゐる張三李四の立脚地に墮落する。俺の要求するのはそんなに廉價な自由ではないのである。愛によつて淨化されたものでなければ憤怒も嘲笑も憎惡も正しくない。俺は飽くまでも此立脚地を固執する。此立脚地を固執した上で、憎惡と嘲笑と憤怒とを淨化したいのである。新しい自由によつて、朗かに、安んじて、憎んだり、嘲つたり、怒つたり、輕蔑したりしたいのである。俺は今、憎みながら怒りながら、自分の憎しみと怒りとに就いて不安を感ぜずにはゐられない。俺の生活が此曇りを脱却し得ないのは、誰の罪でもなくて、唯一切を淨化する力のない自分の愛の缺乏の罪である。  俺は自分の家族の前に怒りと嘲りとを發表す可き相應の自由を感じてゐる。彼等の前に自由に此等の心を表現する事が出來るのは、根柢に於いて愛と理解とがある事を信じてゐるからである。殊に俺の自分自身に對して享受してゐる嘲笑憤怒輕蔑憎惡の自由は殆んど完全を極めてゐる。それ程までに俺は自らを愛してゐるのである。併し俺は他人に對しては殆んど此等の自由を享受してゐない。他人に對する俺の愛はそれほどまでに薄弱を極めてゐるのである。  自分を愛する程完全に他人を愛するやうになりたい。自由に、朗かに、愛を以つて、凡ての人を嘲つたり、憎んだり、怒つたりして遣る事が出來るやうになりたい。 3  人類を愛するために、現在の俺に許された最主要なる道は、俺自身の生活を活きて、俺から生れた思想を彼等に送る事である。併し俺には猶此外に、一々の人に就いて、一々の生活に就いて、細かに濃かな愛を送らなければならぬ一群の人が在る。俺は子で、夫で、親で、弟で、兄で、朋友であるからである。  俺の愛の缺乏は此等の一群の人が最もよく之を知つてゐる。俺は彼等の聽く前で愛を口にするのさへ恥かしい。俺は時として、彼等の衷心からの訴へを上の空で聽いてゐた。俺は時として、彼等の愛の表現を五月蠅いと云ふ樣な心持で受取つた。凡ての人に對するにその人自身に同化した立場をとらうと思ふ心掛は、幾度も幾度も裏切られた。或時には誠實なる人の愚かなる話を聽きながら、腹の底で笑つた。或時には諄々として盡きざる話を耳にしながら、腹の底で退屈を感じた。本當に對手の心になつて聽いてゐれば――本當に對手を愛してゐれば、笑つたり退屈を感じたりする事が出來ないやうな場合にも、俺は猶腹の底で笑つたり退屈を感じたりせずにはゐられなかつた。固より俺は自分の態度をたしなめた。さうして假面ではなくて誠實な心で、眞面目に他人の話を聽くやうに努力した。併し嘲りや退屈や輕蔑が一瞬間俺の心を掠めて過ぎる事はどうにも仕樣がなかつた。若し俺を心の底から、何の蟠りもなく他人を包容する人だと思つてゐる人があるならば、それはその人の誤りである。俺の愛には曇りと固りとがある。若し俺が「いい人」ならば、それは俺の本質が「いい人」なのではなくて、俺の意志が「いい人」なのである。  俺の周圍にゐて俺の愛を要求してゐる人は極めて少數である。併し俺は俺の愛が此等の一群にさへ行き渡り兼ねてゐる事を感じてゐる。俺は最早これ以上に此群れを大きくする事に堪へられさうにもない。俺は愛する者の群れを本當に心の底から愛する事が出來るやうに、――さうして人類に對する更に大なる愛の努力を怠らないやうに、彼等から離れて住む事を考へなければならなかつた。彼等と離れてから、彼等に對する俺の愛は、曾て彼等と雜居してゐた時よりも、次第に美しく磨かれ始めた。昨夜も亦俺は、松原の梢を見渡す砂丘の上に、月を仰いで一人立ちながら、しめやかな心を以つて、愛する群の上に遙かに愛の思を送つた。 4  光る者は自ら照さなければならない。併し愛する心は必ずしも直ちに愛の實行となつては現はれない。持つ事は必ずしも直ちに與へる事になつて現はれない。愛を實現する爲には努力が必要である。光を與へるためには意志が必要である。此點に於いて自然の光と精神の光とは相違するのである。固より精神の光と雖も、内に光があれば自ら外に洩れるに違ひない。光の存在それ自らが周圍を照す事にもなるに違ひない。併しその光が十分に外を照す力を實現するためには、照さうとする意志が必要である。精神の世界に在つては、光る事と照す事とが全然同一だと云ふ事は出來ない。  尤も偉大なる光、充溢せる光に在つては、照さむとする努力、與へむとする意志が、必然に、自然に、本能的に、恰も自然の光が自ら照すと同じやうな意味で押し出して來るに違ひない。併し微かな光、瞬ける光、逡巡せる光に在つては、光らむか照さむかが意味のあるデイレンマとして問題となる。或光はその努力を更に大きく光る方に向けなければならない。或光はその努力を廣く遠く照す方に向けなければならない。今俺は――此微かに瞬ける光は、此デイレンマに突當つてゐる事を感じてゐる。  併し此のデイレンマの解決は誠に飽氣ない程輕易である。若し俺が俺の衷にあるだけの光を盡して照さうとした處で、俺によつて照されたものは現在の俺以上に光る譯に行かない。然るに此の俺が何だらう。此空虚な、弱小な、迷ひのみ多い俺が何だらう。固より俺の周圍を繞るものは漆のやうな闇だから、或特殊の點に就いては、或一二の點に就いては、俺も亦照す事を心掛ける必要がないとは云はれない。併し全體を貫く態度の問題として見れば、現在の俺には、光らうか照さうかと云ふ問題をデイレンマとして採用してゐる資格さへないのである。大きく光る事、貪婪に光る事が、云ふまでもなく、俺の專心なる努力の目標でなければならない。  俺は俺自身の惱みを惱み、俺自身の運命を開拓する。此惱みと此努力とは俺を一歩づゝ人生の深みに導き、人生に對する俺の態度を徐々として精鋭にするに違ひない。俺は此惱みと努力とによつて、人生の底に動く或「力」を見、或「力」を體得する。俺は此惱みと努力とによつて、人生の底に動く深い力を次第に鮮明に確實に、全人格的に捕捉する。此力を捕捉するとは俺の衷に輝く光を次第に大きく、益〻大きく掲げ出す事である。此の如くして俺の衷に輝き始める光は、俺と類似した惱みを悩み、俺と類似した運命を享受してゐる者を照すに足るものであるに違ひない。故に俺が俺自身の内面的必然性に從つて活きる事は、直ちに人類に對する俺の愛を準備し蓄積する事にもなるのである。  さうして俺は俺の惱みと努力との經驗を表現する事によつて、直ちに俺の經驗を人類の財産とする。俺の惱みが小さければ、俺の惱みを表現したものは、人類の微小なる財産である。俺の惱みが大きくなれば、俺の惱みを表現したものは、人類の稍〻大なる財産となる。兎に角に俺は表現の道によつて、俺の生活を盡して之を人類に寄附するのである。人類を愛するために、現在の俺に許された唯一の道は實にこれである。  俺の生活は小さくて淺い。沈默の中に、遙かに深く遙かに大きい人生を經驗してゐる人が幾人もある事を思へば、俺は俺自身の事を表現するのが恥かしくて堪らない。併し自分が淺ましくてとても堪へきれなくなるまでは、俺は自己表現の努力を棄てる事をすまい。それは俺一己のためではなくて俺の愛のためである。 5 「君の愛せむとする意志が、それほどまでに君を束縛したり、君の生活に曇りを與へたり、君の生活を苦しくしたりするならば、君は何故それを捨てゝ了はないのだ。それを捨てれば、君の渇望してゐる自由も、清朗も、爽涼も、即座に君の手に這入つて來るぢやないか。」「それは僕の理想だからだ。もつと俗耳に入り易い言葉を用ゐれば、僕の人格に根ざしてゐる力強い要求だからだ。凡ての存在と一つに融けた生活がしたいからだ。唯、一度愛した味がとても忘れられないからだと答へる事が出來ないのが悲しい。」(三、六、七) 七 意義を明かにす 1  俺は屡〻理想と云ふ言葉を使つた。今の時勢では理想と云ふ言葉は、黴が生えて、尿に汚された言葉である。併し若し流行の言葉が御望みならば、要求と云ひ換へても俺の言はうとする内容はちつとも變らない。理想は人間の本質から遊離して空に懸つてゐる幻しを意味するのではない。理想の究竟の根據が人間の本質に在る事は云ふまでもない事である。理想が「なければならない」のは、人間の本質が「ならずにゐられない」からである。  人間の精神が或方向に運動しようとして、而もその運動の傾向が精神自身に明かに意識されてゐないものを「衝動」と呼ぶとする。衝動が衝動自身の意識と結合して「要求」となるのは自然の成長である。更に現在の意識に作用して、精神の中に或「状態」を喚び出さうとする力を「要求」と呼ぶとする。その要求が人格全體の内容――最も廣い意味の人生觀――と連結を求め、又その欲求する「状態」の表象を明かにして「理想」となるのは、これも亦自然の成長である。衝動から理想に發展する經過には何等のギヤツプをも認める事が出來ない。理想を排斥して衝動を過重するのは心理的の意味に於ける初級主義に過ぎない、此意味に於いての無人格主義に過ぎない。  繰返して念を押さう。理想とは自己の人格に根ざす力強い要求を意味するのである。 2  俺は屡〻、生活の連續を求めると云ふ言葉を使つた。或人は之に對して、それは求めるまでもなく凡ての生活に連續のないものはないと答へるかも知れない。固より「一國の選良」と考へた直その次の瞬間に、「ああ小便が出る」と感じた處で、此二つの觀念の間には、肉體及び腦髓の組織上、相踵いで起る可き充足理由があるに違ひない。併し俺がこんな意味の連續を求めてゐるのではない事は云ふまでもない事である。俺の求めてゐるのは一貫せる意志の連續である。思想と思想との緊密なる連續である。ひきくるめて云へば生活内容の連續である。俺の周圍にヸジヨンの連續のない藝術や、思想の連續のない論文や、無意味な飛躍に滿ちた生活が多い以上は、俺の要求は決して無意味ではないと思ふ。 「一國の選良」と云ふ觀念と、「ああ小便が出る」と云ふ觀念との間に内容上の連續があるかどうかは、名譽ある代議士諸君にきいて見なければわからない。 3  俺は屡〻否定と云ふ事を云つた。俺の否定と云ふのは主として歴史的の觀念である。内面的歴史――思想、人格、生命の發展――上の觀念である。故に否定される「對象」に就いて云へば、それは前に一度否定されて、後に再び肯定されてもちつとも關はない。さうして前の否定も後の肯定も共に眞實である。  第一に生命の一部が吾人の注意の――人格的生活の――焦點に立つてゐたとする。第二に生命の全體が吾人の注意の――人格的生活の――焦點に立たなければならぬとする。第一の時代から第二の時代に移る爲には、注意の――人格的生活の――焦點が生命の一局部から生命の全體に轉じなければならぬ。換言すれば一局部が否定されて全體が肯定されなければならぬ。而る後、一度否定された一局部が、新たに肯定された全體の光に照されて、新たなる肯定を獲得することは極めて自然な事である。此意味に於いて凡ての部分は一度否定されなければ、究竟の意味に於いて肯定される事が出來ない。  聖フランシスは神を求める熱望に驅られて、曾て愛した自然を厭離した。さうして一度神に到達した後、幾層の深さを以つて一度捨てた自然を熱愛した。 4 敵手を否定せむとせぬ戰は戲談である。 敵手の態度を否定せぬ怒は洒落である。 一切の存在を肯定する者にとつて、 戰は戲談である。怒は洒落である。 一切の否定を否定する者は、 又戰と怒とを去勢する。 5  凡ての經驗は與へられたる刺戟と、刺戟を受取る精神との交渉によつて産れる。平凡な者の經驗に於いては、刺戟を受取る精神よりも、與へられたる刺戟の意味が重い。顯著な個性を持つ者の經驗に於いては、與へられたる刺戟よりも、刺戟を受取る精神の意味が重い。顯著な個性を持つ者の世界は、特別な意味に於いて彼自身の創造である。其處にゴーホの藝術があつた。其處にシヨーペンハワーの哲學があつた。  若し直接外來の刺戟から離れるに從つて、藝術は生活の根を失ひ、思想は空虚になつて行くものならば、ゴーホの藝術は無根柢である。シヨーペンハワーの哲學は虚僞である。さうして理想的藝術は寫眞で、理想的の思想家は新聞記者と――某男爵のやうな實業家でなければならない。  若し又、直接外來の刺戟をあのやうな線と色とのリズムに化成したゴーホの藝術が深く生活に根ざしてゐるものならば、直接感覺の經驗をあのやうな「世界」に創造しあげたシヨーペンハワーの哲學も亦深く生活に根ざしてゐるものでなければならない。直接外來の印象を線と色とのリズムの方面に深く掘つて行くか、思想觀念の方に深く掘つて行くかは、刺戟を受取る精神の個性による事である。此方向の相異を以つて、兩者の世界の深淺、空實を區別せむとするは理由のない獨斷である。  個性と創造とを説く者が、さうしてゴーホの藝術を讚美する者が、思索的個性と思索的創造との意義を理解する事が出來ないのは不思議である。思索的個性と思索的創造力とを持つものは、其特性の濃厚となるにつれて、益〻遠く直接外來の刺戟から離れるに違ひない。さうして現實論者には思ひもつかないやうな觀念と圖式と記號との世界に沈潛するに違ひない。カントは日常茶飯の世界からあの複雜なる批評哲學を構成しなければ、その「生活の根に」徹する事が出來なかつた。其處にカントの個性と創造と「天才」とがあつた。實際カントの哲學のやうに痛切に實生活に根ざした思想が幾許あらう。小賢しい現實論者の思想等はその傍に持つて行くさへ恐ろしい冒涜である。 「生活の根」は新聞の雜報にばかりあるのではない。手帳のはしに書いた詩にばかりあるのではない。少し複雜な思索を見れば、それは思索のための思索だ、實生活を遊離した思想だと云ふ最後屁を放つて風を臨んで逃出すものは卑怯である。 6  弱い者を愛するとは、強い者を貶黜するために、弱い者の價値を實際以上に誇張して云ひ觸す事ではない。強い者、大きい者を小さくするために、故意に、世間の眼の前に、その敵を持上げる事ではない。反感を根據とする價値轉倒は何よりも先づ價値轉倒者その人の人格を低くする。  俺は衒ふ者、僞る者、驕慢な者に對して憤激する。併し俺は偉い者、大きい者、強い者、其他あらゆる價値ある者に對して反感を持つ事を恥辱とする。反感の基礎は要するに嫉妬に在るからである。昔から今まで、優れた者の爲に陷穽を置いた樣々の陰謀は、卑怯な者の心に宿る反感と嫉妬とから産れたものであつた。反感を感ずる事は此等の陰謀者と精神上の同類となる事だと思ふと實に恐ろしい。  俺も亦時に他人に對して反感を抱いて、此反感の故に自分自身を輕蔑する。俺は世間の人のやうに、「俺は反感を抱かせる」と云ふやうな恐ろしい言葉を、平氣になつて口にする氣にはなれない。  反感を輕蔑する點に於いて、俺は特にニイチエの弟子である。 7  俺は一つの問題を考へる時には、其時俺の頭に在る一切の記憶を遠慮せずに思索の材料に使用する。さうして其中から最も適當な表現の手段を選擇して自分の思想に形を與へる。從つて俺の文章の背後には常に俺の讀書の全量がある。俺は俺自身の思想として消化した以外の事は云はない積りだから、自分の云ふことの一々を誰彼の説と比較したり參照したりする必要を感じない。自分の讀んだ書物を裝飾として使用するなどは、最も俺に遠い誘惑である。  併し俺は特別な意味で、俺は甲又は乙の思想を導いて呉れた人や、甲又は乙の思想の主張者として特別に俺の頭に映じてゐる人の名は、其の時氣がつく限りは默つて通る氣にはなれない。俺が他人の名を引用するは感謝又は尊敬のためである。これも亦ペダンチツクと云ふものだらうか。俺と同じやうな心持で他人の名を引用する人は外に餘りないのだらうか。 8  俺は本を讀みながら、自分の要求にピタリと當嵌らない憾を感ずる事が多い。俺は本を讀みながら、自分の問題の焦點に觸れて貰へない齒痒さにイラ〳〵する。さうして終に讀書の生活を輕蔑して了ふ。  併し純粹に、單獨に、自分の問題に深入しようとすると、幾許もなく、俺の思想は散漫になり、統御を失ひ、連絡を失つて、終に行衞不明になつて了ふ事が多い。さうして俺は新しく讀書の恩惠に感謝する。  ベルグソンのやうな人が讀書を重んじないと假定しても、それは何の不思議でもない。凡ての獨創的の人は、その獨創が熟して來ると共に「學生」としての讀書の生活を離れた。併し單獨の思索を僅か十日内外さへ續ける力のないものが讀書を輕蔑するなどは生意氣である。此意味の獨立が出來ないものは何時迄經つても學生に過ぎない。卒業の見込が立たないのは心細いが、兎に角學生は學生として、覺悟を固める必要がある。俺は今俺のなすべき事は眞面目なしつかりしたスタデイである事を感ずる。俺は身の程を自覺した、謙虚な心掛を以つて、改めて大家の思想と生涯とを研究しよう。此處に、俺のやうに平凡に生れついた者の仕事がある。  今日以後、俺には讀書の生活を輕蔑する資格がない。(三、六、八) 八 郊外の晩春  三太郎は友人の雜誌記者に原稿を送る約束をした。彼の書かうと思ふ事は既に頭の中で形をとつてゐた。併し、愈〻筆を執る段になつて、持病のやうに週期的に彼を襲つて來る Ennui が彼の内から、三月の末の重苦しい、頭を押しつけるやうな曇天が彼の外から彼を惱ました。彼の書かうと思ふ事は締切の後一週間になつても、彼が此思想を産むに際して經驗したやうな内面的節奏を帶びて再生して呉れなかつた。それで彼は苦しまぎれに、古い日記を取り出して之を讀み返した。さうして、その中から、他人に見せても大して差支のなささうな處を原稿紙の上に寫して、之をその友人に送ることにしようと決心した。此處に抄出する部分は去年の春の日記の最も抽象的な一部分である。その當時彼は或る大都會の南の郊外の、海に近い森の中に住んでゐたのである。 1  山吹が咲いてから可なりになる。川を隔てた向うの廢園にはもう躑躅が咲き出した。  自然の推移と、その生命のニユアンスに對して俺は如何に鈍い感覺を持つてゐることだらう。俺は四月と五月との生命の差別さへ碌に知らずに、「晩春」と云ふ大ざつぱな總稱の下に之を經驗して來た。  一年の間微細な注意を以つて自然と共に生きて見たい。自然の生命の推移をしみじみと味ひ占めて見たい。 2  夕暮の散歩。  産科病院の傍から、醜い、穢い犬が二匹出て來た。そのあとから四人の妊婦が醜い姿をして苦しさうにしながら散歩してゐる。黄昏の中を、恥かし氣もなく笑ひ合ひながら散歩してゐる。  俺は又女が憎くなつた。 3  俺は死そのものよりも、死後の肉體のことを餘計氣にしてゐる。  死骸を他人にいじられるのもいやだ。燒かれて油がジト〳〵ににじみ出る有樣を想像するのも耐らない。埋められて、體が次第に腐つて、蛆が湧いて行く有樣を思ふのも耐らない。肉體は牢獄だと云ふ感じが、直接の事實として深く俺の心に喰入つてゐる。  死と共に、肉體が蒸氣のやうに發散して呉れたらどんなに安心だらう。 4  經驗の再現――藝術の製作――を試みる際に、吾等はもう一度その經驗を心の脈搏に感ずる。吾等はそれを書きながら、もう一度泣いたり、笑つたり、怒つたりする事が出來る。併しその涙と笑と怒とが人を顛倒させる時に藝術はなくなるのである。藝術家はその經驗を再現する際に、如何に興奮しても強調しても構はない。併し顛倒することだけは許されない。  それは全體の通觀を妨げるからである。  藝術家の心には、如何なる動亂の再現に際しても、根柢に Ruhe がなければならない。 5  藝術は吾等の經驗を弱めて再現するに過ぎないかも知れない。併し經驗の全體を與へるものは――全體を對象とした感情の經驗を與へるものは藝術の外にはない。吾等は人生又は事件の全體觀を持ち、全體を心から erleben するためには、藝術を俟たなければならない。若しくは自ら藝術家となつて、その經驗を心の中に再現しなければならない。 6  藝術家の心の中で部分が全體となる時に――藝術家の心の中に一つの世界が出來上る時に、藝術家はその表現の要求が始めて完全に滿される事を感ずる。從つてその藝術品は客觀的にも(翫賞する者にも)亦藝術品としての意義を有する。換言すれば翫賞者は藝術家の世界に同化することが出來る。藝術家の内に湧く内部的必然の遂行が、直ちに藝術品の社會的傳達の作用を全くすることは、人生の驚く可き神祕の一である。 7  吾々は茶飮話をして笑つてゐる。此時吾々は人生を經驗してゐるのである。經驗の内容は人生に相違ないのである。  俺は障子をあけて梅若葉の梢に雀の鳴いてゐるのを見る。此時俺は宇宙を經驗してゐるのである。經驗の内容は宇宙に相違ないのである。  併し普通の人は茶飮話をしながら、人生全體、人生そのものを經驗してはゐない。梅若葉の梢に囀る雀を見ながら、宇宙全體、宇宙そのものを經驗してはゐない。此等のものは Symbol として意識に上つて來ないからである。  全體を經驗するには――全體を味ふには、先づ全體の意識を持たなければならない。人生そのものと人生の一内容と、宇宙そのものと宇宙の一内容とは全然感情上(直接經驗上)の意義を異にする。人生そのものは、人生の個々内容及びその總和とは殊別なる經驗の對象である。人生及び宇宙の大流轉の中に在りながら、人生そのもの、宇宙そのものを經驗せずに終る人が多い。之を經驗させるのは、宗教、哲學及び藝術である。さうして宗教及び哲學はこの全體的經驗を描寫し再現することによつてそのまゝに藝術となる。描寫し再現するとは、畢竟感覺的方便によつて精神的感動を傳へることに外ならないからである。  哲學は經驗の概括綜合をなすのみならず、又新しき經驗の對象を提供する。此意味に於いて實の實なるものを對象とし、實の實なるものを創造するのである。斬新にして高貴なる藝術の材料を提供するのである。  その世界觀や人生觀に現はるゝ世界の觀念、人生の觀念を對象として、深い恍惚か歡喜か絶望か憂愁かを經驗することを知らざる者は、その世界觀や人生觀がその人にとつてさへ實ならぬことを證明する。その限りに於いてその哲學は虚僞である。  眞正の哲學は深い世界感情か、深い人生感情を經驗させずには置かない筈である。 (以上四項更につきつめた Elaboration を要す) 8  ……俺はこんな(以上四項)ことを思ひながら「新しい路」を通つた。  「新しい路」とはTの家を訪ふために、最近に發見した路に名づけた名である。  柴折戸を出て畑を向うに越すと、垣根の外に沿うて細い道がある。俺は久しい間、此細路が何處に通じて居るかを知らなかつた。此の月の始め、俺は知らない道を歩く興味に促されて此道を通つた。高い木で暗くされてゐる徑を曲ると、山吹の咲いてゐる川添に出た。その川添には白桃の花が咲き、名を知らぬ灌木が芽を出してゐた。その道は一度之と直角をなす並木路と交叉して又畑の中を通る。畑には麥が青く延びて處々に菜の花の畑が交つてゐた。左手には杉林に交る高い森があつて、その梢には若い緑の芽が柔かに霞んでゐた。徑は二度、稍〻廣い――電車通りに出るために田舍娘の多く通る――道と交つて、直ちに又麥と菜種との畑に入つた。それからもう一度直角をなす道と交つて、ダラ〳〵と田圃の間に下りた。田の畔の小川には板橋があつて、女の兒が尻まで着物をまくつて泥鰌をさがしてゐた。それから徑は又少し上つて今迄通り馴れたOへの道に出ることが出來た。………… 9  俺は先ばかり急いでゐる。  頭の中で敍述するのは創造するのだから飽きないけれども、頭の中で出來た敍述を筆にするのは熱が褪めたやうでつまらない。一句が一度に筆の先へ押しよせて來るから碌そつぽペンを紙になすらずに先の方へ進んでしまふ。それだから「あります」と書かうと思つて「あます」と書いてしまふのである。  俺は一つの仕事をしながら、その仕事が出來上つた先のことばかり考へてゐる。だから××が出來たら、何を讀まう何を考へようなどゝ先から先へ空想するのみで××はちつとも進まない。 10  俺の熱は容易に高くならない。さうして一度出た熱はいつまでもひつかかつてゐてさめてしまはない。  俺は忘れることの出來ない男だ。過去を許すことの出來ない男だ。だから俺は何時も苦しんでばかりゐる。  俺はよつぽど馬鹿だ。 11  午前のことである。俺は死の勝利を持つて外に出た。さうして之を讀みながら廣い庭をあちらこちらした。  俺は死の勝利を讀みながら、過去に經驗した色々の心持を思ひ出した。さうして珍らしく Contemplative な心持になつた。  俺は時々讀みさした處に指を挾んで手にさげながら、緑に溢れてゐる自然を見た。緑の作る深い影ほど俺の心を靜かな興奮に導くものは少い。俺は梅若葉の梢を通して向うの躑躅園を見ながら、俺の Contemplation の快く汗ばむことを覺えた。  俺は微笑した。さうして此微笑の顏は屹度いいに違ひないと思つた。それで、之を鏡に映して見たくなつたけれども、此一節を讀んでしまつてからと思つて暫く眼を本に移した。  敍述は水死の小兒のことに移つた。俺は前のやうな心持になれなかつた。俺は俺の表情が又墮落してゐることを意識してゐた。  一節を讀み了へて、部屋に歸つて、鏡の前に立つたら、俺の顏には妙な影があつて、ちつとも朗かになつて居なかつた。俺は惜しいことをしたと思つた――鏡に向つて自分の顏を檢査するやうな慾望を嗤ふ氣にもならずに。 12  悲しみがその對象となる表象から離れて、一般的の氣分に融けてしまつた時、悲しみの氣分は一雨あつた後の土の樣にシツトリと快く俺の思索と研究との背景を形造つてくれる。俺は雨あがりの土を踏むやうな心よさを以つて、思索と研究との歩みを運んで行く。  昨日の朝はそれが出來さうな氣分であつた。併し今朝になつたら土が乾いてもう埃が飛ぶ。俺は興醒めた心持で机の前に坐つてゐる。 13  昨夜の雨がやんで、雨戸をあけると朝日が庭に影を作つてゐる。今日は春の大掃除だ。始める迄は疊をあげるのが億劫であつた。併し少しやり出したら大掃除が面白いやうな氣がし出した。それで少し頭痛がするのをこらへて、すつかり疊をあげることにした。體を動かすのが愉快であつた。手拭を頭にかぶるのも面白かつた。疊をほして日にあててゐる間、聖フランシスの本を持つて日の光の下で之を讀んだりなぞもした。  夜久しぶりで頭の仕事をした。美學史中世の部のノートを拵へたら頭が爽かになつたから勢に乘じてH先生の「カントの宗教哲學」と云ふ論文を讀んだら十一時になつた。  久しぶりで體と頭を動かしたせゐであらう。「爽かな心持」が又珍らしくも歸つて來た。俺は嬉しくなつた。新しい寢衣を着た上に掻卷を羽織つて外に出た。月がさしてゐる。木立が影を地上に投げてゐる。蛙の聲が頻りにきこえる。俺は嬉しくなつた。  聖フランシスの傳説は、同感し得ず理解し得ぬ多少の斑點を含むにも拘らず、屡〻俺の心を涙に誘つた。カントの哲學にあると云ふ Idealismus の精神も俺の心の中に成長しつゝあることを感ずる。  俺は月下の庭に立つて、「熱の落ちる」やうに迷ひの落ちる時を思つた。さうしてヹールが裂かれた後のやうに新しい世界の開けて來ることを思つた。新しい世界は俺に與へられるのだ。俺は心の底に「他力」と「奇蹟」とを信じてゐる。さうして幾多の迷の後に、遂に召さるべき「恩寵」の豫定をも心密かに信じてゐるやうである。俺の心には希望がなくならない。 14  俺は魂と職業とを堪へ難いまでに爭はせるのも痛快な經驗だと云つた。俺がさう考へたのは本當である。併し事實上、俺はあの問題に惱まされ通しで、此一月餘職業に手をつけることが出來なかつた。俺は Inactivity の中に苦しんで來た。  併しこの重壓を早く卸すためにも、俺の置かれた運命を利用するためにも、俺は職業に骨を折らなければならぬ。俺は今日、再び職業に堪へる力を與へられた樣な氣がする。俺は魂と職業との爭を本當に「痛快」と感ずるだけの積極的な心持をとりかへした樣な氣がする。働くのだ、働くのだ。愚圖々々せずに働いて苦しみの汗を流すのだ。 15  他人の文章を讀んで、俺には興味がないとか、共鳴を起さないとか云へば、直ちにその文章の價値を判斷し得たつもりでゐる者がある。  併し自らを啓發するために常に準備してゐる魂でなければ――自らの中に未だ知らぬ者を求むる苦悶と憧憬とを持つてゐる魂でなければ、本當に他人の世界を理解して、之によつて高められることが出來ない。自分の現在に滿足する者や、狹隘なる自分の興味を標準として之と等しいものを他人の文章から拾ひ出さうとする者は、自分よりも高いもの深いものに對して「興味を感じ」たり「共鳴」したりすることが出來ないのが當然である。  謙遜な心を持つて高められることを望んでゐる者は、凡ての眞實なものに對して「興味を感じ」、「共鳴を覺える」であらう。自らの小世界に滿足して倨傲なるものは、要するに他人によつて啓かれる事の出來ない無縁の衆生である。彼等によつて興味を持たれず、共鳴を覺えられないと云ふことは、決してその文章の價値を減ずるものではない。  外物に就いて現在の自分と等しいものをよりわけることと、自分を動かし高める力として外物の價値を測ることとは大に趣を異にする。  凡ての高いもの、深いもの、眞實なものに興味を感じ、之と共鳴を覺えるやうに自分の魂を啓いて行きたい。自分に興味を與へず共鳴を起さずと云ふ前に、それは對象の無價値なるためか、自分の心の硬ばつてゐるためかを反省して見たい。さうして眞正に無價値なるものを拒斥するに大膽なると共に、多くの價値あるものの眞價値に參じ得ざる自分の未熟を愧ぢたい。 16  ××××の質問に答へて愛讀書の名を擧げて行く中に、俺は俺の心の底に流れてゐるものは大なるクラツシツクの血であることを悟つた。俺はホメーヤやソフオクレスやヨブやダヸデや基督や、ポーロや、聖オーガステインや、聖フランシスや、ダンテやゲーテを精神上の祖先に持つことを愧ぢない。 17  俺は中學にゐて始めてバイブルを讀んだ時に、「基督涙を流し給へり」の句がどんなに俺を喜ばせたかを忘れることが出來ない。 18  俺は謙遜によつて神に往くタイプの人間だ。碎かれて始めて生きるタイプの人間だ。俺の行く途は基督教徒の行く道の外にはない。俺はこのテイピカルな徑路をとるやうに定められてゐることを悲しまない。 19  俺は興奮によつて足が地から離れるやうな誘惑を感ずる。俺は興奮によつて夜も眠を成さぬ程に引ずられて行くことを感ずる。俺は夢の中でも興奮が繼續してゐる夜々を經驗する。俺はゴーホが興奮を恐れた心持を稍〻理解することが出來るやうに思ふ。  併しその興奮がなんだ。馬鹿は馬鹿なるが故に興奮する。愚なる刺客は大なる政治家以上に興奮する。俺は興奮を自慢にする馬鹿と一つになつてはいけない。俺は此興奮によつて偉大なる精神内容を創造した時に、始めて、この精神的内容の故に興奮を自慢しようと思ふ。 20  俺の創作は先づ短い句で來る。此句が Thema となる。書きながら此テマが開展する。俺は開展の勢に任せてテマから遠ざかり過ぎることを感ずることがある。俺は又テマに囘顧して餘りに放恣なる開展を抑へる。  三太郎は此處まで書き寫した。さうして手が疲れたのと、夜が更けたのとでやめた。さうして内容に連鎖がないことと、樂屋落になつてゐることゝを讀者に氣の毒がりながら、郵便に出すために帶封をした。 (三、三、二六) 九 蝦と蟹 1  自己以外のものに生命を認める事は俺の生活を苦しくする。  昨日、松の樹の下蔭に出かゝつてゐる菌を踏んだら、紅味を潮した白い色の、汁氣の多い、彈力のあるその肌が、俺に生命の印象を與へた。俺の心は此の生命を蹂躙したと云ふ意識によつて苦しめられた。――俺のした事の殘酷な事と、生きたものを苦しめる時に感ずるやうな手答へのある快さと。  今朝、伊勢蝦の生きたのを買つて、肴屋から四つに切つて貰つた。さうして之を醤油と砂糖との沸騰せる汁の中に投じた。四つの片がピク〳〵と動いた。截りとられた足の附根が、手のない人がその腕だけを動かすやうに動いた。二つにきりさかれた頭のそれ〴〵の端に在つて、二つの眼が、蟹が怒つた時のやうに眼窩から飛出してゐた。俺は眼をそむけて、直に鍋の蓋をした。  晝にかますを燒く。あの澄んだ眼が燒けるに從つて牡蠣のやうに白くなつて行くのが悲しい。少し開いて稍〻つき出した下唇の奧に、何か血のやうな紅いものが見えた。俺はこれ迄牛鍋をつつきながら、あの赤い肉を見てたまらないやうな氣がした事はあつた。併し魚類はそんなには思はなかつた。然るに俺は此處に來て、その全い形のまゝで料理される魚類を特にたまらないと思ふ。殊にたまらないのはあの頭とあの眼とである。  新しい鮪のさし身の、食べてしまつた後の皿に殘る、あの牡丹色の血はどうだ。  大きい蟻が追つても追つても疊の上に上つて來る。俺は蟻が人をさすやうに思ふ。特に夜寢てから床に這込まれてはたまらないと思ふ。Kちやんにきいたら、蟻は殺すといくらか上つて來る事が少なくなりますと云つた。俺は苦い、緊張した心持になりながら、精一杯殘酷な氣になつて蟻を殺して了ふ。負傷せる蟻の――怜悧にして敏捷なる蟻の――あのもがきやうはどうだ。俺は、あんなに追つてやるのに仕樣のない奴だ、殺しても殺しても仕樣のないやつだ、と一人言を云ひながら、箒をとつて、死んだり負傷したりしてゐる蟻の黒い身を掃き出してしまふ。さうして、眞劔になつて蟻の幽靈が出て來はしまいかと思ふ。蟻が疊の上に上つて來る事がやまないので、蟻との戰爭は特に苦しい。  それでも俺は猶、旨いから蝦と鰤とを食ふのである(今日の鰤は特に旨かつた。)うるさいから猶蟻を殺すのである。(六、二〇) 2  昨日散歩の歸りに、稍〻大きい蟹が電車にひかれて、半分軌道の内側に殘つてゐるのを見た。  Kには田にも畑にも砂山にも蟹が多い。小さいのは蟻くらゐの滑稽なものから、大きいのは拇指の長さ位の幅の甲羅を持つてゐるものまで色々ある。色は白茶けたものもあれば、甲羅が黒くて鋏の赤いのもある。後者は逞しさうでいゝ心持だけれども、前者は影が薄くて、生きてゐるうちから果敢なげである。  蟹の生命は弱いものらしい。家の傍の用水溜の中には何時でも死んだ蟹のゐない事がない。畑の畦でも田の畔でも俺は毎日のやうに蟹の死骸を見ない事がない。さうして蟹の死骸は生きたまゝじつとしてゐるやうに水溜などの底に沈んでゐることもあるけれども、大抵は甲羅と鋏と諸足とがばら〳〵になつてゐる。白茶けた蟹の死んだのは、晒されたやうで、見すぼらしく、哀れに、みじめであるが、黒と赤とで彩られた稍〻大きい蟹が、手足處を異にして死んでゐるのを見ると、生々しくて、刺戟の強さは又格別である。  俺は今蟹の死骸に苦しめられてゐる。俺は蟹の死骸に逢ふ毎に、なまみの無常を感じて額を曇らせずにはゐられない。谷中に墓地を見て暮してゐた時はこんな氣がする事が却て少なかつた。俺は人間の墓を見るよりも蟹の死骸を見る方が心が痛い。一つは死の記號で、一つは死そのものゝ姿だからであらう。(七、一四) 3  害蟲の驅除とは何ぞ。材木を蝕ふがために白蟻を燒くとは何ぞ。自己を養ふ爲に動物又は植物を食ふとは何ぞ。盜賊とは何ぞ。殖産興業とは何ぞ。家屋とは、邸宅とは、財産とは、需要とは、供給とは何ぞ。  嗚呼この底止するところなき Entweder-oder を何としよう。(七、九) 4  愛するとは自分の生活を捨てゝ他人のためにのみすることか。  自分の生活を豐かにして、その饗宴を他人に頒つことか。  愛するとは全然自己の權利を抛棄することか。  愛する者はその施與に資すべき自己の貯蓄を保護するの權利を有するか。  凡そ權利とは何ぞ。 (七、二)  今朝、味噌汁の身にするわかめを水に浸けるために、伏せて置いた洗ひ桶をあけたら、中に蟹がはひつてゐた。俺が洗ひ桶を手に持つて立つてゐるので、蟹は逃げ路に困つて暫くまご〳〵してゐたが、遂に一飛び飛んで水落しの中に隱れてしまつた。  横這ひの蟹でも矢張飛ぶことがあると見える。俺は蟹の飛ぶのが自分自身のことのやうに嬉しかつた。 (九、五) 十 Aに  先月の中頃、僕の往復葉書の返事が出てゐる新聞を社の方から送つて呉れたので、一緒に載つてゐる君の「三太郎の日記」の評の第三囘を讀んだ。さうして君の態度が冷やかで君の云ふ事が僕を正解してゐないやうな氣がして不平だつたから、直に君に宛てその不平を訴へる葉書を書いた。併し母屋へ行つて古い時事を探して貰つて、その第一囘を讀んだら君の親切と好意が極めて明かになつたので、僕は君に對して不平を感じた事を自ら恥ぢて、その葉書を破いて燒いて了つた。併し本當に理解されてゐないと思ふ寂しさはどうしても除くことが出來なかつた。先日(旅行に出かける前)S君から君の批評の切拔全部を送つて貰つて通讀した時には、僕は君と差向ひになつて少し戲談交りに眞面目な話をしてゐる時のやうな氣持になつて、少しいい心持にさへなつた。併しそれにも拘らず正當に理解されてゐないと思ふ寂しさは矢張り僕の心の底に固着してゐて離れなかつた。君と僕との間では、少しの蟠まりでも裹んで忍ぶよりは、打開けて訴へ合ふ方がいい事だと思ふから、僕は――もう不平とは云はない――此寂しさを君に書いて送らうと云ふ氣になつた。それで旅行から歸つて、稍〻心持の靜かになつた今日になつて、君に宛てた公開状を書き始めるのである。  僕は近來、大膽な勇猛な、懷疑の心持などは影さへ差さない、併し不幸にして藪睨みな批評家によつて、幾度かまるで見當の違つた批評を聞かされた。彼等の或者に從へば、僕は單に修辭家に過ぎなかつた。彼等の或者に從へば、僕は生活と切り離された頭の遊戲に耽つてゐる論理の化物であつた。彼等の或者に從へば、僕は情意の作用を全然無視してゐる思想の乾物であつた。僕は此等の批評家が僕の文章の何處を讀んでゐるかを訝つた。さうして此の如き無理解を公言して憚らぬ彼等の頭の、蜂の巣の樣に穴だらけな事を憐み、彼等の人格の疎漫で無責任な事を憎んだ。而も同時に、齒牙にかくるにも足らざる輩に對して本氣になつて不愉快を感ずる僕自身を嗤はずにはゐられなかつた。さうして、僕はひつくるめて、此等の無理解の中に生きてゐるのが寂しかつた。今、君の批評を此等の批評家の批評と較べれば、僕はどれだけ君に感謝していいかわからない。君の理解は徹底してゐないまでも、決して見當が違つてゐはしない。君の僕に對する態度は友達らしい親切と好意とに溢れてゐる。君が僕の中に誠實と情熱とを認めて呉れたのは特に嬉しい事であつた。僕は僕の平生を熟知してゐる君の證言を得て、僕を才氣と論理との化物のやうに心得てゐる世間の誤解から救はれたやうな氣がした。僕は如何に君から正當に理解されてゐない事を寂しく思ふにしても――云ふ迄もない事だが、決して君を世間の批評家並に見てゐるのではない。僕は君から理解されてゐない點を述べながらも、心の底には君に對する感謝の念を失はないつもりだ。僕は先づ此事を明瞭に君に云つて置きたい。  僕が君の批評に對して幾分なりとも不滿を感ずるのは、決して君の褒めやうが足りないからではない。僕は或點に就いては、君から身分不相應に褒められてゐる事を感じてゐる。君は僕の才氣を、僕の理解力を、僕の思索力を僕の自信以上に認めて呉れた。僕は君がもつと褒めやうを差控へて呉れたところで決して不足を云はうとは思はない。又、僕が君の批評に不滿を感ずるのは、決して君が僕の缺點を擧げてゐるからでもない。例へば、「……持前の勝氣に驅られて乘出しすぎるやうな處がある。此點に於いて著者の勝氣の十分に發揮せられたプロテスト風の文章が今の處著者の文章として最も隙のない者のやうに思はれることは自分の寧ろ著者のために悲しむ所である。」と云ふやうな言葉は、僕が知己の言として滿腹の感謝を以つて甘受するところである。又、「願くはカーライルと比較せられた事を光榮として、君の技巧に一層無意識的な偉大を藏する樣に志して貰ひたい」と云ふ言葉も――君が僕の技巧として擧げた四つの例の中で三つは單純な寫生で一つは氣まぐれの洒落だから、實例としては孰れも承認する事が出來ないけれども――僕が確に「光榮」として受納するところである。僕の不足に感ずるのは、決して此等の點に在るのではない。  僕が君の批評に就いて不足を感ずる點は、僕が自分の友達に對して――特にも君に對して、最も要求してゐる點に就いて、僕の期待が裏切られたからである。僕は友達から自分の長所を認められる事を(固より輕蔑されては堪らないが、苟も輕蔑に至らぬ限りは)そんなに大切な事とは思はない。僕の要求するのは、何よりも先づ僕の缺點を根柢から認識して呉れることである。自分の缺點に惱み、缺點と戰ひ、缺點そのものの中に人格的價値を創造しようとしてゐる僕を、憐み、愛し、若しくは尊敬して呉れる事である。他人に同情を求める事は僕の性癖として極端に嫌ひな事であるが、凡ての乞食らしい、婦女子らしい、感情家らしい臭味を擯けて、友達から自分の缺點にミツトライデンして貰ひたいとは思はない譯に行かない。僕は自分の友達の中でも、君は特に僕の缺點にミツトライデンして呉れる事が出來る人だと思つてゐた。然るに僕は君の批評を讀んで、君が存外僕の缺點を淺く見て、存外平氣で――思ひ遣りの少いガサツな手で、僕の缺點を取扱つてゐるのを發見して寂しかつた。此寂しさは、全然理解のない、寧ろ惡意を含んでゐる者に取卷かれてゐると思ふ寂しさとは固より意味が違ふけれども、君のやうに親切と好意とを持つて呉れて、君と僕とのやうに要求と思想と(人格とは云はない)が接近してゐながら、猶人と人との間にはこれほどの罅隙があるかと思へば、今更ながら新なる寂しさを感ぜずにはゐられないのである。さうして此寂しさは前のものよりも、どれほど深酷で、心細いか知れないやうな氣がする。此寂しさを幾分なりとも少くするために、僕は君の前に、出來るだけ正直な心で、少しく自分の自己を語りたいと思ふ。 (一)、僕は君が僕の文章並びに人格を評して、「餘りに襤褸を出すまいとし、隙を見せまいとして」居ると云つた言葉に就いて不滿がある。さうして僕をかう解釋する事が世間で殆んど定論となりかけてゐるらしいから、僕は猶更此事に就いて沈默したくない。一體襤褸を出すまいとし、隙を見せまいとするとは、世間の前に自分の利益若しくは、名譽を防禦して、之を危險に晒すことを恐れると云ふ事でなければならない。併し僕の樂に動けない性質を此のやうに外面的に解釋してしまふのは、僕の性格の内奧にある Dialektische Natur を全然理解して呉れないものである。僕の心の中には常に主と客とがある。一つの聲がさうだと云ふともう一つの聲がさうぢやあるまいと云ふ。此二つの聲の云ふ處に詳しく耳を傾けて一一の理由をおしつめて行かなければ、僕は曲りなりにも「確かさ」の感じに到達する事が出來ない。さうして僕は此感じなしに言動する事が出來るほど無責任な人格ではないのである。僕が思想に於いては進行が遲く、實行に於いては活動が鈍いのは、主として僕の此性質に基いてゐる。若し僕の言行に襤褸が少いならば、それは襤褸を出すまいとするからではなくて、襤褸を出せないからである。若し僕の文章に隙が少いならば、それは他人に突込まれるのが口惜しさに、始めから逃げ路を用意して置くからではなくて、苟も隙が自分の眼につく限りは自ら安んずる事が出來ないからである。併しその實、僕の文章は決して襤褸や隙の少い文章ではない。少し時を經てから見れば僕の文章は僕自身の眼にさへ可なり襤褸だらけ隙だらけである。若し僕が他の人達のやうに、更に甚だしく襤褸だらけ隙だらけな事を云ふならば、それは單に僕の誤謬に止まらずして、又僕の人格の不誠實に基くものでなければならない。實際僕は不誠實にならなければ、今日以上に「放膽」な文章を書く事が出來ない。固より僕は自分の辯證的な性質を苦しいと思ふ。併し同時に僕はこれあればこそ世間並に上滑りして通る事から救はれてゐるのだとも思ふ。さうして要するに僕は此性質を恥かしいとも惡いとも思ふ事が出來ない。僕の樂に動けない性質を單に打算から、若しくは勝氣から來る臆病から解釋して了ふのは聊か僕を見損つたものであらう。僕は、少くとも此點に就いては、世俗の解釋よりも、もつと内面的なもつとノーブルな品性を持つてゐると自信する。僕は君からまで世俗並にしか見て貰へないのが寂しい。  尤も此點に於いては君と僕とは大分頭の性質を異にしてゐる。君が素直に眞直に深入する事が出來るところに、僕は右に突當り左に突當りしなければ這入つて行く事が出來ない。固より僕はかうしなければ深入する事が出來ないのだから、無條件に君の往き方がよくて僕の往き方が惡いのだとは云つて了ひたくないけれども、兎も角二人の往き方にこれだけの相違があることは爭はれない。從つて君が僕の辯證的性質を理解して呉れないのは無理もない事のやうにも思ふ。唯僕の不滿を感ずるのは、君が理解しないものを理解した積りになつて、何等の懷疑的色彩もなく、斷言的に、樂に、淺く、僕の性質を片付けてゐる事である。一體事物(特に他人)を根本的に理解するのは決して容易な事ではない。君は決して此事を知らない人ではないけれども、君のやうな往き方の人は、往々自分と異つた存在に對しては此認識の困難を忘却して、存外手輕に拵へ上げた想定に存外絶對的な信憑を置き易いやうに思ふ。此事を再考して貰ひたい。 (二)、君が僕の自己沈潛の味を純粹でないと云つた事に就いても色々詳しく考へて貰ひたい事がある。此非難は僕にとつては可なり重要な非難であるが、不幸にして君の非難の内容は可なり曖昧である。君が難ずるのは僕が自己沈潛の經驗を他人に聞かせるやうに語つてゐる點にあるのか、僕の自己沈潛そのものが「人交ぜ」をしてゐる點に在るのか。前の意味ならば、三太郎の日記の大部分は最初から他人に見せる目的で書いたものであつた。それは「三太郎の日記」で「次郎の日記」ではなかつた。だから自己沈潛の經驗を語るに際して僕の意識が「人交ぜ」をするやうになるのはやむを得ない。君の所謂「周圍に對して敏感な性質」が混入するやうになるのはやむを得ない。併しそれは語らるゝ内容としての自己沈潛が始めから人交ぜをしてゐたと云ふ證據にはならないと思ふ。三太郎の日記の中には、外に純粹に「内生活醗酵の一節に結語」を置くつもりで書いた少數の文章(「山上の思索」、「生存の疑惑」等)があるが、此等の文章も猶眼に立つほど「人交ぜ」をしてゐるだらうか。猶人間並の意味で純粹を缺いてゐるだらうか。若し君の非難が僕の自己沈潛其ものゝ經驗に迄も及ぶならば、僕は即座に君の言葉を承服する事が出來ない。固より僕の自己沈潛の力はまだ〳〵缺乏を極めてゐる。僕は決して今日の程度で滿足してゐようとは思はない。若し僕がトルストイやゲーテなどの傍に生きてゐるならば僕は自分の沈潛の力の足りなさを恥ぢても恥ぢても足りないと思ふに違ひない。併し僕は不幸にして、見渡す限り自己沈潛のまるで出來さうもない連中の中に住んでゐる。僕は自分の沈潛の力を、純粹の點に於いても、深さの點に於いても、彼等の前に謙遜しようとは思はない。僕は唯トルストイやゲーテの前に自ら遜るのみである。  思ふに此點に於いて君の眼を暗ましたものも亦僕の辯證的性質ではなかつたらうか。僕の心の中では純粹に他人離れのした生活に於いても猶、主と客とが相對して可なり才走つた會話を交換してゐる。君はまるで人聲がしない筈の處に話し聲がすると思つたかも知れない。その話し聲の中には時として笑ひ聲が交つてゐるのを聽いたかも知れない。さうして僕の自己沈潛には人交ぜをしてゐると思つたかも知れない。併し僕の「一人ゐる事」は常に「二人ゐる事」だから、第三者――僕の場合こそ本當に第三者である――を交へぬ場合にも猶僕の世界には話し聲が絶えないのである。僕の世界に話し聲が聽える事實は僕の自己沈潛が人交ぜをしてゐると云ふ證據にはならない。尤も僕の中にゐる主と客の會話は可なり才ばしつてゐるから、まだ〳〵しんみりした味が足りない。故にしんみりしてゐないと云ふだけならば僕も全然同感である。唯このしんみりしてゐないと云ふ事實を僕の自己沈潛そのものの不純にまで漫然として擴張されるのが不滿なのである。僕は君の考へ方の淺くて樂すぎる缺點が此處にも現はれてゐはしないかを疑ふ。 (三)、君が僕を「通がりの田舍者」のやうだと云つた言葉も僕には意外だつた。僕は從來隨分自分を色々な惡者に見立てゝ考へた事があるけれども未だ嘗て自ら「通がり」だと思つた事はなかつた。僕は僕がペダンテイツクだと云ふ世評を君の批評と併せて考へた。ペダンテイツクだと云ふのは多分「通がりの學者」位の意味であらう。僕は田舍者ではあるが學者ではない。此點に於いては君の評が當つてゐて世評が間違つてゐる。併し、僕の自覺に從へば、僕を「通がり」だと云ふ點に至つては君も世間も共に間違つてゐる。「通がり」と云ふ事は他人の缺點としては恕す事が出來るが、僕自身の缺點としては到底許す事の出來ないいやな性質である。勝氣な僕は君から「通がり」と云はれた事を口惜しいと思ふ。  僕は自分の良心にかけて云ふ、僕には物知りを誇りとする氣は毛頭ない。物知りを誇りとするには僕の抱負は餘りに高過ぎる。併し僕にも知らぬを恥とする心はある。さうして僕は知らなければならぬ僅少の事までも知らない。僕は知らなければならぬ事を知らぬ恥かしさに、又口惜しさに、知識の補充をハンドブツクや百科全書にまでも求めてゐる。だから、僕の示唆を仰ぎ、僕の考察又は解釋又は講述に使用する知識には不自然な落付かない處があるには違ひない。併し自ら「通がり」となる事の嫌ひな僕は眞に鼠賊が贓品を使用する時のやうな忸怩の情を以つて、事情の許す限り控へ目に之を使用するのみである。固より讀者に問題が充溢してゐる場合には、ハンドブツクと雖も決して吾人を啓發する力のないものではない。苟も眞正に自分を啓發するものならば、僕はハンドブツクから來る示唆と雖も猶之を尊重してゐる。併しその他の點に就ては、僕は淑良なる婦女子のやうに知つてゐる事まで知らない顏をする程謙遜でこそないけれども、ハンドブツク其他から得た半可通の知識を誇説して、「通がり」を振𢌞すための厭味や洒落を云つた事は決してないつもりである。貧に迫つて泥棒をする者は見え坊だらうか。無知を恥ぢて知識の補充をハンドブツク其他に仰ぐ者は、さうしてその使用を神經過敏に消極的の一面に限らうとしてゐる者は「通がり」だらうか。僕は僕に僕の大嫌ひな形容詞を與へた君と世間とを見返すために、もつと〳〵本を讀んで大通になつてやらうと思ふ。 (四)、「厭味」と云ひ「下品」と云ふ言葉も亦僕にとつては極めてシヨツキングな言葉である。既往は兎に角、現在に於いては、他人に對しても自分に對しても僕は此シヨツキングな言葉を輕易に使用する事を好まない。僕の生活は此點に於いて病を持つてゐるために、自らの手でも他人の手でも兎に角僕は此點に觸れられると飛び上るのである。併しそれにも拘らず、寧ろその故に、僕は唇を噛んで君の此點に關する非難を默聽してゐなければならない。僕の人格も文章も、確かに「厭味」で「下品」に相違ないからである。僕は君の言葉が眞實である廉を以つて、君の批評に不平を云ふ事は出來ない。僕の不平を感ずるのは、君が僕の「厭味」と「下品」とを輕易に取扱つて、而も此等の缺點が僕の人格に作用してゐる積極的意義を認めて呉れないからである。  君の云ふ處によれば僕の厭味と下品とは僕の「才氣」から生れて、僕の「聰明」によつて驅逐される事が出來るほどの手輕なものらしく見える。併し僕の下品や厭味は決してそんなに表面的なところに根を卸してゐるのではないのである。固より僕は善惡、美醜、高下を甄別して心から善と美と高とを愛する意味に於いては人間並にノーブルな品性を持つてゐると信じてゐる。自ら善と美と高とに就いて惡と醜と卑とを離れむとする意味に於いても亦人間並にノーブルな意志を持つてゐると信じてゐる。此等の點に於いても下品だと云ふ非難があるならば、僕はその非難を承服する事が出來ない。併し僕には亦高きに翔らむとする心を裏切る可なり旺盛なるジンリヒ・エローテイツシユの興味がある。さうして僕の心が高きに行かうとすればするほど此二つのものゝ矛盾が――從つて又ジンリヒ・エローテイツシユの興味そのものが益〻目立つて來るのはやむを得ない。僕の下品の最後の根據は、僕の人格内に於ける動物性の跳梁と、自由に「高貴」に此跳梁を肯定する事を得ざる僕の理想との矛盾に在る。此の矛盾は僕の生活に無理と、生々しさと、高いもの其ものゝ中に潛む卑しさとを拵へて居るのである。又僕には人生と自己との缺陷と矛盾とを見る相應に鋭い眼と此缺陷と矛盾とを憤激若しくは苦笑を以つて否定せむとする相應に溌剌たる倫理感とがある。從つて僕の言動には他人を刺傷する圭角が多いに違ひない。併し僕は直ちに此事を僕の厭味として承服する事を肯んじない。此事を以つて直ちに僕の厭味とする者は刺戟を受けたる瞬間の痛さにその刺戟を與ふる者を怨恨する事をのみ知つて、一應は不快なる印象の中から振返つて眞理を探し出すほどのノーブルなる品性を缺いた、執拗野卑なる賤民である。併し僕には確かに僕の圭角を包んで之を淨化する愛と温情とが足りないに違ひない。此大事なものが足りないために、僕の針には毒を含み、僕の笑ひと憎しみとにはノーブルな品性を持つた人をも猶不快にするやうな厭味が籠つてゐるに違ひない。僕の厭味の最後の根據は實に愛せむとする意志と愛するを得ざる本質との矛盾にある。愛の缺乏と動物性の跳梁と――この二つこそ僕の厭味と下品との奧深き根なのである。僕はこの二つの事を外にして僕の下品と厭味とを承認する事を肯んじない。さうしてこの二つの事は共に僕の「聰明」を以つては如何んともするを得ざる人格の病ひである。  若し君が僕の下品と厭味との根を此處まで追及して理解して呉れたならば、恐らくは此處に君自身と共通な或ものを認めたらうと思ふ。固より君の中には僕のやうに矛盾した混雜した動物性の跳梁がないには違ひない。君の眼と心とは僕のやうに苦味に充ちてゐないにも亦違ひない。併し靈性と動物性との矛盾が混在する限り、愛せむとする意志と愛するを得ざる本質とが相剋する限り、凡ての人はそれぞれの性格に應じて樣々に姿を變へた下品と厭味とを持つてゐると思ふ。僕は君自身も亦此點に就いて苦惱を感じてゐる人だと思つてゐた。(これは君を僕と同樣な惡者に引卸さうとするのではない。人間に共通な矛盾の一面から君をも見ようとするのである。さうして此矛盾を自覺してゐる人として君の特別の敬意を表しようとするのである。)從つて僕は君から、僕の才氣の上に輕く浮ぶ、僕自身に特有な缺點として僕の人格の爛れに何氣ない手を觸れられようとは思つてゐなかつた。僕は君が君自身の内面生活に於いて苦のない人でない事は熟知してゐる。併し君には他人の苦を理解する點に於て時にガサツな(自分自身の興に乘つた)淺い率直に任せすぎる處はないか。認識者としての生活のみならず又道徳の生活に於いても、極めて輕い、極めて無邪氣な意味に於いてパリサイ人らしく無神經なところがないか。反省の餘地があるならば反省して貰ひたいと思ふ。  最後に、自分の下品と厭味とに對する自覺は僕の生活に張りを與へてゐる。さうして休息を許さない。詳しく云へば疲勞を恢復するための小康をば與へるが、小成に安んずる意味の休息をば許さない。概括して云へば僕の缺點は常に僕を向上に驅り、僕の惡魔は常に僕を神に驅つてゐるのである。併し君は此點を認めて呉れなかつた。唯僕の「聰明」を以つて猶此等の缺點を脱却しきつてゐないのは「苦々しい」と思つてくれただけであつた。さうして君が此意味に於いて同情と理解とに乏しい例は他にもう一つある。君は著者は無意識の偉大や碎けたる心や自己沈潛を説く人だが、「然し」著者の文章には(從つてコンテキストから推せばその人格生活には)未だ此等のものゝ味が出てゐないと云つた。君の文章の論理的關係は可なりルーズだと思ふが、君の文章の直接の意味から云へば、僕は君から説く事とある事との矛盾を責められてゐるやうな氣がしない譯に行かない。併し僕は無意識の偉大や碎かれたる心や自己沈潛を自分自身の十分領得してゐる境地として説いた覺えはない。殊に碎かれたる心と自己沈潛の心とは僕が切に待望し乍らも未だ到達し得ざる境地として、三太郎の日記の中で幾度か悲嘆の情を洩らしたところである。未だ到達し得ざる境地を胸に描いて之に向つて進撃しようとするのが三太郎の日記のテマである。從つて僕の生活にも文章にも、無意識の偉大や碎かれたる心や自己沈潛の味が十分に出てゐないのは矛盾ではなくて當然である。さうして僕は此等の境地に到達する事によつて滋味の深い、垢拔けのした生活と文體とを獲得する事が出來てゐない代りに、此等の境地を待望する事によつてどれほど君の所謂「緊張」を得てゐるか、どれほど人生と自己とを見る眼にゆとりを得、どれほど自分の高慢を抑へ浮動を警め得てゐるか知れないと思ふ。固より出てゐないものを認めた點に於いて君の觀察は大體正鵠を得てゐる。併し君は出てゐないことの當然な所以も、それにも拘らず此等の待望が僕の生活を高揚させてゐる所以も、共に認識して呉れなかつた。君は僕の長所を一方に數へ、僕の短所を一方に數へる、併し僕の存在の根柢から、僕の長所と短所とを併せて理解する事をばして呉れなかつた。君にはまだ僕がバラ〳〵な人間としか見えてゐないやうに思ふ。從つて褒められても非難されても僕の「人」は寂しい。  僕は君が「痴人とその二つの影」を解釋したあの見方で、僕の缺點と長所との一切を理解して貰ひたかつた。著者の原質は下品で、嫌味で、恐ろしく意識的で、可なり高慢で、隨分浮氣である。併し著者は此原質に甘んぜずに、自己超越の要求を抱いてゐる。故にその原質の征服が出來てゐない限り、著者の人格も文章も下品で嫌味で意識的で高慢で浮氣である。併し自己と他人との矮小と野卑とに堪へざる點に於いては著者の意志も品性も文章もノーブルである。さうして著者の生活と文章とは苦しいがために緊張してゐる。――僕は出來るならばかう云つて貰ひたかつた。さうして出來るならばロダンのケンタウリンに似たこの苦痛に、出來るだけデリケートな手を觸れて貰ひたかつた。  當面の問題に就いて云ひたいと思つた事の中、重要なものは略〻之で述べ盡した。其他一般に、友情、理解、孤獨、批評等の事に就いて云ひたい事が隨分澤山あるけれども――本當に云ひたいのは寧ろ此方にあるのだけれども、既に餘り長くなり過ぎてゐるから今度は一旦筆を擱かう。此等の事は又重ねて云ふ機會があることと思ふ。 (三、八、一三) 十一 碎かれざる心  僕はこの數ヶ月の間、殆んど他人を愚かだと思ふ心と、自らを正しいと思ふ心との中に生きて來た。他人を愚かだと思ふことも自らを正しいと思ふことも、彼にとつては要するに五月蠅い、下らない心持に過ぎなかつた。併し彼は五月蠅い、下らないと思ひながらも、猶この心持の煩ひから脱却することが出來なかつた。併しこの煩ひは又彼を或新しい覺悟と要求との前に連れて行つた。今、彼は過去數ヶ月間の生活を囘顧して、此處にも脱がなければならぬ皮があつたのだと思つた。  彼はこの數ヶ月の間、他人の生活と思想とを審判することを職業とする批評家と云ふ一團の人の問題となるべき、特殊の事情の下に立つてゐた。彼は元來自分に關する評判を獵つて讀む方の性質ではなかつた。併し又自分の眼に觸れるものまでも讀まずに素通り出來るほど超越した性質でもなかつた。或ものは彼が見付けて讀んだ。或ものは友人が持つて來て彼に讀ませた。さうして彼はそれを讀めば、批評家の云ふ意味を自分自身の自覺に照して判斷せずにはゐられなかつた。彼は批評家の批評を心の中に批評し返した。さうして大抵の批評が間違つてゐることを發見した。無邪氣な態度を以つてする者に對しては、彼は唯此人は間違つてゐると思つた。御粗末な内容を述べるに、高慢な、氣取つた、自ら高くする態度を以つてする者に對しては、何だ下らないと思つた。敵意若しくは惡意を以つてする者に對しては、下らない奴だなあとさへ思つた。此の如くにして彼は多くの批評家を心の中に輕蔑した。輕蔑せずにはゐられなかつた。  彼は又その人自身の思想としては尊敬すべきものを持つてゐさうに見えながら、他人の批評をさせると、まるで心理的哲學的の洞察を缺いた滅茶苦茶なことを云つてゐる人があることを見た。さうしてその人がその人自身の思想をばまるで發展させずに、最も柄にない他人の批評を書き散らしてゐるのを見て惜しいやうな氣がした。彼の意見に從へば、大抵の人がその人自身の思想や感情を述べたものは、誠實でさへあれば常に多少の價値があつた。併し他人の内生に貫徹する能力を根本條件とする批評に於いては、特別なタレントのある人でなければこれを書く資格がないのであつた。彼の周圍には批評家のタレントを持つてゐる人が甚だ少かつた。さうして批評家のタレントの少い者ほど平氣で批評を書いてゐるのであつた。彼は自分も昔は此等の批評家の仲間であつたことを思つた。彼は基督教に所謂審判にも似た恐ろしいことを、平氣で、面白半分に、時としてはいい氣になつてやつて來た自分を深く恥ぢた。現在の彼は、「我が審判はたゞし、そはわが意を行ふことを求めず、我を遺しし父の意を行ふことを求むればなり、」と云ふほどの自信がなければ批評と云ふことは出來ないと思つてゐるのである。  彼は元來貴族的な性癖を持つてゐる男であつた。從つて彼自身をも彼の周圍をも、器の大小、才幹の多少によつて評價する傾向が深かつた。この傾向は久しく彼を苦しめた。彼は近來になつて少しくこの見方から脱却することが出來たやうな氣がしてゐた。凡ての人間を同胞として見ることを學び知つたやうな氣がしてゐた。さうして實際、彼は彼の周圍にゐる無邪氣な、謙遜な人たちに對しては彼自身のプライドを殆んど除外して交つて行けるやうになつてゐた。併し彼を取卷く批評家たちに對しては、彼はこの態度を以つて對することが出來なかつた。彼は彼の批評家が丁度彼が忌避しようとするその點に中心を置いて彼を批評してゐることを感じた。而も彼等が自分よりも大きい者、高い者の立場に身を置いて彼を批評してゐることを感じた。從つて彼は大小高下の點に於いて彼等と自分とを比較して見る衝動を感ぜずにはゐられなかつた。さうして彼等が彼よりも小さく、低く、お粗末なことを發見せずにはゐられなかつた。彼は彼等を痛快にこき卸してやりたいと云ふ慾望を感じた。「自ら高くせむとする者を卑く」してやることに就いて意地の惡い喜びを感じた。此の如くにして彼は彼に關する批評を讀む毎に自分のプライドの緊張を感じた。而も亦このプライドの緊張を煩さい、下らない、馬鹿々々しいと感じて、自ら賤む心持を經驗せずにはゐられなかつた。さうして彼は結局批評家と云ふものは煩さい動物だと思つた。彼は自分もこの煩さい動物であつたことを――恐らくは特別に煩さい動物であつたことを思つて、再び自ら恥ぢた。  彼は批評家の存在の理由を考へて見た。批評家は作家のためにのみ存在するのではない。彼は凡ての現象を理解するやうに、作家と云ふ一つの現象をも根本的に理解するために、理智的學術的の要求から批評を書くことも出來る。彼は又或作家を社會に推薦し、或作家を社會から排斥するために――社會生活上の動機から批評を書くことも出來る。從つて作家その人を聊かも内面的に啓發する力のない批評と雖も、他の方面から見て多少の效益があれば、なほ全然無意味とは云ひ得ない筈である。彼はかう考へて見た。さうして作家が自分にとつて有益であるかないかの一點からのみ批評の價値を量るのは間違つてゐると思つた。しかし作家が自分の要求に從つて批評に對する去就を決するのは彼の自由であつた。彼を啓發する批評を尊重して、彼を啓發する力のない批評を無視するのは彼の自由であつた。  彼は(三太郎は)今自分自身の立場から自分に加へられた批評を囘顧して見た。彼等に從へば、彼は或は論理は細かだが生活に根據のないことを云ふ嘘吐きであつた。或は脱殼で早老者であつた。或は御殿樣で厭味で下品であつた。彼はこれ等の批評を省みて少數のものは當つてゐて、多數のものは當つてゐないと思つた。さうして當つてゐても當つてゐなくても要するに彼にとつてはどうすることも出來ないことだと思つた。彼は三太郎として生れて來たものであつた。彼が三太郎として生れて來たことは彼の意志ではどうする事も出來ない事實であつた。彼は唯自分の持つて生れて來たものを發展させ、淨化させるポツシビリテイを持つてゐるのみであつた。彼は發展の慾望淨化の慾望が内から盛んに燃え立つ事を願つてゐた。此等の慾望と努力とが外から誘掖され助勢されることを願つてゐた。併し彼の持つて生れたものを並べて見せようとしたに過ぎざる此等の Characterization は彼にとつて何のたしにもならぬものであつた。此等の鑑定は唯自分がそれを意識してゐない場合にのみ、警告として役立つ筈であつた。併し不幸にして彼に就いて云はれた此等の批評は、當つてゐる限りに於いては彼の意識して自ら苦しんでゐるところであつた。彼の意識してゐなかつた限りに於いては當つてゐないことであつた。彼は此等の批評に感謝すべき所以を知らなかつた。當面の問題に對して的確な、明細な批判を下す能力のないものこそ、他人の人格を丸呑みにしたやうな、大攫みな、見識ぶつた批評をしたがるものだ、と彼は思つた。  彼は又彼自身が自分に加へたと殆んど同じ言葉で彼を是非する批評を見た。この批評には固より異議のありやうがなかつた。同時にこの批評によつては啓發のされやうも亦なかつた。  彼自身以上に彼を知つてゐる洞察の鋭い人に出逢はぬ限り、彼が何人であるかに就いての批評は彼にとつて凡て無用であつた。彼は唯彼の現在の思想内容、現在の行き方、現在の生き方の可否に關する細かな批評を聽きたいのであつた。此等の點に關する批評は、當つてゐる者でも當つてゐない者でも、彼は尊敬と感謝とを以つて喜んで讀んだ。併し彼は不幸にしてこの方面に關しては餘り批評して貰へなかつた。多くの批評は彼を馬鹿だと云つた、若しくは感心だと云つた。併し馬鹿が馬鹿として現在どんな行き方をしてゐるか、その行き方はどこまでが身分相應で、どこからが間違つてゐるか、それをはつきり云つて呉れる人は殆んどなかつた。或人は唯自分の立場はさうぢやないと云つた。併し彼の立場と此の立場とが交叉する點まで掘り下げて行つて、其點から彼の(三太郎の)誤謬を説明して呉れるのではないから、その批評をきいても、彼は矢張りまるつきり前と同じ方針に從つて進んで行くより仕樣がなかつた。  この數ヶ月の間、彼が批評家たちによつて學び知つたことはこんなことであつた。さうしてその結論は、現在の社會に於いて、自分の思想上の生活は甚だ孤獨だと云ふことであつた。孤獨が孤獨なだけならば、それはやむを得ざることであつた。孤獨を孤獨のまゝにそつとして置いて貰ふことは寧ろ彼の最も愛好するところであつた。併し彼は可なり多數の批評家の態度に彼の孤獨を攪亂せむとする意志を讀んだ。彼等の態度は彼の心を孤獨にするのみならず又彼を苦々しくした。さうして彼は彼等によつて苦々しくされる自分自身の心に就いて苦々しさを感じた。  彼は彼等の態度に好意と親切とを認めることはとても出來なかつた。彼を友人らしく取扱つて、彼と共に眞理を砥礪しようとする誠意はとても認めることが出來なかつた。彼は先づ第一に何だと思ふ反抗の感情を刺戟された。それから振返つてこの感情を抑へながら、始めて此等の言説の眞理内容を檢査することが出來るのであつた。然らば彼等は自分に對して憤慨してゐるのだらうか、自分は憤慨に價するほどの不都合な人間だらうか。彼は又かうも反省して見た。彼は自分の人格が聊かも憤慨に價しないほど卑しいところも汚いところもない人格だと云へないことを悲しいと思つた。併し彼の思想を導くものが眞と高とを愛するノーブルな意志であることも、彼の思想が彼の誠實な精進の努力の所産であることも疑がなかつた。さうして憤慨に價するのは誤謬ではなくて邪惡な意志だから、自分は少くとも思想上の生活に於いては憤慨に價するほど不都合な人間ではないと信じた。若し彼自身の態度に挑發的なところがあるとすればそれは彼のプライドと自信とだけでなければならない。彼は自分の自信を當然と思つて、自分のプライドを悲しいと思つた。併し他人のプライドによつて挑發されるやうなものは、憤慨と云ふやうな公明な名に價しない反感と嫉妬とに過ぎないと思はずにも亦ゐられなかつた。彼は自分の周圍を見𢌞して幾つかの反感と嫉妬とを發見したやうな氣がした。さうして何だと思つた。彼は又最も無邪氣な意味に於ける競爭心と、面白半分の調戲との幾つかを見るやうな氣がした。さうして聊か見下した意味に於いて彼等を愛する心持を覺えた。  此の如くにして、彼は此處にもプライドの緊張を感じた。同時にこのプライドの緊張を苦々しいと思つた。  彼は時々此等の批評に對して戰ひたいと思つた。併し第一に、彼等の態度に好意と親切とがないのだから彼と彼等との間には非常な迂路をとらなければ理解の途がないと思つた。その迂路をとつてゐるには彼の生活が餘りに忙しかつた。彼は時々俺の愛が俺の敵に及ぶその少し前に、俺は彼等との間に理解の途を發見する努力を眞面目にする氣になるのだらう、と自ら云つた。第二に、彼自身にも愛を以つて彼等と應酬し得る自信がなかつた。彼は對手に對する愛か若しくは人類のためにする公憤かに促されなければ或個人と物を云ひ合ふことをしたくないと思つてゐた。愛を以つてするには彼の人格の力が足りなかつた。公憤を發するには事件があまりケチに過ぎた。第三に、彼は彼の文章の内容を永遠に價することのみを以つて充したいと云ふ野心を持つてゐた。さうして彼の批評家と往復問答する事は永遠に價してゐさうにもないことであつた。  七月の十五日、彼はその日記にこんなことを書いた―― 「默殺する權利を許されなければノンセンスを語るに妙を得たる批評家の多い世界には生きて行かれない。公表した言説に社會的責任の附隨して來ることは勿論であるが、それは一々の云ひがゝりに正直らしく答辯してゐることによつてのみ果されるのではない。自分の思想を深くし、明かにして、それ自身に於いて徹底した表現を與へることが、要するに言説の社會的責任を果す唯一の道である。  馬鹿な云ひがゝりを默殺せよ。これが馬鹿と共に住む世に生きて、自分の生活を本質的に發展させるための最良の智慧である。  俺の弱點を正當に衝いた批評に對しては、敬意を表して默聽(自省)の態度をとる。餘りに下らない見當違ひの批評に對しては輕蔑の意味に於いて默殺の態度をとる。誠實な意志で半分本當な半分嘘なことを書いた批評や、餘りに重大な點に於いて俺を傷つけるやうな批評は、默殺する事が出來ない場合がある。俺は時として正當防禦のために、註釋し、又は戰鬪する必要に逢着する。  一切のあやまつた批評を默殺することが出來るやうになりたい。凡ての誤解に對して不死身になりたい。誤解によつて傷つけられるやうな急所のない身になりたい。」  前の意味に於いて彼に返答を強ひた批評はたつた一つあつた。後の意味に於いては、彼は幸にして沈默を破らずにすんだ。彼は此等のものを默殺若しくは顧眄して過ぎた。併し彼は此等のものを默殺することが出來ても、腹の底から無視することは出來なかつた。彼は彼の腹の何處かゞ此等の言葉によつてチクチク螫されることを感じた。さうして自分の小さい執拗と拘泥とを惡んだ。  こんな心持をしながら彼は批評家の眞中にたつてゐた。批評家の妄評は彼を畏縮させずに彼を膨脹させた。彼を反省させずに却て彼を高慢にした。彼は自分が知らず識らずの間に、内面の生活から表皮の生活に引ずり出されて行くことを感じた。然るに彼は凡ての生活は――社會的の生活も職業的の生活も――自己の内面に於いて把握され味到されることによつて始めて自己のものとなることを信じてゐるものであつた。内化せられざる遭逢は凡て徹底した意味に於いて經驗と稱することが出來ないことを信じてゐるものであつた。從つて彼にとつて生活の第一義は、この統覺し内化し味識する人格の修錬でなければならないのであつた。凡て外部の經驗は一度此處に歸つて來て、又改めて此處から發射して行かなければならないのであつた。沈潛の道を離れることは、彼にとつては人格の死に等しいことであつた。さうして彼は今、批評家に拘泥するこゝろの中に、彼の人格の死を意味する誘惑の影を見た。二つのことを同時にすることが出來ない彼にとつて、他人を愚かだと思ふことは、少くともその瞬間に於いて、彼自身の愚かなことを忘れることであつた。自己を正しいと思ふことは、少くともその瞬間に於いて、自己の正しくないことを忘れる事であつた。他人を愚かだと思ふ事多ければ多いほど、自己を愚かだと思ふ意識が閑却されて行つた。自己を正しいと思ふ事が多ければ多いほど、自己を正しからずと思ふ意識が閑却されて行つた。彼は自分の注意の焦点が――生活の中心點が――愚かな、正しからぬ自己から、愚かな、正しからぬ他人の方へ移動して行くことを覺えた。併し彼にとつて重要な問題は、他人が愚かなことではなくて、自己が愚かなことであつた。他人が正しくないことではなくて、自己が正しくないことであつた。群小の間に在つて稍〻大なることを喜ぶことではなくて、絶對の前の獨り立つて自己の眞相を正視することであつた。彼は唯其處にのみ彼自身の眞正な生活と發展とがあることを知つてゐた。唯其處にのみ愚かな、正しからぬ他人を導くべき唯一の道があることを知つてゐた。甘んじて他人を導くには、彼自身餘りに小さかつた。而も批評家に對して怒を含むことは、單に彼自身を益せざるのみならず、批評家そのものを益することでも亦ないのであつた。彼は無用の拘泥が天地と自己とを前にして玲瓏として生きむとする生活を曇らして、彼の進み行かむとする沈潛の道に妨礙を置いてゐることを悲しいと思つた。併し彼はこれを意識し之を悲しみながらも猶ズルズルとこの邪道にひかれて行くことを感ぜずにはゐられなかつた。  彼はこの頃になつて漸く世間といふものゝ存在を眞正に意識することが出來るやうになつて來た。世間とは、すべての眞劔な努力に對して眞面目な注意と同情と尊敬とを拂はぬ者の集團であつた。しかもこの集團に屬するものは淺薄なる好奇心を以つて他人の生活を話題にし、他人の一擧手一投足にも是非の評を挾むことを特權と心得てゐるものであつた。彼はノンセンスによつて彼を怒らせる批評家をばこの意味に於ける世間の代表者と見た。彼は彼が一度平和な謙遜な友人の間に在つて修錬して來た「人間的」態度を――凡ての人間を同胞として敬愛する態度を――もう一度批評家と云ふ特殊な一群に對して試煉して來るやうに押し戻されてゐることを感じた。彼はこの試煉には見事に落第した。彼は身分不相應の高慢を以つて彼を批評してゐる言葉の内容を吟味して、唯「如何に余が汝よりも低く、小さく、お粗末であるかを見よ」と云ふ響のみを聽くやうな氣がした。さうして 「如何に余が汝よりも高く、大きく、精緻なるかを見よ」と鸚鵡がへしに叫ばずにはゐられなかつた。彼は單にこれを心の中に叫ぶのみならず、又之を文章に書いた。此等の文章を書く時、彼の眼中に在るものは唯彼を嘲罵する世界の批評家のみであつた。併し彼には此等の文章が誤つて彼の平和な交游の眼に入ることを防ぐの力は固よりなかつた。さうして彼は此等の交游に對しては、平和な、靜かな、肩の凝らぬ同胞として、穩かに交り、温かに相砥礪して行きたいと云ふ希望を持つてゐるのであつた。故に彼は一方に世間に對して威張りかへしてやりながら、一方には此等の態度が平和にして謙遜な人達を徒らに脅かすことを、すまないと思ひ、恥かしいと思ひ、不安に思つた。而も一方に不安を感じながら、猶一方に強く自己を主張せずにはゐられなかつた。此間の心持には固より矛盾があつた。併し彼はこの矛盾を意識しながらも、猶強ひられたる自己肯定の、苦い、甘い、落付かない氣分の中に低徊することを禁じ得なかつたのである。  彼の心にこの氣分を助長したものは、決して彼に對する「世間」の批評のみではなかつた。彼の友人、同情者、同感者の賞讚も亦批評家によつて激昂させられた自己感情を甘やかした。これは固より彼の同情者の罪ではなくて、彼自身の自己中心主義の罪であつた。凡そ何人でも彼に同情と好意とを抱くものは、彼に對して惡意と反感とを抱くものよりも彼と融會の機縁が多い筈である。故に凡て此等の同情と好意とを受取ることは彼の恥とせぬところであつた。不釣合な程高い聲を出して彼に迷惑をかけてくれぬ限り、彼は常に感謝を以つて此等の好意を受けるやうに心掛けてゐた。さうして彼に對して表示されるあらゆる同情と好意とをば、何の疑察も何の逡巡もなくこれを受納れて、人と人との純粹な愛を以つて交つて行くことは、彼の理想とするところであつた。此等の點に於いては彼は正しかつた。併し彼は時として此等の同情と好意との表示を縁として、自己感情の耽溺に陷ることがあつた。牛が草を味ふが如くこれ等の賞讚を反芻して、暫く沈潛の努力を忘れることがあつた。故に彼は此等の同情者によつて心を温められることがある一方には、又内に向ふ努力を鈍らして外面を覗ふ逸樂に誘はれることも亦なきを得なかつた。彼はこの間の心裡を反省しながら、不圖彼の幼年時代の記憶を想起した。彼は「それは惡いことだよ」と教へられる時、大抵の教訓に服從することが出來た。併し「惡い子だ」、「馬鹿な子だ」と云つて叱られる時には常に非常な反抗心を起した。この事は間違ひかもしれないが、自分は全體としては惡い子でも馬鹿な子でもないと思はずにはゐられないのであつた。さうして「いゝ子だ」と云ふ賞讚は、彼にとつては餘りに多きにすぎた。彼は「いゝ子だ、いゝ子だ」と頭の中に繰返して、暫くいゝ事をすることを忘れた――彼はこの記憶と現在の事情とを比較して、自ら苦笑することを禁じ得なかつた。  此の如くにして、彼は自分の生活が外面に向つて浮れ出さうとしてゐる自然の傾向を見た。さうして彼は内に向はむとする努力を保持するためにこの自然の傾向と戰はなければならなかつた。彼に與へられる外來の刺戟が殆んど彼を外に向はせるもののみなことを苦々しいと思つた。彼の注意を内に轉じさせるものは、どんな苦しいことでも彼には有難かつた。某月某日彼はその日記にこんなことを書いた―― 「近來俺に與へられる外來の刺戟は、主として俺の Fame に關するものであつた。さうしてそれは俺に味方するものと反抗するものとの孰れを問はず、大抵は思想界に於ける俺の勢力を標識するものであつた。俺は自ら警戒しながらも、暫く俺の注意がこの末梢に集らむとする傾向を如何ともすることが出來なかつた。俺の生活が内に向ふ時、俺の中には書くに價する何物かゞ生ずる。さうしてこの記録は外部に於ける俺の勢力を擴大する機縁となる。賞讚若しくは非難が外部から俺の身邊に集つて來る。さうして俺はこれによつて暫く内に向ふ生活の進行を阻礙される。俺は丁度この時期に居た。さうして未だこの時期を脱却する力のない自分を苦々しいと思つてゐた。  今日何氣なく新聞を讀みながら俺は俺の昔ながらの傷を刺戟する記事に出逢つた。俺は俺の身を屈したる愛によつてはじめて救はるべき二三の人の淋しい姿を思つた。さうして到底其處まで身を屈することを許さゞる俺のプライドとイゴイズムと自己憐愍とのこゝろを思つた。俺は兼てよりこゝに俺の苦しい問題があることを覺悟してゐた。俺の愛の最後に近い試煉として、遙かなる彼方に俺を待つてゐる問題として覺悟してゐた。俺は今事新らしくこの問題に觸れて心に痛みを覺える。併し俺はこの問題が俺に不斷の問題と苦痛とを提供して、俺の魂に Erhebend に作用し得ることを信ずるが故に、この運命を悲しんでばかりゐようとは思はない。さうして俺の心が外部に向つて發散せむとしてゐる時に、偶然の機會によつて再び俺の心を内に向はせてくれる「不思議な力」に感謝の情を捧げる。俺は今忙がしく仕事をしなければならない身だ。併しパツクやカリカツールや月評を背景として仕事をしてゐるよりも、俺の愛の缺乏に對するいたみと、俺と俺の愛する者とに與へられた運命の果敢さとを背景として仕事をする方がよい事である。俺は今日の新聞を見て苦しかつた。併しそれにも拘らず俺は忍辱の涙をのんでこの苦痛を與へられたことを感謝する。俺は餘りに膨れ易い性質を持つてゐるからである。」  或時彼は又こんなことを書いた―― 「周圍に向ふ心よ。汝の眼を閉ぢよ。汝の周圍にゐて汝を是非する者の殆んど悉くは愚人なり。汝を高むる者は唯汝自身の中にあり。汝自身の中に沈め。漂泊する心よ、憤激する心よ、自己を正しとせむとする心よ、いゝ子にならむとする心よ。周圍に對してあまりに敏感なる心よ。」  併し「周圍の愚人」が容易に彼の頭を去りきらなかつた。一つの刺戟が靜まる頃には他の刺戟が來て又彼の頭を攪した。彼の注意は散亂して或は内を見、或は外を見た。自ら結束して内に向はむとする努力はどうしても焦點に集まることが出來なかつた。  彼は振返つて彼の内面生活の状態を見た。其處には新しいものゝ認識が始らうとしてゐながら、彼には猶この認識を確實に占領すべき力がなかつた。彼は特殊の惠まれたる瞬間にのみその高みに昇つて、次の瞬間には振ひ落されてゐた。さうして心の弛緩してゐる間、彼の認識は彼自身にさへ幻影のやうに見えた。彼の故郷がその方向にある可きことは疑ひがなかつた。併し彼の心は故郷に歸ることの稀なる漂泊の人であつた。彼のその故郷に歸ることが少いと云ふ事實は、其處に彼の故郷が在ると云ふ事實を否定するものでは無論なかつた。併し故郷に永住するために全力を盡すことは彼の焦眉の問題でなければならなかつた。彼は彼自身の内面に幾多の問題の押し合つてゐることを見た。さうして徒に漂泊する心を惡んだ。彼はどうしてもかうしてはゐられないと思つた。  或日彼は一人の友人の家で、彼に關する某の批評を見た。それは彼が曾て批評家と云うものを顧眄して過ぎた短い文章に關するものであつた。彼はその文章の中で、批評家の頭腦の穴だらけなことを憐み、彼等の人格の疎漫にして無責任なことを憎むと云つたのだつた。然るにこの男は(新しく口を出した批評家は)憎むなら憎むでいゝ、憐むと云ふのは無用だ僞りだと云ふ意味のことを云つてゐるのだつた。彼はこの男には全然俺を理解する素質が缺けてゐると思つた。憎んで憎みきれないところにこそ彼があるのであつた。憎しみから憐みに、憐みから愛に進まうと努力してゐるところにこそ彼があるのであつた。この中心的な態度を理解することが出來ずに、彼を是非するのは全然間違つてゐることであつた。彼はこの男が正直な男なことを知つてゐるために、幾分かこの男のために惜む心持になつた。併し彼の心に盛んに喚起されたものは、この男の疎漫と無責任とに對する新たなる憎しみと憐みとであつた。而も彼はこの明白なる誤謬を一寸かう思つただけで無視して了ふことが出來なかつた。彼の頭には例によつてこの小さい無理解に拘泥する心が殘つてゐて彼を不愉快にした。さうしてこの不愉快を感ずる自己に就いて、彼は重ねて不愉快を感じた。  彼はこんな心持をしながら日の暮れ方に郊外の家に歸つた。机の上には數日前に買つて來た、チエラノのトマスの書いたアツシジの聖フランシス傳の英譯が載つてゐた。彼は世間の煩しさと自分自身の神經質から逃れたいと思ひながら、机の上の本をとつて、偶然にあけたところに讀み入つた。  それは「聖フランシスの祈祷に於ける熱心に就いて」と云ふ章の最初の節であつた。彼(フランシス)にとつて世間は何の味ひもない物であつた。彼は既に天の甘美を食としてゐるものであつた。神聖なる歡喜が彼を人間の粗大なる關心に背かせてゐるのであつた。彼は公衆の中に在つて突如として主の來訪を受ける時には、彼の外衣を以つて小さい洞窟を作つた。若し外衣を着てゐない時には、隱れたるマナを人に見せないやうに、その袖を以つて顏を覆うた。彼は常に自分自身と傍に立つ者との間に何物かを置いて、公衆の中に立ちながらも隱れて祈るのであつた。最後に彼と他人とを隔つ可き何物もない時には、彼は自分の胸を殿堂とした。彼は自己に就いて無意識になつてゐたから、其處には唾をはくことも呻吟することもなかつた。彼は神に吸收されてゐたから、其處には烈しい息遣ひも目に立つやうな身動きもなかつた。併し森の中若しくは他の寂しき場處に於いて祈る時には、彼は歎きを以つてその森を充たし、涙を以つて大地を霑ほし、その手を以つてその胸を撃ち、時には言葉を出してその主と語つた。さうしてその存在の全骨髓を、樣々の途に於いて燔祭の犧牲とするために、無上に單一なる「彼」を、樣々の姿に於いて自らの目の前に描いた。彼の全人は祈る人といふよりも寧ろ生きたる祈りであつた。彼はその注意と愛情との全體を擧げて、彼が主によつて求むる一つのことに集中した……  彼はこの章を讀んでこれだと思つた。彼の生活を外から内に喚び戻す唯一の途は、唯彼の批評家と自己との間に何物かを置くことであつた。世間の前に隱れて自分自身の中の祈りに――主を求むる祈りに、彼の注意と愛情との全體を集中することであつた。これは決して彼にとつて新しい智慧ではなかつた。併し現在の彼にとつては最も必要な智慧で、新らしい覺悟として新しく決定されることを要する智慧であつた。彼はこの必要な瞬間に於いて、偶然にこの警告を與へてくれた「不思議な力」に感謝の情を捧げた。  さうだ。批評家と世間との前を逃れること、自分の胸を殿堂とすること――これが現在の瞬間に於いて彼の生活を外から内へ喚戻す唯一の途であつた。この隱遁は決して單純なる隱遁ではない。彼はこの隱遁の中に於いて、彼にとつて最も險難な途を進まうとするのであつた。大實在に對する限りのない戀に全身を沒頭せむとするのであつた。さうして彼を批評家と世間との間に歸らしむべき唯一の途も亦此處になければならなかつた。彼と世間とは、輕蔑や憤怒と云ふやうな卑しいものではない、大なる愛憐と同情との中に於いて再會しなければならないのであつた。彼はその心の中で、俺は世間に負けたのではない、又世間を捨てるのではないと叫んだ。  此の如くにして彼は再びその「洞窟」に歸るの決心を新たにした。併し彼の耳には猶時として世間の聲が響いて來た。さうして彼の注意がその響に奪はれる限り、依然として彼等に對する輕蔑の情を感じた。彼は批評家によつて代表される世間を「同胞」として敬愛することはまだまだ出來なかつた。彼の心には猶苦痛が殘つてゐた。  さうしてゐるうちに、彼には更に彼の心を内に向はしむべき一つの小さい事件が落ちて來た。それは彼と彼の友人の一人との間にあつた不愉快な事柄であつた。自分は今彼の心理を闡明するために、敢てこの小さい事件を語らなければならない。  彼には彼がレスペクトを以つて交つてゐる若干の友人がゐた。さうして彼も亦彼等からレスペクトを以つて取扱はれてゐることを感じてゐた。併し彼は時々、彼を尊敬して呉れる友人の態度に、彼の缺點をつゝついて喜ばうとする心持の影を認めることがあつた。彼はこの心持の影を認める毎に、其處に友情の限界と、動物と動物との敵意があることを思つて苦い心持になるのであつた。  Qは彼の少數な友達の中でも平生特に重厚なレスペクトを以つて彼を取扱つて呉れる人であつた。併し彼は多少緊張した刹那に當つては、誰よりも最も多く此男の敵意に觸れることを感じた。彼はQの心の底に自分に對する敵意が暗礁のやうに固着してゐるらしいことを感じた。さうして或日彼は又何時もよりもひどく此暗礁に觸れた氣がしたのであつた。  その日彼はQの上京を迎へるために(彼は近縣に教師をしてゐた)Pと三人で晩食を共にした。彼は或る眞面目な事件を背景としてPと戲れの言葉爭ひに落ちて行つた。Pは彼の言葉尻を捉へては、玉突のボーイが玉の數を數へるやうに一つ二つと彼の言葉のぼろを數へて行つた。彼は歌留多に熱中するものゝやうな心持を以つて、次第にその防戰に熱くなつて行つた。さうしてぼろでないものをぼろに數へられる時には、それはいけないと抗議を申込んだ。さうするとQは何時も傍から口を出して、まゐつてもまゐつたことがわからないのだからなあ、と云つた。この横槍が度重るに從つて彼は眞面目な心持で又始つたと思つた。さうして口を緘んで了つた。Pも亦言葉爭ひに倦んだか沈默してしまつた。併しQはまだやめなかつた。彼の口眞似をするために、妙な聲を出してその短い顎を突出した。さうして始めてPも彼も沈默してゐるのに氣がついたらしく、少し照れたやうな樣子をしてこれも默つてしまつた。彼は憎惡と輕蔑とを以つてQの突出した顎を見ずにはゐられなかつた。さうしてこれがこの男なのか、これが俺の友達なのかと思つた。  彼は腹立紛れにQの態度と自分の態度とを比較して見た。彼自身の態度にQを挑發する或物がなければならないことは明かであつた。併しそれは彼の頑強、彼の高慢、彼の自恣が自ら他人を壓迫する結果になるので彼自身に他を壓迫せむとする意志がないことは、彼自身には明瞭至極であつた。彼は又、近來といへども自分の態度に、他人を飜弄せむとする興味が全然跡を絶つてゐるとは勿論いへないが、その際に於いてもなるべくシーリヤスな點を避けてゐると思つた。シーリヤスな點に觸れる限りに於いては、彼は戲謔の間にシーリヤスな忠告をしようとする目的を持つてゐると思つた。さうして凡てを通じて遊戲の氣分を失はないと思つた。彼も亦時に突掛つて行く衝動を感ずることはあつた。併しそれは頑強な者を惡む反感の性質を帶びずに、虚僞なる者空虚なる者を賤む公憤の性質を帶びてゐた。然るにQは眞直に自分の頑強を突き崩さうとする目的を以つて自分に突掛つて來るのだ、彼の態度は公憤でも忠告でもなくて反感だと彼は思つた。彼は自分の方から一度だつてQに突掛つて行く要求を感じたことがあるかと自問した。さうしてそんなことは一度だつてないと安んじて答へることが出來た。Qとの關係に於いては彼は常に受身だつた。さうしてこんな場合に於いては受身になる者よりも働きかける者の方が下等なのだ――と彼は腹立紛れにこんなことを思つた。さうしてQに口をきくことが出來なかつた。  併し彼はこんなにしてQを輕蔑してしまふことが悲しかつた。彼は更にQその人になつてQのことを考へて見た。Qの半生の寂寥と勞苦とを思つた。彼の家族に對する慈愛と自己犧牲とを思つた。眞率な態度と敬重すべき人格とを思つた。この男からあんな態度を引き出すものは彼の交游のうちで自分一人なのかも知れないと思つた。さうしてあの敬重すべき人格からあの卑む可き態度をひき出す自分の高慢と自己主張とに就いてQに謝罪するやうな心持になる事が出來た。Qの反感は彼にとつては依然として不愉快なことに相違なかつた。併しそれはその人から云へば極めて枝葉の缺點にすぎなかつた。彼はQを許しQから許して貰ひたいやうな心持になつて、いつもよりは複雜な親しみを籠めて別れることが出來た。  彼は彼の生活が近來益〻寂寥になつて行くことを感じてゐた。彼の思想が獨立し彼の人格が明瞭に發展して來れば來るほど、彼は益〻彼の思想と生活とが孤立して行くことを感じてゐた。彼が愛を理想とすれば、彼とこの理想を共にせぬ者との間に罅隙が出來た。彼が自己の人格に對する自覺を明かにすれば、彼の人格を理解せぬ者と彼との間に疎隔の感じが深くなつて行つた。さうして彼が融合の生活を求めるに比例して、彼の生活の孤立が益〻甚しくなつて行くのであつた。彼は或時は、これは高きに進まむとする者のやむを得ざる運命だと思つた。或時は何處か自分の行き方に誤りがあるのではないかとも思つた。  併し彼が自他融合の基礎を、他人の彼に對する愛と理解との上に築かうとすれば、かうなつて行くより外に仕樣がないのであつた。彼がこの立場に立つてゐる限り、Qのやうな特別に敬重すべき人格とさへ融和の途が絶してゐるに相違ないのであつた。彼は今、問題はこの根本にあることを悟つた。自ら求める心を挾んで他人に對すれば、凡ての人が彼に向つて彼自身の求めるものを悉く與へることが出來ないことは固より極つてゐる。それは恰も彼自身が他人の求めるものを悉く與へることが出來ないと同じ事である。故にこの立脚地に在る限り、自他の關係は必ず不滿、憤怨、憎惡等でなければならない。併し暫く自己の要求を除外して對象それ自身の生活を仔細に見れば、凡ての存在には彼自身の價値があり缺點があり苦惱があるに違ひない。Qは固より、ノンセンスによつて彼を怒らせる世間と批評家との類と雖も、必ず認むべき價値があり、尊敬すべきの誠實があり、同情すべきの苦惱があるに違ひがない。故に自ら求むるところなき愛を以つてすれば、彼の敵も、彼の誹謗者も、凡て親愛すべき同胞に相違がないのである。自ら求める心を挾んで他に對する者は、求めるものを與へるか與へないかの一點をのみ廓大して、對象そのものの眞生命を遮蔽する。自ら求める心を空くして他に對する者は、あらゆる存在に美と眞と誠とを認めて悉く之を愛することが出來るやうになるのであらう。彼は後の命題の眞實をば未だ知ることが出來ないものであつた。併し前の命題の眞實をば彼自身の苦しい生活に於いて味ひ知つて來た。彼は「忍辱」と云ふ言葉が新しい輝きを帶びて自分の前に復活して來ることを感じた。  自分の生活の中心を名聲に置けば、自分の名聲に不當の損害を與へる者は彼の敵に相違なかつた。自分の生活の中心を愛せらるゝことに置けば、彼を愛せぬ者は路傍の人で、彼の愛を妨げる者は彼の敵に相違なかつた。併し彼の生活の中心を他人によつて侵害せられざる「天」に置けば、彼の名聲を傷つける者も、彼の愛を妨げるものも、根本的の意味に於いて「彼」の敵ではない筈であつた。さうして求むるところなき愛の眼を以つて見れば、彼等は唯、他人に不當の侵害を與へずにはゐられないやうな、小さい病める同胞の一人に過ぎない筈であつた。彼は此處に至つて、漸く「汝の敵を愛せよ」と云ふ言葉の意味を悟つたやうな氣がした。愛する者に敵はない筈であつた。彼の敵は彼の患ある友に過ぎない筈であつた。  彼は再び、嘗てアツシジの聖人フランシスに就いて讀んだことを想起した。彼は或る冬の日、酷しい寒さに苦しめられながら、その愛弟レオとペルーヂヤからサンタ・マリヤ・デリ・アンジエリの方へ行つた。さうしてその途々「完全なる幸福」の何であるかに就いてレオに話した。死者を蘇らせる力も、人と天地とに關するあらゆる智慧も、あらゆる異邦人を基督信者とする宣教の力も、未だ人に完全なる幸福を與へるに足るものではなかつた。完全なる幸福は唯、彼等が霙に濡れ巷の泥に塗れてサンタ・マリアの寺に辿り着いた時に、門番が彼等を拒み、彼等を打ち、彼等を罵るとしても、猶愛と快活とを以つて之を忍び、門番の打擲、拒斥、罵詈の中に神の意志を認めるところにのみあるのであつた――彼は今フランシスの言葉を領會したと思つた。忍辱に堪へるものは、完全に彼の生活の基礎を不易なるものの上に置いたものでなければならなかつた。彼の生活の基礎を不易なるものの上に築いた者に「完全なる幸福」があることは云ふまでもない筈であつた。  彼は此等のことを思ひながら、晩秋の快く晴れた日の午後、七里ヶ濱を鎌倉の方へ歩いて行つた。鎌倉逗子の山々はもう夕靄の中に霞んでゐた。彼はあの山々の一つに、彼が心に親愛して來た一人の友の骸が埋つて居ることを思つた。彼の心の底からは、一切を包み、愛し、許したいと思ふやうな、大らかな、寛やかな心持が、この秋の日の七里ヶ濱の波のやうに靜かに搖りあげて來た。彼は今ならば一切を許すことが出來ると思つた。固よりこれはこの時だけの氣分に過ぎないことを彼は知つてゐた。彼はその親友に對してさへも憤怒と憎惡とを感ぜずにはゐられないほどの人格に相違なかつた。併し彼は、今彼の前に一つの途が開けてゐることを信じた。その途を進んで行く間には、彼を煩はしくする世間と批評家とをさへ、大きい公けな愛を以つて包容し得る日の來る可きことを信じてゐた。さうして日の光が月の光にかはらうとする不思議な光の中を何處までも鎌倉の方へ歩いて行つた。 (三、一一、二八)
底本:「合本 三太郎の日記」角川書店    1950(昭和25)年3月15日初版発行    1966(昭和41)年10月30日50版 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:Nana ohbe 校正:山川 2011年8月4日作成 2012年4月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 しん粉細工に就いては、今更説明の必要もあるまい。たゞ、しん粉をねつて、それに着色をほどこし、花だの鳥だのゝ形を造るといふまでゞある。  が、時には奇術師が、これを奇術に応用する場合がある。しかしその眼目とするところは、やはり、如何に手早く三味線に合せてしん粉でものゝ形を造り上げるかといふ点にある。だから、正しい意味では、しん粉細工応用の奇術ではなくて、奇術応用のしん粉細工といふべきであらう。  さてそのやり方であるが、まづ術者は、十枚あるひは十数枚(この数まつたく任意)の、細長く切つた紙片を一枚づゝ観客に渡し、それへ好みの花の名を一つづゝ書いて貰ふ。書いてしまつたら、受けとる時にそこの文字が見えないために、ぎゆつとしごいて貰ふ。  そこで術者は、客席へ出て花の名を書いた紙を集める。しかし、客が籤へ書いた全部の花を造るのは容易ではない、といふので、そのうちから一本だけを客に選んで貰ふ。が、もうその時には、全部に同一の花の名を書いた籤とすり替へられてある。  これで奇術の方の準備がとゝのつたので、術者はしん粉細工にとりかゝる。まづ術者は、白や赤や青や紫やの色々のしん粉を見物に見せ、 『持出しましたるしん粉は、お目の前におきましてこと〴〵く験めます。』  といふ。勿論、しん粉になんの仕掛があるわけではないが一応はかういつて験めて見せる。 『さて只今より、これなるしん粉をもちまして、正面そなへつけの植木鉢に花を咲かせるので御座います。もし造上げましたる鉢の花が、お客様お抜取りの籤の花と相応いたしてをりましたら、お手拍子御唱采の程をお願ひいたします。』  かういつて、しん粉細工をはじめるのである。普通、植木鉢に数本の枝を差しておき、それへ、楽屋の三味線に合せてしん粉で造つた花や葉をべた〳〵くつゝけて行くのである。が、これが又、非常な速さで、大概の花は五分以内で仕上げてしまふ。  かうして花が出来上ると、客の抜いた籤と照合せる。が、勿論前に記したやうな仕組になつてゐるのだから、籤に書かれた花の名と、造上げた舞台の花とが一致することはいふまでもない。これが、奇術応用の『曲芸しん粉細工』である。  稲荷魔術の発明者として有名な、神道斎狐光師は、このしん粉細工にも非常に妙を得てをり、各所で大唱采を博してゐた。狐光師の、このしん粉細工に就いて愉快な話がある。  話は、大分昔のことだが、一時狐光老が奇術師をやめて遊んでゐた時代があつた。勿論、何をしなければならないといふ身の上ではなかつたが、ねが働きものゝ彼としては、遊んで暮すといふことの方が辛かつた。その時、ふと思ひついたのはしん粉細工だつた。 『面白い、暇つぶしにひとつ、大道でしん粉細工をはじめてやれ。』  一度考へると、決断も早いがすぐ右から左へやつてしまふ気性である。で彼は、早速小さい車を註文した。そしてその車の上へ三段、段をつくつてその上へ梅だの桃だの水仙だのゝしん粉細工の花を、鉢植にして並べることにした。  道楽が半分暇つぶしが半分といふ、至極のんきな商売で、狐光老はぶら〳〵、雨さへ降らなければ、毎日その車をひいて家を出かけて行つた。  五月の、よく晴れたある日であつた。  横浜は野毛通りの、とある橋の袂へ車をおいて、狐光老はしん粉で花を造つてゐた。  麗かな春の光が、もの優しくしん粉の花壇にそゝいでゐた。 『こりやあきれいだ。』 『うまく出来るもんだねえ。』  ちよいちよい、通りすがりの人達が立止つては、花壇の花をほめて行つた。もと〳〵、算盤を弾いてかゝつた仕事でないのだから、かうした讚辞を耳にしただけでも、もう狐光老の気持は充分に報いられてゐた。そして、『何しろこりや、美術しん粉細工なんだから……。』と、ひとり悦に入つてゐたのであつた。  と、そこへ、学校からの戻りと見える女生徒が三人通りかゝつた。そしてしん粉の花を眺めると、 『まあきれいだ!』  と立止つた。そして三人共車のそばへ寄つて来た。女生徒達は、しばらくしん粉を造る狐光老の手先に見とれてゐたが、『ねえ小父さん、小父さんにはどんな花でも出来るの?』  ときいた。 『あゝ出来るとも、小父さんに出来ない花なんてものは、たゞの一つだつてありはしない。』 『さう、ぢやああたしチユウリツプがほしいの。小父さん拵へてくれない?』  と一人がいつた。 『あたしもチユウリツプよ。』 『あたしも……。』  と、他の二人もチユウリツプの註文をした。然し此時、俄然よわつたのは狐光老だつた。何を隠さう、彼はチユウリツプの花を知らなかつた。『チユウリツプ、チユウリツプ、きいたやうな名だが……。』と二三度口の中で繰返したが、てんで、どんな花だか見当さえつかなかつた。  といつて今更、なんでも出来ると豪語した手前、それは知らぬとは到底いへないところである。 『ようし、勇敢にやつちまへ。』  と決心がつくと、やをらしん粉に手をかけて、またゝく暇に植木鉢に三杯、チユウリツプ ? の花を造り上げた。が、それは、むろん狐光老とつさに創作したところのチユウリツプで、桃の花とも桜の花ともつかない、実にへんてこな花であつた。 『さあ出来上つた。どうみてもほんものゝのチユウリツプそつくりだらう。』  と、狐光老は、それを女生徒達の前にさし出した。女生徒達は、あつけにとられた顔つきでそれを受けとると、 『うふゝ。』 『うふゝ。』  と、顔見合せて笑ひながら、おとなしく鉢を手にして帰つて行つた。が、後に残った狐光老はどうにも落付けなかつた。『チユウリツプ……一体どんな花だらう?』と、そのことばかり考へてゐた。  そのうち夕方になつた。で、店をたゝんで狐光老は、ぶら〳〵車をひいて野毛通りを歩いて行つた。ふと気がつくと、すぐ目の前に大きな花屋があつた。彼は急いで車を止めると、つか〳〵店の中へはいつて行つた。そして、 『チユウリツプはあるかい?』  ときいた。 『ございます。』と、すぐ店の者がチユウリツプを持つて来た。見ると、さつき自分の造つたものとは、似ても似つかぬ花であつた。 『いけねえ、とんでもないものを拵へちまつた。』  と、狐光老は、その花を買つて家に帰つた。そしてその晩、彼はチユウリツプの花の造り方に就いておそくまで研究した。  さて翌日、狐光老は、また昨日の場所へ店を出した。そして十杯あまり、大鉢のチユウリツプを造つて、屋台の上段へ、ずらり、人目をひくやうに並べておいた。  三時頃、また昨日の女生徒が三人並んで通りかゝつた。と、彼女達は、早くも棚のチユウリツプに目をつけて、 『あら、チユウリツプがあるわ。』  と、急いで店の前へ寄つて来た。 『小父さん、これチユウリツプつていふのよ。』  と、そのうちの一人が、花を指さしながらいつた。狐光老は、『勿論、勿論!』といふ顔つきで、『あゝチユウリツプといふんだよ。』  とすましてゐた。女生徒達はけげんさうに、 『でも小父さん、昨日あたし達に拵へてくれたチユウリツプ、とても変な花だつたわ。あたし今日みたいのがほしかつたの。』といつた。 『さうかい、そりやあ気の毒なことをしたね。このチユウリツプでよけりやあ、みんなで沢山持つておいで。』  狐光老は嬉しさうに微笑してゐた。 『でもわるいわ……。』 『何がお前、遠慮なんかすることがあるものかね。いゝだけ持つて行くがいゝ。が、嬢ちやん方は、昨日みたいなチユウリツプをまだ学校でならはなかつたかね。』ときいた。 『あらいやだ! あんなチユウリツプつて……。』  女生徒達は一斉に笑ひ出した。が、狐光老は、 『ありやあお前、あつちのチユウリツプなんだよ。』と、けろりとしてゐた。  その後間もなく、狐光老は奇術師に立戻つた。そして、この『美術曲芸しん粉細工』を演出する場合には、いつもいつもチユウリツプといふ、あのあちら的な花が一輪、二輪、三輪、あまた花々の中にまじつて咲いてゐた。
底本:「日本の名随筆 別巻7 奇術」作品社    1991(平成3)年9月25日第1刷発行 底本の親本:「奇術随筆」人文書院    1936(昭和11)年5月 入力:葵 校正:篠原陽子 2001年3月22日公開 2005年11月17日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 ここに初旅といふのは新春の旅といふ意味ではなく、生れて初めての旅といふことであり、それを更に説明すれば、生れて初めて宿屋に泊つた経験といふことである。この間寺田さんの「初旅」といふ文章を読んで居たら、ふと私自身の初旅を想ひ出し、それを書いて見る気になつたのである。  私の初旅は中学一年の頃だから、私の十四の夏のことであつた。明治二十九年、ちやうど日清戦争の翌年であつた。旅行の目的は四国第一の高山石鎚山に登ることであつた。私の少年の頃「お山行(やまゆき)」といへば石鎚登山の連中を指した。夏になると家に居る子供を妙にそそのかす法螺貝の音が時々響いて来る。「そらお山行ぢや」と私達は街頭に出て行つて、その「お山行」から石楠花の枝をもらふのがおきまりであつた。「お山行」の連中は皆白装束、白の脚絆、白の手甲をして居り、先達に率ゐられた村々の団体だつたらしい。石楠花の枝をもらはなかつた記憶がないから、いつも帰りの連中であつたのか、往きの連中はどうしたのか、そこはよく分らない。どこの霊山にもあるやうに、精進のわるい者、偽を言ふ者は天狗に投げ飛ばされるといふやうな話は、子供の時からよく聞かされて居た。  松山市を囲む小さな道後平野を限つて、北には高縄山があり、南と東とに亙つて障子山、三坂峠、北ヶ森、遅越峠、石墨山などの連峯が屏風のやうにそそり立つてゐる形は、少年の眼には高山らしい威力を以て迫つた。その東の方の隅に凹字形をした石鎚山が奥深く控へて、その時々の気象によつて或は黒く、或はほのかに、或は紫に、或は真白にこちらをのぞいてゐる姿は、「お山行」と共に長い親しみ深い威容であつた。  私達をお山へ連れて行つてくれたのは、今正金銀行に居る岸の駿さんのおとうさんで、我々が岸のおいさん(おぢさん)と称して居た人であり、親族ではなかつたが親族同様に親しくして居た家であつた。岸のおばさんは正岡子規の母堂の妹で、駿さんは子規の従弟である。このおいさんは県庁の役人を止めてから、地方銀行の監査役の外に何をして居たのか知らぬが、私達の身の鍛錬の為によく私達を海や山へ連れて行つてくれた。「数理」を基礎にした実学をやらねば駄目といふのが、このおいさんの主張であり、兎に角一種の風格ある人物であつた。心配性の父が山行を許してくれたのも、このおいさんの統率だつたからである。  一行は駿さんの十二を最少として、二十歳に近い伊藤の丈さん、その弟の秀さん、藤野の準さん、戸塚の巍さんと私の二つ違ひの兄とで、皆十五、六歳の年恰好、おいさんを合せて八人の一行であつた。八月の或る日のことだつたと思ふが、暁の三時に家を出るといふことで、私達は早く起きて母の心尽しの朝飯を食つて出かけた。その時母は父の命で小鯛の白味噌汁を作つてくれた。その旨かつた味が今に忘れられない。精進を宗とするお山行の門出にこんな生臭を食はせたことを考へると、父には神信心の念は乏しかつたと見える。服装は霜ふりの木綿の制服で、白い脚絆は母の手製であつたらしい。浴衣に股引といふいでたちのものもあつた。  草鞋ばきで、小さい柳行李形の弁当を筒形の白布に入れて肩にかけた外には、殆ど荷物もなかつたやうに思ふ。アルピニストの七つ道具は、その頃まだ恐らく日本に、まして田舎の都会にははひつて居なかつた。  まだ薄暗い頃に一里ばかりの久米といふ所を通つた。ここに日尾八幡宮といふのがあつて、そこの石標は、維新頃の勤王の志士三輪田米山といつて、ここの神官をして居た書家の書であることを、おいさんから聞かされた。その屈託のない行書の文字の跡を昧爽の夏の空気の中にぼんやりと見た印象は、私には抹消することの出来ぬものになつて居る。横河原といふ駅の近くであつたかに、兜の松といつて、老松に共通ではあるが、枝が垂れ下つて全体が円錐形的に兜に似た松の姿も鮮明に残つて居る。四里ばかりを隔てた川上といふ町は、何だか大きな家が多かつたやうに思ふ。ここで街道の汚い煮売屋(居酒屋)にはひつて、午食の弁当を開くことになつたが、そこで出した青肴の煮たのが腐つたやうに見え、肴嫌ひの私にはただ気味がわるかつた。  予定の中にあつたのかどうか、我々は街道を離れて川内村の瀑布を見に行くことになつた。しかも途中でおいさんが遠縁のOといふ人にあひ、その夜はその家へ泊つた。それが川上の町で邂逅してさういふことになつたのか、街道から外れて瀑布を見に行く途中、野中にある、鎌倉堂といつて、最明寺時頼の行脚時代のものだと称する腰掛石を記念する堂のあたりで会つて、さういふことになつたのかはつきりしない。O氏の家は川内の八幡宮の前にあつて、荒物屋で居酒屋を兼ねて居た。社境は砂が白くて周囲に緑樹が多く、如何にも清浄だつたといふ感じが残つて居る。元の士族でかういふ事をして居たのは、今から考へれば訳もあつたのであらう。私達はO氏の家に休んで後、O氏の案内でここの奥にある白猪の滝を見に行つた。白猪と並び称せられる唐岬の滝を見たかどうかは記憶にない。私の一番強く感銘したのは、途中の谷川に大きな岩石がごろごろと転り、その上に松の樹が生えてゐたことである。石に大きな樹が生えてゐるといふことが非常に珍しかつたのであらう。帰りに夕立にあつてびしよぬれになり、O氏の宅に帰つて、薪を焚いてそれを前の広場で乾かした。夕食の温い御飯が実に有難かつた。おかずには南瓜があつたのを記憶するだけである。そこにはO氏の細君の綺麗な冷たい感じのするおばさん、二十四、五になるかと思ふのと、十七、八歳かとも思ふ綺麗なお嬢さんとが居た。  翌日通称「桜三里」といつて三里の間桜を道傍に植ゑた中山越を上下し、大頭といふ村にとまつた。桜は固より葉桜であつたが老幹には趣があつた。峠を大方越えて下りた所に川があつて、屋根のある木橋が架り、その下に水が小し濁りを帯びて青黒く湛へて居る所に多分鮠であらう、魚が沢山居た。私達が欄によつて唾を吐くと、水面に上つてそれを捕へようとするのが面白かつた。大頭に近い所に落合といふ所があつた。渓流が落合ふ場所からの名であらう。そこいら一体に薄藍色の岩の間を、谷川が急湍となり、激越怒号して雷の如き声を立てて居るのが、少年の全心を緊張せしめた。  大頭の宿に着いたのは日のまだ高い頃であつたが、夕食の時に素麺の煮たのに鶏卵をかけて食つたのが旨かつた。  この大頭で丈さんの同級の渡辺といふ、鉄棒のうまい、身体の理想的に引締つた青年が一行に加はつた。この人は土地の大きな家の子息であり、その家も白壁の塀を廻らした新築の立派な邸であつた。その日は次第に山深くはひつて行つて、石鎚山の中腹の黒川といふ人家の少ない僻村までたどりついた。途中も二、三軒位しか家のない寒村にたまに出喰はすくらゐのものであつた。その間に雨に打たれ霜にさびた山寺に休んだ。横峯山大宝寺といつたと思ふ。山号は確かだが寺名はあやしい。ここで五十に近い(と思つた)坊さんの、猿のやうなぎよろりとした眼をして、白衣を身に著けてゐたのが、白瓜を庖丁で縦断してそれを寺の庭に干してゐた。それから黒川までは実に急な長い坂を下りてまた登つた。その坂を下りる度に膝の間節がガタリガタリとがたついて、実に苦しかつたのを覚えてゐるのは、坂を下ることの楽易といふ観念を初めて破られたといふ理由によるものである。  黒川の宿の主人は山袴をつけて居た。これは木曾や東北で用ひるのと同じやうなものである。伊予のやうな暖国でも山深く行けばさういふものを穿くのである。畳の醤油色にこげて、小さい床の間に南無妙法蓮華経か何かの軸をかけたその座敷の近くには、猪垣と称する野獣の害を防ぐ石垣が設けられ、庭に乾された固まつたやうな茶の放つ香が異様に鼻を打つた。その日の夕食にがさがさした紅塗の浅い椀に盛つて出されたお菜は、多分馬鈴薯だつたであらう。その頃私達の町ではまだ馬鈴薯の広く食べられない頃であつたが、或は山地にも育つものとしてこの山村に植ゑられたのであらうか。  翌朝宿で弁当を拵へてもらつてお山の頂上を極めた。ここから頂上まで里程にすれば恐らく二里半位であつたらうか。一里位ゆくと成就社といふのがある。それが本社で、頂上が奥社になつて居るのであらう。成就社までは樹木が茂つて居り、その中には樅が多かつたこと、樹下の道の涼しかつたこと位しか覚えて居ない。私はその後数度、それもあまり遠い前でなく、この成就社から石鎚山を眺めた景色を夢に見たことがある。実際の旅の時の印象ははつきりして居ないのに、夢ではそれがはつきりと、山の姿も遥かに色彩に富んだ絵画的なものになつて居る。一度の夢には下駄を穿いて午後にここまで来て、夕方までにお山へ上り下りが出来るかを思ひ煩つたこともあつた。ただ併し成就社の近くで頂上の岩山の景色を少くとも一度は眺め得たことがあつた。それが私の夢を結ぶ縁になつたのであらう。  ここからは地面に熊笹が毛氈のやうに茂り、その上に小さな五葉の松が庭木のやうに生えた景色が珍しかつた。頂上近くなつて鎖の懸崖にかかつたのが三条あり、最初の鎖の手前で登山の行者が皆草鞋を穿き替へることになつて居り、そこいらの岩道は草鞋の腐蝕した堆積によつて黒く柔かくじめじめとなつて居た。全くゴツゴツした岩石の盛上りであり、そこに小さな祠が置かれて居た。私達は頂上近い岩蔭で弁当を食つたが、その時冷たい風が天際から吹いて来て、見る見る内に雲が下から駈けて来た。それを見て居る中に私は何だか恐ろしくなつて来たのに、渡辺君は肱を枕にしてグウグウ昼寝をして居た。その膽玉の太さうなのを、私は感歎もし羨望もした。私はそれから暫くの間は、この恐怖を心に深く恥ぢて居たが、今になつて考へれば、少年らしく自然の威力の前におびえる経験も、無意味なものではなかつた。併し私を羨ませたこの鉄のやうな体躯の持主なる渡辺君は、中学時代に死んでしまつた。  頂上では雲の為に妨げられて殆ど眺望はなかつたらしい。ただ少し下の方に天柱石とよばれるオベリスクのやうな石柱の立つて居るのが見えた。我々は腹をすかして成就社まで下り、そこで殆ど米のない黒い麦飯にありついた。私の兄は平生麦飯を嫌つたが、この空腹でも遂に節を屈しなかつた。  翌日加茂川の水の縁で石の白い渓流に沿ひ、大保木といふ村などを通つて西条町に出た。途中我々の郷里で旨いといはれ、子規の歌にも出て来る新居芋を山地の畑に沢山見た。西条の宿の蛤汁で烈しい下痢をし、私と秀さんとは翌日人力車で八、九里の道を今治の知人の所に送られ、その翌日には初めて蒸気船に乗つて松山に近い三津の浜へ帰りついた。六泊一週間の旅の残像を態と地図をも見ず、そのままに書いて見たが、外の人には興もないことであらう。
底本:「ふるさと文学館 第四四巻 【愛媛】」ぎょうせい    1993(平成5)年10月15日初版発行 底本の親本:「現代紀行文学全集 南日本編」修道社    1960(昭和35)年 初出:「中外商業新報」    1937(昭和12)年1月8日~10日 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:Juki 校正:日野ととり 2017年1月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 私は老婦人たちが彼女らの少女だつた時分のことを話すのを聞くのが好きだ。 「私が十二の時でした、私は南佛蘭西の或る修道院に寄宿してをりました。(と記憶のいい老婦人の一人が私に物語るのであつた。)私たちは、その修道院に、世間から全く離れて、暮らしてをりました。私たちに會ひに來られたのは兩親きりで、それも一月に一遍宛といふことになつてゐました。 「私たちは休暇中も、その廣い庭園と牧場と葡萄畑にとりかこまれた修道院の中で過したのでした…… 「私はその幽居には八つの時から入つてゐましたが、やつと十九になつた時、結婚をするため、はじめて其處を出たやうなわけでした。私はいまだにその時のことを覺えてゐます。宇宙の上に開いてゐるその大きな門の閾を私が跨いだ刹那、人生の光景や、自分の呼吸してゐる何だかとても新しいやうな氣のする空氣や、いままでになかつたほど輝かしく見える太陽や、それから自由が、遂に、私の咽喉をしめつけたのでした。私は息がつまりさうになつて、もしその時腕を組んでゐた父が私を支へて其處にあつたベンチへ連れて行つてくれなかつたら、私はそのままぼうと氣を失つて倒れてしまつたでせう。私はしばらくそのベンチに坐つてゐるうち、やつと正氣を取戻したのでした。         ⁂ 「さて、その十二の時のことですが、私はいたつて惡戲好きな、無邪氣な少女でした。そして私の仲間もみんな私のやうでした。 「授業と遊戲と禮拜とが私たちの時間を分け合つてゐました。 「ところが、コケットリイの魔が私のゐた級のうちに侵入してきたのは、丁度その時分でありました。そして私は、それがどんな策略を用ひて、私たち少女がやがて若い娘になるのだといふことを、私たちに知らせたかを忘れたことはありません。 「その修道院の構内には誰もはひることが出來ませんでした。彌撒をお唱へになつたり、説教をなさつたり、私たちの微罪をお聽きになつたりする司祭樣を除いては。その他には、三人の年老いた園丁が居りました。が、私たちに男性といふ高尚な觀念を與へるためには殆ど何の役にも立たないのでした。それから私たちの父も私たちに會ひに來ました。そして兄弟のあるものは、彼等をまるで超自然的なもののやうに語るのでした。 「或る夕方、日の暮れようとする時分に、私たちは禮拜堂から引き上げながら、寄宿舍の方へ向つて、ぞろぞろと歩いてゐました。 「突然、遠くの方に、修道院の庭園をとりまいてゐる塀のずつと向うに、角笛の音が聞えました。私はそれをあたかも昨日のやうに覺えてゐます。雄々しい、そしてメランコリツクなその角笛の亂吹が、黄昏どきの深い沈默のなかに鳴りひびいてゐる間中、どの少女の心臟も、これまでになかつたくらゐ激しく打ちました。そして木魂となつて反響しながら、遠くの方に消えていつたその角笛の亂吹は、なにやら知らず、神話めいた行列を私たちに喚び起させるのでした…… 「私たちはその晩、それを夢にまで見ました……         ⁂  翌日、教室からちよつと出てゐたクレマンス・ド・パムブレといふ名前の、小さなブロンドの娘が、眞青になつて歸つてきて、隣席のルイズ・ド・プレセツクに耳打ちしました。いま薄暗い廊下でばつたり青い眼に出會つたと。そしてそれから間もなく級中の者が、その青い眼の存在を知つてしまひました。 「歴史を私たちに教へてくれてゐる修道院長の言葉も、もう私たちの耳にははひりませんでした。生徒たちは今は突拍子もない返事をしました。そしてこの學科のあんまり得意ではなかつた私自身も、フランソア一世は誰の後繼者かと質問されたとき、それはシヤルマァニユです、と出まかせに、自信もなく、答へました。すると私の知らないことを教へてくれることになつてゐた私の隣席の者が、彼はルイ十四世の後を繼いだのだと密告してくれました。佛蘭西の王樣の年代を考へることなどより、もつと他にすべきことが私たちにはあつたのでした。私たちは青い眼のことを夢見てゐたのでした。         ⁂ 「そして一週間足らずのうちに、私たちは誰もかも、その青い眼に出會ふ機會をもちました。 「私たちはみんな眩暈をもつたのでした。それに違ひはありません。が、私たちはみんなそれを見たのでした。それはすばやく通り過ぎました、廊下の暗い蔭へ、美しい空色の斑點をつくりながら。私たちはぞつとしました、が、誰一人それを尼さんたちに話さうとはしませんでした。 「私たちはそんな恐しい眼をしてゐるのは一體誰なのか知らうとして隨分頭を惱ませました。私たちのうちの誰だつたか覺えてゐませんが、或る一人のものが、それはきつと、まだ私たちの記憶の中にその泣きたくなるまでに抒情的な響が尾を曳いてゐる、あの數日前の角笛の亂吹の眞中になつて通り過ぎた獵人らの中の一人の眼にちがひないといふ意見を述べました。そしてそれにちがひないといふ事に一決いたしました。 「私たちは皆、その獵人の一人がこの修道院の中にかくれてゐて、青い眼は彼の眼であることを認めました。私たちは、そのたつた一つの眼が片眼なのだとは思ひませんでしたし、それから古い修道院の廊下を眼が飛ぶのでもなければ、彼等の身體から拔け出してさまよふのでもないと考へました。 「そんなうちにも、私たちはその青い眼と、それが喚び起させる獵人のことばかり考へてをりました。 「とうとうしまひには、私たちはその青い眼を怖がらなくなりました。それが私たちを見つめるため、ぢつとしてゐればいいとさへ思ふやうになりました。そして私たちはときどき廊下の中へ唯一人で、いつのまにか私たちを魅するやうになつたその不思議な眼に出會ふために、出てゆくやうなことまでいたしました。         ⁂ 「やがてコケットリイの魔がさしました。私たちは誰一人として、インキだらけの手をしてゐる時など、その青い眼に見られたがらなかつたでしたらう。みんなは廊下を横ぎるときは、自分がなるたけ好く見えるやうにと出來るだけのことをしました。 「修道院には姿見も鏡もありませんでした。が、私たちの生れつきの機轉がすぐそれを補ひました。私たちの一人は、踊場に面してゐる硝子戸のそばを通る度毎に、硝子の向うに張られてゐる黒いカアテンの垂れを即製の鏡にして、そこにすばしつこく自分の姿を映し髮を直したり、自分が綺麗かどうかをちよいと試したりするのでした。         ⁂ 「青い眼の物語は約二ヶ月ばかり續きました。それからだんだんそれに出會はなくなりました。そしてとうとうごく稀にしか考へなくなりましたが、それでもときたまそれに就いて話すやうなことがありますと、やはり身顫ひしずにはゐられませんでした。 「が、その身顫ひの中には、恐怖と、それからまたあの快樂――禁斷の事物について語るあの祕やかな快樂に似た或る物がまざつてゐたのでした。」  君たちは決してそんな青い眼の通るのを見たことなんぞはなからうね、現代の少女諸君!
底本:「繪はがき」角川書店    1946(昭和21)年7月20日初版発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。 ※「「が、その身顫ひの中には、・・・」以外のかぎ括弧付きの文が閉括弧で閉じられていないのは、底本通りです。 ※片仮名の促音の大書きと小書きの混在、「シヤルマァニユ」の「ァ」の小書きは、底本通りです。 入力:かな とよみ 校正:The Creative CAT 2020年10月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "060176", "作品名": "青い眼", "作品名読み": "あおいめ", "ソート用読み": "あおいめ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 953", "文字遣い種別": "旧字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2020-11-09T00:00:00", "最終更新日": "2020-11-01T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/002135/card60176.html", "人物ID": "002135", "姓": "アポリネール", "名": "ギヨーム", "姓読み": "アポリネール", "名読み": "ギヨーム", "姓読みソート用": "あほりねえる", "名読みソート用": "きよおむ", "姓ローマ字": "Apollinaire", "名ローマ字": "Guillaume", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1880-08-26", "没年月日": "1918-11-09", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "繪はがき", "底本出版社名1": "角川書店", "底本初版発行年1": "1946(昭和21)年7月20日", "入力に使用した版1": "1946(昭和21)年7月20日初版", "校正に使用した版1": "1946(昭和21)年7月20日初版", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "かな とよみ", "校正者": "The Creative CAT", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/002135/files/60176_ruby_72069.zip", "テキストファイル最終更新日": "2020-10-29T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/002135/files/60176_72110.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2020-10-29T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 明治三十二年十二月和人三浦市太郎ナル者酋長川村モノクテ、副酋長村山与茂作両名ヲ三浦宅ニ呼ビ寄セ、三浦ノ云フニハ、東京カラトノ(役人)ガ来テ云フニハ旭川モ七師団ガ出来旭川町モ出来テアイヌノ土地ガナクナリ、是カラアイヌノ子孫ガ多クナレバ土地ガ不足ニナル故オカミデ其レヲ案ジ、此近文ノ土地ノ外ニオ前等ノコノム土地ヲ呉レ又金モ呉レルト云フガ如何デアルヤト問ハレ、モノクテエカシモ与茂作エカシモ近文ノ土地ノ外ニ呉レルト云フカラ天塩ノテーネメムヲ貰ヒタイト両名云フニ、然ラバ明日トノ(役人)ガ東京ニ帰ル故今日ノ内ニ近文一同ノ印ヲ願書ニ押セヨトテ、村山与茂作エカシト三浦市太郎ノ悴両名ニテ四十戸以上ノ皆様ノ宅ニ集リ其事ヲ話シ、一同ノ者ニ願書ニ押印スル由、然ルニ近文ノ土地ノ外ニ土地ヲ呉レルトハ真赤ナ偽リ、其当時ノ長官園田安賢、陸軍大臣桂太郎、大倉喜八郎等ノ悪手段デ、近文アイヌ地ヲ大倉喜八郎ノ名儀デ下附ヲ受ケ、近文アイヌ一同ヲ天塩山中ニ移転サセルコトニ決定、明治三十三年五月末ニ立退クベシト長官ヨリ命令サレ、其移転料金六千八百円、其内金二千四百円ハ三浦市太郎ノ報酬金、残リ四千四百円外ニアイヌ一戸ニ鉄砲一丁ニテ移転サセルコトニナリ、然ルニモノクテエカシ外一同三浦ニ欺レタルコトヲ初メテ知リ、一同驚キ、仮リニ死ストモ祖先地故移転セヌト云フ一同ノ意見、其レニ旭川町大倉ニアイヌ地ヲ横領サレレバアイヌ地一大市街トナリ今ノ旭川町ハ役ニ立タヌト云フ騒ギデ、旭川町ハアイヌニ肩ヲモツテ、現旭川市ニ居住ノ友田文次郎氏宅ニテ酋長川村モノクテエカシ、村山与茂作、川上コヌサアイヌ外一同札幌ノ浅山弁護士ニ依頼シテ三浦市太郎ヲ札幌地方裁判所検事局ニ告訴シ、其証人調ベトシテ明治三十三年三月十二日マデニ札幌検事局ニ出頭セヨト川村エカシ、村山エカシ呼ビ出サレ、然ルニ川村エカシ、村山エカシ、川上コヌサアイヌ三名ヨリ助ケテ呉レトテ書留ニテ書面来リ、其レニ又明治三十三年三月八日電報ニテ石狩生振村豊川富作方ニ待ツテ居ル直グ来イト云フ電報、私モ同族ノコト故三月十日ニ浜益出立、豊川宅ニテ川上エカシ面会シ十一日出札、札幌大通因旅館ニテ川村エカシ、村山エカシニ面会シ、同日浅山弁護士宅ニ集リ、私ハ両エカシノ通弁スルコトニ裁判所ニ届ケ置キ、三月十二日川村エカシ同道ニテ検事局ニ来リ検事取調ベヲ受ケ、十三日日曜、三月十四日村山エカシト同道検事局ニ来リ検事ノ調ベヲ受ケ、因旅館ニ帰リ見ルニ浜益自宅ヨリ電報アリ、開封シ見ルニ「カカ死ススグカヘレ」トアリ、ソコデ私ハイヤシクモ行政官タル国民保護ノ当局者タル長官園田安賢ノ悪手段ノ為メ不在中妻ハ死去シ是皆長官ノ悪手段ノ為メト自分モ決心、浜益親族ニ電報ニテ「カイラヌソーシキタノム」ト知報シ、川村エカシト同車出旭シ、川村エカシ宅ニテ一同面会相談ノ上ニ上京スルコトニ決定、然ルニ川村モノクテエカシヲ連レテ上京スル考デアルガ、川村エカシハ天保生レノ御老人故上京シテ土地取戻シ出〔来〕レバイイガ出来ヌ時ハ自分ハ二重橋デ死ヌ決心、然レバ自分死〔ス〕レバ重大問題トナリ何ントカ解決スルト決心シタル次第故ニ、川村エカシヲ案ジテ川上コヌサアイヌヲ同車シテ、明治三十三年四月十二日旭川駅ヨリ青柳、板倉四名デ上京、中央政府ニ訴ヘ、其当時ノ内務大臣西郷閣下、大隈重信閣下、私小樽量徳小学校入学中三回閣下ノ御前デ字ヲ書キ本ヲ読ミ一方ナラヌ御厚情ニ預リ、其関係デ閣下ノ御宅ニ私一人呼バレ種々御尋ネニナリ、其長官ノ不法ヲ申述ベ、其レデ園田長官内務省ニ呼バレ、明治三十三年五月四日内務省ニテ談判行ハレタ結果、大倉等ノ指令ヲ取消シ従来ノ如ク土人ニ之レヲ返還スルコトニ決定シ、然ルニ其時長官園田ノ云フニハ、アイヌニ土地ヲ下附スルニ開墾出来ルヤト御尋ネ故、私引受ケテ開墾スルト答ヘタリ、若シ開墾セザレバ国有未開地処分法デ没収スルト云フ故、近文ヘ帰リ一同ニ相談シ、開墾セザレバ土地没収サレル故、幸ヒニ私ノ友人デ札幌ノ河田ト云フ方アイヌ地開墾セザレバ没収サレルトハ実ニ不祥ナコトデアルト、然ラバ私ガ開墾料貸スト云フカラ、川村モノクテエカシ、村山エカシ、川上コヌサアイヌ、私ト札幌ニ参リ河田氏ヨリ金弐十円借受ケ、其金ハ川上持参シ近文ニ帰リ、川上コヌサアイヌ宅ヲ事務所ニシ其ノ金デ近文未開地全部開墾シタル者ナリ  然ルニ其後道庁ニ参リ園田ニ面会シ、近文アイヌ全部開墾シタルニ依リアイヌニ土地指令御下附願タルニ、語ヲ左右ニシ指令モ下附セズ、明治三十七年五月同族栗山国四郎ニ告訴サレ、其告訴ノ理由ハ、近文アイヌ地ハアイヌ自身土地全部開墾シタル者デ河田ヨリ借リタル金デ開墾シタルモノニアラズ、又河田ヨリ借リタル金、天川ハ近文アイヌノ名ヲカタリテ借受ケ、天川一人デ私用シタルモノトノ告訴ナリ、然ルニ栗山国四郎ハ深川村ノアイヌデ近文事件以来努力シタルコトアルヤ、其間彼ハ一度モ近文ニ顔ヲ見セズ、突然ニ明治三十七年五月ニ私ヲ前記ノ理由デ告訴シ、然ルニ其後彼ノ行ヲ調ベ見ルニ、其当時ノ旭川町長奥田千春、昨年マデノ市長奥田ニ願シ私ヲ無実ノ告訴シ、然ルニ明治三十七年九月札幌検事局ニ送ラレ未決監ニ入監サレ、明治三十八年五月札幌地方裁判所予審判事長春田判事ニ助ケラレ予審免訴トナリ、青天白日ノ身トナリ出獄シテ新聞ヲ見ルニ、旭川町長奥田千春近文アイヌ地ヲ横領シタリトアリ、然ルニ私ハ札幌ノアル弁護士ヲ頼ンデ栗山ヲブ告罪デ告訴スル考ヲ頼ンダラ、弁護士云フニハ、天川ハ同族ノ為メ尽シタルコトハ誰一人知ラヌ者ナシ、然ルニ栗山国四郎如キ者ヲブ告罪デ告訴スルヨリ旭川町長奥田千春ノ不法今一度旭川近文ニ行テ酋長川村モノクテ外一同ニ面会シ、奥田ヲ土地取戻シノ訴セヨト云フ故、私モ其事ニ決心、明治三十八年五月出監スルヤ否ヤ近文ニ参リ、川村エカシニ話シヲスルニエカシモ驚キ入リ、是皆川上コヌサアイヌト栗山国四郎ノ悪手段、奥田千春ノ手下ニナリ種々ナル悪事ヲ成シ、今一度川村エカシニ代リ奥田ヨリ土地取戻シテ呉レト頼マレ、明治三十八年六月川村モノクテヲ代理シ旭川区裁判所ヘ奥田千春ヲ訴ヘタリ、然ルニ町長奥田ノ代理入山弁護士裁判所ニテ判事曰ク「アイヌノ□知ナキ者ヲアイヌヲ欺キ土地ヲ横領セントハ甚ダヨロシカラズ、アイヌニ土地ヲ返還セヨト、返還セザレバ第二ノ大倉事件トナルゾ」ト入山弁護士判事カラ叱ラレ判決ヲ云ヒ渡サレタリ、其後入山弁護士ハ私ニ云フニハ、奥田ハ旭川町大建設ヲ思ヒタル故ナリト云フニ、私ハ如何ニ奥田ハ旭川大建設ヲ計レバトテ、同旭川町民アイヌ地ヲ横領スルトハ甚ダ其意ヲ得ザルコトナリ、然シ乍ラ示談シテ呉レトアラバ示談スルガ、今後ハ旭川町役場デ近文アイヌヲ保護シ、土地モ人手デ部開墾シアレバ町役場デ道庁ニ願ヒ、アイヌニ土地指令ヲ与ヘテ呉レレバ私ハ示談スルト云フニ、入山モ喜ビテ然ラバ是ヨリ旭川町役場ニ行キ奥田町長ニ会ツテ話スルト云フ故、入山同道ニテ町役場ニ参リ奥田ニ会ヒ、入山ハ奥田ニ私ノ意見ヲ述ベルニ奥田モ喜ビ、奥田ノ云フニハ当役場ニ委セテ呉レレバアイヌニ土地指令モ道庁ヨリトツテ呉レルト明言シタルニ、現今マデアイヌニ指令ドコロカ学校敷地マデアイヌ地ヲ奪ヒ、栗山国四郎ハ其当時アイヌノ印ヲ偽造シ道庁ニ移転願書提出シテアルト道庁ノアル御方カラ聞イテ居リマス、川上コヌサアイヌ、栗山国四郎ラノ親分奥田千春デアツタガ其ノ奥田ガ首ニナリ、川上、栗山ハ定メシ力ヲ落シテヰルデアラウ 明治三十三年以来ノ事件相違ナキコトヲ記ス 昭和八年一月二十三日 浜益郡浜益村実田 天川恵三郎
底本:「近代民衆の記録 5 ――アイヌ」新人物往来社    1972(昭和47)年6月15日発行    1978(昭和53)年8月20日2刷 ※〔 〕内の校注は、編者による加筆です。 入力:フクポー 校正:岩下恵介 2019年3月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "058876", "作品名": "天川恵三郎手記", "作品名読み": "あまかわけいさぶろうしゅき", "ソート用読み": "あまかわけいさふろうしゆき", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 316", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2019-04-05T00:00:00", "最終更新日": "2019-03-29T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001964/card58876.html", "人物ID": "001964", "姓": "天川", "名": "恵三郎", "姓読み": "あまかわ", "名読み": "けいさぶろう", "姓読みソート用": "あまかわ", "名読みソート用": "けいさふろう", "姓ローマ字": "Amakawa", "名ローマ字": "Keizaburo", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1864", "没年月日": "1934-04-05", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "近代民衆の記録 5 ――アイヌ", "底本出版社名1": "新人物往来社", "底本初版発行年1": "1972(昭和47)年6月15日", "入力に使用した版1": "1978(昭和53)年8月20日2刷", "校正に使用した版1": "1972年(昭和47)年6月15日", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "フクポー", "校正者": "岩下恵介", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001964/files/58876_txt_67661.zip", "テキストファイル最終更新日": "2019-03-29T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001964/files/58876_67713.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2019-03-29T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
      一  もう何年か前、ジェノアの少年で十三になる男の子が、ジェノアからアメリカまでただ一人で母をたずねて行きました。  母親は二年前にアルゼンチンの首府ブエーノスアイレスへ行ったのですが、それは一家がいろいろな不幸にあって、すっかり貧乏になり、たくさんなお金を払わねばならなかったので母は今一度お金持の家に奉公してお金をもうけ一家が暮せるようにしたいがためでありました。  このあわれな母親は十八歳になる子と十一歳になる子とをおいて出かけたのでした。  船は無事で海の上を走りました。  母親はブエーノスアイレスにつくとすぐに夫の兄弟にあたる人の世話でその土地の立派な人の家に働くことになりました。  母親は月に八十リラずつもうけましたが自分は少しも使わないで、三月ごとにたまったお金を故郷へ送りました。  父親も心の正しい人でしたから一生懸命に働いてよい評判をうけるようになりました。父親のただ一つのなぐさめは母親が早くかえってくるのをまつことでした。母親がいない家はまるでからっぽのようにさびしいものでした。ことに小さい方の子は母を慕って毎日泣いていました。  月日は早くもたって一年はすぎました。母親の方からは、身体の工合が少しよくないというみじかい手紙がきたきり、何のたよりもなくなってしまいました。  父親は大変心配して兄弟の所へ二度も手紙を出しましたが何の返事もありませんでした。  そこでイタリイの領事館からたずねてもらいましたが、三月ほどたってから「新聞にも広告してずいぶんたずねましたが見あたりません。」といってきました。  それから幾月かたちました。何のたよりもありません。父親と二人の子供は心配でなりませんでした。わけても小さい方の子は父親にだきついて「お母さんは、お母さんは、」といっていました。  父親は自分がアメリカへいって妻をさがしてこようかと考えました。けれども父親は働かねばなりませんでした。一番年上の子も今ではだんだん働いて手助をしてくれるので、一家にとっては、はなすわけにはゆきませんでした。  親子は毎日悲しい言葉をくりかえしていると、ある晩、小さい子のマルコが、 「お父さん僕をアメリカへやって下さい。おかあさんをたずねてきますから。」  と元気のよい声でいいました。  父親は悲しそうに、頭をふって何の返事もしませんでした、父親は心の中で、「どうして小さい子供を一人で一月もかかるアメリカへやることが出来よう。大人でさえなかなか行けないのに。」と思ったからでした。  けれどもマルコはどうしてもききませんでした。その日も、その次の日も、毎日毎日、父親にすがりついてたのみました。 「どうしてもやって下さい。外の人だって行ったじゃありませんか。一ぺんそこへゆきさえすればおじさんの家をさがします。もしも見つからなかったら領事館をたずねてゆきます。」  こういって父親にせがみました。父親はマルコの勇気にすっかり動かされてしまいました。  父親はこのことを自分の知っているある汽船の船長に話しすると船長はすっかり感心してアルゼンチンの国へ行く三等切符を一枚ただくれました。  そこでいよいよマルコは父親も承知してくれたので旅立つことになりました。父と兄とはふくろにマルコの着物を入れ、マルコのポケットにいくらかのお金を入れ、おじさんの所書をもわたしました。マルコは四月の晴れた晩、船にのりました。  父親は涙を流してマルコにいいました。 「マルコ、孝行の旅だから神様はきっと守って下さるでしょう。勇気を出して行きな、どんな辛いことがあっても。」  マルコは船の甲板に立って帽子をふりながら叫びました。 「お父さん、行ってきますよ。きっと、きっと、……」  青い美しい月の光りが海の上にひろがっていました。  船は美しい故郷の町をはなれました、大きな船の上にはたくさんな人たちが乗りあっていましたがだれ一人として知る人もなく、自分一人小さなふくろの前にうずくまっていました。  マルコの心の中にはいろいろな悲しい考えが浮んできました。そして一番悲しく浮んできたのは――おかあさんが死んでしまったという考えでした。マルコは夜もねむることが出来ませんでした。  でも、ジブラルタルの海峡がすぎた後で、はじめて大西洋を見た時には元気も出てきました。望も出てきました。けれどもそれはしばらくの間でした、自分が一人ぼっちで見知らぬ国へゆくと思うと急に心が苦しくなってきました。  船は白い波がしらをけって進んでゆきました。時々甲板の上へ美しい飛魚がはね上ることもありました。日が波のあちらへおちてゆくと海の面は火のように真赤になりました。  マルコはもはや力も抜けてしまって板の間に身体をのばして死んでいるもののように見えました。大ぜいの人たちも、たいくつそうにぼんやりとしていました。  海と空、空と海、昨日も今日も船は進んでゆきました。  こうして二十七日間つづきました。しかししまいには凉しいいい日がつづきました。マルコは一人のおじいさんと仲よしになりました。それはロムバルディの人で、ロサーリオの町の近くに農夫をしている息子をたずねてアメリカへゆく人でした。  マルコはこのおじいさんにすっかり自分の身の上を話しますと、おじいさんは大変同情して、 「大丈夫だよ。もうじきにおかあさんにあわれますよ。」  といいました。  マルコはこれをきいてたいそう心を丈夫にしました。  そしてマルコは首にかけていた十字のメダルにキスしながら「どうかおかあさんにあわせて下さい。」と祈りました。  出発してから二十七日目、それは美しい五月の朝、汽船はアルゼンチンの首府ブエーノスアイレスの都の岸にひろがっている大きなプラータ河に錨を下ろしました。マルコは気ちがいのようによろこびました。 「かあさんはもうわずかな所にいる。もうしばらくのうちにあえるのだ。ああ自分はアメリカへ来たのだ。」  マルコは小さいふくろを手に持ってボートから波止場に上陸して勇ましく都の方に向って歩きだしました。  一番はじめの街の入口にはいると、マルコは一人の男に、ロスアルテス街へ行くにはどう行けばよいか教えて下さいとたずねました、ちょうどその人はイタリイ人でありましたから、今自分が出てきた街を指しながらていねいに教えてくれました。  マルコはお礼をいって教えてもらった道を急ぎました。  それはせまい真すぐな街でした。道の両側にはひくい白い家がたちならんでいて、街にはたくさんな人や、馬車や、荷車がひっきりなしに通っていました。そしてそこにもここにも色々な色をした大きな旗がひるがえっていて、それには大きな字で汽船の出る広告が書いてありました。  マルコは新しい街にくるたびに、それが自分のさがしている街ではないのかと思いました、また女の人にあうたびにもしや自分の母親でないかしらと思いました。  マルコは一生懸命に歩きました。と、ある十文字になっている街へ出ました。マルコはそのかどをまがってみると、それが自分のたずねているロスアルテス街でありました。おじさんの店は一七五番でした。マルコは夢中になってかけ出しました。そして小さな組糸店にはいりました。これが一七五でした。見ると店には髪の毛の白い眼鏡をかけた女の人がいました。 「何か用でもあるの?」  女はスペイン語でたずねました。 「あの、これはフランセスコメレリの店ではありませんか。」 「メレリさんはずっと前に死にましたよ。」  と女の人は答えました。  マルコは胸をうたれたような気がしました、そして彼は早口にこういいました。 「メレリが僕のおかあさんを知っていたんです。おかあさんはメキネズさんの所へ奉公していたんです。わたしはおかあさんをたずねてアメリカへ来たのです。わたしはおかあさんを見つけねばなりません。」 「可愛そうにねえ!」  と女の人はいいました。そして「わたしは知らないが裏の子供にきいて上げよう。あの子がメレリさんの使をしたことがあるかもしれないから――、」  女の人は店を出ていってその少年を呼びました。少年はすぐにきました。そして「メレリさんはメキネズさんの所へゆかれた。時々わたしも行きましたよ。ロスアルテス街のはしの方です。」  と答えてくれました。 「ああ、ありがとう、奥さん」  マルコは叫びました。 「番地を教えて下さいませんか。君、僕と一しょに来てくれない?」  マルコは熱心にいいましたので少年は、 「では行こう」  といってすぐに出かけました。  二人はだまったまま長い街を走るように歩きました。  街のはしまでゆくと小さい白い家の入口につきました。そこには美しい門がたっていました。門の中には草花の鉢がたくさん見えました。  マルコはいそいでベルをおしました。すると若い女の人が出てきました。 「メキネズさんはここにいますねえ?」  少年は心配そうにききました。 「メキネズさんはコルドバへ行きましたよ。」  マルコは胸がドキドキしました。 「コルドバ? コルドバってどこです、そして奉公していた女はどうなりましたか。わたしのおかあさんです。おかあさんをつれて行きましたか。」  マルコはふるえるような声でききました。  若い女の人はマルコを見ながらいいました。 「わたしは知りませんわ、もしかするとわたしの父が知っているかもしれません、しばらく待っていらっしゃい。」  しばらくするとその父はかえってきました。背の高いひげの白い紳士でした。  紳士はマルコに 「お前のおかあさんはジェノア人でしょう。」  と問いました。  マルコはそうですと答えました。 「それならそのメキネズさんのところにいた女の人はコルドバという都へゆきましたよ。」  マルコは深いため息をつきました。そして 「それでは私はコルドバへゆきます。」 「かわいそうに。コルドバはここから何百哩もある。」  紳士はこういいました。  マルコは死んだように、門によりかかりました。  紳士はマルコの様子を見て、かわいそうに思いしきりに何か考えていました。が、やがて机に向って、一通の手紙を書いてマルコにわたしながらいいました。 「それではこの手紙をポカへ持っておいで、ここからポカへは二時間ぐらいでゆかれる。そこへいってこの手紙の宛名になっている紳士をたずねなさい。たれでも知っている紳士ですから、その人が明日お前をロサーリオの町へ送ってくれるでしょう、そこからまたたれかにたのんでコルドバへゆけるようしてくれるだろうから。コルドバへゆけばメキネズの家もお前のおかあさんも見つかるだろうから、それからこれをおもち。」  こういって紳士はいくらかのお金をマルコにあたえました。  マルコはただ「ありがとう、ありがとう」といって小さいふくろを持って外へ出ました。そして案内してくれた少年とも別れてポカの方へ向って出かけました。       二  マルコはすっかりつかれてしまいました。息が苦しくなってきました。そしてその次の日の暮れ方、果物をつんだ大きな船にのり込みました。  船は三日四晩走りつづけました。ある時は長い島をぬうてゆくこともありました。その島にはオレンヂの木がしげっていました。  マルコは船の中で一日に二度ずつ少しのパンと塩かけの肉を食べました。船頭たちはマルコのかなしそうな様子を見て言葉もかけませんでした。  夜になるとマルコは甲板で眠りました。青白い月の光りが広々とした水の上や遠い岸を銀色に照しました、マルコの心はしんとおちついてきました。そして「コルドバ」の名を呼んでいるとまるで昔ばなしにきいた不思議な都のような気がしてなりませんでした。  船頭は甲板に立ってうたをうたいました、そのうたはちょうどマルコが小さい時おかあさんからきいた子守唄のようでした。  マルコは急になつかしくなってとうとう泣き出してしまいました。  船頭は歌をやめるとマルコの方へかけよってきて、 「おいどうしたので、しっかりしなよ。ジェノアの子が国から遠く来たからって泣くことがあるものか。ジェノアの児は世界にほこる子だぞ。」  といいました。マルコはジェノアたましいの声をきくと急に元気づきました。 「ああそうだ、わたしはジェノアの児だ。」  マルコは心の中で叫びました。  船は夜のあけ方に、パラアナ河にのぞんでいるロサーリオの都の前にきました。  マルコは船をすててふくろを手にもってポカの紳士が書いてくれた手紙をもってアルゼンチンの紳士をたずねに町の方をゆきました。  町にはたくさんな人や、馬や、車がたくさん通っていました。  マルコは一時間あまりもたずね歩くと、やっとその家を見つけました。  マルコはベルをならすと家から髪の毛の赤い意地の悪そうな男が出てきて 「何の用か、」  とぶっきらぼうにいいました。  マルコは書いてもらった手紙を出しました。その男はその手紙を読んで 「主人は昨日の午後ブエーノスアイレスへ御家の人たちをつれて出かけられた。」  といいました。  マルコはどういってよいかわかりませんでした。ただそこに棒のように立っていました。そして 「わたしはここでだれも知りません。」  とあわれそうな声でいいました。するとその男は、 「物もらいをするならイタリイでやれ、」  といってぴしゃりと戸をしめてしまいました。  マルコはふくろをとりあげてしょんぼりと出かけました。マルコは胸をかきむしられたような気がしました。そして 「わたしはどこへ行ったらよいのだろう。もうお金もなくなった。」  マルコはもう歩く元気もなくなって、ふくろを道におろしてそこにうつむいていました、道を通りがかりの子供たちは立ち止ってマルコを見ていました。マルコはじっとしておりました。するとやがて「おいどうしたんだい。」とロムバルディの言葉でいった人がありました。マルコはひょっと顔を上げてみると、それは船の中で一しょになった年よったロムバルディのお百姓でありました。  マルコはおどろいて、 「まあ、おじいさん!」  と叫びました。  お百姓もおどろいてマルコのそばへかけて来ました。マルコは自分の今までの有様を残らず話しました。  お百姓は大変可愛そうに思って、何かしきりに考えていましたが、やがて、 「マルコ、わたしと一緒にお出でどうにかなるでしょう。」  といって歩き出しました。マルコは後について歩きました。二人は長い道を歩きました、やがてお百姓は一軒の宿屋の戸口に立ち止りました。看板には「イタリイの星」と書いてありました。  二人は大きな部屋へはいりました。そこには大勢の人がお酒をのみながら高い声で笑いながら話しあっていました。  お百姓はマルコを自分の前に立たせ皆にむかいながらこう叫びました。 「皆さん、しばらくわたしの話を聞いて下さい、ここにかわいそうな子供がいます。この子はイタリイの子供です。ジェノアからブエーノスアイレスまで母親をたずねて一人で来た子です。ところがこんどはコルドバへ行くのですがお金を一銭も持っていないのです。何とかいい考えが皆さんにありませんか。」  これをきいた五六人のものは立ち上って、 「とんでもないことだ。そんなことが出来るものか」  といいました。するとその中の一人は、テエブルをたたいて、 「おい、我々の兄弟だ。われわれの兄弟のために助けてやらねばならぬぞ。全く孝行者だ。一人できたのか。ほんとに偉いぞ。愛国者だ、さあこちらへ来な、葡萄酒でものんだがよい。わしたちが母親のところへとどけてあげるから心配しないがよい。」  こういってその男はマルコの肩をたたきふくろを下してやりました。  マルコのうわさが宿屋中にひろがると大勢の人たちが急いで出てきました、ロムバルディのおじいさんはマルコのために帽子を持ってまわるとたちまち四十二リラのお金があつまりました。  みんなの者はコップに葡萄酒をついで、 「お前のおかあさんの無事を祈る。」といってのみました。  マルコはうれしくてどうしてよいかわからずただ「ありがとう。」といって、おじいさんのくびに飛びつきました。  つぎの朝マルコはよろこび勇んでコルドバへ向って出かけました。マルコの顔はよろこびにかがやきました。  マルコは汽車にのりました。汽車は広々とした野原を走ってゆきました。つめたい風が汽車の窓からひゅっとはいってきました。マルコがジェノアを出た時は四月の末でしたがもう冬になっているのでした。けれどもマルコは夏の服を着ていました。マルコは寒くてなりませんでした。そればかりでなく身体も心もつかれてしまって夜もなかなか眠ることも出来ませんでした。マルコはもしかすると病気にでもなって倒れるのではないかと思いました。おかあさんにあうことも出来ないで死んだとしたら……マルコは急にかなしい心になりました。  コルドバへゆけばきっとお母さんにあえるかしら、ほんとうにおかあさんにあうことがたしかに出来るかしら。もしもロスアルテス街の紳士が間違ったことをいったのだとしたらどうしよう。マルコはこう思っているうちに眠ってゆきました。そしてコルドバへ行っている夢を見ました、それは一人のあやしい男が出てきて、「お前のおかあさんはここにいない。」といっている夢でした。マルコははっとしてとびおきると自分の向うのはしに三人の男が恐しい眼つきで何か話していました。マルコは思わずそこへかけよって、 「わたしは何も持っていません。イタリイから来たのです。おかあさんをたずねに一人できたのです。貧乏な子供です。どうぞ、何もしないで下さい。」 といいました。  三人の男は彼をかわいそうに思ってマルコの頭をなでながらいろいろ言葉をかけ一枚のシオルをマルコの体にまいて、眠られるようにしてくれました。その時はもう広い野には夕日がおちていました。  汽車がコルドバにつくと三人の男はマルコをおこしました。  マルコは飛びたつように汽車から飛び出しました。彼は停車場の人にメキネズの家はどこにあるかききました。その人はある教会の名をいいました。家はそのそばにあるのでした。マルコは急いで出かけました。  町はもう夜でした。  マルコはやっと教会を見つけ出して、ふるえる手でベルをならしました。すると年取った女の人が手にあかりを持って出てきました。 「何か用がありますか」 「メキネズさんはいますか。」  マルコは早口にいいました。  女の人は両手をくんで頭をふりながら答えました。 「メキネズさんはツークーマンへゆかれた。」  マルコはがっかりしてしまいました、そしてふるえるような声で、 「そこはどこです。どのくらいはなれているのです。おかあさんにあわないで、死んでしまいそうだ。」 「まあ可愛そうに、ここから四五百哩はなれていますよ。」  女の人は気の毒そうにいいました。  マルコは顔に手をおしあてて、「わたしはどうしたらいいのだろう、」  といって泣き出しました。  女の人はしばらくだまって考えていましたが、やがて思い出したように、 「ああ、そうそう、よいことがある、この町を右の方へゆくと、たくさんの荷車を牛にひかせて明日ツークーマンへ出かけてゆく商人がいますよ。その人に頼んでつれていってもらいなさい。何か手つだいでもすることにして、それが一番よい今すぐに行ってごらんなさい。」  といいました。  マルコはお礼をいいながらふくろをかつぎ急いで出かけました。しばらくゆくとそこには大ぜいの男が荷車に穀物のふくろをつんでいました。丈の高い口ひげのある男が長靴をはいて仕事の指図をしていました。その人がこの親方でした。  マルコはおそるおそるその人のそばへ行って「自分もどうかつれていって下さい。おかあさんをさがしにゆくのだから。」  とたのみました。  親方はマルコの様子をじろじろと見ながら 「お前をのせてゆく場所がない。」  とつめたく答えました。  マルコは一生懸命になって、たのみました。 「ここに十五リラあります。これをさしあげます。そして途中で働きます。牛や馬の飲水もはこびます。どんな御用でもいたします。どうぞつれて行って下さい。」  親方はまたじろじろとマルコを見てから、今度はいくらかやさしい声でいいました。 「おれたちはツークーマンへゆくのではない、サンチヤゴという別の町へゆくのだよ。だからお前をのせていっても途中で下りねばならないし、それに下りてからお前はずいぶん歩かなければならぬぞ。」 「ええ、どんな長い旅でもいたします。どんなことをしましてもツークーマンへまいりますからどうかのせていって下さい。」  マルコはこういってたのみました。  親方はまた、 「おい二十日もかかるぞ。つらい旅だぞ。それに一人で歩かねばならないのだぞ。」  といいました。  マルコは元気そうな声でいいました。 「はいどんな事でもこらえます、おかあさんにさえあえるなら。どうぞのせていって下さい」  親方はとうとうマルコの熱心に動かされてしまいました。そして「よし」といってマルコの手を握りしめました。 「お前は今夜荷車の中でねるのだよ。そして明日の朝、四時におこすぞ。」  親方はこういって家の中へはいってゆきました。  朝の四時になりました。星はつめたそうに光っていました。荷車の長い列はがたがたと動き出しました。荷車はみな六頭の牛にひかれてゆきました。そのあとからはたくさんな馬もついてゆきました。  マルコは車に積んだ袋の上にのりました。がすぐに眠ってしまいました。マルコが目をさますと、荷車の列はとまってしまって、人足たちは火をたきながらパンをやいて食べているのでした。みんなは食事がすむとしばらくひるねをしてそれからまた出かけました。みんなは毎朝五時に出て九時にとまり、夕方の五時に出て十時にとまりました。ちょうど兵隊が行軍するのと同じように規則正しくやりました。  マルコはパンをやく火をこしらえたり牛や馬にのませる水をくんできたり角灯の掃除をしたりしました。  みんなの進む所は、どちらを見ても広い平野がつづいていて人家もなければ人影も見えませんでした。たまたま二三人の旅人が馬にのってくるのにあうこともありましたが、風のように一散にかけてゆきました。くる日もくる日もただ広い野原しか見えないのでみんなは、たいくつでたいくつでたまりませんでした。人足たちはだんだん意地悪くなって、マルコをおどかしたり無理使したりしました。大きな秣をはこばせたり、遠い所へ水をくみにやらせたりしました。そして少しでもおそいと大きな声で叱りつけました。  マルコはへとへとにつかれて、夜になっても眠ることが出来ませんでした、荷車はぎいぎいとゆれ、体はころがるようになり、おまけに風が吹いてくると赤い土ほこりがたってきて息をすることさえ出来ませんでした。  マルコは全くつかれはててしまいました。それに朝から晩まで叱られたりいじめられたりするので日に日に元気もなくなってゆきました。ただマルコをかわいがってくれるものは親方だけでした。マルコは車のすみに小さくうずくまってふくろに顔をあてて泣いていました。  ある朝、マルコが水を汲んでくるのがおそいといって人足の一人が、彼をぶちました。それからというものは人足たちは代る代る彼を足でけりながら、「この宿なし犬め」といいました。  マルコは悲しくなってただすすりあげて泣いていました。マルコはとうとう病気になりました。三日のあいだ荷車の中で何もたべずに苦しんでいました。ただ水をくれたりして親切にしてくれるものは親方だけでした。親方はいつも彼のところへきては、 「しっかりせよ。母親にあえるのだから」  といってなぐさめてくれました。  マルコは、もう自分は死ぬのだと思いました。そしてしきりに「おかあさん。もうあえないのですか。おかあさん。」といって胸の上に手をくんで祈っていました。  親方は親切に看護をしたので、マルコはだんだんよくなってゆきました。すると今度は一番安心することの出来ない日がきました。それはもう九日も旅をつづけたのでツークーマンへゆく道とサンチヤゴへ行く道との分れる所へ来たからです。親方はマルコに別れなければならないことをいいました。  親方は何かと心配して道のことを教えてくれたり歩く時にじゃまにならないようにふくろをかつがせたりしました。マルコは親方の体にだきついて別れのあいさつをしました。       三  マルコは青い草の道に立って手をあげながら荷車の一隊を見送っていました。荷車の親方も人足たちも手をあげてマルコを見ていました。やがて一隊は平野の赤い土ほこりの中にかくれてしまいました。  マルコは草の道を歩いてゆきました。夜になると草のしげみへはいってふくろを枕にして眠りました。やがていく日かたつと彼の目の前に青々とした山脈を見ることが出来ました。マルコは飛びたつようによろこびました。山のてっぺんには白い雪が光っていました。マルコは自分の国のアルプス山を思い出しました。そして自分の国へ来たような気持になりました。  その山はアンデズ山でありました。アメリカの大陸の脊骨をつくっている山でした。空気もだんだんあたたかになってきました。そして所々に小さい人家が見えてきました。小さい店もありました。マルコはその店でパンを買ってたべました。また黒い顔をした女や子供たちにもであいました。その人たちはマルコをじっと見ていました。  マルコは歩けるだけ歩くと木の下に眠りました。その次の日もそうしました。そうするうちに彼の元気はすっかりなくなってしまいました。靴は破れ足から血がにじんでいました、彼はしくしく泣きながら歩き出しました。けれども「おかあさんにあえるのだ。」と思うと足のいたさも忘れてしまいました。  彼は元気を出して歩きました。ひろいきび畑を通ったり、はてしない野の間をぬけたり、あの高い青い山を見ながら四日、五日、一週間もたちました。彼の足からはたえず血がにじみ出ました、また急に元気がなくなって来ました、でもとうとうある日の夕方一人の女の人にあいましたから、 「ツークーマンへはここからいくらありますか。」 とたずねました。  女の人は、 「ツークーマンはここから二哩ほどだよ。」  と答えました。  マルコはよろこびました。そしてなくした元気をとりもどしたように歩き出しました。しかしそれはほんのしばらくでした。彼の力はすぐに抜けました。けれども心の中はうれしくてなりませんでした。  星はきらきらとかがやいていました、マルコは草の上に体をのばして美しい星空を眺めました。この時はマルコの心は幸福でありました。マルコは光っている星に話でもするようにいいました。 「ああおかあさん、あなたの子のマルコは今ここにいます。こんなに近くにいます。どうぞ無事でいて下さい、おかあさん、あなたは今何を思っていられますか。マルコのことを思って下さるのですか。」  マルコの母親は病気にかかってメキネズの立派なやしきにねていました。ところがメキネズは思いがけずブエーノスアイレスから遠くへ出かけねばならなくなりコルドバへきたのでした、その時母親は腫物が体の内に出来たので外科のお医者さんにかかるためツークーマンに見てもらっていたのでした。けれども大変な重い病気だったのでどれだけたってもなおりませんでした。それで手術をしてもらうということになりました。けれども母親は 「わたしはもうこらえる力がありません。手術のうちに死んでしまいます。どうかこのまま死なせて下さい。わたしはもう苦しまずに死にとうございます。」  といいました。  主人と奥さんは「手術をうけると早くなおるから、もっと元気を出しなさい、子供たちのためにも早くなおらなければなりません。」としずかにいってきかせました。  母親はたださめざめと泣きだしました。 「おお子供たち、みんなはもう生きていないだろう。わたしも死んでゆきたい。旦那様、奥さま、ありがとうございます。何かとお世話になりましてありがとうございます。わたしはもうお医者さまにかかりたくありません。わたしはここで死にとうございます。」  主人は「そんなことをいうものではない」といって女の手をとって慰めました。  けれども彼女はまるで死んだように眼をとじていました。主人と奥さんとはろうそくのかすかな光でこのあわれな女を見守っていました。「家を助けるために三千里もはなれた国へきて、あんなに働いたあとで死んでゆく。ほん当に可哀そうだ。」主人はこういってそこにぼんやりと立っていました。  マルコはいたい足をひきずりながら、ふくろをせおって次ぎの日の朝早くアルゼンチンの国でもっともにぎやかな町であるツークーマンの町へはいりました。ここもまた同じような街で、まっすぐな長い道と、ひくい白い家とがありました。ただマルコの目をよろこばしたものは大きな美しい植物と、イタリイでかつて見たこともないようにすみ切った青空でありました。彼は街をずんずん歩いてゆきました。そしてもしか母親にあいはしないかと女の人にあうたびにじっと見ました。女の人みんなに自分の母親でないかたずねてみたい心持になりました。街の子供たちは四五人あつまってきて、みすぼらしいほこりだらけの少年をじっと見ていました。  しばらく行くと道の左かわにイタリイの名の書いてある宿屋の看板が目につきました。中には眼鏡をかけた男の人がいました。  マルコはかけていってたずねました。 「ちょっとおたずねしますがメキネズさんの家はどちらでしょうか。」  男の人はちょっと考えていましたが、 「メキネズさんはここにはいないよ。ここから六哩ほどはなれているサラヂーロというところだ。」  と答えました。  マルコは剣で胸をつかれたようにそこに打ち倒れてしまいました。すると宿屋の主人や女たちが出てきて、「どうしたのだ、どうしたというのだ、」といいながらマルコを部屋の中へ入れました。  主人は彼をなだめるようにいいました。 「さあ、何も心配することはない。ここからしばらくの時間でゆける。川のそばの大きな砂糖工場がたっているところにメキネズさんの家がある。誰でも知っているよ、安心なさい、」  しばらくするとマルコは生きかえったようにおき上りながら、 「どちらへ行くんです、どうぞ早く道を教えて下さい。私はすぐにゆきます。」 といいました。  主人は、 「お前はつかれている、休まないと行かれない。今日はここで休んで明日ゆきなさい、一日かかるのだから。」  とすすめました。 「いけません。いけません。私は早くおかあさんにあわなければなりません。すぐにゆきます。」  マルコの強い心に動かされて、宿屋の主人は一人の男をわざわざ町はずれの森まで送ってよこしました。マルコは大変よろこんで教えてもらった道を急ぎました。道の両がわにはこんもりとした並木が立ちならんでいました。マルコは足のいたいことも忘れて歩きました。  その夜母親は大そう苦しんでもう息も切れ切れに、「お医者さまを呼んで下さい。助けて下さい。わたしはもう死にます。」  といいました。  主人や奥さんや女中たちは女の手をとってなぐさめました。  もう夜中でありました。マルコはもう歩む力もなくなっていく度となくころびました、けれどもマルコは「おかあさんにあえるのだ。」という心が胸にわいてきて足のいたいことも忘れてしまいました。  やがて東の空がしらじらとあけてきて、銀のような星も次第に消えてゆきました。  朝の八時になりました。ツークーマンのお医者さんは若い一人の助手をつれて病人の家へ来ました。そしてしきりに手術をうけるようにすすめました。メキネズ夫婦もそれをすすめました。けれどもそれは無駄でした。女はどうしても手術をうける気はありませんでした。手術をうけないうちに死んでゆくのだとあきらめているからでした。医者はそれでもあきらめずにもう一度いってみました。  けれども女は、 「わたしはこのまま安らかに死んでゆきとうございます。」  といいました、そしてまた消えてゆくような声で、 「奥さま、わたしの荷物と、この少しばかりのお金を家の者に送ってやってください、私はこれで死んでゆきます。どうぞ私の家へ手紙も出して下さい。わたしは子供を忘れることが出来ません。小さい子のマルコはどうしているでしょう、ああマルコが……」  といいました。  その時、主人もいませんでした。奥さんはあわただしくかけてゆきました。しばらくすると医者はよろこばしい顔をしてはいってきました。主人も奥さんもはいってきました。そして病人に、いいました。 「ジョセハ、うれしいことをきかせてあげるよ。」 「おどろいてはいけません。」  女はじっとその声をきいていました。  奥さんは 「お前がよろこぶことですよ、お前の大そう可愛がっている子にあうのですよ。」  女はきらきらする目で奥さんを見ました。そしてありったけの力を出して頭をあげました。  その時でした、ぼろぼろの服をきてほこりだらけになったマルコが入口に立ったのでした。  女はびっくりして「あっ」と叫び声をあげました。  マルコはかけよりました。母親はやせた細い手をのばしてマルコをだきしめました。そして気ちがいのように「どうしてここへ来たのほんとうにお前なのか。本当にマルコだねえ、ああほんとうに」と叫びました。  女はすぐに医者の方をむいていい出しました。 「お医者様、どうぞなおして下さい。早く手術をして下さい。わたしは早くよくなりたいです。どうぞお医者さま、マルコに見せないで。」  マルコは主人につれられて部屋を出ました。奥さんも女たちもいそいで出てゆきました。  マルコは不思議でなりませんでしたから、 「おかあさんをどうするのですか。」  と主人にたずねました。  主人はおかあさんが病気だから手術を受けるのだといいました。  と不意に女の叫び声が家中にひびきました。  マルコはびっくりして「おかあさんが死んだ。」と叫びました。  医者は入口に出て来て「おかあさんは助かった、」といいました。  マルコはしばらくぼんやりと立っていましたが、やがて医者の足許へかけていって泣きながら、 「お医者さま、ありがとうございます。」  といいました。  しかし医者はマルコの手をとってこういいました。 「マルコさん。おかあさんを助けたのは私ではありません。それはお前です。英雄のように立派なお前だ!」                                  
底本:「家なき子」九段書房    1927(昭和2)年10月15日発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 その際、以下の置き換えをおこないました。 「或る→ある かも知れ→かもしれ 位→くらい 毎→ごと 沢山→たくさん 只→ただ 一寸→ちょっと (て)見→み (て)貰→もら」 ※底本は総ルビですが、一部を省きました。 ※底本中、混在している「コルドバ」「コルトバ」「ゴルドバ」「エルドバ」「マルドバ」は原文をチェックの上、「コルドバ」に統一しました。 入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(前田一貴) 校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう) 2005年6月15日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "045381", "作品名": "母を尋ねて三千里", "作品名読み": "ははをたずねてさんぜんり", "ソート用読み": "ははをたすねてさんせんり", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "DAGLI APPENNINI ALLE ANDE", "初出": "", "分類番号": "NDC K973", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2005-07-26T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001048/card45381.html", "人物ID": "001048", "姓": "アミーチス", "名": "エドモンド・デ", "姓読み": "アミーチス", "名読み": "エドモンド・デ", "姓読みソート用": "あみいちす", "名読みソート用": "えともんとて", "姓ローマ字": "Amicis", "名ローマ字": "Edmondo De", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1846-10-31", "没年月日": "1908-03-11", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "家なき子", "底本出版社名1": "九段書房", "底本初版発行年1": "1927(昭和2)年10月15日", "入力に使用した版1": "1927(昭和2)年10月15日", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "京都大学電子テクスト研究会入力班", "校正者": "京都大学電子テクスト研究会校正班", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001048/files/45381_ruby_18650.zip", "テキストファイル最終更新日": "2005-06-15T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001048/files/45381_18751.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2005-06-15T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
環境が人をつくる  私が井上侯の所へいつたのは學生時代のことであつたから、二十歳くらいであつたろう。それから五、六年いたように思う。  明治初期の頃の書生は、青雲の志に燃えた者が多かつた。その頃は教育機關がまだ整備されておらなかつたので、そのような若者は偉い人の所へ書生に入つて、そこで勉強するというのが、出世をする一つの道程であつた。今のように大學が各所にあつて、學資さえあればどんどん大學を出られる、という時代ではない。だから同郷の偉い人を頼つて、そこの書生になつたものである。  それは人を知ることが眼目であつた。玄關番をしていると、訪問者は必ずそこを通過するのだから、知名の人に接し、そこから立身出世の道を開くことができる。それが書生の權利になつていた。だから、今の學生がやるアルバイトのようなものではない。  明治時代の實業家を私が見たところでは、擡頭期のことではあり、社會が狹く、問題も少かつたが、當時の實業家には、國家的の觀念が強かつたと思う。  日本の御維新によつて世界に飛出してみたわけだが、出てみると、世界の文明から非常に遲れている、これは大變だ、産業も教育も文化も、すべて一度に花を咲かせなければならぬと考えて、非常に焦躁の念に驅られたのである。そこで大變な努力をしたのであつて、全日本が、われわれのような若い者までその空氣の中に置かれたわけである。そうした風に吹かれたのは、われわれが最後かと思うが、その氣持ちは今でも私などに遺つている。  しかし日清戰爭、日露戰爭とやつて來て、日本は一等國ということになつた。實際はなつておらなかつたろうと思うが、なつた、なつたと言われて、國民は滿足していた。日英同盟をやつた、一人前になつた、という氣持ちになつたのである。實際を見極めるような偉い者はおらぬ。衆愚はアトモスフェアで左へゆき右へ動く。戰爭で勝つた、日本は偉い、一等國だ、と新聞が書けば、ほんとうに一等國になつたと思う。  われわれの若い時には、大きな革命の餘波が流れていた。偉い先輩のやつた足跡を、書物を通じてでなしに、じいさんやばあさん、或いは親父に聽いても、ペリーが來たとか、馬關の砲撃をやつたとか、そういう威勢よい話ばかり、それから苦心慘澹した話もある、どんな困難なことでも、やりさえすればやれる、という話ばかりである。  今の人は、どうせ出來やせぬ、やらなければやらないで濟む、やつたからといつて、それほどの効能もない、狡く世の中を渡ろう、パンパン暮しのほうがいい、こういう空氣になつているのではないかと思われる。  この空氣を變えるには、革命以外にない。漸を逐うて改めるということではないのである。思い切つて手術をして膿を出せば、新しい肉が盛り上つて來るのと同じことで、今の空氣を書物に書いても講釋しても改められるものではない。そんな安つぽいものではない。それほど敗戰ということの運動量は大きいのである。  革命には、政治革命もあろうし、産業革命もあると思う。どんな形で革命が來るか、私は知らぬが、革命が來なければ、空氣が一新できないことは事實である。  早い話が、今の總理大臣がいけない、早く辭めろ、などと言う。しかし誰かにかわつても、今以上のことができるとも思われない。どつこいどつこい――と言つては惡いかも知らぬが、大した効果はないと思う。空氣そのものが變つておらぬからである。  いくら偉い者でも、その思うところを行い得るには環境というものが要る。運というものが要る。環境と運、これはわれわれが作るものではない。自然に來るものである。  人が環境を作るということもあるが、これは長くかかる。きよう考えたから明日環境を變える、そんな力はない。變えるには歴史的の時間を要する。こういうことになるのではあるまいか。  今度來るのは、私は經濟革命であろうと思う。今のようなことをしておつて、日本がうまくゆくとは、私は思わない。ここでよほどの大きな對策を實行しなければ――新聞に論じているようなことでは――とても立つてゆきはせぬ。どうしたら立つてゆけるか。自發的にお互いが發心してやつてゆくような空氣は、今の日本にはない。  今までコールド・ウォアやホット・ウォアがあつて、相當疲れて來た。これから日本はどうなるか。世界的に平和風が吹いて來ると、今度擡頭して來るのは經濟戰爭ではあるまいか。ホット・ウォア――武器の戰爭――が終れば、それに取つて替るものは、經濟戰爭というやつである。  その場合、どつちが日本として手答えがあるであろうか。日本は武器の戰爭のほうは、それほど痛くない。經濟の戰爭のほうが痛いのである。時には命取りになる。武器の戰爭は、敗けると思つたものが勝つたりすることがある。バランス・オブ・パワアというものがあつて、必ずしも絶對量によつて勝つものではない。  日本の現在のウエイトは、ただみたいなものである。吹けば飛ぶようなものかも知れない。だが、むかし鶴見祐輔氏が明政會で僅か一票で威力を示したことがあるように、日本が相對立する二つの國の間にあつて、どつちを勝たせようとするかという場合には、鶴見氏の場合と同樣にキャスチングヴォートの威力を發揮することができるので、その値打ちは大いに考える必要がある。  ところが、經濟の戰爭になると、そういうことが出來ない。惡い品物を良いと言つても、買つてくれる人はないのである。現にそういう現象が起りつつあるのではないか。惡くて高いために、買つてくれる國がないのが現状である。  しかも策なしというやり方をしてゐる。策なしとは、手を擧げたということである。これではいけない。  といつて、世の中を搖り動かそうとするほど、私は惡人ではない。人柄が良いのだ。性は善なのである。いわばわれわれにはその資格がないわけだ。われわれは時が來なければ、ようやらん人間である。實際問題だけしか私の頭にはない。青年時代には夢があり、青雲の志があつた。しかし、もう年を取つたし、われわれは革命を起す人間ではない。批評をすることはできるが、革命を起すのは若い人でなければならない。  物を賣ろうと思つても、ドイツその他から安くてよい物がどんどん出るから、日本の物は買つてくれない。中共ともとのように貿易をやろうと思つても、買つてくれるのは鯣と昆布だけ、或いは鮑とか寒天だけ位のことであるまいか。昔のように紡績を賣りたくても、今日の中共は毛澤東がどんどんと産業を興して、そんな物は要らんと言うことになつているかも知れぬ。  これは「かも知れぬ」である。しかし、そういうことになるプロバビリテイは、非常に多いというのは、毛澤東という人物、私はよくは知らぬが、四億五千萬の人間を率いて、自分がやろうと思つた方向へ進んでいる。あの努力は大したものだと思う。そういう現象は日本にはないのである。  いま日本の經濟界にも、新生活運動というようなことが提唱されている。だが、それを唱える人自身が待合へいつて宴會をやつているようでは、初めからダメである。  この際、ほんとにやるべきことは、命の惜しい人や名譽のほしい人には、やりとげられないと思う。名譽も大きな名譽ならいいが、そのへんにザラにあるような小さな名譽を追つかけているような人では、どうすることも出來ない。  御維新の時に働いた人たちは、どこの馬の骨か判らんような奴が、キャアキャア言つて、困つた、困つた、と思われていたにちがいない。ところが、それがあれだけのエポックを作つたのである。  それには外からの刺戟があつた。黒船來である。そこで尊皇攘夷の空氣が起り、後に開國を迫つて、ついに御維新になつた。 パンパンにされた日本  私は今度は經濟革命が來ると思つている。どうしても避けられない。このままで經濟戰爭に敗けたならば、アメリカの保護を乞うても、保護してはくれぬ。一度パンパンになつた人間は、もう使い途がない。潰しが利かぬのである。女はまだよいが、パンパン野郎は何にも使えない。手足まといになるものを、誰が買つてくれるものか。  人口が多いということが、それが心を一つにしていれば力が強い。まだ使い途がある。しかし内部でお互いが反撥し合つているのだから、全然無價値である。それを統制して一つにしようといつても、もとのように權力ある者の命令一下まとまる、というようなわけにはゆかない。權力ある者の命令に從つてやつたところが、敗戰によつて恥をかいた、という大きな經驗をしている以上、もう一度命令に從わせることはなかなかむつかしい。  これは巣鴨へ入つてみると、よく判ることである。巣鴨にいる人たちは、みな、われわれは何の爲にこんな目に遭うのか、と考えている。われわれは何も惡いことをした覺えはない、街にいる人達と何處が違うか。惡いことをした者が免れて街にいるではないか、という考えを持つている。  こうした考えがたくさん積つて來ると、何かの機會にはそれが爆發する危險がある。巣鴨などはその一つであろう。  私に言わせれば日本はまだ困り樣が足らぬと思う。困つたと思う時に特需などがあつたり、どこかから剩り物が來たりして、どうやらこうやら、つないで來ることができた。テンヤモンヤとやつて來て、別に餓死する人もない。  テンヤモンヤとやつていられる間はよろしい。もう少し深刻になつて來て、どうしても食べてゆけない、となつたら、一體どうなるであろうか。  むかし米が上つて一升五十錢になつた時に、米騒動というものが起つた。これは誰言うとなしに起つたものである。何も知らぬ漁師のおかみさんたちが起したのである。學校を出たインテリがやつたものではない。おかみさんたちの付けた火が、パーッと擴がつたのである。情勢が熟していれば、すぐに火が付く。  コールド・ウォアやホット・ウオアが盛んに動いていて、兩方からヤイノ、ヤイノと言われている時はよい。無人島に十人の男と一人の女だけが暮すことになれば、醜婦でも非常な美人に見えるように、日本も今まではまだよかつた。  これから平和風の吹いて來た時が、非常に危險な時である。必ず壁にぶつかる。その時が革命に火の付く時である。  徳川幕府が三百年間續いて、役人が腐敗し、賄賂を公然と取るようになる、旗本の中には自分の家柄を、金で賣つたりする者が出る、大小は佩しているけれども、それは伊達であつて、武士の魂は抜けて遊冶郎になり下つてしまつた。そこへ外來の一大衝動を受けたから有志が起つたのである。初めは尊皇討幕であつたが、御維新によつて今度は開國進取、産業立國、殖産興業、文明開化というような旗印しを立てて進んだのである。  おそらく毛澤東は明治の御維新などをよく體得して、それを利用したにちがいないと思う。  だが、私は日本人に失望してはいない。永い間養われて出來上つた血液は、そう一朝一夕に變るものではない、というのが私の信念である。今は病氣に罹つたか、酒を飮んで醉つたようなもので、日本人の本質は相當のよさを持つていると信じている。  戰爭に敗けて、アメリカが來て、パンパンにされた。あの威力によつて自然にこうなつたのであるが、このまま泥舟に乘つたように沈沒するかといえば、そうではないと思う。まだ發奮する時期が來ないだけのことで、決してダメなのではない。 安賣りは止めよ  こんど火力發電のために外資を導入するという。僅か四千萬ドルを借りるのに、それこそ大騒動をして、われわれの意想外の惡い條件で借りるという話である。  ところが、一方には十億ドル近いものを日本は持つている。これをなぜ善用しないのであろうか。しかも世界銀行の加入金を二億ドル拂つて、借りて來るのは四千萬ドル。二億ドルを無利子で預けて、旅費その他をたくさん使つて、大騒ぎをして四千萬ドルの金を利子を拂つて借りて來る。自分の定期預金を擔保にして、非常に高利の金を借りるようなものである。  しかも、これは一番擔保であるから、このあとは勿論それ以下の條件という譯にはゆかない。取つたら最後、それから一歩も讓らぬのが、銀行家の心理である。これが基本になるだけに、今度のことは困る。  これはインパクト・ローンではない。必ず全部が品物で來る。朝鮮が休戰になつた以上、向うは賣る必要があるのである。そうなれば日本のメーカーはお茶をひかなければならない。どういうつもりでこんなことをやるのか。外資というものは非常にいいものだ、あちらにあるドルと、日本に持つているドルとは、品格がちがう、とでも思つているのではあるまいか。  そんな惡條件の金を借りて何をするかといえば火力である。火力發電の裝置などは日本でも出來る。向うの方は少しはインプルーヴメントがあるかも知れんが、能率もそう違いはなかろう。  しかも火力發電は、一年三百六十五日働いている機械ではない。水の足りない時に使うだけであるから、少々惡くても大したことはない。ベストである必要はないのである。それよりも國内の物を活用すれば、國民所得が幾らかでも多くなる。  その點だけから考えても、今度のことはおかしいと思う。外資というものに對するイリウジョンと考えるほかはない。外資を借りた、今まで出來なかつたことをやつた、という、鬼の首でも取つたようなイリウジョンに、政府の人たちは迷いこんでいるのではあるまいか。  おそらく吉田さんの考えではあるまい。吉田さんは經濟のことにはあまり精通していないから、そうした指示をすることはあるまいと思う。  これからアメリカを相手に何かやろうとしても、今度のようなことがあると、非常な邪魔になる。これは小さい石ころである。吹けば飛ぶような石ころではあるが、あるということが邪魔になる。たいへん惡い先例になるのである。  日本は自重しなければいけない。安賣りしてはならぬ。パンパンになるようなことは、絶對にしてはならない。  テンヤモンヤして、わけの判らん所に金を使つていたら、何事も出來はしない。僅かな只見川の開發でさえ、あんなに揉んで大騒動をしているようなことでは、日本全體の開發は、いつになつたら出來るか判つたものではない。  このままではダラダラと出血して、貧血してゆくほかはない。今から五年なり十年の間に、本格的な大開發をやる必要があるのである。  しかし日本人は今でも骨の髓まで腐つてはいない。先祖傳來の蓄積がある。たつた一遍、戰爭に敗けたからといつて、蓄積の全部を失つたわけではない。マテリアルの蓄積はなくなつたかも知れないが、血液の中にある蓄積は、われわれ日本人が生きている以上は、なくなるものではない。  ただ、その血液をフレッシュにすることが必要である。それには大きな濾過器が要る。濾過器とは衝動である。  それも小さな衝動では効果がない。日本人全部の血液をリフレッシュするのだから、よほど大きな衝動が必要なのである。
底本:「文藝春秋 昭和二十八年十一月號」文藝春秋新社    1953(昭和28)年11月1日発行 初出:「文藝春秋 昭和二十八年十一月號」文藝春秋新社    1953(昭和28)年11月1日発行 入力:sogo 校正:富田晶子 2018年1月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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一  消燈喇叭が鳴つて、電燈が消へて了つてからも暫くは、高村軍曹は眼先きをチラ〳〵する新入兵たちの顔や姿に悩まされてゐた。悩まされてゐた――と云ふのは、この場合適当でないかもしれない。いざ、と云ふ時には自分の身代りにもなつて呉れる者、骨を拾つても呉れる者、その愛すべきものを自分は今、これから二ヶ年と云ふもの手塩にかけて教育しようとするのであるから。  一個の軍人として見るにはまだ西も東も知らない新兵である彼等は、自分の仕向けやうに依つては必ず、昔の武士に見るやうに恩義の前には生命をも捨てゝ呉れるであらう。その彼等を教育する大任を――僅か一内務班に於ける僅か許りの兵員ではあるが――自分は命じられたのだ。かう思ふ事に依つて高村軍曹は自分が彼等に接する態度に就ては始終頭を悩まされてゐた。で、眠つてる間にもよく彼等新兵を夢に見ることがあつた。彼はどんな場合にも、自分の部下が最も勇敢であり、最も従順であり、更に最も軍人としての技能――射撃だとか、銃剣術だとか、学術に長じることを要求し希望してゐた。  彼は自分のその要求や期待を充足させることが、自分を満足させると同時に至尊に対して最も忠勤を励む所以だと思つてゐた。それに又競争心もあつた。中隊内の他のどの班の新兵にも負けない模範的の兵士に仕立てようと云ふ希望をもつてゐた。が、その希望はやがて大隊一の模範兵を作らうと云ふ希望になり、それがやがて聯隊一番の模範兵にしようといふ希望に変つて行つた。この時彼の心にはまた昔から不文律となつて軍隊内に伝はつてゐるところの、いや現在に於て自分たちを支配してゐるところの聯隊内のしきたり――部下に対する残虐なる制裁に対して、不思議な感情の生れて来るのを感じた。また自分よりかずつと若い伍長や軍曹、上等兵なぞがまるで牛か馬を殴るやうに面白半分に兵卒たち、殊に新兵を殴るのを見ると、彼は妙に苛立たしい憤慨をさへ感じた。殊に自分までが一緒になつて昨日までそれをやつてたのかと思ふと、不思議なやうな気さへした。新兵の時に苛められたから古兵になつてからその復讎を新兵に対してする――そんな不合理なことが第一この世の中にあるだらうか。自分たちを苛めてゐた古兵とは何んの関係もない新入兵を苛める――その不合理を何十年といふ長い間、軍隊は繰り返してゐるのだ。そして百人が百人、千人が千人といふもの、少しもそれを怪しまずにゐたのだ。俺はなぜ、そんな分り切つた事を今まで気がつかずにゐたらう?――さう思ふと彼は只不思議でならなかつた。  彼は聯隊では一番古参の軍曹であつた。もう間もなく満期となつて、現役を退かなければならなかつた。が彼は予備に編入される前には必ず曹長に進級されるであらうと云ふことを、殆ど確定的に信じてゐた。また古参順序から行けば当然、今年度の曹長進級には彼が推されなければならぬのであつた。それは強ち彼れ自身がさう思つてる許りでなく、他の同僚たちもさう信じ、よく口に出しても云つてる事であつた。だが、彼に取つて最も気懸りなことが一つあつた。それは自分の隣村から出身してゐる聯隊副官のS大尉が、その地方的の反感から自分を単に毛嫌ひしてゐると云ふこと、埒を越へて、憎悪してゐると云ふことを知つてゐたから。  S大尉さへ自分に好意を持つてゝ呉れるなら、いや好意は持たずとも無関心でゐて呉れたなら、自分はどんなに有難いだらう。だがあのS大尉はいつも自分を貶しよう貶しようとしてゐる人だ。現に、自分が新入兵の入営する間際になつて、第八中隊から此の第十二中隊に編入を命じられたと云ふのも、つまりはあのS大尉の差しがねに違ひない。それはもう明白な事実だ。――  彼はS大尉のその軍人らしくない、百姓根生の染み込んだ卑劣な態度をどんなに憎んだことだらう。彼は兵卒から現在の故参下士官になる八年と云ふ長い間、自分の家庭のやうに暮して来た第八中隊を離れて此の中隊へ来た時、自分の部下たるべき第×内務班の兵卒の凡て、それから同僚の下士たちの凡てが、如何に冷たい眼をして、まるで異邦人の闖入をでも受けたやうな眼をして迎へた印象を、いつまでも忘れることが出来ない。今居る班の兵卒たちは皆んな、自分の教育したのではない、苦楽を倶にしたのではない、まゝつこだ――とも思つた。しかし、こん度入営して来る新兵こそは、自分に取つて実子である。自分は温かい心をもつて、理解ある広い同情をもつて、彼等を迎へ、彼等を教育してやらう。――彼は実にかう思つて、今の此の十五人の新兵を自分の班に迎へたのであつた。だから自分に取つてまゝつこである二年兵たちが新兵を苛めるのを見ると彼は頭がカツとした。彼は理由も訊さずに二年兵たちを叱つた。  高村軍曹は実にかうしたいろ〳〵の理由からして、兵卒たちを自分の恩義に狎れさせ、信服させようと努めたのであつた。また自分の受持である新兵教育を完全に果して、聯隊随一の模範兵を作ると云ふことは、取りも直さず自分の成績を上げることであり、それは又曹長進級の難関を通過する唯一の通行券となるものであつた。如何に利け者のS大尉が聯隊本部に頑張つてゐたからとて、自分の成績が抜群であり、自分の教育する部下が優良兵であり、模範兵となつたならばどうにもなりはしないだらう。高村軍曹は眼をつぶると浮んで来る部下の顔に、愛撫の瞳を向けながらそんなことを思つてゐた。  これから第一期の検閲までにはざつと四ヶ月ある。それまでは……と、彼は自分に与へられた四ヶ月と云ふその「時」を楽しむやうに、いろ〳〵教育に関して計劃を廻らした。  その日の演習が終つて入浴や夕飯をすますと、他の各班の班長たちはあとの事を上等兵たちに任せて外出して了ふのであつた。が、その上等兵は上等兵で只だ役目に二十分か三十分、厭や〳〵新兵を集めて読法とか陸軍々制につひての学課をして、帰営後の班長に報告するに止まつてゐた。だから少し記憶の悪い兵や、ふだん憎まれてゐる兵は、さらでも自分の「時」を新兵たちの為めに犠牲にされてると考へてゐる上等兵の疳癪を募らしては、可なり痛々しく苛めつけられてゐた。時には「パシーツ」「パシーツ」と横頬を喰らはされるらしい痛々しい無気味な音が、下士室まで響いて来たりした。高村軍曹は何んとも云へない複雑な表情を浮べてそれを聞き、やがて自分の部下のゐる第×内務班にスリツパを引き摺りながら入つてゆく。 「敬礼!」と云ふ叫び声が一かたまりの部下の中から起つて、彼等は一斉に起立して高村軍曹に対し敬礼した。彼は笑顔をもつてそれに答へた。 「古兵はよろしい、初年兵だけこつちへ集まれ、学課をする!」  高村軍曹は矢張り微笑を浮べながら云つた。初年兵たちは三脚並んでる大机を挟んで、両側に対ひ合つて腰をおろした。 「宮崎!」  高村軍曹はさう叫んで一人の初年兵を立たせた。宮崎はのつそりと立ち上つて、窟の奥の方からでも明るい外光を見るやうに、眩しさうな眼をして高村軍曹の顔を瞶めた。宮崎は高村軍曹の一番手古摺つてる兵であつた。彼の眼はいつも蝙蝠を明るいところへ引き出したやうにおど〳〵してゐた。 「おい、返事はどうした!」高村軍曹はぽかんと突つ立つてる宮崎を見ながら小供を教へるやうに穏やかに云つた。『呼ばれて立つ時には必ず「はいツ」と返事をしなければいけない』 「ヘーツ」  宮崎はからだをくね〳〵と曲げて揺さぶりながら長く語尾をひつぱつて云つた。腰掛の両側からくす〳〵と笑ひ声が起つた。 「笑つてはいけない。軍隊は笑ふところではない!」と、高村軍曹は一寸顔をしかめて見せて云つた。 「宮崎! 昨日教へた勅諭の五ヶ条を云つて見い!」 「ヘーツ」と、宮崎は再び云つて頸をだん〴〵下へ垂れて、時々蝙蝠のやうな眼で高村軍曹の顔を見る。そして「忘れました」と云つた。 「忘れたら思ひ出すまでそこに立つて居れ!」と云つて高村軍曹は眼をきよろ〳〵させて其処にかしこまつて腰掛けてゐる初年兵たちを物色する。「では田中!」 「はい!」と、田中は威勢よく立ち上つて「一つ、軍人は忠節をつくすを本分とすべし」「一つ、軍人は……」と云つてすら〳〵と片づけて了つた。  高村軍曹の顔には嬉しげな微笑が浮んで、「さア、宮崎云つて見い!」と、また宮崎の顔を見つめた。 「一つ、軍人は……」と云ひかけて、彼はまたつかへて了う。  高村軍曹の顔は一寸曇つたが、今度は自分で一句一句切りながら自分の云ふあとをつかせて、宮崎に読ませた。そして云つた。「暇があつたらよく暗記して置かなくてはいけないぞ!」  かうして一時間ばかりの学課がすんで、高村軍曹が下士室へ引き上げると間もなく点呼の喇叭が鳴つた。外出してゐた各班の下士たちもぞろ〳〵時間を違へずに帰つて来て、班毎にならぶ。点呼がすんでやがて消燈喇叭が鳴り、皆んな寝台について了ふと高村軍曹は必ず、自分が寝る前に一度自分の班に来て見て皆んな寝顔を見てから自分の寝床へ入るのであつた。が、彼は班内を巡視する時に、若し寝てゐる筈の初年兵が寝台に居ずに空になつてゐる時には、いつまでもそこに待つてゐた。兵卒たちは大概点呼がすんでから便所に行つて寝るので彼等は便所から戻るのが遅くなつた場合にはいつも、高村軍曹の心配げな顔に見迎へられるのであつた。  高村軍曹はまた夜中にふと眼が覚めたりすると、必ずシヤツのまゝで下士室を出て自分の班に行つて見た。彼には一つ気になつてたまらない事があつたのである。それは毎夜のやうに自分が班内を見て廻るのに、皆んなぐう〴〵鼾をかいて寝てゐる中に宮崎だけがいつも溜息をしながらゴソ〳〵寝返りを打つてゐるのを見かけるからであつた。彼の今までの長い軍隊生活の経験に依つて、逃亡するやうな兵は兵営生活に慣れない一期の検閲前に一番多く、そして最も注意すべき事は宮崎のやうな無智な人間が、殊に何か屈託があるらしい溜息をついたり眠れなかつたりする時であつた。  困つた奴を背負ひこんだもんだなア――高村軍曹の頭はいつもこの事の為めに悩まされてゐた。  日曜が来た。各班では初年兵を一纏めにして、一人の上等兵がそれぞれ引率して外出するのであつた。が、高村軍曹は上等兵には関はないで自分が引率して外出した。彼は時間を惜しむ余り、かうした休暇をも何かしら他の班の兵たちの及ばない智識を得させたいと思つたのであつた。 「皆んなどういふ所へ行つて遊びたい?」  先頭に立つてゐた高村軍曹は歩きながら後ろを振り返つて云つた。が、誰れも、どこそこへ行きたい――と自分の希望を述べる者はなかつた。 「では観音山へ登つて見よう」暫く皆んなの返事を待つて得られなかつたので、彼はかう云つてまた先頭に立つた。  観音山はK川を隔てゝ高台にある聯隊と相対してゐる山であつた。山の頂上には京都の清水の観音堂になぞらへて建てられたといふ観音堂が、高い石の階段を挟んでにゆツと立つてゐた。  K川にかゝつてるH橋を渡ると、麦畑と水田が広々と拡がつてゐた。高村軍曹はそこの道を歩きながら云つた。 「かういふ広いところを開豁地と云つて、演習や実戦の場合、軍隊が行進する時には最大急行軍をもつて通過して了はなければならない。さうしないと直ぐ敵から発見されて了ふ……いゝか、かういふ広い場所を開豁地と云ふのだ。」  高村軍曹はかう教へてから「駆け足――ツ」と号令をかけた。足を揃へることも、ろくに知らない十五人の初年兵は、バタ〳〵高村軍曹のあとについて走り出した。学課の時、寝てゐる時、いつも高村軍曹の注意を惹く宮崎は、この駆け足の時にも彼の眼を惹いた。宮崎はまるで跛を引いたやうに、右と左の肩をひどく揺さぶつて足を引き摺り、埃をポカ〳〵と立てた。 「宮崎! お前どうかしたか?」高村軍曹は走りながら訊いた。「足でも痛めたんぢやないか」  宮崎は最初は顔をしかめて頸を左右に振つて、どうもしたんぢやない――と云ふことを示してゐたが、やがて「班長殿! 靴がでつか過ぎてバタ〳〵して駆けられません」と、云つた。  隊はやがて観音山の麓について、百姓家のボツ〳〵並んでる村に入つた。 「早足ーツ、オーイ」と、言ふ号令が高村軍曹の口から出た。皆んな息をハア〳〵はづませながら、普通の歩き方に復つた。道の両側が竹籔だの雑木林だので狭くなつてゐるところへ出た時、高村軍曹はまた後ろを振り返つて云つた。 「かういふ狭い処を隘路と云ふ。そしてかういふ処を斥候なんかになつて通る時は必ず、銃に剣を着けて、いつ敵の襲撃を受けてもそれに応じられるやうに要意して置く。」  高村軍曹はかう云つてまた直ぐ宮崎に呼びかけた。「宮崎ツ、かういふ狭い処を何んと云ふ?」 「アイロと云つて剣を着けて通ります」宮崎は得意然として蝙蝠のやうな眼を光らせながら、今度は言下に答へた。 「ふむ、今度は記憶へたな! 忘れないやうにしろ、いまに野外要務令でかういふ学課があるんだから」高村軍曹は微笑を含みながら云つた。そして観音堂の正面につけられた石階の道を取らないで、側道へ入つて行つた。そこは少しも人工の加はらない自然のまゝの山道であつた。箒のやうに細かい枝の尖つた雑木林の間には松や杉の木が緑の葉をつけて立つてゐた。山へかゝると同時に、陰鬱な萎びたやうな宮崎の顔がすつかり元気になつて、生々とした色が蘇つて来た。山道で皆んなの足が疲れて来ると反対に、宮崎の足はぐづ〴〵してゐる仲間を追ひ越して先頭に立つて了つた。  高村軍曹は驚異の眼をもつて彼を見た。 「宮崎! お前は隊へ入るまで何をしてゐたんだ、商売は」彼は静にかう訊いた。 「班長殿、木挽をしてゐました。あつしらの仲間はもうはア山から山を歩いて一生涯山ん中で暮しますだよ」宮崎はいつか高村軍曹の穏やかな言葉にそゝられて、軍隊語を放擲して自分の言葉で話し出した。が、彼も別に咎めもしないで微笑をもつて聞いてゐた。 「木挽は儲かるか?」彼はまた訊いた。 「別に儲かりもしねえだが呑気でえゝがな、誰れに気兼ねするでもねえ猿や兎を相手に山ん中でべえ暮してるだからねえ」 「毎日毎日山ん中に許り居て飽きやしないのか」 「そりや班長殿、いくら山ん中つちうたつていろ〳〵遊びがあるだからね、丁半もあれば酒だつて皆んな内緒で醸るだからね」宮崎はかう云つて今まで笑つたことのない顔をにやにや笑ひに頽した。 「宮崎! お前は丁半なんかやるのか」高村軍曹は愕いたやうに云つた。「だが木挽と兵隊とどつちが好い?」  宮崎はそれは何とも答へなかつた。黙つて何か思ひ出してはにやにやと笑つてゐた。 二  或る朝、日朝点呼の時であつた。週番士官が人員点呼を取りに来た時、どこへ行つたのか、宮崎の姿が見へなかつた。高村軍曹の顔は或る不吉な予感の為めにハツと変つた。 「Y上等兵! 宮崎は便所へでも行つてるんぢやないか、一寸行つて来て見い!」  週番士官は鋭い一瞥を高村軍曹に投げつけて「直ぐに調べて報告をせい」と云つて、そのまゝ他の班へコツ〳〵行つて了つた。 「おい、SもTも直ぐY上等兵と一緒にそこらを探して見い!」高村軍曹は二年兵にかう云ひつけて直ぐY上等兵の後を追はせた。異常なく点呼のすんだ他の班では直ぐに班内の掃除にかゝつたり、炊事場へ食事を取りに行つたり、手分けでもつていつもの通りの行事に取りかゝつた。が、高村軍曹の班だけはキチント並んだまゝ調べに出て行つた三人の報告を待つてゐた。この瞬間、高村軍曹の頭にはこれまでの軍隊生活に於ても度々あつた脱営兵や、汽車に轢かれて死んだ兵や、銃弾を盗んで自分で自分の喉を打ち抜いて死んだ兵や、さうしたさまざまの事件が洪水のやうに頭一面を蔽ふて浮んで来た。が、脱営兵の殆ど凡てが、自訴して帰営した者を除いては一人も捉まつた者のない事実を思ひ浮べた。  宮崎はたしかに脱営したのだ。あいつは自殺するやうな男ぢやない。また自殺するやうな理由もありはしなかつた。たゞ、山ん中の自由の生活が恋しくなつたのだ――かう思つてる時高村軍曹はふと、此の間外出した日曜の翌る朝早く、宮崎がK川に臨んだ崖の方からたつたひとり、しよんぼりと何か考へ考へ中隊に帰つて来るのを見たことがあつた。その時自分が、「どこへ行つた?」と訊いたに対して「今日は暖炉の当番で焚きつけの杉の葉を拾ひに行きました」と、返事したことを思ひ出した。今になつて疑ひの眼をもつて見ると、それすら逃げる準備の為め、地理の視察に行つたのだとしか思はれなかつた。そこは逃げるには屈強の場所だ。他の三方は濠があり、歩哨なぞも所々の門に立つて居るに反し、そこだけは高い崖で下がK川になつてると云ふだけで別に何の取り締りもなかつたから。川を徒渉する時、少し冷たい思ひをすれば誰れでも、又いくらでも逃げ出せる場所であつた。  Y上等兵とSとTとの三人は間もなく帰つて来て夫々報告した。 「便所にはどこにも居りませんし、その他心当りを探しましたがどこにも見へません」  高村軍曹は何とも云へない悲しみと、絶望と、憤怒とを突き交ぜた、今にも泪の落ちさうな顔をして聞いてゐた。  朝飯がすんだ時には、宮崎の逃亡は中隊中の大問題となつて、各班から捜索隊が組織されて、夫々の方面へ向つて出発した。或る組は営内のありとしあらゆる井戸を捜索し、曾つて縊死した事のある弾薬庫裏の雑木林に分け入つたりして探し廻つた。又或る組は停車場にかけつけたり、各街道筋に出向ひたり、又彼の郷里に出張したりした。が、自分が中心になつて活働しなければならぬ筈の高村軍曹は、まるで喪心した人のやうにぼんやりして、週番士官や中隊長の云ふ事にさへ時々とんちんかんな返事をしてゐた。  あいつのお蔭で到頭「曹長」も棒に振つて了つた。――彼は情けなささうに独言ちた。あれ程骨を折つて、細心の注意を払つて、愛をもつて、良い模範兵を作らうとしたのに、なんと云ふことだらう!。若しもあの野郎どこかでふん捉まりでもしやがつたら……えゝツ何んと云ふ忘恩者だ。S大尉の奴が嗤つてゐる。態ア見やがれ! と云つて。どうだ、あの高慢ちきなカイゼル髯は――。  まとまりのない刹那刹那の印象が頭の中に跳び出しては滅茶〳〵に掻き廻す。何が何んだか少しも分らなくなつて了つた。曹長に進級なんて昔の夢だ。まご〳〵すりや譴責処分ではないか――と思ふと、彼は自分を信ずる心を裏切られた憤の為に口を利くのすらが物憂くなつて来た。彼は心に浮んで来る宮崎の蝙蝠のやうな眼を持つた影像をむしやくしやに掻き毟り掻き毟りした。  夢のやうにぼんやりしてゐる内に半日はたつて了つた。停車場や、近くの街道筋まで行つた捜索隊は何の得物も持たずに帰つて来た。只、この上は彼の郷里へ出張した組の報告を待つ許りであつた。が、それも夜に入つておそく、高村軍曹の許へ徒らに失望を齎らしたに過ぎなかつた。 三  高村軍曹は毎朝初年兵の食事当番に依つて盛られて来る朝飯を、他の班長たちと一緒にその下士室で喰べかけてゐた。彼が一箸はさんで口に入れると、その後から水にふやけて白茶けた大きな鼠の糞が出て来た。彼はハツとして慌てゝ他の下士たちの顔を見廻し、それから急いでその鼠の糞を食器の底の方へ押しかくして、そのまゝ箸を置いて了つた。彼は初年兵たちがわざと鼠の糞の処を選んで持つて来たとは思はなかつたが、しかし自分に対して注意を払はない初年兵たちに対して平気ではゐられなかつた。が、それよりも今は鼠の糞を他の同僚たちに見られるのをより以上怖れた。  高村軍曹の奴、甘いもんだから新兵にまでなめられてやがる――と思はれるのが辛かつた。しかし他の下士たちは夢中で自分達の飯をつついてゐたので、誰も高村軍曹の飯の中に鼠の糞のあるのを見たものはなかつた。彼は勃然と心の底から湧き出て来る憤りを押さへて、卓子の上に肱を突き両手で頭を抱へ込んでゐた。食器を下げに来るその食事当番に対してなんと云つて自分の怒りを浴びせかけてやらうか――と考へてゐたのであつた。 「軍曹殿、どうかしたんですか?」  つひ最近伍長になつた許りのIが、どこか人を小馬鹿にしたやうな色を、顔のどこかに潜ませながら心配げに訊いた。 「なに、少し頭痛がするもんだから……」  彼は努めて憤りをかくして余り気乗りのしない声で云つた。  間もなく当番が食器を下げに来た。彼は突嗟に首を擡げて、顔中を峻しくしてみたが、予期してゐたやうな呶鳴り声がどうしても喉から出なかつた。同僚たちの大勢居る中で、現にたつた今、頭が痛くて……なぞ云つた手前「なぜ俺の飯の中へ鼠の糞を入れて来たのだ!」とも云へなかつた。彼は爆発する許りに充満した胸の中の憤怒をじつとこらへた。まるで悪い瓦斯でもたまつたやうに、胸の辺がグーグー云つてゐた。 「演習整列!」  廊下で週番下士が呶鳴つた。同時に中隊内のあちこちから騒々しく、銃だの剣だのがガチヤガチヤ鳴り出した。  彼は物憂さうに立ち上つて自分も仕度をはじめた。で、直ぐに営庭に飛び出して、中隊からぞろ〳〵出て来る新兵たちの動作を見守つた。今日に限つて自分の班の新兵たちの動作が殊に他の班と比較してのろ〳〵してるやうに思はれた。顔つきまでがどれもこれも野呂間げて見へた。片つぱしから行つて横つ面を張り倒してやつたら、奴らの野呂〳〵した動作も、野呂間げた顔つきが直りはしないか――と思はれた。さう思ふと右の腕がむづむづし初めて来て、兎ても凝乎としてゐられなくなつて来た。「ピシーツ」と云ふ音を二つ三つ聞いたら、この胸の中にたまつた悪い瓦斯のやうなものが気持よく抜け出して了ふだらうと云ふやうな気がした。  誰れか殴つてもいゝやうな頓間な事をしてる奴はないだらうか――彼の眼は本能的にさうした者を探つてゐた。しかしのろ〳〵はしてゐても、殴つてもいゝといふ程の失策をやらかしてゐる者は見当らなかつた。 「何をぐづ〳〵してゐる、早く出て来い!」  彼は中隊の出入口に立つて、ボツリボツリ出て来る者に向つて叫んだ。  彼はすつかり出揃つて、いつもの位置に隊形を作つてる初年兵の顔を見ながら云つた。 「いま一番あとから遅れて出て来た十人はここへ出ろ! 早駆けをさせてやる。からだが軽くなつてこれから何かするのに非常に敏捷になつて好い」  高村軍曹に睨まれた十人はおづ〳〵と一歩前へ踏み出した。そしてその前に一列にならんだ。 「早駆け用意――ツ」と云ひながら高村軍曹は営庭の一番隅にある一本の松の木を示して「よーしツ」と振り上げてゐた右手を颯つと下におろした。  十人は競馬の馬のやうに走り出した。「遅れたものはもう一遍やり直させるぞ!」と、高村軍曹の声が更に彼等のあとを追つかけた。  見る〳〵彼等の姿は小さくなつて目標の松の木に近づいた。彼等がそこでぐるツと方向を転廻してこつちに向つた時には、先頭の者と後尾の者とでは可なり距離が出来てゐた。彼等はどん〳〵走る。彼等の姿はまた見るうちに大きくなつてこつちへ近づいて来る。間もなく彼等は高村軍曹の前でぴたりと止まつた。遅れた者も先頭の者もなく、十人の者が殆どゴチヤ〳〵とかたまつて来たのであつた。  高村軍曹は不快な表情をして顔を反けた。何んといふ横着な奴共だらう。皆んな相談してかたまつて来たんだ――と思ふと、自分が如何にもばかにされたやうに思はれて大勢の手前気愧しくてならなかつた。で、二度と彼等を叱る気さへ出なかつた。  その時新兵教育主任の大原中尉が出て来た。下士官たちは皆んな敬礼をしに中尉の許へ飛んで行つた。彼等が帰つて来ると直ぐに教練が始められた。風のひどい日であつた。下士や上等兵の号令と一緒に、風が始終兵卒たちの耳もとで鳴つた。うつかりしてると号令の聞き分けられないやうな事があつた。  高村軍曹は端から順々に、いろんな各個教練をさせて行つた。次から次と列兵から十五歩位はなれた前方に立つて、「になへ――銃ツ」「捧げ――銃ツ」と号令をかけてゐた。  彼はさうやつて一巡するとまた元の位置へ戻つて来て「立ち撃ちの構へ――銃ツ」と、右翼の一人に号令をかけた。その時突然砂礫を飛ばしながら突風がやつて来て、高村軍曹の号令を掻き消して行つた。号令をかけられた兵はこの瞬間、もじ〳〵と間誤ついてゐたが直ぐに、膝を折り敷いて膝打ちの構への姿勢を取つた。  怒気を漲らした高村軍曹の顔が礫のやうに飛んで行つた。かと思ふとその右手はいきなり膝打の構をしてゐる兵の左の頬を力任せに殴りつけた。パシツと云ふ緊縮した響きと殆ど同時に「アツ」と云ふ叫びが、殴られた兵の口から洩れて銃を構へたまゝ横倒しにぶつ倒れて了つた。高村軍曹は更に殴りつける用意をして右手を顫はしてゐたが、倒れた兵は却々起き上らない。倒れたまゝギラツと光る眼を高村軍曹に投げかけてぎゆつと左の耳の上を押へてゐる。 「馬鹿野郎!」高村軍曹はいきなり呶鳴りつけた。貴様は俺を……高村軍曹をなめてやがるんだらう、新兵の癖にしやがつて一体生意気だ!」  彼は更に靴でもつて倒れたまゝの兵の腰の辺りを蹴りつけて、元の場所へ戻つて行つた。此の時彼は急にあたりが明るくなつたやうに、いつもの快濶な自分に復つたやうな気がした。胸の中にたまつてゐた悪い瓦斯のやうなものが、いつなくなつたのかなくなつて、大声で何か唄ひ出したいやうな気さへしてゐた。  へえ、あいつを殴つたせいだ――彼はさう思つた。起き上つて服の埃を払つてる兵を見た時には、更にそれに違ひないと思つた。気がついて見るとそれは一年志願兵のTであつた。彼はこん時何んといふ理由もなく、T志願兵に対してふだん快く思つてない自分を思ひ出した。しかし殴る瞬間には、別にT志願兵だからと云つて意識してやつた訳けではなかつた。が、それがT志願兵であつたことを知ると一層胸の中が晴々して来た。矢つ張りやらうと思つたことは思ひ切つてやらなければ駄目だ――と、かう彼の胸は何かしら異常な大発見でもしたやうに叫んだ。  彼は自分が今非常に空腹であることを感じて来た。と、同時に鼠の糞の事も思ひ出した。宮崎の逃亡の事まで頭に浮んで来た。あの時から溜りはじめた胸の悪い瓦斯が、T志願兵の為めに爆発して四散したのだと思ふと、今度はT志願兵に対して何んとも云へない感謝の念が湧いて来るのだつた。  彼はチラツとT志願兵にその眼を向けた。何か昂奮したらしい青醒めたT志願兵の顔がふと、得体の知れない或る不安の影を彼の心に投げた。最初ポチツとした只の点のやうであつたその不安は、忽ちの内にその大きな黒い翼を拡げて折角晴々とした彼の胸の中をまた一杯にふさいで了つた。  午前の演習は終つた。高村軍曹はまるで砂を噛むやうにうまいのかまづひのかも知らずに昼飯を喰べて了つた。  午後の演習が始まつた。営庭に午前と同じやうな隊形で各班は陣取つた。番号をつけさすと一人足りなかつた。彼は頸をひねりながらもう一度番号のつけ直しを命じた。が、それでもやはり一人足りなかつた。折角癒着しかゝつた傷口をむりに引き裂くやうな苦痛が、彼の不安に閉ざされた胸をチクンと刺し貫いた。彼の胸に巣喰つてる宮崎の蝙蝠のやうな影像が、その傷口を咬み破つてるのだ。が、彼の眼は直ぐT志願兵が列中に居ないのに気がついた。得体の知れなかつただゞつ黝い今までの不安は、此の時パツと一塊りの爆弾となつて彼の心臓を打つた。  教練半ばに中隊当番が駆け足で彼の処へ来て云つた。 「高村軍曹殿! 週番士官殿がお呼でございます」  週番士官の室には青醒めたT志願兵が耳を繃帯して立つてゐた。彼が入つて行くと、志願兵の眼が冷たい皮肉な笑ひを湛へて彼を迎へた。それはすつかり銷沈し切つた彼の心をくわつとさせる程、不遜な眼であつた。  彼は凡てを直覚した。屹度鼓膜を破つたに違ひない。それを奴は週番士官に申告したのだ――と。もう結果は分り切つてゐた、自分がこれから当に踏まうとする運命の道が電光のやうに彼の頭に閃いた。  軍法会議――重営倉――官位褥奪――除隊――。これが彼の行くべき道であつた。 「高村軍曹!」  週番士官は静かに、そして厳かに云つた。が、彼の耳には入らなかつた。彼の全神経はT志願兵に対する極度の憎悪の為めにぶるぶる顫へてゐた。自分の前半生を捧げて築きかけた幻影を宮崎に依つて滅茶苦茶に打ちこわされた憤りが、今またT志顛兵に依つて倍加された怒りと悲しみの為めであらう。彼はもう自分で自分が分らなくなつて了つた。彼は頭がくら〳〵つとしたかと思ふと、「この野郎がツ!」と叫びながら猛然と、T志願兵に跳りかゝつた。 (「早稲田文学」大正10年8月号)
底本:「編年体 大正文学全集 第十巻 大正十年」ゆまに書房    2002(平成14)年3月25日第1版第1刷発行 底本の親本:「早稻田文學」東京堂    1921(大正10)年8月号 初出:「早稻田文學」東京堂    1921(大正10)年8月号 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「ぐづ/\」と「ぐづ/″\」の混在は、底本通りです。 ※行右小書きされた合字「とし」は「とし」に置き換えました。 入力:富田晶子 校正:日野ととり 2017年1月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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おくつきに跪き わが父の墳塋に とこしへの愛を われにちかひぬ。 汝もし操なくば 一日たてし誓に 願くば過る勿れ わが父の墳塋を。  * 天の星、 谷の花、 こゝにして子らは日をみむ、 こゝにしてわがおやゆきぬ。 うれたくも、 子らなくば なが胸ぞ子らの墳塋ならば よぎる勿れわが父の墳塋を。  * やまこえて あだ人來る 其眼くろし 其髮くろし くろからむ其子らの眼も くろからむ其かみもまた。
底本:「上田敏全訳詩集」岩波文庫、岩波書店    1962(昭和37)年12月16日第1刷発行    2010(平成22)年4月21日第38刷改版発行 初出:「明星」    1901(明治34)年1月 入力:川山隆 校正:成宮佐知子 2012年11月2日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 霜にうたれたポプラの葉が、しほたれながらもなほ枝を離れずに、あるかないかの風にも臆病らしくそよいでゐる。苅入れを終つた燕麥畑の畦に添うて、すく〳〵と丈け高く立ちならんでゐるその木並みは、ニセコアン岳に沈んで行かうとする眞紅な夕陽の光を受けて、ねぼけたやうな緑色で深い空の色から自分自身をかぼそく區切る。その向うの荒れ果てた小さな果樹園、そこには果ばかりになつた林檎の樹が十本ばかり淋しく離れ合つて立つてゐる。眞赤に熟した十九號(林檎の種類)の果が、紅い夕暮の光に浸つて、乾いた血のやうな黒さに見える。秋になつてから、山から里の方に下つて來たかけすが百舌鳥よりも鈍い、然しある似よりを持つた途切れ〳〵の啼聲を立てゝ、その黒い枝から枝へと飛び移りながら、人眼に遠い物蔭に隱れてゆく。  見渡す限りの畑には雜草が茫々と茂つてゐる。澱粉の材料となる馬鈴薯は、澱粉の市價が下つたために、而して薯掘の工賃が稀有に高いために、掘り起されもせずにあるので、作物は粗剛な莖ばかりに霜枯れたけれども、生ひ茂る雜草は畑を宛ら荒野のやうにしてしまつたのだ。馬鈴薯ばかりではない、亞麻の跡地でも、燕麥のそれでも、凡てがまだ耡き返へしてはないのだ。雜草の種子は纖毛に運ばれて、地面に近い所をおほわたと一所になつて飛びまはつてゐる。蝦夷富士の山にはいつも晴れた夕暮れにあるやうに、なだらかな山頂の輪廓そのまゝに一むらの雲が綿帽子を被せてゐる。始めはそれが積み立ての雪のやうに白いが、見るまに夕日を照り返して、あらん限りの纖微な紅と藍との色階を採る。紅に富んだその色はやうやくにして藍に豐かになる。而して眞紅に爛れた陽が、ニセコアン岳のなだらかな山背に沈み終ると、雲は急に死色を呈して動搖を始める。而して瞬く中に、その無縫の綿帽子はほころびて來る。かくて大空の果てから果てまで、陽の光もなく夜の闇もないたそがれ時になると、その雲は一ひらの影もとゞめず、濃い一色の空氣の中に吸ひ失はれてしまふ。もう何所を見ても雲はない。虚ろなものゝやうに、大空はたゞ透明に碧い。  その時東には蝦夷富士、西にはニセコアン、北には昆布の山なみが、或は急な、或はなだらかな傾斜をなして、高く低く、私が眺め𢌞はす地平線に單調な變化を與へる。既に身に沁む寒さを感じて心まで引きしまつた私には、空と地とを限るこの一つらの曲線の魅力は世の常のものではない。莊嚴な音律のやうなこの一線を界にして、透明と不透明と、光と闇と、輕さと重みとの明らかな對象が見出される。私は而してその暗らみにひたつてゆく地面の眞中に、獨り物も思はず佇立してゐるのだ。  蟲の音は既に絶えてゐる。私は、足許のさだかでない、凹凸の小逕を傳うて家の裏の方に行つて見る。そこにはもうそこはかとなく夜の闇がたゞよひはじめてゐる。玉蜀黍は穗も葉も枯れ切つて十坪程の地面に立つてゐたが、その穗先きは少し吹きはじめて來た夜風に逆つて、小ぶるひにふるへてゐるのが空に透いて見えた。空に透いて見えるのにはその外に色豆の支柱があつた。根まがり竹の細い幹に、枯れ果てた蔓がしだらなくまつはりついたまゝで、逆茂木のやうに鋭く眼を射る。地面の上にはトマトの茂りがあつて、採り殘された實の熟したのが、こゝに一つかしこに一つ、赤々と小さな色を殘してゐる。それ以外には南瓜の畑も、豌豆の畑も、玉葱の畑も、カイベツ(甘藍)の畑も、一樣にくすんだ夜の色になつてゐる。一匹の猫が私のそこに佇んでゐるのを眼がけて何所から來たのか、ふと足許に現れた。私はこゞんで、平手をその腹の下に與へて猫を私の胸の所まで持上げて見た。猫は喉も鳴らさず、いやがりもしない。腹の方はさすがに暖い手ざはりを覺えさすけれども、私の顎に觸れた脊の毛なみは霜のやうに冷えてゐた。  私はその猫を抱いたまゝで裏口から家に這入つた。内井戸の傍をぬけて臺所の土間まで來ると、猫は今までの柔和さに似ず、沒義道にも私の抱擁を飛びぬけて、眞赤な焔を吐いて燃えてゐる圍爐裡の根粗朶の近くに駈けて行つた。まだ點けたてゞ、心を上げ切らない釣ランプは、小さく黄色い光を狐色の疊の上に落して、輕い石油の油煙の匂ひが、味噌汁の匂ひと一緒にほのかに私の鼻に觸れる。  六つになつた惡太郎の松も、默つたまゝ爐の向座に足を投げ出して、皮を剥いだ大きな大根の輪切りをむし〳〵と嚼つてゐる。私も別に聲もかけずにそつと下駄を脱いで自分の部屋へと這入つて行つた。かん〳〵起してある火鉢の炭からは青い焔が立つてゐる。而してゑがらつぽい炭酸瓦斯が部屋の空氣を暖かく濁してゐる。  夜おそく、私は寢つかうとして雨戸のガラス越しに戸外を見た。何物をも地の心深く吸ひ盡すやうな靜かさが天と地とを領し盡してゐる。其中に遠くでせゝらぎの音だけがする。兎にも角にも死の如き寂寞の中に物音を聞くのは珍らしい。晴れ亙つた大空一めんに忙はしく瞬きする星くづに眼をやりながら、じつと水音を聞きすましてゐると、それは私の聞き慣れたものであるやうには思へない。遠い凹地の間を大小色々の銀の鈴が、數限りもなく押しころがされて行くかと疑はれる。  雨戸のガラスはやがて裂けはしまいかと思はれるほど張り切つて見える。私はそれに手を觸れるのをさへ恐れた。私は急いで再び寢床に歸つた。寢床の中のぬくみは安火よりも更らに暖かく私の足先きに觸れた。  朝寒が私に咳を強ひた。咳が私をあるべきよりも早く眼ざめさせた。少しでも垢じみた所には霜が結んでゐるかと思はれるやうな下着の肌ざはりは、こゝの秋の寒く更けたのを存分に教へてくれる。私はそつと家を出て畑の方へ行つて見た。結ばれたばかりの霜、それは英語で Hoarfrost といはるべき種類の霜が、しん〳〵として雪のやうに草の上にも土の上にもあつた。殊更らにその輪廓の大きさと重々しさとを増した蝦夷富士は、鋼鐵のやうな空を立ち割つて日の出る方の空間にそゝり立つてゐる。私が身を倚せてゐる若木の楡の梢からは、秋の野葡萄のやうに色づいて卷きちゞれた葉が、そよとの風もないのに、果てしもなく散りつゞいて、寒さのために重くなつた空氣の中を靜かに舞ひ漂つて、やがて霜の上にかさこそと微かな音をたてゝ落着くのだつた。  今日も亦、寒い雨と荒い風とが見舞つて來る前の、なごやかな小春日向が續くのだらう。私が朝餉をする頃には、今にも雨になるかとばかり空は曇り果てるだらう。而してそれが西南から來るかすかな風に追はれると、陽の光で織りなされたやうな青空が、黄色い光を地上に投げて、ぽか〳〵と暖く短い日脚をも心長く思はせるだらう。而してあの靜かな寂しい夕方が又來るのだ。  かうして北國の聖なる秋は更けて行く。 (『婦女界』大正十年一月)
底本:「有島武郎全集第八卷」筑摩書房    1980(昭和55)年10月20日初版発行 底本の親本:「有島武郎著作集第十三輯『小さな灯』」叢文閣    1921(大正10)年4月18日 初出:「婦女界 第二十三卷第一號」    1921(大正10)年1月1日発行 ※初出時の表題は「秋(習作)」です。 入力:きりんの手紙 校正:木村杏実 2021年5月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "060286", "作品名": "秋", "作品名読み": "あき", "ソート用読み": "あき", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「婦女界 第二十三卷第一號」1921(大正10)年1月1日", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "旧字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2021-06-09T00:00:00", "最終更新日": "2021-05-27T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card60286.html", "人物ID": "000025", "姓": "有島", "名": "武郎", "姓読み": "ありしま", "名読み": "たけお", "姓読みソート用": "ありしま", "名読みソート用": "たけお", "姓ローマ字": "Arishima", "名ローマ字": "Takeo", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1878-03-04", "没年月日": "1923-06-09", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "有島武郎全集第八卷", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1980(昭和55)年10月20日", "入力に使用した版1": "1980(昭和55)年10月20日初版", "校正に使用した版1": "1980(昭和55)年10月20日初版", "底本の親本名1": "有島武郎著作集第十三輯『小さな灯』", "底本の親本出版社名1": "叢文閣", "底本の親本初版発行年1": "1921(大正10)年4月18日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "きりんの手紙", "校正者": "木村杏実", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/60286_ruby_73418.zip", "テキストファイル最終更新日": "2021-05-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/60286_73457.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2021-05-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
一  新橋を渡る時、発車を知らせる二番目の鈴が、霧とまではいえない九月の朝の、煙った空気に包まれて聞こえて来た。葉子は平気でそれを聞いたが、車夫は宙を飛んだ。そして車が、鶴屋という町のかどの宿屋を曲がって、いつでも人馬の群がるあの共同井戸のあたりを駆けぬける時、停車場の入り口の大戸をしめようとする駅夫と争いながら、八分がたしまりかかった戸の所に突っ立ってこっちを見まもっている青年の姿を見た。 「まあおそくなってすみませんでした事……まだ間に合いますかしら」  と葉子がいいながら階段をのぼると、青年は粗末な麦稈帽子をちょっと脱いで、黙ったまま青い切符を渡した。 「おやなぜ一等になさらなかったの。そうしないといけないわけがあるからかえてくださいましな」  といおうとしたけれども、火がつくばかりに駅夫がせき立てるので、葉子は黙ったまま青年とならんで小刻みな足どりで、たった一つだけあいている改札口へと急いだ。改札はこの二人の乗客を苦々しげに見やりながら、左手を延ばして待っていた。二人がてんでんに切符を出そうとする時、 「若奥様、これをお忘れになりました」  といいながら、羽被の紺の香いの高くするさっきの車夫が、薄い大柄なセルの膝掛けを肩にかけたままあわてたように追いかけて来て、オリーヴ色の絹ハンケチに包んだ小さな物を渡そうとした。 「早く早く、早くしないと出っちまいますよ」改札がたまらなくなって癇癪声をふり立てた。  青年の前で「若奥様」と呼ばれたのと、改札ががみがみどなり立てたので、針のように鋭い神経はすぐ彼女をあまのじゃくにした。葉子は今まで急ぎ気味であった歩みをぴったり止めてしまって、落ち付いた顔で、車夫のほうに向きなおった。 「そう御苦労よ。家に帰ったらね、きょうは帰りがおそくなるかもしれませんから、お嬢さんたちだけで校友会にいらっしゃいってそういっておくれ。それから横浜の近江屋――西洋小間物屋の近江屋が来たら、きょうこっちから出かけたからっていうようにってね」  車夫はきょときょとと改札と葉子とをかたみがわりに見やりながら、自分が汽車にでも乗りおくれるようにあわてていた。改札の顔はだんだん険しくなって、あわや通路をしめてしまおうとした時、葉子はするするとそのほうに近よって、 「どうもすみませんでした事」  といって切符をさし出しながら、改札の目の先で花が咲いたようにほほえんで見せた。改札はばかになったような顔つきをしながら、それでもおめおめと切符に孔を入れた。  プラットフォームでは、駅員も見送り人も、立っている限りの人々は二人のほうに目を向けていた。それを全く気づきもしないような物腰で、葉子は親しげに青年と肩を並べて、しずしずと歩きながら、車夫の届けた包み物の中には何があるかあててみろとか、横浜のように自分の心をひく町はないとか、切符を一緒にしまっておいてくれろとかいって、音楽者のようにデリケートなその指先で、わざとらしく幾度か青年の手に触れる機会を求めた。列車の中からはある限りの顔が二人を見迎え見送るので、青年が物慣れない処女のようにはにかんで、しかも自分ながら自分を怒っているのが葉子にはおもしろくながめやられた。  いちばん近い二等車の昇降口の所に立っていた車掌は右の手をポッケットに突っ込んで、靴の爪先で待ちどおしそうに敷き石をたたいていたが、葉子がデッキに足を踏み入れると、いきなり耳をつんざくばかりに呼び子を鳴らした。そして青年(青年は名を古藤といった)が葉子に続いて飛び乗った時には、機関車の応笛が前方で朝の町のにぎやかなさざめきを破って響き渡った。  葉子は四角なガラスをはめた入り口の繰り戸を古藤が勢いよくあけるのを待って、中にはいろうとして、八分通りつまった両側の乗客に稲妻のように鋭く目を走らしたが、左側の中央近く新聞を見入った、やせた中年の男に視線がとまると、はっと立ちすくむほど驚いた。しかしその驚きはまたたく暇もないうちに、顔からも足からも消えうせて、葉子は悪びれもせず、取りすましもせず、自信ある女優が喜劇の舞台にでも現われるように、軽い微笑を右の頬だけに浮かべながら、古藤に続いて入り口に近い右側の空席に腰をおろすと、あでやかに青年を見返りながら、小指をなんともいえないよい形に折り曲げた左手で、鬢の後れ毛をかきなでるついでに、地味に装って来た黒のリボンにさわってみた。青年の前に座を取っていた四十三四の脂ぎった商人体の男は、あたふたと立ち上がって自分の後ろのシェードをおろして、おりふし横ざしに葉子に照りつける朝の光線をさえぎった。  紺の飛白に書生下駄をつっかけた青年に対して、素性が知れぬほど顔にも姿にも複雑な表情をたたえたこの女性の対照は、幼い少女の注意をすらひかずにはおかなかった。乗客一同の視線は綾をなして二人の上に乱れ飛んだ。葉子は自分が青年の不思議な対照になっているという感じを快く迎えてでもいるように、青年に対してことさら親しげな態度を見せた。  品川を過ぎて短いトンネルを汽車が出ようとする時、葉子はきびしく自分を見すえる目を眉のあたりに感じておもむろにそのほうを見かえった。それは葉子が思ったとおり、新聞に見入っているかのやせた男だった。男の名は木部孤笻といった。葉子が車内に足を踏み入れた時、だれよりも先に葉子に目をつけたのはこの男であったが、だれよりも先に目をそらしたのもこの男で、すぐ新聞を目八分にさし上げて、それに読み入って素知らぬふりをしたのに葉子は気がついていた。そして葉子に対する乗客の好奇心が衰え始めたころになって、彼は本気に葉子を見つめ始めたのだ。葉子はあらかじめこの刹那に対する態度を決めていたからあわても騒ぎもしなかった。目を鈴のように大きく張って、親しい媚びの色を浮かべながら、黙ったままで軽くうなずこうと、少し肩と顔とをそっちにひねって、心持ち上向きかげんになった時、稲妻のように彼女の心に響いたのは、男がその好意に応じてほほえみかわす様子のないという事だった。実際男の一文字眉は深くひそんで、その両眼はひときわ鋭さを増して見えた。それを見て取ると葉子の心の中はかっとなったが、笑みかまけたひとみはそのままで、するすると男の顔を通り越して、左側の古藤の血気のいい頬のあたりに落ちた。古藤は繰り戸のガラス越しに、切り割りの崕をながめてつくねんとしていた。 「また何か考えていらっしゃるのね」  葉子はやせた木部にこれ見よがしという物腰ではなやかにいった。  古藤はあまりはずんだ葉子の声にひかされて、まんじりとその顔を見守った。その青年の単純な明らさまな心に、自分の笑顔の奥の苦い渋い色が見抜かれはしないかと、葉子は思わずたじろいだほどだった。 「なんにも考えていやしないが、陰になった崕の色が、あまりきれいだもんで……紫に見えるでしょう。もう秋がかって来たんですよ。」  青年は何も思っていはしなかったのだ。 「ほんとうにね」  葉子は単純に応じて、もう一度ちらっと木部を見た。やせた木部の目は前と同じに鋭く輝いていた。葉子は正面に向き直るとともに、その男のひとみの下で、悒鬱な険しい色を引きしめた口のあたりにみなぎらした。木部はそれを見て自分の態度を後悔すべきはずである。 二  葉子は木部が魂を打ちこんだ初恋の的だった。それはちょうど日清戦争が終局を告げて、国民一般はだれかれの差別なく、この戦争に関係のあった事柄や人物やに事実以上の好奇心をそそられていたころであったが、木部は二十五という若い齢で、ある大新聞社の従軍記者になってシナに渡り、月並みな通信文の多い中に、きわだって観察の飛び離れた心力のゆらいだ文章を発表して、天才記者という名を博してめでたく凱旋したのであった。そのころ女流キリスト教徒の先覚者として、キリスト教婦人同盟の副会長をしていた葉子の母は、木部の属していた新聞社の社長と親しい交際のあった関係から、ある日その社の従軍記者を自宅に招いて慰労の会食を催した。その席で、小柄で白皙で、詩吟の声の悲壮な、感情の熱烈なこの少壮従軍記者は始めて葉子を見たのだった。  葉子はその時十九だったが、すでに幾人もの男に恋をし向けられて、その囲みを手ぎわよく繰りぬけながら、自分の若い心を楽しませて行くタクトは充分に持っていた。十五の時に、袴をひもで締める代わりに尾錠で締めるくふうをして、一時女学生界の流行を風靡したのも彼女である。その紅い口びるを吸わして首席を占めたんだと、厳格で通っている米国人の老校長に、思いもよらぬ浮き名を負わせたのも彼女である。上野の音楽学校にはいってヴァイオリンのけいこを始めてから二か月ほどの間にめきめき上達して、教師や生徒の舌を巻かした時、ケーべル博士一人は渋い顔をした。そしてある日「お前の楽器は才で鳴るのだ。天才で鳴るのではない」と無愛想にいってのけた。それを聞くと「そうでございますか」と無造作にいいながら、ヴァイオリンを窓の外にほうりなげて、そのまま学校を退学してしまったのも彼女である。キリスト教婦人同盟の事業に奔走し、社会では男まさりのしっかり者という評判を取り、家内では趣味の高いそして意志の弱い良人を全く無視して振る舞ったその母の最も深い隠れた弱点を、拇指と食指との間にちゃんと押えて、一歩もひけを取らなかったのも彼女である。葉子の目にはすべての人が、ことに男が底の底まで見すかせるようだった。葉子はそれまで多くの男をかなり近くまで潜り込ませて置いて、もう一歩という所で突っ放した。恋の始めにはいつでも女性が祭り上げられていて、ある機会を絶頂に男性が突然女性を踏みにじるという事を直覚のように知っていた葉子は、どの男に対しても、自分との関係の絶頂がどこにあるかを見ぬいていて、そこに来かかると情け容赦もなくその男を振り捨ててしまった。そうして捨てられた多くの男は、葉子を恨むよりも自分たちの獣性を恥じるように見えた。そして彼らは等しく葉子を見誤っていた事を悔いるように見えた。なぜというと、彼らは一人として葉子に対して怨恨をいだいたり、憤怒をもらしたりするものはなかったから。そして少しひがんだ者たちは自分の愚を認めるよりも葉子を年不相当にませた女と見るほうが勝手だったから。  それは恋によろしい若葉の六月のある夕方だった。日本橋の釘店にある葉子の家には七八人の若い従軍記者がまだ戦塵の抜けきらないようなふうをして集まって来た。十九でいながら十七にも十六にも見れば見られるような華奢な可憐な姿をした葉子が、慎みの中にも才走った面影を見せて、二人の妹と共に給仕に立った。そしてしいられるままに、ケーベル博士からののしられたヴァイオリンの一手も奏でたりした。木部の全霊はただ一目でこの美しい才気のみなぎりあふれた葉子の容姿に吸い込まれてしまった。葉子も不思議にこの小柄な青年に興味を感じた。そして運命は不思議ないたずらをするものだ。木部はその性格ばかりでなく、容貌――骨細な、顔の造作の整った、天才風に蒼白いなめらかな皮膚の、よく見ると他の部分の繊麗な割合に下顎骨の発達した――までどこか葉子のそれに似ていたから、自意識の極度に強い葉子は、自分の姿を木部に見つけ出したように思って、一種の好奇心を挑発せられずにはいなかった。木部は燃えやすい心に葉子を焼くようにかきいだいて、葉子はまた才走った頭に木部の面影を軽く宿して、その一夜の饗宴はさりげなく終わりを告げた。  木部の記者としての評判は破天荒といってもよかった。いやしくも文学を解するものは木部を知らないものはなかった。人々は木部が成熟した思想をひっさげて世の中に出て来る時の華々しさをうわさし合った。ことに日清戦役という、その当時の日本にしては絶大な背景を背負っているので、この年少記者はある人々からは英雄の一人とさえして崇拝された。この木部がたびたび葉子の家を訪れるようになった。その感傷的な、同時にどこか大望に燃え立ったようなこの青年の活気は、家じゅうの人々の心を捕えないでは置かなかった。ことに葉子の母が前から木部を知っていて、非常に有為多望な青年だとほめそやしたり、公衆の前で自分の子とも弟ともつかぬ態度で木部をもてあつかったりするのを見ると、葉子は胸の中でせせら笑った。そして心を許して木部に好意を見せ始めた。木部の熱意が見る見る抑えがたく募り出したのはもちろんの事である。  かの六月の夜が過ぎてからほどもなく木部と葉子とは恋という言葉で見られねばならぬような間柄になっていた。こういう場合葉子がどれほど恋の場面を技巧化し芸術化するに巧みであったかはいうに及ばない。木部は寝ても起きても夢の中にあるように見えた。二十五というそのころまで、熱心な信者で、清教徒風の誇りを唯一の立場としていた木部がこの初恋においてどれほど真剣になっていたかは想像する事ができる。葉子は思いもかけず木部の火のような情熱に焼かれようとする自分を見いだす事がしばしばだった。  そのうちに二人の間柄はすぐ葉子の母に感づかれた。葉子に対してかねてからある事では一種の敵意を持ってさえいるように見えるその母が、この事件に対して嫉妬とも思われるほど厳重な故障を持ち出したのは、不思議でないというべき境を通り越していた。世故に慣れきって、落ち付き払った中年の婦人が、心の底の動揺に刺激されてたくらみ出すと見える残虐な譎計は、年若い二人の急所をそろそろとうかがいよって、腸も通れと突き刺してくる。それを払いかねて木部が命限りにもがくのを見ると、葉子の心に純粋な同情と、男に対する無条件的な捨て身な態度が生まれ始めた。葉子は自分で造り出した自分の穽にたわいもなく酔い始めた。葉子はこんな目もくらむような晴れ晴れしいものを見た事がなかった。女の本能が生まれて始めて芽をふき始めた。そして解剖刀のような日ごろの批判力は鉛のように鈍ってしまった。葉子の母が暴力では及ばないのを悟って、すかしつなだめつ、良人までを道具につかったり、木部の尊信する牧師を方便にしたりして、あらん限りの知力をしぼった懐柔策も、なんのかいもなく、冷静な思慮深い作戦計画を根気よく続ければ続けるほど、葉子は木部を後ろにかばいながら、健気にもか弱い女の手一つで戦った。そして木部の全身全霊を爪の先想いの果てまで自分のものにしなければ、死んでも死ねない様子が見えたので、母もとうとう我を折った。そして五か月の恐ろしい試練の後に、両親の立ち会わない小さな結婚の式が、秋のある午後、木部の下宿の一間で執り行なわれた。そして母に対する勝利の分捕り品として、木部は葉子一人のものとなった。  木部はすぐ葉山に小さな隠れ家のような家を見つけ出して、二人はむつまじくそこに移り住む事になった。葉子の恋はしかしながらそろそろと冷え始めるのに二週間以上を要しなかった。彼女は競争すべからぬ関係の競争者に対してみごとに勝利を得てしまった。日清戦争というものの光も太陽が西に沈むたびごとに減じて行った。それらはそれとしていちばん葉子を失望させたのは同棲後始めて男というものの裏を返して見た事だった。葉子を確実に占領したという意識に裏書きされた木部は、今までおくびにも葉子に見せなかった女々しい弱点を露骨に現わし始めた。後ろから見た木部は葉子には取り所のない平凡な気の弱い精力の足りない男に過ぎなかった。筆一本握る事もせずに朝から晩まで葉子に膠着し、感傷的なくせに恐ろしくわがままで、今日今日の生活にさえ事欠きながら、万事を葉子の肩になげかけてそれが当然な事でもあるような鈍感なお坊ちゃんじみた生活のしかたが葉子の鋭い神経をいらいらさせ出した。始めのうちは葉子もそれを木部の詩人らしい無邪気さからだと思ってみた。そしてせっせせっせと世話女房らしく切り回す事に興味をつないでみた。しかし心の底の恐ろしく物質的な葉子にどうしてこんな辛抱がいつまでも続こうぞ。結婚前までは葉子のほうから迫ってみたにも係わらず、崇高と見えるまでに極端な潔癖屋だった彼であったのに、思いもかけぬ貪婪な陋劣な情欲の持ち主で、しかもその欲求を貧弱な体質で表わそうとするのに出っくわすと、葉子は今まで自分でも気がつかずにいた自分を鏡で見せつけられたような不快を感ぜずにはいられなかった。夕食を済ますと葉子はいつでも不満と失望とでいらいらしながら夜を迎えねばならなかった。木部の葉子に対する愛着が募れば募るほど、葉子は一生が暗くなりまさるように思った。こうして死ぬために生まれて来たのではないはずだ。そう葉子はくさくさしながら思い始めた。その心持ちがまた木部に響いた。木部はだんだん監視の目をもって葉子の一挙一動を注意するようになって来た。同棲してから半か月もたたないうちに、木部はややもすると高圧的に葉子の自由を束縛するような態度を取るようになった。木部の愛情は骨にしみるほど知り抜きながら、鈍っていた葉子の批判力はまた磨きをかけられた。その鋭くなった批判力で見ると、自分と似よった姿なり性格なりを木部に見いだすという事は、自然が巧妙な皮肉をやっているようなものだった。自分もあんな事を想い、あんな事をいうのかと思うと、葉子の自尊心は思う存分に傷つけられた。  ほかの原因もある。しかしこれだけで充分だった。二人が一緒になってから二か月目に、葉子は突然失踪して、父の親友で、いわゆる物事のよくわかる高山という医者の病室に閉じこもらしてもらって、三日ばかりは食う物も食わずに、浅ましくも男のために目のくらんだ自分の不覚を泣き悔やんだ。木部が狂気のようになって、ようやく葉子の隠れ場所を見つけて会いに来た時は、葉子は冷静な態度でしらじらしく面会した。そして「あなたの将来のおためにきっとなりませんから」と何げなげにいってのけた。木部がその言葉に骨を刺すような諷刺を見いだしかねているのを見ると、葉子は白くそろった美しい歯を見せて声を出して笑った。  葉子と木部との間柄はこんなたわいもない場面を区切りにしてはかなくも破れてしまった。木部はあらんかぎりの手段を用いて、なだめたり、すかしたり、強迫までしてみたが、すべては全く無益だった。いったん木部から離れた葉子の心は、何者も触れた事のない処女のそれのようにさえ見えた。  それから普通の期間を過ぎて葉子は木部の子を分娩したが、もとよりその事を木部に知らせなかったばかりでなく、母にさえある他の男によって生んだ子だと告白した。実際葉子はその後、母にその告白を信じさすほどの生活をあえてしていたのだった。しかし母は目ざとくもその赤ん坊に木部の面影を探り出して、キリスト信徒にあるまじき悪意をこのあわれな赤ん坊に加えようとした。赤ん坊は女中部屋に運ばれたまま、祖母の膝には一度も乗らなかった。意地の弱い葉子の父だけは孫のかわいさからそっと赤ん坊を葉子の乳母の家に引き取るようにしてやった。そしてそのみじめな赤ん坊は乳母の手一つに育てられて定子という六歳の童女になった。  その後葉子の父は死んだ。母も死んだ。木部は葉子と別れてから、狂瀾のような生活に身を任せた。衆議院議員の候補に立ってもみたり、純文学に指を染めてもみたり、旅僧のような放浪生活も送ったり、妻を持ち子を成し、酒にふけり、雑誌の発行も企てた。そしてそのすべてに一々不満を感ずるばかりだった。そして葉子が久しぶりで汽車の中で出あった今は、妻子を里に返してしまって、ある由緒ある堂上華族の寄食者となって、これといってする仕事もなく、胸の中だけにはいろいろな空想を浮かべたり消したりして、とかく回想にふけりやすい日送りをしている時だった。 三  その木部の目は執念くもつきまつわった。しかし葉子はそっちを見向こうともしなかった。そして二等の切符でもかまわないからなぜ一等に乗らなかったのだろう。こういう事がきっとあると思ったからこそ、乗り込む時もそういおうとしたのだのに、気がきかないっちゃないと思うと、近ごろになく起きぬけからさえざえしていた気分が、沈みかけた秋の日のように陰ったりめいったりし出して、冷たい血がポンプにでもかけられたように脳のすきまというすきまをかたく閉ざした。たまらなくなって向かいの窓から景色でも見ようとすると、そこにはシェードがおろしてあって、例の四十三四の男が厚い口びるをゆるくあけたままで、ばかな顔をしながらまじまじと葉子を見やっていた。葉子はむっとしてその男の額から鼻にかけたあたりを、遠慮もなく発矢と目でむちうった。商人は、ほんとうにむちうたれた人が泣き出す前にするように、笑うような、はにかんだような、不思議な顔のゆがめかたをして、さすがに顔をそむけてしまった。その意気地のない様子がまた葉子の心をいらいらさせた。右に目を移せば三四人先に木部がいた。その鋭い小さな目は依然として葉子を見守っていた。葉子は震えを覚えるばかりに激昂した神経を両手に集めて、その両手を握り合わせて膝の上のハンケチの包みを押えながら、下駄の先をじっと見入ってしまった。今は車内の人が申し合わせて侮辱でもしているように葉子には思えた。古藤が隣座にいるのさえ、一種の苦痛だった。その瞑想的な無邪気な態度が、葉子の内部的経験や苦悶と少しも縁が続いていないで、二人の間には金輸際理解が成り立ち得ないと思うと、彼女は特別に毛色の変わった自分の境界に、そっとうかがい寄ろうとする探偵をこの青年に見いだすように思って、その五分刈りにした地蔵頭までが顧みるにも足りない木のくずかなんぞのように見えた。  やせた木部の小さな輝いた目は、依然として葉子を見つめていた。  なぜ木部はかほどまで自分を侮辱するのだろう。彼は今でも自分を女とあなどっている。ちっぽけな才力を今でも頼んでいる。女よりも浅ましい熱情を鼻にかけて、今でも自分の運命に差し出がましく立ち入ろうとしている。あの自信のない臆病な男に自分はさっき媚びを見せようとしたのだ。そして彼は自分がこれほどまで誇りを捨てて与えようとした特別の好意を眦を反して退けたのだ。  やせた木部の小さな目は依然として葉子を見つめていた。  この時突然けたたましい笑い声が、何か熱心に話し合っていた二人の中年の紳士の口から起こった。その笑い声と葉子となんの関係もない事は葉子にもわかりきっていた。しかし彼女はそれを聞くと、もう欲にも我慢がしきれなくなった。そして右の手を深々と帯の間にさし込んだまま立ち上がりざま、 「汽車に酔ったんでしょうかしらん、頭痛がするの」  と捨てるように古藤にいい残して、いきなり繰り戸をあけてデッキに出た。  だいぶ高くなった日の光がぱっと大森田圃に照り渡って、海が笑いながら光るのが、並み木の向こうに広すぎるくらい一どきに目にはいるので、軽い瞑眩をさえ覚えるほどだった。鉄の手欄にすがって振り向くと、古藤が続いて出て来たのを知った。その顔には心配そうな驚きの色が明らさまに現われていた。 「ひどく痛むんですか」 「ええかなりひどく」  と答えたがめんどうだと思って、 「いいからはいっていてください。おおげさに見えるといやですから……大丈夫あぶなかありませんとも……」  といい足した。古藤はしいてとめようとはしなかった。そして、 「それじゃはいっているがほんとうにあぶのうござんすよ……用があったら呼んでくださいよ」  とだけいって素直にはいって行った。 「Simpleton!」  葉子は心の中でこうつぶやくと、焼き捨てたように古藤の事なんぞは忘れてしまって、手欄に臂をついたまま放心して、晩夏の景色をつつむ引き締まった空気に顔をなぶらした。木部の事も思わない。緑や藍や黄色のほか、これといって輪郭のはっきりした自然の姿も目に映らない。ただ涼しい風がそよそよと鬢の毛をそよがして通るのを快いと思っていた。汽車は目まぐるしいほどの快速力で走っていた。葉子の心はただ渾沌と暗く固まった物のまわりを飽きる事もなく幾度も幾度も左から右に、右から左に回っていた。こうして葉子にとっては長い時間が過ぎ去ったと思われるころ、突然頭の中を引っかきまわすような激しい音を立てて、汽車は六郷川の鉄橋を渡り始めた。葉子は思わずぎょっとして夢からさめたように前を見ると、釣り橋の鉄材が蛛手になって上を下へと飛びはねるので、葉子は思わずデッキのパンネルに身を退いて、両袖で顔を抑えて物を念じるようにした。  そうやって気を静めようと目をつぶっているうちに、まつ毛を通し袖を通して木部の顔とことにその輝く小さな両眼とがまざまざと想像に浮かび上がって来た。葉子の神経は磁石に吸い寄せられた砂鉄のように、堅くこの一つの幻像の上に集注して、車内にあった時と同様な緊張した恐ろしい状態に返った。停車場に近づいた汽車はだんだんと歩度をゆるめていた。田圃のここかしこに、俗悪な色で塗り立てた大きな広告看板が連ねて建ててあった。葉子は袖を顔から放して、気持ちの悪い幻像を払いのけるように、一つ一つその看板を見迎え見送っていた。所々に火が燃えるようにその看板は目に映って木部の姿はまたおぼろになって行った。その看板の一つに、長い黒髪を下げた姫が経巻を持っているのがあった。その胸に書かれた「中将湯」という文字を、何げなしに一字ずつ読み下すと、彼女は突然私生児の定子の事を思い出した。そしてその父なる木部の姿は、かかる乱雑な連想の中心となって、またまざまざと焼きつくように現われ出た。  その現われ出た木部の顔を、いわば心の中の目で見つめているうちに、だんだんとその鼻の下から髭が消えうせて行って、輝くひとみの色は優しい肉感的な温かみを持ち出して来た。汽車は徐々に進行をゆるめていた。やや荒れ始めた三十男の皮膚の光沢は、神経的な青年の蒼白い膚の色となって、黒く光った軟らかい頭の毛がきわ立って白い額をなでている。それさえがはっきり見え始めた。列車はすでに川崎停車場のプラットフォームにはいって来た。葉子の頭の中では、汽車が止まりきる前に仕事をし遂さねばならぬというふうに、今見たばかりの木部の姿がどんどん若やいで行った。そして列車が動かなくなった時、葉子はその人のかたわらにでもいるように恍惚とした顔つきで、思わず知らず左手を上げて――小指をやさしく折り曲げて――軟らかい鬢の後れ毛をかき上げていた。これは葉子が人の注意をひこうとする時にはいつでもする姿態である。  この時、繰り戸がけたたましくあいたと思うと、中から二三人の乗客がどやどやと現われ出て来た。  しかもその最後から、涼しい色合いのインバネスを羽織った木部が続くのを感づいて、葉子の心臓は思わずはっと処女の血を盛ったようにときめいた。木部が葉子の前まで来てすれすれにそのそばを通り抜けようとした時、二人の目はもう一度しみじみと出あった。木部の目は好意を込めた微笑にひたされて、葉子の出ようによっては、すぐにも物をいい出しそうに口びるさえ震えていた。葉子も今まで続けていた回想の惰力に引かされて、思わずほほえみかけたのであったが、その瞬間燕返しに、見も知りもせぬ路傍の人に与えるような、冷刻な驕慢な光をそのひとみから射出したので、木部の微笑は哀れにも枝を離れた枯れ葉のように、二人の間をむなしくひらめいて消えてしまった。葉子は木部のあわてかたを見ると、車内で彼から受けた侮辱にかなり小気味よく酬い得たという誇りを感じて、胸の中がややすがすがしくなった。木部はやせたその右肩を癖のように怒らしながら、急ぎ足に濶歩して改札口の所に近づいたが、切符を懐中から出すために立ち止まった時、深い悲しみの色を眉の間にみなぎらしながら、振り返ってじっと葉子の横顔に目を注いだ。葉子はそれを知りながらもとより侮蔑の一瞥をも与えなかった。  木部が改札口を出て姿が隠れようとした時、今度は葉子の目がじっとその後ろ姿を逐いかけた。木部が見えなくなった後も、葉子の視線はそこを離れようとはしなかった。そしてその目にはさびしく涙がたまっていた。 「また会う事があるだろうか」  葉子はそぞろに不思議な悲哀を覚えながら心の中でそういっていたのだった。 四  列車が川崎駅を発すると、葉子はまた手欄によりかかりながら木部の事をいろいろと思いめぐらした。やや色づいた田圃の先に松並み木が見えて、その間から低く海の光る、平凡な五十三次風な景色が、電柱で句読を打ちながら、空洞のような葉子の目の前で閉じたり開いたりした。赤とんぼも飛びかわす時節で、その群れが、燧石から打ち出される火花のように、赤い印象を目の底に残して乱れあった。いつ見ても新開地じみて見える神奈川を過ぎて、汽車が横浜の停車場に近づいたころには、八時を過ぎた太陽の光が、紅葉坂の桜並み木を黄色く見せるほどに暑く照らしていた。  煤煙でまっ黒にすすけた煉瓦壁の陰に汽車が停まると、中からいちばん先に出て来たのは、右手にかのオリーヴ色の包み物を持った古藤だった。葉子はパラソルを杖に弱々しくデッキを降りて、古藤に助けられながら改札口を出たが、ゆるゆる歩いている間に乗客は先を越してしまって、二人はいちばんあとになっていた。客を取りおくれた十四五人の停車場づきの車夫が、待合部屋の前にかたまりながら、やつれて見える葉子に目をつけて何かとうわさし合うのが二人の耳にもはいった。「むすめ」「らしゃめん」というような言葉さえそのはしたない言葉の中には交じっていた。開港場のがさつな卑しい調子は、すぐ葉子の神経にびりびりと感じて来た。  何しろ葉子は早く落ち付く所を見つけ出したかった。古藤は停車場の前方の川添いにある休憩所まで走って行って見たが、帰って来るとぶりぶりして、駅夫あがりらしい茶店の主人は古藤の書生っぽ姿をいかにもばかにしたような断わりかたをしたといった。二人はしかたなくうるさく付きまつわる車夫を追い払いながら、潮の香の漂った濁った小さな運河を渡って、ある狭いきたない町の中ほどにある一軒の小さな旅人宿にはいって行った。横浜という所には似もつかぬような古風な外構えで、美濃紙のくすぶり返った置き行燈には太い筆つきで相模屋と書いてあった。葉子はなんとなくその行燈に興味をひかれてしまっていた。いたずら好きなその心は、嘉永ごろの浦賀にでもあればありそうなこの旅籠屋に足を休めるのを恐ろしくおもしろく思った。店にしゃがんで、番頭と何か話しているあばずれたような女中までが目にとまった。そして葉子が体よく物を言おうとしていると、古藤がいきなり取りかまわない調子で、 「どこか静かな部屋に案内してください」  と無愛想に先を越してしまった。 「へいへい、どうぞこちらへ」  女中は二人をまじまじと見やりながら、客の前もかまわず、番頭と目を見合わせて、さげすんだらしい笑いをもらして案内に立った。  ぎしぎしと板ぎしみのするまっ黒な狭い階子段を上がって、西に突き当たった六畳ほどの狭い部屋に案内して、突っ立ったままで荒っぽく二人を不思議そうに女中は見比べるのだった。油じみた襟元を思い出させるような、西に出窓のある薄ぎたない部屋の中を女中をひっくるめてにらみ回しながら古藤は、 「外部よりひどい……どこか他所にしましょうか」  と葉子を見返った。葉子はそれには耳もかさずに、思慮深い貴女のような物腰で女中のほうに向いていった。 「隣室も明いていますか……そう。夜まではどこも明いている……そう。お前さんがここの世話をしておいで?……なら余の部屋もついでに見せておもらいしましょうかしらん」  女中はもう葉子には軽蔑の色は見せなかった。そして心得顔に次の部屋との間の襖をあける間に、葉子は手早く大きな銀貨を紙に包んで、 「少しかげんが悪いし、またいろいろお世話になるだろうから」  といいながら、それを女中に渡した。そしてずっと並んだ五つの部屋を一つ一つ見て回って、掛け軸、花びん、団扇さし、小屏風、机というようなものを、自分の好みに任せてあてがわれた部屋のとすっかり取りかえて、すみからすみまできれいに掃除をさせた。そして古藤を正座に据えて小ざっぱりした座ぶとんにすわると、にっこりほほえみながら、 「これなら半日ぐらい我慢ができましょう」  といった。 「僕はどんな所でも平気なんですがね」  古藤はこう答えて、葉子の微笑を追いながら安心したらしく、 「気分はもうなおりましたね」  と付け加えた。 「えゝ」  と葉子は何げなく微笑を続けようとしたが、その瞬間につと思い返して眉をひそめた。葉子には仮病を続ける必要があったのをつい忘れようとしたのだった。それで、 「ですけれどもまだこんななんですの。こら動悸が」  といいながら、地味な風通の単衣物の中にかくれたはなやかな襦袢の袖をひらめかして、右手を力なげに前に出した。そしてそれと同時に呼吸をぐっとつめて、心臓と覚しいあたりにはげしく力をこめた。古藤はすき通るように白い手くびをしばらくなで回していたが、脈所に探りあてると急に驚いて目を見張った。 「どうしたんです、え、ひどく不規則じゃありませんか……痛むのは頭ばかりですか」 「いゝえ、お腹も痛みはじめたんですの」 「どんなふうに」 「ぎゅっと錐ででももむように……よくこれがあるんで困ってしまうんですのよ」  古藤は静かに葉子の手を離して、大きな目で深々と葉子をみつめた。 「医者を呼ばなくっても我慢ができますか」  葉子は苦しげにほほえんで見せた。 「あなただったらきっとできないでしょうよ。……慣れっこですからこらえて見ますわ。その代わりあなた永田さん……永田さん、ね、郵船会社の支店長の……あすこに行って船の切符の事を相談して来ていただけないでしょうか。御迷惑ですわね。それでもそんな事までお願いしちゃあ……ようござんす、わたし、車でそろそろ行きますから」  古藤は、女というものはこれほどの健康の変調をよくもこうまで我慢をするものだというような顔をして、もちろん自分が行ってみるといい張った。  実はその日、葉子は身のまわりの小道具や化粧品を調えかたがた、米国行きの船の切符を買うために古藤を連れてここに来たのだった。葉子はそのころすでに米国にいるある若い学士と許嫁の間柄になっていた。新橋で車夫が若奥様と呼んだのも、この事が出入りのものの間に公然と知れわたっていたからの事だった。  それは葉子が私生子を設けてからしばらく後の事だった。ある冬の夜、葉子の母の親佐が何かの用でその良人の書斎に行こうと階子段をのぼりかけると、上から小間使いがまっしぐらに駆けおりて来て、危うく親佐にぶっ突かろうとしてそのそばをすりぬけながら、何か意味のわからない事を早口にいって走り去った。その島田髷や帯の乱れた後ろ姿が、嘲弄の言葉のように目を打つと、親佐は口びるをかみしめたが、足音だけはしとやかに階子段を上がって、いつもに似ず書斎の戸の前に立ち止まって、しわぶきを一つして、それから規則正しく間をおいて三度戸をノックした。  こういう事があってから五日とたたぬうちに、葉子の家庭すなわち早月家は砂の上の塔のようにもろくもくずれてしまった。親佐はことに冷静な底気味わるい態度で夫婦の別居を主張した。そして日ごろの柔和に似ず、傷ついた牡牛のように元どおりの生活を回復しようとひしめく良人や、中にはいっていろいろ言いなそうとした親類たちの言葉を、きっぱりとしりぞけてしまって、良人を釘店のだだっ広い住宅にたった一人残したまま、葉子ともに三人の娘を連れて、親佐は仙台に立ちのいてしまった。木部の友人たちが葉子の不人情を怒って、木部のとめるのもきかずに、社会から葬ってしまえとひしめいているのを葉子は聞き知っていたから、ふだんならば一も二もなく父をかばって母に楯をつくべきところを、素直に母のするとおりになって、葉子は母と共に仙台に埋もれに行った。母は母で、自分の家庭から葉子のような娘の出た事を、できるだけ世間に知られまいとした。女子教育とか、家庭の薫陶とかいう事をおりあるごとに口にしていた親佐は、その言葉に対して虚偽という利子を払わねばならなかった。一方をもみ消すためには一方にどんと火の手をあげる必要がある。早月母子が東京を去るとまもなく、ある新聞は早月ドクトルの女性に関するふしだらを書き立てて、それにつけての親佐の苦心と貞操とを吹聴したついでに、親佐が東京を去るようになったのは、熱烈な信仰から来る義憤と、愛児を父の悪感化から救おうとする母らしい努力に基づくものだ。そのために彼女はキリスト教婦人同盟の副会長という顕要な位置さえ投げすてたのだと書き添えた。  仙台における早月親佐はしばらくの間は深く沈黙を守っていたが、見る見る周囲に人を集めて華々しく活動をし始めた。その客間は若い信者や、慈善家や、芸術家たちのサロンとなって、そこからリバイバルや、慈善市や、音楽会というようなものが形を取って生まれ出た。ことに親佐が仙台支部長として働き出したキリスト教婦人同盟の運動は、その当時野火のような勢いで全国に広がり始めた赤十字社の勢力にもおさおさ劣らない程の盛況を呈した。知事令夫人も、名だたる素封家の奥さんたちもその集会には列席した。そして三か年の月日は早月親佐を仙台には無くてはならぬ名物の一つにしてしまった。性質が母親とどこか似すぎているためか、似たように見えて一調子違っているためか、それとも自分を慎むためであったか、はたの人にはわからなかったが、とにかく葉子はそんなはなやかな雰囲気に包まれながら、不思議なほど沈黙を守って、ろくろく晴れの座などには姿を現わさないでいた。それにもかかわらず親佐の客間に吸い寄せられる若い人々の多数は葉子に吸い寄せられているのだった。葉子の控え目なしおらしい様子がいやが上にも人のうわさを引く種となって、葉子という名は、多才で、情緒の細やかな、美しい薄命児をだれにでも思い起こさせた。彼女の立ちすぐれた眉目形は花柳の人たちさえうらやましがらせた。そしていろいろな風聞が、清教徒風に質素な早月の佗住居の周囲を霞のように取り巻き始めた。  突然小さな仙台市は雷にでも打たれたようにある朝の新聞記事に注意を向けた。それはその新聞の商売がたきである或る新聞の社主であり主筆である某が、親佐と葉子との二人に同時に慇懃を通じているという、全紙にわたった不倫きわまる記事だった。だれも意外なような顔をしながら心の中ではそれを信じようとした。  この日髪の毛の濃い、口の大きい、色白な一人の青年を乗せた人力車が、仙台の町中を忙しく駆け回ったのを注意した人はおそらくなかったろうが、その青年は名を木村といって、日ごろから快活な活動好きな人として知られた男で、その熱心な奔走の結果、翌日の新聞紙の広告欄には、二段抜きで、知事令夫人以下十四五名の貴婦人の連名で早月親佐の冤罪が雪がれる事になった。この稀有の大げさな広告がまた小さな仙台の市中をどよめき渡らした。しかし木村の熱心も口弁も葉子の名を広告の中に入れる事はできなかった。  こんな騒ぎが持ち上がってから早月親佐の仙台における今までの声望は急に無くなってしまった。そのころちょうど東京に居残っていた早月が病気にかかって薬に親しむ身となったので、それをしおに親佐は子供を連れて仙台を切り上げる事になった。  木村はその後すぐ早月母子を追って東京に出て来た。そして毎日入りびたるように早月家に出入りして、ことに親佐の気に入るようになった。親佐が病気になって危篤に陥った時、木村は一生の願いとして葉子との結婚を申し出た。親佐はやはり母だった。死期を前に控えて、いちばん気にせずにいられないものは、葉子の将来だった。木村ならばあのわがままな、男を男とも思わぬ葉子に仕えるようにして行く事ができると思った。そしてキリスト教婦人同盟の会長をしている五十川女史に後事を託して死んだ。この五十川女史のまあまあというような不思議なあいまいな切り盛りで、木村は、どこか不確実ではあるが、ともかく葉子を妻としうる保障を握ったのだった。 五  郵船会社の永田は夕方でなければ会社から退けまいというので、葉子は宿屋に西洋物店のものを呼んで、必要な買い物をする事になった。古藤はそんならそこらをほッつき歩いて来るといって、例の麦稈帽子を帽子掛けから取って立ち上がった。葉子は思い出したように肩越しに振り返って、 「あなたさっきパラソルは骨が五本のがいいとおっしゃってね」  といった。古藤は冷淡な調子で、 「そういったようでしたね」  と答えながら、何か他の事でも考えているらしかった。 「まあそんなにとぼけて……なぜ五本のがお好き?」 「僕が好きというんじゃないけれども、あなたはなんでも人と違ったものが好きなんだと思ったんですよ」 「どこまでも人をおからかいなさる……ひどい事……行っていらっしゃいまし」  と情を迎えるようにいって向き直ってしまった。古藤が縁側に出るとまた突然呼びとめた。障子にはっきり立ち姿をうつしたまま、 「なんです」  といって古藤は立ち戻る様子がなかった。葉子はいたずら者らしい笑いを口のあたりに浮かべていた。 「あなたは木村と学校が同じでいらしったのね」 「そうですよ、級は木村の……木村君のほうが二つも上でしたがね」 「あなたはあの人をどうお思いになって」  まるで少女のような無邪気な調子だった。古藤はほほえんだらしい語気で、 「そんな事はもうあなたのほうがくわしいはずじゃありませんか……心のいい活動家ですよ」 「あなたは?」  葉子はぽんと高飛車に出た。そしてにやりとしながらがっくりと顔を上向きにはねて、床の間の一蝶のひどい偽い物を見やっていた。古藤がとっさの返事に窮して、少しむっとした様子で答え渋っているのを見て取ると、葉子は今度は声の調子を落として、いかにもたよりないというふうに、 「日盛りは暑いからどこぞでお休みなさいましね。……なるたけ早く帰って来てくださいまし。もしかして、病気でも悪くなると、こんな所で心細うござんすから……よくって」  古藤は何か平凡な返事をして、縁板を踏みならしながら出て行ってしまった。  朝のうちだけからっと破ったように晴れ渡っていた空は、午後から曇り始めて、まっ白な雲が太陽の面をなでて通るたびごとに暑気は薄れて、空いちめんが灰色にかき曇るころには、膚寒く思うほどに初秋の気候は激変していた。時雨らしく照ったり降ったりしていた雨の脚も、やがてじめじめと降り続いて、煮しめたようなきたない部屋の中は、ことさら湿りが強く来るように思えた。葉子は居留地のほうにある外国人相手の洋服屋や小間物屋などを呼び寄せて、思いきったぜいたくな買い物をした。買い物をして見ると葉子は自分の財布のすぐ貧しくなって行くのを怖れないではいられなかった。葉子の父は日本橋ではひとかどの門戸を張った医師で、収入も相当にはあったけれども、理財の道に全く暗いのと、妻の親佐が婦人同盟の事業にばかり奔走していて、その並み並みならぬ才能を、少しも家の事に用いなかったため、その死後には借金こそ残れ、遺産といってはあわれなほどしかなかった。葉子は二人の妹をかかえながらこの苦しい境遇を切り抜けて来た。それは葉子であればこそし遂せて来たようなものだった。だれにも貧乏らしいけしきは露ほども見せないでいながら、葉子は始終貨幣一枚一枚の重さを計って支払いするような注意をしていた。それだのに目の前に異国情調の豊かな贅沢品を見ると、彼女の貪欲は甘いものを見た子供のようになって、前後も忘れて懐中にありったけの買い物をしてしまったのだ。使いをやって正金銀行で換えた金貨は今鋳出されたような光を放って懐中の底にころがっていたが、それをどうする事もできなかった。葉子の心は急に暗くなった。戸外の天気もその心持ちに合槌を打つように見えた。古藤はうまく永田から切符をもらう事ができるだろうか。葉子自身が行き得ないほど葉子に対して反感を持っている永田が、あの単純なタクトのない古藤をどんなふうに扱ったろう。永田の口から古藤はいろいろな葉子の過去を聞かされはしなかったろうか。そんな事を思うと葉子は悒鬱が生み出す反抗的な気分になって、湯をわかさせて入浴し、寝床をしかせ、最上等の三鞭酒を取りよせて、したたかそれを飲むと前後も知らず眠ってしまった。  夜になったら泊まり客があるかもしれないと女中のいった五つの部屋はやはり空のままで、日がとっぷりと暮れてしまった。女中がランプを持って来た物音に葉子はようやく目をさまして、仰向いたまま、すすけた天井に描かれたランプの丸い光輪をぼんやりとながめていた。  その時じたッじたッとぬれた足で階子段をのぼって来る古藤の足音が聞こえた。古藤は何かに腹を立てているらしい足どりでずかずかと縁側を伝って来たが、ふと立ち止まると大きな声で帳場のほうにどなった。 「早く雨戸をしめないか……病人がいるんじゃないか。……」 「この寒いのになんだってあなたも言いつけないんです」  今度はこう葉子にいいながら、建て付けの悪い障子をあけていきなり中にはいろうとしたが、その瞬間にはっと驚いたような顔をして立ちすくんでしまった。  香水や、化粧品や、酒の香をごっちゃにした暖かいいきれがいきなり古藤に迫ったらしかった。ランプがほの暗いので、部屋のすみずみまでは見えないが、光の照り渡る限りは、雑多に置きならべられたなまめかしい女の服地や、帽子や、造花や、鳥の羽根や、小道具などで、足の踏みたて場もないまでになっていた。その一方に床の間を背にして、郡内のふとんの上に掻巻をわきの下から羽織った、今起きかえったばかりの葉子が、はでな長襦袢一つで東ヨーロッパの嬪宮の人のように、片臂をついたまま横になっていた。そして入浴と酒とでほんのりほてった顔を仰向けて、大きな目を夢のように見開いてじっと古藤を見た。その枕もとには三鞭酒のびんが本式に氷の中につけてあって、飲みさしのコップや、華奢な紙入れや、かのオリーヴ色の包み物を、しごきの赤が火の蛇のように取り巻いて、その端が指輪の二つはまった大理石のような葉子の手にもてあそばれていた。 「お遅うござんした事。お待たされなすったんでしょう。……さ、おはいりなさいまし。そんなもの足ででもどけてちょうだい、散らかしちまって」  この音楽のようなすべすべした調子の声を聞くと、古藤は始めて illusion から目ざめたふうではいって来た。葉子は左手を二の腕がのぞき出るまでずっと延ばして、そこにあるものを一払いに払いのけると、花壇の土を掘り起こしたようにきたない畳が半畳ばかり現われ出た。古藤は自分の帽子を部屋のすみにぶちなげて置いて、払い残された細形の金鎖を片づけると、どっかとあぐらをかいて正面から葉子を見すえながら、 「行って来ました。船の切符もたしかに受け取って来ました」  といってふところの中を探りにかかった。葉子はちょっと改まって、 「ほんとにありがとうございました」  と頭を下げたが、たちまち roughish な目つきをして、 「まあそんな事はいずれあとで、ね、……何しろお寒かったでしょう、さ」  といいながら飲み残りの酒を盆の上に無造作に捨てて、二三度左手をふってしずくを切ってから、コップを古藤にさしつけた。古藤の目は何かに激昂しているように輝いていた。 「僕は飲みません」 「おやなぜ」 「飲みたくないから飲まないんです」  この角ばった返答は男を手もなくあやし慣れている葉子にも意外だった。それでそのあとの言葉をどう継ごうかと、ちょっとためらって古藤の顔を見やっていると、古藤はたたみかけて口をきった。 「永田ってのはあれはあなたの知人ですか。思いきって尊大な人間ですね。君のような人間から金を受け取る理由はないが、とにかくあずかって置いて、いずれ直接あなたに手紙でいってあげるから、早く帰れっていうんです、頭から。失敬なやつだ」  葉子はこの言葉に乗じて気まずい心持ちを変えようと思った。そしてまっしぐらに何かいい出そうとすると、古藤はおっかぶせるように言葉を続けて、 「あなたはいったいまだ腹が痛むんですか」  ときっぱりいって堅くすわり直した。しかしその時に葉子の陣立てはすでにでき上がっていた。初めのほほえみをそのままに、 「えゝ、少しはよくなりましてよ」  といった。古藤は短兵急に、 「それにしてもなかなか元気ですね」  とたたみかけた。 「それはお薬にこれを少しいただいたからでしょうよ」  と三鞭酒を指さした。  正面からはね返された古藤は黙ってしまった。しかし葉子も勢いに乗って追い迫るような事はしなかった。矢頃を計ってから語気をかえてずっと下手になって、 「妙にお思いになったでしょうね。わるうございましてね。こんな所に来ていて、お酒なんか飲むのはほんとうに悪いと思ったんですけれども、気分がふさいで来ると、わたしにはこれよりほかにお薬はないんですもの。さっきのように苦しくなって来ると私はいつでも湯を熱めにして浴ってから、お酒を飲み過ぎるくらい飲んで寝るんですの。そうすると」  といって、ちょっといいよどんで見せて、 「十分か二十分ぐっすり寝入るんですのよ……痛みも何も忘れてしまっていい心持ちに……。それから急に頭がかっと痛んで来ますの。そしてそれと一緒に気がめいり出して、もうもうどうしていいかわからなくなって、子供のように泣きつづけると、そのうちにまた眠たくなって一寝入りしますのよ。そうするとそのあとはいくらかさっぱりするんです。……父や母が死んでしまってから、頼みもしないのに親類たちからよけいな世話をやかれたり、他人力なんぞをあてにせずに妹二人を育てて行かなければならないと思ったりすると、わたしのような、他人様と違って風変わりな、……そら、五本の骨でしょう」  とさびしく笑った。 「それですものどうぞ堪忍してちょうだい。思いきり泣きたい時でも知らん顔をして笑って通していると、こんなわたしみたいな気まぐれ者になるんです。気まぐれでもしなければ生きて行けなくなるんです。男のかたにはこの心持ちはおわかりにはならないかもしれないけれども」  こういってるうちに葉子は、ふと木部との恋がはかなく破れた時の、われにもなく身にしみ渡るさびしみや、死ぬまで日陰者であらねばならぬ私生子の定子の事や、計らずもきょうまのあたり見た木部の、心からやつれた面影などを思い起こした。そしてさらに、母の死んだ夜、日ごろは見向きもしなかった親類たちが寄り集まって来て、早月家には毛の末ほども同情のない心で、早月家の善後策について、さも重大らしく勝手気ままな事を親切ごかしにしゃべり散らすのを聞かされた時、どうにでもなれという気になって、暴れ抜いた事が、自分にさえ悲しい思い出となって、葉子の頭の中を矢のように早くひらめき通った。葉子の顔には人に譲ってはいない自信の色が現われ始めた。 「母の初七日の時もね、わたしはたて続けにビールを何杯飲みましたろう。なんでもびんがそこいらにごろごろころがりました。そしてしまいには何がなんだか夢中になって、宅に出入りするお医者さんの膝を枕に、泣き寝入りに寝入って、夜中をあなた二時間の余も寝続けてしまいましたわ。親類の人たちはそれを見ると一人帰り二人帰りして、相談も何もめちゃくちゃになったんですって。母の写真を前に置いといて、わたしはそんな事までする人間ですの。おあきれになったでしょうね。いやなやつでしょう。あなたのような方から御覧になったら、さぞいやな気がなさいましょうねえ」 「えゝ」  と古藤は目も動かさずにぶっきらぼうに答えた。 「それでもあなた」  と葉子は切なさそうに半ば起き上がって、 「外面だけで人のする事をなんとかおっしゃるのは少し残酷ですわ。……いゝえね」  と古藤の何かいい出そうとするのをさえぎって、今度はきっとすわり直った。 「わたしは泣き言をいって他人様にも泣いていただこうなんて、そんな事はこれんばかりも思やしませんとも……なるならどこかに大砲のような大きな力の強い人がいて、その人が真剣に怒って、葉子のような人非人はこうしてやるぞといって、わたしを押えつけて心臓でも頭でもくだけて飛んでしまうほど折檻をしてくれたらと思うんですの。どの人もどの人もちゃんと自分を忘れないで、いいかげんに怒ったり、いいかげんに泣いたりしているんですからねえ。なんだってこう生温いんでしょう。  義一さん(葉子が古藤をこう名で呼んだのはこの時が始めてだった)あなたがけさ、心の正直ななんとかだとおっしゃった木村に縁づくようになったのも、その晩の事です。五十川が親類じゅうに賛成さして、晴れがましくもわたしをみんなの前に引き出しておいて、罪人にでもいうように宣告してしまったのです。わたしが一口でもいおうとすれば、五十川のいうには母の遺言ですって。死人に口なし。ほんとに木村はあなたがおっしゃったような人間ね。仙台であんな事があったでしょう。あの時知事の奥さんはじめ母のほうはなんとかしようが娘のほうは保証ができないとおっしゃったんですとさ」  いい知らぬ侮蔑の色が葉子の顔にみなぎった。 「ところが木村は自分の考えを押し通しもしないで、おめおめと新聞には母だけの名を出してあの広告をしたんですの。  母だけがいい人になればだれだってわたしを……そうでしょう。そのあげくに木村はしゃあしゃあとわたしを妻にしたいんですって、義一さん、男ってそれでいいものなんですか。まあね物の譬えがですわ。それとも言葉ではなんといってもむだだから、実行的にわたしの潔白を立ててやろうとでもいうんでしょうか」  そういって激昂しきった葉子はかみ捨てるようにかん高くほゝと笑った。 「いったいわたしはちょっとした事で好ききらいのできる悪い質なんですからね。といってわたしはあなたのような生一本でもありませんのよ。  母の遺言だから木村と夫婦になれ。早く身を堅めて地道に暮らさなければ母の名誉をけがす事になる。妹だって裸でお嫁入りもできまいといわれれば、わたし立派に木村の妻になって御覧にいれます。その代わり木村が少しつらいだけ。  こんな事をあなたの前でいってはさぞ気を悪くなさるでしょうが、真直なあなただと思いますから、わたしもその気で何もかも打ち明けて申してしまいますのよ。わたしの性質や境遇はよく御存じですわね。こんな性質でこんな境遇にいるわたしがこう考えるのにもし間違いがあったら、どうか遠慮なくおっしゃってください。  あゝいやだった事。義一さん、わたしこんな事はおくびにも出さずに今の今までしっかり胸にしまって我慢していたのですけれども、きょうはどうしたんでしょう、なんだか遠い旅にでも出たようなさびしい気になってしまって……」  弓弦を切って放したように言葉を消して葉子はうつむいてしまった。日はいつのまにかとっぷりと暮れていた。じめじめと降り続く秋雨に湿った夜風が細々と通って来て、湿気でたるんだ障子紙をそっとあおって通った。古藤は葉子の顔を見るのを避けるように、そこらに散らばった服地や帽子などをながめ回して、なんと返答をしていいのか、いうべき事は腹にあるけれども言葉には現わせないふうだった。部屋は息気苦しいほどしんとなった。  葉子は自分の言葉から、その時のありさまから、妙にやる瀬ないさびしい気分になっていた。強い男の手で思い存分両肩でも抱きすくめてほしいようなたよりなさを感じた。そして横腹に深々と手をやって、さし込む痛みをこらえるらしい姿をしていた。古藤はややしばらくしてから何か決心したらしくまともに葉子を見ようとしたが、葉子の切なさそうな哀れな様子を見ると、驚いた顔つきをしてわれ知らず葉子のほうにいざり寄った。葉子はすかさず豹のようになめらかに身を起こしていち早くもしっかり古藤のさし出す手を握っていた。そして、 「義一さん」  と震えを帯びていった声は存分に涙にぬれているように響いた。古藤は声をわななかして、 「木村はそんな人間じゃありませんよ」  とだけいって黙ってしまった。  だめだったと葉子はその途端に思った。葉子の心持ちと古藤の心持ちとはちぐはぐになっているのだ。なんという響きの悪い心だろうと葉子はそれをさげすんだ。しかし様子にはそんな心持ちは少しも見せないで、頭から肩へかけてのなよやかな線を風の前のてっせんの蔓のように震わせながら、二三度深々とうなずいて見せた。  しばらくしてから葉子は顔を上げたが、涙は少しも目にたまってはいなかった。そしていとしい弟でもいたわるようにふとんから立ち上がりざま、 「すみませんでした事、義一さん、あなた御飯はまだでしたのね」  といいながら、腹の痛むのをこらえるような姿で古藤の前を通りぬけた。湯でほんのりと赤らんだ素足に古藤の目が鋭くちらっと宿ったのを感じながら、障子を細目にあけて手をならした。  葉子はその晩不思議に悪魔じみた誘惑を古藤に感じた。童貞で無経験で恋の戯れにはなんのおもしろみもなさそうな古藤、木村に対してといわず、友だちに対して堅苦しい義務観念の強い古藤、そういう男に対して葉子は今までなんの興味をも感じなかったばかりか、働きのない没情漢と見限って、口先ばかりで人間並みのあしらいをしていたのだ。しかしその晩葉子はこの少年のような心を持って肉の熟した古藤に罪を犯させて見たくってたまらなくなった。一夜のうちに木村とは顔も合わせる事のできない人間にして見たくってたまらなくなった。古藤の童貞を破る手を他の女に任せるのがねたましくてたまらなくなった。幾枚も皮をかぶった古藤の心のどん底に隠れている欲念を葉子の蠱惑力で掘り起こして見たくってたまらなくなった。  気取られない範囲で葉子があらん限りの謎を与えたにもかかわらず、古藤が堅くなってしまってそれに応ずるけしきのないのを見ると葉子はますますいらだった。そしてその晩は腹が痛んでどうしても東京に帰れないから、いやでも横浜に宿ってくれといい出した。しかし古藤は頑としてきかなかった。そして自分で出かけて行って、品もあろう事かまっ赤な毛布を一枚買って帰って来た。葉子はとうとう我を折って最終列車で東京に帰る事にした。  一等の客車には二人のほかに乗客はなかった。葉子はふとした出来心から古藤をおとしいれようとした目論見に失敗して、自分の征服力に対するかすかな失望と、存分の不快とを感じていた。客車の中ではまたいろいろと話そうといって置きながら、汽車が動き出すとすぐ、古藤の膝のそばで毛布にくるまったまま新橋まで寝通してしまった。  新橋に着いてから古藤が船の切符を葉子に渡して人力車を二台傭って、その一つに乗ると、葉子はそれにかけよって懐中から取り出した紙入れを古藤の膝にほうり出して、左の鬢をやさしくかき上げながら、 「きょうのお立て替えをどうぞその中から……あすはきっといらしってくださいましね……お待ち申しますことよ……さようなら」  といって自分ももう一つの車に乗った。葉子の紙入れの中には正金銀行から受け取った五十円金貨八枚がはいっている。そして葉子は古藤がそれをくずして立て替えを取る気づかいのないのを承知していた。 六  葉子が米国に出発する九月二十五日はあすに迫った。二百二十日の荒れそこねたその年の天気は、いつまでたっても定まらないで、気違い日和ともいうべき照り降りの乱雑な空あいが続き通していた。  葉子はその朝暗いうちに床を離れて、蔵の陰になつた自分の小部屋にはいって、前々から片づけかけていた衣類の始末をし始めた。模様や縞の派手なのは片端からほどいて丸めて、次の妹の愛子にやるようにと片すみに重ねたが、その中には十三になる末の妹の貞世に着せても似合わしそうな大柄なものもあった。葉子は手早くそれをえり分けて見た。そして今度は船に持ち込む四季の晴れ着を、床の間の前にあるまっ黒に古ぼけたトランクの所まで持って行って、ふたをあけようとしたが、ふとそのふたのまん中に書いてあるY・Kという白文字を見て忙しく手を控えた。これはきのう古藤が油絵の具と画筆とを持って来て書いてくれたので、かわききらないテレビンの香がまだかすかに残っていた。古藤は、葉子・早月の頭文字Y・Sと書いてくれと折り入って葉子の頼んだのを笑いながら退けて、葉子・木村の頭文字Y・Kと書く前に、S・Kとある字をナイフの先で丁寧に削ったのだった。S・Kとは木村貞一のイニシャルで、そのトランクは木村の父が欧米を漫遊した時使ったものなのだ。その古い色を見ると、木村の父の太っ腹な鋭い性格と、波瀾の多い生涯の極印がすわっているように見えた。木村はそれを葉子の用にと残して行ったのだった。木村の面影はふと葉子の頭の中を抜けて通った。空想で木村を描く事は、木村と顔を見合わす時ほどの厭わしい思いを葉子に起こさせなかった。黒い髪の毛をぴったりときれいに分けて、怜かしい中高の細面に、健康らしいばら色を帯びた容貌や、甘すぎるくらい人情におぼれやすい殉情的な性格は、葉子に一種のなつかしさをさえ感ぜしめた。しかし実際顔と顔とを向かい合わせると、二人は妙に会話さえはずまなくなるのだった。その怜かしいのがいやだった。柔和なのが気にさわった。殉情的なくせに恐ろしく勘定高いのがたまらなかった。青年らしく土俵ぎわまで踏み込んで事業を楽しむという父に似た性格さえこましゃくれて見えた。ことに東京生まれといってもいいくらい都慣れた言葉や身のこなしの間に、ふと東北の郷土の香いをかぎ出した時にはかんで捨てたいような反感に襲われた。葉子の心は今、おぼろげな回想から、実際膝つき合わせた時にいやだと思った印象に移って行った。そして手に持った晴れ着をトランクに入れるのを控えてしまった。長くなり始めた夜もそのころにはようやく白み始めて、蝋燭の黄色い焔が光の亡骸のように、ゆるぎもせずにともっていた。夜の間静まっていた西風が思い出したように障子にぶつかって、釘店の狭い通りを、河岸で仕出しをした若い者が、大きな掛け声でがらがらと車をひきながら通るのが聞こえ出した。葉子はきょう一日に目まぐるしいほどあるたくさんの用事をちょっと胸の中で数えて見て、大急ぎでそこらを片づけて、錠をおろすものには錠をおろし切って、雨戸を一枚繰って、そこからさし込む光で大きな手文庫からぎっしりつまった男文字の手紙を引き出すと風呂敷に包み込んだ。そしてそれをかかえて、手燭を吹き消しながら部屋を出ようとすると、廊下に叔母が突っ立っていた。 「もう起きたんですね……片づいたかい」  と挨拶してまだ何かいいたそうであった。両親を失ってからこの叔母夫婦と、六歳になる白痴の一人息子とが移って来て同居する事になったのだ。葉子の母が、どこか重々しくって男々しい風采をしていたのに引きかえ、叔母は髪の毛の薄い、どこまでも貧相に見える女だった。葉子の目はその帯しろ裸な、肉の薄い胸のあたりをちらっとかすめた。 「おやお早うございます……あらかた片づきました」  といってそのまま二階に行こうとすると、叔母は爪にいっぱい垢のたまった両手をもやもやと胸の所でふりながら、さえぎるように立ちはだかって、 「あのお前さんが片づける時にと思っていたんだがね。あすのお見送りに私は着て行くものが無いんだよ。おかあさんのもので間に合うのは無いだろうかしらん。あすだけ借りればあとはちゃんと始末をして置くんだからちょっと見ておくれでないか」  葉子はまたかと思った。働きのない良人に連れ添って、十五年の間丸帯一つ買ってもらえなかった叔母の訓練のない弱い性格が、こうさもしくなるのをあわれまないでもなかったが、物怯じしながら、それでいて、欲にかかるとずうずうしい、人のすきばかりつけねらう仕打ちを見ると、虫唾が走るほど憎かった。しかしこんな思いをするのもきょうだけだと思って部屋の中に案内した。叔母は空々しく気の毒だとかすまないとかいい続けながら錠をおろした箪笥を一々あけさせて、いろいろと勝手に好みをいった末に、りゅうとした一揃えを借る事にして、それから葉子の衣類までをとやかくいいながら去りがてにいじくり回した。台所からは、みそ汁の香いがして、白痴の子がだらしなく泣き続ける声と、叔父が叔母を呼び立てる声とが、すがすがしい朝の空気を濁すように聞こえて来た。葉子は叔母にいいかげんな返事をしながらその声に耳を傾けていた。そして早月家の最後の離散という事をしみじみと感じたのであった。電話はある銀行の重役をしている親類がいいかげんな口実を作って只持って行ってしまった。父の書斎道具や骨董品は蔵書と一緒に糶売りをされたが、売り上げ代はとうとう葉子の手にははいらなかった。住居は住居で、葉子の洋行後には、両親の死後何かに尽力したという親類の某が、二束三文で譲り受ける事に親族会議で決まってしまった。少しばかりある株券と地所とは愛子と貞世との教育費にあてる名儀で某々が保管する事になった。そんな勝手放題なまねをされるのを葉子は見向きもしないで黙っていた。もし葉子が素直な女だったら、かえって食い残しというほどの遺産はあてがわれていたに違いない。しかし親族会議では葉子を手におえない女だとして、他所に嫁入って行くのをいい事に、遺産の事にはいっさい関係させない相談をしたくらいは葉子はとうに感づいていた。自分の財産となればなるべきものを一部分だけあてがわれて、黙って引っ込んでいる葉子ではなかった。それかといって長女ではあるが、女の身として全財産に対する要求をする事の無益なのも知っていた。で「犬にやるつもりでいよう」と臍を堅めてかかったのだった。今、あとに残ったものは何がある。切り回しよく見かけを派手にしている割合に、不足がちな三人の姉妹の衣類諸道具が少しばかりあるだけだ。それを叔母は容赦もなくそこまで切り込んで来ているのだ。白紙のようなはかない寂しさと、「裸になるならきれいさっぱり裸になって見せよう」という火のような反抗心とが、むちゃくちゃに葉子の胸を冷やしたり焼いたりした。葉子はこんな心持ちになって、先ほどの手紙の包みをかかえて立ち上がりながら、うつむいて手ざわりのいい絹物をなで回している叔母を見おろした。 「それじゃわたしまだほかに用がありますししますから錠をおろさずにおきますよ。ごゆっくり御覧なさいまし。そこにかためてあるのはわたしが持って行くんですし、ここにあるのは愛と貞にやるのですから別になすっておいてください」  といい捨てて、ずんずん部屋を出た。往来には砂ほこりが立つらしく風が吹き始めていた。  二階に上がって見ると、父の書斎であった十六畳の隣の六畳に、愛子と貞世とが抱き合って眠っていた。葉子は自分の寝床を手早くたたみながら愛子を呼び起こした。愛子は驚いたように大きな美しい目を開くと半分夢中で飛び起きた。葉子はいきなり厳重な調子で、 「あなたはあすからわたしの代わりをしないじゃならないんですよ。朝寝坊なんぞしていてどうするの。あなたがぐずぐずしていると貞ちゃんがかわいそうですよ。早く身じまいをして下のお掃除でもなさいまし」  とにらみつけた。愛子は羊のように柔和な目をまばゆそうにして、姉をぬすみ見ながら、着物を着かえて下に降りて行った。葉子はなんとなく性の合わないこの妹が、階子段を降りきったのを聞きすまして、そっと貞世のほうに近づいた。面ざしの葉子によく似た十三の少女は、汗じみた顔には下げ髪がねばり付いて、頬は熱でもあるように上気している。それを見ると葉子は骨肉のいとしさに思わずほほえませられて、その寝床にいざり寄って、その童女を羽がいに軽く抱きすくめた。そしてしみじみとその寝顔にながめ入った。貞世の軽い呼吸は軽く葉子の胸に伝わって来た。その呼吸が一つ伝わるたびに、葉子の心は妙にめいって行った。同じ胎を借りてこの世に生まれ出た二人の胸には、ひたと共鳴する不思議な響きが潜んでいた。葉子は吸い取られるようにその響きに心を集めていたが、果ては寂しい、ただ寂しい涙がほろほろととめどなく流れ出るのだった。  一家の離散を知らぬ顔で、女の身そらをただひとり米国の果てまでさすらって行くのを葉子は格別なんとも思っていなかった。振り分け髪の時分から、飽くまで意地の強い目はしのきく性質を思うままに増長さして、ぐんぐんと世の中をわき目もふらず押し通して二十五になった今、こんな時にふと過去を振り返って見ると、いつのまにかあたりまえの女の生活をすりぬけて、たった一人見も知らぬ野ずえに立っているような思いをせずにはいられなかった。女学校や音楽学校で、葉子の強い個性に引きつけられて、理想の人ででもあるように近寄って来た少女たちは、葉子におどおどしい同性の恋をささげながら、葉子に inspire されて、われ知らず大胆な奔放な振る舞いをするようになった。そのころ「国民文学」や「文学界」に旗挙げをして、新しい思想運動を興そうとした血気なロマンティックな青年たちに、歌の心を授けた女の多くは、おおかた葉子から血脈を引いた少女らであった。倫理学者や、教育家や、家庭の主権者などもそのころから猜疑の目を見張って少女国を監視し出した。葉子の多感な心は、自分でも知らない革命的ともいうべき衝動のためにあてもなく揺ぎ始めた。葉子は他人を笑いながら、そして自分をさげすみながら、まっ暗な大きな力に引きずられて、不思議な道に自覚なく迷い入って、しまいにはまっしぐらに走り出した。だれも葉子の行く道のしるべをする人もなく、他の正しい道を教えてくれる人もなかった。たまたま大きな声で呼び留める人があるかと思えば、裏表の見えすいたぺてんにかけて、昔のままの女であらせようとするものばかりだった。葉子はそのころからどこか外国に生まれていればよかったと思うようになった。あの自由らしく見える女の生活、男と立ち並んで自分を立てて行く事のできる女の生活……古い良心が自分の心をさいなむたびに、葉子は外国人の良心というものを見たく思った。葉子は心の奥底でひそかに芸者をうらやみもした。日本で女が女らしく生きているのは芸者だけではないかとさえ思った。こんな心持ちで年を取って行く間に葉子はもちろんなんどもつまずいてころんだ。そしてひとりで膝の塵を払わなければならなかった。こんな生活を続けて二十五になった今、ふと今まで歩いて来た道を振り返って見ると、いっしょに葉子と走っていた少女たちは、とうの昔に尋常な女になり済ましていて、小さく見えるほど遠くのほうから、あわれむようなさげすむような顔つきをして、葉子の姿をながめていた。葉子はもと来た道に引き返す事はもうできなかった。できたところで引き返そうとする気はみじんもなかった。「勝手にするがいい」そう思って葉子はまたわけもなく不思議な暗い力に引っぱられた。こういうはめになった今、米国にいようが日本にいようが少しばかりの財産があろうが無かろうが、そんな事は些細な話だった。境遇でも変わったら何か起こるかもしれない。元のままかもしれない。勝手になれ。葉子を心の底から動かしそうなものは一つも身近には見当たらなかった。  しかし一つあった。葉子の涙はただわけもなくほろほろと流れた。貞世は何事も知らずに罪なく眠りつづけていた。同じ胎を借りてこの世に生まれ出た二人の胸には、ひたと共鳴する不思議な響きが潜んでいた。葉子は吸い取られるようにその響きに心を集めていたが、この子もやがては自分が通って来たような道を歩くのかと思うと、自分をあわれむとも妹をあわれむとも知れない切ない心に先だたれて、思わずぎゅっと貞世を抱きしめながら物をいおうとした。しかし何をいい得ようぞ。喉もふさがってしまっていた。貞世は抱きしめられたので始めて大きく目を開いた。そしてしばらくの間、涙にぬれた姉の顔をまじまじとながめていたが、やがて黙ったまま小さい袖でその涙をぬぐい始めた。葉子の涙は新しくわき返った。貞世は痛ましそうに姉の涙をぬぐいつづけた。そしてしまいにはその袖を自分の顔に押しあてて何か言い言いしゃくり上げながら泣き出してしまった。 七  葉子はその朝横浜の郵船会社の永田から手紙を受け取った。漢学者らしい風格の、上手な字で唐紙牋に書かれた文句には、自分は故早月氏には格別の交誼を受けていたが、あなたに対しても同様の交際を続ける必要のないのを遺憾に思う。明晩(すなわちその夜)のお招きにも出席しかねる、と剣もほろろに書き連ねて、追伸に、先日あなたから一言の紹介もなく訪問してきた素性の知れぬ青年の持参した金はいらないからお返しする。良人の定まった女の行動は、申すまでもないが慎むが上にもことに慎むべきものだと私どもは聞き及んでいる。ときっぱり書いて、その金額だけの為替が同封してあった。葉子が古藤を連れて横浜に行ったのも、仮病をつかって宿屋に引きこもったのも、実をいうと船商売をする人には珍しい厳格なこの永田に会うめんどうを避けるためだった。葉子は小さく舌打ちして、為替ごと手紙を引き裂こうとしたが、ふと思い返して、丹念に墨をすりおろして一字一字考えて書いたような手紙だけずたずたに破いて屑かごに突っ込んだ。  葉子は地味な他行衣に寝衣を着かえて二階を降りた。朝食は食べる気がなかった。妹たちの顔を見るのも気づまりだった。  姉妹三人のいる二階の、すみからすみまできちんと小ぎれいに片付いているのに引きかえて、叔母一家の住まう下座敷は変に油ぎってよごれていた。白痴の子が赤ん坊同様なので、東の縁に干してある襁褓から立つ塩臭いにおいや、畳の上に踏みにじられたままこびりついている飯粒などが、すぐ葉子の神経をいらいらさせた。玄関に出て見ると、そこには叔父が、襟のまっ黒に汗じんだ白い飛白を薄寒そうに着て、白痴の子を膝の上に乗せながら、朝っぱらから柿をむいてあてがっていた。その柿の皮があかあかと紙くずとごったになって敷き石の上に散っていた。葉子は叔父にちょっと挨拶をして草履をさがしながら、 「愛さんちょっとここにおいで。玄関が御覧、あんなによごれているからね、きれいに掃除しておいてちょうだいよ。――今夜はお客様もあるんだのに……」  と駆けて来た愛子にわざとつんけんいうと、叔父は神経の遠くのほうであてこすられたのを感じたふうで、 「おゝ、それはわしがしたんじゃで、わしが掃除しとく。構うてくださるな、おいお俊――お俊というに、何しとるぞい」  とのろまらしく呼び立てた。帯しろ裸の叔母がそこにやって来て、またくだらぬ口論をするのだと思うと、泥の中でいがみ合う豚かなんぞを思い出して、葉子は踵の塵を払わんばかりにそこそこ家を出た。細い釘店の往来は場所柄だけに門並みきれいに掃除されて、打ち水をした上を、気のきいた風体の男女が忙しそうに往き来していた。葉子は抜け毛の丸めたのや、巻煙草の袋のちぎれたのが散らばって箒の目一つない自分の家の前を目をつぶって駆けぬけたいほどの思いをして、ついそばの日本銀行にはいってありったけの預金を引き出した。そしてその前の車屋で始終乗りつけのいちばん立派な人力車を仕立てさして、その足で買い物に出かけた。妹たちに買い残しておくべき衣服地や、外国人向きの土産品や、新しいどっしりしたトランクなどを買い入れると、引き出した金はいくらも残ってはいなかった。そして午後の日がやや傾きかかったころ、大塚窪町に住む内田という母の友人を訪れた。内田は熱心なキリスト教の伝道者として、憎む人からは蛇蝎のように憎まれるし、好きな人からは予言者のように崇拝されている天才肌の人だった。葉子は五つ六つのころ、母に連れられて、よくその家に出入りしたが、人を恐れずにぐんぐん思った事をかわいらしい口もとからいい出す葉子の様子が、始終人から距てをおかれつけた内田を喜ばしたので、葉子が来ると内田は、何か心のこだわった時でもきげんを直して、窄った眉根を少しは開きながら、「また子猿が来たな」といって、そのつやつやしたおかっぱをなで回したりなぞした。そのうち母がキリスト教婦人同盟の事業に関係して、たちまちのうちにその牛耳を握り、外国宣教師だとか、貴婦人だとかを引き入れて、政略がましく事業の拡張に奔走するようになると、内田はすぐきげんを損じて、早月親佐を責めて、キリストの精神を無視した俗悪な態度だといきまいたが、親佐がいっこうに取り合う様子がないので、両家の間は見る見る疎々しいものになってしまった。それでも内田は葉子だけには不思議に愛着を持っていたと見えて、よく葉子のうわさをして、「子猿」だけは引き取って子供同様に育ててやってもいいなぞといったりした。内田は離縁した最初の妻が連れて行ってしまったたった一人の娘にいつまでも未練を持っているらしかった。どこでもいいその娘に似たらしい所のある少女を見ると、内田は日ごろの自分を忘れたように甘々しい顔つきをした。人が怖れる割合に、葉子には内田が恐ろしく思えなかったばかりか、その峻烈な性格の奥にとじこめられて小さくよどんだ愛情に触れると、ありきたりの人間からは得られないようななつかしみを感ずる事があった。葉子は母に黙って時々内田を訪れた。内田は葉子が来ると、どんな忙しい時でも自分の部屋に通して笑い話などをした。時には二人だけで郊外の静かな並み木道などを散歩したりした。ある時内田はもう娘らしく生長した葉子の手を堅く握って、「お前は神様以外の私のただ一人の道伴れだ」などといった。葉子は不思議な甘い心持ちでその言葉を聞いた。その記憶は長く忘れ得なかった。  それがあの木部との結婚問題が持ち上がると、内田は否応なしにある日葉子を自分の家に呼びつけた。そして恋人の変心を詰り責める嫉妬深い男のように、火と涙とを目からほとばしらせて、打ちもすえかねぬまでに狂い怒った。その時ばかりは葉子も心から激昂させられた。「だれがもうこんなわがままな人の所に来てやるものか」そう思いながら、生垣の多い、家並みのまばらな、轍の跡のめいりこんだ小石川の往来を歩き歩き、憤怒の歯ぎしりを止めかねた。それは夕闇の催した晩秋だった。しかしそれと同時になんだか大切なものを取り落としたような、自分をこの世につり上げてる糸の一つがぷつんと切れたような不思議なさびしさの胸に逼るのをどうする事もできなかった。 「キリストに水をやったサマリヤの女の事も思うから、この上お前には何もいうまい――他人の失望も神の失望もちっとは考えてみるがいい、……罪だぞ、恐ろしい罪だぞ」  そんな事があってから五年を過ぎたきょう、郵便局に行って、永田から来た為替を引き出して、定子を預かってくれている乳母の家に持って行こうと思った時、葉子は紙幣の束を算えながら、ふと内田の最後の言葉を思い出したのだった。物のない所に物を探るような心持ちで葉子は人力車を大塚のほうに走らした。  五年たっても昔のままの構えで、まばらにさし代えた屋根板と、めっきり延びた垣添いの桐の木とが目立つばかりだった。砂きしみのする格子戸をあけて、帯前を整えながら出て来た柔和な細君と顔を合わせた時は、さすがに懐旧の情が二人の胸を騒がせた。細君は思わず知らず「まあどうぞ」といったが、その瞬間にはっとためらったような様子になって、急いで内田の書斎にはいって行った。しばらくすると嘆息しながら物をいうような内田の声が途切れ途切れに聞こえた。「上げるのは勝手だがおれが会う事はないじゃないか」といったかと思うと、はげしい音を立てて読みさしの書物をぱたんと閉じる音がした。葉子は自分の爪先を見つめながら下くちびるをかんでいた。  やがて細君がおどおどしながら立ち現われて、まずと葉子を茶の間に招じ入れた。それと入れ代わりに、書斎では内田が椅子を離れた音がして、やがて内田はずかずかと格子戸をあけて出て行ってしまった。  葉子は思わずふらふらッと立ち上がろうとするのを、何気ない顔でじっとこらえた。せめては雷のような激しいその怒りの声に打たれたかった。あわよくば自分も思いきりいいたい事をいってのけたかった。どこに行っても取りあいもせず、鼻であしらい、鼻であしらわれ慣れた葉子には、何か真味な力で打ちくだかれるなり、打ちくだくなりして見たかった。それだったのに思い入って内田の所に来て見れば、内田は世の常の人々よりもいっそう冷ややかに酷く思われた。 「こんな事をいっては失礼ですけれどもね葉子さん、あなたの事をいろいろにいって来る人があるもんですからね、あのとおりの性質でしょう。どうもわたしにはなんともいいなだめようがないのですよ。内田があなたをお上げ申したのが不思議なほどだとわたし思いますの。このごろはことさらだれにもいわれないようなごたごたが家の内にあるもんですから、よけいむしゃくしゃしていて、ほんとうにわたしどうしたらいいかと思う事がありますの」  意地も生地も内田の強烈な性格のために存分に打ち砕かれた細君は、上品な顔立てに中世紀の尼にでも見るような思いあきらめた表情を浮かべて、捨て身の生活のどん底にひそむさびしい不足をほのめかした。自分より年下で、しかも良人からさんざん悪評を投げられているはずの葉子に対してまで、すぐ心が砕けてしまって、張りのない言葉で同情を求めるかと思うと、葉子は自分の事のように歯がゆかった。眉と口とのあたりにむごたらしい軽蔑の影が、まざまざと浮かび上がるのを感じながら、それをどうする事もできなかった。葉子は急に青味を増した顔で細君を見やったが、その顔は世故に慣れきった三十女のようだった。(葉子は思うままに自分の年を五つも上にしたり下にしたりする不思議な力を持っていた。感情次第でその表情は役者の技巧のように変わった) 「歯がゆくはいらっしゃらなくって」  と切り返すように内田の細君の言葉をひったくって、 「わたしだったらどうでしょう。すぐおじさんとけんかして出てしまいますわ。それはわたし、おじさんを偉い方だとは思っていますが、わたしこんなに生まれついたんですからどうしようもありませんわ。一から十までおっしゃる事をはいはいと聞いていられませんわ。おじさんもあんまりでいらっしゃいますのね。あなたみたいな方に、そう笠にかからずとも、わたしでもお相手になさればいいのに……でもあなたがいらっしゃればこそおじさんもああやってお仕事がおできになるんですのね。わたしだけは除け物ですけれども、世の中はなかなかよくいっていますわ。……あ、それでもわたしはもう見放されてしまったんですものね、いう事はありゃしません。ほんとうにあなたがいらっしゃるのでおじさんはお仕合わせですわ。あなたは辛抱なさる方。おじさんはわがままでお通しになる方。もっともおじさんにはそれが神様の思し召しなんでしょうけれどもね。……わたしも神様の思し召しかなんかでわがままで通す女なんですからおじさんとはどうしても茶碗と茶碗ですわ。それでも男はようござんすのね、わがままが通るんですもの。女のわがままは通すよりしかたがないんですからほんとうに情けなくなりますのね。何も前世の約束なんでしょうよ……」  内田の細君は自分よりはるか年下の葉子の言葉をしみじみと聞いているらしかった。葉子は葉子でしみじみと細君の身なりを見ないではいられなかった。一昨日あたり結ったままの束髪だった。癖のない濃い髪には薪の灰らしい灰がたかっていた。糊気のぬけきった単衣も物さびしかった。その柄の細かい所には里の母の着古しというような香いがした。由緒ある京都の士族に生まれたその人の皮膚は美しかった。それがなおさらその人をあわれにして見せた。 「他人の事なぞ考えていられやしない」しばらくすると葉子は捨てばちにこんな事を思った。そして急にはずんだ調子になって、 「わたしあすアメリカに発ちますの、ひとりで」  と突拍子もなくいった。あまりの不意に細君は目を見張って顔をあげた。 「まあほんとうに」 「はあほんとうに……しかも木村の所に行くようになりましたの。木村、御存じでしょう」  細君がうなずいてなお仔細を聞こうとすると、葉子は事もなげにさえぎって、 「だからきょうはお暇乞いのつもりでしたの。それでもそんな事はどうでもようございますわ。おじさんがお帰りになったらよろしくおっしゃってくださいまし、葉子はどんな人間になり下がるかもしれませんって……あなたどうぞおからだをお大事に。太郎さんはまだ学校でございますか。大きくおなりでしょうね。なんぞ持って上がればよかったのに、用がこんなものですから」  といいながら両手で大きな輪を作って見せて、若々しくほほえみながら立ち上がった。  玄関に送って出た細君の目には涙がたまっていた。それを見ると、人はよく無意味な涙を流すものだと葉子は思った。けれどもあの涙も内田が無理無体にしぼり出させるようなものだと思い直すと、心臓の鼓動が止まるほど葉子の心はかっとなった。そして口びるを震わしながら、 「もう一言おじさんにおっしゃってくださいまし、七度を七十倍はなさらずとも、せめて三度ぐらいは人の尤も許して上げてくださいましって。……もっともこれは、あなたのおために申しますの。わたしはだれにあやまっていただくのもいやですし、だれにあやまるのもいやな性分なんですから、おじさんに許していただこうとは頭から思ってなどいはしませんの。それもついでにおっしゃってくださいまし」  口のはたに戯談らしく微笑を見せながら、そういっているうちに、大濤がどすんどすんと横隔膜につきあたるような心地がして、鼻血でも出そうに鼻の孔がふさがった。門を出る時も口びるはなおくやしそうに震えていた。日は植物園の森の上に舂いて、暮れがた近い空気の中に、けさから吹き出していた風はなぎた。葉子は今の心と、けさ早く風の吹き始めたころに、土蔵わきの小部屋で荷造りをした時の心とをくらべて見て、自分ながら同じ心とは思い得なかった。そして門を出て左に曲がろうとしてふと道ばたの捨て石にけつまずいて、はっと目がさめたようにあたりを見回した。やはり二十五の葉子である。いゝえ昔たしかに一度けつまずいた事があった。そう思って葉子は迷信家のようにもう一度振り返って捨て石を見た。その時に日は……やはり植物園の森のあのへんにあった。そして道の暗さもこのくらいだった。自分はその時、内田の奥さんに内田の悪口をいって、ペテロとキリストとの間に取りかわされた寛恕に対する問答を例に引いた。いゝえ、それはきょうした事だった。きょう意味のない涙を奥さんがこぼしたように、その時も奥さんは意味のない涙をこぼした。その時にも自分は二十五……そんな事はない。そんな事のあろうはずがない……変な……。それにしてもあの捨て石には覚えがある。あれは昔からあすこにちゃんとあった。こう思い続けて来ると、葉子は、いつか母と遊びに来た時、何か怒ってその捨て石にかじり付いて動かなかった事をまざまざと心に浮かべた。その時は大きな石だと思っていたのにこれんぼっちの石なのか。母が当惑して立った姿がはっきり目先に現われた。と思うとやがてその輪郭が輝き出して、目も向けられないほど耀いたが、すっと惜しげもなく消えてしまって、葉子は自分のからだが中有からどっしり大地におり立ったような感じを受けた。同時に鼻血がどくどく口から顎を伝って胸の合わせ目をよごした。驚いてハンケチを袂から探り出そうとした時、 「どうかなさいましたか」  という声に驚かされて、葉子は始めて自分のあとに人力車がついて来ていたのに気が付いた。見ると捨て石のある所はもう八九町後ろになっていた。 「鼻血なの」  と応えながら葉子は初めてのようにあたりを見た。そこには紺暖簾を所せまくかけ渡した紙屋の小店があった。葉子は取りあえずそこにはいって、人目を避けながら顔を洗わしてもらおうとした。  四十格好の克明らしい内儀さんがわが事のように金盥に水を移して持って来てくれた。葉子はそれで白粉気のない顔を思う存分に冷やした。そして少し人心地がついたので、帯の間から懐中鏡を取り出して顔を直そうとすると、鏡がいつのまにかま二つに破れていた。先刻けつまずいた拍子に破れたのかしらんと思ってみたが、それくらいで破れるはずはない。怒りに任せて胸がかっとなった時、破れたのだろうか。なんだかそうらしくも思えた。それともあすの船出の不吉を告げる何かの業かもしれない。木村との行く末の破滅を知らせる悪い辻占かもしれない。またそう思うと葉子は襟元に凍った針でも刺されるように、ぞくぞくとわけのわからない身ぶるいをした。いったい自分はどうなって行くのだろう。葉子はこれまでの見窮められない不思議な自分の運命を思うにつけ、これから先の運命が空恐ろしく心に描かれた。葉子は不安な悒鬱な目つきをして店を見回した。帳場にすわり込んだ内儀さんの膝にもたれて、七つほどの少女が、じっと葉子の目を迎えて葉子を見つめていた。やせぎすで、痛々しいほど目の大きな、そのくせ黒目の小さな、青白い顔が、薄暗い店の奥から、香料や石鹸の香につつまれて、ぼんやり浮き出たように見えるのが、何か鏡の破れたのと縁でもあるらしくながめられた。葉子の心は全くふだんの落ち付きを失ってしまったようにわくわくして、立ってもすわってもいられないようになった。ばかなと思いながらこわいものにでも追いすがられるようだった。  しばらくの間葉子はこの奇怪な心の動揺のために店を立ち去る事もしないでたたずんでいたが、ふとどうにでもなれという捨てばちな気になって元気を取り直しながら、いくらかの礼をしてそこを出た。出るには出たが、もう車に乗る気にもなれなかった。これから定子に会いに行ってよそながら別れを惜しもうと思っていたその心組みさえ物憂かった。定子に会ったところがどうなるものか。自分の事すら次の瞬間には取りとめもないものを、他人の事――それはよし自分の血を分けた大切な独子であろうとも――などを考えるだけがばかな事だと思った。そしてもう一度そこの店から巻紙を買って、硯箱を借りて、男恥ずかしい筆跡で、出発前にもう一度乳母を訪れるつもりだったが、それができなくなったから、この後とも定子をよろしく頼む。当座の費用として金を少し送っておくという意味を簡単にしたためて、永田から送ってよこした為替の金を封入して、その店を出た。そしていきなりそこに待ち合わしていた人力車の上の膝掛けをはぐって、蹴込みに打ち付けてある鑑札にしっかり目を通しておいて、 「わたしはこれから歩いて行くから、この手紙をここへ届けておくれ、返事はいらないのだから……お金ですよ、少しどっさりあるから大事にしてね」  と車夫にいいつけた。車夫はろくに見知りもないものに大金を渡して平気でいる女の顔を今さらのようにきょときょとと見やりながら空俥を引いて立ち去った。大八車が続けさまに田舎に向いて帰って行く小石川の夕暮れの中を、葉子は傘を杖にしながら思いにふけって歩いて行った。  こもった哀愁が、発しない酒のように、葉子のこめかみをちかちかと痛めた。葉子は人力車の行くえを見失っていた。そして自分ではまっすぐに釘店のほうに急ぐつもりでいた。ところが実際は目に見えぬ力で人力車に結び付けられでもしたように、知らず知らず人力車の通ったとおりの道を歩いて、はっと気がついた時にはいつのまにか、乳母が住む下谷池の端の或る曲がり角に来て立っていた。  そこで葉子はぎょっとして立ちどまってしまった。短くなりまさった日は本郷の高台に隠れて、往来には厨の煙とも夕靄ともつかぬ薄い霧がただよって、街頭のランプの灯がことに赤くちらほらちらほらとともっていた。通り慣れたこの界隈の空気は特別な親しみをもって葉子の皮膚をなでた。心よりも肉体のほうがよけいに定子のいる所にひき付けられるようにさえ思えた。葉子の口びるは暖かい桃の皮のような定子の頬の膚ざわりにあこがれた。葉子の手はもうめれんすの弾力のある軟らかい触感を感じていた。葉子の膝はふうわりとした軽い重みを覚えていた。耳には子供のアクセントが焼き付いた。目には、曲がり角の朽ちかかった黒板塀を透して、木部から稟けた笑窪のできる笑顔が否応なしに吸い付いて来た。……乳房はくすむったかった。葉子は思わず片頬に微笑を浮かべてあたりをぬすむように見回した。とちょうどそこを通りかかった内儀さんが、何かを前掛けの下に隠しながらじっと葉子の立ち姿を振り返ってまで見て通るのに気がついた。  葉子は悪事でも働いていた人のように、急に笑顔を引っ込めてしまった。そしてこそこそとそこを立ちのいて不忍の池に出た。そして過去も未来も持たない人のように、池の端につくねんと突っ立ったまま、池の中の蓮の実の一つに目を定めて、身動きもせずに小半時立ち尽くしていた。 八  日の光がとっぷりと隠れてしまって、往来の灯ばかりが足もとのたよりとなるころ、葉子は熱病患者のように濁りきった頭をもてあまして、車に揺られるたびごとに眉を痛々しくしかめながら、釘店に帰って来た。  玄関にはいろいろの足駄や靴がならべてあったが、流行を作ろう、少なくとも流行に遅れまいというはなやかな心を誇るらしい履物といっては一つも見当たらなかった。自分の草履を始末しながら、葉子はすぐに二階の客間の模様を想像して、自分のために親戚や知人が寄って別れを惜しむというその席に顔を出すのが、自分自身をばかにしきったことのようにしか思われなかった。こんなくらいなら定子の所にでもいるほうがよほどましだった。こんな事のあるはずだったのをどうしてまた忘れていたものだろう。どこにいるのもいやだ。木部の家を出て、二度とは帰るまいと決心した時のような心持ちで、拾いかけた草履をたたきに戻そうとしたその途端に、 「ねえさんもういや……いや」  といいながら、身を震わしてやにわに胸に抱きついて来て、乳の間のくぼみに顔を埋めながら、成人のするような泣きじゃくりをして、 「もう行っちゃいやですというのに」  とからく言葉を続けたのは貞世だった。葉子は石のように立ちすくんでしまった。貞世は朝からふきげんになってだれのいう事も耳には入れずに、自分の帰るのばかりを待ちこがれていたに違いないのだ。葉子は機械的に貞世に引っぱられて階子段をのぼって行った。  階子段をのぼりきって見ると客間はしんとしていて、五十川女史の祈祷の声だけがおごそかに聞こえていた。葉子と貞世とは恋人のように抱き合いながら、アーメンという声の一座の人々からあげられるのを待って室にはいった。列座の人々はまだ殊勝らしく頭をうなだれている中に、正座近くすえられた古藤だけは昂然と目を見開いて、襖をあけて葉子がしとやかにはいって来るのを見まもっていた。  葉子は古藤にちょっと目で挨拶をして置いて、貞世を抱いたまま末座に膝をついて、一同に遅刻のわびをしようとしていると、主人座にすわり込んでいる叔父が、わが子でもたしなめるように威儀を作って、 「なんたらおそい事じゃ。きょうはお前の送別会じゃぞい。……皆さんにいこうお待たせするがすまんから、今五十川さんに祈祷をお頼み申して、箸を取っていただこうと思ったところであった……いったいどこを……」  面と向かっては、葉子に口小言一ついいきらぬ器量なしの叔父が、場所もおりもあろうにこんな場合に見せびらかしをしようとする。葉子はそっちに見向きもせず、叔父の言葉を全く無視した態度で急に晴れやかな色を顔に浮かべながら、 「ようこそ皆様……おそくなりまして。つい行かなければならない所が二つ三つありましたもんですから……」  とだれにともなくいっておいて、するすると立ち上がって、釘店の往来に向いた大きな窓を後ろにした自分の席に着いて、妹の愛子と自分との間に割り込んで来る貞世の頭をなでながら、自分の上にばかり注がれる満座の視線を小うるさそうに払いのけた。そして片方の手でだいぶ乱れた鬢のほつれをかき上げて、葉子の視線は人もなげに古藤のほうに走った。 「しばらくでしたのね……とうとう明朝になりましてよ。木村に持って行くものは、一緒にお持ちになって?……そう」  と軽い調子でいったので、五十川女史と叔父とが切り出そうとした言葉は、物のみごとにさえぎられてしまった。葉子は古藤にそれだけの事をいうと、今度は当の敵ともいうべき五十川女史に振り向いて、 「おばさま、きょう途中でそれはおかしな事がありましたのよ。こうなんですの」  といいながら男女をあわせて八人ほど居ならんだ親類たちにずっと目を配って、 「車で駆け通ったんですから前も後もよくはわからないんですけれども、大時計のかどの所を広小路に出ようとしたら、そのかどにたいへんな人だかりですの。なんだと思って見てみますとね、禁酒会の大道演説で、大きな旗が二三本立っていて、急ごしらえのテーブルに突っ立って、夢中になって演説している人があるんですの。それだけなら何も別に珍しいという事はないんですけれども、その演説をしている人が……だれだとお思いになって……山脇さんですの」  一同の顔には思わず知らず驚きの色が現われて、葉子の言葉に耳をそばだてていた。先刻しかつめらしい顔をした叔父はもう白痴のように口をあけたままで薄笑いをもらしながら葉子を見つめていた。 「それがまたね、いつものとおりに金時のように首筋までまっ赤ですの。『諸君』とかなんとかいって大手を振り立ててしゃべっているのを、肝心の禁酒会員たちはあっけに取られて、黙ったまま引きさがって見ているんですから、見物人がわいわいとおもしろがってたかっているのも全くもっともですわ。そのうちに、あ、叔父さん、箸をおつけになるように皆様におっしゃってくださいまし」  叔父があわてて口の締まりをして仏頂面に立ち返って、何かいおうとすると、葉子はまたそれには頓着なく五十川女史のほうに向いて、 「あの肩の凝りはすっかりおなおりになりまして」  といったので、五十川女史の答えようとする言葉と、叔父のいい出そうとする言葉は気まずくも鉢合わせになって、二人は所在なげに黙ってしまった。座敷は、底のほうに気持ちの悪い暗流を潜めながら造り笑いをし合っているような不快な気分に満たされた。葉子は「さあ来い」と胸の中で身構えをしていた。五十川女史のそばにすわって、神経質らしく眉をきらめかす中老の官吏は、射るようないまいましげな眼光を時々葉子に浴びせかけていたが、いたたまれない様子でちょっと居ずまいをなおすと、ぎくしゃくした調子で口をきった。 「葉子さん、あなたもいよいよ身のかたまる瀬戸ぎわまでこぎ付けたんだが……」  葉子はすきを見せたら切り返すからといわんばかりな緊張した、同時に物を物ともしないふうでその男の目を迎えた。 「何しろわたしども早月家の親類に取ってはこんなめでたい事はまずない。無いには無いがこれからがあなたに頼み所だ。どうぞ一つわたしどもの顔を立てて、今度こそは立派な奥さんになっておもらいしたいがいかがです。木村君はわたしもよく知っとるが、信仰も堅いし、仕事も珍しくはきはきできるし、若いに似合わぬ物のわかった仁だ。こんなことまで比較に持ち出すのはどうか知らないが、木部氏のような実行力の伴わない夢想家は、わたしなどは初めから不賛成だった。今度のはじたい段が違う。葉子さんが木部氏の所から逃げ帰って来た時には、わたしもけしからんといった実は一人だが、今になって見ると葉子さんはさすがに目が高かった。出て来ておいて誠によかった。いまに見なさい木村という仁なりゃ、立派に成功して、第一流の実業家に成り上がるにきまっている。これからはなんといっても信用と金だ。官界に出ないのなら、どうしても実業界に行かなければうそだ。擲身報国は官吏たるものの一特権だが、木村さんのようなまじめな信者にしこたま金を造ってもらわんじゃ、神の道を日本に伝え広げるにしてからが容易な事じゃありませんよ。あなたも小さい時から米国に渡って新聞記者の修業をすると口ぐせのように妙な事をいったもんだが(ここで一座の人はなんの意味もなく高く笑った。おそらくはあまりしかつめらしい空気を打ち破って、なんとかそこに余裕をつけるつもりが、みんなに起こったのだろうけれども、葉子にとってはそれがそうは響かなかった。その心持ちはわかっても、そんな事で葉子の心をはぐらかそうとする彼らの浅はかさがぐっと癪にさわった)新聞記者はともかくも……じゃない、そんなものになられては困りきるが(ここで一座はまたわけもなくばからしく笑った)米国行きの願いはたしかにかなったのだ。葉子さんも御満足に違いなかろう。あとの事はわたしどもがたしかに引き受けたから心配は無用にして、身をしめて妹さん方のしめしにもなるほどの奮発を頼みます……えゝと、財産のほうの処分はわたしと田中さんとで間違いなく固めるし、愛子さんと貞世さんのお世話は、五十川さん、あなたにお願いしようじゃありませんか、御迷惑ですが。いかがでしょう皆さん(そういって彼は一座を見渡した。あらかじめ申し合わせができていたらしく一同は待ち設けたようにうなずいて見せた)どうじゃろう葉子さん」  葉子は乞食の嘆願を聞く女王のような心持ちで、○○局長といわれるこの男のいう事を聞いていたが、財産の事などはどうでもいいとして、妹たちの事が話題に上るとともに、五十川女史を向こうに回して詰問のような対話を始めた。なんといっても五十川女史はその晩そこに集まった人々の中ではいちばん年配でもあったし、いちばんはばかられているのを葉子は知っていた。五十川女史が四角を思い出させるような頑丈な骨組みで、がっしりと正座に居直って、葉子を子供あしらいにしようとするのを見て取ると、葉子の心は逸り熱した。 「いゝえ、わがままだとばかりお思いになっては困ります。わたしは御承知のような生まれでございますし、これまでもたびたび御心配かけて来ておりますから、人様同様に見ていただこうとはこれっぱかりも思ってはおりません」  といって葉子は指の間になぶっていた楊枝を老女史の前にふいと投げた。 「しかし愛子も貞世も妹でございます。現在わたしの妹でございます。口幅ったいと思し召すかもしれませんが、この二人だけはわたしたとい米国におりましても立派に手塩にかけて御覧にいれますから、どうかお構いなさらずにくださいまし。それは赤坂学院も立派な学校には違いございますまい。現在私もおばさまのお世話であすこで育てていただいたのですから、悪くは申したくはございませんが、わたしのような人間が、皆様のお気に入らないとすれば……それは生まれつきもございましょうとも、ございましょうけれども、わたしを育て上げたのはあの学校でございますからねえ。何しろ現在いて見た上で、わたしこの二人をあすこに入れる気にはなれません。女というものをあの学校ではいったいなんと見ているのでござんすかしらん……」  こういっているうちに葉子の心には火のような回想の憤怒が燃え上がった。葉子はその学校の寄宿舎で一個の中性動物として取り扱われたのを忘れる事ができない。やさしく、愛らしく、しおらしく、生まれたままの美しい好意と欲念との命ずるままに、おぼろげながら神というものを恋しかけた十二三歳ごろの葉子に、学校は祈祷と、節欲と、殺情とを強制的にたたき込もうとした。十四の夏が秋に移ろうとしたころ、葉子はふと思い立って、美しい四寸幅ほどの角帯のようなものを絹糸で編みはじめた。藍の地に白で十字架と日月とをあしらった模様だった。物事にふけりやすい葉子は身も魂も打ち込んでその仕事に夢中になった。それを造り上げた上でどうして神様の御手に届けよう、というような事はもとより考えもせずに、早く造り上げてお喜ばせ申そうとのみあせって、しまいには夜の目もろくろく合わさなくなった。二週間に余る苦心の末にそれはあらかたでき上がった。藍の地に簡単に白で模様を抜くだけならさしたる事でもないが、葉子は他人のまだしなかった試みを加えようとして、模様の周囲に藍と白とを組み合わせにした小さな笹縁のようなものを浮き上げて編み込んだり、ひどく伸び縮みがして模様が歪形にならないように、目立たないようにカタン糸を編み込んで見たりした。出来上がりが近づくと葉子は片時も編み針を休めてはいられなかった。ある時聖書の講義の講座でそっと机の下で仕事を続けていると、運悪くも教師に見つけられた。教師はしきりにその用途を問いただしたが、恥じやすい乙女心にどうしてこの夢よりもはかない目論見を白状する事ができよう。教師はその帯の色合いから推して、それは男向きの品物に違いないと決めてしまった。そして葉子の心は早熟の恋を追うものだと断定した。そして恋というものを生来知らぬげな四十五六の醜い容貌の舎監は、葉子を監禁同様にして置いて、暇さえあればその帯の持ち主たるべき人の名を迫り問うた。  葉子はふと心の目を開いた。そしてその心はそれ以来峰から峰を飛んだ。十五の春には葉子はもう十も年上な立派な恋人を持っていた。葉子はその青年を思うさま翻弄した。青年はまもなく自殺同様な死に方をした。一度生血の味をしめた虎の子のような渇欲が葉子の心を打ちのめすようになったのはそれからの事である。 「古藤さん愛と貞とはあなたに願いますわ。だれがどんな事をいおうと、赤坂学院には入れないでくださいまし。私きのう田島さんの塾に行って、田島さんにお会い申してよくお頼みして来ましたから、少し片付いたらはばかりさまですがあなた御自身で二人を連れていらしってください。愛さんも貞ちゃんもわかりましたろう。田島さんの塾にはいるとね、ねえさんと一緒にいた時のようなわけには行きませんよ……」 「ねえさんてば……自分でばかり物をおっしゃって」  といきなり恨めしそうに、貞世は姉の膝をゆすりながらその言葉をさえぎった。 「さっきからなんど書いたかわからないのに平気でほんとにひどいわ」  一座の人々から妙な子だというふうにながめられているのにも頓着なく、貞世は姉のほうに向いて膝の上にしなだれかかりながら、姉の左手を長い袖の下に入れて、その手のひらに食指で仮名を一字ずつ書いて手のひらで拭き消すようにした。葉子は黙って、書いては消し書いては消しする字をたどって見ると、 「ネーサマハイイコダカラ『アメリカ』ニイツテハイケマセンヨヨヨヨ」  と読まれた。葉子の胸はわれ知らず熱くなったが、しいて笑いにまぎらしながら、 「まあ聞きわけのない子だこと、しかたがない。今になってそんな事をいったってしかたがないじゃないの」  とたしなめ諭すようにいうと、 「しかたがあるわ」  と貞世は大きな目で姉を見上げながら、 「お嫁に行かなければよろしいじゃないの」  といって、くるりと首を回して一同を見渡した。貞世のかわいい目は「そうでしょう」と訴えているように見えた。それを見ると一同はただなんという事もなく思いやりのない笑いかたをした。叔父はことに大きなとんきょな声で高々と笑った。先刻から黙ったままでうつむいてさびしくすわっていた愛子は、沈んだ恨めしそうな目でじっと叔父をにらめたと思うと、たちまちわくように涙をほろほろと流して、それを両袖でぬぐいもやらず立ち上がってその部屋をかけ出した。階子段の所でちょうど下から上がって来た叔母と行きあったけはいがして、二人が何かいい争うらしい声が聞こえて来た。  一座はまた白け渡った。 「叔父さんにも申し上げておきます」  と沈黙を破った葉子の声が妙に殺気を帯びて響いた。 「これまで何かとお世話様になってありがとうこざいましたけれども、この家もたたんでしまう事になれば、妹たちも今申したとおり塾に入れてしまいますし、この後はこれといって大して御厄介はかけないつもりでございます。赤の他人の古藤さんにこんな事を願ってはほんとうにすみませんけれども、木村の親友でいらっしゃるのですから、近い他人ですわね。古藤さん、あなた貧乏籤を背負い込んだと思し召して、どうか二人を見てやってくださいましな。いいでしょう。こう親類の前ではっきり申しておきますから、ちっとも御遠慮なさらずに、いいとお思いになったようになさってくださいまし。あちらへ着いたらわたしまたきっとどうともいたしますから。きっとそんなに長い間御迷惑はかけませんから。いかが、引き受けてくださいまして?」  古藤は少し躊躇するふうで五十川女史を見やりながら、 「あなたはさっきから赤坂学院のほうがいいとおっしゃるように伺っていますが、葉子さんのいわれるとおりにしてさしつかえないのですか。念のために伺っておきたいのですが」  と尋ねた。葉子はまたあんなよけいな事をいうと思いながらいらいらした。五十川女史は日ごろの円滑な人ずれのした調子に似ず、何かひどく激昂した様子で、 「わたしは亡くなった親佐さんのお考えはこうもあろうかと思った所を申したまでですから、それを葉子さんが悪いとおっしゃるなら、その上とやかく言いともないのですが、親佐さんは堅い昔風な信仰を持った方ですから、田島さんの塾は前からきらいでね……よろしゅうございましょう、そうなされば。わたしはとにかく赤坂学院が一番だとどこまでも思っとるだけです」  といいながら、見下げるように葉子の胸のあたりをまじまじとながめた。葉子は貞世を抱いたまましゃんと胸をそらして目の前の壁のほうに顔を向けていた、たとえばばらばらと投げられるつぶてを避けようともせずに突っ立つ人のように。  古藤は何か自分一人で合点したと思うと、堅く腕組みをしてこれも自分の前の目八分の所をじっと見つめた。  一座の気分はほとほと動きが取れなくなった。その間でいちばん早くきげんを直して相好を変えたのは五十川女史だった。子供を相手にして腹を立てた、それを年がいないとでも思ったように、気を変えてきさくに立ちじたくをしながら、 「皆さんいかが、もうお暇にいたしましたら……お別れする前にもう一度お祈りをして」 「お祈りをわたしのようなもののためになさってくださるのは御無用に願います」  葉子は和らぎかけた人々の気分にはさらに頓着なく、壁に向けていた目を貞世に落として、いつのまにか寝入ったその人の艶々しい顔をなでさすりながらきっぱりといい放った。  人々は思い思いな別れを告げて帰って行った。葉子は貞世がいつのまにか膝の上に寝てしまったのを口実にして人々を見送りには立たなかった。  最後の客が帰って行ったあとでも、叔父叔母は二階を片づけには上がってこなかった。挨拶一つしようともしなかった。葉子は窓のほうに頭を向けて、煉瓦の通りの上にぼうっと立つ灯の照り返しを見やりながら、夜風にほてった顔を冷やさせて、貞世を抱いたまま黙ってすわり続けていた。間遠に日本橋を渡る鉄道馬車の音が聞こえるばかりで、釘店の人通りは寂しいほどまばらになっていた。  姿は見せずに、どこかのすみで愛子がまだ泣き続けて鼻をかんだりする音が聞こえていた。 「愛さん……貞ちゃんが寝ましたからね、ちょっとお床を敷いてやってちょうだいな」  われながら驚くほどやさしく愛子に口をきく自分を葉子は見いだした。性が合わないというのか、気が合わないというのか、ふだん愛子の顔さえ見れば葉子の気分はくずされてしまうのだった。愛子が何事につけても猫のように従順で少しも情というものを見せないのがことさら憎かった。しかしその夜だけは不思議にもやさしい口をきいた。葉子はそれを意外に思った。愛子がいつものように素直に立ち上がって、洟をすすりながら黙って床を取っている間に、葉子はおりおり往来のほうから振り返って、愛子のしとやかな足音や、綿を薄く入れた夏ぶとんの畳に触れるささやかな音を見入りでもするようにそのほうに目を定めた。そうかと思うとまた今さらのように、食い荒らされた食物や、敷いたままになっている座ぶとんのきたならしく散らかった客間をまじまじと見渡した。父の書棚のあった部分の壁だけが四角に濃い色をしていた。そのすぐそばに西洋暦が昔のままにかけてあった。七月十六日から先ははがされずに残っていた。 「ねえさま敷けました」  しばらくしてから、愛子がこうかすかに隣でいった。葉子は、 「そう御苦労さまよ」  とまたしとやかに応えながら、貞世を抱きかかえて立ち上がろうとすると、また頭がぐらぐらッとして、おびただしい鼻血が貞世の胸の合わせ目に流れ落ちた。 九  底光りのする雲母色の雨雲が縫い目なしにどんよりと重く空いっぱいにはだかって、本牧の沖合いまで東京湾の海は物すごいような草色に、小さく波の立ち騒ぐ九月二十五日の午後であった。きのうの風が凪いでから、気温は急に夏らしい蒸し暑さに返って、横浜の市街は、疫病にかかって弱りきった労働者が、そぼふる雨の中にぐったりとあえいでいるように見えた。  靴の先で甲板をこつこつとたたいて、うつむいてそれをながめながら、帯の間に手をさし込んで、木村への伝言を古藤はひとり言のように葉子にいった。葉子はそれに耳を傾けるような様子はしていたけれども、ほんとうはさして注意もせずに、ちょうど自分の目の前に、たくさんの見送り人に囲まれて、応接に暇もなげな田川法学博士の目じりの下がった顔と、その夫人のやせぎすな肩との描く微細な感情の表現を、批評家のような心で鋭くながめやっていた。かなり広いプロメネード・デッキは田川家の家族と見送り人とで縁日のようににぎわっていた。葉子の見送りに来たはずの五十川女史は先刻から田川夫人のそばに付ききって、世話好きな、人のよい叔母さんというような態度で、見送り人の半分がたを自身で引き受けて挨拶していた。葉子のほうへは見向こうとする模様もなかった。葉子の叔母は葉子から二三間離れた所に、蜘蛛のような白痴の子を小婢に背負わして、自分は葉子から預かった手鞄と袱紗包みとを取り落とさんばかりにぶら下げたまま、花々しい田川家の家族や見送り人の群れを見てあっけに取られていた。葉子の乳母は、どんな大きな船でも船は船だというようにひどく臆病そうな青い顔つきをして、サルンの入り口の戸の陰にたたずみながら、四角にたたんだ手ぬぐいをまっ赤になった目の所に絶えず押しあてては、ぬすみ見るように葉子を見やっていた。その他の人々はじみな一団になって、田川家の威光に圧せられたようにすみのほうにかたまっていた。  葉子はかねて五十川女史から、田川夫婦が同船するから船の中で紹介してやるといい聞かせられていた。田川といえば、法曹界ではかなり名の聞こえた割合に、どこといって取りとめた特色もない政客ではあるが、その人の名はむしろ夫人のうわさのために世人の記憶にあざやかであった。感受力の鋭敏なそしてなんらかの意味で自分の敵に回さなければならない人に対してことに注意深い葉子の頭には、その夫人の面影は長い事宿題として考えられていた。葉子の頭に描かれた夫人は我の強い、情の恣ままな、野心の深い割合に手練の露骨な、良人を軽く見てややともすると笠にかかりながら、それでいて良人から独立する事の到底できない、いわば心の弱い強がり家ではないかしらんというのだった。葉子は今後ろ向きになった田川夫人の肩の様子を一目見たばかりで、辞書でも繰り当てたように、自分の想像の裏書きをされたのを胸の中でほほえまずにはいられなかった。 「なんだか話が混雑したようだけれども、それだけいって置いてください」  ふと葉子は幻想から破れて、古藤のいうこれだけの言葉を捕えた。そして今まで古藤の口から出た伝言の文句はたいてい聞きもらしていたくせに、空々しげにもなくしんみりとした様子で、 「確かに……けれどもあなたあとから手紙ででも詳しく書いてやってくださいましね。間違いでもしているとたいへんですから」  と古藤をのぞき込むようにしていった。古藤は思わず笑いをもらしながら、「間違うとたいへんですから」という言葉を、時おり葉子の口から聞くチャームに満ちた子供らしい言葉の一つとでも思っているらしかった。そして、 「何、間違ったって大事はないけれども……だが手紙は書いて、あなたの寝床の枕の下に置いときましたから、部屋に行ったらどこにでもしまっておいてください。それから、それと一緒にもう一つ……」  といいかけたが、 「何しろ忘れずに枕の下を見てください」  この時突然「田川法学博士万歳」という大きな声が、桟橋からデッキまでどよみ渡って聞こえて来た。葉子と古藤とは話の腰を折られて互いに不快な顔をしながら、手欄から下のほうをのぞいて見ると、すぐ目の下に、そのころ人の少し集まる所にはどこにでも顔を出す轟という剣舞の師匠だか撃剣の師匠だかする頑丈な男が、大きな五つ紋の黒羽織に白っぽい鰹魚縞の袴をはいて、桟橋の板を朴の木下駄で踏み鳴らしながら、ここを先途とわめいていた。その声に応じて、デッキまではのぼって来ない壮士体の政客や某私立政治学校の生徒が一斉に万歳を繰り返した。デッキの上の外国船客は物珍しさにいち早く、葉子がよりかかっている手欄のほうに押し寄せて来たので、葉子は古藤を促して、急いで手欄の折れ曲がったかどに身を引いた。田川夫婦もほほえみながら、サルンから挨拶のために近づいて来た。葉子はそれを見ると、古藤のそばに寄り添ったまま、左手をやさしく上げて、鬢のほつれをかき上げながら、頭を心持ち左にかしげてじっと田川の目を見やった。田川は桟橋のほうに気を取られて急ぎ足で手欄のほうに歩いていたが、突然見えぬ力にぐっと引きつけられたように、葉子のほうに振り向いた。  田川夫人も思わず良人の向くほうに頭を向けた。田川の威厳に乏しい目にも鋭い光がきらめいては消え、さらにきらめいて消えたのを見すまして、葉子は始めて田川夫人の目を迎えた。額の狭い、顎の固い夫人の顔は、軽蔑と猜疑の色をみなぎらして葉子に向かった。葉子は、名前だけをかねてから聞き知って慕っていた人を、今目の前に見たように、うやうやしさと親しみとの交じり合った表情でこれに応じた。そしてすぐそのばから、夫人の前にも頓着なく、誘惑のひとみを凝らしてその良人の横顔をじっと見やるのだった。 「田川法学博士夫人万歳」「万歳」「万歳」  田川その人に対してよりもさらに声高な大歓呼が、桟橋にいて傘を振り帽子を動かす人々の群れから起こった。田川夫人は忙しく葉子から目を移して、群集に取っときの笑顔を見せながら、レースで笹縁を取ったハンケチを振らねばならなかった。田川のすぐそばに立って、胸に何か赤い花をさして型のいいフロック・コートを着て、ほほえんでいた風流な若紳士は、桟橋の歓呼を引き取って、田川夫人の面前で帽子を高くあげて万歳を叫んだ。デッキの上はまた一しきりどよめき渡った。  やがて甲板の上は、こんな騒ぎのほかになんとなく忙しくなって来た。事務員や水夫たちが、物せわしそうに人中を縫うてあちこちする間に、手を取り合わんばかりに近よって別れを惜しむ人々の群れがここにもかしこにも見え始めた。サルン・デッキから見ると、三等客の見送り人がボーイ長にせき立てられて、続々舷門から降り始めた。それと入れ代わりに、帽子、上着、ズボン、ネクタイ、靴などの調和の少しも取れていないくせに、むやみに気取った洋装をした非番の下級船員たちが、ぬれた傘を光らしながら駆けこんで来た。その騒ぎの間に、一種生臭いような暖かい蒸気が甲板の人を取り巻いて、フォクスルのほうで、今までやかましく荷物をまき上げていた扛重機の音が突然やむと、かーんとするほど人々の耳はかえって遠くなった。隔たった所から互いに呼びかわす水夫らの高い声は、この船にどんな大危険でも起こったかと思わせるような不安をまき散らした。親しい間の人たちは別れの切なさに心がわくわくしてろくに口もきかず、義理一ぺんの見送り人は、ややともするとまわりに気が取られて見送るべき人を見失う。そんなあわただしい抜錨の間ぎわになった。葉子の前にも、急にいろいろな人が寄り集まって来て、思い思いに別れの言葉を残して船を降り始めた。葉子はこんな混雑な間にも田川のひとみが時々自分に向けられるのを意識して、そのひとみを驚かすようななまめいたポーズや、たよりなげな表情を見せるのを忘れないで、言葉少なにそれらの人に挨拶した。叔父と叔母とは墓の穴まで無事に棺を運んだ人夫のように、通り一ぺんの事をいうと、預かり物を葉子に渡して、手の塵をはたかんばかりにすげなく、まっ先に舷梯を降りて行った。葉子はちらっと叔母の後ろ姿を見送って驚いた。今の今までどことて似通う所の見えなかった叔母も、その姉なる葉子の母の着物を帯まで借りて着込んでいるのを見ると、はっと思うほどその姉にそっくりだった。葉子はなんという事なしにいやな心持ちがした。そしてこんな緊張した場合にこんなちょっとした事にまでこだわる自分を妙に思った。そう思う間もあらせず、今度は親類の人たちが五六人ずつ、口々に小やかましく何かいって、あわれむような妬むような目つきを投げ与えながら、幻影のように葉子の目と記憶とから消えて行った。丸髷に結ったり教師らしい地味な束髪に上げたりしている四人の学校友だちも、今は葉子とはかけ隔たった境界の言葉づかいをして、昔葉子に誓った言葉などは忘れてしまった裏切り者の空々しい涙を見せたりして、雨にぬらすまいと袂を大事にかばいながら、傘にかくれてこれも舷梯を消えて行ってしまった。最後に物おじする様子の乳母が葉子の前に来て腰をかがめた。葉子はとうとう行き詰まる所まで来たような思いをしながら、振り返って古藤を見ると、古藤は依然として手欄に身を寄せたまま、気抜けでもしたように、目を据えて自分の二三間先をぼんやりながめていた。 「義一さん、船の出るのも間が無さそうですからどうか此女……わたしの乳母ですの……の手を引いておろしてやってくださいましな。すべりでもすると怖うござんすから」  と葉子にいわれて古藤は始めてわれに返った。そしてひとり言のように、 「この船で僕もアメリカに行って見たいなあ」  とのんきな事をいった。 「どうか桟橋まで見てやってくださいましね。あなたもそのうちぜひいらっしゃいましな……義一さんそれではこれでお別れ。ほんとうに、ほんとうに」  といいながら葉子はなんとなく親しみをいちばん深くこの青年に感じて、大きな目で古藤をじっと見た。古藤も今さらのように葉子をじっと見た。 「お礼の申しようもありません。この上のお願いです。どうぞ妹たちを見てやってくださいまし。あんな人たちにはどうしたって頼んではおけませんから。……さようなら」 「さようなら」  古藤は鸚鵡返しに没義道にこれだけいって、ふいと手欄を離れて、麦稈帽子を目深にかぶりながら、乳母に付き添った。  葉子は階子の上がり口まで行って二人に傘をかざしてやって、一段一段遠ざかって行く二人の姿を見送った。東京で別れを告げた愛子や貞世の姿が、雨にぬれた傘のへんを幻影となって見えたり隠れたりしたように思った。葉子は不思議な心の執着から定子にはとうとう会わないでしまった。愛子と貞世とはぜひ見送りがしたいというのを、葉子はしかりつけるようにいってとめてしまった。葉子が人力車で家を出ようとすると、なんの気なしに愛子が前髪から抜いて鬢をかこうとした櫛が、もろくもぽきりと折れた。それを見ると愛子は堪え堪えていた涙の堰を切って声を立てて泣き出した。貞世は初めから腹でも立てたように、燃えるような目からとめどなく涙を流して、じっと葉子を見つめてばかりいた。そんな痛々しい様子がその時まざまざと葉子の目の前にちらついたのだ。一人ぽっちで遠い旅に鹿島立って行く自分というものがあじきなくも思いやられた。そんな心持ちになると忙しい間にも葉子はふと田川のほうを振り向いて見た。中学校の制服を着た二人の少年と、髪をお下げにして、帯をおはさみにしめた少女とが、田川と夫人との間にからまってちょうど告別をしているところだった。付き添いの守りの女が少女を抱き上げて、田川夫人の口びるをその額に受けさしていた。葉子はそんな場面を見せつけられると、他人事ながら自分が皮肉でむちうたれるように思った。竜をも化して牝豚にするのは母となる事だ。今の今まで焼くように定子の事を思っていた葉子は、田川夫人に対してすっかり反対の事を考えた。葉子はそのいまいましい光景から目を移して舷梯のほうを見た。しかしそこにはもう乳母の姿も古藤の影もなかった。  たちまち船首のほうからけたたましい銅鑼の音が響き始めた。船の上下は最後のどよめきに揺らぐように見えた。長い綱を引きずって行く水夫が帽子の落ちそうになるのを右の手でささえながら、あたりの空気に激しい動揺を起こすほどの勢いで急いで葉子のかたわらを通りぬけた。見送り人は一斉に帽子を脱いで舷梯のほうに集まって行った。その際になって五十川女史ははたと葉子の事を思い出したらしく、田川夫人に何かいっておいて葉子のいる所にやって来た。 「いよいよお別れになったが、いつぞやお話しした田川の奥さんにおひきあわせしようからちょっと」  葉子は五十川女史の親切ぶりの犠牲になるのを承知しつつ、一種の好奇心にひかされて、そのあとについて行こうとした。葉子に初めて物をいう田川の態度も見てやりたかった。その時、 「葉子さん」  と突然いって、葉子の肩に手をかけたものがあった。振り返るとビールの酔いのにおいがむせかえるように葉子の鼻を打って、目の心まで紅くなった知らない若者の顔が、近々と鼻先にあらわれていた。はっと身を引く暇もなく、葉子の肩はびしょぬれになった酔いどれの腕でがっしりと巻かれていた。 「葉子さん、覚えていますかわたしを……あなたはわたしの命なんだ。命なんです」  といううちにも、その目からはほろほろと煮えるような涙が流れて、まだうら若いなめらかな頬を伝った。膝から下がふらつくのを葉子にすがって危うくささえながら、 「結婚をなさるんですか……おめでとう……おめでとう……だがあなたが日本にいなくなると思うと……いたたまれないほど心細いんだ……わたしは……」  もう声さえ続かなかった。そして深々と息気をひいてしゃくり上げながら、葉子の肩に顔を伏せてさめざめと男泣きに泣き出した。  この不意な出来事はさすがに葉子を驚かしもし、きまりも悪くさせた。だれだとも、いつどこであったとも思い出す由がない。木部孤笻と別れてから、何という事なしに捨てばちな心地になって、だれかれの差別もなく近寄って来る男たちに対して勝手気ままを振る舞ったその間に、偶然に出あって偶然に別れた人の中の一人でもあろうか。浅い心でもてあそんで行った心の中にこの男の心もあったであろうか。とにかく葉子には少しも思い当たる節がなかった。葉子はその男から離れたい一心に、手に持った手鞄と包み物とを甲板の上にほうりなげて、若者の手をやさしく振りほどこうとして見たが無益だった。親類や朋輩たちの事あれがしな目が等しく葉子に注がれているのを葉子は痛いほど身に感じていた。と同時に、男の涙が薄い単衣の目を透して、葉子の膚にしみこんで来るのを感じた。乱れたつやつやしい髪のにおいもつい鼻の先で葉子の心を動かそうとした。恥も外聞も忘れ果てて、大空の下ですすり泣く男の姿を見ていると、そこにはかすかな誇りのような気持ちがわいて来た。不思議な憎しみといとしさがこんがらかって葉子の心の中で渦巻いた。葉子は、 「さ、もう放してくださいまし、船が出ますから」  ときびしくいって置いて、かんで含めるように、 「だれでも生きてる間は心細く暮らすんですのよ」  とその耳もとにささやいて見た。若者はよくわかったというふうに深々とうなずいた。しかし葉子を抱く手はきびしく震えこそすれ、ゆるみそうな様子は少しも見えなかった。  物々しい銅鑼の響きは左舷から右舷に回って、また船首のほうに聞こえて行こうとしていた。船員も乗客も申し合わしたように葉子のほうを見守っていた。先刻から手持ちぶさたそうにただ立って成り行きを見ていた五十川女史は思いきって近寄って来て、若者を葉子から引き離そうとしたが、若者はむずかる子供のように地だんだを踏んでますます葉子に寄り添うばかりだった。船首のほうに群がって仕事をしながら、この様子を見守っていた水夫たちは一斉に高く笑い声を立てた。そしてその中の一人はわざと船じゅうに聞こえ渡るようなくさめをした。抜錨の時刻は一秒一秒に逼っていた。物笑いの的になっている、そう思うと葉子の心はいとしさから激しいいとわしさに変わって行った。 「さ、お放しください、さ」  ときわめて冷酷にいって、葉子は助けを求めるようにあたりを見回した。  田川博士のそばにいて何か話をしていた一人の大兵な船員がいたが、葉子の当惑しきった様子を見ると、いきなり大股に近づいて来て、 「どれ、わたしが下までお連れしましょう」  というや否や、葉子の返事も待たずに若者を事もなく抱きすくめた。若者はこの乱暴にかっとなって怒り狂ったが、その船員は小さな荷物でも扱うように、若者の胴のあたりを右わきにかいこんで、やすやすと舷梯を降りて行った。五十川女史はあたふたと葉子に挨拶もせずにそのあとに続いた。しばらくすると若者は桟橋の群集の間に船員の手からおろされた。  けたたましい汽笛が突然鳴りはためいた。田川夫妻の見送り人たちはこの声で活を入れられたようになって、どよめき渡りながら、田川夫妻の万歳をもう一度繰り返した。若者を桟橋に連れて行った、かの巨大な船員は、大きな体躯を猿のように軽くもてあつかって、音も立てずに桟橋からずしずしと離れて行く船の上にただ一条の綱を伝って上がって来た。人々はまたその早業に驚いて目を見張った。  葉子の目は怒気を含んで手欄からしばらくの間かの若者を見据えていた。若者は狂気のように両手を広げて船に駆け寄ろうとするのを、近所に居合わせた三四人の人があわてて引き留める、それをまたすり抜けようとして組み伏せられてしまった。若者は組み伏せられたまま左の腕を口にあてがって思いきりかみしばりながら泣き沈んだ。その牛のうめき声のような泣き声が気疎く船の上まで聞こえて来た。見送り人は思わず鳴りを静めてこの狂暴な若者に目を注いだ。葉子も葉子で、姿も隠さず手欄に片手をかけたまま突っ立って、同じくこの若者を見据えていた。といって葉子はその若者の上ばかりを思っているのではなかった。自分でも不思議だと思うような、うつろな余裕がそこにはあった。古藤が若者のほうには目もくれずにじっと足もとを見つめているのにも気が付いていた。死んだ姉の晴れ着を借り着していい心地になっているような叔母の姿も目に映っていた。船のほうに後ろを向けて(おそらくそれは悲しみからばかりではなかったろう。その若者の挙動が老いた心をひしいだに違いない)手ぬぐいをしっかりと両眼にあてている乳母も見のがしてはいなかった。  いつのまに動いたともなく船は桟橋から遠ざかっていた。人の群れが黒蟻のように集まったそこの光景は、葉子の目の前にひらけて行く大きな港の景色の中景になるまでに小さくなって行った。葉子の目は葉子自身にも疑われるような事をしていた。その目は小さくなった人影の中から乳母の姿を探り出そうとせず、一種のなつかしみを持つ横浜の市街を見納めにながめようとせず、凝然として小さくうずくまる若者ののらしい黒点を見つめていた。若者の叫ぶ声が、桟橋の上で打ち振るハンケチの時々ぎらぎらと光るごとに、葉子の頭の上に張り渡された雨よけの帆布の端から余滴がぽつりぽつりと葉子の顔を打つたびに、断続して聞こえて来るように思われた。 「葉子さん、あなたは私を見殺しにするんですか……見殺しにするん……」 一〇  始めての旅客も物慣れた旅客も、抜錨したばかりの船の甲板に立っては、落ち付いた心でいる事ができないようだった。跡始末のために忙しく右往左往する船員の邪魔になりながら、何がなしの興奮にじっとしてはいられないような顔つきをして、乗客は一人残らず甲板に集まって、今まで自分たちがそば近く見ていた桟橋のほうに目を向けていた。葉子もその様子だけでいうと、他の乗客と同じように見えた。葉子は他の乗客と同じように手欄によりかかって、静かな春雨のように降っている雨のしずくに顔をなぶらせながら、波止場のほうをながめていたが、けれどもそのひとみにはなんにも映ってはいなかった。その代わり目と脳との間と覚しいあたりを、親しい人や疎い人が、何かわけもなくせわしそうに現われ出て、銘々いちばん深い印象を与えるような動作をしては消えて行った。葉子の知覚は半分眠ったようにぼんやりして注意するともなくその姿に注意をしていた。そしてこの半睡の状態が破れでもしたらたいへんな事になると、心のどこかのすみでは考えていた。そのくせ、それを物々しく恐れるでもなかった。からだまでが感覚的にしびれるような物うさを覚えた。  若者が現われた。(どうしてあの男はそれほどの因縁もないのに執念く付きまつわるのだろうと葉子は他人事のように思った)その乱れた美しい髪の毛が、夕日とかがやくまぶしい光の中で、ブロンドのようにきらめいた。かみしめたその左の腕から血がぽたぽたとしたたっていた。そのしたたりが腕から離れて宙に飛ぶごとに、虹色にきらきらと巴を描いて飛び跳った。 「……わたしを見捨てるん……」  葉子はその声をまざまざと聞いたと思った時、目がさめたようにふっとあらためて港を見渡した。そして、なんの感じも起こさないうちに、熟睡からちょっと驚かされた赤児が、またたわいなく眠りに落ちて行くように、再び夢ともうつつともない心に返って行った。港の景色はいつのまにか消えてしまって、自分で自分の腕にしがみ付いた若者の姿が、まざまざと現われ出た。葉子はそれを見ながらどうしてこんな変な心持ちになるのだろう。血のせいとでもいうのだろうか。事によるとヒステリーにかかっているのではないかしらんなどとのんきに自分の身の上を考えていた。いわば悠々閑々と澄み渡った水の隣に、薄紙一重の界も置かず、たぎり返って渦巻き流れる水がある。葉子の心はその静かなほうの水に浮かびながら、滝川の中にもまれもまれて落ちて行く自分というものを他人事のようにながめやっているようなものだった。葉子は自分の冷淡さにあきれながら、それでもやっぱり驚きもせず、手欄によりかかってじっと立っていた。 「田川法学博士」  葉子はまたふといたずら者らしくこんなことを思っていた。が、田川夫妻が自分と反対の舷の籐椅子に腰かけて、世辞世辞しく近寄って来る同船者と何か戯談口でもきいているとひとりで決めると、安心でもしたように幻想はまたかの若者にかえって行った。葉子はふと右の肩に暖かみを覚えるように思った。そこには若者の熱い涙が浸み込んでいるのだ。葉子は夢遊病者のような目つきをして、やや頭を後ろに引きながら肩の所を見ようとすると、その瞬間、若者を船から桟橋に連れ出した船員の事がはっと思い出されて、今まで盲いていたような目に、まざまざとその大きな黒い顔が映った。葉子はなお夢みるような目を見開いたまま、船員の濃い眉から黒い口髭のあたりを見守っていた。  船はもうかなり速力を早めて、霧のように降るともなく降る雨の中を走っていた。舷側から吐き出される捨て水の音がざあざあと聞こえ出したので、遠い幻想の国から一足飛びに取って返した葉子は、夢ではなく、まがいもなく目の前に立っている船員を見て、なんという事なしにぎょっとほんとうに驚いて立ちすくんだ。始めてアダムを見たイヴのように葉子はまじまじと珍しくもないはずの一人の男を見やった。 「ずいぶん長い旅ですが、何、もうこれだけ日本が遠くなりましたんだ」  といってその船員は右手を延べて居留地の鼻を指さした。がっしりした肩をゆすって、勢いよく水平に延ばしたその腕からは、強くはげしく海上に生きる男の力がほとばしった。葉子は黙ったまま軽くうなずいた、胸の下の所に不思議な肉体的な衝動をかすかに感じながら。 「お一人ですな」  塩がれた強い声がまたこう響いた。葉子はまた黙ったまま軽くうなずいた。  船はやがて乗りたての船客の足もとにかすかな不安を与えるほどに速力を早めて走り出した。葉子は船員から目を移して海のほうを見渡して見たが、自分のそばに一人の男が立っているという、強い意識から起こって来る不安はどうしても消す事ができなかった。葉子にしてはそれは不思議な経験だった。こっちから何か物をいいかけて、この苦しい圧迫を打ち破ろうと思ってもそれができなかった。今何か物をいったらきっとひどい不自然な物のいいかたになるに決まっている。そうかといってその船員には無頓着にもう一度前のような幻想に身を任せようとしてもだめだった。神経が急にざわざわと騒ぎ立って、ぼーっと煙った霧雨のかなたさえ見とおせそうに目がはっきりして、先ほどのおっかぶさるような暗愁は、いつのまにかはかない出来心のしわざとしか考えられなかった。その船員は傍若無人に衣嚢の中から何か書いた物を取り出して、それを鉛筆でチェックしながら、時々思い出したように顔を引いて眉をしかめながら、襟の折り返しについたしみを、親指の爪でごしごしと削ってははじいていた。  葉子の神経はそこにいたたまれないほどちかちかと激しく働き出した。自分と自分との間にのそのそと遠慮もなく大股ではいり込んで来る邪魔者でも避けるように、その船員から遠ざかろうとして、つと手欄から離れて自分の船室のほうに階子段を降りて行こうとした。 「どこにおいでです」  後ろから、葉子の頭から爪先までを小さなものででもあるように、一目に籠めて見やりながら、その船員はこう尋ねた。葉子は、 「船室まで参りますの」  と答えないわけには行かなかった。その声は葉子の目論見に反して恐ろしくしとやかな響きを立てていた。するとその男は大股で葉子とすれすれになるまで近づいて来て、 「船室ならば永田さんからのお話もありましたし、おひとり旅のようでしたから、医務室のわきに移しておきました。御覧になった前の部屋より少し窮屈かもしれませんが、何かに御便利ですよ。御案内しましょう」  といいながら葉子をすり抜けて先に立った。何か芳醇な酒のしみと葉巻煙草とのにおいが、この男固有の膚のにおいででもあるように強く葉子の鼻をかすめた。葉子は、どしんどしんと狭い階子段を踏みしめながら降りて行くその男の太い首から広い肩のあたりをじっと見やりながらそのあとに続いた。  二十四五脚の椅子が食卓に背を向けてずらっとならべてある食堂の中ほどから、横丁のような暗い廊下をちょっとはいると、右の戸に「医務室」と書いた頑丈な真鍮の札がかかっていて、その向かいの左の戸には「No.12 早月葉子殿」と白墨で書いた漆塗りの札が下がっていた。船員はつかつかとそこにはいって、いきなり勢いよく医務室の戸をノックすると、高いダブル・カラーの前だけをはずして、上着を脱ぎ捨てた船医らしい男が、あたふたと細長いなま白い顔を突き出したが、そこに葉子が立っているのを目ざとく見て取って、あわてて首を引っ込めてしまった。船員は大きなはばかりのない声で、 「おい十二番はすっかり掃除ができたろうね」  というと、医務室の中からは女のような声で、 「さしておきましたよ。きれいになってるはずですが、御覧なすってください。わたしは今ちょっと」  と船医は姿を見せずに答えた。 「こりゃいったい船医の私室なんですが、あなたのためにお明け申すっていってくれたもんですから、ボーイに掃除するようにいいつけておきましたんです。ど、きれいになっとるかしらん」  船員はそうつぶやきながら戸をあけて一わたり中を見回した。 「むゝ、いいようです」  そして道を開いて、衣嚢から「日本郵船会社絵島丸事務長勲六等倉地三吉」と書いた大きな名刺を出して葉子に渡しながら、 「わたしが事務長をしとります。御用があったらなんでもどうか」  葉子はまた黙ったままうなずいてその大きな名刺を手に受けた。そして自分の部屋ときめられたその部屋の高い閾を越えようとすると、 「事務長さんはそこでしたか」  と尋ねながら田川博士がその夫人と打ち連れて廊下の中に立ち現われた。事務長が帽子を取って挨拶しようとしている間に、洋装の田川夫人は葉子を目ざして、スカーツの絹ずれの音を立てながらつかつかと寄って来て眼鏡の奥から小さく光る目でじろりと見やりながら、 「五十川さんがうわさしていらしった方はあなたね。なんとかおっしゃいましたねお名は」  といった。この「なんとかおっしゃいましたね」という言葉が、名もないものをあわれんで見てやるという腹を充分に見せていた。今まで事務長の前で、珍しく受け身になっていた葉子は、この言葉を聞くと、強い衝動を受けたようになってわれに返った。どういう態度で返事をしてやろうかという事が、いちばんに頭の中で二十日鼠のようにはげしく働いたが、葉子はすぐ腹を決めてひどく下手に尋常に出た。「あ」と驚いたような言葉を投げておいて、丁寧に低くつむりを下げながら、 「こんな所まで……恐れ入ります。わたし早月葉と申しますが、旅には不慣れでおりますのにひとり旅でございますから……」  といってひとみを稲妻のように田川に移して、 「御迷惑ではこざいましょうが何分よろしく願います」  とまたつむりを下げた。田川はその言葉の終わるのを待ち兼ねたように引き取って、 「何不慣れはわたしの妻も同様ですよ。何しろこの船の中には女は二人ぎりだからお互いです」  とあまりなめらかにいってのけたので、妻の前でもはばかるように今度は態度を改めながら事務長に向かって、 「チャイニース・ステアレージには何人ほどいますか日本の女は」  と問いかけた。事務長は例の塩から声で 「さあ、まだ帳簿もろくろく整理して見ませんから、しっかりとはわかり兼ねますが、何しろこのごろはだいぶふえました。三四十人もいますか。奥さんここが医務室です。何しろ九月といえば旧の二八月の八月ですから、太平洋のほうは暴ける事もありますんだ。たまにはここにも御用ができますぞ。ちょっと船医も御紹介しておきますで」 「まあそんなに荒れますか」  と田川夫人は実際恐れたらしく、葉子を顧みながら少し色をかえた。事務長は事もなげに、 「暴けますんだずいぶん」  と今度は葉子のほうをまともに見やってほほえみながら、おりから部屋を出て来た興録という船医を三人に引き合わせた。  田川夫妻を見送ってから葉子は自分の部屋にはいった。さらぬだにどこかじめじめするような船室には、きょうの雨のために蒸すような空気がこもっていて、汽船特有な西洋臭いにおいがことに強く鼻についた。帯の下になった葉子の胸から背にかけたあたりは汗がじんわりにじみ出たらしく、むしむしするような不愉快を感ずるので、狭苦しい寝台を取りつけたり、洗面台を据えたりしてあるその間に、窮屈に積み重ねられた小荷物を見回しながら、帯を解き始めた。化粧鏡の付いた箪笥の上には、果物のかごが一つと花束が二つ載せてあった。葉子は襟前をくつろげながら、だれからよこしたものかとその花束の一つを取り上げると、そのそばから厚い紙切れのようなものが出て来た。手に取って見ると、それは手札形の写真だった。まだ女学校に通っているらしい、髪を束髪にした娘の半身像で、その裏には「興録さま。取り残されたる千代より」としてあった。そんなものを興録がしまい忘れるはずがない。わざと忘れたふうに見せて、葉子の心に好奇心なり軽い嫉妬なりをあおり立てようとする、あまり手もとの見えすいたからくりだと思うと、葉子はさげすんだ心持ちで、犬にでもするようにぽいとそれを床の上にほうりなげた。一人の旅の婦人に対して船の中の男の心がどういうふうに動いているかをその写真一枚が語り貌だった、葉子はなんという事なしに小さな皮肉な笑いを口びるの所に浮かべていた。  寝台の下に押し込んである平べったいトランクを引き出して、その中から浴衣を取り出していると、ノックもせずに突然戸をあけたものがあった。葉子は思わず羞恥から顔を赤らめて、引き出した派手な浴衣を楯に、しだらなく脱ぎかけた長襦袢の姿をかくまいながら立ち上がって振り返って見ると、それは船医だった。はなやかな下着を浴衣の所々からのぞかせて、帯もなくほっそりと途方に暮れたように身を斜にして立った葉子の姿は、男の目にはほしいままな刺激だった。懇意ずくらしく戸もたたかなかった興録もさすがにどぎまぎして、はいろうにも出ようにも所在に窮して、閾に片足を踏み入れたまま当惑そうに立っていた。 「飛んだふうをしていまして御免くださいまし。さ、おはいり遊ばせ。なんぞ御用でもいらっしゃいましたの」  と葉子は笑いかまけたようにいった。興録はいよいよ度を失いながら、 「いゝえ何、今でなくってもいいのですが、元のお部屋のお枕の下にこの手紙が残っていましたのを、ボーイが届けて来ましたんで、早くさし上げておこうと思って実は何したんでしたが……」  といいながら衣嚢から二通の手紙を取り出した。手早く受け取って見ると、一つは古藤が木村にあてたもの、一つは葉子にあてたものだった。興録はそれを手渡すと、一種の意味ありげな笑いを目だけに浮かべて、顔だけはいかにももっともらしく葉子を見やっていた。自分のした事を葉子もしたと興録は思っているに違いない。葉子はそう推量すると、かの娘の写真を床の上から拾い上げた。そしてわざと裏を向けながら見向きもしないで、 「こんなものがここにも落ちておりましたの。お妹さんでいらっしゃいますか。おきれいですこと」  といいながらそれをつき出した。  興録は何かいいわけのような事をいって部屋を出て行った。と思うとしばらくして医務室のほうから事務長のらしい大きな笑い声が聞こえて来た。それを聞くと、事務長はまだそこにいたかと、葉子はわれにもなくはっとなって、思わず着かえかけた着物の衣紋に左手をかけたまま、うつむきかげんになって横目をつかいながら耳をそばだてた。破裂するような事務長の笑い声がまた聞こえて来た。そして医務室の戸をさっとあけたらしく、声が急に一倍大きくなって、 「Devil take it! No tame creature then,eh?」と乱暴にいう声が聞こえたが、それとともにマッチをする音がして、やがて葉巻をくわえたままの口ごもりのする言葉で、 「もうじき検疫船だ。準備はいいだろうな」  といい残したまま事務長は船医の返事も待たずに行ってしまったらしかった。かすかなにおいが葉子の部屋にも通って来た。  葉子は聞き耳をたてながらうなだれていた顔を上げると、正面をきって何という事なしに微笑をもらした。そしてすぐぎょっとしてあたりを見回したが、われに返って自分一人きりなのに安堵して、いそいそと着物を着かえ始めた。 一一  絵島丸が横浜を抜錨してからもう三日たった。東京湾を出抜けると、黒潮に乗って、金華山沖あたりからは航路を東北に向けて、まっしぐらに緯度を上って行くので、気温は二日目あたりから目立って涼しくなって行った。陸の影はいつのまにか船のどの舷からもながめる事はできなくなっていた。背羽根の灰色な腹の白い海鳥が、時々思い出したようにさびしい声でなきながら、船の周囲を群れ飛ぶほかには、生き物の影とては見る事もできないようになっていた。重い冷たい潮霧が野火の煙のように濛々と南に走って、それが秋らしい狭霧となって、船体を包むかと思うと、たちまちからっと晴れた青空を船に残して消えて行ったりした。格別の風もないのに海面は色濃く波打ち騒いだ。三日目からは船の中に盛んにスティームが通り始めた。  葉子はこの三日というもの、一度も食堂に出ずに船室にばかり閉じこもっていた。船に酔ったからではない。始めて遠い航海を試みる葉子にしては、それが不思議なくらいたやすい旅だった。ふだん以上に食欲さえ増していた。神経に強い刺激が与えられて、とかく鬱結しやすかった血液も濃く重たいなりにもなめらかに血管の中を循環し、海から来る一種の力がからだのすみずみまで行きわたって、うずうずするほどな活力を感じさせた。もらし所のないその活気が運動もせずにいる葉子のからだから心に伝わって、一種の悒鬱に変わるようにさえ思えた。  葉子はそれでも船室を出ようとはしなかった。生まれてから始めて孤独に身を置いたような彼女は、子供のようにそれが楽しみたかったし、また船中で顔見知りのだれかれができる前に、これまでの事、これからの事を心にしめて考えてもみたいとも思った。しかし葉子が三日の間船室に引きこもり続けた心持ちには、もう少し違ったものもあった。葉子は自分が船客たちから激しい好奇の目で見られようとしているのを知っていた。立役は幕明きから舞台に出ているものではない。観客が待ちに待って、待ちくたぶれそうになった時分に、しずしずと乗り出して、舞台の空気を思うさま動かさねばならぬのだ。葉子の胸の中にはこんなずるがしこいいたずらな心も潜んでいたのだ。  三日目の朝電燈が百合の花のしぼむように消えるころ葉子はふと深い眠りから蒸し暑さを覚えて目をさました。スティームの通って来るラディエターから、真空になった管の中に蒸汽の冷えたしたたりが落ちて立てる激しい響きが聞こえて、部屋の中は軽く汗ばむほど暖まっていた。三日の間狭い部屋の中ばかりにいてすわり疲れ寝疲れのした葉子は、狭苦しい寝台の中に窮屈に寝ちぢまった自分を見いだすと、下になった半身に軽いしびれを覚えて、からだを仰向けにした。そして一度開いた目を閉じて、美しく円味を持った両の腕を頭の上に伸ばして、寝乱れた髪をもてあそびながら、さめぎわの快い眠りにまた静かに落ちて行った。が、ほどもなくほんとうに目をさますと、大きく目を見開いて、あわてたように腰から上を起こして、ちょうど目通りのところにあるいちめんに水気で曇った眼窓を長い袖で押しぬぐって、ほてった頬をひやひやするその窓ガラスにすりつけながら外を見た、夜はほんとうには明け離れていないで、窓の向こうには光のない濃い灰色がどんよりと広がっているばかりだった。そして自分のからだがずっと高まってやがてまた落ちて行くなと思わしいころに、窓に近い舷にざあっとあたって砕けて行く波濤が、単調な底力のある震動を船室に与えて、船はかすかに横にかしいだ。葉子は身動きもせずに目にその灰色をながめながら、かみしめるように船の動揺を味わって見た。遠く遠く来たという旅情が、さすがにしみじみと感ぜられた。しかし葉子の目には女らしい涙は浮かばなかった。活気のずんずん回復しつつあった彼女には何かパセティックな夢でも見ているような思いをさせた。  葉子はそうしたままで、過ぐる二日の間暇にまかせて思い続けた自分の過去を夢のように繰り返していた。連絡のない終わりのない絵巻がつぎつぎに広げられたり巻かれたりした。キリストを恋い恋うて、夜も昼もやみがたく、十字架を編み込んだ美しい帯を作って献げようと一心に、日課も何もそっちのけにして、指の先がささくれるまで編み針を動かした可憐な少女も、その幻想の中に現われ出た。寄宿舎の二階の窓近く大きな花を豊かに開いた木蘭の香いまでがそこいらに漂っているようだった。国分寺跡の、武蔵野の一角らしい櫟の林も現われた。すっかり少女のような無邪気な素直な心になってしまって、孤笻の膝に身も魂も投げかけながら、涙とともにささやかれる孤笻の耳うちのように震えた細い言葉を、ただ「はいはい」と夢心地にうなずいてのみ込んだ甘い場面は、今の葉子とは違った人のようだった。そうかと思うと左岸の崕の上から広瀬川を越えて青葉山をいちめんに見渡した仙台の景色がするすると開け渡った。夏の日は北国の空にもあふれ輝いて、白い礫の河原の間をまっさおに流れる川の中には、赤裸な少年の群れが赤々とした印象を目に与えた。草を敷かんばかりに低くうずくまって、はなやかな色合いのパラソルに日をよけながら、黙って思いにふける一人の女――その時には彼女はどの意味からも女だった――どこまでも満足の得られない心で、だんだんと世間から埋もれて行かねばならないような境遇に押し込められようとする運命。確かに道を踏みちがえたとも思い、踏みちがえたのは、だれがさした事だと神をすらなじってみたいような思い。暗い産室も隠れてはいなかった。そこの恐ろしい沈黙の中から起こる強い快い赤児の産声――やみがたい母性の意識――「われすでに世に勝てり」とでもいってみたい不思議な誇り――同時に重く胸を押えつける生の暗い急変。かかる時思いも設けず力強く迫って来る振り捨てた男の執着。あすをも頼み難い命の夕闇にさまよいながら、切れ切れな言葉で葉子と最後の妥協を結ぼうとする病床の母――その顔は葉子の幻想を断ち切るほどの強さで現われ出た。思い入った決心を眉に集めて、日ごろの楽天的な性情にも似ず、運命と取り組むような真剣な顔つきで大事の結着を待つ木村の顔。母の死をあわれむとも悲しむとも知れない涙を目にはたたえながら、氷のように冷え切った心で、うつむいたまま、口一つきかない葉子自身の姿……そんな幻像があるいはつぎつぎに、あるいは折り重なって、灰色の霧の中に動き現われた。そして記憶はだんだんと過去から現在のほうに近づいて来た。と、事務長の倉地の浅黒く日に焼けた顔と、その広い肩とが思い出された。葉子は思いもかけないものを見いだしたようにはっとなると、その幻像はたわいもなく消えて、記憶はまた遠い過去に帰って行った。それがまただんだん現在のほうに近づいて来たと思うと、最後にはきっと倉地の姿が現われ出た。  それが葉子をいらいらさせて、葉子は始めて夢現の境からほんとうに目ざめて、うるさいものでも払いのけるように、眼窓から目をそむけて寝台を離れた。葉子の神経は朝からひどく興奮していた。スティームで存分に暖まって来た船室の中の空気は息気苦しいほどだった。  船に乗ってからろくろく運動もせずに、野菜気の少ない物ばかりをむさぼり食べたので、身内の血には激しい熱がこもって、毛のさきへまでも通うようだった。寝台から立ち上がった葉子は瞑眩を感ずるほどに上気して、氷のような冷たいものでもひしと抱きしめたい気持ちになった。で、ふらふらと洗面台のほうに行って、ピッチャーの水をなみなみと陶器製の洗面盤にあけて、ずっぷりひたした手ぬぐいをゆるく絞って、ひやっとするのを構わず、胸をあけて、それを乳房と乳房との間にぐっとあてがってみた。強いはげしい動悸が押えている手のひらへ突き返して来た。葉子はそうしたままで前の鏡に自分の顔を近づけて見た。まだ夜の気が薄暗くさまよっている中に、頬をほてらしながら深い呼吸をしている葉子の顔が、自分にすら物すごいほどなまめかしく映っていた。葉子は物好きらしく自分の顔に訳のわからない微笑をたたえて見た。  それでもそのうちに葉子の不思議な心のどよめきはしずまって行った。しずまって行くにつれ、葉子は今までの引き続きでまた瞑想的な気分に引き入れられていた。しかしその時はもう夢想家ではなかった。ごく実際的な鋭い頭が針のように光ってとがっていた。葉子はぬれ手ぬぐいを洗面盤にほうりなげておいて、静かに長椅子に腰をおろした。  笑い事ではない。いったい自分はどうするつもりでいるんだろう。そう葉子は出発以来の問いをもう一度自分に投げかけてみた。小さい時からまわりの人たちにはばかられるほど才はじけて、同じ年ごろの女の子とはいつでも一調子違った行きかたを、するでもなくして来なければならなかった自分は、生まれる前から運命にでも呪われているのだろうか。それかといって葉子はなべての女の順々に通って行く道を通る事はどうしてもできなかった。通って見ようとした事は幾度あったかわからない。こうさえ行けばいいのだろうと通って来て見ると、いつでも飛んでもなく違った道を歩いている自分を見いだしてしまっていた。そしてつまずいては倒れた。まわりの人たちは手を取って葉子を起こしてやる仕方も知らないような顔をしてただばからしくあざわらっている。そんなふうにしか葉子には思えなかった。幾度ものそんな苦い経験が葉子を片意地な、少しも人をたよろうとしない女にしてしまった。そして葉子はいわば本能の向かせるように向いてどんどん歩くよりしかたがなかった。葉子は今さらのように自分のまわりを見回して見た。いつのまにか葉子はいちばん近しいはずの人たちからもかけ離れて、たった一人で崕のきわに立っていた。そこでただ一つ葉子を崕の上につないでいる綱には木村との婚約という事があるだけだ。そこに踏みとどまればよし、さもなければ、世の中との縁はたちどころに切れてしまうのだ。世の中に活きながら世の中との縁が切れてしまうのだ。木村との婚約で世の中は葉子に対して最後の和睦を示そうとしているのだ。葉子に取って、この最後の機会をも破り捨てようというのはさすがに容易ではなかった。木村といふ首桎を受けないでは生活の保障が絶え果てなければならないのだから。葉子の懐中には百五十ドルの米貨があるばかりだった。定子の養育費だけでも、米国に足をおろすや否や、すぐに木村にたよらなければならないのは目の前にわかっていた。後詰めとなってくれる親類の一人もないのはもちろんの事、ややともすれば親切ごかしに無いものまでせびり取ろうとする手合いが多いのだ。たまたま葉子の姉妹の内実を知って気の毒だと思っても、葉子ではというように手出しを控えるものばかりだった。木村――葉子には義理にも愛も恋も起こり得ない木村ばかりが、葉子に対するただ一人の戦士なのだ。あわれな木村は葉子の蠱惑に陥ったばかりで、早月家の人々から否応なしにこの重い荷を背負わされてしまっているのだ。  どうしてやろう。  葉子は思い余ったその場のがれから、箪笥の上に興録から受け取ったまま投げ捨てて置いた古藤の手紙を取り上げて、白い西洋封筒の一端を美しい指の爪で丹念に細く破り取って、手筋は立派ながらまだどこかたどたどしい手跡でペンで走り書きした文句を読み下して見た。 「あなたはおさんどんになるという事を想像してみる事ができますか。おさんどんという仕事が女にあるという事を想像してみる事ができますか。僕はあなたを見る時はいつでもそう思って不思議な心持ちになってしまいます。いったい世の中には人を使って、人から使われるという事を全くしないでいいという人があるものでしょうか。そんな事ができうるものでしょうか。僕はそれをあなたに考えていただきたいのです。  あなたは奇態な感じを与える人です。あなたのなさる事はどんな危険な事でも危険らしく見えません。行きづまった末にはこうという覚悟がちゃんとできているように思われるからでしょうか。  僕があなたに始めてお目にかかったのは、この夏あなたが木村君と一緒に八幡に避暑をしておられた時ですから、あなたについては僕は、なんにも知らないといっていいくらいです。僕は第一一般的に女というものについてなんにも知りません。しかし少しでもあなたを知っただけの心持ちからいうと、女の人というものは僕に取っては不思議な謎です。あなたはどこまで行ったら行きづまると思っているんです。あなたはすでに木村君で行きづまっている人なんだと僕には思われるのです。結婚を承諾した以上はその良人に行きづまるのが女の人の当然な道ではないでしょうか。木村君で行きづまってください。木村君にあなたを全部与えてください。木村君の親友としてこれが僕の願いです。  全体同じ年齢でありながら、あなたからは僕などは子供に見えるのでしょうから、僕のいう事などは頓着なさらないかと思いますが、子供にも一つの直覚はあります。そして子供はきっぱりした物の姿が見たいのです。あなたが木村君の妻になると約束した以上は、僕のいう事にも権威があるはずだと思います。  僕はそうはいいながら一面にはあなたがうらやましいようにも、憎いようにも、かわいそうなようにも思います。あなたのなさる事が僕の理性を裏切って奇怪な同情を喚び起こすようにも思います。僕は心の底に起こるこんな働きをもしいて押しつぶして理屈一方に固まろうとは思いません。それほど僕は道学者ではないつもりです。それだからといって、今のままのあなたでは、僕にはあなたを敬親する気は起こりません。木村君の妻としてあなたを敬親したいから、僕はあえてこんな事を書きました。そういう時が来るようにしてほしいのです。  木村君の事を――あなたを熱愛してあなたのみに希望をかけている木村君の事を考えると僕はこれだけの事を書かずにはいられなくなります。 古藤義一 木村葉子様」  それは葉子に取ってはほんとうの子供っぽい言葉としか響かなかった。しかし古藤は妙に葉子には苦手だった。今も古藤の手紙を読んで見ると、ばかばかしい事がいわれているとは思いながらも、いちばん大事な急所を偶然のようにしっかり捕えているようにも感じられた。ほんとうにこんな事をしていると、子供と見くびっている古藤にもあわれまれるはめになりそうな気がしてならなかった。葉子はなんという事なく悒鬱になって古藤の手紙を巻きおさめもせず膝の上に置いたまま目をすえて、じっと考えるともなく考えた。  それにしても、新しい教育を受け、新しい思想を好み、世事にうといだけに、世の中の習俗からも飛び離れて自由でありげに見える古藤さえが、葉子が今立っている崕のきわから先には、葉子が足を踏み出すのを憎み恐れる様子を明らかに見せているのだ。結婚というものが一人の女に取って、どれほど生活という実際問題と結び付き、女がどれほどその束縛の下に悩んでいるかを考えてみる事さえしようとはしないのだ。そう葉子は思ってもみた。  これから行こうとする米国という土地の生活も葉子はひとりでにいろいろと想像しないではいられなかった。米国の人たちはどんなふうに自分を迎え入れようとはするだろう。とにかく今までの狭い悩ましい過去と縁を切って、何の関りもない社会の中に乗り込むのはおもしろい。和服よりもはるかに洋服に適した葉子は、そこの交際社会でも風俗では米国人を笑わせない事ができる。歓楽でも哀傷でもしっくりと実生活の中に織り込まれているような生活がそこにはあるに違いない。女のチャームというものが、習慣的な絆から解き放されて、その力だけに働く事のできる生活がそこにはあるに違いない。才能と力量さえあれば女でも男の手を借りずに自分をまわりの人に認めさす事のできる生活がそこにはあるに違いない。女でも胸を張って存分呼吸のできる生活がそこにはあるに違いない。少なくとも交際社会のどこかではそんな生活が女に許されているに違いない。葉子はそんな事を空想するとむずむずするほど快活になった。そんな心持ちで古藤の言葉などを考えてみると、まるで老人の繰り言のようにしか見えなかった。葉子は長い黙想の中から活々と立ち上がった。そして化粧をすますために鏡のほうに近づいた。  木村を良人とするのになんの屈託があろう。木村が自分の良人であるのは、自分が木村の妻であるというほどに軽い事だ。木村という仮面……葉子は鏡を見ながらそう思ってほほえんだ。そして乱れかかる額ぎわの髪を、振り仰いで後ろになでつけたり、両方の鬢を器用にかき上げたりして、良工が細工物でもするように楽しみながら元気よく朝化粧を終えた。ぬれた手ぬぐいで、鏡に近づけた目のまわりの白粉をぬぐい終わると、口びるを開いて美しくそろった歯並みをながめ、両方の手の指を壺の口のように一所に集めて爪の掃除が行き届いているか確かめた。見返ると船に乗る時着て来た単衣のじみな着物は、世捨て人のようにだらりと寂しく部屋のすみの帽子かけにかかったままになっていた。葉子は派手な袷をトランクの中から取り出して寝衣と着かえながら、それに目をやると、肩にしっかりとしがみ付いて、泣きおめいた彼の狂気じみた若者の事を思った。と、すぐそのそばから若者を小わきにかかえた事務長の姿が思い出された。小雨の中を、外套も着ずに、小荷物でも運んで行ったように若者を桟橋の上におろして、ちょっと五十川女史に挨拶して船から投げた綱にすがるや否や、静かに岸から離れてゆく船の甲板の上に軽々と上がって来たその姿が、葉子の心をくすぐるように楽しませて思い出された。  夜はいつのまにか明け離れていた。眼窓の外は元のままに灰色はしているが、活々とした光が添い加わって、甲板の上を毎朝規則正しく散歩する白髪の米人とその娘との足音がこつこつ快活らしく聞こえていた。化粧をすました葉子は長椅子にゆっくり腰をかけて、両足をまっすぐにそろえて長々と延ばしたまま、うっとりと思うともなく事務長の事を思っていた。  その時突然ノックをしてボーイがコーヒーを持ってはいって来た。葉子は何か悪い所でも見つけられたようにちょっとぎょっとして、延ばしていた足の膝を立てた。ボーイはいつものように薄笑いをしてちょっと頭を下げて銀色の盆を畳椅子の上においた。そしてきょうも食事はやはり船室に運ぼうかと尋ねた。 「今晩からは食堂にしてください」  葉子はうれしい事でもいって聞かせるようにこういった。ボーイはまじめくさって「はい」といったが、ちらりと葉子を上目で見て、急ぐように部屋を出た。葉子はボーイが部屋を出てどんなふうをしているかがはっきり見えるようだった。ボーイはすぐににこにこと不思議な笑いをもらしながらケーク・ウォークの足つきで食堂のほうに帰って行ったに違いない。ほどもなく、 「え、いよいよ御来迎?」 「来たね」  というような野卑な言葉が、ボーイらしい軽薄な調子で声高に取りかわされるのを葉子は聞いた。  葉子はそんな事を耳にしながらやはり事務長の事を思っていた。「三日も食堂に出ないで閉じこもっているのに、なんという事務長だろう、一ぺんも見舞いに来ないとはあんまりひどい」こんな事を思っていた。そしてその一方では縁もゆかりもない馬のようにただ頑丈な一人の男がなんでこう思い出されるのだろうと思っていた。  葉子は軽いため息をついて何げなく立ち上がった。そしてまた長椅子に腰かける時には棚の上から事務長の名刺を持って来てながめていた。「日本郵船会社絵島丸事務長勲六等倉地三吉」と明朝ではっきり書いてある。葉子は片手でコーヒーをすすりながら、名刺を裏返してその裏をながめた。そしてまっ白なその裏に何か長い文句でも書いであるかのように、二重になる豊かな顎を襟の間に落として、少し眉をひそめながら、長い間まじろぎもせず見つめていた。 一二  その日の夕方、葉子は船に来てから始めて食堂に出た。着物は思いきって地味なくすんだのを選んだけれども、顔だけは存分に若くつくっていた。二十を越すや越さずに見える、目の大きな、沈んだ表情の彼女の襟の藍鼠は、なんとなく見る人の心を痛くさせた。細長い食卓の一端に、カップ・ボードを後ろにして座を占めた事務長の右手には田川夫人がいて、その向かいが田川博士、葉子の席は博士のすぐ隣に取ってあった。そのほかの船客も大概はすでに卓に向かっていた。葉子の足音が聞こえると、いち早く目くばせをし合ったのはボーイ仲間で、その次にひどく落ち付かぬ様子をし出したのは事務長と向かい合って食卓の他の一端にいた鬚の白いアメリカ人の船長であった。あわてて席を立って、右手にナプキンを下げながら、自分の前を葉子に通らせて、顔をまっ赤にして座に返った。葉子はしとやかに人々の物数奇らしい視線を受け流しながら、ぐるっと食卓を回って自分の席まで行くと、田川博士はぬすむように夫人の顔をちょっとうかがっておいて、肥ったからだをよけるようにして葉子を自分の隣にすわらせた。  すわりずまいをただしている間、たくさんの注視の中にも、葉子は田川夫人の冷たいひとみの光を浴びているのを心地悪いほどに感じた。やがてきちんとつつましく正面を向いて腰かけて、ナプキンを取り上げながら、まず第一に田川夫人のほうに目をやってそっと挨拶すると、今までの角々しい目にもさすがに申しわけほどの笑みを見せて、夫人が何かいおうとした瞬間、その時までぎごちなく話を途切らしていた田川博士も事務長のほうを向いて何かいおうとしたところであったので、両方の言葉が気まずくぶつかりあって、夫婦は思わず同時に顔を見合わせた。一座の人々も、日本人といわず外国人といわず、葉子に集めていたひとみを田川夫妻のほうに向けた。「失礼」といってひかえた博士に夫人はちょっと頭を下げておいて、みんなに聞こえるほどはっきり澄んだ声で、 「とんと食堂においでがなかったので、お案じ申しましたの、船にはお困りですか」  といった。さすがに世慣れて才走ったその言葉は、人の上に立ちつけた重みを見せた。葉子はにこやかに黙ってうなずきながら、位を一段落として会釈するのをそう不快には思わぬくらいだった。二人の間の挨拶はそれなりで途切れてしまったので、田川博士はおもむろに事務長に向かってし続けていた話の糸目をつなごうとした。 「それから……その……」  しかし話の糸口は思うように出て来なかった。事もなげに落ち付いた様子に見える博士の心の中に、軽い混乱が起こっているのを、葉子はすぐ見て取った。思いどおりに一座の気分を動揺させる事ができるという自信が裏書きされたように葉子は思ってそっと満足を感じていた。そしてボーイ長のさしずでボーイらが手器用に運んで来たポタージュをすすりながら、田川博士のほうの話に耳を立てた。  葉子が食堂に現われて自分の視界にはいってくると、臆面もなくじっと目を定めてその顔を見やった後に、無頓着にスプーンを動かしながら、時々食卓の客を見回して気を配っていた事務長は、下くちびるを返して鬚の先を吸いながら、塩さびのした太い声で、 「それからモンロー主義の本体は」  と話の糸目を引っぱり出しておいて、まともに博士を打ち見やった。博士は少し面伏せな様子で、 「そう、その話でしたな。モンロー主義もその主張は初めのうちは、北米の独立諸州に対してヨーロッパの干渉を拒むというだけのものであったのです。ところがその政策の内容は年と共にだんだん変わっている。モンローの宣言は立派に文字になって残っているけれども、法律というわけではなし、文章も融通がきくようにできているので、取りようによっては、どうにでも伸縮する事ができるのです。マッキンレー氏などはずいぶん極端にその意味を拡張しているらしい。もっともこれにはクリーブランドという人の先例もあるし、マッキンレー氏の下にはもう一人有力な黒幕があるはずだ。どうです斎藤君」  と二三人おいた斜向いの若い男を顧みた。斎藤と呼ばれた、ワシントン公使館赴任の外交官補は、まっ赤になって、今まで葉子に向けていた目を大急ぎで博士のほうにそらして見たが、質問の要領をはっきり捕えそこねて、さらに赤くなって術ない身ぶりをした。これほどな席にさえかつて臨んだ習慣のないらしいその人の素性がそのあわてかたに充分に見えすいていた。博士は見下したような態度で暫時その青年のどぎまぎした様子を見ていたが、返事を待ちかねて、事務長のほうを向こうとした時、突然はるか遠い食卓の一端から、船長が顔をまっ赤にして、 「You mean Teddy the roughrider?」  といいながら子供のような笑顔を人々に見せた。船長の日本語の理解力をそれほどに思い設けていなかったらしい博士は、この不意打ちに今度は自分がまごついて、ちょっと返事をしかねていると、田川夫人がさそくにそれを引き取って、 「Good hit for you,Mr. Captain !」  と癖のない発音でいってのけた。これを聞いた一座は、ことに外国人たちは、椅子から乗り出すようにして夫人を見た。夫人はその時人の目にはつきかねるほどの敏捷さで葉子のほうをうかがった。葉子は眉一つ動かさずに、下を向いたままでスープをすすっていた。  慎み深く大さじを持ちあつかいながら、葉子は自分に何かきわ立った印象を与えようとして、いろいろなまねを競い合っているような人々のさまを心の中で笑っていた。実際葉子が姿を見せてから、食堂の空気は調子を変えていた。ことに若い人たちの間には一種の重苦しい波動が伝わったらしく、物をいう時、彼らは知らず知らず激昂したような高い調子になっていた。ことにいちばん年若く見える一人の上品な青年――船長の隣座にいるので葉子は家柄の高い生まれに違いないと思った――などは、葉子と一目顔を見合わしたが最後、震えんばかりに興奮して、顔を得上げないでいた。それだのに事務長だけは、いっこう動かされた様子が見えぬばかりか、どうかした拍子に顔を合わせた時でも、その臆面のない、人を人とも思わぬような熟視は、かえって葉子の視線をたじろがした。人間をながめあきたような気倦るげなその目は、濃いまつ毛の間から insolent な光を放って人を射た。葉子はこうして思わずひとみをたじろがすたびごとに事務長に対して不思議な憎しみを覚えるとともに、もう一度その憎むべき目を見すえてその中に潜む不思議を存分に見窮めてやりたい心になった。葉子はそうした気分に促されて時々事務長のほうにひきつけられるように視線を送ったが、そのたびごとに葉子のひとみはもろくも手きびしく追い退けられた。  こうして妙な気分が食卓の上に織りなされながらやがて食事は終わった。一同が座を立つ時、物慣らされた物腰で、椅子を引いてくれた田川博士にやさしく微笑を見せて礼をしながらも、葉子はやはり事務長の挙動を仔細に見る事に半ば気を奪われていた。 「少し甲板に出てごらんになりましな。寒くとも気分は晴れ晴れしますから。わたしもちょと部屋に帰ってショールを取って出て見ます」  こう葉子にいって田川夫人は良人と共に自分の部屋のほうに去って行った。  葉子も部屋に帰って見たが、今まで閉じこもってばかりいるとさほどにも思わなかったけれども、食堂ほどの広さの所からでもそこに来て見ると、息気づまりがしそうに狭苦しかった。で、葉子は長椅子の下から、木村の父が使い慣れた古トランク――その上に古藤が油絵の具でY・Kと書いてくれた古トランクを引き出して、その中から黒い駝鳥の羽のボアを取り出して、西洋臭いそのにおいを快く鼻に感じながら、深々と首を巻いて、甲板に出て行って見た。窮屈な階子段をややよろよろしながらのぼって、重い戸をあけようとすると外気の抵抗がなかなか激しくって押しもどされようとした。きりっと搾り上げたような寒さが、戸のすきから縦に細長く葉子を襲った。  甲板には外国人が五六人厚い外套にくるまって、堅いティークの床をかつかつと踏みならしながら、押し黙って勢いよく右往左往に散歩していた。田川夫人の姿はそのへんにはまだ見いだされなかった。塩気を含んだ冷たい空気は、室内にのみ閉じこもっていた葉子の肺を押し広げて、頬には血液がちくちくと軽く針をさすように皮膚に近く突き進んで来るのが感ぜられた。葉子は散歩客には構わずに甲板を横ぎって船べりの手欄によりかかりながら、波また波と果てしもなく連なる水の堆積をはるばるとながめやった。折り重なった鈍色の雲のかなたに夕日の影は跡形もなく消えうせて、闇は重い不思議な瓦斯のように力強くすべての物を押しひしゃげていた。雪をたっぷり含んだ空だけが、その間とわずかに争って、南方には見られぬ暗い、燐のような、さびしい光を残していた。一種のテンポを取って高くなり低くなりする黒い波濤のかなたには、さらに黒ずんだ波の穂が果てしもなく連なっていた。船は思ったより激しく動揺していた。赤いガラスをはめた檣燈が空高く、右から左、左から右へと広い角度を取ってひらめいた。ひらめくたびに船が横かしぎになって、重い水の抵抗を受けながら進んで行くのが、葉子の足からからだに伝わって感ぜられた。  葉子はふらふらと船にゆり上げゆり下げられながら、まんじりともせずに、黒い波の峰と波の谷とがかわるがわる目の前に現われるのを見つめていた。豊かな髪の毛をとおして寒さがしんしんと頭の中にしみこむのが、初めのうちは珍しくいい気持ちだったが、やがてしびれるような頭痛に変わって行った。……と急に、どこをどう潜んで来たとも知れない、いやなさびしさが盗風のように葉子を襲った。船に乗ってから春の草のように萌え出した元気はぽっきりと心を留められてしまった。こめかみがじんじんと痛み出して、泣きつかれのあとに似た不愉快な睡気の中に、胸をついて嘔き気さえ催して来た。葉子はあわててあたりを見回したが、もうそこいらには散歩の人足も絶えていた。けれども葉子は船室に帰る気力もなく、右手でしっかりと額を押えて、手欄に顔を伏せながら念じるように目をつぶって見たが、いいようのないさびしさはいや増すばかりだった。葉子はふと定子を懐妊していた時のはげしい悪阻の苦痛を思い出した。それはおりから痛ましい回想だった。……定子……葉子はもうその笞には堪えないというように頭を振って、気を紛らすために目を開いて、とめどなく動く波の戯れを見ようとしたが、一目見るやぐらぐらと眩暈を感じて一たまりもなくまた突っ伏してしまった。深い悲しいため息が思わず出るのを留めようとしてもかいがなかった。「船に酔ったのだ」と思った時には、もうからだじゅうは不快な嘔感のためにわなわなと震えていた。 「嘔けばいい」  そう思って手欄から身を乗り出す瞬間、からだじゅうの力は腹から胸もとに集まって、背は思わずも激しく波打った。そのあとはもう夢のようだった。  しばらくしてから葉子は力が抜けたようになって、ハンカチで口もとをぬぐいながら、たよりなくあたりを見回した。甲板の上も波の上のように荒涼として人気がなかった。明るく灯の光のもれていた眼窓は残らずカーテンでおおわれて暗くなっていた。右にも左にも人はいない。そう思った心のゆるみにつけ込んだのか、胸の苦しみはまた急によせ返して来た。葉子はもう一度手欄に乗り出してほろほろと熱い涙をこぼした。たとえば高くつるした大石を切って落としたように、過去というものが大きな一つの暗い悲しみとなって胸を打った。物心を覚えてから二十五の今日まで、張りつめ通した心の糸が、今こそ思い存分ゆるんだかと思われるその悲しい快さ。葉子はそのむなしい哀感にひたりながら、重ねた両手の上に額を乗せて手欄によりかかったまま重い呼吸をしながらほろほろと泣き続けた。一時性貧血を起こした額は死人のように冷えきって、泣きながらも葉子はどうかするとふっと引き入れられるように、仮睡に陥ろうとした。そうしてははっと何かに驚かされたように目を開くと、また底の知れぬ哀感がどこからともなく襲い入った。悲しい快さ。葉子は小学校に通っている時分でも、泣きたい時には、人前では歯をくいしばっていて、人のいない所まで行って隠れて泣いた。涙を人に見せるというのは卑しい事にしか思えなかった。乞食が哀れみを求めたり、老人が愚痴をいうのと同様に、葉子にはけがらわしく思えていた。しかしその夜に限っては、葉子はだれの前でも素直な心で泣けるような気がした。だれかの前でさめざめと泣いてみたいような気分にさえなっていた。しみじみとあわれんでくれる人もありそうに思えた。そうした気持ちで葉子は小娘のようにたわいもなく泣きつづけていた。  その時甲板のかなたから靴の音が聞こえて来た。二人らしい足音だった。その瞬間まではだれの胸にでも抱きついてしみじみ泣けると思っていた葉子は、その音を聞きつけるとはっというまもなく、張りつめたいつものような心になってしまって、大急ぎで涙を押しぬぐいながら、踵を返して自分の部屋に戻ろうとした。が、その時はもうおそかった。洋服姿の田川夫妻がはっきりと見分けがつくほどの距離に進みよっていたので、さすがに葉子もそれを見て見ぬふりでやり過ごす事は得しなかった。涙をぬぐいきると、左手をあげて髪のほつれをしなをしながらかき上げた時、二人はもうすぐそばに近寄っていた。 「あらあなたでしたの。わたしどもは少し用事ができておくれましたが、こんなにおそくまで室外にいらしってお寒くはありませんでしたか。気分はいかがです」  田川夫人は例の目下の者にいい慣れた言葉を器用に使いながら、はっきりとこういってのぞき込むようにした。夫妻はすぐ葉子が何をしていたかを感づいたらしい。葉子はそれをひどく不快に思った。 「急に寒い所に出ましたせいですかしら、なんだか頭がぐらぐらいたしまして」 「お嘔しなさった……それはいけない」  田川博士は夫人の言葉を聞くともっともというふうに、二三度こっくりとうなずいた。厚外套にくるまった肥った博士と、暖かそうなスコッチの裾長の服に、ロシア帽を眉ぎわまでかぶった夫人との前に立つと、やさ形の葉子は背たけこそ高いが、二人の娘ほどにながめられた。 「どうだ一緒に少し歩いてみちゃ」  と田川博士がいうと、夫人は、 「ようございましょうよ、血液がよく循環して」と応じて葉子に散歩を促した。葉子はやむを得ず、かつかつと鳴る二人の靴の音と、自分の上草履の音とをさびしく聞きながら、夫人のそばにひき添って甲板の上を歩き始めた。ギーイときしみながら船が大きくかしぐのにうまく中心を取りながら歩こうとすると、また不快な気持ちが胸先にこみ上げて来るのを葉子は強く押し静めて事もなげに振る舞おうとした。  博士は夫人との会話の途切れ目を捕えては、話を葉子に向けて慰め顔にあしらおうとしたが、いつでも夫人が葉子のすべき返事をひったくって物をいうので、せっかくの話は腰を折られた。葉子はしかし結句それをいい事にして、自分の思いにふけりながら二人に続いた。しばらく歩きなれてみると、運動ができたためか、だんだん嘔き気は感ぜぬようになった。田川夫妻は自然に葉子を会話からのけものにして、二人の間で四方山のうわさ話を取りかわし始めた。不思議なほどに緊張した葉子の心は、それらの世間話にはいささかの興味も持ち得ないで、むしろその無意味に近い言葉の数々を、自分の瞑想を妨げる騒音のようにうるさく思っていた。と、ふと田川夫人が事務長と言ったのを小耳にはさんで、思わず針でも踏みつけたようにぎょっとして、黙想から取って返して聞き耳を立てた。自分でも驚くほど神経が騒ぎ立つのをどうする事もできなかった。 「ずいぶんしたたか者らしゅうございますわね」  そう夫人のいう声がした。 「そうらしいね」  博士の声には笑いがまじっていた。 「賭博が大の上手ですって」 「そうかねえ」  事務長の話はそれぎりで絶えてしまった。葉子はなんとなく物足らなくなって、また何かいい出すだろうと心待ちにしていたが、その先を続ける様子がないので、心残りを覚えながら、また自分の心に帰って行った。  しばらくすると夫人がまた事務長のうわさをし始めた。 「事務長のそばにすわって食事をするのはどうもいやでなりませんの」 「そんなら早月さんに席を代わってもらったらいいでしょう」  葉子は闇の中で鋭く目をかがやかしながら夫人の様子をうかがった。 「でも夫婦がテーブルにならぶって法はありませんわ……ねえ早月さん」  こう戯談らしく夫人はいって、ちょっと葉子のほうを振り向いて笑ったが、べつにその返事を待つというでもなく、始めて葉子の存在に気づきでもしたように、いろいろと身の上などを探りを入れるらしく聞き始めた。田川博士も時々親切らしい言葉を添えた。葉子は始めのうちこそつつましやかに事実にさほど遠くない返事をしていたものの、話がだんだん深入りして行くにつれて、田川夫人という人は上流の貴夫人だと自分でも思っているらしいに似合わない思いやりのない人だと思い出した。それはあり内の質問だったかもしれない。けれども葉子にはそう思えた。縁もゆかりもない人の前で思うままな侮辱を加えられるとむっとせずにはいられなかった。知った所がなんにもならない話を、木村の事まで根はり葉はり問いただしていったいどうしようという気なのだろう。老人でもあるならば、過ぎ去った昔を他人にくどくどと話して聞かせて、せめて慰むという事もあろう。「老人には過去を、若い人には未来を」という交際術の初歩すら心得ないがさつな人だ。自分ですらそっと手もつけないで済ませたい血なまぐさい身の上を……自分は老人ではない。葉子は田川夫人が意地にかかってこんな悪戯をするのだと思うと激しい敵意から口びるをかんだ。  しかしその時田川博士が、サルンからもれて来る灯の光で時計を見て、八時十分前だから部屋に帰ろうといい出したので、葉子はべつに何もいわずにしまった。三人が階子段を降りかけた時、夫人は、葉子の気分にはいっこう気づかぬらしく、――もしそうでなければ気づきながらわざと気づかぬらしく振る舞って、 「事務長はあなたのお部屋にも遊びに見えますか」  と突拍子もなくいきなり問いかけた。それを聞くと葉子の心は何という事なしに理不尽な怒りに捕えられた。得意な皮肉でも思い存分に浴びせかけてやろうかと思ったが、胸をさすりおろしてわざと落ち付いた調子で、 「いゝえちっともお見えになりませんが……」  と空々しく聞こえるように答えた。夫人はまだ葉子の心持ちには少しも気づかぬふうで、 「おやそう。わたしのほうへはたびたびいらして困りますのよ」  と小声でささやいた。「何を生意気な」葉子は前後なしにこう心のうちに叫んだが一言も口には出さなかった。敵意――嫉妬ともいい代えられそうな――敵意がその瞬間からすっかり根を張った。その時夫人が振り返って葉子の顔を見たならば、思わず博士を楯に取って恐れながら身をかわさずにはいられなかったろう、――そんな場合には葉子はもとよりその瞬間に稲妻のようにすばしこく隔意のない顔を見せたには違いなかろうけれども。葉子は一言もいわずに黙礼したまま二人に別れて部屋に帰った。  室内はむっとするほど暑かった。葉子は嘔き気はもう感じてはいなかったが、胸もとが妙にしめつけられるように苦しいので、急いでボアをかいやって床の上に捨てたまま、投げるように長椅子に倒れかかった。  それは不思議だった。葉子の神経は時には自分でも持て余すほど鋭く働いて、だれも気のつかないにおいがたまらないほど気になったり、人の着ている着物の色合いが見ていられないほど不調和で不愉快であったり、周囲の人が腑抜けな木偶のように甲斐なく思われたり、静かに空を渡って行く雲の脚が瞑眩がするほどめまぐるしく見えたりして、我慢にもじっとしていられない事は絶えずあったけれども、その夜のように鋭く神経のとがって来た事は覚えがなかった。神経の末梢が、まるで大風にあったこずえのようにざわざわと音がするかとさえ思われた。葉子は足と足とをぎゅっとからみ合わせてそれに力をこめながら、右手の指先を四本そろえてその爪先を、水晶のように固い美しい歯で一思いに激しくかんで見たりした。悪寒のような小刻みな身ぶるいが絶えず足のほうから頭へと波動のように伝わった。寒いためにそうなるのか、暑いためにそうなるのかよくわからなかった。そうしていらいらしながらトランクを開いたままで取り散らした部屋の中をぼんやり見やっていた。目はうるさくかすんでいた。ふと落ち散ったものの中に葉子は事務長の名刺があるのに目をつけて、身をかがめてそれを拾い上げた。それを拾い上げるとま二つに引き裂いてまた床になげた。それはあまりに手答えなく裂けてしまった。葉子はまた何かもっとうんと手答えのあるものを尋ねるように熱して輝く目でまじまじとあたりを見回していた。と、カーテンを引き忘れていた。恥ずかしい様子を見られはしなかったかと思うと胸がどきんとしていきなり立ち上がろうとした拍子に、葉子は窓の外に人の顔を認めたように思った。田川博士のようでもあった。田川夫人のようでもあった。しかしそんなはずはない、二人はもう部屋に帰っている。事務長……  葉子は思わず裸体を見られた女のように固くなって立ちすくんだ。激しいおののきが襲って来た。そして何の思慮もなく床の上のボアを取って胸にあてがったが、次の瞬間にはトランクの中からショールを取り出してボアと一緒にそれをかかえて、逃げる人のように、あたふたと部屋を出た。  船のゆらぐごとに木と木とのすれあう不快な音は、おおかた船客の寝しずまった夜の寂寞の中にきわ立って響いた。自動平衡器の中にともされた蝋燭は壁板に奇怪な角度を取って、ゆるぎもせずにぼんやりと光っていた。  戸をあけて甲板に出ると、甲板のあなたはさっきのままの波また波の堆積だった。大煙筒から吐き出される煤煙はまっ黒い天の川のように無月の空を立ち割って水に近く斜めに流れていた。 一三  そこだけは星が光っていないので、雲のある所がようやく知れるぐらい思いきって暗い夜だった。おっかぶさって来るかと見上くれば、目のまわるほど遠のいて見え、遠いと思って見れば、今にも頭を包みそうに近く逼ってる鋼色の沈黙した大空が、際限もない羽をたれたように、同じ暗色の海原に続く所から波がわいて、闇の中をのたうちまろびながら、見渡す限りわめき騒いでいる。耳を澄まして聞いていると、水と水とが激しくぶつかり合う底のほうに、 「おーい、おい、おい、おーい」  というかと思われる声ともつかない一種の奇怪な響きが、舷をめぐって叫ばれていた。葉子は前後左右に大きく傾く甲板の上を、傾くままに身を斜めにしてからく重心を取りながら、よろけよろけブリッジに近いハッチの物陰までたどりついて、ショールで深々と首から下を巻いて、白ペンキで塗った板囲いに身を寄せかけて立った、たたずんだ所は風下になっているが、頭の上では、檣からたれ下がった索綱の類が風にしなってうなりを立て、アリュウシャン群島近い高緯度の空気は、九月の末とは思われぬほど寒く霜を含んでいた。気負いに気負った葉子の肉体はしかしさして寒いとは思わなかった。寒いとしてもむしろ快い寒さだった。もうどんどんと冷えて行く着物の裏に、心臓のはげしい鼓動につれて、乳房が冷たく触れたり離れたりするのが、なやましい気分を誘い出したりした。それにたたずんでいるのに足が爪先からだんだんに冷えて行って、やがて膝から下は知覚を失い始めたので、気分は妙に上ずって来て、葉子の幼い時からの癖である夢ともうつつとも知れない音楽的な錯覚に陥って行った。五体も心も不思議な熱を覚えながら、一種のリズムの中に揺り動かされるようになって行った。何を見るともなく凝然と見定めた目の前に、無数の星が船の動揺につれて光のまたたきをしながら、ゆるいテンポをととのえてゆらりゆらりと静かにおどると、帆綱のうなりが張り切ったバスの声となり、その間を「おーい、おい、おい、おーい……」と心の声とも波のうめきともわからぬトレモロが流れ、盛り上がり、くずれこむ波また波がテノルの役目を勤めた。声が形となり、形が声となり、それから一緒にもつれ合う姿を葉子は目で聞いたり耳で見たりしていた。なんのために夜寒を甲板に出て来たか葉子は忘れていた。夢遊病者のように葉子はまっしぐらにこの不思議な世界に落ちこんで行った。それでいて、葉子の心の一部分はいたましいほど醒めきっていた。葉子は燕のようにその音楽的な夢幻界を翔け上がりくぐりぬけてさまざまな事を考えていた。  屈辱、屈辱……屈辱――思索の壁は屈辱というちかちかと寒く光る色で、いちめんに塗りつぶされていた。その表面に田川夫人や事務長や田川博士の姿が目まぐるしく音律に乗って動いた。葉子はうるさそうに頭の中にある手のようなもので無性に払いのけようと試みたがむだだった。皮肉な横目をつかって青味を帯びた田川夫人の顔が、かき乱された水の中を、小さな泡が逃げてでも行くように、ふらふらとゆらめきながら上のほうに遠ざかって行った。まずよかったと思うと、事務長の insolent な目つきが低い調子の伴音となって、じっと動かない中にも力ある震動をしながら、葉子の眼睛の奥を網膜まで見とおすほどぎゅっと見すえていた。「なんで事務長や田川夫人なんぞがこんなに自分をわずらわすだろう。憎らしい。なんの因縁で……」葉子は自分をこう卑しみながらも、男の目を迎え慣れた媚びの色を知らず知らず上まぶたに集めて、それに応じようとする途端、日に向かって目を閉じた時に綾をなして乱れ飛ぶあの不思議な種々な色の光体、それに似たものが繚乱として心を取り囲んだ。星はゆるいテンポでゆらりゆらりと静かにおどっている。「おーい、おい、おい、おーい」……葉子は思わずかっと腹を立てた。その憤りの膜の中にすべての幻影はすーっと吸い取られてしまった。と思うとその憤りすらが見る見るぼやけて、あとには感激のさらにない死のような世界が果てしもなくどんよりとよどんだ。葉子はしばらくは気が遠くなって何事もわきまえないでいた。  やがて葉子はまたおもむろに意識の閾に近づいて来ていた。  煙突の中の黒い煤の間を、横すじかいに休らいながら飛びながら、上って行く火の子のように、葉子の幻想は暗い記憶の洞穴の中を右左によろめきながら奥深くたどって行くのだった。自分でさえ驚くばかり底の底にまた底のある迷路を恐る恐る伝って行くと、果てしもなく現われ出る人の顔のいちばん奥に、赤い着物を裾長に着て、まばゆいほどに輝き渡った男の姿が見え出した。葉子の心の周囲にそれまで響いていた音楽は、その瞬間ぱったり静まってしまって、耳の底がかーんとするほど空恐ろしい寂莫の中に、船の舳のほうで氷をたたき破るような寒い時鐘の音が聞こえた。「カンカン、カンカン、カーン」……。葉子は何時の鐘だと考えてみる事もしないで、そこに現われた男の顔を見分けようとしたが、木村に似た容貌がおぼろに浮かんで来るだけで、どう見直して見てもはっきりした事はもどかしいほどわからなかった。木村であるはずはないんだがと葉子はいらいらしながら思った。「木村はわたしの良人ではないか。その木村が赤い着物を着ているという法があるものか。……かわいそうに、木村はサン・フランシスコから今ごろはシヤトルのほうに来て、私の着くのを一日千秋の思いで待っているだろうに、わたしはこんな事をしてここで赤い着物を着た男なんぞを見つめている。千秋の思いで待つ? それはそうだろう。けれどもわたしが木村の妻になってしまったが最後、千秋の思いでわたしを待ったりした木村がどんな良人に変わるかは知れきっている。憎いのは男だ……木村でも倉地でも……また事務長なんぞを思い出している。そうだ、米国に着いたらもう少し落ち着いて考えた生きかたをしよう。木村だって打てば響くくらいはする男だ。……あっちに行ってまとまった金ができたら、なんといってもかまわない、定子を呼び寄せてやる。あ、定子の事なら木村は承知の上だったのに。それにしても木村が赤い着物などを着ているのはあんまりおかしい……」ふと葉子はもう一度赤い着物の男を見た。事務長の顔が赤い着物の上に似合わしく乗っていた。葉子はぎょっとした。そしてその顔をもっとはっきり見つめたいために重い重いまぶたをしいて押し開く努力をした。  見ると葉子の前にはまさしく、角燈を持って焦茶色のマントを着た事務長が立っていた。そして、 「どうなさったんだ今ごろこんな所に、……今夜はどうかしている……岡さん、あなたの仲間がもう一人ここにいますよ」  といいながら事務長は魂を得たように動き始めて、後ろのほうを振り返った。事務長の後ろには、食堂で葉子と一目顔を見合わすと、震えんばかりに興奮して顔を得上げないでいた上品なかの青年が、まっさおな顔をして物におじたようにつつましく立っていた。  目はまざまざと開いていたけれども葉子はまだ夢心地だった。事務長のいるのに気づいた瞬間からまた聞こえ出した波濤の音は、前のように音楽的な所は少しもなく、ただ物狂おしい騒音となって船に迫っていた。しかし葉子は今の境界がほんとうに現実の境界なのか、さっき不思議な音楽的の錯覚にひたっていた境界が夢幻の中の境界なのか、自分ながら少しも見さかいがつかないくらいぼんやりしていた。そしてあの荒唐な奇怪な心の adventure をかえってまざまざとした現実の出来事でもあるかのように思いなして、目の前に見る酒に赤らんだ事務長の顔は妙に蠱惑的な気味の悪い幻像となって、葉子を脅かそうとした。 「少し飲み過ぎたところにためといた仕事を詰めてやったんで眠れん。で散歩のつもりで甲板の見回りに出ると岡さん」  といいながらもう一度後ろに振り返って、 「この岡さんがこの寒いに手欄からからだを乗り出してぽかんと海を見とるんです。取り押えてケビンに連れて行こうと思うとると、今度はあなたに出っくわす。物好きもあったもんですねえ。海をながめて何がおもしろいかな。お寒かありませんか、ショールなんぞも落ちてしまった」  どこの国なまりともわからぬ一種の調子が塩さびた声であやつられるのが、事務長の人となりによくそぐって聞こえる。葉子はそんな事を思いながら事務長の言葉を聞き終わると、始めてはっきり目がさめたように思った。そして簡単に、 「いゝえ」 と答えながら上目づかいに、夢の中からでも人を見るようにうっとりと事務長のしぶとそうな顔を見やった。そしてそのまま黙っていた。  事務長は例の insolent な目つきで葉子を一目に見くるめながら、 「若い方は世話が焼ける……さあ行きましょう」  と強い語調でいって、からからと傍若無人に笑いながら葉子をせき立てた。海の波の荒涼たるおめきの中に聞くこの笑い声は diabolic なものだった。「若い方」……老成ぶった事をいうと葉子は思ったけれども、しかし事務長にはそんな事をいう権利でもあるかのように葉子は皮肉な竹篦返しもせずに、おとなしくショールを拾い上げて事務長のいうままにそのあとに続こうとして驚いた。ところが長い間そこにたたずんでいたものと見えて、磁石で吸い付けられたように、両足は固く重くなって一寸も動きそうにはなかった。寒気のために感覚の痲痺しかかった膝の関節はしいて曲げようとすると、筋を絶つほどの痛みを覚えた。不用意に歩き出そうとした葉子は、思わずのめり出さした上体をからく後ろにささえて、情けなげに立ちすくみながら、 「ま、ちょっと」  と呼びかけた。事務長の後ろに続こうとした岡と呼ばれた青年はこれを聞くといち早く足を止めて葉子のほうを振り向いた。 「始めてお知り合いになったばかりですのに、すぐお心安だてをしてほんとうになんでございますが、ちょっとお肩を貸していただけませんでしょうか。なんですか足の先が凍ったようになってしまって……」  と葉子は美しく顔をしかめて見せた。岡はそれらの言葉が拳となって続けさまに胸を打つとでもいったように、しばらくの間どぎまぎ躊躇していたが、やがて思い切ったふうで、黙ったまま引き返して来た。身のたけも肩幅も葉子とそう違わないほどな華車なからだをわなわなと震わせているのが、肩に手をかけないうちからよく知れた。事務長は振り向きもしないで、靴のかかとをこつこつと鳴らしながら早二三間のかなたに遠ざかっていた。  鋭敏な馬の皮膚のようにだちだちと震える青年の肩におぶいかかりながら、葉子は黒い大きな事務長の後ろ姿を仇かたきでもあるかのように鋭く見つめてそろそろと歩いた。西洋酒の芳醇な甘い酒の香が、まだ酔いからさめきらない事務長の身のまわりを毒々しい靄となって取り巻いていた。放縦という事務長の心の臓は、今不用心に開かれている。あの無頓着そうな肩のゆすりの陰にすさまじい desire の火が激しく燃えているはずである。葉子は禁断の木の実を始めてくいかいだ原人のような渇欲をわれにもなくあおりたてて、事務長の心の裏をひっくり返して縫い目を見窮めようとばかりしていた。おまけに青年の肩に置いた葉子の手は、華車とはいいながら、男性的な強い弾力を持つ筋肉の震えをまざまざと感ずるので、これらの二人の男が与える奇怪な刺激はほしいままにからまりあって、恐ろしい心を葉子に起こさせた。木村……何をうるさい、よけいな事はいわずと黙って見ているがいい。心の中をひらめき過ぎる断片的な影を葉子は枯れ葉のように払いのけながら、目の前に見る蠱惑におぼれて行こうとのみした。口から喉はあえぎたいほどにひからびて、岡の肩に乗せた手は、生理的な作用から冷たく堅くなっていた。そして熱をこめてうるんだ目を見張って、事務長の後ろ姿ばかりを見つめながら、五体はふらふらとたわいもなく岡のほうによりそった。吐き出す気息は燃え立って岡の横顔をなでた。事務長は油断なく角燈で左右を照らしながら甲板の整頓に気を配って歩いている。  葉子はいたわるように岡の耳に口をよせて、 「あなたはどちらまで」  と聞いてみた。その声はいつものように澄んではいなかった。そして気を許した女からばかり聞かれるような甘たるい親しさがこもっていた。岡の肩は感激のために一入震えた。頓には返事もし得ないでいたようだったが、やがて臆病そうに、 「あなたは」  とだけ聞き返して、熱心に葉子の返事を待つらしかった。 「シカゴまで参るつもりですの」 「僕も……わたしもそうです」  岡は待ち設けたように声を震わしながらきっぱりと答えた。 「シカゴの大学にでもいらっしゃいますの」  岡は非常にあわてたようだった。なんと返事をしたものか恐ろしくためらうふうだったが、やがてあいまいに口の中で、 「えゝ」  とだけつぶやいて黙ってしまった。そのおぼこさ……葉子は闇の中で目をかがやかしてほほえんだ。そして岡をあわれんだ。  しかし青年をあわれむと同時に葉子の目は稲妻のように事務長の後ろ姿を斜めにかすめた。青年をあわれむ自分は事務長にあわれまれているのではないか。始終一歩ずつ上手を行くような事務長が一種の憎しみをもってながめやられた。かつて味わった事のないこの憎しみの心を葉子はどうする事もできなかった。  二人に別れて自分の船室に帰った葉子はほとんど delirium の状態にあった。眼睛は大きく開いたままで、盲目同様に部屋の中の物を見る事をしなかった。冷えきった手先はおどおどと両の袂をつかんだり離したりしていた。葉子は夢中でショールとボアとをかなぐり捨て、もどかしげに帯だけほどくと、髪も解かずに寝台の上に倒れかかって、横になったまま羽根枕を両手でひしと抱いて顔を伏せた。なぜと知らぬ涙がその時堰を切ったように流れ出した。そして涙はあとからあとからみなぎるようにシーツを湿しながら、充血した口びるは恐ろしい笑いをたたえてわなわなと震えていた。  一時間ほどそうしているうちに泣き疲れに疲れて、葉子はかけるものもかけずにそのまま深い眠りに陥って行った。けばけばしい電燈の光はその翌日の朝までこのなまめかしくもふしだらな葉子の丸寝姿を画いたように照らしていた。 一四  なんといっても船旅は単調だった。たとい日々夜々に一瞬もやむ事なく姿を変える海の波と空の雲とはあっても、詩人でもないなべての船客は、それらに対して途方に暮れた倦怠の視線を投げるばかりだった。地上の生活からすっかり遮断された船の中には、ごく小さな事でも目新しい事件の起こる事のみが待ち設けられていた。そうした生活では葉子が自然に船客の注意の焦点となり、話題の提供者となったのは不思議もない。毎日毎日凍りつくような濃霧の間を、東へ東へと心細く走り続ける小さな汽船の中の社会は、あらわには知れないながら、何かさびしい過去を持つらしい、妖艶な、若い葉子の一挙一動を、絶えず興味深くじっと見守るように見えた。  かの奇怪な心の動乱の一夜を過ごすと、その翌日から葉子はまたふだんのとおりに、いかにも足もとがあやうく見えながら少しも破綻を示さず、ややもすれば他人の勝手になりそうでいて、よそからは決して動かされない女になっていた。始めて食堂に出た時のつつましやかさに引きかえて、時には快活な少女のように晴れやかな顔つきをして、船客らと言葉をかわしたりした。食堂に現われる時の葉子の服装だけでも、退屈に倦じ果てた人々には、物好きな期待を与えた。ある時は葉子は慎み深い深窓の婦人らしく上品に、ある時は素養の深い若いディレッタントのように高尚に、またある時は習俗から解放された adventuress とも思われる放胆を示した。その極端な変化が一日の中に起こって来ても、人々はさして怪しく思わなかった。それほど葉子の性格には複雑なものが潜んでいるのを感じさせた。絵島丸が横浜の桟橋につながれている間から、人々の注意の中心となっていた田川夫人を、海気にあって息気をふき返した人魚のような葉子のかたわらにおいて見ると、身分、閲歴、学殖、年齢などといういかめしい資格が、かえって夫人を固い古ぼけた輪郭にはめこんで見せる結果になって、ただ神体のない空虚な宮殿のような空いかめしい興なさを感じさせるばかりだった。女の本能の鋭さから田川夫人はすぐそれを感づいたらしかった。夫人の耳もとに響いて来るのは葉子のうわさばかりで、夫人自身の評判は見る見る薄れて行った。ともすると田川博士までが、夫人の存在を忘れたような振る舞いをする、そう夫人を思わせる事があるらしかった。食堂の卓をはさんで向かい合う夫妻が他人同士のような顔をして互い互いにぬすみ見をするのを葉子がすばやく見て取った事などもあった。といって今まで自分の子供でもあしらうように振る舞っていた葉子に対して、今さら夫人は改まった態度も取りかねていた。よくも仮面をかぶって人を陥れたという女らしいひねくれた妬みひがみが、明らかに夫人の表情に読まれ出した。しかし実際の処置としては、くやしくても虫を殺して、自分を葉子まで引き下げるか、葉子を自分まで引き上げるよりしかたがなかった。夫人の葉子に対する仕打ちは戸板をかえすように違って来た。葉子は知らん顔をして夫人のするがままに任せていた。葉子はもとより夫人のあわてたこの処置が夫人には致命的な不利益であり、自分には都合のいい仕合わせであるのを知っていたからだ。案のじょう、田川夫人のこの譲歩は、夫人に何らかの同情なり尊敬なりが加えられる結果とならなかったばかりでなく、その勢力はますます下り坂になって、葉子はいつのまにか田川夫人と対等で物をいい合っても少しも不思議とは思わせないほどの高みに自分を持ち上げてしまっていた。落ち目になった夫人は年がいもなくしどろもどろになっていた。恐ろしいほどやさしく親切に葉子をあしらうかと思えば、皮肉らしくばか丁寧に物をいいかけたり、あるいは突然路傍の人に対するようなよそよそしさを装って見せたりした。死にかけた蛇ののたうち回るのを見やる蛇使いのように、葉子は冷ややかにあざ笑いながら、夫人の心の葛藤を見やっていた。  単調な船旅にあき果てて、したたか刺激に飢えた男の群れは、この二人の女性を中心にして知らず知らず渦巻きのようにめぐっていた。田川夫人と葉子との暗闘は表面には少しも目に立たないで戦われていたのだけれども、それが男たちに自然に刺激を与えないではおかなかった。平らな水に偶然落ちて来た微風のひき起こす小さな波紋ほどの変化でも、船の中では一かどの事件だった。男たちはなぜともなく一種の緊張と興味とを感ずるように見えた。  田川夫人は微妙な女の本能と直覚とで、じりじりと葉子の心のすみずみを探り回しているようだったが、ついにここぞという急所をつかんだらしく見えた。それまで事務長に対して見下したような丁寧さを見せていた夫人は、見る見る態度を変えて、食卓でも二人は、席が隣り合っているからという以上な親しげな会話を取りかわすようになった。田川博士までが夫人の意を迎えて、何かにつけて事務長の室に繁く出入りするばかりか、事務長はたいていの夜は田川夫妻の部屋に呼び迎えられた。田川博士はもとより船の正客である。それをそらすような事務長ではない。倉地は船医の興録までを手伝わせて、田川夫妻の旅情を慰めるように振る舞った。田川博士の船室には夜おそくまで灯がかがやいて、夫人の興ありげに高く笑う声が室外まで聞こえる事が珍しくなかった。  葉子は田川夫人のこんな仕打ちを受けても、心の中で冷笑っているのみだった。すでに自分が勝ち味になっているという自覚は、葉子に反動的な寛大な心を与えて、夫人が事務長を擄にしようとしている事などはてんで問題にはしまいとした。夫人はよけいな見当違いをして、痛くもない腹を探っている、事務長がどうしたというのだ。母の胎を出るとそのままなんの訓練も受けずに育ち上がったようなぶしつけな、動物性の勝った、どんな事をして来たのか、どんな事をするのかわからないようなたかが事務長になんの興味があるものか。あんな人間に気を引かれるくらいなら、自分はとうに喜んで木村の愛になずいているのだ。見当違いもいいかげんにするがいい。そう歯がみをしたいくらいな気分で思った。  ある夕方葉子はいつものとおり散歩しようと甲板に出て見ると、はるか遠い手欄の所に岡がたった一人しょんぼりとよりかかって、海を見入っていた。葉子はいたずら者らしくそっと足音を盗んで、忍び忍び近づいて、いきなり岡と肩をすり合わせるようにして立った。岡は不意に人が現われたので非常に驚いたふうで、顔をそむけてその場を立ち去ろうとするのを、葉子は否応なしに手を握って引き留めた。岡が逃げ隠れようとするのも道理、その顔には涙のあとがまざまざと残っていた。少年から青年になったばかりのような、内気らしい、小柄な岡の姿は、何もかも荒々しい船の中ではことさらデリケートな可憐なものに見えた。葉子はいたずらばかりでなく、この青年に一種の淡々しい愛を覚えた。 「何を泣いてらしったの」  小首を存分傾けて、少女が少女に物を尋ねるように、肩に手を置きそえながら聞いてみた。 「僕……泣いていやしません」  岡は両方の頬を紅く彩って、こういいながらくるりとからだをそっぽうに向け換えようとした。それがどうしても少女のようなしぐさだった。抱きしめてやりたいようなその肉体と、肉体につつまれた心。葉子はさらにすり寄った。 「いゝえいゝえ泣いてらっしゃいましたわ」  岡は途方に暮れたように目の下の海をながめていたが、のがれる術のないのを覚って、大っぴらにハンケチをズボンのポケットから出して目をぬぐった。そして少し恨むような目つきをして、始めてまともに葉子を見た。口びるまでが苺のように紅くなっていた。青白い皮膚に嵌め込まれたその紅さを、色彩に敏感な葉子は見のがす事ができなかった。岡は何かしら非常に興奮していた。その興奮してぶるぶる震えるしなやかな手を葉子は手欄ごとじっと押えた。 「さ、これでおふき遊ばせ」  葉子の袂からは美しい香りのこもった小さなリンネルのハンケチが取り出された。 「持ってるんですから」  岡は恐縮したように自分のハンケチを顧みた。 「何をお泣きになって……まあわたしったらよけいな事まで伺って」 「何いいんです……ただ海を見たらなんとなく涙ぐんでしまったんです。からだが弱いもんですからくだらない事にまで感傷的になって困ります。……なんでもない……」  葉子はいかにも同情するように合点合点した。岡が葉子とこうして一緒にいるのをひどくうれしがっているのが葉子にはよく知れた。葉子はやがて自分のハンケチを手欄の上においたまま、 「わたしの部屋へもよろしかったらいらっしゃいまし。またゆっくりお話ししましょうね」  となつこくいってそこを去った。  岡は決して葉子の部屋を訪れる事はしなかったけれども、この事のあって後は、二人はよく親しく話し合った。岡は人なじみの悪い、話の種のない、ごく初心な世慣れない青年だったけれども、葉子はわずかなタクトですぐ隔てを取り去ってしまった。そして打ち解けて見ると彼は上品な、どこまでも純粋な、そして慧かしい青年だった。若い女性にはそのはにかみやな所から今まで絶えて接していなかったので、葉子にはすがり付くように親しんで来た。葉子も同性の恋をするような気持ちで岡をかわいがった。  そのころからだ、事務長が岡に近づくようになったのは。岡は葉子と話をしない時はいつでも事務長と散歩などをしていた。しかし事務長の親友とも思われる二三の船客に対しては口もきこうとはしなかった。岡は時々葉子に事務長のうわさをして聞かした。そして表面はあれほど粗暴のように見えながら、考えの変わった、年齢や位置などに隔てをおかない、親切な人だといったりした。もっと交際してみるといいともいった。そのたびごとに葉子は激しく反対した。あんな人間を岡が話し相手にするのは実際不思議なくらいだ。あの人のどこに岡と共通するような優れた所があろうなどとからかった。  葉子に引き付けられたのは岡ばかりではなかった。午餐が済んで人々がサルンに集まる時などは団欒がたいてい三つくらいに分かれてできた。田川夫妻の周囲にはいちばん多数の人が集まった。外国人だけの団体から田川のほうに来る人もあり、日本の政治家実業家連はもちろんわれ先にそこに馳せ参じた。そこからだんだん細く糸のようにつながれて若い留学生とか学者とかいう連中が陣を取り、それからまただんだん太くつながれて、葉子と少年少女らの群れがいた。食堂で不意の質問に辟易した外交官補などは第一の連絡の綱となった。衆人の前では岡は遠慮するようにあまり葉子に親しむ様子は見せずに不即不離の態度を保っていた。遠慮会釈なくそんな所で葉子になれ親しむのは子供たちだった。まっ白なモスリンの着物を着て赤い大きなリボンを装った少女たちや、水兵服で身軽に装った少年たちは葉子の周囲に花輪のように集まった。葉子がそういう人たちをかたみがわりに抱いたりかかえたりして、お伽話などして聞かせている様子は、船中の見ものだった。どうかするとサルンの人たちは自分らの間の話題などは捨てておいてこの可憐な光景をうっとり見やっているような事もあった。  ただ一つこれらの群れからは全く没交渉な一団があった。それは事務長を中心にした三四人の群れだった。いつでも部屋の一隅の小さな卓を囲んで、その卓の上にはウイスキー用の小さなコップと水とが備えられていた。いちばんいい香いの煙草の煙もそこから漂って来た。彼らは何かひそひそと語り合っては、時々傍若無人な高い笑い声を立てた。そうかと思うとじっと田川の群れの会話に耳を傾けていて、遠くのほうから突然皮肉の茶々を入れる事もあった。だれいうとなく人々はその一団を犬儒派と呼びなした。彼らがどんな種類の人でどんな職業に従事しているかを知る者はなかった。岡などは本能的にその人たちを忌みきらっていた。葉子も何かしら気のおける連中だと思った。そして表面はいっこう無頓着に見えながら、自分に対して充分の観察と注意とを怠っていないのを感じていた。  どうしてもしかし葉子には、船にいるすべての人の中で事務長がいちばん気になった。そんなはず、理由のあるはずはないと自分をたしなめてみてもなんのかいもなかった。サルンで子供たちと戯れている時でも、葉子は自分のして見せる蠱惑的な姿態がいつでも暗々裡に事務長のためにされているのを意識しないわけには行かなかった。事務長がその場にいない時は、子供たちをあやし楽しませる熱意さえ薄らぐのを覚えた。そんな時に小さい人たちはきまってつまらなそうな顔をしたりあくびをしたりした。葉子はそうした様子を見るとさらに興味を失った。そしてそのまま立って自分の部屋に帰ってしまうような事をした。それにも係わらず事務長はかつて葉子に特別な注意を払うような事はないらしく見えた。それが葉子をますます不快にした。夜など甲板の上をそぞろ歩きしている葉子が、田川博士の部屋の中から例の無遠慮な事務長の高笑いの声をもれ聞いたりなぞすると、思わずかっとなって、鉄の壁すら射通しそうな鋭いひとみを声のするほうに送らずにはいられなかった。  ある日の午後、それは雲行きの荒い寒い日だった。船客たちは船の動揺に辟易して自分の船室に閉じこもるのが多かったので、サルンががら明きになっているのを幸い、葉子は岡を誘い出して、部屋のかどになった所に折れ曲がって据えてあるモロッコ皮のディワンに膝と膝を触れ合わさんばかり寄り添って腰をかけて、トランプをいじって遊んだ。岡は日ごろそういう遊戯には少しも興味を持っていなかったが、葉子と二人きりでいられるのを非常に幸福に思うらしく、いつになく快活に札をひねくった。その細いしなやかな手からぶきっちょうに札が捨てられたり取られたりするのを葉子はおもしろいものに見やりながら、断続的に言葉を取りかわした。 「あなたもシカゴにいらっしゃるとおっしゃってね、あの晩」 「えゝいいました。……これで切ってもいいでしょう」 「あらそんなものでもったいない……もっと低いものはおありなさらない?……シカゴではシカゴ大学にいらっしゃるの?」 「これでいいでしょうか……よくわからないんです」 「よくわからないって、そりゃおかしゅうござんすわね、そんな事お決めなさらずに米国にいらっしゃるって」 「僕は……」 「これでいただきますよ……僕は……何」 「僕はねえ」 「えゝ」  葉子はトランプをいじるのをやめて顔を上げた。岡は懺悔でもする人のように、面を伏せて紅くなりながら札をいじくっていた。 「僕のほんとうに行く所はボストンだったのです。そこに僕の家で学資をやってる書生がいて僕の監督をしてくれる事になっていたんですけれど……」  葉子は珍しい事を聞くように岡に目をすえた。岡はますますいい憎そうに、 「あなたにおあい申してから僕もシカゴに行きたくなってしまったんです」  とだんだん語尾を消してしまった。なんという可憐さ……葉子はさらに岡にすり寄った。岡は真剣になって顔まで青ざめて来た。 「お気にさわったら許してください……僕はただ……あなたのいらっしゃる所にいたいんです、どういうわけだか……」  もう岡は涙ぐんでいた。葉子は思わず岡の手を取ってやろうとした。  その瞬間にいきなり事務長が激しい勢いでそこにはいって来た。そして葉子には目もくれずに激しく岡を引っ立てるようにして散歩に連れ出してしまった。岡は唯々としてそのあとにしたがった。  葉子はかっとなって思わず座から立ち上がった。そして思い存分事務長の無礼を責めようと身構えした。その時不意に一つの考えが葉子の頭をひらめき通った。「事務長はどこかで自分たちを見守っていたに違いない」  突っ立ったままの葉子の顔に、乳房を見せつけられた子供のようなほほえみがほのかに浮かび上がった。 一五  葉子はある朝思いがけなく早起きをした。米国に近づくにつれて緯度はだんだん下がって行ったので、寒気も薄らいでいたけれども、なんといっても秋立った空気は朝ごとに冷え冷えと引きしまっていた。葉子は温室のような船室からこのきりっとした空気に触れようとして甲板に出てみた。右舷を回って左舷に出ると計らずも目の前に陸影を見つけ出して、思わず足を止めた。そこには十日ほど念頭から絶え果てていたようなものが海面から浅くもれ上がって続いていた。葉子は好奇な目をかがやかしながら、思わず一たんとめた足を動かして手欄に近づいてそれを見渡した。オレゴン松がすくすくと白波の激しくかみよせる岸べまで密生したバンクーバー島の低い山なみがそこにあった。物すごく底光りのするまっさおな遠洋の色は、いつのまにか乱れた波の物狂わしく立ち騒ぐ沿海の青灰色に変わって、その先に見える暗緑の樹林はどんよりとした雨空の下に荒涼として横たわっていた。それはみじめな姿だった。距りの遠いせいか船がいくら進んでも景色にはいささかの変化も起こらないで、荒涼たるその景色はいつまでも目の前に立ち続いていた。古綿に似た薄雲をもれる朝日の光が力弱くそれを照らすたびごとに、煮え切らない影と光の変化がかすかに山と海とをなでて通るばかりだ。長い長い海洋の生活に慣れた葉子の目には陸地の印象はむしろきたないものでも見るように不愉快だった。もう三日ほどすると船はいやでもシヤトルの桟橋につながれるのだ。向こうに見えるあの陸地の続きにシヤトルはある。あの松の林が切り倒されて少しばかりの平地となった所に、ここに一つかしこに一つというように小屋が建ててあるが、その小屋の数が東に行くにつれてだんだん多くなって、しまいには一かたまりの家屋ができる。それがシヤトルであるに違いない。うらさびしく秋風の吹きわたるその小さな港町の桟橋に、野獣のような諸国の労働者が群がる所に、この小さな絵島丸が疲れきった船体を横たえる時、あの木村が例のめまぐるしい機敏さで、アメリカ風になり済ましたらしい物腰で、まわりの景色に釣り合わない景気のいい顔をして、船梯子を上って来る様子までが、葉子には見るように想像された。 「いやだいやだ。どうしても木村と一緒になるのはいやだ。私は東京に帰ってしまおう」  葉子はだだっ子らしく今さらそんな事を本気に考えてみたりしていた。  水夫長と一人のボーイとが押し並んで、靴と草履との音をたてながらやって来た。そして葉子のそばまで来ると、葉子が振り返ったので二人ながら慇懃に、 「お早うございます」  と挨拶した。その様子がいかにも親しい目上に対するような態度で、ことに水夫長は、 「御退屈でございましたろう。それでもこれであと三日になりました。今度の航海にはしかしお陰様で大助かりをしまして、ゆうべからきわだってよくなりましてね」  と付け加えた。  葉子は一等船客の間の話題の的であったばかりでなく、上級船員の間のうわさの種であったばかりでなく、この長い航海中に、いつのまにか下級船員の間にも不思議な勢力になっていた。航海の八日目かに、ある老年の水夫がフォクスルで仕事をしていた時、錨の鎖に足先をはさまれて骨をくじいた。プロメネード・デッキで偶然それを見つけた葉子は、船医より早くその場に駆けつけた。結びっこぶのように丸まって、痛みのためにもがき苦しむその老人のあとに引きそって、水夫部屋の入り口まではたくさんの船員や船客が物珍しそうについて来たが、そこまで行くと船員ですらが中にはいるのを躊躇した。どんな秘密が潜んでいるかだれも知る人のないその内部は、船中では機関室よりも危険な一区域と見なされていただけに、その入り口さえが一種人を脅かすような薄気味わるさを持っていた。葉子はしかしその老人の苦しみもがく姿を見るとそんな事は手もなく忘れてしまっていた。ひょっとすると邪魔物扱いにされてあの老人は殺されてしまうかもしれない。あんな齢までこの海上の荒々しい労働に縛られているこの人にはたよりになる縁者もいないのだろう。こんな思いやりがとめどもなく葉子の心を襲い立てるので、葉子はその老人に引きずられてでも行くようにどんどん水夫部屋の中に降りて行った。薄暗い腐敗した空気は蒸れ上がるように人を襲って、陰の中にうようよとうごめく群れの中からは太く錆びた声が投げかわされた。闇に慣れた水夫たちの目はやにわに葉子の姿を引っ捕えたらしい。見る見る一種の興奮が部屋のすみずみにまでみちあふれて、それが奇怪なののしり声となって物すごく葉子に逼った。だぶだぶのズボン一つで、節くれ立った厚みのある毛胸に一糸もつけない大男は、やおら人中から立ち上がると、ずかずか葉子に突きあたらんばかりにすれ違って、すれ違いざまに葉子の顔を孔のあくほどにらみつけて、聞くにたえない雑言を高々とののしって、自分の群れを笑わした。しかし葉子は死にかけた子にかしずく母のように、そんな事には目もくれずに老人のそばに引き添って、臥安いように寝床を取りなおしてやったり、枕をあてがってやったりして、なおもその場を去らなかった。そんなむさ苦しいきたない所にいて老人がほったらかしておかれるのを見ると、葉子はなんという事なしに涙があとからあとから流れてたまらなかった。葉子はそこを出て無理に船医の興録をそこに引っぱって来た。そして権威を持った人のように水夫長にはっきりしたさしずをして、始めて安心して悠々とその部屋を出た。葉子の顔には自分のした事に対して子供のような喜びの色が浮かんでいた。水夫たちは暗い中にもそれを見のがさなかったと見える。葉子が出て行く時には一人として葉子に雑言をなげつけるものがいなかった。それから水夫らはだれいうとなしに葉子の事を「姉御姉御」と呼んでうわさするようになった。その時の事を水夫長は葉子に感謝したのだ。  葉子はしんみにいろいろと病人の事を水夫長に聞きただした。実際水夫長に話しかけられるまでは、葉子はそんな事は思い出しもしていなかったのだ。そして水夫長に思い出させられて見ると、急にその老水夫の事が心配になり出したのだった。足はとうとう不具になったらしいが痛みはたいていなくなったと水夫長がいうと葉子は始めて安心して、また陸のほうに目をやった。水夫長とボーイとの足音は廊下のかなたに遠ざかって消えてしまった。葉子の足もとにはただかすかなエンジンの音と波が舷を打つ音とが聞こえるばかりだった。  葉子はまた自分一人の心に帰ろうとしてしばらくじっと単調な陸地に目をやっていた。その時突然岡が立派な西洋絹の寝衣の上に厚い外套を着て葉子のほうに近づいて来たのを、葉子は視角の一端にちらりと捕えた。夜でも朝でも葉子がひとりでいると、どこでどうしてそれを知るのか、いつのまにか岡がきっと身近に現われるのが常なので、葉子は待ち設けていたように振り返って、朝の新しいやさしい微笑を与えてやった。 「朝はまだずいぶん冷えますね」  といいながら、岡は少し人になれた少女のように顔を赤くしながら葉子のそばに身を寄せた。葉子は黙ってほほえみながらその手を取って引き寄せて、互いに小さな声で軽い親しい会話を取りかわし始めた。  と、突然岡は大きな事でも思い出した様子で、葉子の手をふりほどきながら、 「倉地さんがね、きょうあなたにぜひ願いたい用があるっていってましたよ」  といった。葉子は、 「そう……」  とごく軽く受けるつもりだったが、それが思わず息気苦しいほどの調子になっているのに気がついた。 「なんでしょう、わたしになんぞ用って」 「なんだかわたしちっとも知りませんが、話をしてごらんなさい。あんなに見えているけれども親切な人ですよ」 「まだあなただまされていらっしやるのね。あんな高慢ちきな乱暴な人わたしきらいですわ。……でも先方で会いたいというのなら会ってあげてもいいから、ここにいらっしゃいって、あなた今すぐいらしって呼んで来てくださいましな。会いたいなら会いたいようにするがようござんすわ」  葉子は実際激しい言葉になっていた。 「まだ寝ていますよ」 「いいから構わないから起こしておやりになればよござんすわ」  岡は自分に親しい人を親しい人に近づける機会が到来したのを誇り喜ぶ様子を見せて、いそいそと駆けて行った。その後ろ姿を見ると葉子は胸に時ならぬときめきを覚えて、眉の上の所にさっと熱い血の寄って来るのを感じた。それがまた憤ろしかった。  見上げると朝の空を今まで蔽うていた綿のような初秋の雲は所々ほころびて、洗いすました青空がまばゆく切れ目切れ目に輝き出していた。青灰色によごれていた雲そのものすらが見違えるように白く軽くなって美しい笹縁をつけていた。海は目も綾な明暗をなして、単調な島影もさすがに頑固な沈黙ばかりを守りつづけてはいなかった。葉子の心は抑えよう抑えようとしても軽くはなやかにばかりなって行った。決戦……と葉子はその勇み立つ心の底で叫んだ。木村の事などはとうの昔に頭の中からこそぎ取るように消えてしまって、そのあとにはただ何とはなしに、子供らしい浮き浮きした冒険の念ばかりが働いていた。自分でも知らずにいたような weird な激しい力が、想像も及ばぬ所にぐんぐんと葉子を引きずって行くのを、葉子は恐れながらもどこまでもついて行こうとした。どんな事があっても自分がその中心になっていて、先方をひき付けてやろう。自分をはぐらかすような事はしまいと始終張り切ってばかりいたこれまでの心持ちと、この時わくがごとく持ち上がって来た心持ちとは比べものにならなかった。あらん限りの重荷を洗いざらい思いきりよく投げすててしまって、身も心も何か大きな力に任しきるその快さ心安さは葉子をすっかり夢心地にした。そんな心持ちの相違を比べて見る事さえできないくらいだった。葉子は子供らしい期待に目を輝かして岡の帰って来るのを待っていた。 「だめですよ。床の中にいて戸も明けてくれずに、寝言みたいな事をいってるんですもの」  といいながら岡は当惑顔で葉子のそばに現われた。 「あなたこそだめね。ようござんすわ、わたしが自分で行って見てやるから」  葉子にはそこにいる岡さえなかった。少し怪訝そうに葉子のいつになくそわそわした様子を見守る青年をそこに捨ておいたまま葉子は険しく細い階子段を降りた。  事務長の部屋は機関室と狭い暗い廊下一つを隔てた所にあって、日の目を見ていた葉子には手さぐりをして歩かねばならぬほど勝手がちがっていた。地震のように機械の震動が廊下の鉄壁に伝わって来て、むせ返りそうな生暖かい蒸気のにおいと共に人を不愉快にした。葉子は鋸屑を塗りこめてざらざらと手ざわりのいやな壁をなでて進みながらようやく事務室の戸の前に来て、あたりを見回して見て、ノックもせずにいきなりハンドルをひねった。ノックをするひまもないようなせかせかした気分になっていた。戸は音も立てずにやすやすとあいた。「戸もあけてくれずに……」との岡の言葉から、てっきり鍵がかかっていると思っていた葉子にはそれが意外でもあり、あたりまえにも思えた。しかしその瞬間には葉子はわれ知らずはっとなった。ただ通りすがりの人にでも見付けられまいとする心が先に立って、葉子は前後のわきまえもなく、ほとんど無意識に部屋にはいると、同時にぱたんと音をさせて戸をしめてしまった。  もうすべては後悔にはおそすぎた。岡の声で今寝床から起き上がったらしい事務長は、荒い棒縞のネルの筒袖一枚を着たままで、目のはれぼったい顔をして、小山のような大きな五体を寝床にくねらして、突然はいって来た葉子をぎっと見守っていた。とうの昔に心の中は見とおしきっているような、それでいて言葉もろくろくかわさないほどに無頓着に見える男の前に立って、葉子はさすがにしばらくはいい出づべき言葉もなかった。あせる気を押し鎮め押ししずめ、顔色を動かさないだけの沈着を持ち続けようとつとめたが、今までに覚えない惑乱のために、頭はぐらぐらとなって、無意味だと自分でさえ思われるような微笑をもらす愚かさをどうする事もできなかった。倉地は葉子がその朝その部屋に来るのを前からちゃんと知り抜いてでもいたように落ち付き払って、朝の挨拶もせずに、 「さ、おかけなさい。ここが楽だ」  といつものとおりな少し見おろした親しみのある言葉をかけて、昼間は長椅子がわりに使う寝台の座を少し譲って待っている。葉子は敵意を含んでさえ見える様子で立ったまま、 「何か御用がおありになるそうでございますが……」  固くなりながらいって、あゝまた見えすく事をいってしまったとすぐ後悔した。事務長は葉子の言葉を追いかけるように、 「用はあとでいいます。まあおかけなさい」  といってすましていた。その言葉を聞くと、葉子はそのいいなり放題になるよりしかたがなかった。「お前は結局はここにすわるようになるんだよ」と事務長は言葉の裏に未来を予知しきっているのが葉子の心を一種捨てばちなものにした。「すわってやるものか」という習慣的な男に対する反抗心はただわけもなくひしがれていた。葉子はつかつかと進みよって事務長と押し並んで寝台に腰かけてしまった。  この一つの挙動が――このなんでもない一つの挙動が急に葉子の心を軽くしてくれた。葉子はその瞬間に大急ぎで今まで失いかけていたものを自分のほうにたぐり戻した。そして事務長を流し目に見やって、ちょっとほほえんだその微笑には、さっきの微笑の愚かしさが潜んでいないのを信ずる事ができた。葉子の性格の深みからわき出るおそろしい自然さがまとまった姿を現わし始めた。 「何御用でいらっしゃいます」  そのわざとらしい造り声の中にかすかな親しみをこめて見せた言葉も、肉感的に厚みを帯びた、それでいて賢しげに締まりのいい二つの口びるにふさわしいものとなっていた。 「きょう船が検疫所に着くんです、きょうの午後に。ところが検疫医がこれなんだ」  事務長は朋輩にでも打ち明けるように、大きな食指を鍵形にまげて、たぐるような格好をして見せた。葉子がちょっと判じかねた顔つきをしていると、 「だから飲ましてやらんならんのですよ。それからポーカーにも負けてやらんならん。美人がいれば拝ましてもやらんならん」  となお手まねを続けながら、事務長は枕もとにおいてある頑固なパイプを取り上げて、指の先で灰を押しつけて、吸い残りの煙草に火をつけた。 「船をさえ見ればそうした悪戯をしおるんだから、海坊主を見るようなやつです。そういうと頭のつるりとした水母じみた入道らしいが、実際は元気のいい意気な若い医者でね。おもしろいやつだ。一つ会ってごらん。わたしでからがあんな所に年じゅう置かれればああなるわさ」  といって、右手に持ったパイプを膝がしらに置き添えて、向き直ってまともに葉子を見た。しかしその時葉子は倉地の言葉にはそれほど注意を払ってはいない様子を見せていた。ちょうど葉子の向こう側にある事務テーブルの上に飾られた何枚かの写真を物珍しそうにながめやって、右手の指先を軽く器用に動かしながら、煙草の煙が紫色に顔をかすめるのを払っていた。自分を囮にまで使おうとする無礼もあなたなればこそなんともいわずにいるのだという心を事務長もさすがに推したらしい。しかしそれにも係わらず事務長は言いわけ一ついわず、いっこう平気なもので、きれいな飾り紙のついた金口煙草の小箱を手を延ばして棚から取り上げながら、 「どうです一本」  と葉子の前にさし出した。葉子は自分が煙草をのむかのまぬかの問題をはじき飛ばすように、 「あれはどなた?」と写真の一つに目を定めた。 「どれ」 「あれ」葉子はそういったままで指さしはしない。 「どれ」と事務長はもう一度いって、葉子の大きな目をまじまじと見入ってからその視線をたどって、しばらく写真を見分けていたが、 「はああれか。あれはねわたしの妻子ですんだ。荊妻と豚児どもですよ」  といって高々と笑いかけたが、ふと笑いやんで、険しい目で葉子をちらっと見た。 「まあそう。ちゃんとお写真をお飾りなすって、おやさしゅうござんすわね」  葉子はしんなりと立ち上がってその写真の前に行った。物珍しいものを見るという様子をしてはいたけれども、心の中には自分の敵がどんな獣物であるかを見きわめてやるぞという激しい敵愾心が急に燃えあがっていた。前には芸者ででもあったのか、それとも良人の心を迎えるためにそう造ったのか、どこか玄人じみたきれいな丸髷の女が着飾って、三人の少女を膝に抱いたりそばに立たせたりして写っていた。葉子はそれを取り上げて孔のあくほどじっと見やりながらテーブルの前に立っていた。ぎこちない沈黙がしばらくそこに続いた。 「お葉さん」(事務長は始めて葉子をその姓で呼ばずにこう呼びかけた)突然震えを帯びた、低い、重い声が焼きつくように耳近く聞こえたと思うと、葉子は倉地の大きな胸と太い腕とで身動きもできないように抱きすくめられていた。もとより葉子はその朝倉地が野獣のような assault に出る事を直覚的に覚悟して、むしろそれを期待して、その assault を、心ばかりでなく、肉体的な好奇心をもって待ち受けていたのだったが、かくまで突然、なんの前ぶれもなく起こって来ようとは思いも設けなかったので、女の本然の羞恥から起こる貞操の防衛に駆られて、熱しきったような冷えきったような血を一時に体内に感じながら、かかえられたまま、侮蔑をきわめた表情を二つの目に集めて、倉地の顔を斜めに見返した。その冷ややかな目の光は仮初めの男の心をたじろがすはずだった。事務長の顔は振り返った葉子の顔に息気のかかるほどの近さで、葉子を見入っていたが、葉子が与えた冷酷なひとみには目もくれぬまで狂わしく熱していた。(葉子の感情を最も強くあおり立てるものは寝床を離れた朝の男の顔だった。一夜の休息にすべての精気を充分回復した健康な男の容貌の中には、女の持つすべてのものを投げ入れても惜しくないと思うほどの力がこもっていると葉子は始終感ずるのだった)葉子は倉地に存分な軽侮の心持ちを見せつけながらも、その顔を鼻の先に見ると、男性というものの強烈な牽引の力を打ち込まれるように感ぜずにはいられなかった。息気せわしく吐く男のため息は霰のように葉子の顔を打った。火と燃え上がらんばかりに男のからだからは desire の焔がぐんぐん葉子の血脈にまで広がって行った。葉子はわれにもなく異常な興奮にがたがた震え始めた。         ×       ×       ×  ふと倉地の手がゆるんだので葉子は切って落とされたようにふらふらとよろけながら、危うく踏みとどまって目を開くと、倉地が部屋の戸に鍵をかけようとしているところだった。鍵が合わないので、 「糞っ」  と後ろ向きになってつぶやく倉地の声が最後の宣告のように絶望的に低く部屋の中に響いた。  倉地から離れた葉子はさながら母から離れた赤子のように、すべての力が急にどこかに消えてしまうのを感じた。あとに残るものとては底のない、たよりない悲哀ばかりだった。今まで味わって来たすべての悲哀よりもさらに残酷な悲哀が、葉子の胸をかきむしって襲って来た。それは倉地のそこにいるのすら忘れさすくらいだった。葉子はいきなり寝床の上に丸まって倒れた。そしてうつぶしになったまま痙攣的に激しく泣き出した。倉地がその泣き声にちょっとためらって立ったまま見ている間に、葉子は心の中で叫びに叫んだ。 「殺すなら殺すがいい。殺されたっていい。殺されたって憎みつづけてやるからいい。わたしは勝った。なんといっても勝った。こんなに悲しいのをなぜ早く殺してはくれないのだ。この哀しみにいつまでもひたっていたい。早く死んでしまいたい。……」 一六  葉子はほんとうに死の間をさまよい歩いたような不思議な、混乱した感情の狂いに泥酔して、事務長の部屋から足もとも定まらずに自分の船室に戻って来たが、精も根も尽き果ててそのままソファの上にぶっ倒れた。目のまわりに薄黒い暈のできたその顔は鈍い鉛色をして、瞳孔は光に対して調節の力を失っていた。軽く開いたままの口びるからもれる歯並みまでが、光なく、ただ白く見やられて、死を連想させるような醜い美しさが耳の付け根までみなぎっていた。雪解時の泉のように、あらん限りの感情が目まぐるしくわき上がっていたその胸には、底のほうに暗い悲哀がこちんとよどんでいるばかりだった。  葉子はこんな不思議な心の状態からのがれ出ようと、思い出したように頭を働かして見たが、その努力は心にもなくかすかなはかないものだった。そしてその不思議に混乱した心の状態もいわばたえきれぬほどの切なさは持っていなかった。葉子はそんなにしてぼんやりと目をさましそうになったり、意識の仮睡に陥ったりした。猛烈な胃痙攣を起こした患者が、モルヒネの注射を受けて、間歇的に起こる痛みのために無意識に顔をしかめながら、麻薬の恐ろしい力の下に、ただ昏々と奇怪な仮睡に陥り込むように、葉子の心は無理無体な努力で時々驚いたように乱れさわぎながら、たちまち物すごい沈滞の淵深く落ちて行くのだった。葉子の意志はいかに手を延ばしても、もう心の落ち行く深みには届きかねた。頭の中は熱を持って、ただぼーと黄色く煙っていた。その黄色い煙の中を時々紅い火や青い火がちかちかと神経をうずかして駆け通った。息気づまるようなけさの光景や、過去のあらゆる回想が、入り乱れて現われて来ても、葉子はそれに対して毛の末ほども心を動かされはしなかった。それは遠い遠い木魂のようにうつろにかすかに響いては消えて行くばかりだった。過去の自分と今の自分とのこれほどな恐ろしい距りを、葉子は恐れげもなく、成るがままに任せて置いて、重くよどんだ絶望的な悲哀にただわけもなくどこまでも引っぱられて行った。その先には暗い忘却が待ち設けていた。涙で重ったまぶたはだんだん打ち開いたままのひとみを蔽って行った。少し開いた口びるの間からは、うめくような軽い鼾がもれ始めた。それを葉子はかすかに意識しながら、ソファの上にうつむきになったまま、いつとはなしに夢もない深い眠りに陥っていた。  どのくらい眠っていたかわからない。突然葉子は心臓でも破裂しそうな驚きに打たれて、はっと目を開いて頭をもたげた。ずき〳〵〳〵と頭の心が痛んで、部屋の中は火のように輝いて面も向けられなかった。もう昼ごろだなと気が付く中にも、雷とも思われる叫喚が船を震わして響き渡っていた。葉子はこの瞬間の不思議に胸をどきつかせながら聞き耳を立てた。船のおののきとも自分のおののきとも知れぬ震動が葉子の五体を木の葉のようにもてあそんだ。しばらくしてその叫喚がややしずまったので、葉子はようやく、横浜を出て以来絶えて用いられなかった汽笛の声である事を悟った。検疫所が近づいたのだなと思って、襟もとをかき合わせながら、静かにソファの上に膝を立てて、眼窓から外面をのぞいて見た。けさまでは雨雲に閉じられていた空も見違えるようにからっと晴れ渡って、紺青の色の日の光のために奥深く輝いていた。松が自然に美しく配置されて生え茂った岩がかった岸がすぐ目の先に見えて、海はいかにも入り江らしく可憐なさざ波をつらね、その上を絵島丸は機関の動悸を打ちながら徐かに走っていた。幾日の荒々しい海路からここに来て見ると、さすがにそこには人間の隠れ場らしい静かさがあった。  岸の奥まった所に白い壁の小さな家屋が見られた。そのかたわらには英国の国旗が微風にあおられて青空の中に動いていた。「あれが検疫官のいる所なのだ」そう思った意識の活動が始まるや否や、葉子の頭は始めて生まれ代わったようにはっきりとなって行った。そして頭がはっきりして来るとともに、今まで切り放されていたすべての過去があるべき姿を取って、明瞭に現在の葉子と結び付いた。葉子は過去の回想が今見たばかりの景色からでも来たように驚いて、急いで眼窓から顔を引っ込めて、強敵に襲いかかられた孤軍のように、たじろぎながらまたソファの上に臥倒れた。頭の中は急に叢がり集まる考えを整理するために激しく働き出した。葉子はひとりでに両手で髪の毛の上からこめかみの所を押えた。そして少し上目をつかって鏡のほうを見やりながら、今まで閉止していた乱想の寄せ来るままに機敏にそれを送り迎えようと身構えた。  葉子はとにかく恐ろしい崕のきわまで来てしまった事を、そしてほとんど無反省で、本能に引きずられるようにして、その中に飛び込んだ事を思わないわけには行かなかった。親類縁者に促されて、心にもない渡米を余儀なくされた時に自分で選んだ道――ともかく木村と一緒になろう。そして生まれ代わったつもりで米国の社会にはいりこんで、自分が見つけあぐねていた自分というものを、探り出してみよう。女というものが日本とは違って考えられているらしい米国で、女としての自分がどんな位置にすわる事ができるか試してみよう。自分はどうしても生まるべきでない時代に、生まるべきでない所に生まれて来たのだ。自分の生まるべき時代と所とはどこか別にある。そこでは自分は女王の座になおっても恥ずかしくないほどの力を持つ事ができるはずなのだ。生きているうちにそこをさがし出したい。自分の周囲にまつわって来ながらいつのまにか自分を裏切って、いつどんな所にでも平気で生きていられるようになり果てた女たちの鼻をあかさしてやろう。若い命を持ったうちにそれだけの事をぜひしてやろう。木村は自分のこの心の企みを助ける事のできる男ではないが、自分のあとについて来られないほどの男でもあるまい。葉子はそんな事も思っていた。日清戦争が起こったころから葉子ぐらいの年配の女が等しく感じ出した一種の不安、一種の幻滅――それを激しく感じた葉子は、謀叛人のように知らず知らず自分のまわりの少女たちにある感情的な教唆を与えていたのだが、自分自身ですらがどうしてこの大事な瀬戸ぎわを乗り抜けるのかは、少しもわからなかった。そのころの葉子は事ごとに自分の境遇が気にくわないでただいらいらしていた。その結果はただ思うままを振る舞って行くよりしかたがなかった。自分はどんな物からもほんとうに訓練されてはいないんだ。そして自分にはどうにでも働く鋭い才能と、女の強味(弱味ともいわばいえ)になるべき優れた肉体と激しい情緒とがあるのだ。そう葉子は知らず知らず自分を見ていた。そこから盲滅法に動いて行った。ことに時代の不思議な目ざめを経験した葉子に取っては恐ろしい敵は男だった。葉子はそのためになんどつまずいたかしれない。しかし、世の中にはほんとうに葉子を扶け起こしてくれる人がなかった。「わたしが悪ければ直すだけの事をして見せてごらん」葉子は世の中に向いてこういい放ってやりたかった。女を全く奴隷の境界に沈め果てた男はもう昔のアダムのように正直ではないんだ。女がじっとしている間は慇懃にして見せるが、女が少しでも自分で立ち上がろうとすると、打って変わって恐ろしい暴王になり上がるのだ。女までがおめおめと男の手伝いをしている。葉子は女学校時代にしたたかその苦い杯をなめさせられた。そして十八の時木部孤笻に対して、最初の恋愛らしい恋愛の情を傾けた時、葉子の心はもう処女の心ではなくなっていた。外界の圧迫に反抗するばかりに、一時火のように何物をも焼き尽くして燃え上がった仮初めの熱情は、圧迫のゆるむとともにもろくも萎えてしまって、葉子は冷静な批評家らしく自分の恋と恋の相手とを見た。どうして失望しないでいられよう。自分の一生がこの人に縛りつけられてしなびて行くのかと思う時、またいろいろな男にもてあそばれかけて、かえって男の心というものを裏返してとっくりと見きわめたその心が、木部という、空想の上でこそ勇気も生彩もあれ、実生活においては見下げ果てたほど貧弱で簡単な一書生の心としいて結びつかねばならぬと思った時、葉子は身ぶるいするほど失望して木部と別れてしまったのだ。  葉子のなめたすべての経験は、男に束縛を受ける危険を思わせるものばかりだった。しかしなんという自然のいたずらだろう。それとともに葉子は、男というものなしには一刻も過ごされないものとなっていた。砒石の用法を謬った患者が、その毒の恐ろしさを知りぬきながら、その力を借りなければ生きて行けないように、葉子は生の喜びの源を、まかり違えば、生そのものを虫ばむべき男というものに、求めずにはいられないディレンマに陥ってしまったのだ。  肉欲の牙を鳴らして集まって来る男たちに対して、(そういう男たちが集まって来るのはほんとうは葉子自身がふりまく香いのためだとは気づいていて)葉子は冷笑しながら蜘蛛のように網を張った。近づくものは一人残らずその美しい四つ手網にからめ取った。葉子の心は知らず知らず残忍になっていた。ただあの妖力ある女郎蜘蛛のように、生きていたい要求から毎日その美しい網を四つ手に張った。そしてそれに近づきもし得ないでののしり騒ぐ人たちを、自分の生活とは関係のない木か石ででもあるように冷然と尻目にかけた。  葉子はほんとうをいうと、必要に従うというほかに何をすればいいのかわからなかった。  葉子に取っては、葉子の心持ちを少しも理解していない社会ほど愚かしげな醜いものはなかった。葉子の目から見た親類という一群れはただ貪欲な賤民としか思えなかった。父はあわれむべく影の薄い一人の男性に過ぎなかった。母は――母はいちばん葉子の身近にいたといっていい。それだけ葉子は母と両立し得ない仇敵のような感じを持った。母は新しい型にわが子を取り入れることを心得てはいたが、それを取り扱う術は知らなかった。葉子の性格が母の備えた型の中で驚くほどするすると生長した時に、母は自分以上の法力を憎む魔女のように葉子の行く道に立ちはだかった。その結果二人の間には第三者から想像もできないような反目と衝突とが続いたのだった。葉子の性格はこの暗闘のお陰で曲折のおもしろさと醜さとを加えた。しかしなんといっても母は母だった。正面からは葉子のする事なす事に批点を打ちながらも、心の底でいちばんよく葉子を理解してくれたに違いないと思うと、葉子は母に対して不思議ななつかしみを覚えるのだった。  母が死んでからは、葉子は全く孤独である事を深く感じた。そして始終張りつめた心持ちと、失望からわき出る快活さとで、鳥が木から木に果実を探るように、人から人に歓楽を求めて歩いたが、どこからともなく不意に襲って来る不安は葉子を底知れぬ悒鬱の沼に蹴落とした。自分は荒磯に一本流れよった流れ木ではない。しかしその流れ木よりも自分は孤独だ。自分は一ひら風に散ってゆく枯れ葉ではない。しかしその枯れ葉より自分はうらさびしい。こんな生活よりほかにする生活はないのかしらん。いったいどこに自分の生活をじっと見ていてくれる人があるのだろう。そう葉子はしみじみ思う事がないでもなかった。けれどもその結果はいつでも失敗だった。葉子はこうしたさびしさに促されて、乳母の家を尋ねたり、突然大塚の内田にあいに行ったりして見るが、そこを出て来る時にはただ一入の心のむなしさが残るばかりだった。葉子は思い余ってまた淫らな満足を求めるために男の中に割ってはいるのだった。しかし男が葉子の目の前で弱味を見せた瞬間に、葉子は驕慢な女王のように、その捕虜から面をそむけて、その出来事を悪夢のように忌みきらった。冒険の獲物はきまりきって取るにも足らないやくざものである事を葉子はしみじみ思わされた。  こんな絶望的な不安に攻めさいなめられながらも、その不安に駆り立てられて葉子は木村という降参人をともかくその良人に選んでみた。葉子は自分がなんとかして木村にそりを合わせる努力をしたならば、一生涯木村と連れ添って、普通の夫婦のような生活ができないものでもないと一時思うまでになっていた。しかしそんなつぎはぎな考えかたが、どうしていつまでも葉子の心の底を虫ばむ不安をいやす事ができよう。葉子が気を落ち付けて、米国に着いてからの生活を考えてみると、こうあってこそと思い込むような生活には、木村はのけ物になるか、邪魔者になるほかはないようにも思えた。木村と暮らそう、そう決心して船に乗ったのではあったけれども、葉子の気分は始終ぐらつき通しにぐらついていたのだ。手足のちぎれた人形をおもちゃ箱にしまったものか、いっそ捨ててしまったものかと躊躇する少女の心に似たぞんざいなためらいを葉子はいつまでも持ち続けていた。  そういう時突然葉子の前に現われたのが倉地事務長だった。横浜の桟橋につながれた絵島丸の甲板の上で、始めて猛獣のようなこの男を見た時から、稲妻のように鋭く葉子はこの男の優越を感受した。世が世ならば、倉地は小さな汽船の事務長なんぞをしている男ではない。自分と同様に間違って境遇づけられて生まれて来た人間なのだ。葉子は自分の身につまされて倉地をあわれみもし畏れもした。今までだれの前に出ても平気で自分の思う存分を振る舞っていた葉子は、この男の前では思わず知らず心にもない矯飾を自分の性格の上にまで加えた。事務長の前では、葉子は不思議にも自分の思っているのとちょうど反対の動作をしていた。無条件的な服従という事も事務長に対してだけはただ望ましい事にばかり思えた。この人に思う存分打ちのめされたら、自分の命は始めてほんとうに燃え上がるのだ。こんな不思議な、葉子にはあり得ない欲望すらが少しも不思議でなく受け入れられた。そのくせ表面では事務長の存在をすら気が付かないように振る舞った。ことに葉子の心を深く傷つけたのは、事務長の物懶げな無関心な態度だった。葉子がどれほど人の心をひきつける事をいった時でも、した時でも、事務長は冷然として見向こうともしなかった事だ。そういう態度に出られると、葉子は、自分の事は棚に上げておいて、激しく事務長を憎んだ。この憎しみの心が日一日と募って行くのを非常に恐れたけれども、どうしようもなかったのだ。  しかし葉子はとうとうけさの出来事にぶっ突かってしまった。葉子は恐ろしい崕のきわからめちゃくちゃに飛び込んでしまった。葉子の目の前で今まで住んでいた世界はがらっと変わってしまった。木村がどうした。米国がどうした。養って行かなければならない妹や定子がどうした。今まで葉子を襲い続けていた不安はどうした。人に犯されまいと身構えていたその自尊心はどうした。そんなものは木っ葉みじんに無くなってしまっていた。倉地を得たらばどんな事でもする。どんな屈辱でも蜜と思おう。倉地を自分ひとりに得さえすれば……。今まで知らなかった、捕虜の受くる蜜より甘い屈辱!  葉子の心はこんなに順序立っていたわけではない。しかし葉子は両手で頭を押えて鏡を見入りながらこんな心持ちを果てしもなくかみしめた。そして追想は多くの迷路をたどりぬいた末に、不思議な仮睡状態に陥る前まで進んで来た。葉子はソファを牝鹿のように立ち上がって、過去と未来とを断ち切った現在刹那のくらむばかりな変身に打ちふるいながらほほえんだ。  その時ろくろくノックもせずに事務長がはいって来た。葉子のただならぬ姿には頓着なく、 「もうすぐ検疫官がやって来るから、さっきの約束を頼みますよ。資本入らずで大役が勤まるんだ。女というものはいいものだな。や、しかしあなたのはだいぶ資本がかかっとるでしょうね。……頼みますよ」と戯談らしくいった。 「はあ」葉子はなんの苦もなく親しみの限りをこめた返事をした。その一声の中には、自分でも驚くほどな蠱惑の力がこめられていた。  事務長が出て行くと、葉子は子供のように足なみ軽く小さな船室の中を小跳りして飛び回った。そして飛び回りながら、髪をほごしにかかって、時々鏡に映る自分の顔を見やりながら、こらえきれないようにぬすみ笑いをした。 一七  事務長のさしがねはうまい坪にはまった。検疫官は絵島丸の検疫事務をすっかり年とった次位の医官に任せてしまって、自分は船長室で船長、事務長、葉子を相手に、話に花を咲かせながらトランプをいじり通した。あたりまえならば、なんとかかとか必ず苦情の持ち上がるべき英国風の小やかましい検疫もあっさり済んで放蕩者らしい血気盛りな検疫官は、船に来てから二時間そこそこできげんよく帰って行く事になった。  停まるともなく進行を止めていた絵島丸は風のまにまに少しずつ方向を変えながら、二人の医官を乗せて行くモーター・ボートが舷側を離れるのを待っていた。折り目正しい長めな紺の背広を着た検疫官はボートの舵座に立ち上がって、手欄から葉子と一緒に胸から上を乗り出した船長となお戯談を取りかわした。船梯子の下まで医官を見送った事務長は、物慣れた様子でポッケットからいくらかを水夫の手につかませておいて、上を向いて相図をすると、船梯子はきりきりと水平に巻き上げられて行く、それを事もなげに身軽く駆け上って来た。検疫官の目は事務長への挨拶もそこそこに、思いきり派手な装いを凝らした葉子のほうに吸い付けられるらしかった。葉子はその目を迎えて情をこめた流眄を送り返した。検疫官がその忙しい間にも何かしきりに物をいおうとした時、けたたましい汽笛が一抹の白煙を青空に揚げて鳴りはためき、船尾からはすさまじい推進機の震動が起こり始めた。このあわただしい船の別れを惜しむように、検疫官は帽子を取って振り動かしながら、噪音にもみ消される言葉を続けていたが、もとより葉子にはそれは聞こえなかった。葉子はただにこにことほほえみながらうなずいて見せた。そしてただ一時のいたずらごころから髪にさしていた小さな造花を投げてやると、それがあわよく検疫官の肩にあたって足もとにすべり落ちた。検疫官が片手に舵綱をあやつりながら、有頂点になってそれを拾おうとするのを見ると、船舷に立ちならんで物珍しげに陸地を見物していたステヤレージの男女の客は一斉に手をたたいてどよめいた。葉子はあたりを見回した。西洋の婦人たちは等しく葉子を見やって、その花々しい服装から軽率らしい挙動を苦々しく思うらしい顔つきをしていた。それらの外国人の中には田川夫人もまじっていた。  検疫官は絵島丸が残して行った白沫の中で、腰をふらつかせながら、笑い興ずる群集にまで幾度も頭を下げた。群集はまた思い出したように漫罵を放って笑いどよめいた。それを聞くと日本語のよくわかる白髪の船長は、いつものように顔を赤くして、気の毒そうに恥ずかしげな目を葉子に送ったが、葉子がはしたない群集の言葉にも、苦々しげな船客の顔色にも、少しも頓着しないふうで、ほほえみ続けながらモーター・ボートのほうを見守っているのを見ると、未通女らしくさらにまっ赤になってその場をはずしてしまった。  葉子は何事も屈託なくただおもしろかった。からだじゅうをくすぐるような生の歓びから、ややもするとなんでもなく微笑が自然に浮かび出ようとした。「けさから私はこんなに生まれ代わりました御覧なさい」といってだれにでも自分の喜びを披露したいような気分になっていた。検疫官の官舎の白い壁も、そのほうに向かって走って行くモーター・ボートも見る見る遠ざかって小さな箱庭のようになった時、葉子は船長室でのきょうの思い出し笑いをしながら、手欄を離れて心あてに事務長を目で尋ねた。と、事務長は、はるか離れた船艙の出口に田川夫妻と鼎になって、何かむずかしい顔をしながら立ち話をしていた。いつもの葉子ならば三人の様子で何事が語られているかぐらいはすぐ見て取るのだが、その日はただ浮き浮きした無邪気な心ばかりが先に立って、だれにでも好意のある言葉をかけて、同じ言葉で酬いられたい衝動に駆られながら、なんの気なしにそっちに足を向けようとして、ふと気がつくと、事務長が「来てはいけない」と激しく目に物を言わせているのが覚れた。気が付いてよく見ると田川夫人の顔にはまごうかたなき悪意がひらめいていた。 「またおせっかいだな」  一秒の躊躇もなく男のような口調で葉子はこう小さくつぶやいた。「構うものか」そう思いながら葉子は事務長の目使いにも無頓着に、快活な足どりでいそいそと田川夫妻のほうに近づいて行った。それを事務長もどうすることもできなかった。葉子は三人の前に来ると軽く腰をまげて後れ毛をかき上げながら顔じゅうを蠱惑的なほほえみにして挨拶した。田川博士の頬にはいち早くそれに応ずる物やさしい表情が浮かぼうとしていた。 「あなたはずいぶんな乱暴をなさる方ですのね」  いきなり震えを帯びた冷ややかな言葉が田川夫人から葉子に容赦もなく投げつけられた。それは底意地の悪い挑戦的な調子で震えていた。田川博士はこのとっさの気まずい場面を繕うため何か言葉を入れてその不愉快な緊張をゆるめようとするらしかったが、夫人の悪意はせき立って募るばかりだった。しかし夫人は口に出してはもうなんにもいわなかった。  女の間に起こる不思議な心と心との交渉から、葉子はなんという事なく、事務長と自分との間にけさ起こったばかりの出来事を、輪郭だけではあるとしても田川夫人が感づいているなと直覚した。ただ一言ではあったけれども、それは検疫官とトランプをいじった事を責めるだけにしては、激し過ぎ、悪意がこめられ過ぎていることを直覚した。今の激しい言葉は、その事を深く根に持ちながら、検疫医に対する不謹慎な態度をたしなめる言葉のようにして使われているのを直覚した。葉子の心のすみからすみまでを、溜飲の下がるような小気味よさが小おどりしつつ走せめぐった。葉子は何をそんなに事々しくたしなめられる事があるのだろうというような少ししゃあしゃあした無邪気な顔つきで、首をかしげながら夫人を見守った。 「航海中はとにかくわたし葉子さんのお世話をお頼まれ申しているんですからね」  初めはしとやかに落ち付いていうつもりらしかったが、それがだんだん激して途切れがちな言葉になって、夫人はしまいには激動から息気をさえはずましていた。その瞬間に火のような夫人のひとみと、皮肉に落ち付き払った葉子のひとみとが、ぱったり出っくわして小ぜり合いをしたが、また同時に蹴返すように離れて事務長のほうに振り向けられた。 「ごもっともです」  事務長は虻に当惑した熊のような顔つきで、柄にもない謹慎を装いながらこう受け答えた。それから突然本気な表情に返って、 「わたしも事務長であって見れば、どのお客様に対しても責任があるのだで、御迷惑になるような事はせんつもりですが」  ここで彼は急に仮面を取り去ったようににこにこし出した。 「そうむきになるほどの事でもないじゃありませんか。たかが早月さんに一度か二度愛嬌をいうていただいて、それで検疫の時間が二時間から違うのですもの。いつでもここで四時間の以上もむだにせにゃならんのですて」  田川夫人がますますせき込んで、矢継ぎ早にまくしかけようとするのを、事務長は事もなげに軽々とおっかぶせて、 「それにしてからがお話はいかがです、部屋で伺いましょうか。ほかのお客様の手前もいかがです。博士、例のとおり狭っこい所ですが、甲板ではゆっくりもできませんで、あそこでお茶でも入れましょう。早月さんあなたもいかがです」  と笑い笑い言ってからくるりッと葉子のほうに向き直って、田川夫妻には気が付かないように頓狂な顔をちょっとして見せた。  横浜で倉地のあとに続いて船室への階子段を下る時始めて嗅ぎ覚えたウイスキーと葉巻とのまじり合ったような甘たるい一種の香いが、この時かすかに葉子の鼻をかすめたと思った。それをかぐと葉子の情熱のほむらが一時にあおり立てられて、人前では考えられもせぬような思いが、旋風のごとく頭の中をこそいで通るのを覚えた。男にはそれがどんな印象を与えたかを顧みる暇もなく、田川夫妻の前ということもはばからずに、自分では醜いに違いないと思うような微笑が、覚えず葉子の眉の間に浮かび上がった。事務長は小むずかしい顔になって振り返りながら、 「いかがです」ともう一度田川夫妻を促した。しかし田川博士は自分の妻のおとなげないのをあわれむ物わかりのいい紳士という態度を見せて、態よく事務長にことわりをいって、夫人と一緒にそこを立ち去った。 「ちょっといらっしゃい」  田川夫妻の姿が見えなくなると、事務長はろくろく葉子を見むきもしないでこういいながら先に立った。葉子は小娘のようにいそいそとそのあとについて、薄暗い階子段にかかると男におぶいかかるようにしてこぜわしく降りて行った。そして機関室と船員室との間にある例の暗い廊下を通って、事務長が自分の部屋の戸をあけた時、ぱっと明るくなった白い光の中に、nonchalant な diabolic な男の姿を今さらのように一種の畏れとなつかしさとをこめて打ちながめた。  部屋にはいると事務長は、田川夫人の言葉でも思い出したらしくめんどうくさそうに吐息一つして、帳簿を事務テーブルの上にほうりなげておいて、また戸から頭だけつき出して、「ボーイ」と大きな声で呼び立てた。そして戸をしめきると、始めてまともに葉子に向きなおった。そして腹をゆすり上げて続けさまに思い存分笑ってから、 「え」と大きな声で、半分は物でも尋ねるように、半分は「どうだい」といったような調子でいって、足を開いて akimbo をして突っ立ちながら、ちょいと無邪気に首をかしげて見せた。  そこにボーイが戸の後ろから顔だけ出した。 「シャンペンだ。船長の所にバーから持って来さしたのが、二三本残ってるよ。十の字三つぞ(大至急という軍隊用語)。……何がおかしいかい」  事務長は葉子のほうを向いたままこういったのであるが、実際その時ボーイは意味ありげににやにや薄笑いをしていた。  あまりに事もなげな倉地の様子を見ていると葉子は自分の心の切なさに比べて、男の心を恨めしいものに思わずにいられなくなった。けさの記憶のまだ生々しい部屋の中を見るにつけても、激しく嵩ぶって来る情熱が妙にこじれて、いても立ってもいられないもどかしさが苦しく胸に逼るのだった。今まではまるきり眼中になかった田川夫人も、三等の女客の中で、処女とも妻ともつかぬ二人の二十女も、果ては事務長にまつわりつくあの小娘のような岡までが、写真で見た事務長の細君と一緒になって、苦しい敵意を葉子の心にあおり立てた。ボーイにまで笑いものにされて、男の皮を着たこの好色の野獣のなぶりものにされているのではないか。自分の身も心もただ一息にひしぎつぶすかと見えるあの恐ろしい力は、自分を征服すると共にすべての女に対しても同じ力で働くのではないか。そのたくさんの女の中の影の薄い一人の女として彼は自分を扱っているのではないか。自分には何物にも代え難く思われるけさの出来事があったあとでも、ああ平気でいられるそののんきさはどうしたものだろう。葉子は物心がついてから始終自分でも言い現わす事のできない何物かを逐い求めていた。その何物かは葉子のすぐ手近にありながら、しっかりとつかむ事はどうしてもできず、そのくせいつでもその力の下に傀儡のようにあてもなく動かされていた。葉子はけさの出来事以来なんとなく思いあがっていたのだ。それはその何物かがおぼろげながら形を取って手に触れたように思ったからだ。しかしそれも今から思えば幻影に過ぎないらしくもある。自分に特別な注意も払っていなかったこの男の出来心に対して、こっちから進んで情をそそるような事をした自分はなんという事をしたのだろう。どうしたらこの取り返しのつかない自分の破滅を救う事ができるのだろうと思って来ると、一秒でもこのいまわしい記憶のさまよう部屋の中にはいたたまれないように思え出した。しかし同時に事務長は断ちがたい執着となって葉子の胸の底にこびりついていた。この部屋をこのままで出て行くのは死ぬよりもつらい事だった。どうしてもはっきりと事務長の心を握るまでは……葉子は自分の心の矛盾に業を煮やしながら、自分をさげすみ果てたような絶望的な怒りの色を口びるのあたりに宿して、黙ったまま陰鬱に立っていた。今までそわそわと小魔のように葉子の心をめぐりおどっていたはなやかな喜び――それはどこに行ってしまったのだろう。  事務長はそれに気づいたのか気がつかないのか、やがてよりかかりのないまるい事務いすに尻をすえて、子供のような罪のない顔をしながら、葉子を見て軽く笑っていた。葉子はその顔を見て、恐ろしい大胆な悪事を赤児同様の無邪気さで犯しうる質の男だと思った。葉子はこんな無自覚な状態にはとてもなっていられなかった。一足ずつ先を越されているのかしらんという不安までが心の平衡をさらに狂わした。 「田川博士は馬鹿ばかで、田川の奥さんは利口ばかというんだ。はゝゝゝゝ」  そういって笑って、事務長は膝がしらをはっしと打った手をかえして、机の上にある葉巻をつまんだ。  葉子は笑うよりも腹だたしく、腹だたしいよりも泣きたいくらいになっていた。口びるをぶるぶると震わしながら涙でもたまったように輝く目は剣を持って、恨みをこめて事務長を見入ったが、事務長は無頓着に下を向いたまま、一心に葉巻に火をつけている。葉子は胸に抑えあまる恨みつらみをいい出すには、心があまりに震えて喉がかわききっているので、下くちびるをかみしめたまま黙っていた。  倉地はそれを感づいているのだのにと葉子は置きざりにされたようなやり所のないさびしさを感じていた。  ボーイがシャンペンとコップとを持ってはいって来た。そして丁寧にそれを事務テーブルの上に置いて、さっきのように意味ありげな微笑をもらしながら、そっと葉子をぬすみ見た。待ち構えていた葉子の目はしかしボーイを笑わしてはおかなかった。ボーイはぎょっとして飛んでもない事をしたというふうに、すぐ慎み深い給仕らしく、そこそこに部屋を出て行った。  事務長は葉巻の煙に顔をしかめながら、シャンペンをついで盆を葉子のほうにさし出した。葉子は黙って立ったまま手を延ばした。何をするにも心にもない作り事をしているようだった。この短い瞬間に、今までの出来事でいいかげん乱れていた心は、身の破滅がとうとう来てしまったのだというおそろしい予想に押しひしがれて、頭は氷で巻かれたように冷たく気うとくなった。胸から喉もとにつきあげて来る冷たいそして熱い球のようなものを雄々しく飲み込んでも飲み込んでも涙がややともすると目がしらを熱くうるおして来た。薄手のコップに泡を立てて盛られた黄金色の酒は葉子の手の中で細かいさざ波を立てた。葉子はそれを気取られまいと、しいて左の手を軽くあげて鬢の毛をかき上げながら、コップを事務長のと打ち合わせたが、それをきっかけに願でもほどけたように今までからく持ちこたえていた自制は根こそぎくずされてしまった。  事務長がコップを器用に口びるにあてて、仰向きかげんに飲みほす間、葉子は杯を手にもったまま、ぐびりぐびりと動く男の喉を見つめていたが、いきなり自分の杯を飲まないまま盆の上にかえして、 「よくもあなたはそんなに平気でいらっしゃるのね」  と力をこめるつもりでいったその声はいくじなくも泣かんばかりに震えていた。そして堰を切ったように涙が流れ出ようとするのを糸切り歯でかみきるばかりにしいてくいとめた。  事務長は驚いたらしかった。目を大きくして何かいおうとするうちに、葉子の舌は自分でも思い設けなかった情熱を帯びて震えながら動いていた。 「知っています。知っていますとも……。あなたはほんとに……ひどい方ですのね。わたしなんにも知らないと思ってらっしゃるのね。えゝ、わたしは存じません、存じません、ほんとに……」  何をいうつもりなのか自分でもわからなかった。ただ激しい嫉妬が頭をぐらぐらさせるばかりに嵩じて来るのを知っていた。男がある機会には手傷も負わないで自分から離れて行く……そういういまいましい予想で取り乱されていた。葉子は生来こんなみじめなまっ暗な思いに捕えられた事がなかった。それは生命が見す見す自分から離れて行くのを見守るほどみじめでまっ暗だった。この人を自分から離れさすくらいなら殺してみせる、そう葉子はとっさに思いつめてみたりした。  葉子はもう我慢にもそこに立っていられなくなった。事務長に倒れかかりたい衝動をしいてじっとこらえながら、きれいに整えられた寝台にようやく腰をおろした。美妙な曲線を長く描いてのどかに開いた眉根は痛ましく眉間に集まって、急にやせたかと思うほど細った鼻筋は恐ろしく感傷的な痛々しさをその顔に与えた。いつになく若々しく装った服装までが、皮肉な反語のように小股の切れあがったやせ形なその肉を痛ましく虐げた。長い袖の下で両手の指を折れよとばかり組み合わせて、何もかも裂いて捨てたいヒステリックな衝動を懸命に抑えながら、葉子は唾も飲みこめないほど狂おしくなってしまっていた。  事務長は偶然に不思議を見つけた子供のような好奇なあきれた顔つきをして、葉子の姿を見やっていたが、片方のスリッパを脱ぎ落としたその白足袋の足もとから、やや乱れた束髪までをしげしげと見上げながら、 「どうしたんです」  といぶかるごとく聞いた。葉子はひったくるようにさそくに返事をしようとしたけれども、どうしてもそれができなかった。倉地はその様子を見ると今度はまじめになった。そして口の端まで持って行った葉巻をそのままトレイの上に置いて立ち上がりながら、 「どうしたんです」  ともう一度聞きなおした。それと同時に、葉子も思いきり冷酷に、 「どうもしやしません」  という事ができた。二人の言葉がもつれ返ったように、二人の不思議な感情ももつれ合った。もうこんな所にはいない、葉子はこの上の圧迫には堪えられなくなって、はなやかな裾を蹴乱しながらまっしぐらに戸口のほうに走り出ようとした。事務長はその瞬間に葉子のなよやかな肩をさえぎりとめた。葉子はさえぎられて是非なく事務テーブルのそばに立ちすくんだが、誇りも恥も弱さも忘れてしまっていた。どうにでもなれ、殺すか死ぬかするのだ、そんな事を思うばかりだった。こらえにこらえていた涙を流れるに任せながら、事務長の大きな手を肩に感じたままで、しゃくり上げて恨めしそうに立っていたが、手近に飾ってある事務長の家族の写真を見ると、かっと気がのぼせて前後のわきまえもなく、それを引ったくるとともに両手にあらん限りの力をこめて、人殺しでもするような気負いでずたずたに引き裂いた。そしてもみくたになった写真の屑を男の胸も透れと投げつけると、写真のあたったその所にかみつきもしかねまじき狂乱の姿となって、捨て身に武者ぶりついた。事務長は思わず身を退いて両手を伸ばして走りよる葉子をせき止めようとしたが、葉子はわれにもなく我武者にすり入って、男の胸に顔を伏せた。そして両手で肩の服地を爪も立てよとつかみながら、しばらく歯をくいしばって震えているうちに、それがだんだんすすり泣きに変わって行って、しまいににはさめざめと声を立てて泣きはじめた。そしてしばらくは葉子の絶望的な泣き声ばかりが部屋の中の静かさをかき乱して響いていた。  突然葉子は倉地の手を自分の背中に感じて、電気にでも触れたように驚いて飛びのいた。倉地に泣きながらすがりついた葉子が倉地からどんなものを受け取らねばならぬかは知れきっていたのに、優しい言葉でもかけてもらえるかのごとく振る舞った自分の矛盾にあきれて、恐ろしさに両手で顔をおおいながら部屋のすみに退って行った。倉地はすぐ近寄って来た。葉子は猫に見込まれたカナリヤのように身もだえしながら部屋の中を逃げにかかったが、事務長は手もなく追いすがって、葉子の二の腕を捕えて力まかせに引き寄せた。葉子も本気にあらん限りの力を出してさからった。しかしその時の倉地はもうふだんの倉地ではなくなっていた。けさ写真を見ていた時、後ろから葉子を抱きしめたその倉地が目ざめていた。怒った野獣に見る狂暴な、防ぎようのない力があらしのように男の五体をさいなむらしく、倉地はその力の下にうめきもがきながら、葉子にまっしぐらにつかみかかった。 「またおれをばかにしやがるな」  という言葉がくいしばった歯の間から雷のように葉子の耳を打った。  あゝこの言葉――このむき出しな有頂点な興奮した言葉こそ葉子が男の口から確かに聞こうと待ち設けた言葉だったのだ。葉子は乱暴な抱擁の中にそれを聞くとともに、心のすみに軽い余裕のできたのを感じて自分というものがどこかのすみに頭をもたげかけたのを覚えた。倉地の取った態度に対して作為のある応対ができそうにさえなった。葉子は前どおりすすり泣きを続けてはいたが、その涙の中にはもう偽りのしずくすらまじっていた。 「いやです放して」  こういった言葉も葉子にはどこか戯曲的な不自然な言葉だった。しかし倉地は反対に葉子の一語一語に酔いしれて見えた。 「だれが離すか」  事務長の言葉はみじめにもかすれおののいていた。葉子はどんどん失った所を取り返して行くように思った。そのくせその態度は反対にますますたよりなげなやる瀬ないものになっていた。倉地の広い胸と太い腕との間に羽がいに抱きしめられながら、小鳥のようにぶるぶると震えて、 「ほんとうに離してくださいまし」 「いやだよ」  葉子は倉地の接吻を右に左によけながら、さらに激しくすすり泣いた。倉地は致命傷を受けた獣のようにうめいた。その腕には悪魔のような血の流れるのが葉子にも感ぜられた。葉子は程を見計らっていた。そして男の張りつめた情欲の糸が絶ち切れんばかりに緊張した時、葉子はふと泣きやんできっと倉地の顔を振り仰いだ。その目からは倉地が思いもかけなかった鋭い強い光が放たれていた。 「ほんとうに放していただきます」  ときっぱりいって、葉子は機敏にちょっとゆるんだ倉地の手をすりぬけた。そしていち早く部屋を横筋かいに戸口まで逃げのびて、ハンドルに手をかけながら、 「あなたはけさこの戸に鍵をおかけになって、……それは手籠めです……わたし……」  といって少し情に激してうつむいてまた何かいい続けようとするらしかったが、突然戸をあけて出て行ってしまった。  取り残された倉地はあきれてしばらく立っているようだったが、やがて英語で乱暴な呪詛を口走りながら、いきなり部屋を出て葉子のあとを追って来た。そしてまもなく葉子の部屋の所に来てノックした。葉子は鍵をかけたまま黙って答えないでいた。事務長はなお二三度ノックを続けていたが、いきなり何か大声で物をいいながら船医の興録の部屋にはいるのが聞こえた。  葉子は興録が事務長のさしがねでなんとかいいに来るだろうとひそかに心待ちにしていた。ところがなんともいって来ないばかりか、船医室からは時々あたりをはばからない高笑いさえ聞こえて、事務長は容易にその部屋を出て行きそうな気配もなかった。葉子は興奮に燃え立ついらいらした心でそこにいる事務長の姿をいろいろ想像していた。ほかの事は一つも頭の中にははいって来なかった。そしてつくづく自分の心の変わりかたの激しさに驚かずにはいられなかった。「定子! 定子!」葉子は隣にいる人を呼び出すような気で小さな声を出してみた。その最愛の名を声にまで出してみても、その響きの中には忘れていた夢を思い出したほどの反応もなかった。どうすれば人の心というものはこんなにまで変わり果てるものだろう。葉子は定子をあわれむよりも、自分の心をあわれむために涙ぐんでしまった。そしてなんの気なしに小卓の前に腰をかけて、大切なものの中にしまっておいた、そのころ日本では珍しいファウンテン・ペンを取り出して、筆の動くままにそこにあった紙きれに字を書いてみた。 「女の弱き心につけ入りたもうはあまりに酷きお心とただ恨めしく存じ参らせ候妾の運命はこの船に結ばれたる奇しきえにしや候いけん心がらとは申せ今は過去のすべて未来のすべてを打ち捨ててただ目の前の恥ずかしき思いに漂うばかりなる根なし草の身となり果て参らせ候を事もなげに見やりたもうが恨めしく恨めしく死」  となんのくふうもなく、よく意味もわからないで一瀉千里に書き流して来たが、「死」という字に来ると、葉子はペンも折れよといらいらしくその上を塗り消した。思いのままを事務長にいってやるのは、思い存分自分をもてあそべといってやるのと同じ事だった。葉子は怒りに任せて余白を乱暴にいたずら書きでよごしていた。  と、突然船医の部屋から高々と倉地の笑い声が聞こえて来た。葉子はわれにもなく頭を上げて、しばらく聞き耳を立ててから、そっと戸口に歩み寄ったが、あとはそれなりまた静かになった。  葉子は恥ずかしげに座に戻った。そして紙の上に思い出すままに勝手な字を書いたり、形の知れない形を書いてみたりしながら、ずきんずきんと痛む頭をぎゅっと肘をついた片手で押えてなんという事もなく考えつづけた。  念が届けば木村にも定子にもなんの用があろう。倉地の心さえつかめばあとは自分の意地一つだ。そうだ。念が届かなければ……念が届かなければ……届かなければあらゆるものに用がなくなるのだ。そうしたら美しく死のうねえ。……どうして……私はどうして……けれども……葉子はいつのまにか純粋に感傷的になっていた。自分にもこんなおぼこな思いが潜んでいたかと思うと、抱いてなでさすってやりたいほど自分がかわゆくもあった。そして木部と別れて以来絶えて味わわなかったこの甘い情緒に自分からほだされおぼれて、心中でもする人のような、恋に身をまかせる心安さにひたりながら小机に突っ伏してしまった。  やがて酔いつぶれた人のように頭をもたげた時は、とうに日がかげって部屋の中にははなやかに電燈がともっていた。  いきなり船医の部屋の戸が乱暴に開かれる音がした。葉子ははっと思った。その時葉子の部屋の戸にどたりと突きあたった人の気配がして、「早月さん」と濁って塩がれた事務長の声がした。葉子は身のすくむような衝動を受けて、思わず立ち上がってたじろぎながら部屋のすみに逃げかくれた。そしてからだじゅうを耳のようにしていた。 「早月さんお願いだ。ちょっとあけてください」  葉子は手早く小机の上の紙を屑かごになげすてて、ファウンテン・ペンを物陰にほうりこんだ。そしてせかせかとあたりを見回したが、あわてながら眼窓のカーテンをしめきった。そしてまた立ちすくんだ、自分の心の恐ろしさにまどいながら。  外部では握り拳で続けさまに戸をたたいている。葉子はそわそわと裾前をかき合わせて、肩越しに鏡を見やりながら涙をふいて眉をなでつけた。 「早月さん‼」  葉子はややしばしとつおいつ躊躇していたが、とうとう決心して、何かあわてくさって、鍵をがちがちやりながら戸をあけた。  事務長はひどく酔ってはいって来た。どんなに飲んでも顔色もかえないほどの強酒な倉地が、こんなに酔うのは珍しい事だった。締めきった戸に仁王立ちによりかかって、冷然とした様子で離れて立つ葉子をまじまじと見すえながら、 「葉子さん、葉子さんが悪ければ早月さんだ。早月さん……僕のする事はするだけの覚悟があってするんですよ。僕はね、横浜以来あなたに惚れていたんだ。それがわからないあなたじゃないでしょう。暴力? 暴力がなんだ。暴力は愚かなこった。殺したくなれば殺しても進んぜるよ」  葉子はその最後の言葉を聞くと瞑眩を感ずるほど有頂天になった。 「あなたに木村さんというのが付いてるくらいは、横浜の支店長から聞かされとるんだが、どんな人だか僕はもちろん知りませんさ。知らんが僕のほうがあなたに深惚れしとる事だけは、この胸三寸でちゃんと知っとるんだ。それ、それがわからん? 僕は恥も何もさらけ出していっとるんですよ。これでもわからんですか」  葉子は目をかがやかしながら、その言葉をむさぼった。かみしめた。そしてのみ込んだ。  こうして葉子に取って運命的な一日は過ぎた。 一八  その夜船はビクトリヤに着いた。倉庫の立ちならんだ長い桟橋に“Car to the Town.Fare 15¢”と大きな白い看板に書いてあるのが夜目にもしるく葉子の眼窓から見やられた。米国への上陸が禁ぜられているシナの苦力がここから上陸するのと、相当の荷役とで、船の内外は急に騒々しくなった。事務長は忙しいと見えてその夜はついに葉子の部屋に顔を見せなかった。そこいらが騒々しくなればなるほど葉子はたとえようのない平和を感じた。生まれて以来、葉子は生に固着した不安からこれほどまできれいに遠ざかりうるものとは思いも設けていなかった。しかもそれが空疎な平和ではない。飛び立っておどりたいほどの ecstasy を苦もなく押えうる強い力の潜んだ平和だった。すべての事に飽き足った人のように、また二十五年にわたる長い苦しい戦いに始めて勝って兜を脱いだ人のように、心にも肉にも快い疲労を覚えて、いわばその疲れを夢のように味わいながら、なよなよとソファに身を寄せて灯火を見つめていた。倉地がそこにいないのが浅い心残りだった。けれどもなんといっても心安かった。ともすれば微笑が口びるの上をさざ波のようにひらめき過ぎた。  けれどもその翌日から一等船客の葉子に対する態度は手のひらを返したように変わってしまった。一夜の間にこれほどの変化をひき起こす事のできる力を、葉子は田川夫人のほかに想像し得なかった。田川夫人が世に時めく良人を持って、人の目に立つ交際をして、女盛りといい条、もういくらか下り坂であるのに引きかえて、どんな人の配偶にしてみても恥ずかしくない才能と容貌とを持った若々しい葉子のたよりなげな身の上とが、二人に近づく男たちに同情の軽重を起こさせるのはもちろんだった。しかし道徳はいつでも田川夫人のような立場にある人の利器で、夫人はまたそれを有利に使う事を忘れない種類の人であった。そして船客たちの葉子に対する同情の底に潜む野心――はかない、野心ともいえないほどの野心――もう一ついい換ゆれば、葉子の記憶に親切な男として、勇悍な男として、美貌な男として残りたいというほどな野心――に絶望の断定を与える事によって、その同情を引っ込めさせる事のできるのも夫人は心得ていた。事務長が自己の勢力範囲から離れてしまった事も不快の一つだった。こんな事から事務長と葉子との関係は巧妙な手段でいち早く船中に伝えられたに違いない。その結果として葉子はたちまち船中の社交から葬られてしまった。少なくとも田川夫人の前では、船客の大部分は葉子に対して疎々しい態度をして見せるようになった。中にもいちばんあわれなのは岡だった。だれがなんと告げ口したのか知らないが、葉子が朝おそく目をさまして甲板に出て見ると、いつものように手欄によりかかって、もう内海になった波の色をながめていた彼は、葉子の姿を認めるや否や、ふいとその場をはずして、どこへか影を隠してしまった。それからというもの、岡はまるで幽霊のようだった。船の中にいる事だけは確かだが、葉子がどうかしてその姿を見つけたと思うと、次の瞬間にはもう見えなくなっていた。そのくせ葉子は思わぬ時に、岡がどこかで自分を見守っているのを確かに感ずる事がたびたびだった。葉子はその岡をあわれむ事すらもう忘れていた。  結句船の中の人たちから度外視されるのを気安い事とまでは思わないでも、葉子はかかる結果にはいっこう無頓着だった。もう船はきょうシヤトルに着くのだ。田川夫人やそのほかの船客たちのいわゆる「監視」の下に苦々しい思いをするのもきょう限りだ。そう葉子は平気で考えていた。  しかし船がシヤトルに着くという事は、葉子にほかの不安を持ちきたさずにはおかなかった。シカゴに行って半年か一年木村と連れ添うほかはあるまいとも思った。しかし木部の時でも二か月とは同棲していなかったとも思った。倉地と離れては一日でもいられそうにはなかった。しかしこんな事を考えるには船がシヤトルに着いてからでも三日や四日の余裕はある。倉地はその事は第一に考えてくれているに違いない。葉子は今の平和をしいてこんな問題でかき乱す事を欲しなかったばかりでなくとてもできなかった。  葉子はそのくせ、船客と顔を見合わせるのが不快でならなかったので、事務長に頼んで船橋に上げてもらった。船は今瀬戸内のような狭い内海を動揺もなく進んでいた。船長はビクトリアで傭い入れた水先案内と二人ならんで立っていたが、葉子を見るといつものとおり顔をまっ赤にしながら帽子を取って挨拶した。ビスマークのような顔をして、船長より一がけも二がけも大きい白髪の水先案内はふと振り返ってじっと葉子を見たが、そのまま向き直って、 「Charmin' little lassie ! wha' is that ?」  とスコットランド風な強い発音で船長に尋ねた。葉子にはわからないつもりでいったのだ。船長があわてて何かささやくと、老人はからからと笑ってちょっと首を引っ込ませながら、もう一度振り返って葉子を見た。  その毒気なくからからと笑う声が、恐ろしく気に入ったばかりでなく、かわいて晴れ渡った秋の朝の空となんともいえない調和をしていると思いながら葉子は聞いた。そしてその老人の背中でもなでてやりたいような気になった。船は小動ぎもせずにアメリカ松の生え茂った大島小島の間を縫って、舷側に来てぶつかるさざ波の音ものどかだった。そして昼近くなってちょっとした岬をくるりと船がかわすと、やがてポート・タウンセンドに着いた。そこでは米国官憲の検査が型ばかりあるのだ。くずした崕の土で埋め立てをして造った、桟橋まで小さな漁村で、四角な箱に窓を明けたような、生々しい一色のペンキで塗り立てた二三階建ての家並みが、けわしい斜面に沿うて、高く低く立ち連なって、岡の上には水上げの風車が、青空に白い羽根をゆるゆる動かしながら、かったんこっとんとのんきらしく音を立てて回っていた。鴎が群れをなして猫に似た声でなきながら、船のまわりを水に近くのどかに飛び回るのを見るのも、葉子には絶えて久しい物珍しさだった。飴屋の呼び売りのような声さえ町のほうから聞こえて来た。葉子はチャート・ルームの壁にもたれかかって、ぽかぽかとさす秋の日の光を頭から浴びながら、静かな恵み深い心で、この小さな町の小さな生活の姿をながめやった。そして十四日の航海の間に、いつのまにか海の心を心としていたのに気がついた。放埒な、移り気な、想像も及ばぬパッションにのたうち回ってうめき悩むあの大海原――葉子は失われた楽園を慕い望むイヴのように、静かに小さくうねる水の皺を見やりながら、はるかな海の上の旅路を思いやった。 「早月さん、ちょっとそこからでいい、顔を貸してください」  すぐ下で事務長のこういう声が聞こえた。葉子は母に呼び立てられた少女のように、うれしさに心をときめかせながら、船橋の手欄から下を見おろした。そこに事務長が立っていた。 「One more over there,look!」  こういいながら、米国の税関吏らしい人に葉子を指さして見せた。官吏はうなずきながら手帳に何か書き入れた。  船はまもなくこの漁村を出発したが、出発するとまもなく事務長は船橋にのぼって来た。 「Here we are! Seatle is as good as reached now.」  船長にともなく葉子にともなくいって置いて、水先案内と握手しながら、 「Thanks to you.」  と付け足した。そして三人でしばらく快活に四方山の話をしていたが、ふと思い出したように葉子を顧みて、 「これからまた当分は目が回るほど忙しくなるで、その前にちょっと御相談があるんだが、下に来てくれませんか」  といった。葉子は船長にちょっと挨拶を残して、すぐ事務長のあとに続いた。階子段を降りる時でも、目の先に見える頑丈な広い肩から一種の不安が抜け出て来て葉子に逼る事はもうなかった。自分の部屋の前まで来ると、事務長は葉子の肩に手をかけて戸をあけた。部屋の中には三四人の男が濃く立ちこめた煙草の煙の中に所狭く立ったり腰をかけたりしていた。そこには興録の顔も見えた。事務長は平気で葉子の肩に手をかけたままはいって行った。  それは始終事務長や船医と一かたまりのグループを作って、サルンの小さなテーブルを囲んでウイスキーを傾けながら、時々他の船客の会話に無遠慮な皮肉や茶々を入れたりする連中だった。日本人が着るといかにもいや味に見えるアメリカ風の背広も、さして取ってつけたようには見えないほど、太平洋を幾度も往来したらしい人たちで、どんな職業に従事しているのか、そういう見分けには人一倍鋭敏な観察力を持っている葉子にすら見当がつかなかった。葉子がはいって行っても、彼らは格別自分たちの名前を名乗るでもなく、いちばん安楽な椅子に腰かけていた男が、それを葉子に譲って、自分は二つに折れるように小さくなって、すでに一人腰かけている寝台に曲がりこむと、一同はその様子に声を立てて笑ったが、すぐまた前どおり平気な顔をして勝手な口をきき始めた。それでも一座は事務長には一目置いているらしく、また事務長と葉子との関係も、事務長から残らず聞かされている様子だった。葉子はそういう人たちの間にあるのを結句気安く思った。彼らは葉子を下級船員のいわゆる「姉御」扱いにしていた。 「向こうに着いたらこれで悶着ものだぜ。田川の嚊め、あいつ、一味噌すらずにおくまいて」 「因業な生まれだなあ」 「なんでも正面からぶっ突かって、いさくさいわせず決めてしまうほかはないよ」  などと彼らは戯談ぶった口調で親身な心持ちをいい現わした。事務長は眉も動かさずに、机によりかかって黙っていた。葉子はこれらの言葉からそこに居合わす人々の性質や傾向を読み取ろうとしていた。興録のほかに三人いた。その中の一人は甲斐絹のどてらを着ていた。 「このままこの船でお帰りなさるがいいね」  とそのどてらを着た中年の世渡り巧者らしいのが葉子の顔を窺い窺いいうと、事務長は少し屈託らしい顔をして物懶げに葉子を見やりながら、 「わたしもそう思うんだがどうだ」  とたずねた。葉子は、 「さあ……」  と生返事をするほかなかった。始めて口をきく幾人もの男の前で、とっかは物をいうのがさすがに億劫だった。興録は事務長の意向を読んで取ると、分別ぶった顔をさし出して、 「それに限りますよ。あなた一つ病気におなりなさりゃ世話なしですさ。上陸したところが急に動くようにはなれない。またそういうからだでは検疫がとやかくやかましいに違いないし、この間のように検疫所でまっ裸にされるような事でも起これば、国際問題だのなんだのって始末におえなくなる。それよりは出帆まで船に寝ていらっしゃるほうがいいと、そこは私が大丈夫やりますよ。そしておいて船の出ぎわになってやはりどうしてもいけないといえばそれっきりのもんでさあ」 「なに、田川の奥さんが、木村っていうのに、味噌さえしこたますってくれればいちばんええのだが」  と事務長は船医の言葉を無視した様子で、自分の思うとおりをぶっきらぼうにいってのけた。  木村はそのくらいな事で葉子から手を引くようなはきはきした気象の男ではない。これまでもずいぶんいろいろなうわさが耳にはいったはずなのに「僕はあの女の欠陥も弱点もみんな承知している。私生児のあるのももとより知っている。ただ僕はクリスチャンである以上、なんとでもして葉子を救い上げる。救われた葉子を想像してみたまえ。僕はその時いちばん理想的な better half を持ちうると信じている」といった事を聞いている。東北人のねんじりむっつりしたその気象が、葉子には第一我慢のしきれない嫌悪の種だったのだ。  葉子は黙ってみんなのいう事を聞いているうちに、興録の軍略がいちばん実際的だと考えた。そしてなれなれしい調子で興録を見やりながら、 「興録さん、そうおっしゃればわたし仮病じゃないんですの。この間じゅうから診ていただこうかしらと幾度か思ったんですけれども、あんまり大げさらしいんで我慢していたんですが、どういうもんでしょう……少しは船に乗る前からでしたけれども……お腹のここが妙に時々痛むんですのよ」  というと、寝台に曲がりこんだ男はそれを聞きながらにやりにやり笑い始めた。葉子はちょっとその男をにらむようにして一緒に笑った。 「まあ機の悪い時にこんな事をいうもんですから、痛い腹まで探られますわね……じゃ興録さん後ほど診ていただけて?」  事務長の相談というのはこんなたわいもない事で済んでしまった。  二人きりになってから、 「ではわたしこれからほんとうの病人になりますからね」  葉子はちょっと倉地の顔をつついて、その口びるに触れた。そしてシヤトルの市街から起こる煤煙が遠くにぼんやり望まれるようになったので、葉子は自分の部屋に帰った。そして洋風の白い寝衣に着かえて、髪を長い編み下げにして寝床にはいった。戯談のようにして興録に病気の話をしたものの、葉子は実際かなり長い以前から子宮を害しているらしかった。腰を冷やしたり、感情が激昂したりしたあとでは、きっと収縮するような痛みを下腹部に感じていた。船に乗った当座は、しばらくの間は忘れるようにこの不快な痛みから遠ざかる事ができて、幾年ぶりかで申し所のない健康のよろこびを味わったのだったが、近ごろはまただんだん痛みが激しくなるようになって来ていた。半身が痲痺したり、頭が急にぼーっと遠くなる事も珍しくなかった。葉子は寝床にはいってから、軽い疼みのある所をそっと平手でさすりながら、船がシヤトルの波止場に着く時のありさまを想像してみた。しておかなければならない事が数かぎりなくあるらしかったけれども、何をしておくという事もなかった。ただなんでもいいせっせと手当たり次第したくをしておかなければ、それだけの心尽くしを見せて置かなければ、目論見どおり首尾が運ばないように思ったので、一ぺん横になったものをまたむくむくと起き上がった。  まずきのう着た派手な衣類がそのまま散らかっているのを畳んでトランクの中にしまいこんだ。臥る時まで着ていた着物は、わざとはなやかな長襦袢や裏地が見えるように衣紋竹に通して壁にかけた。事務長の置き忘れて行ったパイプや帳簿のようなものは丁寧に抽き出しに隠した。古藤が木村と自分とにあてて書いた二通の手紙を取り出して、古藤がしておいたように、枕の下に差しこんだ。鏡の前には二人の妹と木村との写真を飾った。それから大事な事を忘れていたのに気がついて、廊下越しに興録を呼び出して薬びんや病床日記を調えるように頼んだ。興録の持って来た薬びんから薬を半分がた痰壺に捨てた。日本から木村に持って行くように託された品々をトランクから取り分けた。その中からは故郷を思い出させるようないろいろな物が出て来た。香いまでが日本というものをほのかに心に触れさせた。  葉子は忙しく働かしていた手を休めて、部屋のまん中に立ってあたりを見回して見た。しぼんだ花束が取りのけられてなくなっているばかりで、あとは横浜を出た時のとおりの部屋の姿になっていた。旧い記憶が香のようにしみこんだそれらの物を見ると、葉子の心はわれにもなくふとぐらつきかけたが、涙もさそわずに淡く消えて行った。  フォクスルで起重機の音がかすかに響いて来るだけで、葉子の部屋は妙に静かだった。葉子の心は風のない池か沼の面のようにただどんよりとよどんでいた。からだはなんのわけもなくだるく物懶かった。  食堂の時計が引きしまった音で三時を打った。それを相図のように汽笛がすさまじく鳴り響いた。港にはいった相図をしているのだなと思った。と思うと今まで鈍く脈打つように見えていた胸が急に激しく騒ぎ動き出した。それが葉子の思いも設けぬ方向に動き出した。もうこの長い船旅も終わったのだ。十四五の時から新聞記者になる修業のために来たい来たいと思っていた米国に着いたのだ。来たいとは思いながらほんとうに来ようとは夢にも思わなかった米国に着いたのだ。それだけの事で葉子の心はもうしみじみとしたものになっていた。木村は狂うような心をしいて押ししずめながら、船の着くのを埠頭に立って涙ぐみつつ待っているだろう。そう思いながら葉子の目は木村や二人の妹の写真のほうにさまよって行った。それとならべて写真を飾っておく事もできない定子の事までが、哀れ深く思いやられた。生活の保障をしてくれる父親もなく、膝に抱き上げて愛撫してやる母親にもはぐれたあの子は今あの池の端のさびしい小家で何をしているのだろう。笑っているかと想像してみるのも悲しかった。泣いているかと想像してみるのもあわれだった。そして胸の中が急にわくわくとふさがって来て、せきとめる暇もなく涙がはらはらと流れ出た。葉子は大急ぎで寝台のそばに駆けよって、枕もとにおいといたハンケチを拾い上げて目がしらに押しあてた。素直な感傷的な涙がただわけもなくあとからあとから流れた。この不意の感情の裏切りにはしかし引き入れられるような誘惑があった。だんだん底深く沈んで哀しくなって行くその思い、なんの思いとも定めかねた深い、わびしい、悲しい思い。恨みや怒りをきれいにぬぐい去って、あきらめきったようにすべてのものをただしみじみとなつかしく見せるその思い。いとしい定子、いとしい妹、いとしい父母、……なぜこんななつかしい世に自分の心だけがこう哀しく一人ぼっちなのだろう。なぜ世の中は自分のようなものをあわれむしかたを知らないのだろう。そんな感じの零細な断片がつぎつぎに涙にぬれて胸を引きしめながら通り過ぎた。葉子は知らず知らずそれらの感じにしっかりすがり付こうとしたけれども無益だった。感じと感じとの間には、星のない夜のような、波のない海のような、暗い深い際涯のない悲哀が、愛憎のすべてをただ一色に染めなして、どんよりと広がっていた。生を呪うよりも死が願われるような思いが、逼るでもなく離れるでもなく、葉子の心にまつわり付いた。葉子は果ては枕に顔を伏せて、ほんとうに自分のためにさめざめと泣き続けた。  こうして小半時もたった時、船は桟橋につながれたと見えて、二度目の汽笛が鳴りはためいた。葉子は物懶げに頭をもたげて見た。ハンケチは涙のためにしぼるほどぬれて丸まっていた。水夫らが繋ぎ綱を受けたりやったりする音と、鋲釘を打ちつけた靴で甲板を歩き回る音とが入り乱れて、頭の上はさながら火事場のような騒ぎだった。泣いて泣いて泣き尽くした子供のようなぼんやりした取りとめのない心持ちで、葉子は何を思うともなくそれを聞いていた。  と突然戸外で事務長の、 「ここがお部屋です」  という声がした。それがまるで雷か何かのように恐ろしく聞こえた。葉子は思わずぎょっとなった。準備をしておくつもりでいながらなんの準備もできていない事も思った。今の心持ちは平気で木村に会える心持ちではなかった。おろおろしながら立ちは上がったが、立ち上がってもどうする事もできないのだと思うと、追いつめられた罪人のように、頭の毛を両手で押えて、髪の毛をむしりながら、寝台の上にがばと伏さってしまった。  戸があいた。 「戸があいた」、葉子は自分自身に救いを求めるように、こう心の中でうめいた。そして息気もとまるほど身内がしゃちこばってしまっていた。 「早月さん、木村さんが見えましたよ」  事務長の声だ。あゝ事務長の声だ。事務長の声だ。葉子は身を震わせて壁のほうに顔を向けた。……事務長の声だ……。 「葉子さん」  木村の声だ。今度は感情に震えた木村の声が聞こえて来た。葉子は気が狂いそうだった。とにかく二人の顔を見る事はどうしてもできない。葉子は二人に背ろを向けますます壁のほうにもがきよりながら、涙の暇から狂人のように叫んだ。たちまち高くたちまち低いその震え声は笑っているようにさえ聞こえた。 「出て……お二人ともどうか出て……この部屋を……後生ですから今この部屋を……出てくださいまし……」  木村はひどく不安げに葉子によりそってその肩に手をかけた。木村の手を感ずると恐怖と嫌悪とのために身をちぢめて壁にしがみついた。 「痛い……いけません……お腹が……早く出て……早く……」  事務長は木村を呼び寄せて何かしばらくひそひそ話し合っているようだったが、二人ながら足音を盗んでそっと部屋を出て行った。葉子はなおも息気も絶え絶えに、 「どうぞ出て……あっちに行って……」  といいながら、いつまでも泣き続けた。 一九  しばらくの間食堂で事務長と通り一ぺんの話でもしているらしい木村が、ころを見計らって再度葉子の部屋の戸をたたいた時にも、葉子はまだ枕に顔を伏せて、不思議な感情の渦巻きの中に心を浸していたが、木村が一人ではいって来たのに気づくと、始めて弱々しく横向きに寝なおって、二の腕まで袖口のまくれたまっ白な手をさし延べて、黙ったまま木村と握手した。木村は葉子の激しく泣いたのを見てから、こらえこらえていた感情がさらに嵩じたものか、涙をあふれんばかり目がしらにためて、厚ぼったい口びるを震わせながら、痛々しげに葉子の顔つきを見入って突っ立った。  葉子は、今まで続けていた沈黙の惰性で第一口をきくのが物懶かったし、木村はなんといい出したものか迷う様子で、二人の間には握手のまま意味深げな沈黙が取りかわされた。その沈黙はしかし感傷的という程度であるにはあまりに長く続き過ぎたので、外界の刺激に応じて過敏なまでに満干のできる葉子の感情は今まで浸っていた痛烈な動乱から一皮一皮平調に還って、果てはその底に、こう嵩じてはいとわしいと自分ですらが思うような冷ややかな皮肉が、そろそろ頭を持ち上げるのを感じた。握り合わせたむずかゆいような手を引っ込めて、目もとまでふとんをかぶって、そこから自分の前に立つ若い男の心の乱れを嘲笑ってみたいような心にすらなっていた。長く続く沈黙が当然ひき起こす一種の圧迫を木村も感じてうろたえたらしく、なんとかして二人の間の気まずさを引き裂くような、心の切なさを表わす適当の言葉を案じ求めているらしかったが、とうとう涙に潤った低い声で、もう一度、 「葉子さん」  と愛するものの名を呼んだ。それは先ほど呼ばれた時のそれに比べると、聞き違えるほど美しい声だった。葉子は、今まで、これほど切な情をこめて自分の名を呼ばれた事はないようにさえ思った。「葉子」という名にきわ立って伝奇的な色彩が添えられたようにも聞こえた。で、葉子はわざと木村と握り合わせた手に力をこめて、さらになんとか言葉をつがせてみたくなった。その目も木村の口びるに励ましを与えていた。木村は急に弁力を回復して、 「一日千秋の思いとはこの事です」  とすらすらとなめらかにいってのけた。それを聞くと葉子はみごと期待に背負投げをくわされて、その場の滑稽に思わずふき出そうとしたが、いかに事務長に対する恋におぼれきった女心の残虐さからも、さすがに木村の他意ない誠実を笑いきる事は得しないで、葉子はただ心の中で失望したように「あれだからいやになっちまう」とくさくさしながら喞った。  しかしこの場合、木村と同様、葉子も格好な空気を部屋の中に作る事に当惑せずにはいられなかった。事務長と別れて自分の部屋に閉じこもってから、心静かに考えて置こうとした木村に対する善後策も、思いよらぬ感情の狂いからそのままになってしまって、今になってみると、葉子はどう木村をもてあつかっていいのか、はっきりした目論見はできていなかった。しかし考えてみると、木部孤笻と別れた時でも、葉子には格別これという謀略があったわけではなく、ただその時々にわがままを振る舞ったに過ぎなかったのだけれども、その結果は葉子が何か恐ろしく深い企みと手練を示したかのように人に取られていた事も思った。なんとかして漕ぎ抜けられない事はあるまい。そう思って、まず落ち付き払って木村に椅子をすすめた。木村が手近にある畳み椅子を取り上げて寝台のそばに来てすわると、葉子はまたしなやかな手を木村の膝の上において、男の顔をしげしげと見やりながら、 「ほんとうにしばらくでしたわね。少しおやつれになったようですわ」  といってみた。木村は自分の感情に打ち負かされて身を震わしていた。そしてわくわくと流れ出る涙が見る見る目からあふれて、顔を伝って幾筋となく流れ落ちた。葉子は、その涙の一しずくが気まぐれにも、うつむいた男の鼻の先に宿って、落ちそうで落ちないのを見やっていた。 「ずいぶんいろいろと苦労なすったろうと思って、気が気ではなかったんですけれども、わたしのほうも御承知のとおりでしょう。今度こっちに来るにつけても、それは困って、ありったけのものを払ったりして、ようやく間に合わせたくらいだったもんですから……」  なおいおうとするのを木村は忙しく打ち消すようにさえぎって、 「それは充分わかっています」  と顔を上げた拍子に涙のしずくがぽたりと鼻の先からズボンの上に落ちたのを見た。葉子は、泣いたために妙に脹れぼったく赤くなって、てらてらと光る木村の鼻の先が急に気になり出して、悪いとは知りながらも、ともするとそこへばかり目が行った。  木村は何からどう話し出していいかわからない様子だった。 「わたしの電報をビクトリヤで受け取ったでしょうね」  などともてれ隠しのようにいった。葉子は受け取った覚えもないくせにいいかげんに、 「えゝ、ありがとうございました」  と答えておいた。そして一時も早くこんな息気づまるように圧迫して来る二人の間の心のもつれからのがれる術はないかと思案していた。 「今始めて事務長から聞いたんですが、あなたが病気だったといってましたが、いったいどこが悪かったんです。さぞ困ったでしょうね。そんな事とはちっとも知らずに、今が今まで、祝福された、輝くようなあなたを迎えられるとばかり思っていたんです。あなたはほんとうに試練の受けつづけというもんですね。どこでした悪いのは」  葉子は、不用意にも女を捕えてじかづけに病気の種類を聞きただす男の心の粗雑さを忌みながら、当たらずさわらず、前からあった胃病が、船の中で食物と気候との変わったために、だんだん嵩じて来て起きられなくなったようにいい繕った。木村は痛ましそうに眉を寄せながら聞いていた。  葉子はもうこんな程々な会話には堪えきれなくなって来た。木村の顔を見るにつけて思い出される仙台時代や、母の死というような事にもかなり悩まされるのをつらく思った。で、話の調子を変えるためにしいていくらか快活を装って、 「それはそうとこちらの御事業はいかが」  と仕事とか様子とかいう代わりに、わざと事業という言葉をつかってこう尋ねた。  木村の顔つきは見る見る変わった。そして胸のポッケットにのぞかせてあった大きなリンネルのハンケチを取り出して、器用に片手でそれをふわりと丸めておいて、ちんと鼻をかんでから、また器用にそれをポケットに戻すと、 「だめです」  といかにも絶望的な調子でいったが、その目はすでに笑っていた。サンフランシスコの領事が在留日本人の企業に対して全然冷淡で盲目であるという事、日本人間に嫉視が激しいので、サンフランシスコでの事業の目論見は予期以上の故障にあって大体失敗に終わった事、思いきった発展はやはり想像どおりの米国の西部よりも中央、ことにシカゴを中心として計画されなければならぬという事、幸いに、サンフランシスコで自分の話に乗ってくれるある手堅いドイツ人に取り次ぎを頼んだという事、シヤトルでも相当の店を見いだしかけているという事、シカゴに行ったら、そこで日本の名誉領事をしているかなりの鉄物商の店にまず住み込んで米国における取り引きの手心をのみ込むと同時に、その人の資本の一部を動かして、日本との直取り引きを始める算段であるという事、シカゴの住まいはもう決まって、借りるべきフラットの図面まで取り寄せてあるという事、フラットは不経済のようだけれども部屋の明いた部分を又貸しをすれば、たいして高いものにもつかず、住まい便利は非常にいいという事……そういう点にかけては、なかなか綿密に行き届いたもので、それをいかにも企業家らしい説服的な口調で順序よく述べて行った。会話の流れがこう変わって来ると、葉子は始めて泥の中から足を抜き上げたような気軽な心持ちになって、ずっと木村を見つめながら、聞くともなしにその話に聞き耳を立てていた。木村の容貌はしばらくの間に見違えるほど refine されて、元から白かったその皮膚は何か特殊な洗料で底光りのするほどみがきがかけられて、日本人とは思えぬまでなめらかなのに、油できれいに分けた濃い黒髪は、西洋人の金髪にはまた見られぬような趣のある対照をその白皙の皮膚に与えて、カラーとネクタイの関係にも人に気のつかぬ凝りかたを見せていた。 「会いたてからこんな事をいうのは恥ずかしいですけれども、実際今度という今度は苦闘しました。ここまで迎いに来るにもろくろく旅費がない騒ぎでしょう」  といってさすがに苦しげに笑いにまぎらそうとした。そのくせ木村の胸にはどっしりと重そうな金鎖がかかって、両手の指には四つまで宝石入りの指輪がきらめいていた。葉子は木村のいう事を聞きながらその指に目をつけていたが、四つの指輪の中に婚約の時取りかわした純金の指輪もまじっているのに気がつくと、自分の指にはそれをはめていなかったのを思い出して、何くわぬ様子で木村の膝の上から手を引っ込めて顎までふとんをかぶってしまった。木村は引っ込められた手に追いすがるように椅子を乗り出して、葉子の顔に近く自分の顔をさし出した。 「葉子さん」 「何?」  また Love-scene か。そう思って葉子はうんざりしたけれども、すげなく顔をそむけるわけにも行かず、やや当惑していると、おりよく事務長が型ばかりのノックをしてはいって来た。葉子は寝たまま、目でいそいそと事務長を迎えながら、 「まあようこそ……先ほどは失礼。なんだかくだらない事を考え出していたもんですから、ついわがままをしてしまってすみません……お忙しいでしょう」  というと、事務長はからかい半分の冗談をきっかけに、 「木村さんの顔を見るとえらい事を忘れていたのに気がついたで。木村さんからあなたに電報が来とったのを、わたしゃビクトリヤのどさくさでころり忘れとったんだ。すまん事でした。こんな皺になりくさった」  といいながら、左のポッケットから折り目に煙草の粉がはさまってもみくちゃになった電報紙を取り出した。木村はさっき葉子がそれを見たと確かにいったその言葉に対して、怪訝な顔つきをしながら葉子を見た。些細な事ではあるが、それが事務長にも関係を持つ事だと思うと、葉子もちょっとどぎまぎせずにはいられなかった。しかしそれはただ一瞬間だった。 「倉地さん、あなたはきょう少しどうかなすっていらっしゃるわ。それはその時ちゃんと拝見したじゃありませんか」  といいながらすばやく目くばせすると、事務長はすぐ何かわけがあるのを気取ったらしく、巧みに葉子にばつを合わせた。 「何? あなた見た?……おゝそうそう……これは寝ぼけ返っとるぞ、はゝゝゝ」  そして互いに顔を見合わせながら二人はしたたか笑った。木村はしばらく二人をかたみがわりに見くらべていたが、これもやがて声を立てて笑い出した。木村の笑い出すのを見た二人は無性におかしくなってもう一度新しく笑いこけた。木村という大きな邪魔者を目の前に据えておきながら、互いの感情が水のように苦もなく流れ通うのを二人は子供らしく楽しんだ。  しかしこんないたずらめいた事のために話はちょっと途切れてしまった。くだらない事に二人からわき出た少し仰山すぎた笑いは、かすかながら木村の感情をそこねたらしかった。葉子は、この場合、なお居残ろうとする事務長を遠ざけて、木村とさし向かいになるのが得策だと思ったので、程もなくきまじめな顔つきに返って、枕の下を探って、そこに入れて置いた古藤の手紙を取り出して木村に渡しながら、 「これをあなたに古藤さんから。古藤さんにはずいぶんお世話になりましてよ。でもあの方のぶまさかげんったら、それはじれったいほどね。愛や貞の学校の事もお頼みして来たんですけれども心もとないもんよ。きっと今ごろはけんか腰になってみんなと談判でもしていらっしゃるでしょうよ。見えるようですわね」  と水を向けると、木村は始めて話の領分が自分のほうに移って来たように、顔色をなおしながら、事務長をそっちのけにした態度で、葉子に対しては自分が第一の発言権を持っているといわんばかりに、いろいろと話し出した。事務長はしばらく風向きを見計らって立っていたが突然部屋を出て行った。葉子はすばやくその顔色をうかがうと妙にけわしくなっていた。 「ちょっと失礼」  木村の癖で、こんな時まで妙によそよそしく断わって、古藤の手紙の封を切った。西洋罫紙にペンで細かく書いた幾枚かのかなり厚いもので、それを木村が読み終わるまでには暇がかかった。その間、葉子は仰向けになって、甲板で盛んに荷揚げしている人足らの騒ぎを聞きながら、やや暗くなりかけた光で木村の顔を見やっていた。少し眉根を寄せながら、手紙に読みふける木村の表情には、時々苦痛や疑惑やの色が往ったり来たりした。読み終わってからほっとしたため息とともに木村は手紙を葉子に渡して、 「こんな事をいってよこしているんです。あなたに見せても構わないとあるから御覧なさい」  といった。葉子はべつに読みたくもなかったが、多少の好奇心も手伝うのでとにかく目を通して見た。 「僕は今度ぐらい不思議な経験をなめた事はない。兄が去って後の葉子さんの一身に関して、責任を持つ事なんか、僕はしたいと思ってもできはしないが、もし明白にいわせてくれるなら、兄はまだ葉子さんの心を全然占領したものとは思われない」 「僕は女の心には全く触れた事がないといっていいほどの人間だが、もし僕の事実だと思う事が不幸にして事実だとすると、葉子さんの恋には――もしそんなのが恋といえるなら――だいぶ余裕があると思うね」 「これが女の tact というものかと思ったような事があった。しかし僕にはわからん」 「僕は若い女の前に行くと変にどぎまぎしてしまってろくろく物もいえなくなる。ところが葉子さんの前では全く異った感じで物がいえる。これは考えものだ」 「葉子さんという人は兄がいうとおりに優れた天賦を持った人のようにも実際思える。しかしあの人はどこか片輪じゃないかい」 「明白にいうと僕はああいう人はいちばんきらいだけれども、同時にまたいちばんひきつけられる、僕はこの矛盾を解きほごしてみたくってたまらない。僕の単純を許してくれたまえ。葉子さんは今までのどこかで道を間違えたのじゃないかしらん。けれどもそれにしてはあまり平気だね」 「神は悪魔に何一つ与えなかったが Attraction だけは与えたのだ。こんな事も思う。……葉子さんの Attraction はどこから来るんだろう。失敬失敬。僕は乱暴をいいすぎてるようだ」 「時々は憎むべき人間だと思うが、時々はなんだかかわいそうでたまらなくなる時がある。葉子さんがここを読んだら、おそらく唾でも吐きかけたくなるだろう。あの人はかわいそうな人のくせに、かわいそうがられるのがきらいらしいから」 「僕には結局葉子さんが何がなんだかちっともわからない。僕は兄が彼女を選んだ自信に驚く。しかしこうなった以上は、兄は全力を尽くして彼女を理解してやらなければいけないと思う。どうか兄らの生活が最後の栄冠に至らん事を神に祈る」  こんな文句が断片的に葉子の心にしみて行った。葉子は激しい侮蔑を小鼻に見せて、手紙を木村に戻した。木村の顔にはその手紙を読み終えた葉子の心の中を見とおそうとあせるような表情が現われていた。 「こんな事を書かれてあなたどう思います」  葉子は事もなげにせせら笑った。 「どうも思いはしませんわ。でも古藤さんも手紙の上では一枚がた男を上げていますわね」  木村の意気込みはしかしそんな事ではごまかされそうにはなかったので、葉子はめんどうくさくなって少し険しい顔になった。 「古藤さんのおっしゃる事は古藤さんのおっしゃる事。あなたはわたしと約束なさった時からわたしを信じわたしを理解してくださっていらっしゃるんでしょうね」  木村は恐ろしい力をこめて、 「それはそうですとも」  と答えた。 「そんならそれで何もいう事はないじゃありませんか。古藤さんなどのいう事――古藤さんなんぞにわかられたら人間も末ですわ――でもあなたはやっぱりどこかわたしを疑っていらっしゃるのね」 「そうじゃない……」 「そうじゃない事があるもんですか。わたしは一たんこうと決めたらどこまでもそれで通すのが好き。それは生きてる人間ですもの、こっちのすみあっちのすみと小さな事を捕えてとがめだてを始めたら際限はありませんさ。そんなばかな事ったらありませんわ。わたしみたいな気随なわがまま者はそんなふうにされたら窮屈で窮屈で死んでしまうでしょうよ。わたしがこんなになったのも、つまり、みんなで寄ってたかってわたしを疑い抜いたからです。あなただってやっぱりその一人かと思うと心細いもんですのね」  木村の目は輝いた。 「葉子さん、それは疑い過ぎというもんです」  そして自分が米国に来てからなめ尽くした奮闘生活もつまりは葉子というものがあればこそできたので、もし葉子がそれに同情と鼓舞とを与えてくれなかったら、その瞬間に精も根も枯れ果ててしまうに違いないという事を繰り返し繰り返し熱心に説いた。葉子はよそよそしく聞いていたが、 「うまくおっしゃるわ」  と留めをさしておいて、しばらくしてから思い出したように、 「あなた田川の奥さんにおあいなさって」  と尋ねた。木村はまだあわなかったと答えた。葉子は皮肉な表情をして、 「いまにきっとおあいになってよ。一緒にこの船でいらしったんですもの。そして五十川のおばさんがわたしの監督をお頼みになったんですもの。一度おあいになったらあなたはきっとわたしなんぞ見向きもなさらなくなりますわ」 「どうしてです」 「まあおあいなさってごらんなさいまし」 「何かあなた批難を受けるような事でもしたんですか」 「えゝえゝたくさんしましたとも」 「田川夫人に? あの賢夫人の批難を受けるとは、いったいどんな事をしたんです」  葉子はさも愛想が尽きたというふうに、 「あの賢夫人!」  といいながら高々と笑った。二人の感情の糸はまたももつれてしまった。 「そんなにあの奥さんにあなたの御信用があるのなら、わたしから申しておくほうが早手回しですわね」  と葉子は半分皮肉な半分まじめな態度で、横浜出航以来夫人から葉子が受けた暗々裡の圧迫に尾鰭をつけて語って来て、事務長と自分との間に何かあたりまえでない関係でもあるような疑いを持っているらしいという事を、他人事でも話すように冷静に述べて行った。その言葉の裏には、しかし葉子に特有な火のような情熱がひらめいて、その目は鋭く輝いたり涙ぐんだりしていた。木村は電火にでも打たれたように判断力を失って、一部始終をぼんやりと聞いていた。言葉だけにもどこまでも冷静な調子を持たせ続けて葉子はすべてを語り終わってから、 「同じ親切にも真底からのと、通り一ぺんのと二つありますわね。その二つがどうかしてぶつかり合うと、いつでもほんとうの親切のほうが悪者扱いにされたり、邪魔者に見られるんだからおもしろうござんすわ。横浜を出てから三日ばかり船に酔ってしまって、どうしましょうと思った時にも、御親切な奥さんは、わざと御遠慮なさってでしょうね、三度三度食堂にはお出になるのに、一度もわたしのほうへはいらしってくださらないのに、事務長ったら幾度もお医者さんを連れて来るんですもの、奥さんのお疑いももっともといえばもっともですの。それにわたしが胃病で寝込むようになってからは、船中のお客様がそれは同情してくださって、いろいろとしてくださるのが、奥さんには大のお気に入らなかったんですの。奥さんだけがわたしを親切にしてくださって、ほかの方はみんな寄ってたかって、奥さんを親切にして上げてくださる段取りにさえなれば、何もかも無事だったんですけれどもね、中でも事務長の親切にして上げかたがいちばん足りなかったんでしょうよ」  と言葉を結んだ。木村は口びるをかむように聞いていたが、いまいましげに、 「わかりましたわかりました」  合点しながらつぶやいた。  葉子は額の生えぎわの短い毛を引っぱっては指に巻いて上目でながめながら、皮肉な微笑を口びるのあたりに浮かばして、 「おわかりになった? ふん、どうですかね」  と空うそぶいた。  木村は何を思ったかひどく感傷的な態度になっていた。 「わたしが悪かった。わたしはどこまでもあなたを信ずるつもりでいながら、他人の言葉に多少とも信用をかけようとしていたのが悪かったのです。……考えてください、わたしは親類や友人のすべての反対を犯してここまで来ているのです。もうあなたなしにはわたしの生涯は無意味です。わたしを信じてください。きっと十年を期して男になって見せますから……もしあなたの愛からわたしが離れなければならんような事があったら……わたしはそんな事を思うに堪えない……葉子さん」  木村はこういいながら目を輝かしてすり寄って来た。葉子はその思いつめたらしい態度に一種の恐怖を感ずるほどだった。男の誇りも何も忘れ果て、捨て果てて、葉子の前に誓いを立てている木村を、うまうま偽っているのだと思うと、葉子はさすがに針で突くような痛みを鋭く深く良心の一隅に感ぜずにはいられなかった。しかしそれよりもその瞬間に葉子の胸を押しひしぐように狭めたものは、底のない物すごい不安だった。木村とはどうしても連れ添う心はない。その木村に……葉子はおぼれた人が岸べを望むように事務長を思い浮かべた。男というものの女に与える力を今さらに強く感じた。ここに事務長がいてくれたらどんなに自分の勇気は加わったろう。しかし……どうにでもなれ。どうかしてこの大事な瀬戸を漕ぎぬけなければ浮かぶ瀬はない。葉子は大それた謀反人の心で木村の caress を受くべき身構え心構えを案じていた。 二〇  船の着いたその晩、田川夫妻は見舞いの言葉も別れの言葉も残さずに、おおぜいの出迎え人に囲まれて堂々と威儀を整えて上陸してしまった。その余の人々の中にはわざわざ葉子の部屋を訪れて来たものが数人はあったけれども、葉子はいかにも親しみをこめた別れの言葉を与えはしたが、あとまで心に残る人とては一人もいなかった。その晩事務長が来て、狭っこい boudoir のような船室でおそくまでしめじめと打ち語った間に、葉子はふと二度ほど岡の事を思っていた。あんなに自分を慕っていはしたが岡も上陸してしまえば、詮方なくボストンのほうに旅立つ用意をするだろう。そしてやがて自分の事もいつとはなしに忘れてしまうだろう。それにしてもなんという上品な美しい青年だったろう。こんな事をふと思ったのもしかし束の間で、その追憶は心の戸をたたいたと思うとはかなくもどこかに消えてしまった。今はただ木村という邪魔な考えが、もやもやと胸の中に立ち迷うばかりで、その奥には事務長の打ち勝ちがたい暗い力が、魔王のように小動ぎもせずうずくまっているのみだった。  荷役の目まぐるしい騒ぎが二日続いたあとの絵島丸は、泣きわめく遺族に取り囲まれたうつろな死骸のように、がらんと静まり返って、騒々しい桟橋の雑鬧の間にさびしく横たわっている。  水夫が、輪切りにした椰子の実でよごれた甲板を単調にごし〳〵ごし〳〵とこする音が、時というものをゆるゆるすり減らすやすりのように日がな日ねもす聞こえていた。  葉子は早く早くここを切り上げて日本に帰りたいという子供じみた考えのほかには、おかしいほどそのほかの興味を失ってしまって、他郷の風景に一瞥を与える事もいとわしく、自分の部屋の中にこもりきって、ひたすら発船の日を待ちわびた。もっとも木村が毎日米国という香いを鼻をつくばかり身の回りに漂わせて、葉子を訪れて来るので、葉子はうっかり寝床を離れる事もできなかった。  木村は来るたびごとにぜひ米国の医者に健康診断を頼んで、大事なければ思いきって検疫官の検疫を受けて、ともかくも上陸するようにと勧めてみたが、葉子はどこまでもいやをいいとおすので、二人の間には時々危険な沈黙が続く事も珍しくなかった。葉子はしかし、いつでも手ぎわよくその場合場合をあやつって、それから甘い歓語を引き出すだけの機才を持ち合わしていたので、この一か月ほど見知らぬ人の間に立ちまじって、貧乏の屈辱を存分になめ尽くした木村は、見る見る温柔な葉子の言葉や表情に酔いしれるのだった。カリフォルニヤから来る水々しい葡萄やバナナを器用な経木の小籃に盛ったり、美しい花束を携えたりして、葉子の朝化粧がしまったかと思うころには木村が欠かさず尋ねて来た。そして毎日くどくどと興録に葉子の容態を聞きただした。興録はいいかげんな事をいって一日延ばしに延ばしているのでたまらなくなって木村が事務長に相談すると、事務長は興録よりもさらに要領を得ない受け答えをした、しかたなしに木村は途方に暮れて、また葉子に帰って来て泣きつくように上陸を迫るのであった。その毎日のいきさつを夜になると葉子は事務長と話しあって笑いの種にした。  葉子はなんという事なしに、木村を困らしてみたい、いじめてみたいというような不思議な残酷な心を、木村に対して感ずるようになって行った。事務長と木村とを目の前に置いて、何も知らない木村を、事務長が一流のきびきびした悪辣な手で思うさま翻弄して見せるのをながめて楽しむのが一種の痼疾のようになった。そして葉子は木村を通して自分の過去のすべてに血のしたたる復讐をあえてしようとするのだった。そんな場合に、葉子はよくどこかでうろ覚えにしたクレオパトラの插話を思い出していた。クレオパトラが自分の運命の窮迫したのを知って自殺を思い立った時、幾人も奴隷を目の前に引き出さして、それを毒蛇の餌食にして、その幾人もの無辜の人々がもだえながら絶命するのを、眉も動かさずに見ていたという插話を思い出していた。葉子には過去のすべての呪詛が木村の一身に集まっているようにも思いなされた。母の虐げ、五十川女史の術数、近親の圧迫、社会の環視、女に対する男の覬覦、女の苟合などという葉子の敵を木村の一身におっかぶせて、それに女の心が企み出す残虐な仕打ちのあらん限りをそそぎかけようとするのであった。 「あなたは丑の刻参りの藁人形よ」  こんな事をどうかした拍子に面と向かって木村にいって、木村が怪訝な顔でその意味をくみかねているのを見ると、葉子は自分にもわけのわからない涙を目にいっぱいためながらヒステリカルに笑い出すような事もあった。  木村を払い捨てる事によって、蛇が殻を抜け出ると同じに、自分のすべての過去を葬ってしまうことができるようにも思いなしてみた。  葉子はまた事務長に、どれほど木村が自分の思うままになっているかを見せつけようとする誘惑も感じていた。事務長の目の前ではずいぶん乱暴な事を木村にいったりさせたりした。時には事務長のほうが見兼ねて二人の間をなだめにかかる事さえあるくらいだった。  ある時木村の来ている葉子の部屋に事務長が来合わせた事があった。葉子は枕もとの椅子に木村を腰かけさせて、東京を発った時の様子をくわしく話して聞かせている所だったが、事務長を見るといきなり様子をかえて、さもさも木村を疎んじたふうで、 「あなたは向こうにいらしってちょうだい」  と木村を向こうのソファに行くように目でさしずして、事務長をその跡にすわらせた。 「さ、あなたこちらへ」  といって仰向けに寝たまま上目をつかって見やりながら、 「いいお天気のようですことね。……あの時々ごーっと雷のような音のするのは何?……わたしうるさい」 「トロですよ」 「そう……お客様がたんとおありですってね」 「さあ少しは知っとるものがあるもんだで」 「ゆうべもその美しいお客がいらしったの? とうとうお話にお見えにならなかったのね」  木村を前に置きながら、この無謀とさえ見える言葉を遠慮会釈もなくいい出すのには、さすがの事務長もぎょっとしたらしく、返事もろくろくしないで木村のほうに向いて、 「どうですマッキンレーは。驚いた事が持ち上がりおったもんですね」  と話題を転じようとした。この船の航海中シヤトルに近くなったある日、当時の大統領マッキンレーは凶徒の短銃に斃れたので、この事件は米国でのうわさの中心になっているのだった。木村はその当時の模様をくわしく新聞紙や人のうわさで知り合わせていたので、乗り気になってその話に身を入れようとするのを、葉子はにべもなくさえぎって、 「なんですねあなたは、貴夫人の話の腰を折ったりして、そんなごまかしくらいではだまされてはいませんよ。倉地さん、どんな美しい方です。アメリカ生粋の人ってどんななんでしょうね。わたし、見たい。あわしてくださいましな今度来たら。ここに連れて来てくださるんですよ。ほかのものなんぞなんにも見たくはないけれど、こればかりはぜひ見とうござんすわ。そこに行くとね、木村なんぞはそりゃあやぼなもんですことよ」  といって、木村のいるほうをはるかに下目で見やりながら、 「木村さんどう? こっちにいらしってからちっとは女のお友だちがおできになって? Lady Friend というのが?」 「それができんでたまるか」  と事務長は木村の内行を見抜いて裏書きするように大きな声でいった。 「ところができていたらお慰み、そうでしょう? 倉地さんまあこうなの。木村がわたしをもらいに来た時にはね。石のように堅くすわりこんでしまって、まるで命の取りやりでもしかねない談判のしかたですのよ。そのころ母は大病で臥せっていましたの。なんとか母におっしゃってね、母に。わたし、忘れちゃならない言葉がありましたわ。えゝと……そうそう(木村の口調を上手にまねながら)『わたし、もしほかの人に心を動かすような事がありましたら神様の前に罪人です』ですって……そういう調子ですもの」  木村は少し怒気をほのめかす顔つきをして、遠くから葉子を見つめたまま口もきかないでいた。事務長はからからと笑いながら、 「それじゃ木村さん今ごろは神様の前にいいくらかげん罪人になっとるでしょう」  と木村を見返したので、木村もやむなく苦りきった笑いを浮かべながら、 「おのれをもって人を計る筆法ですね」  と答えはしたが、葉子の言葉を皮肉と解して、人前でたしなめるにしてはやや軽すぎるし、冗談と見て笑ってしまうにしては確かに強すぎるので、木村の顔色は妙にぎこちなくこだわってしまっていつまでも晴れなかった。葉子は口びるだけに軽い笑いを浮かべながら、胆汁のみなぎったようなその顔を下目で快げにまじまじとながめやった。そして苦い清涼剤でも飲んだように胸のつかえを透かしていた。  やがて事務長が座を立つと、葉子は、眉をひそめて快からぬ顔をした木村を、しいてまたもとのように自分のそば近くすわらせた。 「いやなやつっちゃないの。あんな話でもしていないと、ほかになんにも話の種のない人ですの……あなたさぞ御迷惑でしたろうね」  といいながら、事務長にしたように上目に媚びを集めてじっと木村を見た。しかし木村の感情はひどくほつれて、容易に解ける様子はなかった。葉子を故意に威圧しようとたくらむわざとな改まりかたも見えた。葉子はいたずら者らしく腹の中でくすくす笑いながら、木村の顔を好意をこめた目つきでながめ続けた。木村の心の奥には何かいい出してみたいくせに、なんとなく腹の中が見すかされそうで、いい出しかねている物があるらしかったが、途切れがちながら話が小半時も進んだ時、とてつもなく、 「事務長は、なんですか、夜になってまであなたの部屋に話しに来る事があるんですか」  とさりげなく尋ねようとするらしかったが、その語尾はわれにもなく震えていた。葉子は陥穽にかかった無知な獣を憫み笑うような微笑を口びるに浮かべながら、 「そんな事がされますものかこの小さな船の中で。考えてもごらんなさいまし。さきほどわたしがいったのは、このごろは毎晩夜になると暇なので、あの人たちが食堂に集まって来て、酒を飲みながら大きな声でいろんなくだらない話をするんですの。それがよくここまで聞こえるんです。それにゆうべあの人が来なかったからからかってやっただけなんですのよ。このごろは質の悪い女までが隊を組むようにしてどっさり船に来て、それは騒々しいんですの。……ほゝゝゝあなたの苦労性ったらない」  木村は取りつく島を見失って、二の句がつげないでいた。それを葉子はかわいい目を上げて、無邪気な顔をして見やりながら笑っていた。そして事務長がはいって来た時途切らした話の糸口をみごとに忘れずに拾い上げて、東京を発った時の模様をまた仔細に話しつづけた。  こうしたふうで葛藤は葉子の手一つで勝手に紛らされたりほごされたりした。  葉子は一人の男をしっかりと自分の把持の中に置いて、それが猫が鼠でも弄ぶるように、勝手に弄ぶって楽しむのをやめる事ができなかったと同時に、時々は木村の顔を一目見たばかりで、虫唾が走るほど厭悪の情に駆り立てられて、われながらどうしていいかわからない事もあった。そんな時にはただいちずに腹痛を口実にして、一人になって、腹立ち紛れにあり合わせたものを取って床の上にほうったりした。もう何もかもいってしまおう。弄ぶにも足らない木村を近づけておくには当たらない事だ。何もかも明らかにして気分だけでもさっぱりしたいとそう思う事もあった。しかし同時に葉子は戦術家の冷静さをもって、実際問題を勘定に入れる事も忘れはしなかった。事務長をしっかり自分の手の中に握るまでは、早計に木村を逃がしてはならない。「宿屋きめずに草鞋を脱ぐ」……母がこんな事を葉子の小さい時に教えてくれたのを思い出したりして、葉子は一人で苦笑いもした。  そうだ、まだ木村を逃がしてはならぬ。葉子は心の中に書き記してでも置くように、上目を使いながらこんな事を思った。  またある時葉子の手もとに米国の切手のはられた手紙が届いた事があった。葉子は船へなぞあてて手紙をよこす人はないはずだがと思って開いて見ようとしたが、また例のいたずらな心が動いて、わざと木村に開封させた。その内容がどんなものであるかの想像もつかないので、それを木村に読ませるのは、武器を相手に渡して置いて、自分は素手で格闘するようなものだった。葉子はそこに興味を持った。そしてどんな不意な難題が持ち上がるだろうかと、心をときめかせながら結果を待った。その手紙は葉子に簡単な挨拶を残したまま上陸した岡から来たものだった。いかにも人柄に不似合いな下手な字体で、葉子がひょっとすると上陸を見合わせてそのまま帰るという事を聞いたが、もしそうなったら自分も断然帰朝する。気違いじみたしわざとお笑いになるかもしれないが、自分にはどう考えてみてもそれよりほかに道はない。葉子に離れて路傍の人の間に伍したらそれこそ狂気になるばかりだろう。今まで打ち明けなかったが、自分は日本でも屈指な豪商の身内に一人子と生まれながら、からだが弱いのと母が継母であるために、父の慈悲から洋行する事になったが、自分には故国が慕われるばかりでなく、葉子のように親しみを覚えさしてくれた人はないので、葉子なしには一刻も外国の土に足を止めている事はできぬ。兄弟のない自分には葉子が前世からの姉とより思われぬ。自分をあわれんで弟と思ってくれ。せめては葉子の声の聞こえる所顔の見える所にいるのを許してくれ。自分はそれだけのあわれみを得たいばかりに、家族や後見人のそしりもなんとも思わずに帰国するのだ。事務長にもそれを許してくれるように頼んでもらいたい。という事が、少し甘い、しかし真率な熱情をこめた文体で長々と書いてあったのだった。  葉子は木村が問うままに包まず岡との関係を話して聞かせた。木村は考え深く、それを聞いていたが、そんな人ならぜひあって話をしてみたいといい出した。自分より一段若いと見ると、かくばかり寛大になる木村を見て葉子は不快に思った。よし、それでは岡を通して倉地との関係を木村に知らせてやろう。そして木村が嫉妬と憤怒とでまっ黒になって帰って来た時、それを思うままあやつってまた元の鞘に納めて見せよう。そう思って葉子は木村のいうままに任せて置いた。  次の朝、木村は深い感激の色をたたえて船に来た。そして岡と会見した時の様子をくわしく物語った。岡はオリエンタル・ホテルの立派な一室にたった一人でいたが、そのホテルには田川夫妻も同宿なので、日本人の出入りがうるさいといって困っていた。木村の訪問したというのを聞いて、ひどくなつかしそうな様子で出迎えて、兄でも敬うようにもてなして、やや落ち付いてから隠し立てなく真率に葉子に対する自分の憧憬のほどを打ち明けたので、木村は自分のいおうとする告白を、他人の口からまざまざと聞くような切な情にほだされて、もらい泣きまでしてしまった。二人は互いに相あわれむというようななつかしみを感じた。これを縁に木村はどこまでも岡を弟とも思って親しむつもりだ。が、日本に帰る決心だけは思いとどまるように勧めて置いたといった。岡はさすがに育ちだけに事務長と葉子との間のいきさつを想像に任せて、はしたなく木村に語る事はしなかったらしい。木村はその事についてはなんともいわなかった。葉子の期待は全くはずれてしまった。役者下手なために、せっかくの芝居が芝居にならずにしまった事を物足らなく思った。しかしこの事があってから岡の事が時々葉子の頭に浮かぶようになった。女にしてもみまほしいかの華車な青春の姿がどうかするといとしい思い出となって、葉子の心のすみに潜むようになった。  船がシヤトルに着いてから五六日たって、木村は田川夫妻にも面会する機会を造ったらしかった。そのころから木村は突然わき目にもそれと気が付くほど考え深くなって、ともすると葉子の言葉すら聞き落としてあわてたりする事があった。そしてある時とうとう一人胸の中には納めていられなくなったと見えて、 「わたしにゃあなたがなぜあんな人と近しくするかわかりませんがね」  と事務長の事をうわさのようにいった。葉子は少し腹部に痛みを覚えるのをことさら誇張してわき腹を左手で押えて、眉をひそめながら聞いていたが、もっともらしく幾度もうなずいて、 「それはほんとうにおっしゃるとおりですから何も好んで近づきたいとは思わないんですけれども、これまでずいぶん世話になっていますしね、それにああ見えていて思いのほか親切気のある人ですから、ボーイでも水夫でもこわがりながらなついていますわ。おまけにわたしお金まで借りていますもの」  とさも当惑したらしくいうと、 「あなたお金は無しですか」  木村は葉子の当惑さを自分の顔にも現わしていた。 「それはお話ししたじゃありませんか」 「困ったなあ」  木村はよほど困りきったらしく握った手を鼻の下にあてがって、下を向いたまましばらく思案に暮れていたが、 「いくらほど借りになっているんです」 「さあ診察料や滋養品で百円近くにもなっていますかしらん」 「あなたは金は全く無しですね」  木村はさらに繰り返していってため息をついた。  葉子は物慣れぬ弟を教えいたわるように、 「それに万一わたしの病気がよくならないで、ひとまず日本へでも帰るようになれば、なおなお帰りの船の中では世話にならなければならないでしょう。……でも大丈夫そんな事はないとは思いますけれども、さきざきまでの考えをつけておくのが旅にあればいちばん大事ですもの」  木村はなおも握った手を鼻の下に置いたなり、なんにもいわず、身動きもせず考え込んでいた。  葉子は術なさそうに木村のその顔をおもしろく思いながらまじまじと見やっていた。  木村はふと顔を上げてしげしげと葉子を見た。何かそこに字でも書いてありはしないかとそれを読むように。そして黙ったまま深々と嘆息した。 「葉子さん。わたしは何から何まであなたを信じているのがいい事なのでしょうか。あなたの身のためばかり思ってもいうほうがいいかとも思うんですが……」 「ではおっしゃってくださいましななんでも」  葉子の口は少し親しみをこめて冗談らしく答えていたが、その目からは木村を黙らせるだけの光が射られていた。軽はずみな事をいやしくもいってみるがいい、頭を下げさせないでは置かないから。そうその目はたしかにいっていた。  木村は思わず自分の目をたじろがして黙ってしまった。葉子は片意地にも目で続けさまに木村の顔をむちうった。木村はその笞の一つ一つを感ずるようにどぎまぎした。 「さ、おっしゃってくださいまし……さ」  葉子はその言葉にはどこまでも好意と信頼とをこめて見せた。木村はやはり躊躇していた。葉子はいきなり手を延ばして木村を寝台に引きよせた。そして半分起き上がってその耳に近く口を寄せながら、 「あなたみたいに水臭い物のおっしゃりかたをなさる方もないもんね。なんとでも思っていらっしゃる事をおっしゃってくださればいいじゃありませんか。……あ、痛い……いゝえさして痛くもないの。何を思っていらっしゃるんだかおっしゃってくださいまし、ね、さ。なんでしょうねえ。伺いたい事ね。そんな他人行儀は……あ、あ、痛い、おゝ痛い……ちょっとここのところを押えてくださいまし。……さし込んで来たようで……あ、あ」  といいながら、目をつぶって、床の上に寝倒れると、木村の手を持ち添えて自分の脾腹を押えさして、つらそうに歯をくいしばってシーツに顔を埋めた。肩でつく息気がかすかに雪白のシーツを震わした。  木村はあたふたしながら、今までの言葉などはそっちのけにして介抱にかかった。 二一  絵島丸はシヤトルに着いてから十二日目に纜を解いて帰航するはずになっていた。その出発があと三日になった十月十五日に、木村は、船医の興録から、葉子はどうしてもひとまず帰国させるほうが安全だという最後の宣告を下されてしまった。木村はその時にはもう大体覚悟を決めていた。帰ろうと思っている葉子の下心をおぼろげながら見て取って、それを翻す事はできないとあきらめていた。運命に従順な羊のように、しかし執念く将来の希望を命にして、現在の不満に服従しようとしていた。  緯度の高いシヤトルに冬の襲いかかって来るさまはすさまじいものだった。海岸線に沿うてはるか遠くまで連続して見渡されるロッキーの山々はもうたっぷりと雪がかかって、穏やかな夕空に現われ慣れた雲の峰も、古綿のように形のくずれた色の寒い霰雲に変わって、人をおびやかす白いものが、今にも地を払って降りおろして来るかと思われた。海ぞいに生えそろったアメリカ松の翠ばかりが毒々しいほど黒ずんで、目に立つばかりで、濶葉樹の類は、いつのまにか、葉を払い落とした枝先を針のように鋭く空に向けていた。シヤトルの町並みがあると思われるあたりからは――船のつながれている所から市街は見えなかった――急に煤煙が立ち増さって、せわしく冬じたくを整えながら、やがて北半球を包んで攻め寄せて来るまっ白な寒気に対しておぼつかない抵抗を用意するように見えた。ポッケットに両手をさし入れて、頭を縮め気味に、波止場の石畳を歩き回る人々の姿にも、不安と焦躁とのうかがわれるせわしい自然の移り変わりの中に、絵島丸はあわただしい発航の準備をし始めた。絞盤の歯車のきしむ音が船首と船尾とからやかましく冴え返って聞こえ始めた。  木村はその日も朝から葉子を訪れて来た。ことに青白く見える顔つきは、何かわくわくと胸の中に煮え返る想いをまざまざと裏切って、見る人のあわれを誘うほどだった。背水の陣と自分でもいっているように、亡父の財産をありったけ金に代えて、手っ払いに日本の雑貨を買い入れて、こちらから通知書一つ出せば、いつでも日本から送ってよこすばかりにしてあるものの、手もとにはいささかの銭も残ってはいなかった。葉子が来たならばと金の上にも心の上にもあてにしていたのがみごとにはずれてしまって、葉子が帰るにつけては、なけなしの所からまたまたなんとかしなければならないはめに立った木村は、二三日のうちに、ぬか喜びも一時の間で、孤独と冬とに囲まれなければならなかったのだ。  葉子は木村が結局事務長にすがり寄って来るほかに道のない事を察していた。  木村ははたして事務長を葉子の部屋に呼び寄せてもらった。事務長はすぐやって来たが、服なども仕事着のままで何かよほどせわしそうに見えた。木村はまあといって倉地に椅子を与えて、きょうはいつものすげない態度に似ず、折り入っていろいろと葉子の身の上を頼んだ。事務長は始めの忙しそうだった様子に引きかえて、どっしりと腰を据えて正面から例の大きく木村を見やりながら、親身に耳を傾けた。木村の様子のほうがかえってそわそわしくながめられた。  木村は大きな紙入れを取り出して、五十ドルの切手を葉子に手渡しした。 「何もかも御承知だから倉地さんの前でいうほうが世話なしだと思いますが、なんといってもこれだけしかできないんです。こ、これです」  といってさびしく笑いながら、両手を出して広げて見せてから、チョッキをたたいた。胸にかかっていた重そうな金鎖も、四つまではめられていた指輪の三つまでもなくなっていて、たった、一つ婚約の指輪だけが貧乏臭く左の指にはまっているばかりだった。葉子はさすがに「まあ」といった。 「葉子さん、わたしはどうにでもします。男一匹なりゃどこにころがり込んだからって、――そんな経験もおもしろいくらいのものですが、これんばかりじゃあなたが足りなかろうと思うと、面目もないんです。倉地さん、あなたにはこれまででさえいいかげん世話をしていただいてなんともすみませんですが、わたしども二人はお打ち明け申したところ、こういうていたらくなんです。横浜へさえおとどけくださればその先はまたどうにでもしますから、もし旅費にでも不足しますようでしたら、御迷惑ついでになんとかしてやっていただく事はできないでしょうか」  事務長は腕組みをしたまままじまじと木村の顔を見やりながら聞いていたが、 「あなたはちっとも持っとらんのですか」  と聞いた。木村はわざと快活にしいて声高く笑いながら、 「きれいなもんです」  とまたチョッキをたたくと、 「そりゃいかん。何、船賃なんぞいりますものか。東京で本店にお払いになればいいんじゃし、横浜の支店長も万事心得とられるんだで、御心配いりませんわ。そりゃあなたお持ちになるがいい。外国にいて文なしでは心細いもんですよ」  と例の塩辛声でややふきげんらしくいった。その言葉には不思議に重々しい力がこもっていて、木村はしばらくかれこれと押し問答をしていたが、結局事務長の親切を無にする事の気の毒さに、直な心からなおいろいろと旅中の世話を頼みながら、また大きな紙入れを取り出して切手をたたみ込んでしまった。 「よしよしそれで何もいう事はなし。早月さんはわしが引き受けた」  と不敵な微笑を浮かべながら、事務長は始めて葉子のほうを見返った。  葉子は二人を目の前に置いて、いつものように見比べながら二人の会話を聞いていた。あたりまえなら、葉子はたいていの場合、弱いものの味方をして見るのが常だった。どんな時でも、強いものがその強味を振りかざして弱い者を圧迫するのを見ると、葉子はかっとなって、理が非でも弱いものを勝たしてやりたかった。今の場合木村は単に弱者であるばかりでなく、その境遇もみじめなほどたよりない苦しいものである事は存分に知り抜いていながら、木村に対しての同情は不思議にもわいて来なかった。齢の若さ、姿のしなやかさ、境遇のゆたかさ、才能のはなやかさというようなものをたよりにする男たちの蠱惑の力は、事務長の前では吹けば飛ぶ塵のごとく対照された。この男の前には、弱いものの哀れよりも醜さがさらけ出された。  なんという不幸な青年だろう。若い時に父親に死に別れてから、万事思いのままだった生活からいきなり不自由な浮世のどん底にほうり出されながら、めげもせずにせっせと働いて、後ろ指をさされないだけの世渡りをして、だれからも働きのある行く末たのもしい人と思われながら、それでも心の中のさびしさを打ち消すために思い入った恋人は仇し男にそむいてしまっている。それをまたそうとも知らずに、その男の情けにすがって、消えるに決まった約束をのがすまいとしている。……葉子はしいて自分を説服するようにこう考えてみたが、少しも身にしみた感じは起こって来ないで、ややもすると笑い出したいような気にすらなっていた。 「よしよしそれで何もいう事はなし。早月さんはわしが引き受けた」  という声と不敵な微笑とがどやすように葉子の心の戸を打った時、葉子も思わず微笑を浮かべてそれに応じようとした。が、その瞬間、目ざとく木村の見ているのに気がついて、顔には笑いの影はみじんも現わさなかった。 「わしへの用はそれだけでしょう。じゃ忙しいで行きますよ」  とぶっきらぼうにいって事務長が部屋を出て行ってしまうと、残った二人は妙にてれて、しばらくは互いに顔を見合わすのもはばかって黙ったままでいた。  事務長が行ってしまうと葉子は急に力が落ちたように思った。今までの事がまるで芝居でも見て楽しんでいたようだった。木村のやる瀬ない心の中が急に葉子に逼って来た。葉子の目には木村をあわれむとも自分をあわれむとも知れない涙がいつのまにか宿っていた。  木村は痛ましげに黙ったままでしばらく葉子を見やっていたが、 「葉子さん今になってそう泣いてもらっちゃわたしがたまりませんよ。きげんを直してください。またいい日も回って来るでしょうから。神を信ずるもの――そういう信仰が今あなたにあるかどうか知らないが――おかあさんがああいう堅い信者でありなさったし、あなたも仙台時分には確かに信仰を持っていられたと思いますが、こんな場合にはなおさら同じ神様から来る信仰と希望とを持って進んで行きたいものだと思いますよ。何事も神様は知っていられる……そこにわたしはたゆまない希望をつないで行きます」  決心した所があるらしく力強い言葉でこういった。何の希望! 葉子は木村の事については、木村のいわゆる神様以上に木村の未来を知りぬいているのだ。木村の希望というのはやがて失望にそうして絶望に終わるだけのものだ。何の信仰! 何の希望! 木村は葉子が据えた道を――行きどまりの袋小路を――天使の昇り降りする雲の梯のように思っている。あゝ何の信仰!  葉子はふと同じ目を自分に向けて見た。木村を勝手気ままにこづき回す威力を備えた自分はまただれに何者に勝手にされるのだろう。どこかで大きな手が情けもなく容赦もなく冷然と自分の運命をあやつっている。木村の希望がはかなく断ち切れる前、自分の希望がいち早く断たれてしまわないとどうして保障する事ができよう。木村は善人だ。自分は悪人だ。葉子はいつのまにか純な感情に捕えられていた。 「木村さん。あなたはきっと、しまいにはきっと祝福をお受けになります……どんな事があっても失望なさっちゃいやですよ。あなたのような善い方が不幸にばかりおあいになるわけがありませんわ。……わたしは生まれるときから呪われた女なんですもの。神、ほんとうは神様を信ずるより……信ずるより憎むほうが似合っているんです……ま、聞いて……でも、わたし卑怯はいやだから信じます……神様はわたしみたいなものをどうなさるか、しっかり目を明いて最後まで見ています」  といっているうちにだれにともなくくやしさが胸いっぱいにこみ上げて来るのだった。 「あなたはそんな信仰はないとおっしゃるでしょうけれども……でもわたしにはこれが信仰です。立派な信仰ですもの」  といってきっぱり思いきったように、火のように熱く目にたまったままで流れずにいる涙を、ハンケチでぎゅっと押しぬぐいながら、黯然と頭をたれた木村に、 「もうやめましょうこんなお話。こんな事をいってると、いえばいうほど先が暗くなるばかりです。ほんとに思いきって不仕合わせな人はこんな事をつべこべと口になんぞ出しはしませんわ。ね、いや、あなたは自分のほうからめいってしまって、わたしのいった事ぐらいでなんですねえ、男のくせに」  木村は返事もせずにまっさおになってうつむいていた。  そこに「御免なさい」というかと思うと、いきなり戸をあけてはいって来たものがあった。木村も葉子も不意を打たれて気先をくじかれながら、見ると、いつぞや錨綱で足をけがした時、葉子の世話になった老水夫だった。彼はとうとう跛脚になっていた。そして水夫のような仕事にはとても役に立たないから、幸いオークランドに小農地を持ってとにかく暮らしを立てている甥を尋ねて厄介になる事になったので、礼かたがた暇乞いに来たというのだった。葉子は紅くなった目を少し恥ずかしげにまたたかせながら、いろいろと慰めた。 「何ねこう老いぼれちゃ、こんな稼業をやってるがてんでうそなれど、事務長さんとボンスン(水夫長)とがかわいそうだといって使ってくれるで、いい気になったが罰あたったんだね」  といって臆病に笑った。葉子がこの老人をあわれみいたわるさまはわき目もいじらしかった。日本には伝言を頼むような近親さえない身だというような事を聞くたびに、葉子は泣き出しそうな顔をして合点合点していたが、しまいには木村の止めるのも聞かず寝床から起き上がって、木村の持って来た果物をありったけ籃につめて、 「陸に上がればいくらもあるんだろうけれども、これを持っておいで。そしてその中に果物でなくはいっているものがあったら、それもお前さんに上げたんだからね、人に取られたりしちゃいけませんよ」  といってそれを渡してやった。  老人が来てから葉子は夜が明けたように始めて晴れやかなふだんの気分になった。そして例のいたずららしいにこにこした愛嬌を顔いちめんにたたえて、 「なんという気さくなんでしょう。わたし、 あんなおじいさんのお内儀さんになってみたい……だからね、いいものをやっちまった」  きょとりとしてまじまじ木村のむっつりとした顔を見やる様子は大きな子供とより思えなかった。 「あなたからいただいたエンゲージ・リングね、あれをやりましてよ。だってなんにもないんですもの」  なんともいえない媚びをつつむおとがいが二重になって、きれいな歯並みが笑いのさざ波のように口びるの汀に寄せたり返したりした。  木村は、葉子という女はどうしてこうむら気で上すべりがしてしまうのだろう、情けないというような表情を顔いちめんにみなぎらして、何かいうべき言葉を胸の中で整えているようだったが、急に思い捨てたというふうで、黙ったままでほっと深いため息をついた。  それを見ると今まで珍しく押えつけられていた反抗心が、またもや旋風のように葉子の心に起こった。「ねちねちさったらない」と胸の中をいらいらさせながら、ついでの事に少しいじめてやろうというたくらみが頭をもたげた。しかし顔はどこまでも前のままの無邪気さで、 「木村さんお土産を買ってちょうだいな。愛も貞もですけれども、親類たちや古藤さんなんぞにも何かしないじゃ顔が向けられませんもの。今ごろは田川の奥さんの手紙が五十川のおばさんの所に着いて、東京ではきっと大騒ぎをしているに違いありませんわ。発つ時には世話を焼かせ、留守は留守で心配させ、ぽかんとしてお土産一つ持たずに帰って来るなんて、木村もいったい木村じゃないかといわれるのが、わたし、死ぬよりつらいから、少しは驚くほどのものを買ってちょうだい。先ほどのお金で相当のものが買れるでしょう」  木村は駄々児をなだめるようにわざとおとなしく、 「それはよろしい、買えとなら買いもしますが、わたしはあなたがあれをまとまったまま持って帰ったらと思っているんです。たいていの人は横浜に着いてから土産を買うんですよ。そのほうが実際格好ですからね。持ち合わせもなしに東京に着きなさる事を思えば、土産なんかどうでもいいと思うんですがね」 「東京に着きさえすればお金はどうにでもしますけれども、お土産は……あなた横浜の仕入れものはすぐ知れますわ……御覧なさいあれを」  といって棚の上にある帽子入れのボール箱に目をやった。 「古藤さんに連れて行っていただいてあれを買った時は、ずいぶん吟味したつもりでしたけれども、船に来てから見ているうちにすぐあきてしまいましたの。それに田川の奥さんの洋服姿を見たら、我慢にも日本で買ったものをかぶったり着たりする気にはなれませんわ」  そういってるうちに木村は棚から箱をおろして中をのぞいていたが、 「なるほど型はちっと古いようですね。だが品はこれならこっちでも上の部ですぜ」 「だからいやですわ。流行おくれとなると値段の張ったものほどみっともないんですもの」  しばらくしてから、 「でもあのお金はあなた御入用ですわね」  木村はあわてて弁解的に、 「いゝえ、あれはどの道あなたに上げるつもりでいたんですから……」  というのを葉子は耳にも入れないふうで、 「ほんとにばかねわたしは……思いやりもなんにもない事を申し上げてしまって、どうしましょうねえ。……もうわたしどんな事があってもそのお金だけはいただきません事よ。こういったらだれがなんといったってだめよ」  ときっぱりいい切ってしまった。木村はもとより一度いい出したらあとへは引かない葉子の日ごろの性分を知り抜いていた。で、言わず語らずのうちに、その金は品物にして持って帰らすよりほかに道のない事を観念したらしかった。        *        *        *  その晩、事務長が仕事を終えてから葉子の部屋に来ると、葉子は何か気に障えたふうをしてろくろくもてなしもしなかった。 「とうとう形がついた。十九日の朝の十時だよ出航は」  という事務長の快活な言葉に返事もしなかった。男は怪訝な顔つきで見やっている。 「悪党」  としばらくしてから、葉子は一言これだけいって事務長をにらめた。 「なんだ?」  と尻上がりにいって事務長は笑っていた。 「あなたみたいな残酷な人間はわたし始めて見た。木村を御覧なさいかわいそうに。あんなに手ひどくしなくったって……恐ろしい人ってあなたの事ね」 「何?」  とまた事務長は尻上がりに大きな声でいって寝床に近づいて来た。 「知りません」  と葉子はなお怒って見せようとしたが、いかにも刻みの荒い、単純な、他意のない男の顔を見ると、からだのどこかが揺られる気がして来て、わざと引き締めて見せた口びるのへんから思わずも笑いの影が潜み出た。  それを見ると事務長は苦い顔と笑った顔とを一緒にして、 「なんだいくだらん」  といって、電燈の近所に椅子をよせて、大きな長い足を投げ出して、夕刊新聞を大きく開いて目を通し始めた。  木村とは引きかえて事務長がこの部屋に来ると、部屋が小さく見えるほどだった。上向けた靴の大きさには葉子は吹き出したいくらいだった。葉子は目でなでたりさすったりするようにして、この大きな子供みたような暴君の頭から足の先までを見やっていた。ごわっごわっと時々新聞を折り返す音だけが聞こえて、積み荷があらかた片付いた船室の夜は静かにふけて行った。  葉子はそうしたままでふと木村を思いやった。  木村は銀行に寄って切手を現金に換えて、店の締まらないうちにいくらか買い物をして、それを小わきにかかえながら、夕食もしたためずに、ジャクソン街にあるという日本人の旅店に帰り着くころには、町々に灯がともって、寒い靄と煙との間を労働者たちが疲れた五体を引きずりながら歩いて行くのにたくさん出あっているだろう。小さなストーブに煙の多い石炭がぶしぶし燃えて、けばけばしい電灯の光だけが、むちうつようにがらんとした部屋の薄ぎたなさを煌々と照らしているだろう。その光の下で、ぐらぐらする椅子に腰かけて、ストーブの火を見つめながら木村が考えている。しばらく考えてからさびしそうに見るともなく部屋の中を見回して、またストーブの火にながめ入るだろう。そのうちにあの涙の出やすい目からは涙がほろほろととめどもなく流れ出るに違いない。  事務長が音をたてて新聞を折り返した。  木村は膝頭に手を置いて、その手の中に顔を埋めて泣いている。祈っている。葉子は倉地から目を放して、上目を使いながら木村の祈りの声に耳を傾けようとした。途切れ途切れな切ない祈りの声が涙にしめって確かに……確かに聞こえて来る。葉子は眉を寄せて注意力を集注しながら、木村がほんとうにどう葉子を思っているかをはっきり見窮めようとしたが、どうしても思い浮かべてみる事ができなかった。  事務長がまた新聞を折り返す音を立てた。  葉子ははっとして淀みにささえられた木の葉がまた流れ始めたように、すらすらと木村の所作を想像した。それがだんだん岡の上に移って行った。哀れな岡! 岡もまだ寝ないでいるだろう。木村なのか岡なのかいつまでもいつまでも寝ないで火の消えかかったストーブの前にうずくまっているのは……ふけるままにしみ込む寒さはそっと床を伝わって足の先からはい上がって来る。男はそれにも気が付かぬふうで椅子の上にうなだれている。すべての人は眠っている時に、木村の葉子も事務長に抱かれて安々と眠っている時に……。  ここまで想像して来ると小説に読みふけっていた人が、ほっとため息をしてばたんと書物をふせるように、葉子も何とはなく深いため息をしてはっきりと事務長を見た。葉子の心は小説を読んだ時のとおり無関心の Pathos をかすかに感じているばかりだった。 「おやすみにならないの?」  と葉子は鈴のように涼しい小さい声で倉地にいってみた。大きな声をするのもはばかられるほどあたりはしんと静まっていた。 「う」  と返事はしたが事務長は煙草をくゆらしたまま新聞を見続けていた。葉子も黙ってしまった。  ややしばらくしてから事務長もほっとため息をして、 「どれ寝るかな」  といいながら椅子から立って寝床にはいった。葉子は事務長の広い胸に巣食うように丸まって少し震えていた。  やがて子供のようにすやすやと安らかないびきが葉子の口びるからもれて来た。  倉地は暗闇の中で長い間まんじりともせず大きな目を開いていたが、やがて、 「おい悪党」  と小さな声で呼びかけてみた。  しかし葉子の規則正しく楽しげな寝息は露ほども乱れなかった。  真夜中に、恐ろしい夢を葉子は見た。よくは覚えていないが、葉子は殺してはいけないいけないと思いながら人殺しをしたのだった。一方の目は尋常に眉の下にあるが、一方のは不思議にも眉の上にある、その男の額から黒血がどくどくと流れた。男は死んでも物すごくにやりにやりと笑い続けていた。その笑い声が木村木村と聞こえた。始めのうちは声が小さかったがだんだん大きくなって数もふえて来た。その「木村木村」という数限りもない声がうざうざと葉子を取り巻き始めた。葉子は一心に手を振ってそこからのがれようとしたが手も足も動かなかった。              木村……           木村        木村    木村……     木村    木村  木村    木村    木村……     木村    木村        木村    木村……           木村              木村……  ぞっとして寒気を覚えながら、葉子は闇の中に目をさました。恐ろしい凶夢のなごりは、ど、ど、ど……と激しく高くうつ心臓に残っていた。葉子は恐怖におびえながら一心に暗い中をおどおどと手探りに探ると事務長の胸に触れた。 「あなた」  と小さい震え声で呼んでみたが男は深い眠りの中にあった。なんともいえない気味わるさがこみ上げて来て、葉子は思いきり男の胸をゆすぶってみた。  しかし男は材木のように感じなく熟睡していた。 (前編 了)
底本:「或る女 前編」岩波文庫、岩波書店    1950(昭和25)年5月5日第1刷発行    1968(昭和43)年6月16日第27刷改版発行    1998(平成10)年11月16日第42刷発行 入力:真先芳秋 校正:渥美浩子 1999年10月17日公開 2013年1月8日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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二二  どこかから菊の香がかすかに通って来たように思って葉子は快い眠りから目をさました。自分のそばには、倉地が頭からすっぽりとふとんをかぶって、いびきも立てずに熟睡していた。料理屋を兼ねた旅館のに似合わしい華手な縮緬の夜具の上にはもうだいぶ高くなったらしい秋の日の光が障子越しにさしていた。葉子は往復一か月の余を船に乗り続けていたので、船脚の揺らめきのなごりが残っていて、からだがふらりふらりと揺れるような感じを失ってはいなかったが、広い畳の間に大きな軟らかい夜具をのべて、五体を思うまま延ばして、一晩ゆっくりと眠り通したその心地よさは格別だった。仰向けになって、寒からぬ程度に暖まった空気の中に両手を二の腕までむき出しにして、軟らかい髪の毛に快い触覚を感じながら、何を思うともなく天井の木目を見やっているのも、珍しい事のように快かった。  やや小半時もそうしたままでいると、帳場でぼんぼん時計が九時を打った。三階にいるのだけれどもその音はほがらかにかわいた空気を伝って葉子の部屋まで響いて来た。と、倉地がいきなり夜具をはねのけて床の上に上体を立てて目をこすった。 「九時だな今打ったのは」  と陸で聞くとおかしいほど大きな塩がれ声でいった。どれほど熟睡していても、時間には鋭敏な船員らしい倉地の様子がなんの事はなく葉子をほほえました。  倉地が立つと、葉子も床を出た。そしてそのへんを片づけたり、煙草を吸ったりしている間に(葉子は船の中で煙草を吸う事を覚えてしまったのだった)倉地は手早く顔を洗って部屋に帰って来た。そして制服に着かえ始めた。葉子はいそいそとそれを手伝った。倉地特有な西洋風に甘ったるいような一種のにおいがそのからだにも服にもまつわっていた。それが不思議にいつでも葉子の心をときめかした。 「もう飯を食っとる暇はない。またしばらく忙しいで木っ葉みじんだ。今夜はおそいかもしれんよ。おれたちには天長節も何もあったもんじゃない」  そういわれてみると葉子はきょうが天長節なのを思い出した。葉子の心はなおなお寛濶になった。  倉地が部屋を出ると葉子は縁側に出て手欄から下をのぞいて見た。両側に桜並み木のずっとならんだ紅葉坂は急勾配をなして海岸のほうに傾いている、そこを倉地の紺羅紗の姿が勢いよく歩いて行くのが見えた。半分がた散り尽くした桜の葉は真紅に紅葉して、軒並みに掲げられた日章旗が、風のない空気の中にあざやかにならんでいた。その間に英国の国旗が一本まじってながめられるのも開港場らしい風情を添えていた。  遠く海のほうを見ると税関の桟橋に繋われた四艘ほどの汽船の中に、葉子が乗って帰った絵島丸もまじっていた。まっさおに澄みわたった海に対してきょうの祭日を祝賀するために檣から檣にかけわたされた小旌がおもちゃのようにながめられた。  葉子は長い航海の始終を一場の夢のように思いやった。その長旅の間に、自分の一身に起こった大きな変化も自分の事のようではなかった。葉子は何がなしに希望に燃えた活々した心で手欄を離れた。部屋には小ざっぱりと身じたくをした女中が来て寝床をあげていた。一間半の大床の間に飾られた大花活けには、菊の花が一抱え分もいけられていて、空気が動くたびごとに仙人じみた香を漂わした。その香をかぐと、ともするとまだ外国にいるのではないかと思われるような旅心が一気にくだけて、自分はもう確かに日本の土の上にいるのだという事がしっかり思わされた。 「いいお日和ね。今夜あたりは忙しんでしょう」  と葉子は朝飯の膳に向かいながら女中にいってみた。 「はい今夜は御宴会が二つばかりございましてね。でも浜の方でも外務省の夜会にいらっしゃる方もございますから、たんと込み合いはいたしますまいけれども」  そう応えながら女中は、昨晩おそく着いて来た、ちょっと得体の知れないこの美しい婦人の素性を探ろうとするように注意深い目をやった。葉子は葉子で「浜」という言葉などから、横浜という土地を形にして見るような気持ちがした。  短くなってはいても、なんにもする事なしに一日を暮らすかと思えば、その秋の一日の長さが葉子にはひどく気になり出した。明後日東京に帰るまでの間に、買い物でも見て歩きたいのだけれども、土産物は木村が例の銀行切手をくずしてあり余るほど買って持たしてよこしたし、手もとには哀れなほどより金は残っていなかった。ちょっとでもじっとしていられない葉子は、日本で着ようとは思わなかったので、西洋向きに注文した華手すぎるような綿入れに手を通しながら、とつ追いつ考えた。 「そうだ古藤に電話でもかけてみてやろう」  葉子はこれはいい思案だと思った。東京のほうで親類たちがどんな心持ちで自分を迎えようとしているか、古藤のような男に今度の事がどう響いているだろうか、これは単に慰みばかりではない、知っておかなければならない大事な事だった。そう葉子は思った。そして女中を呼んで東京に電話をつなぐように頼んだ。  祭日であったせいか電話は思いのほか早くつながった。葉子は少しいたずららしい微笑を笑窪のはいるその美しい顔に軽く浮かべながら、階段を足早に降りて行った。今ごろになってようやく床を離れたらしい男女の客がしどけないふうをして廊下のここかしこで葉子とすれ違った。葉子はそれらの人々には目もくれずに帳場に行って電話室に飛び込むとぴっしりと戸をしめてしまった。そして受話器を手に取るが早いか、電話に口を寄せて、 「あなた義一さん? あゝそう。義一さんそれは滑稽なのよ」  とひとりでにすらすらといってしまってわれながら葉子ははっと思った。その時の浮き浮きした軽い心持ちからいうと、葉子にはそういうより以上に自然な言葉はなかったのだけれども、それではあまりに自分というものを明白にさらけ出していたのに気が付いたのだ。古藤は案のじょう答え渋っているらしかった。とみには返事もしないで、ちゃんと聞こえているらしいのに、ただ「なんです?」と聞き返して来た。葉子にはすぐ東京の様子を飲み込んだように思った。 「そんな事どうでもよござんすわ。あなたお丈夫でしたの」  といってみると「えゝ」とだけすげない返事が、機械を通してであるだけにことさらすげなく響いて来た。そして今度は古藤のほうから、 「木村……木村君はどうしています。あなた会ったんですか」  とはっきり聞こえて来た。葉子はすかさず、 「はあ会いましてよ。相変わらず丈夫でいます。ありがとう。けれどもほんとうにかわいそうでしたの。義一さん……聞こえますか。明後日私東京に帰りますわ。もう叔母の所には行けませんからね、あすこには行きたくありませんから……あのね、透矢町のね、双鶴館……つがいの鶴……そう、おわかりになって?……双鶴館に行きますから……あなた来てくだされる?……でもぜひ聞いていただかなければならない事があるんですから……よくって?……そうぜひどうぞ。明々後日の朝? ありがとうきっとお待ち申していますからぜひですのよ」  葉子がそういっている間、古藤の言葉はしまいまで奥歯に物のはさまったように重かった。そしてややともすると葉子との会見を拒もうとする様子が見えた。もし葉子の銀のように澄んだ涼しい声が、古藤を選んで哀訴するらしく響かなかったら、古藤は葉子のいう事を聞いてはいなかったかもしれないと思われるほどだった。  朝から何事も忘れたように快かった葉子の気持ちはこの電話一つのために妙にこじれてしまった。東京に帰れば今度こそはなかなか容易ならざる反抗が待ちうけているとは十二分に覚悟して、その備えをしておいたつもりではいたけれども、古藤の口うらから考えてみると面とぶつかった実際は空想していたよりも重大であるのを思わずにはいられなかった。葉子は電話室を出るとけさ始めて顔を合わした内儀に帳場格子の中から挨拶されて、部屋にも伺いに来ないでなれなれしく言葉をかけるその仕打ちにまで不快を感じながら、匆々三階に引き上げた。  それからはもうほんとうになんにもする事がなかった。ただ倉地の帰って来るのばかりがいらいらするほど待ちに待たれた。品川台場沖あたりで打ち出す祝砲がかすかに腹にこたえるように響いて、子供らは往来でそのころしきりにはやった南京花火をぱちぱちと鳴らしていた。天気がいいので女中たちははしゃぎきった冗談などを言い言いあらゆる部屋を明け放して、仰山らしくはたきや箒の音を立てた。そしてただ一人この旅館では居残っているらしい葉子の部屋を掃除せずに、いきなり縁側にぞうきんをかけたりした。それが出て行けがしの仕打ちのように葉子には思えば思われた。 「どこか掃除の済んだ部屋があるんでしょう。しばらくそこを貸してくださいな。そしてここもきれいにしてちょうだい。部屋の掃除もしないでぞうきんがけなぞしたってなんにもなりはしないわ」  と少し剣を持たせていってやると、けさ来たのとは違う、横浜生まれらしい、悪ずれのした中年の女中は、始めて縁側から立ち上がって小めんどうそうに葉子を畳廊下一つを隔てた隣の部屋に案内した。  けさまで客がいたらしく、掃除は済んでいたけれども、火鉢だの、炭取りだの、古い新聞だのが、部屋のすみにはまだ置いたままになっていた。あけ放した障子からかわいた暖かい光線が畳の表三分ほどまでさしこんでいる、そこに膝を横くずしにすわりながら、葉子は目を細めてまぶしい光線を避けつつ、自分の部屋を片づけている女中の気配に用心の気を配った。どんな所にいても大事な金目なものをくだらないものと一緒にほうり出しておくのが葉子の癖だった。葉子はそこにいかにも伊達で寛濶な心を見せているようだったが、同時に下らない女中ずれが出来心でも起こしはしないかと思うと、細心に監視するのも忘れはしなかった。こうして隣の部屋に気を配っていながらも、葉子は部屋のすみにきちょうめんに折りたたんである新聞を見ると、日本に帰ってからまだ新聞というものに目を通さなかったのを思い出して、手に取り上げて見た。テレビン油のような香いがぷんぷんするのでそれがきょうの新聞である事がすぐ察せられた。はたして第一面には「聖寿万歳」と肉太に書かれた見出しの下に貴顕の肖像が掲げられてあった。葉子は一か月の余も遠のいていた新聞紙を物珍しいものに思ってざっと目をとおし始めた。  一面にはその年の六月に伊藤内閣と交迭してできた桂内閣に対していろいろな注文を提出した論文が掲げられて、海外通信にはシナ領土内における日露の経済的関係を説いたチリコフ伯の演説の梗概などが見えていた。二面には富口という文学博士が「最近日本におけるいわゆる婦人の覚醒」という続き物の論文を載せていた。福田という女の社会主義者の事や、歌人として知られた与謝野晶子女史の事などの名が現われているのを葉子は注意した。しかし今の葉子にはそれが不思議に自分とはかけ離れた事のように見えた。  三面に来ると四号活字で書かれた木部孤笻という字が目に着いたので思わずそこを読んで見る葉子はあっと驚かされてしまった。 ○某大汽船会社船中の大怪事 事務長と婦人船客との道ならぬ恋―― 船客は木部孤笻の先妻  こういう大業な標題がまず葉子の目を小痛く射つけた。 「本邦にて最も重要なる位置にある某汽船会社の所有船○○丸の事務長は、先ごろ米国航路に勤務中、かつて木部孤笻に嫁してほどもなく姿を晦ましたる莫連女某が一等船客として乗り込みいたるをそそのかし、その女を米国に上陸せしめずひそかに連れ帰りたる怪事実あり。しかも某女といえるは米国に先行せる婚約の夫まである身分のものなり。船客に対して最も重き責任を担うべき事務長にかかる不埒の挙動ありしは、事務長一個の失態のみならず、その汽船会社の体面にも影響する由々しき大事なり。事の仔細はもれなく本紙の探知したる所なれども、改悛の余地を与えんため、しばらく発表を見合わせおくべし。もしある期間を過ぎても、両人の醜行改まる模様なき時は、本紙は容赦なく詳細の記事を掲げて畜生道に陥りたる二人を懲戒し、併せて汽船会社の責任を問う事とすべし。読者請う刮目してその時を待て」  葉子は下くちびるをかみしめながらこの記事を読んだ。いったい何新聞だろうと、その時まで気にも留めないでいた第一面を繰り戻して見ると、麗々と「報正新報」と書してあった。それを知ると葉子の全身は怒りのために爪の先まで青白くなって、抑えつけても抑えつけてもぶるぶると震え出した。「報正新報」といえば田川法学博士の機関新聞だ。その新聞にこんな記事が現われるのは意外でもあり当然でもあった。田川夫人という女はどこまで執念く卑しい女なのだろう。田川夫人からの通信に違いないのだ。「報正新報」はこの通信を受けると、報道の先鞭をつけておくためと、読者の好奇心をあおるためとに、いち早くあれだけの記事を載せて、田川夫人からさらにくわしい消息の来るのを待っているのだろう。葉子は鋭くもこう推した。もしこれがほかの新聞であったら、倉地の一身上の危機でもあるのだから、葉子はどんな秘密な運動をしても、この上の記事の発表はもみ消さなければならないと胸を定めたに相違なかったけれども、田川夫人が悪意をこめてさせている仕事だとして見ると、どの道書かずにはおくまいと思われた。郵船会社のほうで高圧的な交渉でもすればとにかく、そのほかには道がない。くれぐれも憎い女は田川夫人だ……こういちずに思いめぐらすと葉子は船の中での屈辱を今さらにまざまざと心に浮かべた。 「お掃除ができました」  そう襖越しにいいながらさっきの女中は顔も見せずにさっさと階下に降りて行ってしまった。葉子は結局それを気安い事にして、その新聞を持ったまま、自分の部屋に帰った。どこを掃除したのだと思われるような掃除のしかたで、はたきまでが違い棚の下におき忘られていた。過敏にきちょうめんできれい好きな葉子はもうたまらなかった。自分でてきぱきとそこいらを片づけて置いて、パラソルと手携げを取り上げるが否やその宿を出た。  往来に出るとその旅館の女中が四五人早じまいをして昼間の中を野毛山の大神宮のほうにでも散歩に行くらしい後ろ姿を見た。そそくさと朝の掃除を急いだ女中たちの心も葉子には読めた。葉子はその女たちを見送るとなんという事なしにさびしく思った。  帯の間にはさんだままにしておいた新聞の切り抜きが胸を焼くようだった。葉子は歩き歩きそれを引き出して手携げにしまいかえた。旅館は出たがどこに行こうというあてもなかった葉子はうつむいて紅葉坂をおりながら、さしもしないパラソルの石突きで霜解けになった土を一足一足突きさして歩いて行った。いつのまにかじめじめした薄ぎたない狭い通りに来たと思うと、はしなくもいつか古藤と一緒に上がった相模屋の前を通っているのだった。「相模屋」と古めかしい字体で書いた置き行燈の紙までがその時のままですすけていた。葉子は見覚えられているのを恐れるように足早にその前を通りぬけた。  停車場前はすぐそこだった。もう十二時近い秋の日ははなやかに照り満ちて、思ったより数多い群衆が運河にかけ渡したいくつかの橋をにぎやかに往来していた。葉子は自分一人がみんなから振り向いて見られるように思いなした。それがあたりまえの時ならば、どれほど多くの人にじろじろと見られようとも度を失うような葉子ではなかったけれども、たった今いまいましい新聞の記事を見た葉子ではあり、いかにも西洋じみた野暮くさい綿入れを着ている葉子であった。服装に塵ほどでも批点の打ちどころがあると気がひけてならない葉子としては、旅館を出て来たのが悲しいほど後悔された。  葉子はとうとう税関波止場の入り口まで来てしまった。その入り口の小さな煉瓦造りの事務所には、年の若い監視補たちが二重金ぼたんの背広に、海軍帽をかぶって事務を取っていたが、そこに近づく葉子の様子を見ると、きのう上陸した時から葉子を見知っているかのように、その飛び放れて華手造りな姿に目を定めるらしかった。物好きなその人たちは早くも新聞の記事を見て問題となっている女が自分に違いないと目星をつけているのではあるまいかと葉子は何事につけても愚痴っぽくひけ目になる自分を見いだした。葉子はしかしそうしたふうに見つめられながらもそこを立ち去る事ができなかった。もしや倉地が昼飯でも食べにあの大きな五体を重々しく動かしながら船のほうから出て来はしないかと心待ちがされたからだ。  葉子はそろそろと海洋通りをグランド・ホテルのほうに歩いてみた。倉地が出て来れば、倉地のほうでも自分を見つけるだろうし、自分のほうでも後ろに目はないながら、出て来たのを感づいてみせるという自信を持ちながら、後ろも振り向かずにだんだん波止場から遠ざかった。海ぞいに立て連ねた石杭をつなぐ頑丈な鉄鎖には、西洋人の子供たちが犢ほどな洋犬やあまに付き添われて事もなげに遊び戯れていた。そして葉子を見ると心安立てに無邪気にほほえんで見せたりした。小さなかわいい子供を見るとどんな時どんな場合でも、葉子は定子を思い出して、胸がしめつけられるようになって、すぐ涙ぐむのだった。この場合はことさらそうだった。見ていられないほどそれらの子供たちは悲しい姿に葉子の目に映った。葉子はそこから避けるように足を返してまた税関のほうに歩み近づいた。監視課の事務所の前を来たり往ったりする人数は絡繹として絶えなかったが、その中に事務長らしい姿はさらに見えなかった。葉子は絵島丸まで行って見る勇気もなく、そこを幾度もあちこちして監視補たちの目にかかるのもうるさかったので、すごすごと税関の表門を県庁のほうに引き返した。 二三  その夕方倉地がほこりにまぶれ汗にまぶれて紅葉坂をすたすたと登って帰って来るまでも葉子は旅館の閾をまたがずに桜の並み木の下などを徘徊して待っていた。さすがに十一月となると夕暮れを催した空は見る見る薄寒くなって風さえ吹き出している。一日の行楽に遊び疲れたらしい人の群れにまじってふきげんそうに顔をしかめた倉地は真向に坂の頂上を見つめながら近づいて来た。それを見やると葉子は一時に力を回復したようになって、すぐ跳り出して来るいたずら心のままに、一本の桜の木を楯に倉地をやり過ごしておいて、後ろから静かに近づいて手と手とが触れ合わんばかりに押しならんだ。倉地はさすがに不意をくってまじまじと寒さのために少し涙ぐんで見える大きな涼しい葉子の目を見やりながら、「どこからわいて出たんだ」といわんばかりの顔つきをした。一つ船の中に朝となく夜となく一緒になって寝起きしていたものを、きょう始めて半日の余も顔を見合わさずに過ごして来たのが思った以上に物さびしく、同時にこんな所で思いもかけず出あったが予想のほかに満足であったらしい倉地の顔つきを見て取ると、葉子は何もかも忘れてただうれしかった。そのまっ黒によごれた手をいきなり引っつかんで熱い口びるでかみしめて労ってやりたいほどだった。しかし思いのままに寄り添う事すらできない大道であるのをどうしよう。葉子はその切ない心を拗ねて見せるよりほかなかった。 「わたしもうあの宿屋には泊まりませんわ。人をばかにしているんですもの。あなたお帰りになるなら勝手にひとりでいらっしゃい」 「どうして……」  といいながら倉地は当惑したように往来に立ち止まってしげしげと葉子を見なおすようにした。 「これじゃ(といってほこりにまみれた両手をひろげ襟頸を抜き出すように延ばして見せて渋い顔をしながら)どこにも行けやせんわな」 「だからあなたはお帰りなさいましといってるじゃありませんか」  そう冒頭をして葉子は倉地と押し並んでそろそろ歩きながら、女将の仕打ちから、女中のふしだらまで尾鰭をつけて讒訴けて、早く双鶴館に移って行きたいとせがみにせがんだ。倉地は何か思案するらしくそっぽを見い見い耳を傾けていたが、やがて旅館に近くなったころもう一度立ち止まって、 「きょう双鶴館から電話で部屋の都合を知らしてよこす事になっていたがお前聞いたか……(葉子はそういいつけられながら今まですっかり忘れていたのを思い出して、少しくてれたように首を振った)……ええわ、じゃ電報を打ってから先に行くがいい。わしは荷物をして今夜あとから行くで」  そういわれてみると葉子はまた一人だけ先に行くのがいやでもあった。といって荷物の始末には二人のうちどちらか一人居残らねばならない。 「どうせ二人一緒に汽車に乗るわけにも行くまい」  倉地がこういい足した時葉子は危うく、ではきょうの「報正新報」を見たかといおうとするところだったが、はっと思い返して喉の所で抑えてしまった。 「なんだ」  倉地は見かけのわりに恐ろしいほど敏捷に働く心で、顔にも現わさない葉子の躊躇を見て取ったらしくこうなじるように尋ねたが、葉子がなんでもないと応えると、少しも拘泥せずに、それ以上問い詰めようとはしなかった。  どうしても旅館に帰るのがいやだったので、非常な物足らなさを感じながら、葉子はそのままそこから倉地に別れる事にした。倉地は力のこもった目で葉子をじっと見てちょっとうなずくとあとをも見ないでどんどんと旅館のほうに濶歩して行った。葉子は残り惜しくその後ろ姿を見送っていたが、それになんという事もない軽い誇りを感じてかすかにほほえみながら、倉地が登って来た坂道を一人で降りて行った。  停車場に着いたころにはもう瓦斯の灯がそこらにともっていた。葉子は知った人にあうのを極端に恐れ避けながら、汽車の出るすぐ前まで停車場前の茶店の一間に隠れていて一等室に飛び乗った。だだっ広いその客車には外務省の夜会に行くらしい三人の外国人が銘々、デコルテーを着飾った婦人を介抱して乗っているだけだった。いつものとおりその人たちは不思議に人をひきつける葉子の姿に目をそばだてた。けれども葉子はもう左手の小指を器用に折り曲げて、左の鬢のほつれ毛を美しくかき上げるあの嬌態をして見せる気はなくなっていた。室のすみに腰かけて、手携げとパラソルとを膝に引きつけながら、たった一人その部屋の中にいるもののように鷹揚に構えていた。偶然顔を見合わせても、葉子は張りのあるその目を無邪気に(ほんとうにそれは罪を知らない十六七の乙女の目のように無邪気だった)大きく見開いて相手の視線をはにかみもせず迎えるばかりだった。先方の人たちの年齢がどのくらいで容貌がどんなふうだなどという事も葉子は少しも注意してはいなかった。その心の中にはただ倉地の姿ばかりがいろいろに描かれたり消されたりしていた。  列車が新橋に着くと葉子はしとやかに車を出たが、ちょうどそこに、唐桟に角帯を締めた、箱丁とでもいえばいえそうな、気のきいた若い者が電報を片手に持って、目ざとく葉子に近づいた。それが双鶴館からの出迎えだった。  横浜にも増して見るものにつけて連想の群がり起こる光景、それから来る強い刺激……葉子は宿から回された人力車の上から銀座通りの夜のありさまを見やりながら、危うく幾度も泣き出そうとした。定子の住む同じ土地に帰って来たと思うだけでももう胸はわくわくした。愛子も貞世もどんな恐ろしい期待に震えながら自分の帰るのを待ちわびているだろう。あの叔父叔母がどんな激しい言葉で自分をこの二人の妹に描いて見せているか。構うものか。なんとでもいうがいい。自分はどうあっても二人を自分の手に取り戻してみせる。こうと思い定めた上は指もささせはしないから見ているがいい。……ふと人力車が尾張町のかどを左に曲がると暗い細い通りになった。葉子は目ざす旅館が近づいたのを知った。その旅館というのは、倉地が色ざたでなくひいきにしていた芸者がある財産家に落籍されて開いた店だというので、倉地からあらかじめかけ合っておいたのだった。人力車がその店に近づくに従って葉子はその女将というのにふとした懸念を持ち始めた。未知の女同志が出あう前に感ずる一種の軽い敵愾心が葉子の心をしばらくは余の事柄から切り放した。葉子は車の中で衣紋を気にしたり、束髪の形を直したりした。  昔の煉瓦建てをそのまま改造したと思われる漆喰塗りの頑丈な、角地面の一構えに来て、煌々と明るい入り口の前に車夫が梶棒を降ろすと、そこにはもう二三人の女の人たちが走り出て待ち構えていた。葉子は裾前をかばいながら車から降りて、そこに立ちならんだ人たちの中からすぐ女将を見分ける事ができた。背たけが思いきって低く、顔形も整ってはいないが、三十女らしく分別の備わった、きかん気らしい、垢ぬけのした人がそれに違いないと思った。葉子は思い設けた以上の好意をすぐその人に対して持つ事ができたので、ことさら快い親しみを持ち前の愛嬌に添えながら、挨拶をしようとすると、その人は事もなげにそれをさえぎって、 「いずれ御挨拶は後ほど、さぞお寒うございましてしょう。お二階へどうぞ」  といって自分から先に立った。居合わせた女中たちは目はしをきかしていろいろと世話に立った。入り口の突き当たりの壁には大きなぼんぼん時計が一つかかっているだけでなんにもなかった。その右手の頑丈な踏み心地のいい階子段をのぼりつめると、他の部屋から廊下で切り放されて、十六畳と八畳と六畳との部屋が鍵形に続いていた。塵一つすえずにきちんと掃除が届いていて、三か所に置かれた鉄びんから立つ湯気で部屋の中は軟らかく暖まっていた。 「お座敷へと申すところですが、御気さくにこちらでおくつろぎくださいまし……三間ともとってはございますが」  そういいながら女将は長火鉢の置いてある六畳の間へと案内した。  そこにすわってひととおりの挨拶を言葉少なに済ますと、女将は葉子の心を知り抜いているように、女中を連れて階下に降りて行ってしまった。葉子はほんとうにしばらくなりとも一人になってみたかったのだった。軽い暖かさを感ずるままに重い縮緬の羽織を脱ぎ捨てて、ありたけの懐中物を帯の間から取り出して見ると、凝りがちな肩も、重苦しく感じた胸もすがすがしくなって、かなり強い疲れを一時に感じながら、猫板の上に肘を持たせて居ずまいをくずしてもたれかかった。古びを帯びた蘆屋釜から鳴りを立てて白く湯気の立つのも、きれいにかきならされた灰の中に、堅そうな桜炭の火が白い被衣の下でほんのりと赤らんでいるのも、精巧な用箪笥のはめ込まれた一間の壁に続いた器用な三尺床に、白菊をさした唐津焼きの釣り花活けがあるのも、かすかにたきこめられた沈香のにおいも、目のつんだ杉柾の天井板も、細っそりと磨きのかかった皮付きの柱も、葉子に取っては――重い、硬い、堅い船室からようやく解放されて来た葉子に取ってはなつかしくばかりながめられた。こここそは屈強の避難所だというように葉子はつくづくあたりを見回した。そして部屋のすみにある生漆を塗った桑の広蓋を引き寄せて、それに手携げや懐中物を入れ終わると、飽く事もなくその縁から底にかけての円味を持った微妙な手ざわりを愛で慈しんだ。  場所がらとてそこここからこの界隈に特有な楽器の声が聞こえて来た。天長節であるだけにきょうはことさらそれがにぎやかなのかもしれない。戸外にはぽくりやあずま下駄の音が少し冴えて絶えずしていた。着飾った芸者たちがみがき上げた顔をびりびりするような夜寒に惜しげもなく伝法にさらして、さすがに寒気に足を早めながら、招ばれた所に繰り出して行くその様子が、まざまざと履き物の音を聞いたばかりで葉子の想像には描かれるのだった。合い乗りらしい人力車のわだちの音も威勢よく響いて来た。葉子はもう一度これは屈強な避難所に来たものだと思った。この界隈では葉子は眦を反して人から見られる事はあるまい。  珍しくあっさりした、魚の鮮しい夕食を済ますと葉子は風呂をつかって、思い存分髪を洗った。足しない船の中の淡水では洗っても洗ってもねちねちと垢の取り切れなかったものが、さわれば手が切れるほどさばさばと油が抜けて、葉子は頭の中まで軽くなるように思った。そこに女将も食事を終えて話相手になりに来た。 「たいへんお遅うございますこと、今夜のうちにお帰りになるでしょうか」  そう女将は葉子の思っている事を魁けにいった。「さあ」と葉子もはっきりしない返事をしたが、小寒くなって来たので浴衣を着かえようとすると、そこに袖だたみにしてある自分の着物につくづく愛想が尽きてしまった。このへんの女中に対してもそんなしつっこいけばけばしい柄の着物は二度と着る気にはなれなかった。そうなると葉子はしゃにむにそれがたまらなくなって来るのだ。葉子はうんざりした様子をして自分の着物から女将に目をやりながら、 「見てくださいこれを。この冬は米国にいるのだとばかり決めていたので、あんなものを作ってみたんですけれども、我慢にももう着ていられなくなりましたわ。後生。あなたの所に何かふだん着のあいたのでもないでしょうか」 「どうしてあなた。わたしはこれでござんすもの」  と女将は剽軽にも気軽くちゃんと立ち上がって自分の背たけの低さを見せた。そうして立ったままでしばらく考えていたが、踊りで仕込み抜いたような手つきではたと膝の上をたたいて、 「ようございます。わたし一つ倉地さんをびっくらさして上げますわ。わたしの妹分に当たるのに柄といい年格好といい、失礼ながらあなた様とそっくりなのがいますから、それのを取り寄せてみましょう。あなた様は洗い髪でいらっしゃるなり……いかが、わたしがすっかり仕立てて差し上げますわ」  この思い付きは葉子には強い誘惑だった。葉子は一も二もなく勇み立って承知した。  その晩十一時を過ぎたころに、まとめた荷物を人力車四台に積み乗せて、倉地が双鶴館に着いて来た。葉子は女将の入れ知恵でわざと玄関には出迎えなかった。葉子はいたずら者らしくひとり笑いをしながら立て膝をしてみたが、それには自分ながら気がひけたので、右足を左の腿の上に積み乗せるようにしてその足先をとんびにしてすわってみた。ちょうどそこにかなり酔ったらしい様子で、倉地が女将の案内も待たずにずしんずしんという足どりではいって来た。葉子と顔を見合わした瞬間には部屋を間違えたと思ったらしく、少しあわてて身を引こうとしたが、すぐ櫛巻きにして黒襟をかけたその女が葉子だったのに気が付くと、いつもの渋いように顔をくずして笑いながら、 「なんだばかをしくさって」  とほざくようにいって、長火鉢の向かい座にどっかとあぐらをかいた。ついて来た女将は立ったまましばらく二人を見くらべていたが、 「ようよう……変てこなお内裏雛様」  と陽気にかけ声をして笑いこけるようにぺちゃんとそこにすわり込んだ。三人は声を立てて笑った。  と、女将は急にまじめに返って倉地に向かい、 「こちらはきょうの報正新報を……」  といいかけるのを、葉子はすばやく目でさえぎった。女将はあぶない土端場で踏みとどまった。倉地は酔眼を女将に向けながら、 「何」  と尻上がりに問い返した。 「そう早耳を走らすとつんぼと間違えられますとさ」  と女将は事もなげに受け流した。三人はまた声を立てて笑った。  倉地と女将との間に一別以来のうわさ話がしばらくの間取りかわされてから、今度は倉地がまじめになった。そして葉子に向かってぶっきらぼうに、 「お前もう寝ろ」  といった。葉子は倉地と女将とをならべて一目見たばかりで、二人の間の潔白なのを見て取っていたし、自分が寝てあとの相談というても、今度の事件を上手にまとめようというについての相談だという事がのみ込めていたので、素直に立って座をはずした。  中の十畳を隔てた十六畳に二人の寝床は取ってあったが、二人の会話はおりおりかなりはっきりもれて来た。葉子は別に疑いをかけるというのではなかったが、やはりじっと耳を傾けないではいられなかった。  何かの話のついでに入用な事が起こったのだろう、倉地はしきりに身のまわりを探って、何かを取り出そうとしている様子だったが、「あいつの手携げに入れたかしらん」という声がしたので葉子ははっと思った。あれには「報正新報」の切り抜きが入れてあるのだ。もう飛び出して行ってもおそいと思って葉子は断念していた。やがてはたして二人は切り抜きを見つけ出した様子だった。 「なんだあいつも知っとったのか」  思わず少し高くなった倉地の声がこう聞こえた。 「道理でさっき私がこの事をいいかけるとあの方が目で留めたんですよ。やはり先方でもあなたに知らせまいとして。いじらしいじゃありませんか」  そういう女将の声もした。そして二人はしばらく黙っていた。  葉子は寝床を出てその場に行こうかとも思った。しかし今夜は二人に任せておくほうがいいと思い返してふとんを耳までかぶった。そしてだいぶ夜がふけてから倉地が寝に来るまで快い安眠に前後を忘れていた。 二四  その次の朝女将と話をしたり、呉服屋を呼んだりしたので、日がかなり高くなるまで宿にいた葉子は、いやいやながら例のけばけばしい綿入れを着て、羽織だけは女将が借りてくれた、妹分という人の烏羽黒の縮緬の紋付きにして旅館を出た。倉地は昨夜の夜ふかしにも係わらずその朝早く横浜のほうに出かけたあとだった。きょうも空は菊日和とでもいう美しい晴れかたをしていた。  葉子はわざと宿で車を頼んでもらわずに、煉瓦通りに出てからきれいそうな辻待ちを傭ってそれに乗った。そして池の端のほうに車を急がせた。定子を目の前に置いて、その小さな手をなでたり、絹糸のような髪の毛をもてあそぶ事を思うと葉子の胸はわれにもなくただわくわくとせき込んで来た。眼鏡橋を渡ってから突き当たりの大時計は見えながらなかなかそこまで車が行かないのをもどかしく思った。膝の上に乗せた土産のおもちゃや小さな帽子などをやきもきしながらひねり回したり、膝掛けの厚い地をぎゅっと握り締めたりして、はやる心を押ししずめようとしてみるけれどもそれをどうする事もできなかった。車がようやく池の端に出ると葉子は右、左、と細い道筋の角々でさしずした。そして岩崎の屋敷裏にあたる小さな横町の曲がりかどで車を乗り捨てた。  一か月の間来ないだけなのだけれども、葉子にはそれが一年にも二年にも思われたので、その界隈が少しも変化しないで元のとおりなのがかえって不思議なようだった。じめじめした小溝に沿うて根ぎわの腐れた黒板塀の立ってる小さな寺の境内を突っ切って裏に回ると、寺の貸し地面にぽっつり立った一戸建ての小家が乳母の住む所だ。没義道に頭を切り取られた高野槇が二本旧の姿で台所前に立っている、その二本に干し竿を渡して小さな襦袢や、まる洗いにした胴着が暖かい日の光を受けてぶら下がっているのを見ると葉子はもうたまらなくなった。涙がぽろぽろとたわいもなく流れ落ちた。家の中では定子の声がしなかった。葉子は気を落ち着けるために案内を求めずに入り口に立ったまま、そっと垣根から庭をのぞいて見ると、日あたりのいい縁側に定子がたった一人、葉子にはしごき帯を長く結んだ後ろ姿を見せて、一心不乱にせっせと少しばかりのこわれおもちゃをいじくり回していた。何事にまれ真剣な様子を見せつけられると、――わき目もふらず畑を耕す農夫、踏み切りに立って子を背負ったまま旗をかざす女房、汗をしとどにたらしながら坂道に荷車を押す出稼ぎの夫婦――わけもなく涙につまされる葉子は、定子のそうした姿を一目見たばかりで、人間力ではどうする事もできない悲しい出来事にでも出あったように、しみじみとさびしい心持ちになってしまった。 「定ちゃん」  涙を声にしたように葉子は思わず呼んだ。定子がびっくりして後ろを振り向いた時には、葉子は戸をあけて入り口を駆け上がって定子のそばにすり寄っていた。父に似たのだろう痛々しいほど華車作りな定子は、どこにどうしてしまったのか、声も姿も消え果てた自分の母が突然そば近くに現われたのに気を奪われた様子で、とみには声も出さずに驚いて葉子を見守った。 「定ちゃんママだよ。よく丈夫でしたね。そしてよく一人でおとなにして……」  もう声が続かなかった。 「ママちゃん」  そう突然大きな声でいって定子は立ち上がりざま台所のほうに駆けて行った。 「婆やママちゃんが来たのよ」  という声がした。 「え!」  と驚くらしい婆やの声が裏庭から聞こえた。と、あわてたように台所を上がって、定子を横抱きにした婆やが、かぶっていた手ぬぐいを頭からはずしながらころがり込むようにして座敷にはいって来た。二人は向き合ってすわると両方とも涙ぐみながら無言で頭を下げた。 「ちょっと定ちゃんをこっちにお貸し」  しばらくしてから葉子は定子を婆やの膝から受け取って自分のふところに抱きしめた。 「お嬢さま……私にはもう何がなんだかちっともわかりませんが、私はただもうくやしゅうございます。……どうしてこう早くお帰りになったんでございますか……皆様のおっしゃる事を伺っているとあんまり業腹でございますから……もう私は耳をふさいでおります。あなたから伺ったところがどうせこう年を取りますと腑に落ちる気づかいはございません。でもまあおからだがどうかと思ってお案じ申しておりましたが、御丈夫で何よりでございました……何しろ定子様がおかわいそうで……」  葉子におぼれきった婆やの口からさもくやしそうにこうした言葉がつぶやかれるのを、葉子はさびしい心持ちで聞かねばならなかった。耄碌したと自分ではいいながら、若い時に亭主に死に別れて立派に後家を通して後ろ指一本さされなかった昔気質のしっかり者だけに、親類たちの陰口やうわさで聞いた葉子の乱行にはあきれ果てていながら、この世でのただ一人の秘蔵物として葉子の頭から足の先までも自分の誇りにしている婆やの切ない心持ちは、ひしひしと葉子にも通じるのだった。婆やと定子……こんな純粋な愛情の中に取り囲まれて、落ち着いた、しとやかな、そして安穏な一生を過ごすのも、葉子は望ましいと思わないではなかった。ことに婆やと定子とを目の前に置いて、つつましやかな過不足のない生活をながめると、葉子の心は知らず知らずなじんで行くのを覚えた。  しかし同時に倉地の事をちょっとでも思うと葉子の血は一時にわき立った。平穏な、その代わり死んだも同然な一生がなんだ。純粋な、その代わり冷えもせず熱しもしない愛情がなんだ。生きる以上は生きてるらしく生きないでどうしよう。愛する以上は命と取りかえっこをするくらいに愛せずにはいられない。そうした衝動が自分でもどうする事もできない強い感情になって、葉子の心を本能的に煽ぎ立てるのだった。この奇怪な二つの矛盾が葉子の心の中には平気で両立しようとしていた。葉子は眼前の境界でその二つの矛盾を割合に困難もなく使い分ける不思議な心の広さを持っていた。ある時には極端に涙もろく、ある時には極端に残虐だった。まるで二人の人が一つの肉体に宿っているかと自分ながら疑うような事もあった。それが時にはいまいましかった、時には誇らしくもあった。 「定ちゃま。ようこざいましたね、ママちゃんが早くお帰りになって。お立ちになってからでもお聞き分けよくママのマの字もおっしゃらなかったんですけれども、どうかするとこうぼんやり考えてでもいらっしゃるようなのがおかわいそうで、一時はおからだでも悪くなりはしないかと思うほどでした。こんなでもなかなか心は働いていらっしゃるんですからねえ」  と婆やは、葉子の膝の上に巣食うように抱かれて、黙ったまま、澄んだひとみで母の顔を下からのぞくようにしている定子と葉子とを見くらべながら、述懐めいた事をいった。葉子は自分の頬を、暖かい桃の膚のように生毛の生えた定子の頬にすりつけながら、それを聞いた。 「お前のその気象でわからないとおいいなら、くどくどいったところがむだかもしれないから、今度の事については私なんにも話すまいが、家の親類たちのいう事なんぞはきっと気にしないでおくれよ。今度の船には飛んでもない一人の奥さんが乗り合わしていてね、その人がちょっとした気まぐれからある事ない事取りまぜてこっちにいってよこしたので、事あれかしと待ち構えていた人たちの耳にはいったんだから、これから先だってどんなひどい事をいわれるかしれたもんじゃないんだよ。お前も知ってのとおり私は生まれ落ちるとからつむじ曲がりじゃあったけれども、あんなに周囲からこづき回されさえしなければこんなになりはしなかったのだよ。それはだれよりもお前が知ってておくれだわね。これからだって私は私なりに押し通すよ。だれがなんといったって構うもんですか。そのつもりでお前も私を見ていておくれ。広い世の中に私がどんな失策をしでかしても、心から思いやってくれるのはほんとうにお前だけだわ。……今度からは私もちょいちょい来るだろうけれども、この上ともこの子を頼みますよ。ね、定ちゃん。よく婆やのいう事を聞いていい子になってちょうだいよ。ママちゃんはここにいる時でもいない時でも、いつでもあなたを大事に大事に思ってるんだからね。……さ、もうこんなむずかしいお話はよしてお昼のおしたくでもしましょうね。きょうはママちゃんがおいしいごちそうをこしらえて上げるから定ちゃんも手伝いしてちょうだいね」  そういって葉子は気軽そうに立ち上がって台所のほうに定子と連れだった。婆やも立ち上がりはしたがその顔は妙に冴えなかった。そして台所で働きながらややともすると内所で鼻をすすっていた。  そこには葉山で木部孤笻と同棲していた時に使った調度が今だに古びを帯びて保存されたりしていた。定子をそばにおいてそんなものを見るにつけ、少し感傷的になった葉子の心は涙に動こうとした。けれどもその日はなんといっても近ごろ覚えないほどしみじみとした楽しさだった。何事にでも器用な葉子は不足がちな台所道具を巧みに利用して、西洋風な料理と菓子とを三品ほど作った。定子はすっかり喜んでしまって、小さな手足をまめまめしく働かしながら、「はいはい」といって庖丁をあっちに運んだり、皿をこっちに運んだりした。三人は楽しく昼飯の卓についた。そして夕方まで水入らずにゆっくり暮らした。  その夜は妹たちが学校から来るはずになっていたので葉子は婆やの勧める晩飯も断わって夕方その家を出た。入り口の所につくねんと立って姿やに両肩をささえられながら姿の消えるまで葉子を見送った定子の姿がいつまでもいつまでも葉子の心から離れなかった。夕闇にまぎれた幌の中で葉子は幾度かハンケチを目にあてた。  宿に着くころには葉子の心持ちは変わっていた。玄関にはいって見ると、女学校でなければ履かれないような安下駄のきたなくなったのが、お客や女中たちの気取った履き物の中にまじって脱いであるのを見て、もう妹たちが来て待っているのを知った。さっそくに出迎えに出た女将に、今夜は倉地が帰って来たら他所の部屋で寝るように用意をしておいてもらいたいと頼んで、静々と二階へ上がって行った。  襖をあけて見ると二人の姉妹はぴったりとくっつき合って泣いていた。人の足音を姉のそれだとは充分に知りながら、愛子のほうは泣き顔を見せるのが気まりが悪いふうで、振り向きもせずに一入うなだれてしまったが、貞世のほうは葉子の姿を一目見るなり、はねるように立ち上がって激しく泣きながら葉子のふところに飛びこんで来た。葉子も思わず飛び立つように貞世を迎えて、長火鉢のかたわらの自分の座にすわると、貞世はその膝に突っ伏してすすり上げすすり上げ可憐な背中に波を打たした。これほどまでに自分の帰りを待ちわびてもい、喜んでもくれるのかと思うと、骨肉の愛着からも、妹だけは少なくとも自分の掌握の中にあるとの満足からも、葉子はこの上なくうれしかった。しかし火鉢からはるか離れた向こう側に、うやうやしく居ずまいを正して、愛子がひそひそと泣きながら、規則正しくおじぎをするのを見ると葉子はすぐ癪にさわった。どうして自分はこの妹に対して優しくする事ができないのだろうとは思いつつも、葉子は愛子の所作を見ると一々気にさわらないではいられないのだ。葉子の目は意地わるく剣を持って冷ややかに小柄で堅肥りな愛子を激しく見すえた。 「会いたてからつけつけいうのもなんだけれども、なんですねえそのおじぎのしかたは、他人行儀らしい。もっと打ち解けてくれたっていいじゃないの」  というと愛子は当惑したように黙ったまま目を上げて葉子を見た。その目はしかし恐れても恨んでもいるらしくはなかった。小羊のような、まつ毛の長い、形のいい大きな目が、涙に美しくぬれて夕月のようにぽっかりとならんでいた。悲しい目つきのようだけれども、悲しいというのでもない。多恨な目だ。多情な目でさえあるかもしれない。そう皮肉な批評家らしく葉子は愛子の目を見て不快に思った。大多数の男はあんな目で見られると、この上なく詩的な霊的な一瞥を受け取ったようにも思うのだろう。そんな事さえ素早く考えの中につけ加えた。貞世が広い帯をして来ているのに、愛子が少し古びた袴をはいているのさえさげすまれた。 「そんな事はどうでもようござんすわ。さ、お夕飯にしましょうね」  葉子はやがて自分の妄念をかき払うようにこういって、女中を呼んだ。  貞世は寵児らしくすっかりはしゃぎきっていた。二人が古藤につれられて始めて田島の塾に行った時の様子から、田島先生が非常に二人をかわいがってくれる事から、部屋の事、食物の事、さすがに女の子らしく細かい事まで自分一人の興に乗じて談り続けた。愛子も言葉少なに要領を得た口をきいた。 「古藤さんが時々来てくださるの?」  と聞いてみると、貞世は不平らしく、 「いゝえ、ちっとも」 「ではお手紙は?」 「来てよ、ねえ愛ねえさま。二人の所に同じくらいずつ来ますわ」  と、愛子は控え目らしくほほえみながら上目越しに貞世を見て、 「貞ちゃんのほうに余計来るくせに」  となんでもない事で争ったりした。愛子は姉に向かって、 「塾に入れてくださると古藤さんが私たちに、もうこれ以上私のして上げる事はないと思うから、用がなければ来ません。その代わり用があったらいつでもそういっておよこしなさいとおっしゃったきりいらっしゃいませんのよ。そうしてこちらでも古藤さんにお願いするような用はなんにもないんですもの」  といった。葉子はそれを聞いてほほえみながら古藤が二人を塾につれて行った時の様子を想像してみた。例のようにどこの玄関番かと思われる風体をして、髪を刈る時のほか剃らない顎ひげを一二分ほども延ばして、頑丈な容貌や体格に不似合いなはにかんだ口つきで、田島という、男のような女学者と話をしている様子が見えるようだった。  しばらくそんな表面的なうわさ話などに時を過ごしていたが、いつまでもそうはしていられない事を葉子は知っていた。この年齢の違った二人の妹に、どっちにも堪念の行くように今の自分の立場を話して聞かせて、悪い結果をその幼い心に残さないようにしむけるのはさすがに容易な事ではなかった。葉子は先刻からしきりにそれを案じていたのだ。 「これでも召し上がれ」  食事が済んでから葉子は米国から持って来たキャンディーを二人の前に置いて、自分は煙草を吸った。貞世は目を丸くして姉のする事を見やっていた。 「ねえさまそんなもの吸っていいの?」  と会釈なく尋ねた。愛子も不思議そうな顔をしていた。 「えゝこんな悪い癖がついてしまったの。けれどもねえさんにはあなた方の考えてもみられないような心配な事や困る事があるものだから、つい憂さ晴らしにこんな事も覚えてしまったの。今夜はあなた方にわかるようにねえさんが話して上げてみるから、よく聞いてちょうだいよ」  倉地の胸に抱かれながら、酔いしれたようにその頑丈な、日に焼けた、男性的な顔を見やる葉子の、乙女というよりももっと子供らしい様子は、二人の妹を前に置いてきちんと居ずまいを正した葉子のどこにも見いだされなかった。その姿は三十前後の、充分分別のある、しっかりした一人の女性を思わせた。貞世もそういう時の姉に対する手心を心得ていて、葉子から離れてまじめにすわり直した。こんな時うっかりその威厳を冒すような事でもすると、貞世にでもだれにでも葉子は少しの容赦もしなかった。しかし見た所はいかにも慇懃に口を開いた。 「わたしが木村さんの所にお嫁に行くようになったのはよく知ってますね。米国に出かけるようになったのもそのためだったのだけれどもね、もともと木村さんは私のように一度先にお嫁入りした人をもらうような方ではなかったんだしするから、ほんとうはわたしどうしても心は進まなかったんですよ。でも約束だからちゃんと守って行くには行ったの。けれどもね先方に着いてみるとわたしのからだの具合がどうもよくなくって上陸はとてもできなかったからしかたなしにまた同じ船で帰るようになったの。木村さんはどこまでもわたしをお嫁にしてくださるつもりだから、わたしもその気ではいるのだけれども、病気ではしかたがないでしょう。それに恥ずかしい事を打ち明けるようだけれども、木村さんにもわたしにも有り余るようなお金がないものだから、行きも帰りもその船の事務長という大切な役目の方にお世話にならなければならなかったのよ。その方が御親切にもわたしをここまで連れて帰ってくださったばかりで、もう一度あなた方にもあう事ができたんだから、わたしはその倉地という方――倉はお倉の倉で、地は地球の地と書くの。三吉というお名前は貞ちゃんにもわかるでしょう――その倉地さんにはほんとうにお礼の申しようもないくらいなんですよ。愛さんなんかはその方の事で叔母さんなんぞからいろいろな事を聞かされて、ねえさんを疑っていやしないかと思うけれども、それにはまたそれでめんどうなわけのある事なのだから、夢にも人のいう事なんぞをそのまま受け取ってもらっちゃ困りますよ。ねえさんを信じておくれ、ね、よござんすか。わたしはお嫁なんぞに行かないでもいい、あなた方とこうしているほどうれしい事はないと思いますよ。木村さんのほうにお金でもできて、わたしの病気がなおりさえすれば結婚するようになるかもしれないけれども、それはいつの事ともわからないし、それまではわたしはこうしたままで、あなた方と一緒にどこかにお家を持って楽しく暮らしましょうね。いいだろう貞ちゃん。もう寄宿なんぞにいなくってもようござんすよ」 「おねえさまわたし寄宿では夜になるとほんとうは泣いてばかりいたのよ。愛ねえさんはよくお寝になってもわたしは小さいから悲しかったんですもの」  そう貞世は白状するようにいった。さっきまではいかにも楽しそうにいっていたその可憐な同じ口びるから、こんな哀れな告白を聞くと葉子は一入しんみりした心持ちになった。 「わたしだってもよ。貞ちゃんは宵の口だけくすくす泣いてもあとはよく寝ていたわ。ねえ様、私は今まで貞ちゃんにもいわないでいましたけれども……みんなが聞こえよがしにねえ様の事をかれこれいいますのに、たまに悪いと思って貞ちゃんと叔母さんの所に行ったりなんぞすると、それはほんとうにひどい……ひどい事をおっしゃるので、どっちに行ってもくやしゅうございましたわ。古藤さんだってこのごろはお手紙さえくださらないし……田島先生だけはわたしたち二人をかわいそうがってくださいましたけれども……」  葉子の思いは胸の中で煮え返るようだった。 「もういい堪忍してくださいよ。ねえさんがやはり至らなかったんだから。おとうさんがいらっしゃればお互いにこんないやな目にはあわないんだろうけれども(こういう場合葉子はおくびにも母の名は出さなかった)親のないわたしたちは肩身が狭いわね。まああなた方はそんなに泣いちゃだめ。愛さんなんですねあなたから先に立って。ねえさんが帰った以上はねえさんになんでも任して安心して勉強してくださいよ。そして世間の人を見返しておやり」  葉子は自分の心持ちを憤ろしくいい張っているのに気がついた。いつのまにか自分までが激しく興奮していた。  火鉢の火はいつか灰になって、夜寒がひそやかに三人の姉妹にはいよっていた。もう少し睡気を催して来た貞世は、泣いたあとの渋い目を手の甲でこすりながら、不思議そうに興奮した青白い姉の顔を見やっていた。愛子は瓦斯の灯に顔をそむけながらしくしくと泣き始めた。  葉子はもうそれを止めようとはしなかった。自分ですら声を出して泣いてみたいような衝動をつき返しつき返し水落の所に感じながら、火鉢の中を見入ったまま細かく震えていた。  生まれかわらなければ回復しようのないような自分の越し方行く末が絶望的にはっきりと葉子の心を寒く引き締めていた。  それでも三人が十六畳に床を敷いて寝てだいぶたってから、横浜から帰って来た倉地が廊下を隔てた隣の部屋に行くのを聞き知ると、葉子はすぐ起きかえってしばらく妹たちの寝息気をうかがっていたが、二人がいかにも無心に赤々とした頬をしてよく寝入っているのを見窮めると、そっとどてらを引っかけながらその部屋を脱け出した。 二五  それから一日置いて次の日に古藤から九時ごろに来るがいいかと電話がかかって来た。葉子は十時すぎにしてくれと返事をさせた。古藤に会うには倉地が横浜に行ったあとがいいと思ったからだ。  東京に帰ってから叔母と五十川女史の所へは帰った事だけを知らせては置いたが、どっちからも訪問は元よりの事一言半句の挨拶もなかった。責めて来るなり慰めて来るなり、なんとかしそうなものだ。あまりといえば人を踏みつけにしたしわざだとは思ったけれども、葉子としては結句それがめんどうがなくっていいとも思った。そんな人たちに会っていさくさ口をきくよりも、古藤と話しさえすればその口裏から東京の人たちの心持ちも大体はわかる。積極的な自分の態度はその上で決めてもおそくはないと思案した。  双鶴館の女将はほんとうに目から鼻に抜けるように落ち度なく、葉子の影身になって葉子のために尽くしてくれた。その後ろには倉地がいて、あのいかにも疎大らしく見えながら、人の気もつかないような綿密な所にまで気を配って、采配を振っているのはわかっていた。新聞記者などがどこをどうして探り出したか、始めのうちは押し強く葉子に面会を求めて来たのを、女将が手ぎわよく追い払ったので、近づきこそはしなかったが遠巻きにして葉子の挙動に注意している事などを、女将は眉をひそめながら話して聞かせたりした。木部の恋人であったという事がひどく記者たちの興味をひいたように見えた。葉子は新聞記者と聞くと、震え上がるほどいやな感じを受けた。小さい時分に女記者になろうなどと人にも口外した覚えがあるくせに、探訪などに来る人たちの事を考えるといちばん賤しい種類の人間のように思わないではいられなかった。仙台で、新聞社の社長と親佐と葉子との間に起こった事として不倫な捏造記事(葉子はその記事のうち、母に関してはどのへんまでが捏造であるか知らなかった。少なくとも葉子に関しては捏造だった)が掲載されたばかりでなく、母のいわゆる寃罪は堂々と新聞紙上で雪がれたが、自分のはとうとうそのままになってしまった、あの苦い経験などがますます葉子の考えを頑なにした。葉子が「報正新報」の記事を見た時も、それほど田川夫人が自分を迫害しようとするなら、こちらもどこかの新聞を手に入れて田川夫人に致命傷を与えてやろうかという(道徳を米の飯と同様に見て生きているような田川夫人に、その点に傷を与えて顔出しができないようにするのは容易な事だと葉子は思った)企みを自分ひとりで考えた時でも、あの記者というものを手なずけるまでに自分を堕落させたくないばかりにその目論見を思いとどまったほどだった。  その朝も倉地と葉子とは女将を話相手に朝飯を食いながら新聞に出たあの奇怪な記事の話をして、葉子がとうにそれをちゃんと知っていた事などを談り合いながら笑ったりした。 「忙しいにかまけて、あれはあのままにしておったが……一つはあまり短兵急にこっちから出しゃばると足もとを見やがるで、……あれはなんとかせんとめんどうだて」  と倉地はがらっと箸を膳に捨てながら、葉子から女将に目をやった。 「そうですともさ。下らない、あなた、あれであなたのお職掌にでもけちが付いたらほんとうにばかばかしゅうござんすわ。報正新報社にならわたし御懇意の方も二人や三人はいらっしゃるから、なんならわたしからそれとなくお話ししてみてもようございますわ。わたしはまたお二人とも今まであんまり平気でいらっしゃるんで、もうなんとかお話がついたのだとばかり思ってましたの」  と女将は怜しそうな目に真味な色を見せてこういった。倉地は無頓着に「そうさな」といったきりだったが、葉子は二人の意見がほぼ一致したらしいのを見ると、いくら女将が巧みに立ち回ってもそれをもみ消す事はできないといい出した。なぜといえばそれは田川夫人が何か葉子を深く意趣に思ってさせた事で、「報正新報」にそれが現われたわけは、その新聞が田川博士の機関新聞だからだと説明した。倉地は田川と新聞との関係を始めて知ったらしい様子で意外な顔つきをした。 「おれはまた興録のやつ……あいつはべらべらしたやつで、右左のはっきりしない油断のならぬ男だから、あいつの仕事かとも思ってみたが、なるほどそれにしては記事の出かたが少し早すぎるて」  そういってやおら立ち上がりながら次の間に着かえに行った。  女中が膳部を片づけ終わらぬうちに古藤が来たという案内があった。  葉子はちょっと当惑した。あつらえておいた衣類がまだできないのと、着具合がよくって、倉地からもしっくり似合うとほめられるので、その朝も芸者のちょいちょい着らしい、黒繻子の襟の着いた、伝法な棒縞の身幅の狭い着物に、黒繻子と水色匹田の昼夜帯をしめて、どてらを引っかけていたばかりでなく、髪までやはり櫛巻きにしていたのだった。えゝ、いい構うものか、どうせ鼻をあかさせるならのっけからあかさせてやろう、そう思って葉子はそのままの姿で古藤を待ち構えた。  昔のままの姿で、古藤は旅館というよりも料理屋といったふうの家の様子に少し鼻じろみながらはいって来た。そうして飛び離れて風体の変わった葉子を見ると、なおさら勝手が違って、これがあの葉子なのかというように、驚きの色を隠し立てもせずに顔に現わしながら、じっとその姿を見た。 「まあ義一さんしばらく。お寒いのね。どうぞ火鉢によってくださいましな。ちょっと御免くださいよ」そういって、葉子はあでやかに上体だけを後ろにひねって、広蓋から紋付きの羽織を引き出して、すわったままどてらと着直した。なまめかしいにおいがその動作につれてひそやかに部屋の中に動いた。葉子は自分の服装がどう古藤に印象しているかなどを考えてもみないようだった。十年も着慣れたふだん着できのうも会ったばかりの弟のように親しい人に向かうようなとりなしをした。古藤はとみには口もきけないように思い惑っているらしかった。多少垢になった薩摩絣の着物を着て、観世撚の羽織紐にも、きちんとはいた袴にも、その人の気質が明らかに書き記してあるようだった。 「こんなでたいへん変な所ですけれどもどうか気楽になさってくださいまし。それでないとなんだか改まってしまってお話がしにくくっていけませんから」  心置きない、そして古藤を信頼している様子を巧みにもそれとなく気取らせるような葉子の態度はだんだん古藤の心を静めて行くらしかった。古藤は自分の長所も短所も無自覚でいるような、そのくせどこかに鋭い光のある目をあげてまじまじと葉子を見始めた。 「何より先にお礼。ありがとうございました妹たちを。おととい二人でここに来てたいへん喜んでいましたわ」 「なんにもしやしない、ただ塾に連れて行って上げただけです。お丈夫ですか」  古藤はありのままをありのままにいった。そんな序曲的な会話を少し続けてから葉子はおもむろに探り知っておかなければならないような事柄に話題を向けて行った。 「今度こんなひょんな事でわたしアメリカに上陸もせず帰って来る事になったんですが、ほんとうをおっしゃってくださいよ、あなたはいったいわたしをどうお思いになって」  葉子は火鉢の縁に両肘をついて、両手の指先を鼻の先に集めて組んだりほどいたりしながら、古藤の顔に浮かび出るすべての意味を読もうとした。 「えゝ、ほんとうをいいましょう」  そう決心するもののように古藤はいってからひと膝乗り出した。 「この十二月に兵隊に行かなければならないものだから、それまでに研究室の仕事を片づくものだけは片づけて置こうと思ったので、何もかも打ち捨てていましたから、このあいだ横浜からあなたの電話を受けるまでは、あなたの帰って来られたのを知らないでいたんです。もっとも帰って来られるような話はどこかで聞いたようでしたが。そして何かそれには重大なわけがあるに違いないとは思っていましたが。ところがあなたの電話を切るとまもなく木村君の手紙が届いて来たんです。それはたぶん絵島丸より一日か二日早く大北汽船会社の船が着いたはずだから、それが持って来たんでしょう。ここに持って来ましたが、それを見て僕は驚いてしまったんです。ずいぶん長い手紙だからあとで御覧になるなら置いて行きましょう。簡単にいうと(そういって古藤はその手紙の必要な要点を心の中で整頓するらしくしばらく黙っていたが)木村君はあなたが帰るようになったのを非常に悲しんでいるようです。そしてあなたほど不幸な運命にもてあそばれる人はない。またあなたほど誤解を受ける人はない。だれもあなたの複雑な性格を見窮めて、その底にある尊い点を拾い上げる人がないから、いろいろなふうにあなたは誤解されている。あなたが帰るについては日本でも種々さまざまな風説が起こる事だろうけれども、君だけはそれを信じてくれちゃ困る。それから……あなたは今でも僕の妻だ……病気に苦しめられながら、世の中の迫害を存分に受けなければならないあわれむべき女だ。他人がなんといおうと君だけは僕を信じて……もしあなたを信ずることができなければ僕を信じて、あなたを妹だと思ってあなたのために戦ってくれ……ほんとうはもっと最大級の言葉が使ってあるのだけれども大体そんな事が書いてあったんです。それで……」 「それで?」  葉子は目の前で、こんがらがった糸が静かにほごれて行くのを見つめるように、不思議な興味を感じながら、顔だけは打ち沈んでこう促した。 「それでですね。僕はその手紙に書いてある事とあなたの電話の『滑稽だった』という言葉とをどう結び付けてみたらいいかわからなくなってしまったんです。木村の手紙を見ない前でもあなたのあの電話の口調には……電話だったせいかまるでのんきな冗談口のようにしか聞こえなかったものだから……ほんとうをいうとかなり不快を感じていた所だったのです。思ったとおりをいいますから怒らないで聞いてください」 「何を怒りましょう。ようこそはっきりおっしゃってくださるわね。あれはわたしもあとでほんとうにすまなかったと思いましたのよ。木村が思うようにわたしは他人の誤解なんぞそんなに気にしてはいないの。小さい時から慣れっこになってるんですもの。だから皆さんが勝手なあて推量なぞをしているのが少しは癪にさわったけれども、滑稽に見えてしかたがなかったんですのよ。そこにもって来て電話であなたのお声が聞こえたもんだから、飛び立つようにうれしくって思わずしらずあんな軽はずみな事をいってしまいましたの。木村から頼まれて私の世話を見てくださった倉地という事務長の方もそれはきさくな親切な人じゃありますけれども、船で始めて知り合いになった方だから、お心安立てなんぞはできないでしょう。あなたのお声がした時にはほんとうに敵の中から救い出されたように思ったんですもの……まあしかしそんな事は弁解するにも及びませんわ。それからどうなさって?」  古藤は例の厚い理想の被の下から、深く隠された感情が時々きらきらとひらめくような目を、少し物惰げに大きく見開いて葉子の顔をつれづれと見やった。初対面の時には人並みはずれて遠慮がちだったくせに、少し慣れて来ると人を見徹そうとするように凝視するその目は、いつでも葉子に一種の不安を与えた。古藤の凝視にはずうずうしいという所は少しもなかった。また故意にそうするらしい様子も見えなかった。少し鈍と思われるほど世事にうとく、事物のほんとうの姿を見て取る方法に暗いながら、まっ正直に悪意なくそれをなし遂げようとするらしい目つきだった。古藤なんぞに自分の秘密がなんであばかれてたまるものかと多寡をくくりつつも、その物軟らかながらどんどん人の心の中にはいり込もうとするような目つきにあうと、いつか秘密のどん底を誤たずつかまれそうな気がしてならなかった。そうなるにしてもしかしそれまでには古藤は長い間忍耐して待たなければならないだろう、そう思って葉子は一面小気味よくも思った。  こんな目で古藤は、明らかな疑いを示しつつ葉子を見ながら、さらに語り続けた所によれば、古藤は木村の手紙を読んでから思案に余って、その足ですぐ、まだ釘店の家の留守番をしていた葉子の叔母の所を尋ねてその考えを尋ねてみようとしたところが、叔母は古藤の立場がどちらに同情を持っているか知れないので、うっかりした事はいわれないと思ったか、何事も打ち明けずに、五十川女史に尋ねてもらいたいと逃げを張ったらしい。古藤はやむなくまた五十川女史を訪問した。女史とは築地のある教会堂の執事の部屋で会った。女史のいう所によると、十日ほど前に田川夫人の所から船中における葉子の不埒を詳細に知らしてよこした手紙が来て、自分としては葉子のひとり旅を保護し監督する事はとても力に及ばないから、船から上陸する時もなんの挨拶もせずに別れてしまった。なんでもうわさで聞くと病気だといってまだ船に残っているそうだが、万一そのまま帰国するようにでもなったら、葉子と事務長との関係は自分たちが想像する以上に深くなっていると断定してもさしつかえない。せっかく依頼を受けてその責めを果たさなかったのは誠にすまないが、自分たちの力では手に余るのだから推恕していただきたいと書いてあった。で、五十川女史は田川夫人がいいかげんな捏造などする人でないのをよく知っているから、その手紙を重だった親類たちに示して相談した結果、もし葉子が絵島丸で帰って来たら、回復のできない罪を犯したものとして、木村に手紙をやって破約を断行させ、一面には葉子に対して親類一同は絶縁する申し合わせをしたという事を聞かされた。そう古藤は語った。 「僕はこんな事を聞かされて途方に暮れてしまいました。あなたはさっきから倉地というその事務長の事を平気で口にしているが、こっちではその人が問題になっているんです。きょうでも僕はあなたにお会いするのがいいのか悪いのかさんざん迷いました。しかし約束ではあるし、あなたから聞いたらもっと事柄もはっきりするかと思って、思いきって伺う事にしたんです。……あっちにたった一人いて五十川さんから恐ろしい手紙を受け取らなければならない木村君を僕は心から気の毒に思うんです。もしあなたが誤解の中にいるんなら聞かせてください。僕はこんな重大な事を一方口で判断したくはありませんから」  と話を結んで古藤は悲しいような表情をして葉子を見つめた。小癪な事をいうもんだと葉子は心の中で思ったけれども、指先でもてあそびながら少し振り仰いだ顔はそのままに、あわれむような、からかうような色をかすかに浮かべて、 「えゝ、それはお聞きくださればどんなにでもお話はしましょうとも。けれども天からわたしを信じてくださらないんならどれほど口をすっぱくしてお話をしたってむだね」 「お話を伺ってから信じられるものなら信じようとしているのです僕は」 「それはあなた方のなさる学問ならそれでようござんしょうよ。けれども人情ずくの事はそんなものじゃありませんわ。木村に対してやましいことはいたしませんといったってあなたがわたしを信じていてくださらなければ、それまでのものですし、倉地さんとはお友だちというだけですと誓った所が、あなたが疑っていらっしゃればなんの役にも立ちはしませんからね。……そうしたもんじゃなくって?」 「それじゃ五十川さんの言葉だけで僕にあなたを判断しろとおっしゃるんですか」 「そうね。……それでもようございましょうよ。とにかくそれはわたしが御相談を受ける事柄じゃありませんわ」  そういってる葉子の顔は、言葉に似合わずどこまでも優しく親しげだった。古藤はさすがに怜しく、こうもつれて来た言葉をどこまでも追おうとせずに黙ってしまった。そして「何事も明らさまにしてしまうほうがほんとうはいいのだがな」といいたげな目つきで、格別虐げようとするでもなく、葉子が鼻の先で組んだりほどいたりする手先を見入った。そうしたままでややしばらくの時が過ぎた。  十一時近いこのへんの町並みはいちばん静かだった。葉子はふと雨樋を伝う雨だれの音を聞いた。日本に帰ってから始めて空はしぐれていたのだ。部屋の中は盛んな鉄びんの湯気でそう寒くはないけれども、戸外は薄ら寒い日和になっているらしかった。葉子はぎごちない二人の間の沈黙を破りたいばかりに、ひょっと首をもたげて腰窓のほうを見やりながら、 「おやいつのまにか雨になりましたのね」  といってみた。古藤はそれには答えもせずに、五分刈りの地蔵頭をうなだれて深々とため息をした。 「僕はあなたを信じきる事ができればどれほど幸いだか知れないと思うんです。五十川さんなぞより僕はあなたと話しているほうがずっと気持ちがいいんです。それはあなたが同じ年ごろで、――たいへん美しいというためばかりじゃないと(その時古藤はおぼこらしく顔を赤らめていた)思っています。五十川さんなぞはなんでも物を僻目で見るから僕はいやなんです。けれどもあなたは……どうしてあなたはそんな気象でいながらもっと大胆に物を打ち明けてくださらないんです。僕はなんといってもあなたを信ずる事ができません。こんな冷淡な事をいうのを許してください。しかしこれにはあなたにも責めがあると僕は思いますよ。……しかたがない僕は木村君にきょうあなたと会ったこのままをいってやります。僕にはどう判断のしようもありませんもの……しかしお願いしますがねえ。木村君があなたから離れなければならないものなら、一刻でも早くそれを知るようにしてやってください。僕は木村君の心持ちを思うと苦しくなります」 「でも木村は、あなたに来たお手紙によるとわたしを信じきってくれているのではないんですか」  そう葉子にいわれて、古藤はまた返す言葉もなく黙ってしまった。葉子は見る見る非常に興奮して来たようだった。抑え抑えている葉子の気持ちが抑えきれなくなって激しく働き出して来ると、それはいつでも惻々として人に迫り人を圧した。顔色一つ変えないで元のままに親しみを込めて相手を見やりながら、胸の奥底の心持ちを伝えて来るその声は、不思議な力を電気のように感じて震えていた。 「それで結構。五十川のおばさんは始めからいやだいやだというわたしを無理に木村に添わせようとして置きながら、今になってわたしの口から一言の弁解も聞かずに、木村に離縁を勧めようという人なんですから、そりゃわたし恨みもします。腹も立てます。えゝ、わたしはそんな事をされて黙って引っ込んでいるような女じゃないつもりですわ。けれどもあなたは初手からわたしに疑いをお持ちになって、木村にもいろいろ御忠告なさった方ですもの、木村にどんな事をいっておやりになろうともわたしにはねっから不服はありませんことよ。……けれどもね、あなたが木村のいちばん大切な親友でいらっしゃると思えばこそ、わたしは人一倍あなたをたよりにしてきょうもわざわざこんな所まで御迷惑を願ったりして、……でもおかしいものね、木村はあなたも信じわたしも信じ、わたしは木村も信じあなたも信じ、あなたは木村は信ずるけれどもわたしを疑って……そ、まあ待って……疑ってはいらっしゃりません。そうです。けれども信ずる事ができないでいらっしゃるんですわね……こうなるとわたしは倉地さんにでもおすがりして相談相手になっていただくほかしようがありません。いくらわたし娘の時から周囲から責められ通しに責められていても、今だに女手一つで二人の妹まで背負って立つ事はできませんからね。……」  古藤は二重に折っていたような腰を立てて、少しせきこんで、 「それはあなたに不似合いな言葉だと僕は思いますよ。もし倉地という人のためにあなたが誤解を受けているのなら……」  そういってまだ言葉を切らないうちに、もうとうに横浜に行ったと思われていた倉地が、和服のままで突然六畳の間にはいって来た。これは葉子にも意外だったので、葉子は鋭く倉地に目くばせしたが、倉地は無頓着だった。そして古藤のいるのなどは度外視した傍若無人さで、火鉢の向こう座にどっかとあぐらをかいた。  古藤は倉地を一目見るとすぐ倉地と悟ったらしかった。いつもの癖で古藤はすぐ極度に固くなった。中断された話の続きを持ち出しもしないで、黙ったまま少し伏し目になってひかえていた。倉地は古藤から顔の見えないのをいい事に、早く古藤を返してしまえというような顔つきを葉子にして見せた。葉子はわけはわからないままにその注意に従おうとした。で、古藤の黙ってしまったのをいい事に、倉地と古藤とを引き合わせる事もせずに自分も黙ったまま静かに鉄びんの湯を土びんに移して、茶を二人に勧めて自分も悠々と飲んだりしていた。  突然古藤は居ずまいをなおして、 「もう僕は帰ります。お話は中途ですけれどもなんだか僕はきょうはこれでおいとまがしたくなりました。あとは必要があったら手紙を書きます」  そういって葉子にだけ挨拶して座を立った。葉子は例の芸者のような姿のままで古藤を玄関まで送り出した。 「失礼しましてね、ほんとうにきょうは。もう一度でようございますからぜひお会いになってくださいましな。一生のお願いですから、ね」  と耳打ちするようにささやいたが古藤はなんとも答えず、雨の降り出したのに傘も借りずに出て行った。 「あなたったらまずいじゃありませんか、なんだってあんな幕に顔をお出しなさるの」  こうなじるようにいって葉子が座につくと、倉地は飲み終わった茶わんを猫板の上にとんと音をたてて伏せながら、 「あの男はお前、ばかにしてかかっているが、話を聞いていると妙に粘り強い所があるぞ。ばかもあのくらいまっすぐにばかだと油断のできないものなのだ。も少し話を続けていてみろ、お前のやり繰りでは間に合わなくなるから。いったいなんでお前はあんな男をかまいつける必要があるんか、わからないじゃないか。木村にでも未練があれば知らない事」  こういって不敵に笑いながら押し付けるように葉子を見た。葉子はぎくりと釘を打たれたように思った。倉地をしっかり握るまでは木村を離してはいけないと思っている胸算用を倉地に偶然にいい当てられたように思ったからだ。しかし倉地がほんとうに葉子を安心させるためには、しなければならない大事な事が少なくとも一つ残っている。それは倉地が葉子と表向き結婚のできるだけの始末をして見せる事だ。手っ取り早くいえばその妻を離縁する事だ。それまではどうしても木村をのがしてはならない。そればかりではない、もし新聞の記事などが問題になって、倉地が事務長の位置を失うような事にでもなれば、少し気の毒だけれども木村を自分の鎖から解き放さずにおくのが何かにつけて便宜でもある。葉子はしかし前の理由はおくびにも出さずにあとの理由を巧みに倉地に告げようと思った。 「きょうは雨になったで出かけるのが大儀だ。昼には湯豆腐でもやって寝てくれようか」  そういって早くも倉地がそこに横になろうとするのを葉子はしいて起き返らした。 二六 「水戸とかでお座敷に出ていた人だそうですが、倉地さんに落籍されてからもう七八年にもなりましょうか、それは穏当ないい奥さんで、とても商売をしていた人のようではありません。もっとも水戸の士族のお娘御で出るが早いか倉地さんの所にいらっしゃるようになったんだそうですからそのはずでもありますが、ちっともすれていらっしゃらないでいて、気もおつきにはなるし、しとやかでもあり、……」  ある晩双鶴館の女将が話に来て四方山のうわさのついでに倉地の妻の様子を語ったその言葉は、はっきりと葉子の心に焼きついていた。葉子はそれが優れた人であると聞かされれば聞かされるほど妬ましさを増すのだった。自分の目の前には大きな障害物がまっ暗に立ちふさがっているのを感じた。嫌悪の情にかきむしられて前後の事も考えずに別れてしまったのではあったけれども、仮にも恋らしいものを感じた木部に対して葉子がいだく不思議な情緒、――ふだんは何事もなかったように忘れ果ててはいるものの、思いも寄らないきっかけにふと胸を引き締めて巻き起こって来る不思議な情緒、――一種の絶望的なノスタルジア――それを葉子は倉地にも倉地の妻にも寄せて考えてみる事のできる不幸を持っていた。また自分の生んだ子供に対する執着。それを男も女も同じ程度にきびしく感ずるものかどうかは知らない。しかしながら葉子自身の実感からいうと、なんといってもたとえようもなくその愛着は深かった。葉子は定子を見ると知らぬ間に木部に対して恋に等しいような強い感情を動かしているのに気がつく事がしばしばだった。木部との愛着の結果定子が生まれるようになったのではなく、定子というものがこの世に生まれ出るために、木部と葉子とは愛着のきずなにつながれたのだとさえ考えられもした。葉子はまた自分の父がどれほど葉子を溺愛してくれたかをも思ってみた。葉子の経験からいうと、両親共いなくなってしまった今、慕わしさなつかしさを余計感じさせるものは、格別これといって情愛の徴を見せはしなかったが、始終軟らかい目色で自分たちを見守ってくれていた父のほうだった。それから思うと男というものも自分の生ませた子供に対しては女に譲らぬ執着を持ちうるものに相違ない。こんな過去の甘い回想までが今は葉子の心をむちうつ笞となった。しかも倉地の妻と子とはこの東京にちゃんと住んでいる。倉地は毎日のようにその人たちにあっているのに相違ないのだ。  思う男をどこからどこまで自分のものにして、自分のものにしたという証拠を握るまでは、心が責めて責めて責めぬかれるような恋愛の残虐な力に葉子は昼となく夜となく打ちのめされた。船の中での何事も打ち任せきったような心やすい気分は他人事のように、遠い昔の事のように悲しく思いやられるばかりだった。どうしてこれほどまでに自分というものの落ちつき所を見失ってしまったのだろう。そう思う下から、こうしては一刻もいられない。早く早くする事だけをしてしまわなければ、取り返しがつかなくなる。どこからどう手をつければいいのだ。敵を斃さなければ、敵は自分を斃すのだ。なんの躊躇。なんの思案。倉地が去った人たちに未練を残すようならば自分の恋は石や瓦と同様だ。自分の心で何もかも過去はいっさい焼き尽くして見せる。木部もない、定子もない。まして木村もない。みんな捨てる、みんな忘れる。その代わり倉地にも過去という過去をすっかり忘れさせずにおくものか。それほどの蠱惑の力と情熱の炎とが自分にあるかないか見ているがいい。そうしたいちずの熱意が身をこがすように燃え立った。葉子は新聞記者の来襲を恐れて宿にとじこもったまま、火鉢の前にすわって、倉地の不在の時はこんな妄想に身も心もかきむしられていた。だんだん募って来るような腰の痛み、肩の凝り。そんなものさえ葉子の心をますますいらだたせた。  ことに倉地の帰りのおそい晩などは、葉子は座にも居たたまれなかった。倉地の居間になっている十畳の間に行って、そこに倉地の面影を少しでも忍ぼうとした。船の中での倉地との楽しい思い出は少しも浮かんで来ずに、どんな構えとも想像はできないが、とにかく倉地の住居のある部屋に、三人の娘たちに取り巻かれて、美しい妻にかしずかれて杯を干している倉地ばかりが想像に浮かんだ。そこに脱ぎ捨ててある倉地のふだん着はますます葉子の想像をほしいままにさせた。いつでも葉子の情熱を引っつかんでゆすぶり立てるような倉地特有の膚の香い、芳醇な酒や、煙草からにおい出るようなその香いを葉子は衣類をかき寄せて、それに顔を埋めながら、痲痺して行くような気持ちでかぎにかいだ。その香いのいちばん奥に、中年の男に特有なふけのような不快な香い、他人ののであったなら葉子はひとたまりもなく鼻をおおうような不快な香いをかぎつけると、葉子は肉体的にも一種の陶酔を感じて来るのだった。その倉地が妻や娘たちに取り巻かれて楽しく一夕を過ごしている。そう思うとあり合わせるものを取って打ちこわすか、つかんで引き裂きたいような衝動がわけもなく嵩じて来るのだった。  それでも倉地が帰って来ると、それは夜おそくなってからであっても葉子はただ子供のように幸福だった。それまでの不安や焦躁はどこにか行ってしまって、悪夢から幸福な世界に目ざめたように幸福だった。葉子はすぐ走って行って倉地の胸にたわいなく抱かれた。倉地も葉子を自分の胸に引き締めた。葉子は広い厚い胸に抱かれながら、単調な宿屋の生活の一日中に起こった些細な事までを、その表情のゆたかな、鈴のような涼しい声で、自分を楽しませているもののごとく語った。倉地は倉地でその声に酔いしれて見えた。二人の幸福はどこに絶頂があるのかわからなかった。二人だけで世界は完全だった。葉子のする事は一つ一つ倉地の心がするように見えた。倉地のこうありたいと思う事は葉子があらかじめそうあらせていた。倉地のしたいと思う事は、葉子がちゃんとし遂げていた。茶わんの置き場所まで、着物のしまい所まで、倉地は自分の手でしたとおりを葉子がしているのを見いだしているようだった。 「しかし倉地は妻や娘たちをどうするのだろう」  こんな事をそんな幸福の最中にも葉子は考えない事もなかった。しかし倉地の顔を見ると、そんな事は思うも恥ずかしいような些細な事に思われた。葉子は倉地の中にすっかりとけ込んだ自分を見いだすのみだった。定子までも犠牲にして倉地をその妻子から切り放そうなどいうたくらみはあまりにばからしい取り越し苦労であるのを思わせられた。 「そうだ生まれてからこのかたわたしが求めていたものはとうとう来ようとしている。しかしこんな事がこう手近にあろうとはほんとうに思いもよらなかった。わたしみたいなばかはない。この幸福の頂上が今だとだれか教えてくれる人があったら、わたしはその瞬間に喜んで死ぬ。こんな幸福を見てから下り坂にまで生きているのはいやだ。それにしてもこんな幸福でさえがいつかは下り坂になる時があるのだろうか」  そんな事を葉子は幸福に浸りきった夢心地の中に考えた。  葉子が東京に着いてから一週間目に、宿の女将の周旋で、芝の紅葉館と道一つ隔てた苔香園という薔薇専門の植木屋の裏にあたる二階建ての家を借りる事になった。それは元紅葉館の女中だった人がある豪商の妾になったについて、その豪商という人が建ててあてがった一構えだった。双鶴館の女将はその女と懇意の間だったが、女に子供が幾人かできて少し手ぜま過ぎるので他所に移転しようかといっていたのを聞き知っていたので、女将のほうで適当な家をさがし出してその女を移らせ、そのあとを葉子が借りる事に取り計らってくれたのだった。倉地が先に行って中の様子を見て来て、杉林のために少し日当たりはよくないが、当分の隠れ家としては屈強だといったので、すぐさまそこに移る事に決めたのだった。だれにも知れないように引っ越さねばならぬというので、荷物を小わけして持ち出すのにも、女将は自分の女中たちにまで、それが倉地の本宅に運ばれるものだといって知らせた。運搬人はすべて芝のほうから頼んで来た。そして荷物があらかた片づいた所で、ある夜おそく、しかもびしょびしょと吹き降りのする寒い雨風のおりを選んで葉子は幌車に乗った。葉子としてはそれほどの警戒をするには当たらないと思ったけれども、女将がどうしてもきかなかった。安全な所に送り込むまではいったんお引き受けした手まえ、気がすまないといい張った。  葉子があつらえておいた仕立ておろしの衣類を着かえているとそこに女将も来合わせて脱ぎ返しの世話を見た。襟の合わせ目をピンで留めながら葉子が着がえを終えて座につくのを見て、女将はうれしそうにもみ手をしながら、 「これであすこに大丈夫着いてくださりさえすればわたしは重荷が一つ降りると申すものです。しかしこれからがあなたは御大抵じゃこざいませんね。あちらの奥様の事など思いますと、どちらにどうお仕向けをしていいやらわたしにはわからなくなります。あなたのお心持ちもわたしは身にしみてお察し申しますが、どこから見ても批点の打ちどころのない奥様のお身の上もわたしには御不憫で涙がこぼれてしまうんでございますよ。でね、これからの事についちゃわたしはこう決めました。なんでもできます事ならと申し上げたいんでございますけれども、わたしには心底をお打ち明け申しました所、どちら様にも義理が立ちませんから、薄情でもきょうかぎりこのお話には手をひかせていただきます。……どうか悪くお取りになりませんようにね……どうもわたしはこんなでいながら甲斐性がございませんで……」  そういいながら女将は口をきった時のうれしげな様子にも似ず、襦袢の袖を引き出すひまもなく目に涙をいっぱいためてしまっていた。葉子にはそれが恨めしくも憎くもなかった。ただ何となく親身な切なさが自分の胸にもこみ上げて来た。 「悪く取るどころですか。世の中の人が一人でもあなたのような心持ちで見てくれたら、わたしはその前に泣きながら頭を下げてありがとうございますという事でしょうよ。これまでのあなたのお心尽くしでわたしはもう充分。またいつか御恩返しのできる事もありましょう。……それではこれで御免くださいまし。お妹御にもどうか着物のお礼をくれぐれもよろしく」  少し泣き声になってそういいながら、葉子は女将とその妹分にあたるという人に礼心に置いて行こうとする米国製の二つの手携げをしまいこんだ違い棚をちょっと見やってそのまま座を立った。  雨風のために夜はにぎやかな往来もさすがに人通りが絶え絶えだった。車に乗ろうとして空を見上げると、雲はそう濃くはかかっていないと見えて、新月の光がおぼろに空を明るくしている中をあらし模様の雲が恐ろしい勢いで走っていた。部屋の中の暖かさに引きかえて、湿気を充分に含んだ風は裾前をあおってぞくぞくと膚に逼った。ばたばたと風になぶられる前幌を車夫がかけようとしているすきから、女将がみずみずしい丸髷を雨にも風にも思うまま打たせながら、女中のさしかざそうとする雨傘の陰に隠れようともせず、何か車夫にいい聞かせているのが大事らしく見やられた。車夫が梶棒をあげようとする時女将が祝儀袋をその手に渡すのが見えた。 「さようなら」 「お大事に」  はばかるように車の内外から声がかわされた。幌にのしかかって来る風に抵抗しながら車は闇の中を動き出した。  向かい風がうなりを立てて吹きつけて来ると、車夫は思わず車をあおらせて足を止めるほどだった。この四五日火鉢の前ばかりにいた葉子に取っては身を切るかと思われるような寒さが、厚い膝かけの目まで通して襲って来た。葉子は先ほど女将の言葉を聞いた時にはさほどとも思っていなかったが、少しほどたった今になってみると、それがひしひしと身にこたえるのを感じ出した。自分はひょっとするとあざむかれている、もてあそびものにされている。倉地はやはりどこまでもあの妻子と別れる気はないのだ。ただ長い航海中の気まぐれから、出来心に自分を征服してみようと企てたばかりなのだ。この恋のいきさつが葉子から持ち出されたものであるだけに、こんな心持ちになって来ると、葉子は矢もたてもたまらず自分にひけ目を覚えた。幸福――自分が夢想していた幸福がとうとう来たと誇りがに喜んだその喜びはさもしいぬか喜びに過ぎなかったらしい。倉地は船の中でと同様の喜びでまだ葉子を喜んではいる。それに疑いを入れよう余地はない。けれども美しい貞節な妻と可憐な娘を三人まで持っている倉地の心がいつまで葉子にひかされているか、それをだれが語り得よう、葉子の心は幌の中に吹きこむ風の寒さと共に冷えて行った。世の中からきれいに離れてしまった孤独な魂がたった一つそこには見いだされるようにも思えた。どこにうれしさがある、楽しさがある。自分はまた一つの今までに味わわなかったような苦悩の中に身を投げ込もうとしているのだ。またうまうまといたずら者の運命にしてやられたのだ。それにしてももうこの瀬戸ぎわから引く事はできない。死ぬまで……そうだ死んでもこの苦しみに浸りきらずに置くものか。葉子には楽しさが苦しさなのか、苦しさが楽しさなのか、全く見さかいがつかなくなってしまっていた。魂を締め木にかけてその油でもしぼりあげるようなもだえの中にやむにやまれぬ執着を見いだしてわれながら驚くばかりだった。  ふと車が停まって梶棒がおろされたので葉子ははっと夢心地からわれに返った。恐ろしい吹き降りになっていた。車夫が片足で梶棒を踏まえて、風で車のよろめくのを防ぎながら、前幌をはずしにかかると、まっ暗だった前方からかすかに光がもれて来た。頭の上ではざあざあと降りしきる雨の中に、荒海の潮騒のような物すごい響きが何か変事でもわいて起こりそうに聞こえていた。葉子は車を出ると風に吹き飛ばされそうになりながら、髪や新調の着物のぬれるのもかまわず空を仰いで見た。漆を流したような雲で固くとざされた雲の中に、漆よりも色濃くむらむらと立ち騒いでいるのは古い杉の木立ちだった。花壇らしい竹垣の中の灌木の類は枝先を地につけんばかりに吹きなびいて、枯れ葉が渦のようにばらばらと飛び回っていた。葉子はわれにもなくそこにべったりすわり込んでしまいたくなった。 「おい早くはいらんかよ、ぬれてしまうじゃないか」  倉地がランプの灯をかばいつつ家の中からどなるのが風に吹きちぎられながら聞こえて来た。倉地がそこにいるという事さえ葉子には意外のようだった。だいぶ離れた所でどたんと戸か何かはずれたような音がしたと思うと、風はまた一しきりうなりを立てて杉叢をこそいで通りぬけた。車夫は葉子を助けようにも梶棒を離れれば車をけし飛ばされるので、提灯の尻を風上のほうに斜に向けて目八分に上げながら何か大声に後ろから声をかけていた。葉子はすごすごとして玄関口に近づいた。一杯きげんで待ちあぐんだらしい倉地の顔の酒ほてりに似ず、葉子の顔は透き通るほど青ざめていた。なよなよとまず敷き台に腰をおろして、十歩ばかり歩くだけで泥になってしまった下駄を、足先で手伝いながら脱ぎ捨てて、ようやく板の間に立ち上がってから、うつろな目で倉地の顔をじっと見入った。 「どうだった寒かったろう。まあこっちにお上がり」  そう倉地はいって、そこに出合わしていた女中らしい人に手ランプを渡すと華車な少し急な階子段をのぼって行った。葉子は吾妻コートも脱がずにいいかげんぬれたままで黙ってそのあとからついて行った。  二階の間は電燈で昼間より明るく葉子には思われた。戸という戸ががたぴしと鳴りはためいていた。板葺きらしい屋根に一寸釘でもたたきつけるように雨が降りつけていた。座敷の中は暖かくいきれて、飲み食いする物が散らかっているようだった。葉子の注意の中にはそれだけの事がかろうじてはいって来た。そこに立ったままの倉地に葉子は吸いつけられるように身を投げかけて行った。倉地も迎え取るように葉子を抱いたと思うとそのままそこにどっかとあぐらをかいた。そして自分のほてった頬を葉子のにすり付けるとさすがに驚いたように、 「こりゃどうだ冷えたにも氷のようだ」  といいながらその顔を見入ろうとした。しかし葉子は無性に自分の顔を倉地の広い暖かい胸に埋めてしまった。なつかしみと憎しみとのもつれ合った、かつて経験しない激しい情緒がすぐに葉子の涙を誘い出した。ヒステリーのように間歇的にひき起こるすすり泣きの声をかみしめてもかみしめてもとめる事ができなかった。葉子はそうしたまま倉地の胸で息気を引き取る事ができたらと思った。それとも自分のなめているような魂のもだえの中に倉地を巻き込む事ができたらばとも思った。  いそいそと世話女房らしく喜び勇んで二階に上がって来る葉子を見いだすだろうとばかり思っていたらしい倉地は、この理由も知れぬ葉子の狂体に驚いたらしかった。 「どうしたというんだな、え」  と低く力をこめていいながら、葉子を自分の胸から引き離そうとするけれども、葉子はただ無性にかぶりを振るばかりで、駄々児のように、倉地の胸にしがみついた。できるならその肉の厚い男らしい胸をかみ破って、血みどろになりながらその胸の中に顔を埋めこみたい――そういうように葉子は倉地の着物をかんだ。  徐かにではあるけれども倉地の心はだんだん葉子の心持ちに染められて行くようだった。葉子をかき抱く倉地の腕の力は静かに加わって行った。その息気づかいは荒くなって来た。葉子は気が遠くなるように思いながら、締め殺すほど引きしめてくれと念じていた。そして顔を伏せたまま涙のひまから切れ切れに叫ぶように声を放った。 「捨てないでちょうだいとはいいません……捨てるなら捨ててくださってもようござんす……その代わり……その代わり……はっきりおっしゃってください、ね……わたしはただ引きずられて行くのがいやなんです……」 「何をいってるんだお前は……」  倉地のかんでふくめるような声が耳もと近く葉子にこうささやいた。 「それだけは……それだけは誓ってください……ごまかすのはわたしはいや……いやです」 「何を……何をごまかすかい」 「そんな言葉がわたしはきらいです」 「葉子!」  倉地はもう熱情に燃えていた。しかしそれはいつでも葉子を抱いた時に倉地に起こる野獣のような熱情とは少し違っていた。そこにはやさしく女の心をいたわるような影が見えた。葉子はそれをうれしくも思い、物足らなくも思った。  葉子の心の中は倉地の妻の事をいい出そうとする熱意でいっぱいになっていた。その妻が貞淑な美しい女であると思えば思うほど、その人が二人の間にはさまっているのが呪わしかった。たとい捨てられるまでも一度は倉地の心をその女から根こそぎ奪い取らなければ堪念ができないようなひたむきに狂暴な欲念が胸の中でははち切れそうに煮えくり返っていた。けれども葉子はどうしてもそれを口の端に上せる事はできなかった。その瞬間に自分に対する誇りが塵芥のように踏みにじられるのを感じたからだ。葉子は自分ながら自分の心がじれったかった。倉地のほうから一言もそれをいわないのが恨めしかった。倉地はそんな事はいうにも足らないと思っているのかもしれないが……いゝえそんな事はない、そんな事のあろうはずはない。倉地はやはり二股かけて自分を愛しているのだ。男の心にはそんなみだらな未練があるはずだ。男の心とはいうまい、自分も倉地に出あうまでは、異性に対する自分の愛を勝手に三つにも四つにも裂いてみる事ができたのだ。……葉子はここにも自分の暗い過去の経験のために責めさいなまれた。進んで恋のとりことなったものが当然陥らなければならないたとえようのないほど暗く深い疑惑はあとからあとから口実を作って葉子を襲うのだった。葉子の胸は言葉どおりに張り裂けようとしていた。  しかし葉子の心が傷めば傷むほど倉地の心は熱して見えた。倉地はどうして葉子がこんなにきげんを悪くしているのかを思い迷っている様子だった。倉地はやがてしいて葉子を自分の胸から引き放してその顔を強く見守った。 「何をそう理屈もなく泣いているのだ……お前はおれを疑っているな」  葉子は「疑わないでいられますか」と答えようとしたが、どうしてもそれは自分の面目にかけて口には出せなかった。葉子は涙に解けて漂うような目を恨めしげに大きく開いて黙って倉地を見返した。 「きょうおれはとうとう本店から呼び出されたんだった。船の中での事をそれとなく聞きただそうとしおったから、おれは残らずいってのけたよ。新聞におれたちの事が出た時でもが、あわてるがものはないと思っとったんだ。どうせいつかは知れる事だ。知れるほどなら、大っぴらで早いがいいくらいのものだ。近いうちに会社のほうは首になろうが、おれは、葉子、それが満足なんだぞ。自分で自分の面に泥を塗って喜んでるおれがばかに見えような」  そういってから倉地は激しい力で再び葉子を自分の胸に引き寄せようとした。  葉子はしかしそうはさせなかった。素早く倉地の膝から飛びのいて畳の上に頬を伏せた。倉地の言葉をそのまま信じて、素直にうれしがって、心を涙に溶いて泣きたかった。しかし万一倉地の言葉がその場のがれの勝手な造り事だったら……なぜ倉地は自分の妻や子供たちの事をいっては聞かせてくれないのだ。葉子はわけのわからない涙を泣くより術がなかった。葉子は突っ伏したままでさめざめと泣き出した。  戸外のあらしは気勢を加えて、物すさまじくふけて行く夜を荒れ狂った。 「おれのいうた事がわからんならまあ見とるがいいさ。おれはくどい事は好かんからな」  そういいながら倉地は自分を抑制しようとするようにしいて落ち着いて、葉巻を取り上げて煙草盆を引き寄せた。  葉子は心の中で自分の態度が倉地の気をまずくしているのをはらはらしながら思いやった。気をまずくするだけでもそれだけ倉地から離れそうなのがこの上なくつらかった。しかし自分で自分をどうする事もできなかった。  葉子はあらしの中にわれとわが身をさいなみながらさめざめと泣き続けた。 二七 「何をわたしは考えていたんだろう。どうかして心が狂ってしまったんだ。こんな事はついぞない事だのに」  葉子はその夜倉地と部屋を別にして床についた。倉地は階上に、葉子は階下に。絵島丸以来二人が離れて寝たのはその夜が始めてだった。倉地が真心をこめた様子でかれこれいうのを、葉子はすげなくはねつけて、せっかくとってあった二階の寝床を、女中に下に運ばしてしまった。横になりはしたがいつまでも寝つかれないで二時近くまで言葉どおりに輾転反側しつつ、繰り返し繰り返し倉地の夫婦関係を種々に妄想したり、自分にまくしかかって来る将来の運命をひたすらに黒く塗ってみたりしていた。それでも果ては頭もからだも疲れ果てて夢ばかりな眠りに陥ってしまった。  うつらうつらとした眠りから、突然たとえようのないさびしさにひしひしと襲われて、――それはその時見た夢がそんな暗示になったのか、それとも感覚的な不満が目をさましたのかわからなかった――葉子は暗闇の中に目を開いた。あらしのために電線に故障ができたと見えて、眠る時にはつけ放しにしておいた灯がどこもここも消えているらしかった。あらしはしかしいつのまにか凪ぎてしまって、あらしのあとの晩秋の夜はことさら静かだった。山内いちめんの杉森からは深山のような鬼気がしんしんと吐き出されるように思えた。こおろぎが隣の部屋のすみでかすれがすれに声を立てていた。わずかなしかも浅い睡眠には過ぎなかったけれども葉子の頭は暁前の冷えを感じて冴え冴えと澄んでいた。葉子はまず自分がたった一人で寝ていた事を思った。倉地と関係がなかったころはいつでも一人で寝ていたのだが、よくもそんな事が長年にわたってできたものだったと自分ながら不思議に思われるくらい、それは今の葉子を物足らなく心さびしくさせていた。こうして静かな心になって考えると倉地の葉子に対する愛情が誠実であるのを疑うべき余地はさらになかった。日本に帰ってから幾日にもならないけれども、今まではとにかく倉地の熱意に少しも変わりが起こった所は見えなかった。いかに恋に目がふさがっても、葉子はそれを見きわめるくらいの冷静な眼力は持っていた。そんな事は充分に知り抜いているくせに、おぞましくも昨夜のようなばかなまねをしてしまった自分が自分ながら不思議なくらいだった。どんなに情に激した時でもたいていは自分を見失うような事はしないで通して来た葉子にはそれがひどく恥ずかしかった。船の中にいる時にヒステリーになったのではないかと疑った事が二三度ある――それがほんとうだったのではないかしらんとも思われた。そして夜着にかけた洗い立てのキャリコの裏の冷え冷えするのをふくよかな頤に感じながら心の中で独語ちた。 「何をわたしは考えていたんだろう。どうかして心が狂ってしまったんだ。こんな事はついぞない事だのに」  そういいながら葉子は肩だけ起き直って、枕もとの水を手さぐりでしたたか飲みほした。氷のように冷えきった水が喉もとを静かに流れ下って胃の腑に広がるまではっきりと感じられた。酒も飲まないのだけれども、酔後の水と同様に、胃の腑に味覚ができて舌の知らない味を味わい得たと思うほど快く感じた。それほど胸の中は熱を持っていたに違いない。けれども足のほうは反対に恐ろしく冷えを感じた。少しその位置を動かすと白さをそのままな寒い感じがシーツから逼って来るのだった。葉子はまたきびしく倉地の胸を思った。それは寒さと愛着とから葉子を追い立てて二階に走らせようとするほどだった。しかし葉子はすでにそれをじっとこらえるだけの冷静さを回復していた。倉地の妻に対する処置は昨夜のようであっては手ぎわよくは成し遂げられぬ。もっと冷たい知恵に力を借りなければならぬ――こう思い定めながら暁の白むのを知らずにまた眠りに誘われて行った。  翌日葉子はそれでも倉地より先に目をさまして手早く着がえをした。自分で板戸を繰りあけて見ると、縁先には、枯れた花壇の草や灌木が風のために吹き乱された小庭があって、その先は、杉、松、その他の喬木の茂みを隔てて苔香園の手広い庭が見やられていた。きのうまでいた双鶴館の周囲とは全く違った、同じ東京の内とは思われないような静かな鄙びた自然の姿が葉子の目の前には見渡された。まだ晴れきらない狭霧をこめた空気を通して、杉の葉越しにさしこむ朝の日の光が、雨にしっとりと潤った庭の黒土の上に、まっすぐな杉の幹を棒縞のような影にして落としていた。色さまざまな桜の落ち葉が、日向では黄に紅に、日影では樺に紫に庭をいろどっていた。いろどっているといえば菊の花もあちこちにしつけられていた。しかし一帯の趣味は葉子の喜ぶようなものではなかった。塵一つさえないほど、貧しく見える瀟洒な趣味か、どこにでも金銀がそのまま捨ててあるような驕奢な趣味でなければ満足ができなかった。残ったのを捨てるのが惜しいとかもったいないとかいうような心持ちで、余計な石や植木などを入れ込んだらしい庭の造りかたを見たりすると、すぐさまむしり取って目にかからない所に投げ捨てたく思うのだった。その小庭を見ると葉子の心の中にはそれを自分の思うように造り変える計画がうずうずするほどわき上がって来た。  それから葉子は家の中をすみからすみまで見て回った。きのう玄関口に葉子を出迎えた女中が、戸を繰る音を聞きつけて、いち早く葉子の所に飛んで来たのを案内に立てた。十八九の小ぎれいな娘で、きびきびした気象らしいのに、いかにも蓮っ葉でない、主人を持てば主人思いに違いないのを葉子は一目で見ぬいて、これはいい人だと思った。それはやはり双鶴館の女将が周旋してよこした、宿に出入りの豆腐屋の娘だった。つや(彼女の名はつやといった)は階子段下の玄関に続く六畳の茶の間から始めて、その隣の床の間付きの十二畳、それから十二畳と廊下を隔てて玄関とならぶ茶席風の六畳を案内し、廊下を通った突き当たりにある思いのほか手広い台所、風呂場を経て張り出しになっている六畳と四畳半(そこがこの家を建てた主人の居間となっていたらしく、すべての造作に特別な数寄が凝らしてあった)に行って、その雨戸を繰り明けて庭を見せた。そこの前栽は割合に荒れずにいて、ながめが美しかったが、葉子は垣根越しに苔香園の母屋の下の便所らしいきたない建て物の屋根を見つけて困ったものがあると思った。そのほかには台所のそばにつやの四畳半の部屋が西向きについていた。女中部屋を除いた五つの部屋はいずれもなげし付きになって、三つまでは床の間さえあるのに、どうして集めたものかとにかく掛け物なり置き物なりがちゃんと飾られていた。家の造りや庭の様子などにはかなりの注文も相当の眼識も持ってはいたが、絵画や書の事になると葉子はおぞましくも鑑識の力がなかった。生まれつき機敏に働く才気のお陰で、見たり聞いたりした所から、美術を愛好する人々と膝をならべても、とにかくあまりぼろらしいぼろは出さなかったが、若い美術家などがほめる作品を見てもどこが優れてどこに美しさがあるのか葉子には少しも見当のつかない事があった。絵といわず字といわず、文学的の作物などに対しても葉子の頭はあわれなほど通俗的であるのを葉子は自分で知っていた。しかし葉子は自分の負けじ魂から自分の見方が凡俗だとは思いたくなかった。芸術家などいう連中には、骨董などをいじくって古味というようなものをありがたがる風流人と共通したような気取りがある。その似而非気取りを葉子は幸いにも持ち合わしていないのだと決めていた。葉子はこの家に持ち込まれている幅物を見て回っても、ほんとうの値打ちがどれほどのものだかさらに見当がつかなかった。ただあるべき所にそういう物のあることを満足に思った。  つやの部屋のきちんと手ぎわよく片づいているのや、二三日空家になっていたのにも係わらず、台所がきれいにふき掃除がされていて、布巾などが清々しくからからにかわかしてかけてあったりするのは一々葉子の目を快く刺激した。思ったより住まい勝手のいい家と、はきはきした清潔ずきな女中とを得た事がまず葉子の寝起きの心持ちをすがすがしくさせた。  葉子はつやのくんで出したちょうどいいかげんの湯で顔を洗って、軽く化粧をした。昨夜の事などは気にもかからないほど心は軽かった。葉子はその軽い心を抱きながら静かに二階に上がって行った。何とはなしに倉地に甘えたいような、わびたいような気持ちでそっと襖を明けて見ると、あの強烈な倉地の膚の香いが暖かい空気に満たされて鼻をかすめて来た。葉子はわれにもなく駆けよって、仰向けに熟睡している倉地の上に羽がいにのしかかった。  暗い中で倉地は目ざめたらしかった。そして黙ったまま葉子の髪や着物から花べんのようにこぼれ落ちるなまめかしい香りを夢心地でかいでいるようだったが、やがて物たるげに、 「もう起きたんか。何時だな」  といった。まるで大きな子供のようなその無邪気さ。葉子は思わず自分の頬を倉地のにすりつけると、寝起きの倉地の頬は火のように熱く感ぜられた。 「もう八時。……お起きにならないと横浜のほうがおそくなるわ」  倉地はやはり物たるげに、袖口からにょきんと現われ出た太い腕を延べて、短い散切り頭をごしごしとかき回しながら、 「横浜?……横浜にはもう用はないわい。いつ首になるか知れないおれがこの上の御奉公をしてたまるか。これもみんなお前のお陰だぞ。業つくばりめ」  といっていきなり葉子の首筋を腕にまいて自分の胸に押しつけた。  しばらくして倉地は寝床を出たが、昨夜の事などはけろりと忘れてしまったように平気でいた。二人が始めて離れ離れに寝たのにも一言もいわないのがかすかに葉子を物足らなく思わせたけれども、葉子は胸が広々としてなんという事もなく喜ばしくってたまらなかった。で、倉地を残して台所におりた。自分で自分の食べるものを料理するという事にもかつてない物珍しさとうれしさとを感じた。  畳一畳がた日のさしこむ茶の間の六畳で二人は朝餉の膳に向かった。かつては葉山で木部と二人でこうした楽しい膳に向かった事もあったが、その時の心持ちと今の心持ちとを比較する事もできないと葉子は思った。木部は自分でのこのこと台所まで出かけて来て、長い自炊の経験などを得意げに話して聞かせながら、自分で米をといだり、火をたきつけたりした。その当座は葉子もそれを楽しいと思わないではなかった。しかししばらくのうちにそんな事をする木部の心持ちがさもしくも思われて来た。おまけに木部は一日一日とものぐさになって、自分では手を下しもせずに、邪魔になる所に突っ立ったままさしずがましい事をいったり、葉子には何らの感興も起こさせない長詩を例の御自慢の美しい声で朗々と吟じたりした。葉子はそんな目にあうと軽蔑しきった冷ややかなひとみでじろりと見返してやりたいような気になった。倉地は始めからそんな事はてんでしなかった。大きな駄々児のように、顔を洗うといきなり膳の前にあぐらをかいて、葉子が作って出したものを片端からむしゃむしゃときれいに片づけて行った。これが木部だったら、出す物の一つ一つに知ったかぶりの講釈をつけて、葉子の腕まえを感傷的にほめちぎって、かなりたくさんを食わずに残してしまうだろう。そう思いながら葉子は目でなでさするようにして倉地が一心に箸を動かすのを見守らずにはいられなかった。  やがて箸と茶わんとをからりとなげ捨てると、倉地は所在なさそうに葉巻をふかしてしばらくそこらをながめ回していたが、いきなり立ち上がって尻っぱしょりをしながら裸足のまま庭に飛んで降りた。そしてハーキュリーズが針仕事でもするようなぶきっちょうな様子で、狭い庭を歩き回りながら片すみから片づけ出した。まだびしゃびしゃするような土の上に大きな足跡が縦横にしるされた。まだ枯れ果てない菊や萩などが雑草と一緒くたに情けも容赦もなく根こぎにされるのを見るとさすがの葉子もはらはらした。そして縁ぎわにしゃがんで柱にもたれながら、時にはあまりのおかしさに高く声をあげて笑いこけずにはいられなかった。  倉地は少し働き疲れると苔香園のほうをうかがったり、台所のほうに気を配ったりしておいて、大急ぎで葉子のいる所に寄って来た。そして泥になった手を後ろに回して、上体を前に折り曲げて、葉子の鼻の先に自分の顔を突き出してお壺口をした。葉子もいたずららしく周囲に目を配ってその顔を両手にはさみながら自分の口びるを与えてやった。倉地は勇み立つようにしてまた土の上にしゃがみこんだ。  倉地はこうして一日働き続けた。日がかげるころになって葉子も一緒に庭に出てみた。ただ乱暴な、しょう事なしのいたずら仕事とのみ思われたものが、片づいてみるとどこからどこまで要領を得ているのを発見するのだった。葉子が気にしていた便所の屋根の前には、庭のすみにあった椎の木が移してあったりした。玄関前の両側の花壇の牡丹には、藁で器用に霜がこいさえしつらえてあった。  こんなさびしい杉森の中の家にも、時々紅葉館のほうから音曲の音がくぐもるように聞こえて来たり、苔香園から薔薇の香りが風の具合でほんのりとにおって来たりした。ここにこうして倉地と住み続ける喜ばしい期待はひと向きに葉子の心を奪ってしまった。  平凡な人妻となり、子を生み、葉子の姿を魔物か何かのように冷笑おうとする、葉子の旧友たちに対して、かつて葉子がいだいていた火のような憤りの心、腐っても死んでもあんなまねはして見せるものかと誓うように心であざけったその葉子は、洋行前の自分というものをどこかに置き忘れたように、そんな事は思いも出さないで、旧友たちの通って来た道筋にひた走りに走り込もうとしていた。 二八  こんな夢のような楽しさがたわいもなく一週間ほどはなんの故障もひき起こさずに続いた。歓楽に耽溺しやすい、従っていつでも現在をいちばん楽しく過ごすのを生まれながら本能としている葉子は、こんな有頂天な境界から一歩でも踏み出す事を極端に憎んだ。葉子が帰ってから一度しか会う事のできない妹たちが、休日にかけてしきりに遊びに来たいと訴え来るのを、病気だとか、家の中が片づかないとか、口実を設けて拒んでしまった。木村からも古藤の所か五十川女史の所かにあててたよりが来ているには相違ないと思ったけれども、五十川女史はもとより古藤の所にさえ住所が知らしてないので、それを回送してよこす事もできないのを葉子は知っていた。定子――この名は時々葉子の心を未練がましくさせないではなかった。しかし葉子はいつでも思い捨てるようにその名を心の中から振り落とそうと努めた。倉地の妻の事は何かの拍子につけて心を打った。この瞬間だけは葉子の胸は呼吸もできないくらい引き締められた。それでも葉子は現在目前の歓楽をそんな心痛で破らせまいとした。そしてそのためには倉地にあらん限りの媚びと親切とをささげて、倉地から同じ程度の愛撫をむさぼろうとした。そうする事が自然にこの難題に解決をつける導火線にもなると思った。  倉地も葉子に譲らないほどの執着をもって葉子がささげる杯から歓楽を飲み飽きようとするらしかった。不休の活動を命としているような倉地ではあったけれども、この家に移って来てから、家を明けるような事は一度もなかった。それは倉地自身が告白するように破天荒な事だったらしい。二人は、初めて恋を知った少年少女が世間も義理も忘れ果てて、生命さえ忘れ果てて肉体を破ってまでも魂を一つに溶かしたいとあせる、それと同じ熱情をささげ合って互い互いを楽しんだ。楽しんだというよりも苦しんだ。その苦しみを楽しんだ。倉地はこの家に移って以来新聞も配達させなかった。郵便だけは移転通知をして置いたので倉地の手もとに届いたけれども、倉地はその表書きさえ目を通そうとはしなかった。毎日の郵便はつやの手によって束にされて、葉子が自分の部屋に定めた玄関わきの六畳の違い棚にむなしく積み重ねられた。葉子の手もとには妹たちからのほかには一枚のはがきさえ来なかった。それほど世間から自分たちを切り放しているのを二人とも苦痛とは思わなかった。苦痛どころではない、それが幸いであり誇りであった。門には「木村」とだけ書いた小さい門札が出してあった。木村という平凡な姓は二人の楽しい巣を世間にあばくような事はないと倉地がいい出したのだった。  しかしこんな生活を倉地に長い間要求するのは無理だということを葉子はついに感づかねばならなかった。ある夕食の後倉地は二階の一間で葉子を力強く膝の上に抱き取って、甘い私語を取りかわしていた時、葉子が情に激して倉地に与えた熱い接吻の後にすぐ、倉地が思わず出たあくびをじっとかみ殺したのをいち早く見て取ると、葉子はこの種の歓楽がすでに峠を越した事を知った。その夜は葉子には不幸な一夜だった。かろうじて築き上げた永遠の城塞が、はかなくも瞬時の蜃気楼のように見る見るくずれて行くのを感じて、倉地の胸に抱かれながらほとんど一夜を眠らずに通してしまった。  それでも翌日になると葉子は快活になっていた。ことさら快活に振る舞おうとしていたには違いないけれども、葉子の倉地に対する溺愛は葉子をしてほとんど自然に近い容易さをもってそれをさせるに充分だった。 「きょうはわたしの部屋でおもしろい事して遊びましょう。いらっしゃいな」  そういって少女が少女を誘うように牡牛のように大きな倉地を誘った。倉地は煙ったい顔をしながら、それでもそのあとからついて来た。  部屋はさすがに葉子のものであるだけ、どことなく女性的な軟らか味を持っていた。東向きの腰高窓には、もう冬といっていい十一月末の日が熱のない強い光を射つけて、アメリカから買って帰った上等の香水をふりかけた匂い玉からかすかながらきわめて上品な芳芬を静かに部屋の中にまき散らしていた。葉子はその匂い玉の下がっている壁ぎわの柱の下に、自分にあてがわれたきらびやかな縮緬の座ぶとんを移して、それに倉地をすわらせておいて、違い棚から郵便の束をいくつとなく取りおろして来た。 「さあけさは岩戸のすきから世の中をのぞいて見るのよ。それもおもしろいでしょう」  といいながら倉地に寄り添った。倉地は幾十通とある郵便物を見たばかりでいいかげんげんなりした様子だったが、だんだんと興味を催して来たらしく、日の順に一つの束からほどき始めた。  いかにつまらない事務用の通信でも、交通遮断の孤島か、障壁で高く囲まれた美しい牢獄に閉じこもっていたような二人に取っては予想以上の気散じだった。倉地も葉子もありふれた文句にまで思い存分の批評を加えた。こういう時の葉子はそのほとばしるような暖かい才気のために世にすぐれておもしろ味の多い女になった。口をついて出る言葉言葉がどれもこれも絢爛な色彩に包まれていた。二日目の所には岡から来た手紙が現われ出た。船の中での礼を述べて、とうとう葉子と同じ船で帰って来てしまったために、家元では相変わらずの薄志弱行と人毎に思われるのが彼を深く責める事や、葉子に手紙を出したいと思ってあらゆる手がかりを尋ねたけれども、どうしてもわからないので会社で聞き合わせて事務長の住所を知り得たからこの手紙を出すという事や、自分はただただ葉子を姉と思って尊敬もし慕いもしているのだから、せめてその心を通わすだけの自由が与えてもらいたいという事だのが、思い入った調子で、下手な字体で書いてあった。葉子は忘却の廃址の中から、生々とした少年の大理石像を掘りあてた人のようにおもしろがった。 「わたしが愛子の年ごろだったらこの人と心中ぐらいしているかもしれませんね。あんな心を持った人でも少し齢を取ると男はあなたみたいになっちまうのね」 「あなたとはなんだ」 「あなたみたいな悪党に」 「それはお門が違うだろう」 「違いませんとも……御同様にというほうがいいわ。私は心だけあなたに来て、からだはあの人にやるとほんとはよかったんだが……」 「ばか! おれは心なんぞに用はないわい」 「じゃ心のほうをあの人にやろうかしらん」 「そうしてくれ。お前にはいくつも心があるはずだから、ありったけくれてしまえ」 「でもかわいそうだからいちばん小さそうなのを一つだけあなたの分に残して置きましょうよ」  そういって二人は笑った。倉地は返事を出すほうに岡のその手紙を仕分けた。葉子はそれを見て軽い好奇心がわくのを覚えた。  たくさんの中からは古藤のも出て来た。あて名は倉地だったけれども、その中からは木村から葉子に送られた分厚な手紙だけが封じられていた。それと同時な木村の手紙があとから二本まで現われ出た。葉子は倉地の見ている前で、そのすべてを読まないうちにずたずたに引き裂いてしまった。 「ばかな事をするじゃない。読んで見るとおもしろかったに」  葉子を占領しきった自信を誇りがな微笑に見せながら倉地はこういった。 「読むとせっかくの昼御飯がおいしくなくなりますもの」  そういって葉子は胸くその悪いような顔つきをして見せた。二人はまたたわいなく笑った。  報正新報社からのもあった。それを見ると倉地は、一時はもみ消しをしようと思ってわたりをつけたりしたのでこんなものが来ているのだがもう用はなくなったので見るには及ばないといって、今度は倉地が封のままに引き裂いてしまった。葉子はふと自分が木村の手紙を裂いた心持ちを倉地のそれにあてはめてみたりした。しかしその疑問もすぐ過ぎ去ってしまった。  やがて郵船会社からあてられた江戸川紙の大きな封書が現われ出た。倉地はちょっと眉に皺をよせて少し躊躇したふうだったが、それを葉子の手に渡して葉子に開封させようとした。何の気なしにそれを受け取った葉子は魔がさしたようにはっと思った。とうとう倉地は自分のために……葉子は少し顔色を変えながら封を切って中から卒業証書のような紙を二枚と、書記が丁寧に書いたらしい書簡一封とを探り出した。  はたしてそれは免職と、退職慰労との会社の辞令だった。手紙には退職慰労金の受け取り方に関する注意が事々しい行書で書いてあるのだった。葉子はなんといっていいかわからなかった。こんな恋の戯れの中からかほどな打撃を受けようとは夢にも思ってはいなかったのだ。倉地がここに着いた翌日葉子にいって聞かせた言葉はほんとうの事だったのか。これほどまでに倉地は真身になってくれていたのか。葉子は辞令を膝の上に置いたまま下を向いて黙ってしまった。目がしらの所が非常に熱い感じを得たと思った、鼻の奥が暖かくふさがって来た。泣いている場合ではないと思いながらも、葉子は泣かずにはいられないのを知り抜いていた。 「ほんとうに私がわるうございました……許してくださいまし……(そういううちに葉子はもう泣き始めていた)……私はもう日陰の妾としてでも囲い者としてでもそれで充分に満足します。えゝ、それでほんとうにようござんす。わたしはうれしい……」  倉地は今さら何をいうというような平気な顔で葉子の泣くのを見守っていたが、 「妾も囲い者もあるかな、おれには女はお前一人よりないんだからな。離縁状は横浜の土を踏むと一緒に嬶に向けてぶっ飛ばしてあるんだ」  といってあぐらの膝で貧乏ゆすりをし始めた。さすがの葉子も息気をつめて、泣きやんで、あきれて倉地の顔を見た。 「葉子、おれが木村以上にお前に深惚れしているといつか船の中でいって聞かせた事があったな。おれはこれでいざとなると心にもない事はいわないつもりだよ。双鶴館にいる間もおれは幾日も浜には行きはしなんだのだ。たいていは家内の親類たちとの談判で頭を悩ませられていたんだ。だがたいていけりがついたから、おれは少しばかり手回りの荷物だけ持って一足先にここに越して来たのだ。……もうこれでええや。気がすっぱりしたわ。これには双鶴館のお内儀も驚きくさるだろうて……」  会社の辞令ですっかり倉地の心持ちをどん底から感じ得た葉子は、この上倉地の妻の事を疑うべき力は消え果てていた。葉子の顔は涙にぬれひたりながらそれをふき取りもせず、倉地にすり寄って、その両肩に手をかけて、ぴったりと横顔を胸にあてた。夜となく昼となく思い悩みぬいた事がすでに解決されたので、葉子は喜んでも喜んでも喜び足りないように思った。自分も倉地と同様に胸の中がすっきりすべきはずだった。けれどもそうは行かなかった。葉子はいつのまにか去られた倉地の妻その人のようなさびしい悲しい自分になっているのを発見した。  倉地はいとしくってならぬようにエボニー色の雲のようにまっ黒にふっくりと乱れた葉子の髪の毛をやさしくなで回した。そしていつもに似ずしんみりした調子になって、 「とうとうおれも埋れ木になってしまった。これから地面の下で湿気を食いながら生きて行くよりほかにはない。――おれは負け惜しみをいうはきらいだ。こうしている今でもおれは家内や娘たちの事を思うと不憫に思うさ。それがない事ならおれは人間じゃないからな。……だがおれはこれでいい。満足この上なしだ。……自分ながらおれはばかになり腐ったらしいて」  そういって葉子の首を固くかきいだいた。葉子は倉地の言葉を酒のように酔い心地にのみ込みながら「あなただけにそうはさせておきませんよ。わたしだって定子をみごとに捨てて見せますからね」と心の中で頭を下げつつ幾度もわびるように繰り返していた。それがまた自分で自分を泣かせる暗示となった。倉地の胸に横たえられた葉子の顔は、綿入れと襦袢とを通して倉地の胸を暖かく侵すほど熱していた。倉地の目も珍しく曇っていた。そうして泣き入る葉子を大事そうにかかえたまま、倉地は上体を前後に揺すぶって、赤子でも寝かしつけるようにした。戸外ではまた東京の初冬に特有な風が吹き出たらしく、杉森がごうごうと鳴りを立てて、枯れ葉が明るい障子に飛鳥のような影を見せながら、からからと音を立ててかわいた紙にぶつかった。それは埃立った、寒い東京の街路を思わせた。けれども部屋の中は暖かだった。葉子は部屋の中が暖かなのか寒いのかさえわからなかった。ただ自分の心が幸福にさびしさに燃えただれているのを知っていた。ただこのままで永遠は過ぎよかし。ただこのままで眠りのような死の淵に陥れよかし。とうとう倉地の心と全く融け合った自分の心を見いだした時、葉子の魂の願いは生きようという事よりも死のうという事だった。葉子はその悲しい願いの中に勇み甘んじておぼれて行った。 二九  この事があってからまたしばらくの間、倉地は葉子とただ二人の孤独に没頭する興味を新しくしたように見えた。そして葉子が家の中をいやが上にも整頓して、倉地のために住み心地のいい巣を造る間に、倉地は天気さえよければ庭に出て、葉子の逍遙を楽しませるために精魂を尽くした。いつ苔香園との話をつけたものか、庭のすみに小さな木戸を作って、その花園の母屋からずっと離れた小逕に通いうる仕掛けをしたりした。二人は時々その木戸をぬけて目立たないように、広々とした苔香園の庭の中をさまよった。店の人たちは二人の心を察するように、なるべく二人から遠ざかるようにつとめてくれた。十二月の薔薇の花園はさびしい廃園の姿を目の前に広げていた。可憐な花を開いて可憐な匂いを放つくせにこの灌木はどこか強い執着を持つ植木だった。寒さにも霜にもめげず、その枝の先にはまだ裏咲きの小さな花を咲かせようともがいているらしかった。種々な色のつぼみがおおかた葉の散り尽くしたこずえにまで残っていた。しかしその花べんは存分に霜にしいたげられて、黄色に変色して互いに膠着して、恵み深い日の目にあっても開きようがなくなっていた。そんな間を二人は静かな豊かな心でさまよった。風のない夕暮れなどには苔香園の表門を抜けて、紅葉館前のだらだら坂を東照宮のほうまで散歩するような事もあった。冬の夕方の事とて人通りはまれで二人がさまよう道としてはこの上もなかった。葉子はたまたま行きあう女の人たちの衣装を物珍しくながめやった。それがどんなに粗末な不格好な、いでたちであろうとも、女は自分以外の女の服装をながめなければ満足できないものだと葉子は思いながらそれを倉地にいってみたりした。つやの髪から衣服までを毎日のように変えて装わしていた自分の心持ちにも葉子は新しい発見をしたように思った。ほんとうは二人だけの孤独に苦しみ始めたのは倉地だけではなかったのか。ある時にはそのさびしい坂道の上下から、立派な馬車や抱え車が続々坂の中段を目ざして集まるのにあう事があった。坂の中段から紅葉館の下に当たる辺に導かれた広い道の奥からは、能楽のはやしの音がゆかしげにもれて来た。二人は能楽堂での能の催しが終わりに近づいているのを知った。同時にそんな事を見たのでその日が日曜日である事にも気がついたくらい二人の生活は世間からかけ離れていた。  こうした楽しい孤独もしかしながら永遠には続き得ない事を、続かしていてはならない事を鋭い葉子の神経は目ざとくさとって行った。ある日倉地が例のように庭に出て土いじりに精を出している間に、葉子は悪事でも働くような心持ちで、つやにいいつけて反古紙を集めた箱を自分の部屋に持って来さして、いつか読みもしないで破ってしまった木村からの手紙を選り出そうとする自分を見いだしていた。いろいろな形に寸断された厚い西洋紙の断片が木村の書いた文句の断片をいくつもいくつも葉子の目にさらし出した。しばらくの間葉子は引きつけられるようにそういう紙片を手当たり次第に手に取り上げて読みふけった。半成の画が美しいように断簡にはいい知れぬ情緒が見いだされた。その中に正しく織り込まれた葉子の過去が多少の力を集めて葉子に逼って来るようにさえ思え出した。葉子はわれにもなくその思い出に浸って行った。しかしそれは長い時が過ぎる前にくずれてしまった。葉子はすぐ現実に取って返していた。そしてすべての過去に嘔き気のような不快を感じて箱ごと台所に持って行くとつやに命じて裏庭でその全部を焼き捨てさせてしまった。  しかしこの時も葉子は自分の心で倉地の心を思いやった。そしてそれがどうしてもいい徴候でない事を知った。そればかりではない。二人は霞を食って生きる仙人のようにしては生きていられないのだ。職業を失った倉地には、口にこそ出さないが、この問題は遠からず大きな問題として胸に忍ばせてあるのに違いない。事務長ぐらいの給料で余財ができているとは考えられない。まして倉地のように身分不相応な金づかいをしていた男にはなおの事だ。その点だけから見てもこの孤独は破られなければならぬ。そしてそれは結局二人のためにいい事であるに相違ない。葉子はそう思った。  ある晩それは倉地のほうから切り出された。長い夜を所在なさそうに読みもしない書物などをいじくっていたが、ふと思い出したように、 「葉子。一つお前の妹たちを家に呼ぼうじゃないか……それからお前の子供っていうのもぜひここで育てたいもんだな。おれも急に三人まで子を失くしたらさびしくってならんから……」  飛び立つような思いを葉子はいち早くもみごとに胸の中で押ししずめてしまった。そうして、 「そうですね」  といかにも興味なげにいってゆっくりと倉地の顔を見た。 「それよりあなたのお子さんを一人なり二人なり来てもらったらいかが。……わたし奥さんの事を思うといつでも泣きます(葉子はそういいながらもう涙をいっぱいに目にためていた)。けれどわたしは生きてる間は奥さんを呼び戻して上げてくださいなんて……そんな偽善者じみた事はいいません。わたしにはそんな心持ちはみじんもありませんもの。お気の毒なという事と、二人がこうなってしまったという事とは別物ですものねえ。せめては奥さんがわたしを詛い殺そうとでもしてくだされば少しは気持ちがいいんだけれども、しとやかにしてお里に帰っていらっしゃると思うとつい身につまされてしまいます。だからといってわたしは自分が命をなげ出して築き上げた幸福を人に上げる気にはなれません。あなたがわたしをお捨てになるまではね、喜んでわたしはわたしを通すんです。……けれどもお子さんならわたしほんとうにちっとも構いはしない事よ。どうお呼び寄せになっては?」 「ばかな。今さらそんな事ができてたまるか」倉地はかんで捨てるようにそういって横を向いてしまった。ほんとうをいうと倉地の妻の事をいった時には葉子は心の中をそのままいっていたのだ。その娘たちの事をいった時にはまざまざとした虚言をついていたのだ。葉子の熱意は倉地の妻をにおわせるものはすべて憎かった。倉地の家のほうから持ち運ばれた調度すら憎かった。ましてその子が呪わしくなくってどうしよう。葉子は単に倉地の心を引いてみたいばかりに怖々ながら心にもない事をいってみたのだった。倉地のかんで捨てるような言葉は葉子を満足させた。同時に少し強すぎるような語調が懸念でもあった。倉地の心底をすっかり見て取ったという自信を得たつもりでいながら、葉子の心は何か機につけてこうぐらついた。 「わたしがぜひというんだから構わないじゃありませんか」 「そんな負け惜しみをいわんで、妹たちなり定子なりを呼び寄せようや」  そういって倉地は葉子の心をすみずみまで見抜いてるように、大きく葉子を包みこむように見やりながら、いつもの少し渋いような顔をしてほほえんだ。  葉子はいい潮時を見計らって巧みにも不承不承そうに倉地の言葉に折れた。そして田島の塾からいよいよ妹たち二人を呼び寄せる事にした。同時に倉地はその近所に下宿するのを余儀なくされた。それは葉子が倉地との関係をまだ妹たちに打ち明けてなかったからだ。それはもう少し先に適当な時機を見計らって知らせるほうがいいという葉子の意見だった。倉地にもそれに不服はなかった。そして朝から晩まで一緒に寝起きをするよりは、離れた所に住んでいて、気の向いた時にあうほうがどれほど二人の間の戯れの心を満足させるかしれないのを、二人はしばらくの間の言葉どおりの同棲の結果として認めていた。倉地は生活をささえて行く上にも必要であるし、不休の活動力を放射するにも必要なので解職になって以来何か事業の事を時々思いふけっているようだったが、いよいよ計画が立ったのでそれに着手するためには、当座の所、人々の出入りに葉子の顔を見られない所で事務を取るのを便宜としたらしかった。そのためにも倉地がしばらくなりとも別居する必要があった。  葉子の立場はだんだんと固まって来た。十二月の末に試験が済むと、妹たちは田島の塾から少しばかりの荷物を持って帰って来た。ことに貞世の喜びといってはなかった。二人は葉子の部屋だった六畳の腰窓の前に小さな二つの机を並べた。今までなんとなく遠慮がちだったつやも生まれ代わったように快活なはきはきした少女になった。ただ愛子だけは少しもうれしさを見せないで、ただ慎み深く素直だった。 「愛ねえさんうれしいわねえ」  貞世は勝ち誇るもののごとく、縁側の柱によりかかってじっと冬枯れの庭を見つめている姉の肩に手をかけながらより添った。愛子は一所をまたたきもしないで見つめながら、 「えゝ」  と歯切れ悪く答えるのだった。貞世はじれったそうに愛子の肩をゆすりながら、 「でもちっともうれしそうじゃないわ」  と責めるようにいった。 「でもうれしいんですもの」  愛子の答えは冷然としていた。十畳の座敷に持ち込まれた行李を明けて、よごれ物などを選り分けていた葉子はその様子をちらと見たばかりで腹が立った。しかし来たばかりのものをたしなめるでもないと思って虫を殺した。 「なんて静かな所でしょう。塾よりもきっと静かよ。でもこんなに森があっちゃ夜になったらさびしいわねえ。わたしひとりでお便所に行けるかしらん。……愛ねえさん、そら、あすこに木戸があるわ。きっと隣のお庭に行けるのよ。あの庭に行ってもいいのおねえ様。だれのお家むこうは?……」  貞世は目にはいるものはどれも珍しいというようにひとりでしゃべっては、葉子にとも愛子にともなく質問を連発した。そこが薔薇の花園であるのを葉子から聞かされると、貞世は愛子を誘って庭下駄をつっかけた。愛子も貞世に続いてそっちのほうに出かける様子だった。  その物音を聞くと葉子はもう我慢ができなかった。 「愛さんお待ち。お前さん方のものがまだ片づいてはいませんよ。遊び回るのは始末をしてからになさいな」  愛子は従順に姉の言葉に従って、その美しい目を伏せながら座敷の中にはいって来た。  それでもその夜の夕食は珍しくにぎやかだった。貞世がはしゃぎきって、胸いっぱいのものを前後も連絡もなくしゃべり立てるので愛子さえも思わずにやりと笑ったり、自分の事を容赦なくいわれたりすると恥ずかしそうに顔を赤らめたりした。  貞世はうれしさに疲れ果てて夜の浅いうちに寝床にはいった。明るい電燈の下に葉子と愛子と向かい合うと、久しくあわないでいた骨肉の人々の間にのみ感ぜられる淡い心置きを感じた。葉子は愛子にだけは倉地の事を少し具体的に知らしておくほうがいいと思って、話のきっかけに少し言葉を改めた。 「まだあなた方にお引き合わせがしてないけれども倉地っていう方ね、絵島丸の事務長の……(愛子は従順に落ち着いてうなずいて見せた)……あの方が今木村さんに成りかわってわたしの世話を見ていてくださるのよ。木村さんからお頼まれになったものだから、迷惑そうにもなく、こんないい家まで見つけてくださったの。木村さんは米国でいろいろ事業を企てていらっしゃるんだけれども、どうもお仕事がうまく行かないで、お金が注ぎ込みにばかりなっていて、とてもこっちには送ってくだされないの、わたしの家はあなたも知ってのとおりでしょう。どうしてもしばらくの間は御迷惑でも倉地さんに万事を見ていただかなければならないのだから、あなたもそのつもりでいてちょうだいよ。ちょくちょくここにも来てくださるからね。それにつけて世間では何かくだらないうわさをしているに違いないが、愛さんの塾なんかではなんにもお聞きではなかったかい」 「いゝえ、わたしたちに面と向かって何かおっしゃる方は一人もありませんわ。でも」  と愛子は例の多恨らしい美しい目を上目に使って葉子をぬすみ見るようにしながら、 「でも何しろあんな新聞が出たもんですから」 「どんな新聞?」 「あらおねえ様御存じなしなの。報正新報に続き物でおねえ様とその倉地という方の事が長く出ていましたのよ」 「へーえ」  葉子は自分の無知にあきれるような声を出してしまった。それは実際思いもかけぬというよりは、ありそうな事ではあるが今の今まで知らずにいた、それに葉子はあきれたのだった。しかしそれは愛子の目に自分を非常に無辜らしく見せただけの利益はあった。さすがの愛子も驚いたらしい目をして姉の驚いた顔を見やった。 「いつ?」 「今月の始めごろでしたかしらん。だもんですから皆さん方の間ではたいへんな評判らしいんですの。今度も塾を出て来年から姉の所から通いますと田島先生に申し上げたら、先生も家の親類たちに手紙やなんかでだいぶお聞き合わせになったようですのよ。そしてきょうわたしたちを自分のお部屋にお呼びになって『わたしはお前さん方を塾から出したくはないけれども、塾に居続ける気はないか』とおっしゃるのよ。でもわたしたちはなんだか塾にいるのが肩身が……どうしてもいやになったもんですから、無理にお願いして帰って来てしまいましたの」  愛子はふだんの無口に似ずこういう事を話す時にはちゃんと筋目が立っていた。葉子には愛子の沈んだような態度がすっかり読めた。葉子の憤怒は見る見るその血相を変えさせた。田川夫人という人はどこまで自分に対して執念を寄せようとするのだろう。それにしても夫人の友だちには五十川という人もあるはずだ。もし五十川のおばさんがほんとうに自分の改悛を望んでいてくれるなら、その記事の中止なり訂正なりを、夫田川の手を経てさせる事はできるはずなのだ。田島さんもなんとかしてくれようがありそうなものだ。そんな事を妹たちにいうくらいならなぜ自分に一言忠告でもしてはくれないのだ(ここで葉子は帰朝以来妹たちを預かってもらった礼をしに行っていなかった自分を顧みた。しかし事情がそれを許さないのだろうぐらいは察してくれてもよさそうなものだと思った)それほど自分はもう世間から見くびられ除け者にされているのだ。葉子は何かたたきつけるものでもあれば、そして世間というものが何か形を備えたものであれば、力の限り得物をたたきつけてやりたかった。葉子は小刻みに震えながら、言葉だけはしとやかに、 「古藤さんは」 「たまにおたよりをくださいます」 「あなた方も上げるの」 「えゝたまに」 「新聞の事を何かいって来たかい」 「なんにも」 「ここの番地は知らせて上げて」 「いゝえ」 「なぜ」 「おねえ様の御迷惑になりはしないかと思って」  この小娘はもうみんな知っている、と葉子は一種のおそれと警戒とをもって考えた。何事も心得ながら白々しく無邪気を装っているらしいこの妹が敵の間諜のようにも思えた。 「今夜はもうお休み。疲れたでしょう」  葉子は冷然として、灯の下にうつむいてきちんとすわっている妹を尻目にかけた。愛子はしとやかに頭を下げて従順に座を立って行った。  その夜十一時ごろ倉地が下宿のほうから通って来た。裏庭をぐるっと回って、毎夜戸じまりをせずにおく張り出しの六畳の間から上がって来る音が、じれながら鉄びんの湯気を見ている葉子の神経にすぐ通じた。葉子はすぐ立ち上がって猫のように足音を盗みながら急いでそっちに行った。ちょうど敷居を上がろうとしていた倉地は暗い中に葉子の近づく気配を知って、いつものとおり、立ち上がりざまに葉子を抱擁しようとした。しかし葉子はそうはさせなかった。そして急いで戸を締めきってから、電灯のスイッチをひねった。火の気のない部屋の中は急に明るくなったけれども身を刺すように寒かった。倉地の顔は酒に酔っているように赤かった。 「どうした顔色がよくないぞ」  倉地はいぶかるように葉子の顔をまじまじと見やりながらそういった。 「待ってください、今わたしここに火鉢を持って来ますから。妹たちが寝ばなだからあすこでは起こすといけませんから」  そういいながら葉子は手あぶりに火をついで持って来た。そして酒肴もそこにととのえた。 「色が悪いはず……今夜はまたすっかり向かっ腹が立ったんですもの。わたしたちの事が報正新報にみんな出てしまったのを御存じ?」 「知っとるとも」  倉地は不思議でもないという顔をして目をしばだたいた。 「田川の奥さんという人はほんとうにひどい人ね」  葉子は歯をかみくだくように鳴らしながらいった。 「全くあれは方図のない利口ばかだ」  そう吐き捨てるようにいいながら倉地の語る所によると、倉地は葉子に、きっとそのうち掲載される「報正新報」の記事を見せまいために引っ越して来た当座わざと新聞はどれも購読しなかったが、倉地だけの耳へはある男(それは絵島丸の中で葉子の身を上を相談した時、甲斐絹のどてらを着て寝床の中に二つに折れ込んでいたその男であるのがあとで知れた。その男は名を正井といった)からつやの取り次ぎで内秘に知らされていたのだそうだ。郵船会社はこの記事が出る前から倉地のためにまた会社自身のために、極力もみ消しをしたのだけれども、新聞社ではいっこう応ずる色がなかった。それから考えるとそれは当時新聞社の慣用手段のふところ金をむさぼろうという目論見ばかりから来たのでない事だけは明らかになった。あんな記事が現われてはもう会社としても黙ってはいられなくなって、大急ぎで詮議をした結果、倉地と船医の興録とが処分される事になったというのだ。 「田川の嬶のいたずらに決まっとる。ばかにくやしかったと見えるて。……が、こうなりゃ結局パッとなったほうがいいわい。みんな知っとるだけ一々申し訳をいわずと済む。お前はまたまだそれしきの事にくよくよしとるんか。ばかな。……それより妹たちは来とるんか。寝顔にでもお目にかかっておこうよ。写真――船の中にあったね――で見てもかわいらしい子たちだったが……」  二人はやおらその部屋を出た。そして十畳と茶の間との隔ての襖をそっと明けると、二人の姉妹は向かい合って別々の寝床にすやすやと眠っていた。緑色の笠のかかった、電灯の光は海の底のように部屋の中を思わせた。 「あっちは」 「愛子」 「こっちは」 「貞世」  葉子は心ひそかに、世にも艶やかなこの少女二人を妹に持つ事に誇りを感じて暖かい心になっていた。そして静かに膝をついて、切り下げにした貞世の前髪をそっとなであげて倉地に見せた。倉地は声を殺すのに少なからず難儀なふうで、 「そうやるとこっちは、貞世は、お前によく似とるわい。……愛子は、ふむ、これはまたすてきな美人じゃないか。おれはこんなのは見た事がない……お前の二の舞いでもせにゃ結構だが……」  そういいながら倉地は愛子の顔ほどもあるような大きな手をさし出して、そうしたい誘惑を退けかねるように、紅椿のような紅いその口びるに触れてみた。  その瞬間に葉子はぎょっとした。倉地の手が愛子の口びるに触れた時の様子から、葉子は明らかに愛子がまだ目ざめていて、寝たふりをしているのを感づいたと思ったからだ。葉子は大急ぎで倉地に目くばせしてそっとその部屋を出た。 三〇 「僕が毎日――毎日とはいわず毎時間あなたに筆を執らないのは執りたくないから執らないのではありません。僕は一日あなたに書き続けていてもなお飽き足らないのです。それは今の僕の境界では許されない事です。僕は朝から晩まで機械のごとく働かねばなりませんから。  あなたが米国を離れてからこの手紙はたぶん七回目の手紙としてあなたに受け取られると思います。しかし僕の手紙はいつまでも暇をぬすんで少しずつ書いているのですから、僕からいうと日に二度も三度もあなたにあてて書いてるわけになるのです。しかしあなたはあの後一回の音信も恵んではくださらない。  僕は繰り返し繰り返しいいます。たといあなたにどんな過失どんな誤謬があろうとも、それを耐え忍び、それを許す事においては主キリスト以上の忍耐力を持っているのを僕は自ら信じています。誤解しては困ります。僕がいかなる人に対してもかかる力を持っているというのではないのです。ただあなたに対してです。あなたはいつでも僕の品性を尊く導いてくれます。僕はあなたによって人がどれほど愛しうるかを学びました。あなたによって世間でいう堕落とか罪悪とかいう者がどれほどまで寛容の余裕があるかを学びました。そうしてその寛容によって、寛容する人自身がどれほど品性を陶冶されるかを学びました。僕はまた自分の愛を成就するためにはどれほどの勇者になりうるかを学びました。これほどまでに僕を神の目に高めてくださったあなたが、僕から万一にも失われるというのは想像ができません。神がそんな試練を人の子に下される残虐はなさらないのを僕は信じています。そんな試練に堪えるのは人力以上ですから。今の僕からあなたが奪われるというのは神が奪われるのと同じ事です。あなたは神だとはいいますまい。しかしあなたを通してのみ僕は神を拝む事ができるのです。  時々僕は自分で自分をあわれんでしまう事があります。自分自身だけの力と信仰とですべてのものを見る事ができたらどれほど幸福で自由だろうと考えると、あなたをわずらわさなければ一歩を踏み出す力をも感じ得ない自分の束縛を呪いたくもなります。同時にそれほど慕わしい束縛は他にない事を知るのです。束縛のない所に自由はないといった意味であなたの束縛は僕の自由です。  あなたは――いったん僕に手を与えてくださると約束なさったあなたは、ついに僕を見捨てようとしておられるのですか。どうして一回の音信も恵んではくださらないのです。しかし僕は信じて疑いません。世にもし真理があるならば、そして真理が最後の勝利者ならばあなたは必ず僕に還ってくださるに違いないと。なぜなれば、僕は誓います。――主よこの僕を見守りたまえ――僕はあなたを愛して以来断じて他の異性に心を動かさなかった事を。この誠意があなたによって認められないわけはないと思います。  あなたは従来暗いいくつかの過去を持っています。それが知らず知らずあなたの向上心を躊躇させ、あなたをやや絶望的にしているのではないのですか。もしそうならあなたは全然誤謬に陥っていると思います。すべての救いは思いきってその中から飛び出すほかにはないのでしょう。そこに停滞しているのはそれだけあなたの暗い過去を暗くするばかりです。あなたは僕に信頼を置いてくださる事はできないのでしょうか。人類の中に少なくも一人、あなたのすべての罪を喜んで忘れようと両手を広げて待ち設けているもののあるのを信じてくださる事はできないでしょうか。  こんな下らない理屈はもうやめましょう。  昨夜書いた手紙に続けて書きます。けさハミルトン氏の所から至急に来いという電話がかかりました。シカゴの冬は予期以上に寒いのです。仙台どころの比ではありません。雪は少しもないけれども、イリー湖を多湖地方から渡って来る風は身を切るようでした。僕は外套の上にまた大外套を重ね着していながら、風に向いた皮膚にしみとおる風の寒さを感じました。ハミルトン氏の用というのは来年セントルイスに開催される大規模な博覧会の協議のため急にそこに赴くようになったから同行しろというのでした。僕は旅行の用意はなんらしていなかったが、ここにアメリカニズムがあるのだと思ってそのまま同行する事にしました。自分の部屋の戸に鍵もかけずに飛び出したのですからバビコック博士の奥さんは驚いているでしょう。しかしさすがに米国です。着のみ着のままでここまで来ても何一つ不自由を感じません。鎌倉あたりまで行くのにも膝かけから旅カバンまで用意しなければならないのですから、日本の文明はまだなかなかのものです。僕たちはこの地に着くと、停車場内の化粧室で髭をそり、靴をみがかせ、夜会に出ても恥ずかしくないしたくができてしまいました。そしてすぐ協議会に出席しました。あなたも知っておらるるとおりドイツ人のあのへんにおける勢力は偉いものです。博覧会が開けたら、われわれは米国に対してよりもむしろこれらのドイツ人に対して褌裸一番する必要があります。ランチの時僕はハミルトン氏に例の日本に買い占めてあるキモノその他の話をもう一度しました。博覧会を前に控えているのでハミルトン氏も今度は乗り気になってくれまして、高島屋と連絡をつけておくためにとにかく品物を取り寄せて自分の店でさばかしてみようといってくれました。これで僕の財政は非常に余裕ができるわけです。今まで店がなかったばかりに、取り寄せても荷厄介だったものですが、ハミルトン氏の店で取り扱ってくれれば相当に売れるのはわかっています。そうなったら今までと違ってあなたのほうにも足りないながら仕送りをして上げる事ができましょう。さっそく電報を打っていちばん早い船便で取り寄せる事ににしましたから不日着荷する事と思っています。  今は夜もだいぶふけました。ハミルトン氏は今夜も饗応に呼ばれて出かけました。大きらいなテーブル・スピーチになやまされているのでしょう。ハミルトン氏は実にシャープなビジネスマンライキな人です。そして熱心な正統派の信仰を持った慈善家です。僕はことのほか信頼され重宝がられています。そこから僕のライフ・キャリヤアを踏み出すのは大なる利益です。僕の前途には確かに光明が見え出して来ました。  あなたに書く事は底止なく書く事です。しかしあすの奮闘的生活(これは大統領ルーズベルトの著書の“Strenuous Life”を訳してみた言葉です。今この言葉は当地の流行語になっています)に備えるために筆を止めねばなりません。この手紙はあなたにも喜びを分けていただく事ができるかと思います。  きのうセントルイスから帰って来たら、手紙がかなり多数届いていました。郵便局の前を通るにつけ、郵便箱を見るにつけ、脚夫に行きあうにつけ、僕はあなたを連想しない事はありません。自分の机の上に来信を見いだした時はなおさらの事です。僕は手紙の束の間をかき分けてあなたの手跡を見いだそうとつとめました。しかし僕はまた絶望に近い失望に打たれなければなりませんでした。僕は失望はしましょう。しかし絶望はしません。できません葉子さん、信じてください。僕はロングフェローのエヴァンジェリンの忍耐と謙遜とをもってあなたが僕の心をほんとうに汲み取ってくださる時を待っています。しかし手紙の束の中からはわずかに僕を失望から救うために古藤君と岡君との手紙が見いだされました。古藤君の手紙は兵営に行く五日前に書かれたものでした。いまだにあなたの居所を知る事ができないので、僕の手紙はやはり倉地氏にあてて回送していると書いてあります。古藤君はそうした手続きを取るのをはなはだしく不快に思っているようです。岡君は人にもらし得ない家庭内の紛擾や周囲から受ける誤解を、岡君らしく過敏に考え過ぎて弱い体質をますます弱くしているようです。書いてある事にはところどころ僕の持つ常識では判断しかねるような所があります。あなたからいつか必ず消息が来るのを信じきって、その時をただ一つの救いとして待っています。その時の感謝と喜悦とを想像で描き出して、小説でも読むように書いてあります。僕は岡君の手紙を読むと、いつでも僕自身の心がそのまま書き現わされているように思って涙を感じます。  なぜあなたは自分をそれほどまで韜晦しておられるのか、それには深いわけがある事と思いますけれども、僕にはどちらの方面から考えても想像がつきません。  日本からの消息はどんな消息も待ち遠しい。しかしそれを見終わった僕はきっと憂鬱に襲われます。僕にもし信仰が与えられていなかったら、僕は今どうなっていたかを知りません。  前の手紙との間に三日がたちました。僕はバビコック博士夫婦と今夜ライシアム座にウェルシ嬢の演じたトルストイの「復活」を見物しました。そこにはキリスト教徒として目をそむけなければならないような場面がないではなかったけれども、終わりのほうに近づいて行っての荘厳さは見物人のすべてを捕捉してしまいました。ウェルシ嬢の演じた女主人公は真に迫りすぎているくらいでした。あなたがもしまだ「復活」を読んでいられないのなら僕はぜひそれをお勧めします。僕はトルストイの「懺悔」をK氏の邦文訳で日本にいる時読んだだけですが、あの芝居を見てから、暇があったらもっと深くいろいろ研究したいと思うようになりました。日本ではトルストイの著書はまだ多くの人に知られていないと思いますが、少なくとも「復活」だけは丸善からでも取り寄せて読んでいただきたい、あなたを啓発する事が必ず多いのは請け合いますから。僕らは等しく神の前に罪人です。しかしその罪を悔い改める事によって等しく選ばれた神の僕となりうるのです。この道のほかには人の子の生活を天国に結び付ける道は考えられません。神を敬い人を愛する心の萎えてしまわないうちにお互いに光を仰ごうではありませんか。  葉子さん、あなたの心に空虚なり汚点なりがあっても万望絶望しないでくださいよ。あなたをそのままに喜んで受け入れて、――苦しみがあればあなたと共に苦しみ、あなたに悲しみがあればあなたと共に悲しむものがここに一人いる事を忘れないでください。僕は戦って見せます。どんなにあなたが傷ついていても、僕はあなたをかばって勇ましくこの人生を戦って見せます。僕の前に事業が、そして後ろにあなたがあれば、僕は神の最も小さい僕として人類の祝福のために一生をささげます。  あゝ、筆も言語もついに無益です。火と熱する誠意と祈りとをこめて僕はここにこの手紙を封じます。この手紙が倉地氏の手からあなたに届いたら、倉地氏にもよろしく伝えてください。倉地氏に迷惑をおかけした金銭上の事については前便に書いておきましたから見てくださったと思います。願わくは神われらと共に在したまわん事を。   明治三十四年十二月十三日」  倉地は事業のために奔走しているのでその夜は年越しに来ないと下宿から知らせて来た。妹たちは除夜の鐘を聞くまでは寝ないなどといっていたがいつのまにかねむくなったと見えて、あまり静かなので二階に行って見ると、二人とも寝床にはいっていた。つやには暇が出してあった。葉子に内所で「報正新報」を倉地に取り次いだのは、たとい葉子に無益な心配をさせないためだという倉地の注意があったためであるにもせよ、葉子の心持ちを損じもし不安にもした。つやが葉子に対しても素直な敬愛の情をいだいていたのは葉子もよく心得ていた。前にも書いたように葉子は一目見た時からつやが好きだった。台所などをさせずに、小間使いとして手回りの用事でもさせたら顔かたちといい、性質といい、取り回しといいこれほど理想的な少女はないと思うほどだった。つやにも葉子の心持ちはすぐ通じたらしく、つやはこの家のために陰日向なくせっせと働いたのだった。けれども新聞の小さな出来事一つが葉子を不安にしてしまった。倉地が双鶴館の女将に対しても気の毒がるのを構わず、妹たちに働かせるのがかえっていいからとの口実のもとに暇をやってしまったのだった。で勝手のほうにも人気はなかった。  葉子は何を原因ともなくそのころ気分がいらいらしがちで寝付きも悪かったので、ぞくぞくしみ込んで来るような寒さにも係わらず、火鉢のそばにいた。そして所在ないままにその日倉地の下宿から届けて来た木村の手紙を読んで見る気になったのだ。  葉子は猫板に片肘を持たせながら、必要もないほど高価だと思われる厚い書牋紙に大きな字で書きつづってある木村の手紙を一枚一枚読み進んだ。おとなびたようで子供っぽい、そうかと思うと感情の高潮を示したと思われる所も妙に打算的な所が離れ切らないと葉子に思わせるような内容だった。葉子は一々精読するのがめんどうなので行から行に飛び越えながら読んで行った。そして日付けの所まで来ても格別な情緒を誘われはしなかった。しかし葉子はこの以前倉地の見ている前でしたようにずたずたに引き裂いて捨ててしまう事はしなかった。しなかったどころではない、その中には葉子を考えさせるものが含まれていた。木村は遠からずハミルトンとかいう日本の名誉領事をしている人の手から、日本を去る前に思いきってして行った放資の回収をしてもらえるのだ。不即不離の関係を破らずに別れた自分のやりかたはやはり図にあたっていたと思った。「宿屋きめずに草鞋を脱」ぐばかをしない必要はもうない、倉地の愛は確かに自分の手に握り得たから。しかし口にこそ出しはしないが、倉地は金の上ではかなりに苦しんでいるに違いない。倉地の事業というのは日本じゅうの開港場にいる水先案内業者の組合を作って、その実権を自分の手に握ろうとするのらしかったが、それが仕上がるのは短い日月にはできる事ではなさそうだった。ことに時節が時節がら正月にかかっているから、そういうものの設立にはいちばん不便な時らしくも思われた。木村を利用してやろう。  しかし葉子の心の底にはどこかに痛みを覚えた。さんざん木村を苦しめ抜いたあげくに、なおあの根の正直な人間をたぶらかしてなけなしの金をしぼり取るのは俗にいう「つつもたせ」の所業と違ってはいない。そう思うと葉子は自分の堕落を痛く感ぜずにはいられなかった。けれども現在の葉子にいちばん大事なものは倉地という情人のほかにはなかった。心の痛みを感じながらも倉地の事を思うとなお心が痛かった。彼は妻子を犠牲に供し、自分の職業を犠牲に供し、社会上の名誉を犠牲に供してまで葉子の愛におぼれ、葉子の存在に生きようとしてくれているのだ。それを思うと葉子は倉地のためになんでもして見せてやりたかった。時によるとわれにもなく侵して来る涙ぐましい感じをじっとこらえて、定子に会いに行かずにいるのも、そうする事が何か宗教上の願がけで、倉地の愛をつなぎとめる禁厭のように思えるからしている事だった。木村にだっていつかは物質上の償い目に対して物質上の返礼だけはする事ができるだろう。自分のする事は「つつもたせ」とは形が似ているだけだ。やってやれ。そう葉子は決心した。読むでもなく読まぬでもなく手に持ってながめていた手紙の最後の一枚を葉子は無意識のようにぽたりと膝の上に落とした。そしてそのままじっと鉄びんから立つ湯気が電燈の光の中に多様な渦紋を描いては消え描いては消えするのを見つめていた。  しばらくしてから葉子は物うげに深い吐息を一つして、上体をひねって棚の上から手文庫を取りおろした。そして筆をかみながらまた上目でじっと何か考えるらしかった。と、急に生きかえったようにはきはきなって、上等のシナ墨を眼の三つまではいったまんまるい硯にすりおろした。そして軽く麝香の漂うなかで男の字のような健筆で、精巧な雁皮紙の巻紙に、一気に、次のようにしたためた。 「書けばきりがございません。伺えばきりがございません。だから書きもいたしませんでした。あなたのお手紙もきょういただいたものまでは拝見せずにずたずたに破って捨ててしまいました。その心をお察しくださいまし。  うわさにもお聞きとは存じますが、わたしはみごとに社会的に殺されてしまいました。どうしてわたしがこの上あなたの妻と名乗れましょう。自業自得と世の中では申します。わたしも確かにそう存じています。けれども親類、縁者、友だちにまで突き放されて、二人の妹をかかえてみますと、わたしは目もくらんでしまいます。倉地さんだけがどういう御縁かお見捨てなくわたしども三人をお世話くださっています。こうしてわたしはどこまで沈んで行く事でございましょう。ほんとうに自業自得でございます。  きょう拝見したお手紙もほんとうは読まずに裂いてしまうのでございましたけれども……わたしの居所をどなたにもお知らせしないわけなどは申し上げるまでもございますまい。  この手紙はあなたに差し上げる最後のものかと思われます。お大事にお過ごし遊ばしませ。陰ながら御成功を祈り上げます。  ただいま除夜の鐘が鳴ります。     大晦日の夜    木村様 葉より」  葉子はそれを日本風の状袋に収めて、毛筆で器用に表記を書いた。書き終わると急にいらいらし出して、いきなり両手に握ってひと思いに引き裂こうとしたが、思い返して捨てるようにそれを畳の上になげ出すと、われにもなく冷ややかな微笑が口じりをかすかに引きつらした。  葉子の胸をどきんとさせるほど高く、すぐ最寄りにある増上寺の除夜の鐘が鳴り出した。遠くからどこの寺のともしれない鐘の声がそれに応ずるように聞こえて来た。その音に引き入れられて耳を澄ますと夜の沈黙の中にも声はあった。十二時を打つぼんぼん時計、「かるた」を読み上げるらしいはしゃいだ声、何に驚いてか夜なきをする鶏……葉子はそんな響きを探り出すと、人の生きているというのが恐ろしいほど不思議に思われ出した。  急に寒さを覚えて葉子は寝じたくに立ち上がった。 三一  寒い明治三十五年の正月が来て、愛子たちの冬期休暇も終わりに近づいた。葉子は妹たちを再び田島塾のほうに帰してやる気にはなれなかった。田島という人に対して反感をいだいたばかりではない。妹たちを再び預かってもらう事になれば葉子は当然挨拶に行って来べき義務を感じたけれども、どういうものかそれがはばかられてできなかった。横浜の支店長の永井とか、この田島とか、葉子には自分ながらわけのわからない苦手の人があった。その人たちが格別偉い人だとも、恐ろしい人だとも思うのではなかったけれども、どういうものかその前に出る事に気が引けた。葉子はまた妹たちが言わず語らずのうちに生徒たちから受けねばならぬ迫害を思うと不憫でもあった。で、毎日通学するには遠すぎるという理由のもとにそこをやめて、飯倉にある幽蘭女学校というのに通わせる事にした。  二人が学校に通い出すようになると、倉地は朝から葉子の所で退校時間まで過ごすようになった。倉地の腹心の仲間たちもちょいちょい出入りした。ことに正井という男は倉地の影のように倉地のいる所には必ずいた。例の水先案内業者組合の設立について正井がいちばん働いているらしかった。正井という男は、一見放漫なように見えていて、剃刀のように目はしのきく人だった。その人が玄関からはいったら、そのあとに行って見ると履き物は一つ残らずそろえてあって、傘は傘で一隅にちゃんと集めてあった。葉子も及ばない素早さで花びんの花のしおれかけたのや、茶や菓子の足しなくなったのを見て取って、翌日は忘れずにそれを買いととのえて来た。無口のくせにどこかに愛嬌があるかと思うと、ばか笑いをしている最中に不思議に陰険な目つきをちらつかせたりした。葉子はその人を観察すればするほどその正体がわからないように思った。それは葉子をもどかしくさせるほどだった。時々葉子は倉地がこの男と組合設立の相談以外の秘密らしい話合いをしているのに感づいたが、それはどうしても明確に知る事ができなかった。倉地に聞いてみても、倉地は例ののんきな態度で事もなげに話題をそらしてしまった。  葉子はしかしなんといっても自分が望みうる幸福の絶頂に近い所にいた。倉地を喜ばせる事が自分を喜ばせる事であり、自分を喜ばせる事が倉地を喜ばせる事である、そうした作為のない調和は葉子の心をしとやかに快活にした。何にでも自分がしようとさえ思えば適応しうる葉子に取っては、抜け目のない世話女房になるくらいの事はなんでもなかった。妹たちもこの姉を無二のものとして、姉のしてくれる事は一も二もなく正しいものと思うらしかった。始終葉子から継子あつかいにされている愛子さえ、葉子の前にはただ従順なしとやかな少女だった。愛子としても少なくとも一つはどうしてもその姉に感謝しなければならない事があった。それは年齢のお陰もある。愛子はことしで十六になっていた。しかし葉子がいなかったら、愛子はこれほど美しくはなれなかったに違いない。二三週間のうちに愛子は山から掘り出されたばかりのルビーと磨きをかけ上げたルビーとほどに変わっていた。小肥りで背たけは姉よりもはるかに低いが、ぴちぴちと締まった肉づきと、抜け上がるほど白い艶のある皮膚とはいい均整を保って、短くはあるが類のないほど肉感的な手足の指の先細な所に利点を見せていた。むっくりと牛乳色の皮膚に包まれた地蔵肩の上に据えられたその顔はまた葉子の苦心に十二分に酬いるものだった。葉子がえりぎわを剃ってやるとそこに新しい美が生まれ出た。髪を自分の意匠どおりに束ねてやるとそこに新しい蠱惑がわき上がった。葉子は愛子を美しくする事に、成功した作品に対する芸術家と同様の誇りと喜びとを感じた。暗い所にいて明るいほうに振り向いた時などの愛子の卵形の顔形は美の神ビーナスをさえ妬ます事ができたろう。顔の輪郭と、やや額ぎわを狭くするまでに厚く生えそろった黒漆の髪とは闇の中に溶けこむようにぼかされて、前からのみ来る光線のために鼻筋は、ギリシャ人のそれに見るような、規則正しく細長い前面の平面をきわ立たせ、潤いきった大きな二つのひとみと、締まって厚い上下の口びるとは、皮膚を切り破って現われ出た二対の魂のようになまなましい感じで見る人を打った。愛子はそうした時にいちばん美しいように、闇の中にさびしくひとりでいて、その多恨な目でじっと明るみを見つめているような少女だった。  葉子は倉地が葉子のためにして見せた大きな英断に酬いるために、定子を自分の愛撫の胸から裂いて捨てようと思いきわめながらも、どうしてもそれができないでいた。あれから一度も訪れこそしないが、時おり金を送ってやる事と、乳母から安否を知らさせる事だけは続けていた。乳母の手紙はいつでも恨みつらみで満たされていた。日本に帰って来てくださったかいがどこにある。親がなくて子が子らしく育つものか育たぬものかちょっとでも考えてみてもらいたい。乳母もだんだん年を取って行く身だ。麻疹にかかって定子は毎日毎日ママの名を呼び続けている、その声が葉子の耳に聞こえないのが不思議だ。こんな事が消息のたびごとにたどたどしく書き連ねてあった。葉子はいても立ってもたまらないような事があった。けれどもそんな時には倉地の事を思った。ちょっと倉地の事を思っただけで、歯をくいしばりながらも、苔香園の表門からそっと家を抜け出る誘惑に打ち勝った。  倉地のほうから手紙を出すのは忘れたと見えて、岡はまだ訪れては来なかった。木村にあれほど切な心持ちを書き送ったくらいだから、葉子の住所さえわかれば尋ねて来ないはずはないのだが、倉地にはそんな事はもう念頭になくなってしまったらしい。だれも来るなと願っていた葉子もこのごろになってみると、ふと岡の事などを思い出す事があった。横浜を立つ時に葉子にかじり付いて離れなかった青年を思い出す事などもあった。しかしこういう事があるたびごとに倉地の心の動きかたをもきっと推察した。そしてはいつでも願をかけるようにそんな事は夢にも思い出すまいと心に誓った。  倉地がいっこうに無頓着なので、葉子はまだ籍を移してはいなかった。もっとも倉地の先妻がはたして籍を抜いているかどうかも知らなかった。それを知ろうと求めるのは葉子の誇りが許さなかった。すべてそういう習慣を天から考えの中に入れていない倉地に対して今さらそんな形式事を迫るのは、自分の度胸を見すかされるという上からもつらかった。その誇りという心持ちも、度胸を見すかされるという恐れも、ほんとうをいうと葉子がどこまでも倉地に対してひけ目になっているのを語るに過ぎないとは葉子自身存分に知りきっているくせに、それを勝手に踏みにじって、自分の思うとおりを倉地にしてのけさす不敵さを持つ事はどうしてもできなかった。それなのに葉子はややともすると倉地の先妻の事が気になった。倉地の下宿のほうに遊びに行く時でも、その近所で人妻らしい人の往来するのを見かけると葉子の目は知らず知らず熟視のためにかがやいた。一度も顔を合わせないが、わずかな時間の写真の記憶から、きっとその人を見分けてみせると葉子は自信していた。葉子はどこを歩いてもかつてそんな人を見かけた事はなかった。それがまた妙に裏切られているような感じを与える事もあった。  航海の初期における批点の打ちどころのないような健康の意識はその後葉子にはもう帰って来なかった。寒気が募るにつれて下腹部が鈍痛を覚えるばかりでなく、腰の後ろのほうに冷たい石でも釣り下げてあるような、重苦しい気分を感ずるようになった。日本に帰ってから足の冷え出すのも知った。血管の中には血の代わりに文火でも流れているのではないかと思うくらい寒気に対して平気だった葉子が、床の中で倉地に足のひどく冷えるのを注意されたりすると不思議に思った。肩の凝るのは幼少の時からの痼疾だったがそれが近ごろになってことさら激しくなった。葉子はちょいちょい按摩を呼んだりした。腹部の痛みが月経と関係があるのを気づいて、葉子は婦人病であるに相違ないとは思った。しかしそうでもないと思うような事が葉子の胸の中にはあった。もしや懐妊では……葉子は喜びに胸をおどらせてそう思ってもみた。牝豚のように幾人も子を生むのはとても耐えられない。しかし一人はどうあっても生みたいものだと葉子は祈るように願っていたのだ。定子の事から考えると自分には案外子運があるのかもしれないとも思った。しかし前の懐妊の経験と今度の徴候とはいろいろな点で全く違ったものだった。  一月の末になって木村からははたして金を送って来た。葉子は倉地が潤沢につけ届けする金よりもこの金を使う事にむしろ心安さを覚えた。葉子はすぐ思いきった散財をしてみたい誘惑に駆り立てられた。  ある日当たりのいい日に倉地とさし向かいで酒を飲んでいると苔香園のほうから藪うぐいすのなく声が聞こえた。葉子は軽く酒ほてりのした顔をあげて倉地を見やりながら、耳ではうぐいすのなき続けるのを注意した。 「春が来ますわ」 「早いもんだな」 「どこかへ行きましょうか」 「まだ寒いよ」 「そうねえ……組合のほうは」 「うむあれが片づいたら出かけようわい。いいかげんくさくさしおった」  そういって倉地はさもめんどうそうに杯の酒を一煽りにあおりつけた。  葉子はすぐその仕事がうまく運んでいないのを感づいた。それにしてもあの毎月の多額な金はどこから来るのだろう。そうちらっと思いながら素早く話を他にそらした。 三二  それは二月初旬のある日の昼ごろだった。からっと晴れた朝の天気に引きかえて、朝日がしばらく東向きの窓にさす間もなく、空は薄曇りに曇って西風がゴウゴウと杉森にあたって物すごい音を立て始めた。どこにか春をほのめかすような日が来たりしたあとなので、ことさら世の中が暗澹と見えた。雪でもまくしかけて来そうに底冷えがするので、葉子は茶の間に置きごたつを持ち出して、倉地の着がえをそれにかけたりした。土曜だから妹たちは早びけだと知りつつも倉地はものぐさそうに外出のしたくにかからないで、どてらを引っかけたまま火鉢のそばにうずくまっていた。葉子は食器を台所のほうに運びながら、来たり行ったりするついでに倉地と物をいった。台所に行った葉子に茶の間から大きな声で倉地がいいかけた。 「おいお葉(倉地はいつのまにか葉子をこう呼ぶようになっていた)おれはきょうは二人に対面して、これから勝手に出はいりのできるようにするぞ」  葉子は布巾を持って台所のほうからいそいそと茶の間に帰って来た。 「なんだってまたきょう……」  そういってつき膝をしながらちゃぶ台をぬぐった。 「いつまでもこうしているが気づまりでようないからよ」 「そうねえ」  葉子はそのままそこにすわり込んで布巾をちゃぶ台にあてがったまま考えた。ほんとうはこれはとうに葉子のほうからいい出すべき事だったのだ。妹たちのいないすきか、寝てからの暇をうかがって、倉地と会うのは、始めのうちこそあいびきのような興味を起こさせないでもないと思ったのと、葉子は自分の通って来たような道はどうしても妹たちには通らせたくないところから、自分の裏面をうかがわせまいという心持ちとで、今までついずるずるに妹たちを倉地に近づかせないで置いたのだったが、倉地の言葉を聞いてみると、そうしておくのが少し延び過ぎたと気がついた。また新しい局面を二人の間に開いて行くにもこれは悪い事ではない。葉子は決心した。 「じゃきょうにしましょう。……それにしても着物だけは着かえていてくださいましな」 「よし来た」  と倉地はにこにこしながらすぐ立ち上がった。葉子は倉地の後ろから着物を羽織っておいて羽がいに抱きながら、今さらに倉地の頑丈な雄々しい体格を自分の胸に感じつつ、 「それは二人ともいい子よ。かわいがってやってくださいましよ。……けれどもね、木村とのあの事だけはまだ内証よ。いいおりを見つけて、わたしから上手にいって聞かせるまでは知らんふりをしてね……よくって……あなたはうっかりするとあけすけに物をいったりなさるから……今度だけは用心してちょうだい」 「ばかだなどうせ知れる事を」 「でもそれはいけません……ぜひ」  葉子は後ろから背延びをしてそっと倉地の後ろ首を吸った。そして二人は顔を見合わせてほほえみかわした。  その瞬間に勢いよく玄関の格子戸ががらっとあいて「おゝ寒い」という貞世の声が疳高く聞こえた。時間でもないので葉子は思わずぎょっとして倉地から飛び離れた。次いで玄関口の障子があいた。貞世は茶の間に駆け込んで来るらしかった。 「おねえ様雪が降って来てよ」  そういっていきなり茶の間の襖をあけたのは貞世だった。 「おやそう……寒かったでしょう」  とでもいって迎えてくれる姉を期待していたらしい貞世は、置きごたつにはいってあぐらをかいている途方もなく大きな男を姉のほかに見つけたので、驚いたように大きな目を見張ったが、そのまますぐに玄関に取って返した。 「愛ねえさんお客様よ」  と声をつぶすようにいうのが聞こえた。倉地と葉子とは顔を見合わしてまたほほえみかわした。 「ここにお下駄があるじゃありませんか」  そう落ち付いていう愛子の声が聞こえて、やがて二人は静かにはいって来た。そして愛子はしとやかに貞世はぺちゃんとすわって、声をそろえて「ただいま」といいながら辞儀をした。愛子の年ごろの時、厳格な宗教学校で無理じいに男の子のような無趣味な服装をさせられた、それに復讐するような気で葉子の装わした愛子の身なりはすぐ人の目をひいた。お下げをやめさせて、束髪にさせた項とたぼの所には、そのころ米国での流行そのままに、蝶結びの大きな黒いリボンがとめられていた。古代紫の紬地の着物に、カシミヤの袴を裾みじかにはいて、その袴は以前葉子が発明した例の尾錠どめになっていた。貞世の髪はまた思いきって短くおかっぱに切りつめて、横のほうに深紅のリボンが結んであった。それがこの才はじけた童女を、膝までぐらいな、わざと短く仕立てた袴と共に可憐にもいたずらいたずらしく見せた。二人は寒さのために頬をまっ紅にして、目を少し涙ぐましていた。それがことさら二人に別々な可憐な趣を添えていた。  葉子は少し改まって二人を火鉢の座から見やりながら、 「お帰りなさい。きょうはいつもより早かったのね。……お部屋に行ってお包みをおいて袴を取っていらっしゃい、その上でゆっくりお話しする事があるから……」  二人の部屋からは貞世がひとりではしゃいでいる声がしばらくしていたが、やがて愛子は広い帯をふだん着と着かえた上にしめて、貞世は袴をぬいだだけで帰って来た。 「さあここにいらっしゃい。(そういって葉子は妹たちを自分の身近にすわらせた)このお方がいつか双鶴館でおうわさした倉地さんなのよ。今まででも時々いらしったんだけれどもついにお目にかかるおりがなかったわね。これが愛子これが貞世です」  そういいながら葉子は倉地のほうを向くともうくすぐったいような顔つきをせずにはいられなかった。倉地は渋い笑いを笑いながら案外まじめに、 「お初に(といってちょっと頭を下げた)二人とも美しいねえ」  そういって貞世の顔をちょっと見てからじっと目を愛子にさだめた。愛子は格別恥じる様子もなくその柔和な多恨な目を大きく見開いてまんじりと倉地を見やっていた。それは男女の区別を知らぬ無邪気な目とも見えた。先天的に男というものを知りぬいてその心を試みようとする淫婦の目とも見られない事はなかった。それほどその目は奇怪な無表情の表情を持っていた。 「始めてお目にかかるが、愛子さんおいくつ」  倉地はなお愛子を見やりながらこう尋ねた。 「わたし始めてではございません。……いつぞやお目にかかりました」  愛子は静かに目を伏せてはっきりと無表情な声でこういった。愛子があの年ごろで男の前にはっきりああ受け答えができるのは葉子にも意外だった。葉子は思わず愛子を見た。 「はて、どこでね」  倉地もいぶかしげにこう問い返した。愛子は下を向いたまま口をつぐんでしまった。そこにはかすかながら憎悪の影がひらめいて過ぎたようだった。葉子はそれを見のがさなかった。 「寝顔を見せた時にやはり彼女は目をさましていたのだな。それをいうのかしらん」  とも思った。倉地の顔にも思いかけずちょっとどぎまぎしたらしい表情が浮かんだのを葉子は見た。 「なあに……」激しく葉子は自分で自分を打ち消した。  貞世は無邪気にも、この熊のような大きな男が親しみやすい遊び相手と見て取ったらしい。貞世がその日学校で見聞きして来た事などを例のとおり残らず姉に報告しようと、なんでも構わず、なんでも隠さず、いってのけるのに倉地が興に入って合槌を打つので、ここに移って来てから客の味を全く忘れていた貞世はうれしがって倉地を相手にしようとした。倉地はさんざん貞世と戯れて、昼近く立って行った。  葉子は朝食がおそかったからといって、妹たちだけが昼食の膳についた。 「倉地さんは今、ある会社をお立てになるのでいろいろ御相談事があるのだけれども、下宿ではまわりがやかましくって困るとおっしゃるから、これからいつでもここで御用をなさるようにいったから、きっとこれからもちょくちょくいらっしゃるだろうが、貞ちゃん、きょうのように遊びのお相手にばかりしていてはだめよ。その代わり英語なんぞでわからない事があったらなんでもお聞きするといい、ねえさんよりいろいろの事をよく知っていらっしゃるから……それから愛さんは、これから倉地さんのお客様も見えるだろうから、そんな時には一々ねえさんのさしずを待たないではきはきお世話をして上げるのよ」  と葉子はあらかじめ二人に釘をさした。  妹たちが食事を終わって二人であと始末をしているとまた玄関の格子が静かにあく音がした。  貞世は葉子の所に飛んで来た。 「おねえ様またお客様よ。きょうはずいぶんたくさんいらっしゃるわね。だれでしょう」  と物珍しそうに玄関のほうに注意の耳をそばだてた。葉子もだれだろうといぶかった。ややしばらくして静かに案内を求める男の声がした。それを聞くと貞世は姉から離れて駆け出して行った。愛子が襷をはずしながら台所から出て来た時分には、貞世はもう一枚の名刺を持って葉子の所に取って返していた。金縁のついた高価らしい名刺の表には岡一と記してあった。 「まあ珍しい」  葉子は思わず声を立てて貞世と共に玄関に走り出た。そこには処女のように美しく小柄な岡が雪のかかった傘をつぼめて、外套のしたたりを紅をさしたように赤らんだ指の先ではじきながら、女のようにはにかんで立っていた。 「いい所でしょう。おいでには少しお寒かったかもしれないけれども、きょうはほんとにいいおりからでしたわ。隣に見えるのが有名な苔香園、あすこの森の中が紅葉館、この杉の森がわたし大好きですの。きょうは雪が積もってなおさらきれいですわ」  葉子は岡を二階に案内して、そこのガラス戸越しにあちこちの雪景色を誇りがに指呼して見せた。岡は言葉少なながら、ちかちかとまぶしい印象を目に残して、降り下り降りあおる雪の向こうに隠見する山内の木立ちの姿を嘆賞した。 「それにしてもどうしてあなたはここを……倉地から手紙でも行きましたか」  岡は神秘的にほほえんで葉子を顧みながら「いゝえ」といった。 「そりゃおかしい事……それではどうして」  縁側から座敷へ戻りながらおもむろに、 「お知らせがないもので上がってはきっといけないとは思いましたけれども、こんな雪の日ならお客もなかろうからひょっとかすると会ってくださるかとも思って……」  そういういい出しで岡が語るところによれば、岡の従妹に当たる人が幽蘭女学校に通学していて、正月の学期から早月という姉妹の美しい生徒が来て、それは芝山内の裏坂に美人屋敷といって界隈で有名な家の三人姉妹の中の二人であるという事や、一番の姉に当たる人が「報正新報」でうわさを立てられた優れた美貌の持ち主だという事やが、早くも口さがない生徒間の評判になっているのを何かのおりに話したのですぐ思い当たったけれども、一日一日と訪問を躊躇していたのだとの事だった。葉子は今さらに世間の案外に狭いのを思った。愛子といわず貞世の上にも、自分の行跡がどんな影響を与えるかも考えずにはいられなかった。そこに貞世が、愛子がととのえた茶器をあぶなっかしい手つきで、目八分に持って来た。貞世はこの日さびしい家の内に幾人も客を迎える物珍しさに有頂天になっていたようだった。満面に偽りのない愛嬌を見せながら、丁寧にぺっちゃんとおじぎをした。そして顔にたれかかる黒髪を振り仰いで頭を振って後ろにさばきながら、岡を無邪気に見やって、姉のほうに寄り添うと大きな声で「どなた」と聞いた。 「一緒にお引き合わせしますからね、愛さんにもおいでなさいといっていらっしゃい」  二人だけが座に落ち付くと岡は涙ぐましいような顔をしてじっと手あぶりの中を見込んでいた。葉子の思いなしかその顔にも少しやつれが見えるようだった。普通の男ならばたぶんさほどにも思わないに違いない家の中のいさくさなどに繊細すぎる神経をなやまして、それにつけても葉子の慰撫をことさらにあこがれていたらしい様子は、そんな事については一言もいわないが、岡の顔にははっきりと描かれているようだった。 「そんなにせいたっていやよ貞ちゃんは。せっかちな人ねえ」  そう穏かにたしなめるらしい愛子の声が階下でした。 「でもそんなにおしゃれしなくったっていいわ。おねえ様が早くっておっしゃってよ」  無遠慮にこういう貞世の声もはっきり聞こえた。葉子はほほえみながら岡を暖かく見やった。岡もさすがに笑いを宿した顔を上げたが、葉子と見かわすと急に頬をぽっと赤くして目を障子のほうにそらしてしまった。手あぶりの縁に置かれた手の先がかすかに震うのを葉子は見のがさなかった。  やがて妹たち二人が葉子の後ろに現われた。葉子はすわったまま手を後ろに回して、 「そんな人のお尻の所にすわって、もっとこっちにお出なさいな。……これが妹たちですの。どうかお友だちにしてくださいまし。お船で御一緒だった岡一様。……愛さんあなたお知り申していないの……あの失礼ですがなんとおっしゃいますの、お従妹御さんのお名前は」  と岡に尋ねた。岡は言葉どおりに神経を転倒させていた。それはこの青年を非常に醜くかつ美しくして見せた。急いですわり直した居ずまいをすぐ意味もなくくずして、それをまた非常に後悔したらしい顔つきを見せたりした。 「は?」 「あのわたしどものうわさをなさったそのお嬢様のお名前は」 「あのやはり岡といいます」 「岡さんならお顔は存じ上げておりますわ。一つ上の級にいらっしゃいます」  愛子は少しも騒がずに、倉地に対した時と同じ調子でじっと岡を見やりながら即座にこう答えた。その目は相変わらず淫蕩と見えるほど極端に純潔だった。純潔と見えるほど極端に淫蕩だった。岡は怖じながらもその目から自分の目をそらす事ができないようにまともに愛子を見て見る見る耳たぶまでをまっ赤にしていた。葉子はそれを気取ると愛子に対していちだんの憎しみを感ぜずにはいられなかった。 「倉地さんは……」  岡は一路の逃げ道をようやく求め出したように葉子に目を転じた。 「倉地さん? たった今お帰りになったばかり惜しい事をしましてねえ。でもあなたこれからはちょくちょくいらしってくださいますわね。倉地さんもすぐお近所にお住まいですからいつかごいっしょに御飯でもいただきましょう。わたし日本に帰ってからこの家にお客様をお上げするのはきょうが始めてですのよ。ねえ貞ちゃん。……ほんとうによく来てくださいました事。わたしとうから来ていただきたくってしようがなかったんですけれども、倉地さんからなんとかいって上げてくださるだろうと、そればかりを待っていたのですよ。わたしからお手紙を上げるのはいけませんもの(そこで葉子はわかってくださるでしょうというような優しい目つきを強い表情を添えて岡に送った)。木村からの手紙であなたの事はくわしく伺っていましたわ。いろいろお苦しい事がおありになるんですってね」  岡はそのころになってようやく自分を回復したようだった。しどろもどろになった考えや言葉もやや整って見えた。愛子は一度しげしげと岡を見てしまってからは、決して二度とはそのほうを向かずに、目を畳の上に伏せてじっと千里も離れた事でも考えている様子だった。 「わたしの意気地のないのが何よりもいけないんです。親類の者たちはなんといってもわたしを実業の方面に入れて父の事業を嗣がせようとするんです。それはたぶんほんとうにいい事なんでしょう。けれどもわたしにはどうしてもそういう事がわからないから困ります。少しでもわかれば、どうせこんなに病身で何もできませんから、母はじめみんなのいうことをききたいんですけれども……わたしは時々乞食にでもなってしまいたいような気がします。みんなの主人思いな目で見つめられていると、わたしはみんなに済まなくなって、なぜ自分みたいな屑な人間を惜しんでいてくれるのだろうとよくそう思います……こんな事今までだれにもいいはしませんけれども。突然日本に帰って来たりなぞしてからわたしは内々監視までされるようになりました。……わたしのような家に生まれると友だちというものは一人もできませんし、みんなとは表面だけで物をいっていなければならないんですから……心がさびしくってしかたがありません」  そういって岡はすがるように葉子を見やった。岡が少し震えを帯びた、よごれっ気の塵ほどもない声の調子を落としてしんみりと物をいう様子にはおのずからな気高いさびしみがあった。戸障子をきしませながら雪を吹きまく戸外の荒々しい自然の姿に比べてはことさらそれが目立った。葉子には岡のような消極的な心持ちは少しもわからなかった。しかしあれでいて、米国くんだりから乗って行った船で帰って来る所なぞには、粘り強い意力が潜んでいるようにも思えた。平凡な青年ならできてもできなくとも周囲のものにおだてあげられれば疑いもせずに父の遺業を嗣ぐまねをして喜んでいるだろう。それがどうしてもできないという所にもどこか違った所があるのではないか。葉子はそう思うと何の理解もなくこの青年を取り巻いてただわいわい騒ぎ立てている人たちがばかばかしくも見えた。それにしてもなぜもっとはきはきとそんな下らない障害ぐらい打ち破ってしまわないのだろう。自分ならその財産を使ってから、「こうすればいいのかい」とでもいって、まわりで世話を焼いた人間たちを胸のすき切るまで思い存分笑ってやるのに。そう思うと岡の煮え切らないような態度が歯がゆくもあった。しかしなんといっても抱きしめたいほど可憐なのは岡の繊美なさびしそうな姿だった。岡は上手に入れられた甘露をすすり終わった茶わんを手の先に据えて綿密にその作りを賞翫していた。 「お覚えになるようなものじゃございません事よ」  岡は悪い事でもしていたように顔を赤くしてそれを下においた。彼はいいかげんな世辞はいえないらしかった。  岡は始めて来た家に長居するのは失礼だと来た時から思っていて、機会あるごとに座を立とうとするらしかったが、葉子はそういう岡の遠慮に感づけば感づくほど巧みにもすべての機会を岡に与えなかった。 「もう少しお待ちになると雪が小降りになりますわ。今、こないだインドから来た紅茶を入れてみますから召し上がってみてちょうだい。ふだんいいものを召し上がりつけていらっしゃるんだから、鑑定をしていただきますわ。ちょっと、……ほんのちょっと待っていらしってちょうだいよ」  そういうふうにいって岡を引き止めた。始めの間こそ倉地に対してのようにはなつかなかった貞世もだんだんと岡と口をきくようになって、しまいには岡の穏やかな問いに対して思いのままをかわいらしく語って聞かせたり、話題に窮して岡が黙ってしまうと貞世のほうから無邪気な事を聞きただして、岡をほほえましたりした。なんといっても岡は美しい三人の姉妹が(そのうち愛子だけは他の二人とは全く違った態度で)心をこめて親しんで来るその好意には敵し兼ねて見えた。盛んに火を起こした暖かい部屋の中の空気にこもる若い女たちの髪からとも、ふところからとも、膚からとも知れぬ柔軟な香りだけでも去りがたい思いをさせたに違いなかった。いつのまにか岡はすっかり腰を落ち着けて、いいようなく快く胸の中のわだかまりを一掃したように見えた。  それからというもの、岡は美人屋敷とうわさされる葉子の隠れ家におりおり出入りするようになった。倉地とも顔を合わせて、互いに快く船の中での思い出し話などをした。岡の目の上には葉子の目が義眼されていた。葉子のよしと見るものは岡もよしと見た。葉子の憎むものは岡も無条件で憎んだ。ただ一つその例外となっているのは愛子というものらしかった。もちろん葉子とて性格的にはどうしても愛子といれ合わなかったが、骨肉の情としてやはり互いにいいようのない執着を感じあっていた。しかし岡は愛子に対しては心からの愛着を持ち出すようになっている事が知れた。  とにかく岡の加わった事が美人屋敷のいろどりを多様にした。三人の姉妹は時おり倉地、岡に伴われて苔香園の表門のほうから三田の通りなどに散歩に出た。人々はそのきらびやかな群れに物好きな目をかがやかした。 三三  岡に住所を知らせてから、すぐそれが古藤に通じたと見えて、二月にはいってからの木村の消息は、倉地の手を経ずに直接葉子にあてて古藤から回送されるようになった。古藤はしかし頑固にもその中に一言も自分の消息を封じ込んでよこすような事はしなかった。古藤を近づかせる事は一面木村と葉子との関係を断絶さす機会を早める恐れがないでもなかったが、あの古藤の単純な心をうまくあやつりさえすれば、古藤を自分のほうになずけてしまい、従って木村に不安を起こさせない方便になると思った。葉子は例のいたずら心から古藤を手なずける興味をそそられないでもなかった。しかしそれを実行に移すまでにその興味は嵩じては来なかったのでそのままにしておいた。  木村の仕事は思いのほか都合よく運んで行くらしかった。「日本における未来のピーボデー」という標題に木村の肖像まで入れて、ハミルトン氏配下の敏腕家の一人として、また品性の高潔な公共心の厚い好個の青年実業家として、やがては日本において、米国におけるピーボデーと同様の名声をかちうべき約束にあるものと賞賛したシカゴ・トリビューンの「青年実業家評判記」の切り抜きなどを封入して来た。思いのほか巨額の為替をちょいちょい送ってよこして、倉地氏に支払うべき金額の全体を知らせてくれたら、どう工面しても必ず送付するから、一日も早く倉地氏の保護から独立して世評の誤謬を実行的に訂正し、あわせて自分に対する葉子の真情を証明してほしいなどといってよこした。葉子は――倉地におぼれきっている葉子は鼻の先でせせら笑った。  それに反して倉地の仕事のほうはいつまでも目鼻がつかないらしかった。倉地のいう所によれば日本だけの水先案内業者の組合といっても、東洋の諸港や西部米国の沿岸にあるそれらの組合とも交渉をつけて連絡を取る必要があるのに、日本の移民問題が米国の西部諸州でやかましくなり、排日熱が過度に煽動され出したので、何事も米国人との交渉は思うように行かずにその点で行きなやんでいるとの事だった。そういえば米国人らしい外国人がしばしば倉地の下宿に出入りするのを葉子は気がついていた。ある時はそれが公使館の館員ででもあるかと思うような、礼装をしてみごとな馬車に乗った紳士である事もあり、ある時はズボンの折り目もつけないほどだらしのないふうをした人相のよくない男でもあった。  とにかく二月にはいってから倉地の様子が少しずつすさんで来たらしいのが目立つようになった。酒の量も著しく増して来た。正井がかみつくようにどなられている事もあった。しかし葉子に対しては倉地は前にもまさって溺愛の度を加え、あらゆる愛情の証拠をつかむまでは執拗に葉子をしいたげるようになった。葉子は目もくらむ火酒をあおりつけるようにそのしいたげを喜んで迎えた。  ある夜葉子は妹たちが就寝してから倉地の下宿を訪れた。倉地はたった一人でさびしそうにソウダ・ビスケットを肴にウィスキーを飲んでいた。チャブ台の周囲には書類や港湾の地図やが乱暴に散らけてあって、台の上のからのコップから察すると正井かだれか、今客が帰った所らしかった。襖を明けて葉子のはいって来たのを見ると倉地はいつもになくちょっとけわしい目つきをして書類に目をやったが、そこにあるものを猿臂を延ばして引き寄せてせわしく一まとめにして床の間に移すと、自分の隣に座ぶとんを敷いて、それにすわれと顎を突き出して相図した。そして激しく手を鳴らした。 「コップと炭酸水を持って来い」  用を聞きに来た女中にこういいつけておいて、激しく葉子をまともに見た。 「葉ちゃん(これはそのころ倉地が葉子を呼ぶ名前だった。妹たちの前で葉子と呼び捨てにもできないので倉地はしばらくの間お葉さんお葉さんと呼んでいたが、葉子が貞世を貞ちゃんと呼ぶのから思いついたと見えて、三人を葉ちゃん、愛ちゃん、貞ちゃんと呼ぶようになった。そして差し向かいの時にも葉子をそう呼ぶのだった)は木村に貢がれているな。白状しっちまえ」 「それがどうして?」  葉子は左の片肘をちゃぶ台について、その指先で鬢のほつれをかき上げながら、平気な顔で正面から倉地を見返した。 「どうしてがあるか。おれは赤の他人におれの女を養わすほど腑抜けではないんだ」 「まあ気の小さい」  葉子はなおも動じなかった。そこに婢がはいって来たので話の腰が折られた。二人はしばらく黙っていた。 「おれはこれから竹柴へ行く。な、行こう」 「だって明朝困りますわ。わたしが留守だと妹たちが学校に行けないもの」 「一筆書いて学校なんざあ休んで留守をしろといってやれい」  葉子はもちろんちょっとそんな事をいって見ただけだった。妹たちの学校に行ったあとでも、苔香園の婆さんに言葉をかけておいて家を明ける事は常始終だった。ことにその夜は木村の事について倉地に合点させておくのが必要だと思ったのでいい出された時から一緒する下心ではあったのだ。葉子はそこにあったペンを取り上げて紙切れに走り書きをした。倉地が急病になったので介抱のために今夜はここで泊まる。あすの朝学校の時刻までに帰って来なかったら、戸締まりをして出かけていい。そういう意味を書いた。その間に倉地は手早く着がえをして、書類を大きなシナ鞄に突っ込んで錠をおろしてから、綿密にあくかあかないかを調べた。そして考えこむようにうつむいて上目をしながら、両手をふところにさし込んで鍵を腹帯らしい所にしまい込んだ。  九時すぎ十時近くなってから二人は連れ立って下宿を出た。増上寺前に来てから車を傭った。満月に近い月がもうだいぶ寒空高くこうこうとかかっていた。  二人を迎えた竹柴館の女中は倉地を心得ていて、すぐ庭先に離れになっている二間ばかりの一軒に案内した。風はないけれども月の白さでひどく冷え込んだような晩だった。葉子は足の先が氷で包まれたほど感覚を失っているのを覚えた。倉地の浴したあとで、熱めな塩湯にゆっくり浸ったのでようやく人心地がついて戻って来た時には、素早い女中の働きで酒肴がととのえられていた。葉子が倉地と遠出らしい事をしたのはこれが始めてなので、旅先にいるような気分が妙に二人を親しみ合わせた。ましてや座敷に続く芝生のはずれの石垣には海の波が来て静かに音を立てていた。空には月がさえていた。妹たちに取り巻かれたり、下宿人の目をかねたりしていなければならなかった二人はくつろいだ姿と心とで火鉢により添った。世の中は二人きりのようだった。いつのまにか良人とばかり倉地を考え慣れてしまった葉子は、ここに再び情人を見いだしたように思った。そして何とはなく倉地をじらしてじらしてじらし抜いたあげくに、その反動から来る蜜のような歓語を思いきり味わいたい衝動に駆られていた。そしてそれがまた倉地の要求でもある事を本能的に感じていた。 「いいわねえ。なぜもっと早くこんな所に来なかったでしょう。すっかり苦労も何も忘れてしまいましたわ」  葉子はすべすべとほてって少しこわばるような頬をなでながら、とろけるように倉地を見た。もうだいぶ酒の気のまわった倉地は、女の肉感をそそり立てるようなにおいを部屋じゅうにまき散らす葉巻をふかしながら、葉子を尻目にかけた。 「それは結構。だがおれにはさっきの話が喉につかえて残っとるて。胸くそが悪いぞ」  葉子はあきれたように倉地を見た。 「木村の事?」 「お前はおれの金を心まかせに使う気にはなれないんか」 「足りませんもの」 「足りなきゃなぜいわん」 「いわなくったって木村がよこすんだからいいじゃありませんか」 「ばか!」  倉地は右の肩を小山のようにそびやかして、上体を斜に構えながら葉子をにらみつけた。葉子はその目の前で海から出る夏の月のようにほほえんで見せた。 「木村は葉ちゃんに惚れとるんだよ」 「そして葉ちゃんはきらってるんですわね」 「冗談は措いてくれ。……おりゃ真剣でいっとるんだ。おれたちは木村に用はないはずだ。おれは用のないものは片っ端から捨てるのが立てまえだ。嬶だろうが子だろうが……見ろおれを……よく見ろ。お前はまだこのおれを疑っとるんだな。あとがまには木村をいつでもなおせるように食い残しをしとるんだな」 「そんな事はありませんわ」 「ではなんで手紙のやり取りなどしおるんだ」 「お金がほしいからなの」  葉子は平気な顔をしてまた話をあとに戻した。そして独酌で杯を傾けた。倉地は少しどもるほど怒りが募っていた。 「それが悪いといっとるのがわからないか……おれの面に泥を塗りこくっとる……こっちに来い(そういいながら倉地は葉子の手を取って自分の膝の上に葉子の上体をたくし込んだ)。いえ、隠さずに。今になって木村に未練が出て来おったんだろう。女というはそうしたもんだ。木村に行きたくば行け、今行け。おれのようなやくざを構っとると芽は出やせんから。……お前にはふて腐れがいっちよく似合っとるよ……ただしおれをだましにかかると見当違いだぞ」  そういいながら倉地は葉子を突き放すようにした。葉子はそれでも少しも平静を失ってはいなかった。あでやかにほほえみながら、 「あなたもあんまりわからない……」  といいながら今度は葉子のほうから倉地の膝に後ろ向きにもたれかかった。倉地はそれを退けようとはしなかった。 「何がわからんかい」  しばらくしてから、倉地は葉子の肩越しに杯を取り上げながらこう尋ねた。葉子には返事がなかった。またしばらくの沈黙の時間が過ぎた。倉地がもう一度何かいおうとした時、葉子はいつのまにかしくしくと泣いていた。倉地はこの不意打ちに思わずはっとしたようだった。 「なぜ木村から送らせるのが悪いんです」  葉子は涙を気取らせまいとするように、しかし打ち沈んだ調子でこういい出した。 「あなたの御様子でお心持ちが読めないわたしだとお思いになって? わたしゆえに会社をお引きになってから、どれほど暮らし向きに苦しんでいらっしゃるか……そのくらいはばかでもわたしにはちゃんと響いています。それでもしみったれた事をするのはあなたもおきらい、わたしもきらい……わたしは思うようにお金をつかってはいました。いましたけれども……心では泣いてたんです。あなたのためならどんな事でも喜んでしよう……そうこのごろ思ったんです。それから木村にとうとう手紙を書きました。わたしが木村をなんと思ってるか、今さらそんな事をお疑いになるのあなたは。そんな水臭い回し気をなさるからついくやしくなっちまいます。……そんなわたしだかわたしではないか……(そこで葉子は倉地から離れてきちんとすわり直して袂で顔をおおうてしまった)泥棒をしろとおっしゃるほうがまだ増しです……あなたお一人でくよくよなさって……お金の出所を……暮らし向きが張り過ぎるなら張り過ぎると……なぜ相談に乗らせてはくださらないの……やはりあなたはわたしを真身には思っていらっしゃらないのね……」  倉地は一度は目を張って驚いたようだったが、やがて事もなげに笑い出した。 「そんな事を思っとったのか。ばかだなあお前は。御好意は感謝します……全く。しかしなんぼやせても枯れても、おれは女の子の二人や三人養うに事は欠かんよ。月に三百や四百の金が手回らんようなら首をくくって死んで見せる。お前をまで相談に乗せるような事はいらんのだよ。そんな陰にまわった心配事はせん事にしようや。こののんき坊のおれまでがいらん気をもませられるで……」 「そりゃうそです」  葉子は顔をおおうたままきっぱりと矢継ぎ早にいい放った。倉地は黙ってしまった。葉子もそのまましばらくはなんとも言い出でなかった。  母屋のほうで十二を打つ柱時計の声がかすかに聞こえて来た。寒さもしんしんと募っていたには相違なかった。しかし葉子はそのいずれをも心の戸の中までは感じなかった。始めは一種のたくらみから狂言でもするような気でかかったのだったけれども、こうなると葉子はいつのまにか自分で自分の情におぼれてしまっていた。木村を犠牲にしてまでも倉地におぼれ込んで行く自分があわれまれもした。倉地が費用の出所をついぞ打ち明けて相談してくれないのが恨みがましく思われもした。知らず知らずのうちにどれほど葉子は倉地に食い込み、倉地に食い込まれていたかをしみじみと今さらに思い知った。どうなろうとどうあろうと倉地から離れる事はもうできない。倉地から離れるくらいなら自分はきっと死んで見せる。倉地の胸に歯を立ててその心臓をかみ破ってしまいたいような狂暴な執念が葉子を底知れぬ悲しみへ誘い込んだ。  心の不思議な作用として倉地も葉子の心持ちは刺青をされるように自分の胸に感じて行くらしかった。やや程経ってから倉地は無感情のような鈍い声でいい出した。 「全くはおれが悪かったのかもしれない。一時は全く金には弱り込んだ。しかしおれは早や世の中の底潮にもぐり込んだ人間だと思うと度胸がすわってしまいおった。毒も皿も食ってくれよう、そう思って(倉地はあたりをはばかるようにさらに声を落とした)やり出した仕事があの組合の事よ。水先案内のやつらはくわしい海図を自分で作って持っとる。要塞地の様子も玄人以上ださ。それを集めにかかってみた。思うようには行かんが、食うだけの金は余るほど出る」  葉子は思わずぎょっとして息気がつまった。近ごろ怪しげな外国人が倉地の所に出入りするのも心当たりになった。倉地は葉子が倉地の言葉を理解して驚いた様子を見ると、ほとほと悪魔のような顔をしてにやりと笑った。捨てばちな不敵さと力とがみなぎって見えた。 「愛想が尽きたか……」  愛想が尽きた。葉子は自分自身に愛想が尽きようとしていた。葉子は自分の乗った船はいつでも相客もろともに転覆して沈んで底知れぬ泥土の中に深々ともぐり込んで行く事を知った。売国奴、国賊、――あるいはそういう名が倉地の名に加えられるかもしれない……と思っただけで葉子は怖毛をふるって、倉地から飛びのこうとする衝動を感じた。ぎょっとした瞬間にただ瞬間だけ感じた。次にどうかしてそんな恐ろしいはめから倉地を救い出さなければならないという殊勝な心にもなった。しかし最後に落ち着いたのは、その深みに倉地をことさら突き落としてみたい悪魔的な誘惑だった。それほどまでの葉子に対する倉地の心尽くしを、臆病な驚きと躊躇とで迎える事によって、倉地に自分の心持ちの不徹底なのを見下げられはしないかという危惧よりも、倉地が自分のためにどれほどの堕落でも汚辱でも甘んじて犯すか、それをさせてみて、満足しても満足しても満足しきらない自分の心の不足を満たしたかった。そこまで倉地を突き落とすことは、それだけ二人の執着を強める事だとも思った。葉子は何事を犠牲に供しても灼熱した二人の間の執着を続けるばかりでなくさらに強める術を見いだそうとした。倉地の告白を聞いて驚いた次の瞬間には、葉子は意識こそせねこれだけの心持ちに働かれていた。「そんな事で愛想が尽きてたまるものか」と鼻であしらうような心持ちに素早くも自分を落ち着けてしまった。驚きの表情はすぐ葉子の顔から消えて、妖婦にのみ見る極端に肉的な蠱惑の微笑がそれに代わって浮かみ出した。 「ちょっと驚かされはしましたわ。……いいわ、わたしだってなんでもしますわ」  倉地は葉子が言わず語らずのうちに感激しているのを感得していた。 「よしそれで話はわかった。木村……木村からもしぼり上げろ、構うものかい。人間並みに見られないおれたちが人間並みに振る舞っていてたまるかい。葉ちゃん……命」 「命!……命‼ 命※(感嘆符三つ)」  葉子は自分の激しい言葉に目もくるめくような酔いを覚えながら、あらん限りの力をこめて倉地を引き寄せた。膳の上のものが音を立ててくつがえるのを聞いたようだったが、そのあとは色も音もない焔の天地だった。すさまじく焼けただれた肉の欲念が葉子の心を全く暗ましてしまった。天国か地獄かそれは知らない。しかも何もかもみじんにつきくだいて、びりびりと震動する炎々たる焔に燃やし上げたこの有頂天の歓楽のほかに世に何者があろう。葉子は倉地を引き寄せた。倉地において今まで自分から離れていた葉子自身を引き寄せた。そして切るような痛みと、痛みからのみ来る奇怪な快感とを自分自身に感じて陶然と酔いしれながら、倉地の二の腕に歯を立てて、思いきり弾力性に富んだ熱したその肉をかんだ。  その翌日十一時すぎに葉子は地の底から掘り起こされたように地球の上に目を開いた。倉地はまだ死んだもの同然にいぎたなく眠っていた。戸板の杉の赤みが鰹節の心のように半透明にまっ赤に光っているので、日が高いのも天気が美しく晴れているのも察せられた。甘ずっぱく立てこもった酒と煙草の余燻の中に、すき間もる光線が、透明に輝く飴色の板となって縦に薄暗さの中を区切っていた。いつもならばまっ赤に充血して、精力に充ち満ちて眠りながら働いているように見える倉地も、その朝は目の周囲に死色をさえ注していた。むき出しにした腕には青筋が病的に思われるほど高く飛び出てはいずっていた。泳ぎ回る者でもいるように頭の中がぐらぐらする葉子には、殺人者が凶行から目ざめて行った時のような底の知れない気味わるさが感ぜられた。葉子は密やかにその部屋を抜け出して戸外に出た。  降るような真昼の光線にあうと、両眼は脳心のほうにしゃにむに引きつけられてたまらない痛さを感じた。かわいた空気は息気をとめるほど喉を干からばした。葉子は思わずよろけて入り口の下見板に寄りかかって、打撲を避けるように両手で顔を隠してうつむいてしまった。  やがて葉子は人を避けながら芝生の先の海ぎわに出てみた。満月に近いころの事とて潮は遠くひいていた。蘆の枯れ葉が日を浴びて立つ沮洳地のような平地が目の前に広がっていた。しかし自然は少しも昔の姿を変えてはいなかった。自然も人もきのうのままの営みをしていた。葉子は不思議なものを見せつけられたように茫然として潮干潟の泥を見、うろこ雲で飾られた青空を仰いだ。ゆうべの事が真実ならこの景色は夢であらねばならぬ。この景色が真実ならゆうべの事は夢であらねばならぬ。二つが両立しようはずはない。……葉子は茫然としてなお目にはいって来るものをながめ続けた。  痲痺しきったような葉子の感覚はだんだん回復して来た。それと共に瞑眩を感ずるほどの頭痛をまず覚えた。次いで後腰部に鈍重な疼みがむくむくと頭をもたげるのを覚えた。肩は石のように凝っていた。足は氷のように冷えていた。  ゆうべの事は夢ではなかったのだ……そして今見るこの景色も夢ではあり得ない……それはあまりに残酷だ、残酷だ。なぜゆうべをさかいにして、世の中はかるたを裏返したように変わっていてはくれなかったのだ。  この景色のどこに自分は身をおく事ができよう。葉子は痛切に自分が落ち込んで行った深淵の深みを知った。そしてそこにしゃがんでしまって、苦い涙を泣き始めた。  懺悔の門の堅く閉ざされた暗い道がただ一筋、葉子の心の目には行く手に見やられるばかりだった。 三四  ともかくも一家の主となり、妹たちを呼び迎えて、その教育に興味と責任とを持ち始めた葉子は、自然自然に妻らしくまた母らしい本能に立ち帰って、倉地に対する情念にもどこか肉から精神に移ろうとする傾きができて来るのを感じた。それは楽しい無事とも考えれば考えられぬ事はなかった。しかし葉子は明らかに倉地の心がそういう状態の下には少しずつ硬ばって行き冷えて行くのを感ぜずにはいられなかった。それが葉子には何よりも不満だった。倉地を選んだ葉子であってみれば、日がたつに従って葉子にも倉地が感じ始めたと同様な物足らなさが感ぜられて行った。落ち着くのか冷えるのか、とにかく倉地の感情が白熱して働かないのを見せつけられる瞬間は深いさびしみを誘い起こした。こんな事で自分の全我を投げ入れた恋の花を散ってしまわせてなるものか。自分の恋には絶頂があってはならない。自分にはまだどんな難路でも舞い狂いながら登って行く熱と力とがある。その熱と力とが続く限り、ぼんやり腰を据えて周囲の平凡な景色などをながめて満足してはいられない。自分の目には絶巓のない絶巓ばかりが見えていたい。そうした衝動は小休みなく葉子の胸にわだかまっていた。絵島丸の船室で倉地が見せてくれたような、何もかも無視した、神のように狂暴な熱心――それを繰り返して行きたかった。  竹柴館の一夜はまさしくそれだった。その夜葉子は、次の朝になって自分が死んで見いだされようとも満足だと思った。しかし次の朝生きたままで目を開くと、その場で死ぬ心持ちにはもうなれなかった。もっと嵩じた歓楽を追い試みようという欲念、そしてそれができそうな期待が葉子を未練にした。それからというもの葉子は忘我渾沌の歓喜に浸るためには、すべてを犠牲としても惜しまない心になっていた。そして倉地と葉子とは互い互いを楽しませそしてひき寄せるためにあらん限りの手段を試みた。葉子は自分の不可犯性(女が男に対して持ついちばん強大な蠱惑物)のすべてまで惜しみなく投げ出して、自分を倉地の目に娼婦以下のものに見せるとも悔いようとはしなくなった。二人は、はた目には酸鼻だとさえ思わせるような肉欲の腐敗の末遠く、互いに淫楽の実を互い互いから奪い合いながらずるずると壊れこんで行くのだった。  しかし倉地は知らず、葉子に取ってはこのいまわしい腐敗の中にも一縷の期待が潜んでいた。一度ぎゅっとつかみ得たらもう動かないある物がその中に横たわっているに違いない、そういう期待を心のすみからぬぐい去る事ができなかったのだった。それは倉地が葉子の蠱惑に全く迷わされてしまって再び自分を回復し得ない時期があるだろうというそれだった。恋をしかけたもののひけめとして葉子は今まで、自分が倉地を愛するほど倉地が自分を愛してはいないとばかり思った。それがいつでも葉子の心を不安にし、自分というものの居すわり所までぐらつかせた。どうかして倉地を痴呆のようにしてしまいたい。葉子はそれがためにはある限りの手段を取って悔いなかったのだ。妻子を離縁させても、社会的に死なしてしまっても、まだまだ物足らなかった。竹柴館の夜に葉子は倉地を極印付きの凶状持ちにまでした事を知った。外界から切り離されるだけそれだけ倉地が自分の手に落ちるように思っていた葉子はそれを知って有頂天になった。そして倉地が忍ばねばならぬ屈辱を埋め合わせるために葉子は倉地が欲すると思わしい激しい情欲を提供しようとしたのだ。そしてそうする事によって、葉子自身が結局自己を銷尽して倉地の興味から離れつつある事には気づかなかったのだ。  とにもかくにも二人の関係は竹柴館の一夜から面目を改めた。葉子は再び妻から情熱の若々しい情人になって見えた。そういう心の変化が葉子の肉体に及ぼす変化は驚くばかりだった。葉子は急に三つも四つも若やいだ。二十六の春を迎えた葉子はそのころの女としてはそろそろ老いの徴候をも見せるはずなのに、葉子は一つだけ年を若く取ったようだった。  ある天気のいい午後――それは梅のつぼみがもう少しずつふくらみかかった午後の事だったが――葉子が縁側に倉地の肩に手をかけて立ち並びながら、うっとりと上気して雀の交わるのを見ていた時、玄関に訪れた人の気配がした。 「だれでしょう」  倉地は物惰さそうに、 「岡だろう」  といった。 「いゝえきっと正井さんよ」 「なあに岡だ」 「じゃ賭けよ」  葉子はまるで少女のように甘ったれた口調でいって玄関に出て見た。倉地がいったように岡だった。葉子は挨拶もろくろくしないでいきなり岡の手をしっかりと取った。そして小さな声で、 「よくいらしってね。その間着のよくお似合いになる事。春らしいいい色地ですわ。今倉地と賭けをしていた所。早くお上がり遊ばせ」  葉子は倉地にしていたように岡のやさ肩に手を回してならびながら座敷にはいって来た。 「やはりあなたの勝ちよ。あなたはあて事がお上手だから岡さんを譲って上げたらうまくあたったわ。今御褒美を上げるからそこで見ていらっしゃいよ」  そう倉地にいうかと思うと、いきなり岡を抱きすくめてその頬に強い接吻を与えた。岡は少女のように恥じらってしいて葉子から離れようともがいた。倉地は例の渋いように口もとをねじってほほえみながら、 「ばか!……このごろこの女は少しどうかしとりますよ。岡さん、あなた一つ背中でもどやしてやってください。……まだ勉強か」  といいながら葉子に天井を指さして見せた。葉子は岡に背中を向けて「さあどやしてちょうだい」といいながら、今度は天井を向いて、 「愛さん、貞ちゃん、岡さんがいらしってよ。お勉強が済んだら早くおりておいで」  と澄んだ美しい声で蓮葉に叫んだ。 「そうお」  という声がしてすぐ貞世が飛んでおりて来た。 「貞ちゃんは今勉強が済んだのか」  と倉地が聞くと貞世は平気な顔で、 「ええ今済んでよ」  といった。そこにはすぐはなやかな笑いが破裂した。愛子はなかなか下に降りて来ようとはしなかった。それでも三人は親しくチャブ台を囲んで茶を飲んだ。その日岡は特別に何かいい出したそうにしている様子だったが。やがて、 「きょうはわたし少しお願いがあるんですが皆様きいてくださるでしょうか」  重苦しくいい出した。 「えゝえゝあなたのおっしゃる事ならなんでも……ねえ貞ちゃん(とここまでは冗談らしくいったが急にまじめになって)……なんでもおっしゃってくださいましな、そんな他人行儀をしてくださると変ですわ」  と葉子がいった。 「倉地さんもいてくださるのでかえっていいよいと思いますが古藤さんをここにお連れしちゃいけないでしょうか。……木村さんから古藤さんの事は前から伺っていたんですが、わたしは初めてのお方にお会いするのがなんだか億劫な質なもので二つ前の日曜日までとうとうお手紙も上げないでいたら、その日突然古藤さんのほうから尋ねて来てくださったんです。古藤さんも一度お尋ねしなければいけないんだがといっていなさいました。でわたし、きょうは水曜日だから、用便外出の日だから、これから迎えに行って来たいと思うんです。いけないでしょうか」  葉子は倉地だけに顔が見えるように向き直って「自分に任せろ」という目つきをしながら、 「いいわね」  と念を押した。倉地は秘密を伝える人のように顔色だけで「よし」と答えた。葉子はくるりと岡のほうに向き直った。 「ようございますとも(葉子はそのようにアクセントを付けた)あなたにお迎いに行っていただいてはほんとにすみませんけれども、そうしてくださるとほんとうに結構。貞ちゃんもいいでしょう。またもう一人お友だちがふえて……しかも珍しい兵隊さんのお友だち……」 「愛ねえさんが岡さんに連れていらっしゃいってこの間そういったのよ」  と貞世は遠慮なくいった。 「そうそう愛子さんもそうおっしゃってでしたね」  と岡はどこまでも上品な丁寧な言葉で事のついでのようにいった。  岡が家を出るとしばらくして倉地も座を立った。 「いいでしょう。うまくやって見せるわ。かえって出入りさせるほうがいいわ」  玄関に送り出してそう葉子はいった。 「どうかなあいつ、古藤のやつは少し骨張り過ぎてる……が悪かったら元々だ……とにかくきょうおれのいないほうがよかろう」  そういって倉地は出て行った。葉子は張り出しになっている六畳の部屋をきれいに片づけて、火鉢の中に香をたきこめて、心静かに目論見をめぐらしながら古藤の来るのを待った。しばらく会わないうちに古藤はだいぶ手ごわくなっているようにも思えた。そこを自分の才力で丸めるのが時に取っての興味のようにも思えた。もし古藤を軟化すれば、木村との関係は今よりもつなぎがよくなる……。  三十分ほどたったころ一つ木の兵営から古藤は岡に伴われてやって来た。葉子は六畳にいて、貞世を取り次ぎに出した。 「貞世さんだね。大きくなったね」  まるで前の古藤の声とは思われぬようなおとなびた黒ずんだ声がして、がちゃがちゃと佩剣を取るらしい音も聞こえた。やがて岡の先に立って格好の悪いきたない黒の軍服を着た古藤が、皮類の腐ったような香いをぷんぷんさせながら葉子のいる所にはいって来た。  葉子は他意なく好意をこめた目つきで、少女のように晴れやかに驚きながら古藤を見た。 「まあこれが古藤さん? なんてこわい方になっておしまいなすったんでしょう。元の古藤さんはお額のお白い所だけにしか残っちゃいませんわ。がみがみとしかったりなすっちゃいやです事よ。ほんとうにしばらく。もう金輪際来てはくださらないものとあきらめていましたのに、よく……よくいらしってくださいました。岡さんのお手柄ですわ……ありがとうございました」  といって葉子はそこにならんですわった二人の青年をかたみがわりに見やりながら軽く挨拶した。 「さぞおつらいでしょうねえ。お湯は? お召しにならない? ちょうど沸いていますわ」 「だいぶ臭くってお気の毒ですが、一度や二度湯につかったってなおりはしませんから……まあはいりません」  古藤ははいって来た時のしかつめらしい様子に引きかえて顔色を軟らがせられていた。葉子は心の中で相変わらずの simpleton だと思った。 「そうねえ何時まで門限は?……え、六時? それじゃもういくらもありませんわね。じゃお湯はよしていただいてお話のほうをたんとしましょうねえ。いかが軍隊生活は、お気に入って?」 「はいらなかった前以上にきらいになりました」 「岡さんはどうなさったの」 「わたしまだ猶予中ですが検査を受けたってきっとだめです。不合格のような健康を持つと、わたし軍隊生活のできるような人がうらやましくってなりません。……からだでも強くなったらわたし、もう少し心も強くなるんでしょうけれども……」 「そんな事はありませんねえ」  古藤は自分の経験から岡を説伏するようにそういった。 「僕もその一人だが、鬼のような体格を持っていて、女のような弱虫が隊にいて見るとたくさんいますよ。僕はこんな心でこんな体格を持っているのが先天的の二重生活をしいられるようで苦しいんです。これからも僕はこの矛盾のためにきっと苦しむに違いない」 「なんですねお二人とも、妙な所で謙遜のしっこをなさるのね。岡さんだってそうお弱くはないし、古藤さんときたらそれは意志堅固……」 「そうなら僕はきょうもここなんかには来やしません。木村君にもとうに決心をさせているはずなんです」  葉子の言葉を中途から奪って、古藤はしたたか自分自身をむちうつように激しくこういった。葉子は何もかもわかっているくせにしらを切って不思議そうな目つきをして見せた。 「そうだ、思いきっていうだけの事はいってしまいましょう。……岡君立たないでください。君がいてくださるとかえっていいんです」  そういって古藤は葉子をしばらく熟視してからいい出す事をまとめようとするように下を向いた。岡もちょっと形を改めて葉子のほうをぬすみ見るようにした。葉子は眉一つ動かさなかった。そしてそばにいる貞世に耳うちして、愛子を手伝って五時に夕食の食べられる用意をするように、そして三縁亭から三皿ほどの料理を取り寄せるようにいいつけて座をはずさした。古藤はおどるようにして部屋を出て行く貞世をそっと目のはずれで見送っていたが、やがておもむろに顔をあげた。日に焼けた顔がさらに赤くなっていた。 「僕はね……(そういっておいて古藤はまた考えた)……あなたが、そんな事はないとあなたはいうでしょうが、あなたが倉地というその事務長の人の奥さんになられるというのなら、それが悪いって思ってるわけじゃないんです。そんな事があるとすりゃそりゃしかたのない事なんだ。……そしてですね、僕にもそりゃわかるようです。……わかるっていうのは、あなたがそうなればなりそうな事だと、それがわかるっていうんです。しかしそれならそれでいいから、それを木村にはっきりといってやってください。そこなんだ僕のいわんとするのは。あなたは怒るかもしれませんが、僕は木村に幾度も葉子さんとはもう縁を切れって勧告しました。これまで僕があなたに黙ってそんな事をしていたのはわるかったからお断わりをします(そういって古藤はちょっと誠実に頭を下げた。葉子も黙ったまままじめにうなずいて見せた)。けれども木村からの返事は、それに対する返事はいつでも同一なんです。葉子から破約の事を申し出て来るか、倉地という人との結婚を申し出て来るまでは、自分はだれの言葉よりも葉子の言葉と心とに信用をおく。親友であってもこの問題については、君の勧告だけでは心は動かない。こうなんです。木村ってのはそんな男なんですよ(古藤の言葉はちょっと曇ったがすぐ元のようになった)。それをあなたは黙っておくのは少し変だと思います」 「それで……」  葉子は少し座を乗り出して古藤を励ますように言葉を続けさせた。 「木村からは前からあなたの所に行ってよく事情を見てやってくれ、病気の事も心配でならないからといって来てはいるんですが、僕は自分ながらどうしようもない妙な潔癖があるもんだからつい伺いおくれてしまったのです。なるほどあなたは先よりはやせましたね。そうして顔の色もよくありませんね」  そういいながら古藤はじっと葉子の顔を見やった。葉子は姉のように一段の高みから古藤の目を迎えて鷹揚にほほえんでいた。いうだけいわせてみよう、そう思って今度は岡のほうに目をやった。 「岡さん。あなた今古藤さんのおっしゃる事をすっかりお聞きになっていてくださいましたわね。あなたはこのごろ失礼ながら家族の一人のようにこちらに遊びにおいでくださるんですが、わたしをどうお思いになっていらっしゃるか、御遠慮なく古藤さんにお話しなすってくださいましな。決して御遠慮なく……わたしどんな事を伺っても決して決してなんとも思いはいたしませんから」  それを聞くと岡はひどく当惑して顔をまっ赤にして処女のように羞恥かんだ。古藤のそばに岡を置いて見るのは、青銅の花びんのそばに咲きかけの桜を置いて見るようだった。葉子はふと心に浮かんだその対比を自分ながらおもしろいと思った。そんな余裕を葉子は失わないでいた。 「わたしこういう事柄には物をいう力はないように思いますから……」 「そういわないでほんとうに思った事をいってみてください。僕は一徹ですからひどい思い間違いをしていないとも限りませんから。どうか聞かしてください」  そういって古藤も肩章越しに岡を顧みた。 「ほんとうに何もいう事はないんですけれども……木村さんにはわたし口にいえないほど御同情しています。木村さんのようないい方が今ごろどんなにひとりでさびしく思っていられるかと思いやっただけでわたしさびしくなってしまいます。けれども世の中にはいろいろな運命があるのではないでしょうか。そうして銘々は黙ってそれを耐えて行くよりしかたがないようにわたし思います。そこで無理をしようとするとすべての事が悪くなるばかり……それはわたしだけの考えですけれども。わたしそう考えないと一刻も生きていられないような気がしてなりません。葉子さんと木村さんと倉地さんとの関係はわたし少しは知ってるようにも思いますけれども、よく考えてみるとかえってちっとも知らないのかもしれませんねえ。わたしは自分自身が少しもわからないんですからお三人の事なども、わからない自分の、わからない想像だけの事だと思いたいんです。……古藤さんにはそこまではお話ししませんでしたけれども、わたし自分の家の事情がたいへん苦しいので心を打ちあけるような人を持っていませんでしたが……、ことに母とか姉妹とかいう女の人に……葉子さんにお目にかかったら、なんでもなくそれができたんです。それでわたしはうれしかったんです。そうして葉子さんが木村さんとどうしても気がお合いにならない、その事も失礼ですけれども今の所ではわたし想像が違っていないようにも思います。けれどもそのほかの事はわたしなんとも自信をもっていう事ができません。そんな所まで他人が想像をしたり口を出したりしていいものかどうかもわたしわかりません。たいへん独善的に聞こえるかもしれませんが、そんな気はなく、運命にできるだけ従順にしていたいと思うと、わたし進んで物をいったりしたりするのが恐ろしいと思います。……なんだか少しも役に立たない事をいってしまいまして……わたしやはり力がありませんから、何もいわなかったほうがよかったんですけれども……」  そう絶え入るように声を細めて岡は言葉を結ばぬうちに口をつぐんでしまった。そのあとには沈黙だけがふさわしいように口をつぐんでしまった。  実際そのあとには不思議なほどしめやかな沈黙が続いた。たき込めた香のにおいがかすかに動くだけだった。 「あんなに謙遜な岡君も(岡はあわててその賛辞らしい古藤の言葉を打ち消そうとしそうにしたが、古藤がどんどん言葉を続けるのでそのまま顔を赤くして黙ってしまった)あなたと木村とがどうしても折り合わない事だけは少なくとも認めているんです。そうでしょう」  葉子は美しい沈黙をがさつな手でかき乱された不快をかすかに物足らなく思うらしい表情をして、 「それは洋行する前、いつぞや横浜に一緒に行っていただいた時くわしくお話ししたじゃありませんか。それはわたしどなたにでも申し上げていた事ですわ」 「そんならなぜ……その時は木村のほかには保護者はいなかったから、あなたとしてはお妹さんたちを育てて行く上にも自分を犠牲にして木村に行く気でおいでだったかもしれませんがなぜ……なぜ今になっても木村との関係をそのままにしておく必要があるんです」  岡は激しい言葉で自分が責められるかのようにはらはらしながら首を下げたり、葉子と古藤の顔とをかたみがわりに見やったりしていたが、とうとう居たたまれなくなったと見えて、静かに座を立って人のいない二階のほうに行ってしまった。葉子は岡の心持ちを思いやって引き止めなかったし、古藤は、いてもらった所がなんの役にも立たないと思ったらしくこれも引き止めはしなかった。さす花もない青銅の花びん一つ……葉子は心の中で皮肉にほほえんだ。 「それより先に伺わしてちょうだいな、倉地さんはどのくらいの程度でわたしたちを保護していらっしゃるか御存じ?」  古藤はすぐぐっと詰まってしまった。しかしすぐ盛り返して来た。 「僕は岡君と違ってブルジョアの家に生まれなかったものですからデリカシーというような美徳をあまりたくさん持っていないようだから、失礼な事をいったら許してください。倉地って人は妻子まで離縁した……しかも非常に貞節らしい奥さんまで離縁したと新聞に出ていました」 「そうね新聞には出ていましたわね。……ようございますわ、仮にそうだとしたらそれが何かわたしと関係のある事だとでもおっしゃるの」  そういいながら葉子は少し気に障えたらしく、炭取りを引き寄せて火鉢に火をつぎ足した。桜炭の火花が激しく飛んで二人の間にはじけた。 「まあひどいこの炭は、水をかけずに持って来たと見えるのね。女ばかりの世帯だと思って出入りの御用聞きまで人をばかにするんですのよ」  葉子はそう言い言い眉をひそめた。古藤は胸をつかれたようだった。 「僕は乱暴なもんだから……いい過ぎがあったらほんとうに許してください。僕は実際いかに親友だからといって木村ばかりをいいようにと思ってるわけじゃないんですけれども、全くあの境遇には同情してしまうもんだから……僕はあなたも自分の立場さえはっきりいってくださればあなたの立場も理解ができると思うんだけれどもなあ。……僕はあまり直線的すぎるんでしょうか。僕は世の中を sun-clear に見たいと思いますよ。できないもんでしょうか」  葉子はなでるような好意のほほえみを見せた。 「あなたがわたしほんとうにうらやましゅうござんすわ。平和な家庭にお育ちになって素直になんでも御覧になれるのはありがたい事なんですわ。そんな方ばかりが世の中にいらっしゃるとめんどうがなくなってそれはいいんですけれども、岡さんなんかはそれから見るとほんとうにお気の毒なんですの。わたしみたいなものをさえああしてたよりにしていらっしゃるのを見るといじらしくってきょうは倉地さんの見ている前でキスして上げっちまったの。……他人事じゃありませんわね(葉子の顔はすぐ曇った)。あなたと同様はきはきした事の好きなわたしがこんなに意地をこじらしたり、人の気をかねたり、好んで誤解を買って出たりするようになってしまった、それを考えてごらんになってちょうだい。あなたには今はおわかりにならないかもしれませんけれども……それにしてももう五時。愛子に手料理を作らせておきましたから久しぶりで妹たちにも会ってやってくださいまし、ね、いいでしょう」  古藤は急に固くなった。 「僕は帰ります。僕は木村にはっきりした報告もできないうちに、こちらで御飯をいただいたりするのはなんだか気がとがめます。葉子さん頼みます、木村を救ってください。そしてあなた自身を救ってください。僕はほんとうをいうと遠くに離れてあなたを見ているとどうしてもきらいになっちまうんですが、こうやってお話ししていると失礼な事をいったり自分で怒ったりしながらも、あなたは自分でもあざむけないようなものを持っておられるのを感ずるように思うんです。境遇が悪いんだきっと。僕は一生が大事だと思いますよ。来世があろうが過去世があろうがこの一生が大事だと思いますよ。生きがいがあったと思うように生きて行きたいと思いますよ。ころんだって倒れたってそんな事を世間のようにかれこれくよくよせずに、ころんだら立って、倒れたら起き上がって行きたいと思います。僕は少し人並みはずれてばかのようだけれども、ばか者でさえがそうして行きたいと思ってるんです」  古藤は目に涙をためて痛ましげに葉子を見やった。その時電灯が急に部屋を明るくした。 「あなたはほんとうにどこか悪いようですね。早くなおってください。それじゃ僕はこれできょうは御免をこうむります。さようなら」  牝鹿のように敏感な岡さえがいっこう注意しない葉子の健康状態を、鈍重らしい古藤がいち早く見て取って案じてくれるのを見ると、葉子はこの素朴な青年になつかし味を感ずるのだった。葉子は立って行く古藤の後ろから、 「愛さん貞ちゃん古藤さんがお帰りになるといけないから早く来ておとめ申しておくれ」  と叫んだ。玄関に出た古藤の所に台所口から貞世が飛んで来た。飛んで来はしたが、倉地に対してのようにすぐおどりかかる事は得しないで、口もきかずに、少し恥ずかしげにそこに立ちすくんだ。そのあとから愛子が手ぬぐいを頭から取りながら急ぎ足で現われた。玄関のなげしの所に照り返しをつけて置いてあるランプの光をまともに受けた愛子の顔を見ると、古藤は魅いられたようにその美に打たれたらしく、目礼もせずにその立ち姿にながめ入った。愛子はにこりと左の口じりに笑くぼの出る微笑を見せて、右手の指先が廊下の板にやっとさわるほど膝を折って軽く頭を下げた。愛子の顔には羞恥らしいものは少しも現われなかった。 「いけません、古藤さん。妹たちが御恩返しのつもりで一生懸命にしたんですから、おいしくはありませんが、ぜひ、ね。貞ちゃんお前さんその帽子と剣とを持ってお逃げ」  葉子にそういわれて貞世はすばしこく帽子だけ取り上げてしまった。古藤はおめおめと居残る事になった。  葉子は倉地をも呼び迎えさせた。  十二畳の座敷にはこの家に珍しくにぎやかな食卓がしつらえられた。五人がおのおの座について箸を取ろうとする所に倉地がはいって来た。 「さあいらっしゃいまし、今夜はにぎやかですのよ。ここへどうぞ(そう云って古藤の隣の座を目で示した)。倉地さん、この方がいつもおうわさをする木村の親友の古藤義一さんです。きょう珍しくいらしってくださいましたの。これが事務長をしていらしった倉地三吉さんです」  紹介された倉地は心置きない態度で古藤のそばにすわりながら、 「わたしはたしか双鶴館でちょっとお目にかかったように思うが御挨拶もせず失敬しました。こちらには始終お世話になっとります。以後よろしく」  といった。古藤は正面から倉地をじっと見やりながらちょっと頭を下げたきり物もいわなかった。倉地は軽々しく出した自分の今の言葉を不快に思ったらしく、苦りきって顔を正面に直したが、しいて努力するように笑顔を作ってもう一度古藤を顧みた。 「あの時からすると見違えるように変わられましたな。わたしも日清戦争の時は半分軍人のような生活をしたが、なかなかおもしろかったですよ。しかし苦しい事もたまにはおありだろうな」  古藤は食卓を見やったまま、 「えゝ」  とだけ答えた。倉地の我慢はそれまでだった。一座はその気分を感じてなんとなく白け渡った。葉子の手慣れた tact でもそれはなかなか一掃されなかった。岡はその気まずさを強烈な電気のように感じているらしかった。ひとり貞世だけはしゃぎ返った。 「このサラダは愛ねえさんがお醋とオリーブ油を間違って油をたくさんかけたからきっと油っこくってよ」  愛子はおだやかに貞世をにらむようにして、 「貞ちゃんはひどい」  といった。貞世は平気だった。 「その代わりわたしがまたお醋をあとから入れたからすっぱすぎる所があるかもしれなくってよ。も少しついでにお葉も入れればよかってねえ、愛ねえさん」  みんなは思わず笑った。古藤も笑うには笑った。しかしその笑い声はすぐしずまってしまった。  やがて古藤が突然箸をおいた。 「僕が悪いためにせっかくの食卓をたいへん不愉快にしたようです。すみませんでした。僕はこれで失礼します」  葉子はあわてて、 「まあそんな事はちっともありません事よ。古藤さんそんな事をおっしゃらずにしまいまでいらしってちょうだいどうぞ。みんなで途中までお送りしますから」  ととめたが古藤はどうしてもきかなかった。人々は食事なかばで立ち上がらねばならなかった。古藤は靴をはいてから、帯皮を取り上げて剣をつると、洋服のしわを延ばしながら、ちらっと愛子に鋭く目をやった。始めからほとんど物をいわなかった愛子は、この時も黙ったまま、多恨な柔和な目を大きく見開いて、中座をして行く古藤を美しくたしなめるようにじっと見返していた、それを葉子の鋭い視覚は見のがさなかった。 「古藤さん、あなたこれからきっとたびたびいらしってくださいましよ。まだまだ申し上げる事がたくさん残っていますし、妹たちもお待ち申していますから、きっとですことよ」  そういって葉子も親しみを込めたひとみを送った。古藤はしゃちこ張った軍隊式の立礼をして、さくさくと砂利の上に靴の音を立てながら、夕闇の催した杉森の下道のほうへと消えて行った。  見送りに立たなかった倉地が座敷のほうでひとり言のようにだれに向かってともなく「ばか!」というのが聞こえた。 三五  葉子と倉地とは竹柴館以来たびたび家を明けて小さな恋の冒険を楽しみ合うようになった。そういう時に倉地の家に出入りする外国人や正井などが同伴する事もあった。外国人はおもに米国の人だったが、葉子は倉地がそういう人たちを同座させる意味を知って、そのなめらかな英語と、だれでも――ことに顔や手の表情に本能的な興味を持つ外国人を――蠱惑しないでは置かないはなやかな応接ぶりとで、彼らをとりこにする事に成功した。それは倉地の仕事を少なからず助けたに違いなかった。倉地の金まわりはますます潤沢になって行くらしかった。葉子一家は倉地と木村とから貢がれる金で中流階級にはあり得ないほど余裕のある生活ができたのみならず、葉子は充分の仕送りを定子にして、なお余る金を女らしく毎月銀行に預け入れるまでになった。  しかしそれとともに倉地はますますすさんで行った。目の光にさえもとのように大海にのみ見る寛濶な無頓着なそして恐ろしく力強い表情はなくなって、いらいらとあてもなく燃えさかる石炭の火のような熱と不安とが見られるようになった。ややともすると倉地は突然わけもない事にきびしく腹を立てた。正井などは木っ葉みじんにしかり飛ばされたりした。そういう時の倉地はあらしのような狂暴な威力を示した。  葉子も自分の健康がだんだん悪いほうに向いて行くのを意識しないではいられなくなった。倉地の心がすさめばすさむほど葉子に対して要求するものは燃えただれる情熱の肉体だったが、葉子もまた知らず知らず自分をそれに適応させ、かつは自分が倉地から同様な狂暴な愛撫を受けたい欲念から、先の事もあとの事も考えずに、現在の可能のすべてを尽くして倉地の要求に応じて行った。脳も心臓も振り回して、ゆすぶって、たたきつけて、一気に猛火であぶり立てるような激情、魂ばかりになったような、肉ばかりになったような極端な神経の混乱、そしてそのあとに続く死滅と同然の倦怠疲労。人間が有する生命力をどん底からためし試みるそういう虐待が日に二度も三度も繰り返された。そうしてそのあとでは倉地の心はきっと野獣のようにさらにすさんでいた。葉子は不快きわまる病理的の憂鬱に襲われた。静かに鈍く生命を脅かす腰部の痛み、二匹の小魔が肉と骨との間にはいり込んで、肉を肩にあてて骨を踏んばって、うんと力任せに反り上がるかと思われるほどの肩の凝り、だんだん鼓動を低めて行って、呼吸を苦しくして、今働きを止めるかとあやぶむと、一時に耳にまで音が聞こえるくらい激しく動き出す不規則な心臓の動作、もやもやと火の霧で包まれたり、透明な氷の水で満たされるような頭脳の狂い、……こういう現象は日一日と生命に対する、そして人生に対する葉子の猜疑を激しくした。  有頂天の溺楽のあとに襲って来るさびしいとも、悲しいとも、はかないとも形容のできないその空虚さは何よりも葉子につらかった。たといその場で命を絶ってもその空虚さは永遠に葉子を襲うもののようにも思われた。ただこれからのがれるただ一つの道は捨てばちになって、一時的のものだとは知り抜きながら、そしてそのあとにはさらに苦しい空虚さが待ち伏せしているとは覚悟しながら、次の溺楽を逐うほかはなかった。気分のすさんだ倉地も同じ葉子と同じ心で同じ事を求めていた。こうして二人は底止する所のないいずこかへ手をつないで迷い込んで行った。  ある朝葉子は朝湯を使ってから、例の六畳で鏡台に向かったが一日一日に変わって行くような自分の顔にはただ驚くばかりだった。少し縦に長く見える鏡ではあるけれども、そこに映る姿はあまりに細っていた。その代わり目は前にも増して大きく鈴を張って、化粧焼けとも思われぬ薄い紫色の色素がそのまわりに現われて来ていた。それが葉子の目にたとえば森林に囲まれた澄んだ湖のような深みと神秘とを添えるようにも見えた。鼻筋はやせ細って精神的な敏感さをきわ立たしていた。頬の傷々しくこけたために、葉子の顔にいうべからざる暖かみを与える笑くぼを失おうとしてはいたが、その代わりにそこには悩ましく物思わしい張りを加えていた。ただ葉子がどうしても弁護のできないのはますます目立って来た固い下顎の輪郭だった。しかしとにもかくにも肉情の興奮の結果が顔に妖凄な精神美を付け加えているのは不思議だった。葉子はこれまでの化粧法を全然改める必要をその朝になってしみじみと感じた。そして今まで着ていた衣類までが残らず気に食わなくなった。そうなると葉子は矢もたてもたまらなかった。  葉子は紅のまじった紅粉をほとんど使わずに化粧をした。顎の両側と目のまわりとの紅粉をわざと薄くふき取った。枕を入れずに前髪を取って、束髪の髷を思いきり下げて結ってみた。鬢だけを少しふくらましたので顎の張ったのも目立たず、顔の細くなったのもいくらか調節されて、そこには葉子自身が期待もしなかったような廃頽的な同時に神経質的なすごくも美しい一つの顔面が創造されていた。有り合わせのものの中からできるだけ地味な一そろいを選んでそれを着ると葉子はすぐ越後屋に車を走らせた。  昼すぎまで葉子は越後屋にいて注文や買い物に時を過ごした。衣服や身のまわりのものの見立てについては葉子は天才といってよかった。自分でもその才能には自信を持っていた。従って思い存分の金をふところに入れていて買い物をするくらい興の多いものは葉子に取っては他になかった。越後屋を出る時には、感興と興奮とに自分を傷めちぎった芸術家のようにへとへとに疲れきっていた。  帰りついた玄関の靴脱ぎ石の上には岡の細長い華車な半靴が脱ぎ捨てられていた。葉子は自分の部屋に行って懐中物などをしまって、湯飲みでなみなみと一杯の白湯を飲むと、すぐ二階に上がって行った。自分の新しい化粧法がどんなふうに岡の目を刺激するか、葉子は子供らしくそれを試みてみたかったのだ。彼女は不意に岡の前に現われようために裏階子からそっと登って行った。そして襖をあけるとそこに岡と愛子だけがいた。貞世は苔香園にでも行って遊んでいるのかそこには姿を見せなかった。  岡は詩集らしいものを開いて見ていた。そこにはなお二三冊の書物が散らばっていた。愛子は縁側に出て手欄から庭を見おろしていた。しかし葉子は不思議な本能から、階子段に足をかけたころには、二人は決して今のような位置に、今のような態度でいたのではないという事を直覚していた。二人が一人は本を読み、一人が縁に出ているのは、いかにも自然でありながら非常に不自然だった。  突然――それはほんとうに突然どこから飛び込んで来たのか知れない不快の念のために葉子の胸はかきむしられた。岡は葉子の姿を見ると、わざっと寛がせていたような姿勢を急に正して、読みふけっていたらしく見せた詩集をあまりに惜しげもなく閉じてしまった。そしていつもより少しなれなれしく挨拶した。愛子は縁側から静かにこっちを振り向いて平生と少しも変わらない態度で、柔順に無表情に縁板の上にちょっと膝をついて挨拶した。しかしその沈着にも係わらず、葉子は愛子が今まで涙を目にためていたのをつきとめた。岡も愛子も明らかに葉子の顔や髪の様子の変わったのに気づいていないくらい心に余裕のないのが明らかだった。 「貞ちゃんは」  と葉子は立ったままで尋ねてみた。二人は思わずあわてて答えようとしたが、岡は愛子をぬすみ見るようにして控えた。 「隣の庭に花を買いに行ってもらいましたの」  そう愛子が少し下を向いて髷だけを葉子に見えるようにして素直に答えた。「ふゝん」と葉子は腹の中でせせら笑った。そして始めてそこにすわって、じっと岡の目を見つめながら、 「何? 読んでいらしったのは」  といって、そこにある四六細型の美しい表装の書物を取り上げて見た。黒髪を乱した妖艶な女の頭、矢で貫かれた心臓、その心臓からぽたぽた落ちる血のしたたりがおのずから字になったように図案された「乱れ髪」という標題――文字に親しむ事の大きらいな葉子もうわさで聞いていた有名な鳳晶子の詩集だった。そこには「明星」という文芸雑誌だの、春雨の「無花果」だの、兆民居士の「一年有半」だのという新刊の書物も散らばっていた。 「まあ岡さんもなかなかのロマンティストね、こんなものを愛読なさるの」  と葉子は少し皮肉なものを口じりに見せながら尋ねてみた。岡は静かな調子で訂正するように、 「それは愛子さんのです。わたし今ちょっと拝見しただけです」 「これは」  といって葉子は今度は「一年有半」を取り上げた。 「それは岡さんがきょう貸してくださいましたの。わたしわかりそうもありませんわ」  愛子は姉の毒舌をあらかじめ防ごうとするように。 「へえ、それじゃ岡さん、あなたはまたたいしたリアリストね」  葉子は愛子を眼中にもおかないふうでこういった。去年の下半期の思想界を震憾したようなこの書物と続編とは倉地の貧しい書架の中にもあったのだ。そして葉子はおもしろく思いながらその中を時々拾い読みしていたのだった。 「なんだかわたしとはすっかり違った世界を見るようでいながら、自分の心持ちが残らずいってあるようでもあるんで……わたしそれが好きなんです。リアリストというわけではありませんけれども……」 「でもこの本の皮肉は少しやせ我慢ね。あなたのような方にはちょっと不似合いですわ」 「そうでしょうか」  岡は何とはなく今にでも腫れ物にさわられるかのようにそわそわしていた。会話は少しもいつものようにははずまなかった。葉子はいらいらしながらもそれを顔には見せないで今度は愛子のほうに槍先を向けた。 「愛さんお前こんな本をいつお買いだったの」  といってみると、愛子は少しためらっている様子だったが、すぐに素直な落ち着きを見せて、 「買ったんじゃないんですの。古藤さんが送ってくださいましたの」  といった。葉子はさすがに驚いた。古藤はあの会食の晩、中座したっきり、この家には足踏みもしなかったのに……。葉子は少し激しい言葉になった。 「なんだってまたこんな本を送っておよこしなさったんだろう。あなたお手紙でも上げたのね」 「えゝ、……くださいましたから」 「どんなお手紙を」  愛子は少しうつむきかげんに黙ってしまった、こういう態度を取った時の愛子のしぶとさを葉子はよく知っていた。葉子の神経はびりびりと緊張して来た。 「持って来てお見せ」  そう厳格にいいながら、葉子はそこに岡のいる事も意識の中に加えていた。愛子は執拗に黙ったまますわっていた。しかし葉子がもう一度催促の言葉を出そうとすると、その瞬間に愛子はつと立ち上がって部屋を出て行った。  葉子はそのすきに岡の顔を見た。それはまた無垢童貞の青年が不思議な戦慄を胸の中に感じて、反感を催すか、ひき付けられるかしないではいられないような目で岡を見た。岡は少女のように顔を赤めて、葉子の視線を受けきれないでひとみをたじろがしつつ目を伏せてしまった。葉子はいつまでもそのデリケートな横顔を注視つづけた。岡は唾を飲みこむのもはばかるような様子をしていた。 「岡さん」  そう葉子に呼ばれて、岡はやむを得ずおずおず頭を上げた。葉子は今度はなじるようにその若々しい上品な岡を見つめていた。  そこに愛子が白い西洋封筒を持って帰って来た。葉子は岡にそれを見せつけるように取り上げて、取るにも足らぬ軽いものでも扱うように飛び飛びに読んでみた。それにはただあたりまえな事だけが書いてあった。しばらく目で見た二人の大きくなって変わったのには驚いたとか、せっかく寄って作ってくれたごちそうをすっかり賞味しないうちに帰ったのは残念だが、自分の性分としてはあの上我慢ができなかったのだから許してくれとか、人間は他人の見よう見まねで育って行ったのではだめだから、たといどんな境遇にいても自分の見識を失ってはいけないとか、二人には倉地という人間だけはどうかして近づけさせたくないと思うとか、そして最後に、愛子さんは詠歌がなかなか上手だったがこのごろできるか、できるならそれを見せてほしい、軍隊生活の乾燥無味なのには堪えられないからとしてあった。そしてあて名は愛子、貞世の二人になっていた。 「ばかじゃないの愛さん、あなたこのお手紙でいい気になって、下手くそなぬたでもお見せ申したんでしょう……いい気なものね……この御本と一緒にもお手紙が来たはずね」  愛子はすぐまた立とうとした。しかし葉子はそうはさせなかった。 「一本一本お手紙を取りに行ったり帰ったりしたんじゃ日が暮れますわ。……日が暮れるといえばもう暗くなったわ。貞ちゃんはまた何をしているだろう……あなた早く呼びに行って一緒にお夕飯のしたくをしてちょうだい」  愛子はそこにある書物をひとかかえに胸に抱いて、うつむくと愛らしく二重になる頤で押えて座を立って行った。それがいかにもしおしおと、細かい挙動の一つ一つで岡に哀訴するように見れば見なされた。「互いに見かわすような事をしてみるがいい」そう葉子は心の中で二人をたしなめながら、二人に気を配った。岡も愛子も申し合わしたように瞥視もし合わなかった。けれども葉子は二人がせめては目だけでも慰め合いたい願いに胸を震わしているのをはっきりと感ずるように思った。葉子の心はおぞましくも苦々しい猜疑のために苦しんだ。若さと若さとが互いにきびしく求め合って、葉子などをやすやすと袖にするまでにその情炎は嵩じていると思うと耐えられなかった。葉子はしいて自分を押ししずめるために、帯の間から煙草入れを取り出してゆっくり煙を吹いた。煙管の先が端なく火鉢にかざした岡の指先に触れると電気のようなものが葉子に伝わるのを覚えた。若さ……若さ……。  そこには二人の間にしばらくぎごちない沈黙が続いた。岡が何をいえば愛子は泣いたんだろう。愛子は何を泣いて岡に訴えていたのだろう。葉子が数えきれぬほど経験した幾多の恋の場面の中から、激情的ないろいろの光景がつぎつぎに頭の中に描かれるのだった。もうそうした年齢が岡にも愛子にも来ているのだ。それに不思議はない。しかしあれほど葉子にあこがれおぼれて、いわば恋以上の恋ともいうべきものを崇拝的にささげていた岡が、あの純直な上品なそしてきわめて内気な岡が、見る見る葉子の把持から離れて、人もあろうに愛子――妹の愛子のほうに移って行こうとしているらしいのを見なければならないのはなんという事だろう。愛子の涙――それは察する事ができる。愛子はきっと涙ながらに葉子と倉地との間にこのごろ募って行く奔放な放埒な醜行を訴えたに違いない。葉子の愛子と貞世とに対する偏頗な愛憎と、愛子の上に加えられる御殿女中風な圧迫とを嘆いたに違いない。しかもそれをあの女に特有な多恨らしい、冷ややかな、さびしい表現法で、そして息気づまるような若さと若さとの共鳴の中に……。  勃然として焼くような嫉妬が葉子の胸の中に堅く凝りついて来た。葉子はすり寄っておどおどしている岡の手を力強く握りしめた。葉子の手は氷のように冷たかった。岡の手は火鉢にかざしてあったせいか、珍しくほてって臆病らしい油汗が手のひらにしとどににじみ出ていた。 「あなたはわたしがおこわいの」  葉子はさりげなく岡の顔をのぞき込むようにしてこういった。 「そんな事……」  岡はしょう事なしに腹を据えたように割合にしゃんとした声でこういいながら、葉子の目をゆっくり見やって、握られた手には少しも力をこめようとはしなかった。葉子は裏切られたと思う不満のためにもうそれ以上冷静を装ってはいられなかった。昔のようにどこまでも自分を失わない、粘り気の強い、鋭い神経はもう葉子にはなかった。 「あなたは愛子を愛していてくださるのね。そうでしょう。わたしがここに来る前愛子はあんなに泣いて何を申し上げていたの?……おっしゃってくださいな。愛子があなたのような方に愛していただけるのはもったいないくらいですから、わたし喜ぶともとがめ立てなどはしません、きっと。だからおっしゃってちょうだい。……いゝえ、そんな事をおっしゃってそりゃだめ、わたしの目はまだこれでも黒うござんすから。……あなたそんな水臭いお仕向けをわたしになさろうというの? まさかとは思いますがあなたわたしにおっしゃった事を忘れなさっちゃ困りますよ。わたしはこれでも真剣な事には真剣になるくらいの誠実はあるつもりです事よ。わたしあなたのお言葉は忘れてはおりませんわ。姉だと今でも思っていてくださるならほんとうの事をおっしゃってください。愛子に対してはわたしはわたしだけの事をして御覧に入れますから……さ」  そう疳走った声でいいながら葉子は時々握っている岡の手をヒステリックに激しく振り動かした。泣いてはならぬと思えば思うほど葉子の目からは涙が流れた。さながら恋人に不実を責めるような熱意が思うざまわき立って来た。しまいには岡にもその心持ちが移って行ったようだった。そして右手を握った葉子の手の上に左の手を添えながら、上下からはさむように押えて、岡は震え声で静かにいい出した。 「御存じじゃありませんか、わたし、恋のできるような人間ではないのを。年こそ若うございますけれども心は妙にいじけて老いてしまっているんです。どうしても恋の遂げられないような女の方にでなければわたしの恋は動きません。わたしを恋してくれる人があるとしたら、わたし、心が即座に冷えてしまうのです。一度自分の手に入れたら、どれほど尊いものでも大事なものでも、もうわたしには尊くも大事でもなくなってしまうんです。だからわたし、さびしいんです。なんにも持っていない、なんにもむなしい……そのくせそう知り抜きながらわたし、何かどこかにあるように思ってつかむ事のできないものにあこがれます。この心さえなくなればさびしくってもそれでいいのだがなと思うほど苦しくもあります。何にでも自分の理想をすぐあてはめて熱するような、そんな若い心がほしくもありますけれども、そんなものはわたしには来はしません……春にでもなって来るとよけい世の中はむなしく見えてたまりません。それをさっきふと愛子さんに申し上げたんです。そうしたら愛子さんがお泣きになったんです。わたし、あとですぐ悪いと思いました、人にいうような事じゃなかったのを……」  こういう事をいう時の岡はいう言葉にも似ず冷酷とも思われるほどたださびしい顔になった。葉子には岡の言葉がわかるようでもあり、妙にからんでも聞こえた。そしてちょっとすかされたように気勢をそがれたが、どんどんわき上がるように内部から襲い立てる力はすぐ葉子を理不尽にした。 「愛子がそんなお言葉で泣きましたって? 不思議ですわねえ。……それならそれでようござんす。……(ここで葉子は自分にも堪え切れずにさめざめと泣き出した)岡さんわたしもさびしい……さびしくって、さびしくって……」 「お察し申します」  岡は案外しんみりした言葉でそういった。 「おわかりになって?」  と葉子は泣きながら取りすがるようにした。 「わかります。……あなたは堕落した天使のような方です。御免ください。船の中で始めてお目にかかってからわたし、ちっとも心持ちが変わってはいないんです。あなたがいらっしゃるんでわたし、ようやくさびしさからのがれます」 「うそ!……あなたはもうわたしに愛想をおつかしなのよ。わたしのように堕落したものは……」  葉子は岡の手を放して、とうとうハンケチを顔にあてた。 「そういう意味でいったわけじゃないんですけれども……」  ややしばらく沈黙した後に、当惑しきったようにさびしく岡は独語ちてまた黙ってしまった。岡はどんなにさびしそうな時でもなかなか泣かなかった。それが彼をいっそうさびしく見せた。  三月末の夕方の空はなごやかだった。庭先の一重桜のこずえには南に向いたほうに白い花べんがどこからか飛んで来てくっついたようにちらほら見え出していた、その先には赤く霜枯れた杉森がゆるやかに暮れ初めて、光を含んだ青空が静かに流れるように漂っていた。苔香園のほうから園丁が間遠に鋏をならす音が聞こえるばかりだった。  若さから置いて行かれる……そうしたさびしみが嫉妬にかわってひしひしと葉子を襲って来た。葉子はふと母の親佐を思った。葉子が木部との恋に深入りして行った時、それを見守っていた時の親佐を思った。親佐のその心を思った。自分の番が来た……その心持ちはたまらないものだった。と、突然定子の姿が何よりもなつかしいものとなって胸に逼って来た。葉子は自分にもその突然の連想の経路はわからなかった。突然もあまりに突然――しかし葉子に逼るその心持ちは、さらに葉子を畳に突っ伏して泣かせるほど強いものだった。  玄関から人のはいって来る気配がした。葉子はすぐそれが倉地である事を感じた。葉子は倉地と思っただけで、不思議な憎悪を感じながらその動静に耳をすました。倉地は台所のほうに行って愛子を呼んだようだった。二人の足音が玄関の隣の六畳のほうに行った。そしてしばらく静かだった。と思うと、 「いや」  と小さく退けるようにいう愛子の声が確かに聞こえた。抱きすくめられて、もがきながら放たれた声らしかったが、その声の中には憎悪の影は明らかに薄かった。  葉子は雷に撃たれたように突然泣きやんで頭をあげた。  すぐ倉地が階子段をのぼって来る音が聞こえた。 「わたし台所に参りますからね」  何も知らなかったらしい岡に、葉子はわずかにそれだけをいって、突然座を立って裏階子に急いだ。と、かけ違いに倉地は座敷にはいって来た。強い酒の香がすぐ部屋の空気をよごした。 「やあ春になりおった。桜が咲いたぜ。おい葉子」  いかにも気さくらしく塩がれた声でこう叫んだ倉地に対して、葉子は返事もできないほど興奮していた。葉子は手に持ったハンケチを口に押し込むようにくわえて、震える手で壁を細かくたたくようにしながら階子段を降りた。  葉子は頭の中に天地の壊れ落ちるような音を聞きながら、そのまま縁に出て庭下駄をはこうとあせったけれどもどうしてもはけないので、はだしのまま庭に出た。そして次の瞬間に自分を見いだした時にはいつ戸をあけたとも知らず物置き小屋の中にはいっていた。 三六  底のない悒鬱がともするとはげしく葉子を襲うようになった。いわれのない激怒がつまらない事にもふと頭をもたげて、葉子はそれを押ししずめる事ができなくなった。春が来て、木の芽から畳の床に至るまですべてのものが膨らんで来た。愛子も貞世も見違えるように美しくなった。その肉体は細胞の一つ一つまで素早く春をかぎつけ、吸収し、飽満するように見えた。愛子はその圧迫に堪えないで春の来たのを恨むようなけだるさとさびしさとを見せた。貞世は生命そのものだった。秋から冬にかけてにょきにょきと延び上がった細々したからだには、春の精のような豊麗な脂肪がしめやかにしみわたって行くのが目に見えた。葉子だけは春が来てもやせた。来るにつけてやせた。ゴム毬の弧線のような肩は骨ばった輪郭を、薄着になった着物の下からのぞかせて、潤沢な髪の毛の重みに堪えないように首筋も細々となった。やせて悒鬱になった事から生じた別種の美――そう思って葉子がたよりにしていた美もそれはだんだん冴え増さって行く種類の美ではない事を気づかねばならなくなった。その美はその行く手には夏がなかった。寒い冬のみが待ち構えていた。  歓楽ももう歓楽自身の歓楽は持たなくなった。歓楽の後には必ず病理的な苦痛が伴うようになった。ある時にはそれを思う事すらが失望だった。それでも葉子はすべての不自然な方法によって、今は振り返って見る過去にばかりながめられる歓楽の絶頂を幻影としてでも現在に描こうとした。そして倉地を自分の力の支配の下につなごうとした。健康が衰えて行けば行くほどこの焦躁のために葉子の心は休まなかった。全盛期を過ぎた伎芸の女にのみ見られるような、いたましく廃頽した、腐菌の燐光を思わせる凄惨な蠱惑力をわずかな力として葉子はどこまでも倉地をとりこにしようとあせりにあせった。  しかしそれは葉子のいたましい自覚だった。美と健康とのすべてを備えていた葉子には今の自分がそう自覚されたのだけれども、始めて葉子を見る第三者は、物すごいほど冴えきって見える女盛りの葉子の惑力に、日本には見られないようなコケットの典型を見いだしたろう。おまけに葉子は肉体の不足を極端に人目をひく衣服で補うようになっていた。その当時は日露の関係も日米の関係もあらしの前のような暗い徴候を現わし出して、国人全体は一種の圧迫を感じ出していた。臥薪嘗胆というような合い言葉がしきりと言論界には説かれていた。しかしそれと同時に日清戦争を相当に遠い過去としてながめうるまでに、その戦役の重い負担から気のゆるんだ人々は、ようやく調整され始めた経済状態の下で、生活の美装という事に傾いていた。自然主義は思想生活の根底となり、当時病天才の名をほしいままにした高山樗牛らの一団はニイチェの思想を標榜して「美的生活」とか「清盛論」というような大胆奔放な言説をもって思想の維新を叫んでいた。風俗問題とか女子の服装問題とかいう議論が守旧派の人々の間にはかまびすしく持ち出されている間に、その反対の傾向は、殻を破った芥子の種のように四方八方に飛び散った。こうして何か今までの日本にはなかったようなものの出現を待ち設け見守っていた若い人々の目には、葉子の姿は一つの天啓のように映ったに違いない。女優らしい女優を持たず、カフェーらしいカフェーを持たない当時の路上に葉子の姿はまぶしいものの一つだ。葉子を見た人は男女を問わず目をそばだてた。  ある朝葉子は装いを凝らして倉地の下宿に出かけた。倉地は寝ごみを襲われて目をさました。座敷のすみには夜をふかして楽しんだらしい酒肴の残りが敗えたようにかためて置いてあった。例のシナ鞄だけはちゃんと錠がおりて床の間のすみに片づけられていた。葉子はいつものとおり知らんふりをしながら、そこらに散らばっている手紙の差し出し人の名前に鋭い観察を与えるのだった。倉地は宿酔を不快がって頭をたたきながら寝床から半身を起こすと、 「なんでけさはまたそんなにしゃれ込んで早くからやって来おったんだ」  とそっぽに向いて、あくびでもしながらのようにいった。これが一か月前だったら、少なくとも三か月前だったら、一夜の安眠に、あのたくましい精力の全部を回復した倉地は、いきなり寝床の中から飛び出して来て、そうはさせまいとする葉子を否応なしに床の上にねじ伏せていたに違いないのだ。葉子はわき目にもこせこせとうるさく見えるような敏捷さでそのへんに散らばっている物を、手紙は手紙、懐中物は懐中物、茶道具は茶道具とどんどん片づけながら、倉地のほうも見ずに、 「きのうの約束じゃありませんか」  と無愛想につぶやいた。倉地はその言葉で始めて何かいったのをかすかに思い出したふうで、 「何しろおれはきょうは忙しいでだめだよ」  といって、ようやく伸びをしながら立ち上がった。葉子はもう腹に据えかねるほど怒りを発していた。 「怒ってしまってはいけない。これが倉地を冷淡にさせるのだ」――そう心の中には思いながらも、葉子の心にはどうしてもそのいう事を聞かぬいたずら好きな小悪魔がいるようだった。即座にその場を一人だけで飛び出してしまいたい衝動と、もっと巧みな手練でどうしても倉地をおびき出さなければいけないという冷静な思慮とが激しく戦い合った。葉子はしばらくの後にかろうじてその二つの心持ちをまぜ合わせる事ができた。 「それではだめね……またにしましょうか。でもくやしいわ、このいいお天気に……いけない、あなたの忙しいはうそですわ。忙しい忙しいっていっときながらお酒ばかり飲んでいらっしゃるんだもの。ね、行きましょうよ。こら見てちょうだい」  そういいながら葉子は立ち上がって、両手を左右に広く開いて、袂が延びたまま両腕からすらりとたれるようにして、やや剣を持った笑いを笑いながら倉地のほうに近寄って行った。倉地もさすがに、今さらその美しさに見惚れるように葉子を見やった。天才が持つと称せられるあの青色をさえ帯びた乳白色の皮膚、それがやや浅黒くなって、目の縁に憂いの雲をかけたような薄紫の暈、霞んで見えるだけにそっと刷いた白粉、きわ立って赤くいろどられた口びる、黒い焔を上げて燃えるようなひとみ、後ろにさばいて束ねられた黒漆の髪、大きなスペイン風の玳瑁の飾り櫛、くっきりと白く細い喉を攻めるようにきりっと重ね合わされた藤色の襟、胸のくぼみにちょっとのぞかせた、燃えるような緋の帯上げのほかは、ぬれたかとばかりからだにそぐって底光りのする紫紺色の袷、その下につつましく潜んで消えるほど薄い紫色の足袋(こういう色足袋は葉子がくふうし出した新しい試みの一つだった)そういうものが互い互いに溶け合って、のどやかな朝の空気の中にぽっかりと、葉子という世にもまれなほど悽艶な一つの存在を浮き出さしていた。その存在の中から黒い焔を上げて燃えるような二つのひとみが生きて動いて倉地をじっと見やっていた。  倉地が物をいうか、身を動かすか、とにかく次の動作に移ろうとするその前に、葉子は気味の悪いほどなめらかな足どりで、倉地の目の先に立ってその胸の所に、両手をかけていた。 「もうわたしに愛想が尽きたら尽きたとはっきりいってください、ね。あなたは確かに冷淡におなりね。わたしは自分が憎うござんす、自分に愛想を尽かしています。さあいってください、……今……この場で、はっきり……でも死ねとおっしゃい、殺すとおっしゃい。わたしは喜んで……わたしはどんなにうれしいかしれないのに。……ようござんすわ、なんでもわたしほんとうが知りたいんですから。さ、いってください。わたしどんなきつい言葉でも覚悟していますから。悪びれなんかしはしませんから……あなたはほんとうにひどい……」  葉子はそのまま倉地の胸に顔をあてた。そして始めのうちはしめやかにしめやかに泣いていたが、急に激しいヒステリー風なすすり泣きに変わって、きたないものにでも触れていたように倉地の熱気の強い胸もとから飛びしざると、寝床の上にがばと突っ伏して激しく声を立てて泣き出した。  このとっさの激しい威脅に、近ごろそういう動作には慣れていた倉地だったけれども、あわてて葉子に近づいてその肩に手をかけた。葉子はおびえるようにその手から飛びのいた。そこには獣に見るような野性のままの取り乱しかたが美しい衣装にまとわれて演ぜられた。葉子の歯も爪もとがって見えた。からだは激しい痙攣に襲われたように痛ましく震えおののいていた。憤怒と恐怖と嫌悪とがもつれ合いいがみ合ってのた打ち回るようだった。葉子は自分の五体が青空遠くかきさらわれて行くのを懸命に食い止めるためにふとんでも畳でも爪の立ち歯の立つものにしがみついた。倉地は何よりもその激しい泣き声が隣近所の耳にはいるのを恥じるように背に手をやってなだめようとしてみたけれども、そのたびごとに葉子はさらに泣き募ってのがれようとばかりあせった。 「何を思い違いをしとる、これ」  倉地は喉笛をあけっ放した低い声で葉子の耳もとにこういってみたが、葉子は理不尽にも激しく頭を振るばかりだった。倉地は決心したように力任せにあらがう葉子を抱きすくめて、その口に手をあてた。 「えゝ、殺すなら殺してください……くださいとも」  という狂気じみた声をしっと制しながら、その耳もとにささやこうとすると、葉子はわれながら夢中であてがった倉地の手を骨もくだけよとかんだ。 「痛い……何しやがる」  倉地はいきなり一方の手で葉子の細首を取って自分の膝の上に乗せて締めつけた。葉子は呼吸がだんだん苦しくなって行くのをこの狂乱の中にも意識して快く思った。倉地の手で死んで行くのだなと思うとそれがなんともいえず美しく心安かった。葉子の五体からはひとりでに力が抜けて行って、震えを立ててかみ合っていた歯がゆるんだ。その瞬間をすかさず倉地はかまれていた手を振りほどくと、いきなり葉子の頬げたをひしひしと五六度続けさまに平手で打った。葉子はそれがまた快かった。そのびりびりと神経の末梢に答えて来る感覚のためにからだじゅうに一種の陶酔を感ずるようにさえ思った。「もっとお打ちなさい」といってやりたかったけれども声は出なかった。そのくせ葉子の手は本能的に自分の頬をかばうように倉地の手の下るのをささえようとしていた。倉地は両肘まで使って、ばたばたと裾を蹴乱してあばれる両足のほかには葉子を身動きもできないようにしてしまった。酒で心臓の興奮しやすくなった倉地の呼吸は霰のようにせわしく葉子の顔にかかった。 「ばかが……静かに物をいえばわかる事だに……おれがお前を見捨てるか見捨てないか……静かに考えてもみろ、ばかが……恥さらしなまねをしやがって……顔を洗って出直して来い」  そういって倉地は捨てるように葉子を寝床の上にどんとほうり投げた。  葉子の力は使い尽くされて泣き続ける気力さえないようだった。そしてそのまま昏々として眠るように仰向いたまま目を閉じていた。倉地は肩で激しく息気をつきながらいたましく取り乱した葉子の姿をまんじりとながめていた。  一時間ほどの後には葉子はしかしたった今ひき起こされた乱脈騒ぎをけろりと忘れたもののように快活で無邪気になっていた。そして二人は楽しげに下宿から新橋駅に車を走らした。葉子が薄暗い婦人待合室の色のはげたモロッコ皮のディバンに腰かけて、倉地が切符を買って来るのを待ってる間、そこに居合わせた貴婦人というような四五人の人たちは、すぐ今までの話を捨ててしまって、こそこそと葉子について私語きかわすらしかった。高慢というのでもなく謙遜というのでもなく、きわめて自然に落ち着いてまっすぐに腰かけたまま、柄の長い白の琥珀のパラソルの握りに手を乗せていながら、葉子にはその貴婦人たちの中の一人がどうも見知り越しの人らしく感ぜられた。あるいは女学校にいた時に葉子を崇拝してその風俗をすらまねた連中の一人であるかとも思われた。葉子がどんな事をうわさされているかは、その婦人に耳打ちされて、見るように見ないように葉子をぬすみ見る他の婦人たちの目色で想像された。 「お前たちはあきれ返りながら心の中のどこかでわたしをうらやんでいるのだろう。お前たちの、その物おじしながらも金目をかけた派手作りな衣装や化粧は、社会上の位置に恥じないだけの作りなのか、良人の目に快く見えようためなのか。そればかりなのか。お前たちを見る路傍の男たちの目は勘定に入れていないのか。……臆病卑怯な偽善者どもめ!」  葉子はそんな人間からは一段も二段も高い所にいるような気位を感じた。自分の扮粧がその人たちのどれよりも立ちまさっている自信を十二分に持っていた。葉子は女王のように誇りの必要もないという自らの鷹揚を見せてすわっていた。  そこに一人の夫人がはいって来た。田川夫人――葉子はその影を見るか見ないかに見て取った。しかし顔色一つ動かさなかった(倉地以外の人に対しては葉子はその時でもかなりすぐれた自制力の持ち主だった)田川夫人は元よりそこに葉子がいようなどとは思いもかけないので、葉子のほうにちょっと目をやりながらもいっこうに気づかずに、 「お待たせいたしましてすみません」  といいながら貴婦人らのほうに近寄って行った。互いの挨拶が済むか済まないうちに、一同は田川夫人によりそってひそひそと私語いた。葉子は静かに機会を待っていた。ぎょっとしたふうで、葉子に後ろを向けていた田川夫人は、肩越しに葉子のほうを振り返った。待ち設けていた葉子は今まで正面に向けていた顔をしとやかに向けかえて田川夫人と目を見合わした。葉子の目は憎むように笑っていた。田川夫人の目は笑うように憎んでいた。「生意気な」……葉子は田川夫人が目をそらさないうちに、すっくと立って田川夫人のほうに寄って行った。この不意打ちに度を失った夫人は(明らかに葉子がまっ紅になって顔を伏せるとばかり思っていたらしく、居合わせた婦人たちもそのさまを見て、容貌でも服装でも自分らを蹴落とそうとする葉子に対して溜飲をおろそうとしているらしかった)少し色を失って、そっぽを向こうとしたけれどももうおそかった。葉子は夫人の前に軽く頭を下げていた。夫人もやむを得ず挨拶のまねをして、高飛車に出るつもりらしく、 「あなたはどなた?」  いかにも横柄にさきがけて口をきった。 「早月葉でございます」  葉子は対等の態度で悪びれもせずこう受けた。 「絵島丸ではいろいろお世話様になってありがとう存じました。あのう……報正新報も拝見させていただきました。(夫人の顔色が葉子の言葉一つごとに変わるのを葉子は珍しいものでも見るようにまじまじとながめながら)たいそうおもしろうございました事。よくあんなにくわしく御通信になりましてねえ、お忙しくいらっしゃいましたろうに。……倉地さんもおりよくここに来合わせていらっしゃいますから……今ちょっと切符を買いに……お連れ申しましょうか」  田川夫人は見る見るまっさおになってしまっていた。折り返していうべき言葉に窮してしまって、拙くも、 「わたしはこんな所であなたとお話しするのは存じがけません。御用でしたら宅へおいでを願いましょう」  といいつつ今にも倉地がそこに現われて来るかとひたすらそれを怖れるふうだった。葉子はわざと夫人の言葉を取り違えたように、 「いゝえどういたしましてわたしこそ……ちょっとお待ちくださいすぐ倉地さんをお呼び申して参りますから」  そういってどんどん待合所を出てしまった。あとに残った田川夫人がその貴婦人たちの前でどんな顔をして当惑したか、それを葉子は目に見るように想像しながらいたずら者らしくほくそ笑んだ。ちょうどそこに倉地が切符を買って来かかっていた。  一等の客室には他に二三人の客がいるばかりだった。田川夫人以下の人たちはだれかの見送りか出迎えにでも来たのだと見えて、汽車が出るまで影も見せなかった。葉子はさっそく倉地に事の始終を話して聞かせた。そして二人は思い存分胸をすかして笑った。 「田川の奥さんかわいそうにまだあすこで今にもあなたが来るかともじもじしているでしょうよ、ほかの人たちの手前ああいわれてこそこそと逃げ出すわけにも行かないし」 「おれが一つ顔を出して見せればまたおもしろかったにな」 「きょうは妙な人にあってしまったからまたきっとだれかにあいますよ。奇妙ねえ、お客様が来たとなると不思議にたて続くし……」 「不仕合わせなんぞも来出すと束になって来くさるて」  倉地は何か心ありげにこういって渋い顔をしながらこの笑い話を結んだ。  葉子はけさの発作の反動のように、田川夫人の事があってからただ何となく心が浮き浮きしてしようがなかった。もしそこに客がいなかったら、葉子は子供のように単純な愛嬌者になって、倉地に渋い顔ばかりはさせておかなかったろう。「どうして世の中にはどこにでも他人の邪魔に来ましたといわんばかりにこうたくさん人がいるんだろう」と思ったりした。それすらが葉子には笑いの種となった。自分たちの向こう座にしかつめらしい顔をして老年の夫婦者がすわっているのを、葉子はしばらくまじまじと見やっていたが、その人たちのしかつめらしいのが無性にグロテスクな不思議なものに見え出して、とうとう我慢がしきれずに、ハンケチを口にあててきゅっきゅっとふき出してしまった。 三七  天心に近くぽつりと一つ白くわき出た雲の色にも形にもそれと知られるようなたけなわな春が、ところどころの別荘の建て物のほかには見渡すかぎり古く寂びれた鎌倉の谷々にまであふれていた。重い砂土の白ばんだ道の上には落ち椿が一重桜の花とまじって無残に落ち散っていた。桜のこずえには紅味を持った若葉がきらきらと日に輝いて、浅い影を地に落とした。名もない雑木までが美しかった。蛙の声が眠く田圃のほうから聞こえて来た。休暇でないせいか、思いのほかに人の雑鬧もなく、時おり、同じ花かんざしを、女は髪に男は襟にさして先達らしいのが紫の小旗を持った、遠い所から春を逐って経めぐって来たらしい田舎の人たちの群れが、酒の気も借らずにしめやかに話し合いながら通るのに行きあうくらいのものだった。  倉地も汽車の中から自然に気分が晴れたと見えて、いかにも屈託なくなって見えた。二人は停車場の付近にある或る小ぎれいな旅館を兼ねた料理屋で中食をしたためた。日朝様ともどんぶく様ともいう寺の屋根が庭先に見えて、そこから眼病の祈祷だという団扇太鼓の音がどんぶくどんぶくと単調に聞こえるような所だった。東のほうはその名さながらの屏風山が若葉で花よりも美しく装われて霞んでいた。短く美しく刈り込まれた芝生の芝はまだ萌えていなかったが、所まばらに立ち連なった小松は緑をふきかけて、八重桜はのぼせたように花でうなだれていた。もう袷一枚になって、そこに食べ物を運んで来る女中は襟前をくつろげながら夏が来たようだといって笑ったりした。 「ここはいいわ。きょうはここで宿りましょう」  葉子は計画から計画で頭をいっぱいにしていた。そしてそこに用らないものを預けて、江の島のほうまで車を走らした。  帰りには極楽寺坂の下で二人とも車を捨てて海岸に出た。もう日は稲村が崎のほうに傾いて砂浜はやや暮れ初めていた。小坪の鼻の崕の上に若葉に包まれてたった一軒建てられた西洋人の白ペンキ塗りの別荘が、夕日を受けて緑色に染めたコケットの、髪の中のダイヤモンドのように輝いていた。その崕下の民家からは炊煙が夕靄と一緒になって海のほうにたなびいていた。波打ちぎわの砂はいいほどに湿って葉子の吾妻下駄の歯を吸った。二人は別荘から散歩に出て来たらしい幾組かの上品な男女の群れと出あったが、葉子は自分の容貌なり服装なりが、そのどの群れのどの人にも立ちまさっているのを意識して、軽い誇りと落ち付きを感じていた。倉地もそういう女を自分の伴侶とするのをあながち無頓着には思わぬらしかった。 「だれかひょんな人にあうだろうと思っていましたがうまくだれにもあわなかってね。向こうの小坪の人家の見える所まで行きましょうね。そうして光明寺の桜を見て帰りましょう。そうするとちょうどお腹がいい空き具合になるわ」  倉地はなんとも答えなかったが、無論承知でいるらしかった。葉子はふと海のほうを見て倉地にまた口をきった。 「あれは海ね」 「仰せのとおり」  倉地は葉子が時々途轍もなくわかりきった事を少女みたいな無邪気さでいう、またそれが始まったというように渋そうな笑いを片頬に浮かべて見せた。 「わたしもう一度あのまっただなかに乗り出してみたい」 「してどうするのだい」  倉地もさすが長かった海の上の生活を遠く思いやるような顔をしながらいった。 「ただ乗り出してみたいの。どーっと見さかいもなく吹きまく風の中を、大波に思い存分揺られながら、ひっくりかえりそうになっては立て直って切り抜けて行くあの船の上の事を思うと、胸がどきどきするほどもう一度乗ってみたくなりますわ。こんな所いやねえ、住んでみると」  そういって葉子はパラソルを開いたまま柄の先で白い砂をざくざくと刺し通した。 「あの寒い晩の事、わたしが甲板の上で考え込んでいた時、あなたが灯をぶら下げて岡さんを連れて、やっていらしったあの時の事などをわたしはわけもなく思い出しますわ。あの時わたしは海でなければ聞けないような音楽を聞いていましたわ。陸の上にはあんな音楽は聞こうといったってありゃしない。おーい、おーい、おい、おい、おい、おーい……あれは何?」 「なんだそれは」  倉地は怪訝な顔をして葉子を振り返った。 「あの声」 「どの」 「海の声……人を呼ぶような……お互いで呼び合うような」 「なんにも聞こえやせんじゃないか」 「その時聞いたのよ……こんな浅い所では何が聞こえますものか」 「おれは長年海の上で暮らしたが、そんな声は一度だって聞いた事はないわ」 「そうお。不思議ね。音楽の耳のない人には聞こえないのかしら。……確かに聞こえましたよ、あの晩に……それは気味の悪いような物すごいような……いわばね、一緒になるべきはずなのに一緒になれなかった……その人たちが幾億万と海の底に集まっていて、銘々死にかけたような低い音で、おーい、おーいと呼び立てる、それが一緒になってあんなぼんやりした大きな声になるかと思うようなそんな気味の悪い声なの……どこかで今でもその声が聞こえるようよ」 「木村がやっているのだろう」  そういって倉地は高々と笑った。葉子は妙に笑えなかった。そしてもう一度海のほうをながめやった。目も届かないような遠くのほうに、大島が山の腰から下は夕靄にぼかされてなくなって、上のほうだけがへの字を描いてぼんやりと空に浮かんでいた。  二人はいつか滑川の川口の所まで来着いていた。稲瀬川を渡る時、倉地は、横浜埠頭で葉子にまつわる若者にしたように、葉子の上体を右手に軽々とかかえて、苦もなく細い流れを跳り越してしまったが、滑川のほうはそうは行かなかった。二人は川幅の狭そうな所を尋ねてだんだん上流のほうに流れに沿うてのぼって行ったが、川幅は広くなって行くばかりだった。 「めんどうくさい、帰りましょうか」  大きな事をいいながら、光明寺までには半分道も来ないうちに、下駄全体がめいりこむような砂道で疲れ果ててしまった葉子はこういい出した。 「あすこに橋が見える。とにかくあすこまで行ってみようや」  倉地はそういって海岸線に沿うてむっくり盛れ上がった砂丘のほうに続く砂道をのぼり始めた。葉子は倉地に手を引かれて息気をせいせいいわせながら、筋肉が強直するように疲れた足を運んだ。自分の健康の衰退が今さらにはっきり思わせられるようなそれは疲れかただった。今にも破裂するように心臓が鼓動した。 「ちょっと待って弁慶蟹を踏みつけそうで歩けやしませんわ」  そう葉子は申しわけらしくいって幾度か足をとめた。実際そのへんには紅い甲良を背負った小さな蟹がいかめしい鋏を上げて、ざわざわと音を立てるほどおびただしく横行していた。それがいかにも晩春の夕暮れらしかった。  砂丘をのぼりきると材木座のほうに続く道路に出た。葉子はどうも不思議な心持ちで、浜から見えていた乱橋のほうに行く気になれなかった。しかし倉地がどんどんそっちに向いて歩き出すので、少しすねたようにその手に取りすがりながらもつれ合って人気のないその橋の上まで来てしまった。  橋の手前の小さな掛け茶屋には主人の婆さんが葭で囲った薄暗い小部屋の中で、こそこそと店をたたむしたくでもしているだけだった。  橋の上から見ると、滑川の水は軽く薄濁って、まだ芽を吹かない両岸の枯れ葦の根を静かに洗いながら音も立てずに流れていた。それが向こうに行くと吸い込まれたように砂の盛れ上がった後ろに隠れて、またその先に光って現われて、穏やかなリズムを立てて寄せ返す海べの波の中に溶けこむように注いでいた。  ふと葉子は目の下の枯れ葦の中に動くものがあるのに気が付いて見ると、大きな麦桿の海水帽をかぶって、杭に腰かけて、釣り竿を握った男が、帽子の庇の下から目を光らして葉子をじっと見つめているのだった。葉子は何の気なしにその男の顔をながめた。  木部孤笻だった。  帽子の下に隠れているせいか、その顔はちょっと見忘れるくらい年がいっていた。そして服装からも、様子からも、落魄というような一種の気分が漂っていた。木部の顔は仮面のように冷然としていたが、釣り竿の先は不注意にも水に浸って、釣り糸が女の髪の毛を流したように水に浮いて軽く震えていた。  さすがの葉子も胸をどきんとさせて思わず身を退らせた。「おーい、おい、おい、おい、おーい」……それがその瞬間に耳の底をすーっと通ってすーっと行くえも知らず過ぎ去った。怯ず怯ずと倉地をうかがうと、倉地は何事も知らぬげに、暖かに暮れて行く青空を振り仰いで目いっぱいにながめていた。 「帰りましょう」  葉子の声は震えていた。倉地はなんの気なしに葉子を顧みたが、 「寒くでもなったか、口びるが白いぞ」  といいながら欄干を離れた。二人がその男に後ろを見せて五六歩歩み出すと、 「ちょっとお待ちください」  という声が橋の下から聞こえた。倉地は始めてそこに人のいたのに気が付いて、眉をひそめながら振り返った。ざわざわと葦を分けながら小道を登って来る足音がして、ひょっこり目の前に木部の姿が現われ出た。葉子はその時はしかしすべてに対する身構えを充分にしてしまっていた。  木部は少しばか丁寧なくらいに倉地に対して帽子を取ると、すぐ葉子に向いて、 「不思議な所でお目にかかりましたね、しばらく」  といった。一年前の木部から想像してどんな激情的な口調で呼びかけられるかもしれないとあやぶんでいた葉子は、案外冷淡な木部の態度に安心もし、不安も感じた。木部はどうかすると居直るような事をしかねない男だと葉子は兼ねて思っていたからだ。しかし木部という事を先方からいい出すまでは包めるだけ倉地には事実を包んでみようと思って、ただにこやかに、 「こんな所でお目にかかろうとは……わたしもほんとうに驚いてしまいました。でもまあほんとうにお珍しい……ただいまこちらのほうにお住まいでございますの?」 「住まうというほどもない……くすぶりこんでいますよハヽヽヽ」  と木部はうつろに笑って、鍔の広い帽子を書生っぽらしく阿弥陀にかぶった。と思うとまた急いで取って、 「あんな所からいきなり飛び出して来てこうなれなれしく早月さんにお話をしかけて変にお思いでしょうが、僕は下らんやくざ者で、それでも元は早月家にはいろいろ御厄介になった男です。申し上げるほどの名もありませんから、まあ御覧のとおりのやつです。……どちらにおいでです」  と倉地に向いていった。その小さな目には勝れた才気と、敗けぎらいらしい気象とがほとばしってはいたけれども、じじむさい顎ひげと、伸びるままに伸ばした髪の毛とで、葉子でなければその特長は見えないらしかった。倉地はどこの馬の骨かと思うような調子で、自分の名を名乗る事はもとよりせずに、軽く帽子を取って見せただけだった。そして、 「光明寺のほうへでも行ってみようかと思ったのだが、川が渡れんで……この橋を行っても行かれますだろう」  三人は橋のほうを振り返った。まっすぐな土堤道が白く山のきわまで続いていた。 「行けますがね、それは浜伝いのほうが趣がありますよ。防風草でも摘みながらいらっしゃい。川も渡れます、御案内しましょう」  といった。葉子は一時も早く木部からのがれたくもあったが、同時にしんみりと一別以来の事などを語り合ってみたい気もした。いつか汽車の中であってこれが最後の対面だろうと思った、あの時からすると木部はずっとさばけた男らしくなっていた。その服装がいかにも生活の不規則なのと窮迫しているのを思わせると、葉子は親身な同情にそそられるのを拒む事ができなかった。  倉地は四五歩先立って、そのあとから葉子と木部とは間を隔てて並びながら、また弁慶蟹のうざうざいる砂道を浜のほうに降りて行った。 「あなたの事はたいていうわさや新聞で知っていましたよ……人間てものはおかしなもんですね。……わたしはあれから落伍者です。何をしてみても成り立った事はありません。妻も子供も里に返してしまって今は一人でここに放浪しています。毎日釣りをやってね……ああやって水の流れを見ていると、それでも晩飯の酒の肴ぐらいなものは釣れて来ますよハヽヽヽヽ」  木部はまたうつろに笑ったが、その笑いの響きが傷口にでも答えたように急に黙ってしまった。砂に食い込む二人の下駄の音だけが聞こえた。 「しかしこれでいて全くの孤独でもありませんよ。ついこの間から知り合いになった男だが、砂山の砂の中に酒を埋めておいて、ぶらりとやって来てそれを飲んで酔うのを楽しみにしているのと知り合いになりましてね……そいつの人生観がばかにおもしろいんです。徹底した運命論者ですよ。酒をのんで運命論を吐くんです。まるで仙人ですよ」  倉地はどんどん歩いて二人の話し声が耳に入らぬくらい遠ざかった。葉子は木部の口から例の感傷的な言葉が今出るか今出るかと思って待っていたけれども、木部にはいささかもそんなふうはなかった。笑いばかりでなく、すべてにうつろな感じがするほど無感情に見えた。 「あなたはほんとうに今何をなさっていらっしゃいますの」  と葉子は少し木部に近よって尋ねた。木部は近寄られただけ葉子から遠のいてまたうつろに笑った。 「何をするもんですか。人間に何ができるもんですか。……もう春も末になりましたね」  途轍もない言葉をしいてくっ付けて木部はそのよく光る目で葉子を見た。そしてすぐその目を返して、遠ざかった倉地をこめて遠く海と空との境目にながめ入った。 「わたしあなたとゆっくりお話がしてみたいと思いますが……」  こう葉子はしんみりぬすむようにいってみた。木部は少しもそれに心を動かされないように見えた。 「そう……それもおもしろいかな。……わたしはこれでも時おりはあなたの幸福を祈ったりしていますよ、おかしなもんですね、ハヽヽヽ(葉子がその言葉につけ入って何かいおうとするのを木部は悠々とおっかぶせて)あれが、あすこに見えるのが大島です。ぽつんと一つ雲か何かのように見えるでしょう空に浮いて……大島って伊豆の先の離れ島です、あれがわたしの釣りをする所から正面に見えるんです。あれでいて、日によって色がさまざまに変わります。どうかすると噴煙がぽーっと見える事もありますよ」  また言葉がぽつんと切れて沈黙が続いた。下駄の音のほかに波の音もだんだんと近く聞こえ出した。葉子はただただ胸が切なくなるのを覚えた。もう一度どうしてもゆっくり木部にあいたい気になっていた。 「木部さん……あなたさぞわたしを恨んでいらっしゃいましょうね。……けれどもわたしあなたにどうしても申し上げておきたい事がありますの。なんとかして一度わたしに会ってくださいません? そのうちに。わたしの番地は……」 「お会いしましょう『そのうちに』……そのうちにはいい言葉ですね……そのうちに……。話があるからと女にいわれた時には、話を期待しないで抱擁か虚無かを覚悟しろって名言がありますぜ、ハヽヽヽヽ」 「それはあんまりなおっしゃりかたですわ」  葉子はきわめて冗談のようにまたきわめてまじめのようにこういってみた。 「あんまりかあんまりでないか……とにかく名言には相違ありますまい、ハヽヽヽヽ」  木部はまたうつろに笑ったが、また痛い所にでも触れたように突然笑いやんだ。  倉地は波打ちぎわ近くまで来ても渡れそうもないので遠くからこっちを振り向いて、むずかしい顔をして立っていた。 「どれお二人に橋渡しをして上げましょうかな」  そういって木部は川べの葦を分けてしばらく姿を隠していたが、やがて小さな田舟に乗って竿をさして現われて来た。その時葉子は木部が釣り道具を持っていないのに気がついた。 「あなた釣り竿は」 「釣り竿ですか……釣り竿は水の上に浮いてるでしょう。いまにここまで流れて来るか……来ないか……」  そう応えて案外上手に舟を漕いだ。倉地は行き過ぎただけを忙いで取って返して来た。そして三人はあぶなかしく立ったまま舟に乗った。倉地は木部の前も構わずわきの下に手を入れて葉子をかかえた。木部は冷然として竿を取った。三突きほどでたわいなく舟は向こう岸に着いた。倉地がいちはやく岸に飛び上がって、手を延ばして葉子を助けようとした時、木部が葉子に手を貸していたので、葉子はすぐにそれをつかんだ。思いきり力をこめたためか、木部の手が舟を漕いだためだったか、とにかく二人の手は握り合わされたまま小刻みにはげしく震えた。 「やっ、どうもありがとう」  倉地は葉子の上陸を助けてくれた木部にこう礼をいった。  木部は舟からは上がらなかった。そして鍔広の帽子を取って、 「それじゃこれでお別れします」  といった。 「暗くなりましたから、お二人とも足もとに気をおつけなさい。さようなら」  と付け加えた。  三人は相当の挨拶を取りかわして別れた。一町ほど来てから急に行く手が明るくなったので、見ると光明寺裏の山の端に、夕月が濃い雲の切れ目から姿を見せたのだった。葉子は後ろを振り返って見た。紫色に暮れた砂の上に木部が舟を葦間に漕ぎ返して行く姿が影絵のように黒くながめられた。葉子は白琥珀のパラソルをぱっと開いて、倉地にはいたずらに見えるように振り動かした。  三四町来てから倉地が今度は後ろを振り返った。もうそこには木部の姿はなかった。葉子はパラソルを畳もうとして思わず涙ぐんでしまっていた。 「あれはいったいだれだ」 「だれだっていいじゃありませんか」  暗さにまぎれて倉地に涙は見せなかったが、葉子の言葉は痛ましく疳走っていた。 「ローマンスのたくさんある女はちがったものだな」 「えゝ、そのとおり……あんな乞食みたいな見っともない恋人を持った事があるのよ」 「さすがはお前だよ」 「だから愛想が尽きたでしょう」  突如としてまたいいようのないさびしさ、哀しさ、くやしさが暴風のように襲って来た。また来たと思ってもそれはもうおそかった。砂の上に突っ伏して、今にも絶え入りそうに身もだえする葉子を、倉地は聞こえぬ程度に舌打ちしながら介抱せねばならなかった。  その夜旅館に帰ってからも葉子はいつまでも眠らなかった。そこに来て働く女中たちを一人一人突慳貪にきびしくたしなめた。しまいには一人として寄りつくものがなくなってしまうくらい。倉地も始めのうちはしぶしぶつき合っていたが、ついには勝手にするがいいといわんばかりに座敷を代えてひとりで寝てしまった。  春の夜はただ、事もなくしめやかにふけて行った。遠くから聞こえて来る蛙の鳴き声のほかには、日勝様の森あたりでなくらしい梟の声がするばかりだった。葉子とはなんの関係もない夜鳥でありながら、その声には人をばかにしきったような、それでいて聞くに堪えないほどさびしい響きが潜んでいた。ほう、ほう……ほう、ほうほうと間遠に単調に同じ木の枝と思わしい所から聞こえていた。人々が寝しずまってみると、憤怒の情はいつか消え果てて、いいようのない寂寞がそのあとに残った。  葉子のする事いう事は一つ一つ葉子を倉地から引き離そうとするばかりだった。今夜も倉地が葉子から待ち望んでいたものを葉子は明らかに知っていた。しかも葉子はわけのわからない怒りに任せて自分の思うままに振る舞った結果、倉地には不快きわまる失望を与えたに違いない。こうしたままで日がたつに従って、倉地は否応なしにさらに新しい性的興味の対象を求めるようになるのは目前の事だ。現に愛子はその候補者の一人として倉地の目には映り始めているのではないか。葉子は倉地との関係を始めから考えたどってみるにつれて、どうしても間違った方向に深入りしたのを悔いないではいられなかった。しかし倉地を手なずけるためにはあの道をえらぶよりしかたがなかったようにも思える。倉地の性格に欠点があるのだ。そうではない。倉地に愛を求めて行った自分の性格に欠点があるのだ。……そこまで理屈らしく理屈をたどって来てみると、葉子は自分というものが踏みにじっても飽き足りないほどいやな者に見えた。 「なぜわたしは木部を捨て木村を苦しめなければならないのだろう。なぜ木部を捨てた時にわたしは心に望んでいるような道をまっしぐらに進んで行く事ができなかったのだろう。わたしを木村にしいて押し付けた五十川のおばさんは悪い……わたしの恨みはどうしても消えるものか。……といっておめおめとその策略に乗ってしまったわたしはなんというふがいない女だったのだろう。倉地にだけはわたしは失望したくないと思った。今までのすべての失望をあの人で全部取り返してまだ余りきるような喜びを持とうとしたのだった。わたしは倉地とは離れてはいられない人間だと確かに信じていた。そしてわたしの持ってるすべてを……醜いもののすべてをも倉地に与えて悲しいとも思わなかったのだ。わたしは自分の命を倉地の胸にたたきつけた。それだのに今は何が残っている……何が残っている……。今夜かぎりわたしは倉地に見放されるのだ。この部屋を出て行ってしまった時の冷淡な倉地の顔!……わたしは行こう。これから行って倉地にわびよう、奴隷のように畳に頭をこすり付けてわびよう……そうだ。……しかし倉地が冷刻な顔をしてわたしの心を見も返らなかったら……わたしは生きてる間にそんな倉地の顔を見る勇気はない。……木部にわびようか……木部は居所さえ知らそうとはしないのだもの……」  葉子はやせた肩を痛ましく震わして、倉地から絶縁されてしまったもののように、さびしく哀しく涙の枯れるかと思うまで泣くのだった。静まりきった夜の空気の中に、時々鼻をかみながらすすり上げすすり上げ泣き伏す痛ましい声だけが聞こえた。葉子は自分の声につまされてなおさら悲哀から悲哀のどん底に沈んで行った。  ややしばらくしてから葉子は決心するように、手近にあった硯箱と料紙とを引き寄せた。そして震える手先をしいて繰りながら簡単な手紙を乳母にあてて書いた。それには乳母とも定子とも断然縁を切るから以後他人と思ってくれ。もし自分が死んだらここに同封する手紙を木部の所に持って行くがいい。木部はきっとどうしてでも定子を養ってくれるだろうからという意味だけを書いた。そして木部あての手紙には、 「定子はあなたの子です。その顔を一目御覧になったらすぐおわかりになります。わたしは今まで意地からも定子はわたし一人の子でわたし一人のものとするつもりでいました。けれどもわたしが世にないものとなった今は、あなたはもうわたしの罪を許してくださるかとも思います。せめては定子を受け入れてくださいましょう。     葉子の死んだ後 あわれなる定子のママより 定子のおとう様へ」  と書いた。涙は巻紙の上にとめどなく落ちて字をにじました。東京に帰ったらためて置いた預金の全部を引き出してそれを為替にして同封するために封を閉じなかった。  最後の犠牲……今までとつおいつ捨て兼ねていた最愛のものを最後の犠牲にしてみたら、たぶんは倉地の心がもう一度自分に戻って来るかもしれない。葉子は荒神に最愛のものを生牲として願いをきいてもらおうとする太古の人のような必死な心になっていた。それは胸を張り裂くような犠牲だった。葉子は自分の目からも英雄的に見えるこの決心に感激してまた新しく泣きくずれた。 「どうか、どうか、……どうーか」  葉子はだれにともなく手を合わして、一心に念じておいて、雄々しく涙を押しぬぐうと、そっと座を立って、倉地の寝ているほうへと忍びよった。廊下の明りは大半消されているので、ガラス窓からおぼろにさし込む月の光がたよりになった。廊下の半分がた燐の燃えたようなその光の中を、やせ細っていっそう背たけの伸びて見える葉子は、影が歩むように音もなく静かに歩みながら、そっと倉地の部屋の襖を開いて中にはいった。薄暗くともった有明けの下に倉地は何事も知らぬげに快く眠っていた。葉子はそっとその枕もとに座を占めた。そして倉地の寝顔を見守った。  葉子の目にはひとりでに涙がわくようにあふれ出て、厚ぼったいような感じになった口びるはわれにもなくわなわなと震えて来た。葉子はそうしたままで黙ってなおも倉地を見続けていた。葉子の目にたまった涙のために倉地の姿は見る見るにじんだように輪郭がぼやけてしまった。葉子は今さら人が違ったように心が弱って、受け身にばかりならずにはいられなくなった自分が悲しかった。なんという情けないかわいそうな事だろう。そう葉子はしみじみと思った。  だんだん葉子の涙はすすり泣きにかわって行った。倉地が眠りの中でそれを感じたらしく、うるさそうにうめき声を小さく立てて寝返りを打った。葉子はぎょっとして息気をつめた。  しかしすぐすすり泣きはまた帰って来た。葉子は何事も忘れ果てて、倉地の床のそばにきちんとすわったままいつまでもいつまでも泣き続けていた。 三八 「何をそう怯ず怯ずしているのかい。そのボタンを後ろにはめてくれさえすればそれでいいのだに」  倉地は倉地にしては特にやさしい声でこういった、ワイシャツを着ようとしたまま葉子に背を向けて立ちながら。葉子は飛んでもない失策でもしたように、シャツの背部につけるカラーボタンを手に持ったままおろおろしていた。 「ついシャツを仕替える時それだけ忘れてしまって……」 「いいわけなんぞはいいわい。早く頼む」 「はい」  葉子はしとやかにそういって寄り添うように倉地に近寄ってそのボタンをボタン孔に入れようとしたが、糊が硬いのと、気おくれがしているのでちょっとははいりそうになかった。 「すみませんがちょっと脱いでくださいましな」 「めんどうだな、このままでできようが」  葉子はもう一度試みた。しかし思うようには行かなかった。倉地はもう明らかにいらいらし出していた。 「だめか」 「まあちょっと」 「出せ、貸せおれに。なんでもない事だに」  そういってくるりと振り返ってちょっと葉子をにらみつけながら、ひったくるようにボタンを受け取った。そしてまた葉子に後ろを向けて自分でそれをはめようとかかった。しかしなかなかうまく行かなかった。見る見る倉地の手ははげしく震え出した。 「おい、手伝ってくれてもよかろうが」  葉子があわてて手を出すとはずみにボタンは畳の上に落ちてしまった。葉子がそれを拾おうとする間もなく、頭の上から倉地の声が雷のように鳴り響いた。 「ばか! 邪魔をしろといいやせんぞ」  葉子はそれでもどこまでも優しく出ようとした。 「御免くださいね、わたしお邪魔なんぞ……」 「邪魔よ。これで邪魔でなくてなんだ……えゝ、そこじゃありゃせんよ。そこに見えとるじゃないか」  倉地は口をとがらして顎を突き出しながら、どしんと足をあげて畳を踏み鳴らした。  葉子はそれでも我慢した。そしてボタンを拾って立ち上がると倉地はもうワイシャツを脱ぎ捨てている所だった。 「胸くその悪い……おい日本服を出せ」 「襦袢の襟がかけずにありますから……洋服で我慢してくださいましね」  葉子は自分が持っていると思うほどの媚びをある限り目に集めて嘆願するようにこういった。 「お前には頼まんまでよ……愛ちゃん」  倉地は大きな声で愛子を呼びながら階下のほうに耳を澄ました。葉子はそれでも根かぎり我慢しようとした。階子段をしとやかにのぼって愛子がいつものように柔順に部屋にはいって来た。倉地は急に相好をくずしてにこやかになっていた。 「愛ちゃん頼む、シャツにそのボタンをつけておくれ」  愛子は何事の起こったかを露知らぬような顔をして、男の肉感をそそるような堅肉の肉体を美しく折り曲げて、雪白のシャツを手に取り上げるのだった。葉子がちゃんと倉地にかしずいてそこにいるのを全く無視したようなずうずうしい態度が、ひがんでしまった葉子の目には憎々しく映った。 「よけいな事をおしでない」  葉子はとうとうかっとなって愛子をたしなめながらいきなり手にあるシャツをひったくってしまった。 「きさまは……おれが愛ちゃんに頼んだになぜよけいな事をしくさるんだ」  とそういって威丈高になった倉地には葉子はもう目もくれなかった。愛子ばかりが葉子の目には見えていた。 「お前は下にいればそれでいい人間なんだよ。おさんどんの仕事もろくろくできはしないくせによけいな所に出しゃばるもんじゃない事よ。……下に行っておいで」  愛子はこうまで姉にたしなめられても、さからうでもなく怒るでもなく、黙ったまま柔順に、多恨な目で姉をじっと見て静々とその座をはずしてしまった。  こんなもつれ合ったいさかいがともすると葉子の家で繰り返されるようになった。ひとりになって気がしずまると葉子は心の底から自分の狂暴な振る舞いを悔いた。そして気を取り直したつもりでどこまでも愛子をいたわってやろうとした。愛子に愛情を見せるためには義理にも貞世につらく当たるのが当然だと思った。そして愛子の見ている前で、愛するものが愛する者を憎んだ時ばかりに見せる残虐な呵責を貞世に与えたりした。葉子はそれが理不尽きわまる事だとは知っていながら、そう偏頗に傾いて来る自分の心持ちをどうする事もできなかった。それのみならず葉子には自分の鬱憤をもらすための対象がぜひ一つ必要になって来た。人でなければ動物、動物でなければ草木、草木でなければ自分自身に何かなしに傷害を与えていなければ気が休まなくなった。庭の草などをつかんでいる時でも、ふと気が付くと葉子はしゃがんだまま一茎の名もない草をたった一本摘みとって、目に涙をいっぱいためながら爪の先で寸々に切りさいなんでいる自分を見いだしたりした。  同じ衝動は葉子を駆って倉地の抱擁に自分自身を思う存分しいたげようとした。そこには倉地の愛を少しでも多く自分につなぎたい欲求も手伝ってはいたけれども、倉地の手で極度の苦痛を感ずる事に不満足きわまる満足を見いだそうとしていたのだ。精神も肉体もはなはだしく病に虫ばまれた葉子は抱擁によっての有頂天な歓楽を味わう資格を失ってからかなり久しかった。そこにはただ地獄のような呵責があるばかりだった。すべてが終わってから葉子に残るものは、嘔吐を催すような肉体の苦痛と、しいて自分を忘我に誘おうともがきながら、それが裏切られて無益に終わった、その後に襲って来る唾棄すべき倦怠ばかりだった。倉地が葉子のその悲惨な無感覚を分け前してたとえようもない憎悪を感ずるのはもちろんだった。葉子はそれを知るとさらにいい知れないたよりなさを感じてまたはげしく倉地にいどみかかるのだった。倉地は見る見る一歩一歩葉子から離れて行った。そしてますますその気分はすさんで行った。 「きさまはおれに厭きたな。男でも作りおったんだろう」  そう唾でも吐き捨てるようにいまいましげに倉地があらわにいうような日も来た。 「どうすればいいんだろう」  そういって額の所に手をやって頭痛を忍びながら葉子はひとり苦しまねばならなかった。  ある日葉子は思いきってひそかに医師を訪れた。医師は手もなく、葉子のすべての悩みの原因は子宮後屈症と子宮内膜炎とを併発しているからだといって聞かせた。葉子はあまりにわかりきった事を医師がさも知ったかぶりにいって聞かせるようにも、またそののっぺりした白い顔が、恐ろしい運命が葉子に対して装うた仮面で、葉子はその言葉によってまっ暗な行く手を明らかに示されたようにも思った。そして怒りと失望とをいだきながらその家を出た。帰途葉子は本屋に立ち寄って婦人病に関する大部な医書を買い求めた。それは自分の病症に関する徹底的な知識を得ようためだった。家に帰ると自分の部屋に閉じこもってすぐ大体を読んで見た。後屈症は外科手術を施して位置矯正をする事によって、内膜炎は内膜炎を抉掻する事によって、それが器械的の発病である限り全治の見込みはあるが、位置矯正の場合などに施術者の不注意から子宮底に穿孔を生じた時などには、往々にして激烈な腹膜炎を結果する危険が伴わないでもないなどと書いてあった。葉子は倉地に事情を打ち明けて手術を受けようかとも思った。ふだんならば常識がすぐそれを葉子にさせたに違いない。しかし今はもう葉子の神経は極度に脆弱になって、あらぬ方向にばかりわれにもなく鋭く働くようになっていた。倉地は疑いもなく自分の病気に愛想を尽かすだろう。たといそんな事はないとしても入院の期間に倉地の肉の要求が倉地を思わぬほうに連れて行かないとはだれが保証できよう。それは葉子の僻見であるかもしれない、しかしもし愛子が倉地の注意をひいているとすれば、自分の留守の間に倉地が彼女に近づくのはただ一歩の事だ。愛子があの年であの無経験で、倉地のような野性と暴力とに興味を持たぬのはもちろん、一種の厭悪をさえ感じているのは察せられないではない。愛子はきっと倉地を退けるだろう。しかし倉地には恐ろしい無恥がある。そして一度倉地が女をおのれの力の下に取りひしいだら、いかなる女も二度と倉地からのがれる事のできないような奇怪の麻酔の力を持っている。思想とか礼儀とかにわずらわされない、無尽蔵に強烈で征服的な生のままな男性の力はいかな女をもその本能に立ち帰らせる魔術を持っている。しかもあの柔順らしく見える愛子は葉子に対して生まれるとからの敵意を挟んでいるのだ。どんな可能でも描いて見る事ができる。そう思うと葉子はわが身でわが身を焼くような未練と嫉妬のために前後も忘れてしまった。なんとかして倉地を縛り上げるまでは葉子は甘んじて今の苦痛に堪え忍ぼうとした。  そのころからあの正井という男が倉地の留守をうかがっては葉子に会いに来るようになった。 「あいつは犬だった。危うく手をかませる所だった。どんな事があっても寄せ付けるではないぞ」  と倉地が葉子にいい聞かせてから一週間もたたない後に、ひょっこり正井が顔を見せた。なかなかのしゃれ者で、寸分のすきもない身なりをしていた男が、どこかに貧窮をにおわすようになっていた。カラーにはうっすり汗じみができて、ズボンの膝には焼けこげの小さな孔が明いたりしていた。葉子が上げる上げないもいわないうちに、懇意ずくらしくどんどん玄関から上がりこんで座敷に通った。そして高価らしい西洋菓子の美しい箱を葉子の目の前に風呂敷から取り出した。 「せっかくおいでくださいましたのに倉地さんは留守ですから、はばかりですが出直してお遊びにいらしってくださいまし。これはそれまでお預かりおきを願いますわ」  そういって葉子は顔にはいかにも懇意を見せながら、言葉には二の句がつげないほどの冷淡さと強さとを示してやった。しかし正井はしゃあしゃあとして平気なものだった。ゆっくり内衣嚢から巻煙草入れを取り出して、金口を一本つまみ取ると、炭の上にたまった灰を静かにかきのけるようにして火をつけて、のどかに香りのいい煙を座敷に漂わした。 「お留守ですか……それはかえって好都合でした……もう夏らしくなって来ましたね、隣の薔薇も咲き出すでしょう……遠いようだがまだ去年の事ですねえ、お互い様に太平洋を往ったり来たりしたのは……あのころがおもしろい盛りでしたよ。わたしたちの仕事もまだにらまれずにいたんでしたから……時に奥さん」  そういって折り入って相談でもするように正井は煙草盆を押しのけて膝を乗り出すのだった。人を侮ってかかって来ると思うと葉子はぐっと癪にさわった。しかし以前のような葉子はそこにはいなかった。もしそれが以前であったら、自分の才気と力量と美貌とに充分の自信を持つ葉子であったら、毛の末ほども自分を失う事なく、優婉に円滑に男を自分のかけた陥穽の中におとしいれて、自縄自縛の苦い目にあわせているに違いない。しかし現在の葉子はたわいもなく敵を手もとまでもぐりこませてしまってただいらいらとあせるだけだった。そういう破目になると葉子は存外力のない自分であるのを知らねばならなかった。  正井は膝を乗り出してから、しばらく黙って敏捷に葉子の顔色をうかがっていたが、これなら大丈夫と見きわめをつけたらしく、 「少しばかりでいいんです、一つ融通してください」  と切り出した。 「そんな事をおっしゃったって、わたしにどうしようもないくらいは御存じじゃありませんか。そりゃ余人じゃなし、できるのならなんとかいたしますけれども、姉妹三人がどうかこうかして倉地に養われている今日のような境界では、わたしに何ができましょう。正井さんにも似合わない的違いをおっしゃるのね。倉地なら御相談にもなるでしょうから面と向かってお話しくださいまし。中にはいるとわたしが困りますから」  葉子は取りつく島もないようにといや味な調子でずけずけとこういった。正井はせせら笑うようにほほえんで金口の灰を静かに灰吹きに落とした。 「もう少しざっくばらんにいってくださいよきのうきょうのお交際じゃなし。倉地さんとまずくなったくらいは御承知じゃありませんか。……知っていらっしってそういう口のききかたは少しひど過ぎますぜ、(ここで仮面を取ったように正井はふてくされた態度になった。しかし言葉はどこまでも穏当だった。)きらわれたってわたしは何も倉地さんをどうしようのこうしようのと、そんな薄情な事はしないつもりです。倉地さんにけががあればわたしだって同罪以上ですからね。……しかし……一つなんとかならないもんでしょうか」  葉子の怒りに興奮した神経は正井のこの一言にすぐおびえてしまった。何もかも倉地の裏面を知り抜いてるはずの正井が、捨てばちになったら倉地の身の上にどんな災難が降りかからぬとも限らぬ。そんな事をさせては飛んだ事になるだろう。そんな事をさせては飛んだ事になる。葉子はますます弱身になった自分を救い出す術に困じ果てていた。 「それを御承知でわたしの所にいらしったって……たといわたしに都合がついたとしたところで、どうしようもありませんじゃないの。なんぼわたしだっても、倉地と仲たがえをなさったあなたに倉地の金を何する……」 「だから倉地さんのものをおねだりはしませんさ。木村さんからもたんまり来ているはずじゃありませんか。その中から……たんとたあいいませんから、窮境を助けると思ってどうか」  正井は葉子を男たらしと見くびった態度で、情夫を持ってる妾にでも逼るようなずうずうしい顔色を見せた。こんな押し問答の結果葉子はとうとう正井に三百円ほどの金をむざむざとせびり取られてしまった。葉子はその晩倉地が帰って来た時もそれをいい出す気力はなかった。貯金は全部定子のほうに送ってしまって、葉子の手もとにはいくらも残ってはいなかった。  それからというもの正井は一週間とおかずに葉子の所に来ては金をせびった。正井はそのおりおりに、絵島丸のサルンの一隅に陣取って酒と煙草とにひたりながら、何か知らんひそひそ話をしていた数人の人たち――人を見ぬく目の鋭い葉子にもどうしてもその人たちの職業を推察し得なかった数人の人たちの仲間に倉地がはいって始め出した秘密な仕事の巨細をもらした。正井が葉子を脅かすために、その話には誇張が加えられている、そう思って聞いてみても、葉子の胸をひやっとさせる事ばかりだった。倉地が日清戦争にも参加した事務長で、海軍の人たちにも航海業者にも割合に広い交際がある所から、材料の蒐集者としてその仲間の牛耳を取るようになり、露国や米国に向かってもらした祖国の軍事上の秘密はなかなか容易ならざるものらしかった。倉地の気分がすさんで行くのももっともだと思われるような事柄を数々葉子は聞かされた。葉子はしまいには自分自身を護るためにも正井のきげんを取りはずしてはならないと思うようになった。そして正井の言葉が一語一語思い出されて、夜なぞになると眠らせぬほどに葉子を苦しめた。葉子はまた一つの重い秘密を背負わなければならぬ自分を見いだした。このつらい意識はすぐにまた倉地に響くようだった。倉地はともすると敵の間諜ではないかと疑うような険しい目で葉子をにらむようになった。そして二人の間にはまた一つの溝がふえた。  そればかりではなかった。正井に秘密な金を融通するためには倉地からのあてがいだけではとても足りなかった。葉子はありもしない事を誠しやかに書き連ねて木村のほうから送金させねばならなかった。倉地のためならとにもかくにも、倉地と自分の妹たちとが豊かな生活を導くためにならとにもかくにも、葉子に一種の獰悪な誇りをもってそれをして、男のためになら何事でもという捨てばちな満足を買い得ないではなかったが、その金がたいてい正井のふところに吸収されてしまうのだと思うと、いくら間接には倉地のためだとはいえ葉子の胸は痛かった。木村からは送金のたびごとに相変わらず長い消息が添えられて来た。木村の葉子に対する愛着は日を追うてまさるとも衰える様子は見えなかった。仕事のほうにも手違いや誤算があって始めの見込みどおりには成功とはいえないが、葉子のほうに送るくらいの金はどうしてでも都合がつくくらいの信用は得ているから構わずいってよこせとも書いてあった。こんな信実な愛情と熱意を絶えず示されるこのごろは葉子もさすがに自分のしている事が苦しくなって、思いきって木村にすべてを打ちあけて、関係を絶とうかと思い悩むような事が時々あった。その矢先なので、葉子は胸にことさら痛みを覚えた。それがますます葉子の神経をいらだたせて、その病気にも影響した。そして花の五月が過ぎて、青葉の六月になろうとするころには、葉子は痛ましくやせ細った、目ばかりどぎつい純然たるヒステリー症の女になっていた。 三九  巡査の制服は一気に夏服になったけれども、その年の気候はひどく不順で、その白服がうらやましいほど暑い時と、気の毒なほど悪冷えのする日が入れ代わり立ち代わり続いた。したがって晴雨も定めがたかった。それがどれほど葉子の健康にさし響いたかしれなかった。葉子は絶えず腰部の不愉快な鈍痛を覚ゆるにつけ、暑くて苦しい頭痛に悩まされるにつけ、何一つからだに申し分のなかった十代の昔を思い忍んだ。晴雨寒暑というようなものがこれほど気分に影響するものとは思いもよらなかった葉子は、寝起きの天気を何よりも気にするようになった。きょうこそは一日気がはればれするだろうと思うような日は一日もなかった。きょうもまたつらい一日を過ごさねばならぬというそのいまわしい予想だけでも葉子の気分をそこなうには充分すぎた。  五月の始めごろから葉子の家に通う倉地の足はだんだん遠のいて、時々どこへとも知れぬ旅に出るようになった。それは倉地が葉子のしつっこい挑みと、激しい嫉妬と、理不尽な疳癖の発作とを避けるばかりだとは葉子自身にさえ思えない節があった。倉地のいわゆる事業には何かかなり致命的な内場破れが起こって、倉地の力でそれをどうする事もできないらしい事はおぼろげながらも葉子にもわかっていた。債権者であるか、商売仲間であるか、とにかくそういう者を避けるために不意に倉地が姿を隠さねばならぬらしい事は確かだった。それにしても倉地の疎遠は一向に葉子には憎かった。  ある時葉子は激しく倉地に迫ってその仕事の内容をすっかり打ち明けさせようとした。倉地の情人である葉子が倉地の身に大事が降りかかろうとしているのを知りながら、それに助力もし得ないという法はない、そういって葉子はせがみにせがんだ。 「こればかりは女の知った事じゃないわい。おれが喰い込んでもお前にはとばっちりが行くようにはしたくないで、打ち明けないのだ。どこに行っても知らない知らないで一点張りに通すがいいぜ。……二度と聞きたいとせがんでみろ、おれはうそほんなしにお前とは手を切って見せるから」  その最後の言葉は倉地の平生に似合わない重苦しい響きを持っていた。葉子が息気をつめてそれ以上をどうしても迫る事ができないと断念するほど重苦しいものだった。正井の言葉から判じても、それは女手などでは実際どうする事もできないものらしいので葉子はこれだけは断念して口をつぐむよりしかたがなかった。  堕落といわれようと、不貞といわれようと、他人手を待っていてはとても自分の思うような道は開けないと見切りをつけた本能的の衝動から、知らず知らず自分で選び取った道の行く手に目もくらむような未来が見えたと有頂天になった絵島丸の上の出来事以来一年もたたないうちに、葉子が命も名もささげてかかった新しい生活は見る見る土台から腐り出して、もう今は一陣の風さえ吹けば、さしもの高楼ももんどり打って地上にくずれてしまうと思いやると、葉子はしばしば真剣に自殺を考えた。倉地が旅に出た留守に倉地の下宿に行って「急用ありすぐ帰れ」という電報をその行く先に打ってやる。そして自分は心静かに倉地の寝床の上で刃に伏していよう。それは自分の一生の幕切れとしては、いちばんふさわしい行為らしい。倉地の心にもまだ自分に対する愛情は燃えかすれながらも残っている。それがこの最後によって一時なりとも美しく燃え上がるだろう。それでいい、それで自分は満足だ。そう心から涙ぐみながら思う事もあった。  実際倉地が留守のはずのある夜、葉子はふらふらとふだん空想していたその心持ちにきびしく捕えられて前後も知らず家を飛び出した事があった。葉子の心は緊張しきって天気なのやら曇っているのやら、暑いのやら寒いのやらさらに差別がつかなかった。盛んに羽虫が飛びかわして往来の邪魔になるのをかすかに意識しながら、家を出てから小半町裏坂をおりて行ったが、ふと自分のからだがよごれていて、この三四日湯にはいらない事を思い出すと、死んだあとの醜さを恐れてそのまま家に取って返した。そして妹たちだけがはいったままになっている湯殿に忍んで行って、さめかけた風呂につかった。妹たちはとうに寝入っていた。手ぬぐい掛けの竹竿にぬれた手ぬぐいが二筋だけかかっているのを見ると、寝入っている二人の妹の事がひしひしと心に逼るようだった。葉子の決心はしかしそのくらいの事では動かなかった。簡単に身じまいをしてまた家を出た。  倉地の下宿近くなった時、その下宿から急ぎ足で出て来る背たけの低い丸髷の女がいた。夜の事ではあり、そのへんは街灯の光も暗いので、葉子にはさだかにそれとわからなかったが、どうも双鶴館の女将らしくもあった。葉子はかっとなって足早にそのあとをつけた。二人の間は半町とは離れていなかった。だんだん二人の間に距離がちぢまって行って、その女が街灯の下を通る時などに気を付けて見るとどうしても思ったとおりの女らしかった。さては今まであの女を真正直に信じていた自分はまんまと詐られていたのだったか。倉地の妻に対しても義理が立たないから、今夜以後葉子とも倉地の妻とも関係を絶つ。悪く思わないでくれと確かにそういった、その義侠らしい口車にまんまと乗せられて、今まで殊勝な女だとばかり思っていた自分の愚かさはどうだ。葉子はそう思うと目が回ってその場に倒れてしまいそうなくやしさ恐ろしさを感じた。そして女の形を目がけてよろよろとなりながら駆け出した。その時女はそのへんに辻待ちをしている車に乗ろうとする所だった。取りにがしてなるものかと、葉子はひた走りに走ろうとした。しかし足は思うようにはかどらなかった。さすがにその静けさを破って声を立てる事もはばかられた。もう十間というくらいの所まで来た時車はがらがらと音を立てて砂利道を動きはじめた。葉子は息気せき切ってそれに追いつこうとあせったが、見る見るその距離は遠ざかって、葉子は杉森で囲まれたさびしい暗闇の中にただ一人取り残されていた。葉子はなんという事なくその辻車のいた所まで行って見た。一台よりいなかったので飛び乗ってあとを追うべき車もなかった。葉子はぼんやりそこに立って、そこに字でも書き残してあるかのように、暗い地面をじっと見つめていた。確かにあの女に違いなかった。背格好といい、髷の形といい、小刻みな歩きぶりといい、……あの女に違いなかった。旅行に出るといった倉地は疑いもなくうそを使って下宿にくすぶっているに違いない。そしてあの女を仲人に立てて先妻とのよりを戻そうとしているに決まっている。それに何の不思議があろう。長年連れ添った妻ではないか。かわいい三人の娘の母ではないか。葉子というものに一日一日疎くなろうとする倉地ではないか。それに何の不思議があろう。……それにしてもあまりといえばあまりな仕打ちだ。なぜそれならそうと明らかにいってはくれないのだ。いってさえくれれば自分にだって恋する男に対しての女らしい覚悟はある。別れろとならばきれいさっぱりと別れても見せる。……なんという踏みつけかただ。なんという恥さらしだ。倉地の妻はおおそれた貞女ぶった顔を震わして、涙を流しながら、「それではお葉さんという方にお気の毒だから、わたしはもう亡いものと思ってくださいまし……」……見ていられぬ、聞いていられぬ。……葉子という女はどんな女だか、今夜こそは倉地にしっかり思い知らせてやる……。  葉子は酔ったもののようにふらふらした足どりでそこから引き返した。そして下宿屋に来着いた時には、息気苦しさのために声も出ないくらいになっていた。下宿の女たちは葉子を見ると「またあの気狂いが来た」といわんばかりの顔をして、その夜の葉子のことさらに取りつめた顔色には注意を払う暇もなく、その場をはずして姿を隠した。葉子はそんな事には気もかけずに物すごい笑顔でことさららしく帳場にいる男にちょっと頭を下げて見せて、そのままふらふらと階子段をのぼって行った。ここが倉地の部屋だというその襖の前に立った時には、葉子は泣き声に気がついて驚いたほど、われ知らずすすり上げて泣いていた。身の破滅、恋の破滅は今夜の今、そう思って荒々しく襖を開いた。  部屋の中には案外にも倉地はいなかった。すみからすみまで片づいていて、倉地のあの強烈な膚の香いもさらに残ってはいなかった。葉子は思わずふらふらとよろけて、泣きやんで、部屋の中に倒れこみながらあたりを見回した。いるに違いないとひとり決めをした自分の妄想が破れたという気は少しも起こらないで、確かにいたものが突然溶けてしまうかどうかしたような気味の悪い不思議さに襲われた。葉子はすっかり気抜けがして、髪も衣紋も取り乱したまま横ずわりにすわったきりでぼんやりしていた。  あたりは深山のようにしーんとしていた。ただ葉子の目の前をうるさく行ったり来たりする黒い影のようなものがあった。葉子は何物という分別もなく始めはただうるさいとのみ思っていたが、しまいにはこらえかねて手をあげてしきりにそれを追い払ってみた。追い払っても追い払ってもそのうるさい黒い影は目の前を立ち去ろうとはしなかった。……しばらくそうしているうちに葉子は寒気がするほどぞっとおそろしくなって気がはっきりした。  急に周囲には騒がしい下宿屋らしい雑音が聞こえ出した。葉子をうるさがらしたその黒い影は見る見る小さく遠ざかって、電燈の周囲をきりきりと舞い始めた。よく見るとそれは大きな黒い夜蛾だった。葉子は神がかりが離れたようにきょとんとなって、不思議そうに居ずまいを正してみた。  どこまでが真実で、どこまでが夢なんだろう……。  自分の家を出た、それに間違いはない。途中から取って返して風呂をつかった、……なんのために? そんなばかな事をするはずがない。でも妹たちの手ぬぐいが二筋ぬれて手ぬぐいかけの竹竿にかかっていた、(葉子はそう思いながら自分の顔をなでたり、手の甲を調べて見たりした。そして確かに湯にはいった事を知った。)それならそれでいい。それから双鶴館の女将のあとをつけたのだったが、……あのへんから夢になったのかしらん。あすこにいる蛾をもやもやした黒い影のように思ったりしていた事から考えてみると、いまいましさから自分は思わず背たけの低い女の幻影を見ていたのかもしれない。それにしてもいるはずの倉地がいないという法はないが……葉子はどうしても自分のして来た事にはっきり連絡をつけて考える事ができなかった。  葉子は……自分の頭ではどう考えてみようもなくなって、ベルを押して番頭に来てもらった。 「あのう、あとでこの蛾を追い出しておいてくださいな……それからね、さっき……といったところがどれほど前だかわたしにもはっきりしませんがね、ここに三十格好の丸髷を結った女の人が見えましたか」 「こちら様にはどなたもお見えにはなりませんが……」  番頭は怪訝な顔をしてこう答えた。 「こちら様だろうがなんだろうが、そんな事を聞くんじゃないの。この下宿屋からそんな女の人が出て行きましたか」 「さよう……へ、一時間ばかり前ならお一人お帰りになりました」 「双鶴館のお内儀さんでしょう」  図星をさされたろうといわんばかりに葉子はわざと鷹揚な態度を見せてこう聞いてみた。 「いゝえそうじゃございません」  番頭は案外にもそうきっぱりといい切ってしまった。 「それじゃだれ」 「とにかく他のお部屋においでなさったお客様で、手前どもの商売上お名前までは申し上げ兼ねますが」  葉子もこの上の問答の無益なのを知ってそのまま番頭を返してしまった。  葉子はもう何者も信用する事ができなかった。ほんとうに双鶴館の女将が来たのではないらしくもあり、番頭までが倉地とぐるになっていてしらじらしい虚言をついたようにもあった。  何事も当てにはならない。何事もうそから出た誠だ。……葉子はほんとうに生きている事がいやになった。  ……そこまで来て葉子は始めて自分が家を出て来たほんとうの目的がなんであるかに気づいた。すべてにつまずいて、すべてに見限られて、すべてを見限ろうとする、苦しみぬいた一つの魂が、虚無の世界の幻の中から消えて行くのだ。そこには何の未練も執着もない。うれしかった事も、悲しかった事も、悲しんだ事も、苦しんだ事も、畢竟は水の上に浮いた泡がまたはじけて水に帰るようなものだ。倉地が、死骸になった葉子を見て嘆こうが嘆くまいが、その倉地さえ幻の影ではないか。双鶴館の女将だと思った人が、他人であったように、他人だと思ったその人が、案外双鶴館の女将であるかもしれないように、生きるという事がそれ自身幻影でなくってなんであろう。葉子は覚めきったような、眠りほうけているような意識の中でこう思った。しんしんと底も知らず澄み透った心がただ一つぎりぎりと死のほうに働いて行った。葉子の目には一しずくの涙も宿ってはいなかった。妙にさえて落ち付き払ったひとみを静かに働かして、部屋の中を静かに見回していたが、やがて夢遊病者のように立ち上がって、戸棚の中から倉地の寝具を引き出して来て、それを部屋のまん中に敷いた。そうしてしばらくの間その上に静かにすわって目をつぶってみた。それからまた立ち上がって全く無感情な顔つきをしながら、もう一度戸棚に行って、倉地が始終身近に備えているピストルをあちこちと尋ね求めた。しまいにそれが本箱の引き出しの中の幾通かの手紙と、書きそこねの書類と、四五枚の写真とがごっちゃにしまい込んであるその中から現われ出た。葉子は妙に無関心な心持ちでそれを手に取った。そして恐ろしいものを取り扱うようにそれをからだから離して右手にぶら下げて寝床に帰った。そのくせ葉子は露ほどもその凶器におそれをいだいているわけではなかった。寝床のまん中にすわってからピストルを膝の上に置いて手をかけたまましばらくながめていたが、やがてそれを取り上げると胸の所に持って来て鶏頭を引き上げた。  きりっ  と歯切れのいい音を立てて弾筒が少し回転した。同時に葉子の全身は電気を感じたようにびりっとおののいた。しかし葉子の心は水が澄んだように揺がなかった。葉子はそうしたまま短銃をまた膝の上に置いてじっとながめていた。  ふと葉子はただ一つし残した事のあるのに気が付いた。それがなんであるかを自分でもはっきりとは知らずに、いわば何物かの余儀ない命令に服従するように、また寝床から立ち上がって戸棚の中の本箱の前に行って引き出しをあけた。そしてそこにあった写真を丁寧に一枚ずつ取り上げて静かにながめるのだった。葉子は心ひそかに何をしているんだろうと自分の動作を怪しんでいた。  葉子はやがて一人の女の写真を見つめている自分を見いだした。長く長く見つめていた。……そのうちに、白痴がどうかしてだんだん真人間にかえる時はそうもあろうかと思われるように、葉子の心は静かに静かに自分で働くようになって行った。女の写真を見てどうするのだろうと思った。早く死ななければいけないのだがと思った。いったいその女はだれだろうと思った。……それは倉地の妻の写真だった。そうだ倉地の妻の若い時の写真だ。なるほど美しい女だ。倉地は今でもこの女に未練を持っているだろうか。この妻には三人のかわいい娘があるのだ。「今でも時々思い出す」そう倉地のいった事がある。こんな写真がいったいこの部屋なんぞにあってはならないのだが。それはほんとうにならないのだ。倉地はまだこんなものを大事にしている。この女はいつまでも倉地に帰って来ようと待ち構えているのだ。そしてまだこの女は生きているのだ。それが幻なものか。生きているのだ、生きているのだ。……死なれるか、それで死なれるか。何が幻だ、何が虚無だ。このとおりこの女は生きているではないか……危うく……危うく自分は倉地を安堵させる所だった。そしてこの女を……このまだ生のあるこの女を喜ばせるところだった。  葉子は一刹那の違いで死の界から救い出された人のように、驚喜に近い表情を顔いちめんにみなぎらして裂けるほど目を見張って、写真を持ったまま飛び上がらんばかりに突っ立ったが、急に襲いかかるやるせない嫉妬の情と憤怒とにおそろしい形相になって、歯がみをしながら、写真の一端をくわえて、「いゝ……」といいながら、総身の力をこめてまっ二つに裂くと、いきなり寝床の上にどうと倒れて、物すごい叫び声を立てながら、涙も流さずに叫びに叫んだ。  店のものがあわてて部屋にはいって来た時には、葉子はしおらしい様子をして、短銃を床の下に隠してしまって、しくしくとほんとうに泣いていた。  番頭はやむを得ず、てれ隠しに、 「夢でも御覧になりましたか、たいそうなお声だったものですから、つい御案内もいたさず飛び込んでしまいまして」  といった。葉子は、 「えゝ夢を見ました。あの黒い蛾が悪いんです。早く追い出してください」  そんなわけのわからない事をいって、ようやく涙を押しぬぐった。  こういう発作を繰り返すたびごとに、葉子の顔は暗くばかりなって行った。葉子には、今まで自分が考えていた生活のほかに、もう一つ不可思議な世界があるように思われて来た。そうしてややともすればその両方の世界に出たりはいったりする自分を見いだすのだった。二人の妹たちはただはらはらして姉の狂暴な振る舞いを見守るほかはなかった。倉地は愛子に刃物などに注意しろといったりした。  岡の来た時だけは、葉子のきげんは沈むような事はあっても狂暴になる事は絶えてなかったので、岡は妹たちの言葉にさして重きを置いていないように見えた。 四〇  六月のある夕方だった。もうたそがれ時で、電灯がともって、その周囲におびただしく杉森の中から小さな羽虫が集まってうるさく飛び回り、やぶ蚊がすさまじく鳴きたてて軒先に蚊柱を立てているころだった。しばらく目で来た倉地が、張り出しの葉子の部屋で酒を飲んでいた。葉子はやせ細った肩を単衣物の下にとがらして、神経的に襟をぐっとかき合わせて、きちんと膳のそばにすわって、華車な団扇で酒の香に寄りたかって来る蚊を追い払っていた。二人の間にはもう元のように滾々と泉のごとくわき出る話題はなかった。たまに話が少しはずんだと思うと、どちらかに差しさわるような言葉が飛び出して、ぷつんと会話を杜絶やしてしまった。 「貞ちゃんやっぱり駄々をこねるか」  一口酒を飲んで、ため息をつくように庭のほうに向いて気を吐いた倉地は、自分で気分を引き立てながら思い出したように葉子のほうを向いてこう尋ねた。 「えゝ、しようがなくなっちまいました。この四五日ったらことさらひどいんですから」 「そうした時期もあるんだろう。まあたんといびらないで置くがいいよ」 「わたし時々ほんとうに死にたくなっちまいます」  葉子は途轍もなく貞世のうわさとは縁もゆかりもないこんなひょんな事をいった。 「そうだおれもそう思う事があるて……。落ち目になったら最後、人間は浮き上がるがめんどうになる。船でもが浸水し始めたら埒はあかんからな。……したが、おれはまだもう一反り反ってみてくれる。死んだ気になって、やれん事は一つもないからな」 「ほんとうですわ」  そういった葉子の目はいらいらと輝いて、にらむように倉地を見た。 「正井のやつが来るそうじゃないか」  倉地はまた話題を転ずるようにこういった。葉子がそうだとさえいえば、倉地は割合に平気で受けて「困ったやつに見込まれたものだが、見込まれた以上はしかたがないから、空腹がらないだけの仕向けをしてやるがいい」というに違いない事は、葉子によくわかってはいたけれども、今まで秘密にしていた事をなんとかいわれやしないかとの気づかいのためか、それとも倉地が秘密を持つのならこっちも秘密を持って見せるぞという腹になりたいためか、自分にもはっきりとはわからない衝動に駆られて、何という事なしに、 「いゝえ」  と答えてしまった。 「来ない?……そりゃお前いいかげんじゃろう」  と倉地はたしなめるような調子になった。 「いゝえ」  葉子は頑固にいい張ってそっぽを向いてしまった。 「おいその団扇を貸してくれ、あおがずにいては蚊でたまらん……来ない事があるものか」 「だれからそんなばかな事お聞きになって?」 「だれからでもいいわさ」  葉子は倉地がまた歯に衣着せた物の言いかたをすると思うとかっと腹が立って返辞もしなかった。 「葉ちゃん。おれは女のきげんを取るために生まれて来はせんぞ。いいかげんをいって甘く見くびるとよくはないぜ」  葉子はそれでも返事をしなかった。倉地は葉子の拗ねかたに不快を催したらしかった。 「おい葉子! 正井は来るのか来んのか」  正井の来る来ないは大事ではないが、葉子の虚言を訂正させずには置かないというように、倉地は詰め寄せてきびしく問い迫った。葉子は庭のほうにやっていた目を返して不思議そうに倉地を見た。 「いゝえといったらいゝえとよりいいようはありませんわ。あなたの『いゝえ』とわたしの『いゝえ』は『いゝえ』が違いでもしますかしら」 「酒も何も飲めるか……おれが暇を無理に作ってゆっくりくつろごうと思うて来れば、いらん事に角を立てて……何の薬になるかいそれが」  葉子はもう胸いっぱい悲しくなっていた。ほんとうは倉地の前に突っ伏して、自分は病気で始終からだが自由にならないのが倉地に気の毒だ。けれどもどうか捨てないで愛し続けてくれ。からだがだめになっても心の続く限りは自分は倉地の情人でいたい。そうよりできない。そこをあわれんでせめては心の誠をささげさしてくれ。もし倉地が明々地にいってくれさえすれば、元の細君を呼び迎えてくれても構わない。そしてせめては自分をあわれんでなり愛してくれ。そう嘆願がしたかったのだ。倉地はそれに感激してくれるかもしれない。おれはお前も愛するが去った妻も捨てるには忍びない。よくいってくれた。それならお前の言葉に甘えて哀れな妻を呼び迎えよう。妻もさぞお前の黄金のような心には感ずるだろう。おれは妻とは家庭を持とう。しかしお前とは恋を持とう。そういって涙ぐんでくれるかもしれない。もしそんな場面が起こり得たら葉子はどれほどうれしいだろう。葉子はその瞬間に、生まれ代わって、正しい生活が開けてくるのにと思った。それを考えただけで胸の中からは美しい涙がにじみ出すのだった。けれども、そんなばかをいうものではない、おれの愛しているのはお前一人だ。元の妻などにおれが未練を持っていると思うのが間違いだ。病気があるのならさっそく病院にはいるがいい、費用はいくらでも出してやるから。こう倉地がいわないとも限らない。それはありそうな事だ。その時葉子は自分の心を立ち割って誠を見せた言葉が、情けも容赦も思いやりもなく、踏みにじられけがされてしまうのを見なければならないのだ。それは地獄の苛責よりも葉子には堪えがたい事だ。たとい倉地が前の態度に出てくれる可能性が九十九あって、あとの態度を採りそうな可能性が一つしかないとしても、葉子には思いきって嘆願をしてみる勇気が出ないのだ。倉地も倉地で同じような事を思って苦しんでいるらしい。なんとかして元のようなかけ隔てのない葉子を見いだして、だんだんと陥って行く生活の窮境の中にも、せめてはしばらくなりとも人間らしい心になりたいと思って、葉子に近づいて来ているのだ。それをどこまでも知り抜きながら、そして身につまされて深い同情を感じながら、どうしても面と向かうと殺したいほど憎まないではいられない葉子の心は自分ながら悲しかった。  葉子は倉地の最後の一言でその急所に触れられたのだった。葉子は倉地の目の前で見る見るしおれてしまった。泣くまいと気張りながら幾度も雄々しく涙を飲んだ。倉地は明らかに葉子の心を感じたらしく見えた。 「葉子! お前はなんでこのごろそう他所他所しくしていなければならんのだ。え?」  といいながら葉子の手を取ろうとした。その瞬間に葉子の心は火のように怒っていた。 「他所他所しいのはあなたじゃありませんか」  そう知らず知らずいってしまって、葉子は没義道に手を引っ込めた。倉地をにらみつける目からは熱い大粒の涙がぼろぼろとこぼれた。そして、 「あゝ……あ、地獄だ地獄だ」  と心の中で絶望的に切なく叫んだ。  二人の間にはまたもやいまわしい沈黙が繰り返された。  その時玄関に案内の声が聞こえた。葉子はその声を聞いて古藤が来たのを知った。そして大急ぎで涙を押しぬぐった。二階から降りて来て取り次ぎに立った愛子がやがて六畳の間にはいって来て、古藤が来たと告げた。 「二階にお通ししてお茶でも上げてお置き、なんだって今ごろ……御飯時も構わないで……」  とめんどうくさそうにいったが、あれ以来来た事のない古藤にあうのは、今のこの苦しい圧迫からのがれるだけでも都合がよかった。このまま続いたらまた例の発作で倉地に愛想を尽かさせるような事をしでかすにきまっていたから。 「わたしちょっと会ってみますからね、あなた構わないでいらっしゃい。木村の事も探っておきたいから」  そういって葉子はその座をはずした。倉地は返事一つせずに杯を取り上げていた。  二階に行って見ると、古藤は例の軍服に上等兵の肩章を付けて、あぐらをかきながら貞世と何か話をしていた。葉子は今まで泣き苦しんでいたとは思えぬほど美しいきげんになっていた。簡単な挨拶を済ますと古藤は例のいうべき事から先にいい始めた。 「ごめんどうですがね、あす定期検閲な所が今度は室内の整頓なんです。ところが僕は整頓風呂敷を洗濯しておくのをすっかり忘れてしまってね。今特別に外出を伍長にそっと頼んで許してもらって、これだけ布を買って来たんですが、縁を縫ってくれる人がないんで弱って駆けつけたんです。大急ぎでやっていただけないでしょうか」 「おやすい御用ですともね。愛さん!」  大きく呼ぶと階下にいた愛子が平生に似合わず、あたふたと階子段をのぼって来た。葉子はふとまた倉地を念頭に浮かべていやな気持ちになった。しかしそのころ貞世から愛子に愛が移ったかと思われるほど葉子は愛子を大事に取り扱っていた。それは前にも書いたとおり、しいても他人に対する愛情を殺す事によって、倉地との愛がより緊く結ばれるという迷信のような心の働きから起こった事だった。愛しても愛し足りないような貞世につらく当たって、どうしても気の合わない愛子を虫を殺して大事にしてみたら、あるいは倉地の心が変わって来るかもしれないとそう葉子は何がなしに思うのだった。で、倉地と愛子との間にどんな奇怪な徴候を見つけ出そうとも、念にかけても葉子は愛子を責めまいと覚悟をしていた。 「愛さん古藤さんがね、大急ぎでこの縁を縫ってもらいたいとおっしゃるんだから、あなたして上げてちょうだいな。古藤さん、今下には倉地さんが来ていらっしゃるんですが、あなたはおきらいねおあいなさるのは……そう、じゃこちらでお話でもしますからどうぞ」  そういって古藤を妹たちの部屋の隣に案内した。古藤は時計を見い見いせわしそうにしていた。 「木村からたよりがありますか」  木村は葉子の良人ではなく自分の親友だといったようなふうで、古藤はもう木村君とはいわなかった。葉子はこの前古藤が来た時からそれと気づいていたが、きょうはことさらその心持ちが目立って聞こえた。葉子はたびたび来ると答えた。 「困っているようですね」 「えゝ、少しはね」 「少しどころじゃないようですよ僕の所に来る手紙によると。なんでも来年に開かれるはずだった博覧会が来々年に延びたので、木村はまたこの前以上の窮境に陥ったらしいのです。若いうちだからいいようなもののあんな不運な男もすくない。金も送っては来ないでしょう」  なんというぶしつけな事をいう男だろうと葉子は思ったが、あまりいう事にわだかまりがないので皮肉でもいってやる気にはなれなかった。 「いゝえ相変わらず送ってくれますことよ」 「木村っていうのはそうした男なんだ」  古藤は半ばは自分にいうように感激した調子でこういったが、平気で仕送りを受けているらしく物をいう葉子にはひどく反感を催したらしく、 「木村からの送金を受け取った時、その金があなたの手を焼きただらかすようには思いませんか」  と激しく葉子をまともに見つめながらいった。そして油でよごれたような赤い手で、せわしなく胸の真鍮ぼたんをはめたりはずしたりした。 「なぜですの」 「木村は困りきってるんですよ。……ほんとうにあなた考えてごらんなさい……」  勢い込んでなおいい募ろうとした古藤は、襖を明け開いたままの隣の部屋に愛子たちがいるのに気づいたらしく、 「あなたはこの前お目にかかった時からすると、またひどくやせましたねえ」  と言葉をそらした。 「愛さんもうできて?」  と葉子も調子をかえて愛子に遠くからこう尋ね「いゝえまだ少し」と愛子がいうのをしおに葉子はそちらに立った。貞世はひどくつまらなそうな顔をして、机に両肘を持たせたまま、ぼんやりと庭のほうを見やって、三人の挙動などには目もくれないふうだった。垣根添いの木の間からは、種々な色の薔薇の花が夕闇の中にもちらほらと見えていた。葉子はこのごろの貞世はほんとうに変だと思いながら、愛子の縫いかけの布を取り上げて見た。それはまだ半分も縫い上げられてはいなかった。葉子の疳癪はぎりぎり募って来たけれども、しいて心を押ししずめながら、 「これっぽっち……愛子さんどうしたというんだろう。どれねえさんにお貸し、そしてあなたは……貞ちゃんも古藤さんの所に行ってお相手をしておいで……」 「僕は倉地さんにあって来ます」  突然後ろ向きの古藤は畳に片手をついて肩越しに向き返りながらこういった。そして葉子が返事をする暇もなく立ち上がって階子段を降りて行こうとした。葉子はすばやく愛子に目くばせして、下に案内して二人の用を足してやるようにといった。愛子は急いで立って行った。  葉子は縫い物をしながら多少の不安を感じた。あのなんの技巧もない古藤と、疳癖が募り出して自分ながら始末をしあぐねているような倉地とがまともにぶつかり合ったら、どんな事をしでかすかもしれない。木村を手の中に丸めておく事もきょう二人の会見の結果でだめになるかもわからないと思った。しかし木村といえば、古藤のいう事などを聞いていると葉子もさすがにその心根を思いやらずにはいられなかった。葉子がこのごろ倉地に対して持っているような気持ちからは、木村の立場や心持ちがあからさま過ぎるくらい想像ができた。木村は恋するものの本能からとうに倉地と葉子との関係は了解しているに違いないのだ。了解して一人ぽっちで苦しめるだけ苦しんでいるに違いないのだ。それにも係わらずその善良な心からどこまでも葉子の言葉に信用を置いて、いつかは自分の誠意が葉子の心に徹するのを、ありうべき事のように思って、苦しい一日一日を暮らしているに違いない。そしてまた落ち込もうとする窮境の中から血の出るような金を欠かさずに送ってよこす。それを思うと、古藤がいうようにその金が葉子の手を焼かないのは不思議といっていいほどだった。もっとも葉子であってみれば、木村に醜いエゴイズムを見いださないほどのんきではなかった。木村がどこまでも葉子の言葉を信用してかかっている点にも、血の出るような金を送ってよこす点にも、葉子が倉地に対して持っているよりはもっと冷静な功利的な打算が行なわれていると決める事ができるほど木村の心の裏を察していないではなかった。葉子の倉地に対する心持ちから考えると木村の葉子に対する心持ちにはまだすきがあると葉子は思った。葉子がもし木村であったら、どうしておめおめ米国三界にい続けて、遠くから葉子の心を翻す手段を講ずるようなのんきなまねがして済ましていられよう。葉子が木村の立場にいたら、事業を捨てても、乞食になっても、すぐ米国から帰って来ないじゃいられないはずだ。米国から葉子と一緒に日本に引き返した岡の心のほうがどれだけ素直で誠しやかだかしれやしない。そこには生活という問題もある。事業という事もある。岡は生活に対して懸念などする必要はないし、事業というようなものはてんで持ってはいない。木村とはなんといっても立場が違ってはいる。といったところで、木村の持つ生活問題なり事業なりが、葉子と一緒になってから後の事を顧慮してされている事だとしてみても、そんな気持ちでいる木村には、なんといっても余裕があり過ぎると思わないではいられない物足りなさがあった。よし真裸になるほど、職業から放れて無一文になっていてもいい、葉子の乗って帰って来た船に木村も乗って一緒に帰って来たら、葉子はあるいは木村を船の中で人知れず殺して海の中に投げ込んでいようとも、木村の記憶は哀しくなつかしいものとして死ぬまで葉子の胸に刻みつけられていたろうものを。……それはそうに相違ない。それにしても木村は気の毒な男だ。自分の愛しようとする人が他人に心をひかれている……それを発見する事だけで悲惨は充分だ。葉子はほんとうは、倉地は葉子以外の人に心をひかれているとは思ってはいないのだ。ただ少し葉子から離れて来たらしいと疑い始めただけだ。それだけでも葉子はすでに熱鉄をのまされたような焦躁と嫉妬とを感ずるのだから、木村の立場はさぞ苦しいだろう。……そう推察すると葉子は自分のあまりといえばあまりに残虐な心に胸の中がちくちくと刺されるようになった。「金が手を焼くように思いはしませんか」との古藤のいった言葉が妙に耳に残った。  そう思い思い布の一方を手早く縫い終わって、縫い目を器用にしごきながら目をあげると、そこには貞世がさっきのまま机に両肘をついて、たかって来る蚊も追わずにぼんやりと庭の向こうを見続けていた。切り下げにした厚い黒漆の髪の毛の下にのぞき出した耳たぶは霜焼けでもしたように赤くなって、それを見ただけでも、貞世は何か興奮して向こうを向きながら泣いているに違いなく思われた。覚えがないではない。葉子も貞世ほどの齢の時には何か知らず急に世の中が悲しく見える事があった。何事もただ明るく快く頼もしくのみ見えるその底からふっと悲しいものが胸をえぐってわき出る事があった。取り分けて快活ではあったが、葉子は幼い時から妙な事に臆病がる子だった。ある時家族じゅうで北国のさびしい田舎のほうに避暑に出かけた事があったが、ある晩がらんと客の空いた大きな旅籠屋に宿った時、枕を並べて寝た人たちの中で葉子は床の間に近いいちばん端に寝かされたが、どうしたかげんでか気味が悪くてたまらなくなり出した。暗い床の間の軸物の中からか、置き物の陰からか、得体のわからないものが現われ出て来そうなような気がして、そう思い出すとぞくぞくと総身に震えが来て、とても頭を枕につけてはいられなかった。で、眠りかかった父や母にせがんで、その二人の中に割りこましてもらおうと思ったけれども、父や母もそんなに大きくなって何をばかをいうのだといって少しも葉子のいう事を取り上げてはくれなかった。葉子はしばらく両親と争っているうちにいつのまにか寝入ったと見えて、翌日目をさまして見ると、やはり自分が気味の悪いと思った所に寝ていた自分を見いだした。その夕方、同じ旅籠屋の二階の手摺から少し荒れたような庭を何の気なしにじっと見入っていると、急に昨夜の事を思い出して葉子は悲しくなり出した。父にも母にも世の中のすべてのものにも自分はどうかして見放されてしまったのだ。親切らしくいってくれる人はみんな自分に虚事をしているのだ。いいかげんの所で自分はどんとみんなから突き放されるような悲しい事になるに違いない。どうしてそれを今まで気づかずにいたのだろう。そうなった暁に一人でこの庭をこうして見守ったらどんなに悲しいだろう。小さいながらにそんな事を一人で思いふけっているともうとめどなく悲しくなって来て父がなんといっても母がなんといっても、自分の心を自分の涙にひたしきって泣いた事を覚えている。  葉子は貞世の後ろ姿を見るにつけてふとその時の自分を思い出した。妙な心の働きから、その時の葉子が貞世になってそこに幻のように現われたのではないかとさえ疑った。これは葉子には始終ある癖だった。始めて起こった事が、どうしてもいつかの過去にそのまま起こった事のように思われてならない事がよくあった。貞世の姿は貞世ではなかった。苔香園は苔香園ではなかった。美人屋敷は美人屋敷ではなかった。周囲だけが妙にもやもやして心のほうだけが澄みきった水のようにはっきりしたその頭の中には、貞世のとも、幼い時の自分のとも区別のつかないはかなさ悲しさがこみ上げるようにわいていた。葉子はしばらくは針の運びも忘れてしまって、電灯の光を背に負って夕闇に埋もれて行く木立ちにながめ入った貞世の姿を、恐ろしさを感ずるまでになりながら見続けた。 「貞ちゃん」  とうとう黙っているのが無気味になって葉子は沈黙を破りたいばかりにこう呼んでみた。貞世は返事一つしなかった。……葉子はぞっとした。貞世はああしたままで通り魔にでも魅いられて死んでいるのではないか。それとももう一度名前を呼んだら、線香の上にたまった灰が少しの風でくずれ落ちるように、声の響きでほろほろとかき消すようにあのいたいけな姿はなくなってしまうのではないだろうか。そしてそのあとには夕闇に包まれた苔香園の木立ちと、二階の縁側と、小さな机だけが残るのではないだろうか。……ふだんの葉子ならばなんというばかだろうと思うような事をおどおどしながらまじめに考えていた。  その時階下で倉地のひどく激昂した声が聞こえた。葉子ははっとして長い悪夢からでもさめたようにわれに帰った。そこにいるのは姿は元のままだが、やはりまごうかたなき貞世だった。葉子はあわてていつのまにか膝からずり落としてあった白布を取り上げて、階下のほうにきっと聞き耳を立てた。事態はだいぶ大事らしかった。 「貞ちゃん。……貞ちゃん……」  葉子はそういいながら立ち上がって行って、貞世を後ろから羽がいに抱きしめてやろうとした。しかしその瞬間に自分の胸の中に自然に出来上がらしていた結願を思い出して、心を鬼にしながら、 「貞ちゃんといったらお返事をなさいな。なんの事です拗ねたまねをして。台所に行ってあとのすすぎ返しでもしておいで、勉強もしないでぼんやりしていると毒ですよ」 「だっておねえ様わたし苦しいんですもの」 「うそをお言い。このごろはあなたほんとうにいけなくなった事。わがままばかししているとねえさんはききませんよ」  貞世はさびしそうな恨めしそうな顔をまっ赤にして葉子のほうを振り向いた。それを見ただけで葉子はすっかり打ちくだかれていた。水落のあたりをすっと氷の棒でも通るような心持ちがすると、喉の所はもう泣きかけていた。なんという心に自分はなってしまったのだろう……葉子はその上その場にはいたたまれないで、急いで階下のほうへ降りて行った。  倉地の声にまじって古藤の声も激して聞こえた。 四一  階子段の上がり口には愛子が姉を呼びに行こうか行くまいかと思案するらしく立っていた。そこを通り抜けて自分の部屋に来て見ると、胸毛をあらわに襟をひろげて、セルの両袖を高々とまくり上げた倉地が、あぐらをかいたまま、電灯の灯の下に熟柿のように赤くなってこっちを向いて威丈高になっていた。古藤は軍服の膝をきちんと折ってまっすぐに固くすわって、葉子には後ろを向けていた。それを見るともう葉子の神経はびりびりと逆立って自分ながらどうしようもないほど荒れすさんで来ていた。「何もかもいやだ、どうでも勝手になるがいい。」するとすぐ頭が重くかぶさって来て、腹部の鈍痛が鉛の大きな球のように腰をしいたげた。それは二重に葉子をいらいらさせた。 「あなた方はいったい何をそんなにいい合っていらっしゃるの」  もうそこには葉子はタクトを用いる余裕さえ持っていなかった。始終腹の底に冷静さを失わないで、あらん限りの表情を勝手に操縦してどんな難関でも、葉子に特有なしかたで切り開いて行くそんな余裕はその場にはとても出て来なかった。 「何をといってこの古藤という青年はあまり礼儀をわきまえんからよ。木村さんの親友親友と二言目には鼻にかけたような事をいわるるが、わしもわしで木村さんから頼まれとるんだから、一人よがりの事はいうてもらわんでもがいいのだ。それをつべこべろくろくあなたの世話も見ずにおきながら、いい立てなさるので、筋が違っていようといって聞かせて上げたところだ。古藤さん、あなた失礼だがいったいいくつです」  葉子にいって聞かせるでもなくそういって、倉地はまた古藤のほうに向き直った。古藤はこの侮辱に対して口答えの言葉も出ないように激昂して黙っていた。 「答えるが恥ずかしければしいても聞くまい。が、いずれ二十は過ぎていられるのだろう。二十過ぎた男があなたのように礼儀をわきまえずに他人の生活の内輪にまで立ち入って物をいうはばかの証拠ですよ。男が物をいうなら考えてからいうがいい」  そういって倉地は言葉の激昂している割合に、また見かけのいかにも威丈高な割合に、充分の余裕を見せて、空うそぶくように打ち水をした庭のほうを見ながら団扇をつかった。  古藤はしばらく黙っていてから後ろを振り仰いで葉子を見やりつつ、 「葉子さん……まあ、す、すわってください」  と少しどもるようにしいて穏やかにいった。葉子はその時始めて、われにもなくそれまでそこに突っ立ったままぼんやりしていたのを知って、自分にかつてないようなとんきょな事をしていたのに気が付いた。そして自分ながらこのごろはほんとうに変だと思いながら二人の間に、できるだけ気を落ち着けて座についた。古藤の顔を見るとやや青ざめて、こめかみの所に太い筋を立てていた。葉子はその時分になって始めて少しずつ自分を回復していた。 「古藤さん、倉地さんは少しお酒を召し上がった所だからこんな時むずかしいお話をなさるのはよくありませんでしたわ。なんですか知りませんけれども今夜はもうそのお話はきれいにやめましょう。いかが?……またゆっくりね……あ、愛さん、あなたお二階に行って縫いかけを大急ぎで仕上げて置いてちょうだい、ねえさんがあらかたしてしまってあるけれども……」  そういって先刻から逐一二人の争論をきいていたらしい愛子を階上に追い上げた。しばらくして古藤はようやく落ち着いて自分の言葉を見いだしたように、 「倉地さんに物をいったのは僕が間違っていたかもしれません。じゃ倉地さんを前に置いてあなたにいわしてください。お世辞でもなんでもなく、僕は始めからあなたには倉地さんなんかにはない誠実な所が、どこかに隠れているように思っていたんです。僕のいう事をその誠実な所で判断してください」 「まあきょうはもういいじゃありませんか、ね。わたし、あなたのおっしゃろうとする事はよっくわかっていますわ。わたし決して仇やおろそかには思っていませんほんとうに。わたしだって考えてはいますわ。そのうちとっくりわたしのほうから伺っていただきたいと思っていたくらいですからそれまで……」 「きょう聞いてください。軍隊生活をしていると三人でこうしてお話しする機会はそうありそうにはありません。もう帰営の時間が逼っていますから、長くお話はできないけれども……それだから我慢して聞いてください」  それならなんでも勝手にいってみるがいい、仕儀によっては黙ってはいないからという腹を、かすかに皮肉に開いた口びるに見せて葉子は古藤に耳をかす態度を見せた。倉地は知らんふりをして庭のほうを見続けていた。古藤は倉地を全く度外視したように葉子のほうに向き直って、葉子の目に自分の目を定めた。卒直な明らさまなその目にはその場合にすら子供じみた羞恥の色をたたえていた。例のごとく古藤は胸の金ぼたんをはめたりはずしたりしながら、 「僕は今まで自分の因循からあなたに対しても木村に対してもほんとうに友情らしい友情を現わさなかったのを恥ずかしく思います。僕はとうにもっとどうかしなければいけなかったんですけれども……木村、木村って木村の事ばかりいうようですけれども、木村の事をいうのはあなたの事をいうのも同じだと僕は思うんですが、あなたは今でも木村と結婚する気が確かにあるんですかないんですか、倉地さんの前でそれをはっきり僕に聞かせてください。何事もそこから出発して行かなければこの話は畢寛まわりばかり回る事になりますから。僕はあなたが木村と結婚する気はないといわれても決してそれをどうというんじゃありません。木村は気の毒です。あの男は表面はあんなに楽天的に見えていて、意志が強そうだけれども、ずいぶん涙っぽいほうだから、その失望は思いやられます。けれどもそれだってしかたがない。第一始めから無理だったから……あなたのお話のようなら……。しかし事情が事情だったとはいえ、あなたはなぜいやならいやと……そんな過去をいったところが始まらないからやめましょう。……葉子さん、あなたはほんとうに自分を考えてみて、どこか間違っていると思った事はありませんか。誤解しては困りますよ、僕はあなたが間違っているというつもりじゃないんですから。他人の事を他人が判断する事なんかはできない事だけれども、僕はあなたがどこか不自然に見えていけないんです。よく世の中では人生の事はそう単純に行くもんじゃないといいますが、そうしてあなたの生活なんぞを見ていると、それはごく外面的に見ているからそう見えるのかもしれないけれども、実際ずいぶん複雑らしく思われますが、そうあるべき事なんでしょうか。もっともっと clear に sun-clear に自分の力だけの事、徳だけの事をして暮らせそうなものだと僕自身は思うんですがね……僕にもそうでなくなる時代が来るかもしらないけれども、今の僕としてはそうより考えられないんです。一時は混雑も来、不和も来、けんかも来るかは知れないが、結局はそうするよりしかたがないと思いますよ。あなたの事についても僕は前からそういうふうにはっきり片づけてしまいたいと思っていたんですけれど、姑息な心からそれまでに行かずともいい結果が生まれて来はしないかと思ったりしてきょうまでどっちつかずで過ごして来たんです。しかしもうこの以上僕には我慢ができなくなりました。  倉地さんとあなたと結婚なさるならなさるで木村もあきらめるよりほかに道はありません。木村に取っては苦しい事だろうが、僕から考えるとどっちつかずで煩悶しているのよりどれだけいいかわかりません。だから倉地さんに意向を伺おうとすれば、倉地さんは頭から僕をばかにして話を真身に受けてはくださらないんです」 「ばかにされるほうが悪いのよ」  倉地は庭のほうから顔を返して、「どこまでばかに出来上がった男だろう」というように苦笑いをしながら古藤を見やって、また知らぬ顔に庭のほうを向いてしまった。 「そりゃそうだ。ばかにされる僕はばかだろう。しかしあなたには……あなたには僕らが持ってる良心というものがないんだ。それだけはばかでも僕にはわかる。あなたがばかといわれるのと、僕が自分をばかと思っているそれとは、意味が違いますよ」 「そのとおり、あなたはばかだと思いながら、どこか心のすみで『何ばかなものか』と思いよるし、わたしはあなたを嘘本なしにばかというだけの相違があるよ」 「あなたは気の毒な人です」  古藤の目には怒りというよりも、ある激しい感情の涙が薄く宿っていた。古藤の心の中のいちばん奥深い所が汚されないままで、ふと目からのぞき出したかと思われるほど、その涙をためた目は一種の力と清さとを持っていた。さすがの倉地もその一言には言葉を返す事なく、不思議そうに古藤の顔を見た。葉子も思わず一種改まった気分になった。そこにはこれまで見慣れていた古藤はいなくなって、その代わりにごまかしのきかない強い力を持った一人の純潔な青年がひょっこり現われ出たように見えた。何をいうか、またいつものようなありきたりの道徳論を振り回すと思いながら、一種の軽侮をもって黙って聞いていた葉子は、この一言で、いわば古藤を壁ぎわに思い存分押し付けていた倉地が手もなくはじき返されたのを見た。言葉の上や仕打ちの上やでいかに高圧的に出てみても、どうする事もできないような真実さが古藤からあふれ出ていた。それに歯向かうには真実で歯向かうほかはない。倉地はそれを持ち合わしているかどうか葉子には想像がつかなかった。その場合倉地はしばらく古藤の顔を不思議そうに見やった後、平気な顔をして膳から杯を取り上げて、飲み残して冷えた酒をてれかくしのようにあおりつけた。葉子はこの時古藤とこんな調子で向かい合っているのが恐ろしくってならなくなった。古藤の目の前でひょっとすると今まで築いて来た生活がくずれてしまいそうな危惧をさえ感じた。で、そのまま黙って倉地のまねをするようだが、平気を装いつつ煙管を取り上げた。その場の仕打ちとしては拙いやりかたであるのを歯がゆくは思いながら。  古藤はしばらく言葉を途切らしていたが、また改まって葉子のほうに話しかけた。 「そう改まらないでください。その代わり思っただけの事をいいかげんにしておかずに話し合わせてみてください。いいですか。あなたと倉地さんとのこれまでの生活は、僕みたいな無経験なものにも、疑問として片づけておく事のできないような事実を感じさせるんです。それに対するあなたの弁解は詭弁とより僕には響かなくなりました。僕の鈍い直覚ですらがそう考えるのです。だからこの際あなたと倉地さんとの関係を明らかにして、あなたから木村に偽りのない告白をしていただきたいんです。木村が一人で生活に苦しみながらたとえようのない疑惑の中にもがいているのを少しでも想像してみたら……今のあなたにはそれを要求するのは無理かもしれないけれども……。第一こんな不安定な状態からあなたは愛子さんや貞世さんを救う義務があると思いますよ僕は。あなただけに限られずに、四方八方の人の心に響くというのは恐ろしい事だとはほんとうにあなたには思えませんかねえ。僕にはそばで見ているだけでも恐ろしいがなあ。人にはいつか総勘定をしなければならない時が来るんだ。いくら借りになっていてもびくともしないという自信もなくって、ずるずるべったりに無反省に借りばかり作っているのは考えてみると不安じゃないでしょうか。葉子さん、あなたには美しい誠実があるんだ。僕はそれを知っています。木村にだけはどうしたわけか別だけれども、あなたはびた一文でも借りをしていると思うと寝心地が悪いというような気象を持っているじゃありませんか。それに心の借金ならいくら借金をしていても平気でいられるわけはないと思いますよ。なぜあなたは好んでそれを踏みにじろうとばかりしているんです。そんな情けない事ばかりしていてはだめじゃありませんか。……僕ははっきり思うとおりをいい現わし得ないけれども……いおうとしている事はわかってくださるでしょう」  古藤は思い入ったふうで、油でよごれた手を幾度もまっ黒に日に焼けた目がしらの所に持って行った。蚊がぶんぶんと攻めかけて来るのも忘れたようだった。葉子は古藤の言葉をもうそれ以上は聞いていられなかった。せっかくそっとして置いた心のよどみがかきまわされて、見まいとしていたきたないものがぬらぬらと目の前に浮き出て来るようでもあった。塗りつぶし塗りつぶししていた心の壁にひびが入って、そこから面も向けられない白い光がちらとさすようにも思った。もうしかしそれはすべてあまりおそい。葉子はそんな物を無視してかかるほかに道がないと思った。ごまかしてはいけないと古藤のいった言葉はその瞬間にもすぐ葉子にきびしく答えたけれども、葉子は押し切ってそんな言葉をかなぐり捨てないではいられないと自分からあきらめた。 「よくわかりました。あなたのおっしゃる事はいつでもわたしにはよくわかりますわ。そのうちわたしきっと木村のほうに手紙を出すから安心してくださいまし。このごろはあなたのほうが木村以上に神経質になっていらっしゃるようだけれども、御親切はよくわたしにもわかりますわ。倉地さんだってあなたのお心持ちは通じているに違いないんですけれども、あなたが……なんといったらいいでしょうねえ……あなたがあんまり真正面からおっしゃるもんだから、つい向っ腹をお立てなすったんでしょう。そうでしょう、ね、倉地さん。……こんないやなお話はこれだけにして妹たちでも呼んでおもしろいお話でもしましょう」 「僕がもっと偉いと、いう事がもっと深く皆さんの心にはいるんですが、僕のいう事はほんとうの事だと思うんだけれどもしかたがありません。それじゃきっと木村に書いてやってください。僕自身は何も物数寄らしくその内容を知りたいとは思ってるわけじゃないんですから……」  古藤がまだ何かいおうとしている時に愛子が整頓風呂敷の出来上がったのを持って、二階から降りて来た。古藤は愛子からそれを受け取ると思い出したようにあわてて時計を見た。葉子はそれには頓着しないように、 「愛さんあれを古藤さんにお目にかけよう。古藤さんちょっと待っていらしってね。今おもしろいものをお目にかけるから。貞ちゃんは二階? いないの? どこに行ったんだろう……貞ちゃん!」  こういって葉子が呼ぶと台所のほうから貞世が打ち沈んだ顔をして泣いたあとのように頬を赤くしてはいって来た。やはり自分のいった言葉に従って一人ぽっちで台所に行ってすすぎ物をしていたのかと思うと、葉子はもう胸が逼って目の中が熱くなるのだった。 「さあ二人でこの間学校で習って来たダンスをして古藤さんと倉地さんとにお目におかけ。ちょっとコティロンのようでまた変わっていますの。さ」  二人は十畳の座敷のほうに立って行った。倉地はこれをきっかけにからっと快活になって、今までの事は忘れたように、古藤にも微笑を与えながら「それはおもしろかろう」といいつつあとに続いた。愛子の姿を見ると古藤も釣り込まれるふうに見えた。葉子は決してそれを見のがさなかった。  可憐な姿をした姉と妹とは十畳の電燈の下に向かい合って立った。愛子はいつでもそうなようにこんな場合でもいかにも冷静だった。普通ならばその年ごろの少女としては、やり所もない羞恥を感ずるはずであるのに、愛子は少し目を伏せているほかにはしらじらとしていた。きゃっきゃっとうれしがったり恥ずかしがったりする貞世はその夜はどうしたものかただ物憂げにそこにしょんぼりと立った。その夜の二人は妙に無感情な一対の美しい踊り手だった。葉子が「一二三」と相図をすると、二人は両手を腰骨の所に置き添えて静かに回旋しながら舞い始めた。兵営の中ばかりにいて美しいものを全く見なかったらしい古藤は、しばらくは何事も忘れたように恍惚として二人の描く曲線のさまざまに見とれていた。  と突然貞世が両袖を顔にあてたと思うと、急に舞いの輸からそれて、一散に玄関わきの六畳に駆け込んだ。六畳に達しないうちに痛ましくすすり泣く声が聞こえ出した。古藤ははっとあわててそっちに行こうとしたが、愛子が一人になっても、顔色も動かさずに踊り続けているのを見るとそのまままた立ち止まった。愛子は自分のし遂すべき務めをし遂せる事に心を集める様子で舞いつづけた。 「愛さんちょっとお待ち」  といった葉子の声は低いながら帛を裂くように疳癖らしい調子になっていた。別室に妹の駆け込んだのを見向きもしない愛子の不人情さを憤る怒りと、命ぜられた事を中途半端でやめてしまった貞世を憤る怒りとで葉子は自制ができないほどふるえていた。愛子は静かにそこに両手を腰からおろして立ち止まった。 「貞ちゃんなんですその失礼は。出ておいでなさい」  葉子は激しく隣室に向かってこう叫んだ。隣室から貞世のすすり泣く声が哀れにもまざまざと聞こえて来るだけだった。抱きしめても抱きしめても飽き足らないほどの愛着をそのまま裏返したような憎しみが、葉子の心を火のようにした。葉子は愛子にきびしくいいつけて貞世を六畳から呼び返さした。  やがてその六畳から出て来た愛子は、さすがに不安な面持ちをしていた。苦しくってたまらないというから額に手をあてて見たら火のように熱いというのだ。  葉子は思わずぎょっとした。生まれ落ちるとから病気一つせずに育って来た貞世は前から発熱していたのを自分で知らずにいたに違いない。気むずかしくなってから一週間ぐらいになるから、何かの熱病にかかったとすれば病気はかなり進んでいたはずだ。ひょっとすると貞世はもう死ぬ……それを葉子は直覚したように思った。目の前で世界が急に暗くなった。電灯の光も見えないほどに頭の中が暗い渦巻きでいっぱいになった。えゝ、いっその事死んでくれ。この血祭りで倉地が自分にはっきりつながれてしまわないとだれがいえよう。人身御供にしてしまおう。そう葉子は恐怖の絶頂にありながら妙にしんとした心持ちで思いめぐらした。そしてそこにぼんやりしたまま突っ立っていた。  いつのまに行ったのか、倉地と古藤とが六畳の間から首を出した。 「お葉さん……ありゃ泣いたためばかりの熱じゃない。早く来てごらん」  倉地のあわてるような声が聞こえた。  それを聞くと葉子は始めて事の真相がわかったように、夢から目ざめたように、急に頭がはっきりして六畳の間に走り込んだ。貞世はひときわ背たけが縮まったように小さく丸まって、座ぶとんに顔を埋めていた。膝をついてそばによって後頸の所にさわってみると、気味の悪いほどの熱が葉子の手に伝わって来た。  その瞬間に葉子の心はでんぐり返しを打った。いとしい貞世につらく当たったら、そしてもし貞世がそのために命を落とすような事でもあったら、倉地を大丈夫つかむ事ができると何がなしに思い込んで、しかもそれを実行した迷信とも妄想ともたとえようのない、狂気じみた結願がなんの苦もなくばらばらにくずれてしまって、その跡にはどうかして貞世を活かしたいという素直な涙ぐましい願いばかりがしみじみと働いていた。自分の愛するものが死ぬか活きるかの境目に来たと思うと、生への執着と死への恐怖とが、今まで想像も及ばなかった強さでひしひしと感ぜられた。自分を八つ裂きにしても貞世の命は取りとめなくてはならぬ。もし貞世が死ねばそれは自分が殺したんだ。何も知らない、神のような少女を……葉子はあらぬことまで勝手に想像して勝手に苦しむ自分をたしなめるつもりでいても、それ以上に種々な予想が激しく頭の中で働いた。  葉子は貞世の背をさすりながら、嘆願するように哀恕を乞うように古藤や倉地や愛子までを見まわした。それらの人々はいずれも心痛げな顔色を見せていないではなかった。しかし葉子から見るとそれはみんな贋物だった。  やがて古藤は兵営への帰途医者を頼むといって帰って行った。葉子は、一人でも、どんな人でも貞世の身ぢかから離れて行くのをつらく思った。そんな人たちは多少でも貞世の生命を一緒に持って行ってしまうように思われてならなかった。  日はとっぷり暮れてしまったけれどもどこの戸締まりもしないこの家に、古藤がいってよこした医者がやって来た。そして貞世は明らかに腸チブスにかかっていると診断されてしまった。 四二 「おねえ様……行っちゃいやあ……」  まるで四つか五つの幼児のように頑是なくわがままになってしまった貞世の声を聞き残しながら葉子は病室を出た。おりからじめじめと降りつづいている五月雨に、廊下には夜明けからの薄暗さがそのまま残っていた。白衣を着た看護婦が暗いだだっ広い廊下を、上草履の大きな音をさせながら案内に立った。十日の余も、夜昼の見さかいもなく、帯も解かずに看護の手を尽くした葉子は、どうかするとふらふらとなって、頭だけが五体から離れてどこともなく漂って行くかとも思うような不思議な錯覚を感じながら、それでも緊張しきった心持ちになっていた。すべての音響、すべての色彩が極度に誇張されてその感覚に触れて来た。貞世が腸チブスと診断されたその晩、葉子は担架に乗せられたそのあわれな小さな妹に付き添ってこの大学病院の隔離室に来てしまったのであるが、その時別れたなりで、倉地は一度も病院を尋ねては来なかったのだ。葉子は愛子一人が留守する山内の家のほうに、少し不安心ではあるけれどもいつか暇をやったつやを呼び寄せておこうと思って、宿もとにいってやると、つやはあれから看護婦を志願して京橋のほうのある病院にいるという事が知れたので、やむを得ず倉地の下宿から年を取った女中を一人頼んでいてもらう事にした。病院に来てからの十日――それはきのうからきょうにかけての事のように短く思われもし、一日が一年に相当するかと疑われるほど長くも感じられた。  その長く感じられるほうの期間には、倉地と愛子との姿が不安と嫉妬との対照となって葉子の心の目に立ち現われた。葉子の家を預かっているものは倉地の下宿から来た女だとすると、それは倉地の犬といってもよかった。そこに一人残された愛子……長い時間の間にどんな事でも起こり得ずにいるものか。そう気を回し出すと葉子は貞世の寝台のかたわらにいて、熱のために口びるがかさかさになって、半分目をあけたまま昏睡しているその小さな顔を見つめている時でも、思わずかっとなってそこを飛び出そうとするような衝動に駆り立てられるのだった。  しかしまた短く感じられるほうの期間にはただ貞世ばかりがいた。末子として両親からなめるほど溺愛もされ、葉子の唯一の寵児ともされ、健康で、快活で、無邪気で、わがままで、病気という事などはついぞ知らなかったその子は、引き続いて父を失い、母を失い、葉子の病的な呪詛の犠牲となり、突然死病に取りつかれて、夢にもうつつにも思いもかけなかった死と向かい合って、ひたすらに恐れおののいている、その姿は、千丈の谷底に続く崕のきわに両手だけでぶら下がった人が、そこの土がぼろぼろとくずれ落ちるたびごとに、懸命になって助けを求めて泣き叫びながら、少しでも手がかりのある物にしがみつこうとするのを見るのと異ならなかった。しかもそんなはめに貞世をおとしいれてしまったのは結局自分に責任の大部分があると思うと、葉子はいとしさ悲しさで胸も腸も裂けるようになった。貞世が死ぬにしても、せめては自分だけは貞世を愛し抜いて死なせたかった。貞世をかりにもいじめるとは……まるで天使のような心で自分を信じきり愛し抜いてくれた貞世をかりにも没義道に取り扱ったとは……葉子は自分ながら葉子の心の埒なさ恐ろしさに悔いても悔いても及ばない悔いを感じた。そこまで詮じつめて来ると、葉子には倉地もなかった。ただ命にかけても貞世を病気から救って、貞世が元通りにつやつやしい健康に帰った時、貞世を大事に大事に自分の胸にかき抱いてやって、 「貞ちゃんお前はよくこそなおってくれたね。ねえさんを恨まないでおくれ。ねえさんはもう今までの事をみんな後悔して、これからはあなたをいつまでもいつまでも後生大事にしてあげますからね」  としみじみと泣きながらいってやりたかった。ただそれだけの願いに固まってしまった。そうした心持ちになっていると、時間はただ矢のように飛んで過ぎた。死のほうへ貞世を連れて行く時間はただ矢のように飛んで過ぎると思えた。  この奇怪な心の葛藤に加えて、葉子の健康はこの十日ほどの激しい興奮と活動とでみじめにもそこない傷つけられているらしかった。緊張の極点にいるような今の葉子にはさほどと思われないようにもあったが、貞世が死ぬかなおるかして一息つく時が来たら、どうして肉体をささえる事ができようかと危ぶまないではいられない予感がきびしく葉子を襲う瞬間は幾度もあった。  そうした苦しみの最中に珍しく倉地が尋ねて来たのだった。ちょうど何もかも忘れて貞世の事ばかり気にしていた葉子は、この案内を聞くと、まるで生まれかわったようにその心は倉地でいっぱいになってしまった。  病室の中から叫びに叫ぶ貞世の声が廊下まで響いて聞こえたけれども、葉子はそれには頓着していられないほどむきになって看護婦のあとを追った。歩きながら衣紋を整えて、例の左手をあげて鬢の毛を器用にかき上げながら、応接室の所まで来ると、そこはさすがにいくぶんか明るくなっていて、開き戸のそばのガラス窓の向こうに頑丈な倉地と、思いもかけず岡の華車な姿とがながめられた。  葉子は看護婦のいるのも岡のいるのも忘れたようにいきなり倉地に近づいて、その胸に自分の顔を埋めてしまった。何よりもかによりも長い長い間あい得ずにいた倉地の胸は、数限りもない連想に飾られて、すべての疑惑や不快を一掃するに足るほどなつかしかった。倉地の胸から触れ慣れた衣ざわりと、強烈な膚のにおいとが、葉子の病的に嵩じた感覚を乱酔さすほどに伝わって来た。 「どうだ、ちっとはいいか」 「おゝこの声だ、この声だ」……葉子はかく思いながら悲しくなった。それは長い間闇の中に閉じこめられていたものが偶然灯の光を見た時に胸を突いてわき出て来るような悲しさだった。葉子は自分の立場をことさらあわれに描いてみたい衝動を感じた。 「だめです。貞世は、かわいそうに死にます」 「ばかな……あなたにも似合わん、そう早う落胆する法があるものかい。どれ一つ見舞ってやろう」  そういいながら倉地は先刻からそこにいた看護婦のほうに振り向いた様子だった。そこに看護婦も岡もいるという事はちゃんと知っていながら、葉子はだれもいないもののような心持ちで振る舞っていたのを思うと、自分ながらこのごろは心が狂っているのではないかとさえ疑った。看護婦は倉地と葉子との対話ぶりで、この美しい婦人の素性をのみ込んだというような顔をしていた。岡はさすがにつつましやかに心痛の色を顔に現わして椅子の背に手をかけたまま立っていた。 「あゝ、岡さんあなたもわざわざお見舞いくださってありがとうございました」  葉子は少し挨拶の機会をおくらしたと思いながらもやさしくこういった。岡は頬を紅らめたまま黙ってうなずいた。 「ちょうど今見えたもんだで御一緒したが、岡さんはここでお帰りを願ったがいいと思うが……(そういって倉地は岡のほうを見た)何しろ病気が病気ですから……」 「わたし、貞世さんにぜひお会いしたいと思いますからどうかお許しください」  岡は思い入ったようにこういって、ちょうどそこに看護婦が持って来た二枚の白い上っ張りのうち少し古く見える一枚を取って倉地よりも先に着始めた。葉子は岡を見るともう一つのたくらみを心の中で案じ出していた。岡をできるだけたびたび山内の家のほうに遊びに行かせてやろう。それは倉地と愛子とが接触する機会をいくらかでも妨げる結果になるに違いない。岡と愛子とが互いに愛し合うようになったら……なったとしてもそれは悪い結果という事はできない。岡は病身ではあるけれども地位もあれば金もある。それは愛子のみならず、自分の将来に取っても役に立つに相違ない。……とそう思うすぐその下から、どうしても虫の好かない愛子が、葉子の意志の下にすっかりつなぎつけられているような岡をぬすんで行くのを見なければならないのが面憎くも妬ましくもあった。  葉子は二人の男を案内しながら先に立った。暗い長い廊下の両側に立ちならんだ病室の中からは、呼吸困難の中からかすれたような声でディフテリヤらしい幼児の泣き叫ぶのが聞こえたりした。貞世の病室からは一人の看護婦が半ば身を乗り出して、部屋の中に向いて何かいいながら、しきりとこっちをながめていた。貞世の何かいい募る言葉さえが葉子の耳に届いて来た。その瞬間にもう葉子はそこに倉地のいる事なども忘れて、急ぎ足でそのほうに走り近づいた。 「そらもう帰っていらっしゃいましたよ」  といいながら顔を引っ込めた看護婦に続いて、飛び込むように病室にはいって見ると、貞世は乱暴にも寝台の上に起き上がって、膝小僧もあらわになるほど取り乱した姿で、手を顔にあてたままおいおいと泣いていた。葉子は驚いて寝台に近寄った。 「なんというあなたは聞きわけのない……貞ちゃんその病気で、あなた、寝台から起き上がったりするといつまでもなおりはしませんよ。あなたの好きな倉地のおじさんと岡さんがお見舞いに来てくださったのですよ。はっきりわかりますか、そら、そこを御覧、横になってから」  そう言い言い葉子はいかにも愛情に満ちた器用な手つきで軽く貞世をかかえて床の上に臥かしつけた。貞世の顔は今まで盛んな運動でもしていたように美しく活々と紅味がさして、ふさふさした髪の毛は少しもつれて汗ばんで額ぎわに粘りついていた。それは病気を思わせるよりも過剰の健康とでもいうべきものを思わせた。ただその両眼と口びるだけは明らかに尋常でなかった。すっかり充血したその目はふだんよりも大きくなって、二重まぶたになっていた。そのひとみは熱のために燃えて、おどおどと何者かを見つめているようにも、何かを見いだそうとして尋ねあぐんでいるようにも見えた。その様子はたとえば葉子を見入っている時でも、葉子を貫いて葉子の後ろの方はるかの所にある或る者を見きわめようとあらん限りの力を尽くしているようだった。口びるは上下ともからからになって内紫という柑類の実をむいて天日に干したようにかわいていた。それは見るもいたいたしかった。その口びるの中から高熱のために一種の臭気が呼吸のたびごとに吐き出される、その臭気が口びるの著しいゆがめかたのために、目に見えるようだった。貞世は葉子に注意されて物惰げに少し目をそらして倉地と岡とのいるほうを見たが、それがどうしたんだというように、少しの興味も見せずにまた葉子を見入りながらせっせと肩をゆすって苦しげな呼吸をつづけた。 「おねえさま……水……氷……もういっちゃいや……」  これだけかすかにいうともう苦しそうに目をつぶってほろほろと大粒の涙をこぼすのだった。  倉地は陰鬱な雨脚で灰色になったガラス窓を背景にして突っ立ちながら、黙ったまま不安らしく首をかしげた。岡は日ごろのめったに泣かない性質に似ず、倉地の後ろにそっと引きそって涙ぐんでいた。葉子には後ろを振り向いて見ないでもそれが目に見るようにはっきりわかった。貞世の事は自分一人で背負って立つ。よけいなあわれみはかけてもらいたくない。そんないらいらしい反抗的な心持ちさえその場合起こらずにはいなかった。過ぐる十日というもの一度も見舞う事をせずにいて、今さらその由々しげな顔つきはなんだ。そう倉地にでも岡にでもいってやりたいほど葉子の心はとげとげしくなっていた。で、葉子は後ろを振り向きもせずに、箸の先につけた脱脂綿を氷水の中に浸しては、貞世の口をぬぐっていた。  こうやってもののやや二十分が過ぎた。飾りけも何もない板張りの病室にはだんだん夕暮れの色が催して来た。五月雨はじめじめと小休みなく戸外では降りつづいていた。「おねえ様なおしてちょうだいよう」とか「苦しい……苦しいからお薬をください」とか「もう熱を計るのはいや」とか時々囈言のように言っては、葉子の手にかじりつく貞世の姿はいつ息気を引き取るかもしれないと葉子に思わせた。 「ではもう帰りましょうか」  倉地が岡を促すようにこういった。岡は倉地に対し葉子に対して少しの間返事をあえてするのをはばかっている様子だったが、とうとう思いきって、倉地に向かって言っていながら少し葉子に対して嘆願するような調子で、 「わたし、きょうはなんにも用がありませんから、こちらに残らしていただいて、葉子さんのお手伝いをしたいと思いますから、お先にお帰りください」  といった。岡はひどく意志が弱そうに見えながら一度思い入っていい出した事は、とうとう仕畢せずにはおかない事を、葉子も倉地も今までの経験から知っていた。葉子は結局それを許すほかはないと思った。 「じゃわしはお先するがお葉さんちょっと……」  といって倉地は入り口のほうにしざって行った。おりから貞世はすやすやと昏睡に陥っていたので、葉子はそっと自分の袖を捕えている貞世の手をほどいて、倉地のあとから病室を出た。病室を出るとすぐ葉子はもう貞世を看護している葉子ではなかった。  葉子はすぐに倉地に引き添って肩をならべながら廊下を応接室のほうに伝って行った。 「お前はずいぶんと疲れとるよ。用心せんといかんぜ」 「大丈夫……こっちは大丈夫です。それにしてもあなたは……お忙しかったんでしょうね」  たとえば自分の言葉は稜針で、それを倉地の心臓に揉み込むというような鋭い語気になってそういった。 「全く忙しかった。あれからわしはお前の家には一度もよう行かずにいるんだ」  そういった倉地の返事にはいかにもわだかまりがなかった。葉子の鋭い言葉にも少しも引けめを感じているふうは見えなかった。葉子でさえが危うくそれを信じようとするほどだった。しかしその瞬間に葉子は燕返しに自分に帰った。何をいいかげんな……それは白々しさが少し過ぎている。この十日の間に、倉地にとってはこの上もない機会の与えられた十日の間に、杉森の中のさびしい家にその足跡の印されなかったわけがあるものか。……さらぬだに、病み果て疲れ果てた頭脳に、極度の緊張を加えた葉子は、ぐらぐらとよろけた足もとが廊下の板に着いていないような憤怒に襲われた。  応接室まで来て上っ張りを脱ぐと、看護婦が噴霧器を持って来て倉地の身のまわりに消毒薬を振りかけた。そのかすかなにおいがようやく葉子をはっきりした意識に返らした。葉子の健康が一日一日といわず、一時間ごとにもどんどん弱って行くのが身にしみて知れるにつけて、倉地のどこにも批点のないような頑丈な五体にも心にも、葉子はやりどころのないひがみと憎しみを感じた。倉地にとっては葉子はだんだんと用のないものになって行きつつある。絶えず何か目新しい冒険を求めているような倉地にとっては、葉子はもう散りぎわの花に過ぎない。  看護婦がその室を出ると、倉地は窓の所に寄って行って、衣嚢の中から大きな鰐皮のポケットブックを取り出して、拾円札のかなりの束を引き出した。葉子はそのポケットブックにもいろいろの記憶を持っていた。竹柴館で一夜を過ごしたその朝にも、その後のたびたびのあいびきのあとの支払いにも、葉子は倉地からそのポケットブックを受け取って、ぜいたくな支払いを心持ちよくしたのだった。そしてそんな記憶はもう二度とは繰り返せそうもなく、なんとなく葉子には思えた。そんな事をさせてなるものかと思いながらも、葉子の心は妙に弱くなっていた。 「また足らなくなったらいつでもいってよこすがいいから……おれのほうの仕事はどうもおもしろくなくなって来おった。正井のやつ何か容易ならぬ悪戯をしおった様子もあるし、油断がならん。たびたびおれがここに来るのも考え物だて」  紙幣を渡しながらこういって倉地は応接室を出た。かなりぬれているらしい靴をはいて、雨水で重そうになった洋傘をばさばさいわせながら開いて、倉地は軽い挨拶を残したまま夕闇の中に消えて行こうとした。間を置いて道わきにともされた電灯の灯が、ぬれた青葉をすべり落ちてぬかるみの中に燐のような光を漂わしていた。その中をだんだん南門のほうに遠ざかって行く倉地を見送っていると葉子はとてもそのままそこに居残ってはいられなくなった。  だれの履き物とも知らずそこにあった吾妻下駄をつっかけて葉子は雨の中を玄関から走り出て倉地のあとを追った。そこにある広場には欅や桜の木がまばらに立っていて、大規模な増築のための材料が、煉瓦や石や、ところどころに積み上げてあった。東京の中央にこんな所があるかと思われるほど物さびしく静かで、街灯の光の届く所だけに白く光って斜めに雨のそそぐのがほのかに見えるばかりだった。寒いとも暑いともさらに感じなく過ごして来た葉子は、雨が襟脚に落ちたので初めて寒いと思った。関東に時々襲って来る時ならぬ冷え日でその日もあったらしい。葉子は軽く身ぶるいしながら、いちずに倉地のあとを追った。やや十四五間も先にいた倉地は足音を聞きつけたと見えて立ちどまって振り返った。葉子が追いついた時には、肩はいいかげんぬれて、雨のしずくが前髪を伝って額に流れかかるまでになっていた。葉子はかすかな光にすかして、倉地が迷惑そうな顔つきで立っているのを知った。葉子はわれにもなく倉地が傘を持つために水平に曲げたその腕にすがり付いた。 「さっきのお金はお返しします。義理ずくで他人からしていただくんでは胸がつかえますから……」  倉地の腕の所で葉子のすがり付いた手はぶるぶると震えた。傘からはしたたりがことさら繁く落ちて、単衣をぬけて葉子の肌ににじみ通った。葉子は、熱病患者が冷たいものに触れた時のような不快な悪寒を感じた。 「お前の神経は全く少しどうかしとるぜ。おれの事を少しは思ってみてくれてもよかろうが……疑うにもひがむにもほどがあっていいはずだ。おれはこれまでにどんな不貞腐れをした。いえるならいってみろ」  さすがに倉地も気にさえているらしく見えた。 「いえないように上手に不貞腐れをなさるのじゃ、いおうったっていえやしませんわね。なぜあなたははっきり葉子にはあきた、もう用がないとおいいになれないの。男らしくもない。さ、取ってくださいましこれを」  葉子は紙幣の束をわなわなする手先で倉地の胸の所に押しつけた。 「そしてちゃんと奥さんをお呼び戻しなさいまし。それで何もかも元通りになるんだから。はばかりながら……」 「愛子は」と口もとまでいいかけて、葉子は恐ろしさに息気を引いてしまった。倉地の細君の事までいったのはその夜が始めてだった。これほど露骨な嫉妬の言葉は、男の心を葉子から遠ざからすばかりだと知り抜いて慎んでいたくせに、葉子はわれにもなく、がみがみと妹の事までいってのけようとする自分にあきれてしまった。  葉子がそこまで走り出て来たのは、別れる前にもう一度倉地の強い腕でその暖かく広い胸に抱かれたいためだったのだ。倉地に悪たれ口をきいた瞬間でも葉子の願いはそこにあった。それにもかかわらず口の上では全く反対に、倉地を自分からどんどん離れさすような事をいってのけているのだ。  葉子の言葉が募るにつれて、倉地は人目をはばかるようにあたりを見回した。互い互いに殺し合いたいほどの執着を感じながら、それを言い現わす事も信ずる事もできず、要もない猜疑と不満とにさえぎられて、見る見る路傍の人のように遠ざかって行かねばならぬ、――そのおそろしい運命を葉子はことさら痛切に感じた。倉地があたりを見回した――それだけの挙動が、機を見計らっていきなりそこを逃げ出そうとするもののようにも思いなされた。葉子は倉地に対する憎悪の心を切ないまでに募らしながら、ますます相手の腕に堅く寄り添った。  しばらくの沈黙の後、倉地はいきなり洋傘をそこにかなぐり捨てて、葉子の頭を右腕で巻きすくめようとした。葉子は本能的に激しくそれにさからった。そして紙幣の束をぬかるみの中にたたきつけた。そして二人は野獣のように争った。 「勝手にせい……ばかっ」  やがてそう激しくいい捨てると思うと、倉地は腕の力を急にゆるめて、洋傘を拾い上げるなり、あとをも向かずに南門のほうに向いてずんずんと歩き出した。憤怒と嫉妬とに興奮しきった葉子は躍起となってそのあとを追おうとしたが、足はしびれたように動かなかった。ただだんだん遠ざかって行く後ろ姿に対して、熱い涙がとめどなく流れ落ちるばかりだった。  しめやかな音を立てて雨は降りつづけていた。隔離病室のある限りの窓にはかんかんと灯がともって、白いカーテンが引いてあった。陰惨な病室にそう赤々と灯のともっているのはかえってあたりを物すさまじくして見せた。  葉子は紙幣の束を拾い上げるほか、術のないのを知って、しおしおとそれを拾い上げた。貞世の入院料はなんといってもそれで仕払うよりしようがなかったから。いいようのないくやし涙がさらにわき返った。 四三  その夜おそくまで岡はほんとうに忠実やかに貞世の病床に付き添って世話をしてくれた。口少なにしとやかによく気をつけて、貞世の欲する事をあらかじめ知り抜いているような岡の看護ぶりは、通り一ぺんな看護婦の働きぶりとはまるでくらべものにならなかった。葉子は看護婦を早く寝かしてしまって、岡と二人だけで夜のふけるまで氷嚢を取りかえたり、熱を計ったりした。  高熱のために貞世の意識はだんだん不明瞭になって来ていた。退院して家に帰りたいとせがんでしようのない時は、そっと向きをかえて臥かしてから、「さあもうお家ですよ」というと、うれしそうに笑顔をもらしたりした。それを見なければならぬ葉子はたまらなかった。どうかした拍子に、葉子は飛び上がりそうに心が責められた。これで貞世が死んでしまったなら、どうして生き永らえていられよう。貞世をこんな苦しみにおとしいれたものはみんな自分だ。自分が前どおりに貞世に優しくさえしていたら、こんな死病は夢にも貞世を襲って来はしなかったのだ。人の心の報いは恐ろしい……そう思って来ると葉子はだれにわびようもない苦悩に息気づまった。  緑色の風呂敷で包んだ電燈の下に、氷嚢を幾つも頭と腹部とにあてがわれた貞世は、今にも絶え入るかと危ぶまれるような荒い息気づかいで夢現の間をさまようらしく、聞きとれない囈言を時々口走りながら、眠っていた。岡は部屋のすみのほうにつつましく突っ立ったまま、緑色をすかして来る電燈の光でことさら青白い顔色をして、じっと貞世を見守っていた。葉子は寝台に近く椅子を寄せて、貞世の顔をのぞき込むようにしながら、貞世のために何かし続けていなければ、貞世の病気がますます重るという迷信のような心づかいから、要もないのに絶えず氷嚢の位置を取りかえてやったりなどしていた。  そして短い夜はだんだんにふけて行った。葉子の目からは絶えず涙がはふり落ちた。倉地と思いもかけない別れかたをしたその記憶が、ただわけもなく葉子を涙ぐました。  と、ふっと葉子は山内の家のありさまを想像に浮かべた。玄関わきの六畳ででもあろうか、二階の子供の勉強部屋ででもあろうか、この夜ふけを下宿から送られた老女が寝入ったあと、倉地と愛子とが話し続けているような事はないか。あの不思議に心の裏を決して他人に見せた事のない愛子が、倉地をどう思っているかそれはわからない。おそらくは倉地に対しては何の誘惑も感じてはいないだろう。しかし倉地はああいうしたたか者だ。愛子は骨に徹する怨恨を葉子に対していだいている。その愛子が葉子に対して復讐の機会を見いだしたとこの晩思い定めなかったとだれが保証し得よう。そんな事はとうの昔に行なわれてしまっているのかもしれない。もしそうなら、今ごろは、このしめやかな夜を……太陽が消えてなくなったような寒さと闇とが葉子の心におおいかぶさって来た。愛子一人ぐらいを指の間に握りつぶす事ができないと思っているのか……見ているがいい。葉子はいらだちきって毒蛇のような殺気だった心になった。そして静かに岡のほうを顧みた。  何か遠いほうの物でも見つめているように少しぼんやりした目つきで貞世を見守っていた岡は、葉子に振り向かれると、そのほうに素早く目を転じたが、その物すごい不気味さに脊髄まで襲われたふうで、顔色をかえて目をたじろがした。 「岡さん。わたし一生のお頼み……これからすぐ山内の家まで行ってください。そして不用な荷物は今夜のうちにみんな倉地さんの下宿に送り返してしまって、わたしと愛子のふだん使いの着物と道具とを持って、すぐここに引っ越して来るように愛子にいいつけてください。もし倉地さんが家に来ていたら、わたしから確かに返したといってこれを渡してください(そういって葉子は懐紙に拾円紙幣の束を包んで渡した)。いつまでかかっても構わないから今夜のうちにね。お頼みを聞いてくださって?」  なんでも葉子のいう事なら口返答をしない岡だけれどもこの常識をはずれた葉子の言葉には当惑して見えた。岡は窓ぎわに行ってカーテンの陰から戸外をすかして見て、ポケットから巧緻な浮き彫りを施した金時計を取り出して時間を読んだりした。そして少し躊躇するように、 「それは少し無理だとわたし、思いますが……あれだけの荷物を片づけるのは……」 「無理だからこそあなたを見込んでお願いするんですわ。そうねえ、入り用のない荷物を倉地さんの下宿に届けるのは何かもしれませんわね。じゃ構わないから置き手紙を婆やというのに渡しておいてくださいまし。そして婆やにいいつけてあすでも倉地さんの所に運ばしてくださいまし。それなら何もいさくさはないでしょう。それでもおいや? いかが?……ようございます。それじゃもうようございます。あなたをこんなにおそくまでお引きとめしておいて、又候めんどうなお願いをしようとするなんてわたしもどうかしていましたわ。……貞ちゃんなんでもないのよ。わたし今岡さんとお話ししていたんですよ。汽車の音でもなんでもないんだから、心配せずにお休み……どうして貞世はこんなに怖い事ばかりいうようになってしまったんでしょう。夜中などに一人で起きていて囈言を聞くとぞーっとするほど気味が悪くなりますのよ。あなたはどうぞもうお引き取りくださいまし。わたし車屋をやりますから……」 「車屋をおやりになるくらいならわたし行きます」 「でもあなたが倉地さんに何とか思われなさるようじゃお気の毒ですもの」 「わたし、倉地さんなんぞをはばかっていっているのではありません」 「それはよくわかっていますわ。でもわたしとしてはそんな結果も考えてみてからお頼みするんでしたのに……」  こういう押し問答の末に岡はとうとう愛子の迎えに行く事になってしまった。倉地がその夜はきっと愛子の所にいるに違いないと思った葉子は、病院に泊まるものと高をくくっていた岡が突然真夜中に訪れて来たので倉地もさすがにあわてずにはいられまい。それだけの狼狽をさせるにしても快い事だと思っていた。葉子は宿直部屋に行って、しだらなく睡入った当番の看護婦を呼び起こして人力車を頼ました。  岡は思い入った様子でそっと貞世の病室を出た。出る時に岡は持って来たパラフィン紙に包んである包みを開くと美しい花束だった。岡はそれをそっと貞世の枕もとにおいて出て行った。  しばらくすると、しとしとと降る雨の中を、岡を乗せた人力車が走り去る音がかすかに聞こえて、やがて遠くに消えてしまった。看護婦が激しく玄関の戸締まりする音が響いて、そのあとはひっそりと夜がふけた。遠くの部屋でディフテリヤにかかっている子供の泣く声が間遠に聞こえるほかには、音という音は絶え果てていた。  葉子はただ一人いたずらに興奮して狂うような自分を見いだした。不眠で過ごした夜が三日も四日も続いているのにかかわらず、睡気というものは少しも襲って来なかった。重石をつり下げたような腰部の鈍痛ばかりでなく、脚部は抜けるようにだるく冷え、肩は動かすたびごとにめりめり音がするかと思うほど固く凝り、頭の心は絶え間なくぎりぎりと痛んで、そこからやりどころのない悲哀と疳癪とがこんこんとわいて出た。もう鏡は見まいと思うほど顔はげっそりと肉がこけて、目のまわりの青黒い暈は、さらぬだに大きい目をことさらにぎらぎらと大きく見せた。鏡を見まいと思いながら、葉子はおりあるごとに帯の間から懐中鏡を出して自分の顔を見つめないではいられなかった。  葉子は貞世の寝息をうかがっていつものように鏡を取り出した。そして顔を少し電灯のほうに振り向けてじっと自分を映して見た。おびただしい毎日の抜け毛で額ぎわの著しく透いてしまったのが第一に気になった。少し振り仰いで顔を映すと頬のこけたのがさほどに目立たないけれども、顎を引いて下俯きになると、口と耳との間には縦に大きな溝のような凹みができて、下顎骨が目立っていかめしく現われ出ていた。長く見つめているうちにはだんだん慣れて来て、自分の意識でしいて矯正するために、やせた顔もさほどとは思われなくなり出すが、ふと鏡に向かった瞬間には、これが葉子葉子と人々の目をそばだたした自分かと思うほど醜かった。そうして鏡に向かっているうちに、葉子はその投影を自分以外のある他人の顔ではないかと疑い出した。自分の顔より映るはずがない。それだのにそこに映っているのは確かにだれか見も知らぬ人の顔だ。苦痛にしいたげられ、悪意にゆがめられ、煩悩のために支離滅裂になった亡者の顔……葉子は背筋に一時に氷をあてられたようになって、身ぶるいしながら思わず鏡を手から落とした。  金属の床に触れる音が雷のように響いた。葉子はあわてて貞世を見やった。貞世はまっ赤に充血して熱のこもった目をまんじりと開いて、さも不思議そうに中有を見やっていた。 「愛ねえさん……遠くでピストルの音がしたようよ」  はっきりした声でこういったので、葉子が顔を近寄せて何かいおうとすると昏々としてたわいもなくまた眠りにおちいるのだった。貞世の眠るのと共に、なんともいえない無気味な死の脅かしが卒然として葉子を襲った。部屋の中にはそこらじゅうに死の影が満ち満ちていた。目の前の氷水を入れたコップ一つも次の瞬間にはひとりでに倒れてこわれてしまいそうに見えた。物の影になって薄暗い部分は見る見る部屋じゅうに広がって、すべてを冷たく暗く包み終わるかとも疑われた。死の影は最も濃く貞世の目と口のまわりに集まっていた。そこには死が蛆のようににょろにょろとうごめいているのが見えた。それよりも……それよりもその影はそろそろと葉子を目がけて四方の壁から集まり近づこうとひしめいているのだ。葉子はほとんどその死の姿を見るように思った。頭の中がシーンと冷え通って冴えきった寒さがぞくぞくと四肢を震わした。  その時宿直室の掛け時計が遠くのほうで一時を打った。  もしこの音を聞かなかったら、葉子は恐ろしさのあまり自分のほうから宿直室へ駆け込んで行ったかもしれなかった。葉子はおびえながら耳をそばだてた。宿直室のほうから看護婦が草履をばたばたと引きずって来る音が聞こえた。葉子はほっと息気をついた。そしてあわてるように身を動かして、貞世の頭の氷嚢の溶け具合をしらべて見たり、掻巻を整えてやったりした。海の底に一つ沈んでぎらっと光る貝殻のように、床の上で影の中に物すごく横たわっている鏡を取り上げてふところに入れた。そうして一室一室と近づいて来る看護婦の足音に耳を澄ましながらまた考え続けた。  今度は山内の家のありさまがさながらまざまざと目に見るように想像された。岡が夜ふけにそこを訪れた時には倉地が確かにいたに違いない。そしていつものとおり一種の粘り強さをもって葉子の言伝てを取り次ぐ岡に対して、激しい言葉でその理不尽な狂気じみた葉子の出来心をののしったに違いない。倉地と岡との間には暗々裡に愛子に対する心の争闘が行なわれたろう。岡の差し出す紙幣の束を怒りに任せて畳の上にたたきつける倉地の威丈高な様子、少女にはあり得ないほどの冷静さで他人事のように二人の間のいきさつを伏し目ながらに見守る愛子の一種の毒々しい妖艶さ。そういう姿がさながら目の前に浮かんで見えた。ふだんの葉子だったらその想像は葉子をその場にいるように興奮させていたであろう。けれども死の恐怖に激しく襲われた葉子はなんともいえない嫌悪の情をもってのほかにはその場面を想像する事ができなかった。なんというあさましい人の心だろう。結局は何もかも滅びて行くのに、永遠な灰色の沈黙の中にくずれ込んでしまうのに、目前の貪婪に心火の限りを燃やして、餓鬼同様に命をかみ合うとはなんというあさましい心だろう。しかもその醜い争いの種子をまいたのは葉子自身なのだ。そう思うと葉子は自分の心と肉体とがさながら蛆虫のようにきたなく見えた。……何のために今まであってないような妄執に苦しみ抜いてそれを生命そのもののように大事に考え抜いていた事か。それはまるで貞世が始終見ているらしい悪夢の一つよりもさらにはかないものではないか。……こうなると倉地さえが縁もゆかりもないもののように遠く考えられ出した。葉子はすべてのもののむなしさにあきれたような目をあげて今さららしく部屋の中をながめ回した。なんの飾りもない、修道院の内部のような裸な室内がかえってすがすがしく見えた。岡の残した貞世の枕もとの花束だけが、そしておそらくは(自分では見えないけれども)これほどの忙しさの間にも自分を粉飾するのを忘れずにいる葉子自身がいかにも浮薄なたよりないものだった。葉子はこうした心になると、熱に浮かされながら一歩一歩なんの心のわだかまりもなく死に近づいて行く貞世の顔が神々しいものにさえ見えた。葉子は祈るようなわびるような心でしみじみと貞世を見入った。  やがて看護婦が貞世の部屋にはいって来た。形式一ぺんのお辞儀を睡そうにして、寝台のそばに近寄ると、無頓着なふうに葉子が入れておいた検温器を出して灯にすかして見てから、胸の氷嚢を取りかえにかかった。葉子は自分一人の手でそんな事をしてやりたいような愛着と神聖さとを貞世に感じながら看護婦を手伝った。 「貞ちゃん……さ、氷嚢を取りかえますからね……」  とやさしくいうと、囈言をいい続けていながらやはり貞世はそれまで眠っていたらしく、痛々しいまで大きくなった目を開いて、まじまじと意外な人でも見るように葉子を見るのだった。 「おねえ様なの……いつ帰って来たの。おかあ様がさっきいらしってよ……いやおねえ様、病院いや帰る帰る……おかあ様おかあ様(そういってきょろきょろとあたりを見回しながら)帰らしてちょうだいよう。お家に早く、おかあ様のいるお家に早く……」  葉子は思わず毛孔が一本一本逆立つほどの寒気を感じた。かつて母という言葉もいわなかった貞世の口から思いもかけずこんな事を聞くと、その部屋のどこかにぼんやり立っている母が感ぜられるように思えた。その母の所に貞世は行きたがってあせっている。なんという深いあさましい骨肉の執着だろう。  看護婦が行ってしまうとまた病室の中はしんとなってしまった。なんともいえず可憐な澄んだ音を立てて水たまりに落ちる雨だれの音はなお絶え間なく聞こえ続けていた。葉子は泣くにも泣かれないような心になって、苦しい呼吸をしながらもうつらうつらと生死の間を知らぬげに眠る貞世の顔をのぞき込んでいた。  と、雨だれの音にまじって遠くのほうに車の轍の音を聞いたように思った。もう目をさまして用事をする人もあるかと、なんだか違った世界の出来事のようにそれを聞いていると、その音はだんだん病室のほうに近寄って来た。……愛子ではないか……葉子は愕然として夢からさめた人のようにきっとなってさらに耳をそばだてた。  もうそこには死生を瞑想して自分の妄執のはかなさをしみじみと思いやった葉子はいなかった。我執のために緊張しきったその目は怪しく輝いた。そして大急ぎで髪のほつれをかき上げて、鏡に顔を映しながら、あちこちと指先で容子を整えた。衣紋もなおした。そしてまたじっと玄関のほうに聞き耳を立てた。  はたして玄関の戸のあく音が聞こえた。しばらく廊下がごたごたする様子だったが、やがて二三人の足音が聞こえて、貞世の病室の戸がしめやかに開かれた。葉子はそのしめやかさでそれは岡が開いたに違いない事を知った。やがて開かれた戸口から岡にちょっと挨拶しながら愛子の顔が静かに現われた。葉子の目は知らず知らずそのどこまでも従順らしく伏し目になった愛子の面に激しく注がれて、そこに書かれたすべてを一時に読み取ろうとした。小羊のようにまつ毛の長いやさしい愛子の目はしかし不思議にも葉子の鋭い眼光にさえ何物をも見せようとはしなかった。葉子はすぐいらいらして、何事もあばかないではおくものかと心の中で自分自身に誓言を立てながら、 「倉地さんは」  と突然真正面から愛子にこう尋ねた。愛子は多恨な目をはじめてまともに葉子のほうに向けて、貞世のほうにそれをそらしながら、また葉子をぬすみ見るようにした。そして倉地さんがどうしたというのか意味が読み取れないというふうを見せながら返事をしなかった。生意気をしてみるがいい……葉子はいらだっていた。 「おじさんも一緒にいらしったかいというんだよ」 「いゝえ」  愛子は無愛想なほど無表情に一言そう答えた。二人の間にはむずかしい沈黙が続いた。葉子はすわれとさえいってやらなかった。一日一日と美しくなって行くような愛子は小肥りなからだをつつましく整えて静かに立っていた。  そこに岡が小道具を両手に下げて玄関のほうから帰って来た。外套をびっしょり雨にぬらしているのから見ても、この真夜中に岡がどれほど働いてくれたかがわかっていた。葉子はしかしそれには一言の挨拶もせずに、岡が道具を部屋のすみにおくや否や、 「倉地さんは何かいっていまして?」  と剣を言葉に持たせながら尋ねた。 「倉地さんはおいでがありませんでした。で婆やに言伝てをしておいて、お入り用の荷物だけ造って持って来ました。これはお返ししておきます」  そういって衣嚢の中から例の紙幣の束を取り出して葉子に渡そうとした。  愛子だけならまだしも、岡までがとうとう自分を裏切ってしまった。二人が二人ながら見えすいた虚言をよくもああしらじらしくいえたものだ。おおそれた弱虫どもめ。葉子は世の中が手ぐすね引いて自分一人を敵に回しているように思った。 「へえ、そうですか。どうも御苦労さま。……愛さんお前はそこにそうぼんやり立ってるためにここに呼ばれたと思っているの? 岡さんのそのぬれた外套でも取ってお上げなさいな。そして宿直室に行って看護婦にそういってお茶でも持っておいで。あなたの大事な岡さんがこんなにおそくまで働いてくださったのに……さあ岡さんどうぞこの椅子に(といって自分は立ち上がった)……わたしが行って来るわ、愛さんも働いてさぞ疲れたろうから……よござんす、よござんすったら愛さん……」  自分のあとを追おうとする愛子を刺し貫くほど睨めつけておいて葉子は部屋を出た。そうして火をかけられたようにかっと逆上しながら、ほろほろとくやし涙を流して暗い廊下を夢中で宿直室のほうへ急いで行った。 四四  たたきつけるようにして倉地に返してしまおうとした金は、やはり手に持っているうちに使い始めてしまった。葉子の性癖としていつでもできるだけ豊かな快い夜昼を送るようにのみ傾いていたので、貞世の病院生活にも、だれに見せてもひけを取らないだけの事を上べばかりでもしていたかった。夜具でも調度でも家にあるものの中でいちばん優れたものを選んで来てみると、すべての事までそれにふさわしいものを使わなければならなかった。葉子が専用の看護婦を二人も頼まなかったのは不思議なようだが、どういうものか貞世の看護をどこまでも自分一人でしてのけたかったのだ。その代わり年とった女を二人傭って交代に病院に来さして、洗い物から食事の事までを賄わした。葉子はとても病院の食事では済ましていられなかった。材料のいい悪いはとにかく、味はとにかく、何よりもきたならしい感じがして箸もつける気になれなかったので、本郷通りにある或る料理屋から日々入れさせる事にした。こんなあんばいで、費用は知れない所に思いのほかかかった。葉子が倉地が持って来てくれた紙幣の束から仕払おうとした時は、いずれそのうち木村から送金があるだろうから、あり次第それから埋め合わせをして、すぐそのまま返そうと思っていたのだった。しかし木村からは、六月になって以来一度も送金の通知は来なかった。葉子はそれだからなおさらの事もう来そうなものだと心待ちをしたのだった。それがいくら待っても来ないとなるとやむを得ず持ち合わせた分から使って行かなければならなかった。まだまだと思っているうちに束の厚みはどんどん減って行った。それが半分ほど減ると、葉子は全く返済の事などは忘れてしまったようになって、あるに任せて惜しげもなく仕払いをした。  七月にはいってから気候はめっきり暑くなった。椎の木の古葉もすっかり散り尽くして、松も新しい緑にかわって、草も木も青い焔のようになった。長く寒く続いた五月雨のなごりで、水蒸気が空気中に気味わるく飽和されて、さらぬだに急に堪え難く暑くなった気候をますます堪え難いものにした。葉子は自身の五体が、貞世の回復をも待たずにずんずんくずれて行くのを感じないわけには行かなかった。それと共に勃発的に起こって来るヒステリーはいよいよ募るばかりで、その発作に襲われたが最後、自分ながら気が違ったと思うような事がたびたびになった。葉子は心ひそかに自分を恐れながら、日々の自分を見守る事を余儀なくされた。  葉子のヒステリーはだれかれの見さかいなく破裂するようになったがことに愛子に屈強の逃げ場を見いだした。なんといわれてもののしられても、打ち据えられさえしても、屠所の羊のように柔順に黙ったまま、葉子にはまどろしく見えるくらいゆっくり落ち着いて働く愛子を見せつけられると、葉子の疳癪は嵩じるばかりだった。あんな素直な殊勝げなふうをしていながらしらじらしくも姉を欺いている。それが倉地との関係においてであれ、岡との関係においてであれ、ひょっとすると古藤との関係においてであれ、愛子は葉子に打ち明けない秘密を持ち始めているはずだ。そう思うと葉子は無理にも平地に波瀾が起こしてみたかった。ほとんど毎日――それは愛子が病院に寝泊まりするようになったためだと葉子は自分決めに決めていた――幾時間かの間、見舞いに来てくれる岡に対しても、葉子はもう元のような葉子ではなかった。どうかすると思いもかけない時に明白な皮肉が矢のように葉子の口びるから岡に向かって飛ばされた。岡は自分が恥じるように顔を紅らめながらも、上品な態度でそれをこらえた。それがまたなおさら葉子をいらつかす種になった。  もう来られそうもないといいながら倉地も三日に一度ぐらいは病院を見舞うようになった。葉子はそれをも愛子ゆえと考えずにはいられなかった。そう激しい妄想に駆り立てられて来ると、どういう関係で倉地と自分とをつないでおけばいいのか、どうした態度で倉地をもちあつかえばいいのか、葉子にはほとほと見当がつかなくなってしまった。親身に持ちかけてみたり、よそよそしく取りなしてみたり、その時の気分気分で勝手な無技巧な事をしていながらも、どうしてものがれ出る事のできないのは倉地に対するこちんと固まった深い執着だった。それは情けなくも激しく強くなり増さるばかりだった。もう自分で自分の心根を憫然に思ってそぞろに涙を流して、自らを慰めるという余裕すらなくなってしまった。かわききった火のようなものが息気苦しいまでに胸の中にぎっしりつまっているだけだった。  ただ一人貞世だけは……死ぬか生きるかわからない貞世だけは、この姉を信じきってくれている……そう思うと葉子は前にも増した愛着をこの病児にだけは感じないでいられなかった。「貞世がいるばかりで自分は人殺しもしないでこうしていられるのだ」と葉子は心の中で独語ちた。  けれどもある朝そのかすかな希望さえ破れねばならぬような事件がまくし上がった。  その朝は暁から水がしたたりそうに空が晴れて、珍しくすがすがしい涼風が木の間から来て窓の白いカーテンをそっとなでて通るさわやかな天気だったので、夜通し貞世の寝台のわきに付き添って、睡くなるとそうしたままでうとうとと居睡りしながら過ごして来た葉子も、思いのほか頭の中が軽くなっていた。貞世もその晩はひどく熱に浮かされもせずに寝続けて、四時ごろの体温は七度八分まで下がっていた。緑色の風呂敷を通して来る光でそれを発見した葉子は飛び立つような喜びを感じた。入院してから七度台に熱の下がったのはこの朝が始めてだったので、もう熱の剥離期が来たのかと思うと、とうとう貞世の命は取り留めたという喜悦の情で涙ぐましいまでに胸はいっぱいになった。ようやく一心が届いた。自分のために病気になった貞世は、自分の力でなおった。そこから自分の運命はまた新しく開けて行くかもしれない。きっと開けて行く。もう一度心置きなくこの世に生きる時が来たら、それはどのくらいいい事だろう。今度こそは考え直して生きてみよう。もう自分も二十六だ。今までのような態度で暮らしてはいられない。倉地にもすまなかった。倉地があれほどある限りのものを犠牲にして、しかもその事業といっている仕事はどう考えてみても思わしく行っていないらしいのに、自分たちの暮らし向きはまるでそんな事も考えないような寛濶なものだった。自分は決心さえすればどんな境遇にでも自分をはめ込む事ぐらいできる女だ。もし今度家を持つようになったらすべてを妹たちにいって聞かして、倉地と一緒になろう。そして木村とははっきり縁を切ろう。木村といえば……そうして葉子は倉地と古藤とがいい合いをしたその晩の事を考え出した。古藤にあんな約束をしながら、貞世の病気に紛れていたというほかに、てんで真相を告白する気がなかったので今まではなんの消息もしないでいた自分がとがめられた。ほんとうに木村にもすまなかった。今になってようやく長い間の木村の心の苦しさが想像される。もし貞世が退院するようになったら――そして退院するに決まっているが――自分は何をおいても木村に手紙を書く。そうしたらどれほど心が安くそして軽くなるかしれない。……葉子はもうそんな境界が来てしまったように考えて、だれとでもその喜びをわかちたく思った。で、椅子にかけたまま右後ろを向いて見ると、床板の上に三畳畳を敷いた部屋の一隅に愛子がたわいもなくすやすやと眠っていた。うるさがるので貞世には蚊帳をつってなかったが、愛子の所には小さな白い西洋蚊帳がつってあった。その細かい目を通して見る愛子の顔は人形のように整って美しかった。その愛子をこれまで憎み通しに憎み、疑い通しに疑っていたのが、不思議を通り越して、奇怪な事にさえ思われた。葉子はにこにこしながら立って行って蚊帳のそばによって、 「愛さん……愛さん」  そうかなり大きな声で呼びかけた。ゆうべおそく枕についた愛子はやがてようやく睡そうに大きな目を静かに開いて、姉が枕もとにいるのに気がつくと、寝すごしでもしたと思ったのか、あわてるように半身を起こして、そっと葉子をぬすみ見るようにした。日ごろならばそんな挙動をすぐ疳癪の種にする葉子も、その朝ばかりはかわいそうなくらいに思っていた。 「愛さんお喜び、貞ちゃんの熱がとうとう七度台に下がってよ。ちょっと起きて来てごらん、それはいい顔をして寝ているから……静かにね」 「静かにね」といいながら葉子の声は妙にはずんで高かった。愛子は柔順に起き上がってそっと蚊帳をくぐって出て、前を合わせながら寝台のそばに来た。 「ね?」  葉子は笑みかまけて愛子にこう呼びかけた。 「でもなんだか、だいぶに蒼白く見えますわね」  と愛子が静かにいうのを葉子はせわしく引ったくって、 「それは電燈の風呂敷のせいだわ……それに熱が取れれば病人はみんな一度はかえって悪くなったように見えるものなのよ。ほんとうによかった。あなたも親身に世話してやったからよ」  そういって葉子は右手で愛子の肩をやさしく抱いた。そんな事を愛子にしたのは葉子としては始めてだった。愛子は恐れをなしたように身をすぼめた。  葉子はなんとなくじっとしてはいられなかった。子供らしく、早く貞世が目をさませばいいと思った。そうしたら熱の下がったのを知らせて喜ばせてやるのにと思った。しかしさすがにその小さな眠りを揺りさます事はし得ないで、しきりと部屋の中を片づけ始めた。愛子が注意の上に注意をしてこそとの音もさせまいと気をつかっているのに、葉子がわざとするかとも思われるほど騒々しく働くさまは、日ごろとはまるで反対だった。愛子は時々不思議そうな目つきをしてそっと葉子の挙動を注意した。  そのうちに夜がどんどん明け離れて、電灯の消えた瞬間はちょっと部屋の中が暗くなったが、夏の朝らしく見る見るうちに白い光が窓から容赦なく流れ込んだ。昼になってからの暑さを予想させるような涼しさが青葉の軽いにおいと共に部屋の中にみちあふれた。愛子の着かえた大柄な白の飛白も、赤いメリンスの帯も、葉子の目を清々しく刺激した。  葉子は自分で貞世の食事を作ってやるために宿直室のそばにある小さな庖厨に行って、洋食店から届けて来たソップを温めて塩で味をつけている間も、だんだん起き出て来る看護婦たちに貞世の昨夜の経過を誇りがに話して聞かせた。病室に帰って見ると、愛子がすでに目ざめた貞世に朝じまいをさせていた。熱が下がったのできげんのよかるべき貞世はいっそうふきげんになって見えた。愛子のする事一つ一つに故障をいい立てて、なかなかいう事を聞こうとはしなかった。熱の下がったのに連れて始めて貞世の意志が人間らしく働き出したのだと葉子は気がついて、それも許さなければならない事だと、自分の事のように心で弁疏した。ようやく洗面が済んで、それから寝台の周囲を整頓するともう全く朝になっていた。けさこそは貞世がきっと賞美しながら食事を取るだろうと葉子はいそいそとたけの高い食卓を寝台の所に持って行った。  その時思いがけなくも朝がけに倉地が見舞いに来た。倉地も涼しげな単衣に絽の羽織を羽織ったままだった。その強健な、物を物ともしない姿は夏の朝の気分としっくりそぐって見えたばかりでなく、その日に限って葉子は絵島丸の中で語り合った倉地を見いだしたように思って、その寛濶な様子がなつかしくのみながめられた。倉地もつとめて葉子の立ち直った気分に同じているらしかった。それが葉子をいっそう快活にした。葉子は久しぶりでその銀の鈴のような澄みとおった声で高調子に物をいいながら二言目には涼しく笑った。 「さ、貞ちゃん、ねえさんが上手に味をつけて来て上げたからソップを召し上がれ。けさはきっとおいしく食べられますよ。今までは熱で味も何もなかったわね、かわいそうに」  そういって貞世の身ぢかに椅子を占めながら、糊の強いナフキンを枕から喉にかけてあてがってやると、貞世の顔は愛子のいうようにひどく青味がかって見えた。小さな不安が葉子の頭をつきぬけた。葉子は清潔な銀の匙に少しばかりソップをしゃくい上げて貞世の口もとにあてがった。 「まずい」  貞世はちらっと姉をにらむように盗み見て、口にあるだけのソップをしいて飲みこんだ。 「おやどうして」 「甘ったらしくって」 「そんなはずはないがねえ。どれそれじゃも少し塩を入れてあげますわ」  葉子は塩をたしてみた。けれども貞世はうまいとはいわなかった。また一口飲み込むともういやだといった。 「そういわずとも少し召し上がれ、ね、せっかくねえさんが加減したんだから。第一食べないでいては弱ってしまいますよ」  そう促してみても貞世は金輪際あとを食べようとはしなかった。  突然自分でも思いもよらない憤怒が葉子に襲いかかった。自分がこれほど骨を折ってしてやったのに、義理にももう少しは食べてよさそうなものだ。なんというわがままな子だろう(葉子は貞世が味覚を回復していて、流動食では満足しなくなったのを少しも考えに入れなかった)。  そうなるともう葉子は自分を統御する力を失ってしまっていた。血管の中の血が一時にかっと燃え立って、それが心臓に、そして心臓から頭に衝き進んで、頭蓋骨はばりばりと音を立てて破れそうだった。日ごろあれほどかわいがってやっているのに、……憎さは一倍だった。貞世を見つめているうちに、そのやせきった細首に鍬形にした両手をかけて、一思いにしめつけて、苦しみもがく様子を見て、「そら見るがいい」といい捨ててやりたい衝動がむずむずとわいて来た。その頭のまわりにあてがわるべき両手の指は思わず知らず熊手のように折れ曲がって、はげしい力のために細かく震えた。葉子は凶器に変わったようなその手を人に見られるのが恐ろしかったので、茶わんと匙とを食卓にかえして、前だれの下に隠してしまった。上まぶたの一文字になった目をきりっと据えてはたと貞世をにらみつけた。葉子の目には貞世のほかにその部屋のものは倉地から愛子に至るまですっかり見えなくなってしまっていた。 「食べないかい」 「食べないかい。食べなければ云々」と小言をいって貞世を責めるはずだったが、初句を出しただけで、自分の声のあまりに激しい震えように言葉を切ってしまった。 「食べない……食べない……御飯でなくってはいやあだあ」  葉子の声の下からすぐこうしたわがままな貞世のすねにすねた声が聞こえたと葉子は思った。まっ黒な血潮がどっと心臓を破って脳天に衝き進んだと思った。目の前で貞世の顔が三つにも四つにもなって泳いだ。そのあとには色も声もしびれ果ててしまったような暗黒の忘我が来た。 「おねえ様……おねえ様ひどい……いやあ……」 「葉ちゃん……あぶない……」  貞世と倉地の声とがもつれ合って、遠い所からのように聞こえて来るのを、葉子はだれかが何か貞世に乱暴をしているのだなと思ったり、この勢いで行かなければ貞世は殺せやしないと思ったりしていた。いつのまにか葉子はただ一筋に貞世を殺そうとばかりあせっていたのだ。葉子は闇黒の中で何か自分に逆らう力と根限りあらそいながら、物すごいほどの力をふりしぼってたたかっているらしかった。何がなんだかわからなかった。その混乱の中に、あるいは今自分は倉地の喉笛に針のようになった自分の十本の爪を立てて、ねじりもがきながら争っているのではないかとも思った。それもやがて夢のようだった。遠ざかりながら人の声とも獣の声とも知れぬ音響がかすかに耳に残って、胸の所にさし込んで来る痛みを吐き気のように感じた次の瞬間には、葉子は昏々として熱も光も声もない物すさまじい暗黒の中にまっさかさまに浸って行った。  ふと葉子は擽むるようなものを耳の所に感じた。それが音響だとわかるまでにはどのくらいの時間が経過したかしれない。とにかく葉子はがやがやという声をだんだんとはっきり聞くようになった。そしてぽっかり視力を回復した。見ると葉子は依然として貞世の病室にいるのだった。愛子が後ろ向きになって寝台の上にいる貞世を介抱していた。自分は……自分はと葉子は始めて自分を見回そうとしたが、からだは自由を失っていた。そこには倉地がいて葉子の首根っこに腕を回して、膝の上に一方の足を乗せて、しっかりと抱きすくめていた。その足の重さが痛いほど感じられ出した。やっぱり自分は倉地を死に神のもとへ追いこくろうとしていたのだなと思った。そこには白衣を着た医者も看護婦も見え出した。  葉子はそれだけの事を見ると急に気のゆるむのを覚えた。そして涙がぼろぼろと出てしかたがなくなった。おかしな……どうしてこう涙が出るのだろうと怪しむうちに、やる瀬ない悲哀がどっとこみ上げて来た。底のないようなさびしい悲哀……そのうちに葉子は悲哀とも睡さとも区別のできない重い力に圧せられてまた知覚から物のない世界に落ち込んで行った。  ほんとうに葉子が目をさました時には、まっさおに晴天の後の夕暮れが催しているころだった。葉子は部屋のすみの三畳に蚊帳の中に横になって寝ていたのだった。そこには愛子のほかに岡も来合わせて貞世の世話をしていた。倉地はもういなかった。  愛子のいう所によると、葉子は貞世にソップを飲まそうとしていろいろにいったが、熱が下がって急に食欲のついた貞世は飯でなければどうしても食べないといってきかなかったのを、葉子は涙を流さんばかりになって執念くソップを飲ませようとした結果、貞世はそこにあったソップ皿を臥ていながらひっくり返してしまったのだった。そうすると葉子はいきなり立ち上がって貞世の胸もとをつかむなり寝台から引きずりおろしてこづき回した。幸いにい合わした倉地が大事にならないうちに葉子から貞世を取り放しはしたが、今度は葉子は倉地に死に物狂いに食ってかかって、そのうちに激しい癪を起こしてしまったのだとの事だった。  葉子の心はむなしく痛んだ。どこにとて取りつくものもないようなむなしさが心には残っているばかりだった。貞世の熱はすっかり元通りにのぼってしまって、ひどくおびえるらしい囈言を絶え間なしに口走った。節々はひどく痛みを覚えながら、発作の過ぎ去った葉子は、ふだんどおりになって起き上がる事もできるのだった。しかし葉子は愛子や岡への手前すぐ起き上がるのも変だったのでその日はそのまま寝続けた。  貞世は今度こそは死ぬ。とうとう自分の末路も来てしまった。そう思うと葉子はやるかたなく悲しかった。たとい貞世と自分とが幸いに生き残ったとしても、貞世はきっと永劫自分を命の敵と怨むに違いない。 「死ぬに限る」  葉子は窓を通して青から藍に変わって行きつつある初夏の夜の景色をながめた。神秘的な穏やかさと深さとは脳心にしみ通るようだった。貞世の枕もとには若い岡と愛子とがむつまじげに居たり立ったりして貞世の看護に余念なく見えた。その時の葉子にはそれは美しくさえ見えた。親切な岡、柔順な愛子……二人が愛し合うのは当然でいい事らしい。 「どうせすべては過ぎ去るのだ」  葉子は美しい不思議な幻影でも見るように、電気灯の緑の光の中に立つ二人の姿を、無常を見ぬいた隠者のような心になって打ちながめた。 四五  この事があった日から五日たったけれども倉地はぱったり来なくなった。たよりもよこさなかった。金も送っては来なかった。あまりに変なので岡に頼んで下宿のほうを調べてもらうと三日前に荷物の大部分を持って旅行に出るといって姿を隠してしまったのだそうだ。倉地がいなくなると刑事だという男が二度か三度いろいろな事を尋ねに来たともいっているそうだ。岡は倉地からの一通の手紙を持って帰って来た。葉子はすぐに封を開いて見た。 「事重大となり姿を隠す。郵便では累を及ぼさん事を恐れ、これを主人に託しおく。金も当分は送れぬ。困ったら家財道具を売れ。そのうちにはなんとかする。読後火中」  とだけしたためて葉子へのあて名も自分の名も書いてはなかった。倉地の手跡には間違いない。しかしあの発作以後ますますヒステリックに根性のひねくれてしまった葉子は、手紙を読んだ瞬間にこれは造り事だと思い込まないではいられなかった。とうとう倉地も自分の手からのがれてしまった。やる瀬ない恨みと憤りが目もくらむほどに頭の中を攪き乱した。  岡と愛子とがすっかり打ち解けたようになって、岡がほとんど入りびたりに病院に来て貞世の介抱をするのが葉子には見ていられなくなって来た。 「岡さん、もうあなたこれからここにはいらっしゃらないでくださいまし。こんな事になると御迷惑があなたにかからないとも限りませんから。わたしたちの事はわたしたちがしますから。わたしはもう他人にたよりたくはなくなりました」 「そうおっしゃらずにどうかわたしをあなたのおそばに置かしてください。わたし、決して伝染なぞを恐れはしません」  岡は倉地の手紙を読んではいないのに葉子は気がついた。迷惑といったのを病気の伝染と思い込んでいるらしい。そうじゃない。岡が倉地の犬でないとどうしていえよう。倉地が岡を通して愛子と慇懃を通わし合っていないとだれが断言できる。愛子は岡をたらし込むぐらいは平気でする娘だ。葉子は自分の愛子ぐらいの年ごろの時の自分の経験の一々が生き返ってその猜疑心をあおり立てるのに自分から苦しまねばならなかった。あの年ごろの時、思いさえすれば自分にはそれほどの事は手もなくしてのける事ができた。そして自分は愛子よりももっと無邪気な、おまけに快活な少女であり得た。寄ってたかって自分をだましにかかるのなら、自分にだってして見せる事がある。 「そんなにお考えならおいでくださるのはお勝手ですが、愛子をあなたにさし上げる事はできないんですからそれは御承知くださいましよ。ちゃんと申し上げておかないとあとになっていさくさが起こるのはいやですから……愛さんお前も聞いているだろうね」  そういって葉子は畳の上で貞世の胸にあてる湿布を縫っている愛子のほうにも振り向いた。うなだれた愛子は顔も上げず返事もしなかったから、どんな様子を顔に見せたかを知る由はなかったが、岡は羞恥のために葉子を見かえる事もできないくらいになっていた。それはしかし岡が葉子のあまりといえば露骨な言葉を恥じたのか、自分の心持ちをあばかれたのを恥じたのか葉子の迷いやすくなった心にはしっかりと見窮められなかった。  これにつけかれにつけもどかしい事ばかりだった。葉子は自分の目で二人を看視して同時に倉地を間接に看視するよりほかはないと思った。こんな事を思うすぐそばから葉子は倉地の細君の事も思った。今ごろは彼らはのうのうとして邪魔者がいなくなったのを喜びながら一つ家に住んでいないとも限らないのだ。それとも倉地の事だ、第二第三の葉子が葉子の不幸をいい事にして倉地のそばに現われているのかもしれない。……しかし今の場合倉地の行くえを尋ねあてる事はちょっとむずかしい。  それからというもの葉子の心は一秒の間も休まらなかった。もちろん今まででも葉子は人一倍心の働く女だったけれども、そのころのような激しさはかつてなかった。しかもそれがいつも表から裏を行く働きかただった。それは自分ながら全く地獄の苛責だった。  そのころから葉子はしばしば自殺という事を深く考えるようになった。それは自分でも恐ろしいほどだった。肉体の生命を絶つ事のできるような物さえ目に触れれば、葉子の心はおびえながらもはっと高鳴った。薬局の前を通るとずらっとならんだ薬びんが誘惑のように目を射た。看護婦が帽子を髪にとめるための長い帽子ピン、天井の張ってない湯殿の梁、看護婦室に薄赤い色をして金だらいにたたえられた昇汞水、腐敗した牛乳、剃刀、鋏、夜ふけなどに上野のほうから聞こえて来る汽車の音、病室からながめられる生理学教室の三階の窓、密閉された部屋、しごき帯、……なんでもかでもが自分の肉を喰む毒蛇のごとく鎌首を立てて自分を待ち伏せしているように思えた。ある時はそれらをこの上なく恐ろしく、ある時はまたこの上なく親しみ深くながめやった。一匹の蚊にさされた時さえそれがマラリヤを伝える種類であるかないかを疑ったりした。 「もう自分はこの世の中に何の用があろう。死にさえすればそれで事は済むのだ。この上自身も苦しみたくない。他人も苦しめたくない。いやだいやだと思いながら自分と他人とを苦しめているのが堪えられない。眠りだ。長い眠りだ。それだけのものだ」  と貞世の寝息をうかがいながらしっかり思い込むような時もあったが、同時に倉地がどこかで生きているのを考えると、たちまち燕返しに死から生のほうへ、苦しい煩悩の生のほうへ激しく執着して行った。倉地の生きてる間に死んでなるものか……それは死よりも強い誘惑だった。意地にかけても、肉体のすべての機関がめちゃめちゃになっても、それでも生きていて見せる。……葉子はそしてそのどちらにもほんとうの決心のつかない自分にまた苦しまねばならなかった。  すべてのものを愛しているのか憎んでいるのかわからなかった。貞世に対してですらそうだった。葉子はどうかすると、熱に浮かされて見さかいのなくなっている貞世を、継母がまま子をいびり抜くように没義道に取り扱った。そして次の瞬間には後悔しきって、愛子の前でも看護婦の前でも構わずにおいおいと泣きくずおれた。  貞世の病状は悪くなるばかりだった。  ある時伝染病室の医長が来て、葉子が今のままでいてはとても健康が続かないから、思いきって手術をしたらどうだと勧告した。黙って聞いていた葉子は、すぐ岡の差し入れ口だと邪推して取った。その後ろには愛子がいるに違いない。葉子が付いていたのでは貞世の病気はなおるどころか悪くなるばかりだ(それは葉子もそう思っていた。葉子は貞世を全快させてやりたいのだ。けれどもどうしてもいびらなければいられないのだ。それはよく葉子自身が知っていると思っていた)。それには葉子をなんとかして貞世から離しておくのが第一だ。そんな相談を医長としたものがいないはずがない。ふむ、……うまい事を考えたものだ。その復讐はきっとしてやる。根本的に病気をなおしてからしてやるから見ているがいい。葉子は医長との対話の中に早くもこう決心した。そうして思いのほか手っ取り早く手術を受けようと進んで返答した。  婦人科の室は伝染病室とはずっと離れた所に近ごろ新築された建て物の中にあった。七月のなかばに葉子はそこに入院する事になったが、その前に岡と古藤とに依頼して、自分の身ぢかにある貴重品から、倉地の下宿に運んである衣類までを処分してもらわなければならなかった。金の出所は全くとだえてしまっていたから。岡がしきりと融通しようと申し出たのもすげなく断わった。弟同様の少年から金まで融通してもらうのはどうしても葉子のプライドが承知しなかった。  葉子は特等を選んで日当たりのいい広々とした部屋にはいった。そこは伝染病室とは比べものにもならないくらい新式の設備の整った居心地のいい所だった。窓の前の庭はまだ掘りくり返したままで赤土の上に草も生えていなかったけれども、広い廊下の冷ややかな空気は涼しく病室に通りぬけた。葉子は六月の末以来始めて寝床の上に安々とからだを横たえた。疲労が回復するまでしばらくの間手術は見合わせるというので葉子は毎日一度ずつ内診をしてもらうだけでする事もなく日を過ごした。  しかし葉子の精神は興奮するばかりだった。一人になって暇になってみると、自分の心身がどれほど破壊されているかが自分ながら恐ろしいくらい感ぜられた。よくこんなありさまで今まで通して来たと驚くばかりだった。寝台の上に臥てみると二度と起きて歩く勇気もなく、また実際できもしなかった。ただ鈍痛とのみ思っていた痛みは、どっちに臥返ってみても我慢のできないほどな激痛になっていて、気が狂うように頭は重くうずいた。我慢にも貞世を見舞うなどという事はできなかった。  こうして臥ながらにも葉子は断片的にいろいろな事を考えた。自分の手もとにある金の事をまず思案してみた。倉地から受け取った金の残りと、調度類を売り払ってもらってできたまとまった金とが何もかにもこれから姉妹三人を養って行くただ一つの資本だった。その金が使い尽くされた後には今のところ、何をどうするという目途は露ほどもなかった。葉子はふだんの葉子に似合わずそれが気になり出してしかたがなかった。特等室なぞにはいり込んだ事が後悔されるばかりだった。といって今になって等級の下がった病室に移してもらうなどとは葉子としては思いもよらなかった。  葉子はぜいたくな寝台の上に横になって、羽根枕に深々と頭を沈めて、氷嚢を額にあてがいながら、かんかんと赤土にさしている真夏の日の光を、広々と取った窓を通してながめやった。そうして物心ついてからの自分の過去を針で揉み込むような頭の中でずっと見渡すように考えたどってみた。そんな過去が自分のものなのか、そう疑って見ねばならぬほどにそれははるかにもかけ隔たった事だった。父母――ことに父のなめるような寵愛の下に何一つ苦労を知らずに清い美しい童女としてすらすらと育ったあの時分がやはり自分の過去なのだろうか。木部との恋に酔いふけって、国分寺の櫟の林の中で、その胸に自分の頭を託して、木部のいう一語一語を美酒のように飲みほしたあの少女はやはり自分なのだろうか。女の誇りという誇りを一身に集めたような美貌と才能の持ち主として、女たちからは羨望の的となり、男たちからは嘆美の祭壇とされたあの青春の女性はやはりこの自分なのだろうか。誤解の中にも攻撃の中にも昂然と首をもたげて、自分は今の日本に生まれて来べき女ではなかったのだ。不幸にも時と所とを間違えて天上から送られた王女であるとまで自分に対する矜誇に満ちていた、あの妖婉な女性はまごうかたなく自分なのだろうか。絵島丸の中で味わい尽くしなめ尽くした歓楽と陶酔との限りは、始めて世に生まれ出た生きがいをしみじみと感じた誇りがなしばらくは今の自分と結びつけていい過去の一つなのだろうか……日はかんかんと赤土の上に照りつけていた。油蝉の声は御殿の池をめぐる鬱蒼たる木立ちのほうからしみ入るように聞こえていた。近い病室では軽病の患者が集まって、何かみだららしい雑談に笑い興じている声が聞こえて来た。それは実際なのか夢なのか。それらのすべては腹立たしい事なのか、哀しい事なのか、笑い捨つべき事なのか、嘆き恨まねばならぬ事なのか。……喜怒哀楽のどれか一つだけでは表わし得ない、不思議に交錯した感情が、葉子の目からとめどなく涙を誘い出した。あんな世界がこんな世界に変わってしまった。そうだ貞世が生死の境にさまよっているのはまちがいようのない事実だ。自分の健康が衰え果てたのも間違いのない出来事だ。もし毎日貞世を見舞う事ができるのならばこのままここにいるのもいい。しかし自分のからだの自由さえ今はきかなくなった。手術を受ければどうせ当分は身動きもできないのだ。岡や愛子……そこまで来ると葉子は夢の中にいる女ではなかった。まざまざとした煩悩が勃然としてその歯がみした物すごい鎌首をきっともたげるのだった。それもよし。近くいても看視のきかないのを利用したくば思うさま利用するがいい。倉地と三人で勝手な陰謀を企てるがいい。どうせ看視のきかないものなら、自分は貞世のためにどこか第二流か第三流の病院に移ろう。そしていくらでも貞世のほうを安楽にしてやろう。葉子は貞世から離れるといちずにそのあわれさが身にしみてこう思った。  葉子はふとつやの事を思い出した。つやは看護婦になって京橋あたりの病院にいると双鶴館からいって来たのを思い出した。愛子を呼び寄せて電話でさがさせようと決心した。 四六  まっ暗な廊下が古ぼけた縁側になったり、縁側の突き当たりに階子段があったり、日当たりのいい中二階のような部屋があったり、納戸と思われる暗い部屋に屋根を打ち抜いてガラスをはめて光線が引いてあったりするような、いわばその界隈にたくさんある待合の建て物に手を入れて使っているような病院だった。つやは加治木病院というその病院の看護婦になっていた。  長く天気が続いて、そのあとに激しい南風が吹いて、東京の市街はほこりまぶれになって、空も、家屋も、樹木も、黄粉でまぶしたようになったあげく、気持ち悪く蒸し蒸しと膚を汗ばませるような雨に変わったある日の朝、葉子はわずかばかりな荷物を持って人力車で加治木病院に送られた。後ろの車には愛子が荷物の一部分を持って乗っていた。須田町に出た時、愛子の車は日本橋の通りをまっすぐに一足先に病院に行かして、葉子は外濠に沿うた道を日本銀行からしばらく行く釘店の横丁に曲がらせた。自分の住んでいた家を他所ながら見て通りたい心持ちになっていたからだった。前幌のすきまからのぞくのだったけれども、一年の後にもそこにはさして変わった様子は見えなかった。自分のいた家の前でちょっと車を止まらして中をのぞいて見た。門札には叔父の名はなくなって、知らない他人の姓名が掲げられていた。それでもその人は医者だと見えて、父の時分からの永寿堂病院という看板は相変わらず玄関の楣に見えていた。長三洲と署名してあるその字も葉子には親しみの深いものだった。葉子がアメリカに出発した朝も九月ではあったがやはりその日のようにじめじめと雨の降る日だったのを思い出した。愛子が櫛を折って急に泣き出したのも、貞世が怒ったような顔をして目に涙をいっぱいためたまま見送っていたのもその玄関を見ると描くように思い出された。 「もういい早くやっておくれ」  そう葉子は車の上から涙声でいった。車は梶棒を向け換えられて、また雨の中を小さく揺れながら日本橋のほうに走り出した。葉子は不思議にそこに一緒に住んでいた叔父叔母の事を泣きながら思いやった。あの人たちは今どこにどうしているだろう。あの白痴の子ももうずいぶん大きくなったろう。でも渡米を企ててからまだ一年とはたっていないんだ。へえ、そんな短い間にこれほどの変化が……葉子は自分で自分にあきれるようにそれを思いやった。それではあの白痴の子も思ったほど大きくなっているわけではあるまい。葉子はその子の事を思うとどうしたわけか定子の事を胸が痛むほどきびしくおもい出してしまった。鎌倉に行った時以来、自分のふところからもぎ放してしまって、金輪際忘れてしまおうと堅く心に契っていたその定子が……それはその場合葉子を全く惨めにしてしまった。  病院に着いた時も葉子は泣き続けていた。そしてその病院のすぐ手前まで来て、そこに入院しようとした事を心から後悔してしまった。こんな落魄したような姿をつやに見せるのが堪えがたい事のように思われ出したのだ。  暗い二階の部屋に案内されて、愛子が準備しておいた床に横になると葉子はだれに挨拶もせずにただ泣き続けた。そこは運河の水のにおいが泥臭く通って来るような所だった。愛子は煤けた障子の陰で手回りの荷物を取り出して案配した。口少なの愛子は姉を慰めるような言葉も出さなかった。外部が騒々しいだけに部屋の中はなおさらひっそりと思われた。  葉子はやがて静かに顔をあげて部屋の中を見た。愛子の顔色が黄色く見えるほどその日の空も部屋の中も寂れていた。少し黴を持ったようにほこりっぽくぶくぶくする畳の上には丸盆の上に大学病院から持って来た薬びんが乗せてあった。障子ぎわには小さな鏡台が、違い棚には手文庫と硯箱が飾られたけれども、床の間には幅物一つ、花活け一つ置いてなかった。その代わりに草色の風呂敷に包み込んだ衣類と黒い柄のパラソルとが置いてあった。薬びんの乗せてある丸盆が、出入りの商人から到来のもので、縁の所に剥げた所ができて、表には赤い短冊のついた矢が的に命中している画が安っぽい金で描いてあった。葉子はそれを見ると盆もあろうにと思った。それだけでもう葉子は腹が立ったり情けなくなったりした。 「愛さんあなた御苦労でも毎日ちょっとずつは来てくれないじゃ困りますよ。貞ちゃんの様子も聞きたいしね。……貞ちゃんも頼んだよ。熱が下がって物事がわかるようになる時にはわたしもなおって帰るだろうから……愛さん」  いつものとおりはきはきとした手答えがないので、もうぎりぎりして来た葉子は剣を持った声で、「愛さん」と語気強く呼びかけた。言葉をかけるとそれでも片づけものの手を置いて葉子のほうに向き直った愛子は、この時ようやく顔を上げておとなしく「はい」と返事をした。葉子の目はすかさずその顔を発矢とむちうった。そして寝床の上に半身を肘にささえて起き上がった。車で揺られたために腹部は痛みを増して声をあげたいほどうずいていた。 「あなたにきょうははっきり聞いておきたい事があるの……あなたはよもや岡さんとひょんな約束なんぞしてはいますまいね」 「いゝえ」  愛子は手もなく素直にこう答えて目を伏せてしまった。 「古藤さんとも?」 「いゝえ」  今度は顔を上げて不思議な事を問いただすというようにじっと葉子を見つめながらこう答えた。そのタクトがあるような、ないような愛子の態度が葉子をいやが上にいらだたした。岡の場合にはどこか後ろめたくて首をたれたとも見える。古藤の場合にはわざとしらを切るために大胆に顔を上げたとも取れる。またそんな意味ではなく、あまり不思議な詰問が二度まで続いたので、二度目には怪訝に思って顔を上げたのかとも考えられる。葉子は畳みかけて倉地の事まで問い正そうとしたが、その気分はくだかれてしまった。そんな事を聞いたのが第一愚かだった。隠し立てをしようと決心した以上は、女は男よりもはるかに巧妙で大胆なのを葉子は自分で存分に知り抜いているのだ。自分から進んで内兜を見透かされたようなもどかしさはいっそう葉子の心を憤らした。 「あなたは二人から何かそんな事をいわれた覚えがあるでしょう。その時あなたはなんと御返事したの」  愛子は下を向いたまま黙っていた。葉子は図星をさしたと思って嵩にかかって行った。 「わたしは考えがあるからあなたの口からもその事を聞いておきたいんだよ。おっしゃいな」 「お二人ともなんにもそんな事はおっしゃりはしませんわ」 「おっしゃらない事があるもんかね」  憤怒に伴ってさしこんで来る痛みを憤怒と共にぐっと押えつけながら葉子はわざと声を和らげた。そうして愛子の挙動を爪の先ほども見のがすまいとした。愛子は黙ってしまった。この沈黙は愛子の隠れ家だった。そうなるとさすがの葉子もこの妹をどう取り扱う術もなかった。岡なり古藤なりが告白をしているのなら、葉子がこの次にいい出す言葉で様子は知れる。この場合うっかり葉子の口車には乗られないと愛子は思って沈黙を守っているのかもしれない。岡なり古藤なりから何か聞いているのなら、葉子はそれを十倍も二十倍もの強さにして使いこなす術を知っているのだけれども、あいにくその備えはしていなかった。愛子は確かに自分をあなどり出していると葉子は思わないではいられなかった。寄ってたかって大きな詐偽の網を造って、その中に自分を押しこめて、周囲からながめながらおもしろそうに笑っている。岡だろうが古藤だろうが何があてになるものか。……葉子は手傷を負った猪のように一直線に荒れて行くよりしかたがなくなった。 「さあお言い愛さん、お前さんが黙ってしまうのは悪い癖ですよ。ねえさんを甘くお見でないよ。……お前さんほんとうに黙ってるつもりかい……そうじゃないでしょう、あればあるなければないで、はっきりわかるように話をしてくれるんだろうね……愛さん……あなたは心からわたしを見くびってかかるんだね」 「そうじゃありません」  あまり葉子の言葉が激して来るので、愛子は少しおそれを感じたらしくあわててこういって言葉でささえようとした。 「もっとこっちにおいで」  愛子は動かなかった。葉子の愛子に対する憎悪は極点に達した。葉子は腹部の痛みも忘れて、寝床から跳り上がった。そうしていきなり愛子のたぶさをつかもうとした。  愛子はふだんの冷静に似ず、葉子の発作を見て取ると、敏捷に葉子の手もとをすり抜けて身をかわした。葉子はふらふらとよろけて一方の手を障子紙に突っ込みながら、それでも倒れるはずみに愛子の袖先をつかんだ。葉子は倒れながらそれをたぐり寄せた。醜い姉妹の争闘が、泣き、わめき、叫び立てる声の中に演ぜられた。愛子は顔や手に掻き傷を受け、髪をおどろに乱しながらも、ようやく葉子の手を振り放して廊下に飛び出した。葉子はよろよろとした足取りでそのあとを追ったが、とても愛子の敏捷さにはかなわなかった。そして階子段の降り口の所でつやに食い止められてしまった。葉子はつやの肩に身を投げかけながらおいおいと声を立てて子供のように泣き沈んでしまった。  幾時間かの人事不省の後に意識がはっきりしてみると、葉子は愛子とのいきさつをただ悪夢のように思い出すばかりだった。しかもそれは事実に違いない。枕もとの障子には葉子の手のさし込まれた孔が、大きく破れたまま残っている。入院のその日から、葉子の名は口さがない婦人患者の口の端にうるさくのぼっているに違いない。それを思うと一時でもそこにじっとしているのが、堪えられない事だった。葉子はすぐほかの病院に移ろうと思ってつやにいいつけた。しかしつやはどうしてもそれを承知しなかった。自分が身に引き受けて看護するから、ぜひともこの病院で手術を受けてもらいたいとつやはいい張った。葉子から暇を出されながら、妙に葉子に心を引きつけられているらしい姿を見ると、この場合葉子はつやにしみじみとした愛を感じた。清潔な血が細いしなやかな血管を滞りなく流れ回っているような、すべすべと健康らしい、浅黒いつやの皮膚は何よりも葉子には愛らしかった。始終吹き出物でもしそうな、膿っぽい女を葉子は何よりも呪わしいものに思っていた。葉子はつやのまめやかな心と言葉に引かされてそこにい残る事にした。  これだけ貞世から隔たると葉子は始めて少し気のゆるむのを覚えて、腹部の痛みで突然目をさますほかにはたわいなく眠るような事もあった。しかしなんといってもいちばん心にかかるものは貞世だった。ささくれて、赤くかわいた口びるからもれ出るあの囈言……それがどうかすると近々と耳に聞こえたり、ぼんやりと目を開いたりするその顔が浮き出して見えたりした。そればかりではない、葉子の五官は非常に敏捷になって、おまけにイリュウジョンやハルシネーションを絶えず見たり聞いたりするようになってしまった。倉地なんぞはすぐそばにすわっているなと思って、苦しさに目をつぶりながら手を延ばして畳の上を探ってみる事などもあった。そんなにはっきり見えたり聞こえたりするものが、すべて虚構であるのを見いだすさびしさはたとえようがなかった。  愛子は葉子が入院の日以来感心に毎日訪れて貞世の容体を話して行った。もう始めの日のような狼藉はしなかったけれども、その顔を見たばかりで、葉子は病気が重るように思った。ことに貞世の病状が軽くなって行くという報告は激しく葉子を怒らした。自分があれほどの愛着をこめて看護してもよくならなかったものが、愛子なんぞの通り一ぺんの世話でなおるはずがない。また愛子はいいかげんな気休めに虚言をついているのだ。貞世はもうひょっとすると死んでいるかもしれない。そう思って岡が尋ねて来た時に根掘り葉掘り聞いてみるが、二人の言葉があまりに符合するので、貞世のだんだんよくなって行きつつあるのを疑う余地はなかった。葉子には運命が狂い出したようにしか思われなかった。愛情というものなしに病気がなおせるなら、人の生命は機械でも造り上げる事ができるわけだ。そんなはずはない。それだのに貞世はだんだんよくなって行っている。人ばかりではない、神までが、自分を自然法の他の法則でもてあそぼうとしているのだ。  葉子は歯がみをしながら貞世が死ねかしと祈るような瞬間を持った。  日はたつけれども倉地からはほんとうになんの消息もなかった。病的に感覚の興奮した葉子は、時々肉体的に倉地を慕う衝動に駆り立てられた。葉子の心の目には、倉地の肉体のすべての部分は触れる事ができると思うほど具体的に想像された。葉子は自分で造り出した不思議な迷宮の中にあって、意識のしびれきるような陶酔にひたった。しかしその酔いがさめたあとの苦痛は、精神の疲弊と一緒に働いて、葉子を半死半生の堺に打ちのめした。葉子は自分の妄想に嘔吐を催しながら、倉地といわずすべての男を呪いに呪った。  いよいよ葉子が手術を受けるべき前の日が来た。葉子はそれをさほど恐ろしい事とは思わなかった。子宮後屈症と診断された時、買って帰って読んだ浩澣な医書によって見ても、その手術は割合に簡単なものであるのを知り抜いていたから、その事については割合に安々とした心持ちでいる事ができた。ただ名状し難い焦躁と悲哀とはどう片づけようもなかった。毎日来ていた愛子の足は二日おきになり三日おきになりだんだん遠ざかった。岡などは全く姿を見せなくなってしまった。葉子は今さらに自分のまわりをさびしく見回してみた。出あうかぎりの男と女とが何がなしにひき着けられて、離れる事ができなくなる、そんな磁力のような力を持っているという自負に気負って、自分の周囲には知ると知らざるとを問わず、いつでも無数の人々の心が待っているように思っていた葉子は、今はすべての人から忘られ果てて、大事な定子からも倉地からも見放し見放されて、荷物のない物置き部屋のような貧しい一室のすみっこに、夜具にくるまって暑気に蒸されながらくずれかけた五体をたよりなく横たえねばならぬのだ。それは葉子に取ってはあるべき事とは思われぬまでだった。しかしそれが確かな事実であるのをどうしよう。  それでも葉子はまだ立ち上がろうとした。自分の病気が癒えきったその時を見ているがいい。どうして倉地をもう一度自分のものに仕遂せるか、それを見ているがいい。  葉子は脳心にたぐり込まれるような痛みを感ずる両眼から熱い涙を流しながら、徒然なままに火のような一心を倉地の身の上に集めた。葉子の顔にはいつでもハンケチがあてがわれていた。それが十分もたたないうちに熱くぬれ通って、つやに新しいのと代えさせねばならなかった。 四七  その夜六時すぎ、つやが来て障子を開いてだんだん満ちて行こうとする月が瓦屋根の重なりの上にぽっかりのぼったのをのぞかせてくれている時、見知らぬ看護婦が美しい花束と大きな西洋封筒に入れた手紙とを持ってはいって来てつやに渡した。つやはそれを葉子の枕もとに持って来た。葉子はもう花も何も見る気にはなれなかった。電気もまだ来ていないのでつやにその手紙を読ませてみた。つやは薄明りにすかしすかし読みにくそうに文字を拾った。 「あなたが手術のために入院なさった事を岡君から聞かされて驚きました。で、きょうが外出日であるのを幸いにお見舞いします。 「僕はあなたにお目にかかる気にはなりません。僕はそれほど偏狭に出来上がった人間です。けれども僕はほんとうにあなたをお気の毒に思います。倉地という人間が日本の軍事上の秘密を外国にもらす商売に関係した事が知れるとともに、姿を隠したという報道を新聞で見た時、僕はそんなに驚きませんでした。しかし倉地には二人ほどの外妾があると付け加えて書いてあるのを見て、ほんとうにあなたをお気の毒に思いました。この手紙を皮肉に取らないでください。僕には皮肉はいえません。 「僕はあなたが失望なさらないように祈ります。僕は来週の月曜日から習志野のほうに演習に行きます。木村からのたよりでは、彼は窮迫の絶頂にいるようです。けれども木村はそこを突き抜けるでしょう。 「花を持って来てみました。お大事に。 古藤生」  つやはつかえつかえそれだけを読み終わった。始終古藤をはるか年下な子供のように思っている葉子は、一種侮蔑するような無感情をもってそれを聞いた。倉地が外妾を二人持ってるといううわさは初耳ではあるけれども、それは新聞の記事であってみればあてにはならない。その外妾二人というのが、美人屋敷と評判のあったそこに住む自分と愛子ぐらいの事を想像して、記者ならばいいそうな事だ。ただそう軽くばかり思ってしまった。  つやがその花束をガラスびんにいけて、なんにも飾ってない床の上に置いて行ったあと、葉子は前同様にハンケチを顔にあてて、機械的に働く心の影と戦おうとしていた。  その時突然死が――死の問題ではなく――死がはっきりと葉子の心に立ち現われた。もし手術の結果、子宮底に穿孔ができるようになって腹膜炎を起こしたら、命の助かるべき見込みはないのだ。そんな事をふと思い起こした。部屋の姿も自分の心もどこといって特別に変わったわけではなかったけれども、どことなく葉子の周囲には確かに死の影がさまよっているのをしっかりと感じないではいられなくなった。それは葉子が生まれてから夢にも経験しない事だった。これまで葉子が死の問題を考えた時には、どうして死を招き寄せようかという事ばかりだった。しかし今は死のほうがそろそろと近寄って来ているのだ。  月はだんだん光を増して行って、電灯に灯もともっていた。目の先に見える屋根の間からは、炊煙だか、蚊遣り火だかがうっすらと水のように澄みわたった空に消えて行く。履き物、車馬の類、汽笛の音、うるさいほどの人々の話し声、そういうものは葉子の部屋をいつものとおり取り巻きながら、そして部屋の中はとにかく整頓して灯がともっていて、少しの不思議もないのに、どことも知れずそこには死がはい寄って来ていた。  葉子はぎょっとして、血の代わりに心臓の中に氷の水を瀉ぎこまれたように思った。死のうとする時はとうとう葉子には来ないで、思いもかけず死ぬ時が来たんだ。今までとめどなく流していた涙は、近づくあらしの前のそよ風のようにどこともなく姿をひそめてしまっていた。葉子はあわてふためいて、大きく目を見開き、鋭く耳をそびやかして、そこにある物、そこにある響きを捕えて、それにすがり付きたいと思ったが、目にも耳にも何か感ぜられながら、何が何やら少しもわからなかった。ただ感ぜられるのは、心の中がわけもなくただわくわくとして、すがりつくものがあれば何にでもすがりつきたいと無性にあせっている、その目まぐるしい欲求だけだった。葉子は震える手で枕をなで回したり、シーツをつまみ上げてじっと握り締めてみたりした。冷たい油汗が手のひらににじみ出るばかりで、握ったものは何の力にもならない事を知った。その失望は形容のできないほど大きなものだった。葉子は一つの努力ごとにがっかりして、また懸命にたよりになるもの、根のあるようなものを追い求めてみた。しかしどこをさがしてみてもすべての努力が全くむだなのを心では本能的に知っていた。  周囲の世界は少しのこだわりもなくずるずると平気で日常の営みをしていた。看護婦が草履で廊下を歩いて行く、その音一つを考えてみても、そこには明らかに生命が見いだされた。その足は確かに廊下を踏み、廊下は礎に続き、礎は大地に据えられていた。患者と看護婦との間に取りかわされる言葉一つにも、それを与える人と受ける人とがちゃんと大地の上に存在していた。しかしそれらは奇妙にも葉子とは全く無関係で没交渉だった。葉子のいる所にはどこにも底がない事を知らねばならなかった。深い谷に誤って落ち込んだ人が落ちた瞬間に感ずるあの焦躁……それが連続してやむ時なく葉子を襲うのだった。深さのわからないような暗い闇が、葉子をただ一人まん中に据えておいて、果てしなくそのまわりを包もうと静かに静かに近づきつつある。葉子は少しもそんな事を欲しないのに、葉子の心持ちには頓着なく、休む事なくとどまる事なく、悠々閑々として近づいて来る。葉子は恐ろしさにおびえて声も得上げなかった。そしてただそこからのがれ出たい一心に心ばかりがあせりにあせった。  もうだめだ、力が尽き切ったと、観念しようとした時、しかし、その奇怪な死は、すうっと朝霧が晴れるように、葉子の周囲から消えうせてしまった。見た所、そこには何一つ変わった事もなければ変わった物もない。ただ夏の夕が涼しく夜につながろうとしているばかりだった。葉子はきょとんとして庇の下に水々しく漂う月を見やった。  ただ不思議な変化の起こったのは心ばかりだった。荒磯に波また波が千変万化して追いかぶさって来ては激しく打ちくだけて、まっ白な飛沫を空高く突き上げるように、これといって取り留めのない執着や、憤りや、悲しみや、恨みやが蛛手によれ合って、それが自分の周囲の人たちと結び付いて、わけもなく葉子の心をかきむしっていたのに、その夕方の不思議な経験のあとでは、一筋の透明なさびしさだけが秋の水のように果てしもなく流れているばかりだった。不思議な事には寝入っても忘れきれないほどな頭脳の激痛も痕なくなっていた。  神がかりにあった人が神から見放された時のように、葉子は深い肉体の疲労を感じて、寝床の上に打ち伏さってしまった。そうやっていると自分の過去や現在が手に取るようにはっきり考えられ出した。そして冷ややかな悔恨が泉のようにわき出した。 「間違っていた……こう世の中を歩いて来るんじゃなかった。しかしそれはだれの罪だ。わからない。しかしとにかく自分には後悔がある。できるだけ、生きてるうちにそれを償っておかなければならない」  内田の顔がふと葉子には思い出された。あの厳格なキリストの教師ははたして葉子の所に尋ねて来てくれるかどうかわからない。そう思いながらも葉子はもう一度内田にあって話をしたい心持ちを止める事ができなかった。  葉子は枕もとのベルを押してつやを呼び寄せた。そして手文庫の中から洋紙でとじた手帳を取り出さして、それに毛筆で葉子のいう事を書き取らした。 「木村さんに。 「わたしはあなたを詐っておりました。わたしはこれから他の男に嫁入ります。あなたはわたしを忘れてくださいまし。わたしはあなたの所に行ける女ではないのです。あなたのお思い違いを充分御自分で調べてみてくださいまし。 「倉地さんに。 「わたしはあなたを死ぬまで。けれども二人とも間違っていた事を今はっきり知りました。死を見てから知りました。あなたにはおわかりになりますまい。わたしは何もかも恨みはしません。あなたの奥さんはどうなさっておいでです。……わたしは一緒に泣く事ができる。 「内田のおじさんに。 「わたしは今夜になっておじさんを思い出しました。おば様によろしく。 「木部さんに。 「一人の老女があなたの所に女の子を連れて参るでしょう。その子の顔を見てやってくださいまし。 「愛子と貞世に。 「愛さん、貞ちゃん、もう一度そう呼ばしておくれ。それでたくさん。 「岡さんに。 「わたしはあなたをも怒ってはいません。 「古藤さんに。 「お花とお手紙とをありがとう。あれからわたしは死を見ました。 七月二十一日  葉子」  つやはこんなぽつりぽつりと短い葉子の言葉を書き取りながら、時々怪訝な顔をして葉子を見た。葉子の口びるはさびしく震えて、目にはこぼれない程度に涙がにじみ出していた。 「もうそれでいいありがとうよ。あなただけね、こんなになってしまったわたしのそばにいてくれるのは。……それだのに、わたしはこんなに零落した姿をあなたに見られるのがつらくって、来た日は途中からほかの病院に行ってしまおうかと思ったのよ。ばかだったわね」  葉子は口ではなつかしそうに笑いながら、ほろほろと涙をこぼしてしまった。 「それをこの枕の下に入れておいておくれ。今夜こそはわたし久しぶりで安々とした心持ちで寝られるだろうよ、あすの手術に疲れないようによく寝ておかないといけないわね。でもこんなに弱っていても手術はできるのかしらん……もう蚊帳をつっておくれ。そしてついでに寝床をもっとそっちに引っぱって行って、月の光が顔にあたるようにしてちょうだいな。戸は寝入ったら引いておくれ。……それからちょっとあなたの手をお貸し。……あなたの手は温かい手ね。この手はいい手だわ」  葉子は人の手というものをこんなになつかしいものに思った事はなかった。力をこめた手でそっと抱いて、いつまでもやさしくそれをなでていたかった。つやもいつか葉子の気分に引き入れられて、鼻をすするまでに涙ぐんでいた。  葉子はやがて打ち開いた障子から蚊帳越しにうっとりと月をながめながら考えていた。葉子の心は月の光で清められたかと見えた。倉地が自分を捨てて逃げ出すために書いた狂言が計らずその筋の嫌疑を受けたのか、それとも恐ろしい売国の罪で金をすら葉子に送れぬようになったのか、それはどうでもよかった。よしんば妾が幾人あってもそれもどうでもよかった。ただすべてがむなしく見える中に倉地だけがただ一人ほんとうに生きた人のように葉子の心に住んでいた。互いを堕落させ合うような愛しかたをした、それも今はなつかしい思い出だった。木村は思えば思うほど涙ぐましい不幸な男だった。その思い入った心持ちは何事もわだかまりのなくなった葉子の胸の中を清水のように流れて通った。多年の迫害に復讐する時機が来たというように、岡までをそそのかして、葉子を見捨ててしまったと思われる愛子の心持ちにも葉子は同情ができた。愛子の情けに引かされて葉子を裏切った岡の気持ちはなおさらよくわかった。泣いても泣いても泣き足りないようにかわいそうなのは貞世だった。愛子はいまにきっと自分以上に恐ろしい道に踏み迷う女だと葉子は思った。その愛子のただ一人の妹として……もしも自分の命がなくなってしまった後は……そう思うにつけて葉子は内田を考えた。すべての人は何かの力で流れて行くべき先に流れて行くだろう。そしてしまいにはだれでも自分と同様に一人ぼっちになってしまうんだ。……どの人を見てもあわれまれる……葉子はそう思いふけりながら静かに静かに西に回って行く月を見入っていた。その月の輪郭がだんだんぼやけて来て、空の中に浮き漂うようになると、葉子のまつ毛の一つ一つにも月の光が宿った。涙が目じりからあふれて両方のこめかみの所をくすぐるようにするすると流れ下った。口の中は粘液で粘った。許すべき何人もない。許さるべき何事もない。ただあるがまま……ただ一抹の清い悲しい静けさ。葉子の目はひとりでに閉じて行った。整った呼吸が軽く小鼻を震わして流れた。  つやが戸をたてにそーっとその部屋にはいった時には、葉子は病気を忘れ果てたもののように、がたぴしと戸を締める音にも目ざめずに安らけく寝入っていた。 四八  その翌朝手術台にのぼろうとした葉子は昨夜の葉子とは別人のようだった。激しい呼鈴の音で呼ばれてつやが病室に来た時には、葉子は寝床から起き上がって、したため終わった手紙の状袋を封じている所だったが、それをつやに渡そうとする瞬間にいきなりいやになって、口びるをぶるぶる震わせながらつやの見ている前でそれをずたずたに裂いてしまった。それは愛子にあてた手紙だったのだ。きょうは手術を受けるから九時までにぜひとも立ち会いに来るようにとしたためたのだった。いくら気丈夫でも腹を立ち割る恐ろしい手術を年若い少女が見ていられないくらいは知っていながら、葉子は何がなしに愛子にそれを見せつけてやりたくなったのだ。自分の美しい肉体がむごたらしく傷つけられて、そこから静脈を流れているどす黒い血が流れ出る、それを愛子が見ているうちに気が遠くなって、そのままそこに打ち倒れる、そんな事になったらどれほど快いだろうと葉子は思った。幾度来てくれろと電話をかけても、なんとか口実をつけてこのごろ見も返らなくなった愛子に、これだけの復讐をしてやるのでも少しは胸がすく、そう葉子は思ったのだ。しかしその手紙をつやに渡そうとする段になると、葉子には思いもかけぬ躊躇が来た。もし手術中にはしたない囈言でもいってそれを愛子に聞かれたら。あの冷刻な愛子が面もそむけずにじっと姉の肉体が切りさいなまれるのを見続けながら、心の中で存分に復讐心を満足するような事があったら。こんな手紙を受け取ってもてんで相手にしないで愛子が来なかったら……そんな事を予想すると葉子は手紙を書いた自分に愛想が尽きてしまった。  つやは恐ろしいまでに激昂した葉子の顔を見やりもし得ないで、おずおずと立ちもやらずにそこにかしこまっていた。葉子はそれがたまらないほど癪にさわった。自分に対してすべての人が普通の人間として交わろうとはしない。狂人にでも接するような仕打ちを見せる。だれも彼もそうだ。医者までがそうだ。 「もう用はないのよ。早くあっちにおいで。お前はわたしを気狂いとでも思っているんだろうね。……早く手術をしてくださいってそういっておいで。わたしはちゃんと死ぬ覚悟をしていますからってね」  ゆうべなつかしく握ってやったつやの手の事を思い出すと、葉子は嘔吐を催すような不快を感じてこういった。きたないきたない何もかもきたない。つやは所在なげにそっとそこを立って行った。葉子は目でかみつくようにその後ろ姿を見送った。  その日天気は上々で東向きの壁はさわってみたら内部からでもほんのりと暖かみを感ずるだろうと思われるほど暑くなっていた。葉子はきのうまでの疲労と衰弱とに似ず、その日は起きるとから黙って臥てはいられないくらい、からだが動かしたかった。動かすたびごとに襲って来る腹部の鈍痛や頭の混乱をいやが上にも募らして、思い存分の苦痛を味わってみたいような捨てばちな気分になっていた。そしてふらふらと少しよろけながら、衣紋も乱したまま部屋の中を片づけようとして床の間の所に行った。懸け軸もない床の間の片すみにはきのう古藤が持って来た花が、暑さのために蒸れたようにしぼみかけて、甘ったるい香を放ってうなだれていた。葉子はガラスびんごとそれを持って縁側の所に出た。そしてその花のかたまりの中にむずと熱した手を突っ込んだ。死屍から来るような冷たさが葉子の手に伝わった。葉子の指先は知らず知らず縮まって没義道にそれを爪も立たんばかり握りつぶした。握りつぶしてはびんから引き抜いて手欄から戸外に投げ出した。薔薇、ダリア、小田巻、などの色とりどりの花がばらばらに乱れて二階から部屋の下に当たるきたない路頭に落ちて行った。葉子はほとんど無意識に一つかみずつそうやって投げ捨てた。そして最後にガラスびんを力任せにたたきつけた。びんは目の下で激しくこわれた。そこからあふれ出た水がかわききった縁側板に丸い斑紋をいくつとなく散らかして。  ふと見ると向こうの屋根の物干し台に浴衣の類を持って干しに上がって来たらしい女中風の女が、じっと不思議そうにこっちを見つめているのに気がついた。葉子とは何の関係もないその女までが、葉子のする事を怪しむらしい様子をしているのを見ると、葉子の狂暴な気分はますます募った。葉子は手欄に両手をついてぶるぶると震えながら、その女をいつまでもいつまでもにらみつけた。女のほうでも葉子の仕打ちに気づいて、しばらくは意趣に見返すふうだったが、やがて一種の恐怖に襲われたらしく、干し物を竿に通しもせずにあたふたとあわてて干し物台の急な階子を駆けおりてしまった。あとには燃えるような青空の中に不規則な屋根の波ばかりが目をちかちかさせて残っていた。葉子はなぜにとも知れぬため息を深くついてまんじりとそのあからさまな景色を夢かなぞのようにながめ続けていた。  やがて葉子はまたわれに返って、ふくよかな髪の中に指を突っ込んで激しく頭の地をかきながら部屋に戻った。  そこには寝床のそばに洋服を着た一人の男が立っていた。激しい外光から暗い部屋のほうに目を向けた葉子には、ただまっ黒な立ち姿が見えるばかりでだれとも見分けがつかなかった。しかし手術のために医員の一人が迎えに来たのだと思われた。それにしても障子のあく音さえしなかったのは不思議な事だ。はいって来ながら声一つかけないのも不思議だ。と、思うと得体のわからないその姿は、そのまわりの物がだんだん明らかになって行く間に、たった一つだけまっ黒なままでいつまでも輪郭を見せないようだった。いわば人の形をしたまっ暗な洞穴が空気の中に出来上がったようだった。始めの間好奇心をもってそれをながめていた葉子は見つめれば見つめるほど、その形に実質がなくって、まっ暗な空虚ばかりであるように思い出すと、ぞーっと水を浴びせられたように怖毛をふるった。「木村が来た」……何という事なしに葉子はそう思い込んでしまった。爪の一枚一枚までが肉に吸い寄せられて、毛という毛が強直して逆立つような薄気味わるさが総身に伝わって、思わず声を立てようとしながら、声は出ずに、口びるばかりがかすかに開いてぶるぶると震えた。そして胸の所に何か突きのけるような具合に手をあげたまま、ぴったりと立ち止まってしまった。  その時その黒い人の影のようなものが始めて動き出した。動いてみるとなんでもない、それはやはり人間だった。見る見るその姿の輪郭がはっきりわかって来て、暗さに慣れて来た葉子の目にはそれが岡である事が知れた。 「まあ岡さん」  葉子はその瞬間のなつかしさに引き入れられて、今まで出なかった声をどもるような調子で出した。岡はかすかに頬を紅らめたようだった。そしていつものとおり上品に、ちょっと畳の上に膝をついて挨拶した。まるで一年も牢獄にいて、人間らしい人間にあわないでいた人のように葉子には岡がなつかしかった。葉子とはなんの関係もない広い世間から、一人の人が好意をこめて葉子を見舞うためにそこに天降ったとも思われた。走り寄ってしっかりとその手を取りたい衝動を抑える事ができないほどに葉子の心は感激していた。葉子は目に涙をためながら思うままの振る舞いをした。自分でも知らぬ間に、葉子は、岡のそば近くすわって、右手をその肩に、左手を畳に突いて、しげしげと相手の顔を見やる自分を見いだした。 「ごぶさたしていました」 「よくいらしってくださってね」  どっちからいい出すともなく二人の言葉は親しげにからみ合った。葉子は岡の声を聞くと、急に今まで自分から逃げていた力が回復して来たのを感じた。逆境にいる女に対して、どんな男であれ、男の力がどれほど強いものであるかを思い知った。男性の頼もしさがしみじみと胸に逼った。葉子はわれ知らずすがり付くように、岡の肩にかけていた右手をすべらして、膝の上に乗せている岡の右手の甲の上からしっかりと捕えた。岡の手は葉子の触覚に妙に冷たく響いて来た。 「長く長くおあいしませんでしたわね。わたしあなたを幽霊じゃないかと思いましてよ。変な顔つきをしたでしょう。貞世は……あなたけさ病院のほうからいらしったの?」  岡はちょっと返事をためらったようだった。 「いゝえ家から来ました。ですからわたし、きょうの御様子は知りませんが、きのうまでのところではだんだんおよろしいようです。目さえさめていらっしゃると『おねえ様おねえ様』とお泣きなさるのがほんとうにおかわいそうです」  葉子はそれだけ聞くともう感情がもろくなっていて胸が張り裂けるようだった。岡は目ざとくもそれを見て取って、悪い事をいったと思ったらしかった。そして少しあわてたように笑い足しながら、 「そうかと思うと、たいへんお元気な事もあります。熱の下がっていらっしゃる時なんかは、愛子さんにおもしろい本を読んでおもらいになって、喜んで聞いておいでです」  と付け足した。葉子は直覚的に岡がその場の間に合わせをいっているのだと知った。それは葉子を安心させるための好意であるとはいえ、岡の言葉は決して信用する事ができない。毎日一度ずつ大学病院まで見舞いに行ってもらうつやの言葉に安心ができないでいて、だれか目に見たとおりを知らせてくれる人はないかとあせっていた矢先、この人ならばと思った岡も、つや以上にいいかげんをいおうとしているのだ。この調子では、とうに貞世が死んでしまっていても、人たちは岡がいって聞かせるような事をいつまでも自分にいうのだろう。自分にはだれ一人として胸を開いて交際しようという人はいなくなってしまったのだ。そう思うとさびしいよりも、苦しいよりも、かっと取りのぼせるほど貞世の身の上が気づかわれてならなくなった。 「かわいそうに貞世は……さぞやせてしまったでしょうね?」  葉子は口裏をひくようにこう尋ねてみた。 「始終見つけているせいですか、そんなにも見えません」  岡はハンカチで首のまわりをぬぐって、ダブル・カラーの合わせを左の手でくつろげながら少し息気苦しそうにこう答えた。 「なんにもいただけないんでしょうね」 「ソップと重湯だけですが両方ともよく食べなさいます」 「ひもじがっておりますか」 「いゝえそんなでも」  もう許せないと葉子は思い入って腹を立てた。腸チブスの予後にあるものが、食欲がない……そんなしらじらしい虚構があるものか。みんな虚構だ。岡のいう事もみんな虚構だ。昨夜は病院に泊まらなかったという、それも虚構でなくてなんだろう。愛子の熱情に燃えた手を握り慣れた岡の手が、葉子に握られて冷えるのももっともだ。昨夜はこの手は……葉子はひとみを定めて自分の美しい指にからまれた岡の美しい右手を見た。それは女の手のように白くなめらかだった。しかしこの手が昨夜は、……葉子は顔をあげて岡を見た。ことさらにあざやかに紅いその口びる……この口びるが昨夜は……眩暈がするほど一度に押し寄せて来た憤怒と嫉妬とのために、葉子は危うくその場にあり合わせたものにかみつこうとしたが、からくそれをささえると、もう熱い涙が目をこがすように痛めて流れ出した。 「あなたはよくうそをおつきなさるのね」  葉子はもう肩で息気をしていた。頭が激しい動悸のたびごとに震えるので、髪の毛は小刻みに生き物のようにおののいた。そして岡の手から自分の手を離して、袂から取り出したハンケチでそれを押しぬぐった。目に入る限りのもの、手に触れる限りのものがまたけがらわしく見え始めたのだ。岡の返事も待たずに葉子は畳みかけて吐き出すようにいった。 「貞世はもう死んでいるんです。それを知らないとでもあなたは思っていらっしゃるの。あなたや愛子に看護してもらえばだれでもありがたい往生ができましょうよ。ほんとうに貞世は仕合わせな子でした。……おゝおゝ貞世! お前はほんとに仕合わせな子だねえ。……岡さんいって聞かせてください、貞世はどんな死にかたをしたか。飲みたい死に水も飲まずに死にましたか。あなたと愛子がお庭を歩き回っているうちに死んでいましたか。それとも……それとも愛子の目が憎々しく笑っているその前で眠るように息気を引き取りましたか。どんなお葬式が出たんです。早桶はどこで注文なさったんです。わたしの早桶のより少し大きくしないとはいりませんよ。……わたしはなんというばかだろう早く丈夫になって思いきり貞世を介抱してやりたいと思ったのに……もう死んでしまったのですものねえ。うそです……それからなぜあなたも愛子ももっとしげしげわたしの見舞いには来てくださらないの。あなたはきょうわたしを苦しめに……なぶりにいらしったのね……」 「そんな飛んでもない!」  岡がせきこんで葉子の言葉の切れ目にいい出そうとするのを、葉子は激しい笑いでさえぎった。 「飛んでもない……そのとおり。あゝ頭が痛い。わたしは存分に呪いを受けました。御安心なさいましとも。決してお邪魔はしませんから。わたしはさんざん踊りました。今度はあなた方が踊っていい番ですものね。……ふむ、踊れるものならみごとに踊ってごらんなさいまし。……踊れるものなら、はゝゝ」  葉子は狂女のように高々と笑った。岡は葉子の物狂おしく笑うのを見ると、それを恥じるようにまっ紅になって下を向いてしまった。 「聞いてください」  やがて岡はこういってきっとなった。 「伺いましょう」  葉子もきっとなって岡を見やったが、すぐ口じりにむごたらしい皮肉な微笑をたたえた。それは岡の気先をさえ折るに充分なほどの皮肉さだった。 「お疑いなさってもしかたがありません。わたし、愛子さんには深い親しみを感じております……」 「そんな事なら伺うまでもありませんわ。わたしをどんな女だと思っていらっしゃるの。愛子さんに深い親しみを感じていらっしゃればこそ、けさはわざわざ何日ごろ死ぬだろうと見に来てくださったのね。なんとお礼を申していいか、そこはお察しくださいまし。きょうは手術を受けますから、死骸になって手術室から出て来る所をよっく御覧なさってあなたの愛子に知らせて喜ばしてやってくださいましよ。死にに行く前に篤とお礼を申します。絵島丸ではいろいろ御親切をありがとうございました。お陰様でわたしはさびしい世の中から救い出されました。あなたをおにいさんともお慕いしていましたが、愛子に対しても気恥ずかしくなりましたから、もうあなたとは御縁を断ちます。というまでもない事ですわね。もう時間が来ますからお立ちくださいまし」 「わたし、ちっとも知りませんでした。ほんとうにそのおからだで手術をお受けになるのですか」  岡はあきれたような顔をした。 「毎日大学に行くつやはばかですから何も申し上げなかったんでしょうよ。申し上げてもお聞こえにならなかったかもしれませんわね」  と葉子はほほえんで、まっさおになった顔にふりかかる髪の毛を左の手で器用にかき上げた。その小指はやせ細って骨ばかりのようになりながらも、美しい線を描いて折れ曲がっていた。 「それはぜひお延ばしくださいお願いしますから……お医者さんもお医者さんだと思います」 「わたしがわたしだもんですからね」  葉子はしげしげと岡を見やった。その目からは涙がすっかりかわいて、額の所には油汗がにじみ出ていた。触れてみたら氷のようだろうと思われるような青白い冷たさが生えぎわかけて漂っていた。 「ではせめてわたしに立ち会わしてください」 「それほどまでにあなたはわたしがお憎いの?……麻酔中にわたしのいう囈口でも聞いておいて笑い話の種になさろうというのね。えゝ、ようごさいますいらっしゃいまし、御覧に入れますから。呪いのためにやせ細ってお婆さんのようになってしまったこのからだを頭から足の爪先まで御覧に入れますから……今さらおあきれになる余地もありますまいけれど」  そういって葉子はやせ細った顔にあらん限りの媚びを集めて、流眄に岡を見やった。岡は思わず顔をそむけた。  そこに若い医員がつやをつれてはいって来た。葉子は手術のしたくができた事を見て取った。葉子は黙って医員にちょっと挨拶したまま衣紋をつくろってすぐ座を立った。それに続いて部屋を出て来た岡などは全く無視した態度で、怪しげな薄暗い階子段を降りて、これも暗い廊下を四五間たどって手術室の前まで来た。つやが戸のハンドルを回してそれをあけると、手術室からはさすがにまぶしい豊かな光線が廊下のほうに流れて来た。そこで葉子は岡のほうに始めて振り返った。 「遠方をわざわざ御苦労さま。わたしはまだあなたに肌を御覧に入れるほどの莫連者にはなっていませんから……」  そう小さな声でいって悠々と手術室にはいって行った。岡はもちろん押し切ってあとについては来なかった。  着物を脱ぐ間に、世話に立ったつやに葉子はこうようやくにしていった。 「岡さんがはいりたいとおっしゃっても入れてはいけないよ。それから……それから(ここで葉子は何がなしに涙ぐましくなった)もしわたしが囈言のような事でもいいかけたら、お前に一生のお願いだからね、わたしの口を……口を抑えて殺してしまっておくれ。頼むよ。きっと!」  婦人科病院の事とて女の裸体は毎日幾人となく扱いつけているくせに、やはり好奇な目を向けて葉子を見守っているらしい助手たちに、葉子はやせさらばえた自分をさらけ出して見せるのが死ぬよりつらかった。ふとした出来心から岡に対していった言葉が、葉子の頭にはいつまでもこびり付いて、貞世はもうほんとうに死んでしまったもののように思えてしかたがなかった。貞世が死んでしまったのに何を苦しんで手術を受ける事があろう。そう思わないでもなかった。しかし場合が場合でこうなるよりしかたがなかった。  まっ白な手術衣を着た医員や看護婦に囲まれて、やはりまっ白な手術台は墓場のように葉子を待っていた。そこに近づくと葉子はわれにもなく急におびえが出た。思いきり鋭利なメスで手ぎわよく切り取ってしまったらさぞさっぱりするだろうと思っていた腰部の鈍痛も、急に痛みが止まってしまって、からだ全体がしびれるようにしゃちこばって冷や汗が額にも手にもしとどに流れた。葉子はただ一つの慰藉のようにつやを顧みた。そのつやの励ますような顔をただ一つのたよりにして、細かく震えながら仰向けに冷やっとする手術台に横たわった。  医員の一人が白布の口あてを口から鼻の上にあてがった。それだけで葉子はもう息気がつまるほどの思いをした。そのくせ目は妙にさえて目の前に見る天井板の細かい木理までが動いて走るようにながめられた。神経の末梢が大風にあったようにざわざわと小気味わるく騒ぎ立った。心臓が息気苦しいほど時々働きを止めた。  やがて芳芬の激しい薬滴が布の上にたらされた。葉子は両手の脈所を医員に取られながら、その香いを薄気味わるくかいだ。 「ひとーつ」  執刀者が鈍い声でこういった。 「ひとーつ」  葉子のそれに応ずる声は激しく震えていた。 「ふたーつ」  葉子は生命の尊さをしみじみと思い知った。死もしくは死の隣へまでの不思議な冒険……そう思うと血は凍るかと疑われた。 「ふたーつ」  葉子の声はますます震えた。こうして数を読んで行くうちに、頭の中がしんしんと冴えるようになって行ったと思うと、世の中がひとりでに遠のくように思えた。葉子は我慢ができなかった。いきなり右手を振りほどいて力任せに口の所を掻い払った。しかし医員の力はすぐ葉子の自由を奪ってしまった。葉子は確かにそれにあらがっているつもりだった。 「倉地が生きている間――死ぬものか、……どうしてももう一度その胸に……やめてください。狂気で死ぬとも殺されたくはない。やめて……人殺し」  そう思ったのかいったのか、自分ながらどっちとも定めかねながら葉子はもだえた。 「生きる生きる……死ぬのはいやだ……人殺し!……」  葉子は力のあらん限り戦った、医者とも薬とも……運命とも……葉子は永久に戦った。しかし葉子は二十も数を読まないうちに、死んだ者同様に意識なく医員らの目の前に横たわっていたのだ。 四九  手術を受けてから三日を過ぎていた。その間非常に望ましい経過を取っているらしく見えた容態は三日目の夕方から突然激変した。突然の高熱、突然の腹痛、突然の煩悶、それは激しい驟雨が西風に伴われてあらしがかった天気模様になったその夕方の事だった。  その日の朝からなんとなく頭の重かった葉子は、それが天候のためだとばかり思って、しいてそういうふうに自分を説服して、憂慮を抑えつけていると、三時ごろからどんどん熱が上がり出して、それと共に下腹部の疼痛が襲って来た。子宮底穿孔⁈ なまじっか医書を読みかじった葉子はすぐそっちに気を回した。気を回してはしいてそれを否定して、一時延ばしに容態の回復を待ちこがれた。それはしかしむだだった。つやがあわてて当直医を呼んで来た時には、葉子はもう生死を忘れて床の上に身を縮み上がらしておいおいと泣いていた。  医員の報告で院長も時を移さずそこに駆けつけた。応急の手あてとして四個の氷嚢が下腹部にあてがわれた。葉子は寝衣がちょっと肌にさわるだけの事にも、生命をひっぱたかれるような痛みを覚えて思わずきゃっと絹を裂くような叫び声をたてた。見る見る葉子は一寸の身動きもできないくらい疼痛に痛めつけられていた。  激しい音を立てて戸外では雨の脚が瓦屋根をたたいた。むしむしする昼間の暑さは急に冷え冷えとなって、にわかに暗くなった部屋の中に、雨から逃げ延びて来たらしい蚊がぶーんと長く引いた声を立てて飛び回った。青白い薄闇に包まれて葉子の顔は見る見るくずれて行った。やせ細っていた頬はことさらげっそりとこけて、高々とそびえた鼻筋の両側には、落ちくぼんだ両眼が、中有の中を所きらわずおどおどと何物かをさがし求めるように輝いた。美しい弧を描いて延びていた眉は、めちゃくちゃにゆがんで、眉間の八の字の所に近々と寄り集まった。かさかさにかわききった口びるからは吐く息気ばかりが強く押し出された。そこにはもう女の姿はなかった。得体のわからない動物がもだえもがいているだけだった。  間を置いてはさし込んで来る痛み……鉄の棒をまっ赤に焼いて、それで下腹の中を所きらわずえぐり回すような痛みが来ると、葉子は目も口もできるだけ堅く結んで、息気もつけなくなってしまった。何人そこに人がいるのか、それを見回すだけの気力もなかった。天気なのかあらしなのか、それもわからなかった。稲妻が空を縫って走る時には、それが自分の痛みが形になって現われたように見えた。少し痛みが退くとほっと吐息をして、助けを求めるようにそこに付いている医員に目ですがった。痛みさえなおしてくれれば殺されてもいいという心と、とうとう自分に致命的な傷を負わしたと恨む心とが入り乱れて、旋風のようにからだじゅうを通り抜けた。倉地がいてくれたら……木村がいてくれたら……あの親切な木村がいてくれたら……そりゃだめだ。もうだめだ。……だめだ。貞世だって苦しんでいるんだ、こんな事で……痛い痛い痛い……つやはいるのか(葉子は思いきって目を開いた。目の中が痛かった)いる。心配そうな顔をして、……うそだあの顔が何が心配そうな顔なものか……みんな他人だ……なんの縁故もない人たちだ……みんなのんきな顔をして何事もせずにただ見ているんだ……この悩みの百分の一でも知ったら……あ、痛い痛い痛い! 定子……お前はまだどこかに生きているのか、貞世は死んでしまったのだよ、定子……わたしも死ぬんだ死ぬよりも苦しい、この苦しみは……ひどい、これで死なれるものか……こんなにされて死なれるものか……何か……どこか……だれか……助けてくれそうなものだのに……神様! あんまりです……  葉子は身もだえもできない激痛の中で、シーツまでぬれとおるほどな油汗をからだじゅうにかきながら、こんな事をつぎつぎに口走るのだったが、それはもとより言葉にはならなかった。ただ時々痛いというのがむごたらしく聞こえるばかりで、傷ついた牛のように叫ぶほかはなかった。  ひどい吹き降りの中に夜が来た。しかし葉子の容態は険悪になって行くばかりだった。電灯が故障のために来ないので、室内には二本の蝋燭が風にあおられながら、薄暗くともっていた。熱度を計った医員は一度一度そのそばまで行って、目をそばめながら度盛りを見た。  その夜苦しみ通した葉子は明けがた近く少し痛みからのがれる事ができた。シーツを思いきりつかんでいた手を放して、弱々と額の所をなでると、たびたび看護婦がぬぐってくれたのにも係わらず、ぬるぬるするほど手も額も油汗でしとどになっていた。「とても助からない」と葉子は他人事のように思った。そうなってみると、いちばん強い望みはもう一度倉地に会ってただ一目その顔を見たいという事だった。それはしかし望んでもかなえられる事でないのに気づいた。葉子の前には暗いものがあるばかりだった。葉子はほっとため息をついた。二十六年間の胸の中の思いを一時に吐き出してしまおうとするように。  やがて葉子はふと思い付いて目でつやを求めた。夜通し看護に余念のなかったつやは目ざとくそれを見て寝床に近づいた。葉子は半分目つきに物をいわせながら、 「枕の下枕の下」  といった。つやが枕の下をさがすとそこから、手術の前の晩につやが書き取った書き物が出て来た。葉子は一生懸命な努力でつやにそれを焼いて捨てろ、今見ている前で焼いて捨てろと命じた。葉子の命令はわかっていながら、つやが躊躇しているのを見ると、葉子はかっと腹が立って、その怒りに前後を忘れて起き上がろうとした。そのために少しなごんでいた下腹部の痛みが一時に押し寄せて来た。葉子は思わず気を失いそうになって声をあげながら、足を縮めてしまった。けれども一生懸命だった。もう死んだあとにはなんにも残しておきたくない。なんにもいわないで死のう。そういう気持ちばかりが激しく働いていた。 「焼いて」  悶絶するような苦しみの中から、葉子はただ一言これだけを夢中になって叫んだ。つやは医員に促されているらしかったが、やがて一台の蝋燭を葉子の身近に運んで来て、葉子の見ている前でそれを焼き始めた。めらめらと紫色の焔が立ち上がるのを葉子は確かに見た。  それを見ると葉子は心からがっかりしてしまった。これで自分の一生はなんにもなくなったと思った。もういい……誤解されたままで、女王は今死んで行く……そう思うとさすがに一抹の哀愁がしみじみと胸をこそいで通った。葉子は涙を感じた。しかし涙は流れて出ないで、目の中が火のように熱くなったばかりだった。  またもひどい疼痛が襲い始めた、葉子は神の締め木にかけられて、自分のからだが見る見るやせて行くのを自分ながら感じた。人々が薄気味わるげに見守っているのにも気がついた。  それでもとうとうその夜も明け離れた。  葉子は精も根も尽き果てようとしているのを感じた。身を切るような痛みさえが時々は遠い事のように感じられ出したのを知った。もう仕残していた事はなかったかと働きの鈍った頭を懸命に働かして考えてみた。その時ふと定子の事が頭に浮かんだ。あの紙を焼いてしまっては木部と定子とがあう機会はないかもしれない。だれかに定子を頼んで……葉子はあわてふためきながらその人を考えた。  内田……そうだ内田に頼もう。葉子はその時不思議ななつかしさをもって内田の生涯を思いやった。あの偏頗で頑固で意地っぱりな内田の心の奥の奥に小さく潜んでいる澄みとおった魂が始めて見えるような心持ちがした。  葉子はつやに古藤を呼び寄せるように命じた。古藤の兵営にいるのはつやも知っているはずだ。古藤から内田にいってもらったら内田が来てくれないはずはあるまい、内田は古藤を愛しているから。  それから一時間苦しみ続けた後に、古藤の例の軍服姿は葉子の病室に現われた。葉子の依頼をようやく飲みこむと、古藤はいちずな顔に思い入った表情をたたえて、急いで座を立った。  葉子はだれにとも何にともなく息気を引き取る前に内田の来るのを祈った。  しかし小石川に住んでいる内田はなかなかやって来る様子も見せなかった。 「痛い痛い痛い……痛い」  葉子が前後を忘れわれを忘れて、魂をしぼり出すようにこううめく悲しげな叫び声は、大雨のあとの晴れやかな夏の朝の空気をかき乱して、惨ましく聞こえ続けた。 (後編 了)
底本:「或る女 後編」岩波文庫、岩波書店    1950(昭和25)年9月5日第1刷発行    1968(昭和43)年8月16日第23刷改版発行    1998(平成10)年11月16日第37刷発行 入力:真先芳秋 校正:地田尚 2000年3月1日公開 2013年1月8日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 彼はとう〳〵始末に困じて、傍に寝てゐる妻をゆり起した。妻は夢心地に先程から子供のやんちやとそれをなだめあぐんだ良人の声とを意識してゐたが、夜着に彼の手を感ずると、警鐘を聞いた消防夫の敏捷さを以て飛び起きた。然し意識がぼんやりして何をするでもなくそのまゝ暫くぢつとして坐つてゐた。  彼のいら〳〵した声は然し直ぐ妻を正気に返らした。妻は急に瞼の重味が取り除けられたのを感じながら、立上つて小さな寝床の側に行つた。布団から半分身を乗り出して、子供を寝かしつけて居た彼は、妻でなければ子供が承知しないのだと云ふことを簡単に告げて、床の中にもぐり込んだ。冬の真夜中の寒さは両方の肩を氷のやうにしてゐた。  妻がなだめたならばと云ふ期待は裏切られて、彼は失望せねばならなかつた。妻がやさしい声で、真夜中だからおとなしくして寝入るやうにと云へば云ふほど、子供は鼻にかゝつた甘つたれ声で駄々をこねだした。枕を裏返せとか、裏返した枕が冷たいとか、袖で涙をふいてはいけないとか、夜着が重いけれども、取り除けてはいけないとか、妻がする事、云ふ事の一つ〳〵にあまのじやくを云ひつのるので、初めの間は成るべく逆らはぬやうにと、色々云ひなだめてゐた妻も、我慢がし切れないと云ふ風に、寒さに身を慄はしながら、一言二言叱つて見たりした。それを聞くと子供はつけこむやうに殊更声を曇らしながら身悶えした。  彼は鼻の処まで夜着に埋まつて、眼を大きく開いて薄ぼんやりと見える高い天井を見守つたまゝ黙つてゐた。晩くまで仕事をしてから床に這入つたので、重々しい睡気が頭の奥の方へ追ひ込められて、一つのとげ〳〵した塊的となつて彼の気分を不愉快にした。  彼は物を云はうと思つたが面倒なので口には出さずに黙つてゐた。  十分。  十五分。  二十分。  何んの甲斐もない。子供は半睡の状態からだん〳〵と覚めて来て、彼を不愉快にしてゐるその同じ睡気にさいなまれながら、自分を忘れたやうに疳を高めた。  斯うしてゐては駄目だ、彼はさう思つて又むつくり起き上つて、妻の傍にひきそつて子供に近づいて見た。子供はそれを見ると、一種の嫉妬でも感じたやうに気狂ひじみた暴れ方をして彼の顔を手でかきむしりながら押し退けた。数へ年の四つにしかならない子供の腕にも、こんな時には癪にさはる程意地悪い力が籠つてゐた。 「マヽちやんの傍に来ちやいけない」  さう云つて子供は彼を睨めた。  彼は少し厳格に早く寝つくやうに云つて見たが、駄目だと思つて又床に這入つた。妻はその間黙つたまゝで坐つて居た。而して是れほど苦心して寝かしつけようとしてゐるのに、その永い間、寒さの中に自分一人だけ起して置いて、知らぬげに臥てゐる彼を冷やかな心になつて考へながら、子供の仕打ちを胸の奥底では justify してゐるらしく彼には考へられた。  彼は子供の方に背を向けて、そつちには耳を仮さずに寝入つてしまはうと身構へた。  子供の口小言は然し耳からばかりでなく、喉からも、胸からも、沁み込んで来るやうに思はれた。彼は少しづゝいら〳〵し出した。しまつたと思つたけれども、もう如何する事も出来ない。是れが彼の癖である。普段滅多に怒ることのない彼には、自分で怒りたいと思つた様々の場合を、胸の中の棚のやうな所に畳んで置いたが、どうかすると、それが下らない機会に乗じて一度に激発した。さうなると彼は、彼自身を如何する事も出来なかつた。はら〳〵して居る中に、その場合々々に応じて、一番危険な、一番破壊的な、一番馬鹿らしい仕打ちを夢中でして退けて、後になつてから本当に臍を噛みたいやうなたまらない後悔に襲はれるのだ。  妻は、相かはらず煮え切らない小言を、云ふでもなし云はぬでもなしと云ふ風で、その癖中々しつツこく、子供を相手にしてゐた。いら〳〵してゐる彼には、子供がいら〳〵してゐる訳が胸に徹へるやうだつた。あんなにしんねりむつつりと首も尻尾もなく、小言を聞かされてはたまるものか、何んだつてもつとはつきりしないんだ、と思ふと彼の歯は自然に堅く噛み合つた。彼はさう堅く歯を噛み合はして、瞼を堅く閉ぢて、もう一遍寝入らうと努めて見た。塊的になつた睡気は然し後頭の隅に引つ込んで、眼の奥が冴えて痛むだけだつた。 「早く寝ないとマヽちやんは又あなたを穴に入れますからね」  始めは可なり力の籠つた言葉だと思つて聞いてゐると仕舞には平凡な調子になつてしまふ。子供はそんな言葉には頓着する様子もなく、人を焦立たせるやうに出来た泣き声を張り上げて、夜着を踏みにじりながら泣き続けた。彼はとう〳〵たまらなくなつて出来るだけ声の調子を穏当にした積りで、 「そんなに泣かせないだつて、もう少しやりやうがありさうなものだがな」  と云つた。がそれが可なり自分の耳にもつけ〳〵と聞こえた。妻は彼の言葉で注意されても子供を取扱ふ態度を改める様子もなく、黙つたまゝで、無益にも踏みはぐ夜着を子供に着せようとしてばかりゐた。 「おい、どうかしないか」  彼の調子はます〳〵尖つて来た。彼はもう驀地に自分の癇癪に引き入れられて、胸の中で憤怒の情がぐん〳〵生長して行くのが気持がよかつた。彼は少し慄へを帯びた声を張り上げて怒鳴り出した。 「光! まだ泣いてるか――黙つて寝なさい」  子供は気を呑まれて一寸静かになつたが、直ぐ低い啜り泣きから出直して、前にも増した大袈裟な泣き声になつた。 「泣くとパヽが本当に怒るよ」  まだ泣いてゐる。  その瞬間かつと身体中の血が頭に衝き上つたと思ふと、彼は前後の弁へもなく立上つた。はつと驚く間もあらせず、妻の傍をすり抜けて、両手を子供の頭と膝との下にあてがふが早いか、小さい体を丸めるやうに抱きすくめた。不意の驚きに気息を引いた子供が懸命になつて火のつくやうに「マヽ……マヽ……パヽ……もうしません……もうしないよう……」と泣き出した時には、彼はもう寝室の唐戸を足で蹴明けて廊下に出てゐた。冷たい板敷が彼の熱し切つた足の裏にひやりと触れるのだけを彼は感じて快く思つた。その外に彼は何事をも意識してゐなかつた。張り切つた残酷な大きな力が、何等の省慮もなく、張り切つた小さな力を抱へてゐた。彼はわなゝく手を暗の中に延ばしながら、階子段の下にある外套掛けの袋戸の把手をさぐつた。子供は腰から下が自由になつたので、思ひきりばた〳〵と両脚でもがいてゐる。戸が開いた。子供はその音を聞くと狂気の如く彼の頸にすがり付いた。然し無益だ。彼は蔓のやうにからみ付くその手足を没義道にも他愛なく引き放して、いきなり外套と帽子と履物と掃除道具とでごつちやになつた真暗な中に子供を放り込んだ。その時の気組なら彼は殺人罪でも犯し得たであらう。感情の激昂から彼の胸は大波のやうに高低して、喉は笛のやうに鳴るかと思ふ程燥き果て、耳を聾返へらすばかりな内部の噪音に阻まれて、子供の声などは一語も聞こえはしなかつた。外套のすそか、箒の柄か、それとも子供のかよわい手か、戸をしめる時弱い抵抗をしたのを、彼は見境もなく力まかせに押しつけて、把手を廻し切つた。  その時彼は満足を感じた、跳り上りたい程の満足をその短い瞬間に於て思ふ存分に感じた。而して始めて外界に対して耳が開けた。  戸を隔てて子供の泣く声は憐れにも痛ましいものであつた。彼と妻とに嘗めるやうにいつくしまれたこの子供は今まで真夜中にかゝるめには一度も遇つた事がなかつたのだ。  彼は何かに酔ひしれた男のやうに、衣紋もしだらなく、ひよろ〳〵と跚けながら寝室に帰つて、疲れ果てて自分の寝床に臥し倒れた。そつと頭を動かして妻を見ると、次の子供の枕許にしよんぼりとあちら向きになつて、頭の毛を乱してうつ向いたまゝ坐つてゐた。  それを見ると彼の怒りは又乱潮のやうに寄せ返した。 「あなたは子供の育て方を何んだと思つてるんだ」  気息がはずんで二の句がつげない。彼は芝居で腹を切つた俳優が科白の間にやるやうに、深い呼吸を暫くの間苦しさうについてゐた。 「あまやかしてゐればそれですむんぢやないんだ――」  彼は又気息をついた。彼はまだ何か云ふ積りであつたが総てが馬鹿らしいので、そのまゝ口をつぐんでしまつた。而して深い呼吸をせはしく続けてゐた。  外套掛けからは命を搾り出すやうな子供の詫びる声が聞こえてゐた。彼はもう一度妻を見て、妻が先つきからその声に気を取られてゐると云ふ事に気がついた。苦い敵愾心が又胸につきあげて来た――嫉妬と云ふ言葉ででも現はすべき敵愾心が―― 「それでなくてもパヽは怖いものなんだよ、……それ……に」  パヽだけが折檻をやつては、尚更怖がらせるばかりで、仕舞にはどう始末をしていゝか判らなくなる。男の児は七つ八つになれば、もう腕力では母から独立する。女でも手がける事の出来る間に、しつかり母の強さも感じさせて置かなければ駄目なんだ。それは前から度々云つてる事ではないか。それを一時の愛着に牽かされて姑息にして置く法はない。是れだけの事を云ふ積りであつたのだけれども、迚も云へないと気がついて黙つてしまつたのだ。妻は寒い中に端坐して身もふるはさずに子供の声に聞き入つてるらしかつた。 「もう寝ろ」  彼は暫くたつてからこんな乱暴な云ひやうで妻を強ひた。 「出してやらなくても宜しいでせうか」  彼の言葉には答へもせずに、妻は平べつたい調子で後ろを向いたまゝかう云つてゐる。その落着き払つたやうな、ちつとも情味の籠らないやうな、冷静な妻の態度が却つて怒りを募らして、彼は妻の眼の前で子供をつるし切りにして見せてやりたい程荒んだ気分になつた。憤怒の小魔が、体の内からともなく外からともなく、彼の眼をはだけ、歯を噛み合はさせ、喉をしめつけ、握つた手に油汗をにじみ出さした。彼は焔に包まれて、宙に浮いてゐるやうな、目まぐるしい心の軽さを覚えて、総ての羈絆を絶ち切つて、何処までも羽をのす事が出来るやうにも思つた。彼はその虚無的な気分に浸りたいが為めに、狂言をかいて憤怒の酒に酔ひしれようと勉めるらしくもあつた。  兎に角彼は心ゆく許り激情の弄ぶまゝに自分の心を弄ばした。生全体の細かい強い震動が、大奏楽の Finale の楽声のやうに、雄々しく狂ほしく互に打ち合つて、もう一歩で回復の出来ない破滅を招くかとも思はれるその境を、彼の心は痛ましくも泣き笑ひをしながら小躍りして駈けまはつてゐた。  然しさうかうする中に癇癪の潮はその頂上を通り越して、やゝ引潮になつて来た。どんな猛烈な事を頭に浮べて見ても、それには前ほどな充実した真実味が漂つてゐなくなつた。考へただけでも厭やな後悔の前兆が心の隅に頭を擡げ始めた。 「出したけりや出したら好いぢやないか」  この言葉を聞くと妻は釣り込まれて、立上らうとした様子であつたが、思ひ返したらしく又坐り直して始めて彼の方を振りかへりながら、 「でも貴方がお入れになつて私が出してやつたのでは、私がいゝ子にばかりなる訳ですから」  と答へた。それが彼には、彼を怖れて云つた言葉とはどうしても聞こえないで、単に復讐的な皮肉とのみ響いた。  何が起るか解らないやうな沈黙が暫くの間二人の間に続いた。  その間彼は自分の呼吸が段々静まつて行くのを、何んだか心淋しいやうな気持で注意した――インスピレーションが離れ去つて行くやうな――表面的な自己に還つて行くやうな――何物かの世界から何物でもない世界に這入つて行くやうな――  呼吸が静まるのと正比例して、子供の泣き声はひし〳〵と彼の胸に徹へだした。慈愛の懐から思ひも寄らぬ孤独の境界に投げ出された子供は、力の限り戸を敲いて、女中の名や、家にはゐない親しい人の名まで交る〴〵呼び立てながら、救ひを求めてゐた。その訴への声の中には、人の子の親の胸を劈くやうな何物かが潜んでゐた。妻は始めから今までぢつと我慢してこの声に鞭たれてゐたのかと甫めて気がついて見ると、彼には妻の仕打ちが如何にも正当な仕打ちに考へなされた。  それでも彼は動かなかつた。  火のつくやうに子供が地だんだ踏んで泣き叫ぶ間に、寝室では二人の間に又いまはしい沈黙が続いた。  彼はぢつとこらへられるだけこらへて見た。然しかうなると彼の我慢はみじめな程弱いものであつた。一分ごとに彼の胸には重さが十倍百倍千倍と加はつて行つて、五分も経たない中に彼はおめ〳〵と立ち上つた。而して子供を連れ出して来た。  彼は妻の前に子供をすゑて、 「さ、マヽに悪う御座いましたとあやまりなさい」  と云ひ渡した。日頃ならばかうなると頑固を云ひ張る質であるのに、この夜は余程懲りたと見えて、子供は泣きじやくりをしながら、なよ〳〵と頭を下げた。それを見ると突然彼の胸はぎゆつと引きしめられるやうになつた。  冷え切つた小さい寝床の中に子供を臥かして、彼は小声で半ば嚇かすやうに半ば教へるやうに、是れからは決して夜中などにやんちやを云ふものでないと云ひ聞かせた。子供は今までの恐怖になほおびえてゐるやうに、彼の云ふ事などは耳にも入れないで、上の空で彼の胸にすり寄つた。  後ろを振返つて見ると、妻は横になつて居た。人に泣き顔を見せるのを嫌ひ、又よし泣くのを見せても声などを決して立てた事のない妻が、床の中でどうしてゐるかは彼には略〻想像が出来た。子供は泣き疲れに疲れ切つて、時々夢でおびえながら程もなく眠りに落ちて了つた。  彼は石ころのやうにこちんとした体と心とになつて自分の床に帰つた。あたりは死に絶えたやうに静まり返つてしまつた。寝がへりを打つのさへ憚られるやうな静かさになつた。  彼はさうしたまゝでまんじりともせずに思ひふけつた。  ひそみ切つてはゐるが、妻が心の中で泣きながら口惜しがつてゐるのが彼にはつきりと感ぜられた。  かうして稍〻半時間も過ぎたと思ふ頃、かすかに妻の寝息が聞こえ始めた。妻の思ひとちぐはぐになつた彼の思ひはこれでとう〳〵全くの孤独に取り残された。  妻と子供とを持つた彼の生活も、たゞ一つの眠りが銘々をこんなにばら〳〵に引き離してしまふ。彼は何処からともなく押し逼つて来る氷のやうな淋しさの為めに存分にひしがれてゐた。水色の風呂敷で包んだ電球は部屋の中を陰欝に照らしてゐた。彼は妻の寝息を聞くのがたまらないで、そつちに背を向けて、丸つこく身をかがめて耳もとまで夜着を被つた。憤怒の苦い後味が頭の奥でいつまでも〳〵彼を虐げようとした。  後悔しない心、それが欲しいのだ。色々と思ひまはした末に茲まで来ると、彼はそこに生き甲斐のない自分を見出だした。敗亡の苦い淋しさが、彼を石の枕でもしてゐるやうに思はせた。彼の心は本当に石ころのやうに冷たく、冷えこむ冬の夜寒の中にこちんとしてゐた。 (大正三年四月)
底本:「現代文学大系22 有島武郎集」筑摩書房    1964(昭和39)年11月25日初版第1刷発行    1969(昭和44)年3月10日初版第10刷発行 初出:「白樺」    1914(大正3)年4月 入力:さくらいゆみこ 校正:浅原庸子 2004年2月19日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "004490", "作品名": "An Incident", "作品名読み": "アン インシデント", "ソート用読み": "あんいんしてんと", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「白樺」1914(大正3)年4月", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2004-03-08T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card4490.html", "人物ID": "000025", "姓": "有島", "名": "武郎", "姓読み": "ありしま", "名読み": "たけお", "姓読みソート用": "ありしま", "名読みソート用": "たけお", "姓ローマ字": "Arishima", "名ローマ字": "Takeo", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1878-03-04", "没年月日": "1923-06-09", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "現代文学大系 22 有島武郎集", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1964(昭和39)年11月25日", "入力に使用した版1": "1969(昭和44)年3月10日初版第10刷", "校正に使用した版1": " ", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "さくらいゆみこ", "校正者": "浅原庸子", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/4490_ruby_14536.zip", "テキストファイル最終更新日": "2004-02-19T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/4490_14852.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2004-02-19T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
一  私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた。ねじ曲がろうとする自分の心をひっぱたいて、できるだけ伸び伸びしたまっすぐな明るい世界に出て、そこに自分の芸術の宮殿を築き上げようともがいていた。それは私にとってどれほど喜ばしい事だったろう。と同時にどれほど苦しい事だったろう。私の心の奥底には確かに――すべての人の心の奥底にあるのと同様な――火が燃えてはいたけれども、その火を燻らそうとする塵芥の堆積はまたひどいものだった。かきのけてもかきのけても容易に火の燃え立って来ないような瞬間には私はみじめだった。私は、机の向こうに開かれた窓から、冬が来て雪にうずもれて行く一面の畑を見渡しながら、滞りがちな筆をしかりつけしかりつけ運ばそうとしていた。  寒い。原稿紙の手ざわりは氷のようだった。  陽はずんずん暮れて行くのだった。灰色からねずみ色に、ねずみ色から墨色にぼかされた大きな紙を目の前にかけて、上から下へと一気に視線を落として行く時に感ずるような速さで、昼の光は夜の闇に変わって行こうとしていた。午後になったと思うまもなく、どんどん暮れかかる北海道の冬を知らないものには、日がいち早く蝕まれるこの気味悪いさびしさは想像がつくまい。ニセコアンの丘陵の裂け目からまっしぐらにこの高原の畑地を目がけて吹きおろして来る風は、割合に粒の大きい軽やかな初冬の雪片をあおり立てあおり立て横ざまに舞い飛ばした。雪片は暮れ残った光の迷子のように、ちかちかした印象を見る人の目に与えながら、いたずら者らしくさんざん飛び回った元気にも似ず、降りたまった積雪の上に落ちるや否や、寒い薄紫の死を死んでしまう。ただ窓に来てあたる雪片だけがさらさらさらさらとささやかに音を立てるばかりで、他のすべてのやつらは残らず唖だ。快活らしい白い唖の群れの舞踏――それは見る人を涙ぐませる。  私はさびしさのあまり筆をとめて窓の外をながめてみた。そして君の事を思った。 二  私が君に始めて会ったのは、私がまだ札幌に住んでいるころだった。私の借りた家は札幌の町はずれを流れる豊平川という川の右岸にあった。その家は堤の下の一町歩ほどもある大きなりんご園の中に建ててあった。  そこにある日の午後君は尋ねて来たのだった。君は少しふきげんそうな、口の重い、癇で背たけが伸び切らないといったような少年だった。きたない中学校の制服の立て襟のホックをうるさそうにはずしたままにしていた、それが妙な事にはことにはっきりと私の記憶に残っている。  君は座につくとぶっきらぼうに自分のかいた絵を見てもらいたいと言い出した。君は片手ではかかえ切れないほど油絵や水彩画を持ちこんで来ていた。君は自分自身を平気で虐げる人のように、ふろしき包みの中から乱暴に幾枚かの絵を引き抜いて私の前に置いた。そしてじっと探るように私の顔を見つめた。明らさまに言うと、その時私は君をいやに高慢ちきな若者だと思った。そして君のほうには顔も向けないで、よんどころなくさし出された絵を取り上げて見た。  私は一目見て驚かずにはいられなかった。少しの修練も経てはいないし幼稚な技巧ではあったけれども、その中には不思議に力がこもっていてそれがすぐ私を襲ったからだ。私は画面から目を放してもう一度君を見直さないではいられなくなった。で、そうした。その時、君は不安らしいそのくせ意地っぱりな目つきをして、やはり私を見続けていた。 「どうでしょう。それなんかはくだらない出来だけれども」  そう君はいかにも自分の仕事を軽蔑するように言った。もう一度明らさまに言うが、私は一方で君の絵に喜ばしい驚きを感じながらも、いかにも思いあがったような君の物腰には一種の反感を覚えて、ちょっと皮肉でも言ってみたくなった。「くだらない出来がこれほどなら、会心の作というのはたいしたものでしょうね」とかなんとか。  しかし私は幸いにもとっさにそんな言葉で自分を穢すことをのがれたのだった。それは私の心が美しかったからではない。君の絵がなんといっても君自身に対する私の反感に打ち勝って私に迫っていたからだ。  君がその時持って来た絵の中で今でも私の心の底にまざまざと残っている一枚がある。それは八号の風景にかかれたもので、軽川あたりの泥炭地を写したと覚しい晩秋の風景画だった。荒涼と見渡す限りに連なった地平線の低い葦原を一面におおうた霙雲のすきまから午後の日がかすかに漏れて、それが、草の中からたった二本ひょろひょろと生い伸びた白樺の白い樹皮を力弱く照らしていた。単色を含んで来た筆の穂が不器用に画布にたたきつけられて、そのままけし飛んだような手荒な筆触で、自然の中には決して存在しないと言われる純白の色さえ他の色と練り合わされずに、そのままべとりとなすり付けてあったりしたが、それでもじっと見ていると、そこには作者の鋭敏な色感が存分にうかがわれた。そればかりか、その絵が与える全体の効果にもしっかりとまとまった気分が行き渡っていた。悒鬱――十六七の少年には哺めそうもない重い悒鬱を、見る者はすぐ感ずる事ができた。 「たいへんいいじゃありませんか」  絵に対して素直になった私の心は、私にこう言わさないではおかなかった。  それを聞くと君は心持ち顔を赤くした――と私は思った。すぐ次の瞬間に来ると、君はしかし私を疑うような、自分を冷笑うような冷ややかな表情をして、しばらくの間私と絵とを等分に見くらべていたが、ふいと庭のほうへ顔をそむけてしまった。それは人をばかにした仕打ちとも思えば思われない事はなかった。二人は気まずく黙りこくってしまった。私は所在なさに黙ったまま絵をながめつづけていた。 「そいつはどこん所が悪いんです」  突然また君の無愛想な声がした。私は今までの妙にちぐはぐになった気分から、ちょっと自分の意見をずばずばと言い出す気にはなれないでいた。しかし改めて君の顔を見ると、言わさないじゃおかないぞといったような真剣さが現われていた。少しでもまに合わせを言おうものなら軽蔑してやるぞといったような鋭さが見えた。よし、それじゃ存分に言ってやろうと私もとうとうほんとうに腰をすえてかかるようにされていた。  その時私が口に任せてどんな生意気を言ったかは幸いな事に今はおおかた忘れてしまっている。しかしとにかく悪口としては技巧が非常にあぶなっかしい事、自然の見方が不親切な事、モティヴが耽情的過ぎる事などをならべたに違いない。君は黙ったまままじまじと目を光らせながら、私の言う事を聞いていた。私が言いたい事だけをあけすけに言ってしまうと、君はしばらく黙りつづけていたが、やがて口のすみだけに始めて笑いらしいものを漏らした。それがまた普通の微笑とも皮肉な痙攣とも思いなされた。  それから二人はまた二十分ほど黙ったままで向かい合ってすわりつづけた。 「じゃまた持って来ますから見てください。今度はもっといいものをかいて来ます」  その沈黙のあとで、君が腰を浮かせながら言ったこれだけの言葉はまた僕を驚かせた。まるで別な、初な、素直な子供でもいったような無邪気な明るい声だったから。  不思議なものは人の心の働きだ。この声一つだった。この声一つが君と私とを堅く結びつけてしまったのだった。私は結局君をいろいろに邪推した事を悔いながらやさしく尋ねた。 「君は学校はどこです」 「東京です」 「東京? それじゃもう始まっているんじゃないか」 「ええ」 「なぜ帰らないんです」 「どうしても落第点しか取れない学科があるんでいやになったんです。‥‥それから少し都合もあって」 「君は絵をやる気なんですか」 「やれるでしょうか」  そう言った時、君はまた前と同様な強情らしい、人に迫るような顔つきになった。  私もそれに対してなんと答えようもなかった。専門家でもない私が、五六枚の絵を見ただけで、その少年の未来の運命全体をどうして大胆にも決定的に言い切る事ができよう。少年の思い入ったような態度を見るにつけ、私にはすべてが恐ろしかった。私は黙っていた。 「僕はそのうち郷里に――郷里は岩内です――帰ります。岩内のそばに硫黄を掘り出している所があるんです。その景色を僕は夢にまで見ます。その絵を作り上げて送りますから見てください。……絵が好きなんだけれども、下手だからだめです」  私の答えないのを見て、君は自分をたしなめるように堅いさびしい調子でこう言った。そして私の目の前に取り出した何枚かの作品をめちゃくちゃにふろしきに包みこんで帰って行ってしまった。  君を木戸の所まで送り出してから、私はひとりで手広いりんご畑の中を歩きまわった。りんごの枝は熟した果実でたわわになっていた。ある木などは葉がすっかり散り尽くして、赤々とした果実だけが真裸で累々と日にさらされていた。それは快く空の晴れ渡った小春びよりの一日だった。私の庭下駄に踏まれた落ち葉はかわいた音をたてて微塵に押しひしゃがれた。豊満のさびしさというようなものが空気の中にしんみりと漂っていた。ちょうどそのころは、私も生活のある一つの岐路に立って疑い迷っていた時だった。私は冬を目の前に控えた自然の前に幾度も知らず知らず棒立ちになって、君の事と自分の事とをまぜこぜに考えた。  とにかく君は妙に力強い印象を私に残して、私から姿を消してしまったのだ。  その後君からは一度か二度問い合わせか何かの手紙が来たきりでぱったり消息が途絶えてしまった。岩内から来たという人などに邂うと、私はよくその港にこういう名前の青年はいないか、その人を知らないかなぞと尋ねてみたが、さらに手がかりは得られなかった。硫黄採掘場の風景画もとうとう私の手もとには届いて来なかった。  こうして二年三年と月日がたった。そしてどうかした拍子に君の事を思い出すと、私は人生の旅路のさびしさを味わった。一度とにかく顔を合わせて、ある程度まで心を触れ合ったどうしが、いったん別れたが最後、同じこの地球の上に呼吸しながら、未来永劫またと邂逅わない……それはなんという不思議な、さびしい、恐ろしい事だ。人とは言うまい、犬とでも、花とでも、塵とでもだ。孤独に親しみやすいくせにどこか殉情的で人なつっこい私の心は、どうかした拍子に、このやむを得ない人間の運命をしみじみと感じて深い悒鬱に襲われる。君も多くの人の中で私にそんな心持ちを起こさせる一人だった。  しかも浅はかな私ら人間は猿と同様に物忘れする。四年五年という歳月は君の記憶を私の心からきれいにぬぐい取ってしまおうとしていたのだ。君はだんだん私の意識の閾を踏み越えて、潜在意識の奥底に隠れてしまおうとしていたのだ。  この短からぬ時間は私の身の上にも私相当の変化をひき起こしていた。私は足かけ八年住み慣れた札幌――ごく手短に言っても、そこで私の上にもいろいろな出来事がわき上がった。妻も迎えた。三人の子の父ともなった。長い間の信仰から離れて教会とも縁を切った。それまでやっていた仕事にだんだん失望を感じ始めた。新しい生活の芽が周囲の拒絶をも無みして、そろそろと芽ぐみかけていた。私の目の前の生活の道にはおぼろげながら気味悪い不幸の雲がおおいかかろうとしていた。私は始終私自身の力を信じていいのか疑わねばならぬかの二筋道に迷いぬいた――を去って、私には物足らない都会生活が始まった。そして、目にあまる不幸がつぎつぎに足もとからまくし上がるのを手をこまねいてじっとながめねばならなかった。心の中に起こったそんな危機の中で、私は捨て身になって、見も知らぬ新しい世界に乗り出す事を余儀なくされた。それは文学者としての生活だった。私は今度こそは全くひとりで歩かねばならぬと決心の臍を堅めた。またこの道に踏み込んだ以上は、できてもできなくても人類の意志と取り組む覚悟をしなければならなかった。私は始終自分の力量に疑いを感じ通しながら原稿紙に臨んだ。人々が寝入って後、草も木も寝入って後、ひとり目ざめてしんとした夜の寂寞の中に、万年筆のペン先が紙にきしり込む音だけを聞きながら、私は神がかりのように夢中になって筆を運ばしている事もあった。私の周囲には亡霊のような魂がひしめいて、紙の中に生まれ出ようと苦しみあせっているのをはっきりと感じた事もあった。そんな時気がついてみると、私の目は感激の涙に漂っていた。芸術におぼれたものでなくって、そういう時のエクスタシーをだれが味わい得よう。しかし私の心が痛ましく裂け乱れて、純一な気持ちがどこのすみにも見つけられない時のさびしさはまたなんと喩えようもない。その時私は全く一塊の物質に過ぎない。私にはなんにも残されない。私は自分の文学者である事を疑ってしまう。文学者が文学者である事を疑うほど、世に空虚なたよりないものがまたとあろうか。そういう時に彼は明らかに生命から見放されてしまっているのだ。こんな瞬間に限っていつでもきまったように私の念頭に浮かぶのは君のあの時の面影だった。自分を信じていいのか悪いのかを決しかねて、たくましい意志と冷刻な批評とが互いに衷に戦って、思わず知らずすべてのものに向かって敵意を含んだ君のあの面影だった。私は筆を捨てて椅子から立ち上がり、部屋の中を歩き回りながら、自分につぶやくように言った。 「あの少年はどうなったろう。道を踏み迷わないでいてくれ。自分を誇大して取り返しのつかない死出の旅をしないでいてくれ。もし彼に独自の道を切り開いて行く天稟がないのなら、どうか正直な勤勉な凡人として一生を終わってくれ。もうこの苦しみはおれ一人だけでたくさんだ」  ところが去年の十月――と言えば、川岸の家で偶然君というものを知ってからちょうど十年目だ――のある日雨のしょぼしょぼと降っている午後に一封の小包が私の手もとに届いた。女中がそれを持って来た時、私は干し魚が送られたと思ったほど部屋の中が生臭くなった。包みの油紙は雨水と泥とでひどくよごれていて、差出人の名前がようやくの事で読めるくらいだったが、そこにしるされた姓名を私はだれともはっきり思い出すことができなかった。ともかくもと思って私はナイフでがんじょうな渋びきの麻糸を切りほごしにかかった。油紙を一皮めくるとその中にまた麻糸で堅く結わえた油紙の包みがあった。それをほごすとまた油紙で包んであった。ちょっと腹の立つほど念の入った包み方で、百合の根をはがすように一枚一枚むいて行くと、ようやく幾枚もの新聞紙の中から、手あかでよごれ切った手製のスケッチ帳が三冊、きりきりと棒のように巻き上げられたのが出て来た。私は小気味悪い魚のにおいを始終気にしながらその手帳を広げて見た。  それはどれも鉛筆で描かれたスケッチ帳だった。そしてどれにも山と樹木ばかりが描かれてあった。私は一目見ると、それが明らかに北海道の風景である事を知った。のみならず、それは明らかにほんとうの芸術家のみが見うる、そして描きうる深刻な自然の肖像画だった。 「やっつけたな!」咄嗟に私は少年のままの君の面影を心いっぱいに描きながら下くちびるをかみしめた。そして思わずほほえんだ。白状するが、それがもし小説か戯曲であったら、その時の私の顔には微笑の代わりに苦い嫉妬の色が濃くみなぎっていたかもしれない。  その晩になって一封の手紙が君から届いて来た。やはり厚い画学紙にすり切れた筆で乱雑にこう走り書きがしてあった。 「北海道ハ秋モ晩クナリマシタ。野原ハ、毎日ノヨウニツメタイ風ガ吹イテイマス。 日ゴロ愛惜シタ樹木ヤ草花ナドガ、イツトハナク落葉シテシマッテイル。秋ハ人ノ心ニイイロナ事ヲ思ワセマス。 日ニヨリマストアタリノ山々ガ浮キアガッタカト思ワレルクライ空ガ美シイ時ガアリマス。シカシタイテイハ風トイッショニ雨ガバラバラヤッテ来テ道ヲ悪クシテイルノデス。 昨日スケッチ帳ヲ三冊送リマシタ。イツカあなたニ絵ヲ見テモライマシテカラ故郷デ貧乏漁夫デアル私ハ、毎日忙シイ仕事ト激シイ労働ニ追ワレテイルノデ、ツイコトシマデ絵ヲカイテミタカッタノデスガ、ツイカケナカッタノデス。 コトシノ七月カラ始メテ画用紙ヲトジテ画帖ヲ作リ、鉛筆デ(モノ)ニ向カッテミマシタ。シカシ労働ニ害サレタ手ハ思ウヨウニ自分ノ感力ヲ現ワス事ガデキナイデ困リマス。 コンナツマラナイ素描帳ヲ見テクダサイト言ウノハタイヘンツライノデス。シカシ私ハイツワラナイデ始メタ時カラノヲ全部送リマシタ。(中略) 私ノ町ノ知的素養ノイクブンナリトモアル青年デモ、自分トイウモノニツイテ思イヲメグラス人ハ少ナイヨウデス。青年ノ多クハ小サクサカシクオサマッテイルモノカ、ツマラナク時ヲ無為ニ送ッテイマス。デスガ私ハ私ノ故郷ダカラ好キデス。 イロイロナモノガ私ノ心ヲオドラセマス。私ノスケッチニ取ルベキトコロノアルモノガアルデショウカ。 私ハナントナクコンナツマラヌモノヲあなたニ見テモラウノガハズカシイノデス。 山ハ絵ノ具ヲドッシリ付ケテ、山ガ地上カラ空ヘモレアガッテイルヨウニカイテミタイモノダト思ッテイマス。私ノスケッチデハ私ノ感ジガドウモ出ナイデコマリマス。私ノ山ハ私ガ実際ニ感ジルヨリモアマリ平面ノヨウデス。樹木モドウモ物体感ニトボシク思ワレマス。 色ヲツケテミタラヨカロウト考エテイマスガ、時間ト金ガナイノデ、コンナモノデ腹イセヲシテイルノデス。 私ハイロイロナ構図デ頭ガイッパイニナッテイルノデスガ、ナニシロマダカクダケノ腕ガナイヨウデス。オ忙シイあなたニコンナ無遠リョヲカケテタイヘンスマナク思ッテイマス。イツカオヒマガアッタラ御教示ヲ願イマス。    十月末」  こう思ったままを書きなぐった手紙がどれほど私を動かしたか。君にはちょっと想像がつくまい。自分が文学者であるだけに、私は他人の書いた文字の中にも真実と虚偽とを直感するかなり鋭い能力が発達している。私は君の手紙を読んでいるうちに涙ぐんでしまった。魚臭い油紙と、立派な芸術品であるスケッチ帳と、君の文字との間には一分のすきもなかった。「感力」という君の造語は立派な内容を持つ言葉として私の胸に響いた。「山ハ絵ノ具ヲドッシリ付ケテ、山ガ地上カラ空ヘモレアガッテイルヨウニカイテミタイ」‥‥山が地上から空にもれあがる‥‥それはすばらしい自然への肉迫を表現した言葉だ。言葉の中にしみ渡ったこの力は、軽く対象を見て過ごす微温な心の、まねにも生み出し得ない調子を持った言葉だ。 「だれも気もつかず注意も払わない地球のすみっこで、尊い一つの魂が母胎を破り出ようとして苦しんでいる」  私はそう思ったのだ。そう思うとこの地球というものが急により美しいものに感じられたのだ。そう感ずるとなんとなく涙ぐんでしまったのだ。  そのころ私は北海道行きを計画していたが、雑用に紛れて躊躇するうちに寒くなりかけたので、もういっそやめようかと思っていたところだった。しかし君のスケッチ帳と手紙とを見ると、ぜひ君に会ってみたくなって、一徹にすぐ旅行の準備にかかった。その日から一週間とたたない十一月の五日には、もう上野駅から青森への直行列車に乗っている私自身を見いだした。  札幌での用事を済まして農場に行く前に、私は岩内にあてて君に手紙を出しておいた。農場からはそう遠くもないから、来られるなら来ないか、なるべくならお目にかかりたいからと言って。  農場に着いた日には君は見えなかった。その翌日は朝から雪が降りだした。私は窓の所へ机を持って行って、原稿紙に向かって呻吟しながら心待ちに君を待つのだった。そして渋りがちな筆を休ませる間に、今まで書き連ねて来たような過去の回想やら当面の期待やらをつぎつぎに脳裏に浮かばしていたのだった。 三  夕やみはだんだん深まって行った。事務所をあずかる男が、ランプを持って来たついでに、夜食の膳を運ぼうかと尋ねたが、私はひょっとすると君が来はしないかという心づかいから、わざとそのままにしておいてもらって、またかじりつくように原稿紙に向かった。大きな男の姿が部屋からのっそりと消えて行くのを、視覚のはずれに感じて、都会から久しぶりで来て見ると、物でも人でも大きくゆったりしているのに今さらながら一種の圧迫をさえ感ずるのだった。  渋りがちな筆がいくらもはかどらないうちに、夕やみはどんどん夜の暗さに代わって、窓ガラスのむこうは雪と闇とのぼんやりした明暗になってしまった。自然は何かに気を障えだしたように、夜とともに荒れ始めていた。底力のこもった鈍い空気が、音もなく重苦しく家の外壁に肩をあてがってうんともたれかかるのが、畳の上にすわっていてもなんとなく感じられた。自然が粉雪をあおりたてて、所きらわずたたきつけながら、のたうち回ってうめき叫ぶその物すごい気配はもう迫っていた。私は窓ガラスに白もめんのカーテンを引いた。自然の暴威をせき止めるために人間が苦心して創り上げたこのみじめな家屋という領土がもろく小さく私の周囲にながめやられた。  突然、ど、ど、ど‥‥という音が――運動が(そういう場合、音と運動との区別はない)天地に起こった。さあ始まったと私は二つに折った背中を思わず立て直した。同時に自然は上歯を下くちびるにあてがって思いきり長く息を吹いた。家がぐらぐらと揺れた。地面からおどり上がった雪が二三度はずみを取っておいて、どっと一気に天に向かって、謀反でもするように、降りかかって行くあの悲壮な光景が、まざまざと部屋の中にすくんでいる私の想像に浮かべられた。だめだ。待ったところがもう君は来やしない。停車場からの雪道はもうとうに埋まってしまったに違いないから。私は吹雪の底にひたりながら、物さびしくそう思って、また机の上に目を落とした。  筆はますます渋るばかりだった。軽い陣痛のようなものは時々起こりはしたが、大切な文字は生まれ出てくれなかった。こうして私にとって情けないもどかしい時間が三十分も過ぎたころだったろう。農場の男がまたのそりと部屋にはいって来て客来を知らせたのは。私の喜びを君は想像する事ができる。やはり来てくれたのだ。私はすぐに立って事務室のほうへかけつけた。事務室の障子をあけて、二畳敷きほどもある大囲炉裏の切られた台所に出て見ると、そこの土間に、一人の男がまだ靴も脱がずに突っ立っていた。農場の男も、その男にふさわしく肥って大きな内儀さんも、普通な背たけにしか見えないほどその客という男は大きかった。言葉どおりの巨人だ。頭からすっぽりと頭巾のついた黒っぽい外套を着て、雪まみれになって、口から白い息をむらむらと吐き出すその姿は、実際人間という感じを起こさせないほどだった。子供までがおびえた目つきをして内儀さんのひざの上に丸まりながら、その男をうろんらしく見詰めていた。  君ではなかったなと思うと僕は期待に裏切られた失望のために、いらいらしかけていた神経のもどかしい感じがさらにつのるのを覚えた。 「さ、ま、ずっとこっちにお上がりなすって」  農場の男は僕の客だというのでできるだけ丁寧にこういって、囲炉裏のそばの煎餅蒲団を裏返した。  その男はちょっと頭で挨拶して囲炉裏の座にはいって来たが、天井の高いだだっ広い台所にともされた五分心のランプと、ちょろちょろと燃える木節の囲炉裏火とは、黒い大きな塊的とよりこの男を照らさなかった。男がぐっしょり湿った兵隊の古長靴を脱ぐのを待って、私は黙ったまま案内に立った。今はもう、この男によって、むだな時間がつぶされないように、いやな気分にさせられないようにと心ひそかに願いながら。  部屋にはいって二人が座についてから、私は始めてほんとうにその男を見た。男はぶきっちょうに、それでも四角に下座にすわって、丁寧に頭を下げた。 「しばらく」  八畳の座敷に余るような鏽を帯びた太い声がした。 「あなたはどなたですか」  大きな男はちょっときまりが悪そうに汗でしとどになったまっかな額をなでた。 「木本です」 「え、木本君⁉」  これが君なのか。私は驚きながら改めてその男をしげしげと見直さなければならなかった。疳のために背たけも伸び切らない、どこか病質にさえ見えた悒鬱な少年時代の君の面影はどこにあるのだろう。また落葉松の幹の表皮からあすこここにのぞき出している針葉の一本をも見のがさずに、愛撫し理解しようとする、スケッチ帳で想像されるような鋭敏な神経の所有者らしい姿はどこにあるのだろう。地をつぶしてさしこをした厚衣を二枚重ね着して、どっしりと落ち付いた君のすわり形は、私より五寸も高く見えた。筋肉で盛り上がった肩の上に、正しくはめ込まれた、牡牛のように太い首に、やや長めな赤銅色の君の顔は、健康そのもののようにしっかりと乗っていた。筋肉質な君の顔は、どこからどこまで引き締まっていたが、輪郭の正しい目鼻立ちの隈々には、心の中からわいて出る寛大な微笑の影が、自然に漂っていて、脂肪気のない君の容貌をも暖かく見せていた。「なんという無類な完全な若者だろう。」私は心の中でこう感嘆した。恋人を紹介する男は、深い猜疑の目で恋人の心を見守らずにはいられまい。君の与えるすばらしい男らしい印象はそんな事まで私に思わせた。 「吹雪いてひどかったろう」 「なんの。……温くって温くって汗がはあえらく出ました。けんど道がわかんねえで困ってると、しあわせよく水車番に会ったからすぐ知れました。あれは親身な人だっけ」  君の素直な心はすぐ人の心に触れると見える。あの水車番というのは実際このへんで珍しく心持ちのいい男だ。君は手ぬぐいを腰から抜いて湯げが立たんばかりに汗になった顔を幾度も押しぬぐった。  夜食の膳が運ばれた。「もう我慢がなんねえ」と言って、君は今まで堅くしていたひざをくずしてあぐらをかいた。「きちょうめんにすわることなんぞははあねえもんだから。」二人は子供どうしのような楽しい心で膳に向かった。君の大食は愉快に私を驚かした。食後の茶を飯茶わんに三杯続けさまに飲む人を私は始めて見た。  夜食をすましてから、夜中まで二人の間に取りかわされた楽しい会話を私は今だに同じ楽しさをもって思い出す。戸外ではここを先途とあらしが荒れまくっていた。部屋の中ではストーブの向かい座にあぐらをかいて、癖のように時おり五分刈りの濃い頭の毛を逆さになで上げる男ぼれのする君の顔が部屋を明るくしていた。君はがんじょうな文鎮になって小さな部屋を吹雪から守るように見えた。温まるにつれて、君の周囲から蒸れ立つ生臭い魚の香は強く部屋じゅうにこもったけれども、それは荒い大海を生々しく連想させるだけで、なんの不愉快な感じも起こさせなかった。人の感覚というものも気ままなものだ。  楽しい会話と言った。しかしそれはおもしろいという意味ではもちろんない。なぜなれば君はしばしば不器用な言葉の尻を消して、曇った顔をしなければならなかったから。そして私も苦しい立場や、自分自身の迷いがちな生活を痛感して、暗い心に捕えられねばならなかったから。  その晩君が私に話して聞かしてくれた君のあれからの生活の輪郭を私はここにざっと書き連ねずにはおけない。  札幌で君が私を訪れてくれた時、君には東京に遊学すべき道が絶たれていたのだった。一時北海道の西海岸で、小樽をすら凌駕してにぎやかになりそうな気勢を見せた岩内港は、さしたる理由もなく、少しも発展しないばかりか、だんだんさびれて行くばかりだったので、それにつれて君の一家にも生活の苦しさが加えられて来た。君の父上と兄上と妹とが気をそろえて水入らずにせっせと働くにも係わらず、そろそろと泥沼の中にめいり込むような家運の衰勢をどうする事もできなかった。学問というものに興味がなく、従って成績のおもしろくなかった君が、芸術に捧誓したい熱意をいだきながら、そのさびしくなりまさる古い港に帰る心持ちになったのはそのためだった。そういう事を考え合わすと、あの時君がなんとなく暗い顔つきをして、いらいらしく見えたのがはっきりわかるようだ。君は故郷に帰っても、仕事の暇々には、心あてにしている景色でもかく事を、せめてもの頼みにして札幌を立ち去って行ったのだろう。  しかし君の家庭が君に待ち設けていたものは、そんな余裕の有る生活ではなかった。年のいった父上と、どっちかと言えば漁夫としての健康は持ち合わせていない兄上とが、普通の漁夫と少しも変わりのない服装で網をすきながら君の帰りを迎えた時、大きい漁場の持ち主という風が家の中から根こそぎ無くなっているのをまのあたりに見やった時、君はそれまでの考えののんき過ぎたのに気がついたに違いない。充分の思慮もせずにこんな生活の渦巻の中に我れから飛び込んだのを、君の芸術的欲求はどこかで悔やんでいた。その晩、磯臭い空気のこもった部屋の中で、枕につきながら、陥穽にかかった獣のようないらだたしさを感じて、まぶたを合わす事ができなかったと君は私に告白した。そうだったろう。その晩一晩だけの君の心持ちをくわしく考えただけで、私は一つの力強い小品を作り上げる事ができると思う。  しかし親思いで素直な心を持って生まれた君は、君を迎え入れようとする生活からのがれ出る事をしなかったのだ。詰め襟のホックをかけずに着慣れた学校服を脱ぎ捨てて、君は厚衣を羽織る身になった。明鯛から鱈、鱈から鰊、鰊から烏賊というように、四季絶える事のない忙しい漁撈の仕事にたずさわりながら、君は一年じゅうかの北海の荒波や激しい気候と戦って、さびしい漁夫の生活に没頭しなければならなかった。しかも港内に築かれた防波堤が、技師の飛んでもない計算違いから、波を防ぐ代わりに、砂をどんどん港内に流し入れるはめになってから、船がかりのよかった海岸は見る見る浅瀬に変わって、出漁には都合のいい目ぬきの位置にあった君の漁場はすたれ物同様になってしまい、やむなく高い駄賃を出して他人の漁場を使わなければならなくなったのと、北海道第一と言われた鰊の群来が年々減って行くために、さらぬだに生活の圧迫を感じて来ていた君の家は、親子が気心をそろえ力を合わして、命がけに働いても年々貧窮に追い迫られ勝ちになって行った。  親身な、やさしい、そして男らしい心に生まれた君は、黙ってこのありさまを見て過ごす事はできなくなった。君は君に近いものの生活のために、正しい汗を額に流すのを悔いたり恥じたりしてはいられなくなった。そして君はまっしぐらに労働生活のまっただ中に乗り出した。寒暑と波濤と力わざと荒くれ男らとの交わりは君の筋骨と度胸とを鉄のように鍛え上げた。君はすくすくと大木のようにたくましくなった。 「岩内にも漁夫は多いども腕力にかけておらにかなうものは一人だっていねえ」  君はあたりまえの事を言って聞かせるようにこう言った。私の前にすわった君の姿は私にそれを信ぜしめる。  パンのために生活のどん底まで沈み切った十年の月日――それは短いものではない。たいていの人はおそらくその年月の間にそういう生活からはね返る力を失ってしまうだろう。世の中を見渡すと、何百万、何千万の人々が、こんな生活にその天授の特異な力を踏みしだかれて、むなしく墳墓の草となってしまったろう。それは全く悲しい事だ。そして不条理な事だ。しかしだれがこの不条理な世相に非難の石をなげうつ事ができるだろう。これは悲しくも私たちの一人一人が肩の上に背負わなければならない不条理だ。特異な力を埋め尽くしてまでも、当面の生活に没頭しなければならない人々に対して、私たちは尊敬に近い同情をすらささげねばならぬ悲しい人生の事実だ。あるがままの実相だ。  パンのために精力のあらん限りを用い尽くさねばならぬ十年――それは短いものではない。それにもかかわらず、君は性格の中に植え込まれた憧憬を一刻も捨てなかったのだ。捨てる事ができなかったのだ。  雨のためとか、風のためとか、一日も安閑としてはいられない漁夫の生活にも、なす事なく日を過ごさねばならぬ幾日かが、一年の間にはたまに来る。そういう時に、君は一冊のスケッチ帳(小学校用の粗雑な画学紙を不器用に網糸でつづったそれ)と一本の鉛筆とを、魚の鱗や肉片がこびりついたまま、ごわごわにかわいた仕事着のふところにねじ込んで、ぶらりと朝から家を出るのだ。 「会う人はおら事気違いだというんです。けんどおら山をじっとこう見ていると、何もかも忘れてしまうです。だれだったか何かの雑誌で『愛は奪う』というものを書いて、人間が物を愛するのはその物を強奪るだと言っていたようだが、おら山を見ていると、そんな気は起こしたくも起こらないね。山がしっくりおら事引きずり込んでしまって、おらただあきれて見ているだけです。その心持ちがかいてみたくって、あんな下手なものをやってみるが、からだめです。あんな山の心持ちをかいた絵があらば、見るだけでも見たいもんだが、ありませんね。天気のいい気持ちのいい日にうんと力こぶを入れてやってみたらと思うけんど、暮らしも忙しいし、やってもおらにはやっぱり手に余るだろう。色もつけてみたいが、絵の具は国に引っ込む時、絵の好きな友だちにくれてしまったから、おらのような絵にはまた買うのも惜しいし。海を見れば海でいいが、山を見れば山でいい。もったいないくらいそこいらにすばらしいいいものがあるんだが、力が足んねえです」  と言ったりする君の言葉も様子も私には忘れる事のできないものになった。その時はあぐらにした両脛を手でつぶれそうに堅く握って、胸に余る興奮を静かな太い声でおとなしく言い現わそうとしていた。  私どもが一時過ぎまで語り合って寝床にはいって後も、吹きまく吹雪は露ほども力をゆるめなかった。君は君で、私は私で、妙に寝つかれない一夜だった。踏まれても踏まれても、自然が与えた美妙な優しい心を失わない、失い得ない君の事を思った。仁王のようなたくましい君の肉体に、少女のように敏感な魂を見いだすのは、この上なく美しい事に私には思えた。君一人が人生の生活というものを明るくしているようにさえ思えた。そして私はだんだん私の仕事の事を考えた。どんなにもがいてみてもまだまだほんとうに自分の所有を見いだす事ができないで、ややもするとこじれた反抗や敵愾心から一時的な満足を求めたり、生活をゆがんで見る事に興味を得ようとしたりする心の貧しさ――それが私を無念がらせた。そしてその夜は、君のいかにも自然な大きな生長と、その生長に対して君が持つ無意識な謙譲と執着とが私の心に強い感激を起こさせた。  次の日の朝、こうしてはいられないと言って、君はあらしの中に帰りじたくをした。農場の男たちすらもう少し空模様を見てからにしろとしいて止めるのも聞かず、君は素足にかちんかちんに凍った兵隊長靴をはいて、黒い外套をしっかり着こんで土間に立った。北国の冬の日暮らしにはことさら客がなつかしまれるものだ。なごりを心から惜しんでだろう、農場の人たちも親身にかれこれと君をいたわった。すっかり頭巾をかぶって、十二分に身じたくをしてから出かけたらいいだろうとみんなが寄って勧めたけれども、君は素朴なはばかりから帽子もかぶらずに、重々しい口調で別れの挨拶をすますと、ガラス戸を引きあけて戸外に出た。  私はガラス窓をこずいて外面に降り積んだ雪を落としながら、吹きたまったまっ白な雪の中をこいで行く君を見送った。君の黒い姿は――やはり頭巾をかぶらないままで、頭をむき出しにして雪になぶらせた――君の黒い姿は、白い地面に腰まで埋まって、あるいは濃く、あるいは薄く、縞になって横降りに降りしきる雪の中を、ただ一人だんだん遠ざかって、とうとうかすんで見えなくなってしまった。  そして君に取り残された事務所は、君の来る前のような単調なさびしさと降りつむ雪とに閉じこめられてしまった。  私がそこを発って東京に帰ったのは、それから三四日後の事だった。 四  今は東京の冬も過ぎて、梅が咲き椿が咲くようになった。太陽の生み出す慈愛の光を、地面は胸を張り広げて吸い込んでいる。君の住む岩内の港の水は、まだ流れこむ雪解の水に薄濁るほどにもなってはいまい。鋼鉄を水で溶かしたような海面が、ややもすると角立った波をあげて、岸を目がけて終日攻めよせているだろう。それにしてももう老いさらぼえた雪道を器用に拾いながら、金魚売りが天秤棒をになって、無理にも春をよび覚ますような売り声を立てる季節にはなったろう。浜には津軽や秋田へんから集まって来た旅雁のような漁夫たちが、鰊の建網の修繕をしたり、大釜の据え付けをしたりして、黒ずんだ自然の中に、毛布の甲がけや外套のけばけばしい赤色をまき散らす季節にはなったろう。このころ私はまた妙に君を思い出す。君の張り切った生活のありさまを頭に描く。君はまざまざと私の想像の視野に現われ出て来て、見るように君の生活とその周囲とを私に見せてくれる。芸術家にとっては夢と現との閾はないと言っていい。彼は現実を見ながら眠っている事がある。夢を見ながら目を見開いている事がある。私が私の想像にまかせて、ここに君の姿を写し出してみる事を君は拒むだろうか。私の鈍い頭にも同感というものの力がどのくらい働きうるかを私は自分でためしてみたいのだ。君の寛大はそれを許してくれる事と私はきめてかかろう。  君を思い出すにつけて、私の頭にすぐ浮かび出て来るのは、なんと言ってもさびしく物すさまじい北海道の冬の光景だ。 五  長い冬の夜はまだ明けない。雷電峠と反対の湾の一角から長く突き出た造りぞこねの防波堤は大蛇の亡骸のようなまっ黒い姿を遠く海の面に横たえて、夜目にも白く見える波濤の牙が、小休みもなくその胴腹に噛いかかっている。砂浜に繁われた百艘近い大和船は、舳を沖のほうへ向けて、互いにしがみつきながら、長い帆柱を左右前後に振り立てている。そのそばに、さまざまの漁具と弁当のお櫃とを持って集まって来た漁夫たちは、言葉少なに物を言いかわしながら、防波堤の上に建てられた組合の天気予報の信号灯を見やっている。暗い闇の中に、白と赤との二つの火が、夜鳥の目のようにぎらりと光っている。赤と白との二つの球は、危険警戒を標示する信号だ。船を出すには一番鳥が鳴きわたる時刻まで待ってからにしなければならぬ。町のほうは寝しずまって灯一つ見えない。それらのすべてをおおいくるめて凍った雲は幕のように空低くかかっている。音を立てないばかりに雲は山のほうから沖のほうへと絶え間なく走り続ける。汀まで雪に埋まった海岸には、見渡せる限り、白波がざぶんざぶん砕けて、風が――空気そのものをかっさらってしまいそうな激しい寒い風が雪に閉ざされた山を吹き、漁夫を吹き、海を吹きまくって、まっしぐらに水と空との閉じ目をめがけて突きぬけて行く。  漁夫たちの群れから少し離れて、一団になったお内儀さんたちの背中から赤子の激しい泣き声が起こる。しばらくしてそれがしずまると、風の生み出す音の高い不思議な沈黙がまた天と地とにみなぎり満ちる。  やや二時間もたったと思うころ、あや目も知れない闇の中から、硫黄が丘の山頂――右肩をそびやかして、左をなで肩にした――が雲の産んだ鬼子のように、空中に現われ出る。鈍い土がまだ振り向きもしないうちに、空はいち早くも暁の光を吸い初めたのだ。  模範船(港内に四五艘あるのだが、船も大きいし、それに老練な漁夫が乗り込んでいて、他の船にかけ引き進退の合図をする)の船頭が頭をあつめて相談をし始める。どことも知れず、あの昼にはけうとい羽色を持った烏の声が勇ましく聞こえだす。漁夫たちの群れもお内儀さんたちのかたまりも、石のような不動の沈黙から急に生き返って来る。 「出すべ」  そのさざめきの間に、潮で鏽び切った老船頭の幅の広い塩辛声が高くこう響く。  漁夫たちは力強い鈍さをもって、互いに今まで立ち尽くしていた所を歩み離れてめいめいの持ち場につく。お内儀さんたちは右に左に夫や兄や情人やを介抱して駆け歩く。今まで陶酔したようにたわいもなく波に揺られていた船の艫には漁夫たちが膝頭まで水に浸って、わめき始める。ののしり騒ぐ声がひとしきり聞こえたと思うと、船はよんどころなさそうに、右に左に揺らぎながら、船首を高くもたげて波頭を切り開き切り開き、狂いあばれる波打ちぎわから離れて行く。最後の高いののしりの声とともに、今までの鈍さに似ず、あらゆる漁夫は、猿のように船の上に飛び乗っている。ややともすると、舳を岸に向けようとする船の中からは、長い竿が水の中に幾本も突き込まれる。船はやむを得ずまた立ち直って沖を目ざす。  この出船の時の人々の気組み働きは、だれにでも激烈なアレッグロで終わる音楽の一片を思い起こさすだろう。がやがやと騒ぐ聴衆のような雲や波の擾乱の中から、漁夫たちの鈍い Largo pianissimo とも言うべき運動が起こって、それが始めのうちは周囲の騒音の中に消されているけれども、だんだんとその運動は熱情的となり力づいて行って、霊を得たように、漁夫の乗り込んだ舟が波を切り波を切り、だんだんと早くなる一定のテンポを取って沖に乗り出して行くさまは、力強い楽手の手で思い存分大胆にかなでられる Allegro Molto を思い出させずにはおかぬだろう。すべてのものの緊張したそこには、いつでも音楽が生まれるものと見える。  船はもう一個の敏活な生き物だ。船べりからは百足虫のように艪の足を出し、艫からは鯨のように舵の尾を出して、あの物悲しい北国特有な漁夫のかけ声に励まされながら、まっ暗に襲いかかる波のしぶきをしのぎ分けて、沖へ沖へと岸を遠ざかって行く。海岸にひとかたまりになって船を見送る女たちの群れはもう命のない黒い石ころのようにしか見えない。漁夫たちは艪をこぎながら、帆綱を整えながら、浸水をくみ出しながら、その黒い石ころと、模範船の艫から一字を引いて怪火のように流れる炭火の火の子とをながめやる。長い鉄の火箸に火の起こった炭をはさんで高くあげると、それが風を食って盛んに火の子を飛ばすのだ。すべての船は始終それを目あてにして進退をしなければならない。炭火が一つあげられた時には、天候の悪くなる印と見て船を停め、二つあげられた時には安全になった印として再び進まねばならぬのだ。暁闇を、物々しく立ち騒ぐ風と波との中に、海面低く火花を散らしながら青い炎を放って、燃え上がり燃えかすれるその光は、幾百人の漁夫たちの命を勝手に支配する運命の手だ。その光が運命の物すごさをもって海上に長く尾を引きながら消えて行く。  どこからともなく海鳥の群れが、白く長い翼に羽音を立てて風を切りながら、船の上に現われて来る。猫のような声で小さく呼びかわすこの海の砂漠の漂浪者は、さっと落として来て波に腹をなでさすかと思うと、翼を返して高く舞い上がり、ややしばらく風に逆らってじっとこたえてから、思い直したように打ち連れて、小気味よく風に流されて行く。その白い羽根がある瞬間には明るく、ある瞬間には暗く見えだすと、長い北国の夜もようやく明け離れて行こうとするのだ。夜の闇は暗く濃く沖のほうに追いつめられて、東の空には黎明の新しい光が雲を破り始める。物すさまじい朝焼けだ。あやまって海に落ち込んだ悪魔が、肉付きのいい右の肩だけを波の上に現わしている、その肩のような雷電峠の絶巓をなでたりたたいたりして叢立ち急ぐ嵐雲は、炉に投げ入れられた紫のような光に燃えて、山ふところの雪までも透明な藤色に染めてしまう。それにしても明け方のこの暖かい光の色に比べて、なんという寒い空の風だ。長い夜のために冷え切った地球は、今そのいちばん冷たい呼吸を呼吸しているのだ。  私は君を忘れてはならない。もう港を出離れて木の葉のように小さくなった船の中で、君は配縄の用意をしながら、恐ろしいまでに荘厳なこの日の序幕をながめているのだ。君の父上は舵座にあぐらをかいて、時々晴雨計を見やりながら、変化のはげしいそのころの天気模様を考えている。海の中から生まれて来たような老漁夫の、皺にたたまれた鋭い眼は、雲一片の徴をさえ見落とすまいと注意しながら、顔には木彫のような深い落ち付きを見せている。君の兄上は、凍って自由にならない手のひらを腰のあたりの荒布にこすりつけて熱を呼び起こしながら、帆綱を握って、風の向きと早さに応じて帆を立て直している。雇われた二人の漁夫は二人の漁夫で、二尋置きに本縄から下がった針に餌をつけるのに忙しい。海の上を見渡すと、港を出てからてんでんばらばらに散らばって、朝の光に白い帆をかがやかした船という船は、等しく沖を目がけて波を切り開いて走りながら、君の船と同様な仕事にいそしんでいるのだ。  夜が明け離れると海風と陸風との変わり目が来て、さすがに荒れがちな北国の冬の海の上もしばらくは穏やかになる。やがて瀬は達せられる。君らは水の色を一目見たばかりで、海中に突き入った陸地と海そのものの界とも言うべき瀬がどう走っているかをすぐ見て取る事ができる。  帆がおろされる。勢いで走りつづける船足は、舵のために右なり左なりに向け直される。同時に浮標の付いた配縄の一端が氷のような波の中にざぶんざぶんと投げこまれる。二十五町から三十町に余る長さをもった縄全体が、海上に長々と横たえられるまでには、朝早くから始めても、日が子午線近く来るまでかからねばならないのだ。君らの船は艪にあやつられて、横波を食いながらしぶしぶ進んで行く。ざぶり‥‥ざぶり‥‥寒気のために比重の高くなった海の水は、凍りかかった油のような重さで、物すごいインド藍の底のほうに、雲間を漏れる日光で鈍く光る配縄の餌をのみ込んで行く。  今まで花のような模様を描いて、海面のところどころに日光を恵んでいた空が、急にさっと薄曇ると、どこからともなく時雨のような霰が降って来て海面を泡立たす。船と船とは、見る見る薄い糊のような青白い膜に隔てられる。君の周囲には小さな白い粒がかわき切った音を立てて、あわただしく船板を打つ。君は小ざかしい邪魔者から毛糸の襟巻で包んだ顔をそむけながら、配縄を丹念におろし続ける。  すっと空が明るくなる。霰はどこかへ行ってしまった。そしてまっさおな海面に、漁船は陰になりひなたになり、堅い輪郭を描いて、波にもまれながらさびしく漂っている。  きげん買いな天気は、一日のうちに幾度となくこうした顔のしかめ方をする。そして日が西に回るに従ってこのふきげんは募って行くばかりだ。  寒暑をかまっていられない漁夫たちも吹きざらしの寒さにはひるまずにはいられない。配縄を投げ終わると、身ぶるいしながら五人の男は、舵座におこされた焜炉の火のまわりに慕い寄って、大きなお櫃から握り飯をわしづかみにつかみ出して食いむさぼる。港を出る時には一かたまりになっていた友船も、今は木の葉のように小さく互い互いからかけ隔たって、心細い弱々しそうな姿を、涯もなく露領に続く海原のここかしこに漂わせている。三里の余も離れた陸地は高い山々の半腹から上だけを水の上に見せて、降り積んだ雪が、日を受けた所は銀のように、雲の陰になった所は鉛のように、妙に険しい輪郭を描いている。  漁夫たちは口を食物で頬張らせながら、きのうの漁のありさまや、きょうの予想やらをいかにも地味な口調で語り合っている。そういう時に君だけは自分が彼らの間に不思議な異邦人である事に気づく。同じ艪をあやつり、同じ帆綱をあつかいながら、なんという悲しい心の距りだろう。押しつぶしてしまおうと幾度試みても、すぐあとからまくしかかって来る芸術に対する執着をどうすることもできなかった。  とはいえ、飛行機の将校にすらなろうという人の少ない世の中に、生きては人の冒険心をそそっていかにも雄々しい頼みがいある男と見え、死んでは万人にその英雄的な最後を惜しみ仰がれ、遺族まで生活の保障を与えられる飛行将校にすらなろうという人の少ない世の中に、荒れても晴れても毎日毎日、一命を投げてかかって、緊張し切った終日の労働に、玉の緒で炊き上げたような飯を食って一生を過ごして行かねばならぬ漁夫の生活、それにはいささかも遊戯的な余裕がないだけに、命とかけがえの真実な仕事であるだけに、言葉には現わし得ないほど尊さと厳粛さとを持っている。ましてや彼らがこの目ざましいけなげな生活を、やむを得ぬ、苦しい、しかし当然な正しい生活として、誇りもなく、矯飾もなく、不平もなく、素直に受け取り、軛にかかった輓牛のような柔順な忍耐と覚悟とをもって、勇ましく迎え入れている、その姿を見ると、君は人間の運命のはかなさと美しさとに同時に胸をしめ上げられる。  こんな事を思うにつけて、君の心の目にはまざまざと難破船の痛ましい光景が浮かび出る。君はやはり舵座にすわって他の漁夫と同様に握り飯を食ってはいるが、いつのまにか人々の会話からは遠のいて、物思わしげに黙りこくってしまう。そして果てしもなく回想の迷路をたどって歩く。 六  それはある年の三月に、君が遭遇した苦い経験の一つだ。模範船からすぐ引き上げろという信号がかかったので、今までも気づかいながら仕事を続けていた漁船は、打ち込み打ち込む波濤と戦いながら配縄をたくし上げにかかったけれども、吹き始めた暴風は一秒ごとに募るばかりで、船頭はやむなく配縄を切って捨てさせなければならなくなった。 「またはあ銭こ海さ捨てるだ」 と君の父上は心から嘆息してつぶやきながら君に命じて配縄を切ってしまった。  海の上はただ狂い暴れる風と雪と波ばかりだ。縦横に吹きまく風が、思いのままに海をひっぱたくので、つるし上げられるように高まった三角波が互いに競って取っ組み合うと、取っ組み合っただけの波はたちまちまっ白な泡の山に変じて、その巓が風にちぎられながら、すさまじい勢いで目あてもなく倒れかかる。目も向けられないような濃い雪の群れは、波を追ったり波からのがれたり、さながら風の怒りをいどむ小悪魔のように、面憎く舞いながら右往左往に飛びはねる。吹き落として来た雪のちぎれは、大きな霧のかたまりになって、海とすれすれに波の上を矢よりも早く飛び過ぎて行く。  雪と浸水とで糊よりもすべる船板の上を君ははうようにして舳のほうへにじり寄り、左の手に友綱の鉄環をしっかりと握って腰を据えながら、右手に磁石をかまえて、大声で船の進路を後ろに伝える。二人の漁夫は大竿を風上になった舷から二本突き出して、動かないように結びつける。船の顛覆を少しなりとも防ごうためだ。君の兄上は帆綱を握って、舵座にいる父上の合図どおりに帆の上げ下げを誤るまいと一心になっている。そしてその間にもしっきりなしに打ち込む浸水を急がしく汲んでは舷から捨てている。命がけに呼びかわす互い互いの声は妙に上ずって、風に半分がた消されながら、それでも五人の耳には物すごくも心強くも響いて来る。 「おも舵っ」 「右にかわすだってえば」 「右だ‥‥右だぞっ」 「帆綱をしめろやっ」 「友船は見えねえかよう、いたらくっつけやーい」  どう吹こうとためらっていたような疾風がやがてしっかり方向を定めると、これまでただあてもなく立ち騒いでいたらしく見える三角波は、だんだんと丘陵のような紆濤に変わって行った。言葉どおりに水平に吹雪く雪の中を、後ろのほうから、見上げるような大きな水の堆積が、想像も及ばない早さでひた押しに押して来る。 「来たぞーっ」  緊張し切った五人の心はまたさらに恐ろしい緊張を加えた。まぶしいほど早かった船足が急によどんで、後ろに吸い寄せられて、艫が薄気味悪く持ち上がって、船中に置かれた品物ががらがらと音をたてて前にのめり、人々も何かに取りついて腰のすわりを定めなおさなければならなくなった瞬間に、船はひとあおりあおって、物すごい不動から、奈落の底までもとすさまじい勢いで波の背をすべり下った。同時に耳に余る大きな音を立てて、紆濤は屏風倒しに倒れかえる。わきかえるような泡の混乱の中に船をもまれながら行く手を見ると、いったんこわれた波はすぐまた物すごい丘陵に立ちかえって、目の前の空を高くしきりながら、見る見る悪夢のように遠ざかって行く。  ほっと安堵の息をつく隙も与えず、後ろを見ればまた紆濤だ。水の山だ。その時、 「あぶねえ」 「ぽきりっ」 というけたたましい声を同時に君は聞いた。そして同時に野獣の敏感さをもって身構えしながら後ろを振り向いた。根もとから折れて横倒しに倒れかかる帆柱と、急に命を失ったようにしわになってたたまる帆布と、その陰から、飛び出しそうに目をむいて、大きく口をあけた君の兄上の顔とが映った。  君は咄嗟に身をかわして、頭から打ってかかろうとする帆柱から身をかばった。人々は騒ぎ立って艪を構えようとひしめいた。けれども無二無三な船足の動揺には打ち勝てなかった。帆の自由である限りは金輪際船を顛覆させないだけの自信を持った人たちも、帆を奪い取られては途方に暮れないではいられなかった。船足のとまった船ではもう舵もきかない。船は波の動揺のまにまに勝手放題に荒れ狂った。  第一の紆濤、第二の紆濤、第三の紆濤には天運が船を顛覆からかばってくれた。しかし特別に大きな第四の紆濤を見た時、船中の人々は観念しなければならなかった。  雪のために薄くぼかされたまっ黒な大きな山、その頂からは、火が燃え立つように、ちらりちらり白い波頭が立っては消え、消えては立ちして、瞬間ごとに高さを増して行った。吹き荒れる風すらがそのためにさえぎりとめられて、船の周囲には気味の悪い静かさが満ち広がった。それを見るにつけても波の反対の側をひた押しに押す風の激しさ強さが思いやられた。艫を波のほうへ向ける事も得しないで、力なく漂う船の前まで来ると、波の山は、いきなり、獲物に襲いかかる猛獣のように思いきり背延びをした。と思うと、波頭は吹きつける風にそりを打って鞺とくずれこんだ。  はっと思ったその時おそく、君らはもうまっ白な泡に五体を引きちぎられるほどもまれながら、船底を上にして顛覆した船体にしがみつこうともがいていた。見ると君の目の届く所には、君の兄上が頭からずぶぬれになって、ぬるぬると手がかりのない舷に手をあてがってはすべり、手をあてがってはすべりしていた。君は大声を揚げて何か言った。兄上も大声を揚げて何か言ってるらしかった。しかしお互いに大きな口をあくのが見えるだけで、声は少しも聞こえて来ない。  割合に小さな波があとからあとから押し寄せて来て、船を揺り上げたり押しおろしたりした。そのたびごとに君たちは船との縁を絶たれて、水の中に漂わねばならなかった。そして君は、着込んだ厚衣の芯まで水が透って鉄のように重いのにもかかわらず、一心不乱に動かす手足と同じほどの忙しさで、目と鼻ぐらいの近さに押し迫った死からのがれ出る道を考えた。心の上澄みは妙におどおどとあわてている割合に、心の底は不思議に気味悪く落ちついていた。それは君自身にすら物すごいほどだった。空といい、海といい、船といい、君の思案といい、一つとして目あてなく動揺しないものはない中に、君の心の底だけが悪落ち付きに落ち付いて、「死にはしないぞ」とちゃんときめ込んでいるのがかえって薄気味悪かった。それは「死ぬのがいやだ」「生きていたい」「生きる余席の有る限りはどうあっても生きなければならぬ」「死にはしないぞ」という本能の論理的結論であったのだ。この恐ろしい盲目な生の事実が、そしてその結論だけが、目を見すえたように、君の心の底に落ち付き払っていたのだった。  君はこの物すごい無気味な衝動に駆り立てられながら、水船なりにも顛覆した船を裏返す努力に力を尽くした。残る四人の心も君と変わりはないと見えて、険しい困苦と戦いながら、四人とも君のいる舷のほうへ集まって来た。そして申し合わしたように、いっしょに力を合わせて、船の胴腹にはい上がるようにしたので、船は一方にかしぎ始めた。 「それ今ひと息だぞっ」  君の父上がしぼり切った生命を声にしたように叫んだ。一同はまた懸命な力をこめた。  おりよく――全くおりよく、天運だ――その時船の横面に大きな波が浴びせこんで来たので、片方だけに人の重りの加わった船はくるりと裏返った。舷までひたひたと水に埋もれながらもとにかく船は真向きになって水の面に浮かび出た。船が裏返る拍子に五人は五人ながら、すっぽりと氷のような海の中にもぐり込みながら、急に勢いづいて船の上に飛び上がろうとした。しかししこたま着込んだ衣服は思うざまぬれ透っていて、ややともすれば人々を波の中に吸い込もうとした。それが一方の舷に取りついて力をこめればまた顛覆するにきまっている。生死の瀬戸ぎわにはまり込んでいる人々の本能は恐ろしいほど敏捷な働きをする。五人の中の二人は咄嗟に反対の舷に回った。そして互いに顔を見合わせながら、一度にやっと声をかけ合わせて半身を舷に乗り上げた。足のほうを船底に吸い寄せられながらも、半身を水から救い出した人々の顔に現われたなんとも言えない緊張した表情――それを君は忘れる事ができない。次の瞬間にはわっと声をあげて男泣きに泣くか、それとも我れを忘れて狂うように笑うか、どちらかをしそうな表情――それを君は忘れる事ができない。  すべてこうした懸命な努力は、降りしきる雪と、荒れ狂う水と、海面をこすって飛ぶ雲とで表わされる自然の憤怒の中で行なわれたのだ。怒った自然の前には、人間は塵ひとひらにも及ばない。人間などという存在は全く無視されている。それにも係わらず君たちは頑固に自分たちの存在を主張した。雪も風も波も君たちを考えにいれてはいないのに、君たちはしいてもそれらに君たちを考えさせようとした。  舷を乗り越して奔馬のような波頭がつぎつぎにすり抜けて行く。それに腰まで浸しながら、君たちは船の中に取り残された得物をなんでもかまわず取り上げて、それを働かしながら、死からのがるべき一路を切り開こうとした。ある者は艪を拾いあてた。あるものは船板を、あるものは水柄杓を、あるものは長いたわしの柄を、何ものにも換えがたい武器のようにしっかり握っていた。そして舷から身を乗り出して、子供がするように、水を漕いだり、浸水をかき出したりした。  吹き落ちる気配も見えないあらしは、果てもなく海上を吹きまくる。目に見える限りはただ波頭ばかりだ。犬のような敏捷さで方角を嗅ぎ慣れている漁夫たちも、今は東西の定めようがない。東西南北は一つの鉢の中ですりまぜたように渾沌としてしまった。  薄い暗黒。天からともなく地からともなくわき起こる大叫喚。ほかにはなんにもない。 「死にはしないぞ」――そんなはめになってからも、君の心の底は妙に落ち着いて、薄気味悪くこの一事を思いつづけた。  君のそばには一人の若い漁夫がいたが、その右の顳顬のへんから生々しい色の血が幾条にもなって流れていた。それだけがはっきり君の目に映った。「死にはしないぞ」――それを見るにつけても、君はまたしみじみとそう思った。  こういう必死な努力が何分続いたのか、何時間続いたのか、時間というもののすっかり無くなってしまったこの世界では少しもわからない。しかしながらとにかく君が何ものも納れ得ない心の中に、疲労という感じを覚えだして、これは困った事になったと思ったころだった、突然一人の漁夫が意味のわからない言葉を大きな声で叫んだのは。今まででも五人が五人ながら始終何か互いに叫び続けていたのだったが、この叫び声は不思議にきわ立ってみんなの耳に響いた。  残る四人は思わず言い合わせたようにその漁夫のほうを向いて、その漁夫が目をつけているほうへ視線をたどって行った。  船! ‥‥船!  濃い吹雪の幕のあなたに、さだかには見えないが、波の背に乗って四十五度くらいの角度に船首を下に向けながら、帆をいっぱいに開いて、矢よりも早く走って行く一艘の船!  それを見ると何かが君の胸をどきんと下からつき上げて来た。君は思わずすすり泣きでもしたいような心持ちになった。何はさておいても君たちはその船を目がけて助けを求めながら近寄って行かねばならぬはずだった。余の人たちも君と同様、確かに何物かを目の前に認めたらしく、奇怪な叫び声を立てた漁夫が、目を大きく開いて見つめているあたりを等しく見つめていた。そのくせ一人として自分らの船をそっちのほうへ向けようとしているらしい者はなかった。それをいぶかる君自身すら、心がただわくわくと感傷的になりまさるばかりで、急いで働かすべき手はかえって萎えてしまっていた。  白い帆をいっぱいに開いたその船は、依然として船首を下に向けたまま、矢のように走って行く。降りしきる吹雪を隔てた事だから、乗り組みの人の数もはっきりとは見えないし、水の上に割合に高く現われている船の胴も、木の色というよりは白堊のような生白さに見えていた。そして不思議な事には、波の腹に乗っても波の背に乗っても、舳は依然として下に向いたままである。風の強弱に応じて帆を上げ下げする様子もない。いつまでも目の前に見えながら、四十五度くらいに船首を下向きにしたまま、矢よりも早く走って行く。  ぎょっとして気がつくと、その船はいつのまにか水から離れていた。波頭から三段も上と思われるあたりを船は傾いだまま矢よりも早く走っている。君の頭はかあんとしてすくみ上がってしまった。同時に船はだんだん大きくぼやけて行った。いつのまにかその胴体は消えてなくなって、ただまっ白い帆だけが矢よりも早く動いて行くのが見やられるばかりだ。と思うまもなくその白い大きな帆さえが、降りしきる雪の中に薄れて行って、やがてはかき消すように見えなくなってしまった。  怒濤。白沫。さっさっと降りしきる雪。目をかすめて飛びかわす雲の霧。自然の大叫喚‥‥そのまっただ中にたよりなくもみさいなまれる君たちの小さな水船‥‥やっぱりそれだけだった。  生死の間にさまよって、疲れながらも緊張し切った神経に起こる幻覚だったのだと気がつくと、君は急に一種の薄気味悪さを感じて、力を一度にもぎ取られるように思った。  さきほど奇怪な叫び声を立てたその若い漁夫は、やがて眠るようにおとなしく気を失って、ひょろひょろとよろめくと見る間に、くずれるように胴の間にぶっ倒れてしまった。  漁夫たちは何か魔でもさしたように思わず極度の不安を目に現わして互いに顔を見合わせた。 「死にはしないぞ」  不思議な事にはそのぶっ倒れた男を見るにつけて、また漁夫たちの不安げな様子を見るにつけて、君は懲りずまに薄気味悪くそう思いつづけた。  君たちがほんとうに一艘の友船と出くわしたまでには、どれほどの時間がたっていたろう。しかしとにかく運命は君たちには無関心ではなかったと見える。急に十倍も力を回復したように見えた漁夫たちが、必死になって君たちの船とその船とをつなぎ合わせ、半分がた凍ってしまった帆を形ばかりに張り上げて、風の追うままに船を走らせた時には、なんとも言えない幸福な感謝の心が、おさえてもおさえてもむらむらと胸の先にこみ上げて来た。  着く所に着いてから思い存分の手当をするからしばらく我慢してくれと心の中にわびるように言いながら、君は若い漁夫を卒倒したまま胴の間の片すみに抱きよせて、すぐ自分の仕事にかかった。  やがて行く手の波の上にぼんやりと雷電峠の突角が現われ出した。山脚は海の中に、山頂は雲の中に、山腹は雪の中にもみにもまれながら、決して動かないものが始めて君たちの前に現われたのだ。それを見つけた時の漁夫たちの心の勇み‥‥魚が水にあったような、野獣が山に放たれたような、太陽が西を見つけ出したようなその喜び‥‥船の中の人たちは思わず足爪立てんばかりに総立ちになった。人々の心までが総立ちになった。 「峠が見えたぞ‥‥北に取れや舵を‥‥隠れ岩さ乗り上げんな‥‥雪崩にも打たせんなよう‥‥」  そう言う声がてんでんに人々の口からわめかれた。それにしても船はひどく流されていたものだ。雷電峠から五里も離れた瀬にいたものが、いつのまにかこんな所に来ているのだ。見る見る風と波とに押しやられて船は吸い付けられるように、吹雪の間からまっ黒に天までそそり立つ断崕に近寄って行くのを、漁夫たちはそうはさせまいと、帆をたて直し、艪を押して、横波を食わせながら船を北へと向けて行った。  陸地に近づくと波はなお怒る。鬣を風になびかして暴れる野馬のように、波頭は波の穂になり、波の穂は飛沫になり、飛沫はしぶきになり、しぶきは霧になり、霧はまたまっ白い波になって、息もつかせずあとからあとからと山すそに襲いかかって行く。山すその岩壁に打ちつけた波は、煮えくりかえった熱湯をぶちつけたように、湯げのような白沫を五丈も六丈も高く飛ばして、反りを打ちながら海の中にどっとくずれ込む。  その猛烈な力を感じてか、断崕の出鼻に降り積もって、徐々に斜面をすべり下って来ていた積雪が、地面との縁から離れて、すさまじい地響きとともに、何百丈の高さから一気になだれ落ちる。巓を離れた時には一握りの銀末に過ぎない。それが見る見る大きさを増して、隕星のように白い尾を長く引きながら、音も立てずにまっしぐらに落として来る。あなやと思う間にそれは何十里にもわたる水晶の大簾だ。ど、ど、どどどしーん‥‥さあーっ‥‥。広い海面が目の前でまっ白な平野になる。山のような五百重の大波はたちまちおい退けられて漣一つ立たない。どっとそこを目がけて狂風が四方から吹き起こる‥‥その物すさまじさ。  君たちの船は悪鬼におい迫られたようにおびえながら、懸命に東北へと舵を取る。磁石のような陸地の吸引力からようよう自由になる事のできた船は、また揺れ動く波の山と戦わねばならぬ。  それでも岩内の港が波の間に隠れたり見えたりし始めると、漁夫たちの力は急に五倍にも十倍にもなった。今までの人数の二倍も乗っているように船は動いた。岸から打ち上げる目標の烽火が紫だって暗黒な空の中でぱっとはじけると、鬖々として火花を散らしながら闇の中に消えて行く。それを目がけて漁夫たちは有る限りの艪を黙ったままでひた漕ぎに漕いだ。その不思議な沈黙が、互いに呼びかわす惨らしい叫び声よりもかえって力強く人々の胸に響いた。  船が波の上に乗った時には、波打ちぎわに集まって何か騒ぎ立てている群衆が見やられるまでになった。やがてあらしの間にも大砲のような音が船まで聞こえて来た。と思うと救助縄が空をかける蛇のように曲がりくねりながら、船から二三段隔たった水の中にざぶりと落ちた。漁夫たちはそのほうへ船を向けようとひしめいた。第二の爆声が聞こえた。縄はあやまたず船に届いた。  二三人の漁夫がよろけころびながらその縄のほうへ駆け寄った。  音は聞こえずに烽火の火花は間を置いて怪火のようにはるかの空にぱっと咲いてはすぐ散って行く。  船は縄に引かれてぐんぐん陸のほうへ近寄って行く。水底が浅くなったために無二無三に乱れ立ち騒ぐ波濤の中を、互いにしっかりしがみ合った二艘の船は、半分がた水の中をくぐりながら、半死のありさまで進んで行った。  君は始めて気がついたように年老いた君の父上のほうを振り返って見た。父上はひざから下を水に浸して舵座にすわったまま、じっと君を見つめていた。今まで絶えず君と君の兄上とを見つめていたのだ。そう思うと君はなんとも言えない骨肉の愛着にきびしく捕えられてしまった。君の目には不覚にも熱い涙が浮かんで来た。君の父上はそれを見た。 「あなたが助かってよござんした」 「お前が助かってよかった」  両人の目には咄嗟の間にも互いに親しみをこめてこう言い合った。そしてこのうれしい言葉を語る目から互い互いの目は離れようとしなかった。そうしたままでしばらく過ぎた。  君は満足しきってまた働き始めた。もう目の前には岩内の町が、きたなく貧しいながらに、君にとってはなつかしい岩内の町が、新しく生まれ出たままのように立ち列なっていた。水難救済会の制服を着た人たちが、右往左往に駆け回るありさまもまざまざと目に映った。  なんとも言えない勇ましい新しい力――上げ潮のように、腹のどん底からむらむらとわき出して来る新しい力を感じて、君は「さあ来い」と言わんばかりに、艪をひしげるほど押しつかんだ。そして矢声をかけながら漕ぎ始めた。涙があとからあとからと君の頬を伝って流れた。  唖のように今まで黙っていたほかの漁夫たちの口からも、やにわに勇ましいかけ声があふれ出て、君の声に応じた。艪は梭のように波を切り破って激しく働いた。  岸の人たちが呼びおこす声が君たちの耳にもはいるまでになった。と思うと君はだんだん夢の中に引き込まれるようなぼんやりした感じに襲われて来た。  君はもう一度君の父上のほうを見た。父上は舵座にすわっている。しかしその姿は前のように君になんらの迫った感じをひき起こさせなかった。  やがて船底にじゃりじゃりと砂の触れる音が伝わった。船は滞りなく君が生まれ君が育てられたその土の上に引き上げられた。 「死にはしなかったぞ」 と君は思った。同時に君の目の前は見る見るまっ暗になった。‥‥君はそのあとを知らない。 七  君は漁夫たちとひざをならべて、同じ握り飯を口に運びながら、心だけはまるで異邦人のように隔たってこんなことを思い出す。なんという真剣なそして険しい漁夫の生活だろう。人間というものは、生きるためには、いやでも死のそば近くまで行かなければならないのだ。いわば捨て身になって、こっちから死に近づいて、死の油断を見すまして、かっぱらいのように生の一片をひったくって逃げて来なければならないのだ。死は知らんふりをしてそれを見やっている。人間は奪い取って来た生をたしなみながらしゃぶるけれども、ほどなくその生はまた尽きて行く。そうするとまた死の目の色を見すまして、死のほうにぬすみ足で近寄って行く。ある者は死があまり無頓着そうに見えるので、つい気を許して少し大胆に高慢にふるまおうとする。と鬼一口だ。もうその人は地の上にはいない。ある者は年とともにいくじがなくなって行って、死の姿がいよいよ恐ろしく目に映り始める。そしてそれに近寄る冒険を躊躇する。そうすると死はやおら物憂げな腰を上げて、そろそろとその人に近寄って来る。ガラガラ蛇に見こまれた小鳥のように、その人は逃げも得しないですくんでしまう。次の瞬間にその人はもう地の上にはいない。人の生きて行く姿はそんなふうにも思いなされる。実にはかないともなんとも言いようがない。その中にも漁夫の生活の激しさは格別だ。彼らは死に対してけんかをしかけんばかりの切羽つまった心持ちで出かけて行く。陸の上ではなんと言っても偽善も弥縫もある程度までは通用する。ある意味では必要であるとさえも考えられる。海の上ではそんな事は薬の足しにしたくもない。真裸な実力と天運ばかりがすべての漁夫の頼みどころだ。その生活はほんとに悲壮だ。彼らがそれを意識せず、生きるという事はすべてこうしたものだとあきらめをつけて、疑いもせず、不平も言わず、自分のために、自分の養わなければならない親や妻や子のために、毎日毎日板子一枚の下は地獄のような境界に身を放げ出して、せっせと骨身を惜しまず働く姿はほんとうに悲壮だ。そして惨めだ。なんだって人間というものはこんなしがない苦労をして生きて行かなければならないのだろう。  世の中には、ことに君が少年時代を過ごした都会という所には、毎日毎日安逸な生を食傷するほどむさぼって一生夢のように送っている人もある。都会とは言うまい。だんだんとさびれて行くこの岩内の小さな町にも、二三百万円の富を祖先から受け嗣いで、小樽には立派な別宅を構えてそこに妾を住まわせ、自分は東京のある高等な学校をともかくも卒業して、話でもさせればそんなに愚鈍にも見えないくせに、一年じゅうこれと言ってする仕事もなく、退屈をまぎらすための行楽に身を任せて、それでも使い切れない精力の余剰を、富者の贅沢の一つである癇癪に漏らしているのがある。君はその男をよく知っている。小学校時代には教室まで一つだったのだ。それが十年かそこらの年月の間に、二人の生活は恐ろしくかけ隔たってしまったのだ。君はそんな人たちを一度でもうらやましいと思った事はない。その人たちの生活の内容のむなしさを想像する充分の力を君は持っている。そして彼らが彼らの導くような生活をするのは道理があると合点がゆく。金があって才能が平凡だったら勢いああしてわずかに生の倦怠からのがれるほかはあるまいとひそかに同情さえされぬではない。その人たちが生に飽満して暮らすのはそれでいい。しかし君の周囲にいる人たちがなぜあんな恐ろしい生死の境の中に生きる事を僥倖しなければならない運命にあるのだろう。なぜ彼らはそんな境遇――死ぬ瞬間まで一分の隙を見せずに身構えていなければならないような境遇にいながら、なぜ生きようとしなければならないのだろう。これは君に不思議ななぞのようなここちを起こさせる。ほんとうに生は死よりも不思議だ。  その人たちは他人眼にはどうしても不幸な人たちと言わなければならない。しかし君自身の不幸に比べてみると、はるかに幸福だと君は思い入るのだ。彼らにはとにかくそういう生活をする事がそのまま生きる事なのだ。彼らはきれいさっぱりとあきらめをつけて、そういう生活の中に頭からはまり込んでいる。少しも疑ってはいない。それなのに君は絶えずいらいらして、目前の生活を疑い、それに安住する事ができないでいる。君は喜んで君の両親のために、君の家の苦しい生活のために、君のがんじょうな力強い肉体と精力とを提供している。君の父上のかりそめの風邪がなおって、しばらくぶりでいっしょに漁に出て、夕方になって家に帰って来てから、一家がむつまじくちゃぶ台のまわりを囲んで、暗い五燭の電燈の下で箸を取り上げる時、父上が珍しく木彫のような固い顔に微笑をたたえて、 「今夜ははあおまんまがうめえぞ」 と言って、飯茶わんをちょっと押しいただくように目八分に持ち上げるのを見る時なぞは、君はなんと言っても心から幸福を感ぜずにはいられない。君は目前の生活を決して悔やんでいるわけではないのだ。それにも係わらず、君は何かにつけてすぐ暗い心になってしまう。 「絵がかきたい」  君は寝ても起きても祈りのようにこの一つの望みを胸の奥深く大事にかきいだいているのだ。その望みをふり捨ててしまえる事なら世の中は簡単なのだ。  恋――互いに思い合った恋と言ってもこれほどの執着はあり得まいと君自身の心を憐れみ悲しみながらつくづくと思う事がある。君の厚い胸の奥からは深いため息が漏れる。  雨の日などに土間にすわりこんで、兄上や妹さんなぞといっしょに、配縄の繕いをしたりしていると、どうかした拍子にみんなが仕事に夢中になって、むつまじくかわしていた世間話すら途絶えさして、黙りこんで手先ばかりを忙しく働かすような時がある。こういう瞬間に、君は我れにもなく手を休めて、茫然と夢でも見るように、君の見ておいた山の景色を思い出している事がある。この山とあの山との距りの感じは、界の線をこういう曲線で力強くかきさえすれば、きっといいに違いない、そんな事を一心に思い込んでしまう。そして鋏を持った手の先で、ひとりでに、想像した曲線をひざの上に幾度もかいては消し、かいては消ししている。  またある時は沖に出て配縄をたぐり上げるだいじな忙しい時に、君は板子の上にすわって、二本ならべて立てられたビールびんの間から縄をたぐり込んで、釣りあげられた明鯛がびんにせかれるために、針の縁を離れて胴の間にぴちぴちはねながら落ちて行くのをじっと見やっている。そしてクリムソンレーキを水に薄く溶かしたよりもっと鮮明な光を持った鱗の色に吸いつけられて、思わずぼんやりと手の働きをやめてしまう。  これらの場合はっと我れに返った瞬間ほど君を惨めにするものはない。居眠りしたのを見つけられでもしたように、君はきょとんと恥ずかしそうにあたりを見回して見る。ある時は兄上や妹さんが、暗まって行く夕方の光に、なお気ぜわしく目を縄によせて、せっせとほつれを解いたり、切れ目をつないだりしている。ある時は漁夫たちが、寒さに手を海老のように赤くへし曲げながら、息せき切って配縄をたくし上げている。君は子供のように思わず耳もとまで赤面する。 「なんというだらしのない二重生活だ。おれはいったいおれに与えられた運命の生活に男らしく服従する覚悟でいるんじゃないか。それだのにまだちっぽけな才能に未練を残して、柄にもない野心を捨てかねていると見える。おれはどっちの生活にも真剣にはなれないのだ。おれの絵に対する熱心だけから言うと、絵かきになるためには充分すぎるほどなのだが、それだけの才能があるかどうかという事になると判断のしようが無くなる。もちろんおれに絵のかき方を教えてくれた人もなければ、おれの絵を見てくれる人もない。岩内の町でのたった一人の話し相手のKは、おれの絵を見るたびごとに感心してくれる。そしてどんな苦しみを経ても絵かきになれと勧めてくれる。しかしKは第一おれの友だちだし、第二に絵がおれ以上にわかるとは思われぬ。Kの言葉はいつでもおれを励まし鞭うってくれる。しかしおれはいつでもそのあとに、うぬぼれさせられているのではないかという疑いを持たずにはいない。どうすればこの二重生活を突き抜ける事ができるのだろう。生まれから言っても、今までの運命から言っても、おれは漁夫で一生を終えるのが相当しているらしい。Kもあの気むずかしい父のもとで調剤師で一生を送る決心を悲しくもしてしまったらしい。おれから見るとKこそは立派な文学者になれそうな男だけれども、Kは誇張なく自分の運命をあきらめている。悲しくもあきらめている。待てよ、悲しいというのはほんとうはKの事ではない。そう思っているおれ自身の事だ。おれはほんとうに悲しい男だ。親父にも済まない。兄や妹にも済まない。この一生をどんなふうに過ごしたらおれはほんとうにおれらしい生き方ができるのだろう」  そこに居ならんだ漁夫たちの間に、どっしりと男らしいがんじょうなあぐらを組みながら、君は彼らとは全く異邦の人のようなさびしい心持ちになって、こんなことを思いつづける。  やがて漁夫たちはそこらを片付けてやおら立ち上がると、胴の間に降り積んだ雪を摘まんで、手のひらで擦り合わせて、指に粘りついた飯粒を落とした。そして配縄の引き上げにかかった。  西に舂きだすと日あしはどんどん歩みを早める。おまけに上のほうからたるみなく吹き落として来る風に、海面は妙に弾力を持った凪ぎ方をして、その上を霰まじりの粉雪がさーっと来ては過ぎ、過ぎては来る。君たちは手袋を脱ぎ去った手をまっかにしながら、氷点以下の水でぐっしょりぬれた配縄をその一端からたぐり上げ始める。三間四間置きぐらいに、目の下二尺もあるような鱈がぴちぴちはねながら引き上げられて来る。  三十町に余るくらいな配縄をすっかりたくしこんでしまうころには、海の上は少し墨汁を加えた牛乳のようにぼんやり暮れ残って、そこらにながめやられる漁船のあるものは、帆を張り上げて港を目ざしていたり、あるものはさびしい掛け声をなお海の上に響かせて、忙しく配縄を上げているのもある。夕暮れに海上に点々と浮かんだ小船を見渡すのは悲しいものだ。そこには人間の生活がそのはかない末梢をさびしくさらしているのだ。  君たちの船は、海風が凪ぎて陸風に変わらないうちにと帆を立て、艪を押して陸地を目がける。晴れては曇る雪時雨の間に、岩内の後ろにそびえる山々が、高いのから先に、水平線上に現われ出る。船歌をうたいつれながら、漁夫たちは見慣れた山々の頂をつなぎ合わせて、港のありかをそれとおぼろげながら見定める。そこには妻や母や娘らが、寒い浜風に吹きさらされながら、うわさとりどりに汀に立って君たちの帰りを待ちわびているのだ。  これも牛乳のような色の寒い夕靄に包まれた雷電峠の突角がいかつく大きく見えだすと、防波堤の突先にある灯台の灯が明滅して船路を照らし始める。毎日の事ではあるけれども、それを見ると、君と言わず人々の胸の中には、きょうもまず命は無事だったという底深い喜びがひとりでにわき出して来て、陸に対する不思議なノスタルジヤが感ぜられる。漁夫たちの船歌は一段と勇ましくなって、君の父上は船の艫に漁獲を知らせる旗を揚げる。その旗がばたばたと風にあおられて音を立てる――その音がいい。  だんだん間近になった岩内の町は、黄色い街灯の灯のほかには、まだ灯火もともさずに黒くさびしく横たわっている。雪のむら消えた砂浜には、けさと同様に女たちがかしこここにいくつかの固い群れになって、石ころのようにこちんと立っている。白波がかすかな潮の香と音とをたてて、その足もとに行っては消え、行っては消えするのが見え渡る。  帆がおろされた。船は海岸近くの波に激しく動揺しながら、艫を海岸のほうに向けかえてだんだんと汀に近寄って行く。海産物会社の印袢天を着たり、犬の皮か何かを裏につけた外套を深々と羽織ったりした男たちが、右往左往に走りまわるそのあたりを目がけて、君の兄上が手慣れたさばきでさっと艫綱を投げると、それがすぐ幾十人もの男女の手で引っぱられる。船はしきりと上下する舳に波のしぶきを食いながら、どんどん砂浜に近寄って、やがて疲れ切った魚のように黒く横たわって動かなくなる。  漁夫たちは艪や舵や帆の始末を簡単にしてしまうと、舷を伝わって陸におどり上がる。海産物製造会社の人夫たちは、漁夫たちと入れ替わって、船の中に猿のように飛び込んで行く。そしてまだ死に切らない鱈の尾をつかんで、礫のように砂の上にほうり出す。浜に待ち構えている男たちは、目にもとまらない早わざで数を数えながら、魚を畚の中にたたき込む。漁夫たちは吉例のように会社の数取り人に対して何かと故障を言いたててわめく。一日ひっそりかんとしていた浜も、このしばらくの間だけは、さすがににぎやかな気分になる。景気にまき込まれて、女たちの或る者まで男といっしょになってけんか腰に物を言いつのる。  しかしこのはなばなしいにぎわいも長い間ではない。命をなげ出さんばかりの険しい一日の労働の結果は、わずか十数分の間でたわいもなく会社の人たちに処分されてしまうのだ。君が君の妹を女たちの群れの中から見つけ出して、忙しく目を見かわし、言葉をかわす暇もなく、浜の上には乱暴に踏み荒された砂と、海藻と小魚とが砂まみれになって残っているばかりだ。そして会社の人夫たちはあとをも見ずにまた他の漁船のほうへ走って行く。  こうして岩内じゅうの漁夫たちが一生懸命に捕獲して来た魚はまたたくうちにさらわれてしまって、墨のように煙突から煙を吐く怪物のような会社の製造所へと運ばれて行く。  夕焼けもなく日はとっぷりと暮れて、雪は紫に、灯は光なくただ赤くばかり見える初夜になる。君たちはけさのとおりに幾かたまりの黒い影になって、疲れ切った五体をめいめいの家路に運んで行く。寒気のために五臓まで締めつけられたような君たちは口をきくのさえ物惰くてできない。女たちがはしゃいだ調子で、その日のうちに陸の上で起こったいろいろな出来事――いろいろな出来事と言っても、きわだって珍しい事やおもしろい事は一つもない――を話し立てるのを、ぶっつり押し黙ったままで聞きながら歩く。しかしそれがなんという快さだろう。  しかし君の家が近くなるにつれて妙に君の心を脅かし始めるものがある。それは近年引き続いて君の家に起こった種々な不幸がさせるわざだ。長わずらいの後に夫に先立った君の母上に始まって、君の家族の周囲には妙に死というものが執念くつきまつわっているように見えた。君の兄上の初生児も取られていた。汗水が凝り固まってできたような銀行の貯金は、その銀行が不景気のあおりを食って破産したために、水の泡になってしまった。命とかけがえの漁場が、間違った防波堤の設計のために、全然役に立たなくなったのは前にも言ったとおりだ。こらえ性のない人々の寄り集まりなら、身代が朽ち木のようにがっくりと折れ倒れるのはありがちと言わなければならない。ただ君の家では父上といい、兄上といい、根性っ骨の強い正直な人たちだったので、すべての激しい運命を真正面から受け取って、骨身を惜しまず働いていたから、曲がったなりにも今日今日を事欠かずに過ごしているのだ。しかし君の家を襲ったような運命の圧迫はそこいらじゅうに起こっていた。軒を並べて住みなしていると、どこの家にもそれ相当な生計が立てられているようだけれども、一軒一軒に立ち入ってみると、このごろの岩内の町には鼻を酸くしなければならないような事がそこいらじゅうにまくしあがっていた。ある家は目に立って零落していた。あらしに吹きちぎられた屋根板が、いつまでもそのままで雨の漏れるに任せた所も少なくない。目鼻立ちのそろった年ごろの娘が、嫁入ったといううわさもなく姿を消してしまう家もあった。立派に家框が立ち直ったと思うとその家は代が替わったりしていた。そろそろと地の中に引きこまれて行くような薄気味の悪い零落の兆候が町全体にどことなく漂っているのだ。  人々は暗々裏にそれに脅かされている。いつどんな事がまくし上がるかもしれない――そういう不安は絶えず君たちの心を重苦しく押しつけた。家から火事を出すとか、家から出さないまでも類焼の災難にあうとか、持ち船が沈んでしまうとか、働き盛りの兄上が死病に取りつかれるとか、鰊の群来がすっかりはずれるとか、ワク船が流されるとか、いろいろに想像されるこれらの不幸の一つだけに出くわしても、君の家にとっては、足腰の立たない打撃となるのだ。疲れた五体を家路に運びながら、そしてばかに建物の大きな割合に、それにふさわない暗い灯でそこと知られる柾葺きの君の生まれた家屋を目の前に見やりながら、君の心は運命に対する疑いのために妙におくれがちになる。  それでも敷居をまたぐと土間のすみの竈には火が暖かい光を放って水飴のようにやわらかく撓いながら燃えている。どこからどこまでまっ黒にすすけながら、だだっ広い囲炉裏の間はきちんと片付けてあって、居心よさそうにしつらえてある。嫂や妹の心づくしを君はすぐ感じてうれしく思いながら、持って帰った漁具――寒さのために凍り果てて、触れ合えば石のように音を立てる――をそれぞれの所に始末すると、これもからからと音を立てるほど凍り果てた仕事着を一枚一枚脱いで、竈のあたりに掛けつらねて、ふだん着に着かえる。一日の寒気に凍え切った肉体はすぐ熱を吹き出して、顔などはのぼせ上がるほどぽかぽかして来る。ふだん着の軽い暖かさ、一椀の熱湯の味のよさ。  小気味のよいほどしたたか夕餉を食った漁夫たちが、 「親方さんお休み」 と挨拶してぞろぞろ出て行ったあとには、水入らずの家族五人が、囲炉裏の火にまっかに顔を照らし合いながらさし向かいになる。戸外ではさらさらと音を立てて霰まじりの雪が降りつづけている。七時というのにもうその界隈は夜ふけ同様だ。どこの家もしんとして赤子の泣く声が時おり聞こえるばかりだ。ただ遠くの遊郭のほうから、朝寝のできる人たちが寄り集まっているらしい酔狂のさざめきだけがとぎれとぎれに風に送られて伝わって来る。 「おらはあ寝まるぞ」  わずかな晩酌に昼間の疲労を存分に発して、目をとろんこにした君の父上が、まず囲炉裏のそばに床をとらして横になる。やがて兄上と嫂とが次の部屋に退くと、囲炉裏のそばには、君と君の妹だけが残るのだ。  時が静かにさびしく、しかしむつまじくじりじりと過ぎて行く。 「寝ずに」  針の手をやめて、君の妹はおとなしく顔を上げながら君に言う。 「先に寝れ、いいから」  あぐらのひざの上にスケッチ帳を広げて、と見こう見している君は、振り向きもせずに、ぶっきらぼうにそう答える。 「朝げにまた眠いとってこづき起こされべえに」にっと片頬に笑みをたたえて妹は君にいたずららしい目を向ける。 「なんの」 「なんのでねえよ、そんだもの見こくってなんのたしになるべえさ。みんなよって笑っとるでねえか、※(「仝」の「工」に代えて「サ」、屋号を示す記号)の兄さんこと暇さえあれば見ったくもない絵べえかいて、なんするだべって」  君は思わず顔をあげる。 「だれが言った」 「だれって‥‥みんな言ってるだよ」 「お前もか」 「私は言わねえ」 「そうだべさ。それならそれでいいでねえか。わけのわかんねえやつさなんとでも言わせておけばいいだ。これを見たか」 「見たよ。‥‥荘園の裏から見た所だなあそれは。山はわし気に入ったども、雲が黒すぎるでねえか」 「さし出口はおけやい」  そして君たち二人は顔を見合って溶けるように笑みかわす。寒さはしんしんと背骨まで徹って、戸外には風の落ちた空を黙って雪が降り積んでいるらしい。  今度は君が発意する。 「おい寝べえ」 「兄さん先に寝なよ」 「お前寝べし‥‥あしたまた一番に起きるだから‥‥戸締まりはおらがするに」  二人はわざと意趣に争ってから、妹はとうとう先に寝る事にする。君はなお半時間ほどスケッチに見入っていたが、寒さにこらえ切れなくなってやがて身を起こすと、藁草履を引っかけて土間に降り立ち、竈の火もとを充分に見届け、漁具の整頓を一わたり注意し、入り口の戸に錠前をおろし、雪の吹きこまぬよう窓のすきまをしっかりと閉じ、そしてまた囲炉裏座に帰って見ると、ちょろちょろと燃えかすれた根粗朶の火におぼろに照らされて、君の父上と妹とが炉縁の二方に寝くるまっているのが物さびしくながめられる。一日一日生命の力から遠ざかって行く老人と、若々しい生命の力に悩まされているとさえ見える妹の寝顔は、明滅する炎の前に幻のような不思議な姿を描き出す。この老人の老い先をどんな運命が待っているのだろう。この処女の行く末をどんな運命が待っているのだろう。未来はすべて暗い。そこではどんな事でも起こりうる。君は二人の寝顔を見つめながらつくづくとそう思った。そう思うにつけて、その人たちの行く末については、素直な心で幸あれかしと祈るほかはなかった。人の力というものがこんな厳粛な瞬間にはいちばんたよりなく思われる。  君はスケッチ帳を枕もとに引きよせて、垢じみた床の中にそのままもぐり込みながら、氷のような布団の冷たさがからだの温みで暖まるまで、まじまじと目を見開いて、君の妹の寝顔を、憐れみとも愛ともつかぬ涙ぐましい心持ちでながめつづける。それは君が妹に対して幼少の時から何かのおりに必ずいだくなつかしい感情だった。  それもやがて疲労の夢が押し包む。  今岩内の町に目ざめているものは、おそらく朝寝坊のできる富んだ惰け者と、灯台守りと犬ぐらいのものだろう。夜は寒くさびしくふけて行く。 八  君、君はこんな私の自分勝手な想像を、私が文学者であるという事から許してくれるだろうか。私の想像はあとからあとからと引き続いてわいて来る。それがあたっていようがあたっていまいが、君は私がこうして筆取るそのもくろみに悪意のない事だけは信じてくれるだろう。そして無邪気な微笑をもって、私の唯一の生命である空想が勝手次第に育って行くのを見守っていてくれるだろう。私はそれをたよってさらに書き続けて行く。  鰊の漁期――それは北方に住む人の胸にのみしみじみと感ぜられるなつかしい季節の一つだ。この季節になると長く地の上を領していた冬が老いる。――北風も、雪も、囲炉裏も、綿入れも、雪鞋も、等しく老いる。一片の雲のたたずまいにも、自然のもくろみと予言とを人一倍鋭敏に見て取る漁夫たちの目には、朝夕の空の模様が春めいて来た事をまざまざと思わせる。北西の風が東に回るにつれて、単色に堅く凍りついていた雲が、蒸されるようにもやもやとくずれ出して、淡いながら暖かい色の晴れ雲に変わって行く。朝から風もなく晴れ渡った午後なぞに波打ちぎわに出て見ると、やや緑色を帯びた青空のはるか遠くの地平線高く、幔幕を真一文字に張ったような雪雲の堆積に日がさして、まんべんなくばら色に輝いている。なんという美妙な美しい色だ。冬はあすこまで遠のいて行ったのだ。そう思うと、不幸を突き抜けて幸福に出あった人のみが感ずる、あの過去に対する寛大な思い出が、ゆるやかに浜に立つ人の胸に流れこむ。五か月の長い厳冬を牛のように忍耐強く辛抱しぬいた北人の心に、もう少しでひねくれた根性にさえなり兼ねた北人の心に、春の約束がほのぼのと恵み深く響き始める。  朝晩の凍み方はたいして冬と変わりはない。ぬれた金物がべたべたと糊のように指先に粘りつく事は珍しくない。けれども日が高くなると、さすがにどこか寒さにひびがいる。浜べは急に景気づいて、納屋の中からは大釜や締框がかつぎ出され、ホック船やワク船をつとのようにおおうていた蓆が取りのけられ、旅烏といっしょに集まって来た漁夫たちが、綾を織るように雪の解けた砂浜を行き違って目まぐるしい活気を見せ始める。  鱈の漁獲がひとまず終わって、鰊の先駆もまだ群来て来ない。海に出て働く人たちはこの間に少しの間息をつく暇を見いだすのだ。冬の間から一心にねらっていたこの暇に、君はある日朝からふいと家を出る。もちろんふところの中には手慣れたスケッチ帳と一本の鉛筆とを潜まして。  家を出ると往来には漁夫たちや、女でめん(女労働者)や、海産物の仲買いといったような人々がにぎやかに浮き浮きして行ったり来たりしている。根雪が氷のように磐になって、その上を雪解けの水が、一冬の塵埃に染まって、泥炭地のわき水のような色でどぶどぶと漂っている。馬橇に材木のように大きな生々しい薪をしこたま積み載せて、その悪路を引っぱって来た一人の年配な内儀さんは、君を認めると、引き綱をゆるめて腰を延ばしながら、戯れた調子で大きな声をかける。 「はれ兄さんもう浜さいくだね」 「うんにゃ」 「浜でねえ? たらまた山かい。魚を商売にする人が暇さえあれば山さ突っぱしるだから怪体だあてばさ。いい人でもいるだんべさ。は、は、は、‥‥。うんすら妬いてこすに、一押し手を貸すもんだよ」 「口はばったい事べ言うと鰊様が群来てはくんねえぞ。おかしな婆様よなあお前も」 「婆様だ⁉ 人聞きの悪い事べ言わねえもんだ。人様が笑うでねえか」  実際この内儀さんの噪いだ雑言には往来の人たちがおもしろがって笑っている。君は当惑して、橇の後ろに回って三四間ぐんぐん押してやらなければならなかった。 「そだ。そだ。兄さんいい力だ。浜まで押してくれたらおらお前に惚れこすに」  君はあきれて橇から離れて逃げるように行く手を急ぐ。おもしろがって二人の問答を聞いていた群集は思わず一度にどっと笑いくずれる。人々のその高笑いの声にまじって、内儀さんがまただれかに話しかける大声がのびやかに聞こえて来る。 「春が来るのだ」  君は何につけても好意に満ちた心持ちでこの人たちを思いやる。  やがて漁師町をつきぬけて、この市街では目ぬきな町筋に出ると、冬じゅうあき屋になっていた西洋風の二階建ての雨戸が繰りあけられて、札幌のある大きなデパートメント・ストアの臨時出店が開かれようとしている。藁屑や新聞紙のはみ出た大きな木箱が幾個か店先にほうり出されて、広告のけばけばしい色旗が、活動小屋の前のように立てならべてある。そして気のきいた手代が十人近くも忙しそうに働いている。君はこの大きな臨時の店が、岩内じゅうの小売り商人にどれほどの打撃であるかを考えながら、自分たちの漁獲が、資本のないために、ほかの土地から投資された海産物製造会社によって捨て値で買い取られる無念さをも思わないではいられなかった。「大きな手にはつかまれる」‥‥そう思いながら君はその店の角を曲がって割合にさびれた横町にそれた。  その横町を一町も行かない所に一軒の薬種店があって、それにつづいて小さな調剤所がしつらえてあった。君はそこのガラス窓から中をのぞいて見る。ずらっとならべた薬種びんの下の調剤卓の前に、もたれのない抉り抜きの事務椅子に腰かけて、黒い事務マントを羽織った悒鬱そうな小柄な若い男が、一心に小形の書物に読みふけっている。それはKと言って、君が岩内の町に持っているただ一人の心の友だ。君はくすんだガラス板に指先を持って行ってほとほととたたく。Kは機敏に書物から目をあげてこちらを振りかえる。そして驚いたように座を立って来てガラス障子をあける。 「どこに」  君は黙ったまま懐中からスケッチ帳を取り出して見せる。そして二人は互いに理解するようにほほえみかわす。 「君はきょうは出られまい」  君は東京の遊学時代を記念するために、だいじにとっておいた書生の言葉を使えるのが、この友だちに会う時の一つの楽しみだった。 「だめだ。このごろは漁夫で岩内の人数が急にふえたせいか忙しい。しかし今はまだ寒いだろう。手が自由に動くまい」 「なに、絵はかけずとも山を見ていればそれでいいだ。久しく出て見ないから」 「僕は今これを読んでいたが(と言ってKはミケランジェロの書簡集を君の目の前にさし出して見せた)すばらしいもんだ。こうしていてはいけないような気がするよ。だけどもとても及びもつかない。いいかげんな芸術家というものになって納まっているより、この薄暗い薬局で、黙りこくって一生を送るほうがやはり僕には似合わしいようだ」  そう言って君の友は、悒鬱な小柄な顔をひときわ悒鬱にした。君は励ます言葉も慰める言葉も知らなかった。そして心とがめするもののようにスケッチ帳をふところに納めてしまった。 「じゃ行って来るよ」 「そうかい。そんなら帰りには寄って話して行きたまえ」  この言葉を取りかわして、君はその薄よごれたガラス窓から離れる。  南へ南へと道を取って行くと、節婦橋という小さな木橋があって、そこから先にはもう家並みは続いていない。溝泥をこね返したような雪道はだんだんきれいになって行って、地面に近い所が水になってしまった積雪の中に、君の古い兵隊長靴はややともするとすぽりすぽりと踏み込んだ。  雪におおわれた野は雷電峠のふもとのほうへ爪先上がりに広がって、おりから晴れ気味になった雲間を漏れる日の光が、地面の陰ひなたを銀と藍とでくっきりといろどっている。寒い空気の中に、雪の照り返しがかっかっと顔をほてらせるほど強くさして来る。君の顔は見る見る雪焼けがしてまっかに汗ばんで来た。今までがんじょうにかぶっていた頭巾をはねのけると、眼界は急にはるばると広がって見える。  なんという広大なおごそかな景色だ。胆振の分水嶺から分かれて西南をさす一連の山波が、地平から力強く伸び上がってだんだん高くなりながら、岩内の南方へ走って来ると、そこに図らずも陸の果てがあったので、突然水ぎわに走りよった奔馬が、そろえた前脚を踏み立てて、思わず平頸を高くそびやかしたように、山は急にそそり立って、沸騰せんばかりに天を摩している。今にもすさまじい響きを立ててくずれ落ちそうに見えながら、何百万年か何千万年か、昔のままの姿でそそり立っている。そして今はただ一色の白さに雪でおおわれている。そして雲が空を動くたびごとに、山は居住まいを直したかのように姿を変える。君は久しぶりで近々とその山をながめるともう有頂天になった。そして余の事はきれいに忘れてしまう。  君はただいちずにがむしゃらに本道から道のない積雪の中に足を踏み入れる。行く手に黒ずんで見える楡の切り株の所まで腰から下まで雪にまみれてたどり着くと、君はそれに兵隊長靴を打ちつけて足の雪を払い落としながらたたずむ。そして目を据えてもう一度雪野の果てにそびえ立つ雷電峠を物珍しくながめて魅入られたように茫然となってしまう。幾度見てもあきる事のない山のたたずまいが、この前見た時と相違のあるはずはないのに、全くちがった表情をもって君の目に映って来る。この前見に来た時は、それは厳冬の一日のことだった。やはりきょうと同じ所に立って、凍える手に鉛筆を運ぶ事もできず、黙ったまま立って見ていたのだったが、その時の山は地面から静々と盛り上がって、雪雲に閉ざされた空を確かとつかんでいるように見えた。その感じは恐ろしく執念深く力強いものだった。君はその前に立って押しひしゃげられるような威圧を感じた。きょう見る山はもっと素直な大きさと豊かさとをもって静かに君をかきいだくように見えた。ふだん自分の心持ちがだれからも理解されないで、一種の変屈人のように人々から取り扱われていた君には、この自然が君に対して求めて来る親しみはしみじみとしたものだった。君はまたさらに目をあげて、なつかしい友に向かうようにしみじみと山の姿をながめやった。  ちょうど親しい心と心とが出あった時に、互いに感ぜられるような温かい涙ぐましさが、君の雄々しい胸の中にわき上がって来た。自然は生きている。そして人間以上に強く高い感情を持っている。君には同じ人間の語る言葉だが英語はわからない。自然の語る言葉は英語よりもはるかに君にはわかりいい。ある時には君が使っている日本語そのものよりももっと感情の表現の豊かな平明な言葉で自然が君に話しかける。君はこの涙ぐましい心持ちを描いてみようとした。  そして懐中からいつものスケッチ帳を取り出して切り株の上に置いた。開かれた手帖と山とをかたみがわりに見やりながら、君は丹念に鉛筆を削り上げた。そして粗末な画学紙の上には、たくましく荒くれた君の手に似合わない繊細な線が描かれ始めた。  ちょうど人の肖像をかこうとする画家が、その人の耳目鼻口をそれぞれ綿密に観察するように、君は山の一つの皺一つの襞にも君だけが理解すると思える意味を見いだそうと努めた。実際君の目には山のすべての面は、そのまますべての表情だった。日光と雲との明暗にいろどられた雪の重なりには、熱愛をもって見きわめようと努める人々にのみ説き明かされる貴いなぞが潜めてあった。君は一つのなぞを解き得たと思うごとに、小おどりしたいほどの喜びを感じた。君の周囲には今はもう生活の苦情もなかった。世間に対する不安も不幸もなかった。自分自身に対するおくれがちな疑いもなかった。子供のような快活な無邪気な一本気な心‥‥君のくちびるからは知らず知らず軽い口笛が漏れて、君の手はおどるように調子を取って、紙の上を走ったり、山の大きさや角度を計ったりした。  そうして幾時間が過ぎたろう。君の前には「時」というものさえなかった。やがて一つのスケッチができあがって、軽い満足のため息とともに、働かし続けていた手をとめて、片手にスケッチ帳を取り上げて目の前に据えた時、君は軽い疲労――軽いと言っても、君が船の中で働く時の半日分の労働の結果よりは軽くない――を感じながら、きょうが仕事のよい収穫であれかしと祈った。画学紙の上には、吹き変わる風のために乱れがちな雲の間に、その頂を見せたり隠したりしながら、まっ白にそそり立つ峠の姿と、その手前の広い雪の野のここかしこにむら立つ針葉樹の木立ちや、薄く炊煙を地になびかしてところどころに立つ惨めな農家、これらの間を鋭い刃物で断ち割ったような深い峡間、それらが特種な深い感じをもって特種な筆触で描かれている。君はややしばらくそれを見やってほほえましく思う。久しぶりで自分の隠れた力が、哀れな道具立てによってではあるが、とにかく形を取って生まれ出たと思うとうれしいのだ。  しかしながら狐疑は待ちかまえていたように、君が満足の心を充分味わう暇もなく、足もとから押し寄せて来て君を不安にする。君は自分にへつらうものに対して警戒の眼を向ける人のように、自分の満足の心持ちをきびしく調べてかかろうとする。そして今かき上げた絵を容赦なく山の姿とくらべ始める。  自分が満足だと思ったところはどこにあるのだろう。それはいわば自然の影絵に過ぎないではないか。向こうに見える山はそのまま寛大と希望とを象徴するような一つの生きた塊的であるのに、君のスケッチ帳に縮め込まれた同じものの姿は、なんの表情も持たない線と面との集まりとより君の目には見えない。  この悲しい事実を発見すると君は躍起となって次のページをまくる。そして自分の心持ちをひときわ謙遜な、そして執着の強いものにし、粘り強い根気でどうかして山をそのまま君の画帖の中に生かし込もうとする、新たな努力が始まると、君はまたすべての事を忘れ果てて一心不乱に仕事の中に魂を打ち込んで行く。そして君が昼弁当を食う事も忘れて、四枚も五枚ものスケッチを作った時には、もうだいぶ日は傾いている。  しかしとてもそこを立ち去る事はできないほど、自然は絶えず美しくよみがえって行く。朝の山には朝の命が、昼の山には昼の命があった。夕方の山にはまたしめやかな夕方の山の命がある。山の姿は、その線と陰日向とばかりでなく、色彩にかけても、日が西に回るとすばらしい魔術のような不思議を現わした。峠のある部分は鋼鉄のように寒くかたく、また他の部分は気化した色素のように透明で消えうせそうだ。夕方に近づくにつれて、やや煙り始めた空気の中に、声も立てずに粛然とそびえているその姿には、くんでもくんでも尽きない平明な神秘が宿っている。見ると山の八合目と覚しい空高く、小さな黒い点が静かに動いて輪を描いている。それは一羽の大鷲に違いない。目を定めてよく見ると、長く伸ばした両の翼を微塵も動かさずに、からだ全体をやや斜めにして、大きな水の渦に乗った枯れ葉のように、その鷲は静かに伸びやかに輪を造っている。山が物言わんばかりに生きてると見える君の目には、この生物はかえって死物のように思いなされる。ましてや平原のところどころに散在する百姓家などは、山が人に与える生命の感じにくらべれば、惨めな幾個かの無機物に過ぎない。  昼は真冬からは著しく延びてはいるけれども、もう夕暮れの色はどんどん催して来た。それとともに肌身に寒さも加わって来た。落日にいろどられて光を呼吸するように見えた雲も、煙のような白と淡藍との陰日向を見せて、雲とともに大空の半分を領していた山も、見る見る寒い色に堅くあせて行った。そして靄とも言うべき薄い膜が君と自然との間を隔てはじめた。  君は思わずため息をついた。言い解きがたい暗愁――それは若い人が恋人を思う時に、その恋が幸福であるにもかかわらず、胸の奥に感ぜられるような――が不思議に君を涙ぐましくした。君は鼻をすすりながら、ばたんと音を立ててスケッチ帳を閉じて、鉛筆といっしょにそれをふところに納めた。凍てた手はふところの中の温みをなつかしく感じた。弁当は食う気がしないで、切り株の上からそのまま取って腰にぶらさげた。半日立ち尽くした足は、動かそうとすると電気をかけられたようにしびれていた。ようようの事で君は雪の中から爪先をぬいて一歩一歩本道のほうへ帰って行った。はるか向こうを見ると山から木材や薪炭を積みおろして来た馬橇がちらほらと動いていて、馬の首につけられた鈴の音がさえた響きをたててかすかに聞こえて来る。それは漂浪の人がはるかに故郷の空を望んだ時のようななつかしい感じを与える。その消え入るような、さびしい、さえた音がことになつかしい。不思議な誘惑の世界から突然現世に帰った人のように、君の心はまだ夢ごこちで、芸術の世界と現実の世界との淡々しい境界線をたどっているのだ。そして君は歩きつづける。  いつのまにか君は町に帰って例の調剤所の小さな部屋で、友だちのKと向き合っている。Kは君のスケッチ帳を興奮した目つきでかしこここ見返している。 「寒かったろう」 とKが言う。君はまだほんとうに自分に帰り切らないような顔つきで、 「うむ。‥‥寒くはなかった。‥‥その線の鈍っているのは寒かったからではないんだ」 と答える。 「鈍っていはしない。君がすっかり何もかも忘れてしまって、駆けまわるように鉛筆をつかった様子がよく見えるよ。きょうのはみんな非常に僕の気に入ったよ。君も少しは満足したろう」 「実際の山の形にくらべて見たまえ。‥‥僕は親父にも兄貴にもすまない」 と君は急いで言いわけをする。 「なんで?」  Kはけげんそうにスケッチ帳から目を上げて君の顔をしげしげと見守る。  君の心の中には苦い灰汁のようなものがわき出て来るのだ。漁にこそ出ないが、ほんとうを言うと、漁夫の家には一日として安閑としていい日とてはないのだ。きょうも、君が一日を絵に暮らしていた間に、君の家では家じゅうで忙しく働いていたのに違いないのだ。建網に損じの有る無し、網をおろす場所の海底の模様、大釜を据えるべき位置、桟橋の改造、薪炭の買い入れ、米塩の運搬、仲買い人との契約、肥料会社との交渉‥‥そのほか鰊漁の始まる前に漁場の持ち主がしておかなければならない事は有り余るほどあるのだ。  君は自分が絵に親しむ事を道楽だとは思っていない。いないどころか、君にとってはそれは、生活よりもさらに厳粛な仕事であるのだ。しかし自然と抱き合い、自然を絵の上に生かすという事は、君の住む所では君一人だけが知っている喜びであり悲しみであるのだ。ほかの人たちは――君の父上でも、兄妹でも、隣近所の人でも――ただ不思議な子供じみた戯れとよりそれを見ていないのだ。君の考えどおりをその人たちの頭の中にたんのうができるように打ちこむというのは思いも及ばぬ事だ。  君は理屈ではなんら恥ずべき事がないと思っている。しかし実際では決してそうは行かない。芸術の神聖を信じ、芸術が実生活の上に玉座を占むべきものであるのを疑わない君も、その事がらが君自身に関係して来ると、思わず知らず足もとがぐらついて来るのだ。 「おれが芸術家でありうる自信さえできれば、おれは一刻の躊躇もなく実生活を踏みにじっても、親しいものを犠牲にしても、歩み出す方向に歩み出すのだが‥‥家の者どもの実生活の真剣さを見ると、おれは自分の天才をそうやすやすと信ずる事ができなくなってしまうんだ。おれのようなものをかいていながら彼らに芸術家顔をする事が恐ろしいばかりでなく、僭越な事に考えられる。おれはこんな自分が恨めしい、そして恐ろしい。みんなはあれほど心から満足して今日今日を暮らしているのに、おれだけはまるで陰謀でもたくらんでいるように始終暗い心をしていなければならないのだ。どうすればこの苦しさこのさびしさから救われるのだろう」  平常のこの考えがKと向かい合っても頭から離れないので、君は思わず「親父にも兄貴にもすまない」と言ってしまったのだ。 「どうして?」と言ったKも、君もそのまま黙ってしまった。Kには、物を言われないでも、君の心はよくわかっていたし、君はまた君で、自分はきれいにあきらめながらどこまでも君を芸術の捧誓者たらしめたいと熱望する、Kのさびしい、自己を滅した、温かい心の働きをしっくりと感じていたからだ。  君ら二人の目は悒鬱な熱に輝きながら、互いに瞳を合わすのをはばかるように、やや燃えかすれたストーブの火をながめ入る。  そうやって黙っているうちに君はたまらないほどさびしくなって来る。自分を憐れむともKを憐れむとも知れない哀情がこみ上げて、Kの手を取り上げてなでてみたい衝動を幾度も感じながら、女々しさを退けるようにむずかゆい手を腕の所で堅く組む。  ふとすすけた天井からたれ下がった電球が光を放った。驚いて窓から見るともう往来はまっ暗になっている。冬の日の舂き隠れる早さを今さらに君はしみじみと思った。掃除の行き届かない電球はごみと手あかとでことさら暗かった。それが部屋の中をなお悒鬱にして見せる。 「飯だぞ」  Kの父の荒々しいかん走った声が店のほうからいかにもつっけんどんに聞こえて来る。ふだんから自分の一人むすこの悪友でもあるかのごとく思いなして、君が行くとかつてきげんのいい顔を見せた事のないその父らしい声だった。Kはちょっと反抗するような顔つきをしたが、陰性なその表情をますます陰性にしただけで、きぱきぱと盾をつく様子もなく、父の心と君の心とをうかがうように声のするほうと君のほうとを等分に見る。  君は長座をしたのがKの父の気にさわったのだと推すると座を立とうとした。しかしKはそういう心持ちに君をしたのを非常に物足らなく思ったらしく、君にもぜひ夕食をいっしょにしろと勧めてやまなかった。 「じゃ僕は昼の弁当を食わずにここに持ってるからここで食おうよ。遠慮なく済まして来たまえ」 と君は言わなければならなかった。  Kは夕食を君に勧めながら、ほんとうはそれを両親に打ち出して言う事を非常に苦にしていたらしく、さればとてまずい心持ちで君をかえすのも堪えられないと思いなやんでいたらしかったので、君の言葉を聞くと活路を見いだしたように少し顔を晴れ晴れさせて調剤室を立って行った。それも思えば一家の貧窮がKの心に染み渡ったしるしだった。君はひとりになると、だんだん暗い心になりまさるばかりだった。  それでも夕飯という声を聞き、戸のすきから漏れる焼きざかなのにおいをかぐと、君は急に空腹を感じだした。そして腰に結び下げた弁当包みを解いてストーブに寄り添いながら、椅子に腰かけたままのひざの上でそれを開いた。  北海道には竹がないので、竹の皮の代わりにへぎで包んだ大きな握り飯はすっかり凍ててしまっている。春立った時節とは言いながら一日寒空に、切り株の上にさらされていたので、飯粒は一粒一粒ぼろぼろに固くなって、持った手の中からこぼれ落ちる。試みに口に持って行ってみると米の持つうまみはすっかり奪われていて、無味な繊維のかたまりのような触覚だけが冷たく舌に伝わって来る。  君の目からは突然、君自身にも思いもかけなかった熱い涙がほろほろとあふれ出た。じっとすわったままではいられないような寂寥の念がまっ暗に胸中に広がった。  君はそっと座を立った。そして弁当を元どおりに包んで腰にさげ、スケッチ帳をふところにねじこむと、こそこそと入り口に行って長靴をはいた。靴の皮は夕方の寒さに凍って、鉄板のように堅く冷たかった。  雪は燐のようなかすかな光を放って、まっ黒に暮れ果てた家々の屋根をおおうていた。さびしいこの横町は人の影も見せなかった。しばらく歩いて例のデパートメント・ストアの出店の角近くに来ると、一人の男の子がスケート下駄(下駄の底にスケートの歯をすげたもの)をはいて、でこぼこに凍った道の上をがりがりと音をさせながら走って来た。その子はスケートに夢中になって、君のそばをすりぬけても君には気がついていないらしい。 「氷の上がすべれだした時はほんとに夢中になるものだ」  君は自分の遠い過去をのぞき込むようにさびしい心の中にもこう思う。何事を見るにつけても君の心は痛んだ。  デパートメント・ストアのある本通りに出ると打って変わってにぎやかだった。電灯も急に明るくなったように両側の家を照らして、そこには店の者と購買者との影が綾を織った。それは君にとっては、その場合の君にとっては、一つ一つ見知らぬものばかりのようだった。そこいらから起こる人声や荷橇の雑音などがぴんぴんと君の頭を針のように刺激する。見物の前に引き出された見世物小屋の野獣のようないらだたしさを感じて、君は眉根の所に電光のように起こる痙攣を小うるさく思いながら、むずかしい顔をしてさっさとにぎやかな往来を突きぬけて漁師町のほうへ急ぐ。  しかし君の家が見えだすと君の足はひとりでにゆるみがちになって、君の頭は知らず知らず、なお低くうなだれてしまった。そして君は疑わしそうな目を時々上げて、見知り越しの顔にでもあいはしないかと気づかった。しかしこの界隈はもう静まり返っていた。 「だめだ」  突然君はこう小さく言って往来のまん中に立ちどまってしまった。そうして立ちすくんだその姿の首から肩、肩から背中に流れる線は、もしそこに見守る人がいたならば、思わずぞっとして異常な憂愁と力とを感ずるに違いない不思議に強い表現を持っていた。  しばらく釘づけにされたように立ちすくんでいた君は、やがて自分自身をもぎ取るように決然と肩をそびやかして歩きだす。  君は自分でもどこをどう歩いたかしらない。やがて君が自分に気がついて君自身を見いだした所は海産物製造会社の裏の険しい崕を登りつめた小山の上の平地だった。  全く夜になってしまっていた。冬は老いて春は来ない――その壊れ果てたような荒涼たる地の上高く、寒さをかすかな光にしたような雲のない空が、息もつかずに、凝然として延び広がっていた。いろいろな光度といろいろな光彩でちりばめられた無数の星々の間に、冬の空の誇りなる参宿が、微妙な傾斜をもって三つならんで、何かの凶徴のようにひときわぎらぎらと光っていた。星は語らない。ただはるかな山すそから、干潮になった無月の潮騒が、海妖の単調な誘惑の歌のように、なまめかしくなでるように聞こえて来るばかりだ。風が落ちたので、凍りついたように寒く沈み切った空気は、この海のささやきのために鈍く震えている。  君はその平地の上に立ってぼんやりあたりを見回していた。君の心の中にはさきほどから恐ろしい企図が目ざめていたのだ。それはきょうに始まった事ではない。ともすれば君の油断を見すまして、泥沼の中からぬるりと頭を出す水の精のように、その企図は心の底から現われ出るのだ。君はそれを極端に恐れもし、憎みもし、卑しみもした。男と生まれながら、そんな誘惑を感ずる事さえやくざな事だと思った。しかしいったんその企図が頭をもたげたが最後、君は魅入られた者のように、もがき苦しみながらも、じりじりとそれを成就するためには、すべてを犠牲にしても悔いないような心になって行くのだ、その恐ろしい企図とは自殺する事なのだ。  君の心は妙にしんと底冷えがしたようにとげとげしく澄み切って、君の目に映る外界の姿は突然全く表情を失ってしまって、固い、冷たい、無慈悲な物の積み重なりに過ぎなかった。無際限なただ一つの荒廃――その中に君だけが呼吸を続けている、それがたまらぬほどさびしく恐ろしい事に思いなされる荒廃が君の上下四方に広がっている。波の音も星のまたたきも、夢の中の出来事のように、君の知覚の遠い遠い末梢に、感ぜられるともなく感ぜられるばかりだった。すべての現象がてんでんばらばらに互いの連絡なく散らばってしまった。その中で君の心だけが張りつめて死のほうへとじりじり深まって行こうとした。重錘をかけて深い井戸に投げ込まれた灯明のように、深みに行くほど、君の心は光を増しながら、感じを強めながら、最後には死というその冷たい水の表面に消えてしまおうとしているのだ。  君の頭がしびれて行くのか、世界がしびれて行くのか、ほんとうにわからなかった。恐ろしい境界に臨んでいるのだと幾度も自分を警めながら、君は平気な気持ちでとてつもないのんきな事を考えたりしていた。そして君は夜のふけて行くのも、寒さの募るのも忘れてしまって、そろそろと山鼻のほうへ歩いて行った。  足の下遠く黒い岩浜が見えて波の遠音が響いて来る。  ただ一飛びだ。それで煩悶も疑惑もきれいさっぱり帳消しになるのだ。 「家の者たちはほんとうに気が違ってしまったとでも思うだろう。‥‥頭が先にくだけるかしらん。足が先に折れるかしらん」  君はまたたきもせずにぼんやり崖の下をのぞきこみながら、他人の事でも考えるように、そう心の中でつぶやく。  不思議なしびれはどんどん深まって行く。波の音なども少しずつかすかになって、耳にはいったりはいらなかったりする。君の心はただいちずに、眠り足りない人が思わず瞼をふさぐように、崖の底を目がけてまろび落ちようとする。あぶない‥‥あぶない‥‥他人の事のように思いながら、君の心は君の肉体を崖のきわからまっさかさまに突き落とそうとする。  突然君ははね返されたように正気に帰って後ろに飛びすざった。耳をつんざくような鋭い音響が君の神経をわななかしたからだ。  ぎょっと驚いて今さらのように大きく目を見張った君の前には平地から突然下方に折れ曲がった崖の縁が、地球の傷口のように底深い口をあけている。そこに知らず知らず近づいて行きつつあった自分を省みて、君は本能的に身の毛をよだてながら正気になった。  鋭い音響は目の下の海産物製造会社の汽笛だった。十二時の交代時間になっていたのだ。遠い山のほうからその汽笛の音はかすかに反響になって、二重にも三重にも聞こえて来た。  もう自然はもとの自然だった。いつのまにか元どおりな崩壊したようなさびしい表情に満たされて涯もなく君の周囲に広がっていた。君はそれを感ずると、ひたと底のない寂寥の念に襲われだした。男らしい君の胸をぎゅっと引きしめるようにして、熱い涙がとめどなく流れ始めた。君はただひとり真夜中の暗やみの中にすすり上げながら、まっ白に積んだ雪の上にうずくまってしまった、立ち続ける力さえ失ってしまって。 九  君よ‼  この上君の内部生活を忖度したり揣摩したりするのは僕のなしうるところではない。それは不可能であるばかりでなく、君を涜すと同時に僕自身を涜す事だ。君の談話や手紙を総合した僕のこれまでの想像は謬っていない事を僕に信ぜしめる。しかし僕はこの上の想像を避けよう。ともかく君はかかる内部の葛藤の激しさに堪えかねて、去年の十月にあのスケッチ帳と真率な手紙とを僕に送ってよこしたのだ。  君よ。しかし僕は君のために何をなす事ができようぞ。君とお会いした時も、君のような人が――全然都会の臭味から免疫されて、過敏な神経や過量な人為的知見にわずらわされず、強健な意力と、強靱な感情と、自然に哺まれた叡智とをもって自然を端的に見る事のできる君のような土の子が――芸術の捧誓者となってくれるのをどれほど望んだろう。けれども僕の喉まで出そうになる言葉をしいておさえて、すべてをなげうって芸術家になったらいいだろうとは君に勧めなかった。  それを君に勧めるものは君自身ばかりだ。君がただひとりで忍ばなければならない煩悶――それは痛ましい陣痛の苦しみであるとは言え、それは君自身の苦しみ、君自身で癒さなければならぬ苦しみだ。  地球の北端――そこでは人の生活が、荒くれた自然の威力に圧倒されて、痩地におとされた雑草の種のように弱々しく頭をもたげてい、人類の活動の中心からは見のがされるほど隔たった地球の北端の一つの地角に、今、一つのすぐれた魂は悩んでいるのだ。もし僕がこの小さな記録を公にしなかったならばだれもこのすぐれた魂の悩みを知るものはないだろう。それを思うとすべての現象は恐ろしい神秘に包まれて見える。いかなる結果をもたらすかもしれない恐ろしい原因は地球のどのすみっこにも隠されているのだ。人はおそれないではいられない。  君が一人の漁夫として一生をすごすのがいいのか、一人の芸術家として終身働くのがいいのか、僕は知らない。それを軽々しく言うのはあまりに恐ろしい事だ。それは神から直接君に示されなければならない。僕はその時が君の上に一刻も早く来るのを祈るばかりだ。  そして僕は、同時に、この地球の上のそこここに君と同じい疑いと悩みとを持って苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ。このせつなる祈りの心は君の身の上を知るようになってから僕の心の中にことに激しく強まった。  ほんとうに地球は生きている。生きて呼吸している。この地球の生まんとする悩み、この地球の胸の中に隠れて生まれ出ようとするものの悩み――それを僕はしみじみと君によって感ずる事ができる。それはわきいで跳り上がる強い力の感じをもって僕を涙ぐませる。  君よ! 今は東京の冬も過ぎて、梅が咲き椿が咲くようになった。太陽の生み出す慈愛の光を、地面は胸を張り広げて吸い込んでいる。春が来るのだ。  君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし‥‥僕はただそう心から祈る。 (一九一八年四月、大阪毎日新聞に一部所載)
底本:「小さき者へ・生まれいずる悩み」岩波文庫、岩波書店    1940(昭和15)年3月26日第1刷発行    1962(昭和37)年10月16日第26刷改版発行    1998(平成10)年4月6日第71刷改版発行 底本の親本:「生れ出る悩み」叢文閣    1918(大正7)年9月初版発行 入力:土田一柄 校正:丹羽倫子 2000年10月10日公開 2012年8月21日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "001111", "作品名": "生まれいずる悩み", "作品名読み": "うまれいずるなやみ", "ソート用読み": "うまれいするなやみ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-10-10T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card1111.html", "人物ID": "000025", "姓": "有島", "名": "武郎", "姓読み": "ありしま", "名読み": "たけお", "姓読みソート用": "ありしま", "名読みソート用": "たけお", "姓ローマ字": "Arishima", "名ローマ字": "Takeo", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1878-03-04", "没年月日": "1923-06-09", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "小さき者へ・生まれいずる悩み", "底本出版社名1": "岩波文庫、岩波書店", "底本初版発行年1": "1940(昭和15)年3月26日、1962(昭和37)年10月16日第26刷改版", "入力に使用した版1": "1998(平成10)年4月6日第71刷改版", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "生れ出る悩み", "底本の親本出版社名1": "叢文閣", "底本の親本初版発行年1": "1918(大正7)年9月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "土田一柄", "校正者": "丹羽倫子", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/1111_ruby_20599.zip", "テキストファイル最終更新日": "2012-08-21T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/1111_20600.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-08-21T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
     ○  運命は現象を支配する、丁度物体が影を支配するやうに。現象によつて暗示される運命の目論見は「死」だ。何となればあらゆる現象の窮極する所は死滅だからである。  我等の世界に於て物と物とは安定を得てゐない。而して安定を得るための道程にあつて物と物とは相剋してゐる。我等がヱネルギーと称するものはその結果として生じて来る。而してヱネルギーが働いてゐる間我等の間には生命が厳存する。然しながら安定を求めて安定の方に進みつゝある現象が遂に最後の安定に達し得た時には、ヱネルギーは存在するとしても働かなくなる。それは丁度一陣の風によつて惹起された水の上の波が、互に相剋しつゝ結局鏡のやうな波のない水面を造り出すに至るのと同様である。そこには石のやうに黙した水の塊的が凝然として澱んでゐるばかりだ。再びそれを動かす力は何所からも働いては来ない。生気は全くその水から絶たれてしまふ。  我等の世界の現象も遂にはこゝに落付いてしまふだらう。そこには「生」は形をひそめてたゞ一つの「大死」があるばかりだらう。その時運命の目論見は始めて成就されるのだ。  この已むを得ざる結論を我等は如何しても承認しなければならない。      ○  我等「人」は運命のこの目論見を承認する。而かも我等の本能が――人間としての本能が我等に強要するものは死ではなくしてその反対の生である。  人生に矛盾は多い。それがある時は喜劇的であり、ある時は悲劇的である。而して我等が、歩いて行く到達点が死である事を知り抜きながら、なほ力は極めて生きるが上にも生きんとする矛盾ほど奇怪な恐ろしい矛盾はない。私はそれを人生の最も悲劇的な矛盾であると云はう。      ○  我等は現在の瞬間々々に於て本統に生きるものだと云つてゐる。一瞬の未来は兎に角、一瞬の現在は少くとも生の領域だ。そこに我等の存在を意識してゐる以上、未来劫の後に来べき運命の所為を顧慮する要はない。さうある人々は云ふかも知れない。  然しこれは結局一種のごまかしで一種の観念論だ。  人間と云はず、生物が地上生活を始めるや否や、一として死に脅迫されないものはない。我等の間に醗酵した凡ての哲学は、それが信仰の形式を取るにせよ、観念の形式を取るにせよ、実証の形式を取るにせよ、凡て人の心が「死」に対して惹起した反応に過ぎない。  我等は我等が意識する以上に本能のどん底から死を恐れてゐるのだ。運命の我等を将て行かうとする所に、必死な尻ごみをしてゐるのだ。      ○  ある者は肉体の死滅を恐れる。ある者は事業の死滅を恐れる。ある者は個性の死滅を恐れる。而して食料を求め、医薬を求め、労役し、奔走し、憎み且つ愛する。      ○  人間の生活とは畢竟水に溺れて一片の藁にすがらうとする空しいはかない努力ではないのか。      ○  然し同時に我等は茲に不思議な一つの現象を人間生活の中に見出すだらう。それはより多くの死を恐れる人をより賢明な、より洞察の鋭い、より智慧の深い人の間に見出すと云ふ事だ。  これらの人は運命の目論見を常人よりよりよく理解し得る人だと云はなければならぬ。よりよく理解する以上は運命に対してより従順であらねばならぬ筈だ。そこには冷静なストイカルな諦めが湧いて来ねばならぬ筈だ。而して所謂常人が――諦めるだけの理解を有し得ない常人が、最も強く運命に力強い反抗を企てなければならぬ筈だ。生の絶対権を主張せねばならぬ筈だ。  然るに事実は全く反対の相を呈してゐる。我等の中優れたもの程――運命の企てを知り抜いてゐると思はれる癖に――死に打勝たんとする一念に熱中してゐるやうに見える。      ○ 「主よ、死の杯を我れより放ち給へ」といつた基督の言葉は凡ての優れた人々の魂の号叫を代表する。四苦を見て永生への道を思ひ立つた釈迦は凡ての思慮ある人々の心の発奮を表象する。運命の目論見に最も明らかなるべき彼等のこの態度を我等は痴人の閑葛藤として一笑に附し去る事が出来ないだらう。      ○  死への諦めを教へずして生への精進を教へた彼等の心を我等は如何考へねばならぬのか。      ○  こゝまで来て我等は、仮相からもう一段深く潜り込んで見ねばならぬ。  私は死への諦めを教へずして生への精進と云つた。それは然し本統はさうではない。彼等の最後の宣告はその徹底した意味に於て死への諦めを教へたのではない、生への諦めを教へたのだ。生への精進を教へたのではない、死への精進を教へたのだ。さう私は云はねばならなかつたのだ。  何故だ。      ○  それを私の考へなりに云つて見よう、それはある人々には余りに明白な事であらうけれども。  彼等は運命の心の徹底的な体験者であるのだ。運命が物と物との間の安定を最後の目的としたやうに、彼等も亦心と心との安定を最後の目的とする本能に燃えてゐた人達なのだ。彼等の表現が如何であれ、その本能の奥底を支配してゐた力は実に相剋から安定への一路だつたのだ。彼等は畢竟運命と同じ歩調もて歩み、同じリズムもて動いたのだ。      ○  皮相の混乱から真相の整生へ、仮象の紛雑から実在の統一へ、物質生活の擾動から精神生活の粛約へ、醜から美へ、渾沌から秩序へ、憎から愛へ、迷ひから悟りへ、……即ち相剋から安定へ。  我等の歴史を見るがいゝ。我等の先覚者を見るがいゝ。又我等自身の心を見るがいゝ。凡てのよき事よき思ひは常に同一の方向に動いてゐるではないか。即ち相剋から安定へ……運命の眼睛の見詰めてゐる方へ。      ○  だから我等は何を恐れ何を憚らう。運命は畢竟親切だ。      ○  だから我等は恐れずに生きよう。我等の住む世界は不安定の世界だ。我等の心は不安定の心だ。世界と我等の心は屡やうやく建立しかけた安定の礎から辷り落ちる。世界と我等とはあらん限りの失態を演ずる。この醜い蹉跌は永く我等の生活を支配するだらう。それでも構はない。我等はその混乱の中に生きよう。我等は恐れるに及ばない。我等にはその混乱の中にも統一を求める已み難い本能が潜んでゐて、決して消える事がないからだ。それで沢山だ。  我等は生きよう。我等の周囲に迫つて来る死の諸相に対して極力戦はう。我等は肉体を健全にして死から救ふ為めにあらん限りの衛生を行はう。又社界をより健全な基礎の上に置く為めに、生活を安全にする為めにあらゆる改革を案出しよう。我等の魂を永久ならしめんためにあらゆる死の刺を滅ぼさう。  我等がかく努力して死に打勝つた時、その時は焉ぞ知らん我等が死の来る道を最も夷らにした時なのだ。人はその時に運命と堅く握手するのだ。人はその時運命の片腕となつて、物々の相剋を安定に持ち来す運命の仕事を助けてゐるのだ。      ○  運命が冷酷なものなら、運命を圧倒してその先きまはりをする唯一つの道は、人がその本能の生の執着を育てゝ「大死」を早める事によつて、運命を出し抜く外にはない。運命が親切なものなら運命と握手してその愛撫を受ける唯一つの道は、人がその本能の執着を育てゝ「大死」を早める事によつて、運命を狂喜させる外にはない。何れにしても道は一つだ。      ○  だからホイットマンは歌つて云つた。 「来い、可憐ななつかしい死よ、  地上の限りを隅もなく、落付いた足どりで近付く、近付く、  昼にも、夜にも、凡ての人に、各の人に、  早かれ遅かれ、華車な姿の死よ。  測り難い宇宙は讚むべきかな。  その生、その喜び、珍らしい諸相と知識、  又その愛、甘い愛――然しながら更らに更らに讚むべきかな、  かの冷静に凡てを捲きこむ死の確実な抱擁の手は。  静かな足どりで小息みなく近づいて来る暗らき母よ。  心からあなたの為めに歓迎の歌を唄つた人はまだ一人もないと云ふのか。  それなら私は唄はう――私は凡てに勝つてあなたを光栄としよう。  あなたが必ず来るものなら、間違ひなく来て下さいと唄ひ出でよう。  近づけ、力強い救助者!  それが運命なら――あなたが人々をかき抱いたら。私は喜んでその死者を唄はう。  あなたの愛に満ちて流れ漂ふ大海原に溶けこんで、  あなたの法楽の洪水に有頂天になつたその死者を唄はう。オヽ死よ。  私からあなたに喜びの夜曲を、  又舞踏を挨拶と共に申出る――部屋の飾りと饗宴も亦。  若くは広やかな地の景色、若くは高く拡がる空、  若くは生活、若くは圃園、若くは大きな物思はしい夜は凡てあなたにふさはしい。  若くは星々に守られた静かな夜、  若くは海の汀、私の聞き知つたあの皺がれ声でさゝやく波。  若くは私の魂はあなたに振り向く、オヽ際限もなく大きな、面紗かたき死よ、  そして肉体は感謝してあなたの膝の上に丸まつて巣喰ふ。  梢の上から私は歌を空に漂はす、  紆り動く浪を越えて――無数の圃園と荒涼たる大草原とを越えて、  建てこんだ凡ての市街と、群衆に埋まる繋船場と道路とを越えて、  私はこの歌を喜び勇んで空に漂はす、オヽ死よ」 (一九一八、九月十七日)
底本:「日本の名随筆96 運」作品社    1990(平成2)年10月25日第1刷発行    1996(平成8)年8月25日第6刷発行 底本の親本:「有島武郎全集 第七巻」筑摩書房    1980(昭和55)年4月発行 入力:石橋幸一郎 校正:門田裕志 2002年11月12日作成 2006年7月2日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "001145", "作品名": "運命と人", "作品名読み": "うんめいとひと", "ソート用読み": "うんめいとひと", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2002-12-04T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card1145.html", "人物ID": "000025", "姓": "有島", "名": "武郎", "姓読み": "ありしま", "名読み": "たけお", "姓読みソート用": "ありしま", "名読みソート用": "たけお", "姓ローマ字": "Arishima", "名ローマ字": "Takeo", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1878-03-04", "没年月日": "1923-06-09", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "日本の名随筆96 運", "底本出版社名1": "作品社", "底本初版発行年1": "1990(平成2)年10月25日", "入力に使用した版1": "1996(平成8)年8月25日第6刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "有島武郎全集 第七巻", "底本の親本出版社名1": "筑摩書房", "底本の親本初版発行年1": "1980(昭和55)年4月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "石橋幸一郎", "校正者": "門田裕志", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/1145_ruby_7700.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-07-02T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/1145_7701.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-07-02T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
         *  色彩について繊細極まる感覚を持つた一人の青年が現はれた。彼れは普通の写真を見て、黒白の濃淡を凝視することによつて、写された物体の色彩が何んであつたかを易々と見分けるといふことである。この天賦の敏感によつて彼れは一つの大きな発明をしたが、私のこゝに彼れについて語らうとするのはそのことではない。彼れがいつたと称せられる言葉の中に、私に取つて暗示の深い一つの言葉があつた、それを語らうとするのである。  その言葉といふのは、彼れによれば、普通に云はれている意味に於て、自然の色は画家の色より遥かに美しくない、これである。  この言葉は逆説の如く、又誤謬の如く感ぜられるかも知れないと思ふ。何故ならば昔から今に至るまで、画家その人の殆ど凡てが、自然の美を驚嘆してやまなかつたから。而してその自然を端的に表現することの如何に難事であるかを力説してやまなかつたから。それ故私達は色彩の専門家なる人々の所説の一致をそのまゝ受け入れて、自然は凡ての人工の美の総和よりも更らに遥かに美しいとうなづいてゐた。而してそれがさう見えねばやまなかつた。如何に精巧なる絵具も、如何に精巧に配置されたその絵具によつての構図も、到底自然が専有する色彩の美を摩して聳ゆることは出来ない。さう私達は信じさせられると思つてそれを信じた。而して実際にさう見え始めた。          *  然しながら、暫らく私達の持つ先入主観から離れ、私達の持つかすかな実感をたよりにして、私はかの青年の直覚について考へて見たい。  巧妙な花の画を見せられたものは大抵自然の花の如く美しいと嘆美する。同時に、新鮮な自然の花を見せられたものは、思はず画の花の如く美しいと嘆美するではないか。  前の場合に於て、人は画家から授けられた先入主観によつて物をいつてゐるのだ。それは確かだ。後の場合に於て、彼れは明らかに自己の所信とするところのものを裏切つてゐる。彼れは平常の所信と相反した意見を発表して、そこに聊かの怪訝をも感じてはゐないやうに見える。これは果して何によるのだらう。単に一時の思索的錯誤に過ぎないのか。  それともその言葉の後ろには、或る気付かれなかつた意味が隠されてゐるのか。          *  人間とは誇大する動物である。器具を使用する動物であるといふよりも、笑ふといふことをなし得る動物であるといふよりも、自覚の機能を有する動物であるといふよりも、この私のドグマは更らに真相を穿つに近い。若し何々する動物であるといふ提言を以て人間を定義しようとすることが必要であるならば。  彼れの為すところは、凡て自然の生活からの誇大である。彼れが人間たり得た凡ての力とその作用とは、悉く自然が巧妙な均衡のもとに所有してゐたところのものではないか。人間が人間たり得た唯一の力は、自然が持つ均衡を打破つて、その或る点を無限に誇大するところに成立つ。人類の歴史とは、畢竟この誇大的傾向の発現の歴史である。或る時代にあつては、自然生活の或る特殊な点が誇大された。他の時代にあつては他の点が誇大された。或る地方にあつてはこの点が、而して他の地方にあつてはかの点が誇大された。このやうにして文化が成り立ち、個人の生活が成り立ち而してそれがいつの間にか、人間の他の生物に対する優越を結果した。  智慧とは誇大する力の外の何者であらう。          *  暫らく私のドグマを許せ。画家も亦画家としての道に於て誇大する。  画家をして自然の生活をそのまゝに受け入れしめよ。彼れは一個の描き能はざる蛮人に過ぎないであらう。彼れには描くべき自然は何所にもあり得ないだらう。自然はそれ自らにしてユニークだから。而して勿論ユニークなものは一つ以上あることが許されないから。  だから一個の蛮人が画家となるためには、自然を誇大することから始めねばならぬ。彼れは擅まに自然を切断する。自然を抄略する――抄略も亦誇大を成就する一つの手段だ――。自然を強調する。蛮人が画家となつて、一つの風景を色彩に於て表現しようとすると仮定しようか。彼れは先づ自然に存する色彩の無限の階段的配列を切断して、強い色彩のみを継ぎ合すだらう。又色彩を強く表はす為めに、その隣りにある似寄りの色彩を抄略するだらう。又自然に存する各の色を、それに類似した更らに強い色彩によつて強調するだらう。かくの如くして一つの風景画は始めて成立つのだ。それは明らかに自然の再現ではない。自然は再現され得ない。それは自然の誇大だ。その仲間の一人によつて製作された絵画を見た蛮人は、恐らくその一人が発狂したと思つたであらう。何故ならば、それは彼等が素朴に眺めてゐる自然とは余り遠くかけ隔つてゐるから。  然しながら、本然に人間が持つてゐる誇大性は、直ちに誇大せられた表現に親しみ慣れる。而してその表現が自然の再現であるかの如く感じ始められる。かくて巧妙なる画の花は自然の花の如く美しく鑑賞されるに至るのだ。  この時に当つて画家はいふ「自然の美は極まりない。その美を悉く現はすことは人間に取つて、天才に取つてさへ不可能である」と。いふ心は、私達が普通に考へてゐるそのやうにあるのではないのだ。その画家の言葉を聞いた私達は恐らくかう考へてはゐないか。自然の有する色彩は、如何に精緻に製造された絵具の中にも発見され得ない。又その絵具の如何なる配列の中にも発見され得ない。又如何なる天才の徹視の下にも端倪され得ない。それだから自然の持つ色彩は、常に絵画の持つ色彩よりも極りなく麗はしいと。  私は考へる。その言葉を吐いた画家自身はさう考へていつたのではないにしても、私はかう考へる。画家のその言葉は普通に考へられてゐる、前のやうな意味に於てゞはなくいはれたのだ。自然の美は極りないといつた時、画家は既に誇大して眺められた自然について云つてゐるのだ。彼れの言葉の以前に、画家の誇大された色感が既に自然に投入されてゐたのだ。誇大された絵具の色彩によつて義眼された彼れの眼は、知らず識らずその色彩を以て自然を上塗りしてゐたのだ。而して自然には――絵具の色の如く美しくないにしても――色の無限の階段的駢列がある。その駢列の凡てを誇大された絵具によつて表現しようとするのは、それは確かに不可能事を企てようとすることであらねばならぬ。それは謂はゞ一段調子を高くした自然を再現することである。誇大によつてのみ自己の存在自由を確保されてゐる人間に出来得べきことではない。天才たりとも為すなきの境地だ。それ故に画家のその嘆声。          *  然るにかの青年は、色彩に敏感ではあつたけれども画家ではなかつた。彼れは色彩に対する誇大性を所有してゐない。謂はゞ彼れは科学的精神の持主であつた。それ故彼れは画家の凡てが陥つてゐる色彩上の自己暗示に襲はれることなしに、自然の色と絵具の色とを比較することが出来た。而してその結果を彼れは平然として報告したのだ。  それをいふのは単に彼の青年ばかりでない。画家の無意識な偽瞞に煩はされないで、素朴に色彩を感ずる俗人は、新鮮な自然の花を見た場合に、嘆じていふ「おゝこの野の花は画の花の如く美しい」と。          * 「おゝこの野の花は絵の花の如く美しい」  画家は彼れを呼んで済度すべからざる俗物といふだらう。それが画家に取つての最上の Compliment であるのを忘れつゝ。  自然の一部だけを誇大したその結果を自然の全部に投げかけて、自然の前に己れの無力を痛感する画家に取つて、神の如き野の花が、一片の画の花に比較されるのを見るのは、許すべからざる冒涜と感じられよう。かゝる比較を敢てして、したり顔するその男が、人間たる資格を欠くものとさへ思はれよう。  然し、画家よ、暫らく待て。彼れは君の最上の批評家ではなかつたか。公平な、而して、公平の結果の賞讚をためらひなく君に捧げるところの。  その理由をいふのは容易だ。彼れは君が発見した色彩の美が自然の有する色彩の美よりも、更らに美しいと証明したに過ぎないのだから。而かも彼れはそれを阿諛なしにいつてゐるのだ。画家の仕事に対するこれ程な承認が何所にあらう。          *  私は既にいふべきものゝ全部をいつてしまつたのを感ずる。青年の言葉によつて与へられた暗示は私にこれだけのことを考へさせた。而しそれを携へて私は私自身の分野に帰つて行く。  芸術家は創造するといはれてゐる。全くの創造は芸術家にも許されてはゐない。芸術家は自然の或る断面を誇大するに過ぎない。偽りの芸術家は意識的にそれをする。本当の芸術家は知らずしてそれを為し遂げる。而してそれを彼れに個有な力と様式とをもつて為し遂げる。彼れは他の人が見なかつたやうに自然を見る。而してその見方を以て他の人々を義眼する。かくて自然は嘗てありしところの相を変へる。創造とはそれをいふのだ。自然が創造されたのではない。謂はゞ自然の幻覚が創造されたのだ。  然しながらこの幻覚創造が如何に人間生活の内容を豊富にすることよ。何故ならば人間は幻覚によつてのみ本当に生きることが出来るのだから。          *  自然をそのまゝに客観するものは科学者である。少くともさうしようと企てるものが科学者である。彼れは自然の或る面に対して敏感でなければならない。而して同時にそれを誇大する習癖から救はれてゐなければならない。  彼れは常に芸術の誇大から自然を解放する。その所謂美しくない姿に於ての自然を露出せしめる。人間性の約束として彼れも亦何等かの方面に於て自然を誇大してゐるであらう。然しながら彼れのかゝはる学に於ては、人間の本性なる誇大的傾向から去勢されてゐなければならないのだ。  幻覚の持つ有頂天を無惨にも踏み躙る冷やかな徹視。彼れ科学者こそは、謂ひ得べくは、まことの自然を創造するものだ。人間を裏切つて自然への降伏を敢てするものは彼れだ。  水に於ては死水を、大気に於ては赤道直下を、大地に於ては細菌なき土壌を、而して人生に於ては感激なき生活を。  古人が悪魔と名けたところのものは、即ち近代が科学者と呼ぶところのものだ。人間が自覚の初期に於て、誇大した自己を自然に向つて投写したのが、神だつた。又その誇大性から人間を自然に還元しようとする精神を具体化したのが悪魔だつた。それ故に人間は神を崇び悪魔を避けた。然しながら自覚の成熟と共に、神は人間の中に融けこんで芸術的衝動となり、悪魔も亦人間の中に融けこんで批評的精神となつたのだ。          *  然らば科学者は畢竟人間的進軍の中に紛れこんだ敵の間諜に過ぎないのか。さうだ。而してさうではない。  人間は既に誇大されたものを自然そのものであるかの如く思ひこんで、それを更らに誇大することはないか。  無いどころではない。余りにそれはあり過ぎる。人間は屡彼れの特権を濫用することによつて、特権のために濫用される。大地に根をおろして、梢を空にもたげるものは栄える。梢に大地をつぎ木して、そこに世界を作らうとするものは危い。而してこの奇怪な軽業が、如何に屡わが芸術家によつて好んで演出されるよ。  科学の冷やかな三十棒は、大地に倚つて立つ木の上にも加へられるだらう。けれども、その木はその三十棒を膏雨として受取ることが出来る。然しながらその三十棒が、梢につぎ木された大地の上にふり降される時、それは天地を暗らくする頽嵐となつて働くのだ。  人はこの頽嵐を必要としないか。  人は、土まみれになつたその梢の洗らひ浄められるのを、首を延べて待ち望んでゐるではないか。  嵐よ、吹きまくれ。          *  科学者への警告。  君は人間の存在理由を無視するところから出発するものだ。その企ては勇ましい。  然しながら君は人間の夢を全くさまし切ることは出来ないだらう。何故ならば、人間の夢をさまし切つた時、そこにはもう人間はゐないから。          *  一つの強い縄となる為めには、少くとも二つの小索の合力が必要だ。  自然と接触する所には、人間特有の誇大性を。人間特有の誇大性によつて誇大された産物と接触する所には、冷厳無比な科学的精神を。  これが人間の保持すべき唯一無二の道徳である。
底本:「日本の名随筆23 画」作品社    1984(昭和59)年9月25日第1刷発行    1991(平成3)年10月20日第12刷発行 底本の親本:「有島武郎全集 第九巻」筑摩書房    1981(昭和56)年4月発行 入力:加藤恭子 校正:門田裕志、小林繁雄 2005年5月3日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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    一 沢なすこの世の楽しみの   楽しき極みは何なるぞ 北斗を支ふる富を得て   黄金を数へん其時か オー 否 否 否   楽しき極みはなほあらん。     二 剣はきらめき弾はとび   かばねは山なし血は流る 戦のちまたのいさほしを   我身にあつめし其時か オー 否 否 否   楽しき極みはなほあらん。     三 黄金をちりばめ玉をしく   高どのうてなはまばゆきに のぼりて貴き位やま   世にうらやまれん其時か オー 否 否 否   楽しき極みはなほあらん。     四 楽しき極みはくれはどり   あやめもたへなる衣手か やしほ味よきうま酒か   柱ふとしき家くらか オー 否 否 否   楽しき極みはなほあらん。     五 正義と善とに身をさゝげ   欲をば捨てて一すぢに 行くべき路を勇ましく   真心のまゝに進みなば アー 是れ 是れ 是れ   是れこそ楽しき極みなれ。     六 日毎の業にいそしみて   心にさそふる雲もなく 昔の聖 今の大人   友とぞなしていそしまば アー 是れ 是れ 是れ   是れこそ楽しき極みなれ。     七 楽しからずや天の原   そら照る星のさやけさに 月の光の貴さに   心をさらすその時の アー 是れ 是れ 是れ   是れこそ楽しき極みなれ。     八 そしらばそしれつゞれせし   衣をきるともゆがみせし 家にすむとも心根の   天にも地にも恥ぢざれば アー 是れ 是れ 是れ   是れこそ楽しき極みなれ。     九 衣もやがて破るべし   ゑひぬる程もつかの間よ 朽ちせでやまじ家倉も   唯我心かはらめや アー 是れ 是れ 是れ   是れこそ楽しき極みなれ。
底本:「有島武郎全集第一卷」筑摩書房    1980(昭和55)年8月30日初版第1刷発行    2001(平成13)年6月10日初版第3刷発行 底本の親本:「有島武郎全集第一卷」叢文閣    1924(大正13)年4月5日発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。 入力:mono 校正:染川隆俊 2010年3月2日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "049995", "作品名": "遠友夜学校校歌", "作品名読み": "えんゆうやがっこうこうか", "ソート用読み": "えんゆうやかつこうこうか", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2010-04-04T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card49995.html", "人物ID": "000025", "姓": "有島", "名": "武郎", "姓読み": "ありしま", "名読み": "たけお", "姓読みソート用": "ありしま", "名読みソート用": "たけお", "姓ローマ字": "Arishima", "名ローマ字": "Takeo", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1878-03-04", "没年月日": "1923-06-09", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "有島武郎全集第一巻", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1980(昭和55)年8月30日", "入力に使用した版1": "2001(平成13)年6月10日初版第3刷", "校正に使用した版1": "2001(平成13)年6月10日初版第3刷 ", "底本の親本名1": "有島武郎全集第一巻", "底本の親本出版社名1": "叢文閣版", "底本の親本初版発行年1": "1924(大正13)年4月5日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "mono", "校正者": "染川隆俊", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/49995_ruby_37491.zip", "テキストファイル最終更新日": "2010-03-02T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/49995_38418.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2010-03-02T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
Sometimes with one I love, I fill myself with rage, for fear I effuse unreturn'd love; But now I think there is no unreturn'd love―the pay is certain, one way or another; (I loved a certain person ardently, and my love was not return'd; Yet out of that, I have written these songs.) -- Walt Whitman -- I exist as I am―that is enough; If no other in the world be aware, I sit content, And if each and all be aware, I sit content. One world is aware, and by far the largest to me, and that is myself; And whether I come to my own to-day, or in ten thousand or ten million years, I can cheerfully take it now, or with equal cheerfulness I can wait. -- Walt Whitman -- 一  太初に道があったか行があったか、私はそれを知らない。然し誰がそれを知っていよう、私はそれを知りたいと希う。そして誰がそれを知りたいと希わぬだろう。けれども私はそれを考えたいとは思わない。知る事と考える事との間には埋め得ない大きな溝がある。人はよくこの溝を無視して、考えることによって知ることに達しようとはしないだろうか。私はその幻覚にはもう迷うまいと思う。知ることは出来ない。が、知ろうとは欲する。人は生れると直ちにこの「不可能」と「欲求」との間にさいなまれる。不可能であるという理由で私は欲求を抛つことが出来ない。それは私として何という我儘であろう。そして自分ながら何という可憐さであろう。  太初の事は私の欲求をもってそれに私を結び付けることによって満足しよう。私にはとても目あてがないが、知る日の来らんことを欲求して満足しよう。  私がこの奇異な世界に生れ出たことについては、そしてこの世界の中にあって今日まで生命を続けて来たことについては、私は明かに知っている。この認識を誇るべきにせよ、恥ずべきにせよ、私はごまかしておくことが出来ない。私は私の生命を考えてばかりはいない。確かに知っている。哲学者が知っているように知っているのではないかも知れない。又深い生活の冒険者が知っているように知っているのではないかも知れない。然し私は知っている。この私の所有を他のいかなるものもくらますことは出来ない。又他のいかなる威力も私からそれを奪い取ることは出来ない。これこそは私の存在が所有する唯一つの所有だ。  恐るべき永劫が私の周囲にはある。永劫は恐ろしい。或る時には氷のように冷やかな、凝然としてよどみわたった或るものとして私にせまる。又或る時は眼もくらむばかりかがやかしい、瞬間も動揺流転をやめぬ或るものとして私にせまる。私はそのものの隅か、中央かに落された点に過ぎない。広さと幅と高さとを点は持たぬと幾何学は私に教える。私は永劫に対して私自身を点に等しいと思う。永劫の前に立つ私は何ものでもないだろう。それでも点が存在する如く私もまた永劫の中に存在する。私は点となって生れ出た。そして瞬く中に跡形もなく永劫の中に溶け込んでしまって、私はいなくなるのだ。それも私は知っている。そして私はいなくなるのを恐ろしく思うよりも、点となってここに私が私として生れ出たことを恐ろしく思う。  然し私は生れ出た。私はそれを知る。私自身がこの事実を知る主体である以上、この私の生命は何といっても私のものだ。私はこの生命を私の思うように生きることが出来るのだ。私の唯一の所有よ。私は凡ての懐疑にかかわらず、結局それを尊重愛撫しないでいられようか。涙にまで私は自身を痛感する。  一人の旅客が永劫の道を行く。彼を彼自身のように知っているものは何処にもいない。陽の照る時には、彼の忠実な伴侶はその影であるだろう。空が曇り果てる時には、そして夜には、伴侶たるべき彼の影もない。その時彼は独り彼の衷にのみ忠実な伴侶を見出さねばならぬ。拙くとも、醜くとも、彼にとっては、彼以上のものを何処に求め得よう。こう私は自分を一人の旅客にして見る時もある。  私はかくの如くにして私自身である。けれども私の周囲に在る人や物やは明かに私ではない。私が一つの言葉を申し出る時、私以外の誰が、そして何が、私がその言葉をあらしめるようにあらしめ得るか。私は周囲の人と物とにどう繋がれたら正しい関係におかれるのであろう。如何なる関係も可能ではあり得ないのか。可能ならばそれを私はどうして見出せばいいのか。誰がそれを私に教えてくれるのだろう。……結局それは私自身ではないか。  思えばそれは寂しい道である。最も無力なる私は私自身にたよる外の何物をも持っていない。自己に矛盾し、自己に蹉跌し、自己に困迷する、それに何の不思議があろうぞ。私は時々私自身に対して神のように寛大になる。それは時々私の姿が、母を失った嬰児の如く私の眼に映るからだ。嬰児は何処をあてどもなく匍匐する。その姿は既に十分憐れまれるに足る。嬰児は屡〻過って火に陥る、若しくは水に溺れる。そして僅かにそこから這い出ると、べそをかきながら又匍匐を続けて行く。このいたいけな姿を憐れむのを自己に阿るものとのみ云い退けられるものであろうか。縦令道徳がそれを自己耽溺と罵らば罵れ、私は自己に対するこの哀憐の情を失うに忍びない。孤独な者は自分の掌を見つめることにすら、熱い涙をさそわれるのではないか。  思えばそれは嶮しい道でもある。私の主体とは私自身だと知るのは、私を極度に厳粛にする。他人に対しては与え得ないきびしい鞭打を与えざるを得ないものは畢竟自身に対してだ。誘惑にかかったように私はそこに導かれる。笞にはげまされて振い立つ私を見るのも、打撲に抵抗し切れなくなって倒れ伏す私を見るのも、共に私が生きて行く上に、無くてはならぬものであるのを知る。その時に私は勇ましい。私の前には力一杯に生活する私の外には何物をも見ない。私は乗り越え乗り越え、自分の力に押され押されて未見の境界へと険難を侵して進む。そして如何なる生命の威脅にもおびえまいとする。その時傷の痛みは私に或る甘さを味わせる。然しこの自己緊張の極点には往々にして恐ろしい自己疑惑が私を待ち設けている。遂に私は疲れ果てようとする。私の力がもうこの上には私を動かし得ないと思われるような瞬間が来る。私の唯一つの城廓なる私自身が見る見る廃墟の姿を現わすのを見なければならないのは、私の眼前を暗黒にする。  けれどもそれらの不安や失望が常に私を脅かすにもかかわらず、太初の何であるかを知らない私には、自身を措いてたよるべき何物もない。凡ての矛盾と渾沌との中にあって私は私自身であろう。私を実価以上に値ぶみすることをしまい。私を実価以下に虐待することもしまい。私は私の正しい価の中にあることを勉めよう。私の価値がいかに低いものであろうとも、私の正しい価値の中にあろうとするそのこと自身は何物かであらねばならぬ。縦しそれが何物でもないにしろ、その外に私の採るべき態度はないではないか。一個の金剛石を持つものは、その宝玉の正しい価値に於てそれを持とうと願うのだろう。私の私自身は宝玉のように尊いものではないかも知れない。然し心持に於ては宝玉を持つ人の心持と少しも変るところがない。  私は私のもの、私のただ一つのもの。私は私自身を何物にも代え難く愛することから始めねばならない。  若し私のこの貧しい感想を読む人があった時、この出発点を首肯することが出来ないならば、私はその人に更にいい進むべき何物をも持ち得ない。太初が道であるか行であるかを(考えるのではなく)知り切っている人に取っては、この感想は無視さるべき無益なものであろう。私は自分が極めて低い生活途上に立っているものであることをよく知りぬいている。ただ、今の私はそこに一番堅固な立場を持っているが故に、そこに立つことを恥じまいとするものだ。前にもいったように、私はより高い大きなものに対する欲求を以て、知り得たる現在に安住し得るのを自己に感謝する。 二  私の言おうとする事が読者に十分の理解を与え得なくはないかと恐れる。人が人自身を言い現わすのは一番容易なことであらねばならぬ。何となれば、それはその人自身が最もよく知り抜いている筈の事柄だから。  実際は然しそうではない。私達の用いている言葉は謂わば狼穽のようなものだ。それは獲物を取るには役立つけれども、私達自身に向っては妨げにこそなれ、役には立たない。或は拡大鏡のようなものだ。私達はそれによって身外を見得るけれども、私達自身の顔を見ることは出来ない。或は又精巧な機械といってもよい。私達はそれによって有らゆるものを造り出し得るとしても、遂に私達自身を造り出すことは出来ない。  言葉は意味を表わす為めに案じ出された。然しそれは当初の目的から段々に堕落した。心の要求が言葉を創った。然し今は物がそれを占有する。吃る事なしには私達は自分の心を語る事が出来ない。恋人の耳にささやかれる言葉はいつでも流暢であるためしがない。心から心に通う為めには、何んという不完全な乗り物に私達は乗らねばならぬのだろう。  のみならず言葉は不従順な僕である。私達は屡〻言葉の為めに裏切られる。私達の発した言葉は私達が針ほどの誤謬を犯すや否や、すぐに刃を反えして私達に切ってかかる。私達は自分の言葉故に人の前に高慢となり、卑屈となり、狡智となり、魯鈍となる。  かかる言葉に依頼して私はどうして私自身を誤りなく云い現わすことが出来よう。私は已むを得ず言葉に潜む暗示により多くの頼みをかけなければならない。言葉は私を言い現わしてくれないとしても、その後につつましやかに隠れているあの睿智の独子なる暗示こそは、裏切る事なく私を求める者に伝えてくれるだろう。  暗示こそは人に与えられた子等の中、最も優れた娘の一人だ。然し彼女が慎み深く、穏かで、かつ容易にその面紗を顔からかきのけない為めに、人は屡〻この気高く美しい娘の存在を忘れようとする。殊に近代の科学は何の容赦もなく、如何なる場合にも抵抗しない彼女を、幽閉の憂目にさえ遇わせようとした。抵抗しないという美徳を逆用して人は彼女を無視しようとする。  人間がどうしてか程優れた娘を生み出したかと私は驚くばかりだ。彼女は自分の美徳を認めるものが現われ出るまで、それを沽ろうと企てたことが嘗てない。沽ろうとした瞬間に美徳が美徳でなくなるという第一義的な真理を本能の如く知っているのは彼女だ。又正しく彼女を取り扱うことの出来ないものが、仮初にも彼女に近づけば、彼女は見る見るそのやさしい存在から萎れて行く。そんな人が彼女を捕え得たと思った時には、必ず美しい死を遂げたその亡骸を抱くのみだ。粘土から創り上げられた人間が、どうしてかかる気高い娘を生み得たろう。  私は私自身を言い現わす為めに彼女に優しい助力を乞おう。私は自分の生長が彼女の柔らかな胸の中に抱かれることによって成就したのを経験しているから。しかし人間そのものの向上がどれ程彼女――人間の不断の無視にかかわらず――によって運ばれたかを知っているから。  けれども私は暗示に私を託するに当って私自身を恥じねばならぬ。私を最もよく知るものは私自身であるとは思うけれども、私の知りかたは余りに乱雑で不秩序だ。そして私は言葉の正当な使い道すらも十分には心得ていない。その言葉の後ろに安んじて巣喰うべき暗示の座が成り立つだろうかとそれを私は恐れる。  然し私は行こう。私に取って已み難き要求なる個性の表現の為めに、あらゆる有縁の個性と私のそれとを結び付けようとする厳しい欲求の為めに、私は敢えて私から出発して歩み出して行こう。  私が餓えているように、或る人々は餓えている。それらの人々に私は私を与えよう。そしてそれらの人々から私も受取ろう。その為めには仮りに自分の引込思案を捨ててかかろう。許されるかぎりに於て大胆になろう。  私が知り得る可能性を存分に申し出して見よう。唯この貧しい言葉の中から暗示が姿を隠してしまわない事を私は祈る。 三  神を知ったと思っていた私は、神を知ったと思っていたことを知った。私の動乱はそこから芽生えはじめた。  或る人は私を偽善者ではないかと疑った。どうしてそこに疑いの余地などがあろう。私は明かに偽善者だ。明かに私は偽善者である。そう言明するのが、どれ程偽善的な行為であるぞとの非難が、当然喚び起されるのを知らない私ではない。それにもかかわらず私は明かに偽善者であると言明せねばならぬ。私は屡〻私自身に顧慮する以上に外界に顧慮しているからだ。それは悲しい事には私が弱いからだ。私は弱い者の有らゆる窮策によく通じている。僅かな原因ですぐ陥った一つの小さな虚偽の為めに、二つ三つ四つ五つと虚偽を重ねて行かねばならぬ、その苦痛をも知っている。弱いが故に強いて自分を強く見せようとして、いつでも胸の中を戦慄させていねばならぬ不安も知っている。苦肉の策から、自分の弱味を殊更に捨て鉢に人の前にあらわに取り出して、不意に乗じて一種の尊敬を、そうでなければ一種の憐憫を、搾り取ろうとする自涜も知っている。弱さは真に醜さだ。それを私はよく知っている。  然し偽善者とは弱いということばかりがその本質ではない。本当に弱いものは、その弱さから来る自分の醜さをも悲惨さをも意識しないが故に、その人はそのままの境地に満足することが出来よう。偽善者は不幸にしてただ弱いばかりでなく、その反面に多少の強さを持っている。彼は自分の弱味によって惹き起した醜さ悲惨さを意識し得る強さをも持っているのだ。そしてその弱さを強さによって弥縫しようとするのだ。  強者がその強味を知らず、弱味を知らない間に、偽善者はよくその強味と弱味とを知っている。人はいうだろう、偽善者の本質は、強味を以て弱味を弥縫するばかりでなく、その弥縫に無恥な安住を敢てする点にあると。だから偽善者は救わるることが出来ないのだと。こう云って聞かされると私は偽善者の為めに弁解をしないではいられない心持になる。私自身が偽善者であるが故に自分自身の為めに弁解しようとするだけではない。偽善者そのものになり代って、偽善者の一人なる私が、義人に申し出たいと思わずにはいられないのだ。  何事にも例外はある。その例外を殊更に色濃く描くのをひかえて見て貰ったら、偽善者というものが、強味を以て弱味を弥縫するところに無恥な安住をしているというのは、少しさばけ過ぎた見方だとは云われまいか。私は義人が次の点に於て偽善者を信じていただきたいと思う。それは偽善者もまた心窃かに苦しんでいるという一事だ。考えて見てもほしい。多少の強さと弱さとを同時に持ち合わしているものが、二つの力の矛盾を感じないでいられようか。矛盾を感じながら平然としてそこに無恥の安住をのみ続けていることが出来ようか。  偽善者よ、お前は全くひどい目に遇わされた。それは当然な事だ。お前は本当に不愉快な人間だから。お前はいつでも然り然り否々といい切ることが出来ないから。毎時でもお前には陰険なわけへだてが附きまつわっているから。お前は憎まれていい。辱しめられていい。悪魔視されていい。然しお前の心の隅の人知れぬ苦痛をそっと眺めてやる人はないのか。お前が人並に見られたい為めに、お前自身にさえ隠そうと企てているその人知れぬ苦痛を一寸でも暖かく触ろうという人はないのか。偽善者よ、私は自身偽善者であるが故によくそれを知っている。義人のすぐ隣に住むと考えられている罪人(己れの罪を知ってそれを悲しむ人)は自分の強味と弱味との矛盾を声高く叫び得る幸福な人達なのだ。罪人の持つものも偽善者の持つものも畢竟は同じなのだ。ただ罪人は叫ぶ。それを神が聞く。偽善者は叫ぼうとする程に強さを持ち合わしていない。故に神は聞かない。それだけの差だと私には思える。よきサマリヤ人と悪しきサドカイ人とは、隣り合せに住んでいるのではないか。偽善者なる私は屡〻他人を偽善者と呼んだ。今にして私はそれを悲しく思う。何故に私は人と人との距てをこんなに大きくしようとはしたろう。  こう云ったとて私は、世の義人に偽善者を裁く手心をゆるめて貰いたいと歎願するのではない。偽善者は何といっても義人からきびしく裁かれるふしだらさを持っている。私はただ偽善者もその心の片隅には人に示すのを敢てしない苦痛を持っているという事を知って貰えばいいのだ。それが私の弁解なのだ。  私もその苦痛は持っていた。人の前に私を私以上に立派に見せようとする虚妄な心は有り余るほど持っていたけれども、そこに埋めることの出来ない苦痛をも全く失ってはいなかった。そして或る時には、烏が鵜の真似をするように、罪人らしく自分の罪を上辷りに人と神との前に披露もした。私は私らしく神を求めた。どれ程完全な罪人の形に於て私はそれをなしたろう。恐らく私は誰の眼からも立派な罪人のように見えたに違いない。私は断食もした、不眠にも陥った、痩せもした。一人の女の肉をも犯さなかった。或る時は神を見出だし得んためには、自分の生命を好んで断つのを意としなかった。  他人眼から見て相当の精進と思われるべき私の生活が幾百日か続いた後、私は或る決心を以て神の懐に飛び入ったと実感のように空想した。弱さの醜さよ。私はこの大事を見事に空想的に実行していた。  そして私は完全にせよ、不完全にせよ、甦生していたろうか。復活していたろうか。神によって罪の根から切り放された約束を与えられたろうか。  神の懐に飛び入ったと空想した瞬間から、私が格段に瑕瑾の少い生活に入ったことはそれは確かだ。私が隣人から模範的の青年として取り扱われたことは、私の誇りとしてではなく、私のみじめな懺悔としていうことが出来る。  けれども私は本当は神を知ってはいなかったのだ。神を知り神によりすがると宣言した手前、強いて私の言行をその宣言にあてはめていたに過ぎなかったのだ。それらが如何に弱さの生み出す空想によって色濃く彩られていたかは、私が見事に人の眼をくらましていたのでも察することが出来る。  この時若し私に人の眼の前に罪を犯すだけの強さがあったなら、即ち私の顧慮の対象なる外界と私とを絶縁すべき事件が起ったら、私は偽善者から一躍して正しき意味の罪人になっていたかも知れない。私は自分の罪を真剣に叫び出したかも知れない。そしてそれが恐らくは神に聞かれたろう。然し私はそうなるには余りに弱かった。人はこの場合の私を余り強過ぎたからだといおうとするかも知れない。若しそういう人があるなら、私は明かにそれが誤謬であるのを自分の経験から断言することが出来る。本当に罪人となり切る為めには、自分の凡てを捧げ果てる為めには、私の想像し得られないような強さが必要とせられるのだ。このパラドックスとも見れば見える申し出では決して虚妄でない。罪人のあの柔和なレシグネーションの中に、昂然として何物にも屈しまいとする強さを私は明かに見て取ることが出来る。神の信仰とは強者のみが与かり得る貴族の団欒だ。私は羨しくそれを眺めやる。然し私には、その入場券は与えられていない。私は単にその埓外にいて貴族の物真似をしていたに過ぎないのだ。  基督の教会に於て、私は明かに偽善者の一群に属すべきものであるのを見出してしまった。  砂礫のみが砂礫を知る。金のみが金を知る。これは悲しい事実だ。偽善者なる私の眼には、自ら教会の中の偽善の分子が見え透いてしまった。こんな事を書き進むのは、殆ど私の堪え得ないところだ。私は余りに自分を裸にし過ぎる。然しこれを書き抜かないと、私のこの拙い感想の筆は放げ棄てられなければならない。本当は私も強い人になりたい。そして教会の中に強さが生み出した真の生命の多くを尊く拾い上げたい。私は近頃或る尊敬すべき老学者の感想を読んだが、その中に宗教に身をおいたものが、それを捨てるというようなことをするのは、如何にその人の性格の高貴さが足らないかを現わすに過ぎないということが強い語調で書かれているのを見た。私はその老学者に深い尊敬を払っているが故に、そして氏の生得の高貴な性格を知っているが故に、その言葉の空しい罵詈でないのを感じて私自身の卑陋を悲しまねばならなかった。氏が凡ての虚偽と堕落とに飽満した基督旧教の中にありながら、根ざし深く潜在する尊い要素に自分のけだかさを化合させて、巌のように堅く立つその態度は、私を驚かせ羨ませる。私は全くそれと反対なことをしていたようだ。私は自分が卑陋であるが故に、多くの卑陋なものを見てしまった。私はそれを悲しまねばならない。  然し私は自分の卑陋から、周囲に卑陋なものを見出しておきながら、高貴な性格の人があるように、それを見ないでいることはさすがに出来なかった。卑陋なものを見出しながら、しらじらしく見ない振りをして、寛大にかまえていることは出来なかった。その程度までの偽善者になるには、私の強味が弱味より多過ぎたのかも知れない。そして私は、自分の偽善が私の属する団体を汚さんことを恐れて、そして団体の悪い方の分子が私の心を苦しめるのを厭って、その団体から逃げ出してしまった。私の卑陋はここでも私に卑陋な行いをさせた。私の属していた団体の言葉を借りていえば、私の行の根柢には大それた高慢が働いていたと云える。  けれども私は小さな声で私にだけ囁きたい。心の奥底では、私はどうかして私を偽善者から更に偽善者に導こうとする誘因を避けたい気持がないではなかったということを。それを突き破るだけの強さを持たない私はせめてはそれを避けたいと念じていたのだ。前にもいったように外界に支配され易い私は、手厳しい外界に囲まれていればいる程、自分すら思いもかけぬ偽善を重ねて行くのに気づき、そしてそれを心から恐れるようになってはいたのだ。だから私は私の属していた団体を退くと共に、それまで指導を受けていた先輩達との直接の接触からも遠ざかり始めた。  偽善者であらぬようになりたい。これは私として過分な欲求であると見られるかも知れないけれども、偽善者は凡て、偽善者でなかったらよかろうという心持を何処かの隅に隠しながら持っているのだ。私も少しそれを持っていたばかりだ。  義人、偽善者、罪人、そうした名称が可なり判然区別されて、それがびしびしと人にあてはめられる社会から私が離れて行ったのは、結局悪いことではなかったと私は今でも思っている。  神を知ったと思っていた私は、神を知ったと思っていたことを知った。私の動乱はそこから芽生えはじめた。その動乱の中を私はそろそろと自分の方へと帰って行った。目指す故郷はいつの間にか遙に距ってしまい、そして私は屡〻蹉いたけれども、それでも動乱に動乱を重ねながらそろそろと故郷の方へと帰って行った。 四  長い廻り道。  その長い廻り道を短くするには、自分の生活に対する不満を本当に感ずる外にはない。生老病死の諸苦、性格の欠陥、あらゆる失敗、それを十分に噛みしめて見ればそれでいいのだ。それは然し如何に言説するに易く実現するに難き事柄であろうぞ。私は幾度かかかる悟性の幻覚に迷わされはしなかったか。そしてかかる悟性と見ゆるものが、実際は既定の概念を尺度として測定されたものではなかったか。私は稀にはポーロのようには藻掻いた。然し私のようには藻掻かなかった。親鸞のようには悟った。然し私のようには悟らなかった。それが一体何になろう。これほど体裁のいい外貌と、内容の空虚な実質とを併合した心の状態が外にあろうか。この近道らしい迷路を避けなければならないと知ったのは、長い彷徨を続けた後のことだった。それを知った後でも、私はややもすればこの忌わしい袋小路につきあたって、すごすごと引き返さねばならなかった。  私は自分の個性がどんなものであるかを知りたいために、他人の個性に触れて見ようとした。歴史の中にそれを見出そうと勉めたり、芸術の中にそれを見出そうと試みたり、隣人の中にそれを見出そうと求めたりした。私は多少の知識は得たに違いなかった。私の個性の輪廓は、おぼろげながら私の眼に映るように思えぬではなかった。然しそれは結局私ではなかった。  物を見る事、物をそれ自身の生命に於てあやまたず捕捉する事、それは私が考えていたように容易なことではない。それを成就し得た人こそは世に類なく幸福な人だ。私は見ようと欲しないではなかった。然し見るということの本当の意味を弁えていたといえようか。掴み得たと思うものが暫くするといつの間にか影法師に過ぎぬのを発見するのは苦い味だ。私は自分の心を沙漠の砂の中に眼だけを埋めて、猟人から己れの姿を隠し終せたと信ずる駝鳥のようにも思う。駝鳥が一つの機能の働きだけを隠すことによって、全体を隠し得たと思いこむのと反対に、私は一つの機能だけを働かすことによって、私の全体を働かしていると信ずることが屡〻ある。こうして眺められた私の個性は、整った矛盾のない姿を私に描いて見せてくれるようだけれども、見ている中にそこには何等の生命もないことが明かになって来る。それは感激なくして書かれた詩のようだ。又着る人もなく裁たれた錦繍のようだ。美しくとも、価高くあがなわれても、有りながら有る甲斐のない塵芥に過ぎない。  私が私自身に帰ろうとして、外界を機縁にして私の当体を築き上げようとした試みは、空しい失敗に終らねばならなかった。  聡明にして上品な人は屡〻仮象に満足する。満足するというよりは、人の現象と称えるものも、人の実在と称えるものも、畢竟は意識の――それ自身が仮象であるところの――仮初めな遊戯に過ぎないと傍観する。そこに何等かの執着をつなぎ、葛藤を加えるのは、要するに下根粗笨な外面的見断に支配されての迷妄に過ぎない。それらの境を静かに超越して、嬰児の戯れを見る老翁のように凡ての努力と蹉跌との上に、淋しい微笑を送ろうとする。そこには冷やかな、然し皮相でない上品さが漂っている。或は又凡てを容れ凡てを抱いて、飽くまで外界の跳梁に身を任かす。昼には歓楽、夜には遊興、身を凡俗非議の外に置いて、死にまでその恣まな姿を変えない人もある。そこには皮肉な、然し熱烈な聡明が窺われないではない。私はどうしてそれらの人を弾劾することが出来よう。果てしのない迷執にさまよわねばならぬ人の宿命であって見れば、各〻の瞬間をただ楽しんで生きる外に残される何事があろうぞとその人達はいう。その心持に対して私は白眼を向けることが出来るか。私には出来ない。人は或はかくの如き人々を酔生夢死の徒と呼んで唾棄するかも知れない。然し私にはその人々の何処かに私を牽き付ける或るものが感ぜられる。私には生来持ち合わしていない或る上品さ、或る聡明さが窺われるからだ。  何という多趣多様な生活の相だろう。それはそのままで尊いではないか。そのままで完全な自然な姿を見せているではないか。若し自然にあの絢爛な多種多様があり、独り人間界にそれがなかったならば、宇宙の美と真とはその時に崩れるといってもいいだろう。主義者といわれる人の心を私はこの点に於てさびしく物足らなく思う。彼は自分が授かっただけの天分を提げて人間全体をただ一つの色に塗りつぶそうとする人ではないか。その意気の尊さはいうまでもない。然しその尊さの蔭には尊さそのものをも冰らせるような淋しさが潜んでいる。  ただ私は私自身を私に恰好なように守って行きたい。それだけは私に許される事だと思うのだ。そしてその立場からいうと私はかの聡明にして上品な人々と同情の人であることが出来ない。私にはまださもしい未練が残っていて、凡てを仮象の戯れだと見て心を安んじていることが出来ない。そこには上品とか聡明とかいうことから遙かに遠ざかった多くの vulgarity が残っているのを私自身よく承知している。私は全く凡下な執着に駆られて齷齪する衆生の一人に過ぎない。ただ私はまだその境界を捨て切ることが出来ない。そして捨て切ることの出来ないのを悪いことだとさえ思わない。漫然と私自身を他の境界に移したら、即ち私の個性を本当に知ろうとの要求を擲ったならば、私は今あるよりもなお多くの不安に責められるに違いないのだ。だから私は依然として私自身であろうとする衝動から離れ去ることが出来ない。  外界の機縁で私を創り上げる試みに失敗した私は、更に立ちなおって、私と外界とを等分に向い合って立たせようとした。  私がある。そして私がある以上は私に対立して外界がある。外界は私の内部に明かにその影を投げている。従って私の心の働きは二つの極の間を往来しなければならない。そしてそれが何故悪いのだ。私はまだどんな言葉で、この二つの極の名称をいい現わしていいか知らない。然しこの二つの極は昔から色々な名によって呼ばれている。希臘神話ではディオニソスとアポロの名で、又欧洲の思潮ではヘブライズムとヘレニズムの名で、仏典では色相と空相の名で、或は唯物唯心、或は個人社会、或は主義趣味、……凡て世にありとあらゆる名詞に対を成さぬ名詞はないと謂ってもいいだろう。私もまたこのアンティセシスの下にある。自分が思い切って一方を取れば、是非退けねばならない他の一方がある。ジェーナスの顔のようにこの二つの極は渾融を許さず相反いている。然し私としてはその二つの何れをも潔く捨てるに忍びない。私の生の欲求は思いの外に強く深く、何者をも失わないで、凡てを味い尽して墓場に行こうとする。縦令私が純一無垢の生活を成就しようとも、この存在に属するものの中から何かを捨ててしまわねばならぬとなら、それは私には堪え得ぬまでに淋しいことだ。よし私は矛盾の中に住み通そうとも、人生の味いの凡てを味い尽さなければならぬ。相反して見ゆる二つの極の間に彷徨うために、内部に必然的に起る不安を得ようとも、それに忍んで両極を恐れることなく掴まねばならぬ。若しそれらを掴むのが不可能のことならば、公平な観察者鑑賞者となって、両極の持味を髣髴して死のう。  人間として持ち得る最大な特権はこの外にはない。この特権を捨てて、そのあとに残されるものは、捨てるにさえ値しない枯れさびれた残り滓のみではないか。 五  けれども私はそこにも満足を得ることが出来なかった。私は思いもよらぬ物足らぬ発見をせねばならなかった。両極の観察者になろうとした時、私の力はどんどん私から遁れ去ってしまったのだ。実験のみをしていて、経験をしない私を見出した時、私は何ともいえない空虚を感じ始めた。私が触れ得たと思う何れの極も、共に私の命の糧にはならないで、何処にまれ動き進もうとする力は姿を隠した。私はいつまでも一箇所に立っている。  これは私として極端に堪えがたい事だ。かのハムレットが感じたと思われる空虚や頼りなさはまた私にも存分にしみ通って、私は始めて主義の人の心持を察することが出来た。あの人々は生命の空虚から救い出されたい為めに、他人の自由にまで踏み込んでも、力の限りを一つの極に向って用いつつあるのだ。それは或る場合には他人にとって迷惑なことであろうとも、その人々に取っては致命的に必要なことなのだ。主義の為めには生命を捨ててもその生命の緊張を保とうとするその心持はよく解る。  然しながら私には生命を賭しても主張すべき主義がない。主義というべきものはあるとしても、それが為めに私自身を見失うまでにその為めに没頭することが出来ない。  やはり私はその長い廻り道の後に私に帰って来た。然し何というみじめな情ない私の姿だろう。私は凡てを捨ててこの私に頼らねばならぬだろうか。私の過去には何十年の遠きにわたる歴史がある。又私の身辺には有らゆる社会の活動と優れた人間とがある。大きな力強い自然が私の周囲を十重二十重に取り巻いている。これらのものの絶大な重圧は、この憐れな私をおびえさすのに十分過ぎる。私が今まで自分自身に帰り得ないで、有らん限りの躊躇をしていたのも、思えばこの外界の威力の前に私自身の無為を感じていたからなのだ。そして何等かの手段を運らしてこの絶大の威力と調和し若しくは妥協しようとさえ試みていたのだった。しかもそれは私の場合に於ては凡て失敗に終った。そういう試みは一時的に多少私の不安を撫でさすってくれたとしても、更に深い不安に導く媒になるに過ぎなかった。私はかかる試みをする始めから、何かどうしてもその境遇では満足し得ない予感を持ち、そしてそれがいつでも事実になって現われた。私はどうしてもそれらのものの前に at home に自分自身を感ずることが出来なかった。  それは私が大胆でかつ誠実であったからではない。偽善者なる私にも少しばかりの誠実はあったと云えるかも知れない。けれど少くとも大胆ではなかった。私は弱かったのだ。  誰でも弱い人がいかなる心の状態にあるかを知っている。何物にも信頼する事の出来ないのが弱い人の特長だ。しかも何物にか信頼しないではいられないのが他の特長だ。兎は弱い動物だ。その耳はやむ時なき猜疑に震えている。彼は頑丈な石窟に身を託する事も、幽邃な深林にその住居を構えることも出来ない。彼は小さな藪の中に彼らしい穴を掘る。そして雷が鳴っても、雨が来ても、風が吹いても、犬に追われても、猟夫に迫られても、逃げ廻った後にはそのみじめな、壊れ易い土の穴に最後の隠れ家を求めるのだ。私の心もまた兎のようだ。大きな威力は無尽蔵に周囲にある。然し私の怯えた心はその何れにも無条件的な信頼を持つことが出来ないで、危懼と躊躇とに満ちた彷徨の果てには、我ながら憐れと思う自分自身に帰って行くのだ。  然し私はこれを弱いものの強味と呼ぶ。何故といえば私の生命の一路はこの極度の弱味から徐ろに育って行ったからだ。  ここまで来て私は自ら任じて強しとする人々と袖を別たねばならぬ。その人々はもう私に呆れねばならぬ時が来た。私はしょうことなしに弱さに純一になりつつ、益〻強い人々との交渉から身を退けて行くからだ。ニイチェは弱い人だった。彼もまた弱い人の通性として頑固に自分に執着した。そこから彼の超人の哲学は生れ出たが、そしてそれは強い人に恰好な背景を与える結果にはなったが、それを解して彼が強かったからだと思うのは大きな錯誤といわねばならぬ。ルッソーでもショーペンハウエルでも等しくそうではなかったか。強い人は幸にして偉人となり、義人となり、君子となり、節婦となり、忠臣となる。弱い人はまた幸にして一個の尋常な人間となる。それは人々の好き好きだ。私は弱いが故に後者を選ぶ外に途が残されていなかったのだ。  運命は畢竟不公平であることがない。彼等には彼等のものを与え、私には私のものを与えてくれる。しかも両者は一度は相失う程に分れ別れても、何時かは何処かで十字路頭にふと出遇うのではないだろうか。それは然し私が顧慮するには及ばないことだ。私は私の道を驀地に走って行く外はない。で、私は更にこの筆を続けて行く。 六  私の個性は私に告げてこう云う。  私はお前だ。私はお前の精髄だ。私は肉を離れた一つの概念の幽霊ではない。また霊を離れた一つの肉の盲動でもない。お前の外部と内部との溶け合った一つの全体の中に、お前がお前の存在を有っているように、私もまたその全体の中で厳しく働く力の総和なのだ。お前は地球の地殻のようなものだ。千態万様の相に分れて、地殻は目まぐるしい変化を現じてはいるが、畢竟そこに見出されるものは、静止であり、結果であり、死に近づきつつあるものであり、奥行のない現象である。私は謂わば地球の外部だ。単純に見るとそこには渾沌と単一とがあるばかりとも思われよう。けれどもその実質をよく考えてみると、それは他の星の世界と同じ実質であり、その中に潜む力は一瞬時にして、地殻を思いのままに破壊することも出来、新たに地表を生み出すことも出来るのだ。私とお前とは或る意味に於て同じものだ。然し他の意味に於て較べものにならない程違ったものだ。地球の内部は外部からは見られない。外部から見て、一番よく気のつく所は何といっても表面だ。だから人は私に注意せずに、お前ばかりを見て、お前の全体だと窺っているし、お前もまたお前だけの姿を見て、私を顧みず、恐れたり、迷ったり、臆したり、外界を見るにもその表面だけを伺って満足している。私に帰って来ない前にお前が見た外界の姿は誠の姿ではない。お前は私が如何なるものであるかを本当に知らない間は、お前の外界を見る眼はその正しい機能を失っているのだ。それではいけない。そんなことでは縦令お前がどれ程齷齪して進んで行こうとも、急流を遡ろうとする下手な泳手のように、無益に藻掻いてしかも一歩も進んではいないのだ。地球の内部が残っていさえすれば、縦令地殻が跡形なく壊れてしまっても、一つの遊星としての存在を続ける事が出来るのだ。然し内部のない地球というものは想像して見ることも出来ないだろう。それと同じに私のないお前は想像することが出来ないのだ。  お前に取って私以上に完全なものはない。そういったとて、その意味は、世の中の人が概念的に案出する神や仏のように、完全であろうというのではない。お前が今まで、宗教や、倫理や、哲学や、文芸などから提供せられた想像で測れば、勿論不完全だということが出来るだろう。成程私は悪魔のように恥知らずではないが、又天使のように清浄でもない。私は人間のように人間的だ。私の今のこの瞬間の誇りは、全力を挙げて何の躊躇もなく人間的であるということに帰する。私の所に悪魔だとか天使だとか、お前の頭の中で、こね上げた偶像を持って来てくれるな。お前が生きなければならないこの現在にとって、それらのものとお前との間には無益有害な広い距離が挾まっている。  お前が私の極印を押された許可状を持たずに、霊から引放した肉だけにお前の身売りをすると、そこに実質のない悪魔というものが、さも厳めしい実質を備えたらしく立ち現われるのだ。又お前が肉から強いて引き離した霊だけに身売りをすると、そこに実質のない天使というものが、さも厳めしい実質を備えたらしく立ち現われるのだ。そんな事をしてる中に、お前は段々私から離れて行って、実質のない幻影に捕えられ、そこに、奇怪な空中楼閣を描き出すようになる。そして、お前の衷には苦しい二元が建立される。霊と肉、天国と地獄、天使と悪魔、それから何、それから何……対立した観念を持ち出さなければ何んだか安心が出来ない、そのくせ観念が対立していると何んだか安心が出来ない、両天秤にかけられたような、底のない空虚に浮んでいるような不安がお前を襲って来るのだ。そうなればなる程お前は私から遠ざかって、お前のいうことなり、思うことなり、実行することなりが、一つ残らず外部の力によって支配されるようになる。お前には及びもつかぬ理想が出来、良心が出来、道徳が出来、神が出来る。そしてそれは、皆私がお前に命じたものではなくて、外部から借りて来たものばかりなのだ。そういうものを振り廻して、お前はお前の寄木細工を造り始めるのだ。そしてお前は一面に、悪魔でさえが眼を塞ぐような醜い賤しい思いをいだきながら、人の眼につく所では、しらじらしくも自分でさえ恥かしい程立派なことをいったり、立派なことを行ったりするのだ。しかもお前はそんな蔑むべきことをするのに、尤もらしい理由をこしらえ上げている。聖人や英雄の真似をするのは――も少し聞こえのいい言葉遣いをすれば――聖人や英雄の言行を学ぶのは、やがて聖人でもあり英雄でもある素地を造る第一歩をなすものだ。我れ、舜の言を言い、舜の行を行わば、即ち舜のみというそれである。かくして、お前は心の隅に容易ならぬ矛盾と、不安と、情なさとを感じながら、益〻高く虚妄なバベルの塔を登りつめて行こうとするのだ。  悪いことには、お前のそうした態度は、社会の習俗には都合よくあてはまって行く態度なのだ。人間の生活はその欲求の奥底には必ず生長という大事な因子を持っているのだけれども、社会の習俗は平和――平和というよりも単なる無事に執着しようとしている。何事もなく昨日の生活を今日に繋ぎ、今日の生活を明日に延ばすような生活を最も面倒のない生活と思い、そういう無事の日暮しの中に、一日でも安きを偸もうとしているのだ。これが社会生活に強い惰性となって膠着している。そういう生活態度に適応する為めには、お前のような行き方は大変に都合がいい。お前の内部にどれ程の矛盾があり表裏があっても、それは習俗的な社会の頓着するところではない。単にお前が殊勝な言行さえしていれば、社会は無事に治まって泰平なのだ。社会はお前を褒めあげて、お前に、お前が心窃かに恥じねばならぬような過大な報償を贈ってよこす。お前は腹の中で心苦しい苦笑いをしながらも、その過分な報償に報ゆるべく益〻私から遠ざかって、心にもない犬馬の労を尽しつつ身を終ろうとするのだ。  そんなことをして、お前が外部の圧迫の下に、虚偽な生活を続けている間に、何時しかお前は私をだしぬいて、思いもよらぬ聖人となり英雄となりおおせてしまうだろう。その時お前はもうお前自身ではなくなって、即ち一個の人間ではなくなって、人間の皮を被った専門家になってしまうのだ。仕事の上の専門家を私達は尊敬せねばならぬ。然し生活の習俗性の要求にのみ耳を傾けて、自分を置きざりにして、外部にのみ身売りをする専門家は、既に人間ではなくして、いかに立派でも、立派な一つの機械にしか過ぎない。  いかにさもしくとも力なくとも人間は人間であることによってのみ尊い。人間の有する尊さの中、この尊さに優る尊さを何処に求め得よう。この尊さから退くことは、お前を死滅に導くのみならず、お前の奉仕しようとしている社会そのものを死滅に導く。何故ならば人間の社会は生きた人間に依ってのみ造り上げられ、維持され、存続され、発達させられるからだ。  お前は機械になることを恥じねばならぬ。若し聊かでもそれを恥とするなら、そう軽はずみな先き走りばかりはしていられない筈だ。外部ばかりに気を取られていずに、少しは此方を向いて見るがいい。そして本当のお前自身なるお前の個性がここにいるのを思い出せ。  私を見出したお前は先ず失望するに違いない、私はお前が夢想していたような立派な姿の持主ではないから。お前が外部的に教え込まれている理想の物指にあてはめて見ると、私はいかにも物足らない存在として映るだろう。私はキャリバンではない代りにエーリヤルでもない。悪魔ではない代りに天使でもない。私にあっては霊肉というような区別は全く無益である。また善悪というような差別は全く不可能である。私は凡ての活動に於て、全体として生長するばかりだ。花屋は花を珍重するだろう。果物屋は果実を珍重するだろう。建築家はその幹を珍重するだろう。然し桜の木自身にあっては、かかる善悪差別を絶したところにただ生長があるばかりだ。然し私の生長は、お前が思う程迅速なものではない。私はお前のように頭だけ大きくしたり、手脚だけ延ばしたりしただけでは満足せず、その全体に於て動き進まねばならぬからだ。理想という疫病に犯されているお前は、私の歩き方をもどかしがって、生意気にも私をさしおいて、外部の要求にのみ応じて、先き走りをしようとするのだ。お前は私より早く走るようだが、畢竟は遅く走っているのだ。何故といえば、お前が私を出し抜いて、外部の刺戟ばかりに身を任せて走り出して、何処かに行き着くことが出来たとしても、その時お前は既に人間ではなくなって、一個の専門家即ち非情の機械になっているからだ。お前自身の面影は段々淡くなって、その淡くなったところが、聖人や英雄の襤褸布で、つぎはぎになっているからだ。その醜い姿をお前はいつしか発見して後悔せねばならなくなる。後悔したお前はまたすごすごと私の所まで後戻りするより外に道がないのだ。  だからお前は私の全支配の下にいなければならない。お前は私に抱擁せられて歩いて行かなければならない。  個性に立ち帰れ。今までのお前の名誉と、功績と、誇りとの凡てを捨てて私に立ち帰れ。お前は生れるとから外界と接触し、外界の要求によって育て上げられて来た。外界は謂わばお前の皮膚を包む皮膚のようになっている。お前の個性は分化拡張して、しかも稀薄な内容になって、中心から外部へ散漫に流出してしまった。だからお前が、私を出し抜いて先き走りをするのも一面からいえば無理のないことだ。そしてお前は私に相談もせずに、愛のない時に、愛の籠ったような行いをしたり、憎しみを心の中に燃やしながら、寛大らしい振舞いをしたりしたろう。そしてそんな浮薄なことをする結果として、不可避的に心の中に惹き起される不愉快な感じを、お前は努力に伴う自らの感じと強いて思いこんだ。お前の感情を訓練するのだと思った。そんな風にお前が私と没交渉な愚かなことをしている間は、縦令山程の仕事をし遂げようとも、お前自身は寸分の生長をもなし得てはいないのだ。そしてこの浅ましい行為によってお前は本当の人間の生活を阻害し、生命のない生活の残り滓を、いやが上に人生の路上に塵芥として積み上げるのだ。花屋の為めに一本の桜の樹は花ばかりの生存をしていてもいいかも知れない。その結果それが枯れ果てたら、花屋は遠慮なくその幹を切り倒して他の苗木を植えるだろうから。然し人間の生活の中に在る一人の人間はかくあってはならない。その人間が個性を失うのは、取りもなおさず社会そのものの生命を弱めることだ。  お前も一度は信仰の門をくぐったことがあろう。人のすることを自分もして見なければ、何か物足りないような淋しさから、お前は宗教というものにも指を染めて見たのだ。お前が知るであろう通りに、お前の個性なる私は、渇仰的という点、即ち生長の欲求を烈しく抱いている点では、宗教的ということが出来る。然し私はお前のような浮薄な歩き方はしない。  お前は私のここにいるのを碌々顧みもせずに、習慣とか軽い誘惑とかに引きずられて、直ぐに友達と、聖書と、教会とに走って行った。私は深い危懼を以てお前の例の先き走りを見守っていた。お前は例の如く努力を始めた。お前の努力から受ける感じというのは、柄にもない飛び上りな行いをした後に毎時でも残される苦しい後味なのだ。お前は一方に崇高な告白をしながら、基督のいう意味に於て、正しく盗みをなし、姦淫をなし、人殺しをなし、偽りの祈祷をなしていたではないか。お前の行いが疚ましくなると「人の義とせらるるは信仰によりて、律法の行いに依らず」といって、乞食のように、神なるものに情けを乞うたではないか。又お前の信仰の虚偽を発かれようとすると「主よ主よというもの悉く天国に入るにあらず、吾が天に在す神の旨に遵るもののみなり」といってお前を弁護したではないか。お前の神と称していたものは、畢竟するに極く幽かな私の影に過ぎなかった。お前は私を出し抜いて宗教生活に奔っておきながら、お前の信仰の対象なる神を、私の姿になぞらえて造っていたのだ。そしてお前の生活には本質的に何等の変化も来さなかった。若し変化があったとしても、それは表面的なことであって、お前以外の力を天啓としてお前が感じたことなどはなかった。お前は強いて頭を働かして神を想像していたに過ぎないのだ。即ちお前の最も表面的な理智と感情との作用で、かすかな私の姿を神にまで捏ねあげていたのだ。お前にはお前以外の力がお前に加わって、お前がそれを避けるにもかかわらず、その力によって奮い起たなければならなかったような経験は一度もなかったのだ。それだからお前の祈りは、空に向って投げられた石のように、冷たく、力なく、再びお前の上に落ちて来る外はなかったのだ。それらの苦々しい経験に苦しんだにもかかわらず、お前は頑固にもお前自身を欺いて、それを精進と思っていた。そしてお前自身を欺くことによって他人をまで欺いていた。  お前はいつでも心にもない言行に、美しい名を与える詐術を用いていた。然しそれに飽き足らず思う時が遂に来ようとしている。まだいくらか誠実が残っていたのはお前に取って何たる幸だったろう。お前は絶えて久しく捨ておいた私の方へ顔を向けはじめた。今、お前は、お前の行為の大部分が虚偽であったのを認め、またお前は真の意味で、一度も祈祷をしたことのない人間であるのを知った。これからお前は前後もふらず、お前の個性と合一する為めにいそしまねばならない。お前の個性に生命の泉を見出し、個性を礎としてその上にありのままのお前を築き上げなければならない。 七  私の個性は更に私に告げてこう云う。  お前の個性なる私は、私に即して行くべき道のいかなるものであるかを説こうか。  先ず何よりも先に、私がお前に要求することは、お前が凡ての外界の標準から眼をそむけて、私に帰って来なければならぬという一事だ。恐らくはそれがお前には頼りなげに思われるだろう。外界の標準というものは、古い人類の歴史――その中には凡ての偉人と凡ての聖人とを含み、凡ての哲学と科学、凡ての文化と進歩とを蓄えた宏大もない貯蔵場だ――と、現代の人類活動の諸相との集成から成り立っている。それからお前が全く眼を退けて、私だけに注意するというのは、便りなくも心細くも思われることに違いない。然し私はお前に云う。躊躇するな。お前が外界に向けて拡げていた鬚根の凡てを抜き取って、先を揃えて私の中に揷し入れるがいい。お前の個性なる私は、多くの人の個性に比べて見たら、卑しく劣ったものであろうけれども、お前にとっては、私の外により完全なものはないのだ。  かくてようやく私に帰って来たお前は、これまでお前が外界に対してし慣れていたように、私を勝手次第に切りこまざいてはならぬ。お前が外界と交渉していた時のように、善悪美醜というような見方で、強いて私を理解しようとしてはならぬ。私の要求をその統合のままに受け入れねばならぬ。お前が私の全要求に応じた時に於てのみ私は生長を遂げるであろう。私はお前が従う為めに結果される思想なり言説なり行為なりが、仮りに外界の伝説、習慣、教訓と衝突矛盾を惹き起すことがあろうとも、お前は決して心を乱して、私を疑うようなことをしてはならぬ。急がず、躊らわず、お前の個性の生長と完成とを心がけるがいい。然しここにくれぐれもお前に注意しておかねばならぬのは、今までお前が外面的の、約束された、習俗的な考え方で、個性の働きを解釈したり、助成したりしてはならぬという事だ。例えば個性の要求の結果が一見肉に属する慾の遂行のように思われる時があっても、それをお前が今まで考えていたように、簡単に肉慾の遂行とのみ見てはならぬ。同様に、その要求が一見霊に属するもののように思われても、それを全然肉から離して考えるということは、個性の本然性に背いた考え方だ。私達の肉と霊とは哲学者や宗教家が概念的に考えているように、ものの二極端を現わしているものでないのは勿論、それは差別の出来ない一体となってのみ個性の中には生きているのだ。水を考えようとする場合に、それを水素と酸素とに分解して、どれ程綿密に二つの元素を研究したところが、何の役にも立たないだろう。水は水そのものを考えることによってのみ理解される。だから私がお前に望むところは、私の要求を、お前が外界の標準によって、支離滅裂にすることなく、その全体をそのまま摂受して、そこにお前の満足を見出す外にない。これだけの用意が出来上ったら、もう何の躊躇もなく驀進すべき準備が整ったのだ。私の誇りかなる時は誇りかとなり、私の謙遜な時は謙遜となり、私の愛する時愛し、私の憎む時憎み、私の欲するところを欲し、私の厭うところを厭えばいいのである。  かくしてお前は、始めてお前自身に立ち帰ることが出来るだろう。この世に生れ出て、産衣を着せられると同時に、今日までにわたって加えられた外界の圧迫から、お前は今始めて自由になることが出来る。これまでお前が、自分を或る外界の型に篏める必要から、強いて不用のものと見て、切り捨ててしまったお前の部分は、今は本当の価値を回復して、お前に取ってはやはり必要欠くべからざる要素となった。お前の凡ての枝は、等しく日光に向って、喜んで若芽を吹くべき運命に逢い得たのだ。その時お前は永遠の否定を後ろにし、無関心の谷間を通り越して、初めて永遠の肯定の門口に立つことが出来るようになった。  お前の実生活にもその影響がない訳ではない。これからのお前は必然によって動いて、無理算段をして動くことはない。お前の個性が生長して今までのお前を打ち破って、更に新しいお前を造り出すまで、お前は外界の圧迫に余儀なくされて、無理算段をしてまでもお前が動く必然を見なくなる。例えばお前が外界に即した生活を営んでいた時、お前は控え目という道徳を実行していたろう。お前は心にもなく善行をし過すことを恐れて、控目に善行をしていたろう。然しお前は自分の欠点を隠すことに於ては、中々控目には隠していなかった。寧ろ恐ろしい大胆さを以て、お前の心の醜い秘密を人に知られまいとしたではないか。お前は人の前では、秘かに自任しているよりも、低く自分の徳を披露して、控目という徳性を満足させておきながら、欲念というような実際の弱点は、一寸見には見つからない程、綿密に上手に隠しおおせていたではないか。そういう態度を私は無理算段と呼ぶのだ。然し私に即した生活にあっては、そんな無理算段はいらないことだ。いかなる欲念も、畢竟お前の個性の生長の糧となるのであるが故に、お前はそれに対して臆病であるべき必要がなくなるだろう。即ち、お前は、私の生長の必然性のためにのみ変化して、外界に対しての顧慮から伸び縮みする必要は絶対になくなるべき筈だ。何事もそれからのことだ。  お前はまた私に帰って来る前に、お前が全く外界の標準から眼を退けて、私を唯一無二の力と頼む前に、人類に対するお前の立場の調和について迷ったかも知れない。驀地にお前が私と一緒になって進んで行くことが、人類に対して迷惑となり、その為めに人間の進歩を妨げ、従って生活の秩序を破り、節度を壊すような結果を多少なりとも惹き起しはしまいか。そうお前は迷ったろう。  それは外界にのみ執着しなれたお前に取っては考えられそうなことだ。然しお前がこの問題に対して真剣になればなる程、そうした外部的な顧慮は、お前には考えようとしても考えられなくなって来るだろう。水に溺れて死のうとする人が、世界の何処かの隅で、小さな幸福を得た人のあるのを想像して、それに祝福を送るというようなことがとてもあり得ないと同様に、お前がまことに緊張して私に来る時には、それから結果される影響などは考えてはいられない筈だ。自分の罪に苦しんで、荊棘の中に身をころがして、悶えなやんだ聖者フランシスが、その悔悟の結果が、人類にどういう影響を及ぼすだろうかと考えていたかなどと想像するようなものは、人の心の正しい尊さを、露程も味ったことのない憐れな人といわなければならないだろう。  お前にいって聞かす。そういう問いを発し、そういう疑いになやむ間は、お前は本当に私の所に帰って来る資格は持ってはいないのだ。お前はまだ徹底的に体裁ばかりで動いている人間だ。それを捨てろ。それを捨てなければならぬ程に今までの誤謬に眼を開け。私は前後を顧慮しないではいられない程、緩慢な歩き方はしていない。自分の生命が脅かされているくせに、外界に対してなお閑葛藤を繋いでいるようなお前に対しては、恐らく私は無慈悲な傍観者であるに過ぎまい。私は冷然としてお前の惨死を見守ってこそいるだろうが、一臂の力にも恐らくなってはやらないだろう。  又お前は、前にもいったことだが、単に専門家になったことだけでは満足が出来なくなる。一体人は自分の到る処に自分の主でなければならぬ。然るに専門家となるということは、自分を人間生活の或る一部門に売り渡すことでもある。多かれ少かれ外界の要求の犠牲となることである。完全な人間――個性の輪廓のはっきりまとまった人間となりたいと思わないものが何処にあろう。然るにお前はよくこの第一義の要求を忘れてしまって、外聞という誘惑や、もう少し進んだところで、社会一般の進歩を促し進めるというような、柄にもない非望に駆られて、お前は甘んじて一つしかないお前の全生命を片輪にしてしまいたがるのだ。然しながら私の所に帰って来たお前は、そんな危険な火山頂上の舞踏はしていない。お前の手は、お前の頭は、お前の職業は、いかに分業的な事柄にわたって行こうとも、お前は常にそれをお前の個性なる私に繋いでいるからだ。お前は大抵の分業にたずさわっても自分自身であることが出来る。しかのみならず、若しお前のしている仕事が、到底お前の個性を満足し得ない時には、お前は個性の満足の為めに仕事を投げ捨てることを意としないであろう。少くともかかる理不尽な生活を無くなすように、お前の個性の要求を申出すだろう。お前のかくすることは、無事ということにのみ執着したがる人間の生活には、不都合を来す結果になるかも知れない。又表面的な進歩ばかりをめやすにしている社会には不便を起すことがあるかも知れない。然しお前はそれを気にするには及ばない。私は明かに知っている。人間生活の本当の要求は無事ということでもなく、表面だけの進歩ということでもないことを。その本当の要求は、一箇の人間の要求と同じく生長であることを。だからお前は安んじて、確信をもって、お前の道を選べばいいのだ。精神と物質とを、個性と仕事とを互に切り放した文明がどれ程進歩しようとも、それは無限の沙漠に流れこむ一条の河に過ぎない。それはいつか細って枯れはててしまう。  私はこれ以上をもうお前にいうまい。私は老婆親切の饒舌の為めに既に余りに疲れた。然しお前は少し動かされたようだな。選ぶべき道に迷い果てたお前の眼には、故郷を望み得たような光が私に対して浮んでいる。憐れな偽善者よ。強さとの平均から常に破れて、或る時は稍〻強く、或る時は強さを羨む外にない弱さに陥る偽善者よ。お前の強さと弱さとが平均していないのはまだしもの幸だった。お前は多分そこから救い出されるだろう。その不平均の撞着の間から僅かばかりなりともお前の誠実を拾い出すだろう。その誠実を取り逃すな。若しそれが純であるならば、誠実は微量であっても事足りる。本当をいうと不純な誠実というものはない。又量定さるべき誠実というものはない。誠実がある。そこには純粋と凡てとがあるのだ。だからお前は誠実を見出したところに勇み立つがいい、恐れることはない。  起て。そこにお前の眼の前には新たな視野が開けるだろう。それをお前は私に代って言い現わすがいい。  お前は私にこの長い言葉を無駄に云わせてはならない。私は暖かい手を拡げて、お前の来るのを待っているぞよ。  私の個性は私にかく告げてしずかに口をつぐんだ。 八  私の個性は少しばかりではあるが、私に誠実を許してくれた。然し誠実とはそんなものでいいのだろうか。私は八方摸索の結果、すがり附くべき一茎の藁をも見出し得ないで、已むことなく覚束ない私の個性――それは私自身にすら他の人のそれに比して、少しも優れたところのない――に最後の隠家を求めたに過ぎない。それを誠実といっていいのだろうか。けれども名前はどうでもいい。或る人は私の最後の到達を私の卑屈がさせた業だというだろう。或る人は又私の勇気がさせた業だというかも知れない。ただ私自身にいわせるなら、それは必至な或る力が私をそこまで連れて来たという外はない。誰でもが、この同じ必至の力に促されていつか一度はその人自身に帰って行くのだ。少くとも死が間近かに彼に近づく時には必ずその力が来るに相違ない。一人として早晩個性との遭遇を避け得るものはない。私もまた人間の一人として、人間並みにこの時個性と顔を見合わしたに過ぎない。或る人よりは少し早く、そして或る人よりは甚だおそく。  これは少くとも私に取っては何よりもいいことだった。私は長い間の無益な動乱の後に始めて些かの安定を自分の衷に見出した。ここは居心がいい。仕事を始めるに当って、先ず坐り心地のいい一脚の椅子を得たように思う。私の仕事はこの椅子に倚ることによって最もよく取り運ばれるにちがいないのを得心する。私はこれからでも無数の煩悶と失敗とを繰り返すではあろうけれども、それらのものはもう無益に繰り返される筈がない。煩悶も必ず滋養ある食物として私に役立つだろう。私のこの椅子に身を託して、私の知り得たところを主に私自身のために書き誌しておこうと思う。私はこれを宣伝の為めに書くのではない。私の経験は狭く貧しくして、とてもそんな普遍的な訴えをなし得ないことを私はよく知っている。ただ私に似たような心の過程に在る少数の人がこれを読んで僅かにでも会心の微笑を酬ゆる事があったら、私自身を表現する喜びの上に更に大きな喜びが加えられることになる。  秩序もなく系統もなく、ただ喜びをもって私は書きつづける。 九  センティメンタリズム、リアリズム、ロマンティシズム――この三つのイズムは、その何れかを抱く人の資質によって決定せられる。或る人は過去に現われたもの、若しくは現わるべかりしものに対して愛着を繋ぐ。そして現在をも未来をも能うべくんば過去という基調によって導こうとする。凡ての美しい夢は、経験の結果から生れ出る。経験そのものからではない。そういう見方によって生きる人はセンティメンタリストだ。  また或る人は未来に現われるもの、若しくは現わるべきものに対して憧憬を繋ぐ。既に現われ出たもの、今現われつつあるものは、凡て醜く歪んでいる。やむ時なき人の欲求を満たし得るものは現われ出ないものの中にのみ潜んでいなければならない。そういう見方によって生きる人はロマンティシストだ。  更に又或る人は現在に最上の価値をおく。既に現われ終ったものはどれほど優れたものであろうとも、それを現在にも未来にも再現することは出来ない。未来にいかなるよいものが隠されてあろうとも、それは今私達の手の中にはない。現在には過去に在るような美しいものはないかも知れない。又未来に夢見られるような輝かしいものはないかも知れない。然しここには具体的に把持さるべき私達自身の生活がある。全力を尽してそれを活きよう。そういう見方によって生きる人はリアリストだ。  第一の人は伝説に、第二の人は理想に、第三の人は人間に。  この私の三つのイズムに対する見方は誤っていないだろうか。若し誤っていないなら、私はリアリストの群れに属する者だといわなければならぬ。何故といえば、私は今私自身の外に依頼すべき何者をも持たないから。そしてこの私なるものは現在にその存在を持っているのだから。  私にも私の過去と未来とはある。然し私が一番頼らねばならぬ私は、過去と未来とに挾まれたこの私だ。現在のこの瞬間の私だ。私は私の過去や未来を蔑ろにするものではない。縦令蔑ろにしたところが、実際に於て過去は私の中に滲み透り、未来は私の現在を未知の世界に導いて行く。それをどうすることも出来ない。唯私は、過去未来によって私の現在を見ようとはせずに、現在の私の中に過去と未来とを摂取しようとするものだ。私の現在が、私の過去であり、同時に未来であらせようとするものだ。即ち過去に対しては感情の自由を獲得し、未来に対しては意志の自由を主張し、現在の中にのみ必然の規範を立しようとするものだ。  何故お前はその立場に立つのだと問われるなら、そうするのが私の資質に適するからだという外には何等の理由もない。  私には生命に対する生命自身の把握という事が一番尊く思われる。即ち生命の緊張が一番好ましいものに思われる。そして生命の緊張はいつでも過去と未来とを現在に引きよせるではないか。その時伝説によって私は判断されずに、私が伝説を判断する。又私の理想は近々と現在の私に這入りこんで来て、このままの私の中にそれを実現しようとする。かくて私は現在の中に三つのイズムを統合する。委しくいうと、そこにはもう、三つのイズムはなくして私のみがある。こうした個性の状態を私は一番私に親しいものと思わずにいられないのだ。  私の現在はそれがある如くある外はない。それは他の人の眼から見ていかに不完全な、そして汚点だらけのものであろうとも、又私が時間的に一歩その境から踏み出して、過去として反省する時、それがいかに物足らないものであろうとも、現在に生きる私に取っては、その現在の私は、それがあるようにしかあり得ない。善くとも悪くともその外にはあり得ないのだ。私に取っては、私の現在はいつでも最大無限の価値を持っている。私にはそれに代うべき他の何物もない。私の存在の確実な承認は各〻の現在に於てのみ与えられる。  だから私に取っては現在を唯一の宝玉として尊重し、それを最上に生き行く外に残された道はない。私はそこに背水の陣を布いてしまったのだ。  といって、私は如何にして過去の凡てを蔑視し、未来の凡てを無視することが出来よう。私の現在は私の魂にまつわりついた過去の凡てではないか。そこには私の親もいる。私の祖先もいる。その人達の仕事の全量がある。その人々や仕事を取り囲んでいた大きな世界もある。或る時にはその上を日も照し雨も潤した。或る時は天界を果から果まで遊行する彗星が、その稀れなる光を投げた。或る時は地球の地軸が角度を変えた。それらの有らゆる力はその力の凡てを集めて私の中に積み重っているのではないか。私はどうしてそれを蔑視することが出来よう。私は仮りにその力を忘れていようとも、その力は瞬転の間も私を忘れることはない。ただ私はそれらのものを私の現在から遊離して考えるのを全く無益徒労のことと思うだけだ。それらのものは厳密に私の現在に織りこまれることによってのみその価値を有し得るということに気が付いたのだ。畢竟現在の中に摂取し尽された過去は、人が仮りにそれを過去という言葉で呼ぼうとも、私にとっては現在の外の何物でもない。現在というものの本体をここまで持って来なければ、その内容は全く成り立たない。  私は遊離した状態に在る過去を現在と対立させて、その比較の上に個性の座位を造ろうとする虚ろな企てには厭き果てたのだ。それは科学者がその経験物を取り扱う態度を直ちに生命にあてはめようとする愚かな無駄な企てではないか。科学者と実験との間には明かに主客の関係がある。然し私と私の個性との間には寸分の間隙も上下もあってはならぬ。凡ての対立は私にあって消え去らなければならぬ。  未来についても私は同じ事が言い得ると思う。私を除いて私の未来(といわず未来の全体)を完成し得るものはない。未来の成行きを考える場合、私という一人の人間を度外視しては、未来の相は成り立たない。これは少しも高慢な言葉ではない。その未来を築き上げるものは私の現在だ。私の現在が失われているならば、私の未来は生れ出て来ない。私の現在が最上に生きられるなら、私の未来は最上に成り立つ。眼前の緊張からゆるんで、単に未来を空想することが何で未来の創造に塵ほどの益にもなり得よう。未来を考えないまでに現在に力を集めた時、よき未来は刻々にして創り出されているのではないか。  センティメンタリストの痛ましくも甘い涙は私にはない。ロマンティシストの快く華やかな想像も私にはない。凡ての欠陥と凡ての醜さとを持ちながらも、この現在は私に取っていかに親しみ深くいかに尊いものだろう。そこにある強い充実の味と人間らしさとは私を牽きつけるに十分である。この饗応は私を存分に飽き足らせる。 一〇  然しながら個性の完全な飽満と緊張とは如何に得がたきものであるよ。燃焼の生活とか白熱の生命とかいう言葉は紙と筆とをもってこそ表わし得ようけれども、私の実際の生活の上には容易に来てくれることがない。然し私にも全くないことではなかった。私はその境界がいかに尊く難有きものであるかを幽かながらも窺うことが出来た。そしてその醍醐味の前後にはその境に到り得ない生活の連続がある。その関係を私はこれから朧ろげにでも書き留めておこう。  外界との接触から自由であることの出来ない私の個性は、縦令自主的な生活を導きつつあっても、常に外界に対し何等かの角度を保ってその存在を持続しなければならない。或る時は私は外界の刺戟をそのままに受け入れて、反省もなく生活している。或る時は外界の刺戟に対して反射的に意識を動かして生活している。又或る時は外界の刺戟を待たずに、私の生命が或る已むなき内的の力に動かされて外界に働きかける。かかる変化はただ私の生命の緊張度の強弱によって結果される。これは智的活動、情的活動、意志的活動というように、生命を分解して生活の状態を現わしたものではない。人間の個性の働きを言い現わす場合にかかる分解法によるのは私の最も忌むところである。人間の生命的過程に智情意というような区別は実は存在していないのだ。生命が或る対象に対して変化なく働き続ける場合を意志と呼び、対象を変じ、若しくは力の量を変化して生命が働きかける場合を情といい、生命が二つ以上の対象について選択をなす場合を智と名づけたに過ぎないのだ。人の心的活動は三頭政治の支配を受けているのではない。もっと純一な統合的な力によって総轄されているのだ。だから少し綿密な観察者は、智と情との間に、情と意志との間に、又意志と智との間に、判然とはその何れにも従わせることの出来ない幾多の心的活動を発見するだろう。虹彩を検する時、赤と青と黄との間に無限数の間色を発見するのと同一だ。赤青黄は元来白によって統一さるべき仮象であるからである。かくて私達が太陽の光線そのものを見窮めようとする時、分解された諸色をいかに研究しても、それから光線そのものの特質の全体を知悉することが出来ぬと同様に、智情意の現象を如何に科学的に探究しても、心的活動そのものを掴むことは思いもよらない。帰納法は記述にのみ役立つ。然し本体の表現には役立たない。この簡単な原理は屡〻閑却される。科学に、従って科学的研究に絶大の価値をおこうとする現代にあっては、帰納法の根本的欠陥は往々無反省に閑却される。  さて私は岐路に迷い込もうとしたようだ。私は再び私の当面の問題に帰って行こう。  外界の刺戟をそのまま受け入れる生活を仮りに習性的生活(habitual life)と呼ぶ。それは石の生活と同様の生活だ。石は外界の刺戟なしには永久に一所にあって、永い間の中にただ滅して行く。石の方から外界に対して働きかける場合は絶無だ。私には下等動物といわれるものに通有な性質が残っているように、無機物の生活さえが膠着していると見える。それは人の生活が最も緩慢となるところには何時でも現われる現象だ。私達の祖先が経験し尽した事柄が、更に繰り返されるに当っては、私達はもう自分の能力を意識的に働かす必要はなくなる。かかる物事に対する生活活動は単に習性という形でのみ私達に残される。  チェスタートンが、「いかなる革命家でも家常茶飯事については、少しも革命家らしくなく、尋常人と異らない尋常なことをしている」といったのはまことだ。革命家でもない私にはかかる生活の態度が私の活動の大きな部分を占めている。毎朝私は顔を洗う。そして顔を洗う器具に変化がなければ、何等の反省もなく同じ方法で顔を洗う。若し不注意の為めにその方法を誤るようなことでもあれば、却ってそれを不愉快の種にする位だ。この生活に於ては全く過去の支配の下にある。私の個性の意識は少しもそこに働いていない。  私はかかる生活を無益だというのではない。かかる生活を有するが為めに私の日常生活はどれ程煩雑な葛藤から救われているか知れない。この緩慢な生活が一面に成り立つことによって、私達は他面に、必要な方面、緊張した生活の欲求を感じ、それを達成することが出来る。  然しかかる生活は私の個性からいうと、個性の中に属させたらいいものかわるいものかが疑われる。何故ならば、私の個性は厳密に現在に執着しようとし、かかる生活は過去の集積が私の個性とは連絡なく私にあって働いているというに過ぎないから。その上かかる生活の内容は甚だ不安定な状態にある。外界の事情が聊かでも変れば、もうそこにはこの生活は成り立たない。そして私がこれからいおうとする智的生活の圏内に這入ってしまう。私は安んじてこの生活に倚りかかっていることが出来ない。  又本能として自己の表現を欲求する個性は、習性的生活にのみ依頼して生存するに堪えない。単なる過去の繰り返しによって満足していることが出来ない。何故なら、そこには自己がなくしてただ習性があるばかりだから、外界と自己との間には無機的な因縁があるばかりだから。私は石から、せめては草木なり鳥獣になり進んで行きたいと希う。この欲求の緊張は私を駆って更に異った生活の相を選ばしめる。 一一  それを名づけて私は智的生活(intellectual life)とする。  この種の生活に於て、私の個性は始めて独立の存在を明かにし、外界との対立を成就する。それは反射の生活である。外界が個性に対して働きかけた時、個性はこれに対して意識的の反応をする。即ち経験と反省とが、私の生活の上に表われて来る。これまで外界に征服されて甘んじていた個性はその独自性を発揮して、外界を相手取って挑戦する。習性的生活に於て私は無元の世界にいた。智的生活に於て私は始めて二元の生活に入る。ここには私がいる。かしこには外界がある。外界は私に攻め寄せて来る。私は経験という形式によって外界と衝突する。そしてこの経験の戦場から反省という結果が生れ出て来る。それは或る時には勝利で、或る時には敗北であるであろう。  その何れにせよ、反省は経験の結果を似寄りの部門に選び分ける。かく類別せられた経験の堆積を人々は知識と名づける。知識を整理する為めに私は信憑すべき一定の法則を造る。かく知識の堆積の上に建て上げられた法則を人々は道徳と名づける。  道徳は対人的なものだという見解は一応道理ではあるけれども、私はそうは思わない。孤島に上陸したばかりの孤独なロビンソン・クルーソーにも自己に対しての道徳はあったと思う。何等の意味に於てであれ、外界の刺戟に対して自己をよりよくして行こうという動向は道徳とはいえないだろうか。クルーソーが彼の為めに難破船まで什器食料を求めに行ったのは、彼自身に取っての道徳ではなかったろうか。然しクルーソーはやがてフライデーを殺人者から救い出した。クルーソーとフライデーとは最上の関係に於て生きることを互に要求した。クルーソーは自己に対する道徳とフライデーに対する道徳との間に分譲点を見出さねばならなかった。フライデーも同じ努力をクルーソーに対してなした。この二人の努力は幸に一致点を見出した。かくて二人は孤島にあって、美しい間柄で日を過したのみならず、遂に船に救われて英国の土を踏むことが出来た。フライデーが来てからは、その孤島には対人的道徳即ち社会道徳が出来たけれども、クルーソー一人の時には、そこに一の道徳も存在しなかったと云おうとするのは、思い誤りでありはしまいか。道徳とは自己と外界(それが自然であろうと人間であろうと)との知識に基する正しい自己の立場の決定である。だから、道徳は一人の人の上にも、二人以上の人々の間にも当然成り立たねばならぬものだ。但し両方の場合に於て道徳の内容は知識の変化と共に変化する。知識の内容は外界の変化と共に変化する。それ故道徳は外界の変化につれてまた変化せざるを得ぬ。  世には道徳の変易性を物足らなく思う人が少くないようだ。自分を律して行くべき唯一の規準が絶えず変化せねばならぬという事は、直ちに人間生活の不安定そのものを予想させる。人間の持っている道徳の後には何か不変な或るものがあって、変化し易い末流の道徳も、謂わばそこに仮りの根ざしを持つものに相違ない。不完全な人間は一気にその普遍不易の道徳の根元を把握しがたい為めに、模索の結果として誤ってその一部を彼等の規準とするに過ぎぬ。一部分であるが故に、それは外界の事情によっては修正の必要を生ずるだろうけれども、それは直ちに徹底的に道徳そのものの変易性を証拠立てるものにはならない。そう或る人々は考えるかも知れない。  それでも私は道徳の内容は絶えず変易するものだと言い張りたい。私に普遍不易に感ぜられるものは、私に内在する道徳性である。即ち知識の集成の中から必ず自己を外界に対して律すべき規準を造り出そうとする動向は、その内容(緊張度の増減は論じないで)に於て変化することなく自存するのを知っている。然し道徳性と道徳とが全く異った観念であるのは、誰でも容易に判る筈だ。私に取っては、道徳の内容の変化するのは少しも不思議ではない。又困ることでもない。ただ変えようと思っても変えることの出来ないのは、道徳を生み出そうとする動向だ。そしてその内容が変化すると仮定するのは私に取って淋しいことだ。然し幸に私はそれを不安に思う必要はない。私は自分の経験によってその不易を十分に知っているから。  知識も道徳も変化する。然しそれが或る期間固定していて、私の生活の努力がその内容を充実し得ない間は、それはどこまでも、知識として又道徳として厳存する。然し私の生活がそれらを乗り越してしまうと、知識も道徳も習性の閾の中に退き去って、知識若しくは道徳としての価値が失われてしまう。私が無意識に、ただ外界の刺戟にのみ順応して行っている生活の中にも、或は他の或る人が見て道徳的行為とするものがあるかも知れない。然しその場合私に取っては決して道徳的行為ではない。何故ならば、道徳的である為めには私は努力をしていなければならないからだ。  智的生活は反省の生活であるばかりでなく努力の生活だ。人類はここに長い経験の結果を綜合して、相共に依拠すべき範律を作り、その範律に則って自己を生活しなければならぬ。努力は実に人を石から篩い分ける大事な試金石だ。動植物にあってはこの努力という生活活動は無意識的に、若しくは苦痛なる生活の条件として履行されるだろう。然し人類は努力を単なる苦痛とのみは見ない。人類に特に発達した意識的動向なる道徳性の要求を充たすものとして感ぜられる。その動向を満足する為めに人類は道徳的努力を伴う苦痛を侵すことを意としない。この現われは人類の歴史を荘厳なものにする。  誰か智的生活の所産なる知識と道徳とを讃美しないものがあろう。それは真理に対する人類の倦むことなき精進の一路を示唆する現象だ。凡ての懐疑と凡ての破壊との間にあって、この大きな力は嘗て磨滅したことがない。かのフェニックスが火に焼かれても、再び若々しい存在に甦って、絶えず両翼を大空に向って張るように、この精進努力の生活は人類がなお地上の王なる左券として、長くこの世に栄えるだろう。  然し私はこの生活に無上の安立を得て、更に心の空しさを感ずることがないか。私は否と答えなければならない。私は長い廻り道の末に、尋ねあぐねた故郷を私の個性に見出した。この個性は外界によって十重二十重に囲まれているにもかかわらず、個性自身に於て満ち足らねばならぬ。その要求が成就されるまでは絶対に飽きることがない。智的生活はそれを私に満たしてくれたか。満たしてはくれなかった。何故ならば智的生活は何といっても二元の生活であるからだ。そこにはいつでも個性と外界との対立が必要とせられる。私は自然若しくは人に対して或る身構えをせねばならぬ。経験する私と経験を強いる外界とがあって知識は生れ出る。努力せんとする私とその対象たる外界があって道徳は発生する。私が知識そのものではなく道徳そのものではない。それらは私と外界とを合理的に繋ぐ橋梁に過ぎない。私はこの橋梁即ち手段を実在そのものと混同することが出来ないのだ。私はまた平安を欲すると共に進歩を欲する。潤色(elaboration)を欲すると共に創造を欲する。平安は既存の事体の調節的持続であり、進歩は既存の事体の建設的破棄である。潤色は在るものをよりよくすることであり、創造は在らざりしものをあらしめることである。私はその一方にのみ安住しているに堪えない。私は絶えず個性の再造から再造に飛躍しようとする。然るに智的生活は私のこの飛躍的な内部要求を充足しているか。  智的生活の出発点は経験である。経験とは要するに私の生活の残滓である。それは反省――意識のふりかえり――によってのみ認識せられる。一つの事象が知識になるためにはその事象が一たび生活によって濾過されたということを必要な条件とする。ここに一つの知識があるとする。私がそれを或る事象の認識に役立つものとして承認するためには、縦令その知識が他人の経験の結果によって出来上ったものであれ、私の経験もまたそれを裏書したものでなければならぬ。私の経験が若しその知識の基本となった経験と全然没交渉であったなら、私は到底それを自分の用い得る知識として承認することは出来ない筈だ。だから私の有する知識とは、要するに私の過去を整理し、未来に起り来るべき事件を取り扱う上の参考となるべき用具である。私と道徳とに於ける関係もまた全く同様な考え方によって定めることが出来る。即ち知識も道徳も既存の経験に基いて組み立てられたもので、それがそのまま役立つためには、私の生活が同一軌道を繰り返し繰り返し往来するのを一番便利とする。そしてそこには進歩とか創造とかいう動向の活躍がおのずから忌み避けられなければならない。  私の生活が平安であること、そしてその内容が潤色されることを私は喜ばないとはいわない。私の内部にはいうまでもなくかかる要求が大きな力を以て働いている。私はその要求の達成を智的生活に向って感謝せねばならぬ。けれども私は永久にこの保守的な動向にばかり膠着して満足するだろうか。  一個人よりも活動の遅鈍になり勝ちな社会的生活にあっては、この保守的な智的生活の要求は自然に一個人のそれよりも強い。平安無事ということは、社会生活の基調となりたがる。だから今の程度の人類生活の様式下にあっては、個人的の飛躍的動向を無視圧迫しても、智的生活の確立を希望する。現代の政治も、教育も、学術も、産業も、大体に於てはこの智的生活の強調と実践とにその目標をおいている。だから若し私がこの種の生活にのみ安住して、社会が規定した知識と道徳とに依拠していたならば、恐らく社会から最上の報酬を与えられるだろう。そして私の外面的な生存権は最も確実に保障されるだろう。そして社会の内容は益〻平安となり、潤色され、整然たる形式の下に統合されるだろう。  然し――社会にもその動向は朧ろげに看取される如く――私には智的生活よりも更に緊張した生活動向の厳存するのをどうしよう。私はそれを社会生活の為めに犠牲とすべきであるか。社会の最大の要求なる平安の為めに、進歩と創造の衝動を抑制すべきであるか。私の不満は謂れのない不満であらねばならぬだろうか。  社会的生活は往々にして一個人のそれより遅鈍であるとはいえ、私の持っているものを社会が全然欠いているとは思われない。何故ならば、私自身が社会を組立てている一分子であるのは間違いのないことだから。私の欲するところは社会の欲するところであるに相違ない。そして私は平安と共に進歩を欲する。潤色と共に創造を欲する。その衝動を社会は今継子扱いにはしているけれども――そして社会なるものは性質上多分永久にそうであろうけれども――その何処かの一隅には必ず潜勢力としてそれが伏在していなければならぬ。社会は社会自身の意志に反して絶えず進歩し創造しつつあるから。  私が私自身になり切る一元の生活、それを私は久しく憧れていた。私は今その神殿に徐ろに進みよったように思う。 一二  ここまでは縦令たどたどしいにせよ、私の言葉は私の意味しようとするところに忠実であってくれた。然しこれから私が書き連ねる言葉は、恐らく私の使役に反抗するだろう。然し縦令反抗するとも私はこれで筆を擱くことは出来ない。私は言葉を鞭つことによって自分自身を鞭って見る。私も私の言葉もこの個性表現の困難な仕事に対して蹉くかも知れない。ここまで私の伴侶であった(恐らくは少数の)読者も、絶望して私から離れてしまうかも知れない。私はその時読者の忍耐の弱さを不満に思うよりも私自身の体験の不十分さを悲しむ外はない。私は言葉の堕落をも尤めまい。かすかな暗示的表出をたよりにしてとにかく私は私自身を言い現わして見よう。  無元から二元に、二元から一元に。保存から整理に、整理から創造に。無努力から努力に、努力から超努力に。これらの各〻の過程の最後のものが今表現せらるべく私の前にある。  個性の緊張は私を拉して外界に突貫せしめる。外界が個性に向って働きかけない中に、個性が進んで外界に働きかける。即ち個性は外界の刺戟によらず、自己必然の衝動によって自分の生活を開始する。私はこれを本能的生活(impulsive life)と仮称しよう。  何が私をしてこの衝動に燃え立たせるか。私は知らない。然し人は自然界の中にこの衝動の仮りの姿を認めることが出来ないだろうか。  地球が造られた始めにはそこに痕跡すら有機物は存在しなかった。そこに、或る時期に至って有機物が現われ出た。それは或る科学者が想像するように他の星体から隕石に混入して地表に齎されたとしても、少くとも有機物の存在に不適当だった地球は、いつの間にかその発達にすら適合するように変化していたのだ。有機物の発生に次いで単細胞の生物が現われ出た。そして生長と分化とが始まった。その姿は無機物の結晶に起る成長らしい現象とは多くの点に於て相違していた。単細胞生物はやがて複細胞生物となり、一は地上に固着して植物となり、一は移動性を利用して動物となった。そして動物の中から人類が発生するまでに、その進化の過程には屡〻創造と称せらるべき現象が続出した。続出したというよりも凡ての過程は創造から創造への連続といっていい。習性及び形態の保存に固着してカリバンのように固有の生活にしがみ附こうとする生物を或る神秘な力が鞭ちつつ、分化から分化へと飛躍させて来た。誰がこの否む可らざる目前の事実に驚異せずにはいられよう。地上の存在をかく導き来った大きな力はまた私の個性の核心を造り上げている。私の個性は或る已みがたい力に促されて、新たなる存在へ躍進しようとする。その力の本源はいつでも内在的である。内発的である。一つの花から採取した月見草の種子が、同一の土壌に埋められ、同一の環境の下に生い出ても、多様多趣の形態を取って萠え出ずるというドフリスの実験報告は、私の個性の欲求をさながらに翻訳して見せてくれる。若しドフリスの Mutation Theory が実験的に否認される時が来たとしても、私の個性は、それは単にドフリスの実験の誤謬であって、自然界の誤謬ではないと主張しよう。少くとも地球の上には、意識的であると然らざるとに係わらず、個性認識、個性創造の不思議な力が働いているのだ。ベルグソンのいう純粋持続に於ける認識と体験は正しく私の個性が承認するところのものだ。個性の中には物理的の時間を超越した経験がある。意識のふりかえりなる所謂反省によっては掴めない経験そのものが認識となって現われ出る。そこにはもう自他の区別はない。二元的な対立はない。これこそは本当の生命の赤裸々な表現ではないか。私の個性は永くこの境地への帰還にあこがれていたのだ。  例えば大きな水流を私は心に描く。私はその流れが何処に源を発し、何処に流れ去るのかを知らない。然しその河は漾々として無辺際から無辺際へと流れて行く。私は又その河の両岸をなす土壌の何物であるかをも知らない。然しそれはこの河が億劫の年所をかけて自己の中から築き上げたものではなかろうか。私の個性もまたその河の水の一滴だ。その水の押し流れる力は私を拉して何処かに押し流して行く。或る時には私は岸辺近く流れて行く。そして岸辺との摩擦によって私を囲む水も私自身も、中流の水にはおくれがちに流れ下る。更に或る時は、人がよく実際の河流で観察し得るように、中流に近い水の速力の為めに蹴押されて逆流することさえある。かかる時に私は不幸だ。私は新たなる展望から展望へと進み行くことが出来ない。然し私が一たび河の中流に持ち来されるなら、もう私は極めて安全でかつ自由だ。私は河自身の速力で流れる。河水の凡てを押し流すその力によって私は走っているのだけれども、私はこの事実をすら感じない。私は自分の欲求の凡てに於て流れ下る。何故ならば、河の有する最大の流速は私の欲求そのものに外ならないから。だから私は絶対に自由なのだ。そして両岸の摩擦の影響を受けねばならぬ流域に近づくに従って、私は自分の自由が制限せられて来るのを苦々しく感じなければならない。そこに始めて私自身の外に厳存する運命の手が現われ出る。私はそこでは否むべからざる宿命の感じにおびえねばならぬ。河の水は自らの位置を選択すべき道を知らぬ。然し人間はそれを知っている。そしてその選択を実行することが出来る。それは人間の有する自覚がさせる業である。  人は運命の主であるか奴隷であるか。この問題は屡〻私達を悒鬱にする。この問題の決定的批判なしには、神に対する悟りも、道徳律の確定も、科学の基礎も、人間の立場も凡て不安定となるだろう。私もまたこの問題には永く苦しんだ。然し今はかすかながらもその解決に対する曙光を認め得た心持がする。  若し本能的生活が体験せられたなら、それを体験した人は必ず人間の意志の絶対自由を経験したに違いない。本能の生活は一元的であってそれを牽制すべき何等の対象もない。それはそれ自身の必然な意志によって、必然の道を踏み進んで行く。意志の自由とは結局意志そのものの必然性をいうのではないか。意志の欲求を認めなければ、その自由不自由の問題は起らない。意志の欲求を認め、その意志の欲求が必然的であるのを認め、本能的境地に置かれた意志は本能そのものであって、それを遮る何者もないことを知ったなら、私達のいう意志の自由はそのまま肯定せられなければならぬ。  智的生活以下に於てはそういう訳には行かない。智的生活は常に外界との調節によってのみ成り立つ。外界の存在なくしてはこの生活は働くことが出来ない。外界は常に智的生活とは対立の関係にあって、しかも智的生活の所縁になっている。かくしてその生活は自由であることが出来ない。のみならず智的生活の様式は必ず過去の反省によって成り立つという事を私は前に申し出した。既になし遂げられた生活は――縦令それが本能的生活であっても――なし遂げられた生活である。その形は復と変易することがない。智的生活は実にこの種の固定し終った生活の認識と省察によって成り立つのである。その省察の持ち来たす概念がどうして宿命的な色彩を以て色づけられないでいよう。だから人の生活は或は宿命的であり或は自由であり得るといおう。その宿命的である場合は、その生活が正しき緊張から退縮した時である。正しい緊張に於て生活される間は個性は必ず絶対的な自由の意識の中にある。だから一層正しくいえば、根柢的な人間の生活は自由なる意志によって導かれ得るのだ。  同時に本能の生活には道徳はない。従って努力はない。この生活は必至的に自由な生活である。必至には二つの道はない。二つの道のない所には善悪の選択はない。故にそれは道徳を超越する。自由は sein であって sollen ではない。二つの道の間に選ぶためにこそ努力は必要とせられるけれども、唯一筋道を自由に押し進むところに何の努力の助力が要求されよう。  私は創造の為めに遊戯する。私は努力しない。従って努力に成功することも、失敗することもない。成功するにつけて、運命に対して謙遜である必要はない。又失敗するにつけて運命を顧みて弁疏させる必要もない。凡ての責任は――若しそれを強いて言うならば――私の中にある。凡ての報償は私の中にある。  例えばここに或る田園がある。その中には田疇と、山林と、道路と、家屋とが散在して、人々は各〻その或る部分を私有し、田園の整理と平安とに勤んでいる。他人の畑を収穫するものは罪に問われる。道路を歩まないで山林を徘徊するものは警戒される。それはそうあるべきことだ。何故といえば、畑はその所有者の生計のために存在し、道路は旅人の交通のために設けられているのだから。それは私に智的生活の鳥瞰図を開展する。ここに人がある。彼はその田園の外に拡がる未踏の地を探険すべき衝動を感じた。彼は田園を踏み出して、その荒原に足を入れた。そこには彼の踏み進むべき道路はない。又掠奪すべき作物はない。誰がその時彼の踏み出した脚の一歩について尤めだてをする事が出来るか。彼が自ら奮って一歩を未知の世界に踏み出した事それ自身が善といえば善だ。彼の脚は道徳の世界ならざる世界を踏んでいるのだ。それは私に本能的生活の面影を微かながら髣髴させる。  黒雲を劈いて天の一角から一角に流れて行く電光の姿はまた私に本能の奔流の力強さと鋭さを考えさせる。力ある弧状を描いて走るその電光のここかしこに本流から分岐して大樹の枝のように目的点に星馳する支流を見ることがあるだろう。あの支流の末は往々にして、黒雲に呑まれて消え失せてしまう。人間の本能的生活の中にも屡〻かかる現象は起らないだろうか。或る人が純粋に本能的の動向によって動く時、誤って本能そのものの歩みよりも更に急ごうとする。そして遂に本能の主潮から逸して、自滅に導く迷路の上を驀地に馳せ進む。そして遂に何者でもあらぬべく消え去ってしまう。それは悲壮な自己矛盾である。彼の創造的動向が彼を空しく自滅せしめる。智的生活の世界からこれを眺めると、一つの愚かな蹉跌として眼に映ずるかも知れない。たしかに合理的ではない。又かかる現象が智的生活の渦中に発見された場合には道徳的ではない。然しその生活を生活した当体なる一つの個性に取っては、善悪、合理非合理の閑葛藤を揷むべき余地はない。かくばかり緊張した生活が、自己満足を以て生活された、それがあるばかりだ。智的生活を基調として生活し、その生活の基準に慣らされた私達は動〻もするとこの基準のみを以て凡ての現象を理智的に眺めていはしないか。そして智的生活を一歩踏み出したところに、更に緊張した純真な生活が伏在するのを見落すようなことはないか。若しそうした態度にあるならば、それはゆゆしき誤謬といわねばならぬ。人間の創造的生活はその瞬間に停止してしまうからだ。この本能的に対しておぼろげながらも推察の出来ない社会は、豚の如く健全な社会だといい得る外の何物でもあり得ない。  自由なる創造の世界は遊戯の世界であり、趣味の世界であり、無目的の世界である。努力を必要としないが故に遊戯と云ったのである。義務を必要としないが故に趣味といったのである。生活そのものが目的に達する手段ではないが故に無目的といったのである。緩慢な、回顧的な生活にのみ囲繞されている地上の生活に於て、私はその最も純粋に近い現われを、相愛の極、健全な愛人の間に結ばれる抱擁に於て見出だすことが出来ると思う。彼等の床に近づく前に道徳知識の世界は影を隠してしまう。二人の男女は全く愛の本能の化身となる。その時彼等は彼等の隣人を顧みない、彼等の生死を慮らない。二人は単に愛のしるしを与えることと受け取ることとにのみ燃える。そして忘我的な、苦痛にまでの有頂天、それは極度に緊張された愛の遊戯である。その外に何物でもない。しかもその間に、人間のなし得る創造としては神秘な絶大な創造が成就されているのだ。ホイットマンが「アダムの子等」に於て、性慾を歌い、大自然の雄々しい裸かな姿を髣髴させるような瞬間を讃美したことに何んの不思議があろう。そしてエマアソンがその撤回を強要した時、敢然として耳を傾けなかった理由が如何に明白であるよ。肉にまで押し進んでも更に悔いと憎しみとを醸さない恋こそは真の恋である。その恋の姿は比べるものなく美しい。私は又本能的生活の素朴に近い現われを、無邪気な小児の熱中した遊戯の中に見出すことが出来ると思う。彼は正しく時間からも外聞からも超越する。彼には遊戯そのものの外に何等の目的もない。彼の表面的な目的は縦令一個の紙箱を造ることにありとするも、その製作に熱中している瞬間には、紙箱を造る手段そのものの中に目的は吸い込まれてしまう。そこには何等の努力も義務も附帯してはいない。あの純一無雑な生命の流露を見守っていると私は涙がにじみ出るほど羨ましい。私の生活がああいう態度によって導かれる瞬間が偶にあったならば私は甫めて真の創造を成就することが出来るであろうものを。  私は本能的生活の記述を蔑ろにして、あまり多くをその讃美の為めに空費したろうか。私は仮りにそれを許してもらいたい。何故なら、私は本能的生活を智的生活の上位に置こうと思うからだ。誰でも私のいう智的生活を習性的生活の上におかぬものはなかろう。然し本能的生活を智的生活の上におこうとする場合になると、多くの人々はそこに躊躇を感じはしないだろうか。現在人類の生活が智的生活をその基調としているという点に於て、その躊躇は無理のないことだともいえる。単に功利的な立場からのみ考えれば、その躊躇は正当なことだとさえいえる。然し凡ての生存は、それが本能の及ぶだけ純粋なる表現である場合に最も真であるという大事な要件が許されるならば、本能的生活は私にとって智的生活よりもより価値ある生活である。若し価値をもってそれを定めるのが不当ならば、より尊い生活である。しかも私はこの生活の内容を的確に発想することが出来ない(それはこの生活が理智的表現を超越しているが故でもある)。その場合私は、比喩と讃美とによってわずかにこの尊い生活を偲ぶより外に道がないだろう。 一三 一四  本能という言葉を用いるに当って私は多少の誤解を恐れないではない。この言葉は殊に科学によってその正しい意味から堕落させられている。というよりは、科学が素朴的に用いたこの言葉を俗衆が徹底的に歪め穢してしまった。然し今はそれが固有の意味にまで引き上げられなければならない。ベルグソンはこの言葉をその正しき意味に於て用い始めた。ラッセル(私は氏の文章を一度も読んだことがないけれども)もまたベルグソンを継承して、この言葉の正当な使用を心懸けているように見える。  本能とは大自然の持っている意志を指すものと考えることが出来る。野獣にはこの力が野獣なりに赤裸々に現われている。自然科学はその現われを観察して、詳細にそれを記述した。そしてそれが人類の活動の中にも看取せられるのを附け加えた。この記述はいうまでもなく明かな事実である。然しその事実から、人類の活動の全部が野獣に現われた本能だけから成り立つとは、科学は結論していないのだ。然るに人は往々にして科学の記述を逆用しようとする。これは単なる誤解とのみ見て過すことが出来ないと私は思う。  人間は人間である。野獣ではない。野獣が無自覚に近い心でなすところを人は十分なる自覚をもってなしているのである。若し人がその自覚を逆用して、肉にまで至る愛の要求のない場合に、単に外観的に観察された野獣の本能に走ったならば、それは明かに人間の有する本能の全体的な活動ということが出来ない。同時に、人間の本能の中から野獣と共通な部分を理智的に引き離して、純霊というような境地を捏造しようとするのは、明かに本能に対する謂れのない迫害である。本能は分解とは両立することが出来ない。本能はいつでもその全体に於て働かねばならぬ。人間の本能――野獣の本能でもなく又天使の本能でもない――もその本能の全体に於て働かねばならぬ。そこからのみ、若し生れるならば、人間以上の新しい存在への本能は生れ出るだろう。本能を現実のきびしさに於て受取らないで、ロマンティックに考えるところに、純霊の世界という空虚な空中楼閣が築き上げられる。肉と霊とを峻別し得るものの如く考えて、その一方に偏倚するのを最上の生活と決めこむような禁慾主義の義務律法はそこに胚胎されるのではないか。又本能を現実のきびしさに於て受取らないで、センティメンタルに考えるところに肉慾の世界という堕落した人生観が仮想される。この野獣の過去にまでの帰還は、また本能の分裂が結果するところのもので、人間を人間としての荘厳の座から引きおろすものではないか。私の生活が何等かの意味に於てその緊張度を失い、現実への安立から知らず知らず未来か過去かへ遠ざかる時、必ずかかる本能の分裂がその結果として現われ出るのを私はよく知っている。私はその境地にあって必ず何等かの不満を感ずる。そして一歩を誤れば、その不満を医さんが為めに、益〻本能の分裂に向って猪突する。それは危い。その時私は明かに自己を葬るべき墓穴を掘っているのだ。それを何人も救ってくれることは出来ない。本当にそれを救い得るのは私自身のみだ。  私の意味する本能を逆用して、自滅の方に進むものがあるならば、私はこの上更にいうべき何物をも持たぬだろう。本当をいえば、誤解を恐れるなら、私は始めから何事をもいわぬがいいのだ。私は私の柄にもない不遜な老婆親切をもうやめねばならぬ。 一五  人間は人間だ。野獣ではない。天使でもない。人間には人間が大自然から分与された本能があると私はいった。それならその本能とはどんなものであるかと反問されるだろう。私は当然それに答えるべき責任を持っている。私は貧しいなりにその責任を果そう。私の小さな体験が私に書き取らせるものをここに披瀝して見よう。  人間によって切り取られた本能の流れを私は今まで漫然とただ本能と呼んでいた。それは一面に許さるべきことである。人間の有する本能もまた大自然の本能の一部なのだから。然しここまで私の考察を書き進めて来ると、私はそれを特殊な名によって呼ぶのを便利とする。  人間によって切り取られた本能――それを人は一般に愛と呼ばないだろうか。老子が道の道とすべきは常の道にあらずといったその道も或はこの本能を意味するのかも知れない。孔子が忠信のみといったその忠信も或はこれを意味するのかも知れない。釈尊の菩提心、ヨハネのロゴス、その他無数の名称はこの本能を意味すべく構出されたものであるかも知れない。然し私は自分の便宜の為めに仮りにそれを愛と名づける。愛には、本能と同じように既に種々な不純な属性的意味が膠着しているけれども、多くの名称の中で最も専門的でなく、かつ比較的に普遍的な内容をその言葉は含んでいるようだ。愛といえば人は常識的にそれが何を現わすかを朧ろげながらに知っている。  愛は人間に現われた純粋な本能の働きである。然し概念的に物事を考える習慣に縛られている私達は、愛という重大な問題を考察する時にも、極めて習慣的な外面的な概念に捕えられて、その真相とは往々にして対角線的にかけへだたった結論に達していることはないだろうか。  人は愛を考察する場合、他の場合と同じく、愛の外面的表現を観察することから出発して、その本質を見窮めようと試みないだろうか。ポーロはその書翰の中に愛は「惜みなく与え」云々といった、それは愛の外面的表現を遺憾なくいい現わした言葉だ。愛する者とは与える者の事である。彼は自己の所有から与え得る限りを与えんとする。彼からは今まであったものが失われて、見たところ貧しくはなるけれども、その為めには彼は憂えないのみか、却って欣喜し雀躍する。これは疑いもなく愛の存するところには何処にも観察される現象である。実際愛するものの心理と行為との特徴は放射することであり与えることだ。人はこの現象の観察から出発して、愛の本質を帰納しようとする。そして直ちに、愛とは与える本能であり放射するエネルギーであるとする。多くの人は省察をここに限り、愛の体験を十分に噛みしめて見ることをせずに、逸早くこの観念を受け入れ、その上に各自の人生観を築く。この観念は私達の道徳の大黒柱として認められる。愛他主義の倫理観が構成される。そして人間生活に於ける最も崇高な行為として犠牲とか献身とかいう徳行が高調される。そして更にこの観念が、利己主義の急所を衝くべき最も鋭利な武器として考えられる。  そう思われることを私は一概に排斥するものではない。愛が智的生活に持ち来たされた場合には、そう結論されるのは自然なことだ。智的生活にあっては愛は理智的にのみ考察されるが故に、それは決して生活の内部にあって働くままの姿では認められない。愛は生活から仮りに切り放されて、一つの固定的な現象としてのみ観察される。謂わば理智が愛の周囲――それはいかに綿密であろうとも――のみを廻転し囲繞している。理智的にその結論が如何に周匝で正確であろうとも、それが果して本能なる愛の本体を把握し得た結論ということが出来るだろうか。  本能を把握するためには、本能をその純粋な形に於て理解するためには、本能的生活中に把握される外に道はない。体験のみがそれを可能にする。私の体験は、縦しそれが貧弱なものであろうとも――愛の本質を、与える本能として感ずることが出来ない。私の経験が私に告げるところによれば、愛は与える本能である代りに奪う本能であり、放射するエネルギーである代りに吸引するエネルギーである。  他のためにする行為を利他主義といい、己れのためにする行為を利己主義というのなら、その用語は正当である。何故ならば利するという言葉は行為を表現すべき言葉だからである。然し倫理学が定義するように、他のためにせんとする衝動若しくは本能を認めて、これを利他主義といい、己れのためにせんとする衝動若しくは本能を主張してこれを利己主義というのなら、その用語は正鵠を失している。それは当然愛他主義愛己主義という言葉で書き改められなければならないものだ。利と愛との両語が自明的に示すが如く、利は行為或は結果を現わす言葉で、愛は動機或は原因を現わす言葉であるからだ。この用語の錯誤が偶〻愛の本質と作用とに対する混同を暴露してはいないだろうか。即ち人は愛の作用を見て直ちにその本質を揣摩し、これに対して本質にのみ名づくべき名称を与えているのではないか。又人は愛が他に働く動向を愛他主義と呼び、己れに働く動向を利己主義と呼ぶならわしを持っている。これも偶〻人が一種の先入僻見を以て愛の働き方を見ている証拠にはならないだろうか。二つの言葉の中、物質的な聯想の附帯する言葉を己れへの場合に用い、精神的な聯想を起す言葉を他への場合に用いているのは、恐らく愛が他を益する時その作用を完うし得るという既定の観念に制せられているのを現わしているようだ。この愛の本質と現象との混淆から、私達の理解は思いもよらぬ迷宮に迷い込むだろう。 一六  愛を傍観していずに、実感から潜りこんで、これまで認められていた観念が正しいか否かを検証して見よう。  私は私自身を愛しているか。私は躊躇することなく愛していると答えることが出来る。私は他を愛しているか。これに肯定的な答えを送るためには、私は或る条件と限度とを附することを必要としなければならぬ。他が私と何等かの点で交渉を持つにあらざれば、私は他を愛することが出来ない。切実にいうと、私は己れに対してこの愛を感ずるが故にのみ、己れに交渉を持つ他を愛することが出来るのだ。私が愛すべき己れの存在を見失った時、どうして他との交渉を持ち得よう。そして交渉なき他にどうして私の愛が働き得よう。だから更に切実にいうと、他が何等かの状態に於て私の中に摂取された時にのみ、私は他を愛しているのだ。然し己れの中に摂取された他は、本当をいうともう他ではない。明かに己の一部分だ。だから私が他を愛している場合も、本質的にいえば他を愛することに於て己れを愛しているのだ。そして己れをのみだ。  但し己を愛するとは何事を示すのであろう。私は己れを愛している。そこには聊かの虚飾もなく誇張もない。又それを傲慢な云い分ともすることは出来ない。唯あるがままをあるがままに申し出たに過ぎない。然し私が私自身をいかに深くいかによく愛しているかを省察すると問題はおのずから別になる。若し私の考えるところが謬っていないなら、これまで一般に認められていた利己主義なるものは、極めて功利的な、物質的な、外面的な立場からのみ考察されてはいなかったろうか。即ち生物学の自己保存の原則を極めて安価に査定して、それを愛己の本能と結び付けたものではなかったろうか。「生物発達の状態を研究して見ると、利己主義は常に利他主義以上の力を以て働いている。それを認めない訳には行かない」といったスペンサーの生物一般に対しての漫然たる主張が、何といっても利己主義の理解に対する基調になっていはしないだろうか。その主張が全事実の一部をなすものだということを私も認めない訳ではない。然しそれだけで満足し切ることを、私の本能の要求は明かに拒んでいる。私の生活動向の中には、もっと深くもっとよく己れを愛したい欲求が十二分に潜んでいることに気づくのだ。私は明かに自己の保存が保障されただけでは飽き足らない。進んで自己を押し拡げ、自己を充実しようとし、そして意識的にせよ、無意識的にせよ、休む時なくその願望に駆り立てられている。この切実な欲求が、かの功利的な利己主義と同一水準におかれることを私は退けなければならない。それは愛己主義の意味を根本的に破壊しようとする恐るべき傾向であるからである。私の愛己的本能が若し自己保存にのみあるならば、それは自己の平安を希求することで、智的生活に於ける欲求の一形式にしか過ぎない。愛は本能である。かくの如き境地に満足する訳がない。私の愛は私の中にあって最上の生長と完成とを欲する。私の愛は私自身の外に他の対象を求めはしない。私の個性はかくして生長と完成との道程に急ぐ。然らば私はどうしてその生長と完成とを成就するか。それは奪うことによってである。愛の表現は惜みなく与えるだろう。然し愛の本体は惜みなく奪うものだ。  アミイバが触指を出して身外の食餌を抱えこみ、やがてそれを自己の蛋白素中に同化し終るように、私の個性は絶えず外界を愛で同化することによってのみ生長し完成してゆく。外界に個性の貯蔵物を投げ与えることによって完成するものではない。例えば私が一羽のカナリヤを愛するとしよう。私はその愛の故に、美しい籠と、新鮮な食餌と、やむ時なき愛撫とを与えるだろう。人は、私のこの愛の外面の現象を見て、私の愛の本質は与えることに於てのみ成り立つと速断することはないだろうか。然しその推定は根柢的に的をはずれた悲しむべき誤謬なのだ。私がその小鳥を愛すれば愛する程、小鳥はより多く私に摂取されて、私の生活と不可避的に同化してしまうのだ。唯いつまでも分離して見えるのは、その外面的な形態の関係だけである。小鳥のしば鳴きに、私は小鳥と共に或は喜び或は悲しむ。その時喜びなり悲しみなりは小鳥のものであると共に、私にとっては私自身のものだ。私が小鳥を愛すれば愛するほど、小鳥はより多く私そのものである。私にとっては小鳥はもう私以外の存在ではない。小鳥ではない。小鳥は私だ。私が小鳥を活きるのだ。(The little bird is myself, and I live a bird)“I live a bird”……英語にはこの適切な愛の発想法がある。若しこの表現をうなずく人があったら、その人は確かに私の意味しようとするところをうなずいてくれるだろう。私は小鳥を生きるのだ。だから私は美しい籠と、新鮮な食餌と、やむ時なき愛撫とを外物に恵み与えた覚えはない。私は明かにそれらのものを私自身に与えているのだ。私は小鳥とその所有物の凡てを残すところなく外界から私の個性へ奪い取っているのだ。見よ愛は放射するエネルギーでもなければ与える本能でもない。愛は掠奪する烈しい力だ。与えると見るのは、愛者被愛者に直接の交渉のない第三者が、愛するものの愛の表現を極めて外面的に観察した時の結論に過ぎないのを知るだろう。  かくて愛の本能に従って、私は他を私の中に同化し、他に愛せらるることによって、私は他の中に投入し、私と他とは巻絹の経緯の如く、そこにおのずから美しい生活の紋様を織りなして行くのだ。私の個性がよりよく、より深くなり行くに従って、よりよき外界はより深く私の個性の中に取り込まれる。生活全体の実績はかくの如くして始めて成就する。そこには犠牲もない。又義務もない。唯感謝すべき特権と、ほほ笑ましい飽満とがあるばかりだ。 一七  目を挙げて見るもの、それは凡てが神秘である。私の心が平生の立場からふと視角をかえている時、私の目前に開かれるものはただ驚異すべき神秘があるばかりだ。然しながら現実の世界に執着を置き切った私には、かかる神秘は神秘でありながらあたり前の事実だ。私は小児のように常に驚異の眼を見張っていることは出来なくなった。その現実的な、散文的な私にも、愛の働きのみは近づきがたき神秘な現われとして感ぜられる。  愛は私の個性を哺くむために外界から奪い取って来る。けれどもその為めに外界は寸毫も失われることがない。例えば私は愛によってカナリヤを私の衷に奪い取る。けれどもカナリヤは奪わるることによって幸福にはなるとも不幸福にはならない。かの小鳥は少くとも物質的に美しい籠(それは醜い籠にあるよりも確かにいいことだろう)と新鮮な食餌とを以て富ませられる。物質の法則を超越したこの神秘は私を存分に驚かせ感傷的にさえする。愛という世界は何といういい世界だろう。そこでは白昼に不思議な魔術が絶えず行われている。それを見守ることによって私は凡ての他の神秘を忘れようとさえする。私はこの賜物一つを持ち得ることによって、凡ての存在にしみじみとした感謝の念を持たざるを得ない。  愛は与える本能をいうのだと主張する人は、恐らく私のこの揚言を聞いて哂い出すだろう。お前のいうことは夙の昔に私が言い張ったところだ。愛は与えることによって二倍する、その不思議を知らないのか。愛を与えるものは与えるが故に富み、愛を受けるものは受けるが故に富む。地球が古いほど古いこの真理をお前は今まで知らないでいたのか、と。  私はそれを知らないではない。然し私はその提言には一つの条件を置く必要を感ずる。愛が与えることによって二倍するという現象は、愛するものと愛せられたるものとの間に愛が相互的に成り立った場合に限るのだ。若しその愛が完全に受け取られた場合には、その愛の恵みは確かに二倍するだろう。然し愛せられるものが愛するもののあることを知らなかった時はどうだ。或はそれを斥けた時はどうだ。それでも愛は二倍されている事と感ずることが出来るか。それは一種感情的な自観の仮想に過ぎないのではないか。或は人工的な神秘主義に強いて一般的な考えを結び付けて考える結果に過ぎないのではないか。  若し愛が片務的に動いた場合に、愛するということを恩恵を施すという如く考えている人には、愛するという行為に一種の自己満足を感ずるが故に、愛する人の受ける心の豊かさは二倍になると主張するなら、それは愛の作用を没我的でなければならぬと強言する愛他主義者としてはあるまじきことだといわねばならぬ。その時その人は愛することによって明かに報酬を得ているからである。報酬を得て(それが人からであろうと、神からであろうと)、若しくは報酬を得ることを期待し得てする仕事が何で愛他主義であろうぞ。何で他に殉ずる心であろうぞ。愛するのは自分のためではなく、他人のためだと主張する人は、先ずこの辺の心持を僻見なく省察して見る必要があると思う。彼等はよく功利主義々々々々といって報酬を目あてにする行為を蛇蝎の如く忌み悪んでいる。然るに彼等自身の行為や心持にもそうした傾向は見られないだろうか。その報酬に対する心持が違う。それは比べものにならぬ程凡下の功利主義より高尚だといおうか。私にはそんな心持は通じない。高尚だといえばいう程それがうそに見える。非常に巧みな、そして狡猾な仮面の下に隠れた功利主義としか思われない。物質的でないにせよ、純粋に精神的であるにせよ(そんな表面的な区別は私には本当は通用しないが、仮りにある人々の主張するような言葉遣いにならって)、何等かの報酬が想像されている行為に何の献身ぞ、何の犠牲ぞ。若し偽善といい得べくんば、これこそ大それた忌わしい偽善ではないか。何故なら当然期待さるべき功利的な結果を、彼等は知らぬ顔に少しも功利的でないものの如くに主張するからだ。  或はいうかも知れない。愛するということは人間内部の至上命令だ。愛する時人は水が低きに流れるが如く愛する。そこには何等報酬の予想などはない。その結果がどうであろうとも愛する者は愛するのだ。これを以てかの報酬を目的にして行為を起す功利主義者と同一視するのは、人の心の絶妙の働きを知らぬものだと。私はそれを詭弁だと思う。一度愛した経験を有するものは、愛した結果が何んであるかを知っている、それは不可避的に何等かの意味の獲得だ。一度この経験を有ったものは、再び自分の心の働きを利他主義などとは呼ばない筈だ。他に殉ずる心などとはいわない筈だ。そういうことはあまり勿体ないことである。  愛は自己への獲得である。愛は惜みなく奪うものだ。愛せられるものは奪われてはいるが、不思議なことには何物も奪われてはいない。然し愛するものは必ず奪っている。ダンテが少年の時ビヤトリスを見て、世の常ならぬ愛を経験した。その後彼は長くビヤトリスを見ることがなかった。そしてただ一度あった。それはフロレンスの街上に於てだった。ビヤトリスは一人の女伴れと共に紅い花をもっていた。そしてダンテの挨拶に対してしとやかな会釈を返してくれた。その後ビヤトリスは他に嫁いだ。ダンテはその婚姻の席に列って激情のあまり卒倒した。ダンテはその時以後彼の心の奥の愛人を見ることがなかった。そしてビヤトリスは凡ての美しいものの運命に似合わしく、若くしてこの世を去った。文献によればビヤトリスは切なるダンテの熱愛に触れることなくして世を終ったらしい。ダンテの愛はビヤトリスと相互的に通い合わなかった(愛は相互的にのみ成り立つとのみ考える人はここに注意してほしい)。ダンテだけが、秘めた心の中に彼女を愛した。しかも彼は空しかったか。ダンテはいかにビヤトリスから奪ったことぞ。彼は一生の間ビヤトリスを浪費してなお余る程この愛人から奪っていたではないか。彼の生活は寂しかった。骯髒であった。然しながら強く愛したことのない人々の淋しさと比べて見たならばそれは何という相違だろう。ダンテはその愛の獲得の飽満さを自分一人では抱えきれずに、「新生」として「神曲」として心外に吐き出した。私達はダンテのこの飽満からの余剰にいかに多くの価値を置くことぞ。ホイットマンも嘗てその可憐な即興詩の中に「自分は嘗て愛した。その愛は酬いられなかった。私の愛は無益に終ったろうか。否。私はそれによって詩を生んだ」と歌っている。  見よ、愛がいかに奪うかを。愛は個性の飽満と自由とを成就することにのみ全力を尽しているのだ。愛は嘗て義務を知らない。犠牲を知らない。献身を知らない。奪われるものが奪われることをゆるしつつあろうともあるまいとも、それらに煩わされることなく愛は奪う。若し愛が相互的に働く場合には、私達は争って互に互を奪い合う。決して与え合うのではない。その結果、私達は互に何物をも失うことがなく互に獲得する。人が通常いう愛するものは二倍の恵みを得るとはこれをいうのだ。私は予期するとおりの獲得に対して歓喜し、有頂天になる。そして明かにその獲得に対して感激し感謝する。その感激と感謝とは偽善でも何でもない。あるべかりしものがあったについての人の有し得るおのずからの情である。愛の感激……正しくいうとこの外に私の生命はない。私は明かに他を愛することによって、凡てを自己に取り入れているのを承認する。若し人が私を利己主義者と呼ぼうとならば、私はそう呼ばれるのを妨げない。若し必要ならば愛他的利己主義者と呼んでもかまわない。苟も私が自発的に愛した場合なら、私は必ず自分に奪っているのを知っているからだ。  この求心的な容赦なき愛の作用こそは、凡ての生物を互に結び付けさせた因子ではないか。野獣を見よ、如何に彼等の愛の作用(相奪う状)が端的に現われているかを。それが人間に至って、全く反対の方向を取るというのか。そんな事があり得べきではない。ただ人間は nicety の仮面の下に自分自らを瞞着しようとしているのだ。そして人間はたしかにこの偽瞞の天罰を被っている。それは野獣にはない、人間にのみ見る偽善の出現だ。何故愛をその根柢的な本質に於てのみ考えることが悪いのだ。それをその本質に於て考えることなしには人間の生活には遂に本当の進歩創作は持ち来されないであろう。  智的生活の動向はいつでも本能を堕落させ、それを第二義的な状態に於てのみ利用する。智的生活の要求するものは平安無事である。この生活にあっては、愛の本質よりもその現われが必要である。内部の要求はさもあらばあれ、互に与え合う事さえやれば、それで平安は保たれてゆく。それ故に倫理道徳は義務と献身との徳を高調する。人は遂にこの固定的な概念にあざむかれる。そして愛のないところに、愛が行うのと同じ行いをする。即ち愛の極印なき所有物を外界に向って恥じることもなく放射する。けれども愛の極印のない所有物は、一度外界に放射されると、またとはその人に返って来ない。その時彼にとっては行為の結果に対する苦い後味が残る。その後味をごまかすために、彼は人の為めに社会の為めに義務を果し、献身の行いをしたという諦めの心になる。そしてそこに誇るべからざる誇りを感じようとする。社会はかくの如き人の動機の如何は顧慮することなく、直ちに彼に与えるのに社会人類の恩人の名を以てする。それには智的生活にあっては奨励的にそうするのが便利だからだ。そんな人はそんな事は歯牙にかけるに足らないことのように云いもし思いもしながら、衷心の満ち足らなさから、知らず知らずそれを歯牙にかけている。かくてその人は愛の逆用から来る冥罰を表面的な概念と社会の賞讃によって塗抹し、社会はその人の表面的な行為によって平安をつないで行く。かくてその結果は生命と関係のない物質的な塵芥となって、生活の路上に醜く堆積する。その堆積の余弊は何んであろう。それは誰でも察し得る如く人間そのものの死ではないか。 一八  愛は個性の生長と自由とである。そうお前はいい張ろうとするが、と又或る人は私にいうだろう。この世の中には他の為めに自滅を敢えてする例がいくらでもあるがそれをどう見ようとするのか。人間までに発達しない動物の中にも相互扶助の現象は見られるではないか。お前の愛己主義はそれをどう解釈する積りなのか。その場合にもお前は絶対愛他の現象のあることを否定しようとするのか。自己を滅してお前は何ものを自己に獲得しようとするのだ。と或る人は私に問い詰めるかも知れない。科学的な立場から愛を説こうとする愛己主義者は、自己保存の一変態と見るべき種族保存の本能なるものによってこの難題に当ろうとしている。然しそれは愛他主義者を存分に満足させないように、又私をも満足させる解釈ではない。私はもっと違った視角からこの現象を見なければならぬ。  愛がその飽くことなき掠奪の手を拡げる烈しさは、習慣的に、なまやさしいものとのみ愛を考え馴れている人の想像し得るところではない。本能という言葉が誤解をまねき易い属性によって煩わされているように、愛という言葉にも多くの歪んだ意味が与えられている。通常愛といえば、すぐれて優しい女性的な感情として見られていはしないか。好んで愛を語る人は、頭の軟かなセンティメンタリストと取られるおそれがありはしまいか。それは然し愛の本質とは極めてかけ離れた考え方から起った危険な誤解だといわなければならぬ。愛は優しい心に宿り易くはある。然し愛そのものは優しいものではない。それは烈しい容赦のない力だ。それが人間の生活に赤裸のまま現われては、却って生活の調子を崩してしまいはしないかと思われるほど容赦のない烈しい力だ。思え、ただ仮初めの恋にも愛人の頬はこけるではないか。ただいささかの子の病にも、その母の眼はくぼむではないか。  個性はその生長と自由とのために、愛によって外界から奪い得るものの凡てを奪い取ろうとする。愛は手近い所からその事業を始めて、右往左往に戦利品を運び帰る。個性が強烈であればある程、愛の活動もまた目ざましい。若し私が愛するものを凡て奪い取り、愛せられるものが私を凡て奪い取るに至れば、その時に二人は一人だ。そこにはもう奪うべき何物もなく、奪わるべき何者もない。  だからその場合彼が死ぬことは私が死ぬことだ。殉死とか情死とかはかくの如くして極めて自然であり得ることだ。然し二人の愛が互に完全に奪い合わないでいる場合でも、若し私の愛が強烈に働くことが出来れば、私の生長は益〻拡張する。そして或る世界が――時間と空間をさえ撥無するほどの拡がりを持った或る世界が――個性の中にしっかりと建立される。そしてその世界の持つ飽くことなき拡充性が、これまでの私の習慣を破り、生活を変え、遂には弱い、はかない私の肉体を打壊するのだ。破裂させてしまうのだ。  難者のいう自滅とは畢竟何をさすのだろう。それは単に肉体の亡滅を指すに過ぎないではないか。私達は人間である。人間は必ずいつか死ぬ。何時か肉体が亡びてしまう。それを避けることはどうしても出来ない。然し難者が、私が愛したが故に死なねばならぬ場合、私の個性の生長と自由とが失われていると考えるのは間違っている。それは個性の亡失ではない。肉体の破滅を伴うまで生長し自由になった個性の拡充を指しているのだ。愛なきが故に、個性の充実を得切らずに定命なるものを繋いで死なねばならぬ人がある。愛あるが故に、個性の充実を完うして時ならざるに死ぬ人がある。然しながら所謂定命の死、不時の死とは誰が完全に決めることが出来るのだ。愛が完うせられた時に死ぬ、即ち個性がその拡充性をなし遂げてなお余りある時に肉体を破る、それを定命の死といわないで何処に正しい定命の死があろう。愛したものの死ほど心安い潔い死はない。その他の死は凡て苦痛だ。それは他の為めに自滅するのではない。自滅するものの個性は死の瞬間に最上の生長に達しているのだ。即ち人間として奪い得る凡てのものを奪い取っているのだ。個性が充実して他に何の望むものなき境地を人は仮りに没我というに過ぎぬ。  この事実を思うにつけて、いつでも私に深い感銘を与えるものは、基督の短い地上生活とその死である。無学な漁夫と税吏と娼婦とに囲繞された、人眼に遠いその三十三年の生涯にあって、彼は比類なく深く善い愛の所有者であり使役者であった。四十日を荒野に断食して過した時、彼は貧民救済と、地上王国の建設と、奇蹟的能力の修得を以ていざなわれた。然し彼は純粋な愛の事業の外には何物をも択ばなかった。彼は智的生活の為めには、即ち地上の平安の為めには何事をも敢えてなさなかった。彼はその母や弟とは不和になった。多くの子をその父から反かせた。ユダヤ国を攪乱するおそれによってその愛国者を怒らせた。では彼は何をしたか。彼はその無上愛によって三世にわたっての人類を自己の内に摂取してしまった。それだけが彼の已むに已まれぬ事業だったのだ。彼が与えて与えてやまなかった事実は、彼が如何に個性の拡充に満足し、自己に与えることを喜びとしたかを証拠立てるものである。「汝自身の如く隣人を愛せよ」といったのは彼ではなかったか。彼は確かに自己を愛するその法悦をしみじみと知っていた最上一人ということが出来る。彼に若し、その愛によって衆生を摂取し尽したという意識がなかったなら、どうしてあの目前の生活の破壊にのみ囲まれて晏如たることが出来よう。そして彼は「汝等もまた我にならえ」といっている。それはこの境界が基督自身のものではなく、私達凡下の衆もまた同じ道を歩み得ることを、彼自身が証言してくれたのだ。  やがて基督が肉体的に滅びねばならぬ時が来た。彼は苦しんだ。それに何の不思議があろう。彼は自分の愛の対象を、眼もて見、耳もて聞き、手もて触れ得なくなるのを苦しんだに違いない。又彼の愛の対象が、彼ほどに愛の力を理解し得ないのを苦しんだに違いない。然し最も彼を苦しめたものは、彼の愛がその掠奪の事業を完全に成就したか否かを迷った瞬間にあったであろう。然し遂に最後の安心は来た「父よ(父よは愛よである)我れわが身を汝に委ぬ」。そして本当に神々しく、その辛酸に痩せた肉体を、最上の満足の為めに脚の下に踏み躙った。  基督の生涯の何処に義務があり、犠牲があるのだろう。人は屡〻いう、基督は有らゆるものを犠牲に供し、救世主たるの義務の故に、凡ての迫害と窮乏とを甘受し、十字架の死をさえ敢えて堪え忍んだ。だからお前達は基督の受難によって罪からあがなわれたのだ。お前達もまた彼にならって、犠牲献身の生活を送らなければならないと。私は私一個として基督が私達に遺して行った生活をかく考えることはどうしても出来ない。基督は与えることを苦痛とするような愛の貧乏人では決してなかったのだ。基督は私達を既に彼の中に奪ってしまったのだ。彼は私の耳に囁いていう、「基督の愛は世の凡ての高きもの、清きもの、美しきものを摂取し尽した。悪しきもの、醜きものも又私に摂取されて浄化した。眼を開いて基督の所有の如何に豊富であるかを見るがいい。基督が与えかつ施したと見えるもの凡ては、実は凡て基督自身に与え施していたのだ。基督は与えざる一つのものもない。しかも何物をも失わず、凡てのものを得た。この大歓喜にお前もまた与かるがいい。基督のお前に要求するところはただこの一つの大事のみだ。お前が縦令凡てを施し与えようとも永遠の生命を失っていたらそれが何になる。お前は偽善者を知っているか。それは犠牲献身という美名をむさぼって、自己に同化し切らない外物に対して浪費する人をいうのだ。自己に同化し切ったものに施すのは即ち自己に施すのだという、世にも感謝すべき事実を認め得ない程に、愛の隠れ家を見失ってしまった人のことだ。浪費の後の苦々しい後味を、強いて笑いにまぎらすその歪んだ顔付を見るがいい。それは悲しい錯誤だ。お前が愛の極印のないものを施すのは一番大きな罪だと知らねばならぬ。そして愛の極印のあるものは、仮令お前がそれを地獄の底に擲とうとも、忠実な犬のように逸早くお前の膝許に帰って来るだろう。恐れる事はない。事実は遂に伝説に打勝たねばならぬのだ」と。  本当にそうだ。私は愛を犠牲献身の徳を以て律し縛めていてはならぬ。愛は智的生活の世界から自由に解放されなければならぬ。この発見は私にとっては小さな発見ではなかった。小さな弱い経験ではあるが、私の見たところも存分にこれを裏書きする。私が創作の衝動に駆られて容赦なく自己を検察した時、見よ、そこには生気に充ち満ちた新しい世界が開展されたではないか。実生活の波瀾に乏しい、孤独な道を踏んで来た私の衷に、思いもかけず、多数の個性を発見した時、私は眼を見張って驚かずにはいられなかったではないか。私が眼を据えて憚りなく自己を見つめれば見つめるほど、大きな真実な人間生活の諸相が明瞭に現われ出た。私の内部に充満して私の表現を待ち望んでいるこの不思議な世界、何だそれは。私は今にしてそれが何であるかを知る。それは私の祖先と私とが、愛によって外界から私の衷に連れ込んで来た、謂わば愛の捕虜の大きな群れなのだ。彼らは各〻自身の言葉を以て自身の一生を訴えている。そして私の心にさえよき準備ができているならば、それを聞き分け、見分け、その真の生命に於て再現するのは可能なことであるのを私は知る。私は既に十分に持っている。芸術制作の素材には一生かかって表現してもなおあり余るものを持っている。外界から奪い取る愛の働きを無視しては、どうしてこの明らさまな事実を説明することが出来ようぞ。しかも私の愛はなお足ることを知らずに奪おうとしている。何んという飽くことを知らぬ烈しいそれは力だろう。  私達を貫く本能の力強さ。人間に表われただけでもそれはかくまでに力強い。その力の総和を考えることは、私達の思考力のはかなさを暴露するようなものであろうけれども、その限られた思考力にさえ、それは限りなく偉大な、熱烈なものとして現われるではないか。 一九  私は他を愛する形に於て凡てを私の個性の中に奪っている。私はより正しきものを奪い取らんが為めに、より善く、より深く愛せねばならぬ。自己を愛することがかつ深くかつ善いに従って、私は他から何を摂取しなければならぬかをより明瞭にし得るだろう。  愛する以上は、憎まねばならぬ一面のあるのを忘れることが出来ない、愛憎のかなたにある愛、そういうものがあるだろうか。憎愛の二極を撥無して、陰陽を統合した太極というような形の愛、それは理論的に考えて見られぬでもないことではあるが、かくの如きものが果して私達人間の生活を築き上げてゆく上になくてはならぬ重大問題だろうか。少くとも私には、それは欲求であり得る外価値を持っていない。神の世界に於ては、或は超越的形而上学の世界に於ては、かかることは捨ておかれぬ喫緊事として考えられねばならぬだろう。然しながら一箇の人間としての私に取っては、それよりも大切な事は私が愛しかつ憎むという動かすことの出来ない厳然たる事実があるばかりだ。この一見矛盾した二つの心的傾向の共存は、私をいらだたせかつ不幸にする。何故ならば、私の個性はいかなる場合にも純一無雑な一路へとのみ志しているからである。  然しながらよく考えて見ると、愛と憎みとは、相反馳する心的作用の両極を意味するものではない。憎みとは人間の愛の変じた一つの形式である。愛の反対は憎みではない。愛の反対は愛しないことだ。だから、愛しない場合にのみ、私は何ものをも個性の中に奪い取ることが出来ないのだ。憎む場合にも私は奪い取る。それは私が憎んだところの外界と、そして私がそれに対して擲ったおくりものとである。愛する場合に於ては、例えば私が飢えた人を愛して、これに一飯を遣ったとすれば、その愛された人と一飯とは共に還って来て私自身の骨肉となるだろう。憎しみの場合に於ても、例えば私が私を陥れたものを憎んで、これに罵詈を加えたとすれば、憎まれた人も、その醜い私の罵詈も共に還って来て私の衷に巣喰うのだ。それには愛によっての獲得と同じように永く私の衷にあって消え去ることがない。愛はそれによって、不消化な石ころを受け入れた胃腑のような思いをさせられる。私の愛の本能が正しく働いている限りは、それは愛の衷に溶けこまずに、いつまでも私の本質の異分子の如くに存続する。私は常住それによって不快な思いをしなければならぬ。誰か憎まない人があろう。それだから人間として誰か悒鬱な眉をひそめない人があろう。人間が現わす表情の中、見る人を不快にさせる悒鬱な表情は、実に憎みによって奪い取って来た愛の鬼子が、彼の衷にあって彼を刺戟するのに因るのではないか。私はよくこの苦々しい悒鬱を知っている。それは人間が辛うじて到達し得た境界から私が一歩を退転した、その意識によって引き起されるのだろう。多少でも愛することの楽しさを知った私は、憎むことの苦しさを痛感する。それはいずれも本能のさせる業ではあるけれども、愛するより憎むことが如何に楽しからぬものであるかを知って苦しまねばならぬ。恐らくはよく愛するものほど、強く憎むことを知っているだろう。同時に又憎むことの如何に苦しいものであるかを痛感するだろう。そしてどうかして憎まずにあり得ることに対して骨を折るだろう。  憎まない、それは不可能のことだろうか。人間としては或は不可能であるかも知れない。然し少くとも憎悪の対象を減ずることは出来る。出来る筈であるのみならず、私達は始終それを勉めているではないか。愛と憎みとが若し同じ本能から生れたものであるとすれば、それは必ず成就さるべきものだ。如何なるものも、或る視角から憎むべきものならば、他の視角から必ず愛すべきものであることに私達は気附くだろう。ここに一つの器がある。若しも私がその器を愛さなかったならば、私に取ってそれは無いに等しい。然し私がそれを憎みはじめたならば、もうその器は私と厳密に交渉をもって来る。愛へはもう一歩に過ぎない。私はその用途を私が考えていたよりは他の方面に用いることによって、その器を私に役立てることが出来るだろう。その時には私の憎みは、もう愛に変ってしまうだろう。若し憎みの故にその器を取って直ちに粉砕してしまう人があったとすれば、その人は愛することに於てもまた同様に浅くしか愛し得ない人だ。愛の強い人とは執着の強い人だ。憎みの場合に於いても、かかる人の憎みは深刻な苦痛によって裏付けられる。従って容易にその憎しみの対象を捨ててはしまわない。そしてその執着の間に、ふとしたきっかけにそれを愛の対象に代えてしまうだろう。  かくして私の愛が深く善くなるに従って、私はより多くを愛によって摂取し、摂取された凡てのものは、あるべき排列をなして私の衷に同化されるだろう。かくて私の衷にある完き世界が新たに生れ出るだろう。この大歓喜に対して私は何物をも惜みなく投げ与えるだろう。然しその投げ与えたものが如何に高価なものであろうとも、その歓喜に比しては比較にもならぬほど些少なものであるのを知った時、況してや投げ与えたと思ったその贈品すら、畢竟は復た自己に還って来るものであるのを発見した時、第三者にはたとい私の生活が犠牲と見え、献身と見えようとも、私自身に取っては、それが獲得であり生長であるのを感じた時、その時、私が徹底した人生の肯定者ならざる何人であり得よう。凡ての人がかくの如く本能の要求によって生活し、相交渉した時、そこに本当の健全な社会が生れ出ないで何が生れ出よう。凡ての行為が義務でなく遊戯であらねばならぬとの要求が真に感ぜられた時、人間の生活がこれから如何に進展せねばならぬかの示唆は適確に与えられるのだ。この本能を抑圧する必要のある、若しくは抑圧すべき道徳の上に成り立たねばならぬとの主張の上に据えられた人類の集団生活には見遁すことの出来ないうそがある。このうそを、あらねばならぬことのように力説し、人間の本能をその従属者たらしめることに心血を瀉いで得たりとしている道学者は災いである。即ち智的生活に人間活動の外囲を限って、それを以て無上最勝の一路となす道学者は災いである。その人はいつか、本能的体験の不足から人間生活の足手まといとなっていた事を発見する悲しみに遇わねばならぬだろうから。 二〇  愛せざるところに愛する真似をしてはならぬ。憎まざるところに憎む真似をしてはならぬ。若し人間が守るべき至上命令があるとすればこの外にはないだろう。愛は烈しい働きの力であるが故に、これを逆用するものはその場に傷けられなければならぬ。その人は癒すべからざる諦めか不平かを以てその傷を繃帯する外道はあるまい。         ×  愛は自足してなお余りがある。愛は嘗て物ほしげなる容貌をしたことがない。物ほしげなる顔を慎めよ。         ×  基督は「汝等互にさばくなかれ」といった。その言葉は普通受け取られている以上の意味を持っている。何故なら愛の生活は愛するもの一人にかかわることだ。その結果がどうであったとしたところが、他人は絶対にそれを判断すべき尺度を持っていない。然るに智的生活に於ては心外に規定された尺度がある。人は誰でもその尺度にあてはめて、或る人の行為を測定することが出来る。だから基督の言葉は智的生活にあてはむべきものではない。基督は愛の生活の如何なるものであるかを知っておられたのだ。ただその現われに於ては愛から生れた行為と、愛の真似から生れた行為とを区別することが人間に取っては殆んど不可能だ。だから人は人をさばいてはならぬのだ。しかも今の世に、人はいかに易々とさばかれつつあることよ。         ×  犠牲とか、献身とか、義務とか、奉仕とか、服従の徳の説かれるところには、私達は警戒の眼を見張らねばならぬ。かくて神学者は専制政治の型に則って神人の関係を案出した。かくて政治家は神人の例に則って君臣の関係を案出した。社会道徳と産業組織とはそのあとに続いた。それらは皆同じ法則の上に組立てられている。そこには必ず治者と被治者とがあらねばならぬ。そして治者に特権であるところのものは被治者には義務だ。被治者の所有するところのものは治者の所有せざるものだ。治者と被治者とは異った原素から成り立っている。かしこには治者の生活があり、ここには被治者の生活がある。生活そのものにかかる二元的分離はあるべき事なのか。とにもかくにも本能の生活にはかかる分離はない。石の有する本能の方向に有機物は生じた。有機物の有する本能の方向に諸生物は生じた。諸生物の本能の有する方向に人間は生じた。人間の有する本能の方向に本能そのものは動いて行く。凡てが自己への獲得だ。その間に一つの断層もない。百八十度角の方向転換はない。         ×  今のような人間の進化の程度にあっては、智的生活の棄却は恐らく人間生活そのものの崩壊であるであろう。然しながら、その故を以て本能的生活の危険を説き、圧抑を主張するものがあるとすれば、それは又自己と人類とを自滅に導こうとするものだといわれなければならぬ。この問題を私がこのように抽象的に申し出ると異存のある人はないようだ。けれども仮りにニイチェ一人を持ち出して来ると、その超人の哲学は忽ち四方からの非難攻撃に遭わねばならぬのだ。         ×  権力と輿論とは智的生活の所産である。権威と独創とは本能的生活の所産である。そして現世では、いつでも前者が後者を圧倒する。  釈迦は竜樹によって、基督は保羅によって、孔子は朱子によって、凡てその愛の宝座から智慧と聖徳との座にまで引きずりおろされた。         ×  愛を優しい力と見くびったところから生活の誤謬は始まる。         ×  女は持つ愛はあらわだけれども小さい。男の持つ愛は大きいけれども遮られている。そして大きい愛は屡〻あらわな愛に打負かされる。         ×  ダヴィンチは「知ることが愛することだ」といった。愛することが知ることだ。         ×  人の生活の必至最極の要求は自己の完成である。社会を完成することが自己の完成であり、自己の完成がやがて社会の完成となるという如きは、現象の輪廻相を説明したにとどまって、要求そのものをいい現わした言葉ではない。  自己完成の要求が誤って自己の一局部のそれに向けられた瞬間に、自己完成の道は跡方もなく崩れ終る。         ×  一人の人の個性はその人の持つ過去全体の総和に過ぎないとある人はいうだろう。否、凡ての個性はそれが持つ過去全体の総和に「今」が加わったものだ。そして「今」は過去と未来とを支配し得る。         ×  ラッセルは本能を区別して創造本能と所有本能の二つにしたと私は聞かされている。私はそうは思わない。本能の本質は所有的動向である。そしてその作用の結果が創造である。         ×  何故に恋愛が屡〻芸術の主題となるか。芸術は愛の可及的純粋な表現である。そして恋愛は人間の他の行為に勝って愛の集約的な、そして全体的な作用であるからだ。         ×  試みに没我的愛他主義者に問いたい。あなたがその主義を主張するようになってから、あなたはあなた自身に何物をも与えなかったのですか。縦令何ものかを与えたとしても、それは全然他を愛する為めの生存に必要なために与えたのですか。然し与えられない為めに悶死する人がこの世の中には絶えずいるのですね。それでもあなたはその人達を助ける為めに先ず自分に必要なものを与えているのですか。そこに何等かの矛盾を感ずることはありませんか。         ×  私は自分自身を有機的に生活しなければならない。そのためには行為が内部からのみ現われ出なければならない。石の生長のようにではなく、植物の萠芽のように。         ×  一艘の船が海賊船の重囲に陥った。若し敗れたら、海の藻屑とならなければならない。若し降ったら、賊の刀の錆とならなければならない。この危機にあって、船員は銘々が最も端的にその生命を死の脅威から救い出そうとするだろう。そしてその必死の努力が同時に、その船の安全を希わせ、船中にあって彼と協力すべき人々の安全を希わせるだろう。各員の間には言わず語らずの中に、完全な共同作業が行われるだろう、この同じ心持で人類が常に生きていたら。少くとも事なき時に、私達がこの心持を蔑ろにすることがなかったならば。         ×  習性的生活はその所産を自己の上に積み上げる。智的生活はその所産を自己の中に貯える。本能的生活は常にその所産を捨てて飛躍する。 二一  私は澱みに来た、そして暫く渦紋を描いた。  私は再び流れ出よう。  私はまず愛を出発点として芸術を考えて見る。  凡ての思想凡ての行為は表象である。  表象とは愛が己れ自ら表現するための煩悶である。その煩悶の結果が即ち創造である。芸術は創造だ。故に凡ての人は多少の意味に於て芸術家であらねばならぬ。若し謂うところの芸術家のみが創造を司り、他はこれに与らないものだとするなら、どうして芸術品が一般の人に訴えることが出来よう。芸術家と然らざる人との間に愛の断層があるならば、芸術家の表現的努力は畢竟無益ではないか。  一人の水夫があって檣の上から落日の大観を擅まにし得た時、この感激を人に伝え得るよう表現する能力がなかったならば、その人は詩人とはいえない、とある技巧派の文学者はいった。然し私はそうは思わない。その荘厳な光景に対して水夫が感激を感じた以上は、その瞬間に於て彼は詩人だ。何故ならば、彼は彼自身に対して思想的にその感激を表現しているからだ。  世には多くの唖の芸術家がいる。彼等は人に伝うべき表現の手段を持ってはいないが、その感激は往々にして所謂芸術家なるものを遙かに凌ぎ越えている。小児――彼は何という驚くべき芸術家だろう。彼の心には習慣の痂が固着していない。その心は痛々しい程にむき出しで鋭敏だ。私達は物を見るところに物に捕われる。彼は物を見るところに物を捕える。物そのものの本質に於てこれを捕える。そして睿智の始めなる神々しい驚異の念にひたる。そこには何等の先入的僻見がない。これこそは純真な芸術的態度だ。愛はかくの如き階級を経て最も明かに自己を表現する。  けれども私達の多くはこの大事な一点を屡〻顧みないような生活をしてはいないか。ジェームスは古来色々に分派した凡ての哲学の色合は、結局それをその構成者の稟資(temperament)に帰することが出来るといっている。これは至言だといわなければならぬ。私達の生活の様式にもまた同様のことがいわれるであろう。或る人は前人が残し置いた材料を利用して、愛の(即ち個性の)表現を試みようとする。又或る人は愛の純粋なる表現を欲するが故に前人の糟粕を嘗めず、彼自らの表現手段に依ろうとする。前者はより多く智的生活に依拠し、後者はより多く本能的生活に依拠せんとするものである。若し更にジェームスの言葉を借りていえば、前者を strong-minded と呼び、後者を tender-hearted と呼ぶことが出来ようか。  智的生活に依拠して個性を表現しようとする人は、表現の材料を多く身外に求める。例えば石、例えば衣裳、例えば軍隊、例えば権力。そして表現の量に重きをおいて、深くその質を省みない。表現材料の精選よりもその排列に重きをおく。「始めて美人を花に譬えた人は天才であるが、二番目に同じことをいった人は馬鹿だ」とヴォルテールがいった。少くとも智的生活に固執する人は美人を花に譬える創意的なことはしない。然しそれを百合の花若しくは薔薇の花に譬えることはしない限りでない。その点に於て彼は明かに馬鹿でないことが出来る。十分に智者でさえあり得る。然しその人は個性の表現に於て delicacy の尊さを多く認めないで、乱雑な成行きに委せやすい。所謂事業家とか、政治家とか、煽動家とかいうような典型の人には、かかる傾向が極めて多くあり易い。  全く実用のためにのみ造られた真四角な建築物一つにもそこに個性の表現が全然ないということは出来ない。然しながらその中から個性を、即ち愛を捜し出すということは極めて困難なことだ。個性は無意味な用材の為めに遺憾なく押しひしがれて、おまけに用材との有機的な関係から危く断たれようとしている。然し個性が全く押しひしがれ、関係が全く断たれてしまったなら、その醜い建築物といえどもそこに存在することは出来ないだろう。それは何といっても、かすかにもせよ、個性の働きによってのみその存在をつなぎ得るのだ。けれども若し私達の生活がかくの如きもののみによって囲繞されることを想像するのは寂しいことではないか。この時私達の個性は必ずかかる物質的な材料に対して反逆を企てるだろう。  かかる建築物の如きものが然しもっと見えのいい形で私達の生活をきびしく取り囲んでいることはないだろうか。一人の野心的政治家があるとする。彼は自己の野心を満足せんが為めに、即ち彼の衷にあって表現を求めている愛に、粗雑な、見当違いな満足を与えんが為めに、愛国とか、自由とか、国威の宣揚とかいう心にもない旗印をかかげ、彼の奇妙な牽引力と、物質的報酬とを以て、彼には無縁な民衆を煽動する。民衆はその好餌に引き寄せられ、自分等の真の要求とは全く関係もない要求に屈服し、過去に起った或る同じような立派な事件に、自分達の無価値な行動を強いて結び付けて、そこに申訳と希望とを築き上げ、そしてその大それた指導者の命令のまにまに、身命をさえ賭してその事業の成就を心がける。そして、若し運命がその政治家に苛酷でなかったならば、彼は尨然たる国家的若しくは世界的大事業なるものを完成する。然しそこに出来上った結果はその政治家の肖像でもなく、民衆の投影でもなく、粗雑な不明瞭な重ね写真に過ぎない。そしてそれは当事者なる政治家その人の一生を無価値にし、民衆全体の進歩を阻止し、事業そのものは、段々人間の生活から分離して、遂には生活途上の用もない瓦礫となって、徒らに人類進歩の妨げになるだろう。このような事象は、その大小広狭の差こそあれ、私達が幾度も繰り返して遭遇せねばならぬことなのだ。しかも私達は往々その悲しい結果を暁らないのみか、かくの如きはあらねばならぬ須要のことのように思いなし易い。  けれども幸いにして人類はかくの如き稟資の人ばかりからは成り立っていない。そこにはもっと愛の純真な表現を可能ならしめようとする人がある。そうしないではいられない人がある。そのためには彼は一見彼に利益らしく見える結果にも惑わされない。彼には専念すべきただ一事がある。それは彼の力の及ぶかぎり、愛の純粋な表現を成就しようということだ。縦令その人が政治にかかわっていようが、生産に従事していようが、税吏であろうが、娼婦であろうが、その粗雑な生活材料のゆるす限りに於て最上の生活を目指しているのである。それらの人々の生活はそのままよき芸術だ。彼等が表現に役立てた材料は粗雑なものであるが故に、やがては古い皮袋のように崩れ去るだろうけれども、そのあとには必ず不思議な愛の作用が残る。粗雑な材料はその中に力強く籠められる愛の力によって破れ果て、それが人類進歩の妨げになるようなことはない。けれども愛の要求以上に外界の要求に従った人たちの建て上げたものは、愛がそれを破壊し終る力を持たない故に、いつまでもその醜い残骸をとどめて、それを打ち壊す愛のあらわれる時に及ぶ。  愛の純粋なる表現を更に切実に要求する人は、地上の職業にまで狭い制限を加えて、思想家若しくは普通意味せられるところの芸術家とならずにはいられないだろう。その人々は愛が汚されざらんが為めに、先ず愛の表現に役立たしむべき材料の厳選を行う。思想に増して純粋な材料を、私達人間は考えつくことが出来ない。哲人又は信仰の人などといわれる人は――若しそれがまがいものでなかったなら――ここにその出発点を持っているに違いない。普通意味せられるところの芸術家、即ち芸術を仕事としている人々は思想を具象化するについて、思想家のように抽象的な手段によらず、具体的な形に於てせんとするものだ。然しながらその具体的な形の中、及ぶだけ純粋に近い形に依ろうとする。その為めに彼等は洗練された感覚を以て洗練された感覚に訴えようとする。感覚の世界は割合に人々の間に共通であり、愛にまで直接に飜訳され易いからである。感覚の中でも、実生活に縁の近い触覚若しくは味覚などに依るよりも、非功利的な機能を多量に有する視覚聴覚の如きに依ろうとする。それらの感覚に訴える手段にもまた等差が生ずる。  同じ言葉である。然しその言葉の用い方がいかに芸術家の稟資を的確に表わし出すだろう。或る人は言葉をその素朴な用途に於て使用する。或る人は一つの言葉にも或る特殊な意味を盛り、雑多な意味を除去することなしには用いることを肯んじない。散文を綴る人は前者であり、詩に行く人は後者である。詩人とは、その表現の材料を、即ち言葉を智的生活の桎梏から極度にまで解放し、それによって内部生命の発現を端的にしようとする人である。だからその所産なる詩は常に散文よりも芸術的に高い位置にある。私は僅かばかりの小説と戯曲とを書いたものであるが、そのささやかなる経験からいっても、表現手段として散文がいかに幼稚なものであるかを感じないではいられない。私の個性が表現せられるために、私は自分ながらもどかしい程の廻り道をしなければならぬ。数限りもない捨石が積まれた後でなければ、そこには私は現われ出て来ない。何故そんなことをしていねばならぬかと、私は時々自分を歯がゆく思う。それは明かに愛の要求に対する私の感受性が不十分であるからである。私にもっと鋭敏な感受性があったなら、私は凡てを捨てて詩に走ったであろう。そこには詩人の世界が截然として創り上げられている。私達は殆んど言葉を飛躍してその後ろの実質に這入りこむことが出来る。そしてその実質は驚くべく純粋だ。  或はいう人があるかも知れない。私達の生活は昔のような素朴な単純な生活ではない。それは見透しのつかぬほど複雑になり難解になっている。それが言葉によって現わされる為めには、勢い周到な表現を必要とする。詩は昔の人の為めにだ。そして小説と戯曲とは今の人の為めにだ、と。  私はそうは思わない。表現さるべき最後のものは昔も今も異ることがないのだ。縦令外面的な生活が複雑になろうとも、言葉の持つ意味の長い伝統によって蕪雑になっていようとも、一人の詩人の徹視はよく乱れた糸のような生活の混乱をうち貫き、言葉をその純粋な形に立ち帰らせ、その手によって書き下された十行の詩はよく、生の統流を眼前に展くに足るべきである。然しそれをなし得るためには、詩人は必ず深い愛の体験者でなければならぬ。出でよ詩人よ。そして私達が直下に愛と相対し得べき一路を開け。  私は又詩にも勝った表現の楔子を音楽に於て見出そうとするものだ。かの単独にしては何等の意味もなき音声、それを組合せてその中に愛を宿らせる仕事はいかに楽しくも快いことであろうぞ。それは人間の愛をまじり気なく表現し得る楽園といわなければならない。ハアモニーとメロディーとは真に智的生活の何事にも役立たないであろう。これこそは愛が直接に人間に与えた愛子だといっていい。立派な音楽は聴く人を凡ての地上の羈絆から切り放す。人はその前に気化して直ちに運命の本流に流れ込む。人間にとっては意味の分らない、余りに意味深い、感激が熱い涙を誘い出す。そして人は強い衝動によって推進の力を与えられる。それが何処へであるかは知られない。ただ望ましい方向にであるのは明かに感知される。その時人は愛に乗り移られているのだ。  美術の世界に於て、未来派の人々が企図するところも、またこの音楽の聖境に対する一路の憧憬でないといえようか。色もまた色そのものには音の如く意味がない。面もまた面そのものには色の如く意味がない。然しながら形象の模倣再現から這入ったこの芸術は永くその伝統から遁れ出ることが出来ないで、その色その面を形の奴婢にのみ充てていた。色は物象の面と空間とを埋めるために、面は物象の量と積とを表わすためにのみ用いられた。そして印象派の勃興はこの固定概念に幽かなゆるぎを与えた。即ち絵画の方向に於て、色と色との関係に価値をおくことが考えつけられた。色が何を表わすかということより、色と色との関係の中に何が現われねばならぬかと云うことが注意され出した。これは物質から色の解放への第一歩であらねばならぬ。しかしこの傾向は未来派に至って極度に高調された。色は全く物質から救い出された。色は遂に独立するに至った。  然し音楽が成就しただけのことを未来派は絵画に於て成就し得ているだろうかという問題はおのずから別に考えられなければならぬ。私はこれらの芸術に対して何等具体的の知識を持っているものでない。だから私はかかる比較論に来ると口をつぐむ外はない。けれども未来派の傾向を全然斥けらるべきものだと主張する人に対しては、私は以上の見地からこの派の傾向の可能性を申し出ることが出来はしないかと思っている。若し物象が具象化されなければ満足が出来ないと人がいうならば、その人の為めには、文学の領内に詩と小説とが併存するように、これまでのような絵画を存続させておくのもまた妨げないだろう。然しながら美術家の個性が益〻高調せられねばならぬ時はやがて来るだろう。その時になって未来派のような傾向が起るのは、私の立場からいうと、極めて自然なことであるといわねばならぬのだ。  人間は十分に恵まれている。私達は愛の自己表現の動向を満足すべき有らゆる手段を持っている。厘毛の利を争うことから神を創ることに至るまで、偽らずに内部の要求に耳を傾ける人ほど、彼は裕かに恵まれるであろう。凡ての人は芸術家だ。そこに十二分な個性の自由が許されている。私は何よりもそれを重んじなければならない。 二二  私はまた愛を出発点として社会生活を考えて見よう。  社会生活は個人生活の延長であらねばならぬ。個人的欲求と社会的欲求とが軒輊するという考えは根柢的に間違っている。若しそこに越えることの出来ない溝渠があるというならば、私は寧ろ社会生活を破壊して、かの孤棲生活を営む獅子や禿鷹の習性に依ろう。  然しかかる必要のないことを私の愛は知っている。社会生活に対する概念の中に誤った所があるか、個人生活の概念の中に誤った所があるかによって、この不合理な結論が引き出されると私は知っている。  先ず個人の生活はその最も正しい内容によって導かれなければならぬ。正しき内容とは何をいうのか。智的生活が習性的生活を是正する時には、私は智的生活に従って習性的生活を導かねばならぬ。本能的生活が智的生活を是正する時には、私は本能的生活に従って智的生活を導かねばならぬ。即ち常に習性的生活の上に智的生活を、智的生活の上に本能的生活を置くことを第一の仕事と心懸けねばならぬ。正しき内容とはそれだけのことだ。  習性的生活と智的生活との関係についてはいうまでもあるまい。習性的生活が智的生活の指導によって適合を得なければならないというのは自明のことであるから。  然しながら智的生活が本能的生活によって指導されねばならぬということについては不服を有つ人がないとはいえない。智的生活は多くの人々の経験の総和が生み出した結果であり約束であるが、本能的生活は純粋個性内部の衝動であるが故に、必ずしも社会生活と順応することが出来ないだろうとの杞憂は起りがちに見えるからである。  けれども私は私の意味する本能的生活の意味が正しく理解されることを希う。本能の欲求はいつでも各人の個性全体の上に働くところのものだ。その衝動は常に個性全体の飽満を伴って起る。この例は卑陋であるかも知れないが、理解を容易ならしむる為めにいって見ると、ここに一人の男がいて、肉慾の衝動に駆られて一人の少女を辱かしめたとしよう。肉慾も一つの本能である。その衝動の満足を求めたことは、そのまま許されることではないか。そう或る人は私に詰問するかも知れない。私はその人に問い返して見よう。あなたが考える前に先ずあなたをその男の位置におけ。あなたが肉慾的にのみその少女を欲しているのに、あなたはその少女に近づく時(全く固定的な道徳観念を度外視しても)、何等の不満をもあなたの個性に感じなかったか。あなたはまたあなたと見知らない少女の姿全体に、極度の恐怖と憎悪とを見出したろう。あなたはそれに少しでも打たれなかったか。そしてそこに苦い味を感じなかったか。若しあなたに人並みの心があるなら、私のこの問に応じて否と答えるの外はあるまい。だから私はいう。その場合あなたが本能の衝動らしく思ったものは、精神から切り放された肉慾の衝動にしか過ぎなかったのだ。だからあなたはその衝動を行為に移す第一の瞬間に既に見事に罰せられてしまったのだ。若しあなたが本当に本能の(個性全体の)衝動によってその少女を欲するなら、あなたは先ずその少女にあなたの切ない愛を打ち明けるだろう。そして少女が若しあなたの愛に酬いるならば、その時あなたはその少女をあなたの衷に奪い取り、少女はまたあなたを彼女の衷に奪い取るだろう。その時あなたと少女とは二人にして一人だ(前にもいった如く)。そしてあなたは十分な飽満な感じを以て心と肉とにおいて彼女と一体となることが出来る。その時、その事の前に何等の不満もなく、その事の後には美しい飽満があるばかりだろう。(これは余事にわたるが好奇な人のために附け加えておく。若し少女がその人の愛に酬いることを拒まねばならなかった場合はどうだ。その場合でも彼の個性は愛したことによって生長する。悲しみも痛みもまた本能の糧だ。少女は永久に彼の衷に生きるだろう。そして更に附け加えることが許されるなら、彼の肉慾は著しくその働きを減ずるだろう。そこには事件の精神化がおのずから行われるのだ。若し然しその人の個性がその事があったために分散し、精神が糜爛し、肉慾が昂進したとするならば、もうその人に於て本能の統合は破れてしまったのだ。本能的生活はもうその人とは係わりはない。然しそんな人を智的生活が救うことが出来るか。彼は道徳的に強いて自分の行為を律して、他の女に対してその肉慾を試みるようなことはしないかも知れない。然しその瞬間に彼は偽善者になり了せてしまっているのだ。彼はその心に姦淫しつづけなければならないのだ。それでもそれは智的生活の平安の為めには役立つかも知れない。けれどもかくの如き平安によって保たれる人も社会も災いである。若し彼が或る動機から、猛然としてもとの自己に眼覚める程緊張したならばその時彼は本能的生活の圏内に帰還しているのだ。だから智的生活の圏内に於ける生活にあってこそ、知識も道徳もなくて叶わぬものであるが、本能的生活の葛藤にあっては、智的生活の生んだ規範は、単にその傷を醜く蔽う繃帯にすらあたらぬことを知るだろう)。その時精神は精神ではなく、肉慾は肉慾ではない。両者は全くその区別を没して、愛の統流の中に溶けこんでしまう。単なる形の似よりから凡ての現われと同じものと見るのは、甚しき愚昧な見断である。  この一つの例は私の本能に対する見解を朧ろげながらも現わし得たではなかろうか。かくの如く本能は、全体的なそして内部的な個性の要求だ。然るに智的生活はこれとは趣きを異にしている。縦令智的生活は、長い間かかった、多くの人の経験の集成から成り立つものだとはいえ、その個性に働く作用はいつでも外部からであって、しかも部分的である。その外部的である訳は、それが誰の内部生活からも離れて組み立てられたものであるからだ。それは生活の全部を統率するために、人間によって約束された規範であるからだ。それなら何故部分的であるか。智的生活にあっては義務と努力とが必要な条件として申し出られているからだ。義務にも努力にも、人間の欲求の或る部分の棄捨が予想されている。或る欲求を圧抑するという意識なしには、義務も努力も実行されはしない。即ち個性の全要求の満足という事は行われ得ない約束にある。若しかかる約束にある智的生活が生活の基調をなし、指導者とならなければならぬとしたら、人間は果して晏如としていることが出来るだろうか。私としてはそれを最上のものとして安んじていることが出来ない。私はその上に、私の個性の全要求を満足し、しかもその満足が同時によいことであるべき生活を追い求めるだろう。そしてそれは本能的生活に於て与えられるのだ。本能的生活によって智的生活は内面化されなければならぬ。本能的生活によって智的生活は統合化されなければならぬ。かくいえば、私が、本能的生活は智的生活を指導せねばならぬと主張した理由が明かになると思う。  然らば社会生活は私がいった個人の生活過程を逆にでも行かねばならぬというのか。社会生活にあっては、智的生活をもって本能的生活の指導者たらしめ、若しくは習性的生活をもって智的生活の是正者たらしめねばならぬとでもいうのか。若し果してそうならば、社会生活と個人生活とはたしかに軒輊するであろう。私にはそうは思われない。社会の欲求もまたその終極はその生活内部の全体的飽満にあらねばならぬ。縦令現在、その生活の基調は智的生活におかれてあるとも、その欲求としては本能的生活が目指されていねばならぬ。社会がその社会的本能によって動く時こそ、その生活は純一無雑な境地に達するだろう。  ここで或る人は多分いうだろう。お前の言葉は明かにその通りだ。進化の過程としては、社会もまた本能的生活に這入ることを、その理想とせねばならぬ。けれども現在にあっては、個人には本能的生活の消息を解し、それを実行し得る人があるとしても、社会はまだかかる境地に達せんには遠い距離がある。かかる状態にあって、個人生活と社会生活とが軒輊するのは当然なことではないかと。  私はこの抗議を肯じよう。然しこの場合、改めねばならぬのは個人の生活であるか、社会の生活であるか、どちらだ。両者の間に完全な調和を持ち来すために進歩させねばならぬ生活は、どちらの生活だ。社会生活の現状を維持する為めに、私達はここまで進んで来た個人生活を停止し若しくは退歩させて、社会生活との適合に持ち来さねばならぬというのか。多くの人はそうあるべき事のように考えているように見える。私は断じてこれを不可とする。  変らねばならぬものは社会の生活様式である。それが変って個人の生活様式にまで追い付かねばならぬ。  国家も産業も社会生活の一様式である。近代に至って、この二つの様式に対する根本的な批判を敢えてする二つの見方が現われ出た。それは個性の要求が必至的に創り出した見方であって、徒らなる権力が如何ともすべからざる一個の権威である。一時は権力を以て圧倒することも出来よう。然しながら結局は、現存の国家なり産業組織なりが、合理的な批判を以てそれを打壊し得るにあらずんば、決して根絶することの出来ない見方である。私のいう二つの見方とは、社会主義であり、無政府主義である。  この二つの主義のかくまでの力強さは何処にあるか。それは、縦令不完全であろうとも、個性の全的要求が生み出した主義だからである。社会主義者は自ら人間の社会的本能が生み出した見方であると主張するけれども、その主義の根柢をなすものは生存競争なる自然現象である。生存競争は個性から始まって始めて階級争闘に移るのだ。だからその点に於て社会主義者の主張は裏切られている。無政府主義に至っては固より始めから個性生活の絶対自由をその標幟としている。  社会主義はダーウィンの進化論から生存競争の原理を抜いてその主張の出発点としたことは前に述べた通りだ。クロポトキンはこれに対立して無政府主義を宣言するに当り、進化論の一原理なる相互扶助の動向を取ってその論陣を堅めた。両者共に、個性から発して動植物両界の致命的要素たる本能であるとせられている。一方の主義者は生存競争の為めの相互扶助だと主張し、一方の主義者は相互扶助の為めの生存競争だと主張する。私はここで敢えて主義者の見地を裁断しようとも思わないし、又私の自然科学に対する空疎な知識はそれをすることも許しはしない。  然し私はこういうことを申し出して見たい。ケーベル博士がそのカント論に於て「生物学に於て取り扱われる動物本能は、畢竟人間にある本能の投影に過ぎない。認識作用が事物に遵合するのではなく、却って事物(現象としての)が認識作用に遵合するのである」といった言葉は、単に唯心論者の常套語とばかりはいい退けてしまうことが出来ない。そこには動かすことの出来ない実際的睿智が動いているのを私は感ずることが出来る。惟うに動物には、ダーウィンが発見した以外に幾多の本能が潜んでいるに相違ない。そしてそれがより以上の本能の力によって統合されているに相違ない。然しながら十九世紀の生物学者は、眼覚めかけて来た個性の要求(それは十八世紀の仏国の哲学者等に負うところが多いだろう)と社会の要求との間に或る広い距離を感じたのではなかったろうか。そして動物中に行われる現状打破の本能を際立って著しいものと認めたのではなかったろうか。然しその時学者達の頭の中には、個性は社会を組織する或る小さな因子としてのみ映っていたろう。しかのみならず科学的研究法の必然的な条件として、凡てのものを二元的に見ることに慣らされていた。彼等はひとりでに個性と社会とを対立させた。従ってその結論も個性と社会との中、個性に重きを置いた場合には生存競争として現われ、社会に重きを置いた場合には相互扶助として現われたのだ。然し前者には社会が、後者には個性が、少しも度外視されていはしない。  私達はこの時代的着色から躍進しなければならぬと私は思う。私は個性の尊厳を体験した。個性の要求の前には、社会の要求は無条件的に変らねばならぬことを知った。そして人間の個性に宿った本能即ち愛が如何なる要求を持つかを肯んじた。そして更に又動物に現われる本能が無自覚的で、人間に現われる本能が自覚的であるのを区別した。自覚とは普遍智の要求を意味する。個性はもはや個性の社会に対する本能的要求を以て満足せず、個性自身、その全体の満足の中にのみ満足する。そこには競争すべき外界もなく、扶助すべき外界もない。人間は愛の抱擁にまで急ぐ。彼の愛の動くところ、凡ての外界は即ち彼だ。我の正しい生長と完成、この外に結局何があろうぞ。   (以下十余行内務省の注意により抹殺)  私はこの本質から出発した社会生活改造の法式を説くことはしまいと思う。それはおのずからその人がある。私は単にここに一個の示唆を提供することによって満足する。私が持って生れた役目はそれを成就すれば足りるのだから。  宗教もまた社会生活の一つの様式である。信仰は固より人々のことであるが、宗教といえばそれは既に社会にまで拡大された意味をもっている。そして何故に現在の宗教がその権威を失墜してしまったか。昔は一国の帝王が法王の寛恕を請うために、乞食の如くその膝下に伏拝した。又或る仏僧は皇帝の愚昧なる一言を聞くと、一拶を残したまま飄然として竹林に去ってしまった。昔にあっては何が宗教にかくの如き権威を附与し、今にあっては、何が私達の見るが如き退縮を招致したか。それは宗教が全く智的生活の羈絆に自己を委ね終ったからである。宗教はその生命を自分自身の中に見出すことを忘れて、社会的生活に全然遵合することによって、その存在を僥倖しようとしたからだ。国家には治者と被治者とがあって、その間には動向の根柢的な衝突が行われる。宗教は無反省にもこの概念を取って、自分に適用した。神(つまり私はここで信仰の対象を指しているのだ。その名は何んでもいい)は宗教界にあって、国家に於ける主権者の位置にある。彼は人からあらゆる捧げものを要求する。人の生活は畢竟神の前にあっては無に等しい。神は凡ての権能の主体である。人は神の前にあって無であることを栄誉としなければならない。神に対し自己を犠牲にすることが彼の有する唯一の権利(若しそういう言葉が使えるなら)である。神の欲するところと人の欲するところとの間には、渡らるべき橋も綱もない。神と人とは全く本質を異にした二元として対立している。  国家の組織が無反省にそのまま人民によって肯定せられていた時代には、この神人関係の概念もまた無反省に受取られることが出来たろう。然し個性の欲求が、愛の動向が、体達せられた今にあっては、この神人関係の矛盾は直ちに苦痛となって、個性によって感ぜられる。生活根源の動向は凡て同じ方向に向上しなければならぬ。私達は既に石から人間に至るまでの過程に於て、同じ方向に向上して来た本能の流れを見た。私達の内部生命は獲得によってのみ向上飛躍するのを見た。然るに現存の宗教は、神にのみその動向を認めて、人間にはそれを拒もうとしているではないか。  或る人は私に告げるであろう。時勢に取り残されたるものよ。お前は神人合一の教理が夙の昔から叫ばれているのを知らないのか。神は人間と対立しているようなものではない。実に人間の衷にあって働くべきものだ。人間は又神の衷にあって働くべきものだ。神と自己とを対立させるが故に、人間は堕落するのだ。神の要求はそのまま人間の要求でなければならぬのだ。お前はそれをすら知らないで、一体何んの囈言をいおうとするのだと。然らば私はその人に向って問いたい。それなら何故今でも教壇の上からやむことなく犠牲の義務と献身の徳とが高調して説かれなければならないのだろう。神は嘗て犠牲を払い献身を敢えてしたか(基督教徒はここで基督の生涯を引照するだろう。然し基督の生涯が犠牲でも献身でもないことは前に説いた)。然るに現在教壇からは、神にないものが人間にあらねばならぬとして要求されているのはどうしたことなのか。私はそれが人間性の根本に対する理解の不十分から来ているのではないかと疑う。そしてその疑いに全く理由がないではあるまいと思う。神人合一という概念だけは自然の必要から建て上げられた。それは政治に於て、専制政体が立憲政体に変更されたのとよく似ている。その形に於ては或る改造が成就されたように見える。立法の主体は稍〻移動したかも知れない。しかも治者と被治者とが全く相反した要求によって律せられている点に於ては寸毫も是正されてはいないのだ。神と人とは合一する。その言葉は如何に美しいだろう。然しその合一の実が挙がっていなかったら、その美しい空論が畢竟何の益になるか。  私はかくの如き妥協的な改良説を一番恐れなければならない。それはその外貌の美しさが私をあざむきやすいからである。  宗教が国家の機械、即ち美しい言葉でいえば政務の要具たることから自分を救い出さねばならぬことは勿論であるが、現存の国家がその拠りどころとする智的生活、その智的生活から当然抽出される二元的見断から自分自身を救い出して、愛の世界にまで高まらなかったら、それは永久にその権威を回復することが出来ないだろう。  私は神を知らない。神を知らないものが神と人との関係などに対して意見を申し出るのは出過ぎたことだといわれるかも知れない。然し宗教が社会生活の一様式として考え得られる時、その様式に対して私が思うところを述べるのは許されることだと思う。私の態度を憎むものは、私の意見を無視すればそれで足りる。けれども私は私自身を無視しはしない。  教育というものに就いても、私はここでいうべき多くを持っている。然し聡明な読者は、私が社会生活の部門について述べて来たところから、私が教育に対して何をいおうとするかを十分に見抜いていられると思う。私は徒らな重複を避けなければならない。然しここにも数言を費すことを許されたい。  子供は子供自身の為めに教育されなければならない。この一事が見過されていたなら教育の本義はその瞬間に滅びるのみならず、それは却って有害になる。社会の為めに子供を教育する――それは驚くべく悲しむべき錯誤である。  仕事に勤勉なれと教える。何故正しき仕事を選べと教えないのか。正しい仕事を選び得たものは懶惰であることが出来ないのだ。私は嘗て或る卒業式に列した。そこの校長は自分が一度も少年の時期を潜りぬけた経験を持たぬような鹿爪らしい顔をして、君主の恩、父母の恩、先生の恩、境遇の恩、この四恩の尊さ難有さを繰返し繰返し説いて聞かせた。かのいたいけな少年少女たちは、この四つの重荷の下にうめくように見やられた。彼等は十分に義務を教えられた。然し彼等の最上の宝なる個性の権威は全く顧みられなかった。美しく磨き上げられた個性は、恩を知ることが出来ないとでもいうのか。余りなる無理解。不必要な老婆親切。私は父である。そして父である体験から明かにいおう。私は子供に感謝すべきものをこそ持っておれ、子供から感謝さるべき何物をも持ってはいない。私が子供に対して払った犠牲らしく見えるものは、子供の愛によって酬いられてなお余りがある。それが何故分らないのだろう。正しき仕事を選べと教えるように、私は、私の子供に子供自身の価値が何であるかを教えてもらいたい。彼はその余の凡てを彼自身で処理して行くだろう。私は今仮りに少年少女を私の意見の対象に用いた。然し私はこれを中等教育にも高等教育にも延長して考えることが出来ると思う。学問の内容よりも学問そのものを重んじさせるということ、知識よりも暗示を与えるということ、人間を私の所謂専門家に仕立て上げないことなど。 二三  私は更に愛を出発点として男女の関係と家族生活とを考えて見たい。  今男女の関係は或る狂いを持っている。男女は往々にして争闘の状態におかれている。かかる僻事はあるべからざることだ。  どれ程長い時間の間に馴致されたことであるか分らない。然しながら人間の生活途上に於て女性は男性の奴隷となった。それは確かに筋肉労働の世界に奴隷が生じた時よりも古いことに相違ない。  性の殊別は生殖の結果を健全にし確固たらしめんがために自然が案出した妙算であるのは疑うべき余地のないことだ。その変体が色々な形を取って起り、或る時はその本務的な目的から全く切り放されたプラトニック・ラヴともなり、又かかる関係の中に、人類が思いもかけぬよき収得をする場合もないではない。私はかかる現象の出現をも十分に許すことが出来る。然しそれは決して性的任務の常道ではない。だから私が男女関係の或る狂いといったのは、男女が分担すべき生殖現象の狂いを指すことになる。男女のその他の関係がいかに都合よく運ばれていても、若しこの点が狂っているなら、結局男女の関係は狂っているのである。  既に業に多くの科学者や思想家が申し出たように、女性は産児と哺育との負担からして、実生活の活動を男性に依託せねばならなかった。男性は野の獣があるように、始めは甘んじて、勇んでこの分業に従事した。けれども長い歳月の間に、男性はその活動によって益〻その心身の能力を発達せしめ、女性の能力は或る退縮を結果すると共に、益〻活動の範囲を狭めて行って、遂にはその活動を全く稼穡の事にのみ限るようになった。こうなると男性は女性の分をも負担して活動せねばならぬ故に、生活の荷は苦痛として男性の肩上にかかって来た。男性はかくてこの苦痛の不満を癒すべき報償を女性に要求するに至った。女性は然しこの時に於ては、実生活の仕事の上で男性に何物をか提供すべき能力を失い果てていた。女性には単に彼女の肉体があるばかりだった。そしてその点から prostitution は始まったのだ。女性は忍んで彼女の肉体を男性に提供することを余儀なくされたのだ。かくて女性は遂に男性の奴隷となり終った。そして女性は自らが在る以上に自分を肉慾的にする必要を感じた。女性に殊に著しい美的扮装(これは極めて外面的の。女性は屡〻練絹の外衣の下に襤褸の肉衣を着る)、本能の如き嬌態、女性間の嫉視反目(姑と嫁、妻と小姑の関係はいうまでもあるまい。私はよく婦人から同性中に心を許し合うことの出来る友人のないことを聞かされる)はそこから生れ出る。男性は女性からのこの提供物を受取ったことによって、又自分自らを罰せなければならなかった。彼は先ず自分の家の中に暴虐性を植えつけた。専制政治の濫觴をここに造り上げた。そして更に悪いことには、その生んだ子に於て、彼等以上の肉慾性を発揮するものを見出さねばならなかった。  これは私がいわないでも多くの読者は知ってそして肯んずる事実であろうと思う。私はここでこの男女関係の狂いが何故最も悪い狂いであるかをいいたい。この堕落の過程に於て最も悪いことは、人間がその本能的要求を智的要求にまで引き下げたという点にあるのだ。男女の愛は本能の表現として純粋に近くかつ全体的なものである。同性間の愛にあっては本能は分裂して、精神的(若し同性間に異性関係の仮想が成立しなければ)という一方面にのみ表現される。親子の愛にしても、兄弟の愛にしても皆等しい。然し男女の愛に於て、本能は甫めてその全体的な面目を現わして来る。愛する男女のみが真実なる生命を創造する。だから生殖の事は全然本能の全要求によってのみ遂げられなければならぬのだ。これが男女関係の純一無上の要件である。然るに女性は必要に逼れるままに、誤ってこの本能的欲求を智的生活の要求に妥協させてしまった。即ち本能の欲求以外の欲求、即ち単なる生活慾の道具に使った。そして男性は卑しくもそれをそのまま使用した。これが最も悪いことだったと私は云うのだ。これより悪いことが多く他にあろうか。  楽園は既に失われた。男女はその腰に木の葉をまとわねばならなくなった。女性は男性を恨み、男性は女性を侮りはじめた。恋愛の領土には数限りもなく仮想的恋愛が出現するので、真の恋愛をたずねあてるためには、女性は極度の警戒を、男性は極度の冒険をなさねばならなくなった。野の獣にも生殖を営むべき時期は一年の中に定まって来るのに、人間ばかりは已む時なく肉慾の為めにさいなまれなければならぬ。しかも更に悪いことには、人間はこの運命の狂いを悔いることなく、殆んど捨鉢な態度で、この狂いを潤色し、美化し、享楽しようとさえしているのだ。  私達は幸いにして肉体の力のみが主として生活の手段である時期を通過した。頭脳もまた生活の大きな原動力となり得べき時代に到達した。女性は多くを失ったとしても、体力に失ったほどには脳力に失っていない。これが女性のその故郷への帰還の第一程となることを私は祈る。この男女関係の堕落はどれ程の長い時間の間に馴致されたか、それは殆んど計ることが出来ない。然しそれが堕落である以上は、それに気がついた時から、私達は楽園への帰還を企図せねばならぬ。一人でも二人でも、そこに気付いた人は一人でも二人でも忍耐によってのみ成就される長い旅に上らなければならない。  私はよくそれが如何に不可能事に近いとさえ思われる困難な道であるかを知る。私もまたその狂いの中に生れて育って来た憐れな一人の男性に過ぎない。私は跌きどおしに跌いている。然し私の本能のかすかな声は私をそこから立ち上らせるに十分だ。私はその声に推し進められて行く。その旅路は長い耽溺の過去を持った私を寂しく思わせないではない。然しそれにもかかわらず私は行かざるを得ない。  この男女関係の狂いから当然帰納されることは、現在の文化が男女両性の協力によって成り立つものではないという事だ。現時の文化は大は政治の大から小は手桶の小に至るまで悉く男子の天才によって作り上げられたものだといっていい。男性はその凡ての機関の恰好な使用者であるけれども、女性がそれに与かるためには、或る程度まで男性化するにあらざれば与かることが出来ない。男性は巧みにも女性を家族生活の片隅に祭りこんでしまった。しかも家族生活にあっても、その大権は確実に男性に握られている。家族に供する日常の食膳と、衣服とは女性が作り出すことが出来よう。然しながら饗応の塩梅と、晴れの場の衣裳とは、遂に男性の手によってのみ巧みに作られ得る。それは女性に能力がないというよりは、それらのものが凡てその根柢に於て男性の嗜好を満足するように作られているが故に、それを産出するのもまたおのずから男性の手によってなされるのを適当とするだけのことだ。  地球の表面には殆んど同数の男女が生きている。そしてその文化が男性の欲求にのみ適合して成り立つとしたら、それが如何に不完全な内容を持ったものであるかが直ちに看取されるだろう。  女性が今の文化生活に与ろうとする要求を私は無下に斥けようとする者ではない。それは然しその成就が完全な女性の独立とはなり得ないということを私は申し出したい。若し女性が今の文化の制度を肯定して、全然それに順応することが出来たとしても、それは女性が男性の嗜好に降伏して自分達自らを男性化し得たという結果になるに過ぎない。それは女性の独立ではなく、女性の降伏だ。  唯外面的にでも女性が自ら動くことの出来る余地を造っておいて、その上で女性の真要求を尋ね出す手段としてならば、私は女権運動を承認する。  それにも増して私が女性に望むところは、女性が力を合せて女性の中から女性的天才を生み出さんことだ。男性から真に解放された女性の眼を以て、現在の文化を見直してくれる女性の出現を祈らんことだ。女性の要求から創り出された文化が、これまでの文化と同一内容を持つだろうか、持たぬだろうか、それは男性たる私が如何に努力しても、臆測することが出来ない。そして恐らくは誰も出来ないだろう。その異同を見極めるだけにでも女性の中から天才の出現するのは最も望まるべきことだ。同じであったならそれでよし、若し異っていたら、男性の創り上げた文化と、女性のそれとの正しき抱擁によって、それによってのみ、私達凡ての翹望する文化は成り立つであろう。  更に私は家族生活について申し出しておく。家族とは愛によって結び付いた神聖な生活の単位である。これ以外の意味をそれに附け加えることは、その内容を混乱することである。法定の手続と結婚の儀式とによって家族は本当の意味に於て成り立つと考えられているが、愛する男女に取っては、本質的にいうと、それは少しも必要な条件ではない。又離婚即ち家族の分散が法の認許によって成り立つということも必要な条件ではない。凡てかかる条件は、社会がその平安を保持するために案出して、これを凡ての男女に強制しているところのものだ。国家が今あるがままの状態で、民衆の生活を整理して行くためには、家族が小国家の状態で強国に維持されることを極めて便利とする。又財産の私有を制度となさんためには、家族制度の存立と財産継承の習慣とが欠くべからざる必要事である。これらの外面的な情実から、家族は国家の柱石、資本主義の根拠地となっている。その為めには、縦令愛の失われた男女の間にも、家族たる形体を固守せしめる必要がある。それ故に家族の分散は社会が最も忌み嫌うところのものである。  おしなべての男女もまた、社会のこの不言不語の強圧に対して柔順である。彼等の多数は愛のない所にその形骸だけを続ける。男性はこの習慣に依頼して自己の強権を保護され、女性はまたこの制度の庇護によってその生存を保障される。そしてかくの如き空虚な集団生活の必然的な結果として、愛なき所に多数の子女が生産される。そして彼等は親の保護を必要とする現在の社会にあって(私は親の保護を必要としない社会を予想しているが故にかくいうのだ)親の愛なくして育たねばならぬ。そして又一方には、縦令愛する男女でも、家族を形造るべき財産がないために、結婚の形式を取らずに結婚すれば、その子は私生児として生涯隣保の擯斥を受けねばならぬ。  社会からいったならば、かかる欠陥は縦令必然的に起って来るとしても、なお家族制度を固執することに多分の便利が認められよう。然し個性の要求及びその完成から考える時、それはいかに不自然な結果を生ずるであろうよ。第一この制度の強制的存在のために、家族生活の神聖は、似而非なる家族の交雑によって著しく汚される。愛なき男女の結合を強制することは、そのまま生活の堕落である。愛によらざる産子は、産者にとって罪悪であり、子女にとって救われざる不幸である。愛によって生れ出た子女が、侮辱を蒙らねばならぬのは、この上なき曲事である。私達はこれを救わなければならない。それが第一の喫緊事だ。それらのことについて私達はいかなるものの犠牲となっていることも出来ない。若しこの欲求の遂行によって外界に不便を来すなら、その外界がこの欲求に適応するように改造されなければならぬ筈だ。  愛のある所には常に家族を成立せしめよ。愛のない所には必ず家族を分散せしめよ。この自由が許されることによってのみ、男女の生活はその忌むべき虚偽から解放され得る。自由恋愛から自由結婚へ。  更に又、私は恋愛そのものについて一言を附け加える。恋愛の前に個性の自己に対する深き要求があることを思え。正しくいうと個性の全的要求によってのみ、人は愛人を見出すことに誤謬なきことが出来る。そして個性の全的要求は容易に愛を異性に対して動かさせないだろう。その代り一度見出した愛人に対しては、愛はその根柢から揺ぎ動くだろう。かくてこそその愛は強い。そして尊い。愛に対する本能の覚醒なしには、縦令男女交際にいかなる制限を加うるとも、いかなる修正を施すとも、その努力は徒労に終るばかりであろう。 二四  もう私は私の饒舌から沈黙すべき時が来た。若し私のこの感想が読者によって考えられるならば、部分的に於てでなく、全体に於て考えられんことを望む。殊に本能的生活の要求を現実の生活にあてはめて私が申出た言葉に於てそうだ。社会生活はその総量に於て常に顧慮されなければならぬ。その一部門だけに対する凝視は、往々にして人を迷路に導き込むだろう。  私もまた部分的考察に走り過ぎた嫌いがないとはいえない。私は人間に現われた本能即ち愛の本能をもっと委しく語ってやむべきであったかも知れない。然しもう云われたことは云われてしまったのだ。  願わくは一人の人をもあやまることなくこの感想は行け。 二五  あまりに明かであって、しかも往々顧みられない事実は、一つの思想が体験的の検察なしに受取られるということだ。それは思想の提供者を空しく働かせ、享受者を空しく苦しめる。 二六  ニイチェが「私は自分が主張を固執するために焼き殺される場合があったら、それを避けよう。主張の固執は私の生命に値いするほど重大なものではない。然し主張を変じたが故に焼き殺されねばならぬというのなら、私は甘んじて焼かれよう。それは死に値いする」という意味のことをいったそうだ。この逆説は正しいと私は思う。生命の向上は思想の変化を結果する。思想の変化は主張の変化を予想する。生きんとするものは、既成の主張を以て自己を金縛りにしてはなるまい。 二七  思想は一つの実行である。私はそれを忘れてはいない。 二八  私の発表したこの思想に、最も直接な示唆を与えてくれたのは阪田泰雄氏である。この機会を以て私は君に感謝する。その他、内面的経験に関りを持った人と物との凡てに対して私は深い感謝の意を捧げる。 二九  これは哲学の素養もなく、社会学の造詣もなく、科学に暗く宗教を知らない一人の平凡な偽善者の僅かばかりな誠実が叫び出した訴えに過ぎない。この訴えから些かでもよいものを聴き分けるよい耳の持主があったならば、そしてその人が彼の為めによき環境を準備してくれたならば、彼もまた偽善者たるの苦しみから救われることが出来るであろう。  凡てのよきものの上に饒かなる幸あれ。
底本:「惜みなく愛は奪う」新潮文庫、新潮社    1955(昭和30)年1月25日発行    1968(昭和43)年12月20日25刷改版    1974(昭和49)年8月30日34刷 初出:「有島武郎著作集 第一輯」叢文閣    1920(大正9)年6月 入力:村田拓哉 校正:土屋隆、染川隆俊 2003年7月28日作成 2012年8月8日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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一  お末はその頃誰から習ひ覚えたともなく、不景気と云ふ言葉を云ひ〳〵した。 「何しろ不景気だから、兄さんも困つてるんだよ。おまけに四月から九月までにお葬式を四つも出したんだもの」  お末は朋輩にこんな物の云ひ方をした。十四の小娘の云ひ草としては、小ましやくれて居るけれども、仮面に似た平べつたい、而して少し中のしやくれた顔を見ると、側で聞いて居る人は思はずほゝゑませられてしまつた。  お末には不景気と云ふ言葉の意味は、固よりはつきりは判つて居なかつた。唯その界隈では、誰でも顔さへ合はせれば、さう挨拶しあふので、お末にもそんな事を云ふのが時宜にかなつた事のやうに思ひなされて居たのだつた。尤もこの頃は、あのこつ〳〵と丹念に働く兄の鶴吉の顔にも快からぬ黒ずんだ影が浮んだ。それが晩飯の後までも取れずにこびりついて居る事があるし、流元で働く母がてつくひ(魚の名)のあらを側にどけたのを、黒にやるんだなと思つて居ると又考へ直したらしく、それを一緒に鍋に入れて煮てしまふのを見た事もあつた。さう云ふ時にお末は何だか淋しいやうな、後から追ひ迫るものでもあるやうな気持にはなつた。なつたけれども、それと不景気としつかり結び附ける程の痛ましさは、まだ持つて居よう筈がない。  お末の家で四月から追つかけ〳〵死に続いた人達の真先きに立つたのは、長病ひをした父だつた。一年半も半身不随になつて、どつと臥つたなりであつたから、小さな床屋の世帯としては、手にあまる重荷だつた。長命をさせたいのは山々だけれども、齢も齢だし、あの体では所在もないし、手と云つてはねつから届かないんだから、あゝして生きてゐるのが却つて因業だと、兄は来る客ごとにお世辞の一つのやうに云ひ慣はして居た。極く一克な質で尊大で家一杯ひろがつて我儘を通して居た習慣が、病みついてからは更に募つて、家のものに一日三界あたり散らすので、末の弟の哲と云ふのなぞは、何時ぞや母の云つた悪口をそのまゝに、父の面前で「やい父つちやんの鼻つまみ」とからかつたりした。病人はそれを聞くと病気も忘れて床の上で跳り上つた。果てはその荒んだ気分が家中に伝はつて、互に睨み合ふやうな一日が過ごされたりした。それでも父が居なくなると、家の中は楔がゆるんだやうになつた。どうかして、思ひ切り引きちぎつてやりたいやうな、気をいら〳〵させる喘息の声も、無くなつて見るとお末には物足りなかつた。父の背中をもう一度さすつてやりたかつた。大地こそ雪解の悪路なれ、からつと晴れ渡つた青空は、気持よくぬくまつて、いくつかの凧が窓のやうにあちこちに嵌められて居る或る日の午後に、父の死骸は小さな店先から担ぎ出された。  その次に亡くなつたのは二番目の兄だつた。ひねくれる事さへ出来ない位、気も体も力のない十九になる若者で、お末にはこの兄の家に居る時と居ない時とが判らない位だつた。遊び過ごしたりして小言を待ち設けながら敷居を跨ぐ時なぞには殊に、誰と誰とが家に居て、どう云ふ風に坐つて居ると云ふ事すら眼に見えるやうに判つて居たけれども、この兄だけは居るやら居ないやら見当がつかなかつた。又この兄の居る事は何んの足しにも邪魔にもならなかつた。誰か一寸まづい顔でもすると、自分の事のやうにこの兄は座を外して、姿を隠してしまつた。それが脚気を煩つて、二週間程の間に眼もふさがる位の水腫れがして、心臓麻痺で誰も知らないうちに亡くなつて居た。この弱々しい兄がこんなに肥つて死ぬと云ふ事が、お末には可なり滑稽に思はれた。而してお末は平気でその翌日から例の不景気を云ひふらして歩いた。それは北海道にも珍らしく五月雨じみた長雨がじと〳〵と薄ら寒く降り続いた六月半ばの事だつた。 二  八月も半ば過ぎと云ふ頃になつて、急に暑気が北国を襲つて来た。お末の店もさすがにいくらか暑気づいて来た。朝早く隣りの風呂屋で風呂の栓を打ちこむ音も乾いた響きをたてゝ、人々の軟らかな夢をゆり動かした。晴天五日を打つと云ふ東京相撲の画びらの眼ざましさは、お末はじめ近所合壁の少年少女の小さな眼を驚かした。札幌座からは菊五郎一座のびらが来るし、活動写真の広告は壁も狭しと店先に張りならべられた。父が死んでから、兄は兄だけの才覚をして店の体裁を変へて見たりした。而してお末の非常な誇りとして、表戸が青いペンキで塗り代へられ、球ボヤに鶴床と赤く書いた軒ランプが看板の前に吊された。おまけに電灯がひかれたので、お末が嫌つたランプ掃除と云ふ役目は煙のやうに消えて無くなつた。その代り今年からは張物と云ふ新しい仕事が加へられるやうになつたが、お末は唯もう眼前の変化を喜んで、張物がどうあらうと構はなかつた。 「家では電灯をひいたんだよ、そりや明るいよ、掃除もいらないんだよ」  さう云つて小娘の間に鉄棒を引いて歩いた。  お末の眼には父が死んでから兄が急にえらくなつたやうに見えた。店をペンキで塗つたのも、電灯をひいたのも兄だと思ふと、お末は如何にも頼もしいものに思つた。近所に住む或る大工に片づいて、可愛いゝ二つになる赤坊をもつた一番の姉が作つてよこした毛繻子の襷をきりつとかけて、兄は実体な小柄な体をまめ〳〵しく動かして働いた。兄弟の誰にも似ず、まる〳〵と肥つた十二になるお末の弟の力三は、高い歯の足駄を器用に履いて、お客のふけを落したり頭を分けたりした。客足も夏に向くと段々繁くなつて来る。夜も晩くまで店は賑はつて、笑ひ声や将棋をうつ音が更けてまで聞こえた。兄は何処までも理髪師らしくない、おぼこな態度で客あしらひをした。それが却つて客をよろこばせた。  斯う華やか立つた一家の中で何時までもくすぶり返つてゐるのは母一人だつた。夫に先き立たれるまでは、口小言一つ云はず、はき〳〵と立ち働いて、病人が何か口やかましく註文事をした時でも、黙つたまゝでおいそれと手取早く用事を足してやつたが、夫はそれを余り喜ぶ風は見えなかつた。却つて病死した息子なぞから介抱を受けるのを楽しんで居る様子だつた。この女には何処か冷たい所があつたせゐか、暖かい気分を持つた人を、行火でも親しむやうに親しむらしく見えた。まる〳〵と肥つた力三が一番秘蔵で、お末はその次に大事にされて居た。二人の兄などは疎々しく取りあつかはれて居た。  父が亡くなつてからは、母の様子はお末にもはつきり見える程変つてしまつた。今まで何事につけても滅多に心の裏を見せた事のない気丈者が、急におせつかいな愚痴つぽい機嫌買ひになつて、好き嫌ひが段々はげしくなつた。総領の鶴吉に当り散らす具合などは、お末も見て居られない位だつた。お末は愛せられて居る割合に母を好まなかつたから、時々はこつちからもすねた事をしたり云つたりすると、母は火のやうに怒つて火箸などを取り上げて店先まで逐ひかけて来るやうな事があつた。お末は素早く逃げおほせて、他所に遊びに行つて他愛もなく日を暮して帰つて来ると、店の外に兄が出て待つて居たりした。茶の間では母がまた口惜し泣きをして居た。而してそれはもうお末に対してゞはなく、兄が家の事も碌々片づかない中に、かみさんを迎へる算段ばかりして居ると云ふやうな事を毒々しく云ひつのつて居るのだつた。かと思ふとけろつとして、お末が帰ると機嫌を取るやうな眼付をして、夕飯前なのも構はず、店に居る力三もその又下の跛足な哲も呼び入れて、何処にしまつてあつたのか美味しい煎餅の馳走をしてくれたりした。  それでもこの一家は近所からは羨まれる方の一家だつた。鶴さんは気がやさしいのに働き手だから、いまに裏店から表に羽根をのすと皆んなが云つた。鶴吉は実際人の蔭口にも讃め言葉にも耳を仮さずにまめ〳〵しく働きつゞけた。 三  八月の三十一日は二度目の天長節だが、初めての時は諒闇でお祝ひをしなかつたからと云つて、鶴吉は一日店を休んだ。而して絶えて久しく構はないであつた家中の大掃除をやつた。普段は鶴吉のする事とさへ云へば妙にひがんで出る母も今日は気を入れて働いた。お末や力三も面白半分朝の涼しい中にせつせと手助けをした。棚の上なぞを片付ける時には、まだ見た事もないものや、忘れ果てゝ居たものなどが、ひよつこり出て来るので、お末と力三とは塵だらけになつて隅々を尋ね廻つた。 「ほれ見ろやい、末ちやんこんな絵本が出て来たぞ」 「それや私んだよ、力三、何処へ行つたかと思つて居たよ、おくれよ」 「何、やつけえ」  と云つて力三は悪戯者らしくそれを見せびらかしながらひねくつて居る。お末はふと棚の隅から袂糞のやうな塵をかぶつたガラス壜を三本取出した。大きな壜の一つには透明な水が這入つて居て、残りの大壜と共口の小壜とには三盆白のやうな白い粉が這入つて居た。お末はいきなり白い粉の這入つた大壜の蓋を明けて、中のものをつまんで口に入れる仮為をしながら、 「力三是れ御覧よ。意地悪にはやらないよ」  と云つて居ると、突然後ろで兄の鶴吉が普段にない鋭い声を立てた。 「何をして居るんだお末、馬鹿野郎、そんなものを嘗めやがつて……嘗めたのか本当に」  あまりの権幕にお末は実を吐いて、嘗める仮為をしたんだと云つた。 「その小さい壜の方を耳の垢ほどでも嘗めて見ろ、見て居る中にくたばつて仕舞ふんだぞ、危ねえ」 「危ねえ」と云ふ時どもるやうになつて、兄は何か見えない恐ろしいものでも見つめるやうに怖い眼をして室の内を見廻した。お末も妙にぎよつとした。而してそこ〳〵に踏台から降りて、手伝ひに来てくれた姉の児を引きとつておんぶした。  昼過ぎに力三は裏の豊平川に神棚のものを洗ひに出された。暑さがつのるにつれて働くのに厭きて来たお末は、その後からついて行つた。広い小砂利の洲の中を紫紺の帯でも捨てたやうに流れて行く水の中には、真裸になつた子供達が遊び戯れて居た。力三はそれを見るとたまらなさうに眼を輝かして、洗物をお末に押しつけて置いたまゝ、友と呼びかはしながら水の中へ這入つて行つた。お末はお末で洗物をするでもなく、川柳の小蔭に腰を据ゑて、ぎら〳〵と光る河原を見やりながら、背の子に守り唄を歌つてやつて居たが、段々自分の歌に引き入れられて、ぎごちなささうに坐つたまゝ、二人とも他愛なく眠入つてしまつた。  ほつと何かに驚かされて眼をさますと、力三が体中水にぬれたまゝでてら〳〵光りながら、お末の前に立つて居た。手には三四本ほど、熟し切らない胡瓜を持つて居た。 「やらうか」 「毒だよそんなものを」  然し働いた挙句、ぐつすり睡入つたお末の喉は焼け付く程乾いて居た。札幌の貧民窟と云はれるその界隈で流行り出した赤痢と云ふ恐ろしい病気の事を薄々気味悪くは思ひながら、お末は力三の手から真青な胡瓜を受取つた。背の子も眼をさましてそれを見ると泣きわめいて欲しがつた。 「うるさい子だよてば、ほれツ喰へ」  と云つてお末はその一つをつきつけた。力三は呑むやうにして幾本も食つた。 四  その夕方は一家珍らしく打揃つて賑はしい晩食を食べた。今日は母もいつになくくつろいで、姉と面白げに世間話をしたりした。鶴吉は綺麗に片づいた茶の間を心地よげに見廻して、棚の上などに眼をやつて居たが、その上に載つて居る薬壜を見ると、朝の事を思ひ出して笑ひながら、 「危いの怖いのつて、子供にはうつかりして居られやしない。お末の奴、今朝あぶなく昇汞を飲む所さ……あれを飲んで居て見ろ、今頃はもうお陀仏様なんだ」  とさも可愛げにお末の顔をぢつと見てくれた。お末にはそれが何とも云はれない程嬉しかつた。兄であれ誰であれ、男から来る力を嗅ぎわける機能の段々と熟して来るのをお末はどうする事も出来なかつた。恐ろしいものだか、嬉しいものだか、兎に角強い刃向ひも出来ないやうな力が、不意に、ぶつかつて来るのだと思ふと、お末は心臓の血が急にどき〳〵と湧き上つて来て、かつとはち切れるほど顔のほてるのを覚えた。さう云ふ時のお末の眼つきは鶴床の隅から隅までを春のやうにした。若しその時お末が立つて居たら、いきなり坐りこんで、哲でも居るとそれを抱きかゝへて、うるさい程頬ずりをしたり、締め附けたりして、面白いお話をしてやつた。又若し坐つて居たら、思ひ出し事でもしたやうに立上つて、甲斐々々しく母の手伝ひをしたり、茶の間や店の掃除をしたりした。  お末は今も兄の愛撫に遇ふと、気もそは〳〵と立上つた。而して姉から赤坊を受取つて、思ひ存分頬ぺたを吸つてやりながら店を出た。北国の夏の夜は水をうつたやうに涼しくなつて居て、青い光をまき散らしながら夕月がぽつかりと川の向うに上りかゝつて居た。お末は何んとなく歌でも歌ひたい気分になつていそ〳〵と河原に出た。堤には月見草が処まだらに生えて居た。お末はそれを折り取つて燐のやうな蕾をながめながら、小さい声で「旅泊の歌」を口ずさみ出した。お末は顔に似合はぬいゝ声を持つた子だつた。 「あゝ我が父母いかにおはす」  と歌ひ終へると、花の一つがその声にゆり起されたやうに、眠むさうな花びらをじわりと開いた。お末はそれに興を催して歌ひつゞけた。花は歌声につれて音をたてんばかりにする〳〵と咲きまさつていつた。 「あゝ我がはらから誰と遊ぶ」  ふと薄寒い感じが体の中をすつと抜けて通るやうに思ふと、お末は腹の隅にちくりと針を刺すやうな痛みを覚えた。初めは何んとも思はなかつたが、それが二度三度と続けて来ると突然今日食べた胡瓜の事を思ひ出した。胡瓜の事を思ひ出すにつけて、赤痢の事や、今朝の昇汞の事がぐら〳〵と一緒くたになつて、頭の中をかき廻したので、今までの透きとほつた気分は滅茶苦茶にされて、力三も今時分はきつと腹痛を起して、皆んなに心配をかけて居はしないかと云ふ予感、さては力三が胡瓜を食べた事、お末も赤坊も食べた事を苦しまぎれに白状して居はしないかと云ふ不安にも襲はれながら、恐る〳〵家に帰つて来た。と、ありがたい事には力三は平気な顔で兄と居相撲か何か取つて、大きな声で笑つて居た。お末はほつと安心して敷居を跨いだ。  然しお末の腹の痛みは治らなかつた。その中に姉の膝の上で眠入つて居た赤坊が突然けたゝましく泣き出した。お末は又ぎよつとしてそれを見守つた。姉が乳房を出してつき附けても飲まうとはしなかつた。家が違ふからいけないんだらうと云つて姉はそこ〳〵に帰つて行つた。お末は戸口まで送つて出て、自分の腹の痛みを気にしながら、赤坊の泣き声が涼しい月の光の中を遠ざかつて行くのに耳をそばだてゝ居た。  お末は横になつてからも、何時赤痢が取つゝくかと思ふと、寝ては居られない位だつた。力三は遊び疲れて、死んだやうに眠ては居るが、何時眼をさまして腹が痛いと云ひ出すかも知れないと云ふ事まで気をまはして、何時までも暗い中で眼をぱちくりさせて居た。  朝になつて見るとお末は何時の間にか寝入つて居た。而して昨日の事はけろりと忘れてしまつて居た。  その日の昼頃突然姉の所から赤坊が大変な下痢だと云ふ知らせが来た。孫に眼のない母は直ぐ飛んで行つた。が、その夕方可愛いゝ赤坊はもうこの世のものではなくなつて居た。お末は心の中で震へ上つた。而して急に力三の挙動に恐る〳〵気を附け出した。  朝からぶつッとして居た力三は、夕方になつてそつと姉を風呂屋と店との小路に呼び込んだ。而して何を入れてゐるのか、一杯ふくれあがつてゐる懐ろを探つて白墨を取出して、それではめ板に大正二年八月三十一日と繰返して書きながら、 「己りや今朝から腹が痛くつて四度も六度もうんこに行つた。お母さんは居ないし、兄やに云へばどなられるし……末ちやん後生だから昨日の事黙つて居ておくれ」  とおろ〳〵声になつた。お末はもうどうしていゝか判らなかつた。力三も自分も明日位の中に死ぬんだと思ふと、頼みのない心細さが、ひし〳〵と胸に逼つて来て、力三より先に声を立てゝ泣き出した。それが兄に聞こえた。  お末はそれでもその後少しも腹痛を覚えずにしまつたが、力三はどつと寝ついて猛烈な下痢に攻めさいなまれた挙句、骨と皮ばかりになつて、九月の六日には他愛なく死んでしまつた。  お末はまるで夢を見てゐるやうだつた。続けて秘蔵の孫と子に先立たれた母は、高度のヒステリーにかゝつて、一時性の躁狂に陥つた。死んだ力三の枕許に坐つてきよろつとお末を睨み据ゑた眼付は、夢の中の物の怪のやうに、総てがぼんやりした中に、はつきりお末の頭の中に焼き附けられた。 「何か悪いものを食べさせて、二人まで殺したに、手前だけしやあ〳〵して居くさる、覚えて居ろ」  お末はその眼を思ひ出すと、何時でも是れだけの言葉をまざ〳〵と耳に聞くやうな気がした。  お末はよく露地に這入つて、力三の残した白墨の跡を指の先でいぢくりながら淋しい思ひをして泣いた。 五  折角鶴吉の骨折りで、泥の中から頭を持ち上げかけた鶴床は、他愛もなくずる〳〵と元にも増した不景気の深みに引きずり込まれた。力三のまる〳〵肥えた顔のなくなつた丈けでも、この店に取つては致命的な損失だつた。ヒステリーは治つたが、左の口尻がつり上つたきりになつて、底意地悪い顔付に見える母も、頬だけは美しい血の色を見せながら、痩せて蝋のやうな皮膚の色の兄も、跛足でしなびた小さい哲も、家の中に暖かみと繁盛とを齎らす相ではなかつた。病身ながら、鶴吉は若い丈けに気を取り直して、前よりも勉強して店をしたが、籠められるだけの力を籠め切つて余裕のない様子が見るに痛ましかつた。姉は姉で、お末に対して殊に怒りつぽくなつた。  その中にお末だけは力三のないのをこの上なく悲しみはしたけれども、内部からはち切れるやうに湧き出て来る命の力は、他人の事ばかり思つて居させなかつた。露地のはめ板の白墨が跡かたもなくなる時分には、お末は前の通りな賑やかな子になつて居た。朝なんぞ東向きの窓の所に後ろを向いて、唱歌を歌ひながら洗物をして居ると、襦袢と帯との赤い色が、先づ家中の単調を破つた。物ばかり喰つてしかたがないからと云つて、黒と云ふ犬を皮屋にやつてしまはうときめた時でも、お末はどうしてもやるのを厭がつた。張物と雑巾さしとに精を出して収入の足しにするからと云つて、黒の頸を抱いて離さなかつた。  お末は実際まめ〳〵しく働くやうになつた。心の中には、どうかして胡瓜を食べたのを隠して居る償ひをしようと云ふ気がつきまとつて居た。何より楽しみに行きつけた夜学校の日曜日の会にも行くのをやめて、力三の高下駄を少し低くしてもらつて、それをはいて兄を助けた。眼に這入りさうに哲も可愛がつてやつた。哲はおそくなつてもお末の寝るのを待つて居た。お末は仕事をしまふと、白い仕事着を釘に引つかけて、帯をぐる〳〵と解いて、いきなり哲に添寝をした。鶴吉が店を片づけながら聞いて居ると、お末のする昔話の声がひそ〳〵と聞こえて居た。母はそれを聞きながら睡入つた風をして泣いて居た。  お末が単衣の上に羽織を着て、メレンスの結び下げの男帯の代りに、後ろの見えないのを幸ひに一とまはりしかない短い女帯をしめるやうになつた頃から、不景気不景気と云ふ声がうるさい程聞こえ出した。義理のやうに一寸募つた暑さも直ぐ涼しくなつて、是れでは北海道中種籾一粒取れまいと云ふのに、薄気味悪く米の値段が下つたりした。お末はよくこの不景気と云ふ事と、四月から九月までに四人も身内が死んだと云ふ事を云ひふらしたが、実際お末を困らしたのは、不景気につけて母や兄の気分の荒くなる事だつた。母ががみ〳〵とお末を叱りつける事は前にもないではなかつたが、どうかすると母と兄とが嘗てない激しい口いさかひをする事があつた。お末は母が可なり手厳しく兄にやられるのを胸の中で快く思つた事もあつた。さうかと思ふと、母が不憫で不憫でたまらないやうな事もあつた。 六  十月の二十四日は力三の四十九日に当つて居た。四五日前に赤坊の命日をすました姉は、その日縫物の事か何かで鶴床に来て、店で兄と何か話をして居た。  お末は今朝寝おきから母にやさしくされて、大変機嫌がよかつた。姉に向つても姉さん〳〵となついて、何か頻りと独言を云ひながら洗面台の掃除をして居た。 「どうぞ又是れをお頼み申します――是れはちよつぴりですが、一つ使つて御覧なすつて下さい」  その声にお末がふり返つて見ると、エンゼル香油の広告と、小壜入りの標品とが配達されて居た。お末はいきなり駈けよつて、姉の手からその小壜を奪ひ取つた。 「エンゼル香油だよ、私明日姉さんとこへ髪を上げてもらひに行くから、半分私がつけるよ、半分は姉さんおつけ」 「ずるいよこの子は」  と姉も笑つた。  お末がこんな冗談を云つてると、今まで黙つて茶の間で何かして居た母が、急に打つて変つて怒り出した。早く洗面台を綺麗にして、こんな天気の日に張物でもしないと、雪が降り出したらどうすると、毒を持つた云ひ方で、小言を云ひながら店に顔を出した。今まで泣いて居たらしく眼をはらして、充血した白眼が気味悪い程光つて居た。 「お母さん今日はまあ力三の為めにもさう怒らないでやつておくんなさいよ」  姉がなだめる積りでかうやさしく云つて見た。 「力三力三つて手前のもののやうに云ふが、あれは一体誰が育てた。力三がどうならうと手前共が知つたこんで無えぞ。鶴も鶴だ、不景気不景気だと己ら事ぶつ死ぬまでこき使ふがに、末を見ろ毎日々々のらくらと背丈ばかり延ばしやがつて」  姉はこの口ぎたない雑言を聞くと、妙にぶッつりして、碌々挨拶もしないで帰つて行つてしまつた。お末は所在なささうにして居る兄を一寸見て、黙つたまゝせつせと働き出した。母は何時までも入口に立つてぶつ〳〵云つて居た。鉛の塊のやうな鈍い悒鬱がこの家の軒端まで漲つた。  お末は洗面台の掃除をすますと、表に出て張物にかゝつた。冷えはするが日本晴とも云ふべき晩秋の日が、斜に店の引戸に射して、幽かにペンキの匂も立てた。お末は仕事に興味を催した様子で、少し上気しながらせつせと、色々な模様の切れを板に張りつけて居た。先きだけ赤らんだ小さい指が器用に、黒ずんだ板の上を走つて、かゞんだり立つたりする度に、お末の体は女らしい優しい曲線の綾を織つた。店で新聞を読んで居た鶴吉は美しい心になつて、飽かずそれを眺めて居た。  組合に用事があるので、早昼をやつた鶴吉が、店を出る時にも、お末は懸命で仕事をして居た。 「一と休みしろ、よ、飯でも喰へや」  優しく云ふと、お末は一寸顔を上げてにつこりしたが、直ぐ快活げに仕事を続けて行つた。曲り角に来て振返つて見ると、お末も立上つて兄を見送つて居た。可愛いゝ奴だと鶴吉は思ひながら道を急いだ。  母が昼飯だと呼んでも構はずに、お末は仕事に身を入れて居た。そこに朋輩が三人程やつて来て、遊園地に無限軌道の試験があるから見に行かないかと誘つてくれた。無限軌道――その名がお末の好奇心を恐ろしく動かした。お末は一寸行つて見る積りで、襷を外して袂に入れて三人と一緒になつた。  厳めしく道庁や鉄道管理局や区役所の役人が見て居る前で、少し型の変つた荷馬車が、わざと造つた障害物をがたん〳〵音を立てながら動いて行くのは、面白くも何ともなかつたけれども、久し振りで野原に出て学校友達と心置きなく遊ぶのは、近頃にない保養だつた。まだ碌々遊びもしないと思ふ頃、ふと薄寒いのに気がついて空を見ると、何時の間にか灰色の雲の一面にかゝつた夕暮の暮色になつて居た。  お末はどきんとして立ちすくんだ。朋輩の子供達はお末の顔色の急に変つたのを見て、三人とも眼をまるくした。 七  帰つて見ると、頼みにして居た兄はまだ帰らないので、母一人が火のやうにふるへて居た。 「穀つぶし奴、何処に出てうせた。何だつてくたばつて来なかつたんだ、是れ」  と云つて、一こづきこづいて、 「生きて居ばいゝ力三は死んで、くたばつても大事ない手前べのさばりくさる。手前に用は無え、出てうせべし」  と突放した。さすがにお末もかつとなつた。「死ねと云つても死ぬものか」と腹の中で反抗しながら、母が剥してたゝんで置いた張物を風呂敷に包むと、直ぐ店を出た。お末はその時腹の空いたのを感じて居たが、飯を食つて出る程の勇気はなかつた。然し出がけに鏡のそばに置いてあるエンゼル香油の小壜を取つて、袂にひそますだけの余裕は持つて居た。「姉さんの所に行つたら散々云ひつけてやるからいゝ。死ねと云つたつて、人、誰が死ぬものか」さうお末は道々も思ひながら姉の家に着いた。  何時でも姉はいそ〳〵と出迎へてくれるのに、今日は近所から預かつてある十許りの女の子が淋しさうな顔をして、入口に出て来たばかりなので、少し気先きを折られながら奥の間に通つて見ると、姉は黙つて針仕事をして居た。勝手がちがつてお末はもぢ〳〵そこいらに立つて居た。 「まあお坐り」  姉は剣のある上眼遣ひをして、お末を見据ゑた。お末は坐ると姉をなだめる積りで、袂から香油を出して見せたが、姉は見かへりもしなかつた。 「お前お母さんから何んとか云はれたらう。先刻姉さん所にもお前を探しに来たんだよ」  と云ふのを冒頭に、裏に怒りを潜めながら、表は優しい口調で、お末に因果を含めだした。お末は初めの中は何がと云ふ気で聞いて居たが、段々姉の言葉に引入れられて行つた。兄の商売は落目になつて、月々の実入りだけでは暮しが立たないから、姉の夫がいくらかづゝ面倒を見て居たけれども、大工の方も雪が降り出すと仕事が丸潰れになるから、是れから朝の中だけ才取りのやうな事でもして行く積りだが、それが思ふやうに行くかどうか怪しい。力三も亡くなつて見ると、行く行くは一人小僧も置かなければならない。お母さんはあの通りで、時々臥もするから薬価だつて積れば大きい。哲は哲で片輪者故、小学校を卒業したつて何の足しにもならない。隣り近所にだつて、十月になつてから、家賃も払へないで追ひ立てを喰つた家が何軒あるか位は判つて居さうなものだ。他人事だと思つて居ると大間違ひだ。それに力三の命日と云ふのに、朝つぱらから何んと思へば一人だけ気楽な真似が出来るんだらう。足りないながらせめては家に居て、仏壇の掃除なり、精進物の煮付けなりして、母を手伝つたら、母も喜んだらうに、不人情にも程がある。十四と云へば、二三年経てばお嫁に行く齢だ。そんなお嫁さんは誰ももらひ手がありはしない。何時までも兄の所の荷厄介になつて、世間から後指をさゝれて、一生涯面白い眼も見ずに暮すんだらう。勝手な真似をしていまに皆んなに愛想をつかされるがいゝ。そんな具合に姉はたゝみかけて、お末を責めて行つた。而して仕舞ひには自分までがほろりとなつて、 「いゝさ暢気者は長命するつて云ふからね、お母さんはもう長くもあるまいし、兄さんだつてあゝ身をくだいちや何時病気になるかも分らない。おまけに私はね独りぽつちの赤坊に死なれてから、もう生きる空はないんだから、お前一人後に残つてしやあ〳〵してお出……さう云へば、何時から聞かうと思つて居たが、あの時お前、豊平川で赤坊に何か悪いものでも食べさせはしなかつたかい」 「何を食べさすもんか」  今まで黙つてうつむいて居たお末は、追ひすがるやうにかう答へて、又うつむいてしまつた。 「力三だつて一緒に居たんだもの……私はお腹も下しはしなかつたんだもの」  と暫くしてから訳の判らない事を、申訳らしく云ひ足した。姉は疑深い眼をして鞭つやうにお末を見た。  かうしてお末は押し黙つて居る中に、ふつと腹のどん底から悲しくなつて来た。唯悲しくなつて来た。何んだか搾りつけられるやうに胸がせまつて来ると、止めても〳〵気息がはずんで、火のやうに熱い涙が二粒三粒ほてり切つた頬を軽くくすぐるやうにたら〳〵と流れ下つたと思ふと、たまらなくなつて無我夢中にわつと泣き伏した。  而してお末は一時間程ひた泣きに泣いた。力三のいたづら〳〵した愛嬌のある顔だの、姉の赤坊の舌なめずりする無邪気な顔だのが、一寸覗きこむと思ふと、それが父の顔に変つたり、母の顔に変つたり、特別になつかしく思ふ鶴吉の顔に変つたりした。その度毎にお末は涙が自分ながら面白い程流れ出るのを感じて泣きつゞけた。今度は姉が心配し出して、色々に言ひ慰めて見たけれども甲斐がないので、仕舞ひにはするまゝに放つて置いた。  お末は泣きたいだけ泣いてそつと顔を上げて見ると、割合に頭は軽くなつて、心が深く淋しく押し静まつて、はつきりした考へがたつた一つその底に沈んで居た。もうお末の頭からはあらゆる執着が綺麗に無くなつて居た。「死んでしまはう」お末は悲壮な気分で、胸の中にふか〴〵とかううなづいた。而して「姉さんもう帰ります」としとやかに云つて姉の家を出た。 八  用事に暇どつた為めに、灯がついてから程たつて鶴吉は帰つて来た。店には電灯がかん〳〵照つて居るが、茶の間はその光だけで間に合はして居た。その暗い処に母とお末とが離れ合つて孑然と坐つて居た。戸棚の側には哲が小掻巻にくるまつて、小さな鼾をかいて居た。鶴吉はすぐ又喧嘩があつたのだなと思つて、あたりさはりのない世間話に口を切つて見たが、母は碌々返事もしないで布巾をかけた精進の膳を出してすゝめた。見るとお末の膳にも手がつけてなかつた。 「お末何んだつて食べないんだ」 「食べたくないもの」  何んと云ふ可憐ななつッこい声だらうと鶴吉は思つた。  鶴吉は箸をつける前に立上つて、仏壇の前に行つて、小つぽけな白木の位牌に形ばかりの御辞儀をすると、しんみりとした淋しい気持になつた。余り気分が滅入るので、電灯をひねつて見た。ぱつと部屋は一時明るくなつて、哲が一寸眼を覚ましさうになつたが、そのまゝ又静まつて行つて淋しさが増すばかりだつた。  お末は黙つたまゝで兄の膳を流元にもつて行つて洗ひ出した。明日にしろと云つても、聴かないで黙つたまゝ洗つてしまつた。帰りがけに仏壇に行つて、灯心を代へて、位牌に一寸御辞儀をした。而して下駄をつッかけて店から外に出ようとする。  鶴吉は何んとなく胸騒ぎがして、お末の後から声をかけた。お末は外で、 「姉さん所に忘れた用があるから」  と云つて居た。鶴吉は急に怒りたくなつた。 「馬鹿、こんなに晩く行かなくとも、明日寝起きに行けばいゝぢやないか」  云つてる中に母に肩を持つて見せる気で、 「わがまゝな事ばかししやがつて」  と附け加へた。お末は素直に返つて来た。  三人とも寝てから鶴吉は「わがまゝな事ばかししやがつて」と云つた言葉が、どうしても云ひ過ぎのやうに思はれて、気になつてしかたがなかつた。お末はこちんと石のやうに押し黙つて、哲に添寝をして向うむきになつて居た。  外では今年の初雪が降つて居るらしく、めり込むやうな静かさの中に夜が更けて行つた。 九  案の定その翌日は雪に夜があけた。鶴吉が起き出た頃には、お末は店の掃除をして、母は台所の片附けをやつて居た。哲は学校の風呂敷を店火鉢の傍で結んで居た。お末は甲斐々々しくそれを手伝つてやつて居た。暫くしてから、 「哲」  とお末が云つた。 「う?」  と哲が返事をしても、お末が何んとも言葉をつがないので、 「姉や何んだ」  と催促したが、お末は黙つたまゝだつた。鶴吉は歯楊枝を取上げようとして鏡の前の棚を見ると、そこには店先にある筈のない小皿が一枚載つて居た。  七時頃になつてお末は姉の所に行くと云つて家を出た。丁度客の顔をあたつて居た鶴吉は碌々見返りもしなかつた。  客が帰つてからふと見ると、さつきの皿がなくなつて居た。 「おやお母さん、こゝに載つてた皿はお母さんがしまつたのかい」 「何、皿だ?」  母が奥から顔だけ出した。而してそんなものは知らないと云つた。鶴吉は「お末の奴何んだつてあんなものを持出しやがつたんだらう」と思つて見まはすと、洗面所の側の水甕の上にそれが載つてゐた。皿の中には水が少し残つて白い粉のやうなものがこびりついてゐた。鶴吉は何んの気なしにそれを母に渡して始末させた。  九時頃になつてもお末が帰らないので、母はまたぶつ〳〵云ひ始めた。鶴吉も、帰つて来たら少し性根のゆくだけ云つてやらなければならないと思つて居ると、姉の所で預つてゐる女の子がせきこんで戸を開けて這入つて来た。 「叔父さん、今、今」  と気息をはずまして居る。鶴吉はそれが可笑しくて笑ひながら、 「どうしたい、そんなに慌てゝ……伯母さんでも死んだか」  と云ふと、 「うん、叔父さんとこの末ちやんが死ぬんだよ、直ぐお出でよ」  鶴吉はそれを聞くと妙に不自然な笑ひかたがしたくなつた。 「何んだつて」  もう一度聞きなほした。 「末ちやんが死ぬよ」  鶴吉はとう〳〵本当に笑ひ出してしまつた。而していゝ加減にあしらつて、女の子を返してやつた。  鶴吉は笑ひながら奥に居る母に大きな声でその事を話した。母はそれを聞くと面相をかへて跣足で店に降りて来た。 「何、お末が死ぬ?……」  而して母も突然不自然極まる笑ひ方をした。と思ふと又真面目になつて、 「よんべ、お末は精進も食はず哲を抱いて泣いたゞが……はゝゝ、何そんな事あるもんで、はゝゝゝ」  と云ひながら又不自然に笑つた。鶴吉はその笑ひ声を聞くと、思はず胸が妙にわく〳〵したが、自分もそれにまき込まれて、 「はゝゝゝあの娘つ子が何を云ふだか」  と合槌を打つて居た。母は茶の間に上らうともせず、きよとんとしてそこに立つたまゝになつて居た。  そこに姉が跣足で飛んで来た。鶴吉はそれを見ると、先刻の皿の事が突然頭に浮んだ――はりなぐられるやうに。而して何んの訳もなく「しまつた」と思つて、煙草入れを取つて腰にさした。 一〇  その朝早く一度お末は姉の所に来た。而して母が散薬を飲みづらがつて居るから、赤坊の病気の時のオブラートが残つてゐるならくれろと云つた。姉は何んの気なしにそれを渡してやつた。と七時頃に又縫物を持つて来て、入口の隣の三畳でそれを拡げた。その部屋の戸棚の中にはこま〳〵したものが入れてあるので、姉はちよい〳〵そこに行つたが、お末には別に変つた様子も見えなかつた。唯羽織の下に何か隠して居るらしかつたけれども、是れはいつもの隠し食ひでもと思へば聞いても見なかつた。  三十分程経つたと思ふ頃、お末が立つて台所で水を飲むらしいけはひがした。赤坊を亡くしてから生水を毒のやうに思ふ姉は、飲むなと襖ごしにお末を叱つた。お末は直ぐやめて姉の部屋に這入つて来た。姉はこの頃仏いぢりにかまけて居るのであの時も真鍮の仏具を磨いて居た。お末もそれを手伝つた。而して三十分程の読経の間も殊勝げに後ろに坐つて聴いて居た、が、いきなり立つて三畳に這入つた。姉は暫くしてからふと隣りで物をもどすやうな声を聞きつけたので、急いで襖を開けて見ると、お末はもう苦しんで打伏して居た。いくら聞いても黙りこくつたまゝ苦しんでゐるだけだ。仕舞ひに姉は腹を立てゝ背中を二三度痛く打つたら、初めて家の棚の上にある毒を飲んだと云つた。而して姉の家で死んで迷惑をかけるのがすまないと詫びをした。  鶴吉の店にかけこんで来た姉は前後も乱れた話振りで、気息をせき〳〵是れだけの事を鶴吉に話した。鶴吉が行つて見ると姉の家の三畳に床を取つてお末が案外平気な顔をして、這入つて来た兄を見守りながら寝て居た。鶴吉はとても妹の顔を見る事が出来なかつた。  医者をと思つて姉の家を出た鶴吉は、直ぐ近所の病院にかけつけた。薬局と受附とは今眼をさましたばかりだつた。直ぐ来るやうにと再三駄目を押して帰つて待つたけれども、四十分も待つのに来てくれさうにはなかつた。一旦鎮まりかゝつた嘔気は又激しく催して来た。お末が枕に顔を伏せて深い呼吸をして居るのを見ると、鶴吉は居ても立つても居られなかつた。四十分待つた為めに手おくれになりはしなかつたか、さう思つて鶴吉は又かけ出した。  五六丁駈けて来てから見ると足駄をはいて居た。馬鹿なこんな時足駄をはいて駈ける奴があるものかと思つて跣足になつて、而して又五六丁雪の中を駈けた。ふと自分の傍を人力車が通るのに気がついて又馬鹿をしたと思ひながら車宿を尋ねる為めに二三丁引きかへした。人力車はあつたが車夫は老人で鶴吉の駈けるのよりも余程おそく思はれた。引返した所から一丁も行かない中に尋ねる医師の家があつた。総ての準備をして待つて居るから直ぐ連れて来いとの事であつた。  鶴吉は人力車に頓着なく姉の家に駈けつけて様子を聞くと、まださう騒ぐに及ばぬらしいとの事であつた。鶴吉は思はずしめたと思つた。お末は壜の大小を間違へて、大壜の方のものを飲んだに違ひない。大壜の方には苛性加里を粉にして入れてあるのだ。それに違ひないと思つたが、それをまのあたり聞く勇気はなかつた。  人力車を待つのに又暫くかゝつた。軈て鶴吉は車に乗つてお末を膝の上にかゝへて居た。お末は兄に抱かれながら幽かに微笑んだ。骨肉の執着が喰ひ込むやうに鶴吉の心を引きしめた。どうかして生かさう、鶴吉はたゞさう思ふだけだつた。  やがてお末は医師の家の二階の手広い一室に運ばれて、雪白のシーツの上に移された。お末は喘ぐやうにして水を求めて居た。 「よし〳〵今渇かないやうにして上げるからね」  如何にも人情の厚さうな医師は、診察衣に手を通しながら、お末から眼を放さずに静かにかう云つた。お末はおとなしく首肯いた。医師はやがてお末の額に手をあてゝしげ〳〵と患者を見て居たが鶴吉を見返つて、 「昇汞をどの位飲んだんでせう」  と聞いた。鶴吉はこゝで運命の境目が来たと思つた。而して恐る〳〵お末に近づいて、耳に口をよせた。 「お末、お前の飲んだのは大きい壜か小さい壜か」  と云ひながら手真似で大小をやつて見せた。お末は熱のある眼で兄を見やりながら、はつきりした言葉で、 「小さい方の壜だよ」  と答へた。鶴吉は雷にでも撃たれたやうに思つた。 「ど、どれ位飲んだ」  予て大人でも十分の二グラム飲めば命はないと聞かされて居るので、無益とは知りながらかう聞いて見た。お末は黙つたまゝで、食指を丸めて拇指の附根の辺につけて、五銭銅貨程の円を示した。  それを見た医師は疑はしげに首を傾けたが、 「少し時期がおくれたやうだが」  と云ひながら、用意してある薬を持つて来さした。劇薬らしい鋭い匂ひが室中に漲つた。鶴吉はその為めに今までの事は夢だつたかと思ふほど気はたしかになつた。 「飲みづらいよ、我慢してお飲み」  お末は抵抗もせずに眼をつぶつてぐつと飲み乾した。それから暫くの間昏々として苦しさうな仮睡に落ちた。助手は手を握つて脈を取りつゞけて居た。而して医師との間に低い声で会話を取りかはした。  十五分程経つたと思ふと、お末はひどく驚いたやうにかつと眼を開いて、助けを求めるやうにあたりを見まはしながら頭を枕から上げたが、いきなりひどい嘔吐を始めた。昨日の昼から何んにも食べない胃は、泡と粘液とをもどすばかりだつた。 「胸が苦しいよ、兄さん」  鶴吉は背中をさすりながら、黙つて深々とうなづくだけだつた。 「お便所」  さう云つて立上らうとするので皆がさゝへると、案外丈夫で起き直つた。便器と云つてもどうしても聞かない。鶴吉に肩の所を支へてもらつて歩いて行つた。階段も自分で降りると云ふのを、鶴吉が無理に背負つて、 「梯子段を一人で降りるなんて、落ちて死んぢまふぞ」  と云ふと、お末は顔の何処かに幽かに笑ひの影を宿して、 「死んでもいゝよ」  と云つた。  下痢は可なりあつた。吐瀉の是れだけあると云ふことが、せめてもの望みだつた。お末は苦しみに背中を大波のやうに動かしながら、はつ〳〵と熱い気息を吐いて居た。唇はかさ〳〵に乾破れて、頬には美しい紅みを漲らして。 一一  お末は胸の苦しみを訴へるのがやむと、激しく腹の痛みを訴へ出した。それは惨めな苦悶であつた。それでもお末は気丈にも、もう一度便所に立つと云つたが、実際は力が衰へて床の中でしたゝか血を下した。鼻からも鼻血が多量に出た。而して空をつかみシーツを引きさく無残な苦悶の間には、ぞつとする程恐ろしい昏睡の静かさが続いた。  そこに金の調達を奔走して居た姉もやつて来た。而して麻のやうに乱れたお末の黒髪を、根元から堅く崩れぬやうに結び直してやつたりした。お末を生かしたいと思はないものはなかつた。その間にお末は一秒々々に死んで行つた。  でもお末には生にすがると云ふやうな風は露ほども見えなかつた。その可愛いゝ堅い覚悟が今更に人々の胸をゑぐつた。  ふとお末は昏睡から覚めて「兄さん」と呼んだ。室の隅でさめ〴〵と泣いて居た鶴吉は、慌てゝ眼を拭ひながら枕許に近づいた。 「哲は」 「哲はな」  兄の声はそこで途絶えてしまつた。 「哲は学校に行つてるよ。呼んでやらうか」  お末は兄に顔を背けながら、かすかに 「学校なら呼ばなくもいゝよ」  と云つた。是れがお末の最後の言葉だつた。  それでも哲は呼び迎へられた。然しお末の意識はもう働かなくなつて、哲を見分ける事が出来なかつた。――強ひて家に留守させて置かうとした母も、狂乱のやうになつてやつて来た。母はお末の一番好きな晴れ着を持つて来た。而してどうしてもそれを着せると云つて承知しなかつた。傍の人がとめると、それならかうさせてくれと云つて、その着物をお末にかけて、自分はその傍に添寝をした。お末の知覚はなくなつてゐたから、医師も母のするまゝに任せて置いた。 「おゝよし〳〵。それでよし。ようした〳〵。ようしたぞよ。お母さん居るぞ泣くな。おゝよしおゝよし」  と云ひながら母はそこいらを撫で廻して居た。而してかうしたまゝで午後の三時半頃に、お末は十四年の短い命に別れて行つた。  次の日の午後に鶴床は五人目の葬式を出した。降りたての真白な雪の中に小さい棺と、それにふさはしい一群の送り手とが汚いしみを作つた。鶴吉と姉とは店の入口に立つて小さな行列を見送つた。棺の後ろには位牌を持つた跛足の哲が、力三とお末とのはき古した足駄をはいて、ひよこり〳〵と高くなり低くなりして歩いて行くのがよく見えた。  姉は珠数をもみ〳〵黙念した。逆縁に遇つた姉と鶴吉との念仏の掌に、雪が後から〳〵降りかゝつた。 (一九一六年一月、「白樺」所載)
底本:「三代名作全集・有島武郎集」河出書房    1942(昭和17)年12月15日初版発行 初出:「白樺」    1914(大正3)年1月 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためました。 ※底本では振り仮名が付されていない以下の字に、入力者が振り仮名を付しました。 長命(段落一)、昇汞、齎、軈。 入力:mono 校正:松永佳代 2013年6月13日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 土用波という高い波が風もないのに海岸に打寄せる頃になると、海水浴に来ている都の人たちも段々別荘をしめて帰ってゆくようになります。今までは海岸の砂の上にも水の中にも、朝から晩まで、沢山の人が集って来て、砂山からでも見ていると、あんなに大勢な人間が一たい何所から出て来たのだろうと不思議に思えるほどですが、九月にはいってから三日目になるその日には、見わたすかぎり砂浜の何所にも人っ子一人いませんでした。  私の友達のMと私と妹とはお名残だといって海水浴にゆくことにしました。お婆様が波が荒くなって来るから行かない方がよくはないかと仰有ったのですけれども、こんなにお天気はいいし、風はなしするから大丈夫だといって仰有ることを聞かずに出かけました。  丁度昼少し過ぎで、上天気で、空には雲一つありませんでした。昼間でも草の中にはもう虫の音がしていましたが、それでも砂は熱くって、裸足だと時々草の上に駈け上らなければいられないほどでした。Mはタオルを頭からかぶってどんどん飛んで行きました。私は麦稈帽子を被った妹の手を引いてあとから駈けました。少しでも早く海の中につかりたいので三人は気息を切って急いだのです。  紆波といいますね、その波がうっていました。ちゃぷりちゃぷりと小さな波が波打際でくだけるのではなく、少し沖の方に細長い小山のような波が出来て、それが陸の方を向いて段々押寄せて来ると、やがてその小山のてっぺんが尖って来て、ざぶりと大きな音をたてて一度に崩れかかるのです。そうすると暫らく間をおいてまたあとの波が小山のように打寄せて来ます。そして崩れた波はひどい勢いで砂の上に這い上って、そこら中を白い泡で敷きつめたようにしてしまうのです。三人はそうした波の様子を見ると少し気味悪くも思いました。けれども折角そこまで来ていながら、そのまま引返すのはどうしてもいやでした。で、妹に帽子を脱がせて、それを砂の上に仰向けにおいて、衣物やタオルをその中に丸めこむと私たち三人は手をつなぎ合せて水の中にはいってゆきました。 「ひきがしどいね」  とMがいいました。本当にその通りでした。ひきとは水が沖の方に退いて行く時の力のことです。それがその日は大変強いように私たちは思ったのです。踝くらいまでより水の来ない所に立っていても、その水が退いてゆく時にはまるで急な河の流れのようで、足の下の砂がどんどん掘れるものですから、うっかりしていると倒れそうになる位でした。その水の沖の方に動くのを見ていると眼がふらふらしました。けれどもそれが私たちには面白くってならなかったのです。足の裏をくすむるように砂が掘れて足がどんどん深く埋まってゆくのがこの上なく面白かったのです。三人は手をつないだまま少しずつ深い方にはいってゆきました。沖の方を向いて立っていると、膝の所で足がくの字に曲りそうになります。陸の方を向いていると向脛にあたる水が痛い位でした。両足を揃えて真直に立ったままどっちにも倒れないのを勝にして見たり、片足で立ちっこをして見たりして、三人は面白がって人魚のように跳ね廻りました。  その中にMが膝位の深さの所まで行って見ました。そうすると紆波が来る度ごとにMは脊延びをしなければならないほどでした。それがまた面白そうなので私たちも段々深味に進んでゆきました。そして私たちはとうとう波のない時には腰位まで水につかるほどの深味に出てしまいました。そこまで行くと波が来たらただ立っていたままでは追付きません。どうしてもふわりと浮き上らなければ水を呑ませられてしまうのです。  ふわりと浮上ると私たちは大変高い所に来たように思いました。波が行ってしまうので地面に足をつけると海岸の方を見ても海岸は見えずに波の脊中だけが見えるのでした。その中にその波がざぶんとくだけます。波打際が一面に白くなって、いきなり砂山や妹の帽子などが手に取るように見えます。それがまたこの上なく面白かったのです。私たち三人は土用波があぶないということも何も忘れてしまって波越しの遊びを続けさまにやっていました。 「あら大きな波が来てよ」  と沖の方を見ていた妹が少し怖そうな声でこういきなりいいましたので、私たちも思わずその方を見ると、妹の言葉通りに、これまでのとはかけはなれて大きな波が、両手をひろげるような恰好で押寄せて来るのでした。泳ぎの上手なMも少し気味悪そうに陸の方を向いていくらかでも浅い所まで遁げようとした位でした。私たちはいうまでもありません。腰から上をのめるように前に出して、両手をまたその前に突出して泳ぐような恰好をしながら歩こうとしたのですが、何しろひきがひどいので、足を上げることも前にやることも思うようには出来ません。私たちはまるで夢の中で怖い奴に追いかけられている時のような気がしました。  後から押寄せて来る波は私たちが浅い所まで行くのを待っていてはくれません。見る見る大きく近くなって来て、そのてっぺんにはちらりちらりと白い泡がくだけ始めました。Mは後から大声をあげて、 「そんなにそっちへ行くと駄目だよ、波がくだけると捲きこまれるよ。今の中に波を越す方がいいよ」  といいました。そういわれればそうです。私と妹とは立止って仕方なく波の来るのを待っていました。高い波が屏風を立てつらねたように押寄せて来ました。私たち三人は丁度具合よくくだけない中に波の脊を越すことが出来ました。私たちは体をもまれるように感じながらもうまくその大波をやりすごすことだけは出来たのでした。三人はようやく安心して泳ぎながら顔を見合せてにこにこしました。そして波が行ってしまうと三人ながら泳ぎをやめてもとのように底の砂の上に立とうとしました。  ところがどうでしょう、私たちは泳ぎをやめると一しょに、三人ながらずぼりと水の中に潜ってしまいました。水の中に潜っても足は砂にはつかないのです。私たちは驚きました。慌てました。そして一生懸命にめんかきをして、ようやく水の上に顔だけ出すことが出来ました。その時私たち三人が互に見合せた眼といったら、顔といったらありません。顔は真青でした。眼は飛び出しそうに見開いていました。今の波一つでどこか深い所に流されたのだということを私たちはいい合わさないでも知ることが出来たのです。いい合わさないでも私たちは陸の方を眼がけて泳げるだけ泳がなければならないということがわかったのです。  三人は黙ったままで体を横にして泳ぎはじめました。けれども私たちにどれほどの力があったかを考えて見て下さい。Mは十四でした。私は十三でした。妹は十一でした。Mは毎年学校の水泳部に行っていたので、とにかくあたり前に泳ぐことを知っていましたが、私は横のし泳ぎを少しと、水の上に仰向けに浮くことを覚えたばかりですし、妹はようやく板を離れて二、三間泳ぐことが出来るだけなのです。  御覧なさい私たちは見る見る沖の方へ沖の方へと流されているのです。私は頭を半分水の中につけて横のしでおよぎながら時々頭を上げて見ると、その度ごとに妹は沖の方へと私から離れてゆき、友達のMはまた岸の方へと私から離れて行って、暫らくの後には三人はようやく声がとどく位お互に離ればなれになってしまいました。そして波が来るたんびに私は妹を見失ったりMを見失ったりしました。私の顔が見えると妹は後の方からあらん限りの声をしぼって 「兄さん来てよ……もう沈む……苦しい」  と呼びかけるのです。実際妹は鼻の所位まで水に沈みながら声を出そうとするのですから、その度ごとに水を呑むと見えて真蒼な苦しそうな顔をして私を睨みつけるように見えます。私も前に泳ぎながら心は後にばかり引かれました。幾度も妹のいる方へ泳いで行こうかと思いました。けれども私は悪い人間だったと見えて、こうなると自分の命が助かりたかったのです。妹の所へ行けば、二人とも一緒に沖に流されて命がないのは知れ切っていました。私はそれが恐ろしかったのです。何しろ早く岸について漁夫にでも助けに行ってもらう外はないと思いました。今から思うとそれはずるい考えだったようです。  でもとにかくそう思うと私はもう後も向かずに無我夢中で岸の方を向いて泳ぎ出しました。力が無くなりそうになると仰向に水の上に臥て暫らく気息をつきました。それでも岸は少しずつ近づいて来るようでした。一生懸命に……一生懸命に……、そして立泳ぎのようになって足を砂につけて見ようとしたら、またずぶりと頭まで潜ってしまいました。私は慌てました。そしてまた一生懸命で泳ぎ出しました。  立って見たら水が膝の所位しかない所まで泳いで来ていたのはそれからよほどたってのことでした。ほっと安心したと思うと、もう夢中で私は泣声を立てながら、 「助けてくれえ」  といって砂浜を気狂いのように駈けずり廻りました。見るとMは遥かむこうの方で私と同じようなことをしています。私は駈けずりまわりながらも妹の方を見ることを忘れはしませんでした。波打際から随分遠い所に、波に隠れたり現われたりして、可哀そうな妹の頭だけが見えていました。  浜には船もいません、漁夫もいません。その時になって私はまた水の中に飛び込んで行きたいような心持ちになりました。大事な妹を置きっぱなしにして来たのがたまらなく悲しくなりました。  その時Mが遥かむこうから一人の若い男の袖を引ぱってこっちに走って来ました。私はそれを見ると何もかも忘れてそっちの方に駈け出しました。若い男というのは、土地の者ではありましょうが、漁夫とも見えないような通りがかりの人で、肩に何か担っていました。 「早く……早く行って助けて下さい……あすこだ、あすこだ」  私は、涙を流し放題に流して、地だんだをふまないばかりにせき立てて、震える手をのばして妹の頭がちょっぴり水の上に浮んでいる方を指しました。  若い男は私の指す方を見定めていましたが、やがて手早く担っていたものを砂の上に卸し、帯をくるくると解いて、衣物を一緒にその上におくと、ざぶりと波を切って海の中にはいって行ってくれました。  私はぶるぶる震えて泣きながら、両手の指をそろえて口の中へ押こんで、それをぎゅっと歯でかみしめながら、その男がどんどん沖の方に遠ざかって行くのを見送りました。私の足がどんな所に立っているのだか、寒いのだか、暑いのだか、すこしも私には分りません。手足があるのだかないのだかそれも分りませんでした。  抜手を切って行く若者の頭も段々小さくなりまして、妹との距たりが見る見る近よって行きました。若者の身のまわりには白い泡がきらきらと光って、水を切った手が濡れたまま飛魚が飛ぶように海の上に現われたり隠れたりします。私はそんなことを一生懸命に見つめていました。  とうとう若者の頭と妹の頭とが一つになりました。私は思わず指を口の中から放して、声を立てながら水の中にはいってゆきました。けれども二人がこっちに来るののおそいことおそいこと。私はまた何の訳もなく砂の方に飛び上りました。そしてまた海の中にはいって行きました。如何してもじっとして待っていることが出来ないのです。  妹の頭は幾度も水の中に沈みました。時には沈み切りに沈んだのかと思うほど長く現われて来ませんでした。若者も如何かすると水の上には見えなくなりました。そうかと思うと、ぽこんと跳ね上るように高く水の上に現われ出ました。何んだか曲泳ぎでもしているのではないかと思われるほどでした。それでもそんなことをしている中に、二人は段々岸近くなって来て、とうとうその顔までがはっきり見える位になりました。が、そこいらは打寄せる波が崩れるところなので、二人はもろともに幾度も白い泡の渦巻の中に姿を隠しました。やがて若者は這うようにして波打際にたどりつきました。妹はそんな浅みに来ても若者におぶさりかかっていました。私は有頂天になってそこまで飛んで行きました。  飛んで行って見て驚いたのは若者の姿でした。せわしく深く気息をついて、体はつかれ切ったようにゆるんでへたへたになっていました。妹は私が近づいたのを見ると夢中で飛んで来ましたがふっと思いかえしたように私をよけて砂山の方を向いて駈け出しました。その時私は妹が私を恨んでいるのだなと気がついて、それは無理のないことだと思うと、この上なく淋しい気持ちになりました。  それにしても友達のMは何所に行ってしまったのだろうと思って、私は若者のそばに立ちながらあたりを見廻すと、遥かな砂山の所をお婆様を助けながら駈け下りて来るのでした。妹は早くもそれを見付けてそっちに行こうとしているのだとわかりました。  それで私は少し安心して、若者の肩に手をかけて何かいおうとすると、若者はうるさそうに私の手を払いのけて、水の寄せたり引いたりする所に坐りこんだまま、いやな顔をして胸のあたりを撫でまわしています。私は何んだか言葉をかけるのさえためらわれて黙ったまま突立っていました。 「まああなたがこの子を助けて下さいましたんですね。お礼の申しようも御座んせん」  すぐそばで気息せき切ってしみじみといわれるお婆様の声を私は聞きました。妹は頭からずぶ濡れになったままで泣きじゃくりをしながらお婆様にぴったり抱かれていました。  私たち三人は濡れたままで、衣物やタオルを小脇に抱えてお婆様と一緒に家の方に帰りました。若者はようやく立上って体を拭いて行ってしまおうとするのをお婆様がたって頼んだので、黙ったまま私たちのあとから跟いて来ました。  家に着くともう妹のために床がとってありました。妹は寝衣に着かえて臥かしつけられると、まるで夢中になってしまって、熱を出して木の葉のようにふるえ始めました。お婆様は気丈な方で甲斐々々しく世話をすますと、若者に向って心の底からお礼をいわれました。若者は挨拶の言葉も得いわないような人で、唯黙ってうなずいてばかりいました。お婆様はようやくのことでその人の住っている所だけを聞き出すことが出来ました。若者は麦湯を飲みながら、妹の方を心配そうに見てお辞儀を二、三度して帰って行ってしまいました。 「Mさんが駈けこんで来なすって、お前たちのことをいいなすった時には、私は眼がくらむようだったよ。おとうさんやお母さんから頼まれていて、お前たちが死にでもしたら、私は生きてはいられないから一緒に死ぬつもりであの砂山をお前、Mさんより早く駈け上りました。でもあの人が通り合せたお蔭で助かりはしたもののこわいことだったねえ、もうもう気をつけておくれでないとほんに困りますよ」  お婆様はやがてきっとなって私を前にすえてこう仰有いました。日頃はやさしいお婆様でしたが、その時の言葉には私は身も心もすくんでしまいました。少しの間でも自分一人が助かりたいと思った私は、心の中をそこら中から針でつかれるようでした。私は泣くにも泣かれないでかたくなったままこちんとお婆様の前に下を向いて坐りつづけていました。しんしんと暑い日が縁の向うの砂に照りつけていました。  若者の所へはお婆様が自分で御礼に行かれました。そして何か御礼の心でお婆様が持って行かれたものをその人は何んといっても受取らなかったそうです。  それから五、六年の間はその若者のいる所は知れていましたが、今は何処にどうしているのかわかりません。私たちのいいお婆様はもうこの世にはおいでになりません。私の友達のMは妙なことから人に殺されて死んでしまいました。妹と私ばかりが今でも生き残っています。その時の話を妹にするたんびに、あの時ばかりは兄さんを心から恨めしく思ったと妹はいつでもいいます。波が高まると妹の姿が見えなくなったその時の事を思うと、今でも私の胸は動悸がして、空恐ろしい気持ちになります。
底本:「一房の葡萄 他四篇」岩波文庫、岩波書店    1988(昭和63)年12月16日改版第1刷 親本:「一房の葡萄」叢文閣    1922(大正11)年6月 初出:「婦人公論」    1921(大正10)年7月 入力:鈴木厚司 校正:地田尚 1999年9月27日公開 2005年11月18日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 彼は、秋になり切った空の様子をガラス窓越しに眺めていた。  みずみずしくふくらみ、はっきりした輪廓を描いて白く光るあの夏の雲の姿はもう見られなかった。薄濁った形のくずれたのが、狂うようにささくれだって、澄み切った青空のここかしこに屯していた。年の老いつつあるのが明らかに思い知られた。彼はさきほどから長い間ぼんやりとそのさまを眺めていたのだ。 「もう着くぞ」  父はすぐそばでこう言った。銀行から歳暮によこす皮表紙の懐中手帳に、細手の鉛筆に舌の先の湿りをくれては、丹念に何か書きこんでいた。スコッチの旅行服の襟が首から離れるほど胸を落として、一心不乱に考えごとをしながらも、気ぜわしなくこんな注意をするような父だった。  停車場には農場の監督と、五、六人の年嵩な小作人とが出迎えていた。彼らはいずれも、古手拭と煙草道具と背負い繩とを腰にぶら下げていた。短い日が存分西に廻って、彼の周囲には、荒くれた北海道の山の中の匂いだけがただよっていた。  監督を先頭に、父から彼、彼から小作人たちが一列になって、鉄道線路を黙りながら歩いてゆくのだったが、横幅のかった丈けの低い父の歩みが存外しっかりしているのを、彼は珍しいもののように後から眺めた。  物の枯れてゆく香いが空気の底に澱んで、立木の高みまではい上がっている「つたうるし」の紅葉が黒々と見えるほどに光が薄れていた。シリベシ川の川瀬の昔に揺られて、いたどりの広葉が風もないのに、かさこそと草の中に落ちた。  五、六丁線路を伝って、ちょっとした切崕を上がるとそこは農場の構えの中になっていた。まだ収穫を終わらない大豆畑すらも、枯れた株だけが立ち続いていた。斑ら生えのしたかたくなな雑草の見える場所を除いては、紫色に黒ずんで一面に地膚をさらけていた。そして一か所、作物の殻を焼く煙が重く立ち昇り、ここかしこには暗い影になって一人二人の農夫がまだ働き続けていた。彼は小作小屋の前を通るごとに、気をつけて中をのぞいて見た。何処の小屋にも灯はともされずに、鍋の下の囲炉裡火だけが、言葉どおりかすかに赤く燃えていた。そのまわりには必ず二、三人の子供が騒ぎもしないできょとんと火を見つめながら車座にうずくまっていた。そういう小屋が、草を積み重ねたように離れ離れにわびしく立っていた。  農場の事務所に達するには、およそ一丁ほどの嶮しい赤土の坂を登らなければならない。ちょうど七十二になる彼の父はそこにかかるとさすがに息切れがしたとみえて、六合目ほどで足をとどめて後をふり返った。傍見もせずに足にまかせてそのあとに※(足へん+徙)いて行った彼は、あやうく父の胸に自分の顔をぶつけそうになった。父は苦々しげに彼を尻目にかけた。負けじ魂の老人だけに、自分の体力の衰えに神経をいら立たせていた瞬間だったのに相違ない。しかも自分とはあまりにかけ離れたことばかり考えているらしい息子の、軽率な不作法が癪にさわったのだ。 「おい早田」  老人は今は眼の下に見わたされる自分の領地の一区域を眺めまわしながら、見向きもせずに監督の名を呼んだ。 「ここには何戸はいっているのか」 「崕地に残してある防風林のまばらになったのは盗伐ではないか」 「鉄道と換え地をしたのはどの辺にあたるのか」 「藤田の小屋はどれか」 「ここにいる者たちは小作料を完全に納めているか」 「ここから上る小作料がどれほどになるか」  こう矢継ぎ早やに尋ねられるに対して、若い監督の早田は、格別のお世辞気もなく穏やかな調子で答えていたが、言葉が少し脇道にそれると、すぐ父からきめつけられた。父は監督の言葉の末にも、曖昧があったら突っ込もうとするように見えた。白い歯は見せないぞという気持ちが、世故に慣れて引き締まった小さな顔に気味悪いほど動いていた。  彼にはそうした父の態度が理解できた。農場は父のものだが、開墾は全部矢部という土木業者に請負わしてあるので、早田はいわば矢部の手で入れた監督に当たるのだ。そして今年になって、農場がようやく成墾したので、明日は矢部もこの農場に出向いて来て、すっかり精算をしようというわけになっているのだ。明日の授受が済むまでは、縦令永年見慣れて来た早田でも、事業のうえ、競争者の手先と思わなければならぬという意識が、父の胸にはわだかまっているのだ。いわば公私の区別とでもいうものをこれほど露骨にさらけ出して見せる父の気持ちを、彼はなぜか不快に思いながらも驚嘆せずにはいられなかった。  一行はまた歩きだした。それからは坂道はいくらもなくって、すぐに広々とした台地に出た。そこからずっとマッカリヌプリという山の麓にかけて農場は拡がっているのだ。なだらかに高低のある畑地の向こうにマッカリヌプリの規則正しい山の姿が寒々と一つ聳えて、その頂きに近い西の面だけが、かすかに日の光を照りかえして赤ずんでいた。いつの間にか雲一ひらもなく澄みわたった空の高みに、細々とした新月が、置き忘れられた光のように冴えていた。一同は言葉少なになって急ぎ足に歩いた。基線道路と名づけられた場内の公道だったけれども畦道をやや広くしたくらいのもので、畑から抛り出された石ころの間なぞに、酸漿の実が赤くなってぶら下がったり、轍にかけられた蕗の葉がどす黒く破れて泥にまみれたりしていた。彼は野生になったティモシーの茎を抜き取って、その根もとのやわらかい甘味を噛みしめなどしながら父のあとに続いた。そして彼の後ろから来る小作人たちのささやきのような会話に耳を傾けた。 「夏作があんなだに、秋作がこれじゃ困ったもんだ」 「不作つづきだからやりきれないよ全く」 「そうだ」  ぼそぼそとしたひとりごとのような声だったけれども、それは明らかに彼の注意を引くように目論まれているのだと彼は知った。それらの言葉は父に向けてはうっかり言えない言葉に違いない。しかし彼ならばそれを耳にはさんで黙っているだろうし、そしてそれが結局小作人らにとって不為めにはならないのを小作人たちは知りぬいているらしかった。彼には父の態度と同様、小作人たちのこうした態度も快くなかった。東京を発つ時からなんとなくいらいらしていた心の底が、いよいよはっきり焦らつくのを彼は感じた。そして彼はすべてのことを思うままにぶちまけることのできない自分をその時も歯痒ゆく思った。  事務所にはもう赤々とランプがともされていて、監督の母親や内儀さんが戸の外に走り出て彼らを出迎えた。土下座せんばかりの母親の挨拶などに対しても、父は監督に対すると同時に厳格な態度を見せて、やおら靴を脱ぎ捨てると、自分の設計で建て上げた座敷にとおって、洋服のままきちんと囲炉裡の横座にすわった。そして眼鏡をはずす間もなく、両手を顔にあてて、下の方から、禿げ上がった両鬢へとはげしくなで上げた。それが父が草臥れた時のしぐさであると同時に、何か心にからんだことのある時のしぐさだ。彼は座敷に荷物を運び入れる手伝いをした後、父の前に座を取って、そのしぐさに対して不安を感じた。今夜は就寝がきわめて晩くなるなと思った。  二人が風呂から上がると内儀さんが食膳を運んで、監督は相伴なしで話し相手をするために部屋の入口にかしこまった。  父は風呂で火照った顔を双手でなで上げながら、大きく気息を吐き出した。内儀さんは座にたえないほどぎごちない思いをしているらしかった。 「風呂桶をしかえたな」  父は箸を取り上げる前に、監督をまともに見てこう詰るように言った。 「あまり古くなりましたんでついこの間……」 「費用は事務費で仕払ったのか……俺しのほうの支払いになっているのか」 「事務費のほうに計上しましたが……」 「矢部に断わったか」  監督は別に断わりはしなかった旨を答えた。父はそれには別に何も言わなかったが、黙ったまま鋭く眼を光らした。それから食膳の豊かすぎることを内儀さんに注意し、山に来たら山の産物が何よりも甘いのだから、明日からは必ず町で買物などはしないようにと言い聞かせた。内儀さんはほとほと気息づまるように見えた。  食事が済むと煙草を燻らす暇もなく、父は監督に帳簿を持って来るように命じた。監督が風呂はもちろん食事もつかっていないことを彼が注意したけれども、父はただ「うむ」と言っただけで、取り合わなかった。  監督は一抱えもありそうな書類をそこに持って出た。一杯機嫌になったらしい小作人たちが挨拶を残して思い思いに帰ってゆく気配が事務所の方でしていた。冷え切った山の中の秋の夜の静まり返った空気の中を、その人たちの跫音がだんだん遠ざかって行った。熱心に帳簿のページを繰っている父の姿を見守りながら、恐らく父には聞こえていないであろうその跫音を彼は聞き送っていた。彼には、その人たちが途中でどんなことを話し合ったか、小屋に帰ってその家族にどんな噂をして聞かせたかがいろいろに想像されていた。それが彼にとってはどれもこれも快いと思われるものではなかった。彼は征服した敵地に乗り込んだ、無興味な一人の将校のような気持ちを感じた。それに引きかえて、父は一心不乱だった。監督に対してあらゆる質問を発しながら、帳簿の不備を詰って、自分で紙を取りあげて計算しなおしたりした。監督が算盤を取りあげて計算をしようと申し出ても、かまいつけずに自分で大きな数を幾度も計算しなおした。父の癖として、このように一心不乱になると、きわめて簡単な理屈がどうしてもわからないと思われるようなことがあった。監督が小言を言われながら幾度も説明しなおさなければならなかった。彼もできるだけ穏やかにその説明を手伝った。そうすると父の機嫌は見る見る険悪になった。 「そんなことはお前に言われんでもわかっている。俺しの聞くのはそんなことじゃない。理屈を聞こうとしとるんではないのだ。早田は俺しの言うことが飲み込めておらんから聞きただしているのじゃないか。もう一度俺しの言うことをよく聞いてみるがいい」  そう言って、父は自分の質問の趣意を、はたから聞いているときわめてまわりくどく説明するのだったが、よく聞いていると、なるほどとうなずかれるほど急所にあたったことを言っていたりした。若い監督も彼の父の質問をもっとありきたりのことのように取っていたのだ。監督は、質問の意味を飲み込むことができると礑たと答えに窮したりした。それはなにも監督が不正なことをしていたからではなく会計上の知識と経験との不足から来ているのに相違ないのだが、父はそこに後ろ暗いものを見つけでもしたようにびしびしとやり込めた。  彼にはそれがよく知れていた。けれども彼は濫りなさし出口はしなかった。いささかでも監督に対する父の理解を補おうとする言葉が彼の口から漏れると、父は彼に向かって悪意をさえ持ちかねないけんまくを示したからだ。彼は単に、農場の事務が今日までどんな工合に運ばれていたかを理解しようとだけ勉めた。彼は五年近く父の心に背いて家には寄りつかなかったから、今までの成り行きがどうなっているか皆目見当がつかなかったのだ。この場になって、その間の父の苦心というものを考えてみないではなかった。父がこうして北海道の山の中に大きな農場を持とうと思い立ったのも、つまり彼の将来を思ってのことだということもよく知っていた。それを思うと彼は黙って親子というものを考えたかった。 「お前は夕飯はどうした」  そう突然父が尋ねた。監督はいつものとおり無表情に見える声で、 「いえなに……」  と曖昧に答えた。父は蒲団の左角にひきつけてある懐中道具の中から、重そうな金時計を取りあげて、眼を細めながら遠くに離して時間を読もうとした。  突然事務所の方で弾条のゆるんだらしい柱時計が十時を打った。彼も自分の時計を帯の間に探ったが十時半になっていた。 「十時半ですよ。あなたまだ食わないんだね」  彼は少し父にあたるような声で監督にこう言った。  それにもかかわらず父は存外平気だった。 「そうか。それではもういいから行って食うといい。俺しもお前の年ごろの時分には、飯も何も忘れてからに夜ふかしをしたものだ。仕事をする以上はほかのことを忘れるくらいでなくてはおもしろくもないし、甘くゆくもんでもない。……しかし今夜は御苦労だった。行く前にもう一言お前に言っておくが」  そういう発端で明日矢部と会見するに当たっての監督としての位置と仕事とを父は注意し始めた。それは懇ろというよりもしちくどいほど長かった。監督はまた半時間ぐらい、黙ったまま父の言いつけを聞かねばならなかった。  監督が丁寧に一礼して部屋を引き下がると、一種の気まずさをもって父と彼とは向かい合った。興奮のために父の頬は老年に似ず薄紅くなって、長旅の疲れらしいものは何処にも見えなかった。しかしそれだといって少しも快活ではなかった。自分の後継者であるべきものに対してなんとなく心置きのあるような風を見せて、たとえば懲しめのためにひどい小言を与えたあとのような気まずい沈黙を送ってよこした。まともに彼の顔を見ようとはしなかった。こうなると彼はもう手も足も出なかった。こちらから快活に持ちかけて、冗談話か何かで先方の気分をやわらがせるというようなタクトは彼には微塵もなかった。親しい間のものが気まずくなったほど気まずいものはない。彼はほとんど悒鬱といってもいいような不愉快な気持ちに沈んで行った。おまけに二人をまぎらすような物音も色彩もそこには見つからなかった。なげしにかかっている額といっては、黒住教の教主の遺訓の石版と、大礼服を着ていかめしく構えた父の写真の引き延ばしとがあるばかりだった。そしてあたりは静まり切っていた。基石の底のようだった。ただ耳を澄ますと、はるか遠くで馬鈴薯をこなしているらしい水車の音が単調に聞こえてくるばかりだった。  父は黙って考えごとでもしているのか、敷島を続けざまにふかして、膝の上に落とした灰にも気づかないでいた。彼はしょうことなしに監督の持って来た東京新聞の地方版をいじくりまわしていた。北海道の記事を除いたすべては一つ残らず青森までの汽車の中で読み飽いたものばかりだった。 「お前は今日の早田の説明で農場のことはたいてい呑みこめたか」  ややしばらくしてから父は取ってつけたようにぽっつりとこれだけ言って、はじめてまともに彼を見た。父がくどくどと早田にいろいろな報告をさせたわけが彼にはわかったように思えた。 「たいていわかりました」  その答えを聞くと父は疑わしそうにちらっともう一度彼を鋭く見やった。 「ずいぶんめんどうなものだろう、これだけの仕事にでも眼鼻をつけるということは」 「そうですねえ」  彼はしかたなくこう答えた。父はすぐ彼の答えの響きの悪さに感づいたようだった。そしてまたもや忌わしい沈黙が来た。彼には父の気持ちが十分にわかっていたのだ。三十にもなろうとする息子をつかまえて、自分がこれまでに払ってきた苦労を事新しく言って聞かせるのも大人気ないが、そうかといって、農場に対する息子の熱意が憐れなほど燃えていないばかりでなく、自分に対する感恩の気持ちも格別動いているらしくも見えないその苦々しさで、父は老年にともすると付きまつわるはかなさと不満とに悩んでいるのだ。そして何事もずばずばとは言い切らないで、じっとひとりで胸の中に湛えているような性情にある憐れみさえを感じているのだ。彼はそうした気持ちが父から直接に彼の心の中に流れこむのを覚えた。彼ももどかしく不愉快だった。しかし父と彼との間隔があまりに隔たりすぎてしまったのを思うと、むやみなことは言いたくなかった。それは結局二人の間を彌縫ができないほど離してしまうだけのものだったから。そしてこの老年の父をそれほどの目に遇わせても平気でいられるだけの自信がまだ彼のほうにもできてはいなかった。だから本当をいうと、彼は誰に不愉快を感じるよりも、彼自身にそれを感じねばならなかったのだ。そしてそれがますます彼を引込み思案の、何事にも興味を感ぜぬらしく見える男にしてしまったのだ。  今夜は何事も言わないほうがいい、そうしまいに彼は思い定めた。自分では気づかないでいるにしても、実際はかなり疲れているに違いない父の肉体のことも考えた。 「もうお休みになりませんか。矢部氏も明日は早くここに着くことになっていますし」  それが父には暢気な言いごとと聞こえるのも彼は承知していないではなかった。父ははたして内訌している不平に油をそそぎかけられたように思ったらしい。 「寝たければお前寝るがいい」  とすぐ答えたが、それでもすぐ言葉を続けて、 「そう、それでは俺しも寝るとしようか」  と投げるように言って、すぐ厠に立って行った。足は痺れを切らしたらしく、少しよろよろとなって歩いて行く父の後姿を見ると、彼はふっと深い淋しさを覚えた。  父はいつまでも寝つかないらしかった。いつもならば頭を枕につけるが早いかすぐ鼾になる人が、いつまでも静かにしていて、しげしげと厠に立った。その晩は彼にも寝つかれない晩だった。そして父が眠るまでは自分も眠るまいと心に定めていた。  二時を過ぎて三時に近いと思われるころ、父の寝床のほうからかすかな鼾が漏れ始めた。彼はそれを聞きすましてそっと厠に立った。縁板が蹠に吸いつくかと思われるように寒い晩になっていた。高い腰の上は透明なガラス張りになっている雨戸から空をすかして見ると、ちょっと指先に触れただけでガラス板が音をたてて壊れ落ちそうに冴え切っていた。  将来の仕事も生活もどうなってゆくかわからないような彼は、この冴えに冴えた秋の夜の底にひたりながら、言いようのない孤独に攻めつけられてしまった。  物音に驚いて眼をさました時には、父はもう隣の部屋で茶を啜っているらしかった。その朝も晴れ切った朝だった。彼が起き上がって縁に出ると、それを窺っていたように内儀さんが出て来て、忙しくぐるりの雨戸を開け放った。新鮮な朝の空気と共に、田園に特有な生き生きとした匂いが部屋じゅうにみなぎった。父は捨てどころに困じて口の中に啣んでいた梅干の種を勢いよくグーズベリーの繁みに放りなげた。  監督は矢部の出迎えに出かけて留守だったが、父の膝許には、もうたくさんの帳簿や書類が雑然と開きならべられてあった。  待つほどもなく矢部という人が事務所に着いた。彼ははじめてその人を見たのだった。想像していたのとはまるで違って、四十恰好の肥った眇眼の男だった。はきはきと物慣れてはいるが、浮薄でもなく、わかるところは気持ちよくわかる質らしかった。彼と差し向かいだった時とは反対に、父はその人に対してことのほか快活だった。部屋の中の空気が昨夜とはすっかり変わってしまった。 「なあに、疲れてなんかおりません。こんなことは毎度でございますから」  朝飯をすますとこう言って、その人はすぐ身じたくにかかった。そして監督の案内で農場内を見てまわった。 「私は実はこちらを拝見するのははじめてで、帳場に任して何もさせていたもんでございますから、……もっとも報告は確実にさせていましたからけっしてお気に障るような始末にはなっていないつもりでございますが、なにしろ少し手を延ばして見ますと、体がいくつあっても足りませんので」  そう言って矢部は快げに日の光をまともに受けながら声高に笑った。その言葉を聞くと父は意外そうに相手の顔を見た。そして不安の色が、ちらりとその眼を通り過ぎた。  農場内を一とおり見てまわるだけで十分半日はかかった。昼少し過ぎに一同はちょうどいい疲れかげんで事務所に帰りついた。 「まずこれなら相当の成績でございます。私もお頼まれがいがあったようなものかと思いますが、いかがな思召しでしょう」  矢部は肥っているだけに額に汗をにじませながら、高縁に腰を下ろすと疲れが急に出たような様子でこう言った。父にもその言葉には別に異議はないらしく見えた。  しかし彼は矢部の言葉をそのまま取り上げることはできなかった。六十戸にあまる小作人の小屋は、貸附けを受けた当時とどれほど改まっているだろう。馬小屋を持っているのはわずかに五、六軒しかなかったではないか。ただだだっ広く土地が掘り返されて作づけされたというだけで成績が挙がったということができるものだろうか。  玉蜀黍穀といたどりで周囲を囲って、麦稈を積み乗せただけの狭い掘立小屋の中には、床も置かないで、ならべた板の上に蓆を敷き、どの家にも、まさかりかぼちゃが大鍋に煮られて、それが三度三度の糧になっているような生活が、開墾当時のまま続けられているのを見ると、彼はどうしてもあるうしろめたさを感じないではいられなかったのだが、矢部はいったいそれをどう見ているのだろうと思った。しかし彼はそれについては何も言わなかった。 「ともかくこれから一つ帳簿のほうのお調べをお願いいたしまして……」  その人の癖らしく矢部はめったに言葉に締めくくりをつけなかった。それがいかにも手慣れた商人らしく彼には思われた。  帳簿に向かうと父の顔色は急に引き締まって、監督に対する時と同じようになった。用のある時は呼ぶからと言うので監督は事務所の方に退けられた。  きちょうめんに正座して、父は例の皮表紙の懐中手帳を取り出して、かねてからの不審の点を、からんだような言い振りで問いつめて行った。彼はこの場合、懐手をして二人の折衝を傍観する居心地の悪い立場にあった。その代わり、彼は生まれてはじめて、父が商売上のかけひきをする場面にぶつかることができたのだ。父は長い間の官吏生活から実業界にはいって、主に銀行や会社の監査役をしていた。そして名監査役との評判を取っていた。いったい監査役というものが単に員に備わるというような役目なのか、それとも実際上の威力を営利事業のうえに持っているものなのかさえ本当に彼にははっきりしていなかった。また彼の耳にはいる父の評判は、営業者の側から言われているものなのか、株主の側から言われているものなのか、それもよくはわからなかった。もし株主の側から出た噂ならだが、営業者間の評判だとすると、父は自分の役目に対して無能力者だと裏書きされているのと同様になる。彼はこれらの関係を知り抜くことには格別の興味をもっていたわけではなかったけれども、偶然にも今日は眼のあたりそれを知るようなはめになった自分を見いだしたのだ。まだ見なかった父の一面を見るという好奇心も動かないではなかった。けれどもこれから展開されるだろう場面の不愉快さを想像することによって、彼の心はどっちかというと暗くされがちだった。  矢部は父の質問に気軽く答え始めた。その質問の大部分が矢部にとっては物の数にも足らぬ小さなことのように、 「さようですか。そういうことならそういたしても私どものほうではけっして差し支えございませんが……」  と言って、軽く受け流して行くのだった。思い入って急所を突くつもりらしく質問をしかけている父は、しばしば背負い投げを食わされた形で、それでも念を押すように、 「はあそうですか。それではこの件はこれでいいのですな」  と附け足して、あとから訂正なぞはさせないぞという気勢を示したが、矢部はたじろぐ風も見せずに平気なものだった。実際彼から見ていても、父の申し出の中には、あまりに些末のことにわたって、相手に腹の細さを見透かされはしまいかと思う事もあった。彼はそういう時には思わず知らずはらはらした。何処までも謹恪で細心な、そのくせ商売人らしい打算に疎い父の性格が、あまりに痛々しく生粋の商人の前にさらけ出されようとするのが剣呑にも気の毒にも思われた。  しかし父はその持ち前の熱心と粘り気とを武器にしてひた押しに押して行った。さすがに商魂で鍛え上げたような矢部も、こいつはまだ出くわさなかった手だぞと思うらしく、ふと行き詰まって思案顔をする瞬間もあった。 「事業の経過はだいたい得心が行きました。そこでと」  父は開墾を委託する時に矢部と取り交わした契約書を、「緊要書類」と朱書きした大きな状袋から取り出して、 「この契約書によると、成墾引継ぎのうえは全地積の三分の一をお礼としてあなたのほうに差し上げることになってるのですが……それがここに認めてある百二十七町四段歩なにがし……これだけの坪敷になるのだが、そのとおりですな」  と粗い皺のできた、短い、しかし形のいい指先で数字を指し示した。 「はいそのとおりで……」 「そうですな。ええ百二十七町四段二畝歩也です。ところがこれっぱかりの地面をあなたがこの山の中にお持ちになっていたところで万事に不便でもあろうかと……これは私だけの考えを言ってるんですが……」 「そのとおりでございます。それで私もとうから……」 「とうから……」 「さよう、とうからこの際には土地はいただかないことにして、金でお願いができますれば結構だと存じていたのでございますが……しかし、なに、これとてもいわばわがままでございますから……御都合もございましょうし……」 「とうから」と聞きかえした時に父のほうから思わず乗り出した気配があったが、すぐとそれを引き締めるだけの用意は欠いていなかった。 「それはこちらとしても都合のいいことではあります。しかし金高の上の折り合いがどんなものですかな。昨夜早田と話をした時、聞きただしてみると、この辺の土地の売買は思いのほか安いものですよ」  父は例の手帳を取り出して、最近売買の行なわれた地所の価格を披露しにかかると、矢部はその言葉を奪うようにだいたいの相場を自分のほうから切り出した。彼は昨夜の父と監督との話を聞いていたのだが、矢部の言うところは(始終札幌にいてこの土地に来たのははじめてだと言ったにもかかわらず)けっしてけたをはずれたようなものではなかった。それを聞く父は意外に思ったらしかったが、彼もちょっと驚かされた。彼は矢部と監督との間に何か話合いがちゃんとできているのではないかとふと思った。まして父がそううたぐるのは当然なことだ。彼はすぐ注意して父を見た。その眼は明らかに猜疑の光を含んで、鋭く矢部の眼をまともに見やっていた。  最後の白兵戦になったと彼は思った。  もう夕食時はとうに過ぎ去っていたが、父は例の一徹からそんなことは全く眼中になかった。彼はかくばかり迫り合った空気をなごやかにするためにも、しばらくの休戦は都合のいいことだと思ったので、 「もうだいぶ晩くなりましたから夕食にしたらどうでしょう」  と言ってみた。それを聞くと父の怒りは火の燃えついたように顔に出た。 「馬鹿なことを言うな。この大事なお話がすまないうちにそんな失礼なことができるものか」  と矢部の前で激しく彼をきめつけた。興奮が来ると人前などをかまってはいない父の性癖だったが、現在矢部の前でこんなものの言い方をされると、彼も思わずかっとなって、いわば敵を前において、自分の股肱を罵る将軍が何処にいるだろうと憤ろしかった。けれども彼は黙って下を向いてしまったばかりだった。そして彼は自分の弱い性格を心の中でもどかしく思っていた。 「いえ手前でございますならまだいただきたくはございませんから……全くこのお話は十分に御了解を願うことにしないとなんでございますから……しかし御用意ができましたのなら……」 「いやできておっても少しもかまわんのです」  父は矢部の取りなし顔な愛想に対してにべなく応じた。父はすぐ元の問題に返った。 「それは早田からお聞きのことかもしれんが、おっしゃった値段は松沢農場に望み手があって折り合った値段で、村一帯の標準にはならんのですよ。まず平均一段歩二十円前後のものでしょうか」  矢部は父のあまりの素朴さにユウモアでも感じたような態度で、にこやかな顔を見せながら、 「そりゃ……しかしそれじゃ全く開墾費の金利にも廻りませんからなあ」  と言ったが、父は一気にせきこんで、 「しかし現在、そうした売買になってるのだから。あなた今開墾費とおっしゃったが、こうっと、お前ひとつ算盤をおいてみろ」  さきほどの荒い言葉の埋合せでもするらしく、父はやや面をやわらげて彼の方を顧みた。けれども彼は父と同様珠算というものを全く知らなかった。彼がやや赤面しながらそこらに散らばっている白紙と鉛筆とを取り上げるのを見た父は、またしても理材にかけての我が子の無能さをさらけ出したのを悔いて見えた。けれども息子の無能な点は父にもあったのだ。父は永年国家とか会社銀行とかの理財事務にたずさわっていたけれども、筆算のことにかけては、極度に鈍重だった。そのために、自分の家の会計を調べる時でも、父はどうかするとちょっとした計算に半日もすわりこんで考えるような時があった。だから彼が赤面しながら紙と鉛筆とを取り上げたのは、そのまま父自身のやくざな肖像画にも当たるのだ。父は眼鏡の上からいまいましそうに彼の手許をながめやった。そして一段歩に要する開墾費のだいたいをしめ上げさせた。 「それを百二十七町四段二畝歩にするといくらになるか」  父はなお彼の不器用な手許から眼を放さずにこう追っかけて命令した。そこで彼はもうたじろいでしまった。彼は矢部の眼の前に自分の愚かしさを暴露するのを感じつつも、たどたどしく百二十七町を段に換算して、それに四段歩を加え始めた。しかし待ち遠しそうに二人からのぞき込まれているという意識は、彼の心の落ち着きを狂わせて、ややともすると簡単な九々すらが頭に浮かび上がって来なかった。 「そこは七じゃなかろうが、四だろうが」  父はこんな差出口をしていたが、その言葉がだんだん荒々しくなったと思うと、突然「ええ」と言って彼から紙をひったくった。 「そのくらいのことができんでどうするのか」  明らかと怒号だった。彼はむしろ呆気に取られて思わず父の顔を見た。泣き笑いと怒りと入れ交ったような口惜しげな父の眼も烈しく彼を見込んでいた。そして極度の侮蔑をもって彼から矢部の方に向きなおると、 「あなたひとつお願いしましょう、ちょっと算盤を持ってください」  とほとほと好意をこめたと聞こえるような声で言った。  矢部は平気な顔をしながらすぐさま所要の答えを出してしまった。  もうこれ以上彼のいる場所ではないと彼は思った。そしてふいと立ち上がるとかまわずに事務所の方に行ってしまった。  座敷とは事かわって、すっかり暗くなった囲炉裡のまわりには、集まって来た小作人を相手に早田が小さな声で浮世話をしていた。内儀さんは座敷の方に運ぶ膳のものが冷えるのを気にして、椀のものをまたもとの鍋にかえしたりしていた。彼がそこに出て行くと、見る見るそこの一座の態度が変わって、いやな不自然さがみなぎってしまった。小作人たちはあわてて立ち上がるなり、草鞋のままの足を炉ばたから抜いて土間に下り立つと、うやうやしく彼に向かって腰を曲げた。 「若い且那、今度はまあ御苦労様でございます」  その中で物慣れたらしい半白の丈けの高いのが、一同に代わってのようにこう言った。「御苦労はこっちのことだぞ」そうその男の口の裏は言っているように彼には感じられた。不快な冷水を浴びた彼は改めて不快な微温湯を見舞われたのだ。それでも彼は能うかぎり小作人たちに対して心置きなく接していたいと願った。それは単にその場合のやり切れない気持ちから自分がのがれ出たかったからだ。小作人たちと自分とが、本当に人間らしい気持ちで互いに膝を交えることができようとは、夢にも彼は望み得なかったのだ。彼といえどもさすがにそれほど自己を偽瞞することはできなかった。  けれどもあまりといえばあんまりだった。小作人たちは、 「さあ、ずっとお寄りなさって。今日は晴れているためかめっきり冷えますから」  と早田が口添えするにもかかわらず、彼らはあてこすりのように暗い隅っこを離れなかった。彼は軽い捨て鉢な気分でその人たちにかまわず囲炉裡の横座にすわりこんだ。  内儀さんがランプを座敷に運んで行ったが、帰って来ると父からの言いつけを彼に伝えた。それは彼が小作人の一人一人を招いて、その口から監督に対する訴訟と、農場の規約に関する希望とを聞き取っておく役廻りで、昨夜寝る時に父が彼に命令した仕事だった。小作人が次々に事務所をさして集まって来るのもそのためだったのだ。  事務所に薄ぼんやりと灯が点された。燻製の魚のような香いと、燃えさしの薪の煙とが、寺の庫裡のようにがらんと黝ずんだ広間と土間とにこもって、それが彼の頭の中へまでも浸み透ってくるようだった。なんともいえない嫌悪の情が彼を焦ら立たせるばかりだった。彼はそこを飛び出して行って畑の中の広い空間に突っ立って思い存分の呼吸がしたくてたまらなくなった。壁訴訟じみたことをあばいてかかって聞き取らねばならないほど農場というものの経営は入り組んでいるのだろうか。監督が父の代から居ついていて、着実で正直なばかりでなく、自分を一人の平凡人であると見切りをつけて、満足して農場の仕事だけを守っているのは、彼の歩いて行けそうな道ではなかったけれども、彼はそういう人に対して暖かい心を持たずにはいられなかった。その人を除けものにしておいて、他人にその噂をさせて平気で聞いていることはどうしても彼にはできないと思った。  ともかく、彼は監督に頼んで執務室に火を入れてもらって、小作人を一人一人そこに呼び入れた。そして農場の経営に関する希望だけを聞くことにした。五、六人の人が出はいりする前に、彼は早くもそんなことをする無益さを思い知らねばならなかった。頭の鈍い人たちは、申し立つべき希望の端くれさえ持ち合わしてはいなかったし、才覚のある人たちは、めったなことはけっして口にしなかった。去年も今年も不作で納金に困る由をあれだけ匂わしておきながら、いざ一人になるとそんな明らかなことさえ訴えようとする人はなかった。彼はそれでも十四、五人までは我慢したが、それで全く絶望してもう小作人を呼び入れることはしなかった。そして火鉢の上に掩いかぶさるようにして、一人で考えこんでしまった。なんということもなく、父に対する反抗の気持ちが、押さえても押さえても湧き上がってきて、どうすることもできなかった。  ほど経てから内儀さんが恐る恐るやって来て、夕食のしたくができたからと言って来た。食慾は不思議になくなっていたけれども、彼はしょうことなしに父の座敷へと帰って行った。そこはもうすっかりかたづけられていて、矢部を正座に、父と監督とが鼎座になって彼の来るのを待っていた。彼は押し黙ったまま自分の座についたが、部屋にはいるとともに感ぜずにはいられなかったのは、そこにただよっているなんともいえぬ気まずい空気だった。さきほどまで少しも物にこだわらないで、自由に話の舵を引いていた矢部がいちばん小むずかしい顔になっていた。彼の来るのを待って箸を取らないのだと思ったのは間違いらしかった。  矢部は彼が部屋にはいって来るのを見ると、よけい顔色を険しくした。そしてとうとうたまりかねたようにその眇眼で父をにらむようにしながら、 「せっかくのおすすめではございますが、私は矢張り御馳走にはならずに発って札幌に帰るといたします。なに、あなた一晩先に帰っていませば一晩だけよけい仕事ができるというものでございますから……私は御覧のとおりの青造ではございますが、幼少から商売のほうではずいぶんたたきつけられたもんで……しかし今夜ほどあらぬお疑いを被って男を下げたことは前後にございますまいよ。とにかく商売だって商売道と申します。不束ながらそれだけの道は尽くしたつもりでございますが、それを信じていただけなければお話には継ぎ穂の出ようがありませんです。……じゃ早田君、君のことは十分申し上げておいたから、これからこちらの人になって一つ堅固にやってあげてくださいまし。……私はこれで失礼いたします」  とはきはき言って退けた。彼にはこれは実に意外の言葉だった。父は黙ってまじまじと癇癪玉を一時に敲きつけたような言葉を聞いていたが、父にしては存外穏やかななだめるような調子になっていた。 「なにも俺しはそれほどあなたに信用を置かんというのではないのですが、事務はどこまでも事務なのだから明らかにしておかなければ私の気が済まんのです。時刻も遅いからお泊りなさい今夜は」 「ありがとうございますが帰らせていただきます」 「そうですか、それではやむを得ないが、では御相談のほうは今までのお話どおりでよいのですな」 「御念には及びません。よいようにお取り計らいくださればそれでもう結構でございます」  矢部はこのうえ口をきくのもいやだという風で挨拶一つすると立ち上がった。彼と監督とは事務所のほうまで矢部を送って出たが、監督が急がしく靴をはこうとしているのを見ると、矢部は押しかえすような手つきをして、 「早田君、君が送ってくれては困る。荷物は誰かに運ばせてください。それでなくてさえ且那はお互いの間を妙にからんで疑っておいでになるのだ。しかし君のことはよくお話ししておいたから……万事が落着するまでは君は私から遠退いているようにしてくれたまえ。送って来ちゃいけませんよ」  それから矢部は彼の方に何か言いかけようとしたが、彼に対してさえ不快を感じたらしく、監督の方に向いて、 「六年間只奉公してあげくの果てに痛くもない腹を探られたのは全くお初つだよ。私も今夜という今夜は、慾もへちまもなく腹を立てちゃった。じゃこちらがすっかりかたずいたうえで、札幌にも出ておいでなさい。その節万事私のほうのかたはつけますから。御免」 「御免」という挨拶だけを彼に残して、矢部は星だけがきらきら輝いた真暗なおもてへ駈け出すように出て行ってしまった。彼はそこに立ったまま、こんな結果になった前後の事情を想像しながら遠ざかってゆく靴音を聞き送っていた。  その晩父は、東京を発った時以来何処に忘れて来たかと思うような笑い顔を取りもどして晩酌を傾けた。そこに行くとあまり融通のきかない監督では物足らない風で、彼を対手に話を拡げて行こうとしたが、彼は父に対する胸いっぱいの反感で見向きもしたくなかった。それでも父は気に障えなかった。そしてしかたなしに監督に向きなおって、その父に当たる人の在世当時の思い出話などをして一人興がった。 「元気のいい老人だったよ、どうも。酔うといつでも大肌ぬぎになって、すわったままひとり角力を取って見せたものだったが、どうした癖か、唇を締めておいて、ぷっぷっと唾を霧のように吹き出すのには閉口した」  そんなことをおおげさに言いだして父は高笑いをした。監督も懐旧の情を催すらしく、人のいい微笑を口のはたに浮かべて、 「ほんとにそうでした」  と気のなさそうな合槌を打っていた。  そのうちに夜はいいかげん更けてしまった。監督が膳を引いてしまうと、気まずい二人が残った。しかし父のほうは少しも気まずそうには見えなかった。矢部の前で、十一、二の子供でも叱りつけるような小言を言ったことなどもからっと忘れてしまっているようだった。 「うまいことに行った。矢部という男はかねてからなかなか手ごわい悧巧者だとにらんでいたから、俺しは今日の策戦には人知れぬ苦労をした。そのかいあって、先方がとうとう腹を立ててしまったのだ。掛引きで腹を立てたら立てたほうが敗け勝負だよ。貸し越しもあったので実はよけい心配もしたのだが、そんなものを全部差し引くことにして報酬共に五千円で農場全部がこちらのものになったのだ。これでこの農場の仕事は成功に終わったといっていいわけだ」 「私には少しも成功とは思えませんが……」  これだけを言うのにも彼の声は震えていた。しかし日ごろの沈黙に似ず、彼は今夜だけは思う存分に言ってしまわなければ、胸に物がつまっていて、当分は寝ることもできないような暴れた気持ちになってしまっていたのだ。 「今日農場内を歩いてみると、開墾のはじめにあなたとここに来ましたね、あの時と百姓の暮らし向きは同じなのに私は驚きました。小作料を徴収したり、成墾費が安く上がったりしたことには成功したかもしれませんが、農場としてはいったいどこが成功しているんでしょう」 「そんなことを言ったってお前、水呑百姓といえばいつの世にでも似たり寄ったりの生活をしているものだ。それが金持ちになったら汗水垂らして畑をするものなどは一人もいなくなるだろう」 「それにしてもあれはあんまりひどすぎます」 「お前は百歩をもって五十歩を笑っとるんだ」 「しかし北海道にだって小作人に対してずっといい分割りを与えているところはたくさんありますよ」 「それはあったとしたら帳簿を調べてみるがいい、きっと損をしているから」 「農民をあんな惨めな状態におかなければ利益のないものなら、農場という仕事はうそですね」 「お前は全体本当のことがこの世の中にあるとでも思っとるのか」  父は息子の融通のきかないのにも呆れるというようにそっぽを向いてしまった。 「思ってはいませんがね。しかし私にはどうしても現在のようにうそばかりで固めた生活ではやり切れません。矢部という人に対してのあなたの態度なども、お考えになったらあなたもおいやでしょう。まるでぺてんですものね。始めから先方に腹を立てさすつもりで談判をするなどというのは、馬鹿馬鹿しいくらい私にはいやな気持ちです」  彼は思い切ってここまで突っ込んだ。 「お前はいやな気持ちか」 「いやな気持ちです」 「俺しはいい気持ちだ」  父は見下だすように彼を見やりながら、おもむろに眼鏡をはずすと、両手で顔を逆なでになで上げた。彼は憤激ではち切れそうになった。 「私はあなたをそんなかただとは思っていませんでしたよ」  突然、父は心の底から本当の怒りを催したらしかった。 「お前は親に対してそんな口をきいていいと思っとるのか」 「どこが悪いのです」 「お前のような薄ぼんやりにはわかるまいさ」  二人の言葉はぎこちなく途切れてしまった。彼は堅い決心をしていた。今夜こそは徹底的に父と自分との間の黒白をつけるまでは夜明かしでもしよう。父はややしばらく自分の怒りをもて余しているらしかったが、やがて強いてそれを押さえながら、ぴちりぴちりと句点でも切るように話し始めた。 「いいか。よく聞いていて考えてみろ。矢部は商人なのだぞ。商売というものはな、どこかで嘘をしなければ成り立たん性質のものなのだ。昔から士農工商というが、あれは誠と嘘との使いわけの程度によって、順序を立てたので、仕事の性質がそうなっているのだ。ちょっと見るとなんでもないようだが、古人の考えにはおろそかでないところがあるだろう。俺しは今日その商人を相手にしたのだから、先方の得手に乗せられては、みすみす自分で自分を馬鹿者にしていることになるのだ。といってからに俺しには商人のような嘘はできないのだから、無理押しにでも矢部の得手を封ずるほかはないではないか」  彼はそんな手にはかかるものかと思った。 「そんならある意味で小作人をあざむいて利益を壟断している地主というものはあれはどの階級に属するのでしょう」 「こう言えばああ言うそのお前の癖は悪い癖だぞ。物はもっと考えてから言うがいい。土地を貸し付けてその地代を取るのが何がいつわりだ」 「そう言えば商人だっていくぶん人の便利を計って利益を取っているんですね」  理につまったのか、怒りに堪えなかったのか、父は押し黙ってしまった。禿げ上がった額の生え際まで充血して、手あたりしだいに巻煙草を摘み上げて囲炉裡の火に持ってゆくその手は激しく震えていた。彼は父がこれほど怒ったのを見たことがなかった。父は煙草をそこまで持ってゆくと、急に思いかえして、そのまま畳の上に投げ捨ててしまった。  ややしばらくしてから父はきわめて落ち着いた物腰でさとすように、 「それほど父に向かって理屈が言いたければ、立派に一人前の仕事をして、立派に一人前の生活ができたうえで言うがいい。何一つようし得ないで物を言ってみたところが、それは得手勝手というものだぞ……聞いていればお前はさっきから俺しのすることを嘘だ嘘だと言いののしっとるが、お前は本当のことを何処でしたことがあるかい。人と生まれた以上、こういう娑婆にいればいやでも嘘をせにゃならんのは人間の約束事なのだ。嘘の中でもできるだけ嘘をせんようにと心がけるのが徳というものなのだ。それともお前は俺しの眼の前に嘘をせんでいい世の中を作ってみせてくれるか。そしたら俺しもお前に未練なく兜を脱ぐがな」  父のこの言葉ははっしと彼の心の真唯中を割って過ぎた。実際彼は刃のようなひやっとしたものを肉体のどこかに感じたように思った。そして凝り上がるほど肩をそびやかして興奮していた自分を後ろめたく見いだした。父はさらに言葉を続けた。 「こんな小さな農場一つをこれだけにするのにも俺しがどれほど苦心をしたかお前は現在見ていたはずだ。いらざる取り越し苦労ばかりすると思うかもしれんが、あれほどの用意をしても世の中の事は水が漏れたがるものでな。そこはお前のような理屈一遍ではとてもわかるまいが」  なるほどそれは彼にとっては手痛い刃だ。そこまで押しつめられると、今までの彼は何事も言い得ずに黙ってしまっていた。しかし今夜こそはそこを突きぬけよう。そして父に彼の本質をしっかり知ってもらおうと心を定めた。 「わからないかもしれません。実際あなたが東京を発つ前からこの事ばかり思いつめていらっしゃるのを見ていると、失礼ながらお気の毒にさえ感じたほどでした。……私は全くそうした理想屋です。夢ばかり見ているような人間です。……けれども私の気持ちもどうか考えてください。私はこれまで何一つしでかしてはいません。自体何をすればいいのか、それさえ見きわめがついていないような次第です。ひょっとすると生涯こうして考えているばかりで暮らすのかもしれないんですが、とにかく嘘をしなければ生きて行けないような世の中が無我無性にいやなんです。ちょっと待ってください。も少し言わせてください。……嘘をするのは世の中ばかりじゃもちろんありません。私自身が嘘のかたまりみたいなものです。けれどもそうでありたくない気持ちがやたらに私を攻め立てるのです。だから自分の信じている人や親しい人が私の前で平気で嘘をやってるのを見ると、思わず知らず自分のことは棚に上げて腹が立ってくるのです。これもしかたがないと思うんですが、……」 「遊んでいて飯が食えると自由自在にそんな気持ちも起こるだろうな」  何を太平楽を言うかと言わんばかりに、父は憎々しく皮肉を言った。 「せめては遊びながら飯の食えるものだけでもこんなことを言わなければ罰があたりますよ」  彼も思わず皮肉になった。父に養われていればこそこんなはずかしめも受けるのだ。なんという弱い自分だろう。彼は皮肉を言いながらも自分のふがいなさをつくづく思い知らねばならなかった。それと同時に親子の関係がどんな釘に引っかかっているかを垣間見たようにも思った。親子といえども互いの本質にくると赤の他人にすぎないのだなという淋しさも襲ってきた。乞食にでもなってやろう、彼はその瞬間はたとそう思ったりした。自分の本質のために父が甘んじて衣食を給してくれているとの信頼が、三十にも手のとどく自分としては虫のよすぎることだったのだと省みられた。  おそらく彼のその心の動きが父に鋭く響いたのだろう、父は今までの怒りに似げなく、自分にも思いがけないようなため息を吐いた。彼は思わず父を見上げた。父は畳一畳ほどの前をじっと見守って遠いことでも考えているようだった。 「俺しがこうして齷齪とこの年になるまで苦労しているのもおかしなことだが……」  父の声は改まってしんみりとひとりごとのようになった。 「今お前は理想屋だとか言ったな。それだ。俺しはこのとおりの男だ。土百姓同様の貧乏士族の家に生まれて、生まれるとから貧乏には慣れている。物心のついた時には父は遠島になっていて母ばかりの暮らしだったので、十二の時にもう元服して、お米倉の米合を書いて母と子二人が食いつないだもんだった。それに俺しには道楽という道楽も別段あるではなし、一家が暮らして行くのにはもったいないほどの出世をしたといってもいいのだ。今のようなぜいたくは実は俺しにとっては法外なことだがな。けれどもお前はじめ五人の子を持ってみると、親の心は奇妙なもので先の先まで案じられてならんのだ。……それにお前は、俺しのしつけが悪かったとでもいうのか、生まれつきなのか、お前の今言った理想屋で、てんで俗世間のことには無頓着だからな。たとえばお前が世過ぎのできるだけの仕事にありついたとしても、弟や妹たちにどんなやくざ者ができるか、不仕合わせが持ち上がるかしれたものではないのだ。そうした場合にこの農場にでもはいり込んで土をせせっていればとにもかくにも食いつないでは行けるだろうと思ったのが、こんなめんどうな仕事を始めた俺しの趣意なのだ。……長男となれば、日本では、なんといってもお前にあとの子供たちのめんどうがかかるのだから……」  父の言葉はだんだん本当に落ち着いてしんみりしてきた。 「俺しは元来金のことにかけては不得手至極なほうで、人一倍に苦心をせにゃ人並みの考えが浮かんで来ん。お前たちから見たら、この年をしながら金のことばかり考えていると思うかもしらんが、人が半日で思いつくところを俺しは一日がかりでやっと追いついて行くありさまだから……」  そう言って父は取ってつけたように笑った。 「今の世の中では自分がころんだが最後、世間はふり向きもしないのだから……まあお前も考えどおりやるならやってみるがいい。お前がなんと思おうと俺しは俺しだけのことはして行くつもりだ。……『その義にあらざれば一介も受けず。その義にあらざれば一介も与えず』という言葉があるな。今の世の中でまず嘘のないのはこうした生き方のほかにはないらしいて」  こう言って父はぽっつりと口をつぐんだ。  彼は何も言うことができなくなってしまった。「よしやり抜くぞ」という決意が鉄丸のように彼の胸の底に沈むのを覚えた。不思議な感激――それは血のつながりからのみ来ると思わしい熱い、しかし同時に淋しい感激が彼の眼に涙をしぼり出そうとした。  厠に立った父の老いた後姿を見送りながら彼も立ち上がった。縁側に出て雨戸から外を眺めた。北海道の山の奥の夜は静かに深更へと深まっていた。大きな自然の姿が遠く彼の眼の前に拡がっていた。
底本:「カインの末裔」角川文庫、角川書店    1969(昭和44)年10月30日改版初版発行    1991(平成3)年7月20日改版25版発行 初出:「泉」    1923(大正12)年5月 入力:鈴木厚司 校正:土屋隆 2006年5月18日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     (一)  長い影を地にひいて、痩馬の手綱を取りながら、彼れは黙りこくって歩いた。大きな汚い風呂敷包と一緒に、章魚のように頭ばかり大きい赤坊をおぶった彼れの妻は、少し跛脚をひきながら三、四間も離れてその跡からとぼとぼとついて行った。  北海道の冬は空まで逼っていた。蝦夷富士といわれるマッカリヌプリの麓に続く胆振の大草原を、日本海から内浦湾に吹きぬける西風が、打ち寄せる紆濤のように跡から跡から吹き払っていった。寒い風だ。見上げると八合目まで雪になったマッカリヌプリは少し頭を前にこごめて風に歯向いながら黙ったまま突立っていた。昆布岳の斜面に小さく集った雲の塊を眼がけて日は沈みかかっていた。草原の上には一本の樹木も生えていなかった。心細いほど真直な一筋道を、彼れと彼れの妻だけが、よろよろと歩く二本の立木のように動いて行った。  二人は言葉を忘れた人のようにいつまでも黙って歩いた。馬が溺りをする時だけ彼れは不性無性に立どまった。妻はその暇にようやく追いついて背の荷をゆすり上げながら溜息をついた。馬が溺りをすますと二人はまた黙って歩き出した。 「ここらおやじ(熊の事)が出るずら」  四里にわたるこの草原の上で、たった一度妻はこれだけの事をいった。慣れたものには時刻といい、所柄といい熊の襲来を恐れる理由があった。彼れはいまいましそうに草の中に唾を吐き捨てた。  草原の中の道がだんだん太くなって国道に続く所まで来た頃には日は暮れてしまっていた。物の輪郭が円味を帯びずに、堅いままで黒ずんで行くこちんとした寒い晩秋の夜が来た。  着物は薄かった。そして二人は餓え切っていた。妻は気にして時々赤坊を見た。生きているのか死んでいるのか、とにかく赤坊はいびきも立てないで首を右の肩にがくりと垂れたまま黙っていた。  国道の上にはさすがに人影が一人二人動いていた。大抵は市街地に出て一杯飲んでいたのらしく、行違いにしたたか酒の香を送ってよこすものもあった。彼れは酒の香をかぐと急にえぐられるような渇きと食欲とを覚えて、すれ違った男を見送ったりしたが、いまいましさに吐き捨てようとする唾はもう出て来なかった。糊のように粘ったものが唇の合せ目をとじ付けていた。  内地ならば庚申塚か石地蔵でもあるはずの所に、真黒になった一丈もありそうな標示杭が斜めになって立っていた。そこまで来ると干魚をやく香がかすかに彼れの鼻をうったと思った。彼れははじめて立停った。痩馬も歩いた姿勢をそのままにのそりと動かなくなった。鬣と尻尾だけが風に従ってなびいた。 「何んていうだ農場は」  背丈けの図抜けて高い彼れは妻を見おろすようにしてこうつぶやいた。 「松川農場たらいうだが」 「たらいうだ? 白痴」  彼れは妻と言葉を交わしたのが癪にさわった。そして馬の鼻をぐんと手綱でしごいてまた歩き出した。暗らくなった谷を距てて少し此方よりも高い位の平地に、忘れたように間をおいてともされた市街地のかすかな灯影は、人気のない所よりもかえって自然を淋しく見せた。彼れはその灯を見るともう一種のおびえを覚えた。人の気配をかぎつけると彼れは何んとか身づくろいをしないではいられなかった。自然さがその瞬間に失われた。それを意識する事が彼れをいやが上にも仏頂面にした。「敵が眼の前に来たぞ。馬鹿な面をしていやがって、尻子玉でもひっこぬかれるな」とでもいいそうな顔を妻の方に向けて置いて、歩きながら帯をしめ直した。良人の顔付きには気も着かないほど眼を落した妻は口をだらりと開けたまま一切無頓着でただ馬の跡について歩いた。  K市街地の町端れには空屋が四軒までならんでいた。小さな窓は髑髏のそれのような真暗な眼を往来に向けて開いていた。五軒目には人が住んでいたがうごめく人影の間に囲炉裡の根粗朶がちょろちょろと燃えるのが見えるだけだった。六軒目には蹄鉄屋があった。怪しげな煙筒からは風にこきおろされた煙の中にまじって火花が飛び散っていた。店は熔炉の火口を開いたように明るくて、馬鹿馬鹿しくだだっ広い北海道の七間道路が向側まではっきりと照らされていた。片側町ではあるけれども、とにかく家並があるだけに、強て方向を変えさせられた風の脚が意趣に砂を捲き上げた。砂は蹄鉄屋の前の火の光に照りかえされて濛々と渦巻く姿を見せた。仕事場の鞴の囲りには三人の男が働いていた。鉄砧にあたる鉄槌の音が高く響くと疲れ果てた彼れの馬さえが耳を立てなおした。彼れはこの店先きに自分の馬を引張って来る時の事を思った。妻は吸い取られるように暖かそうな火の色に見惚れていた。二人は妙にわくわくした心持ちになった。  蹄鉄屋の先きは急に闇が濃かくなって大抵の家はもう戸じまりをしていた。荒物屋を兼ねた居酒屋らしい一軒から食物の香と男女のふざけ返った濁声がもれる外には、真直な家並は廃村のように寒さの前にちぢこまって、電信柱だけが、けうとい唸りを立てていた。彼れと馬と妻とは前の通りに押黙って歩いた。歩いては時折り思い出したように立停った。立停ってはまた無意味らしく歩き出した。  四、五町歩いたと思うと彼らはもう町はずれに来てしまっていた。道がへし折られたように曲って、その先きは、真闇な窪地に、急な勾配を取って下っていた。彼らはその突角まで行ってまた立停った。遙か下の方からは、うざうざするほど繁り合った濶葉樹林に風の這入る音の外に、シリベシ河のかすかな水の音だけが聞こえていた。 「聞いて見ずに」  妻は寒さに身をふるわしながらこううめいた。 「汝聞いて見べし」  いきなりそこにしゃごんでしまった彼れの声は地の中からでも出て来たようだった。妻は荷をゆりあげて鼻をすすりすすり取って返した。一軒の家の戸を敲いて、ようやく松川農場のありかを教えてもらった時は、彼れの姿を見分けかねるほど遠くに来ていた。大きな声を出す事が何んとなく恐ろしかった。恐ろしいばかりではない、声を出す力さえなかった。そして跛脚をひきひきまた返って来た。  彼らは眠くなるほど疲れ果てながらまた三町ほど歩かねばならなかった。そこに下見囲、板葺の真四角な二階建が外の家並を圧して立っていた。  妻が黙ったまま立留ったので、彼れはそれが松川農場の事務所である事を知った。ほんとうをいうと彼れは始めからこの建物がそれにちがいないと思っていたが、這入るのがいやなばかりに知らんふりをして通りぬけてしまったのだ。もう進退窮った。彼れは道の向側の立樹の幹に馬を繋いで、燕麦と雑草とを切りこんだ亜麻袋を鞍輪からほどいて馬の口にあてがった。ぼりりぼりりという歯ぎれのいい音がすぐ聞こえ出した。彼れと妻とはまた道を横切って、事務所の入口の所まで来た。そこで二人は不安らしく顔を見合わせた。妻がぎごちなそうに手を挙げて髪をいじっている間に彼れは思い切って半分ガラスになっている引戸を開けた。滑車がけたたましい音をたてて鉄の溝を滑った。がたぴしする戸ばかりをあつかい慣れている彼れの手の力があまったのだ。妻がぎょっとするはずみに背の赤坊も眼を覚して泣き出した。帳場にいた二人の男は飛び上らんばかりに驚いてこちらを見た。そこには彼れと妻とが泣く赤坊の始末もせずにのそりと突立っていた。 「何んだ手前たちは、戸を開けっぱなしにしくさって風が吹き込むでねえか。這入るのなら早く這入って来う」  紺のあつしをセルの前垂れで合せて、樫の角火鉢の横座に坐った男が眉をしかめながらこう怒鳴った。人間の顔――殊にどこか自分より上手な人間の顔を見ると彼れの心はすぐ不貞腐れるのだった。刃に歯向う獣のように捨鉢になって彼れはのさのさと図抜けて大きな五体を土間に運んで行った。妻はおずおずと戸を閉めて戸外に立っていた、赤坊の泣くのも忘れ果てるほどに気を転倒させて。  声をかけたのは三十前後の、眼の鋭い、口髭の不似合な、長顔の男だった。農民の間で長顔の男を見るのは、豚の中で馬の顔を見るようなものだった。彼れの心は緊張しながらもその男の顔を珍らしげに見入らない訳には行かなかった。彼れは辞儀一つしなかった。  赤坊が縊り殺されそうに戸の外で泣き立てた。彼れはそれにも気を取られていた。  上框に腰をかけていたもう一人の男はやや暫らく彼れの顔を見つめていたが、浪花節語りのような妙に張りのある声で突然口を切った。 「お主は川森さんの縁のものじゃないんかの。どうやら顔が似とるじゃが」  今度は彼れの返事も待たずに長顔の男の方を向いて、 「帳場さんにも川森から話いたはずじゃがの。主がの血筋を岩田が跡に入れてもらいたいいうてな」  また彼れの方を向いて、 「そうじゃろがの」  それに違いなかった。しかし彼れはその男を見ると虫唾が走った。それも百姓に珍らしい長い顔の男で、禿げ上った額から左の半面にかけて火傷の跡がてらてらと光り、下瞼が赤くべっかんこをしていた。そして唇が紙のように薄かった。  帳場と呼ばれた男はその事なら飲み込めたという風に、時々上眼で睨み睨み、色々な事を彼れに聞き糺した。そして帳場机の中から、美濃紙に細々と活字を刷った書類を出して、それに広岡仁右衛門という彼れの名と生れ故郷とを記入して、よく読んでから判を押せといって二通つき出した。仁右衛門(これから彼れという代りに仁右衛門と呼ぼう)は固より明盲だったが、農場でも漁場でも鉱山でも飯を食うためにはそういう紙の端に盲判を押さなければならないという事は心得ていた。彼れは腹がけの丼の中を探り廻わしてぼろぼろの紙の塊をつかみ出した。そして筍の皮を剥ぐように幾枚もの紙を剥がすと真黒になった三文判がころがり出た。彼れはそれに息気を吹きかけて証書に孔のあくほど押しつけた。そして渡された一枚を判と一緒に丼の底にしまってしまった。これだけの事で飯の種にありつけるのはありがたい事だった。戸外では赤坊がまだ泣きやんでいなかった。 「俺ら銭こ一文も持たねえからちょっぴり借りたいだが」  赤坊の事を思うと、急に小銭がほしくなって、彼れがこういい出すと、帳場は呆れたように彼れの顔を見詰めた、――こいつは馬鹿な面をしているくせに油断のならない横紙破りだと思いながら。そして事務所では金の借貸は一切しないから縁者になる川森からでも借りるがいいし、今夜は何しろ其所に行って泊めてもらえと注意した。仁右衛門はもう向腹を立ててしまっていた。黙りこくって出て行こうとすると、そこに居合わせた男が一緒に行ってやるから待てととめた。そういわれて見ると彼れは自分の小屋が何所にあるのかを知らなかった。 「それじゃ帳場さん何分宜しゅう頼むがに、塩梅よう親方の方にもいうてな。広岡さん、それじゃ行くべえかの。何とまあ孩児の痛ましくさかぶぞい。じゃまあおやすみ」  彼れは器用に小腰をかがめて古い手提鞄と帽子とを取上げた。裾をからげて砲兵の古靴をはいている様子は小作人というよりも雑穀屋の鞘取りだった。  戸を開けて外に出ると事務所のボンボン時計が六時を打った。びゅうびゅうと風は吹き募っていた。赤坊の泣くのに困じ果てて妻はぽつりと淋しそうに玉蜀黍殻の雪囲いの影に立っていた。  足場が悪いから気を付けろといいながら彼の男は先きに立って国道から畦道に這入って行った。  大濤のようなうねりを見せた収穫後の畑地は、広く遠く荒涼として拡がっていた。眼を遮るものは葉を落した防風林の細長い木立ちだけだった。ぎらぎらと瞬く無数の星は空の地を殊更ら寒く暗いものにしていた。仁右衛門を案内した男は笠井という小作人で、天理教の世話人もしているのだといって聞かせたりした。  七町も八町も歩いたと思うのに赤坊はまだ泣きやまなかった。縊り殺されそうな泣き声が反響もなく風に吹きちぎられて遠く流れて行った。  やがて畦道が二つになる所で笠井は立停った。 「この道をな、こう行くと左手にさえて小屋が見えようがの。な」  仁右衛門は黒い地平線をすかして見ながら、耳に手を置き添えて笠井の言葉を聞き漏らすまいとした。それほど寒い風は激しい音で募っていた。笠井はくどくどとそこに行き着く注意を繰返して、しまいに金が要るなら川森の保証で少し位は融通すると付加えるのを忘れなかった。しかし仁右衛門は小屋の所在が知れると跡は聞いていなかった。餓えと寒さがひしひしと答え出してがたがた身をふるわしながら、挨拶一つせずにさっさと別れて歩き出した。  玉蜀黍殻といたどりの茎で囲いをした二間半四方ほどの小屋が、前のめりにかしいで、海月のような低い勾配の小山の半腹に立っていた。物の饐えた香と積肥の香が擅にただよっていた。小屋の中にはどんな野獣が潜んでいるかも知れないような気味悪さがあった。赤坊の泣き続ける暗闇の中で仁右衛門が馬の背からどすんと重いものを地面に卸す音がした。痩馬は荷が軽るくなると鬱積した怒りを一時にぶちまけるように嘶いた。遙かの遠くでそれに応えた馬があった。跡は風だけが吹きすさんだ。  夫婦はかじかんだ手で荷物を提げながら小屋に這入った。永く火の気は絶えていても、吹きさらしから這入るとさすがに気持ちよく暖かった。二人は真暗な中を手さぐりであり合せの古蓆や藁をよせ集めてどっかと腰を据えた。妻は大きな溜息をして背の荷と一緒に赤坊を卸して胸に抱き取った。乳房をあてがって見たが乳は枯れていた。赤坊は堅くなりかかった歯齦でいやというほどそれを噛んだ。そして泣き募った。 「腐孩子! 乳首食いちぎるに」  妻は慳貪にこういって、懐から塩煎餅を三枚出して、ぽりぽりと噛みくだいては赤坊の口にあてがった。 「俺らがにも越せ」  いきなり仁右衛門が猿臂を延ばして残りを奪い取ろうとした。二人は黙ったままで本気に争った。食べるものといっては三枚の煎餅しかないのだから。 「白痴」  吐き出すように良人がこういった時勝負はきまっていた。妻は争い負けて大部分を掠奪されてしまった。二人はまた押黙って闇の中で足しない食物を貪り喰った。しかしそれは結局食欲をそそる媒介になるばかりだった。二人は喰い終ってから幾度も固唾を飲んだが火種のない所では南瓜を煮る事も出来なかった。赤坊は泣きづかれに疲れてほっぽり出されたままに何時の間にか寝入っていた。  居鎮まって見ると隙間もる風は刃のように鋭く切り込んで来ていた。二人は申合せたように両方から近づいて、赤坊を間に入れて、抱寝をしながら藁の中でがつがつと震えていた。しかしやがて疲労は凡てを征服した。死のような眠りが三人を襲った。  遠慮会釈もなく迅風は山と野とをこめて吹きすさんだ。漆のような闇が大河の如く東へ東へと流れた。マッカリヌプリの絶巓の雪だけが燐光を放ってかすかに光っていた。荒らくれた大きな自然だけがそこに甦った。  こうして仁右衛門夫婦は、何処からともなくK村に現われ出て、松川農場の小作人になった。      (二)  仁右衛門の小屋から一町ほど離れて、K村から倶知安に通う道路添いに、佐藤与十という小作人の小屋があった。与十という男は小柄で顔色も青く、何年たっても齢をとらないで、働きも甲斐なそうに見えたが、子供の多い事だけは農場一だった。あすこの嚊は子種をよそから貰ってでもいるんだろうと農場の若い者などが寄ると戯談を言い合った。女房と言うのは体のがっしりした酒喰いの女だった。大人数なために稼いでも稼いでも貧乏しているので、だらしのない汚い風はしていたが、その顔付きは割合に整っていて、不思議に男に逼る淫蕩な色を湛えていた。  仁右衛門がこの農場に這入った翌朝早く、与十の妻は袷一枚にぼろぼろの袖無しを着て、井戸――といっても味噌樽を埋めたのに赤鏽の浮いた上層水が四分目ほど溜ってる――の所でアネチョコといい慣わされた舶来の雑草の根に出来る薯を洗っていると、そこに一人の男がのそりとやって来た。六尺近い背丈を少し前こごみにして、営養の悪い土気色の顔が真直に肩の上に乗っていた。当惑した野獣のようで、同時に何所か奸譎い大きな眼が太い眉の下でぎろぎろと光っていた。それが仁右衛門だった。彼れは与十の妻を見ると一寸ほほえましい気分になって、 「おっかあ、火種べあったらちょっぴり分けてくれずに」 といった。与十の妻は犬に出遇った猫のような敵意と落着きを以て彼れを見た。そして見つめたままで黙っていた。  仁右衛門は脂のつまった大きな眼を手の甲で子供らしくこすりながら、 「俺らあすこの小屋さ来たもんだのし。乞食ではねえだよ」 といってにこにこした。罪のない顔になった。与十の妻は黙って小屋に引きかえしたが、真暗な小屋の中に臥乱れた子供を乗りこえ乗りこえ囲炉裡の所に行って粗朶を一本提げて出て来た。仁右衛門は受取ると、口をふくらましてそれを吹いた。そして何か一言二言話しあって小屋の方に帰って行った。  この日も昨夜の風は吹き落ちていなかった。空は隅から隅まで底気味悪く晴れ渡っていた。そのために風は地面にばかり吹いているように見えた。佐藤の畑はとにかく秋耕をすましていたのに、それに隣った仁右衛門の畑は見渡す限りかまどがえしとみずひきとあかざととびつかとで茫々としていた。ひき残された大豆の殻が風に吹かれて瓢軽な音を立てていた。あちこちにひょろひょろと立った白樺はおおかた葉をふるい落してなよなよとした白い幹が風にたわみながら光っていた。小屋の前の亜麻をこいだ所だけは、こぼれ種から生えた細い茎が青い色を見せていた。跡は小屋も畑も霜のために白茶けた鈍い狐色だった。仁右衛門の淋しい小屋からはそれでもやがて白い炊煙がかすかに漏れはじめた。屋根からともなく囲いからともなく湯気のように漏れた。  朝食をすますと夫婦は十年も前から住み馴れているように、平気な顔で畑に出かけて行った。二人は仕事の手配もきめずに働いた。しかし、冬を眼の前にひかえて何を先きにすればいいかを二人ながら本能のように知っていた。妻は、模様も分らなくなった風呂敷を三角に折って露西亜人のように頬かむりをして、赤坊を背中に背負いこんで、せっせと小枝や根っこを拾った。仁右衛門は一本の鍬で四町にあまる畑の一隅から掘り起しはじめた。外の小作人は野良仕事に片をつけて、今は雪囲をしたり薪を切ったりして小屋のまわりで働いていたから、畑の中に立っているのは仁右衛門夫婦だけだった。少し高い所からは何処までも見渡される広い平坦な耕作地の上で二人は巣に帰り損ねた二匹の蟻のようにきりきりと働いた。果敢ない労力に句点をうって、鍬の先きが日の加減でぎらっぎらっと光った。津波のような音をたてて風のこもる霜枯れの防風林には烏もいなかった。荒れ果てた畑に見切りをつけて鮭の漁場にでも移って行ってしまったのだろう。  昼少しまわった頃仁右衛門の畑に二人の男がやって来た。一人は昨夜事務所にいた帳場だった。今一人は仁右衛門の縁者という川森爺さんだった。眼をしょぼしょぼさせた一徹らしい川森は仁右衛門の姿を見ると、怒ったらしい顔付をしてずかずかとその傍によって行った。 「汝ゃ辞儀一つ知らねえ奴の、何条いうて俺らがには来くさらぬ。帳場さんのう知らしてくさずば、いつまでも知んようもねえだった。先ずもって小屋さ行ぐべし」  三人は小屋に這入った。入口の右手に寝藁を敷いた馬の居所と、皮板を二、三枚ならべた穀物置場があった。左の方には入口の掘立柱から奥の掘立柱にかけて一本の丸太を土の上にわたして土間に麦藁を敷きならしたその上に、所々蓆が拡げてあった。その真中に切られた囲炉裡にはそれでも真黒に煤けた鉄瓶がかかっていて、南瓜のこびりついた欠椀が二つ三つころがっていた。川森は恥じ入る如く、 「やばっちい所で」 といいながら帳場を炉の横座に招じた。  そこに妻もおずおずと這入って来て、恐る恐る頭を下げた。それを見ると仁右衛門は土間に向けてかっと唾を吐いた。馬はびくんとして耳をたてたが、やがて首をのばしてその香をかいだ。  帳場は妻のさし出す白湯の茶碗を受けはしたがそのまま飲まずに蓆の上に置いた。そしてむずかしい言葉で昨夜の契約書の内容をいい聞かし初めた。小作料は三年ごとに書換えの一反歩二円二十銭である事、滞納には年二割五分の利子を付する事、村税は小作に割宛てる事、仁右衛門の小屋は前の小作から十五円で買ってあるのだから来年中に償還すべき事、作跡は馬耕して置くべき事、亜麻は貸付地積の五分の一以上作ってはならぬ事、博奕をしてはならぬ事、隣保相助けねばならぬ事、豊作にも小作料は割増しをせぬ代りどんな凶作でも割引は禁ずる事、場主に直訴がましい事をしてはならぬ事、掠奪農業をしてはならぬ事、それから云々、それから云々。  仁右衛門はいわれる事がよく飲み込めはしなかったが、腹の中では糞を喰らえと思いながら、今まで働いていた畑を気にして入口から眺めていた。 「お前は馬を持ってるくせに何んだって馬耕をしねえだ。幾日もなく雪になるだに」  帳場は抽象論から実際論に切込んで行った。 「馬はあるが、プラオがねえだ」  仁右衛門は鼻の先きであしらった。 「借りればいいでねえか」 「銭子がねえかんな」  会話はぷつんと途切れてしまった。帳場は二度の会見でこの野蛮人をどう取扱わねばならぬかを飲み込んだと思った。面と向って埒のあく奴ではない。うっかり女房にでも愛想を見せれば大事になる。 「まあ辛抱してやるがいい。ここの親方は函館の金持ちで物の解った人だかんな」  そういって小屋を出て行った。仁右衛門も戸外に出て帳場の元気そうな後姿を見送った。川森は財布から五十銭銀貨を出してそれを妻の手に渡した。何しろ帳場につけとどけをして置かないと万事に損が行くから今夜にも酒を買って挨拶に行くがいいし、プラオなら自分の所のものを借してやるといっていた。仁右衛門は川森の言葉を聞きながら帳場の姿を見守っていたが、やがてそれが佐藤の小屋に消えると、突然馬鹿らしいほど深い嫉妬が頭を襲って来た。彼れはかっと喉をからして痰を地べたにいやというほどはきつけた。  夫婦きりになると二人はまた別々になってせっせと働き出した。日が傾きはじめると寒さは一入に募って来た。汗になった所々は氷るように冷たかった。仁右衛門はしかし元気だった。彼れの真闇な頭の中の一段高い所とも覚しいあたりに五十銭銀貨がまんまるく光って如何しても離れなかった。彼れは鍬を動かしながら眉をしかめてそれを払い落そうと試みた。しかしいくら試みても光った銀貨が落ちないのを知ると白痴のようににったりと独笑いを漏していた。  昆布岳の一角には夕方になるとまた一叢の雲が湧いて、それを目がけて日が沈んで行った。  仁右衛門は自分の耕した畑の広さを一わたり満足そうに見やって小屋に帰った。手ばしこく鍬を洗い、馬糧を作った。そして鉢巻の下ににじんだ汗を袖口で拭って、炊事にかかった妻に先刻の五十銭銀貨を求めた。妻がそれをわたすまでには二、三度横面をなぐられねばならなかった。仁右衛門はやがてぶらりと小屋を出た。妻は独りで淋しく夕飯を食った。仁右衛門は一片の銀貨を腹がけの丼に入れて見たり、出して見たり、親指で空に弾き上げたりしながら市街地の方に出懸けて行った。  九時――九時といえば農場では夜更けだ――を過ぎてから仁右衛門はいい酒機嫌で突然佐藤の戸口に現われた。佐藤の妻も晩酌に酔いしれていた。与十と鼎座になって三人は囲炉裡をかこんでまた飲みながら打解けた馬鹿話をした。仁右衛門が自分の小屋に着いた時には十一時を過ぎていた。妻は燃えかすれる囲炉裡火に背を向けて、綿のはみ出た蒲団を柏に着てぐっすり寝込んでいた。仁右衛門は悪戯者らしくよろけながら近寄ってわっといって乗りかかるように妻を抱きすくめた。驚いて眼を覚した妻はしかし笑いもしなかった。騒ぎに赤坊が眼をさました。妻が抱き上げようとすると、仁右衛門は遮りとめて妻を横抱きに抱きすくめてしまった。 「そうれまんだ肝べ焼けるか。こう可愛がられても肝べ焼けるか。可愛い獣物ぞい汝は。見ずに。今にな俺ら汝に絹の衣装べ着せてこすぞ。帳場の和郎(彼れは所きらわず唾をはいた)が寝言べこく暇に、俺ら親方と膝つきあわして話して見せるかんな。白痴奴。俺らが事誰れ知るもんで。汝ゃ可愛いぞ。心から可愛いぞ。宜し。宜し。汝ゃこれ嫌いでなかんべさ」 といいながら懐から折木に包んだ大福を取出して、その一つをぐちゃぐちゃに押しつぶして息気のつまるほど妻の口にあてがっていた。      (三)  から風の幾日も吹きぬいた挙句に雲が青空をかき乱しはじめた。霙と日の光とが追いつ追われつして、やがて何所からともなく雪が降るようになった。仁右衛門の畑はそうなるまでに一部分しか耡起されなかったけれども、それでも秋播小麦を播きつけるだけの地積は出来た。妻の勤労のお蔭で一冬分の燃料にも差支ない準備は出来た。唯困るのは食料だった。馬の背に積んで来ただけでは幾日分の足しにもならなかった。仁右衛門はある日馬を市街地に引いて行って売り飛ばした。そして麦と粟と大豆とをかなり高い相場で買って帰らねばならなかった。馬がないので馬車追いにもなれず、彼れは居食いをして雪が少し硬くなるまでぼんやりと過していた。  根雪になると彼れは妻子を残して木樵に出かけた。マッカリヌプリの麓の払下官林に入りこんで彼れは骨身を惜まず働いた。雪が解けかかると彼れは岩内に出て鰊場稼ぎをした。そして山の雪が解けてしまう頃に、彼れは雪焼けと潮焼けで真黒になって帰って来た。彼れの懐は十分重かった。仁右衛門は農場に帰るとすぐ逞しい一頭の馬と、プラオと、ハーローと、必要な種子を買い調えた。彼れは毎日毎日小屋の前に仁王立になって、五カ月間積り重なった雪の解けたために膿み放題に膿んだ畑から、恵深い日の光に照らされて水蒸気の濛々と立上る様を待ち遠しげに眺めやった。マッカリヌプリは毎日紫色に暖かく霞んだ。林の中の雪の叢消えの間には福寿草の茎が先ず緑をつけた。つぐみとしじゅうからとが枯枝をわたってしめやかなささ啼きを伝えはじめた。腐るべきものは木の葉といわず小屋といわず存分に腐っていた。  仁右衛門は眼路のかぎりに見える小作小屋の幾軒かを眺めやって糞でも喰えと思った。未来の夢がはっきりと頭に浮んだ。三年経った後には彼れは農場一の大小作だった。五年の後には小さいながら一箇の独立した農民だった。十年目にはかなり広い農場を譲り受けていた。その時彼れは三十七だった。帽子を被って二重マントを着た、護謨長靴ばきの彼れの姿が、自分ながら小恥しいように想像された。  とうとう播種時が来た。山火事で焼けた熊笹の葉が真黒にこげて奇跡の護符のように何所からともなく降って来る播種時が来た。畑の上は急に活気だった。市街地にも種物商や肥料商が入込んで、たった一軒の曖昧屋からは夜ごとに三味線の遠音が響くようになった。  仁右衛門は逞しい馬に、磨ぎすましたプラオをつけて、畑におりたった。耡き起される土壌は適度の湿気をもって、裏返るにつれてむせるような土の香を送った。それが仁右衛門の血にぐんぐんと力を送ってよこした。  凡てが順当に行った。播いた種は伸をするようにずんずん生い育った。仁右衛門はあたり近所の小作人に対して二言目には喧嘩面を見せたが六尺ゆたかの彼れに楯つくものは一人もなかった。佐藤なんぞは彼れの姿を見るとこそこそと姿を隠した。「それ『まだか』が来おったぞ」といって人々は彼れを恐れ憚った。もう顔がありそうなものだと見上げても、まだ顔はその上の方にあるというので、人々は彼れを「まだか」と諢名していたのだ。  時々佐藤の妻と彼れとの関係が、人々の噂に上るようになった。  一日働き暮すとさすが労働に慣れ切った農民たちも、眼の廻るようなこの期節の忙しさに疲れ果てて、夕飯もそこそこに寝込んでしまったが、仁右衛門ばかりは日が入っても手が痒くてしようがなかった。彼れは星の光をたよりに野獣のように畑の中で働き廻わった。夕飯は囲炉裡の火の光でそこそこにしたためた。そうしてはぶらりと小屋を出た。そして農場の鎮守の社の傍の小作人集会所で女と会った。  鎮守は小高い密樹林の中にあった。ある晩仁右衛門はそこで女を待ち合わしていた。風も吹かず雨も降らず、音のない夜だった。女の来ようは思いの外早い事も腹の立つほどおそい事もあった。仁右衛門はだだっ広い建物の入口の所で膝をだきながら耳をそばだてていた。  枝に残った枯葉が若芽にせきたてられて、時々かさっと地に落ちた。天鵞絨のように滑かな空気は動かないままに彼れをいたわるように押包んだ。荒くれた彼れの神経もそれを感じない訳には行かなかった。物なつかしいようななごやかな心が彼れの胸にも湧いて来た。彼れは闇の中で不思議な幻覚に陥りながら淡くほほえんだ。  足音が聞こえた。彼れの神経は一時に叢立った。しかしやがて彼れの前に立ったのはたしかに女の形ではなかった。 「誰れだ汝ゃ」  低かったけれども闇をすかして眼を据えた彼れの声は怒りに震えていた。 「お主こそ誰れだと思うたら広岡さんじゃな。何んしに今時こないな所にいるのぞい」  仁右衛門は声の主が笠井の四国猿奴だと知るとかっとなった。笠井は農場一の物識りで金持だ。それだけで癇癪の種には十分だ。彼れはいきなり笠井に飛びかかって胸倉をひっつかんだ。かーっといって出した唾を危くその面に吐きつけようとした。  この頃浮浪人が出て毎晩集会所に集って焚火なぞをするから用心が悪い、と人々がいうので神社の世話役をしていた笠井は、おどかしつけるつもりで見廻りに来たのだった。彼れは固より樫の棒位の身じたくはしていたが、相手が「まだか」では口もきけないほど縮んでしまった。 「汝ゃ俺らが媾曳の邪魔べこく気だな、俺らがする事に汝が手だしはいんねえだ。首ねっこべひんぬかれんな」  彼れの言葉はせき上る息気の間に押しひしゃげられてがらがら震えていた。 「そりゃ邪推じゃがなお主」 と笠井は口早にそこに来合せた仔細と、丁度いい機会だから折入って頼む事がある旨をいいだした。仁右衛門は卑下して出た笠井にちょっと興味を感じて胸倉から手を離して、閾に腰をすえた。暗闇の中でも、笠井が眼をきょとんとさせて火傷の方の半面を平手で撫でまわしているのが想像された。そしてやがて腰を下して、今までの慌てかたにも似ず悠々と煙草入を出してマッチを擦った。折入って頼むといったのは小作一同の地主に対する苦情に就いてであった。一反歩二円二十銭の畑代はこの地方にない高相場であるのに、どんな凶年でも割引をしないために、小作は一人として借金をしていないものはない。金では取れないと見ると帳場は立毛の中に押収してしまう。従って市街地の商人からは眼の飛び出るような上前をはねられて食代を買わねばならぬ。だから今度地主が来たら一同で是非とも小作料の値下を要求するのだ。笠井はその総代になっているのだが一人では心細いから仁右衛門も出て力になってくれというのであった。 「白痴なことこくなてえば。二両二貫が何高値いべ。汝たちが骨節は稼ぐようには造ってねえのか。親方には半文の借りもした覚えはねえからな、俺らその公事には乗んねえだ。汝先ず親方にべなって見べし。ここのがよりも欲にかかるべえに。……芸もねえ事に可愛くもねえ面つんだすなてば」  仁右衛門はまた笠井のてかてかした顔に唾をはきかけたい衝動にさいなまれたが、我慢してそれを板の間にはき捨てた。 「そうまあ一概にはいうもんでないぞい」 「一概にいったが何条悪いだ。去ね。去ねべし」 「そういえど広岡さん……」 「汝ゃ拳固こと喰らいていがか」  女を待ちうけている仁右衛門にとっては、この邪魔者の長居しているのがいまいましいので、言葉も仕打ちも段々荒らかになった。  執着の強い笠井も立なければならなくなった。その場を取りつくろう世辞をいって怒った風も見せずに坂を下りて行った。道の二股になった所で左に行こうとすると、闇をすかしていた仁右衛門は吼えるように「右さ行くだ」と厳命した。笠井はそれにも背かなかった。左の道を通って女が通って来るのだ。  仁右衛門はまた独りになって闇の中にうずくまった。彼れは憤りにぶるぶる震えていた。生憎女の来ようがおそかった。怒った彼れには我慢が出来きらなかった。女の小屋に荒れこむ勢で立上ると彼れは白昼大道を行くような足どりで、藪道をぐんぐん歩いて行った。ふとある疎藪の所で彼れは野獣の敏感さを以て物のけはいを嗅ぎ知った。彼れははたと立停ってその奥をすかして見た。しんとした夜の静かさの中で悪謔うような淫らな女の潜み笑いが聞こえた。邪魔の入ったのを気取って女はそこに隠れていたのだ。嗅ぎ慣れた女の臭いが鼻を襲ったと仁右衛門は思った。 「四つ足めが」  叫びと共に彼れは疎藪の中に飛びこんだ。とげとげする触感が、寝る時のほか脱いだ事のない草鞋の底に二足三足感じられたと思うと、四足目は軟いむっちりした肉体を踏みつけた。彼れは思わずその足の力をぬこうとしたが、同時に狂暴な衝動に駈られて、満身の重みをそれに托した。 「痛い」  それが聞きたかったのだ。彼れの肉体は一度に油をそそぎかけられて、そそり立つ血のきおいに眼がくるめいた。彼れはいきなり女に飛びかかって、所きらわず殴ったり足蹴にしたりした。女は痛いといいつづけながらも彼れにからまりついた。そして噛みついた。彼れはとうとう女を抱きすくめて道路に出た。女は彼れの顔に鋭く延びた爪をたてて逃れようとした。二人はいがみ合う犬のように組み合って倒れた。倒れながら争った。彼れはとうとう女を取逃がした。はね起きて追いにかかると一目散に逃げたと思った女は、反対に抱きついて来た。二人は互に情に堪えかねてまた殴ったり引掻いたりした。彼れは女のたぶさを掴んで道の上をずるずる引張って行った。集会所に来た時は二人とも傷だらけになっていた。有頂天になった女は一塊の火の肉となってぶるぶる震えながら床の上にぶっ倒れていた。彼れは闇の中に突っ立ちながら焼くような昂奮のためによろめいた。      (四)  春の天気の順当であったのに反して、その年は六月の初めから寒気と淫雨とが北海道を襲って来た。旱魃に饑饉なしといい慣わしたのは水田の多い内地の事で、畑ばかりのK村なぞは雨の多い方はまだ仕やすいとしたものだが、その年の長雨には溜息を漏さない農民はなかった。  森も畑も見渡すかぎり真青になって、掘立小屋ばかりが色を変えずに自然をよごしていた。時雨のような寒い雨が閉ざし切った鈍色の雲から止途なく降りそそいだ。低味の畦道に敷ならべたスリッパ材はぶかぶかと水のために浮き上って、その間から真菰が長く延びて出た。蝌斗が畑の中を泳ぎ廻ったりした。郭公が森の中で淋しく啼いた。小豆を板の上に遠くでころがすような雨の音が朝から晩まで聞えて、それが小休むと湿気を含んだ風が木でも草でも萎ましそうに寒く吹いた。  ある日農場主が函館から来て集会所で寄合うという知らせが組長から廻って来た。仁右衛門はそんな事には頓着なく朝から馬力をひいて市街地に出た。運送店の前にはもう二台の馬力があって、脚をつまだてるようにしょんぼりと立つ輓馬の鬣は、幾本かの鞭を下げたように雨によれて、その先きから水滴が絶えず落ちていた。馬の背からは水蒸気が立昇った。戸を開けて中に這入ると馬車追いを内職にする若い農夫が三人土間に焚火をしてあたっていた。馬車追いをする位の農夫は農夫の中でも冒険的な気の荒い手合だった。彼らは顔にあたる焚火のほてりを手や足を挙げて防ぎながら、長雨につけこんで村に這入って来た博徒の群の噂をしていた。捲き上げようとして這入り込みながら散々手を焼いて駅亭から追い立てられているような事もいった。 「お前も一番乗って儲かれや」 とその中の一人は仁右衛門をけしかけた。店の中はどんよりと暗く湿っていた。仁右衛門は暗い顔をして唾をはき捨てながら、焚火の座に割り込んで黙っていた。ぴしゃぴしゃと気疎い草鞋の音を立てて、往来を通る者がたまさかにあるばかりで、この季節の賑い立った様子は何処にも見られなかった。帳場の若いものは筆を持った手を頬杖にして居眠っていた。こうして彼らは荷の来るのをぼんやりして二時間あまりも待ち暮した。聞くに堪えないような若者どもの馬鹿話も自然と陰気な気分に押えつけられて、動ともすると、沈黙と欠伸が拡がった。 「一はたりはたらずに」  突然仁右衛門がそういって一座を見廻した。彼れはその珍らしい無邪気な微笑をほほえんでいた。一同は彼れのにこやかな顔を見ると、吸い寄せられるようになって、いう事をきかないではいられなかった。蓆が持ち出された。四人は車座になった。一人は気軽く若い者の机の上から湯呑茶碗を持って来た。もう一人の男の腹がけの中からは骰子が二つ取出された。  店の若い者が眼をさまして見ると、彼らは昂奮した声を押つぶしながら、無気になって勝負に耽っていた。若い者は一寸誘惑を感じたが気を取直して、 「困るでねえか、そうした事店頭でおっ広げて」 というと、 「困ったら積荷こと探して来う」 と仁右衛門は取り合わなかった。  昼になっても荷の回送はなかった。仁右衛門は自分からいい出しながら、面白くない勝負ばかりしていた。何方に変るか自分でも分らないような気分が驀地に悪い方に傾いて来た。気を腐らせれば腐らすほど彼れのやまは外れてしまった。彼れはくさくさしてふいと座を立った。相手が何とかいうのを振向きもせずに店を出た。雨は小休なく降り続けていた。昼餉の煙が重く地面の上を這っていた。  彼れはむしゃくしゃしながら馬力を引ぱって小屋の方に帰って行った。だらしなく降りつづける雨に草木も土もふやけ切って、空までがぽとりと地面の上に落ちて来そうにだらけていた。面白くない勝負をして焦立った仁右衛門の腹の中とは全く裏合せな煮え切らない景色だった。彼れは何か思い切った事をしてでも胸をすかせたく思った。丁度自分の畑の所まで来ると佐藤の年嵩の子供が三人学校の帰途と見えて、荷物を斜に背中に背負って、頭からぐっしょり濡れながら、近路するために畑の中を歩いていた。それを見ると仁右衛門は「待て」といって呼びとめた。振向いた子供たちは「まだか」の立っているのを見ると三人とも恐ろしさに顔の色を変えてしまった。殴りつけられる時するように腕をまげて目八分の所にやって、逃げ出す事もし得ないでいた。 「童子連は何条いうて他人の畑さ踏み込んだ。百姓の餓鬼だに畑のう大事がる道知んねえだな。来う」  仁王立ちになって睨みすえながら彼れは怒鳴った。子供たちはもうおびえるように泣き出しながら恐ず恐ず仁右衛門の所に歩いて来た。待ちかまえた仁右衛門の鉄拳はいきなり十二ほどになる長女の痩せた頬をゆがむほどたたきつけた。三人の子供は一度に痛みを感じたように声を挙げてわめき出した。仁右衛門は長幼の容捨なく手あたり次第に殴りつけた。  小屋に帰ると妻は蓆の上にペッたんこに坐って馬にやる藁をざくりざくり切っていた。赤坊はいんちこの中で章魚のような頭を襤褸から出して、軒から滴り落ちる雨垂れを見やっていた。彼れの気分にふさわない重苦しさが漲って、運送店の店先に較べては何から何まで便所のように穢かった。彼は黙ったままで唾をはき捨てながら馬の始末をするとすぐまた外に出た。雨は膚まで沁み徹ってぞくぞく寒かった。彼れの癇癪は更らにつのった。彼れはすたすたと佐藤の小屋に出かけた。が、ふと集会所に行ってる事に気がつくとその足ですぐ神社をさして急いだ。  集会所には朝の中から五十人近い小作者が集って場主の来るのを待っていたが、昼過ぎまで待ちぼけを喰わされてしまった。場主はやがて帳場を伴につれて厚い外套を着てやって来た。上座に坐ると勿体らしく神社の方を向いて柏手を打って黙拝をしてから、居合わせてる者らには半分も解らないような事をしたり顔にいい聞かした。小作者らはけげんな顔をしながらも、場主の言葉が途切れると尤もらしくうなずいた。やがて小作者らの要求が笠井によって提出せらるべき順番が来た。彼れは先ず親方は親で小作は子だと説き出して、小作者側の要求をかなり強くいい張った跡で、それはしかし無理な御願いだとか、物の解らない自分たちが考える事だからだとか、そんな事は先ず後廻しでもいい事だとか、自分のいい出した事を自分で打壊すような添言葉を付加えるのを忘れなかった。仁右衛門はちょうどそこに行き合せた。彼れは入口の羽目板に身をよせてじっと聞いていた。 「こうまあ色々とお願いしたじゃからは、お互も心をしめて帳場さんにも迷惑をかけぬだけにはせずばなあ(ここで彼れは一同を見渡した様子だった)。『万国心をあわせてな』と天理教のお歌様にもある通り、定まった事は定まったようにせんとならんじゃが、多い中じゃに無理もないようなものの、亜麻などを親方、ぎょうさんつけたものもあって、まこと済まん次第じゃが、無理が通れば道理もひっこみよるで、なりませんじゃもし」  仁右衛門は場規もかまわず畑の半分を亜麻にしていた。で、その言葉は彼れに対するあてこすりのように聞こえた。 「今日なども顔を出しよらん横道者もありますじゃで……」  仁右衛門は怒りのために耳がかァんとなった。笠井はまだ何か滑らかにしゃべっていた。  場主がまだ何か訓示めいた事をいうらしかったが、やがてざわざわと人の立つ気配がした。仁右衛門は息気を殺して出て来る人々を窺がった。場主が帳場と一緒に、後から笠井に傘をさしかけさせて出て行った。労働で若年の肉を鍛えたらしい頑丈な場主の姿は、何所か人を憚からした。仁右衛門は笠井を睨みながら見送った。やや暫らくすると場内から急にくつろいだ談笑の声が起った。そして二、三人ずつ何か談り合いながら小作者らは小屋をさして帰って行った。やや遅れて伴れもなく出て来たのは佐藤だった。小さな後姿は若々しくって青年のようだった。仁右衛門は木の葉のように震えながらずかずかと近づくと、突然後ろからその右の耳のあたりを殴りつけた。不意を喰って倒れんばかりによろけた佐藤は、跡も見ずに耳を押えながら、猛獣の遠吠を聞いた兎のように、前に行く二、三人の方に一目散にかけ出してその人々を楯に取った。 「汝ゃ乞食か盗賊か畜生か。よくも汝が餓鬼どもさ教唆けて他人の畑こと踏み荒したな。殴ちのめしてくれずに。来」  仁右衛門は火の玉のようになって飛びかかった。当の二人と二、三人の留男とは毬になって赤土の泥の中をころげ廻った。折重なった人々がようやく二人を引分けた時は、佐藤は何所かしたたか傷を負って死んだように青くなっていた。仲裁したものはかかり合いからやむなく、仁右衛門に付添って話をつけるために佐藤の小屋まで廻り道をした。小屋の中では佐藤の長女が隅の方に丸まって痛い痛いといいながらまだ泣きつづけていた。炉を間に置いて佐藤の妻と広岡の妻とはさし向いに罵り合っていた。佐藤の妻は安座をかいて長い火箸を右手に握っていた。広岡の妻も背に赤ん坊を背負って、早口にいい募っていた。顔を血だらけにして泥まみれになった佐藤の跡から仁右衛門が這入って来るのを見ると、佐藤の妻は訳を聞く事もせずにがたがた震える歯を噛み合せて猿のように唇の間からむき出しながら仁右衛門の前に立ちはだかって、飛び出しそうな怒りの眼で睨みつけた。物がいえなかった。いきなり火箸を振上げた。仁右衛門は他愛もなくそれを奪い取った。噛みつこうとするのを押しのけた。そして仲裁者が一杯飲もうと勧めるのも聴かずに妻を促して自分の小屋に帰って行った。佐藤の妻は素跣のまま仁右衛門の背に罵詈を浴せながら怒精のようについて来た。そして小屋の前に立ちはだかって、囀るように半ば夢中で仁右衛門夫婦を罵りつづけた。  仁右衛門は押黙ったまま囲炉裡の横座に坐って佐藤の妻の狂態を見つめていた。それは仁右衛門には意外の結果だった。彼れの気分は妙にかたづかないものだった。彼れは佐藤の妻の自分から突然離れたのを怒ったりおかしく思ったり惜んだりしていた。仁右衛門が取合わないので彼女はさすがに小屋の中には這入らなかった。そして皺枯れた声でおめき叫びながら雨の中を帰って行ってしまった。仁右衛門の口の辺にはいかにも人間らしい皮肉な歪みが現われた。彼れは結局自分の智慧の足りなさを感じた。そしてままよと思っていた。  凡ての興味が全く去ったのを彼れは覚えた。彼れは少し疲れていた。始めて本統の事情を知った妻から嫉妬がましい執拗い言葉でも聞いたら少しの道楽気もなく、どれほどな残虐な事でもやり兼ねないのを知ると、彼れは少し自分の心を恐れねばならなかった。彼れは妻に物をいう機会を与えないために次から次へと命令を連発した。そして晩い昼飯をしたたか喰った。がらっと箸を措くと泥だらけなびしょぬれな着物のままでまたぶらりと小屋を出た。この村に這入りこんだ博徒らの張っていた賭場をさして彼の足はしょう事なしに向いて行った。      (五)  よくこれほどあるもんだと思わせた長雨も一カ月ほど降り続いて漸く晴れた。一足飛びに夏が来た。何時の間に花が咲いて散ったのか、天気になって見ると林の間にある山桜も、辛夷も青々とした広葉になっていた。蒸風呂のような気持ちの悪い暑さが襲って来て、畑の中の雑草は作物を乗りこえて葎のように延びた。雨のため傷められたに相異ないと、長雨のただ一つの功徳に農夫らのいい合った昆虫も、すさまじい勢で発生した。甘藍のまわりにはえぞしろちょうが夥しく飛び廻った。大豆にはくちかきむしの成虫がうざうざするほど集まった。麦類には黒穂の、馬鈴薯にはべと病の徴候が見えた。虻と蚋とは自然の斥候のようにもやもやと飛び廻った。濡れたままに積重ねておいた汚れ物をかけわたした小屋の中からは、あらん限りの農夫の家族が武具を持って畑に出た。自然に歯向う必死な争闘の幕は開かれた。  鼻歌も歌わずに、汗を肥料のように畑の土に滴らしながら、農夫は腰を二つに折って地面に噛り付いた。耕馬は首を下げられるだけ下げて、乾き切らない土の中に脚を深く踏みこみながら、絶えず尻尾で虻を追った。しゅっと音をたてて襲って来る毛の束にしたたか打れた虻は、血を吸って丸くなったまま、馬の腹からぽとりと地に落ちた。仰向けになって鋼線のような脚を伸したり縮めたりして藻掻く様は命の薄れるもののように見えた。暫くするとしかしそれはまた器用に翅を使って起きかえった。そしてよろよろと草の葉裏に這いよった。そして十四、五分の後にはまた翅をはってうなりを立てながら、眼を射るような日の光の中に勇ましく飛び立って行った。  夏物が皆無作というほどの不出来であるのに、亜麻だけは平年作位にはまわった。青天鵞絨の海となり、瑠璃色の絨氈となり、荒くれた自然の中の姫君なる亜麻の畑はやがて小紋のような果をその繊細な茎の先きに結んで美しい狐色に変った。 「こんなに亜麻をつけては仕様がねえでねえか。畑が枯れて跡地には何んだって出来はしねえぞ。困るな」  ある時帳場が見廻って来て、仁右衛門にこういった。 「俺らがも困るだ。汝れが困ると俺らが困るとは困りようが土台ちがわい。口が干上るんだあぞ俺がのは」  仁右衛門は突慳貪にこういい放った。彼れの前にあるおきては先ず食う事だった。  彼れはある日亜麻の束を見上げるように馬力に積み上げて倶知安の製線所に出かけた。製線所では割合に斤目をよく買ってくれたばかりでなく、他の地方が不作なために結実がなかったので、亜麻種を非常な高値で引取る約束をしてくれた。仁右衛門の懐の中には手取り百円の金が暖くしまわれた。彼れは畑にまだしこたま残っている亜麻の事を考えた。彼れは居酒屋に這入った。そこにはK村では見られないような綺麗な顔をした女もいた。仁右衛門の酒は必ずしも彼れをきまった型には酔わせなかった。或る時は彼れを怒りっぽく、或る時は悒鬱に、或る時は乱暴に、或る時は機嫌よくした。その日の酒は勿論彼れを上機嫌にした。一緒に飲んでいるものが利害関係のないのも彼れには心置きがなかった。彼れは酔うままに大きな声で戯談口をきいた。そういう時の彼れは大きな愚かな子供だった。居合せたものはつり込まれて彼れの周囲に集った。女まで引張られるままに彼れの膝に倚りかかって、彼れの頬ずりを無邪気に受けた。 「汝がの頬に俺が髭こ生えたらおかしかんべなし」  彼れはそんな事をいった。重いその口からこれだけの戯談が出ると女なぞは腹をかかえて笑った。陽がかげる頃に彼れは居酒屋を出て反物屋によって華手なモスリンの端切れを買った。またビールの小瓶を三本と油糟とを馬車に積んだ。倶知安からK村に通う国道はマッカリヌプリの山裾の椴松帯の間を縫っていた。彼れは馬力の上に安座をかいて瓶から口うつしにビールを煽りながら濁歌をこだまにひびかせて行った。幾抱えもある椴松は羊歯の中から真直に天を突いて、僅かに覗かれる空には昼月が少し光って見え隠れに眺められた。彼れは遂に馬力の上に酔い倒れた。物慣れた馬は凸凹の山道を上手に拾いながら歩いて行った。馬車はかしいだり跳ねたりした。その中で彼れは快い夢に入ったり、面白い現に出たりした。  仁右衛門はふと熟睡から破られて眼をさました。その眼にはすぐ川森爺さんの真面目くさった一徹な顔が写った。仁右衛門の軽い気分にはその顔が如何にもおかしかったので、彼れは起き上りながら声を立てて笑おうとした。そして自分が馬力の上にいて自分の小屋の前に来ている事に気がついた。小屋の前には帳場も佐藤も組長の某もいた。それはこの小屋の前では見慣れない光景だった。川森は仁右衛門が眼を覚ましたのを見ると、 「早う内さ行くべし。汝が嬰子はおっ死ぬべえぞ。赤痢さとッつかれただ」 といった。他愛のない夢から一足飛びにこの恐ろしい現実に呼びさまされた彼れの心は、最初に彼れの顔を高笑いにくずそうとしたが、すぐ次ぎの瞬間に、彼れの顔の筋肉を一度気にひきしめてしまった。彼れは顔中の血が一時に頭の中に飛び退いたように思った。仁右衛門は酔いが一時に醒めてしまって馬力から飛び下りた。小屋の中にはまだ二、三人人がいた。妻はと見ると虫の息に弱った赤坊の側に蹲っておいおい泣いていた。笠井が例の古鞄を膝に引つけてその中から護符のようなものを取出していた。 「お、広岡さんええ所に帰ったぞな」  笠井が逸早く仁右衛門を見付けてこういうと、仁右衛門の妻は恐れるように怨むように訴えるように夫を見返って、黙ったまま泣き出した。仁右衛門はすぐ赤坊の所に行って見た。章魚のような大きな頭だけが彼れの赤坊らしい唯一つのものだった。たった半日の中にこうも変るかと疑われるまでにその小さな物は衰え細っていた。仁右衛門はそれを見ると腹が立つほど淋しく心許なくなった。今まで経験した事のないなつかしさ可愛さが焼くように心に逼って来た。彼れは持った事のないものを強いて押付けられたように当惑してしまった。その押付けられたものは恐ろしく重い冷たいものだった。何よりも先ず彼れは腹の力の抜けて行くような心持ちをいまいましく思ったがどうしようもなかった。  勿体ぶって笠井が護符を押いただき、それで赤坊の腹部を呪文を称えながら撫で廻わすのが唯一の力に思われた。傍にいる人たちも奇蹟の現われるのを待つように笠井のする事を見守っていた。赤坊は力のない哀れな声で泣きつづけた。仁右衛門は腸をむしられるようだった。それでも泣いている間はまだよかった。赤坊が泣きやんで大きな眼を引つらしたまま瞬きもしなくなると、仁右衛門はおぞましくも拝むような眼で笠井を見守った。小屋の中は人いきれで蒸すように暑かった。笠井の禿上った額からは汗の玉がたらたらと流れ出た。それが仁右衛門には尊くさえ見えた。小半時赤坊の腹を撫で廻わすと、笠井はまた古鞄の中から紙包を出して押いただいた。そして口に手拭を喰わえてそれを開くと、一寸四方ほどな何か字の書いてある紙片を摘み出して指の先きで丸めた。水を持って来さしてそれをその中へ浸した。仁右衛門はそれを赤坊に飲ませろとさし出されたが、飲ませるだけの勇気もなかった。妻は甲斐甲斐しく良人に代った。渇き切っていた赤坊は喜んでそれを飲んだ。仁右衛門は有難いと思っていた。 「わしも子は亡くした覚えがあるで、お主の心持ちはようわかる。この子を助けようと思ったら何せ一心に天理王様に頼まっしゃれ。な。合点か。人間業では及ばぬ事じゃでな」  笠井はそういってしたり顔をした。仁右衛門の妻は泣きながら手を合せた。  赤坊は続けさまに血を下した。そして小屋の中が真暗になった日のくれぐれに、何物にか助けを求める成人のような表情を眼に現わして、あてどもなくそこらを見廻していたが、次第次第に息が絶えてしまった。  赤坊が死んでから村医は巡査に伴れられて漸くやって来た。香奠代りの紙包を持って帳場も来た。提灯という見慣れないものが小屋の中を出たり這入ったりした。仁右衛門夫婦の嗅ぎつけない石炭酸の香は二人を小屋から追出してしまった。二人は川森に付添われて西に廻った月の光の下にしょんぼり立った。  世話に来た人たちは一人去り二人去り、やがて川森も笠井も去ってしまった。  水を打ったような夜の涼しさと静かさとの中にかすかな虫の音がしていた。仁右衛門は何という事なしに妻が癪にさわってたまらなかった。妻はまた何という事なしに良人が憎まれてならなかった。妻は馬力の傍にうずくまり、仁右衛門はあてもなく唾を吐き散らしながら小屋の前を行ったり帰ったりした。よその農家でこの凶事があったら少くとも隣近所から二、三人の者が寄り合って、買って出した酒でも飲みちらしながら、何かと話でもして夜を更かすのだろう。仁右衛門の所では川森さえ居残っていないのだ。妻はそれを心から淋しく思ってしくしくと泣いていた。物の三時間も二人はそうしたままで何もせずにぼんやり小屋の前で月の光にあわれな姿をさらしていた。  やがて仁右衛門は何を思い出したのかのそのそと小屋の中に這入って行った。妻は眼に角を立てて首だけ後ろに廻わして洞穴のような小屋の入口を見返った。暫らくすると仁右衛門は赤坊を背負って、一丁の鍬を右手に提げて小屋から出て来た。 「ついて来う」  そういって彼れはすたすたと国道の方に出て行った。簡単な啼声で動物と動物とが互を理解し合うように、妻は仁右衛門のしようとする事が呑み込めたらしく、のっそりと立上ってその跡に随った。そしてめそめそと泣き続けていた。  夫婦が行き着いたのは国道を十町も倶知安の方に来た左手の岡の上にある村の共同墓地だった。そこの上からは松川農場を一面に見渡して、ルベシベ、ニセコアンの連山も川向いの昆布岳も手に取るようだった。夏の夜の透明な空気は青み亘って、月の光が燐のように凡ての光るものの上に宿っていた。蚊の群がわんわんうなって二人に襲いかかった。  仁右衛門は死体を背負ったまま、小さな墓標や石塔の立列った間の空地に穴を掘りだした。鍬の土に喰い込む音だけが景色に少しも調和しない鈍い音を立てた。妻はしゃがんだままで時々頬に来る蚊をたたき殺しながら泣いていた。三尺ほどの穴を掘り終ると仁右衛門は鍬の手を休めて額の汗を手の甲で押拭った。夏の夜は静かだった。その時突然恐ろしい考が彼れの吐胸を突いて浮んだ。彼れはその考に自分ながら驚いたように呆れて眼を見張っていたが、やがて大声を立てて頑童の如く泣きおめき始めた。その声は醜く物凄かった。妻はきょっとんとして、顔中を涙にしながら恐ろしげに良人を見守った。 「笠井の四国猿めが、嬰子事殺しただ。殺しただあ」  彼れは醜い泣声の中からそう叫んだ。  翌日彼れはまた亜麻の束を馬力に積もうとした。そこには華手なモスリンの端切れが乱雲の中に現われた虹のようにしっとり朝露にしめったまま穢ない馬力の上にしまい忘られていた。      (六)  狂暴な仁右衛門は赤坊を亡くしてから手がつけられないほど狂暴になった。その狂暴を募らせるように烈しい盛夏が来た。春先きの長雨を償うように雨は一滴も降らなかった。秋に収穫すべき作物は裏葉が片端から黄色に変った。自然に抵抗し切れない失望の声が、黙りこくった農夫の姿から叫ばれた。  一刻の暇もない農繁の真最中に馬市が市街地に立った。普段ならば人々は見向きもしないのだが、畑作をなげてしまった農夫らは、捨鉢な気分になって、馬の売買にでも多少の儲を見ようとしたから、前景気は思いの外強かった。当日には近村からさえ見物が来たほど賑わった。丁度農場事務所裏の空地に仮小屋が建てられて、爪まで磨き上げられた耕馬が三十頭近く集まった。その中で仁右衛門の出した馬は殊に人の眼を牽いた。  その翌日には競馬があった。場主までわざわざ函館からやって来た。屋台店や見世物小屋がかかって、祭礼に通有な香のむしむしする間を着飾った娘たちが、刺戟の強い色を振播いて歩いた。  競馬場の埒の周囲は人垣で埋った。三、四軒の農場の主人たちは決勝点の所に一段高く桟敷をしつらえてそこから見物した。松川場主の側には子供に付添って笠井の娘が坐っていた。その娘は二、三年前から函館に出て松川の家に奉公していたのだ。父に似て細面の彼女は函館の生活に磨きをかけられて、この辺では際立って垢抜けがしていた。競馬に加わる若い者はその妙齢な娘の前で手柄を見せようと争った。他人の妾に目星をつけて何になると皮肉をいうものもあった。  何しろ競馬は非常な景気だった。勝負がつく度に揚る喝采の声は乾いた空気を伝わって、人々を家の内にじっとさしては置かなかった。  仁右衛門はその頃博奕に耽っていた。始めの中はわざと負けて見せる博徒の手段に甘々と乗せられて、勢い込んだのが失敗の基で、深入りするほど損をしたが、損をするほど深入りしないではいられなかった。亜麻の収利は疾の昔にけし飛んでいた。それでも馬は金輪際売る気がなかった。剰す所は燕麦があるだけだったが、これは播種時から事務所と契約して、事務所から一手に陸軍糧秣廠に納める事になっていた。その方が競争して商人に売るのよりも割がよかったのだ。商人どもはこのボイコットを如何して見過していよう。彼らは農家の戸別訪問をして糧秣廠よりも遙かに高価に引受けると勧誘した。糧秣廠から買入代金が下ってもそれは一応事務所にまとまって下るのだ。その中から小作料だけを差引いて小作人に渡すのだから、農場としては小作料を回収する上にこれほど便利な事はない。小作料を払うまいと決心している仁右衛門は馬鹿な話だと思った。彼れは腹をきめた。そして競馬のために人の注意がおろそかになった機会を見すまして、商人と結托して、事務所へ廻わすべき燕麦をどんどん商人に渡してしまった。  仁右衛門はこの取引をすましてから競馬場にやって来た。彼れは自分の馬で競走に加わるはずになっていたからだ。彼れは裸乗りの名人だった。  自分の番が来ると彼れは鞍も置かずに自分の馬に乗って出て行った。人々はその馬を見ると敬意を払うように互にうなずき合って今年の糶では一番物だと賞め合った。仁右衛門はそういう私語を聞くといい気持ちになって、いやでも勝って見せるぞと思った。六頭の馬がスタートに近づいた。さっと旗が降りた時仁右衛門はわざと出おくれた。彼れは外の馬の跡から内埒へ内埒へとよって、少し手綱を引きしめるようにして駈けさした。ほてった彼の顔から耳にかけて埃を含んだ風が息気のつまるほどふきかかるのを彼れは快く思った。やがて馬場を八分目ほど廻った頃を計って手綱をゆるめると馬は思い存分頸を延ばしてずんずんおくれた馬から抜き出した。彼れが鞭とあおりで馬を責めながら最初から目星をつけていた先頭の馬に追いせまった時には決勝点が近かった。彼れはいらだってびしびしと鞭をくれた。始めは自分の馬の鼻が相手の馬の尻とすれすれになっていたが、やがて一歩一歩二頭の距離は縮まった。狂気のような喚呼が夢中になった彼れの耳にも明かに響いて来た。もう一息と彼れは思った。――その時突然桟敷の下で遊んでいた松川場主の子供がよたよたと埒の中へ這入った。それを見た笠井の娘は我れを忘れて駈け込んだ。「危ねえ」――観衆は一度に固唾を飲んだ。その時先頭にいた馬は娘の華手な着物に驚いたのか、さっときれて仁右衛門の馬の前に出た。と思う暇もなく仁右衛門は空中に飛び上って、やがて敲きつけられるように地面に転がっていた。彼れは気丈にも転がりながらすっくと起き上った。直ぐ彼れの馬の所に飛んで行った。馬はまだ起きていなかった。後趾で反動を取って起きそうにしては、前脚を折って倒れてしまった。訓練のない見物人は潮のように仁右衛門と馬とのまわりに押寄せた。  仁右衛門の馬は前脚を二足とも折ってしまっていた。仁右衛門は惘然したまま、不思議相な顔をして押寄せた人波を見守って立ってる外はなかった。  獣医の心得もある蹄鉄屋の顔を群集の中に見出してようやく正気に返った仁右衛門は、馬の始末を頼んですごすごと競馬場を出た。彼れは自分で何が何だかちっとも分らなかった。彼れは夢遊病者のように人の間を押分けて歩いて行った。事務所の角まで来ると何という事なしにいきなり路の小石を二つ三つ掴んで入口の硝子戸にたたきつけた。三枚ほどの硝子は微塵にくだけて飛び散った。彼れはその音を聞いた。それはしかし耳を押えて聞くように遠くの方で聞こえた。彼れは悠々としてまたそこを歩み去った。  彼れが気がついた時には、何方をどう歩いたのか、昆布岳の下を流れるシリベシ河の河岸の丸石に腰かけてぼんやり河面を眺めていた。彼れの眼の前を透明な水が跡から跡から同じような渦紋を描いては消し描いては消して流れていた。彼れはじっとその戯れを見詰めながら、遠い過去の記憶でも追うように今日の出来事を頭の中で思い浮べていた。凡ての事が他人事のように順序よく手に取るように記憶に甦った。しかし自分が放り出される所まで来ると記憶の糸はぷっつり切れてしまった。彼れはそこの所を幾度も無関心に繰返した。笠井の娘――笠井の娘――笠井の娘がどうしたんだ――彼れは自問自答した。段々眼がかすんで来た。笠井の娘……笠井……笠井だな馬を片輪にしたのは。そう考えても笠井は彼れに全く関係のない人間のようだった。その名は彼れの感情を少しも動かす力にはならなかった。彼れはそうしたままで深い眠りに落ちてしまった。  彼れは夜中になってからひょっくり小屋に帰って来た。入口からぷんと石炭酸の香がした。それを嗅ぐと彼れは始めて正気に返って改めて自分の小屋を物珍らしげに眺めた。そうなると彼れは夢からさめるようにつまらない現実に帰った。鈍った意識の反動として細かい事にも鋭く神経が働き出した。石炭酸の香は何よりも先ず死んだ赤坊を彼れに思い出さした。もし妻に怪我でもあったのではなかったか――彼れは炉の消えて真闇な小屋の中を手さぐりで妻を尋ねた。眼をさまして起きかえった妻の気配がした。 「今頃まで何所さいただ。馬は村の衆が連れて帰ったに。傷しい事べおっびろげてはあ」  妻は眠っていなかったようなはっきりした声でこういった。彼れは闇に慣れて来た眼で小屋の片隅をすかして見た。馬は前脚に重味がかからないように、腹に蓆をあてがって胸の所を梁からつるしてあった。両方の膝頭は白い切れで巻いてあった。その白い色が凡て黒い中にはっきりと仁右衛門の眼に映った。石炭酸の香はそこから漂って来るのだった。彼れは火の気のない囲炉裡の前に、草鞋ばきで頭を垂れたまま安座をかいた。馬もこそっとも音をさせずに黙っていた。蚊のなく声だけが空気のささやきのようにかすかに聞こえていた。仁右衛門は膝頭で腕を組み合せて、寝ようとはしなかった。馬と彼れは互に憐れむように見えた。  しかし翌日になると彼れはまたこの打撃から跳ね返っていた。彼れは前の通りな狂暴な彼れになっていた。彼れはプラオを売って金に代えた。雑穀屋からは、燕麦が売れた時事務所から直接に代価を支払うようにするからといって、麦や大豆の前借りをした。そして馬力を頼んでそれを自分の小屋に運ばして置いて、賭場に出かけた。  競馬の日の晩に村では一大事が起った。その晩おそくまで笠井の娘は松川の所に帰って来なかった。こんな晩に若い男女が畑の奥や森の中に姿を隠すのは珍らしい事でもないので初めの中は打捨てておいたが、余りおそくなるので、笠井の小屋を尋ねさすとそこにもいなかった。笠井は驚いて飛んで来た。しかし広い山野をどう探しようもなかった。夜のあけあけに大捜索が行われた。娘は河添の窪地の林の中に失神して倒れていた。正気づいてから聞きただすと、大きな男が無理やりに娘をそこに連れて行って残虐を極めた辱かしめかたをしたのだと判った。笠井は広岡の名をいってしたり顔に小首を傾けた。事務所の硝子を広岡がこわすのを見たという者が出て来た。  犯人の捜索は極めて秘密に、同時にこんな田舎にしては厳重に行われた。場主の松川は少からざる懸賞までした。しかし手がかりは皆目つかなかった。疑いは妙に広岡の方にかかって行った。赤坊を殺したのは笠井だと広岡の始終いうのは誰でも知っていた。広岡の馬を躓かしたのは間接ながら笠井の娘の仕業だった。蹄鉄屋が馬を広岡の所に連れて行ったのは夜の十時頃だったが広岡は小屋にいなかった。その晩広岡を村で見かけたものは一人もなかった。賭場にさえいなかった。仁右衛門に不利益な色々な事情は色々に数え上げられたが、具体的な証拠は少しも上らないで夏がくれた。  秋の収穫時になるとまた雨が来た。乾燥が出来ないために、折角実ったものまで腐る始末だった。小作はわやわやと事務所に集って小作料割引の歎願をしたが無益だった。彼らは案の定燕麦売揚代金の中から厳密に小作料を控除された。来春の種子は愚か、冬の間を支える食料も満足に得られない農夫が沢山出来た。  その間にあって仁右衛門だけは燕麦の事で事務所に破約したばかりでなく、一文の小作料も納めなかった。綺麗に納めなかった。始めの間帳場はなだめつすかしつして幾らかでも納めさせようとしたが、如何しても応じないので、財産を差押えると威脅した。仁右衛門は平気だった。押えようといって何を押えようぞ、小屋の代金もまだ事務所に納めてはなかった。彼れはそれを知りぬいていた。事務所からは最後の手段として多少の損はしても退場さすと迫って来た。しかし彼れは頑として動かなかった。ペテンにかけられた雑穀屋をはじめ諸商人は貸金の元金は愚か利子さえ出させる事が出来なかった。      (七) 「まだか」、この名は村中に恐怖を播いた。彼れの顔を出す所には人々は姿を隠した。川森さえ疾の昔に仁右衛門の保証を取消して、仁右衛門に退場を迫る人となっていた。市街地でも農場内でも彼れに融通をしようというものは一人もなくなった。佐藤の夫婦は幾度も事務所に行って早く広岡を退場させてくれなければ自分たちが退場すると申出た。駐在巡査すら広岡の事件に関係する事を体よく避けた。笠井の娘を犯したものは――何らの証拠がないにもかかわらず――仁右衛門に相違ないときまってしまった。凡て村の中で起ったいかがわしい出来事は一つ残らず仁右衛門になすりつけられた。  仁右衛門は押太とく腹を据えた。彼れは自分の夢をまだ取消そうとはしなかった。彼れの後悔しているものは博奕だけだった。来年からそれにさえ手を出さなければ、そして今年同様に働いて今年同様の手段を取りさえすれば、三、四年の間に一かど纏まった金を作るのは何でもないと思った。いまに見かえしてくれるから――そう思って彼れは冬を迎えた。  しかし考えて見ると色々な困難が彼れの前には横わっていた。食料は一冬事かかぬだけはあっても、金は哀れなほどより貯えがなかった。馬は競馬以来廃物になっていた。冬の間稼ぎに出れば、その留守に気の弱い妻が小屋から追立てを喰うのは知れ切っていた。といって小屋に居残れば居食いをしている外はないのだ。来年の種子さえ工面のしようのないのは今から知れ切っていた。  焚火にあたって、きかなくなった馬の前脚をじっと見つめながらも考えこんだまま暮すような日が幾日も続いた。  佐藤をはじめ彼れの軽蔑し切っている場内の小作者どもは、おめおめと小作料を搾取られ、商人に重い前借をしているにもかかわらず、とにかくさした屈托もしないで冬を迎えていた。相当の雪囲いの出来ないような小屋は一つもなかった。貧しいなりに集って酒も飲み合えば、助け合いもした。仁右衛門には人間がよってたかって彼れ一人を敵にまわしているように見えた。  冬は遠慮なく進んで行った。見渡す大空が先ず雪に埋められたように何所から何所まで真白になった。そこから雪は滾々としてとめ度なく降って来た。人間の哀れな敗残の跡を物語る畑も、勝ちほこった自然の領土である森林も等しなみに雪の下に埋れて行った。一夜の中に一尺も二尺も積り重なる日があった。小屋と木立だけが空と地との間にあって汚ない斑点だった。  仁右衛門はある日膝まで這入る雪の中をこいで事務所に出かけて行った。いくらでもいいから馬を買ってくれろと頼んで見た。帳場はあざ笑って脚の立たない馬は、金を喰う機械見たいなものだといった。そして竹箆返しに跡釜が出来たから小屋を立退けと逼った。愚図愚図していると今までのような煮え切らない事はして置かない、この村の巡査でまにあわなければ倶知安からでも頼んで処分するからそう思えともいった。仁右衛門は帳場に物をいわれると妙に向腹が立った。鼻をあかしてくれるから見ておれといい捨てて小屋に帰った。  金を喰う機械――それに違いなかった。仁右衛門は不愍さから今まで馬を生かして置いたのを後悔した。彼れは雪の中に馬を引張り出した。老いぼれたようになった馬はなつかしげに主人の手に鼻先きを持って行った。仁右衛門は右手に隠して持っていた斧で眉間を喰らわそうと思っていたが、どうしてもそれが出来なかった。彼れはまた馬を牽いて小屋に帰った。  その翌日彼れは身仕度をして函館に出懸けた。彼れは場主と一喧嘩して笠井の仕遂せなかった小作料の軽減を実行させ、自分も農場にいつづき、小作者の感情をも柔らげて少しは自分を居心地よくしようと思ったのだ。彼れは汽車の中で自分のいい分を十分に考えようとした。しかし列車の中の沢山の人の顔はもう彼れの心を不安にした。彼れは敵意をふくんだ眼で一人一人睨めつけた。  函館の停車場に着くと彼はもうその建物の宏大もないのに胆をつぶしてしまった。不恰好な二階建ての板家に過ぎないのだけれども、その一本の柱にも彼れは驚くべき費用を想像した。彼れはまた雪のかきのけてある広い往来を見て驚いた。しかし彼れの誇りはそんな事に敗けてはいまいとした。動ともするとおびえて胸の中ですくみそうになる心を励まし励まし彼れは巨人のように威丈高にのそりのそりと道を歩いた。人々は振返って自然から今切り取ったばかりのようなこの男を見送った。  やがて彼れは松川の屋敷に這入って行った。農場の事務所から想像していたのとは話にならないほどちがった宏大な邸宅だった。敷台を上る時に、彼れはつまごを脱いでから、我れにもなく手拭を腰から抜いて足の裏を綺麗に押拭った。澄んだ水の表面の外に、自然には決してない滑らかに光った板の間の上を、彼れは気味の悪い冷たさを感じながら、奥に案内されて行った。美しく着飾った女中が主人の部屋の襖をあけると、息気のつまるような強烈な不快な匂が彼れの鼻を強く襲った。そして部屋の中は夏のように暑かった。  板よりも固い畳の上には所々に獣の皮が敷きつめられていて、障子に近い大きな白熊の毛皮の上の盛上るような座蒲団の上に、はったんの褞袍を着こんだ場主が、大火鉢に手をかざして安座をかいていた。仁右衛門の姿を見るとぎろっと睨みつけた眼をそのまま床の方に振り向けた。仁右衛門は場主の一眼でどやし付けられて這入る事も得せずに逡みしていると、場主の眼がまた床の間からこっちに帰って来そうになった。仁右衛門は二度睨みつけられるのを恐れるあまりに、無器用な足どりで畳の上ににちゃっにちゃっと音をさせながら場主の鼻先きまでのそのそ歩いて行って、出来るだけ小さく窮屈そうに坐りこんだ。 「何しに来た」  底力のある声にもう一度どやし付けられて、仁右衛門は思わず顔を挙げた。場主は真黒な大きな巻煙草のようなものを口に銜えて青い煙をほがらかに吹いていた。そこからは気息づまるような不快な匂が彼れの鼻の奥をつんつん刺戟した。 「小作料の一文も納めないで、どの面下げて来臭った。来年からは魂を入れかえろ。そして辞儀の一つもする事を覚えてから出直すなら出直して来い。馬鹿」  そして部屋をゆするような高笑が聞こえた。仁右衛門が自分でも分らない事を寝言のようにいうのを、始めの間は聞き直したり、補ったりしていたが、やがて場主は堪忍袋を切らしたという風にこう怒鳴ったのだ。仁右衛門は高笑いの一とくぎりごとに、たたかれるように頭をすくめていたが、辞儀もせずに夢中で立上った。彼れの顔は部屋の暑さのためと、のぼせ上ったために湯気を出さんばかり赤くなっていた。  仁右衛門はすっかり打摧かれて自分の小さな小屋に帰った。彼れには農場の空の上までも地主の頑丈そうな大きな手が広がっているように思えた。雪を含んだ雲は気息苦しいまでに彼れの頭を押えつけた。「馬鹿」その声は動ともすると彼れの耳の中で怒鳴られた。何んという暮しの違いだ。何んという人間の違いだ。親方が人間なら俺れは人間じゃない。俺れが人間なら親方は人間じゃない。彼れはそう思った。そして唯呆れて黙って考えこんでしまった。  粗朶がぶしぶしと燻ぶるその向座には、妻が襤褸につつまれて、髪をぼうぼうと乱したまま、愚かな眼と口とを節孔のように開け放してぼんやり坐っていた。しんしんと雪はとめ度なく降り出して来た。妻の膝の上には赤坊もいなかった。  その晩から天気は激変して吹雪になった。翌朝仁右衛門が眼をさますと、吹き込んだ雪が足から腰にかけて薄ら積っていた。鋭い口笛のようなうなりを立てて吹きまく風は、小屋をめきりめきりとゆすぶり立てた。風が小凪ぐと滅入るような静かさが囲炉裡まで逼って来た。  仁右衛門は朝から酒を欲したけれども一滴もありようはなかった。寝起きから妙に思い入っているようだった彼れは、何かのきっかけに勢よく立ち上って、斧を取上げた。そして馬の前に立った。馬はなつかしげに鼻先きをつき出した。仁右衛門は無表情な顔をして口をもごもごさせながら馬の眼と眼との間をおとなしく撫でていたが、いきなり体を浮かすように後ろに反らして斧を振り上げたと思うと、力まかせにその眉間に打ちこんだ。うとましい音が彼れの腹に応えて、馬は声も立てずに前膝をついて横倒しにどうと倒れた。痙攣的に後脚で蹴るようなまねをして、潤みを持った眼は可憐にも何かを見詰めていた。 「やれ怖い事するでねえ、傷ましいまあ」  すすぎ物をしていた妻は、振返ってこの様を見ると、恐ろしい眼付きをしておびえるように立上りながらこういった。 「黙れってば。物いうと汝れもたたき殺されっぞ」  仁右衛門は殺人者が生き残った者を脅かすような低い皺枯れた声でたしなめた。  嵐が急にやんだように二人の心にはかーんとした沈黙が襲って来た。仁右衛門はだらんと下げた右手に斧をぶらさげたまま、妻は雑巾のように汚い布巾を胸の所に押しあてたまま、憚るように顔を見合せて突立っていた。 「ここへ来う」  やがて仁右衛門は呻くように斧を一寸動かして妻を呼んだ。  彼れは妻に手伝わせて馬の皮を剥ぎ始めた。生臭い匂が小屋一杯になった。厚い舌をだらりと横に出した顔だけの皮を残して、馬はやがて裸身にされて藁の上に堅くなって横わった。白い腱と赤い肉とが無気味な縞となってそこに曝らされた。仁右衛門は皮を棒のように巻いて藁繩でしばり上げた。  それから仁右衛門のいうままに妻は小屋の中を片付けはじめた。背負えるだけは雑穀も荷造りして大小二つの荷が出来た。妻は良人の心持ちが分るとまた長い苦しい漂浪の生活を思いやっておろおろと泣かんばかりになったが、夫の荒立った気分を怖れて涙を飲みこみ飲みこみした。仁右衛門は小屋の真中に突立って隅から隅まで目測でもするように見廻した。二人は黙ったままでつまごをはいた。妻が風呂敷を被って荷を背負うと仁右衛門は後ろから助け起してやった。妻はとうとう身を震わして泣き出した。意外にも仁右衛門は叱りつけなかった。そして自分は大きな荷を軽々と背負い上げてその上に馬の皮を乗せた。二人は言い合せたようにもう一度小屋を見廻した。  小屋の戸を開けると顔向けも出来ないほど雪が吹き込んだ。荷を背負って重くなった二人の体はまだ堅くならない白い泥の中に腰のあたりまで埋まった。  仁右衛門は一旦戸外に出てから待てといって引返して来た。荷物を背負ったままで、彼れは藁繩の片っ方の端を囲炉裡にくべ、もう一つの端を壁際にもって行ってその上に細く刻んだ馬糧の藁をふりかけた。  天も地も一つになった。颯と風が吹きおろしたと思うと、積雪は自分の方から舞い上るように舞上った。それが横なぐりに靡いて矢よりも早く空を飛んだ。佐藤の小屋やそのまわりの木立は見えたり隠れたりした。風に向った二人の半身は忽ち白く染まって、細かい針で絶間なく刺すような刺戟は二人の顔を真赤にして感覚を失わしめた。二人は睫毛に氷りつく雪を打振い打振い雪の中をこいだ。  国道に出ると雪道がついていた。踏み堅められない深みに落ちないように仁右衛門は先きに立って瀬踏みをしながら歩いた。大きな荷を背負った二人の姿はまろびがちに少しずつ動いて行った。共同墓地の下を通る時、妻は手を合せてそっちを拝みながら歩いた――わざとらしいほど高い声を挙げて泣きながら。二人がこの村に這入った時は一頭の馬も持っていた。一人の赤坊もいた。二人はそれらのものすら自然から奪い去られてしまったのだ。  その辺から人家は絶えた。吹きつける雪のためにへし折られる枯枝がややともすると投槍のように襲って来た。吹きまく風にもまれて木という木は魔女の髪のように乱れ狂った。  二人の男女は重荷の下に苦しみながら少しずつ倶知安の方に動いて行った。  椴松帯が向うに見えた。凡ての樹が裸かになった中に、この樹だけは幽鬱な暗緑の葉色をあらためなかった。真直な幹が見渡す限り天を衝いて、怒濤のような風の音を籠めていた。二人の男女は蟻のように小さくその林に近づいて、やがてその中に呑み込まれてしまった。 (一九一七、六、一三、鶏鳴を聞きつつ擱筆)
底本:「カインの末裔 クララの出家」岩波文庫、岩波書店    1940(昭和15)年9月10日第1刷発行    1980(昭和55)年5月16日第25刷改版発行    1990(平成2)年4月15日第35刷発行 底本の親本:「有島武郎著作集 第三輯」新潮社    1918(大正7)年2月刊 初出:「新小説」    1917(大正6)年7月号 入力:鈴木厚司 校正:地田尚 2000年3月4日公開 2005年9月24日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 ポチの鳴き声でぼくは目がさめた。  ねむたくてたまらなかったから、うるさいなとその鳴き声をおこっているまもなく、真赤な火が目に映ったので、おどろいて両方の目をしっかり開いて見たら、戸だなの中じゅうが火になっているので、二度おどろいて飛び起きた。そうしたらぼくのそばに寝ているはずのおばあさまが何か黒い布のようなもので、夢中になって戸だなの火をたたいていた。なんだか知れないけれどもぼくはおばあさまの様子がこっけいにも見え、おそろしくも見えて、思わずその方に駆けよった。そうしたらおばあさまはだまったままでうるさそうにぼくをはらいのけておいてその布のようなものをめったやたらにふり回した。それがぼくの手にさわったらぐしょぐしょにぬれているのが知れた。 「おばあさま、どうしたの?」  と聞いてみた。おばあさまは戸だなの中の火の方ばかり見て答えようともしない。ぼくは火事じゃないかと思った。  ポチが戸の外で気ちがいのように鳴いている。  部屋の中は、障子も、壁も、床の間も、ちがいだなも、昼間のように明るくなっていた。おばあさまの影法師が大きくそれに映って、怪物か何かのように動いていた。ただおばあさまがぼくに一言も物をいわないのが変だった。急に唖になったのだろうか。そしていつものようにはかわいがってくれずに、ぼくが近寄ってもじゃま者あつかいにする。  これはどうしても大変だとぼくは思った。ぼくは夢中になっておばあさまにかじりつこうとした。そうしたらあんなに弱いおばあさまがだまったままで、いやというほどぼくをはらいのけたのでぼくはふすまのところまでけし飛ばされた。  火事なんだ。おばあさまが一人で消そうとしているんだ。それがわかるとおばあさま一人ではだめだと思ったから、ぼくはすぐ部屋を飛び出して、おとうさんとおかあさんとが寝ている離れの所へ行って、 「おとうさん……おかあさん……」  と思いきり大きな声を出した。  ぼくの部屋の外で鳴いていると思ったポチがいつのまにかそこに来ていて、きゃんきゃんとひどく鳴いていた。ぼくが大きな声を出すか出さないかに、おかあさんが寝巻きのままで飛び出して来た。 「どうしたというの?」  とおかあさんはないしょ話のような小さな声で、ぼくの両肩をしっかりおさえてぼくに聞いた。 「たいへんなの……」 「たいへんなの、ぼくの部屋が火事になったよう」といおうとしたが、どうしても「大変なの」きりであとは声が出なかった。  おかあさんの手はふるえていた。その手がぼくの手を引いて、ぼくの部屋の方に行ったが、あけっぱなしになっているふすまの所から火が見えたら、おかあさんはいきなり「あれえ」といって、ぼくの手をふりはなすなり、その部屋に飛びこもうとした。ぼくはがむしゃらにおかあさんにかじりついた。その時おかあさんははじめてそこにぼくのいるのに気がついたように、うつ向いてぼくの耳の所に口をつけて、 「早く早くおとうさんをお起こしして……それからお隣に行って、……お隣のおじさんを起こすんです、火事ですって……いいかい、早くさ」  そんなことをおかあさんはいったようだった。  そこにおとうさんも走って来た。ぼくはおとうさんにはなんにもいわないで、すぐ上がり口に行った。そこは真暗だった。はだしで土間に飛びおりて、かけがねをはずして戸をあけることができた。すぐ飛び出そうとしたけれども、はだしだと足をけがしておそろしい病気になるとおかあさんから聞いていたから、暗やみの中で手さぐりにさぐったら大きなぞうりがあったから、だれのだか知らないけれどもそれをはいて戸外に飛び出した。戸外も真暗で寒かった。ふだんなら気味が悪くって、とても夜中にひとりで歩くことなんかできないのだけれども、その晩だけはなんともなかった。ただ何かにつまずいてころびそうなので、思いきり足を高く上げながら走った。ぼくを悪者とでも思ったのか、いきなりポチが走って来て、ほえながら飛びつこうとしたが、すぐぼくだと知れると、ぼくの前になったりあとになったりして、門の所まで追っかけて来た。そしてぼくが門を出たら、しばらくぼくを見ていたが、すぐ変な鳴き声を立てながら家の方に帰っていってしまった。  ぼくも夢中で駆けた。お隣のおじさんの門をたたいて、 「火事だよう!」  と二、三度どなった。その次の家も起こすほうがいいと思ってぼくは次の家の門をたたいてまたどなった。その次にも行った。そして自分の家の方を見ると、さっきまで真暗だったのに、屋根の下の所あたりから火がちょろちょろと燃え出していた。ぱちぱちとたき火のような音も聞こえていた。ポチの鳴き声もよく聞こえていた。  ぼくの家は町からずっとはなれた高台にある官舎町にあったから、ぼくが「火事だよう」といって歩いた家はみんな知った人の家だった。あとをふりかえって見ると、二人三人黒い人影がぼくの家の方に走って行くのが見える。ぼくはそれがうれしくって、なおのこと、次の家から次の家へとどなって歩いた。  二十軒ぐらいもそうやってどなって歩いたら、自分の家からずいぶん遠くに来てしまっていた。すこし気味が悪くなってぼくは立ちどまってしまった。そしてもう一度家の方を見た。もう火はだいぶ燃え上がって、そこいらの木や板べいなんかがはっきりと絵にかいたように見えた。風がないので、火はまっすぐに上の方に燃えて、火の子が空の方に高く上がって行った。ぱちぱちという音のほかに、ぱんぱんと鉄砲をうつような音も聞こえていた。立ちどまってみると、ぼくのからだはぶるぶるふるえて、ひざ小僧と下あごとががちがち音を立てるかと思うほどだった。急に家がこいしくなった。おばあさまも、おとうさんも、おかあさんも、妹や弟たちもどうしているだろうと思うと、とてもその先までどなって歩く気にはなれないで、いきなり来た道を夢中で走りだした。走りながらもぼくは燃え上がる火から目をはなさなかった。真暗ななかに、ぼくの家だけがたき火のように明るかった。顔までほてってるようだった。何か大きな声でわめき合う人の声がした。そしてポチの気ちがいのように鳴く声が。  町の方からは半鐘も鳴らないし、ポンプも来ない。ぼくはもうすっかり焼けてしまうと思った。明日からは何を食べて、どこに寝るのだろうと思いながら、早くみんなの顔が見たさにいっしょうけんめいに走った。  家のすこし手前で、ぼくは一人の大きな男がこっちに走って来るのに会った。よく見るとその男は、ぼくの妹と弟とを両脇にしっかりとかかえていた。妹も弟も大きな声を出して泣いていた。ぼくはいきなりその大きな男は人さらいだと思った。官舎町の後ろは山になっていて、大きな森の中の古寺に一人の乞食が住んでいた。ぼくたちが戦ごっこをしに山に遊びに行って、その乞食を遠くにでも見つけたら最後、大急ぎで、「人さらいが来たぞ」といいながらにげるのだった。その乞食の人はどんなことがあっても駆けるということをしないで、ぼろを引きずったまま、のそりのそりと歩いていたから、それにとらえられる気づかいはなかったけれども、遠くの方からぼくたちのにげるのを見ながら、牛のような声でおどかすことがあった。ぼくたちはその乞食を何よりもこわがった。ぼくはその乞食が妹と弟とをさらって行くのだと思った。うまいことには、その人はぼくのそこにいるのには気がつかないほどあわてていたとみえて、知らん顔をして、ぼくのそばを通りぬけて行った。ぼくはその人をやりすごして、すこしの間どうしようかと思っていたが、妹や弟のいどころが知れなくなってしまっては大変だと気がつくと、家に帰るのはやめて、大急ぎでその男のあとを追いかけた。その人はほんとうに早かった。はいている大きなぞうりがじゃまになってぬぎすてたくなるほどだった。  その人は、大きな声で泣きつづけている妹たちをこわきにかかえたまま、どんどん石垣のある横町へと曲がって行くので、ぼくはだんだん気味が悪くなってきたけれども、火事どころのさわぎではないと思って、ほおかぶりをして尻をはしょったその人の後ろから、気づかれないようにくっついて行った。そうしたらその人はやがて橋本さんという家の高い石段をのぼり始めた。見るとその石段の上には、橋本さんの人たちが大ぜい立って、ぼくの家の方を向いて火事をながめていた。そこに乞食らしい人がのぼって行くのだから、ぼくはすこし変だと思った。そうすると、橋本のおばさんが、上からいきなりその男の人に声をかけた。 「あなた帰っていらしったんですか……ひどくなりそうですね」  そうしたら、その乞食らしい人が、 「子どもさんたちがけんのんだから連れて来たよ。竹男さんだけはどこに行ったかどうも見えなんだ」  と妹や弟を軽々とかつぎ上げながらいった。なんだ。乞食じゃなかったんだ。橋本のおじさんだったんだ。ぼくはすっかりうれしくなってしまって、すぐ石段を上って行った。 「あら、竹男さんじゃありませんか」  と目早くぼくを見つけてくれたおばさんがいった。橋本さんの人たちは家じゅうでぼくたちを家の中に連れこんだ。家の中には燈火がかんかんとついて、真暗なところを長い間歩いていたぼくにはたいへんうれしかった。寒いだろうといった。葛湯をつくったり、丹前を着せたりしてくれた。そうしたらぼくはなんだか急に悲しくなった。家にはいってから泣きやんでいた妹たちも、ぼくがしくしく泣きだすといっしょになって大きな声を出しはじめた。  ぼくたちはその家の窓から、ぶるぶるふるえながら、自分の家の焼けるのを見て夜を明かした。ぼくたちをおくとすぐまた出かけて行った橋本のおじさんが、びっしょりぬれてどろだらけになって、人ちがいするほど顔がよごれて帰って来たころには、夜がすっかり明けはなれて、ぼくの家の所からは黒いけむりと白いけむりとが別々になって、よじれ合いながらもくもくと立ち上っていた。 「安心なさい。母屋は焼けたけれども離れだけは残って、おとうさんもおかあさんもみんなけがはなかったから……そのうちに連れて帰ってあげるよ。けさの寒さは格別だ。この一面の霜はどうだ」  といいながら、おじさんは井戸ばたに立って、あたりをながめまわしていた。ほんとうに井戸がわまでが真白になっていた。  橋本さんで朝御飯のごちそうになって、太陽が茂木の別荘の大きな槙の木の上に上ったころ、ぼくたちはおじさんに連れられて家に帰った。  いつのまに、どこからこんなに来たろうと思うほど大ぜいの人がけんか腰になって働いていた。どこからどこまで大雨のあとのようにびしょびしょなので、ぞうりがすぐ重くなって足のうらが気味悪くぬれてしまった。  離れに行ったら、これがおばあさまか、これがおとうさんか、おかあさんかとおどろくほどにみんな変わっていた。おかあさんなんかは一度も見たことのないような変な着物を着て、髪の毛なんかはめちゃくちゃになって、顔も手もくすぶったようになっていた。ぼくたちを見るといきなり駆けよって来て、三人を胸のところに抱きしめて、顔をぼくたちの顔にすりつけてむせるように泣きはじめた。ぼくたちはすこし気味が悪く思ったくらいだった。  変わったといえば家の焼けあとの変わりようもひどいものだった。黒こげの材木が、積み木をひっくり返したように重なりあって、そこからけむりがくさいにおいといっしょにやって来た。そこいらが広くなって、なんだかそれを見るとおかあさんじゃないけれども涙が出てきそうだった。  半分こげたり、びしょびしょにぬれたりした焼け残りの荷物といっしょに、ぼくたち六人は小さな離れでくらすことになった。御飯は三度三度官舎の人たちが作って来てくれた。熱いにぎり飯はうまかった。ごまのふってあるのや、中から梅干しの出てくるのや、海苔でそとを包んであるのや……こんなおいしい御飯を食べたことはないと思うほどだった。  火はどろぼうがつけたのらしいということがわかった。井戸のつるべなわが切ってあって水をくむことができなくなっていたのと、短刀が一本火に焼けて焼けあとから出てきたので、どろぼうでもするような人のやったことだと警察の人が来て見こみをつけた。それを聞いておかあさんはようやく安心ができたといった。おとうさんは二、三日の間、毎日警察に呼び出されて、しじゅう腹をたてていた。おばあさまは、自分の部屋から火事が出たのを見つけだした時は、あんまり仰天して口がきけなくなったのだそうだけれども、火事がすむとやっと物がいえるようになった。そのかわり、すこし病気になって、せまい部屋のかたすみに床を取ってねたきりになっていた。  ぼくたちは、火事のあった次の日からは、いつものとおりの気持になった。そればかりではない、かえってふだんよりおもしろいくらいだった。毎日三人で焼けあとに出かけていって、人足の人なんかに、じゃまだ、あぶないといわれながら、いろいろのものを拾い出して、めいめいで見せあったり、取りかえっこしたりした。  火事がすんでから三日めに、朝目をさますとおばあさまがあわてるようにポチはどうしたろうとおかあさんにたずねた。おばあさまはポチがひどい目にあった夢を見たのだそうだ。あの犬がほえてくれたばかりで、火事が起こったのを知ったので、もしポチが知らしてくれなければ焼け死んでいたかもしれないとおばあさまはいった。  そういえばほんとうにポチはいなくなってしまった。朝起きた時にも、焼けあとに遊びに行ってる時にも、なんだか一つ足らないものがあるようだったが、それはポチがいなかったんだ。ぼくがおこしに行く前に、ポチは離れに来て雨戸をがりがり引っかきながら、悲しそうにほえたので、おとうさんもおかあさんも目をさましていたのだとおかあさんもいった。そんな忠義なポチがいなくなったのを、ぼくたちはみんなわすれてしまっていたのだ。ポチのことを思い出したら、ぼくは急にさびしくなった。ポチは、妹と弟とをのければ、ぼくのいちばんすきな友だちなんだ。居留地に住んでいるおとうさんの友だちの西洋人がくれた犬で、耳の長い、尾のふさふさした大きな犬。長い舌を出してぺろぺろとぼくや妹の頸の所をなめて、くすぐったがらせる犬、けんかならどの犬にだって負けない犬、めったにほえない犬、ほえると人でも馬でもこわがらせる犬、ぼくたちを見るときっと笑いながら駆けつけて来て飛びつく犬、芸当はなんにもできないくせに、なんだかかわいい犬、芸当をさせようとすると、はずかしそうに横を向いてしまって、大きな目を細くする犬。どうしてぼくはあのだいじな友だちがいなくなったのを、今日まで思い出さずにいたろうと思った。  ぼくはさびしいばかりじゃない、くやしくなった。妹と弟にそういって、すぐポチをさがしはじめた。三人で手分けをして庭に出て、大きな声で「ポチ……ポチ……ポチ来いポチ来い」とよんで歩いた。官舎町を一軒一軒聞いて歩いた。ポチが来てはいませんか。いません。どこかで見ませんでしたか。見ません。どこでもそういう返事だった。ぼくたちは腹もすかなくなってしまった。御飯だといって、女中がよびに来たけれども帰らなかった。茂木の別荘の方から、乞食の人が住んでいる山の森の方へも行った。そして時々大きな声を出してポチの名をよんでみた。そして立ちどまって聞いていた。大急ぎで駆けて来るポチの足音が聞こえやしないかと思って。けれどもポチのすがたも、足音も、鳴き声も聞こえては来なかった。 「ポチがいなくなってかわいそうねえ。殺されたんだわ。きっと」  と妹は、さびしい山道に立ちすくんで泣きだしそうな声を出した。ほんとうにポチが殺されるかぬすまれでもしなければいなくなってしまうわけがないんだ。でもそんなことがあってたまるものか。あんなに強いポチが殺される気づかいはめったにないし、ぬすもうとする人が来たらかみつくに決まっている。どうしたんだろうなあ。いやになっちまうなあ。  ……ぼくは腹がたってきた。そして妹にいってやった。 「もとはっていえばおまえが悪いんだよ。おまえがいつか、ポチなんかいやな犬、あっち行けっていったじゃないか」 「あら、それは冗談にいったんだわ」 「冗談だっていけないよ」 「それでポチがいなくなったんじゃないことよ」 「そうだい……そうだい。それじゃなぜいなくなったんだか知ってるかい……そうれ見ろ」 「あっちに行けっていったって、ポチはどこにも行きはしなかったわ」 「そうさ。それはそうさ……ポチだってどうしようかって考えていたんだい」 「でもにいさんだってポチをぶったことがあってよ」 「ぶちなんてしませんよだ」 「いいえ、ぶってよほんとうに」 「ぶったっていいやい……ぶったって」  ポチがぼくのおもちゃをめちゃくちゃにこわしたから、ポチがきゃんきゃんというほどぶったことがあった。……それを妹にいわれたら、なんだかそれがもとでポチがいなくなったようにもなってきた。でもぼくはそう思うのはいやだった。どうしても妹が悪いんだと思った。妹がにくらしくなった。 「ぶったってぼくはあとでかわいがってやったよ」 「私だってかわいがってよ」  妹が山の中でしくしく泣きだした。そうしたら弟まで泣きだした。ぼくもいっしょに泣きたくなったけれども、くやしいからがまんしていた。  なんだか山の中に三人きりでいるのが急にこわいように思えてきた。  そこへ女中がぼくたちをさがしに来て、家ではぼくたちが見えなくなったので心配しているから早く帰れといった。女中を見たら妹も弟も急に声をはりあげて泣きだした。ぼくもとうとうむやみに悲しくなって泣きだした。女中に連れられて家に帰って来た。 「まああなたがたはどこをうろついていたんです、御飯も食べないで……そして三人ともそんなに泣いて……」  とおかあさんはほんとうにおこったような声でいった。そしてにぎり飯を出してくれた。それを見たら急に腹がすいてきた。今まで泣いていて、すぐそれを食べるのはすこしはずかしかったけれども、すぐ食べはじめた。  そこに、焼けあとで働いている人足が来て、ポチが見つかったと知らせてくれた。ぼくたちもだったけれども、おばあさまやおかあさんまで、大さわぎをして「どこにいました」とたずねた。 「ひどいけがをして物置きのかげにいました」  と人足の人はいって、すぐぼくたちを連れていってくれた。ぼくはにぎり飯をほうり出して、手についてる御飯つぶを着物ではらい落としながら、大急ぎでその人のあとから駆け出した。妹や弟も負けず劣らずついて来た。  半焼けになった物置きが平べったくたおれている、その後ろに三、四人の人足がかがんでいた。ぼくたちをむかえに来てくれた人足はその仲間の所にいって、「おい、ちょっとそこをどきな」といったらみんな立ち上がった。そこにポチがまるまって寝ていた。  ぼくたちは夢中になって「ポチ」とよびながら、ポチのところに行った。ポチは身動きもしなかった。ぼくたちはポチを一目見ておどろいてしまった。からだじゅうをやけどしたとみえて、ふさふさしている毛がところどころ狐色にこげて、どろがいっぱいこびりついていた。そして頭や足には血が真黒になってこびりついていた。ポチだかどこの犬だかわからないほどきたなくなっていた。駆けこんでいったぼくは思わずあとずさりした。ポチはぼくたちの来たのを知ると、すこし頭を上げて血走った目で悲しそうにぼくたちの方を見た。そして前足を動かして立とうとしたが、どうしても立てないで、そのままねころんでしまった。 「かわいそうに、落ちて来た材木で腰っ骨でもやられたんだろう」 「なにしろ一晩じゅうきゃんきゃんいって火のまわりを飛び歩いていたから、つかれもしたろうよ」 「見ろ、あすこからあんなに血が流れてらあ」  人足たちが口々にそんなことをいった。ほんとうに血が出ていた。左のあと足のつけ根の所から血が流れて、それが地面までこぼれていた。 「いたわってやんねえ」 「おれゃいやだ」  そんなことをいって、人足たちも看病してやる人はいなかった。ぼくはなんだか気味が悪かった。けれどもあんまりかわいそうなので、こわごわ遠くから頭をなでてやったら、鼻の先をふるわしながら、目をつぶって頭をもち上げた。それを見たらぼくはきたないのも気味の悪いのもわすれてしまって、いきなりそのそばに行って頭をかかえるようにしてかわいがってやった。なぜこんなかわいい友だちを一度でもぶったろうと思って、もうポチがどんなことをしてもぶつなんて、そんなことはしまいと思った。ポチはおとなしく目をつぶったままでぼくの方に頭を寄せかけて来た。からだじゅうがぶるぶるふるえているのがわかった。  妹や弟もポチのまわりに集まって来た。そのうちにおとうさんもおかあさんも来た。ぼくはおとうさんに手伝って、バケツで水を運んで来て、きれいな白いきれで静かにどろや血をあらい落としてやった。いたい所をあらってやる時には、ポチはそこに鼻先を持って来て、あらう手をおしのけようとした。 「よしよし静かにしていろ。今きれいにしてきずをなおしてやるからな」  おとうさんが人間に物をいうようにやさしい声でこういったりした。おかあさんは人に知れないように泣いていた。  よくふざけるポチだったのにもうふざけるなんて、そんなことはちっともしなくなった。それがぼくにはかわいそうだった。からだをすっかりふいてやったおとうさんが、けががひどいから犬の医者をよんで来るといって出かけて行ったるすに、ぼくは妹たちに手伝ってもらって、藁で寝床を作ってやった。そしてタオルでポチのからだをすっかりふいてやった。ポチを寝床の上に臥かしかえようとしたら、いたいとみえて、はじめてひどい声を出して鳴きながらかみつきそうにした。人夫たちも親切に世話してくれた。そして板きれでポチのまわりに囲いをしてくれた。冬だから、寒いから、毛がぬれているとずいぶん寒いだろうと思った。  医者が来て薬をぬったり飲ませたりしてからは、人足たちもおかあさんも行ってしまった。弟も寒いからというのでおかあさんに連れて行かれてしまった。けれどもおとうさんとぼくと妹はポチのそばをはなれないで、じっとその様子を見ていた。おかあさんが女中に牛乳で煮たおかゆを持って来させた。ポチは喜んでそれを食べてしまった。火事の晩から三日の間ポチはなんにも食べずにしんぼうしていたんだもの、さぞおかゆがうまかったろう。  ポチはじっとまるまってふるえながら目をつぶっていた。目がしらの所が涙でしじゅうぬれていた。そして時々細く目をあいてぼくたちをじっと見るとまたねむった。  いつのまにか寒い寒い夕方がきた。おとうさんがもう大丈夫だから家にはいろうといったけれども、ぼくははいるのがいやだった。夜どおしでもポチといっしょにいてやりたかった。おとうさんはしかたなく寒い寒いといいながら一人で行ってしまった。  ぼくと妹だけがあとに残った。あんまりよく睡るので死んではいないかと思って、小さな声で「ポチや」というとポチはめんどうくさそうに目を開いた。そしてすこしだけしっぽをふって見せた。  とうとう夜になってしまった。夕御飯でもあるし、かぜをひくと大変だからといっておかあさんが無理にぼくたちを連れに来たので、ぼくと妹とはポチの頭をよくなでてやって家に帰った。  次の朝、目をさますと、ぼくは着物も着かえないでポチの所に行って見た。おとうさんがポチのわきにしゃがんでいた。そして、「ポチは死んだよ」といった。ポチは死んでしまった。  ポチのお墓は今でも、あの乞食の人の住んでいた、森の中の寺の庭にあるかしらん。
底本:「一房の葡萄」角川文庫、角川書店    1952(昭和27)年3月10日初版発行    1968(昭和43)年5月10日改版初版発行    1990(平成2)年5月30日改版37版発行 入力:鈴木厚司 校正:八木正三 1998年5月25日公開 2007年8月21日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 南洋に醗酵して本州の東海岸を洗ひながら北に走る黒潮が、津輕の鼻から方向を變へて東に流れて行く。樺太の氷に閉されてゐた海の水が、寒い重々しい一脈の流れとなつて、根室釧路の沖をかすめて西南に突進する。而してこの二つの潮流の尅する所に濃霧が起こる。北人の云ふ潮霧とはそれだ。  六月のある日、陽のくれ〴〵に室蘭を出て函館に向ふ汽船と云ふ程にもない小さな汽船があつた。  彼れはその甲板に立つてゐた。吹き落ちた西風の向ふに陽が沈む所だつた。駒ヶ嶽は雲に隱れて勿論見えない。禮文華峠の突角すら、魔女の髮のやうに亂れた初夏の雲の一部かと思はれる程朧ろである。陽は叢り立つて噛み付かうとする雲を光の鞭でたゝき分けながら沈んで行く。笞を受けた雲は眩むばかりの血潮を浴びる。餘つた血潮は怖れをなして飛び退いた無數の鱗雲を、黄に紅に紫に染める。  陽もやがて疲れて、叢雲の血煙を自分の身にも受けて燃え爛れた銅のやうになつた。堅く積み重つた雲の死骸の間を、斷末魔の苦悶にきり〳〵と獨樂のやうに舞ひながら沈んで行く。垂死の人が死に急ぐやうに陽は夜に急ぐ。彼れは息氣を飮んで夫れを見つめた。  陽は見る間に少し隱れた。見る間に半分隱れた。見る間に全く隱れた。海は蒼茫として青み亙つた。ほの黄色い緩やかな呼吸を續けながら空も海の歎きを傳へた。  その瞬間に萬象は聲を絶えた。黄昏は無聲である。そこには叫ぶ晝もない。又さゝやく夜もない。臨終の恐ろしい沈默が天と海とを領した。天と海とが沈默そのものになつた。  汽鑵の騷音と云ふか。そんなものは音ではない、况して聲ではない。陽は永久に死んだ。復た生きる事はないだらう。彼れは身を慄はしてさう思つた。  來た方をふり返ると大黒島の燈臺の灯だけが、聖者の涅槃のやうな光景の中に、小賢しくも消えたり光つたりしてゐる。室蘭はもう見えない。  その燈臺の灯もやがて眼界から消え失せた。今は夜だ。聞耳を立てるとすつと遠退いてしまふ夜の囁きが海からも空からも聞こえはじめた。何事でも起り得る、又何事も起り得ない夜、意志のやうな又運命のやうな夜、その夜が永久に自分を取りまくのだなと思ふと彼れはすくみ上つて船首樓に凝立したまゝ、時の經つのも忘れてゐた。同じ晝ながら時のすゝむにつれて明るみの増すやうに、同じ夜ながら更の闌けるにつれて闇は深まつて行く。あたりには人氣が絶えた。如何すれば船客等は船底にやす〳〵と眠る事が出來るのだらう。今朝陽が上つたが故に明日又陽が上るものとは誰れが保證し得るのだ。先刻日の沈むのを見たものは陽の死ぬのを見たのだ。夫れだのに彼等は平氣だ。一體彼等は何物に自分々々の運命を任せてゐるのだらう。神にか。佛にか。無知にか。彼等は明日の朝この船が函館に着くものと思つてゐるのだ。思ひだもしてはゐないのだ。而して神々よりも勇ましく安心して等しなみに聲も立てずに眠つてゐる。  かく思ひめぐらして彼れは夜露にしとつた肩をたゝきながら、船橋の方を見返った。眞暗な中に唯一人眠らないものがゐた。それは船長だ。その人は夜の隈取りをした朧ろげな姿を動かしながら天を仰いで六分儀を使つてゐた。彼れも亦それに引入れられて空を見上げた。永遠を思はせる程高くもなり、眉に逼るほど低くもなる夜の空は無數の星に燐光を放つて遠く擴がつていた。  彼れはまた思つた。大海の中心に漂ふ小舟を幾千萬哩の彼方にあるあの星々が導いて行くのだ。人の力がこの卑しい勞役を星に命じたのだ。船長は一箇の六分儀を以て星を使役する自信を持つてゐる。而して幾百の、少くとも幾十の生命に對する責任を輕々とその肩に乘せて居る。船客の凡ては、船長の頭に宿つた數千年の人智の蓄積に全く信頼して、些かの疑も抱かずにゐるのだ。人が己れの智識に信頼する、是れは人の誇りであらねばならぬ。夫れを躊躇する自分はおほそれた卑怯者と云ふべきである。  半時間毎に淋しい鐘が鳴つて又若干の時が過ぎた。船は暖潮に乘り入れたらしい。彼れは無風の暑苦しさに絶へかねて船首から船尾の方へ行つた。而してそこにある手舵に身をよせて立つて見た。冷々する風がそつと耳をかすめて通る。彼れは目を細めてその涼しさになぶられてゐた。  かくて又若干の時が過ぎた。  突然彼れは寒さを顏に覺えて何時のまにか陷つた假睡から眼をさました。風は習々と東方から船尾を拂つて船首へと吹き出してゐるのだ。彼れの總身は身戰ひするまで冷え切つてゐた。見ると東の空は眼通りほど幕を張りつめたやうに眞黒なものに蔽はれてゐた。海面が急に高まつたかと思はれる彼方には星一つ光つてはゐなかつた。その黒いものは刻々高さを増して近づいて來る。風が東に𢌞つて潮霧が襲つて來るのだと氣がついた時には、その黒かつたものは黒眞珠のやうな銀灰色に光つて二三町と思はれる距離に逼つてゐた。海に接した部分は風に吹かれる幕の裾のやうに煽られながら惡夢の物凄さを以て近よつて來る。見る〳〵近よつて來る。突然吹きちぎられた濃霧の一塊が彼れを包んだ。彼れの眼は盲ひた。然し夫れは直ぐ船首の方へ飛び去つた。と思ふと第二の塊が來た。それも去つた。第三、第四、夫れも去つたと思ふ間もなく、彼れはとう〳〵むせ返るやうな寒い白さの中に包まれてしまつた。眼の前に圓く擴がつてゐた海は段々圓周をせばめて遂には眼前一尺の先きも見透す事が出來なくなつた。彼れは驚き慌てゝ探るやうに手舵を握ると、夫れを包んだカンバスはぐつしより濕つてかん〳〵にこはばつてゐた。檣頭に掲げられた灯が見る〳〵薄れて、唯あるかなきかの圓光に變つてしまつた。  彼れは船長の居る方へ目をやつた。その頭に宿る幾千年間の人智の蓄積にすがらうとしたのだ。然しひとかたまりの霧は幾千年の人間の努力を塵の如くにふみにじつてしまつたのではないか。今は姿さへ見えない船長は、胸をさわがせながら茫然として、舷橋の上に案山子のやうに立つてゐる事だらう。  暫らくの間船は事もなげに進路を取つて進むやうに見えた。然し夫れが徐行に變つたのは十分とはたゝない短い間だつた。突然この不思議な灰色の闇を劈いて時を知らせる鐘が續けさまに鳴り出した。思ふまゝに渦卷き過ぎる濃霧に閉ぢこめられてその鐘の音は陰々として淋しく響いた。  船はかく警戒しながら又十分程進んだが、やがて彼れは足の下にプロペラーのゆらめきを感じなくなつた。同時に船足の停つた船體は、三日目の茶の湯茶碗のやうな無氣味な搖れ方をしたまゝ停つて、波のまに〳〵漂ひ始めた。  彼れの心臟をどきんとさせて突然汽笛がなりはためいた。屠所に引かれる牛の吼聲のやうなその汽笛。かすれては吼え、かすれては吼えて、吼えやむと物淋しい鐘が鳴り續く。  彼れの肺臟には空氣よりも多くの水氣が注ぎ込まれるやうに思へた。彼れは實際むせて咳いた。髮の毛からは滴が襟に傳はつた。而して耳と鼻とは氷のやうに冷えた。陽は復たと生れて來ない、さう思つた彼れの豫覺は悲しくも裏書きされて見えた。彼れは幾人もの男女が群盲のやうに手さぐりしながら彼れに近づくのに氣がつくと、何んとも云へぬ哀れみを覺えながらさう思つた。  汽笛が船中の人の眼をさましたのだ。而して眼をさまされたものは殘らず甲板に這ひ上つて來たのだ。  鐘の音と汽笛の聲との間に凡ての船客の歎きと訴への聲が泡のはじけるやうに聞こえ出した。  潮霧は東の空から寄せて來る。彼れの乘つて來た船は霧の大河の水底に沈んだ一枚の病葉に過ぎない。船客は極度の不安に達した。矢よりも早く流れて行くのに、濃霧の果ては何時來るとも思はれない。狂氣のやうなすゝり泣きが女と小兒とから慘らしく起り出した。葬のやうな淋しい鐘は鳴り續ける。凡ての人を醉はさないでは置かぬやうに船は停つたまゝかしぎ搖れる。  彼れの心には死に捕へられた人の上にのみ臨む物凄いあきらめが首を擡げかけた。  その時奇蹟のやうに風が方向を變へた。西に〳〵と走つて居た霧は足をすくはれたやうに暫らくたじろぐと見えたが、見る〳〵人々の眼がかすかな視力を囘復した。空はぼうつと明るくなつて人々の身のまはりに小さな世界が開けて行つた。やがて遠く高く微笑むやうな青空の一片が望まれた。と思ふ中に潮霧は夢のさめるやうに跡方もなく消えてなくなつた。それは慌だしい心よりもなほ慌だしく。  霧が晴れて見ると夜は明けはなれてゐた。眞青な海、眞青な空、而して新しい朝の太陽。  然し霧の過ぎ去ると共に、船の右舷に被ひかゝるやうに聳え立つた惠山の峭壁を見た時には、船員も船客も呀と魂を消して立ちすくむのみだつた。濃霧に漂ひ流れて居る間に船は知らず〳〵かゝる危地に臨んでゐたのを船員すらが知らずにゐたのだ。もう五分霧の晴れるのがおくれたならば! 船自身が魂でもあるやうに驚いて向きをかへなかつたならば! この惡魔のやうな峭壁は遂に船をかみくだいてたに違ひないのだ。  函館に錨を下した汽船の舷梯から船客はいそ〳〵と笑ひ興じながら岸をめざして降りて行つた。先刻何事が起つたかも忘れ果てた如く彼等は安々と眼を開いて珍らしげもなくあたりを見て居た。  彼れはさうはしてゐられなかつた。彼れは始めて陽を仰ぐやうに陽を仰いだ。始めて函館を見るやうに函館を見た。新しい世界が又彼れの前に開け亙つた。而して彼れは涙ぐんでゐた。
底本:「有島武郎全集第二卷」筑摩書房    1980(昭和55)年2月20日初版発行    2001(平成13)年7月10日初版第3刷発行 底本の親本:「有島武郎著作集第七輯『小さき者へ』」叢文閣    1918(大正7)年11月9日初版 初出:「時事新報 第11839號~第11841號」    1916(大正5)年8月1日~3日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:鈴木智子 校正:土屋隆 2005年11月23日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 昔トゥロンというフランスのある町に、二人のかたわ者がいました。一人はめくらで一人はちんばでした。この町はなかなか大きな町で、ずいぶんたくさんのかたわ者がいましたけれども、この二人のかたわ者だけは特別に人の目をひきました。なぜだというと、ほかのかたわ者は自分の不運をなげいてなんとかしてなおりたいなおりたいと思い、人に見られるのをはずかしがって、あまり人目に立つような所にはすがたを現わしませんでしたが、その二人のかたわ者だけは、ことさら人の集まるような所にはきっとでしゃばるので、かたわ者といえば、この二人だけがかたわ者であるように人々は思うのでした。  いったいをいうと、トゥロンという町にはかたわ者といっては一人もいないはずなのです。その理由は、この町の守り本尊に聖マルティンというえらい聖者の木像があって、それに願をかけると、どんな病気でもかたわでもすぐなおってしまうからでした。ところが私の今お話しするさわぎが起こった年から五十年ほど前に、町のおもだった人々が、その聖者の尊像をないしょで町から持ち出して、五、六里もはなれた所にある高い山の中にかくまってしまったのです。なぜそんなことをしたかというと、ヨーロッパの北の方からおびただしい海賊がやって来て、フランスのどここことなくあばれまわり、手あたりしだいに金銀財宝をうばって行ってしまうので、もし聖者の尊像でもぬすまれるようなことがあったら、もったいないばかりか、町の名折れになるというので、だれも登ることのできないような険しい山のてっぺんにお移ししてしまったのです。  それからというもの、このトゥロンの町もかたわ者ができるようになったのです。で、さっき私がお話しした二人のかたわ者、すなわち一人のめくらと一人のちんばとは、自分たちが不幸な人間だということを悲しんで、人間なみになりたいと遠くからでも聖者に願かけをしたらよさそうなものを、そうはしないで、自分がかたわ者に生まれついたのをいいことにして、人の情けで遊んで飯を食おうという心を起こしました。  めくらの名まえをかりにジャンといい、ちんばの名まえをピエールといっておきましょう。このジャンとピエールとは初めの間は市場などに行って、あわれな声を出して自分のかたわを売りものにして一銭二銭の合力を願っていましたが、人々があわれがって親切をするのをいい事にしてだんだん増長しました。そしてめくらのジャンのほうは卜占者になり、ちんばのピエールのほうは巡礼になりました。  ジャンは卜占者にふさわしいようなものものしい学者めいた服装をし、目明きには見えないものが見え、目明きには考えられないものが考えられるとふれて回って、聖マルティンのおるすをあずかる予言者だと自分からいいだしました。さらぬだに守り本尊が町にないので心細く思っていた人々は、始めのうちこそジャンの広言をばかにしていましたが、そのいう事が一つ二つあたったりしてみると、なんだかたよりにしたい気持になって、しだいしだいに信者がふえ、ジャンはしまいにはたいそうな金持ちになって、町じゅう第一とも見えるような御殿を建ててそれに住まい、ぜいたくざんまいなくらしをするようになりましたが、その御殿もその中のいろいろなたから物も、聖マルティンの尊像がお山からお下りになったら、一まとめにして献上するのだといっていたものですから、だれもジャンのぜいたくざんまいをとがめ立てする人はありませんでした。そしてジャンはいつのまにか金の力で町のおもだった人を自分の手下のようにしてしまい、おそろしくえらい人間だということになってしまいました。そうなるとお金はひとりでのようにジャンのふところを目がけて集まって来ました。  ピエールはピエールで、ちがったしかたで金をためにかかりました。ピエールはジャンのようにえらいものらしくいばることをしないで、どこまでも正直でかわいそうなかたわ者らしく見せかけました。「私にはジャンのような神様から授かった不思議な力などはありません。あたりまえなけちな人間で、しかもいろいろな罪を犯しているのだから、神様がかたわになさったのも無理はありません。だから私は自分の罪ほろぼしに、何か自分を苦しめるようなことをして神様のおいかりをなだめなければなりません。この心持ちをあわれと思ってください」などと口ぐせのようにいいました。そこでピエールの仕事というのは大きなふくろを作って、それに町の人々が奉納するお金や品物を入れて、ちんばを引き引き聖マルティンの尊像の安置してある険しい山に登ることでした。足の達者な人でも登れないような所に、このかたわ者が命がけで登るというのですから、中には変だと思う人もありましたが、そういう人にはピエールはいつでも悲しげな顔をしてこう答えました。 「お疑いはごもっともです。けれどもいつか私の一心がどれほど強かったかを皆様はごらんくださるでしょう。海賊がせめこんで来なくなるような時代が来て聖マルティン様が山からお下りになる時になったら、おむかいに行った人たちは、尊像がどこにあるか知れないほど、町のかたがたの奉納品が尊像のまわりに積み上げてあるのを見ておどろきになるのでしょうから」  そのことばつきがいかにもたくみなので、しまいにはそれを疑う人がなくなって、ピエールがお山に登る時が来たということになると、だれかれとなくいろいろめずらしいものや金めのかかるものをピエールのふくろの中に入れてやりました。  ピエールは山のふもとまでは行きましたが、ほんとうは一度も山に登ったことはありません。人々の奉納したものはみんな自分がぬすんでしまって、知れないように思うままなぜいたくをしてくらしていました。  トゥロンにはたくさんのかたわ者ができた中にも、二人のえらいかたわ者がいる。一人は神様の心を知る予言者、一人は神様の忠義なしもべ、さすがにトゥロンは聖マルティンを守り本尊とあおぐ町だけあると、他の町々までうわさされるようになりました。  そうやっているうちに、海賊どもは商売がうまくいかないためか、だんだんと人数が減っていって、めったにフランスまではせめ入って来なくなり、おかげでフランスの町々はまくらを高くして寝ることができるようになりました。  ここでトゥロンでも年寄った人々がよりより相談して、長い間山の中にかくまっておいた尊像を町におむかえしようという事に決まりました。それにしてもその事がうっかり海賊のほうにでも聞こえれば、どんなさまたげをしないものでもないし、また一つにはいきなり町におむかえして不幸な人々に不意な喜びをさせようというので、二十人ほどの人がそっと夜中に山に登ることになりました。  そうとは知らないジャンとピエールは、かたわを売りものにしたばかりで、しこたまたくわえこんだお金を、湯水のように使ってぜいたくざんまいをしていましたが、尊像が山からお下りになるその日も、朝からジャンの御殿のおくに陣取って、酒を飲んだり、おいしい物を食べたりして、思うままのことをしゃべり散らしていました。  ジャンがいうには、 「こうしていればかたわも重宝なものだ。世の中のやつらは知恵がないからかたわになるとしょげこんでしまって、丈夫な人間、あたりまえな人間になりたがっているが、おれたちはそんなばかはできないなあ」  ピエールのいうには、 「丈夫な人間、あたりまえの人間のしていることを見ろ。汗水たらして一日働いても、今日今日をやっと過ごしているだけだが、おれたちはかたわなばかりで、なんにもしないで遊びながら、町の人たちがつくり上げたお金をかたっぱしからまき上げることができる。どうか死ぬまでちんばでいたいものだ」 「おれも人なみに目が見えるようになっちゃ大変だ。人なみになったらおれにも何一つ仕事という仕事はできないのだから、その日から乞食になるよりほかはない。もう乞食のくらしはこりごりだ」  とジャンは相づちをうちました。  ところが戸外が急ににぎやかになって、町の中を狂気のように馳せちがう人馬の足音が聞こえだしたと思うと、寺々のかねが勢いよく鳴りはじめました。町の人々は大きな声で賛美の歌をうたいはじめました。ジャンとピエールは朝から何がはじまったのかと思って、まどをあけて往来を見ると、年寄りも子どもも男も女も皆戸外に飛び出して、町の門の方を見やりながら物待ち顔に、口々にさけんでいます。よく聞いてみると聖マルティンの尊像がやがて山から町におはいりになるといっているのです。  それを聞いた二人は胆がつぶれんばかりにおどろいてしまいました。 「奉納したものが山の上に積んであると、おれのいいふらしたうそはすっかり知れてしまった。おれはもう町の人たちに殺されるにきまっている」  とピエールが頭の毛をむしると、 「おれのこの御殿もたからも今日から聖マルティンのものになってしまうのだ。おれの財産は今日からなんにもなくなるのだ。聖マルティンのちくしょうめ」  とジャンはジャンで見えない目からくやし涙を流します。 「でもおれは命まで取られそうなのだ」  とピエールがいうと、 「命を取られるのは、まだ一思いでいい。おれは一文なしになって、皆にばかにされて、うえ死にをしなければならないんだ。五分切り、一寸だめしも同様だ。ああこまったなあ、おまけに聖マルティンが町にはいれば、おれのかたわはなおるかもしれないのだ。かたわがなおっちゃ大変だ。おいピエール、おれを早くほかの町に連れ出してくれ」  とジャンはせかせかとピエールの方に手さぐりで近づきました。  町の中はまるで祭日の晩のようににぎやかになり増さってゆくばかりです。 「といって、おれはちんばだからとても早くは歩けない……ああこまったなあ。どうかいつまでもかたわでいたいものだがなあ。じゃあジャン、おまえは私をおぶってくれ。おまえはおれの足になってくれ、おれはおまえの目になるから」  ピエールはこういいながらジャンにいきなりおぶさりました。そしてジャンにさしずをすると、ジャンはあぶない足どりながらピエールを背負っていっさんに駆け出しました。 「ハレルーヤ ハレルーヤ ハレルーヤ」  という声がどよめきわたって聞こえます。  ジャンとピエールとを除いた町じゅうの病人やかたわ者は人間なみになれるよろこびの日が来たので、有頂天になって、聖マルティンのお着きを待ちうけています。  その間をジャンとピエールは人波にゆられながらにげようとしました。  そのうちにどうでしょう。ジャンの目はすこしずつあかるくなって、綾目が見えるようになってきました。あれとおどろくまもなくその背中でさしずをしていたピエールはいきなりジャンの背中から飛びおりるなり、足早にすたこらと門の反対の方に歩きだしました。  ジャンはそれを見るとおどろいて、 「やいピエール、おまえの足はどうしたんだ」  といいますと、ピエールも始めて気がついたようにおどろいて、ジャンを見かえりながら、 「といえばおまえは目が見えるようになったのか」  と不思議がります。二人は思わずかたずをのんでたがいの顔を見かわしました。 「大変だ」  と二人はいっしょにさけびました。たくさんの人々にとりかこまれた古い聖マルティンの尊像がしずしずと近づいて来ていたのです。その御利益で二人の病気はもうなおり始めていたのです。  二人のかたわ者はかたわがなおりかけたと気がつくと、ぺたんと地びたに尻もちをついてしまいました。そして二人は、 「とんでもないことになったなあ」 「情けないことになったなあ」  といい合いながら、一人は目をこすりながら、一人は足をさすりながら、おいおいといって泣きだしました。
底本:「一房の葡萄」角川文庫、角川書店    1952(昭和27)年3月10日初版発行    1968(昭和43)年5月10日改版初版発行    1980(昭和55)年11月10日改版22版発行 初出:「良婦之友 創刊號」春陽堂    1922(大正11)年1月1日発行 入力:呑天 校正:きりんの手紙 2020年2月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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それは自己の良心の満足を得る 已む可らざる行為  私が胆振国狩太農場四百数十町歩を小作人の為に解放して数ヶ月になりますが、其儘小作人諸君の前に前記の土地を自由裁量に委ねる事は私が彼の土地を解放した精神である狩太農場民の自治共存を永久ならしめ延いて漸次附近村落を同化して行き得る如き有力なる団体たらしめる上に於て尚多少徹底しない所があるので狩太農場民の規約なるものを作り私の精神を徹底したい考へから森本博士に其規約の作製を依頼してあります。  此の森本博士の手許に『有島の土地解放は甚だ困る。吾々は地主と小作人との利益を調和し共存共栄の策を樹立しようと研究して居たのに有島が私共地主の地位を考へないで突然に彼の様に土地を投げ出したので私達の立場は非常に困難になつた。元来有島は自分自身には確実に生活の根拠を有つて居るのであるから狩太農場を解放して小作人に与へても其生活は何等脅威されないが、私共が若し左様に土地を解放して与へたなら生活の根柢を全く破壊されて了ふのである。斯様な社会的に大影響を有する行動を如何に自分の所有物を処理する事が自由であるからとて無造作に為すとは余りに乱暴な遣口である』と云ふ意味や其他私の遣方を非難する書面が沢山来て居るさうです。  けれ共私は如何に考へても小作人と地主との経済的地位を調和し得ることは考へ得られない。夫れで私自身が何等労働するの結果でもなく小作人から労働の結果を搾取する事は私の良心をどうしても満足せしめる事が出来なかつた。で其の結果は私の文芸上の作品を大変に汚す事になり自己矛盾に陥つて苦んで来たのである。そこで私は私の土地を小作人達に与へたもので私としては、土地解放に依つて永らく悩まされて居た実際生活と思想との不調和より来る大煩悶から逃れたもので、晴々しい心地に今日なり得たのは全く土地解放の結果です。  夫故土地解放は私として洵に已むを得ない結果行つたもので何と非難されても致し方ありませぬ。私が土地解放の社会的影響や私が既に充分に生活の安定を得て居り乍ら斯かる偽善的な行動をしたと云はれる非難に対して甚だ御尤もなる御説と恐縮する所であるが併し私にも多少の弁明は出来る積りです。  若し地主諸君にして真に小作人と地主との調和が出来ると云ふ確信があるならば一有島の土地解放の如きは何の恐るゝ所もない筈で其の所信を行ひ其の調和を御図りになれば宜しいのではないか。微力なる私の土地解放で崩壊したり動揺する様な確信であるならば其の根柢が空虚なる為で決して充分に鞏固なるものでない証拠ではあるまいか。本当に確かりした信念があるならば何の恐れをなす必要もないと思ふ。又土地解放の結果は自分達の生活の根柢を破壊するから困ると言はるゝも不労利益を貪つて何等人間の社会生活の上に貢献も努力もしないで労働者小作人の労働の結果を奪つて生活して行く事は決してよく考へられたならば正しい生き方ではない筈だと思ふ。  或は私の斯う考へる事が間違で前の様な地主と小作人、労働者と資本家との地位が相両立し調和して行けるものであるならば私の今回の行動は何の効果も社会的に益すものでないが或は又私の考へる様に不労利得で生活して行く事が不合理であるとするならば、私の土地解放は時代の思想に伴つて行つたもので将来漸次土地が解放される前兆とも見るべきで地主諸君は今日から自分の正しい力に依つて労働し――物質的技術的の働きに依つて自ら社会の一員としての真面目な一つの役目を分担する事に依つて生きて行くといふ事を考へられた方がよいと思ふ。  私が自ら生活して行く根柢を立派に有つてあゝ云ふ突飛なことをして迷惑を地主に与へると云ふことに就ては衷心忸怩たるものがないではないが私は自分の正しい文芸的労働の結果に其の生活の根柢を有して居る積りで居るし、地主を困らせる為めに行つた土地解放ではないから地主に同情はするが疚しい点はない。  私は自分の土地を解放するに際し自分の土地を所有する事に依りて受くる精神上の苦痛を去る為めに周囲の事情等は別段大なる考慮を払はないで断行したのである。夫故今日から思ふと私共の如く農民の思想が一致共鳴する事の出来ず依然として現在の資本的経済組織の永い間の教養に依り馴致したる習慣と更に周囲の大なる資本主義的力の為めに、此の土地解放の事実が結局押潰され抹殺せらるゝの結果に到達しはしないかと思つて居る。  則ち今度の土地解放なるものが毫も小作人の現在組織の行詰まりより来る痛切なる自覚せる欲求に基づいて手放され獲得したる結果でなく、温情的に与へられたる土地であるのだから、彼等旧小作人は其の土地解放の精神を忠実に実行して漸次其の範囲を拡大して行く如き事は迚も難い様に思はれる。私は決して与へた農民を拘束する意味で斯う云ふのではないが併し自分としては出来得べくんば自分の土地解放の精神が漸次彼等に依つて拡大され発展し成長して行く事を冀つて已まないのである。  乍併私の此の希望は単なる希望にのみ止まつて容易に実現し得ない事と考へる。現在に於ける完備せる資本制度の大勢力は実に数千年の永い歴史的根拠を有し教育習慣等人間生活の凡ての方面に大なる力を以て浸蝕して居るのであるし共産的の精神と教養は遺憾ながら誠に小作人の間には薄く却て都会に於けるよりも資本主義的精神は地方農村に於て溌溂たるの事実に徴する時私は狩太農場の前途を略推測する事が出来るものと思ふ。  労農露西亜に於ける共産的制度も無知無覚の農民を基礎としては如何に政府の大なる専制力を以てしても円滑に行はれないのであるに鑑みても明白であらうと思ふ。最近勃興せる水平社運動の標語の中に『与へられたる自由はない』と言ふのがある。私は其の通りだと思ふ、迚も痛切なる自覚せる結果に依つて獲得したる制度なり習慣なり権利でなくては真に獲得者が之を我物として活用する事は不可能である。無辜なる良民の特性夫は真に悲惨の極である。而も自然は平気で不断に之を実行して常に創造を行つて居る。人間の美しい感情の発動は之の無辜なる犠牲を払はしめまいと努力はする。而し結局之の自然の法則は除外さるゝ事能はず各種の疫病の流行とか革命の勃発により何の時代にも高い犠牲を払はされて居る様だ。  私は結局自分の行つた土地解放が如何なる結果になるか分らない。只自分の土地解放は決して自ら尊敬されたり仁人を気取る為めの行動ではなく自分の良心を満足せしむる為めの已むを得ない一の出来事であつた事を諒解して欲しいと思ふ。 (『小樽新聞』大正十二年五月)
底本:「有島武郎全集第九卷」筑摩書房    1981(昭和56)年4月30日初版第1刷発行    2002(平成14)年2月10日初版第3刷発行 初出:「小樽新聞」    1923(大正12)年5月20日~21日(9817号~9818号) ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためました。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「為」と「為め」が混用されていますが、底本のとおりとしました。 ※底本ではルビが付されていない以下の字に、ルビを付しました。  根柢、洵に、鞏固、疚しい、馴致、毫も、迚も、冀つて、乍併、略、無辜。 入力:mono 校正:染川隆俊 2009年8月15日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 ドゥニパー湾の水は、照り続く八月の熱で煮え立って、総ての濁った複色の彩は影を潜め、モネーの画に見る様な、強烈な単色ばかりが、海と空と船と人とを、めまぐるしい迄にあざやかに染めて、其の総てを真夏の光が、押し包む様に射して居る。丁度昼弁当時で太陽は最頂、物の影が煎りつく様に小さく濃く、それを見てすらぎらぎらと眼が痛む程の暑さであった。  私は弁当を仕舞ってから、荷船オデッサ丸の舷にぴったりと繋ってある大運搬船の舷に、一人の仲間と竝んで、海に向って坐って居た。仲間と云おうか親分と云おうか、兎に角私が一週間前此処に来てからの知合いである。彼の名はヤコフ・イリイッチと云って、身体の出来が人竝外れて大きい、容貌は謂わばカザン寺院の縁日で売る火難盗賊除けのペテロの画像見た様で、太い眉の下に上睫の一直線になった大きな眼が二つ。それに挾まれて、不規則な小亜細亜特有な鋭からぬ鼻。大きな稍々しまりのない口の周囲には、小児の産毛の様な髯が生い茂って居る。下腭の大きな、顴骨の高い、耳と額との勝れて小さい、譬えて見れば、古道具屋の店頭の様な感じのする、調和の外ずれた面構えであるが、それが不思議にも一種の吸引力を持って居る。  丁度私が其の不調和なヤコフ・イリイッチの面構えから眼を外らして、手近な海を見下しながら、草の緑の水が徐ろに高くなり低くなり、黒ペンキの半分剥げた吃水を嘗めて、ちゃぶりちゃぶりとやるのが、何かエジプト人でも奏で相な、階律の単調な音楽を聞く様だと思って居ると、 睡いのか。  とヤコフ・イリイッチが呼びかけたので、顔を上げる調子に見交わした。彼に見られる度に、私は反抗心が刺戟される様な、それで居て如何にも抵抗の出来ない様な、一種の圧迫を感じて、厭な気になるが、其の眼には確かに強く人を牽きつける力を籠めて居る。「豹の眼だ」と此の時も思ったのである。  私が向き直ると、ヤコフ・イリイッチは一寸苦がい顔をして、汗ばんだだぶだぶな印度藍のズボンを摘まんで、膝頭を撥きながら、突然こう云い出した。  おい、船の胴腹にたかって、かんかんと敲くからかんかんよ、それは解せる、それは解せるがかんかん虫、虫たあ何んだ……出来損なったって人間様は人間様だろう、人面白くも無えけちをつけやがって。 而して又連絡もなく、 お前っちは字を読むだろう。 と云って私の返事には頓着なく、 ふむ読む、明盲の眼じゃ無えと思った。乙う小ましゃっくれてけっからあ。 何をして居た、旧来は。  と厳重な調子で開き直って来た。私は、ヴォルガ河で船乗りの生活をして、其の間に字を読む事を覚えた事や、カザンで麺麭焼の弟子になって、主人と喧嘩をして、其の細君にひどい復讐をして、とうとう此処まで落ち延びた次第を包まず物語った。ヤコフ・イリイッチの前では、彼に関した事でない限り、何もかも打明ける方が得策だと云う心持を起させられたからだ。彼は始めの中こそ一寸熱心に聴いて居たが、忽ちうるさ相な顔で、私の口の開いたり閉じたりするのを眺めて、仕舞には我慢がしきれな相に、私の言葉を奪ってこう云った。  探偵でせえ無けりゃそれで好いんだ、馬鹿正直。 而して暫くしてから、  だが虫かも知れ無え。こう見ねえ、斯うやって這いずって居る蠅を見て居ると、己れっちよりゃ些度計り甘めえ汁を嘗めているらしいや。暑さにもめげずにぴんぴんしたものだ。黒茶にレモン一片入れて飲め無えじゃ、人間って名は附けられ無えかも知れ無えや。  昨夕もよ、空腹を抱えて対岸のアレシキに行って見るとダビドカの野郎に遇った。懐をあたるとあるから貸せと云ったら渋ってけっかる。いまいましい、腕づくでもぎ取ってくれようとすると「オオ神様泥棒が」って、殉教者の様な真似をしやあがる。擦った揉んだの最中に巡的だ、四角四面な面あしやがって「貴様は何んだ」と放言くから「虫」だと言ってくれたのよ。  え、どうだ、すると貴様は虫で無えと云う御談義だ。あの手合はあんな事さえ云ってりゃ、飯が食えて行くんだと見えらあ。物の小半時も聞かされちゃ、噛み殺して居た欠伸の御葬いが鼻の孔から続け様に出やがらあな。業腹だから斯う云ってくれた――待てよ斯う云ったんだ。 「旦那、お前さん手合は余り虫が宜過ぎまさあ。日頃は虫あつかいに、碌々食うものも食わせ無えで置いて、そんならって虫の様に立廻れば矢張り人間だと仰しゃる。己れっちらの境涯では、四辻に突っ立って、警部が来ると手を挙げたり、娘が通ると尻を横目で睨んだりして、一日三界お目出度い顔をしてござる様な、そんな呑気な真似は出来ません。赤眼のシムソンの様に、がむしゃに働いて食う外は無え。偶にゃ少し位荒っぽく働いたって、そりゃ仕方が無えや、そうでしょう」てってやると、旦那の野郎が真赤になって怒り出しやがった。もう口じゃまどろっこしい、眼の廻る様な奴を鼻梁にがんとくれて逃んだのよ。何もさ、そう怒るがものは無えんだ。巡的だってあの大きな図体じゃ、飯もうんと食うだろうし、女もほしかろう。「お前もか。己れもやっぱりお前と同じ先祖はアダムだよ」とか何とか云って見ろ。己れだって粗忽な真似はし無えで、兄弟とか相棒とか云って、皮のひんむける位えにゃ手でも握って、祝福の一つ二つはやってやる所だったんだ。誓言そうして見せるんだった。それをお前帽子に喰着けた金ぴかの手前、芝居をしやがって……え、芝居をしやがったんた。己れにゃ芝居ってやつが妙に打て無え。  気心でかヤコフ・イリイッチの声がふと淋しくなったと思ったので、振向いて見ると彼は正面を向いて居た。波の反射が陽炎の様にてらてらと顔から半白の頭を嘗めるので、うるさ相に眼をかすめながら、向うの白く光った人造石の石垣に囲まれたセミオン会社の船渠を見やって居る。自分も彼の視線を辿った。近くでは、日の黄を交えて草緑なのが、遠く見透すと、印度藍を濃く一刷毛横になすった様な海の色で、それ丈けを引き放したら、寒い感じを起すにちがいないのが、堪え切れぬ程暑く思える。殊にケルソン市の岸に立ち竝んだ例のセミオン船渠や、其の外雑多な工場のこちたい赤青白等の色と、眩るしい対照を為して、突っ立った煙突から、白い細い煙が喘ぐ様に真青な空に昇るのを見て居ると、遠くが霞んで居るのか、眼が霞み始めたのかわからなくなる。  ヤコフ・イリイッチはそうしたままで暫く黙って居たが、内部からの或る力の圧迫にでも促された様に、急に「うん、そうだ」と独言を云って、又其の奇怪な流暢な口辞を振い始めた。  処が世の中は芝居で固めてあるんだ。右の手で金を出すてえと、屹度左の手は物を盗ねて居やあがる。両手で金を出すてえ奴は居無え、両手で物を盗ねる奴も居無えや。余っ程こんがらかって出来て居やあがる。神様って獣は――獣だろうじゃ無えか。人じゃ無えって云うんだから、まさか己れっち見てえな虫でもあるめえ、全くだ。  何、此の間スタニスラフの尼寺から二人尼っちょが来たんだ。野郎が有難い事を云ったってかんかん虫手合いは鼾をかくばかりで全然補足になら無えってんで、工場長開けた事を思いつきやがった、女ならよかろうてんだとよ。  二人来やがった。例の御説教だ集まれてんで、三号の倉庫に狼が羊の檻の中に逐い込まれた様だった。其の中に小羊が二匹来やがった。一人は金縁の眼鏡が鼻の上で光らあ。狼の野郎共は何んの事はねえ、舌なめずりをして喉をぐびつかせたのよ。其の一人が、神様は獣だ……何ね、獣だとは云わ無えさ、云わ無えが人じゃ無えと云ったんだ。  其の神様ってえのが人間を創って魂を入れたとある。魂があって見れば善と悪とは……何んとか云った、善と悪とは……何んとかだとよ。そうして見ると善はするがいいし、悪はしちゃなら無え。それが出来なけりゃ、此の娑婆に生れて来て居ても、人間じゃ無えと云うんだ。  お前っちは字を読むからには判るだろう。人間で善をして居る奴があるかい。馬鹿野郎、ばちあたり。旨い汁を嘗めっこをして居やがって、食い余しを取っとき物の様に、お次ぎへお次ぎへと廻して居りゃ、それで人間かい。畢竟芝居上手が人間で、己れっち見たいな不器用者は虫なんだ。  見ねえ、死って仕舞やがった。  何処からか枯れた小枝が漂って、自分等の足許に来たのをヤコフ・イリイッチは話しながら、私は聞きながら共に眺めて、其の上に居る一匹の甲虫に眼をつけて居たのであったが、舷に当る波が折れ返る調子に、くるりとさらったので、彼が云う様に憐れな甲虫は水に陥って、油をかけた緑玉の様な雙の翊を無上に振い動かしながら、絶大な海の力に対して、余り悲惨な抵抗を試みて居るのであった。  私は依然波の間に点を為して見ゆる其の甲虫を、悲惨な思いをして眺めている。ヤコフ・イリイッチは忘れた様に船渠の方を見遣って居る。  話柄が途切れて閑とすると、暑さが身に沁みて、かんかん日のあたる胴の間に、折り重なっていぎたなく寝そべった労働者の鼾が聞こえた。  ヤコフ・イリイッチは徐ろに後ろを向いて、眠れる一群に眼をやると、振り返って私を腭でしゃくった。  見ろい、イフヒムの奴を。知ってるか、「癇癪玉」ってんだ綽名が――知ってるか彼奴を。  さすがに声が小さくなる。  イフヒムと云うのはコンスタンチノープルから輸入する巻煙草の大箱を積み重ねた蔭に他の労働者から少し離れて、上向きに寝て居る小男であった。何しろケルソン市だけでも五百人から居る所謂かんかん虫の事であるから、縦令市の隅から隅へと漂泊して歩いた私でも、一週間では彼等の五分の一も親交にはなって居なかったが、独りイフヒムは妙に私の注意を聳やかした一人であった。唯一様の色彩と動作との中にうようよと甲板の掃除をして居る時でも、船艙の板囲いにずらっと列んで、尻をついて休んで居る時でも、イフヒムの姿だけは、一団の労働者から浮き上った様に、際立って見えた。ぎりっと私を見据えて居るものがあると思って振り向くと、屹度イフヒムの大きな夢でも見て居る様な眼にぶつかったものである。あの眼ならショパンの顔に着けても似合うだろうと、そう思った事もある。然しまだ一遍も言葉を交えた事がない。私は其の旨を答えようとするとヤコフ・イリイッチは例の頓着なく話頭を進めて居る。  かんかん虫手合いで恐がられが己れでよ、太腐れが彼奴だ。  彼奴も字は読ま無えがね。  あの野郎が二三年以来カチヤと訳があったのを知って居た。知っては居たがそれが何うなるものかお前、イフヒムは見た通りの裸一貫だろう。何一つ腕に覚えがあるじゃなし、人の隙を窺って、鈎の先で船室小盗でもするのが関の山だ。何うなるものか。女って獣は栄燿栄華で暮そうと云う外には、何一つ慾の無え獣だ。成程一とわたりは男選みもしようし、気前惚れもしようさ。だがそれも金があって飯が食えて、べらっとしたものでもひっかけられた上の話だ。真っ裸にして日干し上げて見ろ、女が一等先きに目を着けるのは、気前でもなけりゃ、男振りでも無え、金だ。何うも女ってものは老者の再生だぜ。若死したものが生れ代ると男になって、老耄が生れ代ると業で女になるんだ。あり相で居て、色気と決断は全然無しよ、あるものは慾気ばかりだ。私は思わずほほ笑ませられた。ヤコフ・イリイッチを見ると彼は大真面目である。  又親ってものがお前不思議だってえのは、娘を持つと矢っ張りそんな気にならあ。己れにした処がまあカチヤには何よりべらべらしたものを着せて、頬っぺたの肉が好い色になるものでも食わせて、通りすがりの奴等が何処の御新造だろう位の事を云って振り向く様にしてくれりゃ、宿六はちっとやそっとへし曲って居ても構わ無えと思う様になるんだ。  それでもイフヒムとカチヤが水入らずになれ合って居た間は、己れだって口を出すがものは無え、黙って居たのよ。すると不図娘の奴が妙に鬱ぎ出しやがった。鬱ぐもおかしい、そう仰山なんじゃ無えが、何かこう頭の中で円い玉でもぐるぐる廻して見て居る様な面付をして居やあがる。変だなと思ってる中に、一週間もすると、奴の身の周りが追々綺麗になるんだ。晩飯でも食って出懸ける所を見ると、お前、頭にお前、造花なんぞ揷して居やあがる。何処からか指輪が来ると云うあんばいで、仕事も休みがちで遊びまわるんだ。偶にゃ大層も無え。お袋に土産なんぞ持って来やあがる。イフヒムといがみ合った様な噂もちょくちょく聞くから、貢ぐのは野郎じゃ無くって、これはてっきり外に出来たなとそう思ったんだ。そんなあんばいで半年も経った頃、藪から棒に会計のグリゴリー・ペトニコフが人を入れて、カチヤを囲いたい、話に乗ってくれと斯うだ。  之れで読めた、読めは読めたが、思わく違いに当惑いた。全くまごつくじゃ無えか。  虫の娘を人間が欲しいと云って来やがったんだ。 じりじりと板挾みにする様に照り付けて居た暑さがひるみそめて、何処を逃れて来たのか、涼しい風がシャツの汗ばんだ処々を撫でて通った。  其の晩だ、寝ずに考えたってえのは。  己れが考えたなんちゃ可笑しかろう。  可笑しくば神様ってえのを笑いねえ。考えの無え筈の虫でも考える時があるんだ。何を考えたってお前、己ら手合いは人間様の様に智慧がありあまんじゃ無えから、けちな事にも頭を痛めるんだ。話がよ、何うしてくれようと思ったんだ。娘の奴をイフヒムの前に突っ放して、勝手にしろと云ってくれようか。それともカチヤを餌に、人間の食うものも食わ無えで溜めた黄色い奴を、思うざま剥奪くってくれようか。虫っけらは何処までも虫っけらで押し通して、人間の鼻をあかさして見てえし、先刻も云った通り、親ってえものは意気地が無え、娘丈けは人間竝みにして見てえと思うんだ。  おい、「空の空なるかな総て空なり」って諺があるだろう。旨めえ事を云いやがったもんだ。己れや其の晩妙に瞼が合わ無えで、頭ばかりがんがんとほてって来るんだ。何の事は無え暗闇と睨めっくらをしながら、窓の向うを見て居ると、不図星が一つ見え出しやがった。それが又馬鹿に気になって見詰めて居ると、段々西に廻ってとうとう見えなくなったんで、思わず溜息ってものが出たのも其の晩だ。いまいましいと思ったのよ。  そうしたあんばいでもじもじする中に暁方近くなる。夢も見た事の無え己れにゃ、一晩中ぽかんと眼球をむいて居る苦しみったら無えや。何うしてくれようと思案の果てに、御方便なもんで、思い出したのが今云った諺だ。「空の空なるかな総て空なり」「空なるかな」が甘めえ。  神符でも利いた様に胸が透いたんで、ぐっすり寝込んで仕舞った。  おい、も少し其方い寄んねえ、己れやまるで日向に出ちゃった。  其の翌日嚊とカチヤとを眼の前に置いて、己れや云って聞かしたんだ。「空の空なるかな総て空なり」って事があるだろう、解ったら今日から会計の野郎の妾になれ。イフヒムの方は己れが引き受けた。イフヒムが何うなるもんか、それよりも人間に食い込んで行け。食い込んで思うさま甘めえ御馳走にありつくんだてったんだ。そうだろう、早い話がそうじゃ無えか。  処がお前、カチヤの奴は鼻の先きで笑ってけっからあ。一体がお前此の話ってものは、カチヤが首石になって持出したものなんだ。彼奴と来ちゃ全く二まわりも三まわりも己の上手だ。  お前は見無えか知ら無えが、一と眼見ろ、カチヤって奴はそう行く筈の女なんだ。厚い胸で、大きな腰で、腕ったら斯うだ。  と云いながら彼は、両手の食指と拇指とを繋ぎ合わせて大きな輪を作って見せた。  面相だってお前、己れっちの娘だ。お姫様の様なのは出来る筈は無えが、胆が太てえんだからあの大かい眼で見据えて見ねえ、男の心はびりびりっと震え込んで一たまりも無えに極まって居らあ。そりゃ彼奴だってイフヒムに気の無え訳じゃ無えんだが、其処が阿魔だ。矢張り老耄の生れ代りなんだ。当世向きに出来て居やあがる。  そんな訳で話も何も他愛なく纏まっちゃって、己れのこね上げた腸詰はグリゴリー・ペトニコフの皿の上に乘っかったのよ。  それ迄はいい、それ迄は難は無えんだが、それから三日許り経つと、イフヒムの野郎が颶風の様に駆け込で来やがった。 「イフヒムの野郎」と云った時、ヤコフ・イリイッチは再び胴の間を見返った。話がはずんで思わず募った癇高な声が、もう一度押しつぶされて最低音になる。気が付いて見ると又日影が移って、彼は半身日の中に坐って居るので、私は黙ったまま座を譲ったが、彼は動こうとはしなかった。船員が食うのであろう、馬鈴薯と塩肉とをバタで揚げる香いが、蒸暑く二人に逼った。  海は依然として、ちゃぶりちゃぶりと階律を合せて居る。ヤコフ・イリイッチはもう一度イフヒムを振り返って見ながら、押しつぶした儘の声で、  見ろい、あの切目の長げえ眼をぎろっとむいて、其奴が血走って、からっきし狂人見てえだった。筋が吊ったか舌も廻ら無え、「何んだってカチヤを出した」と固唾をのみながらぬかしやがる。 「出したいから出した迄だ、別に所以のある筈は無え。親が己れの阿魔を、救主に奉ろうが、ユダに嫁にやろうが、お前っちの世話には相成ら無え。些度物には理解を附けねえ。当世は金のある所に玉がよるんだ。それが当世って云うんだ。篦棒奴、娘が可愛ければこそ、己れだってこんな仕儀はする。あれ程の容色にべらべらしたものでも着せて見たいが親の人情だ。誠カチヤを女房にしたけりゃ、金の耳を揃えて買いに来う。それが出来ざあ腕っこきでグリゴリー・ペトニコフから取り返しねえ。カチヤだって呼吸もすりゃ飯も喰う、ぽかんと遊ばしちゃおかれ無えんだから……お前っちゃ一体何んだって、そんな太腐れた眼付きをして居やあがるんだ」  とほざいてくれると、イフヒムの野郎じっと考えて居やがったけが、  と語を切ってヤコフ・イリイッチは雙手で身を浮かしながら、先刻私が譲った座に移って、ひたひたと自分に近づいた。乾きかけたオヴァオールから酸っぱい汗の臭いが蒸れ立って何とも云えぬ。  云うにゃ、  と更に声を低くした時、私は云うに云われぬ一種の恐ろしい期待を胸に感じて心を騒がさずには居られなかった。  ヤコフ・イリイッチは更めて周囲を見廻わして、 気の早い野郎だ……宜いか、是れからが話だよ、……イフヒムの云うにゃ其の人間って獣にしみじみ愛想が尽きたと云うんだ。人間って奴は何んの事は無え、贅沢三昧をして生れて来やがって、不足の云い様は無い筈なのに、物好きにも事を欠いて、虫手合いの内懐まで手を入れやがる。何が面白くって今日今日を暮して居るんだ。虫って云われて居ながら、それでも偶にゃ気儘な夢でも見ればこそじゃ無えか……畜生。  ヤコフ・イリイッチはイフヒムの言った事を繰返して居るのか、己れの感慨を漏らすのか解らぬ程、熱烈な調子になって居た。 畜生。其奴を野郎見付ければひったくり、見付ければひったくりして、空手にして置いて、搾り栄がしなくなると、靴の先へかけて星の世界へでも蹴っ飛ばそうと云うんだ。慾にかかってそんな事が見えなくなったかって泣きやがった……馬鹿。 馬鹿。己れを幾歳だと思って居やがるんだ。虫っけらの眼から贅沢水を流す様な事をして居やがって、憚りながら口幅ってえ事が云える義理かい。イフヒムの奴も太腐れて居やがる癖に、胸三寸と来ちゃからっきし乳臭なんだ。 だが彼奴の一念と来ちゃ油断がなら無え。 宜いか。  又肩からもたれかかる様にすり寄って、食指で私の膝を念入に押しながら、 宜いか、今日で此の船の鏽落しも全然済む。  斯う云って彼は私の耳へ口を寄せた。 全然済むんでグリゴリー・ペトニコフの野郎が検分に船に来やがるだろう。 イフヒムの奴、黙っちゃ居無え筈だ。  私は「黙っちゃ居ねえ」と云う簡単な言葉が、何を言い顕わして居るかを、直ぐ見て取る事が出来た。余りの不意に思わず気息を引くと、迸る様に鋭く動悸が心臓を衝くのを感じた。而してそわそわしながら、ヤコフ・イリイッチの方を向くと、彼の眼は巖の様な堅い輪廓の睫の中から、ぎらっと私を見据えて居た。思わず視線をすべらして下を向くと、世の中は依然として夏の光の中に眠った様で、波は相変らずちゃぶりちゃぶりと長閑な階律を刻んで居る。  私は下を向いた儘、心は差迫りながら、それで居て閑々として、波の階律に比べて私の動悸が何の位早く打つかを算えて居た。而してヤコフ・イリイッチが更に語を次いだのは、三十秒にも足らぬ短い間であったが、それが恐ろしい様な、待ち遠しい様な長さであった。  私は波を見つめて居る。ヤコフ・イリイッチの豹の様な大きな眼睛は、私の眼から耳にかけたあたりを揉み込む様に見据えて居るのを私はまざまざと感じて、云うべからざる不快を覚えた。  ヤコフ・イリイッチは歯を喰いしばる様にして、 お前も連帯であげられ無えとも限ら無えが、「知ら無え知ら無え」で通すんだぞ、生じっか……  此の時ぴーと耳を劈く様な響きが遠くで起った。其の方を向くと船渠の黒い細い煙突の一つから斜にそれた青空をくっきりと染め抜いて、真白く一団の蒸気が漂うて居る。ある限りの煉瓦の煙突からは真黒い煙がむくむくと立ち上って、むっとする様な暑さを覚えしめる。労働を強うる為めに、鉄と蒸気とが下す命令である。私は此の叫びを聞いて起き上ろうとすると、 待て。 とヤコフ・イリイッチが睨み据えた。 きょろきょろするない。 宜いか、生じっか何んとか云って見ろ、生命は無えから。  長げえ身の上話もこの為めにしたんだ。 と云いながら、彼は始めて私から視線を外ずして、やおら立ち上った。胴の間には既に眼を覚したものが二三人居る。 起きろ野郎共、汽笛が鳴ってらい。さ、今日ですっかり片付けて仕舞うんだ。  而して大欠伸をしながら、彼は寝乱れた労働者の間を縫って、オデッサ丸の船階子を上って行った。  私も持場について午後の労働を始めた。最も頭脳を用うる余地のない、而して最も肉体を苦しめる労働はかんかん虫のする労働である。小さなカンテラ一つと、形の色々の金槌二つ三つとを持って、船の二重底に這い込み、石炭がすでに真黒になって、油の様にとろりと腐敗したままに溜って居る塩水の中に、身体を半分浸しながら、かんかんと鉄鏽を敲き落すのである。隣近所でおろす槌の響は、狭い空洞の中に籠り切って、丁度鳴りはためいて居る大鐘に頭を突っ込んだ通りだ。而して暑さに蒸れ切った空気と、夜よりも暗い暗闇とは、物恐ろしい仮睡に総ての人を誘うのである。敲いて居る中に気が遠くなって、頭と胴とが切り放された様に、頭は頭だけ、手は手だけで、勝手な働きをかすかに続けながら、悪い夢にでもうなされた様な重い心になって居るかと思うと、突然暗黒な物凄い空間の中に眼が覚める。周囲からは鼓膜でも破り相な勢で鉄と鉄とが相打つ音が逼る。動悸が手に取る如く感ぜられて、呼吸は今絶えるかとばかりに苦しい。喘いでも喘いでも、鼻に這入って来るのは窒素ばかりかと思われる汚い空気である。私は其の午後もそんな境涯に居た。然し私は其の日に限って其の境涯を格別気にしなかった。今日一日で仕事が打切りになると云う事も、一つの大なる期待ではあったが、軈て現われ来るべき大事件は若い好奇心と敵愾心とを極端に煽り立てて、私は勇士を乘せて戦場に駆け出そうとする牡馬の様に、暗闇の中で眼を輝かした。  とうとう仕事は終った。其の日は三時半で一統に仕事をやめ、其処此処と残したところに手を入れて、偖て会社から検査員の来るのを待つ計りになった。私はかの二重底から数多の仲間と甲板に這い出して、油照りに横から照りつける午後の日を船橋の影によけながら、古ペンキや赤鏽でにちゃにちゃと油ぎって汚れた金槌を拭いにかかった。而して拭いながらいつかヤコフ・イリイッチが「法律ってものは人間に都合よく出来て居やがるんだ。シャンパンを飲み過ぎちゃなら無えとか、靴下を二十足の上持っちゃなら無えとかそんな法律は薬にし度くも無え。はきだめを覗いちゃなら無えとか、落ちたものを拾っちゃなら無えとか云うんなら、数え切れ無え程あるんだ。そんな片手落ちな成敗にへえへえと云って居られるかい。人間が法律を作れりゃあ、虫だって作れる筈だ」と云ったのを想い出して、虫の法律的制裁が今日こそ公然と行われるんだと思った。  丁度四時半頃でもあったろう、小蒸汽の汽笛が遠くで鳴るのを聞いた。間違なくセミオン会社所有の小蒸汽の汽笛だ。「来たな」と思うと胸は穏かでない。船階子の上り口には労働者が十四五人群がって船の着くのを見守って居た。  私の好奇心は我慢し切れぬ程高まって、商売道具の掃除をして居られなくなった。一つ見物してやろうと思って立ち上ろうとする途端に、 様あ見やがれ。  と云う鋭い声がかの一群から響いたので、私はもう遣ったのかと宙を飛んで、 ワハ…………  と笑って居る、其の群に近づいて見ると、一同は手に手に重も相な獲物をぶらさげて居た。而して瞬く暇にかんかん虫は総て其の場に馳せ集まって、「何んだ何んだ」とひしめき返して、始めから居たかんかん虫は誰と誰であるか更に判らなくなって居る。ナポレオンが手下の騎兵を使う時でも、斯うまでの早業はむずかしろう。  私は手欄から下を覗いて居た。  積荷のない為め、思うさま船脚が浮いたので、上甲板は海面から小山の様に高まって居る。其の甲板にグリゴリー・ペトニコフが足をかけようとした刹那、誰が投げたのか、長方形のクヅ鉄が飛んで行って、其の頭蓋骨を破ったので、迸る血烟と共に、彼は階子を逆落しにもんどりを打って小蒸汽の錨の下に落ちて、横腹に大負傷をしたのである。薄地セルの華奢な背広を着た太った姿が、血みどろになって倒れて居るのを、二人の水夫が茫然立って見て居た。  私の心にはイフヒムが急に拡大して考えられた。どんな大活動が演ぜられるかと待ち設けた私の期待は、背負投げを喰わされた気味であったが、きびきびとした成功が齎らす、身ぶるいのする様な爽かな感じが、私の心を引っ掴んだ。私は此の勢に乘じてイフヒムを先きに立てて、更に何か大きな事でもして見たい気になった。而してイフヒムがどんな態度で居るかと思って眼を配ったが、何処にまぎれたのか、其の姿は見当らなかった。  一時間の後に二人の警部が十数人の巡査を連れて来船した。自分等は其の厳しい監視の下に、一人々々凡て危険と目ざされる道具を船に残して、大運搬船に乘り込ませられたのであった。上げて来る潮で波が大まかにうねりを打って、船渠の後方に沈みかけた夕陽が、殆ど水平に横顔に照りつける。地平線に近く夕立雲が渦を巻き返して、驟雨の前に鈍った静かさに、海面は煮つめた様にどろりとなって居る。ドゥニパー河の淡水をしたたか交えたケルソンでも海は海だ。風はなくとも夕されば何処からともなく潮の香が来て、湿っぽく人を包む。蚊柱の声の様に聞こえて来るケルソン市の薄暮のささやきと、大運搬船を引く小蒸汽の刻をきざむ様な響とが、私の胸の落ちつかないせわしい心地としっくり調子を合わせた。  私は立った儘大運搬船の上を見廻して見た。  寂然して溢れる計り坐ったり立ったりして居るのが皆んなかんかん虫の手合いである。其の間に白帽白衣の警官が立ち交って、戒め顔に佩劔を撫で廻して居る。舳に眼をやるとイフヒムが居た。とぐろを巻いた大繩の上に腰を下して、両手を後方で組み合せて、頭をよせかけたまま眠って居るらしい。ヤコフ・イリイッチはと見ると一人おいた私の隣りに大きく胡坐をかいてくわえ煙管をぱくぱくやって居た。 へん、大袈裟な真似をしやがって、  と云う声がしたので、見ると大黒帽の上から三角布で頬被りをした男が、不平相にあたりを見廻して居たが、一人の巡査が彼を見おろして居るのに気が附くと、しげしげそれを見返して、唾でも吐き出す様に、 畜生。  と云って、穢らわし相に下を向いて仕舞った。 (一九〇六年於米国華盛頓府、一九一〇年十月「白樺」)
底本:「日本プロレタリア文学大系 序」三一書房    1955(昭和30)年3月31日初版発行    1961(昭和36)年6月20日第2刷発行(入力)    1968(昭和43)年12月5日第3刷発行(校正) ※ファイル中の「乗」と「乘」の混在は、底本通りにしました。 ※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫) 入力:Nana ohbe 校正:小林繁雄 2003年2月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002943", "作品名": "かんかん虫", "作品名読み": "かんかんむし", "ソート用読み": "かんかんむし", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「白樺」1910(明治43)年10月", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2003-03-10T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card2943.html", "人物ID": "000025", "姓": "有島", "名": "武郎", "姓読み": "ありしま", "名読み": "たけお", "姓読みソート用": "ありしま", "名読みソート用": "たけお", "姓ローマ字": "Arishima", "名ローマ字": "Takeo", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1878-03-04", "没年月日": "1923-06-09", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "日本プロレタリア文学大系 序", "底本出版社名1": "三一書房", "底本初版発行年1": "1955(昭和30)年3月31日第1版発行", "入力に使用した版1": "1961(昭和36)年6月20日第2刷", "校正に使用した版1": "1968(昭和43)年12月5日第3刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "Nana ohbe", "校正者": "小林繁雄", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/2943_ruby_8114.zip", "テキストファイル最終更新日": "2003-02-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/2943_9309.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2003-02-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
       ○  これも正しく人間生活史の中に起った実際の出来事の一つである。        ○  また夢に襲われてクララは暗い中に眼をさました。妹のアグネスは同じ床の中で、姉の胸によりそってすやすやと静かに眠りつづけていた。千二百十二年の三月十八日、救世主のエルサレム入城を記念する棕櫚の安息日の朝の事。  数多い見知り越しの男たちの中で如何いう訳か三人だけがつぎつぎにクララの夢に現れた。その一人はやはりアッシジの貴族で、クララの家からは西北に当る、ヴィヤ・サン・パオロに住むモントルソリ家のパオロだった。夢の中にも、腰に置いた手の、指から肩に至るしなやかさが眼についた。クララの父親は期待をもった微笑を頬に浮べて、品よくひかえ目にしているこの青年を、もっと大胆に振舞えと、励ますように見えた。パオロは思い入ったようにクララに近づいて来た。そして仏蘭西から輸入されたと思われる精巧な頸飾りを、美しい金象眼のしてある青銅の箱から取出して、クララの頸に巻こうとした。上品で端麗な若い青年の肉体が近寄るに従って、クララは甘い苦痛を胸に感じた。青年が近寄るなと思うとクララはもう上気して軽い瞑眩に襲われた。胸の皮膚は擽られ、肉はしまり、血は心臓から早く強く押出された。胸から下の肢体は感触を失ったかと思うほどこわばって、その存在を思う事にすら、消え入るばかりの羞恥を覚えた。毛の根は汗ばんだ。その美しい暗緑の瞳は、涙よりももっと輝く分泌物の中に浮き漂った。軽く開いた唇は熱い息気のためにかさかさに乾いた。油汗の沁み出た両手は氷のように冷えて、青年を押もどそうにも、迎え抱こうにも、力を失って垂れ下った。肉体はややともすると後ろに引き倒されそうになりながら、心は遮二無二前の方に押し進もうとした。  クララは半分気を失いながらもこの恐ろしい魔術のような力に抵抗しようとした。破滅が眼の前に迫った。深淵が脚の下に開けた。そう思って彼女は何とかせねばならぬと悶えながらも何んにもしないでいた。慌て戦く心は潮のように荒れ狂いながら青年の方に押寄せた。クララはやがてかのしなやかなパオロの手を自分の首に感じた。熱い指先と冷たい金属とが同時に皮膚に触れると、自制は全く失われてしまった。彼女は苦痛に等しい表情を顔に浮べながら、眼を閉じて前に倒れかかった。そこにはパオロの胸があるはずだ。その胸に抱き取られる時にクララは元のクララではなくなるべきはずだ。  もうパオロの胸に触れると思った瞬間は来て過ぎ去ったが、不思議にもその胸には触れないでクララの体は抵抗のない空間に傾き倒れて行った。はっと驚く暇もなく彼女は何所とも判らない深みへ驀地に陥って行くのだった。彼女は眼を開こうとした。しかしそれは堅く閉じられて盲目のようだった。真暗な闇の間を、颶風のような空気の抵抗を感じながら、彼女は落ち放題に落ちて行った。「地獄に落ちて行くのだ」胆を裂くような心咎めが突然クララを襲った。それは本統はクララが始めから考えていた事なのだ。十六の歳から神の子基督の婢女として生き通そうと誓った、その神聖な誓言を忘れた報いに地獄に落ちるのに何の不思議がある。それは覚悟しなければならぬ。それにしても聖処女によって世に降誕した神の子基督の御顔を、金輪際拝し得られぬ苦しみは忍びようがなかった。クララはとんぼがえりを打って落ちながら一心不乱に聖母を念じた。  ふと光ったものが眼の前を過ぎて通ったと思った。と、その両肱は棚のようなものに支えられて、膝がしらも堅い足場を得ていた。クララは改悛者のように啜泣きながら、棚らしいものの上に組み合せた腕の間に顔を埋めた。  泣いてる中にクララの心は忽ち軽くなって、やがては十ばかりの童女の時のような何事も華やかに珍らしい気分になって行った。突然華やいだ放胆な歌声が耳に入った。クララは首をあげて好奇の眼を見張った。両肱は自分の部屋の窓枠に、両膝は使いなれた樫の長椅子の上に乗っていた。彼女の髪は童女の習慣どおり、侍童のように、肩あたりまでの長さに切下にしてあった。窓からは、朧夜の月の光の下に、この町の堂母なるサン・ルフィノ寺院とその前の広場とが、滑かな陽春の空気に柔らめられて、夢のように見渡された。寺院の北側をロッカ・マジョーレの方に登る阪を、一つの集団となってよろけながら、十五、六人の華車な青年が、声をかぎりに青春を讃美する歌をうたって行くのだった。クララはこの光景を窓から見おろすと、夢の中にありながら、これは前に一度目撃した事があるのにと思っていた。  そう思うと、同時に窓の下の出来事はずんずんクララの思う通りにはかどって行った。 夏には夏の我れを待て。 春には春の我れを待て。 夏には隼を腕に据えよ。 春には花に口を触れよ。 春なり今は。春なり我れは。 春なり我れは。春なり今は。 我がめぐわしき少女。 春なる、ああ、この我れぞ春なる。  寝しずまった町並を、張りのある男声の合唱が鳴りひびくと、無頓着な無恥な高笑いがそれに続いた。あの青年たちはもう立止る頃だとクララが思うと、その通りに彼らは突然阪の中途で足をとめた。互に何か探し合っているようだったが、やがて彼らは広場の方に、「フランシス」「ベルナルドーネの若い騎士」「円卓子の盟主」などと声々に叫び立てながら、はぐれた伴侶を探しにもどって来た。彼らは広場の手前まで来た。そして彼らの方に二十二、三に見える一人の青年が夢遊病者のように足もともしどろに歩いて来るのを見つけた。クララも月影でその青年を見た。それはコルソの往還を一つへだてたすぐ向うに住むベルナルドーネ家のフランシスだった。華美を極めた晴着の上に定紋をうった蝦茶のマントを着て、飲み仲間の主権者たる事を現わす笏を右手に握った様子は、ほかの青年たちにまさった無頼の風俗だったが、その顔は痩せ衰えて物凄いほど青く、眼は足もとから二、三間さきの石畳を孔のあくほど見入ったまま瞬きもしなかった。そしてよろけるような足どりで、見えないものに引ずられながら、堂母の広場の方に近づいて来た。それを見つけると、引返して来た青年たちは一度にときをつくって駈けよりざまにフランシスを取かこんだ。「フランシス」「若い騎士」などとその肩まで揺って呼びかけても、フランシスは恐しげな夢からさめる様子はなかった。青年たちはそのていたらくにまたどっと高笑いをした。「新妻の事でも想像して魂がもぬけたな」一人がフランシスの耳に口をよせて叫んだ。フランシスはついた狐が落ちたようにきょとんとして、石畳から眼をはなして、自分を囲むいくつかの酒にほてった若い笑顔を苦々しげに見廻わした。クララは即興詩でも聞くように興味を催おして、窓から上体を乗出しながらそれに眺め入った。フランシスはやがて自分の纏ったマントや手に持つ笏に気がつくと、甫めて今まで耽っていた歓楽の想出の糸口が見つかったように苦笑いをした。 「よく飲んで騒いだもんだ。そうだ、私は新妻の事を考えている。しかし私が貰おうとする妻は君らには想像も出来ないほど美しい、富裕な、純潔な少女なんだ」  そういって彼れは笏を上げて青年たちに一足先きに行けと眼で合図した。青年たちが騒ぎ合いながら堂母の蔭に隠れるのを見届けると、フランシスはいまいましげに笏を地に投げつけ、マントと晴着とをずたずたに破りすてた。  次の瞬間にクララは錠のおりた堂母の入口に身を投げかけて、犬のようにまろびながら、悔恨の涙にむせび泣く若いフランシスを見た。彼女は奇異の思いをしながらそれを眺めていた。春の月は朧ろに霞んでこの光景を初めからしまいまで照している。  寺院の戸が開いた。寺院の内部は闇で、その闇は戸の外に溢れ出るかと思うほど濃かった。その闇の中から一人の男が現われた。十歳の童女から、いつの間にか、十八歳の今のクララになって、年に相当した長い髪を編下げにして寝衣を着たクララは、恐怖の予覚を持ちながらその男を見つめていた。男は入口にうずくまるフランシスに眼をつけると、きっとクララの方に鋭い眸を向けたが、フランシスの襟元を掴んで引きおこした。ぞろぞろと華やかな着物だけが宙につるし上って、肝腎のフランシスは溶けたのか消えたのか、影も形もなくなっていた。クララは恐ろしい衝動を感じてそれを見ていた。と、やがてその男の手に残った着物が二つに分れて一つはクララの父となり、一つは母となった。そして二人の間に立つその男は、クララの許婚のオッタヴィアナ・フォルテブラッチョだった。三人はクララの立っている美しい芝生より一段低い沼地がかった黒土の上に単調にずらっとならんで立っていた――父は脅かすように、母は歎くように、男は怨むように。戦の街を幾度もくぐったらしい、日に焼けて男性的なオッタヴィアナの顔は、飽く事なき功名心と、強い意志と、生一本な気象とで、固い輪郭を描いていた。そしてその上を貴族的な誇りが包んでいた。今まで誰れの前にも弱味を見せなかったらしいその顔が、恨みを含んでじっとクララを見入っていた。クララは許婚の仲であるくせに、そしてこの青年の男らしい強さを尊敬しているくせに、その愛をおとなしく受けようとはしなかったのだ。クララは夢の中にありながら生れ落ちるとから神に献げられていたような不思議な自分の運命を思いやった。晩かれ早かれ生みの親を離れて行くべき身の上も考えた。見ると三人は自分の方に手を延ばしている。そしてその足は黒土の中にじりじりと沈みこんで行く。脅かすような父の顔も、歎くような母の顔も、怨むようなオッタヴィアナの顔も見る見る変って、眼に逼る難儀を救ってくれと、恥も忘れて叫ばんばかりにゆがめた口を開いている。しかし三人とも声は立てずに死のように静かで陰鬱だった。クララは芝生の上からそれをただ眺めてはいられなかった。口まで泥の中に埋まって、涙を一ぱいためた眼でじっとクララに物をいおうとする三人の顔の外に、果てしのないその泥の沼には多くの男女の頭が静かに沈んで行きつつあるのだ。頭が沈みこむとぬるりと四方からその跡を埋めに流れ寄る泥の動揺は身の毛をよだてた。クララは何もかも忘れて三人を救うために泥の中に片足を入れようとした。  その瞬間に彼女は真黄に照り輝く光の中に投げ出された。芝生も泥の海ももうそこにはなかった。クララは眼がくらみながらも起き上がろうともがいた。クララの胸を掴んで起させないものがあった。クララはそれが天使ガブリエルである事を知った。「天国に嫁ぐためにお前は浄められるのだ」そういう声が聞こえたと思った。同時にガブリエルは爛々と燃える炎の剣をクララの乳房の間からずぶりとさし通した。燃えさかった尖頭は下腹部まで届いた。クララは苦悶の中に眼をあげてあたりを見た。まぶしい光に明滅して十字架にかかった基督の姿が厳かに見やられた。クララは有頂天になった。全身はかつて覚えのない苦しい快い感覚に木の葉の如くおののいた。喉も裂け破れる一声に、全身にはり満ちた力を搾り切ろうとするような瞬間が来た。その瞬間にクララの夢はさめた。  クララはアグネスの眼をさまさないようにそっと起き上って窓から外を見た。眼の下には夢で見たとおりのルフィノ寺院が暁闇の中に厳かな姿を見せていた。クララは扉をあけて柔かい春の空気を快く吸い入れた。やがてポルタ・カプチイニの方にかすかな東明の光が漏れたと思うと、救世主のエルサレム入城を記念する寺の鐘が一時に鳴り出した。快活な同じ鐘の音は、麓の町からも聞こえて来た、牡鶏が村から村に時鳴を啼き交すように。  今日こそは出家して基督に嫁ぐべき日だ。その朝の浅い眠りを覚ました不思議な夢も、思い入った心には神の御告げに違いなかった。クララは涙ぐましい、しめやかな心になってアグネスを見た。十四の少女は神のように眠りつづけていた。  部屋は静かだった。        ○  クララは父母や妹たちより少しおくれて、朝の礼拝に聖ルフィノ寺院に出かけて行った。在家の生活の最後の日だと思うと、さすがに名残が惜しまれて、彼女は心を凝らして化粧をした。「クララの光りの髪」とアッシジで歌われたその髪を、真珠紐で編んで後ろに垂れ、ベネチヤの純白な絹を着た。家の者のいない隙に、手早く置手紙と形見の品物を取りまとめて机の引出しにしまった。クララの眼にはあとからあとから涙が湧き流れた。眼に触れるものは何から何までなつかしまれた。  一人の婢女を連れてクララは家を出た。コルソの通りには織るように人が群れていた。春の日は麗かに輝いて、祭日の人心を更らに浮き立たした。男も女も僧侶もクララを振りかえって見た。「光りの髪のクララが行く」そういう声があちらこちらで私語かれた。クララは心の中で主の祈を念仏のように繰返し繰返しひたすらに眼の前を見つめながら歩いて行った。この雑鬧な往来の中でも障碍になるものは一つもなかった。広い秋の野を行くように彼女は歩いた。  クララは寺の入口を這入るとまっすぐにシッフィ家の座席に行ってアグネスの側に坐を占めた。彼女はフォルテブラッチョ家の座席からオッタヴィアナが送る視線をすぐに左の頬に感じたけれども、もうそんな事に頓着はしていなかった。彼女は座席につくと面を伏せて眼を閉じた。ややともすると所も弁えずに熱い涙が眼がしらににじもうとした。それは悲しさの涙でもあり喜びの涙でもあったが、同時にどちらでもなかった。彼女は今まで知らなかった涙が眼を熱くし出すと、妙に胸がわくわくして来て、急に深淵のような深い静かさが心を襲った。クララは明かな意識の中にありながら、凡てのものが夢のように見る見る彼女から離れて行くのを感じた。無一物な清浄な世界にクララの魂だけが唯一つ感激に震えて燃えていた。死を宣告される前のような、奇怪な不安と沈静とが交る交る襲って来た。不安が沈静に代る度にクララの眼には涙が湧き上った。クララの処女らしい体は蘆の葉のように細かくおののいていた。光りのようなその髪もまた細かに震えた。クララの手は自らアグネスの手を覓めた。 「クララ、あなたの手の冷たく震える事」 「しっ、静かに」  クララは頼りないものを頼りにしたのを恥じて手を放した。そして咽せるほどな参詣人の人いきれの中でまた孤独に還った。 「ホザナ……ホザナ……」  内陣から合唱が聞こえ始めた。会衆の動揺は一時に鎮って座席を持たない平民たちは敷石の上に跪いた。開け放した窓からは、柔かい春の光と空気とが流れこんで、壁に垂れ下った旗や旒を静かになぶった。クララはふと眼をあげて祭壇を見た。花に埋められ香をたきこめられてビザンチン型の古い十字架聖像が奥深くすえられてあった。それを見るとクララは咽せ入りながら「アーメン」と心に称えて十字を切った。何んという貧しさ。そして何んという慈愛。  祭壇を見るとクララはいつでも十六歳の時の出来事を思い出さずにはいなかった。殊にこの朝はその回想が厳しく心に逼った。  今朝の夢で見た通り、十歳の時眼のあたり目撃した、ベルナルドーネのフランシスの面影はその後クララの心を離れなくなった。フランシスが狂気になったという噂さも、父から勘当を受けて乞食の群に加わったという風聞も、クララの乙女心を不思議に強く打って響いた。フランシスの事になるとシッフィ家の人々は父から下女の末に至るまで、いい笑い草にした。クララはそういう雑言を耳にする度に、自分でそんな事を口走ったように顔を赤らめた。  クララが十六歳の夏であった、フランシスが十二人の伴侶と羅馬に行って、イノセント三世から、基督を模範にして生活する事と、寺院で説教する事との印可を受けて帰ったのは。この事があってからアッシジの人々のフランシスに対する態度は急に変った。ある秋の末にクララが思い切ってその説教を聞きたいと父に歎願した時にも、父は物好きな奴だといったばかりで別にとめはしなかった。  クララの回想とはその時の事である。クララはやはりこの堂母のこの座席に坐っていた。着物を重ねても寒い秋寒に講壇には真裸なレオというフランシスの伴侶が立っていた。男も女もこの奇異な裸形に奇異な場所で出遇って笑いくずれぬものはなかった。卑しい身分の女などはあからさまに卑猥な言葉をその若い道士に投げつけた。道士は凡ての反感に打克つだけの熱意を以て語ろうとしたが、それには未だ少し信仰が足りないように見えた。クララは顔を上げ得なかった。  そこにフランシスがこれも裸形のままで這入って来てレオに代って講壇に登った。クララはなお顔を得上げなかった。 「神、その独子、聖霊及び基督の御弟子の頭なる法皇の御許によって、末世の罪人、神の召によって人を喜ばす軽業師なるフランシスが善良なアッシジの市民に告げる。フランシスは今日教友のレオに堂母で説教するようにといった。レオは神を語るだけの弁才を神から授っていないと拒んだ。フランシスはそれなら裸になって行って、体で説教しろといった。レオは雄々しくも裸かになって出て行った。さてレオが去った後、レオにかかる苦行を強いながら、何事もなげに居残ったこのフランシスを神は厳しく鞭ち給うた。眼ある者は見よ。懺悔したフランシスは諸君の前に立つ。諸君はフランシスの裸形を憐まるるか。しからば諸君が眼を注いで見ねばならぬものが彼所にある。眼あるものは更に眼をあげて見よ」  クララはいつの間にか男の裸体と相対している事も忘れて、フランシスを見やっていた。フランシスは「眼をあげて見よ」というと同時に祭壇に安置された十字架聖像を恭しく指した。十字架上の基督は痛ましくも痩せこけた裸形のままで会衆を見下ろしていた。二十八のフランシスは何所といって際立って人眼を引くような容貌を持っていなかったが、祈祷と、断食と、労働のためにやつれた姿は、霊化した彼れの心をそのまま写し出していた。長い説教ではなかったが神の愛、貧窮の祝福などを語って彼がアーメンといって口をつぐんだ時には、人々の愛心がどん底からゆすりあげられて思わず互に固い握手をしてすすり泣いていた。クララは人々の泣くようには泣かなかった。彼女は自分の眼が燃えるように思った。  その日彼女はフランシスに懺悔の席に列る事を申しこんだ。懺悔するものはクララの外にも沢山いたが、クララはわざと最後を選んだ。クララの番が来て祭壇の後ろのアプスに行くと、フランシスはただ一人獣色といわれる樺色の百姓服を着て、繩の帯を結んで、胸の前に組んだ手を見入るように首を下げて、壁添いの腰かけにかけていた。クララを見ると手まねで自分の前にある椅子に坐れと指した。二人は向いあって坐った。そして眼を見合わした。  曇った秋の午後のアプスは寒く淋しく暗み亘っていた。ステインド・グラスから漏れる光線は、いくつかの細長い窓を暗く彩って、それがクララの髪の毛に来てしめやかに戯れた。恐ろしいほどにあたりは物静かだった。クララの燃える眼は命の綱のようにフランシスの眼にすがりついた。フランシスの眼は落着いた愛に満ち満ちてクララの眼をかき抱くようにした。クララの心は酔いしれて、フランシスの眼を通してその尊い魂を拝もうとした。やがてクララの眼に涙が溢れるほどたまったと思うと、ほろほろと頬を伝って流れはじめた。彼女はそれでも真向にフランシスを見守る事をやめなかった。こうしてまたいくらかの時が過ぎた。クララはただ黙ったままで坐っていた。 「神の処女」  フランシスはやがて厳かにこういった。クララは眼を外にうつすことが出来なかった。 「あなたの懺悔は神に達した。神は嘉し給うた。アーメン」  クララはこの上控えてはいられなかった。椅子からすべり下りると敷石の上に身を投げ出して、思い存分泣いた。その小さい心臓は無上の歓喜のために破れようとした。思わず身をすり寄せて、素足のままのフランシスの爪先きに手を触れると、フランシスは静かに足を引きすざらせながら、いたわるように祝福するように、彼女の頭に軽く手を置いて間遠につぶやき始めた。小雨の雨垂れのようにその言葉は、清く、小さく鋭く、クララの心をうった。 「何よりもいい事は心の清く貧しい事だ」  独語のようなささやきがこう聞こえた。そして暫らく沈黙が続いた。 「人々は今のままで満足だと思っている。私にはそうは思えない。あなたもそうは思わない。神はそれをよしと見給うだろう。兄弟の日、姉妹の月は輝くのに、人は輝く喜びを忘れている。雲雀は歌うのに人は歌わない。木は跳るのに人は跳らない。淋しい世の中だ」  また沈黙。 「沈黙は貧しさほどに美しく尊い。あなたの沈黙を私は美酒のように飲んだ」  それから恐ろしいほどの長い沈黙が続いた。突然フランシスは慄える声を押鎮めながらつぶやいた。 「あなたは私を恋している」  クララはぎょっとして更めて聖者を見た。フランシスは激しい心の動揺から咄嗟の間に立ちなおっていた。 「そんなに驚かないでもいい」  そういって静かに眼を閉じた。  クララは自分で知らなかった自分の秘密をその時フランシスによって甫めて知った。長い間の不思議な心の迷いをクララは種々に解きわずらっていたが、それがその時始めて解かれたのだ。クララはフランシスの明察を何んと感謝していいのか、どう詫びねばならぬかを知らなかった。狂気のような自分の泣き声ばかりがクララの耳にやや暫らくいたましく聞こえた。 「わが神、わが凡て」  また長い沈黙がつづいた。フランシスはクララの頭に手を置きそえたまま黙祷していた。 「私の心もおののく。……私はあなたに値しない。あなたは神に行く前に私に寄道した。……さりながら愛によってつまずいた優しい心を神は許し給うだろう。私の罪をもまた許し給うだろう」  かくいってフランシスはすっと立上った。そして今までとは打って変って神々しい威厳でクララを圧しながら言葉を続けた。 「神の御名によりて命ずる。永久に神の清き愛児たるべき処女よ。腰に帯して立て」  その言葉は今でもクララの耳に焼きついて消えなかった。そしてその時からもう世の常の処女ではなくなっていた。彼女はその時の回想に心を上ずらせながら、その時泣いたように激しく泣いていた。  ふと「クララ」と耳近く囁くアグネスの声に驚かされてクララは顔を上げた。空想の中に描かれていたアプスの淋しさとは打って変って、堂内にはひしひしと群集がひしめいていた。祭壇の前に集った百人に余る少女は、棕櫚の葉の代りに、月桂樹の枝と花束とを高くかざしていた――夕栄の雲が棚引いたように。クララの前にはアグネスを従えて白い髯を長く胸に垂れた盛装の僧正が立っている。クララが顔を上げると彼れは慈悲深げにほほえんだ。 「嫁ぎ行く処女よ。お前の喜びの涙に祝福あれ。この月桂樹は僧正によって祭壇から特にお前に齎らされたものだ。僧正の好意と共に受けおさめるがいい」  クララが知らない中に祭事は進んで、最後の儀式即ち参詣の処女に僧正手ずから月桂樹を渡して、救世主の入城を頌歌する場合になっていたのだ。そしてクララだけが祭壇に来なかったので僧正自らクララの所に花を持って来たのだった。クララが今夜出家するという手筈をフランシスから知らされていた僧正は、クララによそながら告別を与えるためにこの破格な処置をしたのだと気が付くと、クララはまた更らに涙のわき返るのをとどめ得なかった。クララの父母は僧正の言葉をフォルテブラッチョ家との縁談と取ったのだろう、笑みかまけながら挨拶の辞儀をした。  やがて百人の処女の喉から華々しい頌歌が起った。シオンの山の凱歌を千年の後に反響さすような熱と喜びのこもった女声高音が内陣から堂内を震動さして響き亘った。会衆は蠱惑されて聞き惚れていた。底の底から清められ深められたクララの心は、露ばかりの愛のあらわれにも嵐のように感動した。花の間に顔を伏せて彼女は少女の歌声に揺られながら、無我の祈祷に浸り切った。        ○ 「クララ……クララ」  クララは眼をさましていたけれども返事をしなかった。幸に母のいる方には後ろ向けに、アグネスに寄り添って臥ていたから、そのまま息気を殺して黙っていた。母は二人ともよく寝たもんだというような事を、母らしい愛情に満ちた言葉でいって、何か衣裳らしいものを大椅子の上にそっくり置くと、忍び足に寝台に近よってしげしげと二人の寝姿を見守った。そして夜着をかけ添えて軽く二つ三つその上をたたいてから静かに部屋を出て行った。  クララの枕はしぼるように涙に濡れていた。  無月の春の夜は次第に更けた。町の諸門をとじる合図の鐘は二時間も前に鳴ったので、コルソに集って売買に忙がしかった村の人々の声高な騒ぎも聞こえず、軒なみの店ももう仕舞って寝しずまったらしい。女猫を慕う男猫の思い入ったような啼声が時折り聞こえる外には、クララの部屋の時計の重子が静かに下りて歯車をきしらせる音ばかりがした。山の上の春の空気はなごやかに静かに部屋に満ちて、堂母から二人が持って帰った月桂樹と花束の香を隅々まで籠めていた。  クララは取りすがるように祈りに祈った。眼をあけると間近かにアグネスの眠った顔があった。クララを姉とも親とも慕う無邪気な、素直な、天使のように浄らかなアグネス。クララがこの二、三日ややともすると眼に涙をためているのを見て、自分も一緒に涙ぐんでいたアグネス。……そのアグネスの睫毛はいつでも涙で洗ったように美しかった。殊に色白なその頬は寝入ってから健康そうに上気して、その間に形よく盛り上った小鼻は穏やかな呼吸と共に微細に震えていた。「クララの光の髪、アグネスの光の眼」といわれた、無類な潤みを持った童女にしてはどこか哀れな、大きなその眼は見る事が出来なかった。クララは、見つめるほど、骨肉のいとしさがこみ上げて来て、そっと掌で髪から頬を撫でさすった。その手に感ずる暖いなめらかな触感はクララの愛欲を火のようにした。クララは抱きしめて思い存分いとしがってやりたくなって半身を起して乗しかかった。同時にその場合の大事がクララを思いとどまらした。クララは肱をついて半分身を起したままで、アグネスを見やりながらほろほろと泣いた。死んだ一人児を母が撫でさすりながら泣くように。  弾条のきしむ音と共に時計が鳴り出した。クララは数を数えないでも丁度夜半である事を知っていた。そして涙を拭いもあえず、静かに床からすべり出た。打合せておいた時刻が来たのだ。安息日が過ぎて神聖月曜日が来たのだ。クララは床から下り立つと昨日堂母に着て行ったベネチヤの白絹を着ようとした。それは花嫁にふさわしい色だった。しかし見ると大椅子の上に昨夜母の持って来てくれた外の衣裳が置いてあった。それはクララが好んで来た藤紫の一揃だった。神聖月曜日にも聖ルフィノ寺院で式があるから、昨日のものとは違った服装をさせようという母の心尽しがすぐ知れた。クララは嬉しく有難く思いながらそれを着た。そして着ながらもしこれが両親の許しを得た結婚であったならばと思った。父は恐らくあすこの椅子にかけて微笑しながら自分を見守るだろう。母と女中とは前に立ち後ろに立ちして化粧を手伝う事だろう。そう思いながらクララは音を立てないように用心して、かけにくい背中のボタンをかけたりした。そしていつもの習慣通りに小箪笥の引出しから頸飾と指輪との入れてある小箱を取出したが、それはこの際になって何んの用もないものだと気が付いた。クララはふとその宝玉に未練を覚えた。その一つ一つにはそれぞれの思出がつきまつわっていた。クララは小箱の蓋に軽い接吻を与えて元の通りにしまいこんだ。淋しい花嫁の身じたくは静かな夜の中に淋しく終った。その中に心は段々落着いて力を得て行った。こんなに泣かれてはいよいよ家を逃れ出る時にはどうしたらいいだろうと思った床の中の心配は無用になった。沈んではいるがしゃんと張切った心持ちになって、クララは部屋の隅の聖像の前に跪いて燭火を捧げた。そして静かに身の来し方を返り見た。  幼い時からクララにはいい現わし得ない不満足が心の底にあった。いらいらした気分はよく髪の結い方、衣服の着せ方に小言をいわせた。さんざん小言をいってから独りになると何んともいえない淋しさに襲われて、部屋の隅でただ一人半日も泣いていた記憶も甦った。クララはそんな時には大好きな母の顔さえ見る事を嫌った。ましてや父の顔は野獣のように見えた。いまに誰れか来て私を助けてくれる。堂母の壁画にあるような天国に連れて行ってくれるからいいとそう思った。色々な宗教画がある度に自分の行きたい所は何所だろうと思いながら注意した。その中にクララの心の中には二つの世界が考えられるようになりだした。一つはアッシジの市民が、僧侶をさえこめて、上から下まで生活している世界だ。一つは市民らが信仰しているにせよ、いぬにせよ、敬意を捧げている基督及び諸聖徒の世界だ。クララは第一の世界に生い立って栄耀栄華を極むべき身分にあった。その世界に何故渇仰の眼を向け出したか、クララ自身も分らなかったが、当時ペルジヤの町に対して勝利を得て独立と繁盛との誇りに賑やか立ったアッシジの辻を、豪奢の市民に立ち交りながら、「平和を求めよ而して永遠の平和あれ」と叫んで歩く名もない乞食の姿を彼女は何んとなく考え深く眺めないではいられなかった。やがて死んだのか宗旨代えをしたのか、その乞食は影を見せなくなって、市民は誰れ憚らず思うさまの生活に耽っていたが、クララはどうしても父や父の友達などの送る生活に従って活きようと思う心地はなかった。その頃にフランシス――この間まで第一の生活の先頭に立って雄々しくも第二の世界に盾をついたフランシス――が百姓の服を着て、子供らに狂人と罵られながらも、聖ダミヤノ寺院の再建勧進にアッシジの街に現われ出した。クララは人知れずこの乞食僧の挙動を注意していた。その頃にモントルソリ家との婚談も持上って、クララは度々自分の窓の下で夜おそく歌われる夜曲を聞くようになった。それはクララの心を躍らしときめかした。同時にクララは何物よりもこの不思議な力を恐れた。  その時分クララは著者の知れないある古い書物の中に下のような文句を見出した。 「肉に溺れんとするものよ。肉は霊への誘惑なるを知らざるや。心の眼鈍きものはまず肉によりて愛に目ざむるなり。愛に目ざめてそを哺むものは霊に至らざればやまざるを知らざるや。されど心の眼さときものは肉に倚らずして直に愛の隠るる所を知るなり。聖処女の肉によらずして救主を孕み給いし如く、汝ら心の眼さときものは聖霊によりて諸善の胎たるべし。肉の世の広きに恐るる事勿れ。一度恐れざれば汝らは神の恩恵によりて心の眼さとく生れたるものなることを覚るべし」  クララは幾度もそこを読み返した。彼女の迷いはこの珍らしくもない句によって不思議に晴れて行った。そしてフランシスに対して好意を持ち出した。フランシスを弁護する人がありでもすると、嫉妬を感じないではいられないほど好意を持ち出した。その時からクララは凡ての縁談を顧みなくなった。フォルテブラッチョ家との婚約を父が承諾した時でも、クララは一応辞退しただけで、跡は成行きにまかせていた。彼女の心はそんな事には止ってはいなかった。唯心を籠めて浄い心身を基督に献じる機ばかりを窺っていたのだ。その中に十六歳の秋が来て、フランシスの前に懺悔をしてから、彼女の心は全く肉の世界から逃れ出る事が出来た。それからの一年半の長い長い天との婚約の試練も今夜で果てたのだ。これからは一人の主に身も心も献げ得る嬉しい境涯が自分を待っているのだ。  クララの顔はほてって輝いた。聖像の前に最後の祈を捧げると、いそいそとして立上った。そして鏡を手に取って近々と自分の顔を写して見た。それが自分の肉との最後の別れだった。彼女の眼にはアグネスの寝顔が吸付くように可憐に映った。クララは静かに寝床に近よって、自分の臥ていた跡に堂母から持帰った月桂樹の枝を敷いて、その上に聖像を置き、そのまわりを花で飾った。そしてもう一度聖像に祈祷を捧げた。 「御心ならば、主よ、アグネスをも召し給え」  クララは軽くアグネスの額に接吻した。もう思い残す事はなかった。  ためらう事なくクララは部屋を出て、父母の寝室の前の板床に熱い接吻を残すと、戸を開けてバルコンに出た。手欄から下をすかして見ると、暗の中に二人の人影が見えた。「アーメン」という重い声が下から響いた。クララも「アーメン」といって応じながら用意した綱で道路に降り立った。  空も路も暗かった。三人はポルタ・ヌオバの門番に賂して易々と門を出た。門を出るとウムブリヤの平野は真暗に遠く広く眼の前に展け亘った。モンテ・ファルコの山は平野から暗い空に崛起しておごそかにこっちを見つめていた。淋しい花嫁は頭巾で深々と顔を隠した二人の男に守られながら、すがりつくようにエホバに祈祷を捧げつつ、星の光を便りに山坂を曲りくねって降りて行った。  フランシスとその伴侶との礼拝所なるポルチウンクウラの小龕の灯が遙か下の方に見え始める坂の突角に炬火を持った四人の教友がクララを待ち受けていた。今まで氷のように冷たく落着いていたクララの心は、瀕死者がこの世に最後の執着を感ずるようにきびしく烈しく父母や妹を思った。炬火の光に照らされてクララの眼は未練にももう一度涙でかがやいた。いい知れぬ淋しさがその若い心を襲った。 「私のために祈って下さい」  クララは炬火を持った四人にすすり泣きながら歎願した。四人はクララを中央に置いて黙ったままうずくまった。  平原の平和な夜の沈黙を破って、遙か下のポルチウンクウラからは、新嫁を迎うべき教友らが、心をこめて歌いつれる合唱の声が、静かにかすかにおごそかに聞こえて来た。 (一九一七、八、一五、於碓氷峠)
底本:「カインの末裔 クララの出家」岩波文庫、岩波書店    1940(昭和15)年9月10日第1刷発行    1980(昭和55)年5月16日第25刷改版発行    1990(平成2)年4月15日第35刷発行 底本の親本:「有島武郎著作集」第三輯、新潮社    1918(大正7)年2月刊 初出:「太陽」    1917(大正6)年9月 入力:鈴木厚司 校正:染川隆俊 2001年2月14日公開 2005年9月24日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 彼れはある大望を持つてゐた。  生れてから十三四年の無醒覺な時代を除いては、春秋を迎へ送つてゐる中に、その不思議な心の誘惑は、元來人なつこく出來た彼れを引きずつて、段々思ひもよらぬ孤獨の道に這入りこました。ふと身のまはりを見返へる時、自分ながら驚いたり、懼れたりするやうな事が起つてゐるのを發見した。今のこの生活――この生活一つが彼れの生くべき唯一の生活であると思ふと、大望に引きまはされて、移り變つて行く己れ自身を危ぶんで見ないではゐられないやうな事もあつた。根も葉もない幻想の翫弄物になつて腐り果てる自分ではないか。生活の不充實から來る倦怠を辛うじて逃げる卑劣な手段として、自分でも氣付かずに、何時の間にか我れから案じ出した苦肉の策が、所謂彼れの大望なるものではないか。さう云ふ風な大望を眞額にふりかざして、平氣な顏をしてゐる輩は、いくらでもそこらにごろ〳〵してゐるではないか。かすかながらこんな反省が彼れをなやます事は稀れではなかつた。  それにも係らず大望は彼れを捨てなかつた。彼れも大望が一番大切だつた。自分の生活が支離滅裂だと批難をされる時でも、大望を圓心にして輪を描いて見ると、自分の生活は何時でもその輪の外に出てゐる事はなかつた。さう云ふ事に氣がつくと急に勇ましくなつて、喜んで彼れは孤獨を迎へた。彼れは柔順になればなる程、親からも兄弟からも離れて行つた。妻や友人が自分を理解するしないと云ふやうな事は、てんで問題にならなくなつた。彼れ自身の他人に對する理解のなさ加減から考へると、他人の理解を期待すると云ふやうな事が卑劣極つた事に思はれた。段々と失つて來てゐた心の自由を、段々と囘復して行く滿足は、外に較べるものがなかつた。  空は薄曇つたまゝで、三日の間はつきりした日の目を見せなかつたから、今日あたりは秋雨のやうなうすら寒い細雨が降るのだらうと彼れは川上から川下にかけてずつと見渡して見た。萌えさかつた堤の青草は霧のやうな乳白色を含んで、河原の川柳はそよ風にざわ〳〵と騷いではゐたが、雨の脚はまだ何處にも見えなかつた。悒鬱な氣分が靜かにおごそかに彼れを壓倒しようと試みるらしかつた。彼れはそれを物ともせずに、しつかりした歩き方で堤の上を大跨に歩いた。後ろの方には細長い橋を痩せた腕のやうに出した小さな町が川にまたがつて物淋しく横はつてゐた。  行手の堤の蔭には不格好に尨大な黒ずんだ建物がごつちやになつて平らな麥畑の中に建つてゐた。近づいて見ると屠殺場だつた。その門の所に、肥つた四十恰好の女房と十二三のひよろりとした女の兒とが立つて此方を見てゐた。少女のヱプロンが恐ろしい程白かつた。堅く閉つた大きな門を背にして、二人は手をつないで彼れの近づくのを見守つてゐた。彼れは遠くからその二人を睨まへて歩いて行つた。程が段々近よつて、互の顏がいくらか見分けられるやうになると、二人は人違ひをしてゐたのに氣付いたらしく、吸ひ込まれるやうにそゝくさと木戸から這入つてしまつた。  彼れは用のないものに氣を向けてゐたのを悔やむやうに又川上を眞向に見入つて進んで行つた。見詰めてゐた白いヱプロンは然し黒いしみになつて、暫らくは眼の前をちら〳〵として離れなかつた。然しそれもやがて消えた。  彼れは自分のつゝましやかな心を非常に可愛いく思つた。自分の大望の爲めに、意識して犧牲を要求しながら、少しも悔いなかつた古人の事を思ふと、人の生活の細やかな味ひが心の奧まで響き亙つた。虫けら一疋でも自信を以て自分の爲めに犧牲にする事の出來た人を彼れは同情と尊敬とを以て思ひやつた。事業と云ふ大きな波にゆられながら、この微妙な羅針盤を見詰めるしみ〴〵した心持ちを何に譬へよう。  人違ひながら自分を待つてゐる人のあつた事が、彼れには一種の感激の種となつた。木戸を潛る時その母と子とらしい二人の間に取かはされた小さな失望の會話をはつきり想像して見る事が出來た。然し結局その人達とても無縁の衆生に過ぎない。而して彼れは結婚したばかりの妻の事を思つた。「お前も何時か犧牲にしてやるぞ」さう彼れは悲しくつぶやいた。  その邊は去年大水の出た跡だつた。堤の壞れた所を物の五十間ほども土俵で喰ひ留めた、その土俵の藁は半ば土になつて、畑中に盛り上つた砂の間からは、所々に一かたまりになつて、大根の花が薄紫に咲き出て居た。彼れはこの小さな徴にも自然の力の大きさと強さとを感受した。而して彼れは今更のやうに立停つてあたりを見まはした。百姓の捨てた畑の砂の上には、怒り狂つた川浪の姿が去年のまゝに殘つてゐた。その浪がこの邊に住んでゐた百姓の一人息子を容赦なく避難の小舟から奪ひ去つたのだ。沈澱した砂は片栗粉のやうにぎつしりと堆積して雜草も生えて居なかつた。何んにも知らないやうな顏をしてゐる。今まで親しみ慣れた自然とは大分違つた感じが彼れの胸を打つた。  固より彼れは自然とも戰ふべきものだと云ふ事を忘れてゐたのではない。然し彼れは人間と自然とを離して考へてゐた。人間の理解から孤獨となる事が自然と離縁する事にもなるとは思はなかつた。彼れはその瞬間まで人間から失つた所を自然から補はせる事が出來ると思ひ込んでゐたのだ。  彼れはそこに立つてあたりを見𢌞はしたが、人の姿は何處にも見當らなかつた。細長い橋を痩腕のやうに延ばして横になつてゐる町がかすかになつて川下に見えるばかりだつた。  彼れはしんみりした心になつてじつとそれを見た。その町で人力車に乘らうとしたが蝦蟇口の中の錢が足りないのを恐れて乘らなかつた事をも思ひ出してゐた。  彼れは彼れの大望と云ふ力に誘はれてそこまで來てゐるのだと云ふ事を更らに思つて見た。  大望とは何だ。  一つの意志だ。  否、彼自身だ。  そんなら何んで彼れは自身の前に躊躇するのだ。  神か。  彼れは頭に一撃を加へられたやうに頸をすくめてもう一度あたりを見まはした。  つばなを野に取りに出て失望した記憶がふと浮んで來た。手にあまる程取つて歸つた翌日から三日ばかり雨が降つたので、外出せずにゐて出て行つて見ると、つばなは皆んなほうけてしまつてゐた。大望がほうけたら如何する。彼れは再び氣を取直して川上の方へ向き直りながら、かう心の中でつぶやいて、自分自身の胸に苦がい心持ちを瀉ぎ入れた。  暫らく行くとちよろ〳〵としか水の流れない支流に出遇つて彼れは自から川の本流に別れねばならなかつた。支流に沿うても、小さな土手が新らしく築かれてゐた。石垣の上の赤土はまだ風化せずに、どんよりした空の下にあつても赤かつた。彼れはそのかん〳〵堅くなつた赤土の上を――彼れならぬ他人のした事業の上を踏みしめ〳〵歩いて行つた。  土手には一間ほどづつ隔てゝ落葉松が植ゑつけてあつた。而してその土手の上を通行すべからずと云ふ制札が立てゝあつた。行きつまる所には支流に小さな柴橋が渡してあつて、その側に小ざつぱりした百姓家が立つてゐた。彼れは垣根から中を覗き込んで見た。垣根に沿うて花豆の植ゑてあるのが見えた。  彼れも自分の庭の隅に花豆を植ゑて置いた。その自分の花豆は胚葉が出たばかりであるのに、此所の花豆はもう大きな暗緑の葉を三つづゝも擴げてゐた。  彼れは鋭く孤獨を感じながら歩いて行つた。彼れの歩き方は然し大跨でしつかりしてゐた。彼れは正しく彼れの大望に勵まされてゐるやうに見えた。  柴橋は渡られた。  眼の前の展望は段々狹まつて、行手の右側には街道と並行に山の裾が逼り出した。  彼れは其大望の成就の爲めには牢獄に投げ入れられる事を前から覺悟してゐた。牢獄生活の空想は度々彼れの頭に釀された。牢獄も如何する事も出來ない孤獨と、其孤獨の報酬たるべき自由とが、暗く、冷たい、厚い牢獄の壁を劈いて勝手に流れ漂ふのを想像するのは、彼れの一番快い夢だつた。  然しその時彼れはその夢を疑はないではゐられない程の親しみを以て路傍の小さな井戸を見た。その井戸は三尺にも足らない程の淺さで、井戸がはも半分腐つてゐたが、綺麗に掃除が行き屆いてゐて、林檎箱のこはれで造つたいさゝかのながしも塵一つ溜つてゐなかつた。彼れは其處に人の住んでゐる事を今まで感じた事のないやうな感じ方で強く感じた。牢獄はこんな親しみのある場面を彼れの眼から遠けるだらう。  彼れは彼れの孤獨の自由を使つて、牢獄からこの井戸の傍に來る事が出來るであらうか。  とう〳〵雨が落ちて來た。遠い所から、木の葉をゆする風につれて、ひそやかな雨の脚が近づいた。  彼れの方に向つて雨の脚は近づいて來た。彼れは雨の方に向つて足を早めた。白く塵ばんだ街道は見る中に赤黒く變つて行つて、やがて凹んだ所に水溜りが出來、それがちよろ〳〵と流れ出し始めた。  傘もない彼れは濡れるまゝで進んで行つた。ふと彼れは鳴きかはす鳥の聲を聞きつけて又脚をとめて山の方を振り仰いだ。街道のそばに逼つた山は非常な高さだつた。彼れはその高みを見上げるに從つて不思議な恐怖を感じた。山には處女林が麓から頂までぐつすり込んで生ひ茂つてゐた。雨氣が樹と樹との間に漂ふので、凡ての樹は個性を囘復して、うざ〳〵する程むらがり集つてゐた。その樹の凡てが奇異な言葉で彼れに呼びかけた。その樹の言葉に綾をかけて、かけすが雨に居所を襲はれて、けたゝましく鳴きかはした。  山が語る。嘗て聞いた事のない不可解な、物凄い、奇異な言葉で山が語る。  彼れはそれを窃み聞きした。  恐怖の爲めに彼れの全身は唯がた〳〵と震へた。  彼れは始めて孤獨の中に自分が段々慣れひたつて行く事を感じた。而して彼れは言葉につくせぬなつかしさを以て、垣根の花豆と底の淺い井戸とを思ひ浮べた。  やゝ暫らくして雨に濡れまさる彼れは又川上の方へ向いて街道を歩き始めた。雨に煙る泥道の上には彼れ一人の影が唯一つ動いた。
底本:「有島武郎全集第二卷」筑摩書房    1980(昭和55)年2月20日初版第1刷発行    2001(平成13)年7月10日初版第3刷発行 底本の親本:「有島武郎著作集第七輯」叢文閣    1918(大正7)年11月9日初版発行 初出:「白樺 第五卷第八號」    1914(大正3)年8月1日発行 入力:鈴木智子 校正:土屋隆 2005年11月23日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 八っちゃんが黒い石も白い石もみんなひとりで両手でとって、股の下に入れてしまおうとするから、僕は怒ってやったんだ。 「八っちゃんそれは僕んだよ」  といっても、八っちゃんは眼ばかりくりくりさせて、僕の石までひったくりつづけるから、僕は構わずに取りかえしてやった。そうしたら八っちゃんが生意気に僕の頬ぺたをひっかいた。お母さんがいくら八っちゃんは弟だから可愛がるんだと仰有ったって、八っちゃんが頬ぺたをひっかけば僕だって口惜しいから僕も力まかせに八っちゃんの小っぽけな鼻の所をひっかいてやった。指の先きが眼にさわった時には、ひっかきながらもちょっと心配だった。ひっかいたらすぐ泣くだろうと思った。そうしたらいい気持ちだろうと思ってひっかいてやった。八っちゃんは泣かないで僕にかかって来た。投げ出していた足を折りまげて尻を浮かして、両手をひっかく形にして、黙ったままでかかって来たから、僕はすきをねらってもう一度八っちゃんの団子鼻の所をひっかいてやった。そうしたら八っちゃんは暫く顔中を変ちくりんにしていたが、いきなり尻をどんとついて僕の胸の所がどきんとするような大きな声で泣き出した。  僕はいい気味で、もう一つ八っちゃんの頬ぺたをなぐりつけておいて、八っちゃんの足許にころげている碁石を大急ぎでひったくってやった。そうしたら部屋のむこうに日なたぼっこしながら衣物を縫っていた婆やが、眼鏡をかけた顔をこちらに向けて、上眼で睨みつけながら、 「また泣かせて、兄さん悪いじゃありませんか年かさのくせに」  といったが、八っちゃんが足をばたばたやって死にそうに泣くものだから、いきなり立って来て八っちゃんを抱き上げた。婆やは八っちゃんにお乳を飲ませているものだから、いつでも八っちゃんの加勢をするんだ。そして、 「おおおお可哀そうに何処を。本当に悪い兄さんですね。あらこんなに眼の下を蚯蚓ばれにして兄さん、御免なさいと仰有いまし。仰有らないとお母さんにいいつけますよ。さ」  誰が八っちゃんなんかに御免なさいするもんか。始めっていえば八っちゃんが悪いんだ。僕は黙ったままで婆やを睨みつけてやった。  婆やはわあわあ泣く八っちゃんの脊中を、抱いたまま平手でそっとたたきながら、八っちゃんをなだめたり、僕に何んだか小言をいい続けていたが僕がどうしても詫ってやらなかったら、とうとう 「それじゃよう御座んす。八っちゃんあとで婆やがお母さんに皆んないいつけてあげますからね、もう泣くんじゃありませんよ、いい子ね。八っちゃんは婆やの御秘蔵っ子。兄さんと遊ばずに婆やのそばにいらっしゃい。いやな兄さんだこと」  といって僕が大急ぎで一かたまりに集めた碁石の所に手を出して一掴み掴もうとした。僕は大急ぎで両手で蓋をしたけれども、婆やはかまわずに少しばかり石を拾って婆やの坐っている所に持っていってしまった。  普段なら僕は婆やを追いかけて行って、婆やが何んといっても、それを取りかえして来るんだけれども、八っちゃんの顔に蚯蚓ばれが出来ていると婆やのいったのが気がかりで、もしかするとお母さんにも叱られるだろうと思うと少し位碁石は取られても我慢する気になった。何しろ八っちゃんよりはずっと沢山こっちに碁石があるんだから、僕は威張っていいと思った。そして部屋の真中に陣どって、その石を黒と白とに分けて畳の上に綺麗にならべ始めた。  八っちゃんは婆やの膝に抱かれながら、まだ口惜しそうに泣きつづけていた。婆やが乳をあてがっても呑もうとしなかった。時々思い出しては大きな声を出した。しまいにはその泣声が少し気になり出して、僕は八っちゃんと喧嘩しなければよかったなあと思い始めた。さっき八っちゃんがにこにこ笑いながら小さな手に碁石を一杯握って、僕が入用ないといったのも僕は思い出した。その小さな握拳が僕の眼の前でひょこりひょこりと動いた。  その中に婆やが畳の上に握っていた碁石をばらりと撒くと、泣きじゃくりをしていた八っちゃんは急に泣きやんで、婆やの膝からすべり下りてそれをおもちゃにし始めた。婆やはそれを見ると、 「そうそうそうやっておとなにお遊びなさいよ。婆やは八っちゃんのおちゃんちゃんを急いで縫い上ますからね」  といいながら、せっせと縫物をはじめた。  僕はその時、白い石で兎を、黒い石で亀を作ろうとした。亀の方は出来たけれども、兎の方はあんまり大きく作ったので、片方の耳の先きが足りなかった。もう十ほどあればうまく出来上るんだけれども、八っちゃんが持っていってしまったんだから仕方がない。 「八っちゃん十だけ白い石くれない?」  といおうとしてふっと八っちゃんの方に顔を向けたが、縁側の方を向て碁石をおもちゃにしている八っちゃんを見たら、口をきくのが変になった。今喧嘩したばかりだから、僕から何かいい出してはいけなかった。だから仕方なしに僕は兎をくずしてしまって、もう少し小さく作りなおそうとした。でもそうすると亀の方が大きくなり過て、兎が居眠りしないでも亀の方が駈っこに勝そうだった。だから困っちゃった。  僕はどうしても八っちゃんに足らない碁石をくれろといいたくなった。八っちゃんはまだ三つですぐ忘れるから、そういったら先刻のように丸い握拳だけうんと手を延ばしてくれるかもしれないと思った。 「八っちゃん」  といおうとして僕はその方を見た。  そうしたら八っちゃんは婆やのお尻の所で遊んでいたが真赤な顔になって、眼に一杯涙をためて、口を大きく開いて、手と足とを一生懸命にばたばたと動かしていた。僕は始め清正公様にいるかったいの乞食がお金をねだる真似をしているのかと思った。それでもあのおしゃべりの八っちゃんが口をきかないのが変だった。おまけに見ていると、両手を口のところにもって行って、無理に口の中に入れようとしたりした。何んだかふざけているのではなく、本気の本気らしくなって来た。しまいには眼を白くしたり黒くしたりして、げえげえと吐きはじめた。  僕は気味が悪くなって来た。八っちゃんが急に怖わい病気になったんだと思い出した。僕は大きな声で、 「婆や……婆や……八っちゃんが病気になったよう」  と怒鳴ってしまった。そうしたら婆やはすぐ自分のお尻の方をふり向いたが、八っちゃんの肩に手をかけて自分の方に向けて、急に慌てて後から八っちゃんを抱いて、 「あら八っちゃんどうしたんです。口をあけて御覧なさい。口をですよ。こっちを、明い方を向いて……ああ碁石を呑んだじゃないの」  というと、握り拳をかためて、八っちゃんの脊中を続けさまにたたきつけた。 「さあ、かーっといってお吐きなさい……それもう一度……どうしようねえ……八っちゃん、吐くんですよう」  婆やは八っちゃんをかっきり膝の上に抱き上げてまた脊中をたたいた。僕はいつ来たとも知らぬ中に婆やの側に来て立ったままで八っちゃんの顔を見下していた。八っちゃんの顔は血が出るほど紅くなっていた。婆やはどもりながら、 「兄さんあなた、早くいって水を一杯……」  僕は皆まで聞かずに縁側に飛び出して台所の方に駈けて行った。水を飲ませさえすれば八っちゃんの病気はなおるにちがいないと思った。そうしたら婆やが後からまた呼びかけた。 「兄さん水は……早くお母さんの所にいって、早く来て下さいと……」  僕は台所の方に行くのをやめて、今度は一生懸命でお茶の間の方に走った。  お母さんも障子を明けはなして日なたぼっこをしながら静かに縫物をしていらしった。その側で鉄瓶のお湯がいい音をたてて煮えていた。  僕にはそこがそんなに静かなのが変に思えた。八っちゃんの病気はもうなおっているのかも知れないと思った。けれども心の中は駈けっこをしている時見たいにどきんどきんしていて、うまく口がきけなかった。 「お母さん……お母さん……八っちゃんがね……こうやっているんですよ……婆やが早く来てって」  といって八っちゃんのしたとおりの真似を立ちながらして見せた。お母さんは少しだるそうな眼をして、にこにこしながら僕を見たが、僕を見ると急に二つに折っていた背中を真直になさった。 「八っちゃんがどうかしたの」  僕は一生懸命真面目になって、 「うん」  と思い切り頭を前の方にこくりとやった。 「うん……八っちゃんがこうやって……病気になったの」  僕はもう一度前と同じ真似をした。お母さんは僕を見ていて思わず笑おうとなさったが、すぐ心配そうな顔になって、大急ぎで頭にさしていた針を抜いて針さしにさして、慌てて立ち上って、前かけの糸くずを両手ではたきながら、僕のあとから婆やのいる方に駈けていらしった。 「婆や……どうしたの」  お母さんは僕を押しのけて、婆やの側に来てこう仰有った。 「八っちゃんがあなた……碁石でもお呑みになったんでしょうか……」 「お呑みになったんでしょうかもないもんじゃないか」  お母さんの声は怒った時の声だった。そしていきなり婆やからひったくるように八っちゃんを抱き取って、自分が苦しくってたまらないような顔をしながら、ばたばた手足を動かしている八っちゃんをよく見ていらしった。 「象牙のお箸を持って参りましょうか……それで喉を撫でますと……」婆やがそういうかいわぬに、 「刺がささったんじゃあるまいし……兄さんあなた早く行って水を持っていらっしゃい」  と僕の方を御覧になった。婆やはそれを聞くと立上ったが、僕は婆やが八っちゃんをそんなにしたように思ったし、用は僕がいいつかったのだから、婆やの走るのをつき抜て台所に駈けつけた。けれども茶碗を探してそれに水を入れるのは婆やの方が早かった。僕は口惜しくなって婆やにかぶりついた。 「水は僕が持ってくんだい。お母さんは僕に水を……」 「それどころじゃありませんよ」  と婆やは怒ったような声を出して、僕がかかって行くのを茶碗を持っていない方の手で振りはらって、八っちゃんの方にいってしまった。僕は婆やがあんなに力があるとは思わなかった。僕は、 「僕だい僕だい水は僕が持って行くんだい」  と泣きそうに怒って追っかけたけれども、婆やがそれをお母さんの手に渡すまで婆やに追いつくことが出来なかった。僕は婆やが水をこぼさないでそれほど早く駈けられるとは思わなかった。  お母さんは婆やから茶碗を受取ると八っちゃんの口の所にもって行った。半分ほど襟頸に水がこぼれたけれども、それでも八っちゃんは水が飲めた。八っちゃんはむせて、苦しがって、両手で胸の所を引っかくようにした。懐ろの所に僕がたたんでやった「だまかし船」が半分顔を出していた。僕は八っちゃんが本当に可愛そうでたまらなくなった。あんなに苦しめばきっと死ぬにちがいないと思った。死んじゃいけないけれどもきっと死ぬにちがいないと思った。  今まで口惜しがっていた僕は急に悲しくなった。お母さんの顔が真蒼で、手がぶるぶる震えて、八っちゃんの顔が真紅で、ちっとも八っちゃんの顔みたいでないのを見たら、一人ぼっちになってしまったようで、我慢のしようもなく涙が出た。  お母さんは僕がべそをかき始めたのに気もつかないで、夢中になって八っちゃんの世話をしていなさった。婆やは膝をついたなりで覗きこむように、お母さんと八っちゃんの顔とのくっつき合っているのを見おろしていた。  その中に八っちゃんが胸にあてがっていた手を放して驚いたような顔をしたと思ったら、いきなりいつもの通りな大きな声を出してわーっと泣き出した。お母さんは夢中になって八っちゃんをだきすくめた。婆やはせきこんで、 「通りましたね、まあよかったこと」  といった。きっと碁石がお腹の中にはいってしまったのだろう。お母さんも少し安心なさったようだった。僕は泣きながらも、お母さんを見たら、その眼に涙が一杯たまっていた。  その時になってお母さんは急に思い出したように、婆やにお医者さんに駈けつけるようにと仰有った。婆やはぴょこぴょこと幾度も頭を下て、前垂で、顔をふきふき立って行った。  泣きわめいている八っちゃんをあやしながら、お母さんはきつい眼をして、僕に早く碁石をしまえと仰有った。僕は叱られたような、悪いことをしていたような気がして、大急ぎで、碁石を白も黒もかまわず入れ物にしまってしまった。  八っちゃんは寝床の上にねかされた。どこも痛くはないと見えて、泣くのをよそうとしては、また急に何か思い出したようにわーっと泣き出した。そして、 「さあもういいのよ八っちゃん。どこも痛くはありませんわ。弱いことそんなに泣いちゃあ。かあちゃんがおさすりしてあげますからね、泣くんじゃないの。……あの兄さん」  といって僕を見なすったが、僕がしくしくと泣いているのに気がつくと、 「まあ兄さんも弱虫ね」  といいながらお母さんも泣き出しなさった。それだのに泣くのを僕に隠して泣かないような風をなさるんだ。 「兄さん泣いてなんぞいないで、お坐蒲団をここに一つ持って来て頂戴」  と仰有った。僕はお母さんが泣くので、泣くのを隠すので、なお八っちゃんが死ぬんではないかと心配になってお母さんの仰有るとおりにしたら、ひょっとして八っちゃんが助かるんではないかと思って、すぐ坐蒲団を取りに行って来た。  お医者さんは、白い鬚の方のではない、金縁の眼がねをかけた方のだった。その若いお医者さんが八っちゃんのお腹をさすったり、手くびを握ったりしながら、心配そうな顔をしてお母さんと小さな声でお話をしていた。お医者の帰った時には、八っちゃんは泣きづかれにつかれてよく寝てしまった。  お母さんはそのそばにじっと坐っていた。八っちゃんは時々怖わい夢でも見ると見えて、急に泣き出したりした。  その晩は僕は婆やと寝た。そしてお母さんは八っちゃんのそばに寝なさった。婆やが時々起きて八っちゃんの方に行くので、折角眠りかけた僕は幾度も眼をさました。八っちゃんがどんなになったかと思うと、僕は本当に淋しく悲しかった。  時計が九つ打っても僕は寝られなかった。寝られないなあと思っている中に、ふっと気が附いたらもう朝になっていた。いつの間に寝てしまったんだろう。 「兄さん眼がさめて」  そういうやさしい声が僕の耳許でした。お母さんの声を聞くと僕の体はあたたかになる。僕は眼をぱっちり開いて嬉しくって、思わず臥がえりをうって声のする方に向いた。そこにお母さんがちゃんと着がえをして、頭を綺麗に結って、にこにことして僕を見詰めていらしった。 「およろこび、八っちゃんがね、すっかりよくなってよ。夜中にお通じがあったから碁石が出て来たのよ。……でも本当に怖いから、これから兄さんも碁石だけはおもちゃにしないで頂戴ね。兄さん……八っちゃんが悪かった時、兄さんは泣いていたのね。もう泣かないでもいいことになったのよ。今日こそあなたがたに一番すきなお菓子をあげましょうね。さ、お起き」  といって僕の両脇に手を入れて、抱き起そうとなさった。僕は擽ったくってたまらないから、大きな声を出してあははあははと笑った。 「八っちゃんが眼をさましますよ、そんな大きな声をすると」  といってお母さんはちょっと真面目な顔をなさったが、すぐそのあとからにこにこして僕の寝間着を着かえさせて下さった。
底本:「一房の葡萄 他四篇」岩波文庫、岩波書店    1988(昭和63)年12月16日改版第1刷発行 底本の親本:「一房の葡萄」叢文閣    1922(大正11)年6月 入力:鈴木厚司 校正:地田尚 2000年10月18日公開 2005年11月18日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 八月十七日私は自分の農場の小作人に集会所に集まってもらい、左の告別の言葉を述べた。これはいわば私の私事ではあるけれども、その当時の新聞紙が、それについて多少の報道を公けにしたのであるが、また聞きのことでもあるから全く誤謬がないとはいえない。こうなる以上は、私の所言を発表して、読者にお知らせしておくのが便利と考えられる。  農繁の時節にわざわざ集まってくださってありがたく思います。しかし今日はぜひ諸君に聞いていただかねばならぬ用事があったことですから悪しからず許してください。  私がこの農場を何とか処分するとのことは新聞にも出たから、諸君もどうすることかといろいろ考えておられたろうし、また先ごろは農場監督の吉川氏から、氏としての考えを述べられたはずだから、私の処分についての、だいたいの様子はわかっておられたかとも思います。けれどもこの事柄は私の口ずから申し出ないと落ち着かない種類のものと信じますから、私は東京から出て来ました。  第一、第二の農場を合して、約四百五十町歩の地積に、諸君は小作人として七十戸に近い戸数をもっています。今日になってみると、開墾しうべきところはたいてい開墾されて、立派に生産に役立つ土地になっていますが、開墾当初のことを考えると、一時代時代が隔たっているような感じがします。ここから見渡すことのできる一面の土地は、丈け高い熊笹と雑草の生い茂った密林でした。それが私の父がこの土地の貸し下げを北海道庁から受けた当時のこの辺のありさまだったのです。食料品はもとよりすべての物資は東倶知安から馬の背で運んで来ねばならぬ交通不便のところでした。それが明治三十三年ごろのことです。爾来諸君はこの農場を貫通する川の沿岸に堀立小屋を営み、あらゆる艱難と戦って、この土地を開拓し、ついに今日のような美しい農作地を見るに至りました。もとより開墾の初期に草分けとしてはいった数人の人は、今は一人も残ってはいませんが、その後毎年はいってくれた人々は、草分けの人々のあとを嗣いで、ついにこの土地の無料付与を道庁から許可されるまでの成績を挙げてくれられたのです。  この土地の開墾については資金を必要としたことに疑いはありません。父は道庁への交渉と資金の供給とに当たりました。そのほか父はその老躯をたびたびここに運んで、成墾に尽力しました。父は、私が農学を研究していたものだから、私の発展させていくべき仕事の緒口をここに定めておくつもりであり、また私たち兄弟の中に、不幸に遭遇して身動きのできなくなったものができたら、この農場にころがり込むことによって、とにかく餓死だけは免れることができようとの、親の慈悲心から、この農場の経営を決心したらしく見えます。親心としてこれはありがたい親心だと私は今でも考えています。けれども、私は親から譲られたこの農場を持ち続けていく気持ちがなくなってしまったのです。で、私は母や弟妹に私の心持ちを打ち明けた上、その了解を得て、この土地全部を無償で諸君の所有に移すことになったのです。  こう申し出たとて、誤解をしてもらいたくないのは、この土地を諸君の頭数に分割して、諸君の私有にするという意味ではないのです。諸君が合同してこの土地全体を共有するようにお願いするのです。誰でも少し物を考える力のある人ならすぐわかることだと思いますが、生産の大本となる自然物、すなわち空気、水、土のごとき類のものは、人間全体で使用すべきもので、あるいはその使用の結果が人間全体に役立つよう仕向けられなければならないもので、一個人の利益ばかりのために、個人によって私有さるべきものではありません。しかるに今の世の中では、土地は役に立つようなところは大部分個人によって私有されているありさまです。そこから人類に大害をなすような事柄が数えきれないほど生まれています。それゆえこの農場も、諸君全体の共有にして、諸君全体がこの土地に責任を感じ、助け合って、その生産を計るよう仕向けていってもらいたいと願うのです。  単に利害勘定からいっても、私の父がこの土地に投入した資金と、その後の維持、改良、納税のために支払った金とを合算してみても、今日までの間毎年諸君から徴集していた小作料金に比べればまことにわずかなものです。私がこれ以上諸君から収めるのは、さすがに私としても忍び難いところです。それから開墾当時の地価と、今日の地価との大きな相違はどうして起こってきたかと考えてみると、それはもちろん私の父の勤労や投入資金の利子やが計上された結果として、価格の高まったことになったには違いありませんが、そればかりが唯一の原因と考えるのは大きな間違いであって、外界の事情が進むに従って、こちらでは手を束ねているうちに、いつか知らず地価が高まった結果を来たしているのです。かく高まった地価というものは、いわば社会が生み出してくれたもので、私の功績でないばかりでなく、諸君の功績だともいいかねる性質のものです。このことを考えてみれば、土地を私有する理窟はますます立たないわけになるのです。  しかしながら、もし私がほかに何の仕事もできない人間で、諸君に依頼しなければ、今日今日を食っていけないようでしたら、現在のような仕組みの世の中では、あるいは非を知りながらも諸君に依頼して、パンを食うような道に従って生きようとしたかもしれません。ところが私には一つの仕事があって、他の人はどういおうと、私としてはこの上なく楽しく思う仕事ですし、またその仕事から、とにかく親子四人が食っていくだけの収入は得られています。明日はどうなるか知らず、今日は得られています。かかる保証を有ちながら、私が所有地解放を断行しなかったのは、私としてはなはだ怠慢であったので、諸君に対しことさら面目ない次第です。  だいたい以上の理由のもとに、私はこの土地の全体を諸君全体に無償で譲り渡します。ただし正確にいうと、私の徴集した小作料のうち過剰の分をも諸君に返済せねば無償ということができぬのですが、それはこの際勘弁していただくことにしたいと思います。  なおこの土地に住んでいる人の中にも、永く住んでいる人、きわめて短い人、勤勉であった人、勤勉であることのできなかった人等の差別があるわけですが、それらを多少斟酌して、この際私からお礼をするつもりでいます。ただし、いったんこの土地を共有した以上は、かかる差別は消滅して、ともに平等の立場に立つのだということを覚悟してもらわねばなりません。  また私に対して負債をしておられる向きもあって、その高は相当の額に達しています。これは適当の方法をもって必ず皆済していただかねばなりません。私はそれを諸君全体に寄付して、向後の費途に充てるよう取り計らうつもりでいます。  つまり今後の諸君のこの土地における生活は、諸君が組織する自由な組合というような形になると思いますが、その運用には相当の習練が必要です。それには、従来永年この農場の差配を担任していた監督の吉川氏が、諸君の境遇も知悉し、周囲の事情にも明らかなことですから、幾年かの間氏をわずらわして(もとより一組合員の資格をもって)実務に当たってもらうのがいちばんいいかと私は思っています。永年の交際において、私は氏がその任務をはずかしめるような人ではないと信じますから一言します。  けれどもこれら巨細にわたった施設に関しては、札幌農科大学経済部に依頼し、具体案を作製してもらうことになっていますから、それができ上がった時、諸君がそれを研究して、適当だと思ったらそれを採用されたなら、少なからず実際の上に便利でしょう。  具体案ができ上がったら、私は全然この農場から手を引くことにします。私も今後は経済的には自分の力だけの範囲で生活する覚悟でいますが、従来親譲りの遺産によって衣食してきた関係上、思うようにいかない境遇に追いつめられるかもしれません。そんな時が来ても、私がこの農場を解放したのを悔いるようなことは断じてないつもりです。昔なつかしさに、たまに遊びにでもやって来た時、諸君が私に数日の宿を惜しまれなかったら、それは私にとって望外の喜びとするところです。  この上いうことはないように思います。終わりに臨んで諸君の将来が、協力一致と相互扶助との観念によって導かれ、現代の悪制度の中にあっても、それに動かされないだけの堅固な基礎を作り、諸君の精神と生活とが、自然に周囲に働いて、周囲の状況をも変化する結果になるようにと祈ります。
底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店    1969(昭和44)年1月30日改版初版    1979(昭和54)年4月30日発行改版14版 初出:「泉」    1922(大正11)年10月 入力:鈴木厚司 1999年2月13日公開 2005年11月18日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 私の父が亡くなる少し前に(お前これから重要な問題となるものはどんな問題だと思ふ?)と一種の眞面目さを以て私に尋ねたことがある。それは父にとつて或種の謎であつた私の將來を、私の返答によつて察しようとしたものであつたらしい。その時私は父に答へて、勞働問題と婦人問題と小兒問題とが、最も重要な問題になるであらうと答へたのを記憶する。  勞働問題と婦人問題とは、前から既に問題となりつゝあつたけれども、小兒の問題はまだほんとうに問題として論議せられてゐないかに考へられる。しかしながら、この問題は前の二問題と同じ程の重さを以て考へられねばならぬ問題だと私は考へる。  私たちは成長するに從つて、子供の心から次第に遠ざかつてゆく。これは止むを得ないことである。しかしながら、今迄はこの止むを得ないといふことにすら、注意を拂はないで、そのまゝの心で子供に臨んでゐた。子供の世界が獨立した一つの世界であるとして考へられずに大人の世界の極小さな一部分として考へられてゐたが故に、我々が子供の世界の處理をする場合にも、全く大人の立場から天降り的に、その處理をしてゐたやうに見える。この誤つた方針は、子供の世界の隅々にまで行き渡つた。家庭の間に於ける親子の關係に於ても、學校に於ける師弟の關係に於ても、社會生活に於ける成員としての關係に於ても、この僻見は容赦なく採用された。すべてが大人の世界に都合がいゝ樣に仕向けられた。さうして子供たちはその異邦の中にあつて、不自然なぎごちない成長を遂げねばならなかつた。かくして子供は、自分より一代前の大人たちが抱いてゐる習慣や觀念や思想を、そのまゝ鵜呑みにさせられた。かくの如き不自然な生活の結果が、どうなつたかといふことは、ちよつと目立つて表れてはゐないやうにも見える。なぜならば、かくの如き子供虐待の歴史は、非常に長く續いたのであるから、人々はその結果に對して、殆ど無頓着になつてしまつてゐるのだ。  しかしながら、誰でも自分の幼年時代を囘顧するならば、そこに成長してまでも、消えずに殘つてゐるさま〴〵な忌まはしい記憶をとり出すことが出來るだらう。若しあの時代にあゝいふ事がなかつたならば、現在の自分は現在のやうな自分ではなく、もつと勝れた自分であり得たかも知れないといふやうな記憶がよみがへつて來るだらう。  もとより、この地上生活は、大體に於て、大人殊に成人した男子によつて導かれてゐるものだから、他の世界の人々が或る程度まで、それに適應して行くのは止むを得ない事ではある。しかしながら、從來の大人の專横は餘りに際限がなさすぎた。そのために、もつと姿を變へて進んで行くべきであつた人類の歴史は、思ひの外に停滯せねばならなかつた。一つの小さな例をとつて見ると、キリスト教會の日曜學校の教育の如きがそれである。子供の心には大人が感ずるやうな祷りの氣分は、まだ生れてはゐない。然るに學校の教師は、子供がそれを理解すると否とに拘らず、外面的に祷りの形式を教へ込む。子供は一種の苦痛を以て、機械的にそれに自分を適應させる。  しかも、教師は大人の立場からのみ見て、かくすることが、子供を彼等の持つやうな信仰に導くべき一番の近道だと心得たが、しかしその結果は、子供の本然性を根底的に覆へしてゐるのだ。ロバート・インガソールといふ人が、日曜學校に行つてゐた時のことを囘想して、毎日曜日に彼は教會の椅子に坐らされて、一時間餘りも教師から、自分には理解し得ない事柄を聞かされるのだつたが、その間大人にふさはしい椅子に腰掛けて居らねばならなかつたので、兩足は宙に浮いたまゝになつてゐてその苦しさは一通ではなかつた。しかも、神の惠みを説きまくつてゐる教師の心には、子供のこの苦痛は、聊かも通じてゐるやうには見えなかつた。その時、彼れは染々と、どういふ惡いことをしたお蔭で、日曜毎に自分はこんな苦しい苛責を受けねばならぬのかと情なく思つた。彼れのキリスト教に對する反感は、實にこの日曜學校の椅子から始まつたといつてゐる。日曜學校の椅子――これは小さなことに過ぎない。しかしながら、そこには大人が子供の生活に對して、どれほど倨傲な態度をとつてゐるかを、明かに語るものがある。かくの如き事實は、家庭の生活の中にも、學校の教育の間にも、日常見られるところのものではあるまいか。  子供は自らを訴へるために、大きな聲を用意してゐない。彼等は多くの場合に於て、大人に限りない信頼を捧げてゐる。然るに大人はその從順と無邪氣とを踏み躙らうとする。大人は抵抗力がないといふだけの理由で、勝手放題な仕向けを子供の世界に對して投げつける。かゝる暴虐はどうしても改められなければならない。大人は及ばずながらにも、子供の私語に同情ある耳を傾けなければならない。かくすることによつて、人間の生活には一轉機が畫せられるであらう。  私は、初めに、大人は小兒の心持ちから離れてしまふといつた。それはさうに違ひない。私たちは明かに子供と同じ考へ方感じ方をすることは出來ない。しかしながら、この事實を自覺すると否とは、子供の世界に臨む場合に於て、必ずや千里の差を生ずると信ずる。若し私たちがそれを自覺するならば、子供の世界に教訓を與へることが出來ないとしても、自由を與へることが出來る。また子供の本然的な發育を保護することが出來ると思ふ。良心的に子供をとり扱つた學校の教師は、恐らく子供の世界の中に驚くべき不思議を見出すだらう。大人の僻見によつて、穢されない彼等の頭腦と感覺の中から、かつて發見されなかつたやうな幾多の思想や感情が湧き出るのに遭遇するだらう。從來の立場にある人は、かくの如き場合に何時でも、彼等自身の思想と感情とを以て、無理強ひにそれを強制しようとする。このやうなことは許すべからざることだ。子供をして子供の求むるものを得せしめる、それはやがて大人の世界に或る新しいものを寄與するだらう。さうして、歴史は今まであつたよりも、もつと創造的な姿をとるに至るだらう。子供に子供自身の領土を許す上に、さま〴〵な方面から研究が遂げられねばならぬといふことは、私たちの眼の前に横はる大きな事業の一つだと信ずる。(完) (『報知新聞』大正十一年五月)
底本:「有島武郎全集第九卷」筑摩書房    1981(昭和56)年4月30日初版発行 底本の親本:「報知新聞」    1922(大正11)年5月6日~7日発行 初出:「報知新聞」    1922(大正11)年5月6日~7日発行 入力:きりんの手紙 校正:木村杏実 2021年5月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 人は自然を美しいといふ。然しそれよりも自然は美しい。人は自然を荘厳だといふ。然しそれよりも自然は荘厳だ。如何なる人が味到し色読したよりも以上に自然は美しく荘厳だ。議論としてそれを拒む人はあるかも知れないが、何等かの機会に於てそれを感じない人はない。  その時或人はかくばかり自然が美しく荘厳であるのにどうして人間はかくばかり醜く卑劣なのだと歎じ、そこに人類の救ひ得べからざる堕落を痛感するだらう。或人はかくばかり美しく荘厳な自然の伴侶となるために、人類には如何に希望多き悠久な未来が残されてゐるかを痛感するだらう。而してそこに深い喜悦と勇気とを湧き立たせるだらう。  老いるものは前の立場に立ち、若き者は後の立場に立つ。而して私は若き者であり、若き者の道伴れでありたい。 (『文化生活』大正十年八月)
底本:「有島武郎全集第八卷」筑摩書房    1980(昭和55)年10月20日初版発行    2002(平成14)年1月10日初版第3刷発行 底本の親本:「有島武郎著作集 第十五輯 『藝術と生活』」叢文閣    1922(大正11)年9月12日 初出:「文化生活 第一卷第三號(八月號)」    1921(大正10)年8月1日発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためました。 入力:mono 校正:田中敬三 2009年10月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 兄と彼れとは又同じ事を繰返して云ひ合つてゐるのに氣がついて、二人とも申合せたやうに押默つてしまつた。  兄は額際の汗を不愉快さうに拭つて、せはしく扇をつかつた。彼れは顯微鏡のカバーの上に薄らたまつた埃を隻眼で見やりながら、實驗室に出入しなかつたこの十日間程の出來事を、涙ぐましく思ひかへしてゐた。  簡單に云ふと前の日の朝に彼れの妻は多量の咯血をして死んでしまつたのだ。妻は彼れの出勤してゐる病院で療治を受けてゐた。その死因について院長をはじめ醫員の大部分は急激な乾酪性肺炎の結果だらうと云ふに一致したが、彼れだけはさう信ずる事が出來なかつた。左肺が肺癆に罹つて大部分腐蝕してゐるのは誰れも認めてゐたが、一週間程前から右肺の中葉以上に突然起つた聽診的變調と、發熱と、腹膜肋膜の炎症とを綜合して考へて見ると粟粒結核の勃發に相違ないと堅く信じたのだ。咯血が直接の死因をなしてゐると云ふ事も、病竈が血管中に破裂する粟粒結核の特性を證據立てゝゐるやうに思はれた。病室で死骸を前に置いて院長が死亡屆を書いてくれた時でも、院長は悔みや手傳ひに來た醫員達と熱心に彼れの妻の病氣の經過を論じ合つて、如何しても乾酪性肺炎の急激な場合と見るのが至當で、斃れたのは極度の衰弱に起因すると主張したが、彼れはどうしても腑に落ちなかつた。妻の死因に對してさへ自分の所信が輕く見られてゐる事は侮辱にさへ考へられた。然し彼れは場合が場合なのでそこに口を出すやうな事はしなかつた。而して倒さに着せられた白衣の下に、小さく平べつたく、仰臥さしてある妻の死骸を眺めて默然としてゐた。  默つて坐つてる中に彼れの學術的嗜欲はこの死因に對して激しく働き出した。自分は醫師であり又病理學の學徒である。自分は凡ての機會に於て自己の學術に忠實でなければならない。こゝに一個の死屍がある。その死因の斷定に對して一人だけ異説をもつものがある。解剖によつてその眞相を確める外に途はない。その死屍が解剖を不可能とするのなら是非もないが、夫れは彼れ自身の妻であるのだ。眞理の闡明の爲めには他人の死體にすら無殘な刃を平氣で加へるのだ。自分の事業の成就を希ふべき妻の死體を解剖臺の上に運んで一つの現象の實質を確定するのに何の躊躇がいらう。よし、自分は妻を學術のために提供しよう。さう彼れは思つた。暫らく考へてから彼れは上の考へにもう一つの考へを附加へた。妻は自分が解剖してやる。同じ解剖するなら夫に解剖されるのを妻は滿足に思ふだらう。自分としては自分の主張を實證するには自分親ら刀を執るのが至當だ。その場合解剖臺の上にあるものは、親であらうが妻であらうが、一個の實驗物でしかないのだ。自分は凡ての機會に於て學術に忠實であらねばならぬ。  彼れは綿密にこの事をも一度考へなほした。彼れの考へにはそこに一點の非理もなかつた。しつかとさう得心が出來ると、彼れは夫れを院長に告げて許可を受けた。その晩彼れは親族兄弟の寄合つてゐる所で所存を云ひ出した。云ひ出したと云ふより宣告した。親族は色々反對したが甲斐のないのを知ると、せめては肺部丈けの解剖にしたらどうだと云つた。若し死因が粟粒結核なら他の諸機關も犯されるのだから肺部だけですますわけには行かないと彼れは云つた。夫れなら他人に頼んでして貰へと云つた。彼れは自分のするのが一番いゝんだと云つた。そんな不人情がよくも出來るものだと涙を流して口惜しがる女もゐた。彼れは妻の介錯は夫がするのが一番いゝのだと云つて動かなかつた。妻の里の親達は勿論、親族の大多數は、その場の見えばかりからでも、彼れの決心に明らさまに反對な色を見せた。學術に對する俗衆の僻見をこれほど見せつけられると、彼れは意地にも初一念を通さずには置けなかつた。而して妻は自分に歸いだ以上は自分のものだから、その處置については他人を煩はすまでもないと云ひ切つてしまつた。列坐の人々は呆れたやうに口をつぐんだ。  愛憎を盡かした人々の中に、彼れの兄だけは何處までも彼れの決心を飜へさうとした。今朝も兄はわざ〳〵彼れの實驗室までやつて來て、色々と話し合つてゐたのだ。 「お前は自分の生活と學術とどつちが尊いと思つてゐるんだ」  兄は扇をたゝむと、粘氣のある落着いた物言ひをして又かう論じ始めた。彼れは顯微鏡のカバーの上の埃から物惰氣に眼を兄の方に轉じた。 「僕は學術を生活してゐるんです。僕の生活は謂はゞ學術の尊さだけ尊いんですよ。……もういくら論じたつて同じぢやありませんか」  さう云つて彼れは立上つた。而して壁際のガラス張りの棚の中から、ミクロトームのメスを取り出して剃刀砥にかけ始めた。滑らかな石砥に油を滴して、その上に靜かにメスを走らせながら、彼れは刃物と石との間に起るさゝやかな音にぢつと耳をすましてゐた。手許から切先まで澄み切つた硬い鋼の光は見るものを寒く脅かした。兄は眼をそばたてゝ、例へば死體にしろ、妻の肉に加ふべき刃を磨ぎすます彼れの心を惡むやうに見えた。 「そんなものを使ふのか」  彼れは磨ぐ手をやめて、眼近くメスを見入りながら、 「解剖に使ふんぢやない、是れはプレパラートの切片を切る刃物です。慣れつてものは不思議で磨いでると音で齒の附具合が分りますよ。生物學者は物質的な仕事が多いので困る」 「俺れはこの際になつてもお前の心持ちにはどこか狂つた所があるやうに思ふがな、お前は今學術を生活するんだと云つたが、自然科學は實驗の上にのみ基礎を置くのが立場だのに、生活は實驗ぢやないものな。話があんまり抽象的になつてしまつたが、お前の妻の肉體に刃物を加へてどこか忍びない所がありはしないかい。少しでもそんな心地があつ……」  そこに小使が這入つて來て、死亡室に移してある彼れの妻の處置を如何したらいゝかと彼れに尋ねた。九時から解剖をするからすぐ用意をして置けと彼れは命じた。兄は慌てゝそれはもう少し待つてくれと云つたが、彼れは敵意に近い程な激しい態度で兄の言葉を遮りながら小使を死亡室に走らした。  兄は歎息して默つてしまつた。彼れも默つた。部屋の隅の瀬戸物の洗槽に水道の龍頭から滴る水音だけがさやかに聞えた。病院の患者や看護婦の騷がしさも、研究部にある彼れの實驗室の戸の内には押よせて來なかつた。彼れは解剖後の研究に必要な用意をするために忙しかつた。整温器にパラフィンを入れてアルコール、ランプの灯をともしたり、ヘマトキシリン、イオシン、ホルマリン、アルコホール、クロロホーム、石油ベンジンなどの小瓶を順序正しく盆の上に列べたり、〇、八ミクロの切片を切り出すやうにミクロトームを調節したり、プレパラート、グラスをアルコールに浸したりしてゐる中に、暫らく打捨てゝあつた習慣が全く元にもどつて、彼れは研究者の純粹な心持ちに這入つて行つた。彼れの前にもう妻はなかつた。興味ある患部の縱斷面や横斷面が想像によつて彼れの眼の前にまざ〳〵と見えるやうだつた。半ば膿化した粟粒が肺の切斷面や腹膜やに顯著に見られたら愉快だらうと彼れは思つた。先刻から考へる力を失つたやうに默つたまゝ、うつむいて、扇をつかつてゐる兄が弱々しい殉情の犧牲の如くに憐れまれた。  眞黒に古びてはゐるが極めて正確な懸時計の針が八時五十分を指した時、小使がまた現はれて解剖室の用意が出來てゐる事を報告した。彼れは一種の勇みを感じた。上衣を脱いで眞白な手術衣に手を通しながら、 「兎に角仕度が出來てしまつたから僕は行きます。人間はいつか死ぬんですからね。死んでしまへば肉體は解剖にでも利用される外には何の役にも立ちはしないんですからね。Y子なんぞは死んで夫に解剖されるんだから餘榮ありですよ。……兄さんはすぐお歸りですか。お歸りならどうか葬式の用意を……」 「俺れは立合はせて貰はう」  この兄の言葉は彼れにも意外だつた。「どうして」とその理由を聞かずにはゐられなかつた。 「お前と俺れとは感情そのものが土臺違つてしまつたんだ。假りにも縁があつて妹となつてくれたものを、お前はじめ冷やかな心で品物でも取扱ふやうに取扱ふ人達ばかりに任せて置く氣にはどうしてもなれないんだ。お前はお前で、お前の立場を守るのなら、それは俺れはもうどうとも云はないが、俺れの立場もお前は認めてくれていゝだらう」 「無論認めますがね、解剖と云ふものは慣れないと一寸我慢の出來ない程殘酷に見えますよ。それでよければいらつしやい」  さう云つて彼れは兄にも手術衣を渡した。 と彼れ自身が無造作に書いた半紙の掲示が、廊下をふきぬける朝風にそよいでゐるのを見て、二人は廊下の出口で解剖室用のスリッパに草履をはきかへた。薄暗く冷たい準備室に兄を待たして、彼れは防水布の胸あてをし、左の手にゴムの手袋をはめた。兄弟は互に顏を見合せて、互にひどく血色が惡いと思ひ合つた。  不思議な身ぶるひが彼れを襲つた、彼れはいつの間にか非常に緊張してゐた。手を擴げて眼の前にもつて來て見ると、いつになく細かく震へてゐた。意志の強い彼れはそれを不愉快に思つた。而してたしなめるやうに右手を二三度嚴しく振りまはしてから、兄と共に解剖室に這入つて行つた。  解剖臺の二つ置いてある廣やかな解剖室の白壁は眞夏の朝日の光と、青葉の射翠とで青み亙るほどに清々しく準備されてゐた。助手と見學の同僚とが六人ほど彼れの來るのを待ちかまへてゐた。あるものはのどかに煙草を燻らし、あるものは所在なげに室の中を歩きまはつてゐたが、這入つて來た彼れの姿を見ると一寸改つて挨拶した。  一體彼れは醫者に似ず滅多に笑はない口少なゝ男だつた。内科の副醫長の囘診だと云ふと、看護婦などはびり〳〵した。人をおこりつけるやうな事は絶えてしなかつたが、彼れは何處にも他人を潛りこませるやうな隙を持つてゐなかつた。高い額と、高く長い鼻と、せばまつた眉の下でぢつと物を見入る大きな隻眼とを持つた彼れの顏は、その日は殊更らに緊張してゐた。何處にか深い淋しさを湛へた眞劒な表情は、この晴れやかな解剖室を暗くするやうにさへ見えた。  彼れは兄に椅子を與へて置いて死屍の乘つてゐる解剖臺のそばに來た。若い二人の醫學士は煙草を窓からなげ捨てゝ、机について記録の用意をした。見學の人達もそろ〳〵臺のまはりに集つた。彼れは二人の助手と二人の記録者とに「今日は御苦勞を願ひました」ときつぱり挨拶して解剖臺の上に鋭い眼をやつた。死んだ妻の前に立つ彼れを思ひやつて、急にヒステリックにむせび出した二人の看護婦の泣き聲が後ろで聞えた。  無造作に死體を被つた白衣の上には小さな黒い汚點のやうに蠅が三四匹とまつてゐた。枕許には型の如く小さなカードが置いてあつた。彼れは夫れを取上げて讀んだ。  三谷Y子。二十歳。八月一日午前七時死亡。病症、乾酪性肺炎。  三谷Y子――その名は胸をぎゆつとゑぐるやうに彼れの網膜に寫つた。彼れは然し自分の感情を人に氣取れるのを厭つた。彼れはせき込む感情を、強い事實で拂ひのけるために死體から白衣を剥いで取つた。  昨日まで彼れの名を呼び續けに呼んで、死にたくないから生かしてくれ〳〵と悶え苦んだ彼れの妻は、悶えた甲斐も何もなく痩せさらぼへた死屍となつて、彼れの眼の下に仰臥してゐた。顏と陰部とを小さなガーゼで被うてある外は、死體にのみ特有な支那の桐油紙のやうに鈍い冷たい青黄色い皮膚が溢れるやうな朝の光線の下に曝されてゐた。永く湯をつかはなかつた爲めに足の裏から踵にかけて、痂のやうに垢がたまつてゐた。肉が落ちたので、手足の關節部は、骨瘤のやうに氣味惡く眼立つてゐた。肺癆に罹つてゐた左胸は右胸に比べると格段に小さくなつてひしやげてゐた。  見學の人達は好奇な眼をあげて彼れの顏に表はれる感情を竊かに讀まうとした。彼れの隻眼は、いつものやうに鋭く輝く外には、容易に自餘の意味を語らなかつた。彼れは冷靜な明瞭な獨逸語で死體の外貌上の報告をしはじめた。彼れの手は冷たい死體の皮膚を蠅を追ひながらあちらこちら撫でまはした。記録者はフールスキャップに忙しくペンを走らせた。其音だけが妙に際立つて聞こえた。 「メス」  やがて彼れの發したこの一言に、室内は一時小さくどよめいた。助手の一人は解剖臺に取りつけてある龍頭をひねると、水は氷柱でもつるしたやうに音もなく磁器製の解剖臺に落ちて、小さな幾條かの溝を傳つて、中央の孔から床の下に流れて行つた。一人の助手は黒塗りの滑らかな檢物臺を死體の兩脚の間に置いた。看護婦は大きな磁盆にしこたま大小のメス、鋏、鋸、楔、止血ピンセット、鉗子、持針器の類を列べたのを持つて來た。牛刀のやうな腦刀も備へられた。膿盆は死體のそここゝに幾個も配置された。人々の右往左往する間に、記録者は机を解剖臺に近く寄せて、紙を改めて次ぎの瞬間を待ちかまへた。  彼れはこの隙に兄の方を見た。兄は眞蒼な額に玉のやうな冷汗を滴らしながら、いつの間にか椅子から立上つて、腕を組んだまゝぢつと死體を見詰めてゐた。「もうお歸りになつたらどうです」彼れは試みにかう云つて見た。兄は返辭をしなかつた。彼れの言葉を聞取り得なかつたのだ。  彼れは靜かに準備の出來るのを待つてゐた。人々がもとの位置に立ちかへると、彼れは手術衣の腕を高々と看護婦にまくらせた。  乾酪性肺炎か粟粒結核か、事の眞相を否應なしに定むべき時が來た。自分の臨床上の技倆と研究上の蘊蓄とを、院長はじめ他の人々のそれと比較すべき時が來た。さう思ふと彼れの隻眼は光つた。何んと云つても未だ漸やく三十の彼れは、少くとも老練と云ふ事を誇り得るまでに多くの經驗を積んだ反對意見の人々の壓迫を感じない譯に行かなかつた。誰れも彼れの内心の葛藤を知らないのが一つの便利ではあつたけれども、彼れの不安を人に氣取られまい爲めには、彼れの意志を極度に働かせねばならぬ程のものだつた。 「解剖上の現象」  かう彼れは記録者に報告しておいて、メスを死體の喉許にあてがつたと思ふと、覺えのある腕の冴えを見せて、まつすぐに引きおろした。こんな事には慣れきつた二人の看護婦も思はず兩手を顏にあてゝ下を向いてしまつた。兄は二三歩後ろによろけて、部屋中に響きわたるやうな鈍い呻聲を立てた。兄の眼は然し寸時も死體から離れなかつた。  どす黒い血が解剖臺の眞白な表面のあちこちを汚し始めた。眠さうな音を立てゝ窓際でまはつてゐる蠅取機の甘酸い香を離れて解剖臺の方に飛んで來る蠅の數はふえた。牛肉屋の前を通つた時のやうな一種の血なまぐさい香が忽ちに清淨な空氣を汚なくした。  彼れの解剖の手際は水際だつてゐた。見る見る中に胸部から腹部にかけての諸機關は個々に取除けられて、左胸部に肺癆の爲めに潰滅した肺の殘塊が咯啖樣の粘液に取りまかれて殘つてゐるのと、直腸部に填充した脱脂綿が所々血に汚れて、うねくつて露出してゐる外には何も殘らなかつた。内臟は縁の高い圓い膿盆に盛られて死體の足許に置かれた。若し比喩が許されるなら、夫れは珍らしい果物でも盛つたやうだつた。尖端を上にむけて置いてある心臟の如きは殊に桃を聯想させた。  内臟が抉出されてしまつて見ると、見學の人々は死體に對して本能的に感ずる一種の遠慮も、今朝の解剖に限つて存在する死體と執刀者との異常な關係なども、忘れてしまつて、學術的の興味に釣り込まれた。あるものは強直した死體の手の指を強ひてまるめて拳固を造り、心臟を持出して大さを較べて見た。而して、 「隨分この心臟は小だねえ」 と云つて彼れに示したりした。 「どつちだらう、小だと肺が犯され易いのか知らん、肺が犯されると心臟が小さくなるのか知らん」  そんな事を云ひ合ふ人々もあつた。  彼れは内臟を一つ〳〵黒塗の滑らかな臺の上に乘せて腦刀で縱横に斷割つて見ながら、綿密な報告を落着いた言葉で記録者の方に云ひ送つた。著しく擴大した脾臟を割いて見ると粟粒状の結節を到る所に發見した。彼れは心の内で飛上るやうな勇みを感じた。然し彼れは落着いてゐた。 「脾臟。形状普通。著しく擴大。色普通。中部到る處に粟粒状結節あり」  彼れは冷靜に報告した。腹膜にも肋膜にも多數の結節を認めた。この上は肝腎の右肺部を檢査しようかと思つたが、粟粒がどの位廣く結成されたかを確めるために頭蓋骨を開いて腦膜を調べて見たくてたまらなくなつた。彼れは始め妻の首から上には手を觸れまいと思つていた。まだ乙女の純潔と無邪氣とをどこかにそのまゝ持つてゐた妻の顏にメスをあてゝ支離滅裂にするのはとても忍び難い事だつた。どうせ腐るにしても彼女の顏はなるべく長くそのまゝにして置きたかつた。それだけの理由からでも彼れは妻を火葬にしまいと思つた程だつた。妻が少しも疑はない信頼と尊敬と戀慕とを以て、よく彼れの項に手をまいて、近々と彼れの顏の前で他人には見せない蠱惑に滿ちた微笑をほゝゑんだ、さう云ふ記憶は現在の事のやうに鮮かに殘つてゐた。  彼れは大膿盆に置かれた肺臟に手をかけながら、貪るものゝやうに死體の頭部に眼をやつた。顏は雪白のガーゼに蔽はれてゐて見えないが、髮の毛は、艶をこそは失つたけれども、漆のやうな黒さで木枕から解剖臺の上に乘り餘るほど豐かだつた。彼れは夫れを見ると鋭利なメスを頭蓋骨に達するまで刺透して、右の顳顬から左の顳顬にぐつと引きまはしたい衝動に襲はれた。彼れの感じたその衝動は研究心以外の不純なある感情―― Sadistic と言ふ言葉でゝも現はさなければならないやうな――が湧いたのではないかと思ふほどに強いものだつた。彼れは今までの通り、見た所は冷靜であつたが、その心の中には熱い一種の欲望が燃えて來た。彼れはとう〳〵助手に指圖して腦の抉出に取りかゝつた。  又ざわ〳〵と一しきり人々が動いて位置をかへた。助手は根元で無造作に結へてある元結を切つて、兩耳の後ろと旋毛の邊にかけて前頭部と後頭部の髮を二束に分けた。分け目には日の目を見ない一筋の皮膚が冷やかな青白さをもつて現はれ出た。  その準備が出來ると彼れは死體の枕許に立つた。而してメスを右の耳の下の髮の分け目の所につき刺した。顏の上には前頭部の髮の毛がもつれあつて物凄く被ひかぶさつてゐる。  突然彼れのメスを持つた右手が、しつとり冷たい手のやうなもので握りしめられて自在を失つた。緊張し切つた彼れの神經は不思議な幻覺に働かれて、妻のこはばつた手が力強く彼れの無謀を遮ぎるやうにも思つた。と、冷水を腦の心に注ぎこまれたやうに彼れの全身はぞつとした。 「氣でも狂つたのか、亂暴にも程がある」  かすかな、然し恐ろしい程力のこもつた聲が同時に彼れの耳を打つた。見かへる鼻先きに眞蒼になつて痙攣的に震ふ兄の顏があつた。瞬きもせずに大きく彼れを見詰めてる兄の眼は、全く空虚な感じを彼れに與へた。彼れにはそれが虚な二つの孔のやうに見えた。その孔を通じて腦髓までも見ようと思へば見通せさうだつた。  たゞ瞬間の奇快な妄想ではある。然しこの時彼れの眼に映つた兄は兄のやうには見えなかつた。妻の死靈に乘り移られた不思議な野獸が、牙をむいて逼りかゝつて來たやうに思はれた。彼れの大事な仕事を土臺からひつくり返さうとする大それた邪魔者のやうに思はれた。緊張し切つて稍平靜を失ひかけた彼れの神經は疾風に見舞はれた冬木の梢のやうにぎわ〳〵と怒り立つた。彼れは兄弟の見界をも失はうとした。而して次ぎ來るべき狂暴な動作を頭にたくらみながら、兄の握りしめてゐる右手を力まかせに拂ひのけようとした。その瞬間に彼れの手はひとりでに自由になつた。兄は眼を見開いたまゝ棒倒しにセメントの床の上にどうと倒れたのである。  彼れの命令によつて、兄は看護婦に附添はれて、失神したまゝ病室に運ばれた。 「あれは僕の兄です。看護で頭が疲れてゐる所に、見た事のないこんな有樣を見たもんだから……餘計な御心配をかけました。……僕は少し疲れた。關口君、君一つやつてくれ給へ。腦膜が見たいんだから注意してなるべく完全に剥離してくれ給へ」  かう彼れは助手に云つた。彼れは努めて元の冷靜に囘らうとしてゐたが手の震へをとゞめる事が出來なかつた。夫れを人々に知られるのを惡んだ。  實際手を洗つて窓際に來て見ると彼れは相當に疲勞してゐた。彼れは衣嚢から卷煙草を出して火を摺りながら、四方を建物で圍はれた中庭に眼をやつた。  八月の日は既に高く上つて、樹々の蔭を小さく濃く美しい芝草の上に印してゐた。卵色のペンキが眩しく光る向ひの建物の壁際のカンナの列は、燃えるやうな紅と黄の花を勢よく陽に擡げてゐた。もちの木の周圍には羽のある一群の小蟲が飛びかひながら、集つては遠ざかり集つては遠ざかりしてゐた。その間を大きな蜻蛉が襲撃するやうにかけぬけた。看護婦が間遠に眞白な印象を殘して廊下に輕やかな草履の音を立てた。蟲が一本調子に靜かになき續けてゐた。彼れの吐き出した青い煙は、中庭の空氣の中をゆるく動いて行つて、吹きぬけの亙廊下の所まで來ると、急にあわてたやうに搖れ動いて殘りなく消え失せた。凡てのものはしん〳〵と暑さに蒸れた。向うの建物の燃えるやうな屋根瓦の上には、眞青な火のやうに雲のない大空が輝いてゐた。そこから電車のきしみ走る音が幽かに聞こえた。  彼れは庭から來る照り返しを避けるやうに隻眼を細めながら、生氣の充ち溢れた自然の小さな領土を眺めやつた。  解剖臺からはごし〳〵と鋸で物をひく音が聞こえた。彼れの妻の頭蓋骨は今椀の形にひき割られてゐるのだ。彼れは見返へらうとはしなかつた。  日影になつた建物の窓に二人の看護婦の姿が現はれた。二人は彼れが解剖室から見てゐる事には氣が附かないで、さも親しげにより添つてゐた。忙しい仕事から漸く暇を得たやうに、二つの若々しい健康さうなその顏は上氣して汗ばんでゐた。美しくさへあつた。中でも若い方の一人は懷から小さな桃色の書箋紙に書いた手紙を取出して、二人は互の顏を觸れるほど寄せ合つて熱心に讀みはじめた。二人は時々をかしさうに微笑んだり、嬉しさうに眼を見合せたりしてゐた。眞夏の光の中で、凡ての情熱を初めて經驗してゐるらしい二人の處女の姿は、彼れに何とも云へぬ美しさと可憐さとを味はした。  解剖臺からは鋸の音と違つたある鈍い音が又聞こえて來た。夫れは鋸の切れ目に鐵の楔子をさし入れて、椀状の頭蓋を離すために、木の槌で輕くたゝく音だ。彼れは自分の頭にその楔子をさし込まれたやうな苦痛を感じ始めた。  彼れは現在華やかな眞夏の景色を眺めながら、それと少しの關係もない自分を見出した。一度後ろを振向けばそこに彼れの世界があるのだ。まざ〳〵と何事も明らさまな晝の光の下で、最愛のものゝ腹を割き頭を抉る……さうする事が自分の事業に對して一番忠實な處置であるのを信ぜねばならぬ彼れの世界はすぐその背後に廣がつてゐるのだ。「自分の生活と學術とどつちが尊いと思つてゐるんだ」と今朝兄の云つた言葉が突然恐ろしい意味を持つて彼れの懷ろに飛び込んで來た。「自分は學術の爲めに全力を盡すべき一個の學徒である。自分は自分の學術に十分の信頼と十分の興味とを持つてゐた。然し自分が人間として要求し又要求せねばならぬものは生活することだ。生活を生活して見る事ではない。經驗する事だ。實驗する事ではない。然るに自分の奉事する學術は一から十まで實驗の上に立脚してゐる。自分の一生は要するに最小限の生活と最大限の觀察から成立たねばならぬ。自分は生活をそれほど局限して學術に奉事する滿足と覺悟とをほんとに持つてゐるのか」さう彼れは嚴しく自己に詰問した。「生活と學術とどつちが尊い。我れを見失つてどこに學術がある」彼れは今までの自己の立場をはつきり辯解すべき術を知らなかつた。  むしやくしやして彼れは吹殼を芝生になげ捨てようとしたが、ふと窓際で手紙を讀みつゞけてゐる少女だちを驚かしてはいけないと思つて、室内の床の上に落して踏みにじつた。今の彼れの心には、その二人の少女は彼れの及びもつかない美しい存在のやうに見えたからだ。 「出來ました」  助手が彼れの方にかう呼びかけた。默想は破れてしまつた。彼れは今までの慣習に引きずられてその先きを辿らなければならないのを知つた。而して再び解剖臺の方に進んで行つた彼れの顏には前の通りな冷靜な緊張した色だけが漲つてゐた。人々は暑がつて顏や手をハンケチで拭つたが、彼れの顏には汗一つ見えなかつた。  彼れは然し死體の頭部に眼をやる事はしなかつた。而して黒塗の臺の上に置いてある腦膜を取上げた。脾臟程に顯著ではないけれども結節は可なり明瞭に觀察された。妻が死前に激烈な頭痛を訴へて、思想に一種の混亂を來した理由も説明せられるやうだつた。  もう疑ふべき餘地は全くない。彼れの診斷は院長はじめ多數の醫員の所見を壓倒して勝利を得たのだ。彼れの隻眼はまたひとりでに輝いた。窓際で休息してゐた時彼れを犯した不安は、いつの間にか忘れられて、彼れは又熱意をこめて目前の仕事に沒頭して行つた。  次に彼れは敵の本城に逼るやうな勢で大膿盆から肺臟を取上げた。人々も亦非常な興味をもつてそのまはりに集つた。今日の解剖の最頂點はこゝにあるのだ。彼れは外部の記述が終ると、腦刀を持ち直して縱にづぶりと刃先きを入れた。彼れが診斷した通り中葉以上の患部の稍粗雜な海老茶色の表面には、咯啖樣の色をした粟粒がうざ〳〵する程現はれ出た。 「是れはひどい」 と誰れかゞ驚歎する聲がすぐ起つた。彼れは思はず、最愛の妻の肺臟を、戰利品でもあるかの如く人々の眼の前に放り出した。 「死因。粟粒結核の結果と見るを至當なりとす」  昂然として彼れは記録者の方に向いてかう云つた。  列席者の中でそれに異議を稱へようとするものは一人もなかつた。 「胃」  彼れは破竹の勢でべちや〳〵に潰れた皮袋のやうなものを取上げて臺の上に置いた。彼れの目的が達せられると、彼れの熱心は急に衰へて一時も早く悲しい孤獨に歸りたかつた。彼れは心の底にすゝり泣きのやうな痛みを感じた。然し濟ますべき事は順序通り濟ましてしまはねばならなかつた。見學者の中にも欠呻をしながら、患部の切片を入れたガラス瓶を衣嚢にしまつて、そろ〳〵歸仕度をするものがあつた。  胃の解剖からは何の結果も得べき筈はない、さう彼れは思ひながらも、型の通り鋏を取つて一方を切開いて見た。その内部からは既に胃壁に凝着した血液が多量に黒々として現はれ出た。 「咯血を嚥下したんだな」  思はざる所に不意におもしろい事實を見出したやうに、一人の醫員は、死體が同僚の妻である事も忘れて、かう叫んだ。  彼れはこの有樣を見ると思はず、手の甲で眼をかくしながら二三歩たじろいて後ろを向いてしまつた。この有樣を見た瞬間に、妻の斷末魔の光景が、彼れの考へてゐた學術の權威、學徒の威嚴、男の沈着、その外凡ての障碍物を爆彈のやうにたゝき破つて、いきなり彼れの胸にまざ〳〵と思ひ浮べられたからだ。  それはまだ三十時間とはたゝない昨日の明方の事だ。彼れの妻の病室は醫員や看護婦の出入でごつた返してゐた。その日一日の壽命はないと家族の人々も覺悟してはゐたが、こんな變調が突然起らうとは思ひもよらなかつたのだ。丁度夏の夜が早くも東明にならうとする頃、熱の爲に浮されて囈言を云ひながらも、うと〳〵と眠つてゐたY子は、突然はつきり眼をあいて床の上に起き上つた。 「氣がちがひさうに頭が痛みます。私の腦は破裂するんぢやないでせうか。私はもつと生きてゐたいんですから、先生、どうか助けて下さい。殺さないで下さい。どうか〳〵……あゝ痛い〳〵〳〵……死ぬのはいやです……私は死にたくないんです」  さう云ひながら彼女はそこに居合はした醫員にすがり附かうとした。醫員は惡靈にでも追はれたやうに顏の色をかへて飛び退いた。眞蒼に痩せさらぼへたY子の顏の二つの眼だけに、凡ての生命が死に追ひつめられて立籠つたやうに見えた。彼女はその眼で少しでも生命のあるものは引よせて食はうとした。隅の方に坐つて彼女の不幸を悲しみながらも、その病氣のために自分の研究の中挫したのを殘念に思ふ程の餘裕を有つてゐた彼れは、この有樣を見て、そんな事を考へてゐた薄情さを悔むと共に、ほんとに眞劍な同情が勃然として湧き起るのを感じた。彼れは始めてのやうに自身の生命を自覺して、死の本統の恐しさに震へ上つた。而してたまらなく妻が憐れまれてその寢床にかけよつた。次の瞬間に二人は堅く抱きあつてゐた。妻は熱に燃える眼を見開いて、見入つても〳〵飽き足らないやうに彼れの顏を凝視した。 「あなたゐて下すつたのね。私死んではいけないわね。私、死ぬやうな事はしてゐませんよ。助けて頂戴、ね、ね。私本統に死ぬのはいやなんですもの。怖いんぢやない。いやなんです。胸が苦しくなつた。どうしたんでせう、火が附いたやう……あゝ、苦しい……」  その時彼れはかたびらの胸許にどつと生暖いものを感じた。見ると夫れは火のやうな鮮血だつた。妻の顏は一段と蒼ざめて、瞳はつり上つて急に生氣を失つてゐた。やゝともすると居睡りでもするやうに彼女の顏は彼れの胸にもたれかゝつて來た。 「Y子。氣をしつかりお持ち。何んでもないんだからな」  彼れは思はず妻の耳もとでこんないゝ加減を叫んだ。而して彼女を靜かに臥かした。  暫くすると彼女はまた前のやうに異常な活氣を現はして起上つた。而して又多量の咯血をした。さう云ふ事が二度も三度も續けて行はれた。  何時の間にか世の中は眩しいやうな朝の光になつてゐた。 「こんなぢや……血が無くなるだけでも死にます……コップ……コップを下さい」  看護婦が水をついでコップを持つて來ると、彼女は別に飮むでもなく、それを枕許に置かした。而してコップを見入りながら何かを考へてゐるやうだつたが、やがてむく〳〵と身を起すと又咯血した。然し彼女は瀕死の病人に似もやらず、素早くもコップの水を床にあけて、それを口許に持つて行つた。コップには八分目程血が滿ちた。  Y子は暫らく恨しげにコップを見やつてゐた。と、いきなりそれを脣にあてゝ自分の血をぐつ〳〵と飮みはじめた。  座にあるものは思はず片唾を飮んで、平手打ちでも喰はされたやうに後ろに靡きたぢろいだ。一人として彼女からコップを奪はうとするものはなかつた。  彼れが正氣を取かへしてコップを妻からもぎ取つた時にはもうそれは虚になつてゐた。  是れが彼女の死に反抗する最終の激しい努力だつた。彼女の意識はだん〳〵不明瞭になつたが、それでも咯血する度毎にその血を吐き出さずに嚥みこんだ。而して激しくむせた。頭の毛をかきむしつた。 「アツ……」  やがて凡ての執着を、帛を裂くやうな鋭く高い一聲に集めて絶叫すると、その途端に彼女は死んでゐた。  胃を鋏で開いて見た瞬間に、是れだけの記憶が、同時に、その癖正確な順序を取つてはつきりと彼れの心を襲つたのだ。最後の絶叫を彼れはもう一度たしかに聞いたと思つた。三日も不眠不休でゐた彼れの腦は輕度の貧血を起して、胸許に嘔氣をさへ覺えた。見學の人々は彼れが突然よろけて後ろを向いてしまつたのを見て怪顏の眼を見張つた。 「くだらない事を想ひ出したらもう解剖がいやになつた。關口君、花田君勝手ですが跡の始末を君等にお頼み申します。夕方には僕が引取りに來ますから」  かう彼れは後ろを向いたまゝで云つた。人々はさすがにいかにも氣の毒さうに彼れを見やつた。  彼れは武士が武器を捨てゝ遁世する時のやうな心持ちでゴムの手袋を脱ぎ捨てた。匇々に手を洗ふと、助手が用意してくれたいくつかのガラス瓶に入れた内臟の切片を興味もなく受取つて解剖室を出た。  凡ては彼れの前で空に見えた。妻の死因が粟粒結核であるのを確めて、たつた先刻心ゆくまで味つた近頃にない喜び――一つは自分より熟練だと考へられてゐる多數の先輩に對して見事に占め得た勝利の喜び、一つは自分の妻の病症の眞相をしかと確めて何にともなく復讐をしおほせた喜び――その喜びは跡方もなく消えてしまつた。彼れの心は眞底から哀愁に搖り動かされ、自暴自棄にさいなみ苦しめられた。  掲示場の前を通る時彼れは今日の解剖の廣告が掲示板にぶら下つて風にひらめいてゐるのを見た。彼れは力をこめて引剥すと、いま〳〵しげに夫れを丸めて庭に投げ棄てた。 「稚氣、衒氣……而かも嚴肅に取あつかはねばならぬ、妻の死體と記憶とをめちや〳〵に踏みにじつて、心竊かに得意を感じた稚氣、衒氣! 恥ぢて死ね」  部屋に歸つてからしつかりと考へる積りでゐながら、急性な彼れの本心は瞬時も彼れに餘裕を與へて置かなかつた。彼れは足早に廊下を歩きながら絶間なくこんな考へに驅り立てられた。  自分の部屋に這入らうとするところに小使が來て、彼れの兄の腦貧血はもう囘復して先刻家に歸つたと云つて兄が書き殘したといふ封書を渡した。  實驗室――彼れの庵室とも、城郭とも、宮殿とも昨日まで思つて、この六年間立籠つてゐた實驗室を彼れはいま〳〵しげに見まはした。そこは機械と塵埃との荒野だつた。今朝、妻を解剖する可否を兄と論じながら、彼れが自信と興味とに心ををどらして、殘りもなく準備したミクロトーム、染色素、その外のものゝきちんと一つの机の上に列べてあるのが、積み重ねられた枯枝のやうに今の彼れには見えた。棚の中に等身に集められたプレパラートもあてもない無益な努力の古塚だつた。そこにあるもので、一つとして命のあるものはなかつた。何の關係もない物質がごつたかへして秩序もなくころがつてゐる間に、龍頭から絶えず流れ出る水道の水だけが、たゞ一つすがすがしい感じを彼れに與へて音も輕く涼しかつた。それほど室内は彼れには厭はしく汚く見えた。魔術師は法力を失つた。自己僞瞞の世界が彼れの眼の前でがら〳〵と壞れた。  手術衣を脱いで床になげ捨て、綿のやうに疲れ果てゝ放心した彼れは、死んだものゝやうに椅子に身をなげかけた。而してあてどもなく壁を見詰めてゐた。  暫らくすると彼れの眼の中に無念の涙が熱くたまつて來た。身も魂も投げ込んだ積りで努力に努力を重ねて來た半生の生活は跡方もなく根こそぎにされて、彼れは凡ての人の生活から全く切り放なされてしまつたのを感ぜずにはゐられなかつた。凡ての科學者は疑はしげもなく銘々の研究にいそしんでゐる。彼等は自分の仕事にどれ程の自覺を持つてゐるのか、またどれ程自己省察の眞劍さを缺いてゐるのか、それは判らない。然し兎に角彼等は各自の研究室で實驗所でこつ〳〵と働いてゐる。彼等は彼等だ。彼れは彼れだ。彼れにはもう彼等の心は通じなかつた。中庭を見やりながら彼れが考へた事は、理窟としてゞなしに、實感として否應なしに彼れに逼つた。彼れの妻の胃袋の中に凝固した血糊を見出した瞬間から、彼れはこれまでの生活の空虚さをしつかりと感じてしまつた。實際をいふと妻の死因を實證した時にも、思ひあがつた誇と滿足との裏に、何所か物足らない不思議な感じがあつた。それを實證したとて、それが彼れの妻との悲しい關係を如何する事も出來ないではないかと云つただけでは説明し足りないが、何かさういふやうな不滿がすぐ頭を擡げてゐたのを彼れは感じないではなかつた。さういへば、實驗に熱中してゐた最中でも、ある重大な研究結果を發表する喜びに際會した時でも、よく考へて見るとそこには一味の物足らなさが附きまつはつてゐた。さういへばずつと過去に遡つて、科學の研究に一生を委ねようと決心した時にも、彼れは自己をある程度まで殺してかゝる覺悟をした苦痛の覺えがあつた。六年間彼れは心の底のこの不平にやさしい耳を傾けてはやらなかつたのだ。而して強ひてそれがあるべき事であると思ひなさうと努めてゐたのだ。白紙のやうな無益な過去を彼れは眼の前の塵によごれた冷やかな壁に見た。砂の上に立てられた三十年の空しい樓閣――それは今跡方もなく一陣の嵐に頽れてしまつた。彼れの隻眼は押へ切れぬ悲痛の涙を湛へてまじ〳〵と實驗室を見𢌞はした。  徒らに正確な懸時計は遠慮なくけうとい音に時を刻んでゐた。その音と、龍頭を流れ下る水の音とが、森閑とした眞夏の暑い沈默を靜かに破つた。ツァイス會社製の、無駄な飾りのない、然しいかなる點にも綿密な親切と注意との行き亙つた、從つてたくらまないで美しい直線や弧線の綜合を成就した顯微鏡も、今は彼れの使役を拒むものゝやうに見えた。彼れは又窓の外の並木を眺めた。二階から見るので梢だけが鳥瞰的に眼に映つた。それは今まで氣附かないでゐた珍らしい樹の姿だつた。一つの葉も光に向いてゐないのはなかつた。而して無邪氣に快濶に手をつなぎ合つて、夏の光の中に戲れてゐた。彼等はあの無邪氣と快濶とを以て、風にでも雨にでも小跳りするのだ。彼れの住む世界にもこんなものがあるのか。こんなものゝある世界にも彼れが住んでゐるのか。さう彼れは苦い心で思つた。  やゝ暫らくして彼れは長い溜息と共に椅子から立ち上つた。而して手術衣を脱がうとするとその衣嚢の中でかちつと堅いものにぶつかり合ふ音を聞いた。彼れは何げなく衣嚢に手を突込んで指先きに觸れたものをつかみ出して見ると、それは解剖臺から持つて來た四つのガラス瓶だつた。水より輕やかに澄んだ薄いアルコールが七分目ほど入れてあるその底に、表面だけ蛋白の凝固した小さな肉片が一つづゝ沈んでゐた。それを見ると彼れはぎくつとして夢から覺めたやうに解剖室の光景を思ひ浮べた。妻の――昨日までは兎も角も生きてゐて、彼れと同じに人間であつたその妻の形見といつては、これだけになつてしまつたのだ。如何して二人はこの世に生れたのだ。如何にして二人は十億の人間の中から互々を選び出して夫婦になつたのだ。如何して妻は彼れよりも先きに死んだのだ。如何して彼女の肉片は寸斷されてアルコールに漬けられるやうな運命に遇つたのだ。如何してこの偶然のやうな不思議が彼れの心をいつまでも〳〵すゝり泣かせるのだ。  科學を生活する――何んといふおほそれた空言を彼れは恥かしげもなくほざいたものだ。  彼れはどう考へていゝか判らなかつた。然し彼れは考へ直して見るより外に道を知らなかつた。  深い絶望に沈んだ彼れはすがるやうな心になつてその瓶を四つとも取上げて自分の額にあてた。妻が死んでから今まで彼れの強い意志でせきとめてゐた涙が、燃えるやうに、盲いた眼からもはら〳〵と流れ落ちた。
底本:「有島武郎全集第三卷」筑摩書房    1980(昭和55)年6月30日初版発行 底本の親本:「有島武郎著作集 ――第三輯――」新潮社    1918(大正7)年2月20日発行 初出:「中央公論 第三十二年第十號秋期大附録號」    1917(大正6)年9月1日発行 ※「眞劒」と「眞劍」の混在は、底本通りです。 ※図は、底本の親本からとりました。 入力:木村杏実 校正:きりんの手紙 2023年2月10日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "061236", "作品名": "実験室", "作品名読み": "じっけんしつ", "ソート用読み": "しつけんしつ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「中央公論 第三十二年第十號秋期大附録號」1917(大正6)年9月1日", "分類番号": "", "文字遣い種別": "旧字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2023-03-04T00:00:00", "最終更新日": "2023-02-28T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card61236.html", "人物ID": "000025", "姓": "有島", "名": "武郎", "姓読み": "ありしま", "名読み": "たけお", "姓読みソート用": "ありしま", "名読みソート用": "たけお", "姓ローマ字": "Arishima", "名ローマ字": "Takeo", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1878-03-04", "没年月日": "1923-06-09", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "有島武郎全集第三卷", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1980(昭和55)年6月30日", "入力に使用した版1": "1980(昭和55)年6月30日初版", "校正に使用した版1": "1980(昭和55)年6月30日初版", "底本の親本名1": "有島武郎著作集 ――第三輯――", "底本の親本出版社名1": "新潮社", "底本の親本初版発行年1": "1918(大正7)年2月20日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "木村杏実", "校正者": "きりんの手紙", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/61236_ruby_77094.zip", "テキストファイル最終更新日": "2023-02-10T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/61236_77093.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2023-02-10T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 私は嘗て詩を音樂に次ぐ最高位の藝術表現と云つたことがあつた。  凡ての藝術は表現だ。表現の焦點は象徴に於て極まる。象徴とは表現の發火點だ。表現が人間の覺官に依據して訴へ、理智に即迫して訴へようとするもどかしさを忍び得なくなつた時、已むを得ず赴くところの殿堂が即ち象徴だ。だから象徴とは、魂――若しそんな抽象的な言葉が假りに許されるなら――が自己を示現せんとする悶えである。而して詩は音樂に最も近くこの象徴へと肉迫する。少くとも文學といふ分野に於て、詩に優つて純粹に藝術の遂げんとする要求を追求してゐるものはない。  戀人に取つて、眼の言葉と、口の音樂とは遂に最後のものではない。それは説明だからだ。如何に巧妙なる説明も、それは結局投影の創造であつて物そのものではないだらう。而して抱擁が來る。抱擁も然し戀人に取つてはまだもどかしい。而して死が來る。戀は生命の灼熱であつて、而して死は生命の破却だ。何といふ矛盾だらう。然しながら人間がその存在の中にさぐり求めるあらゆる手段の中、死のみが辛うじて、凡てを撥無してもなほ飽き足らない戀人の熱情を髣髴させるのだ。戀人はその愛するものゝ胸に死の烙印もて彼れ自身を象徴するのだ。  人は自ら知らずして人類を戀してゐる。彼れの魂は直接に人類に對して自己を表現せんと悶えてゐる。かくて彼れは彼自身を詩に於て象徴する。  私も亦長い間この憬がれを持つてゐた。説明的であり理知的である小説や戲曲によつて自分を表現するのでは如何しても物足らない衷心の要求を持つてゐた。けれども私は象徴にまで灼熱する力も才能もないのを思つて今まで默してゐた。  けれども或る機縁が私を促がし立てた。私は前後を忘れて私を詩の形に鑄込まうとするに至つた。どんなものが生れ出るか私自身と雖もそれを知らない。私は或は私の參詣すべからざる聖堂を窺つてゐるのかも知れない。然し私にはもう凡てが已むを得ない。長くせきとめてゐた水が溢れたのだから。 (『泉』大正十二年四月)
底本:「有島武郎全集第九卷」筑摩書房    1981(昭和56)年4月30日初版発行 底本の親本:「有島武郎個人雜誌 泉 第二卷第四號」叢文閣    1923(大正12)年4月1日発行 初出:「有島武郎個人雜誌 泉 第二卷第四號」叢文閣    1923(大正12)年4月1日発行 入力:きりんの手紙 校正:木村杏実 2021年2月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "060074", "作品名": "詩への逸脱", "作品名読み": "しへのいつだつ", "ソート用読み": "しへのいつたつ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「有島武郎個人雜誌 泉 第二卷第四號」叢文閣、1923(大正12)年4月1日", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "旧字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2021-03-04T00:00:00", "最終更新日": "2021-02-26T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card60074.html", "人物ID": "000025", "姓": "有島", "名": "武郎", "姓読み": "ありしま", "名読み": "たけお", "姓読みソート用": "ありしま", "名読みソート用": "たけお", "姓ローマ字": "Arishima", "名ローマ字": "Takeo", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1878-03-04", "没年月日": "1923-06-09", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "有島武郎全集第九卷", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1981(昭和56)年4月30日", "入力に使用した版1": "1981(昭和56)年4月30日初版", "校正に使用した版1": "1981(昭和56)年4月30日初版", "底本の親本名1": "有島武郎個人雜誌 泉 第二卷第四號", "底本の親本出版社名1": "叢文閣", "底本の親本初版発行年1": "1923(大正12)年4月1日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "きりんの手紙", "校正者": "木村杏実", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/60074_txt_72753.zip", "テキストファイル最終更新日": "2021-02-26T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/60074_72805.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2021-02-26T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
A 北海道農場開放に就ての御意見を伺ひたいのですが。殊に、開放されるまでの動機やその方法、今後の処置などに就いてですな。 B 承知しました。 A 少し横道に這入るやうですが、この頃は切りに邸宅開放だとか、農場開放だとか、それも本統の意味での開放でなく、所謂美名に隠れて巨利を貪つてゐるやうな、開放の仕方が流行つてゐるやうですが、いゝ気なものですな。 B 全くですな。土地からの利益が上らなくなつたり、持て余して手放したり、それも単に手放すといふなら兎も角、美名に隠れて利益を得る開放の仕方などは不可ませんね。最近では横須賀侯などが農場を開放されると聞きますが、あれなどは実に怪しからんと思ひますね。農場の小作人に年賦か何かで土地を買はして、それでも未だ不可いからといふので、政府から補助を受けることになつてゐると聞きますが、これなんかは全く何うにかしなければ不可ませんね。 A 実際です。彼等が営利会社か何かと結びついて、社会奉仕などといゝ顔をして利益を得ようといふんですから、第一性根が悪いと思ひます。――ところで…… B ところで、よく分りました。私の場合は、勿論現代の資本主義といふ悪制度が、如何に悪制度であるかを思つたことゝ、直接の動機としては、資本主義制度の下に生活してゐる農民、殊に小作人達の生活を実際に知り得たからです。小作人達の生活が、如何に悲惨なものであるかは分り切つたことですが、先ず具体的に言ひませう。私の狩太村の農場は、戸数が六十八九戸、……約七十戸といふところですが、それが何時まで経つても掘立小屋以上の家にならないで、二年経つても三年経つても、依然として掘立小屋なんですね。北海道の掘立小屋は、それこそ文字通りの掘立小屋で、柱を地面に突き差して、その上を茅屋根にして、床はといへば板を列べた上に筵を敷いただけ、それで家の中へ水が這入つて来ないやうに家の周囲に溝を作へるのです。全戸皆がこんな掘立小屋で、何時まで経つても或ひは藁葺だとか瓦葺だとか、家らしい家にならないし、全く嫌になつて終つたんですな。 A と言ひますと、農民達はそんな家らしい家にして住ふやうな気持を持たないのでせうか。そんな掘立小屋なんかで満足してゐるのでせうか? B さうぢやないんです。農民達はそんなことに満足してはゐないのですが、家らしい家を建てるまでの運びに行かないのです。一口に言へば、何時まで経つてもその日のことに追はれてゐて、そんな運びに至らないのです。小作料やら、納税やら、肥料代やら、さういつた生活費に追はれてゐて、何時まで経つても水呑百姓から脱することが出来ないのです。――それにあのとほり、一年の半分は雪で駄目だものですからな。冬も働かないわけではないのですが、――それよりも、鉄道線路の雪掻きや、鯡漁の賃銀仕事に行けば、一日に二円も二円五十銭もの賃銭がとれるのですから、百姓仕事をするよりも余程お銭が多くとれるのですが、とればとれるで矢張り贅沢になつたり、無駄費ひが多くなつたり、それに寒いので酒を飲む、飲めば賭博をする。結極余るところが借金を残す位ゐのもので、何うにも仕様がないのです。それでは、家の中の手内職は何うかと言へば、九州などの農業と違つて、原料になる藁がないものですから、それにあのとほりの掘立小屋では、小屋の中にばかりゐる気にもなれますまい。つまり。これぢや迚も、農民達は一生浮ばれないと思つたんですね。小作料は畑で一反に一円五十銭、乃至一円七十銭位ゐですが、私の農場は主にこの畑ですが、これにしても北海道の商人はなか〳〵狡猾で、農民達の貧乏を見込んで、作物が畑に青いままである頃から見立て買ひをして、ちやんと金を貸しつけて置くのです。ですから、どんな豊作の時でも農民はその豊作の余慶を少しも受けないことになるのです。それでない場合でも、作物の相場の変動が、この頃は外国の影響を受ける場合が多いものですから、農民達には相場の見込みがつかず、その為めに苦しんだ上句が見込み外れがしたりして、つい悲惨な結果を生むやうになるのです。 A 商人達の狡猾なのは論外です。殊に、北海道あたりでは、未だ植民地的な気風が残つてゐるのでせうから質が悪いかも知れません。――それにしても、あの農場を開放されるまでには随分と、各方面からの反対もありましたでせうな? B ありました。資本主義政府の下で、縦令ば一個所や二個所で共産組織をしたところで、それは直ぐ又資本家に喰ひ入られて終ふか、又は私が寄附した土地をその人達が売つたりして、幾人かのプチブルジョアが多くなる位ゐの結果になりはしないか。結極、私がやることが無駄になりはしないか。といふやうな反対意見があつたのです。然し、私は私のやつたことが画餅に帰するほど、現代の資本主義組織が何の程度まで頑固なものであるか、何の程度まで悪い結果を生むものであるか、そればかりではなく、折角私が無償で土地を寄附しても、それですら尚農民達は幸福になれないのだといふことが、人々にはつきり分つていゝのぢやないかと思ふのです。私は、その試練になるだけでゝも満足です。一旦手放して、自分のものでなくなつた以上は、後の結果が何うならうとも、それに就ての未練は少しもないのですが、たゞ出来るだけは有意義に、有効に、その結果がよくなるやうには私も今の内に極力計る積りです。兎に角、今迄ちつとも訓練のない人達のことですから、私の真意が分つてくれて、それを妥当に動かして行くといふことは、なか〳〵困難なことでせうが、それだけ私も慎重に考えへて、結果をよくする為めに計つてはゐます。『新らしい村』などは、多少ともに頭も出来、武者小路君の意見に讃同した人達が、どれまでのことをやれるかやつて見るのだといふ信仰的なものとは違つて、農民達の方はまるで訓練もなく、知識もなく、まだ私の考へを充分呑み込んでさへもくれないので、なか〳〵困難なことかと思はれます。たゞ『新らしい村』の方は、寄附や其他のお金で生活してゐて、直接村からの生産で生活してゐるのではないから、その点は農場とは余程趣を異にしてゐますが。…… A 成程、してみると、農民達はどうして土地を開放するか、その真意がすつかりと了解出来ないのですか? B それは分つてゐてくれます。然し、その実行問題になると、私が思つてゐることをなか〳〵了解してくれないのです。それは、現在農場にある組合の倉庫なんかでも、組合幹部の見込違ひから、十万円位の穴を明けたりしたことがあるものですから、農民達もびく〳〵してゐるのです。それに、狩太には私の農場の他に、曾我、深見、松岡、小林、近藤などといふ農場があつて、孰れも同じことですが、一種の小作権売買といふのがあるのです。つまり、一つの農場の小作人となるのに、五百円とか、千円とかその農場の小作人となるのに小作の既権者から権利を買つて這入るのですな。その為めにしよつちゆう村の中で出這入りがあるのです。景気がよければよいで、その小作権を売つて、割のいゝ他の職業に就く。その為めに、農場に個定する人、つまり永く何代も何代も定在する人ばかりではないものですから、今度の処置についても非常にやり難い点が多いのです。――その為めに、農場の管理者や、村長や、今後の処置を一任した札幌農大の森本厚吉君や、大学の他の諸君とも計つたことですが、その組織に就いて相談してゐるのです。恰度、あちらからその組合規定が送つて来たのですが、その表題は『有限責任狩太共済農団信用購買販売利用組合定欵』――随分やゝこしいが、内容の総べてを表題に入れて長たらしくしたものですが、実は共済農団を、共産農団にしたかつたのです。共済なんかといふ煮え切らないものよりは、率直に共産の方がいゝのですからな。ところが、これが又皆の反対を買つたのです。共産といふ字は物騒で不可い。他の文字にして欲しいといふのです。それも、森本君なんかよりも、大学の若い人達や、村長、管理者などに反対者があるのですから可笑しいですね。それにしても、共済といふ文字は余り好みませんが、何とかいゝ名前はありませんか。大学の諸君や、村長なんかにも叱られないで、それでゐていゝ名前は? A さあ、私なんかには考へつきません。――然し、随分不可しな人達ぢやありませんか。共産なんて文字に世間の人達が、そんなにまで気を病むなんて、妙なものですな。うまい魚だが、フグだから不可い。それでフクにしたならばいゝだらうといふのですな。この節の議会の問答のやうに、仏教家の平和主義ならばいゝが、社会主義者の平和主義は不可いといふやうなものぢやありませんか。同じいゝことが、名前に依つて不可なかつたり、人に依つて不可なかつたり、…… B さうです。然し、それは事実だから仕方がありません。それに、この表題のことも尚研究中ですから。――この定欵も、北海道の人達が上京して来て完全なものとなり、それから農民達とも相談したら、その結果が何うなつたか。実を云ふと、訓練のない人達のことですから理想的に行くか何うか、それは随分困難のことでせう。私も常にその覚悟はしてゐます。 A 先つきのお話のやうに、今のところは村の出這入りが多少あつても『新らしい村』などの場合と違つて、家族と一緒に暮すのですから、割合に居着き易いと思ひますが、それに土地が自分のものにはなるし、暮し易くはなるしするのですから、段々安住する気になると思ひますが。それに、今度の制度の訓練が段々に上手になつて来ましたら。 B それはそんなものかも知れませんが。それとは又別な困難が一つあるのですから。田舎にばかりゐる人は、何うしても都会に憧れを持つのです。その都会憧憬の心ですな。その為めに小汚ない百姓の足を洗つて、都会へ出てもつと綺麗な仕事をしてみたいといふやうな気が起るのですな。その為めに、落ちつけなくなるのです。私が教へた生徒の中に、一人千葉県人が居りましたが、その人の話に依ると、その村の青年達の理想は、東京へ出て来て自動車の運転手になることだといふから呆れるぢやありませんか。 A 成程、鎌子事件の主人公となつた夢なども悪くはありませんね。 B そんなことで、いろ〳〵の困難なことが伴つて来るだらうと思ひますが、私も一旦農場を寄附する以上、今後は何うなつてもいゝやうなものゝ、再び資本家の手に這入つて終ふやうなことは仕度くありませんので、その悪結果を防ぐ方法として、先つきの話のとほり、共産組合の組織にしようとしてゐるのです。今度の成案などは、まだ〳〵ほんの初めのことで、不完全なものでせうが、組織は農団組合を管理する理事を置いて、これが実務に当ることになるのです。その外に、幹事を数名置くことになりますが、これが会社でいふ監査役といふところです。こんなものが、農民自身の選挙で置かれることになります。今迄の管理者なども勿論、一個の組合員になつて終ふのです。――それに規定の内容は、(一)貯金の便利の為めの信用組合、(二)販売組合、(三)購買組合、(四)利用組合、(五)農業倉庫、その他いろ〳〵とあるのですが、兎に角、農場開放のことは、私自身の気持や、態度などといふことはすつかり確定してゐて、今まで言つたとほりですが、その土地の内部組織などのことは、恰度その過程にあるのですから、その積りでゐて欲しいのです。すつかり確定すれば、又お知らせしますから。 (『解放』大正十二年三月)
底本:「有島武郎全集第九卷」筑摩書房    1981(昭和56)年4月30日初版第1刷発行    2002(平成14)年2月10日初版第3刷発行 初出:「解放 第五巻第三号(三月号)」    1923(大正12)年3月1日発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためました。 ※底本ではルビが付されていない以下の字に、ルビを付しました。  何う、列べ、終つた、鯡、迚も、縦令、何の、恰度。 ※「就て」と「就いて」の混用は、底本のままとしました。 入力:mono 校正:染川隆俊 2009年8月15日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 その日も、明けがたまでは雨になるらしく見えた空が、爽やかな秋の朝の光となっていた。  咳の出ない時は仰向けに寝ているのがよかった。そうしたままで清逸は首だけを腰高窓の方に少しふり向けてみた。夜のひきあけに、いつものとおり咳がたてこんで出たので、眠られぬままに厠に立った。その帰りに空模様を見ようとして、一枚繰った戸がそのままになっているので、三尺ほどの幅だけ障子が黄色く光っていた。それが部屋をよけい小暗く感じさせた。  隣りの部屋は戸を開け放って戸外のように明るいのだろう。そうでなければ柿江も西山もあんな騒々しい声を立てるはずがない。早起きの西山は朝寝の柿江をとうとう起してしまったらしい。二人は慌てて学校に出る支度をしているらしいのに、口だけは悠々とゆうべの議論の続きらしいことを饒舌っている。やがて、 「おい、そのばか馬をこっちに投げてくれ」  という西山の声がことさら際立って聞こえてきた。清逸の心はかすかに微笑んだ。  ゆうべ、柿江のはいているぼろ袴に眼をつけて、袴ほど今の世に無意味なものはない。袴をはいていると白痴の馬に乗っているのと同じで、腰から下は自分のものではないような気がする。袴ではないばか馬だと西山がいったのを、清逸は思いだしたのだ。  隣のドアがけたたましく開いたと思うと清逸のドアがノックされた。 「星野、今日はどうだ。まだ起きられんのか」  そう廊下から不必要に大きな声を立てたのは西山だった。清逸は聞こえる聞こえないもかまわずに、障子を見守ったまま「うん」と答えただけだった。朝から熱があるらしい、気分はどうしても引き立たなかった。その上清逸にはよく考えてみねばならぬことが多かった。  けれども西山たちの足音が玄関の方に遠ざかろうとすると、清逸は浅い物足らなさを覚えた。それは清逸には奇怪にさえ思われることだった。で、自分を強いるようにその物足らない気分を打ち消すために、先ほどから明るい障子に羽根を休めている蝿に強く視線を集めようとした。その瞬間にしかし清逸は西山を呼びとめなければならない用事を思いついた。それは西山を呼びとめなければならないほどの用事であったのだろうか。とにかく清逸は大きな声で西山を呼んでしまった。彼は自分の喉から老人のようにしわがれた虚ろな声の放たれるのを苦々しく聞いた。 「さあ園の奴まだいたかな」  そう西山は大きな声で独語しながら、けたたましい音をたてて階子段を昇るけはいがしたが、またころがり落ちるように二階から降りてきた。 「星野、園はいたからそういっておいたぞ」  その声は玄関の方から叫ばれた。傍若無人に何か柿江と笑い合う声がしたと思うと、野心家西山と空想家柿江とはもつれあってもう往来に出ているらしかった。  清逸の心はこのささやかな攪拌の後に元どおり沈んでいった。一度聞耳を立てるために天井に向けた顔をまた障子の方に向けなおした。  十月の始めだ。けれども札幌では十分朝寒といっていい時節になった。清逸は綿の重い掛蒲団を頸の所にたくし上げて、軽い咳を二つ三つした。冷えきった空気が障子の所で少し暖まるのだろう、かの一匹の蝿はそこで静かに動いていた。黄色く光る障子を背景にして、黒子のように黒く点ぜられたその蝿は、六本の脚の微細な動きかたまでも清逸の眼に射しこんだ。一番前の両脚と、一番後ろの両脚とをかたみがわりに拝むようにすり合せて、それで頭を撫でたり、羽根をつくろったりする動作を根気よく続けては、何んの必要があってか、素早くその位置を二三寸ずつ上の方に移した。乾いたかすかな音が、そのたびごとに清逸の耳をかすめて、蝿の元いた位置に真白く光る像が残った。それが不思議にも清逸の注意を牽きつけたのだ。戸外では生活の営みがいろいろな物音を立てているのに、清逸の部屋の中は秋らしくもの静かだった。清逸は自分の心の澄むのを部屋の空気に感ずるように思った。  やはりおぬいさんは園に頼むが一番いい。柿江はだめだ。西山でも悪くはないが、あのがさつさはおぬいさんにはふさわしくない。そればかりでなく西山は剽軽なようで油断のならないところがある。あの男はこうと思いこむと事情も顧みないで実行に移る質だ。人からは放漫と思われながら、いざとなると大掴みながらに急所を押えることを知っている。おぬいさんにどんな心を動かしていくかもしれない。……  蝿が素早く居所をかえた。  俺はおぬいさんを要するわけではない。おぬいさんはたびたび俺に眼を与えた。おぬいさんは異性に眼を与えることなどは知らない。それだから平気でたびたび俺に眼を与えたのだ。おぬいさんの眼は、俺を見る時、少し上気した皮膚の中から大きくつやつやしく輝いて、ある羞みを感じながらも俺から離れようとはしない。心の底からの信頼を信じてくださいとその眼は言っている。眼はおぬいさんを裏切っている。おぬいさんは何にも知らないのだ。  蝿がまた動いた。軽い音……  おぬいさんのその眼のいうところを心に気づかせるのは俺にとっては何んでもないことだ。それは今までも俺にはかなりの誘惑だった。……  清逸はそこまで考えてくると眼の前には障子も蝿もなくなっていた。彼の空想の魔杖の一振りに、真白な百合のような大きな花がみるみる蕾の弱々しさから日輪のようにかがやかしく開いた。清逸は香りの高い蕊の中に顔を埋めてみた。蒸すような、焼くような、擽るような、悲しくさせるようなその香り、……その花から、まだ誰も嗅がなかった高い香り……清逸はしばらく自分をその空想に溺れさせていたが、心臓の鼓動の高まるのを感ずるやいなや、振り捨てるように空想の花からその眼を遠ざけた。  その時蝿は右の方に位置を移した。  清逸の心にある未練を残しつつその万花鏡のような花は跡形もなく消え失せた。  園ならばいい。あの純粋な園にならおぬいさんが与えられても俺には不服はない。あの二人が恋し合うのは見ていても美しいだろう。二人の心が両方から自然に開けていって、ついに驚きながら喜びながら互に抱き合うのはありそうなことであって、そしていいことだ。俺はとにかく誘惑を避けよう。俺はどれほど蠱惑的でもそんなところにまごついてはいられない。しかも今のところおぬいさんは処女の美しい純潔さで俺の心を牽きつけるだけで、これはいつかは破れなければならないものだ。しかしそれは誘惑には違いないが、それだけの好奇心でおぬいさんの心を俺の方に眼ざめさすのは残酷だ。……  清逸はくだらないことをくよくよ考えたと思った。そして前どおりに障子にとまっている一匹の蝿にすべての注意を向けようとした。  しかも園が……清逸が十二分の自信をもって掴みうべき機会を……今までの無興味な学校の課業と、暗い淋しい心の苦悶の中に、ただ一つ清浄無垢な光を投げていた処女を根こそぎ取って園に与えるということは……清逸は何んといっても微かな未練を感じた。そして未練というものは微かであっても堪えがたいほどに苦い……。清逸はふとこの間読み終ったレ・ミゼラブルを思いだしていた。老いたジャン・ヷルジャンが、コーセットをマリヤスに与えた時の心持を。  階子段を規律正しく静かに降りてくる足音がして、やがてドアが軽くたたかれた。  その瞬間清逸は深く自分を恥じた。それまで彼を困らしていた未練は影を隠していた。  顔は十七八にしか見えないほど若く、それほど規則正しい若さの整いを持っているが、二十二になったばかりだと思えないくらい落ちつきの備わった園の小さな姿が、清逸の寝床近くきちんと坐ったらしかった。  清逸は園が側近く来たのを知ると、なぜともなく心の中が暖まるのを覚えて、今までの物臭さに似ず、急いで窓から戸口の方に寝返った。が、それまで眩ゆい日の光に慣れていた眼は、そこに瞳を痛くする暗闇を見出だすばかりだった。その暗闇のある一点に、見つづけていた蝿が小さく金剛石のように光っていた。 「学校は休んだの」  眼をつぶりながら、それと思わしい方に顔を向けて清逸はいってみた。 「一時間目は吉田さんだから……僕に用というのは何?」  低いけれど澄んだ声、それは園のものだ。 「そうか。吉田のペンタゴンか。カルキュラスもあんないい加減ですまされては困るな。高等数学はしっかり解っておく必要があるんだが……」  清逸は当面の用事をそっちのけにしてこんなことをいった。そんなことを言いながら、吉田教授をぺンタゴンという異名で呼んだのが園に対して気がひけた。吉田というのは、まだ若くって頭のいい人だったが、北海道というような処に赴任させられたのが不満であるらしく、ややともすると肝心な授業を捨てておいて、旧藩主の奥御殿に起ったという怪談めいた話などをして、学生を笑わせている人だった。そうした人に対しても、園は異名を用いて噂することなどは絶えてしなかった。 「ほんとに困る。しかしどうせ何んでも自分でやらないじゃならない学校だからかまわないといえばかまわないことだが……今日は少しはいいの」  澄んで底力のある声が、清逸の眼にだんだん明瞭な姿を取ってゆく園の方から静かに響いた。健康を尋ねられると清逸はいつでも不思議にいらだった。それに答える代りに、何んとなくいい渋っていた肝心の用事を切りだすほかはなくなった。清逸は首をもたげ加減にして、机の方に眼をやった。そしてその引き出しの中にある手紙を出してくれと頼んでしまった。  園はすぐ机の方に手を延ばして、引き出しを開けにかかった。その時清逸は、自分の瞳が光って、園の方にある鋭い注意を投げているのを気づかずにはいられなかった。園が手紙を取りだした時、星野とだけ書いてある封筒の裏が上になっていたので、名宛人が誰であるかはもとより判りようはずがないのに、園の顔にはふとある混乱が浮んだようにも思え、少しもそんなことがないようにも清逸には思えた。清逸はまたかかることに注意する自分を腑甲斐なく思った。そして思わずいらいらした。 「僕はたぶん明日親父に会いに千歳まで帰ってくる。都合ではむこうの滞在が少し長びくかもしれない。できるなら僕は秋のうちに……冬にならないうちに東京に出たいと思っているんだがね。そんなことは貧乏な親父に相談してみたところで埒は明くまいけれども、順序だから話だけはしてみるつもりなのだ。……でその手紙をおぬいさんにとどけてくれないか。僕は熱があるようだから行かれないと思うから……おぬいさんが聞いたら千歳の番地を知らせてやってくれたまえ、……聞かなかったらこっちからいうには及ばないぜ……それからね、手紙にも書いておいたが、僕の留守の間、おぬいさんの英語を君に見てもらうわけにはいかないかね」  いらいらしさにまかせて、清逸はこれだけのことを畳みかけるようにいって退けた。すべてを清逸は今まで園にさえ打ち明けないでいたのだった。清逸にとってはこれだけの言葉の中に自分を苦しめたり鞭ったりする多くのものが潜んでいるのだ。  清逸は何んということなく園から眼を放して仰向けに天井を見た。白い安西洋紙で張りつめた天井には鼠の尿ででもあるのか、雲形の汚染がところどころにできている。象の形、スカンディナヴィヤ半島のようにも、背中合せの二匹の犬のようにも見える形、腕のつけ根に起き上り小法師の喰いついた形、醜い女の顔の形……見なれきったそれらの奇怪な形を清逸は順々に眺めはじめた。  さすがの園もいろいろな意味で少し驚いたらしかった。最後の瞬間までどんなことでも胸一つに納めておいて、切りだしたら最後貫徹しないではおかない清逸の平生を知らない園ではないはずだ。だがあの健康で明日突然千歳に帰るということも、おぬいさんに英語を教えろということも、すべてがあまりに突然に思えたらしかった。清逸が、象の形、スカンディナヴィヤ半島のようにも、背中合せの二匹の犬のようにも見える形、腕のつけ根に起き上り小法師の喰いついた形から醜い女の顔の形へ視線を移したころ、 「では君もいよいよ東京に行くの」  と園が言った。そしておぬいさんの手紙を素直に洋服の内衣嚢にしまいこんだ。  園はおぬいさんに牽きつけられている、おぬいさんについては一言もいわないではないか。……清逸はすぐそう思った。それともおぬいさんにはまったく無頓着なのか。とにかくその人の名を園の口から聞かなかったのは……それはやはり物足らなかった。園の感情がいくらかでも動くのを清逸は感じたかったのだ。 「西山君も行くようなことをいっていたが……」  園は間をおいてむりにつけ足すようにこれだけのことをいった。  西山がそんなたくらみをしているとは清逸の知らないことだった。清逸は心の奥底ではっと思った。自分の思い立ったことを西山づれに魁けされるのは、清逸の気性として出抜かれたというかすかな不愉快を感じさせられた。 「もっとも西山君のことだから、言いたい放題をいっているかもしれないが……」  清逸の心の裏をかくとでもいうような言葉がしばらくしてからまた園の唇を漏れた。清逸はかすかに苦しい顔をせずにはいられなかった。  二時間目の授業が始まるからといって園が座を立ったあと、清逸は溜息をしたいような衝動を感じた。それが悪るかった。自然に溜息が出たあとに味われるあの特殊な淋しいくつろぎは感ずることができなかった。園が出ていった戸口の方にもの憂い視線を送りながら、このだだ広い汚ない家の中には自分一人だけが残っているのだなとつくづく思った。  ふと身体じゅうを内部から軽く蒸すような熱感が萌してきた。この熱感はいつでも清逸に自分の肉体が病菌によって蝕まれていきつつあるということを思い知らせた。喀血の前にはきっとこの感じが先駆のようにやってくるのだった。  清逸はわざと没義道に身体を窓の方に激しく振り向けてみた。窓の障子はだいぶ高くなった日の光で前よりもさらに黄色く輝いていた。  しかしどこに行ったのか、かの一匹の蝿はもうそこにはいなかった。      *    *    *  “Magna est veritas,et praevalebit.”  それが銘だった。園はその夜拉典語の字書をひいてはっきりと意味を知ることができた。いい言葉だと思った。  段と段との隔たりが大きくておまけに狭く、手欄もない階子段を、手さぐりの指先に細かい塵を感じながら、折れ曲り折り曲りして昇るのだ。長い四角形の筒のような壁には窓一つなかった。その暗闇の中を園は昇っていった。何んの気だか自分にもよくは解らなかった。左手には小さなシラーの詩集を持って。頂上には、おもに堅い木で作った大きな歯車や槓杆の簡単な機械が、どろどろに埃と油とで黒くなって、秒を刻みながら動いていた。四角な箱のような機械室の四つ角にかけわたした梁の上にやっと腰をかけて、おずおず手を延ばして小窓を開いた。その小窓は外から見上げると指針盤の針座のすぐ右手に取りつけられてあるのを園は見ておいたのだ。窓はやすやすと開いた。それは西向きのだった。そこからの眺めは思いのほか高い所にあるのを思わせた。じき下には、地方裁判所の樺色の瓦屋根があって、その先には道庁の赤煉瓦、その赤煉瓦を囲んで若芽をふいたばかりのポプラが土筆草のように叢がって細長く立っていた。それらの上には春の大空。光と軟かい空気とが小さな窓から犇めいて流れこんだ。  機械室から暗窖のように暗みわたった下の方へ向けて、太い二本の麻縄が垂れ下り、その一本は下の方に、一本は上の方に静かに動いていた。縄の末端に結びつけられた重錘の重さの相違で縄は動くのだ。縄が動くにつれて歯車はきりきりと低い音を立てて廻る。  左の足先は階子の一番上のおどり段に頼んだが、右の足は宙に浮かしているよりしようがなかった。その不安定な坐り心地の中で詩集が開かれた。「鐘の賦」という長い詩のその冒頭に掲げられた有名な鐘銘に眼がとまると、園はここの時計台の鐘の銘をも知りたいと思った。ふと見ると高さ二尺ほどの鐘はすぐ眼の先に塵まぶれになって下っていた。“Magna est veritas,et praevalebit.”……園にはどうしても最後の字の意味が考えられなかった。写真で見る米国の自由の鐘のように下の方でなぞえに裾を拡げている。その拡がり方といい勾配の曲線の具合といい、並々の匠人の手で鋳られたものでないことをその鐘は語っていた。  農学校の演武場の一角にこの時計台が造られてから、誰と誰とが危険と塵とを厭わないでここまで昇る好奇心を起したことだろう。修繕師のほかには一人もなかったかもしれない。そして何年前に最後の修繕師がここに昇ったのだろう。  札幌に来てから園の心を牽きつけるものとてはそうたくさんはなかった。ただこの鐘の音には心から牽きつけられた。寺に生れて寺に育ったせいなのか、梵鐘の音を園は好んで聞いた。上野と浅草と芝との鐘の中で、増上寺の鐘を一番心に沁みる音だと思ったり、自分の寺の鐘を撞きながら、鳴り始めてから鳴り終るまでの微細な音の変化にも耳を傾け慣れていた。鐘に慣れたその耳にも、演武場の鐘の音は美しいものだった。  ことに冬、真昼間でも夕暮れのように天地が暗らみわたって、吹きまく吹雪のほかには何の物音もしないような時、風に揉みちぎられながら澄みきって響いてくるその音を聞くと、園の心は涼しくひき締った。そして熱いものを眼の中に感ずることさえあった。  夢中になってシラーの詩に読み耽っていた園は、思いもよらぬ不安に襲われて詩集から眼を放して機械を見つめた。今まで安らかに単調に秒を刻んでいた歯車は、きゅうに気息苦しそうにきしみ始めていた。と思う間もなく突然暗い物隅から細長い鉄製らしい棒が走りでて、眼の前の鐘を発矢と打った。狭い機械室の中は響だけになった。園の身体は強い細かい空気の震動で四方から押さえつけられた。また打つ……また打つ……ちょうど十一。十一を打ちきるとあとにはまた歯車のきしむ音がしばらく続いて、それから元どおりな規則正しい音に還った。  あまりの厳粛さに園はしばらく茫然としていた。明治三十三年五月四日の午前十一時、――その時間は永劫の前にもなければ永劫の後にもない――が現われながら消えていく……園は時間というものをこれほどまじまじと見つめたことはなかった。  心から後悔して園は詩集を伏せてしまった。この学校に学ぶようになってからも、園には別れがたい文学への憧憬があった。捨てよう捨てようと思いながら、今までずるずるとそれに引きずられていた。一事に没頭しきらなければすまない。一人の科学者に詩の要はない。科学を詩としよう。歌としよう。園は読みなれた詩集を燔牲のごとくに機械室の梁の上に残したまま、足場の悪い階子段を静かに下りた。  “Magna est veritas,et praevalebit.”  その夜彼はこの鐘銘の意味をはっきり知った。いい言葉だと思った。「真理は大能なり、真理は支配せん」と訳してみた。一人の科学者にとってはこれ以上に尊い箴言はない。そして科学者として立とうとしている以上、今後は文学などに未練を繋ぐ姑息を自分に許すまいと決心したのだった。      *    *    *  札幌に来る時、母が餞別にくれた小形の銀時計を出してみると四時半近くになっていた。その時計はよく狂うので、あまりあてにはならなかったけれど、反射鏡をいかに調節してみても、クロモゾームの配列の具合がしっかりとは見極められないので、およその時間はわかった。園は未練を残しながら顕微鏡の上にベル・グラスを被せた。いつの間にか助手も学生も研究室にはいなかった。夕闇が処まだらに部屋の中には漂っていた。  三年近く被り慣れた大黒帽を被り、少しだぶだぶな焦茶色の出来合い外套を着こむともうすることはなかった。廊下に出ると動物学の方の野村教授が、外套の衣嚢の辺で癖のように両手を拭きながら自分の研究室から出てくるのに遇った。教授は不似合な山高帽子を丁寧に取って、煤けきったような鈍重な眼を強度の近眼鏡の後ろから覗かせながら、含羞むように、 「ライプチッヒから本が少しとどきましたから何んなら見にいらっしゃい」  と挨拶して、指の股を思い存分はだけた両手で外套をこすり続けながら忙しそうに行ってしまった。何んのこだわりもなく研究に没頭しきっているような後姿を見送りながら、園は何んとなく恥を覚えた。それは教授に向けられたのか、自分に向けられたのか、はっきりしないような曖昧なものであったが。  時計台のちょうど下にあたる処にしつらえられた玄関を出た。そこの石畳は一つ一つが踏みへらされて古い砥石のように彎曲していた。時計のすぐ下には東北御巡遊の節、岩倉具視が書いたという木の額が古ぼけたままかかっているのだ。「演武場」と書いてある。  芝生代りに校庭に植えられた牧草は、三番刈りの前でかなりの丈けにはなっているが、一番刈りのとはちがって、茎が細々と痩せて、おりからのささやかな風にも揉まれるように靡いていた。そして空はまた雨にならんばかりに曇っていた。何んとなく荒涼とした感じが、もう北国の自然には逼ってきていた。  園の手は自分でも気づかないうちに、外套と制服の釦をはずして、内衣嚢の中の星野から託された手紙に触れていた。表に「三隅ぬい様」、裏に「星野」とばかり書いてあるその封筒は、滑らかな西洋紙の触覚を手に伝えて、膚ぬくみになっていた。園は淋しく思った。そして気がついてゆるみかかった歩度を早めた。  碁盤のように規則正しい広やかな札幌の往来を南に向いて歩いていった。ひとしきり明るかった夕方の光は、早くも藻巌山の黒い姿に吸いこまれて、少し靄がかった空気は夕べを催すと吹いてくる微風に心持ち動くだけだった。店々にはすでに黄色く灯がともっていた。灯がともったその低い家並で挾まれた町筋を、仕事をなし終えたと思しい人々がかなり繁く往来していた。道庁から退けてきた人、郵便局、裁判所を出た人、そう思わしい人人が弁当の包みを小脇に抱えて、園とすれちがったり、園に追いこされたりした。製麻会社、麦酒会社からの帰りらしい職工の群れもいた。園はそれらの人の間を肩を張って歩くことができなかった。だから伏眼がちにますます急いだ。  大通りまで出ると、園は始めて研究室の空気から解放されたような気持ちになった。そして自分が憚らねばならぬような人たちから遠ざかったような心安さで、一町にあまる広々とした防火道路を見渡した。いつでも見落すことのできないのは、北二条と大通りとの交叉点にただ一本立つエルムの大樹だった。その夕方も園は大通りに出るとすぐ東の方に眼を転じた。エルムは立っていた。独り、静かに、大きく、寂しく……大密林だった札幌原野の昔を語り伝えようとするもののごとく、黄ばんだ葉に鬱蒼と飾られて……園はこの樹を望みみると、それが経てきた年月の長さを思った。その年月の長さがひとりでにその樹に与えた威厳を思った。人間の歴史などからは受けることのできない底深い悲壮な感じに打たれた。感激した時の癖として、園はその樹を見るごとに、右手を鍵形に折り曲げて頭の上にさしかざし、二度三度物を打つように烈しく振り卸ろすのだった。  その夕方も園は右手を振ろうとする衝動をどこかに感じたけれども、何かまたはばむものがあってそれをさせなかった。衝動はいたずらに内訌するばかりだった、彼は急いだ、大通りを南へと。  三隅の家の軒先で、園はもう一度衣嚢の手紙に手をやった。釦をきちんとかけた。そして拭掃除の行き届いた硝子張りの格子戸を開けて、黙ったまま三和土の上に立った。  待ち設けたよりももっと早く――園は少し恥らいながら三和土の片隅に脱ぎ捨ててある紅緒の草履から素早く眼を転ぜねばならなかった――しめやかながらいそいそ近づく足どりが入口の障子を隔てた畳の上に聞こえて、やがて障子が開いた。おぬいさんがつき膝をして、少し上眼をつかって、にこやかに客を見上げた。つつましく左手を畳についた。その手の指先がしなやかに反って珊瑚色に充血していた。  意外なというごくごくささやかな眼だけの表情、かならずそうであるべきはずのその人ではなかったという表情、それが現われたと思うとすぐ消えた。園はとにもかくにもおぬいさんに微かながらも失望を感じさせたなと思った。それはまた当然なことでなければならない。園を星野以上に喜んで迎えるわけがおぬいさんにはあるはずがない。おまけにその日は星野が英語を教えに来べき日なのだ。 「まあ……どうぞ」  といっておぬいさんは障子の後に身を開いた。園に対しても十分の親しみを持っているのを、その言葉や動作は少しの誇張も飾りもなく示していた。……園は上り框に腰をかけて、形の崩れた編上靴を脱ぎはじめた。  いつ来てみても園はこの家に女というものばかりを感じた。園の訪れる家庭という家庭にはもちろん女がいた。しかしそこには同時に男もいるのだ。けれどもおぬいさんは産婆を職業としているその母と二人だけで暮しているのだから。  客間をも居間をも兼ねた八畳は楕円形の感じを見る人に与えた。女の用心深さをもってもうストーヴが据えつけてあった。そしてそれが鉛墨でみごとに光っていた。柱のめくり暦は十月五日を示して、余白には、その日の用事が赤心の鉛筆で細かに記してあった。大きな字がお母さんで、小さな字がおぬいさんだということさえきちんと判っていた。部屋の中央にあるたものちゃぶ台には読みさしの英語の本が開いたまま伏せてあったが、その表紙には反物のたとう紙で綿密に上表紙がかけてあった。男である園は、その部屋の中では異邦人であることをいつでも感じないではいられなかった。  けれどもその感じは彼を不愉快にしないばかりでなく、反対に彼を慰めた。ただ若いおぬいさんが普通の処女であったなら、その処女と二人でさし向いに永く坐っているということは、園には自分の性癖から堪えがたいことだったろう。彼はどんなに無害なことでも心にもない口をきくことができなかったから。また処女に特有な嬌羞というものをあたりさわりなく軟らげ崩して、安気な心持で彼と向い合うようにさせる術をまったく知らなかったから。そして一般に日本の処女が持ち合わしている話題は一つとして園の生活の圏内にはいってくるような性質のものではなかったから。童貞でありながら園は女性に対してむだなはにかみはしなかった。しかし相手がはにかむ場合には園は黙って引きさがるほかはなかった。  けれどもおぬいさんの処ではそんな心配は無用だったから園はなぐさめられたのだ。彼は持ちだされた座蒲団の処にいって坐った。おぬいさんは机の上の読みさしの本を慌てて押し隠すようなこともせずに、静かにそれを取り上げて部屋の隅に片づけた。 「学校の方で星野さんにお遇いになりまして」  簡単な挨拶が終るとおぬいさんの尋ねた言葉はこれだった。園はまず星野のことが尋ねられるのがことのほか快かった。その理由は自分にも解らなかったけれども。 「星野君は今日も学校を休みました。この二三日また身体の具合がよくないそうで」 「まあ……」  おぬいさんの顔には痛ましいという表情が眼と眉との間にあからさまに現われて、染まりやすい頬がかすかに紅く染まった。園はそれをも快く思った。 「だから今日の英語は休みたいからといって、今朝白官舎を出る時この手紙を頼まれてきたんですが……」  そういいながら園は内衣嚢から星野の手紙を取りだした。取りだしてみると自分の膚の温みがそれに沁みついていたのに気がついた。園はそのまま手紙をおぬいさんに渡すのを躊躇した。そしてそれを手渡しする代りに、そっとちゃぶ台の冷たい板の上においた。  何んの気なしに少しいそがしく手をさしだしたおぬいさんは、園の軽い心変りにちょっと度を失ってみえたが、さしだした手の向きをかえて机の上からすぐ手紙を拾い上げた。すぐ拾い上げはしたが、自分の膚の温みはあの手紙からは消えているなと園は思った。園はそう思った。園は右手の食指に染みついているアニリン染色素をじっと見やった。  おぬいさんは園のいる前で何んの躊躇もなく手紙の封を切った。封筒の片隅を指先で小さくむしっておいて、結いたての日本髪(ごくありきたりの髷だったが、何という名だか園は知らなかった)の根にさした銀の平打の簪を抜いて、その脚でするすると一方を切り開いた。その物慣れた仕草から、星野からの手紙が何通もああして開かれたのだと園に思わせた。それもしかし彼にとってゆめゆめ不快なことではなかった。  おぬいさんは立ってラムプに灯をともした。おぬいさんは生まれ代ったようになった……すべての点において。部屋の中も著しく変った。おそらく夜の灯の下で変らないのはその場合園一人であったに違いない。  藍がかってさえ見える黒い瞳は素ばしこく上下に動いて行から行へ移ってゆく。そしてその瞳の働きに応ずるように、「まあ」というかすかな驚きの声が唇の後ろで時々破裂した。半分ほど読み進んだころおぬいさんはしっかりと顔を持ち上げてその代りに胸を落した。 「星野さんは明日お家にお帰りなさるそうですのね」 「そういっていました」  園もまともにおぬいさんを見やりながら。 「だいじょうぶでしょうか」 「僕も心配に思っています」  この時園とおぬいさんとは生れて始めてのように深々と顔を見合わせた。二人は明かに一人の不幸な友の身の上を案じ合っているのを同情し合った。園はおぬいさんの顔に、そのほかのものを読むことができなかったが、おぬいさんには園がどう映ったろうか。と不埒にも園の心があらぬ方に動きかけた時は、おぬいさんの眼はふたたび手紙の方へ向けられていた。園はまた自分の指先についている赤い薬料に眼を落した。  おぬいさんがだんだん興奮してゆく。きわめて薄手な色白の皮膚が斑らに紅くなった。斑らに紅くなるのはある女性においては、きわめて醜くそして淫らだ。しかしある女性においては、赤子のほかに見出されないような初々しさを染めだす。おぬいさんのそれはもとより後者だった。高低のある積雪の面に照り映えた夕照のように。  読み終ると、おぬいさんは折れていたところで手紙を前どおりに二つに折って、それを掌の間に挾んでしばらくの間膝の上に乗せて伏眼になっていたが、やがて封筒に添えてそれを机の上に戻した。そして両手で火照った顔をしっかりと押えた。互に寄せ合った肘がその人の肩をこの上なく優しい向い合せの曲線にした。  園はおぬいさんのいうままに星野の手紙を読まねばならなかった。 「前略この手紙を園君に託してお届けいたし候連日の乾燥のあまりにや健康思わしからず一昨日は続けて喀血いたし候ようの始末につき今日は英語の稽古休みにいたしたくあしからず御容赦くださるべく候なお明日は健康のいかんを問わず発足して帰省いたすべき用事これあり滞在日数のほども不定に候えば今後の稽古もいつにあいなるべきやこれまた不定と思召さるべく候ついては後々の事園君に依頼しおき候えば同君につきせいぜい御勉強しかるべくと存じ候同君は御承知のとおり小生会心の一友年来起居をともにしその性格学殖は貴女においても御知悉のはず小生ごときひねくれ者の企図して及びえざるいくたの長所あれば貴女にとりても好箇の畏友たるべく候(この辺まで進んだ時、おぬいさんが眼を挙げて自分を見たのだと思いながらなお読みつづけた)とかくは時勢転換の時節到来と存じ候男女を問わず青年輩の惰眠を貪り雌伏しおるべき時には候わず明治維新の気魄は元老とともに老い候えば新進気鋭の徒を待って今後のことは甫めてなすべきものと信じ候小生ごときはすでに起たざるべからざるの齢に達しながら碌々として何事をもなしえざること痛悔の至りに候ことに生来病弱事志と違い候は天の無為を罰してしかるものとみずから憫むのほかこれなく候貴女はなお弱年ことに我国女子の境遇不幸を極めおり候えば因習上小生の所存御理解なりがたき節もやと存じむしろ御同情を禁じがたく候えどもけっして女子の現状に屏息せず艱難して一路の光明を求め出でられ候よう祈りあげ候時下晩秋黄落しきりに候御自護あいなるべく御母堂にもくれぐれもよろしく御伝えくださるべく候  一八九九年十月四日夜 星野生 三隅ぬい様  どんな境遇をも凌ぎ凌いで進んでいこうとするような気禀、いくらか東洋風な志士らしい面影、おぬいさんをはるかの下に見おろして、しかも偽らない親切心で物をいう先生らしい態度が、蒼古とでも評したいほど枯れた文字の背ろに燃えていると園は思った。  同時に園の心はまた思いも寄らぬ方に動いていた。それはある発見らしくみえた。星野とおぬいさんとの間柄は園が考えていたようではないらしい。おぬいさんは平気で園の前でこの手紙を開封した。そしてその内容は今彼がみずから読んだとおりだ。もし以前におぬいさんに送った星野の手紙がもっと違った内容を持っていたとすれば、おぬいさんがこの手紙を開封する時、ああまで園の存在に無頓着でいられるだろうか。  園はまたくだらぬことにこだわっていると思ったが、心の奥で、自分すら気づかぬような心の奥で、ある喜びがかすかに動くのをどうすることもできなかった。それは何んという暖かい喜びだったろう。その喜びに対する微笑ましい気持が顔へまで波及するかと思われた。園は愚かなはにかみを覚えた。  園は自分の前にしとやかに坐っているおぬいさんに視線を移すのにまごついた。彼は自分がかつて持たなかった不思議な経験のために、今まで女性に対して示していた態度の劇変しようとしているのを感ぜずにはいられなかった。少なくともおぬいさんという女性に対しては。  星野のおぬいさんに対する態度はお前が考えたようであるかもしれない。しかしながらおぬいさんの心が星野の方にどう動いているかをたしかに見窮めて知っているか……  園ははっと思った。そしてふと動きかけた心の奥の喜びを心の奥に葬ってしまった。それはもとより淋しいことだった。しかしむずかしいことではないように園には思えた。それらのことは瞬きするほどの短かい間に、園の心の奥底に俄然として起り俄然として消えた電光のようなものだったから。そしておぬいさんがそれを気取ろうはずはもとよりなかった。  けれどもそれまで何んのこだわりもなく続いてきた二人の会話は、妙にぽつんと切れてしまった。園は部屋の中がきゅうに明るくなったように思った、おぬいさんが遠い所に坐っているように思った。  その時農学校の時計台から五時をうつ鐘の声が小さくではあるが冴え冴えと聞こえてきた。  おぬいさんの家の界隈は貧民区といわれる所だった。それゆえ夕方は昼間にひきかえて騒々しいまでに賑やかだった。音と声とが鋭角をなしてとげとげしく空気を劈いて響き交わした。その騒音をくぐりぬけて鐘の音が五つ冴え冴えと園の耳もとに伝わってきた。  それは胸の底に沁み透るような響きを持っていた。鐘の音を聞くと、その時まで考えていたことが、その時までしていたことが、捨ておけない必要から生まれたものだとは園には思われなくなってきた。来なければならぬところに来ているのではない。会わなければならぬ人に会っているのではない。言わなければならぬことを言っているのではない。上ついた調子になっていたのだ。それはやがて後悔をもって報いられねばならぬ態度だったのではないか。園は一人の勤勉な科学者であればそれで足りるのに、兄のように畏敬する星野からの依頼だとはいえ、格別の因縁もない一人の少女に英語を教えるということ。ある勇みをもって……ある喜びをすらもって……柄にもない啓蒙的な仕事に時間を潰そうとしていること。それらは呪うべき心のゆるみの仕事ではなかったか。……園は自分自身が苦々しく省みられた。  やがて園は懺悔するような心持で、努めて心を押し鎮めて、いつもどおりの静かな言葉に還りながら言いだした。 「話が途切れましたが、……僕は今学校の鐘の音に聞きとれていたもんですから……あれを聞くと僕は自分の家のことを思いだします。僕の家は浄土宗の寺です。だから小さい時から釣鐘の音やあの宗旨で使う念仏の鉦の音は聞き慣れていたんです。それは今でも耳についていて忘れません。そのためか鐘の音を聞くと僕は妙に考えさせられます。特別、学校のあの鐘には僕はある忘れられない経験を持っています。……そうですね、その話はやめておきましょう……とにかく僕はあの鐘を聞くと、父と兄とにむりに頼んで、こんな所に修業に出てきたのを思いだすんです。……」  ここまで重いながら言葉を運んでくると、園はまた言わないでもいいことを言い続けているような気尤めがした。園は今日は自分ながらどうかしていると思った。それでこれまでの無駄事の取りかえしをするようにと、 「そんなわけで僕は研究室にさえいればいい人間ですし、そうしていなければいけない人間です。ですから星野君はこの手紙のようなことを言っていますが、僕は辞退したいと思います。どうか悪しからず」  とできるだけ言葉少なに思いきっていってしまった。  伏目になったおぬいさんの前髪のあたりが小刻みに震えるのを見たけれども、そして気の毒さのあまり何か言い足そうとも思ってみたけれども、園の心の中にはある力が働いていてどうしてもそうさせなかった。  園は静かに茶を啜り終った。星野の手紙をおぬいさんの方に押しやった。古ぼけた黒い毛繻子の風呂敷に包んだ書物を取り上げた。もう何んにもすることはなかった。座を立った。  暗い夜道を急ぎ足で歩きながら園は地面を見つめてしきりに右手を力強く振りおろした。  きゅうに遠くの方で急雨のような音がした。それがみるみる高い音をたてて近づいてきた。と思う間もなく園の周囲には霰が篠つくように降りそそいだ。それがまた見る間に遠ざかっていって、かすかな音ばかりになった。  第二陣、第三陣が間をおいて襲ってきた。  大通りまで来て園は突然足をとどめた。おぬいさんの家から遠ざかるにしたがって、小刻みに震う前髪がだんだんはっきりと眼につきだして、とうとうそのまま歩きつづけてはいられなくなったからだ。星野の行ってしまうということだけであの感じやすい心は十分に痛んでいるのだった。それは十分に察していた。察していながら、自分は断りをいうにしても断りのいいようもあろうに、あんな最後の言葉を吐いてしまったのだ。けれどもあんな最後の言葉を吐かせたのは誰の罪だろう。たんに英語を園に教えろといった星野にその罪はない。もとよりおぬいさんでもない。あの座敷にいた間じゅう、始終あらぬ方にのみ動揺していた自分の心がさせた仕業ではなかったか。自分自身を鞭たなければならないはずであったのに、その笞を言葉に含めて、それをおぬいさんの方に投げだしたのではなかったか。そういえば園は千歳の星野の番地をおぬいさんに教えることをせずにあの家を出た。おぬいさんはそれを尋ねはしなかった。尋ねなければ教えるには及ばないと星野はいっていた。だから園は平気でいてもいいようにも思われる。しかし園にあの最後の言葉を投げつけられたおぬいさんがそれを尋ねる余裕を持ちえられるかどうか。……それよりも園はおぬいさんがそれを尋ねるだろうと最後の瞬間まで待ち設けていたのだ。そのことは始めからしまいまで気にかけていたのだ……ある好奇心なしにではなく……しかもとうとう教えずにしまった。そうした仕打ちの後ろには何んにもないといいきることができるか。……園はぐっと胸に手を重くあてがわれたように思った。  またのついでの時に知らせようか。……それではいけない。気がすまない。園は大通りの暗闇の中に立って真黒な地面を見つめながら、右の腕をはげしく三度振り卸ろした。  園はそのままもと来た道に取って返した。      *    *    *  坂というものの一つもない市街、それが札幌だ。手稲藻巌の山波を西に負って、豊平川を東にめぐらして、大きな原野の片隅に、その市街は植民地の首府というよりも、むしろ気づかれのした若い寡婦のようにしだらなく丸寝している。  白官舎はその市街の中央近いとある街路の曲り角にあった。開拓使時分に下級官吏の住居として建てられた四戸の棟割長屋ではあるが、亜米利加風の規模と豊富だった木材とがその長屋を巌丈な丈け高い南京下見の二階家に仕立てあげた。そしてそれが舶来の白ペンキで塗り上げられた。その後にできた掘立小屋のような柾葦き家根の上にその建物は高々と聳えている。  けれども長い時間となげやりな家主の注意とが残りなくそれを蝕んだ。ずり落ちた瓦は軒に這い下り、そり返った下見板の木目と木節は鮫膚の皺や吹出物の跡のように、油気の抜けきった白ペンキの安白粉に汚なくまみれている。けれども夜になると、どんな闇の夜でもその建物は燐に漬けてあったようにほの青白く光る。それはまったく風化作用から来たある化学的の現象かもしれない。「白く塗られたる墓」という言葉が聖書にある……あれだ。  深い綿雲に閉ざされた闇の中を、霰の群れが途切れては押し寄せ、途切れては押し寄せて、手稲山から白石の方へと秋さびた大原野を駈け通った。小躍りするような音を夜更けた札幌の板屋根は反響したが、その音のけたたましさにも似ず、寂寞は深まった。霰……北国に住み慣れた人は誰でも、この小賢かしい冬の先駆の蹄の音の淋しさを知っていよう。  白官舎の窓――西洋窓を格子のついた腰高窓に改造した――の多くは死人の眼のように暗かったが、東の端れの三つだけは光っていた。十二時少し前に、星野の部屋の戸がたてられて灯が消えた。間もなく西山と柿江とのいる部屋の破れ障子が開いて、西山がそこから頭を突きだして空を見上げながら、大きな声で柿江に何か物を言った。柿江が出てきて、西山と頭をならべた。二人は大きな声をたてて笑った。そして戸をたてた。灯が消えた。  二階の園の部屋は前から戸をたててあったが、その隙間から光が漏れていた。針のように縦に細長い光が。  霰はいつか降りやんでいた。地の底に滅入りこむような寒い寂寞がじっと立ちすくんでいた。  農学校の大時計が一時をうち、二時をうち、三時をうった。遠い遠い所で遠吠えをする犬があった。そのころになって園の部屋の灯は消えた。  気づかれのした若い寡婦ははじめて深い眠りに落ちた。      *    *    * 「おたけさんのクレオパトラの眼がトロンコになったよ。もう帰りたまえ。星野のいない留守に伴れてきたりすると、帰ってから妬かれるから」 「柿江、貴様はローランの首をちょん切った死刑執行人が何んという名前の男だったか知っているか」  前のは人見が座を立ちそうにしながら、抱きよせたクレオパトラの小さな頭を撫でつつ、にやりと愛嬌笑いをしているおたけにいった言葉だが、それをおっ被せるように次の言葉は西山が放った。めちゃくちゃだった。けれども西山は愉快だった。隅の方で、西山が図書館から借りてきたカアライルの仏蘭西革命史をめくっていた園が、ふと顔を上げて、まじまじと西山の方を見続けていた。濛々と立ち罩めた煙草の烟と、食い荒した林檎と駄菓子。  柿江は腹をぺったんこに二つに折って、胡坐の膝で貧乏ゆすりをしながら、上眼使いに指の爪を噛んでいた。  ほど遠い所から聞こえてくる鈍い砲声、その間に時々竹を破るように響く小銃、早拍子な流行歌を唄いつれて、往来をあてもなく騒ぎ廻る女房連や町の子の群れ、志士やごろつきで賑いかえる珈琲店、大道演説、三色旗、自由帽、サン・キュロット、ギヨティン、そのギヨティンの形になぞらえて造った玩具や菓子、囚人馬車、護民兵の行進……それが興奮した西山の頭の中で跳ね躍っていた。いっしょに演説した奴らの顔、声、西山自身の手振り、声……それも。 「おい、何とか言いな、柿江」 「貴様の演説が一番よかったよ」  柿江は爪を噛みつづけたまま、上眼と横眼とをいっしょにつかって、ちらっと西山を見上げながら、途轍もなくこんなことをいった。  猿みたいだった。少しそねんでいることが知れる。西山は無頓着であろうとした。 「そんなことを聞いているんじゃない。知らずば教えてつかわそう。サムソンというんだ」  綺麗な疳高い、少し野趣を帯びた笑声が弾けるように響いた。皆んながおたけの方を見た。人見がこごみ加減に何か話しかけていた。異名ガンベ(ガンベッタの略称)の渡瀬がすぐその側にいて、声を出さずに、醜い顔じゅうを笑いにしていた。 「皆んなちょっと聴けちょっと聴け、人見が今西山の真似をしているから……うまいもんだ」  ガンベが両手を高くさし上げて、手の先だけを「お出でお出で」のように振り動かした。部屋じゅうが一時静になった。  声の色はまるで違っていた。人見はしかし西山の癖だけは腹立たしいほどよく呑みこんでいた。 「けれどもです、仏国革命の血はむだに流されはしなかった。人間全体の解放ではなかったかしれない。商工業者のために一般の人民は利用されたのだったかしれない。けれどもです、貴族と富豪と僧侶とは確実にこの地面の上から、この……地面の上から一掃され……」 「ばか! 幇間じみた真似をするない」  西山は呶鳴らないではいられなかった。今日の演説を座興も座興、一人の女を意識に上せて座興にしようとしている人見の軽薄さにはまったく腹が立った。第一似すぎるほど似ているのが癪に障った。 「けれどもだ、まったくうまいもんだな」  ガンベがそういった。そうして一同が高く笑い崩れるにしたがって、片方の牡蠣のように盲いた眼までを輝かして顔だけでめちゃめちゃに笑った。  西山はせきこんでうっかり「けれどもだ」と言おうとしたが、危くそれを呑みこんだ。そしていった。 「俺は不愉快だよこの場合。俺は今日は練習のために演説をやったんじゃないからな。冗談と冗談でない時とはちっと区別して考えるがいいんだ」  園が西山のいきまくのを少し恥じるように書物の方に眼を移した。おたけはぎごちなさそうに人見から少し座をしざった。たった今までの愉快さは西山から逃げていった。西山自身があまりな心のはずみ方に少し不安を抱きはじめた時ではあったが…… 「それはそうだ。ひとつ西山のいったことを話題にして話し合ってみよう」  いつも部屋の中でも帽子を取ることをしない小さな森村が、眉と眉との間をびくびく動かしながら、乾ききった唇を大事そうに開け閉てした。 「私もう帰りますわ」  おたけはきゅうにつつましくなった。肉感的に帯の上にもれ上った乳房をせめるようにして手をついていた。西山のけんまくに少し怖れを催したらしい。クレオパトラは七歳になったばかりの大きな水晶のような眼を眠そうにしばたたいて、座中の顔を一つ一つ見廻わしていた。 「誰か送ってやれ」  人見が送りたがっているのを知っているから西山はこういった。人見には送らせたくなかったのだ。西山にそういわれると人見はたった今の失敗で懲りたらしく自分を薦めようとはしなかった。  送り手の資格について六人の青年の間にしばらく冗談口が交わされた。六人といっても園だけは何んにもいわなかった。ガンベがいった。 「一番資格のない俺の発言を尊重しろ。人見の奴は口を拭っていやがるが貴様は偽善者だからなあ。柿江は途中で道を間違えるに違いないしと。西山、貴様はまた天からだめだ。気まぐれだから送り狼に化けぬとも限らんよ。おたけさん、まあ一番安全なのは小人森村で、一番思いやりの深いものは聖人園だが、どっちにするかい」  おたけは送ってもらわないでもいいといって、森村と園とを等分に流し眄で見やった。西山はもう万事そんなことに興味を失ってしまった。園が送ることになっておたけといっしょに座を立っていった。その時星野からの葉書を自分の側に坐っていた柿江に何かいいながら手渡した。  とにかく一人の娘の見送手などに選ばれるというのはブルジョア風の名誉にすぎない。 「園にはいやにブルジョア臭いところがあるね」  自分の言葉が侮蔑的に発せられたのを西山は感じた。 「そりゃ貴様、氏と生れださ。貴様のような信州の山猿、俺のようなたたき大工の倅には考えられないこった。ブルジョアといえば森村も生れは土百姓のくせにいやに臭いな」  ガンベはつけつけこういった。  けれどもおたけがいなくなると部屋の調子がいわば一オクターヴ低くなった。その代り誰も彼もが、より誰も彼もらしくなった。会話は自然に纏まって本筋に流れこんだ。人見は軽い機智の使いどころがなくなって蔭に廻った。西山の気分はまた前どおりの黙って坐ってはいられないような興奮に帰っていった。 「そうかなあ」  三時下ってから独語のような返事をして、森村は眠そうな薄眼をしながらすましていた。  マラーは彼が宮殿と呼ぶ襤褸籠のような借家の浴室で、湯にひたりながら書きものをしている。その眼の前の壁には、学校で使い古したらしい仏蘭西の大掛図が、皺くちゃのまま貼りつけてある。突然玄関の方で、彼の情婦が、聞き慣れない美しい声を持った婦人と烈しくいい争っているけはいがする。マラーはしばらくの間眉をひそめて聞耳を立てていたが、仰向に浴漕に浸っているままで大声に情婦を呼びたてる。そして聞き慣れない美しい声の持主というのはジロンド党員の陰謀を密告するために、わざわざカンヌから彼を訪れたのだといって、昨日以来面会を求めている年の若い婦人だと知れる。その婦人に対してある好奇心が動く。破格の面会を許す。  もうそこにはマラーはいない。醜い死骸になって、浴槽から半身を乗りだしたまま、その胸は短剣に貫かれて横わっている。カンヌから来たという美しい処女シャーロット・コルデーは血の気の失せた唇から「私は自分の仕事を仕遂げてしまった。今度はあなた方の仕事をする番が来た」と言いながら、悪魔のように殺気立った群衆に取り囲まれて保安裁判所に引かれていく……  仏国革命に現われでる代表的人物の中でことに気に入ったマラーの最後のありさまは、これだけ込み入った光景をただ一瞬間に集めて、ともすれば西山の頭にまざまざと浮びでた。それは西山にとってはどっちから見てもこの上なく厳粛な壮美な印象だった。西山はしばしばそれに駆りたてられた。 「そうかなあ」と森村が言ったあとに、言い合わしたような沈黙が来た。その時西山の頭をこの印象が強く占領した。 「西山は本当に東京に行くつもりなのか」  睫の明かなくなったような眼の上に皺を寄せながら森村は西山の方に向いた。それが部屋の沈黙をわずかに破った。西山は声よりも首でよけいうなずいた。今までのばか騒ぎに似ず、すべての顔には今までのばか騒ぎに似ぬまじめさと緊張さとが描かれた。 「学資はどうする」  渡瀬が泣きだすとも笑いだすともしれないような顔をした。稀にではあるが彼もその奇怪な性格の中からみごとなものを顔まで浮きださせることがある。その時の顔だ。  西山はそれを感ずると妙に感傷的にさせられていた。 「労働者になるつもりでいればどうにかなるだろう」  もう一度長い沈黙が来た。 「貴様は夢を見ているんじゃあるまいな」  と渡瀬がついに本気になって口を開き始めた。 「今日の演説を聞きながらもそう思ったんだが、社会運動なんてことは実際をいうと、余裕のある人間がすることじゃないかな。ブルジョア気分のものじゃないかな。俺なんかはそんなことは考えもしないがなあ。学問だって俺ゃ勘定ずくでしているんだ。むりでも何んでも大学程度の学問だけはしておかないと、これからはうそだと思うもんだから俺はこうやっているんで、学問の尊厳なんて、そんなものがあるもんかい。それは余裕のある手合いがいうことだ。照り降りなしに一生涯家族まで養おうというにはこれが一番元資のかからない近道なんだ。俺にはそれ以上を考える余裕はないよ。俺と同じ境遇の人間を救ってやるの、来るべき時代をどうするのというような余裕は俺には正直なところ出てこないよ。……貴様このカアライルにでもかぶれているととんだ間違いになるぜ。貴様の考えはばかに平民的だが、考え方……考えじゃない、考え方だ……その考え方にどこかブルジョア臭いところがあるんじゃないかなあ」  人見はおかしな男だった。西山には何んとなく気を兼ねていたが、西山がどうかすると受身になりたがるガンベの渡瀬に対してつけつけと無遠慮をいった。つまり三人は三すくみのような関係にあったのだ。 「新井田の細君の所に行って酒ばかり飲んでうだっているくせに余裕がないはすさまじいぜ」 「貴様はそれだからいけねえ。あれも勘定ずくでやっている仕事なんだ。いまに御利益が顕われるから見てろ」 「じゃここに来て油を売るのも勘定ずくなのか」 「ばかあいえ。俺だって貴様、俺だって貴様……とにかく貴様みたいな偽善者は千篇一律だからだめだよ……なあ西山」  牡蠣のような片目が特別に光って西山の方に飛んできた。不思議だった。西山は涙を感じた。  森村が眠そうな顔をしながら会心の笑みのようなものを漏らした。そしてしびれでも切らしたようにゆっくり立ち上って、ろくろく挨拶もせずに帰っていった。十時近いことが知れた。森村はどんなことがあっても十時にはきっと寝る男だったから。西山の演説を主題にして論じようといっておきながら、知らん顔をして帰っていった。 「ガンベのいうことはそりゃあんまり偽悪的じゃないか。そうだろう。俺が今日いったような考えはすべての階級の人間が多少ずつは持ってるんだ。そう俺は思うな――というより断言できる。俺は何しろ星野に今日の演説を聞いてもらいたかった。とにかく俺はやってみる。こんな処で神妙に我慢していることはもう俺には、どうしてもできんよ。ちっとやそっとの横文字の読める百姓になったところで貴様、それが何んの足しになるかさ。東京に行ってひとつ俺は暴れ放題に暴れるだ。何をやったっても人間一生だ。手ごたえのある処にいって暴れてみないじゃ腹の虫が承知しないからな。けれどもだ。ペンタゴンなんか相手にしていたんじゃなあ……柿江なんぞも、田舎新聞にひとりよがりな投書ぐらい載せてもらって得意になっていないで、ちっと眼を高所大所に向けてみろ。……何んといってもそこに行くと星野は話せるよ」  ガンベは実際どこかに堅実なところがあって、それが言葉になるとうっかり矢面には立てなかった。今の言葉にも西山はちょっとたじろいたので、いっそう心の奥のありさまそのままを誰を相手ともなくいい放った。それはかえって彼の心をすがすがしくした。そして演壇に立って以来鎮まらずにいる熱い血液が、またもや音を立てて皮膚の下を力強く流れるのを感じた。  西山は奇行の多い一人の暴れ者として教師からも同窓からも取り扱われ、勉強はするが、さして独創的なところのない青年として見られているのを知っていた。彼は何んとなくその中に軽侮を投げられているような気がして、その裏書を否定するような言動をことさらに試みていたのだが、今日の演説と今の言葉とで、それをはっきり言い現わしたのを感じた時、心臓へのある力の注入を自覚せずにはいられなかった。生涯の進路の出発点が始めて定まったと思えた。彼の周囲が彼を見なおしたのは、彼が彼の周囲を見なおす結果になっていた。たとえばおたけだ。おたけが星野に対して特別な好意を示すのを見極めたある夜に、彼は一晩じゅう寝なかったことがあった。愚かな屈辱……ところが今日は人見がおたけを意識しながら彼の演説の真似をしたりするのを見ると、ある忌わしい羨望の代りに唾棄すべき奴だと思わずにはいられなくなっていた。女性――彼を待っている女性は一人よりいない。そしてその一人はおたけなどとどの点においても比較になるような人ではなかった。それがゆえに彼の未来を切り開いて、自分の立場に一日でも早く立ち上がろうとする焦躁は激しくなった。万事につけて彼の気持はそんな風に動いていった。  突然柿江が能弁になった。彼が能弁になるのは一種の発作で、無害な犬が突然恐水病にかかるようなものだ。じくじくと考えている彼の眼がきゅうに輝きだして、湯気を立てんばかりな平べったい脂手が、空を切って眼もとまらぬ手真似の早業を演ずる。そういう時仲間のものは黙ってそれが自然に収まるのを待っているよりほかはない。彼は貧乏ゆすりをしながら園から受取った星野の葉書を手脂だらけにして丸めたり延ばしたりしていた。それを棒のように振り廻わし始めた。  高所大所とはいったい何を意味するつもりだというところから柿江は始めた。高所は札幌の片隅にもある、大所は女郎屋の廻し部屋にもあると叫んだ。よく聞けよく聞けといって彼はだんだん西山の方に乗りだしていった。西山は自分の机に腰をかけたまま受太刀になってあっけに取られてそれを眺めていなければならなかった。 「教授の手にある講義のノートに手垢が溜まるというのは名誉なことじゃない。クラーク、クラークとこの学校の創立者の名を咒文のように称えるのが名誉なことじゃない。当世の学問なるものが畢竟何に役立つかを考えてみないのは名誉なことじゃない。現代の社会生活の中心問題が那辺にあるかを知らないのは名誉なことじゃない。それを知って他を語るのはさらに名誉なことじゃない。日清戦争以来日本は世界の檜舞台に乗りだした。この機運に際して老人が我々青年を指導することができなければ、青年が老人を指導しなければならない。これでありえねばあれだ。停滞していることは断じてできない。……言葉は俺の方が上手だが、貴様もそんなことを言ったな。けれども貴様、それは漫罵だ。貴様はいったい何を提唱した。つまりくだらないから俺はこんな沈滞した小っぽけな田舎にはいないと言うただけじゃないか。なるほど貴様は社会主義労働運動の急を大声疾呼したさ。けれども、貴様の大声疾呼の後ろはからっぽだったじゃないか。そうだとも。よく聞け。ガンベの眼玉みたいなもんだ。神経の連絡が……大脳と眼球との神経の連絡が(ガンベが『貴様は』といって力自慢の拳を振り上げた。柿江は本当に恐ろしがって招き猫のような恰好をした)乱暴はよせよ。……貴様の議論には、その議論を統一する哲学的背景がまったく欠けてるんだ。軽薄な……」 「何が軽薄だ。軽薄とは貴様のように自分にも訳の判らない高尚ぶったことをいいながら実行力の伴わないのを軽薄というんだ。けれどもだ、俺はとにかく実行はしているぞ。哲学はその後に生れてくるものなんだ」  西山は軽薄という言葉を聞くと癪にさわったが、柿江の長談義を打ち切るつもりで威かし気味にこういった。  けれども柿江はほとんど泥酔者のようになってしまっていた。その薄い唇は言葉を巧妙に刻みだす鋭い刃物のように眼まぐるしく動いた。人見はいつの間にかこそこそと二階の自分の部屋に行ってしまった。  そこに園が静かにはいってきた。夜寒で赤らんだ頬を両手で撫でながら、笑みかけようとしたらしかったが、少し殺気だったその場の様子にすぐ気がついたらしく、部屋の隅をぐるっと廻って窓の方に行って坐った。  柿江はまだ続けていた。西山はもう実際うるさくなった。自分の生活とは何んの関係もない一つの空想的な生活が石ころのようにそこに転がっているように思った。 「寒いか」  戸外の方を頤でしゃくりながら、柿江には頓着なく園に尋ねた。  その拍子に柿江がぷっつりと黙った。憑いていた狐が落ちでもしたように。そしてきまり悪るげにそこにいた三人の顔に眼を走らすと慌てて爪を噛みはじめた。 「渡瀬君まだいたんだね。僕はもし帰ってしまうといけないと思ってかなり急いだ」 「おたけさんから何か伝言があったろう」 「いいえ」  園はまるでおとなしい子供のようににこついた。 「柿江君さっきの葉書はどうしたろう。渡瀬君に見せてくれたの」  笑うべきことが持ち上っていた。星野の葉書は柿江の手の中に揉みくだかれて、鼠色の襤褸屑のようになって、林檎の皮なぞの散らかっている間に撒き散らされていた。 「困るなあ、それにね、三隅のおぬいさんの稽古を君に頼みたいからと書いてあったんだのに……それだから渡瀬君に渡してくれって頼んでおいたじゃないか」 「君にとは俺にかい」  園に顔を見つめられながら、半分は剽軽から、半分は実際合点がいかない風でガンベは聞き返した。法螺吹で、頭のいいことは無類で、礼儀知らずで、大酒呑で、間歇的な勉強家で、脱線の名人で、不敵な道楽者……ガンベはそういう男だったのだから、少なくとも人が彼をそう見ていることを知っていたから。 「そうだ、君にだ」  そう園のいうのを聞くと、ガンベは指の短かい、そして恐ろしく掌の厚ぼったい両手を発矢と打ち合せて、胡坐のまま躍り上がりながら顔をめちゃくちゃにした。 「星野って奴は西山、貴様づれよりやはり偉いぞ」  西山は日ごろの口軽に似ず返答に困った。西山が星野を推賞した、その矛を逆まにしてガンベは切りこんできた。星野が衆評などをまったく眼中におかないで、いきなり物の中心を見徹していくその心の腕の冴えかたにたじろいたのだ。しかたなしに彼は方向転換をした。そして、 「園君、君が最初に頼まれたんだろう」  と搦手からガンベの陣容を崩そうとした。 「いいえ別に、僕は手紙をおぬいさんにとどけるように頼まれただけだった」  それが園の落ち着いた答えだった。 「俺が札幌にいりゃ、この幕は貴様なんぞに出しゃばらしてはおかなかったんだが」  そういって西山は取ってつけたように傍若無人に高笑いするよりのがれ道がなかった。  柿江は三人の顔にかわるがわる眼をやりながら爪をかみ続けていた。あのままで行くと狂癲にでもなるんではないかとふと西山は思った。とにかく夜は更けていった。何かそこには気のぬけたようなものがあった。六年近く兄弟以上の親しさで暮してきたこの男たちとも別れねばならぬ四辻に立つようになった……その淡い無常を感じて、机からぬっくと立ち上りながら西山は高笑いを収めた。そして大きな欠伸をした。      *    *    *  その時清逸は茶の間に母といっしょにいたのだが、おせいの綿入を縫っていた母は針を置いて迎えに立っていった。清逸は膝の上に新井白石の「折焚く柴の記」を載せて読んでいた。年老いた父が今麦稈帽子を釘にひっかけている。十月になっても被りつづけている麦稈帽子、それは狐が化けたような色をしている。そしてそれは父が自分の家族のためにどれほど身をつめているかを人に見せびらかすシムボルなのだ。清逸はそれをまざまざと感ずることができた。そればかりではない。今日の父は用向きがまったく失敗に終ったこと、父が侮蔑だと思いこみそうなことを先方からいわれて胸を悪くして帰ってきたこと、それをも手に取るように感ずることができた。清逸にはその結果は前から分っていることだった。  わざとらしい咳払いを先立てて襖を開き、畳が腐りはしないかと思われるほど常住坐りっきりなその座になおると、顔じゅうをやたら無性に両手で擦り廻わして、「いやどうも」といった。それは父が何か軽い気分になった時いつでもいう言葉だ。しかしそれを今日はてれ隠しにいっている。  母が立ったついでにラムプを提げてはいってきた。そしてそれを部屋の真中にぶらさがっている不器用な針金の自在鍵にかけながら、 「降られはしなかったけえ」と尋ねた。 「なに」  といったぎりでまた顔を撫でた。と、思いだしたように探りを入れるような大きな眼を母の方にやりながら、 「時雨れた時分にはちょうど先方にいたもんだから何んともなかった」  とつけ加えた。父は一度も清逸の方を見ようとはしない。  札幌のような静かな処に比べてさえ、七里隔たったこの山中は滅入るほど淋しいものだった。ことに日の暮には。千歳川の川音だけが淙々と家のすぐ後ろに聞こえていた。清逸は煮えきらない部屋の空気を身に感じながら、その川音に耳をひかれた。こっちの方から話の糸口を引きだして、父の失敗が気にかけるほどのものではないのを納得させたものだろうか、それとも話の出ないのをいいことにしてうやむやにすましてしまったものだろうかと考えた。久しぶりで戸外に出た父は、むだ話の材料をしこたま持って帰っているに違いない。思出話ばかりを繰り返している反動に、それを一つ一つ持ちだされるのは清逸にはちょっと我慢のできないことらしかった。さらぬだにいらいらしがちな気分と、消耗熱のために我慢が薄くなっているのとで、清逸はそれを恐れた。清逸はつまらぬこととは思いながら白石の父の賢明さを思い浮べた。父子で身にしみじみと話しこんで顔にとまった蚊が血に飽きすぎて、ぽたりと膝の上に落ちるまで払いもせずにいたという、そういう父子の間柄であったのを思い浮べた。その挿話は前から清逸の心を強く牽いていたものだった。  父は煙草をのんではしきりに吐月峰をたたいた。母も黙ったまま針を取り上げている。  店の方に物を買いに来た人があった。母はすぐ立っていった。 「どうもやはり北海道米はなあ増えが悪るうて。したら内地米の方に……何等どこにしますかなあ」  買手の声は聞こえないけれども、母のそういう声ははっきりと聞こえた。父は例の探りを入れるような眼をちょっとそっちに向けた。そしてこの機会にと思ったか始めて清逸の眼をさけるようにしながら忙がしく話しかけた。  中島は会わないでその養子というのが会ったのだが、老爺が齢がいっているので、そんな話はうるさいと言って聞きたがらないし、自分の一存としていうと、当節東京に出ての学問は予想以上の金がかかるから、こちらは話によっては都合しないものでもないけれども、何しろ学問が百姓とはまったく縁のないことだし、長い間にはそちらが当惑なさるようにでもなると、せっかく今までの交際にひびが入ってかえっておもしろくないから、子息さんがそれほどの秀才なら、卒業の上採用されるという条件で話しこんだら、会社とか銀行とかが喜んで学資を出しそうなものだ。ひとつ校長の方からでもかけ合ってもらうのが得策だろうとの返辞だったと父は言った。  そこに母が前掛についた米の粉をはたきながらはいってきた。父は話を途切らそうか続けようかと躇らった風だったが、きゅうに調子を変えて、中島の養子というのを眼下扱いにして話を続けた。 「中島に養子にはいるについちゃあれはわしが口をきいてやったようなものだ。ろくな元資も持たず七年前に富山から移住してきた男だったが、水田にかけては経験もあるし、人間もばかではないようだったから、……その……何んとかいったなあもう一人の養子は……何んとかいった、それにわしが推薦したのがもとになったんだ。それをおみさ(と今度は母の方に)今日会うとな、『金でもありあまっていることならとにかく、さもなければ学問はまあ常識程度にしておいて、実地の方を小さい時から仕込むに限りまっさ』とこうだ」  そして惘れはてたという顔を母にしてみせた。  それはしかし父が清逸の弟について噂する時誰にでも言って聞かせる言葉ではないか。清逸の学資の補助(清逸は自分の成績によって入校二年目から校費生になって授業料を免除されている上毎月五円の奨学金を受けていた)を送金する時にも、父は母に向ってたまには同じようなことを言ったかもしれないのだ。  清逸はもうそのほかに何んにも聞く必要はなかった、札幌に学んでいることすらも清逸の家庭にとっては十二分の重荷であるのを清逸はよく知っている。弟の純次は低能に近いといっていいから尋常小学だけで学校生活をやめたのはまずいいとしても、妹のおせいに小樽で女中奉公をさせておかねばならぬというのは、清逸の胸には烈しくこたえていた。清逸が会社か銀行にでも勤めていたら(そんな所にいる自分を想像するほど矛盾と滑稽とを感ずることはなかったが)おせい一人くらいを家庭に取りかえすのは何んでもないことだったろう。一人の妹、清逸がことに愛している一人の妹の身を長い間不自由な境界において我慢しているのは、清逸だからできるのだと清逸は考えていた。しかしどうかすると清逸はそのためにおそくまで眠りを妨げられることがあった。けれどもどんな時でも、清逸が学問をするために牽き起される近親の不幸(父も母もそのためにたしかに老後の安楽から少なからぬものを奪われてはいるが)は、清逸をますます学問の方に駆りたてはしても、躊躇させるようなことは断じてなかった。  清逸は小学校の三年を卒業する時から、自分は優れた天分を持って生れた人間だとの自覚を持ちはじめたことを記憶している。田舎の小学校のことだから、卒業式の時には尋常三年でも事々しい答辞を級の代表生に朗読させるのが常だった。その時その役に当ったのは加藤という少年だったが清逸は加藤の依頼に応じて答辞の文案を作ってやった。受持教員はそれを読んで仰天した。そしてそれが当日郡長や、孵化場長や、郡農会の会長やの列座の前で読み上げられた時、清逸は自分の席からその人たちが苦々しい顔をして聞いているのを観察した。彼らのすべては、その答辞が、教師の代作でなければ、剽竊に相違ないと信じきっているのが清逸にはよく知れた。清逸はその時子供らしい誇りは感じなかった。ただ、一般に偉い人といわれる人が、かならずしも偉いというほどの人ではないとはっきり感じたのだった。偉人として、人の称讃を受けるくらいのことはそうむずかしいことではないとはっきり感じたのだった。それ以来清逸の自分に対する評価は渝ることがない。そしてそれに特別の誇りを感じないのもまた同じだった。この心持がすべての思想と行動を支配した。家族の人たちに対しても彼はそれに手加減をする理由は露ほども見出さないのだ。  清逸は上京の相談で家に帰りはしたが、自分の健康が掘りだしたばかりの土塊のような苛辣な北海道の気候に堪えないからとは言いたくなかったので、さらに修業を続けたいのだというよりしかたがなかった。父は清逸が物をいいだす以上は、自分の智慧ではとても突き崩せないだけの考慮をめぐらした上で物をいうと知りぬいていたから、母に向う時のように、頭からけなしつけて二の句を吐かせないというようなやり方はしようにもできなかった。しかしながら今度の事は父にとってたしかに容易ならぬ難題であったに相違ない。清逸は始めから学資は自分で何んとかするといってみたが、父としてはそれが堪えられないことだったらしい。清逸のことだから元来羸弱な健康を害ねても何んとかするであろうが、それまでの苦心を息子一人にさせておくのは親の本能が許さなかったろう。しかしそれにも増して父に不安を与えたのは、かくては清逸がだんだん父母から離れていくだろうということだったに違いないのだ。  父は自分が一種の怠け者で、精いっぱいに生活をしてこなかったのを気づいている。始終窮境に滅入りこむその生活は、だから不運ばかりの仕業ではない。清逸への仕送りの不足がちなのも、一人娘を女中奉公に出さねばならなかったのも、人知れぬ針となってその良心を刺しているのだ。それを清逸が知っているのを父は知っていた。それをまた清逸は知っていた。清逸はそのことを責める気持はけっしてなかったけれども、父が軽薄な手段をめぐらしてその非を蔽い、あわよくば自分の要求すべき資格のないものを家族のものに要求しようとするのを見つけだすと快くなかった。  父が三里も道程のある島松まで出かけていって、中島の養子に遇った気持にはそうしたものがあったはずだ。清逸はそれには及ばないと幾度となくとめてみたけれども、かならず吉報を持って帰るからといいながら一人で勇んで出かけていったのだ。そしてその結果は清逸の思ったとおりだった。  ラムプに黄色く灯がついてから、弟の純次は腰から下をぐっしょり濡らして、魚臭くなって孵化場から帰ってきた。彼は店の方に行って駄菓子を取ってきてそれを立ち喰いしながら、駄々子のように母に手伝わせて和服に着かえた。清逸に挨拶一つしなかった。清逸一人が都会に出て、手足にあかぎれ一つ切らさず、楽をしながら出世する。その犠牲になっているのだぞという素振りを、彼は機会あるごとに言葉にも動作にも現わした。それは清逸の心を暗くした。  貧しい気づまりな食卓を四人の親子は囲んだ。父の前には見なれた徳利と、塩辛のはいった蓋物とが据えられて、父は器用な手酌で酒を飲んだ。しかし不断ならば、盃を取った場合に父の口から繰りだされるはずの「いやどうも」という言葉は一つも出てこなかった。純次は食卓から胸にかけて麦たくさんなためにぽろぽろする飯をこぼし散らかすと、母は丹念にそれを拾って自分の口に入れた。母はいい母だがまったく教育がない。教育のないのを自分のひけめにして、父から圧制されるのを天から授かった運命のように思っているらしかった。末子の純次に対しては無智な動物のような溺愛を送っていた。その母が清逸に対しての態度は知れている。 「もう鮭はたくさん上ってきだしたのか」  清逸はたまりかねて純次にこう尋ねてみた。 「うむ」  という答えが飯を頬張った口の奥から出るだけだった。 「今年は何台卵を孵えすんだね」 「知らねえ」  母がさすがに気をかねて、 「知らねえはずはあるめえさ」  と口添えすると、純次は低能者に特有な殺気立った眼を母の額の辺に向けて、 「知らねえよ」  と言いながら持ち合わせた箸で食卓を二度たたいた。  大食の純次はまだ喰いつづけていたし、父はまだ飯にしないので、母も箸を取らずにいたが、清逸は熱感があって座に堪えないので、軽く二杯だけむりに喰うと、父の自慢の蓬茶という香ばかり高くて味の悪い蓬の熱い浸液をすすりこんで中座した。  純次の部屋にあててある入口の側の独立した三畳の小屋にはいってほっとした。母がつづいてはいってきた。丸々と肥えた背の低い母は、清逸を見上げるようにして不恰好に帯を揺りあげながら、 「やっぱりよくないとみえるね」  と心配を顔に現わしていってくれた。 「寒さが増してくるとどうしてもよくないさ。けれどもそんなにひどいことはない。熱があるようだから先に寝かしてもらいます」 「そだそだ、それがいいことだ」  そして純次の床を部屋の上に、清逸の床を部屋の下にとったほど無智であるが、愛情の偏頗も手伝っていた。清逸が横になると、まめまめしく寝床をまわり歩いて、清逸の身体に添うて掛蒲団をぽんぽんと敲きつけてくれた。  清逸は一昨日ここに帰ってきてから割合によく眠ることができた。海岸のように断続して水音のするのはひどく清逸の心をいらだたせたが、昼となく夜となく変化なしに聞こえる川瀬の音は、清逸の神経を按摩するようだった。清逸はややともすると読みかけている書物をばたっと取り落して眼がさめたりした。それは生れてからないことだった。  清逸は寝たまま含嗽をすると、頸に巻きつけている真綿の襟巻を外して、夜着を深く被った。そして眼をつぶって、じっと川音に耳をすました。そこから何んの割引もいらぬ静かな安息がひそやかに近づいてくるようにも思いながら。  その夜はしかし思うようには寝つかれなかった。彼の疲労が恢復したのかもしれなかった。あるいは神経がさらに鋭敏になり始めたのかもしれなかった。  ふと眼がさめた。清逸はやはりいつの間にか浅い眠りを眠っていたのだった。盗汗が軽く頸のあたりに出ているのを気持ち悪く手の平に感じた。  川音がしていた。  何時ごろだろうと思って彼はすぐ枕許のさらし木綿のカーテンに頭を突っこんで窓の外を覗いてみた。  珍らしく月夜だった。夜になると曇るので気づかずにいたが、もう九日ぐらいだろうかと思われる上弦というより左弦ともいうべきかなり肥った櫛形の月が、川向うの密生した木立の上二段ほどの所に昇っていた。月よりも遠く見える空の奥に、シルラス雲がほのかな銀色をして休らっていた。寂びきった眺めだった。裏庭のすぐ先を流れている千歳川の上流をすかしてみると、五町ほどの所に火影が木叢の間を見え隠れしていた。瀬切りをして水車がかけてあって、川を登ってくる鮭がそれにすくい上げられるのだ。孵化場の所員に指揮されてアイヌたちが今夜も夜通し作業をやっているのに違いない。シムキというアイヌだった。その老人が樺炬火をかざして、その握り方で光力を加減しながら、川の上に半身を乗りだすような身構えで、鰭や尾を水から上に出しながら、真黒に競合って鮭の昇ってくる具合を見つめていた……それは清逸が孵化場の給仕をしていたころに受けた印象の一つだったが、火影を見るにつけてそれがすぐに思いだされた。気を落ちつけて聞くと淙々と鳴りひびく川音のほかに水車のことんことんと廻る音がかすかに聞こえるようでもある。窓のすぐ前には何年ごろにか純次やおせいと一本ずつ山から採ってきて植えた落葉松が驚くほど育ち上がって立っていた。鉄鎖のように黄葉したその葉が月の光でよく見えた。二本は無事に育っていたが、一本は雪にでも折れたのか梢の所が天狗巣のように丸まっていた。そんなことまで清逸の眼についた。  突然清逸の注意は母家の茶の間の方に牽き曲げられた。ばかげて声高な純次に譲らないほど父の声も高く尖っていた。言い争いの発端は判らない。 「中島を見ろ、四十五まであの男は木刀一本と褌一筋の足軽風情だったのを、函館にいる時分何に発心したか、島松にやってきて水田にかかったんだ。今じゃお前水田にかけては、北海道切っての生神様だ。何も学問ばかりが人間になる資格にはならないことだ」 「じゃ何んで兄さんにばっか学問をさせるんだ」 「だから言って聞かせているじゃないか。清逸が学問で行くなら、お前は実地の方で兄さんを見かえしてやるがいいんだ」  純次は黙ってしまった。父は少し落ち着いたらしく、半分は言い聞かすような、半分は独語をいうような調子になった。 「中島は水田をやっているうちに、北海道じゃ水が冷っこいから、実のりが遅くって霜に傷められるとそこに気がついたのだ。そこで田に水を落す前に溜を作っておいて、天日で暖める工夫をしたものだが、それが図にあたって、それだけのことであんな一代分限になり上ったのだ。人ってものは運賦天賦で何が……」  そのあとは声が落ち着いていくので、かすれかすれにしか聞こえなくなった。 「兄さんは悪い病気でねえか」  しばらくしてから突然純次のこう激しく叫ぶ声が聞こえた。今度は純次は母と言い争いを始めたらしい。母も何か言ったようだったが、それは聞こえなかった。 「肺病はお母さんうつるもんだよ」  純次の声がまた。それは聞こえよがしといってよかった。 「そうしたわけのものでもあるまいけんど」 「うんにゃそうだ」  そのあとはまた静かになった。清逸は早く寝入ってしまうに限ると思って夜着の中に顔を埋めた。寝入りばなの咳がことに邪魔になった。  純次が鼻緒のゆるんだ下駄を引きずってやってくる音がした。清逸は今夜はもう相手になっていたくなかったので寝入ったことにしていようと思った。  思いやりもなく荒々しく引戸を開けて、ぴしゃりと締めきると、錠をおろすらしい音がした。純次は必要もない工夫のようなことをして得意でいるのだが、その錠前もおそらくその工夫の一つなのだろう。こんな空家同然な離れに錠前をかけて寝る彼の心持が笑止だった。  やがて純次は、清逸の使いふるしの抽出も何もない机の前に坐った。机の上には三分芯のラムプがホヤの片側を真黒に燻らして暗く灯っていた。机の片隅には「青年文」「女学雑誌」「文芸倶楽部」などのバック・ナムバアと、ユニオンの第四読本と博文館の当用日記とが積んであるのを清逸は見て知っていた。机の前の壁には、純次自身の下手糞な手跡で「精神一到何事不成陽気発所金石亦透」と半紙に書いて貼ってあった。  純次は博文館の日記を開いて鉛筆で何か書いているらしかったが、もぞもぞと十四五字も書いたと思う間もなく、ぱたんとそれを伏せて、吐きだすごとく、 「かったいぼう」  とほざいて立ちあがった。そして手取り早く巻帯を解くと素裸かになって、ぼりぼりと背中を掻いていたが、今まで着ていた衣物を前から羽織って、ラムプを消すやいなや、ひどい響を立てて床の中にもぐりこんだ。  純次はすぐ鼾になっていた。  清逸の耳にはいつまでも単調な川音が聞こえつづけた。      *    *    *  何んという不愛想な人たちだろうと思って、婆やはまたハンケチを眼のところに持っていった。  上りの急行列車が長く横たわっているプラットフォームには、乗客と見送人が混雑して押し合っていた。  西山さんは機関車に近い三等の入口のところに、いつもとかわらない顔つきをしていつもとかわらない着物を着て立っていた。鳥打帽子の袴なしで。そのまわりを白官舎の書生さんをはじめ、十四五人の学生さんたちが取りまいて、一人が何かいうかと思うと、わーっわーっと高笑いを破裂させていた。夜学校から見送りに来たらしい男の子が一人と女の子が二人、少し離れた所で人ごみに揉まれながら、それでも一心にその人たちの様子を見つめていた。三隅さんのお袋とおぬいさんとは、妹を連れてきたおたけさんと一かたまりになって、混雑を避けるように待合室の外壁に身をよせて立っていた。西山さんはその人たちを見向こうともしなかった。ほかの書生さんたちもそういう見送人に対して遠慮するらしい気振も見せようとはしない。  婆やはもう一度西山さんをつかまえて何かもっと物をいいたいと思って、書生さんたちの後から隙をうかがっているけれども、容易にその機会は来そうもなかった。人の心も察しないで何んという不愛想な人たちだろうと思って腹立たしかった。その時軟かく自分の肩に手を置く人があった。振り向いてみるとおぬいさんだった。娘心はおびただしい群衆のぞよめきに軽く酔ったらしく頬のあたりを赤くしていた。 「あなたそんな所にいるとあぶのうございます。こちらにいらっしゃいな」  そういっておぬいさんは誘ってくれた。婆やはそれをしおに諦めて、おぬいさんにやさしくかばわれながら三隅さんのお袋の所にいっしょになって、相対よりも少し自分を卑下したお辞儀をした。おぬいさんは婆やの涙ぐんだ眼を見るといっそう赤くなったようだった。婆やは、近ごろの若い人に似ぬ何んといういとしい娘さんだろうと思った。とにかく婆やは黙ってはいられなかった。いいたいことは山ほどあるのだが、書生さん相手では、婆やのいうことなどは上の空に聞き流されるのだから腹が立つばかりだった。誰かに聞いてもらいたいと思っている矢先だったので、婆やは何事をおいても能弁になった。 「星野さんはお留守だし、西山さんはきゅうに東京にな、お発ちなさるし、婆やは淋しいこんです。いい人でな、あなた。あんな人並外れて大きいがに、赤坊のような人でなもし。婆や婆やたらいって、大事にしておくれなさったが……ま、行く行くは皆ああして羽根が生えて飛んでいかれるは定なれど、何んとやら悲しゅうてなもし。私もお知りのたんだ一人の息子を二十九年になもし、台湾で死なしてから、一人ぽっちになりましたけに、世話をしとる若い衆がどれも我が子同様に思われてな、すまんことじゃけれどなもし。それゆえ離れるがどうもなりません。……それがなもし、若い衆の不思議というたら、家を出るさいには、私の頬げたをこう敲いてな、あなた『婆やきつい世話』……ではのうて『婆やいろいろに世話をかけてありがとう。達者でいてくれや、東京に行ったら甘いものを送るぞよ』……」  婆やは西山さんの口調を真似ようとしたら、涙で物がいえなくなってしまった。ところが次のことを考えると腹が立ってきた。それでまた言葉がつげた。 「と涙の出るようなことをいうてだったが、ここに来たら最後、見なさるとおり、婆やなどは眼にも入らぬげでなもし」  婆やはそこにいる四人に万遍なく聞き取らせようとするので容易でなかった。肥った身体を通りすがりの人にこづかれながら、手真似をまじえて大きな声になった。  おたけさんが我慢がしきれなくなったらしく、きゅうに口もとに派手な模様の袖口を持っていった。三隅さんのお袋はさすがに同情するらしく神妙にうなずいていたが、おぬいさんもだいぶ怪しかった。婆やは今度はおたけさんの方に鉾を向けた。 「あなたも年をとってみるとこの味は分ってきなさるが……」  皆まで聞かずにおたけさんはとうとう顔を真赤にして笑いだしてしまったが、ふと眼を西山の方にやると驚いたらしく、 「まあ新井田の奥さんが」  と仰山にいった。  ガンベさんが取りなすように三十恰好に見える立派な奥さん風の婦人と西山さんとの間にいて、ほかの書生さんたちは少し輪を大きくしてそれを傍観していた。奥さんというのは西山さんに何か餞別物を渡そうとしているところだった。そこらにいる群衆の眼は申し合わせたように奥さんの方に吸い寄せられていた。  婆やも驚いておたけさんに尋ねた。 「あれはどなただなもし」 「あなた知らないの。あれがそら渡瀬さんのよく行く新井田さんの奥さんなのよ」  とおたけさんは奥さんから眼を放さない。重そうな黒縮緬の羽織が、撫で肩の円味をそのままに見せて、抜け上るような色白の襟足に、藤色の半襟がきちんとからみついて手絡も同じ色なのが映りよく似合っていた。着物の地や柄は婆やにはよく見えなかったが、袖裏に赤いものがつけてあるのはさだかに知れた。斜め後ろから見ただけでも珍らしく美しそうな人に思われた。  駅夫が鈴を鳴らして構内を歩きまわりはじめた。それとともに場内は一時にざわめきだして、人々はひとりでに浮足になった。婆やはもう新井田の奥さんどころではなかった。「危ない」と後ろからかばってくれたおぬいさんにも頓着せず、一生懸命に西山さんの方へと人ごみの中を泳いだ。  人波の上に頭だけは優に出そうな大きな西山さんがこっちに向いて近づいてきた。婆やはさればこそと思いながら寄っていって取りすがろうとするのを西山さんは見も返らずにどんどん三隅さんたちの方に行って、鳥打帽子を取った。そして大きな声でこう挨拶をした。 「じゃ行ってきます。万事ありがとうございました。さようなら。御大事に」  婆やはつくづく西山さんが恨めしくなった。あれほど長い間世話を焼かせておきながら、やはり若い娘の方によけい未練が残るとみえる。齢を取るというのは何んという情ないことだろう。……婆やは西山さんから顔を背けてしまった。  いきなり痛いほど婆やの左の肩を平手ではたくものがいた。それが西山さんだった。 「じゃ婆やいよいよお別れだ。寒くなるから体を大事にするんだ」  そういうわけだったのかと思うと婆やはありがたいほど嬉しくなって、西山さんの手を握って何んにもいわずにお辞儀をした。 「もういいから」  西山さんは手を振りきってどんどん列車の方に行く。婆やはそのすぐあとから楽々と跟いていくことができた。  人見さんが列車の窓から、 「おいここだ、ここだ」  といって西山さんを招いていた。 「危ないよ婆さん」  知らない学生が婆やを引きとめた。婆やは客車の昇降口のすぐそばまで来てまごついていたのだ。そこから人見さんが急いで降りてきた。  見ると人見さんの顔を出していた窓の所には西山さんの顔があった。がやがやいい罵る人ごみの中を駅員があっちでもこっちでも手を上げたり下げたりしたかと思うと、婆やは飛び上らんばかりにたまげさせられた。汽笛がすぐ側で鳴りはためいたのだ。婆やは肥った身体をもみまくられた。手の甲をはげしく擦る釘のようなものを感じた。「あ痛いまあ」といって片手で痛みを押えながらも、延び上って西山さんを見ようとした。と押しあいへしあいされながら婆やの体はすうっと横の方に動いていった。それはしかしそうではなかった。汽車が動きだしたのだった。窓という窓から突きだされたたくさんな首の中に、西山さんも平気な顔をして、近眼鏡を光らせながら白い歯を出して笑っていた。それがみるみる遠ざかって見えなくなってしまった。それだけのことだった。  三隅さんのお袋とおぬいさんとが親切に介抱してくれるので、婆やは倒れもせずに改札口を出たが、きゅうに張りつめていた気がゆるんで涙がこみあげてきそうになった。送りに来た書生さんたちはと見ると、まるでのんきな風で高笑いなどをしながら遠くから冗談口を取りかわしたりして、思い思いに散らばっていってしまった。何んの気で見送りに来たのか分らないような人たちだと婆やは思った。白官舎の人たちも、柿江さんは夜学校の生徒の手を引いて行ってしまうし、そのほかの人の姿はもうどこにも見えなかった。  停車場前のアカシヤ街道には街燈がともっていた。おたけさんとはぐれたので婆やは三隅さん母子と連れ立って南を向いて歩いた。 「星野さんがお帰りてから何んとかお便りがありましたか」  と大通り近くに来てからお袋が婆やに尋ねた。 「何があなた。皆んな鉄砲丸のような人たちでな」  婆やはそう不平を訴えずにいられなかった。 「私の方にもありませんのよ」  とおぬいさんがいった。  大通りから婆やは一人になった。これでようやく帰りついたと思うと、書生さんたちはとうの昔に帰ってきていて、早く飯にしろとせがみたてるに違いない。これから支度をするのにそう手早くできてたまることかなと婆やは思いながらもせわしない気分になって丸っこい体を転がるように急がせた。  きゅうに手の甲がぴりぴりしだした。見ると一寸ばかり蚯蚓脹れになっていた。涙がまたなんとなく眼の中に湧いてきた。      *    *    *  おぬいは手さぐりで夢中に母にすがりつこうとしていたらしかった。眼をさましてみると、母は背面向きになってはいるが、自分のすぐ側に、安らかな鼾を小さくかきながら寝入っていた。  ほっと安心はした。けれどもどうしてこんないやな夢ばかり見るのだろうとおぬいは情けなかった。枕紙に手をやってみるとはたしてしとどに濡れていた。夢の中で絶え入るように泣いてしまったのだから、濡れていると思ったらやはり濡れていた。眼のあたりを触ってみると、右の眼頭から左の眼に、左の眼尻から鬢の髪へとかけて、涙の跡はそこにも濡れたまま残っていた。おぬいは袖口を指先にまるめてそっと押し拭った。それとともに、泣じゃくりのあとのような溜息が唇を漏れた。  覚めてから覚えている夢も覚えていない夢も、母にはぐれたり、背いたり、厭われたりするような夢ばかりなことはたしかだった。今見た夢もはっきり覚えていないのだったが、覚えていないのは覚えているよりもいっそう悲しい夢であるような気がした。  今のおぬいの身の上として、天にも地にも頼むものは母一人きりなのだ、その母がおぬいをまったく見忘れている夢らしかった。怖いものを見窮めたいあの好奇心と同じような気持で、おぬいは今見た夢のそこここを忘却の中から拾いだそうとし始めた。  母があれはおぬいではありませんときっぱり人々にいっていた。おかしなことをいう娘だといいそうな快活な笑いを唇のあたりに浮べながら。まわりにいる人たちもおぬいに加勢して、あれはあなたのお嬢さんですよといい張ってくれているのに母は冗談にばかりしているらしかった。おぬいはもしやと思って自分を見ると、たしかにいつものとおりの着物を着て、それは情けなそうな顔つきはしていたけれど自分の顔に相違なかった。(おかしなことには他人の顔を見るように自分の顔をはっきりと見ることができた)……おぬいは家に留守をして私の帰るのを待っていますから、家にさえ帰れば会えるにきまっていますと母は平気であるけれども、それはとんでもない間違だということをおぬいは知り抜いていた。家に帰ってみてどれほど驚きもし悲みもするだろうと思うと、母が不憫でもあり残される自分がこの上もなくみじめだった。その不幸な気持には、おぬいが不断感じている実感が残りなく織りこまれていた。もし万一母を失うようなことがあったらどうしようと思うとおぬいはいつでも動悸がとまるほどに途方に暮れるのだが、そのみじめさが切りこむように夢の中で逼ってきた。それからその夢の続きはただ恐ろしいということのほかにははっきりと思いだされない。おぬいが母を見ている前で、おぬいでないものにだんだん変っていくので、我を忘れてあせったようでもある。母がどんどん行ってしまうのであとを追いかけようとするけれども、二人の間にはガラスのかけらがうざうざするほど積まれていて、脚を踏み入れると、それが磁石に吸いつく鉄屑のように蹠にささりこんだようでもある。  とにかくおぬいは死物狂いに苦しんだ。眼も見えないまでに心が乱れて、それと思わしい方に母恋しさの手を延ばしてすがり寄った。そして声を立ててひた泣きに泣いたのだった。  夢が覚めてよかったと安堵するその下からもっと恐ろしい本物の不吉が、これから襲ってくるのではないかとも危ぶまれた。緑色の絹笠のかかったラムプは、海の底のような憂鬱な光を部屋の隅々まで送って、どこともしれない深さに沈んでいくようなおぬいの心をいやが上にも脅かした。  おぬいは思わず肘を立てた。そしてそうすることが隠れている災難を眼の前に見せる結果になりはしないかと恐れ惑いながらも、小さな声で、 「お母さん」  と呼んでみないではいられなかった。十二時ごろ病家から帰ってきた母の寝息は少しもそのために乱れなかった。  もう一度呼んでみる勇気はおぬいにはなかった。自分の声におびえたように彼女はそっと枕に頭をつけた。濡れた枕紙が氷のごとく冷えて、不吉の予覚に震えるおぬいの頬を驚かした。  おぬいの口からはまた長い嘆息が漏れた。  身動きするのも憚られるような気持で、眼を大きく開いて、老境の来たのを思わせるような母の後姿を見やりながらおぬいはいろいろなことを思い耽った。  何かに不安を感ずるにつけていつまでも思うのは、おぬいが十四の時に亡くなった父のことだった。細面で痩せぎすな彼女の父は、いつでも青白い不精髯を生やした、そしてじっと柔和な眼をすえて物を見やっている、そうした形でおぬいには思いだされるのだった。ある小さな銀行の常務取締だったが、銀行には一週に一度より出勤せずに、漢籍と聖書に関する書物ばかり読んでいた。煙草も吸わず、酒も飲まず、道楽といっては読書のほかには、書生に学資を貢ぐぐらいのものだった。その関係から白官舎やそのほかの学生たちも今だに心おきなく遊びに来たりするのだった。  父はおぬいの十二の時に脊髄結核にかかって、しまいには半身不随になったので、床にばかりついていた。気丈な母は良人の病が不治だということを知ると、毎晩家事が片づいてから農学校の学生に来てもらって、作文、習字、生理学、英語というようなものを勉強し始めた。そして三月の後には区立病院の産婆養成所の入学試験に及第した。その名前が新聞に載せられた時、それを父に気づかれまいとして母が苦心したのを、おぬいは昨日のことのように思いだすことができる。  その父はいい父だった。少なくともおぬいにとっては汲みつくせない慈愛を恵んでくれた親だった。 「あれはどこからどこまであまり美しいから早死をしなければいいが」  そう父が母に言っているのを偸み聞きしたこともあった。そして病気がちなおぬいが加減でも悪くすると、自分の床の側におぬいの床を敷かせて、自分の病気は忘れたように検温から薬の世話まで他人手にはかけなかった。  それよりも何よりも、おぬいが父を思いだす時思いださずにはいられないのは、父が死ぬちょうど一週間前、突然おぬいに、部屋の中を一まわり歩いてみたいから肩を貸してくれといいだした時のことだった。おぬいももとより驚いたが、母はそれを思いもよらぬことだとさえいってとめて聴かなかった。父は母とおぬいとを静かに見やりながらいった。 「お前がたは分らないかもしれないが、男には、一生に一度、自分の力がどれほどあるものだか、それを出しきらなければ死ねないような気持が起るものだ。わしは今までお前がたに牽かれてそれをようしなかった。……もうしかしわしは死ぬものとほぼ相場がきまった。今日はひとつわしの心にどれほど力があるかやってみるのだ。腰から下に通う神経は腐って死んでいると医者もいうが、わしはお前がたに奇蹟を見せてやろう。案じることはない」  父は歩いた。おぬいも自分の肩に思ったより軽い父の重みを感じながら歩いた。歩きながら父はいった。 「おぬい、お前はもう十四になるなあ。強い肩になった。立派にお父さんの力になってくれる。……お前もやがて人の妻になるのだが、なったら、今日の心持を忘れないで良人といっしょに歩くんだぞ。忘れちゃあいけないよ」  父の手がおぬいの肩でかすかに震えはじめた。  父が首尾よく部屋を一周して病床に腰を卸すと親子三人はひとりでに手を取り合っていた。そして泣いていた。 「お前がたは何をそう泣くのだ。わしは喜んで涙を流しているのに。……今日のような嬉しい日はない。……だがこんなことは医者にさえいう必要はないことだよ。こんな嬉しいことはめいめいの心の中に大事にしまっておくべきことだからな」  苦しい呼吸の間から父はようやくこれだけのことをいって横になった。  この出来事については母もおぬいも父の言葉どおり誰にもいわないでいる。いわないでいるうちにおぬいにとっては、それがとても口には出せないほど尊いものになっていた。  おぬいは老境に来たのを思わせるような母の後姿を見つめながら、これを思いだすと、涙がまたもや眼頭から熱く流れだしてきた。啜泣きになろうとするのをじっと堪えた。……不断は柔和で打ち沈んだ父だったけれども何んという男らしい人だったろう。あの強い烈しい底力、それはもうこの家には、どの隅にも塵ほども残っていない。……淋しい、父が欲しい。父がもう一度欲しい。父のあの骨ばった手をもう一度自分の肩に感じてみたい。  力の不足、自分一人ではどうしようもない力の不足――倚りすがることのできるものに何もかも打ち任かして倚りすがりたい憧れ、――そしてどこにもそんなもののない喰い入るような物足らなさ。……気を鎮めて眠ろうとすればするほど、悲しみはあとからあとからと湧き返って、涙のために痛みながらも眠が冴えるばかりだった。  おぬいはとうとうそっと起き上った。そして箪笥の上に飾ってある父の写真を取って床に帰った。父がまだ達者だったころのもので、細面の清々しい顔がやや横向きになって遠い所をじっと見詰めていた。おぬいはそれを幾度も幾度も自分の頬に押しあてた。冷たいガラスの面が快い感触をほてった皮膚に伝えた。おぬいはその感触に甘やかされて、今度は写真を両手で胸のところに抱きしめた。  涙がまた新たに流れはじめた。  二度と悪夢に襲われないために、このままで夜の明けるのを待とうとおぬいは決心した。  夜は深いのだろう。母の寝息は少しも乱れずに静かに聞こえつづけていた。おぬいはようこそ母を起さなかったと思った。      *    *    *  夜学校を教えるために、夜食をすますとすぐ白官舎を出た柿江は、創成川っぷちで奇妙な物売に出遇った。  その町筋は車力や出面(労働者の地方名)や雑穀商などが、ことに夕刻は忙がしく行き来している所なのだが、その奇妙な物売だけはことに柿江の注意を牽いた。  鉢巻の取れた子供の羅紗帽を長く延びたざんぎり頭に乗せて、厚衣の恰好をした古ぼけたカキ色の外套を着て、兵隊脚絆をはいていた。二十四五とみえる男で支那人のような冷静で悧巧な顔つきをしていた。それが手ごろの風呂敷包を二枚の板の間に挾んで、棒を通して挾み箱のように肩にかついでいた。そして右の手には鼠色になった白木綿の小旗を持っているのだが、その小旗には「日本服を改良しましょう。すぐしましょう」と少しも気取らない、しかもかなり上品な書体で黒く書いてあった。  その小旗が風に靡いて拡がれば拡がったまま、風がなくなって垂れれば垂れたままで、少しの頓着もなく売声はもとより立てずに悠々と歩いていくのだった。  柿江も二十五だった。彼は何んとなくその物売に話しかけたくなった。そしてつかつかとその方に寄っていこうとした。その時彼は先夜西山と闘わした議論のことを思った。 「貴様のように自分にも訳の判らない高尚ぶったことをいいながら実行力の伴わないのを軽薄というんだ」と西山の言った言葉がどうも耳の底に残っていて離れないでいた。それとこれとは何んの関係もないようだが、柿江にはきゅうにその物売に話しかけるのに気がひけだした。それゆえ彼は物売をやり過ごして創成川を渡ってしまった。  次の瞬間に、柿江は今夜の夜学校の修身の時間にはあの物売の話をして聞かせようと考えていた。実行家とはああいう人間のことをいうのだと教えてみよう。そしてもしうまく書けたら新聞の寄書としても十分役立つに違いないとも思いめぐらしていた。左手を深々と内懐から帯の下にさし入れて、右手の爪をぶつりぶつりと囓み切りながら。      *    *    *  柿江は自分でまた始まったなと思った。けれども何んといっても、その興奮が来ると、むりに抑えつける気持にはなれなかった。自分の眼には、二十四五人の高等科の男女の生徒が、柿江の興奮に誘われてめいめいの度合いに興奮しながら、眼を輝かして柿江の能弁に聞き入っていた。それに誘われて柿江は自分がさらに興奮してゆくのを感じた。 「いいか、その旗には『日本服を改良しましょう。すぐしましょう』と書いてあるんだ。とうとうその男は先生が一生懸命に介抱してやったにもかかわらず、だんだん気息が細って死んでしまった。……何しろ深い谷の底のことではあるし、堅雪にはなっていたが、上部の解けた所に踏みこむと胸まで埋まるくらい積もっているのだから、先生にはどうしていいか分らなかった。……とうとうそのえらあい若者は、日本服の改良を仕遂げないうちに、無残にも谷底へすべり落ちて死んでしまったんだ。なんぼう気の毒なことではないか」  醜いほど血肥りな、肉感的な、そしてヒステリカルに涙脆い渡井という十六になる女の生徒が、穢ない手拭を眼にあてあて聞いていたが、突然教室じゅうに聞こえわたるような啜泣きをやり始めた。その女の生徒は谷底で死んだというえらあい男を、自分の心の中で情人に仕立てあげてしまって、その死んだのを誠に自分の恋人の上のことのように痛み悲しんでいる……そうだなと柿江は直感すると、嫉妬というのではないが、何か苦々しい感情を胸の中に湧き立たせた。男の生徒たちはおおっぴらに女の方を見やる機会を得て、等しく物好きらしい眼を、渡井のしゃくり上げる肩のところから、手拭の下に真赤にしている横顔へと向けた。  とにかく柿江はまた一つのセンセーションを惹き起した。柿江はじっと渡井を見やりながら、今までの感傷的な顔色をやわらげて、なだめるような笑顔を見せた。 「はははは、何もそう泣かんでもいいよ。……その男は気の毒な死に方をしたけれども、いわば自分の大切な使命のために死んだんだから、悔むこともなかったろう……」 「それだでなおのこと気の毒だ、わし」  と渡井が涙の中から無分別げな、自分の感情に溺れきったような声を出した。男の生徒たちは、「おおげさなまねをする奴だ」というように、柿江の笑いに同じた。  その時尋常四年生の教室――それは壁一重に廊下を隔てた所にあるのだが――がきゅうに賑やかになって、砂きしみのする引戸を開くとがやがやと廊下に飛びだす子供らの跫音がうるさく聞こえだした。めいめいが硯を洗いに、ながしに集まるのだった。柿江は話の腰を折られて…… 「先生その人はそれからどうかして生き返るんだろう」  と一人の男生がその騒がしさの中から中腰に立ち上って柿江に尋ねた。  終業の拍子木が鳴った。 「いや死んでしまったんだ」  大半の生徒は拍子木の声に勇みを覚えたように、机の蓋をばたんばたんと音させて風呂敷包を作りはじめる。その中にも今まで聞いていた話の後を知ろうとあせるものがあった。 「先生、先生はどうしてその人を谷底から上に持ち上げた?」 「先生か、先生は持ち上げられなかったから、一人で崕を這い上って、村の人に告げた」 「先生、その旗を見せてくれえよ」  柿江は話の都合上、自分は一枚の珍らしい旗を持っている。その旗の持主がまた珍らしい人なのだと前置きをして、その夜の修身を語りはじめたのだった。 「よしよし次の晩旗も見せてやるし、先生がその男の死んだのを村の人に告げてからの話もしてやる。村の人がどれほどその男の偉さに感心したか……」  柿江はそういうと、耳を聾がえらせるような騒々しさの中で、今までの話を続けたい気持にされていた。自分でも思い設けぬような戯曲的な光景があとから口を衝いて出てきそうな気がした。その時突然、 「先生それは皆んな作り話だなあ」  というものがあった。柿江はぎょっとした。そしてその声のする方を見ると、少し低能じみた、そんな見分けのつきそうにもない小柄な少年の戸沢だった。柿江は安心して大胆になった。 「いいや、本当も本当、先生が自分で遇ってきた出来事なんだ」  この会話で教室内の空気がちょっと鎮まった。生徒たちは隙でも窺うように柿江の顔つきに注意した。 「だって俺今夜こけへ来る時、その人に往来で遇ったもの」  柿江はしまった……と思ったが、思った瞬間に努力したのはそれを顔色に現さないことだった。そして咄嗟に、習慣的になっている彼の不思議な機智は彼をこの急場からも救いだした。 「戸沢は夢でも見たんだろう。……あ、解った。戸沢はその男の似而非者に遇ったんだな。その男のことが先生の生れた釧路の方で評判になると、似而非者が五六人できて、北海道をあちこちと歩き廻るようになったんだ。……それに違いない。それにお前は遇ったんだ」  その少年はまだ疑わしそうな顔をしながら黙ってしまった。そしてそこにはもう、その問題をなお追究しようというような生徒はなかった。一同は立ったりいたりして帰り支度にせわしかったから。  柿江はとにかく戸沢が疑わしげながら納得するのを見ると、自分の今まで能弁に話して聞かせていたまったくの作り話がいよいよ本当の出来事のように思えだした。  そこの貧民小学校の教師をして農学校に通う学生の二三人が自炊している事務所を兼ねた一室に来ると、尋常四年を受持っている森村が一人だけ、こわれかかった椅子に腰をかけて、いつでも疲れているような痩せしょびれた小さな顔を上向き加減にして、股火鉢をしていた、干からびた唇を大事そうに結びながら。  煤けたホヤのラムプがそこにも一つの簡単な鉄条の自在鍵にぶら下って、鈍い光を黄色く放っていた。柿江はそれを見ると、ふとまた考えてはならぬものを考えだしてしまっていた。自分だけに向って送ってよこす女の笑顔、自分と女とのほかには侵入者のない部屋、すべてを忘れさす酒、その香い、化粧の香い……そしてそれらのすべてを淫らに包む黄色い夜の燈火。……柿江は思わずそれを考えている自分の顔つきが、森村という鏡に映ってでもいるように、素早くその顔を窃みみた。しかし森村の顔は木彫のようだった。 「おい貴様この包を帰り途に白官舎に投げこんでおいてくれないか」  と何げない風にいいながら、柿江はぼろぼろになった自分の袴を脱いで、それに書物包みをくるみ始めた。森村は見向きもせずに前どおりな無表情な顔を眼の前の窓の鴨居あたりに向けたままで、 「これからまたどこかに行くんか」  とぼんやりいった。柿江は、 「うむ」  と事もなげに答えるつもりだったが、自分ながら悒鬱だと思われるような返事になっていた。 「そこにおいとけ」  ややしばらくして森村がこういった。  まだ生徒たちは帰りきらないで、廊下で取組合いをするものもあるし、玄関に五六人ずつかたまって、教師といっしょに帰ろうと待ちながら、大声でわめいているものもあるし、煤掃きのような音を立てて、教室の椅子卓を片づけているものもあった。柿江が戸外に出れば、「先生」と呼びかけて、取りすがってくる生徒が十四五人もいるのはわかりきっていた。柿江はそわそわした気分で、低い天井とすれすれにかけてある八角時計を見た。もう九時が十七分過ぎていた。しかしぐずぐずしていると、他の教師たちがその部屋にはいってくるのは知れている。それは面倒だ。柿江は已むを得ず、 「それじゃ貴様頼むぞ」  と言い残して、留守番の台所口に乱雑に脱ぎ捨ててある教師たちの履物の中から、自分の分を真暗らな中で手さぐりに捜しあてて、戸外に出た。  戸外は寒く真暗らだった。するとそこで柿江は自分の顔がきゅうにあつくなって、酔った時のように赤らんだのを感じた。心臓が音を立てんばかりに強く打ちだしたのを感じた。なるべく生徒の眼に触れぬようにと、生垣に沿うて素早く歩きだしたが、小さな生徒たちの鋭い眼はもちろんそれを見のがしはしなかった。柿江の身のまわりには鈴なりに子供たちがからみついていた。 「ゆんべはおっかなかったよ、先生、酔っぱらいのおやじが、両手を拡げて追ってくるんだもの」 「なあ」 「先生は今夜わしの方へと廻っておくれよ」そのほかいろいろな言葉が一度に、不思議な後ろめたさに興奮している柿江の耳に騒々しく響いてきた。柿江はわざと例のとぼけたような声を取りだして、生徒たちからなるべく早くのがれようと試みつつ、暗い貧乏町の往来に出た。  自分にまつわりついている生徒たちのほかに、そこにもここにも子供がいて、ややともすると柿江に話しかけようとした。 「先生は今日は用事があるんだから、明日の晩……じゃない、明後日の晩には皆なを送ってやるから、今日はめいめいで帰ってくれ、な。おい、いかんよ、そんなにからまりついちゃ」  そんなことを言って柿江はとうとう子供たちから離れて夜道を西へ向いて急いだ。  創成川を渡ると町の姿が変ってきゅうに小さな都会の町らしくなっていた。夜寒ではあるけれども、町並の店には灯が輝いて人の往来も相当にあった。  ふと柿江の眼の前には大黒座の絵看板があった。薄野遊廓の一隅に来てしまったことを柿江は覚った。そこには一丈もありそうな棒矢来の塀と、昔風に黒渋で塗られた火の見櫓があった。柿江はまた思わず自分の顔が火照るのを痛々しく感じた。  ガンベだった、その奇怪な世界の中に柿江を誘っていったのは。おそらく彼は何んの意味もない酔興から柿江をそこに連れていったのだろう。しかし柿江にとっては、この上もない迷惑なことであって、この上もない蠱惑的な冒険だった。「俺はいやだよ、よせよ」と自分にからみついてくるガンベの鉄のような力強い腕を払い退けながら、柿江の足は我にもなくガンベの歩く方に跟いていった。二人はいつの間にか制帽を懐ろの中にたくしこんでいた。昼間見たら垢光りがしているだろうと思われるような、厚織りの紺の暖簾を潜った。白官舎のとは反対に、新しくはあるけれども、踏むたびごとにしないきしむ階子段を登って、油じみと焼けこげだらけな畳の上に坐らせられた。眼をそむけたいほど淫らな感じのする女が現われて、べたべたと柿江の膝の上に乗りかからんばかりに横とんびに坐った。ガンベが何か大声で一人ではしゃいでいるうちに酒が出た。柿江は早く自分を忘れたいばかりに、さされる盃を受けつづけた。飲むというほど飲んだことのない酒はすぐ頭へとひどくこたえだした。眼の中が熱くなって、そこに映るものが不断とは変ってきた。こんな場合、当然起ってくべきはずの性慾はますます退縮して、ただわくわくするような興奮で身の内が火のように震えだした。そして時々氷が……それは言葉どおりに氷だった……氷の小さい塊が溶けながら喉許から胸の奥にと薄気味悪く流れ下った。 「どうだ、ありがたかろう」  床の正面に、半分枯れかかった樺色と白との野菊を生けて、駄菓子でこね上げたような花瓶のおいてあったのを、障子の隅におろしてしまって、その代りに自分の懐ろから制帽を取りだして恭しく飾りながら、ガンベが拝むような様子をしてこういったっけ。柿江はいやな夢でも見ているような心持になったが、どういうつもりだったか、奇怪にも我れ知らず笑いだした。大声を上げていつまでもげらげらと。女たちがそれをおかしがるとなお笑った。  柿江は大黒座を左に折れて、遊廓の大門を大急ぎで通り越しながら、こんなことを不安に満たされた胸の中で回想していた。  柿江は自分が何の気なしにすることが、どうかすると人には頓狂に見えて、それが一つの愛嬌にされているのを意識していた。あの時もそんな気持が動いていたのだなと思った。取り返しのつかないようないやな心持がした。どうせああいう種類の女だ。かまうものかとも思った。それから今考えても自分に愛想の尽きるような気持を起させるのはその翌日のことだ。眼を覚ますと、もう朝日がいっぱいに射していたが、小恥かしい気分の中で真先に意識に上ってきたのはガンベのあの醜い皮肉な片眼の顔だった。彼奴は憎々しいほくそ笑みを今ごろどこかで漏らしているのだろう。しかも話の合う仲間の処に行って、三文にもならないような道徳面をして、女を見てもこれが女かといったような無頓着さを装っている柿江の野郎が、一も二もなく俺の策略にかかって、すっかり面皮を剥がれてしまったと、仲間をどっと笑わすことだろう。そう思うと柿江は自分というものがめちゃくちゃになってしまったのを感じた。そういえばかんかんと日の高くなった時分に、その家の閾を跨いで戸外に出る時のいうに言われない焦躁がまのあたりのように柿江の心に甦った。  それでも柿江の足は依然として行くべき方に歩いていた。いつの間にか彼は遊廓の南側まで歩いてきていた。往来の少ない通りなので、そこには枯れ枯れになった苜蓿が一面に生えていて、遊廓との界に一間ほどの溝のある九間道路が淋しく西に走っていた。そこを曲りさえすれば、鼻をつままれそうな暗さだから、人に見尤められる心配はさらになかった。柿江は眼まぐろしく自分の前後を窺っておいて、飛びこむようにその道路へと折れ曲った。溜息がひとりでに腹の底から湧いてでた。  何、かまうものか。ガンベは日ごろからちゃらっぽこばかりいっている男だから、あいつが何んといったって、俺がそんなことをしたと信ずる奴はなかろう。もしガンベが何か言いだしたら俺はそうだガンベのいうとおり昨夕薄野に行って女郎というものと始めて寝てみたと逆襲してやるだけのことだ。それを信ずる奴があったら「へえ柿江がかい」と愛嬌にしないとも限らないし、しかしたいていの奴は「ガンベのちゃらっぽこもいい加減にしろ」と笑ってしまうに違いない。こう柿江は腹をきめて何喰わぬ顔で教室に出てみた。ガンベも教室に来ていた。が彼は昨夜のことなどはまったく忘れてしまったようなけろりとした顔をしていた。柿江はガンベを野放図もない男だと思って、妙なところに敬意のようなものを感じさえした。そしてその日はできるだけさしひかえて神妙にしていた。いつガンベに小賢かしいという感じを与えて、油を搾られないとも限らない不安がつき纏って離れなかったから。 「俺はその時、こんな経験は一度だけすればそれでいいと決めていたんだ。まったくそれに違いないのだ。これ以上のことをしたら俺はたしかに堕落をし始めたのだといわなければならない」  淋しい道路に折れ曲るときゅうに歩度をゆるめた柿江は、しんみりした気持になってこう自分にいい聞かせた。彼は始めて我に返ったように、いわば今まで興奮のために緊張しきっていたような筋肉をゆるめて、肩を落しながらそこらを見廻わした。夜学校を出た時真暗らだと思われていた空は実際は初冬らしくこうこうと冴えわたって、無数の星が一面に光っていた。道路の左側は林檎園になっていて、おおかた葉の散りつくした林檎の木立が、高麗垣の上にうざうざするほど枝先を空に向けて立ち連なっていた。思いなしか、そのずっと先の方に恵庭の奇峰が夜目にもかすかに見やられるようだ。柿江にはその景色は親しましいものだった。彼がひとりで散策をする時、それはどこにでもいて彼を待ち設けている山だった。習慣として彼は家にいるより戸外にいる方が多かった。そして一人でいる方が多かった。そういう時にだけ柿江は朋輩たちの軽い軽侮から自由になって、自分で自分の評価をすることができるのだった。慣れすぎて、今は格別の感激の種にはならなかったけれども、それだけ札幌の自然は彼の心をよく知り抜いてくれていた。 「そうだ、もう帰ろう」  柿江はかなり強い決心をもって、西の方を向いてゆるゆると歩みを続けた。そして道路の右側にはなるべく眼をやるまいとした。  しかしそれはできない相談だった。窓という窓には眼隠しの板が張ってあって、何軒となく立ちならんでいる妓楼は、ただ真黒なものの高低の連なりにすぎないけれども、そのどの家からも、女のはしゃぎきった、すさんだ声が手に取るように聞こえていた。本通りの大まがきの方からは、拍子をはずませて打ちだす太鼓の音が、変に肉感と冒険心とをそそりたてて響いてきた。ただ一度の遊興は柿江の心をよけい空想的にして、わずかな光も漏らさない窓のかなたに催されている淫蕩な光景が、必要以上にみだらな色彩をもって思いやられた。彼よりも先に床にあって、彼の方に手をさし延べて彼を誘った女、童貞であるとの彼の正直な告白を聞くと、異常な興味を現わして彼を迎えた女、少しの美しさも持ってはいないが、女であるだけに、柿江がかつて触れてみなかった、皮膚の柔らかさと、滑らかさと、温かさと、匂いとをもって彼を有頂天にした女、……柿江はたんなる肉慾のいかに力強いかを感じはじめねばならなかった。彼は自分が恐ろしくなった。自分がこんなものだとはゆめにも思わなかったのだから。これはいけないとみずからをたしなめながら、すがりつくように左の方の淋しい林檎園を見入ったけれども、それは何んの力にもならなかった。自分の家のことを大急ぎで思いだしてみた。何んの感じもない。白官舎のものたちの思わくを考えてみた。何んの利き目もない。夜学校の教師たる自分の立場を省みてみた。ところが驚くべきことには、そこにいる女の生徒の顔や、襟足や、手足が、今までにもある感じを与えられていないことはなかったが、すぐ無視することのできたそれらのものが……柿江は本当に恐ろしくなってきた。……全身は悪寒ではなく、病的な熱感で震えはじめていた。頭の中には血綿らしいものがいっぱいにつまって、鼻の奥まで塞がっていた。頭の重さというものが感ぜられるほど何かでいっぱいになっていた。そして柿江が何かを反省しようとすると、弾ね返すように断定的な答えを投げつけてよこした。たとえば、世の中にはずっと清潔な心と自制心とを持った男がと考える暇もなく、それは嘘だ、皆んな貴様と同様なのだ、たぶん貴様以上なのだ。法螺吹きのくせに正直者の貴様には今までそれが見えなかっただけだ、と彼の頭は断定的に答えるのだ。彼はそしてその答えに一言もないような気がした。  それなら行こう、と柿江が実際自分の体を遊廓の方にふり向けようとすると、まあ待ってくれと引きとめるものがどこかにいた。女に引きとめられたらそんな感じがするのだろうか、その力は弱いけれども、何かしら没義道にふりきることができなかった。今度が二度目だ。二度行ったら三度行くだろう。三度行ったら四度、五度、六度と度重なるだろう。どこからそんなことをする金が出てくるか。そのうちにすべての経緯が人に知れわたったらいったいどうする。  柿江はきゅうに頭から寒くなった。何んといってもそれは重大な問題だ。柿江は自分がどういう骨組で成り立っているかを知りぬいているのだから。彼奴は妙に並外れた空想家で、おまけに常識はずれの振舞いをする男だが、あれできまりどころは案外きまっていて、根が正直で生れながらの道徳家だ、そういう印象を誰にでも与えている。彼はそれを意識していた。そしてそれに倚りかかって自分というものの存在を守っていた。万一、人々が彼に対して持っているこの印象を我から進んで崩したら、彼は立つ瀬がなくなるのだ。  柿江はいつの間にか遊廓に沿うてその西の端れまで歩いてきてしまっていた。そこには新川という溝のような細い川がせせらぎを作って流れている、その川音が上ずった耳にも響いてきた。柿江はその川を越して遊廓から離れるべきだったのに、離れる代りに、また東の方に向いて元と来た道を歩きはじめた。柿江の心がどっちに傾いてもその足は目指すところを離れようとはしなかった。のみならず、彼は吸い寄せられるように、遊廓に沿うて流れている溝川の方へとだんだん寄っていって、右手の爪を血の出るほど深くぶつりぶつりと噛みながら少し歩いては立ち停り、また少し歩いては立ち停った。そしてとうとう一本だけ渡してある小さな板橋の所に来て動かなくなってしまった。  柿江は自分をそこに見出すと、また窃むようにきょときょととあたりを見廻した。人通りはまったく途絶えていた。そこいらには煙草の吸殻や、菓子の包んであったらしい折木や、まるめた紙屑や、欠けた瀬戸物類が一面に散らばっていた。柿江はその一つずつに物語を読んだ。すべてがすでに乱れきった彼の心をさらにときめかすような物語だった。  突然柿江は橋の奥の路地をこちらに近寄ってくる人影らしいものに気がついた。はっと思った拍子に彼は、たった今大急ぎでそこに来かかったのだというような早足で、驀地に板橋を渡りはじめていた。そして危くむこうからも急ぎ足で来る人――使い走りをするらしい穢ない身なりの女だったが――に衝きあたろうとして、その側を夢中ですりぬけながら、ガンベといっしょに来た時のように制帽を懐ろにたくしこんだ。廓内の往来に出ると、暖かい黄色い灯の光に柿江は眩しく取り巻かれていた。彼は慌てて袖の中を探った。財布はたしかに左の袖の底にあった。今夜はよその家にはいるのが得策だと心であせったが、どういうものかそれができないで、まずいことだとは知りながら、彼はひとりでにガンベに誘いこまれた敷波楼の暖簾を飛びこむようにして潜った。 「日本服を改良しましょう、すぐしましょう」と書いた旗が、どういうきっかけだったか、その瞬間に柿江の眼にまざまざと映って、それが見る間に煙のようにたなびいて消えていった。      *    *    * 「星野清逸兄。 「俺はやっぱり東京はおもしろい所だと思うよ。室蘭か、函館まで来る間に、俺は綺麗さっぱり北海道と今までの生活とに別れたいと思って、北海道の土のこびりついている下駄を、海の中に葬ってくれた。葬っても別に惜しいと思うほどの下駄ではむろんないがね。あれは柿江と共通にはいていたんだが、柿江の奴今ごろは困っているだろう。青森では夜学校の生徒の奴らが餞別にくれた新しい下駄をおろして、久しぶりで内地の土を歩いた。けれどもだ、北海道に行ってから足かけ六年内地は見なかったんだが、ちっとも変ってはいない。貴様にはまだ内地は Virgin soil なんだな。 「郷里にもちょっと寄ったがね、おやじもおふくろも、額の皺が五六本ふえて少ししなびたくらいの変化だった。相変らずぼそぼそと生きるにいいだけのことをして、内輪に内輪にと暮している。何をいって聞かせたってろくろく分りはしないのだから、俺は札幌の方を優等で卒業したから、これから東京に出て、もっとえらい大学で研きをかけるんだといい聞せておいた。何しろ英語を三つ四つ話の中にまぜれば、何をいっても偉いことのように聞こえるんだから、じつに簡単で気持がいいよ。たとえばこういう具合だ。 『おとうさまは知るまいが東京には University という大学があって、象山先生の学問に輪をかけたような偉い学問ができる。そこに行くと俺でも Student という名前を貰って、Sociology and English grammar and Chinese literature というようなむずかしいものを習うだ。どうだね、もう二三年がところ留守にしてもいいずら』 『げえもねえことを……象山先生より偉くなったらどうする気だ』 俺の方では佐久間象山より偉い人間は出てこようがないとしてあるんだ。けれどもだ、おやじは俺が大の自慢で、長男は俺の後嗣ぎ相当に生れついているが、次男坊はやくざな暴れ者だで、よその空でのたれ死でもしくさるだろうと、近所の者をつかまえて眼を細くしている。おふくろは六年も留守にしていた俺がいとしくって手放しかねるようだが、何一つ口を出さない。そして土間の隅で洗いものなどをしながら、鼻水を盥に垂らして、大急ぎですすり上げたりしていた。 「けれどもだ、何をいうにも東京なら近いからということで、俺はとうとう郷里を出た。 Student になると学資ぐらいは自分で働きだすのだといって聞かせたら感心していたようだった。 「東京は俺にとっては Virgin soil だ。俺は真先に神田の三崎町にあるトゥヰンビー館に行って円山さんに会った。ちょうど昼飯時だったが、先生、台所の棚の上に膳を載せて、壁の方に向いて立ったなりで飯を喰っていた。湯づけにでもしていたのだろう、それをかっこむ音が上り口からよくきこえた。東京にこんなことをやって生きている人間があろうとは俺は思わなかったよ。トゥヰンビー館といえば、札幌の演武場くらいを俺は想像していたんだが、行ってみたら、白官舎を半分にして黴を生やしたような建物だった。俺もやはり英語に出喰わすと、国のおやじにひけを取らない田舎者だと思って感心した。 『ダントン小伝』を寄稿したのは俺だといって自分を紹介したら、円山さんは仏頂面に笑い一つ見せないで、そんなら上れといった。俺もそんなら上った。とにかく西洋館で、――とにかく西洋窓のついた日本座敷で、日曜学校で使いそうな長い腰かけと四角なテーブルがおいてあった。円山さんというのがいったい西洋窓のついた日本座敷みたいに、こちんこちんした無愛想な男だ。『何しに来た』、『修業に来た』、『何んの修業に来た』、『社会問題の修業に来た』、『学資がないんだろう』、『そうだ』、『俺に周旋しろというのか』、『まあそうだ』、『家は貧乏か』、『信州の土百姓だ』、『俺たちといっしょに働く気か』、『それはまだ分らない』、『その答はよし』(なんだべらぼうめ――べらぼうという言葉は東京の書生がことごとに使う言葉で、俺はその後に使い覚えた。けれどもだ、この場合の俺の心持を現わすにはじつに都合がいい。本当は俺はその時、円山さんは恐ろしく高飛車に出たもんだなと、胸の中で長たらしく感心していたんだ)。円山曰く『どこで修業するつもりだ』、『W専門学校に行って矢部さんの講義を聞こうとおもう』、『札幌から紹介状でも貰ってきたか』、『来ん』、『じゃ俺が書くからこれから行ってみろ』……辞儀を一つする……貰いものの下駄をはく……歩く(ここは長し)……早稲田という所は田圃の多いところだ。名詮自称だ。……大隈の大きな屋敷を外から見た。W専門学校に着いた……他の奇なし。 「矢部さんは円山さんよりよほど愛想がいい。写真で片眼のべっかんこなのは知っていたが、ひどい若白髪だ。これはだいぶクリスチャンらしかった。俺も相当鞠躬如たらざるを得なかった。知合いの信者の家に空間があるかもしれないからいっしょに出かけてみようといって、学校から七八町くらいだ、表書きの家は、そこに連れていってくれた。そこのお内儀さんが矢部さんを見るとマルタが基督にでも出喰わしたように頭を下げるので、俺は困った。俺は白状すると矢部さんよりもマルタの方によけい頭が下げたいぐらいだったから。東京の女は俺の眼から見ると皆な天使のようだぞ。 「俺の部屋は四畳半で二階の西角だ。東隣りは大きな部屋だが畳を上げて物置になっていて、どういうものか鼠の奴がうんといる。夜になると盛んに遊弋をやって賑やかでいい。けれどもだ、俺の所には喰うものはないからややもすれば足の先および耳鼻の類が危険だから、俺はかじられないだけの用心はしている。これより先、じつは俺は足の先をすでにかじられかかったんだ。けれどもだ、縁の先には大きな葡萄棚があって、来年新芽を吹きだしたら、俺は王侯の気持になれそうだ。 「何しろ学校で袴と草履をはかないのは俺だけだ。足の裏が丈夫なら草履ははかなくともいいが袴ははかなければいかんといやがる。けれどもだ、袴をはけとは規則書に書いてないから勝手じゃないかと俺はいうた。足の裏はもとより丈夫だが、脛っぷし――というものがあるかないか、腕っぷしがある以上はありそうなものだ――だって丈夫だからな。俺はこれをサンキロティズムに対してサンバカミズム(Sansbakamism)と呼ぶだ。 「矢部さんの講義は何んといっても異色だ。嶄然足角を現わしている。経済学史を講じているんだが『富国論』と『資本論』との比較なんかさせるとなかなか足角が現われる。馬脚が現われなければいいなと他人ながら心配がるくらいだ。図書館の本も札幌なんかのと比べものにならない。俺は今リカードの鉄則と取っ組合をしている。 「さてこれからまた取っ組むかな。 「大事にしろよ。 西山犀川  十月二十五日夜      *    *    * 「ガンベさん、あなた今日から三隅さんの所に教えにいらしったの」  渡瀬は教えに行った旨を答えて、ちょうど顔のところまで持ち上げて湯気の立つ黄金色を眺めていた、その猪口に口をつけた。 「おぬいさんって可愛いい方ね」  そういうだろうと思って、渡瀬は酒をふくみながらその答えまで考えていたのだから、 「あなたほどじゃありませんね」  とさそくに受けて、今度は「憎らしい」と来るだろうと待っていると、新井田の奥さんは思う壷どおり、やさ睨みをしながら、 「憎らしい」  といった。そこで渡瀬はおかしくなってきて、片眼をかがやかして鬼瓦のような顔をして笑った。笑う時にはなお鬼瓦に似てくるのを渡瀬はよく知っていた。 「この女は俺の顔の醜いのを見て、どんなに気をゆるしてふざけても、遠慮からめったなことはしないくらいに俺を見くびっているな。醜い奴には男の心がないとでも思っているのか。ひとついきなり囓りついてどのくらい俺が苦しめられているか思い知らしてやろうかしらん」  渡瀬は真剣にそうおもうことがよくあった。そのくらい新井田の夫人は渡瀬に対して開けっ放しに振舞ったし、渡瀬は心の中で、ありえない誘惑に誘惑されていたのだ。この瞬間にも彼にはそうした衝動が来た。渡瀬は笑いからすぐ渋い顔になった。 「あら変ね、何がそんなにおかしいこと」  といいながら、銚子の裾の方を器用に支えて、渡瀬の方にさし延べた。渡瀬もそれを受けに手を延ばした。親指の股に仕事疣のはいった巌丈な手が、不覚にも心持ち戦えるのを感じた。 「でもおぬいさんは星野さんに夢中なんですってね」  女郎上りめ……渡瀬は不思議に今の言葉で不愉快にされていた。「おぬいさん」と「夢中」という二つの言葉がいっしょに使われるのが何んということなしに不愉快だった。人の噂からおぬいさんを弁護する、そんなしゃら臭い気持は渡瀬には頭からなかったけれども、やはり不愉快だった。 「焼けますかね」  渡瀬は額越しに睨みかえした。 「それはお門違いでしょう」  今度は奥さんの方が待ち設けていたようにぴったりと迫ってきた。 「ははあん、この女はやはり俺をすっかり虜にした気で得意なんだが、おぬいさんに少々プライドを傷けられているな……ひとつやってやるかな」  渡瀬の胸の中でいたずら者がむずむずし始めた。奥さんが、ごくわずかの間であったけれども、苦界というものに身を沈めていて、今年の始に新井田氏の後妻として買い上げられたのだという事実は渡瀬の心をよけい放埓にした。うんと翻弄してやろう……もしも冗談から駒が出たら――何かまうもんか、その時はその時のことだ……という万一の僥倖をも、心の奥底では度外視してはいなかった。 「図星をさされたね」  渡瀬はまたからからと笑って、酒に火照ってきた顔から、五分刈が八分ほどに延びた頭にかけて、むちゃくちゃに撫でまわした。 「ところが奥さん、あれは高根の花です。ピュリティーそのものなんです。さすがの僕もおぬいさんの前に出ると、慎みの心が無性に湧き上るんだから手がつけられない……そんなに笑っちゃだめですよ、奥さん、それはまったくの話です。……何、信用しない……それはひどいですよ、奥さん。僕なんざあとてもおぬいさんのマッチではない。マッチですか。マッチというと相方かな(これはしまったと思って、渡瀬は素早く奥さんの顔色を窺ったが、案外平気なので、おっかぶせて言葉を続けた)相手かな……相手になれないと諦める気ばかり先に立つのです。おぬいさんの前に出ると、このガンベもまったく前非を後悔しますね」 「そんなに後悔することがたくさんおありなさるの」 「ばかにしちゃいけません。ばかにしちゃあ……」  渡瀬はまたあとを高笑で塗りつぶした。この女は生れてから満足した男に出遇ったことがないに違いない。ずいぶんいろいろな男の手から手に渡ったらしいのに、それだからたまには不愉快なほど人擦れがしているくせに、どこかさぐり寄るような人なつっこいところも持っている。こういう女に限って若い男が近づくと、どんなにしゃんとしているように見えても、変に誘惑的な隙を見せる。おまけにこの女は少し露骨すぎる。星野に対してはあの近づきがたいような頭の良さと、色の青白い華車な姿とに興味をそそられているらしいし、俺を見ると、遠慮っ気のない、開けっ放しな頑強さにつけ入ろうとしている。そのくせいい加減なところに埒を造って、そこから先にはなかなか出てこようとはしない。いわば星野でも、俺でも、そのほかあの女の側に来る若い男たちは、一人残らず体のいいおもちゃにされているんだ。おもちゃにされるのが不愉快じゃないが、それですまされたのでは間尺に合わない。埒に手をかけて揺ぶってやるくらいの事はしても、そしてこの女がぎょっとして後すざりをするくらいなことになっても、薬にはなるとも毒にはなるまい。渡瀬は片眼をかがやかしながら、膳から猪口を取り上げて、無遠慮に奥さんの方にそれをつきだした。奥さんは失礼だという顔もせずに、すぐに銚子を近づけた。 「奥さん、あなたも杯を持ってきませんか。一人で飲んでるんじゃ気がひけますよ」  渡瀬はそう無遠慮に出かけてみた。 「私、飲めないもの」  酌をしながら、美しい眼が下向きに、滴り落ちる酒にそそがれて、上瞼の長い睫毛のやや上反りになったのが、黒い瞳のほほ笑みを隠した。やや荒んだ声で言われた下卑たその言葉と、その時渡瀬の眼に映った奥さんの睫毛の初々しさとの不調和さが、渡瀬を妙に調子づかせた。 「飲めないことがあるものか、始終晩酌の御相伴はやっているくせに」 「じゃそれで一杯いただくわ」  渡瀬はこりゃと思った。埒がゆさゆさと揺ぶられても、この女は逃げを張らないのみか、一と足こっちに近づこうとするらしい。構えるように膝の上に上体を立てなおして、企みもしないのに、肩から、膝の上に上向きに重ねた手の平までの、やや血肥りな腕に美しい線を作って、ほほ笑んだ瞳をそのままこちらに向けて、小首をかしげるようにしたその姿は、自分のいいだした言葉、しようとしていることを、まったく知らない無邪気さかとみえるほど平気なものだった。渡瀬に残されたただ一つのことは、どたん場で背負投げを喰わない用心だけだ。 「いいんですか」 「何がよ」  すぐこういう答えが出た。 「ははは、何がっていわれればそれまでだが、じゃいいんですね」 「だから何がっていってるじゃありませんか」 「だから何がっていわれればそれまでだが……それまでだから一つあげましょう。循環小数みたいですね」  もとよりそこに盃洗などはなかった。渡瀬は膳の角でしずくを切って……もう俺の知ったことじゃないぞ……胡座から坐りなおって、正面を切って杯を奥さんの方にさしだしかかった。 「一人で飲んでいちゃ気が引けるとおっしゃられるとね」  と落着いた調子でいいながら奥さんは躇らいもせず手を出すのだった。 「御同情いたみ入ります」  渡瀬は冗談じゃないぞと心の中でつぶやきながら急場で踏みこたえた。そして杯にちょっと黙礼するような様子をして手を引きこめた。 「あら」 「味が変っているといけないと思ってね、はははは……奥さん、僕はこれで己惚れが強いから、たいていの事は真に受けますよ。これから冗談はあらかじめ断ってからいうことにしましょう」 「まったくあなたは己惚れが強いわねえ」  といいきらないうちに奥さんは口許に袖口を持っていって漣のように笑った……眼許にはすぎるほどの好意らしいものを見せながら。思ったより手ごわいぞと考えつつも、渡瀬はやはりその眼の色に牽かれていた。そして奥さんの今の言葉は、渡瀬を大きなだだっ子にしていっているもののようにも取れば取れないこともなかった。渡瀬はしかし面倒臭くなってきた。いわば結局互に何んの結果に来るものではないのを知り抜いていながら、しいて不意な結果でも来るかのごとくめいめいの心に空想を描いて、けち臭い操りっこをしているのが多少ばからしくなってきた。そして渡瀬の腹には、どうせほんものにはなる気づかいはないという諦めも働いていないではなかった。おまけに新井田氏の帰宅が近づいているのも考えの中に入れなければならなかった。  ちょうどその時、渡瀬の後ろのドアがせわしなく開いたとおもうと、そこに新井田氏が小柄な痩せた姿を現わしたらしかった。渡瀬は前のように考えながらも、やはり奥さんに十分の未練を持っている自分を見出ださねばならなかった。なぜというと新井田氏がはいってきた瞬間に、その眼は思わず鋭くなって、奥さんが良人をどういう態度で迎えるかを観察するのを忘れなかったからだ。 「お帰りなさいまし」  と簡単にいうと、奥さんは体全体で媚びながらいそいそと立ち上った。渡瀬が注意せずにいられなかったのは立ち上った奥さんの節長に延びた腰から下に垂れ下っている前垂の、いうにいわれないなまめかしい感じだけだった。そんなものが眼に焼きつくほどに、奥さんは平生と少しも異ならない奥さんにすぎなかった。彼は坐りなおした自分の膝頭を見やりながら俯つ向いて、苦笑いの影を唇に漂わせるほかはなかった。  強い黄色い光を部屋じゅうに送る大きな空気ラムプの下にいても、新井田氏は血色の悪い人だった。一種の空想家らしくぎらぎらとかがやく大きな眼が、強度の眼鏡越しに、すわり悪く活き活きと動いた。 「どうも失礼。おはじめでしたか。え、どうぞ。ちょっと用が片づかなかったもんですからおそくなって。……日が短かくなりましたなあ。それに戸外はずいぶん寒うござんすよ」  新井田氏は蛇の皮のように上光りのする綿入の上ん前を右手できりりと引張りつけながら奥さんの今まで坐っていたところにきちんと坐った。そして煙管筒を大きな音をさせて抜き取ると、女持ちのような華車な煙管を摘みだした。  三十分ほどの後、新井田氏と渡瀬とは夕食をすませて、二人の間に研究室と呼びならされる暗室のような窓のない小部屋に、四角な粗末な卓を隔てて向いあっていた。小さなラムプのえがらっぽいような匂いと、今まで人気のなかったための寒さとが重くよどんでいた。  渡瀬は、代数の計算と下手な機械のダイヤグラムとが一面に書きつづられているフールス・キャップ四枚を自分の前において、イーグル鉛筆を固く握りしめながら新井田氏に項式の説明を試みているのだった。新井田氏はそのころ流行し始めた活動写真機に興味を持って、その研究なるものをやっていたのだ。自分の手で発声蓄音機を組立ててみたいというのが氏の野心だった。映画用のフィルムの運動の遅速によって蓄音機の方の速度が調節されるようにするのがあたり前だと渡瀬は考えた。しかし日本に来ている蓄音機は簡単な機械であるために、勢い蓄音機の方の改造は諦めて、それが有する速さに応じて写真機の方の速度を調節するように研究せねばならなかった。これならしかし割合に簡単なことで、渡瀬の工夫になる小さな中間機を使用すれば、実際においてある程度までの効果を挙げることができたのだ。新井田氏はその成功に喜び勇んで早く実用的な機械の製作にかかりたいとあせるのだけれども、渡瀬にとってはそれはさして興味のあることではなかった。渡瀬は蓄音機の機械をどれだけ複雑にすれば、最小限度の複雑化によって最大の効果を挙げうるかを数理的に解決したかったのだ。それゆえ彼は毎日その計算にばかり熱中して、新井田氏が機械の製作に取りかかろうというのを一日延ばしに延ばさせていた。始めの間こそは新井田氏もより進んだ発見が工作費用を節減するものと感じて根気よくその成就を待っているようだったが、計算の仕事がいつまで経っても片づかないのを知ると、そしてその問題が解決されても、日本ではそういう蓄音機を実際に製作するのが困難らしいということをほのめかされると、だんだん性急になってきた。計算計算といって長びいているのは、たんに仕事を長びかせるための渡瀬の魂胆ではないかと邪推しだしたらしいのを渡瀬は感じた。いい加減に切り上げようかと渡瀬の思ったのもたびたびだったが、そうするとこの方の研究は早速打ち切りになって、他の研究がはじまるのを覚悟せねばならない。それは彼にとっては惜しいことだった。それゆえ彼は新井田氏の思わくをできるだけ無視しようとした。  渡瀬は今日もまた新井田氏と罫紙とをかたみ代りに見やりながら続けた。 「これがシャッターの回転数と蓄音機の円盤の回転数との関係を示した項式です。こういう具合にシャッターの方をAとし、円盤の方をBとすると、AとTとの積は、一定時間におけるAのヴェロシティすなわちVだから、それからこの項式が出てくるのです。そこに持ってきてBの方はこうなるでしょう」  新井田氏は半分解らないながらも、中腰になったまま、卓によりかかって神妙に渡瀬の説明に耳を傾けているらしくみえた。渡瀬はできるだけ解りやすくと、噛みくだくようにものをいっていたが符号や数字が眼の前に数限りなくならんでいるのを辿っていくと、新井田氏の存在などはだんだん薄ぼやけてきた。今まで奥さんを眼の前にすえてふやけていた彼の頭はみるみる緊張して、水晶のような透明さを持ちはじめた。数字がたんなる数字ではなくなった。いわばそれらは大きな兵士の群のようだった。そのおのおのが持っている任務と力量とを彼は指揮官のように知っていた。彼はそれを用いてある勝敗を争おうとするのだ。彼の得意とする将棋や囲碁以上にこれは興味のあるものだった。どんな弱い敵に向っても、どんな優秀な立場にあっても、天運というものが思わざる邪魔をしないとも限らない、そこに自分の力量をだけ信用してはいられない投機的な不思議があるとともに、そうした場合自分の力量が、どれほどしなやかに機変に応じうるかを見きわめたい誘惑は大きかった。  渡瀬は説明を続けているうちに、だんだん一つの不安心な箇所に近づいていった。その個所を突破しさえすれば問題の解決は著しくはかどるのだ。そこにもう一度ぶつかって、それを征服してしまおうとの熱意がいよいよ燃えてきた。彼の眼の前で数字が堂々たる陣容を整えて展開した。それが罫紙の上をあるいは右に、あるいは左に、前後上下に働きはじめた。渡瀬は仕事たこのできた太い指の間にイーグル鉛筆を握って、数字と数字との間を縦横に駈けめぐった。しばらくの間鉛筆は紙の余白に細かい数字を連ねていたが、そして渡瀬は神文でも現われてくるのを見る人のように夢中で鉛筆のあとを追っていたが、やがて鉛筆ははたととまってしまった。その瞬間に渡瀬は眼がさめたようになって、今まで書き続けていたところを読み辿ってみた。計算に間違はなかったけれども、項式はもう発展できないように横道に来ていた。 「奇体だなあ」  彼は思わず鉛筆を心もち紙の表面からもち上げて、自分に対して必死の抵抗を試みようとする項式をまじまじと眺めた。 「そこがどうなんです」  新井田氏が依然としてそこにいたのを渡瀬は知った。新井田氏の存在をおぼろげながら意識すると彼がその顧問(新井田氏自身は渡瀬を助手と呼んでいたが)となって、学資の大部分を得ているのを考え合わさないわけではなかったが、それが他人事のようにしか感じられなかった。渡瀬は「え」といってちょっと新井田氏を見上げただけで、またもや手をかえてその難問題にぶつかろうとした。大きな数がみごとに割り切れた時のような、あのすがすがしい気持を味うまでは、渡瀬の胸のこだわりはどうしても晴れようとはしなかった。彼は鞭つように罫紙を裏返した。それは見るまに数字で埋まってしまった。また一枚を裏返した。それもたちまち埋まっていこうとする。しかし計算はますます迷宮に入るばかりで、いつそこから抜けでられるのか予想はとてもつかなくなるばかりだった。 「変だなあ」  そう渡瀬の唇はおのずから言葉となった。そして鉛筆は堅くその手に握られたまま停止してしまった。 「そんなむずかしい計算をしなければこれは分らないのですか」  と新井田氏がそのきっかけをさらって口を入れた。すぐ癇癪を立てる、こらえ性のない調子が今度の言葉には明かに潜んでいた。渡瀬はそれを聞くと、これはいけないぞと思った。そしてはじめて新井田氏の存在を正当に意識の中に入れてその人を見やりながらつくろうような笑顔を見せた。口をゆるめると、今まで固く噛み合っていた歯なみが歯齦からゆるみでるい軽い痛みを感じた。  不断はいかにも平民的で、高等学府に学んでいる秀才を十分に尊敬しているといいたげな態度を示している新井田氏でありながら、こういう場合になると、にわかに顔つきまで変ってしまって、少し加減してみせるとすぐつけあがってきやがると言わんばかりの、傲慢な、見くだしたような眼の色を、遠慮もなく渡瀬の顔に投げてよこすのだった。しかしながら渡瀬はそれしきのことで自分の仕事を中止する気にはなれなかった。彼は好んでとぼけた様子をしながら、 「それはできないことはありませんがね……ま、もう少し待ってください。じきです。これさえ解ければ完全なものになるんですから……」  といって、ふたたび罫紙に眼を落した。新井田氏はそれに対して別に何んともいわなかった。けれどもしぶとい奴だと言わんばかりな眼が、渡瀬の額の生えぎわのあたりを意地悪くさまよっているのは、明かに渡瀬の神経にこたえてきた。まだだいじょうぶと渡瀬は思った。そこで彼はふたたび新井田氏をそっちのけにして、行きづまった計算の緒口をたぐりだしにかかった。  今度こそはと意気組を新たにしてかかった。数字がだんだんとその眼の前で生きかえり始めた。彼は今度は同じ項式の分解を三角法によってなし遂げようと企てた。彼の頭の中にはこの難問題の解決に役立つかとおもわれるいくつかの定理が隠見した。鉛筆を下す前にその中からこれこそはと思われる一つを選み取らねばならぬ。彼は鉛筆の尻についているゴムを噛みちぎって、弾力の強い小さな塊を歯の間に弄びながらいろいろと思い耽った。  突然インスピレーションのように一つの定理が思いだされた。胸にこみ上げてくる喜びをじっと押し殺して、参謀の提出した方略を採用する指揮官のように、わざと落ちつき払いながら鉛筆を動かし始めた。今度こそはすべてが予期どおりに都合よく行きそうにみえた。一度分解した項式が結合をしなおして、だんだん単純化されていくところからみると、ついには単一の結論的項式に落ちつきそうにみえた。渡瀬は今まで口の中に入れていたゴムを所きらわず吐き捨てて、噛りつくように罫紙の上にのしかかった。  けれどもやはりむだだった。八分というところに来て、ようやく二つに纏め上げた項式をいよいよ一つに結び合せようとする段になって、どうしてもそれが不可能であるのを発見してしまった。 「畜生」  思わず渡瀬は鉛筆を紙の上にたたきつけてこう叫んだ。 「渡瀬さん、私はもう行きます」  その瞬間にこう鋭くいい放された新井田氏の声を聞いて、渡瀬はまたもや現実の世界に引き戻された。もうそこいらには新井田氏の癇癪の気分がいっぱいに漂っていた。渡瀬は思わず突っ立った。 「どうも私はこういうことは困りますな。なるほど研究には違いなかろうけれども、私のは機械がともかくできてさえくれればそれでいいんです。君のなさるようなことを、ここでこうしてぼんやり眺めていたところが、何んの薬にもなりませんから、私はごめん蒙ります。すっかり冷えこんでしまいましたお蔭で……」 「ははん、先生、腹立ちまぎれに明日から俺を抛りだそうと考えているな。こりゃこうしちゃいられないぞ」……渡瀬の頭に咄嗟に浮んだのはこれだった。しかし彼は驚きはしなかった。彼にはこの危地から自分を救いだす方策はすぐにでき上っていた。彼は得意先を丸めこもうとする呉服屋のような意気で、ぴょこぴょこと頭を下げた。そのくせその言葉はずうずうしいまでに磊落だった。 「やあすみませんまったく。こちらに来るまでに計算はこのとおりやっておいて、結果が出るばかりになっていたのだから、すぐできるとたかをくくっていたんですが、……これで計算という奴は曲者ですからなあ。今日はそれじゃ僕は失敬して家でうんと考えてみます。作るくらいならあんまり不器用な……」 「そりゃそうですとも、作る以上は完全なものにしたいのは私も同じことじゃありますが、計算までここでやってるんじゃ、私は手持無沙汰で、まどろっこしくって困りますよ」  計算だって研究の一つだい。道具を家で研ぎすましておいて仕事場に来る大工があってたまるものか。いい加減な眼腐れ金をくれているのにつけあがって、我儘もほどほどにしろ。渡瀬は腹の中でこう思いながらも、顔つきにはその気配も見せなかった。 「じつは僕もこの仕事は早く片をつけたいんです。学校のラボラトリーでやっている実験ですが、五升芋(馬鈴薯の地方名)から立派なウ※(小書き片仮名ヰ)スキーの採れる方法に成功しそうになっているんです。これがうまくゆきさえすれば、それもひとつ見ていただきたいと思っているもんだから……」  新らしがりと、好奇心と、慾との三調子で生きているような新井田氏にこれが訴えていかないはずがない。渡瀬は新井田氏の顔が、今までの冷やかにも倨傲な表情から、少し取り入るような――しかもその急激な変化に自分自身多少のうしろめたさを示さないではない――それに変っていくのを見てしすましたりと思った。 「それもまあそれでしょうがね。それにつけてもこっちの方を片づけていただかないじゃあね」  渋い顔には相違なかったが、それは喉の奥から手の出そうな渋い顔だった。発声蓄音機の方は成功したところが、そう需用のたくさんありそうなものではない。日本酒が高価になるばかりな時節に、ウ※(小書き片仮名ヰ)スキーは当るに違いない。これは新井田氏がすぐ気のつきそうなことだ。ウ※(小書き片仮名ヰ)スキーという新時代のものらしい名前そのものも、新井田氏には十分の誘惑になっているはずだ。  渡瀬は計算用の原稿紙を一まとめにして懐ろにしまいこみながら、馬鈴薯から安価な焼酎と、そのころ恐ろしく高価なウ※(小書き片仮名ヰ)スキーとが造りだされる化学上の手続を素人わかりがするように話して聞かせた。新井田氏の顔はだんだん和らいできた。投機者には通有らしい、めまぐるしく動く大きな眼――それはもう一歩というところで詐欺師のそれと一致するものだが――の眼尻に、この人に意外な愛嬌を添える小皺ができはじめた。それは自分の意見に他人を牽き寄せようとする時には、いつでも自然に現われてくるのだった。人相見にでもいわせたら、これはこの人が天から授かった徳相だとでもいうのだろう。  研究室はまったく寒い部屋だった。渡瀬は計算に夢中でいる間は少しも気がつかなかったが、これでは新井田氏が不平をこぼしたのもむりがないと思った。火鉢一つでは、こんな天井の高い家ではもう凌げる時節ではない。それに宵もだいぶふけたらしかった。おまけに酒の酔いもさめぎわになっていた。  玄関に来て帰りの挨拶をしかけると、新井田氏がきゅうに思いついたように、ちょっと待ってくれといってそそくさと奥にはいっていった。渡瀬はやむを得ずそこに突立って自分の下駄と新井田氏が脱ぎ捨てた履物とを較べなどしていた。その時頭のすぐ上で突然音がした。ちょっと驚いて見上げてみると玄関のつきあたりの少しすすけた白壁に、金縁の大きな丸時計がかかっていて、その金色の針がちょうど九時を指していた。玄関に時計をおくとは変な贅沢をしたもんだなあと思いながら、渡瀬はまじまじと大ぎょうな金色に輝くその懸時計を見守って値ぶみをしていた。  間もなく新井田氏が奥さんにつきまとわれるようにして出てきた。渡瀬が夕食の馳走になった部屋のドアが開けぱなしにしてあるので、生暖かい空気とともに、今まで女がいたらしいなまめかしい匂いが、遠慮なく寒い玄関の空気の中に漂いでてきた。 「どうもお待たせしてすみませんでした」  新井田氏の口調は、第三者の前でいつでも新井田氏が渡瀬に対してみせるあの尊大で同時に慇懃な調子になっていた。 「今月の何んです、今月のお礼ですが、都合がいいから今夜お渡ししておきます。で、と、明日はおいでのない日でしたな。ところが明後日は私ちょっとはずせない用があるんですが、どうでしょう明日に繰り上げていただいちゃ、おさしさわりになりますか」 「ははん、活動写真は明日から廃業だな。先生ウ※(小書き片仮名ヰ)スキーで夢中になっているな。子供だなあ」  月末にはまだ三日もある今夜報酬をくれるというのもそれで読めた。ところで俺の方からいうと、報酬を貰った以上、今月はもう来ないというのは予定の行動だ。 「ええ差支えありません。来ますとも」 「どうぞいらしってちょうだいね」  奥さんが……主人の加勢をするように主人には聞こえ、渡瀬を誘惑するように渡瀬には聞こえるそんな調子で。 「何しろ新井田は果報者だて」  渡瀬は往来に出て、寒い空気に触れるにつけて、暖かそうな奥さんの笑顔と肉体とを実感的に想像して、こう心の中で呟いた。けれども同時に、彼の懐ろの内も暖いのを彼は拒むことができなかった。あれだけをおっかあに渡して、あれだけを卯三公にやって、あれだけであの本を買って……と、残るぞ。二晩は遊べるな。……と、待てよ。きゅうにさっきまで考えつめていた計算のことが頭に浮んだ。ふむ……待てよ。渡瀬はたちまちすべてを忘れてしまった。数字の連なりが眼の前で躍りはじめた。渡瀬はしたり顔に一度首をかしげると、堅く腕を胸高に組合せて霜の花でもちらちら飛び交わしているかと冴えた寒空の下を、深く考えこみながら、南に向いてこつりこつりと歩いていった。      *    *    *  ガンベが「園にそうたびたびねだるのだけはやめろ、よ。あんなお坊ちゃんをいじめるのは貴様可哀そうじゃねえか。貴様ああんまりけちだぞそれじゃ。俺なんざあこれで一度だって園にせびったことはないんだ。それに、まさかという時の用意に一人くらいとっときを作っておかないとうそだぞ貴様、はははは」といって笑ったことがあった。人見は隣りの園の部屋に行こうかと思って座を立ちかけた瞬間にこれを思いだした。しかし今の場合、園の所に行って話を持ちかけるほかに道がないのだ。  人見は痩せてひょろ長い体を机の前に立ちあがらせると、気持の悪い生欠伸をした。彼は自体、園にこんなことをたびたび頼むのは、自分の見識からいっても、いかがなものだとは知っていたんだが、まず何んといっても一番無事に話のつきそうなのは、園のほかにはないのだからしかたがない。取りあってくれない奴だの、ばかにして話に乗らない奴だの、自分の金の不足になったことだけを知っていて、油を搾ろうとする奴だのにかかってはまったく面倒だ……それとももう一度婆やを泣かせようかとも思ったが、はした金にありつくのに、婆やの長たらしい泣き言を辛抱して聞いているのはやりきれない。やはり園が一番いい。すべての点において抵抗力が最も少ない。よかろう……人見は自分の部屋を出て、隣りの部屋のドアに手をかけた。また生欠伸が出た。 「園君いる?」 「ああ、はいりたまえ」  すぐこういう返事が小さく響いたが、机に向いたままでいっているらしく、声がゆがんで聞こえてきた。勉強をしているなとおもいながら、人見はそっと戸を開いた。  きちんと整頓した広い部屋の一隅に小さな机があって、ホヤの綺麗に掃除された置ラムプの光の下で、園ははたして落ち着いて書見していた。戸外では雨も雪もまじえない風がもの凄く吹きすさんでいたが、この部屋はしんみりとなごいていた。人見は音のしないように戸をたてると、静かに机の方によっていった。やがて園ははじめて顔を挙げて人見を見かえった。光に背いて暗らくはあったけれどもその顔には格別不快らしい色は見えないようにみえた。そして「ひどい風になったねえ」といいながら、静かに座を立って、座蒲団の上に敷きそえていた、毛布の畳んだのを火鉢の向うにおきなおした。人見はちょっと遠慮するような恰好でそれに坐った、それは園の体温でちょうどよく暖たまっていた。  綺麗に掃除されたラムプの油壷は瑠璃色のガラスで、その下には乳色のガラスの台がついていた。ありきたりの品物だけれども、大事に取り扱われているためか、その瑠璃色の部分が透明で、美しい光沢を持っていた。骨を入れて蝙蝠傘のような形に作った白紙の笠、これとてもありきたりのものだが、何んとなく清々しくって、注意してみると、一カ所、針の先でいくつとなく孔を明けた所があった。園が何か深く考えこみながら、無意識にその辺にあった縫針でいたずらをしたものに違いない。あの子供のように澄んだ眼でじっとラムプを見つめながら、ぷつりぷつりと乾いた西洋紙に孔を明けている園の様子が見えるようだった。 「何を勉強しているの」  園に対してはどうもひとりでに人見は声を柔らげなければならなかった。 「僕には少し方面ちがいのものだけれども、星野君が家に帰る時、読んでみろっておいていったものだから」と答えながら園は書物を裏返して表紙を人見に見せた。濃い藍の表紙に、金文字でたんに“Mutual Aid”とだけ書いてあった。 「倫理学の問題でも取りあつかったものかい」 「著者は Prince P. Kropotkin という人で……」 「何、クロポトキン……それじゃ君、それは露西亜の有名な無政府主義者だ」  人見は星野や西山たちが議論する座に加わって、この人の名はたびたび耳に入れたのだが、自分は学校で「農政および農業経済科」を選んでいるくせに、その人にどんな著書があるかをさえ調べてみたことはなかったのだ。 「そうだってね。僕にはその無政府主義のことはよく分らないけれども、この本の序文で見るとダーウ※(小書き片仮名ヰ)ン派の生物学者が極力主張する生存競争のほかに、動物界にはこの mutual aid ……何んと訳すんだろう、とにかくこの現象があって、それはダーウ※(小書き片仮名ヰ)ンもいっているのだそうだ。……そうだ、いってはいるね。『種の起源』にも『旅行記』にも僕は書いてあったと思うが……。それがこの本の第一編にはかなり綿密に書いてあるようだよ」 「科学的にも価値がありそうかい」 「ずいぶんダータはよく集めてあるよ」  そういいながら園はそこにあった葉書をしおりにはさんで書物を伏せた。柿江――彼は驚くべき多読者だが――などが書物を読んでいるのを見ても、そうは思わないが、園の前に書物があるのを見ると、人見はある圧迫を感じないわけにはいかなかった。園はあの落ち着いた態度で書物の言葉の重さを一つずつ計りながら、そこに蓄えられている滋養分を綺麗に吸い取ってしまいそうに見えた。そして読み終えられた書物には少しの油気も残ってはいまいと思わされた。実際園が書物に見入っているところを傍から見ていると、一刻一刻園が成長してゆくのが見えるようで、人見はおいてきぼりを喰いそうで、不安になるくらいだった。といって彼の書見に反対を称える理由はさらにないのだ。  話題が途切れると、園は静かな口調で、今まで読んだところを人見に話し始めたが、人見にとっては初耳で珍らしい事実が次から次へと語りだされるのだった。そして園は著者の提供した議論に対しても相当に見識があると思われる批評を下すのを忘れなかった。生娘のように単純らしく思われる園の頭がよくこれだけのことを吸収しうるものだ。つまりあいつの頭は学者という特別な仕事に向くようにできているんだと人見は(自分の持っている実際的の働きにある自信を加えて)思った。したがって園の話すところは、珍らしく、驚くべき事実であるには相違ないけれども、人見にとっては直接何んの関係もないことだった。そんなことを覚えていたところが、それは彼にとっては鶏肋のようなもので、捨てるにもあたらないけれども、しまいこんでおくにはどこにおくにも始末の悪い代物だった。結局その場のばつを合わせるために、そうかといって聞いておけば、それですむような事柄なのだ。で、人見は聞きながらもだんだん興味からは遠ざかっていった。それよりも機を見計らってこっちから切りだそうとする問題が、ややともすると彼の頭をよけい支配した。  人見の顔からは興味の薄らいでゆくのを見て取ってか、園はやがて話を途中で切って黙ってしまった。それがしかし人見を軽蔑しての上のことでないのはその顔色にもよく窺われるし、かえって自分で出すぎたことをいって退けたと反省して遠慮するらしい様子が見えた。  この辺でこっちが今度は切りだす番だ。ちょうどいい潮時だと人見は思ったが、園に向っていると変にぎごちない気分が先き立った。彼は自分を促したてるように、明日に迫る月末の苦しさを一度に思い起してみた。それと同時に、何度も園からせびり取りながら、そして一時的な融通を頼むようなことをいつでもいいながら、一度も返済したことのない後ろめたさが思い起されるのだった。今度借りたら、今度こそは一度でも綺麗に返金しておかないとまずいことになる。そうしよう。そうして借りようととうとう人見は腹をきめた。  人見は星野の真似をして襟首に巻いていた古ぼけたハンケチに手をやって結びなおしながら上眼で園を見やった。 「時に園君どうだろう。君の所に少しでもよぶんの金はないだろうか。(おっかぶせるように)じつは君にはたびたび迷惑をかけているのですまないんだが、またすっかり行きつまっちゃったもんだから……西山か星野でもいるとどうにかさせるんだが(こりゃ少しうそがすぎたかなと思ったが園がその言葉には無関心らしく見えるのですぐ追っかけて)ちょうどいないもんだから切羽つまったのさ。本屋の払いが嵩みすぎて……もう三月ほど支払を滞らしているから今度は払っておいてやらないとあとがきかなくなるんだ。……そうだねえ五円もあれば(五円といえば一カ月の食費だが少し大きくいいすぎたかしらんと思って人見はまた園の様子を窺った)……何、それだけがむずかしければ内輪になってもかまわないんだが……」  園は人見の眼に射られると、かえって自分で恥じるように視線をそらして、火鉢の火のあたりを見やったが、じっとそれを見やってしばらく考えているらしく、返事をしなかった。  人見は園が格別裕福な書生であるとは思われなかった。が、少なくとも白官舎にまがりこまねばならぬほどの書生ではなく、ここに来たのは星野がいっしょにいようと勧めたからのことであるのを知っていた。それにしても、足りないながらも国許から毎月自分に送ってくる学資をよそに消費しておいて――消費するというと大きく聞こえるが、ほんの少しばかりをおたけとクレオパトラのために消費するだけなのだ――不足を園にぶちかけるのは少し虫がよすぎるようだ。しかしこの場合金がいることだけはたしかなのだ。園が何んと返事をするかと人見はそれに興味をさえかけた。 「だいぶ切迫して必要なの」  とややしばらくして園がはじめて顔を上げて静かに人見を見た。これはまた園があまり真剣に考えすぎたなと思うと、人見には即座に返事をするのが躊躇された。その時ふっと考えついた思案をすぐ実行に移した。彼は懐中を探って蟇口を取りだした。そしてその中からありったけの一円五十銭だけ、大小の銀貨を取りまぜて掴みだした。 「もっともこれだけはあるんだが、これは何んの足しにもならないが、僕の君に対する借金の返済の一部とするつもりで取っておいたんだ。ところが昨日本屋の奴が来やがって、いやに催促がましいことをいうもんだから、ひとまず君にはすまないが――そっちを綺麗にして鼻をあかしてやれという気になったのさ。で、これをまず君の方に納めて、あらためて五円にして貸してくれるわけにはいくまいかな」 「いいとも」  園はその長口上を少しまどろこしそうに聞いているらしかったが、人見の言葉が終るとすぐにこういって、机の方に向きなおった。園は例のとおり、ポッケットの中から、机の抽出しから、手帳の間から、札びらや銀貨を取りだした。あの几帳面に見える園には不思議な現象だと人見の思うのはこのことだけだった。あれで園はいつどこにいくら入れたということをちゃんと諳記しているのかもしれないとも思った。園は取りだした金を机の上で下手糞に勘定していたが、やがてちょうど五円だけにしてそれを人見の前においた。そして自分の方が金を借りでもしたかのように、男には珍らしい滑らかな頬の皮膚をやや紅くした。 「どうもすまないよ。どうもありがとう」  人見は思わずせきこんでこういったが、何か自分の言葉が下品に響いたようだった。  戸外では寒いからっ風が勢いこんで吹きすさんでいるらしく、建てつけの悪るい障子が磨りへらされた溝ときしり合って、けたたましい音を立てていた。この時始めてそれに気がつくと、人見は話の糸目を探りあてたように思って、落着きを見せて畳の上の金を蟇口にしまいこみながら、 「こりゃいよいよ冬が来るんだよ。また今年も天長節には大雪だろうね。星野はどうしているかしらん」  と園の心を占めているらしくみえる名前の方に漕ぎ寄せていった。 「星野君からは昨日手紙を貰ったっけ。すっかり冬が来るまでは千歳にいるのだそうだ。別に健康が悪いというのでもなさそうだが、気候の変り目はあの病気にやはりよくないのだろうね」  そういって園は静かに人見を見上げたが、その眼は人見を見ているというよりも、遠い千歳の方を見すかしているように見えた。人見は人見で、今蟇口をしまいこんだポッケットの中に、おたけから来た手紙が二つに折ってしまいこまれてあるのを意識していた。彼はそれを撫でてみた。園に対して感じるとはまったく違った暖かい、ふくよかな感じが、みるみる胸いっぱいに漲ってきた。 「君はこのごろはどうなの」  園がしばらくしてからこういった。園の眼は今度はまさしく人見を見やっていた。人見は不意を衝かれたように思って、ちょっと尻ごみをしていたが、慌て気味に手が襟巻のところに行ったと思うと、今まで少しも出なかった咳が軽く喉許を擽るのを覚えた。しかし人見はわざとその咳を呑みこんでしまった。 「なあに、僕のはたいしたことはないんだよ」  まったく医者が見てくれるたびごと、たいしたことはないというのだが、それが何か物足らないのだけれども、この場合やはり医者がいうようにいうのが恰好だと人見は思ったのだ。そして園という男は変にストイックじみた奴だなと思った。      *    *    *  紺の上っぱりを着て、古ぼけた手拭で姉さんかぶりをした母が、後ろ向きに店の隅に立って、素麺箱の中をせせりながら、 「またこの寒いにお前どこかに出けるのけえ」  というのを聞き流しにして清逸は家を出た。  夕方だった。道を隔てて眼の前にふさがるように切り立った高い崕の上に、やや黄味を帯びた青空が寒々と冴えて、ガラス板を張りつめたように平らに広がっていた。家の中にいても火種の足りない火鉢にしがみついて、しきりに盗風の忍びこむのに震えていなければならぬ清逸にとっては、屋外の寒さもそう気にならなかったが、とにかく冬が紙一重に逼ってきた山間の空気は針を刺すように身にこたえた。彼は首をすくめ、懐ろ手をしながら、落葉や朽葉とともにぬかるみになった粘土質の県道を、難渋し抜いて孵化場の方へと川沿いを溯っていった。  風は死んだようにおさまっている。それだのに枝頭を離れて地に落ちる木の葉の音は繁かった。かさこそと雑木の葉が、ばさりと朴の木の広葉が、……朴の木の葉は雪のように白く曝らされていた。  自分の家からやや一町も離れた所まで来ると、清逸は川べりの方に自分で踏みならした細道を見出して、その方へと下りていった。赤に、黄に、紫に、からからに乾いて蝕まれた野葡萄の葉と、枯蓬とが虫の音も絶えはてた地面の上に干からびて縦横に折り重なっていた。常住湿り気の乾ききらないような黒土と混って、大小の丸石が歩む人の足を妨げるようにおびただしく転がっていた。その高低を体の中心を取りながら辿っていくと、水嵩の減った千歳川が、四間ほどの幅を眼まぐるしく流れていた。清逸はいつもの所に行って落葉をかきのけた。一夜の間に落ちる木の葉の数はそれほどおびただしかった。袂の中から紙屑をつぎつぎに取りだしてそれをそこの穴に捨てた。夕方のかすかな光の中に青白い印象を清逸の眼に残して、その紙屑は一つ一つ地に落ちた。喀痰の中に新鮮な血の交ったのがいくつも出てくるのを見ると、知らず知らず溜息が出た。古い紙屑の上に新しい紙屑がぼろぼろと白く重なっていった。清逸はやがて大儀そうにその上をまた落葉で掩うて立ち上った。そして何んということもなくそこに佇んで川面を眺めやった。半年という長い眠りにはいりこもうとするような自然は、それを眺める人の心を、寒く閉ざしていく静かさをもって、静かに最後の呼吸をしているようだった。枝を離れた一枚の木の葉が、流れに漂う小舟のように、その重く澱んだ空気の中を落ちもせず、ひらひらと辷っていくのを見た。清逸はふとそれに気を取られて、どこまでもその静かに動いていく行く手を見とどけようとした。たくさんな落葉の中でその木の葉だけは、動くともなく岸から遠ざかっていったが、およそ十間近くも下流の方に下って、一つの瀬に近づいたとおもうころ、その瀬によって惹き起される空気の動揺に捲きこまれたのだろうか、たちまち慌だしく動き始め、もんどりを打って、横さまに二三度閃いたと思うと、みるみる水の方へと吸いこまれて見えなくなった。そこまで見とどけると清逸は胸の奥に何かなしに淋しいほほ笑みを感じた。そしてまた溜息が出た。  どこもここも住み憂い所のようにこのごろ清逸は感ずるのだった。札幌にいて、入らざる費用をかけていながら学校に出ないのはばからしいし、学校に出るのもばからしかった。彼が専門に研究している農政の講義などは、一日引籠って読書すれば、半月分の講義の材料ができるほど稀薄なものだった。自然科学の研究なども、プレパラートと見取り図とを作ることに彼は不器用だったが、それさえ除けば、あまり分りきった事実の排列にすぎなかった。応用農学は学というべきものではなかった。百姓のしていることに秩序を立てて、それに章節を加えたまでのものと思われた。語学だの数学だのという基礎学は、癇癪にさわるほど同級の者たちが呑込みがおそいのでただもどかしさをそそられるばかりだった。それゆえ彼は第一学期の試験が来るまで、じっと自分の家にいて養生をしながら過ごそうと思いついたのだ。しかしながらここも住みよい所ではなかった。あの父、あの母、あの弟。父は暇さえあれば母をつかまえて小言と自慢話ばかりしているし、弟は誰の神経でもいらだたせずにはおかないような鈍いしぶとさを臆面もなくはだけて、一日三界人々の侮蔑と嘆きとの種になっている。そしてその上に、健康を著しく損じて、自分でさえかなり我儘で気むずかしくなったと思うような清逸自身が加わるのだ。自分の家に帰ると、清逸は一人の高慢な無用の長物にすぎないのだ。しかもそれは恐ろしい伝染性の血を吐く危険な厄介物でもあるのだ。朋友の間には畏敬をもって迎えられる清逸だけれども、自分の家では掃除一つしようともしない怠け者になってしまうのだ。彼の帰ったのは彼の家にどれだけの不愉快な動揺を与える結果になったか。そのために父の酒はまずくなる。母と弟とはいい争いをする。これまでとにもかくにも澱んだなりで静かだった家の内が、きゅうにいらいらした気分でかき乱されはじめた。清逸はその不愉快な気持を舌の上に乗せているように思った。彼の口は自然に唾を吐いて捨てたいような衝動を感じた。  といって彼は即刻東京に出かけてゆく手段を持ってはいないのだ。神経衰弱の養生のために、家族を挙げて亜米利加に行っている戸田教授でもいたら、相談に乗ってくれるかもしれない。新井田氏でも、三隅のおばさんでも頼んでみたら、考えてくれないこともないかもしれないが、清逸としてはかりにもそんな所に頼むのはいやだった。それにつけて、清逸はその瞬間ふと農学校の一人の先輩の出世談なるものを思いだした。品川弥二郎が農商務大臣をしていたころ、その人は省の門の側に立って大臣の退出を待っていた。大臣が勢いよく馬車に乗って出てくるのを見ると、すぐ駈けだしていって、否応なしにその馬車に飛び乗った。そして馬車が官舎に着くまで滔々と意見を披露して大臣に口をきく暇をさえ与えなかった。官舎に着くと大臣に先立って官舎に駈けこんで、自分がその家の主人ででもあるように大臣を迎えた。そして自分の意見の続きをしゃべりこくった。大臣もとうとう根気負けがして、注意深くその人のいうことを傾聴するようになったが、その結果としてその人は欧米への視察旅行を命ぜられ、帰朝すると、すぐいわゆる要路の位置についたというのだ。清逸はそれを聞いた時、木下藤吉郎の出世談と甲乙のないほど卑劣不愉快なものだと思った。実力がないのではない、実力があればこそ、そんな突飛な冒険にも成功したのだ。けれども藤吉郎もその人も、自分の実力を認めさせないで、認められようとした。それが悪いことだとはいわれない。結局認めさせるのも、認められるのも同じようなことだ。それにもかかわらず、清逸にはそれがとても我慢のできない悪い趣味だとより思えなかった。この気持は三隅にも新井田氏にも彼自身を訴えてみる企てをどこまでも否定させた。渡瀬にでもさせておけば似合わしいことかもしれないと清逸は思った。清逸は、どんどん夜になっていこうとする河の面をじっと見つめ続けながら考えた。 「俺は世話を焼くのも嫌いだ。世話を焼かれるのも嫌いだ。……俺はエゴイストに違いない。ところが俺のエゴイズムは、俺の頭が少し優れているというところから来ていると誰もが考えそうなことだが、そんな浅薄なものではないんだ。たとえ頭は少しは優れていようとも、俺は貧乏でしかも死病に取りつかれているんだから、喜んで世話を焼いてもらう資格は十分にあるんだ。それにもかかわらず、俺は世話を焼かれるのはいやだ。……俺はもっと自然に近くありたいのだ。自然は俺をこんなに生みつけた、こんなに病気にした。しかもそれは自然の知ったことじゃないんだ。自然というものは心憎い姿を持っている」  清逸はどんどん流れてゆく河の水を見つめながらこんなことを考えた。そしてそのとたん、気がついたように眼をあげてあたりを眺めまわした。実際清逸に見やられる自然は、清逸とは何んのかかわりもないもののように、ただ忙がしく夜につながろうとしていた。河は思い存分に流れていた。空は思い存分に暗くなりまさっていた。木の葉は思い存分に散っていた。枯枝は思い存分に強直していた。その間には何らの連絡もないもののように。清逸は深い淋しさを感じた。同時に強いいさぎよさを感じた。長く立ちつづけていた彼の足は少ししびれて、感覚を失うほど冷えこんでいた。それに反してその頭は勇ましい興奮をもって熱していた。  昂奮が崇ったのか、寒い夜気がこたえたのか、帰途につこうとしていた清逸はいきなり激しい咳に襲われだした。喀血の習慣を得てから咳は彼には大禁物だった。死の脅しがすぐ彼には感ぜられた。彼はほとんど衝動的にその場にうずくまって、胸をかがめて、膝頭に押しつけるようにして、なるべく軽く咳をせこうと勉めたが、胸の中から破裂するようにつきあげてくる力には容易に勝てないで、二三十度も続けさまに重い気息をはげしく吐きださねばならなかった。一度血管が破れたら、そこからどれほどの血が流れでるか、それは誰も知ることができない。もし四合五合という血が出たら、それで命は彼からやすやすと離れていくのだ。清逸は喀血のたびごとにそれをもの凄く感ぜねばならなかった。 「兄さんでねえか」  道の方から木叢ごしにこう呼びかける弟の声がした。清逸は面倒なところで嗅ぎつけられたと思って、もちろん答えることもできなかったが、答えようともしなかった。  やがて咳をしるべに純次が小道を下りてきた。孵化場から今帰りがけのところとみえて、彼が近づくと生臭い香いがあたりに香った。ぼんやりした黒い影が清逸の後ろに突っ立った。 「今ごろ何んだってこんな所に来るだ。病気が悪るくなるにきまってるに。兄さんはまるで自分の病気を考えねえからだめだよ。皆んな迷惑するだ」  いかにも突慳貪にその声はほざかれた。 「背中をさすってくれ」  清逸はきれぎれな気息の中からそういった。ごつごつした手がぶきっちょうに清逸の背中を上下に動いた。清逸はその手の下でしばらくの間咳きつづけた。  咳がやんでも純次はやはりさすり続けていた。清逸は喀痰を紙に受けていくらかの明るみにすかしてみた。黒い色に見えて血がかなり多量に吐きだされていた。彼は咄嗟にそれを丸めて水中に投げようとしたが、思いかえして自分の下駄の下に踏みにじった。この川下に住む人たちは河の水をそのまま飲料に用いているからだ。  純次はまだ懸命に兄の背中をさすり続けていた。清逸は一種の親しみを純次に感じて、 「もうよくなった。さあ帰ろう。お前は仕事が終えるとずいぶん疲れるだろうな」  といってやった。 「あたりまえよ」  純次の答えはこうだった。そして河岸まで行って、清逸の背中を撫でていた両手をごしごしと洗った。清逸は同情なしにではなく、じっと淋しくそれを見やった。  弟が泥靴のままでぬかるみの中をかまわず歩いてゆく間に、清逸は下駄をいたわりながら、遅れがちに続いた。たそがれというべき暗らさになって、行く手には清逸の家の灯だけが、枯れた木叢の間にたった一つ見やられた。純次は時々立ち停っては、もどかしそうに兄の方を顧みた。先に帰れと清逸がいってもそうはしなかった。 「兄さん、お前はまた札幌に帰るのか」  とある所で純次は兄を待ちながら突然にいった。清逸はそうだと答えた。 「死んでしまうぞ。帰らねえがいい」  それがいつか、母に向って、「肺病はうつるもんだよ」といった弟の言葉だった。純次はどうせ辻褄の合わないことをいう低能者ではあった。しかし今の言葉に清逸は、低能でない何人からも求められない純粋な親切を感ぜずにはいられなかった。  純次は兄の近づくのを待ってまたこういった。 「お前は偉くなろうとそんなことばかり思っているから肺病に取りつかれるんだ。田舎にいろよ、じきなおるに」 「そうだなあ、俺もこのごろは時々そう思う。おせいにも可哀そうだしな」 「そんだとも、皆んな可哀そうだな。姉さん泣いてべえさ」  清逸は不思議にも黙って考えこみたいような気分になった。そしてすべての人から軽蔑されているだらしない純次の姿が、何となくなつかしいものに眺めやられた。その上彼の偶然な言葉には一つ一つ逆説的な誠があると思った。純次はどことなく締りのない風をして、無性に長い足をよじれるように運ばせながら、両手を外套の衣嚢に突っこんだまま、おぼつかなく清逸の眼の前を歩いていった。人生というものが暗く清逸の眼に映った。  その夜清逸は純次の部屋でおそくまで働いた。純次の机の上からつまらぬ雑誌類やくだらぬ玩具じみたものを払いのけて、原稿用紙に向った。純次はそのすぐそばで前後も知らず寝入っていた。丹前を着て、その上に毛布を被ってもなお滲み透ってくるような寒さを冒して、清逸は「折焚く柴の記と新井白石」という論文をし上げようとした。物に熱中した時の徴候のように、不思議にも咳は出てこなかった。たまさかに木の葉の落ちる音と、遠い川音とのほかには、純次の鼾がいぎたなく聞こえるばかりだった。清逸は時おりぺンを措いて、手を火鉢にかざさねばならなかった。そのたびごとに弟の寝顔をふりかえってみた。仰向けに寝て(清逸には仰向けに寝るということがどうしてもできなかった。仰向けに寝る奴は鈍物だときめていた)放図なく口を開いて、鼻と口との奥にさわるものでもあるらしい、苦しそうな呼吸を大きくしていた。うす眼を開いているのだが、その瞳は上瞼に隠れそうにつり上っていた。helpless という感じが、そのしぶとそうな顔の奥に積み重なっているように見えた。  清逸は手のあたたまる間、それを熟視して、また原稿紙に向った。清逸は白石は徳川時代における傑出した哲学者であり、また人間であると思った。儒学最盛期の荻生徂徠が濫りに外来の思想を生嚼りして、それを自己という人間にまで還元することなく、思いあがった態度で吹聴しているのに比べると、白石の思想は一見平凡にも単調にも思えるけれども、自分の面目と生活とから生れでていないものは一つもなく、しかもその範囲においては、すべての人がかりそめに考えるような平凡な思想家ではけっしてなかったということを証明したかったのだ。徂徠が野にいたのも、白石が官儒として立ったのも、たんなる表面観察では誤りに陥りやすいことを論定したかった。この事業は清逸にとってはたんなる遊戯ではなかった。彼はこの論文において彼自身を主張しようとするのだ。これは西山、および西山一派の青年に対する挑戦のようなものだった。  白石文集、ことに「折焚く柴の記」からの綿密な書きぬきを対照しながら、清逸はほとんど寒さも忘れはてて筆を走らせた。彼はあらゆる熱情を胸の奥深く葬ってしまって、氷のように冷かな正確な論理によって、自分の主張を事実によって裏書きしようとした。ややもすれば筆の先に迸りでようとする感激を、しいて呑みくだすように押えつけた。彼のペンは容易にはかどらなかった。  アイヌと、熊と、樺戸監獄の脱獄囚との隠れ家だとされているこの千歳の山の中から、一個の榴弾を中央の学界に送るのだ。そしてそれは同時に清逸自身の存在を明瞭にし、それが縁になって、東京に遊学すべき手蔓を見出されないとも限らない。清逸は少し疲れてきた頭を休めて、手を火鉢に暖ためながらこう思った。そして何事も知らぬげに眠っている純次の寝顔を、つくづくと見守った。それとともに小樽にいる妹のことを考えた。三人のきょうだいの間にはさまったおびただしい距離……人生の多様を今更ながら恐ろしく思いやってみねばならぬ距離……。けれども彼はすぐその心持を女々しいものとして鞭った。とにかく彼は彼の道を何物にも妨げられることなく突き進まねばならない。小さな顧慮や思いやりが結局何になる。木の葉がたった一つ重い空気の中を群から離れて漂っていく。そうだ自然のように、あの大自然のように。清逸は冷然として弟の顔から眼を原稿紙の方に振り向けた。そこには余白が彼の頭の支配を待つもののように横たわっていた。彼はいずまいを正して、掩いかぶさるようにその上にのしかかった。そして彼は書いて書いて書き続けた。  ふとラムプの光が薄暗くなった。見ると、小さな油壷の中の石油はまったく尽きはてて、灯は芯だけが含んでいる油で、盛んな油煙を吐きだしながら、真黄色になってともっていた。芯の先には大きな丁子ができて、もぐさのように燃えていた。気がついてみると、小さな部屋の中はむせるような瓦斯でいっぱいになっていた。それに気がつくと清逸はきゅうに咳を喉許に感じて、思わず鼻先で手をふりながら座を立ち上った。  純次は何事も知らぬげに寝つづけていた。  石油を母屋まで取りに行くにはいろいろの点で不都合だった。第一清逸は咳が襲ってきそうなのを恐れた。しかも今、清逸の頭の中には表現すべきものが群がり集まって、はけ口を求めながら眼まぐるしく渦を巻いているのだ。この機会を逸したならば、その思想のあるものは永遠に彼には帰ってこないかもしれないのだ。清逸は慌てて机の前に坐ってみたが、灯の寿命はもう五分とは保つように見えなかった。芯をねじり上げてみた。と、光のない真黄色な灯がきゅうに大きくなって、ホヤの内部を真黒にくすべながら、物の怪のように燃え立った。  もうだめだ。清逸は思いきって芯を下げてからホヤの口に気息をふきこんだ。ぶすぶすと臭い香いを立てて燃える丁子の紅い火だけを残して灯は消えてしまった。煙ったい暗黒の中に丁子だけがかっちりと燃え残っていた。絶望した清逸は憤りを胸に漲らしながら、それを睨みつけて坐りつづけていた。 「おい純次起きろ。起きるんだ、おい」  と清逸は弟の蒲団に手をかけてゆすぶった。しばらく何事も知らずにいた純次は気がつくといきなりがばと暗闇の中に跳び起きたらしかった。 「純次」  返事がない。 「おい純次。お前母屋まで行って、ラムプの油をさしてこい」 「ラムプをどうする?」 「このラムプに石油をさしてくるんだ。行ってこい」  清逸は我れ知らず威丈け高になって、そう厳命した。 「お前、行ってくればいいでねえか」  薄ぼんやりと、しかもしぶとい声で純次がこう答えた。清逸は夜気に触れると咳が出るし、石油のありかもよく知らないから、行ってきてくれと頼むべきだったのだ。しかしそんなことをいうのはまどろしかった。 「ばか、手前は兄のいうことを聞け」  弟は何んとも答えなかった。少しばかりの沈黙が続いた。と思うと純次はいきなり立ち上って、清逸の方に近づくが早いか、拳を固めて清逸の頭から顔にかけてところきらわず続けさまになぐりつけた。それは思わず清逸をたじろがすほどの意外な素早さだった。 「出ていけ、これは俺の部屋だい。出ていかねばたたき殺すぞ」  やがて牛のうめき声のような口惜し泣きが、立ったままの純次の口からおめきだされた。  清逸は体じゅうがしびれるのを覚えて、俯向いたまま黙っているほかはなかった。 「出ていかねえか」  純次は泣きじゃくりの中から、こう叫んでいらだちきったように激しく地だんだを踏んだ。次の瞬間には何をしだすか分らないような狂暴さが清逸に迫ってきた。  清逸はしんとした心の中で、孵化場あたりから来るらしい一番鶏の啼き声をかすかに聞いたように思った。部屋の中はしかし真暗闇だった。  純次は何か手ごろの得物をさぐっているのらしくごそごそと臥床のまわりを動きはじめていた。だんだん激しくなり増さるような泣きじゃくりの声だけがもの凄く部屋じゅうに響いていた。 「待て純次、俺は母屋に行くから待て」  清逸は不思議な恐怖に襲われ、不意の襲撃に対して用心をしながら座を立って二三歩入口の方に動かねばならなかった。しかしその瞬間に、しかけていた仕事のことを考えると、慌てて立った所から上体を机の方に延ばして、手に触れるにまかせて原稿紙をかき集めた。そしてそれを大事に小脇にかかえて、板壁によりそいながら入口へとさぐり寄った。  部屋の中では純次が狂暴に泣きわめいていた。清逸は誰のともしれない下駄を突っかけて、身を切るような明け方近い空気の中に立った。  その時清逸はまたある一種の笑いの衝動を感じた。しかし彼の顔は笑ってはいなかった。      *    *    *  隣りの間で往診の支度をしていた母が、 「ぬいさん」  と言葉をかけた。おぬいはユニオンの第四読本からすぐ眼を放して、母のいる方に少し顔を向け気味にして、 「はい」  と答えたが、母はしばらく言葉をつがなかった。 「今日は渡瀬さんがいらっしゃる日ね」  やがてそういった。おぬいは母が何か胸に持ちながらものをいっているのをすぐ察することができた。 「あなたはあの方をどう思ってだえ」  おぬいがそうだと答えると、母はまたややしばらくしてからいった。  おぬいは変なことを尋ねられるとおもった。そして渡瀬さんに対する自分の考えをいおうとしているうちに、母は支度をすまして茶の間にはいってきた。いつものとおり地味すぎるような被布を着て、こげ茶のショールと診察用の器具を包んだ小さい風呂敷包とを、折り曲げた左の肘のところに上抱きにしていた。いっさいの香料を用いないで、綺麗さっぱりとした身だしなみは母にふさわしいものだった。母はストーヴの火具合を見てから、親しみ深くおぬいのそばに来て坐った。そして遊んでいる右の手でおぬいの羽織の衣紋がぬけかけているのを引き上げながら、 「どう思うの」  ともう一度静かに尋ねた。 「快活なおもしろい方だと思いますわ」  とおぬいは平気で思ったとおりを答えた。 「あなたにあっては誰でもいい方になってしまうのね」  ほほえみながらそういって母はちょっと言葉を途切らしたが、 「私もほんとはあなたの思ってるとおりに思うのだけれども、世間ではそうはいっていないらしい。中にも教会の方などには聞き苦しいとおもうほどひどい評判をなさるのもあって、どうして星野さんが、あんな人を推薦なさったんでしょうと、星野さんまで疑うらしい口ぶりでした。私としてもあなたのようにあの方をいい方だとばかり極めるわけにはいかないと思うところもあるのだけれども、星野さんがおっしゃってくださるのだから私は信じていていいと思います。……けれども噂というものもあながちばかにはできないから、あなたもその辺は考えておつきあいなさいよ。遊廓なんぞにも平気でいらっしゃるという人もあるんだから……」  おぬいは遊廓という言葉を母の口から聞くと、身がすくみそうに恥じらわしくなって、顔の火照るのを覚えた。母はそれを見て少し違った意味に取ったらしい。 「そうね、私は星野さんや渡瀬さんを信ずるよりあなたを信じましょうね。渡瀬さんに用心するより、あなたが真直な心をさえ持っていれば少しもこわいことはありませんよ。どんなことがあっても人様を疑うのはよくないものね。正しい心がけで、そのほかは神様におまかせしておけば安心です。……ではこれから出かけてきますからね、渡瀬さんがいらしったらよろしく」  こういい残して母はかいがいしく、雪のちらちら降る中を病家へと出かけていった。  母を送りだして茶の間に帰ったおぬいは、ストーヴに薪を入れ添えて、火口のところにこぼれ落ちた灰を掃除しながら時計を見るともう三時になっていた。部屋の中は綺麗に片づいていて、客を迎えるのに少しの手落ちもなかった。自分の身なりをも調べてみて、ふたたび机の前に坐ろうとした時、ふと母のいい残した言葉が気になった。渡瀬さんの来る時には今までいつでもおりよく母がいたのに今日は留守になるので、それであれだけのことをいいおいたのかと思えた。そう思ってみると、その言葉の一つ一つにはかりそめに聞き流してはいられないものがあるようだった。そういえば渡瀬さんという人は、星野さんや園さん、そのほか農学校にいる書生さんたちとは少し違ったところがある。あの人の前に出るとはじめから自由な気持で何んでもいえそうだけれども。そして困ったことでもあった時、相談をしかけたら、すぐてきぱき始末をつけてくれそうだけれども、その先の先がどう変ってゆくのか、渡瀬さん自身でさえ無頓着でいるようにも見える。他人のことはすぐ見ぬいてしまって、しかもけっして急所を突くようなことはしない代りに、自分のことになると自由すぎるほどのんきなようにも見える。そうかと思うと、どんな些細なことでも自分を中心にしなければ取り合わないようなところもある。けれどもあの人は真から悪い人ではない、そして真から悪いという人が世の中には本当にあるものだろうか。……おぬいは読本に眼をやりながら、その一語をも読むことなしに、こんなことを考えた。渡瀬はがさつで下品でいけないと家に来られる書生さんたちはよくいうけれども……私にはついぞそうしたようなことは見当らない。……私はいったい、他の人たちとは生れつきがちがうのだろうか。少しぼんやりしすぎて生れてきたのではないだろうか。あまりに人々と自分との考え方はかけちがっている。……本当にかけちがっている。まだ何んにも知らないからなのだろう。……おぬいは非常に恥かしいところに突きあたったような気がした。そして知らず識らず体じゅうが熱くなった。  そんなことを思っていると、ふとおぬいは心の中に不思議な警戒を感じた。彼女は緋鹿の子の帯揚が胸のところにこぼれているのを見つけだすと、慌てたように帯の間にたくしこんで、胸をかたく合せた。藤紫の半襟が、なるべく隠れるように襟元をつめた。束髪にはリボン一つかけていないのを知って、やや安心しながら、後れ毛のないようにかき上げた。そして袖口をきちんと揃えて、坐りなおすと、はじめて心が落着くのを感じた。おぬいはしんみりと読本に向いて勉強をしはじめた。  ややしばらくしてから、格子戸が力強く引き開けられた。それは渡瀬さんに違いなかった。おぬいは別に慌てることもなく、すなおな気持で立ち上って迎いに出ようとしたが、部屋の出口の柱に、母とおぬいとの襷がかけてあるのを見ると、派手な色合いの自分の襷を素早くはずして袂の中にしまいこんだ。 「いつものとおり胡坐をかきますよ。敲き大工の息子ですから、几帳面に長く坐っていると立てなくなりますよ」  渡瀬さんはそういって、片眼をかがやかしながら、からからと笑って膝を崩した。からからといっても、渡瀬さんの笑いには声は出なかった。 「茶なんざあ、あとでいいですよ。さあやりましょう」  おぬいは渡瀬さんのいうとおりにして、その人と向合いに坐った。渡瀬さんの気息はいつものように酒くさかった。飲んだばかりの酒の匂いではなく、常習的な酒癖のために、体臭になったかと思われるような匂いだった。おぬいはそのすえたような匂いをかぐと、軽い嘔気さえ催すのだった。けれども、それだからといって渡瀬さんを卑しむ気にはなれなかった。父の時代から一滴の酒も入れない家庭に育ちながら、そして母も自分も禁酒会の会員でありながら、他人の飲酒をいちがいに卑しむ心持は起らなかった。これは自分の心持に忠実な態度だろうかとおぬいはよく考えてみるのだった。禁酒会員である以上は、自分の力の及ぶかぎり飲酒を諫めなければならないとも思った。その人が溺れている悪い習慣の結果を考えるなら、不愉快を忍んでも諫めだてをするのが当然だった。けれどもおぬいには心持としてそれがどうしてもできなかった。なぜだかおぬい自身には判らないけれどもどうしてもできなかった。自分が卑怯だからそうなのかと考えてもみたが、あながちそうでもない。面倒だからか。そうでもない。どういう心持なのだろう……おぬいはその解決を求めるように渡瀬さんの方を見た。酒焼けというのだろうか、きめの荒そうな皮膚が紫がかっていて、顔全体にむくみが来て、鋭い光を放ってかがやく眼だけれども、その白眼は見るも痛々しいほど充血していた。……酷たらしい、どうして渡瀬さんは酒なんぞお飲みなさるのだろう。それにしても、あれほどの害をまざまざと受けながら、飲みつづけていられるのは、自分たちには分らない訳があることに違いない。私は渡瀬さんが何んだかお気の毒だ。けれども何も知らない私の力ではどうしようもないではないか……つまりこれだけしか分らなかった。 「さてと、今日はどこから……おや、あなた僕の顔を見ていますね。はははは。僕の顔は出来損いですよ。それとも何かついていますか」  渡瀬さんはいきなりそのこね固めたような奇怪な顔を少し突きだすようにした。おぬいは大変な悪いことをしたとおもった。人の醜い部分に臆面もなく注意を向けていたのを……そのつもりではなかったのだが……すまなく思った。といっても、いい訳もできなかった。ただ渡瀬さんの顔の醜いのを物好きに眺めていたのではない。それを知らせたいために、十分の好意をもって、かすかに微笑んだ。  すると渡瀬さんは途轍もなく、 「失礼、あなたはいくつになりますね」  と尋ねた。素直に十九だと答えると感心したように、 「ふーむ、珍らしいな、奇体だなあ」  と嘆息するようにいいながら、今度は渡瀬さんがしげしげとおぬいの顔を見た。おぬいは軽い羞恥と、さらにかすかな恐れをも感ぜずにはいられなかった。けれどもその場合、恥かしがることも恐れることも少しもないはずだと思うと、すぐに不断のとおりの気持に帰ることができて、 「それでは始めていただきます」  といいながら、書物を机の真中の方に持っていった。渡瀬さんもそのつもりらしく、上体を机の上に乗りだした。  おぬいは何もかも忘れて、懸命にこの前教えられたところを復習した。第四読本は少し力にあまるのだけれども、書いてあることが第三読本よりはるかに身があるので、読むには励みがあった。アーヴィングという人の「悲恋」(Broken Heart)という条りだった。星野さんがこの書物を始める時、目次によって内容をあらかた話してくれた時、この章に書いてあるのは、アイルランドのある若い勇ましい愛国者と、その婚約の娘との間に起った実際の出来事だといったので、おぬいにはよけい興味のあるものだった。渡瀬さんがこの前それを講義してくれた時も、おぬいは幾度となく美しい悲しさを覚えて、涙のこぼれ落ちそうになるのをじっと我慢しながら、平気な顔をして、数学でも解くように講義している渡瀬さんを不思議に思った。そして渡瀬さんが帰ってから、その一伍一什を母に話して聞かせようとして、ふと母の境涯を考えると、とんでもないことをいいかけたと思って、そのまま口には出さないでしまったのだった。  今日その章を声を出して読むことは、おぬいにはかなり苦しいことだった。もしもこの前のように感情が書いてあることに誘いこまれたら、どうしようと危ぶまずにはいられなかった。どこまでも作り話だと思って読もうと勉めながら、おぬいは始めの方から意訳していった。けれども冒頭からもう涙ぐましい気持にされていた。おぬいはかねてから、自分の身の上にも、いつかは恋愛が来るだろうとは覚悟していた。けれどもそれは、本当に来るのだろうかと疑わねばならぬほど遠いところにあるもので、しかもそれに襲われたが最後、知りながら否応なしに、苦しみと悲しみとに落ちこんでいかねばならぬものとなぜとはなく思いこんでいた。彼女の心の底をゆり動かす怖れといっては実際それだけだった。今おぬいの眼の前には、彼女の心の怖れを裏書きするような事実が語られているのだ。読んでゆくうちにおぬいの心は幾度となく悲しさと悩ましさとのために戦いた。あるところでは言葉が震え、あるところでは涙が溢れでようとしたけれども、おぬいは露ほどもそれを渡瀬さんに気取られたくはなかった。そういうところに来ると彼女は已むを得ず口を噤んで、解らないところに出遇したように装った(おお何という悪いことだろう、私はこのごろ人様の前で自分を偽らねばいられないようになってきた、とおぬいは心の中で嘆息するのだった)。 「そこですか。それは何んでもないじゃありませんか」  と渡瀬さんは無遠慮にいって、頭のいい人らしくはっきり解るように教えてくれた。おぬいはその間にようやく感情を抑えつけて、また先きを読みつづけてゆくことができた。そしてこういうことが二度三度と重なっていった。おぬいはまた烈しい感情で心を揺り動かされて、胸のところに酸っぱく衝き上げてくるようなものを感じながら黙ってしまった。しかし渡瀬さんは今度は即座には教えてくれなかった。不思議には思いながらも、しばらくたってから、ようやく顔を上げてみると、渡瀬さんは充血して、多少ぼんやりしたような顔つきで、おぬいの額ぎわをじっと見つめていたのだと知れた。おぬいは不思議にもそれを知ると本能的にはっと思った。渡瀬さんも日ごろの渡瀬さんに似合わず、少し慌てながら顔を紅くして、すぐに書物に眼を落したが、 「ええと、それは……どこでしたかね」  といいながら、やきもきと顔を書物の方につきだした。  おぬいはその時はからず母のいいおいていった言葉を思いだしていた。そして渡瀬さんに対して、恐ろしい不安を感じないではいられなくなった。渡瀬さんと向い合って人気のない家にいるのがたまらないほど無気味になった。おぬいは思わず「天にある父様」と念じながら(神様という言葉はきらいだった。父が亡くなってからは天にある父様という言葉がこの上もなくなつかしかった)、力でも求めるように、素早くあたりを見まわした。「もし私が知らずに渡瀬さんを誘惑しましたら、どうかどうかお許しくださいまし」 「正しい心がけで、そのほかは神様におまかせしておけば安心です」……その母の言葉、それがまた思いだされた。おぬいは眼がさめたように自分の今までの卑怯な態度を思い知った。自分の心の姿を渡瀬さんに見せまいとしていたのが間違いだったと気がついた。そこに気がつくと、きゅうにすがすがしく力を感じた、落着いてふたたび書物に向うことができた。読んでゆく間に、もちろん感情は昂められたけれども、口を噤むほどのことはなくて、しまいまで読みつづけた。渡瀬さんもそれからはかなり注意しておぬいの訳読を見ていてくれた。  読み終えるとおぬいは眼に涙をためていた。もうそれを渡瀬さんに隠そうとはしなかった。 「たびたび読みつかえたのをごめんくださいまし。意味が分らなかったのではないんですけれども、あんまり悲しいことが書いてあるものですから、つい黙ってしまいましたの。作り話ではどんな悲しいことが書いてあっても、私そんなに悲しいとは思いませんけれども、こんな本当のお話を読みますと……」  ハンケチで涙を拭いながら何事も打ち明けてこういった。 「これは本当の話ですか」  渡瀬さんは恥かしげもなくこう聞き返した。 「星野さんがそういうようにおっしゃってでしたけれども」 「本当であったところが要するに作り話ですよ。文学者なんて奴は、尾鰭をつけることがうまいですからね」  渡瀬さんはこだわりなさそうに笑ったが、やがていくらかまじめになって、 「今日はお母さんは……お留守ですか」 「診察に出かけました……よろしくと申していました」  正しい心がけで……おぬいは怖れることは露ほどもないと心を落ちつけた。 「じゃ先をやりますかな……」  渡瀬さんは書物を手に取り上げて、しばらくどこともなく頁をくっていたが、少し失礼だと思うほどまともにおぬいを見やりながら、 「おぬいさん」  といった。渡瀬さんから自分の名を呼ばれるのはおぬいには始めてだった。 「はい」  おぬいもまじろがずに渡瀬さんを見た。 「やあ困るな、そうまじめに出られちゃ……あなたは今の話で涙が出るといいましたが、……あなたにもそんな経験があったんですか」 「いいえ」  おぬいはここぞと思って、きっぱりと答えた。 「それで泣くというのは変ですねえ」  渡瀬さんは少し大ぎょうにこういいながら、立ち上ってストーヴに薪をくべに行こうとした。おぬいも反射的に立ち上ってその方に行きかけたが、二人が触れあわんばかりに互に近寄った時、渡瀬の全身から何か脅かすようなものが迸りでるのを感じて、急いで身をひるがえしてもとの座になおった。  渡瀬さんは薪をくべると手をはたき合せながら机の向うに帰った。 「経験のないところに感動するってわけはないでしょう」  この二の句を聞くと、おぬいはあまりに押しつけがましいと思った。噂のとおり少し無遠慮すぎると思った。 「これはただそう思うだけでございますけれども、恋というものは恐ろしい悲しいもののように思います。私にもそんな時が来るとしたら、私は死にはしないかと、今から悲しゅうございます。だもんですから、ああいうお話を読みますと、つい自分のように感じてしまうのでございましょうか」 「あなたは実際、たとえば星野か園かに恋を感じたことはないのかなあ」  おぬいはもうこの上我慢がしていられなかった。母がいてくれさえすればと思った。口惜涙を抑えようとしても抑えることができなかった。そしてハンケチを取りだす暇もないので、両方の中指を眼がしらのところにあてて、俯向いたままじっと涙腺を押えていた。  渡瀬さんはしばらくぼんやりしていたが、きゅうに慌てはじめたようだった。 「悪かったおぬいさん。僕が悪かった。……僕はどうもあなたみたいな人を取りあつかったことがないものだから……失敬しました。……僕はこんな乱暴者だが、今日という今日は、我を折りました。……許してください。僕はこうやって心からあやまるから」  おぬいは眼をふさいでいたけれども、渡瀬さんが坐りなおって、頭を下げているのがよくわかった。そして切れ切れにいいだされた今の言葉がけっして出まかせでないのが一つ一つ胸にこたえた。  しかしおぬいが一たび受けた感じは容易に散りそうにはなかった。で、しかたなしにはずみ上る言葉をようやく抑えつけながら、 「ええもう何んとも思ってはいませんから……いませんから、私をこそお許しくださいまし。けれども今日は、もうこれで、お帰りを願いとうございますの」  とだけようやくいって退けた。 「え、……帰ります」  渡瀬さんはそういったなり、立ち上って部屋を出た。おぬいは何かもっと和解の心を現わして、渡瀬さんの心をやすめたいと思ったけれども、何かいうのがどうしても不自然だったので何もいわないことにして、上り口まで送ってでた。 「どうか許してください」  下駄をはくと、渡瀬さんはこっちを向いてこう挨拶した。おぬいも好意をもって眼を上げた。渡瀬さんはにこにこしていた。そして意外だったのは、つぶれていない方の眼に涙がたまっているのではないかと思えたことだった。  たった一人になるとおぬいはほっと溜息が出た。何か自分が思いもかけない結果を渡瀬さんに与えたのではないかと思うと、自分というものが怖ろしいようだった。彼女の知らない力があって、ともすると願いもしないところに彼女を連れこんでいこうとするかにさえ感じられた。そういう時に父のいないのがこの上なく淋しかった。おぬいは障子を半ば締めたまま、こんこんと大降りになりだした往来の雪を、ぼんやりと瞬きもせずに眺めながら、渡瀬さんを送りだしたその姿勢から立ち上りえずにいた。  ややしばらくして、何という弱々しいことだと自分をたしなめて、おぬいは立ち上ると、障子を締め、その足でラムプを茶の間に運んで火をともした。時計はもう五時半近くになっていた。夕方の支度がおそくなりかけていた。  おぬいは大急ぎで書物をしまい、机を片づけ、台所に出て、白いエプロンを袂ごと胸高に締め、しばられた袂の中からようようの思いで襷をさぐりだすと、それをつむりに潜らせようとしたが、華やかなその色が、夕暗の中で痛いように眼に映った。おぬいは一度のばしたその襷を、ぐちゃぐちゃに丸めて、それを柱にあてがって顔を伏せると、誰のためにとも、誰にともなく祈りたい気持でいっぱいになった。  おぬいはそうしたまま、灯もともさない台所の隅で、しばらくの間慄えるような胸をじっと抑えて、何んとなくそこにつき上げてくるえたいの知れない不安を逐い退けようとして佇んでいた。      *    *    *  創成川を渡る時、一つ下の橋を自分と反対の方向に渡ってゆく婦人は、降りはじめた雪のためにいくらかぼんやりしていたけれども、三隅のおばさんに違いないと渡瀬は見て取った。今日こそはおぬいさん一人だぞという意識がすぐいたずららしい微笑となって彼の頬を擽った。  行ってみるとおぬいさん一人らしかった。脱ぎ取った帽子の雪をその人が丁寧に払ってくれた。いつものとおり茶の間はストーヴでいい加減に暖まっていた。そして女世帯らしい細やかさと香いとが、家じゅうに満ちていて、どこからどこまで乱雑で薄汚ない彼の家とは雲泥の相違だった。渡瀬はその茶の間にしめやかな落着きを感ずるよりも、ある強い誘惑を感じた。けれども机に向っておぬいさんと対坐すると、どうしてもいつもの彼の調子が出にくかった。道々彼が思いめぐらしてきたような気持は否応なしに押しひしゃがれそうだった。いつ見てもおぬいさんはきちんとしすぎるほどつつましく身だしなみをしていた。そんな気持でしているのではないかもしれないが、そしてそうでない証拠にはすべての挙止がいかにもこだわりのない自然さを持っているのだが、後れ毛一つ下げていないほどそれを清く守っているのを見ると、どこといってつけ入る隙もないように見えた。けれども、それが渡瀬にとってはかえって冒険心をそそる種になった。何、おぬいさんだって女一疋にすぎないんだ。びくびくしているがものはない。崩せるだけ崩してみてやれという気がむらむらと起ってきて、彼はいきなり胡坐をかきながら。 「いつものとおり胡坐をかきますよ。敲き大工の息子ですから、几帳面に長く坐っていると立てなくなりますよ」  といって思いきり彼らしい調子を上げて笑い崩した。おぬいさんはその時立って茶棚の前に行っていたが、肩越しにこちらを振り返って、別に驚きもしないようににこにこしながら「どうぞ」といった。  茶なんぞ飲むよりもおぬいさんと一分でも長く向い合っていたかった。茶はいらないというと、せっかく茶器を取りだしかけていたおぬいさんは素直にそのままそれをそこにおいて、机の座に戻ってきた。ここで彼は新井田の奥さんとおぬいさんとを眼まぐるしく心の中で比較していた。とてもだめだ、比べものなんぞになるものか。二十近い年までこんなに色気というものなしに育ってきた娘がいったいあるものだろうか。新井田の奥さんの方が顔の造作は立ち勝っているかもしれないが……待てよそういちがいにはいえないぞ。第一こっちはまるで化粧なしだ。おまけにコケトリなしだ。それだのにこの娘から滴り落ちる……滴り落ちる何んだな……滴り落ちるX、そのXの量ときたらどうだ。それがしかも今のところまるっきりむだになって滴り落ちているんだ。おぬいさんはそれを惜しいものとも思ってはいないのだ。そこにいくと新井田の奥さんの方はさもしさの限りだ。一滴落すにもこれ見よがしだ。あれで色気が出なかったら出る色気はない。中央寺の坊主のいい草ではないが珍重珍重だ。おぬいさんがあのXの全量を誰かに滴らす段になってみろ……。渡瀬は思わず身ぶるいを感じた。  まず作戦はあと廻わしにして、 「さてと、今日はどこから……」  といいながらおぬいさんを見ると、書物に見入っているとばかり思っていたその人は、潤いの細やかなその眼をぱっちりと開けて、探るように彼を見ているのだった。渡瀬はこの不意撃ちにちょっとどぎまぎしたが、すぐ立ちなおっていかなる機会をも掴もうとした。 「おやあなた僕の顔を見ていますね。ははは。僕の顔は出来損いですよ。それとも何かついていますか」  そういって彼は剽軽らしくわざと顔をつきだしてみせた。この場合あたりまえの娘ならば、真紅な顔になってはにかんでしまうか、おたけさん級の娘なら、低能じみた高笑いをして、男に隙を見せるか、悧巧を鼻にかけた娘なら、己惚れはよしてくださいといわんばかりにつんとするに極っているのだった。渡瀬はそのどれをも取りひしぐ自信を持っていた。ところがおぬいさんは顔をあからめもせず、すましもせず、高笑いもせずに、不断のとおりの心置きない表情に少しほほ笑みながら「いいえ」とだけいって、俯向き加減になった。  似而非物では断じてない。俺がいったんでは不似合だが、まず神々しい innocence だ。そういうことを許してもいい。十九……十九……まったくこれが十九という娘の仕業だろうか。渡瀬は少し憚りながらも、まじまじとおぬいさんを眺めなおさずにはいられなくなった。骨節の延び延びとした、やや痩せぎすのしなやかさは十六七の娘という方が適当かもしれないが、争われないのは胸のあたりの暖かい肉づき、小鼻と生えぎわの滑かな脂肪だった。そしてその顔にはちょっと見よりも堅実な思慮分別の色が明かに読まれた。それにしてもあまり自然に見える、子供のように神々しい無邪気。渡瀬は承知しながらもおぬいさんの齢を聞いてみたくなった。そして突然、 「失礼、あなたはいくつになりますね」  と尋ねてみた。さすがにおぬいさんは少し顔を赤らめたが、少しも隠し隔てなく、渡瀬を信頼しきっているように、 「もう十九になりますの」  とおとなしやかに答えた。Xはつねに滴り落ちている。しかしながら渡瀬は容易にそこに近寄れないのを知らねばならなかった。そして感歎のあまり、 「ふーむ、珍らしいな、奇体だなあ」  と口に出してしまった。実際考えてみると、渡瀬が今まで交渉を持ったのは、多少の程度こそあれ男というものを知った娘ばかりだった。本当に男を知らない女性が、こんなに不思議なものを秘していようとはまったく思いもかけなかった。渡瀬にはその宝に触れてみる資格が取り上げられているようにさえみえた。彼は少しあっけに取られた。 「それでは始めていただきます」  そうおぬいさんが凛々しく響くような声でいって、書物をぼんやりしかけた渡瀬の前にひろげたので渡瀬はようやく我に返った。おぬいさんの復習したのは、アーヴィングの「スケッチ・ブック」の中にある、ある甘ったるい失恋の場面を取りあつかったもので、渡瀬がこの前読んで聞かせた時には、くだらない夢のようなことを、男のくせによくこうのめのめ書いたものだと思ったのだが、今日おぬいさんがそれを復習しているのを聞いてみると、あながち夢のようなことには思えなかった。誰にもっぱら聞かそうというそれは声なのだろう。どこまでも澄みきっていながら、しかも震いつきたいほどの暖かみを持ったそのしなやかな声は、悲しい物語を、見るように渡瀬の耳の奥に運んできた。始めのうちは、おぬいさんがつかえるとすぐに見てやっていたが、だんだんそんな注意は遠退いて、ほれぼれとその声に聴き入らずにはいられなくなった。おぬいの声にもしだいに熱情が加わってくるようにみえた。渡瀬は知らず知らず書物から眼を離して、自分のすぐ前にあるおぬいさんの髪、額、鼻筋、細長い眉、睫毛、物いうごとにかすかに動くやや上気した頬の上部、それらを見るともなく見やりはじめた。すべてが何んという憎むべき蠱惑だろう。これはやりきれない御馳走だ。耳と眼とが酔ったくれていうことを聴かなくなってしまう、と渡瀬はわくわくしながら考えた。それが渡瀬には容易に専有することのできない宝だと考えれば考えるほど、無体な欲求は激しくなった。教師としてこれほど信頼されているのをという後ろめたさを彼は知らず知らずだんだんに踏み越えていった。しびれるような欲望の熱感が健康すぎるほどな彼の五体をめぐり始めた。  色慾の遊戯に慣れた渡瀬には、恋愛などというしゃら臭いものは、要するに肉の接触に衣をかけたまやかしものにすぎない。男女の間の情愛は肉をとおして後に開かれるのだと、今までの経験からも決めている渡瀬には、これほど嵩じてきた恐ろしい衝動を堰きとめる力はもうなくなりかけていた。彼は顔にまで充血を感じながら、「おぬいさん逃げるなら今のうちだ。早く逃げないと僕は何をするか、自分でも分らないよ」と憫れむがごとくに自分の前にうずくまる豊麗な新鮮な肉体に心の中でささやいたが、同時に、「逃げるなら逃げてみろ。逃げようとて逃がしてたまるか」と頑張るものがますます勢いを逞しくした。眼の前がかすみ始めた。  いつの間にかおぬいさんの声がしなくなっていた。それに気づくとさすがに渡瀬は我れに返った。そしてさすがに自分を恥じた。おぬいさんは渡瀬が今まで妄想していたところよりあまりかけ離れた清いところにいた。彼は書物の方に顔を寄せながら、ともかく、 「ええと、それは」  といったが、どこに不審の箇所があるのか皆目知れなかった。 「どこでしたかね」  自分ながら薄のろい声で彼はこう尋ねねばならなかった。  おぬいさんはきっとした、少し恨めしそうに青ざめた顔を心もち震わせながら、つかえたところを指さした。それがまたむやみにやさしいところだった。渡瀬は、今日はおぬいさんも変だなと思った。  復習を終えたおぬいさんはひどく顔色を青くしていた。しかも眼には涙がたまっていた。渡瀬はそれを見ると自分の心持が気取られたなと思った。できない相談には決っているが、たとえおぬいさんとの結婚をおばさんに打ちだしてみたところが、ひと弾きに弾かれるのは知れきっている。万が一おぬいさんを彼の力の下においてみたところが、どこまでいっしょにやっていけるかそれもおぼつかない。なぜというに渡瀬はおぬいさんのような人をどう取り扱えばいいかの自信がありえなかったから。それだからといって、この気持を捨てられないのも知れきっている。いっそう……そう思った時、おぬいさんが静かに、 「たびたび読みつかえたのをごめんくださいまし。意味が解らなかったのではないんですけれども、あんまり悲しいことが書いてあるものですから、つい黙ってしまいましたの」  といって、少し恥じらうようにこちらに瞳を定めた、渡瀬は背負投を喰ったように思った。たとえば憎悪でもかまわない、自分についておぬいさんが悩んでいてくれたら渡瀬は嬉しかったろう。彼は思い存分の皮肉がいい放ちたくなった。そしてわざと高笑いをしながら、 「文学者なんて奴は、尾鰭をつけることがうまいですからね」  といった。もちろんそれだけでは復讐がし足りなかった。何らの手管もなく、たった純潔一つで操られていると思うと渡瀬は心外でたまらなかった。純潔――そんなものの無力を心でつねに主張している彼には(そして彼は十七歳の時から立派に純潔を踏みにじってきているのだ)小癪にさわった。それにしても何んという可憐な動物だ。彼の酷たらしい抱擁の下に、死ぬほどに苦しみ悶えながら彼女の純潔が奪われていく瞬間を想像すると、渡瀬はふたたび眩惑するような欲望の衝動を感じないではいられなかった。その後に彼女が彼から離れてしまおうと、ますます牽きつけられてこようと、それはたいした問題ではなかった。  渡瀬は茶の間を見廻わした。そして真剣な準備を仮想的に目論見ながら、 「今日はお母さんはお留守ですか」  と尋ねてみた。この言葉はおぬいさんを(もし彼女があたり前の事を知った女なら)怖れさすに十分だと同時に、反抗か屈服かの覚悟を強いるに十分な言葉なはずだ。  ところがおぬいさんはその言葉にすら怖れる様子は見せなかった。そして自分の教師を頼みきっているように、 「診察に出かけました……よろしく申していました」  と他意なく母の留守を披露した。赤子の手をねじり上げることができようか。渡瀬はまた腰を折られてしょうことなしに机の上にある読本を取り上げて、いじくりまわした。  けれども渡瀬はどうしてもそのまま引き下る気にはなれなかった。彼は無恥らしい眼を挙げておぬいさんを見上げ見おろした。その時、ふと考えついたのは、おぬいさんがすでに意中の人を持っているなということだった。恋に酔っている女性ほど、他の男に対して無慾に見えるものはない。おぬいさんの無邪気らしさに欺かれかけたのはあまりばからしいことだった。十九の女に恋がない……彼は何を考えていたのだろうと思った。  彼はおぬいさんを見やりながら、 「おぬいさん」  と呼んだ。彼はばかばかしい嫉妬の情の中にも、自分の声に酔いしれたようになった。おぬいさんに向ってその名を呼びかけたのはこれが始めてなのだ。 「あなたは今の話で涙が出るといいましたが、……あなたにもそんな経験があったんですか」  今度はとっちめてみせるぞ。  即座に、 「いいえ」  と答えた彼女の答えは、少しの隠しだてもなく、きっぱりとしたものだった。渡瀬は明かにそれを感じないではいられなかった。何んという、簡単な敗北を見なければならないだろう。あまりに簡単だ。しかしあまりに明快だ。何もかも素直に投げだして、背水の陣を布いたらしく見える彼女を思うと、渡瀬はふと奇怪な涙ぐましさをさえ感じた。渡瀬はもとよりおぬいさんを憎んでいるのではない。けれども一日おきに向い合っているうちに、二人の距離と、彼自身の中に否応なしに育っていく無体な欲念との間に、ほとんど憎しみともいえそうな根深い執着を感じはじめていた。ある残虐な心さえ萌していた。けれどもおぬいさんと面と向って、その清々しい心の動きと、白露のような姿とに接すると、それを微塵に打ち壊そうとあせる自分の焦躁が恐ろしくさえあった。すべてが終ったあとにおぬいさんが受けるであろうその悩みと苦しみとを考えてみただけでも、心が寒くなった。不思議な女もあったものだと思うほかはなかった。不思議な自分の心だと思うほかはなかった。……それにつけても渡瀬はいらだった。  かまうものか、もっといじめてやれ。渡瀬は何んとなしに残虐なことをしてみたい心になっていた。そして自分で自分をけしかけるように、大ぎょうな表情を見せながら、 「それで泣くというのは変じゃありませんか」  とむりに追窮した。 「経験のないところに感動するってわけはないでしょう」  彼は自分ながら皮肉な気持の増長するのを感じた。  おぬいさんはほっと小さく気息をついた。そしてしばらくしてから、やや俯向いたまま震えた声で、しかしはっきりといいだした。 「これはただそう思うだけでございますけれども、恋というものは恐ろしい悲しいもののようにおもいます。私にもそんな時が来るとしたら、私は死にはしないかと今から悲しゅうございます。だもんですからああいうお話を読みますと、つい自分のことのように感じてしまうのでございましょうか」  この女は俺の説でも承ろうとするがいいんだ。そんな抽象論で引きさがるかい。 「あなたは実際、たとえば星野か園かに恋を感じたことはないのかなあ」  このくらいいっても応えないか。  と、今まで素直に素直にとしていたらしいおぬいさんの顔色がさっと変って、死んだもののように青ざめた。俯向けた前髪が激しく震えだした。今度こそは真から腹を立てて、貞女らしい口をきくだろう、そう渡瀬が思っていると、おぬいさんは忙がしく袂を探ろうとしたが、それも間に合わなかったか、いきなり両手を眼のところにもっていって、じっと押えた。石になったかと思われるほど彼女は身動きもしなかった。  渡瀬は不意を喰ってきょとんとした。……はじめて彼は今まで自分が何をしていたかを知った。彼は自分がこれほど酷たらしい男だとは思わなかった。どうして残虐な気持があとからあとから湧きだして、彼に露骨な言葉を吐かしたかが怪しまれだした。俺は悪党だ。俺は悪人だ。その俺にもおぬいさんが善人なのはよくわかる。何、それは前からわかっていたんだ。それだのに俺は何んのためにおぬいさんに嫌われるようなことをたて続けにしゃべっていたのだろう。俺は悪党だが善人を悪党の群に引張りこむほどの悪党ではないんですよ、おぬいさん。 「悪かったおぬいさん、僕が悪るかった。……僕はどうもあなたみたいな人を取りあつかったことがないもんだから……失敬しました。……僕はこんな乱暴者だが、今日という今日は我を折りました。……許してください。僕はこうやって心からあやまるから」  そういって、彼は几帳面に坐りなおると、膝の上に両手をついて、頭をちょっと下げた。彼はまったくそうした気持にされていたのだ。  何をどういったか、そのあとはよく分らなかったが、渡瀬はとにかく居心地がいやに悪くなって、尻から追いたてられるように急いでおぬいさんの家を飛びだした。  とっぷりと日が暮れて、雪は本降りに降りはじめていた。北海道にしては大粒の雪が、ややともすると襟頸に飛びこんで、そのたびごとに彼は寒けを感じた。  彼はとっとと新井田氏の家の方を指して歩いた。「ああいけねえ」と独りごちた。何んだか打ちのめされたようだった。力が抜けてしまった。ばかばかしく淋しかった。寒いように淋しかった。 「新井田の方はあと廻わしだ」そう彼はまた独りごちて、狸小路のいきつけの蕎麦屋にはいった。そして煮肴一皿だけを取りよせて、熱燗を何本となく続けのみにした。十分に酔ったのを確めると彼は店を出た。  しかし渡瀬は酔いがすぐ覚めそうで不安だった。で酒屋の店に出喰わすと、そのたびごとに立ち寄って盛切をひっかけた。 「何、俺は結局おぬいさんとどうしようというのではなかった。ただ何んとしてもおぬいさんが可愛いいんだ。可愛いい犬ころをいじくり廻わして、きゃんといわさなければ、気がすまなくなるあれなんだ。いわばあれなんだな。だが待てよ、そうでもないのかな」  ある酒屋では小僧がからかうように、 「学生さん、お前さん酔っていますね」  といった。ふむ、俺の酔ってるのが分るのは感心な小僧だ。 「お前はまだ女郎買いはしめえな」 「冗談じゃないよ、学生さん」  渡瀬は十三四らしいその小僧の丸っこい坊主頭を撫でまわした。 「お前は俺が酔ったまぎれに泣いてるとでも思うんか。……よし、泣いてると思うなら思え。涙は水の一種類で小便と同じもんだ」  こういいながら彼は、またふらふらとその店を出た。  彼は人通りの少ないアカシヤ通の広い道を、何んだか弱りしょびれた気持になって、北の空から吹きつける雪に刃向って歩いていった。彼は自分が忠義深い士のような心持だった。伏姫にかしずく八房のようでもあった。ああ俺はまったくあの畜生だな。まったく涙がほろりと流れてきた。何んだかばかばかしいと彼は思った。  新井田氏の玄関によろけこむと、渡瀬は拳固で涙と鼻水とをめちゃくちゃに押しぬぐいながら、 「奥さあん」  と大声を立てて、式台にどっかと尻餅をついた。  奥さんはすぐドアを開けて駈けだしてきた。 「あら大変。あなた、戸も締めないで雪が吹きこむじゃないの」  といいながら、そこにあった下駄を片方の足だけにはいて、斜に身を延ばして、玄関の戸を締めた。股をはだけた奥さんの腰から下が渡瀬のすぐ眼の前にちらついた。 「無礼者……とは、かく申す拙者のことですよ……酔っている? 酔っているかと問われれば、酔っています。……ガンベの酔ったのを見たことがありますか……現在ははは……現在を除いてさ……」  奥さんのしなやかな手が、渡瀬の肩の雪を軽く払っていた。 「いた、……いた、……痛いですよ、奥さん」 「あなた今日は本当にどうかしているわね……さあお上りなさいな」  渡瀬は奥さんの手のさわったところをさすりながら、情けなくなって、そのあでやかな、そのくせ性というものばかりででき上っているような顔を見上げた。 「情けないねまったく……あなたの顔を見るとガンベは……まあいい、……それはそれとして、と……奥さん、僕は今日は、こんなへべれけの酔っぱらいになっちまったから、レコ……じゃないあなたにだ……あなたのいう『あなた』さ……はははは、その『あなた』に、へべれけの酔っぱらいになっちまったから、今日は休む……休むといってください。さようなら」  渡瀬はやおら腰を上げにかかったが、また酔のさめるのが不安になった。彼は腰をすえた。 「奥さん、ウ※(小書き片仮名ヰ)スキーを一杯後生だから飲ませてください」 「あなた、そんなに飲んでいいの」  奥さんは本当に心配らしく、立ちながら、眉を寄せて渡瀬の顔を覗きこむようにした。渡瀬は確信をもって黙ったまま深々とうなずいた。物をいうと泣き声になりそうだった。 「いけませんよ……じゃあ待っていらっしゃいよ」  待っている間、涙がつづけさまに流れ落ちた。  渡瀬の眼の前につきだされたのは、なみなみと水を盛った大きなコップだった。渡瀬はめちゃくちゃに悲しくなってきた。それを一呑みに飲み干したい欲求はいっぱいだったが、酔いがさめそうだから飲んではならないのだ。 「や、さようなら」  あっけに取られて、コップを持ったまま見送っている奥さんに胸の中で感謝しながら、渡瀬は玄関を出て往来に立った。  雪はますます降りしきっていたが、渡瀬はどうしても自分の家に帰る気にはなれなかった。薄野薄野という声は、酒を飲みはじめた時から絶えず耳許に聞こえていたけれども、手ごわい邪魔物がいて――熊のような奴だった、そいつは――がっきりと渡瀬を抱きとめた。渡瀬の足はひとりでに白官舎の方に向いた。 「おぬいさん……僕は君を守る……命がけで守るよ……守ってくれなくってもいいって……そんなことをいうのは残酷だ……僕は君みたいな神様をまだ見たことがなかったんだ……何んにも知らなかったんだ……星野って奴はひどいことをしやがる奴だな……あいつのお蔭で俺は、……俺は今日、救われない俺の堕落を見せつけられっちまったんだ。美しいなあおぬいさんは……涙が出るぞ。土下座をして拝みたくならあ……それだのに、今でも俺は、今でも俺は……機会さえあれば、手ごめにしてでも思いがとげたいんだ。俺はいったい、気狂か……けだものか……はははは、けだものがどうしたというんだ。俺だって、おぬいさんくらい美しく生れついて、銀行の重役の家に育って、いい加減から貧乏になってみろ、俺だって今ごろは神様になっているんだ……神様もけだものもあるかい。……おぬいさんが可哀そうだ……俺は何んといってもおぬいさんが可哀そうだ。……理窟なしに可哀そうだ……可愛さあまって可哀そうだ……俺は何んといっても悪かったなあ……生れ代ってでもこなければ、おぬいさんの指の先きにも、……現在触ってみたところが結局触ったにならない俺なんだ……俺は自分までが可哀そうになってきたぞ……」  いつの間にか彼は白官舎の入口に立っていた。  暗いラムプの下のチャブ台で五人ほどの頭が飯を食っていた。渡瀬はいきなりそれらの間に割りこんで坐った。 「ガンベか。ただ今食事中だ、あすこの隅にいって遠慮していろ。今夜はばかに景気がいいじゃないか」  といったのは人見だった。そこには園もいた。あとは誰と誰だかよく解らなかった。 「貴様は誰だ。(顔を近づけると知れた)うむ柿江か。誰だそこにいる貴様二人は」 「森村と石岡じゃないか。西山の代りに今度白官舎にはいったんだよ。臭いなあ……貴様はまた石岡にやられるぞ。そっちにいってろったら」  とまた人見がいった。渡瀬は動かなかった。 「何をいうかい。今日は石岡も石金もあるもんか……酔ったぐらいで人をばかにしやがると承知しないぞ、ははは……おい人見、ここには酒はないのか、酒は。……ねえ? ねえとくりゃ買うだけだ。おい婆や……もっとよく顔を見せろ。ふむ、お前も末座ながら善人の顔だ……酒を買ってきてくれ。誰かそこいらに金を持っている奴はないか。俺の寿命を延ばすとおもって買ってきてくれ。飯なんぞもぞもぞと食ってる奴があるかい、仙人みたい奴らだな」  柿江がそうそうに飯をしまって立とうとした。それを見ると渡瀬はぐっと癪にさわった。 「柿江……貴様あ逃げかくれをするな。俺は今日は貴様の面皮を剥ぎに来たんだ。まあいいから坐ってろ。……俺は柿江の面皮を剥ぎに来た、と。……だ、そうでもねえ。俺は皆んなに泣いてもらいに来たんだ。石岡、貴様はだめだ。貴様のようなファナティックはだめだとしてだ、……おい、皆んな立つなよ。……何んだ、試験だ……試験ぐらい貴様、教場に行って居眠りをしていりゃあ、その間に書けっちまうじゃねえか」 「俺に用がなければ行くぞ」  石岡が顔色も動かさずにそういいながら座をはずしかけた。 「石岡、貴様はクリスチャンじゃねえか。一人の罪人が……貴様はいつでも俺のことをそういうな。いんやそういう。……罪人が泣いてもらいたいといっているのが聞こえなかったんか。……たとえ俺がだめだといったところが、貴様の方で……まあ坐れ、坐ってくれ。……一人でも減ると俺はおもしろくないんだ……坐れえおい。俺が命令するぞ」  婆やが何かいいながらチャブ台を引いた。壁ぎわに行ってばらばらにそれに倚りかかっている五人が、朦朧と渡瀬の眼に映った。ただ何んということもなく涙が湧いてきた。彼はばかばかしくなって大声を揚げて笑った。 「園君じゃねえ、園はいるか園は。それか。君……君はじゃねえ貴様はおぬいさんに惚れているだろう。白状しろ。うむ俺は惚れてる。悲しいかな惚れている。悲しいかなだ。真に悲しいかなだ。俺は罪人だからなあ。悔い改めよ、その人は天国に入るべければなり……へへ、悔い改めら、ら、られるような罪人なら、俺は初めから罪なんか犯すかい。わたくしは罪人でございます。へえ悔い改めました。へえ天国に入れてもらいます……ばか……おやじが博奕打の酒喰らいで、お袋の腹の中が梅毒腐れで……俺の眼を見てくれ……沢庵と味噌汁だけで育ち上った人間……が僣越ならけだものでもいい。追従にいってるんでねえぞ。俺は今日け――だ――も――のということがはっきり分ったんだから。星野の奴がたくらみやがったことだ」 「おいガンベ、そんなに泣き泣き物をいったって貴様のいうことはよく分らんよ。今日はこれだけにして酔っていない時にあとを聞こうじゃないか」  それが石岡の声らしかった。 「ばかいえ貴様、そうきゅうにわかってたまるものか。飲んだくれ本性たがわずということを知らんな。……婆や、酒はどうした、酒は……。けれどもだ……貴様のけれどもだ、おい西山……ふむ、西山はもういねえのか。とにかくけれどもだ、貴様たちは俺が罪人なることを悲しんでいないと思うと間違ってるぞ。……はははそんなことはどうでもいい。それは第一貴様たちの知ったこっちゃないや、なあ。……とにかく……皆んな貴様たちはおぬいさんを知ってるな。けれども、貴様たちは一人だって、どれほどあの娘が天使であるかってことは知るまい。俺は今日それを知ったんだ。この発見のお蔭で俺はこのとおり酔った。わかるか」 「わからないな」  それは人見だった。申し合わせたように二三人が笑った。 「ははは……(彼はやたらに涙を拭った)俺にもわからんよ。……園、貴様はおぬいさんに惚れてるんだろう」  園はほほえみながら静かに頭をふった。 「そんなことはない」 「じゃ惚れろ。断じて惚れろ。いいか。俺は万難を排して貴様たちに加勢してやる。俺は死を賭して加勢してやる。……園、俺は今日一つの真理を発見した。人生は俺が思っていたよりはるかに立派だった。ところが……じゃいかん……だからだ。whereas じゃない。therefore だ。それゆえにだ……俺のようなやつが、住むにはあまり不適当だ。こういうんだ。悲観せざるを得ないじゃないか。……しかし俺は貴様たちを呪うようなことは断じてしないぞ。……安心しろ貴様たちを祝福してやるんだ、俺は死を賭して貴様たちに加勢してやる。……ははは……とか何んとかいったもんだ。どうだ石岡。石金先生、……相変らず貴様はせわしいんか。貴様が俺に酒の小言さえいわなけりゃ、一枚男が上るんだがなあ……しかし貴様の老爺親切には俺はひそかに泣いてるぞ。……余子碌々……おいおい貴様たちは何んとか物をいえよ、俺にばかりしゃべらしておかずに……園、貴様惚れろ。いいか惚れろ」 「ガンベはだめだよ。貴様いつでも独りぎめだからなあ。他人の自由意志を尊重しろ、園君には園君の考えがあるだろう」  帽子を被ったままのが言ったんで、森村だと渡瀬にも分った。 「ふむ、そうか。……そんなものかなあ……」 「園君、君はもうあっちに行くといい……。そしてガンベもう帰れ、俺が送っていってやるから。今夜は雪だからおそくなると難儀だ」  そう人見がとりなし顔にいったけれども、園は座を立とうともしなかった。渡瀬はどうしてもうんといわせたかった。園が不断から言葉少なで遠慮がちな男だとは知っていたけれども、これだけいうのに黙っていられるのは、癪にさわらないでもなかった。それよりも渡瀬はすべてが頼りなくなってきた。自分でも知らずに長く抑えつけていた孤独の感じが一度に堰を切って迸りでたかと淋しかった。 「園、貴様何んとかいってもいいじゃないか。俺は酔っぱらっているさ。……酔っぱらっているからって渡瀬作造は渡瀬作造だ。それとも渡瀬作造なるものに……まあいい園、俺と握手をしろ。そうだもっと握れ。俺が貴様の自由意志を尊重していないとしたらだな……俺はあやまる……。どうだ」  澄んだ眼を持った園の顔はすぐ眼の前にあった。それを涙がぼやかしてしまった。園の手が堅く渡瀬の手を握ったかと思うと、 「僕は君の言葉をありがたくさっきから聞いていたんだよ。よく考えてみよう」 「考えてみよう?……好男子、惜しむらくは兵法を知らず……まあいい、もう行け」 「僕も人見君といっしょに君を送ろう」 「酔不成歓惨欲別か……柿江、貴様ははじめから黙ったまま爪ばかり噛んでいやがるな……皆な聞け、あいつは偽善者だ。あいつは俺といっしょに女郎を買ったんだ」 「おいおいガンベ、酔うのはいいが恥を知れ」  それはすべてを冗談にしてしまおうとするような調子だった。 「恥を知れ? はははは、うまいことを言いやがるな。……」  まだいい募りたかったが、その時渡瀬は酔のさめてくるのを感じた。それは何よりも心淋しかった。寝こんでしまって自然に酔いがさめるのでなければ、酔ざめの淋しさはとても渡瀬には我慢ができなかった。彼は立ち上った。 「便所か」  と人見も同時に立ってきた。廊下に出るときゅうに刺すような寒気が襲ってきた。婆やまでが心配そうにして介抱しに来た。渡瀬は用を足しながら、 「婆や、小便は涙の一種類で、水と同なじもんだ……じゃなかったかな……とにかくそういうことを知ってるか、はははは」  といってしいて笑ってみたが、自分ながら少しもおかしくはなかった。何しろ酒にありつかなければもういられなくなった。  彼は人見と園とにつき添われて、白官舎から、真白に雪の降りつもった往来へとよろけでた。      *    *    *  どうしても気の許せないようなところのある男だった。それが、ともかく表向は信じきっているように見える父の前に書類をひろげてまたしゃべりだした。(父は実際はその言葉を少しも信じてはいないのに、おせいの前をつくろって信じているらしくみせているのではないか。つまり父までがぐるになっているのではないかとさえ疑った) 「こうした依頼を受けているんです。土地としては立派なもんだし、このとおり七十三町歩がちょっと切れているだけだから、なかなかたいしたものだが、金高が少し嵩むので、勧業が融通をつけるかどうかと思っているんですがね……もっともこのほかにもあの人の財産は偉いもので、十勝の方の牧場には、あれで牛馬あわせて五十頭からいるし、自分の住居というのがこれまたなかなかなことでさあ。このほか有価証券、預金の類をひっくるめると、十五万はたしかなところですから、銀行の方でも信用をしてくれるとは思っているんですが」  そういう間にも、その男は金縁の眼鏡の奥から、おせいの様子をちらりちらりと探るように見た。優しいかと思うときゅうに怖くなるような眼だった。 「で、その金を借りだしてどうなさろうというのかな」  父は書類を取り上げながらこう尋ねた。待っていたと言わんばかりに、その男はまた折鞄の中から他の書類を取りだした。 「それがこれになろうと言うんです。これがまた偉いもんですぜ。胆振国長万部字トナッブ原野ですな。あすこに百町歩ほどの貸下げを道庁に願いでて、新たに開墾を始めようというんです。今日来がけにちょっと道庁に寄っていただいたが、その用というのがこれです。たいていだいじょうぶ行きます。……何しろあの若さでこれだけの事をやり上げようというんだから……若さといっても四十だが、なあに男の四十じゃあなた、これから花というところです。やあ、どうも話がわき道に外れちゃったが、どうでしょうな、お嬢さんのお考えは……ただどうも問題になりそうなのは年のちがいじゃあるが」  と、まともにおせいの方を見て、 「あなたが三十におなんなさる時を思やあ、むこうはやっと四十九だ。ちょうどいいつり合いになりまさあ。どうも男って奴は、これで五十やそこらのうちに細君が四十だ四十一だなんてことになると、つい浮気になりたがるものですよ。……ねえお父さん、お互にまんざら覚えのないことでもないしさ」  おせいはこんなことをいわれるのを聞いていると、とてもこの話は承諾はできないと思った。聞いているうちに、その人が憎らしくなって、いっそ帰ってしまおうかと思った。父は袖の下に腕を組んでじっと考えこむようにしていた。おせいは二日前に兄の清逸から届いた手紙のことを心の中で始終繰り返していた。お父さんは家のものに何んにも相談しないが、お前の結婚のことを考えているらしい。昨日も浅田という元孵化場で同僚だった鞘取のような男が札幌から来て、長いこと話していった。お母さんが立ち聴きした様子から考えると、どうもそうらしい。しかもお前を貰いたいというのは札幌の梶という男じゃないかと思う。それならその男は評判な高利貸でしかも妾を幾人も自分の家の中に置いているという男だ。どんなことがあってもいうことを聴いてはいけない。自分のところは極端に貧乏している。しかも自分がいつまでも書生生活をしているばかりで、お前にまで長い間苦労をかける。お前の婚期がおくれるくらいになっているのを知りながら、それをどうすることもできない自分を思うと、自分は苦しい。けれども今度のだけは是が非でも断れ。そんなことが書いてあった。 「どうでしょうな」  五つ紋の古い紬の羽織を着たその男は、おせいの方をも一度じっと見て、その眼を父の方に移した。 「どうだな、おせい」  父はまたその男の眼を避けるようにおせいを見るのだった。おせいは身がすくむような気がして、恨めしそうに父を見かえした。 「浅田さんもさっきからこれほど事をわけて話してくださるんだから、お前、何んとか御挨拶をしないじゃならんぞ。お父さんもそうたびたび千歳からかけて足を運ぶわけにはいかないしよ」  と父は、いっそう腕を固く組んで、顔を落して説き伏せるように一語一語に力を入れた。  それでもおせいは何んと答えようもなかった。ようやくのことで唾を呑みこんで、居住まいをなおしながら下を向いた。 「いや、こりゃ私がいちゃかえって御相談がまとまりますまい。私は勧業の方の人に用もありますししますから、これでひとまずお暇とします。……じゃお嬢さん、ひとつよくお考えなすって。仲人口と取られちゃ困りますが、お父さんと私とは古いおなじみだから、けっして仇やおろそかに申すんじゃないんですから、どうか、そこんところをお忘れなく……」  そしてその人は父と簡単な挨拶を取り交わすと、そこにあった書類をいちいち綿密に鞄の中にしまいこんで座を立った。おせいが父のあとについて送りだそうとすると、浅田は、 「お嬢さん、もうようございます。何、星野さんちょっとお顔を」  いったので、おせいはわざと遠慮した。二人は部屋の外の階子段の上で、あれこれ十分ほどもほそぼそと話をしていた。なぜともなく五体が震えるのを、寒さのせいかと思って、腰を折って火鉢の上に手をかざした。壁が崩れ落ちたと思うところに、日章旗を交叉した間に勘亭流で「祝開店、佐渡屋さん」と書いたびらをつるして隠してあるような六畳の部屋だった。建てつけの悪いガラス窓が風のためにひどい音を立てて、盗風が屋外のように流れこんだ。  父はやがて小むずかしい顔をして帰ってきた。「寒い家だどうも」とあたりを見まわしているのが、千歳の家を知りぬいているおせいには気恥かしいくらいだった。 「どうだ」 「私はいやです」  おせいは即座に答えた。父はむっとしたらしかったが、やがてしいて言葉を和らげながら、 「そう膠なくいっては話も何もできはしないがな。浅田さんのいうとおり、年のところに行くと少し明きすぎるようだが、わしらのような暮しでは一から十まで註文どおりにいかないのは覚悟していてくれんと埒はあくものではないぞ。……先方では支度も何もいらないと言うのだ。支度がいるようでは恥かしい話だが、今のところお父さんには何んとも工面がつかんからなあ」 「先様は何んという人です」 「先方はお前、今も浅田さんがいうとおりなかなか○持ちで、自分が貧乏から仕上げたのだから、嫁は学問がなくてもやはり苦労して育ったしとやかなのが欲しいと、まず当世に珍らしい……」 「何という人なんです」 「名か、名はその、梶といって、札幌では……」  はたして兄からいってきたとおりだった。おせいはあまりといえば父もあまりだと思った。 「そんなら私はどうしてもいやです。幾人も妾を持っているような高利貸のところになんぞ……お父さんもちっと考えてくださればいいに」  といううちに、彼女は胸が熱くなって涙ぐんでしまった。兄さんですら、小さい時、あれほど自分を可愛がってくれた兄さんですら、まるで自分の事しか考えてはいないし、お父さんはお父さんで、自分の娘だか、他人の娘だか区別のないような仕向け方をする、と思うと、おせいは誰にたよる的もないのを感じた。彼女はこの五年の間の苦しい女中奉公の生活――それは光明も何もない、長い苦しみの一つらなりだった――を思いめぐらした。始めて小樽に連れだされたのは十七だった。まるで山の中から拾ってきた猿のようなあしらいを受けた。箸の上げおろしにも笑いさいなまれ、枕につくたびごとに、家恋しさと口惜しさのために忍び泣きで通した半年ほど。貰った給金は残らず家の方に仕送って家からたまに届けてよこす衣類といっては、とても小樽では着られないものばかりなので、奥さんからは皮肉な眼を向けられ、朋輩からは蔭口をたたかれる。それをじっと堪らえて、はいはいといっていなければならぬ辛らさ。月日は経ったけれども、小学校で少しばかり習い覚えた文字すら忘れがちになるのに、そこのお嬢さんたちが裕かに勉強して、一日一日と物識りになり、美しくなっていくのを、黙って見ていなければならぬ恨めしさ。七時過ぎまでは食事もできないで、晩食後の片づけに小皿一つ粗匇をしまいと血眼になっている時、奥では一家の人たちが何んの苦労もなく寄り合って、ばか騒ぎと思われるほどに笑い興じているのを聞かなければならぬ妬ましさ。それにも増して苦しかったのは奥さんの意地悪だ。妙な癖で、奥さんは家内のものの中にかならず一人は目のかたきになる人を作っておかなければ気がすまないのだ。その呪いの的になる人は時々変りはしたけれども、どういうものかおせいは貧乏籤をひいた。露ほどの覚えもないことをひがんで取って、奥様一流の針のような皮肉で、いたたまれないほど責めさいなむのだった。これが嵩じると自分までヒステリーのようになって、暇を取ったくらいでは気がすまないで、面あてに首でも縊ろうかと思う時さえあった。さらにそれにも増していやらしかったのは旦那様の淫らなことだった。奥さんの目褄を忍んでその老人のしかけるいたずらはまるで蛇に巻かれるようだった。それをおせいは軽く受け流して逃げなければならなかった。誰に訴えようもないような醜いことだった。さらにさらに、それにも増して苦しかったのは、若様といわれるその家の長男の情けだった。その人は誰が見ても綺麗な男というような人だ。おまけに旦那とはうらはらに、上品で、感情の強い人で、家の人たちには何んとなく憚られているらしかった。淋しい感じの人だ。おせいは住みこんだ時からこの若様という人に惹き寄せられた。朋輩がその人の噂を好いたらしくするのを聞くと、心がひとりでにときめいて、思わず顔が紅くなった。けれども何を思っても及ばないこととしてすっかり諦めていた。諦めようと苦しんでいた。ところが去年のこと、ふとしたおりにその人からおせいは挑みかけられた。おせいは眼をつぶるようにして一生懸命にその誘惑からのがれた。そして底のないような淋しさから声を立てて泣いてしまった。二十という年までじっと、じっと押えつけ、守りぬいていた火のような悲しい思いが、それからのたびたびの危い機会に一度に流れでようとしたのだったが、そしてその人が苦しんでいる様子をみると、いとしくなって何もかも忘れようとさえ思う瞬間はいつもあったのだけれども、彼女はいつでも自分の家の貧しさを思った。健康の弱い兄を思った。白痴同様な弟を思った。貧乏はしても父の名に泥を塗るなと、千歳を出る時きびしくいいわたした父の言葉も思った。自分の心をゆがめきってしまいはしないかと思われるようなこれらの辛らさ、悲しさ、妬ましさ、苦しさを今まで堪えに堪えてきたのはいったい何のため。  おせいは水月に切りこむようにこみ上げてくる痛みを、帯の間に手をさしこんでじっと押えた。父はおせいのあまりに思い入った様子に思わず躊らって、しばらくは言葉をつぐこともできなかった。  二人はお互の間に始めてこんな気づまりな気持を味いながら、顔を見合せるのも憚って対座していた。 「どうしてもお前はいやというのか」  おせいはもう涙も出なかった。乾いたままで唇が無性に震えた。 「お父さん、それだけはどうか勘忍してください」  父は地声になって口をとがらした。 「勘忍してくださいといったところが、これはお前のことだからお前の勝手にするがいいのだが、どういう訳だか訳を言わにゃ、ただ許してくれではお父さんも困るじゃないか」 「お父さんは私を……私を高利貸の……妾になさるつもりなんですか」 「とんでもないことを……お前はさっきから高利貸高利貸と言うが、それは働きのない人間どもが他人の成功を猜んでいうことで、泥棒をして金を儲けたわけじゃなし、お前、金を儲けようという上は、泥棒をしない限り、手段に選み好みがあるべきわけがない。金儲けがいやだとなれば、これはまた別で、お父さんのようになるよりしかたのないことだ。安田でも岩崎でも同じこった、妾囲いとてもそうだ。妾を持ってる手合いは世間ざらにある。あの人は同じ妾囲いをしても、隠しだてなどをしないから、世の中でとやかくいうのだが、お父さんは梶はそこはかえって見上げたものだと思ってるくらいだて。それもお前を妾にくれというのじゃなしさ……」 「けれども、あの人にはちゃんと奥さんがあるんじゃありませんか」 「そ、それだが……先方では妻にくれろというのだから、今の細君をどうするとかこうするとかそれはむこうに思わくがあってのことに違いないとお父さんは思ってるがどうだ。何しろこっちは先方の言い分を信用して……」  おせいは惘れるばかりだった。父がどうしてこんなになったのか、どう思ってみようもなかった。いくらなんにも知らないおせいにも、自分のような貧乏な、無学な、知り合いもないような人間を正妻に迎えるわけがないのは分りきっているのに、しらじらしい顔つきをして、自分の娘をごまかそうとするらしい父が邪慳の鬼のようにも思えた。 「お前は何んでも世間の見るとおりに物を見ようとするからいけない。高利貸といえばすぐ鬼のような無慈悲な奴、妾を持つといえばすぐ腭の左の方にちょっと眼に立つほどの火傷のあとがあるそうだが……」  おせいはそれを聞くと身がすくむようだった。体がかたくなった。肩が凝りきった時のように、頸筋から背中がこわばって、血のめぐりが鈍く重く五体の奥の方だけを動くようで、それが胸のところを下の方から気味悪るく衝き上げた。眼界がだんだん狭まって、火鉢にかざされた、長い指の先がぶるぶる震えどおしている。皺くちゃな父の両手だけが、切り放したようにぼんやり見えていた。「いつ私はその人に見られていたんだろう」と思うと、怖ろしさと無気味さに気息がとまった。 「お前見たことはないか」 「いいえ」  おせいの眼は父の手から辷り落ちて、膝の上に乗せてある自分の手の方に行った。涙にしとったハンケチを丸めてぎゅっと握りつめているそのかぼそい手も他人の手のようだった。若様が自分の手の間に挾んで、やさしく撫でてくださろうとした手だ。それをむりにふり放した手だ。……涙がはらはらと彼女の眼から新しくこぼれでた。  気まずい沈黙がそのあとに続いた。  いっそ……ああ若様と私とは身分がちがう。  すぐ見棄てられるにきまっている。その時の苦しさを思うとどうしても今までどおりにしているほかはない……といって、私はきっといつかは敗けてしまうに決っている……たとえ、見棄てられても、一度だけでも……おせいは切羽つまった気持の中で、悲しい嬉しい瞬間を心に描いた。それがせめてもの腹いせだった。……そして死んでしまえばそれでいいんじゃないか…… 「お父さんはたってと勧めるんじゃない……が、お前はどうしても気が向かないというのだな……」  おせいはびくりとして夢のようなところから没義道にひきもどされた。彼女はいつの間にかハンケチを眼にあてていた。 「まあお父さんの胸の中もひととおり聞いてくれ。俺も五十二になる。昔なら殿様に隠居を願いでて楽にくつろぐ時分だが、時世とはいい条……また、清逸の奴がどういうつもりなのか、あの年になっていて、見さかいのなさ加減はない。このごろもお前、家にいて、毎日の家の様子は見ているくせに、箒一つ取るでもなく、家いっぱいにひろがって横着をきめている始末だ。学問ができるのなんのって人がちやほやするのを真に受けてしまってからに、有頂天になっている。あんな病気を背負いこんで薬代だけでもなみたいていでないのに、東京へ出かけようといってさらに聞かんのだ。俺もこうやってはいるがいざとなればそのくらいの工面はつくから、苦しいながらあちこち世話をやいてやってみると、そんなところから金を出してもらうのは嫌だとか何んとか、つべこべいいくさる。……」  こういう不平をきっかけに父は母が少しも甲斐性のないことや、純次がますます物わかりが悪くなって、親を睨めかえすしぶとさばかりが募るということや、孵化場の所長が代ると経費が節減されて、店の方の実入りが思わしくないということや、今度の所長の人格が下司のようだということや、あらん限りの憤懣を一時にぶちまけ始めた。それをじっとして聞いているおせいはさすがに父が哀れになった。五十二というのに、その人は六十以上に老い耄けていた。これほどの貧乏に陥るのももとはといえば何んといっても父の不精から起ったことだと、苦しいにつけ、辛らいにつけ、おせいは父を恨めしく思う気持になるのだったが、眼前世の中が力にあまって、当惑しているような父の姿を見ると、母も母だ、兄も兄だという心が起った。 「愚痴には違いない……愚痴には違いないがお前にでも聞いてもらわにゃお父さんは愚痴をこぼすせきもないような身柄になったよ、いやどうも……それに、これもお前だけに聞いてもらうことだが、じつは俺も、その、苦しさから浅田さんに頼んで、金をば六百円ほど融通してもらっているので……」  おせいはそれが崇っているのだと始めて始終が見えきったように思った。 「もっともあれはあれで親切人だから、そのことを根に持つような人柄ではないが、俺は頑固な昔気質だから、どうも寝ざめがようないのだ。俺は困っとるよ……」  と父は膝のまわりを尋ねまわして、別々になっている煙草入と煙管とを拾い上げると、慌てるようにして煙草をつめたが、吸うかと思うと火もつけずに、溜息とともにそれを畳の上に戻してしまった、おせいはおずおず父の顔を窺った。垢染みて、貧乏皺のおびただしくたたまれた、渋紙のような頬げたに、平手で押し拭われたらしい涙のあとが濡れたままで残っている。そこには白髪の三本ほど生えた大きな疣もあった。小さい時、きょうだいで寄ってたかって、おちちだといってしゃぶった疣だ。……思案にあまるというのはこれだろうか。彼女の心はしーんとしたなりで少しも働こうとはしなかった。おせいはひとりでに襟の中に顔を埋めた。無性に悲しくなるばかりだった。  力がなえきってみえた父は、最後の努力でもするように、おせいの方に向きなおって、膝の上に両肱をついて丸っこくかごまった。 「おせい……」  鼻をすすりながらそれを横撫でにした。 「甲斐性のないおやじと下げすんでくれるなよ。俺も若い時に、なまじっかな楽な暮しをしたばかりに、この年になっての貧乏が、骨身にこたえるのだ。俺一人が楽をしようというではけっしてないがな、何しろ、今日日々の米にも困ってな……この四年あまりというもの、お前のしてきた苦労も、俺は胸の中でよっく察している。親というものは子にかけちゃ神様のように何んでも分る。お前は小さい時から素直な子だったが、素直であればあるほど……」 「お父さんそんなことをいうのはもうよしてください……」  おせいはほとんど憤りたいような悲哀に打たれて思わずこう叫んでしまった。  とにかく二三日中にはっきりした返事をすると約束しておせいはようやく父の宿を出た。  もうまったく日が暮れていた。ショールに眼から下をすっかり包んで、ややともすると足をさらおうとする雪の坂道を、つまさきに力を入れながらおせいはせっせと登っていった。港の方からは潮騒のような鈍い音が流れてきた。その間に汽船の警笛が、耳の底に沁みこむように聞こえている。空荷になった荷物橇が、大きな鈴を喉にぶらさげて毛の長い馬に引かれながら何台も何台もおせいのそばを通りぬけた。顔をすっかり頭巾で包んで、長い手綱で遠くの方から橇を操っている馬方は、寄り道をするようにしておせいを覗きこみに来た。幾人となく男女の通行人にも遇った。吠えつきに来た犬もあった。けれどもおせいにはそれらのものが、どれもこの世界のものではないようだった。今まで父といっしょにいたというのも嘘のようだった。万人が行ったり来たりする賑かな往来、そこでおせいが何百人何千人となく行き遇った人々、その中には、おせいが歩いているような気持で歩いている人がやはりいたのだろうか。それにしては自分は今まで何んというのんきな自分だったろう。そんな苦労を持っているらしい人は一人だって見当らないようだったが。……人間っていうものはやはりこんな離れ離れな心で生きてゆくものなのだ。底のないような孤独を感じて彼女はそう思った。  主家の大きな門の前に来た。朋輩たちがおせいの帰りの遅いのをぶつぶつ言いながら、彼女の分までも働いているだろうと思うと気が気でなかった、大急ぎで門を駈けこんだ。  こちらから挨拶もしないうちに、台所で働いてる女中の一人が、 「早かったわね。奥さんがお待ちかねよ」  といった。 「若様もお待ちかねよ」  ともう一人のがいった。おせいは何んともいえない淫りがましいいやなことをいう人だと思った。  おせいは取りあえず奥の間に行って、講談物か何かを読み耽っているらしい奥様の前に手をついた。そして、 「ただいま戻りました。おそくなりまして相すみません。父がよろしくと申されました」  というと、いつもの癖の眼鏡の上の方から眼を覗かせて、睨むようにこっちを見ていた奥様は、 「父がよろしくと申されましたかね。あの(といって柱時計を見かえりながら)お前もう御飯を召しあがりましたろうね」  と憎さげにまた書物を取り上げた。どうかすると気味が悪るいほど親切で、どうかするとこちらがヒステリーになりそうに皮肉なのがこの人の癖だとは知りながらおせいは涙ぐまずにはいられなかった。  奥様に釘を打たれて、その夜おせいは食事を取らなかった。実際喰べたくもなかった。  けれども夜中になると、何んとしても我慢ができないほど餓じくなってきた。そっと女中部屋を出て、手さぐりで冷えきった台所に行って、戸棚を開けた。そしてそこにあるものを盗み喰いをしようとした。  その瞬間におせいはどっと悲しくなった。そしてそこに体を倚せかけたまま、両袖を顔にあてて声をひそめながら泣きはじめた。      *    *    *  父が死んだという電報を受け取ったのは、園がおぬいさんの所に教えに行って、もう根雪になった雪道を、灯がともってから白官舎に帰ってきた時だった。  隣りの人見の部屋には柿江と森村とが集っているらしく、話声で賑わっていたが、園はそこを覗いてみる気持にもなれないで、そっと素通りして自分の部屋にはいった。  渡瀬がひどく酔払って白官舎に訪ねてきた翌日から、どうしてもおぬいさんを教えるのはいやだといいだしたので、そしてしきりに園に教えに行けといって聴かないので、彼は已むを得ず、一日おきにまたその家に通うようになったのだった。それがもう半カ月のあまりも続いていた。  幾度も玄関に出てその帰りを待っていたという婆やが、何か不吉の予感らしいものを顔に現わして園にその電報を手渡した時、園も一種の不安を覚えないではなかったが、まさかあの頑丈な父が死ぬものとは思っていなかった。文言を読んだ時でも父が死んだようには考えられなかった。ただ眼の前に自分の家の様子が普段のままな姿で明かに思いだされたばかりだった。  何か変ったことがあったのではないかと婆やが尋ねるのに対しても、はっきりしたことは告げ知らせもしないで、自分の部屋に帰ってきたのだった。  不思議なことには……と園がふと思ったほど……自分の部屋は何んの変化もない自分の部屋だった。机の側には婆やのいけておいてくれた炭火がかすかに光っていた。園はいつものとおり、ドアの蔭になっている釘に、外套と帽子とをかけて、本箱の隅におきつけてあるマッチを手探りに取りだしてラムプに灯をともした。机の上には二三通の手紙がおいてあった。その中の一つは明かに父からの手紙だった。園は坐りも得せず、その手紙を取り上げてみた。たしかに父の手蹟に相違なかった。ちびた筆で萎縮したように十一月二十三日と日附がしてあった。それを見るとややあわてたような気持になって、衣嚢の中から電報を取りだして、今度はその日附を調べてみた。十一月二十五日午前九時四十分の発信になっていた。  園は手紙と電報とを机の上に戻しながら始めて座についた。そしてしばらくは手紙を開封することもなく、人さし指を立てて机の小端を軽く押えるように続けさまにたたきながら、じっと眼の前の壁を見つめていた。自分ながらそれが何んの真似だかよく解らなかった。しかしながらかねてからある不安なしにではなく考えていたことが、驀地に近づいてきているような一種の心の圧迫を感じ始めているのは明かだった。自分の研究に一頓挫が来そうな気持がしだいに深まっていった。  園は父の手紙をわざと避けて、他の一通を取り上げてみた。それは絶えて久しい幼友だちの一人から送られたもので、園にとってはこの場合さして興味あるものではなかった。他の一通は書体で星野から来たものであるのが明かだった。園はせわしく封を破って、中から細字で書きこまれてある半紙三枚を取りだした。長い手紙であればあるほどその場合の園には便りが多かった。園は念を入れてその一字一句を読みはじめた。 「皚々たる白雪山川を封じ了んぬ。筆端のおのずから稜峭たるまた已むを得ざるなり」 とそれは書きだしてあった。 「昨夜二更一匹の狗子窓下に来ってしきりに哀啼す。筆硯の妨げらるるを悪んで窓を開きみれば、一望月光裡にあり。寒威惨として揺がず。かの狗子白毛にて黒斑、惶々乎とし屋壁に踞跼し、四肢を側立て、眼を我に挙げ、耳と尾とを動かして訴えてやまず。その哀々の状諦観視するに堪えず。彼はたして那辺より来れる。思うに村人ことごとく眠り去って、灯影の漏るるところたまたま我が小屋あるのみ。彼行くに所なくして、あえてこの無一物裡に一物を庶幾し来れるにあらざらんや。庭辺一片の食なし。かりに彼を屋内に招かば、狂弟の虐殺するところとならんのみ。我れの有するものただ一編の文章のみ。文章は畢竟彼において何するところぞ。我れついに断じて窓を閉ず。翌、かの狗子命を我が窓下に絶ちぬ。 ああ何んぞ独り狗子を言わんや。自然の物を遇するすべてまさにこのごとし。我が茅屋の中つねにかの狗子にだに如かざるものを絶たず。日夜の哭啾聞こえざるに聞こゆ。筆を折って世とともに濁波を挙げて笑いかつ生きんとしたること幾度なりしを知らざるは、たまたま我が耿々の志少なきを語るものにすぎずといえども、あるいは少しく兄の憐みを惹くものなきにしもあらじ。しかも古人の蹟を一顧すれば、たちまち慚汗の背に流るるを覚ゆ。貧窮、病弱、菲才、双肩を圧し来って、ややもすれば我れをして後えに瞠若たらしめんとすといえども、我れあえて心裡の牙兵を叱咤して死戦することを恐れじ。『折焚く柴の記と新井白石』はかろうじて稿を了るに近し。試験を終らば兄は帰省せん。もししからば幸いに稿を携え去って、四宮霜嶺先生に示すの機会を求むるの労を惜しまざれ。先生にして我が平生忖度するところのごとくんば、この稿によって一点霊犀の相通ずるあるを認めん。我が東上の好機もまたこれによって光明を見るに至らんやも保しがたし。さらに兄に依嘱しえべくんば、我が小妹のために一顧を惜しまざれ。彼女は我が一家の犠羊なり。兄の知れるごとく今小樽にありてつぶさに辛酸を嘗めつつあり。もしさらに一二年を放置せば、心身ともに萎靡し終らんとす。坐視するに忍びざるものあり。幸いにして東京に良家のあるありて、彼女のために適所を供さば、たんに心身の更生を僥倖しうるのみならず、その生得の才能を発揮するの機縁に遇いうるやも計るべからず。我が望むところは、彼女が東上して円山氏につき、勤労に服するのかたわら、現代的智識の一班に通ずるを得ば、きわめて幸いなり」  園はこれだけのことを読む間にも、幾度も自家の方のありさまを想像していた。想像したというよりは自分がずっと育ってきた東京郊外の田舎じみた景色や、父、母、兄などの面影やが、見るように現われたり隠れたりしていた。そのために園は星野からの手紙を静かに読み終ることができないで、それを机の上に置いたなりで、細かく書連ねられた達者な字を見入りながら、だんだんと自分の家のことを思い耽りはじめた。  あるかないかに薄い眉の上に、深い横皺を一本たたんで、黒白半ばするほどの髪毛のまだらに生え残った三分刈りの大きな頭を少し前こごみにして、じろりと横ざまに眼を走らしながら人の顔を見る父の顔……今年の夏休暇の終に見たその時の顔……その時、父と兄との間にはもう大きな亀裂が入っていて、いつも以上に不機嫌になっていた。兄は病気の加減もあったのかことさらに陰鬱だった。若いくせに喘息が嵩じて肺気腫の気味になっていたが、ややともすると誰にも口をきかないで一日でも二日でも頑固に押し黙っているようなことがあった。園に対しては舐めるような溺愛を示すのに引きかえて、兄に対してはことごとに気持を悪るくしているらしい愛憎の烈しい母が、二人の中に挾まって、二人の間をかえってかき乱していた。いらいらしているのが指の先までも伝っているような様子で、驚くほど烈しく煙管で吐月峰をたたきつけながら、自分のすぐ後ろにある座敷金庫から十円札を二枚取りだし、乞食にでもやるように、それを園の前に抛りだして苦がりきっていた父の顔、それを取り上げるまでに園は自分でも解らぬような複雑した気持を味わねばならなかった。園が黙ったままお辞儀一つして、それに手を延ばすまでの一挙一動はもとより、どういう風に気持が動いているかを厳しく看守しながら、いささかでも父の権威を冒すような風があったら、そのままにはしておかないぞというように見えた父の顔……自分の生みの父ながら、あの眉の上の深い横皺は園にはこの上なくいやなものだった。どうかして鏡に向うようなことのあるたびごとに、園は自分の顔にそれが現われではしないかと神経質に注意した。年のせいか園にはなかった。しかし兄には明かにそれが出ていた。そういう父の顔……それが何よりも色濃く園の眼の前を離れなかった。死顔などはどうしても現われては来なかった。父の死んだということが第一不思議なほど信ぜられなかった。毎日葬式や命日というような儀式は見慣れてきてはいたけれども、自分の家から死者の出たのは、園が生まれてから始めてのことなので、よけいそうした感じが起らないのかもしれなかった。母の顔も平生のとおりの母の顔、兄の顔も今年の夏別れる時に見たままの兄の顔。玄関からなだら上りになった所に、重い瓦を乗せてゆがみかかった寺門がある。その寺門の左に、やや黄になった葉をつけたまま、高々とそそり立つ名物の「香い桜」。朝の光の中で園がそれを見返った時、荒くれて黝ずんだその幹に千社札が一枚斜に貼りつけられてあって、その上を一匹の毛虫が匐っていた。そんなことまでが、夏見たままの姿で園の眼の前に髣髴と現われでた。  しかもこれらのあまりといえば変化のなさすぎるような心の印象の後には、何か忌々しい動揺が起ろうとしているように思えた。実際をいうと、園は帰京せずに、札幌で静かに父の死を弔らいもし、一家の善後ということも考えてみたかったのだが「スグカエレ」という電文に背くべき何らの理由もなかった。  園は星野の手紙の下から父の手紙を取りだしてみた。封を切ろうとしたが何んのゆえともなくそれができなかった。どうもその中からは不意な事件が飛びだしてきて、準備のない園の心に、簡単に片づけることのできない混乱を与えそうでしかたがなかった。園はまた父の手紙を見つめたまま、右手の指で机の木端を敲きながら長く考えつづけた。 「とにかく今夜すぐ帰ろう」  ふっとそういう考えが断定的にその心に起った。それだけのことを決心するのに何んでこれほど長く考えねばならなかったかというようなそれは簡単な決心だった。  しかしそう決心すると同時に、園は心臓がきゅうに激しく打ちだして、顔が火照るまでに慌ただしい心持になっていた。彼はそれをいまいましく思いながらもすぐ立ち上って部屋の中を片づけはじめた。しかしそこには別に片づけるというようなものもなかった。ズック製の旅鞄に、二枚の着換えを入れて、四冊の書物と日記帳とを加えて、手拭の類を収めると、そのほかにすることといっては、鍵のかかるところに鍵をかって、本箱の上に自分のと別にしてならべてある借用の書物を人見か柿江に頼んで返却してもらえばそれでいいのだった。彼は心の中にわくわくするようないやな気分を持ちながらも、割合に落ち着いた挙止でそれだけの仕事をすませた。そして机の上にあった三通の手紙を洋服の内衣嚢に大事にしまいこんだ。机の上にはラムプとインキ壷と硯箱とのほかに何んにもなかった。そこで園はもう一度思い落しはないかと考えてみた。欠席届があった。彼はふたたび机の引出の錠を開けて、半紙を取りだしてそれを書いた。そしてそのついでに星野にあてて一枚の葉書を書いた。 「兄の手紙今夕落手。同時に父死去の電報を受取ったので今夜発ちます。御返事はあとから」  しかし園はそう書いてくると、もう一つ書き添うべき大事なことのあるのに気づいた。それはおぬいさんのことだった。しかしそれは葉書には書きうることではなかった。すべてのことを知らせるのはあとからにしよう、そう思いながら園は星野への葉書を破って屑籠に抛りこんだ。  隣の部屋では人見たちが盛んに笑いながら大きな声で議論めいた話をしている。それに引きかえて、ずっと見廻わしてみた園の部屋は森閑として、片づきすぎるほど隅まで片づいていた。それを見ると園は父の死んだという事実をちらっと実感した。何んの意味もなく胸の迫るのを覚えた。しかしそれはすぐ通り過ぎてしまった。  隣の部屋をノックして急な帰京を知らせると、そこにい合わせた三人は等しく立ち上って、少し頓狂なほど興奮して園を玄関まで送ってきた。婆やは、食事がもうできるから食べていったらいいだろうと勧めながら、慌てて下駄を引っかけて門の外まで送ってでた。そして袖口を顔に押しあてながら、遠くなるまで見送っていた。  園は鞄一つをぶら下げて、もう十分に踏み固まっている雪道を足早に東に向いて歩いた。肘を押しまげて頭の上から強く打ち下そうとする衝動が、鞄を不必要に前後に揺り動かさした。彼は今夜という今夜、すべてのことをおぬいさんとその母とに申しでようという決心をやすやすとしてしまっていたのだ。それは東京に帰ろうと決めたと同時に、特別な考慮を廻らさないでも自然にでき上った決心だった。園はもとよりおぬいさんが彼をどう考えているかも知らなかった。その母がどう考えるかも考えてはみなかった。園はただおぬいさんを愛していることをこの十日ほどの間にはっきりと発見したのだ。彼は幾度かできるだけ冷静になって自分の気持を考えてもみ、容赦なく解剖してもみた。しかしそこに何らか軽薄な気持が動いていることを認めることができなかった。渡瀬が酔ったまぎれに「おぬいさんに惚れろ」といい続けた時、園はそういう問題を取り上げる気持は少しもなかったが、その後四五日経ってから、どうした機会だったか、園はふとおぬいさんに対する自分の心持を徹底的に決めておかなければならぬという強い要求を感じ始めた。そのために昼は研究ができず、夜は眠ることのできない三日四日が続いたが、それには何らの焦燥も苦悩も伴いはしなかった。彼はただ神聖な存在の前に引きだされたような気分で、何事をも偽ることなく心をこめて考えた。そして最後に彼はおぬいさんにこの上なく深い愛と親しみとを持っていることをはっきり見出だした。そうなることが園にとってはきわめて自然ないいことだった。この発見は園の心をかつて覚えのない暖かさと快さとに誘いこんだ。ふとその時星野のことを思い浮べてみた。しかしこれはもう園にとっていささかの暗らい影にもなってはいなかった。すべての良心においてこの上なく深く、この上なく暖かくおぬいさんを愛している、そのすがすがしい満足に障りとなるものは一つもなかった。おぬいさんが園を愛していない、その疑いすらも気にはならなかった。実際そうであったところが、園はおそらく平気だったろうと思われるほど園の心は静かに満ち足っていた。  ただし、残された一つのことは、自分の気持をゆがめずに三隅母子に伝える時機と方法とをつくることだけだった。しかしそれさえ園にとっては格別むずかしいことではなくみえた。父死亡の電報を見た時でも、この場合その問題をどう片づけるかさえ考えはしなかったのだが、欠席届を書き終えた時、保証人なる槍田氏は三隅の小母さんの知り合いだから、通知かたがた三隅家に立ち寄ってその判を貰うように頼もうと思いつくと同時に、自分の心持もそのついでにいってしまおうと決心したのだ。  園は往来を歩きながら、不思議な力が、徐かに、しかしたしかに自分の体じゅうに満ちてくるのを感じた。かつて知らなかった大きな事業、それが成功しようとも失敗しようとも、事業そのものの値打をいささかも傷つけないような大きな事業が、今眼の前に行われようとしているのだ。そしてこの事業に手をつけるについては、はたしてそれに当るだけの力量のあるなしは分らないとしても、あらゆる点において残るところなく考えぬき、しかも露ほどの心の後ろめたさも感じてはいないということにかけて、園の心は小ゆるぎもしなかった。一種の勇気をもってその五体は波打った。彼の眼に映る大通りの雪景色は、その広さと潔さにおいて彼の心に等しかった。夜の闇が逼り近づいて紫がかった雪の平面を、彼は親しみの吐息をもって果て遠く眺めやった。  さっきのとおりに小母さんもおぬいさんも家にいて、台所で夕食の支度をしているところだった。二人はさっき帰ったばかりの園が、不意にまた訪ずれてきたのを驚きながらも喜ぶように、もつれ合って入口に走りでた。毎日同じようなことを繰り返しながら、淋しく暮している母子二人にとっては、これほどいささかな不意なことも、これほどに気を引き立たせるのだろう。少なくとも園がこの家で邪魔物あつかいにされていないのを知るのは彼にとっても限りなく快いことだった。  おぬいさんは慌て気味に襷とエプロンとを外ずしながら、茶の間に行ってラムプの芯をねじ上げた。その釣りラムプの下には彼の見慣れたチャブ台の上に、小さずくめの食器がつつましく準備されていた。小母さんを見、おぬいさんを見、その可憐なチャブ台の上の様を見ると、園の心は思いもかけず小さく激しく沸き立ちはじめた。 「その鞄は」  と小母さんは怪しむように尋ねた。 「今お話します」  園は小母さんの怪訝そうな顔に曖昧な答えをしながら、美しい楕円の感じのする茶の間に通って、いつもの所に、……柱を背にして倚りかかることのできる……胸の動悸を気にしながら坐った。 「どうなすったのです……明りのせいかしらん、……お顔の色がお悪いようですが……」  火鉢のわきに小母さんが、園からずっと離れて茶箪笥の前におぬいさんが座をしめた時には、園の前にはチャブ台は片づけられていた。園は自分の顔が醜いほど充血しているだろうとばかり信じていたのに、そう小母さんにいわれてみると、手の先までが寒さのためばかりでなく冷えきっているのを感じた。自分の気持をそのまま先方に移すことができるだろうか、そういう不安がかすかに動いた。彼はその場になって、かすかにでもそう感ぜねばならぬのが苦しかった。それゆえ彼は已むを得ずますます口少なになった。何もかも一度に二人に言いきってしまった時に感じるだろう心のすがすがしさと、それを曲って取られはしないかという不安とが、もどかしく心の中で戦い合った。  いつものとおりの落ち着いたしとやかさでおぬいさんが茶を入れていた。小母さんは茶を飲み終るまでも、大事な問題は延ばしておこうとでもするように、途中が寒かったろうなどと、世間なみの口をきいていた。園は自分の気持が何んとなく小母さんに通じているのだなと思った。長い生活の経験と、親というものの力が美しく働いているらしいのを感じて、その月並な会話にもけっして不快は感じなかった。  園はおぬいさんが進めてくれた茶を静かにすすった。少しそれは熱すぎた。彼は冷えた両手でほとぼりの沁み残った茶碗を握りしめてみた。そこからも快い感触が神経の奥に暖かく移っていった。ふと眼を挙げるとそこにおぬいさんの眼があった。何んの恐れ気もなく、平和に、純潔な、そして園の心におのずと涙ぐましさを誘うような淋しさ、――淋しさではない。淋しさということはできない。淋しさに似てもっと深いもの、いい言葉はない――を籠めた、黒眼がちな眼。慎しみ深い顔の中にその眼だけがほのかにほほえんで、そこにつぎつぎに開けてゆく世界をより深く眺めようとするように見えた。おぬいさんのその眼があった。そしてそれがやわらかく、まともに園の方に寒いまでに澄んでしかもこの上なく暖かい光を送っていた。園はその眼を思わずじっと眺めやった。その瞬間に園の覚悟は定まった。彼は柱から身を起して端坐した。そして臆することなく小母さんの方に面を向けた。口を切ろうとする時、父のことをまずいいだそうとしたが、すぐそれが間違っているのを自分で悟った。 「こんなことをいうのはまだ早すぎはしないかと思いますのですけれども、事情がこれ以上躊躇するのを許さないようですから……」  園は両手に握っている茶碗を感じた。そしてその茶碗の中にさらに一杯の茶を欲した。けれども彼は続けた。 「僕は自分としてはこれ以上は考えられないというところまで考えたつもりです。もし失礼に当ったら許してくださいまし。僕はおぬいさんとお約束をすることができたらと思うんです……そう願っています」  園はおぬいさんに向っても同じことをいいたかったのだ。しかしそれを聞きつつあるおぬいさんの苦痛を察すると、どうしてもそちらに眼をやることができなかった。それにもかかわらずおぬいさんが処女らしい羞じらいのために、深々と顔を伏せたのが痛むほどきびしく園の感覚に伝ってきた。  小母さんは切れ切れな園の言葉を聞くと、思わずはっと胸をつかれたらしく、かすかに口をゆるめて、鋭い色を眼にひらめかしたが、やがて、というほどもなく、園をしげしげと見やりながら黙ったままで深くうなずいてみせた。そしてかすかな血の気をその疲れたような頬に現わした。自分は今答えようにも答えられないから、もっと何んとかいえとその顔は促がしていた。園は何か言おうとした。しかしそこには言うべき何事も残ってはいなかった。それ以上をいうのは冒涜にすら感じられた。  園と小母さんとは無言のままで互いの眼から離れて下を向いてしまった。ストーヴの中の薪がゆるく燃えている。その音だけがしめやかに狭い部屋の中に拡がっていた。  と、おぬいさんが無言のままで立ち上って、間の襖を開けて静かに隣の部屋に去った。小母さんはそのきっかけにおぬいさんに何かいおうとしたらしかったが、思い返したか、心許なげな眼つきでその後姿を目送しただけで何もいわなかった。  襖が静かに締まった。  園はもう一つ言っておかねばならぬものを思いついた。それゆえふたたび顔を上げて小母さんを見た。小母さんは園を避けながら、いらだっているような風で火鉢の炭をせせっていた。しかしそれはいらだっているのではなく、少し心の落ち着きを失っているのだということが園にはよく解った。彼は小母さんの引きしまった横顔を見やりながら口を切った。 「僕ははじめこのことをあなただけの所で申しあげようか、おぬいさんだけに聞いていただこうかと迷いました……しかし結局お二人の前で申しあげるのが一番いいとおもいました。……本当は槍田さんにでもお願いするのがいいのかもしれません……けれども、そうお願いして万一僕の気持がそのまま現われないようなことがあると……苦しいことだと思ったものですから……どうか僕を信じてくださいまし。僕はどんな御返事をいただいても……それは十分に覚悟しています……」  そういいだしてみると、今度は言っておきたいことが後から後からと無限にあるように感じられた。どこまで行っても果てしがあろうとは思われなかった。園は少し自分に惘れてまた黙ってしまった。そして気がついて、手にしていた茶碗を茶托に戻した。  ややしばらく思案しているらしかった小母さんは、きゅうに居住まいをなおして園の方にまともに顔を向けた。 「園さん。おっしゃることはいちいち私にもよく解りました。それだけおっしゃってくださるのを私は親として誠にありがたく存じますけれども、娘は不束かで、そういうことを考えてみたこともないようでございますし、……もっともゆっくりよく尋ねてはみましょうけれども、……それによく考えてみなければならないことでもございますししますから……今夜はそれを伺っておくだけにさせていただきとうございますが……悪るくお取りくださいますなよ……あなたのようにそう隠しだてなく言っていただくと、私は嬉しゅうございます、本当に。……どんな仕合せになりましょうとも、ぬいもあなたのお志はうれしく存じますでしょう」  小母さんの声は意外にも曇って震えていた。園はもとより今夜の告白からすぐ結果を望もうとなどはしていなかったのだ。心の中では、もちろんそんなことを即座に伺おうなどとは思っていませんといいたかったけれども、それが言葉にはならなかった。  隣の部屋でおぬいさんが忍び泣きをしている……それを園ははっきり感じた。彼は身の内が氷のように引き締まるのを覚えた。強い緊張のために、肩の凝りきった時のような感じが体全体に漲った。自分の少しばかりの言葉がおぬいさんを泣くほどに苦しめたかと思うと、園は今夜の浅慮を悔いるような気にもなった。しかしながらそれはけっして浅慮ではないと園は思い返した。おぬいさんを本当に愛するなら、おぬいさんの気持に絶対自由を与えなければならない。何らかの義務を感じさせておぬいさんを苦しめては忍んでいられない。そういう気持が何よりも先きに立った。 「何んだか僕は自分のしたことが乱暴すぎたかとも思いもします……もしそうでしたら、ごめんください。僕はけっしてどんな結果をも恐れてはいませんから、どうか十分自由なお気持で今までのことをお聞きくださいまし。……僕は今夜きゅうに東京に帰らなければなりません。少し思いがけない不幸に遇いましたから。そのことはいずれ手紙で申しあげます。……それではもう時間がありませんからお暇します。……英語の方をまた休まなければならなくなって……」  とできるだけ冷静な言葉で言おうとしたが、自分ながら意気地なく声が震えを帯びた。もし事が破れたら、この家にはもう来られないのだ。ふと彼はそう思うと限りなく淋しかった。  園は欠席届書を小母さんに託し、不幸というのは父が頓死したのだということを簡単に告げて、座を立つことになった。彼は見納めをするような気持で、きちんと整頓されたその茶の間を眼早く見まわした。時計の下の柱暦に小母さんとおぬいさんとの筆蹟がならんでいるのも――彼が最初にその家に英語を教えるのを断りに来た時に気がついたものだけに――なつかしかった。彼は自分のしたことが、思った以上に彼にとって致命的であるのを知った。 「ぬいさん、園さんがお帰りだからお見送りなさいな。東京の方にお帰りだというから――」  小母さんは立ち上って園を入口に送りだしながら、奥の方にこう声をかけた。けれどもおぬいさんの出てきそうな様子はなかった。園はそれがおぬいさんらしいと思った。そう思いはしたものの、言いようのない物足らなさが胸の奥底に濃く澱むのをどうすることもできなかった。  園が編上靴を穿き終って、外套を着て、もう一度小母さんに簡単な別れの挨拶をして格子戸を開けようとした時、おぬいさんが奥から出てくるのを感づいて、彼は思わず後を振り向いた。はたしておぬいさんが小刻みに駈けるようにして母の後ろまで来ると、その蔭に倚りそって坐るが早いか頭を下げた。園も黙って帽子を取った。その時見えた小母さんの眼には涙がいっぱいたまっていた。  園は格子戸を立ててから、未練だとは思いながらもちらっとおぬいさんを見た。おぬいさんは、畳についた両手をしゃんと延ばして寄せ合わせて、肩さえいつもより細々と見えるのに、襟足がのぞかれるまで顔を重く伏せていた。眼上のものに心から詫び入る姿のように。かと思うと死ぬほどの口惜しさをじっと堪らえる形のように。園にはもどかしいほどに、そのいずれであるかがどうしても分らなかった。  園は歩きながら、我にもなくややともすると、熱い涙が眼に迫るのを感じた。そして振り払うように眼を瞑って、雪になるらしく曇った夜の空に、幾度も顔を仰向けねばならなかった。  思いもかけぬ重い苦痛と疑惑とが、若い心を老いしめると思うほどに押し寄せてきた。彼は自分の腑甲斐なさに呆れるほどだった。市街のここかしこに立つ老いた楡の樹を見るごとに、彼はそれによって自分の心を励まそうとした。……科学のために一身を献げようとするものに何んという不覚なことだ。昔から学者の生活が世の常の立場から見て、淋しく暗らいものであるのは知れきったことだ。それは始めからある誇りをもって覚悟していたことではなかったか。誰にも省みられないけれども、春が来るごとに黙って葉を連ねているあの楡の大樹、あの老木が一度でも分外な涙を流したか。貴様にはまだ文学者じみたセンティメンタリズムが影を潜めてはいないのだ。科学者らしい雄々しさを持て。真理の前には何事を犠牲にしても、微笑していられるだけの熱情を持て。その熱情を誰にも見えない胸の深みに静かに抱いていろ。おぬいさんを愛するのを止めろというのではない。貴様の愛し方は間違っているとはいえない。その愛がその人の前に明かに表明された以上、貴様の心は朗に晴れていかねばならぬはずだ。それだのに結果は反対ではないか。何んという愚かな苦しみを喜ぼうとしているのだ。……貴様の科学は今どこに行ってしまったのだ。そんな風に園はむちゃくちゃに停車場の方に向って歩きながら、自分で自分を鞭ってみた。  そうだったと眼が覚めるように思い上る瞬間もあった。同時に、玄関で別れぎわに見たいたいたしいおぬいさんの姿が、手を延ばせば掴めそうに眼の前にちらついて離れない瞬間もあった。しまいには園は自分を憐みたくさえなった。しかもそれが父の死を知ったばかりの悲しみの中にあるべき身でありながら――園はさながら魍魎の巣の中を喘ぎ喘ぎ歩いていくもののように歩いた。  停車場には白官舎の書生だけが三人で送りに来ていてくれた。柿江は夜学校の日だというので顔を見せなかった。婆やも来てはいなかった。人見が「東京に行くとおもしろい議会が見られるね。伊藤が政友会を率いてどう元老輩をあやつるかが見ものだよ」といっていた。その言葉が特別に園に縁遠い言葉としてかえっていつまでも耳底に残った。  三等車の中央部にあるまん丸な鋳鉄製のストーブは真赤に熱して、そのまわりには遠くから来た旅客がいぎたなく寝そべっていた。八時に札幌を発った列車は、雪さえ黒く見えるような闇の中を驀地に走りだした。園はストーブからかなり離れた席に腰かけて外套の襟を立てて、黙然として坐っていた。床の上を足を動かすたびに、先客の喰荒らした広東豆(南京豆のこと)の殻が気味悪くつぶれて音をたてた。車内の空気はもとより腐敗しきって、油燈の灯が震動に調子を合わせて明るくなったり暗くなったりした。
底本:「日本文学全集25 有島武郎集」集英社    1968(昭和43)年4月12日発行 ※底本の誤記と思われる部分は、角川文庫「星座」と筑摩書房「有島武郎全集 第5巻」中の「星座」を元に修正した。 入力:大野晋 校正:地田尚 2000年5月15日公開 2005年11月21日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 私には口はばったい云い分かも知れませんが聖書と云う外はありません。聖書が私を最も感動せしめたのは矢張り私の青年時代であったと思います。人には性の要求と生の疑問とに、圧倒される荷を負わされる青年と云う時期があります。私の心の中では聖書と性慾とが激しい争闘をしました。芸術的の衝動は性欲に加担し、道義的の衝動は聖書に加担しました。私の熱情はその間を如何う調和すべきかを知りませんでした。而して悩みました。その頃の聖書は如何に強烈な権威を以て私を感動させましたろう。聖書を隅から隅にまですがりついて凡ての誘惑に対する唯一の武器とも鞭撻とも頼んだその頃を思いやると立脚の危さに肉が戦きます。  私の聖書に対する感動はその後薄らいだでしょうか。そうだとも云えます。そうでないとも云えます。聖書の内容を生活としっかり結び付けて読む時に、今でも驚異の眼を張り感動せずに居られません。然し今私は性欲生活にかけて童貞者でないように聖書に対してもファナティックではなくなりました。是れは悪い事であり又いい事でした。楽園を出たアダムは又楽園に帰る事は出来ません。其処には何等かの意味に於て自ら額に汗せねばならぬ生活が待って居ます。私自身の地上生活及び天上生活が開かれ始めねばなりません。こう云う所まで来て見ると聖書から嘗て得た感動は波の遠音のように絶えず私の心耳を打って居ます。神学と伝説から切り放された救世の姿がおぼろながら私の心の中に描かれて来るのを覚えます。感動の潜入とでも云えばいいのですか。  何と云っても私を強く感動させるものは大きな芸術です。然し聖書の内容は畢竟凡ての芸術以上に私を動かします。芸術と宗教とを併説する私の態度が間違って居るのか、聖書を一箇の芸術とのみ見得ない私が間違って居るのか私は知りません。(大正五年十月)
底本:「日本の名随筆 別巻100 聖書」作品社    1999(平成11)年6月25日第1刷発行 底本の親本:「有島武郎全集 第七巻」筑摩書房    1980(昭和55)年4月 初出:「新潮」    1916(大正5)年10月号 入力:加藤恭子 校正:門田裕志、小林繁雄 2005年5月3日作成 2014年1月17日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 思想と実生活とが融合した、そこから生ずる現象――その現象はいつでも人間生活の統一を最も純粋な形に持ち来たすものであるが――として最近に日本において、最も注意せらるべきものは、社会問題の、問題としてまた解決としての運動が、いわゆる学者もしくは思想家の手を離れて、労働者そのものの手に移ろうとしつつあることだ。ここで私のいう労働者とは、社会問題の最も重要な位置を占むべき労働問題の対象たる第四階級と称せられる人々をいうのだ。第四階級のうち特に都会に生活している人々をいうのだ。  もし私の考えるところが間違っていなかったら、私が前述した意味の労働者は、従来学者もしくは思想家に自分たちを支配すべきある特権を許していた。学者もしくは思想家の学説なり思想なりが労働者の運命を向上的方向に導いていってくれるものであるとの、いわば迷信を持っていた。そしてそれは一見そう見えたに違いない。なぜならば、実行に先立って議論が戦わされねばならぬ時期にあっては、労働者は極端に口下手であったからである。彼らは知らず識らず代弁者にたよることを余儀なくされた。単に余儀なくされたばかりでなく、それにたよることを最上無二の方法であるとさえ信じていた。学者も思想家も、労働者の先達であり、指導者であるとの誇らしげな無内容な態度から、多少の覚醒はしだしてきて、代弁者にすぎないとの自覚にまでは達しても、なお労働問題の根柢的解決は自分らの手で成就さるべきものだとの覚悟を持っていないではない。労働者はこの覚悟に或る魔術的暗示を受けていた。しかしながらこの迷信からの解放は今成就されんとしつつあるように見える。  労働者は人間の生活の改造が、生活に根ざしを持った実行の外でしかないことを知りはじめた。その生活といい、実行といい、それは学者や思想家には全く欠けたものであって、問題解決の当体たる自分たちのみが持っているのだと気づきはじめた。自分たちの現在目前の生活そのままが唯一の思想であるといえばいえるし、また唯一の力であるといえばいえると気づきはじめた。かくして思慮深い労働者は、自分たちの運命を、自分たちの生活とは異なった生活をしながら、しかも自分たちの身の上についてかれこれいうところの人々の手に託する習慣を破ろうとしている。彼らはいわゆる社会運動家、社会学者の動く所には猜疑の眼を向ける。公けにそれをしないまでも、その心の奥にはかかる態度が動くようになっている。その動き方はまだ幽かだ。それゆえ世人一般はもとよりのこと、いちばん早くその事実に気づかねばならぬ学者思想家たち自身すら、心づかずにいるように見える。しかし心づかなかったら、これは大きな誤謬だといわなければならない。その動き方は未だ幽かであろうとも、その方向に労働者の動きはじめたということは、それは日本にとっては最近に勃発したいかなる事実よりも重大な事実だ。なぜなら、それは当然起こらねばならなかったことが起こりはじめたからだ。いかなる詭弁も拒むことのできない事実の成り行きがそのあるべき道筋を辿りはじめたからだ。国家の権威も学問の威光もこれを遮り停めることはできないだろう。在来の生活様式がこの事実によってどれほどの混乱に陥ろうとも、それだといって、当然現わるべくして現われ出たこの事実をもみ消すことはもうできないだろう。  かつて河上肇氏とはじめて対面した時(これから述べる話柄は個人的なものだから、ここに公言するのはあるいは失当かもしれないが、ここでは普通の礼儀をしばらく顧みないことにする)、氏の言葉の中に「現代において哲学とか芸術とかにかかわりを持ち、ことに自分が哲学者であるとか、芸術家であるとかいうことに誇りをさえ持っている人に対しては自分は侮蔑を感じないではいられない。彼らは現代がいかなる時代であるかを知らないでいる。知っていながら哲学や芸術に没頭しているとすれば、彼らは現代から取り残された、過去に属する無能者である。彼らがもし『自分たちは何事もできないから哲学や芸術をいじくっている。どうかそっと邪魔にならない所に自分たちをいさしてくれ』というのなら、それは許されないかぎりでもない。しかしながら、彼らが十分の自覚と自信をもって哲学なり、芸術なりにたずさわっていると主張するなら、彼らは全く自分の立場を知らないものだ」という意味を言われたのを記憶する。私はその時、すなおに氏の言葉を受け取ることができなかった。そしてこういう意味の言葉をもって答えた。「もし哲学者なり芸術家なりが、過去に属する低能者なら、労働者の生活をしていない学者思想家もまた同様だ。それは要するに五十歩百歩の差にすぎない」。この私の言葉に対して河上氏はいった、「それはそうだ。だから私は社会問題研究者としてあえて最上の生活にあるとは思わない。私はやはり何者にか申しわけをしながら、自分の仕事に従事しているのだ。……私は元来芸術に対しては深い愛着を持っている。芸術上の仕事をしたら自分としてはさぞ愉快だろうと思うことさえある。しかしながら自分の内部的要求は私をして違った道を採らしている」と。これでここに必要な二人の会話のだいたいはほぼ尽きているのだが、その後また河上氏に対面した時、氏は笑いながら「ある人は私が炬燵にあたりながら物をいっていると評するそうだが、全くそれに違いない。あなたもストーヴにあたりながら物をいってる方だろう」と言われたので、私もそれを全く首肯した。河上氏にはこの会話の当時すでに私とは違った考えを持っていられたのだろうが、その時ごろの私の考えは今の私の考えとはだいぶ相違したものだった。今もし河上氏があの言葉を発せられたら、私はやはり首肯したではあろうけれども、ある異なった意味において首肯したに違いない。今なら私は河上氏の言葉をこう解する、「河上氏も私も程度の差こそあれ、第四階級とは全く異なった圏内に生きている人間だという点においては全く同一だ。河上氏がそうであるごとく、ことに私は第四階級とはなんらの接触点をも持ちえぬのだ。私が第四階級の人々に対してなんらかの暗示を与ええたと考えたら、それは私の謬見であるし、第四階級の人が私の言葉からなんらかの影響を被ったと想感したら、それは第四階級の人の誤算である。第四階級者以外の生活と思想とによって育ち上がった私たちは、要するに第四階級以外の人々に対してのみ交渉を持つことができるのだ。ストーヴにあたりながら物をいっているどころではない。全く物などはいっていないのだ」と。  私自身などは物の数にも足らない。たとえばクロポトキンのような立ち優れた人の言説を考えてみてもそうだ。たといクロポトキンの所説が労働者の覚醒と第四階級の世界的勃興とにどれほどの力があったにせよ、クロポトキンが労働者そのものでない以上、彼は労働者を活き、労働者を考え、労働者を働くことはできなかったのだ。彼が第四階級に与えたと思われるものは第四階級が与えることなしに始めから持っていたものにすぎなかった。いつかは第四階級はそれを発揮すべきであったのだ、それが未熟のうちにクロポトキンによって発揮せられたとすれば、それはかえって悪い結果であるかもしれないのだ。第四階級者はクロポトキンなしにもいつかは動き行くべき所に動いて行くであろうから。そしてその動き方の方がはるかに堅実で自然であろうから。労働者はクロポトキン、マルクスのような思想家をすら必要とはしていないのだ。かえってそれらのものなしに行くことが彼らの独自性と本能力とをより完全に発揮することになるかもしれないのだ。  それならたとえばクロポトキン、マルクスたちのおもな功績はどこにあるかといえば、私の信ずるところによれば、クロポトキンが属していた(クロポトキン自身はそうであることを厭ったであろうけれども、彼が誕生の必然として属せずにいられなかった)第四階級以外の階級者に対して、ある観念と覚悟とを与えたという点にある。マルクスの資本論でもそうだ。労働者と資本論との間に何のかかわりがあろうか。思想家としてのマルクスの功績は、マルクス同様資本王国の建設に成る大学でも卒業した階級の人々が翫味して自分たちの立場に対して観念の眼を閉じるためであるという点において最も著しいものだ。第四階級者はかかるものの存在なしにでも進むところに進んで行きつつあるのだ。  今後第四階級者にも資本王国の余慶が均霑されて、労働者がクロポトキン、マルクスその他の深奥な生活原理を理解してくるかもしれない。そしてそこから一つの革命が成就されるかもしれない。しかしそんなものが起こったら、私はその革命の本質を疑わずにはいられない。仏国革命が民衆のための革命として勃発したにもかかわらず、ルーソーやヴォルテールなどの思想が縁になって起こった革命であっただけに、その結果は第三階級者の利益に帰して、実際の民衆すなわち第四階級は以前のままの状態で今日まで取り残されてしまった。現在のロシアの現状を見てもこの憾みはあるように見える。  彼らは民衆を基礎として最後の革命を起こしたと称しているけれども、ロシアにおける民衆の大多数なる農民は、その恩恵から除外され、もしくはその恩恵に対して風馬牛であるか、敵意を持ってさえいるように報告されている。真個の第四階級から発しない思想もしくは動機によって成就された改造運動は、当初の目的以外の所に行って停止するほかはないだろう。それと同じように、現在の思想家や学者の所説に刺戟された一つの運動が起こったとしても、そしてその運動を起こす人がみずから第四階級に属すると主張したところが、その人は実際において、第四階級と現在の支配階級との私生子にすぎないだろう。  ともかくも第四階級が自分自身の間において考え、動こうとしだしてきたという現象は、思想家や学者に熟慮すべき一つの大きな問題を提供している。それを十分に考えてみることなしに、みずから指導者、啓発者、煽動家、頭領をもって任ずる人々は多少笑止な立場に身を置かねばなるまい。第四階級は他階級からの憐憫、同情、好意を返却し始めた。かかる態度を拒否するのも促進するのも一に繋って第四階級自身の意志にある。  私は第四階級以外の階級に生まれ、育ち、教育を受けた。だから私は第四階級に対しては無縁の衆生の一人である。私は新興階級者になることが絶対にできないから、ならしてもらおうとも思わない。第四階級のために弁解し、立論し、運動する、そんなばかげきった虚偽もできない。今後私の生活がいかように変わろうとも、私は結局在来の支配階級者の所産であるに相違ないことは、黒人種がいくら石鹸で洗い立てられても、黒人種たるを失わないのと同様であるだろう。したがって私の仕事は第四階級者以外の人々に訴える仕事として始終するほかはあるまい。世に労働文芸というようなものが主張されている。またそれを弁護し、力説する評論家がある。彼らは第四階級以外の階級者が発明した文字と、構想と、表現法とをもって、漫然と労働者の生活なるものを描く。彼らは第四階級以外の階級者が発明した論理と、思想と、検察法とをもって、文芸的作品に臨み、労働文芸としからざるものとを選り分ける。私はそうした態度を採ることは断じてできない。  もし階級争闘というものが現代生活の核心をなすものであって、それがそのアルファでありオメガであるならば、私の以上の言説は正当になされた言説であると信じている。どんな偉い学者であれ、思想家であれ、運動家であれ、頭領であれ、第四階級な労働者たることなしに、第四階級に何者をか寄与すると思ったら、それは明らかに僭上沙汰である。第四階級はその人たちのむだな努力によってかき乱されるのほかはあるまい。
底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店    1969(昭和44)年1月30日改版初版    1979(昭和54)年4月30日発行改版14版 初出:「改造」    1922(大正11)年1月 入力:鈴木厚司 1999年2月13日公開 2005年11月19日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 私が改造の正月号に「宣言一つ」を書いてから、諸家が盛んにあの問題について論議した。それはおそらくあの問題が論議せらるべく空中に漂っていたのだろう。そして私の短文がわずかにその口火をなしたのにすぎない。それゆえ始めの間の論駁には多くの私の言説の不備な点を指摘する批評家が多いようだったが、このごろあれを機縁にして自己の見地を発表する論者が多くなってきた。それは非常によいことだと思う。なぜならばあの問題はもっと徹底的に講究されなければならないものであって、他人の言説のあら探しで終わるべきはずのものではないからである。  本当をいうと、私は諸家の批評に対していちいち答弁をすべきであるかもしれない。しかし私は議論というものはとうてい議論に終わりやすくって互いの論点がますます主要なところからはずれていくのを、少しばかりの議論の末に痛切に感じたから、私は単に自分の言い足らなかった所を補足するのに止めておこうと思う。そしてできるなら、諸家にも、単なる私の言説に対する批評でなしに――もちろん批評にはいつでも批評家自身の立場が多少の程度において現われ出るものではあるが――この問題に対する自分自身の正面からの立場を見せていただきたいと思う。それを知りたいと望む多数の人の一人として私もそれから多分の示唆を受けうるであろうから。  従来の言説においては私の個性の内的衝動にほとんどすべての重点をおいて物をいっていた。各自が自己をこの上なく愛し、それを真の自由と尊貴とに導き行くべき道によって、突き進んで行くほかに、人間の正しい生活というものはありえないと私自身を発表してきた。今でも私はこの立場をいささかも枉げているものではない。人間には誰にもこの本能が大事に心の中に隠されていると私は信じている。この本能が環境の不調和によって伸びきらない時、すなわちこの本能の欲求が物質的換算法によって取り扱われようとする時、そこにいわゆる社会問題なるものが生じてくるのだ。「共産党宣言」は暗黙の中にこの気持ちを十分に表現しているように見える。マルクスは唯物史観に立脚したと称せられているけれども、もし私の理解が誤っていなかったならば、その唯物史観の背後には、力強い精神的要求が潜んでいたように見える。彼はその宣言の中に人々間の精神交渉(それを彼はやさしいなつかしさをもって望見している)を根柢的に打ち崩したものは実にブルジョア文化を醸成した資本主義の経済生活だと断言している。そしてかかる経済生活を打却することによってのみ、正しい文化すなわち人間の交渉が精神的に成り立ちうる世界を成就するだろうことを予想しているように見える。結局彼は人間の精神的要求が完全し満足される環境を、物質価値の内容、配当、および使用の更正によって準備しうると固く信じていた人であって、精神的生活は唯物的変化の所産であるにすぎないから、価値的に見てあまり重きをおくべき性質のものではないと観じていたとは考えることができない。一つの種子の生命は土壌と肥料その他唯物的の援助がなければ、一つの植物に成育することができないけれども、そうだからといって、その種子の生命は、それが置かれた環境より価値的に見て劣ったものだということができないのと同じことだ。  しかるに空想的理想主義者は、誤っていかなる境界におかれても、人間の精神的欲求はそれ自身において満たされうると考える傾きがある。それゆえにその人たちは現在の環境が過去にどう結び付けられてい、未来にどう繋がれようとも、それをいささかも念とはしない。これは一見きわめて英雄的な態度のように見える。しかしながら本当に考えてみると、その人の生活に十分の醇化を経ていないで、過去から注ぎ入れられた生命力に漫然と依頼しているのが発見されるだろう。彼が現在に本当に立ち上がって、その生命に充実感を得ようとするならば、物的環境はこばみえざる内容となってその人の生命の中に摂受されてこなければならぬ。その時その人にとって物的環境は単なる物ではなく、実に生命の一要素である。物的環境が正しく調節されることは、生命が正しく生長することである。唯物史観は単なる精神外の一現象ではなくして、実に生命観そのものである。種子を取りまいてその生長にかかわるすべての物質は、種子にとって異邦物ではなく、種子そのものの一部分となってくるのと同様であろう。人は大地を踏むことにおいて生命に触れているのだ。日光に浴していることにおいて精神に接しているのだ。  それゆえに大地を生命として踏むことが妨げられ、日光を精神として浴びることができなければ、それはその人の生命のゆゆしい退縮である。マルクスはその生命観において、物心の区別を知らないほどに全的要求を持った人であったということができると私は思う。私はマルクスの唯物史観をかくのごとく解するものである。  ところが資本主義の経済生活は、漸次に種子をその土壌から切り放すような傾向を馴致した。マルクスがその「宣言」にいっているように、従来現存していたところの人々間の美しい精神的交渉は、漸次に廃棄されて、精神を除外した単なる物的交渉によっておきかえられるに至った。すなわち物心という二要素が強いて生活の中に建立されて、すべての生活が物によってのみ評定されるに至った。その原因は前にもいったように物的価値の内容、配当、使用が正しからぬ組立てのもとに置かれるようになったからである。その結果として起こってきた文化なるものは、あるべき季節に咲き出ない花のようなものであるから、まことの美しさを持たず、結実ののぞみのないものになってしまった。人々は今日今日の生活に脅かされねばならなくなった。  種子は動くことすらできない。しかしながら人は動くことと、動くべく意志することができる。ここにおいてマルクスは「万国の労働者よ、合同せよ」といった。唯物史観に立脚するマルクスは、そのままに放置しておいても、資本主義的経済生活は自分で醸した内分泌の毒素によって、早晩崩壊すべきを予定していたにしても、その崩壊作用をある階級の自覚的な努力によって早めようとしたことは争われない(一面に、それを大きく見て、かかる努力そのものがすでに崩壊作用の一現象ということができるにしても)。そして彼はその生活革命の後ろに何を期待したか。確かにそれは人間の文化の再建である。人々間の精神的交渉の復活である。なぜなら、彼は精神生活が、物的環境の変化の後に更生するのを主張する人であるから。結局唯物史観の源頭たるマルクス自身の始めの要求にして最後の期待は、唯物の桎梏から人間性への解放であることを知るに難くないであろう。  マルクスの主張が詮じつめるとここにありとすれば、私が彼のこの点の主張に同意するのは不思議のないことであって、私の自己衝動の考え方となんら矛盾するものではない。生活から環境に働きかけていく場合、すべての人は意識的であると、無意識的であるとを問わなかったら、ことごとくこの衝動によって動かされていると感ずるものである。  私はかつて、この衝動の醇化された表現が芸術だといった。この立場からいうならば、すべての人はこの衝動を持っているがゆえにブルジョアジーとかプロレタリアートとかを超越したところに芸術は存在すべきである。けれども私は衝動がそのまま芸術の萌芽であるといったことはない。その衝動の醇化が実現された場合のみが芸術の萌芽となりうるのだ。しからば現在においてどうすればその衝動は醇化されうるであろうか。知識階級の人が長く養われたブルジョア文化教養をもって、その境界に到達することができるであろうか。これを私は深く疑問とするのである。単なる理知の問題として考えずに、感情にまで潜り入って、従来の文化的教養を受け、とにもかくにもそれを受けるだけの社会的境遇に育ってきたものが、はたして本当に醇化された衝動にたやすく達することができるものであろうか。それを私は疑うものである。私は自分自身の内部生活を反省してみるごとにこの感を深くするのを告白せざるをえない。  かかる場合私の取りうる立場は二つよりない。一つは第三階級に踏みとどまって、その生活者たるか、一つは第四階級に投じて融け込もうと勉めるか。衝動の醇化ということが不可能であるをもって、この二つに一つのいずれかを選ぶほかはない。私はブルジョア階級の崩壊を信ずるもので、それが第四階級に融合されて無階級の社会(経済的)の現出されるであろうことを考えるものであるけれども、そしてそういう立場にあるものにとっては、第四階級者として立つことがきわめて合理的でかつ都合のよいことではあろうけれども、私としては、それがとうてい不可能事であるのを感ずるのだ。ある種の人々はわりあいに簡単にそうなりきったと信じているように見える。そして実際なりきっている人もあるのかもしれない。しかし私は決してそれができないのを私自身がよく知っている。これは理窟の問題ではなく実際そうであるのだからしかたない。  しからば第三階級に踏みとどまっていることに疚しさを感じないか。感ずるにしても感じないにしてもそうであるのだから、私には疚しさとすらいうことはできない。ある時まではそれに疚しさを感ずるように思って多少苦しんだことはある。しかしそれは一個の自己陶酔、自己慰藉にすぎないことを知った。  ただし第三階級に踏みとどまらざるをえないにしても、そこにはおのずからまた二つの態度が考えられる。踏みとどまる以上は、極力その階級を擁護するために力を尽くすか、またはそうはしないかというそれである。私は後者を選ばねばならないものだ。なぜというなら、私は自分が属するところの階級の可能性を信ずることができないからである。私は自己の階級に対してみずから挽歌を歌うものでしかありえない。このことについては「我等」の三月号にのせた「雑信一束」(「片信」と改題)にもいってあるので、ここには多言を費やすことを避けよう。  私の目前の落ち着きどころはひっきょうこれにすぎない。ここに至って私は反省してみる。私のこの態度は、全く第三階級に寄与するところがないだろうか。私がなんらかの意味で第三階級の崩壊を助けているとすれば、それは取りもなおさず、第四階級に何者をか与えているのではないかと。  ここに来て私はホイットマンの言葉を思い出す。彼が詩人としての自覚を得たのは、エマソンの著書を読んだのが与って力があると彼自身でいっている。同時に彼は、「私はエマソンを読んで、詩人になったのではない。私は始めから詩人だった。私は始めから煮えていたが、エマソンによって沸きこぼれたまでの話だ」といっている。私はこのホイットマンの言葉を驕慢な言葉とは思わない。この時エマソンはホイットマンに向かって恩恵の主たることを自負しうるものだろうか。ホイットマンに詩人がいなかったならば、百のエマソンがあったとしても、一人のホイットマンを創り上げることはできなかったのだ。ホイットマンは単に自分の内部にある詩人の本能に従ってたまたまエマソンを自分の都合のために使用したにすぎないのだ。ホイットマンはあるいはエマソンに感謝すべき何物をか持つことができるかもしれない。しかしながらエマソンがホイットマンに感謝を要求すべき何物かがあろうとは私には考えられない。  第三階級にのみおもに役立っていた教養の所産を、第四階級が採用しようとも破棄しおわろうともそれは第四階級の任意である。それを第四階級者が取り上げたといったところが、第四階級の賢さであるとはいえても、第三階級の功績とはいいえないではないか。この意味において私は第四階級に対して異邦人であると主張したのである。  明日になって私のこの考え、この感じはどう変わっていくか、それは自分でも知ることができない。しかしながら「宣言一つ」を書いて以来今日までにおいては、諸家の批判があったにかかわらず、他の見方に移ることができないでいる。私はこの心持ちを謙遜な心持ちだとも高慢な心持ちだとも思っていない。私にはどうしてもそうあらねばならぬ当然な心持ちにすぎないと思っている。  すでにいいかげん閑文字を羅列したことを恥じる。私は当分この問題に関しては物をいうまいと思っている。
底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店    1969(昭和44)年1月30日改版初版    1979(昭和54)年4月30日発行改版14版 初出:「我等」    1922(大正11)年5月 入力:鈴木厚司 1999年2月13日公開 2005年11月19日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 誰にあてるともなくこの私信を書き連らねて見る。  信州の山の上にあるK驛に暑さを避けに來てゐる人は澤山あつた。彼等は思ひ〳〵に豐な生活の餘裕を樂んでゐるやうに見えた。さはやかな北海道の夏を思はせるやうなそこの高原は、實際都會の苦熱に倦み疲れた人々を甦らせる力を十分に持つてゐた。私の三人の子供達――行夫、敏夫、登三――も生れ代つたやうな活溌な血色のいゝ子達になつてゐた。彼等は起きぬけに冷水浴をすまして朝飯を食ふと、三人顏を寄せて事々しく何か相談しながら家を出て行くのだ。暫らくして私がベランダの手欄から眼の下に四五町程離れて見える運動場を見下すと、そこに三人はパンの子のやうに自然の中にまぎれ込んで、何かゝにか人手も借らずに工夫した遊戲に夢中になつてゐる。三人が一塊になつて砂ほじりでもしてゐるかと思ふと、テニス・コートをてん〴〵ばら〳〵に駈け𢌞つて、腹を抱へて笑ひ合ふ姿も見える。その濁りけのない高い笑聲が乾燥した空氣を傳つて手に取るやうに私まで屆く。母のない子のさういふはしやいだ樣子を見てゐると、それは人を喜ばせるよりも悲しくさせる。彼等の一擧一動を慈愛をこめてまじろぎもせず見守る眼を運命の眼の外に彼等は持たないからだ。而して運命の眼は、何時出來心で殘忍な眼に變らないかを誰が知り得よう。  晝飯が終ると三人は又手に〳〵得物を持つて出かけて行く。夕餉の膳に對して彼等の口は際限もなく動く。而して夜が彼等を丸太のやうに次ぎの朝まで深い眠りに誘ひ込む。  こゝで私は彼等と共にその母の三周忌を迎へた。私達は格別の設けもしなかつた。子供達は終日を事もなげに遊び暮した。その夕方偶然な事で私達四人は揃つて寫眞を撮つて貰ふ機會が與へられた。そんな事が私には不思議に考へられる程その一日は事なく暮た。  かうして暮して行くのは惡くはなかつた。然し私は段々やきもきし出した。K驛に來てから私はもう二十日の餘を過ごしてゐた。氣分が纏らない爲めにこれと云つてする仕事もなく一日々々を無駄に肥りながら送つて行く事が如何しても堪へられなくなつた。私は東京の暑さを思つた。せめてその暑さに浸つて生活しよう。而してその暑さと戰ひながら少しでも仕事らしい仕事をしてのけよう。こんな事をして暮してゐては戸棚の中に仕舞ひこまれた果物のやうに腐つてしまふに違ひない。早く歸らう。さうだん〳〵思ひつめて來ると、私はもう我慢にもそこに居殘る氣がなくなつた。  で、私は母に手紙をやつて早く山の方に來て入れかはつてくれるやうに頼んだ。然し母は私を休ませてやらうと云ふ心持ちから、自分は暑さには少しも恐れないからと云つて、容易に動きさうな樣子を見せなかつた。その心持ちを推してはゐながら私は矢も盾もたまらなかつた。母は遂に我を折つて八月の十三日は行つてもいゝと書き送つて來た。  私はすぐその前夜の夜中の一時七分の汽車で東京に歸る決心をしてしまつた。母は十三日の夜か十四日の朝でなければK驛には着き得ない。その間子供達を女中の手ばかりに任せておくのは可哀さうでも、心配でもあつたが、私の逸る心はそんな事をかまつてゐられなかつた。それ程私は氣ぜはしくなつてゐた。  發つといふ朝、私は極氣輕にその事を子供達に云ひ知らせた。三人は別に氣に留る風もなくそれを聞いて、いつものやうに小躍りするやうにはしやいで戸外に出かけて行つた。私は二階に上つて、讀みかけてゐた書物を忙はしく讀み終らうとしたり、怠つてゐた手紙の返事を書いたり、身のまはりの物をまとめたりした。夕方になると思ふ存分散けておいた私の部屋も物淋しい程きちんと片付いてしまつてゐた。人手を借りずにそんな事をするのに私はもう慣れてゐたけれども、痩せ細つたやうにがらんとなつた部屋の中を見𢌞すと妙に私の心はしんみりした。  夕方になるとがや〳〵云ひながら子供達はベランダの階子段を上つて來た。私は急いで階下に行つた。非常に神經質で、如何かすると恐ろしく不機嫌になり勝ちな八歳の行夫は、私を見付けると「パパ」と大きな聲を出して、普段通りその日出遇つた珍談を聞かさうとするやうだつたが、私を見るといきなり少し詰るやうな顏付きをして、 「パパは今日東京に歸るの」 と云つた。敏夫は割合に平氣な顏で、今朝の私の言葉は忘れてしまつてゞもゐるやうに、 「何時で歸るの」 と云つた。行夫はすぐ嵩にかゝつて、 「敏ちやん何云つてるのよ、夜中の汽車だつて今朝パパが仰有つたのに、ねえパパ」 と少し意地惡く敏夫を見やつた。敏夫は眼を大きく見張つたまゝそつぽを向いて、子供が泣く前に見せるやうな表情をした。それは兄からやりこめられた時に敏夫がいつでもする癖だつた。いつでも一人で遊び慣れた登三は二人の兄には頓着なく、鼻唄か何か歌ひながら、臺の下に身を丸めて翫具を一生懸命に仕舞つてゐた。  夕餉を仕舞つてから行夫は段々不安さうな顏をしはじめた。四人で湯に這入る頃には、永い夏の日もとつぷりと暮てゐた。久し振で私と一緒に湯をつかつた彼等は、湯殿一杯水だらけにしてふざけ𢌞した。然しその中にもどこか三人の心には淋しさうな處が見えた。それは私の心が移るのかも知れないと思ふと私はわざと平氣を裝つて見せた。而して彼等と一緒に湯のぶつかけつこをしたり、湯の中に潛つたりした。それでも私達は妙にはづまなかつた。  町からは十町も離れた山懷ろに建てられた私の家は、夜が來ると共に蟲の聲ばかりになつてしまつてゐた。客間と居間と食堂とを兼ねたやうな大テーブルのある一間に私達は着物を着てから集まつた。子供達は伊太利ネルの白い寢衣を裾長に着てよろけ〳〵這入つて來た。 「パパ」 と鼻聲で云つて先づ行夫が私に凭れかゝつて來た。 「汽車が來る時までパパは寢るの……何處で寢るの」 「荷物はどうして持つて行くの」 「若しパパが眼が覺めなかつたら、汽車に乘りおくれるぢやないの」 などゝ子供によくある執念さで詰るやうに聞きたゞし始めた。敏夫も登三も默つてはゐなかつた。私は三人に頭をまかれたり、膝に登られたり、耳を引張られたりしながら、出來るだけ安心するやうに彼れ是れと云ひ聞かした。  見るともう就寢の時間は既に過ぎてゐた。私は少し嚴格に寢るやうに諭した。行夫は體の力が失くなつたやうにやうやく私から離れて、就寢の挨拶も碌々せずに二階の方に階子段を上つて行つた。何事にも几帳面で、怒らない時には柔順な敏夫は、私の父の塑像の前に行つて、 「おぢいちやま御機嫌よう、おばあちやま御機嫌よう、ママ御機嫌よう」  一々頭を下げて誰にともなく云つてから、私の所に來て、 「パパ御機嫌よう」 と挨拶した。而して階子段の途中で大きな聲で呼び立てゝゐる兄の後を追つた。時間が過ぎたので睡たさに眼も開かなくなつた五歳の登三は、「パパ御機嫌よう」と崩れさうな聲で云つて、乳母の首ツ玉にしつかりかじり付いて抱かれながら私から離れて行つた。  粗末な造作なので、私のゐる部屋の上に當る寢室では、三人の兄弟が半分怒つたり、半分ふざけてゐるらしく、どすん〳〵と痛い足音を響かせた。  暫らくは三人で何か云ひ罵る聲と、乳母が登三をかばひながら、劍を持たせた聲で仲裁をする聲とが手に取るやうに聞えた。いつもなら私が疳癪を起して靜かに寢ないかと云つて下から怒鳴るのだが、その晩はそんな氣にはなれなかつた。私は耳を澄まして三人の聲をなつかしいものゝやうに聞いてゐた。乳母がなだめあぐんでゐるのを齒痒くさへ思つてゐた。而して仕舞には哀れになつて、二階に上つて行つて三人の間に我が身を横へた。乳母は默つたまゝ降りて行つた。  電燈は消してあるので寢室の中は眞暗だつた。大きな硝子窓越しには遠くに雨雲のよどんだ夏の無月の空が、潤みを持つた紺碧の色に果てもなく擴がつてゐた。雨雲が時々、その奇怪な姿をまざ〳〵と見せて、遠くの方で稻妻が光つてゐた。その度毎に青白いほのかな光が眞暗な寢室の中にも通つて來た。 「明日はあれがこつちに來るかも知れないのよ」  行夫は枕から頭を上げて空を見やりながら、私の留守の間の不安を稻妻にかこつけてほのめかした。  その中に敏夫が一番先に寢入つてしまつた。登三はをかしな調子でねんねこ唄のやうな鼻唄を歌つてゐたが、がり〳〵と虻の刺したあとを掻きながら、これもやがて鼾になつてしまつた。寢付きが惡くつて眼敏い行夫だけは背中が痒いと云つていつまでも眠らなかつた。この子は生れ落ちるとから身體に何か故障のない事はないのだ。その頃も背中にイボのやうな堅い腫物が澤山出來て、掻くとつぶれ〳〵した。そのつぶれた跡が恐ろしく痒いらしい。私が急所を痒いてやるといゝ心持ちでたまらないらしく、背中を丸めてもつと掻け〳〵と云つた。而して段々氣分がおだやかになつて、半分寢言のやうに蚊をよける工夫を色々としながら、夜具を頭からすつぽり被つて寢入つてしまつた。  實際そこの夜は東京では想像も出來ない程涼しかつた。蚊もゐるといふ程はゐなかつた。私は暑過ぎない程度に三人に夜着を着せて靜かに下の座敷に降りた。まだ九時だつた。で、汽車を待つ間に讀みさしのメレヂコフスキーの「先驅者」でも讀まうとして包みを開くと、その中から「松蟲」が出て來た。「松蟲」といふのは私の妻の遺稿だつた。私は知らず〳〵それを手に取つた。而して知らず〳〵一頁々々と讀んで行つた。  ふとその中から妻が六歳位の時の寫眞が出て來た。それは彼女の忘れ形見の年頃の寫眞である。嘗てこんなとんきよな顏をして、頭をおかつぱにした童女がたしかに此世に生きてゐた事があるのだ。而してその童女は今は何處を探してもゐないのだ。何んの爲めに生きて來たのだ。何んの爲めに死んだのだ。少しも分らない。そんな事を思つてゐる私は一體何だ。私はその寫眞の顏をぢつと見詰めてゐる中に、ぞつとする程薄氣味惡く恐ろしくなつて來た。自分自身や自分を圍む世界がずつと私から離れて行くやうに思へた。  私はぼんやりしてしまつて電燈を見た。何かその光だけが頼みにでもなるやうにそれを見た。灯をつける前には屹度硝子戸を引いて羽蟲の來るのを防ぐにも係らず、二匹の蛾が二本の白い線のやうになつて、くり〳〵と電燈のまはりを飛び𢌞つてゐた。而して硝子戸の外には光を慕つて、雨のやうに硝子にぶつかつて來る蟲の音と、遙か下の方で噴水の落ちる水音とがさやかに聞えるばかりだつた。寂寞の中のかすかな物音ほど寂寞を高めるものはない。白紙のやうな淋しさの中のかすかな囘想ほど淋しさを強めるものはない。  私の眼はひとりでに涙に潤つた。私は部屋を出て幅の廣いベランダに行つた。頑丈な木造りの二三の椅子と卓子とが蹲る侏儒のやうにあるべからぬ所に散らばつてゐた。而して硝子戸を漏れる電燈の片明りが不思議な姿にそれを照してゐた。ベランダの板は露に濡て、夜冷えがしてゐた。木や草がうざ〳〵と茂つた眼下の廣い谿谷の向ふには地平線に近く狹霧がかゝつて、停車場附近の電燈が間をおいて螢を併べたやうに幽かに光つてゐた。而してその先には矢ヶ崎から甲信にかけての山脈が腰から上だけを見せて眞黒に立連なつてゐた。  稻妻もしなくなつた大空は、雲間に星を連ねて重々しく西に動きながら、地平線から私の頭の上まで擴がつてゐた。あすこの世界……こゝの世界。  私は椅子や卓子の間を拾ひながら、ベランダの上を往つたり來たりした。而して子供が遊び捨てた紙切れを庭になげたり、脱ぎ散らした小さな靴を揃へて下駄箱に入れてやつたりした。ある時は硝子戸に近よつて、その面に鈴なりになつて、細かく羽根を動かしながら、光を目がけて近寄らうとする羽蟲の類を飽く事なく眺めやつたりした。如何なる科學者もその時の私ほど親切にそれらの昆蟲を見つめはしなかつたらう。如何なる白痴も私ほど虚ろな心でその小さな生き物を眺めはしなかつたらう。  時間を殺す爲めに私は椅子の一つに腰を下した。而して頬杖をついて遠くの空を見やりながら、默然と寂寞の中に浸り込んだ。湧くやうな蟲の聲もゝう私の耳には入らなかつた。かうしてどの位の時間が過ぎたか知れない。  突然私の耳は憚るやうに「パパパパ……」と云ふ行夫の聲を捕へて、ぎよつと正氣に返つた。その聲は確に二階から響いて來た。それを聞くと私はふるひつくやうな執着を感じて、出來るだけやさしく「はいよ」といらへながら、硝子戸を急ぎながらそーつと開けて二階に上つて見た。女中達は假睡して行夫の聲や私の跫音を聞きつけたものは一人もゐないらしかつた。それで私は夜の可なり更けたのを氣付いた。寢室に這入ると、行夫が半ば身を起して「登ちやん、そつちに行つて頂戴よ」といつてゐた。寢相の惡い登三がごろ〳〵と行夫の床の上に轉りこんで來てゐたのだ。私は登三を抱き起して登三の寢床まで運んでやつた。星明りにすかして見ると行夫は大きく眼を開いて私を見ながら、 「パパもつと眞中に寢てもいゝの……」と譯の分らない事をいふかと思ふと、もうその儘すや〳〵と寢入つてしまつた。私はその側に横になつたまゝ默つてその寢姿を見守つてゐた。  暫らくすると、今度は敏夫が又ごろ〳〵と轉つて來て、兄の胸に巣喰ふやうにちゞこまつて、二人で抱き合ふやうな形になつた。行夫は敏夫を覗き込むやうに頭を曲げ、敏夫は兄の脇腹に手を置き添へすや〳〵と眠つてゐた。私はその兄弟に輕く夜着を被せて、登三の帶から下をはたげた寢衣を直してやつて、そこに胡坐をかいて、ぼんやり坐つてゐた。彼等を眠りから呼びさます物音だけが氣になつた。幸にそこは淋し過ぎる程靜かな山の中だつた。  やがて私はやをら身を起して階下に下つて靜かに着物を洋服に着かへ始めた。  十二時が柱の上の方できしみながら鳴つた。暫らくすると下の方の路でけたゝましい自動車のエンヂンの音が聞え出した。私ははつと思つて二階の方に耳を澄したが、子供の眼を覺したらしい樣子はなかつた。女中が物音に假寢から起き上つて睡さうな眼をしながら食堂に出て來た。私が一時に發つといふ事を知つた義弟が、急に思ひ立つて私と一緒に歸るといひ出し、而して自動車を頼んでおいてくれたのだつた。  私は急いで靴をはいた。而して口早に女中に留守の事を色々頼まうとしたが、結局どれ程綿密に注意をして置いても、出來るだけの事より出來ないと思つて、唯「留守をしつかり頼むよ」とだけいつてベランダに出た。そこには暗闇の中に自動車の運轉手が荷物を背負ひに來て待つてゐた。  私は默つて運轉手の後に續いた。細いだら〳〵道の兩側にたて込んで茂つた小松から小松に、蜘蛛のかけ渡した絲にうるさく顏を撫られながら、義弟の家のある所に行つた。義弟の妻なる私の妹も、その子達も眼を覺してゐた。暗い往來から見ると、家の内は光る飴でも解いたやうに美しく見えた。妹は用意しておいた食物の小包などをその良人に渡してゐた。子供達は子供達で銘々の力に叶ふだけの荷物をぶら下げて自動車に運んだ。人々の間からは睦じさうに笑ひ聲などが聞えた。私は默つてそれを見守つた。  汽車の中は中々人が込み合つてゐた。私達は僅に向ひ合つて坐るだけの場所を見つけてそれに腰を下した。夏の盛りであるにも係らず、レイン・コートでは涼し過ぎる位空氣が冷てゐた。義弟は暫らく私と話し合つてゐたがやがて窮屈さうに體を曲げたなりで、うつら〳〵と淺い眠りに落ちた。  私も寢なければならないと思つた。電燈の光を遮る爲に、ハンケチを出して細く疊んで、眼を隱した兩端を耳の所で押へた。而してしつかり腕組みをして心をしづめて見た。然し駄目だつた。カラーが顎をせめるのが氣になつてならなかつた。色々にして見るが如何しても氣になつた。據なく私はそれを外して、立上つて網の棚に仕舞ひ込んだ。頸の處はお蔭で樂になつた。然し今度は足の置場がぎごちなくつてならなかつた。平に延ばして見たり、互違ひに組んで見たりしたが、如何しやうもなかつた。足は離して捨てる事が出來ない。  半夜位は寢ないでゐろと思つて私は眠るのを思ひ切つた。而してまじ〳〵と乘客の寢態などを見やつたり、東京に歸つてからすべき仕事の順序を考へたりなどした。その間にもふとすると子供達の事を考へてゐた。ぼり〳〵と足を掻いた、その音。行夫の胸に巣喰ふやうに轉げて來た敏夫の姿。下駄箱の前に無頓着に脱ぎ散らかしたまゝに置かれてゐる小さないくつかの靴。……と思ふと私は振拂ふやうに頭を動かして、又まじ〳〵と寢亂れた乘客の姿などを見た。  汽車が上野停車場に着いた時には夜はから〳〵と明け離れてゐて、K驛では想像も出來ない蒸暑さが朝から空氣に飽和してゐた。義弟を迎へに來てゐるべき筈の自動車は故障が出來たとかで來てゐなかつた。義弟は短氣らしくタキシーの運轉手の溜りに行つて、直ぐ一臺出せといつて見たが、生憎く一臺もあいたのはなかつた。 「自動車が子供達の眼を覺しはしなかつたか知らん」 とふと私は思つた。目を覺すとすれば第一に眼を覺すのは行夫に違ひない。目を覺して見ると、寢室の中は眞暗だ。行夫は大事な忘れ物でもしたやうに、忙しく寢床から半身を起して、大きく開いた眼で闇の中を見𢌞すだらう。而して暗闇の中から侵して來る淋しさ恐ろしさにせき立てられて、小さな聲で、 「パパ」 と呼ぶだらう。然しいらへる者がないのに氣が付くと、堪らなく淋しくなつて、前後も構はず大聲に呼び立てるだらう。 「せき……せきやつていへば……」  私を送り出した女中は、物數寄にも夜中などに汽車に乘る私の事を不平交りに噂して、戸締りをしてゐたが、行夫の聲を聞くと、 「又起きつちやつたよ」 とか何とかいつて舌打ちをしながら、ぶり〳〵と二階に上つて行くだらう。 「又起きたの、駄目だねえ。パパはもう行つてお仕舞ひになりましたよ。さ、早くお寢なさいまし」  さういふ突慳貪な聲を聞かされると、行夫はすつかり眼を覺してしまふだらう。而して一時も長く女中を自分の側にひき付けて置きたい欲望から、くど〳〵と私が家を出て行つた樣子などを尋ねるだらう。女中が睡さの爲めに氣を焦立てゝ、子供の心を少しも思ひやらないやうな言葉使ひをするのが私には十分過ぎる位想像された。私は自分のした事を悔むやうな心持ちになつて、東京の土を激しく踏みながらあちこちと歩いた。  やうやく自動車が出來たので義弟と私とはそれに乘つた。二人は狹い座席で膝を併べてゐたけれども、互の心は千里も距つてゐるやうに思はれた。その頃丁度出來かけてゐたある事業の事を義弟は考へてゐるに違ひない。私は私で他人の眼から見れば餘りに小さな事をやきもきと考へてゐる。  自動車は雜閙し始めた廣い往來を勢ひよく駈て行つた。寢不足な私の頭は妙にぼんやりして、はつきり物を考へる力を失つたやうに、窓から見える町々の印象を取入れた。取入れられた印象は恐ろしく現實的なものになつたり、痛く夢幻的なものになつたりして、縮まつたり脹れたりした。  突然自動車が動かなくなつた。運轉手は素早く車臺から飛び下りて機械を調べにかゝつた。電車がその爲めにいくつも停らなければならなかつた。往來の人は自動車のまはりに人垣を作つた。  私はその時頭がかーんとしたやうに思つた。車外に立つどの顏も〳〵木偶のやうだつた。それが口を開き、顏をゆがめて、物をいつたり笑つたりしてゐた。車窓を隔てゝゐる爲めに、聲が少しも聞えないので、殊更ら私の感じを不思議なものにしてゐた。私は人々に圍まれながら、曠野の眞中にたつた一人坊ちで立つ人のやうに思つた。普段は人事といふ習慣に紛れて見つめもしないでゐた人間生活の實相が、まざ〳〵と私の前に立現れたのを私は感じた。本統は誰でも孤獨なのだ。一人坊つちなのだ。強てもそれをまぎらす爲めに私達は憎んで見たり愛して見たりして、本統の人の姿から間に合はせに遁れようとしてゐるのだ。私はそんなことをぼんやりした頭で考へてゐた。こんな孤獨な中にゐて、しつかりと生命の道を踏みしめて行く人はどれ程悲しいだらう。……  突然自動車が動き出した。自動車を圍んでゐた人達は急に木偶から人間に還つたやうに怪我をおそれて道を開いた。私も亦奇態な妄想から救はれてゐた。而してすぐ子供達の事や仕事の事やを考へてゐた。  家に歸りつくと母は驚いて私の時ならぬ歸宅を迎へた。而して孫達が可哀さうだからといつて大あわてに仕度をして晝頃K驛に向つて發つて行つた。  私は始めて安心した。安心すると同時に仕事の事がたゞ一つの執着になつて私に逼つて來た。私は單衣の袖をまくり上げて机の前に坐つた。机の上には東京特有の黄塵が薄くたまつてゐて、汽車の煤煙を水道の水で淨めた私の指先に不愉快な感觸を傳へた。暑さはもう私の胸のあたりをぬら〳〵させずにはおかなかつた。それでも私は凡ての事を忘れて燒くやうに氣負ひながら原稿に向つた。  暫らくして私はぎよつと物音に驚かされて机から上體を立て直した。夏の日は光の津波のやうに一時に瞳孔に押寄せて來るので眼も開けなかつた。寢不足にまけ、暑さにまけ、焦慮にまけて私は何時の間にか假寢をしてゐたのだ。額にも、胸にも、背にも、腋の下にも、膝の裏にも、濃い油汗が氣味惡くにじみ出てゐた。  誰を責めよう。私は自分に呆れ果てゝゐた。少しばかりの眠りであつたが、私の頭は急に明瞭過ぎる程明瞭になつて、私を苦しめた。  私の眼からは本統に苦しい涙が流れた。  私にはもう書く事がない。眼を覺ましてから私が書きつけておく事は是れだけで澤山だ。私は誰にあてるともなくこの私信を書いた。書いてしまつてから誰にあてたものかと思案して見た。  さうだ。この私信は矢張り私の子供達の母なる「お前」にあてよう。謎のやうなこんな文句を私の他に私らしく理解するのは「お前」位なものだらうから。
底本:「有島武郎全集第三卷」筑摩書房    1980(昭和55)年6月30日初版発行 底本の親本:「大阪毎日新聞 第一二七五四號~第一二七六一號」    1919(大正8)年1月5日~12日 初出:「大阪毎日新聞 第一二七五四號~第一二七六一號」    1919(大正8)年1月5日~12日    「東京日日新聞 第一五一六九號~第一五一七六號」    1919(大正8)年1月6日~13日 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「假寢《うたゝね》」と「假睡《うたゝね》」の混在は、底本通りです。 入力:木村杏実 校正:きりんの手紙 2022年5月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ち上った時、――その時までお前たちのパパは生きているかいないか、それは分らない事だが――父の書き残したものを繰拡げて見る機会があるだろうと思う。その時この小さな書き物もお前たちの眼の前に現われ出るだろう。時はどんどん移って行く。お前たちの父なる私がその時お前たちにどう映るか、それは想像も出来ない事だ。恐らく私が今ここで、過ぎ去ろうとする時代を嗤い憐れんでいるように、お前たちも私の古臭い心持を嗤い憐れむのかも知れない。私はお前たちの為めにそうあらんことを祈っている。お前たちは遠慮なく私を踏台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。然しながらお前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、或はいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。お前たちがこの書き物を読んで、私の思想の未熟で頑固なのを嗤う間にも、私たちの愛はお前たちを暖め、慰め、励まし、人生の可能性をお前たちの心に味覚させずにおかないと私は思っている。だからこの書き物を私はお前たちにあてて書く。  お前たちは去年一人の、たった一人のママを永久に失ってしまった。お前たちは生れると間もなく、生命に一番大事な養分を奪われてしまったのだ。お前達の人生はそこで既に暗い。この間ある雑誌社が「私の母」という小さな感想をかけといって来た時、私は何んの気もなく、「自分の幸福は母が始めから一人で今も生きている事だ」と書いてのけた。そして私の万年筆がそれを書き終えるか終えないに、私はすぐお前たちの事を思った。私の心は悪事でも働いたように痛かった。しかも事実は事実だ。私はその点で幸福だった。お前たちは不幸だ。恢復の途なく不幸だ。不幸なものたちよ。  暁方の三時からゆるい陣痛が起り出して不安が家中に拡がったのは今から思うと七年前の事だ。それは吹雪も吹雪、北海道ですら、滅多にはないひどい吹雪の日だった。市街を離れた川沿いの一つ家はけし飛ぶ程揺れ動いて、窓硝子に吹きつけられた粉雪は、さらぬだに綿雲に閉じられた陽の光を二重に遮って、夜の暗さがいつまでも部屋から退かなかった。電燈の消えた薄暗い中で、白いものに包まれたお前たちの母上は、夢心地に呻き苦しんだ。私は一人の学生と一人の女中とに手伝われながら、火を起したり、湯を沸かしたり、使を走らせたりした。産婆が雪で真白になってころげこんで来た時は、家中のものが思わずほっと気息をついて安堵したが、昼になっても昼過ぎになっても出産の模様が見えないで、産婆や看護婦の顔に、私だけに見える気遣いの色が見え出すと、私は全く慌ててしまっていた。書斎に閉じ籠って結果を待っていられなくなった。私は産室に降りていって、産婦の両手をしっかり握る役目をした。陣痛が起る度毎に産婆は叱るように産婦を励まして、一分も早く産を終らせようとした。然し暫くの苦痛の後に、産婦はすぐ又深い眠りに落ちてしまった。鼾さえかいて安々と何事も忘れたように見えた。産婆も、後から駈けつけてくれた医者も、顔を見合わして吐息をつくばかりだった。医師は昏睡が来る度毎に何か非常の手段を用いようかと案じているらしかった。  昼過ぎになると戸外の吹雪は段々鎮まっていって、濃い雪雲から漏れる薄日の光が、窓にたまった雪に来てそっと戯れるまでになった。然し産室の中の人々にはますます重い不安の雲が蔽い被さった。医師は医師で、産婆は産婆で、私は私で、銘々の不安に捕われてしまった。その中で何等の危害をも感ぜぬらしく見えるのは、一番恐ろしい運命の淵に臨んでいる産婦と胎児だけだった。二つの生命は昏々として死の方へ眠って行った。  丁度三時と思わしい時に――産気がついてから十二時間目に――夕を催す光の中で、最後と思わしい激しい陣痛が起った。肉の眼で恐ろしい夢でも見るように、産婦はかっと瞼を開いて、あてどもなく一所を睨みながら、苦しげというより、恐ろしげに顔をゆがめた。そして私の上体を自分の胸の上にたくし込んで、背中を羽がいに抱きすくめた。若し私が産婦と同じ程度にいきんでいなかったら、産婦の腕は私の胸を押しつぶすだろうと思う程だった。そこにいる人々の心は思わず総立ちになった。医師と産婆は場所を忘れたように大きな声で産婦を励ました。  ふと産婦の握力がゆるんだのを感じて私は顔を挙げて見た。産婆の膝許には血の気のない嬰児が仰向けに横たえられていた。産婆は毬でもつくようにその胸をはげしく敲きながら、葡萄酒葡萄酒といっていた。看護婦がそれを持って来た。産婆は顔と言葉とでその酒を盥の中にあけろと命じた。激しい芳芬と同時に盥の湯は血のような色に変った。嬰児はその中に浸された。暫くしてかすかな産声が気息もつけない緊張の沈黙を破って細く響いた。  大きな天と地との間に一人の母と一人の子とがその刹那に忽如として現われ出たのだ。  その時新たな母は私を見て弱々しくほほえんだ。私はそれを見ると何んという事なしに涙が眼がしらに滲み出て来た。それを私はお前たちに何んといっていい現わすべきかを知らない。私の生命全体が涙を私の眼から搾り出したとでもいえばいいのか知らん。その時から生活の諸相が総て眼の前で変ってしまった。  お前たちの中最初にこの世の光を見たものは、このようにして世の光を見た。二番目も三番目も、生れように難易の差こそあれ、父と母とに与えた不思議な印象に変りはない。  こうして若い夫婦はつぎつぎにお前たち三人の親となった。  私はその頃心の中に色々な問題をあり余る程持っていた。そして始終齷齪しながら何一つ自分を「満足」に近づけるような仕事をしていなかった。何事も独りで噛みしめてみる私の性質として、表面には十人並みな生活を生活していながら、私の心はややともすると突き上げて来る不安にいらいらさせられた。ある時は結婚を悔いた。ある時はお前たちの誕生を悪んだ。何故自分の生活の旗色をもっと鮮明にしない中に結婚なぞをしたか。妻のある為めに後ろに引きずって行かれねばならぬ重みの幾つかを、何故好んで腰につけたのか。何故二人の肉慾の結果を天からの賜物のように思わねばならぬのか。家庭の建立に費す労力と精力とを自分は他に用うべきではなかったのか。  私は自分の心の乱れからお前たちの母上を屡々泣かせたり淋しがらせたりした。またお前たちを没義道に取りあつかった。お前達が少し執念く泣いたりいがんだりする声を聞くと、私は何か残虐な事をしないではいられなかった。原稿紙にでも向っていた時に、お前たちの母上が、小さな家事上の相談を持って来たり、お前たちが泣き騒いだりしたりすると、私は思わず机をたたいて立上ったりした。そして後ではたまらない淋しさに襲われるのを知りぬいていながら、激しい言葉を遣ったり、厳しい折檻をお前たちに加えたりした。  然し運命が私の我儘と無理解とを罰する時が来た。どうしてもお前達を子守に任せておけないで、毎晩お前たち三人を自分の枕許や、左右に臥らして、夜通し一人を寝かしつけたり、一人に牛乳を温めてあてがったり、一人に小用をさせたりして、碌々熟睡する暇もなく愛の限りを尽したお前たちの母上が、四十一度という恐ろしい熱を出してどっと床についた時の驚きもさる事ではあるが、診察に来てくれた二人の医師が口を揃えて、結核の徴候があるといった時には、私は唯訳もなく青くなってしまった。検痰の結果は医師たちの鑑定を裏書きしてしまった。そして四つと三つと二つとになるお前たちを残して、十月末の淋しい秋の日に、母上は入院せねばならぬ体となってしまった。  私は日中の仕事を終ると飛んで家に帰った。そしてお前達の一人か二人を連れて病院に急いだ。私がその町に住まい始めた頃働いていた克明な門徒の婆さんが病室の世話をしていた。その婆さんはお前たちの姿を見ると隠し隠し涙を拭いた。お前たちは母上を寝台の上に見つけると飛んでいってかじり付こうとした。結核症であるのをまだあかされていないお前たちの母上は、宝を抱きかかえるようにお前たちをその胸に集めようとした。私はいい加減にあしらってお前たちを寝台に近づけないようにしなければならなかった。忠義をしようとしながら、周囲の人から極端な誤解を受けて、それを弁解してならない事情に置かれた人の味いそうな心持を幾度も味った。それでも私はもう怒る勇気はなかった。引きはなすようにしてお前たちを母上から遠ざけて帰路につく時には、大抵街燈の光が淡く道路を照していた。玄関を這入ると雇人だけが留守していた。彼等は二三人もいる癖に、残しておいた赤坊のおしめを代えようともしなかった。気持ち悪げに泣き叫ぶ赤坊の股の下はよくぐしょ濡れになっていた。  お前たちは不思議に他人になつかない子供たちだった。ようようお前たちを寝かしつけてから私はそっと書斎に這入って調べ物をした。体は疲れて頭は興奮していた。仕事をすまして寝付こうとする十一時前後になると、神経の過敏になったお前たちは、夢などを見ておびえながら眼をさますのだった。暁方になるとお前たちの一人は乳を求めて泣き出した。それにおこされると私の眼はもう朝まで閉じなかった。朝飯を食うと私は赤い眼をしながら、堅い心のようなものの出来た頭を抱えて仕事をする所に出懸けた。  北国には冬が見る見る逼って来た。ある時病院を訪れると、お前たちの母上は寝台の上に起きかえって窓の外を眺めていたが、私の顔を見ると、早く退院がしたいといい出した。窓の外の楓があんなになったのを見ると心細いというのだ。なるほど入院したてには燃えるように枝を飾っていたその葉が一枚も残らず散りつくして、花壇の菊も霜に傷められて、萎れる時でもないのに萎れていた。私はこの寂しさを毎日見せておくだけでもいけないと思った。然し母上の本当の心持はそんな所にはなくって、お前たちから一刻も離れてはいられなくなっていたのだ。  今日はいよいよ退院するという日は、霰の降る、寒い風のびゅうびゅうと吹く悪い日だったから、私は思い止らせようとして、仕事をすますとすぐ病院に行ってみた。然し病室はからっぽで、例の婆さんが、貰ったものやら、座蒲団やら、茶器やらを部屋の隅でごそごそと始末していた。急いで家に帰ってみると、お前たちはもう母上のまわりに集まって嬉しそうに騷いでいた。私はそれを見ると涙がこぼれた。  知らない間に私たちは離れられないものになってしまっていたのだ。五人の親子はどんどん押寄せて来る寒さの前に、小さく固まって身を護ろうとする雑草の株のように、互により添って暖みを分ち合おうとしていたのだ。然し北国の寒さは私たち五人の暖みでは間に合わない程寒かった。私は一人の病人と頑是ないお前たちとを労わりながら旅雁のように南を指して遁れなければならなくなった。  それは初雪のどんどん降りしきる夜の事だった、お前たち三人を生んで育ててくれた土地を後にして旅に上ったのは。忘れる事の出来ないいくつかの顔は、暗い停車場のプラットフォームから私たちに名残りを惜しんだ。陰鬱な津軽海峡の海の色も後ろになった。東京まで付いて来てくれた一人の学生は、お前たちの中の一番小さい者を、母のように終夜抱き通していてくれた。そんな事を書けば限りがない。ともかく私たちは幸に怪我もなく、二日の物憂い旅の後に晩秋の東京に着いた。  今までいた処とちがって、東京には沢山の親類や兄弟がいて、私たちの為めに深い同情を寄せてくれた。それは私にどれ程の力だったろう。お前たちの母上は程なくK海岸にささやかな貸別荘を借りて住む事になり、私たちは近所の旅館に宿を取って、そこから見舞いに通った。一時は病勢が非常に衰えたように見えた。お前たちと母上と私とは海岸の砂丘に行って日向ぼっこをして楽しく二三時間を過ごすまでになった。  どういう積りで運命がそんな小康を私たちに与えたのかそれは分らない。然し彼はどんな事があっても仕遂ぐべき事を仕遂げずにはおかなかった。その年が暮れに迫った頃お前達の母上は仮初の風邪からぐんぐん悪い方へ向いて行った。そしてお前たちの中の一人も突然原因の解らない高熱に侵された。その病気の事を私は母上に知らせるのに忍びなかった。病児は病児で私を暫くも手放そうとはしなかった。お前達の母上からは私の無沙汰を責めて来た。私は遂に倒れた。病児と枕を並べて、今まで経験した事のない高熱の為めに呻き苦しまねばならなかった。私の仕事? 私の仕事は私から千里も遠くに離れてしまった。それでも私はもう私を悔もうとはしなかった。お前たちの為めに最後まで戦おうとする熱意が病熱よりも高く私の胸の中で燃えているのみだった。  正月早々悲劇の絶頂が到来した。お前たちの母上は自分の病気の真相を明かされねばならぬ羽目になった。そのむずかしい役目を勤めてくれた医師が帰って後の、お前たちの母上の顔を見た私の記憶は一生涯私を駆り立てるだろう。真蒼な清々しい顔をして枕についたまま母上には冷たい覚悟を微笑に云わして静かに私を見た。そこには死に対する Resignation と共にお前たちに対する根強い執着がまざまざと刻まれていた。それは物凄くさえあった。私は凄惨な感じに打たれて思わず眼を伏せてしまった。  愈々H海岸の病院に入院する日が来た。お前たちの母上は全快しない限りは死ぬともお前たちに逢わない覚悟の臍を堅めていた。二度とは着ないと思われる――そして実際着なかった――晴着を着て座を立った母上は内外の母親の眼の前でさめざめと泣き崩れた。女ながらに気性の勝れて強いお前たちの母上は、私と二人だけいる場合でも泣顔などは見せた事がないといってもいい位だったのに、その時の涙は拭くあとからあとから流れ落ちた。その熱い涙はお前たちだけの尊い所有物だ。それは今は乾いてしまった。大空をわたる雲の一片となっているか、谷河の水の一滴となっているか、太洋の泡の一つとなっているか、又は思いがけない人の涙堂に貯えられているか、それは知らない。然しその熱い涙はともかくもお前たちだけの尊い所有物なのだ。  自動車のいる所に来ると、お前たちの中熱病の予後にある一人は、足の立たない為めに下女に背負われて、――一人はよちよちと歩いて、――一番末の子は母上を苦しめ過ぎるだろうという祖父母たちの心遣いから連れて来られなかった――母上を見送りに出て来ていた。お前たちの頑是ない驚きの眼は、大きな自動車にばかり向けられていた。お前たちの母上は淋しくそれを見やっていた。自動車が動き出すとお前達は女中に勧められて兵隊のように挙手の礼をした。母上は笑って軽く頭を下げていた。お前たちは母上がその瞬間から永久にお前たちを離れてしまうとは思わなかったろう。不幸なものたちよ。  それからお前たちの母上が最後の気息を引きとるまでの一年と七箇月の間、私たちの間には烈しい戦が闘われた。母上は死に対して最上の態度を取る為めに、お前たちに最大の愛を遺すために、私を加減なしに理解する為めに、私は母上を病魔から救う為めに、自分に迫る運命を男らしく肩に担い上げるために、お前たちは不思議な運命から自分を解放するために、身にふさわない境遇の中に自分をはめ込むために、闘った。血まぶれになって闘ったといっていい。私も母上もお前たちも幾度弾丸を受け、刀創を受け、倒れ、起き上り、又倒れたろう。  お前たちが六つと五つと四つになった年の八月の二日に死が殺到した。死が総てを圧倒した。そして死が総てを救った。  お前たちの母上の遺言書の中で一番崇高な部分はお前たちに与えられた一節だった。若しこの書き物を読む時があったら、同時に母上の遺書も読んでみるがいい。母上は血の涙を泣きながら、死んでもお前たちに会わない決心を飜さなかった。それは病菌をお前たちに伝えるのを恐れたばかりではない。又お前たちを見る事によって自分の心の破れるのを恐れたばかりではない。お前たちの清い心に残酷な死の姿を見せて、お前たちの一生をいやが上に暗くする事を恐れ、お前たちの伸び伸びて行かなければならぬ霊魂に少しでも大きな傷を残す事を恐れたのだ。幼児に死を知らせる事は無益であるばかりでなく有害だ。葬式の時は女中をお前たちにつけて楽しく一日を過ごさして貰いたい。そうお前たちの母上は書いている。 「子を思う親の心は日の光世より世を照る大きさに似て」  とも詠じている。  母上が亡くなった時、お前たちは丁度信州の山の上にいた。若しお前たちの母上の臨終にあわせなかったら一生恨みに思うだろうとさえ書いてよこしてくれたお前たちの叔父上に強いて頼んで、お前たちを山から帰らせなかった私をお前たちが残酷だと思う時があるかも知れない。今十一時半だ。この書き物を草している部屋の隣りにお前たちは枕を列べて寝ているのだ。お前たちはまだ小さい。お前たちが私の齢になったら私のした事を、即ち母上のさせようとした事を価高く見る時が来るだろう。  私はこの間にどんな道を通って来たろう。お前たちの母上の死によって、私は自分の生きて行くべき大道にさまよい出た。私は自分を愛護してその道を踏み迷わずに通って行けばいいのを知るようになった。私は嘗て一つの創作の中に妻を犠牲にする決心をした一人の男の事を書いた。事実に於てお前たちの母上は私の為めに犠牲になってくれた。私のように持ち合わした力の使いようを知らなかった人間はない。私の周囲のものは私を一個の小心な、魯鈍な、仕事の出来ない、憐れむべき男と見る外を知らなかった。私の小心と魯鈍と無能力とを徹底さして見ようとしてくれるものはなかった。それをお前たちの母上は成就してくれた。私は自分の弱さに力を感じ始めた。私は仕事の出来ない所に仕事を見出した。大胆になれない所に大胆を見出した。鋭敏でない所に鋭敏を見出した。言葉を換えていえば、私は鋭敏に自分の魯鈍を見貫き、大胆に自分の小心を認め、労役して自分の無能力を体験した。私はこの力を以て己れを鞭ち他を生きる事が出来るように思う。お前たちが私の過去を眺めてみるような事があったら、私も無駄には生きなかったのを知って喜んでくれるだろう。  雨などが降りくらして悒鬱な気分が家の中に漲る日などに、どうかするとお前たちの一人が黙って私の書斎に這入って来る。そして一言パパといったぎりで、私の膝によりかかったまましくしくと泣き出してしまう。ああ何がお前たちの頑是ない眼に涙を要求するのだ。不幸なものたちよ。お前たちが謂れもない悲しみにくずれるのを見るに増して、この世を淋しく思わせるものはない。またお前たちが元気よく私に朝の挨拶をしてから、母上の写真の前に駈けて行って、「ママちゃん御機嫌よう」と快活に叫ぶ瞬間ほど、私の心の底までぐざと刮り通す瞬間はない。私はその時、ぎょっとして無劫の世界を眼前に見る。  世の中の人は私の述懐を馬鹿々々しいと思うに違いない。何故なら妻の死とはそこにもここにも倦きはてる程夥しくある事柄の一つに過ぎないからだ。そんな事を重大視する程世の中の人は閑散でない。それは確かにそうだ。然しそれにもかかわらず、私といわず、お前たちも行く行くは母上の死を何物にも代えがたく悲しく口惜しいものに思う時が来るのだ。世の中の人が無頓着だといってそれを恥じてはならない。それは恥ずべきことじゃない。私たちはそのありがちの事柄の中からも人生の淋しさに深くぶつかってみることが出来る。小さなことが小さなことでない。大きなことが大きなことでない。それは心一つだ。  何しろお前たちは見るに痛ましい人生の芽生えだ。泣くにつけ、笑うにつけ、面白がるにつけ淋しがるにつけ、お前たちを見守る父の心は痛ましく傷つく。  然しこの悲しみがお前たちと私とにどれ程の強みであるかをお前たちはまだ知るまい。私たちはこの損失のお蔭で生活に一段と深入りしたのだ。私共の根はいくらかでも大地に延びたのだ。人生を生きる以上人生に深入りしないものは災いである。  同時に私たちは自分の悲しみにばかり浸っていてはならない。お前たちの母上は亡くなるまで、金銭の累いからは自由だった。飲みたい薬は何んでも飲む事が出来た。食いたい食物は何んでも食う事が出来た。私たちは偶然な社会組織の結果からこんな特権ならざる特権を享楽した。お前たちの或るものはかすかながらU氏一家の模様を覚えているだろう。死んだ細君から結核を伝えられたU氏があの理智的な性情を有ちながら、天理教を信じて、その御祈祷で病気を癒そうとしたその心持を考えると、私はたまらなくなる。薬がきくものか祈祷がきくものかそれは知らない。然しU氏は医者の薬が飲みたかったのだ。然しそれが出来なかったのだ。U氏は毎日下血しながら役所に通った。ハンケチを巻き通した喉からは皺嗄れた声しか出なかった。働けば病気が重る事は知れきっていた。それを知りながらU氏は御祈祷を頼みにして、老母と二人の子供との生活を続けるために、勇ましく飽くまで働いた。そして病気が重ってから、なけなしの金を出してして貰った古賀液の注射は、田舎の医師の不注意から静脈を外れて、激烈な熱を引起した。そしてU氏は無資産の老母と幼児とを後に残してその為めに斃れてしまった。その人たちは私たちの隣りに住んでいたのだ。何んという運命の皮肉だ。お前たちは母上の死を思い出すと共に、U氏を思い出すことを忘れてはならない。そしてこの恐ろしい溝を埋める工夫をしなければならない。お前たちの母上の死はお前たちの愛をそこまで拡げさすに十分だと思うから私はいうのだ。  十分人世は淋しい。私たちは唯そういって澄ましている事が出来るだろうか。お前達と私とは、血を味った獣のように、愛を味った。行こう、そして出来るだけ私たちの周囲を淋しさから救うために働こう。私はお前たちを愛した。そして永遠に愛する。それはお前たちから親としての報酬を受けるためにいうのではない。お前たちを愛する事を教えてくれたお前たちに私の要求するものは、ただ私の感謝を受取って貰いたいという事だけだ。お前たちが一人前に育ち上った時、私は死んでいるかも知れない。一生懸命に働いているかも知れない。老衰して物の役に立たないようになっているかも知れない。然し何れの場合にしろ、お前たちの助けなければならないものは私ではない。お前たちの若々しい力は既に下り坂に向おうとする私などに煩わされていてはならない。斃れた親を喰い尽して力を貯える獅子の子のように、力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出して行くがいい。  今時計は夜中を過ぎて一時十五分を指している。しんと静まった夜の沈黙の中にお前たちの平和な寝息だけが幽かにこの部屋に聞こえて来る。私の眼の前にはお前たちの叔母が母上にとて贈られた薔薇の花が写真の前に置かれている。それにつけて思い出すのは私があの写真を撮ってやった時だ。その時お前たちの中に一番年たけたものが母上の胎に宿っていた。母上は自分でも分らない不思議な望みと恐れとで始終心をなやましていた。その頃の母上は殊に美しかった。希臘の母の真似だといって、部屋の中にいい肖像を飾っていた。その中にはミネルバの像や、ゲーテや、クロムウェルや、ナイティンゲール女史やの肖像があった。その少女じみた野心をその時の私は軽い皮肉の心で観ていたが、今から思うとただ笑い捨ててしまうことはどうしても出来ない。私がお前たちの母上の写真を撮ってやろうといったら、思う存分化粧をして一番の晴着を着て、私の二階の書斎に這入って来た。私は寧ろ驚いてその姿を眺めた。母上は淋しく笑って私にいった。産は女の出陣だ。いい子を生むか死ぬか、そのどっちかだ。だから死際の装いをしたのだ。――その時も私は心なく笑ってしまった。然し、今はそれも笑ってはいられない。  深夜の沈黙は私を厳粛にする。私の前には机を隔ててお前たちの母上が坐っているようにさえ思う。その母上の愛は遺書にあるようにお前たちを護らずにはいないだろう。よく眠れ。不可思議な時というものの作用にお前たちを打任してよく眠れ。そうして明日は昨日よりも大きく賢くなって、寝床の中から跳り出して来い。私は私の役目をなし遂げる事に全力を尽すだろう。私の一生が如何に失敗であろうとも、又私が如何なる誘惑に打負けようとも、お前たちは私の足跡に不純な何物をも見出し得ないだけの事はする。きっとする。お前たちは私の斃れた所から新しく歩み出さねばならないのだ。然しどちらの方向にどう歩まねばならぬかは、かすかながらにもお前達は私の足跡から探し出す事が出来るだろう。  小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。  行け。勇んで。小さき者よ。
底本:「小さき者へ・生れ出づる悩み」新潮文庫、新潮社    1955(昭和30)年1月30日初版    1980(昭和55)年2月10日改版49刷    1986(昭和61)年4月30日発行改版63刷 初出:「新潮」    1918(大正7)年1月 入力:鈴木厚司 校正:鈴木厚司 1999年2月13日公開 2019年11月26日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 燕という鳥は所をさだめず飛びまわる鳥で、暖かい所を見つけておひっこしをいたします。今は日本が暖かいからおもてに出てごらんなさい。羽根がむらさきのような黒でお腹が白で、のどの所に赤い首巻きをしておとう様のおめしになる燕尾服の後部みたような、尾のある雀よりよほど大きな鳥が目まぐるしいほど活発に飛び回っています。このお話はその燕のお話です。  燕のたくさん住んでいるのはエジプトのナイルという世界中でいちばん大きな川の岸です――おかあ様に地図を見せておもらいなさい――そこはしじゅう暖かでよいのですけれども、燕も時々はあきるとみえて群れを作ってひっこしをします。ある時その群れの一つがヨーロッパに出かけて、ドイツという国を流れているライン川のほとりまで参りました。この川はたいそうきれいな川で西岸には古いお城があったり葡萄の畑があったりして、川ぞいにはおりしも夏ですから葦が青々とすずしくしげっていました。  燕はおもしろくってたまりません。まるでみなで鬼ごっこをするようにかけちがったりすりぬけたり葦の間を水に近く日がな三界遊びくらしましたが、その中一つの燕はおいしげった葦原の中の一本のやさしい形の葦とたいへんなかがよくって羽根がつかれると、そのなよなよとした茎先にとまってうれしそうにブランコをしたり、葦とお話をしたりして日を過ごしていました。  そのうちに長い夏もやがて末になって、葡萄の果も紫水晶のようになり、落ちて地にくさったのが、あまいかおりを風に送るようになりますと、村のむすめたちがたくさん出て来てかごにそれを摘み集めます。摘み集めながらうたう歌がおもしろいので、燕たちもうたいつれながら葡萄摘みの袖の下だの頭巾の上だのを飛びかけって遊びました。しかしやがて葡萄の収穫も済みますと、もう冬ごもりのしたくです。朝ごとに河面は霧が濃くなってうす寒くさえ思われる時節となりましたので、気の早い一人の燕がもう帰ろうと言いだすと、他のもそうだと言うのでそろそろ南に向かって旅立ちを始めました。  ただやさしい形の葦となかのよくなった燕は帰ろうとはいたしません。朋輩がさそってもいさめても、まだ帰らないのだとだだをこねてとうとうひとりぽっちになってしまいました。そうなるとたよりにするものは形のいい一本の葦ばかりであります。ある時その燕は二人っきりでお話をしようと葦の所に行って穂の出た茎先にとまりますと、かわいそうに枯れかけていた葦はぽっきり折れて穂先が垂れてしまいました。燕はおどろいていたわりながら、 「葦さん、ぼくは大変な事をしたねえ、いたいだろう」  と申しますと葦は悲しそうに、 「それはすこしはいたうございます」  と答えます。燕は葦がかわいそうですからなぐさめて、 「だっていいや、ぼくは葦さんといっしょに冬までいるから」  すると葦が風の助けで首をふりながら、 「それはいけません、あなたはまだ霜というやつを見ないんですか。それはおそろしいしらがの爺で、あなたのようなやさしいきれいな鳥は手もなく取って殺します。早く暖かい国に帰ってください、それでないと私はなお悲しい思いをしますから。私は今年はこのままで黄色く枯れてしまいますけれども、来年あなたの来る時分にはまたわかくなってきれいになってあなたとお友だちになりましょう。あなたが今年死ぬと来年は私一人っきりでさびしゅうございますから」  ともっともな事を親切に言ってくれたので、燕もとうとう納得して残りおしさはやまやまですけれども見かえり見かえり南を向いて心細いひとり旅をする事になりました。  秋の空は高く晴れて西からふく風がひやひやと膚身にこたえます。今日はある百姓の軒下、明日は木陰にくち果てた水車の上というようにどこという事もなく宿を定めて南へ南へとかけりましたけれども、容易に暖かい所には出ず、気候は一日一日と寒くなって、大すきな葦の言った事がいまさらに身にしみました。葦と別れてから幾日めでしたろう。ある寒い夕方野こえ山こえようやく一つの古い町にたどり着いて、さてどこを一夜のやどりとしたものかと考えましたが思わしい所もありませんので、日はくれるししかたがないから夕日を受けて金色に光った高い王子の立像の肩先に羽を休める事にしました。  王子の像は石だたみのしかれた往来の四つかどに立っています。さわやかにもたげた頭からは黄金の髪が肩まで垂れて左の手を帯刀のつかに置いて屹としたすがたで町を見下しています。たいへんやさしい王子であったのが、まだ年のわかいうちに病気でなくなられたので、王様と皇后がたいそう悲しまれて青銅の上に金の延べ板をかぶせてその立像を造り記念のために町の目ぬきの所にそれをお立てになったのでした。  燕はこのわかいりりしい王子の肩に羽をすくめてうす寒い一夜を過ごし、翌日町中をつつむ霧がやや晴れて朝日がうらうらと東に登ろうとするころ旅立ちの用意をしていますと、どこかで「燕、燕」と自分をよぶ声がします。はてなと思って見回しましたがだれも近くにいる様子はないから羽をのばそうとしますと、また同じように「燕、燕」とよぶものがあります。燕は不思議でたまりません。ふと王子のお顔をあおいで見ますと王子はやさしいにこやかな笑みを浮かべてオパールというとうとい石のひとみで燕をながめておいでになりました。燕はふと身をすりよせて、 「今私をおよびになったのはあなたでございますか」  と聞いてみますと王子はうなずかれて、 「いかにも私だ。実はおまえにすこしたのみたい事があるのでよんだのだが、それをかなえてくれるだろうか」  とおっしゃいます。燕はまだこんなりっぱなかたからまのあたりお声をかけられた事がないのでほくほく喜びながら、 「それはお安い御用です。なんでもいたしますからごえんりょなくおおせつけてくださいまし」と申し上げました。  王子はしばらく考えておられましたがやがて決心のおももちで、 「それではきのどくだが一つたのもう、あすこを見ろ」  と町の西の方をさしながら、 「あすこにきたない一軒立ちの家があって、たった一つの窓がこっちを向いて開いている。あの窓の中をよく見てごらん。一人の年老った寡婦がせっせと針仕事をしているだろう、あの人はたよりのない身で毎日ほねをおって賃仕事をしているのだがたのむ人が少いので時々は御飯も食べないでいるのがここから見える。私はそれがかわいそうでならないから何かやって助けてやろうと思うけれども、第一私はここに立ったっきり歩く事ができない。おまえどうぞ私のからだの中から金をはぎとってそれをくわえて行って知れないようにあの窓から投げこんでくれまいか」  とこういうたのみでした。燕は王子のありがたいお志に感じ入りはしましたが、このりっぱな王子から金をはぎ取る事はいかにも進みません。いろいろと躊躇しています。王子はしきりとおせきになります。しかたなく胸のあたりの一枚をめくり起こしてそれを首尾よく寡婦の窓から投げこみました。寡婦は仕事に身を入れているのでそれには気がつかず、やがて御飯時にしたくをしようと立ち上がった時、ぴかぴか光る金の延べ板を見つけ出した時の喜びはどんなでしたろう、神様のおめぐみをありがたくおしいただいてその晩は身になる御飯をいたしたのみでなく、長くとどこおっていたお寺のお布施も済ます事ができまして、涙を流して喜んだのであります。燕も何かたいへんよい事をしたように思っていそいそと王子のお肩にもどって来て今日の始末をちくいち言上におよびました。  次の朝燕は、今日こそはしたわしいナイル川に一日も早く帰ろうと思って羽毛をつくろって羽ばたきをいたしますとまた王子がおよびになります。昨日の事があったので燕は王子をこの上もないよいかたとしたっておりましたから、さっそく御返事をしますと王子のおっしゃるには、 「今日はあの東の方にある道のつきあたりに白い馬が荷車を引いて行く、あすこをごらん。そこに二人の小さな乞食の子が寒むそうに立っているだろう。ああ、二人はもとは家の家来の子で、おとうさんもおかあさんもたいへんよいかたであったが、友だちの讒言で扶持にはなれて、二、三年病気をすると二人とも死んでしまったのだ、それであとに残された二人の小児はあんな乞食になってだれもかまう人がないけれども、もしここに金の延べ金があったら二人はそれを御殿に持って行くともとのとおり御家来にしてくださる約束がある。おまえきのどくだけれども私のからだからなるべく大きな金をはがしてそれを持って行ってくれまいか」  燕はこの二人の乞食を見ますときのどくでたまらなくなりましたから、自分の事はわすれてしまって王子の肩のあたりからできるだけ大きな金の板をはがして重そうにくわえて飛び出しました。二人の乞食は手をつなぎあって今日はどうして食おうと困じ果てています。燕は快活に二人のまわりを二、三度なぐさめるように飛びまわって、やがて二人の前に金の板を落としますと、二人はびっくりしてそれを拾い上げてしばらくながめていましたが、兄なる少年は思い出したようにそれを取上げて、これさえあれば御殿の勘当も許されるからと喜んで妹と手をひきつれて御殿の方に走って行くのを、しっかり見届けた上で、燕はいい事をしたと思って王子の肩に飛び帰って来て一部始終の物語をしてあげますと、王子もたいそうお喜びになってひとかたならず燕の心の親切なのをおほめになりました。  次の日も王子は燕の旅立ちをきのどくだがとお引き留めになっておっしゃるには、 「今日は北の方に行ってもらいたい。あの烏の風見のある屋根の高い家の中に一人の画家がいるはずだ。その人はたいそう腕のある人だけれどもだんだんに目が悪くなって、早く療治をしないとめくらになって画家を廃さねばならなくなるから、どうか金を送って医者に行けるようにしてやりたい。おまえ今日も一つほねをおってくれまいか」  そこで燕はまた自分の事はわすれてしまって、今度は王子の背のあたりから金をめくってその方に飛んで行きましたが、画家は室内には火がなくてうす寒いので窓をしめ切って仕事をしていました。金の投げ入れようがありません。しかたなしに風見の烏に相談しますと、画家は燕が大すきで燕の顔さえ見ると何もかもわすれてしまって、そればかり見ているからおまえも目につくように窓の回りを飛び回ったらよかろうと教えてくれました。そこで燕は得たりとできるだけしなやかな飛びぶりをしてその窓の前を二、三べんあちらこちらに飛びますと、画家はやにわに面をあげて、 「この寒いのに燕が来た」  と言うや否や窓を開いて首をつき出しながら燕の飛び方に見ほれています。燕は得たりかしこしとすきを窺って例の金の板を部屋の中に投げこんでしまいました。画家の喜びは何にたとえましょう。天の助けがあるから自分は眼病をなおした上で無類の名画をかいて見せると勇み立って医師の所にかけつけて行きました。  王子も燕もはるかにこれを見て、今日も一ついい事をしたと清い心をもって夜のねむりにつきました。  そうこうするうちに気候はだんだんと寒くなってきました。青銅の王子の肩ではなかなかしのぎがたいほどになりました。しかし王子は次の日も次の日も今まで長い間見て知っている貧しい正直な人や苦しんでいるえらい人やに自分のからだの金を送りますので、燕はなかなか南に帰るひまがありません。日中は秋とは申しながらさすがに日がぽかぽかとうららかで黄金色の光が赤いかわらや黄になった木の葉を照らしてあたたかなものですから、燕は王子のおおせのままにあちこちと飛び回って御用をたしていました。そのうちに王子のからだの金はだんだんにすくなくなってかわいそうにこの間までまばゆいほどに美しかったおすがたが見る影もないものになってしまいました。ある日の夕方王子は静かに燕をかえり見て、 「燕、おまえは親切ものでよくこの寒いのもいとわず働いてくれたが、私にはもう人にやるものがなくなってしまってこんなみにくいからだになったからさぞおまえも私といっしょにいるのがいやになったろう。もうお帰り、寒くなったし、ナイル川には美しい夏がおまえを待っているから。この町はもうやがて冬になるとさびしいし、おまえのようなしなやかなきれいな鳥はいたたまれまい。それにしてもおまえのようなよい友だちと別れるのは悲しい」とおっしゃいました。燕はこれを聞いてなんとも言えないここちになりまして、いっそ王子の肩で寒さにこごえて死んでしまおうかとも思いながらしおしおとして御返事もしないでいますと、だれか二人王子の像の下にある露台に腰かけてひそひそ話をしているものがあります。  王子も燕も気がついて見ますとそこには一人のわかい武士と見目美しいおとめとが腰をかけていました。二人はもとよりお話を聞くものがあろうとは思いませんので、しきりとたがいに心のありたけを打ち明かしていました。やがて武士が申しますのには、 「二人は早く結婚したいのだけれどもたいせつなものがないのでできないのは残念だ。それは私の家では結婚する時にきっと先祖から伝えてきた名玉を結婚の指輪に入れなければできない事になっています、ところがだれかがそれをぬすんでしまいましたからどうしても結婚の式をあげることはできません」  おとめはもとよりこの武士がわかいけれども勇気があって強くってたびたびの戦いで功名てがらをしたのをしたってどうかその奥さんになりたいと思っていたのですから、涙をはらはらと流しながら嘆息をして、なんのことばの出しようもありません。しまいには二人手を取りあって泣いていました。  燕は世の中にはあわれな話もあるものだと思いながらふと王子をあおいで見ますと、王子の目からも涙がしきりと流れていました。燕はおどろいてちかぢかとすりよりながら「どうなさいました」と申しますと王子は、 「きのどくな二人だ。かのわかい武士の言う名玉というのは今は私のひとみになっている、二つのオパールの事であるが、王が私の立像を造られようとなされた時、私のひとみに使うほどりっぱな玉がどこにもなかったので、たいそう心をいためておいでなさると悪いへつらいずきな家来が、それはおやすい御用でございますと言ってあのわかい武士の父上をおとずれてよもやまの話のまぎれにそっとあの大事な玉をぬすんでしまったのだ。私はもう目が見えなくなってもいいからどうか私の目からひとみをぬき出してあの二人にやってくれ」  とおっしゃりながらなお涙をはらはらと流されました。およそ世の中でめくらほどきのどくなものはありません。毎日きれいに照らす日の目も、毎晩美しくかがやく月の光も、青いわか葉も紅い紅葉も、水の色も空のいろどりも、みんな見えなくなってしまうのです。試みに目をふさいで一日だけがまんができますか、できますまい。それを年が年じゅう死ぬまでしていなければならないのだから、ほんとうに思いやるのもあわれなほどでしょう。  王子はありったけの身のまわりをあわれな人におやりなすったのみか、今はまた何よりもたいせつな目までつぶそうとなさるのですもの。燕はほとほとなんとお返事をしていいのかわからないでうつぶいたままでこれもしくしく泣きだしました。  王子はやがて涙をはらって、 「ああこれは私が弱かった。泣くほど自分のものをおしんでそれを人にほどこしたとてなんの役にたつものぞ。心から喜んでほどこしをしてこそ神様のお心にもかなうのだ。昔キリストというおかたは人間のためには十字架の上で身を殺してさえ喜んでいらっしたのではないか。もう私は泣かぬ。さあ早くこの玉を取ってあのわかい武士にやってくれ、さ、早く」  とおせきになります。燕はなおも心を定めかねて思いわずらっていますうちに、わかい武士とおとめとは立ち上がって悲しそうに下を向きながらとぼとぼとお城の方に帰って行きます。もう日がとっぷりとくれて、巣に帰る鳥が飛び連れてかあかあと夕焼けのした空のあなたに見えています。王子はそれをごらんになるとおしかりになるばかり、燕をせいて早くひとみをぬけとおっしゃいます。燕はひくにひかれぬ立場になって、 「それではしかたがございません、御免こうむります」  と申しますと、観念して王子の目からひとみをぬいてしまいました。おくれてはなるまいとその二つをくちばしにくわえるが早いか、力をこめて羽ばたきしながら二人のあとを追いかけました。王子はもとのとおり町を見下ろした形で立っていられますが、もうなんにも見えるのではありませんかった。  燕がものの四、五町も走って行って二人の前にオパールを落としますとまずおとめがそれに目をつけて取り上げました。わかい武士は一目見るとおどろいてそれを受け取ってしばらくは無言で見つめていましたが、 「これだ、これだ、この玉だ。ああ私はもう結婚ができる。結婚をして人一倍の忠義ができる。神様のおめぐみ、ありがたいかたじけない。この玉をみつけた上は明日にでも御婚礼をしましょう」  と喜びがこみ上げて二人とも身をふるわせて神にお礼を申します。  これを見た燕はどんなけっこうなものをもらったよりもうれしく思って、心も軽く羽根も軽く王子のもとに立ちもどってお肩の上にちょんとすわり、 「ごらんなさい王子様。あの二人の喜びはどうです。おどらないばかりじゃありませんか。ごらんなさい泣いているのだかわらっているのだかわかりません。ごらんなさいあのわかい武士が玉をおしいただいているでしょう」  と息もつかずに申しますと、王子は下を向いたままで、 「燕や私はもう目が見えないのだよ」  とおっしゃいました。  さて次の日に二人の御婚礼がありますので、町中の人はこの勇ましいわかい武士とやさしく美しいおとめとをことほごうと思って朝から往来をうずめて何もかもはなやかな事でありました。家々の窓からは花輪や国旗やリボンやが風にひるがえって愉快な音楽の声で町中がどよめきわたります。燕はちょこなんと王子の肩にすわって、今馬車が来たとか今小児が万歳をやっているとか、美しい着物の坊様が見えたとか、背の高い武士が歩いて来るとか、詩人がお祝いの詩を声ほがらかに読み上げているとか、むすめの群れがおどりながら現われたとか、およそ町に起こった事を一つ一つ手に取るように王子にお話をしてあげました。王子はだまったままで下を向いて聞いていらっしゃいます。やがて花よめ花むこが騎馬でお寺に乗りつけてたいそうさかんな式がありました。その花むこの雄々しかった事、花よめの美しかった事は燕の早口でも申しつくせませんかった。  天気のよい秋びよりは日がくれると急に寒くなるものです。さすがににぎやかだった御婚礼が済みますと、町はまたもとのとおりに静かになって夜がしだいにふけてきました。燕は目をきょろきょろさせながら羽根を幾度か組み合わせ直して頸をちぢこめてみましたが、なかなかこらえきれない寒さで寝つかれません。まんじりともしないで東の空がぼうっとうすむらさきになったころ見ますと屋根の上には一面に白いきらきらしたものがしいてあります。  燕はおどろいてその由を王子に申しますと、王子もたいそうおおどろきになって、 「それは霜というもので――霜と言う声を聞くと燕は葦の言った事を思い出してぎょっとしました。葦はなんと言ったか覚えていますか――冬の来た証拠だ、まあ自分とした事が自分の事にばかり取りまぎれていておまえの事を思わなかったのはじつに不埒であった。長々御世話になってありがたかったがもう私もこの世には用のないからだになったからナイルの方に一日も早く帰ってくれ。かれこれするうちに冬になるととてもおまえの生命は続かないから」  としみじみおっしゃいました。燕はなんでいまさら王子をふりすてて行かれましょう。たとえこごえ死にに死にはするともここ一足も動きませんと殊勝な事を申しましたが、王子は、 「そんなわからずやを言うものではない。おまえが今年死ねばおまえと私の会えるのは今年限り。今日ナイルに帰ってまた来年おいで。そうすれば来年またここで会えるから」  と事をわけて言い聞かせてくださいました。燕はそれもそうだ、 「そんなら王子様来年またお会い申しますから御無事でいらっしゃいまし。お目が御不自由で私のいないために、なおさらの御不自由でしょうが、来年はきっとたくさんのお話を持って参りますから」  と燕は泣く泣く南の方へと朝晴れの空を急ぎました。このまめまめしい心よしの友だちがあたたかい南国へ羽をのして行くすがたのなごりも王子は見る事もおできなさらず、おいたわしいお首をお下げなすったままうすら寒い風の中にひとり立っておいででした。  さてそのうちに日もたって冬はようやく寒くなり雪だるまのできる雪がちらちらとふりだしますと、もうクリスマスには間もありません。欲張りもけちんぼうも年寄りも病人もこのころばかりは晴れ晴れとなって子どものようになりますので、かしげがちの首もまっすぐに、下向きがちの顔も空を見るようになるのがこのごろです。で、往来の人は長々見わすれていた黄金の王子はどうしていられる事かとふりあおぎますと、おどろくまい事かすき通るほど光ってござった王子はまるで癩病やみのように真黒で、目は両方ともひたとつぶれてござらっしゃります。 「なんだこのぶざまは、町のまん中にこんなものは置いて置けやしない」  と一人が申しますと、 「ほんとうだ、クリスマス前にこわしてしまおうじゃないか」  と一人がほざきます。 「生きてるうちにこの王子は悪い事をしたにちがいない。それだからこそ死んだあとでこのざまになるんだ」とまた一人がさけびます。 「こわせこわせ」 「たたきこわせたたきこわせ」  という声がやがてあちらからもこちらからも起こって、しまいには一人が石をなげますと一人はかわらをぶつける。とうとう一かたまりのわかい者がなわとはしごを持って来てなわを王子の頸にかけるとみんなで寄ってたかってえいえい引っぱったものですから、さしもに堅固な王子の立像も無惨な事には礎をはなれてころび落ちてしまいました。  ほんとうにかわいそうな御最期です。  かくて王子のからだは一か月ほど地の上に横になってありましたが、町の人々は相談してああして置いてもなんの役にもたたないからというのでそれをとかして一つの鐘を造ってお寺の二階に収める事にしました。  その次の年あの燕がはるばるナイルから来て王子をたずねまわりましたけれども影も形もありませんかった。  しかし今でもこの町に行く人があれば春でも夏でも秋でも冬でもちょうど日がくれて仕事が済む時、灯がついて夕炊のけむりが家々から立ち上る時、すべてのものが楽しく休むその時にお寺の高い塔の上から澄んだすずしい鐘の音が聞こえて鬼であれ魔であれ、悪い者は一刻もこの楽しい町にいたたまれないようにひびきわたるそうであります。めでたしめでたし。
底本:「一房の葡萄」角川文庫、角川書店    1952(昭和27)年 3月10日初版発行    1967(昭和42)年 5月30日39版発行    1987(昭和62)年11月10日改版32版発行 初出:「婦人の国」1926(大正15)年4月 入力:土屋隆 校正:鈴木厚司 2003年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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ドモ又の死 (これはマーク・トウェインの小話から暗示を得て書いたものだ)  人物 花田          ┐ 沢本 (諢名、生蕃)  │ 戸部 (諢名、ドモ又) ├若き画家 瀬古 (諢名、若様)  │ 青島          ┘ とも子   モデルの娘  処 画室  時 現代 気候のよい時節 沢本と瀬古とがとも子をモデルにして画架に向かっている。戸部は物憂そうに床の上に臥ころんでいる。 沢本  (瀬古に)おい瀬古、ドモ又がうなっているぞ、死ぬんじゃあるまいな。 瀬古  僕も全くうなりたくなるねえ、死にたくなるねえ。……ともちゃん、おまえもおなかがすいたろう。 とも子 もう物をいってもいいの、若様。 瀬古  いいよ。おなかがすいたろう。 とも子 そんなでもないことよ。 戸部うなる。 どうしたの、戸部さん、あなた死ぬとこなの。まだ早いわ。 瀬古  ともちゃんはここに来る前に何か食べて来たね。 とも子 ええ食べてよ、おはぎを。 沢本  黙れ黙れ。ああ俺はもうだめだ。(腹をかかえる)つばも出なくなっちまいやがった。 瀬古  ふうん、おはぎを……強勢だなあ、いくつ食べたい。 とも子 まあいやな瀬古さん。 瀬古  そうしておはぎはあんこのかい、きなこのかい、それとも胡麻……白状おし、どれをいくつ…… 沢本  瀬古やめないか、俺はほんとうに怒るぞ。飢じい時にそんな話をする奴が……ああ俺はもうだめだ。三日食わないんだ、三日。 瀬古  沢本は生蕃だけに芸術家として想像力に乏しいよ。僕が今ここにおはぎを出すから見てろ――じゃない聞いてろ。ともちゃんが家を出ようとすると、お母さんが「ともや、ここにこんなものが取ってあるから食べておいでな」といって、鼠入らずの中から、ラーヴェンダー色のあんこと、ネープルス・エローのきなこと、あのヴェラスケスが用いたというプァーリッシ・グレーの胡麻…… 戸部うなり声を立てる。 沢本  だから貴様は若様だなんて軽蔑されるんだ。そんなだらしのない空想が俺たちの芸術に取ってなんの足しになると思ってるんだ。俺たちは真実の世界に立脚して、根強い作品を創り出さなければならないんだ。だから……俺は残念ながら腹がからっぽで、頭まで少し変になったようだ。 とも子 生蕃さんはふだんあんまり大食いをするから、こんな時に困るんだわ。……それにしてもどうしてここにいる人たちの画はこんなに売れないんでしょうねえ。 沢本  わかり切っているじゃないか。俺たちがりっぱなものを描くからだ……世の中の奴には俺たちの仕事がわからないんだ……ああ俺はもうだめだ。 瀬古  ともちゃん、そのおはぎの舌ざわりはいったいどんなだったい……僕には今日はおはぎがシスティン・マドンナの胸のように想像されるよ。ともちゃん、おまえのその帯の間に、マドンナの胸の肉を少しばかり買う金がありゃしないか。 とも子 なかったわ。私ずいぶん長い間なんにももらわないんですもの。 瀬古  許しておくれ、ともちゃん、僕たちはおまえんちの貧乏もよく知ってるんだが…… 沢本  悪い悪い。そんなに長くなんにも君にやらなかったかい。俺たちは全く悪いや。待てよ、と。ない。ないはずだ。今ごろやる物があるくらいなら遠の昔にやっているんだ。 戸部  お母さん怒らないか。 とも子 偶にいやな顔はしてよ。 戸部  じゃ君は、もうここには寄りつかなくなるね。(うなる) とも子 そんなこと……よけいなお世話よ。私のしたいようにするんだから。 沢本  瀬古の若様がひかえている間は大丈夫だが…… とも子 人聞きの悪い……よしてください。 戸部うなる。 瀬古  ともちゃん、頼むから毎日来ておくれ。頼むよ。僕たちは一人残らずおまえを崇拝しているんだ。おまえが帰ると、この画室の中は荒野同様だ。僕たちは寄ってたかっておまえを讃美して夜を更かすんだよ。もっともこのごろは、あまり夜更かしをすると、なおのこと腹がすくんで、少し控え気味にはしているがね。 とも子 なんて讃美するの。ともの奴はおかめっ面のあばずれだって。 瀬古  だが収入がなくっちゃおまえんちも暮らせないね。 とも子 知れたこってすわ、馬鹿馬鹿しい。 沢本  じゃやはりドモ又がいったように、君はどこかに岸をかえるんだな。 とも子 さあねえ。そうするよりしかたがないわね。私はいったい画伯とか先生とかのくっ付いた画かきが大きらいなんだけれども、……いやよ、ほんとうにあいつらは……なんていうと、お高くとまる癖にひとの体にさわってみたがったりして……けれどもお金にはなるわね。あなたがたみたいに食べるものもなくなっちゃ私は半日だってやり切れないわ。大の男が五人も寄ってる癖に全くあなたがたは甲斐性なしだわ。 戸部  畜生……出て行け、今出て行け。 とも子 だからよけいなお世話だってさっきも言ったじゃないの。いやな戸部さん。 (悔しそうに涙をためる) 戸部うなる。 言われなくたって、出たけりゃ勝手に出ますわ、あなたのお内儀さんじゃあるまいし。 戸部  俺たちの仕事が認められないからって、裏切りをするような奴は……出て行け。 瀬古  腹がすくと人は怒りっぽくなる。戸部の気むずかしやの腹がすいたんだから、いわばペガサスに悪魔が飛び乗ったようなもんだよ。おまえ、気を悪くしちゃいけないよ。 とも子 だって戸部さんみたいなわからず屋ってないんだもの。画なんてちっとも売れない画かきばかりの、こんな穢い小屋に、私もう半年の余も通っていてよ。よほどありがたく思っていいわけだわ。それを人の気も知らないで…… 戸部  貴様は(瀬古を指さして)こいつの顔が見たいばかりで…… とも子 焼餅やき。 戸部  馬鹿。(うなる) 沢本  ああ俺はもうだめだ。死ぬくらいなら俺は画をかきながら死ぬ。画筆を握ったままぶっ倒れるんだ。おい、ともちゃん、悪態をついてるひまにモデル台に乗ってくれ。……それにしても花田や青島の奴、どうしたんだ。 瀬古  全くおそいね。計略を敵に見すかされてむざむざと討ち死にしたかな。いったい計略計略って花田の奴はなにをする気なんだろう。 沢本  おい、ともちゃん……乗るんだ。君は俺たちのモデルじゃないか。若様も描けよ。 瀬古  うん描こう。いったい計画計画って……おい生蕃、ガランスをくれ。 沢本  その色こそは余が汝に求めんとしつつあったものなのだ。貴様のところにもないんか。 とも子 ドモ又さんもお描きなさいな。人ってものはうなってばかりいたってお金にはならないわ、自動車じゃあるまいし。 沢本  ドモ又ガランスを出せ。 戸部  (自分の画箱のほうに這いずって行って中を捜しながら)ない。 瀬古  ペガサスの腰ぬけはないぜ。おまえも起き上がって描けよ。花田の画箱はどうだ。(隣の部屋から画箱を持ち出して捜しながら歌う) 「一本ガランスをつくせよ 空もガランスに塗れ 木もガランスに描け 草もガランスに描け 天皇もガランスにて描き奉れ 神をもガランスにて描き奉れ ためらうな、恥じるな まっすぐにゆけ 汝の貧乏を 一本のガランスにて塗りかくせ」 村山槐多も貧乏して死んだんだ。あああ、あいつの画箱にもガランスはなかったろうな。描き奉ってしまったんだから。 「天にまします我らの神よ」途中はぬかします。「我らに日用の糧を今日も」じゃない「今日こそは与えたまえ」。ついでに我らにガランスを与えたまえ。あとは腹がへっているからぬかします。「アーメン」。ええと我らにガランスを与えたまえ。ガランスを与えたまえ。我らに日用の糧を与えたまえ。(銀紙に包んだものを探り出す)我らに(銀紙を開きながら喜色を帯ぶ)日用……糧を……我らに日用の糧を……(急におどり上がって手に持った紙包みをふりまわす)……ブラボーブラボーブラビッシモ……おお太陽は昇った。 一同思わず瀬古の周囲に走りよる。 沢本  食えそうなものが出てきたんか。 戸部  ガランスか。 瀬古  沢本、おまえはさもしい男だなあ、なんぼ生蕃と諢名されているからって、美術家ともあろうものが「食えそうなもの」とはなんだね。 沢本  食えそうなものが出てきたんかといっただけで、なんでさもしい。ああ俺はもうだめだ。食えそうなものなんて言ったらだめになった……畜生、俺は画を描く。ガランスがなけりゃ血で描くんだ。 画架のほうに行きかける。 瀬古  いい覚悟だ。そこでともちゃん、これをなんだと思う。これはもったいなくもチョコレットの食い残りなんだ。 沢本と戸部と勢い込んで瀬古に逼る。 戸部  俺によこせ。 瀬古  これはガランスじゃないよ。 戸部  ガランスかって聞いたのは、ガランスだと困ると思ってそう聞いたんだ。俺はガランスくらいほしくはない。それは俺のだ。俺によこせ。 沢本  ガランスがなけりゃ、俺だって食えそうなものを辞退するわけじゃないぞ。ドモ又いいかげんをいうな。これは俺んだ。 瀬古  そうがつがつするなよ。待て待て。今僕が公平な分配をしてやるから。(パレットナイフでチョコレットに筋をつける)これで公平だろう。 沢本  四つに分けてどうするんだ。 瀬古  (沢本と戸部にチョコレットを食いかかせながら)最後の一片はもちろん僕たちの守護女神ともちゃんに献げるのさ。僕はなんという幻滅の悲哀を味わわねばならないんだ。このチョコレットの代わりにガランスが出てきてみろ、君たちはこれほど眼の色を変えて熱狂しはしなかろう。ミューズの女神も一片のチョコレットの前には、醜い老いぼれ婆にすぎないんだ。(こんどは自分が食いかく)ミューズを老いぼれ婆にしくさったチョコレットめ、芸術家が今復讐するから覚悟しろ。(ぼりぼりとうまそうに食う。とも子のほうに向け最後の一片をさし出しながら)ともちゃん、さあ。 とも子 まあいやだ、誰がひとの食べかいたものなんか食べるもんですか。 瀬古  (驚いたようすをしながら)え、食べない。これを。食べないとはおまえ偉いねえ。おまえの趣味がそれほどノーブルに洗練されているとは思わなかった。全くおまえは見上げたもんだねえ。おまえは全くいい意味で貴族的だねえ。レデイのようだね。それじゃ僕が…… 沢本と戸部とが襲いかかる前に瀬古逸早くそれを口に入れる。 瀬古  来た来た花田たちが来たようだ。早く口を拭え。 花田と青島登場。 花田  (指をぽきんぽきん鳴らす癖がある)おまえたちは始終俺のことを俗物だ俗物だといっていやがったな。若様どうだ。 瀬古  僕は汚されたミューズの女神のために今命がけの復讐をしているところだ。待ってくれ。(口をもがもがさせながら物を言う) 花田  貴様、俺のチョコレットを食ってるな。この画室にはそのほかに食うものはないはずだ。俺はそれを昨日画箱の中にちゃんとしまっておいたんだ。 沢本  隠し食いをしておきながら……貴様はチョコレットで画が描けるとでも思ってるんか。神聖なる画箱にチョコレットを……だから貴様は俗物だよ。 花田  なんとでもいえ。しかし俺がいなかったら、おまえたちは飢え死にをするよりしかたないところだったんだ。 沢本  まあいいから、貴様の計画というものの報告を早くしろ。 花田  そうだ。ぐずぐずしちゃいられない。おい青島、堂脇は九頭竜の奴といっしょに来るといってたか。 青島  そんなことをいってたようだ。なにしろ堂脇のお嬢さんていうのには、俺は全く憧憬してしまった。その姿にみとれていたもんで、おやじの言葉なんか、半分がた聞き漏らしちゃった。 沢本  馬鹿。 青島  あの娘なら芸術がほんとうにわかるに違いない。芸術家の妻になるために生まれてきたような処女だ。あの大俗物の堂脇があんな天女を生むんだから皮肉だよ。そうしてかの女は、芸術に対する心からの憧憬を踏みにじられて、ついには大金持ちの馬鹿息子のところにでも片づけられてしまうんだ……あんな人をモデルにつかって一度でも画が描いて見たいなあ。 瀬古  そんなか。 青島  そんなだとも。 とも子 今日はもう私、用がないようだから帰りますわ。 戸部  俺に用があるよ。くだらないことばかりいってやがる。俺が描くから…… とも子 またうなりを立てて、床の上にへたばるんじゃなくって。 戸部  いいから……こいつら、うっちゃっておけ。 戸部ひとりだけ、とも子をモデルにして描きはじめる。その間に次の会話が行なわれる。 花田  全くともちゃんに帰られちゃ困るよ。青島、貴様よけいなことをいうからいかんよ。……とにかくみんな気を落ちつけて俺の報告を聞け。ドモ又もともちゃんも、そこで聞いてるんだぜ……待てよ。(時計を出して見ようとして、なくなっているのを発見)時計もセブンか。セブンどころじゃないイレブンくらいだろう。もういそがないと間に合わない。今朝俺は青島と手分けをして、青島は堂脇んちの庭に行き、俺は九頭竜の店に行った。とてもたまらない奴だ。はじめの間は、なかなか取りつく島もなかったが、とうとう利をもっておびき出してやった。名は今ちょっといえないが私どもの仲間に一人、ずぬけてえらい天才がいる。油でもコンテでも全然抜群で美校の校長も、黒馬会の白島先生も藤田先生も、およそ先生と名のつく先生は、彼の作品を見たものは一人残らず、ただ驚嘆するばかりで、ぜひ展覧会に出品したらというんだが、奴、つむじ曲がりで、うんといわないばかりか、てんで今の大家なんか眼中になく、貧乏しながらも、黙ってこつこつと画ばかり描いていた。だから世間では、俺たちの仲間のほかに、奴のことを知ってるものは一人だっていやあしない。 沢本  うん全くそれはそのとおりだ。 花田  ところがその男が貧に逼り、飢えに疲れてとうとう昨日死んでしまった。 沢本  馬鹿をいうない。俺はとにかくまだ生きてるぞ。 花田  誰が死んだのはおまえだってそういったい……ところで俺たちは実に悲嘆に暮れてしまった。いったい俺たちが、五人そろって貧乏のどんづまりに引きさがりながらも、鼻歌まじりで勇んで暮らしているのは、誰にもあずけておけない仕事があるからだ。その仕事をし遂げるまでは、たとい死に神が手をついて迎えに来ても、死に神のほうをたたき殺すくらいな勢いでやっているんだ。その中でもがんばり方といい、力量といい一段も二段も立ちまさっていたのは奴だった。東京のすみっこから世界の美術をひっくり返すような仕事が出るのを俺たちは彼において期待していた。だのに、あまりにすぐれたものは神もねたむのだろう。奴は倒れてしまった。奴は火だった。焔だった。奴の燃えることは奴の滅びることだったんだ。 戸部  貴様そういったか。 花田  うむ。 戸部  よくいった。 花田  俺はまだこうもいった。奴には一人の弟があって、その弟の細君というのが、心と姿との美しい女だった。そうしてその女が毎日俺たちの画室に来てモデルになってくれた。俺たちのような、物質的には無能力に近いグループのために尽くしてくれるその女の志は美しいものだった。奴はひそかにその弟の細君に恋をしていた。けれども定められた運命だからどうすることもできない。奴は苦しんだ。そしてその苦しみと無限の淋しみとを、幾枚もの画に描き上げた。風景や静物にもすばらしいのはあるが、その女の肖像画にいたっては神品だというよりほかに言葉がない。 瀬古  おいおいそれは誰の事だい。ともちゃん、おまえ覚えがある。 花田  まあ、あとでわかるから黙って聞け。……ところで、奴が死んでみると、俺たち彼の仲間は、奴の作品を最も正しい方法で後世に遺す義務を感ずるのだ。ところで、俺は九頭竜にいった。いやしくもおまえさんが押しも押されもしない書画屋さんである以上、書画屋という商売にふさわしい見識を見せるのが、おまえさんの誉れにもなるし沽券にもなる。ひとつおまえさんあれを一手に引き受けて遺作展覧会をやる気はありませんか。そうしたら、九頭竜の野郎、それは耳よりなお話ですから、私もひとつ損得を捨てて乗らないものでもありませんが、それほど先生がたがおほめになるもんなら、展覧会の案内書に先生がたから一言ずつでもお言葉を頂戴することにしたらどんなものでしょうといやがった。 瀬古  僕はいやだよ、そんなのは。僕らの芸術に先生がたの裏書きをしてもらうくらいなら、僕は野末でのたれ死にをしてみせる。 とも子 えらいわ若様。 瀬古  ひやかすなよ。 花田  全くだ。第一僕たちのような頸骨の固い謀叛人に対して、大家先生たちが裏書きどころか、俺たちと先生がたとなんのかかわりあらんやだ。……ところで俺はいった。そんなら、こちらでお断わりするほかはない。奴の画はそんなけちな画ではない。大手をふって一人で通ってゆく画だ。そういうものを発見するのが書画屋の見識というものではないか。そういう見識から儲けが生まれてこなければ、大きな儲けは生まれはしない。 沢本  俗物の本音を出したな。 花田  俺がそんなことでもして大きな儲けをしたら俗物とでもなんとでもいうがいい。融通のきかないのをいいことにして仙人ぶってるおまえたちとは少し違うんだから。……ところで九頭竜が大部頭を縦にかしげ始めた。まあ来てごらんなさいといったら、それではすぐ上がりますといった。……ところで、これからがほんとうの計略になるんだが、……おいみんな厳粛な気持ちで俺のいうことを聞け。おまえたちのうち誰でも、この場に死んだとして、今まで描いたものを後世に遺して恥じないだけの自信があるか、どうだ。生蕃どうだ。 沢本  なくってどうする。 花田  よし。瀬古はどうだ。 瀬古  僕は恥じる恥じないで画を描いてるんじゃないよ。僕は描きたいから描くんだ。 花田  わかった。じゃその気持ちは純粋だな。 瀬古  いまさらそんなことを……水くさい男だなあ。 花田  ドモ又はどうだ。 戸部  できたものはみんないやだ。けれども人のに比べれば、俺のほうがいいと俺は思っている。俺はそれを知っている。 花田  青島の心持ちはもう聞いた。青島も俺も、自分の仕事を後世に残して恥ずかしいとは思わない。俺たちはみんないわば子供だ。けれども子供がいつでも大人の家来じゃないからな。 一同  そうだとも。 花田  じゃいいか。俺たち五人のうち一人はこの場合死ななけりゃならないんだ。あとの四人が画を描きつづけて行く費用を造り出すための犠牲となって俺たちのグループから消え去らなければならないんだ。 瀬古  おいおい花田、おまえ気でも違ったのか。僕たちは芸術家だよ。殉教者じゃないよ。 花田  芸術のために殉死するのさ。そのくらいの意気があってもいいだろう。その代わり死んだ奴の画は九頭竜の手で後世まで残るんだ。 沢本  なんという智慧のない計略を貴様は考え出したもんだ。そんなことを考え出した奴は、自分が先に死ぬがいいんだ。 花田  俺が死んでいいかい。……そうだもう一ついうことを忘れていたが、死ぬ番にあたった奴は、その褒美としてともちゃんを奥さんにすることができるんだ。このだいじな条件をいうのを忘れていた。おいともちゃん……ドモ又、もう描くのをやめろよ……ともちゃん、おまえ頼むから俺たち五人の中の誰でもいい、おまえの気に入った人とほんとうに結婚してくれないか。 とも子 なんですねえ途轍もない。 花田  俺たち五人の中に一人、おまえの旦那にしてもいいと思うのがいるっておまえいつかのろけていたじゃないか。 とも子  そりゃ……そりゃいないこともないことよ。 花田  待てよ。「いないこともないことよ」というのは結局、いるということだね。 とも子 知らないわ。 花田  女が「知らないわ」といったら、もうしめたもんだ。おまえが一人選んだら、俺たちあとに残された四人は、きれいに未練を捨てて、二人がいっしょになれるように、極力奔走する。成功させるためにきっと尽力する。だからおまえ、本気になってこの五人の中から選ぶんだ。そこに行くと俺たちボヘミヤンは自由なものだ。ともちゃんだって、俺たちの仲間になってくれてる以上はボヘミヤンだ。ねえ。そうだろう。かまわないから選びたまえ。俺たちはたとい選にもれても、ストイックのように忍ぶから……心配せずに。俺たちのほうにはともちゃんを細君に持つのに反対する奴は一人もいまい。どうだみんないいか。よければ「よし」といえ。 一同  よし。 とも子 選んだらどうするの。 花田  そいつが残る四人のために死ななければならないんだ。 とも子 冗談もいいかげんにするものよ、人を馬鹿にして。(涙ぐむ) 花田  なあに、冗談じゃない。わけはない、ころっと死にさえすればいいんだよ。 戸部  花田、貴様は残酷な奴だ。……ともちゃんをすぐ寡婦にする……そんな……貴様。 花田  (初めて思いついたようにたまらないほど笑う)なんだ貴様たちはともちゃんのハズがほんとうに…… 瀬古  死ななけりゃならないんだろう。 花田  死ぬことになるんださ。 瀬古  同じじゃないか。 花田  同じじゃないさ。 青島  花田のいい方が悪いんだよ。死ぬことになるんじゃない、つまり死んだことにするんだよ。わかったろう。つまり死ぬんじゃない、死んでしまうこと……でもないかな。 花田  つまり、こうだ、いいか。頭を冷静にしてよく聞け。いいか。ともちゃんに選ばれた奴は実はその選ばれた奴の弟なんだ。いいか。そしてともちゃんとその弟とは前から夫婦なんだ。ともちゃんは、俺たちに理解と同情とを持っていて、モデルも傭えないほど貧乏な俺たちのためにモデルになってくれたのだ。いいか。ところでともちゃんのハズの兄貴にあたるのが、ほんとうは俺たち五人の仲間の一人で、それがともちゃんに恋をして、貧乏と恋とのために業半ばにして死ぬことになるんだ。こんどはわかったろう。……まだわからないのか……済度しがたい奴だなあ。じゃ青島、実物でやって見せるよりしかたがない、あれを持ち込もう。 花田と青島、黒布に被われたる寝棺をかつぎこむ。 とも子 いや……縁起の悪い…… 沢本  全く貴様はどうかしやしないか。 花田  さあ、ともちゃん、俺たちの中から一人選んでくれ。俺が引き受けた、おまえの旦那は決して死なしはしないから。 とも子 だってそんな寝棺を持ち込む以上は…… 花田  死骸になってここにはいる奴はこれだ。(といいながら、壁にかけられた石膏面を指さす)こいつに絵の具を塗っておまえの選んだ男の代わりに入れればいいんだよ。たとえば俺がおまえに選ばれたとするね。ほんとうにそうありたいことだが。すると俺は俺の弟となっておまえと夫婦になるんだ。そうしてこいつ(石膏面)が俺の身代わりになってこの棺の中にはいるんだ。 とも子 ははあ……少しわかってきてよ。 花田  わかったかい。天才画家の花田は死んでしまうんだ。ほんとうにもうこの世の中にはいなくなってしまうんだ。その代わり花田の弟というのがひょっこりできあがるんだ。それが俺さ。そうしておまえのハズさ。 とも子 ははあ……だいぶわかってきてよ。 花田  な。そこに大俗物の九頭竜と、頭の悪い美術好きの成金堂脇左門とが、娘でも連れてはいってくる。花田の弟になり切った俺がおまえといっしょにここにいて愁歎場を見せるという仕組みなんだ。どうだ仙人どももわかったか。花田の弟になる俺は生きて行くが、花田の兄貴なるほんとうの花田は死んだことにするんだ。じゃない死ぬことになるんだ。現在死なねばならないんだ。それだから俺は始めから死ぬんだ死ぬんだといって聞かせているのに、貴様たちはまるで木偶の坊見たいだからなあ。……ところで俺の弟は、兄貴の志をついで天才画家になるとしても、とにかく俺が死なねばならぬというのは悲壮な事実だよ。死にさえすれば、ことに若死にさえすればたいていの奴は天才になるに決まっているんだ。(石膏面をながめながら)死はいかなる場合においても、おごそかな悲しいもんだ。だからかかる犠牲を払うからには、俺がともちゃんのハズとして選ばれるくらいのことが必要になるんだ。 とも子 なにもあなたなんかまだ選びはしないことよ。 花田  そうつけつけやり込めるもんじゃないよ、女ってものは。 沢本  俺はもうだめだ。俺はある女を恋していた。そうして飢えが逼ってきた。ああ俺は死んだほうがいい。俺は天才画家として画筆を握ったまま死にたいよ。 とも子 花田さん、私、死ぬ人を旦那さんにするんじゃないのね。私の旦那さんが死ぬことになるんでしょう。 沢本  そうつけつけやり込めるものじゃないよ、女ってものは。 花田  みんな俺の計略がわかったな。俺たちは今俺たちの共同の敵なるフィリスティンと戦わねばならぬ時が来た。青島、おまえと堂脇との遭遇戦についても簡単に報告しろよ。 青島  僕はかまわず堂脇の家の広い庭にはいりこんで画を描いていてやった。そうしたら堂脇がお嬢さんを連れて散歩にやってきた。堂脇はこんなふうに歩いて、お嬢さんはこんなふうに歩いてそうして俺の脇に突っ立って画を描くのをじっと見ていたっけが、庭にはいりこんだのを怒ると思いのほか、ふんと感心したような鼻息を漏らした。お嬢さんまでが「まあきれいだこと」と御意遊ばした。僕はしめたと思って、物をいい出すつぎ穂に苦心したが、あんな海千山千の動物には俺の言葉はとてもわからないと思って黙っていた。全くあんな怪物の前に行くと薄気味の悪いもんだね。そうしたら堂脇が案外やさしい声で、「失礼ながらどちらでご勉強です、たいそうおみごとだが」と切り出した。僕は花田に教えられたとおり、自分の画なんかなんでもないが、昨日死んだ仲間の画は実に大したものだ、もしそれが世間に出たら、一世を驚かすだろうと、一生懸命になって吹聴したんだ。いかもの食いの名人だけあって堂脇の奴すぐ乗り気になった。僕は九頭竜の主人が来て見ることになっているから、なんなら連れ立っておいでなさいといって飛び出してきた。なにしろお嬢さんがちかちか動物電気を送るんで、僕はとても長くいたたまれなかった。どうして最も美を憧憬する僕たちの世界には、ナチュール・モルトのほかに美がとりつかないんだろうかなあ。 瀬古  どうかしてそのお嬢さんを描こうじゃないか。 青島  あの人がモデルになってくれれば僕はモナリザ以上のものを描いてみせるよ、きっと。 瀬古  僕はワットーの精神でそのデカダンの美を見きわめてやる。 青島  見もしないでなにをいうんだい。 瀬古  君は芸術家の想像力を…… 花田  報告終わり。事務第一。さ、みんな覚悟はいいか。ともちゃん、さあ選んでくれ。 とも子 私……恥ずかしいわ。 瀬古  おまえの無邪気さでやっちまいたまえ。なに、ひと言、誰っていってしまえば、それだけのことだよ。 とも子 じゃ一生懸命で勇気を出して……けど、私がこれっていった人は、いやだなんていわないでちょうだいね。でないと、私ほんとうに自殺してよ。 花田  誓いを立てたんだからみんな大丈夫だ。 瀬古は自信をもって歩きまわる。花田は重いものをたびたび落として自分のほうに注意を促す。沢本は苦痛の表情を強めて同情をひく。青島はとも子の前にすわってじっとその顔を見ようとする。戸部は画箱の掃除をはじめる。 とも子 (人々から顔をそむけ)では始めてよ。……花田さん、あなたは才覚があって画がお上手だから、いまにりっぱな画の会を作って、その会長さんにでもおなりなさるわ。お嫁にしてもらいたいって、学問のできる美しい方が掃いて捨てるほど集まってきてよきっと。沢本さんは男らしい、正直な生蕃さんね。あなたとはずいぶん口喧嘩をしましたが、奥さんができたらずいぶんかわいがるでしょうね、そうしてお子さんもたくさんできるわ。そうして物干し竿におしめがにぎやかに並びますわ。青島さんは花田さんといっしょに会をやって、きっと偉くなるわ。いまにみんながあなたの画を認めて大騒ぎする時が来てよ。そうして堂脇さんとやらが、美しいお嬢さんをもらってくださいって、先方から頭をさげてくるかもしれないわ。けれどもあんまり浮気をしちゃいけなくってよ。瀬古さん……あなた若様ね。きさくで親切で、顔つきだっていちばん上品できれいだし、お友達にはうってつけな方ね。でもあなた、きっと日本なんかいやだって外国にでも行っちまうんでしょう。おだいじにお暮らしなさい。戸部さんは吃りで、癇癪持ちで、気むずかしやね。いつまでたってもあなたの画は売れそうもないことね。けれどもあなたは強がりなくせに変に淋しい方ね。…… 戸部  畜生…… とも子 悪口になったら、許してちょうだい。でも私は心から皆さんにお礼しますわ。私みたいながらがらした物のわからない人間を、皆さんでかわいがってくださったんですもの。お金にはちっともならなかったけれども、私、どこに行くよりも、ここに来るのがいちばんうれしかったの。ともどもに苦労しながら銘々がいちばん偉いつもりで、仲よく勉強しているのを見ていると、なんだか知らないが、私時々涙がこぼれっちまいましたわ。……でも私、自分の旦那さんを決めなければならないんだわ。いやになるねえ。私がいい人を選んでも、どうか怒らないでちょうだいよ。私、これでも身のほどをわきまえて選ぶつもりですから……(急に戸部の前にかけ寄り、ぴったりそこにすわり頭を下げる)戸部さん、私あなたのお内儀さんになります。怒らないでちょうだいよ。私あなたのことを思うと、変に悲しくなって、泣いちまうんですもの…… 戸部  君……冗談をいうない、冗談を…… 花田  ともちゃん、でかしたぞ。全くおまえに似合わしい選び方だ。だがドモ又におはちが廻ろうとは俺も実は今の今まで思わなかったよ。ともちゃんが戸部一人のものになって、明日から来なくなると思うと、急に俺たちの上には秋が来たようだなあ……しかしもう何もいうな。勇ましく運命に黙従するほかはない。そうして戸部とともちゃんとの未来を祝福しようじゃないか。 戸部  俺はともちゃんをなぐったことがある。 とも子 ええ、たしか二度なぐられてよ。 戸部  それでも、俺のところに来る気か。 とも子 行きます。その代わり、こんどこそはなぐられてばかりいないわ。 瀬古  夫婦喧嘩の仲裁なら僕がしてやるよ。 戸部  よけいな世話だ。 とも子 (同時)よけいなお世話よ。 青島  気が強くなったなあ。 花田  それどころじゃない。もうおっつけ九頭竜らがやってくる。おい若夫婦、おまえたちは今日は花形だから忙しいぞ。ともちゃん……じゃない、奥さんは庭にお出でなすって、お兄さんの棺を飾る花をお集めくださいませんか。ドモ又、おまえが描いたという画はなんでもかんでも持ち出してサインをしろ。そうして青島、おまえひとつこの石膏面に絵の具を塗ってドモ又の死に顔らしくしてくれ。それから沢本と瀬古とは部屋を片づけて……ただし画室らしく片づけろよ。芸術家の尊厳を失うほどきちんと片づけちゃだめだよ。美的にそこいらを散らかすのを忘れちゃいかんぜ。そこで俺はと……俺はドモ又をドモ又の弟に仕立て上げる役目にまわるから……おまえの画はたいてい隣の部屋にあるんだろう。これはおまえんだ。これもこれもみんな持って行こう。 とも子は庭に、戸部と花田別室にはいり去る。 青島  こんなアポロの面にいくら絵の具をなすりつけたって、ドモ又の顔にはなりゃしないや。も少し獅子鼻ででこぼこのある……まあこれだな、ベトーヴェンで間に合わせるんだな。 青島、塗りはじめる。 沢本  ああ俺はもうだめだ。興奮が過ぎ去ったら急にまた腹がへってきた。いったい花田の奴よけいなことをしやがる奴だ。あの可憐な自然児ともちゃんも、人妻なんていう人間じみたものに……ああ、俺はもうだめだ。若様、貴様勝手に掃除しろ。 瀬古  僕もすっかり悲観したよ。もとはっていえば青島が悪いんだ。堂脇のお嬢さんのモデル事件さえなければ、運命はもっと正しい道筋を歩いていたんだ。 青島  僕が悪いんじゃない、堂脇のお嬢さんが存在していたのが悪いんだ。お嬢さんの存在が悪いんじゃない、その存在を可能ならしめた堂脇のじじいの存在していたのが悪いんだ。つまり堂脇のじじいが僕たちの運命をすっかり狂わしてしまったんだよ……どうだ少しドモ又に似てきたか……他人の運命を狂わした罪科に対して、堂脇は存分に罰せらるべきだよ。 沢本  そうだとも。なにしろあいつの金力が美の標準をめちゃくちゃにするために使われていたんだ。そのために俺たちは三度のものも食えないほどに飢えてしまうんだ。ドモ又が死んで色づけのベトーヴェンになる結果に陥ったんだ。ドモ又の命が買いもどせるくらいの罰金を出させなけりゃ、俺たちの腹の虫は納まらないや。 瀬古  そうしてそれが結局堂脇や九頭竜を教育することになるんだからなあ。いくら高く買わせたってドモ又の画は高くはないよ。こんどあいつらは生まれてはじめて画というものを拝むんだ。うんと高く売りつけてやるんだなあ。 沢本  そうすると、俺たちはうんと飯を食って底力を養うことができるぞ。 青島  そうだ。 沢本  ああ早く我らの共同の敵なるフィリスティンどもが来るといいなあ。おい若様、少し働こう。 二人であらかた画室を片づける。花田と戸部とがはいってくる。戸部は頭を虎斑に刈りこまれて髭をそり落とされている。 花田  諸君、ドモ又の戸部が死んだについて、その令弟が急を聞いて尋ねてこられたんだ。諸君に紹介します。 一同笑いながら頭を下げる。 戸部  俺……じゃない、俺の兄貴の死に顔をちょっと見せてくれ。 青島  どうだこれで。(石膏面を見せる) 戸部  俺の兄貴は醜男だったなあ。 花田  醜男はいいが髭が生えていないじゃないか。近所の人が悔みに来るとまずいから、そり落して髭を植えてやろう。それから体のほうも造らなきゃ……この棺を隣に持っていって……おいドモ又の弟、おまえそこで残ったのにサインをしろ。 戸部を残し一同退場。戸部しきりとサインをしている。とも子花を持ちて入場。 とも子 (戸部とは気がつかず次の部屋に行こうとする)あの、ごめんくださいまし…… 戸部  ともちゃん……俺だ……俺だ…… とも子 あら……あなた戸部さんじゃなくって。 戸部  俺は君のハズで……戸部の弟だよ。 とも子 あらそうだわ。まあそれに違いないわ。戸部さんの弟って、戸部さんよりは若い方ねえ。 戸部 ともちゃん……俺は君に遇った時から……君が好きだった。けれども俺は、女なんかに縁はないと思って……あきらめていたんだが…… とも子 ごめんなさいよ。私、はじめてここに来た時、あなたなんて、黙りこくって醜男な人、いるんだかいないんだかわからなかったんですけど、だんだん、だんだあん好きになってきてしまいましたわ。花田さんが私の旦那さんに誰でも選んでいいっていった時は、ほんとうはずいぶんうれしかったけれど、あなたはきっと私がきらいなんだと思ってずいぶん心配したわ。 戸部  なにしろ俺は幸福だ……俺は自分の芸術のほかには、もうなんにも望みはないよ。……俺はもう君をなぐらないよ。 とも子 (うれしさに涙ぐみつつ)なぐってもいいことよ。いいから私をかわいがってくださいね。私も一生懸命であなたをかわいがりますわ。あなたは宝の珠のように、かわいがればかわいがるほど光が出てくる人だってことを、私ちゃんと知っててよ。あなたは泥だらけな宝の珠だわ。 戸部  俺は口がきけないから……思ったことがいえない…… とも子の手を取って引き寄せようとする。沢本、突然戸をあけて登場。 沢本  おうい、ドモ又……と、あの、貴様のその上衣をよこせ、貴様の兄貴に着せるんだから。その代わりこれを着ろ……ともちゃん花が取れたかい。それか。それをおくれ、棺を飾るんだから…… 沢本退場。……戸部ととも子寄り添わんとす。別室にて哄笑の声二人くやしそうに離れたところにすわる。 とも子 今夜帰ったら、私すぐお母さんにそういって、いやでも応でも承知させますわ。で、こんどのあなたの名まえは…… 戸部  俺はなんという名まえにするかな…… とも子 いいわ、私の名を上げるから、戸部友又じゃいけない……それじゃおかしいわね。あのね……あなたまた画かきになるんでしょう…… とも子近づこうとする。瀬古登場。 瀬古  ちょっとちょっと。ここにおまえの画がまだ残っていたから…… 戸部  うるさい奴だなあ…… 瀬古退場。別室にて哄笑の声、やがて一同飾りを終わって棺をかついで登場。 花田  早く早く……もうやってくるぞ。棺のこっちにこの椅子をおいて……これをここに、おい青島……それをそっちにやってくれ……おいみんな手伝えな……一時間の後には俺たちはしこたまご馳走が食える身分になるんだ。生蕃、そんな及び腰をするなよ。みっともない。……これでだいたいいい……さあみんな舞台よきところにすわれ。若夫婦はその椅子だ。なにしろ俺たちは、一人のだいじな友人を犠牲に供して飯を食わねばならぬ悲境にあるんだ。ドモ又は俺たち五人の仲間から消えてなくなるのだ。ドモ又の弟はその細君のともちゃんと旅の空に出かけることになるだろう。俺たちのように良心をもって真剣に働く人間がこんな大きな損失を忍ばねばならぬというのは世にも悲惨なことだ。しかし俺たちは自分の愛護する芸術のために最後まで戦わねばならない。俺たちの主張を成就するためには手段を選んではいられなくなったんだ。俺たちはこの棺の中に死んで横たわるドモ又の霊にかけて誓いを立てよう。俺たちはこの友人の死に値いするだけのりっぱな芸術を生み出すことを誓う。 一同  誓う。 花田  俺たちは力を協せて、九頭竜という悪ブローカーおよび堂脇という似而非美術保護者の金嚢から能うかぎりの罰金を支払わせることを誓う。 一同  誓う。 花田  そのためには日ごろの馬鹿正直をなげうって、巧みに権謀術数を用うることを誓う。 一同  誓う。 花田  ただし尻尾を出しそうな奴は黙って引っ込んでいるほうがいいぜ。それでは俺たち四人は戸部とともちゃんとに最後の告別をしようじゃないか。……戸部、おまえのこれまでの芸術は、若くして死んだ天才戸部の芸術として世に残るだろう。しかしそこでおまえの生活が中断するのを俺たちはすまなく思う。しかしその償いにともちゃんを得た以上、不平をいわないでくれ。な、そうしておまえは新たに戸部の弟として新生面を開いてくれ。俺たちはそれを待っているから。じゃさよなら。 一同かわるがわる握手する。 花田  ともちゃん、おまえは俺たちの力だった、慰めだった、お母さんだった、かわいい娘だった。おまえと別れるのは俺たち全くつらいや。だからおまえの額に一度だけみんなで接吻するのを許しておくれ。なあ戸部いいだろう。 戸部  よし、一度限り許してやる。 花田  ともちゃんさよなら。(額に接吻する) とも子 さよなら花田さん。 沢本  俺はまあやめとく。握手だけしとく。 とも子 さよなら生蕃さん。 青島  さよなら。(額に接吻する) とも子 おだいじに浮気屋さん。 瀬古  唇をよくお見せ。あああ。(額に接吻する) とも子 さよならかわいい若様。 とも子さすがに感情せまって泣き出す。 花田  よし。それからドモ又の弟にいうが、不精をしていると、頭の毛と髭とが延びてきて、ドモ又にあともどりする恐れがあるから、今後決して不精髭を生やさないことにしてくれ。 とも子 そんなこと、私がさせときませんわ。 戸外にて戸をたたく音聞こゆ。 人の声 ええ、ごめんくださいまし、九頭竜でございますが、花田さんはおいででございましょうか。 他の人の声 私は堂脇ですが…… 花田  そら来やがった。……みんないいか大丈夫か……俺たちは非常な不幸に遇ったんだぞ。悲しみのどん底にいるんだぞ。この際笑いでもした奴は敵に内通した謀叛人としてみんなで制裁するからそう思え。九頭竜も堂脇も……今あけます、ちょっと待ってください……九頭竜も堂脇もたまらない俗物だが、政略上向かっ腹を立てて事をし損じないようにみんな誓え。 一同  誓う。 花田  泣ける奴は時々涙をこぼすようにしろ、いいか……じゃあけるぞ。 沢本  花田、ちょっと待て……(茶碗に二杯水を入れて戸部の所に持って行く)おいドモ又、貴様の涙をこの中に入れとくぞ。これはともちゃんのだ。尻の後ろにやっとけ。あわててこぼすな。 花田  しいっ。(観客のほうに向いて笑うのを制する)じゃあけるぞ。みんなしかめっ面をしてろ。 とも子はさっきからほんとうに泣いている。戸部、茶碗から水をすくって眼のふちに塗る。花田、戸をあけに行く。 ――幕――
底本:「ドモ又の死」角川書店    1954(昭和29)年1月30日初版発行    1968(昭和43)年12月30日16版発行    1969(昭和44)年8月30日改版初版発行 入力:青空文庫 校正:富田倫生 2012年6月16日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 小樽函館間の鉄道沿線の比羅夫駅の一つ手前に狩太といふのがある。それの東々北には蝦夷富士がありその裾を尻別の美河が流れてゐるが、その川に沿うた高台が私の狩太農場であります。この農場は、私の父が子供の可愛さから子供の内に世の中の廃りものが出来たときにその農場にゆけば食ひはぐれることはあるまいといふ考へからつくつたものであります。その当時この北海道の土地は財産を投じて経営する大規模の農場には五百町歩まで無償貸附し小規模の農場には五町歩を無償貸附したのでした。そしてその条件は其翌年の内に一部を開墾するといふので道庁から役人がきてそれを検べ一定の年限がたてばその土地をたゞで呉れるといふことになつてゐたのであります。それから地租はたしか十五年間は免ぜられてゐたと思ひます。私は札幌農学校を明治三十四年に卒業しましたが、三十二年からこの農場が私の父によつて経営されました。この農場の面積は四百五十町歩足らずなのであります。私は農学校を卒業する前年の夏にはじめてこの農場を訪れました。倶知安まで汽車で参つてそれから荷馬を用ひ随分と難儀していつたのでした。熊笹はこの天井位の高さにのびて見通しがきかないのみか樹木は天をくらくする位に繁つてゐました。そこに小さい掘立小屋をたてゝ開墾の事務所がありました。初めに入つた農民が八戸でありまして川に沿うたところに草で葺いた小屋をたてゝ開墾に従つたのでした。小作料なしで三年やり三年後から小作料がとれるとかうなつてゐました。その開墾の方法は秋にはいると熊笹に火を点けて焼き最初はそこに蕎麦を蒔く、それから二年目に麦を蒔き三年目からいくらかの収穫があるといふのでした。狩太の農場は三十二年からはじめて。三十七八年に至つて成墾いたし、こゝで私の父の所有になつたのであります。それ迄にどれ丈けの金がかゝつたかといふと凡そ二万であります。二万円ではやすく出来たのでありました。今この農場へ行つてみましても小作人の家屋はその最初と同じ掘立小屋なのであつて牛一頭も殖えてゐないのであります。私はこれを見て非常に変な感じに打たれたのでありますが、せめて家丈けでも板葺きの家が見られるやうになりたいといつても小作人は自分が経済が発展しやうがないので迷惑がるのであります。廿四五年たちました今は七十戸程に増してゐますがその内で障子をたてたりして幾分でも住居らしくなつた家は、小作をし乍ら小金をためて他の小作へ金を貸したりした人のもので、農業ばかりしてゐた小作人の家はいつまでたつても草葺の掘つ立小屋なのであります。この農場の小作人の出入は随分激しく最初からの人はなく始めて七年後に入つたのが一人あります。併し他と比べて私の農場は変らない方なのであります。何分にも農場は太古から斧鉞が入らない原始の豊饒な土地なもので麦などは実に見事に出来るのですがそれにいゝ気になつて、肥料を施さぬものですから廿五六年もたつて全くひどく枯れて了ふといふことが起つてゐます。それに五六年目毎にはげしい虫害を蒙つてその年は小作料をとりあげられる丈でも苦しいといふことがあるのであります。かうした不安の上に、国内経済から国際経済に移つた為でせうが、外国からの穀物の輸入されるやうになつて、その収穫の作物の価の高低がはげしく時にはそれに投じた資金をも回収できない位に作物の価が廉くなるのであります。それから今一つ、この小作人と市場との間にたつ仲買といふのがその土地の作物を抵当にして恐ろしい利子にかけて所謂米塩の資を貸すのであります。小作人はこれにそれを借りねばならないのでありますがそのため時としては収穫したものをそのまゝ持つていかれて仕舞ふことがあるのであります。この仲買といふのが中々跋扈してゐます。  私は明治廿七八年頃から小作人の生活をみてゐますが実に悲惨なものでありまして、そのため私の農場の附近は現在小作権といふものに殆ど値がないのであります。  さて私は明治三十六年から明治四十年まで亜米利加に留学しました。亜米利加にゐるときクロポトキンの著作などに親しんだことから物の所有といふことに疑問を抱かされたのでありましたが、帰朝するとすぐ英語の教師となつて札幌に赴任いたしました。  私は父の財産で少しの不自由もせずに修学してきたのですけれどほんとうのところそれで少しも圧迫されることが無かつたかといへばさうでもありませんでした。『一円の金でもそれは人力車夫が三日働かねば得られないものだ』と父に戒められたことを記憶してゐます。  人は財産があるがために親子の間の愛情は深められるといひますが私は全く反対だと思ふのです。本能としての愛で愛し合つてこそ其愛情が純粋さを保つのであつて経済関係が這入れば這入るほど鎖のやうなつながりに親子の間はなるのであるとかう信ぜられるのであります。私の家庭では毫も父によつて圧迫を感じさせられたことはなかつたのでしたが、私自身にとつて親子の間に私有財産が存在するといふことが常に一つの圧迫として私にはたらいてゐました。明治四十年頃に私はこの農場を投げだすことを言ひましたがそれは実行が困難でありそれに父に対して、たとひこのことが父のためにも恩恵を与へることになるとは知つてゐましたが、徒らに悲しませることになると思つたのでともかく父の生きてゐる間は黙つてゐることにしたのでした。  併し父も逝くなりそれに最近に至つてしなくてはならなくなつたから――つまり他人がどう思つてもいゝしたくてせずに居られなくなつたので愈かの農場を抛棄することになつたのであります。私が自分自身の為仕事を見出したといふこともこの抛棄の決心を固めさせてくれました。文学といふところに落着くことが出来た、それでその自分の為仕事を妨げようとするものはすべてかいやりたくなつて了つたので。それからもう一つは農民の状態をみるとどうしてもこのまゝにしておけない、このことも強く自分に迫つて参つたのでした。  狩太農場を開放するに到りました動機、それをたづねてみましたら先づ以上のやうなものであります。  私は昨年北海道に行きまして小作人の人々の前で私の考へをお話しました。そして私の趣旨も大体は訳つてくれました。そのとき私がいつたことは『泉』の第一号に小作人への告別として載せておきました。私はどう考へても生産の機関は私有にすべきものでない、それは公有若くは共有であるべき筈のものだ。私有財産としてこの農場からの収益は決して私が収める筈のものでない。小作料は貴君方自身の懐にいれてどうか仲よくやつていつて貰ひたいとお話したのでした。  これでもう私は引退ればいゝのでしたが、その後をいゝ結果のでるやうに組織運営されそこを共同的精神が支配出来るやうにといふ願ひから私はこの農場の組織と施設とを北海道大学農業経済の教室で作製して貰つたのであります。その案は最近に森本厚吉君から私の手に届きました。  それを見て第一に感じたことは今の日本の法律は共有財産を保護するといふ点に於て殆ど役に立たぬものでないかといふことでした。あの農場を小作人の共有にするといふことが許されないなら残つた方法は二つで財団法人にするか組合組織にするかであります。前者にするといはゞ専制政治のやうになつてそこに協調的施設が加はつても小作人自身は自分を共有的精神に訓練させることが困難となる。また組合組織にしても幾多の矛盾は避けがたく一例せば利益金の分配が極めて面倒なのであつてその創設のとき現金を多くもつた人が組合から一番多く利益をうけることになるのであります。  今度出来てきた施行案は土地は皆のものであるとして小作株といふのを持たしてあるので、そのため公有になつても実際の状態は私有制度だといはれるのであります。忠告してくれる人はその小作株は一応買取つて了つてそれの転売をも防ぎ利益配当の不平等もなくするやうに――そして名実ともに公有にせよといつてくれるのであります。土地の利益と持株の利益とを別にして了ふことも必要と思つてゐますが、兎も角充分に案に付き練りました上で、農園の総会に提出したいと考へてゐるのです。農民自身が自身をトレインするものでもつと自由な共産的規約に致しておきたく思つてゐます。今迄に例がないのでクリエイトするより仕方ありません。この農場は共産農園と名付けることを望んだのでしたが共生農園といふ名になりました。  私はこの共生農園の将来を決して楽観してゐない。それが四分八裂して遂に再び資本家の掌中に入ることは残念だが観念してゐる。武者小路氏の新しい村はともかく理解した人々の集まりだが私の農園は予備知識のない人々の集まりで而かも狼の如き資本家の中に存在するのであります。併し現在の状態では共産的精神は周囲がさうでない場合にその実行が結局不可能で自滅せねばならない、かく完全なプランの下でも駄目なものだ――この一つのプルーフを得る丈けで私は満足するものでこの将来がどうであるかといふことはエッセンシャルなことゝは思つてゐないものであります。(終)
底本:「日本の名随筆 別巻96 大正」作品社    1999(平成11)年2月25日第1刷発行 底本の親本:「有島武郎全集 第九巻」筑摩書房    1981(昭和56)年4月 入力:加藤恭子 校正:篠原陽子 2005年2月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 農民文化に就て話せといふことですが、私は文化といふ言葉に就いてさへ、ある疑ひを持つてゐるのでありまして、所謂今日文化と云はれてゐるのは、極く小数の人が享受してゐるに過ぎないのであつて、大多数者には何等及ぼす処の無いものであります。殊に農民文化と云ふに至つては、断然無いと云はなければならぬと思ひます。今日農民のおかれてゐる悲惨な境遇に、どうして文化などを生む余裕があり得ませう。      ◇  話は横道へ入るかも知れませぬが、農民に文化が無いと云ふのは、農民に文化を生む力が無いと云ふのとは自づと意味が異りまして、只今日の文化に何等交渉をもたないと云ふまでゝあります。真の文化と云ふものは、人類的なものでなくてはならぬのですが、今日のそれは一部の独占的なものに過ぎないのであります。そこで今日は真の文化と云ふものを大いに普及する必要があるのですが、これまた一朝一夕に容易になし得る事業ではありませぬ。理論的に云つても実際的に云つても、深く突き進んで行けば行く程難関があつて、終極は現在の社会制度、社会生活の欠陥に突き当るのであります。      ◇  然らば社会制度の欠陥とは何か、それは近代の社会思想家達の指摘した如く、資本の私有と云ふ誤れる制度に帰すると思ひます。この当然に共有であらねばならぬ筈の資本が、私有されるやうになり、それがために種々の弊害が生じて、当然人類的に進むべき筈の文化が、今日の如き変態的な姿となつて現れるやうになつたのであります。ですからこの制度を改めるに非ずんば、千万言を費しても文化の普及と云ふことは駄目であります。勿論其時代を迎へずして農民文化の問題を取扱ふと云ふことは、早計たるを免れませぬ。      ◇  ではこの私有財産制度から、如何にして解放せらるべきかと云ふことが問題でありますが、これは先づ私達が機械化された生活から自由を囘復しなくてはなりませぬ。自由の囘復と云ふことは容易なことでなく、それは多くの学者や実際家が各自に究めようとしてゐる処で、私共門外漢には正しい解決は困難であります。けれども兎に角今日の私有制度を滅さねばならぬと云ふこと丈けは云ひ得ると思ひます。      ◇  この私有制度を滅すに就ては、漸進的解放と、急進的革命の二つの方法があると思ひますが、漸進的にしろ、急進的にしろ、自由は与へられた処に獲得し得るものではなく、掴得する処に与へられるものであります。恩恵的に与へられる処に自由はなく、自ら掴得する処に真の自由があるのであります。急進主義者にはこれはよく解つてゐるのでありますが、漸進主義者の間にはこれが解らず往々恩情主義だとか、協調主義だとか云つて、無意義な政策に骨を折る人があります。例へ漸進主義的方法を採用するにしても、恩情的に文化を或は自由を与へようとするやうなことなく自由を持たざる人が自己に目醒めて、進んで自由を掴得したいと頭を擡げて来た時に、その気勢を看取して、それに充分の力を添へてやると云ふ方法を採ることが大切であると思ひます。  斯くして私有制度を滅して後、初めて人類的な文化に到達し得るのであつて、農民文化と云ふものもつまり其時に於て始めて建設されるのでありますから、今日農民文化を云々すると云ふことは当を得ざる云分であらうと思ひます。(述) (『文化生活の基礎』大正十二年六月)
底本:「有島武郎全集第九卷」筑摩書房    1981(昭和56)年4月30日初版発行    2002(平成14)年2月10日初版第3刷発行 初出:「文化生活の基礎 第三卷第六號(六月號)」    1923(大正12)年6月1日発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためました。 ※「やう」と「よう」の混用は、底本のままとしました。 入力:mono 校正:田中敬三 2009年10月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 春になると北海道の春を思ふ。私は如何いふものか春が嫌ひだ。それは感情的にさうだと云ふよりも寧ろ生理的にさうなのだらう。若い女の人などが、すつかり上氣せ上つて、頬を眞赤にして、眼までうるませてゐるのを見たりすると、籠り切つたやうな重苦しい春の重壓が私の精神をまで襲つて來る。醗酵し切らない濁酒のやうな不純な、鈍重な、齒切れの惡い悒鬱が何所からともなく私の心と肉とをさいなんでかゝる。あの重く、暖かく、朧ろな靄――あれが私の頭にも漲り滿ちる。  然し春の囘想は惡いものではない。それは直接私の肉體に働きかけて來ないからだらう。靜かな心で自然が活動に目覺めて行く樣子を想像するのは快い。春になると私は北海道の春を思ふ。  雪國の生活は單調だと人は云ふやうだ。然しそれは間違つてゐる。雪に埋み盡された地面――そこには黒ずんだ常盤木の外に緑といふ色の夢にもない――が見る〳〵黒土に變り、黒土が見る〳〵若草の野に變つて行くあの華々しい變化は、雪國に越年しない人の想像する事が出來ない所だらう。  冬が北國を訪れて、眼に見る限りのものを悒鬱な黒と白とに變へてしまつてから四ヶ月が經つ。人の心は寒さに閉され、虐げられ、苦しめられて危く石のやうになつてしまはうとする。道の上で行き遇ふ人も碌々顏を擧げて眼を見交はさうとはしないまでに活動力を極度まで縮めてしまふ。人は我慢の極點に足爪立つてゐる。その頃になつてやつと冬が退き始める。私の友が巧みにも老雪と云つたその雪の姿が日の光の下にさらけ出される。今まではみづ〳〵しくふうわりと眞白に降りたまつてゐたものが、知らぬ間に溶け固つて、不溶解性の煤だの芥だの紙屑だのが、がぢ〳〵とさゝくれだつた雪の表面に現はれ出る。晝間になつて日が照り出すと、人の往來する所だけはどろ〳〵に雪解がして、泥炭地の水のやうな黒褐色の水が盤に踏み固められた雪路の上を逃げ所もなく漂ひ𢌞る。雪鞋をはいて歩く男のその濡れた藁は重さうにぐつしより濡れて、凍傷を防ぐための赤毛布の脚絆は水を吸ひ飽きたスポンヂのやうに水氣でふくらむ。ぴちやり〳〵と汚ないはねを肩のあたりまで上げながらその人達は歩いて行く。  低く空に懸つて容易に動かない綿雲が少し輕く動き始める。時には端なくもその古綿のやうな雲が破れて青空を見せる。その青空は冬の眞中に見慣れたやうな青空ではない。それは鼠幕の下された間に、舞臺裏で衣裳を着かへて幕の開くのを待つてゐたやうな青空だ。同じ青の色ではあるが同じ青さではない。眼で區別が出來ないだけそれだけ感じに於て違つてゐる。冬の四ヶ月間太陽の熱を、地面に達しない中にせつせと吸ひ取つておいて、それをそろ〳〵地面に向つて放射し始めるやうな色をしてゐる。冬の青空を見上げると人は一倍寒さを感ずる。今見る青空からは暖味がしめやかに傳つて來る。  さうかと思ふと空は又未練らしく綿雲で閉される。若し風がそれに添ひ加はると、雪の降り殘りがちら〳〵と播くやうに飛び散つて來る。若し晴れてゐた空が急に曇ると霰が夕立ちのやうにさあつと激しく音を立てゝ寄せて來る。而して見る〳〵擴がつた雪雲は、見る〳〵霰と共に遠く山の彼方に飛び去つて行く。而してその後には大抵赤々とした夕日が殘る。  然し何んと云つても四季の變化を逸早く感附くものは空だ。ある時には寒色の雲が跡形もなく隱れてしまつて、太陽がきら〳〵と半日を照り續ける事がある。さうした晝は妙に森閑と靜かだ。軒の積雪が下から〳〵解けて盛んな點滴が氷柱を傳つて落ち始める。雨垂れの音、四ヶ月間聞かないでゐたその音を聞くと、人は誰れでも胸の中に輕い動悸をさへ覺えるだらう。臺所の方で、今まで地面に凍りついて如何しても取れなかつた手桶などを、こつ〳〵敲いて持上げようとする音などが聞える。ある時は又氣温が急にゆるんで空が春らしく薄曇る。と雨が――忘られさうだつた雨がしと〳〵と黒ずんだ雪の上一面にそゝぎかゝる。雪は見る〳〵痩せ衰へて行く。屋根に積み溜つてゐた雪がすさまじい音を立てゝ軒から辷り落ちる。どしーんといふその地響き――それは大地を惰眠から呼び覺さうとするやうに響く。  終日聞えてゐた點滴も夜になると聞えなくなる。空氣はまた冴え返つたのだ。晝間休んでゐた煖爐がまた燃え始める。夜が更けた頃空遠く北の方に渡つて來た鳥の聲がかすかに聞えて來たりする。家々の窓には灯がおそくまでともつてゐる。汚れ垢づいた良人や子供の冬着を輕やかな春の袷に代へる用意に若き妻も老いたる妻も眠りを忘れるのだらう。  川添ひの土堤に立つて見る。酒を造る爲めに寒の水を汲んだ所に大きく氷に孔があいてゐる。その下を水嵩の増つた河水がどん〳〵流れるのが見える。如何かすると音を立てゝ雪の積つたまゝ氷が崩れこむ。一旦どぶんと渦卷く水の中に沈んだ氷が、反動で水の上にぴよこんと頭をあげ、水と一色になつて見る〳〵下流に流れて行く。鶺鴒が黄色と白との羽根を敏活にひらめかして二羽だけ雪の河原を飛び𢌞つてゐる。  南を受けた堤の雪は紙のやうに薄くなつて、彈力のある枯草の葉や、赤い實をつけた野茨や、鼠柳の灌木らしい短かい幾條もの枝が現はれて出てゐる。その鼠柳の皮膚はもう赤くなつてゐる。青くなる前に赤くなつてゐる。それを見る人はその枝の一本々々をしみ〴〵と撫でゝやりたくなるだらう。  林に這入るとそこは雪がまだ軟かで深く且つ清い。然し踏みこんだ足が大地に達すると、そこでは雪がもう解けてゐる。落葉が先づ熱を發散し出したのだ。木は地液を吸ひ上げ始めてゐる。細かい細根から巖丈な幹に上つて行く養分が音のせぬ程度に音を立てゝゐるやうに思へば思はれる。默つてゐると幾萬本かの眼にあまる幹からそれが聞えて來るやうだ。試みに砂糖楓の幹にナイフで傷をつけると、見る〳〵血液のやうに樹液が滴り落ちる。それを脣に受けると幽かな甘味が春の精のやうに舌を擽る。ばさり〳〵と風もないのに石楢の廣葉が落ちる。冬の間頑固にかじり附いて枝を離れず、吹雪にもざわ〳〵と淋しい音を立てる赤褐色なその廣葉も、小さな嫩芽の追ひ立てを喰つては一たまりもないのだ。  何所かで啄木鳥が木をつゝいてゐる。小鳥のしば鳴く聲も聞える。木鼠が鑛物的な音を立てゝ大きな樹幹を縱横に駈け𢌞つてゐる。何んの爲めのあの喜ばしさなのだらう。雪の上を見ると風の爲めに吹き折られて落ちて來た枯枝の間に、兎の糞が一寸程雪の中にもぐり込んでゐる。熱を引き易い黒い色が晴天に遇つて雪を解かしたのだ。  犬も猫も春を嗅ぎつけるのは早い。默つて雪の上に尻をついてゐた犬は、何事もないのに突然立上つて、立上つたかと思ふと無我夢中で雪の上を駈け𢌞る。而して悲しさうな聲をさへ立てる。と、又突然庭の隅に尻をすゑて、鼻を天に向けて眼を細めて、何かを嗅ぎ分けようとするやうに尾を振りながら鼻の先きをひこ付かす。縁側の日あたりで日なたぼつこをしてゐた猫は、狂噪な犬の擧動にきつとなるが、すぐ體を丸めて自分の舌で毛なみを整へ始める。細い硬い毛が拔けてきら〳〵と光りながら小寒い空氣の中を風も無いのにたんぽゝの綿毛のやうに飛んで行く。  冬が老い盡す。あの萬有を情け容赦なく鞭ち〳〵つた恐ろしくも小氣味いゝ暴王は老い盡す。冬は潔く觀念して老いて行く。  三日や四日の風のない雲のない晴天が續く。もう地上には物蔭の外には雪がない。春は赤子の如く大地の上に生まれ出たのだ。  赤子が醜いやうに生れたばかりの春は醜い。冬の莊嚴さを持たない裸樹はぎこちなく筋ばつた枝を空に張つて立並び、糊を塗りつけたやうにべた〳〵な黒土の上には、芥と枯葉と枯草とがいぎたなく粘り着いて居り、もうすつかり春らしくなつて來た大空に對し殊更ら憐れな對照を作る。  更らに又三日か四日かの風のない雲のない晴天が續く。  北國の大地は夢のやうに變つてゐる。腐つた海草のやうになつた草の株の中央には、葉牙がによき〳〵と姿を現はす。樹々の葉牙は見る〳〵赤らみ脹らんで行く。而してその重みの爲めに枝は美しい弧線を空に對して描き始める。黒土は湯氣を立てゝどん〳〵乾いて行く。絨氈を踏むやうな快感が履物の底に感じられる。その時雀は屋根の端に蹲り、毛の毬のやうに丸まつて、小さな首を忙しくかしげながら、圓らな小さな眼で天と地とを不思議さうに眺め𢌞す。雞は羽ばたきしても羽ばたきしても飽きたりないやうにのう〳〵と羽ばたきする。流れの中の水藻はもう新たな緑を加へて盛んに水泡を水面に送り出す。  見る〳〵日當りのいゝ地面は緑に變つて來る。馬ならずとも、牛ならずとも噛みしめて見たいやうな寢よげな若草が叢がつて尖つた葉先きを空の方へ擡げる。えぞのえんごさく、きばなのあまな……さういふ小さな可憐の花が奇蹟のやうに白や黄の個性を今年も明らかに見せてほころび始める。濕地には水芭蕉の青々とした廣葉が枯葦の間から、谷間には蕗の薹や福壽草が腐つた蕗の葉を蹴破つて、ずん〳〵と延びて行く。林に這入つて木の幹を見上げると傷口といふ傷口からは樹液がねつとりと溢れ出て、そのまはりには早くも殼をぬけ出たばかりの小さな蟲達が黒々と集つてゐる。梢を低くかすめて、水蒸氣とも雲とも別ちがたい眞白なものが絶えず形を代へながら、洗ひ上げたやうな青空を東風に送られて西へ〳〵と飛んで行く。  橇は何時の間にか車になつてゐる。その轍の音が物珍らしく遙か彼方からうつとりと聞えて來る。家々の門の前には箒目が立つ。芥取車の上には半年の間捨て置かれた廢物が堆く積まれて甘酸い香をふりまきながら、物うげに脚を運ぶ老馬に牽かれて行く。兎の害を防ぐ爲めに魚の腸の腐つたのに浸して結びつけられた古藁は、果樹の幹に物臭く垂れ下つてゐる。農夫は畑に出て土の上の乾き具合を眺めやつてゐる。十勝の方で放牧してあつた馬の群は、生え延びた毛をくしや〳〵に亂して、痩せ細つて馬子の乘つた先頭馬の尻からのろ〳〵と喰附いて歸つて來る。永く踏み肥ばかりしてゐた牛共は眩しさうに眼を細めながら牛舍から連れ出される。牛糞に汚れ切つたその姿にも冬の蟄居の長さと辛さが裏書きされてゐる。  それから辛夷の花が咲き、郭公が訪れ、木の芽が木の種類によつて花よりも美しい鮮明な色に染まり、雲雀が謠ひ出し、あらん限りの春の花が一時に競ひ咲くまでには一ヶ月を要しないだらう。  自然の表情は或時には實際人以上だ。少くともそれは人のやうには僞りをしない。人よりも忍耐深く人よりも感じ易い。  私は一人の小説家として自然よりもより多く人の姿を見つめてゐる。けれども私は屡自然に人以上の親しみを感ずる。默つて自然の追憶に耽つてゐると、何時か深い喜びと純な pathos の中に浸つてゐる自分を見出す。何物も何事も本當は人間程に生きてゐるのだ。  春になると私は北海道の春を思ふ。 (『新小説』大正八年四月)
底本:「有島武郎全集第七卷」筑摩書房    1980(昭和55)年4月20日初版発行 底本の親本:「有島武郎著作集第十三輯『小さな灯』」叢文閣    1921(大正10)年4月18日 初出:「新小説 第二十四年第四號」    1919(大正8)年4月1日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:きりんの手紙 校正:木村杏実 2022年2月25日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "060287", "作品名": "春", "作品名読み": "はる", "ソート用読み": "はる", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「新小説 第二十四年第四號」1919(大正8)年4月1日", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "旧字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2022-03-04T00:00:00", "最終更新日": "2022-02-25T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card60287.html", "人物ID": "000025", "姓": "有島", "名": "武郎", "姓読み": "ありしま", "名読み": "たけお", "姓読みソート用": "ありしま", "名読みソート用": "たけお", "姓ローマ字": "Arishima", "名ローマ字": "Takeo", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1878-03-04", "没年月日": "1923-06-09", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "有島武郎全集第七卷", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1980(昭和55)年4月20日", "入力に使用した版1": "1980(昭和55)年4月20日初版", "校正に使用した版1": "1980(昭和55)年4月20日初版", "底本の親本名1": "有島武郎著作集第十三輯『小さな灯』", "底本の親本出版社名1": "叢文閣", "底本の親本初版発行年1": "1921(大正10)年4月18日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "きりんの手紙", "校正者": "木村杏実", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/60287_txt_75118.zip", "テキストファイル最終更新日": "2022-02-25T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/60287_75156.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2022-02-25T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 地には雪、空も雪の樣に白み渡つて家並ばかりが黒く目立つ日曜日の午後晩く相島は玄關にあつた足駄をつツかけて二町計りの所に郵便を入れに行つた。歸り路に曲り角で往來を見渡したがそれらしい橇の影も見えぬ。「今日は廢めたのか知らん」と思ひながら横道を這入つて覺束ない足駄の歩みを運ばすと子供が凧の絲目をなほして居るのに遇つた。多分は父親でも造つてやつたのだらう、六角形の四枚張りで隅に小さく「佐倉」と名前が書いてある。日本の軍人が支那兵の辮髮を握つて劍を振上げた畫の赤や青に、雪がちら〳〵と降りかゝつて居る。「御免よ」と云ひながら相島は軟い雪に一足踏み込んでよけながら通つた。小兒は眞赤な顏を一寸上げて相島を見たなり又絲目をそゝくつて居る。  もう一つ角を曲ると自分の門が見えて、其の前には待ち設けた橇が留つて居た。齡の若さうな痩せた鹿毛が鼻尖で積んだ雪に惡戲をして居る。相島は其の馬をさすりながら又足駄を雪の中に踏み込んで門を這入ると、玄關の前に井田が居た。 「やア」 と相島は心の中で喜びながら快活に云ふと、井田は疲れた樣子でそれでもほゝゑみながら點頭いて見せた。  相島は大急ぎで中の口から上つて、自分の書齋を通り拔けて玄關に出ると、書生が既に戸を開けて、暗い家の中から明るい雪の庭が眩しい樣に見える。其の中に井田は矢張り少し氣の拔けた風で立つて居た。  橇は丁度門の前にあつて荷がそつくり見える。竹行李が二つ、柳行李が一つ、漬物樽が一つ、ストーヴが一つ、大きな風呂敷包が一つ、書棚が一つ、それ等がごつたに折り重なつた上に、簡單な机が仰向けに積んであつた。井田が黒の二重マントを式臺に脱ぐ中に出面は机を卸しにかゝる。相島は玄關の障子と奧の襖を外づす。書生は玄關につツ立つて其の力強い腕に荷を運ばうと待ちかまへた。  井田は外套を脱いで身が輕くなつたと共に不圖淋しい心持がしたが、それも束の間で、直ぐ机の下にあつた行李を運び始めた。恐らくは井田が淋しく感じた其の時であらう。相島は出面が運んで來た机の隅にくツついて居る雪を指先でさらひながら「まア宜い事をした」と何んの事はなくさう思つた。  電光の如くぱつと輝いた其の思ひはまた消えて相島は一心に荷物を己れの書齋の隣の八疊に運び出した。相島と書生とが梭の樣に這入つたり出たり五六遍すると、荷は室の中に運ばれてしまつた。井田は懷中から蟇口を出して出面に拂ひを濟ますと、出面は一寸禮を云つて馬の轡を引いた。 「おい、そりや馬方のぢやないかい」 と相島が井田の脱ぎ捨てた外套を指すと、井田は例の輕い樣で居て沈んだ語調で、 「いゝえ、是れは僕んです」 と云ひながら式臺に腰を下して靴を脱ぎにかゝる。相島は橇の鈴に氣を取られて暫らくは耳を澄ました。  書棚の位置も定まりランプや炭取はそれ〴〵の所に仕舞はれて、井田が住む可き室は彼處此處に雪のこぼれ、堆い皺くちやな新聞紙、赤と白のカタン絲で亂れた。それをまとめて書生が掃除にかゝると、井田はさも疲れた樣子で隣の相島の書齋に這入つて來た。相島は仕切りの襖を締めて廊下に出て、其處の押入れから茶碗を二つと土瓶と茶筒とをつかんで來た。  相島が前膝をついてそれを雜多に疊の上に置くと、 「未だ挨拶もしないで」 と云ひながら井田は一寸ゐずまひを直して頭を下げる。相島は無頓着な風で茶筒から茶をこぼし〳〵土瓶に移してストーヴの上の藥罐を下しながらにこついて居る。書生が隣から座敷を掃きながら、 「井田先生の來るのは大分評判になつて居ますよ。隣家ではフラヘットさんで先生の齡を卜つたら三十四とかの人だと答へた相です」 と云ふ。それを相島は引きとつて、 「うむ、長屋のアマゾン連も二三人出て見て居た」 と云ふ。井田も稍〻元氣づいて、 「隣とは何處です、彼處永丘? ア、飛んだお嫁さんが舞ひ込んで……蕎麥でも配らなけりやいけないのか知らん」  而して其の最後の蕎麥の事は稍〻眞面目で云つたのであつた。然し相島は平氣で居る。 「今日は君の爲めに湯を沸かして置いたから、少し休んだら一つ片付けて仕舞つて這入つたら如何です」 と云つたが井田は容易に立ち上らうとはしなかつた。而して二人は隣の長岡家に居る白痴の青年の話を始めた。 「妾の何んなんですか」 と井田が聞く。 「さうです。妾の子でもう二十八だ相です」 「大佐は矢張り一處に居るんですか……東京ですか」 「大佐は死んでしまつたんだ――もう餘程前ですよ」 と相島が説明する。 「三十四は驚くな、然し僕は此の頃何んだか青年と云ふ時代と別れる樣な氣がしてならないけれども」  井田は二十七歳である。實にいゝ齡だ。情は熱し未來の到達は未だ夢の儘で居る。實にいゝ齡だと考へながら相島は自分が既に三十二になつたのに思ひ入つた。而して屹と頭を擧げて、 「何、君」 と勢よく口を切る。 「未だ〳〵そりや人は僕等を青年としてはもう許さんかも知れないが、僕は未だ何處までも若い積りだ。さうだね、人は許さないだらうね」 と云つて齒を喰ひしばる樣にした。井田は、 「さうですね」 と云つてほゝゑんだ。井田は相島に對してほゝゑみつけたから、ほゝゑんだのであるが、心の中では深く相島の言葉を憐れんだ。而して又しても起る淋しい思ひをせき留め得なかつた。 「僕は君が來る前から思つて居たんですがね、是れから必ず毎週一篇づゝ創作をやつて、土曜の晩に朗讀會をしたら如何かと思ふんですが」 と相島は男らしい安坐の膝を組み直して又快活な事を云つて居る。井田は疑はし相に、 「出來るでせうか」 と又ほゝゑんだ。 「出來るさ……出來すさ」 と相島もにこついた。  斯う云ふ樣な話を低い聲で續けて居る中に、冬の日は急に暗くなつた。窓障子の紙の色が黒みがゝつた薄紫になつた。十日の月が光り出したのだらう。  井田は、 「それでは一寸片付けて仕舞ひますから」 と云ひながら立上つて隣に行つた。時々紙のがさつく音や重い物を疊の上に置く音がする。室は恐ろしく暗くなつて來る。相島は取殘されて疊に落ちた茶の葉を指先にくツつけてストーヴの臺の所に捨てて居る。書生が來て、 「先生、湯が沸きました」 と開きの外から云つてランプの掃除にかゝつた。井田の心の中には此頃、おツかぶさる樣な暗い一つの影がさまよつて居るのである。是れは恐らく彼れ程の年頃の者には誰れにでも起る影であらう。前途には眼もくらむ樣な輝きがある。彼れは今迄それを心の眼でぢつと眺めて、云はば心の中にある五官とも名づくべきもので、しみ〴〵と味はつて其の中に甘い悲しみと燃ゆる喜びとを感じて居つたのであるが、手を反へした樣に此頃其の感じが薄らいで、彼れは肉と靈との間の痛切な吸引力に動かされずには居られなくなつた。事實に觸れ度い、事實、事實、事實、事實と彼れの全身全靈はをめき叫ぶのである。  それのみならず周圍の境遇は井田に逼つて結婚の決心を促した。こんな事は是れまで井田が思ひもよらぬ事であつた。此の不可思議な人生の一事件を全く客觀的に見て、井田は隨分大膽な解釋を爲して居たが、事實に踏み込まうと云ふ彼れの心と其の友等の熱心な勸告と、斷ち切り難い人の習慣とが激しい權威を振つて彼れの上に臨むのである。若い彈力性のある心が、善惡は兎あれ、是れに抵抗はずに居られようか。  井田の血色が惡くなつて時々淋しい心になつた。  井田は尚ほ暗闇の中に片づけ物をして居る。相島は井田が持つて來た「帝國文學」を開いて眉を顰めながら窓明りで井田の文を讀んで居た。相島はまだ獨身だが實は既に婚約をした身である。世に彼れ程外觀内容のちがつた人間も珍しからう。彼れは始終快活で呑氣でそゝつかしい骨太ではあるが、頸や手足が小さくて何處かに女性的な小兒らしい面影が見えぬでもない。然るにその内部の傾向は餘程外貌とは異なつて居る。富裕な家に生れて攫むべき機會は幾何も與へられながらそれに對して冷淡な事は驚く計りである。一かどの專門家たり得べき才能を持ちながら、それを其の方向に用ゐようとはしない。三年程外國にも行つて居たが、歸つて來ても格別見識學問を増した樣子もなく、身のとりなしが丸で二十二三の青年同樣である。結婚の問題の如きも、昔から提供せられたものだが、彼れは超然としてそれを跳ね付けた。恐らく彼れの父なる人の頭に白髮が増さなんだならば、彼れは何處までもそんな調子で居たかも知れぬ。其の癖眞身に彼れの心の戸を敲くものがあると、思ひがけない藍色の悲哀がふいと顏を出す樣な事もあつた。  井田が室内を片づけ終つた時は既に夕餉の支度が出來て居た。井田は湯に這入らうと持つて來た石鹸や手拭をランプ棚の上にのせて中の口に出て來た。此には五分心のランプがチヤブ臺の上に載つて居る。加賀産れで丸々と克明な門徒のばアやがもご〳〵云ひながら挨拶すると、井田も口の内で何か云ひながら、世話になると云ふ心を示した。チヤブ臺の上には豆腐の汁と何か魚の煮たのと井田の持つて來た淺漬とが置いてある。書生を合せて鼎座で箸を取つた。 「今日僕は教會に行きますがね。ひよつとすると楠が來るかも知れないが、さうしたら教會に居るからツて、さう云つて呉れ給へ」 と相島は書生に言ひながら井田と共に食卓を立つた。而して一寸休んだ後、袴をはいて黒い毛絲の頸卷をまき付けて氣輕相に出掛けて行つた。  井田は自分の室からソフォクレースの悲劇集を持つて來て開いて讀まうとすると、書生が來て湯の事を云ふので這入りに行つた。暗いランプの下には濛々と湯氣の立ち籠めた狹い風呂場ではあるが、長く下宿屋の生活をして町湯にばかり這入りつけた彼れには一種家庭的な心地がする。井田は暖く濕つた手拭を顏に押しあてた儘暫く解ける樣な疲れの味を味つた。「相島と云ふ男は何んだつて教會へなんぞ行くんだらう、矢張り囚へられてる連中か知らん」と思つたが、さうは解釋し度くなかつた。今井田が住む町で相島が一番趣味の合つた話相手なのである。井田は顏から手拭を取つて上向き加減に湯氣の奧の暗やみを見やつて又何と云ふ事なしに考へた。不圖隣の長岡家からけたゝましい驚いた鷄の樣な聲が、手に取るばかりに聞えたので不思耳をひき立てた。それが二度三度と聞える。「白痴の青年だな」と井田は思つた。而して不思議にも彼れの想ひは東京の自分の家に飛んで、弟の面影がまざ〳〵と眼に浮んだ。井田の眉は烈しくひそんで同時に眸が異風に輝いた。すると又叫びが聞える。井田は舌鼓を打ちながら「傳染り相な聲だな」と不知に獨語して頭からまくしかゝる或者をつき破るかの樣な勢で、さつと風呂から立上つた。  相島は其の頃丁度教會に着いて居た。辷り相な石段を上つて男子入口の戸を開けると暖い空氣と華やかな光とが暗と寒とに逆らつて流れ出た。見ると牧師は腰掛の一端に倚りかゝつて後向に一人の青年と話をして居たが、相島の這入るのを見ると、其のつや〳〵しい長い髮を電燈の光に輝かして一寸挨拶をした。相島は地味な衣服を着た居竝んだ一群の婦人席を一寸顧みて末席に腰を下した。 「それでは少し讚美歌の練習をしませう」 と軈て牧師が男らしい聲で快活に云ふと、女で居ながら人の前で決して面をかぶらない、其の細君は飾氣のない身ぶりで腰掛を立上つてオルガンに近づいた。風呂敷の中から讚美歌集を取り出す音が暫くざわ〳〵と聞えた。  オルガンが鳴り出すと相島は昂然として腰掛から立上つたが、餘の人は坐つた儘で居る。歌が起る。「神よ己が願ふ所は重荷を輕められん事にあらず、願ふはそを負ふに堪ふるの力を與へ給はん事なり」と云ふ意味の歌が離れ〴〵の調子で物惰げに堂に滿ちた。相島は低い力のある聲で半ばまで歌つたが「くだらん」と思ふと本を閉ぢて坐つて仕舞つた。而して眼をねぶつて皆の歌ふのに耳をかたむけた。離れ〴〵の調子で物惰げにゆるく音律が流れて電燈の光までが暗くなる樣に思はれる。「もう少しゆるく歌へば好いんだ、さうすれば基督教なんぞは滅びて仕舞へるのに」と云ふ樣な冷刻な考へが深い淵の中に石が沈んで行く樣に彼れの感情の最下底に落ちて來る。  拔き足で相島の前の腰掛に坐つた人があるので、相島が眼を開いて見ると楠であつた。病院に居る妹の處から來たのだらう、彼男は屹度妹に親切に違ひない。乙に取すました調子で看護婦や妹の友達などが出入する室で色々と世話を燒くのだらう、始終良心に攻められて居る樣な顏をして實際も多少は攻められながら萬人の行く大道を利口に先走りする典型だなと相島は益〻皮肉になる。不圖許婚の自分の妻の事が眼に浮ぶと四圍が急に華やかになる。東京をたつ其の日荷物を造りながら「安子僕の名を呼んで御覽」と云ふと顏を赤めてはにかんで仕舞ふのを近寄つて肩に手をかけながら「安子」と云つても返事をしない、又「安子」と強く云ふと下を向いて前髮を振はしながら聞えない程に「雪雄さん」と云つた。相島は不思心がときめいて、息のつまる程かき抱いて始めて女と云ふものの脣に自分の脣を觸れた。其の時の事を思ひ出したのである。彼れの眼の前には教會もない、讚美歌もない。今まで妻の事を思ひつめながら見詰めて居た、前の腰掛に爪で書いてある「明治三十九年八月二十二日」と云ふ字もない。顏がほてるのさへ覺えて、頬から今日剃つた顎にかけて撫で𢌞すと、はツと夢が覺めた樣になつて相島はふツと氣息を天井に吹いた。同時に「それが何んだ」と云ふ聲が雷霆の如く心を撲つたので、彼れは「へん馬鹿め」と誰れかに鼻の頭でもはじかれた樣な顏をした。  相島が眼をさまして見𢌞すと、會堂には三分程人が坐つて居た。牧師はやをら身を起して講壇に登つたが、例の黒い運動着が又眼に付く。松崎には似合つた代物だが、松崎牧師としては不似合極まると心の顏をしかめながら思つた。讚美歌が濟み聖書の朗讀が濟み松崎は思ひ入つた樣に原稿の皺を伸しながら「モーゼの神と基督の神」と云ふ題で傳道説教を始めた。モーゼが四十年の間アラビヤの砂漠をさまよつた事、基督が四十日の間荒野の中で苦しみ給ひし事、そんな事が時々相島の耳を撲つたが、相島の心は説教に耳を傾けて居ないで、隣に坐つて居る二人の青年のさゝやきに耳を傾けて居た。中學生であらう、二人とも生意氣らしい。一人はにきびの出來た顏に強い近眼の眼鏡をかけて居る。 「おい行かうか」 と一人が云ふと、片方のが指さしをしながら小さな聲で何かさゝやいたが、相島が邪魔で出られないぢやないかと云つたのが相島にはすつかり判つた。又話がつゞく。 「うまいね」 「○○ぢや一番うまい」 「だけど、もう厭やになつた」 「己れもよ」 「來て居るかい」 と一人が婦人席をのぞく。 「馬鹿ツ」 と一人が大きな聲で云つて、二人で高笑ひをする。聽衆は過半振反つて青年を見たが、相島は振囘つた聽衆を睨みかへしてやりたかつた。相島は此の二人の青年と此の振囘つた聽衆との間に伍する事が腹の立つ程厭やになつた。而してぶツつり下を向いて腕を組むと遂に彼れの心の底の蓋が口を開いた。相島ははツと生れ代つた樣に眞面目になつた。超越した人生を送るのに何の誇りがある、我が見る所聞く所が人生ではないか、人とあるなら見事に其の中に生き通せ、彼等に伍し彼等を愛し得られぬ位なら死んで仕舞へ。天才と稱せられる少數の人の間に呼吸をするのは、最も醜惡な空氣を最も高尚に吸ふ事だ。其の人は最もまとまつた人生の圈外を歩くものだ。高い所から下を見てあざわらふ、そんな卑劣な惡魔的な態度に安住すべきでない。  最も高尚な空氣を最も醜惡に吸つて生きろ。  相島はひし〳〵と基督の人格に觸れた樣に思つた。漁夫や税吏や娼婦やマグダレナのマリヤやザーカイやの間にまじつた基督の顏を見る樣に思つた。而して殆んど涙にあふれんとする眼を擧げて牧師を見た。説教は進んで牧師の意氣も昂つて居た。あの牧師は科學の思潮には最も觸れ易い學校の出身者で、實生活と云ふものにも鋭敏な感覺を有つた人であるのに自ら好んで基督の宣傳者となり、其の同窓等が一かどの科學者として宗教其の者の存在をすら疑はうとして居る間に、獨り目立たぬ苦鬪をして居ると思ふと、相島は眼の前に一個の殉教者を見る樣な心持がして熱心に其の姿を見やつたのであつた。而して相島は嘗て日記にフォックスの事を書いて「われは彼れを尊敬す。されど神は歩むべくわれに他の道を賜へり」と結論した事や「人は其の終局に於て遂に孤立せざる可らず」と書いた事やを思ひ出した。  禮拜が終ると相島は楠に一言二言云つて直ぐ教會を出た。外套を着ない懷に夜風がしみて空の星が交る〴〵近くなつたり遠くなつたりする樣に光る。急いで淋しい町に這入つて何んとなく唯〻急いだ。「他の道」「孤獨」と云ふ樣な字を繰返し〳〵考へたり、やめたりして、彼れの心はせき立てられる樣な不安に充ちた。  家近くの露地で相島は突然雪の上にすべつた。彼れは元氣よく起き上つて手袋を脱いで腰の雪を拂ひかけた途端、 「貴樣はすべる時屹度人の居ない所ですべるぞ」 と云ふ聲が心の奧でした。彼れは雪を拂ふのをやめてしまつて肩を怒らしながらづか〳〵と歩いて家に着いた。書齋の唐紙を開けると明るいランプの下に井田はソフォクレースを讀んで居た。相島は火を見る事が好きな男で、蝋燭の火が一番綺麗だとか、油煙の立つランプ程癇癪の起るものはないとか云つて、此の町に來てから四度ランプを取り代へた。彼れは今此の明るい火を見て總ての事を忘れた樣な快濶になつて黒い頸卷と鉢の高い帽子とを玄關になげ出したなりどつかりストーヴの側に腰を下した。井田は書物から眼を放して稍〻遠慮げにほゝゑんだ。 「唯今……湯に這入りましたか」 と云つて相島は井田の机の上に眼をやつて、 「其のソフォクレースの表裝は大したものですね」 と腕を伸してそれを取つた。 「えゝ是れは安くつて一寸好ござんす」 「あゝ本當の皮ぢやないんですね。是れが本當のだといゝんだが……古いのはいゝですね」 「えゝ」 「どうです是れは面白う御座んすか」 「矢張り希臘のものには云はれない好い所があつて、何んだか大きい深い樣な所がある樣ですね」 「はアさうかナ」 と云つて相島は小兒の樣に羨まし相な顏をした。而して話題は暫く希臘の世界に這入つて行つた。井田は何時でもかうなると顏が冴える。聲にも力が出てパリスの悲劇を語り出した。相島は依然として羨まし相にそれを聞いた。而して不圖思ひ出した樣に立上つて隣の室の書棚から古びた一册の書物を持つて來た。 「何んです」  相島は意味の分らないほゝゑみかたをした。 「是れはねえ、是れでも僕が……學校に居た時は夢中で愛した本だ。こんな風に表裝までさしたんです」  それは若くて死んだ一基督教青年の遺稿であつた。黒皮の表裝で中には相島が自分で描いた揷畫が入れてあつて、詩や文には赤青の線が引散らしてある。相島はなつかし相に彼處此處とページをまくつて躊躇して居た樣子であつたが、やがて其の中の一つの詩を讀み上げた。聖書の雅歌其の儘の調子で意味のまとまらぬ樣な事が書いてある。井田は、 「いかにたゝへん、いかにほめん」 とか、 「あまつそらに、今日始めて歌の組の首となり  香とび散る百合の影に」 とか、 「此世にて又遇ふべきか――遇はざるか  此世にて又遇ふ事のなかれかし。  又遇ふとは恨の井戸を深く掘りなして  若水くむなり」 とか云ふ句を處々聞きながら默つて首を下げて居た。下らん何んで相島は時々あゝ平凡になるんだらうと考へながら彼れの心は今迄で熱烈に彼れを捕へて居た希臘の悲劇に飛んで居る。一つの歌を讀み終ると、相島も氣が付いたらしい、自分もつまらなさ相に其の本を投出したが又拾つてページをばら〳〵とやつて又なげ出した。井田は何んだか氣の毒になつて其の書物を取上げて見たが、どうしても下らんので下に置いた。話が一寸途切れる。  相島は側にあつた籃を引寄せて、其の中から皮の色の見事に紅い林檎を選んで、器用に皮をむいて口に入れるとさく〳〵と渇いた人の樣に噛んで居たが、やがて眼をつぶつて林檎をふくんだ儘で默つて居る。やがて、 「うまい」 と眼をつぶつた儘で云つた。  其の時突然玄關の戸を動かしたものがある。相島は一寸立つたが思ひついた樣に後がへりして先刻の古い本を持つて出た。玄關の所で話聲がする。 「先刻は失敬」 と相島の大きな聲がすると、小さな聲が何か云つて居た。 「是れは僕が嘗て愛讀したんだが、此の外には一寸日本の本はないからまあ持つて行つて見給へ……こんなものでも病人にさはるといけないから、初めに君が讀んで見てくれ給へ。それで關はないと思つたら病院に持つて行きたまへ」 「楠だな」と井田は思ひながら、すつと奧齒に氣息を引いて小腕を膝頭に乘せた儘「大和」を拾ひ上げた。  楠は夜更くなつて濟まなかつた事や、本を貸して呉れた事の禮やらを今夜は殊に丁寧に小さな聲で云つて歸つて行つた。相島は楠が返してよこした書物三四册を抱へて書齋に這入つて來た。  フラウ・ゾルゲとハイマートとサンクト・ヨハニス・フォイエルとインガソールの文集とであつた。井田は其の中からフラウ・ゾルゲを取上げて、 「貴方も是れをお持ちですね、僕は此間丸善に註文して置いたが」 と云つた。  相島は井田がフラウ・ゾルゲの飜譯に着手しようとして居るのを知つて居る、而して「あれが井田の弱點だ。井田は動かされ過ぎる、も少し執着するといゝんだ」と思つた。此の時相島は自分の企てて居る飜譯の仕事が井田の心を動かしたのだと推して居たのだ。  それから二人の間にフラウ・ゾルゲの内容に就て話が進んだが、どうした調子か話頭が戀愛の事になると、相島は突然彼れの周圍に起つた種々の事件を語り出した。彼れの妹が道ならぬ戀の爲めに死なんとした事や、弟に夫婦約束をした女のある事や、其の他其の友達の上に起つた事迄も大膽に打開いて物語つた。井田は此の話を聞きながら相島を見ると、其の眼は異樣に輝いて、繰出す言葉には熱がある樣である。相島は如何にも井田を親しいものの樣に思つた。何にもかにも今夜を過さず云つて仕舞ひたくなつた。而して井田が、 「今度は君の懺悔を聞き度いものですね」 と云ふと、彼れは淋しく笑つてかう云つた。 「僕に打込む樣な女を見ると、僕は其の女が低い女だと思うて取りあはないし、僕が打込みたいと思ふ女に遇ふと其の女の愛を受ける事が何うしても出來ないものと獨りで定めて仕舞ふもんだから僕にはローマンスなんかはないんです……考へて見ると僕の行方は皆んな左樣だね、何に一つ取捕まへて固着しなければうそだとは始終思つとるんだが、其處がさう行かないんだ。第一取捕へて仕舞へば其奴が安つぽいものになつて仕舞つてそれに執着するなんて云ふ馬鹿は出來なくなるさ……畢竟僕なんざア斯う云ふ風に安住の地を求めて、それに安住したら一つの仕事をしとげる氣で居て一生涯安住の地なんぞは見もしないで死んじまふ典型だと思ふんです」 と何時もの咄辯に似ずすら〳〵と言ひ切つて、成程と心からうなづいて見せた井田を見やつた。而して暫くしてから懺悔をする人の樣に少し下を向いて、 「つまり僕は心のどん底が臆病なんですよ」 とつぶやく樣に云つたが、ふツと擧げた其の面は見違へる樣に快濶になつて居る。井田はこんな不思議な變化は自分に絶えてない所だなと思ひながら、 「僕もどうも左樣な樣だな」 と低く云つてぢつと相島の顏を見返した。  二人の話は又暫く途切れた。段々と淋しみが二人の胸に逼つて來る。此の二つの心は急に密接した爲めに、今は都て恥かしい樣に一種の遠慮を感じ初めたのである。相島が、 「どうです、もう寢ようか」 と口を切ると、井田も、 「左樣ですね」 と重く贊成をしたが身體は割合に輕く立上つた。  相島は自分の布團をひきながら、 「井田君、君は初めて他人の家に泊る時でも同じ樣に寢られますか」 と聞いた。自分の室に退いた井田は、一變した自分の境涯を見𢌞しながら、 「さうですね、寢る事もあるし……」 と單純に答へる。相島は何か尚ほ話を續けたい樣であつたが、 「今日は疲れたから寢られるでせう……左樣なら」 と云つて床にもぐつて仕舞つた。井田も仕切の襖を締めて床に就いた。消したランプの油煙の匂と蜜柑の皮の香が室に滿ちてストーヴのぬくもりが氣味の惡い程である。井田は寢ながら相島の性格を色々に考へて見たが、其の奧の方に中々分り兼ねる節が一つある。兎に角數箇月彼れと同居するのは面白からう、事實事實さうだ。此處にも事實がある。如何して自分は事實を眼の前に見ながら、其の事實に觸れて見る事をしないのか知らん、東京の姉は今何をして居るだらう。子供の眼がさめて乳でもやつて居るか知らんと思ふと、自分に似た眉頭の邊がまざ〳〵と見えて來る。それが不圖近頃結婚した内山の細君の顏になる。ソフォクレースの悲劇集の中にはさんであつた、内山の去年の夏の手紙の中の、 「われとわが思ひ定めし人の行末は、知る人も知る神もなし……彼女は益〻われに忠實なれば、わが心は切らるるが如し……煙を見よ」 と云ふ樣な煩悶の句がちぎれ〳〵に頭に浮んで來る。事實に觸れなければいかんと思ふ。内山の細君の樣な人を自分も、思ひ切り命かぎり戀して見たい樣な氣がする。内山の妹の十四五の幼な顏が見える。結婚と云ふ事に考へが向くと彼れの眼はぱツと冴えた。此の時隣で相島が、 「君未だ寢ないんですか」 と聲をかけた。 「えゝ未だ寢られません」 と云つて井田は眞面目に寢ようと身體を一ゆすりゆすつた。相島は寢床に這入ると非常に疲れて居た。「井田君は甘く寢られればいゝが」と彼れは心から親切にさう思つた。而して體質の健康な彼れは井田よりも少し早く深い眠りに陷つて居た。
底本:「有島武郎全集 第二卷」筑摩書房    1980(昭和55)年2月20日初版発行 底本の親本:「有島武郎全集 第一卷」叢文閣    1924(大正13)年4月5日発行 入力:土屋隆 校正:木浦 2013年4月11日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 青黄ろく澄み渡った夕空の地平近い所に、一つ浮いた旗雲には、入り日の桃色が静かに照り映えていた。山の手町の秋のはじめ。  ひた急ぎに急ぐ彼には、往来を飛びまわる子供たちの群れが小うるさかった。夕餉前のわずかな時間を惜しんで、釣瓶落としに暮れてゆく日ざしの下を、彼らはわめきたてる蝙蝠の群れのように、ひらひらと通行人にかけかまいなく飛びちがえていた。まともに突っかかって来る勢いをはずすために、彼は急に歩行をとどめねばならなかったので、幾度も思わず上体を前に泳がせた。子供は、よけてもらったのを感じもしない風で、彼の方には見向きもせず、追って来る子供にばかり気を取られながら、彼の足許から遠ざかって行った。そのことごとく利己的な、自分よがりなわがままな仕打ちが、その時の彼にはことさら憎々しく思えた。彼はこうしたやんちゃ者の渦巻の間を、言葉どおりに縫うように歩きながら、しきりに急いだ。  眼ざして来た家から一町ほどの手前まで来た時、彼はふと自分の周囲にもやもやとからみつくような子供たちの群れから、すかんと静かな所に歩み出たように思って、あたりを見廻してみた。そこにも子供たちは男女を合わせて二十人くらいもいるにはいたのだった。だがその二十人ほどは道側の生垣のほとりに一塊りになって、何かしゃべりながらも飛びまわることはしないでいたのだ。興味の深い静かな遊戯にふけっているのであろう。彼がそのそばをじろじろ見やりながら通って行っても、誰一人振り向いて彼に注意するような子供はなかった。彼はそれで少し救われたような心持ちになって、草履の爪さきを、上皮だけ播水でうんだ堅い道に突っかけ突っかけ先を急いだ。  子供たちの群れからはすかいにあたる向こう側の、格子戸立ての平家の軒さきに、牛乳の配達車が一台置いてあった。水色のペンキで塗りつぶした箱の横腹に、「精乳社」と毒々しい赤色で書いてあるのが眼を牽いたので、彼は急ぎながらも、毒々しい箱の字を少し振り返り気味にまでなって読むほどの余裕をその車に与えた。その時車の梶棒の間から後ろ向きに箱に倚りかかっているらしい子供の脚を見たように思った。  彼がしかしすぐに顔を前に戻して、眼ざしている家の方を見やりながら歩みを早めたのはむろんのことだった。そしてそこから四、五間も来たかと思うころ、がたんとかけがねのはずれるような音を聞いたので、急ぎながらももう一度後を振り返って見た。しかしそこに彼は不意な出来事を見いだして思わず足をとめてしまった。  その前後二、三分の間にまくし上がった騒ぎの一伍一什を彼は一つも見落とさずに観察していたわけではなかったけれども、立ち停った瞬間からすぐにすべてが理解できた。配達車のそばを通り過ぎた時、梶棒の間に、前扉に倚りかかって、彼の眼に脚だけを見せていた子供は、ふだんから悪戯が激しいとか、愛嬌がないとか、引っ込み思案であるとかで、ほかの子供たちから隔てをおかれていた子に違いない。その時もその子供だけは遊びの仲間からはずれて、配達車に身をもたせながら、つくねんと皆んなが道の向こう側でおもしろそうに遊んでいるのを眺めていたのだろう。一人坊っちになるとそろそろ腹のすいたのを感じだしでもしたか、その子供は何の気なしに車から尻を浮かして立ち上がろうとしたのだ。その拍子に牛乳箱の前扉のかけがねが折り悪しくもはずれたので、子供は背中から扉の重みで押さえつけられそうになった。驚いて振り返って、開きかかったその扉を押し戻そうと、小さな手を突っ張って力んでみたのだ。彼が足を停めた時はちょうどその瞬間だった。ようよう六つぐらいの子供で、着物も垢じみて折り目のなくなった紺の単衣で、それを薄寒そうに裾短に着ていた。薄ぎたなくよごれた顔に充血させて、口を食いしばって、倚りかかるように前扉に凭たれている様子が彼には笑止に見えた。彼は始めのうちは軽い好奇心にそそられてそれを眺めていた。  扉の後には牛乳の瓶がしこたましまってあって、抜きさしのできる三段の棚の上に乗せられたその瓶が、傾斜になった箱を一気にすべり落ちようとするので、扉はことのほかの重みに押されているらしい。それを押し返そうとする子供は本当に一生懸命だった。人に救いを求めることすらし得ないほど恐ろしいことがまくし上がったのを、誰も見ないうちに気がつかないうちに始末しなければならないと、気も心も顛倒しているらしかった。泣きだす前のようなその子供の顔、……こうした suspense の状態が物の三十秒も続けられたろうか。  けれども子供の力はとても扉の重みに打ち勝てるようなものではなかった。ああしているとやがておお事になると彼は思わずにはいられなくなった。単なる好奇心が少しぐらつきだして、後戻りしてその子供のために扉をしめる手伝いをしてやろうかとふと思ってみたが、あすこまで行くうちには牛乳瓶がもうごろごろと転げ出しているだろう。その音を聞きつけて、往来の子供たちはもとより、向こう三軒両隣の窓の中から人々が顔を突き出して何事が起こったかとこっちを見る時、あの子供と二人で皆んなの好奇的な眼でなぶられるのもありがたい役廻りではないと気づかったりして、思ったとおりを実行に移すにはまだ距離のある考えようをしていたが、その時分には扉はもう遠慮会釈もなく三、四寸がた開いてしまっていた。と思う間もなく牛乳のガラス瓶があとからあとから生き物のように隙を眼がけてころげ出しはじめた。それが地面に響きを立てて落ちると、落ちた上に落ちて来るほかの瓶がまたからんからんと音を立てて、破れたり、はじけたり、転がったりした。子供は……それまでは自分の力にある自信を持って努力していたように見えていたが……こういうはめになるとかっとあわて始めて、突っ張っていた手にひときわ力をこめるために、体を前の方に持って行こうとした。しかしそれが失敗の因だった。そんなことをやったおかげで子供の姿勢はみじめにも崩れて、扉はたちまち半分がた開いてしまった。牛乳瓶はここを先途とこぼれ出た。そして子供の胸から下をめった打ちに打っては地面に落ちた。子供の上前にも地面にも白い液体が流れ拡がった。  こうなると彼の心持ちはまた変わっていた。子供の無援な立場を憐んでやる心もいつの間にか消え失せて、牛乳瓶ががらりがらりととめどなく滝のように流れ落ちるのをただおもしろいものに眺めやった。実際そこに惹起された運動といい、音響といい、ある悪魔的な痛快さを持っていた。破壊ということに対して人間の抱いている奇怪な興味。小さいながらその光景は、そうした興味をそそり立てるだけの力を持っていた。もっと激しく、ありったけの瓶が一度に地面に散らばり出て、ある限りが粉微塵になりでもすれば……  はたしてそれが来た。前扉はぱくんと大きく口を開いてしまった。同時に、三段の棚が、吐き出された舌のように、長々と地面にずり出した。そしてそれらの棚の上にうんざりと積んであった牛乳瓶は、思ったよりもけたたましい音を立てて、壊れたり砕けたりしながら山盛りになって地面に散らばった。  その物音には彼もさすがにぎょっとしたくらいだった。子供はと見ると、もう車から七、八間のところを無二無三に駈けていた。他人の耳にはこの恐ろしい物音が届かないうちに、自分の家に逃げ込んでしまおうと思い込んでいるようにその子供は走っていた。しかしそんなことのできるはずがない。彼が、突然地面の上に現われ出た瓶の山と乳の海とに眼を見張った瞬間に、道の向こう側の人垣を作ってわめき合っていた子供たちの群れは、一人残らず飛び上がらんばかりに驚いて、配達車の方を振り向いていた。逃げかけていた子供は、自分の後に聞こえたけたたましい物音に、すくみ上がったようになって立ち停った。もう逃げ隠れはできないと観念したのだろう。そしてもう一度なんとかして自分の失敗を彌縫する試みでもしようと思ったのか、小走りに車の手前まで駈けて来て、そこに黙ったまま立ち停った。そしてきょろきょろとほかの子供たちを見やってから、当惑し切ったように瓶の積み重なりを顧みた。取って返しはしたものの、どうしていいのかその子供には皆目見当がつかないのだ、と彼は思った。  群がり集まって来た子供たちは遠巻きにその一人の子供を取り巻いた。すべての子供の顔には子供に特有な無遠慮な残酷な表情が現われた。そしてややしばらく互いに何か言い交していたが、その中の一人が、 「わーるいな、わるいな」  とさも人の非を鳴らすのだという調子で叫びだした。それに続いて、 「わーるいな、わるいな。誰かさんはわーるいな。おいらのせいじゃなーいよ」  という意地悪げな声がそこにいるすべての子供たちから一度に張り上げられた。しかもその糺問の声は調子づいてだんだん高められて、果ては何処からともなくそわそわと物音のする夕暮れの町の空気が、この癇高な叫び声で埋められてしまうほどになった。  しばらく躊躇していたその子供は、やがて引きずられるように配達車の所までやって来た。もうどうしても遁れる途がないと覚悟をきめたものらしい。しょんぼりと泣きも得せずに突っ立ったそのまわりには、あらん限りの子供たちがぞろぞろと跟いて来て、皮肉な眼つきでその子供を鞭ちながら、その挙動の一つ一つを意地悪げに見やっていた。六つの子供にとって、これだけの過失は想像もできない大きなものであるに違いない。子供は手の甲を知らず知らず眼の所に持って行ったが、そうしてもあまりの心の顛倒に矢張り涙は出て来なかった。  彼は心まで堅くなってじっとして立っていた。がもう黙ってはいられないような気分になってしまっていた。肩から手にかけて知らず知らず力がこもって、唾をのみこむとぐっと喉が鳴った。その時には近所合壁から大人までが飛び出して来て、あきれた顔をして配達車とその憐な子供とを見比べていたけれども、誰一人として事件の善後を考えてやろうとするものはないらしく、かかわり合いになるのをめんどうくさがっているように見えた。そのていたらくを見せつけられると彼はますます焦立った。いきなり飛びこんで行って、そこにいる人間どもを手あたりしだいになぐりつけて、あっけにとられている大人子供を尻眼にかけながら、 「馬鹿野郎! 手前たちは木偶の棒だ。卑怯者だ。この子供がたとえばふだんいたずらをするからといって、今もいたずらをしたとでも思っているのか。こんないたずらがこの子にできるかできないか、考えてもみろ。可哀そうに。はずみから出たあやまちなんだ。俺はさっきから一伍一什をここでちゃんと見ていたんだぞ。べらぼうめ! 配達屋を呼んで来い」  と存分に痰呵を切ってやりたかった。彼はいじいじしながら、もう飛び出そうかもう飛び出そうかと二の腕をふるわせながら青くなって突っ立っていた。 「えい、退きねえ」  といって、内職に配達をやっている書生とも思わしくない、純粋の労働者肌の男が……配達夫が、二、三人の子供を突き転ばすようにして人ごみの中に割りこんで来た。  彼はこれから気のつまるようないまいましい騒ぎがもちあがるんだと知った。あの男はおそらく本当に怒るだろう。あの泣きもし得ないでおろおろしている子供が、皆んなから手柄顔に名指されるだろう。配達夫は怒りにまかせて、何の抵抗力もないあの子の襟がみでも取ってこづきまわすだろう。あの子供は突然死にそうな声を出して泣きだす。まわりの人々はいい気持ちそうにその光景を見やっている。……彼は飛び込まなければならぬ。飛び込んでその子供のためになんとか配達夫を言いなだめなければならぬ。  ところがどうだ。その場の様子がものものしくなるにつれて、もう彼はそれ以上を見ていられなくなってきた。彼は思わず眼をそむけた。と同時に、自分でもどうすることもできない力に引っ張られて、すたすたと逃げるように行手の道に歩きだした。しかも彼の胸の底で、手を合わすようにして「許してくれ許してくれ」と言い続けていた。自分の行くべき家は通り過ぎてしまったけれども気もつかなかった。ただわけもなくがむしゃらに歩いて行くのが、その子供を救い出すただ一つの手だてであるかのような気持ちがして、彼は息せき切って歩きに歩いた。そして無性に癇癪を起こし続けた。 「馬鹿野郎! 卑怯者! それは手前のことだ。手前が男なら、今から取って返すがいい。あの子供の代わりに言い開きができるのは手前一人じゃないか。それに……帰ろうとはしないのか」  そう自分で自分をたしなめていた。それにもかかわらず彼は同じ方向に歩き続けていた。今ごろはあの子供の頭が大きな平手でぴしゃぴしゃはたき飛ばされているだろうと思うと、彼は知らず識らず眼をつぶって歯を食いしばって苦い顔をした。人通りがあるかないかも気にとめなかった。噛み合うように固く胸高に腕ぐみをして、上体をのめるほど前にかしげながら、泣かんばかりの気分になって、彼はあのみじめな子供からどんどん行く手も定めず遠ざかって行った。
底本:「カインの末裔」角川文庫、角川書店    1969(昭和44)年10月30日改版発行    1988(昭和63)年6月10日改版23版発行 初出:「現代小説選集」    1920(大正9)年11月 入力:鈴木厚司 1999年2月13日公開 2005年11月19日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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一  僕は小さい時に絵を描くことが好きでした。僕の通っていた学校は横浜の山の手という所にありましたが、そこいらは西洋人ばかり住んでいる町で、僕の学校も教師は西洋人ばかりでした。そしてその学校の行きかえりにはいつでもホテルや西洋人の会社などがならんでいる海岸の通りを通るのでした。通りの海添いに立って見ると、真青な海の上に軍艦だの商船だのが一ぱいならんでいて、煙突から煙の出ているのや、檣から檣へ万国旗をかけわたしたのやがあって、眼がいたいように綺麗でした。僕はよく岸に立ってその景色を見渡して、家に帰ると、覚えているだけを出来るだけ美しく絵に描いて見ようとしました。けれどもあの透きとおるような海の藍色と、白い帆前船などの水際近くに塗ってある洋紅色とは、僕の持っている絵具ではどうしてもうまく出せませんでした。いくら描いても描いても本当の景色で見るような色には描けませんでした。  ふと僕は学校の友達の持っている西洋絵具を思い出しました。その友達は矢張西洋人で、しかも僕より二つ位齢が上でしたから、身長は見上げるように大きい子でした。ジムというその子の持っている絵具は舶来の上等のもので、軽い木の箱の中に、十二種の絵具が小さな墨のように四角な形にかためられて、二列にならんでいました。どの色も美しかったが、とりわけて藍と洋紅とは喫驚するほど美しいものでした。ジムは僕より身長が高いくせに、絵はずっと下手でした。それでもその絵具をぬると、下手な絵さえがなんだか見ちがえるように美しく見えるのです。僕はいつでもそれを羨しいと思っていました。あんな絵具さえあれば僕だって海の景色を本当に海に見えるように描いて見せるのになあと、自分の悪い絵具を恨みながら考えました。そうしたら、その日からジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなりました。けれども僕はなんだか臆病になってパパにもママにも買って下さいと願う気になれないので、毎日々々その絵具のことを心の中で思いつづけるばかりで幾日か日がたちました。  今ではいつの頃だったか覚えてはいませんが秋だったのでしょう。葡萄の実が熟していたのですから。天気は冬が来る前の秋によくあるように空の奥の奥まで見すかされそうに霽れわたった日でした。僕達は先生と一緒に弁当をたべましたが、その楽しみな弁当の最中でも僕の心はなんだか落着かないで、その日の空とはうらはらに暗かったのです。僕は自分一人で考えこんでいました。誰かが気がついて見たら、顔も屹度青かったかも知れません。僕はジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなってしまったのです。胸が痛むほどほしくなってしまったのです。ジムは僕の胸の中で考えていることを知っているにちがいないと思って、そっとその顔を見ると、ジムはなんにも知らないように、面白そうに笑ったりして、わきに坐っている生徒と話をしているのです。でもその笑っているのが僕のことを知っていて笑っているようにも思えるし、何か話をしているのが、「いまに見ろ、あの日本人が僕の絵具を取るにちがいないから。」といっているようにも思えるのです。僕はいやな気持ちになりました。けれどもジムが僕を疑っているように見えれば見えるほど、僕はその絵具がほしくてならなくなるのです。 二  僕はかわいい顔はしていたかも知れないが体も心も弱い子でした。その上臆病者で、言いたいことも言わずにすますような質でした。だからあんまり人からは、かわいがられなかったし、友達もない方でした。昼御飯がすむと他の子供達は活溌に運動場に出て走りまわって遊びはじめましたが、僕だけはなおさらその日は変に心が沈んで、一人だけ教場に這入っていました。そとが明るいだけに教場の中は暗くなって僕の心の中のようでした。自分の席に坐っていながら僕の眼は時々ジムの卓の方に走りました。ナイフで色々ないたずら書きが彫りつけてあって、手垢で真黒になっているあの蓋を揚げると、その中に本や雑記帳や石板と一緒になって、飴のような木の色の絵具箱があるんだ。そしてその箱の中には小さい墨のような形をした藍や洋紅の絵具が……僕は顔が赤くなったような気がして、思わずそっぽを向いてしまうのです。けれどもすぐ又横眼でジムの卓の方を見ないではいられませんでした。胸のところがどきどきとして苦しい程でした。じっと坐っていながら夢で鬼にでも追いかけられた時のように気ばかりせかせかしていました。  教場に這入る鐘がかんかんと鳴りました。僕は思わずぎょっとして立上りました。生徒達が大きな声で笑ったり呶鳴ったりしながら、洗面所の方に手を洗いに出かけて行くのが窓から見えました。僕は急に頭の中が氷のように冷たくなるのを気味悪く思いながら、ふらふらとジムの卓の所に行って、半分夢のようにそこの蓋を揚げて見ました。そこには僕が考えていたとおり雑記帳や鉛筆箱とまじって見覚えのある絵具箱がしまってありました。なんのためだか知らないが僕はあっちこちを見廻してから、誰も見ていないなと思うと、手早くその箱の蓋を開けて藍と洋紅との二色を取上げるが早いかポッケットの中に押込みました。そして急いでいつも整列して先生を待っている所に走って行きました。  僕達は若い女の先生に連れられて教場に這入り銘々の席に坐りました。僕はジムがどんな顔をしているか見たくってたまらなかったけれども、どうしてもそっちの方をふり向くことができませんでした。でも僕のしたことを誰も気のついた様子がないので、気味が悪いような、安心したような心持ちでいました。僕の大好きな若い女の先生の仰ることなんかは耳に這入りは這入ってもなんのことだかちっともわかりませんでした。先生も時々不思議そうに僕の方を見ているようでした。  僕は然し先生の眼を見るのがその日に限ってなんだかいやでした。そんな風で一時間がたちました。なんだかみんな耳こすりでもしているようだと思いながら一時間がたちました。  教場を出る鐘が鳴ったので僕はほっと安心して溜息をつきました。けれども先生が行ってしまうと、僕は僕の級で一番大きな、そしてよく出来る生徒に「ちょっとこっちにお出で」と肱の所を掴まれていました。僕の胸は宿題をなまけたのに先生に名を指された時のように、思わずどきんと震えはじめました。けれども僕は出来るだけ知らない振りをしていなければならないと思って、わざと平気な顔をしたつもりで、仕方なしに運動場の隅に連れて行かれました。 「君はジムの絵具を持っているだろう。ここに出し給え。」  そういってその生徒は僕の前に大きく拡げた手をつき出しました。そういわれると僕はかえって心が落着いて、 「そんなもの、僕持ってやしない。」と、ついでたらめをいってしまいました。そうすると三四人の友達と一緒に僕の側に来ていたジムが、 「僕は昼休みの前にちゃんと絵具箱を調べておいたんだよ。一つも失くなってはいなかったんだよ。そして昼休みが済んだら二つ失くなっていたんだよ。そして休みの時間に教場にいたのは君だけじゃないか。」と少し言葉を震わしながら言いかえしました。  僕はもう駄目だと思うと急に頭の中に血が流れこんで来て顔が真赤になったようでした。すると誰だったかそこに立っていた一人がいきなり僕のポッケットに手をさし込もうとしました。僕は一生懸命にそうはさせまいとしましたけれども、多勢に無勢で迚も叶いません。僕のポッケットの中からは、見る見るマーブル球(今のビー球のことです)や鉛のメンコなどと一緒に二つの絵具のかたまりが掴み出されてしまいました。「それ見ろ」といわんばかりの顔をして子供達は憎らしそうに僕の顔を睨みつけました。僕の体はひとりでにぶるぶる震えて、眼の前が真暗になるようでした。いいお天気なのに、みんな休時間を面白そうに遊び廻っているのに、僕だけは本当に心からしおれてしまいました。あんなことをなぜしてしまったんだろう。取りかえしのつかないことになってしまった。もう僕は駄目だ。そんなに思うと弱虫だった僕は淋しく悲しくなって来て、しくしくと泣き出してしまいました。 「泣いておどかしたって駄目だよ。」とよく出来る大きな子が馬鹿にするような憎みきったような声で言って、動くまいとする僕をみんなで寄ってたかって二階に引張って行こうとしました。僕は出来るだけ行くまいとしたけれどもとうとう力まかせに引きずられて階子段を登らせられてしまいました。そこに僕の好きな受持ちの先生の部屋があるのです。  やがてその部屋の戸をジムがノックしました。ノックするとは這入ってもいいかと戸をたたくことなのです。中からはやさしく「お這入り」という先生の声が聞えました。僕はその部屋に這入る時ほどいやだと思ったことはまたとありません。  何か書きものをしていた先生はどやどやと這入って来た僕達を見ると、少し驚いたようでした。が、女の癖に男のように頸の所でぶつりと切った髪の毛を右の手で撫であげながら、いつものとおりのやさしい顔をこちらに向けて、一寸首をかしげただけで何の御用という風をしなさいました。そうするとよく出来る大きな子が前に出て、僕がジムの絵具を取ったことを委しく先生に言いつけました。先生は少し曇った顔付きをして真面目にみんなの顔や、半分泣きかかっている僕の顔を見くらべていなさいましたが、僕に「それは本当ですか。」と聞かれました。本当なんだけれども、僕がそんないやな奴だということをどうしても僕の好きな先生に知られるのがつらかったのです。だから僕は答える代りに本当に泣き出してしまいました。  先生は暫く僕を見つめていましたが、やがて生徒達に向って静かに「もういってもようございます。」といって、みんなをかえしてしまわれました。生徒達は少し物足らなそうにどやどやと下に降りていってしまいました。  先生は少しの間なんとも言わずに、僕の方も向かずに自分の手の爪を見つめていましたが、やがて静かに立って来て、僕の肩の所を抱きすくめるようにして「絵具はもう返しましたか。」と小さな声で仰いました。僕は返したことをしっかり先生に知ってもらいたいので深々と頷いて見せました。 「あなたは自分のしたことをいやなことだったと思っていますか。」  もう一度そう先生が静かに仰った時には、僕はもうたまりませんでした。ぶるぶると震えてしかたがない唇を、噛みしめても噛みしめても泣声が出て、眼からは涙がむやみに流れて来るのです。もう先生に抱かれたまま死んでしまいたいような心持ちになってしまいました。 「あなたはもう泣くんじゃない。よく解ったらそれでいいから泣くのをやめましょう、ね。次ぎの時間には教場に出ないでもよろしいから、私のこのお部屋に入らっしゃい。静かにしてここに入らっしゃい。私が教場から帰るまでここに入らっしゃいよ。いい。」と仰りながら僕を長椅子に坐らせて、その時また勉強の鐘がなったので、机の上の書物を取り上げて、僕の方を見ていられましたが、二階の窓まで高く這い上った葡萄蔓から、一房の西洋葡萄をもぎって、しくしくと泣きつづけていた僕の膝の上にそれをおいて静かに部屋を出て行きなさいました。 三  一時がやがやとやかましかった生徒達はみんな教場に這入って、急にしんとするほどあたりが静かになりました。僕は淋しくって淋しくってしようがない程悲しくなりました。あの位好きな先生を苦しめたかと思うと僕は本当に悪いことをしてしまったと思いました。葡萄などは迚も喰べる気になれないでいつまでも泣いていました。  ふと僕は肩を軽くゆすぶられて眼をさましました。僕は先生の部屋でいつの間にか泣寝入りをしていたと見えます。少し痩せて身長の高い先生は笑顔を見せて僕を見おろしていられました。僕は眠ったために気分がよくなって今まであったことは忘れてしまって、少し恥しそうに笑いかえしながら、慌てて膝の上から辷り落ちそうになっていた葡萄の房をつまみ上げましたが、すぐ悲しいことを思い出して笑いも何も引込んでしまいました。 「そんなに悲しい顔をしないでもよろしい。もうみんなは帰ってしまいましたから、あなたはお帰りなさい。そして明日はどんなことがあっても学校に来なければいけませんよ。あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ。屹度ですよ。」  そういって先生は僕のカバンの中にそっと葡萄の房を入れて下さいました。僕はいつものように海岸通りを、海を眺めたり船を眺めたりしながらつまらなく家に帰りました。そして葡萄をおいしく喰べてしまいました。  けれども次の日が来ると僕は中々学校に行く気にはなれませんでした。お腹が痛くなればいいと思ったり、頭痛がすればいいと思ったりしたけれども、その日に限って虫歯一本痛みもしないのです。仕方なしにいやいやながら家は出ましたが、ぶらぶらと考えながら歩きました。どうしても学校の門を這入ることは出来ないように思われたのです。けれども先生の別れの時の言葉を思い出すと、僕は先生の顔だけはなんといっても見たくてしかたがありませんでした。僕が行かなかったら先生は屹度悲しく思われるに違いない。もう一度先生のやさしい眼で見られたい。ただその一事があるばかりで僕は学校の門をくぐりました。  そうしたらどうでしょう、先ず第一に待ち切っていたようにジムが飛んで来て、僕の手を握ってくれました。そして昨日のことなんか忘れてしまったように、親切に僕の手をひいてどぎまぎしている僕を先生の部屋に連れて行くのです。僕はなんだか訳がわかりませんでした。学校に行ったらみんなが遠くの方から僕を見て「見ろ泥棒の譃つきの日本人が来た」とでも悪口をいうだろうと思っていたのにこんな風にされると気味が悪い程でした。  二人の足音を聞きつけてか、先生はジムがノックしない前に、戸を開けて下さいました。二人は部屋の中に這入りました。 「ジム、あなたはいい子、よく私の言ったことがわかってくれましたね。ジムはもうあなたからあやまって貰わなくってもいいと言っています。二人は今からいいお友達になればそれでいいんです。二人とも上手に握手をなさい。」と先生はにこにこしながら僕達を向い合せました。僕はでもあんまり勝手過ぎるようでもじもじしていますと、ジムはいそいそとぶら下げている僕の手を引張り出して堅く握ってくれました。僕はもうなんといってこの嬉しさを表せばいいのか分らないで、唯恥しく笑う外ありませんでした。ジムも気持よさそうに、笑顔をしていました。先生はにこにこしながら僕に、 「昨日の葡萄はおいしかったの。」と問われました。僕は顔を真赤にして「ええ」と白状するより仕方がありませんでした。 「そんなら又あげましょうね。」  そういって、先生は真白なリンネルの着物につつまれた体を窓からのび出させて、葡萄の一房をもぎ取って、真白い左の手の上に粉のふいた紫色の房を乗せて、細長い銀色の鋏で真中からぷつりと二つに切って、ジムと僕とに下さいました。真白い手の平に紫色の葡萄の粒が重って乗っていたその美しさを僕は今でもはっきりと思い出すことが出来ます。  僕はその時から前より少しいい子になり、少しはにかみ屋でなくなったようです。  それにしても僕の大好きなあのいい先生はどこに行かれたでしょう。もう二度とは遇えないと知りながら、僕は今でもあの先生がいたらなあと思います。秋になるといつでも葡萄の房は紫色に色づいて美しく粉をふきますけれども、それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。
底本:「赤い鳥傑作集」新潮文庫、新潮社    1955(昭和30)年6月25日発行    1974(昭和49)年9月10日29刷改版    1984(昭和59)年10月10日44刷 初出:「赤い鳥 第五巻第二号」    1920(大正9)年8月 ※表題は底本では、「一房《ひとふさ》の葡萄《ぶどう》」となっています。 入力:鈴木厚司 1999年2月13日公開 2018年10月15日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 私が正月号の改造に発表した「宣言一つ」について、広津和郎氏が時事紙上に意見を発表された。それについて、お答えする。  広津氏は、芸術は超階級的超時代的な要素を持っているもので、よい芸術は、いかなる階級の人にも訴える力を持っている。それゆえ私が芸術家としての立場を、ブルジョア階級に定め、その作品はブルジョアに訴えるために書かれるものだと、宣言したに対して、あまりに窮屈な平面的な申し出であると言っていられる。芸術に超階級的超時代的の要素があるのは、広津氏を待たないでも知れきった事実である。その事実は芸術に限られたことでもない。政治の上にも、宗教の上にも、その他人間生活のすべての諸相の上にかかる普遍的な要素は、多いか少ないかの程度において存在している。それを私は無視しているものではない。それはあまりに明白な事実であるがゆえに、問題にしなかっただけのことだ。  私の考えるところによれば、おのずから芸術家と称するものをだいたい三つに分けることができる。第一の種類に属する人は、その人の生活全部が純粋な芸術境に没入している人で、その人の実生活は、周囲とどんな間隔があろうと、いっこうそれを気にしない。そうして自己独得の芸術的感興を表現することに全精力を傾倒するところの人だ。もし、現在の作家の中に、例を引いてみるならば、泉鏡花氏のごときがその人ではないだろうか。第二の人は、芸術と自分の実生活との間に、思いをさまよわせずにはいられないたちの人である。自分の芸術に没入することは、第一の人のようにあることはどうしてもできない。自分の実生活と周囲の実生活との間に或る合理的な関係をつくらなければ、その芸術すら生み出すことができないと感ずる種類の人である。第三の種類に属する人は、自分の芸術を実生活の便宜に用いようとする人である。その人の実生活は周囲の実生活と必ずしも合理的な関係にある必要はない。とにかく自分の現在の生活が都合よくはこびうるならば、ブルジョアのために、気焔も吐こうし、プロレタリアのために、提灯も持とうという種類の人である。そしてその人の芸術は、当代でいえば、その人をプティ・ブルジョアにでも仕上げてくれれば、それで目的をはたしたと言ってもいいような芸術である。芸術家というものの立場より言うならば第一の種類の人は最も敬うべき純粋な芸術家であり、第二の種類の人は、芸術家としては、いわゆる素人芸術家をもって目さるべきものであり、第三の種類の人は悪い意味の大道芸人とえらぶ所がない人である。  ところで、私自身は第一の種類に属する芸術家でありうるかというのに、不幸にしてそうではない。私は常に自分の実生活の状態についてくよくよしている。そして、その生活と芸術との間に、正しい関係を持ちきたしたいと苦慮している、これが私の心の実状である。こういう心事をもって、私はみずからを第一の種類の芸術家らしく装うことはできない。装うことができないとすれば、勢い「宣言一つ」で発表したようなことを言わねばならぬのは自然なことである。「宣言一つ」には、できるだけ平面的にものを言ったつもりだが、それでもわからない人にはわからないようだから、なおいっそう平面的に言うならば、第一、私は来たるべき文化がプロレタリアによって築き上げらるべきであり、また築き上げられるであろうと信ずるものである。ブルジョアジーの生活圏内に生活したものは、誰でも少し考えるならば、そこの生活が、自壊作用をひき起こしつつあることを、感じないものはなかろう。その自壊作用の後に、活力ある生活を将来するものは、もとよりアリストクラシーでもなければ、富豪階級でもありえぬ。これらの階級はブルジョアジー以前に勢力をたくましゅうした過去の所産であって、それが来たるべき生活の上に復帰しようとは、誰しも考えぬところであろう。文芸の上に階級意識がそう顕著に働くものではないという理窟は、概念的には成り立つけれども、実際の歴史的事実を観察するものは、事実として、階級意識がどれほど強く、文芸の上にも影響するかを驚かずにはいられまい。それを事実に意識したものが文芸にたずさわろうとする以上は、いかなる階級に自分が属しているかを厳密に考察せずにはいられなくなるはずだ。  しからば、来たるべき時代においてプロレタリアの中から新しい文化が勃興するだろうと信じている私は、なぜプロレタリアの芸術家として、プロレタリアに訴えるべき作品を産もうとしないのか。できるならば私はそれがしたい。しかしながら、私の生まれかつ育った境遇と、私の素養とは、それをさせないことを十分意識するがゆえに、私は、あえて越ゆべからざる埓を越えようは思わないのだ。私のこんな気持ちに対する反証として、よくロシアの啓蒙運動が例を引かれるようだ。ロシアの民衆が無智の惰眠をむさぼっていたころに、いわゆる、ブルジョアの知識階級の青年男女が、あらゆる困難を排して、民衆の蒙を啓くにつとめた。これが大事な胚子となって、あのすばらしい世界革命がひき起こされたのだ。この場合ブルジョアジーの人々が、どれだけ民衆のために貢献したかは、想像も及ばないものがある。悔い改めたブルジョアは、そのままプロレタリアの人になることができるのだ。そう、ある人は言うかもしれない。しかし、この場合における私の観察は多少一般世人と異なっている。ロシアの民衆はその国の事情が、そのまま進んでいったならば、いつかは革命を起こすに、ちがいなかったのだ。  インテリゲンチャの啓蒙運動はただいくらかそれを早めたにすぎない。そして、それを早めたことが、実際ロシアの民衆にとって、よいことであったか、悪いことであったかは、遽かに断定さるべきではないと私は思うものだ。もし、私の零細な知識が、私をいつわらぬならば、ロシアの最近の革命の結果からいうと、ロシアの啓蒙運動は、むしろ民衆の真の勃興にさまたげをなしていると言っても差し支えないようだ。始めは露国のプロレタリアのためにいかにも希望多く見えた革命も、現在までに収穫された結果から見るならば、大多数の民衆よりも、ブルジョア文化によって洗礼を受けた帰化的民衆によって収穫されている。そして大多数のプロレタリアは、帝政時代のそれと、あまり異ならぬ不自由な状態にある。もし、ブルジョアとプロレタリアとの間に、はじめから渡るべき橋が絶えていて、プロレタリア自身の内発的な力が、今度の革命をひき起こしていたのならば、その結果は、はるかに異なったものであることは、誰でも想像するに難くないだろう。  しかしこうはいったとて、実際の歴史上の事実として、ロシアには前述したような経路が起こり来たったのだから、私はその事実をも否定しようとするものではない。ブルジョアジーをなくするためには、この階級が自己防衛のために永年にわたって築き上げたあらゆる制度および機関(ことに政治機関)をプロレタリアの手中に収め、矛を逆にしてブルジョアジーを亡滅に導かねばならぬ。ブルジョアジーが亡滅すれば、その所産なるすべての制度および機関はおのずから亡滅して、新たなる制度および機関が発生するであろうとは、レニン自身が主張するところで、実際において、歴史的事実としては、かくのごとき経路が今行なわれつつあるようだ。無産者の独裁政治とは、おそらくかかるものを意味するのであろう。まことに一つの生活様式が他の生活様式に変遷する場合において、前代の生活様式が一時に跡を絶って、全く異なった生活様式が突発するという事実はない。三つの生活様式の中間色をなす、過渡期の生活が起滅する間に、新しい生活様式が甫めて成就されるであろう。歴史的に人類の生活を考察するとかくあることが至当なことである。  しかしながら思想的にかかる問題を取り扱う場合には必ずしもかくある必要はない。人間の思想はその一特色として飛躍的な傾向をもっている。事実の障礙を乗り越して或る要求を具体化しようとする。もし思想からこの特色を控除したら、おそらく思想の生命は半ば失われてしまうであろう。思想は事実を芸術化することである。歴史をその純粋な現われにまで還元することである。蛇行して達しうる人間の実際の方向を、直線によって描き直すことである。もし社会主義の思想が真理であったとしても、もし実行という視角からのみ論ずるならば、その思想の実現に先だって、多くの中間的施設が無数に行なわれねばならぬ。いわゆる社会政策と称せられる施設、温情主義、妥協主義の実施などはすべてそれである。これらの修正策が施された後に、社会主義的思想ははじめて実現されるわけになるのだ。それならば社会政策的の施設する未だ行なわれようとはしなかった時代に、何を苦しんで社会主義の思想は説かれねばならなかったか。私はそれに答えて、社会主義はその背景に思想的要素をたぶんに含んでいたからだといわねばならぬ。そしてこの思想がかくばかり早く唱えだされたということは、決して無益でも徒労でもないといいたい。なぜならば、かくばかり純粋な人の心の趨向がなかったならば、社会政策も温情主義も人間の心には起こりえなかったであろうから。  以上の立場からして私は思想的にいいたい。「来たるべき文化がプロレタリアによって築かれるものならば、それは純粋にプロレタリア自身が有する思想と活力とによって築かれねばならぬ。少なくともそういう覚悟をもってその文化を築こうという人は立ち上がらねばならぬ。同時に、その文化の出現を信ずる者にして、躬ずからがその文化と異なった生活をしていることを発見した者は、たといどれほど自分が拠ってもって生活した生活の利点に沐浴しているとしても、新しい文化の建立に対する指導者、教育者をもってみずから任ずべきではなく、自分の思想的立場を納得して、謹んでその立場にあることをもって満足しなければならない。もし誤って無思慮にも自分の埓を越えて、差し出たことをするならば、その人は純粋なるべき思想の世界を、不必要なる差し出口をもって混濁し、なんらかの意味において実際上の事の進捗をも阻礙するの結果になるだろう」と。この立場からして私は何といっても、自分がブルジョアジーの生活に浸潤しきった人間である以上、濫りに他の階級の人に訴えるような芸術を心がけることの危険を感じ、自分の立場を明らかにしておく必要を見るに至ったものだ。そう考えるのが窮屈だというなら、私は自分の態度の窮屈に甘んじようとする者だ。  私のいった第一の種類に属する芸術家は階級意識に超越しているから、私の提起した問題などはもとより念頭にあろうはずがない。その人たちにとっては、私の提議は半顧の価値もなかるべきはずのものだ。私はそれほどまでに真に純粋に芸術に没頭しうる芸術家を尊もう。私はある主義者たちのように、そういう人たちを頭から愚物視することはできない。かかる人はいかなる時代にも人間全体によっていたわられねばならぬ特種の人である。しかし第二の種類に属する芸術家である以上は、私のごとく考えるのは不当ではなく、傲慢なことでもなく、謙遜なことでもなく、爾かあるべきことだと私は信じている。広津氏は私の所言に対して容喙された。容喙された以上は私の所言に対して関心を持たれたに相違ない。関心を持たれる以上は、氏の評論家としての素質は私のいう第一の種類に属する芸術家のようであることはできないのだ。氏は明らかに私のいう第二か第三かの芸術家的素質のうちのいずれかに属することをみずから証明していられるのだ。しかもその所説は、私の見る所が誤っていないなら、第一の種類に属する芸術家でも主張しそうなことを主張していられる。もし第一の種類に属する芸術家がそれを主張するようなことを仮想したら、(その芸術家はそんなことを主張するはずはないけれども)あるいはそれは実感として私の頭に響くかもしれない。しかしながら広津氏の筆によって教えられることになると、私にはお座なりの概念論としてより響かなくなる。なぜならば、それは主張さるべからざる人によって主張された議論だからである。  さらに私の芸術家として作品を生かそうとする意味はどこにあるかということについては、「改造」誌上で一とおり申し出ておいたから、ここには再言しない。なにしろ私は私の実情から出発する。私がもし第一の芸術家にでもなりきりうる時節が来たならば、この縷説は鶏肋にも値せぬものとして屑籠にでも投じ終わろう。
底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店    1969(昭和44)年1月30日改版初版    1979(昭和54)年4月30日発行改版14版 初出:「東京朝日新聞」    1922(大正11)年1月19日 入力:鈴木厚司 1999年2月13日公開 2005年11月20日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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一  二つの道がある。一つは赤く、一つは青い。すべての人がいろいろの仕方でその上を歩いている。ある者は赤い方をまっしぐらに走っているし、ある者は青い方をおもむろに進んで行くし、またある者は二つの道に両股をかけて欲張った歩き方をしているし、さらにある者は一つの道の分かれ目に立って、凝然として行く手を見守っている。揺籃の前で道は二つに分かれ、それが松葉つなぎのように入れ違って、しまいに墓場で絶えている。 二  人の世のすべての迷いはこの二つの道がさせる業である、人は一生のうちにいつかこのことに気がついて、驚いてその道を一つにすべき術を考えた。哲学者と言うな、すべての人がそのことを考えたのだ。みずから得たとして他を笑った喜劇も、己れの非を見いでて人の危きに泣く悲劇も、思えば世のあらゆる顕われは、人がこの一事を考えつめた結果にすぎまい。 三  松葉つなぎの松葉は、一つなぎずつに大きなものになっていく。最初の分岐点から最初の交叉点までの二つの道は離れ合いかたも近く、程も短い。その次のはやや長い。それがだんだんと先に行くに従って道と道とは相失うほどの間隔となり、分岐点に立って見渡すとも、交叉点のありやなしやが危まれる遠さとなる。初めのうちは青い道を行ってもすぐ赤い道に衝当たるし、赤い道を辿っても青い道に出遇うし、欲張って踏み跨がって二つの道を行くこともできる。しかしながら行けども行けども他の道に出遇いかねる淋しさや、己れの道のいずれであるべきかを定めあぐむ悲しさが、おいおいと増してきて、軌道の発見せられていない彗星の行方のような己れの行路に慟哭する迷いの深みに落ちていくのである。 四  二つの道は人の歩むに任せてある。右を行くも左を行くもともに人の心のままである。ままであるならば人は右のみを歩いて満足してはいない。また左のみを辿って平然としていることはできない。この二つの道を行き尽くしてこそ充実した人生は味わわれるのではないか。ところがこの二つの道に踏み跨がって、その終わるところまで行き尽くした人がはたしてあるだろうか。 五  人は相対界に彷徨する動物である。絶対の境界は失われた楽園である。  人が一事を思うその瞬時にアンチセシスが起こる。  それでどうして二つの道を一条に歩んで行くことができようぞ。  ある者は中庸ということを言った。多くの人はこれをもって二つの道を一つの道になしえた努力だと思っている。おめでたいことであるが、誠はそうではない。中庸というものは二つの道以下のものであるかもしれないが、少なくとも二つの道以上のものではない。詭弁である、虚偽である、夢想である。世を済う術数である。  人を救う道ではない。  中庸の徳が説かれる所には、その背後に必ず一つの低級な目的が隠されている。それは群集の平和ということである。二つの道をいかにすべきかを究めあぐんだ時、人はたまりかねて解決以外の解決に走る。なんでもいいから気の落ち付く方法を作りたい。人と人とが互いに不安の眼を張って顔を合わせたくない。長閑な日和だと祝し合いたい。そこで一つの迷信に満足せねばならなくなる。それは、人生には確かに二つの道はあるが、しようによってはその二つをこね合わせて一つにすることができるという迷信である。  すべての迷信は信仰以上に執着性を有するものであるとおり、この迷信も群集心理の機微に触れている。すべての時代を通じて、人はこの迷信によってわずかに二つの道というディレンマを忘れることができた。そして人の世は無事泰平で今日までも続き来たった。  しかし迷信はどこまでも迷信の暗黒面を腰にさげている。中庸というものが群集の全部に行き渡るやいなや、人の努力は影を潜めて、行く手に輝く希望の光は鈍ってくる。そして鉛色の野の果てからは、腐肥をあさる卑しい鳥の羽音が聞こえてくる。この時人が精力を搾って忘れようと勉めた二つの道は、まざまざと眼前に現われて、救いの道はただこの二つぞと、悪夢のごとく強く重く人の胸を圧するのである。 六  人はいろいろな名によってこの二つの道を呼んでいる。アポロ、ディオニソスと呼んだ人もある。ヘレニズム、ヘブライズムと呼んだ人もある。Hard-headed, Tender-hearted と呼んだ人もある。霊、肉と呼んだ人もある。趣味、主義と呼んだ人もある。理想、現実と呼んだ人もある。空、色と呼んだ人もある。このごときを数え上げることの愚かさは、針頭の立ちうる天使の数を数えんとした愚かさにも勝った愚かさであろう。いかなるよき名を用いるとも、この二つの道の内容を言い尽くすことはできまい。二つの道は二つの道である。人が思考する瞬間、行為する瞬間に、立ち現われた明確な現象で、人力をもってしてはとうてい無視することのできない、深奥な残酷な実在である。 七  我らはしばしば悲壮な努力に眼を張って驚嘆する。それは二つの道のうち一つだけを選み取って、傍目もふらず進み行く人の努力である。かの赤き道を胸張りひろげて走る人、またかの青き道をたじろぎもせず歩む人。それをながめている人の心は、勇ましい者に障られた時のごとく、堅く厳しく引きしめられて、感激の涙が涙堂に溢れてくる。  いわゆる中庸という迷信に付随しているような沈滞は、このごとき人の行く手にはさらに起こらない。その人が死んで倒れるまで、その前には炎々として焔が燃えている。心の奥底には一つの声が歌となるまでに漲り流れている。すべての疲れたる者はその人を見て再びその弱い足の上に立ち上がる。 八  さりながらその人がちょっとでも他の道を顧みる時、その人はロトの妻のごとく塩の柱となってしまう。 九  さりながらまたその人がどこまでも一つの道を進む時、その人は人でなくなる。釈迦は如来になられた。清姫は蛇になった。 一〇  一つの道を行く人が他の道に出遇うことがある。無数にある交叉点の一つにぶつかることがある。その時そこに安住の地を求めて、前にも後ろにも動くまいと身構える向きもあるようだ。その向きの人は自分の努力に何の価値をも認めていぬ人と言わねばならぬ。余力があってそれを用いぬのは努力ではないからである。その人の過去はその人が足を停めた時に消えてなくなる。 一一  このディレンマを破らんがために、野に叫ぶ人の声が現われた。一つの声は道のみを残して人は滅びよと言った。あまりに意地悪き二つの道に対する面当てである。一つの声は二つの道を踏み破ってさらに他の知らざる道に入れと言った。一種の夢想である。一つの声は一つの道を行くも、他の道を行くも、その到達点にして同一であらばかまわぬではないかと言った。短い一生の中にもすべてを知り、すべてたらんとする人間の欲念を、全然無視した叫びである。一つの声は二つの道のうち一つの道は悪であって、人の踏むべき道ではない、悪魔の踏むべき道だと言った。これは力ある声である。が一つの道のみを歩む人がついに人でなくなることは前にも言ったとおりである。 一二  今でもハムレットが深厚な同情をもって読まれるのは、ハムレットがこのディレンマの上に立って迷いぬいたからである。人生に対して最も聡明な誠実な態度をとったからである。雲のごとき智者と賢者と聖者と神人とを産み出した歴史のまっただ中に、従容として動くことなきハムレットを仰ぐ時、人生の崇高と悲壮とは、深く胸にしみ渡るではないか。昔キリストは姦淫を犯せる少女を石にて搏たんとしたパリサイ人に対し、汝らのうち罪なき者まず彼女を石にて搏つべしと言ったことがある。汝らのうち、心尤めされぬ者まずハムレットを石にて搏つべしと言ったらばはたして誰が石を取って手を挙げうるであろう。一つの道を踏みかけては他の道に立ち帰り、他の道に足を踏み入れてなお初めの道を顧み、心の中に悶え苦しむ人はもとよりのこと、一つの道をのみ追うて走る人でも、思い設けざるこの時かの時、眉目の涼しい、額の青白い、夜のごとき喪服を着たデンマークの公子と面を会わせて、空恐ろしいなつかしさを感ずるではないか。  いかなる人がいかに言うとも、悲劇が人の同情を牽くかぎり、二つの道は解決を見いだされずに残っているといわねばならぬ。  その思想と伎倆の最も円熟した時、後代に捧ぐべき代表的傑作として、ハムレットを捕えたシェクスピアは、人の心の裏表を見知る詩人としての資格を立派に成就した人である。 一三  ハムレットには理智を通じて二つの道に対する迷いが現われている。未だ人全体すなわちテムペラメントその者が動いてはいない。この点においてヘダ・ガブラーは確かに非常な興味をもって迎えられるべき者であろう。 一四  ハムレットであるうちはいい。ヘダになるのは実に厭だ。厭でもしかたがない。智慧の実を味わい終わった人であってみれば、人として最上の到達はヘダのほかにはないようだ。 一五  長々とこんなことを言うのもおかしなものだ。自分も相対界の飯を喰っている人間であるから、この議論にはすぐアンチセシスが起こってくることであろう。
底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店    1969(昭和44)年1月30日改版初版    1979(昭和54)年4月30日発行改版14版 初出:「白樺」    1910(明治43)年5月 入力:鈴木厚司 校正:鈴木厚司 1999年2月13日公開 2011年1月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 たけなわな秋のある一夜。  光の綾を織り出した星々の地色は、底光りのする大空の紺青だった。その大空は地の果てから地の果てにまで広がっていた。  淋しく枯れ渡った一叢の黄金色の玉蜀黍、細い蔓――その蔓はもう霜枯れていた――から奇蹟のように育ち上がった大きな真赤なパムプキン。最後の審判の喇叭でも待つように、ささやきもせず立ち連なった黄葉の林。それらの秋のシンボルを静かに乗せて暗に包ませた大地の色は、鈍色の黒ずんだ紫だった。そのたけなわな秋の一夜のこと。  私たちは彼女の家に近づいた。末の妹のカロラインが、つきまとわるサン・ベルナール種のレックスを押しのけながら、逸早く戸を開けると、石油ランプの琥珀色の光が焔の剣のような一筋のまぶしさを広縁に投げた。私と連れ立った彼女の兄たちと妹とは、孤独の客のいるのも忘れて、蛾のように光と父母とを目がけて駆け込んだ。私は少し当惑してはいるのをためらった。ばね仕掛けであるはずの戸が自然にしまらないのを不思議に思ってふと気がつくと、彼女が静かにハンドルを握りながら、ほほえんで立っていた。私は彼女にはいれと言った。彼女は黙ったまま軽くかぶりをふって、少しはにかみながらそれでもじっと私の目を見詰めて動こうとはしなかった。私は心から嬉しく思って先にはいった。その瞬間から私は彼女を強く愛した。  フランセス――しかし人々は彼女を愛してファニーと呼ぶのだ。  その夜は興ある座談に時が早く移った。ファニーとカロラインの眠る時が来た。ブロンドの巻髪を持ったカロラインはもう眠がった。栗色の癖のない髪をアメリカ印度人のように真中から分けて耳の下でぶつりと切ったファニーの眼はまだ堅かった。ファニーはどうしてもまだ寝ないと言い張った。齢をとったにこやかな母が怒るまねをして見せた。ファニーは父の方に訴えるような眼つきを投げたが、とうとう従順に母の膝に頭を埋めた。母は二人の童女の項に軽く手を置き添えて、口の中で小さな祝祷を捧げてやった報酬に、まず二人から寝前の接吻を受け取った。それから父と兄らとが接吻を受けた。二人が二階にかけ上がろうとすると母が呼びとめて、お客様にも挨拶をするものだと軽くたしなめた。カロラインは飛んで帰ってきて私と握手した。ファニーは――ファニーは頸飾りのレースだけが眼立つほど影になった室の隅から軽く頸をかしげて微笑を送ってよこした。そして二人は押し合いへし合いしながらがたがたと小さい階子段をかけ上って行った。その賑やかな音の中に「ファニーのはにかみ屋め、いたずら千万なくせに」と言う父のひとり言がささやかれた。        *       *       *  寒く、淋しく、穏やかに、晩秋の田園の黎明が来た。窓ガラスに霜華が霞ほど薄く現われていた。衣服の着代えをしようとしてがんじょう一方な木製の寝台の側に立っていると、戸外でカロラインと気軽く話し合うファニーの弾むような声が聞こえた。私はズボンつりをボタンにかけながら窓ぎわに倚り添って窓外を見下ろした。  一面の霜だ。庭めいた屋前の芝生の先に木柵があって、木柵に並行した荷馬車の通うほどな広さの道の向こうには、かなり大きな収穫小屋が聳えて見えた。収穫小屋の後ろにはおおかた耡き返されて大きな土塊のごろごろする畑が、荒れ地のように紫がかって広がっていた。その処々は、落葉した川柳が箒をさかしまに立て連ねたようにならんでいる。轍の泥のかんかんにこびりついたままになっている収穫車の上には、しまい残された牧草が魔女の髪のようにしだらなく垂れ下がっていた。それらすべての上に影と日向とをはっきり描いて旭が横ざしにさしはじめていた。烏の声と鶏の声とが遠くの方から引きしまった空気を渡ってガラス越しに聞こえてきた。自然は産後の疲れにやつれ果てて静かに産褥に眠っているのだ。その淋しさと農人の豊かさとが寛大と細心の象徴のように私の眼の前に展けて見えた。  私はファニーを探し出そうとした。眼の届く限りに姿は見えないなと思う間もなく収穫小屋の裏木戸が開いて、斑入りの白い羽を半分開いて前に行くものの背を乗り越し乗り越し走り出た一群の鶏といっしょに、二人の童女が現われ出た。二人は日向に立った。そのまわりには首を上に延ばしたりお辞儀をしたりする鶏が集まった。一羽はファニーの腕にさえとまった。カロラインがかかげていたエープロンをさっと振り払うと、燕麦が金の砂のように凍った土の上に散らばった。一羽の雄鶏は群れから少し離れて高々と時をつくった。  ファニーのエープロンの中には小屋のあちこちから集めた鶏卵があった。彼女はそれを一つ一つ大事そうに取り出して、カロラインと何か言い交わしながら、木戸を開いて母屋の方に近づいてきた。朝寒がその頬に紅をさして、白い歯なみが恥ずかしさを忘れたように「ほほえみの戸口」から美しく現われていた。私はズボンつりを左手に持ちなおして、右の中指で軽く窓のガラスをはじいた。ファニーは笑みかまけたままの顔を上げて私の方を見た。自然に献げた微笑を彼女は人間にも投げてくれた。私の指先はガラスの伝えた快い冷たさを忘れて熱くなった。        *       *       *  夏が来てから私はまたこの農家を訪れた。私は汽車の中でなだらかな斜面の半腹に林檎畑を後ろにしてうずくまるように孤立するフランセスの家を考えていた。白く塗られた白堊がまだらになって木地を現わした収穫小屋、その後ろに半分隠れて屋根裏ともいえる低い二階を持った古風な石造りの母屋、その壁面にならんで近づく人をじっと見守っているような小さな窓、前さがりの庭に立ちそぼつ骨ばった楡ととねりこ、そして眼をさすように上を向いて尖った灌木の類、綿と棘とに身よそおいした薊の亡骸、針金のように地にのたばった霜枯れの蔓草、風にからからと鳴るその実、糞尿に汚れ返ったエイシャー種の九頭の乳牛、飴のような色に氷った水たまり、乳を見ながら飲もうともしない病児のように、物うげに日光を尻目にかけてうずくまった畑の土……。  しかしその家に近づいた私の眼は私の空想を小気味よく裏切ってくれた。エメラルドの珠玉を連ねわたしたように快い緑に包まれたこの小楽園はいったい何処から湧いて出たのだ。母屋の壁の鼠色も収穫小屋のまだらな灰白色も、緑蔭と日光との綾の中にさながら小跳りをしているようだ。木戸はきしむ音もたてずに軽々と開いた。私はビロードの足ざわりのする芝生を踏んで広縁に上がった。虫除けの網戸を開けて戸をノックした。一度。二度。三度。応える者がない。私はなんの意味もなくほほえみながら静かに立ってあたりを見廻した。縁の欄干から軒にかけて一面に張りつめた金網にはナスターシャムと honey-suckle とが細かくからみ合って花をつけながら、卵黄ほどな黄金の光を板や壁の所々に投げ与えていた。その濃緑の帷からは何処ともなく甘い香りと蜂の羽音とがあふれ出てひそやかな風に揺られながら私を抱き包んだ。  突然裏庭の方で笑いどよめく声が起こった。私はまた酔い心地にほほえみながら、楡の花のほろほろと散る間をぬけて台所口の方に廻った。冬の間に燃き捨てた石炭殻の堆のほかには、靴のふみ立て場もないほどにクロヴァーが茂って、花が咲きほこっていた。よく肥った猫が一匹人おじもせずにうずくまって草の間に惜しげもなく流れこぼれた牛の乳をなめていた。  台所口をぬけるとむっとするほどむれ立った薔薇の香りが一時に私を襲ってきた。感謝祭に来た時には荊棘の迷路であった十坪ほどの地面が今は隙間もなく花に埋まって、夏の日の光の中でいちばん麗しい光がそれを押し包んでいた。私は自分の醜さを恥じながらその側を通った。ふと薔薇の花がたわわに動いた。見返る私の眼にフランセスの顔が映った。彼女は薔薇といっしょになってほほえんでいた。  腕にかけた経木籃から摘み取った花をこぼしこぼしフランセスの駈け出す後に私も従った。跣足になった肉づきの恰好な彼女の脚は、木柵の横木を軽々と飛び越して林檎畑にはいって行った。私は彼女の飛び越えた所にひとかたまり落ち散った花を、気ぜわしく拾い上げた。見るとファニーは安楽椅子に仰向きかげんに座を占めた母に抱きついて処きらわず続けさまに接吻していた。蜘の巣にでも悩まされたように母が娘を振り離そうとするのを、スカルキャップを被った小柄な父は、読みかけていた新聞紙をかいやって鉄縁の眼鏡越しに驚いて眺めていた。此処ではまた酒のような芳醇な香が私を襲った。シャツ一枚になって二の腕までまくり上げた兄らの間には大きな林檎圧搾機が置かれて、銀色の竜頭からは夏を煎じつめたようなサイダーの原汁がきらきらと日に輝きながら真黒に煤けた木槽にしたたっていた。その側に風に吹き落とされた未熟の林檎が累々と積み重ねられていた。兄らは私を見つけると一度に声を上げた。そして蜜蜂に体のめぐりをわんわん飛び廻らせながら一人一人やってきて大きな手で私の手を堅く握ってくれた。その手はどれも勤労のために火のように熱していた。私は少し落ち着いてからファニーの方を見た。彼女は上気した頬を真赤にさせて、スカーツから下はむきだしになった両足をつつましく揃えて立っていた。あの眼はなんという眼だ。この何もかにも明らさまな夏の光の下で何を訝り何を驚いているのだ。        *       *       *  ある朝両親はいつものとおり古ぼけた割幌の軽車を重い耕馬に牽かせて、その朝カロラインが集めて廻った鶏卵を丹念に木箱に詰めたのを膝掛けの下に置いて、がらがらと轍の音をたてながら村の方に出かけて行った。帰りの馬車は必要な肉類と新聞紙と一束の手紙類とをもたらしてくるのだ。私は朝の読書に倦んでカロラインを伴れて庭に出た。花園の側に行くとその受持ちをしているファニーが花の中からついと出てきて私たちをさしまねいた。そして私を連れて林檎畑にはいって行った。カロラインと何かひそひそ話をした彼女の眼はいたずらそうな光を輝かしていた。少し私を駆け抜けてから私の方を向いて立ち止まって私にも止まれと言った。私は止まった。自分の方を真直に見てほかに眼を移してはいけないと言った。私はどうして他見をする必要があろう。一、二、三、兵隊のように歩調を取って自分の所まで歩いてこい、そう彼女は私に厳命を下した。私はすなおにも彼女を突き倒すほどの意気込みで歩きだした。五歩ほど来たと思うころ私は思わず跳り上がった。跣足になった脚の向脛に注射針を一どきに十筒も刺し通されたほどの痛みを覚えたからだ。ファニーとカロラインが体を二つに折って笑いこけているのをいまいましくにらみつけながら足許を見ると、紫の花をつけた一茎の大薊が柊のような葉を拡げて立っていた。私はいきなり不思議な衝動に駆られた。森の中に逃げ込むニンフのようなファニーを追いつめて後ろから抱きすくめた私はバッカスのようだった。ファニーは盃に移されたシャンパンが笑うように笑い続けて身もだえした。頭の上に広がった桜の葉蔭からは桜桃についた一群の椋鳥が驚いてうとましい声を立てながら一時に飛び立った。私ははっと恥を覚えてファニーを懐から放した。私の胸は小痛いほどの動悸にわくわくと恐れおののいていた。ファニーは人の心の嶮しさを知らないのだ。踊る時のような手ぶりをして事もなげに笑い続けていた。        *       *       *  書棚とピアノとオルガンと、にわか百姓の素性を裏切る重々しい椅子とで昼も小暗い父の書斎は都会からの珍客で賑わっていた。すべてが煤けて見える部屋の一隅に、盛り上げた雪のように純白なリンネルを着た貴女はなめらかな言葉で都会人らしく田園を褒め讚えていた。今日はカロラインまでが珍しく靴下と靴とをはいていた。ふと其処にファニーが素足のままで手に一輪の薔薇を捧げて急がしくはいってきた。彼女は貴女のいるのに気づくと手持ち無沙汰そうに立ちすくんだ。貴女とファニーとがこの部屋の二つの極のように見えた。母が母らしく立ち上がって無作法を責めながら髪をけずり衣物を整えに二階にやろうとするのを、貴女は椅子から立ち上がりさえして押しとどめた。そして飾り気のない姿の可憐さと、野山に教えられた無邪気な表情とをあくまで賞めそやした。ファニーはもう通常の快活さを取りかえして、はにかみもせずに父に近づいて、その皺くちゃな手に薔薇の花を置いた。 「パパ、これがこの夏咲いた花の中でいちばん大きなきれいな花です」  父はくすぐったいようにほほえみながら、茎を指先につまんでくるくるとまわしてみた。都会人の田舎人を讃美すべきこの機会を貴女はどうしてのがしていよう。 「ファニー貴女は小さな天使そのものですね」  ときれいな言葉で言いながら父の方に手を延ばした。父は事もなげに花を貴女に渡すと、貴女はちょっと香をかいで接吻して、驚いた表情をしながらその花に見とれてみせた。ファニーははじめてほがらかな微笑を頬に湛えて貴女の方を見た。そして脚の隠れそうな物蔭に腰から上だけを見せて座を占めた。貴女は続けてときどき花の香をかぎかぎ、ファニーを相手に、怜悧らしくちょいちょい一座を見渡しながら、 「この薔薇は紅いでしょう。なぜ世の中には紅いのと白いのとあるか知っておいで?」  と首を華やかにかしげて聞いた。ファニーは「知りません」とすなおに答えて頭をふった。「それでは教えてあげましょうね。その代わりこれをくださいよ。昔ある所にね」という風にナイチンゲールが胸を棘にかき破られてその血で白の花弁を紅に染めたというオスカー・ワイルドの小話を語り始めた。ファニーばかりでなく母までが感に入ってそのなめらかな話し振りに聞き惚れた。話がしまわないうちに台所裏で鶏がけたたましくなき騒いだ。鶏の世話を預かるカロラインは大きな眼を皿のようにして跳り上がった。家内じゅうも一大事が起こったように聞き耳を立てた。カロラインが部屋を飛び出しながら、またレックスが悪戯をしたんだと叫ぶと、犬好きのファニーは無気になって大きな声で「レックスがそんなことをするもんですか。猫よきっとそれは」と口惜しそうに叫んだ。「ミミーなもんですか」と口返しする癇高な妹の声はもう台所口の方で聞こえた。一座が鎮まると貴女は薔薇の話は放りやって、父や母とロスタンのシャンテクレールの噂を始めだした。ファニーはもう会話の相手にはされていなかった。その当時売り出した、バリモアというオペラ女優の身ぶりなどを巧みにまねながら貴女は手に持っていた薔薇を無意識に胸にさしてしまった。しばらく黙って聞いていたファニーが突然激しくパパと呼びかけた。私はファニーを見た。いやにまじめくさった彼女の頬はふくれていた。父はたしなめるように娘を見やった。ファニーは負けていなかった。ちょっと言葉を途切らした貴女がまた話し続けようとすると、ファニーはまた激しくパパと言う。父は貴女の手前怒って見せなければならなくなった。 「不作法な奴だな、なんだ」 「That rose was given to you, Papa dear !」 「I know it.」 「You don't know it !」  しまいの言葉を言った時ファニーの唇は震えていた。涙が溜ったのじゃあるまい。しかし眼は輝いていた。父は少し自分の弱味が裏切られたような苦笑いをしている。貴女はほほえんでしばらく口をつぐんでいたが、また平気で前の話を始めだした。父と母とはこの場の不作法を償い返そうとでもするように、いっそう気を入れて貴女の話に耳を傾けた。繊細な情緒にいつでもふるえているように見えた貴女の心は、ファニーの胸の中を汲み取ってはやらぬらしい。田舎娘は矢張り田舎娘だとさえも思ってはいないようだ。私は可哀そうになってファニーを見た。その瞬間に彼女も私を見た。私は勉めて好意をこめた微笑を送ってやろうとしたが、それは彼女のいらいらと怒った眼つきのために打ちくだかれた。ファニーは軽蔑したように二度とは私を見返らなかった。そしてしばらくしてからふと立って外に出て行った。入れちがいにカロラインがはいってきて鶏の無事だったことを事々しく報告した。貴女は父母になり代わったように、笑みかまけてカロラインの報告にうなずいて見せた。  しばらくしてから戸がまた開いたと思うとファニーがそっとはいってきた。忠義を尽くしながらかえって主人に叱られた犬のような遠慮と謙遜とを身ぶりに見せながら父の側に近づいて、そっとその手にまた一輪の薔薇の花を置いた。話の途切れるのをおとなしく待ちつけて、 「これが二番目にきれいな薔薇なの、パパ」  と言いながら柔和な顔をして貴女を見た。一生懸命に柔和であろうとする小さな努力が傍目にもよく見えた。 「そうか」無口な父は微笑を苦笑いに押し包んだような顔をして言った。 「これを○○夫人にあげましょうか」  父はただうなずいた。 「これが貴女のです」  ファニーはそれを貴女に渡した。貴女は軽く挨拶してそれを受け取るとさきほどのに添えて胸にさした。ファニーは貴女が最初の薔薇と取り代えてくれるに違いないと思い込んでいたらしいのに、貴女はまたそれには気がつかないらしい。ファニーがいつまでもどかないので挨拶がし足りないと思ったのか、 「Thank you once more, dear.」  とまた軽く辞儀をした。ファニーもその場の仕儀で軽く頭を下げたものだから、もうどうすることもできなかった。うつむいたままでまた室を出て行った。その姿のいたいたしさは私の胸を刺すばかりだった。  私はしばらくじっとして堪えていたが、なんだかファニーが哀れでならなくなって、静かに部屋をすべり出た。食堂と居間とを兼ねた隣の部屋にも彼女はいなかった。静かな台所でことことと音のするのを便りに其処の戸を開けてみると、ファニーが後ろ向きになって洗い物をしていた。人の近づくのに気がついて振り返った彼女の眼は、火のように燃えていた。そして気でも狂ったように手にしたたった水を私の顔にはじきかけた。  貴女が暇乞いをして立つ時、父は物優しくファニーの無礼をことわって、いちばん美しい薔薇を返してもらった。客の帰ったのを知って台所から出て来たファニーが父の手にその薔薇のあるのをちらと見ると、もうたまらないというようにかけ寄ってその胸に顔を埋めた。父が何かたしなめると、 「This rose is yours anyhow, Papa.」  とファニーが震え声で言った。そして堪え堪えしていたすすり泣きがややしばらく父の胸と彼女の顔との間からメロディーのように聞こえていた。        *       *       *  次の年の春に私はまたこの一つの家を訪れた。桜の花が雪のように白くなって散り始め、ライラックがそのろうたけた紫の花房と香とで畑の畦を飾り、林檎が田舎娘のような可憐な薄紅色の蕾を武骨な枝に処せまきまで装い、菫と蒲公英が荒土を玉座のようにし、軟らかい牧草の葉がうら若いバッカスの顔の幼毛のように生え揃い、カックーが林の静かさを作るために間遠に鳴き始めるころだった。空には鳩がいた。木には木鼠がいた。地には亀の子がいた。  すべての物の上に慈悲のような春雨が暖かく静かに降りそそいでいた。私の靴には膏薬のように粘る軟土が慕いよった。去年の夏訪れた時に誰もいなかった食堂を兼ねた居間には、すべての家族がいた。私の姿を見ると一同は総立ちになって「ハロー」を叫んだ。ファニーがいつもの快活さで飛んできて戸を開けてくれた。遠慮のなくなった私は、日本人のするように戸口で靴をぬぎ始めた。毛の毯のようなきれいな仔猫が三匹すぐ背をまるめて靴の紐に戯れかかった。  母と握手した。彼女は去年のままだった。父と握手した。彼はめっきり齢をとって見えた。ファニーの兄たちは順繰りに去年の兄ぐらいずつの背たけになっていた。カロラインはベビーと呼ばれるのが似合わぬくらいになった。ファニーは――今までいたはずのファニーは見えなかった。少しせっかちな父は声を上げてその名を呼んだが答えがない。父はしばらく私と一別以来のことを話し合ったりしていたが、矢張り気になるとみえて、また大声でファニーを呼び立てた。その声の大きさに背負投げを喰わしてファニーの「Here you are」という返事は、すぐ二階に通う戸の後ろから来た。そして戸が開いた。ファニーは前から戸の間ぎわまで来ていたのにきっかけを待って出てこなかったのだと知った私は、ちょっと勝手が違うような心持ちがした。顔じゅう赤面しながらそれでも恥ずかしさを見せまいとするように白い歯なみをあらわにほほえんでファニーはつかつかと私の前に来て、堅い握手をした。 「めかして来たな」  兄から放たれたこの簡単なからかいは、しかしながらファニーの心を顛倒させるのに十分だった。顔を火のように赤くしてその兄をにらんだと思うと戸口の方に引き返した。部屋じゅうにどっと笑いが鳴りはためいた。ファニーの眼にはもう涙の露がたまっていた。  ファニーはけっして素足を人に見せなくなった。そして一年の間に長く延びた髪の毛は、ファウストのマーガレットのように二つに分けて組み下げにされていた。それでもその翌日から彼女は去年のとおりな快活な、無遠慮な、心から善良なファニーになった。私たちはカロラインと三人でよく野山に出て馬鹿馬鹿しい悪戯をして遊んだ。  其処に行ってから三日目に、この家で決めてある父母の誕生日が来た。兄たちは鶏と七面鳥とを屠った。私と二人の娘とは部屋の装飾をするために山に羊歯の葉や草花を採りに行った。  木戸を開けて道に出ると、収穫小屋の側の日向に群がって眼を細くしながら日の光を浴びていた乳牛が、静かに私たちを目がけて木柵のきわに歩みよってきた。毛衣を着かえたかと思うようにつやつやしい毛なみは一本一本きらきらと輝いた。生まれてほどもない仔牛は始終驚き通しているような丸い眼で人を見やりながら、柵から首を長く延ばして、さし出す二本の指を、ざらざらした舌で器用に巻いてちゅうちゅう吸った。私たちは一つかみずつの青草をまんべんなく牛にやって、また歩きだした。カロラインは始終大きな声で歌い続けた。その声が軽い木魂となって山から林からかえってくる。  カロラインはまた電信をしようと言いだした。ファニーはいやだと言った。末子のカロラインはすぐ泣き声になってどうしてもするのだと言い張る。ファニーは姉らしく折れてやって三人は手をつないだ。私は真中にいてカロラインからファニーにファニーからカロラインに通信をうけつぐのだ。カロラインが堅く私の手を握ると私もファニーの手を堅く握らねばならぬ。去年までは私がファニーの手を堅くしめるとファニーも負けずにしめ返したのに、今年はどうしても堅く握り返すことをしない。そしてその手は気味の悪いほど冷たかった。ファニーから来る通信がいつでもなまぬるいので、カロラインは腹を立ててわやくを言いだした。ファニーは「それではやめる」と言ったきり私の手を放してしまった。カロラインがいかに怒ってみても頼んでみても、もうファニーは私と手をつなごうとはしなかった。  森にはいると森の香が来て私たちを包んだ。樫も、楡もいたやもすべての葉はライラックの葉ほどに軟らかくて浅い緑を湛えていた。木の幹がその特殊な皮はだをこれ見よがしに葉漏りの日の光にさらして、その古い傷口からは酒のような樹液がじんわりと浸み出ていた。樹液のにじみ出ている所にはきっと穴を出たばかりの小さな昆虫が黒くなってたかっていた。蜘蛛も巣をかけはじめたけれども、その巣にはまだ犠牲になった羽虫がからまっているようなことはない。露だけが宿っていた。静かに立って耳をそばだてるとかすかに音が聞こえる。落葉が朽ちるのか、根が水を吸うのか、巻き葉が拡がるのか、虫がささやくのか、風が渡るのか、その静かな音、音ある静かさの間に啄木鳥とむささびがかっかっと聞こえ、ちちと聞こえる声を立てる。頭を上げると高い梢をすれずれにかすめて湯気のような雲が風もないのに飛ぶように走る。その先には光のような青空が果てしもなく人の視力を吸い上げて行く。  私たち三人は分かれ分かれになって花をあさり競った。あまりに遠く隔てると互いに呼びかわすその声が、美しい丸みを持って自分の声とは思えないほどだ。私は酔い心地になって、日あたりのいい斜面を選んで、羊歯を折り敷いて腰をおろした。村の方からは太鼓囃しをごく遠くで聞くような音がかすかにほがらかに伝わってくる。足の下に踏みにじられた羊歯の青くさい香を私は耳でかいでいるような気がした。私はごく上面なセンチメンタルな哀傷を覚えた。そして長いとも短いとも定めがたい時が過ぎた。  ふと私は左の耳に人の近づく気配を感じた。足音を忍んでいるのを知ると私は一種の期待を感じた。そしてその足音の主がファニーであれかしと祈った。足音はやや斜め後ろから間近になると突然私の眼の前に、野花をうざうざするほど摘み集めた見覚えのある経木の手籃が放り出された。私はおもむろに左を見上げた。ファニーが上気して体じゅうほほえんで立っていた。  しばらく躊躇していたがファニーはやがて私の命ずるままに私の側近くすわった。二人きりになると彼女はかえって心のぎごちなさを感じないようにも見えた。何か話し合っているうちに二人はいつしか兄弟のような親しみに溶け合った。彼女は手籃を引きよせて、花を引き出しながらその名を教えてくれた。蕃紅花、毛莨、委蕤、Bloodroot, 小田巻草、ふうりん草、Pokeweed …… Bloodroot はこのとおり血が出る。蕃紅花は根が薬になる。Pokeweed の芽生えはアスパラガスの代わりに食べられるけれども根は毒だから食べてはいけない。毛莨は可愛いではないか、王の酒杯という名もある。小田巻草は心変わりの花だ。そういう風に言ってきてふとしばらく黙った。そして私をじっと見た。私は彼女の足許に肱をついて横たわりながら彼女の顔を見上げた。今までついぞ見たことのなかった人に媚びるような表情が浮かんでいた。彼女はそれを意識せずにやっている。それはわかる。しかし私は不快に思わずにはいられなかった。  There's Fennel for you, and Columbsines ……  ふと彼女は狂気になったオフェリヤが歌う小歌を口ずさんで小田巻草を私に投げつけた。ファニーはとうとう童女の境を越えてしまったのだ。私は自然に対して裏切られた苦々しさを感じて顔をしかめた。私はもう一度顔を挙げて「ファニー」と呼んだ。ファニーはいそいそとすぐ「なに?」と応えたが、私の顔にも声にも今までとは違った調子の現われたのを見て取って、自分も妙に取りかたづけた顔になった。 「お前はもう童女じゃない、処女になってしまったんだね」  ファニーは見る見る額のはえぎわまで真赤になった。自分の肢体を私の眼の前に曝すその恥ずかしさをどうしていいのかわからないように、深々とうなだれて顔を挙げようとはしなかった。手も足も胴も縮められるだけ縮めて私の眼に触れまいとするように彼女は恥に震えた。  火のようなものが私の頭をぬけて通った。ファニーは私の言葉に勘違いをしたな。私はそんなつもりで言ったのじゃないと気が付くと、私はたまらないほどファニーがいじらしく可哀そうになった。 「そんなに髪を伸ばして組んだりなんぞするからいけないんだ。元のようにおし」  しかしその言葉は、落葉が木の枝から落ちて行くように、彼女の心に触れもしないですべり落ちた。  帰り路にカロラインは私たち二人の変わり果てた態度にすぐ気がついて訝りだした。幼心に私たちは口喧嘩でもしたと思ったのだろう、二人の間を行きつもどりつしてなだめようと骨折った。  この日から私は童女の清浄と歓喜とに燃えた元のようなファニーの顔を見ることができなくなってしまった。        *       *       *  永久にこの家から暇乞いをすべき日が来た。ファニーは朝から私の前に全く姿を見せなかった。昼ごろ馬車の用意ができたので、私は家族のものに離別の握手をしたが、ファニーは矢張りいなかった。兄らは広縁に立って大きな声でその名を呼んでみた。むだだった。私は庭に降りて収穫小屋の方に行ってみた。その表戸によりかかって春の日を浴びながら彼女はぼんやり畑の方を見込んで立っていた。私のひとりで近づくのを見ると彼女ははっと思いなおしたようにずかずかと歩み寄ってきた。私はせめてはこの間の言いわけをして別れたいと思っていた。二人は握手した。冷え切ったファニーの手は堅く私の手を握った。私がものを言う前にファニーは形ばかり口の隅に笑みを見せながら「Farewell !」と言った。 「ファニー」  私の続ける暇も置かせずファニーはまた「Farewell !」とたたみかけて言った。そしてもう一度私の手を堅く握った。
底本:「生まれ出づる悩み」角川文庫、角川書店    1969(昭和44)年5月10日改版初版発行    1980(昭和55)年11月10日改版22版発行 初出:「新家庭 第一巻第一号」玄文社    1916(大正5)年3月1日発行 ※「私の目」と「私の眼」、「処々」と「所々」、「延」と「伸」、「無作法」と「不作法」、「蜘蛛《くも》」と「蜘《くも》」、「荊棘《いばら》」と「棘《いばら》」の混在は、底本通りです。 ※底本巻末の註釈は省略しました。 ※誤植を疑った箇所を、初出の表記にそって、あらためました。 入力:呑天 校正:えにしだ 2019年2月22日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "056503", "作品名": "フランセスの顔", "作品名読み": "フランセスのかお", "ソート用読み": "ふらんせすのかお", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「新家庭 第一巻第一号」玄文社、1916(大正5)年3月1日", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2019-03-04T00:00:00", "最終更新日": "2019-02-22T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card56503.html", "人物ID": "000025", "姓": "有島", "名": "武郎", "姓読み": "ありしま", "名読み": "たけお", "姓読みソート用": "ありしま", "名読みソート用": "たけお", "姓ローマ字": "Arishima", "名ローマ字": "Takeo", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1878-03-04", "没年月日": "1923-06-09", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "生まれ出づる悩み", "底本出版社名1": "角川文庫、角川書店", "底本初版発行年1": "1969(昭和44)年5月10日", "入力に使用した版1": "1980(昭和55)年11月10日改版22版", "校正に使用した版1": "1985(昭和60)年8月30日改版28版", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "呑天", "校正者": "えにしだ", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/56503_ruby_67372.zip", "テキストファイル最終更新日": "2019-02-22T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/56503_67321.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2019-02-22T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 もう一年になつた。早いもんだ。然し待つてくれ給へ。僕はこゝまで何の氣なしに書いて來たが、早いもんだとばかりは簡單に云ひ切る事も出來ないやうな氣がする。僕が僕なりにして來た苦心はこの間の時間を長く思はせもする。まあ然し早いもんだと云つておかう。早いもんだ。妻が死んだ時電報を打つたら君はすぐ駈けつけてくれたが、その時僕がどんな顏で君を迎へたかは一寸想像がつかない。僕は多分存外平氣な顏をしてゐた事と思ふがどうだ。その時の君の顏は今でもはつきり心に浮べて見る事が出來る。この男が不幸な眼に遇ふ――へえ、そんな事があるのかな、何かの間違ひぢやないのか。そんな顏を君はしてゐた。  僕は實際その後でも愛する妻を失つた夫らしい顏はしなかつたやうだ。この頃は大分肥つても來たし、平氣で諸興行の見物にも出懸けるし、夜もよく眠るし、妻の墓には段々足が遠のくし、相變らず大した奮發もしないで妻がゐる時とさして變らない生活をしてゐる。ある友達は僕が野心がなさ過ぎるから皆んなで寄つてたかつて、侮辱でもして激勵しなければ駄目だと云つたさうだ。まあその位に無事泰平でゐる。君が僕の容子を見たら一つ後妻でも見附けてやらうかと思ふ程だらう。夫れ程物欲しげな顏をしてゐる時もある。怒つてくれるなよ。決して僕が不人情だからではない、是れが僕の性質なんだ。僕の幸運が僕をさうしたのだ。  實際僕ほど運命に寵愛された男は珍らしいと云つていゝだらう。小さい頃神社や佛閣に參詣した時、僕を連れて行つてくれた人達が引いてくれたお神䰗には何時でも大吉と書かれてゐた。五黄の寅と云ふのは強い運星だと誰れでも云つた。實際その通りだつた。少年時代に僕の持つた只一つの不幸は非常に羸弱な體質と、それに原因する神經過敏だつたが、夫れも青春期からは見事に調節されて兵隊にさへ取られる程の頑健さになつた。  君はそこまで氣が附いてゐるか如何か知らないが、幸福の中でも最も幸福な事は、君も知つてる通りの僕の平凡がさせる業だ。生立ちが平凡であつたばかりではない、行爲事業が平凡であつたばかりではない、對社界的關係が平凡であつたばかりではない、僕の人物が都合よく平凡である事だ。僕の人物は感心によく平均されて出來てゐる。智能も感能も誠によく揃つて出來てゐる。容貌も體格も實によく釣合つて出來てゐる。而してその凡てが十人並に。そこで僕は幼年時代にはさるやむごとなきお方のお學友と云ふものに選ばれた。中學校を卒業してある田舍の學校に行く時、僕等の畏敬した友人は、僕に「送○○君序」を書いて「君資性温厚篤實」とやつた。大學では友人が僕に話しかける時は大抵改つた敬語をつかつた、――○○君はあまり圓滿だから同輩のやうな氣がしないと云つて。教會に出入する頃は日曜學校の教師にされた。教員をすると校長附主事と云ふ三太夫の役を仰附かつた。家庭では時たま父に反抗したが、毎でも愚圖々々に妥協がついてゐた。母は、感心な程癇癪を起さない、實直な、働き甲斐のない男として、憐れむやうな氣味でゐる。弟は銀行會社の監査役になる事が一番安全な道だと考へてゐる。妹は小兒教育が最も適當だらうと勸める。ある友人は、妻がまだ病氣でゐる時、若し君の細君が不幸な事にでもなると、君の性格は始めて磨きをかけられて立派なものになるだらうと豫言してくれた。僕は決して自分の幸福を見てくれがしに云ふのではないが、僕の是れまでの閲歴や、近しいものゝ觀察は、本質的なものであり、肯綮に中つたものである事を承認せざるを得ない。而して僕の幸福は自分でも認め、他人も認める、この缺點のない平凡から生れ出てゐるのだ。客氣のあつた青年時代には圓滿だと云はれる事にすら不滿を覺えたものだが、この頃のやうに長男が小學校に這入るなどゝ云ふ事になつて見ると、僕は自分の平凡をありがたく思ふばかりだ。  何と云つても、「遇ひ難き人生に遇ひて」幸福でゐられると云ふ事は不平の申出やうのない好い事だよ。餘程前に時事新報で何とか云ふ人がある月の文藝批評を書いてゐたが、泡鳴と云ふ人の書く作物には下劣な醜陋な人間ばかりが活躍してゐて、讀むのもいやになる相だ。然し人生の實相はこんなものではないと誰れが云ひ得ようと論者は作者に強く同感を表してゐた。而してその直ぐ後にコエベルと云ふ人の「問者に答へて」と云ふ文の批評がしてあつて、その西洋人の熱實な道義的氣魄(表現はこの通りではないのだよ。然し意味はさうだつた)には深い尊敬を拂ふと結んであつた。この頃の人は、僕のやうな十人並の頭では判らない程微妙な皮肉を弄するさうだから、或はその批評家も皮肉を云つてるのかも知れないけれども、まあ文字通りに取るとすると、その人なぞは隨分不幸な人だと同情に堪へなかつた。下劣、醜陋が實相である人生に居て、熱實な道義的氣魄を憧憬する――出來ない相談を常住腰にぶらさげてゐなければならないと云ふ不幸は全く同情に値する。これ程不幸な人は多分そんなに澤山ゐる譯ではないのだらうけれども。  一寸失敬、今手紙を女中が持つて來たから。  實は僕は餘程以前から云ふのも一寸恥しいやうな僕らしく平凡な道樂氣を出してゐたのだ。夫れは妻の一周忌の日に、妻の世話になつてゐた平塚の病院に行つて、そこにゐる患者達に花束を贈らうと思ひ立つてゐたのだ。そんな事を前日か何んかに當意的に、天啓的に發意しないで、何ヶ月も前から考へてゐたと云ふ事なぞは自分ながら少し幸福過ぎるやうだが、事實だから仕方がない。そこで今在院患者數の問合せに對して病院から返事が來たのだ。明日は當日だからいよ〳〵出かけるのだ。そんな事を思ひながらこの手紙を書いたもんだから「もう一年たつた。早いもんだ」と僕にしては「起し得て輕妙」な事を云つてのけた譯だ。  話を前にもどすのは面倒だから、思ひ出し放題に書き續けるが、妻が死んで百ヶ日にもならない中に、僕の耳はあつちこつちで僕の後妻の事が噂されてゐるのを聞いた。愛する妻を失つた僕に取つて……一寸又話がそれるよ。愛する妻なぞと書かれたこの手紙が萬一世間に發表されたら、いくら僕が共に語るに足らない平凡人であつても、この言葉だけは世間も齒牙にかけずにはゐられまい。中年を過ぎた男が「愛する妻」! 非凡にやり切れない事を云ふ男があつたものだ。有髯の男子である以上は、その人が女權論者であらうとも、戀愛神聖論者であらうとも、屹度かう云ふに違ひない。少くとも腹のどん底の方でかう思つてゐると云ふ事を人に見せるにちがひない。不幸な人ほど、言ひ換れば非凡な人ほど、夫婦關係なぞと云ふものより一段高い所に廣々とした餘裕を持つてゐるものだ。所が僕は平凡で從つて實直だから、思つた通りに愛する妻と云つてしまふ次第だ。……是れから又本筋に話がもどる。愛する妻を失つた僕に取つて、こんな事を聞かされるのは實に嬉しかつた。睦じかつた夫婦仲が絶えて、嘸淋しく悲しいだらう。一日も早く前にも増した好い妻を探してそのやる瀬ない淋しさ哀しさを慰めてやらう。さう云ふ親切な心持ちが平凡な僕にも感ぜられるからだ。中にはもつと實際的な立場からこの問題を見てくれる人もある。それも難有くない事はない。ないがその方は理由なしに感じがぴつたり來なかつた。所で温厚篤實である筈の僕も、偶には柄にない非凡なまねをして、後で腹の底がむづ〳〵するやうな自己嫌惡を經驗する事がないでもない。いゝ例がある。それは丁度百ヶ日の法事が終つた後で、僕は鹿爪らしい顏をして集つてくれた家族親類の前に出てかう云つた「皆樣が私の後妻の事について色々心配して下さるのは誠に難有く存じます。然し私は今その問題を考へる氣が致しません。と云つて再婚する氣がないと云ふのではないのです。そんな心地になる時が來るかも知れません。その時は無理にも私の方からお願ひするとして、それまでは、無駄な事ですから、この問題はお捨て置き下さい。」こんな事を云ふ中にもう實際は腹の底がむづ〳〵して來たものだから、言葉がはつきりしなかつたと見える。その晩食事をすまして雜談をしてゐると、親類の一人が僕の所に來て「お前の先刻云つた事は私の胸にこたへた。お前が細君の遺稿を印行した時分にもう私はお前が一生獨身でゐる決心だなと想像してゐた。」と眼に涙をためて云つてくれた。「さう云ふ積りではないんです」と僕が平凡なら從つて實直なら其場で云はなければならなかつたのだ。所が僕はその人の思ひ違ひをいゝ事にして默つてゐた。非凡でもない奴が非凡なまねをすると兎角こんなディレンマにかゝつて、平凡の純一さを失つてしまふ。其晩は僕も大分不幸だつた。僕は何時女が欲しくなり、女が欲しくなる事によつて妻が欲しくなるか知れなかつたから。  然し是れは僕が平凡振りを發揮して率直に云ふ話だが、僕は今の所では……矢張り率直には云へないな、一寸持つてまはつた但書をつけ加へたくなる――突然運命のやうな女が現れて來さへしなければ――……戀愛關係を作る心持ちはまだ起つて來ない。妻が死んでから僕にはちよい〳〵女の友達が出來た。さう云ふ人と心置なく話をするのは非常に樂しいものだ。何んと云つてもそんな氣分は同性からは得られない。然し戀愛と云ふ事が顧慮され出すと、僕は平凡にすげなくそれを斥けてしまふ。特別に異性に對してはにかみやだつた僕が妻の死後、割合に平氣で話でも何んでもするようになつたのは、多分戀愛の衝動を度外視してゐるためかも知れない。然しどうせ妻に對する具體的な記憶は段々薄れて行くにちがひない。さうなつたら又燒くやうに第二第三の戀を思ふ時が來さうな事だ。そんなぐうたらな考へでゐるなら、何故徹底的に妻の死んだ翌日から後妻を探さなかつたんだ。一年の間も孤獨を守つて來た位なら何故立派に妻の記憶の中にのみ生き徹さないのだ。さう非凡な人は僕のあまりな平凡さを責めるだらう。  全く一言もない彈劾だ。返す言葉もない。然し僕が始めから自覺的にそんな事をしてゐたら、僕の幸運は恐らくは僕を捨て去つて、僕は不幸な男になつてゐたらう。それは「大吉」「五黄の寅」に對してもしかねる事のやうに思ふのだ。  偖てこゝまで書いたら十一時になつてしまつた。僕は規則正しくこの時間に寢て、朝は六時に起きる事にしてゐるのだ。この手紙は明日又後を書く事にして、今夜は寢る。  こゝから先きは鉛筆で而かも走書きだから判讀しにくからうが、汽車の中での仕事だから許してくれ給へ、今日は昨日も書いた通り妻の一周忌の日だ。朝花屋に行つて花束を百三十把註文した。それを持つて十一時の汽車に乘つた。かう云ふ不幸は幸運な僕にもちよい〳〵あつて困る事だが、汽車の中でとう〳〵一人の友人に出遇つてしまつたんだ。何處に行く。平塚に。何か儲事でもあるね。どうして痛事さ。と云ふ風に會話が運んで行くとどんな友達が如何なる場合に現はれて來やうとも無事なんだが、何か儲事でもあるねと聞かれて、妻の一周忌の記念に世話になつた病院の患者の所に花束を持つて行く所だと云はないと僕の實直な味が沁み出て來ないのだから困つてしまふのだ。おまけに今横濱で別れたばかりのその友達と云ふのは、ある大會社の支配人をしてゐる若手の切れ者で、而かも先年細君を亡くして後妻を迎へたばかりなんだから、その場合の僕には凡そ苦手だつた。型通りに何所へ行くと聞かれたので、來たなと思ひながら平塚にと云ふと、眼から鼻にぬける非凡な人物だけあつて、平塚と云ふ手蔓からすぐ妻の死を考へ出して、もう一周忌になる頃だと云ふ事まで云つてくれたので、僕は氣にしてゐた實直さを悉く暴露しないで濟んだのを難有く思つた。花束の事なんかは感心に噯氣にも見せなかつた。そこまではよかつたが夫れからが難題だつた。「丁度いゝ所で遇つた。前から是非遇つて話さう〳〵と思つてゐたのだが、人傳に聞くと君は獨身で通す氣ださうだね。而かもそんな事を衆人稠座の前で言明したさうだね。まあ默つて聞き給へ。」さう疊みかけて攻めよせて來た。實際を云ふと今日ばかりは僕は獨りで考へてゐたかつたんだ。妻の記憶は兎に角まだはつきり殘つてゐたから、こんな日には――平凡な人間は月並に命日とか何んとか因縁のつく場合に改つた心になる習慣が膠着してゐるのだから――思ひ存分感傷的になつて見たかつたのだが、友人の機嫌を損じてまで、それを押通す非凡人の非常識は持合はさなかつたのだ。「それは尤もだ。僕も自分の經驗から君の心持ちはよく理解が出來る。僕も妻を失つてから一年間はどんな事があつても再婚はしない覺悟をしてゐた。友人にも君が云つたやうに云ひふらした。全く君は僕のやつた事をその儘まねてゐるやうに見えるよ。」尤もその友人は非凡な才人の通有性として女に近づく巧みさと、女から尊敬愛慕される色々な資格を具備してゐたから、一つは交際の必要からも來た事ではあるが、藝者と云ふ階級の人達には大持てに持てゝゐた。その一點が僕とは全然違ふ。然し待つてくれ給へ、僕も妻が死んでから女の友達が出來たと云つたね。友人の場合には女の方がちやほやするのだし、僕は――僕の方から女性に心が牽かれてゐた、とするとこの點でも僕の方が上手かも知れないとその時も友人の前で思ひ返した。而して悉く恐縮した。「所が君は自分の勝手ばかり考へてはゐられないのだ。君には第一事業がある。世の中に出て思ふ存分活動して少しでも餘計人間の爲めに盡さうと思へば、如何しても後顧の患を絶たなければならない。僕なんぞは一年間と云ふもの業務の一部分である交際から絶縁して、宴會に出られないのが一番困つた。子供を雇人の手に委ねて夜晝家を明けて置く事はとても出來ないからね」所が幸なことには僕には定職がないんだ。僕は朝から晩まで家の内にのらくらして子供ばかり相手にしてゐる。母なんぞは自分だけとしては僕がかうやつて父の遺産を守つてゐるのが結句安心だと考へてゐるやうだが、親類なぞに遇つた時、新御主人はこの頃どちらへお勤めですなぞとやられると身を切るやうな思ひをするらしい。僕が外國にゐて一かど勉強をしてゐる積りの時、ある女と話しをしてゐた序に何をしてゐる男と見えると聞いて見たら、躊躇なくお前は loafer だと云つてのけられた事がある。僕は平凡人だけに小さい時分から人の下積になつてこつ〳〵と働く事はさう苦にならない質なのに、かう云はれる事は少し過ぎた次第だが、よく考へると僕が何んにもしないのは天才や非凡人が何んにもしないのとは趣がちがつて、何かする爲めに暫く何んにもしないのではない、天から何んにもしないのだ。母や兄弟が氣を揉んでくれるのも全く無理がない。然し彼等としても僕が今更ら何所かの屬官にでもなつて齷齪するのは品が惡いと思ふだらうからこのまゝ暫く無爲を通さうかとも思つてゐるのだ、唯人間の爲めに何んにもしないと云ふ非難は一番度膽にこたへて、飯を喰ふのも憚られる。全くすまない譯だ。一體皆んなは、如何すれば人間の爲めになるかと云ふ、僕なんかには一寸見當のつけやうもない問題を、感心によく辨へてゐると見えて、少しも不安なげに仕事にいそしんでゐるのが羨ましい。然しこんな事が分らないのが僕の幸運な所以かも知れない。その代り子供の番は可なり忠實にやつてゐる。いつかトールストイの子息さんが日本に來た時有名な警句の名人が、トールストイの凡ての創作の中で一番劣惡な創作はあの子息だと云つたさうだが、僕には創作と云つては子供三人の外にないのだから、……大變だもう平塚に汽車が着くから又その……(以下缺文)。  先刻は手紙に夢中になつてゐてもう少しで乘越しをする所だつた。今停車場前の茶屋で上列車を待合せてゐる間に又續けて書く。  病院の事を先きに書かうか、友人の話の續きにしようか。僕は病院の事を先きに君に書きたいが、君としては話の連絡が亂れて困ると思ふから、友人の話を書かう。「君は又年老いたお母さんのある事を考へなければいけないね。僕の母なんぞは割りに若くつてね、元氣はいゝししたが、一度はゆつくり京都大阪の方でも見物に連れて行かう〳〵と思つてゐる中に、仕事が忙しくてそのまゝにしてゐると、突然腦溢血で亡くなつてしまつた。生みの苦勞をさせて育てさせて、おまけに孫の世話まで燒せて、樂もさせない中に死なしてしまつたのは實に痛恨に堪へない。是れも僕が早く再婚しなかつた罰だ。」 「妻さへゐればどんなに忙しくつても家の事を委せておいて旅位はして來られたんだし、さう孫の世話ばかり見させないでも濟んだんだ。是れは特に注意するが取かへしのつかない後悔をしないやうにし給へよ。」僕は子供を持たない中から親子の關係を僕なりに解釋して一つの格言を作つてゐた。子供が生れた時に神興的に口を衝いて出でもすると生氣がつくのだけれども、そこは平凡人の悲しさで、是れも理窟でこねあげた格言だからつまらないもんだが、然しそれを口外する事だけは、子供が生れて、僕が親たるの資格を得た時にしようと思つて、胸の中に保留して置いた。子供が生れた。そこで僕は虎の子のやうにしてゐた格言を發表した。「子を持つて知る子の恩」と云ふのだ。何んだと君は思ふだらう。所が物好きな奴もゐるもので、僕の弟に小説を商賣にしてゐるのがあつて、僕を小説の材料に使用した時、兄貴の言葉としてはこれ位を奇拔なものとして置くより仕方がないと思つたのだらう、その格言を文句の中に取入れたもんだ。然るにある都合で僕が校正を見てやる事になつたら「子を持つて知る親の恩」としてあつた。多分植字の方で書き損じと思つたのだらう。僕は大切な格言が臺なしになつては大變だから、インキ赤々と親と云ふ字を抹殺して子の字に訂正して置いた。所がどうだ、雜誌が出て見ると、麗々と「子を持つて知る親の恩」と直つてゐるではないか。その時僕はつく〴〵と自分の平凡さが一面識もない植字工にまで知れ亙つてゐるのに驚かされた。僕が一かど功名顏をしてこの格言を父に云つて聞かしたら、父は澁い顏をしてそんな事を誰れにでも彼れにでも云ふものではない、人がお前を異を立て奇を好む男としてしまふぞとたしなめた。そこでこれから本題に這入るが僕には遠から祖父と孫との關係について一つの格言が僕の胸の中に出來てゐるのだ、それは前に云つた親子關係の格言よりもも少し平凡離れがしてゐると自信してゐる格言だ。是れは僕が祖父の資格を得たら發表すべきものだ。がこゝに一寸君の爲めに片鱗を見せるが、僕のその格言を標準にして友人の言葉を考へて見ると、どうも喰ひちがつた所が出來て來るのだ、非凡な彼れの思想と平凡な僕のそれとの間に喰ひ違ひの出來るのは不思議でも何んでもない。で僕はもう一度僕の格言を考へ直さうと思つた――植字工が自信をもつて僕のもう一つの格言を訂正してくれたやうに。何んと云つても彼れは十目の見る所十指の指す所天下晴れて非凡な才能を持つて生れた人だ。僕は又誰れにでも平凡な男と云ふ値ぶみをされる人間だ。だからどうしてももう一度考へて見る必要がある。親がその子の不幸を共感する場合には自分の都合や、世の中の習俗や、周圍の顧慮なぞはまづ跡𢌞しにして、その子の切實な哀愁をそのまゝ受入れてやる事が、その子を一番喜ばし一番勵まし一番慰めるのだし、子は又子でその親の心情に溺れこむ事が親を一番快くするものだと僕の思つてゐたのには訂正を加へねばならなさうだ。親は假令さうしてくれても、子の方では親の不自由を思ひやり、蛆が湧きはしないかと云ふ周圍の顧慮にも耳を傾け、君の所謂悲哀の中に浸り切る事なんぞはなるべく早く切上げて善後策を講ずるのが孝道にも叶ひ人道にも合ふやうだ。「さうか、そんなら君は必ずしも再婚を拒絶してゐるんではないんだね。何しろ僕は妻を亡くした友人に遇ふと先づ孤獨を守るなんて云ふ事は他人に公言するなと嚴しく口どめするのだ。僕の周圍には隨分澤山鰥夫が出來るが、再婚をしたもので後悔してゐるのは一人もないよ。世間には君の想像もしない程澤山女がゐるよ。僕が一つ立派な人を見つけて上げよう。もう櫻木町だね。ぢや失敬お母さんに宜しく。」  僕はぼんやり取殘された。過重な大問題を裕かに僕に惠んでくれて、同情深い僕の友人は重荷でも捨てたやうに、洋杖を振𢌞はしながら身も輕く列車を出て行つた。何しろ頭のめぐりが鈍いんだから、胃弱の男が山のやうな珍味の前に坐らされたやうに、暫く僕はうんざりして首垂れてしまつた。こんなに物が解らないでは僕は是れからまあどうして世間を渡ればいゝんだらうと思つた。まあ何んでもいゝ手紙でも書けと思つてそれから夢中で君に手紙を書き出したんだ。  手紙を書くと云へば先刻上り列車が一つ通つたんだが、手紙に夢中になつてゐたから一汽車延ばす事にした。こんな下らない手紙一つ書くのに悠々と汽車まで延ばしてゐると聞いたら、世間の人は呆れて物が云へないだらう。實際自分でも少々自分を持餘す次第だが、それにつけても幸福はかうしてゐないと來てはくれないものらしい。  そこで今度は病院の事を書く。松原を通ると村井弦齋さんの家が見えた。秋口から結核菌が腸についたので妻は下痢を始めた。ふとある雜誌に弦齋さんの書いた記事で妻は胃腸の妙藥と云ふのを發見したんださうだ。それは楢の根の皮を煎じて飮むのださうだ。楢なら北海道に澤山ある。僕は早速手紙を僕の教へた學生の所に出して頼んでやつた。早速送つてよこしてくれた。學生の手紙によれば深い雪の中を山の奧に分け入つて、何尺も積つた雪を掘り起し、堅く凍つた土を割りくだいて、採收したのだから澤山あげられないのが殘念だとしてあつた。澤山でないと云ふのが兩手では持ち切れない程あつた。僕は早速弦齋さんの所に行つてその用法を尋ねようとした。弦齋さん所の書生さんは二三度けゞんな顏をして弦齋さんと僕との間を取次でくれたが、結局楢はたらの木の間違ひだと云ふ事が知れた。病院に歸つてから妻と大笑ひをした。所が今日弦齋さんの家を見ると、巨人のやうな古い楢の木の根本に蹲つてせつせと雪をかき分ける二人の學生の姿が、ぎら〳〵光る八月の太陽の光の中ではつきり想像に上つた。「是れで先生の奧さんが治れば隨分いゝなあ」そんな聲までが聞えるやうに思つた。僕の心は急にわく〳〵し出した。而して涙が他愛もなく眼がしらににじんだ。  矢張一年前の通りに病院の手前の洗濯屋では醫員や看護婦の白衣や帽子がふわりと風を孕んで、病院の人達が舞踏でもやつてるやうに、魂もなく中有に整列して動いてゐた。あの時からすると醫員の大多數は東京の本病院の人と交代して、見知越しの顏は副院長がゐるばかりだつた。相變らず黒く痩せてゐた。夫れがなつかしかつた。醫者には珍らしい挨拶の下手な口少なゝこの人を妻は一番快く思つてゐた。僕はその人に花束の事を頼むと、事務所を出て妻の病房の所に行つて見た。その病房と云ふのは八、六、三疊の三間から成る獨立の家屋で、少しの風にも習々と枝を鳴らす若い松林の間にあつた。庭前の方から見ると患者が住つてゐた。竹垣の傍には四寸程の丸石が昔の通りに立つてゐた。それは庭に落ちて死んでゐた雀を妻が自分で葬つてやつたその墓石なのだ。看護婦や附添の人がぢろ〳〵僕を見るので、僕はさう長い間その邊にゐる事が出來なかつたから、そのまゝ引返して花壇の方に行つた。眞夏の晝にこの邊を歩く患者は幸一人もゐなかつたので、嘗て妻と散歩した時腰かけた藤棚の下のベンチに足を休めた。そこで僕は熱い涙を零したと君は思ふだらう。所が僕は碌な考事もせず、忙しく歩き𢌞りもしない癖に、何んだか、如何していゝのか分らない程だるくつてぐつすり寢込んでしまつた。全く以て平凡人には不似合な所作だと君は思ふだらうが、それは君が自然のはたらきを恐らくは理解してゐない事からさう思ふのかも知れない。哀愁が極ると人は夢も見ない熟眠に陷るものだ。それは自然が人知れずする慈善の一つだ。で、僕が眠りに落ちたと云ふ事は、結局、僕がどれ程平凡人らしく愛する妻を悲んでゐたかの證據になる譯だ。  ふと眼を覺ました時は、凡てのものが活々と日に輝いたこの見慣れた景色を、却て夢ではないかと驚いた位だつた。いぎたなく寢たと見えて、涎が衣物の肩の所を圓く濡してゐた。氣味惡く流れ出た油汗をハンケチで拭くとやつと人心地がついた。喉がひどく乾く外には、何と云つて望ましいものもない位僕は飽き足つてゐた。  眼の前の白砂の上には女物らしいゴム草履の跡が、靜かに人の歩いて行つた形をそのまゝに語つてゐた。それは妻の足跡ではないかと思ふほどそこいらは舊の通りだつた。所が妻と云ふ一人の女は二度と顏出しの出來ぬやうに、「死」と云ふ奴がこの地上から綺麗にこそぎ取つてしまつたのだ。そんな事を考へると彼奴の惡戲が一寸ほゝゑましくなる。やがては彼奴が、腐つた手拭のやうな香のする古雜巾で、生存の意義も知らず、人類の爲めにも役に立たず、一身の處理すら出來ない僕と云ふ男を、穢ない染斑だと云はんばかりな澁い顏をして丹念に拭き取つてしまふ時が來るのだ。それは間違のない事だ、僕は勝手に色んな虚言をつきもしたし又是れからだつてつきもしようが、この事ばかりは、何と云つても虚言にしやうがないんだ。どんな大篦棒な虚言つきでも、一生に一度は本統を云はないではゐられないのだ。それは死ぬと云ふ事だ。この正直一つで大概な虚言までは寛大に見てやつてもいゝやうな氣が僕はする。こんな我儘な僕が同時に非凡人だつたら――そんな事はあり得やう筈はないが、論理上、假定的前提はどう作つても構はないのだから――歴史にさへ不朽の功業とか、不滅の名聲とかを殘して世間迷惑な事にもならうが、僕にはそんな事は大丈夫ないのだから、暫くの間小さくなつて人間社會の片隅にゐる位の事は許して貰つてもいゝと思ふのだ。  一體非凡な人達が兎角幸福を感じないのはこの「死」と云ふ奴に何んとか打勝たうとするからではないのだらうか。所が僕となると愛する妻を彼奴に奪はれながらあまり不幸さうな顏をしてゐないのは如何云う譯だ、僕はこの手紙の始めで幸運な筈の男だと書いたが、而してその幸運から幸福が生れると書いたが、考へて見ると幸運と幸福とは道伴れぢやない。現在妻が死ぬ二年程前にある友人が占を見て貰つてくれたが、それには明かに妻は三度娶れば三度とも死ぬと書いてあつた。兄弟喧嘩で近親とは離れ〴〵になると書いてあつた。事業をすれば衆人の親分になるやうな事業をして一時は成功するが、人望をつなぐ事が出來ないで失敗してしまふとも書いてあつた。尤もその占には生年月日時間を書き込んで頼まなければならないのだが、僕の生れた時間が判然しないので、或は僕より少し早くかおそく生れた人の卦が出てゐるのかも判らない。三人死ぬと云はれた妻の一人が死んだ事だけは的中してゐる。もし此占が幼年時代のそれを凌いで正確なものだとすると、僕はあんまり幸運な男だとは云へさうもない。然るに君が僕を不幸ではあり得ない男だと思つてゐる通りに僕は中々幸福を感じてゐる。妻を失つてもその爲めに悶死したり再婚などは思ひもよらないと思ふ程不幸ではない。是れは多分死と云ふ奴が萬事の形をつけてくれると高を括る平凡な見方から出てゐるに違ひない。こんな事を云ふと靈魂不滅論者などは何んと云ふしみつたれた根性の男だらうと僕を惡むよりも憫殺したくなるだらう。基督教徒なぞは、あんな人生觀とも云へない人生觀にたよつて生きやうとするのだから平凡に終るのも尤もだ、可哀さうな男もあつたものだと高い所から同情を垂れてくれるに違ひない。所が僕の知つてる範圍で云ふと、基督教徒程再婚を手取早くする連中はないやうだが、あれは一體どうしたものだらう。男女戀愛の神聖を主張した本元は基督教だと云ふ事だし、靈魂不滅殊に地上生活で鍛練を受けた人格を持つたまゝの靈魂不滅を唱道するのは固より基督教だが、再婚した人が死んで後、あの世で二人の細君に出喰はしたら如何する積りだらう。その男は戀愛神聖論者だから前の妻に對しても後の妻に對しても、心からの愛を感じてゐるのでなければ、夫婦になつた筈がない。一方の妻が極樂にをり一方の妻が地獄にでもゐてその男が片方の妻だけに遇へるなら、別條はないが、基督教徒の事だから大抵は皆んな極樂に行くだらう。さうなると問題が大分紛糾して來る。あの世では一夫多妻が許されるのであらうか。さうでないとするとその男は二人の中の一人を選んで一夫一婦の愛情を繼續する事になるのだらうか。或は地上に於て人格發揮鍛練の唯一の壇場と云つてもいゝ親子、兄弟、朋友、夫婦などの愛情は撥無されてしまふのだらうか。さうなつては靈魂に人格や個性を結び附けて考へる事が出來るもんだらうか。基督教徒は勿論夫等の事には解決がついてゐて、實行をしてゐる事だらうから別に妙な氣もしまいが、僕が若し今の通り平凡なまゝであんな信仰を持たせられたら、苦しくつて再婚は戲談にも出來ないやうな氣がするよ。そこに行くと僕の方は死と云ふもので鳧がつくのだから大に呑氣なものだ。その爲めに僕は割合幸福なんだと獨りできめてゐる。  そら次の汽車がもう來る、今度はさすがに僕も乘りおくれてはゐられない。  汽車に乘つてから思ひ出したから書き添へる。一體何んだつて寒暄の挨拶もせず健康も尋ねず、こんな放圖もない事を長々と書いてよこしたのだと君は訝るだらう。それは一年もたつと君までが或は再婚を勸めてくれはしないかと思ふからだ。そのお志は實に難有い。僕は再婚しないと云ふのではない。唯もう少し考へさせてくれ給へ、結婚したくなつたらこつちから申出るからそれまで待つてゐてくれ給へ。僕のやうに平凡な點からのみ幸福を見出してゐる人間は、眞似にも非凡人のしたやうな事をすると取かへしのつかない怪我になるから、自分が自分の尺度を探し出すまで永い眼で見てゐてくれ給へ。さう云ひたいまでだつたのだ。さうしたら頭が惡いもんだから大に脱線してしまつたのだ。然し脱線しない位なら僕は天からこんな平凡な事は書きはしない。書かずに置いては僕の用が足りなくなる。判るかな。では左樣なら。
底本:「有島武郎全集第三卷」筑摩書房    1980(昭和55)年6月30日初版発行 底本の親本:「有島武郎著作集 ――第一輯――」新潮社    1917(大正6)年10月18日発行 初出:「新潮 第二十七卷第一號」    1917(大正6)年7月1日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「何處」と「何所」の混在は、底本通りです。 入力:木村杏実 校正:きりんの手紙 2023年4月17日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 A兄  近来出遇わなかったひどい寒さもやわらぎはじめたので、兄の蟄伏期も長いことなく終わるだろう。しかし今年の冬はたんと健康を痛めないで結構だった。兄のような健康には、春の来るのがどのくらい祝福であるかをお察しする。  僕の生活の長い蟄眠期もようやく終わりを告げようとしているかに見える。十年も昔僕らがまだ札幌にいたころ、打ち明け話に兄にいっておいたことを、このごろになってやっと実行しようというのだ。自分ながら持って生まれた怯懦と牛のような鈍重さとにあきれずにはいられない。けれども考えてみると、僕がここまで辿り着くのには、やはりこれだけの長い年月を費やす必要があったのだ。今から考えると、ようこそ中途半端で柄にもない飛び上がり方をしないで済んだと思う。あのころには僕にはどこかに無理があった。あのころといわずつい昨今まで僕には自分で自分を鞭つような不自然さがあった。しかし今はもうそんなものだけはなくなった。僕の心は水が低いところに流れて行くような自然さをもって僕のしようとするところを肯んじている。全く僕は蟄虫が春光に遇っておもむろに眼を開くような悦ばしい気持ちでいることができる。僕は今不眠症にも犯されていず、特別に神経質にもなっていない。これだけは自分に満足ができる。  ただし蟄眠期を終わった僕がどれだけ新しい生活に対してゆくことができるか、あるいはある予期をもって進められる生活が、その予期を思ったとおりに成就してくれるか、それらの点に行くとさらに見当がつかない。これらについても十分の研究なり覚悟なりをしておくのが、事の順序であり、必要であるかもしれないけれども、僕は実にそういう段になると合理的になりえない男だ。未来は未来の手の中にあるとしておこう。来たるべきものをして来たるべきものを処置させよう。  結局僕の今度の生活の展開なり退縮なりは、全く僕一個に係った問題で、これが周囲に対していいことになるか、悪いことになるかはよくわからない。だけれども僕の人生哲学としては、僕は僕自身を至当に処理していくほかに、周囲に対しての本当に親切なやり方というものを見いだすことができない。僕自身を離れたところに何事かを成就しうると考える軽業のような仕事はできない。僕の従来の経験から割り出されたこの人生哲学がどこまで立証されるかは、僕の経験をさらに続行することによってのみ立証されることで、そのほかには立証のしようがないのだから仕方がない。  さて僕の最近の消息を兄に報じたついでに、もう一つお知らせするのは、僕がこの一月の「改造」に投じた小さな感想についてである。兄は読まなかったことと思うが「宣言一つ」というものを投書した。ところがこの論理の不徹底な、矛盾に満ちた、そして椏者の言葉のように、言うべきものを言い残したり、言うべからざるものを言い加えたりした一文が、存外に人々の注意を牽いて、いろいろの批評や駁撃に遇うことになった。その僕の感想文というのは、階級意識の確在を肯定し、その意識が単に相異なった二階級間の反目的意識に止まらず、かかる傾向を生じた根柢に、各階級に特異な動向が働いているのを認め、そしてその動向は永年にわたる生活と習慣とが馴致したもので、両階級の間には、生活様式の上にも、それから醸される思想の上にも、容易に融通しがたい懸隔のあることを感じ、現在においてはそれがブルジョアとプロレタリアの二階級において顕著に現われているのを見るという前提を頭に描いて筆を執ったものだ。そして僕の感ずるところが間違っていなければ、プロレタリアの人々は、在来ブルジョアの或るものを自分らの指導者として仰いでいる習慣を打破しようとしている。これは最近に生活の表面に現われ出た事実のうち最も注意すべきことだ。ところが芸術にたずさわっているものとしての僕は、ブルジョアの生活に孕まれ、そこに学び、そこに行ない、そこに考えるような境遇にあって今日まで過ごしてきたので不幸にもプロレタリアの生活思想に同化することにほとんど絶望的な困難を感ずる。生活や思想にはある程度まで近づくことができるとしても、その感情にまで自分をし向けていくことは不可能といって差し支えない。しかも僕はブルジョアは必ず消滅して、プロレタリアの生活、したがって文化が新たに起こらねばならぬと考えているものだ。ここに至って僕は何処に立つべきであるかということを定める立場を選ばねばならぬ。僕は芸術家としてプロレタリアを代表する作品を製作するに適していない。だから当然消滅せねばならぬブルジョアの一人として、そうした覚悟をもってブルジョアに訴えることに自分を用いねばならぬ。これがだいたい僕の主張なのである。僕にとっては、これほど明白な簡単な宣言はないのだ。本当をいうと、僕がもう少し謙遜らしい言葉遣いであの宣言をしたならば、そしてことさら宣言などいうたいそうな表現を用いなかったら、あの一文はもう少し人の同情を牽いたかもしれない。しかし僕の気持ちとしては、あれ以上謙遜にも、あれ以上大胆にも物をいうことができなかったのだ。この点においては反感を買おうとも、憐れみを受けようとも、そこは僕がまだ至らないのだとして沈黙しているよりいたしかたがない。  僕の感想文に対してまっ先に抗議を与えられたのは広津和郎氏と中村星湖氏とであったと記憶する。中村氏に対しては格別答弁はしなかったが、広津氏に対してはすぐに答えておいた(東京朝日新聞)。その後になって現われた批評には堺利彦氏と片山伸氏とのがある。また三上於菟吉氏も書いておられたが僕はその一部分より読まなかった。平林初之輔氏も簡単ながら感想を発表した。そのほか西宮藤朝氏も意見を示したとのことだったが、僕はついにそれを見る機会を持たなかった。  そこでこれらの数氏の所説に対する僕の感じを兄に報ずることになるのだが、それは兄にはたいして興味のある問題ではないかもしれない。僕自身もこんなことは一度言っておけばいいことで、こんなことが議論になって反覆応酬されては、すなわち単なる議論としての議論になっては、問題が問題だけに、鼻持ちのならないものになると思っている。しかし兄に僕の近況を報ずるとなると、まずこんなことを報ずるよりほかに事件らしい事件を持ち合わさない僕のことだから、兄の方で忍耐してそれを読むほかに策はあるまい。  僕の言ったことに対してとにかく親切な批評を与えたのは堺氏と片山氏とだった。堺氏は社会主義者としての立場から、片山氏は文明批評家としての立場から、だいたいにおいて立論している。この二氏の内の意見についての僕の考えを兄に報ずるに先立って、しつこいようだけれども、もう一度繰り返しておかなければならないのは、あの宣言なるものは僕一個の芸術家としての立場を決めるための宣言であって、それをすべての他の人にまであてはめて言おうとしているのではない、ということだ。それなら、なぜクロポトキンやマルクスや露国の革命をまで引き合いに出して物をいうかとの詰問もあろうけれども、それは僕自身の気持ちからいうならば、前掲の人人または事件をああ考えねばならなくなるという例を示したにすぎない。気持ちで議論をするのはけしからんといわれれば、僕も理窟だけで議論するのはけしからんと答えるほかはない。  堺氏は「およそ社会の中堅をもってみずから任じ、社会救済の原動力、社会矯正の規矩標準をもってみずから任じていた中流知識階級の人道主義者」を三種類に分け、その第三の範囲に、僕を繰り入れている。その第三の範囲というのは「労働階級の立場を是認するけれども、自分としては中流階級の自分、知識階級の自分としては、労働階級の立場に立って、その運動に参加するわけにはいかない。そこで彼らは、別に自分の中流階級的立場から、自分のできるだけのことをする」人たちであるというのだ。ここで問題になるのは「立場に立つ」という言葉だ。立場に立つとは単に思いやりだけで労働者の立場に立っていればいいのか、それとも自分が労働者になるということなのか。もし前者だとすると堺氏はいかにも労働者の立場に立っているのであり、後者だとすると堺氏といえども労働者の立場に立っているとは僕には思われない(僕に思われないばかりでなく、堺氏自身後者にあるものではないと僕に言明した)。今度は「運動に参加する」という言葉だ。堺氏はこれまで長い間運動に参加した人である。誰でもその真剣な努力に対しての功績を疑う人はなかろう。しかしながら以前と違って、労働階級が純粋に自分自身の力をもって動こうとしだしてきた現在および将来において、思いやりだけの生活態度で、労働者の運動に参加しようとすることが、はたして労働階級の承認するところとなるであろうか。僕はここに疑問を插むものである。結局堺氏は、末座ながら氏が「中流階級の人道主義者」とある軽侮なしにではなく呼びかけたところの人々の中に繰り入れられることになるのではなかろうか。すなわち、「自分の中流階級的立場から、自分のできるだけのことをする」人々の一人となるのではなかろうか。もし僕の堺氏について考えているところが誤っていないとしたら、そして僕が堺氏の立場にいたら、労働者の労働運動は労働者の手に委ねて、僕は自分の運動の範囲を中流階級に向け、そこに全力を尽くそうとするだろうというまでだ。そういう覚悟を取ることがかえって経過の純粋性を保ち、事件の推移の自然を助けるだろうと信ずるのだ。かかる態度が直接に万が一にも労働階級のためになることがあるかもしれない。中流階級に訴える僕の仕事が労働階級によって利用される結果になるかもしれない。しかしそれは僕が甫めから期待していたものではないので、結果が偶然にそうなったのにすぎないのだ。ある人が部屋の中を照らそうとして電燈を買って来た時、路上の人がそれを奪って往来安全の街燈に用いてさらに便利を得たとしても、電燈を買った人はそれを自分の功績とすることはできない。その「することはできない」という覚悟をもって自分の態度にしたいものだと僕は思うのだ。ここが客観的に物を見る人(片山氏のごときはその一人だと思う)と、前提しておいたように、僕自身の問題として物を見ようとする人との相違である。ここに来ると議論ではない、気持ちだ。兄はこの気持ちを推察してくれることができるとおもう。ここまでいうと「有島氏が階級争闘を是認し、新興階級を尊重し、みずから『無縁の衆生』と称し、あるいは『新興階級者に……ならしてもらおうとも思わない』といったりする……女性的な厭味」と堺氏の言った言葉を僕自身としては返上したくなる。  次に堺氏が「ルソーとレーニン」および「労働者と知識階級」と題した二節の論旨を読むと、正直のところ、僕は自分の申し分が奇矯に過ぎていたのを感ずる。  しかしながら僕はもう一度自分自身の心持ちを考えてみたい。僕が即今あらん限りの物を抛って、無一文の無産者たる境遇に身を置いたとしても、なお僕には非常に有利な環境のもとに永年かかって植え込まれた知識と思想とがある。外見はいかにも無一文の無産者であろうけれども、僕の内部には現在の生活手段としてすこぶる都合のよい武器が潜んでいる。これは僕が失おうとしてもとうてい失うことのできないものだ。かかる優越的な頼みを持っていながら、僕ははたして内外ともに無産に等しい第四階級の多分の人々の感情にまではいりこむことができるだろうか。それを実感的にひしひしと誤りなく感ずることができるだろうか。そして私の思うところによれば、生命ある思想もしくは知識はその根を感情までおろしていなければならない。科学のようなごく客観的に見える知識でさえが、それを組み上げた学者の感情によって多少なり影響されているのを見ることがあるではないか。いわんやそれが人事に密接な関係をもつ思想知識になってくると、なおのことであるといわなければならない。この事実が肯定されるなら、私がクロポトキンやレーニンやについて言ったことは、奇矯に過ぎた言い分を除去して考えるならば、当然また肯定さるべきものであらねばならない。これらの偉大な学者や実際運動家は、その稀有な想像力と統合力とをもって、資本主義生活の経緯の那辺にあるかを、力強く推定した点においては、実に驚嘆に堪えないものがある。しかしながら彼らの育ち上がった環境は明らかに第四階級のそれではない。ブルジョアの勢いが失墜して、第四階級者が人間生活の責任者として自覚してきた場合に、クロポトキン、マルクス、レーニンらの思想が、その自覚の発展に対して決して障碍にならないばかりでなく、唯一の指南車でありうると誰がいいきることができるか。今は所有者階級が倒れようとしつつある時代である。第四階級の人々は文化的にある程度までブルジョアジーに妥協し、その妥協の収穫物を武器としてブルジョアジーに当たっている時である。僕の言葉でいうならば第四階級と現在の支配階級との私生児が、一方の親を倒そうとしている時代である。そして一方の親が倒された時には、第四階級という他方の親は、血統の正しからぬ子としてその私生児を倒すであろう。その時になって文化ははじめて真に更新されるのだ。両階級の私生児がいちはやく真の第四階級によって倒されるためには、すなわち真の無階級の世界が闢かれるためには、私生児の数および実質が支配階級という親を倒すに必要なだけを限度としなければならない。もしその数なり実質なりが裕かに過ぎたならば、ここに再び新たな容易ならざる階級争闘がひき起こされる憂いが十分に生じてくる。なぜならば私生児の数が多きに過ぎたならば、ここにそれを代表する生活と思想とが生まれ出て、第四階級なる生みの親に対して反駁の勢いを示すであろうから。  そして実際私生児の希望者は続々として現われ出はじめた。第四階級の自覚が高まるに従ってこの傾向はますます増大するだろう。今の所ではまだまだ供給が需要に充たない恨みがある。しかしながら同時に一面には労働運動を純粋に労働者の生活と感情とに基づく純一なものにしようとする気勢が揚りつつあるのもまた疑うべからざる事実である。人はあるいはいうかもしれない。その気勢とても多少の程度における私生児らがより濃厚な支配階級の血を交えた私生児に対する反抗の気勢にすぎないのだと。それはおそらくはそうだろう。それにしてもより稀薄に支配階級の血を伝えた私生児中にかかる気勢が見えはじめたことは、大勢の赴くところを予想せしめるではないか。すなわち私生児の供給がやや邪魔になりかかりつつあるのを語っているのではないか。この実状を眼前にしながら、クロポトキン、マルクス、レーニンらの思想が、第四階級の自覚の発展に対して決して障礙にならないばかりでなく、唯一の指南車でありうると誰が言いきることができるだろう。だから私は第四階級の思想が「未熟の中にクロポトキンによって発揮せられたとすれば、それはかえって悪い結果であるかもしれない」といったのだった。そして「クロポトキン、マルクスたちのおもな功績はどこにあるかといえば……第四階級以外の階級者に対して、ある観念と覚悟とを与えた点にある……資本王国の大学でも卒業した階級の人々が翫味して自分たちの立場に対して観念の眼を閉じるためであるという点において最も苦しいものだ」といったのだ。  そこで私生児志願者が続々と輩出しそうな今後の形勢に鑑みて、僕のようにとてもろくな私生児にはなれそうもないものは、まず観念の眼を閉じて、私の属するブルジョアの人々にもいいかげん観念の眼を閉じたらどうだと訴えようというのだ。絶望の宣言と堺氏がいったのはその点において中っている。兄は堺氏の考えに対する僕の考えをどう思うだろう。  この手紙も今までにすでに長くなり過ぎたようだ。しかしもう少し我慢してくれたまえ。今度は片山氏の考えについてだ。「いかに『ブルジョアジーの生活に浸潤しきった人間である』にしても、そのために心の髄まで硬化していないかぎり、狐のごとき怜悧な本能で自分を救おうとすることにのみ急でないかぎり、自分の心の興奮をまで、一定の埓内に慎ませておけるものであろうか。……この辺の有島氏の考えかたはあまりに論理的、理智的であって、それらの考察を自己の情感の底に温めていない憾みがある。少なくとも、進んで新生活に参加する力なしとて、退いて旧生活を守ろうとする場合、新生活を否定しないものであるかぎり、そこに自己の心情の矛盾に対して、平らかなりえない心持ちの動くべきではないか」と片山氏はあるところで言っている。兄よ、前に述べたところから兄も察するであろうごとく、もし僕に狐のような怜悧な本能があったならば、おそらく第四階級的作品を製造し、第四階級的論文を発表して、みずから第四階級の同情者、理解者をもって任じていたろうと思うよ。相当にぜいたくのできる生活をして、こういう態度に出るほど今の世に居心地のよい座席はちょっとあるまいと思われるから。自己の心情の矛盾に対して、平らかなりえない心持ちの動くべきではないかとの氏の詰問には一言もない。僕は氏が希望するほどにそうした心持ちを動かしてはいなかったようだ。ここで僕は氏に「己れはあえて旧生活を守りながら、進んで新生活の思想に参加せんとする場合、新生活を否定しないものであるかぎり、そこに自己の心情に対して、平らかなりえない心持ちの動くべきではないか」と尋ねてみたいとも思うが、それは少し僭越過ぎることだろうか。  次に氏は社会主義的思想が第四階級から生まれたもののみでないことを言っているが、今までに出た社会主義思想家と第四階級との関係は僕が前述したとおりだから、重複を厭うことにする。ただ一言いっておきたいのは僕たちは第四階級というと素朴的に一つの同質な集団だと極める傾向があるが、これはあまりに素朴過ぎると思う。ブルジョア階級と擬称せられる集団の中にも、よく検察してみるとブルジョア風のプロレタリアもいれば、プロレタリア風のブルジョアもいるというように、第四階級も決して全部同質なものでないと僕は信ずるのだ。第四階級をいうならば、ブルジョアジーとの私生児でない第四階級に重心をおいて考えなければ間違うと僕は考えるものだ。そして在来の社会主義的思想は、私生児的第四階級とおもに交渉を持つもので、純粋の第四階級にとっては、あるいは邪魔になる者ではないかと考えうるということを付言しておく。そんな区別をするのは取り越し苦労だ。現在の問題だけを(すでに起こりかかりつつある将来の事実などは度外視して)考えていれば、それでいいのだといわれれば、僕はそういった人と、考えの基礎になる気持ちが違うからしかたがないと答えるほかはない。  それからロシアにおけるプロレタリアの芸術に関する考察が挙げてあるが、これは格別僕の「宣言一つ」と直接関係のあるものではない。これは氏のロシア文学に対する博識を裏書きするだけのものだ。僕が「大観」の一月号に書いた表現主義の芸術に対する感想の方が暗示の点からいうと、あるいは少し立ち勝っていはしないかと思っている。  とにかく片山氏の論文も親切なものだと思ってその時は読んだが、それについて何か書いてみようとすると、僕のいわんとするところは案外少ない。もっとも表題が「階級芸術の問題」というので、あながち僕を教えようとする目的からのみ書かれたものでないからであろう。これを要するに氏の僕に言わんとするところは、第四階級者でなくとも、その階級に同情と理解さえあれば、なんらかの意味において貢献ができるであろうに、それを拒む態度を示すのは、臆病な、安全を庶幾する心がけを暴露するものだということに帰着するようだ。僕は臆病でもある。安全も庶幾している。しかし僕自身としては持って生まれた奇妙な潔癖がそれをさせているのだと思う。僕は第四階級が階級一掃の仕事のために立ちつつあるのに深い同情を持たないではいられない。そのためには僕はなるべくその運動が純粋に行なわれんことを希望する。その希望が僕を柄にもないところに出しゃばらせるのを拒むのだ。ロシアでインテリゲンチャが偉い働きをしたから、日本でもインテリゲンチャが働くのに何が悪いなどの議論も聞くが、そんなことをいう人があったら現在の日本ではたいていはみずから恥ずべきだと僕は思うのだ。ロシアの人たちはすべての所有を賭し、生命を賭して働いたのだそうだ。日本にもそういう人がいたら、その人のみがインテリゲンチャの貢献のいかによきかを説くがいい。それほどの覚悟なしに口の先だけで物をいっているくらいなら、おとなしく私はブルジョアの気分が抜けないから、ブルジョアに対して自分の仕事をしますといっているのが望ましいことに私には見えるのだ。近ごろ少しあることに感じさせられたからついあんな宣言をする気になったのだ。  三上氏が、僕のいったようなことをいう以上は、まず自分の生活をきれいに始末してからいうべきだと説いたのはごもっともで、僕は三上氏の問いに対してへこたれざるをえない。同時に三上氏もその詰問を他人に対して与えた以上は自分の立場についても立つべき所を求めなければならぬともおもう。すでに求め終わっているのなら幸甚である。  A兄  くたびれたろうな。もう僕も饒舌はいいかげんにする。兄は僕が創作ができないのをどうしたというが、あの「宣言一つ」一つを吐き出すまでにもいいかげん胸がつかえていたのでできなかったのだ。僕の生活にも春が来たらあるいは何かできるかもしれない。反対にできないかもしれない。春が来たら花ぐらいは咲きそうなものだとは思っているが。
底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店    1969(昭和44)年1月30日改版初版    1979(昭和54)年4月30日発行改版14版 初出:『我等』大正11年3月 入力:鈴木厚司 1999年2月13日公開 2005年11月20日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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「僕の帽子はおとうさんが東京から買って来て下さったのです。ねだんは二円八十銭で、かっこうもいいし、らしゃも上等です。おとうさんが大切にしなければいけないと仰有いました。僕もその帽子が好きだから大切にしています。夜は寝る時にも手に持って寝ます」  綴り方の時にこういう作文を出したら、先生が皆んなにそれを読んで聞かせて、「寝る時にも手に持って寝ます。寝る時にも手に持って寝ます」と二度そのところを繰返してわはははとお笑いになりました。皆んなも、先生が大きな口を開いてお笑いになるのを見ると、一緒になって笑いました。僕もおかしくなって笑いました。そうしたら皆んながなおのこと笑いました。  その大切な帽子がなくなってしまったのですから僕は本当に困りました。いつもの通り「御機嫌よう」をして、本の包みを枕もとにおいて、帽子のぴかぴか光る庇をつまんで寝たことだけはちゃんと覚えているのですが、それがどこへか見えなくなったのです。  眼をさましたら本の包はちゃんと枕もとにありましたけれども、帽子はありませんでした。僕は驚いて、半分寝床から起き上って、あっちこっちを見廻わしました。おとうさんもおかあさんも、何にも知らないように、僕のそばでよく寝ていらっしゃいます。僕はおかあさんを起そうかとちょっと思いましたが、おかあさんが「お前さんお寝ぼけね、ここにちゃあんとあるじゃありませんか」といいながら、わけなく見付けだしでもなさると、少し耻しいと思って、起すのをやめて、かいまきの袖をまくり上げたり、枕の近所を探して見たりしたけれども、やっぱりありません。よく探して見たら直ぐ出て来るだろうと初めの中は思って、それほど心配はしなかったけれども、いくらそこいらを探しても、どうしても出て来ようとはしないので、だんだん心配になって来て、しまいには喉が干からびるほど心配になってしまいました。寝床の裾の方もまくって見ました。もしや手に持ったままで帽子のありかを探しているのではないかと思って、両手を眼の前につき出して、手の平と手の甲と、指の間とをよく調べても見ました。ありません。僕は胸がどきどきして来ました。  昨日買っていただいた読本の字引きが一番大切で、その次ぎに大切なのは帽子なんだから、僕は悲しくなり出しました。涙が眼に一杯たまって来ました。僕は「泣いたって駄目だよ」と涙を叱りつけながら、そっと寝床を抜け出して本棚の所に行って上から下までよく見ましたけれども、帽子らしいものは見えません。僕は本当に困ってしまいました。 「帽子を持って寝たのは一昨日の晩で、昨夜はひょっとするとそうするのを忘れたのかも知れない」とふとその時思いました。そう思うと、持って寝たようでもあり、持つのを忘れて寝たようでもあります。「きっと忘れたんだ。そんなら中の口におき忘れてあるんだ。そうだ」僕は飛び上がるほど嬉しくなりました。中の口の帽子かけに庇のぴかぴか光った帽子が、知らん顔をしてぶら下がっているんだ。なんのこったと思うと、僕はひとりでに面白くなって、襖をがらっと勢よく開けましたが、その音におとうさんやおかあさんが眼をおさましになると大変だと思って、後ろをふり返って見ました。物音にすぐ眼のさめるおかあさんも、その時にはよく寝ていらっしゃいました。僕はそうっと襖をしめて、中の口の方に行きました。いつでもそこの電燈は消してあるはずなのに、その晩ばかりは昼のように明るくなっていました。なんでもよく見えました。中の口の帽子かけには、おとうさんの帽子の隣りに、僕の帽子が威張りくさってかかっているに違いないとは思いましたが、なんだかやはり心配で、僕はそこに行くまで、なるべくそっちの方を向きませんでした。そしてしっかりその前に来てから、「ばあ」をするように、急に上を向いて見ました。おとうさんの茶色の帽子だけが知らん顔をしてかかっていました。あるに違いないと思っていた僕の帽子はやはりそこにもありませんでした。僕はせかせかした気持ちになって、あっちこちを見廻わしました。  そうしたら中の口の格子戸に黒いものが挟まっているのを見つけ出しました。電燈の光でよく見ると、驚いたことにはそれが僕の帽子らしいのです。僕は夢中になって、そこにあった草履をひっかけて飛び出しました。そして格子戸を開けて、ひしゃげた帽子を拾おうとしたら、不思議にも格子戸がひとりでに音もなく開いて、帽子がひょいと往来の方へ転がり出ました。格子戸のむこうには雨戸が締まっているはずなのに、今夜に限ってそれも開いていました。けれども僕はそんなことを考えてはいられませんでした。帽子がどこかに見えなくならない中にと思って、慌てて僕も格子戸のあきまから駈け出しました。見ると帽子は投げられた円盤のように二、三間先きをくるくるとまわって行きます。風も吹いていないのに不思議なことでした。僕は何しろ一生懸命に駈け出して帽子に追いつきました。まあよかったと安心しながら、それを拾おうとすると、帽子は上手に僕の手からぬけ出して、ころころと二、三間先に転がって行くではありませんか。僕は大急ぎで立ち上がってまたあとを追いかけました。そんな風にして、帽子は僕につかまりそうになると、二間転がり、三間転がりして、どこまでも僕から逃げのびました。  四つ角の学校の、道具を売っているおばさんの所まで来ると帽子のやつ、そこに立ち止まって、独楽のように三、四遍横まわりをしたかと思うと、調子をつけるつもりかちょっと飛び上がって、地面に落ちるや否や学校の方を向いて驚くほど早く走りはじめました。見る見る歯医者の家の前を通り過ぎて、始終僕たちをからかう小僧のいる酒屋の天水桶に飛び乗って、そこでまたきりきり舞いをして桶のむこうに落ちたと思うと、今度は斜むこうの三軒長屋の格子窓の中ほどの所を、風に吹きつけられたようにかすめて通って、それからまた往来の上を人通りがないのでいい気になって走ります。僕も帽子の走るとおりを、右に行ったり左に行ったりしながら追いかけました。夜のことだからそこいらは気味の悪いほど暗いのだけれども、帽子だけははっきりとしていて、徽章までちゃんと見えていました。それだのに帽子はどうしてもつかまりません。始めの中は面白くも思いましたが、その中に口惜しくなり、腹が立ち、しまいには情けなくなって、泣き出しそうになりました。それでも僕は我慢していました。そして、 「おおい、待ってくれえ」  と声を出してしまいました。人間の言葉が帽子にわかるはずはないとおもいながらも、声を出さずにはいられなくなってしまったのです。そうしたら、どうでしょう、帽子が――その時はもう学校の正門の所まで来ていましたが――急に立ちどまって、こっちを振り向いて、 「やあい、追いつかれるものなら、追いついて見ろ」  といいました。確かに帽子がそういったのです。それを聞くと、僕は「何糞」と敗けない気が出て、いきなりその帽子に飛びつこうとしましたら、帽子も僕も一緒になって学校の正門の鉄の扉を何の苦もなくつき抜けていました。  あっと思うと僕は梅組の教室の中にいました。僕の組は松組なのに、どうして梅組にはいりこんだか分りません。飯本先生が一銭銅貨を一枚皆に見せていらっしゃいました。 「これを何枚呑むとお腹の痛みがなおりますか」  とお聞きになりました。 「一枚呑むとなおります」  とすぐ答えたのはあばれ坊主の栗原です。先生が頭を振られました。 「二枚です」と今度はおとなしい伊藤が手を挙げながらいいました。 「よろしい、その通り」  僕は伊藤はやはりよく出来るのだなと感心しました。  おや、僕の帽子はどうしたろうと、今まで先生の手にある銅貨にばかり気を取られていた僕は、不意に気がつくと、大急ぎでそこらを見廻わしました。どこで見失ったか、そこいらに帽子はいませんでした。  僕は慌てて教室を飛び出しました。広い野原に来ていました。どっちを見ても短い草ばかり生えた広い野です。真暗に曇った空に僕の帽子が黒い月のように高くぶら下がっています。とても手も何も届きはしません。飛行機に乗って追いかけてもそこまでは行けそうにありません。僕は声も出なくなって恨めしくそれを見つめながら地だんだを踏むばかりでした。けれどもいくら地だんだを踏んで睨みつけても、帽子の方は平気な顔をして、そっぽを向いているばかりです。こっちから何かいいかけても返事もしてやらないぞというような意地悪な顔をしています。おとうさんに、帽子が逃げ出して天に登って真黒なお月様になりましたといったところが、とても信じて下さりそうはありませんし、明日からは、帽子なしで学校にも通わなければならないのです。こんな馬鹿げたことがあるものでしょうか。あれほど大事に可愛がってやっていたのに、帽子はどうして僕をこんなに困らせなければいられないのでしょう。僕はなおなお口惜しくなりました。そうしたら、また涙という厄介ものが両方の眼からぽたぽたと流れ出して来ました。  野原はだんだん暗くなって行きます。どちらを見ても人っ子一人いませんし、人の家らしい灯の光も見えません。どういう風にして家に帰れるのか、それさえ分らなくなってしまいました。今までそれは考えてはいないことでした。ひょっとしたら狸が帽子に化けて僕をいじめるのではないかしら。狸が化けるなんて、大うそだと思っていたのですが、その時ばかりはどうもそうらしい気がしてしかたがなくなりはじめました。帽子を売っていた東京の店が狸の巣で、おとうさんがばかされていたんだ。狸が僕を山の中に連れこんで行くために第一におとうさんをばかしたんだ。そういえばあの帽子はあんまり僕の気にいるように出来ていました。僕はだんだん気味が悪くなってそっと帽子を見上げて見ました。そうしたら真黒なお月様のような帽子が小さく丸まった狸のようにも見えました。そうかと思うとやはり僕の大事な帽子でした。  その時遠くの方で僕の名前を呼ぶ声が聞こえはじめました。泣くような声もしました。いよいよ狸の親方が来たのかなと思うと、僕は恐ろしさに脊骨がぎゅっと縮み上がりました。  ふと僕の眼の前に僕のおとうさんとおかあさんとが寝衣のままで、眼を泣きはらしながら、大騒ぎをして僕の名を呼びながら探しものをしていらっしゃいます。それを見ると僕は悲しさと嬉しさとが一緒になって、いきなり飛びつこうとしましたが、やはりおとうさんもおかあさんも狸の化けたのではないかと、ふと気が付くと、何んだか薄気味が悪くなって飛びつくのをやめました。そしてよく二人を見ていました。  おとうさんもおかあさんも僕がついそばにいるのに少しも気がつかないらしく、おかあさんは僕の名を呼びつづけながら、箪笥の引出しを一生懸命に尋ねていらっしゃるし、おとうさんは涙で曇る眼鏡を拭きながら、本棚の本を片端から取り出して見ていらっしゃいます。そうです、そこには家にある通りの本棚と箪笥とが来ていたのです。僕はいくらそんな所を探したって僕はいるものかと思いながら、暫くは見つけられないのをいい事にして黙って見ていました。 「どうもあれがこの本の中にいないはずはないのだがな」  とやがておとうさんがおかあさんに仰有います。 「いいえそんな所にはいません。またこの箪笥の引出しに隠れたなりで、いつの間にか寝込んだに違いありません。月の光が暗いのでちっとも見つかりはしない」  とおかあさんはいらいらするように泣きながらおとうさんに返事をしていられます。  やはりそれは本当のおとうさんとおかあさんでした。それに違いありませんでした。あんなに僕のことを思ってくれるおとうさんやおかあさんが外にあるはずはないのですもの。僕は急に勇気が出て来て顔中がにこにこ笑いになりかけて来ました。「わっ」といって二人を驚かして上げようと思って、いきなり大きな声を出して二人の方に走り寄りました。ところがどうしたことでしょう。僕の体は学校の鉄の扉を何の苦もなく通りぬけたように、おとうさんとおかあさんとを空気のように通りぬけてしまいました。僕は驚いて振り返って見ました。おとうさんとおかあさんとは、そんなことがあったのは少しも知らないように相変らず本棚と箪笥とをいじくっていらっしゃいました。僕はもう一度二人の方に進み寄って、二人に手をかけて見ました。そうしたら、二人ばかりではなく、本棚までも箪笥まで空気と同じように触ることが出来ません。それを知ってか知らないでか、二人は前の通り一生懸命に、泣きながら、しきりと僕の名を呼んで僕を探していらっしゃいます。僕も声を立てました。だんだん大きく声を立てました。 「おとうさん、おかあさん、僕ここにいるんですよ。おとうさん、おかあさん」  けれども駄目でした。おとうさんもおかあさんも、僕のそこにいることは少しも気付かないで、夢中になって僕のいもしない所を探していらっしゃるんです。僕は情けなくなって本当においおい声を出して泣いてやろうかと思う位でした。  そうしたら、僕の心にえらい智慧が湧いて来ました。あの狸帽子が天の所でいたずらをしているので、おとうさんやおかあさんは僕のいるのがお分かりにならないんだ。そうだ、あの帽子に化けている狸おやじを征伐するより外はない。そう思いました。で、僕は空中にぶら下がっている帽子を眼がけて飛びついて、それをいじめて白状させてやろうと思いました。僕は高飛びの身構えをしました。 「レデー・オン・ゼ・マーク……ゲッセット……ゴー」  力一杯跳ね上がったと思うと、僕の体はどこまでもどこまでも上の方へと登って行きます。面白いように登って行きます。とうとう帽子の所に来ました。僕は力みかえって帽子をうんと掴みました。帽子が「痛い」といいました。その拍子に帽子が天の釘から外れでもしたのか僕は帽子を掴んだまま、まっさかさまに下の方へと落ちはじめました。どこまでもどこまでも。もう草原に足がつきそうだと思うのに、そんなこともなく、際限もなく落ちて行きました。だんだんそこいらが明るくなり、神鳴りが鳴り、しまいには眼も明けていられないほど、まぶしい火の海の中にはいりこんで行こうとするのです。そこまで落ちたら焼け死ぬ外はありません。帽子が大きな声を立てて、 「助けてくれえ」  と呶鳴りました。僕は恐ろしくて唯うなりました。  僕は誰れかに身をゆすぶられました。びっくらして眼を開いたら夢でした。  雨戸を半分開けかけたおかあさんが、僕のそばに来ていらっしゃいました。 「あなたどうかおしかえ、大変にうなされて……お寝ぼけさんね、もう学校に行く時間が来ますよ」  と仰有いました。そんなことはどうでもいい。僕はいきなり枕もとを見ました。そうしたら僕はやはり後生大事に庇のぴかぴか光る二円八十銭の帽子を右手で握っていました。  僕は随分うれしくなって、それからにこにことおかあさんの顔を見て笑いました。
底本:「一房の葡萄 他四篇」岩波文庫、岩波書店    1988(昭和63)年12月16日改版第1刷発行 底本の親本:「一房の葡萄」叢文閣    1922(大正11)年6月 入力:鈴木厚司 校正:石川友子 2000年4月29日公開 2005年11月21日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 私は前後約十二年北海道で過した。しかも私の生活としては一番大事と思われる時期を、最初の時は十九から二十三までいた。二度目の時は三十から三十七までいた。それだから私の生活は北海道に於ける自然や生活から影響された点が中々多いに違いないということを思うのだ。けれども今までに取りとめてこれこそ北海道で受けた影響だと自覚するようなものは持っていない。自分が放慢なためにそんなことを考えて見たこともないのに依るかも知れないが、一つは十二年も北海道で過しながら、碌々旅行もせず、そこの生活とも深い交渉を持たないで暮して来たのが原因であるかも知れないと思う。  然し兎に角あの土地は矢張り私に忘られないものとなってしまっている。この間も長く北海道にいたという人に会って話した時、あすこにいる間はいやな処だと思うことが度々あったが、離れて見ると何となくなつかしみの感ぜられる処だなといったら、その人も思っていたことを言い現わしてくれたというように、心から同意していた。長く住んでいた処はどんな処でもそういう気持を起させるものではあろうが、北海道という土地は特にそうした感じを与えるのではないかと私は思っている。  北海道といってもそういうことを考える時、主に私の心の対象となるのは住み慣れた札幌とその附近だ。長い冬の有る処は変化に乏しくてつまらないと人は一概にいうけれども、それは決してそうではない。変化は却ってその方に多い。雪に埋もれる六ヶ月は成程短いということは出来ない。もう雪も解け出しそうなものだといらいらしながら思う頃に、又空が雪を止度なく降らす時などは、心の腐るような気持になることがないではないけれど、一度春が訪れ出すと、その素晴らしい変化は今までの退屈を補い尽してなお余りがある。冬の短い地方ではどんな厳冬でも草もあれば花もある。人の生活にも或る華やかさがついてまわっている。けれども北海道の冬となると徹底的に冬だ。凡ての生命が不可能の少し手前まで追いこめられる程の冬だ。それが春に変ると一時に春になる。草のなかった処に青い草が生える。花のなかった処にあらん限りの花が開く。人は言葉通りに新たに甦って来る。あの変化、あの心の中にうず〳〵と捲き起る生の喜び、それは恐らく熱帯地方に住む人などの夢にも想い見ることの出来ない境だろう。それから水々しく青葉に埋もれてゆく夏、東京あたりと変らない昼間の暑さ、眼を細めたい程涼しく暮れて行く夜、晴れ日の長い華やかな小春、樹は一つ〳〵に自分自身の色彩を以てその枝を装う小春。それは山といわず野といわず北国の天地を悲壮な熱情の舞台にする。  或る冴えた晩秋の朝であった。霜の上には薄い牛乳のような色の靄が青白く澱んでいた。私は早起きして表戸の野に新聞紙を拾いに出ると、東にあった二個の太陽を見出した。私は顔も洗わずに天文学に委しい教授の処に駈けつけた。教授も始めて実物を見るといって、私を二階窓に案内してくれた。やがて太陽は縦に三つになった。而してその左右にも又二つの光体をかすかながら発見した。それは或る気温の関係で太陽の周囲に白虹が出来、なお太陽を中心として十字形の虹が現われるのだが、その交叉点が殊に光度を増すので、真の太陽の周囲四ヶ所に光体に似たものを現わす現象で、北極圏内には屡〻見られるのだがこの辺では珍らしいことだといって聞かせてくれた。又私の処で夜おそくまで科学上の議論をしていた一人の若い科学者は、帰途晴れ切った冬の夜空に、探海燈の光輝のようなものが或は消え或は現われて美しい現象を呈したのを見た。彼は好奇心の余り、小樽港に碇泊している船について調べて見たが、一隻の軍艦もいないことを発見した。而してその不思議な光は北極光の余翳であるのを略々確めることが出来た。北海道という処はそうした処だ。  私が学生々活をしていた頃には、米国風な広々とした札幌の道路のこゝかしこに林檎園があった。そこには屹度小さな小屋があって、誰でも五六銭を手にしてゆくと、二三人では喰い切れない程の林檎を、枝からもぎって籃に入れて持って来て喰べさせてくれた。白い粉の吹いたまゝな皮を衣物で押し拭って、丸かじりにしたその味は忘れられない。春になってそれらの園に林檎の花が一時に開くそのしみ〴〵とした感じも忘れることが出来ない。  何処となく荒涼とした粗野な自由な感じ、それは生面の人を威脅するものではあるかも知れないけれども、住み慣れたものには捨て難い蠱惑だ。あすこに住まっていると自分というものがはっきりして来るかに思われる。艱難に対しての或る勇気が生れ出て来る。銘々が銘々の仕事を独力でやって行くのに或る促進を受ける。これは確かに北海道の住民の特異な気質となって現われているようだ。若しあすこの土地に人為上にもっと自由が許されていたならば、北海道の移住民は日本人という在来の典型に或る新しい寄与をしていたかも知れない。欧洲文明に於けるスカンディナヴィヤのような、又は北米の文明に於けるニュー・イングランドのような役目を果たすことが出来ていたかも知れない。然しそれは歴代の為政者の中央政府に阿附するような施設によって全く踏みにじられてしまった。而して現在の北海道は、その土地が持つ自然の特色を段々こそぎ取られて、内地の在来の形式と選む所のない生活の維持者たるに終ろうとしつゝあるようだ。あの特異な自然を活かして働かすような詩人的な徹視力を持つ政治家は遂にあの土地には来てくれないのだろうか。  最初の北海道の長官の黒田という人は、そこに行くと何といっても面白いものを持っていたようだ。あの必要以上に大規模と見える市街市街の設計でも一斑を知ることか出来るが、米国風の大農具を用いて片っ端からあの未開の土地を開いて行こうとした跡は、私の学生時分にさえ所在に窺い知ることが出来た。例えば大木の根を一気に抜き取る蒸気抜根機が、その成効力の余りに偉大な為めに、使い処がなくて、鏽びたまゝ捨てゝあるのを旅行の途次に見たこともある。少女の何人かを逸早く米国に送ってそれを北海道の開拓者の内助者たらしめようとしたこともある。当時米国の公使として令名のあった森有礼氏に是非米国の婦人を細君として迎えろと勤めたというのもその人だ。然し黒田氏のかゝる気持は次代の長官以下には全く忘れられてしまった。惜しいことだったと私は思う。  私は北海道についてはもっと具体的なことが書きたい。然し今は病人をひかえていてそれが出来ない、雑誌社の督促に打ちまけて単にこれだけを記して責をふさいでおく。
底本:「北海道文学全集 第3巻」立風書房    1980(昭和55)年3月10日初版第1刷発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:田中敬三 校正:染川隆俊 2010年3月2日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 たうとう勃凸は四年を終へない中に中学を退学した。退学させられた。学校といふものが彼にはさつぱり理解出来なかつたのだ。教室の中では飛行機を操縦するまねや、活動写真の人殺しのまねばかりしてゐた。勃凸にはそんなことが、興味といへば唯一の興味だつたのだ。  どこにも行かずに家の中でごろ〳〵してゐる中におやぢとの不和が無性に嵩じて、碌でもない口喧嘩から、おやぢにしたゝか打ちのめされた揚句、みぞれの降りしきる往来に塵のやうに掃き出されてしまつた。勃凸は退屈を持てあますやうな風付で、濡れたまゝぞべ〳〵とその友達の下宿にころがり込んだ。  安菓子を滅茶々々に腹の中につめ込んだり、飲めもしない酒をやけらしくあふつて、水のしたゝるやうに研ぎすましたジヤック・ナイフをあてもなく振り廻したりして、することもなく夜更しをするのが、彼に取つてはせめてもの自由だつた。  その中に勃凸は妙なことに興味を持ち出した。廊下一つ隔てた向ひの部屋に、これもくすぶり込んでゐるらしい一人の客が、十二時近くなると毎晩下から沢庵漬を取りよせて酒を飲むのだつたが、いかにも歯切れのよささうなばり〳〵といふ音と、生ぬるいらしい酒をずるつと啜り込む音とが堪らなく気持がよかつたのだ。胡坐をかいたまゝ、勃凸は鼠の眼のやうな可愛らしい眼で、強度の近眼鏡越しに友達の顔を見詰めながら、向ひの部屋の物音に聞き耳を立てた。 「あれ、今沢庵を喰つたあ。をつかしい奴だなあ……ほれ、今酒を飲んだべ」  その沢庵漬で酒を飲むのが、あとで勃凸と腐れ縁を結ぶやうになつた「おんつぁん」だつた。  いつとはなく二人は帳場で顔を見合すやうになつた。勃凸はおんつぁんを流動体のやうに感じた。勃凸には三十そこ〳〵のおんつぁんが生れる前からの父親のやうに思はれたのだつた。而してどつちから引き寄せるともなく勃凸はおんつぁんの部屋に入りびたるやうになつた。 「まるで馬鹿だなあお前は……俺にはそんなこといふ資格は無いどもな」  勃凸が酔つたまぎれに乱暴狼藉を働くと、おんつぁんは部屋の隅にいざり曲つて難を避けながら、頭をかゝへてかう笑つた。勃凸はさういふ時舐めまはしたい程おんつぁんが慕はしくなつてしまふのだつた。  さうかと思ふとおんつぁんは毛嫌ひする老いた牝犬のやうに、勃凸をすげなく蹴りつけることもあつた。手前のやうな生れそこなひは、おやぢのところに帰つて、小さくなつてぶつたゝかれながら、馬鹿様で暮すのが一番安全で幸福なことだ。おやぢが汗水たらして稼ぎためた大きな身代に倚りかゝつて愚図々々してゐる中には、ひとりでにその身代が手前のものになるから、それで飯を食つて死んでしまへば、この上なしの極楽だ。うつかり俺なんぞにかゝはり合つてゐると、鯱鉾立ちをして後悔しても取り返しのつかないことになるぞ。自分だけで俺は沢山だ。この上もてあましものが俺のまはりに囓りつくには及ばないことだ。俺一人だけ腐つて行けばそれでいゝんだから……おんつぁんはそんなことをいひながら、二本の指で盃をつまんで、甘さうに眼を寄せて、燗のぬるい酒を口もとに持つて行つた。勃凸はおんつぁんにそんな風に物をいはれると妙にすくみあがつた。而して無上に腹が立つた。  おんつぁんはやがて何処から金を工面したか、小細工物や、古着売の店の立ち列んだやうな町に出て小さな貸本屋を開いた。初めの中こそ多少の遠慮はしてゐたが、いつといふことなく勃凸はおんつぁんの店の仕事まで手伝ふやうになつてゐた。  おんつぁんも勃凸も仕事に興味が乗ると普通の人間の三倍も四倍も働いた。互に口もきゝあはない程働いた。従つて売上げも決して馬鹿にはならない位あつた。おんつぁんはそれで自分の好きな書物を買ひ入れた。けれどもおんつぁんの好きな書物は、あながち一般の読者の好きな書物ではない。おまけに真先に貸本に楽書をするのがお客でなくておんつぁん自身だつた。それがおんつぁんを黒表に載る人間にしようとは誰もが思はなかつたらう。  どうかしたはずみを喰ふと、おんつぁんも勃凸も他愛がなくなつて、店に出入りする若者達と一緒にどこかに出かけて、売溜めを綺麗にはたいて、商売道具を手あたり次第に質草にするのが鳧だつた。  或る時勃凸が、店先でいきなり一冊の書物を土間にたゝきつけた。 「何をしやがるんだ馬鹿。お前気ちがひにでもなる気か」  とおんつぁんが吹き出しさうな顔をして、声だけはがなり立てた。勃凸は真青に震へて怒つてゐた。 「おんつぁん……こんなちやくいことしてゐて、これでいゝのかい」  相当に名のあるその書物の作者が公けにしたもう一冊の書物を勃凸が書棚から引きぬいて来て、それをおんつぁんの前においた。今土間にたゝきつけられた書物と比べて見ると、表題こそは全く違つてゐるけれども、内容は殆ど同じだつた。  二人はそれだけで興奮してしまつた。持つて行き場のないやうな憤怒で、二人は定連と一緒に酒のあるところに転がり込んだ。而して滅茶苦茶に酔つぱらつて、勃凸の例の研ぎすましたジヤック・ナイフを自分の脚に突き刺して、その血を顔中に塗りこくつて、得意の死の踊りといふのを気違ひのやうに踊つた。  そのおかげで二人は二三日の間青つしよびれてしまつてゐた。  おんつぁんがたうとう出て行けといつた。勃凸にはおんつぁんの気持がすつかり判つてゐた。それだからふて腐れて赤いスエターを頭からすつぽりと被つて、戸棚の中で泣いてゐた。  それでも勃凸は素直に野幌に行つて小学校の代用教員になつた。少し金が溜るとそれを持つて、おんつぁんに会ひに札幌まで出かけて来た。身銭を切る嬉しさ、おんつぁんと、六つになるおんつぁんの娘とをおごつてやる嬉しさで夢中だつた。カフエーのテーブルの上に一寸眼に立つ灰皿を見つけると、頬の筋肉がにや〳〵し出した。  カフエーを出てドアを締めるが早いか、懐からその灰皿を取り出しておんつぁんの眼の前にふり廻して見せた。 「馬鹿! またやつたなお前。お前にやり〳〵してゐたからまたやるなと思つて、俺眼を放さないでゐたから、今日は駄目だと思つたら、矢張りだアめだよお前は。ぺつちやんこだよ」  といつておんつぁんが途方に暮れたやうに高々と笑つた。勃凸も大笑ひをした。而してその灰皿を新川の水の中に思ひきり力をこめてたゝきこんだ。  はじめの間こそ、おんつぁんに怒鳴りつけられるまゝに、すご〳〵と野幌に帰つたが、段々図々しくなつて、いつ学校の方をやめるともなく又おんつぁんの店に入りびたるやうになつた。  その中にあの大乱痴気が起つた。刑事は隣りの家の二階から一同の集まるのを見張つてゐて、もう集まり切つたといふところで、署長を先頭に踏みこんだのだ。平服だつたがおんつぁんはすぐそれだと見て取つた。ところが勃凸は一切お構ひなしに、又仲間が集まつて来たとでも思つたらしく、羽織つたマントの端をくるつと首のまはりに巻きつけて、伊太利どころの映画の色男をまねた業々しい身振りで、右手で左の肩から膝頭へかけてぐるつと大きな輪をかいて恭しい挨拶をした。而してひしやげるほど横面をなぐり飛ばされた。  おんつぁんも勃凸もほかの仲間三人も留置場に四日ゐた。勃凸は珍らしく悒鬱になつてゐた。それは恐ろしい徴候だつた。爆弾なり、短銃なり、ドスなりは、謂はゞ勃凸の肉体の一部分のやうなものだつたのだから。青白い華車な顔にはめこまれた、鼠の眼のやうな可愛らしい眼がすわつて来ると、勃凸の全身は鞘を払つた懐剣のやうに見えた。  兎に角証拠不十分といふことで放免になる朝、写真機の前に立たされた勃凸は、シャッターを切られるはずみに、そつぽを向いて、滅茶苦茶に顔をしかめてしまつた。さういふのが彼の悒鬱の一面だつた。  留守中におんつぁんの店は根太板まで引きはがされる程の綿密な捜索を受けてゐた。札幌で営業を停止されたばかりでなく、心あたりの就職の道は悉く杜絶してしまつた。  おんつぁんは細君も子供も仲間も皆んな振り切つて、たつた一人の人間にならうと思ひ定めた。それを勃凸が逸早く感づいた。 「おんつぁん俺らこと連れて行つてくれ、なあ」  と甘えかゝつた。 「だアめだ」  おんつぁんはほろりとかう答へた。 「よし、行くなら行つて見ろ、おんつぁん。俺屹度停車場でとつちめて見せるから」  けれどもおんつぁんはたうとう勃凸をまいて東京に出て来てしまつたのだ。而して私に今までのやうな話をして聞かせた。而して、 「とても本物だよあいつは。俺らあいつが憎めて〳〵仕方がないべ。けれどあいつに『おんつぁん』と来られると俺らぺつちやんこさ。まるでよれ〳〵になつてるんだから駄目なもんだてば」と言葉を結んだが……  そんな噂話を聞いて程もなく、勃凸がおんつぁんを追ひかけて、着のみ着のまゝで札幌から飛び出して来たといふことを知つた。  或る日、おんつぁんが来たと取り次がれたので、私は例の書斎に通すやうに云つておいて、暫くしてから行つて見ると、おんつぁんではない生若い青年だつた。背丈は尋常だが肩幅の狭い、骨細な体に何所か締りのぬけた着物の着かたをして、椅子にもかけかねる程気兼ねをしながら、おんつぁんからの用事をいひ終ると、 「ぢや帰るから」  といつて、止めるのも聴かずにどん〳〵帰つて行つてしまつた。私はすぐその男だなと思つたが、互に名乗り合ふこともしなかつた。  二三日するとおんつぁんが来て、何か紛失物はなかつたかと聞くのだつた。あすこに行つたら記念に屹度何かくすねて来る積りだつたが、何んだか気がさして、その気になれなかつたと云つてはゐたが、あいつのことだから何が何んだか分らないといふのだ。然し勿論何にも無くなつてはゐなかつた。 「めんこいとっつあんだ。額と手とがまるっでめんこくて俺らもう少しで舐めるところだつた。ありやとっつぁんぼっちやんだなあ」  ともいつたさうだ。私は笑つた。而して私がとっつぁんぼっちやんなら、あの男はぼっちやんとっちやんだといつた。而してそれから私達の間でその男のことを勃凸、私のことを凸勃といふやうになつたのだ。だから勃凸とは札幌時代からの彼の異名ではない。  その後勃凸と私との交渉はさして濃くなつて行くやうなこともなく、唯おんつぁんを通じて、彼が如何に女に愛着されるか、如何に放漫であるか、いざとなれば如何に抜け目のない強烈さを発揮するかといふことなどを聞かされるだけだつたが、今年になつて、突然勃凸と接近する機会が持ち上つた。  それは急におんつぁんが九州に旅立ち、その旅先きから又世界のどのはづれに行くかも知れないやうな事件が起つたからだ。勃凸の買つて来た赤皮の靴が法外に大き過ぎると冗談めいた口小言をいひながらも、おんつぁんはさすがに何処か緊張してゐた。私達は身にしみ通る夜風に顔をしかめながら、八時の夜行に間に合ふやうにと東京駅に急いだ。そこには先着の勃凸が、ハンティングの庇を眉深かにおろし、トンビの襟を高く立てゝ私達を待ち受けてゐた。おんつぁんは始終あたりに眼を配らなければならないやうな境涯にゐたのだ。  三等車は込み合つてゐたけれども、先に乗りこんで座席を占めてゐた勃凸の機転で、おんつぁんはやうやく窓に近いところに坐ることが出来た。おんつぁんはいつものやうに笑つて勃凸と話した。私は少し遠ざかつてゐた。勃凸が涕を拇指の根のところで拭き取つてゐるのがあやにくに見えた。おんつぁんの顔には油汗のやうなものが浮いて、見るも痛ましい程青白くなつてゐた。飽きも飽かれもしない妻と子とを残して、何んといつても住心地のいゝ日本から、どんな窮乏と危険とが待ち受けてゐるかも知れないいづこかに、盲者のやうに自分を投げ出して行かうとする。行かねばならないおんつぁんを、親身に送るものは、不良青年の極印を押された勃凸が一人ゐるばかりなのだ。こんな旅人とこんな見送り人とは、東京駅の長い歩廊にも恐らく又とはゐまい。私は思はずも感傷的になつてしまつた。而してその下らない感情を追ひ払ふためにセメントの床の上をこつ〳〵と寒さに首を縮めながら歩きまはつた。  勃凸との話が途切れるとおんつぁんはぐつたりして客車の天井を眺めてゐた。勃凸はハンティングとトンビの襟との間にすつかり顔を隠して石のやうに突つ立つてゐた。  長い事々しい警鈴の音、それは勃凸の胸をゑぐつたらう。列車は旅客を満載して闇の中へと動き出した。私達は他人同士のやうに知らん顔をし合つて別れた。  勃凸と私と而してもう一人の仲間なるIは黙つたまゝ高い石造の建築物の峡を歩いた。二人は私の行く方へと従つて来た。日比谷の停留場に来て、私は鳥料理の大きな店へと押し上つた。三人が通されたのはむさ苦しい六畳だつた。何しろ土曜日の晩だから、宴会客で店中が湧くやうだつたのだ。  驚いたのは、暗闇から明るい電灯の下に現れ出た勃凸の姿だつた。私の心には歩廊の陰惨な光景がまだうろついてゐたのに、彼の顔は無恥な位晴れ〴〵してゐた。 「たまげたなあ。とつても素晴らしいところだなあ」  彼は宛ら子供のやうな好奇心をもつてあたりを眺めまはした。  その家の特色なる電気鍋が出た。 「これ札幌にもあるよ」  その腹の底からの無邪気さが遂に私をほゝゑましてしまつた。私達は軽く酒を飲んで飯にした。Iが飯をつがうとすると、 「うんと盛つてくれ、てんこ盛りによ、な」  仏家の出なるIが器用に円く飯を盛り上げた茶碗を渡すと、勃凸はと見かう見しながら喜び勇んだ。 「見ろ、てんこ盛り。まるつで鎌倉時代見たいだなあ。ほら頼朝がかうして飯を食つたんだ。さうだべ、なあ」  さうした言葉の端にも彼にはどこまでも彼らしいところがあつた。一般に日本人に欠けてゐる個性の持ち味といふやうなものがあつた。勃凸と私とは段々両方から親しみこんで行つた。勃凸は私の書斎であつた勃凸ではなくなつてゐた。天才色とでもいふ白い皮膚が、少しの酒ですぐ薄紅くなつて、好きだとなつたら男女の区別なくしなだれかゝらずにはゐられない、そんな人懐こひ匂ひがその心からも体からも蒸れ出るやうに見えた。註文のものを運んで来る女中が、来る度毎に、二十になるやならずの彼の方に注意深い眼を短かく送りながら立つて行つた。あの若さで、あいつの生命はすつかり世帯くづれがしてゐると、それを私は痛ましいやうな気持で考へたりした。  互ひの話声が聞き取れぬほどあたりは物騒がしかつた。階子段の上から帳場に向けて、註文をとほす金切声の間に、かういふ店の客に似合はしいやうな、書生上りの匂ひのからまり付いた濁声がこゝを先途とがなり立てられてゐた。鼻も眼も醤油と脂肪の蒸気でむされるやうだつた。  同じ家に寝起きしてゐる勃凸とIとは、半分以上も私には分らない楽屋落ちらしい言葉で、おんつぁんと勃凸とが神楽坂辺に試みた馬鹿々々しい冒険談に笑ひ興じてゐた。 「勃凸の奴、Sの名刺を貰つて来て、壁に張りつけておいて、朝晩礼拝をしてゐるんだからやりきれやしない」  極めて堅気なIだけれども、初めから良心を授からないで生れて来たやうな勃凸の奇怪な自由さには取りつく島もないといふ風で、そのすつぱぬきさへが好意をこめた声になつてゐた。 「とつてもいゝから、俺なんぞ相手にする奴、この世の中に一人だつてゐねえと思つてたべ。したら、一晩中だもの。泣けてさ。とつてもいゝ……」  停電した。店中から鯨波の声が起つた。せうことなしに私達は真暗な部屋の中で、底の方に引きこまれるやうな気持でうづくまつてゐねばならなかつた。焜炉の中の電線だけが、べと〳〵した赤さで熱を吐いてゐるだけだつた。初めこそはこの不意打ちに飛び上らんばかり興じてゐた勃凸もやがて黙つた。三人の顔は正面だけが、薄れゆく焜炉の中の光に照らされて闇の中にぼんやりと浮いてゐた。 「おんつぁんもうどこまで行つたらう」  突然勃凸がぽつりとかういひ出した。私達はそれから又黙つて焜炉を見つめてゐた。部屋の外には男衆や女中が蝋燭だの提灯だのを持つて右往左往に駈け廻つてゐた。私達の部屋が後廻しになるのは当然だつた。  焜炉の中の光が薄れ切つてしまつた頃、而して店の中に兎に角蝋燭の火が分配され終つた頃、悪戯者らしく家中の電灯がぽつかりと点つた。然し停電をきつかけに私達の話題は角度をかへてゐた。  勃凸が謂はゞば正面を切つて、おんつぁんを思ひ出すやうなことを話しはじめた。 「俺おんつぁんが好きだ。何んといつても好きだ。おんつぁんのことなら俺何んでもするよ」  かういう風に勃凸はしんみりと口を切つた。 「俺にはとつても続けて勉強なんか出来ないべ。学校でも遊んでばつかしゐたさ。したらたうとう退校になつた。うん。俺おやぢが大嫌ひだつた。何んもしないで金ばつか溜めてゐるんでねえか。俺ぶつたゝかれた。鼓膜が千里の余も飛んじまつたべと思ふほどこゝんところをたゝかれた。そしてあとはもうまるで駄目さ。  おんつぁんはあれでひでえおつかねえんだよ。藤公と三人で酒飲んだ時、おんつぁんが藤公に忠告したら藤公がまるで怒つてさ。いきなりおんつぁんことなぐつたべ。したらな、おんつぁんがぐうんと藤公の胸をついたと思つたら、二十貫もある藤公が店のはめ板に平らべつたくなる程はたきつけられたつけ。その時のおんつぁんのおつかねえ顔つたら、俺今でも忘れねえ。藤公はもう殺されるなと思つた。藤公も藤公だからすぐ起きあがつて又かゝつて行つた。したらおんつぁんは真蒼になつて、眼に涙を一杯ためて、ぢつと坐つたまゝ、藤公が来てたゝくのを待つてゐた。藤公はおんつぁんを一つ二つなぐつたが気抜けがしてそれ切りさ。電灯の笠がこはれて、そこいらに散らばつてゐたつけ。  おんつぁんは藤公をたゝき殺さうとしたんだが、仲間だなと思つたら、急に手も足も出なくなつて、涙ばつか出たとさういつてゐた。……俺、おんつぁんに殺されるなと思つたことが二度も三度もある。ぎつと見詰められただけでそんな気がするんだ。ほれ、いつかの晩もさ、俺夜中にカルメンの歌を歌つてゐたら、おんつぁんが『がつ』といつていきなり部屋を出て行つたべ。あの時も俺出刃包丁がいきなり胸にさゝるべと思つて床の中で震へてゐたさ」  Iはおんつぁんの不思議な一面を知つたやうな顔をして聞いてゐたが、 「けれどおんつぁんは親切だなあ」  と言葉を入れた。 「俺と同じでおんつぁんには手前と他人とが縋れ合つてゐるんだものなあ」  勃凸は説明するやうにかういつて更に語りつゞけるのだつた。 「俺が野幌で教師をしてゐた時……  教師といへば……子供つてたまらなくめんこいねえ。子供も俺になづき切つてゐたつけ。めんこいども、俺その中で出来る子と出来ない子とがめんこかつた。俺出来ない子をうんといぢめたさ。出来る子は顔がめんこいけども、出来ない子は心がめんこいんだ。出来ない子を学校がひけてから残して俺教へてやるんだ。一度俺ら方が泣けてしまつて、机の板で頭をなぐりつけてやつたら、板が真二つになつた。その子はかうして頭を抱へたきり泣きもしなかつた。俺、奴が馬鹿か気狂ひになるべと思つていゝ加減心配したさ。したどもな、俺あやまる気がしねえで教員室にはいつて、皆の帰るのを待つて教場に行つて見たら、その子がたつた一人、頭をかゝへて泣きながらまだ残つてゐた。頭を撫でゝ見たら大きな瘤が出来てゐた。あいつ俺らこと死ぬまで恨むのだべさ。  したども学校もすぐ倦きたあ。おんつぁんのとこさ行くと帰れ〳〵といふべ、俺やけ糞になつて、何もしねえで町の中をごろつき歩いてゐた。したら俺の叔父さんが、盲目の叔父さんが小樽から俺らことおんつぁんのとこに捜しに来たつけ。おんつぁんとこさ行つたらおんつぁんがいつた。 『お前今日から俺んところに寄りつくんでねえぞ。俺は俺だしお前はお前だからな。お前おやぢのとこさ帰れ、よ。俺の病気が伝染つたら、お前御難を見るから。……俺はお前のことで心配するのはもういやになつた。自分一人を持てあましてゐるんだよ、俺は』  俺は何んにもいへなかつた。寒い雨の降る日で、傘が無かつたから俺頭からずつぷり濡れて足は泥つけさ。おんつぁんはバケツに水を汲んで来て、お袋のやうに俺の足を洗つてくれた。而して着物を着かへさせてくれた。俺太て腐れてゐたら、おんつぁんが……いつもさうだべ、なあ……額に汗をかき〳〵俺のものを綺麗に風呂敷に包んで、さあ出て行けと俺の坐つてゐるわきさ置いてよ、自分はそつぽを向いてもう物をいはねえでねえか。  糞つと思つて俺裏口からおんつぁんのとこを出たが、何処に行くあてがあるべさ。軒下に風呂敷をおいて、その上に腰を下ろして晩げまでぶる〳〵震へたなりぢつとしてゐた。おんつぁんが時々顔を出して見ては黙つて引込んだ。夜になつたら物もいはないでぴつたり戸をたてゝしまつたさ。  俺おんつぁんの心持が分り過ぎる位ゐ分るんだから唯泣いてたつた。  その晩俺はおんつぁんの作つてくれた風呂敷包を全部質において、料理屋さ行つてうつと飲んで女を買つたら、次ぐの朝払ひが足らなかつた。仕方なしに牛太郎と一緒におやぢのとこさ行つたらお袋が危篤で俺らこと捜しぬいてるところだつた。  それから三日目にお袋が死んぢやつたさ。俺のお袋はいゝお袋だつたなあ。おやぢに始終ぶつたゝかれながら俺達をめんこがつてくれたさ。獣物が自分の仔をめんこがるやうなもんだ。何んにもわからねえでめんこがつてゐたんだ。だから俺はこんなに馬鹿になつたども、俺はお袋だけは好きだつた。  死水をやれつて皆んながいふべ。お袋の口をあけてコップの水をうつと流しこんでやつたら、ごゝゝと三度むせた。それだけよ。……それつきりさ」  勃凸は他人事のやうに笑つた。Iも私も思はず釣りこまれて笑つたが、すぐその笑ひは引つ込んでしまつた。  気がついて見ると店の中は存外客少なになつてゐた。時計を見るといつの間にか十時近くなつてゐるので、私は家に帰ることを思つたが、勃凸はお互ひが別れ〳〵になるのをひどつ淋しがるやうに見えた。  それでも勘定だけはしておかうと思つて、女中を呼んで払ひのために懐中物を出しにかゝつた時、勃凸も気がついたやうに蟆口を取り出した。Iが金がないのにしやれたまねをするとからかつた。勃凸は耳もかさずに蟆口をひねり開けて、半紙の切れ端に包んだ小さなものを取り出した。 「これだ」  と私達の目の前に出さうとするのを、Iがまた手で遮つて、 「おい〳〵御自慢のSの名刺か。もうやめてくれよ」  といふのも構はず、それを開くと折り目のところに小さな歯のやうなものがころがつてゐた。 「何んだいそれは」  今度は私が聞いて見た。 「これ……お袋の骨だあ」  と勃凸は珍らしくもないものでも見せるやうにつまらなさうな顔をして紙包みを私達の眼の前にさし出した。  私達はまた暫く黙つた。と、突然Iが袂の中のハンケチを取り出す間もおそしと眼がしらに持つて行つた。  勃凸はやがてまたそれを蟆口の中にはふり込んだ。その時私は彼の顔にちらりと悒鬱な色が漲つたやうに思つた。おんつぁんが危険な色だといつたのはあれだなと思つた。 「俺は何んにもすることがないから何んでもするさ。糞つ、何んでもするぞ。見てれ。だどもおやぢの生きてる中は矢張駄目だ。俺はあいつを憎んでゐるども、あいつがゐる間は矢張駄目だ。……おんつぁんがゐねえばもう俺は滅茶苦茶さ。……馬鹿野郎……」  勃凸は誰に又何に向けていふともなく、「馬鹿野郎」といふ言葉を、押しつぶしたやうな物凄い声で云つた。  私は思はず凄惨な気に打たれてしまつた。どうしたらそんな気持から彼を立ち戻らすことが出来るかを私は知らなかつたから。  その後一週間ほどして、意外にもおんつぁんが再び東京に舞ひ戻つて来た。おんつぁんの予期してゐたやうなことは全く齟齬して、結局九州まで有り金の凡てを費ひ果たしに行つたやうな結果になつた。  それでもおんつぁんは勃凸のことは忘れなかつた。而しておんつぁんの言葉でいへば二人はまたよれ〳〵になつて寝起きを共にするやうになつたが、兎に角にも勃凸に一通りの手職は覚えさせるのがおんつぁんの生活のためにも必要になつたので、又何処からか辛うじて金の工面をして勃凸を自動車学校に入れることになり、勃凸は勃凸でそれを子供のやうに喜んだ。而して凛とした運転手服を着て大家に乗り込んで、そこにゐる女達を片端から征服してやると、多少の予期なしにではなく揚言したりした。  或る晩、勃凸が大森の方に下宿するから、送別のために出て来ないかといふ招きが来た。それはもう九時過ぎだつたけれども私は神楽坂の或る飲食店へと出かけて行つた。 「お待ちかねでした」といつて案内する女中に導かれて三階の一室にはいつて行つた時には、おんつぁんも、勃凸も、Iも最上の元気で食卓を囲んでゐた。  勃凸は体中が弾み上るやうな声を出して叫んだ。 「ほれえ、おんつぁん、凸勃が来たな。畜生! いゝなあ。おい、おんつぁん、騒げ、うつと騒げ、なあI、もつと騒げつたら」 「うむ、騒ぐ、騒ぐ」  場慣れないIは、はにかんで笑ひながら、大急ぎで箸を刺身皿に持つて行つた。勃凸のさうした声を聞くと私もよしといふやうな腹がすわつた。而してさゝれる酒をぐい〳〵と飲んだ。些かの虚飾も上下もないのが私の不断の気持を全く解放したらしい。  勃凸は着物を腰までまくり上げて、粗い鰹縞のやうな綿ネルの下着一つで胡坐をかいてゐた。その若々しい色白の顔は燃えるやうに充血して、彼の表情を寧ろ愛嬌深くする乱杭歯が現はれどほしに現はれてゐた。 「おい凸勃、今夜こそ、お前待合に行け、俺達と一緒に。どうだ行くか」  おんつぁんが杯にかじりついたまゝで詰問した。 「行くとも」  私は笑ひながら答へた。 「畜生! 面白れえなあ。凸勃が沈没するのだよ。畜生。……飲めや」  勃凸はふら〳〵しながら私の方に杯をよこした。 「お前いつ大森に行くんだ」  と私が尋ねて見た。 「明日行くよ。僕立派な運転手になつて見せるから……芸者が来ないでねえか。畜生」  丁度その時二人の芸者がはいつて来た。さういふところに来る芸者だから、三味線もよく弾けないやうな人達だつたけれども、その中の一人は、まだ十八九にしか見えない小柄な女の癖に、あばずれたきかん気の人らしかつた。 「私ハイカラに結つたら酔はないことにしてゐるんだけれども、お座敷が面白さうだから飲むわ。ついで頂戴」  といひながら、そこにあつた椀の中のものを盃洗にあけると、もう一人の芸者に酌をさせて、一と息に半分がた飲み干した。 「馬鹿でねえかこいつ」  もう眼の据つたおんつぁんがその女をたしなめるやうに見やりながら云つた。 「田舎もんね、あちら」 「畜生! 田舎もんがどうした。こつちに来い」  と勃凸が居丈け高になつた。 「田舎もん結構よ」  さういひながらその女は、私のそばから立ち上つて、勃凸とIとの間に割つてはいつた。  座敷はまるで滅茶苦茶だつた。私はおんつぁんと何かいひながらも、勃凸とその芸者との会話に注意してゐた。 「お前どつち―――だ」 「卑しい稼業よ」 「芸者面しやがつて威張るない」 「いつ私が威張つて。こんな土地で芸者してゐるからには、―――――――――――――――上げるわよ」 「お前は女郎を馬鹿にしてるだべ」 「いつ私が……」 「見ろ、畜生!」 「畜生たあ何」 「俺は世の中で―――一番好きなんだ。いつでも女郎を一番馬鹿にするのはお前等ださ。……糞、見つたくも無え」 「何んてこちらは独り合点な……」 「いゝなあ、おい、おんつぁん、とろつとしてよ、とろつと淋しい顔してよ。いゝなあ―――――――――、俺まるつで本当の家に帰つたやうだあ。畜生こんな高慢ちきな奴。……」 「憎らしいねえ、まあお聞きなさいつたら。……学生さんでせう、こちら」 「お前なんか学生とふざけてゐれや丁度いゝべさ」 「よく〳〵根性まがりの意地悪だねえ……ごまかしたつて駄目よ。まあお聞きなさいよ。私これでも二十三よ。姉さんぶるわけぢやないけど、修業中だけはお謹みなさいね」 「馬鹿々々々々々々……ぶんなぐるぞ」 「なぐれると思ふならなぐつて頂戴、さ」  勃凸は本当にその芸者の肩に手をかけてなぐりさうな気勢を示した。おんつぁんとIとが本気になつて止めた。その芸者も腹を立てたやうにつうつと立つてまた私のわきに来てしまつた。そしてこれ見よがしに私にへばりつき始めた。私はそれだけ勃凸の作戦の巧妙なのに感心した。巧妙な作戦といふよりも、溢れてゆく彼の性格の迸りであるのを知つた。  私達はさういふ風にして他愛もなく騒いだ。酔ひがまはり切ると、おんつぁんはいつものやうに凄惨な美声で松前追分を歌ひはじめた。それは彼の附け元気の断末魔の声だ。それから先きにはその本音が物凄く現はれはじめるのだ。泣いてもゐられない、笑つてもゐたれないやうな虚無の世界が、おんつぁんの酔眼に朦朧と映り出す。おんつぁんは肩息になつて酔ひながらもだえるのだ。 「おい、凸勃、ごまかしを除いたら、あとに何が残るんだ。何にも無えべ。だども俺ずるいよ。自分でもごまかして、他人のごまかしまで略奪して生きてゐるで無えか。俺一番駄目なんだなあ」  かういふ段になると、勃凸の酔ひは一時に醒めてしまふかのやうだ。彼はまるでじやれ附く猫のやうに、おんつぁんの上にのしかゝつて行つて、芝居のせりふや活弁の文句でかき廻してしまふのだ。それも私には出来ない芸当だつた。おんつぁんは勃凸にさう出られると、何時の間にか正体がくづれて、もとのまゝの酔ひどれに変つてゐた。それのみならず勃凸がどれほどおんつぁんを便りにし、その身の上をも懸念してゐるかゞ感ぜられると、私は妙に涙ぐましい気分にさへなつた。  それでもやゝともするとおんつぁんは沈みこみさうになつた。絶対的な眼の色が痛ましく近眼鏡の奥に輝やいた。「駄目、おんつぁん」をきつかけに勃凸は急に待合の事をいひ出した。おんつぁんは枯れかゝつた草が水を得たやうに、目前の誘惑へとのしかゝつて行つた。勃凸も自分の言葉に自分で酔つて行くやうに見えた。 「畜生! さあ来い。何んでも来い。おんつぁん、凸勃に沈没させてやるべなあ。とつても面白いなあ。おい凸勃、今夜こそお前のめんこい額さ舐めてやつから。畜生!」  勃凸は大童とでもいふやうな前はだけな取り乱した姿で、私の首玉にかじりつくと、何処といふきらひもなく私の顔を舐めまはした。芸者までが腹をかゝへて笑つた。 「今度はお前ことキスするんだ、なあ」  勃凸はさつきの芸者の方に迫つて行つた。芸者はうまく勃凸の手をすりぬけて二人とも帰つて行つてしまつた。  私達もそれに続いてその家を出た。神楽坂の往来はびしよ〳〵にぬかるんで夜風が寒かつた。而して人通りが途絶えてゐた。私達は下駄の上に泥の乗るのも忘れて、冗談口をたゝきながら毘沙門の裏通りへと折れ曲つた。屋台鮨の暖簾に顔をつツこむと、会計役を承つた勃凸があとから支払ひをした。  たうとう私達は盛り花のしてあるやうな家の閾をまたいだ。ビールの瓶と前後して三人ばかりの女がそこに現はれた。すぐそのあとで、山出し風な肥つた女中がはいつて来て、勃凸に何かさゝやいた。勃凸は、 「軽蔑するない。今夜は持つてるぞ。ほれ、これ見れ」  といひながら皆の見てゐる前で蟆口から五円札の何枚かを取り出して見せてゐたが、急に顔色をかへて、慌てゝ蟆口から根こそぎ中のものを取り出して、 「あれつ」  といふと立ち上つた。 「何んだ」  先程から全く固くなつてしまつてゐたIが、自分の出る幕が来たかのやうに真面目にかう尋ねた。  勃凸は自分の身のまはりから、坐つてゐた座蒲団まで調べてゐたが、そのまゝ何んにも云はないで部屋を出て行つた。 「勃凸の馬鹿野郎、あいつはよくあんな変なまねをするんだ。まるで狐つきださ」  と云つておんつぁんは左程怪訝に思ふ風もなかつた。 「本当に剽軽な奴だなあ、あいつは又何か僕達をひつかけようとしてゐるんだらう」  Iもさういつて笑ひながら合槌をうつた。  やゝ暫くしてから勃凸は少し息をはずませながら帰つて来たが、思ひなしか元気が薄れてゐた。 「何か落したか」  とおんつぁんが尋ねた。  勃凸は鼠の眼のやうな眼と、愛嬌のある乱杭歯とで上べツ面のやうな微笑を漂はしながら、 「うん」  と頭を強く縦にゆすつた。 「何を」 「こつを……」 「こつ?」 「骨さ。ほれ、お袋のよ」  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底本:「三代名作全集・有島武郎集」河出書房    1942(昭和17)年12月15日初版発行 初出:「泉」    1923(大正12)年4月 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためました。 ※「取り出した」「取出した」等の送り仮名のゆれは、底本のままとしました。 ※「やうに」と「ように」の混用も、底本のままとしました。 入力:mono 校正:松永佳代 2011年6月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "050010", "作品名": "骨", "作品名読み": "ほね", "ソート用読み": "ほね", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「泉」1923(大正12)年4月1日", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2011-08-23T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-16T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card50010.html", "人物ID": "000025", "姓": "有島", "名": "武郎", "姓読み": "ありしま", "名読み": "たけお", "姓読みソート用": "ありしま", "名読みソート用": "たけお", "姓ローマ字": "Arishima", "名ローマ字": "Takeo", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1878-03-04", "没年月日": "1923-06-09", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "三代名作全集・有島武郎集", "底本出版社名1": "河出書房", "底本初版発行年1": "1942(昭和17)年12月15日", "入力に使用した版1": "1942(昭和17)年12月15日初版", "校正に使用した版1": "1942(昭和17)年12月15日初版 ", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "mono", "校正者": "松永佳代", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/50010_ruby_44307.zip", "テキストファイル最終更新日": "2011-06-29T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/50010_44330.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2011-06-29T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 仙子氏とはとう〳〵相見る機會が來ない中に永い別れとなつた。手紙のやりとりが始つたのも、さう久しい前からのことではない。またその作品にも――創作を始めて以來、殊に讀書に懶くなつた私は――殆んど接したことがないといつていゝ位で過して來た。そのうちに仙子氏は死んでしまつた。その死後私は遺作の數々を讀まして貰つて、生前會つておくべき人に會はずにしまつたといふ憾みを覺えることが深い。  仙子氏は、作者として、普通いふ意味で不幸だつた人の一人に屬すると思はれる。彼女の作品は恐らく少數な讀者によつてのみ鑑賞された。評壇もその作品に注意することが極めて吝かであつたらしい。然し仙子氏はそんな取扱ひを受くべき人ではなかつたと私は思はざるを得ない。  仙子氏の藝術的生活には凡そ三つの内容があつたやうに思はれる。第一に於て、彼女は自分の實生活を核心にして、その周圍を實着に――年若き女性の殉情的傾向なしにではなく――描寫した。而してそこには當時文壇の主潮であつた自然主義の示唆が裕かに窺はれる。第二に於て、作者は成るべく自己の生活をバツク・グラウンドに追ひやつて、世相を輕い熱度を以て取扱つて、そこに作家の哲學をほのめかさうとしたやうに見える。第三に至つて作者は再び嚴密に自己に立還つて來た。而して正しい客觀的視角を用ゐて、自己を通しての人の心の働きを的確に表現しようと試みてゐる。  この集には第一の作品は多分はもらされてはゐるけれども、「十六になつたお京」「陶の土」「娘」「四十餘日」の如きはその代表的なものといつていゝだらう。そこには殉情的な要求から來た自己陶醉に似た曖昧な描寫がないではないけれども、その觀察の綿密で、而して傅習的でない點に於て、彼女の末期の作品に見られる骨組みの堅固さを見せてゐる。而してその背後には凡てのよいものも惡いものも、はかない存在の縁から切り放されて、忘却のあなたに消え去つて行く、その淋しい運命に對しての暖かい冷やかさが細々と動いてゐる。少女から處女の境界に移つて行く時の不安、懷疑、驚異、煩悶、つぎ〳〵に心内に開けてゆく見も知らぬ世界、而して遂には生活の渦中に溶けこんで何んの不思議でもなくなつて行くそれ等の不思議な變化、さうしたものが僅かな皮肉に包まれたやみがたい女性の執着によつて表現されてゐる。是等の作品の中には、作者の眞摯な藝術的熱情と必至的な創作慾とが感ぜられて快い。  然し第二の作品に來ると、ある倦怠が感ぜられないでもない。「一粒の芥子種」「夜の浪」「淋しい二人」などがそれである。作者はこゝで自分の持つてゐるものを現はすために不必要な多くの道具立てに依らうとした所が見える。それは現さうとするものが、まだ十分に咀嚼されてゐないのを示してゐる。固よりかゝる作に於ても仙子氏は自分のよい本質から全く迷ひ出てはゐない。ある個所に來ると心ある讀者は一字々々にしがみ附かないではゐられなくなる。「淋しい二人」の中の秋の景色の描寫の如きは、今まで提供された秋の描寫のどれに比べて見ても決して耻づる必要のないものであるとうなづかされる。けれども全體としての感銘は、作者の生活にある一時的なゆるみが起つたのを感じさせないではおかない。  作者の畏れなければならないのはその人の生活だといふことを今更らの如く感ずる。第二の作品に比べると、私の意味する第三の作品は何んといふ相違だらう。それは作者の生活がある強い緊張の中にあつたことを十分に感得させる。殊に私は「道」とか「嘘をつく日」とか「輝ける朝」などに感心してしまつた。「道」の如きは、あれ一つだけで仙子氏の藝術家としての存在を十分に可能ならしむるに足ると思ふ。あの無容赦な自己批判、その批判の奧から痛々しく沁み出て來る如何することも出來ない運命の桎梏と複雑な人間性。而してその又奧から滲み出て來る心の美しい飛躍。そこには確かに生命の裏書きのしてある情景がある。それは單なる諦觀ではない。壞れるものを壞し終つた後に嚴然として殘る生活への肯定である。あゝいふ作品を一つ書き上げることがどれ程の痛い體驗と苦悶とを値したか。それは恐らく創作の經驗を有つものがおぼろげながら察し得る境地だらう。「輝ける朝」「嘘をつく日」これらは作者の性格のまがう方なき美しさをはつきりと、而かも何等の矯飾なく暴露してゐる。こんな作を生んで死んで行つたこの若い作者は尊い。あんな涙を心にためてゐながら、うつかり眼に浮かせなかつた程奧行の深かつたその性格は美しい。あすこまで行くと仙子氏は概念的な女性といふものから脱して見事な人になつてゐる。女流作家として仙子氏をまつことはもう出來ない。  違つた意味に於て「醉ひたる商人」「お三輪」の如き作品も亦深く尊重されなければならないと思ふ。それは人間性の習作と見て素晴らしい效果を收めてゐる。あれだけにしつかり物を見る眼があつて、自己への徹底が強い響を傳へるのだなといふことを首肯させる。輕妙に見えるユーモアと皮肉との後ろに、作者は個性と運命とに對する深い洞察と同情とを寄せてゐるではないか。  私は一々の作品に對してもういふことをしまい。仙子氏はその心底に本當の藝術家の持たねばならぬ誠實を持つてゐた。而してその誠實が年を追ふに從つて段々と光を現はして來てゐる。この作者はいゝ加減な所で凋落すべき人ではなかつたに違ひない。年を經れば經るほど本當の藝術を創り上ぐべき素質を十分に備へてゐたことが、その作品によつて窺はれる。十分の才能を徹視の支配の下におき、女性としては珍らしい程の徹視力を自分の性格と結びつけてゐたのはこの作者だつた。だからその藝術が成長するに從つて益根柢の方へと深まつて行つたのだ。この點に於て彼女の道は極めて安全だつた。而かもその道が僅かに踏まれたばかりで彼女は死んでしまつたのだ。 (前略) ところが體が惡くなつて來るために、頭がよくなつて來るのか、それともあまり頭が明晰になり過ぎるために體を倒してしまふのか、どつちが原因だかいつも分りませんが、とにかく少し具合が惡くなつて來ると、却て手紙なども書きたくなります。今度だつて惡寒から熱、惡寒から熱といふしつきりなしのすきをねらつて――しかし今はもう惡寒はやみましたから御安心下さいまし――すきをねらつてといふよりもすきを掠奪して、よく手紙を書きます。頭がなんでも何かさせないではおかないのです。それに自分でも恐しいほどはつきりして來て、もくろんでゐるある長いものゝ中の主人公や女主人公が、惱んだり、苦しんだり、愛したり、愛さなかつたり、墮落したり、救はれたりしてゐるのと一所になつて、自分も苦しんだり泣いたりしてゐます。私の眼にはこの頃涙が絶えません。それはいつの間にか泣いてゐるので、みんな空想の事件や、感情のためなんです。群雄割據のやうにいろんな話が一時に頭を擡げて來て、たつた一人の私をひつぱり凧にしてゐます。若し今この要求のまゝに從つたら、こつちを二三枚、あつちを二三枚といふやうに頭だけのものがいくつも出來て、それでおしまひになつてしまふでせう。自分ではちやんと、到底その一つだつても完成しきらないのをよく知りぬいてゐますもの。これが病氣に惡いんだといふこともよく知つてゐますから、讀むこと又書くことは勿論、どんなにいゝ言葉や場面がうかんで來ても、それを拭き消し拭き消ししてゐます。……(中畧)病氣をしてからもう足かけ四年になります。暗いことを忘れかけると思ひ出させられ思ひ出させられしてさんざん生殺しの目にあはされました。隨分よくこらへたつもりだけれども、それでもまだ足りないなら、いくらでもお前の滿足するまでこらへようなどと齒をくひしばる下から、とてつもない侮蔑の色がわが口許にのぼつてゐるのにこの頃よく氣がつきます。なぜだか分りません。反抗かしらとも思つてみるけれど、どうもちがひます。もつともつと靜な強い心なのです。傲然として最も大きい恐怖の上に立つてゐるのです。なんにも怖くないのです。――殊によつたら、人が何等の事件的原因なくして、自殺を誘惑されるのは、こんな時ではないか知らなどとも思ひました。(下略)  これは仙子氏が死ぬ年の正月に、私にあてゝ送つてくれた手紙の一節だ。彼女の胸の中にどれほど實感から生れた素材が表現を待つて潜んでゐたかを知ることが出來ると共に、死を始終眼前においてゐねばならなかつたその心に、どんな力の成長が成就されつゝあつたかは、おぼろげながらも察することが出來る。  最もいゝのは仙子氏が野心家ではなかつたことだらう。實生活の上に彼女がどれほどの覇氣を持つてゐたかは知らない。又創作家としてどれ程の矜恃を持つてゐたかそれも知らない。少くとも仙子氏には自己の能力を放圖もなく買ひ被つて、自分に背負投げを喰ふやうな醜いことは絶對にしなかつたといつていゝだらう。いかなる野心があつたにしても、少くとも彼女は自分の取扱ふ藝術そのものに對してはいつまでも謙抑な處女性を持ち續けてゐた。自分の持つ心の領土の限界を知り、そこから苛察に亘らないだけに貢物を收める勝れた聰明な頭腦を持つてゐた。だからその作品には汚すことの出來ない純眞な味ひが靜かに充ち滿ちてゐる。これは一人の藝術家にとつて、やさしく見えて決してやさしくない仕事だといはなければならない。極めて眞摯な性格のみがこのことを成就し得る。  仙子氏はまた自分の心を、若しくは生命力を外界の影響にわづらはされることなく見つめることの出來た一人だと思ふ。氏の藝術は大體に於て自然主義風な立場の上に創造されてゐるといつていい。而かも氏は主義に依據するよりも、それ以上にいつでも自分の心に依據してゐた。だから作品の内容には、いつでも機械的な仕組み以上に濕ひのあるハートが働いてゐる。如何に皮肉に物を見てゐる場合でも、如何に冷靜に生活を寫してゐる場合でも、その底には不思議にも新鮮な生命よりの聲が潜んでゐる。一箇の無性物の描寫に於ても、例へば、手の平に乘せた生れたての鷄卵を「手の平に粉を吹くばかりに綺麗な恰好のよい玉子」といつたり、冬の夜寒の病室の電燈を「電燈は夜の世界から完全にこの一室を占領したのに滿足したらしく、一時自信をもつてその光輝を強めたけれども、やがて彼はその己の仕事になれた。さうして最早一定の動かない光をのみ、十分な安心と僅なる倦怠との中に發散した。恰も私一人の上には、それで十分であると見きはめをつけたかの如く。」といつてゐるのなぞは、無數なかゝる例の中から、勝手に一二を引拔いて見たに過ぎぬ。  明治以來出現した女流作家の數は少くない。その人達の中には、私のやうに云つたなら、讃辭を呈し切れないやうな作家が他に澤山あるのかも知れない。讀書に怠慢な私はかゝる比較をする智識を持つてゐない。然し私にとつてはそんなことはさしたる問題ではない。私はたゞ感心したものを感心したやうに云ひ現はせばそれで滿足が出來る。未熟な作家の一人なる私の考へが、仙子氏の迷惑にならないで濟めばそれで嬉しい。私はどうしても惜しい人が早死したと思ふ。私の前には美しく完成さるべかりし藝術品の痛ましい破片がある。書いても書いても、その總量が遂に藝術品たり得ざる人の多い中に、この破片は美しい。完成されぬ表現の中に、一つのよい心が殘された。永く殘された。多くの人はこの心に接することによつて、痛い運命の笞の傷を親切に撫で慰められるだらう。  (一九二〇・四月廿五日深更)
底本:「叢書「青踏」の女たち 第10巻 水野仙子集」不二出版    1986(昭和61)年4月25日復刻版第1刷発行 底本の親本:「水野仙子集」叢文閣    1920(大正9)年5月31日発行 入力:小林徹 校正:山本奈津恵 1998年10月28日公開 2005年11月21日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 私の家は代々薩摩の国に住んでいたので、父は他の血を混えない純粋の薩摩人と言ってよい。私の眼から見ると、父の性格は非常に真正直な、また細心なある意味の執拗な性質をもっていた。そして外面的にはずいぶん冷淡に見える場合がないではなかったが、内部には恐ろしい熱情をもった男であった。この点は純粋の九州人に独得な所である。一時にある事に自分の注意を集中した場合に、ほとんど寝食を忘れてしまう。国事にでもあるいは自分の仕事にでも熱中すると、人と話をしていながら、相手の言うことが聞き取れないほど他を顧みないので、狂人のような状態に陥ったことは、私の知っているだけでも、少なくとも三度はあった。  父の教育からいえば、父の若い時代としては新しい教育を受けた方だが、その根柢をなしているものはやはり朱子学派の儒学であって、その影響からは終生脱することができなかった。しかしどこか独自なところがあって、平生の話の中にも、その着想の独創的なのに、我々は手を拍って驚くことがよくあった。晩年にはよく父は「自分が哲学を、自分の進むべき路として選んでおったなら、きっと纏まった仕事をしていたろう」と言っていた。健康は小さい時分にはたいへん弱い子で、これで育つだろうかと心配されたそうだが、私が知ってからは強壮で、身体こそ小さかったが、精力の強い、仕事の能く続けてできる体格であった。仕事に表わす精力は、我々子供たちを驚かすことがしばしばあったくらいである。芸術に対しては特に没頭したものがなかったので、鑑識力も発達してはいなかったが、見当違いの批評などをする時でも、父その人でなければ言われないような表現や言葉使いをした。父は私たちが芸術に携わることは極端に嫌って、ことに軽文学は極端に排斥した。私たちは父の目を掠めてそれを味わわなければならなかったのを記憶する。  父の生い立ちは非常に不幸であった。父の父、すなわち私たちの祖父に当たる人は、薩摩の中の小藩の士で、島津家から見れば陪臣であったが、その小藩に起こったお家騒動に捲き込まれて、琉球のあるところへ遠島された。それが父の七歳の時ぐらいで、それから十五か十六ぐらいまでは祖父の薫育に人となった。したがって小さい時から孤独で(父はその上一人子であった)ひとりで立っていかなければならなかったのと、父その人があまり正直であるため、しばしば人の欺くところとなった苦い経験があるのとで、人に欺かれないために、人に対して寛容でない偏狭な所があった。これは境遇と性質とから来ているので、晩年にはおいおい練れて、広い襟懐を示すようになった。ことにおもしろがったり喜んだりする時には、私たちが「父の笑い」と言っている、非常に無邪気な善良な笑い方をした。性質の純な所が、外面的の修養などが剥がれて現われたものである。  母の父は南部すなわち盛岡藩の江戸留守居役で、母は九州の血を持った人であった。その間に生まれた母であるから、国籍は北にあっても、南方の血が多かった。維新の際南部藩が朝敵にまわったため、母は十二、三から流離の苦を嘗めて、結婚前には東京でお針の賃仕事をしていたということである。こうして若い時から世の辛酸を嘗めつくしたためか、母の気性には濶達な方面とともに、人を呑んでかかるような鋭い所がある。人の妻となってからは、当時の女庭訓的な思想のために、在来の家庭的な、いわゆるハウスワイフというような型に入ろうと努め、また入りおおせた。しかし性質の根柢にある烈しいものが、間々現われた。若い時には極度に苦しんだり悲しんだりすると、往々卒倒して感覚を失うことがあった。その発作は劇しいもので、男が二、三人も懸られなければ取り扱われないほどであった。私たちはよく母がこのまま死んでしまうのではないかと思ったものである。しかし生来の烈しい気性のためか、この発作がヒステリーに変わって、泣き崩れて理性を失うというような所はなかった。父が自分の仕事や家のことなどで心配したり当惑したりするような場合に、母がそれを励まし助けたことがしばしばあった。後に母の母が同棲するようになってからは、その感化によって浄土真宗に入って信仰が定まると、外貌が一変して我意のない思い切りのいい、平静な生活を始めるようになった。そして癲癇のような烈しい発作は現われなくなった。もし母が昔の女の道徳に囚れないで、真の性質のままで進んでいったならば、必ず特異な性格となって世の中に現われたろうと思う。  母の芸術上の趣味は、自分でも短歌を作るくらいのことはするほどで、かなり豊かにもっている。今でも時々やっているが、若い時にはことに好んで腰折れを詠んでみずから娯んでいた。読書も好きであるが、これはハウスワイフということに制せられて、思うままにやらなかったようであるが、しかし暇があれば喜んで書物を手にする。私ども兄弟がそろってこういう方面に向かったことを考えると、母が文芸に一つの愛好心をもっていたことが影響しているだろうと思う。  母についても一つ言うべきは、想像力とも思われるものが非常に豊かで、奇体にないことをあるように考える癖がある。たとえば人の噂などをする場合にも、実際はないことを、自分では全くあるとの確信をもって、見るがごとく精細に話して、時々は驚くような嘘を吐くことが母によくある。もっとも母自身は嘘を吐いているとは思わず、たしかに見たり聞いたりしたと確信しているのである。  要するに、根柢において父は感情的であり、母は理性的であるように想う。私たちの性格は両親から承け継いだ冷静な北方の血と、わりに濃い南方の血とが混り合ってできている。その混り具合によって、兄弟の性格が各自異なっているのだと思う。私自身の性格から言えば、もとより南方の血を認めないわけにはいかないが、わりに北方の血を濃く承けていると思う。どっちかといえば、内気な、鈍重な、感情を表面に表わすことをあまりしない、思想の上でも飛躍的な思想を表わさない性質で、色彩にすれば暗い色彩であると考えている。したがって境遇に反応してとっさに動くことができない。時々私は思いもよらないようなことをするが、それはとっさの出来事ではない。私なりに永く考えた後にすることだ。ただそれをあらかじめ相談しないだけのことだ。こういう性質をもって、私の家のような家に長男に生まれた私だから、自分の志す道にも飛躍的に入れず、こう遅れたのであろうと思う。  父は長男たる私に対しては、ことに峻酷な教育をした。小さい時から父の前で膝をくずすことは許されなかった。朝は冬でも日の明け明けに起こされて、庭に出て立木打ちをやらされたり、馬に乗せられたりした。母からは学校から帰ると論語とか孝経とかを読ませられたのである。一意意味もわからず、素読するのであるが、よく母から鋭く叱られてめそめそ泣いたことを記憶している。父はしかしこれからの人間は外国人を相手にするのであるから外国語の必要があるというので、私は六つ七つの時から外国人といっしょにいて、学校も外国人の学校に入った。それがために小学校に入った時には、日本の方が遅れているので、速成の学校に通った。  小さい時には芝居そのほかの諸興行物に出入りすることはほとんどなかったと言っていいくらいで、今の普通の家庭では想像もできないほど頑固であった。男がみだりに笑ったり、口を利くものではないということが、父の教えた処世道徳の一つだった。もっとも父は私の弟以下にはあまり烈しい、スパルタ風の教育はしなかった。  父も若い時はその社交界の習慣に従ってずいぶん大酒家であった。しかしいつごろからか禁酒同様になって、わずかに薬代わりの晩酌をするくらいに止まった。酒に酔った時の父は非常におもしろく、無邪気になって、まるで年寄った子供のようであった。その無邪気さかげんには誰でも噴き出さずにはいられなかった。  父の道楽といえば謡ぐらいであった。謡はずいぶん長い間やっていたが、そのわりに一向進歩しないようであった。いったい私の家は音楽に対する趣味は貧弱で、私なども聴くことは好きであるが、それに十分の理解を持ちえないのは、一生の大損失だと思っている。
底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店    1969(昭和44)年1月30日改版初版    1979(昭和54)年4月30日発行改版14版 初出:「中央公論」    1918(大正7)年2月 入力:鈴木厚司 1999年2月13日公開 2005年11月21日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 ずっと早く、まだ外が薄明るくもならないうちに、内じゅうが起きて明りを附けた。窓の外は、まだ青い夜の霧が立ち籠めている。その霧に、そろそろ近くなって来る朝の灰色の光が雑って来る。寒い。体じゅうが微かに顫える。目がいらいらする。無理に早く起された人の常として、ひどい不幸を抱いているような感じがする。  食堂では珈琲を煮ている。トンミイ、フレンチ君が、糊の附いた襟が指に障るので顫えながら、嵌まりにくいシャツの扣鈕を嵌めていると、あっちの方から、鈍い心配気な人声と、ちゃらちゃらという食器の触れ合う音とが聞える。 「あなた、珈琲が出来ました。もう五時です。」こう云うのはフレンチの奥さんである。若い女の声がなんだか異様に聞えるのである。  フレンチは水落を圧されるような心持がする。それで息遣がせつなくなって、神経が刺戟せられる。 「うん。すぐだ。」不機嫌な返事をして、神経の興奮を隠そうとしている。さて黒の上衣を着る。髯を綺麗に剃った顋の所の人と違っている顔が殊更に引き立って見える。食堂へ出て来る。  奥さんは遠慮らしく夫の顔を一寸見て、すぐに横を向いて、珈琲の支度が忙しいというような振をする。フレンチが一昨日も昨日も感じていて、友達にも話し、妻にも話した、死刑の立会をするという、自慢の得意の情がまた萌す。なんだかこう、神聖なる刑罰其物のような、ある特殊の物、強大なる物、儼乎として動かざる物が、実際に我身の内に宿ってでもいるような心持がする。無論ある程度まで自分を英雄だと感じているのである。奥さんのような、かよわい女のためには、こんな態度の人に対するのは、随分迷惑な恐ろしいわけである。しかしフレンチの方では、神聖なる義務を果すという自覚を持っているのだから、奥さんがどんなに感じようが、そんな事に構まってはいられない。  ところが不思議な事には、こういう動かすべからざる自覚を持っているくせに、絶えず体じゅうが細かく、不愉快に顫えている。どんなにして已めようと思っても、それが已まない。  いつもと変らないように珈琲を飲もうと思って努力している。その珈琲はちっとも味がない。その間奥さんは根気好く黙って、横を向いている。美しい、若々しい顔が蒼ざめて、健康をでも害しているかというように見える。 「もう時間だ。」フレンチは時計を出して一目見て、身を起した。  出口のところで、フレンチが靴の上に被せるものを捜しているときになって、奥さんはやっと臆病げに口を開いた。 「あなた御病気におなりなさりはしますまいね。」  フレンチは怒が心頭より発した。非常なる侮辱をでも妻に加えられたように。 「なんだってそんな事を言うのだ。そんな事を己に言って、それがなんになるものか。」肩を聳やかし、眉を高く額へ吊るし上げて、こう返事をした。 「だって嫌なお役目ですからね。事によったら御気分でもお悪くおなりなさいますような事が。」奥さんはいよいよたじろきながら、こう弁明し掛けた。  フレンチの胸は沸き返る。大声でも出して、細君を打って遣りたいようである。しかし自分ながら、なぜそんなに腹が立つのだか分からない。それでじっと我慢する。 「そりゃあ己だって無論好い心持はしないさ。しかしみんながそんな気になったら、それこそ人殺しや犯罪者が気楽で好かろうよ。どっちかに極めなくちゃあならないのだ。公民たるこっちとらが社会の安全を謀るか、それとも構わずに打ち遣って置くかだ。」  こんな風な事をもう少ししゃべった。そして物を言うと、胸が軽くなるように感じた。 「実に己は義務を果すのだ」と腹の内で思った。始てそこに気が附いたというような心持で。  そしてまた自分が英雄だ、自己の利害を顧みずに義務を果す英雄だと思った。  奥さんは夫と目を見合せて同意を表するように頷いた。しかしそれは何と返事をして好いか分からないからであった。 「本当に嫌でも果さなくてはならない義務なのだろう。」奥さんもこんな風に自ら慰めて見て、深い溜息を衝いた。  夫を門の戸まで送り出すとき、奥さんはやっと大オペラ座の切符を貰っていた事を思い出して臆病げにこう云った。 「あなた、あの切符は返してしまいましょうかねえ。」 「なぜ。こんな事を済ましたあとでは、あんな所へでも行くのが却って好いのだ。」 「ええ。そうですねえ。お気晴らしになるかも知れませんわねえ。」こう云って、奥さんは夫に同意した。そして二人共気鬱が散じたような心持になった。  夫が出てしまうと、奥さんは戸じまりをして、徐かに陰気らしく、指の節をこちこちと鳴らしながら、部屋へ帰った。        *          *          *  外の摸様はもうよほど黎明らしくなっている。空はしらむ。目に見えない湿気が上からちぎれて落ちて来る。人道の敷瓦や、高架鉄道の礎や、家の壁や、看板なんぞは湿っている。都会がもう目を醒ます。そこにもここにも、寒そうにいじけた、寐の足りないらしい人が人道を馳せ違っている。高架鉄道を汽車がはためいて過ぎる。乗合馬車が通る。もう開けた店には客が這入る。  フレンチは車に乗った。締め切って、ほとんど真暗な家々の窓が後へ向いて走る。まだ寐ている人が沢山あるのである。朝毎の町のどさくさはあっても、工場の笛が鳴り、汽車ががたがた云って通り、人の叫声が鋭く聞えてはいても、なんとなく都会は半ば死しているように感じられる。  フレンチの向側の腰掛には、為事着を着た職工が二三人、寐惚けたような、鼠色の目をした、美しい娘が一人、青年が二人いる。  フレンチはこの時になって、やっと重くるしい疲が全く去ってしまったような心持になった。気の利いたような、そして同時に勇往果敢な、不屈不撓なような顔附をして、冷然と美しい娘や職工共を見ている。へん。お前達の前にすわっている己様を誰だと思う。この間町じゅうで大評判をした、あの禽獣のような悪行を働いた罪人が、きょう法律の宣告に依って、社会の安寧のために処刑になるのを、見分しに行く市の名誉職十二人の随一たる己様だぞ。こう思うと、またある特殊の物、ある暗黒なる大威力が我身の内に宿っているように感じるのである。  もしこいつ等が、己が誰だということを知ったなら、どんなにか目を大きくして己の顔を見ることだろう。こう思って、きょうの処刑の状況、その時の感じを、跡でどんなにか目に見るように、面白く活気のあるように、人に話して聞かせることが出来るだろうということも考えて見た。  同時にフレンチは興味を持って、向側の美しい娘を見ている。その容色がある男性的の感じを起すのである。あの鼠色の寐惚けたような目を見ては、今起きて出た、くちゃくちゃになった寝牀を想い浮べずにはいられない。あのジャケツの胸を見ては、あの下に乳房がどんな輪廓をしているということに思い及ばずにはいられない。そんな工合に、目や胸を見たり、金色の髪の沢を見たりしていて、フレンチはほとんどどこへ何をしに、この車に乗って行くのかということをさえ忘れそうになっている。いやいやただ忘れそうになったと思うに過ぎない。なに、忘れるものか。実際は何もかもちゃんと知っている。  車は止まった。不愉快な顫えが胸を貫いて過ぎる。息がまた支える。フレンチはやっとの事で身を起した。願わくはこのまま車に乗っていて、恐ろしい一件を一分時間でも先へ延ばしたいのである。しかしフレンチは身を起した。そして最後の一瞥を例の眠たげな、鼠色の娘の目にくれて置いて、灰色の朝霧の立ち籠めている、湿った停車場の敷石の上に降りた。        *          *          * 「もう五分で六時だ。さあ、時間だ。」検事はこう云って立ち上がった。  十二人の名誉職、医者、警部がいずれも立つ。のろのろと立つのも、きさくらしく立つのもある。顔は皆蒼ざめて、真面目臭い。そして黒い上衣と光るシルクハットとのために、綺麗に髯を剃った、秘密らしい顔が、一寸廉立った落着を見せている。  やはり廉立ったおちつきを見せた頭附をして検事の後の三人目の所をフレンチは行く。  監獄の廊下は寂しい。十五人の男の歩く足音は、穹窿になっている廊下に反響を呼び起して、丁度大きな鉛の弾丸か何かを蒔き散らすようである。  処刑をする広間はもうすっかり明るくなっている。格子のある高い窓から、灰色の朝の明りが冷たい床の上に落ちている。一間は這入って来た人に冷やかな、不愉快な印象を与える。鼠色に塗った壁に沿うて、黒い椅子が一列に据えてある。フレンチの目を射たのは、何よりもこの黒い椅子であった。  さて一列の三つ目の椅子に腰を卸して、フレンチは一間の内を見廻した。その時また顫えが来そうになったので、フレンチは一しょう懸命にそれを抑制しようとした。  広間の真中にやはり椅子のようなものが一つ置いてある。もしこの椅子のようなものの四方に、肘を懸ける所にも、背中で倚り掛かる所にも、脚の所にも白い革紐が垂れていなくって、金属で拵えた首を持たせる物がなくって、乳色の下鋪の上に固定してある硝子製の脚の尖がなかったなら、これも常の椅子のように見えて、こんなに病院臭く、手術台か何かのようには見えないのだろう。実際フレンチは一寸見て、おや、手術台のようだなと思ったのである。  そしてこう思った。「実際これも手術だ。社会の体から、病的な部分を截り棄ててしまうのだ。」  忽ち戸が開いた。人の足音が聞える。一同起立した。なぜ起立したのだか、フレンチには分からない。一体立たなくてはならなかったのか知らん。それともじっとして据わっていた方が好かったのか知らん。  一秒時の間、扉の開かれた跡の、四角な戸口が、半明半暗の廊下を向うに見せて、空虚でいた。そしてこの一秒時が無窮に長く思われて、これを見詰めているのが、何とも言えぬ苦しさであった。次の刹那には、足取り行儀好く、巡査が二人広間に這入って来て、それが戸の、左右に番人のように立ち留まった。  次に出たのが本人である。  一同の視線がこの一人の上に集まった。  もしそこへ出たのが、当り前の人間でなくて、昔話にあるような、異形の怪物であっても、この刹那にはそれを怪み訝るものはなかったであろう。まだ若い男である。背はずっと高い。外のものが皆黒い上衣を着ているのに、この男だけはただ白いシャツを着ているので、背の高いのが一層高く見えるのである。  この刹那から後は、フレンチはこの男の体から目を離すことが出来ない。この若々しい、少しおめでたそうに見える、赤み掛かった顔に、フレンチの目は燃えるような、こらえられない好奇心で縛り附けられている。フレンチのためには、それを見ているのが、せつない程不愉快である。それなのに、一秒時間も目を離すことが出来ない。この男が少しでも動くか、その顔の表情が少しでも変るのを見逃してはならないような心持がしているのである。  罪人は諦めたような風で、大股に歩いて這入って来て眉を蹙めてあたりを見廻した。戸口で一秒時間程躊躇した。「あれだ。あれだ。」フレンチは心臓の鼓動が止まるような心持になって、今こそある事件が始まるのだと燃えるようにそれを待っているのである。  罪人は気を取り直した様子で、広間に這入って来た。一刹那の間、一種の、何物をか期待し、何物をか捜索するような目なざしをして、名誉職共の顔を見渡した。そしてフレンチは、その目が自分の目と出逢った時に、この男の小さい目の中に、ある特殊の物が電光の如くに耀いたのを認めたように思った。そしてフレンチは、自分も裁判の時に、有罪の方に賛成した一人である、随って処刑に同意を表した一人であると思った。そう思うと、星を合せていられなくなって、フレンチの方で目をそらした。  短い沈黙を経過する。儀式は皆済む。もう刑の執行より外は残っていない。  死である。  この刹那には、この場にありあわしただけの人が皆同じ感じに支配せられている。どうして、この黒い上衣を着て、シルクハットを被った二十人の男が、この意識して、生きた目で、自分達を見ている、生きた、尋常の人間一匹を殺すことが出来よう。そんな事は全然不可能ではないか。  こう思って見ていると、今一秒時間の後に、何か非常な恐ろしい事が出来なくてはならないようである。しかしその一秒時間は立ってしまう。そしてそれから処刑までの出来事は極めて単純である。可笑しい程単純である。  獄丁二人が丁寧に罪人の左右の臂を把って、椅子の所へ連れて来る。罪人はおとなしく椅子に腰を掛ける。居ずまいを直す。そして何事とも分からぬらしく、あたりを見廻す。この時熱を煩っているように忙しい為事が始まる。白い革紐は、腰を掛けている人をらくにして遣ろうとでもするように、巧に、造作もなく、罪人の手足に纏わる。暫くの間、獄丁の黒い上衣に覆われて、罪人の形が見えずにいる。一刹那の後に、獄丁が側へ退いたので、フレンチが罪人を見ると、その姿が丸で変ってしまっている。革紐で縦横に縛られて、紐の食い込んだ所々は、小さい、深い溝のようになって、その間々には白いシャツがふくらんでいて、全体は前より小さくなったように見えるのである。  多分罪人はもう少しも体を動かすことは出来ないのであろう。首も廻らないのであろう。それに目だけは忙しく怪しげな様子で、あちこちを見廻している。何もかも見て置いて、覚えていようとでも思うように、またある物を捜しているかと思うように。  フレンチは罪人の背後から腕が二本出るのを見た。しかしそれが誰の腕だか分からなかった。黒い筒袖を着ている腕が、罪人の頭の上へ、金属で拵えた、円い鍪のようなものを持って来て、きちょうめんに、上手に、すばやく、それを頸の隠れるように、すっぽり被せる。  その時フレンチは変にぎょろついて、自分の方を見ているらしい罪人の目を、最後に一目見た。そして罪人は見えなくなった。  今椅子に掛けている貨物は、潜水器械というものを身に装った人間に似ていて、頗る人間離れのした恰好の物である。怪しく動かない物である。言わば内容のない外被である。ある気味の悪い程可笑しい、異様な、頭から足まで包まれた物である。  フレンチは最後の刹那の到来したことを悟った。今こそ全く不可能な、有りそうにない、嫌な、恐ろしい事が出来しなくてはならないのである。フレンチは目を瞑った。  暗黒の裏に、自分の体の不工合を感じて、顫えながら、眩暈を覚えながら、フレンチはある運動、ある微かな響、かすめて物を言う人々の声を聞いた。そしてその後は寂寞としている。  気の狂うような驚怖と、あらあらしい好奇心とに促されて、フレンチは目を大きく開いた。  寂しく、広間の真中に、革紐で縛られた白い姿を載せている、怪しい椅子がある。  フレンチにはすぐに分かった。この丸で動かないように見えている全体が、引き吊るように、ぶるぶると顫え、ぴくぴくと引き附けているのである。その運動は目に見えない位に微細である。しかし革紐が緊しく張っているのと、痙攣のように体が顫うのとを見れば、非常な努力をしているのが知れる。ある恐るべき事が目前に行われているのが知れる。 「待て。」横の方から誰やらが中音で声を掛けた。  広間の隅の、小さい衝立のようなものの背後で、何物かが動く。椅子の上の体は依然として顫えている。  異様な混雑が始まる。人が皆席を立って動く。八方から、丁度熱に浮かされた譫語のような、短い問や叫声がする。誰やらが衝立のような物の所へ駆け附けた。 「電流を。電流を。」押えたような検事の声である。  ぴちぴちいうような微かな音がする。体が突然がたりと動く。革紐が一本切れる。何だかしゅうというような音がする。フレンチは気の遠くなるのを覚えた。髪の毛の焦げるような臭と、今一つ何だか分からない臭とがする。体が顫え罷んだ。 「待て。」  白い姿は動かない。黒い上衣を着た医者が死人に近づいてその体の上にかぶさるようになって何やらする。 「おしまいだな」とフレンチは思った。そして熱病病みのように光る目をして、あたりを見廻した。「やれやれ。恐ろしい事だった。」 「早く電流を。」丸で調子の変った声で医者はこう云って、慌ただしく横の方へ飛び退いた。 「そんなはずはないじゃないか。」 「電流。電流。早く電流を。」  この時フレンチは全く予期していない事を見て、気の狂う程の恐怖が自分の脳髄の中に満ちた。動かないように、椅子に螺釘留にしてある、金属の鍪の上に、ちくちくと閃く、青い焔が見えて、鍪の縁の所から細い筋の烟が立ち升って、肉の焦げる、なんとも言えない、恐ろしい臭が、広間一ぱいにひろがるようである。  フレンチが正気附いたのは、誰やらが袖を引っ張ってくれたからであった。万事済んでしまっている。死刑に処せられたものの刑の執行を見届けたという書きものに署名をさせられるのであった。  茫然としたままで、フレンチは署名をした。どうも思慮を纏めることが出来ない。最早死の沈黙に鎖されて、死の寂しさをあたりへ漲らしている、鍪を被った、不動の白い形から、驚怖のために、眶のひろがった我目を引き離すことが出来ない。  フレンチは帰る途中で何物をも見ない。何物をも解せない。丁度活人形のように、器械的に動いているのである。新しい、これまで知らなかった苦悩のために、全身が引き裂かれるようである。  どうも何物をか忘れたような心持がする。一番重大な事、一番恐ろしかった事を忘れたのを、思い出さなくてはならないような心持がする。  どうも自分はある物を遺却している。それがある極まった事件なので、それが分かれば、万事が分かるのである。それが分かれば、すべて閲し来った事の意義が分かる。自己が分かる。フレンチという自己が分かる。不断のように、我身の周囲に行われている、忙わしい、騒がしい、一切の生活が分かる。  はてな。人が殺されたという事実がそれだろうか。自分が、このフレンチが、それに立ち会っていたという事実がそれだろうか。死が恐ろしい、言うに言われぬ苦しいものだという事実がそれであろうか。  いやいや。そんな事ではない。そんなら何だろう。はて、何であろうか。もう一寸の骨折で思い附かれそうだ。そうしたら、何もかもはっきり分かるだろうに。  ところで、その骨折が出来ない。フレンチはこの疑問の背後に何物があるかを知ることが出来ない。  それは実はこうであった。鍪が、あのまだ物を見ている、大きく開けた目の上に被さる刹那に、このまだ生きていて、もうすぐに死のうとしている人の目が、外の人にほとんど知れない感情を表現していたのである。それは最後に、無意識に、救を求める訴であった。フレンチがあれをさえ思い出せば、万事解決することが出来ると思ったのは、この表情を自分がはっきり解したのに、やはり一同と一しょに、じっと動かずにいて、慾張った好奇心に駆られて、この人殺しの一々の出来事を記憶に留めたという事実であって、それが思い出されないのであった。 (明治四十三年五月)
底本:「於母影 冬の王 森鴎外全集12」ちくま文庫、筑摩書房    1996(平成8)年3月21日第1刷発行 入力:門田裕志 校正:米田 2010年8月1日作成 2011年5月12日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 医学士ウラヂミル・イワノヰツチユ・ソロドフニコフは毎晩六時に、病用さへなければ、本町へ散歩に行くことにしてゐた。大抵本町で誰か知る人に逢つて、一しよに往つたり来たりして、それから倶楽部へ行つて、新聞を読んだり、玉を突いたりするのである。  然るに或日天気が悪かつた。早朝から濃い灰色の雲が空を蔽つてゐて、空気が湿つぽく、風が吹いてゐる。本町に出て見たが、巡査がぢつとして立つてゐる外に、人が一人もゐない。  ソロドフニコフは本町の詰まで行つて、踵を旋らして、これからすぐに倶楽部へ行かうと思つた。その時誰やら向うから来た。それを見ると、知つた人で、歩兵見習士官ゴロロボフといふ人であつた。此人の癖で、いつものわざとらしい早足で、肩に綿の入れてある服の肩を怒らせて、矢張胸に綿の入れてある服の胸を張つて、元気好く漆沓の足を踏み締めて、ぬかるみ道を歩いてゐる。  見習士官が丁度自分の前へ来たとき、ソロドフニコフが云つた。「いや。相変らずお元気ですな。」  ゴロロボフは丁寧に会釈をして、右の手の指を小さい帽の庇に当てた。  ソロドフニコフは只何か言はうといふ丈の心持で云つた。「どこへ行くのですか。」  見習士官は矢張丁寧に、「内へ帰ります」と答へた。  ソロドフニコフは「さうですか」と云つた。  見習士官は前に立ち留まつて待つてゐる。ソロドフニコフは何と云つて好いか分からなくなつた。一体此見習士官をば余り好く知つてゐるのではない。これ迄「どうですか」とか、「さやうなら」とかしか云ひ交はしたことはない。それだから、ソロドフニコフの為めには、先方の賢不肖なんぞは分かる筈がないのに、只なんとなく馬鹿で、時代後れな奴だらうと思つてゐる。それだから、これが外の時で、誰か知つた人が本町を通つてゐたら、此見習士官に彼此云つてゐるのではないのである。  ソロドフニコフは「さうですか、ゆつくり御休息なさい」と親切らしい、しかも目下に言ふやうな調子で云つた。言つて見れば、ずつと低いものではあるが、自分の立派な地位から、相当の軽い扱をせずに、親切にして遣るといふやうな風である。そして握手した。  ソロドフニコフは倶楽部に行つて、玉を三度突いて、麦酒を三本勝つて取つて、半分以上飲んだ。それから閲覧室に這入つて、保守党の新聞と自由党の新聞とを、同じやうに気を附けて見た。知合の女客に物を言つて、居合せた三人の官吏と一寸話をした。その官吏をソロドフニコフは馬鹿な、可笑しい、時代後れな男達だと思つてゐるのである。なぜさう思ふかといふに、只官吏だからと云ふに過ぎない。それから物売場へ行つて物を食つて、コニヤツクを四杯飲んだ。総てこんな事は皆退屈に思はれた。それで十時に倶楽部を出て帰り掛けた。  曲り角から三軒目の家を見ると、入口がパン屋の店になつてゐる奥の方の窓から、燈火の光が差して、その光が筋のやうになつてゐる処丈、雨垂がぴか〳〵光つてゐる。その時学士はふいと先きに出逢つた見習士官が此家に住まつてゐるといふことを思ひ出した。  ソロドフニコフは窓の前に立ち留まつて、中を見込むと、果して見習士官が見えた。丁度窓に向き合つた処にゴロロボフは顔を下に向けて、ぢつとして据わつてゐる。退屈まぎれに、一寸嚇して遣らうと思つて、杖の尖で窓をこつ〳〵敲いた。  見習士官はすぐに頭を挙げた。明るいランプの光が顔へまともに差した。ソロドフニコフはこの時始て此男の顔を精しく見た。此男はまだひどく若い。殆ど童子だと云つても好い位である。鼻の下にも頬にも鬚が少しもない。面皰だらけの太つた顔に、小さい水色の目が附いてゐる。睫も眉も黄色である。頭の髪は短く刈つてある。色の蒼い顔がちつともえらさうにない。  ゴロロボフは窓の外に立つてゐる医学士を見て、すぐに誰だといふことが分かつたといふ様子で、立ち上がつた。嚇かしたので、学士は満足して、一寸腮で会釈をして笑つて帰らうと思つた。ところが、ゴロロボフの方で先きへ会釈をして、愛想好く笑つて、その儘部屋の奥の方へ行つてしまつた。戸口の方へ行つたのらしい。 「はてな。己を呼び入れようとするのかな」と思ひながら、ソロドフニコフは立ち留まつた。その儘行つてしまふが好いか、それとも待つてゐるが好いかと、判断に困つた。  パン屋の店の処の入口の戸が開いた。そして真黒い長方形の戸の枠からゴロロボフの声がした。 「先生。あなたですか。」  ソロドフニコフはまだどうしようとも決心が附かずにゐた。そこでためらひながら戸口に歩み寄つた。闇の中に立つてゐるゴロロボフは学士と握手をして、そして自分は腋へ寄つて、学士を通さうとした。 「いやはや、飛んだ事になつた。とう〳〵なんの用事もないに、人の内へ案内せられることになつた」と、学士は腹の中で思つて、そこらに置いてある空き箱やなんぞにぶつ附かりながら、這入つて行く。  廊下は焼き立てのパンと、捏ねたパン粉との匂がしてゐて、空気は暖で、むつとしてゐる。  見習士官は先きに立つて行つて、燈火の明るくしてある部屋の戸を開けた。ソロドフニコフは随分妙な目に逢ふものだと思つて、微笑みながら閾を跨いだ。  見習士官は不恰好な古い道具を少しばかり据ゑ附けた小さい部屋に住まつてゐる。  ソロドフニコフは外套を脱いで、新聞紙を張つた壁に順序好く打つてある釘の一つに掛けて、ゲエトルをはづして、帽子を脱いで、杖を部屋の隅に立てて置いた。 「どうぞお掛けなさい」と云ひながら、ゴロロボフは学士に椅子を勧めた。ソロドフニコフはそれに腰を掛けて周囲を見廻した。部屋に附けてあるのはひどく悪いランプである。それで室内が割合に暗くて息が籠つたやうになつてゐる。学士の目に這入つたのは、卓が一つ、丁寧に片附けてある寝台が一つ、壁の前に不規則に置いてある椅子が六つの外に、入口と向き合つてゐる隅に、大小種々の聖者の画像の、銅の枠に嵌めたのが、古びて薄黒くなつてゐて、その前に緑色の火屋の小さいランプに明りが附けて供へてあつて、それから矢張その前に色々に染めたイイスタア祭の卵が供へてあるのであつた。 「大したお難有連だと見える」と、ソロドフニコフは腹の中で嘲つた。どうもこんな坊主臭い事をして、常燈明を上げたり、涙脆さうにイイスタアの卵を飾つたりするといふのは、全体見習士官といふものの官職や業務と、丸で不吊合だと感ぜられたのである。  卓の上には清潔な巾が掛けて、その上にサモワルといふ茶道具が火に掛けずに置いてある。その外、砂糖を挾む小さい鉗子が一つ、茶を飲む時に使ふ匙が二三本、果物の砂糖漬を入れた硝子壺が一つ置いてある。寝台の上には明るい色の巾が掛けてある。枕は白い巾に縫ひ入れのあるのである。何もかもひどく清潔で、きちんとしてある。その為めに却つて室内が寒さうに、不景気に見えてゐる。 「お茶を上げませうか」と、見習士官が云つた。  ソロドフニコフは茶が飲みたくもなんともないから、も少しで断るところであつた。併し茶でも出させなくては、為草も言草もあるまいと思ひ返して、「どうぞ」と云つた。  ゴロロボフは茶碗と茶托とを丁寧に洗つて拭いて、茶を注いだ。 「甚だ薄い茶で、お気の毒ですが」と云つて、学士に茶を出して、砂糖漬の果物の壺を押し遣つた。 「なに、構ふもんですか」と、ソロドフニコフは口で返事をしながら、腹の中では、「そんな事なら、なんだつて己をここへ連れ込んだのだ」と思つた。  見習士官は両足を椅子の脚の背後にからんで腰を掛けてゐて、器械的に匙で茶を掻き廻してゐる。ソロドフニコフも同じく茶を掻き廻してゐる。  二人共黙つてゐる。  此時になつて、ソロドフニコフは自分が主人に誤解せられたのだと云ふことに気が附いた。見習士官は杖で窓を叩かれて、これは用事があつて来たのだなと思つたに違ひない。そこで変な工合になつたらしい。かう思つて、ソロドフニコフは不愉快を感じて来た。今二人は随分馬鹿気た事をしてゐるのである。お負にそれがソロドフニコフ自身の罪なのである。体が達者で、身勝手な暮しをしてゐる人の常として、こんな事を長く我慢してゐることが出来なくなつた。 「ひどい天気ですな」と会話の口を切つたが、学士は我ながら詰まらない事を言つてゐると思つて、覚えず顔を赤くした。 「さやうです。天気は実に悪いですな」と、見習士官は早速返事をしてしまつて、跡は黙つてゐる。ソロドフニコフは腹の中で、「へんな奴だ、廻り遠い物の言ひやうをしやがる」と思つた。  併しこの有様を工合が悪いやうに思ふ感じは、学士の方では間もなく消え失せた。それは職業が医師なので、種々な変つた人、中にも初対面の人と応接する習慣があるからである。それに官吏といふものは皆馬鹿だと思つてゐる。軍人も皆馬鹿だと思つてゐる。そこでそんな人物の前では気の詰まるといふ心持がないからである。 「今君は何をさう念入りに考へてゐたのだね」と、医学士は云つて、腹の中では、こん度もきつと丁寧な、恭しい返辞をするだらうと予期してゐた。言つて見れば、「いゝえ、別になんにも考へてはゐませんでした」なんぞと云ふだらうと思つたのである。  ところが、見習士官はぢつと首をうな垂れた儘にしてゐて、「死の事ですよ」と云つた。  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「ふん。なる程」と、ソロドフニコフは云つて、今の場合に、正しい思想といふことが云はれるだらうかと、覚えず考へて見た。それから「それは無論の事さ」と云つたが、まだ疑が解けずにゐた。さて「併し死に親むまでにはたつぷり時間があるから、その間に慣れれば好いのです」と結んだ。かう云つて見たが、どうも自分の言ふべき筈の事を言つたやうな心持がしないので、自分に対してではなく、却つて見習士官に対して腹を立てた。 「わたくしの考へでは、それは死刑の宣告を受けた人に取つては、慰藉とする価値が乏しいやうです。宣告を受けた人は刑せられる時の事しか思つてゐないでせう。」かう云つて置いて、さも相手の意見を聞いて見たいといふやうな顔をして学士を見ながら、語り続けた。その表情が顔の恰好に妙に不似合に見えた。 「それとも先生はさうでないとお思ひですか。」  医学士はこの表情で自分を見られたのが、自尊心に満足を与へられたやうな心持がした。そこで一寸考へて見て、口から煙を吹いて、項を反らして云つた。「いや。わたしもそれはさうだらうと思ふ。無論でせう。併し死刑といふものは第一に暴力ですね。或る荒々しい、不自然なものですね。それに第二にどちらかと云へば人間に親んでゐるのは」と云ひ掛けた。 「いゝえ。死だつても矢張不自然な現象で、或る暴力的なものです」と、見習士官は直ぐに答へた。丁度さう云ふ問題を考へてゐた所であつたかと思はれるやうな口気である。 「ふん。それは只空虚な言語に過ぎないやうですな」と、毒々しくなく揶揄ふやうに、ソロドフニコフが云つた。 「いゝえ。わたくしは死にたくないのに死ぬるのです。わたくしは生きたい。生き得る能力がある。それに死ぬるのです。暴力的で不自然ではありませんか。実際がさうでないなら、わたくしの申す事が空虚な言語でせう。所が、実際がさうなのですから、わたくしの申す事は空虚な言語ではありません。事実です。」ゴロロボフは此詞を真面目でゆつくり言つた。 「併し死は天則ですからね」と、ソロドフニコフは肩を聳やかして叫んだ。そして室内の空気が稠厚になつて来て、頭痛のし出すのを感じた。 「いゝえ。死刑だつて或る法則に循つて行はれるものです。その法則が自然から出てゐたつて、自然以外の或る威力から出てゐたつて、同じ事です。そして自然以外の威力は可抗力なのに、自然は不可抗力ですから、猶更堪へ難いのです。」 「それはさうです。併し我々は死ぬる月日は知らないのですからね」と、学士は不精不精に譲歩した。 「それはさうです」とゴロロボフは承認して置いて、それからかう云つた。「併し死刑の宣告を受けた人は、処刑の日を前知してゐる代りには、いよいよ刑に逢ふまで、若し赦免になりはすまいか、偶然助かりはすまいか、奇蹟がありはすまいかなんぞと思つてゐるのです。死の方になると、誰も永遠に生きられようとは思はないのです。」 「併し誰でもなる丈長く生きようと思つてゐますね。」 「そんな事は出来ません。人の一生涯は短いものです。其に生きようと思ふ慾は大いのです。」 「誰でもさうだと云ふのですか」と、嘲笑を帯びて、ソロドフニコフは問うた。そして可笑しくもない事を笑つたのが、自分ながらへんだと思つた。 「無論です。或るものは意識してさう思ふでせう。或るものは無意識にさう思ふでせう。人の生涯とは人そのものです。自己です。人は何物をも自己以上に愛するといふことはないのです。」 「だからどうだと云ふのですか。」 「どうも分かりません。先生は何をお尋ねなさるのでせう」とゴロロボフが云つた。  ソロドフニコフはこの予期しない問を出されて、思量の端緒を失つてしまつた。そして暫くの間は、茫然として、顔を赤くして見習士官の顔を見てゐて、失つた思量の端緒を求めてゐた。然るにそれが獲られない。それに反して、今ゴロロボフが多分己を馬鹿だと思つてゐるだらう。己を冷笑してゐるだらうと思はれてならない。さう思ふと溜まらない心持になる。そして一旦は真蒼になつて、その跡では真赤になつた。太つた白い頸に血が一ぱい寄つて来た。間もなくこの憤懣の情が粗暴な、意地の悪い表情言語になつて迸り出た。わざと相手を侮辱して遣らうと思つたのである。学士は自分の顔を、ずつと面皰だらけのきたない相手の顔の側へ持つて行つて、殆ど歯がみをするやうな口吻で、「一体君はなんの為めにこんな馬鹿な事を言つてゐるのです」と叫んだ。それがもつと激烈な事を言ひたいのをこらへてゐるといふ風であつた。  ゴロロボフはすぐに立ち上がつて、一寸会釈をした。そしてソロドフニコフがまだなんとも考へる暇のないうちに、すぐに又腰を掛けて、頗る小さい声で、しかもはつきりとかう云つた。「なんの為めでもありません。わたくしはさう感じ、さう信じてゐるからです。そして自殺しようと思つてゐるからです。」  ソロドフニコフは両方の目を大きく睜いて、唇を動かしながら、見習士官の顔を凝視した。見習士官は矢張前のやうにぢつとして据わつてゐて、匙で茶碗の中を掻き廻してゐる。ソロドフニコフはそれを凝視してゐればゐる程、或る事件がはつきりして来るやうに思はれた。その考へは頭の中をぐる〳〵廻つてゐる。一しよう懸命に気を鎮めようとするうちに、忽ち頭の中が明るくなるのを感じた。併しまだその事件が十分に信じ難いやうに思はれた。そして問うた。 「ゴロロボフ君。君はまさか気が違つてゐるのではあるまいね。」  ゴロロボフは涙ぐんで来て、高く聳やかした、狭い肩をゆすつた。「わたくしも最初はさう思ひました。」 「そして今はどう思ふのですか。」 「今ですか。今は自分が気が違つてゐない、自分が自殺しようと思ふのに、なんの不合理な処もないと思つてゐます。」 「それではなんの理由もなく自殺をするのですか。」 「理由があるからです」と、ゴロロボフは詞を遮るやうに云つた。 「その理由は」と、ソロドフニコフは何を言ふだらうかと思ふらしく問うた。 「さつきあれ程精しくお話申したではありませんか」と、ゴロロボフは問はれるのがさも不思議なといふ風で答へた。そして暫く黙つてゐて、それから慇懃に、しかもなんだか勉強して説明するといふ調子で云つた。「わたくしの申したのは、詰まり人生は死刑の宣告を受けてゐると同じものだと見做すと云ふのです。そこでその処刑の日を待つてゐたくもなく、又待つてゐる気力もありませんから、寧ろ自分で。」 「それは無意味ですね。そんなら暴力を遁れようとして暴力を用ゐると云ふもので。」 「いゝえ。暴力を遁れようとするのではありません。それは遁れられはしません。死刑の宣告を受けてゐる命を早く絶つてしまはうと云ふのです。寧ろ早く絶たうと。」  ソロドフニコフはこれを聞いたとき、なんだか心持の悪い、冷たい物を背中に浴びたやうで、両方の膝が顫えて来た。口では、「併しさうしたつて同じ事ではありませんか」と云つた。 「いゝえ。わたくしの霊が自然に打ち勝つのです。それが一つで、それから。」 「でもその君の霊といふものも、君の体と同じやうに、矢張自然が造つたもので。」  忽ちゴロロボフが微笑んだ。ソロドフニコフは始て此男の微笑むのを見た。そしてそれを見てぎよつとした。大きい口がへんにゆがんで、殆ど耳まで裂けてゐるやうになつてゐる。小さい目をしつかり瞑つてゐる。そのぼやけた顔附が丸で酒に酔つておめでたくなつたといふやうな風に見えるのである。ゴロロボフは微笑んで答へた。「それは好く知つてゐます。どちらも自然の造つたものには違ひありませんが、わたくしの為めには軽重があります。わたくしの霊といふとわたくし自己です。体は仮の宿に過ぎません。」 「でも誰かがその君の体を打つたら、君だつて痛くはないですか。」 「えゝ。痛いです。」 「さうして見れば。」  ゴロロボフは相手の詞を遮つた。「若しわたくしの体がわたくし自己であつたら、わたくしは生きてゐることになるでせう。なぜといふに、体といふものは永遠です。死んだ跡にも残つてゐます。さうして見れば死は処刑の宣告にはならないのです。」  ソロドフニコフは余儀なくせられたやうに微笑んだ。「これまで聞いたことのない、最も奇抜な矛盾ですね。」 「いゝえ。奇抜でもなければ、矛盾でもないです。体が永遠だと云ふ事は事実です。わたくしが死んだら、わたくしの体は分壊して原子になつてしまふのでせう。その原子は別な形体になつて、原子そのものは変化しません。又一つも消滅はしません。わたくしの体の存在してゐる間有つた丈の原子は死んだ跡でも依然として宇宙間に存在してゐます。事に依つたら、一歩を進めて、その原子が又た同じ組立を繰り返して、同じ体を拵へるといふことも考へられませう。そんな事はどうでも好いのです。霊は死にます。」  ソロドフニコフは力を入れて自分の両手を握り合せた。もう此見習士官を狂人だとは思はない。そしてその言つてゐる事が意味があるかないか、それを判断することが出来なくなつた。気が沈んで来た。見習士官の詞と、薄暗いランプの光と、自分の思量と、いやにがらんとした部屋とから、陰気なやうな、咄々人に迫るやうな、前兆らしい心持が心の底に萌して来た。併し強ひて答へた。「さうにも限らないでせう。死んだ後に、未来に性命がないといふことを、君は知つてゐるのですか。」  ゴロロボフは首を掉つた。「それは知りません。併しそれはどうでも宜しいのです。」 「なぜどうでも好いのですか。」 「死んでから性命がない以上は、わたくしの霊は消滅するでせう。又よしやそれがあるとしても、わたくしの霊は矢張消滅するでせう。」二度目には「わたくし」といふ詞に力を入れて云つた。「わたくし自己は消滅します。霊といふものが天国へ行くにしても、地獄へ堕ちるにしても、別な物の体に舎るにしても、わたくしは亡くなります。この罪悪、習慣、可笑しい性質、美しい性質、懐疑、悟性、愚蒙、経験、無知の主人たる歩兵見習士官ゴロロボフの自我は亡くなります。何が残つてゐるにしても、兎に角ゴロロボフは消滅します。」  ソロドフニコフは聞いてゐて胸が悪くなつた。両脚が顫える。頭が痛む。なんだか抑圧せられるやうな、腹の立つやうな、重くろしい、恐ろしい気がする。 「どうとも勝手にしやがるが好い。気違ひだ。こゝにゐると、しまひにはこつちも気がへんになりさうだ」と学士は腹の中で思つた。そして一言「さやうなら」と云つて、人に衝き飛ばされたやうに、立ち上がつた。  ゴロロボフも矢張立ち上がつた。そして丁度さつきのやうに、慇懃に「さやうなら」と云つた。 「馬鹿をし給ふなよ。物数奇にさつき云つたやうな事を実行しては困りますぜ」と、ソロドフニコフは面白げな調子で云つたが、実際の心持は面白くもなんともなかつた。 「いゝえ。先刻も申した通り、あれはわたくしの確信なのですから。」 「馬鹿な。さやうなら」と、ソロドフニコフは憤然として言ひ放つて、梯子の下の段を殆ど走るやうに降りた。      ――――――――――――  ソロドフニコフは背後で戸を締める音を聞きながら、早足に往来へ出た。雨も風もひどくなつてゐる。併し外に出たので気分が好い。帽を阿弥陀に被り直した。頭が重くて、額が汗ばんでゐる。  忽然ソロドフニコフには或る事実が分かつた。あれは理論ではなかつた。或る恐るべき、暗黒な、人の霊を圧する事件である。あれは今はまだ生きてゐて、数分の後には事に依るともう亡くなつてゐる一個の人間の霊である。かう思つたのが、非常に強烈な印象を与へるので、ソロドフニコフはそこに根が生えたやうに立ち留まつた。  雨は留めどもなく、ゆつくりと、ざあざあと降つてゐる。ソロドフニコフは踵を旋して、忽然大股にあとへ駈け戻つた。ぬかるみに踏み込んで、ずぼんのよごれるのも構はなかつた。息を切らせて、汗をびつしより掻いて、帽を阿弥陀に被つた儘で、ソロドフニコフはゴロロボフの住ひの前に戻つて来て、燈火の光のさしてゐる窓の下に立ち留まつた。一寸見ると、ゴロロボフの顔が見えるやうであつたが、それはサモワルの横つらが燈火の照り返しで光つてゐるのであつた。ランプは同じ所に燃えてゐる。それから、さつき茶を飲んだあとの茶碗が一つと、ぴかぴか光る匙が一本と見えてゐる。見習士官は見えない。ソロドフニコフはどうしようかと思つて窓の下に立つてゐた。なんだか部屋の中がいやにひつそりしてゐて、事に依つたらあの部屋の床の上に見習士官は死んで横はつてゐるのではあるまいかと思はれた。 「馬鹿な。丸で気違ひじみた話だ」と、肩を聳やかして、極まりの悪いやうな微笑をして云つた。そして若し誰かが見てゐはすまいか、事に依つたらゴロロボフ本人が窓から見てゐはすまいかと思つた。  ソロドフニコフは意を決して踵を旋して、腹立たしげに外套の襟を立てて、帽を目深に被り直して、自分の内へ帰つた。 「丸で気違ひだ。人間といふものは、どこまで間違ふものか分からない」と、殆ど耳に聞えるやうに独言を言つた。 「併しなぜ己にはあんな考へが一度も出て来ないのだらう。無論考へたことはあるに違ひないが、無意識に考へたのだ。一体恐ろしいわけだ。かうして平気で一日一日と生きて暮らしてはゐる様なものの、どうせ誰でも死ななくてはならないのだ。それなのになんの為めにいろんな事をやつてゐるのだらう。苦労をするとか、喜怒哀楽を閲するとかいふことはさて置き、なんの為めに理想なんぞを持つてゐるのだらう。明日は己を知つてゐるものがみな死んでしまふ。己が大事にして書いてゐるものを鼠が食つてしまふ。それでなければ、人が焼いてしまふ。それでおしまひだ。その跡では誰も己の事を知つてゐるものはない。この世界に己より前に何百万の人間が住んでゐたのだらう。それが今どこにゐる。己は足で埃を蹈んでゐる。この埃は丁度己のやうに自信を持つてゐて、性命を大事がつてゐた人間の体の分壊した名残りだ。土の上で、あそこに火を焚いてゐる。あれが消えれば灰になつてしまふ。併しまた火を付けようと思へば付けられる。併しその火はもう元の火ではない。丁度あんなわけで、もう己のあとには己といふものはないのだ。かう思ふと脚や背中がむづむづして来る。このソロドフニコフといふものは亡くなるのだ。ドクトル・ウラヂミル・イワノヰツチユ・ソロドフニコフといふものは亡くなるのだ。」  この詞を二三遍繰り返して、ソロドフニコフは恐怖と絶望とを感じた。心臓は不規則に急促に打つてゐる。何物かが胸の中を塞ぐやうに感ぜられる。額には汗が出て来る。 「己といふものは亡くなつてしまふ。無論さうだ。何もかも元のままだ。草木も、人間も、あらゆる感情も元のままだ。愛だとかなんだとかいふ美しい感情も元のままだ。それに己だけは亡くなつてしまふ。何があつても、見ることが出来ない。あとに何もかも有るか無いかといふことも知ることが出来ない。なんにも知ることが出来ないばかりではない。己そのものが無いのだ。綺麗さつぱり無いのだ。いや。綺麗さつぱりどころではない。実に恐るべき、残酷な、無意味なわけだ。なんの為めに己は生きてゐて、苦労をして、あれは善いの、あれは悪いのといつて、他人よりは自分の方が賢いやうに思つてゐたのだ。己といふものはもう無いではないか。」  ソロドフニコフは涙ぐんだやうな心持がした。そしてそれを恥かしく思つた。それから涙が出たら、今まで自分を抑圧してゐた、溜まらない感じがなくなるだらうと思つて、喜んだ。併し目には涙が出ないで、ただ闇を凝視してゐるのである。ソロドフニコフは重くろしい溜息を衝いて、苦しさと気味悪さとに体が顫えてゐた。 「己を蛆が食ふ。長い間食ふ。それをこらへてぢつとしてゐなくてはならない。己を食つて、その白い、ぬるぬるした奴がうようよと這ひ廻るだらう。いつそ火葬にして貰つた方が好いかしら。いや。それも気味が悪い。ああ。なんの為めに己は生きてゐたのだらう。」  体ぢゆうがぶるぶる顫えるのを感じた。窓の外で風の音がしてゐる。室内は何一つ動くものもなく、ひつそりしてゐる。 「己ももう間もなく死ぬるだらう。事に依つたら明日死ぬるかも知れない。今すぐに死ぬるかも知れない。わけもなく死ぬるだらう。頭が少しばかり痛んで、それが段々ひどくなつて死ぬるだらう。死ぬるといふことがわけもないものだといふ事は、己は知つてゐる。どうなつて死ぬるといふことは、己は知つてゐる。併しどうしてそれを防ぎやうもない。死ぬるのだな。事に依つたら明日かも知れない。今かも知れない。さつきあの窓の外に立つてゐるとき風を引いてゐる。これから死ぬるのかも知れない。どうも体は健康なやうには思はれるが、体のどこかではもう分壊作用が始まつてゐるらしい。」  ソロドフニコフは自分で脈を取つて見た。併し間もなくそれを止めた。そして絶望したやうに、暗くてなんにも見えない天井を凝視してゐた。自分の頭の上にも、体の四方にも、冷たい、濃い鼠色の暗黒がある。その闇黒の為めに自分の思想が一層恐ろしく、絶望的に感ぜられる。 「兎に角死ぬるのを防ぐ事は出来ない。一瞬間でも待つて貰ふことは出来ない。早いか晩いか死ななくてはならない。不老不死の己ではない。その癖己をはじめ、誰でも医学を大した学問のやうに思つてゐる。今日の命を繋ぎ、明日の命を繋いだところで、どうせ皆死ぬるのだ。丈夫な奴も死ぬる。病人も死ぬる。実に恐ろしい事だ。己は死を恐れはしない。併しなんだつて死といふものに限つて遣つて来なくてはならないのだらう。なんの意味があるのだらう。誰が死といふものを要求するのだらう。いや。実際は己にも気になる。己にも気になる。」  ソロドフニコフは忽然思量の糸を切つた。そして復活といふことと、死後の性命といふこととを考へて見た。その時或る軟い、軽い、優しいものが責めさいなまれてゐる脳髄の上へかぶさつて来るやうな心持がして、気が落ち付いて快くなつた。  併し間もなくまた憎悪、憤怒、絶望がむらむらと涌き上がつて来る。 「えゝ。馬鹿な事だ。誰がそんな事を信ずるものか。己も信じはしない。信ぜられない。そんな事になんの意味がある。誰が体のない、形のない、感情のない、個性のない霊といふものなんぞが、灝気の中を飛び廻つてゐるのを、なんの用に立てるものか。それはどつちにしても恐怖はやはり存在する。なぜといふに、死といふ事実の外は、我々は知ることが出来ないのだから。あの見習士官の云つた通りだ。永遠に恐怖を抱いてゐるよりは、寧ろ自分で。」 「寧ろ自分で」とソロドフニコフは繰り返して、夢の中で物を見るやうに、自分の前に燃えてゐる明るい、赤い蝋燭の火と、その向うの蒼ざめた、びつくりしたやうな顔とを見た。  それは家来のパシユカの顔であつた。手に蝋燭を持つて、前に立つてゐるのである。 「旦那様。どなたかお出ですが」と、パシユカが云つた。  ソロドフニコフは茫然として家来の顔を凝視してゐて、腹の中で、なんだつてこいつは夜なかに起きて来たのだらう、あんな蒼い顔をしてと思つた。ふいと見ると、パシユカの背後に今一つ人の顔がある。見覚えのある、いやに長い顔である。 「なんの御用ですか」と、ソロドフニコフは物分かりの悪いやうな様子で問うた。 「先生。御免下さい」と、背後の顔が云つて、一足前へ出た。好く見れば、サアベルを吊つた、八字髭の下へ向いてゐる、背の高い警部であつた。「甚だ御苦労でございますが、ちよつとした事件が出来しましたのです。それにレオニツド・グレゴレヰツチユが市中にゐないものですから。」  レオニツド・グレゴレヰツチユといふのは、市医であつたといふことを、ソロドフニコフはやうやうの事で思ひ出した。 「志願兵が一名小銃で自殺しましたのです」と、警部は自殺者が無遠慮に夜なかなんぞに自殺したのに、自分が代つて謝罪するやうな口吻で云つた。 「見習士官でせう」と、ソロドフニコフは器械的に訂正した。 「さうでした。見習士官でした。もう御承知ですか。ゴロロボフといふ男です。すぐに検案して戴かなくては」と、警部は云つた。  ソロドフニコフは何かで額をうんと打たれたやうな心持がした。 「ゴロロボフですな。本当に自殺してしまひましたか」と、ひどく激した調子で叫んだ。  警部プリスタフの八字髭がひどく顫えた。「どうしてもう御存じなのですか。」 「無論知つてゐるのです。わたしに前以て話したのですから」と、医学士は半分咬み殺すやうに云つて、足の尖で長靴を探つた。 「どうして。いつですか」と、突然変つた調子で警部が問うた。 「わたしに話したのです。話したのです。あとでゆつくりお話しします」と、半分口の中でソロドフニコフが云つた。      ――――――――――――  見習士官の家までは五分間で行かれるのに、門の前には辻馬車が待たせてあつた。ソロドフニコフはいつどうして其馬車に腰を掛けたやら、いつ見習士官の家の前に著いて馬車を下りたやら覚えない。只もう雨が止んで、晴れた青空から星がきらめいてゐたことだけを覚えてゐる。  パン屋の入口の戸がこん度は広く開け放してある。人道に巡査が一人と、それからよく見えない、気を揉んでゐるらしい人が二三人と立つてゐる。さつきのやうに焼き立てのパンと捏ねたパン粉との匂のする廊下へ、奉公人だの巡査だのが多勢押し込んでゐる。ソロドフニコフには其人数がひどく多いやうに思はれた。やはりさつきのやうにランプの附いてゐる、見習士官の部屋の戸も広く開いてゐる。室内は空虚で、ひつそりしてゐる。見れば、ゴロロボフはひどく不自然な姿勢で部屋の真中に、ランプの火に照らされて、猫が香箱を造つてゐるやうになつて転がつてゐる。室内は少しも取り乱してはない。何もかも二時間前に見たと同じである。 「御覧なさい。小銃で自殺してゐます。散弾です。丸で銃身の半分もあるほど散弾を詰め込んで、銃口を口に含んで発射したのです。いやはや」と、警部プリスタフは云つた。  プリスタフはいろ〳〵な差図をした。体を持ち上げて寝台の上に寝かした。赤い、太つた顔の巡査が左の手で自分のサアベルの鞘を握つてゐて、右の手でゴロロボフの頭を真直に直して置いて、その手で十字を切つた。下顎が熱病病みのやうにがたがた顫えてゐる。  ソロドフニコフの為めには、一切の事が夢のやうである。その癖かういふ場合にすべき事を皆してゐる。文案を作る。署名する。はつきり物を言ふ。プリスタフの問に答へる。併しそれが皆器械的で、何もかもどうでも好い、余計な事だといふやうな、ぼんやりした心理状態で遣つてゐる。又しては見習士官の寝かしてある寝台へ気が引かれてならぬのである。  ソロドフニコフはこの時はつきり見習士官ゴロロボフが死んでゐるといふことを意識してゐる。もう見習士官でもなければ、ゴロロボフでもなければ、人間でもなければ動物でもない。死骸である。いぢつても、投げ附けても、焼いても平気なものである。併しソロドフニコフは同時にこれが見習士官であつたことを意識してゐる。その見習士官がどうしてかうなつたといふことは、不可解で、無意味で、馬鹿気てゐる。併し恐ろしいやうだ。哀れだ。  かういふ悲痛の情は、気の附かないうちに、忽然浮かんで来た。  ソロドフニコフはごくりと唾を呑み込んで、深い溜息をして、その外にはしやうのないらしい様子で、絶望的な泣声を立てた。 「水を」と、プリスタフは巡査に云つた。その声がなぜだか脅かすやうな調子であつた。  その巡査はどたばたして廊下へ飛び出して、その拍子にサアベルの尻を入口の柱にぶつ附けた。その隙にプリスタフは頻にソロドフニコフを宥めてゐる。「先生。どうしたのです。なぜそんなに。それは気の毒は気の毒です。併しどうもしやうがありませんからな。」  年寄つた大男の巡査が素焼の茶碗に水を入れて持つて来た。顔は途方に暮れてゐるやうである。  プリスタフはそれを受け取つて、「さあ、お上がんなさい。お上がんなさい」と侑めた。  ソロドフニコフはパンと麹との匂のする生温い水を飲んだ。その時歯が茶碗に障つてがちがちと鳴つた。 「やれやれ。御気分が直りましたでせう。さあ、門までお送り申しませう。死んだものは死んだものに致して置きませう」と、プリスタフは愉快らしく云つた。  ソロドフニコフは器械的に立ち上がつて、巡査の取つてくれる帽を受け取つて、廊下へ歩み出した。廊下はさつきの焼き立てのパンと麹との匂の外に、多勢の人間が置いて行つた生生した香がしてゐる。それから階段の所へ出た。  その時見えた戸外の物が、ソロドフニコフには意外なやうな心持がした。  夜が明けてゐる。空は透明に澄んでゐる。雨は止んだが、空気が湿つてゐる。何もかも洗ひ立てのやうに光つてゐる。緑色がいつもより明るく見える。丁度ソロドフニコフの歩いて行く真正面に、まだ目には見えないが、朝日が出掛かつてゐる。そこの所の空はまばゆいほど明るく照つて、燃えて、輝いてゐる。空気は自由な、偉大な、清浄な、柔軟な波動をして、震動しながらソロドフニコフの胸に流れ込むのである。 「ああ」と、ソロドフニコフは長く引いて叫んだ。 「好い朝ですな」と、プリスタフは云つて、帽を脱いで、愉快気に兀頭を涼しい風に吹かせた。そして愉快気に云つた。「長い雨のあとで天気になつたといふものは心持の好いものですね。兎に角世界は美しいですね。それをあの先生はもう味ふことが出来ないのだ。」  雀が一羽ちよちよと鳴きながら飛んで行つた。ソロドフニコフはそのあとを眺めて、「なんといふさうざうしい小僧だらう」と、愉快に感じた。  プリスタフは人の好ささうな、無頓著らしい顔へ、無理に意味ありげな皺を寄せて、「それでは御機嫌よろしう、まだも少しこゝの内に用事がございますから」と云つた。  そして医学士と握手して、附いて来られてはならないとでも思ふやうな様子で、早足に今出た門に這入つた。  学士は帽を脱いで、微笑みながら歩き出した。開いてゐる窓を見上げるとランプの光が薄黄いろく見えてゐるので、一寸胸を刺されるやうな心持がした。そのとたんに誰やらがランプを卸して吹き消した。多分プリスタフであらう。薄明るく見えてゐた焔が見えなくなつて、窓から差し込む空の光で天井とサモワルとが見えた。  ソロドフニコフは歩きながら身の周囲を見廻した。何もかも動いてゐる。輝いてゐる。活躍してゐる。その一々の運動に気を附けて見て、ソロドフニコフはこの活躍してゐる世界と自分とを結び附けてゐる、或る偉大なる不可説なる物を感じた。そして俯して、始て見るものででもあるやうに、歩いてゐる自分の両足を見た。それが如何にも可哀らしく、美しく造られてあるやうに感じた。そしても少しで独笑をするところであつた。 「一体こんな奴の事は不断はなんとも思つてやらないが、旨く歩いてくれるわい」と思つた。 「何もかも今まで思つてゐたやうに単純なものではないな。驚嘆すべき美しさを持つてゐる。不可思議である。かう遣つて臂を伸ばさうと思へば、すぐ臂が伸びるのだ。」  かう云つて臂を前へ伸ばして見て微笑んだ。 「何がなんでも好い。恐怖、憂慮、悪意、なんでも好い。それが己の中で発動すれば好い。さうすれば己といふものの存在が認められる。己は存在する。歩く。考へる。見る。感ずる。何をといふことは敢て問はない。少くも己は死んではゐない。どうせ一度は死ななくてはならないのだけれど。」  ソロドフニコフはこの考へを結末まで考へて見ることを憚らなかつた。  忽然何物かが前面に燃え上がつた。まばゆい程明るく照つた。輝いた。それでソロドフニコフはまたたきをした。  朝日が昇つたのである。
底本:「鴎外選集 第十五巻」岩波書店    1980(昭和55)年1月22日第1刷発行 初出:「学生文藝 一ノ二」    1910(明治43)年9月1日 入力:tatsuki 校正:ちはる 2002年3月5日公開 2005年11月21日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 窓の前には広い畑が見えてゐる。赤み掛かつた褐色と、緑と、黒との筋が並んで走つてゐて、ずつと遠い所になると、それが入り乱れて、しほらしい、にほやかな摸様のやうになつてゐる。この景色には多くの光と、空気と、際限のない遠さとがある。それでこれを見てゐると誰でも自分の狭い、小さい、重くろしい体が窮屈に思はれて来るのである。  医学士は窓に立つて、畑を眺めてゐて、「あれを見るが好い」と思つた。早く、軽く、あちらへ飛んで行く鳥を見たのである。そして「飛んで行くな」と思つた。鳥を見る方が畑を見るより好きなのである。学士は青々とした遠い果で、鳥が段々小さくなつて消えてしまふのを、顔を蹙めて見てゐて、自ら慰めるやうに、かう思つた。「どうせ遁れつこはないよ。こゝで死なゝければ余所で死ぬるのだ。死なゝくてはならない。」  心好げに緑いろに萌えてゐる畑を見れば、心持がとうとう飽くまで哀れになつて来る。「これはいつまでもこんなでゐるのだ。古い古い昔からの事だ。冢穴の入口でも、自然は永遠に美しく輝いてゐるといふ詞があつたつけ。平凡な話だ。馬鹿な。こつちとらはもうそんな事を言ふやうな、幼稚な人間ではない。そんな事はどうでも好い。己が物を考へても、考へなくても、どうでも好い」と考へて、学士は痙攣状に顔をくしや〳〵させて、頭を右左にゆさぶつて、窓に顔を背けて、ぼんやりして部屋の白壁を見詰めてゐた。  頭の中には、丁度濁水から泡が水面に浮き出て、はじけて、八方へ散らばつてしまふやうに、考へが出て来る。近頃になつてかういふことが度々ある。殊に「今日で己は六十五になる、もう死ぬるのに間もあるまい」と思つた、あの誕生日の頃から、こんなことのあるのが度々になつて来た。どうせいつかは死ぬる刹那が来るとは、昔から動悸をさせながら、思つてゐたのだが、十四日前に病気をしてから、かう思ふのが一層切になつた。「虚脱になる一刹那がきつと来る。その刹那から手前の方が生活だ。己が存在してゐる。それから向うが無だ。真に絶待的の無だらうか。そんな筈はない。そんな物は決してない。何か誤算がある。若し果して絶待的の無があるとすれば、実に恐るべき事だ。」かうは思ふものゝ、内心では決して誤算のない事を承知してゐる。例の恐るべき、魂の消えるやうな或る物が丁度今始まり掛かつてゐるのだといふことを承知してゐる。そして頭や、胸や、胃が痛んだり、手や足がいつもより力がなかつたりするたびに、学士は今死ぬるのだなと思ふことを禁じ得ない。死ぬるといふことは非常に簡単なことだ。疑ふ余地のないことだ。そしてそれゆゑに恐るべき事である。  学士は平生書物を気を附けては読まない流儀なのに、或る時或る書物の中で、ふいとかういふ事を見出した。自然の事物は多様多趣ではあるが、早いか晩いか、一度はその事物と同一の Constellation が生じて来なくてはならない。そして同一の物体が現出しなくてはならない。それのみではない。その周囲の万般の状況も同一にならなくてはならないと云ふのである。それを読んで、一寸の間は気が楽になつたやうであつたが、間もなく恐ろしい苦痛を感じて来た。殆ど気も狂ふばかりであつた。 「へん。湊合がなんだ。天が下に新しい事は決してない。ふん。己の前にあるやうな永遠が己の背後にもあるといふことは、己も慥かに知つてゐる。言つて見れば、己といふものは或る事物の、昔あつた湊合の繰り返しに過ぎない。その癖その昔の湊合は、己は知らない。言つて見れば己といふことはなんにもならない。只湊合の奈何にあるのだ。併しどうしてさうなるのだらう。己の性命がどれだけ重要であるか、どれだけせつないか、どれだけ美しいかといふことを、己は感じてゐるではないか。己が視たり、聴いたり、嗅いだりするものは、皆己が視るから、聴くから、嗅ぐから、己の為めに存在してゐるのである。己が目、耳、鼻を持つてゐるから、己の為めに存在してゐるのである。さうして見れば、己は無窮である。絶大である。己の自我の中には万物が位を占めてゐる。その上に己は苦をも受けてゐるのだ。そこでその湊合がなんだ。馬鹿な。湊合なんといふ奴が己になんになるものか。只昔あつた事物の繰り返しに過ぎないといふことは、考へて見ても溜まらないわけだ。」  学士は未来世に出て来る筈の想像的人物、自分と全く同じである筈の想像的人物を思ひ浮べて見て、それをひどく憎んだ。 「そいつはきつと出て来るに違ひない。人間の思想でさへ繰り返されるではないか。人間そのものも繰り返されるに違ひない。それに己の思想、己の苦痛はどうでも好いのだ。なぜといふに己以外の物体の幾百万かがそれを同じやうに考へたり、感じたりするからである。難有いしあはせだ。勝手にしやがれ。」  学士の心理的状態は一日一日と悪くなつた。夜になると、それが幻視錯覚になつて、とうとうしまひには魘夢になつて身を苦しめる。死や、葬や、墓の下の夢ばかり見る。たまにはいつもと違つて、生きながら埋められた夢を見る。昼の間は只一つの写象に支配せられてゐる。それは「己は壊れる」といふ写象である。病院の梯子段を昇れば息が切れる。立ち上がつたり、しやがんだりする度に咳が出る。それを自分の壊れる兆だと思ふのである。そんなことをいつでも思つてゐるので、夜寐られなくなる。それを死の前兆だと思ふ。  丁度昨晩も少しも寐られなかつた。そこで頭のなかは、重くろしい、煙のやうな、酒の酔のやうな状態になつてゐる。一晩寐られもしないのに、温い、ねばねばした床の中に横はつてゐて、近所の癲狂患者の泣いたり、笑つたりする声の聞えるのを聞いてゐるうちに、頭の中に浮んで来た考へは実に気味が悪かつた。そこであちこち寝返りをして、自分から自分を逃げ出させようとした。自分が壊れるのなんのといふことを、ちつとも知つてはゐないと思つて見ようとしたが、それが出来なかつた。彼の思想が消えれば、此思想が出て来る。それが寝室の白壁の上にはつきり見えて来る。しまひにはどうしても、丁度自分の忘れようと思ふことを考へなくてはならないやうになつて来る。殆ど上手のかく絵のやうに、空想の中に、分壊作用がはつきりと画かれる。体を腐らせて汁の出るやうにする作用が画かれる。自分の体の膿を吸つて太つた蛆の白いのがうようよ動いてゐるのが見える。学士は平生から爬ふ虫が嫌ひである。あの蛆が己の口に、目に、鼻に這ひ込むだらうと思つて見る。学士はこの時部屋ぢゆう響き渡るやうな声で、「えゝ、その時は己には感じはないのだ」と叫ぶ。学士は大きい声を持つてゐる。  看病人が戸を開けて、覗いて見て、又戸を締めて行つた。 「浮世はかうしたものだ。先生、いろんな患者をいぢくり廻したあげくに、御自分が参つてしまつたのだな」と、看病人は思つたが、さう思つて見ると、自分も心持が悪いので、わざとさも愉快気な顔をして、看病人長の所へ告口をしに出掛けるのである。「先生、御自分が参つてしまつたやうですよ」などと云ふ積りである。  看病人の締めた戸がひどい音をさせた。学士は鼻目金越しに戸の方を見て、「なんだ、何事が出来たのだ」と、腹立たしげに問うた。戸は返事をしない。そこで頗る激した様子で、戸の所へ歩いて行つて、戸を開けて、廊下に出て、梯子を降りて、或る病室に這入つた。そこは昨晩新しく入院した患者のゐる所である。一体もつと早く見て遣らなくてはならないのだが、今まで打ち遣つて置いたのである。今行くのも義務心から行くのではない。自分の部屋に独りでゐるのがゐたたまらなくなつたからである。  患者は黄いろい病衣に、同じ色の患者用の鳥打帽を被つて、床の上に寝てゐて、矢張当り前の人間のやうに鼻をかんでゐた。入院患者は自分の持つて来た衣類を着てゐても好いことになつてゐるが、この患者は患者用の物に着換へたのである。学士は不確な足附きで、そつと這入つた。患者はその顔を面白げに、愛嬌好く眺めて、「今日は、あなたが医長さんですね」と云つた。 「今日は。己が医長だよ」と学士が云つた。 「初めてお目に掛かります。さあ、どうぞお掛け下さいまし。」  学士は椅子に腰を懸けて、何か考へる様子で、病室の飾りのない鼠壁を眺めて、それから患者の病衣を見て云つた。「好く寐られたかい。どうだね。」 「寐られましたとも。寐られない筈がございません。人間といふ奴は寐なくてはならないのでせう。わたくしなんぞはいつでも好く寐ますよ。」  学士は何か考へて見た。「ふん。でもゐどころが変ると寐られないこともある。それに昨晩は随分方々でどなつてゐたからな。」 「さうでしたか。わたくしにはちつとも聞えませんでした。為合せに耳が遠いものですから。耳の遠いなんぞも時々は為合せになることもありますよ」と云つて、声高く笑つた。  学士は機械的に答へた。「さうさ。時々はそんなこともあるだらう。」  患者は右の手の甲で鼻柱をこすつた。そして問うた。「先生、煙草を上がりますか。」 「飲まない。」 「それでは致し方がございません。実は若し紙巻を持つて入らつしやるなら、一本頂戴しようと思つたのです。」 「病室内では喫煙は禁じてあるのだ。言ひ聞かせてある筈だが。」 「さうでしたか。どうも忘れてなりません。まだ病院に慣れないものですから」と、患者は再び笑つた。  暫くは二人共黙つてゐた。  窓は随分細かい格子にしてある。それでも部屋へは一ぱいに日が差し込んでゐるので、外の病室のやうに陰気ではなくて、晴々として、気持が好い。 「この病室は好い病室だ」と、学士は親切げに云つた。 「えゝ。好い部屋ですね。こんな所へ入れて貰はうとは思ひませんでしたよ。わたくしはこれまで癲狂院といふものへ這入つたことがないものですから、もつとひどい所だらうと思つてゐました。ひどいと云つては悪いかも知れません。兎に角丸で別な想像をしてゐたのですね。これなら愉快でさあ。どの位置かれるのだか知りませんが、ちよつとやそつとの間なら結構です。わたくしだつて長くゐたくはありませんからね。」かう云つて、患者は仰向いて、学士の目を覗くやうに見た。併し色の濃い青色の鼻目金を懸けてゐるので、目の表情が見えなかつた。患者は急いで言ひ足した。 「こんなことをお尋ねするのは、先生方はお嫌ひでせう。先生、申したいことがありますが好いでせうか。」急に元気の出たやうな様子で問うたのである。 「なんだい。面白いことなら聞かう」と、学士は機械的に云つた。 「わたくしは退院させて貰つたら、わたくしを掴まへてこんな所へ入れた、御親切千万な友達を尋ねて行つて、片つ端から骨を打ち折つて遣らうと思ひますよ」と、患者は愉快げに、しかも怒を帯びて云つて、雀斑だらけの醜い顔を変に引き吊らせた。 「なぜ」と学士は大儀さうに云つた。 「馬鹿ものだからです。べらばうな。なんだつて余計な人の事に手を出しやあがるのでせう。どうせわたくしはどこにゐたつて平気なのですが、どつちかと云へば、やつぱり外にゐる方が好いのですよ。」 「さう思ふかね」と学士は不精不精に云つた。 「つまりわたくしは何も悪い事を致したのではありませんからね」と、患者は少し遠慮げに云つた。 「さうかい」と学士は云つて、何か跡を言ひさうにした。 「悪い事なんぞをする筈がないのですからね」と、患者は相手の詞を遮るやうに云ひ足した。 「考へて御覧なさい。なぜわたくしが人に悪い事なんぞをしますでせう。手も当てる筈がないのです。食人人種ではあるまいし。ヨハン・レエマン先生ではあるまいし。当り前の人間でさあ。先生にだつて分かるでせう。わたくし位に教育を受けてゐると、殺人とか、盗賊とかいふやうなことは思つたばかりで胸が悪くなりまさあ。」 「併しお前は病気だからな。」  患者は体をあちこちもぢもぢさせて、劇しく首を掉つた。「やれやれ。わたくしが病気ですつて。わたくしはあなたに対して、わたくしが健康だといふことを証明しようとは致しますまい。なんと云つた所で、御信用はなさるまいから。併しどこが病気だと仰やるのです。いやはや。」 「どうもお前は健康だとは云はれないて」と、学士は用心して、しかもきつぱりと云つた。 「なぜ健康でないのです」と、患者は詞短かに云つた。「どこも痛くも苦しくもありませんし、気分は人並より好いのですし、殊にこの頃になつてからさうなのですからね。ははは。先生。丁度わたくしが一件を発明すると、みんなでわたくしを掴まへて病院に押し込んだのですよ。途方もない事でさあ。」 「それは面白い」と、学士は云つて、眉を額の高い所へ吊るし上げた。その尖つた顔がどこやら注意して何事をか知らうとしてゐる犬の顔のやうであつた。 「可笑しいぢやありませんか。」患者は忽然笑つて、立ち上がつて、窓の所へ行つて、暫くの間日の照つてゐる外を見てゐた。学士はその背中を眺めてゐた。きたない黄いろをしてゐる病衣が日に照らされて、黄金色の縁を取つたやうに見えた。 「今すぐにお話し申しますよ」と患者は云つて、踵を旋らして、室内をあちこち歩き出した。顔は極真面目で、殆ど悲しげである。さうなつたので顔の様子が余程見好くなつた。 「お前の顔には笑ふのは似合はないな」と、学士はなぜだか云つた。 「えゝえゝ」と、元気好く患者は云つた。「それはわたくしも承知してゐますよ。これまでにもわたくしにさう云つて注意してくれた人がございました。わたくしだつて笑つてゐたくはないのです。」かう云ひながら、患者は又笑つた。その笑声はひからびて、木のやうであつた。「その癖わたくしは笑ひますよ。度々笑ひますよ。待てよ。こんな事をお話しする筈ではなかつたつけ。実はわたくしは思量する事の出来る人間と生れてから、始終死といふことに就いて考へてゐるのでございます。」 「ははあ」と、学士は声を出して云つて、鼻目金を外した。その時学士の大きい目が如何にも美しく見えたので、患者は覚えずそれを眺めて黙つてゐた。  暫くして、「先生、あなたには目金は似合ひませんぜ」と云つた。 「そんな事はどうでも好い。お前は死の事を考へたのだな。沢山考へたかい。それは面白い」と、学士は云つた。 「えゝ。勿論わたくしの考へた事を一から十まであなたにお話しすることは出来ません。又わたくしの感じた事となると、それが一層困難です。兎に角余り愉快ではございませんでした。時々は夜になつてから、子供のやうにこはがつて泣いたものです。自分が死んだら、どんなだらう、腐つたら、とうとう消滅してしまつたら、どんなだらうと、想像に画き出して見たのですね。なぜさうならなくてはならないといふことを理解するのは、非常に困難です。併しさうならなくてはならないのでございますね。」  学士は長い髯を手の平で丸めて黙つてゐる。 「併しそんな事はまだなんでもございません。それは実際胸の悪い、悲しい、いやな事には相違ございませんが、まだなんでもないのです。一番いやなのは、外のものが皆生きてゐるのに、わたくしが死ぬるといふことですね。わたくしが死んで、わたくしの遣つた事も無くなつてしまふのです。格別な事を遣つてもゐませんが兎に角それが無くなります。譬へばわたくしがひどく苦労をしたのですね。そしてわたくしが正直にすると、非常な悪事を働くとの別は、ひどく重大な事件だと妄想したとしませう。そんな事が皆利足の附くやうになつてゐるのです。わたくしの苦痛、悟性、正直、卑陋、愚昧なんといふものが、次ぎのジエネレエシヨンの役に立たうといふものです。外の役に立たないまでも、戒めに位ならうといふものです。兎に角わたくしが生活して、死を恐れて、煩悶してゐたのですね。それが何もわたくしの為めではない。わたくしは子孫の為めとでも云ひませうか。併しその子孫だつて、矢張自分の為めに生活するのではないのですから、誰の為めと云つて好いか分かりません。ところで、わたくしは或る時或る書物を見たのです。それにかういふ事が書いてありました。それは実際詰まらない事なのかも知れません。併しわたくしははつと思つて驚いて、その文句を記憶して置いたのでございますね。」 「面白い」と、学士はつぶやいた。 「その文句はかうです。自然は一定の法則に遵ひて行はる。何物をも妄りに侵し滅さず。然れども早晩これに対して債を求む。自然は何物をも知らず。善悪を知らず。決して或る絶待的なるもの、永遠なるもの、変易せざるものを認めず。人間は自然の子なり。然れども自然は単に人間の母たる者にあらず。何物をも曲庇することなし。凡そその造る所の物は、他物を滅ぼしてこれを造る。或る物を造らんが為めには、必ず他の物を破壊す。自然は万物を同一視すと云ふのですね。」 「それはさうだ」と、学士は悲しげに云つたが、すぐに考へ直した様子で、又鼻目金を懸けて、厳格な調子で言ひ足した。「だからどうだと云ふのだ。」  患者は笑つた。頗る不服らしい様子で、長い間笑つてゐた。そして笑ひ已んで答へた。「だからどうだとも云ふのではありません。御覧の通り、それは愚な思想です。いや。思想なんといふものは含蓄せられてゐない程愚です。単に事実で、思想ではありません。思想のない事実は無意味です。そこで思想をわたくしが自分で演繹して見ました。わたくしの概念的に論定した所では、かう云つて宜しいか知れませんが、自然の定義は別に下さなくてはなりません。自然は決して絶待的永遠なるものを非認してはをりません。それどころではない。自然に於いては凡ての物が永遠です。単調になるまで永遠です。どこまでも永遠です。併し永遠なのは事実ではなくて、理想です。存在の本体です。一本一本の木ではなくて、その景物です。一人一人の人ではなくて、人類です。恋をしてゐる人ではなくて、恋そのものです。天才の人や悪人ではなくて、天才や罪悪です。お分かりになりますか。」 「うん。分かる」と、学士はやうやう答へた。 「お互にこゝにかうしてゐて、死の事なんぞを考へて煩悶します。目の前の自然なんぞはどうでも好いのです。我々が死ぬるには、なんの後悔もなく、平気で死ぬるのです。そして跡にはなんにも残りません。簡単極まつてゐます。併し我々の苦痛は永遠です。さう云つて悪ければ、少くもその苦痛の理想は永遠です。いつの昔だか知らないが、サロモ第一世といふものが生きてゐて、それが死を思つてひどく煩悶しました。又いつの未来だか知らないが、サロモ第二世といふものが生れて来て、同じ事を思つて、ひどく煩悶するでせう。わたくしが初めて非常な愉快を感じて、或る少女に接吻しますね。そしてわたくしの顔に早くも永遠なる髑髏の微笑が舎る時、幾百万かののろい男が同じやうな愉快を感じて接吻をするでせう。どうです。わたくしの話は重複して参りましたかな。」 「ふん。」 「そこでこの下等な犬考へからどんな結論が出て来ますか。それは只一つです。なんでも理想でなくて、事実であるものは、自然の為めには屁の如しです。お分かりになりますか。自然はこちとらに用はないのです。我々の理想を取ります。我々がどうならうが、お構ひなしです。わたくしは苦痛を閲し尽して、かう感じます。いやはや。自然の奴め。丸で構つてはくりやがらない。それなのに何も己がやきもきせずともの事だ。笑はしやあがる。口笛でも吹く外はない。」  患者は病院ぢゆうに響き渡るやうな口笛を吹いた。学士はたしなめるやうに、しかも器械的に云つた。「それ見るが好い。お前の当り前でないことは。」 「当り前でないですつて。気違ひだといふのですか。それはまだ疑問ですね。へえ。まだ大いに疑問ですね。無論わたくしは少し激昂しました。大声を放つたり何かしました。併しそれに何も不思議はないぢやありませんか。不思議はそこではなくて、別にあります。不思議なのは、人間といふ奴が、始終死ぬ事を考へてゐて、それを気の遠くなるまでこはがつてゐて、死の恐怖の上に文化の全体を建設して置いて、その癖ひどく行儀よくしてゐて、真面目に物を言つて、体裁好く哀れがつて、時々はハンケチを出して涙を拭いて、それから黙つて、日常瑣末な事を遣つ附けて、秩序安寧を妨害せずにゐるといふ事実です。それが不思議です。わたくしの考へでは、こんな難有い境遇にゐて、行儀好くしてゐる奴が、気違ひでなければ、大馬鹿です。」  この時学士は自分が好い年をして、真面目な身分になつてゐて、折々突然激怒して、頭を壁にぶつ附けたり、枕に噛み附いたり、髪の毛をむしり取らうとしたりすることのあるのを思ひ出した。 「それがなんになるものか」と、学士は顔を蹙めて云つた。  患者は暫く黙つてゐて、かう云ひ出した。「無論です。併し誰だつて苦しければどなります。どなると、胸が透くのです。」 「さうかい。」 「さうです。」 「ふん。そんならどなるが好い。」 「自分で自分を恥ぢることはありません。評判の意志の自由といふ奴を利用して、大いに助けてくれをどなるのですね。さう遣つ附ければ、少くも羊と同じやうに大人しく屠所に引かれて行くよりは増しぢやあありませんか。少くも誰でもそんな時の用心に持つてゐる、おめでたい虚偽なんぞを出すよりは増しぢやあありませんか。一体不思議ですね。人間といふ奴は本来奴隷です。然るに自然は実際永遠です。事実に構はずに、理想を目中に置いてゐます。それを人間といふ奴が、あらゆる事実中の最も短命な奴の癖に、自分も事実よりは理想を尊ぶのだと信じようとしてゐるのですね。こゝに一人の男があつて、生涯誰にも優しい詞を掛けずに暮すですな。そいつが人類全体を大いに愛してゐるかも知れません。一体はその方が高尚でせう。真の意義に於いての道徳に愜つてゐるでせう。それに人間が皆絶大威力の自然といふ主人の前に媚び諂つて、軽薄笑ひをして、おとなしく羊のやうに屠所へ引いて行かれるのですね。ところが、その心のずつと奥の所に、誰でも哀れな、ちつぽけな、雀の鼻位な、それよりもつとちつぽけな希望を持つてゐるのですね。どいつもこいつも Lasciate ogni speranza といふ奴を知つてゐるのですからね。例の奉公人じみた希望がしやがんでゐるのですね。いかさま御最千万でございます。でも事に依りましたら、御都合でといふやうなわけですね。憐愍といふ詞は、知れ切つてゐるから口外しないのですが。」 「そこでどうだといふのだ」と、学士は悲しげに云つて、寒くなつたとでもいふ様子で、手をこすつた。 「そこでわたくしは自然といふ奴を、死よりももつとひどく憎むやうになつたのですね。夜昼なしにかう考へてゐたのです。いつか敵の討てないことはあるまい。討てるとも。糞。先生。聞いて下さい。その癖わたくしは地球以外の自然に対してはまだ頗る冷淡でゐるのです。そんなものは構ひません。例之へば、星がなんです。なんでもありやしません。星は星で存在してゐる。わたくしはわたくしで存在してゐる。距離が遠過ぎるですな。それとは違つて、地球の上の自然といふ奴は、理想が食ひたさに、こちとらを胡桃のやうに噛み砕きやあがるのです。理想込めにこちとらを食つてしまやあがるのです。そこでわたくしはいつも思ふのです。なぜそんなことが出来るだらう。何奴にしろ、勝手な風来ものが来てわたくしを責めさいなむ。そんな権利をどこから持て来るのです。わたくしばかりではない。幾百万の人間を責めさいなむ。最後になるまで責めさいなむ。なぜわたくしは最初の接吻の甘さを嘗めて打ち倒されてしまふのです。たつた一度ちよつぴりと接吻したばかりなのに、ひどいぢやあありませんか。その癖最初の接吻の甘さといふものは永遠です。永遠に新しく美しいのです。その外のものもその通りです。ひどいぢやあありませんか。むちやくちやだ。下等極まる。乱暴の絶頂だ。」  学士は驚いて患者の顔を見てゐる。そして丸で無意味に、「湊合は繰り返すかも知れない」とつぶやいた。 「わたくしなんざあ湊合なんといふものは屁とも思ひません。口笛を吹いて遣ります」と、患者は憤然としてどなつた。この叫声が余り大きかつたので、二人共暫く黙つてゐた。  患者は何か物思ひに沈んでゐるといふやうな調子で、小声で言ひ出した。「先生、どうでせう。今誰かがあなたに向つて、この我々の地球が死んでしまふといふことを証明してお聞かせ申したらどうでせう。あいつに食つ附いてゐるうざうもざうと一しよに、遠い未来の事ではない、たつた三百年先きで死んでしまふのですね。死に切つてしまふのですね。外道。勿論我々はそれまでゐて見るわけには行かない。併し兎に角それが気の毒でせうか。」  学士はまだ患者がなんと思つて饒舌つてゐるか分からないでゐるうちに患者は語り続けた。 「それは奴隷根性が骨身に沁みてゐて、馬鹿な家来が自分の利害と、自分を打つてくれる主人の利害とを別にして考へて見ることが出来ず、又自分といふものを感ずることが出来ないやうな地球上の住人は、気の毒にも思ふでせう。さう思ふのが尤もでもあるでせう。併し、先生、わたくしは嬉しいですな。」この詞を言ふ時の患者の態度は、喜びの余りによろけさうになつてゐるといふ風である。「むちやくちやに嬉しいですな。へん。くたばりやあがれ。さうなれば手前ももう永遠に己の苦痛を馬鹿にしてゐることは出来まい。忌々しい理想を慰みものにしてゐることは出来まい。厳重な意味で言へば、そんなことはなんでもありません。併し敵を討つのは愉快ですな。冷かしはおしまひです。お分かりですか。わたくしの物でない永遠といふ奴は。」 「無論だ。分かる」と、少し立つてから学士は云つた。そして一息に歌をうたひ出した。 「冢穴の入口にて 若き命を遊ばしめよ。 さて冷淡なる自然に 自ら永遠なる美を感ぜしめよ。」  患者は忽然立ち留まつて、黙つて、ぼんやりした目附をして、聞いてゐて、さて大声で笑ひ出した。「ひひひひひひ。」鶉の啼声のやうである。「そんなものがあるものですか。あるものですか。永遠なる美なんといふのは無意味です。お聞きなさい。先生。わたくしは土木が商売です。併し道楽に永い間天文を遣りました。生涯掛かつて準備をした為事をせずに、外の為事をするのが、当世流行です。そこで体が曲つて、頭が馬鹿になる程勉強してゐるうちに、偶然ふいと誤算を発見したですな。わたくしは太陽の斑点を研究しました。今までの奴が遣らない程綿密に研究しました。そのうちにふいと。」  この時日が向ひの家の背後に隠れて、室内が急に暗くなつた。そこにある品物がなんでも重くろしく、床板にへばり附いてゐるやうに見えた。患者の容貌が今までより巌畳に、粗暴に見えた。 「それ、御承知の理論があるでせう。太陽の斑点が殖えて行つて、四億年の後に太陽が消えてしまふといふのでせう。あの計算に誤算のあるのを発見したのですね。四億年だなんて。先生、あなたは四億年といふ年数を想像することが出来ますか。」 「出来ない」といつて、学士は立ち上がつた。 「わたくしにも出来ませんや」といつて、患者は笑つた。「誰だつてそんなものは想像することが出来やあしません。四億年といふのは永遠です。それよりは単に永遠といつた方が好いのです。その方が概括的で、はつきりするのです。四億年だといふ以上は、万物は永遠です。冷淡なる自然と、永遠なる美ですな。四億年なんて滑稽極まつてゐます。ところで、わたくしがそれが四億年でないといふことを発見したですな。」 「なぜ四億年でないといふのだ」と、学士は殆ど叫ぶやうに云つた。 「学者先生達が太陽の冷却して行く時間を計算したのですな。その式は単純なものです。ところで、金属にしろ、その他の物体にしろ、冷却に入る最初の刹那までしか、灼熱の状態を維持してはゐないですね。それは互に温め合ふからですね。そこであのてらてら光つてゐる、太陽のしやあつく面に暗い斑点が一つ出来るといふと、その時に均衡が破れる。斑点は一般に温度を維持しないで、却て寒冷を放散する。あの可哀い寒冷ですね。寒冷を放散して広がる。広がれば広がる程、寒冷を放散する。それが逆比例をなして行く。そこで八方から暗い斑点に囲まれてゐると云はうか、実は一個の偉大なる斑点に囲まれてゐる太陽の面が四分の一残つてゐるとお思ひなさい。さうなればもう一年、事に依つたら二年で消えてしまひますね。そこでわたくしは試験を始めたのです。化学上太陽と同じ質の合金を拵へました。先生。そこで何を見出したとお思ひですか。」 「そこで」と、学士は問うた。 「地球が冷えるですな。冷えた日には美どころの騒ぎぢやあありますまい。それはすぐではありません。無論すぐではありません。併し五六千年立つといふと。」 「どうなる」と、学士は叫んだ。 「たかが五六千年立つと、冷え切ります。」  学士は黙つてゐる。 「それが分かつたもんですから、わたくしはそれをみんなに話して、笑つたのですよ。」 「笑つたのだと」と、学士は問うた。 「えゝ。愉快がつたのです。」 「愉快がつたのだと。」 「非常に喜んだのです。一体。」 「ひひひ」と、学士が忽然笑ひ出した。  患者はなんとも判断し兼ねて、黙つてゐる。併し学士はもう患者なんぞは目中に置いてゐない。笑つて笑つて、息が絶え絶えになつてゐる。そこで腰を懸けて、唾を吐いて、鼻を鳴らした。鼻目金が落ちた。黒い服の裾が熱病病みの騒ぎ出した時のやうに閃いてゐる。顔はゴム人形の悪魔が死に掛かつたやうに、皺だらけになつてゐる。 「五千年でかい。ひひひ。こいつは好い。こいつは結構だ。ひひひ。」  患者は学士を見てゐたが、とうとう自分も笑ひ出した。初めは小声で、段々大声になつて笑つてゐる。  そんな風で二人は向き合つて、嬉しいやうな、意地の悪いやうな笑声を立てゝゐる。そこへ人が来て、二人に躁狂者に着せる着物を着せた。
底本:「鴎外選集 第十五巻」岩波書店    1980(昭和55)年1月22日第1刷発行 初出:「東亜之光 五ノ九」    1910(明治43)年9月1日 入力:tatsuki 校正:ちはる 2002年3月5日公開 2005年11月21日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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「釣なんというものはさぞ退屈なものだろうと、わたしは思うよ。」こう云ったのはお嬢さんである。大抵お嬢さんなんというものは、釣のことなんぞは余り知らない。このお嬢さんもその数には漏れないのである。 「退屈なら、わたししはしないわ。」こう云ったのは褐色を帯びた、ブロンドな髪を振り捌いて、鹿の足のような足で立っている小娘である。  小娘は釣をする人の持前の、大いなる、動かすべからざる真面目の態度を以て、屹然として立っている。そして魚を鉤から脱して、地に投げる。  魚は死ぬる。  湖水は日の光を浴びて、きらきらと輝いて、横わっている。柳の匀、日に蒸されて腐る水草の匀がする。ホテルからは、ナイフやフォオクや皿の音が聞える。投げられた魚は、地の上で短い、特色のある踊をおどる。未開人民の踊のような踊である。そして死ぬる。  小娘は釣っている。大いなる、動かすべからざる真面目の態度を以て釣っている。  直き傍に腰を掛けている貴夫人がこう云った。 「ジュ ヌ ペルメットレエ ジャメエ ク マ フィイユ サドンナアタ ユヌ オキュパシヨン シイ クリュエル」 “Je ne permettrais jamais, que ma fille s'adonnât à une occupation si cruelle.” 「宅の娘なんぞは、どんなことがあっても、あんな無慈悲なことをさせようとは思いません」と云ったのである。  小娘はまた魚を鉤から脱して、地に投げる。今度は貴夫人の傍へ投げる。  魚は死ぬる。  ぴんと跳ね上がって、ばたりと落ちて死ぬる。  単純な、平穏な死である。踊ることをも忘れて、ついと行ってしまうのである。 「おやまあ」と貴夫人が云った。  それでも褐色を帯びた、ブロンドな髪の、残酷な小娘の顔には深い美と未来の霊とがある。  慈悲深い貴夫人の顔は、それとは違って、風雨に晒された跡のように荒れていて、色が蒼い。  貴夫人はもう誰にも光と温とを授けることは出来ないだろう。  それで魚に同情を寄せるのである。  なんであの魚はまだ生を有していながら、死なねばならないのだろう。  それなのにぴんと跳ね上がって、ばたりと落ちて死ぬるのである。単純な、平穏な死である。  小娘はやはり釣っている。釣をする人の持前の、大いなる、動かすべからざる真面目の態度を以て釣っている。大きな目を睜って、褐色を帯びた、ブロンドの髪を振り捌いて、鹿の足のような足で立っているのがなんともいえないほど美しい。  事によったらこの小娘も、いつか魚に同情を寄せてこんな事を言うようになるだろう。 「宅の娘なんぞは、どんな事があっても、あんな無慈悲なことをさせようとは思いません」などと云うだろう。  しかしそんな優しい霊の動きは、壊された、あらゆる夢、殺された、あらゆる望の墓の上に咲く花である。  それだから、好い子、お前は釣をしておいで。  お前は無意識に美しい権利を自覚しているのであるから。  魚を殺せ。そして釣れ。 (明治四十三年一月)
底本:「於母影 冬の王 森鴎外全集12」ちくま文庫、筑摩書房    1996(平成8)年3月21日第1刷発行 入力:門田裕志 校正:米田 2010年8月5日作成 2011年4月23日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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目次 序1 Ⅰ 宇宙の生成に関する自然民の伝説9 最低度の自然民には宇宙成立に関する伝説がない/原始物質は通例宇宙創造者より前からあると考えられた/多くの場合に水が原始物質と考えられた/インドの創造神話/渾沌/卵の神話/フィンランドの創造伝説/洪水伝説/創造期と破壊期/アメリカの創造伝説/オーストラリアの創造神話/科学の先駆者としての神話/伝説中の外国的分子 Ⅱ 古代文化的国民の宇宙創造に関する諸伝説27 カルデア人の創造伝説/その暦と占星術/ユダヤ人の創造説話、天と地に対する彼らの考え/エジプト人の観念/ヘシオドによるギリシア人の開闢論と、オヴィドのメタモルフォセスによるローマ人の開闢論 Ⅲ 最も美しきまた最も深き考察より成れる天地創造の諸伝説59 アメンホテプ王第四世/太陽礼拝/ツァラトゥストラの考え方/ペルシア宗派のいろいろな見方/宇宙進化の周期に関するインド人の考え/「虚無」からの創造/スカンジナビアの創造に関する詩 Ⅳ 最古の天文観測78 時間算定の実用価値/時の計測器としての太陰/時間計測の目的に他の天体使用/長い時間の諸周期/カルデア人の観測と測定/エジプト暦/エジプト天文学者の地位/ピラミッドの計量/支那人の宇宙観/道教/列子の見方/孔子の教え Ⅴ ギリシアの哲学者と中世におけるその後継者97 泰西の科学は特権僧侶階級の私有物/ギリシアの自然哲学者たち/タレース、アナキシメネス、アナキシマンドロス、ピタゴラス派/ヘラクリトス、エムペドクレス、アナキサゴラス、デモクリトス/自然科学に対するアテン人の嫌忌/プラトン、アリストテレス、ヒケタス、アルキメデス/アレキサンドリア学派/ユードキソス、エラトステネス、アリスタルコス、ヒッパルコス、ポセイドニオス/プトレマイオス/ローマ人/ルクレチウス/アラビア人の科学上の位置/科学に対する東洋人の冷淡/アルハーゼンの言明 Ⅵ 新時代の曙光。生物を宿す世界の多様性…118 ラバヌス・マウルス/ロージャー・ベーコン/ニコラウス・クサヌス/レオナルド・ダ・ヴィンチ/コペルニクス/ジョルダノ・ブルノ/ティコ・ブラーヘ/占星術/ケプラー/ガリレオ/天文学に望遠鏡の導入/教会の迫害/デカルトの宇宙開闢論/渦動説/遊星の形成/地球の進化に関するライブニッツとステノ/デカルト及びニュートンに対するスウェデンボルグの地位/銀河の問題/他の世界の可住性に関する諸説/ピタゴラス、ブルノ/スウェデンボルグとカントの空想 Ⅶ ニュートンからラプラスまで。太陽系の力学とその創造に関する学説158 ニュートンの重力の法則/彗星の行動/天体運動の起源に関するニュートンの意見に対しライブニッツの抗議/ビュッフォンの衝突説/冷却に関する彼の実験/ラプラスの批評/カントの宇宙開闢論/その弱点/土星環形成に関するカントの説/「地球環」の空想/銀河の問題についてカント及びライト/太陽の最期に関するカントの説/カントとラプラスとの宇宙開闢論の差異/ノルデンスキェルドとロッキャー並びにG・H・ダーウィンの微塵説/ラプラスの宇宙系/それに関する批評/星雲に関するハーシェルの研究/太陽系の安定度についてラプラス及びラグランジュ Ⅷ 天文学上におけるその後の重要なる諸発見。恒星の世界185 恒星の固有運動/ハレー、ブラドリー、ハーシェルの研究/カプタインの仕事/恒星の視差/ベッセル/分光器による恒星速度の測定/太陽と他の太陽または恒星星雲との衝突/星団及び星雲の銀河に対する関係/天体の成分と我々の太陽の成分との合致/マクスウェルの説/輻射圧の意義/隕石/彗星/スキアパレリの仕事/ステファン及びウィーンの輻射の法則/雰囲気の意義/地球並びに太陽系中諸体の比重/光の速度/小遊星/二重星/シーの仕事/恒星の大きさ/恒星の流れ/恒星光度に関するカプタインの推算/二重星の離心的軌道/その説明/恒星の温度/太陽系における潮汐の作用/G・H・ダーウィンの研究/遊星の回転方向/ピッケリングの説/天体に関する我々の観念の正しさの蓋然性 Ⅸ 宇宙開闢説におけるエネルギー観念の導入225 太陽並びに恒星の輻射の原因に関する古代の諸説/マイヤー及びヘルムホルツの考え/リッターの研究/ガス状天体の温度/雰囲気の高さ/太陽の温度/エネルギー源としての太陽の収縮/天体がその雰囲気中のガスを保留し得る能力/ストーネー及びブライアンの仕事/天体間の衝突の結果に関するリッターの説/銀河の問題/星雲/恒星の進化期/太陽の消燼とその輻射の復活に関するカントの考え/デュ・プレルの叙述 Ⅹ 開闢論における無限の観念252 空間は無限で時は永久である/空間の無限性に関してリーマン及びヘルムホルツ/恒星の数は無限か/暗黒な天体や星雲が天空一面に輝くことを阻止する/物質の不滅/スピノザ及びスペンサーの説/ランドルトの実験/エネルギーの不滅/器械的熱学理論/この説の創設者等の説は哲学的基礎の上に立つものである/「熱的死」に関するクラウジウスの考え/死んだ太陽の覚醒に関するカント及びクロルの説/ハーバート・スペンサーの説/化学作用の意義、太陽内部の放射性物質と爆発性物質/天体内のヘリウム/地球の年齢/クラウジウスの説における誤謬/クラウジウスの学説に代わるもの/時間概念の進化/地球上に生命の成立/原始生成か、外からの移住か/難点/この問題に対する哲学者の態度/キューヴィエーの大変動説/これに関するフレッヒの意見/生物雑種の生成に関するロェブの研究/生命の消失に及ぼす温度の影響に関する新研究/原始生成説と萌芽汎在説との融和の可能性/無限の概念に関する哲学上並びに科学上の原理の比較/観念の自然淘汰 訳者付記297 人名索引 序  先年私がスウェーデンの読者界のために著した一書『宇宙の成立』“Das Werden der Welten”(Världarnas Utveckling)が非常な好意をもって迎えられたのは誠に感謝に堪えない次第である。その結果として私は旧知あるいは未知の人々からいろいろな質問を受けることになった。これらの質問の多くは、現今に比べると昔は一般に甚だ多様であったところのいろいろの宇宙観の当否に関するものであった。これに答えるには、有史以前から既にとうにすべての思索者たちの興味を惹いていた宇宙進化の諸問題に関するいろいろな考え方の歴史的集成をすれば好都合なわけである。  ところが今度ある別な事情のために、ニュートンの出現以前に行われた宇宙開闢論的観念の歴史的発達を調べるような機縁に立至ったので、このついでにこの方面における私の知識を充実させれば、それによって古来各時代における宇宙関係諸問題に対する見解についての一つのまとまった概念を得ることが可能となった。この仕事は私にとっては多大な興味のあるものであったので、押し付けがましいようではあるが、恐らく一般読者においても、この方面に関する吾人の観照が、野蛮な自然民の当初の幼稚なまとまらない考え方から出発して現代の大規模な思想の殿堂に到達するまでに経由してきた道程について、多少の概念を得ることは望ましいであろうと信じるようになった。ヘッケル(Häckel)が言っているように『ただそれの成り立ち(Werden)によってのみ、成ったもの(das Gewordene)が認識される。現象の真の理解を授けるものはただそれの発達の歴史だけである。』  この言葉には多少の誇張はある――たとえば現代の化学を理解するために昔の錬金術者のあらゆる空想を学び知ることは必要としない――しかしともかくも、過去における思考様式を知るということは、我々自身の時代の観照の仕方を見る上に多大の光明を与えるという効果があるのである。  最も興味のあるのは我々現在の観念の萌芽が最古の最不完全な概念形式の中に既に認められることである。これらの観念がその環境の影響を受けながら変遷してきた宿命的経路を追跡してみるとこれらがいかにいろいろの異説と闘ってきたかが分り、また一時はその生長を阻害されることがあっても、やがてまた勢いよく延び立って、その競争者等を日陰に隠し、結局ただ自己独りが生活能力をもつものだという表章を示してきたことを知るであろう。このような歴史的比較研究によって我々の現代の見解の如何に健全であるか、いかに信頼するに足るかということを一層痛切に感得することができるであろう。  この研究からまた現代における発達が未曾有の速度で進行しているということを認めて深き満足を味わうことができるであろう。まず約一〇万年の間人類は一種の精神的冬眠の状態にあったのでいかなる点でも現在の最未開な自然民俗に比べて相隔ることいくばくもない有様であった。いわゆる文化民俗の発達史が跨がっている一万年足らずの間における進歩はもちろん有史以前のそれに比べてははるかに著しいものにちがいない。中世においては、この時代の目標となるくらいに、文化関係の各方面における退歩がありはしたが、それにかかわらず過去一〇〇〇年の間における所得はその以前の有史時代全部を通じての所得に比べてはるかに顕著なものであると断言しても差支えはないであろう。最後にまた、今から一〇〇年以前におけるラプラス並びにウィリアム・ハーシェルの宇宙進化に関する卓抜な研究はしばらくおいて、ともかくも最近一〇〇年間のこの方面における収穫はその前の九〇〇年間のそれに比べて多大なものであるということは恐らく一般の承認するところであろうと思われる。単に器械的熱学理論がこの問題に応用されただけでも、それ以前一切の研究によって得られたと同じくらいの光明を得たと言ってもいいのであるが、その上に分光器の助けによって展開された広大な知識の領土に考え及び、またその後熱輻射や輻射圧や、豊富なるエネルギーの貯蔵庫たる放射性物質やこれらに関する諸法則の知識の導入などを考慮してみれば、天秤は当然最後の一世紀の勝利の方に傾くのである。もっともこのような比較をするには我々は余りに時代が近すぎる。そのために一〇〇年以前の世紀との比較に正鵠を失する恐れがないとは言われないが、しかしともかくも自然界に関する吾人の知識が今日におけるほど急激な進歩をしたことは未だかつてなかったということについてはいかなる科学者にも異議はあるまいと信ずるのである。  自然科学的認識(特に宇宙の問題の解釈におけるそれの有効な応用)の進歩がこれほどまで異常な急速度を示すに至るというのはいかにして可能であろうか。これに対する答はおよそ次のように言われるであろう。文化の最初の未明時代における人間は、もともと家族から発達したいわゆる種族の小さな範囲内に生活していた。それで一つ一つの種族が自分だけでこの広大な外界から獲得することのできた経験の総和は到底範囲の大きいものにはなり得なかった。そうして種族中で一番知恵のある人間がいわゆる「医術者」(Medizinmann)となってこの経験を利用し、それよって同族の人間を引回していた。彼のこの優越観の基礎となる知識の宝庫を一瞥することを許されるのはただ彼の最近親の親戚朋友だけであった。この宝庫が代々に持ち伝えられる間に次第に拡張されるにしてもそれはただ非常に緩徐にしか行われなかった。種族が合同して国家を形成する方が有利だということが分ってきた時代には事情はよほど改善されてきた。すなわち、知識の所有者等は団結して比較的大きな一つの僧侶階級を形成した。そうして彼らは実際本式の学校のようなものを設けて彼らの仲間入りをするものを教育し、古来の知恵を伝授したものらしい。そのうちにも文化は進んで経験の結果を文字で記録することができるようになってきた。しかしその文字の記録を作るのはなかなかの骨折りであったので、そういうものは僅少な数だけしかなく、寺院中に大事に秘蔵されていた。このようにして僧侶の知恵の宝物は割合に速やかに増加していったが、その中から一般民衆の間に漏れ広がったのは実に言うにも足りないわずかな小部分にすぎなかった。のみならず民衆の眼には博識ということは一種超自然的なもののようにしか見えないのであった。しかしそのうちにも偉大な進歩は遂げられた。そうした中でも最も先頭に進んでいたのは多分エジプトの僧侶たちであったらしく、彼らがギリシアの万有学者たちに自分たちの知識の大部分を教えたというのは疑いもないことである。そうして一時素晴らしい盛花期が出現した。その後に次いで来た深甚な沈退時代を見るにつけてもなおさら我々はこの隆盛期に対して完全な賛美を捧げないわけにはゆかないのである。この時代にはもはや文字記録は寺院僧侶という有権階級のみに限られた私有財産ではなくなって普通の人民階級中にも広がっていた。ただしそれは最富有な階級の間だけに限られてはいたのである。ローマとギリシアの国家の隆盛期には奴隷の数が人民の大多数を占めていたのであるが、彼らの中の少数な学識ある奴僕たとえば写字生のようなもの以外のものは精神文化の進歩を享受することを許されていなかった。特にまた、手工、従って実験的な仕事などをするのは自由人の体面に関わることであってただ奴隷にのみふさわしいものであるというような考えがあったことが不利な影響を生じたのであった。その後にまた自然探究の嫌いなアテンの哲学学派のために自然研究は多大の損害を被ることとなった。その上に彼らの教理はキリスト教寺院の管理者の手に渡って、そうしてほとんど現代までもその文化の進歩を阻害するような影響を及ぼしてきたのである。この悲しむべき没落期は新時代のはじめに人間の本性が再びその眠りから覚めるまで続いた。この時に至って印刷術というものが学問の婢僕として働くようになり、また実験的の仕事を軽侮するような有識者の考え方も跡を絶つようになった。しかし初めのうちはやはり昔からの先入的な意見の抵抗があり、またいろいろな研究者間に協力ということが欠けていたためにあまりはかばかしくはゆかなかった。その後この障害が消失し、同時にまた科学のために尽くす研究者の数も、彼らの利器の数も矢つぎ早に増加した。最近における大規模の進歩はかくして行われたのである。  我々は今『最上の世界』に住んでいるという人が折々ある。これについては余り確かな根拠からは何事も言い兼ねるのであるが、しかし我々は――少なくも科学者たちは――最上の時代に生活していると主張しても大丈夫である。それで我々は次のようなことを歌ったかの偉大なる自然と人間の精通者ゲーテとともに、未来は更に一層より善くなるばかりであろうという堅い希望を抱いても差支えはないであろう。 げに大なる歓びなれや、 世々の精神に我を移し置きて、 昔の賢人の考察の跡を尋ねみて、 かくもうるわしくついに至りし道の果て見れば。   ストックホルムにて   一九〇七年八月         ―――――――――――――――――――――――――――  ここで一言付加えておきたいことは、この改訂版で若干の補遺と修正を加えたことである。これはその後にこの方面に関して現われた文献と並びに個人的の示教によったものである。それらの示教に対してはここで特に深謝の意を表しておきたいと思う、また教養ある読者界がこの書中に取り扱われた諸種の問題に対して示された多大の興味は今度もなお減ずることなく持続することを敢て希望する次第である。また断っておきたいことは、死者並びに神々の住みかに関する諸問題である。これら問題に対する解答を与えるということが、ずっと古代の開闢論的宇宙像の形成には何らかの貢献をしたであろうし、従ってまたここでも問題とすべきではないかと考えさせるだけの理由もないではないが、しかしこの書では少しもこれらの点に立入らないことにした。これについては読者の多数からは了解してもらわれるであろうと信じる。これらの問題の考察は実際全然この書の目的とする科学的考究の圏外に属するものなのである。   ストックホルムにて  一九一〇年一〇月 Ⅰ 宇宙の生成に関する自然民の伝説  発達の最低段階にある民族はただその日その日に生きてゆくだけのものである。明日何事が起ろうが、また昨日何事が起ったにしたところが、それが何か特別なその日その日の暮らしむきに直接関係しない限り、彼らにとってそれは何らの興味もないことである。宇宙というものについて、あるいはその不断の進展について、何らかの考察をしてみるというようなこともなければまたこの地球の過去の状態がおよそいかなるものであったかということについて何らかの概念をもつということすら思いも寄らないのである。今でも互いに遠く隔った地球上のところどころに、このような低い程度の民族が現存している。たとえばブリントン博士(Du. Brinton)は、北米の氷海海岸に住むエスキモーが、世界の起源ということについて未だかつて考え及んだことすらなかったということを伝えている。同様にアルゼンチンのサンタ・フェー(Santa Fé)にいる、昔は戦争好きで今は平和なインディアンの一族アビポン人(Abiponer)や、また南アフリカのブッシュメン族(Buschmänner)もかつて宇宙開闢の問題に思い及んだことはないようである。  しかし、生活に必需なものを得るための闘争がそれほどにひどくない地方では、既に遠い昔から、地球の起源について、少し後れてはまた、天の起源――換言すればこの地球以外にある物象の起源――に関する疑問に逢着する。こういう場合には、たいてい、世界の起源について何かしら人間的な形を備えた考え方をしているのが通例である。すなわち、世界は何かの人間的な『者』によって製造されたと考えられているのである。この『者』は何かしらある材料を持合わしていて、それでこの世界を造り上げたというのである。世界が虚無から創造されるというような観念は一般には原始的な概念中にはなかったものらしく、これにはもっと高級な抽象能力が必要であったものと見える(注)。こういう考えの元祖はインドの哲学者たちであったらしく、それがブラーマ(すなわち、精霊)の伝説中に再現しているのを発見する。ブラーマは彼の観念の力によって原始の水を創造したというのである。同じ考えはまたペルシア、イスマエルの伝説にも現われ、ここでは世界は六つの時期に区切られて出発したことになっている。物質が何らかの非物質的なものから、ある意志の作用、ある命令、またはある観念によって生成し得るものであるという考えは、上記の伝説におけるものと同様に、『超自然的』あるいは『非自然的』と名づけてもしかるべきものである。これは物質の総量が不変であるという現代科学の立場と撞着するのみならず、また野蛮民等がその身辺から収集した原始的の経験とさえも融和しないものである。また実際多くの場合に、物質の永遠性という観念の方が、物質から世界を形成した人間的の創造者すなわち神が無窮の存在であるという考えよりも、もっと深いところに根源をもっているらしく見える。従ってその宇宙創造者は原始物質から生成したものと考えられているのが常例である。もちろんこのような宇宙始源に関する観念を形成しようとする最初の試みにおいて、余り筋道の立った高級なものを期待するわけにはゆかないのであるが、しかしかえってこれらの最も古い考え方の中に進化論(すなわち、本来行われ来った既知の諸自然力の影響の下に宇宙の諸過程が自然的に進展するという学説)の胚子のようなものが認められること、またこの進化論と反対に超自然的の力の作用を仮定するような、従って自然科学的考察の対象とはなり得ないような形而上学的宇宙創造論の胚子と言ったようなものが認められないということは観過し難い点である。 (注) オーストラリアの海岸に住む非常に文化の低い程度にある民俗ブーヌーロン(Bu-nu-rong)の言うところでは、鷲の形をして現われた神ブンジェル(Bun-jel)が世界を作ったことになっている。何者から作ったか、それは分らない。  かの偉大な哲学者ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer)は進化という概念について次のように言っている。すなわち『進化とは非均等から均等へ、不定から決定へ、無秩序から秩序への変化である』というのである。もっともこの意見は全く正当ではない――特に分子の運動に関係しては――が、それでもこれは宇宙の進化に関するこの最初の概念に全然該当するものである。この概念はなおまたラプラスの仮説の一般に行われたために現代までも通用してきたものである。形態もなく、秩序もなく、全く均等な原始要素としては普通に水が考えられていた。最古からの経験によって洪水の際には泥土の層が沈澱することが知られており、この物はいろいろな築造の用途に都合の良い性質によって特別の注意を引かれていたものである。タレース(Thales)は、また実に(西暦紀元前約五五〇年)万物は水より成ると言っているのである。煮沸器内の水を煮詰めてしまうと、あとには水中に溶けていた塩類と、浮遊していた固体の微粒子から成る土壌様の皮殻を残すということの経験は恐らく既に早くからあったのであろう。  この考えを裏書するものとして引用してもよいかと思われるものは、後に述べるようなエジプト、カルデア、フィンランドの創造神話の外に、万物の起源に関するインドの物語の一つである。すなわち、それはリグヴェーダ(Rig-Veda)の第一〇巻目の中にある見事な一二九番の賛美歌で、訳してみるとこうである。 一つの「有」もなく一つの「非有」もなかった、 空気で満たされた空間も、それを覆う天もなかった。 何物が動いていたか、そして何処に。動いていたのは誰であったか。 底なしの奈落を満たしていたのは水であったか。 死もなく、また永遠の生というものもなかった。 昼と夜との分ちも未だなかった。 ある一つの名のない「物」が深い溜息をしていた、 その外にはこの宇宙の渾沌の中に何物もなかった。 そこには暗闇があった、そして暗闇に包まれて、 形なき水が、広い世界があった、 真空の中に介在する虚無の世界があった。 それでもその中の奥底には生命の微光の耀いはあった。 動いていた最初のものは欲求であった、 それが生命の霊の最初の象徴であった、 霊魂の奥底を探り求めた賢人等、 彼らは「非有」と「有」との相関していることを知った。 とは言え、時の始めの物語を知る人があろうか。 この世界がいかにして創造されたかを誰が知っていよう。 その当時には一人の神もなかったのに。 何人も見なかったことを果して誰が語り伝えようか。 原始の夜の時代における世界の始まりはいかなるものであったか。 そもそもこれは創造されたものか、創造されたのではなかったのか。 誰か知っているものがあるか、ありとすれば、それは万有を見守る  「彼」であるか、 天の高きに坐す――否恐らく「彼」ですら知らないであろう。  この深きに徹した詩的の記述は本来原始民の口碑という部類に属すべきものではなく、むしろ甚だ高い発達の階級に相当するものである。しかしこの中に万物の始源として原始の水を持出したところは、疑いもなくインド民族の最古の自然観に根ざしていると思われる。  種々な開闢の物語の多数の中に繰返して現われる(中にも、カルデア及びこれと関連しているヘブライまたギリシアのそれにおいても)観念として注目すべきものは、一体ただ光明の欠如を意味するにすぎないと思われる暗黒あるいは夜をある実在的なものだとする観念である。「有」と「非有」とは一体正反対なものであるのを連関したもののように見なしている。ここでこのような考えの根底となっているのは疑いもなく、全然均等な渾沌の中にはいかなる物にもその周囲のものとの境界がなく、従って何物も存在しないという観念であろう。  通例無秩序の状態を名づけるのにギリシア語のカオス(Chaos)を用いるが、これは元来物質の至る所均等な分布を意味する。カントの宇宙開闢論もやはり、宇宙はその始め質点の完全に均等な渾沌的分布であったということから出発している。この原始状態はまたしばしば、たとえば日本の神話におけるごとく、原始エーテルという言語で言い表わされる。その神話にはこうある。『天と地とが未だ互いに分れていなかった昔にはただ原始エーテルがあったのみで、それはあたかも卵子のような混合物であった。清澄なものは軽いために浮び上がって天となった。重いもの濁ったものは水中に沈んでしかして地となった。』またもう一つの日本の伝説でタイラー(Tylor)の伝えているものによると、大地は始めには泥のように、また水に浮ぶ油のように粘流動性であった。『そのうちにこの物質の中からアシと名づけるイチハツあるいは葦のようなものが生長し、その中から地を作る神が現われ出た』というのである。  自然の生物界においては、一見生命のないような種子あるいは卵から有機生物が出てくる。この事実の観察からして、しばしば宇宙の起源には卵子がある重要な役目を務めたという観念が生じた。これは上述の日本の物語にもまたインド、支那、ポリネシア、フィンランド、エジプト、及びフェニシア伝説においてもそうである。  宇宙の生成に一つまたは数個の卵が主役を務めたということで始まるいろいろな創造伝説の中で最もよく知られており、また最もよく仕上げのかかっているのはフィンランドのそれである。それはロシアのアルハンゲルスク州に住む比較的未開なフィンランド種族の物語によって記録されている。この伝説によると『自然の貞淑な娘』であるところのイルマタール(Ilmatar)が蒼い空間の中に浮び漂うていた。そして折々気をかえるために海の波の上に下り立った、というのである。これで見ると海は始めから存在していたので、その上には広い空間があり、のみならずイルマタールがあり、彼女は自然の中から生れたものである。これはいろいろな野蛮民族に通有な考え方に該当しているのである。  そこでイルマタールは嵐に煽られて七〇〇年の間波の上を浮び歩いている。そこへ一羽の野鴨が波の上を飛んできてどこかへ巣を作ろうとして場所を捜す。イルマタールが水中から臑を出すと鴨がその上に金の卵を六つ生み、七番目には鉄の卵を生む。それから鴨は二日間それを抱いてあたためた後、イルマタールが動いたために卵は落ちて深海の底に陥る。 しかし卵は海の 水で砕けなかった、 それは、これから天が 地が生れて出た。 卵の下の部分から 母なる低い地が生じ しかし卵の上の方から 高い天の堅めができた。 しかして残りの黄味は 日中を照らす太陽となり そして残った白味は 夜の冴えた月となった。 しかし卵の中でいろいろなものは 天の多くの星になった。 そうして卵で黒い部分は 風に吹かれる雪になった。  そこでイルマタールは海から上がり、そうして岬や島々や山々小山を作り出した。それから、賢い歌手で風の息子であるところのウェイネモェイネン(Wäinämöinen)を生んだ。ウェイネモェイネンは月と太陽の光輝を歓喜したが、しかし地上に植物の一つもないのはどうも本当でないと思った、そこで農業の神ペルレルヴォイネン(Pellervoinen)を呼び寄せ野に種を播かせた。野は生き生きした緑で覆われ、その中から樹々も生い出た。ただ樫樹だけは出なかった。これはその後に植えられたのである。しかるにこの樫は余りに大きく生長しすぎて太陽や月の光を遮り暗くするので伐り倒さなければならなかったというのである。  ここで見るようにこれらの話の運びの中で神々や人間、動物や植物が現われてくるが、これらがどこからどうして出てきたかについては何ら立入った説明の必要も考えられていない。この特徴はすべての創造伝説に典型的なものではあるが、このフィンランドの伝説ほどにこれが顕著に現われているのは珍しい。多分この伝説はその部分がそれぞれ違った人々によってでき上ったものらしく思われる。しかしこれらを批評的に取扱って一つのまとまった宇宙生成の伝説に仕立て上げようとしたものはなかった。言い換えればこれは畢竟伝説の形となって現われた自然児の詩にすぎないのであって理知に富む思索家の宇宙を系統化せんとする考えではないのである。  ヒルシュ(E. G. Hirsch)が言っている通り、『原始的の宇宙開闢論はいずれも民族的空想の偶発的産物であって、したがって非系統的である。それらは通例ただ神統学(Theogony)の一章、すなわち、神々の系図の物語であるにすぎない。』  諸方の民族の伝説中で大洪水の伝説が顕著な役目をつとめている。これには科学者の側からも多大の注意を向けられている。最もよく知られているのは聖書に記された大洪水で、この際に大地はことごとく水中に没し、最高の山頂でさえ一五エルレンの水底にあったことになっている。一八七〇年代のころにこれと全く同様な内容を楔形文字で記した物語が発見され、その中に英雄シト・ナピスティム(Sit-napistim)(すなわち、バビロン人のいわゆるクシスストロス Xisusthros)の名が出ていることが分って以来、このユダヤの伝説の源はアッシリアのものであると考えらるるに至った。ヘブライの本文に『大洪水を海より襲い来らしむべし』とあるところから、有名な地質学者ジュース(Suess 一八八三年)は、この大洪水が火山爆発に起因する津波によって惹起されたもので、この津波がペルシア湾からメソポタミアの低地の上を侵入していったものであろうと考えた。  リイム(I. Riem)は種々な民族の大洪水に関する伝説で各々独立に創作されたらしく思われるものを六八ほど収集した。この中でわずかに四つだけがヨーロッパの国民のものである。すなわち、ギリシアのデゥカリオンとピュルラ(Deukalion, Pyrrha)の伝説、エッダ(Edda)中の物語、リタウェン人(Littauer)の伝説及び北東ロシアに住むウォグーレン人(Wogulen)の伝説である。アフリカのが五、アジアのが一三、オーストラリア及びポリネシアが九、南北アメリカのが三七である。ニグロやカフィール族(Kaffer)の黒人やアラビア人はこの種の伝説を知らないのである。この大氾濫の原因について各種民族の伝うるところは甚だまちまちである。氷雪の融解によるとするもの(スカンジナビア人)、雨によるとするもの(アッシリア人)、降雪(山地インド人 Montagnais-Indianer)、支柱の折れたために天の墜落(支那)、水神の復仇(ソサイティー諸島 Gesellschaftsinseln)によるもの等いろいろある。中には洪水が幾度も繰返されたことになっているのもある。  たとえばプラトン(Plato)はティマイオス(Timäos)の中で、あるエジプトの僧侶が、天の洪水は一定の周期で再帰するものだと彼に話したと記している。  通例天地創造の行為は単に物質の整頓であると考えられ、大多数の場合にはそれが地と原始水あるいは大洋との分離であったと考えられている(太平洋諸島中の若干の民族は地が大洋から漁獲されたと考えている)。それでその前の渾沌状態は氾濫すなわち、いわゆる『大洪水』によって生じたものであろうと考えられ、それがまた後に繰返されたものと考えられるのは、極めてありそうなことである。たとえばアリアン人種に属しないサンタレン人(Santalen)などがこれに類した考え方をしていたもののようである。  この考えはまた、近代の若干の学者によって唱えられたごとく、現在生物の生息する地球の部分は、いつかは一度荒廃して住まわれなくなってしまい、また後に再び生物の住みかとなるであろうという意見とも一致する。野蛮人の間では、この荒廃をきすものは水か火かあるいは風(しばしばまた神々の怒り)である。そうして後にまたこの土地が新たに発育し生命の住みかとなる。こういう輪廻は幾度も繰返されたと考えるのである。この考え方は、輓近の宇宙観は別として、なかなか広く拡がっているものであって、その最も顕著に表明されているものはインドの伝説中にも(プラナ Purana の諸書中に)、また後に再説すべき仏教哲学の中にも見出される。  宇宙の再生に関する教理は普通にまた一般に広く行われている霊魂の移転に関する教理と結び付けられているのが常であるが、ここではこの方の関係について立入る必要はあるまい。  アメリカの宇宙開闢神話は、恐らく旧世界とは没交渉にできたものと思われるのである格別の興味がある。ところがこれがまた旧世界の伝説と著しい肖似を示している。ただアメリカの伝説では動物の類が主要な役割をつとめている。大多数の狩猟民族と同様にアメリカ・インディアンもまた動物も自分らの同輩のように考えているのである。一体世界の製作者というのは、きまって土か泥を手近に備えていたもののようである。通例地は水から分れ出たことになっている。最も簡単な考え方によると、大洋の中の一つの小島がだんだんに大きくなってそれが世界になったということになっている。英領コロンビアのタクル人(Takullier)の観念は独特なものであって、すなわち、始めには水と一匹の麝香鼠の外には何もなかった。この麝香鼠が海底で食餌を求めていた。その間にこの鼠の口中に泥がたまったのを吐き出したのがだんだんに一つの島となり、それが生長してついに陸地となったというのである。もっと独特な神話はイロケース人(Irokesen)によって物語られている。すなわち、一人の女神が天国から投げ出されたのが海中に浮遊している亀の上に落ちてきた。そしてその亀が生長して陸地になったというのである。この亀は明らかに前述の神話における小さな大洋島に相当するものであり、女神の墜落はその島の生長を促す衝動になっているのである。ティンネーインド人(Tinneh-Indianer)の信ずるところでは一匹の犬があって、それはまた美しい若者の姿にもなることができた。その犬の身体が巨人のために引き裂かれて、それが今日世界にある種々の物象に化生したというのである。このごとく、世界が一人の人間あるいは動物の肢体から創造されたとする諸神話は最も多様な野蛮人のこの世界の起源に関する伝説中に見出されるのである。時には宇宙創造者は、たとえばウィンネバゴインド人(Winnebago-Indianer)の『キッチ、マニトゥ(Kitschi Manitou)』(偉大なる精霊)のように、自分の肢体の一部と一塊の土壌とから最初の人間を造り上げた。この神話はエヴァの創造に関するユダヤ人の伝説を思い出させるものであるが、とにかく明白に初めからこの土地が存在していたものと仮定されている。この点はナヴァヨインド人(Navajo-Indianer)、ディッガーインド人(Digger, Gräber-Indianer)またはグァテマラの原始住民の宇宙始源に関する物語においても同様である。  オーストラリアの原始住民は甚だ低級な文化の段階に立っている。一般には彼らは世界の始まりについて何らの考えをも構成しなかったように見える。彼らにとっては、大多数の未開民族の場合と同様に、天というものは、平坦な円板状の地を覆う固定的の穹窿である。ウォチョバルーク族(Wotjobaluk)の信ずるところでは、天は以前は地に密着して押しつけられていたので太陽はこの二つの間を運行することができなかったが、一羽の鵲が一本の長い棒によって天を空高く押し上げたのでようやく太陽が自由に運行するようになったのである。この甚だ幼稚な神話はこれに類似した古代エジプト人の神話のあるものを切実に想起させるのである(これについては更に後に述べる)。  上記の諸例から知らるるように、宇宙構成の原始的観念は宗教的の観念と密接に結合されている。野蛮人は、何でも動くもの、また何かの作用を及ぼす一切のものは、ある意志を賦与された精霊によって魂を持たされていると見なす。こういう見方を名づけてアニミスムス(Animismus 万物霊動観)という。『もしも一つの河流が一人の人間と同じように生命をもっているならば、自分一個の意志次第で、あるいは潅漑によって祝福をもたらすことも、また大洪水によって災害を生ずることもできるはずである。そうだとなれば、河がその水によって福を生ずるように彼を勧め、また災害の甚だしい洪水を控えてくれるように彼をなだめることが必要になってくる。』  野蛮な自然民はこの有力な精霊を魔法によって動かそうと試みる。その法術にかけては玄人であるところの医者または僧侶が他の人間には手の届かない知恵をもっているのである。現在我々が自然現象の研究によって得んとするもの、すなわち、自然力の利用ということを野蛮人は魔術によって獲んとするのである。それである点から見れば魔術は自然科学の先駆者であり、また魔術使用の基礎となる神話や伝説は種々の点で今日の自然科学上の理論に相当するものである。そこでアンドリウ・ラング(Andrew Lang)に言わせると、『諸神話は一方では原始的な宗教的観念に基づくと同時にまた他方では当て推量によって得られた原始的の科学に基づいたものである。』これらの推量なるものも多数の場合には、しょせん日常の観察に基づいたものであろうということは考えやすいことである、また実際いかなる観察に基因したかを推定することも困難でない場合がしばしばある。もっとも中には幾分偶然のおかげであった場合も多いであろう。  これらの神話は口碑によって草昧の時代から文化の進んだ時代まで保存されてきた。その間に次第に人間の教養は高くなってきても祖先伝来のこれらの考え方に対する畏敬の念は、これらの神話を改作したり、また進歩した観察と相容れないと思わるる部分を除去する障害となりがちであった。このことは次章に再説するヘシオド(Hesiod)及びオヴィド(Ovid)の記した宇宙開闢の叙述において特に明瞭に現われているのである。  時にはまたもう一つ他の影響があった。すなわち、野蛮人の伝説は通例高い教養のある、しかも特にそれに興味をもった人々によって描き出されている。それで全く無意識にその人たち自身の考え方が蛮人の簡単な物語の上に何らかの着色をする。そういうことはその伝説の中に何か明白な筋道の立ちにくい箇所のあるような場合に一層起りやすい、そういう時にはそれを記述する収集家はその辻褄を合わせようという気に誘われやすいからである。その収集家が人種の近親関係または他の理由からその自然民に対して特別好意ある見方をしている場合には特にそうである。こういう場合にはその記述は往々その野蛮人から借りてきたモティーヴで作り上げた美しい詩になってしまうのである。  もちろんそういうことは、何ら筆紙に書き残された典拠のない場合のことである。しかしそんなものの存するためにはかなり高い文化が必要であるから、野蛮人からそういうものが伝わろうとは思われない。それで記録によって伝わっている開闢観についてはもっと後に別に一節を設けて述べることとする。それらの中で特に吾人の注意を引く二つの部類がある、その一は吾人今日の文化の重要な部分をそこから継承した諸国民のものであり、その二は高級な理解力と考察の深さをもった他の民族のそれである。  この第一の部類は、後に古代の哲学者によりまたその後代の思索家によって追究され改造された考えと直接に連関しているものである。実際古代文化民族の宇宙開闢伝説の遺骸のようなものが現代の文明諸国民の宇宙観中の重要な部分となっているのである。  第二の部類のものは、科学の力によって非常に拡張された外界の知識から我々の導き出した考えと種々な点で相通ずるものがあるというところに主要な興味があるのである。 Ⅱ 古代文化的国民の宇宙創造に関する諸伝説  近代文明の淵源は古代のカルデアとエジプトであって、そこには約七千年の昔から保存された文化の記念物がかなり多量にある。もっともまだまだもっと古いほとんど五万年も昔の文化の遺跡が、南フランスや北部スペインの石灰洞の壁に描かれた、おもにマンモスや馴鹿や馬などの、着色画に残ってはいるが、しかしこの時代の芸術家の頭に往来していた夢は実にただ好もしい狩猟の獲物の上にあり、そして獲物が余分に多かったときに、それを分ち与える妻の上にも少しは及んだくらいのものであった。この『マグダレニアン時代』(Magdalenien Zeit)と名づけられた時代が現代の文明に及ぼした影響については何らの確信もないのであるが、これに反して、かのカルデア及びエジプトにおける古典的地盤の時代に遡ってこのような影響を求めてみると、得るところがなかなか多いのである。 『高きには天と名づくる何物もなく、下には地と呼ぶ何物もなかったときに、』すなわち、天地開闢以前に、カルデアの神話に従えば『ただこれらの父なるアプスー(Apsu 大洋)と、万物の母なるティアマート(Tiamat 渾沌)があるのみであった。』この大洋の水と渾沌とが交じり合い、その混合物の中に我々の世界の原始的要素が含まれていたので、その中から次第次第に生命が芽生えてきた。しかしてまた『その以前には創造されていなかった』神々も成り出で、しかして数多い子孫を生じた。ティアマートはこの神々の群衆が次第に自分の領域を我がもの顔に侵すのを見て、己が主権を擁護するために、人首牛身、犬身魚尾などという怪物どもの軍勢を作り集めた。神々は相談をしてこの怪物を勦滅することに決議はしたが、誰も敢て手を下そうとするものがない中にただ一人知恵の神エア(Ea)の息子のマルドゥクがこれに応じた。ただし彼は勝ったときの賞として彼らに対する主権を与えるという約束を仲間の神々たちに求めた。事態切迫の際この望みは容れられたので、彼は弓と槍と稲妻という武器を提げてティアマートの在所を捜しあて、これに一つの網を投げかけた。ティアマートが巨口を開いてマルドゥクを飲もうとしたときに彼はその口と臓腑の中に暴風を投げ込んだ。その結果としてティアマートは破裂してしまった。ティアマートに従うものどもは恐れて逃げようとしたが捕らえられ枷をかけられてエアの神の玉座の前に引き出された。そこでマルドゥクは渾沌として乱れたティアマートの五体の変形を行った。すなわち、それを『干物にしようとするときに魚を割くように』二つに切り割いた。『そうして、その一半を高く吊るしたのが天となり、残る半分を脚下に広げたのが地となった。そうして、かようにして彼の造った世界がすなわち以来の人間のよく知る世界である。』 第一図 電光を揮ってティアマートを殺すマルドゥク、大英博物館所蔵ニムロッドの浮彫の一部、フォーシェー・ギューダンの描図による。この図と次の第三図はマスペロの著書より。  マスペロの『古典的東洋民族の古代史』(Maspéros “Histoire ancienne des peuples de l'Orient classique”)の中にカルデア人の宇宙観を示す一つの絵がある(第二図)。地は八方大洋で取り囲まれた真ん中に高山のように聳え、その頂は雪に覆われ、そこからユーフラテス(Euphrat)河が源を発している。地はその周囲を一列の高い障壁で取り囲まれ、そして地とこの壁との中間のくぼみに何人も越えることのできない大洋がある、壁の向こう側には神々のために当てられた領域がある。壁の上にはこれを覆う穹窿すなわち天が安置されている、これはマルドゥクが堅硬な金属で造ったもので、昼間は太陽の光に輝いているが、夜は暗碧の地に星辰をちりばめた釣鐘に似ている。この穹窿の北の方の部分には、一つは東、一つは西に、都合二つの穴の明いた半円形の管が一本ある。朝になると太陽がその東の穴から出てきて、徐々に高く昇ってゆき、天の南を過ぎて西方の穴へと降ってゆき、そこへ届くのが夜の初めである。夜の間は太陽はこの管の中をたどっていって、翌朝になると再びその軌道の上に運行を始めるのである。マルドゥクは太陽の運行によって年序を定め、年を一二の月に分ち、毎月が一〇日すなわちデセードを三つずつもつことにした。それで一年が三六〇日になる。毎六年目に閏月が一つあてはさまることにしたので一年は平均するとやはり三六五日ということになったのである。 第二図 カルデア人の宇宙観。フォーシェー・ギューダンの描図。中央に大陸が横たわり、それから四方に向かって高まり、いわゆる「世界の山」アララットになっている。大陸の周囲は大洋が取り巻きその向こう側に神々の住みかがある。『世界の山』の上には釣鐘形の天(マルドゥクが造った)が置かれてある。これが昼間は日光で輝き、夜は暗青色の地に星辰が散布される。北の方の部分には管が一本あってその二つの口が図に見えている。朝は太陽がその東の口から出て蒼穹に昇り、午後には再び沈下して夜になるとついに管の西口の中に入ってしまう。夜の間はこの管の中を押しすすみ翌朝になると、また再び東口に現われる。  カルデア人の文化は季節の交互変化と甚だ深い関係があるので、彼らは暦の計算を重要視した。始めには、多数の民族と同様に、算暦の基礎を太陰の運行においたものらしい。しかしそのうちに太陽の方がもっと重要な影響を及ぼすことに気付いたので、上記のごとき太陽年を採用した。それがマルドゥクの業績として伝えられたのであろう。その後、間もなく、星の位置を観測すると種々な季節を決定するのに特別有用であるということを発見した。季節は動植物界を支配する。しかるに人類の存続は結局全くこの有機界による。そういうわけで、結局星辰の力というものが過重視されるようになり、そのために爾後約二〇世紀の間、現代の始まりまでも自然研究の衝動を麻痺させるという甚だ有害な妄信を生ずるに至った。この教理はジュリアス・シーザーと同時代のディオドルス・シクルス(Diodorus Siculus)によって次のように述べられている。『彼ら(カルデア人)は長い年月の間星辰を注目してきて、しかしてあらゆる他国民よりも仔細にその運動と法則とを観察してきたおかげで、将来起るべきいろいろのことを人々に予言することができた。予言をしたり未来を左右したりするのに最も有効なものは、吾人が遊星と名づくる五つの星(水星、金星、火星、木星、土星)であると考えた。もっとも彼らはこれらの星を『通訳者』(Dolmetscher)という名で総称していた。――しかしこれらの星の軌道には、彼らのいうところでは、『助言する神々』と呼ばれる三〇の別の星がある。そのうちでの首座の神々として一二を選み、その一つ一つに一二ヶ月の一つと並びに黄道状態における十二宮星座の一つずつを配布した。これらの中を通って太陽太陰並びに五つの遊星が運行するものと彼らは信じていたのである。』  カルデアの僧侶たちの占星術はなかなか行届いたものであった。彼らは毎日の星の位置を精細に記録し、また直後の未来におけるその位置を算定することさえできた。いろいろの星はそれぞれ神々を代表し、あるいは全く神々そのものと見なされていた。それで誰でもいかなる神々が自分の生涯を支配しているかを知りたいと思う人は、星のことに明るい僧侶について、自分の誕生日における諸星の位置を尋ねる。そうして潤沢な見料と引換に、自分の運勢の大要を教わるのである。何か一つの企てをある決まった日に遂行しようという場合ならば、その成功の見込についてあらかじめ教えを受けることができた。もしこのカルデアの僧侶についてよほど善意な判断を下してみるとすれば、多分こういうふうに言われるであろう。すなわち、彼らの考えの基礎には、すべてのできごとは外界の条件の必然の結果として起るものである、という、今日でも一般に通用している確信があったのであろう。  しかしこの考えと編み交ぜられていたもう一つの考えは全く間違ったものであって、簡単な吟味にも堪えないものであった。すなわち、それは太陰や諸遊星の位置が自然界や人間界にかなりな影響を及ぼすと考えたことである。諸天体は神々であるとの信仰のために天文学は神様に関する教え、すなわち、宗教の一部になった。しかしてその修行はただ主宰の位置にある僧侶階級にのみ限られていた。誰でもこの僧侶階級の先入的な意見に疑いを挿むような者はこの僧侶たちと利害を同じうしていた主権者から最も苛酷な追究を受けた。この忌まわしい風習が一部分古典時代の民族に移り伝わり、そうして中世の半野蛮人において最も強く現われたのである。  カルデアの宇宙構成神話はまた他の方面から見ても吾人にとって重要な意義がある。すなわちそれは、少し違った形でユダヤ人によって採用され、従ってまたキリスト教徒に伝えられたからである。近代の研究において一般に認容されている宇宙創造伝説の推移に関する考えは、ドイツの読者間には『バベルとバイブル』(Babel und Bibel)という書物によって周知のことと思うから、ここではすべてをその書に譲りたいと思う。渾沌はユダヤ人にとってもやはり原始的のものであった。地は荒涼で空虚であった。しかして深きもの(すなわち、原始の水)の上には一面の闇があった。バビロニアの僧侶ベロスース(Berosus)の言葉として伝えられているところでは『始めにはすべてが闇と水であった』ことになっている。この深きものテホム(Tehom)というのがユダヤの宇宙創造の物語では人格視されており、また語源的にティアマートに相当している。その有り合わせた材料から神エロヒーム(Elohim)が天と地とを創造した(あるいは、本当の意味では、形成した)のである。  エロヒームは水を分けた。その上なるものは天の中に封じ込められ、しかしてその下なるものの中に地が置かれた。地は平坦、あるいは半球形であって、その水の上に浮んでいるものと考えられていた。その上方には不動な天の穹窿が横たわり、それに星辰が固定されていた。しかしこの天蓋までの高さは余り高いものではなく、鳥類はそこまで翔け昇り、それに沿うて飛行することができるのである。エノーク(Enoch)は、多くの星が地獄(Gehennas)の火に焼き尽くされたさまを叙している。それはエロヒームの神がこれらの星に光れと命じたときに光り始めなかったからである。このように星辰は『不逞の天使』すなわち、主上の神から排斥された神々であったのである。  カルデアの創世記物語とユダヤのそれとの相違する主要の点は、後者が一神的であるに反し前者が多神的であることである。ただし前者でも太陽神マルドゥクが万象並びにまた諸神の主権者として現われている点から見ればやはり一神的の傾向をも帯びている。  ユダヤの宇宙開闢説の中にはまた世界の卵という考えに関するフェニシアの創世伝説の痕跡のあることは『エロヒームの精霊が水の上に巣籠りした(brütete. 通例「浮揺していた」schwebte と訳してある)』という文句からうかがわれる。またマルドゥクとティアマートの争闘の物語の片影はヤフヴェ(Jahve)が海の怪物レヴィアターン(Leviathan)すなわち、ラハーブ(Rahab)を克服する伝説の中に認められる。宇宙開闢論の見地から見ると、ユダヤ、従ってキリスト教における世界の始源に関する表現には何ら特別優れた創意というものはないのである。  世界の始めに関するこの最初のカルデアの記述よりは幾分後になるが、それでもやはり随分古いものとしては、これに対応するエジプトのいろいろの物語である。中で最も重要な、ここでの問題に関する神話を、マスペロ(Maspéro)の集録によって紹介することとする。すなわち、当時『虚無』の概念はまだ抽象的なものにはなっていなかった。それで、「暗き水の中に」、形は渾沌たるものではあったがとにかく物質的な材料があった。そこで特別な首座の神様が――国が違えばこの神も一々違っているが――世界にありとあらゆる生物無生物を造り出した。その造り方は、その神の平生の仕事次第でいろいろであって、例えば織り出すとか、あるいは陶器の壷などのように旋盤の上でこねて造ったりしている。ナイル川のデルタの東部地方では創世記神話が最もよく発達していた。すなわち、始めには天(ヌイト Nuit)と地(シブ Sibu)とが互いにしっかりと絡み合って原始の水(ヌー Nu)の中に静止していた。創世の日に一つの新しい神シュー(Shu)が原始水から出現し、両手で天の女神ヌイトをかかえてさし上げた、それでこの女神は両手と両足――これが天の穹窿の四本柱である――を張って自分のからだを支え、それが星をちりばめた天穹となったのである(第三図)。 第三図 シューの神がヌイト(天)とシブ(地)を分つ図。チューリン博物館所蔵のミイラの棺に描かれたものをフォーシェー・ギューダンの模写したもの。  そこでシブは植物の緑で覆われ、それから動物と人間が成り出でた。太陽神ラー(Ra)もまた原始水の中で一つの蓮華の莟の中に隠されていたが、創世の日にこの蓮の花弁が開きラーが出現して天における彼の座を占めた。このラーはしばしばシューと同一視せられたものである。太陽がヌイトとシブの上を照らしたので、そこで一列の神々たちが生れ、その中にはナイルの神のオシリスもいた。暖かい日光の下に、あらゆる生けるもの、すなわち、植物も動物も人間も発達した。ある二三の口碑によるとこれは温められたナイルの泥の中での一種の醗酵作用、すなわち、ある自生的過程によって起ったものとされており、この過程は歴史時代に至ってもまだ全く終っていなかったもののように考えられている。多くの人々の信じていたところでは、この最初の人間たち、すなわち、太陽の子供たちは完全なものであり幸福であった。そして後代のものは出来損なったものばかりで、本来の幸福を失ってしまったものである。またある人々の信じていたところでは、この最古の人間たちは動物のような性状のもので、まだ言語をもたず、ただ曲折のない音声で心持を表わしていたのを、トート(Thot)の神が初めてこれに言語と文字とを教えたということになっている。このように、ダーウィンの学説でさえも、ここに見らるるごとく、既にこの文化の幼年時代においてその先駆者をもっているのである。 第四図 太陽神が創造の際開きかかった蓮華から出現する図。フォーシェー・ギューダンの描図。この神は頭上に神聖な蛇を乗せた太陽円盤の象徴を頂いている。蓮華と二つの莟とは一つの台から立上がっている、これは通例水盤の象徴であるがここでは暗黒な原始水ヌーをかたどっていると思われる。  古典時代における宇宙始源に関する観念は甚だ幼稚なものであった。ヘシオド(Hesiod 西暦紀元前約七〇〇年)が彼の神統記(Theogonie)及び『日々行事』(Werke und Tage)の中でギリシアの創世記神話を語っている。それによると、すべては渾沌をもって始まった。そのうちに地の女神ゲーア(Gäa)が現われ、これが万物の母となった。同様にその息子の天の神ウラノス(Uranos)が通例万物の父と名づけられたものである。天と地とが神々の祖先だという考えは原始民族の間ではよくあることである。ここでこの初心な、子供らしい、また往々野蛮くさい詩を批評的に精査しても大した価値はないのであるから、これをフォッス(Voss)の訳した音律詩形で紹介することとしておく。すなわち、神統記、詩句一〇四―一三〇及び三六四―三七五にこうある。 幸いあれ、ツォイスの子らよ、美しき歌のしらべに、 いざや、永遠に不死なる神々の聖族を讃めたたえよ。 地より、また星に輝く天より成り出で、 暗く淋しき夜よりも。さてはまた海の潮に養われし神々の族をたたえよ。 始めに神々、かくて地の成り出でしことのさまを語れ、 また河々の、果てなき波騒ぐ底ひなき海の、 また輝く星の、遠く円かなる大空の始めはいかなりしぞ。 この中より萌え出でて善きものを授くる幸いある神々は、 いかにその領土を分ち、その光栄を頒ちしか、 またいかに九十九折なすオリンポスをここに求めしか、 時の始めよりぞ、語れ、かの神々の中の一人が始めに生り出でしさまを。 見よ、すべての初めにありしものは渾沌にてありし、さどその後に広がれる  地を生じ、永久の御座としてすべての 永遠なる神たち、そは雪を冠らすオリンポスの峯に住む神の御座となりぬ。 遠く広がれる地の領土の裾なるタルタロスの闇も生じぬ。 やがてエロスはあらゆる美しさに飾られて永遠の神々の前に出できて、 あらゆる人間にも永遠なる神々にも、静かに和らぎて 胸の中深く、知恵と思慮ある決断をも馴らし従えぬ。 渾沌よりエレボス(注一)は生れ、暗き夜もまた生れ、 やがて夜より灝気(注二)、と光の女神ヘメーラは生れぬ、 両つながらエレボスの至愛の受胎によりて夜より生れたり。 されど地は最初に己が姿にかたどりて 彼の星をちりばめし天を造り、そは隈なく地を覆い囲らして 幸いある神々の動がぬ永久の御座とはなりぬ。 (注一) エレボス。原始の闇、陰影の領土。 (注二) エーテル。上層の純粋な天の気、後に宇宙エーテルとして、火、空気、土、水の外の第五の元素とされたもの。  次にゲーアは『沸き上る、荒涼な海』ポントス(Pontos)を生んだ。彼女とウラノスは六人の男子と六人の女子を生じた。それはいわゆるティタンたち(Titanen)で、すなわち『渦巻深き』大洋のオケアノス(Okeanos)、コイオス(Koios)(注一)とクレイオス(Kreios)(注二)ヤペツス(Japetus)(注三)、ヒュペリオン(Hyperion)(注四)、テイア(Theia)(注五)、レイア(Rheia)(注六)、ムネモシュネ(Mnemosyne)(注七)、テミース(Themis)(注八)、テティース(Thetis)、フォエベ(Phoebe)、及びクロノス(Kronos)(注九)、などその外にキュクロープたち(Zyklopen)(注一〇)などである。ここで、一部は多分ヘシオドのこしらえたと思われるいろいろな名前を目録のように詩句の形でならべたものを紹介しても余り興味はあるまい。――このような単純な詩の種類、すなわち、名前の創作といったようなものは北国民の詩スカルド(Skalden)にも普通である。――ただ星と風との生成に関する次の数行だけはここに掲げてもよいかと思う。 (注一) コイオス。多分光の神、これはヘシオドにだけ出てくる名である。 (注二) クレイオス。半神半人、ポントスの娘の一人、ユウリュビア(Eurybia)の婿である。 (注三) ヤペツス。神々の火を盗んで人類に与えたかのプロメテウス(Prometheus)の父。 (注四) この名の意味は『高く漂浪するもの』である。 (注五) 立派なものの意。 (注六)『神母』、これがすなわちツォイス(Zeus)の母であった。 (注七) 追憶の女神、歌謡の女神たちの母。 (注八) 秩序と徳行の女神。 (注九) 首座の神で、自分の子のツォイスに貶された。 (注一〇) アポローに殺された一つ目の巨人たち。 テイアは光り輝く太陽ヘリオスと太陰セレネを生みぬ、 また曙の神エオスも。これらはあまねく地に住むものを照らし さては広く円かに覆える天に在す不死なる神をも照らしぬ。 これはかつてヒュペリオンの愛の力によりてテイアより生れぬ。 されど、クリオスはユウリュビアを娶りて力強き御子たち パルラス(Pallas)とアストレオス(Asträos)(注一)を生みぬ、この高く秀でし女神は。 またペルセス(Perses)も、そは、別けて知恵優れし神なりき。 エオスはアストレオスと契りて、制し難き雄心に勇む風の神を生みぬ。 ゼフューロス(Zefyros)(注二)は灰色にものすさまじ、ボレアス(Boreas)(注三)は息吹きも暴し。 ノトス(Notos)(注四)は女神と男神の恋濃かに生みし子なればこそ。 また次に聖なる爽明の女神はフォスフォロス(Fosforos)(注五)を生みぬ。 天に瓔珞とかがやく星の数々も共に。 (注一) 天の神で風の神々の父。 (注二) 西風。 (注三) 北風。 (注四) 南風。 (注五) 暁の明星―金星(venus)。 『日々行事』(Werke und Tage)において、ヘシオドはいかにして人間が神々によって創造させられたかを述べている。始めには人間は善良で完全で幸福で、しかして豊富な地上の産物によって何の苦労もなく生活していた。その後にだんだんに堕落するようになったのである。  ギリシアの宇宙開闢説はローマ人によって踏襲されたが、しかしそのままで著しい発展はしなかった。オヴィドがその著メタモルフォセス(Metamorphoses)の中に述べているところによると始めにはただ秩序なき均等な渾沌、“rudis indigestaque moles”があった。それは土と水と空気との形のない混合物であった。自然が元素を分離した。すなわち、地を天(空気)と水から分ち、精微な空気(エーテル)を粗鬆な(普通の)空気から取り分けた。『重量のない』火は最高の天の区域に上昇した。重い土はやがて沈澱して水によって囲まれた。次に自然は湖水や河川、山、野、谷を地上に形成した。以前は渾沌の闇に隠されていた星も光り始め、そうして神々の住みかとなった。植物、動物、しかして最後に人類も創造された。彼らはそこで黄金時代の理想的の境地に生活していた。永遠の春の支配のもとに地は耕作を待たずして豊富な収穫を生じた(“Fruges tellus inarata ferebat”)。河々には神の美酒と牛乳が流れ、槲樹からは蜂蜜が滴り落ちた。ジュピター(ツォイス)がサターン(クロノス)を貶してタルタロスに閉じ込めたときから、時代は前ほどに幸福でない白銀時代となり、既に冬や夏や秋が春と交代して現われるようになった。それで厳しい天候に堪えるために住家を建てる必要を生じた。すべてのものが悪くなったのが銅時代にはますます悪くなり、ついに恐ろしい鉄時代が来た。謙譲、忠誠、真実は地上から飛び去り、虚偽、暴戻、背信、そして飽くことを知らぬ黄金の欲望並びに最も粗野な罪悪の数々がとって代った。 第五図 ギリシア神話における大河オケアノスの概念。  オヴィドの宇宙開闢説はヘシオドのといくらも違ったところはない。本来の稚拙な味は大部分失われ、そしてこれに代わって、実用的なローマ人の思考過程にふさわしいずっと生真面目な系統化が見えているのである。  部分的にはなかなか見事であると思われるオヴィドの叙述の見本を少しばかり、ブレ(Bulle)の翻訳したメタモルフォセス(『変相』)の中から下に紹介する。 海と陸の成りしときよりも前に 天がこの両つの上に高く広がりしときよりも古く 全世界はただ一様の姿を示しぬ、 渾沌と名づくる荒涼なる混乱にてありし。 重きものの中に罪深く集いて隠れしは 後の世に起りし争闘の萌芽なりき。 日の神は未だその光を世に現わさず、 フォエベの鎌はまだ望月と成らざりき。 地は未だ今のごとく、 己と釣合いて空際に浮ばず またアムフィトリートの腕は未だ我が物と 遠く広がる国々の果てを抱かざりき。(注一) 空気あるところにはまた陸あり、陸にはまた 溢るる水ありて空気に光もなく 陸には立ち止まるべきわずかの場所もなく 水には泳ぐべき少しの流動さえなかりき。 いかなる物質にも常住の形はなく、 何物も互いに意のままにならざりき。 一つの体内に柔と剛は戦い、 寒は暖と、軽は重と争いぬ。 ただ、物の善き本性と 一つの神性とによりてこの醗酵は止みぬ。(注二) 陸と海、地と蒼穹とは分たれ、 輝くエーテルと重き空気は分たれぬ。 かくて神がこの荒涼を分ちて 万物をその在所に置きしとき すべての中に一致と平和を作り出しぬ。 上に高く天の幕を張り巡らせし そは重量なき火の素質にてありき、 下には深くやがてまた重く空気を伴いぬ。 更に深く沈みて粗なる質量より作られて 地はありぬ、その周囲には水を巡らしぬ。 かく神が物質を分ちしとき―― そは誰なりしか――これに肢節を作り始めぬ。 これが均衡を得るためにまず 地を球形(注三)として空中に浮べたりき。 嵐に慄く海の潮を 次に湖沼を泉を河を造りぬ、 河は谷に従い、岸の曲るに任せて流れぬ。 多くの流れは成りてその波は 海へと逆巻きて下り、多くの河は やがて再びまた地を呑み尽くし、 また多くは勢いのままに溢れ漲り 渚は化して弓なりに広き湖となり 岸辺は波打ちぬ。神の定めに また谷々も広き野原も また岩山も緑茂る森も出できぬ。 神はまた天の左手の側に 二つの帯を作りまた右手に二つ 真ん中には火光に燃ゆる第五帯を作りまた 地にも同じく五つの帯の環を巡らしぬ。 中なる帯は暑さのために住み難く さらばとて外側の帯は氷雪の虐げあり、 ただ残る二帯のみ暖と冷と 幸いあるほどに正しく交じり合えり。 空気はそのエーテルより重きことはなお 水の土よりも軽きがごとし、 神はこれを雷電の座と定めければ、このときより 多くの人の心はそのために安からず恐れ悩めり。 また神は霧を撒き散らしまた霞と雲を 空中に播き、また稲妻を引連れて、 風の軍勢はかしこに氷の息吹きと飛び行く、 されど神はその止度なく暴るることは許さじ。 (注一) ここで海神ポセイドン(Poseidon)の配偶アムフィトリートが地の縁辺を腕で抱えるとあるところから見ると、オヴィドは地が球形でなくて円板の形をしていると考えていたことが分る。しかしオヴィドの時代に、教養ある人々の間には一般に地は球状をなすものと考えられていた。 (注二) この神は「温和な自然」である。Hanc deus et melior litem natura diremit. (注三) この言語 orbis は本来円板の義で、後にはまた球の意にも使われた。  この次には各種の風とその出発点に関する記述があって、それからこの詩人は次のように続けている。 澄めるエーテル、そは明るき遠方に 重量なくまた地にあるごとき限界を知らず 昇りたり――エーテルに今は星も輝き初めぬ。 それまでは荒涼なる濁りの中に隠されし群も。 この数々の星にこそ人間の目は自ら 神々の顔と姿を認むるなれ。 この神々は生のすべてのいかなる部分にも 過ち犯すことなからんために、エーテルの中に光り浮ぶ。 かくて空気は鳥の住みかとなり 魚には海、他の生けるものには陸ありき。 ただ一つの存在、そは理性を享け有ちて すべての他のものの主たるべきものは 未だこの全眷屬の中にあらざりき、 人だねの生れしまでは、そはこの世界を飾らんため(注) 恐らくは主の命により胚子より 形作られて、秩序をもたらすべき人類の生れしまでは。 恐らくはまた地の土の中にエーテルの 取り残されし一片の火花ありしか、 この土を水に柔らげて神々の姿と容を プロメテウスの堅き手に作り上げしときに。 その外のあらゆる者は下なる地の方に 眼をこそ向くれ、その暇に人のみこそ振り仰ぎ その眼は高く永遠の星の宮居に、 かくてぞ人のくらいは類いなきしるしなるらん。 あわれ黄金時代よ、その世は信心深き族の 何の拘束も知らず、罰というものの恐れもなく ただ己が心のままに振舞いてやがて善く正しかりき。 厳しき言葉に綴られし誡めの布告もなくて 自ら品よき習わしと秩序とは保たれぬ。 また判官の前に恐れかしこまる奴隷もなかりし。 人は未だ剣も鎧も知らず 喇叭も戦を呼ぶ角笛も人の世の外なりし。 未だ都を巡らす堀もなく 人はただ己に隣る世界の外を知らざりき。 檜の船は未だかつて浪路を凌がず、 人は世界の果てを見んとて船材に斧を入るることもなかりき。 静かに平和に世はおさまりて 土はその収穫を稔れよと 鶴嘴と鋤とに打砕かるることもなかりき。 (注)“Sanctius his animal mentisque capacius altae-Deerat adhuc et quod dominari in cetera posset- Natus homo est.”  この後に来たのが白銀時代で、黄金時代の永久の春はやみ、ジュピターによって四季が作られた。人間は夏の焼くような暑さ、冬の凍てつく寒さを防ぐために隠れ家を求めることが必要となった。土地の天然の収穫で満足していられなくなったので人間は耕作の術を発明した。 世は三度めぐりて黄銅のときとなりぬ。 心荒々しく武器を取る手もいと疾く、 されどなお無慚の心はなかりき。恥知る心、規律と正義の 失せ果てしは四度目の世となりしとき、 そは鉄の時代、嘘と僞りの奴とて 掠め奪わん欲望に廉恥を忘れしときのことなり。 このときより腐れたる世界の暴力は 入りきぬ、詭計や陥穽も。 山の樅樹は斧に打たれて倒れ、 作れる船の艗は知られざる海を進みゆく。 船夫は風に帆を張るすべを知れど 行方は何處とさだかには知り難し。 農夫は心して土地の仕切り定めぬ、 さなくば光や空気と同じく持主は定め難からん。 今はこの土も鋤鍬の責苦のみか 人はその臓腑の奥までも掻きさぐりぬ。 宝を求めて人は穴を掘りぬ、最も深き縦坑に 悪きものを誘わんとて神の隠せし宝なり。 災いの種なる鉄は夜より現われ 更に深き災いと悩みをもたらして黄金も出できぬ。 これらとともに戦争は生れ 二つの金属はこれに武器を貸し与えぬ。 そは血潮に染みし手に打ち振られて鳴りひびきぬ。 世は掠奪に生き奪えるものを貪り食らいぬ。 かくて客人の命を奪う宿の主も 舅姑の生命に仇する婿も現われ、 夫に慄く妻、妻に慄く夫も出できぬ。 兄弟の間にさえ友情は稀に、 継子は継母に毒を飼われ、 息子は父親の死ぬべき年を数う。 愛の神は死し、ついにアストレアは逃げ去りぬ。 神々の最後のもの、血を好むゲーアさえ。  ジュピターが大洪水を起してこの眷属を絶滅させ、後にデゥカリオン(Deukalion)とピュルラ(Pyrrha)とが生き残った。その前に二人はデゥカリオンの父なるプロメテウスの教えに従って一艘の小船を造ってあったので、それに乗って九日の間漂浪した後にパルナッソス(Parnassos)の山に流れ着いた。そこで二人が後向きに石を投げると、それが皆人間になった。他の万物は、日光が豊沃な川の泥を温めたときに自然に発生した、というのである。この伝説は大洪水に関する楔形文字で記された伝説や、聖書にあるノア(Noah)の物語やまた生物の起源に関するエジプトの神話と非常によく似たところがある。  神々の数はたくさんにあるが、それはほとんど全部余り栄えた役割は勤めていない。ただ神の名で呼ばれている『温柔な自然』がすべて全部を秩序立てまた支配しているのである。 Ⅲ 最も美しきまた最も深き考察より成れる天地創造の諸伝説  相当に開けていた諸民族もまた一般には前条に述べたような考えの立場に踏み止まっていた。耶蘇の生れる前の時代においてローマは既に高い文化をもっていたにかかわらず、その当時にオヴィドが世界の起源について書いていることは、七〇〇年前にヘシオドの書いていることとほとんど同じことなのである。これから見るとこの永い年月の間において自然の研究は一歩も進まなかったかと思われるのであるが、もっとも、後に述べるように、この期間に多くの研究者、思索家の間には、この宇宙の謎に関する一つの考え方が次第に熟しつつあったので、その考えは今日我々の時代から見ても実に驚嘆すべきものであったのである。しかしこの研究の成果はただ若干の少数な選ばれたる頭脳の人々の間にのみ保留されていたようである。誰でも大衆に対して述べようという場合となると、国家の利害に対する責任上、数百年来の昔から伝わり、そして公認の宗教と合体し、従って神聖にして犯し難いものになっている在来の観念を唱道しなければならなかった。恐らくまた多くの人々は――ルクレチウスの想像によると――自然研究の諸結果は詩的の価値が余りに少ないと考えたのかも知れない。このように科学の成果が一般民衆の思考過程中に浸潤し得ないでいたということが、他のいかなる原因よりも以上に、古代の文化が野蛮人の侵入のためにあれほどまでにかたなしに破壊された原因となったのかも知れない。  また、多分、エジプト僧侶の中に若干の思索家があって、それらは前述のエジプトの創世伝説に現われたような原始的な立場をとうに脱却していたであろうと考えられる。しかし彼らはこの知識を厳重にただ自分らの階級の間にのみ保留し、それによって奴隷的な民衆に対する彼らの偉大な権力を獲得していたのである。  ところが、西暦紀元前約一四〇〇年ごろに、アメンホテプ四世(Amenhotep Ⅳ)と名づくる開けた君主が現われて一大改革を施し、エジプト古来の宗教を改めて文化の進歩に適応させようとした。彼はかなり急進的の手段を採った。すなわち、古来の数限りもない神々の眷属は一切これを破棄し、唯一の神アテン(Aten)、すなわち、太陽神のみを認めようという宣言を下した。そして古い神々の殿堂を破壊し、また忌まわしい邪神の偶像に充たされたテーベ(Thebe)の旧都を移転してしまった。しかしそれがために当然彼は権勢に目のない僧侶たちから睨まれた。そして盲目な民衆もまた疑いもなく彼らの宗教上の導者たちに追従したに相違ない。それでこのせっかく強制的に行われた真理の発揚もこの賢王の死後跡方もなく消滅してしまった。しかしてその王婿アイ(Ai)は『余は余の軽侮する神々の前に膝を屈しなければならない』と歎ずるようなはめに立至ったのである。  アメンホテプ――またクト・エン・アテンス(Chut-en-atens)すなわち『日輪の光輝』――の宗教の偉大であった点は、天然の中で太陽を最高の位に置いたことである。これは吾人の今日の考えとほとんど一致する。地球上におけるあらゆる運動は、ただ僅少な潮汐の運動だけを除いて、全部そのエネルギーを太陽に仰いでいる。またラプラスの仮説から言っても、地球上のすべての物質は、ただその中の比較的僅少な分量が小さな隕石の形で天界から落下しただけで、他は全部その起源を太陽にもっている。それで、言わば、太陽は『すべての物の始源』であって、これは野蛮人の考えるように地上の物だけについてもそう言われ、また全太陽系についても言われ得ることである。以下に太陽神に対する美しい賛美歌を挙げる。ここではこの神はレー(Re)及びアトゥム(Atum)という二つの違った名で呼ばれている。 汝をこそ拝め、あわれ、レーの神の昇るとき、アトゥムの神の沈むとき。 汝は昇り、汝は昇る。汝は輝き、汝は輝く。 光の冠に、汝こそ神々の王なれ。 天の、地の君にて汝は在す。 汝は、かしこに高く星、ここに低く人の数々を作りぬ。 汝こそは、時の始めに既に在せし唯一の神なれ。 地の国々を汝は生み、国々の民を汝は作りぬ。 汝は大空の雨を、やがてニイルの流れを我らがために作り賜いぬ。 河々の水を汝は賜い、その中に住む生物を賜いぬ。 山々の尾根を連ねしは汝、かくて人類とこの地上の世を作りしは汝ぞありし。  ラプラスの仮説によっても、やはり、太陽がエジプト人の最も重要な星と見なしたもの、すなわち、遊星の創造者であると見なすことができる。もし遊星を神的存在であるとするならば、太陽は当然一番始めに存在した唯一の神と言ってもよいわけである。  それから一〇〇年ないし二〇〇年の後に現われたツァラトゥストラ(Zarathustra)の宇宙観は正にこのアメンホテプのそれを想出させるものである。この考えによると、無窮の往昔から、いわゆる渾沌に該当する、無限大の空間が存在し、また光と闇との権力が存在していた。そして、光の神なるオルムズド(Ormuzd)は当時有り合わせた材料によって、次のような順序で、万物を形成した。この順序を、バビロニア及びユダヤの伝説による創造の順序と比較してみよう。   オルムズド          マルドゥク    エロヒーム(創世記、一) 1 アムシャスパンデン(注)   1 天       1 天 2 天              2 諸天体     2 地 3 太陽、太陰及び星       3 地       3 植物 4 火              4 植物      4 諸天体 5 水              5 動物      5 動物 6 地と生物           6 人間      6 人間 (注) アムシャスパンデン(Amschaspanden)はオルムズドに次いで最高位にある六つの神々である。彼らは一人一人重要な倫理的概念を代表している。  ツァラトゥストラの信徒にとっては、太陽が、最も重要な光として、その崇拝の主要な対象であったことは、ちょうどバビロニア人における太陽神マルドゥクと同様であった。他のいろいろの民族でもまた本能的に多神崇拝から太陽礼拝に移っていったので、その一例は日本人である。  時代の移るとともに、ペルシアにおけるツァラトゥストラの教えは変化を受け、数多の分派を生じた。その中で次第にツァラトゥストラの帰依者の大多数を従えるに至ったゼルヴァニート教の人たち(Zervaniten)の説いたところによると、世界を支配する原理は無窮の時“zervane akerene”であって、これから善(Ormuzd)の原理もまた悪(アフリメン Ahrimen)の原理も生じたというのである。  ツァラトゥストラの教理は回々教及びグノスチック教の要素と融合して更に別の分派を生じた。すなわち、イスマイリズム(Ismailismus)と称するものであって、一種の哲学的神秘主義の匂いをもったものである。その教えによると、世界の背後にはある捕えどころのない、名の付けようもない、無限の概念に該当する存在が控えている。この者に関しては我々は言うべき言葉を知らず、従ってまたこれを祈念し礼拝することもできない。この者から、一種の天然自然の必要によって、いわゆる放射(Emanationen)と称するものが順次に出てくる。すなわち(一)全理性(Allvernunft)、(二)全精神(Allseele)、(三)秩序なき原始物質、(四)空間、(五)時間及び(六)秩序組織の整えられた物質的の世界、この中の最高の位置に人間がいるのである。この宗教では物質、空間及び時間の方が、秩序立った組織を有し、従って知覚され得る感覚の世界よりももっと高級な存在価値のあるものとしようというのであるらしい。これはあたかも物質、空間及び時間を無限なりとする近代の考えに相当しているのである。またいわゆる全精神なるものにも同様な属性があるものとされている、これは同じ考えを生命の方へそのまま引き写しに持ち込んでいったものと見ることができよう。  ツァラトゥストラ教に従えば、アストヴァド・エレタ(Astvad-ereta)がすべての死者を呼びさまし、そしてすべてが幸福な状態に復するということになっている。イスマイル教徒に言わせると、この復活並びに最後の審判に関するゾロアスター教の教えは、単に宇宙系における周期的変転を表現する影像にすぎないというのである。この後者の考えはことによるとインド哲学の影響によって成立ったのかも知れないと思われる。  東洋の諸民族の中で、インド人はその古い宗教をもつ点で他民族の中に独自の地位にある。この宗教は永い間に僧侶階級によってだんだんに作り上げられ、永遠に関する一つの教理となった。この教理は哲学的に深遠な意義のあるものであり、また現代の自然科学研究の基礎を成す物質並びに勢力不滅の観念と本質的に該当し、また、その永遠に関する概念は現代の宇宙開闢説の主要な部分を成すものと同じである。  世界万有の中に不断の進化の行われているということは誰が見ても明らかである。それで、この進化は周期的に行われるものであって、何度となく同じことを繰返すものだということを仮定して、始めてこの世界の永遠性ということが了解される。昔のインドの哲学者らがこの過程をどういうふうに考えていたかということは次の物語から分るのである。  マヌ(Manu ヴェダの歌謡の中に現われるマヌは人類の元祖、すなわち、一種のノアである)はじっと考えに沈んでいた。そこへマハルキーン(Maharchien)がやってきて、恭しく御辞儀をしてこう言った。『主よ、もし御心に叶わば、どうか、物の始まりがいかなる法則によって起ったか。またそれが混じり合ってできた物はいかなる法則に支配されたか、こと細かに、順序を立てて御話して下さるように願います。主よ。この普遍な法則の始まり、それの意味またその結果を知っているのはあなたばかりであります。この根元の法則は捕えどころもなく、その及ぶ範囲も普通の常識ではとても測り知ることができません。ただヴェダであらせられるあなただけが御分りでありましょう。』これに対してこの全能なるものの賢い返答は次の通りであった。『では話して聞かそう。この世界はその昔暗黒に包まれて、捕えどころなく、物と物とを差別すべき目標もなかった。悟性によってその概念を得るということもできず、またそれを示現することもできず、全く眠りに沈んだような有様であった。この溶合の状態(宇宙はここでは完全に均質に溶け合った溶解物のように考えられているのである)がその終期に近づいたときに、主(ブラーマ Brahma)、すなわち、この世界の創造者でしかも吾人の官能には捕え難い主は、五つの元素と他の原始物質とによってこの世界を知覚し得るようにした。彼は至純な光で世を照らし闇を散らし、天然界の発展を始めさせた。彼は自己の観念の中に思い定めた上で、様々の創造物を自生的に発生させることとした。そして第一に水を創造し、その中に一つの種子を下ろした。この種子がだんだん生長して、黄金のように輝く卵となった。それは千筋の星の光のように光っていた。そしてそれから生れ出たのが、万物の始源たる、男性、ブラーマの形骸を備えた至高の存在であった。彼がこの卵の中で神の年の一年間(人間の年で数えると約三〇〇〇〇億年余)休息した後に、主はただ自分の観念の中でこの卵を二分し、それで天と地とを造った。そして両者の中間に気海と八つの星天(第六図、対一〇五頁)と及び水を容るべき測り難い空間を安置した。かくして、永遠の世界から生れたこの無常の世界が創造されたのである。』なお主なる彼はこの外にたくさんの神々と精霊と時期とを創造した。この永遠の存在にもまた同時にあらゆる生ける存在にも覚醒と安息との期間が交互に周期的にやってくる。人間界の一年は霊界の一日に当り、霊界の一二〇〇年(この毎年が人間の三六〇年を含む)が神界の一紀であり、この二千紀が一ブラーマ日に当る。この――八六億四〇〇〇万年の長きに当る――日の後半の間はブラーマもまたすべての生命も眠っている。しかして彼が眼を覚ますとそれからまたその創造欲を満足させるのである。この創造作業と世界破壊作業との行われる回数は無限である。そうしてこの永遠の存在なる神はこれをほとんど遊び仕事にやってのけるのである。 第六図 プトレマイオスの宇宙系  このインド哲学の偉大な点は、永遠の概念の構成の当を得ている点である。すなわち、天然の進展に周期的交代すなわち輪廻があるとする点にある。もっともその他の点では、その考え方はペシミスティックである。すなわち、毎周期の進展は不断の後退であって、特に道徳的方面で堕落に向かうものと見なされているのである。  このペシミスティックな考え方は既に前述のエジプトの伝説にもあり、また元は人間に黄金時代があったとする古典的ギリシアの昔にもあったものであり、更にまた天上の楽園並びに罪過による失墜に関するカルデアの伝説にも見出さるるものであるが、これは自然の研究に基づいて構成された近代の進化論の学説とは甚だしく背馳する考えである。この説の先駆者とも見るべきものはエジプト伝説の中にもまたホーマーの中にもあるのであるが、これによると事物(人間)は次第次第に改善されていくのである。進化論によるとただ最も力強くかつ最も良く環境に適応するもののみが生存競争に堪え、従って絶えずますます生存に適する物が現われてくるというのである。  一つの観念、あるいは意志の働きが、何ら以前から存在するエネルギーあるいは物質を消費することなしに作業あるいは物質の生因となるという考え、換言すれば全くの虚無から本当の意味での創造が可能であるという考えの明白に表明されているのは前に紹介した物語が最初のものである。この信仰には以来多数の追従者ができた。しかして彼らはこの考えの方が、すべての民族に本来共通な、ただ改造のみが行われたという考えよりはるかに優れたものと考えた。しかしある物が虚無から生じ得るという(本文一〇頁を見よ)この考えは単に科学的のみならずまた哲学的の見地からも支持し難いものである。ここではただこの問題に関するスピノザとハーバート・スペンサーの意義明瞭な表出を挙げるだけで十分であると思う。すなわち、スピノザはその著倫理学(Ethik)の第三篇の緒言の中でこう言っている。『すべての出来事並びにすべての物の形の変転を支配する自然界の法則と規則は常にかつ至る所同一である。』スペンサーはその生物学原理(Principles of Biology 第一巻三三六及び三四四頁)において次のように言っている。『恐らく多くの人々は虚無からある新しい有機物が創造されると信じているであろう。もしそういうことがあるとすれば、それは物質の創造を仮定することで、これは全く考え難いことである。この仮定は結局虚無とある実在物との間にある関係が考えられるということを前提するもので、関係を考えようというその二つの部分の一方が欠如しているのである。こういう関係は全く無意味である。エネルギーの創造ということも物質の創造と同様にまた全く考え難いことである。』また『生物が創造されたという信仰は最も暗黒な時代の人類の間に成立った考えである。』もっともこの終りの判断は幾分修正を要するかも知れない。なぜかと言えば、虚無からの創造が可能であるという考えはかなり進んだ発達の段階において始めて現われたものであるからである。  あらゆる宇宙創造伝説中で最も立派に仕立て上げられているのは、不思議なことに、スカンジナビアの古代の民のそれである。これは奇妙なことと思われるかも知れない。しかしこの北方における我々の祖先が既に石器時代以来、すなわち、数千年間スカンジナビアに住居していたということ、また青銅器時代の遺物の発見されたものから考えても、この時代にスカンジナビアに特別な高級の文化の存在したことが分るということを忘れてはならない。それで疑いもなく彼らもまた古代の文化民族の種々の観念を継承し、かつ独自にそれを敷衍してきたものに相違ない。  古代のカルデア人とエジプト人の場合では、大概の原始民族の場合と同様に、水が最も主要な元素であって、固体の地はこれの対象として造られたものとなっているのであるが、我が北方民族の祖先の場合では、温熱が一番本質的なものであって、これの対象として寒冷が対立させられているのである。ところが温度というものは疑いもなく物理学的の世界で最も重要な役目を務めるものである。従ってこの北国人の宇宙創造説は自然界の真理という点から見て、これまでに述べたすべての説よりも傑出している。この伝説が我々の現今の考えといかに良く適合するかは実に驚くべきほどである。この説の中には東洋起源また古典時代の思想の継承と思われる成分も多数に見出されはするが、しかしこの北方の創造伝説の特徴と見るべきものは自然界の諸特性を異常に理知的に把握していることである。  この伝説を紹介するに当って私は主としてヴィクトル・リュドベルク(Viktor Rydberg)の『祖先の神話』(Göttersage der Väter)によることにする。我々の生息するこの世界は永遠に継続するものではない。これにはある始めがあった。そしてまたある終りがあるであろう。時の朝ぼらけには 砂もなく海もなく 冷たき波もなく またその上を覆う天もなかりき。  空間(ギンヌンガガップ Ginnungagap)があった。しかしてその北の方の部分に寒冷の泉が生じ、その付近を氷のような霧が包囲していた。――この地方をニーフェルハイム(Nifelheim 霧の世界)と名付けたのはそのためである――。また、この空間には温熱の泉、ウルド(Urd)が生じた。この二つの中間の真ん中に知恵の泉、ミーメス・ブルン(Mimes Brunn)が流れていた。ニーフェルハイムからは霧のような灰色をした寒冷の波が空間に流れ出し、そこでウルドの泉からの温熱の波と出合った。この二つの混合によって基礎物質が生成し、それからこの世界、またそのあとから神々や巨人たちが発生した。ミーメス・ブルンの横たわっている空虚の空間から人間の目には見えぬ世界の樹イュグドラジール(Yggdrasil)がその種子から生長し、その根は延びてこの三つの泉に達していた。  この伝説の偉大な点は、この生物の住家としての世界を温熱と寒冷の泉(太陽と雲霧とに相当する)に影響さるるとしたところにある。生物の生息する世界はこの二つの間に存し、生命はこの二つに依帰する、すなわち、現代の考え方に従えば、熱い太陽からの温熱の供給と、並びに寒冷な雲霧へのそれの流動に依帰するのである。  北方の伝説は、それから先では、一つの死体の肢節から世界が創造されたという普通の考え方に結び付いている。一つの神ウォータン(Wotan これはカルデアのマルドゥクに当る)が巨人イューメル(Ymer すなわち、ティアマートに当る)を殺し、その体躯から天と地を造りまたその血から大洋を造ったというのである。しかし、ここで北国民は一つの独創的な変更を加えている。すなわち、イューメルの五体が生命あるもののよりどころとなり得るためには、その前に一度微塵に粉砕されなければならなかった。その目的のために特別な洞窟仕掛の粉磨水車が造られ、これは寒冷の泉から来る水の力で運転され、その水は一つの溝渠を通って大洋の中へ流れ込むようになっていた。これは明らかに、水の作用によって堅い岩石が磨り削られて土壌と成る、いわゆる風化の現象を詩化して表現したものである。この大きな巨人的水車はまた天の蒼穹とその数々の恒星を回転させるためにも役立ったことになっているのである。  バビロニアの伝説では、体躯が魚で頭と腕と足は人の形を備えた海の怪物オアンネス(Oannes)が海の波から出現し、人間にあらゆる技芸や学術を教えた後に再び海中深く消えたというのであるが、それと同様にこの巨人的磨臼の石の火花から生れた、優しい金髪の若者の貌をした、驚くべく美しい火の神ハイムダル(Heimdall)が、小船に乗って人間界をおとずれ、そうして文明の祝福をもたらしたことになっている。この船で五穀の禾束や、いろいろの道具や、武器などが運ばれてきた。彼はだんだんに成人して人間の首長となり、発火錐で作った火を彼らに授け、また種々のルーネン(Runen)や芸術を教えた。農業、牧畜、鍛冶その他の手工、パン製造、それから建築術や狩猟やまた防御の術を授けた。彼は結婚の制を定め、国家の基礎を置き、また宗教を創設した。多年の賢明な治世の後にハイムダルがある冬の日に永遠の眠りについたときに、始めに彼を人間界に載せてきた小船が海岸で見出された。彼の恩を忘れぬ人間たちは、霜の花で飾られたこの小船にハイムダルの亡骸を収め、それに様々な高貴な鉄工品や金銀細工を満載した。小船は、始めに来たときと同じように、目に見えぬ橈の力で矢のように大海に乗り出して遠く水平線の彼方に消え失せた。そこでハイムダルは神々の宮居に迎えられ、そうして輝くような神の若者の姿に復活した。その後、彼の息子のスコェルド・ボルゲル(Sköld-Borger)が彼に次いで人間の首長となったのである。  スコェルド・ボルゲルの治世の間に世界は著しく悪くなってきた、そしてその末期に近いころに、光の神バルデル(Balder)の死に際会した。そのために恐ろしいフィムブルの冬(Fimbul-Winter)が襲来して、氷河と氷原がそれまでは人の住んでいた土地を覆い、氷を免れた部分では収穫はだんだんに乏しくなった。飢餓は人間を支配し彼らを駆って最も恐ろしい罪業に陥れた。『暴風時代』『斧と刀の時代』(Sturm-Zeit, Axt-und Messer-Zeit)という名で呼ばれる時代がこのときから始まった。北国人は剣戟を手にして彼らの近親民族をその住居から放逐したためにこれら民族はやむを得ず次第に南下して新しい住みかを求めなければならなかった。それからある時期の後に始めてこのフィムブルの冬が過ぎ去って氷雪が消え失せたというのである。  誰でも気の付く通り、この伝説は著しい気候の悪化、その結果として氷河が陸地を覆い、民族の移動の起ったことを最も如実に表現している。それで、北国人らが、いつかはまたもう一度フィムブルの冬が襲来して、彼らがラグナロク(Ragnarok)と名づけるところの没落期となるであろうと信じていたのは怪しむに足りない。この時代が近よると無秩序の不安な状態が再び立帰ってくるであろう。氷雪の国から巨人らが現われて神々の宮殿に攻め寄せ、人間は寒冷と飢餓と疫病と争闘のために死んでゆくであろう。太陽はそのときでもやはり同じ弧状の軌道を天上に描きはするが、その光輝は次第に薄らぐであろう。いよいよ巨人軍と神々との戦闘が始まると双方に夥しい戦没者ができる。そうしてかの火の神ハイムダルも瀕死の重傷を受けるであろう。すると太陽もまた光を失い、天の穹窿は割れ、地底の火を封じていた山嶽は破れ、火焔はこの戦場を包囲するであろう。この世界的大火災の跡から、新しく、より善く、麗しい緑で覆われた地が出現するであろう。ただミーメの泉の傍のホッドミンネの神苑(Hoddminnes Hain)だけがこの世界的の火災を免れるので、そこに隠れていた若干の神々と、人間の一対ライフトラーゼルとリーフ(Leiftraser und Lif)とだけが救われるであろう。この二人がこの地上に帰ってくる。地は労耕せずして豊富な収穫を生ずるので、何の苦労もない幸福な新時代が始まるであろう。  あるいは古代ギリシア、ローマ並びにキリスト教関係の説話からの影響を受けたかと思われるこの注意すべき伝説は、太陽が徐々に消え、そのために地球上の生物が減少するという近代の観念と全く一致している。太陽(神々)は寒冷の世界(巨人)すなわち、宇宙星雲及びその中に包有せらるる数多の消えた太陽と衝突するであろう。その衝突の際に地殻内に封じられた火焔が噴出しそのために地上は荒廃に帰する。しかしある時期の後にはまた新しい地が形成され、そして生命(神々)は宇宙空間にある不死の霊木イュグドラジール(Yggdrasil)から再び地上に広がるであろう。  この驚くべく美しい、しかもまた真実なエッダ(Edda)の世界伝説は、他の自然民族間に伝わったあらゆる同種類の伝説に比べてはるかに優れたものである。この美しいハイムダル伝説が暗示するように、最初の文明、並びにこれと一緒に、世界創造伝説の原始的要素が、外国、多分東洋から海を越えて渡来したものであることには疑いない。しかしいかなる創造伝説でも自然に対する見方の忠実さという点においてこの北方民族のそれに匹敵するものは一つもないであろう。  以上私は、自然現象の経過に関する知識を得るために直接観察の方法を講じるというようなことは何もしなかったような、そういう時代における自然の見方がいかなるものであったかを述べたつもりである。こういう時代には自然科学はおのずから神話の衣裳を着ている。もっと程度が高くなればそれは褶襞の多い哲学の外套を着ているのである。しかしひとたび人間が観察と経験の収集を始めるようになってくると事情は全く変ってくる。そうなるとたくさんの事実与件の、手の付けられぬ、一目に見渡せないような集団を簡単に把握し表現し得るような一般法則を求めるようになってくる。換言すれば、経験を有用ならしめるためには、理論家の、ものを系統化する作業の必要が痛切に感ぜられてくる。それでまず、最初の、多分余り正確でない法則が見付かったとすると、それによって試しに事柄の経過を予報してみる。そうしてその予言が正しいかどうかを検査するというようなことを始めることができる。そういうことをしているうちにそれら既定の法則、従って自然に対する認識がだんだんに改良されてゆくのである。  人間にとって特別に重要であるために最も周到な観察の目的物となるものはまず第一に時間の知識であった。そこから多分各種天体の本性に関する観念が生れ、これらを手近な地上の物体のそれと分りやすく比較するようになったものと思われる。このようにして次第に最も簡単な天文、物理及び化学的の概念が形成されたのである。こういう時代になると以前の時代におけるとは反対に、多様な考え方の中で最も秀でた代表的のもののみが挙げられ、そうしてこれら概念の発達を歴史的に通覧することができるようになってくるのである。  以下に述べる宇宙の見方は、これまで述べてきた神話時代に属するものと反対に、いずれも歴史時代に属するものである。 Ⅳ 最古の天文観測  開化程度の最も低い人間にとっては暦などというものの必要がなく、従ってまた時の尺度を自然界に求めようとする機縁にも接しないのである。最古の人間は疑いもなく狩猟と漁労によって生活していたであろう。ただ飢餓に迫られ、しかも狩猟の獲物の欠乏のために他の栄養物を求めるような場合に至って、そこで初めて草木の実や、食用に適する根の類をも珍重することを覚えたのであろう。もっともこれらはただ応急のものであって、多分主として婦人たちがそれで間に合わせなければならなかったかも知れない。男子らはその仕留めた野獣や魚の過剰なものよりしか婦人たちには与えなかったろうと思われるからである。それでこれら民族は野獣の放浪するに従って放浪しなければならなかった。そうして、ただ差し当ったその日その日の要求ということだけしか考えなかったのである。その後に人間がもう少し常住一様な栄養品の供給を確保するために、なかんずく必要な野獣を飼い馴らすことを覚えるようになっても、事情はまだ大して変らなかった。ところがこの獣類を飼養するには、季節に応じて変ってゆく牧場を絶えず新たに求める必要があるので、こういう遊牧民の居所は彼らの家畜によって定まることになっていった。決してその逆ではなかったのである。  しかし人口が増殖してきたために、気紛れでなしに本式に土地の耕作をする必要が起るとともに、事情は全くちがってきた。すなわち、固定した住居をもつ必要を生じ、また本来の目的とする収穫を得るための準備として一定の季節にいろいろな野良仕事をしなければならなくなった。しかるに季節の循環は地球に対する太陽の位置の変化によるのであるから、この変化を詳しく知ることが望ましくなってきた。そのうちに間もなく、季節によっていろいろな星の出没の時刻の違うことに気が付き、しかしてこれを正確に観察する方がずっと容易であることを知った。すでに古い昔から、新月と満月との規則正しい交代が、二九・五三日という短い周期で起るので、これが短い期間の時の決定に特に好都合なものとして人間の注意をひいたに相違ない。この周期に基づいて一月の長さを定め、端数を切り上げて三〇日とした。更にこの一ヶ月を各々一〇日ずつの三つの期間に区分した。一年の長さはほぼ一二ヶ月に当るので、最初はこれを三六〇日と定めたのであった。  最古の文明は、時の決定、すなわち、暦と最も密接な関係をもっている。この決定は非常に規則正しく復帰する各種の周期的現象に基づくものである。既に述べた通り、中でも太陰の光度の交互変化は自然民にとっては最も目に付きやすいものであった。それは比較的短い期間に同一の現象が立帰ってくるために特にそうであったのである。アリアン系の言語では、計量(Mass)、測定する(messen)及び太陰(Mond)の観念を表わす言葉は同一の語根からできている。梵語で太陰をマース(Mâs)というが、これは計量者、計量器(der Messer)の意でラテンの月(mensis)及び計量器(mensura)と関係している。我々の国語でのこの言葉もやはり古くここから導かれてきたものである。すなわち、太陰はその規則正しくかつ観察に恰好な光度の輪回のために最初の測定術の出発点を与えた。一方また太陰は昔バビロニア人の間では神々の中での首長と見なされていたものである。ある古い楔形文字で記された古文書に、こんなことがある。 おお、シン(月神)の神よ、汝のみひとり高きよりの光を 汝こそ光を人の世に恵み給わめ、 ……………………………………… 汝が光は、汝の初めの御子なるシャマシュ(太陽)の輝きのごとく麗わしく、 汝が御前には神々も塵の中に横たわる。 おお汝よ、おお運命の支配者よ。  このシン(Sin)というのは月の神で、シャマシュ(Shamash)は太陽神である。紀元前二〇〇〇年ころに至って、初めて、以前にあの木星の支配者であったところの、バビロンでは特別に大事な神様マルドゥクが、シンやシャマシュに取って代わり、自ら太陽神として何よりも崇ばれるようになったのである。  もう少し長い周期が望ましくなってくるので、何かしら太陰周期すなわち、太陰の一ヶ月と関係の付けられるものを求めるようになった。そこで一ヶ年、すなわち、太陽の輪回を、近似的に一二ヶ月に等しいと定めた。古代メキシコ人の間に行われた、トナラマトル(Tonalamatl)と名づける二六〇日の珍しい周期はほとんど太陰月の九ヶ月(すなわち、二六五・七日)に等しい。これは多分二〇で割り切れるために二六〇日としたものであるらしい。  太陰が暦の決定に役に立つということが分ると同時に、これと同じ目的に役に立つような他の天体を求めるようになったのは当然のことである。この目的には金星は特に全くあつらえ向きにできていた。この星の光は強くて、暗夜には物の陰影を投げるほどであり、またその一周の周期はかなり短くてわずかに五八四日(すなわち、一・六年)である。文化の進歩するにつれて、数年という長さの期間で年代を数えるようになったころには、太陽の輪回八回が金星の周期の五倍にほとんど等しいという事実が非常に便利に感ぜられた。またメキシコ人はこれよりもずっと長い、一〇四太陽年という周期を設定した。これは一四六トナラマトル、あるいは金星周期の六五倍に当るのである。  上記三つの計測術の支配者とも言うべき天体は、いわゆる旧世界でも新世界でも、最古の文化民族の間で神々の中の首長として尊崇せられていた。バビロニア人はシン、シャマシュ及びイシュタール(Ishtar 金星に当るアスタルテ Astarte)の三神を仰いでいた。アラビア人は太陰(ワッド Wadd ホバル Hobal またはハウバス Haubas)を父として、太陽(シャムシュ Shamsh)を母、また金星(アッタール Atthar)をその子として礼拝した。アッシリアの諸王はその尊貴の表象として掛けていた首輪から三つの護符を胸に垂らしていたが、その一つは月の鎌の形をしており、第二のものは輻を具備した車輪か、あるいは十字(太陽の象徴)の形をしており、また第三のものは一つの輪で囲まれた星の形(金星の象徴)をしていた。  最古の文化民族の宗教は確かに、暦日の予算という、すなわち、最古の科学というべきものを神聖視し尊崇したところから発達したものと思われる。このようにして星の学問が始まって以来、次第に他の遊星も観察されまた神々の数に加えられるようになった。そしてこれら遊星の天上の位置を定めるために星辰を幾つかの星座に区分するようになった。その分け方となると、もはやバビロニア人の区分法とメキシコ人のそれとが全く一致するはずのないことは言うまでもない。  カルデア人が最古の規則正しい天文観察を行ったのは耶蘇紀元前四〇〇〇年ないし五〇〇〇年前に遡るものと推測される。ローマ人やギリシア人の考えではこれが数十万年の昔にあったとさえされている。すなわち、かの大天文学者ヒッパルコス(Hipparchos)は二七万年、キケロ(Cicero)は四七万年という、もちろん甚だ荒唐なる推定をしているのである。  カリステネス(Kallistheness)はアリストテレスのために、紀元前二三〇〇年に亘るこの種の観測資料を収集した。カルデアの僧侶たちは毎夜の星辰の位置とその光輝の強弱を粘土版に記銘し、またこれらの星の出没並びに最も高くなるときの時刻をも合わせ記録した。いわゆる恒星は規則正しい運動をするから、その将来の位置を完全に正確に予言することができた。また太陽が一年の間に黄道に沿うて運行する時々の位置もまた特に規則正しく、すなわち、毎日約一度ずつ前進する。カルデア人が円周を三六〇度に分けたのは畢竟ここから起ったことである。その後になって、太陽は冬(近日期)は夏よりも早く動くということに気が付いたので、この不規則を勘定に入れるために、太陽は冬期は毎日一・〇一五九度。夏期はこれに反して毎日〇・九五二四度ずつの円弧を描いて進行するものであると仮定した。最も著名なバビロニアの星の研究者キディンヌ(Kidinnu)は紀元前第二世紀の初めごろの人であるが、彼は太陽の速度が月毎に変るという仮定をしてこの算暦法に重要な改良を加えた。彼は重要な観測を非常にたくさんに行った。彼がこの観測に基づいて作った太陰の運行に関する表は特別に正確なものである。  諸遊星の運行を予報する立派な暦表ができていて、その中のあるものは今日まで保存されている。たとえば紀元前五二三年の分がそうである。この暦を作るために使われた長い周期は、太陽とある遊星とが地球並びに相互に対して全く同じ位置に復帰するまでの期間である。たとえば八太陽年は金星の五周行に当る、従ってこの金星と太陽とに関する長周期は八年の長さをもっている。木星に関する同様の周期は八三太陽年である。それでこのような周期の間における当該遊星の位置を一度詳細に記しておけば、次の周期の間のその星の位置を完全に予報することができた。もっとも周期の長さが全く精密でないために少しの食違いがあるが、これは精細な観測に基づいた補正を加えることになっていたのである。  これらの周期中に最も重要なるものは太陰の運行に関するもので、これはメトンの周期(Metonische Periode)と名付けられていた。太陰が地球の周りを二三五回運行する期間が六九三九・六日に当り、これを一九年と比べるとその差は一日の一〇分一程度である。すなわち一九年経過すれば太陽と太陰との地球に対する位置はほとんど初めの状態に帰ってくる。それで一度月食があったとすれば、それから一九年後にまた同じ現象を期待することができる。この周期がバビロニア人の間に良く知られていたということは、クーグラー(Kugler)が紀元前四世紀の初めにおけるバビロニア時代の天文学上の計算によって確証した。この時代は、同じ周期がメトン(Meton 紀元前四三二年)によってギリシアに紹介されてから約五〇年後に当る。当時ギリシアとバビロンの間には、主にフェニシアを通じて、交通があるにはあったが、恐らくこの周期は両国で独立に見出されたものであろうと思われる。ミレトスのタレース(Thales von Milet)がバビロンの天文学の知識を得たのはやはりフェニシアを経てのものであったらしい。後年アレキサンドリアでギリシア人がバビロニアの科学を学んだのも同様であった。  日食についても同様であるが、この場合の予報はそれほど容易く確実にはできない。食の現象、特に日食はただに人間のみならずあらゆる生物に異常な深い印象を与えるものであるから、もし天文に通じた僧侶があって、この自然現象を正確に予言することができたとしたら、その人に対する一般の尊崇の念は甚だしく高まったに相違ない。日食が地球と太陽との中間における太陰の位置によるものであるということはよほどの昔から既に天文学者には明らかに分っていたはずである。このことを認めれば次にはまた、月食の起るのは太陰が地球の陰影の中に進入するためであるということに気が付く順序になるはずである。しかるに月面に投じた影の輪郭が円形であるから、従って地球は円いものであるという結論をしたに相違ない。ところが地球のどちら側が月に面していても月面における影は円形であるということから、更に進んで、地球は円板のようなものではなくて球形のものであるという結論を得たであろう。これらの観察の結果として、地球の形並びに地球が天体として太陽太陰に対する近親関係についても正しい観念を作り上げる端緒を得たわけである。カルデア人が地球大円周の長さの測定を行ったらしいと思われることがある。紀元前五世紀の人でアレキサンドリア出のギリシアの著者アキレス・タティオス(Achilles Tatios)の記したところによると、カルデア人はこういうことを主張していた。それは、もし少しも休むことなしに毎時間三〇スタディア(すなわち、約五キロメートル)の速度で歩きつづけることのできる人があったとしたら、一年で地球を一回りすることができるというのである。この見積りに従えば、地球の大円周の長さは四三八〇〇キロメートルになるが、これは実にほとんど正しいのである。  カルデア人の宇宙の構造に関する観念はこれ以上には進まなかったらしい。遊星の運動は実際ある点までは確かに規則正しいのであるが、しかしそれらの位置に関する一定の法則を設定することはできなかった。それでこれらの星は多分自由意志をもっており、その出現は人間の企図や出産、死亡またそれに次いで起る相続問題などに際して幸運あるいは不幸の兆を示すものと信じられていた。こういう吉凶の前兆は必ず事実となって現われるもので避けることは不可能であるが、しかし呪法や祈願や犠牲を捧げることによって幾分かその効果を柔らげ、ともかくも一寸延ばしにすることはできると考えられた。こういう方法を知っているものは天文に通じた僧侶だけであったので、彼らは王侯や人民に対して無上の権力を得るようになった。この信仰は実に今から数世紀前までも迷信的な人類を支配し、そのためにこれら輪廻現象の本然の解説の探求、従ってほとんどあらゆる科学的の研究を妨げたのである。  カルデア人が、もっと短い時間を測るに用いたものはクレプシュドラ(Clepsydra)と名付ける水時計と、それからポロス(Polos)と名づける日時計である。後者は一本の垂直な棒の下へその棒と同長の半径を有する凹半球に度盛をした盤を置いたものである。水時計は水かあるいは他の液体が大きな容器から一つの小さな穴を通じて流出するようになっており、その流出した液量を測って経過時間を測定するのであった。ポロスは南北の方位を定め、また冬期夏期における太陽の高度や世界の回転軸の位置を定め、また正午における陰影の長さから春分秋分の季節を定めるために使われた。メソポタミアの都市の廃墟で水晶のレンズが発見されたことから考えると、当時の学者は光学に関する知識もかなりにもっていたことが分かる。しかし外の学問の方面までも余り進んでいたわけではないらしい。  エジプトの伝説ではトート(Thot)の神が人間に天文、占筮と魔術、医療、文字、画法を教えたことになっている。太陽や遊星が十二宮の獣帯に各一〇日ずつに配された三六の星宿の間を縫うて運行する経路が図表中に記入され、そういうものが最も古い時代から太陽神ラー(Ra)の神殿に仕える僧侶たちによって集積された。後にはまた他の神々の神殿にも天文学者等が仕えるようになり、彼らは『夜の番人』として天界の現象を精確に観察しそれを記録する役目を務めた。彼らはちゃんとした星界図さえ作っていたので、それが彼らの図表と同様に一部分現在保存されている。エジプトでも暦法の基礎としてやはり一年は一二月、一ヶ月は三〇日より成るとしてある。歳の初めは今の八月に当る。一年を三六五日にするために歳の終りへもってきて『五日の剰余日』を置いた。太陽の一周行の期間は三六五日より五時間四分の三だけ長いから、だんだんと食違いができるので、時々、天体、特に『狼星』シリウスの観測によって修正を行っていた。  以上述べたことから考えてみると、エジプトの暦年はある点で我々現在のよりも優れていた。すなわち、毎月一様に三〇日という長さであったのに反して、我々の暦では二八日ないし三一日といういろいろな月の不合理な混乱が支配している。よく知られている通り、元来二月は三〇日であったのが、そのうちの一日を取り去り、それを、ジュリアス・シーザーの名誉のために七月(Juli)へ持って行ったのである。そこでオーガスタス大帝も負けてはならぬとばかり、二月から更にもう一日を引抜いて八月(August)へ持ってきた。後代のものの眼から見るとこの仕方は彼らのせっかくの目的とは反対の効果を招くことになってしまったのである。  太陽の周期が正しく三六五日でないために生ずる困難は時が進むに従って加わる。これを避けるために、エジプトでは、初めのうちは、折々に暦をずらせ狂わせて間に合わせていた。そうしてナイル河の氾濫期がちょうど歳の初めにくるように合わせたのである。しかしこの方法はかなり出任せであるので、プトレミー(Ptolemy)朝に至って閏年(四年目毎に三六六日の年)というものを定めた。この暦法の改正がローマでは少し後れて、ジュリアス・シーザーの命令で行われた。これにはギリシア-エジプト派の天文学者、ソシゲネス(Sosigenes)が参与したのである。それでこの改正暦のことをジュリアン暦と名づける。しかしこの暦も永い間には不完全なことが分ってくるので、紀元一五八二年に法王グレゴリー一三世の命令で更に新しい暦が設定された。この暦の誤差は三千年経ってわずかに一日となるだけである。  エジプトでは天文学者は非常な尊崇を受けていた。彼らは天文学の方ではカルデア人を凌駕するほどではなかったであろうが、彼らの知識はそれだけではなかった。その上に医術や化学を知っていてこれらの科学でははるかにカルデア人よりも進んでいたらしい。アジアの王侯たとえばバクタン(Bakhtan)王のごとき人々すら、わざわざエジプトの医師の処方を求めによこしたくらいである。後代にはまたペルシアの諸王も彼らの医学上の知識の助けを求めた。ホーマーはエジプトの医師を当代の最も熟達したものとして賞讃している。彼らの処方は今日でもかなりたくさんに残っている。彼らの医薬の処方や健康回復法の心得書のあるものはラテン語の詩句中にそのままの言語で出ており、これは中世における最高の医学専門学校であったサレルノ(Salerno)の大学で教授されたものである。そういうわけで部分的には民衆医術の中にも伝わり今日まで保存されてきたのである。彼らの用いた薬剤は、現今でも支那の薬屋で売っているような無気味な調剤とかなりよく似た品物であったらしい。  しかしあらゆるエジプトの学問のうちでも一番珍重されたのは占筮術と魔術であった。エジプトの学者たちは、ある一定の方式の呪文を唱えると河の水をその源へ逆流させ、太陽の運行を止めたりまた早めたり、またまじないを施した蝋製の人間や動物の姿を生かし動かすことができたとされている。彼らは宮廷に出入し、往々『天の秘密の司官』という官名で奉職していた。彼らの位階は近衛兵の司令官や枢密顧問官(『王室の秘密の司官』)と同様であった。そしてこれらの高官と同様に、階級の低い役人等とは反対に、王宮の中でサンダルを履いたまま歩くことを許され、またファラオの足でなくて膝に接吻してもいいという光栄を享楽していた。そしてこの大きな栄誉を担う人々の徽章として豹の毛皮(今ならヘルメリンの毛皮に当る)をまとうことを許されていたのである。  これらの学者たちには、およそ大概のことでできないということはないと、民衆が信じていたという証拠としてマスペロ(Maspéro)に従って次の物語をしよう。ケオプス王(Cheops)が彼らの一人に『お前は切り取った首を再び胴体につなぐことができるという話だが、それは本当か』と聞いた。その通りだと答えたので、ファラオは、その実験をさせるために牢屋から一人の囚人を連れてくるように命じた。すると、この宮廷占星官は、こういう実験に人間を使うのは惜しいことである、これには動物一匹あればたくさんである、という、甚だ人間味のある返答をした。そこで鵝鳥を一羽連れてきて、その首を切り放して室の一方に、その胴体を他方の側に置いた。占星官はかねて魔術書で学んでいた二三の呪文を唱えた。すると鵝鳥の胴体は首のある方へと飛び飛びをしながら動き始める、首の方でもまた胴の方へ動いてゆき、結局両方が一緒にくっついて、しかしてこの鵝鳥がガアガアと鳴き立てた。もちろん、たいていの伝説で御定まりのように、こういうことは三遍行われなければならないので、次には一羽のペリカン次には一頭の牡牛でこの術を行い、完全に成功してみせたというのである。王子たちのみならずファラオ自身も時々この宮中占星官から科学や魔術の教授を受けたという話である。  エジプト人は地中海から紅海へかけてかなり手広く航海を営んでいた。それには彼らの星学の知識が航路を定める役に立った。ホーマーがオディセイのカリュプソ(Kalypso)の島からコルフ(Korfu)への渡航を歌っているが、全くあの通りであった。疑いもなく当時は、ことにまだ十分な経験を得なかったころは、なるべく沿岸航路に限るようにしていたではあろうが、しかし時には嵐のために船が沖合へ流されるようなこともあったであろう。そういうときに航海者等は、陸地に近づくに従って海岸が次第に波の彼方から持上ってくるということや、また甲板で見るよりも帆柱の上で見た方が早く陸が見え初めるということを観察したに相違ない。同様にまた陸から見ている人には初めに船体の低い部分が海に隠れ最後に帆柱の先端が隠れることを知ったであろう。これらの事実から船乗りやまた海岸の住民らが、海面は中高に盛り上っており、多分球形をしているであろうという考えを抱くようになったのは明白である。  エジプト人がケオプスの大金字塔(紀元前約三〇〇〇年)を建築したとき、その設計のために、彼らの中でも最も優れた大知識にのみ知られていた科学的経験の一部を役立ててその跡を止めたという、スコットランドの星学者ピアッチ・スミス(Piazzi Smyth)の説は多くの自然科学者も同意したところである。この金字塔は、他の同種の建築物と同様に、その精密に正方形をした底面の辺が正しく東西にまた南北に向かうような位置に置かれていて、その誤差はわずかに七五〇分の一にすぎない。この金字塔は、緯度三〇度に甚だ近く、ただ二キロメートルだけ南に外れている。その北側の真ん中に入口があって、そこから長い、狭い、水平線に対して三〇度傾斜した通路に入る。従ってこの通路はほとんど地球の回転軸と並行していることになる。すなわち、この通路の長さの方向はちょうど天の極に向かう。しかも極は、大気による光線の屈折のためにわずかばかり実際よりも地平線に対して浮上って見えるから、なおさらちょうどよく極を指すことになるのである。それで、エジプト人が耶蘇紀元前ほとんど三〇〇〇年前に既にかなり進んだ数学並びに星学上の知識をもっていたということは、この通路の位置から見てもまた金字塔の辺の南北方位の正確さから考えても、疑いもないことである。しかしピアッチ・スミスとその賛成者たちの考えにはこの点について甚だしい誇張があるようである。この大金字塔の当初の高さは一四五メートル、またその四辺の周縁の全長が九三一メートルであった。この二つの数量の比は一対六・四二で、すなわち、円の半径と円周との長さの比、一対六・二八よりも約二パーセント強だけ小さい。このことからして、スミスは、金字塔の高さと周囲との比をもって円の半径と円周との比を表わそうとしたものであるということを、十分な根拠らしいものなしに結論している。ヤロリメク(Jarolimek)の調べたところによると、ケオプス金字塔の建築者は、その造営に当っていわゆる黄金截(〇・六一八)の比例を使ったらしいが、それにはともかくも一通りならぬ幾何学の知識がなくてはならないはずである。  我々が人間文化の最古の表象の跡を尋ねるような場合には、いつも、自然に支那の方に注目することになるのであるが、しかしかの国の思索家らは宇宙創造の問題に関しては割合に少ししか手を着けていない。孔夫子は紀元前五五一―四七八年の人であるが、彼自身に、自分はただ古い知識を集めただけだと断っている。彼は全く道徳問題だけを取扱って宇宙成立の問題というような非実用的な事柄に係わることは故意に避けたのである。紀元前六〇四年に生れて孔子と同時代であり道教の始祖となった老子の方にはいくらかの材料が見付かる。一体『道』とは何であるかということは余り簡単に説明ができない。近ごろ古代支那哲学の通覧を著わした鈴木の説に従えば『道は宇宙に形を与える原理であると同時に、また「天と地の未生以前に存在した渾沌たる組成のある物」、すなわち原始物質を意味するもののようである。』(この「 」の文句は老子の道徳教の第二五章の引用である。)『道』は『道路』の義であるが、しかし単に道路だけでなくまた『さまよう者』を意味する。道はあらゆる生あるものと生なきものの放浪すべき無窮の道路である。これは何ら他の物から成立ったのではなくそれ自身に永遠の物である。それはすべてであるが、しかしまた虚無でもある。それは天地万有の原因であり始源である。老子自身の言葉によれば『道は深く不可思議で、万有の始源である。道は静かに明らかで永遠に輝く一つの観念である。道は何者の子として生れたものか、私は知らない。彼は神(Ti)よりも以前からあったように見える。』『天地は不朽である。それは自分自身を作り出したものでもなく、また自身のために存在するものでもないからである。』道はまたしばしば玄妙中のまた玄妙なるものと名付けられる。この天地が不朽だとするその理由がまたよほど特別なものである。道は自分自体から生ぜられたものでないという命題を与えて、それからまずこれは絶滅することのできないものであるという結論を引き出すことができるというのである。  紀元前五世紀の道教学者列子は『始めに、一つの組織のない団塊、すなわち、渾沌があった。これは、後に形態、精神及び物質に進化し得る可能性を備えた混合物であった』と書いている。この哲学者は自分自身について次のような話をしている。『杞の国にある男があった。彼は天と地が崩壊するかも知れない、しかしてそれがために自分が破滅するかも知れないということを心配して寝食を廃するに至った。一人の友人がやってきて、こう言って彼を慰めた。「天地はただ一種の霊気の凝結したものにすぎない。しかして日月星辰はただこの霊気の中に輝く団塊である。これらが地上に墜ちたところで大した損害はないであろう。」こういって二人とも安心していた。ところが、この考えに対して長廬子という男が反対説を出した。その説によると、天地は実際にいつか一度は粉微塵に砕けなければならないというのである。この話を聞いたときに列子は大いに笑ってこう言った。天地が砕けるというのも、砕けないというのも、いずれも大きな間違いである。我々はそれを判断すべき手段を一切持っていない。……世界が破壊しようがしまいが、それは何も自分に関係したことではない。』鈴木が言っているように『支那人はギリシア人やインド人のように空想的な性質ではない。彼らは決して物事を実用的道徳的に見ることを忘れない。彼らは、危なっかしい足元がやはり地上に縛られている癖に星の世界ばかり覗きたがるこれらの人を笑うであろう。』要するに支那人の万有に対する見方は古代ローマ人のと同じである。そうして孔子の教えの中にこの特徴が結晶しているのである。  こういう哲学的な霧中のまぼろしはこのくらいに切り上げてもいいと思う。これらは畢竟、前提なしの抽象的思索で宇宙の謎を解こうとしてもそれは不可能だということを示すだけである。  支那でも寺院に職を奉ずる天文学者らがいて、星の運行を追跡して日月食を予報する役目を司っていた。吾人の知る限りでは彼らの天文学は余り大して科学的に進んだものではなかったらしい。多分カルデア人が西洋の知識と接触する以前とほぼ同程度のものであったかと思われる。 Ⅴ ギリシアの哲学者と中世におけるその後継者  エジプト、バビロニアのみならず一体に西方諸国の科学がついに民衆の共有物とならずにしまったのは非常な損失であった。もしこれがそうなっていたとしたら、これら国民の文化は疑いもなく今日我々が賛歎しているあの程度よりも一層高い程度に発達したであろうし、また我々の今日の文化もまたそれによって現在よりももっと優れたものになったかも知れない。  紀元前四〇〇年から六〇〇年に亘る、最古のギリシア文化の盛期における最も古い文化圏はエジプトであった。しかして、当代における最高の知識を修めようと思う若いギリシア人、タレース、ピタゴラス(Pythagoras)、デモクリトス(Demokrit)、ヘロドトス(Herodot)のごとき人々は皆このナイル河畔の古き国土をたずね、その知恵の泉を汲んで彼らの知識に対する渇きをいやそうとした。そうして古代における科学の最盛期というべきものはアレキサンドリアのプトレミー朝時代に当って見られる。ここでギリシア文化がこの古典的地盤の上でエジプト文化と融合されたのであった。  紀元前六四〇―五五〇年の人、ミレトスのタレースがあるとき日食を予言して世人の耳目を驚かしたという話が伝えられている。疑いもなく彼はこの日月食を算定するバビロニア人の技術をフェニシア人から学んだであろう。また彼がエジプト人から当代科学の諸学説を学んだという説もある。実際、万物の始源は水なりとする彼の学説は、世界の原始状態に関するエジプト人の観念に縁を引いているようである。このタレースの弟子であったと思われるアナキシマンドロス(Anaximandros 紀元前六一一―五四七年)は、各種元素より成る無限に広大な一団の渾沌たる混合物から無数の天体が生ぜられたと説いている。もう一人の哲学者アナキシメネス(Anaximenes 紀元前五〇〇年ころ)は、これもタレースと同じくいわゆるイオニア学派の人であるが、空気を始源元素であると考えた。彼はこの空気が密集して大地となったと考え、この大地は盤状のものであって、圧縮された空気の塊の上に安置されていると考えた。太陽も太陰も星もまた同様な形状をしたものであって、しかしてこれらが地の周囲を回っているとした。このアナキシメネスの説にはエジプト派の痕跡が全くない。  ピタゴラスは紀元前六世紀の後半(五六〇―四九〇年)の人でいわゆるピタゴラス学派の元祖であるが、この人となるとまたエジプトの学風の余弊がかなりに強くひびいているようである。彼はサモス(Samos)島に生れたが後に南イタリアのクロトン(Kroton)に移った。彼もエジプトの学者たちと同様に、自分の知識をただ弟子の間だけに秘伝するつもりであったが、弟子の方ではもっと西洋流の気分があったのでこれらの秘密をかまわず周囲に漏らし伝えた。これらの自然科学者の諸説(多くはフィロラオス Philolaos の説として伝えられたもの)については遺憾ながら原著は伝わらず、ただ二度あるいは三度他人の手を経たものしか知ることができない。これらの所伝によると、宇宙におけるあらゆるものの関係は数によって表わすことができる。そうしてそれには調和と名付ける一定の厳密な法則が存在している。この規則正しい関係があたかも種々な楽音の高さの間の関係と同様であるから、こう名付けたのである。宇宙はすべての方向に一様に広がっている。すなわち、一つの球である。その真ん中に中心の火があるが、我々はこれと反対側の地上にいるために火を見ることはできない。しかしその反映を太陽に見ることができる。この中心火の周囲を地球、太陰、太陽及び諸遊星が運行している。これらのものも地球と同じようなものでやはり雰囲気をもっているものと考えられるようになった。地球は円いもので、中心火のまわりを一日に一周する――すなわちどういう風にかとにかく自身の軸のまわりに二四時間に一回転する。同様に太陰は一ヶ月にその軌道を、太陽は一年の間にその軌道を一周するのである。これらの三つの天体の周期はかなり精密に知られていた。もしピタゴラス派の人々が、この中心火の代りに太陽を置き換えさえしたら、太陽系というもののかなり正しい概念が得られたに相違ない。恒星をちりばめた天球はどうかというと、これもまた巨大な中空の球であって同じ中心火のまわりを回っているものと考えられた。その上にまた地球が一日に自分の軸で一回転すると思ったのであるから最初の仮定は単に無駄であるばかりでなく、かえって全く矛盾することになるのである。  ピタゴラス派の学説は次第に進歩するとともにその明瞭の度を増した。現象の物理的原因にだんだん立ち入るようになった。エフェソス(Ephesos)のヘラクリトス(Heraklit 紀元前約五〇〇年)は何物も完全に不変ではないと説いた。シシリア人エムペドクレス(Empedokles 紀元前約四五〇年)は、何物でも虚無から実際に生成されること(すなわち、創造)はあり得ないということ、また物質的なものである以上何物でもそれを滅亡させることは不可能であるという、我々現代の考えと全く相当する定理に到達している。すべての物は土、空気、火及び水の四元素から成立つ。ある物体がなくなるように見えるのは、ただその物の組成(この四元素の混合関係)が変るためにすぎない、というのである。ペリクレス(Perikles)の師であったアナキサゴラス(Anaxagoras)は紀元前約五〇〇年に小アジアで生れ、ペルシア戦争後アテンに移った人であるが、彼は以上の考えを宇宙全体に適用し、すなわち、宇宙の永遠不滅を唱道した。原始の渾沌が次第に一定の形をもつようになった、太陽は巨大な灼熱された鉄塊であり、その他の星もやはり灼熱していた――それはエーテルとの摩擦のためであったというのである。アナキサゴラスはまた太陰にも生物が住んでいるという意見であった。また彼が、地球は諸天体の中で何ら特別に選ばれたる地位を占めるものでないという説の最初の言明をしているのは注意すべきことである。これは後代復興期の天文学者らによって唱えられた考えと非常に接近したものである。  プラトンやアリストテレスを読めば分る通り、アテン人は星を神様だと思っていたのであるから、アナキサゴラスは、彼の弟子クレアンテス(Kleanthes)の申立てによって、神の否認者として告訴され監獄へ投げ込まれ、あのソクラテスと同じ運命に陥るはずであったのをペリクレスの有力な仲介によってようやく免れることができた。そこで彼は用心のために亡命しランプサコス(Lampsakos)の地で一般の尊敬を受けつつ七二歳の寿を保った。アテンにおける最も優秀な人たちが彼らの哲学上の意見に対する刑罰(死罪)を免れるために次々に亡命したという史実を読んでみていると彼の賛歎されたアテンの文化というものがはなはだ妙なものに思われてくるのである。ソクラテスは亡命を恥としたために毒杯を飲み干さなければならなかった。彼の死後プラトンはその師と同じ厄運を免れるために一二年の歳月を異境に過ごさなければならなかった。それで彼の教えはピタゴラス派と同様イタリアで世に知られるようになった。プラトンの弟子のアリストテレスはあるデメーテル僧から神を冒涜したといって告訴され、大官アレオパガスから死刑を宣告されたが、際どくもユーボェア(Euböa)のカルキス(Chalkis)に逃れることを得て、そこに流謫の余生を送り六三歳で死んだ(紀元前三二二年)。神々の存在を否認したディアゴラス(Diagoras)もやはり死刑を宣告された後に亡命し、またかの哲学者プロタゴラス(Protagoras)もその著書は公衆の前で焼かれ、その身は国土から追われた。神々は自然力を人格化したものだと主張したプロディコス(Prodikos)は処刑された。――自由の本場として称えられてきたアテンがこういう有様であったのである。当時のアテン人の間には奴隷使役が広く行われていた。それで今日保存されている古代の文書の大部分も、遺憾ながら、そういう自然研究などには縁の薄い人々の手になったものである。思うに、当時アテンに在住していた哲学者らは、狂信的な多数者の迫害を避けるために、自分の所説に晦渋の衣を覆っていたものらしい。  エムペドクレスとアナキサゴラスの次にデモクリトス(Demokrit)が現われた。彼は後日我々の承継するに至った原子観念の始祖である。アナキサゴラスの生後約四〇年にトラキア(Thrakien)のアブデラ(Abdera)に生れ長寿を保って同地で死んだ。巨額の財産を相続したのを修学のための旅行に使用した。そして、彼自身の言うところによると、同時代の人で彼ほどに広く世界を見、彼ほどにいろいろな風土を体験し、また彼ほどに多くの哲学者に接したものは一人もなかった。幾何学上の作図や証明にかけては誰一人、しかもまた彼が満五ヶ年も師事していたエジプト数学者でさえも匹敵するものがなかった。彼は古代の思索者中での第一人者であったらしいが、しかし数多い彼の著述のうちで今日に伝わっているものはただわずかな断片にすぎない。彼の考えによると、原子は不断に運動をしており、また永遠不滅のものである。原子の結合によって万物が成立し、そうして万象は不変の自然法則によって支配される。また、デモクリトスの説では、太陽の大きさは莫大なものであり、また銀河は太陽と同様な星から成立っている。世界の数は無限であり、それらの世界は徐々に変遷しながら廃滅しまた再生する運命をもっている、というのである。ところが、このデモクリトスに至って他の哲学者からはとうに捨てられていた、大地は平坦で海に囲まれた円板だという考えが再現されているのである。  この哲学者に関して知られている事柄の大部分は、たとえばアリストテレス(紀元前三八五―三二三年)のごとく、彼の学説に反対したアテン派その他の学者らの仲介によるものである。ソクラテスなどは、天文学というものは到底理解ができないものである、こんなことにかかわり合っているのは愚かなことであると言っている。プラトン(紀元前四二八―三四七)はデモクリトスの七二種の著書を焼払いたいという希望を言明している。プラトンの自然科学の取扱い方は目的論的であって、我々の見地から言えば根本的に間違っている。一体彼がこの偉大な自然科学者デモクリトスの説を正当に理解し得たかどうか疑わしいと言われても仕方がない。当時の哲学は我々の目からは到底把握しがたい形而上学となってしまっていた。天が球のごとく丸く、星の軌道が円形であることの原因としてはたとえばアリストテレスはこう言っている。『天は神性を有する物体である。それゆえにこれらの属性をもつべきはずである。』彼はまた、遊星は運動器官をもたないから自分で動くことはできないと言っている。世界の中心点に位する大地が球形であるということは、彼もまた、月食のときに見える地球の影の形から正しく認めてはいたが、しかし地球が動いているという説には反対した。プラトンはまた地球が天界の中で最古の神的存在であると言っている。大先生たちがこういう意見を述べているくらいであるから、その余の人々から期待されることはたいてい想像ができるであろう。自然科学的の内容はなくていたずらに威圧的の言辞を重ねるのが一般の風潮であった。詭弁学者らはすべてのもの、各々のものを、何らの予備知識なしに証明するということを問題としていた。これらの哲学者の書物は中世に伝わり、そうしてほとんど神のごとく尊崇された。アリストテレスの諸説は全く間違のないものと見なされた。そうしてこれが中世における自然界の考え方の上に災の種を植付けた。――たとえばスコラ学派の奇妙な空想を見ただけでも分ることである――そうしてこれが科学的の考察方法に与えた深い影響は実に僅々数十年前までも一般に支配していたのである。  シラクス(Syrakus)とアレキサンドリア(Alexandria)における自然研究は、これから見るとずっと健全に発達していた。キケロ(Cicero)に従えば、シラクスのヒケタス(Hicetas)は、天は静止している、しかし地球が自軸の周りに回転していると主張したそうである。しかしこれ以上のことは伝わっていない。彼の偉大な同郷人アルキメデス(Archimedes 紀元前二八七―二一二年)についても伝わっていることは更に少ない。彼は平衡状態にある液体は球形となり、また一つの重心をもつことちょうど地球も同様であると説いた。この理由によって海面は平面ではないというのである。  地球の形とその宇宙における位置に関してついに明瞭な観念を得るに至ったのはアレキサンドリアの自然科学者の功に帰せられねばならない。クニドス(Knidos)のユウドキソス(Eudoxus 紀元前四〇九―三五六年)は初めエジプトで人に教えていたが、後にアテンで一学派を立てた人である。この人は遊星運動に関する一つのまとまった系統を立てた。エラトステネス(Eratosthenes 紀元前二七五―一九四年)はアレキサンドリアで、夏至と冬至の正午における太陽の高度を測定し、それを基にして南北回帰線間の距離が地球大円周の八三分の一一に当るということを算定した(この値は実際より約一パーセント強だけ大きい)。またアレキサンドリアとエジプトのシェナ(Syene)とで太陽の高度を測定し、両所間の緯度の差が地球周囲の約五〇分の一に等しいことを知った(この値は約一五パーセント小さすぎる)。この二ヶ所の距離を、駱駝を連れた隊商の旅行日数から推定し、それによって地球の円周を二五万スタディア(四二〇〇〇キロメートル)と算定した。これはかなり実際とよく合っている(アリストテレスは四〇万、アルキメデスは三〇万スタディアを得た、とあるが何を根拠にしての算定であるか分っていない)。ポセイドニオス(Poseidonios 紀元前一三五年シリアに生れ、同五一年ローマで死んだ)はアレキサンドリアで恒星カノプス(Canopus)の最大高度を測って七・五度を得た。ロドス(Rhodos)島ではこの星が最も高く上ったときにちょうど地平線上に来る。ところがロドスとアレキサンドリア間の距離はあるいは五〇〇〇あるいは三七五〇スタディアと言われていたので、これから計算して地球の周径は二四万、あるいは一八万スタディア(四万あるいは三万キロメートル)となった。 第七図 エジプトのデンデラー(Denderah)の獣帯。西暦紀元の初めごろのもの。  アリスタルコス(Aristarchos 紀元前約二七〇年生)は食の観測と、太陰がちょうどその半面を照らされているときのその位置とから太陽と太陰との大きさを定めた。しかして太陰の直径としては地球直径の〇・三三(正当の値は〇・二七であるから、〇・三三にかなり近い)を得たが、しかし太陽の直径としては一九・一を得た(実は一〇八であるからアリスタルコスのこの値は余り小さすぎる)。  アレキサンドリア学派とは密接な関係のあったアルキメデスがアリスタルコスに関してこういっている。『彼は恒星及び太陽を静止するものと考え、地球は太陽を中心とする円形の軌道に沿うて運行すると仮定している。』プルターク(Plutarch)の著として誤伝されている一書によると、アリスタルコスは、天を不動とし、地球はその軸のまわりに自転しつつ黄道に沿うて太陽の周囲を運行すると説いたというので、神を冒涜するものとしてギリシアで告訴されたとある。恒星は太陽からばく大な距離にあると考えられていて、この書には七八万スタディアとなっている。――一三万キロメートル、すなわち、地球半径の二〇倍に当り、これは全く事実に合わない(アレキサンドリアのヒッパルコス(Hipparchos)紀元前約一九〇―一二五年――は古代天文観測者中の最も優秀な者であったが、この人は太陰の距離をほぼ正しく地球半径の五九倍と出している)。そうしておもしろいことには太陽の距離の方はほとんど正しく八〇四〇〇万スタディア(一三四六六六〇〇〇キロメートルに当る、実際は一四九五〇万キロメートル)となっている。ヒッパルコスの方は地球半径の一二〇〇倍という、すなわち、ずっと不当な値を出しているのである。ポセイドニオスは水時計の助けを借りて太陽の直径を測り、角度にして二八分という値を得、それから長さに換算して地球半径の七〇倍を得ている。これはいくらかよく合っている方である。彼はまた太陰が潮汐の現象の原因であるということも説いているのである。  これらの記事を読んでみると、アレキサンドリアにおけるギリシア人の天文学がいかに程度の高いものであったかということに驚かざるを得ない。しかるに他の方面の科学、特に物理化学の方の知識は到底これとは比較にならない劣等なものであった。アリスタルコスはコペルニクスに先立つことほとんど二〇〇〇年にして既にいわゆるコペルニクス説の系統の基礎をおいたのであるが彼の考えはいったんすっかり忘れられてしまった。彼の同時代の人々は彼の宣言した偉大な真理を正当に了解することができなかったのである。その著書アルマゲスト(Almagest 紀元一三〇年ころの著)によって天文学方面での唯一の権威となっていた――また優れた光学者でもあった――プトレマイオス(Ptolemäus)は、これに反して、地球は太陽系の中心にあり諸遊星も太陽もまた太陰もこの中心の周囲をいわゆるエピチケル形軌道を描いて運行すると考えたのである(第六図)。その後ローマ帝政の抑圧が世界を支配するようになって、科学にも悪い影響を及ぼした。ローマ人らは科学に対して何らの正当な理解がなかった。――彼らの眼をつけたのはただ直接の実利だけであった。ランゲ(F. A. Lange)はその著マテリアリズムの歴史中に次のように述べている。『彼らの宗教は深く迷信に根ざしていた。彼らの全公生活は迷信的な方式で規約されていた。伝統的な習俗を頑固に保守するローマ人には、芸術や科学は感興を刺激することが少なかった。まして自然そのものの本質に深く立入るようなことはなおさらそうであった。彼らの生活のこの実用的な傾向はまたすべての方面にも及んだ。……初めてギリシア人と接触して以来、数世紀の後までも、国民性の相違から来る忌避の感情が持続していた。』しかしギリシア国土の征服後掠奪された貴重な芸術品や書籍がたくさんにローマへ輸入され、またそれらと一緒に、この戦敗者ではあるが文化の方でははるかに優れた国民の種が入り込んできた。ローマ人中にもまた精選された分子はあったので、それらの人々はこの自分らよりも優れた教養に心を引かれ、しかしてそれを自分のものにしようと勉め、また昔の先覚者に倣おうと努力した。その一例としてはルクレチウス(Lucrez 紀元前九九―五五年)の驚嘆すべき詩『物の本性』(De Rerum Natura)がある。彼はこの書中にエピキュリアン派(Epicur)の人生哲学と、エムペドクレス及びデモクリトスの宇宙観自然観を賛美し唱道している、その中に物質の磁性に関する記事解説もある。これに関する彼の知識は多分デモクリトスから得たものらしい。このように、ギリシアの哲学ことにかの巨匠デモクリトスの哲学を賛美していた美なるものの愛好者中には、ポセイドニオスの弟子であったキケロ(Cicero 紀元前一〇六―四三年)もいた。また兄の方のプリニウス(Plinius 紀元二三―七九年)やセネカ(Seneca 紀元一二―六六年)もいた。 第六図 プトレマイオスの宇宙系  しかしこれらの人々も結局はただ師匠を模倣するに止まっていた。ローマ人らは自分らに独特なものは何も持出さなかった。自然科学的教養はただ薄い仮漆にすぎなかったのである。そうして国民の先導者らは文化に対する最も野蛮な暴行を犯した。たとえばシーザーはアレキサンドリア市を占領した後でそこの図書館を焼払った。彼の後継者たる代々の皇帝はひたすらに狂気じみた享楽欲に耽溺の度を深めていった。こうして自然の研究者らは次第に跡を絶ってゆくのであった。キリスト教徒らはまた一層自然科学に無関心であった。シーザーから三〇〇年後に彼らは大僧正テオフィロス(Theophilos)の指図によっていったん復興されていたアレキサンドリアの図書館を掠奪し、更に三〇〇年後にはアラビアの酋長カリフ・オマール(Chalif Omar)がこの図書館のわずかに残存していた物を灰燼に委してしまった。もっともアラビア人らは、後に彼らの文化が洗練されるようになってからは、科学に対する趣味を生じ、そうして特にアレキサンドリア学派の著述、もちろん断片のようなものではあったが、それを収集するようになった。しかしアラビア人一般の心情は、元来異教に対して容赦のなかった僧侶らのために大分違った方へ導かれていたために、決して科学向きにはなっていなかった。そうして聖典コーランこそ完全に誤りのない典拠だということになっていたのである。しかし本来から言えばマホメットの教えは科学に対して敵意をもたないはずのものである。すなわち、この預言者が弟子たちにこう言ったという話がある。『知識の学問が全く滅亡される日が来れば、そのときにこの世の最後の日が来るであろう。』ハルン・アル・ラシード(Harun al Raschid)は東ローマ皇帝に哲学書の下賜を願った。その望みは快く聞き届けられたのでこの賢明な君主はこれらの書をことごとく翻訳させ、特にそれを読むための役人を定め、また外に三〇〇人以上の人々を遊歴のために派遣して知識を四方に求めさせた。その子アブダラー・アル・マムン(Abdallah al Mamuu)は古典的の手写本を求めて、それを翻訳し、図書館や学校を創設して民衆の教養の普及に努めた。紀元八二七年にはまたアラビア湾に臨むシンガール(Singar)の砂漠で、子午線測量を行わせ、一度の長さがアラビアの里程で五六・七里に当るという結果を得ている。遺憾ながらアラビアの一里は四〇〇〇エルレに当るというだけで、それ以上のことが知られていない。この子午線測量は前に述べたものよりはずっと優れたものであったのかも知れない。またこれと同時に赤道に対する黄道の傾斜角を測定した結果が二八度三五分となっている。  当時の最も顕著な天文学者はシリアの代官を務めていたアルバタニ(Albatani 約紀元八五〇―九二九年)であった。彼は一年の長さを算定して三六五日と五時間四六分二二秒とした(これは二分二四秒だけ短すぎる)。また諸遊星を観測しその結果から計算してそれらの星の軌道に関する立派な表を作った。この人より少し後れてペルシアにアブド・アル・ラフマン・アル・スフィ(Abd-al-rahman Al-Sufi 紀元九〇三-九八六年)がいた。彼は一〇二二個の星のカタローグを編成したが、彼のこの表はかのプトレマイオスのものよりもずっと価値の高いものとされ、彼我ともに古代から伝わったものの中で最も良いものとされている。彼はまた今日のいわゆる歳差を六六年毎に角度一度の割だと推算している(七一年半が正しい)。 第八・九・十・及び第十一図 四つの星座図――蛇遣い、大熊、オリオン、龍――アル・スフィの恒星表による。  これよりも以前に、メソポタミア生れのジャファル・アル・ソフィ(Dschafar al Sofi 七〇二―七六五年)という人が、化学の学問を従来考え及ばなかった程度に進歩させていた。彼はセヴィリア(Sevilla)の高等学校の教師として働いていたのである。  アル・マムンの後約一〇〇年を経て、バクダットにおけるカリフの権勢が地に堕ちて、アラビア文化の本場はスペインのコルドヴァ(Cordova)に移った。ハーケム(Hakem)第二世はこの地に(多分誇張されたとは思われる報告によると)蔵書六〇万巻を算する図書館を設立したことになっている。この時代にかの偉大なアラビア人の天文学者イブン・ユニス(Ibn Junis)が活動していてこの人はガリレオより六〇〇年余の昔既に時間の測定に振子を使った。彼はまた非常に有名な天文学上の表を算出している。これとほとんど同時代にまたアルハーゼン(Alhazen)が光学に関する大著述を出しているが、これは彼の先進者らがこの学問に関して仕遂げたすべてを凌駕したものと言われている。  紀元一二三六年にコルドヴァはスペイン人に侵略され、この有名な図書館の蔵書は次第に散逸した。そうして、それまで幾多のキリスト教徒らがそこから科学的の教養を汲んでいたところの文化の源泉は枯渇してしまったのである。  現代の回教国民その他の東方諸国民は、個人または国家にとって何ら実益のありそうにもないことにはかなり無関心である。こういう環境では科学の進歩は不可能である。著しい一例としては、トルコの法官イマウム・アリ・ザデ(Imaum Ali Zadé)が、何か天界の驚異について彼に話したある西洋の天文学者に答えた言葉を挙げることができる。プロクトル(Proctor)に従えば、アリ・ザデは正にこう言ったそうである。『まあまあ、お前には何の係わりもない物を捜し求めるのは止したがよい。お前はよくこそ尋ねてきてくれた。が、もう平和に御帰りなさい。本当にいろいろのことを話してくれた。話す人は話す人で聞く人は聞く人で別々だから何も差支えないようなものであった。お前はお前の国の風習に従って、それからそれと遍歴しながらどこまで行っても結局得られぬ幸福で住みよい土地を求めて歩いているのだ。まあ、御聞きなさい。神の信仰に対抗するような学問など一体あるべきはずがない。神が世界を造ったのだ。その神と力比べしようとか天地創造の神秘をあばこうとか、そういうことをしていいものだろうか。この星は他の星の周囲を回るとか、かの星は尻尾を引いて動いていって、しかして何年経つとまた帰ってくるとか、そういうことを言っていいものかどうか。よしてもらいたい。星を造った神はまたそれを指導するのだ。私は神を賛美するだけだ。そうして自分に用のないものを得ようなどと努力はしない。お前はいろいろのことに通じているようだが、それはみんな私には何のかかわりもないことなのだ。』  これが東洋人独特の根本原理である。幸いに我々西方国民はこれとは違った考えをもっているのである。しかし、古代科学の遺物を我々のために保存し伝えてくれた中世のアラビア人らが、これとはまた一種全く違った考えをもっていたということは、かの有名なイブン・アル・ハイタム(Ibn al Haitam これは前記アルハーゼンと同人である。アイルハルト・ウィーデマン Eilhard Wiedemann の研究によると、この人は日食の観測に針孔暗箱を用いた。また一〇三九年ころに没したとある)の言った言葉からも明らかに知ることができる。すなわち、アラビアの物理学者中で最も優秀であった彼はこう言っている。『私はずっと若いころから真理の問題に関する人間の考え方を注意して見てきたが、各々の学派は銘々に自分らの意見を固執して他の派の考え方に反対している。私はそのいずれもを疑わないわけにはゆかなかった。真理はただ一つしかないはずである。それで私は真理の源を探求し始めた。そうして、現象の真の内容を発見するためにあらん限りの観察と努力を尽くした。そうした末に私はちょうどガレヌス(Galenus)がその医術書の第七巻に次のように書いている、あれとちょうど同じようになってしまった。すなわち、私は愚昧な民衆を見下し軽侮した。彼ら(彼らの考え方)などには頓着しないで、ひたすらに真理と知識の探求に努力した。そうして結局、この世で我々人間に賦与されたもののうちでこれに勝るものは他にはないということを確認するようになった。』このアラビアの学者の経験したところは、昔の学者に特有な大衆を軽視するという悪い傾向を除いては現時の科学者のそれと完全に一致するものである。しかし、このアリ・ザデとアルハーゼンとの考えの相違は、アルハーゼンの時代に満開の花盛りを示したかの回教文化がなにゆえに今日もはや新しい芽を出し得ないかという理由を明白に認めさせるものである。 Ⅵ 新時代の曙光。生物を宿す世界の多様性  ローマ人は科学に対して余り興味をもたなかったが、特に純理論的の諸問題に対してそうであった。彼らの仕事は主にギリシアの諸書の研究と注釈に限られていた。帝政時代の間に国民は急速に頽廃の道をたどったためにたださえ薄かった科学への興味はほとんど全く消滅した。それでローマ帝国の滅亡した際に征服者たるゲルマン民族の科学的興味を啓発するような成果の少なかったことは怪しむに足りない。それでもテオドリヒ王(König Theodorich 四七五―五二六年)が科学を尊重しボエティウス(Boëthius)という学者としきりに交際したという話がある。カール大帝もまた事情の許す限りにおいて学術の奨励を勉めた。その時代に、フルダの有名な寺院にラバヌス・マウルス(Rhabanus Maurus 七八八―八五六年)という博学な僧侶がいて、一種の百科全書のようなものを書いている。これを見るとおよそ当時西欧における学問的教養の程度の概念が得られる。これは、すべての物体は原子からできていること、地は円板の形をして世界の中央に位し大洋によって取り囲まれていること、この中心点のまわりを天がそれ自身の軸で回転していることが書いてある。  中世の僅少な学者の中で、特に当代に抜きんでたものとして、フランチスカーネル派の僧侶ロージャー・ベーコン(Roger Bacon 一二一四―一二九四年)を挙げることができる。彼は特に光学に関しては全く異常な知識をもっていて、既に望遠鏡の構造を予想していた。また珍しいほど偏見のない頭脳をもったドイツ人クサヌス(Cusanus トリール Trier の近くのクエス Cues で一四〇一年に生れ、トーディ Todi の大僧正になって一四六四年に死んだ)もまた当代に傑出した人であった。彼は、地は太陰よりは大きく太陽よりは小さい球形の天体で、自軸のまわりに回転し、自分では光らず、他の光を借りている、また空間中に静止してはいない、と説いている。彼は他の星にもまた生住者がいると考えた。物体は消滅することはない、ただその形態をいろいろ変えるだけであるとした。同様な考えはまたかの巨人的天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 一四五二―一五一九年)も述べている。彼は、月から地球を見れば地球から月を見たとほぼ同じように見えるだろうということ、また地球は太陽の軌道の中心にもいないしまた宇宙の中心にもいないと言っている。レオナルド・ダ・ヴィンチは、地球は自軸のまわりに回転していると考えた。彼もまたニコラウス・クサヌスと同様に、地球も他の遊星とほぼ同種の物質から成立っており、アリストテレスやまたずっと後にティコ・ブラーヘに至ってもまだそう言っていたように、他の星よりも粗悪な素材でできているなどというようなことはないという意見であった。レオナルドは重力についてもかなりはっきりした観念をもっていた。彼は、もし地球が破裂して多数の断片に分れたとしても、それらの破片は再び重心に向かって落ちかかってくる、しかして重心の前後の往復振動をするが、たびたび衝突した後に結局は再び平衡状態に復するだろうと言っている。彼の巧妙な論述の中でも最も目立ったものはかの燃焼現象に関する理論である。その説によると、燃焼の際には空気が消費される。また燃焼を支持することのできないような気体中では動物は生きていられないというのである。レオナルドは非常に優れたエンジニアであって、特に治水工事に長じていた。彼の手になった運河工事は今でもなお存して驚嘆の的となっているものである。  彼はまた流体静力学、静力学、航空学、透視法、波動学、色彩論に関する驚嘆すべき理論的の研究を残している。その上に彼は古今を通じての最も偉大な画家であり、彫刻家であり、まだおまけに築城師であり、また最も優雅な著作者でもあった。  この有力な人物は中世の僧侶たちとは余りにも型のちがったものであった。当時既に時代は一新しており、すなわち、レオナルドの生れたときには既に印刷術が発明されており、コロンブスは既にアメリカを発見していた。復興期の新気運は力強くみなぎり始めていたのである。しかもまだ教会改革に対する反動が思想の自由を抑制するには至らなかった時代なので、クサヌスやダ・ヴィンチは自由に拘束なく意見を発表することができた。その学説というのは、およそアリスタルコス―コペルニクスの説と同じであったが、ただ地球が太陽のまわりを回るのではないとした点だけが違っていた。この二人の一人は大僧正になり、一人は最も有力な王侯の寵を受けた(彼は芸術の愛好者フランシス一世に招かれてフランスに行き、その国のアムボアズ Amboise で死んだ)。当時派手好きの法王たちはミラン、フェララ、ネープルス等、また特にフロレンスの事業好きな諸公侯と競争して芸術と科学の保護奨励に勉めていた。シキスツス第五世は壮麗なヴァチカン宮の図書館を建設し充実した。新興の機運は正に熟していて、同時に既に始まっていた彼の残忍な宗教裁判を先頭に立てた反動運動も、これを妨げることはできなかった。コペルニクス(Kopernikus 一四七三―一五四三年)はトルン(Thorn)に生れ、フラウエンブルク(Frauenburg)でカノニクス(Kanonikus)の僧職を勤めていたドイツ種の人であるが、彼は昔アレキサンドリアのプトレマイオス(Ptolemäus 約紀元二世紀)がその当時の天文学上の成果を記した著述を研究し、また自分でも観測を行った結果として、彼一流の系統(第一二図)を一つの仮説として構成した。この説を記述した著書は彼の死んだ年に発行されている。死んだおかげで彼は彼の熱心な信奉者ジョルダノ・ブルノ(Giordano Bruno イタリアのノラ Nola で生れたドミニカン僧侶)のような運命に遭うのを免れることができた。このブルノはその信条のために国を追われ、欧州の顕著な国々を遊歴しながらコペルニクスの説を弁護して歩いた。しかして、恒星もそれぞれ太陽と同様なもので、地球と同様な生住者のある遊星で囲まれていると説いた。彼はまた、太陽以外の星が自然と人間に大いなる影響を及ぼすというような、科学の発展に有害な占星学上の迷信に対しても痛烈な攻撃を加えた。 第十二図 コペルニクスの太陽系図。彗星の軌道をも示す。現時の知識に相当する第十三図と比較せよ。 第十三図 諸遊星とその衛星の運動方向を示す。太陽中心の北側の遠距離から見た形。真ん中が太陽、次が水星(Me)と金星(V)、それから地球(T)とその衛星(L)、その外側には火星(Ms)と二衛星、次には木星(J)とガリレオの発見した四衛星がある。近代になってから木星を巡る小衛星が更に三つ発見された。すべてこれらの天体は一番外側のものを除いては矢の示すように右旋すなわち時計の針と反対に回っている。一番外側に示すのは土星(S)でこれは九つの右旋する衛星――図にはただ一つを示す――と逆旋する一つの衛星、それはピッケリングの1898年の発見にかかるフォエベ(Phoebe)がいる。なおこの外にはハーシェルとルヴェリエとの発見した天王星と海王星がある。この二星の太陽からの距離は土星までの距離の約二倍と、三倍余とである。天王星には四つの衛星があるが、その軌道は黄道面にほとんど直角をなしている。その上に逆旋である。海王星には逆旋の衛星が一つある。天王、海王二遊星は右旋である。また火星と木星の軌道間にある多数の小遊星もやはり右旋である。  彼は、諸天体は無限に広がる透明なる流体エーテルの海の中に浮んでいると説いた。この説のために、またモーゼの行った奇蹟も実はただ自然の法則によったにすぎないと主張したために、とうとうヴェニスで捕縛せられ、ローマの宗教裁判に引き渡された上、そこでついに焚殺の刑を宣告された。刑の執行されたのはブルノが五二歳の春二月の一七日であった。当時アテンにおけると同じような精神がローマを支配していて、しかもそれが一層粗暴で残忍であったのである。要するにブルノの仕事の眼目はアリストテレスの哲学が科学的観照に及ぼす有害な影響を打破するというのであった。  宗教裁判の犠牲となって尊い血を流したのはこれが最後であって、これをもって旧時代の幕は下ろされたと言ってもよい。ケプラーまた特にガリレオの諸発見によって我々の知識は古代とは到底比較にならないほど本質的に重要な進歩を遂げるに至ったのである。  通例コペルニクスの考えは古代における先輩の考えとは全く独立なものであったように伝えられているが、これが間違いだということは、彼自身に次のように述べているのでも明らかである。すなわち、『私は天圏の円運動の計算に関するこれらの数理的学説の不確実な点について永い間考えてみた末に、これらの哲学者らがこの円運動について些細な点までもあれほど綿密に研究しておりながら、このあらゆる良匠中の最良にしてまた最も系統的な巨匠の手によって我等のために造られた宇宙機関の運動について何らの確実なものをも把握しなかったことに愛想を尽かすようになった。それで私は手の届く限りあらゆる哲学者の著書を新たに読み直し、そうして、もしやいつかの昔に誰かが、この数理学派の学徒が考えているとは違ったふうに天体運動を考えていた人がありはしないかを探索しようとして骨を折った。すると、まず第一に、キケロの書いたものの中にニケツス(Nicetus)またヒケタス(Hicetas)という人が、地球自身が運動していると信じていたということが見付かった。その後にまたプルタークを読んでみると、この外にも同様な意見をもっていたものが若干あることを知った。参照のためにここに彼の言葉を引用する、「しかしまた地球が動くと考える人々もあった。たとえばピタゴラス派のフィロラオス(Philolaos)は、地球も太陽太陰と同様に傾斜した軌道に沿うて中心火のまわりを運行していると言った。ポントスのヘラクリド(Heraklid von Pontus)とピタゴラス派のエクファントス(Ekphantus)の二人は、地球の進行運動は考えなかったが、しかし一種の車輪のような具合に、自身の中心のまわりに東西の方向に回転していると考えた。」こういうことが見付かったので私もまた地球の運動していることについて熟考してみるようになった。これは一見常識に反したことのように思われるが、しかし私の先輩たちが星辰の現象を説明するために勝手ないろいろの円運動を仮定している、あの自由さに想い及んだ末に、敢てこの考えを進めてみることにした。』コペルニクスはまた、既に前にアリスタルコスが考えたと同様に、地球の軌道は恒星の距離に比しては非常に小さいということも考えていたのである。  コペルニクスの死後間もなくティコ・ブラーヘ(Tycho Brahe)がショーネン(Schonen)の地に生れた。彼は若いときから非常な熱心をもって天文学を勉強していたが、あるとき日食皆既に遭って深い印象を受けたために更に熱心の度を加えるようになった。しかして多数の非常に綿密な測定を行った(主にフウェン Hven 島のウラニーンブルク Uranienburg の観測所で)。この測定はまた後日彼の共同研究者であったケプラー(Kepler)の観測の基礎を成したもので、また後世ベッセル(Bessel)をしてティコ・ブラーヘを『天文学者の王』と名付けさせた所以である。ティコはもう一遍地球を我々の遊星系の中心点へ引き戻した。しかして地球の周囲を太陽太陰が回るとし、また後には諸遊星も同様であると考え、恒星は緩やかに回る球形の殻に固着されているものと考え、そうして地球は二四時間に一回転すると考えたのである。このティコがいかに当時行われていた謬見にとらわれていたかということは、彼が人と決闘して鼻の尖端を切り落されたときに、これは彼の生れどきに星がこうなるべき運命を予言していたからだといってあきらめてしまったという一事からでも明らかである。また地球は恒星や諸遊星よりももっと粗大な物質からできている、そのために遊星系の中心に位しなければならないというその説もまた彼の考え方に特異な点である。しかし、コペルニクス系が、既に当時でも、ティコ・ブラーヘのそれに比して明らかに優っているものと考えられたことは、デカルトが特に力を入れて強調している通り『この方が著しく簡単で、また明瞭である』からである。いかに優れた観測の天才をもっていかに骨を折ってみても、理論上の問題に対して明晰で偏見なき洞察力が伴わなければ、比較的つまらない結果しか得られないものだということは、このティコが一つの適例を示すであろう。ティコは一六〇一年にプラーグで没した。  ティコ・ブラーヘはあらゆる先入謬見を執拗に固執しながら、また一方先入にとらわれない批判的検索を行うという、実に不思議な取り合わせを示している。惜しいことに彼の方法は古代バビロニア人の方法に類していて、結局古い不精密な観測を新しい未曾有の精密なもので置き換えたというだけで、それから何ら理論上の結論をも引き出さないで、それ切りになってしまったのである。彼はコペンハーゲン大学における彼の大演説の中で占星術に関する意見を述べているが、これは古代バビロニア流の占星術の面影を最も明瞭に伝えるものであり、我々には珍しくもまた不思議に思われるものであるから、有名なデンマークの史家トロェルス・ルンド(Troels Lund)の記すところによってここにその演説の一部の抜粋を試みようと思う。  ティコはこう言った。『星の影響を否定する者はまた神の全知と摂理を抗議するものでもあり、また最も明白な経験を否認するものである。神がこの燦然たる星辰に飾られた驚嘆すべき天界の精巧な仕掛けを全く何の役に立てる目的もなしに造ったと考えるのは実に不条理なことである。いかに愚鈍な人間のすることでも何かしら一つの目的はあるのである。これに対してある人は、天界はただ年月を知らせる時計にすぎないと答えるかもしれない。しかしそれだけならば太陽と太陰とだけあればたくさんである。それならば一体いかなる目的のために他の五つの遊星が各自別々の圏内に動いているのであろうか。歩みの遅い土星は一周に三〇年を要し、かの光り瞬く木星の軌道は一二年を要する。また二年を要する火星水星、それから太陽の侍女としてあるときは宵の明星あるときは暁の明星として輝くかの美しい金星などは何のためであるか。その上にまだ恒星の天圏が八つもあるのは何のためであろうか。またこれらの無数の恒星の中で最小なものでもその大きさは地球の若干倍、大きいものはその一〇〇倍以上もあることを忘れてはならない。しかもこれが何の考えも何の目的もなく神によって創造されたというのであるか。』 『諸天体はそれぞれある力の作用をもち、それを地球に及ぼしているということは、経験によって実証される。すなわち、太陽は四季の循環を生じる。太陰の盈虚に伴って動物の脳味噌、骨や樹の髄、蟹や蝸牛の肉が消長する。太陰は不可抗な力をもって潮汐の波を起こすが、太陽がこれを助長するときは増大し、これが反対に働くときはその力を弱められる。火星と金星が出会うと雨が降り、木星と水星とが出くわせば雷電風雨となる。またもしこれらの遊星の出現が特定の恒星と一緒になるときにはその作用が一層強められる。湿潤をもたらすような遊星が、湿潤な星座に会合するとその結果として永い雨が続く。乾燥な遊星が暑い星座に集まれば甚だしい乾燥期が来る。これは日常の経験からよく分ることである。一五二四年にあんな雨が多かったのは、当時魚星座に著しい遊星の集合があったためである。一五四〇年には初めに牡羊座で日食が起り、次に天秤座で土星と火星の会合、次には獅子座で太陽と木星の会合があったが、この年の夏は珍しいほど暑気の劇烈な夏であった。また一五六三年に、土星と木星とが獅子座において、しかも蟹座のおぼろな諸星のすぐ近くで会合した、そのときにどんな影響があったかを忘れる人はあるまい。既に昔プトレマイオスはこれらの星が人を窒息させ、また疫病をもたらすものだとしているが、まさにその通りに、これに次ぐ年々の間欧州では疫病が猖獗を極めて数千の人がそのために墓穴に入ったではないか。』 『さて、星は人間にもまた直接の影響を及ぼすものであろうか。これはもちろんのことである。人間の体躯はかの四元素から組成されたものだから当然のことである。一人の人間の本質中に火熱性の元素、寒冷性、乾燥性、湿潤性等の元素がいかに混合されているか、その程度の差によってその人の情操、根性が定まり、また罹りやすい病もきまり、生死も定まるのである。このいろいろな混合の仕方は、出生の瞬間における諸星の位置によってその子供の上に印銘されるもので、一生の間変えることのできぬものである。子供の栄養と発育によって成熟はするが改造はできない。ある混合の仕方では生活が不可能になるような場合さえもある。そういう場合には子供は死んで産まれる。たとえば、太陰と太陽の位置が不利で、火星が昇りかけており、土星が十二獣帯の第八宮に坐するという場合には、子供はほとんどきまって死産である。一般に、太陽と太陰の合の場合、ことに太陰が太陽に近よりつつあるときに生れた子は虚弱で短命である。この厄運は他の星の有利な位置によって幾分か緩和されることはあるが、結局は必ず良くないにきまっている。このことは一般に周知のことであって既にアリストテレスが、太陽太陰の合に際して生れた者の身体は虚弱だと言っているのみならず、経験のある産婆や母親は、こういう場合に子供が生れると、その子の将来必ず虚弱であることを予想して不安な想いをするのである。この理由は容易に了解される。すなわち、人の知る通り、太陰はある異常な力をもっていて、生れた子供の体内の液体を支配する。それでもし太陰が生れたものの身体にその光を注いでやらないとその体内の液体が全く干上ってしまわなければならない。そうして多血性の性情とその良い効果はほとんど失われてしまわなければならないということは明らかである。またこの結果としてはいろいろの病気、たとえば肺癆、癩病のようなものが起る。特に土星と火星がその毒を混入するような位置にいるときはなおさらである。このような物理的関係は容易に了解することができるのである。』 『身体の各部分は一つ一つ特別な遊星に相応していて、たとえば温熱の源たる心臓は太陽に相応し、脳は太陰に、肝臓は木星に、腎臓は金星に、また黒い胆汁を蔵する脾臓は憂鬱の支配たる土星に、胆嚢は火星に、肺臓は水星に相応している。』  ティコ・ブラーヘは占星術の反対者に対して最期まで闘った。『これらの人々、特に神学者や哲学者らを寛恕すべき点があるとすれば、それは彼らがこの術(占星)について絶対に無知識であるということと、彼らが常識的な健全なる判断力を欠いていることである』と言っている。  以上は、中世を通じて行われ、ごく近いころまでもなお折々行われてきた目的論的の見方を筋道とした論法の好適例である。  ティコの観測の結果から正しい結論を引き出す使命はケプラー(Kepler 一五七一―一六三〇年)のために保留されていた。彼は諸遊星は各々楕円を描いて太陽の周囲を運行することを証明し、またその速度と太陽よりの距離との関係を示す法則を決定した。彼は初め当時全盛のワルレンスタインのためにその運勢を占う占星図を作製したのであるが(第十四図)、後にはついに占星学上の計算をすることを謝絶するに至ったということはケプラーのために特筆すべき事実である。それにかかわらず一方ではまた彼は自分の子供らの運勢をその生誕時の星宿の位置によって読み取ろうとしているのである。ケプラーの家族はプロテスタントの信徒であったためにいろいろの煩累に悩まされなければならなかった。 第十四図 ケプラーの作ったワルレンスタインの運勢を占う占星図。  ケプラーの研究によって、天文学はアリスタルコス以来初めての目立った一大進歩を遂げたが、これは更にまたかの偉大なガリレオ(Galilei 一五六四―一六四二年)の諸発見によってその基礎を堅めるようになった。ガリレオはケプラーと文通していたのであるが、一五九七年のある手紙に自分は永い以前からコペルニクスの所説の賛成者であるということを書いている。一六〇四年に彼はオランダで発明された望遠鏡の話を聞き込んだ。そうして自分でそれを一本作り上げ、当時の有力な人々から多大な賞賛を受けた。そこでこの器械を以て天界を隈なく捜索して、肉眼では見られない星を多数に見付け出した。これで覗くと遊星は光った円板のように見えた。一六一〇年には木星を観測してこの遊星の衛星中の最大なもの四個を発見した。そうしてあたかも遊星が太陽を回ると同様な関係に、木星に近い衛星ほど回転速度が大きいことを見た。彼はこれらの衛星をトスカナ(Toscana)に君臨していた侯爵家の名に因んで『メディチ(Medici)の星』と名づけたのであるが、この衛星の運動の仕方が正しくコペルニクスの所説の重要なる証拠となることを認めた。彼はまた土星の形がときによって変化すること(この星を取巻く輪の位置による変化)、また金星(水星も同様であるが)が太陰と同様に鎌の形に見えることをも発見した。また太陽の黒点をも発見し(一六一一年)そうしてその運動の具合から、太陽もまた自軸のまわりに自転するものであると結論した。これらの発見は当時僧侶学校で教えられていたようなアリストテレスの学説とはすべて甚だしく相反するものであった。それでガリレオはローマへ行って親しく相手を説き付けるのが得策であると考えた。ところが相手の方では科学上の論議では勝てないものだから、ガリレオの説は犯すべからざる聖書の教えと矛盾するものだという一点張りで反対した。  ガリレオが公然とコペルニクスの信奉者であるということを告白しているのは太陽黒点のことを書いた一書において初めて(一六一三年)見られる。教会方面の権威者らも初めのうちは敢て彼に拘束を加えるようなことはなかったが、一六一四年に至って『神聖会議』の決議により、地球が公転自転と二様の運動をするというコペルニクスの説は聖書の記すところと撞着するということになった。もっともこのコペルニクスの説を一つの仮説として述べ、それを科学上の推論に応用するだけならば差支えはないが、しかしそれを真理と名付けることは禁ずるというのであった。  今日から考えるとこういうことは想像もし難いようであるが、その当時ではこれは全く普通のことであった。自分の主張していることを自分で信じているのではないとごく簡単に証言すればよいのであった。しかし実際は信じているのだということは誰でも知っていたのである。最も著しい例は、三〇年後(一六四四年)にデカルト(Descartes 一五九六―一六五〇年)が次のような宣言をしていることである。『世界が初めから全く完成した姿で創造されたということには少しも疑わない。太陽、地球、太陰及び諸星もそのときに成立し、また地上には植物の種子のみならず植物自身ができ、またアダムとイヴも子供として生れたのではなく、成長した大人として創造されたに相違はない。実際キリスト教の信仰はそう我々に教え、また我々の自然の常識からも容易に納得されるのである。しかし、それにもかかわらず、植物や人間の本性を正当に理解しようとするには、これらが最初から神の手で創造されたと考えてしまうよりも、種子からだんだんに発育してきたと考えてその発達の筋道を考察して見る方がはるかに有益で便利である。それで、もちろん実際は万物は上に述べたようにして成立したものだということをちゃんと承知しているとして、もし若干のごく簡単で分りやすい原理を考え出し、その助けによって星や地球やその他この世界で見られる万物が、すべて種子から発育してできたかも知れないということを示すことができたとしたならば、その方が、これら万物をただあるがままに記載するよりもはるかによく了解することができるだろう。今私はそういう原理を見付けたと信じるから、ここで簡単にそれを述べようと思う。』  当時の宗教裁判は蚤取眼で新思想や学説が正統の教理と撞着する点を捜し出そうとしていたから、その危険な陥穽を避ける必要上から、こういう不思議な態度をとるのもやむを得なかったのである。それでガリレオも七年間はおとなしくいたが、しかしとうとうジェシュイット教父のグラッシ(Grassi)と学説上の論争に引っかかった。グラッシはちゃんと正当に彗星を天体であると考えていたのに、ガリレオの方はこれが地上のものだという旧来の考えを守っていたのである。それでついにジェシュイット教徒はガリレオを告訴するに至ったので、彼は一六三三年に老齢と病気のために衰弱していたにかかわらずローマへ召喚され、宗教裁判の訊問に答えなければならなかった。彼はできる限り論争を避けようと務めたが結局やはり不名誉な禁錮の刑を宣告され、その上に地動説の否定を誓わさせられた。しかしてそれ以来、太陽系中における地球の位置に関するコペルニクス、ケプラー及びガリレオの著書は最高神聖の法門の権威によって禁制され、それが実に一八三五年までつづいたのである。  ガリレオはその著書の中でピタゴラス及びアリスタルコスが地球は太陽のまわりを回ると説いたことを引用している。彼は物体の運動に関する学説を発展させ、物体に力が働けばその運動に変化を生ずることを立証した。何らの力も働かなければ運動は何らの変化もなく持続するというのである。アリストテレスは墜落しつつある物体の背後には空気が押し込んできて物体の運動を早めると考えたが、ガリレオはこれに反して、空気はただ落体運動を妨げるだけだということを証明した。  コペルニクスの学説に対する教会の反抗はしかし結局は無効であった。デカルトは一刻も狐疑することなくコペルニクスの考えに賛成した。もちろんそのために彼は敵を得たが、しかし新教国たるオランダ及びスウェーデンに安全な逃げ場所を見出した。惜しいことには彼はスウェーデンへ来ると間もなく罹った病気のために倒れたのであった。コペルニクスの説いた通りすべての遊星は、太陽の北極の方から見ると右から左へ回っている。それと同様にまた太陰は地球を、ガリレオの発見した木星の衛星は木星を、また太陽黒点は太陽を回っている。その上にまたこれらのものはほとんど皆黄道の平面の上で回っている。この規則正しさを説明するためにデカルトは、ブルノと同様に、一種のエーテルの海を想像し、その中に諸遊星が浮んでいると考えた。デカルトはこのエーテルが太陽を中心としてそのまわりに渦巻のような運動をしており、そして諸遊星はこの運動に巻き込まれて、ちょうど枯葉が渦に巻かれて回るように回っているのだと信じていた。この考えは、諸遊星を神性あるものによってその軌道の上を動かされているというケプラーの考えに比べれば疑いもなくはるかに優れたものである。彗星は遊星とは違った運動をするが、これについてのデカルトの説は、これらもやはり天体であって、土星よりも外側を運行しているものだというのである。ところがティコ・ブラーヘは、彼の観測の証するところでは彗星は太陰軌道の外側を動きはするがしかし時々は金星や水星よりも遠くない距離に来ることがあると言っている。これについてデカルトは、ティコのこの観測はそういう結論をしてもいいほどに精確なものではなかったと主張している。  デカルトはモルス(Morus)への手紙の中でこう言っている。『我々は宇宙に限界があるということを観念の上で了解することができないから、宇宙の広がりは無限大だと言う。しかし空間の無限ということから時の無限ということの推論はできない。宇宙に終局があってはならないとしても神学者らはそれが無限の昔に成立したとは主張していない。』宇宙は物質を以て充たされている。それゆえにすべてのものは円形の環状軌道の上を運行しなければならない。神は物質とその運動とを創造した。宇宙には三つの元素がある。その第一は光の元素でこれから太陽と恒星が作られた。第二は透明な元素でこれから天が作られた。第三は暗く不透明でしかして光を反射する元素で、遊星や彗星はこれからできている。第一の元素は最小な粒子から、第三のものは最も粗大な分子からできている。  初めには物質はできるだけ均等に広がっていた。それが運動するためにいくつかの中心のまわりに環状軌道を描くようになり、その中心には発光物質が集まり、そのまわりを上記の第二第三の物質が旋転するようになった。それらの暗黒な物体の中で若干のものは運動が烈しく質量が大きくてこの旋渦の中心から非常に遠く離れてしまって、そのためにいかなる力もそれを控えることができなくなってしまった。こういうものが一つの渦から他の渦へと移ってゆく、これがすなわち、彗星である。これよりも質量が小さくまた速度の小さいもののうちで、同様な遠心力を有するものが一群となって、それが前記の第二の要素の一つとなった(この中で質量の最小な群が一番内側へ来た)。これがすなわち、遊星である。これら遊星の運動とはちがった運動をする物質粒の運動のために、遊星は西から東へ回るような回転運動を得た。 第十五図及び第十六図 デカルトによる、地球半球の横断様式図。Iは地心で太陽と同じ物質でできている。初め地球は全部この物質でできていた。この物質の周囲を包んで太陽黒点に相当する。しかしもっと厚い殻Mがある。これができたために地球は光らなくなって一つの遊星となり太陽系旋渦に巻き込まれた。日光の作用によって空気Fと水Dとが分れ、最後には空気の中に石、土、砂等の固形の皮殻Eを析出した。これが現在の地殻である。この殻が図の2、3、4のようなところで破れて落ち込み、しかして下の図にあるような状態になった。それで水がしみ出して図の右と左の部分に示すように大洋を生じた。他のところでは1や4の示すように山岳を生じた。空気の一部分は山と地殻の下(たとえば図のF)に閉じ込められた。  最小な粒子の運動によって熱が生ずる。それは、一部は、日光がこの物質粒子に衝突するために生じ、また一部は、他の方法でもできる。この熱は我々の感覚に作用する。太陽や恒星に黒点が増すとその光は暗くなり、反対にこの黒点が消えると明るくなる。黒点の強さが消長すると一つの星の光力は減ったり増したりする、というのである。この、種々の星の光力の変化に対する説明は、ごく最近まで多数の天文学者によってそのままに受継がれてきたものである。  ときにはまた一つの恒星の周囲を回る上記第二種及び第一種の粒子から成る旋渦が、その近くにある他のいくつかの渦に吸込まれることがある。そのときにはこの渦の中心の恒星も一緒にもぎ取られて他のどれかの渦に引き込まれ、その中の彗星かあるいは遊星となるのである。  デカルトは、このように恒星から遊星に変る過渡の段階については、地球に関する記載中にこれよりも一層詳しく述べている。すなわち、地球も初めには第一種の元素からできていて、強大な渦に取り巻かれた太陽のようなものであったのが、だんだんに黒点に覆われ、それが一つに繋がって一種の皮殻となった。それで地球の灼熱した表面が冷却すると、もう渦の外の方の部分へ粒子を送り出すことができなくなるので、従ってこの渦動が次第に衰える。すると今までは灼熱した地球から出る粒子のために押戻されていた近所の他の渦からの粒子が押寄せてくる。そのために、この光の消えた地球は近所の太陽旋渦の中へ引込まれ、そうして一つの遊星になったのである。地球の心核はしかし灼熱状態を持続しながら第三種の粒子から成る固形の殻で包まれている。この殻の中には気層と水層とがありその上を固体の地殻が覆っている(第十五図及び第十六図)。この殻がしばしば破れて下の水層中に落ち込み、そのために水が地表に表われて大洋を作り、また破れた殻が山岳を生じる。水は脈管のように固体地殻の中を流動しているというのである。この考えは後にまた幾分敷衍された形でバーネット(Burnet)が説述した(一六八一年)ものである。  これが宇宙系に関するデカルトの考え方の大要である。諸恒星は我々の太陽系を取り巻く諸渦動のそれぞれの中心であるが、その距離が莫大であるために、それが運動していても、地球に対する位置は変るように見えないのである。  当時化学の進歩はまだ極めて幼稚なものであった。物体の種々な性質はそれを構成する最小粒子の形状によるものと信じられていた。デカルトはこれら粒子が大きいか小さいか、軽いか重いか丸いか角張っているか、卵形か円形か、あるいはまた分岐しているか平坦であるかによって、どういうふうに物の性質の相違が起るかということを、真に哲学者らしく徹底的細密に記述しているが、こういう事柄の煩わしい記述のために、せっかく彼の構成した系統の明瞭さがかえって著しく弱められているのである。  ニュートン(Newton)と同時代の偉人で、また彼の競争者であったライブニッツ(Leibniz 一六四六―一七一六年)は当時の科学雑誌『アクタ・エルディトルム』(Acta Eruditorum)誌上で一六八三年に発表した論文『プロトガィア』(Protogaea)中に地球の進化を論じているが、その所説は現今定説と考えられているものとかなりに一致している。当時一般に信ぜられていたところでは、既に昔の北国民の考えていたと同様に、地球はその最後の日には灼熱状態となって滅亡するだろうということになっていた。多分太陽が他の天体と衝突でもすればそうなるであろうと思われるのである。ところが、ライブニッツはデカルトと同様に地球の初期もまた強く灼熱された状態にあったと考えた。これが――ライブニッツの言葉によれば――燃料の欠乏のために消燼して地球はガラス状の皮殻で覆われ、そうしてそれまで蒸発していた水はその後にようやく凝結して海となった。このガラスのような皮殻から砂ができた。しかして――水と塩類との作用を受けて――その他の地層ができた。海は初め全地球を覆っていたから今日至る所で古昔の貝殻が発見される。地殻の陥落のために表面の高低ができて、その最も低い部分を大洋が占めることになったのである。  有名なデンマーク人ステノ(Steno 一六三一―一六八六年)の業績は、いったん世人から忘れられていたのを、一八三一年に至って初めてエリー・ド・ボーモン(Elie de Beaumont)によって紹介された。このステノの意見によると、水平な地層、特に水産動物の化石を含有するものは、もと水中で沈積したものと考えられなければならない。こういう地層がしばしばもとの水平な位置から隆起しているところから見ると、これは何か外力の作用によって起ったことに相違ない。ステノはその外力のうちでもなかんずく火山作用が最も著しい役目をつとめたものと考えた。  当時一般の考えでは地球の内部は水をもって満たされ、それが脈管を通じて大洋と連絡していると思われていた。デカルトの説の中にも既にそういう意味のことが暗示されている。この誤った考えの著しい代表者はウドワード(Woodward 一六六五―一七二二年)とウルバン・ヒエルネ(Urban Hjärne 一七一二年)であった。この後者の説では地心の水は濃厚で濁っていて、しかして沸騰するほど熱いということになっている。  デカルトの考えは当代から非常な驚嘆をもって迎えられた。そして諸大学におけるアリストテレスの哲学に取って代ろうとする形勢を示した。この説はまたウプザラにおいても盛んな論争を惹起し、それが多分スウェーデンで科学の勃興を促す動機となったようである。宗教方面の人々はこの新説を教壇で宣伝することを妨圧しようと努めたが、これに対する政府の承認を得ることができなかった。  このデカルトの学説から強い刺激を受けた若い人々の中に、スウェデンボルク(Swedenborg)がいた。彼はデカルトの宇宙生成説にある変更を加えた。彼の説では太陽系のみならず原子までも、すべてのものが渦動からできているとする。万物はすべて唯一の様式に従って構成されているのであって、最も簡単な物質粒子は非物質的な点の渦動によって成立すると考えるのである。この考えは甚だ薄弱である。なぜかといえば、広がりをもたない一つの点がたとえどれほど急速に渦動をしても、それによっていくらかの空間を占有することはできないからである。スウェデンボルクは恐らくこの仮説によって、宇宙が虚無から成立したことを説明しようと試みたものらしい。彼は数学的の点は永劫の昔から存在しているという意味のことをしばしば言っているが、しかしこの点について徹底的に一貫してはいないで、ある箇所ではまたこれが創造されたものだとも言っているのである。スウェデンボルクの宇宙生成説がデカルトのと異なる主要な点は、遊星が外から太陽系の渦動中に迷い込んだものだとしないで、反対に太陽から放出されたものだとしたことである。スウェデンボルクの想像したところでは、太陽黒点がだんだんに増してついには太陽の光っている表面全体を暗くしてしまった。中に閉込められた火は膨張しようとして周囲の外殻を伸張したためについに殻が破れた。そうしてこの暗黒な外皮が太陽赤道のまわりに環状をなして集まった。渦動は止みなく旋転を続けているうちにこの固態の輪は破れて小片となり、それらが円く丸められて各々球形の質塊となり、種々の遊星、衛星(並びに太陽黒点)となったものである。このようにして一つの太陽がその殻を破裂させるとこれが急に我々の眼に見えるようになる。これがいわゆる『新星』の出現に相当するものであるとスウェデンボルクは考えた。 第十七、十八、十九及び第二十図 スウェデンボルクの考えた、太陽旋渦から遊星系の生成。第十七図Sは太陽旋渦、ABCはそれを囲む球状の固形皮殻。これが破れて(十八図)渦の極からそれの赤道の方に落ちて赤道のまわりに一つの帯を作る(十九図)。OIKLM等は太陽物質より成る。最後にこの帯が破れてその部分から球状の遊星CFM等また衛星Dghkができる。遊星はSのまわりの渦動につれて旋転しているうちにあるところまで来ると周囲と均衡の位置に達する。  遊星や衛星は渦動につれて動いているうちにある位置に達するとその周囲を包んで回っているエーテルと釣合いの状態になる。ここまで来ると、この距離でほとんど円形の軌道を描きながら運行する。この関係はあたかも、空気中を上昇する軽い物体が、その周囲が自分と同じ比重であるようなところへ来て初めて落ち付くのと全く同様である。それでスウェデンボルクの考えに従えば一番比重の大きい遊星が一番内側に来るわけであるが、デカルトの考えだと最大質量を有する遊星が一番外側に来ることになるのである。  この二人の考えは、いずれも、いくらかはあたっているが、しかし全く正しくはないということは次の表(アメリカ人シー See の計算による)を見れば分る。 天体     半径      質量  平均距離   比重 太陽   109.100   332750.0000    0.00   0.256 水星    0.341      0.0224    0.39   0.564 金星    0.955      0.8150    0.72   0.936 地球    1.000      1.0000    1.00   1.000 太陰    0.273      0.0123    1.00   0.604 火星    0.536      0.1080    1.52   0.729 木星    11.130     317.7000    5.20   0.230 土星    9.350     95.1000    9.55   0.116 天王星   3.350     14.6000    19.22   0.390 海王星   3.430     17.2000    30.12   0.430  スウェデンボルクの著述中には概して我々今日の科学者には諒解し難いような晦渋曖昧な点が甚だ多い。彼は自分の書いていることを十分によく考え尽くしたのではあるまいという感じを読者に起させるのである。彼の『プリンキピア』(Principia)の終りにはこの渦動を数学的に表象している――すなわち、ここでは完全な明瞭を期待してもいいはずである。この渦の外側には自ら他の渦と区別するに足るべき判然たる境界があることになっている。ところで、スウェデンボルクは、この渦の外側の境界からの距離が1と2の比にあるような二つの遊星の速度の比は1と2でなければならない、と主張している。これから推論すると、遊星を中心に引く力は、この渦の外郭から遊星への距離に正比例し、太陽から遊星への距離に反比例することになる。しかしこの力は正しくニュートンの導いた通り太陽から遊星への距離の自乗に反比することいわゆる重力であるべきであって、すなわち、スウェデンボルクの所説は全く事実に合わないのである。しかしスウェデンボルクはニュートンの仕事を良く承知していたはずで、自著の中の所々で彼に対する賛美の辞を述べ『いくら褒めても褒め足りない』と言っている。それでスウェデンボルクは自説と、一般によく事実に相当するものと認められたニュートンの説との折合をつけるために、こう言っている。すなわち、この渦動が渦の外縁の方に行くほど増加するものとすれば、ちょうどニュートンの説のようになるというのである。しかしこれではニュートンの法則に従う遊星の運動とは全く合わないし、要するに全く不可解である。  スウェデンボルクの著書中に暗示されているところによると、彼の考えでは、銀河が眼に見える星の世界に対する役目は、あたかも太陽の回転軸が遊星系に対するのと同様である。従って数多の太陽は各自の遊星系を従えてこの銀河の真ん中を貫く大宇宙軸のまわりに群を成している。それで銀河は実は輪状であるがちょうど天上に半円形の帯のように見えることになる。このようにして、スウェデンボルクの考えたように、この銀河系をその唯一小部分とするような更に大なる系を考えることができるのである。後にライト(Wright)がまたこれと同様な考えをまとめ上げた(一七五〇年)。彼は多分スウェデンボルクの考えの筋道は知らなかったらしいが、銀河を太陽系に相当するものだと考えた。カント(Kant 一七五五年)も同様であったが、ライトの所説以上には大した新しいものは付加えなかった。またラムベール(Lambert)も同様であったが、彼は太陽がいくつも集まって星団となり、星団が集まって銀河その他になると考えた(一七六一年)。  そこで我々は、スウェデンボルクがニュートンを賛美しながら、なにゆえに彼の驚天動地の発見を自分の体系中に取り入れなかったかを疑わなければならない。これに対する答はこうである。すなわち、スウェデンボルクの頭には、宇宙間の万物は、大きいものも小さいものも、すべて画一的な設計に従って造られたものだという考えがすっかりしみ亘っていた。彼には天体相互の間に距離を隔てて働く作用を考えることは明らかに不可能だとしか思われなかった。それは、我々はどこでもそういう作用を経験しないからである。実際この点についての論難は種々の方面からニュートンの大発見に対して向けられ、ニュートン自身もまたそれに対して全く無関心ではなかったのである。そこでスウェデンボルクはデカルトの渦動説を取って自分の宇宙生成説の基礎としたのであるが、スウェデンボルクは自分の仮定が物理学的に不可能なこと、特にそれがニュートンの法則と全然相容れないものだということには少しも気が付かなかったように見える。これは実にスウェデンボルクの体系の重大な欠点であるが、しかし彼のこの体系の中には若干の健全な考えが含まれていて、これが後日他の人によって敷衍され発展されるようになったのである。  その中で特に著しいものは、遊星の生成は太陽に因るものであり、従って遊星は本来から太陽系に属するものだという仮定である。この考えは通例はカントのだとされているものである。しかしまた銀河は一つの大きな恒星系だという考えも、スウェデンボルク自身はわずかしか発展はさせなかったけれども、これもかなりに価値のあるものである。彼の考えの筋道の中で独特な点は、我々の太陽の近くに存する多くの太陽系の軸はすべてほとんど同じ方向を指していなければならない、としたことである。しかしこの方向が銀河の軸と並行でなければならないとしたのは必ずしも事実と合わない。それでも近ごろボーリン(Bohlin)の研究によると、我々に近い二重星の軌道面や、最大の(すなわち、最も近い)星雲の平均の平面が黄道とほぼ並行しているということが、ある度までは確からしい。ライト及びラムベールの考えたように銀河系の諸太陽についてもまた同様な規則正しさが存すると期待してもよいかも知れない。  ピタゴラスは彼の弟子たちに対して、他の遊星にもまた地球と同様に生息者がいると言明したと伝えられている。吾人の地球は宇宙の中心点ではないとするコペルニクスの学説が一般に承認されるようになってからは、当然の結果として他の世界もまた我々のと同様に生息者を有すると見なされるようになった。  ジョルダノ・ブルノもまたこの説を熱心に唱道した。この説は当時の神学者から見ると非常な危険思想であってその罪を贖うにはただ焚殺の刑あるのみと考えられたのである。ガリレオ及び他のコペルニクス説の信奉者等に対して教会を激昂させたものもやはり疑いもなく主として正にこの説のこの帰結であったのである。それにかかわらず、この説が普及してしまったころには、今度はまた反対の極端に走ってしまって、すべての天体には生物がいると考えられるようになった。そうしてそれら天体の上で物理的条件がはたして生物の生存に適するかどうかを深く追究しようとはしなかった。当時月の世界の住民に関するいろいろな空想が流行したと見えて、そういうものが通俗的な各種の描写の上に現われている。かの偉大な天文学者ウイリアム・ハーシェル(William Herschel)でさえ、太陽には住民があると信じ、また太陽黒点は、太陽の空に浮ぶ輝く雲の隙間から折々見える太陽の固形体の一部だと信じていたくらいである。この種の空想の中でも最も著しいものは恐らくスウェデンボルクの夢みた幻想であろう。スウェデンボルクは異常に正直な人であったので、彼が主張したことを実際に確信していたということには少しも疑いはないのである。彼の言うところによると、彼は他の世界の精霊や天使と交通していて、それらと数日、数週、ときとしては数ヶ月も一緒にいた。『私は彼らから彼らの住む世界についていろいろのことを聞いた、かなたの風俗習慣や宗教に関すること、それから他のいろいろな興味ある事柄の話を聞いた。このようにして私の知り得たすべてを私自身に見聞したことのような体裁で記述してみようと思う。』『このように大きな質量を有し、そのあるものは大きさにおいて我が地球を凌ぐようなこれらの遊星は、単に太陽のまわりを周行しその乏しい光でたった一つの地球を照らすというだけの目的で造られたものではなくて、外に別な目的があるであろうということを考えるのは合理的な結論である。』この考えをスウェデンボルクは他の世界の精霊から伝えられたことにしているが、これはしかしかなりに一般的な考えであって、天文学が他の学問よりも多く一般の興味を引くゆえんは疑いもなくまた主としてこの点に関係しているかと思われる。スウェデンボルクの精霊はまたこう言っている。『遊星は自軸のまわりに回転するために昼夜の別を生ずる。多くはまた衛星を伴っていてこれがちょうど我々の太陰が地球のまわりを回るように、遊星のまわりを回っている。』  遊星のうちでも土星は、『太陽から一番遠く離れていて、しかも非常に大きい輪をもっている。この輪がこの遊星に、反射された光ではあるが、多くの光を供給する。これらの事実を知っていて、そうして合理的にものを考える能力のある人ならば、どうしてこれらの天体に生住者がいないと主張することができようか。』『この精霊や天使等の間では、太陰やまた木星土星を巡る月、すなわち、衛星にも住民がいることは周知のことである。』その住民というのは知恵のある、人間と類似の存在であるとして記載されている。『誰でもこの精霊たちの話を聞けば、これらの天体に生息者のあることを疑うものはあるまい。なぜかといえば、これら天体は皆「地球」であり、そうして「地球」がある以上はそこに人間がなければならない。地球の存在する最後の目的は結局人間だからである。』スウェデンボルクはこのようにして、単に我々の太陽系に属する諸遊星に関してのみならず、また眼に見える宇宙の果てまでの間に介在する他の太陽を取り巻く生住者ある世界に関する知識を得た。彼の肉体がこの地球に止まっている間に彼の霊魂がそういう他の世界に行ってきたのである。また彼は我々の太陽が天上の他の諸太陽よりも大きいということを悟った。すなわち、彼が他の世界の遊星の一つから空を眺めたときに他の星よりも大きい一つの星を認め、そうして、それが我々の太陽だということを『天から』教えられたからである。彼はまたあるとき宇宙系中で最小だと称せられる遊星に行ったことがあるが、その周囲はわずかに五〇〇ドイツ哩(三七六〇キロメートル)にも足りなかったそうである。彼はまたしばしば他の遊星の動植物のことについても話している。  このごとき記述はスウェデンボルク時代の教養ある人士の間で一般に懐かれていた宇宙の概念の特徴を示すものと見ることができる。上記はプロクトル(Proctor)の著から引用したのであるが、この人も注意したように、この概念は現代の見方とは大分懸けはなれたものである。現に我々の太陽は確かにすべての恒星中の最大なものではない。またスウェデンボルクの挙げた遊星は決して宇宙間で最小のものでもない。紀元一八〇〇年以来発見された七〇〇の小遊星の中で最大なセレスは周囲二〇〇〇キロメートルであった。ヴェスタとパルラスはその半分にも足らず、またその光度から判断して最小のものとして知られているのは、周囲わずかに三〇キロメートルにも足りないらしいのである。  それにしてもスウェデンボルクが二九ヶ年交際していた精霊たちが誰一人これら小遊星のことを知らなかったというのはよほど不思議なことである。また彼らが土星を最外側の遊星だとしたのも間違っている。それは、その後に天王星と海王星(一七八一年と一八四六年)とが発見されたからである。もっとも天王星は実は一六九〇年、すなわち、スウェデンボルクの生れたころ(一六八八年)に、既にフラムステード(Flamsteed)によって観測されていた。それは肉眼にも見えていたので疑いもなく多数の人の眼に触れていたのであろうが、ただハーシェル以前には誰もそれが遊星であるとは思わなかったのである。  また、水星では太陽からの輻射が酷烈である(地球上よりも六・六倍ほど)のにかかわらず、その住民が安易な気候を享有していると主張しているのも大いに注意すべき点である。その理由は雰囲気の比重が小さいからだというのである。しかして稀薄な雰囲気が冷却作用をもつことを、スウェデンボルクは、高山では、たとえ熱帯地であっても、著しく寒冷だという事実から推論している。そういうことをスウェデンボルクが水星の住民に話してやったことになっている。彼らは余り知恵のない住民として記されているのである。今日我々の考えでは、水星の上で生物の存在は到底不可能としなければならない。  これから見ると、スウェデンボルクがその幻覚中に会談したと信じていた精霊や天使たちも、結局彼自身が既に知っていたことか、または確からしいと考えていたこと以外には何も教えることができなかったということが明白に分る。それで、この啓示によって授かった知識を現代の考えに照らしてみたときの誤謬は、そのままに当時の宇宙に対する全体の知識の誤謬を示すものである。それで私がここで精霊の所説に関するスウェデンボルクの報告を列挙したのは、ただ当時の学者が宇宙系をどういうふうに考えていたかを示すためであって、この顕著な一人物の深遠な、そして彼自身の信じるところでは、超自然的な方法で得た知識の概観を示そうとしたわけではないのである。  カントでさえ、多分スウェデンボルクの先例に刺激されたと見えて、その著『天界の理論』(Theorie des Himmels)中で、他の遊星にいる理性を備えた存在の属性に関して長々しい論弁を費やしているのもまた当時一般の傾向を示すものとして注意するに足りるのである。もっとも彼はただ太陽系だけを取り扱っている。しかして『この関係はある度まで信じるに足るものであって、決定的に確実という程度からもそれほど遠くないものである』と言っているが、これは遺憾ながら、彼には往々珍しくない批判力の鋭さの欠乏を示すものである。  すなわち、彼の説によると、諸遊星のうちで、太陽に近いものほど比重が大きいので(この仮定が既に間違っている)、太陽から遠い遊星であればあるほど、その遊星の生住者もまたその動植物も、それを構成する物質の性質は、それだけ、軽く細かなものでなければならない。同時にまた、太陽からの距離が大きいほど、これらのものの体躯の組織の弾性も増し、またその体躯の構造も便利にできていなければならない。同様にまた、これらのものの精神的の性能、特にその思考能力、理解の早さ、概念の鋭さ活発さ、連想の力、処理の早さ等、要するに天賦の完全さは、彼らの住所が太陽から遠いほど増加するはずである、というのである。  木星の一日はわずかに一〇時間である。これは『粗末な本性』を有する地球の住民にとっては十分な睡眠をするにも足りない時間である。そういう点から考えて彼は、上記のことは必然でなければならないとした。またスウェデンボルクのみならずカントの考えでも、太陽系の外方にある遊星に多数の衛星のあるのは、つまりそれら遊星の幸福な住民を喜ばせるためである。それはなぜかと言えば、彼らの間では恐らく美徳が無際限に行われていて、罪悪などというものはかつて知られていないからだというのである。  このようなことを書いているのを見ると、当代で最も偉大であったこの哲学者でも、なお同時代の学者間に一般に行われていた幼稚な形而上的でかつ目的論的な考え方から解放されることができなかったのである。すべてのものに便利ということを要求する目的論的の見方では、スウェデンボルクの言葉を借りて言えば、『人間が目的物であって、それぞれの地球はそのために存在する』ということになるのである。 Ⅶ ニュートンからラプラスまで。        太陽系の力学とその創造に関する学説  遊星運動の法則に関するケプラーの発見によって諸遊星の位置をある期間の以前に予報することができるようにはなった。しかしまだこれでは、いわば進歩の大連鎖の一節が欠けているようなものであった。しかしてそれを見付けるのにはニュートンを待たなければならなかった。彼はケプラーの三つの法則が、ただ一つの法則、すなわち、今日ニュートンの重力の法則としてよく知られている法則から演繹され得ることを証明した、この法則に従えば、二つの質量間に働く力はこれら質量の大きさに比例し相互距離の自乗に反比例するのである。当時既にガリレオ(Galilei)及びホイゲンス(Huyghens)の周到な計測によって地球表面における重力の大きさがよく知られていた。ニュートンの考えに従えば、これと同じ力、すなわち、地球の引力が太陰にも働き、そうしてそれをその軌道に拘束しているはずであるから、従って、太陰の距離における重力の強さは算定され、またそれを太陰軌道の曲率を決定するに必要な力と比較することができるはずである。それでニュートンは一六六六年にこの計算を試みたのであるが、余り良い結果を得ることができなかった。  ニュートンは――フェイー(Faye)も言っているように――この計算の結果がうまくなかったために重力の普遍的意義を疑うようになったではないかということも想像されなくはない。とにかく彼が、それきり一六八二年まで再びこの計算を試みなかったということは確実である。しかし、この年になって彼は地球の大きさに関する新しい材料を得たのでこれを使って計算を仕直し、そうして望み通りの結果を得た。当時この発見が現われるべき時機が熟し切っていたと思われるのは、ニュートンの同国人が四人までもほとんど彼に近いところまで漕ぎ付けていたことからも想像される。そのためもあろうが、とにかくこの発見はニュートンの同時代の学者のすべてから盛んに歓迎された。もっとも、遠距離にある物体間に力の作用があるということ、また遊星が真空の中を運行しているということを心に描くのはなかなか困難であった。しかしまた一方で、遊星の運動が非常に規則正しいから、いくら稀薄であるとしてもガス状のものの中を通っていると考えることは不可能であると思われた。のみならず空気の密度が高きに登るほど急激に減ずるということが気圧計の観測によって証明されたのであった。従って最早デカルトの渦動説は捨てなければならないことになった。すべての天体は、あの、円形とは甚だしくちがった形の軌道をとるために、甚だしくデカルトを困らせた彗星でさえも、すべてが厳密にニュートンの法則に従った軌道を運行していることになったのである。  遊星系内に行われている著しい規則正しさが強くニュートンの注意を引いた。すなわち、当時知られていた六つの遊星もまたその一〇個の衛星もいずれも同じ方向にその軌道を運行し、その軌道は皆ほとんど同一平面、すなわち、黄道面にあって、しかもいずれもほとんど円形だということである。彼は天体を引きずり動かす渦動の存在は信じなかったから、こういう特異な現象を説明するに苦しんだ。特に困難なのは、やはり太陽の引力によって軌道を定められているはずの彗星が、往々遊星と同方向には動かないということであった。それでニュートンは(何ら格別の理由はなかったが)遊星運動の規則正しさについては力学的の原因はあり得ないだろうという推定を下した。そうしてこう言っている。『そうではなくて、このように遊星が皆ほとんど円形軌道を運行し、そのために互いに遠く離れ合っていること、また多くの太陽が互いに十分遠く離れているために彼らの遊星が相互に擾乱を生ずる恐れのないこと、こういう驚嘆すべき機構は、何ものか一つの智恵ある全能なる存在によって生ぜられたものに相違ない。』ニュートンの考えでは、遊星はその創造に際してこうした運動の衝動を与えられたのである。この考え方は、実は説明というものではなくてその反対である。これに対してライブニッツは強硬に反対を唱えたが、それかと言って、彼もこの謎に対して何ら積極的の解答を与えることはできなかった。  これに対する説明を得んとして努力したらしい最初の人は『博物史』(Histoire naturelle 一七四五年)の多才なる著者として知られたビュッフォン(Buffon)であった。ビュッフォンはデカルトやスウェデンボルクの著述を知っていた。そうしてスウェデンボルクの考えたような太陽からの遊星の分離の仕方は物理的の立場から見て余り感心できないということを、正当に認知し、そうして別に新しい説明を求めた。彼はまず第一に、諸遊星の軌道面と黄道面との間の角が自然に、全く偶然に、七度半以内(すなわち、最大可能の傾斜角一八〇度の二四分の一)にあるという蓋然性は非常にわずか少なものであるということを強調した。  このことは前に既にベルヌーイ(Bernoulli)が指摘している。一つの遊星について偶然にこうなる確率はわずかに二四分の一である。それで当時知られた五個の遊星がことごとくそうであるという確率は24-5すなわち、約八〇〇万分の一という小さなものである。その上でまだ、当時知られていた限りのすべての衛星(土星に五個、木星に四個、それに地球の月と土星の輪がある)もまた黄道からわずかに外れた軌道を運行している。それでどうしても、何か必然そうなるべき力学的の理由を求めないわけには行かなくなってくるのである。  ビュッフォンは遊星の運動を説明するために次のような仮定をした。すなわち、これら遊星は太陽がある彗星と衝突したために生じたものである。その衝突の際に、太陽質量の約六五〇分の一だけが引きちぎられて横に投げ出され、それが諸遊星とその衛星とになった、というのである(第二十一図)。このようにほとんど切線的な衝突が実際に起り得るものだということは次の事実からも考えられた。すなわち、一六八〇年に現われた彗星の軌道をニュートンが算定したところによると太陽の輝いた表面からわずかに太陽半径の三分の一くらいの距離を通過した。それで予期のごとくこの彗星が二二五五年に再び帰って来るときには太陽の上に落ちかかるであろうということも十分に可能であると思われたからである。 第二十一図 太陽と彗星の衝突(ビュッフォンの博物史中の銅版画)  この説に対して、それら衝突によって生じた破片が再び元の所に落ちはしないかという抗議があるかも知れない。これに対するビュッフォンの答は、彗星が太陽を横の方に押しやってしまい、また投げ出された物質の初めの軌道は後から投げ出された破片のために幾分か移動するから差支えはないというのである。後にこのビュッフォンの仮説を批判したラプラスはこの逃げ道を肯定している。ビュッフォンの考えは全く巧妙である。仮に一つの円い木板があるとして、これに鋭利な刃物を打ち込んで、第二十二図に示すように削り屑を飛び出させるとすれば、木片は矢で示す方向に回転するであろう。 第二十二図  打ち出された削り屑もまた同じ方向に回転する、のみならず、刃物との摩擦のために右方に動く、すなわち、板の赤道の運動方向と同じ方向に並行して進む。大きな屑の破片と見なされる小破片は、もしその小破片と細い繊維ででも繋がっていればその周囲を同じ方向に旋転しなければならない。これと全く同様に、彗星が太陽の面に斜めに入り込んだ際に分離した太陽の破片はすべて同じ方向に回り、衝突後の太陽の赤道と同じような軌道を描くはずである。ビュッフォンは太陽を灼熱された固体であると考え、また地球と同じように雰囲気で囲まれていると考えた。小さい屑を大きい屑に繋ぐ繊維に相当するものが重力である。  ここまでは至極結構である。しかしビュッフォンは更に一歩を進めて次のように推論した。すなわち、比重の最小な破片は最大な速度を得る、従ってその軌道を曲げるような抑制を受けるまでには太陽から最も遠い距離まで投げ出されるというのである。彼は土星の比重が木星のよりも小さく、また木星のが地球のよりも小さいことを知っていたので、そこからして、遊星の比重はそれが太陽に近いほど一般に大きいと結論した。この結論はスウェデンボルクもしたものであり、また後にカントも再びしたものであるが、しかし我々の今日の知識とは全く合わないものである。また太陽から分離するときに最大な赤道速度を得たような破片は、また最も小破片すなわち、衛星を投げ出しやすいはずである。これはその当時の経験とは一致するが、今日の知識とは合わない。当時知られていたのは、ただ、木星の赤道速度が地球のそれよりも大きく、地球のが火星のよりも大きいということだけであった。当時木星の衛星四個、地球のが一個知られていたが、火星のは一つも知られていなかった。それで、五個の衛星を有する土星は最大の赤道速度をもつべきはずであると考えられた。しかるに今日では赤道速度による順位は木星、土星、地球、火星となり、それら各々の衛星の知られている数は、それぞれ七、一〇、一、二ということになり、従ってビュッフォンの言う順位はもはや適用しない。  ビュッフォンの考えでは、遊星は、衝突の際発生した多大の熱のために一度液化したが、その体積の小さいために急激に冷却したものであって、同様に太陽もまたいつかは冷却して光を失うであろう。種々の遊星はその大きさによってあるいは永くあるいは短い期間灼熱して光を放っていたものであろう。それで種々な大きさの鉄の球を灼熱してその冷却速度を測ってみた結果から、彼は次の結論を引き出してもいいと信じた。すなわち、地球が現在の温度まで冷却するには七五〇〇〇年を要し、太陰は一六〇〇〇年、木星は二〇万年、土星は一三一〇〇〇年を要した。太陽が冷却するまでには、木星の場合よりも約一〇倍の時間を要するであろう、というのである。  遊星が分離する際に太陽の雰囲気の中を通過している間に、そこから空気と水蒸気を持ち出した。そうしてこの蒸気から後に海ができた。地球の中心は速くに灼熱の状態を失っていなければならない。なぜかと言えば地心の火を養うべき空気が侵入することができないからである(この点はデカルト及びライブニッツと反対である)。しかしそれにかかわらず、ビュッフォンは、地球の温熱のただ二パーセントだけが太陽の輻射によって支給され、あとは皆地球自身の熱によるものと信じていた。地球は全部均等な比重を有しなければならない、さもなければその回転軸が対称的の位置になり得ない――しかるに地球の形は、地球と同じ回転速度を有する液体の球が取るべき形と全く同じ形をしているのである。地球はまた中空ではない、もしそうであったら、高山の上での重力は通常よりも大きくなければならない。  投げ出された破片の平均比重は太陽の比重とほとんど同じである。何となれば、この破片の総質量の大部分(約七五パーセント)を占める木星の比重はほとんど太陽のと同じで、その大きさにおいてその次に来る土星のは少し小さいのである。それ以内にある諸遊星の比重はこれに反して太陽のより少し大きい。これらの事実が彼の説を確かめるものと彼には思われた。しかし以上の二つの点に関して次のようなことを指摘することができる。すなわち、まず、もし地球内部の比重がその中心からの距離に応じて定まったある方式に従って内部に行くほど大きくなっているとしても、その回転軸はやはりその中心と両極を通るのである。それで地球の内部の比重はその外層のよりも大きいと仮定しても、それに対する反証は何もない。実際――今日我々の知る通り――この比重の比は二と一の割合になっているのである。次に、地球の冷却が、特に良く熱を導く鉄の球の場合のように急速であると考えるべきはずはない。それで地球内部には、何らの燃焼過程が行われなくとも、今でも灼熱状態が存していると考えることができる。最後に、今日我々の知るところでは、太陽も、また多分、木星以外の外側の諸遊星も、それから、内側の諸遊星の内部も、いずれもガス体であって、ビュッフォンの信じたように固体ではない。このような次第で、彼の論証の一部は根拠を失ってしまった。しかし後にカントの提出した説に比べるとこれでもまだ比較にならないほど良いのである。  ビュッフォンは真個の科学者自然探究者であって、その考察様式は今日の科学者のそれと同じである。彼は不幸にしてラプラスから、当を得ない批判を受けたために、彼の名の挙げられることはまれであり、これに反してカント、ラプラスの名のみが常に先頭に置かれている。しかし私の見るところでは、ビュッフォンの研究は、ことにそれがラプラスのよりも約五〇年ほど早かったことから言っても、とにかくもラプラスのと同等の価値を認めてもいいと思われる。そしてこのラプラスの方がまた彼のケーニヒスベルクの哲学者のよりははるかに優れているのである。  ビュッフォンは彼の時代の、筆数ばかり多くて一向要領を得ない宇宙創造論者に対して次のような言葉で、かなり辛辣なしかも当を得た批評をしている。『私でも、もし上に述べた意見をもっと長たらしく敷衍しようと思えば、バーネット(Burnet)やウィストン(Wiston)のように大きな書物を書けば書けないことはない。また一方で彼らのしたようにこれに数学的の衣裳を着せて貫目を付けようと思えばできないこともない。しかし仮説というものは、たとえそれがどれほど確からしいとしても、こういう何となくこけおどしの匂いのする道具で取扱うべきものではないと思う。』  ラプラスがこの系統に対して与えた批評には正当なものがある。そのためにビュッフォンの仮説が信用を失ったのは疑いもないことである。ビュッフォン自身こう言っている。もし地球上の一点から弾丸を打ち出すとすれば、それが閉鎖した曲線軌道を描く場合ならば再び元の出発点に帰ってくるであろう。すなわち、ただ短時間だけ(せいぜい一周期だけ)地球から離れていることになる。同様に太陽から飛び出した削り屑も太陽に戻らなければならない。それがそうならないのはいろいろな付加条件のせいである。これについて天体力学の方面における一大権威者たるラプラスはこう言っている。『種々の破片はそれが墜落する際に互いに衝突し、また互いに引力を及ぼすためにそれらの運動方向に変化を生じ、そのためにそれらの近日点(すなわち、軌道の上で太陽に最も近い点)は太陽から遠ざかることがあり得る。』それでここまではビュッフォンの考えは正しい。『しかし』と、ラプラスは続けて言う。『それならばそれらの軌道の離心率は甚だ大きいものでなくてはならない。少なくともそれらがすべてほとんど円形軌道をもつという蓋然性は非常に少ないであろうと思われる。』ビュッフォンも遊星軌道がほとんど円形であるということは多分知っていたに相違ないが、しかしこの規則正しさについては何の説明も与えていない。それで彼の系統を事実に相当させるためには著しい変更を加えなければならない。それにしてもラプラスが、ビュッフォンは彗星軌道の非常に離心的で細長いことを説明することができなかったろうと言っているのは了解に苦しむことである。実際ビュッフォンは決して(後にカントがしたように)彗星が太陽系に属するものとは仮定しなかったので、むしろラプラスと同様に外側の空間から迷い込んできたものと考えていたのである。そうだとすれば、ラプラスが証明したようにその軌道は著しく離心的でなければならないはずである。ビュッフォンはこの問題については余り深入りはしていない。しかしこれは彼の説の不完全な点であるとしても誤謬とすることはできないのである。  次にカントの仕事について述べようと思う。彼はビュッフォンより一二歳若く、しかもビュッフォンに刺激されてやった仕事であるが、ビュッフォンのとは到底比較に堪えないものだということは以下に記すところから分るであろうと思われる。カントは一七五五年に『自然史及び天界の理論』(Naturgesch chte und Theorie des Himmels)という一書を著したときは、わずかに三一歳の若者であって、哲学者としての光輝ある生活はまだ始まらないころであった。この書において彼はニュートンの研究の結果を応用して上記の問題を論じている。彼の考えによると天の空間は真空であって、遊星はデカルトの考えたように、一つの渦動に巻き動かされるということはない。その代りこれら遊星はいったん運行を始めれば、この真空な空間の中では何の動力を与えてやらなくてもその運行を続けるであろう。  それで、かつて一度は渦動が存在したが、それが諸遊星の運行を始めさせた後に消滅したと考えても差支えないではないか。カントはこういうふうに考えを進めて行った。これは良い考え方であって、ややアナキシマンドロスの考えに似たところがある(九八頁参照)。  カントはこう言っている。『それで私はこう仮定する。すなわち、現在、太陽、諸遊星及び彗星となっているすべての物質は、最初には、これら諸天体の現に運行している空間の中に拡散していた。』この微塵のような物質の中点、そこは今太陽のある点であるが、この点へ向けて残りの微粒子の引力が働いた。それでこの物質微粒子は、間もなく微塵体の中心に向かって落下し始める(この粒子を、カントは、固体か液体であると考えたようである。その中で比重の最大なものが太陽に落下する確率もまた最大であると言っているのである)。その墜落の途中で時々相互間の衝突が起り、そのために横に投げ飛ばされる。従って中点を取巻くような閉鎖軌道を運行するようになる。こういう軌道を動いている物体が更にまた幾度も互いに衝突する。そのために段々に軌道が整理され、その結果はすべてが円形軌道を同じ方向に同じ中心のまわりに回ることになる。また中心に向かって落下する一部の物体も、やはり同じ回転方向をもっているために、その衝突の結果として太陽もまた同じ方向に、自転するようになったのである。  しかし中心のまわりの分布が最初に均等であったのに、どうして最後に右から左へ回るような運動を生じたか、左から右へ回っても同じでありそうなのに、どうしてそうはならなかったか。昔アリストテレスは地球のまわりを諸天体が左から右へ回ると考えたのであるが、彼の考えではこの回転方向の方が典雅であり神性にふさわしいものと思われたためであった。カントもまたこの二つの方向の中で一方が優勢であるというふうに考えた。これはデカルトの仮定したように諸質点が当初からある特定の一点のまわりに一定の方向に渦動をしていたという場合に限って言われることである。カントはこの仮定はしなかったのであるから、彼の学説では特に一方に偏した回転方向をもつような遊星系の生成は不可能である。妙なことにはカントから一〇〇年後にかの大哲学者スペンサーがまたこれと同じ誤謬を犯しているのである。  更に、カントの考えでは、いったん渦動を始めた物質の中でも一番重いものが中心へ向かって一番早く落ちてくるので、結局の円運動をするようにならないうちに中心近くまで来てしまうという確率が一番大きい。こういう理由で、太陽に最も近い遊星の比重が最大でなければならぬというのである。これはスウェデンボルクもビュッフォンも唱えたことであるが、しかしこれは事実に合わない。カントはまた中心にある物体の比重はそのすぐ近くを回っている物体のそれよりも小さくなければならないと主張している。しかし実際は太陰は地球よりも比重が小さい。カントはもちろんこれを反対に考えていたのである。  そこでこのように太陽のまわりを回っている流星微塵環の中に所々に比重がよそより大きいところがあると、各環内の他の場所の物質がだんだんそこへ集中してくるはずである。このようにして遊星や彗星ができたのであろう。もしも、このようにだんだんに集団を作るような部分が完全に対称的に配置されているならば、これらが皆同一平面上にある以上は、すべての遊星が皆完全な円形軌道を取るようになるはずである。それでカントの考えでは、遊星軌道が円形でなくまた黄道面に対して傾斜しているのは、一番初めから対称の欠陥があったとして説明することができるというのである。しかし将来太陽となるべき中心点の周囲に物質が均等に分布していたという前提をしたのであるから、最初からこういう対称の欠乏がどうして存在したかを説明することはできない。また一方では、他の場所でこういう意味のことも言っている。すなわち、重力の弱いほど、すなわち、太陽から遊星までの距離が大きいほど、その遊星の軌道の離心率も大きくなければならないというのである。これは、カントの例証した通り、土星、木星、地球及び金星については適合する。しかし彼は水星と火星のことは何とも言っていない。ところがこの二星は、小遊星は別として、最大の離心率を有しているので、従って彼の系統には全く合わない。カントは、デカルトと同様に、彗星は土星の外側に位するものとし、その離心率の大きいのはそのためであると考えた。  この考えは、しかし、既に前にニュートン並びにハレー(Halley)も示したように全然事実と適合しないものである。それは、カントの考えに従えば彗星もまた土星よりも比重が小さくなければならないからである。(これは少なくとも彗星の中核については多分事実でない。)  以上述べたところから考えてみてもカントの宇宙開闢説の基礎には実際の関係とは一致しないような空想的な仮定がたくさんに入っていることが分るであろう。まだこの外にも同様な箇条を挙げればいくらも挙げられるのであるが、しかしそうしたところで別に大した興味はないからまずこのくらいにしておく。ただ一つ付記しておく必要のあることは、フェイー(Faye)が証明したように、もし一つの遊星がカントの言ったようにして一つの輪から変じて団塊となったとすればその回転方向は太陽のそれとは反対にならなければならず、従ってすべての(カント時代に知られていた)遊星に特有な回転方向は逆にならなければならない、ということである。 第二十三図 遊星Pが、Pの下方にある或る中心点のまわりに回転する流星の流れから生成されんとしているさまを示す様式図である。中央の四つの矢はこの流れの中の各所の速度を示す。これは図のごとく下から上へ行くほど小さい。Pの下方の回転速度は上よりも大きいからいくつかの輪の流星が一所に集まってしまう場合には下の方の輪の速度が上の方のに勝つから従ってPは流星環の方向(右から左へ)とは反対の方向に(左から右へ)回転しなければならない。  第二十三図がこのような輪を表わすものとすると一番外側の微塵物質は、遊星運動の法則に従って内側にある太陽に近いものよりも小さな速度で通行する。従ってもしこのような微塵が集まって一団塊となるとすれば、その内側すなわち、太陽に面した方が、外側よりも急速に右から左へ動かなければならない。換言すればその遊星は左から右へ、すなわち、太陽並びに当時知られていた諸遊星と反対の方向に回ることになるのである。  カントは土星の輪の生成に関する力学的説明を与えているのであるが、それが我々の遊星系の生成に関してラプラスの与えた説明とかなりまで近く一致しているのは注意すべきことである。すなわち、始めに土星の全物質が広い区域に広がって、しかして軸のまわりに回転していたという仮定から出発している。それが次第に収縮していくうちにある微粒子は余りに大きな速度を得るために表面まで落下することができなくなる。そのために途中に取り残され、そうして環状に集まった衛星群となるというのである。彼はまた土星の衛星も多分同様にして成立し得たであろうと考えた。彼が太陽系の発生を論ずる場合にこういう始めからの回転は仮定しないでおいて、ここでそういうものを仮定していることから見ても、彼の考察の行き届いていないことが分かるのである。また彼の考えでは黄道光なるものは太陽のまわりに生じた薄い輪である。――すなわち、彼の考えによれば、この輪の最も内側にある粒子は元は諸遊星の赤道付近にあったのが、そこから飛び出して、その速度をそのままに保ちながら現在の空際に上昇したというので、これは直接に重力の法則に背反する。こういう考えは薄弱と言われても仕方がないのである。次に彼は輪の回転周期からして土星の赤道における速度を計算し、その自転周期を六時間二三分五三秒としている。彼はこの結果に対してよほど得意であったと見えて、この結果は『恐らく正真の科学の範囲内でのこの種の予言としては唯一のものである』と言っている。しかし土星の自転周期は実際は一〇時間一三分である。これに連関してカントはまたノアの洪水の説明をしようと試みている。これは当時の科学者らの間に大分もてはやされた問題であったのである。カントの説によれば、モーゼの書の第一巻すなわち創世記に『天蓋の下なる水』と記されているのは、多分地球を取り囲む、あたかも土星の輪のごとき『水蒸気』の環状分布を指すものである。この地球の輪は地球上を照らす役目をつとめるものであるが、また人間がこの特権を享有する価値のないようなことをした場合にはそれが洪水を起して刑罰を課する役にも立つものである。このような洪水はこの輪が急に地球上に落下する際に起るというのである。このように聖書や古典書中の諸伝説を自然科学的に説明しようとする努力は当時の科学的研究の中にしばしば見出されるものである。 第二十四図 ラプラスの説によって星雲から輪の生ずる状を示す様式図。中心には中央体すなわち太陽があって星雲の冷却する際そのまわりに輪ができる。輪のある部分は破れている。またある輪では星雲物質の凝縮したところを示してある、これが後に遊星になるものである。「宇宙と人間」所載。  カントは一七五〇年にライト(Wright)の発表している一つの考えを採用した。それは、銀河の平均面は我々の遊星系の黄道面に相当するだろうということである。太陽のまわりを回る諸遊星が黄道の平面から余り遠く離れないと同様に、諸恒星も大多数は皆銀河の平均平面からわずかしか離れないような軌道の上を動いているであろう。これらの恒星は、その一員たる太陽をも含めて、皆一つの中心物体のまわりを運行しているはずであるが、その中心体の位置は未知である。しかしそれは多分観測によって決定することができるであろうというのである。ニーレン(Nyrén)に従えば、ライトはこの説のすべての重要な諸点をカントと同じように明瞭に述べているそうである。  最後にカントはまた太陽の冷却に関する説を述べている。すなわち、空気が欠乏するために、また、燃え殻の灰が堆積するためにこの燃焼している天体(当時は普通にそう考えられていた)の火焔が消滅するというのである。  燃焼している間に、太陽の組成分中で最も揮発性のもの、また最も精微なものが失われる。そうして、そういうものが集まって微塵となり、この所在が黄道光を示すものと考えられる。カントは甚だ漠然と次のようなことを暗示している。すなわち、彼の設定した『太陽の滅亡の法則の中には、四散した微粒子の再度の集合の萌芽を含んでいる。たとえこの粒子はいったんは渾沌と混合してしまったとしても』とこう言うのである。この言葉や、また後に述べようとする彼の他の叙述から考えてみると、カントは、物質には一つの輪廻過程があって、あるときはそれが太陽に近く集合し、またあるときは再び四散して渾沌たる無秩序に帰ると考えていたらしい(一〇二頁デモクリトスの説参照)。  カントの宇宙開闢論もやはり、遊星系が宇宙微塵あるいは小流星群から進化したとする諸仮説中の一つである。この考えは後にノルデンスキェルド(Nordenskiöld)及びロッキャー(Lockyer)によって採用され、そうしてダーウィン(Darwin)によって数学的に展開された。ダーウィンの示した結果によれば、こういう小さい物体の群は、いろいろの関係から見て、あたかも一つのガスの団塊と同様な性質をもっているのである。しかるにラプラスは、彼の『宇宙系』の巻末において太陽系の進化の器械的説明を試みるに当って以上の考えとは反対に、灼熱したガスの団塊を仮定して、そこから出発している。そうしてその団塊が初めから、その重心を通る一つの軸のまわりに右から左(北から見て)の方向に旋転運動を有したものと考えている。この点の相違は甚だ著しいものであるにかかわらずしばしば一般に観過されているのである。これは多分ツェルナー(Zöllner)が『星雲説』に関して述べたことに帰因していると思われる。この著によって彼は『この仮説が、ラプラスではなくて、ドイツの哲学者たるカントによって基礎をおかれたものだという証拠を見せよう』としたのである。  ラプラスはこういうふうにその説を述べている。『我々の仮説によれば、太陽の原始状態はちょうど星雲と同様なものであった。望遠鏡で見ると(この点に関するハーシェルの研究参照、一八二頁)星雲には幾らか光った中核がありその周囲を一種の霧のようなものが取り囲んでいる。この霧が中核のまわりに凝縮するとそれが一つの恒星に変るのである。』『太陽は無限大に広がることはできない。回転によって生ずる遠心力がちょうど重力と釣合う点がその限界を決定する。』太陽のガス塊が冷却するために徐々に収縮すれば従ってこの遠心力が増大する。ケプラーの第二法則に従えば、各粒子が一秒間に描く円弧の大きさはその太陽中心からの距離に反比例する。それで、収縮の際に、遠心力は中心からの距離の三乗に反比例するのに対して中心に向かう重力の方は同じ量の自乗に反比例する。その結果として、この灼熱ガス塊の収縮に際して一つのガス状の円板が分離し、それがちょうど同じ距離にある一つの遊星のように太陽のまわりを運行する。そこで、ラプラスはまた次のように仮定した。この円板はいくつかの灼熱したガスの輪に分裂しその各々が一つの全体として回転し、そうして、それが冷却して固体また液体の輪となったというのである。  しかし、これは物理学的に不可能である。冷却の際に微細な塵の粒が析出すると、それはガスの中に浮游するであろう。ガスの冷却凝縮が進行するに従って多分これらの塵はだんだんに集合してもう少し大きい集団を作るであろう。このようにしてちょうどカントが土星について考えたと同じように一つの微塵の輪ができると考えられる。そうして、それがもしかたまって遊星になるとすればやはり実際とは反対の回転運動をすることになるであろう。のみならず、ストックウェル(Stockwell)及びニューカム(Newcomb)が示した通り、このようにただ一つの大きな団塊のできるということはなくて、土星の輪の中で回っていると同様な小さな隕石の群しかできないはずである。更にまたキルクウード(Kirkwood)に従えば、海王星の輪が一つの遊星に凝縮するには少なくとも一億二〇〇〇万年かかるというのである。  更にまた彼の説に従えば、すべての遊星の軌道は円形で同一平面上になければならないことになる。もっとも、これについてラプラスは『言うまでもなく、各輪の各部の比重や温度に著しい不同があったとすればこの軌道の偏差を説明することができるであろう』とは言っているが、しかし恐らくラプラス自身にもこの原因については余りはっきりした確信がなかったらしいということは、後でまた次のように言っていることからも推察される。すなわち、彗星(彼の考えではこれは太陽系に属しない)が近日点近くへ来たときに、そこに今正にできかかっている遊星に衝突し、そのためにその遊星軌道の偏差を生じた。またある他の彗星は、ガス塊の凝縮がほとんど完了した頃に太陽系に侵入してきた。しかして著しく速度を減殺されたために太陽系中に併合されてしまったが、それでもその著しく円形とはちがった長みのある軌道を保っている、というのである。  ラプラスの仮説に対する最も重大な異義として挙げられることは天王星及び海王星の衛星がその他の遊星の衛星と反対の方向に回っているという事実である。一八九八年にピッケリング(Pickering)の発見した土星の衛星フォエベも、また木星の衛星の一番外側のものもまた同様である。ただしこの二遊星に属する衛星のうちで内側にある他のものは皆普通の方向に回っているのである。  このようにして、ラプラスは、ビュッフォンの仮説に免れ難い困難(すなわち、軌道が円形に近いことを説明する)を避けることはできたが、その代りにまたこれに劣らぬ他の困難に逢着した。しかしラプラスの仮説は土星の輪の生成については非常に明瞭な考えを与えたものである。  ラプラスと同時代に英国にはハーシェルが活動していた。彼は大望遠鏡で星雲を研究した結果としてこれらの星雲は一種の進化の道程にあるものだという意見に到達した(一八一一年)。彼の観測した星雲の中に極めて漠然とした緑色がかった蛍光様の光を放つものがあった、これが原始状態であると彼は考えた。そうしてスペクトル分析の結果は彼の考えを確かめた。後にこの発光体はガス体、それは主に水素とヘリウム並びによそでは見られないネビュリウムと称する元素から成立しているということが分ってきた。ハーシェルはまた他の星雲についてその霧のようなものの真ん中にいくらか光の強い所のあるのを観測した。また他のものでは中にちゃんとした若干の恒星があることを認めることができた、のみならずまたあるものでは霧のような部分はほとんど全くなくなって一つの星団となっているものもあった。  この簡単ではあるが内容の甚だ大きい観測の結果は、かつては非常な驚嘆の的となったラプラスの仮説よりも、ずっとよく時の批評に堪えることができたのである。もっともラプラス自身にはその仮説を彼の仕事のうちの重要なものとは考えていなかったらしいということは、それを彼の古典的大著『宇宙体系』(Exposition du Système du Monde)の最後に注のような形で出していることからも判断される。このことは彼のために一言断っておく必要があると思うのである。  この大著の中で彼は我々の遊星系の安定を論じて次の結論を得ている。『諸遊星の質量がどんなであっても、それらが皆同方向に、しかもまた相互にわずかにしか傾斜しないほとんど円形な軌道を動いているという、それだけの事実から自分はこういうことを証明することができた。すなわち、遊星軌道の永年変化は周期的であって、しかも狭い範囲内に限られているということである。従って遊星系はただある平均状態から周期的に変化してはいるが、しかしいつもほんのわずかしかそれから離れない。』彼はまた一日の長さが、耶蘇紀元前七二九年以来当時までの間に一〇〇分の一秒だけも変っていないということを証明している。  このごとくラプラスは、一部分はラグランジュ(Lagrange)の助けによって、太陽系の安定が驚くべく強固なものであるというニュートンの考えを更に深く追究し立証した。それでこの遊星系は永遠の存立を保証されたかのように見えるのであるが、しかしこの系においても、ともかくもある始めがあったということを仮定するとすれば、これに終りのないというのは、実に不思議なことと言わなければならない。  この点に関しては確かにカントの考えの方が正当である、それは少なくとも我々の現代の考えに相応するところがあるのである。 Ⅷ 天文学上におけるその後の重要なる諸発見。恒星の世界  ラプラスの前述の研究は我々の遊星系に限られていた。またスウェデンボルクやライトやカントもその他の天体についてはただ概括的な考えを述べているにすぎない。もっともライトが、銀河の諸星もまた我々の太陽も運動していると考えたのはなかんずく顕著なものであった。しかるにハーシェル(Herschel 一七三三―一八二二年)に至ってはばく大な恒星界全部を取って彼の研究範囲としたのである。これより先ハレー(Halley 一六五六―一七四二年)は彼の観測の結果から、若干の恒星は数世紀の間にはその位置を変ずること、そうしてわずかティコ・ブラーヘのときから一七世紀の終までの間にさえ既に位置の変化が認められるということを発見した。その後間もなくブラドリー(Bradley 一六九二―一七六二年)が従来には類のない精密な恒星表を編成した。ハーシェルはこの表の助けによって恒星の位置変化に関する研究をすることができたのであるが、その結果として、この位置変化がかなり著しい程度に生じていることを発見した。また諸恒星は天の一方の部分に向かって互いに近より、またそれと反対の点から互いに遠ざかるような運動をしていることを認めた。そうしてこの現象の説明として、物体の視角がその物に近寄る人にはだんだん大きくなり、遠ざかる人には小さくなるという事実を引用した。ここでその物体に相当するものは恒星間を連結する線なのである。ハーシェルはこの考えに基づいて太陽とこれに属する諸天体がいかなる点に向かって動いているかを決定することができた。  始めハレー、後にハーシェルによって認められた恒星のこの運動を名づけてその固有運動と称する。この運動を測定するには通例星空を背景としてそれに対する恒星の変位を測るのであるが、この際背景となる星空には非常に遠距離にあるたくさんの恒星が散布されており、それらの星の大多数はその距離の過大なためにその運動が認められないのである。  大発見というものは始めには大概抗議を受けるものである。人もあろうにベッセルのごとき人でさえ、ハーシェルの発見は疑わしいと言明した。これに反してアルゲランダー(Argelander)はハーシェルの説に賛同した。この人は、恒星の位置及び光度について綿密な測定をして偉大な功績を挙げた人である。そうして彼の説はこの方面におけるすべての後の研究者によって確かめられた。なかんずくカプタイン(Kapteyn)のごときはその著しいものである。以下に述べるところも一部分はこの人の叙述によることにする。  一八八頁図(第二十五図)は天の一部分、すなわち、三角、アンドロメダ、牡羊、及び魚の各星座付近における恒星の運動を示すものである。 第二十五図  図の小黒圏は諸星の現在の位置を示す。この圏点から引いた直線はその星が最近三五〇〇年間に動いた軌道を示すものである。これから分る通り、三五〇〇年前にはこれらの星座はよほど今とはちがった形をしていたはずである。これら諸星の軌道は決して並行していないし、またその速度も決して一様でない。しかし、全体として見ると右上から斜めに左下に向かった方向が多いということだけは明らかに認められる。今これらのいろいろな方向の線を第二十六図のように、同一の点から引いてみると、この特に数多い方向が一層目立って認められる。この特異の方向を二重線の矢で示してある(第二十六図)。 第二十六図  このような運動方向の『合成方向』を天球の上に記入すると第二十七図のようになる。これらの矢は皆天球上のある一点から輻射するように見える。この特殊な点を『皆向点』(Apex)と名付ける。この点は明らかに太陽の進行している目標点である。何となればすべての恒星はこの点から四方に遠ざかって行くように見えるからである。もっともこれはもちろん諸恒星の平均運動についてのみ言われることであって、各自の星の固有運動について言えばそれはこの平均とは多少ずつ皆違っているのである。これからも分る通り諸恒星もまた互いに相対的に運動しているので、恒星の群の中で特に太陽だけが運動しているのではない。 第二十七図  カプタインによるこの図は非常に明瞭な観念を与えるものである。これを見ればハーシェルの考えの正しいということは到底否定することができない。太陽は天上の(A)点、すなわち、ヘルクレス星座中で、琴座との境界に近い一点に向かって進んでいる。そうしてこれと正反対の位置にある大犬星座から遠ざかりつつあるのである。  銀河中の諸恒星が――太陽系中の諸遊星のごとく――同一方向に動いているというライトの説は、シェーンフェルト(Schönfeld)並びにカプタインによって吟味せられた。しかしこのような規則的な運動をしているような形跡は見付けることができなかった。これに反してカプタインはこれとはちがったある規則正しさを認めた。すなわち、彼の見るところでは、これら恒星の固有運動は、二つの恒星群が存在することを暗示する。その一群はオリオン星座中のカイ(χ)星の方向に、他の一群はこれとほとんど正反対の方向に進んでいるように見えるというのである。なお、今後の研究によってこの規則正しさに関していろいろ新しい興味ある発見が現われることであろう。  この現象が一層著しい興味を引くようになったというのは、これによって、恒星が天球上を一年間に動く見掛け上の速度からして、その星の太陽からの距離を決定することができるようになったからである。アリスタルコス及びコペルニクスの説の通り地球は空間を動いているのであるから、一年中のある季節には他の季節におけるよりもある特定の恒星に近くなっているはずである。従って上に述べたと同様な現象が、ただし周期的ではあるが、認められるだろうと予期してもいいわけである。すなわち、多くの星の大きさが毎年一回ずつ大きくなったり小さくなったりするように見えるであろうという見込をつけても不都合はないはずである。  しかしこの期待はなかなか安易には満たされなかった。既にアリスタルコスはこの変化の見えないという事実から、諸恒星の距離は余りに大きいために、それが無限大であるように見え、従って星座の視角の年変化が到底認め得られないのであると考えた。コペルニクスもまた同じ意見であった。しかしティコ・ブラーヘにはこの考えが信じ難く思われた。そうして彼はこの事実をもって、地球は静止し宇宙の中点にあるという説の論拠としたのである。しかしその後、天文学者等はこの期待された現象を発見しようとしていよいよ熱心に努力をつづけていた。そうして、ついに一八三八年に至って、ベッセルが白鳥星座の第六一番と称する星が一年の周期でわずかな往復運動をしていることを確かめることに成功した。この運動からこの恒星の距離を算定することができたが、それは実にばく大なものであって、光線がこの星から太陽まで届くのに一〇年掛るということが分った。それでこの距離を表わすのに一〇光年という言葉を使う。一光年の距離は9.5×1012すなわち、約一〇万億キロメートルであって、地球から太陽への距離の六三〇〇〇倍に当るのである。その後他の恒星の距離もますます精密な方法で測定されるようになった。ケンタウル星座のアルファ星が一番太陽に近いものとなっているが、それですら四・三光年の距離にある。シリウスも入れて八つの星の距離が一〇光年で、これらがまず近い方の星である。星空中で我々に近い部分では恒星間相互距離の平均は一〇光年より少し大きいくらいである。二〇光年以内の距離にある恒星が二八個、三〇光年以下のものが五八個だけ知られている。それで結局アリスタルコスとコペルニクスの考えが正しかったわけになり、従って地動説に対する最後の抗議が片付けられたわけである。さてこのようにして恒星の固有運動、すなわち、角速度が分り、また距離が分れば、それから容易にその実際の速度を計算することができる。ただし視線に対して直角の方向における分速度だけしか得られないのである。このようにして得られた速度の数例を挙げてみると、毎秒キロメートルを単位として、ヴェガが一〇、ケンタウル座のアルファ星が二三、カペルラが三五、白鳥座の六一番星が六〇、アルクトゥルスが四〇〇という数を示す。  それで、もし、視線の方向における恒星の速度をも知ることができれば、その星の運動を完全に決定することができるはずである。ところが、一八五九年以来応用され、恒星に関する天文学に根本的な改革を促したスペクトル分析は、またこの視線方向の速度の測定法を授けるに至った。これによって測定された上記五個の星のこの分速度は毎秒キロメートル単位で、-19,-20,+20,-62,-5となる。ここで(+)記号は星が太陽から遠ざかることを示し(-)記号は近づきつつあることを示す。これらの数値が示す通り、恒星間の相対速度にはなかなか大きいものがあるのである。――地球の軌道上の速度は毎秒約三〇キロメートルであるから、これと比較することができよう。  視線の方向における恒星の運動が分ると、太陽が天のどの点に向かって近づきつつあるかということを算出することができる。この方がいわゆる固有運動から算定するよりも一層容易である。キャムベル(Campbell)はこういう計算を行ったがそのために彼はこういう仮定をした。すなわち、比較の基準となる諸恒星は、平均の上では静止している、換言すれば、これらの星の中で太陽に近づくものもあればまた同じ速度で遠ざかっているものもあるとする。そうして計算すると、太陽は彼の恒星固有運動から計算された点とほとんど同じ点に向かって毎秒二〇キロメートルの速度で空間の中を飛行しているという結果になる。これでみてもこれらの観測された現象に対する以上の説明が正しいということはもはや疑う余地のないことである。次に起ってくる最も興味のある問題は、太陽が常に天上の同一の点を目掛けて動いているか、すなわち、一直線に動いているか、あるいは少し曲った軌道を動いているかということである。もしその軌道の曲率の大きさが分れば、それからして太陽の軌道がいかなる力によって支配されているかを算定することができるはずである。しかしこの種の観測が始まって以来まだ余り時日がたたないから、今のところこの非常に重要な問題に対して何らの解答を与えることはできない。  しかし、ライトやカントが考えたように、すべての目の届く限りの恒星がある共通の大きな中心体のまわりを、遊星が太陽を回るように、回っているのではなくて、諸恒星相互の運動はかなりに不規則なものであるというだけは確実である。してみると、太陽がそういう冒険的に旅行をしているうちに、いつか一度はある恒星かあるいは星雲と衝突するようなことがないとは限らない。ただし太陽が自分と同じくらい大きい光った恒星と衝突するまでには約一〇兆年の旅を続けなければならない勘定である。もっともことによると空間中には冷却して光を失った恒星が、光っているものよりもずっと多数にあるかも知れないので、そうだとすると、この無事な旅行の期間は著しく短縮されるかも知れない。しかるに太陽がある星雲の中に進入するという機会の方は非常に多い。なぜかと言えば空間中にある星雲の数はかなり多いのみならず、またそれが星天の中を占める空間はなかなか大きなものでこれに比べては恒星の体積などは全く無に近いと言ってもいいほど小さなものだからである。  太陽が運行中にこのような星雲に出会って進行を阻止され、そのために灼熱される、するとそれがいわゆる新星と称するものになる。たとえば一九〇一年にペルセウス星座に突然出現したようなのがそれである。こういう説がしばしば称えられたものである。  この考えは特にゼーリーガー(Seeliger)によって発展されたものである。この説は衝突する星雲が比較的局部に集中されたものであった場合には疑いもなく適合する。たとえば遊星状星雲の場合には多分そうであろうと思われる。しかしこの考えは一般にすべての新星には適用されないように見える。少なくも従来詳しく研究された若干の場合から見てそう思われる。ペルセウス星座の新星の場合にはその出現後に一つの星雲が発見されたが、しかしその直径の視角は三〇分以上もあり、従ってその大きさはばく大なものであった。これは疑いもなく非常に広く拡散した稀薄な星雲の部類に属するものである。  一つの太陽型の恒星がある稀薄な星雲中に突入したときに何事が起るであろうかということは、星雲中における侵入者によって生じた道筋を示すウォルフ及びバーナード(Wolf und Barnard)の写真(『宇宙の成立』中の第五四図と第五五図)を見ればおおよその概念を得ることができるであろう。このような太陽が毎秒二八・三キロメートルの相対速度(注)で星雲中に進入するとすれば、それはその途上のすべての物質を薙ぎさらっていくのみならず、約一五〇〇万キロメートル以内のすべての物を掃除してゆくはずである。つまりそれだけの半径の溝渠を穿つわけになる。また相対速度が遅いほどこの溝は広くなるのである。しかるにウォルフ及びバーナードの写真に撮った物はその距離が余りに遠いために上述のような溝があってもそれは到底写真には現われないはずである。しかし実際の写真に現われた『道筋』は非常に顕著なものであってその大きさは上記の幾百倍のものであるとしなければならない。またこの写真で見るとこの侵入者のまわりにはばく大な広がりをもったかなり不規則な形をした星雲が取り囲んでいることが分る(近所にある恒星の写真像が皆規則正しい円盤の形をしているのと比較せよ)。これで見るとこの侵入者はこの稀薄な星雲の一部を、集中的な規則正しい星雲塊に変ずるものと思われる。その変化の過程については次のような具合に考えることができる。すなわち、まず、この稀薄な星雲の密度が侵入者の軌道の各々の側で一様でないと仮定する。これはもちろん一般にそうあるべきである。この侵入者の後側へすべての方向から落下してくる物質は互いに衝突してその運動は大部分相い消却してしまうのであるが、しかし密度が非対称的であるために若干の運動が残留し、そのためにこの落下した物質は侵入者のまわりを楕円形の軌道に沿うて動くようになる。このようにして星雲物質が集積されるために一種の巨大な環状星雲ができる。これが侵入者の軌道の付近の稀薄な星雲を掃除するのに役に立つのである。このように中心物体から著しい距離に星雲物質が拘留されるために温度の過大な上昇が妨げられる。もしそうでなかったとしたらこの侵入者は多分、彼のペルセウス星座のと同様な新星として強い光輝を発したであろうと思われる。薄く拡散した星雲中の物質は非常に稀薄なものでたまたまその中に侵入する物体があってもそれを灼熱させることはむずかしいように思われる。 (注) この数値はそれぞれ周囲に対して毎秒二〇キロメートルの速度で動いている太陽と星雲との間の蓋然値として得られたものである。キャムベルの測定では星雲の速度は太陽のと同じくらいである。  ただ、太陽がある他の太陽か、あるいは多分星雲中の特に集中した部分に侵入する場合に限って、それが新星として現われ、その光度は衝突以前に比べてもまたその後に衰えたときに比べても数百倍あるいは数千倍大きいものとなるであろう。  しかるにまた、星雲は太陽相互の衝突を早めることもできるように思われる。すなわち、星雲中には星空の各方面から隕石や彗星や特に宇宙微塵などのような多数の物質が迷い込んできてその中に集積する。これら天界の放浪者の質量は微小なものであるために皆星雲中に捕えられて残り、そこで上に凝縮する星雲物質とともに次第に大きな物体に成長し、そしてそれが収縮するために熱を生じて小さな恒星として光り始める。そのうちに漂浪する太陽が近所にやってきて衝突すると、その太陽から多量なガスが放出され、これが太陽の速度を減少させ、また星雲中の運動に対する抵抗を増加する。このようにして、あるいはまた非常に広く広がった星雲中を長く続けて放浪するために、太陽は星雲に捕獲されてしまう。それでこのようにある星雲中に入り込んだ太陽は、他のほとんど真空な空間中の特定な軌道を進んでいるものに比べると、同じ星雲中に捕われた他の太陽と衝突する機会がはるかに大きいわけである。  これら種々の理由から、太陽が他と衝突することなく自由に天空を漂浪し得る期間はずっと短く見積らなければならないことになる。前に計算したものの一〇〇分の一、すなわち約一〇〇〇万億年と見ても長すぎはしないであろう。もちろんこの数字は余り当てにはならないものであってただ一つの天体の寿命の概略の程度を示すにすぎないのである。  我らの太陽ぐらいの大きさの天体が二つ衝突した場合におよそいかなる事柄が起るであろうかということについては、著者の『宇宙の成立』中に詳しく述べておいた。互いに衝突する太陽から二つの猛烈なガスの流れが放出され、これが空間中にばく大な距離まで広がって、そうして、星雲に特有な二つ巴のような二重螺旋形を形成する。その噴出物質は主として最も凝縮しにくいガス体、特にヘリウムと水素、並びにまたそれよりは凝縮しやすい物質の微粒子からできている。これらは皆噴出の際に過大の速度を得たために、中心体の引力の余り利かなくなるほど遠い範囲に逸出してしまう。同時にその速度を失ってしまうために、長い間ほとんど位置を変えずに、螺旋状の形を保っているのである。これに反して、もっと小さい速度で放出された物質は再び元の噴出の場所に帰ってくる。その途中で、その後に放出されたもの、特にガス体に出逢う。これらの物質全体は結局は、中心体のまわりに広く広がった、固体並びに液体の微粒に満たされたガス星雲を形成する。同時にこの中心体は(かつてビュッフォンが想像したように)衝突によって激しい回転を生じているのである。一番内部の中心体は強く灼熱され、衝突前に比べると、著しくその体積を増している。そうして外側へ行くに従って、これを取巻いて渦動するガス塊へと徐々に移りゆくのである。  ラプラスが太陽系の始源となった元の星雲に対して抱いていた考えは正にこの通りであった。それで実際観測された事実に応ずるように適当にラプラスの説を修正すれば、今新たに星雲中で太陽系の進化が始まるとしたときそれがいかなる経過をとるかということの概念を描き出すことができる。そうして得られた新しい説はビュッフォンの説とラプラスの説とを適宜に混合したものとも見られるのである。  光輝の強い恒星アルクトゥルス(Arkturus)の速度は最も大きく毎秒約四〇〇キロメートルの割合で進行している。この星は太陽から約二〇〇光年の距離にあり、その送り出す光は太陽の光と非常によく似ている。従ってこの星の大きさはばく大なものであって、計算の結果では、多分太陽の五万倍もあるだろうと言われるくらいである。このような巨星が二つあって、それがアルクトゥルスと同様に大きな速度で相互に衝突したとしたらその結果がどうなるかを考えてみよう。噴出されるガスは一つの渦動となって広がってゆくであろうが、それは多分ほとんど同一平面内ですべての方向に無限に伸びてゆくであろう。銀河は多分このようにしてできたものであろうとも考えられるが、しかしこの銀河系には中心物体となるべきものが知られていない(後述リッターの説参照)のがこの説の難点となるわけである。幾百万年経過する間にはこのような巨大な星雲中に多数な小恒星が集積され、それらがまた互いに衝突して、そうして新しい渦動を生ずるはずである。ほとんどすべての新星は銀河の近くに出現するが、ここでは空間中の他の場所に比べると恒星間相互の距離が比較にならぬほど密接しているのである。新星が消えてしまった後では、ただ、一つのガス状星雲が見えるだけであるが、銀河付近にはこういうガス状星雲がやはり著しく集中しているのである。時の経過とともに星雲物質が、その中に入り込んだ微塵物質の上に再び集積されるとそれが星団になる。実際これも主としてこの同じ銀河区域に見られるのである。螺状星雲もそのスペクトルを検すると星団であることが分る。しかし距離が余り大きいためにその中の個々の星を認めることができないのである。この種の星雲は主に星の数の最も稀少な天の区域、すなわち、銀河からは最もはなれた銀河の極の方にある。この部分にはこの種のものが非常に多く、たとえば、ウォルフが、ベレニケ(Berenike)の髪毛と名づける星座の一局部を写したただ一枚の写真の中に一五二八個という多数の星雲を見付け出した。このうちの大多数は多分螺状星雲であると考えられる。  恒星の組成分に関する知識が得られるのは全くスペクトル分析のおかげである。その恒星という中には我々の太陽もその一つとして数えられているのである。ハーシェルは星雲をその外見上の進化の程度に従って分類したが、それと同様にして恒星もまず一番熱いもの(すなわち、輝線スペクトルを示すもの、従って、こういう星の前身と想像されるガス状星雲に最も近似したもの)から始めて、最後には既に消えかかっていると考えられる暗赤色のものに終るという等級を作ったのである。これらの光った星の次に来るのが暗黒な天体で、その中で最初に来るのはまだ固体の殻をもたないもの――木星は多分この種に属する――で、その次は地球のように固体の皮殻をかぶったものである(『宇宙の成立』一六七頁参照)。恒星中に最も多く現われる物質を列挙してみると次のようなものである。最も高温の星にはヘリウム、それに次いで高温で白色光を放つものには水素、中等程度の高温で黄色の光を放つ、たとえば我々の太陽のようなのではカルシウム、マグネシウム、鉄並びに他の金属元素が多く、最後に最も温度の低い赤色の星では炭素化合物なかんずくシアンが現われる。既に地球上で知られている組成物質以外のものはどの星にもないという説は当っていない。たとえばピッケリングはいろいろの星のスペクトルの中で、地球上のいかなる物質のそれとも違った線を発見した。もっともこの線は多分水素の出すものであろうという説があるが、しかし実験的に水素からこういう輻射を出せることはできなかった。太陽のスペクトル中にも従来知られた物質のスペクトル線のどれとも一致しない線がかなりたくさん見い出されている。やっと近ごろになって知られた線の中で最も重要なものはヘリウムの線である。そして多数の未知の線の中にはいわゆるコロニウムの線と称するのがある。これは太陽のコロナの内側の部分に特有なものである。しかし全体としてみれば星のスペクトル線の地上元素のそれとはかなりまでよく一致しているのは事実である。マクスウェルは一八七三年にこう言っている。『宇宙間にある恒星の存在を我々はその光の助けによって、そしてただそれによってのみ発見する。これらの星の相互の距離は余りに遠くていかなる物質的なものもかつて一つの星から他のものに移るということはあり得なかったであろう。それにかかわらず、この光の物語るところによってこれらの星が皆我々の地球上にあると同種の諸原子から成立っていることが分るのである。』  こう言っているこの学者が、しかも同じ年、星から星へ物質を輸送することの可能なある力――すなわち、輻射圧――の存在を予言しているのはいささか奇異の感じがある。それから三年後にバルトリ(Bartoli)は、ただに熱線や光線のみならず輻射エネルギーのあらゆる種類のものは皆圧力を及ぼすということを証明した。しかしこの新しい普遍的な力によって宇宙物理学的諸現象の説明を試みようとする人は案外になかったので、一九〇〇年に至って始めて私がこの問題に手をつけて、従来不可解と考えられていた各種多様の諸現象が、これによって非常に簡単に説明されるということを示したのである。  太陽雰囲気中で凝縮した液体の小さな滴は輻射圧の作用で太陽から追いやられ、そうして光の速度の幾パーセントかの速度で空間中を飛んでゆく。太陽よりも、もっと輻射の強い恒星(多数の恒星は、太陽のような黄色光ではなくて、白色光を放っており、従ってそれだけ輻射も強いと考えられるから、一般にその方が普通と考えられる)の場合には、この細滴の速度は更に一層大きくなり得るであろうが、しかしいずれにしても決して光の速度には届かないわけである。このようにして多くの太陽は無限の過去以来微粒子を放出している結果として彼ら相互の間に不断に物質の交換が行われる。そのために、最初は組成分に多少の差別があったとしても、それはとうの昔に均等になっていなければならないはずである。この場合にも、一般自然界に通有であるように、低温な物質、ここでは低温な恒星、が高温なものの方から、また大きい方が小さい方から養われ供給されるのである。  前に『宇宙の成立』九八頁にも暗示しておいたように、別世界から折々おとずれてくる不思議な使者、いわゆる隕石なるものは、あるいはこのように宇宙間に駆り出された細滴から成立したものかも知れない。隕石は全く特殊な構造と成分をもっていて、あらゆる地球上で知られた岩石の類とは本質的な差違を示しており、地球内部の液体の固まってできたいわゆる火成岩とも、また海水の作用で海底に堆積してできた水成岩とも全くちがったものである。隕石中にしばしばガラス質の粒の含まれていることから見ると、急激な冷却を受けたことが分る。また他の場合には大きな結晶を含んでいるから、これは永い間均等な高温度に曝されていたであろうと考えられる。また同じ隕石の二つの隣り合った破片を比べてみると組成や構造の著しい相違を示すことがある。これは隕石の素材が非常に多様な来歴をもつものであることを証明する。水や水化物(水を含む化合物)は少しも含まれていない。隕石の粒が形成されたと思われる太陽の付近では酸素と水素はまだ水となって結合していないであろうから、これは当然である。これに反して炭素水素の化合物が含まれているが、これは光の弱い恒星やまた太陽黒点中にしばしば現われるものである。また地球上では不安定で、水素と酸素を含まない雰囲気中にのみ成立し得るような塩化物、硫化物、燐化物を含んでいる。また一方隕石中には、地上の火成岩中に頻出する鉱物、すなわち、石英、正長石、酸性斜長石、雲母、角閃石、白榴石、霞石を含んでいない。これらは地球内部から来る熔岩からいわゆる分化作用によって生ずるものである。  この分化作用の起り得るためには多量な熔融塊の内部で永い間持続的に拡散が行われるという条件が必要である。従って小さな滴粒の中ではこれはできない。隕石のあらゆる特性、なかんずくしばしば見られる微粒状のいわゆるコンドリート構造と称するものなども、これが小さな液滴からできたものとすれば容易に説明される。時としてまた大きな結晶のあるわけは、何かある溶媒(たとえば鉄やニッケルに対する酸化炭素のごとき)が存在したためか、あるいはそういう隕石が長い間高温度に曝されたためかであろう。彗星が太陽に極めて近い所に来たような場合にはそういう高温度にさらされるわけである。この方面に関するスキアパレリ(Schiaparelli)の古典的な研究によると、彗星が分裂して隕石群に変るのは、特に近日点付近に多い現象だということが明らかになった。  太陽から放出された細滴は主に星雲の一番外側の部分に広く広がったガス体の中に集積し、そうして多くの場合に荷電されている宇宙微塵の作用で光を放つ、それが星雲に特有なガススペクトルを与えるのである。星雲内は至る所非常に寒冷であるので滴粒の表面には星雲ガス特に炭水化合物や酸化炭素の一部が凝縮する、そうして滴粒が互いに衝突するとそれが膠着してしまう。このようにして滴粒から次第に隕石に成長し、そうして空間中の旅を続けてゆくのである。  このように諸太陽は光圧のために微粒子を放出するために相互の物質を交換する以外に、また衝突の際に広く空間に飛散するガス塊の一部を互いに交換する。また星雲の外縁にあるガス分子が遠方の太陽から受取る輻射のために高速度を得てその星雲から離脱し空間に放出されるためにも諸太陽の間に物質の交換が起るのである(『宇宙の成立』一七五頁参照)。それで『物質的な何物も一つの恒星から他の恒星に移動することはできない』と言ったマクスウェルの言葉は、詳しい研究の結果から見ればもはや当てはまらなくなるものである。  最近二〇年間に熱輻射の本性に関する我々の知識は非常に豊富になった。その中でもステファン(Stefan)及びウィーン(Wien)の発見した法則は最も重要なものである。前者の法則によれば、外からの輻射を全く反射せずまた通過させない物体が自分自身で輻射する熱量はその物体の絶対温度(すなわち、摂氏零下二七三度を基点として数えた温度)の四乗に比例する。また後者の法則はこのような物体の出す全体の輻射が種々なスペクトルの色に相当する熱輻射のいろいろの種類からいかに構成されているかを教えるものである。前者の法則を使えば固体の皮殻をかぶっている遊星や衛星の温度を計算することができる。これを始めて計算したのがクリスチアンゼン(Christiansen)である。ある遊星あるいは衛星が太陽から受取っている熱量は知られている。しかして、これらの物体は固体の皮殻をもっているから、太陽から受取っているとほとんど同量の熱を天の空間に放散し、そうすることによってほとんど恒同な温度を保っている。しかるに、上記の法則によって物体の出す輻射とその温度との関係が規定されているから、従ってその温度を計算することができるわけである(『宇宙の成立』四二頁)。水星や太陰のように全く雰囲気をもたない遊星や衛星の場合にはこの計算によって完全に正しい数値が得られるのである。しかし、雰囲気の存在する場合にはこの関係はある点で少し変ってくるので、このことは既に十九世紀の初めにフリェー(Fourier)が指摘しているところである。その理由は、雰囲気がこれに入射する太陽の輻射を通過させる程度は暗黒物体の表面から出る熱輻射を通過させる程度と同一でなく、前者よりも後者が多いからである。これには雰囲気中の水蒸気と炭酸ガスが重要な役目をつとめるので、これについては既に各種の自著論文で詳細に論じておいた。大多数の地質学者の間で承認されている通り、過去の地質時代における生物の遺跡によって確証される地質時代の交代は主として大気中炭酸ガスの含有量の変化に帰因するものであって、これはまた当時における火山作用活動の強弱によって支配されたのである。  我々の遊星系に関する知識は、地球の重量の絶対値が測定され、それから容易にその比重が算出されるようになったために、更に著しく豊富の度を加えることとなった。この測定を最初に行ったのはキャヴェンディッシ(Cavendish 一七九八年)であった。彼は直径三〇センチメートルの大きな鉛の球が小さな振子の球に及ぼす引力を地球がこの振子球に及ぼす引力と比較した。その結果から出した地球の比重は五・四五となった。その後キャヴェンディッシの実験は多くの学者によって著しい改良を加えられて繰り返された。そうして最後の結果として得られた地球平均密度は五・五二である。しかるに地殻の外側の比重は約二・六(すなわち、普通岩石の比重)であることから考えると、地球の内部の比重はよほど大きいものとしなければ勘定が合わない。しかるに、鑿井内の温度が深さ一キロメートルを加える毎に約三〇度ずつ上昇することから推して、地下約五〇キロメートルの深さまで行けば地球内部は流動体となっていると仮定されるのであるが、これは地震波の伝播速度に関する観測の結果からも、また振子による重力測定の結果からも裏書きされる(『宇宙の成立』三三頁参照)。もっとずっと深く――約三〇〇キロメートルも――行けば、それ以下の地心全体はガス状態にあるかも知れない。しかし地心における非常な高圧のために、そこの物質の比重はそれが固体であるか液体またガス体にあるかにはほとんど無関係と考えてよい。しかしてこの際問題を決定するものはただ温度の高低である。それで、もし、太陽に最も近い遊星が、これと遠く離れた遊星よりもまた太陽自身よりも大きい平均密度をもつとすれば、それは多分前者が後者よりもずっと低い平均温度をもつためであり、また後者は多分(前者とは反対に)固体の皮殻をもたないであろうと考えられる。この後者のような天体の、表面と我々が称するものは、畢竟我々が望遠鏡でうかがい得る部分であって、その星の最外部に位する軽いガス層中に浮ぶ雲のようなものであると考えられる。地球の平均密度の大きいという事実は、その心殻が重い金属を含んでいることを暗示する。そうしてなかんずく鉄が――隕石や太陽におけると同様に――最重要な成分であろうと思われる根拠がある。  一六七五年に、パリで有名な天文学者カッシニ(Cassini)の助手を勤めていたデンマーク人ロェーマー(Römer)が、天文学上重大な意義のある発見をした。すなわち、光の速度の測定を可能ならしめる一方法を案出した。彼はガリレオの発見した木星の衛星を観測した。この衛星は木星の陰影中に没すると暗くなるのであるが、この食現象は非常に精密に観測することができる。天体の一周行に要する周期は不変であるから、相次ぐ二つの食の間の時間は不変であるはずである。しかし実測の結果ではそうでないように見える。もし地球ができるだけ木星に接近した位置にあり、両遊星が静止していれば衛星の食は精密に同じ時間間隔たとえば一日と一八時間で繰返されるはずであるとする。そこでもし地球が一つの食の起った後直ちに地球軌道の反対の側に行ってしまったとすれば、当然また一日と一八時間後に起る食現象が、地球上でそれと認められるのは、ちょうど光が地球軌道の直径を通過するに要する時間だけ後れるわけである。これに要する時間は平均九九七秒である。これに対してロェーマーの実測した数値ははるかに大きなもの――一三二〇秒――であった。もちろん実際は一日と一八時間くらいの短時間に地球の進む道は所要の距離すなわち、軌道の半分に足りないことは明らかである。この地球半周行の間に、衛星自身の運動だけのためにも一〇五回の食が起るはずであるのを、その上に木星の運動があるために更に一一回余計の食が起る。しかし時間の差違の関係はこれでも同じことである。そこで、今もし、地球上で光の速度を測定することができれば、上記の食の時間の後れからして地球軌道の直径を算出することができるわけである。この種の測定中で最もよく知られたものは、フィゾー(Fizeau)、フーコー(Foucault)及びマイケルソン(Michelson)の実験である。これらの結果によれば、真空中における光の速度は毎秒三〇万キロメートルである。これから計算すると地球軌道の半径は一四九五〇万キロメートルとなる。一方で直接天文学的方法で測定された結果を比べるとほぼこれと一致するのである。  ラプラス時代以来二大遊星、すなわち、天王星(一七八一年)と海王星(一八四六年)が発見されまた火星と木星との中間に多数の小遊星が発見された(現在では約七〇〇個知られている)。その中の最初のものセレス(Ceres)は一八〇一年の一月一日にピアッツィ(Piazzi)によって見付けられた。これらの運動は皆右回りで、その軌道の傾斜は甚だ多様である。傾斜の最大なのは三四・八三度である。また軌道の離心率も甚だまちまちである(最大〇・三八三)。  特に興味の深いものはいわゆる二重星である。これについては初めハーシェル(W. Herschel)次にストルーヴェ(W. Struve)近ごろではシー(See)によって熱心に研究されたものである。そして多くの場合にこれら恒星の共有重心のまわりの運動を測定することができた。その結果からしてまたこの星の軌道の離心率を算定することも可能になってきた。近ごろになって恒星のスペクトルの研究から、大多数の恒星はあるときは前進しあるときは後退する往復運動を示していることが分った。このような場合にその軌道の離心率を決定することのできる場合もしばしばあった。そうして、我々の遊星の軌道がほぼ円形であるのに反して、これらの星はよほど違った形の軌道を描いていることが分った。これら恒星軌道の離心率の直接に観測されたものは〇・一三と〇・八二の間にあり平均値は約〇・四五(シーによる)になる。  スペクトルによって観測される二重星の離心率はやや小さく、ニューカムの教科書『通俗天文学』に挙げてある一八個について言えば〇と〇・五二の間にあり、平均値は〇・一八(注)である。 (注) シーのその後の算定では、以上二種の二重星について各々〇・五〇と〇・二二となっている。  若干の二重星ではその二つの物体の質量を決定することができた。太陽の質量を単位とすると、ケンタウル星座のアルファ星については一と一、天狼星シリウスでは二・二と一、プロキオンでは三・八と〇・八、蛇遣い星座の第七〇番星は一・四と〇・三四、ペガスス座の第八五番では二・一と一・二である。これらの数値からわかる通りこれらの恒星はほとんどすべて我々の太陽よりは大きい。また『スペクトル二重星』の観測の結果もやはり同様である。多くの場合に二つの恒星の一方は光輝が弱くて認められない。そういうのを名づけて『暗黒随伴体』という。甚だ珍しいのは変光星アルゴールであってこの星の質量は比較的小さく、そして時々暗黒随伴体で掩蔽される。アルゴールの直径は二一三万キロメートル、その随伴体のが一七〇万キロメートルと算定されている。すなわち、太陽の直径一三九一〇〇〇キロメートルに比して両方とも著しく大きい。それにかかわらずその周期から計算される質量は太陽のそれの〇・三六と〇・一九である。従ってこれらの比重は太陽のそれの〇・一にすぎないのである。  また別の変光星、ヘルクレス座のZ星は、ハルトウィク(Hartwig)の計算によると、二個の巨大な太陽より成り、両者は四五〇〇万キロメートルの距離を保って旋転しその直径はそれぞれ一五〇〇万キロメートル及び一二〇〇万キロメートル、その質量はそれぞれ太陽の一七四倍と九四倍を超過し、比重は〇・一三八と〇・一四六である。不思議なことには小さい暗黒な方の物体が大きい方とほとんど同じくらいの小さい比重をもっているのである。ペガスス座の二重星Uは、マイヤース(Myers)の研究によると、太陽の比重の〇・三くらいの平均比重をもっている。またロバート(Robert)の推算による、プッピス星座の二重星Vは太陽の三四八倍の質量をもっているが、その比重は太陽のそれのわずかに五〇分の一にすぎない。また有名な変光星、琴座のベータ星はマイヤースの計算では太陽の三〇倍の質量をもっているのにその比重は一六〇〇分の一にすぎない。  光輝の強いカノプス(これは天の南方にある)、リーゲル(オリオン座の)及びデネブ(白鳥座の)もまた太陽より数千倍大きいものと推定されている。  最近に発見された最重要な事実は、明らかに一つの団体に属すると思われる一群の恒星が天の一方にある共通な集合点に向かって、互いに並行な軌道を同様な速度で進行していることである。たとえばアルデバランと昴すなわちプレヤデスとの中にある牡牛座の多くの明るい星は互いに並行に東方に移動している。また同様に大熊星座のベータ、ガムマ、デルタ、エプシロン及びゼータの諸星は一群を成していていずれも同じ鳩座のガムマ星に向かって動いている。近ごろになってヘルツスプルング(Hertzsprung)はまた、これとは遠く離れた天空にある若干の恒星、なかんずくシリウスなどもやはり同一群に属するということを証明した。  このような『漂浪星群』についてその距離を算定することができる。すなわち、ポッツダムのルーデンドルフ(Ludendorff)は、上述の大熊星座の五星は太陽よりも六〇〇万倍の距離にあり、シリウスより一〇倍遠いという結果を得た。大熊星座の他の二つの明るい星、アルファとエータとは前とは別な天空上の一点(射手座の)に向かって動いているが、この二つの距離は前述の隣の諸星と同一である。これから計算するとこれらの星は平均して太陽よりも約八〇倍明るいということになる。その中最も明るいアルファ星は太陽の一二六倍に当る。この星は太陽と同じく黄色であってその大きさは太陽の約一〇〇〇倍に当ると思われる。しかし他の諸星はシリウスのように白色であって、到底上記の大きさには達しないであろうが、それでもとにかくシリウスよりは比較にならぬほど大きいものである。  これらの算定の結果はまだ全く決定的のものではないかも知れないが、しかしこれから明らかに次のようなことは証明される。すなわち、我々の太陽は質量から見ればむしろ恒星中でも小さい方であるということ、また太陽はその比重においてかなり高い程度に達しており、すなわち、星の進化の段階から見て比較的進んだ段階にあるということである。太陽が光輝の弱い星であるということは、諸恒星の距離が詳しく知られるにつれて明らかに認められてきた。もし太陽がアルクトゥルスあるいはベテルギュースと同じ距離にあったとしたら肉眼ではとても認められないであろう。一等星の距離の平均に相当する距離にあったとしたら、太陽はまず五等星くらい、すなわち、肉眼で見える中では最も光輝の弱いものに見えるであろう。  このように、我らの太陽がその同類中で比較的末席を占めているというのは、もちろん、我々が主として最も大きく最も光った星を調べたためだということにも帰因する。カプタイン(Kapteyn)はこの点を考慮に入れて釣合を取ろうと試みた。すなわち、彼は種々の光度――太陽の光度を単位として――の多数の恒星が、太陽を中心として五六〇光年を半径とする球内にいかに分布されているかを計算した。そうして次の結果を得た。   光度                  星の数 一〇〇〇〇以上                 一 一〇〇〇〇ないし一〇〇〇           二六 一〇〇〇ないし一〇〇           一三〇〇 一〇〇ないし一〇            二二〇〇〇 一〇ないし一             一四〇〇〇〇 一ないし〇・一            四三〇〇〇〇 〇・一ないし〇・〇一         六五〇〇〇〇  この表は光力の減ずるに従って星の数が著しく増加することを示す。これから見ると暗黒な天体の数は光輝あるものの数をはるかに凌駕するであろうと考えないわけにはゆかなくなる。もっともこれらの暗い星は必ずしも質量が小さいとは限らないであろう。しかし最も明るい星はその容積が大きくまた高温度のためにその比重が甚だ小さいにかかわらず大きな質量をもつであろうと考えるのはむしろ穏当であろう。  二重星の軌道が遊星のそれとは反対に非常に離心的であるという事実は、我々の遊星系の著しい規則正しさがむしろ例外の場合だということの証拠とも見られる。しかしこれは決して必然な証拠にはならない。二星間の衝突の際に中心体の周囲に拡散する星雲状の円板は、一般には全質量のただの一小部分を成すにすぎない。中心体の外側の物質の大部分は、放出された微粒の速度のために、また一方高速度な分子の逸出のために空間に向かって飛散する、同時にこの旋転する円板は宇宙空間から輻射を受け取るために絶えず拡大される。今外部の宇宙空間から一物体がこの旋転する板中に陥入したとすれば、そこに二つの場合が起り得る。もしこの物体の質量が、たとえば彗星のように、板のに比べて小さいときには、物体は板によって円運動をするように強制される。そこで一つの遊星ができ、これはほとんど円形の軌道に沿って円板の平面内を運行するであろう。しかるに、もし侵入体が円板に比して大きい質量であった場合にはどうかというと、この物体の速度はやはり減殺され、そうして、ときにはこの星雲の中心体から再び離れ去ることができなくなる場合もあり得る。しかし円板物質のために侵入体の軌道はわずかしか変化しないから、その結果として軌道は甚だしく離心的となり、また軌道面の板面に対する傾斜角もいろいろ勝手になり得るわけである。この後の場合はちょうどラプラスの考えた太陽系に対する彗星の関係に相当する。これに反して上記二つの場合の最初のものでは新たにできた遊星の質量は比較的小さいからそれが冷却するために元来たださえ微弱な光力を速やかに減じ直接には認められなくなってしまう。また物体が小さいために光った中心体の運動に及ぼす影響も甚だ僅少であり、またこれのために生ずる往復運動もささいなものであって、それによって暗黒随伴星の存在を証し得るほどのものにはならないのである。こういう場合の方が、大きな天体の捕えられる場合よりも多数であろう。これは第一、小さな天体、たとえば彗星のようなものが比較的多数であることからそう思われる。『その数は海中の魚の数ほど多い』とケプラーが言っているくらいである。大きな天体はたいていの場合に星雲体を貫通して、しかも余り著しくその速度を減殺されずに更に宇宙の旅を続けることができるであろうと思われる。こういう普通の場合にはしかし我々の観測を免れるのである。大きな天体がその侵入によって生じた二重星の一員となるような場合には、それ以前から存在した遊星は多分非常に複雑な軌道を取るようになりがちであろうと思われる。  スペクトルの色と温度との関係を与えるウィーンの法則は恒星の温度の決定にも応用された。しかしこれを応用するには厳重な吟味をした上でなければならないというのは、我々の観測する星の光はその星の全輻射ではなくて、その外部雰囲気の吸収によって弱められたものだからである(『宇宙の成立』六四頁参照)。  星の温度は、また、その光のスペクトル線の強さからも判断される。ガスの吸収スペクトル中の多くの線は温度が昇るに従って強められ、またある他の線はかえって弱められる。ヘール(Hale)とその共同研究者等は、カリフォルニアのウィルソン山で金属のスペクトルを研究したが、それには一一〇ボルトの電圧で二アンペアと三〇アンペアと二通りの電流を通じた弧光の中でこれら金属を気化させた。この後者すなわち電流の強い方がもちろん温度が高い(その金属の尖端の間に通ずる火光放電の方が一層高温である)。それでこの方法によって温度の上昇に伴うスペクトル線の変化を確定することができた。その結果から、二つのスペクトルを比べると、どちらが高温に属するかということが言われるようになった。従ってたとえば一つの恒星あるいは太陽黒点上の光が太陽光面上に比べて高温であるかまた低温であるかを判断することができるようになったのである。ヘールの結果によれば、太陽黒点の光を吸収しているガスの温度は、太陽光面の光を吸収するものよりも低い。これは疑いもなく黒点上のガス体の密度が他所よりも大きいことによるのであろうが、しかしこれは黒点の基底の輻射層が、太陽の一体の光面の光を出す光球雲よりも低温だという証拠にはならない。ヘールの研究室で行われた比較研究の結果によると、アルクトゥルス、それよりもなおベテルギュースのスペクトルが太陽のスペクトルと相違する諸点がちょうど黒点のそれと同様である。従ってこれらの巨星、なかんずくベテルギュースの光を吸収するガスは太陽の光球雲よりも低温度にあることを推定することができる。しかしこれらの異常に巨大な星の輻射層の温度が太陽のそれよりも低いとは限らない。むしろこの場合には多分それと反対であって、その外側のガス被層の低温なのはこの光を吸収するガス体の比重の大きいためであるらしく思われる。  英国人G・H・ダーウィン(G. H. Darwin)がその古典的名著中に述べたように、遊星系の進化には潮汐の作用が多大の影響を及ぼしたに相違ない。彼の証明したところによると太陰は昔は多分地球から著しい近距離にあってしかしてこの両者は一つの運動系として四時間足らずの周期で回転していたものである。これがために潮汐作用は非常に強かったので地球の回転周期は次第に延長され、その際に消失する回転のエネルギーの一部は、太陰を徐々に現在の距離に持ってゆくために使われた。これと同様なわけで、太陽もその進化の初期に、まだその直径がずっと大きかったころにはその潮汐作用によって諸遊星に甚大な影響を及ぼしたであろう。なぜかと言えばこの作用の強さは直径の三乗に比例するからである。  この作用のために太陽も諸遊星もその自転速度を減じ、また諸遊星と太陽間の距離も変ったであろう。火星の衛星のうちでフォボスと称するものはその軌道の周期が火星の自転周期よりも短い。これは特異な現象であるが、ダーウィンはこれを次のように説明した。すなわち、火星の自転周期は以前は――ラプラスの仮説の通り――フォボスの公転よりも短かったのであるが、しかし太陽の潮汐作用のために長くなって、今では二四時間三七分となり、フォボスの周期七時間三九分に対して著しい長さになったというのである。土星の輪についても同様なことが言われる。この輪の最内側の微塵環の回転周期は五・六時間くらいであるのにこの遊星自身のそれは一〇時間と四分の一である。普通の仮定からすると、土星の太陽からの距離は余りに大きすぎるので火星の場合と同様な説明はここには適用されない。しかし、この最内側の土星環はだんだん遊星に接近したためにその回転速度を増したということも可能ではあるまいか。もし遊星にわずかな雰囲気の残余があってこれと環物質との間に摩擦があるとすれば、こういうことになったかも知れない。これはラプラス自身既に暗示したことであるが、後にウォルフ(C. Wolf)がこの説を継承した。  前に述べた通り、ラプラスの仮説の当面の難点は、この説によると、カントの場合も同様に、諸遊星の回転方向が太陽のそれと反対になり、いわゆる逆転とならなければならないと言うことである。ピッケリングはこれに対して次のように考えた。すなわち、すべての遊星は初めには実際逆転をしていたが(注)、しかし太陽の潮汐作用のためにこの運動を減殺され、ついにはいつも同じ側を太陽に向けるように、すなわち、右回りの回転をするようになり、その自転周期は公転周期と同一になった。その後に諸遊星がだんだん収縮したためにその自転が加速されるに至ったというのである。最外側の二遊星海王星と天王星とは太陽から余りの遠距離にあるために太陽の潮汐作用も非常に弱く、従ってこの作用が十分の効果を遂げないうちに収縮してしまい、ついに全くこの作用を受けなくなってしまったものである。これらの遊星の質量はその次の遊星すなわち土星の約六分の一にすぎないくらいであるから、その冷却もまた土星に比べてはるかに急激であったはずである。そういうわけでこの二星は一般の規則に外れたものとなった。土星については、その衛星中九番目のものヤペツスまでは右回りである。これは土星から三五〇万キロメートルの距離にある。これに反して、ピッケリングによって発見された第一〇番目の衛星フォエベは、これよりも三倍半の距離にあってその回転は逆転である。ピッケリングは、この衛星は土星自身がまだ逆転をしていた時代にできたものであろうと考えた。しかしこれの離心率が大きいこと(〇・二二)から考えるとむしろこれはこの遊星系の彗星に相当するものであって、この付近の星雲物質が既によほど稀薄になった頃になって土星の引力の領域に入り込んだものであると、こう考えた方がもっともらしく思われるのである。木星の衛星でもやはり一番外側のは逆転であるがそれ以内の遊星の衛星はすべて一般の規則通りである。 (注) 我々の説からみれば、最初の回転方向は、外界から侵入した最初の凝縮核の運動次第で任意なものと考えられる。  この章で述べてきた諸発見の大部分は、我々の太陽系以外の天体に関するものであった。強度の望遠鏡が使用されるようになり、ことに分光器(一八五九年以後)の助けを得るようになってから始めてこれらの極めて遠隔した物象の特異な性質に関して立ち入った研究をすることが可能となったわけである。それだのにデモクリトスは紀元前四〇〇年の昔既に銀河の諸星は我らの太陽と同様なものだと考えていた。また近世の初期にジョルダノ・ブルノは恒星を太陽としてその周囲を回る遊星を夢想していた。彼らがこういう考えを抱くに至ったのは、すべての科学者の研究に際して指針となる信念、すなわち、比較的未知なるものも、根本的には、我々の手近で詳しく研究されたものと同様であるという信念に追従したまでである。その後の経験はデモクリトスとブルノの考えの正当であることを示すと同時に、また上記の自然科学根本原理が一般に正しい結論に導くものだということを示した。それで諸恒星は我らの太陽と同じようなものであるが、ただあるものは我らの日の星より大きく、あるものは小さくまたあるものはもっと高温、あるものは寒冷なのである。  しかし、ハーシェルの発見したように、彼の研究した星雲中の多くのものは種々な点、たとえばその光やまたその広がり方において太陽とは相違している。これらの星雲は遠く広がった稀薄なガス塊から成り立っているのであるが我らの太陽系にはこれに類似のものは一つも存在しない。しかし彼はこれら星雲を他の類似の形成物と比較研究した結果として星雲と太陽との間の過渡形式と見られるべきものの系列を発見し、そこから、これらの多様な形式は天体の変化における進化の段階を示すものであるという結論に達した。  ラプラスの有名な太陽系の起源に関する仮説はその基礎の一部を上記の研究においている。その後に得られた非常に豊富な観測資料はすべての主要な点についてハーシェルの考えを確かめると同時に天体の本質に関する我々の観念を著しく明瞭にした。  疑いもなく我々は現在でもまだわずかに星の世界の知識の最初の略図を得たにすぎない。それで我々もまたデモクリトス、ブルノ、ハーシェル、ラプラス等と同様に、まだ研究の届かぬ空間も、根本的には、完備した器械の助けによって既にある度まで研究の届いた空間と同様であると仮定する外はない。多分将来における一層深い洞察の結果も、あらゆる主要の点においては我々の考えを確かめるであろうと信ぜられるが、またそれは同時に今日我々の夢想することもできないような新しい大胆な観念構成の可能性を産み出すであろう。そうして我々の知識は絶えず完成され、我々の考え方は先代の研究者の見い出したものから必然的論理的に構成の歩を進めてゆくであろう。皮相的な傍観者の眼には、一つの思考体系が現われると、他のものが転覆するように見えることが往々ある。そのために、科学研究の圏外にある人々からは、明解を求めんとする我々の努力は畢竟無駄であるという声を聞くことがしばしばある。しかし誰でも発達の経路を少し詳しく調べてみさえすれば、我々の知識は最初は目にも付かないような小さな種子からだんだん発育した威勢の良い大樹のようなものであることに気が付いて安心するであろう。樹の各部分ことに外側の枝葉の着物は不断に新たにされているにもかかわらず、樹は常に同じ一つの樹として生長し発育している。それと同様にまた我々の自然観についても、数百千年に亘るその枝葉の変遷の間に常に一貫して認められる指導観念のあることに気が付くであろう。 Ⅸ 宇宙開闢説におけるエネルギー観念の導入  ラプラスが太陽系の安定に関する古典的著述を完成して満悦の感に浸っていたときには、太陽は未来永劫不断にそれを巡る諸遊星に生命の光を注ぐであろうという希望に生きていたことであろう。彼には太陽系内における状態は常に現在とほぼ同様に持続するであろうと思われた。この偉大な天文学者も、また彼と同時代で恐らく一層偉大であったハーシェルでも、太陽の強大な不変な輻射に対して何らの説明を下そうとも思い及ばなかったのである。  しかし太陽の高温また恒星の灼熱の原因が何であるかという問題は十分研究の価値のあることである。既にアナキサゴラスは恒星の灼熱はエーテルとの摩擦によるものという考えを出している。更にライブニッツ及びカントは太陽の熱が燃焼によって持続されていると言明しており、またビュッフォンは遊星が灼熱状態から冷却してしまうまでの時間について注意すべき計算をしている。ラプラス自身でさえ、遊星を構成する物質は始めは灼熱されていて後に冷却したものだと仮定しているくらいである。  しかし、この種の観察が一つの安全な基礎を得るようになったのは、熱に関する器械的学説が現われて、前世紀の中ごろ、自然科学の各方面で着々成功を収めるようになってからのことである。この学説によれば、エネルギーもまた物質と同様に不滅である。物質の量の不変ということは、昔から宇宙進化の謎について考察したほどのすべての人によって暗黙のうちに仮定されたことであったが、一八世紀の終りに至ってラボアジェーによって始めて完全に正当なものとして証明されたのであった。  太陽は生命を養う光線を無限の空間に放散しているから、これによるエネルギーの消費を何らかの方法で補充しているか、さもなければ急速に冷却しなければならないはずである。しかし地質学者の教うるところではこの後者の方は事実と合わない。すなわち、幾十億年の昔から今日まで太陽の光熱はほとんどいつも同じ程度に豊富な恩恵を地球に授けてきたに相違ないと説くのである。それで、マイヤー(Mayer)はエネルギーの源の一つを隕石の落下に求めようという最初の試みをした後に、ヘルムホルツ(Helmholtz)が現われてこのマイヤーの考えを改良した。ヘルムホルツの考えでは、太陽の各部は次第にその中心に向かって落下するのでそのために熱が発生するというのである。この考えはこの問題の答解として最良で最も満足なものと考えられてきたが、現代に至って地質学上のいろいろの発見から、このエネルギーの源では到底不十分であるということが明白に見すかされるようになった(『宇宙の成立』第三章参照)。  この物理学的の問題は次第に多く注意を引くようになった。物体、特にガス体の、圧力並びに温度の変化に対する性能が次第に詳細に知られてくるに従って、天体の温度とその容積変化並びにその受取りまた放出する輻射によるエネルギーとの収支の関係もまた次第に精細に研究されるようになってきた。この方面に関する研究の中で最も顕著なのはリッター(Ritter)のである。これについては更に後に述べることとする。  天体の問題について、温度並びに重力の及ぼす純物理学的の変化に関して憶測を試みる際に、また一方で天体の諸成分間に可能な化学作用に及ぼす温度の影響に関する我々の知識をも借りてここに利用すれば本質的な参考となるわけであるが、我々は今正にそれをしようとしているのである。ヘルムホルツはただ純物理学的な過程のために遊離発生する比較的僅少なエネルギーのみを問題として、これよりはるかに有力な化学的過程によるエネルギーの源泉を閑却したためにそこに困難が残されていたのであるが、しかしこの場合における諸関係を十分に研究すれば多分この困難からの活路を見出すことができるであろう(これについては次章で更に述べる)。  重力の法則と物理的過程に際するエネルギー不滅の法則とを応用してどこまで行けるかということは、リッター(A. Ritter)のこの二原理を基礎とした非常に行届いた研究によって見ることができよう。彼はまた普通のガス態の法則がこの際適用するものと仮定したのであるが、しかし熱伝導と輻射とは余り重要でないものと見なしている。もっとも彼より八年前にレーン(Lane)がほぼ同様な研究をしているがこれはそれほど行届いたものではない。その後にケルヴィン卿(Lord Kelvin)や、シー(See)やまた特にエムデン博士(Dr. Emden 一九〇七)がこの問題の解決について有益な貢献をした。なかんずくこの最後の人のは数学的にこの問題を取り扱った大著であって、将来この方面の研究をする者にとって有益な参考となるものであろう。しかし物理的の点では彼の考えは余りリッター以上には及んでいない。輻射の影響については近ごろになってシュワルツシルト(Schwarzschild)の研究の結果がある。しかしここではただリッターの研究の主要な結果を述べるに止めようと思う。  リッターの考えでは、彼の仮定したような法則に従うガス塊は、一般にある限界によってその外側を限られ、そこでは温度が絶対零度まで降下しており、そこから内側へ行くほどだんだんに温度が高まり、そうして各点における温度は任意のガス塊が前記の限界からその点まで落下したときの温度と精密に同一であるというのである。これを分りやすくするために地球雰囲気の場合を例に取って考えてみよう。今地球表面の温度を摂氏一六度(絶対温度の二八九度)とする。これは実際地球上の平均温度である。すると、リッターの仮定に従えば、雰囲気の高さは二八・九キロメートルということになる。なぜかと言えば、今一キログラムの水が一キロメートルの高さから落ちるとすればその温度は1000÷426すなわち二・三五度だけ上昇する。ところが空気の比熱は〇・二三五である。それで一キログラムの水を〇・二三五度だけ温め得る熱量は、一キログラムの空気ならば一度だけ温度を高めることができる。従って、一キログラムの空気が一キロメートルの高さを落ちるとその温度は一〇度高くなる(ここでは、リッターの考えに従って等圧の場合の空気の比熱を使って計算した)。それゆえに気温が絶対零度から二八九度まで昇るためには二八・九キロメートルの高さから落ちるとしなければならない。従って地球表面から測った雰囲気の高さはちょうどそれだけである、というのである。  雰囲気がもし水素でできているとしたら、その比熱は三・四二であるからその高さは四二一キロメートルとなるであろう。同様にもし雰囲気が飽和水蒸気とその中に浮遊する水滴とで成り立っているとしてもその気層の高さはかなり著しいものになるであろう。なぜかと言えば、こういう混合物の温度を一度だけ上昇させるためには、ただ蒸気を温めるだけでなく、その上に水滴の蒸発に要する熱を供給しなければならないからである。すなわち、あたかもこのような混合物の比熱が比較的大きいものであると考えればよいことになる。リッターも計算した通り、地面の温度が〇度であるとすると、水蒸気でできた雰囲気の高さは三五〇キロメートルとなる。それで実際の場合において空気中にはその凝縮し難い成分以外に水蒸気と雲とを含んでいるために雰囲気の高さは前に計算した二八・九キロメートルよりも二キロメートルだけ大きく取らなければならないことになる。  しかるに、リッターの言う通り、この結果は全く事実に合わない。隕石の観測の結果から見ると地上二〇〇キロメートル以上の高さで光り始める場合がしばしばある――この灼熱して光るのは空気との摩擦の結果である。北光の弧光は空気中における放電によるものであるが、これの最高点は約四〇〇キロメートルの高さにある。また近年気球で観測された結果では、約一〇キロメートルの高さから以上は気温はほとんど均等であって、上方に行くに従って毎キロメートル一〇度ずつの減少を示すようなことはない(注)。 (注) このように温度が均一になり始める限界の高さは赤道地方では二〇キロメートル以上、中部ヨーロッパでは一一ないし一二キロメートル、また緯度七〇度付近では八キロメートルである。  リッターは彼の計算と事実との齟齬の原因を説明するために、非常に高い所では空気のガスが、ちょうど下層における水蒸気のように、凝縮して雲となり、その結果として著しく雰囲気の高さを増しているものと考えた(注)。しかし今日では、この凝縮は零下二〇〇度以上では起り得ないことが知られている。すなわち、気球が到達し得られるような高さで、そして温度の上方への減少がほとんど分らなくなる高さなどよりははるかに高い所でなくては起り得ないはずである。気象学者の中でもこの現象の説明はまだ一致していない。私自身の考えとしては大気中の炭酸ガスと水蒸気またあるいはオゾンによる熱輻射とその吸収とがこの際重要な役目をつとめているものと信じている。 (注) ゴルドハムマー(Goldhammer)の計算によると、窒素では六二キロメートル、酸素では七〇キロメートルとなる。  リッターは、更に、地球を貫通する幅広い竪穴を掘ったとしたら地球中心での気温がどれだけになるかを計算した。もちろんその際重力は竪穴内の深さとともに変化し地球中心では〇となるということを考慮に入れて計算した結果は、竪穴内の地心における温度は約三二〇〇〇度ということになった。なお彼のその後の計算では地球中心の温度は約一〇万度となっている。これから見てもガス状天体では中心に近づくに従って温度が増すということが了解されるであろう。しかるに地球は表面から四〇〇キロメートル以上の深さではきっとガス態にあると思われるから、この場合のリッターの計算はある程度までは当を得たものと考えられる。もっとも地球内にあるガスの比熱は、リッターの計算に用いたガス比熱よりは著しく大きいに相違ないから、地心の温度は彼の得た値よりもむしろ低くなるはずであって、たとえ化学作用のことを勘定に入れてみても彼の値の半分にも達しないかも知れないのである。一方で地心における圧力はというと、それは約三〇〇万気圧と推定されている。  次に太陽に関する考察に移ることとする。太陽の最外層における重力は地球のそれの二七・四倍であるから、もし太陽の雰囲気が空気でできているとしたら、その温度は高さ一キロメートルを下る毎に二七四度ずつ増すはずである。しかるに太陽の外側の雰囲気は主に水素から成立し、しかも、地球上では水素原子が二つずつ結合して一分子となっているのに反して太陽では一つ一つの原子に分離されているのである。単原子状態にある水素の比熱は、太陽表面におけるような高温度に於ては約一〇ですなわち〇度における空気の比熱の四二・五倍と見積られている。従って太陽の最高層における温度は一キロメートル昇る毎に約六・五度ずつ降るわけである。ところが太陽の光を放出しているかの太陽雲の温度は約七五〇〇度と推定されているから、それから推算すると、この光った雲以上の雰囲気の高さは約一二〇〇キロメートルに達しなければならないはずである。それにもかかわらず、ジュウェル(Jewell)が、太陽光球雲外側のガスに於ける吸収スペクトル線の位置から算定した結果で見ると、これだけ高い雰囲気の及ぼす圧力はわずかに約五ないし六気圧しかないことになる。もしこれが地球の上であったとしたらこの圧力は二七・四分の一、すなわち約〇・二〇気圧となるはずである。それで、太陽の光雲以上のガスの質量は、地球表面から一二キロメートル、すなわち、一番高い巻雲の浮んでいるくらいの高さ以上にある空気の質量よりも大きくはないのである。  太陽上層のいわゆる色球、すなわち、太陽光雲の上にあって水素ガスに特有な薔薇紅色を呈しているガス層の高さを日食の際に測定した結果は約八〇〇〇キロメートルとなっていて、上に計算した数値の六倍以上になる。すなわち、地球の場合と同様に雰囲気の高さはリッターの計算から期待されるよりは数倍も高いという結果になるのである。  太陽の最外層の温度が零度あるいはそれ以下に降るであろうという仮定もまた妥当ではないと思われる。そこでは強い輻射を受けているからそれほどまで冷却するということは疑問であろう。太陽雰囲気のこの部分には凝縮によって生じた微粒が恐らく多量に存するであろうということは、太陽板面の周縁に近づくほど光輝が弱くなることから推定される。すなわち、縁に近いほどそれだけ厚い気層を光が通過してくると考えられるからである。これらの微滴粒は太陽体の輻射によって熱せられ、かくして得た高温度をその周囲のガスに付与するであろう。この点では地球の雰囲気にも同様なことがある、すなわち、多数の塵埃の粒が太陽からの輻射を吸収して約五〇ないし六〇度の温度となり、そうしてその温度をガスに分与するのである。それで両者いずれの場合でも、温度が高さとともに減ずる割合はリッターの計算したよりももっと少なくなるわけであり、従って雰囲気の高さもリッターの数字が示すよりも数倍高いのが本当であろうと思われる。  さて再びリッターの研究に立ち帰るのであるが、彼は球状のガス体星雲の表面から内部へ進むに従って温度、圧力及び比重がいかに変化すべきかを計算した。この計算をシュスター(A. Schuster)が少しばかり改算したものを、私は『宇宙の成立』の一七九頁に紹介しておいた。その結果によると、もし太陽内部が原子の状態にある水素ガスからできているものとすれば、その中心には約二五〇〇万度という温度が存することになり、そこの圧力は八五億気圧、比重は八・五(水を一として)となる勘定である。もっとも同書に掲げた表は、もし太陽が現在の半径の一〇倍を半径とする星雲に広げられたとしたらその中心点の温度が二五〇万度になるはずだということを示しているのであるが、しかしそういうものが太陽の実際の大きさまで収縮するとその重力は一対一〇〇の比に増大し従って深さ一キロメートルに対する温度増加率もまたこれに相当する割合で増すべきである。しかるに半径がもとの一〇分の一に減ずるからこの質塊の中心における温度はもとの値に対して一〇分の一の一〇〇倍となる。すなわち、星雲のときの一〇倍になるはずである。太陽の中心以外の他の点についても同様のことが言われるので、従って収縮の際における温度増加の結果として温度は半径に逆比例することになるのである。しかるに太陽を構成するガスは甚だしく圧縮された状態にあるのだから多分簡単なガス法則には従わないであろうと信ぜられるので、この理由から太陽内部の温度はリッターの考えたほど高いものではないと思われる。彼に従えば、もし太陽が鉄のガスでできていると仮定するとこの温度は一三億七五〇〇万度となるのである。太陽の収縮によって起る温度上昇の結果多量の熱を吸収するような化学作用が始まり、それによって再び温度の著しい低下が惹起されるのであろうと考えられる。それでまずざっと見積ったところで太陽の温度を平均一〇〇〇万度くらいと見てもよいかと思うのである(注)。 (注) しかしエクホルム(Ekholm)はもう少し小さい値五四〇万度を出した。  さて前述の星雲のようなガス団塊が収縮すると、前述の通りその温度が昇る。そうしてその上昇の際に、ヘルムホルツの考えたように収縮に伴って離遊してくる熱量の大部分は消費されることになる。仮に何らの化学作用が起らないとしてみても上記の値の八一%は加熱のために割当てられ、一九%だけがわずかに外方への輻射として残ることになる。もっともここでリッターは水素二原子より成るH2について計算したのであるが、もし単原子のHだとすると輻射が五〇%に達することになる。この結果として言われることは、太陽は約五〇〇万年(後の場合ならば約一二〇〇万年)以上現在のままの輻射エネルギーを放出し続けることはできないということである。のみならず実際は太陽の輻射は過去において既に著しく減少したものと考えなければならない。もっともリッターももちろん地質学者の方では地球上における生物存在の期間に対してこれよりもずっと永い年数を要求しているということを承知していたであろうが、しかし彼もまた多くの物理学者と同様にヘルムホルツの考えた熱源が何よりも一番主要なものだと確信していたために地質学者らの推定の結果には余り重きをおかなかったのである。しかしその後に至って行われた諸研究の結果はかえって地球の年齢を地質学者の推定よりも更に長くするようなことになってきたのである。種々の地質時代に塩類の層が生成された際にそれがいかなる温度の下に行われたかに関するヴァントフ(van 't Hoff)の研究があるが、その結果から見ても、またそれらの時代における珊瑚礁の地理的分布の跡から見ても、地球上の気温並びに太陽の輻射は当時と今とでそれほど目立つように変っていないということが証明される。それで太陽の収縮に際して生ずる熱よりも、もっと多量な、またもっと変化の少ない熱量を供給するような熱源をどこかに求めることがぜひとも必要になってきた。この熱源は多分太陽が徐々に冷却する際に起る化学作用に帰すべきであろう。この作用の過程は太陽星雲の収縮する際には逆の方向に行われたはずであるから、それから考えると、この後者の収縮はリッターが考えたよりももっと急速に行われたはずだということになる。太陽が他の太陽と衝突した後広大な星雲片から現状までに収縮するまでに要した時間は、もしその輻射が昔も今も同強度であったとすれば、やっと一〇〇万年足らずの程度になる。しかし太陽はそれがまだ星雲状の段階にあった際に外界からの輻射を吸収することによってばく大なエネルギーの量を蓄蔵したに違いない。後にこの太陽の平均温度が下降し始めるようになってからこのエネルギーが熱量の消耗を補給するために徐々に使用され、そのおかげで温度もまた従って大きさもまた輻射も非常に永い時間ほとんど不変に保たれてきたのであろう。これと同じわけでまた星雲状段階の継続時間もリッターの計算から考えられるよりもはるかに永いものであったということになるのである。  リッターは更に計算の歩を進めて次のような場合をも論じている。すなわち、ある我らの地球と同様に表面が固結した天体があって、その雰囲気の高さが甚だ高く、もはやその中での重力を至る所同大と見なすことができないような場合である。この場合の計算の結果は、その天体の固態表面の温度がある一定の値を越えるとその雰囲気はもはや一定の限界をもつことができなくなり、ガスは散逸してしまうということになる。この計算を水素ガスに適用した結果として、もし太陰に水素の雰囲気があるとすると、それはその温度が常に零度以下八五度よりも低い場合に限って保有され得るということになった。ところが太陰表面の温度は平均してほぼ地球のそれに等しくまた最も温かい所では一五〇度にも達するのであるから、従って太陰には水素雰囲気はあり得ないということになる。同様にしてまたリッターは太陰の表面には水も存在し得ないということを示した。同様なことはまた、太陰よりも著しく小さい小遊星についても当然一層強い程度に適用されるのである。  リッターのこの方面の研究には多数の後継者があった。中でもジョンストーン・ストーネー(Johnstone Stoney)とブライアン(Bryan)が最も顕著な代表者であった。彼らは分子の運動速度に関する器械的ガス体論の仮定を基礎とした。ストーネーの結果だと地球はその雰囲気中に水素を保有し得ないことになるが、これはあるいは正しそうにも思われる。しかし彼の意見ではヘリウムもまたその運動速度の過大であるために地球のような小さな天体には永住しかねるべきだというのであるが、計算の結果はストーネーのこの考えに余り好都合ではないように見える。もっともこれに対しては地球がはるかな過去のある時代に、今に比べてはるかに高温でありまた巨大であった時分に、ヘリウムが既に地球雰囲気から逸散してしまったであろうということも考えられないことではない。  衝突の効果に関するリッターの研究は甚だ興味のあるものである。既にマイヤー(Mayer)が示した通り、ある一つの隕石がたとえば海王星あたりの非常な遠距離から、初速零で太陽に向かって墜落してくるとすると、これが太陽表面に届いたときの速度は毎秒六一八キロメートルを下らず、しかしてそのために隕石の質量一グラム毎に約四五〇〇万カロリーだけずつのエネルギーを太陽に貢献する勘定である。従ってもしも二個の太陽が衝突するとすれば当然非常な熱量を発生する。そうしてこの熱がかくして生じた新天体の膨張に使用され得るわけである。リッターの計算によると、もし二つの同大の天体が初速度零で無限大の距離から相互に墜落すれば、その際に生じる熱はこの二つのガス団塊を元の容積の四倍に膨張させるに十分である。衝突後の膨張が甚だしくなれば全質量が無限の空間中に拡散されるのであるが、この程度の膨張を生ずるためには、この二つの各々の初速度が毎秒三八〇キロメートルの程度でなければならない。かような速度は恒星にしてはとにかく過大だと思われようが、しかしカプタイン(Kapteyn)が鳩星座中に発見したある小さな八等星の速度はこれより大きく毎秒八〇〇キロメートル以上にも達するらしい。またかの巨星アルクトゥルスの毎秒四〇〇キロメートルにしてもやはり前記の速度を凌駕している。それにしてもかような大きな速度はやはり稀有の例外であるかも知れない。しかるにもしも太陽が尺度の比にして現在の一〇〇倍の大きさであってこれが同様なガス球と衝突したのだとすれば、その初速が毎秒わずかに三八キロメートルだけあれば、その結果は全質量を無限の空間まで拡散させるに十分である。そうしてそれはリッターのいわゆる『遠心的』星雲を形成して次第にますます膨張を続けつつ徐々に空間中に瀰散するであろう。『かの螺旋形星雲と称せられ、通例斜向の衝突の結果生じたものとして説明されているものも、多分この遠心系の一種と見なしてもいいものであろう。』この天体は本来はすべての方向に無限に拡散すべきであったろう。しかしこれが拡散の途中で出遭う微粒子のために運動を妨げられ、そのために進行を止めてしまったであろうということも考えられなくはない。環状星雲の生成も多分これと同様なふうに考えてよいであろう。クロル(Croll)によると、二つの天体の衝突の際に太陽の場合ほどの熱の発生を説明するためには毎秒一〇〇マイル(七四二キロメートル)の速度を要することになっているが、リッターに従えば何もそれほどの速度の必要はない。これについては特に次の点を考慮してみれば分る。すなわち、太陽と同質量を有し、しかもその一〇〇倍の半径を有する一つのガス星雲があったとすれば、それは別の同様な天体と衝突しなくても、ただそれが現在の太陽の大きさまで収縮するだけで光輝の強い白光星となるに十分な高温度を得るということである。  さて、もしも二つの天体衝突の際における速度が前記の特別な値よりも小さかったとするとその場合にはいわゆる求心系が生じる。すなわち、生じたガス球は次第に収縮して一つの恒星に成るのである。リッターの説によると、このような星はある平衡の位置に対して周期的に膨張しまた収縮することがあり得るので、彼はこれによって変光星の光の周期的変化を説明しようとした。しかし、思うに、かような脈動は輻射放出の結果として多分急速に阻止されてしまうであろう。のみならず、かような星の光度の変化は通例リッターの計算から考えられるようなそう規則正しいものではないのである。それでこの点に関する彼の意見はついに一般の承認を得るには至らなかった。  リッターはまた遠心系中にも所々に密集した所はでき得るのであろうと考え、それらが小さな恒星として認められるようになるであろうと考えた。星団はこのようにしてできたかも知れないのである。実際またかの螺状星雲は大部分かような星団からできていると考えられる根拠はあるのである。最後にリッターの持ち出した問題は、銀河も恐らく同様に一つの遠心系から形成された星団でありはしないかということである。しかるにこれに対する彼の説では、もしそうであったとすると銀河系がその付近一体に存する物質の量の主要な部分を占めるということは不可能だということになる。すなわち、衝突後に一つの遠心系を生ずるために必要なような大きな速度を得るためには、彼の考えでは、この二つの互いに衝突するガス団はあらかじめそれよりもずっと大きな質量の引力を受けなければならなかったはずであり、またその後にもやはりその引力の範囲に止まっていなければならないのである。  リッターの研究によれば、二つの光を失った太陽が互いに衝突した際に遠心系が形成されるということは、双方の太陽が異常な高速度を有しているという稀有な例外の場合に限って確実に起るのである。ところが実際上、太陽系の一部分、多分はその小さい方の部分が遠心系を作り残る主要部分が求心系を作ったという考えに矛盾するような事実はどこにも見当らない。こういう経過の方が正常であるということは既にずっと前に特記しておいた通りである。すなわち、遠心系は求心系を中心として一つの螺旋形星雲を形成し、そうしてその求心系はちょうどラプラスがガス状星雲から遊星系への変化について詳細に考究したのと同じようなふうにして徐々に形成されてゆくのである。  リッターはまた我々の太陽くらいの大きさの恒星がその進化の種々の段階において経過してきた時間を計算した。それには四つの期間を区別した。その第一期は星雲期に相応するものである。従ってこの星の温度は比較的低くて初めはいわゆる星雲型のスペクトルを示し、次では赤味がかった光を放つ。ロッキャー(Lockyer)その他の諸天文学者も理論上の根拠からこの考えを共にしているが、しかし観測の結果はこれに相応しない。星雲は水素とヘリウムの輝線スペクトルを示す。しかしまた多くの恒星はこれらの輝線を示し、従ってこの星雲に近似しているが、ただしその色は赤ではなくて白光を呈している。それであたかも、リッターが必要と考えたような星雲と白光星との中間段階(赤色光を放つ星雲状恒星)が欠如していると言ったような体裁である。しかしこれは、たとえそういう過渡的の形式のものがあるにはあっても、それが非常にまれであるということかも知れない(『宇宙の成立』一六七頁参照)。リッターもまたこの中間期の長さが白光星から赤光星への過渡期に比べて比較にならぬほど短かったと考えている。――ベテルギュースのように著しく光の強い赤色の星もあるにはあるがしかしこの赤い色はこの星の雰囲気かあるいはその付近にある微塵の吸収によるものと想像される(『宇宙の成立』六四頁及び一六三頁参照)。――輻射がその最大値に達するまでの第一期間の長さは一六〇〇万年に亘ると考えられる。  その後にも温度は上昇してゆく――ただしその輻射面が急速に減少するために全体の輻射は温度が上ってもこれとともに増すわけにゆかない――そうしてついに最高温度に達する。この期間は比較的短くわずかに四〇〇万年である。第三期にはこの星の光力は続いて減じ温度は降るのであるがこの期間に三八〇〇万年が経過する。そうしてその次に最後の第四期としてこの星の光らない消えた状態が非常に永く継続するというのである。これらの計算はすべて、太陽の熱はその収縮によってのみ発生するという仮定に基づいたものであって、そうしてこの仮定は多分かなり本質的に事実に合わないものだと思われる。それは、この場合に一番重要な役目をつとめるものは恐らく収縮ではなくて化学的の過程であろうと思われるからである。  リッターの計算の結果では、太陽がある遊星と衝突しても、それが既に光の消えた状態にあった場合にはそれによって再び新生命に目覚めるということはできないことになっている。それで遊星が太陽に墜落衝突することによって太陽系が再び覚醒するというカントの詩的な夢想は実現し難いようである。この有名な哲学者はこう言っている。『燃えない、また燃え切ってしまった物質、たとえば灰のようなものが表面に堆積し、最後にはまた空気が欠乏するために太陽には最後の日がくる。そうしてその火焔が一度消えてしまえば今まで全宇宙殿堂の光と生命の中心であった太陽の所在は永遠の闇が覆うであろう。いよいよ没落してしまうまでにはその火焔は幾度か新しい裂罅を開いて再び復活しようとあせり、多分幾度かは持ち直すこともあるであろう。これは二三の恒星が消失したりまた再現したりする事実を説明するかも知れない。』『神の製作物の偉大なものにさえも無常を認めたと言っても別に驚くには当らない。有限なるもの、始めあり根源あるもののすべてはそれ自身の中にその限定的な本質の表徴を備えている。それは滅亡――終局をもたなければならない。神の製作の完全性に現われた神の属性を賛美する人々の中でも最も優れたかのニュートンは、自然界の立派さに対する最も深い内察と同時に神の全能の示顕に対する最大の畏敬をもっていたのであるが、そのニュートンですら、運動の力学によって示された本来の趨向によってこの自然の没落の日のくることを予言しなければならなかった。』『永遠なるものの無限の経過にも、ついにはこの漸近的な減少の果てに、すべての活動が終熄してしまう最後の日が来ないわけにはゆかない。』 『さらばと言ってある一つの宇宙系が滅亡してもそれが自然界における実際の損失であると考えるには及ばない。この損失は他の場所における過剰によって償われるのである。』すなわち、カントの考えでは、銀河の中心体付近にある諸太陽が消燼する一方で、はるかに離れた宇宙星雲から新しい太陽が幾つも生れるので、生命の所在たる世界の総数は絶えず増加しようとしているというのである。それでも、カントにとっては、太陽とそれを取り巻く諸遊星がこの銀河の中央で未来永劫死んだままで止っていると考えるのはやはり遺憾に思われた。それは合理的な天然の施設の行き方と矛盾するように彼には思われるのであった。『しかしなお最後にここにもう一つの考え方があって、それは確からしくもあり、また神の製作の記述にふさわしいものでもあって、そうしてこの考え方が許されるのであったならば、自然の変化のかような記述によって生じる満足の念は愉悦の最高度に引き上げられるであろう。渾沌の中から整然たる秩序と巧妙な系統を作り出すだけの能力をもった自然が、その運動の減少のために陥った第二の渾沌状態から前と同様に再び建て直され最初の組織を更生するであろうと信ずることはできないであろうか。かつて拡散した物質の素材を動かしこれを整頓したところの弾条が、器械の止ったために、いったんは静止した後に、更に新たな力で再び運動を起すということはできないであろうか。――これは大して深く考えるまでもなく次のことを考慮してみれば容易に首肯されるであろう。すなわち、宇宙構造内における回転運動が末期に至って衰退しついには諸遊星も彗星もことごとく太陽に墜落衝突してしまう。するとこれらの夥しい巨大な団塊が混合するために太陽の火熱は莫大な増加を見るべきである。ことに、太陽系中でも遠距離にある諸球体は、我々の理論の証明した通り、全自然界中でも最も軽くまた最も火の生成に効果ある材料を含んでいるからなおさらそうである。』このようにして、材料の追加によって養われたために非常な勢いで燃え上る新しい太陽の火熱は、カントの考えでは、すべてを最初の状態に引き戻すに十分であって、これによってこの新しい渾沌から再び新しい遊星系が形成せられ得るというのである。もしこういう芸当が幾度も繰返して行われるものだとすれば、もっと大きな系、それに比べて我々の太陽系はほんの一部分にすぎないような銀河系でも、やはり同じようにして、あるいは静止しあるいはまた呼び覚まされて荒涼な空間中に新生命を付与するようになるであろう。『このごとくその死灰の中から再び甦生せんがためにのみ我と我が身を燃き尽くすこの自然の不死鳥(Phönix)の行方を時と空間の無限の果まで追跡してみれば、これらのすべてを考え合わせるところの霊性は深い驚嘆の淵に沈むであろう。』  当時はまだ器械的熱学理論は知られていなかった。それでカントはとうに太陽熱が燃焼(化学作用)によって保たれなければならないということをおぼろ気にでも予想していながら、一度燃え切ってしまった物質がまた何度も何度も燃え直して、幾度も新しいエネルギーを生ずるという仮定の矛盾には気がつかなかった。しかしこの美しい哲学的詩に物理学の尺度をあてがうのは穏当ではあるまい。カントでさえこの詩の美しさの余りにしばらくいつもの書きぶりを違えたのである。このカントの立派な創作は畢竟自然の永遠性に対する彼の熱烈な要求を表わすもので、しかもよほどまでは真理に近いものであるが、自然科学的批判の下にはいわゆる烏有に帰してしまうのである。我々がカントの宇宙開闢論の著述を賛美するのは物理学的見地から見てではなくて、むしろその企図の規模の偉大な点にある。この企図を細密に仕上げることはけだしカントの任ではなかったのである。  カントの考えをほとんどそのままに継承したのが心霊派哲学者のデュ・プレル(Du Prel 一八八二年)である。彼はしかしこれをもう少しやさしい形で表現し、またカント以後における天文学の著しい進歩の成果をも考慮に加え、そうしてまたカントの素朴な目的論的の見方を避けた。しかし、消燼した太陽に遊星を墜落衝突させ、それによって太陽を復活させたことは同様である。彼はこう言っている。『冷却したこの宇宙の死骸が、ついにはエーテルの抵抗のために無運動状態に移りゆくべき中心系と合体するまで、空間を通して幽霊のような歩みを続けるであろうとは考えられない。むしろ星団形成の根原となるべき原始星雲は一つの星団のすべての星が合致したもので、それらの運動が熱と光に変化しその結果としてすべての物質が再び星雲状態となるような温度を生じたと考えた方がよい。――ここで我々は仏教徒のいわゆるカルパス(Kalpas)の輪廻を思い出さないわけにはゆかない。それは実に一〇〇万年の何十億倍というような永い期間であって、宇宙が一時絶滅しては幾度となく相い次いでそういう輪廻を繰り返すものである。』しかし、――デュ・プレルの説では――更に詳しく考究してみると、全宇宙が同時に静止してしまうということはないので、ある場所で生命の消滅した所があれば他のどこかでは見事な生命の花が咲き盛っているということが分る。『ペネロペが昼間自分の織った織物を夜の間に解きほごすと同様に、自然もまた時々自分の制作したものを破壊する。そうしてその織物を完成しようという意思があるかどうか我々にはうかがい知ることができない。』 『壊滅の後に各々の星では新しく進化が始まる。そうして、過去の彼方に退場する宇宙諸天体を引っくるめた全歴史は、地球上の我々の立場からは回想することもできぬ深い闇に覆われてしまう。そうしていつの日になっても、我々とは違った人種、我々よりももっと高い使命をもった生物が地球の遺産を相続するようなことはないであろうし、また人間のこれまでに成就した何物もそのままに他の者の手に渡ることはないであろう。』このデュ・プレルもまたメードラー(Mädler)と同様にプレヤデスの七星(Plejaden 昴宿)が、宇宙中心系であって、我が太陽はその周囲を回っているものとした。しかしこの考えは後にペータース(A. F. Peters)の研究の結果から全く捨てられなければならなかった。 『このように、宇宙間には、重力による運動から熱へ、熱からまた空間運動へと無窮に変転を続けている。その変遷の途中のいろいろの諸相が相い並んで共存するのを見ることができる。すなわち、一方には火焔に包まれた天体の渾沌たる一群が光輝の絶頂で輝いているかと思うと、また一方では凋落しかかった星団があってその中に見える変光星は衰亡の近づいたことを示している。またその傍にはもう光を失った太陽が最後の努力でもう一度燃え上りそうして凍結の運命を免れようとしているのが見られる。またある場所では輪郭の明白な星雲球の中に、もう既に最初の太陽の萌芽が見え始めているかと思うと、他の方面では精緻な構造をもっていた諸太陽系が、再び不定型のガス団となって空間に拡散されている。しかも、この「自然」の仕事はちょうどかのシシフォス(Sisyphus)のそれのように、いつまでもいつまでも始めからやり直しやり直しされるのである。』  デュ・プレルは星雲から遊星系へ、また星団への進化を考究するに際してダーウィン流の見方を導入した。我々の遊星系の諸球体は実に驚嘆すべき安定度を享有している。それは彼らの軌道がほとんど同心円に近く、従って相互衝突の心配がないからである。しかしちょうどこういう都合の良い軌道の関係をもたなかった遊星があったとすればそれらは互いに衝突を来たし、その結果はもっと都合の良い軌道をもった新しい天体を作るか、さもなくば、結局また太陽に墜落し没入してしまったであろう。このようにして、衝突の保険のつかないような軌道を動いていた遊星はだんだんに除去され、そうして最後に現在の非常に『合目的』な系統ができ上った。この系統の余りに驚くべき安定度から、ニュートンは、何物か理性を備えたある存在が初めからこれらすべてを整理したものだという仮定を必要と考えたのであった。このデュ・プレルの思考の経路は甚だもっともらしく見えるのであるが実はカントの考えに近代的で、しかも特に美しく人好きのする衣裳を着せたにすぎないのである。  デュ・プレルの考えはまたルクレチウスが次の諸行を書き残した考えにも通じるものがある(『物の本性について』De Rerum Natura 巻一、一〇二一―一〇二八)。 『まことは、原始諸物資は何らの知恵ある考慮によってそれぞれ適宜の順序に排列されたものではなく、また相互の運動に関しても何らの予定計画があったわけではない。これらの多くのものは様々に変化し相互の衝突によって限りもなきあらゆる「すべて」に追いやられ結び合い、あらゆる運動あらゆる結合の限りを尽くしつつ、最後に到達した形態と位置が、今の眼前の創造物としての森羅万象の総和である。』  カントやデュ・プレルの考えたように諸遊星が将来その運動を阻止する抵抗のためにいつかは太陽に向かって墜落するものとしても、ローシュ(Roche)が証明したように、太陽からの距離を異にする各部分に及ぼす重力の作用の不同なために、たとえば太陽近くまで来るかのビエラ彗星(Bielas Komet)のごとき彗星と同様に破砕されるであろう。この破砕に当って疑いもなく猛烈な火山噴出が起りその結果として、当時太陽は既に消燼していてもそれにかかわらず、砕けた破片は一時灼熱状態に達するであろう。しかしこの灼熱による光は多分弱いものであって我々の遊星系外からは望見することのできない程度にすぎないであろう。しかしもしそのときに太陽がまだ光を失っていなかったとしたら、遊星は熔融して灼熱された粘撓性の質塊となるであろうから、余り激烈な変動を起さずに楽にその破片を分離することができるであろう。いずれにしても破砕された遊星は隕石塵のように静かに太陽に落下するので、そのために太陽の物理的状態に著しい変化を生じるようなことはないであろう。それで我々はカント並びにデュ・プレルの開闢論を嘆美はするが、その物理学的根拠を承認するわけにゆかない。彼らの体系は彼らが考えたとはどうにか違ったふうにして実現されなければならない。 Ⅹ 開闢論における無限の観念  以上の諸章では主として科学的な方面の問題を論じてきたが、ここでは少し方面をかえて、哲学的の問題、ことに無限の観念について述べようと思う。この問題の解釈については従来哲学者の貢献も甚だ多いのである。今、たとえばシリウスのごとき恒星がどれほど遠距離にあるとしても、それよりもなお遠い恒星がやはり存在する。そうして、もしある恒星が最遠で最後のものであると考えるとしても、その背後にはやはり空間のあるという考えが前提となっている。これはどこまで行っても同じことである。それで空間の際限が考えられないと同様にまた時の限界も考えることはできない。どれほど遠い昔に遡ってみても、やはりその以前にも時があったと考える外はない。同様にまた時の終局というものも考えることができない。換言すれば空間は無限であり時は永久である。  しかるに我々の思考力では無限の空間や無限の時間という観念を把握することがどうしてもできない。それでこそ人間はしばしば宇宙を有限と考え、時には初めのあるものと考えようと試みたであろう。これについては古代バビロニア人の考え方を挙げることができる。  空間は無限なように見えるけれども実は有限であり得るという意見は奇妙にもこれまでいろいろの人によって唱道された。その中に有名な数学者のリーマン(Riemann)のごときまた偉大な物理学者ヘルムホルツのような優れた頭脳の所有者もいた。地球が球形をしているために海面が曲って見え、数マイルの沖にある島を対岸から見ると浜辺は見えないで、高い所の樹の頂や岩などが見えるだけだということはよく知られたことである。しかし折々は大気が特殊な状態になるために島の浜辺までも対岸から見えるようになることがある。これは空気の密度が上層から下層へ増すその増し方が急なために光線があたかもプリズムを通るときのように曲るためである。このように気層密度の下方への増加が、特別な場合にちょうど好都合な状態になれば、地面に平行に発した光線が屈折されながら絶えず地面に平行しつづけ、そうして海面と同じ曲率をもって進むようになることも可能である。そこで、もしある人が地平線の方を見ようとすればその視線はぐるりと地球をひと回りする。そうして、言わば自分で自分の背中を眺めることができるわけである。もちろん実際は自分の姿を見付けることはできないであろうが、しかしこの人にとっては地球は、あるいは正しく言えば海面は、全く平板な、そうしてすべての方向に無限の遠方に広がる面であるように見えるであろう。  ここで我々は次のようなことを想像することができる。すなわち、光線が空間を通る際になんらかの原因で屈折するとする。そうしてたとえば真上を見ようと思うときにその視線は真っ直ぐに無限の上方に向かわないで地球のまわりに彎曲するために地球の反対側を見るようになる。もちろんこの場合でも我々は実際視線上に地球を目撃することはできないであろう。なぜかと言えば地球の反対側からの光が、そうして我々の目に達するまでに経過する道程は、我々の見るいかなる恒星の距離よりも遠いからである。しかしともかくもこの際光線が描くと考えられる円上の最も遠い点よりももっと遠くにある恒星はいかにしても我々に見えないであろうということはこれで容易に了解されるであろう。  かように我々はある一定の距離――もちろん非常に大きいがともかくも有限な距離――以内にあるような宇宙の一部分だけを見ている場合でも、我々のつもりでは、地球上からすべての方向に真っ直ぐに無限の空間をのぞいているように思われるであろう。それで、我々は空間が無限であると主張することはできないはずである。少なくとも我々の知覚の可能の範囲内ではそんなことは言われないわけである。  ヘルムホルツの考えによればここに考えたような可能性が実存するかどうかは天文学者の手によって検査することができるはずである。しかもこの考えは実際上恒星の観測とは符号し難いのである。しかしこのような検査は初めから不必要であろうと思われる。地球上でその表面に沿って光線の屈曲するのは、温度分布の関係から視線の上と下とで空気の密度と屈折率の差違のあるために生ずる現象であるが、光を運ぶエーテルの場合にはその密度や屈折率が光の放射方向に対していかなる向きにでも、少しでも不同を示すであろうと考えさせるような確証は一つも考えられないのである。それで、空間中で視線が徐々に曲るであろうという仮定は全く不自然なものである。従って、この考えは前世紀の中ごろしばらくの間は非常な注目をひいたけれどもその後は全く捨てられてしまった。ことにこの考えは科学的見地から見て新しいものを生み出すという生産能力が欠けていたからである。これに関して興味をもつ人はデンマーク人クローマン(Kroman)、米人スタロ(Stallo)並びに有名な仏国数学者ポアンカレ(Poincaré)の著書を見ればこの問題に関する総括的批判的の研究を見い出すであろう。ここではただこの古い考えの筋道だけを述べるに止めておく。  恒星の数が無限であるかどうかということも昔から論争の種であった。アナキシマンドロス、デモクリトス、スウェデンボルク及びカントはこれが無限であると考えた。しかしもし恒星がほぼ一様に空間中に分布されており、そうして我々の太陽付近に甚だしく集中しているのではないとしたらどうであるか、その場合には満天が恒星と同じ光輝で、多分太陽よりも強い光輝で照らされ、そうして地球上のすべてのものは焼き尽されてしまうであろう。我々の観測する諸恒星の温度は一般に太陽より高いのであるが、すべての天体の平均温度がそうであったとしたら、かくなる外はないのである。しかるに実際は地球が焼き尽くされないで済んでいるのはなぜか。この理由は二通りだけ考えられる。まず、恒星は我々の太陽の付近だけに集中していて、空間の彼方に遠ざかるほどまれになっているのかも知れない。不思議なことには、大概の天文学者はこの甚だ非哲学的な考えに傾いているように見える。しかしこの考えは輻射圧というものの存在が認められてからはもはや支持されなくなった。それは、たとえすべての太陽恒星がかつて一度はある一点、たとえば銀河の中心の付近に集中していたとしても無限な時の経過のうちにはこの圧力のために無際限の空間に撒き散らされてしまったはずだからである。  それでこの第一の理由がいけないとすればもう一つの仮定による外はない。すなわち、輻射線を発している諸恒星に比べて非常に低温度で、またばく大な広がりをもった暗黒な天体が多数に空間内に存在すると考える。すなわち、寒冷な星雲である。これは外から来る輻射熱を吸収して膨張し、そうして冷却するという奇妙な性質をもっている。膨張する際に最大の速度をもっているようなガス分子は弾き出され、その代りにこの星雲内部のもっと密集した部分からのガス質量が入れ代わる。このようにして外方へ流出するガスは付近にある恒星の上に集められ、エネルギーはだんだん多くこの流出ガスに集積され、同時にエントロピーは減少するというのである(『宇宙の成立』一七五頁参照)。  それでもはや無限空間中における恒星の数は無限であると考えるより外に道はないことになる。ところが、暗黒体に遮られ隠されているもの以外のすべての星を我々が現在知っているかと言うと決してそうではない。光学器械の能力が増すに従って次第に常に新しい宇宙空間が新しい恒星の大群を率いて我々の眼前に見参してくる。もっともこれらの恒星の増加は器械の能力で征服される空間の増加と同じ率にはならないでそれよりも著しく少ない割合で増してゆく。これは多分、少なくも一部は、暗黒体の掩蔽作用によるかも知れない。  物質界が不滅あるいは永遠であるという考えが、原始的民族の間にもおぼろ気ながら行われていたということは、彼らの神話の構成の中にうかがうことができる。一般に永遠の昔から存在する渾沌、もしくは原始の水と言ったようなものが仮定されているのが常である。この考えのもう少し熟したものがデモクリトス並びにエムペドクレスの哲学の帰結に導いたのである、ところが中世の間に、物質界はある創造所業によって虚無から成立したという形而上学的の考えが次第に勢力を得てきた。このような考えはデカルト――もっとも彼自身それを信じていたかどうかは不明であるが――にも、かの不朽のニュートンにも、またかの偉大な哲学者カントにも、またずっと後代ではフェイー(Faye)にもウォルフ(C. Wolf)にもうかがわれる。しかしともかくも物質はその全量を不変に保存しながら徐々に進化を経たものであるという主導的観念はあらゆる開闢論的叙説に共通である。それが突然に存在を開始したという仮定には奇妙な矛盾が含まれている。一体宇宙に関する諸問題を総てただ一人の力で解決しようというのは無理な話である。それで、ラプラスが、自分はただ宇宙進化のある特別な部分がいかに行われたかを示すにすぎないので、他の部分は他の研究者に任せると言っている、あの言葉の意味はよく分っている。しかしこういう明白な縄張りを守ることを忘れて超自然的な解説を敢てした人も少なくない。そういう人々は自然法則の不変(六九頁並びに注参照)という明白なスピノザの規準を見捨ててしまっているのである。スペンサー(Spencer)もこの点についてははっきりしていて『この可視世界に始めがあり終りがあるとはどうしても考えることはできない』と言っている(六九頁参照)。 (注) 大哲学者スピノザは一六三二年にアムステルダムに生れ一六七七年に同市で死んだ。彼の生涯の運命は彼時代以来文明の進歩がいかに甚だしいものであるかを証明すると思われるからここに簡単な物語を記しておこう。彼の両親はもとポルトガルのユダヤ人で、宗教裁判の追及を逃れてオランダに来た。この異常な天才をもった青年は当時のユダヤ教の教理に対する疑惑に堪えられなかったので、そのために同教徒仲間から虐待されていた。とうとう彼らはたくさんな賠償金まで出してうわべだけでもユダヤ教理を承認するように無理に説得しようと試みた。しかし彼はこの申し出を軽侮とともに一蹴したので、彼らはついに刺客の手で片付けようとさえした。そうして彼をユダヤ教徒仲間から駆逐したのである。その後は光学用のレンズを磨いたりして辛うじて生計を営みながら、彼の大規模の哲学的著述を創造した。  スペンサーがこれを書いたときには、既にエネルギー(当時は力と言っていた)の不滅説も、またラボアジェー(Lavoisier)の実験によって証明された物質不滅の法則も十分に承知していた。この物質不滅という考えは実はあらゆる時代に行われてきたのであるがしかしもとよりこれに関して何ら明瞭な考えはなかったのである。過去一〇年の間に、物質(重量で測られる)が破壊されることもあるいは可能ではないかという疑問が折々提出された。これに関する主要な仕事としては、ランドルト(Landolt)の行った二、三の非常に精密な実験がある。それは二つの物体が相互に化学的作用をする際にその全重量が果して不変であるかどうかを験しようというのであった。ランドルトは若干の場合に僅少な、しかし実験誤差よりはいくらか大きいくらいの変化を認めたのであるが、更に繰返し実験を続けた末に、この重量変化は単に見掛け上のものであり、実は化合作用の間に起る温度上昇が緩徐に終熄するためにそうなるのである。という意見に到達した。それで我々は十分完全な根拠をもって、化学者の多様な経験の結果は物質不滅という古来の哲学者の考えを確証すると明言することができるのである。  開闢論に関する問題を論ずるに当って物質が突然に成立したものと仮定する学者たちがいずれもその物質系統に時間的終局を認めないのは妙なことである。これは実に了解し難い自家撞着である。たとえば黄道の北側にある恒星の数は無限だが南側のは有限だと主張するのと同じくらい了解しにくい考えである。これに対してあるいは次のような異議を称える人があるかも知れない。すなわち、ある種の概念ではある一点からある一つの方向には無限を仮定するが、同点から反対の方向には全く継続がないと仮定する場合がある。たとえば温度は絶対零度から上方へは無制限であるのに、零度以下すなわち反対の方には温度は存在しない、これと同じことではないかというのである。  これに対しては次のように言われる。まず、負の方向に無限大の温度が存在するという仮定を含めるような温度の尺度を作ることは決して不可能ではない。それにはたとえば、摂氏零下二七三度から数えた温度の対数を取って、これを温度の示度とすればそれだけでもよいのである。しかし、また一方から考えると、温度なるものは分子のある運動に帰因するものと想像されており、負の方向へのある運動は正の方向への同じ運動と完全に同価値としなければならないので、この理由からして、絶対的無運動よりも以下の状態となるということは不可能である。これはちょうど負の質量というものを考えることができないと同様である。しかるに負の時(すなわち、過ぎ去った時)というものは考え得られるのみならずむしろ考えないわけにはゆかない。それだから、物質の未来における永遠性を口にしながら、過去におけるそれを言わないのは自家撞着の甚だしいものだというのである。  前に引用したスペンサーの所論の中にも言ってある通り、物質の創造を考えることが不可能なのと同様にまたエネルギー(力)の創造を考えることも不可能である。この点についても、自然科学によって諸概念がまだ精算されなかったころの哲学者の頭には曖昧な観念が浮動していた。デカルト、ビュッフォン、カントのみならず大概の古の開闢論者の著述の中にはエネルギーの不滅に関する暗い予感の痕跡といったようなものが見出されるのが常である。デカルト並びにカントは、太陽の灼熱状態が持続されるためにはどうしても何らかの火の存在が必要であることを述べている。そうしてこの火を燃やすには空気が必要欠くべからざるものと考えられていたのである。ビュッフォンはまた『やはり灼熱している他の諸太陽は我々の太陽から取っていると同じだけの光熱を送り返している』とさえ考えていた。すなわち、彼は一種の熱平衡を考えていたのであるが、惜しいことには、この関係についてこれ以上に立ち入った研究はしなかった。  この関係について始めてこれ以上の深い省察を仕遂げたのは前世紀の初めに現われた天才サディ・カルノー(Sadi Carnot)である。しかし彼の夭死のために彼の著述は一部分しか出版されず従って世に知られるに至らなかった。そうしてエネルギー不滅の原理はその後マイヤー(Mayer)、ジュール(Joule)、コールディング(Colding)によって再び新生に呼び覚まされ、そうしてヘルムホルツによって追究され完成されなければならなかった。注意すべきことはこの五人の中で最後の一人は数理的科学の十分な教養をもっていたが、いずれもとにかく職業的専門科学者ではなかったことである。カルノーとコールディングは工学者、マイヤーとヘルムホルツは医者、ジュールは麦酒醸造業者であった。それでこの発見に導いた根拠をよくよく調べてみると、それは主に哲学的なものであった。しかもこれらの新原理の開拓者等はその余りに自然哲学的な考えのために厳しい攻撃をさえ受けなければならなかったのである。科学者等はずっと以前から、熱が物体最小部分の運動に帰因するものであると考えていた。この考えはデカルト、ホイゲンス、ラボアジェーとラプラス、またルムフォード(Rumford)とデヴィー(Davy)によって言明されている。この考えに対立して、また熱は物質的なものであるという意見があった。器械的熱学理論の創立者は既にある度までかなり明瞭にこの理論構成の第一段階を把握していたのである。しかしカルノーの研究では熱機関の本性に関する考察が主要な役目を勤めている。その熱機関では熱が高温の物体から低温の物体に移ることによって仕事が成される。カルノーに従えば、一定の熱量が移動する際に、それが最大可能な仕事をするような具合に移動する場合には、その熱を伝える媒介物が何であっても、それには無関係に、ただその高温体と低温体の温度が不変に保たれる限りは、成される仕事の量はすべての場合に同一でなければならない。この原理はまた、『永久運動』(Perpetuum mobile)をする器械の構成は不可能である、という言葉で言い表わしてもよい。この言葉の中には、仕事というものは無償では得られないものだ、ということに対するこの工学者の堅い信念が現われているのである。マイヤーの論文の中には『虚無からは虚無しか出てこない』と言ったような文句がうようよするほどある。彼は頭から爪先まで仕事の実体性という観念に浸されていたのである。またコールディングは次のように言っている。『私はこう確信する。我々がここで有機界にも無機界にも、また植物界にも動物界にも、同様にまた無生の自然界にも出会う諸自然力は宇宙の初めから成立したのみならず、また創成当時に定められた方向へこの宇宙を進展させるために不断に今日まで作用しつづけてきたものである。』ジュールはある通俗講演の中で次のように言っている。『活力(vis viva)mv2/2 の絶対的絶滅は決して起り得ないということは先験的に結論することができる。何とならば神の物質に付与したこれらの力が人間の手段で滅亡させられたりまた創成されようとは考えられないからである。』四、五年後れて現われたヘルムホルツの論文は今日から見れば実に物理学上の第一流の業績と見るべきものであるが、しかしその当時最高の専門雑誌であったところの『ポッゲンドルフス・アンナーレン』(Poggendorfs Annalen)へ掲載を拒まれた。これで見ると、当時の人がこの著述の物理学的の重要な意味を認めなくて、単に哲学的な論説としか見なさなかったことは明白である。ところが、この研究は最近半世紀の間において物理学のみならず化学更に生理学の方向においても行われた非常に多産的な革命の基礎となった。これによってエネルギーの不滅、永遠から永遠へのその存立ということは、あらゆる未来へかけて確立されたのである。  奇妙なことにはこの科学の一分派の発達はそれ自身の中に永劫の原理に対する否定の胚芽を含んでいるのである。熱学理論の帰結としては、熱は自分だけでは(すなわち、その際仕事が成されない限りは)いつでも高温物体から低温物体に移るはずである。従って、宇宙進化の徐々にたどり行く道程としては、あらゆるエネルギーが分子運動に変ってしまい、そうして全宇宙の温度差は全く平均されるような方向に向かわねばならないはずである。もしそうなってしまえば、分子運動以外のあらゆる運動は停止し、そうしてあらゆる生命は死滅してしまう。それこそインド哲学者の夢想した完全な涅槃である。クラウジウス(Clausius)はこの窮極状態を『熱的死』(Wärmetod)と名づけた。もし宇宙が真にこの熱的死に向かって急いでいたとすれば、無限の昔から成立していたはずの宇宙は、その無限の時間の間に、既にこの状態に達していなければならないはずである。しかるに我々の日常の経験するところから見るとこの現世界はまだこの悲運に出会っていない。それで当然の帰結として永劫観念は根拠のないものだということになり、宇宙は無限の過去から存在しているのではなくて、初まりがある、すなわち創成されたものでありその際に物質もエネルギーも成立したものであるということになるのである。ケルヴィン卿もまたこの熱的死の学説に重要な貢献をしたのであるが彼はこれをエネルギーの『散逸』(Zerstreuung Dissipation)と呼んでいる。これは器械的熱学論の基礎を成している永劫観念に全然矛盾するものである。それで我々は何とかしてこの困難を切り抜ける活路を求めなければならない。  宇宙がともかくもある進化をするということが疑いないことであって、しかもその進化が常に同じ方向に進行するとすれば、いつかはどうしてもその終局に達しなければならない。もし終局が来ないとすれば、それは、進化が最後の停止を狙っているのでなくて一種の往復運動のようなふうに行われているためだとする外はない。こういうふうな考え方の暗示のようなものが、もちろん甚だぼんやりしたものではあるが、既にデモクリトス(一〇三頁参照)にも、またカントにも見受けられる。カントは、燃え切った太陽が『渾沌と混淆する』ことによって、すなわち、太陽から放出された最も揮発性な最も微細な物質が、往昔の渾沌の死骸と思われる黄道光物質中に突入することによって『更新』するという考えを述べているのである。  カントは、次のような注目すべき考えを述べている。『もしもこのように創造物が空間的に無限であるとしたら、……、宇宙空間には無数の世界があり、そうして無終にこれらの住みかとなるであろう。』更にまた彼は、太陽が消燼してしまって、中心体(可視の星界にあると彼の仮定した)の周囲の諸世界は滅亡するが、ずっとそこから離れた遠方の所で再び生命を喚び覚まされ、かようにして生命の宿る世界の数は増すばかりであると言っている。『しかしかようにして死滅した世界の物質の始末は一体どうなるであろうか。かつて一度はこれほどまでに精巧な系統を整頓することのできた自然のことであるから、もう一度立上って、そうして、運動の消失したために陥ったこの新しい渾沌の中から甦生することも容易だろうと信じてもよくはないか。大して熟考するまでもなくこの考えは肯定されるであろう。』カントは、遊星並びに彗星が太陽に墜落衝突すればその際に生ずる高熱のために物質は再びあらゆる方向に放出される、そうしてその際に高熱は消失するので以前のと同種の新しい遊星系が形成される、というふうに考えた。これと同様にしていつか一度はこれより大規模な銀河系も衝突合体してそうして新たに作り直されるであろう。彼は、こういう過程は幾度となく繰り返され得るわけで、かくして『永遠な時を通じ、あらゆる空間を通じて至る所にこの驚異が行われるであろう』と信じていた。この大規模な空想には、しかし、物理学的の根拠が欠けている(二五一頁参照)。クロル(Croll 一八七七年)はこれに反して、原始的星雲が再生するためには消燼した二つの太陽が相互に衝突することが必要だと考えた。この考えはその後リッター、ケルツ(Kerz)、ブラウン(Braun)、ビッカートン(Bickerton)、エクホルム(Ekholm)等の諸学者によって追究されたのであるが、しかしこの考え方の帰結は、次のようになる。すなわち、全宇宙は結局『寒冷で暗黒なただ一塊の団塊になろう』としてその方へ歩みを進めているというのである。この必然の帰結を避けるためには、何か別に物質を離散させるような力を想像する必要がある。  この点について最も明瞭な意見を述べているのはハーバート・スペンサー(一八六四年)で、彼の考え方は次のようなものである。遊星系の進化には異種の力が協力していて、一方では物質を集合させ、他方ではこれを離散させようと勤めている。星雲から太陽、遊星及びその衛星へ推移するようなそういう特定の進化期間では、この集合させる方の諸力が勝っている。しかし、いつかある日には、この離散させる力の方が優勢を占めるようになり、そうして遊星系は、もともとそれから進化してきた昔の状態、すなわち稀薄な星雲状態に立帰るであろう。永い間集合的な諸力の支配を受けていた期間と入れ代って今度は離散的諸力の旺盛な永い期間が続く。『物質が集合すると運動の方は離散してしまう。運動が吸収され集積すると物質が飛散する。』『律動はあらゆる運動の特徴である。』スペンサーは明らかに、物質が集中する際はその相互接近のために位置のエネルギーが失われ、また物質が離散する際には再び位置のエネルギーが蓄積される。そうして運動のエネルギーではちょうどこれと反対の関係になると信じていたのである。ニーチェ(Nietzsche)もやはり同様な意見を述べたことがある。  スペンサーの所説は確かに大体においては正当である。しかし物理学者の方では、スペンサーの要求しているような離散的な力のいかなるものをも実際に見い出さなかったので、彼の言葉は誰も注意しないでそれ切りになっていた。しかし今日ではこういう力がよく知られている。すなわち、こういう力は主として爆発物類似の物体の中に蓄積されているのであって、こういうものが太陽内部の高熱高温のために形成されると考えられる。なおこれに加えて、星雲状態の時代においては稀薄なガス圏中の微塵が熱を吸収し、従ってその分子運動が増勢するためにこのガスは空間中のすべての方向に飛散する。そうしてそれが結局は近くにある重い質量、特に恒星のエネルギーを増すことになるのであろう。この過程は、何よりもまずいわゆるエントロピーの増大ということに主要な影響を及ぼすことになる。換言すれば、諸天体間での温度の平均を妨げ、そうして『熱的死』の到来を防御するという作用をするのである(『宇宙の成立』一七四―一九〇頁参照)。なおこれ以外にも、輻射圧なるものがあって、これも太陽から微塵を空気中に駆逐する作用をするのである。  エネルギー不滅という新しい概念を獲得した結果として科学者たちは全く新しいいろいろな問題を提供されることになった。まず、太陽が、あのようにエネルギーを浪費しているにも拘らず目立って冷却するような形跡を見せないのはなぜかという疑問を起さなければならなくなった。この疑問に対する答解としてマイヤーは早速、太陽の熱は太陽中に隕石の墜落することによって恒同に保たれるという仮定を出した。しかしこの勢力の源泉だけでは到底不十分であるということが、その後これに関して行われた討論の結果明らかになった(『宇宙の成立』六一頁参照)。ヘルムホルツはマイヤーの仮説に修整を加え、太陽の全質量がその中心に向かって落下する、すなわち、全体が収縮するために熱を生じると考えたが、これも同様に不十分である。このヘルムホルツの考えは通例、太陽が星雲のような状態から収縮してできたものであるというラプラスの仮説の最上の根拠とされているのである。しかしこの考えに従えば、太陽が現在のような強度で熱を輻射するようになって以来今日まで約二〇〇〇万年より多くは経過しなかったということになる。  しかしこれは、地質学者の推算に従えば、最古(カンブリア紀)の化石類が海底に沈積して以来今日までに経過したはずの時間と全然一致しない。すなわち、この方の推算では一億年ないし一〇億年かかったはずであり、そうして人類の出現以来約一〇万年たっているらしいのである。これが動機となって英国では地質学者と物理学者の間に激しい論争が起り、物理学者の中でも地質学者の方に加担する人々があった。この論争はしかし当然地質学者の勝利に終った。彼らがちゃんとした積極的な論拠を握っているのに対して、その反対者の方は、主として、太陽がかような事情の下にどこからどうしてそのエネルギーを得ているか了解ができないという消極的な論拠しか持ち出せなかったのである。私はこの問題に対する解釈の鍵として、一般化学作用はそれが高温で行われるほどますます多量の熱を発生し得るということを指摘しようとした。一例としてここに一グラムの氷の温度を零下一〇度から次第に高めてゆく場合にいかなる過程をとるかを考えてみる。零度になると融けて水になり、そのとき約八〇カロリーを消費する。一〇〇度では蒸発して約五四〇カロリーを消費する。更に高温になって約三〇〇〇度となると水蒸気は水素と酸素とに分解してそのために約三八〇〇カロリーの熱を使用する。しかるにこれだけでもう化学作用が終ったと考えるのは間違いであるかも知れない。何とならば、これ以上の高温度を得ようとしても我々の実験的手段では達することができないからである。しかし非常な高温度になれば水素も酸素も何十万カロリーを使用してそれぞれ原子状態に分解するであろうということは殆ど確実と思われるのである。そこで、原子というものはもはやそれ以上分解することのできないものである以上、これまでで、もうあらゆる化学的過程は終局したのだ、と多くの人は言うであろう。しかし科学はこれに答えて否という。原子はまた別に新しい結合を始めそうしてばく大の熱量を使用することになるかも知れない。ラジウムが不断に熱を発生するという事実をキュリー(Curie)が発見したのはようやく数年前のことであった。それ以来、ラジウム化合物はヘリウムを放出し、その際ラジウム一グラム毎に約二〇〇億カロリーの熱量を発生することが発見された。高温度においては、この過程がこれだけの途方もないエネルギーを消費して、逆の方向に行われなければならない。もっとも、この過程については極く最近にやっとその端緒を知ったばかりであるからこれに関してまだ十分明確なことは分っていないが、しかしともかくも、なお一層高温度においては、参与物質の毎グラムにつきなお一層著しく多量な熱量を消費するような化学作用が起るかも知れないということの蓋然性を否定するようなものは絶対に何もないのである。ラザフォード(Rutherford)及びラムゼー(Ramsay)の画期的な化学上の発見はこの方面の空想にかなり自由な余地を与えるものである。  放射性物質は常温では崩壊するが、高温度では、もしその崩壊によって生じた生産物が所要の分量だけ存在すれば、再びこれらの生産物から逆に合成される。温度が昇れば昇るほど、この崩壊の産物の量は減じ、そうして恰好な高温では殆どなくなってしまう。ストラット(Strutt)の研究によると、地表下約七〇キロメートルの深さにおいて達せられるくらいの比較的に低い温度において既にこういうことになるらしい。ストラットは地球の温度が内部に行くほど上昇する事実を、地球内に含有されたラジウムが徐々に崩壊することによって説明しようと試みた。彼は地殻を構成する普通の岩石中には一〇〇万立方キロメートル毎に平均八グラムのラジウムを含んでいるという結果を得た。そこで、もしも地球全体が平均してこれと同じ割合でラジウムを含んでいるとしたら、これが崩壊するために発生される熱は、地球が外方に熱を放出しているために失う熱の約三〇倍になる勘定である。ところが、ラジウムが地球の三〇分の一、すなわち七〇キロメートルの深さの最外層だけに含まれていると仮定するのもいかがわしいことである。それで、ずっと深い所へ行って、もしもそこにラジウムの崩壊産物が十分多量にあれば、それからラジウムが合成されるかも知れないという蓋然性も考慮に入れないわけにはゆかなくなる。上記の深さでは温度は約摂氏二〇〇〇度くらいである。もちろんまたある温度ではウラニウムもまたその崩壊産物――ラジウムもその一つであるが――から形成せられるであろう。こう考えてみると、摂氏六〇〇〇度以上の温度にある太陽の可視的な部分にラジウムの存在が見い出されないという事実もそう不思議とは思われなくなるのである。  ウラニウムは、常温では、その崩壊産物から目に見えるほど合成されるようなことはなくて、ラザフォードの測定した速度、すなわち、一〇億年で半減するような割合で崩壊してゆく。ラザフォードは、これから、一グラムのウラニウムから七六〇ミリメートルの圧力と零度におけるヘリウム一立方センチメートルを生ずるには一六〇〇万年かかるという結果を得た。ところがある鉱物フェルグソニート(Fergusonit)を調べてみるとその中に含まれたウラニウム一グラム毎に二六立方センチメートルずつのヘリウムが含まれている。これから計算してみると、この鉱物中のウラニウムは一六〇〇万年の二六倍、すなわち、四億一六〇〇万年の間崩壊をつづけてきたことになる。それでこの鉱物が地球内部から放出された灼熱した質塊から形成されて以来、これだけの長年月が経過したということになるのである(『宇宙の成立』三八頁参照)。  急激な噴火によって太陽から空間中に放出されそうして冷却した放射性物質の質塊は当然甚だ豊富にその放射線を発射するであろう。そうしてその中には非常に急速に崩壊するような、従って、もし地球上にかつてはあったとしても、もうとうに変化してしまったために、我々には知られていないような、そういう放射性化合物もあるかも知れない。新星の現われたときにその周囲にある星雲状の部分で著しい光線の吸収が観測されるが、これは単にその新星から放出された帯電微塵によるだけではなくて、このように急激に崩壊する放射性物質の輻射によるものであろうという想像は必ずしも蓋然性がないとは言われない。  新星が発光出現する際に形成される星雲は空間中の諸恒星からの輻射を吸収することによって、その中のヘリウムを失う、そうしてこのヘリウムは宇宙微塵に凝着して、再びもっと密度の大なる部分へと復帰してゆく。この部分では物質の密度を増すためにその温度が高まり、そうして強度な放射性物質が再び形成される。放射性でない、しかし爆発性の物質についても、これと同様なことが行われる。かようにして、星雲は単に輻射圧によって太陽から運ばれてそこに到達する微塵やその他一切の太陽から放出された物質を集積するばかりでなく、また同時に太陽が空間中に送出している一切の輻射のエネルギーをも収集する。この微塵並びにエネルギーの量はその後次第に星雲の中心体に最も近い部分、すなわち、その内部に集合して高温度をもつようになるであろう。そこでこれらのものは法外なエネルギーの放射性ないし爆発性物体に変化し、そうしてこの星雲が太陽に成って、周囲から受取るよりも多量のエネルギーを失うようになってくると、そのときにこれらの物体は温度が徐々に降るにつれてだんだんに崩壊してゆく。しかしそのエネルギーの貯蓄がばく大であるためにその冷却を適宜な程度に限定し、そうして一〇億年、あるいは恐らく一〇〇〇〇億年という永年月に亘ってほとんど不変な輻射を持続させるのである。  以上簡単に述べたような具合にして、宇宙間のエネルギーも物質も、ほんの露ばかりでも消失するということはない。太陽の失ったエネルギーは星雲に再現し、次に星雲がまた太陽の役目をつとめる順番が来る。かようにして物質は交互にエネルギーの収入と支出を繰返して止むときはない。これには星雲のうちで寒冷な部分にあるガス体と、そこに迷い込んできた太陽微塵とが、太陽の輻射で失われつつある莫大なエネルギーを取り込んでいればよい。最近数年の間に我々が放射性物質の性質について知り得ただけから考えても、極めて少量な物質の中にでも非常に多量なエネルギーを包蔵し得るものだということがわかるのである。  それで、太陽の内部はこの種の熱を貯蔵する非常に大きな倉庫であると考えなければならない。これが冷却している間は、それが収縮している際とは反対の方向の化学作用が進行し、毎グラムにつき幾万億カロリーという熱量を発生する。ところが太陽がその輻射によって一年間に失う熱量は太陽質量の一グラムにつき二カロリーの割合であるから、今後もまだまだ万億年くらいは現状をつづけるであろうし、また過去においても、地質学者が地球上における生物の存続期間と認めている一〇億年くらいの間には、太陽の輻射はいくらも目立って変るようなことなしに永く現状を続けてきたであろうということは明白である。従って、カムブリア紀の化石に痕跡を残している既知の生物中で最古のものは、今日とはそう大して著しくは違わない温度関係の下に生息していたに相違ない。しかもこれらの生物が既にあれほどまでの進化の程度に達している所からみると、始めて単細胞生物が地球上に定住して以来カムブリア紀までに経過した歳月は、少なくも同紀から近代までのそれと同じくらいであると考えても差支えはない。もっと古い地質学的の層位中に埋没された諸生物は、いかなる化石も保存されなかったほどに一時的なものであったか、それともまた、それらの地層が数百万年に亘って受け続けてきた高圧あるいは高温、もしくはその両方の作用の著しいために壊滅してしまったかであろう。  以上述べてきたようなわけで、宇宙進化の道程はただひたすらに避くべからざる熱的死を目指して進むのみだと主張するケルヴィン及びクラウジウスの考えとは反対に、宇宙を構成する各部分は周期的に交互に変転することができるということが分ったと思う。それで次には、最近にこの問題の討論に際して発表された若干の意見がいかなるものであるかを注目してみようと思う。これには下に述べるような図示的方法を利用することにする。また無限の宇宙全体に亘って考察を延長することはできないから我々の観察の届く限りの部分について考えることにする。もっとも部分と言ったところで、その大きさはばく大なもので、それが星雲、宇宙微塵、暗黒体、及び諸太陽から組立てられている有様は多分宇宙の他の等大の部分におけると大した相違はないと考えられる。それで、この部分について得た結論は、殆ど間違いなく宇宙の他の部分のどれにも、従ってまた無限空間全体にも適用して差支えはない。そこでまず考究すべきことは、今考えている空間中の温度がその平均温度からいかなる程度までの異同を示すかという全偏差の算定である。たとえば太陽の平均温度が一〇〇〇万度であるとする。そこで眼に見られる宇宙の部分内の物質の平均温度が一〇〇万度であるとすれば、この平均からの太陽温度の開き、すなわち偏差は九〇〇万度である。この数値に太陽の質量を乗じた積が、上記の全偏差への太陽の分担額である。しかし厳密に計算するためには太陽を二つの部分に分けて考えなければならない。すなわちその一つは内部でその温度は一〇〇万度以上であり、もう一つは外側の部分でこの温度はそれ以下である。そうして、この各々の部分につき、その質量と、平均温度(一〇〇万度)からの偏差の相乗積を求め、そうして、その二つの積の一つは正の量、一つは負であるが、それには構わずにその絶対値の総和を求めるのである。  星雲、たとえばオリオン星座の剣帯にある大星雲のようなものについても同様な計算をする。星雲は低温であるからこの場合には、上記の相乗積は疑いもなく負号をもつであろう。このような計算をすべての恒星、星雲、遊星並びに空間内に漂浪している微塵や隕石について行った後に、かくして得られた相乗積の総和を求める、この非常に大きい和をAと名づける。挿図において0と記した点が現在を示し、従って過去への時間は負、未来へは正の値で表わされる。  そこでどういうことになるか。まずクラウジウス流の考え方を追究してみよう。エントロピーの法則によれば温度は不断に平均状態に近付こうとする傾向をもっている。換言すれば上記の全偏差は今日ではAであるが明日はこれより小さくなり、そうしていつかは、たとえば一〇〇〇万年の後にはBまで減ってしまう。その以後もその過程はますます進行するが、しかし現在に比べると温度差が小さくなっているためにこの均等への進み方は多分今よりは緩徐に行われるであろう。すなわち、時間とともにAの変化する状を示す曲線はB点ではA点よりも緩い傾斜を示すであろう。しかしともかくもこの曲線は下降し、そうして平均温度からの全偏差はますます減少し、数学者の言葉で言えば漸近的に極限値の零に接近してゆく。十分永い時間さえたてばこの偏差は任意の小さな数値となることができ、換言すればこれは無限大の時間の後には零に等しくなるのである。  今度は時間を過去へ遡ってみる。前記の理由からA曲線は過去においては現在よりも急傾斜で上っていなければならない。ある特定な時期、仮に一〇〇〇万年前において全偏差の値がCであったとする。それよりもまだまだずっと遠い昔に遡って考えれば、Aより大きくて、およそ考え得られる限りの任意の大きい値に達するであろう。すなわち、数学者の言い方をすれば、無限大の時間以前には温度偏差は無限大であったと言われる。しかしそうであるためには、我々の可視宇宙の若干の部分が無限大の高温度をもっていたとする外はない。従ってまたその可視宇宙の平均温度も、更にまたそのエネルギーも無限大の時間の昔にはやはり無限大であったという結果になる。これはそれ自体において考え得べからざることである。のみならず一方で我々はこの宇宙の部分内のエネルギーがいかに大きくともともかくも有限な値をもっており、またこのエネルギーの量が不変であるということを知っている。それゆえに非常に永い過去にあらゆる任意の大数値以上であったというはずがないのである。  それでこの仮説は到底持ち切れないものである。二三の科学者は次のようにしてこの困難からの活路を求めた。すなわち、過去における温度の不同は現在よりは大きかったとしても、その不同の減じ方が今よりは緩やかであった、と言うよりもむしろあり得る限りの緩やかさであって、挿図の曲線のDAの部分に相当するものであったと、こう考えることもできはしないか。そうだとすると、温度偏差の速度は、最初のうちは無限に緩やかであるが、図のDの所で曲線はその当初の有限値からやや急に降り始め、そうして現在では更に急速度で進行しそうして次第に零に近よるであろう。すなわち、この世界は無限に永い間死んだような状態にあったのが、地質学上地層堆積物によって見当のつけられるような時代至って急に目覚ましい速度で進化し、そうしてその後は徐々に再び永遠の死の静寂に沈んでゆくというのである。しかしこれは第一常識的にも考えられないことであるのみならず、またあらゆる科学的考察にも背反する。そうしてクリスチアンゼン(Christiansen)の挙げた次の例に相当する。すなわち、ここに一塊の火薬が、永い間、見たところでは何の変化もしないで置かれてある。そこで、誰かがこの火薬に火をもってくるかあるいは落雷のためにこれが点火する。するとこれは一度に燃え上る。そうして以前にはあれほど極端に緩徐に行われていた変化は高温のために著しく速度を増し一秒の何分の一かの間に非常に急激な変化を完了する。その後数分間は、燃焼によって生じた物が空気中の湿気に接触するために緩やかな化学作用が継続するが、それが済めばもうこの進化は見掛け上終局する。この火薬の燃え上る一秒の分数は永久に対しては殆ど無に等しいもので、これがちょうど、我々がいくらかでも知っている宇宙進化の期間に相当するというのである。しかし熟考の末にこの説に賛成する科学者は恐らく一人もないであろう。この説にはなお次の困難がある。すなわち、化学者の教うるところでは、火薬は低温で貯蔵される際にも緩徐な変化を受け、到底実現し難い絶対零度に至って始めてその変化がなくなるからである。そうかと言ってまた、往昔は平均温度が非常に低かったために宇宙進化が非常に緩やかであったはずだと考えるわけにもゆかない。こういう仮定は全然根拠がないものである。これがためには証拠の代りに、クリスチアンゼンの言った通り『宇宙進化には本性未知のある作用が行われた』と仮定する外はない。『かような可能性は全然我々の経験の範囲外のものである。』こういうものを当てにしているわけにはゆかないのである。  エントロピーについてもまた同様な議論をすることができるし、またこちらが一層科学的に厳密な証明をすることができるが、ただ少し常識的に分りにくいだけである。宇宙進化に関してこれから得られる結果が全く前と同じになるということは容易に見通しがつくであろう。すなわち、我々の観察する宇宙空間部分の平均温度からの偏差は時間の経過に対して多分殆ど不変の値を保有してきたと思われる。太陽ではこの偏差は次第に減少するが、しかしそれは、一方でまた、星雲が恒星に変る際に起る温度上昇によって補充されるのである、同様なことはまたエントロピーの値についても言われる。すなわち、全体としては、この量もまたほとんど不変の値を保有するはずである。一方では太陽から寒冷な星雲への輻射のためにこの量は不断に増加しているが、他方ではまた星雲ガス中で最大速度を有する分子がこのガス団塊から逸出し、そうしてそれがもっと密度の大きい物質集団の上に集積するために、不断に減少するのである。  上記のごとく限られた宇宙部分の中から更にまた太陽系のような一小部分だけを取り離してみると、その中での平均温度は決して恒同ではなくて、現在では降下の傾向をもっている。この降下は、最後に太陽が消燼してしまえば、非常に緩徐になるであろうが、いつかまたこの消えた太陽が衝突のために星雲に変るような日が来れば、そのときは今と反対に温度の上昇する状態に変り、その上昇は、新しい太陽期の成立後もなおしばらく継続するであろう。  それで、それぞれ個々の太陽系については、宇宙の進化は不断に前進また後退し、すなわち、周期的交代を示すというスペンサーの考えが適用される。もっとも、この交代し方は律動的とは名づけ難いかも知れない。それは、この太陽の世界における交代の周期は、分子の往復運動のそれと同じくらいに不規則だからである。この周期の長さ、またその変化の経路は、他の物体――太陽あるいは分子――との予測し難い偶然な衝突によって決定され、しかもその衝突の仕方によって、いちいちその後の進化が影響されるのである。  時間の概念の漸次に変ってきた道程は奇妙なものである。カルデア人が三、四万年の昔に既に天文学的観測を行ったはずだということをキケロが推算したのは前に述べたが、これから見ても、昔の人々は何の躊躇もなくこの世界が非常に古くから存立していたという仮定をしたことがわかる。インドの哲学でもやはり世界の存在に対して永い時間を仮定している。中世に至ってはこの考え方は全然すたれてしまった。ラバヌス・マウルス(Rhabanus Maurus)はその大著『宇宙』“De universo”(九世紀の始めころ)の中に次の意見を述べている。すなわち、今日山の上の高所に発見される化石類は三回の世界的大洪水に帰因するものであって、その第一回はノア(Noah)のときに起り、第二回目はオグ王(Og)の治下長老ヤコブ並びにその仲間の時代に起り、最後の第三回目はモーゼ(Moses)とその時代仲間のアムフィトリオン(Amfitryon)のときに起った、というのである(アムフィトリオンは伝説的人物でペルセウス(Perseus)の孫に当る)。すなわち、世界の年齢は甚だ少なく見積られているのである、スナイダー(Snyder)が『世界の機械』(“The world's machine”)の中に報告しているところによると、シェークスピア(Shakespeare)やベーコン(Bacon)と同時代の大僧正アッシャー(Usher)が、ユダヤの物語に基づいて算定した結果では、この世界は耶蘇紀元前四〇〇四年の正月の最初の週間に創造されたことになっており、この算定数は現に今日まで英国の聖書に印刷されているのである。ビュッフォンはまた、地球が太陽から分離したときの灼熱状態から現在の温度に冷却するまでの時間を約七六〇〇〇年と推定している。ところがバビロニアやエジプトからの発掘物を研究した結果から、これらの地方では西暦紀元前七〇〇〇ないし一万年ころに既にかなり広く発展した文明の存在したことが証明される。南フランスやスペインにおけるいわゆるマグダレニアン時代(Magdalenien-Zeit)の洞穴で発見された非常に写実的な絵画の類は約五万年昔のものと推定されている。そうして、確かに人間の所産と考えられる物での最古の発見物は一〇万年前のものと推定されている。第三紀の終局後ヨーロッパの北部を襲った氷河期よりも前、またその経過中において既に人類が生息していたことは確実である。そうして最後に地質学者等の信ずるところでは、約一〇億年以前から既にかなり高度の進化状態にある生物が存在していたのであり、また一番初めに生物が地球上に現われたのは多分それの二倍の年数ほども昔のことであろうというのである。それでインドの哲学者等が地球上における生命の進化について想像したような長い年数に手の届くのは造作もないのである。  ここで起ってくる最後の問題は、一般生命の存在を考えるに当って、この永劫の概念をいかに応用すべきかということである。一般の化学者の考えでは、生物は今日でも行われているような物理的並びに化学的の力によって地球上に生成されたことになっている。この点についてはこの多数の人の考え方は野蛮民の考え方(第二章参照)と格別違ったところはないのである。しかしまた生命は宇宙空間から地球上へやってきたものだという学説がある。この考えは既に北方伝説において多数の神々と一対の人間とがミーメの泉(Mimes Brunn)の側の林苑(すなわち、宇宙空間に相当する所)からこの地上に移住してきたという物語にも現われているが、この説には有名な植物学者のフェルディナンド・コーン(Ferdinand Cohn)やまた恐らく現代の最大なる物理学者ケルヴィン卿のような顕著な賛成者を得た。この説には従来確かに大きな困難が付きまとっていたのであるが、私は輻射圧の推進力によって生命の萌芽が宇宙空間中を輸送されたという考えを入れてこの困難を取り去ろうと試みた。この説にはまだまだ克服すべき多大の困難があるにもかかわらず、それが多数の賛成者を得るに至ったというのは、畢竟、ほとんど年々のように向う見ずの人間が現われて、萌芽なしに無生の物質から生物を作り出すことにとうとう成功したというようなことを宣言するものがある、それをその都度いちいちその誤謬を摘発し説明するのにくたびれ果ててしまったためと考えられる。この問題はちょうど半世紀前における『永久運動』の問題とほぼ同じような段階にある。それで現在の形における『原始生成』の問題は昔の『永久運動』と同様に多分科学のプログラムから削除されてしまうにちがいないと思われる。それで結局、生命は宇宙空間、すなわち地球よりも前から生命を宿していた世界から地球上に渡来したものと考え、また物質やエネルギーと同様に生命もまた永遠なものであると、こう考えるより外に道はほとんどなくなってしまう。しかし少なくも現在のままでは、この生命の永遠性の証明が困難であるというのは、物質やエネルギーの場合に比べて、一つの本質的の差別があるためである。すなわち千差万別の形における生命を量的に測定することができないからである。見ただけでは生命が突然死滅してもその代りの生命が現われたとは証明できないようなことが実際にあるからである。――ビュッフォンは『生命原子』の不滅性に関してこれとはまたちがった独特の意見を唱道した。  生命の量的測定と言ったような驚天動地の発見は恐らく将来もできないであろうが、しかし、もし、自然界の永久の輪廻の間には、いつでも、どこかに、生命に都合のよい、従ってともかくも生物を宿しているような天体があるであろうと考えれば、生命の永久継続ということの観念を得るのは容易である。この生命萌芽汎在説(Die Lehre von der Panspermie)はおいおいに勝利を博するに至るであろうと想像するが、もしそうなれば、それから引き出される種々の有益な結論は恐らく生物科学の発達上重要な意義のあるものとなるであろう。それはあたかも物質不滅の学説が近代において精密科学の豊富な発達に非常な重要な役目をつとめたと同様なことになるであろう。  この考えから今すぐにでも言われる重要な結論はこうである。すなわち、宇宙間のあらゆる生物は皆親族関係にあるということ、またある一つの天体で生命の始まる場合には、知られている限りの最も低級な形から始めて、そうして進化の経過につれて次第に高級な形に成り上ってゆくはずだということである。事情いかんにかかわらず生命の物質的基礎はたんぱく質であるに相違ない。それで、たとえば太陽の上にも生物があると言ったような考えは永久に妄想の領土に放逐されるべきである。  哲学者は一般に生命永久継続説の信奉者であり、自生説の反対者であった。これはよく知られたことである。それでここにはただ、自然科学のすぐ近くまで肉迫していたと思われるかの大哲学者ハーバート・スペンサーの前記の所説(六九頁参照)に注意を促すに止めておく。彼はこれと同様なことをまた別の所で次のように言い表わしている。『彼ら(生物は無生物体あるいは虚無から成立し得ると主張する人々)に懇願したいのは、一体いかなる筋道によって新しい有機物が成立するかを詳細に説明してもらいたい。しかも必ず納得のゆくように説明してもらいたいということである。そうすれば彼らは、そういうふうのことまではまだ考え尽くさなかったということ、また到底それはできないことに気が付くであろう。』  キューヴィエーは生命創造論ではあらゆる他の人よりも先へ踏み出している。すなわち、彼もドルビニー(d'Orbigny)と同様に、ある大規模な自然界の革命が、彼の考えでは火山噴出があってその際にあらゆる生物が死滅し、そうしてこの絶滅したものに代って新しい種類のものが創造されたと考えた。この考えは今では全く見捨てられてしまっているが、しかし近ごろフレッヒ(Frech)が指摘したように、この考えの中にもまた一つの健全な核がある。すなわち、火山噴出の代りにいわゆる氷河期と名づけられる大規模の気候変化を持ってくれば救われるのである。この時期に多種の動物や植物は絶滅したが、その後間もなく寒冷が退却したときに、その期間中に発達しあるいは生き残っていたような新しい形態のものが豊富に現われてこれに代ったのである。  有名なドイツ出のアメリカ人で生理学者のジャック・ロェブ(Jacques Loeb)は海水の塩基度について学者の注意を促し、ある地質学的時期にはこれが雑種生物の発生に強い影響を及ぼし、従ってまた、雑種から生成するものとしばしば考えられている新種の発生にも影響し得るということを指摘した。普通の海水中では Strongylocentrotus purpuratus と名づけられるウニの卵は Asterias ochracea という海盤車の精虫では受胎しないことになっている。しかし四パーセントの苛性ソーダ溶液を三―四立方センチメートルだけ一リットルの海水中に混ずると、その中では反対に雑種の生成が顕著に成功する。そこで、空気中の炭酸含有量が少ない時代には海水の塩基度は増すはずであるから、生物界が著しく衰退していた氷河期に新しい形態のものが生成されたであろうということは余り無稽な想像ではあるまい。このようにして、再び温暖な気候が復帰したときに、氷河期の退いた後に開放された生息所の上で、これら新種族間に言わば一種の生存競争場が開かれることになった。そうしてそのために生活に最も良く適応するような形態の著しい発達を促したことは言うまでもない。  生命萌芽汎在説の問題に筆をおく前に、ここでこれと連関して、最近の実験的研究によって釈明されるようになった若干の事柄に触れておくのも無用ではあるまいと思う。  生物が輻射圧の助けを借りて一つの遊星からずっと遠方に隔絶した他の太陽系中の一つの遊星に移るということが可能であるためには、太陽系の境界以外の宇宙空間が至る所低温であり、そのために生命の機能が著しく低下し、そうしてそのために幾百万年の間生命が保存されるということが必要条件である。マードセン(Madsen)とニューマン(Nyman)、またパウル(Paul)とプラル(Prall)とは、生命の消滅に対する温度の影響に関して多数の非常に注目すべき実験を行った。前の二人は種々の温度で脾脱疽菌の対抗力を試験したが、低温度(たとえば氷室の中)では幾日もの間貯蔵しておいても大してその発芽能力を失うようなことはないが、一〇〇度においてはわずか数時間でことごとく死滅してしまう。ここで注目すべき事実は、この場合における温度の影響は他の生活機能の場合とほとんど同程度であって、すなわち、温度一〇度を増す毎に変化速度は約二倍半だけ増すということである。前に私が低温度における発芽能力の寿命に関する計算をしたときにはこの関係を基礎としたわけである。  この実験は零度以上の温度で行われたのであるが、パウルとプラルの方の実験の一部は液体空気の沸騰点(零下一九五度)で行われた。そうしてスタフィロコッケン(Staphylococcen 一種の黴菌)の植物状のもの(胞子ではなく)を、十分乾燥された状態で使用した。これは室温においては、約三日間にその半数だけが死滅するのであるが、液体空気の温度では、その生活能力は四ヶ月たっても目に立つほどは減退しない。このことは実に、極度な低温(諸太陽系間の宇宙空間においてはこの実験よりも一層そうである)は生命の維持に対して異常な保存作用を及ぼすということの最も好い証拠である。  なお、永久運動と原始生成との比較は、もう一つの方面に延長することができる。経験的知識からの避け難い帰結として我々は、永久運動によって仕事をさせることは地球上並びに太陽系におけるような事情の下には不可能であると考える外はない。しかし同時にまた、マクスウェルの案出したこの規則からの除外例が、星雲という、ある点では諸太陽と正反対の関係にある天体では顕著な役目を勤めるということも考えないわけにはゆかない。それで、いかなる点から判断しても、原始生成は現在の地球上ではできないし、また多分かなりまで今と同様な条件を備えていたと思われる過去にもできなかったであろうが、しかしこの現象が宇宙空間中のどこかの他の場所で、著しく違った物理的化学的関係の下に起り得るかも知れないということも想像されないことはない。この測るべからざる空間の中には疑いもなくそういうところがあるかもしくはあったと考えられるのである。原始生成の可能な一点あるいは諸点があればそこから生命が他の生息に適する諸天体へ広げられたであろう。それでこの原始生成という観念も、こういうふうに考えさえすれば、無限に多数としか思われない諸天体の一つ一つに、それぞれに特有な生物の種子が皆別々に発生したと想像するよりはずっともっともらしくなってくるのである。  また一方ではこういうことも明白である。それは、宇宙はこれを全体として引っくるめてみれば、無限の過去から存在し、またすべて現在と同様な諸条件に支配されていたのであるから、従ってまた生命も、すべて考え得られる限りの昔においてもやはり存在していたであろうということである。  この最後の章で述べたことから分るように、科学上の諸法則(エネルギー並びに物質不滅則のような)が方式的に設定される以前既に、これらの法則は、それが意識された程度こそまちまちではあったが、いろいろの哲学者の宇宙観の根底となっていたのである。ここで多分こういう抗議が出るかも知れない。すなわち、そんなことならば、むしろ始めからこれらの哲学者の直観的な考えを無条件に正当として承認した方が合理的ではないか、それがあとから科学者によって証明されるのをわざわざ待たなくてもよいではないかというのである。それも一応もっともな抗議ではあるが、実際はこのように後日正当として確認された哲学的の主張と同時にまたこれと正反対の意見が他の主要な思索者等によって熱心に主張され抗弁されたのであるから、結局はこういう科学的の検証が絶対に必要であったのである。  のみならずこのような哲学的の考え方と、後日それから導かれた科学上の法則との間には実は大きな懸隔があるのである。たとえばエンペドクレスあるいはデモクリトスが、当時の一般の意見に反して、物質は不滅なりと説いてはいるが、しかしこれを、彼ラボアジェーの、ある金属が空気中から酸素を取って重量を増す際、その増加は精密に金属と結合した酸素の重量に等しいということを実証したのと比較すると、その間に非常な相違がある。のみならず、このラボアジェーの実験は化学者の日常不断の経験によって補足されるのであって、物質不滅の説から導かれた結論に頼ってさえいれば決して間違いの起る気遣いはないのである。  デカルト、ライブニッツ並びにカントが太陽の徐々に燃え尽くすことに関して行った哲学的考察も、やはりエネルギーは虚無からは生成し得ないという概念をおぼろ気に暗示してはいるが、これについても同様なことが言われる。しかしマイヤー並びにジュールの研究によって、ある一定量のエネルギー(たとえば仕事としての)が消失すると同時に必ず同一量がある他の形で(たとえば熱として)現われるということが実証されてからこそはじめて、太陽のエネルギーの量は輻射のために不断に減ずる。従って、もし何らかの方法で補給されない限り結局は全部消耗してしまうはずだということを、安心して主張することができるようになったのである。それより以前では、ラプラスやハーシェルのような明敏な人々でも、今日一般の人がただ日常の経験によって直観的にそう考えていると同様に、太陽の輻射は、何か変ったことのない限り、未来永劫今のままで減少することなく持続するはずだという考えになんらの矛盾をも感じなかったのである。宇宙過程の不断の革新に関するカントの意見は非常に賞賛すべきものである――一般にそういうことになっている――が、しかしその考えの筋道にはエネルギー不滅の原理に撞着するものがある。同様なことはまたデュ・プレルの甚だ興味ある仮説についても言われるのである。  宇宙の過程は繰り返すというこの観念は、カントの場合ではある倫理学的原理に基づいている。すなわち、彼はこの宇宙はいつまでもどこまでも生命ある有機物の住みかであるという観念の中に『安堵』を感じた。のみならず、彼の考えでは、太陽が永久に消燼してしまうということは円満具足の神の本性に矛盾すると思われるのである。――スペンサーはこれよりはもう少し客観的な見地から出発している。すなわち、宇宙進化の過程はある特定の規律に従って行われると仮定してかかった。彼は宇宙が無限の過去以来存在しており――カントは創造されたと信じたに反して――また終局をももたぬという近代的な見地に立っていた。彼が物質の集中する時期と散逸する時期とが交互に来ると考えたのはインドにおける静止と発達の両時期の考えを思い出させるものがある。スペンサーはこう言っている。『太陽系は可動的平衡状態にある体系であって、その最後の分布状態においては、かつて自身にそこから発生してきたようなもとの稀薄な物質になってしまうであろう。』しかし当時は拡散を生ぜしめるような動力としてはニュートンの重力以外のものは知られなかったのであるから、このような散逸がいかにして起ったかについては何も述べていない。もっとも、スペンサーも天体間の衝突に言及してはいるが、これがこの拡散現象に対して何らかの意義あるものとは認めていなかったのである。もし何らの斥力もなかったとしたら、すべてのものは集中してしまったであろう。  輻射圧の概念が導入され、またある特定の場合におけるエントロピーの減少が証明されるようになってから、そこで始めて、天体の発達に前進的と後退的の推移があるという、インドの哲学者等が悠遠な昔から既に夢みていた観念を徹底的に追究することが可能となったのである。  観念についても生物と同じようなことがある。たくさんの種子が播かれるがその中のほんの少数のものが発芽する。そうしてそれから発育する生物の中でも多数は生存競争のために淘汰されただわずかな少数のものだけが生き残る。これと同様にしてまた、自然界に最も良く適応するような考えが選び出されたのである。学説などというものはせっかくできてもやがてまた放棄されるにきまったものであるから、こういうものに力を入れるのは全然無駄骨折りであるというような説を時々耳にすることがあるが、そういう人は、ものの進化発達ということに盲目な人である。今日行われている諸学説も、以上述べたことから了解されるであろうように、往々最古の時代に既に存在したことの確証されるような意見に基づいていることがある。しかしこれらも、もとはおぼろ気な想像から徐々に発達して、次第にその明瞭の度と適用の正しさとを増してきたものである。たとえばデカルトの渦動説でも、ニュートンが出てきて、空間中には、あると言われるほどの分量の物質は存在しないということを明確に証明すると同時に見捨てられてしまったが、しかしデカルトの抱いていた考えのうちのいろいろのものが今日でもなお生存能力を保留している。たとえば太陽系の進化の出発点たる星雲の当初からの回転運動に関する考えなどがそれである。同様にまた遊星が空間中から太陽系に迷い込んできたものだという彼の考えは、迷い込んできた彗星が遊星の形式に参与しまた遊星の運行に影響したというラプラスの考えの中に認識され、また太陽星雲から諸遊星が形成される際にその牽引の中心となった物は外界から来たものだという前記の想像の中にも認知されるのである。  それで、開闢論の問題に関する理論的の仕事は無駄骨折りであるとか、あるいはまた、昔の哲学者のあるものの既に言明している意見がかなりまで真実に近づいており、従って近代の開闢論中に再現されているわけであるから、それ以上に進むことはないであろうとか、こういう臆断ほど間違ったものはないのである。それどころではない、最近におけるこの方面の研究の発達は正にいかなる過去におけるよりも急速度で進行した。科学研究は現在その盛花期にあって、いかなる過去における盛況でも到底これとは比較することさえできない有様であるから、これはもとより当然のことと言わなければならない。  顧みて過去数世紀の経過の間に人道の発達もまたますます急速な歩を進めてきたことを知るのは誠に喜ばしいことである。これについては既に少なからざる実例を挙げてきた。全体の上から見れば、万有を包含する自然界に関する諸概念は自由と人間価値とに関する諸概念と常に同時に進みまた停止したということは否み難い事実である。これは畢竟人類が進歩するにつれて、種々な方面の文化が全体にその領土を拡張するということに帰因するのはもちろんであるが、しかしまたここにもう一つの事情が関係している。すなわち、目の届く限りの過去において、一般に科学者というものが常に人道の味方としてその擁護に務めてきたからである。これは既に前に述べたファラオ並びに奇蹟を見せるその宮廷占星術者との伝説の中にも自ら現われているのである。  自然が我々に提供する進化の無限の可能性を曇らぬ目で認め得るほどの人々は恐らく、自分のため、またその近親、朋友、同志あるいは同国人のみの利害のために、詭計あるいは暴力によって四海同胞たる人類を犠牲にするようなことをしようとはしないであろう。 訳者付記  スワンテ・アウグスト・アーレニウス(Svante August Arrhenius)は一八五九年にウプザラの近くのある土地管理人の息子として生れた。ウプザラ大学で物理学を学び、後にストックホルム大学に移ってそこで溶液の電気伝導度、並びにその化学作用との関係について立ち入った研究をした。一八八七年に発表した電解の理論は真に画期的のものであって、言わば近代物理化学の始祖の一人としての彼の地位を決定するに至ったその基礎を成したものである。その間にドイツやオランダに遊歴して、オストワルト、ヴァントフ、ボルツマンのごとき大家と共同研究を続行しながら次第にこの基礎を固めていった。ギーセン大学からの招聘を辞退して一八九一年故国スウェーデンに帰り、ストックホルム工科大学の講師となり、後にそこの教授となった。一九〇五年にはまたベルリンからの招聘があったがこれも断った。同年にノーベル研究所長となり、一九二七年一〇月二日の最後の日に至るまでその職を保っていた。これより先一九〇三年に彼はその業績のために化学に関するノーベル賞を獲たのであるが、その他にも欧米の諸所の大学や学会から種々の栄誉ある賞や称号を授けられた。  溶液の研究は言わば彼の本筋の研究であって彼の世界的の地位を確保したのもまたこの研究であったことは疑いもないことであるが、しかし彼の研究的の趣味は実に広くいろいろの方面に亘っていた。この訳書の原書に示された宇宙開闢論に関しては遊星雰囲気の問題、太陽系生成の問題、輻射圧による生命萌芽移動の問題、また地球物理学方面では北光の成因、気温に及ぼす炭酸ガスの影響、その他各種自然現象の周期性等が彼の興味を引いた。その外にも生理学方面における定量的物理化学の応用、血清療法の理論及び実験的研究などもある。思うに彼は学界における一つの彗星のようなものであった。  訳者は一九一〇年夏ストックホルムに行ったついでをもって同市郊外電車のエキスペリメンタル・フェルデット停留場に近いノーベル研究所にこの非凡な学者を訪ねた。めったに人通りもない閑静な田舎の試作農場の畑には、珍しいことに、どうも煙草らしいものが作ってあったりした。その緑の園を美しい北国の夏の日が照らしていた。畑の草を取っている農夫と手まねで押問答した末に、やっとのことでこの世界に有名な研究所の所在を捜しあてて訪問すると、すぐプロフェッサー自身で出迎えて、そうして所内を案内してくれた。西洋人にしては短躯で童顔鶴髪、しかし肉つき豊かで、温乎として親しむべき好紳士であると思われた。住宅が研究所と全く一つの同じ建物の中にあって、そうして家庭とラボラトリーとが完全に融合しているのが何よりも羨ましく思われた。別刷などいろいろもらって、お茶に呼ばれてから、階上の露台へ出ると、そこは小口径の望遠鏡やトランシットなどが並べてあった。『これで a little astronomy もできるのです』と言って、にこやかな微笑をその童顔に浮ばせてみせた。真に学問を楽しむ人の標本をここに目のあたりに見る心持がしたのであった。  この現在の翻訳をするように勧められたときに訳者が喜んで引き受ける気になったのも、一つにはこの短時間の会見の今はなつかしい思い出が一つの動力としてはたらいたためである。訳しながらも時々この二〇年の昔に見た童顔に浮ぶ温雅な微笑を思い浮べるのであった。  この書の翻訳としては先に亡友一戸直蔵君の『宇宙開闢論史』がある。これは久しく絶版となっているのであるが、それにしてもともかくも現在の訳がいろいろな点でなるべくこの先駆者と違った特色をもつようにして、そうして両々相扶けて原著の全豹を伝え得るようにしたいと思って、そういう意識をもってこの仕事に取りかかった。  一番当惑したことは原著に引用されたインドや古典の詩歌の翻訳であった。原書のドイツ訳が既にオリジナルから必然的に懸け離れているであろうと思われるのを、更にもう一度日本語に意訳するのではどこまで離れてしまうか分らないであろうと思われた。それでできる限り原書ドイツ訳を逐語的に、そうしてできるだけ原書の詩一行分はやはり一行に訳するように努めた。その結果は見られる通りの甚だ拙劣で読みづらいものになってしまったのである。読者もしこの拙訳と同時にまた一戸君の書に採録された英訳や同君の達意の訳詩を参照されれば、より明らかに原詩の面影を髣髴させることを得られるであろうと思われるのである。  古事記や道徳教やの引用もわざとドイツ語をなるべく直訳した。そうした方が原著者の頭に映じたそれらの古典の面影を伝えるからである。訳しているうちに、時々『訳者注』を付加したいという衝動を感じた。一方では一般読者の理解を便にするための科学的注釈のようなものも付けたいのであるが、それよりも一層必要に感じたことは、原著の最後の改訂以来物理学天文学の方面における急速な進歩のために原著中の叙説に明らかに若干の修補を加えるか、少なくも注釈を付けなければならぬと思う箇所が気づかれるのであった。たとえば宇宙空間における光線の彎曲についてはアインシュタインの一般相対性原理の帰結について一言する方がよいと思われ、また宇宙の限界やエネルギーの変転の問題についてもその後に行われたいろいろの研究の大要を補った方がいいと思われるのであった。しかし熟考してみると、こういう注釈を合理的に全部に亘って遺漏なく付けるということはなかなか容易な業ではなく、また到底現訳者の任でもないことが分った。のみならずこの原著の本来の主旨が、著者の序文にも断ってある通り、歴史的の系統を追跡するにあるのであって、決して最新の学説を紹介するためではないのであるから、むしろここで下手な訳者注などを付けることは断念して、その代りにできる限り原著の面影をその純粋の姿において読者に伝えることに心を尽くした方が、少なくも現在の訳者には適当であると考えた次第である。しかし結果においてはやはり訳者の力の足りないために、この実に面白い書物の面白さの幾分をも伝え得ないであろうということを考えて切に読者の寛容を祈る次第である。  若干の訳述上の難点について、友人小宮豊隆君の示教を仰いだことについて、ここに改めて感謝の意を表しておきたいと思う。    昭和六年八月下旬          本郷曙町に於て寺田寅彦
底本:「宇宙の始まり」第三書館    1992(平成4)年11月1日初版発行 底本の親本:「史的に見たる科学的宇宙観の変遷」岩波文庫、岩波書店    1944(昭和19)年 ※底本には、同書の由来に関する以下の記述があります。「本書は、S・A・アーレニウス著、岩波文庫版『史的に見たる科学的宇宙観の変遷』(寺田寅彦訳、一九四四年岩波書店刊)を底本に、一部文字表記を現代の読者が読みやすくなるように改めた。」 ※各章の内容説明を含む目次は、見出しとページ数を結ぶ三点リーダーを省いて入力しました。人名索引は、入力しませんでした。 ※第六図と第七図の掲載順を、底本と入れ替えました。 ※図版は、底本の親本からとりました。 入力:手嶋善成 校正:トレンドイースト 2010年8月2日作成 2012年5月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 私が子供の時に見たり聞いたりしたことを雑然とお話しようが、秩序も何もありませんよ。その上子供の時の事ですから、年代などは忘れてしまってる。元治慶応明治の初年から十五、六年までの間です。私が住っていた近くの、浅草から両国馬喰町辺の事ですか――さようさね、何から話して好いか――見世物ですな、こういう時代があった。何でもかんでも大きいものが流行って、蔵前の八幡の境内に、大人形といって、海女の立姿の興行物があった。凡そ十丈もあろうかと思うほどの、裸体の人形で、腰には赤の唐縮緬の腰巻をさして下からだんだん海女の胎内に入るのです。入って見ると彼地此地に、十ヶ月の胎児の見世物がありましたよ。私は幾度も登ってよくその海女の眼や耳から、東京市中を眺めましたっけ。当時「蔵前の大人形さぞや裸で寒かろう」などいうのが流行った位でした。この大人形が当ったので、回向院で江の島の弁天か何かの開帳があった時に、回向院の地内に、朝比奈三郎の大人形が出来た。五丈ほどありまして、これは中へ入るのではなく、島台が割れると、小人島の人形が出て踊るというような趣向でした。それから浅草の今パノラマのある辺に、模型富士山が出来たり、芝浦にも富士が作られるという風に、大きいもの〳〵と目がけてた。可笑かったのは、花時に向島に高櫓を組んで、墨田の花を一目に見せようという計画でしたが、これは余り人が這入りませんでした。今の浅草の十二階などは、この大きいものの流行の最後に出来た遺物です。これは明治前でしたが、当時の両国橋の繁華といったら、大したもので、弁天の開帳の時などは、万燈が夥しく出て、朝詣の有様ったらありませんでしたよ。松本喜三郎の西国三十三番観音の御利益を人形にして、浅草で見世物にしたのなど流行った。何時だったか忘れたが、両国の川の中で、水神祭というのがあった。これには、の組仕事師中の泳ぎの名人の思付きで、六間ばかりの油紙で張った蛇体の中に火を燈し、蛇身の所々に棒が付いてあるのを持って立泳ぎをやる。見物がいくばくとも数知れず出たのでしたから、ちょっと見られぬ有様でして、終いには柳橋の芸者が、乙姫になってこの水神祭に出るという騒ぎでした。確か言問団子が隅田川で燈籠流しをした後で、その趣向の変形したもののようでした。当時の両国は、江戸錦絵などに残っているように大したもので、当時今の両国公園になっている辺は西両国といって、ここに村右衛門という役者が芝居をしていた。私の思うのには、村右衛門が河原物といわれた役者の階級打破に先鞭を附けたものです。というのは、この村右衛門は初め歌舞伎役者でしたのが、一方からいえば堕落して、小屋ものとなって西両国の小屋掛で芝居をしていた。一方では真実の役者がそれぞれ立派に三座に拠っていたが、西両国という眼抜きの地に村右衛門が立籠ったので素破らしい大入です。これがその後一座を率いて、人形町の横にあった中島座となりまた東両国の阪東三八の小屋、今の明治座の前身の千歳座のなお前身である喜昇座の根底を為したので、まず第一歌舞伎役者と小屋ものとの彼らの仲間内の階級を打ち破ったのが、この阪東(後改め)大村村右衛門でした。その外の見世物では、東両国の橋袂には「蛇使」か「ヤレ突けそれ突け」があった。「蛇使」というのは蛇を首へ巻いたり、腕へ巻いたりするのです。「ヤレ突けそれ突け」というのは、――この時代の事ですから、今から考えると随分思い切った乱暴な猥雑なものですが――小屋の表には後姿の女が裲襠を着て、背を見せている。木戸番は声を限りに木戸札を叩いて「ヤレ突けそれ突け八文じゃあ安いものじゃ」と怒鳴っている。八文払って入って見ると、看板の裲襠を着けている女が腰をかけている、その傍には三尺ばかりの竹の棒の先きが桃色の絹で包んであるのがある。「ヤレ突けそれ突け」というのは、その棒で突けというのです。乱暴なものだ。また最も流行ったのは油壺に胡麻油か何かを入れて、中に大判小判を沈ましてあって、いくばくか金を出して塗箸で大判小判を取上げるので、取上げる事が出来れば、大判小判が貰えるという興行物がありました。また戊辰戦争の後には、世の中が惨忍な事を好んだから、仕掛物と称した怪談見世物が大流行で、小屋の内へ入ると薄暗くしてあって、人が俯向いてる。見物が前を通ると仕掛けで首を上げる、怨めしそうな顔をして、片手には短刀を以って咽喉を突いてる、血がポタポタ滴れそうな仕掛になっている。この種のものは色々の際物――当時の出来事などが仕組まれてありました。が、私の記憶しているのでは、何でも心中ものが多かった。こんなのを薄暗い処を通って段々見て行くと、最後に人形が引抜きになって、人間が人形の胴の内に入って目出たく踊って終になるというのが多かったようです。この怪談仕掛物の劇しいのになると真の闇の内からヌーと手が出て、見物の袖を掴んだり、蛇が下りて来て首筋へ触ったりします。こんなのを通り抜けて出ることが出来れば、反物を景物に出すなどが大いに流行ったもので、怪談師の眼吉などいうのが最も名高かった。戦争の後ですから惨忍な殺伐なものが流行り、人に喜ばれたので、芳年の絵に漆や膠で血の色を出して、見るからネバネバしているような血だらけのがある。この芳年の絵などが、当時の社会状態の表徴でした。  見世物はそれ位にして、今から考えると馬鹿々々しいようなのは、郵便ということが初めて出来た時は、官憲の仕事ではあり、官吏の権威の重々しかった時の事ですから、配達夫が一葉の端書を持って「何の某とはその方どもの事か――」といったような体裁でしたよ。まだ江戸の町々には、木戸が残ってあった頃で、この時分までは木戸を閉さなかったのが、戦争の前後は世の中が物騒なので、町々の木戸を閉したのでしたが、木戸番は番太郎といって木戸傍の小屋で、荒物や糊など売っていたのが、御維新後番兵というものが出来て、番太郎が出世して番兵となって、木の棒を持って町々を巡廻し出して、やたらに威張り散し、大いに迷惑がられたものでしたが、これは暫時で廃されてしまった。その番兵の前からポリスというものがあって、これが邏卒となり、巡邏となり、巡査となったので、初めはポリスって原語で呼んでいた訳ですな。こういうように巡査が出来る前は世の中は乱妨で新徴組だとか、龍虎隊だとかいうのが乱妨をして、市中を荒らしたので、難儀の趣を訴えて、昼夜の見廻りが出来、その大取締が庄内の酒井左右衛門尉で、今の警視総監という処なのです。このポリスが出来るまでは、江戸中は無警察のようでした。今商家などに大戸の前の軒下に、格子の嵌めてある家の残っているのは、この時に格子を用心のために作ったので、それまでは軒下の格子などはなかったものだ。  世の中がこんなに動乱を極めている明治元年の頃は、寄席などに行くものがない。ぺいぺい役者や、落語家やこの種の芸人が食うに困り、また士族などが商売を初める者が多く、皆々まず大道商人となって、馬喰町四丁内にギッシリと露店の道具屋が出ました。今考えると立派なものが夜店にあったものです。その大道商人の盛んに出たことは、こういうことで当時の夜店の様が察しられる。夕方に商人が出る時分に「おはよ〳〵」の蝋燭屋の歌公というのが、薩摩蝋燭を大道商人に売り歩いて、一廉の儲があった位だということでした。「おはよ〳〵」とは、歌公が「おはよ〳〵の蝋燭で御座いかな」と節を附けて歌い、変な身ぶりで踊りながら売歩いたので、「おはよ〳〵の歌公」ッて馬喰町辺では有名な男で、「おはよ〳〵の――で御座いかな」という言葉が流行った位だ。  売声で今一つ明治前に名高かったのは、十軒店の治郎公というのが、稲荷鮨を夜売り歩いた。この治郎公は爺でしたが、声が馬鹿に好い、粋な喉でしたので大流行を極めた。この男の売声というのは、初めに「十軒店の治郎公」とまず名乗りを上げて、次にそれは〳〵猥褻な歌を、何ともいえぬ好い喉で歌うのですが、歌は猥褻な露骨なもので、例を出すことも出来ないほどです。鮨売の粋な売声では、例の江鰶の鮨売などは、生粋の江戸前でしたろう。この系統を引いてるものですが、治郎公のは声が好いというだけです。この治郎公の息子か何かが、この間まで本石町の人形屋光月の傍に鮨屋を出していましたっけ。市区改正後はどうなりましたか。  この時分、町を歩いて見てやたらに眼に付いて、商売家になければならぬように思われたのは、三泣車というのです。小僧が泣き、車力が泣き、車が泣くというので、三泣車といったので、車輪は極く小くして、轅を両腋の辺に持って、押して行く車で、今でも田舎の呉服屋などで見受ける押車です。この車が大いに流行ったもので、三泣車がないと商家の体面にかかわるという位なのでした。それから明治三、四年までは、夏氷などいうものは滅多に飲まれない、町では「ひやっこい〳〵」といって、水を売ったものです。水道の水は生温いというので、掘井戸の水を売ったので、荷の前には、白玉と三盆白砂糖とを出してある。今の氷屋のような荷です。それはズット昔からある水売りで、売子は白地の浴衣、水玉の藍模様かなんかで、十字の襷掛け、荷の軒には風鈴が吊ってあって、チリン〳〵の間に「ひやっこい〳〵」という威勢の好いのです。砂糖のが文久一枚、白玉が二枚という価でした。まだ浅草橋には見附があって、人の立止るを許さない。ちょっとでも止ると「通れ」と怒鳴った頃で、その見附のズット手前に、治郎公(鮨やの治郎公ではない)という水売が名高かった。これは「ひやっこい〳〵」の水売で、処々にあった水茶屋というのは別なもの、今の待合です。また貸席を兼ねたものです。当時水茶屋で名高かったのは、薬研堀の初鷹、仲通りの寒菊、両国では森本、馬喰町四丁目の松本、まだ沢山ありましたが、多くは廃業しましたね。  この江戸と東京との過渡期の繁華は、前言ったように、両国が中心で、生馬の眼をも抜くといった面影は、今の東京よりは、当時の両国に見られました。両国でも本家の四ツ目屋のあった加賀屋横町や虎横町――薬種屋の虎屋の横町の俗称――今の有名な泥鰌屋の横町辺が中心です。西両国、今の公園地の前の大川縁に、水茶屋が七軒ばかりもあった。この地尻に、長左衛門という寄席がありましたっけ。有名な羽衣せんべいも、加賀屋横町にあったので、この辺はゴッタ返しのてんやわんやの騒でした。東両国では、あわ雪、西で五色茶漬は名代でした。朝は青物の朝市がある。午からは各種の露店が出る、銀流し、矢場、賭博がある、大道講釈やまめ蔵が出る――という有様で、その上狭い処に溢れかかった小便桶が並んであるなど、乱暴なものだ。また並び床といって、三十軒も床屋があって、鬢盥を控えてやっているのは、江戸絵にある通りです。この辺の、のでん賭博というのは、数人寄って賽を転がしている鼻ッ張が、田舎者を釣りよせては巻き上げるのですが、賭博場の景物には、皆春画を並べてある。田舎者が春画を見てては釣られるのです。この辺では屋台店がまた盛んで、卯之花鮨とか、おでんとか、何でも八文で後には百文になったです。この両国の雑踏の間に、下駄脱しや、羽織脱しがあった。踵をちょっと突くものですから、足を上げて見ている間に、下駄をカッ払ったりする奴があった。それから露店のイカサマ道具屋の罪の深いやり方のには、こういうのがある。これはちょっと淋しい人通りのまばらな、深川の御船蔵前とか、浅草の本願寺の地内とかいう所へ、小さい菰座を拡げて、珊瑚珠、銀簪、銀煙管なんかを、一つ二つずつ置いて、羊羹色した紋付を羽織って、ちょっと容体ぶったのがチョコンと坐っている。女や田舎ものらが通りかかると、先に男がいくばくかに値をつけて、わざと立去ってしまうと、後で紋付のが「時が時ならこんな珠を二円や三円で売るのじゃないにアア〳〵」とか何とか述懐して、溜呼吸をついている。女客は立止って珠を見て、幾分かで買うと、イカサマ師はそのまま一つ処にはいない、という風に、維新の際の武家高家の零落流行に連れて、零落者と見せかけてのイカモノ師が多かったなどは、他の時代には見られぬ詐偽商人です。また「アラボシ」といって、新らしいものばかりの露店がある。これは性が悪くて、客が立止って一度価を聞こうものなら、金輪際素通りの聞放しをさせない、袂を握って客が値をつけるまで離さない。買うつもりで価を聞いたのだろうから、いくばくか値を附けろ、といったような剣幕で、二円も三円もとの云価を二十銭三十銭にも附けられないという処を見込んだ悪商人が多く「アラボシ」にあった。今夜店の植木屋などの、法外な事をいうのは、これらアラボシ商人の余風なのでしょう。一体がこういう風に、江戸の人は田舎者を馬鹿に為切っていた。江戸ッ子でないものは人でないような扱いをしていたのは、一方からいうと、江戸が東京となって、地方人に蹂躙せられた、本来江戸児とは比較にもならない頓馬な地方人などに、江戸を奪われたという敵愾心が、江戸ッ子の考えに瞑々の中にあったので、地方人を敵視するような気風もあったようだ。  散髪になり立てなども面白かった。若い者は珍らしい一方で、散髪になりたくても、老人などの思惑を兼ねて、散髪の鬘を髷の上に冠ったのなどがありますし、当時の床屋の表には、切った髷を幾つも吊してあったのは奇観だった。  また一時七夕の飾物の笹が大流行で、その笹に大きいものを結び付けることが流行り、吹流しだとか、一間もあろうかと思う張子の筆や、畳一畳敷ほどの西瓜の作ものなどを附け、竹では撓まって保てなくなると、屋の棟に飾ったなどの、法外に大きなのがあった。また凧の大きなのが流行り、十三枚十五枚などがある。揚げるのは浅草とか、夜鷹の出た大根河岸などでした。秩父屋というのが凧の大問屋で、後に観音の市十七、八の両日は、大凧を屋の棟に飾った。この秩父屋が初めて形物の凧を作って、西洋に輸出したのです。この店は馬喰町四丁目でしたが、後には小伝馬町へ引移して、飾提灯即ち盆提灯や鬼灯提燈を造った。秩父屋と共に、凧の大問屋は厩橋の、これもやはり馬喰町三丁目にいた能登屋で、この店は凧の唸りから考えた凧が流行らなくなると、鯨屋になって、今でも鯨屋をしています。  それから東京市の街燈を請負って、初めて設けたのは、例の吉原の金瓶大黒の松本でした。燈はランプで、底の方の拡がった葉鉄の四角なのでした。また今パールとか何とかいって、白粉下のような美顔水というような化粧の水が沢山ありますが、昔では例の式亭三馬が作った「江戸の水」があるばかりなのが、明治になって早くこの種のものを売出したのが「小町水」で、それからこれはずっと後の話ですが、小川町の翁屋という薬種屋の主人で安川という人があって、硯友社の紅葉さんなんかと友人で、硯友社連中の文士芝居に、ドロドロの火薬係をやった人でして、その化粧水をポマドンヌールと命けていた。どういう意味か珍な名のものだ。とにかく売れたものでしたね。この翁屋の主人は、紅葉さんなんかと友人で、文墨の交がある位で、ちょっと変った面白い人で、第三回の博覧会の時でしたかに、会場内の厠の下掃除を引受けて、御手前の防臭剤かなんかを撒かしていましたが、終には防臭剤を博覧会へ出かけちゃ、自分で撒いていたので可笑しかった。その人も故人になったそうですが、若くって惜しいことでしたね。 (明治四十二年八月『趣味』第四巻第八号)
底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店    1999(平成11)年8月18日第1刷発行 初出:「趣味 第四巻第八号」    1909(明治42)年8月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:小林繁雄 校正:門田裕志 2003年2月9日作成 2012年1月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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浅草の飛んだり跳たり  右は年代を寛政といふ人と文政頃といふ人とあり、原品は東海道亀山お化とて張子にて飛んだりと同様の製作にて、江戸黒船町辺にて鬻ぎをりしを後、助六に作り雷門前地内にて往来に蓆を敷きほんの手すさびに「これは雷門の定見世花川戸の助六飛んだりはねたり」と団十郎の声色を真似て売りをりし由にて、傘の飛ぶのが面白く評判となり、江戸名物となりけるとの事。後は雷門より思ひ寄り太鼓を冠りし雷を造り、はては種々の物をこれに作り売りける由。安政に雷門の焼け失せしまでは売りをり、後久しく中絶の処、十余年前よりまたまた地内にて売るを見る。されどよほど彩色等丁寧になり、昔わが子供(六十年前)時代の浅草紙にて張れる疎雑なる色彩のものとは雲泥の相違にて上等となつた。狂言にたずさはりし故人某の説に、五代目か七代目(六代目は早世)かの団十郎が助六の当り狂言より、この助六を思ひ浮べ、売り出せりとも聞きしが、その人もなく、吾が筆記も焼け、確定しがたき説となつた。 亀戸の首振人形 一名つるし  初めは生た亀ノ子と麩など売りしが、いつか張子の亀を製し、首、手足を動かす物を棒につけ売りし由。総じて人出群集する所には皆玩具類を売る見世ありて、何か思付きし物をうりしにや。この張子製首振る種類は古くからありて、「秋風や張子の虎の動き様」など宝暦頃の俳書にもあり、また唐辛奴、でんがく焼姉様、力持、松茸背負女、紙吹石さげたる裸体男など滑稽な形せしもの数ありて、この類は皆一人の思付きより仕出せしを、さかり場あるいは神社仏閣数多くある処にて売り、皆同一のつくり様にてその出来しもとは本所か浅草か今知る由もなし。今は王子権現の辺、西新井の大師、川崎大師、雑司ヶ谷等にもあり、亀戸天満宮門前に二軒ほど製作せし家ありしが、震災後これもありやなしや不知。予少年の頃は東両国、回向院前にてもこのつるし多く売りをりしが、その頃のものと形はさのみ変りなけれど、彩色は段々悪くなり、面白味うせたり。前いへる場所などに鬻ぐは江戸市中に遠ざかりし所ゆゑ残れる也。  亀戸天神様宮前の町にて今も鬻ぐ。 今戸の土人形  御承知の通り、今戸は瓦、ほうろく、かはらけ、火消壺等種々土を以つて造る所ゆゑ自然子供への玩具も作り、浅草地内、或は東両国、回向院前等に卸売見世も数軒ありて、ほんの素焼に上薬をかけ、土鍋、しちりん、小さき食茶碗、小皿等を作り、人形は彩色あれど多くは他の玩具屋の手にて彩色し、その土地にては素焼のまゝ数を多く焼き出さんがためにてある由。俵の船積が狂詠に「色とりどり姿に人は迷ふらん同じ瓦の今戸人形」(明和年間)とも見ゆ。予記憶せる事あり、回向院門前にて鬻げる家にては皆声をかけ「しごくお持ちよいので御座い」とこの言葉を繰返へしいひ居りしが、予、日々遊びに行けるよりなじみとなり、大なる布袋の人形をほしいといへるに、連れし小者の買はんとせしに、これは山城伏見にて作りし物にて、当店の看板なればと、迷惑顔せし事ありしが、京より下り来し品も、江戸に多くありけるものと見えたり。或る人予に、かゝる事を聞かせし事あり。浅草田圃の鷲神社は野見の宿禰を祀れるより、埴作る者の同所の市の日に、今戸より土人形を売りに出してより、人形造り初めしとなん。余事なれど酉の市とは、生たる鶏を売買せし也。農人の市なれば也。それ故に細杷も多く売りしが、はては細杷のみにては品物淋しきより、縁起物といふお福、宝づくしの類を張り抜きに作り、それに添へてかき込め〳〵などいふて売りけるよし、今は熊手の実用はどこへやら、あらぬ飾物となりけるもをかし。 柳原の福寿狸 柳森神社  土製の小さき大小の狸を出す。神田柳原和泉橋の西、七百二本たつや春青柳の梢より湧く、この川の流れの岸に今鎮座します稲荷の社に、同社する狸の土製守りは、この柳原にほど近きお玉が池に住みし狸にて、親子なる由、ふと境内にうつされたる也。(お玉が池の辺開け住みうかりければやといふ。)親は寿を、子は福をさづけんと託宣ありしよりその名ありとなん。  この狸の形せる物は、玩具といはんより巳の小判、蘇民将来の類にて神守りの一つなりと思へり。(大正十四年五月『鳩笛』第三号)
底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店    1999(平成11)年8月18日第1刷発行 初出:「鳩笛 第三号」    1925(大正14)年5月 ※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:小林繁雄 校正:門田裕志 2003年2月9日作成 2012年1月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 日本の活動写真界の益々進歩隆盛に赴いて来るのは、私のような大の活動写真好きにとっては誠に喜ばしい事である。私は日本製のものは嫌いで見ないから一向知らないが、帝国館や電気館あるいはキネマ倶楽部などの外国物専門の館へは、大概欠かさず見に行く。しかして回を追って、筋の上にも撮影法の上にも、あらゆる点において進歩しつつあるのを見るにつけて、活動写真も茲十年ほどの間に急速の進歩をしたものだと感心せずにはおられない。  一番初め錦輝館で、そもそも活動写真というものを興行した事がある。その時は、海岸へ波が打上げる所だとか、犬が走る所だとかいったような、誠に単純なもののみのフィルムで、随って尺も短いから、同じものを繰り返し繰り返しして映写したのであった。しかしながら、それでさえその時代には物珍らしさに興を催したのであった。今日の連続物などと比較して考えて見たならば、実に隔世の感があるであろう。  ところで、かつて外人の評として、伊太利製のものはナポリだとかフローレンだとかローマとかを背景にするから、クラシカルなものには適当で、古代を味うには頗る興味があるが、新らしい即ち現代を舞台とする筋のものでは、やはり米国製のものであろうといっているけれども、米国製品にしばしば見るカウボーイなどを題材にしたものは、とかくに筋や見た眼が同一に陥りやすくて面白味がない。けれども探偵物となるとさすがに大仕掛で特色を持っている。しかしこれらの探偵物は、ただほんのその場限りの興味のもので、後で筋を考えては誠につまらないものである。  三、四年前位に、マックス、リンダーの映画が電気館あたりで映写されて当りをとった事がある。ちょっとパリジァンの意気な所があって、今日のチャプリンとはまた異った味いがあった。チャプリンはさすがに米国一流の思い切った演出法であるから、それが現代人の趣味に適ってあれだけの名声を博したのであろう。  それで近頃では数十巻連続ものなどが頗る流行しているが、これは新聞小説の続きもののように、後をひかせるやり方で面白いかも知れないが、やはり一回で最後まで見てしまう方がかえって興味があるように思われる。数十巻連続物などになると、自ずと筋の上にも場面の上にも同じようなものが出来て、その結局はどれもこれも芽出たし〳〵の大団円に終るようで、かえって興味がないようである。そこへ行くと、伊太利周遊だとか、東印度のスマトラを実写したものだとかいう写真は、一般にはどうか知らないが、真の活動通はいつも喜ぶものである。  よく端役という事をいうが、活動写真には端役というべきものはないように思われる。どれもこれも総てが何らかの意味で働いているように思われる。それから室の装飾の如き物は総てその場に出ているものに調和したものが、即ち趣味を以って置かれている。決してお義理一遍になげやりにただ舞台を飾るというだけに置かれてあるような事はない。総てにおいてその時代やその人物やその他に調和するよう誠実に舞台が造られているのである。この点においては正直にいえば西洋物だとても、どれもこれもいいとはいえないが、しかし日本物に較べたら、さすがに一進歩を示している。日本物もこういう舞台装置の点についても一考をわずらわしたいものである。しかしこういう事は、趣味性の発達如何に依ることであるから、茲暫くは西洋物のようになる事はむずかしいであろう。  近頃フィルムに現われる諸俳優について、一々の批評をして見た所で、その俳優に対する好き好きがあろうから無駄な事だが、私は過日帝国館で上場された改題「空蝉」の女主人公に扮したクララ・キンベル・ヤング嬢などは、その技芸において頗る秀でたものであると信じている。もっとも私は同嬢の技芸以外この「空蝉」全篇のプロットにも非常に感興を持って見たし、共鳴もしたのであった。そもそもこの「空蝉」というのは、原名をウイザウト・エ・ソールといい、精神的に滅んで物質的に生きたというのが主眼で、この点に私が感興を持ち共鳴を持って見たのであった。筋はクララ・ヤング嬢の扮するローラという娘の父なる博士は「死」を「生」に返すことを発明したのであった。その博士の娘は、誠に心掛けのやさしいもので、常に慈善事業などのために尽力していたが、或る日自動車に轢かれて死んでしまった。博士は自分の発明した術を以って、娘を生き返えらせたのであった。ところが人間という物質としては再びこの世に戻って来たが、かつての優しい心根は天に昇ってまた帰すすべもなかった。物質的に生き返って来た娘の精神もまた、物質的となって再生後の彼女は前と打って変った性格の女となって世にあらゆる害毒を流すのであった。その中ある医者から、あなたは激怒した場合に、必らず死ぬということをいわれた。彼女はこの事が気にかかって、或る時父なる博士に向って、もし私がまた死んだ場合には、前のように生き返らせてくれと頼んだけれども、父は前に懲りて拒絶したので、彼女は再三押問答の末終に激怒したのであった。その瞬間彼女の命は絶えた。博士はさすがに我が子のことであるから、再び生き返らせようとして、彼女の屍に手を掛けたが、またも世に出る彼女の前途を考えて、終に思い止まり、かつその発明をも捨ててしまったのであった。  要するに物質的の進歩が、精神的に何んの効果も齎らさないという宗教的の画面に写し出されたものであったが、私の見たのはそれ以外に何か暗示を与えられたように感じたのであった。後から後からといろいろな写真を見ていると、大方は印象を残さずに忘れてしまうのであるが、こういうトラヂエデーは、いつまでも覚えていて忘れないのである。しかしこういうものよりも、もっと必要と感ずるのは、帝国館などで紹介している「ユニバーサル週報」の如く、外国の最近の出来事を撮影紹介するものである。これらこそ最も活動写真を実益の方面に用いたものであって、世界的となった今日の我々のレッスンとして、必らず見ておかなければならないものであると思う。  先頃キネマ倶楽部で上場されたチェーラル・シンワーラーの「ジャンダーク」は大評判の大写真で、別けてもその火刑の場は凄惨を極めて、近来の傑作たる場面であった。こういう大仕掛な金を掛けたものは、米国でなければ出来ぬフィルムである。時折露西亜の写真も来るが、これは風俗として非常に趣味あるものであるが、とかくに不鮮明なのが遺憾である。それからかつて「キネマトスコープ」即ち蓄音機応用の活動写真が、米国のエヂソン会社に依って我が国へ輸入された事があった。これは蓄音機の関係から、総て短尺物で、「ドラマ」を主としていて、今日流行しているような長いものはなかったが、これが追々進歩発達したならば、頗る面白いと思っていた所、ついそのままで姿を隠してしまったのは残念である。しかし米国エヂソン社では、更らに研究して、更らに進歩させんとしているに相違ないと思うのである。 (大正六年十二月『趣味之友』第二十四号)
底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店    1999(平成11)年8月18日第1刷発行 入力:小林繁雄 校正:門田裕志 2003年2月9日作成 2003年5月11日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 今日でも「銀座」といえば何に限らず目新らしいもののある所とされていますが、以前「煉瓦」と呼ばれた時代にもあの辺は他の場所よりも一歩進んでいて、その時分の珍らしいものや、珍らしい事の多くはこの「煉瓦」にありました。いわば昔からハイカラな所だったのです。 伊太利風景の見世物  明治七、八年の頃だったと思いますが、尾張町の東側に伊太利風景の見世物がありました。これは伊太利人が持って来たもので、長いカンバスへパノラマ風に伊太利のベニスの風景だとか、ナポリの景だとかあるいはヴェスビアス火山だとかいったものが描いてあって、それを機械で一方から一方へ巻いて行くに連れてそれらの景色が順次正面へ現れて来ます。そうするとその前の方へ少し離れた所に燈火の仕掛があってこれがその絵に依って種々な色の光を投げかけるようになっています。例えばベニスの景の時には月夜の有様を見せて青い光を浴せ、ヴェスビアス火山噴火の絵には赤い光線に変るといった具合です。今から考えれば実に単純なつまらないものですが、その時分にはパノラマ風の画風と外国の風景と光線の応用とが珍らしくって、評判だったものです。これを私の父が模倣して浅草公園で興行しようと計画したことがありましたが都合でやめました。 西洋蝋燭  明治五年初めて横浜と新橋との間に汽車が開通した時、それを祝って新橋停車場の前には沢山の紅提灯が吊るされましたが、その時その提灯には皆舶来蝋燭を使用して灯をつけたものです。その蝋燭の入っていた箱が新橋の傍に山のように積んで捨ててあったのを覚えています。これが恐らく西洋蝋燭を沢山に使った初めでしたろう。その頃は西洋蝋燭を使うなどということは珍らしかった時代ですから大分世間の評判に上りました。 舶来屋  その頃から西洋臭いものを売る店が比較的多くありました。こういう店では大抵舶来の物を種々雑多取り交ぜて、また新古とも売っておりました。例えばランプもあれば食器類もあり、帽子もあればステッキのようなものもあるといった具合で、今日のように専門的に売っているのではなかったのです。それでこういう店を俗に舶来屋と呼んでいました。私の今覚えていますのは、当時の読売新聞社と大倉組との間あたりにこの舶来屋がありました。尤もこの店は器物食器を主に売っていました。それから大倉組の処からもう少し先き、つまり尾張町寄りの処にもありました。現に私がこの店で帽子を見てそれが非常に気に入り、父をせびって買いに行った事がありましたが、値をきいて見ると余り高価だったのでとうとう買わずに帰って口惜しかった事を覚えています。とにかくこういうように舶来の物を売る店があったということは、横浜から新橋へ汽車の便のあったことと、築地に居留地のあったためと、もう一つは家屋の構造が例の煉瓦で舶来品を売るのに相当していたためでしょう。 オムニバス  明治七年頃でしたが、「煉瓦」の通りを「オムニバス」というものが通りました。これは即ち二階馬車のことですが、当時は原語そのままにオムニバスと呼んだものです。このオムニバスは紀州の由良という、後に陛下の馭者になった人と私の親戚に当る伊藤八兵衛という二人が始めたもので、雷門に千里軒というのがあって此処がいわば車庫で、雷門と芝口との間を往復していたのです。この車台は英国の物を輸入してそのまま使用したので即ち舶来品でした。ですから数はたった二台しかありませんでした。馬は四頭立で車台は黒塗り、二階は背中合せに腰掛けるようになっていて梯子は後部の車掌のいる所に附いていました。馭者はビロードの服にナポレオン帽を戴いているという始末で、とにかく珍らしくもあり、また立派なものでした。乗車賃は下が高く二階は安うございました。多分下の方の乗車賃は芝口から浅草まで一分だったかと思います。ところがなにしろその時分の狭い往来をこんな大きな、しかも四頭立の馬車が走ったものですから、度々方々で人を轢いたり怪我をさせたので大分評判が悪く、随って乗るのも危ながってだんだん乗客が減ったので、とうとうほんの僅かの間でやめてしまいました。その後このオムニバスの残骸は、暫く本所の緑町に横わっていたのですが、その後どうなりましたかさっぱり分らなくなってしまいました。これから後に鉄道馬車が通るようになったのです。 釆女ヶ原で風船  これは銀座通りとは少し離れていますが、今の精養軒の前は釆女ヶ原でした。俗にこれを海軍原と呼んで海軍省所属の原でしたが、ここで海軍省が初めて風船というものを揚げました。なにしろ日本で初めてなのですから珍らしくって大した評判で、私などもわざわざ見に行きました。  こんな風に今の銀座界隈その時分の「煉瓦」辺が、他の場所よりも早く泰西文明に接したというわけは、西洋の文明が先ず横浜へ入って来る、するとそれは新橋へ運ばれて築地の居留地へ来る。その関係から築地と新橋にほど近い「煉瓦」は自然と他の場所よりもハイカラな所となったのでありましょう。(大正十年十月『銀座』資生堂)
底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店    1999(平成11)年8月18日第1刷発行 初出:「銀座」資生堂    1921(大正10)年10月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:小林繁雄 校正:門田裕志 2003年2月9日作成 2012年1月22日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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