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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BA
ボコスカウォーズ
『ボコスカウォーズ』は、1984年にアスキーから発売されたX1用戦略シミュレーションゲーム。開発はラショウこと住井浩司が担当した。 ゲーム内容は、主人公「スレン王国」の国王を操作し、隣国バサム帝国にあるアドロス城にいる暴君オゴレスを倒す事を目的としている。 本作は、第1回アスキーソフトウェアコンテストに於いてグランプリを受賞した5作品のうちの1本で、審査発表の翌月となる1984年3月末よりパッケージ販売された。同年MSX、PC-8801、翌1985年にはS1、PC-6001mkII、PC-9801、FM-7、ファミリーコンピュータ用に移植・発売されている。 2003年にはエンターブレインからプロジェクトEGGにてダウンロード形式でPC-8801版が販売されており、2004年にはiモード用に移植された。2008年4月8日にファミコン版がWiiのバーチャルコンソールで配信されている。 2016年11月10日にピグミースタジオよりPlayStation 4、Xbox Oneにて、33年ぶりの続編となる『ボコスカウォーズII』が配信された。 概要 発売当時のジャンルはロールプレイングゲーム、あるいはアクションロールプレイングゲームとされていたが、現代の価値観に照らせば戦略性・パズル性が強く、シミュレーションゲームに近く、シミュレーションRPGの先駆けとも言われる。また自分が動かないかぎり敵からは戦闘を仕掛けてくることはないというターン制に近いシステムになっており、実質的にはアクション性はない。 なお独特のゲーム音楽にはプログラマー自身による歌詞「すすめボコスカ」が付けられている。歌詞は取扱説明書に書かれている。 ログイン1984年11月号では、続編にあたるX1用『ニュー・ボコスカウォーズ』(『ログインNEWバージョン』とも)がプログラムリストと共に発表された。これは敵キャラクターを一新、アイテムやトラップを新設したバージョンで、前作より難易度の高いバランスとなっている。この作品はテープログイン1984年11月号にも収録されたが、これ以外の形でのパッケージ販売はされていない。 ゲーム内容 プレイヤーはスレン王国軍を操作し、敵国バサム帝国のアドロス城に進軍し、敵指導者を倒すのが目的である。ただし、一部機種では「滅亡に瀕したスレン王国の生き残りである王子が、暴君オゴレスへの最後の反撃に出る」という設定になっている。 横スクロールのフィールド上を左に進軍しながら、途中牢屋に囚われている仲間を集めつつ敵兵を倒し、マップ終端にいる最終ボスを倒すと1面クリアとなる。以降、より難易度の高いステージを同様に繰り返し、5面クリアするとゲームクリアである。 移動する場合、切り替えボタンで移動させるユニットを切り替えながら進軍するが、選択肢が「全員」「スレン王のみ」「騎士・重騎士全員」「兵卒・重兵卒全員」の4つしか用意されていない。それぞれの選択したユニットが同時に移動するため、意図しないキャラクターが木や岩に引っかかっていることがままある。また、移動は画面外のキャラクターにも作用する。 敵兵と味方兵が接触すると戦闘になるが、当時のコンピュータゲームとしては珍しくステータスの数値が王様のパワー(ヒットポイント)以外は一切表示されておらず、内部的なパワー数値とランダム要素によって勝敗が決定される。敗北したキャラクターは消滅、この際自軍の兵が勝利するとそのキャラクターに10ポイントのパワーがプラスされる。このため、たとえ強大な力を持つ主人公ユニットであっても、ザコ敵との戦いによって一定の確率で死亡し、突然ゲームオーバーを迎える場合もある。 また、いくつかのキャラクター同士には相性が設定されており、楽に勝てる組み合わせ・負けやすい組み合わせが存在する。また敵の背後(画面左側)から攻撃すれば勝率が高くなるというように楽に戦いを進める方法もあるが、自軍は最小でも職業単位でまとめてしか動かせないため、やむを得ず敵に接触することや地形に引っ掛かり身動きがとれなくなる場合も多い。背後からの攻撃は騎士らしからぬ振る舞いなので、実行には相応のペナルティがあるということを意味している。 登場キャラクター 味方 スレン王 主人公格で自軍に1体しか存在せず、敗北すると即ゲームオーバーである。初期パワーは220であり、大木や領地の境界線を消去する能力を持つ。ファミコン版ではマップ上の木やサボテン等に変身させられている味方兵士を救出できる。なお、最大戦闘力は全キャラクター中最も高い320。ここまで育てると、敵兵卒には絶対に負けなくなる。 兵卒 初期戦闘力30と最弱の兵士だが、初期メンバーは最も多く、地形の中から救出して補充することもできる。2周目より登場する「呪いの落とし穴」を消去する能力を持ち、3勝した兵卒は重兵卒(戦闘力140)に変身する。オゴレス王の親衛隊の戦闘力を10にまで落とすことができる。 重兵卒 変身前の兵卒より+80のパワーを持つ。親衛隊に強い。最大戦闘力は310。 騎士 初期戦闘力150と兵卒よりはるかに高いパワーを持つが、初期メンバー数は少なく、マップ上での補充もできない。牢屋の鉄格子を消去する能力を持ち、3勝した騎士は重騎士(戦闘力260)に変身する。 重騎士 変身前の騎士より+80のパワーを持つ。魔導師に強い。最大戦闘力は310。 敵 オゴレス王 最終ボス。戦闘力100。最強レベルのパワーを持つうえ、スレン王でなければまず倒せない。 兵卒 戦闘力10。最弱の存在だが、まれに高いパワーを持つ兵卒も混在している。 騎士 戦闘力50。パワーでは兵卒に勝る序盤の強敵。だが重騎士・重兵卒クラスの相手ではない。 獄吏 戦闘力30:: 40。味方軍の兵卒を捕らえた牢屋付近に出現する。俊敏でパワーもあり、兵卒では苦戦必至。 魔導師 戦闘力30。王様の背後に幻戦士を発生させる能力を持つ。重騎士に弱い。 幻戦士 戦闘力50。魔導師が生み出す幻だが、多大なパワーを持つうえに何度でも復活する特性を持つ。魔導師が敗北すると一緒に消失する。 重騎士 戦闘力100。王様を集中して攻撃する。パワーは強力だが、動きが鈍いという欠点がある。 親衛隊 戦闘力250。オゴレス王の周囲にいる最強の敵。しかし兵卒には弱く、重兵卒には致命的に弱い(兵卒には戦闘力10になる)。親衛隊の堅固な魔法鎧の隙間を突けるのは身軽な兵卒のみ、というイメージ。 ※戦闘力は1周目のもの。1周クリアするごとに敵の戦闘力は10底上げされる。5周目以降は変化なし。 ※「呪いの落とし穴」は5周目まで増え続ける。5周目以降は変化なし。 移植版 ファミリーコンピュータ版 初期ユニットはスレン王1人であり、魔法で岩や木に変えられた仲間を1人ずつ救出していかねばならない。これはゲーム機の処理機能の制限に合わせるための措置である。ただし、牢屋に捕らわれた兵卒はパソコン版のまま。 これに関連し「少数精鋭・雑魚を倒し成長」的な発想でゲームを進めた結果、戦闘結果がランダムであるためうまくいかず、パズル的な攻略法に気付く前に「運だけのゲーム」と誤解してしまうプレイヤーも少なくなかった。 パソコン版では敵キャラの多くが画面右に向かって進軍してくる傾向があるが、ファミコン版ではその動きが控えめである。特に、敵城から重騎士の大半を誘い出す場合、パソコン版では親衛隊の大半も外に出てしまうが、ファミコン版の親衛隊は城内に残る。 主に背景書き換え量の制約でゲーム進行、入力に対する反応は遅めで、移動が完了するまで方向キーを押していないと処理順の遅い味方がその場に残ってしまうこともある。逆用すれば、1列に並んだ味方を2列に並べ直すようなこともできる。 反面、音楽や効果音には凝っており、取扱説明書にはBGMの楽譜と歌詞(「すすめ すすめ ものども……」で始まるもの)が掲載されていた。この曲はチップチューンのカバーアルバム『ファミソン8BIT STAGE2』(2007年)で桃井はるこが声を当てて歌っている。 スタッフ FM-7, PC-8801版 デザイン&オリジナルプログラム:住井浩司 プログラム:井戸川理一、高橋義信 カバーイラスト:伊東宜哉 評価 ファミリーコンピュータ版 ゲーム誌『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は別記の通り13.86点(満30点)となっている。 ゲーム情報サイト『ITMedia + D Games』においてゲイムマンは、本作がシミュレーションゲームでありながら運によって勝敗が決するシステムである事から「プレイヤーの腕は関係なく、すべて運任せで決まってしまうクソゲー」と評価される事が多いと指摘、さらにキーレスポンスが悪さなど操作性の問題点を指摘しているが、「その反面、集団での戦闘風景が、リアルに表現できているんじゃないかと思う」と述べた他、「団体行動におけるもどかしさが再現されているシステムだといえよう」と現実世界の再現性に関して肯定的に評価している。 ライターの佐々木 潤は中古PC・レトロゲーム専門サイト「Akiba PC Hotline!」によせたレビューの中で、パワーが大きい方が必ずしも勝てるわけではない点がユニークだと評している。また、佐々木は操作しない限りはゲーム内時間が進まないシステムについても言及し、じっくり作戦を練ることができることから、前述のことと合わせて「シミュレーションRPGの元祖」ではないかともみている。佐々木は気軽に遊べる難易度やゲームの長さ、軽快なBGM、当時としては斬新なルールなどから、賞を取ったのもうなずけると締めくくっている。 ニューボコスカウォーズ ストーリー オゴレス亡き後、廃墟と化したアドロス城にすみついた悪霊を倒すため、再びスレン王国軍がバサム帝国跡に向かう。 登場キャラクター 味方 KING(王様) 『ボコスカウォーズ』における王様と同一。 PAWN(兵卒) 『ボコスカウォーズ』における兵卒と同一。マップ上のTREASURE(宝)に触れてもGREAT PAWNに変身できる。 GREAT PAWN(重兵卒) 『ボコスカウォーズ』における重兵卒と同一。 KNIGHT(騎士) 『ボコスカウォーズ』における騎士と同一。マップ上のTREASURE(宝)に触れてもGREAT KNIGHTに変身できる。「BOTTOMLESS POND(魔法の底なし沼)」を消去する能力も持つ。 GREAT KNIGHT(重騎士) 『ボコスカウォーズ』における重騎士と同一。騎士と違い、「BOTTOMLESS POND(魔法の底なし沼)」は消去できない。 敵 DRAGONET(ドラゴニット) 『ボコスカウォーズ』のオゴレス王にあたる存在。小龍の姿をしている。 RETAINER(リテイナー) 『ボコスカウォーズ』の兵卒にあたる存在。 ARMOR-CLAD(アーマークラッド) 『ボコスカウォーズ』の騎士にあたる存在。 EVELEYE(イビルアイ) 『ボコスカウォーズ』の獄吏にあたる存在。 CONJURER(コンジャラー) 『ボコスカウォーズ』の魔導師にあたる存在。 PHANTOM(ファントム) 『ボコスカウォーズ』の幻戦士にあたる存在。 HEAVY ARMOR-CLAD(ヘビーアーマークラッド) 『ボコスカウォーズ』の重騎士にあたる存在。 ENTOURAGE(エントラージュ) 『ボコスカウォーズ』の親衛隊にあたる存在。 その他 KILLER RIVER(死の川) 『ニュー・ボコスカウォーズ』オリジナルのトラップ。マップ上に存在し、上に乗ると無条件で死亡する。 WARP HOLE(歪みの穴) 『ニュー・ボコスカウォーズ』オリジナルのトラップ。マップ上に存在し、KING以外が上に乗ると±40ユニットの範囲でランダムにワープするか、WARP HOLEが消失する。どちらの結果になるかはランダム。 ボコスカウォーズII 『ボコスカウォーズII』は、ピグミースタジオから発売されたPlayStation 4、Xbox One、Nintendo Switch用シミュレーションRPG。 従来の作品をそのまま移植した「クラシックスタイル」と新要素が追加された「オリジナルスタイル」があり切り替えができる。 発売時には発売記念として「『ボコスカウォーズII』発売記念イベント in カルカル」が開催され、監督のラショウ、プロデューサーの小清水史の他、桃井はるこ、サカモト教授なども参加した。 ストーリー 平和だったスレン王国がバサム帝国の侵略を受け、民から慕われていたスレン王も捕らえられてしまった。 囚われの身となったスレン王だったが、牢からの脱出に成功し、行く先々で囚われの兵士たちを救出しながら王国奪還のためバサム帝国の攻め込むのだった。 登場キャラクター 味方 スレン王 兵卒 騎士 ヒーロー ジェネラル ビショップ 敵 オゴレス王 兵卒 騎士 魔導師 親衛隊 ダリエイ 脚注 注釈 出典 参考文献 「特集-RPGしてみようよ」『ログイン』23号、アスキー、1984年、136頁。 「MSX MAGAZINE永久保存版」アスキー、2002年。 関連項目 ファミソン8BIT STAGE2 外部リンク アミューズメントセンター ジー・モード ボコスカウォーズⅡ 公式サイト 1983年のパソコンゲーム ファミリーコンピュータ用ソフト FM-7シリーズ用ゲームソフト MSX/MSX2用ソフト PC-6000/6600用ゲームソフト PC-8800用ゲームソフト PC-9800シリーズ用ゲームソフト Wii用バーチャルコンソール対応ソフト X1用ゲームソフト アスキーのゲームソフト ウォー・シミュレーションゲーム エンターブレインのゲームソフト 携帯電話アプリゲーム 日本で開発されたコンピュータゲーム プロジェクトEGG対応ソフト
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宇宙生物学
とは地球に限らず、広く宇宙全体での生命体について考察し、生物生存の実態や生物現象のより普遍的な仕組み、生命の起源などを明らかにしようとする学問。アストロバイオロジーともいう。天文学、生物学、地質学、物理学、化学など横断的学問の上に成立する。しかし、比較的新しい学問なのでその定義ははっきりと確定していない。 概要 2018年現在、地球以外の天体からは生命体は発見されておらず、したがって広義の宇宙生物学は、二つの分野に分けられる。すなわち、「地球以外の場所の生命に関する問題」と「地球上の生命が宇宙に出た際の問題」である。狭義の宇宙生物学では後者のみを指す。 前者では、地球外生命体の探査・推測を主に扱い、火星などの太陽系内の天体に関しては探査機を用いて、太陽系外の銀河系に生存しているかもしれない生命、とりわけ、高度な文明社会を持つと考えられている生物に関しては電波によるコミュニケーションを図ろうとしている(参照:地球外知的生命体探査)。そのほかにもドレイクの方程式や代わりの生化学といった地球外生命体の存在可能性・生体システムの考察がなされている。 後者では、無重力状態や宇宙線などの宇宙環境が人体に与える影響の研究、さらには地球上の動物、植物、細胞に与える影響を扱う。これらは人類が宇宙に進出してから少しずつではあるが、前者に比べて成果を挙げている。人体に関する研究は特に、宇宙医学と呼ばれる。 狭義の宇宙生物学 動物 人間以外の動物の研究は、時間的な問題と長期的な宇宙空間での飼育技術の難しさから現在までの宇宙における動物のデータは限られている。ただし、動物の行動や発生といった限定的なものはいくつか実験されている。 動物の行動 宇宙空間におかれた動物がどのような行動を取るかは宇宙実験の初期から注目されていた。動物は宇宙滞在における初期段階には異常な行動をとることが多いが、やがて正常な状態へと移行し、動物には無重力状態に対する適応能力を有することが明らかになりつつある。たとえば、メダカは宇宙では平衡感覚に異常をきたすため、うまく泳げずに回転遊泳するが、数日後には無重力状態に適応して正常な遊泳が出来るようになる。また、クモに関しても宇宙滞在初期にはクモの巣をうまく張ることは出来ないが、数十日後には正常に張るようになる。人間に関しても宇宙酔いという乗り物酔いのような症状がみられるが、30時間から48時間程度で回復に向かう。 動物の発生 有性生殖を行う動物では、卵子と精子との受精によって個体の発生が始まる。発生と重力との関係はメダカの胚やカエルの受精卵などを用いて調べられている。結論から言うと両生類、魚類、無脊椎動物など、哺乳類以外の動物には初期発生に対して無重力状態は大きな影響を与えていないことがわかっている。メダカにいたっては宇宙ですでに交尾・産卵・孵化が確認されている。しかし、どの動物も器官の分化には筋肉や骨の形成が遅れるなど、少なからず無重力環境の影響がある。また、加齢についてのショウジョウバエや線虫を用いた実験があるが、ショウジョウバエはオスの加齢が加速し、メスは加速が認められず、線虫では加齢に影響しないとする実験結果が出ており、加齢や寿命に対する宇宙滞在の影響は統一した結論に達していない。加齢の加速原因としては宇宙線に含まれるHZE粒子がDNAに与える影響が考えられている。 植物 陸上植物は固着生物として生活していく上での様々な環境ストレスを回避するために、光、水、重力といった環境を感受し、それを利用して自分の姿勢を制御するという仕組みを獲得した。それゆえ、陸上植物の形態形成は重力と大きく関わっており、植物の種子は無重力、微小重力状態でも扱いやすく、宇宙でも環境をコントロールすれば植物の種子は発芽して育ち、開花や結実も見られる。とはいえ、宇宙の無重力(微小重力)環境というのは、植物の生育に大きな影響を及ぼし植物生産にも影響することになる。 重力依存的な成長のメカニズムを研究するのに宇宙環境はとても有用であり、その解明は地球における植物の生産力を高めるだけでなく、宇宙で植物栽培をするのにも応用できると考えられる。 重力に影響される植物の成長と運動 植物の生長や運動、体制維持に深く関係する植物ホルモンのオーキシンの流れは重力感受によって制御される。オーキシンの動態制御は無重力下の宇宙では機能せず、植物の姿勢制御や形態形成を変化させると考えられるが、重力がオーキシンの動態を制御するメカニズムはまだはっきり分かっていない。 重力屈性 重力屈性とは、根が下に伸びて茎が上に伸びる、というように植物が重力に反応してその伸長方向を変化させることである。イネとシロイヌナズナを地上で発育させた場合と宇宙で発育させた場合を比較した場合、地球上では明らかに地上部は上に、根は下に伸長している姿が見られるが、宇宙空間での無重力状態では伸長方向が制御されず、中には根が地上部の茎と同じ方向に飛び出して伸びているものも見られた。 根の重力屈性の場合、重力は根の先端の根冠細胞で感受されると考えられる。根冠の一部のコルメラ細胞では、デンプン粒を含んだアミロプラストが重力によって沈み、これによってオーキシンの流れが変化する。オーキシンには、地上部の芽や若い葉から根の方に流れ、根の中心部を通って先端へ向かい、Uターンするように根の周辺を通って戻る性質がある。根を傾けて重力刺激を与えると、オーキシンは上側には行かず下側だけに行こうとするので、傾いた根の下側でオーキシンの濃度が高くなり、下側の成長が上側に比べて相対的に遅くなるために地球上の植物の根は下方向に伸びる。 一方、無重力(微小重力)下では、コルメラ細胞の中でアミロプラストが沈降しないのでオーキシンが局在せず伸長方向の制御が不能になると考えられる。 回旋運動 アサガオやウリ科植物などが見せるつるを支柱に巻きつけながら伸張させる「つる巻き」のような、茎や根の先端がらせん状に回転しながら伸びる運動のことを回旋運動と呼ぶ。回旋運動には重力感受細胞である内皮を必要とするが、内皮細胞を作るのに必須のSCARECROW遺伝子が働かないと、アサガオなどは重力を感受できずに回旋運動もつるを巻くこともできなくなる。回旋運動とつる巻きが重力依存的な現象であることを意味するが、つる植物の宇宙の無重力環境で回旋運動をするのか、支柱に巻き付くかどうかは現在研究中である。 ウリ科植物のペグ形成 ウリ科植物の発芽直後に根と茎の境界域に形成される突起状の組織であるペグは、根は下へ茎は上へと伸ばす重力屈性に逆らい種皮を土の中に押さえつける。これによって芽生えは種皮から抜け出す。 地上では、ウリ科植物の種を上下逆さまになるように置いてもペグは必ず下方向にでるので、重力によって制御されていると考えられていたが、キュウリの種子を宇宙で発芽させても2個ペグができたので、ペグ形成には重力を必要しないことがわかった。 もともとキュウリの芽生えは2個のペグを発達させる能力を持つが、地上では重力に応答し、横たえられた芽生えの上側になった部位のペグ形成を抑制しているといえる。この抑制にもオーキシンが関係している。 宇宙での植物栽培 NASAでは、シロイヌナズナの発芽前の種子を月面の植物栽培モジュールの中で発芽させ、遺伝子発現をモニターすることで、植物が低重力や温度、圧力や高放射線にどう対処するかを観察する実験を計画・進行している。シロイヌナズナの発芽・成長は、バイオマーカーとしての緑色蛍光タンパク質(GFP)をシロイヌナズナに発現させて、488nmの光で観察することで確認する。 モデル植物のシロイヌナズナはGFPマーキングが簡単にできる上に、火星の気圧に近い10キロパスカルの気圧でも成長できるので、研究材料として選ばれた。さらに、モジュールに月の土を加えて土の毒性や含有物を調べる実験も考えられている。 細胞 宇宙環境下における細胞は地上での実験では見られない挙動を示す。原生動物や哺乳類培養細胞などの様々な細胞に及ぼす宇宙飛行の影響は多く報告されている。細胞は重力を感受することができ、無重力に対する反応は個々の細胞で異なることもわかっている。例えばサリュート6号で行われた、ヒメゾウリムシの実験では、無重力下では細胞増殖が促進されることがわかっている。 宇宙生物学の課題 広義の「宇宙生物学」が指す取り組むべき課題としては 生命の起源と進化 地球外生命の探査、地球外文明との交信 地球生物の地球外への移住 の3点が挙げられる。 生命の起源と進化 生命の起源は生物化学分野での一課題としても取り上げられるが、宇宙生物学では、生命は宇宙と深い係りのもとに進化したと定義し、より広く普遍的な概念を構築しようとするものである。 地球外生命の探査、地球外文明との交信 1960年代の初期の宇宙探査により、太陽系内に地球外生命および地球外文明が存在する可能性は一旦ほぼ否定され、生命の探査は地球外有機物の探索が主となっていた。しかしその後の探査や研究によって、木星の衛星エウロパの地下に微生物状の生命が存在する可能性が示唆され、その探査の方法が真剣に検討されるなど、太陽系内の地球外生命の探査をめぐる状況は大きく変化している。 他方、太陽系外の惑星系の直接的な探査は現在の人類の技術力では困難であり、先方から信号を送ってくるかもしれないとの期待のもと、地球外文明との交信のためのさまざまな試み(SETI)がなされている。アメリカ合衆国の天文学者フランク・ドレイクが提唱した地球外生命体がどれほど存在するかの方程式(ドレイクの方程式)を用いて大島泰郎は、「銀河系には100年に1度、我々と同程度の文明が誕生しており、総数では1000万個ほどであり、そのうち人類の存続期間と重なっている文明は10万個程度であろう」と推測している。 地球生物の地球外への移住 人類を含む地球生物の移住については比較的詳細な検討がなされ、宇宙植民島という考察が発表されている。ただし、生態学的な検討は十分なされておらず、宇宙環境における地球生物の適応性の問題など、生物学と密接に結び付いており、多数の課題を解決していく必要がある。 脚注 関連項目 地球外知的生命体探査 (SETI) 惑星の居住可能性 代わりの生化学 宇宙医学 生物衛星 宇宙に行った動物 日本宇宙生物科学会 宇宙移民 軌道エレベータ 宇宙生物学者の一覧 外部リンク SETI@home NHK教育テレビ 地球ドラマチック『E.T.の住む星』 いよいよ始まる「きぼう」日本実験棟の組立て 生物学の分野 生物学の仮説 宇宙開発 地球外生命体 天文学に関する記事 生命の起源
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クソゲー
クソゲー、糞ゲーとは、「クソゲーム」の短縮形。ゲーム評論を行なうユーザーやメディアが、つまらないコンピュータゲームや初めから詰んでいるようなゲームを酷評する際に用いる言葉、またはその評価が与えられた個々のゲーム作品に対して用いる。 語源 「クソゲー」という名称の起源については諸説あるが、一般的には、タレント、イラストレーターのみうらじゅんが、ファミリーコンピュータ用ソフトの 『いっき』(サンソフト・1985年11月発売)や『頭脳戦艦ガル』(デービーソフト・1985年12月発売)を評する際に使用したのが発祥とされる。 みうらも自身が命名者であることを自認しており、ファミコンブーム時に自身が雑誌で連載していたコラム「ゲロゲロゲームランド」上で、元々はバカ映画に沿ってバカゲームと呼んでいたものが、自腹で金払ってるんだからバカじゃ済まないだろう、ということでクソゲーと呼ぶようになったと後に語っている。当時のみうらが「クソゲーム」と発した文献上で確認できる語の初出は、『バグニューズ』(BNN社)1986年8月号の「ゲロゲロゲームランドクソGAME大会」である。 高橋名人も1986年8月10日発行の著書『ファミコン戦士に告ぐ 名人はキミだ! オレの秘技をまるごと初公開』の34ページで、「クソゲー」に言及している。ただ当時の高橋名人は、テレビ東京で放映の『おはようスタジオ』でレギュラーを持っており、この際に同じくレギュラー出演者であったみうらじゅんとは浅からぬ縁がある。みうらは後に、当時高橋名人と楽屋が同じだったこともあり、この頃入手困難だったファミコンソフトの『スターソルジャー』を、高橋名人より「名人価格」と称した特別価格で売ってもらったり、高橋名人のサインやカセットに貼ると連射が早くなるという名人シールをもらったと語っており、この際にみうらより高橋名人に「クソゲー」という名称が伝わった可能性もある。 ゲーム雑誌では『ファミコン通信』1986年の12月発売号にて「くそゲー」などの表現が登場している。また翌年1987年2月6日号では、同誌連載の4コマ漫画『べーしっ君』で登場キャラクターのべーしっ君のお母さんが「クソゲー」というセリフを発している。なお、この回のタイトルは「怒りのクソゲー」であり、クソゲーを買って頭に来たのでクソゲーを頭に乗せて踊れば少しは気が紛れるかも、というネタであった。 それ以前の類似表現では、『週刊プレイボーイ』の1986年3月25日号に掲載された「ファミコン若大将のオッス!ファミコンくるくる情報」の書き出しの中に、「クソソフト」という言葉が出てくる。ゲーム関連では、「ソフト」と「ゲーム」がほぼ同義に使われることも多いことから「クソソフト」がどこかの段階で「クソゲーム」に変化し、次第に略されていき「クソゲー」となり広まったとも考えられる。 「クソゲー」に至る変遷 先述の『バグニューズ』では1985年末頃に、ゲームソフトのレビュー記事などで「つまらないタコソフト」、「出しても売れないようなタコなソフト」という記述が登場している。一方パソコン雑誌『The BASIC』では、1985年の初頭あたりから、「ダメソフト」との呼び方が時折現れているのが確認できる。これらから、1985年頃のパソコンマニアの間では、主にゲームを念頭につまらないソフトを「(罵倒語)ソフト」と呼ぶことが、少しずつ広まっていたものと考えられる。もっともこれらは、この時期のパソコン雑誌上ではめったに見られない表現でもあり、あまり大っぴらに使われるものではなかった。 1985年には、「つまらないソフト」の問題はファミコンにも広がっていた。同年中頃からサードパーティー製のソフトの発売が大きく伸びており、『スーパーマリオブラザーズ』が発売された10月以降は30作近く発売されている。翌年以降は更に伸びており、この時期大量のソフトが市場に流れ込んでいた。それらの開発元には、必ずしも技術が伴っているとは言えないものもあり、『スーパーマリオ』により更に引き上げられたプレイヤーの要求に応えられず、不評を買うことも増え始めていた。加えてファミコン本体の品薄を背景に、ソフトととの「抱き合わせ商法」が横行し、少なからぬ数の「つまらないソフト」が、ブームを支えた子どもたちの手に渡った。 1986年の時点では、氷水芋吉が『Beep』5月号の記事の中で、「スカ・ソフト」という表現を使っている。堀井雄二は『ログイン』10月号で、「カスゲーム」という言葉を使っている。この時点では「(罵倒語)ソフト(又はゲーム)」という表現には、未だ定まったものがなかったようである。その中で「クソゲー」が突出して広まった1つの手がかりになりそうなのが、1987年末に発行された、商業出版でのビデオゲーム関連用語集の草分け『新明解ナム語辞典』である。ここでは「クソゲー」について、「しょーもないゲームのこと。これは南青山あたりから発生した語であるが、類語として「ダメソフト」「お買い損ソフト」など、その他地方地方によってさまざまな言い回しがある。」と解説している。 南青山はその当時にアスキーが所在していた地区であり、『ファミコン通信』1986年12月12日号「ファミ通町内会」の中の、「ゲーム用語の基礎知識」に「くそゲー」の項目があり、以下のように解説されている。さらに翌1987年の2月6日号では、荒井清和の人気漫画『べーしっ君』に、「あらやだ とってもつまらないわこのゲーム…… こういうのをクソゲーっていうのね」というセリフが登場している。主人公の母親のセリフであり、ゲーム用語の基礎知識とも矛盾しておらず、子供たちの間で「クソゲー」という言葉の存在を広める上で、かなり大きな役割を果たしたとも言われる。 またこれ以前に、1985年5月ごろからほぼ1年間にわたり、ナムコのファミコンソフトのテレビCMで「クーソーは、頭のコヤシです。」、「クーソーしてから、寝てください。」という眞木準によるキャッチコピーが繰り返し流れ、子どもたちの間でも話題を呼んでいた。「糞」をポジティヴな内容に転換したこのCMを更に逆転させ、そこから生まれる面白さが「クソゲー」の広まりを後押しした可能性もあるとされている。 「クソゲー」という言葉に対しみうらじゅんが果たした役割の1つに、それまでの「(罵倒語)ソフト(ゲーム)」という表現が、怒りや嘲りの発露として使われていたのに対し、ユーモアも含めてそれだけではない思いも表し、よりカジュアルな言葉として広めたことにあるともされる。 具体例と理由 ゲーム作品がクソゲーと呼ばれる理由はプレイヤーの事情や感性によって異なるため一概に断定することはできないが、基本的には「プレイヤーが投じた金銭や時間に、面白さがまったく見合わないビデオゲーム」がクソゲーであるとされる。 具体例としては「難しすぎて、やる気がなくなってしまうゲーム」「ゲームシナリオや設定が悪く、一貫性に欠ける」「安易なキャラクターゲーム」などが挙げられている。 ごく稀に、「完成度が極めて低い」ゲームソフトが市場に流通することがあり、これらは「最低なゲーム」であるとしてクソゲーと認定されることがある。一例としては、レースゲームでありながら敵の車が動かないという致命的なゲーム性の破綻など様々な欠陥を抱え、レビューサイトで評価が軒並み最低点を記録、または最低点をつけることさえ放棄された『Big Rigs』が挙げられる。2009年にジャレコが発売したWii用ソフト『黄金の絆』は、社長(当時)の加藤貴康が、開発スタッフの制作体制に端を発する完成度の低さに苦言を呈し「クソゲー」と評価した。 ギャグ要素の強いゲームでは、発売元が「クソゲー」を自称する例もある。 電気グルーヴがプロデュースしたPlayStationソフト『グルーヴ地獄V』およびその続編のPlayStation Portableソフト『バイトヘル2000』は、ジャンルを「クソゲー」と自称している。従ってレビューの点が低いほど高評価になる。 ゲームボーイアドバンスソフト『絶体絶命でんぢゃらすじーさん 〜史上最強の土下座〜』は雑誌広告などで、おかしなシナリオやプレイスタイル(決定キーがRボタン〈大抵の作品はAボタンが決定キーとして用いられるため〉、物語の目的を無視したクリアが可能など)から「クソゲー」を自称している。 他の呼称 1995年当時任天堂社長だった山内溥は、面白くも楽しくもないソフトは「ダメソフト」と表現したが、これは任天堂の厳しいコンテンツ管理の観点から出てきた言葉といえ、ユーザーの間に広まっているクソゲーの認識とは必ずしも対象が一致せず、あまり普及もしていない(『メイド イン ワリオ』のワード系プチゲームの選択肢にこの言葉が出てくる)。 また、設定や世界観やゲームシステムなど、どこかが普通とは違っておかしいゲームを「バカゲー」、ゲームの難易度設定が著しく低いゲームは「ヌルゲー」(クリアするまでの難易度が低い類)、逆にクリア条件が厳格で初見ではまず攻略できないようなもの、RPGでないにもかかわらず学習で判明した特定の手順を毎回再現しないとステージなどがクリアできないデザインのゲームは、「覚えゲー」とも呼ばれる。また、極端に難しく一見して攻略できないような場合は「無理ゲー」とも呼ばれる。これらのゲームも品質が低い、あるいは一般向けのゲームではないと見なされる場合が多い。 他には、クソゲーを監視・評価・コメントする人を「クソゲイザー」(クソゲー+gazer)と呼ぶ人もおり、SNSや動画サイトなどの著しい普及を背景に近年 そのような人が増加傾向にある。 クソゲーを扱った作品・番組 書籍 漫画 『クソゲー戦記』(渡辺電機(株)) 『クソゲー星人』(渡辺電機(株)) 『進め!!聖学電脳研究部』(平野耕太) ライトノベル はじめてのクソゲー(麻宮楓) クソゲーって言うな!(おもちさん) DVD 超クソゲー(トップ・マーシャル) 番組 伝説のクソゲー大決戦〜今甦る!記憶に残る迷作たち〜(MONDO TV) 新・伝説のクソゲー大決戦〜今甦る!記憶に残る迷作たち〜(MONDO TV) 脚注 注釈 出典 関連項目 バカゲー - クソゲーと比較される。 アタリショック - 1983年にアメリカのテレビゲーム機「Atari 2600」を巡って起きたゲーム市場の空前の縮退現象。その一因として低品質ゲームソフトの粗製濫造があったと言われている。 クソゲーオブザイヤー - 2ちゃんねるにおいて決められる年に一度のクソゲーの総評。 KUSO文化 - クソゲーが名前の由来。 The Angry Video Game Nerd - 昔のクソゲーをレビューするYouTubeの動画。 ビットワールド - NHK Eテレの視聴者参加型番組。『クソゲー』のアイデアを随時募集しており、採用されたものは実際にブラウザゲームとして公式サイトに公開されている。 ワゴンセール - 店舗がクソゲーを売りさばく手段としてよく用いられる。 外部リンク じゅんの恩返し「ファミコン」 - ほぼ日刊イトイ新聞 Podcast(みうらがクソゲーに言及している) コンピュータゲームのジャンル コンピュータゲーム用語 みうらじゅん
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イタチョコシステム
イタチョコシステムは、ラショウの営むソフトハウス。1994年に設立。神戸市中央区に本拠を置く。ゲームの音楽については、大槻由紀子(名義は「Y.オーツキ」)が1998年まで担当していた。 ヘナチョコゲーム 第一作 ヘナチョコタービー Macintosh初の競馬ゲームとして発売。いろいろな馬の血を混ぜて自分だけの馬を作り、競馬をするというゲームである。通販を行ったが、全然売れなかったらしい。 第二作 サイテイバード 鵜飼いのゲーム。何の知識もないまま開発に入ったため、「そもそも鵜飼いってなんだ?」ということすら分からず、図書館に通いつめだったらしい。通販も行ったが全然売れず、イタチョコは一時経営危機に陥った。 第三作 難しい本を読むと眠くなる 読書の途中でまどろむレディを操作して小人と遊ぶゲーム。 第四作 あの素晴らしい弁当を2度3度 お弁当屋さんシミュレーションゲーム。プレイヤーは弁当屋となり、弁当のメニューを考えて販売し、経営を行う。経営危機で日々の食費にまで困っていたとき思いついたらしい。やや売れて小ヒットとなった。このゲームからイタチョコは自主通販から一般流通へと販売方法を転換した。 第五作 野犬ロデム 野良犬シミュレーションゲーム。公園に捨てられた犬「ロデム」を操り、小自然に立ち向かう。ロデムは寒さや外敵に弱くすぐ死んでしまう。自由度の高さが売りで、パッケージの惹句に「異常なほどの自由度!」と書かれていた。「あの素晴らしい弁当を2度3度」に次ぐヒットとなった。 上記の第五作までが2004年にWindowsに移植された。 第六作 蒸し蒸しチキンそり旅行 第五作に登場したロデムたちの引くそりに乗って極点を目指す。マックワールドエクスポに出展するために製作されたが間に合わなかった。 第七作 うそつきと私 ガキ大将シミュレーションゲーム。転校してきた「私」が仲間と共に数々の敵に立ち向かう。全五話。ラショウが以前製作した『ボコスカウォーズ』が元となったらしい。 第八作 おませなおませな屋台大作戦 世界初の屋台料理シミュレーション。「あの素晴らしい弁当を2度3度」と「野犬ロデム」を無理矢理合体させた物。ロデムを捨てたババビールが屋台を経営し、ペットショップに入ってしまったロデムを買い戻そうとするストーリーである。 第九作 ニセミジンコのうそひみつ 第9作目記念作品。飼育ゲームを目指して開発を始めたが、全く違うゲームになってしまった。1996年のマックワールドエクスポに出展するために製作されたが、これも間に合わなかった。 第十作 私の傘のアメツチは 未発売。最も時間と費用をかけたゲームだったらしい。 第十一作 スロプロウエスタン 開拓者となり、荒野の画面を開拓していく。簡単なゲームを目指したはずだったが、本ソフトハウスのゲームの中でも最も難解なゲームになってしまったらしい。 第十二作 ラーメンスペシャル 「あの素晴らしい弁当を2度3度」の具をラーメンに変えたゲーム。 第十三作 ロデムッチ 『野犬ロデム』の続編。前作ではすぐ死んでしまうロデムが、多少死ににくくなり、植物や動物の種類も増え、植物が犬に寄生するなどイベントも豊富となった。 ワレ、ウマソウニ見エズ 炒め物作成ゲーム。大衆型、学生型、労働者型、迫り来る様々な「定食屋使徒」を、炒めゲリオンを作って撃退する。 ワインはワイ ワイン作りゲーム。ワイン作りやそのおいしさを視覚的象徴的な世界にたとえ、歴史巻物としてワインラベルを創世する。 イタチョコの野望 熾烈なPC販売競争をモチーフとしたゲーム。 プレステ版 あの素晴らしい弁当を2度3度 「あの素晴らしい弁当を2度3度」をプレイステーションに移植しようとしたものの、1998年12月開発中止が発表された。 ジャングルと私 『うそつきと私』第一話の改造ゲーム。「ホットシート」形式で対戦プレイができる。1996年のマックワールドエクスポで合言葉を言えば購入できたらしい。その後、グッズ店でも販売された。次回作は『エジプトと私』となっている。 ギャラクレヤン 他のゲーム発売が遅れた時に出されたおわびゲーム。給料を奪いに襲来するボランティアオーツキを、ラショウがラショウカップを投げて倒す。全9面。他にもイタチョコに関わる人や物が多数登場する。 インゼイクレヤン CD『ニセゲームミュージックのうそひみつ』に収録されている、『ギャラクレヤン』のパロディゲーム。CDの印税を狙うラショウをオーツキがCDを投げて撃退する。 ボコスカヘッズ イタチョコ初のCGIを利用したMMORPGの要素のあるネットゲーム。舞台はイタンデリアとチョコフォーレ。世界観はボコスカウォーズを基にしている。普通のMMORPGでは普通にみられるモブ(いわゆる「雑魚敵」の事)はほとんど存在せず、原則として鍛錬のみでキャラクターの能力値を上げる。基本的に戦う、争うよりも語るのがメインである。原因不明のバグが発生し、復旧のため一時休止宣言を行ったが、復旧の目処が立たないまま、2001年の夏に終了宣言。 ネコリス 多人数乱入参加型の落ち物パズルのようなCGIを利用したゲーム。ネコ+テトリスから名前が付けられたと思われ、笹木竹丸の『ネコリスちゃん』および芝村裕吏が創作した無名世界観にでてくるUMAである「01ネコリス」とは無関係である。また、Team Dyquem!がiPhone向けに配信しているパズルゲーム「ネコりす」とは全くといっていいほどゲームシステムが異なる。ゲームシステムとしてはテトリスよりも、メテオスのような降り方のブロックと横移動のみにしたヨッシーのクッキーを合わせたような感じである。このゲームは、同色をくっつけて消すというものが多い他のパズルゲームとは違い、盤面上に役を作ってブロックを消していく、というシステムを採用している。盤面を1度動かすには「チキン」という物が必要であるが、このチキンを得るには役を作らなければならず、また、チキンを減らすマイナス役も存在するので注意を要する。このマイナス役の存在により、マイナス役によってチキンを失うのを避ける為盤面を動かさなければならないがそれにもやはりチキンが必要となるのでどう転んでもチキンが減ってしまう、といった状況も稀に発生する。また初期チキンの数も決して多いとは言えず、役の作成も易しくない上に、役による獲得チキンも非常に少なく、常に2~3ターン以内で役を作らないとチキン切れによる手詰まりが起きるという状況であり、さらに(降ってきた物によって役が偶然できない限り)チキンを使い切っても確実に役ができないため手詰まりという状況も頻発するため、ゲームとして成り立っていない難易度といえる。 南ソーイング里ミシン発見伝 初のMac OS Xゲーム。2007年12月末リリース。ミシンを踏んで美しい布を作り依頼主に買い取って貰う。「ミシン犬士」を集めることでさらに美しい布が作れるようになる。『南総里見八犬伝』にちなみ怨霊玉梓ならぬラショズサが登場する。 Wine(ワイン)はY 旧作のリメイク版。曰く、「ワイン作りのすてきなぼうとくゲーム」。 野犬のロデム 『野犬ロデム』に新機能を加えたリメイク版。2014年にPlayStation Mobileでリリースされたのち、2015年にiOS/Android/PS Vitaに移植された。 弁当の素晴らしさをあの2度3度 2013年にiOS向け移植版が出た『あの素晴らしい弁当を2度3度』に新機能を加えたリメイク版。2016年にiOS/Androidに配信された。翌2017年4月には生ハムと焼うどんとコラボした『弁当の素晴しさをあの2度3度~生ハムと焼うどん編』(PS Vita/iOS版)が配信されたが、同月中に生ハムと焼うどんは活動休止した。 2020年3月24日現在 販売中のタイトル(販売:株式会社ピグミースタジオ) 店舗 直営店。ゲームやグッズを販売している。不定期営業。 現存する店舗 なし 過去の店舗 イタチョコシステム吉祥寺店 イタチョコシステム秋葉原店 イタチョコワールドエキスポ(仮) イタレリィ・チョコレリィ(高田馬場) テアトルイタチョコ(東池袋、2007年3月閉鎖) イタチョコジョウルリグッズカフェ(渋谷、2008年2月29日~3月2日限定オープン) むづかしい月(神戸、2011年7月~2014年11月) イタゲーセン・チョコシス&テム(神戸、2016年1月~2017年12月) CD・DVD CD ニセゲームミュージックのうそひみつ(2001年) 比喩の歌 イタチョコ=ラショウの変な歌 イタチョコ浄瑠璃曲傑作3曲(其の一) DVD イタチョコ浄瑠璃DVD「鵺の首」 イタチョコ浄瑠璃DVD「南ソーイング里ミシン発見伝」 脚注 外部リンク iTA-Choco Systems - イタチョコシステム公式サイト イタゲーセン・チョコシス&テム - 現在の直営店舗のサイト ヘナチョコゲームセレクション for Windows(ペンタコム) 日本のソフトウェア会社 神戸市中央区の企業
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ニュートン力学
は、アイザック・ニュートンが、運動の法則を基礎として構築した、力学の体系のことである。 「ニュートン力学」という表現は、アインシュタインの相対性理論、あるいは量子力学などと対比して用いられる。 概要 静止物体に働く力の釣り合いを扱う静力学は、ギリシア時代からの長い年月の積み重ねにより、すでにかなりの知識が蓄積されていた。ニュートン力学の偉大さは、物体の運動について調べる動力学を確立したところにある。 ニュートン力学は古典物理学の不可欠の一角を成している。「絶対時間」と「絶対空間」を前提とした上で、3 つの運動の法則(運動の第1法則、第2法則、第3法則)と、万有引力の法則を代表とする二体間の遠隔作用として働く力を基礎とした体系である。広範の力学現象を演繹的かつ統一的に説明し得る体系となっている。 ニュートン力学は、1687年のニュートン自身による、3巻から成る著作『自然哲学の数学的諸原理』(略称: プリンキピア、)を通して公表された。ニュートン力学の主要な点はすべてこの中に含まれていると言ってもよい。 『プリンキピア』の表現形式は、ユークリッド原論に倣った作図を用いて幾何学的証明を積み上げる方式を採っている。この表現の中には、エルンスト・マッハが指摘したように十分に論理的とは言えない点も含まれており、その後の時代の多くの人々によって整理しなおされ、別の説明方法も与えられている。 今日的な「ニュートン力学」の解説は『プリンキピア』とは様相が異なったものとなっており、大学などで「ニュートン力学」と呼ばれている体系は、これを出発点としつつも多くの人々によって改良された、相対論以前の古典力学の体系と見なすのが適切である。 『プリンキピア』の冒頭部分は質量、運動量、慣性、力などの定義にあてられているが、重さという概念の他に質量という概念を導入したことが画期的だとされている。 なお「ニュートンが万有引力の法則などを発見した」という言い方が一般にされることも多いが、これは誤りである。それまでにシモン・ステヴィン、エドム・マリオット、ガリレオ・ガリレイ、ヨハネス・ケプラーら先人によって発展してきた物理学をニュートン力学として体系づけたことが最大の功績であり、古典物理学はニュートンによって一旦完了したといえるのである。 質点に関する運動の法則 ニュートン力学は、物体を「重心に全質量が集中し大きさをもたない質点」とみなし、その質点の運動に関する性質を法則化し、以下の運動の3法則を提唱した。また、これらの法則は、質点とは見なせない物体(剛体、弾性体、流体などの連続体)に対しても基礎となる考え方である。 第1法則(慣性の法則) 質点は、力が作用しない限り、静止または等速直線運動する(これを満たすような座標系を用いて、運動法則を記述する)。 第2法則(ニュートンの運動方程式) 質点の加速度 は、そのとき質点に作用する力 に比例し、質点の質量 に反比例する。 第3法則(作用・反作用の法則) 二つの質点 1, 2 の間に相互に力が働くとき、質点 2 から質点 1 に作用する力 と、質点 1 から質点 2 に作用する力 は、大きさが等しく、逆向きである。 力学分野における数多くの法則や定理は、基本的には、上の三つの法則から導出されるものである。また、位置ベクトルの時間に対する 2 階の常微分方程式である運動方程式は、ある時刻の位置と運動量(あるいは速度)を与えれば、あらゆる時刻の運動状態が確定する方程式であり、その意味で、ニュートン力学は決定論的であるとされる。 継承と発展 ニュートンの力学は、その後、ダニエル・ベルヌーイ、レオンハルト・オイラー、ピエール・ルイ・モーペルテュイ、ジャン・ル・ロン・ダランベール、ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ、ピエール=シモン・ラプラス、ガスパール=ギュスターヴ・コリオリらによって、今日的な力学体系の形にまとめ直され、ラグランジュやウィリアム・ローワン・ハミルトンによる解析力学へと発展した。 電磁気学が19世紀に発展した結果、電磁気学とニュートン力学が互いに矛盾することが問題となった。電磁気学における基本方程式であるマクスウェル方程式は、ニュートン力学における運動方程式と異なり、ガリレイ変換に対する不変性を持たず、慣性系によらず電磁気学の法則が成り立つならばそれは相対性原理を修正することになる。逆に、ニュートン力学とガリレイの相対性原理が正しいならば、マクスウェル方程式は一般の慣性系では成り立たず、電磁気学を修正する必要がある。 19世紀末から20世紀初頭にかけて、ハインリッヒ・ヘルツ、ジョージ・フィッツジェラルド、ヘンドリック・ローレンツ、アルベルト・アインシュタインらの仕事によって、マクスウェルの理論の正当性が検証され、ニュートン力学は修正されることになる。 修正された新しい力学は特殊相対性理論と呼ばれ、ガリレイの相対性原理ではなくアインシュタインの相対性原理を基礎とし、ローレンツ変換に対して普遍な力学である。 その後に発展した一般相対性理論までの完成された力学は「古典力学」と呼ばれ、1920年代に成立した量子力学と区別される。 量子力学では局所実在論が成立せず、その意味でニュートン力学などの古典論とは決定的に異なっている。 解析力学 ニュートン力学はラグランジュ形式やハミルトン形式で再定式化された。これらは、ニュートンの運動法則を座標系の取り方によらずに一般的に成立するように構成されたもので、ラグランジュ形式では、最小作用の原理(変分原理)からニュートンの運動方程式を再現する。ハミルトン形式では、正準変数とポアソン括弧を用いることにより、ニュートンの運動方程式に対応する正準方程式を対称な形で表現することができる。 現代物理学での位置付け 現代の物理学の視点では、ニュートン力学は、「巨視的なスケールで、かつ光速よりも十分遅い速さの運動を扱う際の、無矛盾・完結的な近似理論」と理解される。 相対性理論は、物体の速さが光速よりも十分遅い・重力が十分に小さい(地球レベル)の条件下ではニュートン力学で十分近似されるし、量子力学の結果は、対象物体の質量を大きくした極限では、ニュートン力学の運動方程式の解と一致する。例えば、人工衛星や惑星探査までを含む宇宙航行の運動の予測を行う際には、ニュートン力学を用いて十分な精度で計算できる場合が多い。 出典 注釈 参考文献 関連項目 ニュートンの運動方程式 万有引力 剛体の力学 振動運動 時間 - 空間 - ガリレイ変換 修正ニュートン力学 古典力学 - 解析力学(ラグランジュ力学、ハミルトン力学) 現代物理学 - 量子力学、 特殊相対性理論、一般相対性理論 力学 古典力学 りきかく 物理学のエポニム
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人工生命
は、人間によって設計、作製された生命。生化学やコンピュータ上のモデルやロボットを使って、生命をシミュレーションすることで、生命に関するシステム(生命プロセスと進化)を研究する分野である。「人工生命」は1986年にアメリカの理論的生物学者、クリストファー・ラングトンによって命名された。人工生命は生物学的現象を「再現」しようと試みる点で生物学を補うものである。また、人工生命(Artificial Life)を ALife と呼ぶことがある。手段によってそれぞれ、「ソフトALife」(コンピュータ上のソフトウェア)、「ハードALife」(ロボット)、「ウェットALife」(生化学)と呼ばれる。 概要 一般には生命とはすなわち、(生物)分類学的な生物の生命のことであるが(近代以前の分類学である博物学の最上位の分類は生物と無生物(鉱物)という分類であった)、ここでは生命を持つ生物のような振る舞いをする、人工物なども全て含むものと「生命」を定義する。 ルーツの一つには、「生命とは何か」という哲学的な命題がある。「わからなければ作ってみよう」という発想のルーツの一つでもある。研究対象は大まかに、コンピュータ上に形成されるソフトウェア、既存の細胞機構に類似した機構を採用したウェットウェア、機械類で形成されたハードウェアの存在様式が想定されている。 個体生命が集合して、初めて生命として機能するという生態系的なアプローチも多く、その一方では細胞レベルの単細胞生物の集合体である個体を創造するアプローチも存在している。 これらアプローチは、既存の生命機構を抽象化した上で、何らかの人工物にその行動様式や機能を模倣させて、その振る舞いを研究したり、単純な機能セットを構築した上で組み合わせて個体として機能しうるか?というものであるが、さらにはそれら「個体」を集団として、生態系を構築する試みもなされている。 ソフトウェア 人工生命の研究では、ソフトウェアエージェントの進化や人工環境におけるシミュレートされた生命形態の増殖を研究する。その目的は生命の進化に見られる現象を制御された環境下で研究することであり、細菌やネズミを使っていては限界がある進化の研究をより自由に進めることにある。生体や環境のシミュレーションにより、かつては異端とされた実験や不可能とされた実験も可能となる(ラマルクの進化論と自然選択説の実験による比較など)。 また、経済学や社会学に関するエージェントについても、創発的特性に基づくものを総称して「人工生命」と呼ぶことがある。これら「人工生命」の共通点は、個体群による繰り返しの考え方である。つまり、エージェントが世代を重ね、突然変異などによって時と共により良く適合するようになっていく。 ライフゲームが良く知られているが、さらには突然変異による進化説的なアプローチから、他の生命から生まれた生命が他の生命を捕食したり依存して繁栄するかどうかを観察できるソフトウェアも存在する。進化学者のトム・レイは、Tierraという遺伝子の突然変異をシミュレートしたソフトを開発し、人工生命研究の先駆けとなった。 個体の一生は、わずか数秒から数分といった過酷な進化過程を経て、種族として生き延びるものや、強靭(きょうじん)で長命な個体の誕生まで、様々な淘汰による変化で多彩な生物層を形成する場合がある。 観察者が介入して、インタラクティブに人為選択による進化を促進させるソフトウェアも多い。 ガイア仮説をゲーム化したシムアース等は有名である。 哲学 現状の「生命」の一般的定義から言えば、ソフトウェアによる人工生命は「生きている」とは言えない。しかし、人工生命の可能性について別の意見もある: 「強い人工生命(Strong ALife)」の立場からジョン・フォン・ノイマンは「生命とは、あらゆる媒体から独立して抽出できるプロセスである」としている。トム・レイは、Tierraが生命をコンピュータ上でシミュレートしているのではなく、合成していると主張した。 「弱い人工生命(Weak ALife)」の立場では、生命プロセスを化学物質から分離できないと考える。この立場の研究者は、生命現象の潜在的な機構を理解するために生命プロセスを真似しようとする。すなわち「我々は本質的にはなぜこの現象が発生するか知らないが、それを単純化すれば…」といった立場である。 技術 セル・オートマトンは、スケーラビリティと並列化が容易であることから、人工生命研究でよく活用されてきた。人工生命とセル・オートマトンは歴史的にも密接な関係にある。 ニューラルネットワークは、人工生命の脳のモデルとして活用されることがある。それ以外の人工知能的技法もよく使われるが、生体の「学習」による個体群動的システム理論のシミュレーションにはニューラルネットワークが重要である。学習と進化の共存は生命体の本能の成り立ちの基本とされている(ボールドウィン効果)。 関連する主題 人工知能 一般に人工知能はトップダウン手法を用いるが、人工生命(ソフトウェア)ではボトムアップ手法を用いる。 人工化学 人工化学(Artificial Chemistry)とは、人工生命(ソフトウェア)のコミュニティで化学反応プロセスを抽象化する手法として生まれた分野である。 最適化問題での進化的アルゴリズム 人工生命(ソフトウェア)の技法を応用した最適化アルゴリズムが各種開発されてきた。人工生命とこれら最適化アルゴリズムの違いは、その進化的特性が生存とか死を避けるとか食物を探すといった方面ではなく、解を求める可能性を高める方向に向けられている点である。 蟻コロニー最適化 進化的アルゴリズム 遺伝的アルゴリズム シミュレーティド・エボリューション 遺伝的プログラミング 群知能 進化的アート 進化的アート(Evolutionary art)は、人工生命の技法や手法を応用して新たなアートの形態を作ったものである。同様に、音楽に類似の手法を応用した Evolutionary music もある。 主な人工生命シミュレータ プログラムベース Tierra Avida Breve Darwinbots Nanopond Evolve 4.0 モジュールベース Spore TechnoSphere パラメータベース Ventrella.com Kyresoo Plants ニューラルネットワークベース Polyworld ハードウェア 古くはコンフリクトの解消に他の介在を求めるウォルターの亀(1950年代)にも、その片鱗(へんりん)を見ることができるが、玩具化され市販されたものではメカニマルもある。メカニマルは単純に動物の動作を模倣したもので、知覚・思考能力は皆無だが、生物の工学的アプローチによる行動要式の解析は、その後多くの生物学者が注目しており、娯楽産業界はハリウッド等でも、特殊効果技術の一端として、「本物ソックリの動作をする機械」の研究が進んでいる。 その一方で、多関節機械に単純な目的意識を与えて、肉体に当たる機械部分を自由に制御させ、その結果を元に自己学習を行い、運動機能を改善させようという試みもある。学習開始直後は満足に進むことも出来ない存在が、学習を繰り返すうちに、バタフライ泳法のようなダイナミックな移動方法を習得した事例もある。 ウェットウェア 現在の生物学では脳や内臓・消化器官並びに生殖器を持つような多細胞生物を生み出すことは実現してないが、外部からのエネルギーを得て、自分の構成要素を環境から取り入れ、自己複製的に分裂するものの研究が進んでいる。将来的にはナノマシン技術の1つとして、特定の機能を持たせた人工単細胞生物による医療分野における活躍が期待されているほか、特定の物質を分解ないし無毒化する機能を持つ人工微生物による環境保全や、所定の分子構造を持つ生産物(燃料用アルコールから医薬品まで様々)をもたらすことも期待されている。 2003年の段階で塩基配列より人工ウイルスを約2週間で合成することに成功している。ただしウイルスは他の生物細胞内に侵入して自身の複製を行わせないと増殖できないため、生命の範疇に含めるかどうかには議論の余地がある。これは米代替バイオエネルギー研究所が1200万ドルの予算で2002年から行っている研究の一端で、5386塩基対を持つものであった。 2010年、アメリカのクレイグ・ヴェンター博士のチームはmycoplasmaのゲノムを表すほぼ完全なDNAを、酵母の中で合成し、本来のDNAを除去された近縁種の細菌の細胞に、合成したDNAを移植する手法で、自立的に増殖する人工細菌を作成することに成功している(この手法では、分裂の前段階で天然由来の細菌の細胞に頼ってはいるが、2回目の細胞分裂以降の細菌は人工的に合成された生物であると解釈している)。 オープンプロブレム 生命は非生命からどのようにして生まれるか? 試験管で分子原生生物を作る。 シリコン内での人工化学における生命への移行を達成する。 本質的に新しい生命システムが存在しえるかを決定する。 単細胞生物をライフサイクルをシミュレートする。 生きているシステムの物理的なダイナミクスからルールやシンボルが生成されるメカニズムを説明する 生きているシステムの可能性と限界は何か? オープンエンドな進化において必然的なことを決める 特異的な応答システムから一般的なシステムへ進化するための最小条件を決定する。 全てのスケールで力学的階層を作るフレームワークを作る。 生物や生態系を操作することによる進化の結果の予測可能性を決定する。 進化するシステムの情報処理、情報流、情報生成の理論を開発する。 人生は心、機械、文化にどのように関係しているか? 人工生命システムにおける知性と心の創発を実証する。 機械が及ぼす生命の大きな変化への影響を評価する。 文化的進化と生物学的進化の相互作用を記述する量的モデルを提供する 人工生命の倫理原則を確立する。 批判 ソフトウェアによる人工生命は多くの批判にさらされてきた。しかし、サイエンスやネイチャーなどの学術誌に最近掲載される人工生命に関する論文に示されるように、徐々に学界の主流にも人工生命技術が受け入れられつつあり、特に進化の研究でその傾向が強い。 一般に人工生命の研究は計算機科学の分野で盛んであり、生物学者が人工生命を研究するということはほとんどない。計算機科学の中でも人工生命の研究に懐疑的な立場もある。 バイオテクノロジーに対する懸念 人工ウイルスに関して問題が指摘されている。韓国より報告のあったブタの遺伝情報のサンプルから、十数年前に開発された人工ウイルスの遺伝情報が検出されたとされている(→)。ウイルスは感染の過程で宿主の遺伝情報に自身の遺伝情報を書き込むため、もし人工ウイルスが環境中に流出した場合、どんな生物に感染しうるのかや、どんな影響があるのかが予測することができない。 またバイオテクノロジー的な技術によって改変された生物(LMO:Living Modified Organism)の漏出に関しては生物の多様性に関する条約に含まれる「生物の多様性に関する条約のバイオセーフティに関するカルタヘナ議定書(通称:カルタヘナ議定書)」において監視対象として制限されているが、生命そのものを製作した場合に於いても、同様の監視と漏出防止のための努力が求められている。 さらに人工微生物もナノマシン同様に、グレイ・グーの可能性が指摘されている。特に単なる機械装置とは違って、人工生命が環境中にある素材から自己複製が可能な場合、あらかじめ無限増殖を予防する措置も必要と考えられている。 脚注 関連項目 遺伝的アルゴリズム ウォルターの亀 仮想生命 ゲーム理論 シムアース 人工知能 セル・オートマトン フランケンシュタインの怪物 ホムンクルス ボイド メカニマル ライフゲーム ロボット バーチャルペット 生命の起源 合成生物学 複雑適応系 OpenWorm - C.elegansを神経細胞間の信号伝達までシミュレーションすることによって精緻に再現するプロジェクトである。 外部リンク 人工生命の宝庫 Primordial Life 海洋科学博物館機械水族館 International Society for Artificial Life (ISAL) Artificial Life (journal) Biota.org Online Magazine and Podcast ALife Lab. 複雑系 架空の技術 進化的計算 サイバネティックス
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鳥人戦隊ジェットマン
『鳥人戦隊ジェットマン』(ちょうじんせんたいジェットマン)は、1991年2月15日から1992年2月14日まで、テレビ朝日系列で毎週金曜17:30 - 17:55(JST)に全51話が放送された、東映制作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称。 概要 侵略者バイラムと戦うための戦士ジェットマンとなった5人の、戦いの日々や恋愛模様を描いている。視聴率不振だった前作の『地球戦隊ファイブマン』での反省を踏まえ、マンネリ打破の新機軸を取り入れるなど、シリーズ打ち切りの窮地に立たされていたスーパー戦隊シリーズ自体がさらなる転機を迎えた。東映公式では、本作品を『百獣戦隊ガオレンジャー』以前のシリーズのエポックメイキング的な作品としている。 タイトルは決定までに度重なる変更がなされており、オーディション当時の仮題はもっとストレートな『超人戦隊バードマン』とされていたことが、結城凱 / ブラックコンドルを演じた若松俊秀の回想の中で語られている。またメイン監督の雨宮慶太は、放映開始前のニュータイプ誌上で「現在、戦隊シリーズ新作『ジャンプマン(仮題)』の準備をしている」と語っている。 特徴 前作『地球戦隊ファイブマン』では、後半こそ持ち直したものの一時は著しい視聴率不振に陥り、シリーズそのものの存続が危惧されていた。東映プロデューサーの鈴木武幸は、当時の戦隊スタッフの一部がダレきった状態で撮影していると感じ、スポンサーに「売り上げは下げさせない」と約束したうえで大胆な革新を試みた。企画書では従来の子供向けというイメージを払拭し、大人の鑑賞にも耐えうるものとすることを掲げている。 中心スタッフには若手が多く起用された。メイン監督の雨宮慶太は、それまでデザイナーとしてシリーズに参加していたが本作品で初めて東映作品のテレビシリーズの監督を務めた。現場に予定調和を持ち込まないため、あえてテレビ撮影経験のない監督を起用することを望んだ鈴木は、周囲からの疑問の声に対して「映画を撮っているから大丈夫」と押し切って雨宮を抜擢したうえ、事前にスーパー戦隊シリーズの雰囲気に影響を受けないよう、下準備に該当する撮影を省いて現場に投入した。テレビ局側からも反対されたほど現場では不安感を抱かれたが、雨宮自身がパイロットの第1話と第2話の絵コンテを全シーン作成したことで、スタッフや局は納得したという。雨宮は鈴木から本作品でシリーズが最後になるかもしれないと告げられたという。同じくスーパー戦隊シリーズではメインライター初登板となった井上敏樹は、自身や雨宮などの若手が選ばれたのは、最後になるかもしれないという自棄からだったのではないかと推測している。特撮監督には、前作でデビューした佛田洋が続投。テレビ朝日プロデューサーの梶淳は、「戦隊は永遠に続くとは限らない」という危機感を持った人間が集まっていたと述べている。 素顔の人間ドラマ 作劇面では「変身前の人間こそがかっこいい」と訴えるための工夫が多くなされている。 まず、「変身後も本名で呼び合う行為」を全編を通して行った。本作品も脚本段階では以前のように「変身後はコードネームで呼び合う」予定だったが、田中弘太郎や若松俊秀をはじめとする出演者たちが「これでは不自然」と意見し、変更させたという。変身後も本名で呼び合うスタンスは一部の作品を除き現在に至るまでスーパー戦隊シリーズで定着する事になる。さらに、変身後のヒーローが別人格になってしまわないよう、監督の雨宮はアクション側に逃げたり怖がったりする動きを取り入れた。 必ずしも毎回全員が変身するわけではなく、戦闘時に何人かが欠けていることがたびたびあった点も特徴である。例えば、ブラックコンドルとブルースワローが第1話ではバードニックウェーブを浴びるシーンがあるのみで登場すらしなかったのをはじめ、第27話や第49話では戦闘力で劣るホワイトスワンが後方支援に回っている。これについては、戦隊シリーズで常に中心的存在のレッドホークも例外ではなく(第49話ではまったく変身していない)、最終的に全話で変身したのはイエローオウルのみとなっている。雨宮と井上は、毎回ヒーローが変身して武器を用いて戦い、ロボットに乗って敵を倒すという流れをすべて行うことを疑問視し、武器やロボを子供たちに訴求させるのであればギミックにドラマを持たせる必要性があり、これらを出し惜しみすることにしたという。 第22話では、メインライターの井上が周囲に根回ししたうえで「全員が一度も変身せずに終わるシナリオ」を書いたが、スポンサーの反対により頓挫し、戦闘シーンを急遽付け加えた。梶によれば、最終回近くでブラックコンドルの面が割れて凱の素顔が覗くという演出が、当時できる精一杯だったという。しかし当時の挫折を忘れず、翌々年の『五星戦隊ダイレンジャー』で「全員が一度も変身せずに終わる話」を実現させた。 巨大ロボが出てくると話が分断されてしまうという問題を解決するため、戦闘中のコックピットにおけるドラマが多くなっている。 最終回は、Aパートで最後の敵との戦いを決着させ、Bパートで戦いが終わって3年後の元ジェットマンを描いている。 戦うトレンディドラマ 本作品では、これまで戦隊シリーズの中でほとんど排除されていた「男女混合チームの中での恋愛模様」を物語の中心に位置づけて描いたことが大きな特徴である。鈴木武幸によると、かつて彼が手がけた『闘将ダイモス』での経験を生かし、恋愛で高年齢層を取り込む狙いだった。鈴木は提案にあたって周囲から猛反対にあうことを覚悟していたが、反対意見は全く挙がらなかったという。井上敏樹も、かねてからスーパー戦隊シリーズで複数の男女がいながら何も起きないのはおかしいと考えていたことから、絶対にやりたい要素であったとしている。作中で描かれる恋愛の描写がこのように言われるのは放送当時、若い男女の恋愛を描いたドラマが「トレンディドラマ」と称されて人気であったためであり、過去の戦隊全部の特徴をエンディング主題歌の歌詞に織り込んだ『海賊戦隊ゴーカイジャー』(2011年放送)でも本作品のキーワードが「トレンディ」となっている。 具体的にはホワイトスワン・鹿鳴館香に対し、ブラックコンドル・結城凱とイエローオウル・大石雷太が恋愛感情を抱く→しかし、香はレッドホーク・天堂竜に好感情→だが、竜は洗脳されて敵組織次元戦団バイラムの幹部マリアとなったかつての同僚にして恋人・藍リエが忘れられない、という四角関係がストーリーの重要な部分を占めていた。これにより、それまでの戦隊に見られなかったメンバー間の愛憎劇と、戦隊チーム崩壊寸前の危機がたびたび描かれるようになった。その一方、恋愛絡み以外の回では、従来の戦隊シリーズから多く見られるコメディタッチの話が大半を占めていた。後年、鈴木は「結果的にはヒーローもので恋愛というのはあまり強調しないほうがいいということになりましたけれども」と述べている。 アニメとは違い、実写では生身の人間が演じるため、大人の男女の愛憎は戦隊シリーズのコア・ターゲットには分かりにくく、愛情表現の演出もリアルに受け取られてしまう。そのため、視聴者の親から「子供番組であるのに恋愛ドラマでいいのか」という批判的な意見の手紙が多く届いたという。また、バンダイ発行の雑誌『B-CLUB』にも、読者から「どこがいいんですか」「恋愛ごっこのついでにバイラム退治」という批判的な投稿が寄せられている。 敵組織の壮絶な内部抗争 敵組織内での幹部同士の対立という構図自体はこれまでの作品でも何度か見られたが、本作品における敵組織であるバイラムでは、それまでのシリーズとは異なり絶対的な力やカリスマを持つボスが存在せず、4人の幹部がお互いへの信頼関係が皆無なまま常に衝突しあい、終始にわたって組織内部に火薬庫を抱えた構図となっていた。ボスに該当するはずの女帝ジューザは、中盤で登場してわずか2話で退場している。時にはジェットマンとの戦闘中にもかかわらず、自らの野心のために邪魔な相手への妨害行為を公然と行い、結果としてジェットマンに対する勝機を逃すこともあった。後半には自ら支配者と名乗ったトランザに対しても、他の3人は面従腹背であった。これが結果的にジューザとトランザとの決戦の際、成り行きとはいえ「ヒーローと敵幹部による協力攻撃」という、これまでのシリーズでは見られなかった展開を生むこととなる。 演出面 ドラマ性を重視した演出が目立つ本作品には、工事中のビル内を飛行するジェットホークや模型と着ぐるみを一瞬で入れ替えるジェットイカロスの合体シーンなど斬新な特撮も多く、特に従来の戦隊よりも巨大ロボットの活躍に比重が置かれたことで玩具の売り上げも高い結果を残し、後続作品に登場する守護獣や気伝獣などの演出に大きな影響を与えている。 メカニック面でも最初の巨大メカのイカロスハーケンが登場するのは第5話であり、ロボットのジェットイカロスは第6話からの登場になる。また、過去作品に登場していた母艦の類や前2作に登場した基地(要塞)型ロボを登場させず、それに代わる新要素として「サポートロボ」が新たに導入されたのも、本作品からである。同時に、既存のロボの武装として運用されるロボとしてもシリーズ初で、後の戦隊ロボのあり方に大きな影響を与えている。これは、キャラクターに対する視聴者の認識期間が短くなり、新たなキャラクターを投入しなければ飽きられてしまうことからによるものである。また、巨大ロボ戦で大ダメージを受けるとジェットマンの変身が解けることが多々ある。 その他 シリーズ初となる女性司令官の登場や、現行戦隊に取って代わろうとする新組織が身内から現れるといった展開、正邪のレギュラーのドラマが前面に出たこと、前後篇など連続したストーリーが多数見られたことなどから、一般怪人が30体ほどしかいないという点も特筆すべき点に挙げられる。怪人が少ないという傾向は翌々年まで続いた。また、スーパー戦隊シリーズで初めて、アイキャッチ映像に変身前のメンバーが登場した。 評価 以上に見られるような多数のチャレンジは多くの反響を呼んだ。梶によると、同業者からは驚きとともに心配する声も届いたが、当時はギリギリ批判が来なかったという。また、鈴木は本作品について、苦労したがシリーズに活を入れることには成功したと評している。 業界外からは、制作側に同人誌を送付するなど、子供以外の視聴者からの反応もあった。特に母親層の間では結城凱 / ブラックコンドルの人気が高く、「凱が死ぬのではないか」と予想したファンからの助命嘆願の手紙が多く届いた。凱の死は企画当初から決められていたものだったが、こうした反響に一時はスタッフも彼の生存を検討したという。結局、作中では凱の生死は明確に描写されなかった。凱役の若松俊秀によれば、関係者らはこうした反響が来ること自体が珍しいと述べていたという。メインライターの井上も、内容について批判的な投書が出たことも「それだけ話題になったのだろう」と述べている。 あらすじ 西暦199X年初頭、地球は衛星軌道上に24時間体制で世界中を監視する宇宙基地アース・シップを有す世界規模の防衛組織地球防衛軍スカイフォースによって平和が守られていた。そのスカイフォースでは、太陽系第10番惑星で発見された新元素バードニウムを基に作られた人間の身体能力を強化することのできる新エネルギー・バードニックウェーブが開発され、それを元に人間の力では対応できないような脅威にも対抗できる超人戦士を作り出そうという、鳥人戦士製造計画Jプロジェクトが極秘に進行していた。 プロジェクト責任者の小田切綾は、犯罪や災害が起こると派遣される地上の隊員スカイフォーサーの中から5名の優秀な人物を選抜する。天堂竜は最初の被験者としてアース・シップでバードニックウェーブを浴び、強化人間ジェットマンの第1号であるレッドホークへの変身能力を身に着けた。 しかしその直後、さまざまな次元の世界を侵略してきた次元戦団バイラムの襲撃により、アース・シップは壊滅的な被害を受ける。多くの犠牲者が出るなか、竜の恋人だった藍リエが宇宙空間に消え、竜は小田切長官と共にジェットマシン・ジェットホークで脱出する。 リエを含む残りの被験者が浴びる予定だった4人分のバードニックウェーブは、4条の稲妻となって地球へ照射される。小田切と竜は、バードニックウェーブを浴びた4名を捜し出し、鳥人戦隊ジェットマンとしてバイラムに立ち向かわせようとしたが、その4人はいずれも民間人で、一筋縄ではいかない曲者揃い。5人は戦いの中で時には反目し、時には恋心を抱きながら、バイラムとの戦いに互いの青春を燃やしていく。 登場人物 鳥人戦隊ジェットマン バードニックウェーブを浴びて超人的な能力を身に着けた5人の戦士。当初は次世代の防衛を担うスカイフォースの特殊部隊として編成されたが、バイラムの襲撃を受けて竜以外の隊員は全滅してしまう。そのため、実質構成はスカイフォース隊員の天堂竜と、偶然バードニックウェーブを浴びた民間人による混成部隊として活動する。また、初回以降は一部の話数を除き組織についての描写がほとんど見られず、竜を「元スカイフォーサー」と記述している資料も存在する。 名乗り順はレッドホーク→ブラックコンドル→イエローオウル→ホワイトスワン→ブルースワローだが、オープニングクレジットやDVDのジャケットではチーム加入順で描かれている。 ジェットマンのリーダーであり、スカイフォース隊員スカイフォーサーの青年。1965年5月10日生まれ。第13話で26歳になる。 作業ロボットの暴走事件を、スカイフォーサーのパートナーにして、恋人の藍リエと共に解決した功績からジェットマンに任命された。本来なら、リエと一緒にジェットマンになるはずだったが、バイラムの攻撃でリエを喪ってしまう。以降はバイラムへの憎しみを抱きながらも、それに囚われず、地球を守る戦いに身を投じていく。 エリート軍人として訓練を積んだゆえに戦闘力は高く、また戦闘現場でも卓越した判断力を示すなど、戦闘集団の行動隊長としては申し分のない人材。戦士としての実力も第一級だが、自身の影武者アンドロイドを製作したり、テトラボーイの技術を応用して異次元との通信を可能にしたり、ファイヤーバズーカを自動操縦に改造したりするなど、技術者として優れている。 ストイックでプロ意識が強く、公私を混同しないことを己の信条とし、リーダーとしての責任感と平和を守る使命感は強い。しかし、相手の都合を全く考えようとせずに自分の価値観や考えを他のものに押し付けるやや朴念仁な傾向があり、その信念を他のメンバーたちにも求めるため、己の意志に反して戦士となった仲間たちと衝突することも多かったが、次第に彼らとも打ち解けていき、特に正反対の性格である凱とは三魔神との戦いを経て、無二の親友にして相棒になっていった。深層心理に隠された性格は「怠け者」。 酒は飲まず、代わりに砂糖抜きのホットミルクを愛飲。 東北地方出身で田舎には漬物屋を営む祖母の絹代がおり、本人も東北弁で会話する。大学時代はラグビーをやっており、ポジションはウイングであった。 香から好意を寄せられるが、戦士としての生き方やリエへの想いから拒否し、そのために凱と香の仲を発展させようと、お節介な行動をした結果、2人を傷つけてしまった。その後、リエがバイラム幹部のマリアになっていたことを知り、リエが再びマリアになってしまったショックから心を閉ざし、現実逃避してしまうが、凱との友情と心の中のリエのおかげで立ち直り、真の意味で凱たちと仲間になった。 マリアとなったリエを救うためにも戦うようになり、リエに戻すことに成功するが、リエをラディゲに殺されたことで、今度こそ死別してしまう。この後、復讐の鬼となり、チームを脱退し、命を捨ててでもラディゲを倒そうとするが、リエの思いも込めた香の説得により復讐心を乗り越えて、チームに復帰。仲間たちと共にバイラムとの戦いに終止符を打った。 バイラムが壊滅した3年後、凱たちや幻影のリエに祝福されながら香と結婚した。 テレビシリーズ終了後に制作された総集編ビデオ『東映テレビヒーロー図鑑Vol.2 鳥人戦隊ジェットマン』では、授かった子供に「凱」と名付け、妻の香と共に平穏な日々を過ごしている姿が描かれている。 天堂竜が変身する戦士。 スカイフォーサーとして厳しい訓練を受けているため数多くの技を身につけているなど戦闘技能が高く、中でも剣を使った戦いを得意としている。 ギャンブルやサックス演奏で生計を立てている青年。25歳。 何事にも束縛されぬ一匹狼で、いわゆる不良気質であるが、優しさも併せ持ち、使命よりも仲間の人としての幸せを優先させる。根は一本気。趣味はオートバイ・サックス演奏・賭け事と女性と遊ぶこと。タバコも吸い、彼の行きつけのジャズバー「」で、酒(マッカランのストレート)もよく飲む。男と納豆が嫌い。口癖は「これだけは言っておく」。深層心理に隠された性格は「真面目で寂しがり屋のいい子」。愛車はスズキ・TS200R。 当初はジェットマンへの勧誘を拒否し続け、「人類なんか滅んだ方がスッキリする」と言い捨てたことで、竜の怒りを買うが、心の根底にある正義感の強さゆえ、竜の熱意に根負けし、入隊を承諾する。だが、入隊以降も他人に指図されるのと、集団行動や人付き合いを好まず、竜に対してはことあるごとに反発。ついには香を巡っての恋敵にまで発展してしまうが、戦士としての信念を貫く竜のことを認めてもいることから、互いのピンチを助け合うことも多く、サブリーダーになっていった。三魔神事件において、竜と亀裂が生じた末、後述で恋仲になった香を連れて、一時的に脱退するが、リエの件で現実逃避した竜に胸中で抱いていた友情を伝え、彼を立ち直らせるきっかけの一つとなる。 三魔神編で香へのアプローチが実って恋人同士になるが、生き方の違いから破局した。 バイラム壊滅から3年後の竜と香の結婚式当日、花屋で花束を購入する際に偶然出くわした引ったくり犯の男を追跡して盗まれたバッグを取り戻すが、逆上した男にナイフで腹部を刺されてしまう。それでも力を振り絞って結婚式場に足を運び、親友の竜とかつての恋人だった香を祝福。幸福に満ちた2人の姿を見て満足した後、ベンチで一服した後に力尽きて倒れる。享年28。 メインライターの井上敏樹は、5人のキャラクターをはっきりさせるため強烈なキャラとして凱を出したと述べている。東映プロデューサーの鈴木武幸は、大人っぽすぎるのではないかと危惧していたが、最終的には理解したという。 第2話の冒頭では、凱がカジノの女性ディーラーとキスをするシーンがあったが、実質的な初登場シーンには不適当としてカットされた。 第32話での凱と香が一夜を共にした翌朝のシーンでは、若松は男側が強く接するシチュエーションではないだろうとの考えからあえてさらっと話しかける演技を行ったが、監督の雨宮からプランは理解するが生々しすぎるとして普段の凱に戻した演技となった。 最終話で凱が死ぬという展開は、第18話「凱、死す!」で井上が冗談で凱が死ぬと言っていたことを経て、若松が最終回に取り入れることを提案したものであった。凱を刺したひったくり役をブラックコンドルのスーツアクターである大藤直樹が演じたのも若松の提案である。 結城凱が変身する戦士。 実戦的な荒々しい喧嘩殺法を応用した肉弾戦に加え、剣も得意とする。 グレイの最後の一騎討ちでは、グレイの攻撃でヘルメットが破損して凱の顔が露出した。 スーパー戦隊シリーズでは初のマスク割れであり、以降の作品でも行われるようになった。監督の雨宮は、このマスク割れについて東映プロデューサーの鈴木から反対されていたが、助監督から聞かなかったことにして撮影を断行したという。 自然と野菜をこよなく愛する農業青年。22歳。 ジェットマンへの誘いを「暴力は大嫌い」と断るが、バイラムにより自分の育てた野菜を荒らされたことにより、戦いに身を投じた。 温厚かつ優しい朴訥な性格だが、怒らせると怖く、卑屈な面もあり、余計な一言を言ってしまうこともある。深層心理に隠された性格は「ツッパリの一匹狼」。家族は祖母のキヨがいる。眼鏡は小さいころからかけている。逆上がりができないほど、運動神経がイマイチだったが、バードニックウェーブを浴びることにより克服。アウトドアにも造詣が深く、原始時代に飛ばされた際はサバイバル能力を発揮し、原始人たちを指導して、壁画に残されるほどに慕われた。 女性メンバーを「さん」づけで名前を呼んでいる。 香に恋心を抱くが、告白する勇気はなく、彼女を見守る道を選ぶ。バイオ次元獣ジクウマンモスのタイムスリップビームで、原始時代に飛ばされた際には香と瓜二つの女性・リーカと出会い、恋仲となるが、自身の時代を守るために彼女と別れる。この一件から、香への恋愛感情は昇華された模様。 料理上手にして、大食漢であり、ストレスが貯まると大食いに走る傾向にある。子供のころ、トマト大王というトマトの怪物が出てくる悪夢を恐れていたことがあり、トランザが差し向けた異次元生命体メタモルの力で現実化したことから、トマトを恐れるようになってしまったが、覚悟を決めて、トマトを食べ続けることで克服。 バイラムとの戦いの後、幼なじみのサツキと結婚した。竜と香の結婚式にはサツキと共に出席。 テレビシリーズ終了後に制作された総集編ビデオでは本人は登場しないものの、天堂夫妻の元に野菜を送り、一緒に送った手紙には自身ももうすぐ父親になることが書かれていた。 雷太が着用している黄色いトレーニングウェアは演じる成瀬富久の私物である。 大石雷太が変身する戦士。 持ち前の怪力を存分に活かした戦いを得意とし、投げ技や相撲技などのパワー戦法や頭突き・体当たりなどの肉弾戦法を用いる。また防御力も高い。 「スーパー戦隊のイエローは太っている」というイメージに実際に当てはまる数少ない一人。イエローオウルのスーツアクターを務めた石垣広文は、変身後も体型が変わらないように発泡スチロールを肉襦袢にして詰めていた。 名門鹿鳴館財閥の深窓の令嬢。22歳。 容姿端麗でおしとやかな淑女。偶然バードニックウェーブを浴びてしまったことを契機にジェットマンに加入。精神力は強く、超負けず嫌い。浮世離れした性格をしているが、怒ると怖く、口調も普段のおしとやかなものから乱暴になる。深層心理に隠された性格は「金持ち特有のひがみ屋」。当初はジェットマンを「ジェントルマン」と勘違いしていた。両親はニューヨークに在住しているが、第43話では帰国、登場している。 教育係のじいやから剣道を教えられてきており、スポーツ全般を得意とする。当初はジェットマシンをうまく操縦できなかったり、コンピュータの扱いにも苦労していたが、それらを克服して以降は分析やナビゲーション役も担当するまでになった。 果てしなく激しい戦い、そして竜や凱との恋の中で何度も挫折を味わうものの、精神的に大きな成長を遂げていった。その成長はリエの仇を討つために復讐鬼となった竜を改心させたほどである。 恋愛について、入隊以来竜の強さに惹かれ恋心を寄せていたが叶わず、凱から熱心なアプローチを受ける。第30話以降では凱と恋仲になるが、生き方の違いから破局。北大路グループの御曹司・北大路総一郎と幼いころからの許婚だったが、彼の傲慢な性格を知って婚約を解消している。 バイラムが壊滅して3年後、かつての恋人でもある凱からも祝福されながら竜と結婚する。 雷太やアコを「さん」づけで呼んでいる。 鹿鳴館香が変身する戦士。 銃の名手。パワーでは他のメンバーに劣るが、華麗な動きと一瞬で敵の弱点を突く攻撃を得意とする。 三原北高校3年生で18歳。 お金好きで、ジェットマンには当初バイト感覚で加わるが、超高額の報酬にはショックが大きかったり、バードニックウェーブの力も悪事に使わずスポーツの助っ人程度と割と小市民的。ちょっと口の悪い面もあり短気でお調子者だが、世話好きなしっかり者。ボーイッシュな面もあり、凱からはおとこ女と言われたこともある。他のメンバーの恋愛沙汰には加わらず(茶化すことは好き)、人間関係を巧みに取り持ったりするなど、最年少ながら成り行きを見守るジェットマンのムードメーカーかつ潤滑油的存在でもある。ただ遠慮知らずで、自分よりずっと年長の他のメンバーをすべて呼び捨てにし、小田切長官のことを「オバン」と呼ぶなど馴れ馴れしくしていた。また、寝相が悪い。深層心理に隠された性格は「涙もろい乙女チック」。バードニックウェーブを浴びる以前は体育の授業もサボるほどだったが、バードニックウェーブを浴びてからはスポーツ万能になる。 隊内恋愛とは一切無縁でキスは未経験ということもあり「色気より欲」というイメージもあるが、第10話ではラーメンオタクの龍田先輩にモーションをかけられており、裏次元人ディメンシアの戦士ダンの積極的な求愛には最終的には本人もまんざらではなかった。変身前にも変身後にも様々な事態でスカートをめくられるなど、セクハラ被害は一番多く受けている。 雷太のことは「雷ちゃん」と呼んでおり(呼ばないときもある)、仲が良く、彼に付き添ったり、助力したりしていた。 バイクの免許はすでに取得しているようで、作中では凱と共にジェットスピーダーに乗っている。また未成年であるにもかかわらず、第6話と第13話では他の成人メンバーとともにシャンパンを飲んでいる。 バイラムの作戦に利用された龍田によって、彼女をイメージキャラクターとするカップ麺「新次元ヌードル陽気なアコちゃん」が発売されたことがある。 恋愛面には関わらなかったこともあり、持ち前の明るさで、ジェットマンというチームとハードな世界観を支え続けた。 バイラムとの戦いの後、アイドル歌手になる。また、竜と香の結婚式では、語り合う竜と凱の写真を撮った。 序盤はショートカットのヘアスタイルだったが、物語が終盤を迎えるころには肩までかかるほどのロングヘアになっていた。 早坂アコが変身する戦士。 低空飛行やアクロバット戦法で華麗に戦う。小柄な体格のため動きも素早く、連続攻撃も得意とする。固有技はないが剣技も優れている。 レインボー造型企画の光輝は、ヒロインであることから従来のブルーよりもスーツカラーを明るくしたと述べている。 ジェットマンの支援者・関係者 ジェットマンの長官。スカイフォースの幹部にしてスカイキャンプの責任者でもあり、スーパー戦隊シリーズ初の女性司令官である。ジェットマンたちを厳しくも温かく見守る、心強い最大の理解者。33歳。 指揮官としての能力は言うまでもなく、軍人としても一廉の技量の持ち主で、単身で最前線に赴いて銃やロボを用いて戦うこともある。第43話では変身することなく単身ジェットガルーダに乗り、バイオ次元獣ヒルドリルを倒した。また、ロボや新兵器の開発にも携わるなど工学にも造詣が深い。 たびたび起こる戦隊内部のいざこざにも、ただ沈毅で通しているように見えるが、戦いが続く5人を休暇のために旅行へ連れて行ったりと、折に触れて思いやりのある性格を垣間見せることもある。一方で、完璧な人生を自負しているため、恥をかかされるとすさまじい怒りを示す。またキャリア志向のエリート女性である一方、結婚願望も持っているようである。 竜たちと同様に飛行服を着ることもあるが、基本的には常に制服姿で通している。初期の地上での移動時は、マツダ・RX-7(FC3C カブリオレ)を使用していたこともある。 バイラムとの戦いから3年後、竜と香の結婚式に出席。 第40・41話に登場。スカイキャンプの新司令官として、ネオジェットマンとともにやってきたスカイフォースの幹部。自分を差し置いて鳥人戦隊長官に小田切が任命されたことを根に持っており、そのことへの復讐として彼女の部下であるジェットマンの追放を画策する。 上層部に根回しを済ませた上で小田切から鳥人戦隊の指揮権を剥奪するなど、政治力には長けているが、同時に悪い意味の軍人気質の塊でもあり、竜以外は民間人出身者で構成されるジェットマンをあからさまに見下し、正規の軍人からなるネオジェットマンの優位性を示すことに強いこだわりを見せる。またネオジェットマンに対しても、彼らの成果が自身の意にそぐわぬものであった際には邪険に扱い、窮地に際しても見殺しにしようとするなど、完全に使い捨ての道具としか見ておらず、竜からも「指揮官としての資格はない」と糾弾されたように、一貫して指揮官としての資質が欠如した人物として描写されている。 そうした人間性は、隕石ベムが基地に侵入するという緊急事態においても全く変わらず、「自分は指揮官だから」という理由で戦闘への参加を拒否したのみならず、自ら追放した竜たちを呼び戻そうとしたり、ネオジェットマンや小田切を捨て駒にして自分だけ助かろうとするなど、どこまでも自己中心的な言行に終始。その結果、竜たちや小田切のみならず、自らの手駒であったはずのネオジェットマンからも見放される格好となった。 隕石ベムに襲われながらも命は取り留めたものの、それ以降の動向について作中では触れられていないが、隕石ベムが倒された後で小田切が「二度と立ち直れない」と、一条が再起不能に陥ったことを示唆する台詞を残している。 じいや 本名については作中では言及されていないが、鹿鳴館家に仕え、香を幼いころから世話している。ジェットマンとしての香の戦いに直接的には関わらないものの、最初は反対しながらも200億円分のダイヤを買い占めさせ、それをアコに見せつけ元に戻す作戦に協力したり、ウラナイジゲンの策略で戦いに恐怖する香に、幼いころに作った「香ちゃん憲法」を引き合いに立ち直らせるなど、温かさと厳しさをうまく兼ね揃えながら彼女を見守る。彼もまた、香同様にジェットマンをジェントルマンと勘違いしていた。 ネオジェットマン 第40・41話に登場する第2の鳥人戦隊。メンバーは、J1 - 5と呼ばれており、J1をリーダーとする正規の訓練を受けたサイボーグ戦士によって構成されている。隕石ベムによって窮地に陥るジェットマンの前に、一条総司令と共に現れた。 ジェットマンがバードニックウェーブを力の源にしているのに対し、ネオジェットマンは右胸に埋め込まれたバードニック反応炉を力の源にしていることからエネルギー切れの心配がない。またジェットマンのような変身描写はなく、黒のアンダースーツの上から軽装のアーマー、鳥の意匠をあしらったヘルメットを着用。標準武器は左胸のホルスターに携行している光線銃のネオシューターと右腰のホルスターに2つ携行している手榴弾のネオマイン。個人武器として、J1は剣のネオソード、J2は鎖鎌のネオスティンガー、J4はブーメランのネオスライサーを持つ。個人武器を持っていないJ3とJ5は、前者は徒手空拳、後者はネオシューターを主体としている。必殺武器は左右に砲門を備えたバズーカ砲のフレアーバスター。初陣では隕石ベムを退けるも、ジェットイカロスを操縦しての巨大戦では苦戦を強いられ、スカイキャンプに隕石ベムが侵入した際にも終始劣勢に立たされるなど、戦闘経験の不足ぶりを露呈する場面も散見された。 当初は一条を絶対視し、彼同様に竜たちを見下していたことから、巨大戦で彼らに助けられた際にも礼を失した態度を取り、スカイキャンプから追放された後は正式に自分たちがジェットマンに取って代わろうとした。しかしスカイキャンプに侵入した隕石ベムの圧倒的な力と、一条の身勝手な行動で危機に追いやられる中、変身能力を失ってもなお自分たちを助けようとする竜たちの姿に、彼らこそ真のジェットマンであると考えを改め、反応炉の全エネルギーを譲渡し変身能力を復活させた。 その他の戦士たち 裏次元ディメンシアの戦士 第23・24話に登場。バイラムに滅ぼされた裏次元世界ディメンシアの最後の鳥人戦隊たち。3人でバードガルーダに乗って裏次元からやって来た。地球人よりも体が弱いが、鳥人への変身能力を持っている。 メインライターの井上は、ディメンシアの戦士を登場させたことについて「我ながらナイスアイデア」だったと述べている。 レイ 裏次元戦士のリーダー格で真面目な性格。当初から地球人との共闘を考えており、ジェットマンと協力してイカロスとガルーダを改造し、グレートイカロスへの合体を可能にするが彼自身はその姿を見ることなく、イカロスの救援に向かった際にラディゲに倒される。 カンナ 裏次元戦士の紅一点でレイの恋人。地球で幸せになりたいと願っていたが、レイと同様にラディゲに倒される。 ダン 裏次元戦士では最年少の弟分的存在で、彼だけは青い服を着ている。明るく軽い性格でアコにちょっかいを出す。また、他のみんながロボの改造にかかりっきりの時も仮病を使ってアコと2人っきりになり、デートに連れ出すなど子どもっぽい面も多い。レイとカンナがラディゲに殺されたうえにバードガルーダも奪われたため、変身してラディゲとの激闘の末ガルーダを奪還するがその際に重傷を負い、アコに見守られながら息を引き取り死亡した。 鳥人ダンのデザインは、雨宮慶太のラフスケッチを基に企画者104の河野成寛が担当した。雨宮は頭部を羽毛で作ることを想定していたが、予算的に難しいため変更された。 裏次元ベルセルクの戦士 第29話に登場する、バイラムに滅ぼされた裏次元ベルセルクのただ2人の生き残り。手にした物体を武器に変化させる能力を持つ。その能力を捨てた時に、1人の人の命を救うことができる。 ルー ベルセルクの女戦士。バイラムに復讐するために地球にやって来た。ラディゲと互角に戦う実力を持つ。紆余曲折を経て復讐心と能力を捨て、負傷した竜を救う。 デュラン ルーの幼馴染であり、恋人。ルーの暴走を止めるために地球にやって来た。ラディゲの罠にかかってバイオ次元獣ヨロイスネークにされるも、ジェットマンの活躍で元に戻り、能力を捨てたルーと共に地球を去る。 ジェットマンの装備・戦力 共通装備 装備は全てメンバー共通であり、個人別の専用武器はない。手持ち武器は変身前でも使用可能。 クロスチェンジャー ジェットマンの5人が両腕に装備している変身用のブレス。右腕用のエンブレムフォーメーションと左腕用のコレスポンダーからなる。「クロスチェンジャー」の発声と共にエンブレムフォーメーションの真ん中を押すと、鳥の頭と翼が飛び出し、変身する。コレスポンダーは通信機であり、変身には用いられないが、ジェットマシンを合体させるために必要なマシンコントロールキー・バードロックを搭載しており、コンソールにはめ込むことで合体する。 バードニックスーツ ジェットマンの体を守るバードニウム・ポリマー繊維製の強化スーツ。バードニックウェーブを浴びた5人の身体を変身前から透明の皮膜状態で覆っていて、変身時にブレスからのコードシグナルによって可視化すると同時にエンブレムフォーメーションからヘルメットが射出される。ジェットマンに500kgのパンチ力などの強靭な身体能力と30m以上のジャンプ力、ジェットウィングを与える。 基本的にはクロスチェンジャーを起動して装着するが、ソウジキジゲン戦の凱とラディゲとの最終決戦に1人で臨んだ際の竜はクロスチェンジャーを使わずに装着した。 ジェットウィング 基本装備。背面から上腕にかけて隠されている小さな翼。展開することで飛行することができる。 バードブラスター 基本装備のレーザー銃で鳥を模している。通常は右腰のホルスターに装備。空気中のイオンをプラズマ化した高エネルギービームを左右の銃口から発射。一撃で1メートル四方の鉄の固まりを溶かす。 第38話でレーザートカゲのバイオ次元虫を捕獲する際には、中央部から冷凍ビームを発射した。 シリーズ初の動物を模した共通武器である。当時バンダイのデザイナーであった野中剛は、バードブラスターの玩具売上が良かったことを証言しており、翌年自身が担当した『恐竜戦隊ジュウレンジャー』でもこれを踏襲して恐竜の顔を模しており、以後も定番化していった。 ブリンガーソード 基本装備の剣で鍔の部分は鳥の翼を模している。通常は鍔を折り畳み、刃を収縮した状態で左腰のホルスターに装備。ダイヤの7 - 8倍の硬度を持ち、耐熱性にも優れ軽量なバードニウムを用いた特殊金属バードナイト特殊鋼製。刀身にプラズマエネルギーを発生させることで切れ味を上げ、戦車をも切り裂く。レッドのもののみ柄が長くなっている。 記憶が戻ったリエは、この武器を用いてラディゲの背中に傷を付け、その傷がジェットマンに勝利をもたらす要因となった。 第47話ではラディゲ人間態の助力を得たレッドホークがブリンガーソードに2人のエネルギーを込めて、トランザのバイオガンのエネルギーを押し返し、バイオガンの破壊に成功した。 ウイングガントレッド 基本装備のガントレット。重力制御装置によって重力波を噴出し、右腕のパンチ力を強化する。先端のGジェネレーター(重力発生装置)から最大150Gの衝撃波を発生させて敵をはね飛ばすことも可能。先端部の左右の銃口からは重力波光線のウイングビームを放つ。 合体ラモンや隕石ベムとの戦いでは、レッドホークがウイングガントレッドを放った後、ブラックコンドルとイエローオウルが同時にウイングガントレッドを放ち、最後にホワイトスワンとブルースワローがウイングビームを放つ合同技を披露した。 ビークスマッシャー 追加装備の光線銃。左右の銃口から物質の分子構造を破壊・消滅させるフェザー光線とモーションチェイサー機能で反射しながら敵を記憶し、敵を追尾する光線を発射。「シューティング」と叫びながら放つこともある。第33話から登場。 設計者の相沢博士がアースシップ壊滅時に死亡したためにエネルギー回路が未完成のままだったが、粘着ゴキブリの粘着剤でジェットストライカーが動けなくなり、ファイヤーバズーカが使用できなくなった事態を打破すべく、小田切が開発を再開。相沢の遺児である美加の記憶に隠されていた設計図により完成した。 小田切も粘着ゴキブリや隕石ベムとの戦いで使用し、血のヒトデが竜から離れて香に襲い掛かろうとした際には、血のヒトデを撃ち落として倒している。 ジェットハンドカノン バードブラスターの後部にブリンガーソードを「セットアップ」の合図で合体させたエネルギー銃。ブラスターとソードに蓄えられた破壊エネルギーを一気に放出し、半径10メートル以内の物を蒸発させる。 ジェットハンドカノンを「シュート」の合図で5人同時に発射する必殺技のバードボンバーは5つの光線が一体化して球体状の大型エネルギー弾となり、命中した相手を巨大なエネルギー球に包んだ後、ガラスのように割れて、ダメージを与える。一度撃つと、30分間使用不能になるのが弱点。初使用となった次元虫(母虫)戦では、レッドホークに命令されることが気にいらないブラックコンドルが加わらなかったことから反撃を許してしまい、それにより、ブラックコンドルもバードボンバーに参加したことで、ようやく倒すことができた。このため、正式使用はジャグチジゲン戦からとなった。粘着ゴキブリ戦では、使用不能のファイヤーバズーカの代わりに、ウイングビームを加えて威力を強化するも通用しなかった。 スマッシュボンバー バードブラスターの後部に変形させたビークスマッシャーを「ビルドアップ」の掛け声と共に合体させたレーザーライフル。威力はジェットハンドカノンのバードボンバーの3倍。 5人同時で撃つスマッシュボンバーは、5つの光線が一体化して球体状のエネルギー弾となる。その威力はファイヤーバズーカに匹敵。第33話から使用。 個人技 レッドホーク ウイングパンチ ジェットウイングをはばたかせながらパンチをたたき込む。 飛行斬り ジェットウイングを展開させて空に舞い上がり、ブリンガーソードで斬る。ファイタージゲンに使用。 飛行シュート ジェットウイングで飛行しながらバードブラスターで敵を撃つ。 ブラックコンドル コンドルフィニッシュ 空中からブリンガーソードで十字に斬る。ソウジキジゲンを倒し、魔神ムー相手にも使用。 イエローオウル 岩石落とし 大きな岩を敵に投げつける。ファッションジゲン戦では連続で放って倒した。 必殺つっぱり 相撲の張り手攻撃。 ホワイトスワン スワンウイング ジェットウイングをマントのようにはためかせて、衝撃波で敵を吹き飛ばす。 スワニーアタック 急降下しながら、ウイングガントレッドでパンチを放つ。ウラナイジゲン相手に使用。 ブルースワロー クロスチョップ 空中から放つフライングクロスチョップ。アクロバットな動きで敵を翻弄してから放つこともある。 合同技 コンドルオウルタワーリングアタック ブラックコンドルとイエローオウルのコンビネーション技。イエローの肩を踏み台にしてブラックがブリンガーソードを決め、連続してイエローが岩石落としを決める。第14話でのカメラジゲン戦で使用。 ダブルキック ホワイトスワンとイエローオウルのコンビネーション技。空中で手を繋ぎ、同時にキックを放つ。ジャグチジゲン戦では、ホワイトスワンとブルースワローで放った。 スワン・スワロークロー ホワイトスワンとブルースワローが敵に抱きつき顔面をひっかきまくる。 ジェットマンの真の力 5人で空に舞い上がり、空中で巨大な火の鳥となって敵に突進する。ラディゲとの最終決戦で使用し、ダメージを与えることができた。 メカニック ジェットストライカー レッドホーク専用の赤い戦闘バギー。第6話から登場。 水素を燃料としたハイドロプラズマエンジンを搭載する。ブースターにより、30メートルのジャンプが可能。自動操縦機能も持つ。 武器はロケットランチャーとボディ先端の2門の機銃。 第14話で小田切の指示を受けた竜の手で改造されたことで、150万度のプラズマ弾を放つ必殺武器ファイヤーバズーカへの変形が可能となった。 ファイヤーバズーカ ジェットストライカーが変形した必殺プラズマバズーカ砲。レッドホークの呼びかけで、変形したジェットストライカーを5人で抱え上げる。レッドホークの「ファイヤーバズーカ・スタンバイ」とレッドホーク以外の4人の「OK」の掛け声と共に、大気中から吸収したイオンと5人のエネルギーをバズーカ内に注入して、エネルギーを融合してプラズマ化させ10万気圧、摂氏150万度のプラズマ光弾プラズマブレットを精製。レッドホークの「スコープ・ロック」の掛け声と共に標的を捕捉。レッドホークの「ファイヤーバズーカ」と全員の「ファイヤー」を合図に発射し、発射されたプラズマブレットは火の鳥の形状となる。5人揃わなくても発射は可能だが、威力は低下し、プラズマブレットも火の鳥の形状にはならない。発射時の反動も大きく、レッドホークが単独で使用した際は反動でレッドホークも吹き飛ばされてしまった。 第14話において、カメラジゲンと盾役のグレイに同時にダメージを与えるために投入。初使用時は仲間たちがカメラジゲンの手で写真に変えられていたことから、レッドホーク単独での発射となるが、グレイの右腕を吹き飛ばし、カメラジゲンにもダメージを与えることに成功した。第25話でのライトアルマジロとの1戦目ではブラックコンドル抜き、第31話での魔神戦ではブラックコンドルとホワイトスワン抜きで使用。第34話と第42話でのグレイ戦において、レッドホークを除いた4人で使用した際には、ブラックコンドルがレッドホークの役割を担当した。最終決戦では竜の手で改造され、射手を必要としないオートコントロール機能を与えられたが、パワーアップを果たしたラディゲの口からの破壊光線によって破壊された。 ジェットスピーダー ブラックコンドルとブルースワローのオフロードバイク。各々のパーソナルカラーが用いられている。第6話から登場。 最高時速360キロメートル。ジェットストライカー同様に自動操縦機能を搭載し、荒地も走行可能。 武器はミサイルランチャー(劇中未使用)。 ブルースワローはジェットバンサーの荷台に乗ることのほうが多く、ブラックコンドルも自分のバイクを使用することが多いため、使用頻度は高くない。第25話において、ブラックコンドルはジェットスピーダーの自動操縦機能を活かした奇襲攻撃でグレイを退けている。 ジェットバンサー イエローオウルとホワイトスワンの黄色のピックアップトラック。運転はイエローオウルが担当。第2話から登場。 ハイパーガスタービンエンジンを搭載する。荷台にジェットスピーダーを搭載しての運搬も可能。最高時速400キロメートル。 武器は車体上部と荷台に設置された三門のプラズマガトリング砲。ライトは赤外線を発するスキャナーにもなる。プラズマガトリング砲の射手は主にアコが務めているが、竜が行うこともあった。最終決戦において、ラディゲとの戦いで窮地に陥った竜を間一髪救った。 ジェットマシン ジェットマン各戦士の特性が反映された5機の特殊戦闘機で鳥の頭部を持つ。外装はバードナイト特殊鋼製。動力として太陽系第10番惑星を構成する反物質を利用した対消滅エンジンを搭載している。ジェットホーク以外の4機は第4話から正式登場。 各ジェットマシンにはローマ数字で「I」から「V」までの数字がナンバリングされており、ジェットマシンには変身しなくても搭乗することが可能。生身でジェットマシンに搭乗する際、ジェットマンはフライトスーツとヘルメットを着用する。 特撮監督の佛田洋によれば、ストーリーに絡めた空中戦を描くことが目指されたが、1年間のバンクも撮らなければならないため序盤の訓練シーンが設けられたという。 ジェットホーク ジェットマシン1号機。レッドホークが搭乗する赤い鷹型戦闘機。ジェットマシンでは最も各スペックのバランスがとれている。 武器は垂直尾翼基部に備えている2門の光弾砲プラズマホークカノン。 ジェットイカロスでは頭部と胴体、グレートイカロスでは頭部を含めた胴体中心部、イカロスハーケンでは先頭部になる。 第1話では小田切が操縦し、竜を連れて壊滅するアース・シップより脱出している。第40話ではJ1が操縦した。 第2話では従来のような3機編隊の敵戦闘機との戦闘と差別化するため、ファイタージゲンが敵として設定され、空中戦の描写が設けられた。 ジェットコンドル ジェットマシン2号機。ブラックコンドルが搭乗する黒い禿鷹型戦闘機。ジェットマシンでは最高のスピードを誇る。 武器は両翼に三門ずつ備えている光弾機銃コンドルバルカン。機首には重力波発生装置を内蔵。体当たり技のマッハタックルは第4話の訓練時に使用。ジェットホークの合同技はプラズマホークカノンと同時発射するダブルジェットビーム。 ジェットイカロスの右足、イカロスハーケンでは中心部右側、グレートイカロスでは左腿になる。 第40話ではJ2が操縦した。 ジェットオウル ジェットマシン3号機。イエローオウルが搭乗する黄色い梟型VTOL戦闘機。高出力の機体。 武器は翼の内側に一門ずつ装備されている光弾機銃のオウルスマッシャー。機体下部にはマジックハンドを装備。マジックハンドは100トンの物体を持ち上げることが可能で、それを活かして、岩を落下させる岩石落としを繰り出す。オウルスマッシャーは劇中未使用。 ジェットイカロス、グレートイカロスの右腕、イカロスハーケンでは右翼部になる。 第40話ではJ4が操縦した。 ジェットスワン ジェットマシン4号機。ホワイトスワンが搭乗する白鳥型戦闘機。高性能レーダーを装備し、索敵能力に優れる。 武器は頭部の側面に一門ずつ装備されている光弾機銃のスワニーパルサー。 ジェットイカロスの左足、イカロスハーケンでは中心部左側、グレートイカロスでは右腿になる。 第40話ではJ5が操縦した。 ジェットスワロー ジェットマシン5号機。ブルースワローが搭乗する青い燕型戦闘機。運動性能に優れ、アクロバット飛行を得意としている。 武器は光弾機銃のスワローシャワー(未使用)と翼を分離して飛ばすウイングカッター。 ジェットイカロス、グレートイカロスの左腕、イカロスハーケンでは左翼部になる。また、ウイングシールドも形成。 第40話ではJ3が操縦した。 巨大戦闘機 イカロスハーケン 第5話から登場。5機のジェットマシンが「合体!ジェットスクラム」のコールで合体した巨大重爆撃戦闘機形態。主翼と垂直尾翼を収納したジェットホーク後部に変形した他の4機が接続される形で合体。 必殺技は接続した全機のエンジンで対消滅プラズマを発して機体を燃えあがらせ、マッハ15で火の鳥となって敵に体当たりするジェットフェニックス。 この形態からジェットイカロスに変形することや、逆にジェットイカロスの状態からイカロスハーケンに変形することも可能。 玩具「天空合体DX超合金ジェットイカロス」ではオリジナルのキャリアパーツを装着することで、ディスプレイすることが可能。 バードガルーダ 第23話から登場。鳥型の巨大戦闘機。表次元と裏次元の間を自由に航行することもできる。バイラムに対するレジスタンス活動を行っていた裏次元世界ディメンシアの戦士たちが建造したもので、後にジェットマンに託された。当初は3人乗りだったが、5人乗りに改造された。 武器は機体下部に装備された2門ミサイルのガルドバルカン、口から放つ冷凍光線のダイヤブリザード。翼の超振動ブレード攻撃のウイングスラッシャーもあるが、劇中未使用。 ハイパーハーケン 第32・34話に登場。イカロスハーケンとバードガルーダが「合体!ハーケンスクラム」のコールで合体した超巨大戦闘機。この形態からグレートイカロスに変形することや、グレートイカロスの状態から本形態に変形することも可能。 ボディ下部2門の砲身から強力破壊ビームハイパーバスターを発射。 必殺技は亜光速で飛行しながら、光に包まれた状態で体当たりするハイパー・G・アタック。 第34話では、テトラボーイからの発信信号を手がかりに次元を飛び越える能力を発揮し、バイロックへの潜入を果たした。 シリーズ初のロボット形態以外での1号ロボと2号ロボの合体形態である。デザインは『スパイダーマン』のマーベラーをイメージしている。 玩具ではバードガルーダとイカロスハーケンを固定用のディスプレイ台座にセットして完成させる。 巨大ロボ ジェットイカロス 第6話から登場。5機のジェットマシンが「合体!スクラムウイング」のコールで合体した巨大ロボ。装甲はバードニウム合金製。胸部にはジェットマンのエンブレムが刻まれている。合体のみならオートコントロールでも可能だが、その場合は本来の強さが発揮できない。第43話では小田切の体内に寄生したヒルドリルを退治すべく、ミクロ化を行った。操縦は竜が行うが、不在の場合は凱が行う。最終回でグレートイカロスから分離した際はジェットガルーダを操縦する竜を除いた4人と小田切が操縦し、竜が座る位置に凱が、凱が座る位置に小田切が座っていた。 多彩な武器を装備しており、刀身に対消滅プラズマを放出して敵を切り裂く剣のバードニックセイバー、厚さ5mの鋼鉄板を切り裂く2本の投げ短剣ジェットダガー、薙刀のジェットランサー、ジェットランサーとジェットダガーを合体させたトライランサー、20m四方の鋼鉄の固まりを切断する斧のイカロスアックス、戦車を一撃でたたきつぶすハンマーのイカロスマグナ、電流も流せる巨大鎖分銅のイカロスクラッシャー、ジェットスワローの主翼が変形した盾のウイングシールド、マッハ2の速度で放つロケットパンチのショットパンチャーを使用。この他、ジェットオウルの両翼ならびにオウルスマッシャーを変形させた二連ビームガン・ウイングレーザーを持つが、劇中では未使用。第6話の凱のセリフによれば、ミサイルも装備しているが使用例はない。 必殺技はバードニックセイバーの刀身を発光させた状態で滑空しながら左から右に横一線に水平に斬り裂くというもので特に技名はない。第51話では滑空・横一線せず、左腕を落とされた状態でラゲムの背中の傷をジェットガルーダもろとも貫いた。第20話ではイカロスクラッシャーでソウジキジゲンに止めを刺している。 小田切いわく「地上最強のロボット」であり、次元獣相手には苦戦することは少なかったが、バイオ次元獣を初めとした次元獣以外の相手には苦戦を強いられることが多く、腕(主にジェットスワロー合体部)を通算で5回も切り落とされたり、攻撃を受けただけで操縦者の変身が解除したり、バードニックセイバーが折れる、溶けるといった描写が何度も見られた。また、バイオ次元獣を単体で倒したことはなく、ネオジェットマンが操縦した際は実戦経験が乏しいこともあり、隕石ベムに対して太刀打ちできなかった。 ジェットガルーダ 第23話から登場。バードガルーダが「変形!ジェットガルーダ」のコールで変形した巨大ロボ。全身の装甲は表次元には存在しない特殊元素ガルドニウム製。人間的な頭部を持たない特異なデザインで、インド神話の「ガルダ」をモチーフにしている。ジェットマン以外では元の持ち主であるディメンシアの戦士たち、彼らを殺害して強奪したラディゲと地球以外の次元の出身者たちが操縦し、ジェットマンの2号ロボになってからは小田切が単独で操縦したこともある。 装備・技は稲妻状の破壊光線ガルドビーム、右足で繰り出す飛び蹴りのブーストキッカー、全エネルギーを放出することで胸から放つ熱線ビームのガルーダバースト。目の部分には透視光線のガルドサーチャーを備えている。 必殺技は両腕のカギ爪にエネルギーを集めて発光させ、空中から敵を×字に切り裂くガルーダクロー。 最終決戦では、第43話同様小田切が操縦して参戦。グレートイカロスの合体解除後は、竜が単独で操縦して、ラゲムの鎧となったバイロックを破壊、ラゲムを拘束。ジェットイカロスのバードニックセイバーで共に貫かれ、ラゲムもろとも爆散して、残骸となった。 設定上はジェットイカロスよりかなり大きいが、作中では同等の大きさとして扱われている。玩具でもジェットイカロスより大きいが、元バンダイ社員の野中剛が当時の担当者から聞いたところによれば、これはハイパーハーケン形態からの逆算であったという。 グレートイカロス 第24話から登場。ジェットイカロスとジェットガルーダが「合体!グレートスクラム」のキーボイスで合体した巨大ロボ。2大ロボが右腕を交差させた後、ジェットイカロスの後ろにジェットガルーダが立ち、2体とも分離。ジェットガルーダの胴体部内にジェットイカロスの胴体、ジェットガルーダの両手足内にジェットイカロスの両手足が合体し、ヘッドギアを被る。「完成・グレートイカロス」の発声を行う。セミマルに対抗すべく、ジェットマンとディメンシアチームが共同で改造を行い、合体可能となった。極めて高い防御性能を持つ。 頭部からはグレートビーム、胸の円形部からはブレストビーム(未使用)を発射。 必殺技は胸部のエンブレムから発する超高温・超高圧光線バードメーザー。ベロニカ戦とラゲム戦で通用しなかった際には、直撃したメーザーのエンブレムの形が崩れるというかたちで表現された。 第31話でのイエローのセリフによるとブラックとホワイトがいないため、合体できないとされていたが、第27話と第48話ではホワイトやレッドを欠いた4人で合体を果たしている。初合体時はガルーダを操縦していたダンは合体完了後、ブルーに連れられて、彼女と一緒の操縦席に座っていたが、最終回でガルーダを操縦していた小田切が搭乗した際は後部の固定式の座席に座っていた。 デザイン画では、ジェットコンドルとジェットスワンの位置がジェットイカロスと同様であった。 テトラボーイ 第31話から登場。ジェットイカロスとジェットガルーダのサポート用に小田切長官が開発した青い3号ロボ。ニューロコンピューター内蔵の無人による自動操縦式サポートロボで、素早い動きによるパンチやキックなどの攪乱戦法を得意とする。武装はなく、テトラパンチやテトラキックなどの技で戦う。 「テトラフォーメーション」や「変形・テトラバスター」のコールで4連装バズーカ砲のテトラバスターに変形。ジェットイカロスやジェットガルーダの武器となり、超強力プラズマタキオンビームを上下左右の砲口から発射。グレートイカロスとの合体技として、テトラボーイをバードメーザーに取り込んで放つ戦法があり、この技でベロニカを破った。 第34話では竜がバイロックに侵入するためのトロイの木馬とし、第39話では凱がグレイとルーレット勝負をした際には、気づかれない程度にカジノバーを傾けることで、凱に勝利をもたらしたり、戦闘以外でも活躍している。 最終回では自身のパンチでラゲムの弱点を発見するも、拘束された状態で両腕を切断されて機能停止してしまう。 玩具ではグレートイカロスにも装着可能で、オリジナルギミックとして付属のグリップをテトラバスターに付けることで人の手で持てる、なりきり玩具の面を持っていた。また、玩具オリジナルの形態として弾丸とグリップが付属した「ガンモード」に変形が可能。 スペック ロボットの重量設定はシリーズ他作品よりも小さいものとなっている。 基地・施設 スカイキャンプ スカイフォースの施設で鳥人戦隊の基地。内部には、司令室やトレーニングジム、ジェットマシン各機を収容している格納庫などがあり、中盤以降は最上部の司令室上に、バードガルーダがまさに鳥のように止まっている。基地内は外観よりも広く、ロボ状態の3大ロボを立たせた状態で整備することも可能。また、コンピューターによる管理が徹底しているためか、ジェットマンの5人と小田切以外の常駐メンバーが登場していない。第41話において、バイオ次元獣隕石ベムに潜入された。 アース・シップ 第1話に登場。地球の衛星軌道上に浮かび、常に監視している地球防衛軍スカイフォースの中枢を成す宇宙基地で、内部には各研究施設が設備されており、Jプロジェクトや兵器開発などの研究が進められていたが、バイラムの攻撃によって破壊され、地上にバードニックウェーブが降り注ぐことになった。 次元戦団バイラム 裏次元侵略戦争によって裏次元世界を滅亡させた後、表次元に相当する地球を掌中に治めんと次元を超えて攻めてきた次元戦団。地球人を醜く愚かな者たちと侮蔑し、巨大魔城バイロックを拠点に、地球征服の計画を企てる。 裏次元での戦闘中に女帝ジューザが行方を晦ましたため首領の座は空位であり、残った4大幹部たちはジェットマンを先に倒した者が首領になるというトロイカ体制によるルールの下、半ばゲーム感覚で侵略を開始。しかし、4人の幹部はいずれも自分自身の存在に絶対的な優越感を抱いているプライドの高い性格のため、仲間意識はあれど基本的に信頼関係はなく、足の引っ張り合いで勝機を逃したり、時には1人の失敗を大勢で嘲笑うなど、それらが原因でジェットマンを倒す絶好の機会を逃すこともしばしばあった。それでもそれぞれ実力は互角だったことから辛うじて均衡は保たれていたが、トランザ誕生でパワーバランスが崩れて以降、ラディゲとトランザの露骨なまでの妨害合戦に加え、ラディゲ・マリア・グレイのもつれた感情により、組織は半ば自滅という形で崩壊していった。 一部のキャラクターを除き、身長・体重などの設定はない。 キャラクターデザインは左右非対称が意識され、幹部は白と黒のモノトーンでまとめられている。 4幹部の実質的なリーダー格。25歳。残忍かつ冷酷な野心家で、異常なまでに執念深い。人間の情愛などを「愚劣な感情」などと軽んじる一方、マリアに対しては倒錯した感情を抱いていた。 尊大かつ傲岸不遜な性格で、自分の上に立つ者の存在を決して認めず、他者が必死で努力する姿を敵味方関係なく「健気」と皮肉を交えて嘲笑し、相手を見下しきった態度であしらう姿がしばしば見受けられた。ジューザにより記憶を消され、人間の姿にされた際は心優しい好青年となるが、記憶を取り戻した時には何の未練もなく自身を助けた女性・早紀を殺害している。ベロニカのエネルギーを吸収した影響で再び人間の姿になるが、以前とは異なり、記憶は保ったままだった。正体を隠して、竜に味方する形でトランザへの逆襲を成功させる。 目的のためなら手段を選ばない冷徹さと柔軟な判断力が特徴で、ジェットマンを倒すために裏次元人の生き残りや太古の眠りより復活した魔神、ジェットマンの長官である小田切など、バイラム固有の戦力以外の存在をしばしば利用した。ジューザやトランザといった組織内の仇敵を打倒するためにはジェットマンと共闘することさえ辞さなかった。 悪役特有の邪悪な性質を持つ一方、バイラムの戦士としての誇りもあり、トランザによって魔神ロボ・ベロニカに捕らわれた雷太、アコ、香を救い出したり、崖から落ちそうになった竜を助けたこともあった。また、トランザの鼻を明かすためとはいえ、マリアとグレイに協力を要請して共に隕石ベムを作り出した際は、その2人と祝杯を挙げていた。 次元の壁を切り裂くこともできる秘剣ブラディゲートと呼ばれる剣を愛用する。第27話では自身の霊能力を披露したが、ジェットマンを霊界に引きずり込み始末しようとして失敗した際、跳ね返ったダメージによって霊能力を失う。またラディゲとしての姿の他に、凶獣ラディガンなる真の姿を持つ。終盤ではベロニカのエネルギーを吸収し、最終形態のラゲムに変化する力を得た。 執念深さが常軌を逸しており、特に一度屈服させられたトランザへの恨みは凄まじく、幾度となく逆襲を狙った末に第47話ラストにおいて凄まじい報復を行ったが、一生消えない生き地獄を与え続けるために、あえて止めは刺さずにそのまま彼を放置した。 デザインは恐竜や巻貝の化石の要素が取り入れられている。 ラディゲの真の姿。ラディゲは怒りの感情が昂ることでこの形態に変身する。おぞましい怪物の姿をしており、左手に秘剣ブラディゲートが一体化している。口からは衝撃波を放つ。この姿に変身すると敵のあらゆる攻撃を防御する。魔人ロボ・ベロニカの体内でその生体エネルギーを吸収する際にも一瞬だが変身した。 デザインはラディゲと同様に恐竜の化石の要素が取り入れられている。 ラゲム 魔神ロボ・ベロニカの生体エネルギーを吸収したことにより変身可能となった、ラディガンの強化進化形態にしてラディゲの最終形態である巨大怪獣。両手の爪や舌、噛み付きといった攻撃を行い、最大の特徴は、バードニックセイバーをへし折り、バードメーザーを受けてもびくともせず、ジェットフェニックスをもはね返す高い防御力にある。胸部にはラディガンの顔があり、発声もその部分から行う。 初登場時はラディゲの意思とは無関係に変身したためか、胸部にはラディガンの顔がなく、本能のままに暴れ、グレートイカロスのボディを貫いて勝利した。最終決戦においては、ラディゲがジェットマンの真の力でダメージを受けた後、自らの意思で変身。以前と同じようにジェットマンの各巨大ロボを圧倒するが、リエに付けられた背中の傷が巨大化したことで開いてしまい、その部分が唯一の弱点となる。テトラボーイの攻撃で弱点が発覚した後、傷を隠すためにバイロックを鎧として纏った。 デザイン画ではラディガンの顔はついていなかった。 ラゲム(第二形態) ラゲムがバイロックを鎧とする形で融合した姿。唯一の弱点である背中の傷を保護するための姿であるが、バイロックの力でパワーアップも果たした。頭部の球体からは破壊光線や糸状の拘束光線を放ち、両肩からは2つの光輪を放つ。身体から光を発して衝撃波を起こし、それで大量の大岩をぶつける戦法も披露。防御面も強化され、バリヤーの展開が可能となった。触手の一つにはブラディゲードが一体化している。 テトラボーイを拘束した状態から光輪で両腕を切断して機能停止させ、衝撃波からの大岩でジェットイカロスの左腕も破壊するが、竜が操縦するジェットガルーダの右腕からの打撃で鎧を破壊されてしまい、ジェットガルーダに拘束された状態からジェットイカロスのバードニックセイバーで背中の傷をジェットガルーダと一緒に貫かれて最期を迎えた。死の間際、ラディゲは吐血しながら「これで、このラディゲを倒したつもりだろうが、俺の魂は裏次元から永遠に貴様たちを呪い続けるだろう!」という呪詛の言葉を残し、ジェットガルーダもろとも爆散。ラディゲの兜だけが残された。 スーツは強化前後で頭部を差し替える形となっている。 / 元スカイフォース隊員で、竜の恋人。鳥人戦隊の隊員にも選ばれていたが、バイラム襲撃の際に次元の歪みに吸い込まれてしまい、ラディゲの洗脳を受ける。ただし竜はリエの死亡を確信しており、マリアをリエと同一人物だとは第31話まで知ることはなかった。 かつてのリエはピアノを愛する心優しい女性だったが、洗脳されて以来、烈しい闘争心を持った好戦的な性格へと変貌する。恋人だった竜も倒すべき仇敵としか認識していない。しかしマリアとなってもピアノの腕は全く衰えておらず、その美しい演奏はグレイを惹きつけた。 万能スティック・ネクロッドが武器。リエとしての記憶と人格はすでにないが、洗脳前の記憶が時々フラッシュバックし苦しむ様が見受けられる。 新参の幹部であるため女帝ジューザのことを知らなかった。 ラディゲを貶しながらも、その実力は認めており、ジューザの手で人間に変えられたラディゲが復活した際は喜びの顔を見せ、隕石ベムを用いた作戦ではラディゲに祝福の言葉をかけている。 ラディゲの策略により血のヒトデに寄生されるが、竜の呼び掛けにより血のヒトデから解放され、リエとしての記憶と姿を取り戻す。ただしマリアとして悪事を働いてきた記憶もそのまま残ってしまい、数々の凶行に手を染めてしまった自分を許せなかったため、竜の下にも戻ることができず、せめて自分の人生を踏みにじったラディゲに一矢報いようと、彼の背に恨みを込めてブリンガーソードを突き立てるもラディゲの怒りを買い、即座に返り討ちにされる形で斬られ、竜に自分のことを忘れるように遺言を残して彼の前から去った後、グレイに看取られながら竜を想いつつ涙を流し、息を引き取った。そしてグレイの涙と共に肉体は消滅した。バイラムが壊滅して3年後、香と結婚式を上げる竜の前に幻影の姿で現れ祝福した。 ロボット幹部。その出生については全く不明。背中に必殺砲グレイギャノンを、腕にはマルチショットガン・ハンドグレイザーを装備している。掌からは衝撃波も放つ。鋼鉄のボディの防御力は高く、パワー・格闘戦にも秀でるなど戦闘力は高い。 ロボットではあるがマリアに恋心を持ったり、ワインと煙草(指に装備された超小型の火炎放射器をライターのように使い火をつける)とクラシック音楽を好むという人間的な面を持ち、バイラムのメンバーでは比較的理性的な性格。ラディゲとは対照的に卑怯な手を使わず、正々堂々の戦いを好む。その一方、第34話では自身と結託した竜(実はアンドロイド)が用済みとなるや銃撃し、バイロック内にてジェットマンと対決するジゴクメドゥーサにグレートイカロスのエネルギーを吸わせ、そのまま自爆するよう指示するといった冷徹な策士としての顔を見せたり、第36話ではクラシック音楽を鑑賞していたところ、笛を吹いて邪魔をしてきたトランに向かってワイングラスを投げつけて激昂するといった気性の荒い一面も見せている。他の幹部たちと違って侵略などの野心をあまり持たず、純粋に強い相手との戦いだけを楽しんでいた節がある。 マリアの奏でるピアノに魅了されてからは彼女に騎士道的な愛を捧げるようになり、何度か自らの身体を盾にマリアを助けた。彼女を救うため、ジェットマンに助力を求めたこともある。マリアからも信頼されるようになったが、自身の想いは最後までマリアには伝わらないまま、その最期を看取り、自身の涙が、マリアの亡骸を光に変えた。 マリア以外の幹部に対しても、第32話と第40話ではラディゲのバイオ次元獣製作に協力し、第11話ではトランの勧めで遊び心を学ぶためにジハンキジゲンを作り出すなど、協調性を見せている。トランザからは他の2人の幹部よりは信用されていた模様。 前述の通り、侵略に関する積極的な野心を持たないため、次元獣・バイオ次元獣を自ら指揮することは少ないが、指揮した次元獣・バイオ次元獣は、ジェットマンを窮地に追い込んでいる。 ブラックコンドル・凱とはライバル関係にあり、何度も一対一の死闘を繰り広げた。終盤には敵味方を超えて互いに戦士として認め合う部分があり、両者の間には奇妙な友情が芽生えていた。 マリアの最期を看取った後、その喪失感から凱との決着を付けようと決意し、同じくラディゲに対し、リエの弔い合戦を挑みに向かった竜を追う凱たちの前に立ちはだかり、凱と最後の一騎討ちを繰り広げた末に胸にブリンガーソードを突き刺され敗北。凱に火を付けてもらった葉巻で最期の一服を嗜みながらマリアのことを想いつつ、静かに機能は停止していった。 超能力を使う少年幹部。9歳。ゲーム感覚で作戦を立案し、相手の被害はおろか、味方の犠牲などですら「ゲームを楽しむためだけの要素」と捉える冷酷な性格。ジェットマンを倒した者が、バイラムの頂点に立つルールも彼の考案によるもの。 腕に装着したキーパッド・メタルトランサーによって発動するサイコキネシスでジェットマンを度々翻弄した。いつもはゴーグルをして顔を隠しているが、サイコキネシス使用時にはゴーグルを展開させて素顔を現す。 年少の子どもであることにある種の劣等感を持っており、他の幹部からそれを蔑まれ、ジェットマンからも子どもゆえに情けをかけられたことでコンプレックスが爆発し、急成長を遂げる。 デザイン画では髪を逆立てていたが、ヘアセットがうまく行かず実現しなかった。 トランザ 第37話より登場。敵味方両方から子ども扱いされ、フラストレーションが限界に達したトランが怒りによって成人に成長した姿で、帝王を自称する。髪は銀色で、唇は紫色である。能力が急上昇していることに反して精神面はあまり成長しているとは言えず、非常に自己顕示欲が強い。初登場時に竜と剣術勝負、凱とゴルフでのナンパ勝負、挙げ句の果てには雷太と大食い勝負をするなど、どんなことでも相手の上に立たないと気が済まない。好んで自らの権力を誇示したがり、ラディゲに自分の名を「様」付けで呼ぶことを強要したり、自らが建造した魔神ロボ・ベロニカに他の3幹部をわざわざ搭乗させたりした。 性格は尊大かつ自己中心的で、自分の失敗を全く認めないどころか、他の幹部に転嫁するなど、性格の歪みに加速が掛かっている。ラディゲらが生み出したバイオ次元獣・隕石ベムを横取りして自分の作戦に利用しておきながら、隕石ベムがジェットマンに敗れると責任をラディゲらに押しつけたのは、その例である。 サイコキネシスに加え、魔剣ボルトランザによる攻撃力は圧倒的で、初戦では単独でジェットマンと他のバイラム幹部たちを軽く一蹴し、レッドホークのスーツをズタズタにして、竜に深手を負わせた。第47話のみだが幻想世界を作り出す能力も持つようである。右腕のメタルトランサーは自身の武器やグリナム兵の呼び出し、隕石ベムの心臓部を爆破寸前に取り出すなど、少年時より能力がアップしている。また、テストロボットG2とベロニカの単独での建造、レッドホーク以外の4人をオブジェに変えたバイオガンの開発など、技術力も計り知れないものとなっている。 トラン時代は愉快犯的な行動が多く見られたが、成長後はそういった面は影を潜め、地球侵略よりもジェットマンを倒すことに執着するようになった。何度かジェットマンを全滅寸前まで追い込んだが、いずれもラディゲの妨害により失敗に終っている。一度はラディゲを初めとする他幹部を服従させるが、所詮は力のみによる支配であり、誰一人として忠誠を誓う者はなかった。 ベロニカの一件でラディゲが消息を絶つと、組織を完全に掌握したと高をくくるが、バイオガンを用いてのジェットマン狩りの最中、帰還したラディゲの支援を受けたレッドホークの反撃に遭い、スマッシュボンバーで力の根源であったメタルトランサーを破壊されたことにより、剥製化していたブラックコンドルたちも復活してしまい、全員揃ってのファイヤーバズーカの直撃を受けて重傷を負う。さらにラディゲの執拗な追い討ちで心身共に酷く甚振られたことで、脳神経を破壊され、精神崩壊を起こし、一生自分への恐怖心を抱えながら生かすために、敢えて止めを刺されることなく放置された末、身元不明の患者として城東脳神経外科病院に収容される。最後はラディゲの宣言したとおり、彼への恐怖に怯え、発狂して錯乱しながら隔離病棟の奥へと消えていった。 メインライターの井上は、トランが大人になるという展開は最初から決めていたといい、見せ場を意図した展開であると述べている。広瀬匠の起用も井上のリクエストであったという。一方で、トランザの壮絶な末路は、脚本にはなく演者である広瀬の発案だったという。 第17話・第18話に登場。かつて「万物の創造と破壊を司る者」として恐れられ、ラディゲ、グレイ、トランを従え、多くの次元世界を侵略したバイラムの首領。裏次元侵略戦争の際、最後の戦いで戦死したものと思われていたが、実は戦いで受けたダメージを回復させるために休眠していただけで、新たなる活力を得たことで永い眠りから目覚める。究極の破壊獣セミマルを宿し、隕石と共に地球に襲来した。 口から衝撃波、手から結晶ビームを放つ。 ジェットマンを一度は単独で圧倒し、凱の身体を結晶と化すなど実力者であり、ラディゲの謀叛もいとも簡単に退けて見せた。そのラディゲを人間の姿に変えて記憶を消した上で、一度は表次元に追放するが、復活したラディゲの逆襲に遭い、ラディゲの指示を受けたジェットマンのバードブラスター一斉攻撃とホワイトスワンのブリンガーソードで額の結晶を壊されたことで弱体化する。自分の顔を傷つけられたことに激昂し本性を現したが、カリスマ性のなさが災いして、ラディゲ以外の幹部たちや結晶状態から戻ったブラックコンドルからも攻撃され、ファイヤーバズーカで重傷を負う。その場は何とか逃げ延びるが、最終的にバイラムには不要の存在として、ラディゲの手で止めを刺される結末となった。 魔獣ジューザ ジューザが変身した姿。ラディゲが変身したラディガン同様に怪物の姿をしている。 左手から連続で破壊弾を放つ。 魔獣セミマル 第23・24話に登場。ジューザが身に宿し、忘れ形見として残していた卵から誕生し、ラディゲに育成された究極の破壊獣。ラディゲ曰く破壊の神。卵は大きく、イラガの繭のような模様をしており、幼体はイモムシのような姿で、成体は背中に翼が生えた悪魔のような外見をしている。人間の苦しみや悲しみを吸って成長し、「その力は一瞬にして大地を割り、天を焦がす」と恐れられる。手から出す念動波であらゆる物を破壊する。初陣であるジェットイカロス戦では評判通りの並外れた戦闘能力を発揮し、バードニックセイバーを叩き折ったうえ、ジェットイカロスの両腕を斬り、戦闘不能にまで追い込んだ。ジェットガルーダとの戦闘でも圧倒するが、ガルーダバーストでダメージを負ったために撤退。グレートイカロスとの戦いでも互角の勝負を展開するが、バードメーザーに敗れる。 / バイラムの怪人。次元虫に寄生された人間界の物体が怪物化したのが次元獣である。その証拠として体のどこかに次元虫がある。寄生された物体が小型の場合は一律に人間大の次元獣として発生するが、元々人間大より大きな物体が寄生された場合は巨大(元の物体と同等の大きさ)な次元獣として発生する。また、人間大の次元獣も次元虫の能力もしくはメタルトランサーの操作により巨大化することが可能で、通常は一度倒されたあと巨大化再生する。次元虫ごと倒されたために巨大化できなかった次元獣や、戦略により倒されなくても巨大化した次元獣も存在する。名称は「◯◯ジゲン」。バイオ次元虫に寄生された物体は生物の特性も併せ持ったバイオ次元獣となる。名称は「◯◯+生物名」or「生物名+◯◯」。巨大化能力については次元獣と変わりない。 次元獣には人語を発し、個性的なキャラクターを持つ者も多かったが、バイオ次元獣にこのようなタイプは少なく、侵略兵器としての性格が色濃くなった。 ジェットマンに倒された母虫が残した卵から孵化したもので、大きさは人の掌よりやや大きい程度。様々な物体に寄生して次元獣と呼ばれる怪物を発生させるほか、状況に応じて次元獣を巨大化させる能力も持つ。死ぬと跡形もなく消滅する。 第1話に登場。バイラムに使役されている昆虫型の生物。等身大の大きさで人間を捕食して栄養とし数十個の卵を生み落としたが、初戦でジェットマンに深手を負わされ退却。その後も出撃したが、初めてジェットマンが五人揃った戦いで必殺技のバードボンバーによって倒された。 マリアが次元虫に生物の遺伝子を付加し、強化改造された物。外見的には次元虫と全く異なる。寄生された物体はバイオ次元獣となる。バイオ次元虫は不完全な合成生物であり、繁殖はできない。 デザインはクモをモチーフにカブトガニのイメージも取り入れられている。 グリナム兵 種のような物体・グリナムの種から生まれるバイラムの戦闘兵。斧のような剣と指から撃つ弾丸を武器とする他、体を蔦状に変化させて相手を捕縛できる。知能はさほど高くないが、人語を話せる他、「強化のために次元虫を付けてもらいたい」と思うなど思考を有する者もいる。第28話では阿部渡が声をあてている。ドライヤージゲンとトランの間を行ったりきたりした一団など、個性的な面もある。一度だけ、女性の体型をしたグリナム兵が登場した。 G2 第42話に登場。ベロニカ開発の過程でトランザが試験的に開発したテストロボット。ボディカラーは黄色。想定していたほどの結果が出なかったため、製造早々トランザに欠陥品扱いされ、グリナム兵の訓練用に供せられることになったが逃亡する。その後、地上に迷い出た際に機能停止しかけていたところをグレイに助けられたのをきっかけに彼を慕うが、当のグレイは一時の同情から助けたまでに過ぎず、以降は全く相手にされないでいた。 最後はジェットマンのファイヤーバズーカから身を挺してグレイを守るが、グレイからはその奮闘を気づかれることなく、誰にも看取らぬまま機能停止し爆発する。 デザインモチーフはデッサン人形。 バイラムの戦力 魔城バイロック 次元間の狭間に浮かぶバイラムの要塞。次元転移装置を装備しており、これによって表次元と裏次元を自在に航行可能。内部には重力などの物理法則が一切無視された空間が広がっている。 最終回では、ラディゲが表次元に召喚し、ラゲムの鎧として装着した。 魔神ロボ ベロニカ 第44話・第45話に登場。トランザが対グレートイカロス用に開発した生体メカにして巨大ロボ。 テストロボットのG2を経て、完成し、巨大なモノリス状の物体から出現した。ロボットには珍しく相撲のような褌がついている。操縦席には全員が搭乗するが、主操縦はトランザが担当。内部に拘束した人間から吸収した生体エネルギーで動き、武器は斧の付いた形状の剣とシールドに加え、腹部から放つアンカーや光の翼も搭載。 ジェットマンとは三度に渡って交戦。1戦目ではラディゲが操縦に割り込んだことで生じた隙を突かれ、バードニックセイバーによる反撃を受けてコクピットを破損して撤退。2戦目ではバードメーザーをシールドで受け止め、アンカーでグレートイカロスの腹部を貫き、そこから侵入したトランザの手で雷太、香、アコの3人を捕虜にすることにも成功。3戦目では捕虜たちに加え、ラディゲも生体エネルギーとするが、ラディゲに逆にエネルギーを吸収されて出力が低下し、生体エネルギー要員もジェットマンに全員救出されてしまう。最終的にはバードメーザーのエネルギーにテトラボーイを乗せて突っ込ませる合体技を受けて爆発四散した。 デザインは雨宮慶太が担当。雨宮はスーツアクターの宮崎剛のためにデザインしており、宮崎の手の芝居を気に入っていたことから指をすべて動かせるようにしている。また、宮崎はジェットイカロス役の日下秀昭との身長差が10センチメートル以上あったため、足は20センチメートルほどの高下駄となっている。 三魔神 第30 - 32話に登場。太古の昔より地球に存在し、人間の天敵として生き続けてきた3体の怪物で悪魔的な外見をしている。人類を助ける行動に出るが、それは人類を人間果実という食糧にするため。永い眠りについていたが初めにムーが尖兵として復活し、その後、ラモンとゴーグもラディゲの血で復活。ラディゲはラモンとゴーグを従わせようとしたがバイラムは食糧である人間の敵であるため、拒絶されるもバイオ次元虫を用いて、従わせることに成功した。 ムー 最下級の魔神で両腕に付けた刃が武器。手首は再生可能。 ラモンとゴーグを復活させようと戦士の血を求めて香をさらった。コンドルフィニッシュとファイヤーバズーカで重傷を負った後、ラモンとゴーグのもとへと敗走するが、ゴーグの手で消滅させられる。 ラモン ムーより後に復活した2体の魔神の片割れで剣と牙状の刃が武器。体から触手を出して戦士の血や魔神の遺体を吸収。治癒能力で傷ついた人間を回復させた後、パイナップルに似た形状の人間果実に変え、口から出す管でエキスを吸うことを楽しみとする。 ゴーグがジェットマンに敗れた際、その遺体を吸収して、パワーアップしようとしたところをラディゲによってバイオ次元虫に寄生され、配下にされる。 目はスーツアクターの目が直接出る形状となっている。 ラモン(合体) ラモンとゴーグが合体した姿。魔神の力に執着するラディゲがグレイの協力を得て回収したゴーグの遺体をバイロック内に運び、体内にバイオ次元虫を数匹忍ばせて元の位置に戻し、ラモンがその遺体を吸収しようとしたところをバイオ次元虫を寄生合体させ、配下とした。牙や光球といった合体前の双方の武器のほか、両手からの光線を武器とする。 折しもジェットマンは、内部トラブルで凱と香が離脱、さらに魔神の攻撃でマリアがリエに戻るも、ラディゲによって再びマリアになったため、ショックの竜は現実逃避に陥り、空中分解状態だったが、凱の励ましで竜は元に戻り、ジェットマンのウィングガントレッド連続攻撃に敗北。巨大化後は、ハイパーハーケンのハイパー・G・アタックで粉砕された。 デザイン画では腹部から鳥のような脚が現れるギミックが存在した。 ゴーグ ラモンと同時に復活した魔神で二又の槍を武器とする。自力で巨大化することが可能。 巨大戦ではジェットイカロスとジェットガルーダを相手に優位な戦いを見せたが、間一髪で完成したテトラボーイが加わって形勢逆転し、ジェットイカロスのテトラバスターで倒される。遺体は、ラモンとラディゲが争っている隙にグレイに持ち去られて、ラディゲにバイオ次元虫を仕掛けられる。 復活した際には「傷ついた戦士に用はない!」と言っていたが、それ以降はほとんどセリフはない。 目はラモンと同様にスーツアクターの目が直接出る形状となっている。 キャスト レギュラー・準レギュラー 天堂竜 / レッドホーク - 田中弘太郎 鹿鳴館香 / ホワイトスワン - 岸田里佳 大石雷太 / イエローオウル - 成瀬富久 早坂アコ / ブルースワロー - 内田さゆり 結城凱 / ブラックコンドル - 若松俊秀 小田切長官 - 三輝みきこ(第1 - 8,10,11,13 - 17,20 - 25,27 - 37,39 - 41.43 - 51話) じいや - 早川雄三(第1,2,4,8,13,19,22,23話) ラディゲ - 舘大介 マリア / 藍リエ - 丸山真穂 グレイ - 日下秀昭(第1 - 42,44 - 50話) トラン - 久我未来(第1 - 37話) トランザ - 広瀬匠(第36 - 47話) ナレーション - 垂木勉 主なゲスト出演者 長官 - 松本朝生(第1話) 女ディーラー - 松本由香(第2話) サングラスの男 - 野村和也(第2話) 体育教師 - 稲山玄(第2話) 婦警 - 細井正美(第3話) 男 - 松山恭尚(第3話) 北大路総一郎 - 水橋智(第4話) 神父 - 児玉頼信(第4話) 中年の男 - 喜多川務(第6話) ウエイトレス - 湯川晶子(第6話) 女の子 - 飯千隆子(第6話) 竜のおばあちゃん - 村田知栄子(第7話) 相原江美子 - 野田よしこ(第7話) 龍見恭太郎 - 寺杣昌紀(第8話) 老夫婦 - 大木史郎、高山千草(第8話) サツキ - 華井すずみ(第9・51話) 少年時代の雷太 - 須藤晃(第9話) 少女時代のサツキ - 百地千寿(第9話) ガードマン - 飯尾英城(第9話) 警官 - 平節男(第9話) ウエイター - 道脇広行(第9話) 龍田三夫 - 入沢宏彰(第10話) 母親 - 三瓶奈奈(第10話) OL1 - 河岸加奈子(第10話) OL2 - 松本恵子(第10話) OL3 - 岸川恭子(第10話) 女子大生 - 青木克枝(第10話) バスの乗客 - 吉田真弓、三川雄三、中村瑞希、益田哲夫、中島実(第12話) 運転手 - 蘭紅徹、栗田聖佐晃(第12話) カメラマン - 流川修(第13話) モデル - 小又奈名子(第13話) ギャル - 坂本静華、浜島ちあき、虎谷美津子(第13話) ウェイトレス - 山崎明美(第14話) テニス少女 - 成田有里恵(第14話) キョウコ - 塩原薫(第15話) 音楽の先生 - 松原晶代(第15話) アコのクラスメイト - 真下琴絵、西島愛(第15話) アイドル歌手 - 菊地博(第15話) 間吹静子 - 湯原弘美(第16話) 間吹周一郎 - 内山森彦(第16話) 医師 - 春延朋也(第16話) 看護婦 - 鮏川亨代(第16話) 漫画家 - 新井ふかし(第16話) 主婦 - 二階堂美由紀(第16話) 早紀 - 古川りか(第17・18話) 医師 - 茂木和範(第18話) お手伝い - 松本じゅん(第18話) 6才の香 - 小出由華(第19話) 女占い師・リリカ - 荒木ひとみ(第19話) 作業員 - 今井清也、大内浩司(第19話) ミチル - 青木秋美(第20話) 咲子 - 長谷川美佳(第20話) 晴夫 - 武田涼佑(第20話) 神父 - 木村修(第20話) 花嫁 - 大内陽子、遠藤さとみ、曽我部天佐子(第20話) 幼いアコ - 大藤晶子(第21話) 井口 - ドン貫太郎(第21話) 男、A - 田中正太郎(第21話) 男、B - 野村利之(第21話) 女の子 - 柏木友佳(第21話) レイ - 石渡譲二(第23・24話) カンナ - 前田賀奈子(第23・24話) ダン - 藤原秀樹(第23・24話) 凱の女友達 - 佐藤亜里、彩田かりな(第23話) 原始人 - 山浦栄、泉福之助、渡部るみ(第26話) 泰元上人 - 石橋雅史(第27話) 老婆 - 花原照子(第27話) 少女 - 田原加奈子(第27話) 美女 - 三瓶奈奈(第27話) お婆ちゃん - 戸川暁子(第28話) 床やさん - 外川和彦(第28話) ルー - 高木あゆみ(第29話) デュラン - 菊池優介(第29話) 長老 - 岩城力也(第29話) 剣士 - 岡本美登(第30話) ボクサー - 仲館剣(第30話) 男1 - 中川正義(第30話) 男2 - 久野明孝(第30話) 作業員 - 石田哲也、鈴木信明(第31話) 相沢博士 - 伴直弥(第33話) 美加 - 塙紀子(第33話) 院長 - 森富士夫(第33話) 恵理 - 永松佳奈(第35話) お母さん - 寺内よりえ(第35話) 女の子 - 宮島育美(第36話) 母親 - 武田留美子(第36話) ギャル - 北村陽子、香月久美子(第37話) 柳 - 浜田治紀(第38話) 谷口教授 - 村上幹夫(第38話) 女ディーラー - 森下真弓(第39話) 一条総司令 - 手塚秀彰(第40・41話) J1 - 望月祐多(第40・41話) J2 - 笠原竜司(第40・41話) J3 - 渡辺実(第40・41話) J4 - 宮崎剛(第40・41話) J5 - 長門美由樹(第40・41話) 香の父 - 桝田徳寿(第43話) 香の母 - 五十嵐五十鈴(第43話) 凱のガールフレンド - 吉村庸子(第44話)、山口夏海(第44・48話)、工藤めぐみ(第44・48話) 幼い雷太 - 田嶋秀任(第46話) 雷太のおばあちゃん - 橋本菊子(第46話) 医師 - 栗田聖佐晃、中川正義(第47話) 警備員 - 山崎之也(第48話) ドライバー - 吉成幸一(第48話) アコのマネージャー - 東条庄兵(第51話) ひったくり犯 - 大藤直樹(第51話) 神父 - 新堀和男(第51話) 花屋店員 - 鮭川亨子(第51話) スーツアクター ホワイトスワン役の蜂須賀祐一は、第17話撮影中に左頬骨を粉砕骨折する重傷を負い降板。その後、復帰には3年を要した。 レッドホーク - 新堀和男、前田浩 ホワイトスワン - 蜂須賀祐一、赤田昌人 イエローオウル - 石垣広文 ブルースワロー - 蜂須賀昭二 ブラックコンドル - 大藤直樹 グレイ - 日下秀昭 テトラボーイ、ジェットガルーダ、グリナム兵 - 竹内康博 次元獣、ベロニカ - 宮崎剛 グリナム兵 - 中川素州、福沢博文、林潔、中川清人 スタッフ メイン監督には前作まで4年連続担当の長石多可男に代わり、キャラクターデザイナーでもある映画監督・雨宮慶太を起用。雨宮は、先に制作が決まっていた映画『ゼイラム』の撮影のため、第1話・第2話を撮影した後一旦離脱し、第19話から復帰した。また矢島信男に代わり、『ファイブマン』から特撮監督に就いた佛田洋や、当時チーフ助監督として参加し、本作品の終盤にて非公式ながら監督を代行した渡辺勝也などと合わせ世代交代が図られた。東映不思議コメディーシリーズやスケバン刑事シリーズを手掛けていた坂本太郎も本作品でシリーズに初参加した。坂本は、なぜオファーが来たかは知らないが、変わった感じが欲しかったのだろうと述べている。 第30話からは後に平成仮面ライダーシリーズを多く手掛けることとなる白倉伸一郎がプロデューサー補として参加。 世代交代は脚本面にもおよんでおり、メインライターは前作まで9年連続担当の曽田博久に代わり、若手の実力派として台頭してきた井上敏樹が起用されている。井上をメインライターに起用するにあたって、当初テレビ朝日側のプロデューサーから「態度のでかさ」を理由に反対意見が出ており、これを心配した鈴木プロデューサーが「酒を飲んで話せば彼も悪い人間じゃない」と「井上君を囲む会」を開いたという逸話が残されている。この他荒川稔久や荒木憲一、川崎ヒロユキをはじめとするサブライター陣にも、当時若手の脚本家が多数起用された。荒川はシリーズ初参加であったが、井上から変化球を書くよう求められ「戦隊らしさ」を気にする必要がなく書きやすかったと述べている。 このように若手スタッフの起用が目立つ一方で、これまでシリーズに携わってきたスタッフも一部は前作より続投しており、監督の東條昭平、蓑輪雅夫、脚本(サブライター)の藤井邦夫、撮影技師のいのくままさおなどは引き続き本作品を支えることとなった。さらにこれまで長くシリーズを離れていた金田治がパイロット作品にアクションコーディネーターとして携わった他、野口竜もキャラクターデザイナーとして10年ぶりに復帰し次元獣をはじめとする個性豊かな敵デザインを手掛けるなど、バラエティに富んだスタッフ編成となっている。 アクション監督を務めた竹田道弘は、アクション面でも変化は試みられたが、当時の合成技術やワイヤーワークの限界などから雨宮の意図に応えられたかは疑問であったと述懐している。 劇中音楽は外山和彦 (KAZZ TOYAMA) が担当。後に第28話に理髪師役でゲスト出演も果たしている。 プロデューサー - 宇都宮恭三、梶淳(テレビ朝日)・鈴木武幸(東映) 原作 - 八手三郎 連載 - テレビマガジン、てれびくん、テレビランド 脚本 - 井上敏樹、荒木憲一、川崎ヒロユキ、荒川稔久、藤井邦夫、渡辺麻実、八渡直樹、増田貴彦 音楽 - KAZZ TOYAMA(第4話までは外山和彦名義) アクション監督 - 竹田道弘(ジャパン・アクション・クラブ) 監督 - 雨宮慶太、新井清、東條昭平、坂本太郎、蓑輪雅夫 撮影 - いのくままさお 照明 - 中川勇雄、斎藤久 美術 - 山下宏 キャラクターデザイン - 野口竜、河野成浩、雨宮慶太 造型 - 前沢範 イラスト - 上遠野恵介(第1, 2話)、竹本のぼる(第10話) 録音 - 石川孝 編集 - 山口一喜、伊吹勝雄 記録 - 栗原節子、國米美子、高山秀子、吉田由香、岡重佳子 選曲 - 宮葉勝行 効果 - 大泉音映 アクションコーディネーター - 金田治(第1, 2話のみ) 計測 - 黒須健雄 プロデューサー補 - 白倉伸一郎(第30話より) 助監督 - 渡辺勝也、竹本昇 操演 - 船越幹雄 美粧 - サン・メイク 衣裳 - 東京衣裳 装飾 - 装美社 装置 - 東映美術センター、紀和美建 進行主任 - 奈良場稔、室橋忠、後藤田伸幸 制作デスク - 岩永恭一郎 制作担当 - 藤田佳紀 企画協力 - 企画者104 資料 - 河野成浩 造型製作 - レインボー造型企画 視覚効果 - 映画工房 現像 - 東映化学 カースタント - タケシレーシング 車輌協力 - MAZDA オートバイ協力 - スズキ株式会社 ビデオ合成 - 東通ecgシステム(前岡良徹、鈴木康夫、佐藤祐宏、大野英樹) 撮影協力 - 後楽園ゆうえんち、那須高原・りんどう湖ファミリー牧場、パルテノン多摩 (株)特撮研究所 操演 - 鈴木昶、尾上克郎 撮影 - 高橋政千 照明 - 林方谷 美術 - 三池敏夫 特撮監督 - 佛田洋 制作 - テレビ朝日・東映・東映エージエンシー 音楽 主題歌 『超電子バイオマン』以降、主題歌作曲には歌謡曲畑の作曲家が起用されていたが、本作品ではおもにアニメ・子ども向け番組で活躍していたシンガーソングライターのつのごうじを起用。特にオープニングテーマでは王道ヒーローソングへの回帰を見せることとなった。 主題歌を歌う影山は、『電撃戦隊チェンジマン』(KAGE名義)、『光戦隊マスクマン』に次いでシリーズ3度目の主題歌歌唱。なお、この他本作品では挿入歌を4曲担当している。 オープニングテーマ「鳥人戦隊ジェットマン」 作詞:荒木とよひさ / 作曲・編曲:つのごうじ / 歌:影山ヒロノブ 予告ではインストゥルメンタル版が使用された。番宣CMではアレンジ版のBGMが使用されている。また、後楽園ゆうえんちヒーローショーのCMでもインストゥルメンタル版が使用されている。 主題歌候補として同曲の他に「時を駆けて」(のちに挿入歌として使用)が挙げられていた。東映とテレビ朝日は「時を駆けて」を支持する中、つのと影山、日本コロムビアディレクターの木村裕史は「鳥人戦隊ジェットマン」を推して同曲のレコーディングを強行、プレゼンの結果最終的に同曲が採用されることとなったという逸話がある。 影山は、ヒーローソングはマイナーコードの曲が多いため、メジャーコードの主題歌は新鮮で、絶対に売れると感じたという。 サバン・エンターテイメントの会長ハイム・サバンは、歌詞の中でヒーローの名を何度も連呼する発想を絶賛しており、同社が制作した『パワーレンジャー』の主題歌もタイトル名を連呼するものとなっている。 エンディングテーマ「こころはタマゴ」 作詞:荒木とよひさ / 作曲:つのごうじ / 編曲:山本健司 / 歌:影山ヒロノブ カノンコードが使用されたバラード曲である。 最終回では1番フルコーラス+2番ハーフ(サビ部分)という構成で使われた。 影山はオープニングよりもこちらの方が気に入っているといい、後年自身のライブなどでも度々歌唱している。 2009年3月6日発売の『「ハヤテのごとく!」キャラクターカバーCD 〜選曲:畑健二郎〜』で西沢歩役の高橋美佳子が、2020年1月29日発売の『SAYAKAVER.2』で佐咲紗花が、それぞれカバーしている。 挿入歌 「時を駆けて」(第14・16話) 作詞:荒木とよひさ / 作曲:つのごうじ / 編曲:山本健司 / 歌:影山ヒロノブ 主題歌候補として制作された楽曲。新番組予告および第18・21・25・37話ではインストゥルメンタル版が使用された。 「炎のコンドル」(第20話) 作詞:井上敏樹、そのべかずのり / 作曲:松澤浩明 / 編曲:石田勝範 / 歌:結城凱(若松俊秀) 「ゲームじゃないんだぜ」(第13・19話) 作詞:そのべかずのり / 作曲:柴矢俊彦 / 編曲:KAZZ TOYAMA / 歌:影山ヒロノブ 第38話ではインストゥルメンタル版が使用された。 「大空の誓い」 作詞:安藤芳彦 / 作曲:つのごうじ / 編曲:KAZZ TOYAMA / 歌:森の木児童合唱団 第13話では本曲のメロディが、カメラジゲンの被害者になるモデルの撮影シーンで流れている。 「鳥になろうよ」 作詞:八手三郎 / 作曲:柴矢俊彦 / 編曲:石田勝範 / 歌:副島俊直、SHINES 「悲しきグリナム兵」(第28話) 作詞:そのべかずのり / 作曲・編曲・歌:KAZZ TOYAMA インストゥルメンタル版と併用して使用された。 「青空で会いましょう」 作詞:安藤芳彦 / 作曲:小杉保夫 / 編曲:KAZZ TOYAMA / 歌:斉藤小百合 「ジェットイカロス 無敵ロボ!」(第12話) 作詞:八手三郎 / 作曲:小杉保夫 / 編曲:石田勝範 / 歌:影山ヒロノブ 第16話および最終話ではインストゥルメンタル版が使用された。 「ジェットガルーダ鳥のロボ」(第36・43話) 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:KAZZ TOYAMA / 歌:影山ヒロノブ 「陽気なアコちゃん」(第10話) 作詞:荒川稔久 / 作曲・編曲:若松俊秀 / 歌:早坂アコ(内田さゆり)、鹿鳴館香(岸田里佳) 作曲は凱役の若松が担当しており、撮影現場で依頼され1日で仕上げたという。 「Bye Bye バレンタイン」(第6話) 作詞:鮎川めぐみ / 作曲:金田一郎 / 編曲:金田一郎 / 歌:PINK SAPPHIRE 「ファラオのように」(第7話) 作詞:デーモン小暮 / 作曲:エース清水 / 編曲:聖飢魔II、松崎雄一 / 歌:聖飢魔II 「愛の魔力」(最終話) 作詞:白峰美津子 / 作曲:上田知華 / 編曲:新川博 / 歌:Lip's CD 鳥人戦隊ジェットマン 音楽集 (COCC-7464) 鳥人戦隊ジェットマン 音楽集II (COCC-7892) 鳥人戦隊ジェットマン 音楽集III (COCC-10045) このうち、音楽集Iのみ2007年に「ANIMEX 1200」シリーズとして復刻。 鳥人戦隊ジェットマン ヒット曲集」(COCC-7588) 1991年度ゴールドディスク大賞アルバム大賞学芸部門受賞。影山は、ヒーローソングで受賞できたことは意外かつ大きな喜びであったと述べている。 鳥人戦隊ジェットマン スーパーアクションサウンド (COCC-9068) 2部構成からなる番外編となるドラマアルバム。同アルバムオリジナルのバイオ次元獣ギロチンコウモリ(声:西尾徳)が、テレビシリーズ前半に登場する主な次元獣を率いてジェットマンと交戦する。3号ロボ・テトラボーイも登場する。 鳥人戦隊ジェットマン コンプリートソングコレクション (COCC-14062) 日本コロムビアのあ〜る盤として復刻 (COR-14062) 鳥人戦隊ジェットマン ミュージックコレクション (COCC-13978 - 13979) 音楽集I - IIIのハイライト版だが、収録時間の都合上、音楽集IIIに収録されていた「ジェットガルーダ鳥のロボ」のインストゥルメンタル版など、一部の楽曲が未収録となっている。 放送日程 放映ネット局 特記のない局はすべてテレビ朝日系列 関東広域圏:ANB(現:EX) テレビ朝日 ※キーステーション 北海道:HTB 北海道テレビ 青森県:RAB 青森放送(日本テレビ系列、1991年2月 - 9月) →ABA 青森朝日放送(1991年10月 - 1992年2月) 岩手県:IBC 岩手放送(現:IBC岩手放送)(TBS系列) 宮城県:KHB 東日本放送 秋田県:ABS 秋田放送(日本テレビ系列) 山形県:YBC 山形放送(日本テレビ系列) 福島県:KFB 福島放送 新潟県:NT21(現:UX) 新潟テレビ21 富山県:KNB 北日本放送(日本テレビ系列) 石川県:HAB 北陸朝日放送(1991年10月 - 1992年2月) 福井県:FTB 福井テレビ(フジテレビ系列) 山梨県:YBS 山梨放送(日本テレビ系列) 長野県:TSB テレビ信州(日本テレビ系列・テレビ朝日系列クロスネット、1991年2月 - 3月) →ABN(現・abn) 長野朝日放送(1991年4月 - 1992年2月) 静岡県:SKT 静岡けんみんテレビ(現:SATV 静岡朝日テレビ) 愛知県・中京広域圏:NBN 名古屋テレビ(現愛称・メ~テレ) 大阪府・近畿広域圏:ABC 朝日放送(現:朝日放送テレビ) 鳥取県・島根県:TSK 山陰中央テレビ(フジテレビ系列) 広島県:HOME 広島ホームテレビ 山口県:TYS(現:tys) テレビ山口(TBS系列) 徳島県:JRT 四国放送(日本テレビ系列) 香川県・岡山県:KSB 瀬戸内海放送 愛媛県:EBC テレビ愛媛(フジテレビ系列) 高知県:KUTV テレビ高知(TBS系列) 福岡県:KBC 九州朝日放送 長崎県:ncc 長崎文化放送 熊本県:KAB 熊本朝日放送 大分県:OBS 大分放送(TBS系列) 宮崎県:MRT(現:mrt) 宮崎放送(TBS系列) 鹿児島県:KKB 鹿児島放送 沖縄県:RBC 琉球放送(TBS系列) 他媒体展開 映像ソフト化 いずれも発売元は東映ビデオ(後述のオリジナルビデオも含む)。それまでのスーパー戦隊シリーズのビデオは、『電子戦隊デンジマン』を除いて全話収録ではない、もしくはテレビシリーズのビデオが未発売というパターンが多かったが、本作品より全話収録のビデオのリリースが定着し、以降『魔法戦隊マジレンジャー』まで継続されることとなる。 ビデオ(VHS、セル・レンタル共通)は、1992年4月から1993年2月にかけて全11巻(各巻5話(10・11巻のみ3話)収録)がリリースされた。巻末特典として、8巻に主題歌のカラオケ映像が、9 - 11巻に「ジェットマン体操」の振付映像(振付:ラッキィ池田)がそれぞれ収録されている。また各巻の最後に収録されている、次巻収録分の次回予告のうち第1巻収録分のものは、1992年2月にリリースされた『電子戦隊デンジマン』のビデオ(VHS、セル・レンタル共通)第18巻(最終巻)に収録されている。 本作品の第1話から第6話(第4話を除く)と、前作『地球戦隊ファイブマン』第47話・最終話の再編集版が収録されたHEROクラブのビデオ『スーパー戦隊スペシャルレポート 誕生!鳥人戦隊ジェットマン』がリリースされている。内容はファイブマンからジェットマンへの引き継ぎを兼ねたものとなっている。HEROクラブからはこれ以外にも、テレビシリーズを再編集したビデオが2巻リリースされている。 DVDは2005年6月21日から10月21日にかけて、全5巻が発売された。各巻2枚組・10話(Vol.4のみ11話)収録。全話ともVHS版のマスターからの流用収録である都合上、次回予告は本放送で使用されたのとは違い、番宣CMのバージョンを使用。最終巻の特典映像に収録されている第1話の予告も同様である。DVDの戦士のパッケージ順は名乗り順ではなくOPの並び順である。2022年5月11日には放送終了30周年記念として、全2巻(各巻5枚組・Vol.1は25話、Vol.2は26話収録)のコレクション版が発売された。 他テレビシリーズ 『未来戦隊タイムレンジャー』 第51話として放送された特別総集編「スーパー戦隊大集合」に登場。タイムレンジャー5人がタイムジェットで本作品の時代を見に来たという設定で、本作品の映像が流用されている。 『海賊戦隊ゴーカイジャー』 第28話にて凱 / ブラックコンドルが登場。 『非公認戦隊アキバレンジャー』 第1期第6話にレッドホークのみ、第2期の第1話に変身後のメンバー全員が登場。また、第2期第6話には次元獣をオマージュした怪人ユルキャラジゲンが登場している。 『機界戦隊ゼンカイジャー』 第18話(第18カイ!)にて、ジェットマンのギアを使用し、本作品第51話の一部のシーンを再現したシーンが放映された。 映画作品 『スーパー戦隊ワールド』 1994年公開の3D映画で、ジェットマンおよびジェットイカロス、グリナム兵が登場。 『ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦』 ジェットイカロス / イカロスハーケンが登場。 『海賊戦隊ゴーカイジャー THE MOVIE 空飛ぶ幽霊船』 グリナム兵が登場。 『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』 ジェットマンの5人が登場。 『仮面ライダー×スーパー戦隊×宇宙刑事 スーパーヒーロー大戦Z』 レッドホークが登場。 『仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦』 イエローオウルが登場。 『機界戦隊ゼンカイジャー THE MOVIE 赤い戦い! オール戦隊大集会!!』 『機界戦隊ゼンカイジャー』の劇場作品。レッドホークが登場。 オリジナルビデオ 『東映テレビヒーロー図鑑Vol.2 鳥人戦隊ジェットマン』 1993年10月にVHS・LDとして同時リリースされ、DVDのVol.5にも特典映像として収録された。本編時間60分。 内容は新規撮影部分を交えたテレビシリーズの総集編であり、テレビシリーズの最終回から数年後、結婚して家庭を持った竜と香がアルバムを見ながら、ジェットマンとして戦っていた当時を振り返るという構成となっている。新規撮影部分はビデオ撮影で行われた。 『百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊』 『百獣戦隊ガオレンジャー』のスーパー戦隊Vシネマ作品で、レッドホークとジェットホークが登場。 小説・漫画 小説『ジェットマン』(著:井上敏樹) 1992年2月から1995年3月にかけて、小学館スーパークエスト文庫より全3巻が発売された(現在絶版)他、後年電子書籍での販売も行われている。 内容としてはテレビシリーズを下敷きにしつつも、後述の通りテレビシリーズとはまた異なる形で登場人物の側面を掘り下げるなど、よりドラマ要素の濃いものとなっている。 俺に惚れろ 爆発する恋 俺の胸で眠れ 登場人物は主にジェットマンとバイラムの幹部陣で、裏次元の人々や魔神などは出てこない。またバイラムのメンバーでも次元獣やグリナム兵は出てこないが、代わりにラディゲの血のしずくから生み出された多頭の目のない蛇のような怪物や、グレイの操る機械たちが集まって生まれた金属の樹木などが登場する。 ラディゲとマリア、凱と香の性行為を示唆する描写がある他、各キャラクターの性格もいわゆる負の面を強調された描写がなされている。各キャラクターの設定の違いについては、#登場人物の節も参照。 漫画『鳥人戦隊ジェットマン 時を駆けて』(作画:ふじいあきこ) 放送当時出版されていたアニメ・特撮情報誌「B-CLUB」にて連載。1996年8月にメディアワークスより全1巻の単行本として発売された(現在絶版)。 テレビシリーズのラストから、さらに数年後の話を描いた続編であるが、公式に続編として位置づけられているわけではなく、前出の総集編ビデオにおける新撮映像の内容と異なる設定も見受けられる。 トランザの体を利用して復活したラディゲとの戦いに身を投じることになったジェットマンを描く。ブラックコンドル=凱に代わるキャラクターとしてグリーンイーグルに変身するジェフ(ジェフリィ・剣崎)という青年が加入する。また同作品に登場するジェットマンは、各自の表情が分かるように、ヘルメットの顔の部分が透けて見えるようデザインが変えられている。 ゲーム 『鳥人戦隊ジェットマン』 1991年12月21日、エンジェルから発売されたファミリーコンピュータ用ソフト。開発はナツメで、ジャンルはアクションゲーム。 全6ステージからなっており、第1 - 5ステージは好きな順番でプレイ可能。キャラクターも5人の中から好きな戦士を選べる。ただし選んだ戦士がステージでやられてしまうと、そのステージをクリアするまでは、その戦士は使用不可となる。5ステージともクリアすると、最終ステージが始まる。最終ボスは魔獣セミマルであり、ラディゲら幹部は一切登場しない。 CS放送・ネット配信 CS放送 東映チャンネル 1998年7月 - 1999年5月(「GO! GO! ヒーローズ」枠) 2007年11月 - 2008年5月 2010年4月 - 10月 ネット配信 東映特撮 YouTube Official 2012年1月23日 - 7月15日 2014年12月7日 - 2015年6月7日 2021年9月9日 - 2022年3月3日 備考 本作品より、バンダイの関連商品のCMが一部を除き、フィルム撮影からビデオ撮影に移行した。 番組終了から3年後の1995年3月21日に放送された、シリーズ20周年記念特番『不滅の戦隊ヒーロー大全集』(関東ローカル・関西ローカル、17:00 - 18:00)では、本作品より若松俊秀が「戦隊OBチーム」の一人として参加(他は宮内洋と小牧リサ)、番組内では、「『鳥人戦隊ジェットマン』第28話に登場した次元獣『ドライヤージゲン』は、その後どうなったか?」(答:床屋に転業した)というクイズが出題されたり、第45話「勝利のホットミルク」の竜と凱の会話シーンが若松の前で映された。ドライヤージゲンのエピソードは、これより前にTBS系列で放送された『TVジェネレーション』のラストコーナー「おはがきプレイバック」でも、視聴者からの投稿により放送された。 小学館てれびくん編集部発行のムックシリーズ超全集は、本作品よりスーパー戦隊シリーズでの単独作品の展開がスタートした。先行する『仮面ライダーBLACK・RX超全集』や『特警ウインスペクター超全集』では番組終盤の内容は収録されていなかったが、『ジェットマン超全集』以降の単独作品の超全集は最終回まで収録した内容となった。 脚注 注釈 参照話数 出典 参考資料 てれびくんデラックス愛蔵版(小学館) テレビマガジンデラックス(講談社) 『スーパー戦隊 Official Mook』講談社(講談社シリーズMOOK) 外部リンク 鳥人戦隊ジェットマン(スーパー戦隊ネット内の紹介記事) DVD 鳥人戦隊ジェットマン特集(東映ビデオ内にあるサイト) スーパー戦隊シリーズの特撮テレビドラマ 1990年代の特撮作品 1991年のテレビドラマ 井上敏樹脚本のテレビドラマ 荒川稔久脚本のテレビドラマ 巨大ロボットを題材としたテレビドラマ 航空ドラマ 日本の恋愛ドラマ トレンディドラマ 職場恋愛を扱った作品 鳥を題材とした作品 神話を題材とした作品 異世界を題材とした作品 日本のサブカルチャー めばえ いたずら・ぶっく おともだち たのしい幼稚園 テレビマガジン 1991年のコンピュータゲーム ファミリーコンピュータ用ソフト バンダイのゲームソフト アクションゲーム 特撮のキャラクターゲーム
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ミュージカル映画
は、映画のジャンルの一つで、物語に混在して俳優が歌を歌う形式を指す。一般的に歌によって筋を発展させたり、映画上の配役を特徴付けたりする。ミュージカル映画のサブジャンルはミュージカルコメディであり、通常の音楽、ダンス、筋書きに加えて、強いユーモアの要素を持つ。 歴史 1927~1930年代 ミュージカル映画は、1920年代にトーキーが発明され、映画に音楽をあわせることが可能となったことを期に出現した。長編映画として最初のトーキーとされるアル・ジョルスン主演の『ジャズ・シンガー』(1927) からして、音楽映画である。当初は舞台作品をそのまま映画にしたものが多く、ストーリーそのものが無いレビュー短編なども多く作られた。 しかしトーキー当初は歌もダンスも未熟な役者が多く駆り出され、粗製濫造の感もあった。そのような中で人気を集めたのは、洗練された魅力を持った欧州風オペレッタ映画であり、ハリウッドでもドイツ出身のエルンスト・ルビッチら欧州の人材が活躍した。 世界恐慌によってブロードウェイも不況に巻き込まれた1930年代前半、ダンサーとして一流の人材が仕事を求めてハリウッドに流れこみ、1933年の『四十二番街』を皮切りに本格的なミュージカル映画の土台が形作られることになった。 ダンサーのフレッド・アステアはRKOの女優ジンジャー・ロジャースとコンビを組み、一連のヒット作でテクニカルかつロマンティックなダンスシークエンスを披露して人々の喝采を浴び、世界的な人気者となった。このアステア&ロジャースのコンビは、息のあった男女のダンサーの代名詞として現在でも使われることがある。 他にも、天才的な振付師であるバスビー・バークレイは、映画ならではの演出・特撮・カット割りを駆使し、ミュージカル映画に舞台とは違う独自の発達をもたらした。具体的には、ダンサー達をその真上からカメラで見下ろし、その隊列で万華鏡のような映像を造り出す、いわゆるバークレー・ショットの創造がある。 そんな中、映画会社のメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)社は、ミュージカル映画の活況に即座に対応し、1929年に公開された『ブロードウェイ・メロディー』をシリーズ化することを明確にし、1935年に『踊るブロードウェイ』1937年に『踊る不夜城』、1940年に『踊るニュウ・ヨーク』をそれぞれ制作した。もう一方のパラマウント映画社は、『ラジオは笑う』(1933年)の続編である『1936年の大放送』(1935年)、『1937年の大放送』(1936年)、『百万弗大放送』(1937年)をそれぞれ公開した。 そうして形作られた人気を背景に、30年代末期以降のミュージカル映画はテクニカラーの導入、高品質の録音再生システムの導入など、技術革新の恩恵をいち早く受ける分野ともなった。 この黎明期をはじめ20世紀前半のミュージカル映画のストーリーは、突然歌い踊りはじめても違和感の少ない歌手やダンサー、ミュージカルスターを登場人物にして、その舞台裏や私生活を描いたものがもっぱらであり、それらは後に舞台裏ミュージカルと呼ばれる伝統的ジャンルとなる。 1940~1950年代中頃 1940~1950年代はスター・システムによるミュージカル映画の最盛期で、特にメトロ・ゴールドウィン・メイヤー社は、ジュディ・ガーランドやジーン・ケリー、前述のフレッド・アステアなど数多くの優れたミュージカル俳優の出演する、豪奢な作品群で一世を風靡した。他社も20世紀フォックスはベティ・グレイブル、パラマウント映画はビング・クロスビー、コロムビア映画はリタ・ヘイワースといった看板スターを擁したものの「星の数よりも多い」と謳われるMGMの圧倒的な質量にはかなわなかった。 『巴里のアメリカ人』と『恋の手ほどき』ではアカデミー作品賞を受賞し、芸術的にも評価が高かったMGMミュージカルは、この時代の娯楽映画の代名詞と言っても過言ではなく、他にも『踊る大紐育』『錨を上げて』『私を野球につれてって』『雨に唄えば』『バンド・ワゴン』『イースター・パレード』『オズの魔法使』『若草の頃』といった数々の名作を後世に残している。またこの時期はいわゆるティン・パン・アレーの作詞家・作曲家が最後の輝きを見せた時期でもあり、現在までスタンダード・ナンバーとして愛唱されるミュージカル映画の曲も数多い。 小規模なところでは、1940年代のアメリカ合衆国でサウンディーズと呼ばれるジュークボックス映画が多く作られている。レストランやナイトクラブ等に置かれたパノラムと呼ばれる専用装置にコインを投入すると、デューク・エリントンら人気ジャズマンの登場する約3分間の短篇音楽映画を楽しむことができた。テレビの登場により一時的な流行で終わるが、サウンディーズ向けに作られたフィルムは、当時のミュージシャンの姿を今に伝える貴重な映像資料となっている。 1950年代中頃~1960年代 40年代半ばにブロードウェイで公開された『オクラホマ!』は、脚本を練ったドラマティックなストーリーでブロードウェイ・ミュージカルに革命をもたらしたが、その流れは50年代になって映画にも流れ込んだ。以後、ジョージ・キューカー監督の『スタア誕生』(1954年)や、ロジャース&ハマースタインの作品に代表されるストーリー重視のミュージカルが主流を担うようになり、それまでのMGMが得意としていた歌や踊りなど個人芸重視の舞台裏ミュージカル、スター・システムの映画は影を潜めるようになった。 このストーリー重視の新しい流れのミュージカルには、物語と音楽を高度に結びつける困難な作業とセンスが必要であるため、映画製作者達は元々完成度の高いブロードウェイ・ミュージカルに題材を求めるようになり、以後映画オリジナルのシネ・ミュージカルは製作頻度が激減することになった。 時を同じくしてシネマスコープの導入にともない映画は大型化。たださえ制作費が多額なミュージカル映画は、それに見合った収益が見込める超大作志向に活路を見出す。それが花開いたのが60年代であり、『サウンド・オブ・ミュージック』をはじめ『メリー・ポピンズ』『マイ・フェア・レディ』など現在でもスタンダードとなっている大作名画が、ハリウッド各社、あるいはフランスやイギリスなど各国からも誕生。ミュージカル映画は最大の黄金期を迎える。 また舞台の世界と同様、『ウエスト・サイド物語』以降には社会性を強く打ち出した作品が出現し、高く評価されるようになった。但しそれは同時にそれまでハリウッド・ミュージカルが標榜していた「夢の世界」を色褪せた物とさせる諸刃の剣であり、現在からすれば評価の分かれる所である。 1970年代~1980年代 1960年代の終り頃には、肥大化したミュージカル映画は超大作の商業的失敗が相次ぐようになり一気に退潮。台頭してきたアメリカン・ニューシネマやSFX映画に娯楽映画の主流を譲ることになり、以後30年近くにわたって主流から外れたままの存在となる。特に題材と人材の発掘場であるブロードウェイの低調が大きく影響し、俳優・監督・その他スタッフに人を得られなくなり、質的に優れた作品は散発的に作られるのみとなった。 そうしたメインストリームの退潮の一方、エルヴィス・プレスリーやビートルズなど特定の人気ミュージシャンをフィーチャーしたジュークボックス・ミュージカルと呼ばれる小規模なミュージカル映画が1950年代半ばから作られ始め、サントラとの相乗効果でヒットを挙げるなどしていた。この路線が'70~80年代になって、特定歌手にこだわらず若者向けのキャッチーな曲をサントラに満載し、ポップス市場と強く結びついた映画を作る動きとなった。殊更に『アメリカン・グラフィティ』『サタデー・ナイト・フィーバー』らの大ヒットを手本とするもので、批評家らに高く評価される事はなかったものの、その後のミュージック・ビデオ時代の礎ともなり、また『ロッキー4』などミュージカル以外の映画の造り方にも影響を与えた。 1990年代~ 1990年代に入ると『美女と野獣』をはじめとするディズニーのアニメミュージカル映画が、大人にも受け入れられて大ヒットを記録。それを嚆矢として2000年代に入った近年、実写の本格ミュージカル映画もブロードウェイのヒット作を映画化する形で復調を見せるようになった。2003年には『シカゴ』がミュージカル映画としては34年ぶりとなるアカデミー作品賞を受賞。その後「RENT/レント」(2005年)「プロデューサーズ」(2005年)「ヘアスプレー 」(2007年)「マンマ・ミーア!」(2008年)など、ブロードウェイミュージカルが次々と映画化されるようになった。 ミュージカル映画では劇中で披露される歌は事前にスタジオで録音した曲を撮影現場で再生し、役者は口パクで演じるという方法が多いが、「レ・ミゼラブル」では、歌唱はすべてその場で撮影しながら録音したものである。現場ではピアノの生伴奏を役者にイヤホンで聞かせながら撮影した(ピアノの音はリズムのためであり、後にオーケストラのサウンドに変えられているものもある)。 一方ボリウッドを中心として映画製作が年間800本行なわれているインドにおいては、その作品の大多数にミュージカル要素が組み込まれている。製作本数から鑑みてミュージカル映画の本場はインドであるとする見方もある程だが、ただしその作風はアクション映画など他のジャンルの要素まで雑多に詰め込んだ独特のものである。これらの映画も1990年代以降、ラジニカーント主演『ムトゥ 踊るマハラジャ』など一部の人気映画が海外進出をするようになった。 日本のミュージカル映画 日本の最初のトーキーである『マダムと女房』も、ハリウッドのそれと同様にミュージカルの要素が強い作品である。 日本のミュージカル映画の特徴として挙げられるのが、七五調を違和感なく使える時代劇との相性の良さであり、戦前の危機的な世相の中作られた名作『鴛鴦歌合戦』をはじめ、エノケンこと榎本健一や美空ひばりといったスターの主演する時代劇ミュージカルが戦中から昭和30年代にかけてヒットを飛ばしている。『狸御殿』シリーズも戦中戦後にかけて映画会社をまたがって幾作も作られ、2005年にも最新作『オペレッタ狸御殿』が作られる、息の長いシリーズとなった。 一方時代劇以外の分野では『素晴らしき男性』『アスファルト・ガール』などハリウッドに範をとった野心的ミュージカル大作も作られてはいたものの、それらは観客の失笑を買う結果となった。フランキー堺主演の『君も出世ができる』は批評的には数少ない成功例として挙げられるが、それすら興行的には失敗する有様であった。現代劇におけるミュージカルは、もっぱらその当時の流行歌を主題とした歌謡映画として、あるいは加山雄三やクレイジー・キャッツらが主演するコメディ映画のワンシークエンスとして、といった形で観客に受け入れられていた。 現在、ブロードウェイの翻訳作品が強い舞台の世界と同様、日本の映画界においてもオリジナルのミュージカル作品が作られることは稀(「嫌われ松子の一生」など)で、時折製作されても幼年層を対象にしていることが多く、一般層に受け入れられにくいことは否めない。 最近では「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭 2012」の短編部門において、角川裕明監督のミュージカル作品『ユメのおと』が最優秀作品賞を受賞。日本に和製ミュージカル映画を根付かせるという目的で「Japanese Musical Cinema」という団体を立ち上げている。翌年の2013年には、埼玉県×松竹共同製作のオムニバス映画『埼玉家族』の中の一作品として、鶴見辰吾主演/角川裕明監督によるミュージカル作品『父親輪舞曲(ちちおやロンド)』が劇場公開された。 2014年公開の周防正行監督『舞妓はレディ』(タイトルは「マイ・フェア・レディ」のパロディ)は、オーディションで抜擢された主役の上白石萌音が、スターへの階段を上るきっかけを作った。 2021年に公開の『すくってごらん』では、ミュージカルをベースとしながらもダンスシーンを排除し、歌唱力の高い俳優陣を起用。日本人が観ても気恥ずかしさを感じないことを意図した作品となった(ジャンルとしては“新感覚ポップエンターテインメント”を謳っていた)。 代表的なミュージカル映画の一覧 (舞台作品の映画化は「stage = S」で示す。括弧内は舞台の初演年度) 代表的なミュージカル映画の基準は以下のものです。 アメリカン・フィルム・インスティチュートがミュージカル映画ベストに選出した25作品 アカデミー作品賞受賞作品 世界三大映画祭の最高賞受賞作品 1920年代 ブロードウェイ・メロディー (1929)  アカデミー作品賞 1930年代 四十二番街 (1933)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第13位 トップ・ハット (1935)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第15位 ショウボート (1936) S (1927)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第24位 巨星ジーグフェルド (1936)  アカデミー作品賞 オズの魔法使 (1939)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第3位 1940年代 ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ (1942)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第18位 若草の頃 (1944)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第10位 踊る大紐育 (1949) S (1944)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第19位 イースター・パレード (1948) 1950年代 巴里のアメリカ人 (1951)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第9位 アカデミー作品賞 雨に唄えば (1952)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第1位 バンド・ワゴン (1953)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第17位 ホワイト・クリスマス(1954) 掠奪された七人の花嫁 (1954)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第21位 スタア誕生 (1954)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第7位 野郎どもと女たち (1955) S (1950)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第23位 王様と私 (1956) S (1951)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第11位 恋の手ほどき (1958)  アカデミー作品賞 1960年代 ウエスト・サイド物語 (1961) S (1957)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第2位 アカデミー作品賞 シェルブールの雨傘 (1964)  パルム・ドール マイ・フェア・レディ (1964) S (1956)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第8位 アカデミー作品賞 メリー・ポピンズ (1964)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第6位 サウンド・オブ・ミュージック (1965) S (1959)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第4位 アカデミー作品賞 オリバー! (1968) S (1960)  アカデミー作品賞 ファニー・ガール (1968)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第16位 1970年代 キャバレー (1972) S (1966)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第5位 グリース (1978)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第20位 オール・ザット・ジャズ (1979)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第14位 パルム・ドール 1980年代 1990年代 美女と野獣 (1991)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第22位 2000年代 ダンサー・イン・ザ・ダーク Dancer in the Dark (2000)  パルム・ドール ムーラン・ルージュ Moulin Rouge! (2001)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第25位 シカゴ Chicago (2002) S (1975)  アメリカン・フィルム・インスティチュート選出ミュージカル第12位 アカデミー作品賞 2010年代 レ・ミゼラブル(2012年)Les Miserables アカデミー作品賞ノミネート ラ・ラ・ランド(2016年)La La Land アカデミー作品賞ノミネート グレイテスト・ショーマン(2018年)The Greatest Showman 出典 関連項目 ミュージカル 映画 演劇
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ゲノム
ゲノム(、, ジーノーム)とは、「遺伝情報の全体・総体」を意味するドイツ語由来の語彙であり、より具体的・限定的な意味・用法としては、現在、大きく分けて以下の2つがある。古典的遺伝学の立場からは、二倍体生物におけるゲノムは生殖細胞に含まれる染色体もしくは遺伝子全体を指し、このため体細胞には2組のゲノムが存在すると考える。原核生物、細胞内小器官、ウイルス等の一倍体生物においては、DNA(一部のウイルスやウイロイドではRNA)上の全遺伝情報を指す。分子生物学の立場からは、すべての生物を一元的に扱いたいという考えに基づき、ゲノムはある生物のもつ全ての核酸上の遺伝情報としている。ただし、真核生物の場合は細胞小器官(ミトコンドリア、葉緑体など)が持つゲノムは独立に扱われる(ヒトゲノムにヒトミトコンドリアのゲノムは含まれない)。 ゲノムは、タンパク質をコードするコーディング領域と、それ以外のノンコーディング領域に大別される。ゲノム解読当初、ノンコーディング領域はその一部が遺伝子発現調節等に関与することが知られていたが、大部分は意味をもたないものと考えられ、ジャンクDNAとも呼ばれていた。2020年現在、遺伝子発現調節のほか、RNA遺伝子が生体機能に必須の情報がこの領域に多く含まれることが明らかにされた。 定義 古典遺伝学では、「ある生物をその生物たらしめるのに必須な遺伝情報」として定義される。遺伝子「gene」と、染色体「chromosome」あるいはgene(遺伝子(ジーン)の)+ -ome(総体(オーム))= genome (ジーノーム)をあわせた造語であり、1920年にドイツのハンブルク大学の植物学者ハンス・ヴィンクラーにより造られた。 H. Winkler によるはじめの定義では「配偶子(生殖細胞)が持つ染色体セット」を意味したが、1930年に木原均によって「生物をその生物たらしめるのに必須な最小限の染色体セット」として定義し直された。木原は、コムギ染色体の倍数性の観察に基づき、このゲノム説を提唱した。どちらの定義でも、生殖細胞に含まれる全染色体(もしくはその遺伝情報)を表し、N倍体生物の体細胞にはN組のゲノムが存在すると考える。 1956年にDNAが発見されて以降は、「全染色体を構成するDNAの全塩基配列」という意味も持つ。 ゲノム分析 ゲノム分析とは、倍数体種のゲノム構成を染色体レベルで明らかにする方法である。倍数体種とその両親種を交配し、その雑種第一代の減数分裂での染色体対合を観察し、ゲノム相同の程度を計算する。主に植物において、生命維持の基本単位であるゲノムが一つの細胞に3組以上存在するという、多倍数性がみられることがある。木原によるゲノム説の元となったパンコムギにおいては、3種のゲノムが2組ずつ合わさった6倍体であることがゲノム分析により示された。 ゲノム配列解析と機能マッピング 1990年代から、ゲノムの全塩基配列を解読することを目標としたゲノムプロジェクトがさまざまな生物種を対象に実施されている(完了したのはゲノム配列決定であり、内容の解読は完了していないので、「ゲノムプロジェクト」ではなく、ゲノムシーケンシングプロジェクト、あるいはゲノム配列決定プロジェクトともいう)。全ゲノム情報の解明は網羅的解析による生命現象の理解の基盤となるものである。しかし塩基配列を読み取っただけでは生命現象の理解には不十分で、個々の塩基配列の機能や役割、発現したRNAやタンパク質の挙動などを幅広く検討していかなければならない。 そこで、現在ではゲノムを研究するゲノミクスを初めとして、オーミクス(-omics = -ome + -ics)と呼ばれる、網羅的解析を特徴とする研究分野が盛んになってきている。ゲノムDNAからの転写産物(トランスクリプト; Transcript)の総和としてトランスクリプトーム(Transcriptome)、存在するタンパク質(プロテイン; Protein)の総体としてプロテオーム(Proteome)がある。また代謝産物(Metabolite)の総和としてメタボローム(Metabolome)という概念もある。特にプロテオームを扱う分野をプロテオミクスという。これらのゲノム解読以降の研究を総称してポストゲノムと呼ぶことがある。 オーミクスでは、データを効率良く網羅的に収集し、コンピュータによって解析することが必須となる。これに対応するバイオインフォマティックスという分野の研究も盛んである。 ゲノム合成 試験管の中でオリゴヌクレオチド(小規模なDNA断片)を化学合成する技術は、1950年代から存在した。 2003年、J.C.ベンター研究所のクレイグ・ヴェンターらは、大腸菌のDNA合成機構を利用して、ウイルスのDNA断片をつなぎ合わせ完全なゲノムを合成することに成功した。 2005年、より大きい生物でもゲノムを丸ごと合成する技術が日米の研究機関で独立に開発された。慶應大学/三菱化学生命研究所の枯草菌を用いるシステムと、ベンター研究所の酵母菌を用いるシステムである 2007年、クレイグ・ヴェンターらは、酵母菌を利用してDNAの断片をつなぎ合わせて、マイコプラズマ・ジェニタリウムという細菌のゲノムを構築した。 また同年、慶應大学の板谷光泰らは、枯草菌を利用して短いDNAをつなぎ合わせて、マウスのミトコンドリアゲノムおよびイネの葉緑体ゲノムを再構築した。 2010年5月、ベンター研究所はマイコプラズマ・ミコイデスという細菌のゲノムを人工合成し、別種の細菌のマイコプラズマ・カプリコルムに移植して、移植先の細胞を制御することに成功した。合成ゲノムによって細胞の制御に成功したのは世界初である。これは、ゲノムを人工的に設計・合成し、細胞に移植して、細胞が機能することを実証したもので、合成生物学の進展につながる成果となった。細胞膜や細胞内の器官は人工合成していないため完全な「人工生命」ではないが、これらの研究がさらに進めば、合成生命の誕生に行き着くことになる。 数と大きさ 半数体ヒトゲノムは約30億塩基対からなり、体細胞は2倍体であるため約60億塩基対のDNAを核内に持っている。分裂酵母では3本の染色体DNA上に、大腸菌やミトコンドリアでは一つの環状DNA上に保持されている。ヒト免疫不全ウイルス(HIV)のようなレトロウイルスではRNAが媒体になる。 遺伝子数とゲノムサイズは必ずしも比例しない。両生類や植物のユリのゲノムサイズは大きく、昆虫やトラフグではゲノムサイズが小さい。これはイントロンや遺伝子間のジャンクDNAの長さが原因である。例としてミジンコの方がヒトよりゲノムサイズは小さいが遺伝子数は多い。また原核生物は真核生物よりゲノムに占めるコーディング領域の割合が高い傾向があり、遺伝子がゲノムにコンパクトに収まっている。 それからゲノムサイズが大きくなると大量の情報を保存できるが複製に使うエネルギーが増え生存に不利に働くため、一定のゲノムの大きさで自然選択圧が掛かる。また原核生物より真核生物の方が複雑で必要な情報量が多い傾向があり、一般に真核生物ではスプライシングによってイントロンが抜けエクソンのコーディング領域が翻訳されるため、原核生物に比較して真核生物はゲノムサイズが大きくなる傾向がある。 ゲノムサイズの例 脚注 参考文献 Benfey, P and Protopapas, AD(2004). Essentials of Genomics. Prentice Hall. Brown, TA(2002). Genomes 2. Bios Scientific Publishers. Gibson, G and Muse, SV(2004). A Primer of Genome Science(Second Edition). Sinauer Assoc. Gregory, TR(ed)(2005). The Evolution of the Genome. Elsevier. Reece, RJ(2004). Analysis of Genes and Genomes. John Wiley & Sons. Saccone, C and Pesole, G(2003). Handbook of Comparative Genomics. John Wiley & Sons. Werner, E. In silico multicellular systems biology and minimal genomes, Drug Discov Today. 2003 Dec 15;8(24):1121-7. PubMed 関連項目 ゲノム編集 遺伝子診断 外部リンク UCSC Genome Browser Animal genome size database GOLD:Genomes OnLine Database ゲノムネット 京都大学化学研究所バイオインフォマティクスセンター ヒメツリガネゴケゲノムの解読 基礎生物学研究所 プレスリリース 遺伝学 染色体 ゲノミクス バイオインフォマティクス
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2月2日
2月2日(にがつふつか)は、グレゴリオ暦で年始から33日目に当たり、年末まであと332日(閏年では333日)ある。 できごと 589年(禎明3年/開皇9年1月12日) - 隋が江南の陳を滅ぼし、中国を統一する。 962年 - 東フランク王オットー1世がローマ教皇ヨハネス12世から戴冠を受け、初代神聖ローマ皇帝となる。 1181年(養和元年1月17日) - 後白河法皇が平清盛の死去に伴い院政を再開する。 1266年(文永2年12月26日) - 藤原為家らが『続古今和歌集』を撰進する。 1580年(天正8年1月17日) - 三木合戦(三木の干殺し)が終結。羽柴秀吉が三木城を陥落させる。 1653年 - ニューアムステルダム(現在のニューヨーク)に正式に市の資格が与えられる。 1709年 - ロビンソン・クルーソーのモデルといわれるスコットランド人船員のアレキサンダー・セルカークが太平洋の無人島で発見される。 1848年 - 米墨戦争終結のためのグアダルーペ・イダルゴ条約に調印。 1876年 - メジャーリーグのナショナルリーグ設立。 1878年 - ギリシャがオスマン帝国に宣戦布告。 1913年 - ニューヨークのグランド・セントラル駅の現在の駅舎が使用開始。 1920年 - エストニアとソビエト・ロシアがタルトゥ条約に調印。ソ連が帝政ロシアの支配下にあったエストニアの独立を承認。 1920年 - 東京市街自動車の乗合バスに日本で初めて女性車掌(バスガール)が登場。 1922年 - ジェイムズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』が発刊。 1934年 - 合衆国輸出入銀行設立。 1937年 - 日本で、林銑十郎が第33代内閣総理大臣に就任し、林内閣が発足。 1940年 - 衆議院で斎藤隆夫が軍部の日中戦争処理方針を非難する反軍演説を行う。 1942年 - 大日本国防婦人会・愛国婦人会・大日本聯合婦人会を統合して大日本婦人会が発足。 1943年 - 第二次世界大戦: スターリングラード攻防戦がソ連の勝利で終結。 1946年 - 宗教法人令改正。神道を宗教として扱い、神社を宗教法人とする。 1954年 - 日本航空が日本で戦後初の国際航空路・東京 - ホノルル - サンフランシスコ線を開設。 1956年 - 京阪神急行電鉄宝塚線庄内駅において、車両故障時の対応の不手際から、激怒した乗客が線路を封鎖して電車を止める。(庄内事件) 1959年 - ソビエト連邦のウラル山脈山中において、ディアトロフ峠事件が発生し、トレッキング客9人が怪死。 1967年 - アメリカン・バスケットボール・アソシエーションが発足する。 1970年 - コーンフィールド・ボンバー不時着事故が発生。 1971年 - 湿地の保護に関するラムサール条約が制定される。 1972年 - グアム島に隠れ続けていた元日本兵・横井庄一が帰国。 1976年 - NETテレビ(現・テレビ朝日)で『徹子の部屋』が放送開始。 1987年 - 前年2月のエドゥサ革命後のフィリピンで新憲法制定。 1990年 - ソビエト連邦の崩壊: エストニアの代議員合同総会で、1920年の同日に調印したタルトゥ条約が現在も有効であり、エストニアは独立国であると宣言。 1990年 - アパルトヘイト: 南アフリカのフレデリック・ウィレム・デクラーク大統領がアフリカ民族会議などを合法化し、ネルソン・マンデラの釈放を約束。 1998年 - 日本の郵便番号が7桁となる。 2000年 - 888年8月28日以来、1112年ぶりに年月日全ての数字が偶数になる。 2002年 - 茨城県守谷市が市制施行。 2005年 - 前年、米国のカーライルグループに買収されたDDIポケットがウィルコムに社名変更。 2006年 - 神戸新交通ポートアイランド線の市民広場駅 - 神戸空港駅間が延伸開業。 2011年 - エジプトで反ムバラク派のデモ隊とムバラク派のデモ隊が衝突。多数の死傷者を出す。 2011年 - 大相撲野球賭博問題における警視庁の捜査で、押収した力士の携帯電話から八百長を行っていたメールの存在が明らかになる。(大相撲八百長問題) 2013年 - 映画『アメリカン・スナイパー』のモデルとなったアメリカの元軍人クリス・カイルが、射撃訓練中に射殺される。 2021年 - 節分が1897年以来124年ぶりに2月2日となる。以降4年ごとに節分が2日となり、2057年と2058年は2年連続で2日になると予測されている。 誕生日 人物 1208年 - ハイメ1世、アラゴン王、バルセロナ伯(+ 1276年) 1522年 - ルドヴィコ・フェラーリ、数学者(+ 1565年) 1649年 - ベネディクトゥス13世、ローマ教皇(+ 1733年) 1650年 - ネル・グウィン、イングランド王チャールズ2世の寵姫(+ 1687年) 1669年 - ルイ・マルシャン、作曲家、鍵盤楽器奏者(+ 1732年) 1700年 - ヨハン・クリストフ・ゴットシェート、文学者(+ 1766年) 1711年 - ヴェンツェル・アントン・カウニッツ、外交官、政治家(+ 1794年) 1712年(正徳元年12月26日) - 岡部長著、岸和田藩主(+ 1756年) 1743年 - ジョゼフ・バンクス、博物学者、植物学者(+ 1820年) 1785年(天明4年12月23日) - 松平頼啓、西条藩主(+ 1848年) 1813年(文化10年1月2日) - 戸沢正令、新庄藩主(+ 1843年) 1829年 - アルフレート・ブレーム、動物学者、作家(+ 1884年) 1839年(天保9年12月19日) - 黒田長知、福岡藩主(+ 1902年) 1841年 - フランソワ=アルフォンス・フォーレル、科学者(+ 1912年) 1852年 - ホセ・グアダルーペ・ポサダ、画家、イラストレーター(+ 1913年) 1859年 - ハヴロック・エリス、医師、性科学者(+ 1939年) 1873年 - コンスタンティン・フォン・ノイラート、外交官、政治家(+ 1956年) 1875年 - フリッツ・クライスラー、ヴァイオリニスト、作曲家(+ 1962年) 1882年 - ジェームズ・ジョイス、小説家(+ 1941年) 1882年 - 梨本伊都子、元皇族、梨本宮守正王の妃(+ 1976年) 1885年 - ミハイル・フルンゼ、ロシア革命時のボルシェヴィキ指導者(+ 1925年) 1887年 - 嶋中雄作、編集者、出版人(+ 1949年) 1888年 - 木村小左衛門、政治家(+ 1952年) 1888年 - 松田竹千代、政治家(+ 1980年) 1891年 - アントニオ・セーニ、政治家、第4代イタリア共和国大統領(+ 1972年) 1893年 - コルネリウス・ランチョス、数学者、物理学者(+ 1974年) 1894年 - 片岡鉄兵、小説家(+ 1944年) 1894年 - ダムディン・スフバートル、革命家、軍人 (+ 1923年) 1894年 - ヘンリク・アンソニー・クラマース、物理学者(+ 1952年) 1895年 - 阿部豊、俳優、映画監督(+ 1977年) 1895年 - ジョージ・ハラス、アメリカンフットボール選手、指導者(+ 1983年) 1896年 - カジミェシュ・クラトフスキ、数学者(+ 1980年) 1896年 - 鹿島守之助、外交官、政治家、鹿島建設会長(+ 1975年) 1899年 - 東畑精一、経済学者、農学者(+ 1983年) 1901年 - ヤッシャ・ハイフェッツ、ヴァイオリニスト(+ 1987年) 1901年 - 中村翫右衛門 (3代目)、俳優、前進座共同創立者(+ 1982年) 1901年 - 木村禧八郎、政治家、経済評論家(+ 1975年) 1905年 - アイン・ランド、小説家(+ 1982年) 1908年 - おのちゅうこう、児童文学作家、詩人(+ 1990年) 1908年 - ウェス・フェレル、プロ野球選手(+ 1976年) 1910年 - アレクサンダー・ウニンスキー、ピアニスト(+ 1972年) 1915年 - 二葉あき子、歌手(+ 2011年) 1915年 - アバ・エバン、外交官、政治家(+ 2002年) 1919年 - エルンスト=ヴィルヘルム・ライネルト、ドイツ空軍のエース・パイロット(+ 2007年) 1922年 - 松澤宥、芸術家(+ 2006年) 1923年 - アルベルト・ラフォルス・カサマダ、画家、詩人(+ 2009年) 1923年 - レッド・ショーエンディーンスト、プロ野球選手、監督(+ 2018年) 1924年 - ソニー・スティット、ミュージシャン(ジャズ、サックス)(+ 1982年) 1926年 - ヴァレリー・ジスカール・デスタン、政治家、フランス大統領(+ 2020年) 1927年 - スタン・ゲッツ、ミュージシャン(ジャズ、サックス)(+ 1991年) 1927年 - 島原輝夫、プロ野球選手(+ 2004年) 1929年 - ヴェラ・ヒティロヴァ、映画監督(+ 2014年) 1929年 - 安藤まり子、歌手 1929年 - ジョン・H・ホランド、科学者(+ 2015年) 1931年 - 若ノ海周治、大相撲力士・元小結(+ 1999年) 1931年 - ヴァルター・ブルケルト、神話学者、宗教学者(+ 2015年) 1931年 - 水野潤一、詩人 1932年 - 長沢二郎、競泳選手(+ 2010年) 1932年 - 金原二郎、司会者、アナウンサー(+ 1997年) 1933年 - タン・シュエ、ミャンマーの国家平和発展評議会議長(軍事政権トップ) 1934年 - オタール・イオセリアーニ、映画監督 1934年 - 小泉喜美子、推理作家、翻訳家(+ 1985年) 1935年 - 野田幸男、映画監督(+ 1997年) 1937年 - ドン・ビュフォード、元プロ野球選手 1937年 - 張富士夫、経営者 1938年 - 山崎晴哉、脚本家(+ 2002年) 1940年 - トマス・M・ディッシュ、SF作家(+ 2008年) 1942年 - 堀絢子、声優 1944年 - 中川秀直、政治家 1945年 - 舟崎克彦、作家、画家(+ 2015年) 1945年 - ペーター・レーゼル、ピアニスト 1946年 - 岸久美子、女優 1946年 - アルファ・ウマル・コナレ、政治家 1947年 - ファラ・フォーセット、女優(+ 2009年) 1948年 - 蔡志忠、漫画家 1949年 - おぼん、漫才師(おぼん・こぼん) 1949年 - ブレント・スパイナー、俳優 1949年 - 堀内護、歌手(ガロ)(+ 2014年) 1950年 - 木戸修、プロレスラー 1950年 - 天龍源一郎、元プロレスラー 1952年 - 朴槿恵、政治家、第18代韓国大統領 1952年 - ラルフ・マークル、暗号研究者 1953年 - ウラジミール・コバリョフ、フィギュアスケート選手 1954年 - 大田弘子、経済学者 1954年 - 浅野和之、俳優 1956年 - 藍川由美、声楽家 1958年 - 山田亘(山田わたる:山田ワタル)、ミュージシャン、ドラマー(FENCE OF DEFENSE) 1959年 - 柄刀一、小説家 1959年 - 玉元正男、歌手(フィンガー5) 1959年 - 中原勇一、元プロ野球選手 1960年 - ウィチット・チットウィマーン、外交官 1961年 - 大森望、SF評論家 1961年 - 大野雄次、元プロ野球選手 1962年 - 江幡和志、元プロ野球選手 1963年 - 寺尾常史、元大相撲力士、年寄20代錣山 1963年 - ちわきまゆみ、ミュージシャン 1963年 - 内藤時浩、ゲームクリエイター 1963年 - マリー=クロード・ピエトラガラ、バレエダンサー、振付家 1964年 - 樋口了一、ミュージシャン 1965年 - 佐野直喜、元プロレスラー 1965年 - ガイ・ペリマン、ラジオDJ 1966年 - 琴冠佑源正、元大相撲力士 1966年 - 鶴巻和哉、アニメ監督 1966年 - 馬淵よしの、元飛び込み選手 1967年 - ローラン・ンクンダ、コンゴ民主共和国の反政府勢力指導者 1968年 - ショーン・エリオット、元バスケットボール選手 1968年 - 軌保博光、映画監督 1969年 - ヴァレリー・カルピン、サッカー選手 1970年 - 増田雄一、モデル、俳優 1971年 - 豊田清、元プロ野球選手 1971年 - 北岡夢子、歌手、女優 1972年 - HISASHI、ミュージシャン(GLAY) 1972年 - メルビン・モーラ、元プロ野球選手 1972年 - ダナ・インターナショナル、歌手 1972年 - Fizzy、トランスDJ 1972年 - ジャレッド・フェルナンデス、元プロ野球選手 1972年 - テゴ・カルデロン、ミュージシャン 1975年 - 宇治田隆史、脚本家 1976年 - 井上聡、お笑いタレント(次長課長) 1976年 - 遼河はるひ、元宝塚歌劇団、女優、タレント 1976年 - ドラゴン・キッド、プロレスラー 1977年 - 劇団ひとり、お笑いタレント 1977年 - EXILE ÜSA、ダンサー(EXILE) 1977年 - シャキーラ、ミュージシャン 1978年 - バリー・ファーガソン、元サッカー選手、指導者 1978年 - 吉原宏太、元サッカー選手 1978年 - クラウディオ・モレル・ロドリゲス、サッカー選手 1978年 - 福田朋夏、フリーダイビング選手 1979年 - 宮崎有妃、プロレスラー 1979年 - 大島永遠、漫画家 1980年 - ルイス・ナバス、野球選手 1981年 - 北川弘美、女優 1982年 - 堀越のり、元タレント 1982年 - 中村真人、元プロ野球選手 1983年 - 横松寿一、元プロ野球選手 1983年 - カロリナ・クリュフト、陸上競技選手 1983年 - 三浦永理、競艇選手 1984年 - 宮地真緒、女優 1984年 - 加藤士津八、元騎手、調教師 1984年 - 胡金龍、プロ野球選手 1985年 - 桐山漣、俳優 1985年 - 田中利幸、馬術選手 1985年 - シルヴェストレ・ヴァレラ、サッカー選手 1985年 - マイケル・リーバス、歌手、タレント 1986年 - 浅尾美和、元ビーチバレー選手、ファッションモデル 1986年 - ティファニー・ヴァイス、元フィギュアスケート選手 1987年 - アーロン・トンプソン、プロ野球選手 1987年 - ジェラール・ピケ、サッカー選手 1988年 - トラビス・スナイダー、プロ野球選手 1988年 - マックス・パールマン、プロ野球選手 1988年 - ブラッド・ピーコック、プロ野球選手 1989年 - 水上れみ、グラビアアイドル 1989年 - ローガン・ダーネル、プロ野球選手 1990年 - 島内宏明、プロ野球選手 1990年 - 原田開、サッカー選手 1990年 - 湯本美咲、タレント、女優 1990年 - ニック・リックレス、野球選手 1990年 - ダン・ゴスリング、サッカー選手 1990年 - チョン・ハナ、歌手 1991年 - 川久保雄基、俳優 1991年 - 南羽翔平、俳優 1991年 - マット・ボイド、プロ野球選手 1991年 - フランシスコ・フェメニア、サッカー選手 1993年 - 清原翔、俳優、モデル 1993年 - 吉村界人、俳優 1993年 - 高橋宗司、元陸上選手 1995年 - ぺけたん、YouTuber(Fischer's) 1995年 - 仲村まひろ、タレント 1998年 - 加藤史帆、アイドル(日向坂46) 1998年 - 古田大虎、俳優 1998年 - 高橋斗亜、元俳優 1999年 - 植田碧麗、歌手(元NMB48) 1999年 - 坂本遥奈、アイドル(TEAM SHACHI) 2000年 - 藤野涼子、女優 2000年 - 村上宗隆、プロ野球選手 2001年 - 牧野真莉愛、歌手(モーニング娘。) 2002年 - 井東紗椰、女優 2002年 - 瀬田さくら、アイドル(ばってん少女隊) 2004年 - 岩本蓮加、アイドル(乃木坂46) 生年不明 - 青野菜月、元声優 人物以外(動物など) 1992年 - ラムタラ、競走馬、種牡馬(+ 2014年) 忌日 人物 1044年(寛徳元年1月1日) - 藤原隆家、公卿(* 979年) 1529年 - バルダッサーレ・カスティリオーネ、外交官、作家(* 1478年) 1580年(天正8年1月17日) - 別所長治、播磨国の戦国大名(* 1558年?) 1594年 - ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ、作曲家(* 1525年?) 1639年(寛永15年12月30日) - 蜂須賀家政、徳島藩初代藩主(* 1558年) 1704年 - ギョーム・ド・ロピタル、数学者(* 1661年) 1769年 - クレメンス13世、第248代ローマ教皇(* 1693年) 1805年 - トーマス・バンクス、彫刻家(* 1735年) 1812年 - イサーク・ティチング、オランダのカピタン(* 1745年) 1826年 - ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン、政治家、法律家、『美味礼讃』著者(* 1755年) 1896年 - 川田甕江、漢学者(* 1830年) 1907年 - ドミトリ・メンデレーエフ、化学者(* 1834年) 1925年 - アンティ・アールネ、民俗学者(* 1867年) 1939年 - ウラジーミル・シューホフ、建築家、技術者(* 1853年) 1940年 - フセヴォロド・メイエルホリド、演出家、俳優(* 1874年) 1941年 - デリール・スチュワート、天文学者(* 1870年) 1942年 - ダニイル・ハルムス、詩人、作家(* 1905年) 1944年 - レオン・ブランシュヴィック、思想家(* 1869年) 1945年 - カール・ゲルデラー、元ライプツィヒ市長、反ナチス活動家(* 1884年) 1945年 - アルフレート・デルプ、イエズス会神父(* 1907年) 1950年 - コンスタンティン・カラテオドリ、数学者(* 1873年) 1956年 - 小野三千麿、野球選手(* 1897年) 1960年 - 斎藤三郎、野球史と石川啄木の研究者(* 1895年) 1963年 - ハーバート・サミュエル、イギリス郵政相・内相(* 1870年) 1963年 - 大倉喜七郎、実業家(* 1882年) 1965年 - カール・ヨハン・リンド、陸上競技選手(* 1883年) 1967年 - フィリス・ジョンソン、フィギュアスケート選手(* 1886年) 1968年 - トゥリオ・セラフィン、指揮者(* 1878年) 1969年 - ボリス・カーロフ、俳優(* 1887年) 1970年 - バートランド・ラッセル、数学者、哲学者(* 1872年) 1972年 - 高田保馬、経済学者、社会学者(* 1883年) 1974年 - 斎藤素巌、彫刻家(* 1889年) 1979年 - 谷口吉郎、建築家(* 1904年) 1979年 - シド・ヴィシャス、パンク・ロッカー(* 1957年) 1980年 - 江崎利一、実業家、江崎グリコ創業者(* 1882年) 1980年 - ウィリアム・スタイン、生化学者(* 1911年) 1983年 - ルイ・ケルヴラン、科学者(* 1901年) 1983年 - 深見千三郎、舞台芸人(* 1923年) 1987年 - アルフレッド・ライオン、ブルーノート創設者(* 1909年) 1987年 - アリステア・マクリーン、小説家(* 1922年) 1987年 - 山本豊市、彫刻家(* 1899年) 1988年 - ソロモン、ピアニスト(* 1902年) 1989年 - 小林行雄、考古学者(* 1911年) 1989年 - オンドレイ・ネペラ、フィギュアスケート選手(* 1951年) 1990年 - 龍興山一人、大相撲力士(* 1967年) 1992年 - バート・パークス、俳優、歌手(* 1914年) 1993年 - リード・マイルス、グラフィックデザイナー(* 1927年) 1993年 - 田丸仁、プロ野球選手、プロ野球監督(* 1933年) 1993年 - アレクサンダー・シュナイダー、ヴァイオリニスト、指揮者(* 1954年) 1994年 - 中西陽一、石川県知事(* 1917年) 1995年 - フレッド・ペリー、テニス選手(* 1909年) 1995年 - ドナルド・プレザンス、俳優(* 1919年) 1995年 - 谷川雁、詩人、評論家(* 1923年) 1996年 - 徳川義寛、昭和天皇の侍従長(* 1906年) 1996年 - ジーン・ケリー、俳優、ダンサー(* 1912年) 1996年 - 小堀清一、将棋棋士(* 1912年) 1998年 - レイモンド・キャッテル、心理学者(* 1905年) 1998年 - アルーン・タジェフ、地質学者、映画作家(* 1914年) 2000年 - 宮本輝紀、サッカー選手、指導者 (* 1940年) 2001年 - 加堂秀三、小説家(* 1940年) 2002年 - 海老一染太郎、太神楽師 (* 1932年) 2003年 - ルー・ハリソン、作曲家(* 1917年) 2003年 - 湯口栄蔵、サッカー選手、指導者 (* 1945年) 2004年 - 式守伊之助 (29代)、大相撲立行司(* 1935年) 2005年 - マックス・シュメリング、プロボクサー(* 1905年) 2005年 - デビッド・ジョーンズ、航空会社特別顧問(* 1916年) 2005年 - ゴッフレード・ロンバルド、映画プロデューサー(* 1920年) 2007年 - 竹本正男、体操選手(* 1919年) 2007年 - 松尾晋平、料理人、陶芸家(* 1956年) 2007年 - 大杉君枝、アナウンサー(* 1963年) 2008年 - ジョシュア・レーダーバーグ、分子生物学者(* 1925年) 2009年 - 山内一弘、プロ野球選手(* 1932年) 2009年 - 大木康子、歌手(* 1942年) 2010年 - 黒井敦史、レーシングドライバー(全日本プロドリフト選手権)(* 1968年) 2013年 - 三世杵屋五三郎、長唄三味線方(* 1918年) 2013年 - クリス・カイル、軍人、狙撃手 (* 1974年) 2016年 - 韮沢靖、イラストレーター(* 1963年) 2017年 - 岡野俊一郎、日本サッカー協会名誉会長(* 1931年) 2019年 - 鬼八頭かかし、漫画家(* 生年不明) 人物以外(動物など) 2006年 - ギャロップダイナ、競走馬(* 1980年) 記念日・年中行事 節分( 1897年、2021年 - 2057年の間は4年ごと、2058年)※立春の前日 インボルク ケルト民族の立春の祭り 聖燭祭(キャンドルマス、主の奉献、被献日)/主の迎接祭(キリスト教) 聖母マリアが産後の汚れの潔めの式を受け、幼子イエスが律法に従いエルサレムの神殿に捧げられたことを祝う。 二日灸/如月灸 元は旧暦2月2日の行事。この日に灸をすえると倍の効能となり、その年を無病息災で過ごせるという。 グラウンドホッグデー(・) タルトゥ条約の日() 1920年のこの日、 エストニアとソビエト・ロシアがタルトゥ条約に調印し、帝政ロシアの支配下にあったエストニアの独立をソ連が承認した。 1971年のこの日に湿地の保存に関するラムサール条約が調印されたことを記念して1997年に制定。 情報セキュリティの日() 2006年のこの日に情報セキュリティ政策会議で「第1次情報セキュリティ基本計画」が定められたことに因む。同年10月の日本政府の情報セキュリティ政策会議において制定。 麩の日() 「ふ(2)」の語呂合せで協同組合全国製麩工業会が制定。 頭痛の日() 「2(ず)2(ツー)」の語呂あわせ。ジョンソン・エンド・ジョンソンが2001年に制定した。それとは別に「頭痛撲滅委員会」が2月22日を頭痛の日として制定している。 国際航空業務再開の日() 戦後GHQにより禁止されていた国際航空業務が、1954年のこの日に日本航空により再開されたことに由来。 バスガールの日() 1920年のこの日、東京市街自動車の乗合バスに日本初の女性車掌(バスガール)がお目見えしたことに由来。 夫婦の日() 「ふう(2)ふ(2)」の語呂合せ。 ツインテールの日() 日本ツインテール協会が提案、この日に男性は心を寄せる女性に二本のヘアゴムを渡し、受け入れた女性は自分の髪をツインテールにすることで応える。 フィクションのできごと 1889年 - ジョナサン・ジョースター、エリナ・ペンドルトンと結婚。(『ジョジョの奇妙な冒険』) 年不明 - 火曜日、ヨーク・ハッターの腐乱死体が発見される。(『Yの悲劇』プロローグ第1場) U.C.0087年 - エゥーゴ、アクシズに対しグリプス2(コロニーレーザー)を巡る「メールシュトローム作戦」を実施。(アニメ『機動戦士Ζガンダム』) 誕生日(フィクション) 1818年 - 甲賀流忍者!ぽんぽこ、滋賀県甲賀市の山中に生息しているバーチャルユーチューバー 1968年 - 水野銀次郎、特撮『兄弟拳バイクロッサー』に登場する主人公のひとり 1976年 - 中井巧朗、漫画・アニメ『バクマン。』に登場するキャラクター 1989年 - 長谷川千雨、漫画・アニメ『魔法先生ネギま!』に登場するキャラクター 2031年 - ミレーヌ・フレア・ジーナス、アニメ『マクロス7』に登場するキャラクター 生年不明 - キキ、児童文学・アニメ映画『魔女の宅急便』シリーズの主人公 生年不明 - チャクラ、漫画『おまじないネコ チャクラくん』の主人公 生年不明 - 観束総二 、小説・アニメ『俺、ツインテールになります。』の主人公 生年不明 - 涼風青葉、漫画・アニメ『NEW GAME!』の主人公 生年不明 - 奥村正宗、漫画『2.5次元の誘惑』の主人公 生年不明 - とんだぶうた、ベネッセの教材『こどもちゃれんじ』、アニメ『しまじろうヘソカ』『しまじろうのわお!』に登場するキャラクター 生年不明 - ジェット・リンク(サイボーグ002)、漫画・アニメ『サイボーグ009』に登場するキャラクター 生年不明 - ネフェルタリ・ビビ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - にんじん、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - エリザベローII世、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - キラー、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - 国近柚宇、漫画・アニメ『ワールドトリガー』に登場するキャラクター 生年不明 - 吹出漫我、漫画・アニメ『僕のヒーローアカデミア』に登場するキャラクター 生年不明 - 庄田二連撃、漫画・アニメ『僕のヒーローアカデミア』に登場するキャラクター 生年不明 - 井上利香、漫画『終わりのセラフ』に登場するキャラクター 生年不明 - 高瀬準太、漫画・アニメ『おおきく振りかぶって』に登場するキャラクター 生年不明 - 倉本圭、漫画・アニメ『ふらいんぐうぃっち』に登場するキャラクター 生年不明 - 鳴海まどか、漫画・小説・アニメ『スパイラル 〜推理の絆〜』に登場するキャラクター 生年不明 - ヘビのユキ、漫画・アニメ『おとぎストーリー 天使のしっぽ』に登場するキャラクター 生年不明 - 藍華・S・グランチェスタ、漫画・アニメ『ARIA』シリーズに登場するキャラクター 生年不明 - ワイ(ワイ・ナ・ガーベナ)、漫画『ポケットモンスターSPECIAL』に登場するキャラクター 生年不明 - 須賀京太郎、漫画・アニメ『咲-Saki-』に登場するキャラクター 生年不明 - 佐藤裕子、漫画・アニメ『咲-Saki-』に登場するキャラクター 生年不明 - 覚、漫画『東京★イノセント』に登場するキャラクター 生年不明 - 池野楓、漫画・アニメ『桜Trick』に登場するキャラクター 生年不明 - 小金乙、漫画・アニメ『おちこぼれフルーツタルト』に登場するキャラクター 生年不明 - 男屋秀彦、小説・漫画・アニメ『アキカン!』に登場するキャラクター 生年不明 - レム、小説・アニメ・ゲーム『Re:ゼロから始める異世界生活』に登場するキャラクター 生年不明 - ラム、小説・アニメ・ゲーム『Re:ゼロから始める異世界生活』に登場するキャラクター 生年不明 - 松岡凛 、小説・アニメ『ハイ☆スピード!』に登場するキャラクター 生年不明 - ロイド・アスプルンド、アニメ・漫画『コードギアス 反逆のルルーシュ』に登場するキャラクター 生年不明 - ホイ・コウ・ロウ、アニメ・漫画『勇者特急マイトガイン』に登場するキャラクター 生年不明 - 桜木千春、アニメ『AKB0048』に登場するキャラクター 生年不明 - 連坊小路アキラ、アニメ・小説・漫画『革命機ヴァルヴレイヴ』に登場するキャラクター 生年不明 - 水神矢成龍、アニメ『イナズマイレブン アレスの天秤』に登場するキャラクター 生年不明 - 二ノ舞きさらぎ、読者参加企画『HAPPY★LESSON』に登場するキャラクター 生年不明 - 卯月コウ、ANYCOLOR株式会社が運営する『にじさんじ』に所属するバーチャルライバー 生年不明 - ござるっち、ゲーム・アニメ『たまごっち』に登場するキャラクター 生年不明 - 天海きいろ、ゲーム『ゲッターラブ!! ちょー恋愛パーティーゲーム』に登場するキャラクター 生年不明 - 黒川凪子、ゲーム・アニメ『ガールフレンド(仮)』に登場するキャラクター 生年不明 - 鷹城恭二、ゲーム・アニメ『アイドルマスター SideM』に登場するキャラクター 生年不明 - ファン(F.A.N.G)、ゲーム『ストリートファイターV』に登場するキャラクター 生年不明 - 清遠乙女、ゲーム・漫画・アニメ『アイドル事変』に登場するキャラクター 生年不明 - キョウカ、ゲーム・アニメ『プリンセスコネクト!Re:Dive』に登場するキャラクター 生年不明 - セリオス、ゲーム『クイズマジックアカデミー 夢幻の鏡界』に登場するキャラクター 生年不明 - 駆動ライガ、アニメ『トミカ絆合体 アースグランナー』の主人公のひとり 生年不明 - 駆動クウガ、アニメ『トミカ絆合体 アースグランナー』の主人公のひとり 忌日 (フィクション) 没年不明 - 飛鳥五郎、特撮テレビドラマシリーズ『快傑ズバット』に登場するキャラクター 出典 関連項目
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https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%884%E6%97%A5
2月4日
2月4日(にがつよっか)は、グレゴリオ暦で年始から35日目に当たり、年末まであと330日(閏年では331日)ある。 できごと 211年 - ローマ皇帝・セプティミウス・セウェルスが死去。彼の息子のカラカラとゲタが共同で帝位に就く。 724年 (神亀元年) -聖武天皇が即位。 960年(建隆元年1月5日) - 趙匡胤が皇帝に即位。宋(北宋)が建国。 1789年 - ジョージ・ワシントンが初代アメリカ合衆国大統領に選出。 1794年 - フランス立法府がフランス共和国の全領域において奴隷制度を廃止。 1807年 - ナポレオン戦争: アイラウの戦いが始まる。 1861年 - アメリカ合衆国から離脱した南部の6州がアメリカ連合国の結成を宣言。 1868年(慶応4年1月11日) - 神戸事件起こる。 1899年 - 米比戦争が始まる。 1902年 - 木村栄が自転軸の傾きに関する方程式の第三成分(Z項)を発見。 1904年 - 御前会議で対露交渉の打切りを決議し、日露戦争開戦が決定。 1929年 - 昭和天皇の弟の宣仁親王が徳川喜久子と結婚。 1932年 - 第3回冬季オリンピック、レークプラシッド大会開催。2月13日まで。 1933年 - 二・四事件(長野県赤化教員事件)はじまる。おもに教員を対象とした左翼思想弾圧。その後全国に波及。 1935年 - 九試単座戦闘機が初飛行を行う。 1938年 - ブロンベルク罷免事件: アドルフ・ヒトラーがヴェルナー・フォン・ブロンベルク国防相らドイツ国防軍幹部を罷免し、統帥権を掌握。 1942年 - 第二次世界大戦: ジャワ沖海戦。 1945年 - 第二次世界大戦: ウィンストン・チャーチル、フランクリン・ルーズベルト、ヨシフ・スターリンによるヤルタ会談が始まる。 1948年 - セイロン(現在のスリランカ)がイギリス連邦内のドミニオン(自治領)として独立。 1952年 - 第一大邦丸事件。 1955年 - 静岡県の秋葉ダム建設現場にて爆発事故。死者19名、負傷者多数。(秋葉ダム・ダイナマイト爆発事故) 1961年 - アンゴラ解放人民運動 (MPLA) がポルトガル領アンゴラの首都ルアンダの刑務所を襲撃、アンゴラ独立戦争が始まる。 1965年 - アリューシャン地震、Mw8.7。 1966年 - 千歳発の全日空機・ボーイング727-100が着陸直前に羽田沖に墜落。乗客・乗員133人全員が死亡。(全日空羽田沖墜落事故) 1969年 - ヤーセル・アラファートがパレスチナ解放機構議長に就任。 1971年 - ロールス・ロイス社が経営破綻。 1974年 - アメリカの左翼過激派組織シンバイオニーズ解放軍が大富豪の娘パトリシア・ハーストを誘拐。 1975年 - 海城大地震。 1976年 - 第12回冬季オリンピック・インスブルック大会開催。2月15日まで。 1976年 - 米上院・多国籍企業小委員会の公聴会でロッキード社の日本政府高官への贈賄が発覚。ロッキード事件の発端。 1978年 - 東大宇宙航空研究所が宇宙観測衛星「きょっこう」を打上げ。 1980年 - イランで、ルーホッラー・ホメイニーの指名によりアボルハサン・バニーサドルが初代大統領に就任。 1983年 - 日本初の実用静止通信衛星「さくら2号a」打上げ。 1983年 - カーペンターズのメンバー、カレンが死亡。 1992年 - ベネズエラでウゴ・チャベスがクーデターを起こし失敗。 1994年 - 宇宙開発事業団がH-IIロケット1号機で技術試験衛星「みょうじょう」「りゅうせい」を打上げ。 1997年 - 鳥栖フューチャーズ解散に伴い市民倶楽部サガン鳥栖FC創立 2000年 - オウム真理教が解散し、アレフとして再出発。 2003年 - ユーゴスラビアで新憲法採択。国号をセルビア・モンテネグロに改称。 2004年 - マーク・ザッカーバーグがSNSのFacebookを開設。 2005年 - 国内で最初の変異性クロイツフェルト・ヤコブ病の患者を厚生労働省が確認。患者はすでに前年末に亡くなっている。 2010年 - 大相撲の第68代横綱・朝青龍が、度重なる不祥事に責任を取る形で現役引退を表明。 2010年 - 石垣島で日本最古となる2万年前の人骨を発見。 2010年 - 横浜事件の刑事補償請求訴訟で、横浜地裁が被告の実質無罪を認定。 2015年 - トランスアジア航空235便墜落事故。 2022年 - 第24回冬季オリンピック・北京大会開催。2月20日まで。 誕生日 人物 1553年(天文22年1月22日) - 毛利輝元、戦国大名(+ 1625年) 1632年(寛永8年12月14日) - 秋月種信、日向高鍋藩3代藩主(+ 1699年) 1677年 - ヨハン・ルートヴィヒ・バッハ、 作曲家(+ 1731年) 1688年 - ピエール・ド・マリヴォー、劇作家、 小説家(+ 1763年) 1735年(享保20年1月12日) - 上杉勝承、出羽米沢新田藩2代藩主(+ 1785年) 1745年(延享2年1月4日) - 前田治脩、加賀藩10代藩主(+ 1810年) 1746年 - タデウシュ・コシチュシュコ、軍人(+ 1817年) 1770年(明和7年1月9日) - 松平信古、出羽上山藩5代藩主(+ 1796年) 1776年(安永4年閏12月15日) - 松平輝延、上野高崎藩5代藩主(+ 1825年) 1804年(享和3年12月23日) - 松平容敬、陸奥会津藩8代藩主(+ 1852年) 1835年(天保6年1月7日) - 前島密、官僚、日本郵便の父(+ 1919年) 1842年 - ゲーオア・ブランデス、文学史家、 評論家(+ 1927年) 1847年(弘化3年12月19日) - 安部信発、武蔵安部藩13代藩主(+ 1895年) 1850年(嘉永2年12月23日) - 後藤貞行、彫刻家(+ 1903年) 1852年(嘉永5年1月15日)- 小林富次郎、実業家(+ 1913年) 1868年 - コンスタンツ・マルキエビッチ、政治家(+ 1927年) 1871年 - フリードリヒ・エーベルト、ドイツ国(ヴァイマル共和政)初代大統領(+ 1925年) 1873年 - エティエンヌ・デマルトー、陸上競技選手(+ 1905年) 1875年 - ルートヴィヒ・プラントル、物理学者(+ 1953年) 1881年 - フェルナン・レジェ、画家(+ 1955年) 1887年 - リジ・イヤス、エチオピア皇帝(+ 1935年) 1888年 - ビル・ラリデン、元プロ野球選手(+ 1942年) 1891年 - 三上於菟吉、作家(+ 1944年) 1892年 - アンドレウ・ニン、共産主義者、 革命家(+ 1937年) 1893年 - レイモンド・ダート、人類学者(+ 1988年) 1896年 - フリードリッヒ・フント、物理学者(+ 1997年) 1897年 - ルートヴィヒ・エアハルト、ドイツ首相(+ 1977年) 1898年 - 伊東深水、日本画家(+ 1972年) 1900年 - ジャック・プレヴェール、詩人、童話作家(+ 1977年) 1902年 - チャールズ・リンドバーグ、飛行家(+ 1974年) 1903年 - アレクサンダー・イミック、男性世界最高齢(+ 2014年) 1903年 - 武原はん、日本舞踊家(+ 1998年) 1904年 - 鄧穎超、政治家、周恩来の妻(+ 1992年) 1906年 - クライド・トンボー、天文学者(+ 1997年) 1906年 - ディートリヒ・ボンヘッファー、ルター派の牧師、神学者(+ 1945年) 1907年 - オットー・オーレンドルフ、ナチス・ドイツ親衛隊中将(+ 1951年) 1909年 - 工藤孝一、サッカー選手、指導者(+ 1971年) 1912年 - バイロン・ネルソン、ゴルファー(+ 2006年) 1912年 - エーリヒ・ラインスドルフ、指揮者(+ 1993年) 1913年 - ローザ・パークス、公民権運動家(+ 2005年) 1918年 - 川島雄三、映画監督(+ 1963年) 1918年 - ルイジ・パレイゾン、美学者、哲学者 (+1991年) 1918年 - アイダ・ルピノ、女優、映画監督(+ 1995年) 1921年 - ロトフィ・ザデー、計算機科学者(+ 2017年) 1923年 - 桃井真、国際政治学者(+ 2004年) 1927年 - 右手和子、声優(+ 2011年) 1927年 - 岡田節人、発生生物学者(+ 2017年) 1928年 - 金永南、政治家 1931年 - イサベル・ペロン、政治家、元アルゼンチン大統領 1932年 - 福田繁雄、グラフィックデザイナー(+ 2009年) 1933年 - 竹田和平、実業家、投資家(+ 2016年) 1933年 - 一柳慧、作曲家、ピアニスト 1936年 - 小野清子、元体操選手、参議院議員 1936年 - 富田耕生、声優(+ 2020年) 1937年 - 山中雅博、元プロ野球選手 1938年 - 猪熊功、柔道選手(+ 2001年) 1938年 - 加藤剛、俳優(+ 2018年) 1938年 - 勝間田具治、アニメーション演出家 1940年 - ジョージ・A・ロメロ、映画監督(+ 2017年) 1941年 - 貴家堂子、声優 1941年 - 金芝河、詩人 1943年 - ケン・トンプソン、コンピュータ技術者 1944年 - 黒沢年雄、俳優 1945年 - 宮城谷昌光、時代小説作家 1947年 - ダン・クエール、第44代アメリカ合衆国副大統領 1948年 - 加橋かつみ、ミュージシャン(元ザ・タイガース) 1948年 - 三重ノ海剛司、第10代日本相撲協会理事長、大相撲第57代横綱 1948年 - アリス・クーパー、ミュージシャン 1950年 - 大津あきら、作詞家(+ 1997年) 1950年 - 泉アキ、歌手、タレント 1950年 - 菅谷勇、声優 1952年 - 福谷たかし、漫画家(+ 2000年) 1953年 - 喜多郎、キーボーディスト 1953年 - 山下達郎、シンガーソングライター 1953年 - 寺田吉孝、元プロ野球選手 1954年 - 千葉繁、声優、音響監督 1954年 - 水越恵子、シンガーソングライター 1955年 - 宮内タカユキ、アニメソング歌手 1955年 - 高橋広、野球選手 1957年 - 石破茂、政治家 1958年 - 時任三郎、俳優 1958年 - 東野圭吾、小説家 1958年 - 長澤和明、元サッカー選手、指導者 1958年 - 中西康晴、キーボーディスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー 1959年 - 榎徹、実業家、大分フットボールクラブ代表取締役 1959年 - 大久保勝也、元プロ野球選手 1960年 - ジョナサン・ラーソン、作曲家、脚本家(+ 1996年) 1961年 - 井上荒野、小説家 1962年 - 宙也、ミュージシャン 1963年 - 井上望、元アイドル、タレント 1963年 - 張正九、プロボクサー 1963年 - ピルミン・ツルブリッゲン、アルペンスキーヤー 1963年 - 吉本明子、厚生労働官僚 1964年 - 石原真理子、女優 1965年 - 森浩之、元プロ野球選手 1965年 - 中島恵利華、プロゴルファー 1966年 - 小泉今日子、歌手、女優 1966年 - ヴィアチェスラフ・エキモフ、元自転車競技選手 1967年 - 草野満代、キャスター 1967年 - KYO、ミュージシャン 1967年 - セルゲイ・グリンコフ、フィギュアスケート選手(+ 1995年) 1968年 - 江口ともみ、タレント 1968年 - 佐々木蔵之介、俳優 1970年 - 吉原知子、元バレーボール選手 1970年 - ガブリエル・アンウォー、女優 1970年 - ハンター・バイデン、弁護士 1970年 - マリナ・エルツォワ、フィギュアスケート選手 1971年 - 河野啓三、キーボーディスト(T-SQUARE) 1973年 - ドナート・カブレラ、指揮者 1973年 - 中嶋美年子、元アナウンサー 1973年 - 宮内洋、元プロ野球選手 1973年 - オスカー・デ・ラ・ホーヤ、プロボクサー 1973年 - 佳嶋、イラストレーター 1974年 - 塚本徳臣、空手道選手 1975年 - 戸叶尚、元プロ野球選手 1975年 - ナタリー・インブルーリア、歌手、女優 1975年 - じゅんいちダビッドソン 、お笑い芸人 1976年 - 伏見俊昭、競輪選手 1977年 - モンターニャ・シウバ、格闘家 1979年 - 山崎静代、お笑いタレント(南海キャンディーズ) 1980年 - 桐谷健太、俳優 1980年 - 矢吹健太朗、漫画家 1981年 - 森田祐司、ギタリスト 1981年 - トム・マストニー、プロ野球選手 1982年 - 斉藤優香、女優 1984年 - 光龍忠晴、元大相撲力士 1984年 - ダグ・フィスター、元プロ野球選手 1984年 - 豊田圭史、元野球選手 1985年 - 川端崇義、元プロ野球選手 1986年 - 北村聡、元陸上競技選手 1986年 - 40mP、ミュージシャン 1987年 - ダレン・オディー、サッカー選手 1987年 - 鮫島良太、騎手 1987年 - ルーシー・サファロバ、元テニス選手 1987年 - 西岡優妃、女優 1988年 - 新名彩乃、声優 1988年 - カーリー・パターソン、体操選手 1988年 - ロマン・タラン、フィギュアスケート選手 1988年 - 宇佐美佑果、元アナウンサー 1989年 - 鈴木勝吾、俳優 1989年 - 大空直美、声優 1990年 - 戸松遥、声優 1990年 - 吉村卓也、俳優 1990年 - 俵有希子、元タレント 1991年 - 杉谷拳士、プロ野球選手 1991年 - 大政絢、女優 1994年 - 伊倉愛美、タレント 1994年 - あいなぷぅ、お笑い芸人(パーパー) 1994年 - クリス・ギッテンズ、プロ野球選手 1997年 - 中条あやみ、ファッションモデル、女優 1997年 - 山根綺、声優、歌手、アイドル(Kleissis) 1998年 - 鈴代紗弓、声優 1998年 - 武知海青、パフォーマー(THE RAMPAGE from EXILE TRIBE) 1999年 - 植村梓、元アイドル(NMB48) 2000年 - 大場花菜、アイドル(=LOVE、元YOANI1年C組) 2000年 - 近藤あさみ、ジュニアアイドル 2001年 - 春名風花、タレント、女優、声優 2001年 - 青木柚、声優 2001年 - 亀田温心、騎手 2002年 - 花橋梨緒(RIO)、アイドル(NiziU) 生年不明 - 生田未歩、声優 生年不明 - 輝山新、声優 生年不明 - 本泉莉奈、声優 生年不明 - 市川太一、声優 人物以外(動物など) 2002年 - エアメサイア、競走馬 忌日 211年 - セプティミウス・セウェルス、ローマ皇帝(* 146年) 1041年(長久2年1月1日) - 藤原公任、公卿、歌人(* 966年) 1348年(貞和4年/正平3年1月5日) - 楠木正行、武将、小楠公(* 1326年) 1498年 - アントニオ・デル・ポッライオーロ、画家、彫刻家、版画家、金細工師(* 1429年/1433年) 1615年(慶長20年1月8日) - 高山右近、キリシタン大名、利休七哲の1人(* 1552年) 1673年(寛文12年12月18日) - 保科正之、江戸時代の大名(* 1611年) 1781年 - ヨゼフ・ミスリヴェチェク、作曲家(* 1737年) 1894年 - アドルフ・サックス、楽器製作者(* 1814年) 1909年 - ジョン・クラークソン、プロ野球選手(* 1861年) 1916年 - アドルフ・ビアラン、チェリスト、作曲家(* 1871年) 1921年 - グザヴィエ・メルリ、美術家(* 1845年) 1928年 - ヘンドリック・ローレンツ、物理学者(* 1853年) 1929年 - 長井長義、薬学者(* 1845年) 1934年 - エルネスト・ナザレー、ピアニスト、作曲家(* 1863年) 1939年 - エドワード・サピア、人類学者、言語学者(* 1884年) 1943年 - 林銑十郎、政治家、第33代内閣総理大臣(* 1876年) 1947年 - ルイージ・ルッソロ、画家、作曲家(* 1885年) 1969年 - セルマ・リッター、女優(* 1905年) 1983年 - カレン・カーペンター、ミュージシャン(カーペンターズ)(* 1950年) 1985年 - 米治一、彫刻家(* 1896年) 1988年 - 藤井松太郎、第7代日本国有鉄道総裁(* 1903年) 2000年 - ロナルド・ロバートソン、フィギュアスケート選手(* 1937年) 2001年 - ヤニス・クセナキス、作曲家(* 1922年) 2001年 - J・J・ジョンソン、トロンボーン奏者(* 1924年) 2005年 - ルイス・サンチェ、元プロ野球選手(* 1953年) 2006年 - 谷よしの、女優(* 1917年) 2011年 - 寺岡孝、元プロ野球選手(* 1942年) 2012年 - 芦野宏、シャンソン歌手(* 1924年) 2014年 - 午馬、俳優、映画監督(* 1942年) 2015年 - 日沼頼夫、医学者(* 1925年) 記念日・年中行事 立春( 1985年 - 2024年) 二十四節気の1つ。太陽の黄経が315度の時で、春の初め。 節分( 1984年、2104年)※立春の前日 世界対がんデー 2000年の「対がん同盟結成を呼びかけるパリ憲章」に基づいて、国際対がん連合が2002年から実施している。 独立記念日() 1948年2月4日にイギリスから独立したことに由来。 ザ・ビートルズの日 ファンがビートルズの愛称”Fab.4”を日付(February 4)にかけたもの。 西の日() 「に(2)」と「し(4)」の語呂合わせから。 ぷよの日() ぷよぷよ(「ぷ(2)」と「よ(4)」)の語呂合わせから。株式会社セガが制定。 高齢者安全入浴の日() いつまでも元気な「不老不死」を、風呂での死亡事故の無い「風呂不死」とかけて、その「不(2)死(4)」と「入=にゅう(2)浴=よく(4)」と読む語呂合わせから。高齢者入浴アドバイザー協会が制定。 Nissyの日() 日付は2と4で「Nissy(ニッシー=ニッ(2)シー(4)」の語呂合わせから。2018年に東京ドーム公演で登録を一般発表。 ビタミンCケアの日() 株式会社ドクターシーラボが制定。「ビタミンC」はシミ、シワの悩みを解決するのに役立ち、その効果をより多くの人に実感してもらうのが目的。日付は、立春となる日が多い2月4日で、春が始まり紫外線が気になる時期に、ビタミンCで日焼けや肌荒れをケアしてもらいたいとの願いから。 レディース・ユニフォームの日() レディース・ユニフォーム協議会が制定。ユニフォームの必要性や役割、効用などを発信し、ユニフォームマーケットの活性化を図るのが目的。日付は全国的に春夏用の展示会が行われる時期であることと、「ユニ(2)フォー(4)ム」と読む語呂合わせから。 フィクションのできごと 1909年 - シー・カプリス、ゲーム・アニメ『サクラ大戦』に登場するキャラクター 1973年 - ブルー・マリー、ゲーム『餓狼伝説』シリーズに登場するキャラクター 1997年 - クリリン、サンリオの『コロコロクリリン』に登場するキャラクター 生年不明 - 梶原空、漫画・アニメ『スケッチブック』の主人公 生年不明 - みるく、『シナモロール』に登場するキャラクター 生年不明 - ジノ・ヘルナンデス、漫画・アニメ『キャプテン翼』に登場するキャラクター 生年不明 - グロリオーサ(ニョン婆)、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - ハルタ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - フカボシ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - 松尾、漫画・アニメ『銀魂』に登場するキャラクター 生年不明 - 月島秀九郎、漫画・アニメ『BLEACH』に登場するキャラクター 生年不明 - ワイズリー、漫画・アニメ『D.Gray-man』に登場するキャラクター 生年不明 - 浅茅ヶ原の鬼女、漫画・アニメ『ぬらりひょんの孫』に登場するキャラクター 生年不明 - 神崎澪、漫画・アニメ『この音とまれ!』に登場するキャラクター 生年不明 - 西尾錦(ニシキ)、漫画・アニメ『東京喰種トーキョーグール』に登場するキャラクター 生年不明 - アン・サイベル、漫画・アニメ『寄宿学校のジュリエット』に登場するキャラクター 生年不明 - ハイリ、漫画『かけあうつきひ』に登場するキャラクター 生年不明 - 黒田雪成、漫画・アニメ『弱虫ペダル』に登場するキャラクター 生年不明 - ジェイク・ラング(シヴァ)、漫画『CIPHER』に登場するキャラクター 生年不明 - 佐藤マサオ、漫画・アニメ『クレヨンしんちゃん』に登場するキャラクター 生年不明 - 鈴木涼二、漫画・アニメ『ラブ★コン』に登場するキャラクター 生年不明 - 友清朱里、漫画・アニメ『咲-Saki-』に登場するキャラクター 生年不明 - 藤岡ハルヒ、漫画・アニメ『桜蘭高校ホスト部』に登場するキャラクター 生年不明 - 水嶋沙依理、漫画・アニメ『恋愛ラボ』に登場するキャラクター 生年不明 - 山伏しずく、小説・アニメ『楠芽吹は勇者である』に登場するキャラクター 生年不明 - 紅かすみ、読者参加企画・アニメ『セラフィムコール』に登場するキャラクター 生年不明 - 桜井真美、読者参加企画『お嬢様特急』に登場するキャラクター 生年不明 - 春日咲子、音楽配信企画『ひなビタ♪ 凛として咲く花の如く』に登場するキャラクター 生年不明 - テレサ・ワーグナー、アニメ『多田くんは恋をしない』に登場するキャラクター 生年不明 - 整備班長、アニメ『戦翼のシグルドリーヴァ』に登場するキャラクター 生年不明 - まりん、ゲーム『ザ・キング・オブ・ファイターズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 落合恵子、ゲーム・アニメ『ゲートキーパーズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 駒野千代、ゲーム・漫画『遙かなる時空の中で』に登場するキャラクター 生年不明 - 神郷洵、ゲーム・アニメ『ペルソナ3』に登場するキャラクター 生年不明 - 九魅、ゲーム・アニメ『閃乱カグラ NewWave』に登場するキャラクター 生年不明 - 白雪千夜、ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 徳川まつり、ゲーム・漫画・アニメ『アイドルマスター ミリオンライブ!』に登場するキャラクター 生年不明 - ゼロ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター 生年不明 - オリオン、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター 生年不明 - 逆先夏目、ゲーム・漫画・アニメ『あんさんぶるスターズ!』に登場するキャラクター 生年不明 - ケイト・ダイヤモンド、ゲーム『ディズニー ツイステッドワンダーランド』に登場するキャラクター 脚注 出典 関連項目
1782
https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%885%E6%97%A5
2月5日
2月5日(にがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から36日目に当たり、年末まであと329日(閏年では330日)ある。 できごと 1160年(平治元年12月26日) - 平治の乱が終結する。 1597年(慶長元年12月19日) - 豊臣秀吉の命により、長崎でカトリック信徒26名が処刑される(日本二十六聖人)。 1631年 - ロジャー・ウィリアムズがボストンの教会の牧師に着任。 1649年 - 清教徒革命: スコットランド議会が革命に反対し、フランスに亡命中のチャールズ2世をスコットランド王及びイングランド王に推戴すると宣言。 1778年 - サウスカロライナ州が連合規約の初批准州となる。 1818年 - ジャン=バティスト・ベルナトットがカール14世ヨハンとしてスウェーデン=ノルウェー王に即位。 1862年 - アメリカ合衆国財務省が初めて政府紙幣()を発行。 1877年 - 東海道本線の神戸駅から京都駅までがつながる。全線が開通したことを記念して明治天皇を迎えて鉄道開通式を実施。 1885年 - ベルリン会議で、ベルギーが領有を主張していたコンゴを、ベルギー王レオポルド2世の私領地(コンゴ自由国)として扱うことを決定。 1901年 - 官営八幡製鐵所が操業開始。 1913年 - 護憲運動: 政友会と国民党が桂内閣の不信任案提出、尾崎行雄が弾劾演説を行う。(大正政変) 1917年 - メキシコの現行の憲法が採択。 1918年 - 大之浦桐野炭鉱(現:福岡県宮若市)にて爆発事故。死者・行方不明者71人。 1919年 - チャーリー・チャップリン、メアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス、D・W・グリフィスらによってユナイテッド・アーティスツが創業。 1920年 - 慶應義塾大学と早稲田大学を初の私立大学として認可。 1923年 - 国際刑事警察機構(インターポール)設立。 1936年 - 全日本職業野球聯盟設立。 1936年 - チャーリー・チャップリン監督の映画『モダン・タイムス』がアメリカで公開。 1940年 - 沖縄県尖閣諸島魚釣島沖合に大日本航空機阿蘇号(ダグラス DC-2)が不時着(大日本航空阿蘇号不時着事故))。機体は胴体が真っ二つになったが、乗員・乗客13人は魚釣島に上陸して無事。 1945年 - 第二次世界大戦: ダグラス・マッカーサーがフィリピンからの撤退以来初めてマニラに戻る。 1969年 - 福島県の磐梯熱海温泉・磐光ホテルで火災発生。31人死亡。 1971年 - アメリカの「アポロ14号」が月面に着陸。 1973年 - 渋谷駅のコインロッカーで嬰児の死体が発見される。以後、同様の事件が続発。(コインロッカーベイビー) 1981年 - 神戸新交通ポートアイランド線が開業。 1987年 - 宇宙科学研究所がX線天文観測衛星「ぎんが」を打上げ。 誕生日 976年(天延4年1月3日) - 三条天皇、第67代天皇(+ 1017年) 1579年(天正7年1月10日) - 鈴木正三、僧侶、仮名草子作家(+ 1655年) 1626年 - セヴィニエ夫人、著作家(+ 1696年) 1635年(寛永11年12月18日)- 伊達宗利、第2代宇和島藩主(+ 1709年) 1748年 - クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェ、作曲家(+ 1798年) 1767年(明和4年1月7日) - 朽木倫綱、第9代福知山藩主(+ 1803年) 1770年 - アレクサンドル・ブロンニャール、化学者、鉱物学者、地質学者、動物学者 (+ 1847年) 1784年 - ウィリアム・テイラー・バリー、第10代アメリカ合衆国郵政長官(+ 1835年) 1788年 - ロバート・ピール、イギリス首相(+ 1850年) 1796年 - ヨハネス・フォン・ガイセル、ケルン大司教、枢機卿(+ 1864年) 1799年(寛政11年1月1日)- 安井息軒、儒学者(+ 1876年) 1810年 - オーレ・ブル、ヴァイオリニスト、作曲家(+ 1880年) 1814年(文化4年12月16日) - 榊原政愛、第9代高田藩主(+ 1861年) 1833年(天保3年12月16日)- 水野忠精、江戸幕府老中、山形藩主(+ 1884年) 1835年 - フリードリヒ・ヴィネッケ、天文学者(+ 1897年) 1836年(天保6年12月19日)- 天璋院、江戸幕府13代将軍徳川家定の御台所(+ 1883年) 1836年 - ニコライ・ドブロリューボフ、文芸評論家、社会批判家 (+ 1861年) 1840年 - ジョン・ボイド・ダンロップ、発明家、ダンロップ創業者(+ 1921年) 1840年 - ハイラム・マキシム、発明家(+ 1916年) 1840年(天保11年1月3日) - 法印大五郎、侠客、清水次郎長一家の一人(+ 1919年) 1848年 - ジョリス=カルル・ユイスマンス、小説家(+ 1907年) 1856年 - フランク・ポドモア、著作家、社会主義運動家(+ 1910年) 1864年 - カール・タイケ、作曲家(+ 1922年) 1876年 - リカルド・ビニェス、ピアニスト(+ 1943年) 1878年 - アンドレ・シトロエン、実業家、シトロエン社創業者(+ 1935年) 1880年 - 宮脇長吉、衆議院議員(+ 1953年) 1882年 - アウグスト・コプフ、天文学者(+ 1960年) 1888年 - 高木市之助、国文学者(+ 1974年) 1891年 - ロジャー・ペキンポー、プロ野球選手(+ 1977年) 1892年 - 栃木山守也、大相撲第27代横綱(+ 1959年) 1893年 - ローマン・インガルデン、哲学者(+ 1970年) 1894年 - 槇有恒、登山家(+ 1989年) 1898年 - 尾崎士郎、小説家(+ 1964年) 1898年 - 大河内傳次郎、俳優(+ 1962年) 1900年 - アドレー・スティーブンソン、政治家(+ 1965年) 1901年 - 宇佐美洵、財政家(+ 1983年) 1902年 - 岩本薫、囲碁棋士(+ 1999年) 1903年 - 前川佐美雄、歌人(+ 1990年) 1903年 - 百井盛、教育者(+ 2015年) 1903年 - 松平康東、外交官(+ 1994年) 1904年 - 美濃部亮吉、経済学者、東京都知事(+ 1984年) 1904年 - ローレンス・ウェイジャー、地質学者、探検家(+ 1965年) 1906年 - ジョン・キャラダイン、俳優(+ 1988年) 1907年 - 葛原妙子、歌人(+ 1985年) 1909年 - グラジナ・バツェヴィチ、作曲家(+ 1969年) 1910年 - フランシスコ・バラージョ、サッカー選手(+ 2010年) 1911年 - ユッシ・ビョルリング、テノール歌手(+ 1960年) 1911年 - 中村光夫、文芸評論家(+ 1988年) 1914年 - ウィリアム・S・バロウズ、作家(+ 1997年) 1914年 - アラン・ロイド・ホジキン、生理学者(+ 1998年) 1914年 - 山田伝、プロ野球選手(+ 1987年) 1915年 - ロバート・ホフスタッター、物理学者(+ 1990年) 1917年 - 山田五十鈴、女優(+ 2012年) 1917年 - 上杉隆憲、米沢上杉家16代目当主(+ 1995年) 1920年 - 小野寺公二、小説家(+ 1998年) 1923年 - 榎本茂、元プロ野球選手 1924年 - ゼルマ・メーアバウム=アイジンガー、詩人(+ 1942年) 1927年 - 結城昌治、小説家(+ 1996年) 1928年 - 土井茂、映画監督(+ 2013年) 1929年 - リュック・フェラーリ、作曲家(+ 2005年) 1929年 - 長岡久夫、元プロ野球選手(+ 2017年) 1931年 - 内田良平、俳優(+ 1984年) 1932年 - 田中希代子、ピアニスト(+ 1996年) 1932年 - 高階秀爾、美術史家 1932年 - チェーザレ・マルディーニ、サッカー選手、指導者(+ 2016年) 1934年 - ハンク・アーロン、プロ野球選手(+ 2021年) 1934年 - 丸元淑生、小説家(+ 2008年) 1935年 - 長尾旬、元プロ野球選手 1938年 - 岩井國臣、政治家 1939年 - 小池兼司、元プロ野球選手 1940年 - 斎藤十朗、政治家、第21・22代参議院議長 1940年 - H・R・ギーガー、画家、デザイナー 1942年 - 涌井洋治、大蔵官僚、JT会長、大蔵省主計局長、大臣官房長 1942年 - ロジャー・ストーバック、元アメリカンフットボール選手 1943年 - マイケル・マン、映画監督 1944年 - 秋元羊介、声優 1944年 - 玉の海正洋、大相撲力士、第51代横綱(+ 1971年) 1944年 - 又吉イエス、政治運動家(世界経済共同体党代表)(+ 2018年) 1944年 - アル・クーパー、ミュージシャン 1946年 - シャーロット・ランプリング、女優 1947年 - 弘田三枝子、歌手(+ 2020年) 1947年 - 小林正之、元プロ野球選手 1947年 - 西郷輝彦、歌手、俳優(+ 2022年) 1948年 - クリストファー・ゲスト、俳優 1948年 - バーバラ・ハーシー、女優 1948年 - スヴェン・ゴラン・エリクソン、元サッカー選手、指導者 1949年 - 三宅恵介、テレビプロデューサー 1949年 - 井上洋一、元プロ野球選手 1949年 - 住友秀雄、元プロ野球選手 1950年 - パンタ、ミュージシャン 1950年 - 木村修治、名古屋女子大生誘拐殺人事件の犯人(+ 1995年) 1951年 - 中尾隆聖、声優 1952年 - 金田伊功、アニメーター(+ 2009年) 1952年 - 斉藤鉄夫、政治家 1952年 - 後藤次利、作曲家、ベーシスト 1952年 - 橋本ひろし、キョウデン会長、歌手 1953年 - 石川孝志(敬士)、プロレスラー 1955年 - 大葉健二、俳優 1955年 - 花村萬月、小説家 1956年 - 大地真央、女優 1956年 - 渡辺麿史、プロ野球選手(+ 2014年) 1957年 - ユーリー・タム、陸上競技選手 1959年 - こせきこうじ、漫画家 1959年 - ジェニファー・グランホルム、ミシガン州知事 1960年 - 樹なつみ、漫画家 1962年 - ジェニファー・ジェイソン・リー、女優 1962年 - 川原新治、元プロ野球選手 1962年 - 森田芳彦、元プロ野球選手 1963年 - ゴラン・ユーリッチ、サッカー選手 1963年 - 牧野正幸、実業家 1963年 - 宮崎正裕、剣道家 1964年 - ローラ・リニー、女優 1964年 - 竹内都子、お笑い芸人(ピンクの電話) 1964年 - 鈴木寛、政治家 1964年 - ダフ・マッケイガン、ベーシスト(ガンズ・アンド・ローゼズ、ヴェルヴェット・リヴォルヴァー) 1964年 - ポイズン澤田JULIE、プロレスラー 1964年 - 緋田康人、俳優 1965年 - ゲオルゲ・ハジ、元サッカー選手、サッカー指導者 1965年 - 荘真由美、声優 1966年 - ホセ・マリア・オラサバル、ゴルファー 1966年 - 仲田秀司、元プロ野球選手 1966年 - 川上麻衣子、女優 1967年 - 森脇健児、タレント 1967年 - 鶴保庸介、政治家 1968年 - ロベルト・アロマー、元プロ野球選手 1968年 - 矢部達哉、ヴァイオリン奏者 1968年 - マーカス・グロンホルム、ラリードライバー 1968年 - 藤田明宏、高校野球指導者 1969年 - 木内秀信、声優 1969年 - ボビー・ブラウン、歌手 1970年 - 生駒治美、声優 1970年 - 藤原理恵、タレント、歌手(元C.C.ガールズ) 1970年 - アストリッド・クンバーヌス、陸上競技選手 1970年 - クリス・ブロック、プロ野球選手 1971年 - 山中崇史、俳優 1971年 - ジョー・マツモト、プロ野球選手 1972年 - 長州小力、お笑いタレント(西口プロレス) 1972年 - メアリー、デンマーク王太子フレデリクの妃 1973年 - 鄧亞萍、卓球選手 1974年 - 橋本岳、政治家 1974年 - 岩佐岳、アニメーションプロデューサー 1975年 - 生駒雅紀、元プロ野球選手 1975年 - ジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト、サッカー選手 1975年 - 尾上松緑 (4代目)、歌舞伎役者、俳優 1976年 - トニー・ジャー、俳優 1976年 - 三橋泰介、アナウンサー、スピーチコンサルタント 1977年 - 吉井由紀、女優 1977年 - 野沢和香、モデル、女優 1977年 - Koji(末吉宏司)、俳優 1977年 - 青木裕子、タレント 1980年 - 長崎伸一、元プロ野球選手 1980年 - かぬか光明、声優 1982年 - 勝哲也、ファッションモデル 1982年 - 立道聡子、歌手 1982年 - 新妻悠太、お笑いタレント(元トップリード) 1982年 - 宇多村典明、野球選手 1982年 - ロドリゴ・パラシオ、サッカー選手 1982年 - 小林ゆう、声優 1984年 - カルロス・テベス、サッカー選手 1985年 - クリスティアーノ・ロナウド、サッカー選手 1985年 - 伊地知大樹、お笑いタレント(ピスタチオ) 1986年 - ライアン・ウェブ、プロ野球選手 1986年 - 駒場孝、お笑いタレント(ミルクボーイ) 1986年 - マヌエル・フェルナンデス、サッカー選手 1986年 - 比留川游、ファッションモデル 1986年 - 留奥麻依子、ファッションモデル、女優 1987年 - 伊藤花菜、タレント、歌手(元SDN48) 1987年 - マーク・ハンバーガー、プロ野球選手 1987年 - 東海林愛美、女優 1987年 - ダレン・クリス、俳優 1989年 - ブリドカットセーラ恵美、声優 1990年 - 荒牧慶彦、俳優 1990年 - 金井貢史、サッカー選手 1990年 - 松原朋美、アナウンサー 1991年 - 奥田佳菜子、タレント 1991年 - 王躍霖、プロ野球選手 1991年 - サンニ・ウトリアイネン、陸上競技選手 1992年 - ネイマール、サッカー選手 1992年 - ステファン・デ・フライ、サッカー選手 1992年 - 大原ゆい子、シンガーソングライター 1992年 - 吉住絵里加、タレント、声優(元仮面ライダーGIRLS) 1993年 - Rei、シンガーソングライター、ギタリスト 1993年 - 勇翔、俳優、タレント(BOYS AND MEN) 1994年 - 中島早貴、歌手(元℃-ute) 1994年 - 小宮有紗、女優  1994年 - 二岡康平、陸上選手 1995年 - 小野木里奈、女優 1995年 - 平口みゆき、アイドル(元palet) 1995年 - 馬淵優佳、飛込競技選手 1995年 - 丸山泰資、プロ野球選手 1995年 - 山中綾華、ミュージシャン(元Mrs. GREEN APPLE) 1995年 - 一宮にこ、YouTuber(平成フラミンゴ) 1996年 - 奥村真友里、アイドル(トライシグナル、元ひめキュンフルーツ缶) 1997年 - 渡辺剛、サッカー選手 1997年 - 鈴木優、プロ野球選手 1997年 - 松本穂香、女優 1997年 - 小嶋紗里、女優 1997年 - 高橋春織、女優、タレント 1998年 - AIRI、アイドル、ミュージシャン(CHERRSEE) 1998年 - 上野優華、歌手、声優 1999年 - あのん、モデル、アイドル(predia) 1999年 - 木下晴香、女優、歌手 1999年 - 柴田瑠歌、女優 2000年 - ジュンモ、アイドル(CRAVITY) 2001年 - キム・ミンジュ、アイドル、女優(元IZ*ONE) 2002年 - デイヴィス・クリーヴランド、俳優 2002年 - パク・チソン、アイドル(NCT) 2002年 - カン・テヒョン、アイドル(TOMORROW X TOGETHER) 2003年 - Kōki,、ファッションモデル、作曲家 2003年 - 水沢林太郎、俳優 2007年 - 秋本レイラニ、ファッションモデル 忌日 人物 1157年 - コンラート1世、マイセン辺境伯(* 1098年頃) 1406年(応永13年1月17日)- 畠山基国、守護大名、室町幕府管領(* 1352年) 1543年(天文12年1月2日)- 木下弥右衛門、豊臣秀吉の父 1597年(慶長元年12月19日)- パウロ三木、日本二十六聖人のひとり(* 1564年?) 1661年(順治18年1月7日)- 順治帝、第3代清皇帝(* 1638年) 1705年 - ジャン・ジル、作曲家(* 1668年) 1766年 - レオポルト・フォン・ダウン、ハプスブルク君主国の陸軍元帥(* 1705年) 1790年 - ウィリアム・カレン、化学者(* 1710年) 1807年 - パスカル・パオリ、コルシカ独立戦争の指導者(* 1725年) 1818年 - カール13世、スウェーデン王(* 1748年) 1868年(慶応4年1月12日)- 浅野斉粛、第9代広島藩主(* 1817年) 1868年(慶応4年1月12日)- 佐々木只三郎、京都見廻組組員(* 1833年) 1880年 - アドルフ・ボリー、第25代アメリカ合衆国海軍長官(* 1809年) 1881年 - トーマス・カーライル、評論家、歴史家(* 1795年) 1896年 - 末広鉄腸、政論家、新聞記者(* 1849年) 1897年 - チャールズ・ラドボーン、プロ野球選手(* 1854年) 1907年 - ルートヴィヒ・トゥイレ、作曲家(* 1861年) 1910年 - ジェイムズ・ウィリアム・マーシャル、第27代アメリカ合衆国郵政長官(* 1822年) 1915年 - ロス・バーンズ、メジャーリーガー(* 1850年) 1925年 - 横田千之助、政治家(* 1870年) 1932年 - バーニー・ドレイファス、ピッツバーグ・パイレーツオーナー(* 1865年) 1934年 - ウィリアム・モーリス・ディヴィス、地理学者(* 1850年) 1934年 - 留岡幸助、福祉事業家(* 1864年) 1937年 - ルー・アンドレアス・ザロメ、作家(* 1861年) 1938年 - 武田五一、建築家(* 1872年) 1942年 - 小川平吉、大正・昭和期の司法大臣、鉄道大臣(* 1870年) 1942年 - 久保為義、映画監督、脚本家(* 1906年) 1945年 - ラグナル・エストベリ、建築家(* 1866年) 1946年 - ジョージ・アーリス、俳優(* 1866年) 1949年 - 安宅弥吉、実業家、安宅産業創業者(* 1873年) 1957年 - 原一司、漫画家(* 1915年) 1962年 - ジャック・イベール、作曲家(* 1890年) 1968年 - 阿部武雄、作曲家(* 1902年) 1970年 - 佐藤得二、小説家(* 1899年) 1970年 - 西川鶴三、照明技師(* 1910年) 1971年 - ラーコシ・マーチャーシュ、ハンガリーの指導者(* 1892年) 1977年 - オスカル・クライン、物理学者(* 1894年) 1979年 - 清水川明於、大相撲力士(* 1925年) 1983年 - 千田正、政治家(* 1899年) 1984年 - エル・サント、プロレスラー(* 1917年) 1987年 - 磯田光一、文芸評論家(* 1931年) 1988年 - エメリック・プレスバーガー、映画監督、脚本家(* 1902年) 1991年 - 中川一政、洋画家、詩人、随筆家(* 1893年) 1992年 - 早川幸男、宇宙物理学者(* 1923年) 1993年 - ハンス・ヨナス、哲学者(* 1903年) 1993年 - ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ、映画監督、脚本家、プロデューサー(* 1909年) 1996年 - 小国英雄、脚本家(* 1904年) 1997年 - 中田ラケット、漫才師(中田ダイマル・ラケット)(* 1920年) 1998年 - 武原はん、日本舞踊家(* 1903年) 1998年 - 高橋竹山、津軽三味線奏者(* 1910年) 1998年 - 富島健夫、小説家(* 1931年) 1998年 - 山田重雄、バレーボール指導者(* 1931年) 1999年 - ワシリー・レオンチェフ、経済学者(* 1906年) 2000年 - クロード・オータン=ララ、映画監督(* 1901年) 2000年 - 高橋英辰、サッカー選手、指導者(* 1916年) 2002年 - 舟越保武、彫刻家(* 1912年) 2003年 - 松本惠雄、能楽師(* 1915年) 2004年 - 菊池福治郎、政治家(* 1925年) 2005年 - ニャシンベ・エヤデマ、トーゴ大統領(* 1937年) 2006年 - 都留重人、経済学者(* 1912年) 2007年 - 生恵幸子、漫才師(人生幸朗・生恵幸子)(* 1923年) 2008年 - マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー、宗教家(* 1918年) 2009年 - 児玉弘義、プロ野球選手(* 1942年) 2009年 - 渥美国泰、俳優(* 1933年) 2010年 - 小瀬浩之、プロ野球選手(* 1985年) 2011年 - 永田洋子、新左翼活動家(* 1945年) 2014年 - ロバート・ダール、政治学者(* 1915年) 2018年 - 古在由秀、天文学者、初代国立天文台長(* 1928年) 2019年 - 堀文子、日本画家(* 1918年) 2020年 - 佐野康之、声優(* 1970年) 2022年 - 西村賢太、小説家(* 1967年) 人物以外(動物など) 2015年 - ステイゴールド、競走馬(* 1994年) 2020年 - ニシノフラワー、競走馬(* 1989年) 記念日・年中行事 憲法記念日() 1917年のこの日、メキシコで現行の憲法が採択された。 () アメリカの最初の気象観測者であるジョン・ジェフリーズの1744年の誕生日を記念。 職業野球連盟設立の日/プロ野球の日() 1936年2月5日に、全日本職業野球連盟が結成され、プロ野球が誕生したことに由来。当時の加盟チームは、東京巨人軍、大阪タイガース、名古屋ドラゴンズ、東京セネタース、名古屋金鯱軍、阪急軍、大東京軍の7チームだった。 笑顔の日() 2と5の語呂合わせで、いつもニコニコと笑顔になっていようという日。 ふたごの日() 2と5の語呂合わせ。双子並びに多胎児の育児がしやすい環境づくりを考える日。 エコチュウの日() 中古車に乗ることは、新車の製造過程で排出されるCO2削減につながることをアピールしようと、クルマ情報誌「goo」を展開する株式会社プロトコーポレーションが制定。日付は、2(ツー=チュウ)5(コ)で、中古車によるエコロジー貢献活動を始めた日から。 ピカチュウの日() 『ポケットモンスター』シリーズのキャラクター、ピカチュウのポケモン全国図鑑ナンバー「No.025」が由来であり、ファンの間で記念日化していた。2020年にポケモン情報局(公式Twitter)がツイートで取り上げ、公認化された。 フィクションのできごと 1862年 - 十五少年、無人島を脱出。(ジュール・ヴェルヌ『十五少年漂流記』) 1971年 - ニューメキシコ州ピートモンドで異変が発生。ワイルドファイア計画が発動される。(SF映画『アンドロメダ…』) 西暦不明 - 浪速大学医学部臨時教授会において第一外科教授に財前五郎が選出される。(小説『白い巨塔』山﨑豊子作) 誕生日(フィクション) 1974年 - パティ、サンリオの『パティ&ジミー』に登場するキャラクター 2002年 - にゃんごすたー、青森県黒石市出身のゆるキャラ、ドラマー 生年不明 - 苗木誠、ゲーム・アニメ『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』の主人公 生年不明 - 春日野悠、ゲーム・アニメ『ヨスガノソラ』の主人公 生年不明 - 春日野穹、ゲーム・アニメ『ヨスガノソラ』の主人公の双子の妹 生年不明 - ビスタ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - ブラメンコ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - 相田リコ、漫画・アニメ『黒子のバスケ』に登場するキャラクター 生年不明 - 志摩柔造、漫画・アニメ『青の祓魔師』に登場するキャラクター 生年不明 - Ms.ジョーク、漫画・アニメ『僕のヒーローアカデミア』に登場するキャラクター 生年不明 - のろいのしかいし、漫画・アニメ『魔王城でおやすみ』に登場するキャラクター 生年不明 - 橋田遥、漫画・アニメ『ブルーピリオド』に登場するキャラクター 生年不明 - 日置順子、アニメ『ハイスクール・フリート』に登場するキャラクター 生年不明 - 竜胆しずね、ゲーム『ガンスリンガー ストラトス』に登場するキャラクター 生年不明 - 深里、ゲーム『閃乱カグラNew Wave』に登場するキャラクター 生年不明 - 鯱いかり、ゲーム『あんさんぶるガールズ!』に登場するキャラクター 生年不明 - 浅見ミワコ、ゲーム『Tokyo 7th シスターズ』に登場するキャラクター 生年不明 - ドロシー・ウェスト、ゲーム・アニメ『プリパラ』に登場するキャラクター 生年不明 - レオナ・ウェスト、ゲーム・アニメ『プリパラ』に登場するキャラクター 生年不明 - フォルカー、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター 生年不明 - 桜河こはく、ゲーム『あんさんぶるスターズ!』に登場するキャラクター 生年不明 - 塚原雫、ゲーム・アニメ『八月のシンデレラナイン』に登場するキャラクター 生年不明 - 鴨田侑、メディアミックス『プリンス・オブ・ストライド』に登場するキャラクター 生年不明 - エマ・ヴェルデ、メディアミックス『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』、アニメ『ラブライブ!スーパースター!!』に登場するキャラクター 脚注 関連項目
1784
https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%887%E6%97%A5
2月7日
2月7日(にがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から38日目に当たり、年末まであと327日(閏年では328日)ある。 できごと 199年(建安3年12月24日) - が終結。降伏した呂布らが処刑。 457年 - レオ1世が東ローマ帝国レオ朝の初代皇帝に即位。 1369年(応安元年/正平23年12月30日) - 足利義満が正式に室町幕府第3代将軍に就任。 1450年 - サフォーク公ジョン・ド・ラ・ポールとマーガレット・ボーフォートが結婚。 1657年(明暦2年12月24日) - 江戸幕府が吉原遊廓を日本橋から浅草千束へ移転させる。 1795年 - アメリカ合衆国憲法修正第11条の批准が完了。 1807年 - ナポレオン戦争: アイラウの戦い 1855年(安政元年12月21日) - 日露和親条約締結。 1873年 - 太政官布告「敵討禁止令」を公布。 1881年 - 石川県・滋賀県から分離して福井県を再設置。福井県・滋賀県が現在の形となる。 1881年 - 堺県を廃止して大阪府に編入。 1904年 - が発生。 1927年 - 大正天皇大喪。大赦137,669名、減刑46,138名。 1934年 - 中島久万吉商工相が13年前に書いた文章の中で逆臣・足利尊氏を礼讃している(足利尊氏論)として、貴族院で追及される。9日に辞任。 1939年 - 滋賀県杉野村に存在していた土倉鉱山付近で雪崩が発生。飯場が2棟倒壊、埋没して死者10人、重傷者8人、軽傷者2人。 1941年 - 日本初の国産モーターグライダー「日本式蜂型」が初飛行。 1943年 - 第二次世界大戦: 日本軍のガダルカナル島からの撤退(ケ号作戦)が完了。 1946年 - 出口王仁三郎が大本を再建。 1952年 - 埼玉県金子村B29墜落事故が発生。 1960年 - 東京03地域の電話の市内局番が3桁になる。 1964年 - ビートルズが、イギリスのロックグループでは初のアメリカ公演のためアメリカに到着。 1965年 - ベトナム戦争: アメリカが北ベトナム爆撃(北爆)を開始。 1968年 - カナダで憲法が改正され、英語のほかフランス語も公用語となる。 1971年 - スイスで国民投票により女性参政権を承認。 1974年 - グレナダがイギリスから独立。 1979年 - 冥王星が1930年の発見から初めて海王星の軌道の内側に入る。 1982年 - 西成区覚醒剤中毒者7人殺傷事件。大阪府大阪市西成区山王の文化住宅(アパート)で覚醒剤中毒者の男が妻子・近隣住民ら7人を殺傷した。 1984年 - STS-41-Bミッションで、スペースシャトルチャレンジャーの、ブルース・マッカンドレス2世両飛行士が史上初の命綱なしの宇宙遊泳に成功。 1985年 - 自民党田中派内で創政会が発足。 1990年 - ソビエト連邦の崩壊: ソ連共産党中央委員会が、共産党一党独裁制の放棄を採択。 1991年 - ハイチで初めて民主的な選挙で選出されたジャン=ベルトラン・アリスティドが大統領に就任。 1992年 - EC加盟12か国が「マーストリヒト条約」に調印。 1993年 - 能登半島沖地震発生。 1998年 - 第18回冬季オリンピック、長野大会開催。2月22日まで。 1999年 - ヨルダン国王フセイン1世が崩御。アブドゥッラー2世が即位。 2006年 - 文仁親王妃紀子の懐妊が公となる(同年9月6日に悠仁親王を出産)。 2009年 - 2009年ビクトリア州森林火災が発生。 2010年 - ラウラ・チンチージャがコスタリカ初の女性大統領に選出される。 2012年 - 岡山県倉敷市にあるJX日鉱日石エネルギー水島製油所で倉敷海底トンネル事故が起きる。 2014年 - 第22回冬季オリンピック、ソチ大会が開催。2月23日まで。 2016年 - 北朝鮮が人工衛星と称するICBMを打ち上げる。 誕生日 574年(敏達天皇3年1月1日) - 聖徳太子、飛鳥時代の皇族(+ 622年) 1478年 - トマス・モア、思想家(+ 1535年) 1693年 - アンナ、ロシア皇帝(+ 1740年) 1741年 - ヨハン・ハインリヒ・フュースリー、画家(+ 1825年) 1801年 - ウィレム・デ・ハーン、動物学者(+ 1855年) 1812年 - チャールズ・ディケンズ、小説家(+ 1870年) 1834年(天保4年12月29日) - 広沢真臣、長州藩士、参議(+ 1871年) 1837年 - ジェームズ・マレー、言語学者(+ 1915年) 1838年(天保9年1月13日) - 赤禰武人、幕末の長州藩士 (+ 1866年) 1867年 - ローラ・インガルス・ワイルダー、小説家(+ 1957年) 1870年 - アルフレッド・アドラー、心理学者(+ 1937年) 1871年(明治3年12月18日) - 志賀潔、細菌学者(+ 1957年) 1871年 - ヴィルヘルム・ステーンハンマル、作曲家(+ 1927年) 1875年 - 山脇延吉、政治家、実業家(+ 1941年) 1877年 - ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ、数学者(+ 1947年) 1884年 - 鳩山秀夫、法学者(+ 1946年) 1885年 - シンクレア・ルイス、小説家(+ 1951年) 1885年 - 高碕達之助、政治家(+ 1964年) 1886年 - 木村篤太郎、政治家(+ 1982年) 1889年 - ハリー・ナイキスト、物理学者(+ 1976年) 1892年 - ヤン・スメテルリン、ピアニスト(+ 1967年) 1893年 - 鈴木茂三郎、政治家(+ 1970年) 1901年 - 伊志井寛、俳優(+ 1972年) 1905年 - ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー、生理学者(+ 1983年) 1905年 - ポール・ニザン、小説家(+ 1940年) 1905年 - 波多野完治、心理学者(+ 2001年) 1906年 - 愛新覚羅溥儀、清朝第12代・満州国皇帝(+ 1967年) 1906年 - 浜村純、俳優(+ 1995年) 1906年 - オリェーク・アントーノフ、航空機設計者(+ 1984年) 1911年 - 入江たか子、女優(+ 1995年) 1913年 - 織田隆弘、高野山真言宗大僧正(+ 1993年) 1913年 - ラモン・メルカデル、NKVDの諜報員、トロツキーの暗殺者(+ 1978年) 1919年 - イルゼ・パウージン、フィギュアスケート選手(+ 1999年) 1920年 - 佐野誠三、元プロ野球選手(+ 1976年) 1922年 - 三根山隆司、元大相撲力士、年寄高嶋(+ 1989年) 1925年 - 吉田とし、児童文学作家(+ 1988年) 1925年 - 加藤一、画家(+ 2000年) 1926年 - 津島恵子、女優(+ 2012年) 1927年 - ジュリエット・グレコ、シャンソン歌手(+ 2020年) 1931年 - ピエール・シャンボン、生物学者 1934年 - 金美齢、評論家 1935年 - バーブ佐竹、歌手(+ 2003年) 1935年 - クリフ・ジョーンズ、元サッカー選手 1937年 - 阿久悠、作詞家、小説家(+ 2007年) 1938年 - ジョニー・ワーハス、元プロ野球選手 1938年 - 高島正義、元プロ野球選手 1940年 - 益川敏英、理論物理学者(+ 2021年) 1941年 - 小林稔侍、俳優 1945年 - 菊川昭二郎、元プロ野球選手 1948年 - 石鍋裕、フランス料理のシェフ 1948年 - 植田芳暁、ミュージシャン(ザ・ワイルドワンズ) 1948年 - タイガー戸口、プロレスラー 1948年 - 出口修至、天文学者 1948年 - リチャード・プレブル、政治家 1948年 - 岸川美好、演歌歌手 1949年 - 国井雅比古、アナウンサー 1949年 - 青山ミチ、歌手(+ 2017年) 1949年 - 柳井正、実業家 1950年 - 飯塚将光、オートレース選手(+ 2014年) 1951年 - 西浦勝一、騎手、調教師 1952年 - 高橋佳代子、アナウンサー 1952年 - トニー・リュウ、俳優 1955年 - 片山雅博、アニメーション評論家 (+ 2011年) 1955年 - ミゲル・フェラー、俳優、声優(+ 2017年) 1956年 - マーク・セント・ジョン、ギタリスト(キッス)(+ 2007年) 1956年 - 佐々木啓司、高校野球指導者 1956年 - 平山正人、元プロ野球選手 1958年 - 倉持知子、漫画家 1959年 - カルロス・ポンセ、元プロ野球選手 1959年 - 青島美幸、女優 1960年 - 松本保典、声優 1962年 - ガース・ブルックス、歌手 1962年 - デヴィッド・ブライアン、キーボーディスト(ボン・ジョヴィ) 1963年 - 香坂みゆき、女優 1964年 - 平松八千代、歌手 1964年 - 住宅正人、ちくわ笛演奏者 1966年 - 田島昭宇、漫画家 1966年 - 西沢立衛、建築家 1966年 - クリスティン・オットー、競泳選手 1967年 - 大沢伸一、ミュージシャン(MONDO GROSSO) 1968年 - 寺岡呼人、ミュージシャン 1968年 - 土門廣、元俳優 1969年 - 古賀誠、アニメーター 1969年 - 中川幸太郎、作曲家 1969年 - 浦上壮史、元サッカー選手、サッカー指導者 1969年 - コアラ、元タレント、実業家(元アニマル梯団) 1970年 - 柏屋コッコ、漫画家 1970年 - 福沢博文、俳優、スーツアクター 1971年 - 大野エリ、声優 1971年 - 鎌田雅人、作曲家、ミュージシャン 1971年 - ローランド・メリーニョ、元野球選手 1972年 - 古今亭志ん丸、落語家 1972年 - 諏訪内晶子、ヴァイオリニスト 1972年 - 本宮泰風、俳優 1973年 - 園崎未恵、声優、歌手 1974年 - Nujabes、音楽プロデューサー(+ 2010年) 1975年 - 松田樹利亜、シンガーソングライター 1976年 - 奥大介、元サッカー選手(+ 2014年) 1977年 - マリウス・プッツナウスキー、総合格闘家 1977年 - 宮本恒靖、元プロサッカー選手、指導者 1977年 - たなかえり、女優 1977年 - 森野文子、女優 1978年 - アシュトン・カッチャー、俳優 1978年 - エンディ・チャベス、元プロ野球選手 1978年 - ダニエル・ファン・ブイテン、サッカー選手 1979年 - 石毛佐和、声優 1979年 - 剣武輝希、元大相撲力士 1979年 - 桜井誠、ミュージシャン(Dragon Ash) 1980年 - 古井弘人、ミュージシャン(GARNET CROW) 1981年 - 北川俊澄、ラグビーユニオン選手 1981年 - 高志綱、元プロ野球選手 1982年 - 向井理、俳優 1982年 - 大田祐歌、歌手、元タレント(チェキッ娘) 1983年 - クリスチャン・クリエン、F1ドライバー 1983年 - 小坂忠士、騎手 1983年 - スコット・フェルドマン、プロ野球選手 1984年 - 真田裕貴、元プロ野球選手 1984年 - 高木あずさ、タレント、グラビアアイドル 1984年 - 松坂南、タレント、グラビアアイドル、女優 1985年 - 李玲、元陸上競技選手 1985年 - 藤原ななこ、元グラビアアイドル 1985年 - 奈良沙緒理、元タレント 1988年 - 加護亜依、歌手 1988年 - 佐々木竜太、サッカー選手 1988年 - マシュー・スタッフォード、NFL選手 1988年 - パーダール・ビアンカ、フィギュアスケート選手 1989年 - ウラジーミル・ウスペンスキー、フィギュアスケート選手 1990年 - ダニエル・オブライエン、フィギュアスケート選手 1990年 - メロベ・エフレム、フィギュアスケート選手 1990年 - アンナ・アブレウ、歌手 1990年 - ニール・エザリッジ、サッカー選手 1991年 - 前山剛久、元俳優 1991年 - YOHKO、シンガーソングライター 1992年 - クセニヤ・ストルボワ、フィギュアスケート選手 1992年 - 濱健人、声優 1992年 - 廣瀬麻伊、ファッションモデル 1992年 - 矢島舞美、歌手(元℃-ute) 1993年 - 仲野太賀、俳優 1993年 - J.P.ファイアライゼン、プロ野球選手 1995年 - 服部弾馬、陸上競技選手 1995年 - ロベルト・オスナ、プロ野球選手 1995年 - 阿波加俊太、サッカー選手 1996年 - 萩原舞、実業家、元歌手、元アイドル(元℃-ute) 1996年 - 伊波杏樹、声優 1996年 - ピエール・ガスリー、F1ドライバー 1998年 - 渚みつき、AV女優 1999年 - 松元環季、元女優、元声優、元子役 1999年 - オコエ桃仁花、バスケットボール選手 2001年 - 丹所健、陸上選手 2002年 - 紅林弘太郎、プロ野球選手 2007年 - 石原さき、アイドル(#よーよーよー) 生年不明 - 金子未佳、声優 生年不明 - 好村俊子、声優 生年不明 - YUiNA EMPiRE、アイドル(CARRY LOOSE) 生年不明 - ウルウ・ル、アイドル(CARRY LOOSE) 生年不明 - 佳衣、バンドマン、ギタリスト(DIAURA) 忌日 199年(建安3年12月24日癸酉) - 呂布、武将、群雄(* 生年不詳) 199年(建安3年12月24日癸酉) - 陳宮、武将(* 生年不詳) 199年(建安3年12月24日癸酉) - 高順、武将(* 生年不詳) 1002年(長保3年閏12月22日) - 藤原詮子、円融天皇の女御(* 962年) 1045年(寛徳2年1月18日) - 後朱雀天皇、第69代天皇(* 1009年) 1362年(貞治元年/正平17年1月12日) - 佐竹義篤 (九代当主)、常陸国の守護大名(* 1311年) 1395年(応永2年1月17日) - 結城直光、下総国の守護大名(* 1330年) 1546年(天文15年1月7日) - 千葉昌胤、下総国の戦国大名(* 1495年) 1626年 - ヴィルヘルム5世、バイエルン公(* 1548年) 1642年(寛永19年1月8日) - 安楽庵策伝、僧侶、落語の祖(* 1554年) 1652年 - グレゴリオ・アレグリ、作曲家(* 1582年) 1779年 - ウィリアム・ボイス、作曲家(* 1711年) 1799年(嘉慶4年1月3日) - 乾隆帝、第6代清皇帝(* 1711年) 1818年 - エンニオ・キリノ・ヴィスコンティ、考古学者(* 1751年) 1837年 - グスタフ4世アドルフ、スウェーデン王(* 1778年) 1873年 - シェリダン・レ・ファニュ、小説家(* 1814年) 1878年 - ピウス9世、第255代ローマ教皇(* 1792年) 1885年 - 岩崎弥太郎、実業家、三菱財閥創業者(* 1835年) 1898年 - アドルフォ・ファルサーリ、写真家(* 1841年) 1902年 - 楠本正隆、第3-5代衆議院議長、第6代東京府知事(* 1838年) 1903年 - ジェームズ・グレーシャー、気象学者(* 1809年) 1909年 - クルト・ネットー、冶金学者(* 1847年) 1917年 - ジョゼフ・アレヴィ、言語学者、オリエンタリスト(東洋学者)(* 1827年) 1920年 - アレクサンドル・コルチャーク、ロシア革命期の白軍総司令官(* 1873年) 1928年 - 九条武子、歌人、教育者(* 1887年) 1937年 - エリフ・ルート、第38代アメリカ合衆国国務長官(* 1845年) 1938年 - ハーベイ・ファイアストーン、実業家、ファイアストン社創業者(* 1868年) 1941年 - 杉山彦三郎、茶研究家(* 1857年) 1942年 - イヴァン・ビリビン、イラストレーター(* 1876年) 1942年 - ドランド・ピエトリ、陸上競技選手(* 1885年) 1942年 - フリッツ・トート、ナチス・ドイツ軍需相(* 1891年) 1944年 - ロバート・E・パーク、社会学者(* 1846年) 1944年 - 三上於菟吉、小説家(* 1891年) 1950年 - 井上正夫、俳優(* 1881年) 1959年 - ギター・スリム、ギタリスト、歌手(* 1926年) 1959年 - ナップ・ラジョイ、プロ野球選手(* 1874年) 1960年 - イーゴリ・クルチャトフ、物理学者(* 1903年) 1972年 - ウォルター・ラング、映画監督(* 1896年) 1975年 - 香山滋、小説家(* 1904年) 1975年 - 大貫賢、プロ野球選手(* 1906年) 1977年 - 牛原陽一、映画監督(* 1924年) 1979年 - ヨーゼフ・メンゲレ、ナチス親衛隊軍医(* 1911年) 1983年 - 武井武雄、童画家(* 1894年) 1986年 - ミノル・ヤマサキ、建築家(* 1912年) 1986年 - 藤井勇、プロ野球選手、プロ野球監督(* 1916年) 1987年 - 小山敬三、画家(* 1897年) 1987年 - 住宅顕信、俳人(* 1961年) 1988年 - リン・カーター、ファンタジー・SF作家(* 1930年) 1991年 - オットー・フリードリッヒ・ボルノウ、教育学者、哲学者(* 1903年) 1991年 - 春風亭柳朝、落語家(* 1929年) 1992年 - バズ・ソイヤー、プロレスラー(* 1959年) 1992年 - 小川紳介、ドキュメンタリー映画監督(* 1935年) 1994年 - ヴィトルト・ルトスワフスキ、作曲家(* 1913年) 1997年 - ダニイル・シャフラン、チェリスト(* 1923年) 1999年 - フセイン1世、ヨルダン王(* 1935年) 2000年 - シッド・エイベル、アイスホッケー選手(* 1918年) 2000年 - 新山志保、声優(* 1970年) 2002年 - 原健策、俳優(* 1905年) 2002年 - 田部文一郎、実業家(* 1907年) 2006年 - 富樫洋一、サッカージャーナリスト(* 1951年) 2007年 - アラン・マクダイアミッド、化学者(* 1927年) 2007年 - 星山博之、脚本家(* 1944年) 2008年 - 川村二郎、ドイツ文学者(* 1928年) 2012年 - 千石正一、動物学者(* 1949年) 2014年 - 牧野隆志、 作曲家(東京プリン)(* 1964年) 2015年 - 河上和雄、弁護士、検察官(* 1933年) 2017年 - ツヴェタン・トドロフ、哲学者(* 1939年) 2017年 - 中山美保、タレント、喜劇役者(* 1938年) 2018年 - パット・トーピー、ミュージシャン(MR. BIG)(* 1953年) 2020年 - エンジェル・エチェバリア、元プロ野球選手(* 1971年) 記念日・年中行事 北方領土の日() 1855年2月7日(安政元年12月21日)に日露和親条約が結ばれ、北方領土が日本の領土として認められたことに由来。1981年に日本政府が制定。 独立記念日() 1974年のこの日、グレナダがイギリスから独立した。 フナの日() 「ふ(2)な(7)」の語呂合せ。茨城県古河市のフナ甘露煮店協会が2001年に制定。 長野の日/オリンピックメモリアルデー() 1998年のこの日に長野冬季オリンピックの開会式が行われたことに由来。日本青年会議所北陸信越地区長野ブロック協議会が1998年に制定。 福井県ふるさとの日(福井県) 1881年のこの日に、石川県・滋賀県から越前・若狭を分離して福井県が設置されたことに由来し、福井県が1982年に制定。 興師会(日蓮正宗) 日蓮正宗の開祖・日興の祥月命日にあたり報恩の法要が総本山大石寺をはじめ、日蓮正宗の全ての寺院で営まれる。日興は芹を好んで食べたので、本尊に芹を供える。 フィクションのできごと U.C.0079年 - ジオン公国軍、地球侵攻作戦を本格的発動。(アニメ『機動戦士ガンダム』) 誕生日(フィクション) 生年不明 - 酸ヶ湯紗雪、『温泉むすめ』に登場するキャラクター 生年不明 - 水瓶座のカミュ、漫画・アニメ『聖闘士星矢』に登場するキャラクター 生年不明 - 山口晶、漫画・アニメ『地獄先生ぬ〜べ〜』に登場するキャラクター 生年不明 - リリアデント・蔵兎座、漫画・アニメ『テニスの王子様』に登場するキャラクター 生年不明 - 瀬戸内智恵、アニメ『刀使ノ巫女』に登場するキャラクター 生年不明 - 東郷あい、ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター 生年不明 - クリスティーナ、ゲーム・アニメ『プリンセスコネクト!Re:Dive』に登場するキャラクター 生年不明 - 佐月マリ、ゲーム『ヘブンバーンズレッド』に登場するキャラクター 忌日(フィクション) 2010年 - 魅上照、漫画『DEATH NOTE』に登場するキャラクター 1889年 - ジョナサン・ジョースター、漫画・アニメ『ジョジョの奇妙な冒険』に登場するキャラクター 出典 関連項目
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2月9日
2月9日(にがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から40日目にあたり、年末まであと325日(閏年では326日)ある。 できごと 249年 - アレクサンドリアのアポロニアが殉教。 474年 - ゼノンが東ローマ皇帝に即位。 1588年(天正16年1月13日) - 室町幕府最後の将軍足利義昭が官職を辞して准三宮の待遇を受ける(この日をもって室町幕府が滅亡したとする説もある)。 1598年(慶長3年1月4日) - 慶長の役・蔚山城の戦い(一次):蔚山城で籠城中の加藤清正・浅野幸長らが、明・朝鮮軍による最後の攻撃を撃退。撤退を開始した明・朝鮮軍を援軍の毛利秀元らが追撃する。 1621年 - グレゴリウス15世がローマ教皇に即位。 1801年(寛政12年12月26日) - 伊能忠敬が日本初の実測地図とされる、蝦夷南東海岸と奥州街道の略地図を江戸幕府に上呈する。 1825年 - 1824年アメリカ合衆国大統領選挙: 選挙結果のもつれこみにより最終的にアメリカ合衆国下院でジョン・クィンシー・アダムズが大統領に選出。 1849年 - ローマ共和国が建国。 1860年(安政7年1月18日) - 日米修好通商条約批准書交換のため新見正興を正使とする遣米使節団が浦賀を出港。 1861年 - 南北戦争: ジェファーソン・デイヴィスがアメリカ連合国の暫定大統領に指名。 1870年 - アメリカ国立気象局が創設。 1893年 - ジュゼッペ・ヴェルディの歌劇『ファルスタッフ』がミラノで初演。 1895年 - アメリカ合衆国の体育教師・ウィリアム・G・モーガンがバレーボールを考案。 1900年 - ドワイト・デービスらハーバード大学テニスクラブのメンバーがインターナショナル・ローンテニス・チャレンジ(後のデビスカップ)を創設。 1920年 - スヴァールバル条約締結。 1932年 - 井上準之助前蔵相が失政を問われて血盟団員・小沼正により射殺される。(血盟団事件) 1934年 - トルコ・ギリシア・ルーマニア・ユーゴスラビアの4国によるが成立。 1936年 - 名古屋・鳴海球場で日本初のプロ野球試合・巨人対金鯱が開催。 1950年 - ジョセフ・マッカーシー米上院議員が国務省に共産党員が在籍していると演説。(マッカーシズム) 1951年 - 日本青年会議所設立。 1960年 - ジョアン・ウッドワードがハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(ハリウッド名声の歩道)認定第1号となる。 1964年 - ビートルズが『エド・サリヴァン・ショー』に初出演。 1967年 - インドネシア国会がスカルノ大統領の解任を決議。 1969年 - ボーイング747(ジャンボジェット)が初飛行。 1971年 - アポロ14号が地球に帰還。 1972年 - ポール・マッカートニーらが結成したバンド「ウイングス」が初公演。 1975年 - ソユーズ17号が地球に帰還。宇宙滞在時間の最長記録を29日間に更新。 1982年 - 日本航空350便墜落事故。機長が飛行機のエンジンを逆噴射させ、機体は羽田沖に墜落。乗員・乗客174人中24人が死亡。機長は業務上過失致死傷容疑で逮捕されたが、心神喪失として不起訴処分になった。 1986年 - ハレー彗星が1910年11月30日以来最接近。 1987年 - 2年前に民営化したNTT株が株式公開。2か月後に史上最高値の318万円まで高騰。 1988年 - 富山・長野連続女性誘拐殺人事件(1980年発生)で殺人罪などに問われた被告人の男女2人の第一審判決公判。富山地裁(大山貞雄裁判長)は、2人のうち女1人の単独犯と認定し、女に死刑(求刑:同)を言い渡した一方、共謀共同正犯として無期懲役を求刑された男性被告人に関しては「犯行に関与していない」として無罪を言い渡した。 1991年 - 福井県の関西電力美浜原子力発電所で原子炉が自動停止する事故が発生。 1991年 - リトアニアで独立の是非を問う国民投票が実施され、賛成票が9割を上回る。 1994年 - 高橋久子・元労働省婦人少年局長が史上初の女性最高裁判事に就任。 1996年 - コペルニシウムの発生がドイツで初めて確認される。 2001年 - えひめ丸事故。ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高等学校の実習船「えひめ丸」が米海軍の原子力潜水艦グリーンヴィルと衝突して沈没、9人が行方不明に。(現地時間。日本時間では翌日) 2009年 - 中央電視台電視文化センター火災 2014年 - 2014年東京都知事選挙の投開票が行われ、舛添要一が当選。 2017年 - 朝日新聞が森友事件の第一報を報じる。 2018年 - 平昌オリンピックが開幕。 2022年 - 出雲日御碕灯台附・囲障が国の重要指定文化財に指定される。 誕生日 1543年(天文12年1月6日) - 顕如、本願寺第11世門主(+ 1592年) 1631年(寛永8年1月9日) - 土井利長、西尾藩主(+ 1696年) 1689年(元禄2年1月20日) - 戸田忠余、宇都宮藩主(+ 1746年) 1705年(宝永2年1月16日) - 伊達村年、宇和島藩主(+ 1735年) 1743年(寛保8年1月15日) - 松平頼前、常陸府中藩主(+ 1824年) 1773年 - ウィリアム・ヘンリー・ハリソン、第9代アメリカ合衆国大統領(+ 1841年) 1775年 - ボーヤイ・ファルカシュ、数学者、詩人(+ 1856年) 1788年(天明8年1月3日) - 松平斉孝、津山藩主(+ 1838年) 1797年(寛政9年1月13日) - 細川斉樹、熊本藩主(+ 1826年) 1829年(文政12年1月6日) - 仮名垣魯文、戯作者、新聞記者(+ 1894年) 1830年 - アブデュルアズィズ、オスマン帝国第32代皇帝(+ 1876年) 1837年(天保8年1月5日) - 佐竹義諶、岩崎藩主(+ 1870年) 1845年 - 馬建忠、思想家、外交官、言語学者(+ 1900年) 1859年(安政6年1月7日) - 秋山好古、軍人、秋山真之の兄(+ 1930年) 1867年(慶応3年1月5日) - 夏目漱石、小説家、英文学者(+ 1916年) 1874年 - フセヴォロド・メイエルホリド、演出家、俳優(+ 1940年) 1874年 - エイミー・ローウェル、詩人(+ 1925年) 1876年 - マルティン・スティクスルート、フィギュアスケート選手(+ 1964年) 1885年 - アルバン・ベルク、作曲家(+ 1935年) 1887年 - 土田麦僊、日本画家(+ 1936年) 1887年 - ヘイニー・ジマーマン、元プロ野球選手(+ 1969年) 1889年 - 谷正之、外交官(+ 1962年) 1891年 - ロナルド・コールマン、俳優(+ 1958年) 1896年 - 赤木桁平、評論家、政治家(+ 1949年) 1898年 - ヘレーネ・エンゲルマン、フィギュアスケート選手(+ 1985年) 1898年 - 八木重吉、詩人(+ 1927年) 1909年 - ディーン・ラスク、政治家(+ 1994年) 1910年 - ジャック・モノー、分子生物学者(+ 1976年) 1910年 - ヴォルフ・フォン・エンゲルハート、地質学者、鉱物学者(+ 2008年) 1912年 - 双葉山定次、大相撲第35代横綱、第3代日本相撲協会理事長、年寄12代時津風(+ 1968年) 1913年 - 市川春代、女優(+ 2004年) 1913年 - 加賀邦男、俳優(+ 2002年) 1920年 - 鬼頭政一、元プロ野球選手(+ 2008年) 1921年 - 庄野潤三、作家(+ 2009年) 1921年 - コンスタンス・キーン、ピアニスト、音楽教師(+ 2005年) 1925年 - 森本信男、地球科学者(+ 2010年) 1925年 - 常ノ山勝正、元大相撲力士(+ 1987年) 1927年 - 織本順吉、俳優(+ 2019年) 1928年 - リヌス・ミケルス、元サッカー選手、監督(+ 2005年) 1928年 - フランク・フラゼッタ、イラストレーター(+ 2010年) 1930年 - ハナ肇、俳優、コメディアン、ドラマー(+ 1993年) 1931年 - トーマス・ベルンハルト、小説家(+ 1989年) 1931年 - ロバート・モリス、現代美術家(+ 2018年) 1931年 - ヨゼフ・マソプスト、サッカー選手、監督(+ 2015年) 1932年 - 広岡達朗、元プロ野球選手、元プロ野球監督、元GM 1932年 - ゲルハルト・リヒター、画家 1934年 - 山田知、政治家(+ 2011年) 1934年 - 千之赫子、女優(+ 1985年) 1934年 - 有賀秀子、農芸化学者 1936年 - 三林清二、元プロ野球選手 1937年 - クリート・ボイヤー、元プロ野球選手(+ 2007年) 1937年 - 平田弘史、漫画家 1939年 - 前田川克郎、元大相撲力士(+ 1998年) 1940年 - ジョン・クッツェー、小説家、2003年ノーベル文学賞受賞者 1940年 - ブライアン・ベネット、ミュージシャン、作曲家 1942年 - キャロル・キング、シンガーソングライター 1943年 - 松岡功祐、元プロ野球選手 1943年 - ジョセフ・E・スティグリッツ、経済学者 1943年 - ジョー・ペシ、俳優 1944年 - アリス・ウォーカー、小説家 1944年 - 山田勝国、元プロ野球選手 1944年 - 阿羅健一、作家 1945年 - ミア・ファロー、女優 1947年 - 池島和彦、元プロ野球選手 1948年 - 富士櫻栄守、元大相撲力士 1949年 - 荒木しげる、俳優、ドラマー(+ 2012年) 1950年 - 伊集院静、小説家 1950年 - 大滝信孝、元プロ野球選手 1951年 - あだち充、漫画家 1951年 - 名高達男、俳優 1952年 - 真野響子、女優 1952年 - 土屋品子、政治家 1952年 - 前田新作、プロゴルファー 1953年 - キアラン・ハインズ、俳優 1954年 - 平田薫、元プロ野球選手 1954年 - クリス・ガードナー、実業家 1956年 - ムーキー・ウィルソン、元プロ野球選手 1957年 - ラモス瑠偉、元プロサッカー選手、サッカー指導者 1958年 - 堀井憲一郎、コラムニスト 1958年 - 愛染恭子、女優 1958年 - 稲津久、政治家 1959年 - 丸山和範、作曲家、編曲家、ピアニスト 1960年 - 石川優吾、漫画家 1961年 - 楠瀬誠志郎、シンガーソングライター 1962年 - 藤本匠、騎手 1963年 - ブライアン・グリーン、物理学者 1963年 - 木村祐一、お笑いタレント 1965年 - クリスチャン・シェンク、陸上競技選手 1965年 - 雲野右子、フリーアナウンサー 1966年 - うるし原智志、アニメーター、漫画家 1967年 - 村上聡美、女優 1968年 - 野田浩司、元プロ野球選手 1968年 - 山田勉、元プロ野球選手 1968年 - ロバート・エーンホーン、元プロ野球選手 1968年 - 山川吉樹、アニメ監督 1968年 - 小山裕香、声優 1969年 - 上泉雄一、毎日放送アナウンサー 1969年 - KAORU、プロレスラー 1970年 - 増田英彦、漫才師(ますだおかだ) 1970年 - マッコイ斎藤、演出家 1971年 - 今関勝、元プロ野球選手 1971年 - なすじん、ミュージシャン 1972年 - 遠藤竜也、ニッポン放送ディレクター 1973年 - 谷佳知、元プロ野球選手 1973年 - 西本麻里、キーボーディスト(MANISH) 1973年 - 増田ゆき、声優 1973年 - 新海誠、映画監督、アニメーション作家 1973年 - 松本剛彦、アニメ監督 1973年 - L.E.D.(角田利之)、作曲家 1974年 - アンバー・ヴァレッタ、スーパーモデル 1974年 - 佐々木孫悟空、お笑い芸人 1975年 - 藤重政孝、歌手 1975年 - DELI、MC(NITRO MICROPHONE UNDERGROUND) 1975年 - 小田美智子、声優 1975年 - 安藤正勝、卓球選手 1975年 - ヴラディミール・ゲレーロ、元プロ野球選手 1976年 - 高須洋介、元プロ野球選手 1976年 - LYOKI、ファッションモデル 1977年 - 田中美里、女優、声優 1977年 - 張玉峰、元野球選手 1978年 - 武士沢友治、騎手 1979年 - 安西ひろこ、タレント 1979年 - 岩村明憲、元プロ野球選手 1979年 - チャン・ツィイー、女優 1979年 - イリーナ・スルツカヤ、フィギュアスケート選手 1979年 - 降谷建志、歌手(Dragon Ash) 1979年 - 秋山真一郎、騎手 1979年 - REN、ファッションモデル 1979年 - 春日俊彰、お笑い芸人(オードリー) 1980年 - アンゲロス・ハリステアス、サッカー選手 1980年 - 黒田美樹、元女優 1981年 - 関本大介、プロレスラー 1981年 - 知念里奈、歌手 1982年 - DJ Yoshitaka(西村宜隆)、ゲームクリエイター 1982年 - 鈴木亜美、歌手 1983年 - 英玲奈、モデル 1983年 - 東京ウタカルタ、元お笑い芸人 1984年 - IVAN、ファッションモデル、ミュージシャン、タレント 1984年 - 牧野紗弥、ファッションモデル 1984年 - 松鳳山裕也、元大相撲力士 1984年 - アンナ・ユルキェビッチ、フィギュアスケート選手 1984年 - ハンネ・ヴァトネ、シンガーソングライター 1984年 - ディオナー・ナバーロ、プロ野球選手 1985年 - デヴィッド・ギャラガー、俳優 1985年 - レアンドロ・グリミ、サッカー選手 1985年 - 小林憲幸、元プロ野球選手 1985年 - 元木あき、グラビアアイドル 1987年 - 山岸舞彩、元ファッションモデル、元タレント、元フリーアナウンサー 1987年 - 戸田れい、グラビアアイドル、女優 1987年 - ローズ・レスリー、女優 1987年 - 西村ヒロチョ、お笑い芸人 1987年 - 山本優希、タレント、ファッションモデル 1988年 - 鏡桜南二、大相撲力士 1988年 - ソア、アイドル(Brave Girls) 1988年 - T-岡田、プロ野球選手 1989年 - 河崎愛美、作家 1989年 - 高橋駿太、サッカー選手 1989年 - ジェイク・スモリンスキー、プロ野球選手 1989年 - 水谷望愛、ファッションモデル、タレント 1989年 - 佐田淳、俳優 1990年 - フョードル・スモロフ、サッカー選手 1990年 - アントニー、お笑い芸人(マテンロウ) 1992年 - 中上貴晶、モーターサイクル・ロードレースライダー 1992年 - 北園涼、俳優 1993年 - 遠藤航、サッカー選手 1993年 - 滝口成美、歌手、ファッションモデル、タレント 1993年 - ニクラス・フュルクルク、サッカー選手 1994年 - 大山桃子、元ファッションモデル 1994年 - 宮坂亜里沙、元ファッションモデル 1995年 - 守山玲愛、女優 1995年 - 佐藤梨那、日本テレビアナウンサー 1995年 - 若松佑弥、総合格闘家 1995年 - ジャニー、歌手(NCT) 1996年 - ジミー・ベネット、俳優 1998年 - 井上ほの花、声優 1999年 - 山田菜々美、アイドル(元AKB48) 2001年 - 斎藤新、騎手 2002年 - 中村輪夢、プロBMXライダー 2004年 - 為永幸音、歌手、アイドル(アンジュルム) 2004年 - ジョンウォン、アイドル(ENHYPEN) 2004年 - 金指一世、アイドル(美 少年) 忌日 954年(天暦8年1月4日) - 藤原穏子、醍醐天皇の中宮(* 885年) 967年(康保3年12月27日) - 小野道風、書家、三蹟の1人(* 894年) 1199年(正治元年1月13日) - 源頼朝、鎌倉幕府初代将軍(* 1147年) 1200年(正治2年1月23日) - 三浦義澄、鎌倉幕府の御家人(* 1127年) 1450年 - アニェス・ソレル、フランス王シャルル7世の愛妾(* 1421年) 1588年 - サンタ・クルス侯爵アルバロ・デ・バサン、スペインの軍人(* 1526年) 1640年 - ムラト4世、オスマン帝国第17代スルタン(* 1612年) 1675年 - ヘラルト・ドウ、画家(* 1613年) 1740年 - ヴィンツェント・リューベック、作曲家(* 1654年) 1751年 - アンリ・フランソワ・ダゲッソー、フランス大法官(* 1668年) 1759年 - ルイーズ・アンリエット・ド・ブルボン=コンティ、オルレアン公ルイ・フィリップ1世の妃(* 1726年) 1777年 - セス・ポメロイ、大陸軍准将(* 1706年) 1805年(文化2年1月10日) - 鍋島治茂、第8代佐賀藩主(* 1745年) 1811年 - ネヴィル・マスケリン、天文学者(* 1732年) 1824年 - アンナ・カタリナ・エンメリック、カトリックの修道女(* 1774年) 1873年 - ユーリウス・フュルスト、ユダヤ学者(* 1805年) 1874年 - ジュール・ミシュレ、歴史家(* 1798年) 1881年 - フョードル・ドストエフスキー、作家(* 1821年) 1891年 - ヨハン・ヨンキント、画家(* 1819年) 1895年 - 藤堂高猷、第11代津藩主(* 1813年) 1900年 - リチャード・トンプソン、第27代アメリカ合衆国海軍長官(* 1809年) 1901年 - マックス・フォン・ペッテンコーファー、衛生学者、化学者(* 1818年) 1916年 - 加藤弘之、政治学者(* 1836年) 1921年 - 村田経芳、銃器設計者(* 1838年) 1927年 - チャールズ・ウォルコット、古生物学者(* 1850年) 1929年 - ヴァルター・グラマッテ、画家(* 1897年) 1932年 - 井上準之助、銀行家、蔵相、日本銀行総裁(* 1869年) 1937年 - 金森又一郎、実業家、大阪電気軌道(現・近畿日本鉄道)創業者(* 1873年) 1941年 - エリザベス・フォン・アーニム、小説家(* 1866年) 1951年 - 川田龍吉、実業家(* 1856年) 1951年 - 鷲尾雨工、小説家(* 1892年) 1951年 - ネヴィル・ブルワー=リットン、画家(* 1879年) 1957年 - ホルティ・ミクローシュ、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人、ハンガリー摂政(* 1868年) 1960年 - アレクサンドル・ベノワ、画家、舞台デザイナー(* 1870年) 1960年 - エルンスト・フォン・ドホナーニ、作曲家(* 1877年) 1963年 - アブドルカリーム・カーシム、イラク首相(* 1914年) 1972年 - ニコライ・クルイロフ、ソ連戦略ロケット軍総司令官(* 1903年) 1973年 - 円谷一、円谷プロダクション第2代社長(* 1931年) 1976年 - パーシー・フェイス、作曲家、指揮者(* 1908年) 1977年 - 安田臣、建築家(* 1911年) 1979年 - ガーボル・デーネシュ、物理学者(* 1900年) 1981年 - ビル・ヘイリー、ミュージシャン(* 1925年) 1982年 - 高橋誠一郎、経済学者(* 1884年) 1982年 - ラウリ・ヴィルタネン、陸上選手(* 1904年) 1984年 - ユーリ・アンドロポフ、ソ連の指導者(* 1914年) 1986年 - 有田喜一、政治家(* 1901年) 1987年 - 貝塚茂樹、歴史学者(* 1904年) 1989年 - 手塚治虫、漫画家(* 1928年) 1993年 - 大来佐武郎、官僚、エコノミスト(* 1914年) 1995年 - J・ウィリアム・フルブライト、アメリカ合衆国上院議員、フルブライト奨学金創設者(* 1905年) 1996年 - アドルフ・ガーランド、ドイツのエース・パイロット(* 1912年) 1999年 - 久野収、思想家(* 1910年) 2000年 - 荒井注、コメディアン、俳優、(ザ・ドリフターズ)(* 1928年) 2001年 - ハーバート・サイモン、経済学者(* 1916年) 2002年 - 池田恒雄、ジャーナリスト、ベースボール・マガジン社創業者(* 1911年) 2002年 - マーガレット、イギリス王女(* 1930年) 2003年 - ヴェラ・ラルストン、フィギュアスケート選手、女優(* 1919年) 2005年 - 三富恒雄、プロ野球選手(* 1920年) 2006年 - 藤田元司、プロ野球選手、監督(* 1931年) 2007年 - ベネディクト・カイリー、小説家(* 1919年) 2007年 - イアン・リチャードソン、俳優(* 1934年) 2008年 - 鈴木保巳、競輪選手(* 1931年) 2012年 - 大平シロー、喜劇役者、芸人、お笑いタレント、放送作家(* 1956年) 2013年 - 高野悦子、映画運動家(* 1929年) 2014年 - 久保智史、声優(* 1979年) 2016年 - 平田恒雄、プロ野球選手(* 1955年) 2019年 - トミー・ウンゲラー、児童文学作家、イラストレーター(* 1931年) 2019年 - 佐藤純彌、映画監督(* 1932年) 2020年 - 松本勝也、競艇選手(* 1971年) 2021年 - チック・コリア、ジャズピアニスト、ミュージシャン(* 1941年) 2022年 - とりいかずよし、漫画家(* 1946年) 2022年 - ベティ・デイヴィス、歌手・シンガーソングライター・モデル(* 1944年) 記念日・年中行事 初午(2004年) 河豚(フグ)の日() 下関ふく連盟が1980年に29(ふく)の語呂合わせで制定。下関では、河豚は「ふく」と発音する。 服の日() 全国服飾学校協会・日本ファッション教育振興協会等が1988年に制定。29(ふく)の語呂合わせに由来。 漫画の日() 漫画家・手塚治虫の命日にちなみ、漫画本専門古書店「まんだらけ」が制定。 風の日() 風が吹く(29)に由来。 フィクションのできごと 誕生日(フィクション) 生年不明 - 湯河原伊露羽、地域活性化プロジェクト『温泉むすめ』に登場するキャラクター 生年不明 - 阿蘇ほむら、地域活性化プロジェクト『温泉むすめ』に登場するキャラクター 1966年 - トーマス・ローガン、テレビゲーム『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッドシリーズ』に登場するキャラクター 生年不明 - バーソロミュー・くま、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - 月詠、漫画・アニメ『銀魂』に登場するキャラクター 生年不明 - 不破優月、漫画・アニメ『暗殺教室』に登場するキャラクター 生年不明 - 肉倉精児(シシクロス)、漫画・アニメ『僕のヒーローアカデミア』に登場するキャラクター 生年不明 - 奥田永之助、漫画・アニメ『ふしぎ遊戯 玄武開伝』に登場するキャラクター 生年不明 - 石田景吾、漫画・アニメ『はじめてのギャル』に登場するキャラクター 生年不明 - 南浦数絵、漫画・アニメ『咲-Saki-』に登場するキャラクター 生年不明 - りん、漫画・アニメ『ながされて藍蘭島』に登場するキャラクター 生年不明 - ギラギラっち、ゲーム・アニメ『たまごっち』に登場するキャラクター 生年不明 - 木枯し番長、ゲーム『ときめきメモリアル2』に登場するキャラクター 生年不明 - 太陽ペッパー、ゲーム・アニメ『プリパラ』に登場するキャラクター 生年不明 - エイブラハム・ヴァン・ヘルシング、ゲーム・アニメ『Code:Realize ~創世の姫君~』に登場するキャラクター 生年不明 - ケヴィン・グリーン、アニメ『無限のリヴァイアス』に登場するキャラクター 生年不明 - 沖田紗羽、アニメ『TARI TARI』に登場するキャラクター 生年不明 - 成瀬雪見、メディアミックス『らぶドル ~Lovely Idol~』に登場するキャラクター 生年不明 - 如月塔子、推理小説『警視庁捜査一課十一係シリーズ』に登場するキャラクター 生年不明 - ランダ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター 出典 関連項目
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https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8813%E6%97%A5
2月13日
2月13日(にがつじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から44日目にあたり、年末まであと321日(閏年では322日)ある。 できごと 1219年 (建保7年1月27日) - 鎌倉幕府第3代将軍の源実朝が鶴岡八幡宮で甥の公暁により暗殺。公暁も即日殺害される。 1542年 - イングランド王ヘンリー8世が、5番目の妃だったキャサリン・ハワードを不義密通の疑いで処刑。 1575年 - フランス王アンリ3世がランスのノートルダム大聖堂で戴冠。同日、ルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモンと結婚。 1633年 - 異端審問のため出頭を命じられたガリレオ・ガリレイがローマに到着。 1668年 - スペインがポルトガルを独立した国として承認。 1689年 - イングランドでウィリアム3世とメアリー2世が共同統治者に即位。権利の宣言に署名し、名誉革命が終結。(ユリウス暦の日付。グレゴリオ暦1689年2月23日) 1692年 - スコットランドでグレンコーの虐殺事件。首謀者はジョン・ダルリンプル。 1820年(文政2年12月29日) - 小林一茶が『おらが春』を著す。 1854年(嘉永7年1月16日) - ペリー米東インド艦隊司令長官が7隻の軍艦を率いて2度目の来航。 1862年(文久2年1月15日) - 坂下門外の変で安藤信正が水戸の浪士に襲撃され負傷する。 1868年(慶応4年1月20日) - 尾張藩で青松葉事件が起こり、5日間で14名の藩士が処刑される。 1875年 - 「平民苗字必称義務令」布告。平民に苗字を名乗ることを義務付け。 1894年 - リュミエール兄弟がシネマトグラフの特許を取得。 1912年 - 米国作曲家作詞家出版者協会 (ASCAP) 設立。 1945年 - 第二次世界大戦・独ソ戦: ブダペスト包囲戦が終結。赤軍がブダペストを占領。 1945年 - 第二次世界大戦: イギリス空軍・アメリカ空軍が無防備都市宣言していたドレスデンを空襲、2万人以上が犠牲に(ドレスデン爆撃)。 1946年 - GHQが改正憲法草案(マッカーサー草案)を日本政府に手交。 1950年 - レッドパージ: 東京都教育庁が共産主義の教員246人に退職を勧告。 1951年 - 地方公務員法施行。 1958年 - 南極観測船「宗谷」の乗組員が未確認生物「南極ゴジラ」を観測。 1960年 - フランスが初の原爆実験。世界4番目の核保有国となる。(ジェルボアーズ・ブルー) 1960年 - ナッシュビル座り込みはじまる。 1972年 - 2月3日から開催されていた第11回冬季オリンピック・札幌大会が閉幕。 1974年 - ソビエト連邦が国家反逆罪でソルジェニーツィンを国外追放に。 1977年 - 青酸入りコーラ事件発生。 1980年 - 第13回冬季オリンピック・レークプラシッド大会開幕。2月24日まで。 1983年 - ハワイアン・オープンで青木功が日本人初のアメリカPGAツアー優勝を果たす。 1984年 - 9日に死亡したソ連書記長ユーリ・アンドロポフの後任にチェルネンコ政治局員が就任。 1985年 - 東京と愛知で青酸入りの菓子を発見。一連のグリコ・森永事件で実際に毒物入りの菓子がばらまかれた最後の事件。 1985年 - 大幅改正された風営法が施行される。対象業種が拡大し、営業時間が午前0時までに制限されるなど。 1988年 - 第15回冬季オリンピック・カルガリー大会開幕。2月28日まで。 1989年 - リクルート事件: 東京地検特捜部がリクルート前会長江副浩正ら4人を逮捕。 1989年 - 大阪市の北区と大淀区が合区して現在の北区、東区と南区が合区して中央区が誕生。 1995年 - アンドリュー・ワイルズのフェルマーの最終定理の証明に誤りがないことが確認され、360年に渡る歴史に決着がつく。 2000年 - グリコ・森永事件の全ての事件が時効を迎える。 2000年 - 前日の作者・チャールズ・M・シュルツの死去により、『ピーナッツ』(日曜版)の連載が終了。 2005年 - 岐阜県中津川市が恵那郡の6町村と長野県木曽郡山口村を編入。46年振りの越県合併。 2005年 - 山梨県上野原市が市制施行。 2008年 - オーストラリアのケビン・ラッド首相が、アボリジニと盗まれた世代に対して政府として初めて公式に謝罪。 2016年 - 新東名高速道路浜松いなさJCT - 豊田東JCT間開通。 2017年 - 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の最高指導者・金正恩の異母兄である金正男がマレーシアのクアラルンプール国際空港で暗殺される。 2018年 - 将棋棋士の羽生善治と囲碁棋士の井山裕太に国民栄誉賞授与。 2021年 - 福島県沖を震源とする深さ約60km、マグニチュード7.3の地震(福島県沖地震)が発生。東北地方太平洋沖地震の余震としている。 2022年 - イタリア閣僚評議会議長にマリオ・ドラギが就任。 誕生日 1457年 - マリー・ド・ブルゴーニュ、ヴァロワ朝ブルゴーニュ公国最後の君主(+ 1482年) 1599年 - アレクサンデル7世、第237代ローマ教皇(+ 1667年) 1641年(寛永18年1月4日) - 松平頼純、初代伊予国西条藩主(+ 1711年) 1723年 - アントワーヌ・ルイ、外科医(+ 1792年) 1724年(享保9年1月19日) - 中川久貞、第8代豊後国岡藩主(+ 1790年) 1728年 - ジョン・ハンター、医学者(+ 1793年) 1750年(寛延3年1月7日) - 蔦屋重三郎、出版人(+ 1797年) 1754年 - タレーラン=ペリゴール、フランスの首相、外交官(+ 1838年) 1756年(宝暦6年1月14日) - 酒井忠言、第5代越前国敦賀藩主(+ 1799年) 1769年 - イヴァン・クルィロフ、劇作家、文学者(+ 1844年) 1778年 - フェルナンド・ソル、作曲家、ギター奏者(+ 1839年) 1787年(天明6年12月26日) - 朽木綱方、第10代丹波国福知山藩主(+ 1838年) 1791年(寛政3年1月11日) - 一柳頼親、第7代伊予国小松藩主(+ 1832年) 1799年(寛政11年1月9日) - 土方雄興、第10代伊勢国菰野藩主(+ 1838年) 1805年 - ペーター・グスタフ・ディリクレ、数学者(+ 1859年) 1813年(文化10年1月13日) - 松平勝道、第9代伊予国今治藩主(+ 1866年) 1849年 - ランドルフ・チャーチル卿、イギリス大蔵大臣(+ 1895年) 1864年 - フーゴ・ベッカー、チェリスト、音楽教師、作曲家(+ 1941年) 1866年 - レフ・シェストフ、哲学者(+ 1938年) 1870年 - レオポルド・ゴドフスキー、ピアニスト、作曲家(+ 1938年) 1873年 - フョードル・シャリアピン、オペラ歌手(+ 1938年) 1881年 - エリナー・ファージョン、児童文学作家(+ 1965年) 1882年 - イグナーツ・フリードマン、ピアニスト、作曲家(+ 1948年) 1883年 - ハル・チェイス、元プロ野球選手(+ 1947年) 1887年 - チャート・ゲーザ、作家、音楽家、医師(+ 1919年) 1888年 - ゲオルギオス・パパンドレウ、ギリシャ首相(+ 1968年) 1891年 - 河合栄治郎、社会思想家、経済学者(+ 1944年) 1898年 - 安岡正篤、陽明学者(+ 1983年) 1899年 - 宮本百合子、作家(+ 1951年) 1902年 - 平川唯一、アナウンサー(+ 1993年) 1902年 - ハロルド・ラスウェル、政治学者(+ 1978年) 1903年 - ジョルジュ・シムノン、推理作家(+ 1989年) 1903年 - ゲオールギイ・ベリーエフ、航空エンジニア(+ 1979年) 1904年 - 唐木順三、評論家、哲学者(+ 1980年) 1910年 - ウィリアム・ショックレー、物理学者(+ 1989年) 1912年 - マックス・シュトッツ、ドイツ空軍のエース・パイロット(+ 1943年) 1914年 - 倉金章介、漫画家(+ 1973年) 1915年 - アウン・サン、ミャンマーの独立運動家(+ 1947年) 1915年 - 新富卯三郎、元プロ野球選手(+ 1945年) 1917年 - 吉阪隆正、建築家(+ 1980年) 1918年 - 今岡謙次郎、元プロ野球選手 1921年 - ジャンヌ・ドゥメッシュー(ドゥメシュ)、オルガニスト、ピアニスト、作曲家(+ 1968年) 1923年 - イフラ・ニーマン、ヴァイオリニスト(+ 2003年) 1923年 - チャック・イェーガー、空軍パイロット (+ 2020年) 1925年 - 坂東徹、政治家(+ 2010年) 1928年 - 与儀眞助、元プロ野球選手(+ 1979年) 1929年 - フランキー堺、俳優(+ 1996年) 1931年 - 藤江清志、元プロ野球選手 1933年 - 辻静雄、料理研究家(+ 1993年) 1933年 - エマニュエル・ウンガロ、ファッションデザイナー(+ 2019年) 1933年 - キム・ノヴァク、女優 1937年 - 小林千登勢、女優(+ 2003年) 1937年 - 二宮寛、元サッカー選手、指導者 1938年 - オリヴァー・リード、俳優(+ 1999年) 1938年 - 種茂雅之、元プロ野球選手 1941年 - ジグマー・ポルケ、画家(+ 2010年) 1941年 - ボー・スヴェンソン、俳優 1942年 - グレート草津、プロレスラー(+ 2008年) 1943年 - 森本レオ、俳優 1944年 - ストッカード・チャニング、女優 1944年 - 井手峻、元プロ野球選手 1946年 - 児玉好弘、元プロ野球選手 1947年 - 岩井克人、経済学者 1947年 - タチアナ・タラソワ、フィギュアスケート選手、指導者 1948年 - 服部敏和、元プロ野球選手 1949年 - 南こうせつ、シンガーソングライター 1949年 - 川田悦子、政治家 1949年 - 佐藤B作、コメディアン、タレント 1950年 - 竹宮惠子、漫画家 1950年 - 島田洋八、タレント(元B&B) 1950年 - ピーター・ガブリエル、ミュージシャン 1950年 - エヴァ・オーリン、女優 1952年 - 松本芳之、元プロ野球選手 1952年 - 伊藤早苗、物理学者(+ 2019年) 1953年 - 栗本薫(中島梓)、SF作家、評論家(+ 2009年) 1955年 - 矢野顕子、ミュージシャン 1956年 - 太刀掛秀子、漫画家 1956年 - 高見裕一、政治家 1956年 - ピーター・フック、ミュージシャン(ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー) 1957年 - 山本博文、歴史学者(+ 2020年) 1959年 - わかぎえふ、演出家 1959年 - 山本百合子、声優 1960年 - ピエルルイジ・コッリーナ、サッカー審判、投資アドバイザー 1961年 - 青島利幸、放送作家、脚本家、作詞家(+ 2017年) 1963年 - 仲道郁代、ピアニスト 1963年 - 深水黎一郎、小説家 1964年 - 出川哲朗、タレント 1964年 - 宮本和知、元プロ野球選手、解説者、タレント 1964年 - 黒氏康博、アナウンサー 1964年 - 山塚アイ、ミュージシャン(BOREDOMS) 1964年 - 武野一起、テレビプロデューサー 1965年 - ヒロミ、タレント 1965年 - 南原清隆、お笑いタレント(ウッチャンナンチャン) 1965年 - 優希比呂、声優 1967年 - 生田智子、女優 1967年 - 岡田忠之、オートバイレーサー 1967年 - ランディ・マッスル、タレント 1968年 - 秋山美紀、社会学者、元アナウンサー 1968年 - 岡田達也、俳優 1968年 - ケリー・フー、女優 1969年 - オーランド・ミラー、元プロ野球選手 1971年 - 湯沢薫、美術家、ファッションモデル 1971年 - 今井トゥーンズ、イラストレーター 1973年 - 松野有里巳、女優、歌手 1974年 - ロビー・ウィリアムズ、ポップシンガー 1974年 - 村越祐民、政治家 1974年 - ハリウッドザコシショウ、お笑い芸人 1976年 - 大村直之、元プロ野球選手 1976年 - 真木将樹、元プロ野球選手 1976年 - 西岡孝洋、アナウンサー 1976年 - 仲西環、声優、女優(+ 2020年) 1977年 - ランディ・モス、アメリカンフットボール選手 1978年 - フィリップ・ジャルスキー、カウンターテナー歌手 1979年 - ラファエル・マルケス、元サッカー選手 1979年 - ミーナ・スヴァーリ、女優 1980年 - セバスティアン・ケール、元サッカー選手 1980年 - ノマアキコ、ミュージシャン(GO!GO!7188) 1980年 - 広橋佳以、女優、タレント 1981年 - 藤ヶ谷陽介、元サッカー選手 1981年 - 鍋井まき子、声優 1982年 - 阿部力、俳優 1982年 - 奥田美和子、歌手 1982年 - 野間れい、グラビアアイドル、女優 1983年 - 飛永翼、お笑いタレント(ラバーガール) 1983年 - 栗山絵美、女優、モデル 1984年 - 池端忍、モデル 1984年 - 美名、声優 1984年 - 芦沢央、作家 1985年 - 小野愛、元グラビアアイドル 1985年 - 佐野真彩、タレント 1985年 - ローガン・オンドルーセック、プロ野球選手 1987年 - エルイェロ・エリア、サッカー選手 1988年 - ライアン・ゴインズ、プロ野球選手 1988年 - 森なな子、声優、女優 1988年 - 花村枝里、アナウンサー 1988年 - 井口卓人、レーシングドライバー 1989年 - 加島ちかえ、女優、タレント 1990年 - 加藤諒、俳優、タレント 1990年 - ネイサン・イオバルディ、プロ野球選手 1990年 - ママドゥ・サコー、サッカー選手 1990年 - ケヴィン・ストロートマン、サッカー選手 1990年 - ギェンツェン・ノルブ、僧侶 1991年 - 伊勢みはと、タレント、グラビアアイドル 1993年 - 有村架純、女優 1994年 - メンフィス・デパイ、サッカー選手 1995年 - 小池彩夢、元女優 1996年 - 中川愛理沙、ファッションモデル 1997年 - 依田菜津、声優 1998年 - 忽滑谷こころ、日本テレビアナウンサー 1999年 - 葉月ひとみ、女優、モデル 2000年 - 春咲暖、声優、元アイドル(A応P) 2001年 - 岸みゆ、アイドル(#ババババンビ) 2002年 - ソフィア・リリス、女優 2002年 - 播磨かな、タレント、アイドル(Awww!、元はちみつロケット) 2009年 - 外川燎、子役 生年不明 - 川田まみ、元歌手、作詞家 生年不明 - 名村幸太朗、声優 生年不明 - 佳川紘子、声優 生年不明 - 神谷けいこ、声優 忌日 858年 - ケネス1世、スコットランド王(* 810年) 869年(貞観10年閏12月28日) - 源信、公卿、初代源氏長者(* 810年) 1130年 - ホノリウス2世 、第163代ローマ教皇(+ 1060年) 1162年(応保2年1月28日) - 重仁親王、崇徳天皇の第一皇子(* 1140年) 1219年(建保7年1月27日) - 源実朝、鎌倉幕府第3代将軍(* 1192年) 1219年(建保7年1月27日) - 公暁、源実朝の甥、鶴岡八幡宮別当(* 1200年) 1219年(建保7年1月27日) - 源仲章、実朝の側近 1332年 - アンドロニコス2世パレオロゴス、東ローマ皇帝(* 1260年) 1539年 - イザベラ・デステ、マントヴァ侯夫人(* 1474年) 1542年 - キャサリン・ハワード、イングランド王ヘンリー8世の5番目の妃(* 1521年?) 1571年 - ベンヴェヌート・チェッリーニ、美術家(* 1500年) 1583年(天正11年1月21日) - 足利義氏、第5代古河公方(* 1541年) 1660年 - カール10世、スウェーデン王(* 1622年) 1662年 - エリザベス・ステュアート、プファルツ選帝侯フリードリヒ5世の妃(* 1596年) 1787年 - ルジェル・ヨシプ・ボスコヴィッチ、科学者、イエズス会神父(* 1711年) 1818年 - ジョージ・ロジャース・クラーク、アメリカ独立戦争期の米軍指揮官(* 1752年) 1858年 - ヘルマン・ハインリヒ・ゴッセン、経済学者(* 1810年) 1874年 - ヨハン・ブルグミュラー、作曲家、ピアニスト(* 1806年) 1883年 - リヒャルト・ワーグナー、作曲家(* 1813年) 1891年 - アレクサンダー・ヒュー・ホームズ・スチュアート、第3代アメリカ合衆国内務長官(* 1807年) 1903年 - 高橋泥舟、幕臣、剣客(* 1835年) 1914年 - ダニエル・スワロフスキー、ガラス製造業者、スワロフスキー創業者(* 1862年) 1916年 - ヴィルヘルム・ハンマースホイ、画家(* 1864年) 1924年 - 杉浦重剛、教育者、思想家(* 1855年) 1924年 - 吉本吉兵衛、吉本興業創業者(* 1886年) 1926年 - フランシス・イシドロ・エッジワース、経済学者(* 1845年) 1931年 - 小出楢重、洋画家(* 1887年) 1937年 - 山中直治、作曲家(* 1906年) 1945年 - ドロテア・ケーリング、テニス選手(* 1880年) 1950年 - ラファエル・サバチニ、小説家(* 1875年) 1952年 - アルフレート・アインシュタイン、音楽学者(* 1880年) 1952年 - ジョセフィン・テイ、推理作家(* 1896年) 1956年 - ヤン・ウカシェヴィチ、論理学者、哲学者(* 1878年) 1958年 - ジョルジュ・ルオー、画家(* 1871年) 1959年 - 平沼亮三、実業家、政治家、スポーツ選手・指導者(* 1879年) 1961年 - 村松梢風、小説家、随筆家(* 1889年) 1965年 - ウィリアム・ヒアド・キルパトリック、教育学者(* 1871年) 1966年 - マルグリット・ロン、ピアニスト(* 1874年) 1967年 - 鮎川義介、実業家(* 1880年) 1972年 - 柏原兵三、小説家(* 1933年) 1980年 - 本郷新、彫刻家(* 1905年) 1982年 - 江利チエミ、歌手(* 1937年) 1984年 - 植村直己、冒険家(* 1941年)(この日の交信を最後に消息を絶つ) 1993年 - 青山杉雨、書家(* 1912年) 1996年 - マーティン・バルサム、俳優(* 1919年) 1997年 - ボビー・アダムズ、野球選手(* 1921年) 2003年 - ウォルト・ロストウ、経済学者(* 1916年) 2004年 - ゼリムハン・ヤンダルビエフ、チェチェン独立派指導者(* 1952年) 2005年 - ルシア・ドス・サントス、カルメル会修道女、ファティマの聖母の目撃者(* 1907年) 2005年 - シクステン・エールリンク、指揮者(* 1918年) 2007年 - エリアナ・ラモス、ファッションモデル(* 1988年) 2008年 - 市川崑、映画監督(* 1915年) 2008年 - アンリ・サルヴァドール、シャンソン歌手(* 1917年) 2008年 - ミケーレ・グレコ、マフィア構成員(* 1924年) 2012年 - 久島海啓太、元大相撲力士、年寄14代田子ノ浦(* 1965年) 2012年 - 三崎千恵子、女優 (* 1921年) 2013年 - 東條由布子、作家(* 1939年) 2017年 - 鈴木清順、映画監督(* 1923年) 2017年 - 金正男、北朝鮮の第二代最高指導者の金正日の長男(* 1971年) 2019年 - 張立、卓球選手(* 1951年) 記念日・年中行事 苗字制定記念日/名字の日() 1875年2月13日に、明治政府が平民苗字必称義務令という太政官布告を出し、すべての国民に姓を名乗ることを義務づけたことに由来。 NISAの日 2014年より少額投資非課税制度(NISA)が始まることを記念し確定拠出年金教育協会が制定。2と13で「ニーサ」と読む語呂合わせから。 日本遺産の日 文化庁と自治体の連盟である日本遺産連盟による制定。観光振興のため、GWや夏休みの旅行先選びに宣伝効果の高い2月のうちで「にほん(2)いさん(13)」と読む語呂合わせから選ばれた。 フィクションのできごと 1982年 - 黒色矮星「ゴラス」が、通常軌道から移動した地球に最接近。(映画『妖星ゴラス』) 2000年 - 千年先の未来から逃亡してきたドン・ドルネロファミリーがロンダーズファミリーとして行動開始。彼らを追ってきた時間保護局の新人隊員たち4人に20世紀人の浅見竜也を加えた5人で、タイムレンジャーが結成される。(特撮『未来戦隊タイムレンジャー』) 2004年 - 日本の領空に超音速飛行体(モスラ)が侵入。緊急発進したF-15のミサイル攻撃をかわし、小笠原諸島上空でレーダーから消える。(映画『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』) 3000年 - 大物マフィア、ドン・ドルネロファミリーが千年前の過去へと逃亡。時間保護局の新人隊員たちが後を追う。(『未来戦隊タイムレンジャー』) U.C.0079年 - 地球連邦軍、「V作戦」立案。(アニメ『機動戦士ガンダム』) 誕生日(フィクション) 1981年 - ルーナ・ラブグッド(Luna Lovegood)、『ハリー・ポッターシリーズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 菊池静、漫画・アニメ『地獄先生ぬ〜べ〜』に登場するキャラクター 生年不明 - ネフェルタリ・コブラ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - 森山由孝、漫画・アニメ『黒子のバスケ』に登場するキャラクター 生年不明 - 金山彦、漫画・アニメ『貧乏神が!』に登場するキャラクター 生年不明 - 大門忍、漫画・アニメ『貧乏神が!』に登場するキャラクター 生年不明 - 天狐星ベヒーモスのバイオレート、漫画・アニメ『聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話』に登場するキャラクター 生年不明 - 於鬼頭曜、小説・漫画・アニメ『りゅうおうのおしごと!』に登場するキャラクター 生年不明 - ナイン、ゲーム・漫画『ファイナルファンタジー零式』に登場するキャラクター 生年不明 - 日向マコト、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に登場するキャラクター 生年不明 - 加藤葉月、小説・アニメ『響け! ユーフォニアム』に登場するキャラクター 生年不明 - 松山空音、漫画・アニメ『推しが武道館いってくれたら死ぬ』に登場するキャラクター 生年不明 - 水城冴子、漫画・アニメ『ガラスの仮面』に登場するキャラクター 生年不明 - 豊永日々喜、ゲーム・アニメ『ガールフレンド(仮)』に登場するキャラクター 生年不明 - 桃乃恵、漫画・アニメ『まほらば』に登場するキャラクター 生年不明 - シェルミー、ゲーム『ザ・キング・オブ・ファイターズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 多賀敦史、漫画・アニメ『初恋モンスター』に登場するキャラクター 生年不明 - 東北きりたん、アニメ『ずんだホライずん』に登場するキャラクター 生年不明 - 大村白菊、漫画・アニメ『球詠』に登場するキャラクター 生年不明 - 辻堂みどり、漫画・アニメ『鉄道むすめ』に登場するキャラクター 生年不明 - ノエル、漫画・アニメ『ぴちぴちピッチ』に登場するキャラクター 生年不明 - 辰己琉唯、アニメ・漫画『スタミュ』に登場するキャラクター 生年不明 - 蓮花蓮、アニメ・漫画『宇宙のステルヴィア』に登場するキャラクター 生年不明 - マライ・ハイゼンベルク、小説・アニメ『シュヴァルツェスマーケン』に登場するキャラクター 生年不明 - コロレ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター 脚注 関連項目
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昭和
は、日本の元号の一つ。 大正の後、平成の前。大化以降230番目、246個目の元号である。昭和天皇の在位期間 である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。 日本史の時代区分上では、元号が昭和であった期間をといい、グレゴリオ暦(西暦)において20世紀の大半を占める。本項ではこの時代についても記述する。 概説 大正天皇の崩御に伴い、皇太子裕仁親王が皇位を継承し、即日「昭和」と改元された。昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、「元年」と「64年」は使用期間が共に7日間であるため実際の期間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦(太平洋戦争)が終結した1945年(昭和20年)9月2日或いは玉音放送された同年8月15日(終戦記念日)を境にして近代と現代に区切ることがある。 改元 『書経』堯典 百姓昭明、協和萬邦→にして、をす 昭和は登極令(皇室令の一部)による制度での最後の元号であり、1979年(昭和54年)の元号法制定の際、同法附則第2項により、「本則第1項の規定に基づき定められたもの」とされた。 「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経堯典の「百姓昭明、協和萬邦」(百姓昭明にして、萬邦を協和す)による。漢学者・吉田増蔵の考案。「昭和」が元号の候補になったのはこれが最初である。なお、江戸時代に全く同一の出典で「明和」(1764年〜1772年)の元号が制定されている(「百姓昭明、協和萬邦」)。国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。 当時枢密院議長だった倉富勇三郎の日記によれば、宮内省(現:宮内庁)作成の元号案として「神化」「元化」「昭和」「神和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」があったが、数回の勘申の結果、「昭和」を候補とし、「元化」「同和」を参考とする最終案が決定した。一方、内閣では「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」を元号案の候補に挙げていた。 開始 1926年(大正15年)12月25日、大正天皇が崩御し、同日に皇太子(摂政宮)裕仁親王の践祚を受けて直ちに改元の詔書が公布されて昭和に即日改元し、1926年の最後の1週間だけが昭和元年となった(西暦の1926年12月25日は、大正15年であり昭和元年でもある)。なお、この際に東京日日新聞が「新元号は光文」と誤報した(光文事件)。 昭和改元の詔書(1926年〔大正15年〕12月25日) 終了 1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分、昭和天皇が崩御。これに伴い1947年(昭和22年)に施行された日本国憲法及び皇室典範(昭和22年法律第3号)第4条の定めるところにより明仁親王(昭和天皇第1皇男子)が皇位を継承し、第125代天皇となった。そのため、1979年(昭和54年)に施行された「元号法(昭和54年法律第43号)」の規定に基き「元号を改める政令 (昭和六十四年政令第一号)」が7日中に公布・翌8日に施行されて、平成と改元した。 元号を改める政令(1989年〔昭和64年〕1月7日) 第一次世界大戦後 急速な技術進歩を続ける20世紀は、2度の世界大戦に象徴されるように、それまでの時代と異なり、国土そのものを破壊する大規模近代戦争を伴う動乱の時代でもあった。 日本は国内的には立憲君主制の体裁を取り、当初の藩閥政治を脱して1920年代には政党が内閣を構成するようになり、大正デモクラシーの風潮を受け継ぐ形での政党政治が行われた。 しかし、政党政治がその一面で見せた腐敗は相次ぐ不況下で困窮する国民の不信と怒りを買い、大陸侵略による事態の打開と国家改造を志向する勢力の台頭を招く。1920年代末から独立性を強めた軍部は、1930年(昭和5年)以降は政府の意思に反した軍事活動や戦闘を多数引き起こし、相次ぐ軍事クーデターにより、ついには政党政治を葬り去った。 金融恐慌 第一次世界大戦では大戦景気による稀に見る好況を迎え、日本経済は大きく急成長を遂げた。しかし、大戦が終結して諸列強の生産力が回復すると、日本の輸出は減少して早くも戦後恐慌となった。 さらに関東大震災による手形の焦げつきが累積し、それをきっかけとする銀行への取りつけ騒動が1927年(昭和2年)3月15日から生じ、4月20日前後には最高潮に達して昭和金融恐慌となった。昭和初期に東北地方が大凶作に見舞われて農家の女性達は養育能力がなかったため、間引きが盛んに行われた。冷害や貧困のために東北地方の農村では「娘の身売り(未婚女子の人身売買)」があり社会問題となった。 第1次若槻内閣(若槻禮次郎首相)は鈴木商店の不良債権を抱えた台湾銀行の救済のために緊急勅令を発しようとしたが、枢密院の反対にあい、総辞職した。 後を受けた田中義一内閣(田中義一首相)は高橋是清蔵相の下で、3週間のモラトリアム(支払い猶予令)を発して全国の銀行の一斉休業と日本銀行から9億円もの緊急貸し出しによって急場をしのいだ。また、台湾銀行の救済策も出された。この後、銀行の整理統合が進み、五大銀行(三井銀行・三菱銀行・住友銀行・安田銀行・第一銀行)へ預金が集中した。 一方、中国(中華民国)では1925年(大正14年)に死去した孫文の後を蔣介石が継ぎ、1926年(大正15年)7月に中国国民党の国民政府軍は蔣介石を総司令として北伐を開始し、10月には武漢を占領し、ここに政府を移して、翌年の1927年(昭和2年)3月には上海を占領、ついで南京も手中に収めた。 田中内閣と山東出兵 田中内閣は、張作霖を動かして満蒙での諸懸案の解決を図ろうとして3回 に及ぶ山東出兵を行い、東京で外交・軍部関係者を集めて東方会議を開き、満蒙の利権を死守することを確認した。これに基づいて政府は張作霖と交渉し、満洲の権益の拡大を図ったが、張は応じず、関東軍は張の乗る列車を1928年(昭和3年)6月4日に爆破して暗殺した(満州某重大事件)。関東軍は当初この事件を中国国民政府軍の仕業だと公表したが、実際は関東軍参謀河本大作の仕業であった。このため国内の野党から「満州某重大事件」として追及され、田中首相は上奏しようとしたが、昭和天皇から説明を聞きたくないと不快感を表明され、田中内閣はこのため1929年(昭和4年)7月2日に総辞職した。世上では首相の名前(義一)を下から読んで、「一つもよしことなかった」と揶揄された。 田中内閣は、第二次護憲運動で誕生した護憲三派の内閣である加藤内閣(加藤高明首相)とりわけ、外相である幣原喜重郎が行った外交政策である中国内政不干渉政策(幣原外交)を「軟弱外交」として批判して登場した。そのため、田中は自ら外相を兼任し中国での革命の進展に対して強く干渉した。 ところが、中国での武力行使に対する列国の批判を交わすためもあって1928年(昭和3年)、フランスのパリで締結されたいわゆるパリ不戦条約には調印した。ただ、この不戦条約は第1条で「人民ノ名ニ於テ」戦争を放棄することを謳っており、「国体をないがしろにするもの」とする批判が国内に生じた。このため、新聞紙上でも侃々諤々の論議が行われた末、翌年に至り、「其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ」という文言を日本については適用外とする宣言を付して批准された。また、田中内閣は国内で思想取締強化を図ったことでも知られている。 普通選挙 昭和初期は大正デモクラシーの成果で二大政党制(政友会・憲政会)の時代となり、日本政府の積極的な公共投資による経済復興を主張する立憲政友会と、財政削減と民間活力の重視による経済復興を主張する憲政会(昭和2年から立憲民政党に改称した)の二大政党が交互で内閣を組閣する議院内閣制のもと「憲政の常道」とも呼ばれる政党政治の時代であった、特に日本国民の2割に当たる1200万人の男性有権者が投票した1928年(昭和3年)2月20日の男子普通選挙(第16回衆議院議員総選挙)実施後、予想外の進出を示した無産政党や日本共産党に対する弾圧を強め、1928年(昭和3年)に三・一五事件、翌年に四・一六事件を起こして共産党系の活動家と同調者の大量検挙を行った。その間、緊急勅令により、治安維持法を改正して最高刑を死刑とした。 一方、文化や社会科学の研究ではマルクス主義が隆盛し、1932年(昭和7年)には、野呂栄太郎らによる『日本資本主義発達史講座』が岩波書店から発行され、知識層に多大の影響を及ぼした。その執筆者は「講座派」と呼ばれたが、それに対して批判的な向坂逸郎らは雑誌『労農』により、「労農派」と呼ばれた。両派は以後、活発な論戦を繰り広げたが、国家主義的革新運動の台頭に伴い、弾圧を受け、強制的に収束していくこととなった。井上日召が血盟団を組織した。後に創価学会と公明党組織の基礎となる創価教育学会が誕生した。 1929年(昭和4年)10月24日、ニューヨークのウォール街での株価の大暴落によって世界恐慌が引き起こされた。それは日本にも波及し、翌年、田中内閣の後を受けた濱口内閣(濱口雄幸首相)が実行した金解禁を契機として昭和恐慌が引き起こされた。この恐慌は戦前の恐慌の内で最も深刻なものであった。イギリス・フランス・アメリカ合衆国などは植民地囲い込みによるブロック経済で建て直しを図ったが、第一次世界大戦の敗戦で天文学的賠償金を負っていたドイツや、高収益な植民地を所有しない日本などは深刻な経済不況に陥った。このことはファシズムの台頭を招き、ドイツではアドルフ・ヒトラー率いるナチスを生み出す結果となり、日本では満洲は日本の生命線であると主張され、軍の中国進出を押し進めてしまう要因の一つとなった。1930年(昭和5年)、アメリカやイギリスが中心となりロンドン海軍軍縮会議が開催された。これは第一に、主力艦を1936年(昭和11年)まで延長する、第二に、補助艦の保有比率を米:英:日 = 10:10:7とするものであった。全権大使若槻禮次郎はこれを受諾したが、海軍は、統帥権を侵していると内閣に反発した(統帥権干犯問題)。 満洲事変 1931年(昭和6年)4月、若槻礼次郎首班の立憲民政党内閣(第二次若槻内閣)が成立した。7月には長春付近で朝鮮移民と中国官憲・農民との衝突事件が起きて、一触即発の情勢が生まれていた。陸軍は8月に「満洲問題解決方針の大綱」を決定していた。 同年9月18日には関東軍の謀略により柳条湖事件を契機に満洲事変が勃発した。関東軍は奉天、長春、公主嶺、四平街などの南満州鉄道沿線の首都と主要都市で軍事行動を起こして、戦時体制に入った。このことが1945年(昭和20年)の敗戦までにわたる戦争の第一歩となった。政府は戦争不拡大の方針を採ったが、関東軍はそれを無視する形で発展していった(塘沽協定で日中間は一旦停戦となる)。 日本の満洲国建国に前後して、国際連盟はイギリスのヴィクター・ブルワー=リットン率いるリットン調査団を派遣し、その調査結果に基づいて、1933年(昭和8年)、日本の撤退勧告案を42対1 で可決した。日本は2月20日の閣議で同勧告案が可決された場合の脱退を決めていたので松岡洋右代表は退場(2月24日)し、3月27日には国際連盟脱退を通告した。このことにより日本は国際的に決定的に孤立の道を歩んでいくこととなる。 また1932年(昭和7年)2月9日、第18回衆議院議員総選挙戦中に民政党の井上準之助(前蔵相)が選挙応援中に射殺され、3月5日には団琢磨(三井合名理事長)が三井銀行本店の入り口で射殺された。いわゆる血盟団事件である。続いて5月には海軍将校らが犬養毅首相を射殺した五・一五事件が起こり、犬養内閣総辞職の後、5月26日に斉藤実内閣が成立したが、帝人事件の贈収賄容疑が閣内に波及したため1934年、(昭和9年)7月3日に総辞職し、7月8日に岡田内閣(岡田啓介首相)が成立した。軍部急進派や右翼団体を中心に、明治維新の精神の復興、天皇親政を求める「昭和維新」をスローガンとする右翼思想が唱えられ、この影響で1936年(昭和11年)には皇道派の青年将校が斎藤実内大臣や高橋蔵相らを射殺した二・二六事件が起こった。1936年(昭和11年)2月28日に岡田内閣は総辞職し、政党内閣は終焉に至った。 その後、同年3月9日に成立した廣田内閣(広田弘毅首相)は、二・二六事件に対する措置として大規模な粛軍を実行した一方で実質廃止となっていた軍部大臣現役武官制を復活させた。しかし、その制度は軍の協力なしでは組閣が難航する問題を内包しており、復活とともに軍部の政治介入と政治的優位が確立したため、後に議会はその役割を事実上停止する。8月7日、首相・外相・蔵相・陸相・海相の五相会議が開かれ、対外問題を中心にする重要国策(国策の基準)を決定した。内容は公表されなかったが、戦争政策の見取図・計画書であった。また、同月五相会議は「第二次北支処理要綱」を決定した。「陸軍は国防充実12か年計画、海軍は第二次補充計画 を立てた。 このため1937年(昭和12年度)の予算は、陸海軍両省合計で14億円に達した。11月末の予算閣議で30億円を超える巨額の予算案が短時間で決定された。前年度に比べ8億円を一挙に増額した。この膨大な歳出を賄うため、4億2千万円の増税と8億3千万円の公債発行が行われた。この予算案が発表されると諸物価が高騰し始め、国民の生活に大きな影響を与えるものとなった。 同内閣は1936年(昭和11年)11月にベルリンで日独防共協定を調印した。1937年(昭和12年)1月29日に閣内不統一で総辞職して、2月2日に林内閣(林銑十郎首相)が成立するが5月31日には総辞職となり、6月4日に第一次近衛内閣(近衛文麿首相)が成立する。中国では西安事件で拉致された蔣介石と周恩来の間で国共合作が成立して、抗日闘争が進められた(第二次国共合作)。 日中戦争 昭和12年には盧溝橋で日中両軍が衝突し、停戦協定後も通州事件、第二次上海事変などが続き、日中戦争が始まった。戦線の拡大に従って思想統制と国民生活向上を図って戦時体制への協力を国民に求めるという「広義国防」論に代わって、国民・国力の全てを戦争遂行のために投入して総力戦を行おうとする総動員政策が台頭し、その結果国家総動員法が成立した。国内の文化・思想に関しては、戦時体制が強化されるに伴って治安維持法による思想弾圧が目立ち、昭和12年には加藤勘十・鈴木茂三郎らの労農派の関係者が人民戦線の結成を企図したとして検挙される人民戦線事件が起こった。 近衛内閣の後を受けて昭和14年1月5日平沼内閣が誕生する。平沼は内務・司法官僚の大御所で、枢密院議長でもあった。2月には軍部は海南島を占領し、3月にはフィリピン西方海上の無人諸島の領有を宣言して新南群島と名付けた。この軍事行動はイギリス・アメリカを大きく刺激した。また6月には天津の英仏租界を封鎖した(天津事件)という。東京では、有田八郎外相とロバート・クレイギー英大使との会談が開かれた。7月になるとアメリカ政府が日米通商航海条約の破棄を通告したのでイギリス政府の対応も変わり日英会談は決裂した。満洲では日本とソ連は昭和14年5月12日のノモンハン事件などで衝突した。8月には第23師団を中軸とする第6軍を新編成して、満州から集められるだけの飛行機と戦車を投入したが、一万数千人の死者が出た。第23師団は全滅に近い壊滅状態であった。機械化装備や火力、輸送力に格段の差を見せつけられての敗北であった。この事件後、陸軍当局は「精神力と並んで物力も顧慮しなければならぬ」と異例の談話を発表した。9月16日にノモンハン事件の停戦協定が結ばれた。 ヨーロッパ情勢は目まぐるしく変転し8月には独ソ不可侵条約が締結された。三国同盟問題を解決できなかった平沼内閣は昭和14年8月28日に総辞職した。「今回締結せられた独ソ不可侵条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じたので我が方はこれに鑑み、従来準備し来った政策はこれを打ち切り、更に別途の政策樹立を必要とするに至った」とその理由を説明している。この説明は、日本の支配層が国際情勢に順応しきれず外交政策を立てることができなくなっていたことを吐露したものと考えられる。 同年8月30日に阿部内閣が誕生、この後すぐに第二次世界大戦が始まった。内閣は9月4日に「今次欧州戦争勃発に際しては帝国はこれに介入せず、もっぱら支那事変の解決に邁進せんとす」との声明を出した。ドイツとソ連ではイデオロギーが相容れず手を結ぶことはないと考えていた日本は、外交方針の見直しに迫られた。11月4日からは外相野村吉三郎はアメリカ大使ジョセフ・グルーと会談を始めた。また、決裂状態にあった日英会談再開の気運が生まれた。 日米交渉は進展せず、昭和15年1月には日米通商航海条約は失効した。1月の第75回帝国議会で276人の衆議院議員が阿部内閣の退陣を決議。軍部は反軍的気運の生まれることを恐れて政府不支持の態度をとったので昭和15年1月4日に阿部内閣は退陣した。 続く内閣に、海軍大将米内光政を首班とする米内内閣が1月16日に成立した。この内閣には、民政党・政友党から2名ずつ、財界からは藤原銀次郎が商相として入閣した。 昭和15年11月10日から11月14日に、同年が初代神武天皇が即位して2600年にあたるとして「紀元二千六百年式典」が全国で実施される。 第二次世界大戦 ヨーロッパでは1939年(昭和14年)8月23日に突如、独ソ不可侵条約が発表された。9月1日にナチス・ドイツがポーランドに侵入して、9月3日にイギリス、フランスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が開始された。阿部内閣は「欧州戦争に介入せず」と声明した。1940年(昭和15年)、フランスがナチス・ドイツに降伏しドイツ、イタリアの勢力が拡大するに及んで日独伊三国同盟を締結した。大西洋憲章を制定したアメリカ、イギリスの連合国に対して、日本、ドイツ及びイタリアは枢軸国と呼称されるようになった。また、ソ連との間に日ソ中立条約が締結されて、満洲国・モンゴル人民共和国の尊重と相互不可侵が約束された。 日中戦争(支那事変)開始後、陸軍は公然と倒閣運動に乗り出して、畑俊六陸相は国防国家建設のため人心一新を求め単独辞職し、後任の陸相が決まらず1940年(昭和15年)7月16日に米内内閣は総辞職した。 太平洋戦争前夜 次期内閣には近衛文麿が第2次近衛内閣として組閣、1940年(昭和15年)7月22日に成立した。近衛を中心とする新体制運動が進められ、同年10月には、大政翼賛会が結成されて、既成政党は解党した。この翼賛会は、経済新体制を創出する統制会・大日本産業報国会と並んで政治面で日中戦争(支那事変)および太平洋戦争の遂行を支え、「高度国防国家体制」の創設を目指す大政翼賛運動の推進に当たった。組織原則では、衆議は尽くすが最終的な決定は総裁が下すと言う「衆議統裁」形式が採られた。これは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)とナチス・ドイツの組織原則を真似たものであると言われ、一党独裁の赤である、かつての武家政権・幕府の様に皇室を置物にするものであるという強い批判も出て、精神運動を中心に据えるように変わっていった。歴代総裁には近衛文麿、東條英機、小磯國昭、鈴木貫太郎が就任し、最初は総裁の指名によって事務総長に近衛側近の有馬頼寧が任命され、中央本部に総務・組織・政策・企画・議会の五局および23部が設置された。地方にもこの支部が設けられ、支部長の多くは知事・市町村長が任命され、中央・地方に協力会議が設置された。しかしその部内では主導権争いが頻発し、また、1941年(昭和16年)には平沼騏一郎内務大臣により公事結社とされて政治活動は禁止されて、有馬らの近衛グループが退陣して、内務省および警察主導の行政補助機関となっていった。 1940年(昭和15年)1月にアメリカ合衆国政府は通商条約の破棄など強硬な方策を採った。日本は、ナチス・ドイツや率いるイタリアと1940年(昭和15年)9月に日独伊三国軍事同盟を締結することで対処しようとしたが、アメリカ政府の反発を招くだけだった。その上、南部仏印進駐によってアメリカ政府から石油禁輸を招くに至った。アメリカ・イギリス・中華民国・オランダとの関係がいっそう冷え込み、日本ではそれぞれの国の英語の頭文字をとってABCD包囲網と呼ぶ。 一方、日本では陸軍を中心として対ソ連戦争を目指す北進論と南方に進出することを目標とする南進論との二派があったが、国境線が紛争となっていた張鼓峰とノモンハンでソ連軍と衝突した。これによって北方進出を断念し、日ソ中立条約を締結し北の防衛を強固にするなど対米戦争を準備する一方、外務省は1941年(昭和16年)晩秋まで日米交渉を続け、同年10月18日には第3次近衛内閣が総辞職し、東條内閣(東條英機首相)が成立する。 しかし、軍の強硬姿勢に押される形で交渉は難航し、当時ナチス・ドイツに対し完全な劣勢であったイギリスや中華民国によるアメリカの参戦の要望、および日本海軍の動きにフランクリン・ルーズベルトアメリカ合衆国大統領が激怒したことによりコーデル・ハル国務長官より中国大陸から撤退すべしとの交渉案(通称ハル・ノート、実際の草稿者はハリー・ホワイト財務次官補)を受ける。これを日清戦争・日露戦争以降に獲得した全植民地からの撤退要求と解釈した日本政府は、事実上の米国政府による最後通牒と認識し、対英米蘭開戦が決定された。日本はこうして第二次世界大戦へ参戦することとなった。アメリカ、イギリスは大西洋憲章を制定し、自陣営を連合国と称し、日本、ドイツ、イタリアの枢軸国と対抗した。 太平洋戦争 1941年(昭和16年)12月8日(現地時間12月7日)、ハワイ時間午前6時30分に航行制限区域に侵入した特殊潜航艇が撃沈される「ワード号事件」、日本のイギリス領マレー侵攻の後、大日本帝国海軍は真珠湾攻撃を行った。同月12日、当時の東條内閣は「今次の対米英戦は、支那事変をも含め太平洋戦争と呼称す」とした。しかし太平洋戦争は生産力の弱さなどから戦争の前途に確信があったわけではなく、開戦当初から山本五十六連合艦隊司令長官は1年間は戦況を維持しうるが、それ以上は無理であろうと語っていたといわれ、表面的な派手な宣伝にもかかわらず、事態の認識は最初からより悲観的であった。日本海軍は開戦当初、航空母艦(空母)の艦載機を主力とする新しい戦法を用い、また連合国側を大きく上回る技量を備えたパイロットらを率いて、史上初めて航空機のみの攻撃によって行動中の戦艦を沈めるなど連合国軍相手に常勝無敗であり、日本国民はこの初期の大勝利に酔いしれた。 1942年(昭和17年)、東條英機首相率いる東條内閣は、初戦での勝利を利用して翼賛選挙(第21回衆議院議員総選挙)を実施し、翼賛政治体制を確立した。また大日本産業報国会・農業報国連盟・商業報国会・日本海運報国団・大日本青少年団・大日本婦人会の官製国民運動6団体を翼賛会に従属させた。さらに町内会と部落会に世話役を、隣組に世話人を置いた。世話役は町内会長が兼任し、全国で約21万人、世話人は隣組長兼任で約154万人であった。町内会は生活必需物資の配給機構をも兼ねていたので、国民生活は隅々まで統制と監視に晒されることとなった。 当時日本は石油備蓄量がたったの2年分であったことから、南方の石油天然資源の制圧に乗り出した。当時、東南アジアは欧米諸国の植民地であったために、この戦争を独立の機会として日本軍に賛成する動きもあったが、日本側の資源搾取や現地住民をかり出した重労働、また日本軍が劣勢になるにつれて支持も離れていった。日本はアジアにおける権利の正当性を訴えるため、1943年(昭和18年)10月、東京で大東亜会議を開き、自主独立、東アジア各国の相互協力などを謳った大東亜共同宣言を発表した。これは東アジアで初めて開かれた国際的会議である。しかしながら実態は日本主導であり、未完成であった。 日本海軍は開戦当初は連戦連勝であったが、ミッドウェー海戦では戦況の読み誤りから最重要の主力兵器である正規航空母艦4隻を損失し、開戦後初の大敗北を喫した。この敗北を機に日本海軍とアメリカ海軍による一進一退の攻防が始まり、戦線は次第に後退していった。 この時から国民には虚偽の戦況が伝えられ、国民は日本海軍が敗北していることを知らされず、戦況を知ることができなくなっていた。このころすでに、中国戦線は敗北こそ無かったものの、中国軍によるゲリラ戦術で戦力が分断され、泥沼の膠着状態に陥っていた。また、最重要資源となっていた石油も、制海権をなくしつつあることで日本への輸送が困難となっていたことから備蓄は底をついていった。兵器・戦略物資の損失を補充するための財政力、工業生産力ともにアメリカの数十分の一でしかない日本の戦況は、目に見えて悪化していった。大政翼賛会は本土決戦体制への移行のため、1945年(昭和20年)に解散し、国民義勇隊に改組された。 1944年(昭和19年)7月9日には、サイパン島が陥落しこの敗退の責任を取る形で、7月22日に東條内閣は総辞職し、小磯國昭首相率いる小磯内閣が成立する。日本本土は連日のように空襲に晒されるようになり(日本本土空襲)、1945年(昭和20年)3月10日には東京大空襲が行われた。日本国内ではすでに燃料と材料不足で稼動停止していた工場群や道路・港湾・鉄道等の社会資本も徹底的に破壊され、生活物資すら窮乏するようになった。同年4月7日に小磯内閣は総辞職し、元侍従長の鈴木貫太郎首相率いる鈴木内閣が成立する。事ここに至り各種和平工作が企図されるが、この頃の連合国は全日本軍の無条件降伏以外は承認しない方針を決定しており、日本の和平努力は実らなかった。同年7月26日、連合国はポツダム宣言を発表するが、日本政府は直ちには正式回答せず(黙殺)、結果戦争継続の意思を示した。 原子爆弾の投下と終戦 1945年(昭和20年)8月6日に広島市への原子爆弾投下が実施され、非戦闘員を含め十数万人が死傷した。8月9日には同様に長崎市への原子爆弾投下が実施され、さらに十数万人の死傷者が出た(以上、日本への原子爆弾投下)。これは、世界初の核兵器による爆撃であった。 日本は、主要な国で当時唯一、日ソ中立条約により交戦国とはなっていなかったソビエト連邦政府の仲介での和平工作を試みたが、ソ連はヤルタ会談での申し合わせに従い8月8日の夜に宣戦布告した(ソ連対日参戦)。翌9日未明からソビエト連邦軍が満洲や朝鮮半島北部、樺太、千島列島に進撃した。満洲では関東軍は総崩れとなり、またこの時にソ連兵による満洲での大規模な略奪行為も頻発するに至った。戦後も長らく解決を見なかった中国残留孤児問題は、この時に生じた。 ソ連の参戦により、講和の望みが絶たれ万策尽きた政府は、8月9日の最高戦争指導会議ではポツダム宣言が要求している日本軍の無条件降伏を問題とせず、「天皇の地位の保障」を条件とする外相案と、それに加え「自主的な武装解除、日本による戦争犯罪人の処罰、占領制限など」の条件を付けよとする軍部案とが対立した。9日深夜に開かれた御前会議でも両案が対立したが、昭和天皇の裁断によって「天皇の地位の保障のみ」を条件に付けることが決定された(昭和天皇自身が地位保障を求めたわけではない)。8月10日に「天皇の国家統治の大権に変更を加うる要求を包含し居らざることの了解の下に」ポツダム宣言を受託するという申し入れをラジオと中立国を介して行われた。 8月14日の御前会議で、いわゆる「聖断」によってポツダム宣言を受諾するとの結論に達した。この決定は翌8月15日、昭和天皇自ら「終戦の詔勅」を音読・録音し、同日正午に日本放送協会のラジオ放送(いわゆる玉音放送)により内地・外地の国民に伝えられた。その2日後の8月17日には鈴木貫太郎内閣は総辞職し東久邇宮内閣(日本の内閣史上、最短政権)が成立する。 こうして日本だけでも300万人、関係諸国を入れると2千万人から3千万人(実数不明)の死者を出したと言われる戦争は終わりを告げた。なお、8月15日以降も、千島列島の占守島や南樺太では、ポツダム宣言受諾後に侵攻してきたソ連軍と日本軍守備隊との熾烈な戦闘が行われた。樺太での地上戦が終了したのは、8月23日のことだった。9月2日には、ポツダム宣言に調印し、日本は主権を制限され、連合軍 (GHQ) の占領下となった。またソ連軍の侵攻が終了したのは9月5日である(同日までに北方領土全てが占領される)。 戦後のGHQによる占領時代 概観 太平洋戦争後、1952年(昭和27年)4月28日の日本国との平和条約発効まで連合国軍の軍事占領下に置かれたが、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ / SCAP) の軍政は布かれず、アメリカ政府による直接的な統治があった沖縄・奄美群島・トカラ列島の下7島・歯舞群島・小笠原諸島と、ソ連によって占領された歯舞群島・千島列島・樺太を除き日本国政府が行う間接統治が行われた。出版停止やプレスコードと称される言論統制・検閲などを通じて軍国主義・反米・反連合国とGHQにみなされたものは報道できなかった。 第一復員省や第二復員省などの復員組織が設置された。日本人は占領地だった諸地域や外地からの引き揚げを強いられた。ソ連軍占領地域となった内地(樺太および千島列島)の日本人のほとんども日本政府統治地域に引き揚げ、一部はシベリア抑留され強制労働に従事した。外地から引き揚げは困難を極め、通化事件のような日本人虐殺事件が起きるような混乱の中、中国残留日本人問題を後に残した。また、インドネシア独立戦争、ベトナム独立戦争や国共内戦などに多くの日本人が加わった。旧満州国や台湾、朝鮮半島などでは日本人技術者が数年間インフラの管理を行い、その後現地側に管理が引き継がれた。 第1次吉田内閣下の1946年(昭和21年)11月3日に公布された日本国憲法は大日本帝国憲法の改正という形で成立したが、その成立過程にはGHQが深く関与した。その内容は、象徴天皇制の下に主権は国民に存するとした「国民主権(主権在民)」、法の下の平等および自由権・社会権・参政権・国務請求権などの権利を保障する「基本的人権の尊重」、戦争を放棄し、国際紛争を武力による威嚇または武力の行使によって解決しない「平和主義」を三大原理とした。このため現在の日本では自衛隊への徴兵制度は憲法違反として実施されない。また、天皇は「日本国および日本国民統合の象徴」とされ、立憲君主国として皇室は維持されたものの天皇の国政への関与は禁じられた(象徴天皇制)。1946年(昭和21年)2月から1954年(昭和29年)8月にかけて昭和天皇は沖縄県を除く46都道府県を訪問した。昭和天皇が回答する「あっ、そう」の言葉が1946年(昭和21年)の流行語となった。しかし、昭和天皇は1947年(昭和22年)9月19日にはGHQに対して「沖縄メッセージ」で沖縄の長期軍事占領を要望し、1975年(昭和50年)10月31日には「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、広島市民に対しては気の毒であるが止むを得ない事と私は思ってます」と云う日本国憲法で禁止されている政治的な発言をした。 さらに、GHQの主導により以下の改革が断行された。 農地改革の実施。 財閥解体の実施。 結党の自由・結社の自由を保証させた。 日本共産党などの政治犯の釈放をする。 保守政治家の公職追放を行う。 レッドパージなどの政治介入の実施。 神道指令の実施。 特別高等警察が廃止される。代わりに内務省によって公安警察が設置される。 内務省の解体。 労働組合の結成を促進する。 婦人の解放と婦人参政権の寄与。 華族制度・家制度の廃止と貴族院(帝国議会上院)の廃止など封建制度の撤廃。 シャウプ勧告による税制改革。 新しい教育制度の6・3・3・4制を導入するアメリカ教育使節団報告書に基づいた学制改革の実施。 旧教育基本法の制定。 1952年(昭和27年)4月28日に日本国との平和条約(通称:サンフランシスコ講和条約)の発効により日本国は主権を回復。GHQの進駐が終わった。 また、日本国憲法第9条では軍隊を保持しないことを定めたが、サンフランシスコ講和条約と同時に日米安全保障条約を締結し、アメリカ軍の駐留を在日米軍としてそのまま継続するとともに、翌1952年(昭和27年)には警察予備隊から改称した保安隊(その後の自衛隊)も発足し、事実上の再軍備を行った。冷戦期にはアメリカと同盟してソ連に対抗した。 GHQによる占領 終戦後、日本はそれまで統治権を持っていた、台湾・朝鮮・南洋群島、日本本土(内地)の一部であった南樺太・千島列島および色丹島・歯舞群島・小笠原諸島・南西諸島の北緯30度以南を失った。このうち、南西諸島と小笠原諸島は後にアメリカから返還された。千島列島については、樺太・千島交換条約によって領有権を確定しているため全千島が日本に属するとの見解もあるが、日本政府は現時点では千島列島のうち、南千島の国後島・択捉島の2島についてのみ日本固有の領土であると主張し、歯舞群島および色丹島の2島は北海道に属すると説明している。 1945年(昭和20年)から1952年(昭和27年)までの7年間にわたって、日本史上初めて他国 (GHQ) に占領され、最高司令官としてマッカーサー元帥が着任した。マッカーサーは政治的には共和党右派で、本来反共主義的な傾向があったが、戦後直後の民主化は東久邇宮内閣の予想を超える急進的な内容を持っていた。東久邇内閣は民主化の進展に対応できず総辞職し、歴代内閣の中で最短政権を記録している。アメリカの占領下で幣原内閣(幣原喜重郎首相)、次いで吉田内閣(吉田茂首相)を通じ、農地改革・財閥解体・労働改革の三大経済改革と呼ばれる民主化措置が実施された。また婦人参政権が認められる一方で、治安維持法が撤廃されるとともに二次にわたる公職追放によって、社会の指導者層20万人が軍国主義者として公職からの追放処分となったことに加えて被選挙権が停止処分となった。吉田茂と首相の座を争う位置にいた鳩山一郎の場合、戦前の京大滝川事件時の文部相(現在の文科相)であったことから、政治的活動が制約された。また、占領軍によって検閲が徹底され、連合国や朝鮮人について批判する報道は禁止された。また1946年(昭和21年)には、極東国際軍事裁判(東京裁判)が開廷され、戦争犯罪人とされた人は、戦争を計画し遂行した平和への罪(A級)、捕虜虐待など通例の戦争犯罪(B級)、虐殺など人道に対する罪(C級)としてそれぞれ処断された(A級・B級・C級とは罪の大小を表すものではなく、分類するものである)。 連合国の日本占領政策は、ソ連が自国領に編入した南樺太・千島列島を除き事実上のアメリカ合衆国の単独で行われたが、直接統治方式による軍政(アメリカの高等弁務官による統治)は沖縄に施行されただけで、日本本土は間接統治方式によって日本政府を通じて政策が実施された。占領を巡って、連合国内部にも意見の相違が表れ始め、スターリンは北海道の北半分のソ連占領を提案したが、トルーマンがこれを拒否した。一方、トルーマンは「共産主義」封じ込めの必要を強調する「トルーマン・ドクトリン」を発表してギリシャでの内戦に介入し、チャーチルが「鉄のカーテン」演説で予測した東西「冷戦」が本格化した。 日本では、同じ敗戦国でも東西に分割されたドイツやオーストリア(ウィーン)、ソ連の単独占領となったルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、チェコ、スロバキアなどとは異なった占領形態が採られた。1951年(昭和26年)、マッカーサーは朝鮮戦争で原爆を使用せよなどの強硬な主張を行ったことなどからトルーマンと対立して解任され、後任にマシュー・リッジウェイ中将が着任した。日本では、表面的にはソ連占領地域(南樺太、千島列島)およびアメリカ占領地域(琉球列島、小笠原諸島)を除く日本政府統治地域(北海道、本州、四国、九州、伊豆諸島およびそれらの付属島嶼)では、日本にも主権があったが、全ての法令、文書は連合軍の厳しい事前検査と許可が必要であった。第1次吉田内閣下の1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法が公布、翌1947年(昭和22年)5月3日に施行され、1951年(昭和26年)9月8日調印の日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)で連合国との講和が完了して翌1952年(昭和27年)4月28日に日本は主権を回復した。しかし在日米軍はほぼそのまま残留し、全土基地方式と呼ばれる方法によって日本各地に米軍基地が残された。 日本国憲法第9条は、国権の発動である戦争と武力による威嚇または武力の行使は国際紛争を解決する手段としては放棄する平和主義を定めている。そのため、日米安全保障条約や自衛隊の設置が、同条に違反しないかについては、戦後古くから議論があり、また国の自衛権についても議論がある。 大戦によって国内経済は壊滅し、国民生活は混迷の極みにあったが1949年10月1日に国共内戦に勝利した中国共産党により中華人民共和国が建国されたことと朝鮮戦争の勃発により事態は一変した。朝鮮戦争には、占領軍の要請の下で官民8000名以上を国連軍の作戦に参加させ、多くの犠牲者を出した。アメリカは当初、日本の完全武装解除により、非軍事化を遂行し、極東のスイスを建設すると言明していた。しかし政治反動の傾向は1947年(昭和22年)には早くも現れ始めていた。その上、1949年(昭和24年)に中華人民共和国が成立すると対日戦略を完全に転換し、日本の再武装を進め、東アジアの最重要軍事戦略拠点として位置付け、「逆コース」とも呼ばれる政策の転換が次々と生じた。戦後の変化の特徴を示すのは労働運動の盛り上がりで、国鉄や読売新聞等では労働組合による自主管理も行われた。 1952年(昭和27年)1月18日に韓国が竹島の領有を主張する李承晩ラインを宣言すると、数千人に上る漁民が抑留され、翌年には竹島を軍事占領された。 文化面においては日本映画が全盛時代を迎え、東映・大映・松竹・東宝・日活のメジャー5社が毎週競って新作を2本平均で上映する映画館は最大の娯楽施設となった。またラジオ放送も広範に普及し、歌謡曲やバラエティ、相撲や野球の実況放送が好んで聞かれた。同時にアメリカを初めとする外国映画やジャズ・ポピュラーも急速に流入した。一方、国語のローマ字化は断念され、1946年(昭和21年)には現代かなづかい・当用漢字の制定が行われた。同年に公布された日本国憲法を初めとして、法令や公文書も現代かなづかいによって表記されることとされた。 日本社会党政権による社会主義政策 1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙で日本社会党が第1党となり片山哲が総理大臣となった。右翼過ぎず、左翼過ぎない内閣の性格から「中道政権」と呼ばれた。GHQのチャールズ・L・ケーディスも民主化推進の立場からこの中道路線を支持していた。昭和天皇は社会主義による急進的な変革は望まなかったが、キリスト教徒である片山の人柄に好感があり、労働問題で日本社会党が支持を得た民意に一定の理解を持っていたとする宮内庁の文書の記述がある。民主党・日本社会党・国民協同党の連立政権である片山内閣と芦田内閣が以下の経済政策 を実施した。 労働組合法を成立させて、教育委員会の公選投票制度や日本教職員組合など複数の労働組合を結成させた。定時制高校や社会科学系公立短大夜間部の設置など社会人教育の充実。 天皇の官吏から国民への奉仕者としての国家公務員法を制定させた。 内務省を解体させて、都道府県知事・市町村長の公選制度(直接選挙)やリコール制度を規定した。 自治体警察を創設するなど警察制度の改革を実施。 労働問題を扱う省庁として新たに労働省を設置。 職業安定法を公布させた。 社会保険制度として、失業保険法と失業手当法を成立させて失業保険を創設した。 国民健康保険法を改正した。 児童福祉法を公布させた。 戸主制度・家督相続など封建的な家族制度の廃止や婚姻の自由、男女平等の相続の創設を目標とした改正民法の制定。 夫婦平等の概念と夫婦共同財産制度の創設、妻の能力権と配偶者として相続する権利、子供全員が均等に相続する制度が新設されて、富裕層の相続税が増税されるなどの相続法改正。 既婚女性に対する姦通罪の廃止・皇室に対する大逆罪及び不敬罪の廃止など刑法の大幅改正。 令状主義、黙秘権を認めるなど刑事訴訟法の改正。 裁判所法を制定して、日本国憲法で定められた最高裁判所や下級裁判所についての組織や権限を明記した。 炭鉱の国有化を目的とする臨時石炭鉱業管理法(通称「炭坑国家管理法」)を制定させた。 優生保護法を成立させて人工妊娠中絶を合法化。 他に生活保護法を成立させて、1950年(昭和25年)に生活保護制度の運用を開始するなどの政策が行われた。 昭和20年代に全国水平社が改組して部落解放同盟となった。日本社会党と協力して部落解放運動を行い、格差改善と集落の改良事業を行った。東宝争議では、社長が2つの赤(赤字と赤旗)の追放を目標とした人員整理を実施したところ、三船敏郎、池部良、久我美子らの映画スターを含む社員が街頭に出て、反対運動を行った。しかし戦後混乱期の頃は、下山事件、三鷹事件、松川事件などの怪事件が次々と起こり、それらが労働運動によって起こされたと宣伝された。独立回復後の1952年(昭和27年)5月1日には血のメーデー事件があった。同時にレッドパージが行われ、小中高および大学の共産主義教員が追放されるに至った。それは、アメリカで吹き荒んだマッカーシー旋風(赤狩り)に似ていた。芦田均が関与して逮捕された昭電疑獄で中道政権は崩壊する。 講和後・高度経済成長期 米国にとって最前線の重要拠点となった日本は、農地改革や労働改革によって戦前に比べて国内市場が広がったこと、有刺鉄線やドラム缶などの補給物資の生産や輸送による特需、そして膨大な駐留米軍の生活消費など需要の増大も少なからず影響したが、奇跡的な速度で経済が復興し、さらに昭和30年代に続く驚異的な高度経済成長(昭和30年代〜昭和40年代の名目経済成長率が世界1位の15.4%だった。昭和30年度の8兆5000億円だったGNP(国民総生産)は昭和45年度には70兆円となり、15年間に8.5倍以上の規模となり世界第2位の経済大国となる)を遂げるに至る。 都市部には高層ビルが立ち並び、鉄筋コンクリートのアパートや郊外の建売住宅に住む人が急増した。日本中から蒸気機関車が消えて、電車やディーゼルカーが走り回るようになった。主要道路はアスファルトで舗装された。新幹線(東海道新幹線)と高速道路(東名高速道路・名神高速道路)が完成した。平田佐矩(四日市市長)や大野伴睦(自民党の国会議員)などによって東海地方と日本海を結ぶ日本横断運河の建設が計画された。ほぼ全ての家庭にテレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫・電話が普及して、自家用車も珍しくなくなった。デパートやホテルに行ったり、特急列車に乗れば冷房の恩恵を受けられるようになった。パンや肉・ケーキといった洋食や洋菓子も普段食べるようになった。平均寿命は世界有数となり、大学進学率も激増した。そのかわり大都市部では人口過密、農村部では過疎という現象が生じて、公害や交通戦争が社会問題となった。 敗戦直後にはインフレーション(戦後インフレ)に見舞われた。傾斜生産方式 を採用して、ドッジ・ライン(安定恐慌)が起こる。朝鮮戦争勃発で朝鮮特需(特需景気)が起こる。1954年(昭和29年)から高度経済成長が開始されて、ガチャマン景気による繊維産業の好景気があり、好景気と不景気を繰り返しながら日本経済は順調に成長した。1955年(昭和30年)に社会党右派と社会党左派にが再統一された日本社会党と自由党・日本民主党が合同した自由民主党が結成されたことで、55年体制が成立した。 戦後経済史の流れ 神武景気。1954年(昭和29年)12月から〜1957年(昭和32年)6月までの好景気を指す。 なべ底不況。1957年(昭和32年)7月から〜1958年(昭和33年)6月までの不況を指す。 岩戸景気。1958年(昭和33年)7月から〜1961年(昭和36年)12月までの好景気を指す。 所得倍増計画。1961年(昭和36年)から〜1971年(昭和46年)までの経済計画を指す。 オリンピック景気。1962年(昭和37年)11月から〜1964年(昭和39年)10月までの好景気を指す。 証券不況(構造不況)。1964年(昭和39年)11月から〜1965年(昭和40年)10月までの不況の時代。 いざなぎ景気。1965年(昭和40年)11月から〜1970年(昭和45年)7月までの好景気を指す。 日本万国博覧会は1970年(昭和45年)の出来事で通称は大阪万博である。 ニクソン・ショック(円切上げ) は1971年(昭和46年)の経済ショックを指す。 日本列島改造論(列島改造景気)によって1972年(昭和47年)に大型公共事業とインフレーション(物価上昇)があった。 家電ブーム 昭和20年代には、以下の家電製品がヒット商品となった。 三種の神器と呼ばれ、一般家庭の主婦たちの憧れの的となった。 白黒テレビ 電気洗濯機 電気冷蔵庫(他に炊飯器・掃除機) 高度経済成長期には新三種の神器として以下の家電が3Cと呼ばれて憧れのヒット商品となった。 カラーテレビ。 クーラー 自動車(カー) 三種の神器以外に都市部を中心に普及した家電は以下である。 レコードプレイヤー 電気炊飯器 トースター 電気コタツ 昭和元禄文化 昭和元禄 と呼ばれ、週刊誌や月刊誌の創刊が目立った。手塚治虫・石ノ森章太郎・藤子不二雄・長谷川町子・水木しげる・赤塚不二夫などの漫画を原作としたアニメなどの作品 や黒澤明・円谷英二が映画監督となった邦画などの昭和文化や大衆文化が生まれた。流行歌が普及して美空ひばり・藤山一郎などの歌手や石原裕次郎 や渥美清などの俳優がスターとなり芸能界で活躍した。漫画・映画と並んでテレビ放送も普及した。昭和40年代はプロ野球のV9時代であり、大相撲は昭和30年代から昭和50年代にかけて、力道山がプロレスで活躍するなど格闘技人気があった。「巨人・大鵬・卵焼き」などの流行語が 誕生した。東海道新幹線開業(1964年〔昭和39年〕)名神高速道路開通(1963年〔昭和38年〕)東京オリンピックの開催(1964年〔昭和39年〕)日本万国博覧会(1970年〔昭和45年〕の大阪万博)の成功によって最高潮を迎えたが、中東戦争がもたらしたオイルショックによって成長が終わる。 防衛問題 この奇蹟の復興は、アメリカの戦略上の必要から国内治安と国土防衛のために微小な規模で警察予備隊(後に自衛隊)を保持したとはいえ、憲法では戦力の保持を禁じていたことにより、完全に国防費負担から解放されているというに等しい財政上の僥倖が大きく寄与している。その反面、日米安保条約と日米地位協定によってアメリカ軍が日本各地に残されており、駐留国負担(後の思いやり予算)の出費も大きく、アメリカ軍犯罪時の裁判や事故などを巡ってトラブルも絶えず生じた。特に沖縄県ではこうした問題がしばしば起こった。また、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則が国是とされた一方で、日本政府とアメリカ政府との間で、有事における日本国内への核持ち込みを黙認する密約が結ばれたことも、明らかにされつつある。 食事 若者の農家離れによって、農民(特に青壮年の男性)が農家から会社員になるようになり、「母ちゃん、爺ちゃん、婆ちゃん」のいわゆる「三ちゃん農業」が急増して、機械化が進んで専業農家より兼業農家の方が多くなった。学校給食がパン食になって育った戦後世代の主食が米からパンとなり、米余りになると減反政策を行い、転作によって小麦の輸入が増加し、その結果日本の食料自給率が低下した。戦後期は捕鯨が盛んで鯨肉が主流の肉食であったが、昭和50年代以降、IWC(国際捕鯨委員会)で商業捕鯨が禁止されたことによって牛肉・豚肉・鶏肉が主流の肉食となった。高度経済成長期に調理の熱源が薪や炭から電気・ガスに変わった。昭和30年に東京芝浦電気が電気炊飯器を発売したことが発端となり、竈などを使用する炊飯方法から炊飯器を使用したものに変化した(当時は電気炊飯器とガス炊飯器がほぼ互角だった)。炊飯の調理から副食中心の料理に主婦の仕事が変化した。ガスコンロの普及で洋食や中華料理の調理が容易となった。昭和40年代の冷蔵庫の普及で生鮮食品が登場した。昭和35年ごろから米の消費量が減少してパン・麺類・肉・乳製品・魚介類・野菜の消費量が増加した。昭和42年から米余りになり昭和45年から米の生産調整が実施された、昭和40年頃に日清食品のインスタントラーメンなどインスタント食品が多数開発された。昭和43年には初のレトルト食品、昭和46年にはカップ麺が開発された。昭和45年以降ファーストフード店やファミリーレストランやコンビニエンスストアが普及した。ラーメンやコーヒーやコロッケやハンバーグが国民食となった。 住宅医療などの生活問題 戦後の住宅事情は、戦災による住宅焼失と復員や引揚げによる人口増加で住宅が不足する住宅難となっていた。1950年(昭和25年)には、持ち家建設を支援するために住宅金融公庫が創設された。1951年(昭和26年)には田中角栄を中心とする議員立法で地方自治体が住宅を建設する公営住宅法が成立した。1955年(昭和30年)には、第2次鳩山一郎内閣によって日本住宅公団が創設された。昭和31年から昭和33年頃にかけてアジア風邪が流行したが厚生省が創設された影響で国民の医療条件が改善された。戦後期に死亡要因1位が結核から癌になり、日本は1年間の死亡者が急減する少死社会になった。高度経済成長期には、昭和一桁世代の夫婦2人と新人類世代の子供2人の合計4人の家が平均家族モデルとなった。ダイニングキッチンと和室2つと水洗トイレが完備された団地で洋風生活をする団地族が出現した。都市部では銭湯が多かったが下町の銭湯が減少した。 女性史 1948年(昭和23年)に優生保護法が成立して人工妊娠中絶が合法化された。民法が改正されて遺産相続が男女平等となった。参政権を獲得した女性が、更なる地位向上を目指して女性解放運動が活発化した。1970年(昭和45年)にウーマンリブ運動が開始されたことに続いて、1975年(昭和50年)が国際婦人年とされて女性の地位向上が人類的な課題となった。1956年(昭和31年)に売春防止法が成立、1958年(昭和33年)4月1日にはが施行され公娼制度が完全に廃止、赤線が消滅した。1947年(昭和22年)10月26日の刑法の改正で姦通罪が廃止された。1947年(昭和22年)には民法の大幅な改正で家制度が廃止された。昭和20年代に主流だった産婆の補助による出産から、昭和30年代には産婦人科での出産が増加した。 ファッション面では、パンティーやブラジャーなどの洋風下着類やナプキンやタンポンなどの生理用品が普及した。昭和30年代にアッパッパと呼ばれる筒型のワンピースが普及した。昭和40年代には団塊の世代の女性を中心にミニスカートブームがあり、スカートや着物以外に女性がズボンを着用することが公認された。女性が肌を露出する水着の着用が認知されて、若い女性の間で水着が普及した。髪型ではショートカットが社会的に認知されて、化粧品や美容院・美容整形などの女性ビジネスが普及した。 生活面では、昭和30年代にミシンが普及して経済面では個人店や百貨店主流のショッピングから主婦が買い物しやすいスーパーマーケットが普及した。男女平等や高学歴化が進んでいなかった戦後世代の昭和一桁世代からしらけ世代の女性は、夫がサラリーマンで子供が平均2人の家族が平均的なモデル家庭とされた。戦後世代の女性は専業主婦が主流だった。高等教育を受ける女性が急増した新人類世代以降の20代の高学歴女性ではOLが増加するなどの変化があった。 金の卵の時代 急速な高度経済成長に合わせて高齢化の進行と乳児死亡率など病死の減少が進み、都市の人口の急増が進んで日本の人口はさらに増加した。戦後すぐの第1次ベビーブームを経て、昭和40年代には日本の総人口がついに1億人を超えた。ベビーブームで生まれた世代は団塊の世代と呼ばれ、戦争を知らず、その膨大な世代人口の中で勝ち残るための競争に身を捧げることになり、自己主張はどの世代よりも激しくなった。地方出身者は口減らしのために都市部へ集団で送り込まれ(集団就職)、彼らは「金の卵」と呼ばれ、集団就職列車も運行された。都市部の中小企業に就職したかれらの豊富な労働力が日本経済を支えた。 左翼運動 一方、都市出身者や金銭的に余裕のある者は高校と大学へ進学して、高等教育の大衆化が進んだ。「60年安保」では国会議事堂にデモ隊が集結し岸内閣退陣運動があった。1960年代(昭和35年)頃に浅沼稲次郎暗殺事件など暴力事件による右翼テロが相次いだ。1970年(昭和45年)の70年安保闘争をピークとする左翼運動の高潮があり、欧米のベトナム戦争反対闘争や五月革命などと期を一にしていた。全共闘世代と言われる若者たちの一部は、「既成左翼」(日本共産党および日本社会党)の平和革命路線に反発した新左翼運動に身を投じ、機動隊や日本共産党系、右翼系の若者と衝突を繰り返した。日本の学生運動の挫折を経て、新左翼運動は孤立化し、日本赤軍・連合赤軍・よど号グループなどは過激化して内ゲバや一般市民を巻き込む日本赤軍事件・あさま山荘事件・成田空港管制塔占拠事件・連続企業爆破事件・よど号ハイジャック事件などのテロ活動へと追い込まれていった。彼らの起こした数々の事件は、それまで比較的同情的な面もあった世論の反発を引き起こした。若者たちの多くも東大紛争が失敗に終わると過激化した学生運動から距離を置くようになり、都市部の市民の多くは支持政党を持たない無党派層となった。 社会問題(公害・福祉・交通戦争) 昭和30年代には、国民皆保険体制が整備されて、高度経済成長の弊害として、4つの公害裁判となった公害病を指す『四大公害病』と言う言葉が誕生した。 昭和30年代から50年頃にかけて三重県四日市市で発生した四日市ぜんそく(別名は塩浜ぜんそく・四日市公害)・神奈川県川崎市で発生した川崎公害(主な公害病名は川崎ぜんそく)など工業地帯や都市部での大気汚染が深刻化した。熊本県水俣市で発生した水俣病(別名は熊本水俣病)・新潟県阿賀野川流域で発生した新潟水俣病(別名は第二水俣病・阿賀野川水銀中毒)などの水銀中毒が発生し、また、富山県神通川流域で発生したイタイイタイ病も問題化した。深刻な公害に対応するために公害対策基本法が成立した。鉄道中心の交通から自動車中心の社会となり日本国有鉄道はローカル線を中心に赤字経営となった。昭和30年代から昭和40年代にかけて鉄道の電化工事が行われて、蒸気機関車が全廃された。モータリゼーションにより交通事故による死者が激増して、交通戦争と 言われるようになった。こうした時代状況で野党は、日本社会党や日本共産党が社会主義革命を唱える労働者政党から都会住民を支持基盤とする革新政党に変化して、中道政治を唱える民社党や創価学会を支持基盤とする公明党は都市部で支持者を増やして、労働者の地位向上や公害対策や高齢者などの福祉政策に積極的に取り組んだ。野党は昭和40年代に主婦層や商工業者、サラリーマンなどの都市住民に支持を広げた。大企業優先の成長路線だった自由民主党も、佐藤栄作首相の強力なイニシアチブの下、1971年(昭和46年)に環境庁を新設した。 日本復帰 臨時北部南西諸島政庁が設置されていた南西諸島地域は、1952年(昭和27年)2月10日にトカラ列島が、奄美群島が1953年(昭和28年)に12月25日アメリカから日本に返還された。1968年(昭和43年)6月28日に南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定により小笠原諸島が返還された。1972年(昭和47年)5月15日に、琉球政府が設置されていた沖縄県が日本に復帰した。県民の祖国復帰運動が実った結果だが、沖縄のアメリカ軍基地がそのまま残されたことは後に禍根を残した。 エネルギー問題 高度経済成長の進展とともに燃料が石炭から石油へ転換するエネルギー革命が開始されて、これまで有力産業の一つであった炭鉱業界の合理化が迫られて1959年(昭和34年)〜1960年(昭和35年)に三井三池争議があった。1973年(昭和48年)の第一次オイルショック(石油危機)に伴い、狂乱物価抑制のための総需要抑制策が執行されて、高度経済成長は終焉することとなった。田中角栄内閣は石油や天然ガスなど海外からの資源に依存する火力発電から脱却して原子力発電を推進するために、電源開発促進税法・特別会計に関する法律・発電用施設周辺地域整備法の電源三法を成立させた。 安定成長期とその後のバブル景気 高度経済成長により日本は、過剰人口問題を解決して国民の生活は有史以来初めてといえる豊かさになった。2度のオイルショック後の急激なインフレーション(狂乱物価)と不況は短期間で終わり、素材産業など一部の重厚長大産業は没落したが、省エネルギー化を推進して、ハイテク産業・サービス業が成長して、安定成長へと順調に移行することができた。欧米諸国がスタグフレーションに苦しむ中、自動車や電化製品の生産を激増させ、集中豪雨的な海外輸出の拡大によって貿易黒字は増大の一途を辿り、ついに日本の経済は昭和40年代にソ連・西ドイツを抜き世界第2位の経済大国となった。1980年(昭和55年)には、戦後わずか30数年にしてGNPレベルではアメリカ合衆国の経済に次ぐ規模を持うようになり、国民の生活レベルは一億総中流と呼ばれた。この間、コンビニ・ウォークマン・カラオケが普及して、日米貿易摩擦が問題となった。日本の人口の増加は戦後急速に進んでいたが、団塊の世代(特に女性)の結婚が増加した影響で(昭和46年度〜昭和49年度)に第2次ベビーブームが発生したのが日本の人口構造の転換点となった。出生数が一時的に増加した直後の1975年(昭和50年)以降はしらけ世代の女性の未婚率の上昇で出生率が2人を下回った。昭和50年代から日本国は少子高齢化社会へと移行していく。 公共事業によるケインズ政策の実施 都市部の人口流入と農村部の人口減少が続き過疎と過密が社会問題となった。昭和40年代には、大都市部を中心に革新勢力が台頭して、社会党と共産党の革新統一のための協定が結ばれ、東京都の美濃部亮吉を初めとして、京都府・大阪府・神奈川県などの主要地方自治体で続々革新自治体が生まれた。中でも京都府では、蜷川虎三が7期28年にわたり知事を務めた。こうした中、保守勢力(自由民主党)は三大都市圏や太平洋ベルトの工業地域で深刻化した過密と農村部で深刻化した過疎の人口問題や地域格差の解決と、革新勢力への対抗のため、都市部のインフラ整備を急ぐとともに、農村部にも道路や圃場整備などの公共事業投資を増加させ、農村部の保守層からの支持を取り付ける利益誘導政策を行った。社会保障面でも、1961年(昭和36年)に国民皆保険が実現して、1973年(昭和48年)には老人医療自己負担無料化が実現して、本格的な福祉国家実現への機運が高まった。こうしてGDPの約1割を占めるほどに膨れ上がった公共事業投資と高齢化に伴い増加した社会保障投資は、財政悪化の主な要因となった。 派閥政治と保革の対立 1972年(昭和47年)には、日本列島改造論を唱えた田中角栄内閣が成立した。ロッキード事件を経て、三角大福中の自由民主党の派閥争い の時代となった。保革伯仲国会で中道政党(公明党・民社党)と革新政党(日本社会党・日本共産党)が勢力を伸ばす中、田中角栄が闇将軍として君臨した。1976年(昭和51年)以降は自由民主党出身の政治改革派が分離した新自由クラブや日本社会党から構造改革派が分離した社会民主連合などの議員数が少数の新党が結成された。昭和30年代の自由民主党と日本社会党の保守・革新の二大政党制の時代から、昭和40年代から昭和50年代にかけて中道政党や都市型新党が勢力を伸ばして多党化が進んだ。1980年(昭和55年)のハプニング解散による衆参同日選挙で自由民主党が大勝して社共共闘が消滅したこともあり、保守勢力の巻き返しが顕著となる。昭和50年代になり政治的な思想面では靖国神社問題や歴史教科書問題で右翼と左翼の対立が激化して、赤報隊事件などの右翼によるテロ事件が起きた。昭和22年の時点で元号が法制度上廃止されていたが昭和元号の使用普及率は高い状態だった。1947年から1979年までの期間は昭和が慣習として広く国民全体に普及していただけで法制上の根拠が不明確な状態だったので、左翼の間で元号廃止の動きがあった。元号に法的根拠を与えるために1979年(昭和54年)6月6日に大平内閣が元号法を成立させて、改元の法的準備ができた。元号法は同6月12日に公布、即日施行された。 芸能史 芸能界のニュースが注目されて、昭和50年代に森昌子・桜田淳子・山口百恵の花の中三トリオやキャンディーズ・ピンクレディー・松田聖子などの芸能人が国民の間で話題となった。バブル景気が始まった昭和60年代にはおにゃん子クラブなどのアイドルブームがあった。 教育問題 教育面では、受験競争・偏差値教育・学歴社会・管理教育が進行して、1986年(昭和61年)の中野富士見中学いじめ自殺事件で注目されたいじめによる自殺問題・少年犯罪・非行などの教育問題がマスコミから非難された。経済界の要望で高専設置の教育改革と、詰め込み教育から個性重視教育への転換とゆとり教育の必要性が盛んに唱えられた。任天堂のテレビゲーム機「ファミリーコンピュータ」などのゲームが誕生した。 新自由主義への移行とバブル時代 鈴木内閣から中曽根内閣時代に行政改革が叫ばれて臨調が設置された。中曽根内閣の行革路線を皮切りに、老人医療の無料化制度を廃止するなどの福祉の縮小が行われた。三公社民営化(日本専売公社 → 日本たばこ産業 。日本国有鉄道 → 日本国有鉄道清算事業団とJRグループ。日本電信電話公社 → NTTグループ)と消費税導入計画が構想されて、野党の猛反対があったが、1988年(昭和63年)に消費税法案が可決した。福祉国家路線は見直されて新自由主義路線へと舵が切られた。イギリスのサッチャリズム、アメリカのレーガノミクス、東側諸国のペレストロイカや改革開放政策、そしてアジアNIEs諸国の躍進などの世界経済の大転換期の中で、日本の経済はプラザ合意を発端とする円高の進行で日本銀行による円高不況対策が行われて内需拡大が続くバブル景気に突入した。1986年(昭和61年)に男女雇用機会均等法が執行されて、昭和60年代に女性の社会進出が進んだ。学生は就職売り手市場でありバブル世代と呼ばれた。好景気の中、昭和の時代は平成へと移り変わり、冷戦の終結を迎える。 戦後体制 戦後、日本は国際的には終始アメリカを筆頭とする西側諸国(自由主義陣営)に属し、日米安全保障条約に基づく同盟国としてソ連を筆頭とする東側諸国(社会主義陣営)に対抗して、冷戦期を乗り切ることができた。政治体制・外交関係・経済構造・家族制度が太平洋戦争が終結を境に大きく変化し、歴史学的には戦前は近代に、戦後は現代に属するとされる。戦前の国家体制は大日本帝国憲法下であり天皇主権体制の時代だった。戦後は日本国憲法と冷戦下にあって、国民主権体制と日米安保条約体制の時代となった。1956年(昭和31年)に経済企画庁の『経済白書』が「もはや戦後ではない」と述べて、流行語となった。ただし、文化的・経済的には戦前と戦後の連続性も少なからずあり、むしろ戦時体制の時期と高度経済成長期による変化も大きい。高度経済成長に伴い多くの伝統的な日本文化が変容を余儀なくされた。昭和後期にはハイカルチャーの教養主義的権威も緩やかに解体に向かい、商業的な昭和文化や大衆文化が隆盛を極める。 略年表 昭和初期から終戦まで 1926年(大正15年/昭和元年) 12月25日に大正天皇が崩御したことを受けて、裕仁親王が践祚、12月25日から昭和と改元。 1927年(昭和2年) 昭和金融恐慌勃発。南京事件。第1次若槻内閣総辞職。田中義一内閣(政友会内閣)成立。緊急勅令で金銭債務の支払延期等公布施行(モラトリアム)。金融恐慌対策のため第53回臨時議会招集。山東出兵#第一次出兵。東方会議。岩波文庫刊行開始。12月30日、上野・浅草間に日本最初の地下鉄が開通。 1928年(昭和3年) 最初の男子普通選挙(第16回衆議院議員総選挙)が実施される。三・一五事件:1道3府27県に共産党・労農党・評議会・無産青年同盟の関係者など千数百名を治安維持法違反容疑で検挙する。第55回帝国特別議会にて治安維持法の改正案を提出して審議未了となる。閣議で第2次山東出兵を決定。済南事件。張作霖爆殺事件・満州某重大事件。緊急勅令で治安維持法改正公布施行(死刑罪・目的遂行罪追加)。アムステルダムオリンピックで織田幹雄(三段跳び)・鶴田義行(水泳200メートル平泳ぎ)が日本選手初めての金メダル、女子では人見絹枝が800メートルで銀メダルを獲得し女子初のメダリストとなる。昭和天皇即位の礼。 1929年(昭和4年) 世界恐慌の発生。田中義一内閣総辞職、浜口雄幸内閣(民政党内閣)成立。 1930年(昭和5年) 昭和恐慌。金輸出解禁。ロンドン海軍軍縮会議開催。第17回衆議院議員総選挙。婦人に公民権を認める市制・町村制改正案、衆議院で可決、貴族院で審議未了。10月、霧社事件。11月、濱口首相遭難事件。 1931年(昭和6年) 中村大尉事件。柳条湖事件、満州事変勃発。金輸出再禁止。三月事件。十月事件。第2次若槻内閣成立。犬養内閣成立。 1932年(昭和7年) 血盟団事件。第18回衆議院議員総選挙。リットン調査団来日。3月1日、満州国建国宣言。五・一五事件。犬養内閣総辞職。齋藤内閣成立。日満議定書締結、満洲国承認。第一次上海事変。 1933年(昭和8年) ヨーヨーが流行。東京音頭がヒット。昭和三陸地震発生。12月23日に継宮明仁親王(生まれながらの皇太子となり、後に第125代天皇)が誕生した。3月国際連盟脱退。5月滝川事件、塘沽停戦協定(柳条湖事件に始まる満州事変の軍事的衝突停止)。7月神兵隊事件。 1934年(昭和9年) 室戸台風襲来。ベーブ・ルースら米大リーグ選抜チームが来日。陸軍士官学校事件。帝人事件、斎藤内閣総辞職。7月岡田内閣成立。 1935年(昭和10年) 天皇機関説事件。相沢事件。 1936年(昭和11年) 1月15日、日本全権、ロンドン軍縮会議からの脱退を通告。第19回衆議院議員総選挙。二・二六事件。岡田啓介内閣総辞職。広田弘毅に組閣命令下る。軍部大臣現役武官制が復活。日独防共協定締結。綏遠事件。西安事件。 1937年(昭和12年) 広田内閣閣内不統一のため総辞職。林銑十郎内閣成立。第20回衆議院議員総選挙。林内閣総辞職。第1次近衛内閣成立。7月7日、盧溝橋事件、日中戦争(支那事変)勃発。7月11日、現地停戦協定成立。政府河北派兵を声明。7月28日、日本軍、河北で総攻撃開始。8月13日、上海で日中両軍交戦(第二次上海事変)。8月15日、全面戦争に突入。9月「挙国一致・尽人報國・堅忍持久・八紘一宇」をスローガンに国民の戦争協力を促す国民精神総動員運動が始まる。10月6日、国際連盟総会、日本の行動非難の決定を採決。11月20日、大本営設置。11月日独伊防共協定締結。政府、朝鮮で皇国臣民ノ誓詞を配布する。内閣情報部が国民歌募集、「愛国行進曲」演奏発表会、レコード100万枚売れる。白白教事件。日本無産党が治安維持法により結社禁止(第一次人民戦線事件)。12月13日、日本軍が南京を占領。南京事件。 1938年(昭和13年) 近衛声明。4月国家総動員法制定。徐州会戦。7月、満州国東南端で張鼓峰事件勃発。1940年東京オリンピックの中止決定。8月武漢作戦。 1939年(昭和14年) 1月平沼内閣成立。重慶爆撃。5月ソ連・モンゴル連合軍と満蒙国境付近で軍事衝突、日本側大敗(ノモンハン事件)。7月国民徴用令制定。8月独ソ不可侵条約制定によって広田内閣以来の親独政策の根拠を失い、平沼は「欧州情勢は複雑怪奇」という言葉を残して総辞職。9月1日、ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦始まる。阿部内閣成立。賃金統制令・価格等統制令(九・一八停止令)公布。 1940年(昭和15年) 米内内閣成立。紀元2600年記念祝典。3月汪兆銘政権成立(11月日華基本条約で政権を承認)。7月第二次近衛内閣成立。9月日独伊三国軍事同盟締結、北部仏印進駐。10月大政翼賛会結成。11月大日本産業報国会結成。 1941年(昭和16年) ゾルゲ事件。4月日ソ中立条約締結、日米交渉開始。7月、第三次近衛内閣成立、南部仏印進駐。ABCD包囲網によって対日石油輸出全面禁止。御前会議で帝国国策遂行要領決定。10月東條内閣成立。ハル・ノートが提示される。12月8日、南方作戦(マレー作戦・真珠湾攻撃)、太平洋戦争開戦。マレー沖海戦。戦艦大和竣工。言論出版集会結社等臨時取締法公布、施行。 1942年(昭和17年) シンガポールの戦い、フィリピンの戦い。4月18日、ドーリットル空襲で米陸軍機が東京府東京市、神奈川県川崎市、横須賀市、愛知県名古屋市、三重県四日市市、兵庫県神戸市を初空襲する。第21回衆議院議員総選挙。6月4日、ミッドウェー海戦。関門鉄道トンネル開業。戦艦武蔵竣工。ガダルカナル島の戦い。 1943年(昭和18年) 山本五十六戦死(海軍甲事件)。東京市と東京府が廃止、東京都が設置。日本軍ガダルカナル島撤退。アッツ島の戦い。ソロモン諸島の戦い。学徒出陣。 1944年(昭和19年) 大陸打通作戦、インパール作戦、マリアナ沖海戦、グアムの戦い、レイテ島の戦い、フィリピンの戦い (1944-1945年)。サイパン島陥落。小磯内閣成立。対馬丸事件。学童疎開。昭和東南海地震。B-29による東京への空襲が始まる。 1945年(昭和20年) ヤルタ会談。硫黄島の戦い、占守島の戦い。地方総監府を設置して本土決戦に備える。終戦まで各地で大規模な空襲が行われる。 3月9日-10日 東京大空襲 3月 名古屋大空襲、大阪大空襲、神戸大空襲 4月1日 米軍が沖縄本島に上陸して地上戦となる(沖縄戦)。 4月7日 鈴木貫太郎内閣成立。 5月 横浜大空襲 6月 静岡大空襲 6月23日 沖縄で日本軍の組織的戦闘が終わる(慰霊の日)。 7月 北海道空襲 8月 富山大空襲 8月6日 広島市への原子爆弾投下 8月8日 ソ連が日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告。千島列島・樺太に侵攻。 8月9日 長崎市への原子爆弾投下 8月10日 ポツダム宣言受諾の決定 8月14日 ポツダム宣言受諾 8月15日 宮城事件。玉音放送により国民に終戦が告げられる(終戦の日)。 9月2日 降伏文書調印 9月17日被爆地の広島市などを中心に枕崎台風襲来 昭和中期(終戦後と高度経済成長期まで)の年表 1946年(昭和21年) 1月1日に天皇が人間宣言。通化事件。食糧メーデー。11月3日、日本国憲法公布。農地改革。公職追放。12月21日、昭和南海地震。 1947年(昭和22年) 二・一ゼネスト(中止)。5月3日、日本国憲法施行。皇室典範及び皇室経済法施行、旧皇族の11宮家51人が皇籍離脱。地方自治法成立。伊豆諸島が本土復帰。 1948年(昭和23年) 昭和電工事件。朝鮮の済州島で大量虐殺(済州島四・三事件)、島民が日本に多数流入。阪神教育事件。福井地震発生。帝銀事件。巣鴨拘置所で東条英機、広田弘毅ら7名の死刑執行。 1949年(昭和24年) ドッジ・ライン実施。下山事件。三鷹事件。松川事件が相次いで発生。 韓国から対馬返還要求。湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受賞。 1950年(昭和25年) 朝鮮戦争勃発。海上保安庁掃海部隊を朝鮮半島近海に派遣する。日本は朝鮮特需により経済復興が加速。警察予備隊(現・陸上自衛隊)発足。 1951年(昭和26年) サンフランシスコ講和条約、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約調印。ラジオの民間放送が開始。 1952年(昭和27年) トカラ列島が本土復帰。日米行政協定が締結される。李承晩ラインが引かれる。主権回復。インドと平和回復(後にインドネシア・ビルマも平和条約締結)。 1953年(昭和28年) テレビ本放送開始。奄美群島が本土復帰。韓国に竹島が占拠される。 1954年(昭和29年) 1月2日二重橋事件。3月1日にビキニ環礁で水爆実験が行われ、第五福竜丸の乗組員が被曝。洞爺丸事故。 1955年(昭和30年) 自由党と日本民主党が合同して自由民主党、右派と左派が合併した日本社会党の成立(55年体制、保守合同・社会党再統一)。神武景気。原子力基本法成立。紫雲丸事故。トヨタ・クラウン発売開始。 1956年(昭和31年) 原子力委員会設置。日本原子力研究所設置。ソビエト連邦と国交回復、日ソ共同宣言。国際連合加入。 1957年(昭和32年) なべ底不況。科学技術庁設置。五千円紙幣#C号券発行。 1958年(昭和33年) 岩戸景気。東京タワーが竣工。長嶋茂雄が読売巨人軍へ入団。一万円紙幣#C号券発行。南海丸遭難事故。チキンラーメン発売開始。スバル・360発売。 1959年(昭和34年) 4月10日に皇太子明仁親王(後の第125代天皇)が正田美智子と結婚(ミッチー・ブーム)。王貞治が読売巨人軍に入団。伊勢湾台風発生。新潟日赤センター爆破未遂事件。 1960年(昭和35年) 2月23日に浩宮徳仁親王(後の天皇)誕生。6月19日に(新)日米安全保障条約改定発効。安保闘争起こる。浅沼稲次郎暗殺事件。 1961年(昭和36年) 農業基本法制定。嶋中事件。 1962年(昭和37年) オリンピック景気。三河島事故。 1963年(昭和38年) 日本初の原子力発電所、東海発電所稼働。日本初の30分テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』の放映開始。 1964年(昭和39年) 名神高速道路・首都高速道路、東海道新幹線開通。10月10日-10月24日、東京オリンピック開催。 1965年(昭和40年) 日韓基本条約調印。証券不況(構造不況)。 1966年(昭和41年) 日本の総人口が1億人を突破。いざなぎ景気。ビートルズ来日。三里塚闘争開始。 1967年(昭和42年) 初の建国記念日の適用。公害対策基本法公布。四日市ぜんそく裁判が提訴される。 1968年(昭和43年) 小笠原諸島が本土復帰。三億円事件。東大紛争や日大紛争などの全共闘運動が激化。漫画『ゴルゴ13』の連載開始。 1969年(昭和44年) テレビアニメ『サザエさん』の放映開始。東名高速道路全線開通。 1970年(昭和45年) 3月14日-9月13日に日本万国博覧会(大阪万博)開催。よど号ハイジャック事件。三島事件。 昭和後期(ポスト高度経済成長期からバブルまで)の年表 1971年(昭和46年) 7月1日に環境庁設置。ニクソン・ショック。カップヌードル発売。 1972年(昭和47年) 札幌オリンピック開催。あさま山荘事件。山陽新幹線の新大阪駅-岡山駅間が開通。テルアビブ空港乱射事件。千日デパート火災。沖縄返還。日本列島改造論。日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(日中共同声明、台湾断交)。 1973年(昭和48年) 中東戦争による第一次オイルショック。金大中事件。大洋デパート火災。 1974年(昭和49年) 連続企業爆破事件。田中金脈問題。セブン-イレブン日本第1号店開店。 1975年(昭和50年) 3月10日に山陽新幹線の岡山駅-博多駅間が開通。沖縄国際海洋博覧会開催。 1976年(昭和51年) ロッキード事件。王貞治がベーブ・ルースの本塁打記録を抜く。 1977年(昭和52年) 北朝鮮による日本人拉致問題が盛んになる。王貞治#本塁打:ハンク・アーロンの本塁打記録を抜き世界一となる。ダッカ日航機ハイジャック事件。 1978年(昭和53年) 日中平和友好条約調印。新東京国際空港(現・成田国際空港)開港。第一回隅田川花火大会。 1979年(昭和54年) イランイスラム革命による第二次オイルショック。テレビアニメ『ドラえもん』(第2期)の放送開始。東京サミット。インベーダーゲームが流行。日本坂トンネル火災事故。元号法成立。 1980年(昭和55年) ハプニング解散。大平正芳が急死。原宿で竹の子族が出現。新宿西口バス放火事件。 1981年(昭和56年) 中国残留孤児が初来日する。建築基準法の施行令改正(新しい耐震基準)。神戸ポートアイランド博覧会。 1982年(昭和57年) ホテルニュージャパン火災。東北新幹線(大宮駅-盛岡駅間)、上越新幹線(大宮駅-新潟駅間)開通。3月18日に川崎公害裁判が開始。 1983年(昭和58年) 東京ディズニーランド開園。日本海中部地震発生。おしんブーム。 1984年(昭和59年) グリコ・森永事件。高円宮家創設。 1985年(昭和60年) 東北新幹線と上越新幹線・大宮駅-上野駅間が開通。4月1日、日本電信電話公社・日本専売公社が民営化されて、日本電信電話(NTT)・日本たばこ産業(JT)が発足。つくば科学博開催。8月12日日本航空123便墜落事故。G5でプラザ合意(昭和60年の円高不況)。 1986年(昭和61年) 男女雇用機会均等法執行。東京サミット開催。日本社会党の土井たか子が議会政党としては日本初の女性党首に就任。三原山噴火。 1987年(昭和62年) バブル景気(平成景気)が本格化。国鉄分割民営化でJRグループが発足される。 1988年(昭和63年) 青函トンネル、瀬戸大橋が開業。リクルート事件が問題化。テレビアニメ『それいけ!アンパンマン』の放映開始。 1989年(昭和64年/平成元年) 女子高生コンクリート殺人事件(発覚は1989年 (平成元年)3月)。1月7日に昭和天皇が崩御し、皇太子明仁親王の第125代天皇即位に伴い、翌8日に平成と改元される。 西暦との対照表 元年と最終年の期間 昭和元年(1926年): 12月25日〜12月31日〈7日間〉 昭和64年(1989年): 1月1日〜1月7日〈7日間〉 現代における昭和 国民の祝日に関する法律が一部改正され、2007年(平成19年)から毎年4月29日は、昭和の日に変更された。祝日法には「昭和の日-激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」と定められている。 「昭和ノスタルジー」、あるいは「昭和レトロ」という風潮が存在し、戦前期(昭和一桁・昭和10年代)のアール・デコ建築や、高度経済成長期(昭和30年代から昭和40年代)の古い町並みを活かして観光地化を進めている町もある。だがその一方で、ただの懐古主義に浸っているだけという批判もある。また、平成末期以降は「古臭い」「時代遅れ」「前世紀の遺物」というネガティブな意味合いを込めた代名詞として「昭和」という言葉が使われるケースも出現している。 昭和生まれの総人口は1984年(昭和59年)に1億人を突破して、その後も1億人以上を維持していたが、昭和生まれが高齢化したことによって死亡が増加した影響で、2007年(平成19年)に昭和生まれの日本の総人口が1億人割れをして、全人口比では78.2%(9997万人)となり、平成生まれが、全人口比で16.3%(2081万人)となり、平成生まれの人口が2000万人を突破した。 昭和生まれは、以下の世代に区分されている。 昭和一桁世代(1926年(昭和元年)生まれ〜1934年(昭和9年)生まれ) 焼け跡世代(1935年(昭和10年)生まれ〜1946年(昭和21年)生まれ) 全共闘世代(1940年(昭和15年)生まれ〜1949年(昭和24年)生まれ) 団塊の世代(1947年(昭和22年)生まれ〜1949年(昭和24年)生まれ) しらけ世代(1950年(昭和25年)生まれ〜1964年(昭和39年)生まれ) 新人類世代(1955年(昭和30年)生まれ〜1964年(昭和39年)生まれ) バブル世代(1965年(昭和40年)生まれ〜1969年(昭和44年)生まれ) 氷河期世代(1970年(昭和45年)生まれ〜1982年(昭和57年)生まれ) 団塊ジュニア世代(1971年(昭和46年)生まれ〜1974年(昭和49年)生まれ) ポスト団塊ジュニア世代(1975年(昭和50年)生まれ〜1984年(昭和59年)生まれ) ミニマムライフ世代(1982年(昭和57年)〜1986年(昭和61年)生まれ) ゆとり世代(1987年(昭和62年)生まれ〜2003年(平成15年)生まれ) さとり世代(1989年(昭和64年)生まれ〜1997年(平成9年)生まれ) など複数の世代で構成されている。 平成時代の流行語として、昭和専と呼ばれる昭和生まれ(主に団塊ジュニア世代の男性から昭和60年代生まれの男性)の年上の男性を好んでいる平成生まれの若い女性を指す言葉が誕生した。 平成末期から令和初期にかけて日本における国会議員は全員昭和生まれであった。地方議員は京都党の女性議員(1990年2月11日生まれ)など2015年(平成27年)の第18回統一地方選挙で平成生まれの地方議員が14人誕生した。 昭和を冠するもの 企業・団体 昭和電力 - 昭和と改元された2日後(1926年(昭和元年)12月27日)発足。 昭和産業 昭和電工 昭和電線ホールディングス 昭和飛行機工業 ショーワ 昭和シェル石油 - 現在の出光興産の前身の一つ。 昭和プロダクション - 大阪市を本拠とする芸能事務所。 昭和自動車 - 佐賀県唐津市に本社を置く路線バス事業者。 昭和リース ショウワノート 昭和信用金庫 昭和被服総業 - 岡山市東区西大寺にある老舗アパレルメーカー。 昭和食堂 - なつかし処をモチーフとする東海地方を中心に愛知県名古屋市を拠点する居酒屋チェーン。 昭和アルミニウム 新昭和 大昭和製紙 - 現在の日本製紙の前身の一つ。 昭和無線工業 - SMKの旧社名。 教育・学校 昭和高等学校(公立) - 東京都立と愛知県立がある 昭和鉄道高等学校 昭和第一高等学校 昭和第一学園高等学校 昭和大学 - 2005年まで昭和大学医療短期大学を併設 昭和音楽大学 - 昭和音楽大学短期大学部を併設 昭和女子大学 - 昭和女子大学附属昭和中学校・高等学校、昭和女子大学短期大学部(2014年まで)を併設 昭和薬科大学 - 同一学校法人運営で昭和薬科大学附属高等学校・中学校がある 昭和学院短期大学 - 同一学校法人運営で昭和学院中学校・高等学校、昭和学院秀英中学校・高等学校がある 昭和中学校 - 全国各地にある 昭和小学校 - 全国各地にある 昭和幼稚園 - 全国各地にある 地名 昭和基地 愛知県名古屋市昭和区 北海道函館市昭和、昭和町 広島県呉市昭和町 山梨県中巨摩郡昭和町 秋田県南秋田郡昭和町 - 現在の潟上市 山形県新庄市昭和地区 徳島県徳島市昭和町 福島県大沼郡昭和村 群馬県利根郡昭和村 栃木県宇都宮市昭和 岐阜県高山市昭和町 香川県さぬき市昭和 福岡県北九州市八幡東区昭和 佐賀県武雄市昭和 東京都昭島市 - 昭和町と拝島村が合併して成立 昭和島(東京都ほか) 昭和新山 他にも昭和町という地名は日本全国の至る所に存在している。 交通 昭和駅(JR東日本鶴見線) 昭和停留場 現:昭和駅(上記) 現:南大町駅(JR東日本大糸線) 西鉄北九州線に1992年まで存在した停留場 - 西鉄北九州線#電停一覧を参照。 昭和駅(廃止、留萠鉄道) 昭和町駅(大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)御堂筋線) 昭和町駅(JR四国高徳線) 昭和町駅(名古屋臨海鉄道昭和町線の貨物駅) - 以前は近傍に名古屋市電大江線の昭和町停留場が存在 土佐昭和駅(JR四国予土線) 雄鉄昭和駅(廃止、雄別鉄道) 昭和通り(東京都ほか) 昭和橋(利根川ほか) 昭和大橋 (桑折町) 昭和大橋 (新潟市) 公園 昭和公園(北海道函館市) 昭和の森公園(千葉県ほか) 国営昭和記念公園(東京都立川市、昭島市) 日本昭和村-現在のぎふ清流里山公園の旧称(岐阜県美濃加茂市) 曲 昭和おんなブルース(青江三奈のシングル、1970年) 昭和枯れすゝき(さくらと一郎のシングル、1974年) 昭和ブルース(天知茂のシングル、1974年) 昭和北前船(鳥羽一郎のシングル、1987年) 昭和舟歌(小林旭のシングル、1988年) 昭和(長渕剛のアルバム『昭和』収録、1989年) 昭和夢つばめ(石川さゆりのシングル、1996年) 昭和残照(杉良太郎のシングル、1999年) 昭和最後の秋のこと(森進一・桂銀淑の競作シングル、ともに1999年) 昭和レジデンス(クレイジーケンバンドのアルバム『グランツーリズモ』収録、2002年) 昭和の階段 Vol.1(工藤静香のアルバム名、2002年) 昭和(レミオロメンのシングル「雨上がり」、アルバム『朝顔』収録、2003年) 昭和モダン(山崎まさよし、『服部良一 〜生誕100周年記念トリビュート・アルバム〜』収録、2007年) 昭和の歌など聴きながら(八代亜紀のシングル、2008年) ギリ昭和(キュウソネコカミのアルバム『ギリ平成』収録、2018年) その他昭和に関する事柄 大正天皇が崩御した際に、東京日日新聞(現:毎日新聞)が『新元号は光文』をスクープしたが、新元号は『昭和』と発表され(結果として)大誤報となってしまった。一説には「光文」がスクープされたために急遽「昭和」に差し替えられたとも言われている(光文事件)。しかし、「光文」は内閣の新元号案に提示されているのみであり、実際に新元号作成中心になっていた宮内省の最終第3案まで残っていたのは「昭和」「神化」「元化」の3案とされる。枢密院議長、倉富勇三郎の日記によれば、その後の調整で1926年(大正15年)12月8日時点で「昭和」を最終候補とし「元化」「同和」を参考とする最終案が決定していたことが明らかになっている。「光文」は、内閣案の一つが選定作業中に漏れたに過ぎず、記者が検証できないまま飛びついたのが実情とされる(『昭和大礼記録』、石渡隆之『北の丸』第7号(1976年〔昭和51年〕9月)「公的記録上の「昭和」」、『倉富勇三郎日記』「倉富勇三郎関係文書」)。 昭和の「昭」は今でこそポピュラーな漢字だが、当時はまれに人名で使われたりする以外は、学者や一部の貴族以外は馴染みのない漢字であったという(元来は「照」の原字で、意味も「照」と同じ。)。そのため、「昭和」が最終案に選考された際には当時の一木喜徳郎宮内大臣から「章和」とすべきとの意見が出された。しかし、「章和」は過去漢と高昌で使用されていた元号であり、結局原案のまま「昭和」に確定した経緯がある。 史上還暦を迎えた元号は日本の昭和と清の康熙だけである。(昭和は丙寅で「還暦」している。) 1926年(大正15年)12月25日に出生した新生児は、その当日が大正天皇崩御のため役所が休みとなったこともあって、出生届の提出が遅れ、戸籍上の誕生日が異なる(大部分が翌年(1927年)の昭和2年生)ケースが多発した。植木等、関根潤三らがこうしたケースに当たる。また、メリー喜多川は同じ日に生まれているが、出生地がアメリカであったためこの事例には含まれない。 日本では、嘗て使用した元号は二度と使用しないという慣例がある。昭和も例外ではないが、鎌倉時代に「しょうわ」と読む同音異字の元号「正和」を使用した例がある。 脚注 注釈 出典 参考文献 関連項目 昭和一桁 昭和の日 昭和史論争 昭和モダン 昭和の町 光文事件 東京時代 元号 元号一覧 (日本) 令和 平成(次年号) 大正(前年号) 明治 元号一覧 (台湾) 康熙(清の元号):ともに還暦を迎えた元号である。 20世紀 1920年代 1930年代 1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 外部リンク 日本の元号 日 昭和天皇 日本の歴史 (時代別) 戦前の日本 戦時下の日本 占領下の日本 戦後の日本 20世紀 1926年設立 1989年廃止 戦後日本の経済
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https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8818%E6%97%A5
2月18日
2月18日(にがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から49日目にあたり、年末まであと316日(閏年では317日)ある。 できごと 1229年 - 第6回十字軍: 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世とアイユーブ朝のスルタン・アル=カーミルが、10年間の休戦と十字軍側へのエルサレム返還で合意。 1513年 - イタリアでメディチ家に対する陰謀(ボスコリ事件)が発覚し、ニッコロ・マキャヴェッリが連座して捕らえられる。 1559年(永禄2年1月11日) - 少弐冬尚が龍造寺隆信に破れ自害し、少弐氏が滅亡。 1587年 - 元スコットランド女王メアリーが、イングランド女王エリザベス1世の暗殺計画に加担したことにより処刑される。 1745年 - マタラム王国の王都がソロに移され、スラカルタに改称。 1772年(安永7年1月15日) - 田沼意次が老中に就任する。 1800年 - フランス革命戦争: マルタ護送船団の海戦でイギリスが勝利。 1874年 - 佐賀の乱: 江藤新平ら反乱軍が、佐賀城の佐賀県庁に籠もる佐賀県権令岩村高俊の部隊と戦闘し、政府軍が敗走。 1885年 - マーク・トウェインの小説『ハックルベリー・フィンの冒険』が刊行。 1908年 - 日本からの移民を制限する日米紳士協定締結。 1911年 - インドで、世界で初めて飛行機で郵便物が運ばれる。 1913年 - レイモン・ポアンカレがフランスの大統領に就任。 1930年 - アメリカのクライド・トンボーが冥王星を発見。 1932年 - 東北最高行政委員会が満洲の中国国民政府からの独立を宣言。3月1日に満洲国を建国。 1935年 - 天皇機関説事件: 貴族院本会議で菊池武夫議員が美濃部達吉議員の天皇機関説を非難。 1937年 - 宮崎県延岡市役所にて火災。北隣にあった宮崎県立図書館にも延焼し、双方が全焼。 1938年 - 石川達三著の南京従軍記『生きてゐる兵隊』を掲載した雑誌『中央公論』3月号が発禁処分。石川と編集者の雨宮庸蔵および発行人の牧野武夫が検挙される。 1942年 - 大東亜戦争戦勝祝賀第一次国民大会が日比谷公園で開催。日本軍がシンガポールを陥落させたことを受けてのもの。各地でも同様の祝賀式が開催。 1942年 - シンガポール華僑粛清事件 1943年 - ゲッベルス独宣伝相がベルリンのシュポルトパラストで行った演説で総力戦を宣言(総力戦演説)。 1943年 - ナチスによって「白いバラ」運動のメンバーが逮捕される。 1950年 - 第1回さっぽろ雪まつり開催。 1952年 - 陣屋事件。将棋の王将戦で升田幸三が木村義雄との対局を拒否。 1954年 - ロサンゼルスに最初のサイエントロジー教会が創設。 1955年 - アメリカ合衆国の第14次の核実験「ティーポット作戦」が始まる。 1960年 - 第8回冬季オリンピック、スコーバレー大会開催。2月28日まで。 1965年 - ガンビアがイギリスから独立。 1968年 - イギリスが、大陸との1時間の時差を解消するため中央ヨーロッパ時間を採用。1971年にグリニッジ標準時に戻される。 1969年 - 日大闘争:機動隊導入により日本大学の全学封鎖を解除。 1969年 - 岡山県西大寺市が岡山市に編入。 1970年 - リチャード・ニクソン米大統領が、条約遵守・自主防衛努力の強化と援助・「核の傘」提供の「平和三原則」を強調する外交教書を発表。 1978年 - 東京で「嫌煙権確立をめざす人びとの会」結成。 1978年 - 米海兵隊員らの発案によりハワイで世界初のトライアスロン大会開催。 1979年 - アルジェリア南部のサハラ砂漠で降雪。サハラ砂漠唯一の降雪の記録。 1981年 - ロナルド・レーガン米大統領が、「強いアメリカ」再生のための経済再建計画「レーガノミクス」を発表。 2000年 - マイクロソフトがWindows 2000を発売。 2003年 - 韓国・大邱地下鉄放火事件。死者は192名、重軽傷者148名。 2006年 - 福島県立大野病院産科医逮捕事件:2004年12月17日に福島県立大野病院で行われた帝王切開手術を受けた産婦が死亡したことから、執刀医を業務上過失致死と医師法違反の容疑で逮捕。翌日福島地方検察庁に起訴。 2007年 - 日本の運輸多目的衛星「MTSAT-2」(ひまわり7号)を打ち上げ。 2007年 - 第1回東京マラソン・東京マラソン2007開催。 2010年 - バンクーバーオリンピック、フィギュアスケートで、髙橋大輔が同競技男子日本代表として初のメダル獲得となる銅メダルを獲得(現地時間)。 2010年 - ニジェールで軍事クーデターが起こり、軍部が実権を掌握。 2018年 - 平昌オリンピック: スピードスケート女子500メートルで小平奈緒が同種目女子で初の金メダルを獲得。 誕生日 人物 紀元前259年 - 始皇帝、君主(+ 紀元前210年) 1201年 - ナスィールッディーン・トゥースィー、神学者、哲学者、科学者(+ 1274年) 1516年 - メアリー1世、イングランド女王(+ 1558年) 1530年(享禄3年1月21日) - 上杉謙信、越後国の戦国大名(+ 1578年) 1609年(慶長14年1月14日)- 佐竹義隆、第2代久保田藩主(+ 1672年) 1626年 - フランチェスコ・レディ、医学者(+ 1697年) 1631年(寛永8年1月18日)- 伊東祐由、第4代飫肥藩主(+ 1661年) 1632年 - ジョヴァンニ・バティスタ・ヴィターリ、ヴァイオリニスト、歌手、作曲家(+ 1692年) 1638年(寛永15年1月5日)- 池田綱政、第2代岡山藩主(+ 1714年) 1665年(寛文5年1月4日)- 牧野忠辰、第3代越後長岡藩主(+ 1722年) 1677年 - ジャック・カッシーニ、天文学者、測地学者(+ 1756年) 1708年(宝永5年1月27日)- 丹羽高寛、第5代二本松藩主(+ 1769年) 1740年(元文5年1月21日)- 真田幸弘、第6代松代藩主(+ 1815年) 1745年 - アレッサンドロ・ボルタ、科学者(+ 1827年) 1791年(寛政3年1月16日)- 前田利和、第10代七日市藩主、(+ 1839年) 1794年(寛政6年1月19日)- 立花種善、第7代三池藩主、初代下手渡藩主(+ 1833年) 1796年(寛政8年1月10日)- 相馬益胤、第11代相馬中村藩主(+ 1845年) 1803年(享和3年1月27日) - 伊藤圭介、植物学者(+ 1901年) 1836年 - シュリ・ラーマクリシュナ、宗教家(+ 1886年) 1838年 - エルンスト・マッハ、物理学者(+ 1916年) 1844年(天保15年1月1日) - 斎藤一、新選組隊士(+ 1914年) 1847年(弘化4年1月4日)- 三浦顕次、第10代美作勝山藩主・子爵(+ 1895年) 1848年 - ルイス・カムフォート・ティファニー、宝飾デザイナー、ガラス工芸家(+ 1933年) 1850年 - ジョージ・ヘンシェル、音楽家(+ 1934年) 1853年 - アーネスト・フェノロサ、東洋美術史家(+ 1908年) 1857年 - マックス・クリンガー、画家(+ 1920年) 1860年 - アンデシュ・ソーン、画家、版画家、彫刻家(+ 1920年) 1866年 - 中川小十郎、貴族院議員、立命館大学創設者(+ 1944年) 1878年 - 男嶌舟藏、大相撲力士(+ 1943年) 1878年 - 佐藤義亮、出版人、新潮社創業者(+ 1951年) 1883年 - ニコス・カザンザキス、小説家、詩人(+ 1957年) 1886年 - 市河三喜、英語学者(+ 1970年) 1889年 - 奥村土牛、日本画家(+ 1990年) 1892年 - 平沢貞通、画家(+ 1987年) 1893年 - 大熊信行、経済学者、歌人(+ 1977年) 1895年 - セミョーン・チモシェンコ、軍人(+ 1970年) 1897年 - 金関丈夫、解剖学者、人類学者(+ 1983年) 1898年 - エンツォ・フェラーリ、フェラーリ創設者(+ 1988年) 1903年 - 岡田時彦、俳優(+ 1934年) 1903年 - ニコライ・ポドゴルヌイ、政治家(+ 1983年) 1906年 - ハンス・アスペルガー、小児科医(+ 1980年) 1906年 - アマザスプ・ハチャトゥロヴィチ・ババジャニャン、軍人(+ 1977年) 1911年 - 加東大介、俳優(+ 1975年) 1915年 - ジョー・ゴードン、プロ野球選手(+ 1978年) 1917年 - 柳宗玄、美術史家(+ 2019年) 1919年 - ジャック・パランス、俳優(+ 2006年) 1924年 - 越路吹雪、女優、歌手(+ 1980年) 1924年 - 陳舜臣、小説家(+ 2015年) 1925年 - ジョー・ルーツ、プロ野球選手、プロ野球監督(+ 2008年) 1925年 - ジョージ・ケネディ、俳優(+ 2016年) 1925年 - 加藤一夫、経済学者(+ 2012年) 1926年 - 酒井美意子、評論家(+ 1999年) 1927年 - 野村孝、映画監督(+ 2015年) 1928年 - ジョン・オストロム、古生物学者(+ 2005年) 1929年 - 田沼武能、写真家 1929年 - レン・デイトン、作家 1929年 - 福島正実、編集者、SF作家(+ 1976年) 1930年 - 中村梅之助 (4代目)、歌舞伎俳優(+ 2016年) 1930年 - Gamer Grandma、YouTuber、ギネス世界記録保持者 1931年 - トニ・モリスン、作家(+ 2019年) 1932年 - 佐々木行、歌手(ダークダックス)(+ 2016年) 1932年 - ミロス・フォアマン、映画監督(+ 2018年) 1933年 - オノ・ヨーコ、芸術家 1933年 - ボビー・ロブソン、サッカー選手、指導者(+ 2009年) 1938年 - 佐田の山晋松、大相撲第50代横綱、第7代日本相撲協会理事長(+ 2017年) 1938年 - 中村敏夫、テレビプロデューサー、フジクリエイティブコーポレーション顧問(+ 2015年) 1938年 - マニー・モタ、元プロ野球選手 1939年 - 菅原貞敬、バレーボール選手 1939年 - マレク・ヤノフスキ、指揮者 1940年 - 中村敦夫、俳優、政治家 1940年 - チャールズ・ジェンキンス、軍人(+ 2017年) 1941年 - 瀧口政満、彫刻家(+ 2017年) 1941年 - アーマ・トーマス、歌手 1942年 - 江刺昭子、ノンフィクション作家、フェミニスト 1946年 - 高階良子、漫画家 1947年 - 奥村チヨ、歌手 1947年 - カルロス・ロペス、陸上競技選手 1948年 - 鈴木康博、ミュージシャン(元オフコース) 1948年 - 山本一力、作家 1949年 - 吉川なよ子、プロゴルファー 1950年 - 塩谷立、政治家 1950年 - ジョン・ヒューズ、映画監督、脚本家(+ 2009年) 1950年 - シビル・シェパード、女優 1950年 - 武藤順九、彫刻家 1951年 - 陳水扁、第11代中華民国総統 1952年 - 大北敏博、元プロ野球選手 1952年 - 小倉千加子、心理学者 1954年 - ジョン・トラボルタ、俳優 1955年 - 小山和伸、政治家 1956年 - 浅田孟、ベーシスト 1956年 - ポール・リード・スミス、PRS Guitars創業者 1957年 - マリタ・コッホ、陸上競技選手 1958年 - 松原千明、女優 1960年 - ガゼボ、歌手 1961年 - 影山ヒロノブ、歌手 1961年 - 宮川彬良、作曲家 1962年 - 佐野浩敏、アニメーター、イラストレーター 1962年 - マリアン、タレント 1962年 - ジュリー・ストレイン、女優、モデル (+ 2021年) 1963年 - 吉野秀、編集者、経営コンサルタント 1963年 - 斎藤嘉隆、政治家 1964年 - マット・ディロン、俳優 1964年 - 大西証史、官僚 1965年 - 斎藤雅樹、元プロ野球選手 1965年 - 馳星周、作家 1965年 - Dr.Dre、ラッパー 1965年 - ディリアナ・ゲオルギエバ、元新体操選手 1965年 - おーなり由子、絵本作家、漫画家 1965年 - 石井ヒトシ、ミュージシャン(THE SLUT BANKS、BAD SiX BABiES) 1965年 - 水沢薫、プロ野球選手(+ 2014年) 1966年 - 田中哲司、俳優 1966年 - 橘しんご、DJ、司会者 1967年 - 十河章浩、元野球選手 1967年 - ロベルト・バッジョ、サッカー選手 1968年 - カイル・アボット、元プロ野球選手 1968年 - モリー・リングウォルド、女優 1970年 - 蒼樹山秀樹、元大相撲力士 1970年 - 岩男潤子、声優、歌手 1970年 - 渡辺あや、脚本家 1971年 - 皇司信秀、元大相撲力士 1971年 - トーマス・ビヨン、ゴルファー 1972年 - 藤林聖子、作詞家 1972年 - 木山隆之、元サッカー選手、指導者 1972年 - アレクサンドラ・ティモシェンコ、新体操選手 1973年 - クロード・マケレレ、元サッカー選手 1973年 - イリーナ・ロバチェワ、フィギュアスケート選手 1974年 - エフゲニー・カフェルニコフ、テニス選手 1974年 - ジェイミー・キャロル、元プロ野球選手 1975年 - 駒村多恵、リポーター 1975年 - 中村一義、ミュージシャン 1975年 - ねづっち、お笑い芸人 1975年 - アイラ・ボーダーズ、野球選手 1975年 - ガリー・ネヴィル、元サッカー選手 1977年 - 田中良和、実業家 1978年 - 熊谷俊人、政治家 1978年 - しがの夷織、漫画家 1978年 - 水嶋洋子、タレント 1978年 - 城戸裕次、俳優 1979年 - 高島彩、フリーアナウンサー 1980年 - 美元智衣、歌手 1980年 - 大、お笑い芸人(グランジ) 1980年 - レジーナ・スペクター、シンガーソングライター 1980年 - 藤原美樹、料理研究家 1981年 - 池谷和志、お笑い芸人(ジョイマン) 1981年 - アンドレイ・キリレンコ、バスケットボール選手 1981年 - アレックス・リオス、元プロ野球選手 1981年 - DEAN、ファッションモデル 1981年 - 矢口哲朗、元プロ野球選手 1981年 - TETSUYA、パフォーマー(EXILE) 1981年 - カマシ・ワシントン、ジャズサックス奏者 1981年 - キム・ジェウォン、俳優 1982年 - 中鉢明子、タレント 1983年 - ジャーメイン・ジーナス、元サッカー選手 1984年 - ブライアン・ボグセビッチ、プロ野球選手 1984年 - イドリス・カルロス・カメニ、サッカー選手 1985年 - 河西健吾、声優 1986年 - 安藤サクラ、女優 1987年 - 平山美春、ファッションモデル 1987年 - 宝富士大輔、大相撲力士 1987年 - シン・アヨン、アナウンサー 1988年 - 立石沙千加、歌手 1988年 - ノダリー・マイスラーゼ、フィギュアスケート選手 1988年 - チャンミン、歌手、アイドル(東方神起) 1988年 - 内藤大希、俳優 1989年 - 河野安優美、女優 1989年 - 妹川華、ファッションモデル、タレント 1989年 - クリスチーナ・ゴルシュコワ、フィギュアスケート選手 1990年 - 茨木菜緒、グラビアアイドル 1990年 - 広岡ライアン勇輝、サッカー選手 1990年 - ディディ・グレゴリウス、プロ野球選手 1990年 - パク・シネ、女優、モデル 1990年 - カン・ソラ、女優 1990年 - マイコン・マルケス・ビテンコウト、サッカー選手 1991年 - 井上翼久、俳優、モデル 1991年 - ヘンリー・サーティース、レーシングドライバー(+ 2009年) 1992年 - ハイジ、ラジオパーソナリティー、イベントMC 1992年 - ナム・スンウ、サッカー選手 1993年- 高久龍、陸上選手 1994年 - J-HOPE、アイドル、ダンサー(BTS) 1996年 - 久松郁実、グラビアアイドル、ファッションモデル、女優 1997年 - DK、アイドル(SEVENTEEN) 1998年 - VERNON、アイドル(SEVENTEEN) 1998年 - 松谷比菜乃、女子プロ野球選手 1999年 - 柴田倫佳、声優 生年不明 - 高橋美由紀、漫画家 生年不明 - 中島沙帆子、4コマ漫画家 生年不明 - 杜野亜希、漫画家 生年不明 - にしまきとおる、漫画家 生年不明 - riya、ミュージシャン(eufonius) 生年不明 - 浅野るり、元声優 生年不明 - 伊藤あすか、声優 生年不明 - 大谷恭代、声優 生年不明 - 東久仁彦、声優 生年不明 - 川島やよい、声優 人物以外(動物など) 1995年 - グラスワンダー、種牡馬、競走馬 忌日 901年 - サービト・イブン=クッラ、天文学者、数学者(* 826年) 1139年 - ヤロポルク2世、キエフ大公(* 1082年) 1173年(承安3年1月5日) - 藤原光頼、平安時代の公卿(* 1124年) 1221年 - ディートリヒ、マイセン辺境伯(* 1162年) 1294年 - クビライ、モンゴルハーン(* 1215年) 1405年 - ティムール、ティムール朝創始者(* 1336年) 1455年 - フラ・アンジェリコ、画家(* 1387年) 1478年 - クラレンス公ジョージ、クラレンス公(* 1449年) 1546年 - マルティン・ルター、キリスト教宗教改革者(* 1483年) 1564年 - ミケランジェロ、彫刻家、画家(* 1475年) 1582年(天正10年1月16日) - 佐久間信盛、戦国武将、織田家重臣(* 1528年) 1587年 - メアリー、スコットランド女王(* 1542年) 1590年(天正18年1月14日) - 朝日姫、豊臣秀吉の妹、徳川家康の正室(* 1543年) 1673年(寛文13年1月2日) - 浅野綱晟、第3代広島藩主(* 1637年) 1708年(宝永5年1月27日) - 田村建顕、一関藩主(* 1656年) 1712年 - ルイ、ブルゴーニュ公、フランス王太子(* 1682年) 1743年 - アンナ・マリーア・ルイーザ・デ・メディチ、メディチ家直系最後の人物(* 1667年) 1788年 - ジョン・ホワイトハースト、時計職人、科学者(* 1713年) 1831年(天保2年1月6日) - 良寛、曹洞宗の僧侶、歌人(* 1758年) 1834年 - ウィリアム・ワート、第9代アメリカ合衆国司法長官(* 1772年) 1848年 - ヨーゼフ・ゲアハルト・ツッカリーニ、植物学者(* 1797年) 1851年 - カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビ、数学者(* 1804年) 1856年 - ヴィルヘルム・フォン・ビーラ、天文学者(* 1782年) 1878年 - ジョン・タンストール、リンカーン郡戦争のきっかけとなった牧場経営者(* 1853年) 1887年 - 中山みき、宗教家、天理教教祖(* 1798年) 1891年 - 三条実美、幕末の公卿、明治維新の元勲(* 1837年) 1897年 - ウィリアム・ウォレス、思想家(* 1843年) 1899年 - ソフス・リー、数学者(* 1842年) 1901年 - 早矢仕有的、実業家、丸善創業者(* 1837年) 1902年 - アルバート・ビアスタット、画家(* 1830年) 1903年 - 尾上菊五郎 (5代目)、歌舞伎役者(* 1844年) 1905年 - フレデリック・イーストレイク、教育者(* 1856年) 1909年 - 橋本綱常、日本陸軍の軍医(* 1845年) 1919年 - 山川捨松、大山巌の妻(* 1860年) 1931年 - 山下源太郎、日本海軍の軍令部長(* 1863年) 1932年 - フリードリヒ・アウグスト3世、第7代ザクセン王(* 1865年) 1933年 - アルノルト・メンデルスゾーン、作曲家(* 1855年) 1933年 - ジェームス・J・コーベット、プロボクサー(* 1866年) 1937年 - グリゴリー・オルジョニキーゼ、ソビエト連邦共産党政治局員(* 1886年) 1939年 - 岡本かの子、小説家(* 1889年) 1941年 - 徳川達孝、大正天皇の侍従長(* 1865年) 1944年 - チャールズ・ダベンポート、生物学者(* 1866年) 1945年 - 建部遯吾、社会学者(* 1871年) 1947年 - ヨアヒム・エルンスト、アンハルト公(* 1901年) 1952年 - 本山白雲、彫刻家(* 1871年) 1956年 - ギュスターヴ・シャルパンティエ、作曲家(* 1860年) 1957年 - ヘンリー・ノリス・ラッセル、天文学者(* 1877年) 1959年 - エーリッヒ・ツァイスル、作曲家(* 1905年) 1960年 - ルイス・シェルドン、陸上競技選手(* 1874年) 1963年 - 徳川家正、徳川宗家第17代当主、最後の貴族院議長(* 1884年) 1965年 - 前田房之助、政治家(* 1884年) 1966年 - ロバート・ロッセン、映画監督(* 1908年) 1967年 - ロバート・オッペンハイマー、物理学者(* 1904年) 1971年 - 菅礼之助、実業家(* 1883年) 1973年 - フランク・コステロ、マフィア、コーサ・ノストラ幹部(* 1891年) 1975年 - レイモンド・モーリー、アメリカ合衆国国務次官補(* 1886年) 1981年 - 藤本定義、プロ野球監督(* 1904年) 1981年 - ジャック・ノースロップ、ノースロップ創業者(* 1895年) 1982年 - ナイオ・マーシュ、推理作家(* 1895年) 1983年 - 和田夏十、脚本家(* 1920年) 1984年 - 平泉澄、歴史学者(* 1895年) 1986年 - ヴァーツラフ・スメターチェク、指揮者(* 1906年) 1992年 - シルヴァン・アラン、天文学者(* 1902年) 1993年 - 鈴木清、小説家(* 1907年) 1993年 - ケリー・フォン・エリック、プロレスラー(* 1960年) 1997年 - 岩井章、労働運動家(* 1922年) 1998年 - 河原崎権十郎 (3代目)、歌舞伎役者(* 1918年) 1998年 - 福田豊土、俳優(* 1934年) 2001年 - バルテュス、画家(* 1908年) 2001年 - エディ・マシューズ、プロ野球選手(* 1931年) 2001年 - 宮崎仁郎、プロ野球選手(* 1920年) 2001年 - デイル・アーンハートSr.、レーシングドライバー(1951年) 2003年 - 木村べん、イラストレーター(* 1947年) 2004年 - ジャン・ルーシュ、映画監督(* 1917年) 2007年 - 松田清、プロ野球選手(* 1930年) 2010年 - 瀬川康男、絵本画家(* 1932年) 2013年 - オトフリート・プロイスラー、児童文学作家(* 1923年) 2013年 - 本多知恵子、声優(* 1963年) 2014年 - ネルソン・フレイジャー・ジュニア、プロレスラー(* 1971年) 2016年 - 津島佑子、作家(* 1947年) 2017年 - ローレンス・スノーデン、軍人(* 1921年) 2020年 - 古井由吉、小説家、ドイツ文学者(* 1937年) 記念日・年中行事 雨水(2005年・2009年・2013年) 二十四節気の1つ。太陽の黄経が330度の時で、雪が溶け始めるころに当たる。 旧正月(2007年) 独立記念日() 1965年のこの日、ガンビアがイギリスから独立した。 エアメールの日 1911年のこの日、インドで初めて飛行機によって郵便物が運ばれたことに由来。イラーハーバードで開かれていた博覧会のアトラクションとして、会場から8km離れた駅まで6,000通の手紙が飛行機で運ばれた。 嫌煙運動の日 1978年のこの日、東京・四谷で「嫌煙権確立をめざす人々の会」が設立されたことにちなむ。 冥王星の日 1930年のこの日、アメリカ・ローウェル天文台のクライド・トンボーが冥王星を発見したことにちなむ。 安眠の日 関東の一部地域で定められている睡眠時間の規定通りしっかりと休もうという日。現在はあまり広まっていないが、数年前までは小中学校などで安眠キャンペーンも行われていた。 方言の日 奄美群島の与論島方言で言葉を「ふ(2)とぅ(10)ば(8)」ということから、語呂合わせで、鹿児島県大島支庁が2007年に大島地区の方言の日に制定した。島毎の方言差が大きいため、奄美大島では「シマユムタの日」、「島口の日」、沖永良部島では「シマムニの日」、与論島では「ユンヌフトゥバの日」などと異なる別名も併用される。 プライヤの日 新潟県燕三条の日本唯一のプライヤ専業メーカーである五十嵐プライヤーが語呂合わせでプ(2)ライ(1)ヤ(8)の日として制定。全国に便利な工具「プライヤ」という工具を知ってもらいたいとの想いから。 フィクションのできごと 昭和2×年 - 犬神佐兵衛が亡くなる。(小説『犬神家の一族』発端) 誕生日(フィクション) 1980年 - ハル・リドナー(ハル・ブロック)、漫画・アニメ『DEATH NOTE』に登場するキャラクター 1994年 - 真城最高、漫画・アニメ『バクマン。』に登場するキャラクター 2002年 - 洞木ヒカリ、アニメ・漫画『新世紀エヴァンゲリオン』に登場するキャラクター 生年不明 - 大間仁、漫画・アニメ『ハイスクール!奇面組』に登場するキャラクター 生年不明 - ガンビア、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - 桐原総一郎、漫画・アニメ『ホイッスル!』に登場するキャラクター 生年不明 - 風祭功、漫画・アニメ『ホイッスル!』に登場するキャラクター 生年不明 - 鬼灯水月、漫画・アニメ『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター 生年不明 - 来馬辰也、漫画・アニメ『ワールドトリガー』に登場するキャラクター 生年不明 - 庵歌姫、漫画・アニメ『呪術廻戦』に登場するキャラクター 生年不明 - 押枝あつこ、漫画・アニメ『アホガール』に登場するキャラクター 生年不明 - ハウメア、漫画・アニメ『炎炎ノ消防隊』に登場するキャラクター 生年不明 - ヨルナミ、漫画・アニメ『アラタカンガタリ~革神語~』に登場するキャラクター 生年不明 - ハデス、漫画・アニメ『魔王城でおやすみ』に登場するキャラクター 生年不明 - 北野深雪、漫画・アニメ『水色時代』に登場するキャラクター 生年不明 - 明日香・R・バッジオ、漫画・アニメ『ARIA』に登場するキャラクター 生年不明 - 宮永照、漫画・アニメ『咲-Saki-』に登場するキャラクター 生年不明 - 環凛子、アニメ・漫画『夏色キセキ』に登場するキャラクター 生年不明 - シャリ、ゲーム『ジルオール』に登場するキャラクター 生年不明 - 目黒兼武、ゲーム・アニメ『ゲートキーパーズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 伊藤止、ゲーム・アニメ『School Days』に登場するキャラクター 生年不明 - 上岡由佳里、ゲーム・アニメ『乙女はお姉さまに恋してる』に登場するキャラクター 生年不明 - 雲雀、ゲーム・アニメ『閃乱カグラ』に登場するキャラクター 生年不明 - 御影かすみ、ゲーム『あんさんぶるガールズ!』に登場するキャラクター 生年不明 - 雪野日陽、キャラクターソング企画『音楽少女』に登場するキャラクター 生年不明 - 渡世千里、ゲーム・アニメ『ボーイフレンド(仮)』に登場するキャラクター 生年不明 - 末葉あおい、ゲーム・アニメ『スクールガールストライカーズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 上杉謙信、ゲーム・アニメ『イケメン戦国◆時をかける恋』に登場するキャラクター 生年不明 - 五十嵐望、ゲーム・アニメ『アイカツスターズ!』に登場するキャラクター 生年不明 - 斎藤一、ゲーム『茜さすセカイでキミと詠う』に登場するキャラクター 生年不明 - 斎藤一、ゲーム・アニメ『恋愛幕末カレシ〜時の彼方で花咲く恋〜』に登場するキャラクター 生年不明 - グラスワンダー、ゲーム・アニメ『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクター 脚注 出典 関連項目
1791
https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8819%E6%97%A5
2月19日
2月19日(にがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から50日目にあたり、年末まであと315日(閏年では316日)ある。 できごと 1674年 - 第3次ウェストミンスター条約が締結され第3次英蘭戦争が終結。 1771年 - シャルル・メシエが楕円銀河M49を発見。 1819年 - ウィリアム・スミスがサウス・シェトランド諸島を発見。 1833年 - マルディグラ(謝肉祭の最終日)。ヴィクトル・ユーゴーが女優ジュリエット・ドルーエと愛人関係になる。(2月16日#フィクションのできごとも参照) 1846年 - テキサス併合: テキサス共和国がアメリカ合衆国テキサス州に主権を公式に移管。 1865年(元治2年1月24日) - 長崎に大浦天主堂が完成する。 1877年 - 日本が万国郵便連合に加盟。 1878年 - トーマス・エジソンがレコードプレーヤー(フォノグラフ)の特許を取得。 1890年 - 草津線が全通。 1915年 - 第一次世界大戦: ガリポリの戦いが始まる。 1942年 - 第二次世界大戦・日本のオーストラリア空襲: 日本海軍の艦載機がオーストラリアのダーウィンを空襲、243名の死者を出す。 1942年 - 第二次世界大戦・日系人の強制収容: フランクリン・ルーズベルト米大統領が敵性外国人の強制収容を可能とする大統領令9066号に署名(追憶の日 (Day of Remenbrance))。 1942年 - カナダにおいてナチス・ドイツの侵攻を想定した演習『もしもの日』が実施される。 1943年 - 第二次世界大戦: カセリーヌ峠の戦い。 1945年 - 第二次世界大戦・硫黄島の戦い: 海兵隊を主力とするアメリカ軍が、硫黄島に上陸。 1946年 - 昭和天皇の戦後巡幸が開始。 1946年 - 部落解放全国委員会結成。 1952年 - 青梅事件。 1954年 - 蔵前国技館で、日本初の本格的なプロレス国際試合が開催。メインは力道山・木村政彦組対シャープ兄弟。 1959年 - イギリス・ギリシア・トルコが「キプロス独立協定」に調印。 1965年 - 日本サッカーリーグが発足。 1972年 - 連合赤軍メンバー5名が人質1名を取って浅間山荘に立てこもるあさま山荘事件が発生(9日後の2月28日に立てこもり犯全員を逮捕)。 1976年 - ジェラルド・R・フォード米大統領が大統領令9066号を廃止。 1977年 - 東大宇宙航空研が試験衛星「たんせい3号」を打上げ。 1978年 - エジプト軍によるラルナカ国際空港襲撃。 1981年 - 将棋の新人王戦において高橋道雄と山下カズ子の対局が指され、史上初めて男性棋士と女流棋士の公式戦が行なわれる。 1985年 - 中華航空006便急降下事故。 1986年 - ソビエト連邦が宇宙ステーション「ミール」を打ち上げ。 1993年 - 最高裁が連合赤軍幹部の永田洋子と坂口弘の上告を棄却し、死刑が確定。 1996年 - 甲府盆地に蔓延していた日本住血吸虫症の終息宣言が山梨県により行われた。 1998年 - 株取引に絡む利益要求疑惑を追及されていた新井将敬代議士が自殺。 2002年 - アメリカの火星探査機「2001マーズ・オデッセイ」が火星の観測を開始。 2008年 - キューバの指導者フィデル・カストロが国家評議会議長・軍最高司令官の辞任を表明。 2008年 - イージス艦衝突事故。イージス艦あたごが漁船と衝突事故を起こす。漁船の船員2名が行方不明となる(5月20日に認定死亡)。 2008年 - 日本の最高裁判所がメイプルソープ事件の判決を出し、国側の敗訴が確定。 誕生日 1473年 - ニコラウス・コペルニクス、天文学者(+ 1543年) 1645年(正保2年1月23日) - 森長武、津山藩主(+ 1696年) 1653年(承応2年1月22日) - 増山正弥、長島藩主(+ 1704年) 1673年(寛文13年1月3日) - 柳生俊方、柳生藩主(+ 1730年) 1697年(正保2年1月23日) - 伊東長丘、岡田藩主(+ 1782年) 1733年 - ダニエル・ソランダー、植物学者 (+ 1782年) 1743年 - ルイジ・ボッケリーニ、作曲家、チェリスト(+ 1805年) 1792年 - ロデリック・マーチソン、地質学者(+ 1871年) 1821年 - アウグスト・シュライヒャー、言語学者(+ 1868年) 1823年(文政6年1月9日) - 前田利豁、七日市藩主(+ 1877年) 1833年 - エリー・デュコマン、ジャーナリスト、平和運動家(+ 1906年) 1855年(安政2年1月3日) - 西ノ海嘉治郎、第16代横綱(+ 1908年) 1859年 - スヴァンテ・アレニウス、化学者(+ 1927年) 1863年 - エマヌエル・モール、作曲家、ピアニスト、楽器発明家(+ 1931年) 1864年 - 同慶帝、ベトナム皇帝(+ 1889年) 1865年 - スヴェン・ヘディン、探検家(+ 1952年) 1876年 - コンスタンティン・ブランクーシ、彫刻家(+ 1957年) 1877年 - ガブリエレ・ミュンター、芸術家(+ 1962年) 1885年 - 小畑敏四郎、陸軍軍人(+ 1947年) 1890年 - 橋本欣五郎、陸軍軍人(+ 1957年) 1893年 - セドリック・ハードウィック、俳優(+ 1964年) 1893年 - 南喜一、実業家(+ 1970年) 1896年 - アンドレ・ブルトン、文学者(+ 1966年) 1899年 - ルーチョ・フォンタナ、美術家(+ 1968年) 1902年 - 鶴田知也、小説家(+ 1988年) 1902年 - 土井虎賀寿、哲学者、文学者(+ 1971年) 1907年 - 武田文吾、騎手、調教師(+ 1986年) 1910年 - 西川鶴三、照明技師(+ 1970年) 1911年 - マール・オベロン、女優(+ 1979年) 1912年 - 谷口千吉、映画監督(+ 2007年) 1912年 - ヘルマン・フローン、地理学者、気候学者(+ 1997年) 1914年 - 内海五十雄、元プロ野球選手(+ 1992年) 1917年 - 峠三吉、詩人(+ 1953年) 1917年 - カーソン・マッカラーズ、作家(+ 1967年) 1919年 - 児玉利一、元プロ野球選手(+ 2008年) 1921年 - 朝霧鏡子、女優(+ 1999年) 1921年 - アン・サヴェージ、女優(+ 2008年) 1924年 - 長崎源之助、児童文学作家(+ 2011年) 1924年 - リー・マーヴィン、俳優(+ 1987年) 1926年 - クルターグ・ジェルジ、作曲家 1929年 - 粟津潔、グラフィックデザイナー(+ 2009年) 1930年 - ジョン・フランケンハイマー、映画監督(+ 2002年) 1930年 - 島田雄三、元プロ野球選手 1930年 - 宮本憲一、経済学者 1933年 - 八代駿、俳優、声優(+ 2003年) 1934年 - 吉岡治、作詞家(+ 2010年) 1934年 - ピエール・バルー、音楽家、俳優(+ 2016年) 1935年 - ジャン=ルイ・シェレル、ファッションデザイナー(+ 2013年) 1935年 - 阿部謹也、歴史学者(+ 2006年) 1935年 - 関口一郎、元プロ野球選手 1935年 - 難波昭二郎、元プロ野球選手、実業家(+ 2009年) 1936年 - 伏見扇太郎、俳優(没年不明) 1937年 - 杉本清、アナウンサー、競馬ジャーナリスト 1940年 - サパルムラト・ニヤゾフ、トルクメニスタン初代大統領(+ 2006年) 1940年 - スモーキー・ロビンソン、ミュージシャン 1940年 - 淡河弘、元プロ野球選手 1941年 - デイビッド・グロス、物理学者 1941年 - 小川真司、俳優、声優(+ 2015年) 1942年 - 園田博之、政治家(+ 2018年) 1942年 - ハワード・ストリンガー、ソニー代表取締役会長兼CEO 1943年 - ティモシー・ハント、生化学者 1943年 - ロバート・トリヴァース、進化生物学者 1943年 - ゲイル・ホプキンス、元プロ野球選手、医師、牧師 1946年 - 藤岡弘、、俳優 1948年 - 財津和夫、ミュージシャン 1948年 - トニー・アイオミ、ミュージシャン(ブラック・サバス) 1949年 - 益子修、三菱自動車工業代表取締役社長(+ 2020年) 1950年 - 貴ノ花健士、元大相撲力士、年寄11代二子山(+ 2005年) 1950年 - 安井潤一郎、政治家 1951年 - アラン・メリル、ミュージシャン 1951年 - 梅林茂、作曲家 1951年 - 藤岡真、作家 1951年 - ホレス・アンディ、レゲエ歌手 1952年 - 村上龍、作家 1952年 - 笑福亭松鶴 (7代目)、落語家(+ 1996年) 1953年 - クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル、政治家、アルゼンチン大統領 1953年 - 有希俊彦、元俳優 1956年 - 如月小春、劇作家、演出家(+ 2000年) 1956年 - ロデリック・マキノン、分子生物学者 1957年 - ファルコ、ミュージシャン(+ 1998年) 1957年 - デーブ・スチュワート、元プロ野球選手 1957年 - 沢田勝彦、高校野球指導者 1958年 - ヘレン・フィールディング、作家 1959年 - 星野充昭、俳優、声優 1959年 - 吉野朔実、漫画家(+ 2016年) 1960年 - アンドルー王子、イギリス女王エリザベス2世の次男 1960年 - ジョン・ポールJr.、レーシングドライバー (+ 2020年) 1961年 - THE SEIJI、漫画家 1961年 - 吉村萬壱、作家 1962年 - 越智一裕、アニメーター、漫画家 1962年 - ハナ・マンドリコワ、テニス選手 1963年 - 島朗、将棋棋士 1963年 - シール、ミュージシャン 1964年 - 樋口雅子、声優 1964年 - 和田ラヂヲ、漫画家 1964年 - 月山栄珠、元プロ野球選手 1965年 - 岡本久美子、テニス選手 1966年 - 薬丸裕英、タレント 1967年 - ベニチオ・デル・トロ、俳優 1967年 - 義田貴士、俳優、スポーツジャーナリスト 1968年 - 小浜裕一、元プロ野球選手 1969年 - かとうれいこ、タレント 1970年 - ウ・ジョンシン、声優 1970年 - 笠原弘子、声優、歌手 1970年 - 松本隆、元プロ野球選手 1971年 - ギル・シャハム、ヴァイオリニスト 1971年 - 三浦聡子、元キャスター、元女優 1971年 - ミゲル・バティスタ、元プロ野球選手 1972年 - 大森南朋、俳優 1972年 - 中上雅巳、タレント 1973年 - 河口正史、元アメリカンフットボール選手 1974年 - 坪井智哉、元プロ野球選手 1974年 - 森且行、オートレース選手 1974年 - 貴島サリオ、歌手 1974年 - ななじ眺、漫画家 1975年 - あべこうじ、お笑い芸人 1975年 - 山本高広、ものまねタレント 1975年 - 喜安浩平、声優 1977年 - 吉本峰之、お笑い芸人(元ストリーク) 1977年 - ジャンルカ・ザンブロッタ、元サッカー選手、サッカー指導者 1977年 - 武藤将吾、脚本家 1978年 - 平田宏美、声優 1979年 - 呂建剛、元プロ野球選手 1980年 - フリーディア・ニムラ、タレント 1980年 - マイク・ミラー、バスケット選手 1980年 - デヴィッド・ギャンディ、ファッションモデル 1980年 - 外塚重喜、実業家、元プロボクサー 1981年 - 森麻季、アナウンサー 1981年 - ヴィタス、歌手 1981年 - ニッキー・ショーリー、元サッカー選手 1982年 - 阿部進之介、俳優 1982年 - 伊藤久美子、女優 1982年 - R・O・N、作曲家、ギタリスト(元OLDCODEX) 1983年 - 琴欧洲勝紀、元大相撲力士 1983年 - ささきのぞみ、声優 1983年 - 中島美嘉、歌手 1983年 - 山口翔悟、俳優 1983年 - 小林大悟、サッカー選手 1983年 - イワン・シェフェル、フィギュアスケート選手 1983年 - ダニエル・フィゲロア、元プロ野球選手 1984年 - 福田淳子、タレント、グラビアアイドル 1984年 - マリリン・プラ、フィギュアスケート選手 1985年 - アリエル・ケベル、女優 1985年 - 浅見紘子、バレエダンサー 1985年 - 新田雄史、競艇選手 1985年 - ダン・オテロ、プロ野球選手 1986年 - かでなれおん、グラビアアイドル、タレント 1986年 - ガリガリガリクソン、お笑い芸人 1986年 - 幸坂ゆか、タレント 1986年 - 萬代宏樹、サッカー選手 1986年 - マルタ・ビエイラ・ダ・シルバ、サッカー選手 1987年 - アンナ・カッペリーニ、フィギュアスケート選手 1987年 - MAI、歌手 1987年 - ジョシュ・レディック、プロ野球選手 1987年 - 高橋真理恵、アナウンサー 1988年 - 入野自由、声優 1988年 - 宮城舞、ファッションモデル 1988年 - 遠藤エミ、競艇選手 1988年 - 齊藤晃義、サッカー選手 1988年 - ふるやいなや、お笑い芸人(スーパーニュウニュウ) 1989年 - マーク・カナ、プロ野球選手 1990年 - 水本勝成、サッカー選手 1990年 - 稲垣早織、新体操選手 1990年 - マリエル・ミラー、フィギュアスケート選手 1990年 - リャド・ブデブズ、サッカー選手 1990年 - ダビド・ロチェラ、サッカー選手 1990年 - コスタ・バルバルセス、サッカー選手 1991年 - AMO、ファッションモデル 1991年 - 永瀬麻帆、元タレント 1992年 - 桑原みずき、タレント、女優 1993年 - マウロ・イカルディ、サッカー選手 1993年 - キム・ミンソク、フィギュアスケート選手 1993年 - ヴィクトリア・ジャスティス、女優、歌手 1993年 - 波多野桃子、女優、声優 1993年 - 賀屋壮也、お笑い芸人(かが屋) 1994年 - 岡田紗佳、ファッションモデル 1994年 - 降幡愛、声優 1995年 - 生田目翼、プロ野球選手 1995年 - キム・ユンドン、歌手(HALO、ORβIT) 1996年 - 岸本淳希、元プロ野球選手 1997年 - 亀井塔生、元プロ野球選手 1997年 - E-CHAN、アイドル、ミュージシャン(DKB) 1998年 - 平岡拓真、元俳優 1998年 - ジョンウ、歌手(NCT) 1999年 - 古谷優人、プロ野球選手 2000年 - 今村美月、アイドル(STU48) 2000年 - 森戸知沙希、歌手(モーニング娘。、元カントリー・ガールズ) 2001年 - ダヴィード・マズーズ、俳優 2004年 - 田島櫻子、モデル、アイドル(Peel the Apple) 生年不詳 - 深見じゅん、漫画家 生年不詳 - えれっと、イラストレーター、漫画家 生年不明 - 兼政郁人、声優 生年不明 - 郁原ゆう、声優 生年不明 - カヲル、ナビゲーター 生年不明 - 小島敬介、声優 忌日 197年 - クロディウス・アルビヌス、ローマ帝国のブリタンニア総督(* 150年) 1445年 - レオノール・デ・アラゴン、ポルトガル王ドゥアルテ1世の妃(* 1402年) 1553年 - エラスムス・ラインホルト、天文学者(* 1511年) 1670年 - フレデリク3世、デンマーク王(* 1609年) 1671年(寛文11年1月10日) - 徳川頼宣、徳川家康の十男、水戸藩・駿府藩・紀州藩藩主歴任、紀州徳川家の祖(* 1602年) 1709年(宝永6年1月10日) - 徳川綱吉、江戸幕府第5代将軍(* 1646年) 1837年 - ゲオルク・ビュヒナー、劇作家、小説家(* 1813年) 1878年 - シャルル・フランソワ・ドービニー、画家(* 1817年) 1897年 - カール・ワイエルシュトラス、数学者(* 1815年) 1916年 - エルンスト・マッハ、物理学者(* 1838年) 1927年 - ゲーオア・ブランデス、文学史家、評論家(* 1842年) 1927年 - ロベルト・フックス、作曲家(* 1847年) 1929年 - ヴィルヘルム・ライン、教育学者(* 1847年) 1934年 - 伊東巳代治、官僚、政治家(* 1857年) 1934年 - 野呂栄太郎、マルクス経済学者、日本共産党幹部(* 1900年) 1936年 - ウィリアム・ミッチェル、アメリカ合衆国の軍人(* 1879年) 1938年 - エトムント・ランダウ、数学者(* 1877年) 1941年 - ハミルトン・ハーティ、指揮者(* 1879年) 1951年 - アンドレ・ジッド、小説家(* 1869年) 1952年 - クヌート・ハムスン、小説家(* 1859年) 1953年 - 近藤信竹、日本海軍の大将(* 1886年) 1957年 - モリス・ガラン、自転車競技選手(* 1871年) 1963年 - スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー、チェリスト(* 1908年) 1964年 - 尾崎士郎、小説家(* 1898年) 1969年 - ドク・ホワイト、元プロ野球選手(* 1879年) 1970年 - 中野忠晴、歌手、作曲家(* 1909年) 1972年 - リー・モーガン、ジャズトランペッター(* 1938年) 1973年 - ヨゼフ・シゲティ、ヴァイオリニスト(* 1892年) 1974年 - 宇野哲人、漢文学者(* 1875年) 1975年 - ルイージ・ダッラピッコラ、作曲家(* 1904年) 1988年 - アンドレ・フレデリック・クルナン、医学者(* 1895年) 1988年 - ルネ・シャール、詩人(* 1907年) 1991年 - 小林一喜、ジャーナリスト(* 1934年) 1992年 - 大林辰蔵、宇宙物理学者(* 1926年) 1994年 - デレク・ジャーマン、映画監督(* 1942年) 1996年 - チャーリー・O・フィンリー、メジャーリーグ球団オーナー(* 1918年) 1997年 - 鄧小平、政治家(* 1904年) 1997年 - 埴谷雄高、小説家(* 1909年) 1997年 - ダヴィッド・アシュケナージ、ピアニスト、コンサートマスター、作曲家(* 1915年) 1998年 - マンサー・オルソン、経済学者(* 1932年) 1998年 - 新井将敬、政治家(* 1948年) 2000年 - フリーデンスライヒ・フンダートヴァッサー、芸術家 (* 1928年) 2001年 - スタンリー・クレイマー、映画監督、プロデューサー(* 1913年) 2001年 - シャルル・トレネ、シャンソン歌手(* 1913年) 2005年 - 岡本喜八、映画監督(* 1924年) 2007年 - ジャネット・ブレア、女優(* 1921年) 2008年 - 沈殿霞、香港電視藝員(* 1945年) 2009年 - 前田隣、コメディアン(元ナンセンストリオ)(* 1936年) 2010年 - 雨宮淳、彫刻家(* 1937年) 2015年 - 木村保久、元プロ野球選手(* 1924年) 2017年 - 林京子、小説家(* 1930年) 2017年 - ラリー・コリエル、ジャズ・フュージョン・ギタリスト(* 1943年) 2017年 - 藤池昇、元プロ野球選手、プロゴルファー(* 1953年) 2019年 - カール・ラガーフェルド、ファッションデザイナー(* 1933年) 記念日・年中行事 雨水(2010年・2011年・2012年・2014年・2015年・2016年) 二十四節気の1つ。太陽の黄経が330度の時で、雪が溶け始めるころに当たる。 国旗の日() 初代大統領サパルムラト・ニヤゾフの誕生日を記念し、1997年に制定。 天地の日 地動説を主張したニコラウス・コペルニクスの誕生日に由来。 強制収容を忘れない日 1942年2月19日にフランクリン・ルーズベルト大統領により署名された大統領令9066号に基づいて日系人の強制収容が行われたことに由来。 万国郵便連合加盟記念日() 1877年2月19日に日本が万国郵便連合 (UPU) に加盟したことに由来。 プロレスの日() 1954年のこの日、日本初のプロレスの本格的な国際試合、力道山・木村政彦組対シャープ兄弟の試合が開催されたことに由来。 フィクションのできごと 2011年 - 60発のミサイル事件。(アニメ『東のエデン』) 2019年 - イスラエルとイランで核兵器を用いた戦闘が起こる。世界オカルト連合が介入して世界大戦を防ぐ。(共同創作サイト『SCP財団』) 誕生日(フィクション) 1986年 - 岩倉舞、連続テレビ小説『舞いあがれ!』の主人公 1995年 - 池尻隼人、漫画・アニメ『ハイキュー!!』に登場するキャラクター 1998年 - 雪村あおい、漫画・アニメ・舞台『ヤマノススメ』の主人公 生年不明 - 皇昴流、漫画・アニメ『東京BABYLON』の主人公 生年不明 - 皇北都、漫画・アニメ『東京BABYLON』に登場するキャラクター 生年不明 - 磐梯熱海萩、『温泉むすめ』に登場するキャラクター 生年不明 - 鈴木康晴、漫画・アニメ『テニスの王子様』に登場するキャラクター 生年不明 - 千手扉間、漫画・アニメ『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター 生年不明 - ドロレス、漫画・アニメ『七つの大罪』に登場するキャラクター 生年不明 - 神谷朝霞、漫画・アニメ『スケッチブック』に登場するキャラクター 生年不明 - 室宿、漫画・ゲーム『ふしぎ遊戯 玄武開伝』に登場するキャラクター 生年不明 - 安福莉子、漫画・アニメ『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』に登場するキャラクター 生年不明 - 華本桃子、漫画・アニメ『片翼のラビリンス』に登場するキャラクター 生年不明 - 七海燈子、漫画・アニメ『やがて君になる』に登場するキャラクター 生年不明 - 森野真理、漫画・アニメ『恋する小惑星』に登場するキャラクター 生年不明 - 東金美沙子、アニメ『PSYCHO-PASS サイコパス 2』に登場するキャラクター 生年不明 - 工藤叶、ゲーム・アニメ『D.C. 〜ダ・カーポ〜』に登場するキャラクター 生年不明 - 東儀白、ゲーム・アニメ『FORTUNE ARTERIAL 赤い約束』に登場するキャラクター 生年不明 - 桜華、ゲーム『ドリームクラブGogo.』に登場するキャラクター 生年不明 - 遊佐こずえ、ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター 生年不明 - クレト、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター 生年不明 - 佐倉双葉、ゲーム・アニメ『ペルソナ5』に登場するキャラクター 生年不明 - サクラチヨノオー、ゲーム・アニメ『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクター 生年不明 - 倉田ましろ、メディアミックス『BanG Dream!』に登場するキャラクター 出典 関連項目
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2月20日
2月20日(にがつはつか、にがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から51日目にあたり、年末まであと314日(閏年では315日)ある。 できごと 1547年 - イングランド王エドワード6世が戴冠。 1564年(永禄7年1月8日) - 第二次国府台合戦で北条氏が里見氏を破る。 1582年(天正10年1月28日) - 天正遣欧少年使節が長崎港を出港。 1862年 - 南北戦争: ヴァルヴァードの戦い。 1872年 - ニューヨークのメトロポリタン美術館が開館。 1913年 - 日本で山本権兵衛が第16代内閣総理大臣に就任し、第1次山本内閣が発足。 1913年 - 東京都神田一帯で大火。2376戸が焼失する。 1921年 - ペルシアでレザー・ハーンがクーデターを起こす。 1923年 - 東京駅前に丸の内ビルディングが竣工。 1928年 - 第16回衆議院議員総選挙。(日本における初の男子普通選挙) 1932年 - 第18回衆議院議員総選挙。 1933年 - アメリカ合衆国憲法修正第18条(禁酒法)を撤廃するための憲法修正第21条が連邦議会で発議。 1933年 - プロレタリア作家・小林多喜二が特高警察の拷問により築地警察署で死亡。(築地署事件) 1935年 - シャーリー・テンプルが6歳の史上最年少でアカデミー賞特別賞を受賞。 1942年 - 第二次世界大戦: バリ島沖海戦で日本海軍が連合軍艦隊に勝利。 1943年 - 大阪市で通天閣(初代)の解体が始まる。 1946年 - ソ連が千島列島・南樺太の領土編入を正式に宣言。 1949年 - 秋田県能代市で大火(第一次能代大火)。 1952年 - 東大ポポロ事件。 1962年 - マーキュリー計画: アメリカで有人宇宙船「マーキュリー・アトラス6号」(フレンドシップ7)を打上げ。アメリカ初の有人地球周回飛行に成功し、ソ連の宇宙開発レベルに追いつく。 1965年 - レインジャー計画: アメリカの月ロケット「レインジャー8号」が静かの海に着陸。月面の撮影に成功。 1968年 - 金嬉老事件。2人を射殺・13人を人質に温泉旅館に籠城(2月24日に解決)。 1976年 - フィリピン・ルバング島で戦闘を継続していた小野田寛郎に冒険家・鈴木紀夫が接触し帰国を促す。 1980年 - 大阪府枚方市内の京阪電気鉄道京阪本線御殿山駅 - 枚方市駅間で悪戯による置き石脱線転覆事故。104人負傷。 1983年 - 宇宙科学研究所がX線天文観測衛星「てんま」を打上げ。 1991年 - アルバニアの首都ティラナにあったエンヴェル・ホッジャの巨大な像が民衆によって倒される。 1993年 - 文部省宇宙科学研究所がX線天文観測衛星「あすか」を打上げ。 1997年 - 大阪ドームが完成。 1998年 - 坂出送電塔倒壊事件。 2005年 - 明治安田生命が金融庁監査当局より、国内保険業界史上初の業務停止命令を受ける。 2006年 - 岩手県で水沢市・江刺市ほか3町村が合併して奥州市が発足。 2006年 - 山梨県中央市が市制施行。 誕生日 人物 1586年(天正14年1月2日) - 蜂須賀至鎮、阿波国徳島藩主(+ 1620年) 1751年 - ヨハン・ハインリッヒ・フォス、詩人、翻訳家(+ 1826年) 1758年(宝暦8年1月13日) - 柳沢里之、越後国三日市藩主(+ 1804年) 1776年(安永5年1月2日) - 石川総師、伊勢国亀山藩主(+ 1803年) 1779年 - オーガスタス・ウォール・コールコット、画家(+ 1844年) 1781年(安永10年1月28日) - 酒井忠藎、越前国敦賀藩主(+ 1833年) 1789年(寛政元年1月26日) - 酒井忠寧、上野国伊勢崎藩主(+ 1817年) 1802年 - シャルル=オーギュスト・ド・ベリオ、ヴァイオリニスト、作曲家(+ 1870年) 1844年 - ルートヴィッヒ・ボルツマン、物理学者(+ 1906年) 1849年(嘉永2年1月28日) - 曾禰荒助、政治家(+ 1910年) 1882年 - ニコライ・ハルトマン、哲学者(+ 1950年) 1882年 - エリー・ナーデルマン、彫刻家(+ 1946年) 1883年 - 志賀直哉、小説家(+ 1971年) 1884年 - 杉道助、実業家(+ 1964年) 1886年 - 石田礼助、第5代日本国有鉄道総裁(+ 1978年) 1886年 - 石川啄木、歌人、詩人(+ 1912年) 1886年 - クン・ベーラ、政治家(+ 1939年) 1888年 - マリー・ランバート、舞踏家(+ 1982年) 1889年 - ラウレアーノ・ゴメス・カストロ、政治家(+ 1965年) 1890年 - サム・ライス、元プロ野球選手(+ 1974年) 1894年 - 左卜全、俳優(+ 1971年) 1895年 - 山本懸蔵、労働運動家、戦前期の日本共産党党員(+ 1939年) 1901年 - ルイス・カーン、建築家(+ 1974年) 1901年 - ヘンリー・アイリング、化学者(+ 1981年) 1902年 - アンセル・アダムス、写真家(+ 1984年) 1904年 - 武藤富男、官僚、牧師、教育者(+ 1998年) 1905年 - 本庄睦男、小説家(+ 1939年) 1910年 - 山本幸一、政治家(+ 1996年) 1912年 - ピエール・ブール、小説家(+ 1994年) 1915年 - 水の江瀧子、女優(+ 2009年) 1917年 - 山本茂実、小説家(+ 1998年) 1917年 - マニー・ファーバー、画家、美術評論家、映画評論家(+ 2008年) 1919年 - 百瀬晋六、自動車技術者(+ 1997年) 1920年 - 矢口洪一、裁判官(+ 2006年) 1920年 - エフゲニー・F・ドラグノフ、銃器設計者(+ 1991年) 1920年 - 戸田与三郎、元プロ野球選手(+ 1986年) 1921年 - ルース・ギップス、作曲家、ピアニスト、オーボエ奏者(+ 1999年) 1921年 - バディ・ロジャース、プロレスラー(+ 1992年) 1922年 - 熊耳武彦、元プロ野球選手(+ 没年不詳) 1923年 - 秋枝寿一郎、元プロ野球選手 1925年 - ロバート・アルトマン、映画監督(+ 2006年) 1925年 - 栃錦清隆、大相撲第44代横綱、第5代日本相撲協会理事長(+ 1990年) 1925年 - 藤野光久、元プロ野球選手(+ 1991年) 1926年 - リチャード・マシスン、小説家(+ 2013年) 1927年 - シドニー・ポワチエ、俳優(+ 2022年) 1928年 - 浅香光代、剣劇女優(+ 2020年) 1928年 - 広岡富夫、元プロ野球選手 1929年 - 黛敏郎、作曲家(+ 1997年) 1931年 - ジョン・ウィラード・ミルナー、数学者 1933年 - 内井昭蔵、建築家(+ 2002年) 1933年 - 山田吾一、俳優(+ 2012年) 1933年 - 佐藤祐弘、政治家 1936年 - 長嶋茂雄、元プロ野球選手、読売巨人軍終身名誉監督 1937年 - 小平桂一、天文学者 1937年 - 山藤章二、イラストレーター 1937年 - 久保友之、元プロ野球選手 1937年 - ロベルト・フーバー、生化学者 1938年 - 稲垣美穂子、女優 1938年 - リチャード・ベイマー、俳優 1940年 - クリストフ・エッシェンバッハ、指揮者、ピアニスト 1940年 - 百瀬博教、作家、詩人、格闘技プロデューサー(+ 2008年) 1942年 - 若二瀬唯之、元大相撲力士(+ 1997年) 1943年 - アントニオ猪木、プロレスラー、実業家(+ 2022年) 1943年 - マイク・リー、映画監督 1943年 - クライド・ライト、元プロ野球選手 1945年 - ドナルド・マクファーソン、フィギュアスケート選手(+ 2001年) 1945年 - ジョージ・スムート、物理学者 1947年 - 広瀬宰、元プロ野球選手(+ 1999年) 1948年 - 小山ゆう、漫画家 1949年 - 柴田宋休、陶芸家、浄土宗僧侶、詩画作家、エッセイスト 1949年 - 林望、作家、日本文学者 1949年 - 大西譲治、元プロ野球選手 1949年 - 石波義人、俳優、声優 1950年 - 志村けん、タレント(ザ・ドリフターズ)(+ 2020年) 1950年 - ばんばひろふみ、フォークシンガー 1950年 - 土山しげる、漫画家(+ 2018年) 1951年 - ゴードン・ブラウン、イギリス首相 1951年 - ドス・カラス、プロレスラー 1951年 - 美内すずえ、漫画家 1951年 - 奥田和男、元プロ野球選手 1952年 - 有田芳生、ジャーナリスト、政治家 1953年 - 四方田犬彦、比較文学者、映画史家 1953年 - リッカルド・シャイー、指揮者 1957年 - 梨羽侑里、声優 1957年 - 飯島三智、実業家 1958年 - かとうかず子、女優 1958年 - 高塚哲広、気象予報士 1959年 - 稲田朋美、政治家、弁護士 1959年 - ビル・ガリクソン、元プロ野球選手 1959年 - モロ師岡、俳優 1960年 - 河森正治、アニメ監督、メカニックデザイナー 1960年 - ビクトル・メサ、野球選手 1961年 - 紅理子、歌手 1962年 - 真島昌利、ミュージシャン、ギタリスト(THE BLUE HEARTS、THE HIGH-LOWS、ザ・クロマニヨンズ) 1962年 - 中島めぐみ、元タレント、元歌手 1963年 - イアン・ブラウン、ミュージシャン 1963年 - チャールズ・バークレー、バスケットボール選手 1963年 - 山越吉洋、元プロ野球選手 1963年 - 清水ちなみ、コラムニスト 1963年 - 崔永元、アナウンサー 1964年 - 遊佐未森、シンガーソングライター 1966年 - シンディ・クロフォード、スーパーモデル、女優 1966年 - 春日富士晃大、元大相撲力士 1967年 - カート・コバーン、ミュージシャン、ギタリスト(+ 1994年) 1967年 - リリ・テイラー、女優 1967年 - 田中ウルヴェ京、元アーティスティックスイミング選手 1968年 - いしのようこ、女優 1969年 - 外道、プロレスラー 1969年 - 渡辺梓、女優 1969年 - シニシャ・ミハイロビッチ、元サッカー選手、指導者 1970年 - 忰田幸也、元プロ野球選手 1971年 - ヤリ・リトマネン、サッカー選手 1972年 - シェーン・スペンサー、元プロ野球選手 1972年 - 田村香織、元AV女優 1972年 - スティーブ・ヤンセン、元野球選手、野球監督 1975年 - リバン・ヘルナンデス、元プロ野球選手 1975年 - ブライアン・リトレル、ミュージシャン(バックストリート・ボーイズ) 1976年 - エド・グラハム、ミュージシャン(ザ・ダークネス) 1978年 - コーリー・スピンクス、プロボクサー、第20代IBF世界スーパーウェルター級王者 1978年 - 武内健、声優 1978年 - 窪田淳、元プロ野球選手 1979年 - 森田剛、俳優、元歌手、元アイドル(元V6) 1979年 - 黄龍義、野球選手 1980年 - アルトゥール・ボルツ、サッカー選手 1980年 - 石田明、お笑い芸人(NON STYLE) 1980年 - 井澤健、元俳優 1980年 - 高遠るい、漫画家 1980年 - 中村悠一、声優 1980年 - 今村夏子、小説家 1981年 - aika、歌手 1982年 - 小西遼生、俳優、声優 1982年 - 小林千紘、野球選手、ゴルファー 1983年 - 上村和裕、元プロ野球選手 1983年 - ジャスティン・バーランダー、プロ野球選手 1983年 - ホセ・モラレス、元プロ野球選手 1984年 - 小出恵介、俳優 1984年 - 矢部美希、元グラビアアイドル 1984年 - ブライアン・マッキャン、元プロ野球選手 1985年 - ユーリャ・ヴォルコヴァ、歌手(t.A.T.u.) 1985年 - 夏目理緒、タレント、元グラビアアイドル 1985年 - 小川彩佳、アナウンサー 1985年 - ライアン・スウィーニー、元プロ野球選手 1986年 - 山下良美、サッカー審判員 1987年 - GOLF、歌手(GOLF&MIKE、GYM) 1987年 - 休日課長、ミュージシャン(ゲスの極み乙女 、DADARAY) 1988年 - スペンサー・パットン、プロ野球選手 1988年 - リアーナ、歌手 1989年 - 黒田真由、元体操選手 1990年 - 三戸なつめ、ファッションモデル、歌手、タレント 1990年 - 秋場まなと、元俳優 1990年 - 小菅晴香、フリーアナウンサー 1990年 - 関舞、元バレーボール選手 1990年 - チーロ・インモービレ、サッカー選手 1990年 - レオ・ヘルナンデス、元プロ野球選手 1990年 - 三原健司、ミュージシャン(フレデリック) 1991年 - セバスチアン・イヴァサキ、フィギュアスケート選手 1992年 - 東弘明、元プロ野球選手 1993年 - 橋本奈々未、元アイドル(元乃木坂46) 1994年 - ルイス・セベリーノ、プロ野球選手 1994年 - 大泉健斗、ニッポン放送アナウンサー 1995年 - 高木祥太、ミュージシャン(BREIMEN、エドガー・サリヴァン) 1995年 - 徳永ゆうき、演歌歌手 1995年 - 李卓、アメリカンフットボール選手 1996年 - 伊藤万理華、女優、元アイドル(元乃木坂46) 1996年 - 伊藤梨沙子、ファッションモデル、女優 1996年 - 矢野晴人、ボーカリスト、YouTuber、バンドマン(Non Stop Rabbit) 1996年 - 河北はるな、AV女優 1997年 - 焚吐、シンガーソングライター、ミュージシャン、歌手 1997年 - 藤崎ふみ、アイドル、ピアニスト(BANZAI JAPAN、NIRA) 1997年 - 野本ほたる、女優 1998年 - 藤田ニコル、ファッションモデル、タレント 1998年 - 西銘駿、俳優 1998年 - yunocy、グラビアアイドル 2001年 - 坂口有望、シンガーソングライター 2002年 - 吉田莉桜、ファッションモデル 2003年 - オリヴィア・ロドリゴ、シンガーソングライター 2004年 - 飯島緋梨、女優、ファッションモデル 2004年 - 島野愛友利、野球選手 生年不詳 - 高橋久美子、キャラクターデザイナー 生年不詳 - あえか、シンガーソングライター 生年不明 - 小野綾子、声優 人物以外(動物など) 1937年 - イエリユウ、競走馬(+ 1941年) 1991年 - ウインドインハーヘア、競走馬 1995年 - カラジ、競走馬 1995年 - キョウワダイキチ、競走馬(+ 2005年) 1999年 - ウォーエンブレム、競走馬 2001年 - エアシェイディ、競走馬 2005年 - キングスゲイトネイティヴ、競走馬 2008年 - アドマイヤラクティ、競走馬 2009年 - ジェンティルドンナ、競走馬 忌日 人物 1194年 - タンクレーディ、シチリア王(* 1139年) 1431年 - マルティヌス5世、ローマ教皇(* 1368年) 1513年 - ハンス、デンマーク王(* 1455年) 1618年 - フィリップス・ヴィレム、オラニエ公(* 1554年) 1626年 - ジョン・ダウランド、作曲家(* 1563年) 1762年 - トビアス・マイヤー、天文学者(* 1723年) 1773年 - カルロ・エマヌエーレ3世、サルデーニャ王(* 1701年) 1778年 - ラウラ・バッシ、物理学者(* 1711年) 1790年 - ヨーゼフ2世、神聖ローマ皇帝(* 1741年) 1861年 - ウジェーヌ・スクリーブ、劇作家、小説家(* 1791年) 1862年 - ウィリー・リンカーン、エイブラハム・リンカーンの三男(* 1850年) 1890年 - P・G・T・ボーリガード、南軍の大将(* 1818年) 1895年 - フレデリック・ダグラス、奴隷解放運動家(* 1818年) 1907年 - アンリ・モアッサン、化学者(* 1852年) 1909年 - ポール・ランソン、画家(* 1864年) 1915年 - 岩村通俊、官僚、政治家(* 1840年) 1916年 - ポントゥス・アルノルドソン、ジャーナリスト、政治家(* 1844年) 1919年 - 村山槐多、洋画家(* 1896年) 1920年 - ロバート・ピアリー、探検家(* 1856年) 1920年 - ジャシンタ・マルト、福者(* 1910年) 1933年 - 小林多喜二、小説家(* 1903年) 1947年 - 林古渓、歌人、作詞家、漢文学者(* 1875年) 1952年 - 高田保、劇作家、随筆家(* 1895年) 1954年 - セイディー・マクマホン、プロ野球選手(* 1867年) 1960年 - レオナード・ウーリー、考古学者(* 1880年) 1961年 - パーシー・グレインジャー、作曲家(* 1882年) 1962年 - 鳥井信治郎、サントリー創業者(* 1879年) 1963年 - フェレンツ・フリッチャイ、指揮者(* 1914年) 1966年 - チェスター・ニミッツ、アメリカ海軍の元帥(* 1885年) 1969年 - エルネスト・アンセルメ、指揮者(* 1883年) 1972年 - マリア・ゲッパート=メイヤー、物理学者(* 1906年) 1973年 - 棚橋小虎、労働運動家、政治家(* 1889年) 1976年 - レネ・カサン、法学者、「世界人権宣言」起草者(* 1887年) 1985年 - 中野好夫、英文学者、評論家(* 1903年) 1988年 - ボブ・オファレル、プロ野球選手(* 1896年) 1991年 - 賀原夏子、女優(* 1921年) 1993年 - フェルッチオ・ランボルギーニ、実業家、ランボルギーニ設立(* 1916年) 1994年 - 大和田夏希、漫画家(* 1953年) 1996年 - 武満徹、作曲家(* 1930年) 1999年 - 、歌手(元カラパナ)(* 1955年) 2003年 - エディ・トムソン、元サッカー監督(* 1947年) 2004年 - 山中貞則、政治家(* 1921年) 2006年 - 角田達郎、西日本旅客鉄道初代社長(* 1928年) 2014年 - 榊米一郎、工学者(* 1913年) 2021年 - 安田猛、元プロ野球選手(* 1947年) 2022年 - 西郷輝彦、俳優、歌手 (* 1947年) 人物以外(動物など) 2009年 - ソックス、ビル・クリントン元アメリカ合衆国大統領が在任中に一家でホワイトハウスにて飼っていた猫(推定年齢18歳) 記念日・年中行事 世界社会正義の日() 2007年の国連総会決議で制定され、2009年から実施された国際デー。貧困削減や、国際労働機関の定める労働者の権利の促進を目的に制定。 旅券の日() 1878年のこの日、外務省布達第1号「海外旅券規則」で「旅券」という用語が初めて使用されたことにちなみ、外務省が1998年に制定。 アレルギーの日() 日本アレルギー協会が1995年に制定。1966年のこの日、免疫学者の石坂公成・照子夫妻が、ブタクサによる花粉症の研究からアレルギーを起こす原因となる免疫グロブリンEを発見したことを発表した。 交通事故死ゼロを目指す日() 日本政府が生活安心プロジェクトの一環として2008年から実施。2月20日と、春・秋の全国交通安全運動の期間中の4月10日・9月30日。 歌舞伎の日() 慶長12年2月20日(旧暦)、出雲阿国が江戸城において将軍徳川家康や諸大名の前で初めて歌舞伎踊りを披露したことにちなむ。 愛媛県政発足記念日() 1873年のこの日に石鉄県と神山県が合併して愛媛県が誕生したことに由来。1973年に最初の記念行事が行われ、「愛媛県章」(1989年のデザイン変更に伴い廃止)と県民歌「愛媛の歌」が制定された。 フィクションのできごと 1947年(昭和22年)- 椿英輔子爵が天銀堂事件の容疑をかけられ警視庁の取調べを受ける。椿美禰子はウィルヘルム・マイステルを読了し書庫にしまう。(小説『悪魔が来りて笛を吹く』) 1997年 - オウルイマジンが現れる。電王ガンフォームに倒される。(特撮『仮面ライダー電王』) 宇宙歴800年(新帝国歴002年) - 「冬バラ園の勅令」が公布され、自由惑星同盟が事実上滅亡する。(小説・アニメ『銀河英雄伝説』) 誕生日(フィクション) 1957年 - ジェフリー・マクワイルド、ゲーム『バーチャファイター』に登場するキャラクター 1989年 - 鳩村真琴、漫画『僕はビートルズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 北島マヤ、漫画・アニメ『ガラスの仮面』の主人公 生年不明 - モカ、『シナモロール』『シナモエンジェルス』のキャラクター 生年不明 - ケンタウルス星座のバベル、漫画・アニメ『聖闘士星矢』に登場するキャラクター 生年不明 - 猟犬星座のアステリオン、漫画・アニメ『聖闘士星矢』に登場するキャラクター 生年不明 - クマドリ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - 小南、漫画・アニメ『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター 生年不明 - 弥彦、漫画・アニメ『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター 生年不明 - リナリー・リー、漫画『D.Gray-man』に登場するキャラクター 生年不明 - グレイ、漫画・アニメ『ブラッククローバー』に登場するキャラクター 生年不明 - 出雲阿国、漫画『SAMURAI DEEPER KYO』に登場するキャラクター 生年不明 - 大塚芽子、漫画・アニメ『山田くんと7人の魔女』に登場するキャラクター 生年不明 - 新門紅丸、漫画・アニメ『炎炎ノ消防隊』に登場するキャラクター 生年不明 - 生駒みなみ、漫画・アニメ『神のみぞ知るセカイ』に登場するキャラクター 生年不明 - 白石結、漫画・アニメ『お酒は夫婦になってから』に登場するキャラクター 生年不明 - 種村小依、漫画・アニメ『私に天使が舞い降りた!』に登場するキャラクター 生年不明 - ロン毛、アニメ『戦翼のシグルドリーヴァ』に登場するキャラクター 生年不明 - 私(杏子)、小説『博士の愛した数式』に登場するキャラクター 生年不明 - 神室真澄、小説・アニメ『ようこそ実力至上主義の教室へ』に登場するキャラクター 生年不明 - 天宮静、ゲーム『金色のコルダ3』に登場するキャラクター 生年不明 - 江藤くるみ、ゲーム・アニメ『ガールフレンド(仮)』に登場するキャラクター 生年不明 - 箱崎星梨花、ゲーム『アイドルマスター ミリオンライブ!』に登場するキャラクター 生年不明 - エヴァン、ゲーム『キングスレイド』に登場するキャラクター 出典 関連項目
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https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8822%E6%97%A5
2月22日
2月22日(にがつにじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から53日目にあたり、年末まであと312日(閏年では313日)ある。 できごと 1371年 - ロバート2世がスコットランド王に即位。ステュアート朝が始まる。 1467年(応仁元年1月18日) - 上御霊神社周辺で御霊合戦が起こり、応仁の乱が始まる。 1632年 - ガリレオ・ガリレイの『天文対話』が発刊。 1689年(ユリウス暦2月13日) - 名誉革命: イングランド議会の招請を受けたオランダ総督ウィレム3世とメアリー夫妻が権利の章典を承認。 1744年 - オーストリア継承戦争: トゥーロンの海戦 1819年 - アダムズ=オニス条約締結。アメリカがスペインに補償金500万ドルを支払いフロリダの領土権を獲得。 1847年 - 米墨戦争: ブエナ・ビスタの戦いが始まる。2月23日まで。 1848年 - 選挙改革宴会が政府の禁令を無視して強行、労働者・学生らのデモに発展。フランス二月革命の始まり。 1853年 - セントルイス・ワシントン大学創立。 1856年 - アメリカ共和党の第1回全国大会開催。 1875年 - 板垣退助が大阪で政治団体・愛国社を結成。 1880年 - 横浜地震。日本における地震研究者の学会、日本地震学会が結成されるきっかけとなる。 1886年 - イギリスの『ザ・タイムズ』紙に初めて「尋ね人欄」が登場。(尋ね人欄の最初) 1905年 - 竹島が島根県に編入される。 1907年 - 前年結成の日本社会党に対し結社禁止命令。 1912年 - 未成年者飲酒取締法公布。 1915年 - 第一次世界大戦: ドイツ海軍が無制限潜水艦作戦を開始。 1918年 - 本多光太郎らが強力な永久磁石鋼「KS鋼」の特許を取得。 1932年 - 第一次上海事変で中国軍の鉄条網突破のために3人の工兵が自爆。(爆弾三勇士) 1932年 - 生田乃木次が日本軍初の空戦による敵機撃墜。 1942年 - 第二次世界大戦: フランクリン・ルーズベルト米大統領がダグラス・マッカーサーにフィリピンからの撤退を命ずる。 1943年 - アメリカ海軍の戦艦「アイオワ」が就役。 1943年 - 反ナチス・ドイツ運動「白いバラ」のメンバーに対する裁判で、反逆罪により死刑判決、即日処刑。 1945年 - 第二次世界大戦: ウルグアイが日本に宣戦布告。 1951年 - 東京都中央区築地の中華料理店「八宝亭」の一家4人が撲殺される(築地八宝亭一家殺人事件)。 1958年 - エジプトとシリアが連合協定に調印し、アラブ連合共和国が成立。 1965年 - 北海道夕張市の北炭夕張炭鉱第一砿でガス爆発が起こり、62人が死亡。 1967年 - インドネシアのスハルト閣僚会議議長が、スカルノ大統領の全権限委譲を発表。 1971年 - 三里塚闘争: 成田空港建設予定地で第1回行政代執行開始。反対同盟と機動隊が衝突。 1979年 - セントルシアがイギリスから独立。 1980年 - レークプラシッドオリンピックのアイスホッケーで、アメリカがソ連を4-3で破る。(氷上の奇跡) 1986年 - フィリピンでエドゥサ革命が始まる。 1989年 - 佐賀県の吉野ヶ里遺跡で弥生時代後期の国内最大規模の環濠集落を発見。 1989年 - 文部省宇宙科学研究所がオーロラ観測衛星「あけぼの」を打上げ。 1993年 - 中学校での業者模擬テスト実施の禁止を文部省が通達。 1995年 - ロッキード事件: 田中角栄の秘書官・榎本敏夫に対し最高裁判所で有罪判決が確定。判決の中で田中角栄の5億円収受を認定する。 1996年 - ジャック・シラク仏大統領が地上発射核ミサイル基地閉鎖・戦術核ミサイル廃棄を発表。 1997年 - スコットランドのロスリン研究所が、世界初の哺乳類の体細胞クローンである雌羊「ドリー」の誕生を発表。 1998年 - 長野オリンピックが閉幕。 1999年 - NTTドコモがiモードのサービスを開始。初号機は富士通製のmovaF501i。 2000年 - 東京証券取引所でヤフージャパンが1億6790万円の最高値を記録。 2001年 - コロンビア邦人副社長誘拐事件。矢崎総業の現地合弁会社副社長が誘拐され、約2年9ヵ月後に遺体で発見。 2002年 - マイクロソフトが家庭用ゲーム機「Xbox」を日本で発売。 2002年 - JR九州鹿児島本線海老津駅 - 教育大前駅間で列車衝突事故。 2006年 - イギリス・ケント州トンブリッジでイングランド銀行の警備会社の金庫から5300万ポンドの現金を強奪する事件が発生。英国犯罪史上最大の現金強盗事件。 2006年 - 宇宙航空研究開発機構が赤外線天文衛星「あかり」を打上げ。 2009年 - 『おくりびと』(滝田洋二郎監督)がアカデミー外国語映画賞を、「つみきのいえ」(加藤久仁生監督)がアカデミー短編アニメ賞を受賞する。 2011年 - ニュージーランドでカンタベリー地震が発生。 2019年 - 小惑星探査機はやぶさ2が小惑星リュウグウへの着地に成功。 2019年 - 在スペイン北朝鮮大使館襲撃事件が発生。後に自由朝鮮が犯行を認める。 2022年 - ロシア連邦下院は、ドネツク人民共和国およびルガンスク人民共和国との友好、協力、相互支援の条約を承認。 誕生日 人物 1403年 - シャルル7世、フランス王(+ 1461年) 1440年 - ラディスラウス・ポストゥムス、ハンガリー王、ボヘミア王(+ 1457年) 1559年(永禄2年1月15日) - 伊東祐兵、初代飫肥藩主(+ 1600年) 1714年(正徳4年1月8日) - 分部光命、第6代大溝藩主(+ 1783年) 1732年 - ジョージ・ワシントン、初代アメリカ合衆国大統領(+ 1799年)※グレゴリオ暦換算 1744年(寛保4年1月9日) - 松平容頌、第5代会津藩主(+ 1805年) 1785年 - ジャン=シャルル・ペルティエ、物理学者(+ 1845年) 1788年 - アルトゥル・ショーペンハウアー、哲学者(+ 1860年) 1796年 - アドルフ・ケトレー、数学者、社会学者、統計学者(+ 1874年) 1806年 - アントワーヌ・ヴィールツ、画家、彫刻家(+ 1865年) 1810年 - フレデリック・ショパン、作曲家(+ 1849年) 1811年 - ウィリアム・バーンズ、言語学者(+ 1886年) 1817年 - ニルス・ゲーゼ、作曲家、指揮者(+ 1890年) 1824年 - ピエール・ジャンサン、天文学者(+ 1907年) 1839年(天保10年1月9日) - 松平直侯、第4代川越藩主(+ 1862年) 1840年 - アウグスト・ベーベル、ドイツ社会民主党幹部会議長(+ 1913年) 1846年 - エラ・アダイェフスカヤ、ピアニスト、作曲家、民族音楽学研究家(+ 1926年) 1857年 - ロバート・ベーデン=パウエル、ボーイスカウト創立者(+ 1941年) 1857年 - ハインリヒ・ヘルツ、物理学者(+ 1894年) 1859年(安政6年1月20日) - 妻木頼黄、建築家(+ 1916年) 1862年 - フルダ・ガルボルグ、作家、舞踏家(+ 1934年) 1863年(文久3年1月5日) - 坪井正五郎、自然人類学者(+ 1913年) 1864年 - ジュール・ルナール、小説家、劇作家(+ 1910年) 1867年(慶応3年1月18日) - 宮武外骨、ジャーナリスト(+ 1955年) 1869年(明治2年1月12日) - 岡田三郎助、洋画家(+ 1939年) 1874年 - 高浜虚子、俳人(+ 1959年) 1874年 - ビル・クレム、メジャーリーグ審判(+ 1951年) 1879年 - ヨハンス・ブレンステッド、化学者(+ 1947年) 1881年 - 浜田耕作、考古学者(+ 1938年) 1884年 - 三浦環、オペラ歌手(+ 1946年) 1887年 - 松本泰、推理作家(+ 1939年) 1890年 - 日夏耿之介、詩人、イギリス文学者(+ 1971年) 1890年 - ベンノ・モイセイヴィチ、ピアニスト(+ 1963年) 1892年 - 佐野学、社会主義運動家(+ 1953年) 1900年 - ルイス・ブニュエル、映画監督(+ 1983年) 1900年 - ジェームズ・シスネット、バルバドスの長寿の男性(+ 2013年) 1902年 - ヘルマ・サボー、フィギュアスケート選手(+ 1986年) 1903年 - フランク・ラムゼイ、数学者(+ 1930年) 1908年 - ジョン・ミルズ、俳優(+ 2005年) 1901年 - オルゴニシュタ・オルガ、フィギュアスケート選手(+ 1978年) 1912年 - 伊沢一郎、俳優(+ 1995年) 1912年 - 勝田龍夫、銀行家(+ 1991年) 1913年 - 中村信一、プロ野球選手(+ 没年不詳) 1914年 - レナート・ドゥルベッコ、ウイルス学者(+ 2012年) 1918年 - チャーリー・O・フィンリー、メジャーリーグ球団オーナー(+ 1996年) 1919年 - 高品格、俳優(+ 1994年) 1920年 - 中河美芳、元プロ野球選手(+ 1944年) 1921年 - ジュリエッタ・マシーナ、女優(+ 1994年) 1921年 - 山下元利、政治家(+ 1994年) 1921年 - 三宅宅三、元プロ野球選手(+ 2006年) 1921年 - ジャン=ベデル・ボカサ、中央アフリカ大統領・皇帝(+ 1996年) 1925年 - エドワード・ゴーリー、絵本作家(+ 2000年) 1927年 - 伊藤京子、ソプラノ歌手(+ 2021年) 1927年 - 安田範、政治家(+ 2019年) 1930年 - マーニ・ニクソン、オペラ歌手(+ 2016年) 1930年 - エドワード・D・ホック、推理作家(+ 2008年) 1932年 - 谷啓、俳優、コメディアン、トロンボーン奏者(+ 2010年) 1932年 - 星野行男、政治家、弁護士(+ 2014年) 1932年 - エドワード・ケネディ、政治家(+ 2009年) 1933年 - アーニー・ケイドー、歌手(+ 2001年) 1934年 - 財津一郎、俳優 1934年 - スパーキー・アンダーソン、メジャーリーグ監督(+ 2010年) 1935年 - 大藪春彦、小説家(+ 1996年) 1935年 - 京田尚子、声優 1935年 - 中田昌宏、元プロ野球選手 1936年 - J・マイケル・ビショップ、免疫学者 1936年 - 沢田教一、写真家(+ 1970年) 1939年 - 吉増剛造、詩人 1940年 - ヤン・エルスター、社会学者、政治学者 1941年 - 沼田爆、俳優 1942年 - 中村忠、空手家 1942年 - 加納典明、写真家 1943年 - ホルスト・ケーラー、ドイツ連邦大統領 1944年 - ジョナサン・デミ、映画監督(+ 2017年) 1944年 - ロバート・カーダシアン、弁護士 1946年 - 佐藤久美子、フィギュアスケート選手、コーチ 1947年 - 吉川惣司、脚本家 1948年 - 都はるみ、歌手 1949年 - ニキ・ラウダ、レーシングドライバー (+ 2019年) 1949年 - オルガ・モロゾワ、テニス選手 1949年 - 浅野啓司、元プロ野球選手 1950年 - ジュリアス・アービング、バスケットボール選手 1950年 - 日高富明、歌手(元ガロ)(+ 1986年) 1951年 - 売野雅勇、作詞家 1952年 - イッセー尾形、俳優 1953年 - 名香智子、漫画家 1954年 - うえやまとち、漫画家 1955年 - 河内洋、元騎手、調教師 1958年 - 遠藤桂一、政治家 1959年 - カイル・マクラクラン、俳優 1959年 - 松木謙公、政治家 1960年 - ホッピー神山、ミュージシャン、キーボーディスト 1961年 - 高崎晃、ミュージシャン 1962年 - スティーブ・アーウィン、タレント、動物園経営者(+ 2006年) 1963年 - ビジェイ・シン、ゴルファー 1965年 - キーレン・ファロン、騎手 1965年 - 南海龍太郎、元大相撲力士、プロレスラー 1965年 - 濱田のり子、女優、歌手(元セイントフォー) 1966年 - 椎名桜子、小説家、写真家 1967年 - 柴田祐規子、アナウンサー 1967年 - 飯塚昌明、作曲家、ギタリスト 1968年 - 佐々木主浩、元プロ野球選手 1968年 - 染谷俊、シンガーソングライター、ミュージシャン 1968年 - オルマリ・ロメロ、元野球選手 1969年 - 古泉智浩、漫画家 1969年 - 鈴木早智子、女優(元Wink) 1969年 - ブライアン・ラウドルップ、元サッカー選手 1969年 - 渡瀬マキ、ミュージシャン(リンドバーグ) 1969年 - 菊地哲、ミュージシャン(元横須賀サーベルタイガー・CRAZE等) 1971年 - 小桜エツコ、声優 1971年 - ラファエル・ガルシア、プロレスラー 1972年 - 石津彩、声優 1972年 - 菊池健一郎、俳優 1972年 - 大暮維人、漫画家 1972年 - マイケル・チャン、元テニス選手 1973年 - 小野寺麻理子、元声優 1973年 - 細美武士、ミュージシャン 1973年 - モリナオヤ、ミュージシャン、イラストレーター 1974年 - ジェームス・ブラント、ミュージシャン 1974年 - 陣内智則、お笑いタレント 1974年 - 長塚京子、テニス選手 1974年 - 久野和禎、実業家 1975年 - ドリュー・バリモア、女優 1975年 - 武壮隆志、写真家 1975年 - 西山哲平、サッカー選手 1975年 - エンジェリック乱世、モノマネタレント 1976年 - 堂島孝平、シンガーソングライター 1976年 - フィフィ、タレント 1977年 - 永田良輔、俳優 1977年 - J・J・プッツ、元プロ野球選手 1977年 - 宮川美保、声優 1977年 - yuri、ミュージシャン(m.o.v.e) 1977年 - アレクサンデル・マジェタ、野球選手 1977年 - 神原陽一、物理学者 1978年 - マーチン・バルガス、元プロ野球選手 1979年 - 高田保則、サッカー選手 1980年 - 克哉、ミュージシャン(UVERworld) 1980年 - 野口英盛、元陸上選手 1981年 - 井口祐一、声優 1982年 - 中山慎也、元プロ野球選手 1982年 - 川野直輝、俳優、ミュージシャン、ドラマー 1982年 - 狩野英孝、お笑いタレント 1982年 - ケリー・ジョンソン、元プロ野球選手 1982年 - スザンナ・ポイキオ、フィギュアスケート選手 1983年 - ブライアン・ダンシング、プロ野球選手 1983年 - ケイシー・コッチマン、プロ野球選手 1984年 - 柴田あゆみ、歌手(元メロン記念日) 1984年 - 佐藤祐基、俳優 1984年 - 庄司ゆうこ、実業家、タレント 1984年 - ブラニスラヴ・イヴァノヴィッチ、サッカー選手 1984年 - 亜太、ベーシスト 1985年 - 髙坂篤志、声優 1985年 - 萩山竜馬、アメリカンフットボール選手 1986年 - 青山敏弘、サッカー選手 1987年 - 松本菜緒、ミュージカル俳優 1987年 - カルロス・ペゲーロ、プロ野球選手 1987年 - セルヒオ・ロメロ、サッカー選手 1987年 - ハン・ヒョジュ、女優 1988年 - 川崎龍一、元俳優 1988年 - 喜山康平、サッカー選手 1988年 - 後藤香南子、元アイドル 1988年 - コルビー・コヴィントン、総合格闘家 1988年 - 五ヶ谷宏司、元陸上選手 1989年 - クリス・バシット、プロ野球選手 1989年 - 江宏傑、卓球選手 1990年 - 中田祥多、元プロ野球選手 1990年 - 水沼宏太、サッカー選手 1990年 - 岸本セシル、モデル 1990年 - マリウス・アレクセ、サッカー選手 1990年 - ディオゴ・ヴィアナ、サッカー選手 1990年 - タラス・ブルラク、サッカー選手 1990年 - ペイジ・ローレンス、フィギュアスケート選手 1991年 - 古性優作、マウンテンバイクレース選手 1991年 - 渡辺未優、タレント 1991年 - ロビン・シェーンベリ、歌手 1992年 - 福満隆貴、サッカー選手 1993年 - 李昱鴻、元プロ野球選手 1993年 - 岡野真也、女優 1993年 - 越川友貴、モデル 1994年 - 高野麻里佳、声優 1994年 - デン、お笑いタレント(リンダカラー) 1994年 - ナム・ジュヒョク、俳優 1994年 - 山内優花、女優 1996年 - 谷中田トキオ、元子役 1996年 - 原風佳、タレント、モデル 1997年 - 藤津摩衣、元子役 1997年 - 油布京子、アニメーター、キャラクターデザイナー 2001年 - 横山玲奈、歌手(モーニング娘。) 2002年 - 岡林勇希、プロ野球選手 2004年 - 石山咲良、歌手(Juice=Juice) 2005年 - 髙橋舞、アイドル(≒JOY) 生年不明 - 関山美沙紀、声優 生年不明 - 立川恵、漫画家 生年不明 - 村瀬克輝、声優 生年不明 - 永田昌康、声優 生年不明 - 小林眞紀、声優 人物以外 生年不明 - ぐんまちゃん、群馬県マスコットキャラクター 忌日 606年 - サビニアヌス、第64代ローマ教皇 622年‐ 聖徳太子、摂政(574年) 705年(神龍元年1月24日) - 武則天、唐皇帝高宗の皇后、武周朝創始者(* 623年?) 1371年 - デイヴィッド2世、スコットランド王(* 1324年) 1512年 - アメリゴ・ヴェスプッチ、航海者(* 1454年) 1543年(天文12年1月19日) - 禰々、信濃国諏訪領主諏訪頼重の正室(* 1528年) 1634年(寛永11年1月25日) - 稲葉正勝、江戸幕府老中、小田原藩主(* 1597年) 1680年(延宝8年1月22日) - 太田資宗、元浜松藩主(* 1600年) 1690年 - シャルル・ルブラン、画家(* 1619年) 1731年 - フレデリクス・ルイシ、植物学者、解剖学者(* 1638年) 1780年 - フランチェスコ3世・デステ、モデナ・レッジョ公(* 1698年) 1784年(天明4年閏1月2日) - 津軽信寧、第7代弘前藩主(* 1739年) 1797年 - ミュンヒハウゼン男爵、ドイツの貴族(* 1720年) 1827年 - チャールズ・ウィルソン・ピール、画家、軍人、博物学者(* 1741年) 1832年 - アセンシオ・フリア、画家(* 1760年) 1875年 - カミーユ・コロー、画家(* 1796年) 1875年 - チャールズ・ライエル、地質学者(* 1797年) 1878年 - フランツ・ヒュンテン、作曲家(* 1792年) 1885年 - ホーレス・ケプロン、元開拓使御雇教師頭取兼開拓顧問(* 1804年) 1888年 - ジャン・アラール、ヴァイオリニスト(* 1815年) 1890年 - カール・ハインリッヒ・ブロッホ、画家(* 1834年) 1898年 - 興宣大院君、李氏朝鮮の摂政(* 1820年) 1903年 - フーゴー・ヴォルフ、作曲家(* 1860年) 1904年 - レズリー・スティーヴン、文学史家、思想史家(* 1832年) 1913年 - フェルディナン・ド・ソシュール、言語学者(* 1857年) 1913年 - フランシスコ・マデロ、第38代メキシコ大統領(* 1873年) 1923年 - テオフィル・デルカッセ、元フランス外相(* 1852年) 1923年 - ダムディン・スフバートル、モンゴルの革命家(* 1894年) 1925年 - 田中稲城、図書館学者、帝国図書館初代館長(* 1856年) 1938年 - ミゲル・リョベート、ギタリスト、作曲家(* 1878年) 1942年 - シュテファン・ツヴァイク、小説家、評論家(* 1881年) 1943年 - ハンス・ショル、白バラ抵抗運動のメンバー(* 1918年) 1943年 - ゾフィー・ショル、白バラ抵抗運動のメンバー(* 1921年) 1951年 - 實川延若 (2代目)、歌舞伎役者(* 1877年) 1965年 - フェリックス・フランクファーター、法学者(* 1882年) 1967年 - 柳原白蓮、歌人(* 1885年) 1975年 - ライオネル・ターティス、ヴィオリスト(* 1876年) 1976年 - マイケル・ポランニー、物理化学者、社会科学者、科学哲学者(* 1891年) 1976年 - 薩摩治郎八(バロン薩摩)、実業家(* 1901年) 1977年 - 宇野弘蔵、マルクス経済学者(* 1897年) 1980年 - オスカー・ココシュカ、画家(* 1886年) 1980年 - 石川準十郎、国家社会主義思想家(* 1899年) 1981年 - ガイ・バトラー、陸上競技選手(* 1899年) 1983年 - エイドリアン・ボールト、指揮者(* 1889年) 1984年 - 門前眞佐人、元プロ野球選手・監督(* 1917年) 1985年 - エフレム・ジンバリスト、ヴァイオリニスト(* 1889年) 1985年 - 藤山愛一郎、元外務大臣、経済企画庁長官(* 1897年) 1985年 - 米山正夫、作曲家、作詞家(* 1912年) 1987年 - アンディー・ウォーホル、芸術家、画家(* 1928年) 1992年 - 三木淳、写真家(* 1919年) 1998年 - 荘司雅子、教育学者(* 1909年) 2000年 - 宮崎辰雄、元神戸市長(* 1911年) 2002年 - ジョナス・サヴィンビ、アンゴラ全面独立民族同盟 (UNITA) の指導者(* 1934年) 2003年 - 隅谷三喜男、経済学者(* 1916年) 2004年 - 東出剛、競輪選手(* 1964年) 2005年 - シモーヌ・シモン、女優(* 1910年) 2005年 - 羽生未来、タレント(* 1974年) 2005年 - イ・ウンジュ、女優(* 1980年) 2005年 - ズジスワフ・ベクシンスキー、画家(* 1929年) 2007年 - ロータル=ギュンター・ブーフハイム、小説家(* 1918年) 2007年 - フォンス・ラデメーカーズ、映画監督(* 1920年) 2007年 - イアン・ウォレス、ドラマー(* 1946年) 2008年 - 豊永常代、長寿日本一であった女性(* 1894年) 2008年 - 神田厚、元防衛庁長官(* 1941年) 2008年 - 山崎猛、俳優(* 1944年) 2012年 - 北公次、歌手(フォーリーブス)(* 1949年) 2013年 - ヴォルフガング・サヴァリッシュ、指揮者(* 1923年) 2013年 - 光本幸子、女優(* 1943年) 2016年 - ダグラス・スローカム、撮影監督(* 1913年) 2016年 - 村田和人、シンガーソングライター、作曲家(* 1954年) 2019年 - 笑福亭松之助、落語家(* 1925年) 2020年 - 岸野一彦、声優(* 1934年) 2021年 - 会田照夫、元プロ野球選手(* 1947年) 記念日・年中行事 エジプトのアブ・シンベル神殿の奥に陽が届く日。(年2回。もう1日は10月22日) スカウティングの創始者ロバート・ベーデン=パウエルとその妻オレブの誕生日に関連する記念日 ()、ガールガイド・ガールスカウト世界連盟が制定し、1926年から実施された。 ()、ボーイスカウト世界会議で制定され、1965年から実施された。 猫の日() 2月22日の「222」が猫の鳴き声「ニャン・ニャン・ニャン」と読めることから。「猫の日制定委員会」が1987年に制定し、ペットフード工業会が主催。 行政書士記念日() 1951年のこの日に行政書士法が施行されたことを記念して日本行政書士会連合会が制定。 食器洗い乾燥機の日() 社団法人日本電機工業会が制定。食器洗い乾燥機により食後のゆとりができ、夫婦だんらんの時間ができるとして、「夫婦(22)にっ(2)こり」の語呂合せでこの日を記念日とした。 駅すぱあとの日() 日本初の交通機関の最適な経路を案内する経路検索ソフト「駅すぱあと」。これを開発・販売するソフトウェア会社である株式会社ヴァル研究所が制定。「駅すぱあと」が初めて発売された1988年2月22日からこの日を記念日とした。 ヘッドホンの日() ヘッドホンナビが制定。ヘッドホンは2チャンネルの出力で音楽を楽しめることから、2の重なるこの日を記念日とした。 太子会() 推古天皇30年旧暦2月22日(622年4月8日)に聖徳太子が亡くなったことから、聖徳太子を本尊とする法会が行われる。 竹島の日() 1905年1月28日に竹島の島根県への編入を閣議決定し、同年2月22日に島根県知事が所属所管を明らかにする告示を行ったことに由来する(明治38年島根県告示第40号)。2005年3月16日に島根県議会が制定。 2枚目の名刺の日() 社会人が本業以外に社会活動を行う2枚目の名刺を持つことを記念する日。象徴的な2の重なるこの日を特定非営利活動法人二枚目の名刺が記念日とした。 忍者の日() 滋賀県甲賀市が2015年に制定。隣の三重県伊賀市と併せて忍者の里として知られることから、数字の「2」と忍者の「にん」をかけ、日本の各地5か所でイベントが開催される。 乃木坂46の日() 乃木坂46のデビューシングル「ぐるぐるカーテン」の発売日である2012年2月22日を由来とする。所属事務所である乃木坂46合同会社が制定。 EXILE THE SECOND DAY() ユニット名に「SECOND」が「2」が3つ並ぶ2月22日を記念日に選んだのだという。日本記念日協会が2017年2月22日に正式に認定。 フィクションのできごと 2002年 - スコーピオンイマジンが現れ、電王アックスフォームによって倒される。(特撮『仮面ライダー電王』) 2006年 - 東京卍會と天竺による抗争「関東事変」が起きる。(漫画『東京卍リベンジャーズ』) U.C.0088年 - ティターンズ艦隊が壊滅し、グリプス戦役が終結。クワトロ・バジーナことシャア・アズナブルが行方不明となる。(アニメ『機動戦士Ζガンダム』) 誕生日(フィクション) 1995年 - 山本猛虎、漫画・アニメ『ハイキュー!!』に登場するキャラクター 2003年 - 日高昴、ゲーム・漫画『ROBOTICS;NOTES』に登場するキャラクター 宇宙暦30年 - ペリシー、ゲーム『スターオーシャン』に登場するキャラクター F.C.10年 - 東方不敗マスター・アジア、テレビアニメ『機動武闘伝Gガンダム』に登場するキャラクター 生年不明 - 木幡真琴、漫画・アニメ『ふらいんぐうぃっち』の主人公 生年不明 - 西表島八重夏、『温泉むすめ』に登場するキャラクター 生年不明 - 志摩茉莉也、『温泉むすめ』に登場するキャラクター 生年不明 - ルル=ベル、漫画『D.Gray-man』に登場するキャラクター 生年不明 - エッジショット、漫画・アニメ『僕のヒーローアカデミア』に登場するキャラクター 生年不明 - 武田尚虎、漫画『オリエント』に登場するキャラクター 生年不明 - 池田華菜、漫画・アニメ『咲-Saki-』に登場するキャラクター 生年不明 - ヒロ、漫画・アニメ『ひめゴト』に登場するキャラクター 生年不明 - 柿本一麻、小説『女子大生会計士の事件簿』に登場するキャラクター 生年不明 - にゃん太、小説・漫画・アニメ『ログ・ホライズン』に登場するキャラクター 生年不明 - 桃乃今日子、アニメ『セイレン』に登場するキャラクター 生年不明 - ニャトラン、アニメ『ヒーリングっど♥プリキュア』に登場するキャラクター 生年不明 - ちゃまめっち、ゲーム・アニメ『たまごっち』に登場するキャラクター 生年不明 - 吹雪アツヤ、ゲーム・アニメ『イナズマイレブン』シリーズに登場するキャラクター 生年不明 - タオカカ、ゲーム『BLAZBLUE』に登場するキャラクター 生年不明 - 鳥留メイ、ゲーム『L@ve once』に登場するキャラクター 生年不明 - 鳥留メル、ゲーム『L@ve once』に登場するキャラクター 生年不明 - 前川みく、ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 猫塚みけ、ゲーム『あんさんぶるガールズ!』に登場するキャラクター 生年不明 - チェシャ猫、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター 生年不明 - 高遠丞、ゲーム・アニメ『A3!』に登場するキャラクター 生年不明 - 阿佐田あおい、ゲーム・アニメ『八月のシンデレラナイン』に登場するキャラクター 生年不明 - ソルル、ゲーム『キラッとプリ☆チャン』に登場するキャラクター 生年不明 - ルルナ、ゲーム『キラッとプリ☆チャン』に登場するキャラクター 生年不明 - マロン、ゲーム『クイズマジックアカデミー』に登場するキャラクター 出典 関連項目
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2月23日
2月23日(にがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から54日目にあたり、年末まであと311日(閏年では312日)ある。 できごと 990年(正暦元年1月25日) - 藤原道隆の娘である定子が一条天皇に入内。 1455年 - グーテンベルク聖書の印刷が開始される。 1660年(ユリウス暦2月13日) - カール11世がスウェーデン王に即位。 1623年 - アンボイナ事件起こる。 1689年(ユリウス暦2月13日) - イングランドでメアリー2世とウィリアム3世が共に国王に即位。権利の宣言に署名し、名誉革命が終結。 1778年 - アメリカ独立戦争: シュトイベン男爵が大陸軍に参加。 1836年 - テキサス独立戦争: アラモの戦いが始まる。 1848年 - 1848年のフランス革命が始まる。 1852年 - ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリーがイギリスの33代首相に就任し、第1次ダービー内閣が発足。 1886年 - チャールズ・マーティン・ホールがアルミニウムの電気分解法(ホール・エルー法)を発明。 1903年 - キューバがアメリカ合衆国にグァンタナモ米軍基地の永久租借を承認。 1904年 - 日韓議定書締結。 1905年 - シカゴで弁護士ポール・ハリスらが、後にロータリークラブとなる相互扶助クラブの最初の会合を開く。 1918年 - 第一次世界大戦でペトログラードへ進むドイツ軍の侵攻に赤軍が抵抗し、赤軍がドイツ帝国軍に初めて勝利(ソ連の陸海軍記念日)。 1929年 - 説教強盗・妻木松吉を東京で逮捕。 1934年 - レオポルド3世がベルギー王に即位。 1939年 - 理化学研究所が原子実験室を設置。 1941年 - グレン・シーボーグらが、94番元素のプルトニウム (238Pu) を世界で初めて合成。 1942年 - 税務代理士法公布。(税理士記念日) 1942年 - 翼賛政治体制協議会結成。 1944年 - 竹槍事件がおこる。 1945年 - 第二次世界大戦: 硫黄島の戦いにて米兵が擂鉢山山頂に星条旗を掲揚。(硫黄島の星条旗) 1945年 - 第二次世界大戦: イギリス空軍がプフォルツハイムを空襲、17,000人以上が死亡。 1947年 - 国際標準化機構(ISO)発足。 1955年 - 東南アジア条約機構 (SEATO) の最初の会議が開催。 1956年 - 東京中日新聞(現:東京中日スポーツ)創刊。 1964年 - 国鉄の電子式座席予約システムMARS101が稼動開始。 1966年 - シリアでバアス党左派の軍事クーデターが成功。 1970年 - 英連邦王国内のギアナが共和制に移行し、ガイアナに改称。 1977年 - 宇宙開発事業団が技術試験衛星「きく2号」を打上げ。日本初の静止衛星。 1981年 - スペインでアントニオ・テヘーロがクーデターに失敗。(23-F) 1981年 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が来日。ローマ教皇として初の来日。 1987年 - 大マゼラン雲内に超新星SN 1987Aを初観測。カミオカンデでニュートリノを検出。 1991年 - 浩宮徳仁親王の立太子の礼が行われる。 1994年 - 藤田小女姫殺害事件。 1999年 - オーストリア・ガルチュールで大きな雪崩が発生。 31人が死亡。 2002年 - コロンビアでイングリッド・ベタンクールが誘拐される。ベタンクールは6年半後の2008年7月2日に救出。 2003年 - ノラ・ジョーンズが第45回グラミー賞の主要4部門を含む8部門で受賞(現地時間)。 2006年 - トリノオリンピック第14日目、女子フィギュアスケートにて荒川静香がアジア初の金メダルに輝く。 2007年 - 鹿児島地方裁判所で志布志事件の被告人12名全員に無罪判決が下される。 2008年 - 新名神高速道路の亀山JCT - 草津田上IC49.7kmが部分開通。 誕生日 人物 1417年 - パウルス2世、第211代ローマ教皇(+ 1471年) 1417年 - ルートヴィヒ9世、下バイエルン=ランツフート公(+ 1479年) 1443年 - マーチャーシュ1世、ハンガリー王(+ 1490年) 1583年 - ジャン=バチスト・モラン、数学者、占星術師(+ 1656年) 1646年(正保3年1月8日) - 徳川綱吉、江戸幕府第5代将軍(+ 1709年) 1648年 - アラベラ・チャーチル、ジェームズ2世の愛妾(+ 1730年) 1685年 - ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル、作曲家(+ 1759年) 1689年 - サミュエル・ベラミー、海賊(+ 1717年) 1744年 - マイアー・アムシェル・ロートシルト、銀行家(+ 1812年) 1817年 - ジョージ・フレデリック・ワッツ、画家、彫刻家(+ 1904年) 1818年 - アントニオ・フォンタネージ、画家(+ 1882年) 1823年 - グスタフ・ナハティガル、探検家(+ 1885年) 1840年 - カール・メンガー、経済学者(+ 1921年) 1842年 - エドゥアルト・フォン・ハルトマン、哲学者(+ 1906年) 1855年 - モーリス・ブルームフィールド、言語学者(+ 1928年) 1863年 - フランツ・フォン・シュトゥック、芸術家(+ 1928年) 1868年 - W・E・B・デュボイス、アメリカの公民権運動指導者(+ 1963年) 1872年(明治5年1月15日) - 平櫛田中、彫刻家(+ 1979年) 1873年 - アンシ、絵本作家、画家(+ 1951年) 1873年(清同治12年1月26日) - 梁啓超、政治家、ジャーナリスト、歴史学者(+ 1929年) 1876年 - 林銑十郎、政治家、第33代内閣総理大臣(+ 1943年) 1878年 - カジミール・マレーヴィチ、芸術家(+ 1935年) 1882年 - 田渕豊吉、政治家(+ 1943年) 1883年 - カール・ヤスパース、哲学者(+ 1969年) 1884年 - 関操、俳優(+ 没年不詳) 1884年 - カシミール・フンク、生化学者(+ 1967年) 1885年 - 内田祥三、建築家(+ 1972年) 1886年 - 三島弥彦、陸上競技選手(+ 1954年) 1889年 - ヴィクター・フレミング、映画監督(+ 1949年) 1891年 - 倉田百三、劇作家・評論家(+ 1943年) 1892年 - アグネス・スメドレー、ジャーナリスト(+ 1950年) 1899年 - エーリッヒ・ケストナー、作家(+ 1974年) 1901年 - 北島忠治、ラグビーユニオン監督(+ 1996年) 1901年 - エドガー・エンデ、画家、作家(+ 1965年) 1904年 - テレンス・フィッシャー、映画監督(+ 1980年) 1905年 - 生方たつゑ、歌人(+ 2000年) 1906年 - 藤井丙午、実業家、財界人(+ 1980年) 1907年 - 李孝石、小説家(+ 1942年) 1908年 - レイ・ブラウン、野球選手(+ 1965年) 1913年 - 青山光二、小説家(+ 2008年) 1914年 - 遠山茂樹、歴史学者(+ 2011年) 1915年 - ポール・ティベッツ、アメリカ空軍将校(+ 2007年) 1915年 - 野間宏、作家(+ 1991年) 1916年 - 小林斗盦、書家、篆刻家(+ 2007年) 1920年 - 前川誠郎、美術史家(+ 2010年) 1924年 - クロード・ソーテ、映画監督(+ 2000年) 1924年 - アラン・コーマック、物理学者(+ 1998年) 1926年 - 中田勝、漢学者(+ 2015年) 1926年 - 若国一男、元大相撲力士(+ 1998年) 1927年 - ロバート・ニーリー・ベラー、社会学者(+ 2013年) 1930年 - 志村五郎、数学者(+ 2019年) 1930年 - 大脇照夫、プロ野球選手(+ 2013年) 1932年 - 永井康雄、元プロ野球選手 1933年 - 白簱史朗、写真家(+ 2019年) 1934年 - 池田満寿夫、画家、作家(+ 1997年) 1934年 - 安念山治、元大相撲力士、年寄6代立浪(+ 2021年) 1935年 - 新野新、放送作家 1936年 - 内海好江、漫才師(+ 1997年) 1936年 - 桑原和男、喜劇俳優 1937年 - 白木万理、女優 1940年 - ピーター・フォンダ、俳優 1941年 - 大宅映子、評論家 1941年 - 矢ノ浦国満、元プロ野球選手 1941年 - 多田護、アナウンサー(+ 2017年) 1942年 - 的川泰宣、宇宙工学者 1943年 - 北大路欣也、俳優 1943年 - 麿赤兒、舞踏家、俳優 1944年 - バーナード・コーンウェル、小説家 1944年 - ジョニー・ウィンター、ミュージシャン(+ 2014年) 1944年 - 岩井宏、ミュージシャン(+ 2000年) 1945年 - 苑田聡彦、元プロ野球選手 1945年 - 木村皓一、実業家 1946年 - 宇崎竜童、ミュージシャン 1947年 - 水島藤一郎、実業家 1948年 - 月亭八方、落語家 1949年 - 岩沢二弓、歌手(ブレッド&バター) 1950年 - 石塚博昭、実業家 1951年 - 森重文、数学者 1952年 - 中島みゆき、歌手 1953年 - 中嶋悟、レーシングドライバー 1953年 - フレッド・クハウルア、元プロ野球選手 1953年 - もとはしまさひで、漫画家 1954年 - ヴィクトル・ユシチェンコ、政治家、ウクライナ大統領 1955年 - 斉藤明夫、元プロ野球選手 1955年 - 新堀和男、俳優、殺陣師、アクション監督 1955年 - 吉崎栄泰、プログラマ 1955年 - ハワード・ジョーンズ、ミュージシャン 1955年 - 石田芳雄、元プロ野球選手 1955年 - 金谷祐子、脚本家 1956年 - 酒井美羽、漫画家 1956年 - 野口五郎、歌手、俳優 1956年 - ブラザートム、ミュージシャン、お笑いタレント 1956年 - 武藤浩、官僚 1956年 - 百田尚樹、作家、小説家 1958年 - とり・みき、漫画家 1958年 - 林マヤ、モデル、タレント 1958年 - 若林健治、アナウンサー 1958年 - デヴィッド・シルヴィアン、ミュージシャン(元ジャパン) 1959年 - 遠藤雅伸、ゲームクリエイター 1959年 - 小川美潮、音楽家 1960年 - 徳仁、第126代天皇 1960年 - タック・ハーシー、ラジオDJ 1963年 - 飯星景子、タレント、エッセイスト 1963年 - ロブ・コリンズ、ミュージシャン(ザ・シャーラタンズ)(+ 1996年) 1963年 - ボビー・ボニーヤ、元プロ野球選手 1964年 - 坂本英三、ミュージシャン 1964年 - ジョン・ノーラム、ギタリスト(ヨーロッパ) 1964年 - エドガー・F・コッド、ソフトウェア技術者 1965年 - マイケル・デル、デル創始者 1965年 - クリスティン・デイヴィス、女優 1965年 - ヘレナ・スコバ、元テニス選手 1967年 - 浅野哲也、サッカー選手、指導者 1967年 - 西野七海、キャスター、リポーター 1968年 - 山本圭壱、お笑いタレント 1968年 - 横山典弘、騎手 1968年 - 加藤寛規、レーシングドライバー 1969年 - 後藤ひろひと、俳優、脚本家 1969年 - 小川悦司、漫画家 1969年 - 鬼ノ仁、漫画家、イラストレーター 1969年 - 竹内明、TBSテレビ報道局記者 1969年 - 宮川一彦、元プロ野球選手 1969年 - 平山ユージ、フリークライマー 1970年 - 相田翔子、タレント(Wink) 1971年 - 小田井涼平、俳優 1971年 - 福岡晶、元プロレスラー 1972年 - 私市淳、声優 1974年 - ステファン・ベルナディス、フィギュアスケート選手 1975年 - 永田亮子、声優 1975年 - 佐藤麻美、アナウンサー 1976年 - きょうくん、お笑いタレント(チョップリン、ザ・プラン9) 1976年 - ケリー・マクドナルド、女優 1977年 - 田中秀太、元プロ野球選手 1977年 - 天野和明、 アルパインクライマー 1978年 - 杉上佐智枝、日本テレビアナウンサー 1978年 - ぶんけかな、歌手 1978年 - 本橋由香、女優、タレント 1979年 - 中嶋愛、ファッションモデル、タレント、ファッションデザイナー 1979年 - 太田有美、タレント、女優 1979年 - クリス・アギーラ、元プロ野球選手 1980年 - 虹歩、ストリッパー 1981年 - 中原麻衣、声優 1981年 - ホセ・アンヘル・ガルシア、野球選手 1981年 - ボッティ、サッカー選手 1981年 - ギャレス・バリー、サッカー選手 1981年 - インナ・コロブキナ、女優 1982年 - dorlis、歌手 1982年 - 七園未梨、グラビアアイドル 1983年 - 笹川美和、シンガーソングライター 1983年 - 近藤春菜、お笑いタレント(ハリセンボン) 1983年 - 黒沢ダイスケ(96)、ギタリスト、作曲家(軌道共鳴 Orbital Resonance) 1983年 - エミリー・ブラント、女優 1983年 - ミド、元サッカー選手 1983年 - コンスタンチン・メンショフ、フィギュアスケート選手 1984年 - YUKI、歌手(BENNIE K) 1984年 - 岩井堂聖子、女優 1984年 - 丸居沙矢香、タレント 1984年 - 清水誠、お笑い芸人(キュウ) 1985年 - 神戸拓光、元プロ野球選手 1985年 - 穐田和恵、歌手、タレント(元SDN48) 1986年 - 亀梨和也、タレント(KAT-TUN) 1986年 - 三倉茉奈、女優、タレント(マナカナ) 1986年 - 三倉佳奈、女優、タレント(マナカナ) 1986年 - 相内優香、テレビ東京アナウンサー 1986年 - ベラ・セシナ、新体操選手 1986年 - オーラ・スヴェンソン、シンガーソングライター 1987年 - 高橋徹、元プロ野球選手 1987年 - 梅崎司、サッカー選手 1987年 - 臥牙丸勝、元大相撲力士 1987年 - 潤音、グラビアアイドル 1987年 - 東塚菜実子、タレント 1989年 - エヴァン・ベイツ、フィギュアスケートアイスダンス選手 1989年 - 中川美樹、グラビアアイドル 1989年 - ウィリン・ロサリオ、プロ野球選手 1990年 - 藤井翼、元プロ野球選手 1990年 - 美濃部ゆう、元体操選手 1991年 - 森下宗、元プロ野球選手 1991年 - 大沢美加、元AV女優 1992年 - コーリー・アダムソン、プロ野球選手 1993年 - 石川佳純、卓球選手 1993年 - 村山謙太、陸上選手 1993年 - 村山紘太、陸上選手 1994年 - ダコタ・ファニング、女優 1994年 - ジョー・マッカーシー、プロ野球選手 1995年 - ささの堅太、俳優 1997年 - 近藤里奈、アイドル(元NMB48) 1998年 - バンダリ亜砂也、モデル、俳優 2000年 - 大出菜々子、女優 2000年 - 髙松智美ムセンビ、陸上競技選手 2001年 - 久間田琳加、ファッションモデル、女優 2001年 - 前川歌音、女優、歌手 2004年 - 大西風雅、アイドル(関西ジャニーズjr.、Lilかんさい) 2004年 - 森本茉莉、アイドル(日向坂46) 2004年 - 山口陽世、アイドル(日向坂46) 2012年 - エステル、スウェーデン王女 生年不詳 - 浅野りん、漫画家 生年不明 - 岩川拓吾、声優 人物以外(動物など) 2003年 - アドマイヤムーン、元競走馬、種牡馬 2011年 - ワンアンドオンリー、競走馬 忌日 1442年 - グムンデンのヨハネス、天文学者、数学者 1447年 - エウゲニウス4世、第207代ローマ教皇(* 1383年) 1507年 - ジェンティーレ・ベリーニ、画家(* 1429年) 1525年(大永5年2月2日) - 実如、浄土真宗の僧(* 1458年) 1572年 - ピエール・セルトン、作曲家 1594年(文禄3年1月4日) - 曲直瀬正盛(道三)、戦国時代の医師(* 1507年) 1632年 - ジャンバティスタ・バジーレ、詩人(* 1575年?) 1641年(寛永18年1月14日) - 諏訪頼水、初代諏訪藩主(* 1571年) 1704年 - ゲオルク・ムッファト、作曲家(* 1653年) 1717年 - マグヌス・ステンボック、スウェーデンの軍人(* 1665年) 1730年 - ベネディクトゥス13世、第245代ローマ教皇(* 1649年) 1766年 - スタニスワフ・レシチニスキ、ポーランド王(* 1677年) 1792年 - ジョシュア・レノルズ、画家(* 1723年) 1821年 - ジョン・キーツ、詩人(* 1795年) 1830年 - ジャン=ピエール・ノルブラン・ド・ラ・グルデーヌ、画家、彫刻家(* 1745年) 1848年 - ジョン・クィンシー・アダムズ、第6代アメリカ合衆国大統領(* 1767年) 1855年 - カール・フリードリヒ・ガウス、数学者(* 1777年) 1857年(安政4年1月29日) - 姉小路公遂、公卿(* 1794年) 1897年 - ヴォルデマール・バルギール、作曲家(* 1828年) 1903年 - フリードリヒ・グリュッツマッハー、チェリスト(* 1832年) 1917年 - ジャン・ガストン・ダルブー、数学者(* 1842年) 1918年 - ゾフィー・メンター、ピアニスト、作曲家(* 1846年) 1926年 - 淡島寒月、小説家、画家(* 1859年) 1933年 - 近藤勇五郎、剣術家(* 1851年) 1934年 - エドワード・エルガー、作曲家(* 1857年) 1934年 - 岡本連一郎、軍人、(* 1878年) 1940年 - 市川左團次 (2代目)、歌舞伎役者(* 1880年) 1944年 - レオ・ベークランド、化学者(* 1863年) 1945年 - アレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイ、小説家(* 1883年) 1946年 - 山下奉文、日本陸軍大将(* 1885年) 1950年 - 野上豊一郎、英文学者(* 1883年) 1955年 - ポール・クローデル、劇作家、詩人、外交官(* 1868年) 1958年 - ユリアン・シトコヴェツキー、ヴァイオリニスト(* 1925年) 1962年 - 川口為之助、政治家(* 1881年) 1969年 - サウード・ビン・アブドゥルアズィーズ、第2代サウジアラビア国王(* 1902年) 1969年 - コンスタンティン・シルヴェストリ、指揮者(* 1913年) 1974年 - ジョージ・ファン・ビースブルック、天文学者(* 1880年) 1974年 - ウィリアム・F・ノーランド、政治家(* 1908年) 1975年 - ハンス・ベルメール、画家、写真家(* 1902年) 1983年 - ハーバート・ハウエルズ、作曲家(* 1892年) 1984年 - ウーヴェ・ヨーンゾン、小説家(* 1934年) 1994年 - 藤田小女姫、占い師(* 1938年) 1995年 - ジェイムズ・ヘリオット、著作家、獣医師(* 1916年) 1996年 - 小坂徳三郎、実業家、政治家(* 1916年) 1996年 - ジョセフ・W・バー、第59代アメリカ合衆国財務長官(* 1918年) 1997年 - トニー・ウィリアムス、ジャズミュージシャン(* 1945年) 1999年 - カルロス・ハスコック、アメリカ合衆国の軍人、狙撃手(* 1942年) 1999年 - ルース・ギップス、作曲家、ピアニスト、オーボエ奏者(* 1921年) 2000年 - スタンリー・マシューズ、サッカー選手(* 1915年) 2003年 - ロバート・キング・マートン、社会学者(* 1910年) 2006年 - ロバート・ミラー、疫学者 2006年 - ルナ・レオポルド、地形学者、水文学者(* 1915年) 2007年 - 鳥居滋夫、アナウンサー(* 1933年) 2007年 - パスカル・ヨアジマナジ、チャド首相(* 1950年?) 2007年 - 池田晶子、文筆家(* 1960年) 2008年 - ポール・フレール、自動車評論家、F1レーサー(* 1917年) 2008年 - ヤネス・ドルノウシェク、第2代スロベニア大統領(* 1950年) 2011年 - 堀田弥一、登山家(* 1909年) 2011年 - 鈴木圭一郎、元プロ野球選手(* 1922年) 2012年 - 中村雀右衛門、歌舞伎役者、映画俳優(* 1920年) 2012年 - 田中美一、アマチュア野球審判員(* 1938年) 2017年 - リオン・ウェア、ミュージシャン(* 1940年) 2020年 - 渡邉智哲、国内男性最高齢者(* 1907年) 2020年 - 松島茂、アナウンサー(* 1972年) 記念日・年中行事 天皇誕生日()、2020年(令和2年) - :日本の国家の日(ナショナル・デー)。 今上天皇(第126代天皇徳仁:1960年〈昭和35年〉生まれ)の誕生日を祝うための国民の祝日。2019年(平成31年)4月30日の天皇明仁(第125代天皇→上皇)の譲位に伴い、明仁の誕生日である12月23日(即ち平成時代の天皇誕生日)に代わって、2020年(令和2年)から祝日となる。 () 1918年の第一次世界大戦下のこの日、ソビエト連邦の赤軍(→ソ連地上軍→ロシア陸軍)がドイツ帝国軍(→ヴァイマル共和国軍→ドイツ国防軍→ドイツ連邦軍)に初めて勝利したことを記念。当初は赤軍の日で、1949年に陸軍記念日となり、ソビエト連邦の崩壊後の1991年に現在の名称になった。 () 1970年のこの日、 英連邦王国内のギニアが共和制に移行し、ガイアナに改称した。 建国記念日() ロータリー設立記念日() 1905年のこの日、米国イリノイ州シカゴで弁護士ポール・ハリスと友人3人が、後にロータリークラブとなる相互扶助クラブの最初の会合を開いた。 税理士記念日() 1942年(昭和17年)2月23日に「税理士法」の前身である「税務代理士法」が制定されたことを記念して、日本税理士会連合会が1969年(昭和44年)に制定。 富士山の日() 1996年(平成8年)1月1日、筑波大学附属高等学校の地理教諭田代博が運営責任者を務めるパソコン通信「NIFTY-Serve」内のフォーラム「山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)」が制定。その後に山梨県南都留郡河口湖町(→富士河口湖町)が2001年(平成13年)12月に同様の宣言をして、静岡県も2009年(平成21年)に県条例で制定している。 ふろしきの日() 「つ(2)つ(2)み(3)」の語呂合わせで京都ふろしき会が制定。 工場夜景の日() 2011年2月23日に神奈川県川崎市で第1回全国工場夜景サミットが実施されたことを記念して、全国工場夜景都市協議会が制定。 フィクションのできごと 誕生日(フィクション) 1973年 - ジャック・ネイロン、漫画・アニメ『DEATH NOTE』に登場するキャラクター 1988年 - 七尾リラ、特撮『仮面ライダードライブ』に登場するキャラクター 生年不明 - 和久津智、ゲーム『るいは智を呼ぶ』の主人公 生年不明 - マキノ、漫画『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - 宮崎千紗希、漫画・アニメ『ゆらぎ荘の幽奈さん』に登場するキャラクター 生年不明 - 三尋木咏、漫画・アニメ『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』に登場するキャラクター 生年不明 - 高梨修司、漫画・アニメ『お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!』に登場するキャラクター 生年不明 - 久米川牡丹、漫画・アニメ『あんハピ♪』に登場するキャラクター 生年不明 - 白兎屋なえ、アニメ『イナズマイレブン アレスの天秤』に登場するキャラクター 生年不明 - 増長和南、アイドルプロジェクト『B-PROJECT』に登場するキャラクター 生年不明 - 天道輝、ゲーム『アイドルマスター SideM』に登場するキャラクター 生年不明 - イリア、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター 生年不明 - ミヤ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター 生年不明 - ソニア、ゲーム『キングスレイド』に登場するキャラクター 生年不明 - アリシア シャーロット、ゲーム・アニメ『アイカツフレンズ!』に登場するキャラクター 出典 関連項目
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https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8825%E6%97%A5
2月25日
2月25日(にがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から56日目にあたり、年末まであと309日(閏年では310日)ある。 できごと 50年 - ローマ皇帝クラウディウス、ネロを養子とし、帝位継承者とする。 927年(延長5年1月21日) - 藤原忠平が延喜式を奏進する。 1570年 - ローマ教皇ピウス5世がイングランド女王エリザベス1世を破門。 1634年 - アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインが皇帝軍の将校により暗殺される。 1836年 - サミュエル・コルトが回転式拳銃の特許を取得する。 1847年 - アイオワ大学が創設される。 1848年 - フランスで、七月王政を倒した二月革命によって第二共和政が開始。 1882年 - 偕行社附属遊就館が開館。 1890年 - 日本麦酒醸造会社がヱビスビール発売。 1898年 - 大師電気鉄道(後の京浜急行電鉄)創立。 1901年 - J・P・モルガンがUSスチールを創業。 1912年 - マリー=アデライドが女性として初めてルクセンブルク大公に即位する。 1921年 - グルジア民主共和国の首都トビリシをロシア・ソビエト社会主義共和国の赤軍が占領。 1925年 - 日本とソ連が国交を樹立。 1925年 - アラスカにグレイシャーベイ国定公園(現 グレイシャーベイ国立公園)を設置。 1925年 - 後のロンドン海軍軍縮会議にて日本海軍初の重巡洋艦となる古鷹型重巡洋艦1番艦「古鷹」が進水。 1932年 - アドルフ・ヒトラーがドイツ国籍を取得する。 暁型駆逐艦4番艦電が進水。 1933年 - アメリカ海軍の空母「レンジャー」が進水。 1940年 - 第二次世界大戦・冬戦争: ホンカニエミの戦い始まる。 1940年 - 第二次世界大戦: スウェーデン・デンマーク・ノルウェーの外相会談で、第二次世界大戦に対する中立を宣言。 1941年 - ナチス・ドイツ占領下のアムステルダムで市民がユダヤ人政策に抗議するゼネラル・ストライキを行う。 1942年 - 第二次世界大戦: 「ロサンゼルスの戦い」。サンタモニカ上空を飛行する物体を米軍が日本軍機と誤認し対空砲火。ラジオで中継され、西海岸の住民がパニックになる。 1943年 - 第二次世界大戦: 「フェザーストン事件」。ニュージーランド北島のフェザーストン捕虜収容所で発生した日本人捕虜殺傷事件。 1945年 - 第二次世界大戦: トルコがドイツに宣戦布告。 1946年 - 日本で、金融緊急措置令に基づく旧円と新円の交換が開始。 1947年 - 八高線列車脱線転覆事故発生。 1947年 - ドイツのプロイセンが廃止。 1948年 - チェコスロバキアで共産党がクーデターによって実権を掌握する(二月政変)。 1951年 - ブエノスアイレスで第1回パンアメリカン競技大会が始まる。 1956年 - ソ連共産党第20回大会において、フルシチョフ第一書記がスターリン批判の演説を行う。 1957年 - 岸信介が56代内閣総理大臣に就任し、第1次岸内閣が発足。 1964年 - カシアス・クレイ(後のモハメド・アリ)が世界ヘビー級王者ソニー・リストンを7回TKOで倒し新王者になる。 1964年 - 北朝鮮で、封建的な土地所有制度を廃止し、全てを集団農場の所有とする。 1968年 - ベトナム戦争: ハミの虐殺。 1969年 - 日本初の駅売りタブロイド判夕刊紙『夕刊フジ』が創刊。 1969年 - テレビ大分設立。 1971年 - カナダ初の原子力発電所・ピカリング原子力発電所が商用発電を開始。 1973年 - 大阪ニセ夜間金庫事件が発生。 1977年 - 第二次世界大戦終結後、初めて日本が独自開発した戦闘機F-1の量産1号機がロールアウト。 1978年 - 映画『未知との遭遇』が日本で公開。 1980年 - スリナムでデシ・ボーターセ陸軍曹長が軍事クーデターを起こし、軍部が実権を掌握。 1981年 - 韓国で、前年に発効した第五共和国憲法に基づく大統領選挙が行われ、全斗煥が当選。 1986年 - エドゥサ革命: フィリピンでコラソン・アキノが大統領就任宣誓を行う。マルコス前大統領はハワイに脱出。 1988年 - 盧泰愚が第13代韓国大統領に就任。 1991年 - 湾岸戦争: イラク軍が発射したスカッドミサイルがダーランの米軍兵舎に着弾、28名の死者が出る。 1992年 - ナゴルノ・カラバフ戦争: ホジャリ大虐殺。 1992年 - 国際連合安全保障理事会がサンマリノの国際連合加盟を総会に勧告する決議を採択。サンマリノはのち3月2日に加盟。 1993年 - 金泳三が第14代韓国大統領に就任。 1994年 - ヘブロンでマクペラの洞窟虐殺事件が起こる。 1998年 - 金大中が第15代韓国大統領に就任。 2003年 - 盧武鉉が第16代韓国大統領に就任。 2004年 - 行政機関、交通、報道、通信などで希望する機関に対し緊急地震速報の試験運用を開始。対象は、九州東岸から関東までの地域。 2006年 - 世界人口が65億人に達する。 2008年 - 李明博が第17代韓国大統領に就任。 2009年 - トルコ航空1951便墜落事故が起こる。 2013年 - 朴槿恵が第18代韓国大統領に就任。 2018年 - 2月9日から開催されていた平昌オリンピックがこの日、閉幕。 2019年 - トヨタ自動車は、LEXUS(レクサス)の世界累計販売台数が1000万台に達したと発表。 2022年 - ロシア軍は、ウクライナの首都キエフへの侵攻開始。 誕生日 人物 1398年(洪武31年2月9日) - 宣徳帝、中国明朝の第5代皇帝(+ 1435年) 1638年(寛永15年1月12日)- 今出川公規、公家(+ 1697年) 1692年(元禄5年1月9日) - 京極高或、第3代丸亀藩主、(+ 1724年) 1707年 - カルロ・ゴルドーニ、劇作家(+ 1793年) 1711年(正徳元年1月9日) - 徳川五郎太、第5代尾張藩主(+ 1713年) 1764年(宝暦14年1月24日) - 本多忠典、第2代岡崎藩主、(+ 1790年) 1778年 - ホセ・デ・サン・マルティン、軍人、ペルーの国家元首(+ 1850年) 1778年(安永7年1月29日) - 内藤政峻、第3代挙母藩主、(+ 1822年) 1779年(正徳元年1月10日) - 前田利考、第8代大聖寺藩主(+ 1806年) 1787年(天明7年1月8日) - 新庄直計、第12代麻生藩主、(+ 1845年) 1800年(元禄5年2月2日) - 牧野康明、第7代小諸藩主、(+ 1827年) 1820年(文政3年1月12日) - 板倉勝殷、第6代安中藩主、(+ 1873年) 1828年(文政11年1月11日) - 山本覚馬、会津藩士、砲術家(+ 1892年) 1841年 - ルノワール、画家、彫刻家(+ 1919年) 1845年 - リップ・パイク、プロ野球選手(+ 1893年) 1847年(弘化4年1月11日) - 野口小蘋、南画家、日本画家(+ 1917年) 1861年 - サンティアゴ・ルシニョール、画家(+ 1931年) 1862年 - ヘレン・バンナーマン、児童文学作家(+ 1946年) 1866年 - ベネデット・クローチェ、思想家、歴史家(+ 1952年) 1873年 - エンリコ・カルーソー、テノール歌手(+ 1921年) 1877年 - ノルベルト・ヨークル、アルバニア語学者(+ 1942年) 1878年 - 松根東洋城、俳人(+ 1964年) 1879年 - 平沼亮三、実業家、政治家(+ 1959年) 1881年 - アレクセイ・ルイコフ、革命家、政治家(+ 1938年) 1884年 - 安井武雄、建築家(+ 1955年) 1885年 - アリス・オブ・バッテンバーグ、ギリシャ王子アンドレアスの妃(+ 1969年) 1888年 - ジョン・フォスター・ダレス、政治家(+ 1959年) 1889年 - ゴードン・ドブソン、物理学者、気象学者(+ 1976年) 1890年 - 志摩清英、軍人(+ 1973年) 1890年 - マイラ・ヘス、ピアニスト(+ 1965年) 1892年 - 加藤勘十、政治家(+ 1978年) 1894年 - メハー・ババ、宗教家(+ 1969年) 1895年 - バート・ベル、アメリカンフットボールコーチ(+ 1959年) 1900年 - 大塚敬節、医師(+ 1980年) 1901年 - ゼッポ・マルクス、喜劇俳優、マルクス兄弟の五男(+ 1979年) 1902年 - 正田建次郎、数学者(+ 1977年) 1902年 - 曾我廼家五郎八、喜劇俳優(+ 1998年) 1903年 - ゲルハルト・シュラーダー、有機化学者(+ 1990年) 1903年 - 窪川鶴次郎、文芸評論家(+ 1974年) 1907年 - 市川右太衛門、俳優(+ 1999年) 1908年 - 宮川一夫、撮影技師(+ 1999年) 1910年 - 松島正幸、画家(+ 1999年) 1911年 - 伊達正男、元野球選手(+ 1992年) 1913年 - ゲルト・フレーベ、俳優(+ 1988年) 1913年 - 内田義彦、経済学者、哲学者(+ 1989年) 1917年 - アンソニー・バージェス、小説家(+ 1993年) 1917年 - 茅野健一、プロ野球選手(+ 没年不詳) 1918年 - ボビー・リッグス、テニス選手(+ 1995年) 1922年 - 田邊誠、政治家(+ 2015年) 1923年 - 梶原武雄、囲碁棋士(+ 2009年) 1924年 - 黒岩重吾、小説家(+ 2003年) 1926年 - 多湖輝、心理学者(+ 2016年) 1927年 - 植木等、俳優、タレント(+ 2007年)※実際の生年月日は1926年12月25日 1927年 - 谷村昌彦、俳優(+ 2000年) 1928年 - 山本草二、国際法学者(+ 2013年) 1930年 - 飯島耕一、詩人(+ 2013年) 1931年 - 島崎雪子、女優、シャンソン歌手 1933年 - ウイリー沖山、歌手(+ 2020年) 1934年 - ケーシー高峰、漫談家(+ 2019年) 1937年 - エゴール・ストローエフ、政治家 1937年 - ボブ・シーファー、ジャーナリスト 1937年 - ジュラ・ジボツキー、陸上競技選手(+ 2007年) 1938年 - 千葉吟子、元体操競技選手 1939年 - 金山明博、アニメーター 1940年 - 森田公一、歌手、作曲家 1941年 - 鹿内孝、歌手、俳優 1942年 - カレン・グラッスル、女優 1943年 - 河野ヨシユキ、歌手 1943年 - ジョージ・ハリスン、ミュージシャン(+ 2001年) 1945年 - 松岡利勝、政治家(+ 2007年) 1945年 - 山下智茂、高校野球指導者 1946年 - ジャン・トッド、自動車技術者 1947年 - エディ・トムソン、サッカー監督(+ 2003年) 1947年 - リー・エバンス、陸上競技選手 1947年 - ジョルジュ・ドン、バレエダンサー(+ 1992年) 1947年 - 川崎燎、ジャズギタリスト 1949年 - リック・フレアー、プロレスラー 1950年 - ニール・ジョーダン、映画監督 1950年 - ネストル・キルチネル、政治家、第55代アルゼンチン大統領 1951年 - 近田春夫、ミュージシャン 1951年 - ドン・クォーリー、陸上競技選手 1953年 - キム・ヨンチョル、俳優 1953年 - 坂田靖子、漫画家 1953年 - ホセ・マリア・アスナール・ロペス、政治家、第4代スペイン首相 1954年 - 石井苗子、女優、テレビキャスター 1954年 - 波多野健、テレビプロデューサー 1956年 - 佐藤和孝、ジャーナリスト 1957年 - 吉目木晴彦、小説家 1959年 - 都裕次郎、元プロ野球選手 1960年 - 二宮清純、スポーツジャーナリスト 1960年 - あべさより、漫画家 1961年 - 岡安由美子、女優 1962年 - 寺脇康文、俳優 1962年 - ビルギット・フィッシャー、カヌー選手 1962年 - 矢野きよ実、書道家、ローカルタレント 1963年 - 村山一弥、国土交通技官 1964年 - 橋本じゅん、俳優、声優 1965年 - 重田康光、光通信創業者 1965年 - 栗生澤淳一、バレーボール選手 1965年 - シルヴィ・ギエム、バレエダンサー 1965年 - スザンナ・ラハカモ、フィギュアスケート選手 1966年 - 梶原善、俳優 1966年 - ティア・レオーニ、女優 1966年 - 神野三鈴、女優 1968年 - 貫井徳郎、推理作家 1968年 - ウム・サンガレ、 歌手 1970年 - 菅原加織、俳優(+ 2001年) 1971年 - 玉木重雄、元プロ野球選手 1971年 - ダニエル・パウター、ミュージシャン 1971年 - ショーン・アスティン、俳優 1971年 - 田中勝春、騎手 1971年 - 高橋憲幸、元プロ野球選手 1971年 - 中尾美穂、フリーアナウンサー、ラジオパーソナリティ 1971年 - 桂吉弥、落語家 1972年 - 有野晋哉、タレント(よゐこ) 1972年 - 野口裕司、元サッカー選手 1973年 - エレーヌ・ド・フジュロル、女優 1973年 - 高野あゆ美、女優、タレント 1974年 - 森久保祥太郎、声優 1974年 - 北山たけし、演歌歌手 1974年 - シャノン・スチュワート、元プロ野球選手 1974年 - ドミニク・ラーブ、政治家 1975年 - 千葉千恵巳、声優 1976年 - 大翔山豪志、元大相撲力士 1976年 - フィフィ、タレント 1977年 - ラモン・ラミレス、元プロ野球選手 1978年 - 伊与田一範、元プロ野球選手 1978年 - 中澤佑二、元プロサッカー選手 1978年 - 常田真太郎、ミュージシャン(スキマスイッチ) 1978年 - 宮崎京、ファッションモデル、女優 1978年 - 桜月舞、AV女優 1981年 - 戸部洋子、アナウンサー 1981年 - 朴智星、元サッカー選手 1982年 - 大谷雅恵、歌手、女優 1982年 - 野崎恵、タレント 1982年 - 葉川空美、タレント 1982年 - 阪本章史、自転車競技(BMX)選手 1982年 - 中村愛、タレント 1982年 - クリス・ベアード、サッカー選手 1982年 - フラビア・ペンネッタ、テニス選手 1983年 - 三浦勇雄、ライトノベル作家 1983年 - 小向杏奈、AV女優 1983年 - エドゥアルド・ダ・シルヴァ、サッカー選手 1983年 - 八重樫東、プロボクサー 1984年 - 安藤亜実、舞台女優 1984年 - 松本若菜、女優 1984年 - 越智志帆、歌手(Superfly) 1984年 - w-shun、ボーカリスト 1984年 - 草野華余子、シンガーソングライター、作詞家、作曲家 1985年 - YOKO、元AV女優 1985年 - 竹中愛、タレント 1986年 - 手束真知子、歌手、タレント、元アイドル(SKE48、SDN48) 1986年 - 宮澤ケイト、元AV女優 1986年 - 柳川洋平、元プロ野球選手 1986年 - ダニー・ソーシド、歌手 1986年 - エリック・コーディエ、元プロ野球選手 1987年 - アンドリュー・ポジェ、フィギュアスケート選手 1987年 - アンドリュー・ワーナー、プロ野球選手 1987年 - フィル・アーウィン、元プロ野球選手 1988年 - 小島由利絵、元タレント 1988年 - 南しずか、AV女優 1988年 - シン・イェジ、フィギュアスケート選手 1989年 - 花澤香菜、タレント、声優、女優 1989年 - 鹿沼憂妃、ファッションモデル 1989年 - 最上もが、女優、元アイドル(でんぱ組.inc) 1990年 - 金民友、サッカー選手 1990年 - 王娜、バレーボール選手 1990年 - アレハンドラ・アンドレウ、モデル 1991年 - 天野莉絵、ファッションモデル、タレント 1991年 - 瀬尾有耶、バレーボール選手 1992年 - 寉岡萌希、女優 1992年 - 杉浦稔大、プロ野球選手 1992年 - ホルヘ・ソレア、プロ野球選手 1992年 - 松山英樹、プロゴルファー 1993年 - 津野彩華、バスケットボール選手 1993年 - 金子丈、元プロ野球選手 1994年 - 南のりか、AV女優 1994年 - ウージニー・ブシャール、テニス選手 1995年 - 前田正博、元タレント(元ジャニーズJr.) 1995年 - マリオ・ヘゾニャ、バスケットボール選手 1995年 - ペトル・ツォウファル、フィギュアスケート選手 1995年 - ダーマ、YouTuber 1995年 - 稲葉曇、ボカロP 1996年 - ウルフ・アロン、柔道家 1997年 - 相馬勇紀、サッカー選手 1997年 - クリスティーナ・アスタホワ、フィギュアスケート選手 1997年 - 上村海成、俳優、モデル 1997年 - 佐奈宏紀、俳優、モデル 1997年 - 中西悠綺、女優、歌手(元Tokyo Cheer2 Party) 1997年 - イザベル・ファーマン、女優 1999年 - ジャンルイジ・ドンナルンマ、サッカー選手 1999年 - 一岡伶奈、アイドル(BEYOOOOONDS) 2000年 - 富田望生、女優 2002年 - 鈴木あんず、VRアイドル(えのぐ) 人物以外(動物など) 2012年 - シングウィズジョイ、競走馬(+2017年) 忌日 891年(寛平3年1月13日) - 藤原基経、平安時代の公卿(* 836年) 1553年(天文22年閏1月13日) - 平手政秀、戦国武将(* 1492年) 1577年 - エリク14世、スウェーデンヴァーサ朝第4代国王(* 1533年) 1634年 - アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン、三十年戦争期のボヘミア傭兵隊長(* 1583年) 1682年 - アレッサンドロ・ストラデッラ、作曲家(* 1644年) 1713年 - フリードリヒ1世、初代プロイセン国王(* 1657年) 1723年 - クリストファー・レン、建築家(* 1632年) 1835年 - フリードリヒ・マクシミリアン・クリンガー、作家(* 1752年) 1850年(道光30年1月14日) - 道光帝、清の第8代皇帝(* 1782年) 1878年 - タウンゼント・ハリス、外交官(* 1804年) 1899年 - ポール・ジュリアス・ロイター、ロイター創業者(* 1816年) 1901年 - ヴォイチェフ・ゲルソン、画家(* 1831年) 1906年 - アントン・アレンスキー、作曲家(* 1861年) 1912年 - ギヨーム4世、ルクセンブルク大公(* 1852年) 1914年 - ジョン・テニエル、イラストレーター(* 1820年) 1926年 - オットー・ヘス、プロ野球選手(* 1878年) 1934年 - ジョン・マグロー、プロ野球選手(* 1873年) 1947年 - フリードリッヒ・パッシェン、物理学者(* 1865年) 1953年 - 斎藤茂吉、歌人(* 1882年) 1953年 - 桂春団治 (2代目)、落語家(* 1894年) 1965年 - レオ・シロタ、ピアニスト(* 1885年) 1970年 - マーク・ロスコ、画家(* 1903年) 1971年 - テオドール・スヴェドベリ、化学者(* 1884年) 1979年 - ハインリヒ・フォッケ、航空エンジニア(* 1890年) 1982年 - クリスチャン・シャド、画家(* 1894年) 1983年 - テネシー・ウィリアムズ、劇作家(* 1911年) 1993年 - 安房直子、児童文学作家(* 1943年) 1994年 - ジョー・ウォルコット、プロボクサー(* 1914年) 1994年 - バールーフ・ゴールドシュテイン、テロリスト(* 1956年) 1995年 - 城達也、声優(* 1931年) 1995年 - 呉振宇、軍人(* 1917年) 1996年 - ハイン・S・ニョール、俳優(* 1940年) 1997年 - カル・エイブラムス、元プロ野球選手(* 1924年) 1999年 - グレン・シーボーグ、化学者、物理学者(* 1912年) 2000年 - 福島譲二、政治家(* 1927年) 2003年 - 上田藤夫、元プロ野球選手、審判(* 1912年) 2003年 - 柏木敏夫、プロ野球審判員(* 1931年) 2005年 - ピーター・ベネンソン、アムネスティ・インターナショナル創立者(* 1921年) 2006年 - ダーレン・マクギャヴィン、俳優(* 1922年) 2007年 - 飯田龍太、俳人(* 1920年) 2008年 - 塚越敏、ドイツ文学者(* 1917年) 2008年 - ジェノア・ケアヴェ(Genoa Keawe)、ハワイアン音楽のミュージシャン(* 1918年) 2008年 - 渡邊五郎、日本中央競馬会理事長(* 1926年) 2008年 - スタティック・メジャー(Static Major)、音楽プロデューサー(* 1976年) 2017年 - ビル・パクストン、俳優(* 1955年) 2017年 - 中西俊夫、ミュージシャン・アーティスト(* 1956年) 2020年 - ホスニー・ムバーラク、エジプト・アラブ共和国の軍人、政治家、同国第2代大統領(* 1928年) 2021年 - 菅谷政子、声優(+ 1937年) 記念日・年中行事 エドゥサ革命記念日() 1986年のこの日、エドゥサ革命でコラソン・アキノが大統領就任宣誓を行った。 () 1921年のこの日、グルジア民主共和国の首都トビリシをロシア・ソビエト社会主義共和国の赤軍が占領した。 ナショナルデー() 夕刊紙の日() 1969年のこの日、日本初の駅売り専門の夕刊紙『夕刊フジ』が創刊したことにちなむ。 毎年のこの日は日本全国のほとんどの国立大学で2次試験(前期)が開催される。 箱根用水完成の日() 1670年(寛文10年)のこの日、日本の土木史上重要な意味を持つ箱根用水(昔は深良用水)が完成した。湖尻峠に約1200mのトンネルを掘って、芦ノ湖の水を富士山麓の村に導く用水で、深良村(現在の裾野市)の名主・大庭源之丞らが中心となって5年かけて完成させた。 新神学者シメオン祭(正教会) ユリウス暦の3月12日 フィクションのできごと 誕生日(フィクション) 2011年 - さのまる、栃木県佐野市ブランドキャラクター 生年不明 - 定春、漫画・アニメ『銀魂』に登場するキャラクター 生年不明 - 樋口正太、漫画・アニメ『黒子のバスケ』に登場するキャラクター 生年不明 - 堀千鶴子、漫画・アニメ『火ノ丸相撲』に登場するキャラクター 生年不明 - 宇佐美時重、漫画・アニメ『ゴールデンカムイ』に登場するキャラクター 生年不明 - 嵐千砂都、アニメ『ラブライブ!スーパースター!!』に登場するキャラクター 生年不明 - 如月千早、ゲーム・アニメ『THE IDOLM@STER』に登場するキャラクター 生年不明 - 三船美優、ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 月岡恋鐘、ゲーム『アイドルマスター シャイニーカラーズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 織宮結衣、ゲーム・漫画『オルタナティブガールズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 椚章臣、ゲーム『あんさんぶるスターズ!』に登場するキャラクター 出典 関連項目
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https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8827%E6%97%A5
2月27日
2月27日(にがつにじゅうななにち、にがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から58日目にあたり、年末まであと307日(閏年では308日)ある。 できごと 不明 - 創世記によれば、ノアが箱舟からでることを許され感謝祭を実施、神が契約の証しとして虹を顕した日。 1593年(文禄2年/万暦21年1月26日) - 碧蹄館の戦い 1594年 - フランス王アンリ4世が戴冠。 1700年 - ウィリアム・ダンピアがニューブリテン島にヨーロッパ人で初めて到達。 1814年 - ベートーヴェンの交響曲第8番が初演。 1844年 - ドミニカ共和国がハイチから独立。 1868年 - ベンジャミン・ディズレーリがイギリスの40代首相に就任。 1870年(明治3年1月27日) - 太政官が「蒸気郵船規則」と「商船規則」を布告。日本の商船は日章旗を掲揚することとし、その規格を定める。 1875年 - 日本初の近代的植物園・小石川植物園が開園。 1876年(高宗13年2月3日) - 日本と李氏朝鮮が日朝修好条規に調印。 1879年 - コンスタンチン・ファールバーグがサッカリンを合成。 1890年 - 浅草区で大火。(焼失1469戸) 1900年 - イギリスで3政党と65労組が参加し、労働党の前身となる労働代表委員会を結成。 1900年 - ブンデスリーガのFCバイエルン・ミュンヘン創設。 1920年 - ドイツでロベルト・ヴィーネ監督の映画『カリガリ博士』が公開。 1921年 - 第二半インターナショナル(ウィーン・インターナショナル)創設。 1933年 - ドイツ国会議事堂放火事件が発生。 1936年 - 二・二六事件で東京市に戒厳令発令。 1939年 - イギリス・フランスがスペインのフランコ政権を承認。 1942年 - 第二次世界大戦・南方作戦: スラバヤ沖海戦。日本海軍が連合軍艦隊に勝利する。 1949年 - 国宝の松山城の一部が放火により焼失。 1951年 - アメリカ合衆国憲法修正第22条の批准が成立。 1955年 - 第27回衆議院議員総選挙。NHKテレビが総選挙では初の開票速報を放送。 1964年 - 富士航空機墜落事故。 1966年 - 春闘共闘委員会主催による第1回物価メーデー開催。 1966年 - 日本大学理工学部が制作した人力飛行機「リネットI」が日本初となる人力飛行に成功。 1972年 - ニクソン大統領の中国訪問: リチャード・ニクソン米大統領が国交正常化の共同声明(上海コミュニケ)を発表。中華人民共和国を事実上承認。 1975年 - 日本共産党の機関紙「赤旗」にて4コマ漫画『まんまる団地』(オダシゲ作)が連載開始。 1976年 - 旧スペイン領サハラでポリサリオ戦線が「サハラ・アラブ民主共和国」として独立を宣言。 1980年 - 駐コロンビアのドミニカ共和国大使館が4月19日運動に占拠され、米国やエジプトの大使ら52人が人質となる。 1981年 - トヨタ自動車、スポーツクーペ「ソアラ」を発売。 1985年 - 田中角栄元首相が脳梗塞で入院。事実上政界から引退。 1996年 - 任天堂が、ポケットモンスターシリーズの第1作となるゲームボーイ向けゲームソフト『ポケットモンスター 赤・緑』を発売。 2005年 - 東北新幹線の八甲田トンネルが貫通。 2006年 - 熊本県合志市が市制施行。 2010年 - チリ地震が発生。チリでは1960年に発生した地震以降の最も大きな地震。 2012年 - 日本唯一のDRAMメーカー、エルピーダメモリが会社更生法の適用を申請。 2019年 - 2019年2月米朝首脳会談第一日目。ドナルド・トランプと金正恩による一対一の首脳会談と双方の閣僚が参加した夕食会が開催された。 2019年 - タプレジュン郡でヘリコプターが墜落し、ラビンドラ・アディカリ観光相ら7名が死亡した。 誕生日 人物 272年 - コンスタンティヌス1世、古代ローマ帝国の皇帝(+ 337年) 1807年 - ヘンリー・ワズワース・ロングフェロー、詩人(+ 1882年) 1828年(文政11年1月13日) - 狩野芳崖、日本画家(+ 1888年) 1846年 - フランツ・メーリング、社会主義者、歴史家(+ 1919年) 1848年 - チャールズ・ヒューバート・パリー、作曲家(+ 1918年) 1848年 - エレン・テリー、女優(+ 1928年) 1861年 - ルドルフ・シュタイナー、思想家(+ 1925年) 1863年 - ジョージ・ハーバート・ミード、社会心理学者(+ 1931年) 1867年 - ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル、作曲家(+ 1942年) 1867年 - アーヴィング・フィッシャー、経済学者(+ 1947年) 1881年 - ライツェン・エヒベルトゥス・ヤン・ブラウワー、数学者(+ 1966年) 1888年 - ロッテ・レーマン、ソプラノ歌手(+ 1976年) 1892年 - 佐伯達夫、元野球選手、日本高等学校野球連盟初代会長(+ 1980年) 1895年 - 宮城山福松、元大相撲力士、第29代横綱(+ 1943年) 1897年 - ベルナール・リヨ、天文学者(+ 1952年) 1899年 - 森岩雄、映画プロデューサー、脚本家(+ 1979年) 1900年 - 西谷啓治、哲学者(+ 1990年) 1901年 - マリノ・マリーニ、画家、彫刻家、版画家(+ 1980年) 1902年 - ジョン・スタインベック、小説家(+ 1968年) 1902年 - ルシオ・コスタ、建築家(+ 1998年) 1902年 - 西川貞一、ジャーナリスト、政治家(+ 1991年) 1904年 - アンドレ・ルデュック、自転車競技選手(+ 1980年) 1904年 - 杉捷夫、フランス文学者(+ 1990年) 1907年 - 橋本宇太郎、囲碁棋士(+ 1994年) 1908年 - 長谷川一夫、俳優(+ 1984年) 1910年 - ジョーン・ベネット、女優(+ 1990年) 1910年 - 久野忠治、政治家(+ 1998年) 1912年 - ロレンス・ダレル、小説家(+ 1990年) 1913年 - ポール・リクール、哲学者(+ 2005年) 1917年 - 朝吹登水子、フランス文学者、随筆家(+ 2005年) 1920年 - ジュリアン・ジェインズ、心理学者(+ 1997年) 1920年 - 栗栖弘臣、陸上自衛官、第10代統合幕僚会議議長(+ 2004年) 1920年 - 石井豊、プロ野球選手(+ 没年不詳) 1922年 - 川島廣守、警察官僚、日本野球機構第10代コミッショナー(+ 2012年) 1923年 - デクスター・ゴードン、ジャズサックス奏者(+ 1990年) 1924年 - 小口大八、和太鼓奏者(+ 2008年) 1925年 - 豊田章一郎、トヨタ自動車名誉会長 1925年 - 渋沢雅英、元軍人 1926年 - 塩田晋、政治家(+ 2005年) 1926年 - デイヴィッド・ヒューベル、神経生理学者(+ 2013年) 1926年 - 鏑木創、作曲家(+ 2014年) 1929年 - ジャウマ・サントス、サッカー選手(+ 2013年) 1930年 - ジョアン・ウッドワード、女優 1931年 - 村上泰亮、経済学者、評論家(+ 1993年) 1931年 - 白石かずこ、詩人 1932年 - エリザベス・テーラー、女優(+ 2011年) 1933年 - 山川静夫、アナウンサー、歌舞伎評論家 1934年 - 西尾慈高、元プロ野球選手(+ 2017年) 1934年 - ラルフ・ネーダー、弁護士、社会運動家 1935年 - ミレッラ・フレーニ、ソプラノ歌手 1936年 - 夏木陽介、俳優(+ 2018年) 1937年 - 江戸京子、ピアニスト 1939年 - 高田賢三、デザイナー(+ 2020年) 1940年 - 林紀子、政治家 1942年 - ロバート・グラブス、化学者 1946年 - 坪井新三郎、元プロ野球選手 1946年 - 大楠道代、女優 1947年 - 杉本康雄、みちのく銀行頭取 1947年 - ギドン・クレーメル、ヴァイオリニスト 1947年 - アラン・グース、物理学者 1947年 - 水沼四郎、元プロ野球選手 1950年 - 九条亜希子、女優 1950年 - 成瀬正孝、俳優 1952年 - グッチ裕三、タレント 1954年 - ニール・ショーン、ギタリスト(ジャーニー) 1955年 - 竹内義和、作家 1955年 - 池田弘、元プロ野球選手 1956年 - 新沼謙治、歌手 1957年 - エイドリアン・スミス、ミュージシャン(アイアン・メイデン) 1957年 - ティモシー・スポール、俳優 1958年 - 中村うさぎ、作家 1959年 - 神保彰、ドラマー 1959年 - ケニー野村、元プロ野球選手 1959年 - 田中幸雄、元プロ野球選手 1959年 - 下村彰宏、俳優 1960年 - 青木康直、アニメ監督 1960年 - 山下芳生、政治家 1960年 - 山田真美、作家 1961年 - 徳永英明、シンガーソングライター 1961年 - 遥洋子、タレント、作家、フェミニスト 1961年 - ジェームズ・ウォージー、バスケットボール選手 1962年 - 藤野千夜、作家 1962年 - アダム・ボールドウィン、俳優 1963年 - 太平かつみ、漫才師 1963年 - 山像かおり、女優、声優 1963年 - 石坂智子、元歌手 1964年 - 小林透、ベーシスト 1965年 - 菅野宏紀、キャラクターデザイナー 1965年 - フランク・ペーター・ツィンマーマン、ヴァイオリニスト 1965年 - 西村啓太郎、インダストリアルデザイナー、エアロダイナミスト、レーシングカー・デザイナー 1966年 - よしもときんじ、アニメーション演出家(+ 2021年) 1966年 - 宮田佳代子、ニュースキャスター 1967年 - スコット・サービス、元プロ野球選手 1968年 - マット・ステアーズ、元プロ野球選手 1969年 - 田畑一也、元プロ野球選手 1969年 - 富田靖子、女優 1969年 - 南ひろこ、漫画家 1970年 - 稲森謙太郎、科学技術ジャーナリスト 1970年 - ツバキアンナ、漫画家、浮世絵師 1970年 - 室井佑月、作家 1970年 - マーク・パンサー、ミュージシャン 1970年 - パトリシア・プティボン、コロラトゥーラソプラノ歌手 1970年 - ケント・デザーモ、騎手 1971年 - 斉藤真由美、元バレーボール選手 1972年 - 藤田伸二、元騎手 1972年 - 松岡俊介、俳優 1973年 - 内ヶ﨑茂、コンサルタント 1974年 - 清水宏保、元スピードスケート選手 1974年 - コーリン・エドワーズ、オートバイレーサー 1975年 - こげどんぼ*、漫画家 1976年 - 田村ゆかり、声優 1976年 - 万城目学、作家 1976年 - セルゲイ・セマク、サッカー選手 1977年 - 范暁萱(メイヴィス・ファン)、歌手 1977年 - ジェームズ・ワン、映画監督、脚本家、映画プロデューサー 1977年 - チソン、俳優 1978年 - ジェームズ・ビーティー、元サッカー選手、指導者 1978年 - 加藤慶之、歌手 1978年 - 宮地眞理子、タレント、女優 1978年 - 宮澤崇史、サイクルロードレース選手 1978年 - 金子恵美、タレント、元政治家 1979年 - myco、歌手、声優 1979年 - 神田義英、元プロ野球選手 1979年 - 平田弥里、女優 1979年 - のり、お笑い芸人(オテンキ) 1980年 - 向清太朗、お笑い芸人(天津) 1980年 - 佐藤隆太、俳優 1980年 - ボビー・ヴァレンティノ、歌手 1980年 - チェルシー・クリントン、ビル・クリントンの一人娘 1981年 - 横地愛、元新体操選手 1981年 - 石川善樹、イノベーションディレクター 1981年 - ジョシュ・グローバン、歌手 1982年 - 五十嵐浩子、声優 1982年 - 中村風太、俳優、モデル 1982年 - 笛木将也、元声優 1983年 - ルイス・ゴンザレス、プロ野球選手 1983年 - アンソニー・セラテリ、元プロ野球選手 1984年 - デナード・スパン、プロ野球選手 1984年 - スコット・マシーソン、元プロ野球選手 1984年 - アニバル・サンチェス、プロ野球選手 1984年 - 小倉誠司、ミュージシャン(flumpool) 1985年 - 安倍麻美、元アイドル 1985年 - ディニャル・ビリャレトディノフ、サッカー選手 1985年 - ジェニファー・ウェスター、フィギュアスケート選手 1985年 - エレーナ・リアブチュク、フィギュアスケート選手 1986年 - 清水まみ、漫画家 1986年 - ヨバニ・ガヤルド、プロ野球選手 1986年 - 田丸篤志、声優 1987年 - 立花理香、タレント、モデル、声優 1988年 - 横槍メンゴ、漫画家 1989年 - 小塚崇彦、元フィギュアスケート選手 1989年 - 篠原美紀、女優 1989年 - 清水翔太、シンガーソングライター 1989年 - 宮原健斗、プロレスラー 1989年 - 村上めぐみ、ローカルタレント 1990年 - アリーナ・マルティノワ、フィギュアスケート選手 1991年 - 蓮佛美沙子、女優 1991年 - 指宿洋史、サッカー選手 1991年 - KEVIN、ファッションモデル 1992年 - マッシモ・スタノ、陸上競技選手 1992年 - アルチョム・グリゴリエフ、フィギュアスケート選手 1993年 - 森谷まりん、地下アイドル 1993年 - 田中太一、元プロ野球選手 1993年 - 小林唯、ミュージカル俳優 1993年 - コン・スンヨン、女優 1993年 - 濱矢廣大、プロ野球選手 1994年 - 高橋李依、声優 1994年 - ハナエ、歌手 1995年 - 藤本七海、元子役 1995年 - 中村航輔、サッカー選手 1995年 - リッキー、アイドル(TEEN TOP) 1996年 - 荒木美裕、ファッションモデル 1996年 - 小野寺太志、バレーボール選手 1996年 - 熊井智津子、女優、ファッションモデル 1996年 - 小泉萌香、女優、声優 1996年 - テン、アイドル(NCT、WayV) 1997年 - 瑞季、女優、アイドル(元私立恵比寿中学) 1997年 - しにがみ、ゲーム実況者 1999年 - 松本龍憲、プロ野球選手 2000年 - LUNE、アイドル、ミュージシャン(DKB) 2000年 - 松井蓮之、サッカー選手 2002年 - 浮所飛貴、アイドル、俳優(ジャニーズJr.、美 少年) 2004年 - 本田珠由記、アイドル (≠ME) 2005年 - ヒルマン・ニナ(NINA、牧野仁菜)、アイドル (NiziU) 生年不詳 - 綾川りの、声優、女優 生年不詳 - 御苑生メイ、声優 生年不詳 - 森本梢子、漫画家 生年不詳 - 大野理絵、声優 生年不詳 - 河瀬詩、声優、アイドル (22/7) 人物以外(動物など) 1992年 - アブクマポーロ、競走馬(+ 2021年) 1992年 - ヒシアケボノ、競走馬(+ 2008年) 1996年 - ハルウララ、競走馬 忌日 人物 749年(天平21年2月2日) - 行基、僧侶(* 668年) 1425年 - ヴァシーリー1世、モスクワ大公(* 1371年) 1547年(天文16年2月8日) - 安東尋季、出羽国の戦国大名 1637年(寛永14年2月3日) - 本阿弥光悦、書家、芸術家(* 1558年) 1666年 - ルイサ・デ・グスマン、ポルトガル王ジョアン4世の妃(* 1613年) 1720年(享保5年1月20日) - 近衛尚子、中御門天皇の女御(* 1702年) 1752年(宝暦2年1月13日) - 浅野吉長、第5代広島藩主(* 1681年) 1795年(寛政7年1月9日) - 谷風梶之助(2代目)、大相撲力士、横綱(* 1750年) 1802年(享和2年1月25日) - 木村兼葭堂、文人画家、本草学者(* 1736年) 1822年(文政5年閏1月6日) - 式亭三馬、戯作者(* 1776年) 1874年 - カルロス・マヌエル・デ・セスペデス、キューバの革命家(* 1819年) 1877年 - 西郷小兵衛、西郷隆盛の末弟(* 1847年) 1887年 - アレクサンドル・ボロディン、作曲家(* 1833年) 1906年 - サミュエル・ラングレー、天文学者、航空技術者(* 1834年) 1908年 - 三遊亭遊輔、落語家(* 1865年) 1936年 - イワン・パブロフ、生理学者(* 1849年) 1939年 - ナデジダ・クルプスカヤ、レーニンの妻、ボリシェビキの運動家(* 1869年) 1944年 - 金子直吉、実業家(* 1866年) 1950年 - 稲田龍吉、医学者(* 1874年) 1961年 - プラット・アダムス、陸上競技選手(* 1885年) 1961年 - 加藤春雄、プロ野球選手(* 1917年) 1970年 - 中谷準志、プロ野球選手(* 1918年) 1970年 - 福原黎三、サッカー選手(* 1931年) 1970年 - マリー・ディオンヌ、ディオンヌ家の五つ子姉妹の1人(* 1934年) 1972年 - 4代目吉住小三郎、長唄の唄方(* 1876年) 1977年 - ジョン・ディクスン・カー、推理作家(* 1906年) 1978年 - ワディム・サルマノフ、作曲家(* 1912年) 1980年 - 久松真一、哲学者、仏教学者(* 1889年) 1981年 - 蜷川虎三、元京都府知事(* 1897年) 1983年 - 金関丈夫、人類学者(* 1897年) 1983年 - 井上光貞、歴史学者(* 1917年) 1985年 - ヘンリー・カボット・ロッジJr.、外交官、政治家、アメリカ合衆国国連大使、元アメリカ合衆国上院議員(* 1902年) 1989年 - コンラート・ローレンツ、動物行動学者(* 1903年) 1993年 - リリアン・ギッシュ、女優(* 1893年) 1998年 - ジョージ・ヒッチングス、薬理学者(* 1905年) 1998年 - 増岡重昂、実業家、増岡組・鉄鋼ビルディング社長(* 1927年) 1998年 - J・T・ウォルシュ、俳優(* 1943年) 2000年 - 伊賀上良平、元プロ野球選手(* 1917年) 2000年 - ハロルド・M・マルベイ、アメリカ合衆国コネチカット州司法長官(* 1914年) 2004年 - ポール・スウィージー、経済学者(* 1910年) 2004年 - 網野善彦、歴史学者(* 1928年) 2005年 - 杉村升、脚本家(* 1948年) 2005年 - 那須博之、映画監督(* 1952年) 2005年 - 三木忠直、鉄道技術研究所技術者(* 1909年) 2006年 - ベネ・フェレンツ、元サッカー選手(* 1944年) 2011年 - デューク・スナイダー、元プロ野球選手(* 1926年) 2012年 - 宇治みさ子、女優(* 1932年) 2012年 - 服部力、元プロ野球選手(* 1923年) 2013年 - ヴァン・クライバーン、ピアニスト(* 1934年) 2013年 - 克美しげる、歌手(* 1937年) 2015年 - レナード・ニモイ、俳優(* 1931年) 2015年 - 後藤浩輝、騎手(* 1974年) 2016年 - 高千穂ひづる、元女優(* 1932年) 2016年 - 西田善夫、スポーツ評論家、元NHKアナウンサー(* 1936年) 2016年 - ちば拓、漫画家(* 1959年) 2016年 - 湯田伸子、漫画家(* 1954年) 2020年 - バウディール・エスピノーザ、サッカー指導者(* 1947年) 人物以外(動物など) 2021年 - シーザリオ、競走馬(* 2002年) 記念日・年中行事 独立記念日() 1844年のこの日、ドミニカ共和国がハイチから独立した。 冬の恋人の日() 2月14日のバレンタインデーと3月14日のホワイトデーの間に「恋人同士の絆を深める日」を設けようと、結婚カウンセラーなどが制定した日。絆の「ずな」→「づな」→「ツー・ナナ」→「27」の語呂あわせから、2月27日が選ばれた。 女性雑誌の日 1693年(元禄6年)のこの日、イギリス・ロンドンで世界初の女性向けの週刊誌『ザ・レディス・マーキュリー』が創刊された。 Pokémon Day() ゲーム『ポケットモンスター』シリーズの第1作『ポケットモンスター 赤・緑』が発売された1996年2月27日を記念し、2020年に株式会社ポケモンにより制定。 フィクションのできごと 誕生日(フィクション) 1981年 - 赤井沢剛、漫画・アニメ『ハイキュー!!』に登場するキャラクター 生年不明 - 岩田カナ(カナちゃん)、漫画・アニメ『とっとこハム太郎』に登場するキャラクター 生年不明 - 野火マリエ、アニメ『革命機ヴァルヴレイヴ』に登場するキャラクター 生年不明 - 美空綾斗、アニメ『リーマンズクラブ』に登場するキャラクター 生年不明 - ブーケ、ゲーム『どうぶつの森』に登場するキャラクター 生年不明 - 水澤摩央、ゲーム『キミキス』に登場するキャラクター 生年不明 - ヒシアケボノ、ゲーム・アニメ『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクター 生年不明 - ハルウララ、ゲーム・アニメ『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクター 出典 関連項目
1800
https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8829%E6%97%A5
2月29日
2月29日(にがつにじゅうくにち)は、太陽暦であるグレゴリオ暦の閏日。年始から60日目に当たり、年末まであと306日である。閏日が入れられる年を閏年といい、4の倍数である複偶数の年(子年、辰年、申年)は400で割り切れない100の倍数年を除き全てある(閏年と平年に関する詳細は「グレゴリオ暦#暦法」を参照)。 できごと 1720年 - スウェーデン女王ウルリカ・エレオノーラが、王権を著しく制限した憲法の制定に反対して自ら退位。議会の決定により夫のフレドリク1世が即位。 1896年 - 辰野金吾設計による日本銀行本店が竣工。 1932年 - 日中問題の調査のため、国際連盟のリットン調査団が来日。 1936年 - 二・二六事件の反乱部隊に原隊復帰勧告(「兵に告ぐ」)が出され、事件が収束。 1940年 - 冬戦争: フィンランドがソビエト連邦との和平交渉を再開。 1940年 - アメリカの女優ハティ・マクダニエルがアフリカ系アメリカ人で初めてアカデミー賞(助演女優賞)を受賞。 1940年 - 第二次大本事件: 不敬罪・治安維持法違反で検挙された大本教主・出口王仁三郎に対し、第1審で無期懲役の判決。 1944年 - 高級劇場閉鎖令、個人演奏会禁止令の発布。歌舞伎座、東劇、京都南座などが対象となった。 1952年 - 沖縄の琉球列島米国民政府が琉球政府の設立を公布。 1960年 - モロッコで地震。3000人以上が死亡。 1968年 - 『ビッグコミック』創刊。 1972年 - 八丈島でM7.2の地震。 1972年 - 福井県の国鉄三国線、兵庫県の国鉄篠山線がこの日限りで廃止。 1976年 - 宇宙開発事業団が電離層観測衛星「うめ」を打上げ。日本初の実用衛星。 1980年 - 韓国で、金大中が公民権を回復(ソウルの春)。 1980年 - 長崎県壱岐島で活動家デクスター・ケイトが、駆除のために囲われていたイルカ約300頭を網を切って逃がし逮捕。法廷で動物の権利を基に抗弁したが威力業務妨害で有罪。(壱岐イルカ事件) 1992年 - 茨城カントリークラブ事件で、開発会社の社長を脱税容疑で逮捕。 2000年 - 2000年問題(閏日問題)により、郵便貯金ATMが停止するなど社会的に混乱が見られる。 2004年 ハイチで、反乱激化によりジャン=ベルトラン・アリスティド大統領が国外へ脱出。 日本テレビが東京都千代田区二番町の麹町社屋からから同港区汐留の汐留新社屋・日本テレビタワーへ移転し、本放送開始。 2012年 - 東京スカイツリーが完成。 2020年 - ドーハ合意締結。 誕生日 2月29日生まれの人の平年における誕生日の扱いについては閏日#平年における誕生日を参照。 1468年 - パウルス3世、第220代ローマ教皇(+ 1549年) 1660年(万治3年1月19日) - 松平定直、第4代松山藩主(+ 1720年) 1748年(延享5年2月2日) - 菅茶山、儒学者、漢詩人(+ 1827年) 1792年 - ジョアキーノ・ロッシーニ、作曲家(+ 1868年) 1820年 - ルイス・スウィフト、天文学者(+ 1913年) 1828年(文政11年1月15日) - 島田魁、新選組隊士(+ 1900年) 1840年 - ジョン・フィリップ・ホランド、潜水艦技術者(+ 1914年) 1860年 - ハーマン・ホレリス、発明家(+ 1929年) 1880年 - 建畠大夢、彫刻家(+ 1942年) 1884年 - マルセル・グラネ、東洋学者(+ 1940年) 1892年 - 岸本水府、川柳作家(+ 1965年) 1896年 - ウィリアム・A・ウェルマン、映画監督(+ 1975年) 1896年 - ウラディーミル・フォーゲル、作曲家(+ 1984年) 1896年 - モラルジ・デサイ (Morarji Desai)、第6代インド首相(+ 1995年) 1904年 - 新海幸藏、大相撲力士・元関脇 (+ 1976年) 1908年 - マキノ雅弘、映画監督(+ 1993年) 1908年 - バルテュス、画家 (+ 2001年) 1912年 - 大野耐一、トヨタ自動車元副社長(+ 1990年) 1916年 - ダイナ・ショア、歌手(+ 1994年) 1920年 - ミシェル・モルガン、女優(+ 2016年) 1920年 - 竹山広、歌人(+2010年) 1924年 - ウラジーミル・クリュチコフ、政治家(+ 2007年) 1924年 - アル・ローゼン、プロ野球選手(+ 2015年) 1928年 - ジョス・アクランド、俳優 1928年 - シーモア・パパート、数学者(+ 2016年) 1928年 - 兼高かおる、ジャーナリスト(+ 2019年) 1936年 - アレックス・ロッコ、俳優(+ 2015年) 1936年 - アンリ・リシャール、アイスホッケー選手 1940年 - 原田芳雄、俳優(+ 2011年) 1940年 - ヴァルソロメオス1世、コンスタンディヌーポリ全地総主教 1944年 - 丹野清志、写真家 1944年 - デニス・ファリーナ、俳優(+ 2013年) 1948年 - 赤川次郎、推理作家 1948年 - 中野正志、政治家 1948年 - パトリシア・A・マキリップ、作家 1948年 - ケン・フォリー、俳優 1952年 - 男鹿和雄、アニメーション美術監督 1952年 - 峰竜太、タレント、俳優 1952年 - 佐久間正英、ミュージシャン、音楽プロデューサー(+ 2014年) 1952年 - ティム・パワーズ、作家 1956年 - 辻畑鉄也、ミュージシャン 1956年 - 伊地知温子、エレクトーン奏者 1960年 - 平松広和、声優 1960年 - ハレド、ライ歌手 1964年 - 羽仁未央、メディアプロデューサー(+ 2014年) 1968年 - 飯島直子、女優 1968年 - 三代純歌、演歌歌手 1968年 - 日下千帆、フリーアナウンサー 1972年 - 小谷元彦、彫刻家 1972年 - 内田朱美、アナウンサー 1972年 - ペドロ・サンチェス、政治家、スペイン首相 1976年 - ジョゼ・レジナウド・ビタウ、元サッカー選手 1976年 - ジャ・ルール、ラッパー 1976年 - 福岡竜馬、福岡放送アナウンサー 1976年 - 田島裕也、声優 1980年 - 井川絵美、タレント 1980年 - 大崎なる美、元AV女優 1980年 - 辻村深月、小説家 1980年 - 松本江里子、タレント 1980年 - 柳井久代、声優、ナレーター 1980年 - イ・ファソン、モデル 1980年 - クリスティン・フレイザー、フィギュアスケート選手 1984年 - 今井りか、モデル 1984年 - 吉岡聖恵、ミュージシャン(いきものがかり) 1984年 - ダレン・アンブローゼ、元サッカー選手 1984年 - 石井一彰、俳優 1988年 - 鈴木達矢、元サッカー選手 1992年 - 笠原織人、俳優 1992年 - 小林珠莉、タレント、元子役、モデル 1992年 - 立花あんな、元アイドル(元アリス十番) 2000年 - 小川涼、女優、モデル 2000年 - 堀井梨穂、アイドル(ひめキュンフルーツ缶) 忌日 1004年(長保6年2月7日) - 藤原綏子、三条天皇の後宮(* 974年) 1212年(建暦2年1月25日) - 法然、浄土宗開祖(* 1133年) 1528年 - パトリック・ハミルトン、スコットランドの宗教改革指導者(* 1504年) 1592年 - アレッサンドロ・ストリッジョ、作曲家(* 1540年) 1744年 - ジョン・デサグリエ、科学者(* 1683年) 1852年(嘉永5年2月10日) - 松平容敬、第8代会津藩主(* 1806年) 1868年 - ルートヴィヒ1世、バイエルン王(* 1786年) 1904年 - アンリ・J・ペロタン、天文学者(* 1845年) 1928年 - 後藤勇吉、飛行機操縦士(* 1896年) 1932年 - ラモン・カザス、画家(* 1866年) 1940年 - 頼母木桂吉、逓信大臣、東京市長(* 1867年) 1944年 - ペール・スヴィンヒュー、フィンランド大統領(* 1861年) 1968年 - ヒューゴー・ベニオフ、地震学者(* 1899年) 1968年 - 西田天香、宗教家(* 1872年) 1992年 - カリンティ・フェレンツ、作家、ジャーナリスト、翻訳家(* 1921年) 2000年 - 松本英彦、サックス奏者(* 1926年) 2000年 - 浅野輔、ニュースキャスター、翻訳家(* 1933年) 2004年 - 鏡里喜代治、大相撲第42代横綱(* 1923年) 2004年 - 渡辺範彦、ギタリスト(* 1947年) 2008年 - ヴィタリー・フェドルチュク、第5代ソ連国家保安委員会議長(* 1918年) 2008年 - 山田晶、哲学者(* 1922年) 2008年 - 高橋達也、サックス奏者(* 1931年) 2012年 - デイビー・ジョーンズ、歌手、俳優、モンキーズのメンバー(* 1945年) 2016年 - ギルバート・R・ヒル、警察官、俳優、デトロイト市議(* 1931年) 2016年 - 吉川みき、シンガーソングライター(* 1964年) 記念日・年中行事 世界希少・難治性疾患の日 毎年2月の最終日に世界中で行われるイベント、2008年2月29日、スウェーデンで世界初のRDD(レアディジーズディ)が開催された。 閏日(2月29日)は"希少"であるため、この日を記念して開催されている。平年では2月28日に開催される。 閏日() 日本などでは2月29日を閏日としている。伝統的に2月24日を閏日とする地域もある。 ニンニクの日() 「にん(2)に(2)く(9)」の語呂合せ。 富士急の日() 「ふ(2)じ(2)きゅう(9)」の語呂合せ。富士急行が2003年に制定。 フィクションのできごと U.C.0088年 - 第一次ネオ・ジオン抗争が始まる。(アニメ『機動戦士ガンダムΖΖ』) 年不詳 - 2月29日に謀殺された後、4年ごとの2月29日に現れる山田長政の亡霊と戦う。(アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』) 誕生日(フィクション) 1956年 - 隠球四郎、アニメ『逆転イッパツマン』に登場するキャラクター 1989年 - ポチャッコ(POCHACCO)、『サンリオ』のキャラクター 宇宙暦350年 - プリシス・F・ノイマン、ゲーム『スターオーシャン セカンドストーリー』に登場するキャラクター 生年不明 - バク、『サンリオ』のキャラクター 生年不明 - 張々湖(ちゃんちゃんこ/006)、漫画・アニメ『サイボーグ009』に登場するキャラクター 生年不明 - ゆんゆん、ライトノベル・アニメ『この素晴らしい世界に祝福を!』に登場するキャラクター 生年不明 - 本田速人、漫画・アニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に登場するキャラクター 生年不明 - 日暮熟睡男、漫画・アニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に登場するキャラクター 生年不明 - パンダマン、漫画『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - 不二周助、漫画『テニスの王子様』に登場するキャラクター 生年不明 - 薬師カブト、漫画『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター 生年不明 - 伊江村八十千和、漫画・アニメ『BLEACH』に登場するキャラクター 生年不明 - 虎(茶虎柔:ちゃとらやわら)、漫画・アニメ『僕のヒーローアカデミア』に登場するキャラクター 生年不明 - 旧多二福、漫画・アニメ『東京喰種トーキョーグール』に登場するキャラクター 生年不明 - ツェッド・オブライエン(Zed O'brein)、漫画・アニメ『血界戦線』に登場するキャラクター 生年不明 - 真田幸村、漫画・アニメ『SAMURAI DEEPER KYO』に登場するキャラクター 生年不明 - 七尾奈緒、漫画・アニメ『あひるの空』に登場するキャラクター 生年不明 - 埴之塚光邦、漫画・アニメ『桜蘭高校ホスト部』に登場するキャラクター 生年不明 - 薗部篠、漫画・アニメ『三者三葉』に登場するキャラクター 生年不明 - 芦屋睦月、漫画・アニメ『曇天に笑う』に登場するキャラクター 生年不明 - 小野塚ひかり、漫画・アニメ『ヤマノススメ』に登場するキャラクター 生年不明 - 萩田朔、漫画『orange』に登場するキャラクター 生年不明 - 姫宮アンシー、アニメ『少女革命ウテナ』に登場するキャラクター 生年不明 - 一条シン、アニメ『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』に登場するキャラクター 生年不明 - 如月ルヰ、アニメ『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』に登場するキャラクター 生年不明 - 霧羽香澄、ゲーム『D.C. ~ダ・カーポ~』に登場するキャラクター 生年不明 - ユウキ=テルミ、ゲーム『BLAZBLUE』に登場するキャラクター 生年不明 - 鳶倉アキヲ、ゲーム・アニメ『アイ★チュウ』に登場するキャラクター 生年不明 - 香田澄あまり、ゲーム『アイドルランドプリパラ』に登場するキャラクター 脚注 注釈 出典 関連項目 閏日 閏年 2月30日 3月0日 複偶数
1801
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%88%A6%E9%9A%8A%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%96
大戦隊ゴーグルファイブ
『大戦隊ゴーグルファイブ』(だいせんたいゴーグルファイブ)は、1982年2月6日から1983年1月29日まで、テレビ朝日系列で毎週土曜18:00 - 18:30(JST)に全50話が放送された、東映制作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローチームの名称。「スーパー戦隊シリーズ」第6作目。『大戦隊ゴーグルV』とも表記される。 概要 本作品では、前作『太陽戦隊サンバルカン』を上回るべく娯楽性が追求された。主人公たちが『サンバルカン』で3人だったのに対して本作品で従来と同じ女性を含めた5人に戻ったのは、スポンサーの後楽園ゆうえんちから「3人ではショーが盛り上がらない」との要望があったからであり、放送当時の東映テレビ部による実写特撮が堅実な保守的要素による安定が重視される中で冒険心に満ちた革新性にも目を配っていたため、その意図の中で安定の要素を一手に担うため、スーパー戦隊シリーズで導入された。 本作品では、5人の変身後のスーツに初めて「黒」が明確な色分けとして登場した。「悪」を連想させる黒をヒーローの色に採用したのは、画期的な試みである。『秘密戦隊ゴレンジャー』や『電子戦隊デンジマン』で使われていた「緑」という色は赤、青、黄、桃と比べて子供受けが良くなかったことから、本作品では緑以外の新しい色が検討され、「黒」と「紫」が残ったが、印刷では「紫」は見栄えが悪いということになり、「黒」が採用された。春田は次作『科学戦隊ダイナマン』でもブラック戦士を演じ、後年のインタビューでも「自分がブラックのイメージを確立した」ことを誇りとともに回想している。 ゴーグルファイブは古代文明をモチーフとしているが、そうした要素はイラストによる表現のみで、映像的にも作劇上もさほど強調はされていない。主人公たちが軍事組織に所属していた『サンバルカン』との差別化のため、本作品の主人公たちは民間組織所属となり、当時はまだ家庭に普及していなかったコンピューターを扱える少年少女コンボイを登場させることで、大人ばかりのドラマにならないようにしている。 アクションは新体操をモチーフとしている。ボールやリング、クラブ、リボンといった新体操の手具が武器として用いられ、アクロバティックな動きの追求が行われて派手な画面作りに貢献した。これは、それまでにない変わったアクションを導入しようという東映プロデューサー鈴木武幸の意向によるものであり、「女性のスポーツなんて」と反対したスタッフも国士舘大学へ見学に行くことで新体操が激しいスポーツだと理解したといい、特撮のアクションに新体操のアクションを応用したものが取り入れられても充分に魅力的な絵作りが可能であるというものとなった。また、立ち回りをスローモーションで表現し、技が当たる瞬間だけコマ落としで表現するという独特の演出で、アクションを印象づけている。人数は5人に戻っているが、個人のアクションは前作と同様の大きな動きとなっており、これを両立するためカット割りは細かくなり、同一画面での5人の動きもより動的になっている。さらに、ワイヤーアクションやマスク合成なども多用している。 シリーズ定番となっていたスーツに付属するマフラーは、本作品が最後となった。 ゴーグルファイブ5人の名乗りのシーンの時間は42秒あり、戦隊シリーズ史上最も長いとされる。 ストーリーは、敵味方の内情を描くよりも1話毎の盛り上がりに重点が置かれており、明快な内容が児童層の好評を得る要因になったとされる。 第1話のドイツでのシーンは、実際にドイツロケを予定していたが、本郷博士役の仲谷昇がスケジュールの都合をつけられなかったため、実現には至らなかった。 特撮 巨大ロボットの合体シーンは、一見すると電動による変型に見えるほどスムーズなものだが、実はメカのプロップは一切モーターによるギミックが仕込まれておらず、すべてワイヤーワークにより行われている。また、これらのプロップに合わせる形で球場基地を作成したため、その外見は直径3メートルにも及ぶ巨大なものとなっている。 前作までの怪人が巨大化する展開との差別化のため、怪人(モズー)がロボット(コング)に乗るというアイデアが導入された。当初は両者がまったく異なるデザインであったが、これは予算がかさむという理由で第4話までに留まり、第5話からのコングはモズーのスーツにズボン状のコングの脚部を履かせることで表現されている。初期企画では、巨大ロボットを開発するイガアナ博士とザゾリヤ博士の競争に重点が置かれる予定であった。 タイトル 企画の最初期には『未来戦隊ミライマン』という名称案があったが、これは名前がないと困るために用意された仮称であり、その後に『大戦隊ゴーゴーファイブ』に決まりかけたものの、「ゴーゴー」の部分が当時のホンダ製品と被ったため、語感の似ている『大戦隊ゴーグルファイブ』に決定した。劇中では、3機のメカがゴーグルロボに合体変形する際の掛け声「ゴーゴーチェンジ!」にその名残が見られる。なお、これらの没案はホンダ製品の生産が終了した後のシリーズ作品(1999年の『救急戦隊ゴーゴーファイブ』や2000年の『未来戦隊タイムレンジャー』)で活かされた。 スーパー戦隊シリーズのタイトルコールは本作品から始まったが、本作品と次作『ダイナマン』までは「戦隊」の部分を除いてメインタイトルのみをコールしているほか、主人公たちを演じた役者たちではなく主題歌を歌ったコーラスグループが担当している。 評価 当時の子供たちから強い支持を受け、シリーズ後半では視聴率が常時20パーセント以上を記録していたとされる。本作品の放映された1982年は玩具業界が戦後初のマイナス成長に終わった年であり、関連玩具は総体的には不振に終わったが、ゴーグルロボとゴーグルシーザーの売り上げは好調であり、本作品以降のシリーズ作品のマーチャンダイズにおいては、巨大メカの玩具がさらに重要視されるようになる。 あらすじ 日本人の若き冒険家赤間健一はドイツ山中の洞窟を探検中に奇妙な竪穴を発見する。それは近くの古城の中に通じており、赤間はそこで謎の集団に襲われる初老の日本人紳士を助け出す。 紳士は未来科学研究所の本郷博士と名乗り、自分を襲っていたのは、人類の歴史の背後で暗躍を続けてきた暗黒科学帝国デスダークの集団であると語る。 やがてデスダークはその姿を人類の前に現わし、世界征服への進撃を開始した。本郷博士は彼らの野望を打ち砕くべく、赤間を含む5人の若者を戦士に任命した。 登場人物 大戦隊ゴーグルファイブ 本郷博士が開発したゴーグルブレスを装着し変身した赤・黒・青・黄・桃の5色の戦士。本郷博士が事前にリストアップしていた人材から、コンボイが導き出した5人の民間人により構成されている。 集合時の名乗りは「戦え! 大戦隊ゴーグルファイブ!」。 民間人から選び抜かれた戦隊ではあるが、特別に隠密に結成された戦隊ではなかったため、次第にその存在と強さは浸透していき、第16話では完全に世間から頼れる存在として認知されていた。 デスダークとの戦いを終えた後は、コンボイたちに未来科学の発展を託し、いずこかに旅立っていった。 強靭な精神力と冷静沈着さを兼ね備えた若き世界的な探検家。普段は遊園地でパトロールを務めている。未知なるものにも臆さない不撓不屈の精神の持ち主で、仲間から頼られるリーダーでもある。 ドイツアルプスにある狼の穴でデスダークに襲われている本郷博士に遭遇し、彼を救出し帰国後に戦士になった。 昔、犬を飼っていた。ロッククライミングが得意で、空手の達人。変身前にも、ロープを武器に戦うこともある。 普段はオンロードバイクや赤いスポーツカーを運転している。 赤間健一が変身する戦士。額にあしらわれたルビーとレリーフは、アトランティス文明を象徴している。 剣道の技やレッドロープを用いた立体的な攻撃を得意とする。 優れた頭脳と卓越した身体能力を持つ東都大学将棋部部長。普段は遊園地の乗り物のメンテナンスを務めている。 理知的で沈着冷静な性格の作戦参謀を務めるサブリーダーだが、時に悪に対して怒りをあらわにする恐れ知らずの熱血漢の一面も持っている。 劇中では変身不能の状況に陥ることが三度もあったが、生身でも諦めずに戦い抜いた。変身前は、将棋の駒を投擲用の武器として使うことも多い。 『秘密戦隊ゴレンジャー』の新命明 / アオレンジャーがクールでニヒルなキャラクターと設定されていたが、それをより現代的に進化させたキャラクターであったため、レッドを凌ぐ人気で視聴者に抵抗なく受け入れられた。 黒田官平が変身する戦士。額のエメラルドとレリーフは、古代アジア文明を象徴している。 素早い動きの忍者的戦法とダイナミックなキック技やアクション攻撃を得意とする。 ひ弱で泣き虫だった自分を不屈の精神力で鍛えてきた、努力家のアイスホッケーの花形選手。普段は遊園地の売店店員を務める。 明るく大らかな性格で、子供たちから兄貴分として慕われている。機械いじりが好きで、自動車の運転が上手い。 青山三郎が変身する戦士。額のサファイアとレリーフは、エジプト文明を象徴している。 身軽で瞬発力を生かしたダッシュ戦法とジャンプ戦、キック技が得意。 鉱山師として全国を放浪していた経験もある、動物園の飼育係。普段は遊園地のお化け屋敷などのアトラクションで働いている。遊園地のマスコットキャラドン・チャックに扮装することもある。 気さくでユーモアな性格のムードメーカー。「動物が好きな人には悪い奴はいない」を信条としている。 ゴーグルファイブで一番の力持ちである他、聴力が非常に優れている。大食漢であり、デスダークに食べ物で誘惑されレッドを攻撃したこともある。 変身前はスクーターに乗っている。 子供のころに行方不明となった父親・壮一を探すために父と同じ山師になり、20年ぶりの再会を果たすが、壮一が20年前にデスダークの調査を始めたころの本郷の唯一の理解者であり良き片腕であった事実を知り、デスダークを倒すまで、親子であることを隠し胸に秘める決意をした。 黄島太が変身する戦士。額のオパールとレリーフは、ムー文明を象徴している。 怪力を活かしたパンチとキックや投げ技などの肉弾アクションを得意とする。 紅一点で新体操の選手で、チャンピオンのキャリアを持つ。普段は遊園地の園内アナウンスを担当。 芯が強さと清らかな心を併せ持った持ち主で、敵味方問わず困った人を放置出来ない優しさを見せる。 桃園ミキが変身する戦士。額のダイヤとレリーフは、マヤ・インカ文明を象徴している。 新体操で培った柔軟な動きを得意とする。 研究所スタッフ 第1 - 2話、第49 - 50話に登場。未来科学研究所の最高責任者。 物語の始まる20年前からデスダークの存在に気付き、ゴーグルファイブ結成の準備を行っていた。ゴーグルファイブとコンボイに後を託して研究所を去り、世界中で研究を続けていたが、終盤に再登場し、基地を失ったゴーグルファイブを第二研究所に案内する。 初期企画『大戦隊ゴーゴーV』では本郷秀樹というフルネームが設定されていた。資料によってはこの名称を用いている。 本郷博士の助手。 第22話で本郷博士のもとに旅立つことになり、仲間たちに見送られながら旅立った。旅立つ前にはミキとさゆりと共に服を買いに行くシーンが描かれた。 本郷博士の助手。 本郷が旅立った後も研究所に残り、コンボイやみどりと共にゴーグルファイブをサポートする。 さゆりとみどりは第1話から第5話までは研究所内でも私服を着用していたが、第6話からは制服(ブレザー・ネクタイ・ブラウスなど)を着用するようになった。 コンピューターボーイズ&ガールズ デスダークとの戦いに備えて、本郷博士が密かに選抜した5名の少年少女部隊のオペレーターたち。通称コンボイ。全員がコンピューター操作を得意としている。ゴーグルファイブを一対一対応でフォローし、敵の攻撃や所在地などを分析する。第1話ではゴーグルファイブ適格者を割り出し、達也を除く4名はスカウトに赴いた。普段は普通の小学生として生活、遊園地の電話ボックスを研究所への出入口として使用し、シューターを通る際に瞬時にユニフォーム姿に変身する。ユニフォームは、胸・肩・腹中央・ベルト部が白、それ以外は水色で構成され、男性用は全身レオタード状と黒ブーツ、女性用はミニスカートと白ブーツとなっている。 企画書では、ゴーグルファイブとの交流の中でコンボイたちの成長を描くことがシリーズの縦軸として想定されていたが、実際の作品ではゴーグルファイブ内での関係性やゲストの少年少女との交流が重視されていったため、ゴーグルファイブとコンボイの関わりが描かれることは少なかった。 コンボイのリーダー格で、レッドをフォローする。12歳。強い正義感と精神力の持ち主。 第40話では「記憶抽出回路」で記憶を引き出され、研究所へ行く途中に団子屋やおもちゃ屋に寄り道していたことが判明、大恥をかかされた。 ブラックのフォロー役。10歳。 いたずら好きだが頭が良く、スカウトに赴いた黒田の前で鋭い将棋の手を打ち、黒田を感心させた。 同じコンボイの大介を始め、「ウソツキマーボー」こと正彦や井上マサルらと同級生。 ブルーのフォロー役。コンボイでは最年少の8歳で、一番小柄。 おしゃべりでしっかり者だが、ブルーがピンチになると泣き出すのが欠点。人なつっこい性格で正義感も強いが、少々思い込みが激しい。 イエローのフォロー役。10歳。 黄島同様太り気味で、食べることが大好き。時々研究所内のキッチンに無断侵入して料理を作り、みどり・さゆりらに叱られることがある。 第19話ではデスダークが作ったお化けに震え上がった。 コンボイの紅一点で、ピンクのフォロー役。12歳。 他人の苦しみを自分のこととして感じる、ミキ以上の優しい性格で、第4話ではフォローミスからミキを負傷させ、強いショックを受けた。 ゴーグルファイブの戦力 共通の装備・能力 ゴーグルブレス 赤間たちが右腕に装備している変身兼通信用のブレスレット。それぞれナンバリングが施されている。 一定のポーズとともに、5人同時の場合は「ゴーグルファイブ」、単独などの場合は自分のコードネームを発声することで、変身を完了する。破壊されても、基地で新しいブレスを作ることが可能。ブレスをつけた右腕を負傷すると変身できなくなる。また、変身者以外の者がこれを使用すると高圧電流が流れる仕組みになっている。 当初の撮影用プロップは大きすぎたために作り直しとなり、第8話から小型化した。 戦隊シリーズで初めて商品化された変身ブレスレットでもある。 ゴーグルスーツ 変身時に装着する強化服。鋼鉄よりも丈夫で、伸縮する特殊な材質を使っているため、動きやすくできている。 スーツ各所に内蔵された装置や内線の働きで、スーツ装着者の体を1000度以上の高熱や、マイナス200度以下の寒冷などの激しい温度変化から守り、脚力とキック力を増強させるほか、左胸のシンボルマークのメタボライザーコントロールで10時間以上の連続潜水ができる。マスクには、過去に滅びた5つの古代文明の象徴である宝石とレリーフがある。 ダメージを受けると、スーツに流れているエネルギーがスパークするという欠点もある。 ゴーグルサーベル メンバー全員が右腰に携帯している武器。伸縮自在の3段ロッド式。FSI合金製。戦闘参加への前振りとしてモズーに向かって投げつけるのが、主な攻撃方法である。日本刀に変形可能。青い発光を伴うスパークサーベルは実体の無い敵や暗闇の敵を斬ることができるほか、その強化版の電光サーベルは幻影世界を破ることができる。サーベルのグリップには、各人の専用武器がそれぞれ5人分圧縮収納されている。 第34話でハイネオメタル製になり、改造強化された。 ゴーグルロープ ゴーグルレッドから渡されるロープ。 ゴーグルクラブ ゴーグルブラックから渡されるクラブ。 ゴーグルリング ゴーグルブルーから渡されるリング。 ゴーグルボール ゴーグルイエローから渡されるボール。 ゴーグルリボン ゴーグルピンクから渡されるリボン。 ゴーグルアイ 強化スーツのマスクが備える機能。透視能力や望遠能力を持つ。 隊員ヘルメット 2クール目以降赤間たちが着用した。色は白を基調としており、変身者の色ごとに分けられている。劇中は赤間はオンロードバイクでパトロールに出向く時に着用し、他のメンバーに関しては青山と黄島が携帯ロケットの実験飛行時に着用したのみである。 その他 変身した状態からさらにコスプレ姿の変身前の状態に一時的に変身して合成獣やマダラマンと戦う戦法を得意とし、サボテンモズー戦ではピンクがフラメンコダンサーのミキに変身し、ヤマアラシモズー戦ではガンマンに、テングモズー戦では天狗に扮している。いずれもゴーグルファイブの姿に戻る際は変身ポーズを取らず、瞬時に戻っている。 バクモズー戦では、赤間が侍に、黒田が中国武術の達人に、青山がアメリカンフットボールの選手に、黄島がメキシコ風のガンマンに、桃園が婦人警官に扮している。 個人武器・技 ゴーグルレッド レッドロープ ゴーグルレッドが使う縄。これを高所に巻きつけ、それにぶら下がってターザンのように敵にキックするクライミングアタック(別名・クライミングキック・ゴーグルクライミングでクライミングキック)、ロープを釣り針にして敵を釣り上げる釣り針ロープ(シーラカンスモズーに使用)という技がある。 レッドルビームチ レッドロープをルビーエネルギーで強化させた鞭。敵に巻き付けてサーベルのエネルギーをロープに走らせて、電撃によるダメージを与えることができる。 レッドパンチ ルビーエネルギーを拳に集中させ、敵に炸裂させるパンチ。三段階に分けて攻撃するトリプルパンチやジャンプしながら放つレッドスカイパンチもある。 レッドキック 飛び蹴り。ゾウガメモズーに使用したが、効かなかった。 レッドルビー光線 額から照射する治癒光線。第42話で黒田の腕の傷を治療した。完治はできない。 レッド風車 空中で大の字になって回転しながらルビーのエネルギーを放出する。第46話で使用。 ゴーグルブラック ブラッククラブ ゴーグルブラックが使う棍棒。2本1組の武器で、高速で敵の頭を連続攻撃するブラッククラブ乱れ打ちが得意技。 ブラックエメラルドヌンチャク ブラッククラブをエメラルドエネルギーで強化させたヌンチャク。2本の棒を鎖でつないだヌンチャクの特性を活かして、敵の攻撃を受け止めたり、振り回して敵を打ち倒す。 アイアンアーム ゴーグルブラックが両腕に装着する、トゲ付きの篭手。これを装着した状態で両手を突き出して突進するアイアンアタックという技がある。 ブラックシャドウ(ブラックシャドー) 敵の影に隠れて奇襲をかける。自分の影の中にも入り込める。 ブラック闇走り 周囲の光を吸収して闇に変え、敵を襲う。 ブラック将棋拳法 将棋を応用した拳法技。飛車突き・角突き・王手の順で攻撃する。 スクリューキック 体をねじらせながら飛び蹴りする。 ブラック風車蹴り 風車のように空中回転しながら敵を蹴る。 ブラック燕返し 宙返りしながら二人の敵に同時に飛び蹴りを食らわせ、その反動でさらに宙返りして着地する。 ブラック風車旋風 敵の懐にバック転しながら高速で駆け抜け、複数の敵を薙ぎ倒す。 ブラック分身 エメラルドの力で数人の黒子・ブラックジュニアを作り出し、敵を叩きのめす。第45話で使用。 エネルギー発信機 第16話で黒田が開発したエネルギー反応を発する発信機。あらゆるエネルギーを吸収するヒトデモズーのヒトデメカを引き付け、モズー自身に投げつけて同士討ちを誘った。 音波発信機 7200ヘルツの特殊音波でハイエナ人間やハイエナ軍団を操るハイエナモズーに対抗して開発した発信機。ハイエナモズーの音波を無効化する。 ゴーグルブルー ブルーリング ゴーグルブルーが使う輪。敵の腰に引っ掛け、高速回転させて倒すリング腰砕け、体に引っ掛けたまま前転して敵を倒していくブルー大車輪(別名・リング車輪)、リングをブーメランのように投げ付けるブルーリング銀河回し(別名・リング回し)、リングを2つ投げつけて敵の両腕を封じるリング車輪(別名・ダブルリング)、2つのリングを自分の首にかけながら回転して周囲の敵をなぎ倒すダブルリングバタフライ、リングを転がして前方の敵をなぎ倒すリングローリング、フラミンゴの構えからリングをブーメランのように投げるリングフラミンゴ、リングを持ってブルー自ら高速回転するブルードラゴンといった多彩な技がある。 ブルーサファイヤジェットリング ブルーリングをサファイヤエネルギーで強化させた特殊リング。ネズミ花火のように火を噴きながら高速回転で空中を飛び回り、敵を蹴散らす。 携帯ロケット 青山が第38話で発明したバックパック型の小型噴射ロケット。リモコンで遠隔操作する。高度1000メートル、時速200キロで飛行できる計算だったが、出力が不安定ですぐに墜落する。サイモズーに奪われて悪用されたが、2機目を開発してサイモズーとの再戦に使用した。事件解決後に実験を再開するも失敗、それ以降登場していない。 ブルージェットダッシュ 敵の間を超スピードで走り抜ける。 ジェットキック 体をねじらせながら、空中からキックする。 ブルー風車旋風 ブラック風車旋風のようにバック転をしながら高速で駆け抜けることで敵を薙ぎ倒す。 スピンキック 敵の足元を狙った、高速スピンしながらのキック。 カンガルーキック カンガルーの構えからスライディングしてキックを食らわす。 フラミンゴキック フラミンゴの構えでキックを食らわす。別名水平蹴り。 ゴーグルイエロー イエローボール ゴーグルイエローが使うボール。巨大化させて転がすスーパーボールという技がある。 イエローオパールメガトンボール イエローボールをオパールエネルギーで強化させたトゲ付きの巨大ボール。地面を叩いて地震を起こすことも可能。これを振り回して投げつけるスクリュー投げという技があり、第44話で使用。 イエローハンマー 巨大な黄色いトンカチ。地面を叩いて地震を起こすことも可能。地中の敵が出てきたところを攻撃するイエローもぐらたたきという技がある。 イエロー穴掘り 両手に装着したメリケンサック状の爪で地中を掘り進む。 イエローアタック 加速しての体当たりを連続で食らわす。 イエロータックル 張り手をしながら突進する。第44話で使用。 二段投げ(イエロー二段投げ) 柔道の肩車のような投げ技を二連続で掛けて左右に叩き付ける。 イエロー風車投げ 巴投げを決める。複数の敵を投げられる。 ゴーグルピンク ピンクリボン ゴーグルピンクが使うリボン。敵を縛り上げるピンクリボン締め、波打たせてカーテンを作り、敵の攻撃を防ぐリボンカーテン、なびかせて攻撃するリボンシャワー、旋風を起こして飛び道具も跳ね返すリボン旋風、渦状に巻き、投げつけた煙幕を散布させる煙幕散らし、リボンを使用する際に舞って敵を威嚇するスカイハイ、敵を締め付けて電撃を放つピンクリボンスパーク、リボンを二つ持って攻撃するピンクダブルリボン(トラモズーに使用)、リボンを操りながら、リボンからのスパークで攻撃するピンクフラワーリボン(トラモズーに使用)といった、多彩な技がある。 ピンクダイヤバトン ピンクリボンをダイヤエネルギーで強化させたバトン。サーベルのように使う。最終回ではベラを倒した。サルモズーの若返りの薬放出を防いだゴーグルバトンシャワー返しという技がある。 ピンクミラー ゴーグルサーベルが変形した、敵の光線を反射する手鏡。第14話のみの登場。アンコウモズーのヒートビームに破られるが、世界的なレンズ磨きの名人の神谷鏡太郎が磨くことによって反射する力と輝きが強化され、ヒートビームを打ち破った。 ピンクハート催眠 指から出すハート形の光線で、敵を眠らせたり、幻影を見せる。 ピンク旋風 ピンク以外の4人が手を組み、ピンクを空中に放り投げ、空中でピンクが回転する。ヤドカリモズーの骨抜きガスを防いだ。 必殺技・合体技 ゴーグルビクトリーフラッシュ 5人がやぐらを組み、ゴーグルサーベルからV字状に宝石エネルギーを集中させ、強力光線を照射する。シリーズ前半の決め技として使用された。 ゴーグルゴールデンスピア 強化型ゴーグルサーベルを合体させた黄金の槍。ゴーグルサーベルを合体させて形成、5人でスピアを軸に大車輪した後、ゴーグルレッドが槍を持ち、他の4人が組んだやぐらを踏み台にジャンプして敵に投擲する。第34話で体がネオメタル金属原子で出来ているためにゴーグルビクトリーフラッシュの効かないワニモズーを倒して以後、決め技となった。最終話では、レッドがこれを持ったまま全員で連なって回転しながら敵に突進するスピア風車でデスマルク大元帥の暗黒剣を破って倒した。 イナズマロープ 5本のゴーグルロープから電撃を放つ。 ゴーグルクライム 5本のゴーグルロープを高所に引っ掛け、ロープを短くして体を引き上げる。 クライミングキック 5本のゴーグルロープを引っ掛けてからターザンのように掴まり、同時にキックする。 ダイナマイトクラブ 5組10本のゴーグルクラブを敵に向かって投げつける。クラブは命中すると爆発する。クラブが爆発しないクラブアタックという技もある。 リングスピンタイフーン 5本のゴーグルリングを回転させながら投げつけ、敵の視覚を混乱させる。 リングシャボン玉返し 5本のゴーグルリングを高速回転させ、カニモズーの泡を跳ね返した。 電光ボール 5つのゴーグルボールを放電させながら投げつける。 リボンスパーク 5本のゴーグルリボンで敵の動きを封じたのちにリボンを伝わらせて電撃を放つ。 ゴーグルリボンくすぐり責め 5本のゴーグルリボンで敵をくすぐる。サメモズーの涙爆弾を封じるために使用。 リボンアタック 5本のゴーグルリボンでリボンシャワーを同時に放つ。 リボンタイフーン 5本のゴーグルリボンを振りかざし、突風を起こす。 ゴーグルリボンシャワー返し 5本のゴーグルリボンを振り回して突風を起こし、サルモズーのサルシャワーを跳ね返した。 ゴーグルスカイ 5人で飛行する。 サーベルアタック 5人がゴーグルスカイで空を飛び、ゴーグルサーベルで敵の急所を5連続で突く。5人がVの字フォーメーションで突進飛行し、レッドだけがゴーグルサーベルで敵の急所を突くスカイサーベルという応用技もある。 ゴーグルキック 5人で同時にジャンプして飛び蹴りする。一人で使用することもある。 ゴーグルサーベル殺虫剤 5人のゴーグルサーベルを合わせて剣先から殺虫剤を噴射する。ハエモズーに使用。 ゴーグルサーベルスイカ叩き 5人が交互にゴーグルサーベルでスイカ割りをする。巨大スイカに化けたスイカモズーに使用。 ゴーグルシャワー 5人が額の宝石から光線を放ち、それを融合させてリング状の光線にする。効果は様々で、実体の無い亡霊モズー軍団を追い払い、カメレオンモズーによって保護色にされた子供たちを元に戻し、スカンクモズーの幻影やデスギラーが手に入れた黄金魔剣の力を破ったほか、一点集中攻撃でゾウガメモズーのハイトロンバリヤーを破った。 ゴーグルスパーク 5人がスーツから高圧電流を逆流させる。 ゴーグル大車輪旋風 5人が空中で輪を組み、高速回転して突風を起こしてから、そのまま急降下する。セイウチモズーの冷凍ガスを跳ね返した。 ゴーグルハリケーンタイフーン 5人が空中で繋がり、高速回転して光線や突風を浴びせる。第37、39話で使用。 ゴーグルファイヤー 5人のゴーグルサーベルを合わせて剣先から炎を放つ。第17話で使用。 ファイヤーストーム 5人のゴーグルサーベルを合わせて剣先から水を放射する。第25話で使用。 ゴーグルボンバー 巨大なクラッカーからテープを放って敵の動きを封じる。5人で1箇所に固まって放つタイプと、敵を囲って5方向から放つタイプがある。 モグラたたき 地中から現れるミミズモズーに対しイエロー以外の4人がそれぞれの色のハンマーで叩きつける。 ゴーグルスクランブルステップ 地中に潜むマダラマンに対し、5人が走り回って攻撃する。 基地・メカニック それまでのスーパー戦隊シリーズではバイクなどの専用マシンを変身前後問わず常用していたが、本作品からは変身前には市販のバイクや車を使い、変身後に専用のマシンに搭乗するようになった。 未来科学研究所 本郷博士を所長とする未来科学の研究所で、20年前に後楽園ゆうえんちの地下に建設された。施設は地下40階からなり、2000人の科学者や技術者、警備員らが勤務している。ゴーグルファイブの本拠地でもあり、司令室にはコンボイピューターが5台設置されている。この部屋へのアクセス方法は、遊園地内の電話ボックスからの滑り台式の地下通路と、ゴーグルファイブのマシーンが出入りする秘密の通路のみである。 巨大母艦ゴーグルシーザーの発進時は、後楽園球場が巨大エレベーターにリフトアップされる形で上昇する。発進時は、試合中であることが多く、「スリーボール・ナッシング」と球場に表示された後、「ただいまマイクのテスト中、本日は晴天なり」というアナウンスで警戒シグナルを発令し、秘密任務が開始される。 周辺道路には敵の侵入を防止するためのカメラが設置されており、チェックポイントとしてコンボイのメンバーが監視を行っている。物語終盤において、マズルカの体内に埋め込まれた爆弾により司令室は壊滅する。 基地の商品化も検討されていたが、実現には至らなかった。 新秘密基地 司令室壊滅後に本郷博士が用意したゴーグルファイブの本拠地。洞窟内にあり、ゴーグルシーザーの格納庫も存在する。 ゴーグルマシーン ゴーグルレッドの専用オフロードバイク。ジャンプ性能に優れ、高い機動性を持つ。劇中では使用されていないが、フロントカウルにマシンガン2門も装備している。 ゴーグルクーガー ゴーグルレッド以外の4人が乗るジープ。運転はゴーグルブルーが行う。ゴーグルクーガージャンプというジャンプ移動機能を持つ。劇中では使用されていないがロケット砲も装備している。 劇用車は、トヨタ・ハイラックスをベースに、ノーズ部分にマツダ・RX-7のボディを組み合わせて使用。 ゴーグルシーザー ゴーグルジェット・ゴーグルタンク・ゴーグルダンプを格納する巨大戦闘母艦。3機のマシンは艦中央のコンテナマシンに格納されている。コンテナは3基に分離で、2号と3号は自走が可能。ロボ戦時はゴーグルブラックとゴーグルピンクが搭乗し、必要に応じて援護を行う。ミサイル、ジェットロケット砲2門、熱光線、冷凍光線、温度センサー、エネルギー感知器を装備。オートコントロールも可能。 企画段階では、コンテナで攻撃を行うという設定も存在した。デザイン画では、機首に大きな目が描かれていた。 ゴーグルジェット ゴーグルレッドが操縦する大型戦闘機。コンテナ「1」より発進する。ゴーグルロボの頭部、胸部になる。大型ながら、優れた旋回性能と機動性を持ち、ジェットミサイルを装備。設定では20mmミサイル砲も2門装備している。 ゴーグルタンク ゴーグルブルーが操縦する戦車。コンテナ「2」より発進する。ゴーグルロボの腕部、胴体になる。タンクミサイルを発射するミサイルランチャーを上部に装備。強靭な車体で、水中・宇宙空間でも活動できる。 ゴーグルダンプ ゴーグルイエローが操縦する巨大ダンプ。コンテナ「3」より発進する。ゴーグルロボの脚部になる。抜群のパワーを誇るマシンで、武器はダンプハンド。手錠型のパワーハンドも装備。短時間の飛行も可能。磁力吸着式ハンマーチェーンと作業用高機動シャベルも装備されており、災害救助や建築活動も行える。積載最大量は300t。 玩具では初回生産のみ車輪がラバー製となっている。 ゴーグルロボ ゴーグルジェット・ゴーグルタンク・ゴーグルダンプがマニュアル005の合体指令を受けて「ゴーゴーチェンジ」のかけ声と共に合体した巨大ロボ。民間で初めて開発された合体式の巨大ロボットである。装甲はFSI合金製。 デザインは上半身を村上克司、下半身を現・バンダイ社長の上野和典がそれぞれ担当している。デザインでは、耳部分の大きな羽がなかった。 前2作品では変形・合体シーンは黒い背景で表現されていたが、本作品では現実的な空中や陸上での合体が描写され、以降の作品でも主流の表現となった。 書籍『スーパー戦隊 Official Mook 21世紀 vol.15 手裏剣戦隊ニンニンジャー』では、戦隊ロボの基本的な造形技術はゴーグルロボの時点で完成したと評している。 ポピー発売のDX超合金『クロスインボックス ゴーグルファイブ』は1982年度年末商戦において、競合の『六神合体ゴッドマーズ』『機甲艦隊ダイラガーⅩⅤ』商品を押さえ、大ヒットとなったという。 武装 地球剣 ゴーグルロボの必殺武器。FSI合金製。 ゴーグルシールド 星とVの字のような模様のついた盾。FSI合金製で3万5千度の高熱に耐え、コングからの光線やガス噴射をはね返すこともできる。 ゴーグルスピン ロープの付いた独楽状の武器。投げると回転・発光しながら飛んでいき、コングの体に衝撃を与える。ポピーの「DX超合金」では名称が「ゴーグルスピンドル」。 ゴーグルハンド 巨大な鎖が付いた手錠型の武器。コングの体を捕まえ、動きを封じたり地面に叩きつけたりする。 ゴーグルハエ叩き ハエコングに使用したハエ叩き状の武器。 ゴーグルキャノン 『テレビマガジン』1983年1月号内の特写にのみ登場。 従来のロボの武器や装備ではデストピアを破壊できないというゴーグルファイブの見解から、強力なエネルギーを要する武器として開発された。ゴールデンスピアと同じくハイネオメタル製。サボテンコングのダミーを相手に実験をし破壊には成功したものの、砲身も砕け散ってしまい、実戦には投入されなかった。 必殺技 地球剣・電子銀河斬り 地球剣の刀身に地球と宇宙のエネルギーを取り込んで、相手を唐竹割りにする必殺技。第12話では直前に敵の胴体を横斬りするバリエーションを披露した。ゴーグルレッドの「地球剣・電子銀河斬り」の掛け声にゴーグルブルー・イエローも「電子銀河斬り」と復唱して発動。ゴーグルロボ自身が「地球剣・電子銀河斬り」と声を発した後、右腕だけで地球剣を円を描くように一回転させて地球を模した球体を形成し、球体は銀河に飛び立って宇宙のエネルギーをチャージした後舞い戻り、地球剣と一体となって刀身が発光。その状態で敵を両断する。第38話からはレッドが右レバーを下げる→左レバーを上げる順で操作して繰り出すようになり、ブルーとイエローによる掛け声は省略された。 地球剣・電子銀河ミサイル 地球剣を逆手に持ち、エネルギーを込めて投げつける技。最終話で巨大タブーを倒した。電子銀河斬りの入力を逆再生する形で発動する。 その他の技 ハンドミサイル 刃を備えるサックをつけた右拳を飛ばす攻撃技。 ゴーグルフラッシュ 全身を発光させて渦巻状の光を放ち、敵の攻撃を無力化する技。攻撃にも使用可能。 アイキャッチ 目を光らせて、素早い相手の動きを見切ったり、煙幕に隠れた敵を探し出す技。 ゴーグルサンダー 地球剣を体の正面に構え、周囲に電撃を放つ攻撃技。剣を地面に突き刺して電撃を走らせることも可能。 ビクトリーパンチ(ゴーグルビクトリーパンチ) 両手でVの字を描いてから放つパンチ攻撃。 ゴーグルロボ大竜巻 空中で回転して竜巻を起こす攻撃技。ゴーグルフラッシュのバリエーションにあたる。終盤で多用された。 ゴーグルビーム 全身を発光させて、体に張り付いたネズミコングのメカネズミを弾いた技。 トリプル攻撃 一旦合体を解いて3機に分離、各機がミサイルやダンプハンド、ゴーグルシーザーミサイルを繰り出した後に再合体する撹乱戦法。25話のテラノコング戦で披露した。 スペック {| class="wikitable sortable" style="font-size:small" border="1" |- ! 名称 !! 全長 !! 全幅 !! 重量 !! スピード |- ! ゴーグルシーザー |120m | |1550t |マッハ5(飛行)200km/h(走行) |- ! ゴーグルジェット |25m |15.5m |30t |マッハ10 |- ! ゴーグルタンク |19m |rowspan=4| |285t |250km/h |- ! ゴーグルダンプ |32.5m |650t |150km/h |- ! ゴーグルマシーン |2m |280kg |350km/h |- ! ゴーグルクーガー |4.2m |750kg |300km/h |- ! 名称 !! 全高 !! 重量 !! スピード !! 出力 |- ! ゴーグルロボ |55m |965t |100km/h(走行)マッハ10(飛行) |300万馬力 |} 暗黒科学帝国デスダーク 大昔から科学技術を悪用した悪魔の科学を用いて人類史に多くの厄災を招き、過去にいくつもの文明を滅ぼしたと言われる暗黒科学者の集団。その歴史は5000年に及ぶと言われ、総統タブーと呼ばれる謎の支配者の下に初めて勢力が統一され、1980年代になって本格的な世界征服に乗り出している。暗黒科学の技術を結集して造られた浮遊要塞暗黒巨大城デストピアを本拠地とし、モズーと呼ばれる合成怪獣やコングと呼ばれる巨大ロボット、戦闘機デスファイターを繰り出す。 各キャラクターの身長・体重などの設定はない。 初期企画での名称は暗黒科学帝国ダークマズーであった。幹部の名称はこの時点で決定していた。 デスダークの支配者。太古の昔から群雄割拠していた暗黒科学者たちを統一して、5000年前にデスダークを築き上げた存在と言われるが、その真の姿を見た者は最終決戦の時まで誰もいなかった。デストピアの内部にある謁見の間の曇りガラスの奥から黒いシルエットだけを見せて指令を下し、赤い巨大な一つ目を光らせて、幹部たちを威圧する。 一方でクマモズーの讒言で反逆者とされたデスギラー将軍に対し最後の出撃を許すなど、支配者としての度量を見せることもある。 その正体は暗黒科学が生み出した複数の遺伝子が合成された「究極にして、最強の遺伝子」である超遺伝子であった。 デザインは久保宗雄が担当。前2作の首領格がアクティブなキャラクターであったため、差別化として『バトルフィーバーJ』のサタンエゴスと同様に実態のわからないキャラクターとして位置づけられた。 巨大タブー 最終話に登場。全ての部下を失い、デストピアを破壊された総統タブーが、ハイトロンエネルギーにより巨大化した姿。ゴーグルファイブの劇中では唯一、自ら巨大化した敵である。ゴーグルロボと最後の対決を行い、巨大な一つ目からのハイトロンビームでゴーグルロボを圧倒。電子銀河斬りで胴体を切られながらも上半身だけで襲い掛かるが、最後は唯一の弱点である一つ目に地球剣・電子銀河ミサイルを食らい、爆発四散した。 デザインは渡部昌彦が担当。遺伝子の集合体という設定であるが、DNAの二重螺旋は認知度が低かったため、神経細胞をモチーフとしている。 第1 - 49話に登場。ドクロを模した兜を被った、デスダークの指揮官。作戦立案を行うだけでなく、自らも前線に立って戦闘を行う。剣の達人でもあり、ゴーグルレッドを特にライバル視する。短気で冷酷ではあるもののデスダークへの忠誠心は厚く、武人としての一面も持っている。第15話でのゴーグルレッドとの一騎討ちの最中、マズルカの指示によるハチモズーの妨害に怒り、「邪魔をするな!」とハチモズーを突き飛ばして一騎討ちを続行、互角の勝負を繰り広げた(結局、双方乱入で引き分け)。第48話ではマズルカの自爆に巻き込まれ傷を負うが、赤間の「命の尊さに気付いてほしい」という願いから、ゴーグルファイブから手当てを受ける。その後、クマモズーを退けてゴーグルファイブへの借りを返した上で、クマコングに自ら乗り込み、最後の勝負を挑む。ゴーグルロボとの激闘の末、クマコング共々壮烈な最期を遂げた。作中では過去が描かれたことは無かったが、第34話の準備稿段階では、同話数のゲストキャラクターである河田ちえみを妹のように育てていた、という過去が描かれる予定であった。 デザインは赤坂徹朗が担当。兜は骸骨とドイツ軍のヘルメットがモチーフとなっている。 第1 - 48話に登場。デスダークの諜報部長。爆撃や麻酔ガスを放つスティックが武器。変装を得意とするが、第4・39話で変装して活動していた際、子供に「おばさん」扱いされ、怒ったこともある。 第48話でハイトロンエネルギーの力で透明になって未来科学研究所に潜入するが、その体にはデスマルク大元帥の手によって、爆弾が埋め込まれていた。衰弱していたマズルカは組織から切り捨てられたと知るや自暴自棄になり、デスギラー将軍から爆弾のコントローラーを奪い取り、将軍を道連れにするつもりで研究所と共に自爆した。 イガアナ博士とザゾリヤ博士の存命中は2人よりも格が下であったが、不甲斐ない2人に皮肉を浴びせたこともある。 デザインは赤坂徹朗が担当。準備段階ではデスギラー将軍と同じく骸骨と軍服をモチーフとしたデザインであったが、プロデューサーの吉川進から女性キャラクターに骸骨を用いることに苦言を呈され、女性のラインを活かした露出の多いデザインへ変更された。 第1 - 15話に登場。爬虫類風の衣装を着た豪快な性格の男性科学者。怪獣的イメージのコングの製作を得意としており、ロボットは自分の手で製造すべきだという性格をしている。度重なる作戦の失敗により、総統タブーとデスギラー将軍の怒りを買い、デスマルク大元帥から「役立たず」と見做され、ザゾリヤ博士と共に処刑された。 デザインは久保宗雄が担当。当初はザゾリヤ博士とともにエスニック調の唐草模様が衣装にあしらわれていたが、ゴーグルファイブのデザインと被るために修正された。 第1 - 15話に登場。サソリの衣装を着た冷酷な女性科学者。メカの特性を生かしたコングを製作することを得意とし、大勢の助手に命じて設計図通りに製造させる。劇場版で「度重なる失敗で身の危険を感じて逃げ出した」という嘘をついてゴーグルファイブを罠にはめたこともあったが、第15話で本当に作戦失敗を理由にイガアナ共々処刑された。 前述のコングの設計について「ザゾリヤはメカ型・イガアナは怪獣型」というのは企画書にも明記されているが、作中では生物モチーフのマンモスコング(第3・4話登場)もザゾリヤが製造している。 デザインは久保宗雄が担当。実際に作中に登場したザゾリヤは女性で、企画書がまとめられた時点ですでに女性設定だったが、企画当初は武闘派のイガアナ博士と対になる痩せた頭脳派の男性であった。 第15 - 50話に登場。デスダークの最高幹部で、暗黒科学の伝説的英雄。南極の氷の下に埋められていた棺の中で、2000年の長い眠りについていたが、総統タブーの命令で蘇生された。2000年の眠りの間、総統タブーから催眠教育を受けていたため、現在のデスダークについての情報は完全に把握している。性格は冷酷かつ残忍。総統タブー以外の幹部全員から恐れられる強大な暗黒パワーの持ち主で、天候を自由に操り、物体を転送する稲妻状光線が使える。両手からは人間を消滅させる光線を出し、イガアナ、ザゾリヤ両博士をこれで処刑した。ゴーグルファイブには第15話の時点で名前だけは知られていたが、本人はデスギラー将軍が戦死するまでの間、デストピアの内部から指令を下し、ゴーグルファイブの前に姿を現したのは最終話が初めてであった。戦闘時には妖刀暗黒剣を振るい、ブラックサンダーなどの技を使い、ゴーグルファイブを圧倒したが、スピア風車で暗黒剣を破壊され、自身も致命傷を負い、総統タブーの名前を呼びながら絶命した。 デザインは赤坂徹朗が担当。初稿では司教や祈祷師をイメージしていたものから、最終的にツタンカーメンの黄金マスク風のデザインでまとめられた。 第15 - 50話に登場。デスマルク大元帥に仕える2人の侍女で、デスマルクと共に復活した。デスマルクの命令にのみ忠実に従い、言葉は一切話さない。最終話では女剣士に変身し、短剣を武器に戦うが、ゴーグルブルーのブルーサファイアジェットリングとゴーグルピンクのピンクダイヤバトンを受けて倒された。 デザインは赤坂徹朗が担当。当初はマダラマンにあわせて複雑な模様で考えられていたが、吉川からの要望によりシンプルなデザインとなった。 通称モズー。遺伝子マルチサイザーによって選ばれたデスダークが所有する動植物の特殊遺伝子をスーパーコンピューターのサイバネティクスプログラムに基づいて、スーパー増殖機でタンパク質と混合しながら増殖・培養し、金属原子と結合させることによって生成される怪物。動植物の能力と機械の能力を併せ持つ。当初は左右非対称な姿だったが、中盤からは新金属ネオメタルで強化されたスーパー合成獣が登場し、機械と生物が均等に入り混じった姿になる。終盤では超エネルギー・ハイトロンによって、さらに強化された(47話以降、モズーの腹部ないし左胸にハイトロンカプセルが備わる)。 デザインを担当した久保宗雄は、前作の機械生命体との差別化として半身がメカの左右非対称のデザインとしていたが、プロデューサーの鈴木武幸からの要望により生物と機械の合成という大枠のみになった。 デスダークの戦闘員。身体は機械で構成されており、名前の通り、マダラ模様の服で身を覆っている。基本的には無言だが、口がきけないわけではなく、たまに仲間同士で会話をしたり、人間に命令することがある。一部には白衣を着て合成怪獣・巨大ロボの製造や各種実験に携わる者もいる。また、指揮を執る合成怪獣に合わせた能力を持った特殊部隊や大元帥直属の鎧武者に似た戦闘員も存在する。 デザインは久保宗雄が担当。JACの忍者映画に登場する迷彩柄の忍者装束がモデルとなっている。 初期企画での名称は兵士メカメカであった。 デスダークの戦力 暗黒巨大城デストピア デスダークの拠点。外観は朽ちた古城を思わせるが、内部は暗黒科学の粋を集めた移動要塞となっている。海中航行も自在(14~15話冒頭にかけては日本近海から南極海底まで潜行した)。最終話でゴーグルシーザーのミサイルで破壊された。 デザインは赤坂徹朗が担当。 通称コング。デスダークが造りだした戦闘用巨大ロボ。リフレッシュパワー光線で、ゴーグルファイブに倒された合成怪獣を再生させ、搭乗者とする。当初はザゾリヤ博士とイガアナ博士が個々にコングを設計・製作し、お互いを戦わせて、強い方を実戦に投入していたが、第4話では失敗続きを理由に共同研究開発になり第3話で不採用になったマンモスコングを2人が強化(この時右腕の形状が第3話と変化している)し、第5話以降は「コング開発が費用の割には効果が上がらない」と、作戦に投入されるモズーを元にその特長・能力が最も発揮できるようにする意志伝達システムを搭載させたコング(端的に言えば上半身がモズーと同じ形状のコング)が作られるようになった。 ほとんどの機体が頭部にコックピットを備えているが、第22話に登場したクジャクコングのみ胸部にコックピットがある。 下半身はファンコング型(甲冑風)・ヒカリコング型(脛が角ばっている)・ゴリラコング型(爬虫類風の尻尾と鱗がある)の3パターンがあるが、ファン・マンモス・カマキリ・ヤモリ・ネコのコングがファンコング型、ゴリラコングのみゴリラコング型で、他はすべてヒカリコングと同型である。 これ以外に変化要素として、ドクガコング(第8話)以後のコング(劇場版のモグラコング含む)はデスダークのマークである赤い目の紋章が胴体に付くようになっている他、ネズミ・シシ・ナマズ・カニ・クジャクのコングは手の形状(カニコングは左手のみ)がモズーより大型化している。 コックピット内は天井から2本の操縦桿が伸びており、搭乗者はこれを動かしてコングを操縦する。出撃時にはデスギラー将軍の号令で、デストピア側面の格納庫の壁面が開き、足の裏からの噴射により目的地まで自力で飛行してくる。 コングの投入は第49話まで続いたが、第16話のヒトデモズーのみコングがなかった。 デスダークの戦闘機。マダラマンが操縦し、巨大ロボットの援護をすることもある。 キャスト 桃園ミキ役には、当初早坂あきよが起用されたが、3話まで撮影した時点で都合により降板が決まり、急遽代役としてモデル出身の大川めぐみが抜擢された。 レギュラー 赤間健一 / ゴーグルレッド - 赤木良次 黒田官平 / ゴーグルブラック - 春田純一 青山三郎 / ゴーグルブルー - 石井茂樹 黄島太 / ゴーグルイエロー - 伍代参平 桃園ミキ / ゴーグルピンク - 大川めぐみ 若木みどり - 小林伊津子(第1 - 19、22話) 山本さゆり - 細矢智恵子 上田達也 - 井浦秀智 竹中誠 - 竹内実 島田春男 - 大原和彦 大山大助 - 水野智則 相沢あかね - 杉本華恵 ナレーター - 大平透 デスマルク大元帥 - 中庸助(第15 - 50話) デスギラー - 高橋利道(第1 - 49話) マズルカ - 吉田真弓(第1 - 48話) ザゾリヤ博士 - 西口久美子(第1 - 15話) イガアナ博士 - きくち英一(第1 - 15話) ベラ - 大木まり子(第15 - 27話)、中西典子(第28 - 50話) ベス - 新保久美子(第15 - 50話) 総統タブーの声 - 依田英助 本郷博士 - 仲谷昇(第1、2、49、50話) ゲスト 魔術師 - 戸田真太郎(第2話) 梶祐介 - 不明(第3話) 梶マリ子 - 原和美(第3話) 通りかかった子供 - 徳石光浩(第4話) 昔話おじさん・岩田 - 高杉哲平(第5話) 春男の友達 - 本間俊洋、滝奈々(第5話) 電話ボックスの女性 - 阿知波悟美(第5話) ヘルマスク - 大前均(第6話) 宝石盗難事件の被害者 - 木村修(第6話) 保育園の先生 - 茜まり(第6話) 警備員 - 沢田祥二、長江英和(第6話) 山倉アナウンサー - 小館良平(第6話) 成田博士 - 石津康彦(第7話) 成田幸子 - 一柳みる(第7話) 成田タケシ - 谷村隆之(現・加戸谷隆斗)(第7話) 東日本太陽熱発電所・研究員 - 神田武志、唐沢きよし(第7話) 諜報部員108号 - 井出智子(第8話) ドクター・サリー - レイ・アントン(第8話) インターポール - R・ゲスマン(第8話) 御館様 - 鈴木和夫(第9話) 佐助 - 長田恒義(第9話) 工場長 - 山田光一(第9話) 御館様の側近 - 中屋敷鉄也、遠矢孝信(第9話) 村人 - 松下昌司、岩崎紀代子(第9話) 小沼秀夫 - 渡辺義之(第10話) 小沼の妹 - 谷田川知恵(第10話) 小沼の弟 - 佐藤たくみ(第10話) 警備員 - 江口玄友、田波正則、辻井啓嗣(第10話) 吾作 - 八代康二(第11話) タケル - 伊藤巧美(第11話) 村長 - 中島元(第11話) 正彦 - 森茂紘(第12話) トモ子 - 富岡香織(第12話) 黄島壮一 - 森章二(第13話) 登山客の一家 - 岸本功、桐杏子、渡辺房江、羽山英治(第13話) 神谷鏡太郎 - 市原清彦(第14話) 神谷千鶴 - 寺井留美子(第14話) 野球少年 - 大導寺裕司(第14話) 未来科学研究所の医師 - 大矢兼臣(第15話) 若者 - 岡本美登(第15話) サトル - 五十嵐貴仁(第17話) 高田博士 - 佐々木敏(第18話) 高田エリカ - 谷本重美(第18話) 勝男 - 栗原敏(第19話) 勝男の妻 - 太地琴恵(第19話) 医者 - 岸野一彦(第19話) オサム - 葛生征樹(第19話) テレサ - 永田エミ(第20話) 浜田良造 - 丸岡奨詞(第21話) 浜田の妻 - 立石凉子(第21話) フランス人形 - 森永奈緒美(第22話) 女剣士人形 - 松岡真由(第22話) 女闘士人形 - 志村忍(第22話) フランケンシュタイン人形 - 清水朗(第22話) 魔女人形 - 柴原孝典(第22話) ガンマン人形 - 佐藤浩(第22話) 拳法使い人形 - 喜多川務(第22話) 忍者人形 - 渡辺実(第22話) ガイコツ人形 - 辻井啓嗣(第22話) 源太 - 塚本正雄(第23話) 源太の母 - 藤山律子(第23話) シャボン玉をしている兄弟 - 杉山弘之・杉山輝行(第23話) ワタル - 富井己則(第24話) ヒロシ - 三須志雄(第25話) 先生 - 朝丘あゆみ(第25話) 警官 - 佐藤輝昭(第26話) 泥棒 - 皆川衆(第26話) なるみ - 金子成美(第26話) なるみの母親 - 竹下江里子(第26話) ひろ子先生 - 小坂るみ子(第27話) 横田 - 横田誠(第27話) 加藤 - 加藤剛(第27話) 大畠 - 大畠拓(第27話) 校長 - 松尾文人(第27話) 教頭 - 木村修(第27話) レポーター - 広森信吾(第27話) 村田和男 - 川辺太一朗(第28話) 村田洋子 - 永浜三千子(第28話) 鈴木一鉄 - 田崎潤(第30話) 鈴木美汐 - 吉田麻子(第30話) 清作 - 貫井正浩(第30話) 浩太 - 青木英隆(第31話) 大川誠一郎 - 三井恒(第32話) 大川太郎 - 塩見健治(第32話) 水族館の館長 - 相沢治夫(第32話) はるみ - 新井備子(第32話) 山倉アナウンサー - 山浦栄(第32話) 由美 - 坂入公子(第33話) 和也 - 岸本功(第33話) ラムダス - 弘松三郎(第33話) 河田ちえみ - 甲斐智枝美(第34話) 河田博士 - 平野稔(第34話) 野口医院長 - 野村昇史(第34話) 吉沢 - 横尾三郎(第34話) 星野ヨウスケ - 藤田たけし(第35話) ヨウスケの父 - パンチョ加賀美(第35話) ヨウスケの母 - 門谷美佐(第35話) 正康 - 工藤秀和(第35話) 正康の姉 - 牛崎照美(第35話) ボーイ - 木村栄(第35話) 井上加平 - 武内文平(第37話) 井上マサル - 才用裕二(第37話) 誠の友達 - 金在勝利(第37話) OL - 高橋美紀(第37話) 飼育係 - 名川貞郎(第38話) オサム - 柴田一幸(第39話) オサムの母 - 花悠子(第39話) マダラマン人間態 - 辻井啓嗣(第39話) 大泉博士 - 内山森彦(第40話) 未来科学研究所の医師 - 相原巨典(第40話) 高山忠男 - 中丸信(第41話) 高山の妻 - 沢井孝子(第41話) 記者 - 市川勉(第41話) リポーター - 西尾徳(第41話) 暴走族 - 喜多川務(第41話) さやか - 仁和令子(第42話) 運転手 - 村上幹夫(第42話) 野熊鹿三 - 相馬剛三(第43話) 八百屋の客 - 田口和政(第44話) 女性 - 志村忍(第45話) 女の子 - 田中理恵子、三瓶美樹(第45話) 遠山 - 東山茂幸(第46話) 天体物理学の専門家 - 入江正徳(第46話) 釣人 - 高杉哲平(第46話) マサト - 秋永和彦(第47話) 作業員 - 渡部猛(第49話) スーツアクター 竹田道弘は『宇宙刑事シャリバン』への移動、伊藤勝功は負傷を理由にそれぞれ途中交替している。次々作『超電子バイオマン』でブルースリーを演じる大須賀昭人は本作品が撮影現場デビューだが、面付け担当が本職でスーツに入るのはその合間の仕事だった。 ゴーグルレッド - 新堀和男 ゴーグルブラック - 春田純一 ゴーグルブラック - 喜多川務 ゴーグルブルー - 柴原孝典 ゴーグルブルー(第29・30話) - 東山茂幸 ゴーグルイエロー - 伊藤勝功 ゴーグルイエロー(終盤) - 卯木浩二 ゴーグルピンク - 竹田道弘 ゴーグルピンク - 志村忍 ゴーグルロボ - 日下秀昭 モズー - 辻井啓伺 悪の総統タブー、マダラマン、他 - ショッカーO野 マダラマン - 大須賀昭人、石垣広文 その他 - 的場耕二、蜂須賀昭二 スタッフ 前作までの主要スタッフのうちプロデューサーの吉川進、それに上原正三や高久進といった脚本家が、本作品とほぼ同時期に立ち上げられた『宇宙刑事ギャバン』に移動。これに伴い本作品では曽田博久がメインライターに就任しており、これ以降『地球戦隊ファイブマン』までの長きに渡り、プロデューサーの鈴木武幸と共に二人三脚でスーパー戦隊シリーズに深く携わることになる。 演出陣では『サンバルカン』より引き続き参加の東条昭平がメイン監督を務め、パイロット作品、劇場版、地方ロケ編などの主要なストーリーを担当した。また『バトルフィーバー』から撮影技師を務めていたいのくままさおが、本作品の中盤より本格的にスーパー戦隊シリーズへと参加している。 企画には『仮面ライダースーパー1』を担当していた阿部征司が参加。本作品で志向した明るい作風は、後に阿部が手がけた『星雲仮面マシンマン』にも継承された。 企画 - 碓氷夕焼(テレビ朝日)、吉川進、阿部征司(東映) 原作 - 八手三郎 連載 - テレビマガジン、てれびくん、テレビランド、冒険王 脚本 - 曽田博久、筒井ともみ、松本功、酒井あきよし、鷺山京子、由起圭 音楽 - 渡辺宙明 アクション監督 - 山岡淳二、横山稔(ジャパン・アクション・クラブ) 監督 - 東条昭平、服部和史、辻理、山田稔、小西通雄 撮影 - 石橋英敏、いのくままさお 照明 - 斉藤久、石垣敏雄、吉岡伝吉 美術 - 森田ふみよし キャラクターデザイン - 久保宗雄、赤坂徹朗、渡部昌彦 録音 - 上出栄二郎 効果 - 大泉音映 選曲 - 石川孝 編集 - 成島一城 制作担当 - 佐々木丸正、山本康郎 進行主任 - 塚本幸雄、奈良場稔、小原武羅夫 計測 - 黒須健雄、小泉貴一 記録 - 石川和枝、新藤京子 助監督 - 加島忠義、北本弘、南晃行、小中肇、樋口徹 制作デスク - 須田啓一 装置 - 東映美術センター 操演 - 船越幹雄 美粧 - サン・メイク 衣裳 - 鷹志衣裳 装飾 - 装美社 企画協力 - 企画者104 キャラクター制作 - レインボー造型企画 視覚効果 - デン・フィルム・エフェクト 合成 - チャンネル16 音楽制作 - あんだんて 撮影協力 - 後楽園スタヂアム 現像 - 東映化学 車輌製作 - マエダオートクラブ、十和モータース オートバイ協力 - 鈴木自動車工業 車輌協力 - トヨタ自動車(21話まで)、東洋工業→マツダ(24話以降) (株)特撮研究所 操演 - 鈴木昶 美術 - 大澤哲三 撮影 - 高橋政千 照明 - 須崎文夫 技斗 - 斎藤一之 特撮監督 - 矢島信男 プロデューサー - 加藤守啓(テレビ朝日)、鈴木武幸(東映) 制作 - テレビ朝日、東映、東映エージエンシー 音楽 本放送当時発売されたのはシングルレコードと「ヒット曲集」のみであり、劇伴のサウンドトラックは番組終了後の1996年に、CD『大戦隊ゴーグルファイブ MUSIC COLLECTION』として初めて音盤化された。 主題歌 オープニングテーマ「大戦隊ゴーグルV」 作詞:小池一夫 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:MoJo、こおろぎ'73、ザ・チャープス シンセサイザーによるSE風の音を挿入するなど、1970年代後半から1980年代前半にかけての新たな音楽性を取り入れている。また、こおろぎ'73とザ・チャープスという二つのグループを起用した厚みのあるコーラスをつけている。テレビサイズ版のみ、コーラス陣によるタイトルコールがイントロに被せられている。 毎回のオープニングのみならず、全話の戦闘シーンでも挿入歌として使用された。 本曲には「大戦隊ゴーグルV〜オルターネートヴァージョン〜」と題されたNG版が存在する。完成版との違いはイントロのシンセアレンジと、イントロと間奏にもコーラスが挿入されること。渡辺宙明は、コーラスにインパクトがなくむしろ邪魔になっているので使わなかったのではないかと語っている。主題歌としてはNGとなったが、挿入歌として劇中で使用されている。なお、現存する歌入りの音源はイントロが完成版に差し替えられているため、1996年発売の『大戦隊ゴーグルファイブ コンプリート・ソング・コレクション』に収録される際、イントロをインストゥルメンタル版のもの(音自体は歌入り版と同一)に再度差し替え、欠損していたイントロのコーラスは間奏のコーラスを代用して本来の形が復元された。 なお、藤井健(ブレッスンフォー名義)、宮内良、橋本俊一、鈴木康夫、福沢良一によるカバーバージョンが存在する(それぞれ、キングレコード、ビクター音楽産業、ポニー・キャニオン、アポロン音楽工業、CBSソニーの混載盤などに収録)。 エンディングテーマ「ストップ・ザ・バトル」 作詞:小池一夫 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:MoJo、こおろぎ'73、ザ・チャープス インストゥルメンタル版が5人そろっての名乗りのシーンに毎回のように使用されている。 挿入歌 「ゴーグルVアクション!」 作詞:保富康午 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:日高美子、こおろぎ'73、ザ・チャープス 12・17・25・31・35・38・44・45話ではインストゥルメンタル版が使用された。 「熱風シャドウ」 作詞:さがらよしあき / 作曲:渡辺宙明 / 編曲:久石譲 / 歌:MoJo、須貝吏延、こおろぎ'73 13・16話ではインストゥルメンタル版が使用された。 「フラッシュ!ゴーグルV」(10・12・14・16・18・20・30・44・45話) 作詞:曽田博久 / 作曲:渡辺宙明 / 編曲:久石譲 / 歌:MoJo 10話ではカラオケ版、14話ではインストゥルメンタル版と併用され、13・17・21・23・25 - 27・29・31 - 34・36・40話ではインストゥルメンタル版のみ、28話では前奏、間奏部のみがそれぞれ使用された。 「ゴーグルVのマーチ 〜We are Goggle V〜」 作詞:さがらよしあき / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:MoJo、須貝吏延、こおろぎ'73 24話ではインストゥルメンタル版が使用された。 「エレクトリック・マジックコンボイ」 作詞:さがらよしあき / 作曲:渡辺宙明 / 編曲:久石譲 / 歌:新倉よしみ、コロムビアゆりかご会 「ダンシングゴーグルV」(11話) 作詞:保富康午 / 作曲・編曲:風戸慎介 / 歌:MoJo 12・18・23・26・29・30・32・43話ではインストゥルメンタル版が使用された。 「出撃! ゴーグルロボ」(10 - 15・17 - 47話) 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:MoJo、こおろぎ'73 18 - 20・23・26・28 - 32・35 - 37・39 - 41・43 - 45・47話ではインストゥルメンタル版と併用された。 「燃える男ゴーグルレッド」(15・16話) 作詞:保富康午 / 作曲・編曲:風戸慎介 / 歌:MoJo 15・16話ではインストゥルメンタル版と併用。17・19・36・42・44・50話ではインストゥルメンタル版のみ、34話では前奏部のみが使用された。 「花咲くゴーグルピンク」(11話) 作詞:保富康午 / 作曲:渡辺宙明 / 編曲:いちひさし / 歌:日高美子 22・39話ではインストゥルメンタル版のみが使用された。 放送終了後の1983年10月に発売された企画LP『スーパーギャルズメモリー』には、桃園ミキ役の大川めぐみが歌ったアコースティックバージョンが収録されている。 放送日程 他媒体展開 映像ソフト化 いずれも発売元は東映ビデオ。 DVDは2006年9月21日から2007年1月21日にかけて、全5巻が発売された。テレビシリーズの初ソフト化であり、各巻2枚組で10話収録。 2021年4月14日発売の「スーパー戦隊一挙見Blu-ray 1982 - 1986」に計6話が収録されている。 劇場版は2003年7月21日発売のDVD-BOX「スーパー戦隊 THE MOVIE BOX」と、2004年7月21日発売の「スーパー戦隊 THE MOVIE VOl.2」、「スーパー戦隊 THE MOVIE Blu-ray BOX 1976-1995」(2011年6月21日)発売に収録されている。 他テレビシリーズ 『高速戦隊ターボレンジャー』 第1話「10大戦隊集合 頼むぞ! ターボレンジャー」(特別編)で、ゴーグルファイブの5人が登場。 『未来戦隊タイムレンジャー』 第51話「スーパー戦隊大集合」(特別総集編)で、タイムレンジャー5人がタイムジェットで本作品の世界を見に来たという設定で、本作品の映像が流用されている。 『海賊戦隊ゴーカイジャー』 第1話などのレジェンド大戦を描いた箇所に、ゴーグルファイブの5人が登場するほか、ゴーカイジャーの二段変身としても登場。 劇場版 大戦隊ゴーグルファイブ 本作品の劇場版で、1982年3月13日公開。上映時間28分。東映まんがまつりの一編として上映された。当時の戦隊作品の劇場版では珍しく、テレビシリーズと同様にED曲と映像が流された(他の劇場公開用作品ではOPに集約されることの多いスタッフテロップも、テレビシリーズと同様にEDに流された)。 監督:東条昭平 アクション監督 :山岡淳二 脚本:曽田博久 登場怪人:モグラモズー(声:渡部猛)、モグラコング ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦 『ゴーカイジャー』と『天装戦隊ゴセイジャー』の映画作品。ゴーグルブラック/黒田およびゴーグルロボが登場。 海賊戦隊ゴーカイジャー THE MOVIE 空飛ぶ幽霊船 『ゴーカイジャー』の映画作品。マダラマンが登場。 仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦 スーパー戦隊シリーズと仮面ライダーシリーズのクロスオーバー作品。ゴーグルファイブの5人が登場。 CS放送・ネット配信 CS放送 東映チャンネル 2002年2月 - 7月(「スーパー戦隊ワールド」枠) 2003年10月 - 12月(「アンコールアワー」枠) ネット配信 東映特撮 YouTube Official 2013年5月6日 - 10月27日 2017年6月10日 - 11月25日 漫画 テレビランド(徳間書店) - 作画:細井雄二 テレビマガジン(講談社)- 作画:津原義明 冒険王(秋田書店)- 作画:大谷章 放送局 関東広域圏:テレビ朝日:土曜 18:00 - 18:30 ※キーステーション 北海道:北海道テレビ放送 青森県:青森放送 岩手県:岩手放送(現・IBC岩手放送):水曜 17:00 - 17:30 秋田県:秋田放送 山形県:山形放送:水曜 17:30 - 18:00 宮城県:東日本放送:土曜 18:00 - 18:30 福島県:福島放送:土曜 18:00 - 18:30 新潟県:新潟放送:金曜 17:30 - 18:00 山梨県:山梨放送 富山県:北日本放送:月曜 17:00 - 17:30 石川県:北陸放送:水曜 17:30 - 18:00 福井県:福井テレビ:木曜 17:25 - 17:55 長野県:テレビ信州 静岡県:静岡けんみんテレビ(現・静岡朝日テレビ) 中京広域圏:名古屋放送(番組放送当時の局名・現メ〜テレ) 近畿広域圏:朝日放送(現・朝日放送テレビ) 鳥取県・島根県:日本海テレビ 岡山県・香川県:瀬戸内海放送 広島県:広島ホームテレビ 山口県:テレビ山口 徳島県:四国放送 香川県:瀬戸内海放送 愛媛県:愛媛放送(現・テレビ愛媛) 高知県:テレビ高知 福岡県:九州朝日放送 長崎県:長崎放送 熊本県:テレビ熊本 宮崎県:宮崎放送 鹿児島県:鹿児島放送(1982年10月 - 1983年1月) 沖縄県:琉球放送 脚注 注釈 参照話数 出典 参考文献 大全集シリーズ(講談社) 『スーパー戦隊 Official Mook 21世紀』講談社〈講談社シリーズMOOK〉 『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀』講談社〈講談社シリーズMOOK〉 関連項目 オールスター番組対抗ボウリング大会 - 1982年秋に放送されたテレビ朝日の期首特番で、ゴーグルファイブが『宇宙刑事ギャバン』と共に連合チームで出場。番組内では第1回戦9フレーム前の意気込みの時、ゴーグルファイブとギャバンが登場し握手をするシーンが放送された。 外部リンク 大戦隊ゴーグルファイブ(スーパー戦隊ネット内の紹介記事) DVD 大戦隊ゴーグルV特集(東映ビデオ内にあるサイト) スーパー戦隊シリーズの特撮テレビドラマ 1980年代の特撮作品 1982年のテレビドラマ ムー文明を題材としたテレビドラマ アトランティス文明を題材としたテレビドラマ 巨大ロボットを題材としたテレビドラマ 新体操を題材とした作品 宝石を題材としたテレビドラマ 遊園地を舞台とした作品 めばえ おともだち たのしい幼稚園 テレビマガジン
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%BC
シンセサイザー
シンセサイザー()は、一般的には主に電子工学的手法により楽音等を合成(:シンセサイズ)する楽器「ミュージック・シンセサイザー」の総称。いろいろな音が作成・編集できる鍵盤楽器。電子楽器、音源と呼ばれることもある。 以降、記述の煩雑化を避けるため、正式名称「シンセサイザー」を適宜「シンセ」と略記する。 歴史 概歴 シンセサイザーの発明は、「ある時 誰かが 世界で初めて何かを発明し、その成果が後に世界中に広がった」という出来事ではない。100年以上にわたる電子楽器の歴史の中で、多くの人々が試行錯誤を繰り返し、時としてほぼ同じものがあちこちで再発明されながら、技術の蓄積と概念の洗練が進み、途中、戦争による停滞や技術者の世代交代を挟んで、1960年代以降マイクロ・エレクトロニクスと共に急速な発展を遂げて、現在の形になった。 最初に登場したのは19世紀半ばに登場したミュージック・テレグラフという発電機や電話を応用した機械で、次に有線音楽配信を狙ったテルハーモニウムが登場。20世紀初頭、真空管が発明されラジオやトーキーの実用化研究が本格化すると、ラジオ技術の一つであるヘテロダインを応用したテルミンや、トーキー技術 を応用したOptophonic pianoが登場した。遅くとも1920年代初頭には楽器用低周波オシレータが登場し、それをリボンコントローラや鍵盤で演奏するトラウトニウムやオンドマルトノが登場した。これらの楽器は後の改良の結果、現在ではシンセの祖先と見なされているが、登場当時は非常にシンプルでシンセと呼べる物ではなかった。 1930年代にはシンセサイザーの基本要素が出揃い、初期のシンセサイザー時代が開幕した。ただし当時のフィルターは、パッシブ回路が主流でその効果は緩やかなため (6dB/oct.)、1970年代アナログ・シンセのように強力な音作りの手段にはならず、むしろ他の補助的に使われる事が多かった。この時期に登場したミニモーグのような機能と外観を持つ楽器(コンサート・トラウトニウム、ミクスチュア・トラウトニウム)もその一例である。ポリフォニック楽器の分野では、当初は方式や ピックアップ方式が有力で、特に倍音加算合成をトーンホイールで実現したハモンド・オルガン は一大勢力となり、この分野で40年以上勢力を維持した。電子楽器では「分周回路」と「フィルターによる減算合成」を組合せた新しい楽器が登場し、これ以降多くの電子オルガンが同方式をベースとした倍音加算合成を提供した。ただし当時のオルガンの多くが採用した全鍵発音方式は、当時の実装技術では規模が巨大化しがちなため、個々の音響合成回路はごくシンプルに抑えられ、音色表現能力は限定された。そこで高度な表現力を要するリード演奏専用に、小型の電子鍵盤楽器が登場した。これは オルガンやピアノの鍵盤近くに設置して合奏する小型楽器で、その演奏スタイルは後に、電子オルガンのソロ鍵盤や、電子オルガン上に置くプリセット・シンセに発展した。 このほか同時期、1939年のニューヨーク万国博覧会でヴォコーダ(1928年通信用途で実験開始)や鍵盤演奏型のスピーチシンセサイザー(Voder)が一般公開された 。しかし同年勃発した第二次世界大戦により各国は戦時体制へ移行し、ヴォコーダは軍の暗号通信装置(SIGSALY)に利用され、アメリカの電子楽器開発者は爆撃誘導装置やレーダーの開発に駆り出され、ドイツの電子楽器研究拠点ハインリヒ・ヘルツ研究所では、職場のユダヤ人排斥に反対した教授が職を追われ、そうして世界の電子楽器開発は停止した。1945年に戦争が終わると、ドイツの電子音楽スタジオが即座に活動を再開し、またドイツで実用化されたテープレコーダを使って音を切り貼りするミュージック・コンクレートがフランスに登場し、現代音楽という新しいキーワードの元、電子楽器が息吹を吹き返した。 1950年前後、軍事技術だったコンピュータが世界に広がると共に、コンピュータ音楽が登場した。当初は曲の自動演奏が試みられ、次に高い計算能力を生かして確率的作曲や音響合成に応用された。1957年マックス・マシューズのMUSIC-Nプログラムは、デジタル音源とソフトウェア音源の元祖と認識されており、後にその上でFM合成を含む多くの研究開発がなされた。同じ1957年には「シンセサイザー」という名を初めて使ったコンピュータ用音源「RCAマークIIサウンドシンセサイザー」も登場している。構成は現在のアナログ・シンセサイザーとほとんど同じで、出力される音は初期のアナログDTM音源のクオリティに到達していた。 1952-1958年、音楽家レイモンド・スコットが開発した「クラヴィヴォックス」は、鍵盤の他にR.A.Moog社のテルミンを流用したコントローラを装備し、後には電圧制御式シーケンサも追加された。後にモーグは、クラヴィヴォックスの回路や音が 60年代のモーグ・シンセサイザーとよく似ていたと語っている。 (以下要約中。詳細は各節参照) #モジュラー・シンセ登場 (1960年代-) #シンセサイザーの誕生と発展 (1930-1950年代) #ヴォコーダの音楽利用 #シンセサイザー・コントローラ 70年代 #デジタル楽器登場 (1970年代-) 80年代 #デジタル楽器の普及 (1980年代) と #MIDI規格誕生 (1981-1983) 90年代 #デジタル楽器の発達 (1990年代) 90年代 #ソフトウェア音源の普及 (1990年代-) 黎明期 (1930年代以前) シンセサイザーを含む電子楽器の歴史は、およそ19世紀末まで遡る事ができる。 それ以前にも電磁気学的効果を応用した電気楽器がいくつか登場していたが、 1759年 クラヴィサン・エレクトリィク ... 1876年イライシャ・グレイのMusical Telegraph 自由な音響合成を特徴とするシンセサイザーの祖先としては、19世紀末以降の下記を挙げるべきだろう。 1897-1906年 テルハーモニウム       (倍音加算合成/電子オルガン/有線音楽配信の祖先) 1916-1924年 オプトフォニック・ピアノ (サンプリング音源/VJの祖先) 1920年代には、エレクトロニクスの発達により、真空管式の電子楽器が登場した。 1917-20年頃 ロシア (ソ連) のレオン・テルミンが開発したテルミン 1928年 フランスのモーリス・マルトノが発表した鍵盤楽器オンド・マルトノ 1929年 ドイツのフリードリヒ・トラウトヴァインが開発したトラウトニウム 以上の3つは、しばしば一般向け解説書で「シンセサイザーの先祖」として言及され、中でもテルミンは、アナログ・シンセサイザーのルーツにあたる最初期の電子楽器 とされる事が多い。またトラウトニウムは、発明者の弟子オスカー・ザラが精力的な改良を行い、リボンコントローラ楽器としての本質を守りながら、後にモーグ・シンセサイザーと同様な機能や形に進化した。 一方日本では、1935年ヤマハの山下精一が「マグナオルガン」を発表している。これはドイツ留学経験のある山下がテルミン等の電子楽器にヒントを得て開発した、各種楽器音を再現可能な鍵盤楽器と伝えられているが、詳細は不明である。 シンセサイザーの誕生と発展 (1930-1950年代) 減算合成と倍音加算合成 1930年代には、既に前述のシンプルな電子楽器が登場していたが、ピアノやオルガンに匹敵する本格的電子楽器の実用化は疑問視されていた。例えば1936年Miessnerは、フィルターを使う減算合成も、倍音を重ねる倍音加算合成も、電子回路では機構が複雑になり過ぎ実用化が難しいので、生楽器の発音機構を併用した電気楽器こそ実用的だとする説を発表した。しかし減算合成は1936-1937年に相次いで実用化され、また倍音加算合成もパイプオルガンの再現目的で後に実用化された。 1936年、オスカー・ザラによる トラウトニウムの改良版 コンサート・トラウトニウム は、鐘の音を再現可能な(副倍音)加算合成と、フォルマント・フィルターによる音作りを併用した。この楽器は、パウル・ヒンデミットのトラウトニウムと弦楽の為の協奏曲 や、1940年リヒャルト・シュトラウスの日本の祝典に寄せる祝典曲 の1942年ドイツ・プレミア公演(鐘の音の再現)で使用された。 ポリフォニック化と電子オルガン 1937年、ドイツのハラルト・ボーデは、初期のキーアサイン方式による部分ポリフォニック・シンセサイザー「ワーボ・フォルマント・オーゲル」を開発、その後約50年間に渡って多数の発明と製品開発を継続して、モーグを始めとするアナログシンセサイザーの歴史に大きな影響を残した。 1937年頃、アメリカの発明家でハモンド・オルガンの開発者として知られるローレンス・ハモンドは、全鍵発音式の減算合成ポリフォニック・シンセサイザー ノバコードを開発、1939年に発売開始した。「一台でオーケストラやバンド・サウンドに匹敵する音を出せる」という触れ込みの最も初期の電子楽器で、1960年代まで数多くの映画/ラジオ/テレビのサウンドトラック に使用された。 1940年代になると、他のメーカも同様な方式に基づく電子オルガンを開発し発売した(なお戦争のため発売が戦後にずれた機種も多い)。登場当時の電子オルガンは、電球のような形とサイズの真空管を数十〜百本単位で使った物量勝負の電子機器であり、真空管の特性上、その動作は必ずしも安定しているとはいえなかった。また各メーカが自社の電子オルガンのモデルにした楽器は、教会用パイプオルガン (アーレンオルガン)、シアターオルガン (Wurlitzer、エレクトーン)、ハーモニウム/リードオルガン等と、明らかに差異があったが、総称的にすべて 電子オルガン と呼ばれた。 単音電子鍵盤楽器 また電子オルガンとは別に、細かな音作りや表現が可能な小型の単音電子鍵盤楽器の系統も登場した。 1940年 Hammond Solovox 1941年 Georges Jenny の Ondioline 1947年 Constant Martin の Clavioline 1952年 Raymond Scott の Clavivox 1952年、アメリカの作曲家レイモンド・スコットが開発したシンセサイザーClavivoxは、鍵盤演奏式でオーディオ・エンベロープやビブラートを装備していた他、若きロバート・モーグが製造したテルミンをコントローラに採用し、3オクターヴにわたるポルタメントを実現していた。後期のモデルでは電圧制御式シーケンサ等が追加され、音程や音色の制御信号(CV)を映画フィルム上に光学的に記録・再生できた。後にロバート・モーグは、先行したClavivoxの回路や音が、60年代モーグ・シンセサイザーと類似していたと語った。 これらの楽器は、人気オルガン奏者がソロフレーズに活用して一時代を築いたり、電子音楽スタジオで現代音楽の作品や映画のサウンドトラック作成に使用され、後に登場したトランジスタ式シンセサイザーを受け入れる音楽的土壌を育んだ。 日本では1960年前後、同様な単音楽器が電子オルガンのプロトタイプ として開発・発売された。 1958年 テスコ スーパーエレガン 1962年 エーストーン Canary S2   (Claviolineの一種) 「電子オルガンに載せて使うソロ楽器」というコンセプトは、アープやモーグのプリセット・シンセを経て、日本の初期シンセ製品にも引き継がれた。 ヴォコーダーの誕生 1928年、ベル研究所のホーマー・ダッドリーは通信回線多重化のための音声符号化/同復調法の研究を行い、バンドパス・フィルター方式のヴォコーダーの実験を開始した。この技術は1935年特許出願され、1939年米国特許(US#2,151,091)が成立、同年開催のニューヨーク・ワールドフェアで一般公開された。また同技術を応用した鍵盤操作式スピーチシンセサイザー VODER (1938年米国特許(US#2,121,142)) も同時公開された。ただしこの時点では音楽的利用を図った形跡は見られない。そして戦争開始とともに軍事通信への利用が最優先になり、SIGSALY (1942)をはじめとする多くの軍事用音声暗号化システムが同技術を採用した。 なお同時期には軍事技術を民生転用して、音楽用ヴォコーダーとよく似た効果が得られる別の音楽用装置が誕生している。1939年アルヴィノ・レイが開発した Sonovox は、電子楽器というより1970年代のトーキング・モジュレーター (Talk box) を連想させる「任意の音を喋らせる」装置である。この装置は軍事用喉マイク を 喉スピーカに転用し、喉に当てて口を動かすと、あたかも効果音や楽器音が喋っているかのような効果が得られた。Sonovoxは1940年のケイ・カイザー楽団の映画や、アニメ映画の動物の声、ラジオ局のジングル等に使用されており、名称はともかくその効果と音は一般に広く認識されている。 コンピュータ音楽の誕生 (1950年代) 1950年、オーストラリア最初のコンピュータCSIR Mk1上で、世界最初のコンピュータ音楽が演奏された。 ソフトウェア音源とデジタル音源の誕生 1957年、ベル研究所のマックス・マシューズはMUSICと呼ばれる、デジタル信号の生成・処理プログラムを開発した。これはデジタルシンセサイザーやソフトウェア音源の元祖と言われており、そのほか潜在的にデジタル・サンプラーの元祖でもある可能性が高い。MUSICはその後進化を重ねてMUSIC Vで一旦完成し、マサチューセッツ工科大のバリー・ベゥコーに引き継がれて、現在オープンソースのCsound、CMusic、RTcmixの原型となった。1980年代IRCAMで開発された有名なグラフィカル音楽言語Max (1990年発売)は、マックス・マシューズの名前にちなんでいる。 シンセサイザーの命名 1956年頃 (1955年説もある)、RCAプリンストン研究所の ハリー・オルソンとハーバード・ベラーが「RCA マークII サウンド・シンセサイザー」(RCA Mark II Sound Synthesizer) という真空管製でパンチテープ制御式のコンピュータ用音源を開発し、1957年コロンビア大学に同機は設置された。歴史上「シンセサイザー」(合成)という単語が用いられた初めての音響合成機器とされており、構成図 によれば 現在のアナログシンセサイザーの基本要素をほぼ備え、録音 によれば 初期DTM音源と同程度の演奏が可能だった事を確認できる。なお同機は、確率論に基づく音楽の数学的解析と音楽生成手法の研究のために開発された音源であり、音響合成の研究や楽器の確立は特に目的としていなかった。 このほか、コンピュータ連携の有無は不明だが、1955年頃ドイツの総合電機メーカー シーメンス が、英語で「」と呼ばれる電子音響合成システム(ドイツ語名不詳) を開発して同社Siemens Studioに設置している。これは同社が当時制作中だったシーメンスグループの記録映画に、飛びぬけた音楽をつけようと若手作曲家Josef Anton Riedlに依頼をし、この作曲家に同社研究所が協力する形で開発された。システムの構成は、戦争中の通信用ヴォコーダを改造した音楽用ヴォコーダを中心に、その他の音源ソース(パルス波, ノイズ)、フィルター、テープレコーダ、ミキサー等からなり、RCAの装置と同様にパンチテープによる自動制御も装備していた。システムは同社Siemens Studioに設置されサウンドトラック制作に使用された後、1960-1963年には同機の有効活用を目的に多数の現代作曲家が招聘された。しかしこの文化活動は多額の費用がかかったため許容範囲を逸脱し、1963年同スタジオは()に譲渡され、そこで数年間の利用の後、閉鎖された。 モジュラー・シンセ登場 (1960年代-) 1959-60年、ハラルト・ボーデはモジュラー・シンセサイザー と サウンド・プロセッサーを開発し、そのコンセプトをAES論文で発表した。また1961年には、トランジスター技術を使ったコンパクトで自己充足的なモジュラー・シンセサイザーを AES論文で提案し、そのアイデアはブックラ、モーグといった初期のシンセビルダーにより相次いで実現された。 1963年、アメリカのドン・ブックラは、おそらく世界初となる現代的なモジュラー・シンセサイザー Buchla 100 series を開発した。 1964年、アメリカのロバート・モーグ博士は、テルミンのトランジスター化とRCA・マークIIの改良に関する研究を通じて、楽器としての使用に足るシンセサイザーの試作を行い、モーグシンセサイザーの仕様を確立した。 1965年同博士による「モーグ・シンセサイザー」は、CM関係者のアルウィン・ニコラやレコード・エンジニアのウォルター・カルロスに納入され、1967年には製品版モジュラー・シンセサイザー(Moog modular synthersize I,II,III)を発売している。 なお同時期アメリカではアープの前身が電子楽器の特許出願を開始し、ロンドンでは後のエレクトロニック・ミュージック・スタジオ創設者が、電子音楽スタジオをコンピュータ制御する計画を開始した。 アナログ・シンセの普及と発達 1968年、ウォルター・カルロスによる「スウィッチト・オン・バッハ (Switched-On Bach)」は、アメリカ・コロムビア・レコードよりリリースされ、全世界で累計100万枚を売り上げるヒット・アルバムとなった。さらにエマーソン・レイク・アンド・パーマーのキース・エマーソンを初め、1970年代には多くのロック系ミュージシャンに使用され、さらに冨田勲の「月の光」「惑星」などの作品が世界的なヒットをすることによって、一般的にも認知される楽器となった。 1970年前後には、「EMS」、「アープ」、「イー・ミュー (E-mu Systems)」といった比較的新しいメーカーも参入した。 日本では 1973年3月 コルグがミニコルグ700を発売、同7月 ローランドがSH-1000 を発売、同時期にヒルウッドもBlue Commets '73を発売、翌1974年にはヤマハがSY-1を発売し、70年代を代表する日本のシンセサイザー・メーカが勢ぞろいした。  なお1970年代までのシンセサイザーは、モノフォニック・シンセと呼ばれる1音しか音の出ないタイプが主流だったが、70年代中期にヤマハやオーバーハイムがポリフォニックシンセサイザーを発売し、さらに70年代後期にはシーケンシャル・サーキットが音色メモリーを搭載したProphet-5を発売、市販製品の制御部にもデジタル技術が浸透し始めた。 デジタル音源の普及と共に一時期廃れていたが、2000年代に入ってアナログシンセが見直され、各社から往年の名機の復刻や雑誌の特集でも取り上げられるなど、一部で復活の機運が高まりつつある。 ヴォコーダの音楽利用 前述のようにヴォコーダは 1928年最初の実験が行われ、1939年一般公開された。同時公開で応用技術による鍵盤式スピーチ・シンセサイザーも登場したが、当時はどちらも音楽利用された形跡は見当たらず、その後ヴォコーダは軍事暗号通信に広く利用された。なお同時期にはSonovoxが安価な喉スピーカで「喋る楽器」を実現して人気を博し、1960年代のトーキング・モジュレータに繋がる系譜を切り開いた。 1955年シーメンスが作曲家Josef Anton Riedlと共に開発した シーメンス・シンセサイザーは、通信用ヴォコーダを改造した音楽用ヴォコーダーを中心に構成されたと伝えられており、実物も現存しているがその詳細は不明である。 1969年、アメリカのブルース・ハークは最初の音楽用ヴォコーダ Farad を自作し、自身のアルバムthe Electronic Record for the Children (1969)で使用した。そしてFaradはたちまち追随者を生み出した。 1970年ウェンディ・カルロスとロバート・モーグはFaradにインスパイアされた10バンドのvocoder (元の名は spectrum encoder-decoder)を開発した。当初は発音を区切らないと声が不明瞭だったが、後にシビランス・コントローラ (Sibilance等の発音の高域ノイズをHPFで取り出し直接出力して、発音を明瞭化する機構) を追加し、通信用ヴォコーダとは別の「音楽用ヴォコーダ」が確立した。 以降各社からヴォコーダが相次いで登場し、70年代-80年代前半に最初のヴォコーダ・ブームが到来し、2000年代にはバーチャル・アナログ技術でコンパクト化されたヴォコーダが2度目のブームを巻き起こしている。 シンセサイザー・コントローラ デジタル楽器登場 (1970年代-) 前述のようにデジタル音源は1957年Max MathewsのMUSIC登場以降、主に高価な大型コンピュータ上で研究が進められた。一方、同時期に誕生したマイクロ・エレクトロニクス技術は、1960年代の宇宙開発/軍需ニーズを背景に急速な発展を遂げ、1970年前後にはLSI技術の民生利用が本格化し、その中からマイクロプロセッサが誕生した。こうして1970年代には、大型コンピュータを専用ハードに置き換えた初期のデジタルシンセサイザーが登場し、一足早くデジタル音源時代が開幕した。 1969年頃、EMSの 電子音楽スタジオ用コンピュータ制御システム EMS Musys III上で、世界初のサンプリング楽器が実現された。 (ミニコン2台: DEC PDP-8/S、合計メモリ12KB。後に専用ハード DOB (Digital Oscillator Bank) を追加) 1971年-1972年、Triadex Muse発売。 人工知能の父マービン・ミンスキー教授がエドワード・フレドキンと開発した、デジタル技術でメロディと音響を自動生成するエレクトロニクス・ガジェット。 1973年、ダートマス大で「ダートマス・デジタル・シンセサイザ」開発。 当初は処理に大型コンピュータを必要としたが、1975年専用プロセッサ(ABLEコンピュータ)が開発され、それと本体を組み合わせたシンクラビアが遅くとも1977年には発売された。 1974年、RMIがHarmonic Synthesizerを発売。 (合成方式: デジタル倍音加算+フィルタ) 1976年、Computer Music Melodian発売 最初のサンプリングシンセ製品(ミニコンDEC PDP-8使用)。発音は単音のみで、後にARP 2600と連携可能になった。1979年スティービー・ワンダーがサウンドトラックに使用 1976年頃、AT&Tベル研究所でデジタルシンセサイザー試作。 初期のソフトウェア実験に基づいて試作された「最初の真のデジタル・アディティブ・シンセサイザー」。1980年Crumar GDS(General Development System)、1981年DKI Synergyとして商用化 1979年、ニューイングランド・デジタル社が シンクラビアIIを発売。 (合成方式: FM合成、倍音加算、サンプリング、分析/再合成。1985年Direct to Disk(DAW機能)を追加) 1979年、フェアライト社が フェアライトCMIを発売。 (合成方式: サンプリング、倍音加算、波形描画、分析/再合成(CMI IIxで追加)) 1978年-1980年頃、P.P.G.が Wavecomputer 340 / 380 および 同 360 を開発。 (合成方式: ウェーブテーブル・シンセシス) 前者はThomas Dolbyの使用で有名、後者はWave 2.0 (1981年)の前身。 1979年、CASIOが世界初のVLSI化された電子楽器カシオ VL-1を発売。 1982年、E-muシステムズ社がイーミュレータを発売。(音源方式: サンプリング) 1984年、Kurzweil Music Systemが K-250 synthesizerを発売。 (音源方式: レイヤー化された大規模サンプル音源) 開発者は人工知能や不老不死の研究者として知られるレイ・カーツワイルで、K250開発にあたっては、スティービー・ワンダー、ライル・メイズ、ロバート・モーグ (元Moog Music) および 元アープの関係者(創立者Alan R. Pearlmanや元重役Philip Dodds) から広くアドバイスを受けた。後にロバート・モーグは新製品開発担当重役として同社経営にも参加した。 デジタル楽器の普及 (1980年代) 他方、国内楽器業界は 有名なデジタルオルガン特許係争 の影響もあり、デジタル音源開発への取り組み全般が滞りがちだった。そのような中、ヤマハは早くからデジタル音源開発に取り組み、また積極的な訴訟対策を行って、1977年同社初のデジタル系となるPASS音源を発売、更にスタンフォード大学からFM音源のライセンスを取得して万全を期していた。また電卓戦争の覇者カシオは、1979年VLSI技術を使った小型電子楽器やホーム・キーボードを発売し、デジタル楽器の低価格化競争の先鞭を付けた。 1980年、ヤマハはFMアルゴリズムを使った画期的なデジタルキーボード GS1を発売し、1983年には普及価格のDX7($1999)発売して、3年間に20万台と世界的ベストセラーとなり一大デジタル旋風を巻き起こした。FM音源は周波数変調を用い複雑な倍音を持った金属的な響きを特徴とし、多くのミュージシャンが積極活用した。更に1985年にDX21($795)、DX100($455)とDXシリーズを拡充した。 1980年代中盤には、それ以外のデジタルシンセサイザー や サンプラー も普及価格で登場し、オールインワンのワークステーション機種も登場して、一般ユーザ・レベルのデジタル音源時代が開始された。他方、1980年代初期に活躍したハイエンド・デジタル製品はその優位性を失い、徐々に事業を停止して独自技術の売却や技術移転をしたり、あるいは思い切った業態変更を余儀なくされた。 MIDI規格誕生 (1981-1983) それまでのシンセサイザーは、メーカー毎に独自の制御方式を採用していたので、シンセサイザーの相互接続には大きな壁があった。MIDIは、異なるメーカー間であっても、複数の電子楽器を連動し演奏・操作可能にする事を目的として、1981年初春、Sequential Circuits/Oberheim/Rolandの3社で規格策定を開始した。1981年秋には他の日本メーカも参加して規格策定を進め、1982年MIDI基本仕様(ドラフト)が登場、初期製品で規格を実地検証した後、1983年「MIDI1.0詳細仕様」が正式に制定された。 デジタル楽器の発達 (1990年代) 1990年代に入ると、デジタル技術の発達により実際の楽器の音色をサンプリングしたPCM音源が一般的となり、昔ながらの音を合成する楽器というニュアンスは薄れていった。それでもこの時期にもコルグやヤマハなどから物理モデル音源といった新たな音源方式を採用したシンセサイザーも発売されている。 1995年、Clavia DMIがDSPによるバーチャルアナログ・シンセNord Leadを発売すると、高価で不安定なヴィンテージ・シンセに代わる新しい楽器として注目を集め、各メーカも同様な製品を発売し始めた。 ソフトウェア音源の普及 (1990年代-) ソフトウェア音源は前述のように1957年MUSICに始まり、その後継システム上で研究開発が続けられ、1970年代末デジタル音楽ワークステーションの形でポピュラー音楽製作現場に入り込んだ。1980年代末から1990年代初頭にはDSP搭載の研究用ワークステーション(IRCAMカードを搭載したNeXT,SGI Indigo等)やDAW系システム(digidesign製品等)で進化を続けた。そして1990年代前半、一般のパソコン上のソフトウェア音源利用が一般化し始めた。1990年代半ばにはDTM音源(Reality, VSC, Timidi)や各種シミュレーション音源(Rubberduck, ReBirth、Juno)が実用され、またDAW用プラグイン規格(VST規格, Direct Music(DXi)等)も登場した。 そして2000年代以降、高性能化したパーソナルコンピュータ上でDAW環境が安価に安定して利用可能になると、それまであまりコンピュータに手を出さなかった平均的な音楽製作現場でも、DAW上で動作するソフトウェア楽器を徐々に使用するようになった。なおソフトウェア・シンセサイザーとは、基本的にこれまでの各方式のシンセサイザーをコンピュータ上に再現したもので、新しい音源方式ではない。ソフトウェア・シンセサイザーではコンピュータの演算能力と記憶容量を利用し利便性の面が拡張されている事が多く、使い勝手の向上をもたらしている。 現在ではコンピュータ上に多くの音源方式がシミュレートされ、手軽に多くのタイプの音源方式にふれられる事から、一時下火となっていたアナログシンセのような、音を合成して音色を作成するような音作りにも目が向けられるようになっている。 演奏では、小室哲哉や浅倉大介が多用している。 実装方式の分類 シンセサイズ方式の分類 加算合成、減算合成、・変調合成や、サンプリング音源、またはそれらの複合型など多数の方式が存在している。 アナログシンセサイザーの時代は減算合成が主流だったが、その後、デジタル技術の発展により、サンプリングしたデータを元に音を構築するPCM音源が主流となった。 デジタル信号処理技術 (DSP) 演奏方式による分類 当初は特殊な電子装置やキーボード (楽器)の一種として分類されていたが、その後、ギター型や笛型、打楽器型のコントローラーを備えたシンセサイザーが登場した。さらに演奏用のインターフェイスを分離したシンセサイザーモジュールと呼ばれる機材も登場している。 おもな機種、型番 日本のメーカー 海外のメーカー 主なアーティスト ここではシンセサイザーそのものに関する任意の業績があると評される者のみを、その業績も含めて列記している。 日本 日本以外 その他 日本においては、シンセサイザーに関わりを持つ人々の団体「日本シンセサイザープロフェッショナルアーツ(旧称日本シンセサイザープログラマー協会)」(代表理事松武秀樹)がある。 NHKの「みんなのうた」で1980年10月 - 11月に放映された曲の中に『ミスターシンセサイザー』という作品がある。詳細は当該項目を参照。 超新星フラッシュマンには遺伝子シンセサイザーという架空の道具が登場する。これは名前通り対象者の遺伝子を改変することに用いる一方で楽器としての機能は持っていない。詳細はフラッシュマンの項目を参照。 脚注 注釈 出典 出典 関連項目 機能・仕様 ADSR MIDI 音源モジュール エンベロープ ミュージックシーケンサー アナログシンセサイザー デジタルシンセサイザー OpenSound Control ソフトウェアシンセサイザー モノフォニックシンセサイザー ポリフォニックシンセサイザー その他 シンセサイザー奏者 シンセサイザー音楽 ミュージックワークステーション デスクトップミュージック シンセベース シンセポップ ローズピアノ ボーカルシンセサイザー メロトロン ストップ (オルガン) KEYBOARDMANIA - シンセサイザーをモチーフとした音楽シミュレーションゲーム 外部リンク 日本シンセサイザープログラマー協会(JSPA) moogmusic.com 電子楽器 鍵盤楽器 コンピュータミュージック しんせさいさあ
1803
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB
明治
は、日本の元号の一つ。 慶応の後、大正の前。大化以降228番目、244個目 の元号である。 明治の元号下にあった1868年10月23日(明治元年9月8日)から1912年(明治45年)7月30日までの45年間をと呼ぶ。本項ではこの時代についても記述する。 概要 憲政体制に移行した時代であり、「明治」は憲政上最初の元号となる。また、「一世一元の制」による最初の元号である。 明治天皇が「一世一元の詔」を発布した西暦1868年10月23日(明治元年9月8日)から、明治天皇が崩御した1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本の元号の中では昭和に次いで2番目の長さであり、「一世一元の制」における最初の元号であるが、明治天皇は慶応3年1月9日(1867年2月13日)に践祚しその1年8か月後に「一世一元の詔」を発布して改元された為、明治天皇の在位期間とは最初の1年8か月が一致しない。 日本史の時代区分上では、元号が明治であった期間をという。時代区分名は江戸時代(最後の元号:慶応)までは中央政権の所在地に基づく名称で呼ばれているが、明治以降は一世一元の制により、元号に基づく名称となっている。 それまでの侍や武士といった時代から生活に変化が起き、近代の礎を築いていく。 改元 1868年10月23日(慶応4年9月8日)- 皇太子睦仁親王(後の明治天皇)の即位による改元。 ただし、改元の詔書には「吉凶之象兆ニ隨ヒ」(吉凶の象兆に随ひ)「改慶應四年爲明治元年」(慶応4年を改めて明治元年と為す)とあり、改元が年の呼称を改めるということから。また、一世一元の詔も併せて出され、天皇在位中の改元は行わないものとした。 『元号 全247総覧』によると、松平春嶽に新元号の考案が委ねられ、複数の案を出し、最終的に明治天皇自身によるくじ引きで「明治」が選定されたとされる。 1912年(明治45年)7月30日(1873年〈明治6年〉に太陽暦を施行)- 明治天皇の崩御と皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の践祚(即位)により、大正(たいしょう)と改元。同日施行され、大正元年7月30日となった。 典拠 「聖人南面して天下を聴き、明に嚮ひて治む」というこの言葉は、過去の改元の際に江戸時代だけで8回、計10回(「正長」「長享」「慶安」「承応」「天和」「正徳」「元文」「嘉永」「文久」「元治」改元時)候補として勘案されているが、通算11度目にして採用された。 岩倉具視が松平慶永に命じ、菅原家から上がった佳なる勘文を籤にして、宮中賢所で天皇が自ら抽選した。 「聖人が北極星のように顔を南に向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治まる」という意味である。 新暦の実施 1873年(明治6年)より、日本の暦は改暦され、新暦に太陽暦を採用した。従来の暦は太陰太陽暦に基づく天保暦で、以後、日本で単に旧暦と言えば天保暦を指す。 改暦は、具体的には、天保暦(旧暦)の明治5年12月2日の翌日を、新暦の明治6年1月1日とすることで実施した。これにより、西暦(グレゴリオ暦)と和暦の日付が一致することとなった。 明治時代 明治天皇が即位し、新政府は天皇を中心とした新しい国家体制を築くことを目指して江戸を東京と改め、天皇が東京に行幸し、明治2年(1869年)に政府機能が京都(現在の京都府)から東京(現在の東京都)に移された(東京奠都)。この明治天皇の治世が明治時代(めいじじだい)と呼ばれている。明治政府の樹立に大きな役割を果たした薩長土肥四藩(廃藩置県後現在の、鹿児島県・山口県・高知県・佐賀県、長崎県の一部)は新政府でも強大な権力を握った。なお、幕末には薩長と共に尊王攘夷運動を主導してきた水戸藩は「天狗党」と「諸生党」の藩内抗争で人材が失われ、明治新政府ではめぼしい人材は皆無となった。 尊皇思想に基づき、「天皇は親政を行い人民を直接統治する」とした。しかし、1890年(明治23年)に大日本帝国憲法(明治憲法)が施行されるまでは、明治天皇は青年期であり、憲政下となっても立憲君主制国家の成立により、三職制・太政官制や内閣官制の導入などで、天皇以外にも薩摩藩や長州藩の出身者が政治の実権を握っていた(藩閥政治)。明治改元の時には、明朝中国を模倣して一世一元の制を定め、天皇の名(厳密には追号)として元号を用い、それまでの陰陽五行思想的改元を廃止した。(以降、現在の令和に至るまでの改元はすべて代始改元となっている。) この明治時代は、欧米列強の植民地化を免れるために近代化を推進した時代であり、世界史的に見れば、日本の産業革命時代である。西洋化と近代化が幕末から始まって明治年間で達成されたことから、「幕末・明治」と括られることも多い。なお、「幕末・明治」という括りは、不平等条約の締結(1854年〈安政元年〉)から完全撤廃(1911年〈明治44年〉)までの時代とほぼ一致する。中央集権的な王政復古の過程から「王政維新」ともいわれる。また、1870年代(明治初期)は文明開化を略し「開化期」とも呼ばれている。 明治維新 1867年(慶応3年)に江戸幕府15代将軍・徳川慶喜が朝廷に対し大政奉還を行った。これにより、朝廷は玉松操と大久保利通らが作成した「王政復古の大号令」を宣言。薩摩・越前・土佐・尾張・芸州の五藩がこのクーデターに与した。1868年(明治元年)1月、京都付近において薩摩・長州両藩兵を中心とする新政府軍と旧幕臣や会津・桑名藩兵を中心とする旧幕府軍との間に武力衝突が起こった(鳥羽・伏見の戦い)。これに勝利を収めた新政府軍は慶喜を朝敵として追討し、二条城に退去していた会津藩・桑名藩・旗本は辞官納地の命令により、慶喜と共に大坂城に退いた。慶喜は薩摩藩の罪状を弾劾した「討薩表」を提出して京都に進軍したが朝敵となって討伐され、大坂城を軍艦・開陽丸で脱出し、江戸城へ逃亡。新政府軍は江戸へ軍を進めた。大久保一翁や山岡鉄舟の尽力もあって新政府軍を代表する西郷隆盛と旧幕府軍を代表する勝海舟との交渉が成功し、同年4月11日(新暦5月3日)、江戸は戦火を交えることなく新政府軍により占領された(江戸開城)。東北諸藩も奥羽越列藩同盟を結成して会津藩を助けたが次々に新政府軍に敗れ、7月29日に越後長岡城落城、同年9月22日には激しい戦闘の末に会津若松城が落城して会津藩も降伏した。次いで庄内藩が降伏すると、1869年6月27日(明治2年5月18日)には旧幕府海軍を率いて箱館を占領していた榎本武揚らが五稜郭の戦いに敗れて降伏し、ここに戊辰戦争は終結した。 賞典禄を受けた「四賢侯」を中心とする討幕派大名および「維新の十傑」に代表される下級藩士や三条実美・東久世通禧ら七卿落ち事件に連座していた開明派の公家を中心として発足した新政府は封建的支配制度を解体し、天皇を中心とした中央集権的国家体制の基礎を固めていった。幕府や摂政、関白、征夷大将軍、内覧、議奏、京都守護職、所司代などは廃止され、それに代わり九条家に太政官代が置かれ、総裁・有栖川宮熾仁親王、議定、参与の三職および神祇・内国・外国・陸海軍・会計・刑法・制度の行政七科、徴士・貢士が置かれたが、下級藩士の実力者達は公家や雄藩の大名たちと並んで新政府に加わった。薩摩藩・土佐藩・安芸藩・尾張藩・越前藩五藩軍隊の京都御所警備の下、成立当日の夜の小御所会議で激論の末、慶喜に内大臣の官職と領地の返上(辞官納地)を命じることを決めた。ここに700年の武家政治の諸法度は終焉した。 戊辰戦争のさなかの1868年(慶応4年)3月には、由利公正・福岡孝弟の起草により天皇が群臣を従えて神々に誓うという形式で「五箇条の御誓文」を定め、公議輿論の尊重、開国親和など新しい政治理念の基本を宣言した。翌日に「五榜の掲示」を掲げた。その内容は五倫の道(君臣・父子・夫婦・長幼・朋友の道徳)を説き、徒党・強訴・キリスト教を禁止するなど旧幕府の政策を引き継いだものであったが、数年以内に廃止された。閏4月21日には五箇条の御誓文を受けて「政体書」を公布。太政官の下に上局と下局からなる二院制の議定官が置かれ、上局は議定と参与から、下局は各藩と藩から送られた貢士で構成した。次いで政府は太政官・神祇官と呼ぶ官吏制度を整えた。天皇親政の下に、公家や藩主に並んで参与に任じられた9藩士、小松帯刀(薩摩藩)・大久保利通(薩摩藩)・木戸孝允(長州藩)・広沢真臣(長州藩)・後藤象二郎(土佐藩)・福岡孝弟(土佐藩)・副島種臣(佐賀藩)・横井小楠(熊本藩)・由利公正(福井藩)の9名は「朝臣」となり、藩主から独立した地位を得た。 東京奠都・版籍奉還・廃藩置県 人心を一新するため同年9月8日(1868年10月23日)には年号を「明治」(読み:めいじ)と改めて、天皇一代の間に一年号とする「一世一元の制」を立てた。4月11日の江戸開城後の関東農民一揆を抑えるため、東征大総督府軍監・江藤新平は、閏4月1日に「江戸を東京と改め天皇を迎えたい」と岩倉具視に建言。これに前内大臣・久我建通ら京都守旧派の公卿が相次いで反発したため、大久保利通が「大坂遷都論」を建言し、閏3月11日に天皇が関東親征のため、大坂に行幸するという形で部分的に遷都の準備に取り掛かった。これに、京都市民や神道家が反発し、伊勢神宮祠官・山田大路陸奥守親彦が天皇東行の中止を朝廷に申し入れたが、7月17日に江戸は東京と改称され、鎮将府、東京府設置の政府決定が発表され、鎮将府参与に任ぜられた大久保と鎮将の三条実美が駿河以東の13ヶ国を管轄し、京都と東京に2つの政府が並立する形となった。 江戸の東京への改称後、8月27日に即位式を挙げた明治天皇が京都から東京に移った(9月20日京都出発、10月13日東京着)ことを始め、10月13日江戸城を皇居とし、東京城と改称した。。12月7日には、東京城に宮殿を造営すると布告されるなど、東京遷都の準備も着々と進められた。天皇は8日に東京を発って京都に帰ったが、この東幸に平行する形で、外交事務を執る外国掛である議定・松平慶永、浅野長勲、山内豊信、正親町三条実愛、外国公使・正親町公董、烏丸光徳、参与・三岡八郎(由利公正)、後藤象二郎、岩下佐次右衛門(方平)らは各国公使に国書を手渡す必要性から先だって東京、大坂、神戸を往来した。同年11月、姫路藩主酒井忠邦が「藩の名称を改め、すべて府県と一般同軌にして、中興の盛業を遂げられたい」 という案を出してきた他、木戸孝允が此の案を取り上げた。12月22日京都還幸(翌明治2年3月、再度東幸、事実上の東京遷都)。翌年1869年(明治2年)2月には政府の諸機関も東京に移された。これら一連の動きは当時御一新と呼ばれた。 新政府は未だ財政的・軍事的・制度的基礎が固まっておらず、大久保・木戸らの策謀に強い憤りを抱いていた土佐藩主・山内容堂や自らを出し抜いた家臣に反感を抱いていた薩摩藩主の島津久光、長州藩主の毛利敬親らは早々に所領に引き篭もった。特に、朱子学の教養と水戸学の歴史観を持つ保守思想家の島津久光の下には、武士階級の復活を願う全国の士族が集まり封建党など様々な士族結社が結成されていた。この状況から新政府は大久保利通らを薩摩藩に派遣して説得に当たらせたが、明治3年(1870年)2月24日に久光は明治政府を「洋夷の属国」として罵倒し、内閣顧問に任命される明治6年(1873年)まで上京に応じなかった。 そんな中で、新政府は諸大名の反発を買わぬように、版籍奉還、廃藩置県と段階を踏んで郡県制に移行することを目指した。1869年(明治2年)1月14日、京都で薩摩・長州・土佐三藩の会合が京都円山で持たれ、薩摩から大久保、長州から広沢真臣、土佐から板垣退助が出席した。そして三藩主連名で土地・人民を朝廷に返上する旨の建白書を提出することで合意した。また薩長土の三藩は副島種臣に働きかけて、肥前佐賀藩主・鍋島直正を動かした 結果、同20日に薩摩・長州・土佐・肥前の四藩の藩主から版籍奉還の上表が朝廷に提出された。これが呼び水となって、諸藩は領地と領民を天皇に返上する上表を次々と提出した(版籍奉還)。 これに伴い、各藩主の処遇が新政府内で話し合われ、大久保ら薩摩の官吏は藩主を藩知事とし、世襲制にするべきだと主張したのに対し、木戸ら長州の官吏はこれに反対した。最終的に両者の主張を折衷する形で、藩主はそのまま藩知事に任命されたが、世襲制は否定された。また、この機に公卿・諸侯の呼称を廃して華族と改称し、上・中・下士の区別をやめ全て士族としたほか、知事の家禄を石高の十分の一に限定し、藩政と知事家政を分離した。これにより、建前として知事と士族の間の君臣関係が消滅し、各藩は済し崩し的に自立性を奪われて明治政府の地方行政単位に転化した。また、新政府内においても、王政復古時の五藩から、版籍奉還を真っ先に上表した薩長土肥の四藩が主導権を握るようになり、越前・尾張・芸州の影響力は低下した。 版籍奉還直後の7月8日に、職員令により管制を改革し、祭政一致を建前に神祇官、太政官を置いて前者を上位とし、太政官に左大臣と右大臣、大納言、参議、顧問として待詔院を置いた。人選は大久保の発案で、三条実美(右大臣)、岩倉具視(大納言)、副島種臣(参議)、前原一誠(参議)、待詔院学士は大久保利通、木戸孝允、板垣退助の3名を選出し、薩長土三藩の維新の功臣を激務から外して木戸派官吏の追い出しを図った が、その後長州派官吏も廣澤真臣を参議に推して対抗し内政の主導権争いが続いた。その後、政体書の規定を以て高官公選の互選も行われ、輔相には三条実美(公家)、議定には岩倉具視(公家)、鍋島直正(佐賀藩主)、徳大寺実則(公卿)、参与には大久保利通(薩摩藩士)、木戸孝允(長州藩士)、副島種臣(佐賀藩士)、東久世通禧(公家)、後藤象二郎(土佐藩士)、板垣退助(土佐藩士)の10名を選出した。これにより、議定だった諸大名や公卿の多くは免職となり、麝香間祗候か他職に追いやられ、薩長土肥以外の参与も、越前の由利以外は免職となった。9月に入ると王政復古の論功行賞として「賞典禄」を与えた。 新政府が外交方針として開国を決めたことは尊王攘夷派の怒りを買った。明治2年のうちに横井小楠・大村益次郎が早々に暗殺され、長州藩においては同年12月1日に大楽源太郎率いる奇兵隊や遊撃隊等の諸隊が乱を起こし、木戸が鎮圧に当たる始末となり、1870年(明治3年)5月には米沢藩士・雲井龍雄の反政府陰謀事件が発覚した。1871年(明治4年)には二卿事件や久留米藩難事件、征韓を企画した外務権大丞・丸山作楽の逮捕事件が勃発した。このように新政府がその基盤を置いた薩長でさえも、洋式装備に統一され実戦的訓練を受けた軍隊を擁しており、成立間もない新政府にとって不気味な存在であった。ましてや静岡藩をはじめとする親藩・譜代の諸藩の動静には過敏になっていた。その結果、雲井龍雄処刑の責任者であった広沢が1871年(明治4年)1月9日に暗殺されるなど片翼飛行を始めた。また、国政を薩長土肥が牛耳っていたことも批判を浴び、明治3年7月26日には薩摩藩士・横山正太郎が集議院門前で抗議の切腹を行った。政府内では薩長土肥の対立に加え、太政官と民部省、大蔵省をめぐって大久保と木戸が対立し、薩長間で抗争が繰り広げられており、世情は不安定だった。 こうした中で、政府は9月に「藩制」を公布し、藩への統制をさらに強めた。藩に共通する職制、財政の規定を示し、重要な賞罰は政府の許可を得ることや、藩士身分の単純化、藩債、藩札の整理を命じたのだ。他方、政府への不満を抑えるため、11月29日、全国諸藩の注視を集め、藩地に帰郷した島津久光と藩政改革を通して薩摩藩の軍備強化に努め、全国から集結した士族約1万2000人の兵士大軍団を束ね、政府への無言の威圧となっていた薩摩藩士・西郷隆盛を説得するため、岩倉具視を勅使、随員として大久保利通と木戸孝允が島津久光と西郷隆盛の上京を求めて鹿児島に向かい、西郷隆盛の受諾を得てようやく政権を安定させた。 こうして世情が安定すると、政府は1871年(明治4年)7月にまず薩長土の3藩から御親兵を募って中央の軍事力を固め、次いで一挙に廃藩置県を断行した。全国の261藩は廃止され、3府302県に変わり、日本は中央集権的統一国家となった。藩知事と士族の禄は保障され、藩債を肩代わりした。身分制度の改革を行い、大名・公家を華族とする華族制度(日本国憲法が施行されるまで存在した、西洋式に倣った日本の貴族制度)の創設と、武士身分を士族として、農工商民(百姓・町人)などを平民とし、日本人(大和民族)は皆「国民」(明治憲法下では「臣民」とも呼ばれた)とされ、日本国民全員に苗字の公称を認めた四民(士農工商)平等政策を取った。戸籍法を制定し、華族・士族の散髪、脱刀並びに華士族平民間通婚を自由にし、田畑勝手作りを認め、府県官制制定を行い華士族の農工商従事を許可した。なおこれらとは区別して、天皇と血縁関係のある皇族(皇室構成員)の地位もまた定められた。1871年(明治4年)には、いわゆる解放令によってこれまでえた、ひにんとされていた賎民の人々も平民に編入された。ただし、その後も部落問題として余韻は残したままとなった。 明治国家の形成 1869年(明治2年)に、律令制度の行政機構を復活させ、役所機構を整備して宮内省・民部省・大蔵省・刑部省・兵部省・外務省の六省を設置したが、律令体制時代に存在した中務省・式部省・治部省の三省は復活設置されなかった。しかし、戸籍、土木、租税、駅逓、通商、鉱山を管轄する民部省と出納、秩禄、造幣、営繕を管轄する大蔵省の民蔵両省の官吏は、財政及び貿易問題で外国人と接する機会が多く、また職務が実質的合理的思考を必要としたので、1870年(明治3年)4月に太政官が旧朝敵藩の贖罪金免除に大蔵省が反発するなど、しばしば両省の争いが政府内の紛乱の種となった。しかし、後に民部省が大蔵省に統合されると、大蔵省に産業、財政の強大な権力権限が集中し、官僚社会に強固な勢力を築き上げた。 軍事上の改革では民部省大輔兼軍務官副知事の大村益次郎(長州藩士)が「農民を募り親兵」とする国民皆兵による政府軍を作る計画を進め、1873年(明治6年)1月10日、陸軍卿山縣有朋を中心に徴兵令を公布し身分に関わり無く満20歳以上の男子に兵役の義務を課した(ただし実質的には、徴兵制度の例外として戸主は徴兵を免除され、主として戸主以外の次三男層や貧農層の子弟が兵役を担ったため、血税一揆が起きた)。兵役は3カ年。軍隊に直接入隊しない者も、17歳から40歳までの男子はことごとく兵籍を与えられ戦争があるときは呼び出されることとなった。男子の国民皆兵の原則である。この原則が1873年(明治6年)から1945年(昭和20年)の第二次世界大戦敗戦までの72年間、人々の生活を支配した。しかし、資産家や富裕層など財産のある者は例外となった。治安面では1874年(明治7年)東京に警視庁を置いた。華族・士族は廃藩置県後も政府から家禄を支給されていたが、1876年(明治9年)金禄公債を支給してそれを年賦で支払うこととし、一切の家禄支給を停止した(秩禄処分)。これにより士族の地位は著しく下がった。 外交では1871年(明治4年)11月12日、江戸幕府政権時に西洋諸国間と結んだ不平等条約改正の予備交渉と欧米先進国の文物の調査を目的に、岩倉具視を全権大使、大久保と木戸を全権副使とする大規模な使節団を欧米諸国に派遣した。この岩倉使節団には伊藤博文、山口尚芳ら中堅官吏が随行し、1年9ヶ月にわたって12カ国を訪問した。その目的の一つであった不平等条約の改正は成功しなかったが、政府は西洋文明の実態に触れ日本の近代化を推し進める大きな原動力となった。新政府は、日朝国交正常化のため李氏朝鮮に外交使節を送ったが、李氏朝鮮は徹底的な鎖国政策を採り、大院君政府は何らの回答もよこさなかった。次いで、釜山にある日本公館に対して生活物資搬入妨害するなど、朝鮮側が日本を非難する事件が発生。これらの理由から1873年(明治6年)夏から秋にかけていわゆる「征韓論」の論争が起こり、問題が大きくなっていた。6月12日に初めて閣議の議題に上った。そこで、政府は8月17日の閣議で西郷隆盛の朝鮮派遣使節任命を決めた。 欧米諸国の朝鮮進出を警戒して、西郷隆盛・板垣退助らは朝鮮の開国を迫り征韓論を唱えた。しかし、1873年(明治6年)欧米視察から帰国した岩倉具視・大久保利通らは国内改革の優先を主張してこれに反対した(明治六年政変)。西郷・副島・後藤・板垣・江藤ら5参議が下野したのち、江華島事件が勃発して1876年(明治9年)日朝修好条規(江華条約)を結んで朝鮮を開国させた。また、清国に対しては1871年(明治4年)日清修好条規を結んで琉球藩を置き、1874年(明治7年)台湾に出兵した(征台の役)。次いで1879年(明治12年)沖縄県を設置した。ロシアに対しては1875年(明治8年)に樺太・千島交換条約を結び、樺太をロシア領、千島列島を日本領と定めた。また小笠原諸島・尖閣諸島・竹島も日本の領土とし、日本の領域をいったん確定した。 内国行政では留守政府が1872年(明治5年)2月に田畑永代売買解禁、4月に庄屋、名主を戸長と改称、7月に全国一般に地券発行を行い、帰国した大久保は1873年(明治6年)に内務省を設置、殖産興業の育成に力を入れてお雇い外国人らを用いて富岡製糸場など多くの官営工場を設立した。財政面では、民部省を統合した大蔵省の大蔵卿・大久保と大蔵大輔・井上馨が改正局を設立して、井上直属の部下の渋沢栄一を掛長に抜擢し、1871年(明治4年)には各藩の藩札等を廃止して新貨条例を制定、貨幣の単位を円・銭・厘に統一した。1872年(明治5年)に国立銀行条例を制定し国立銀行を各地に作らせた。 蝦夷地は北海道と改められて開拓使を置き、屯田兵などと共に本格的な開拓事業を展開した。通信では江戸時代の飛脚制度にかわり、まず三府(東京・京都・大阪)で1871年(明治4年)郵便事業が開始され、電信も1869年(明治2年)に東京-横浜間で開通した。運輸関連では1872年(明治5年)新橋-横浜間で官営の鉄道が開通した。海運事業は政府の保護の下に三菱商会を中心に発達した。建築等も煉瓦造の建物が見られるようになり、家々には石油ランプがともされて街灯にはガス灯が登場、馬車や人力車が走るようになった。軍服には洋服が採用され、政府官吏が順次服装を西洋化していった。また、西洋化する日本市場を狙いスタンダードチャータード銀行やフリードリヒ・バイエル、大北電信会社など外資の進出が相次いだ。 司法面では法治主義と司法権の自立、三権分立を推進するため、初代司法卿・江藤新平がその任に当たったが、留守中の長州藩の首領・近衛都督山縣有朋が、陸軍省御用商人・山城屋和助の公金費消事件に関わったとされる山城屋事件、大蔵大輔・井上馨(長州藩士)が職権を濫用して民間人から尾去沢銅山を巻き上げた事件(尾去沢銅山事件)、長州藩出身の京都府参事・槇村正直の人民への圧政などを激しく追及、裁判所設立予算を巡る対立も絡んで3人を一時的に辞職に追い込むなどして長州閥を一掃したことで江藤は次第に政府内から煙たがられる存在となり、留守政府の五参議(西郷・江藤・板垣・後藤・副島)免職の発端の一つになった。 1876年(明治9年)7月28日には新政府の費用を作り出すため「地租改正」条例を公布し、農地の値段を定めて豊作・凶作に関係なく地租を地価の3%と定め、土地所有者に現金で納めさせることにした。地主は土地所有を法的に認められるようになった。しかし地主と小作人の関係は変わらず、小作人はこれまで通り小作料を現物で地主に納めさせた。自作と小作農は負担がそれまでより軽くならないで苦しい立場に置かれることになった。地主は他の農民の土地を買い、それらの土地をお金に換えて資産を増やしていった。そして一部は土地を処分して資本家に変わっていった。やがて土地を耕すことはすべて小作人に任せ、お金だけ受け取って都市部で暮らす不在地主が増えていった。徴兵令に対する不満と地租改正に反対して百姓一揆がしばしば起こり、1876年(明治9年)に三重県で発生した伊勢暴動(東海大一揆)、茨城県などの地租改正反対一揆などを受けて翌年地租率を2.5%に引き下げざるを得なかった。その結果、地租を納める農民の負担は江戸時代のおおよそ20%減ることになった。 文化面では1872年(明治5年)11月に太陽暦を採用、文明開化の風潮が高まり、福澤諭吉・西周・森有礼・中村正直らが明六社を結成し、著作や講演会を通じて近代的な学問・知識を日本国内に広めたほか、中江兆民ら新しい思想を説く啓蒙思想家も現れた。印刷技術の進歩により、日本最初の日刊新聞「横浜毎日新聞」を始め新聞が次々と創刊された。全ての国民が教育を受けられるよう学校制度が整備され、1872年(明治5年)「学制」を公布して全国に学校が設立された。新政府では寺島宗則・神田孝平・柳川春三といった学者を招聘して運営に当たらせた。教育機関の整備では大学寮をモデルにした「学舎制」案を玉松操・平田鐵胤・矢野玄道らに命じて起草させた。宗教の面では神道の国民教化を図ろうとして神仏分離令を出した。これを受け、日本の仏教に根付いていた寺請制度に不満を持っていた者も加わり、廃仏毀釈が行われる事態となる。1870年(明治3年)大経宣布を行い祝祭日を制定した。1873年(明治6年)には天皇の誕生日を天長節(現在の天皇誕生日)、神武天皇が即位した日(紀元前660年2月11日)を紀元節(現在の建国記念の日)とした。1873年(明治6年)にキリスト教を解禁。後の大日本帝国憲法で定められた政教分離という制度的要請から、国家神道(神社非宗教論)に基づく宗教行政に転換していった。 明治新政府の近代化のための変革はあまりにも性急で、国民生活の実情を無視していた点も多かった。特に、廃藩置県と徴兵令は士族の武力独占を破り、御親兵は近衛兵と改称され、中央集権を企図した地方行政制度である大区小区制は、従来の地方自治を無視して中央の命令の伝達と施行しかしない機関を設けたため極めて不評で、地方自治をある程度尊重した郡区町村制に短期間で改められている。新政府の枢要な地位はほとんど薩長土肥の藩閥人物で構成されていたため全国の士族は特権を奪われ、経済的にも行き詰った。政府に対する士族の不満が高まった結果、民撰議院設立建白書を発端に士族反乱・自由民権運動が起こり、ついには1874年(明治7年)に岩倉具視暗殺未遂事件(喰違の変)が勃発した。 喰違の変の後、大久保利通は、征韓派士族に不満の捌け口を与えるため、台湾征討に手を付けた。台湾蕃地事務都督に西郷従道を任命し、「台湾出兵」を行った。1874年(明治7年)5月に征台軍は蕃地を平定。大久保利通は、特命弁理大臣となり清国の北京にて会談し、清国は日本国に償金50万両を支払うとの条件で合意した。台湾問題を片づけた大久保は、西南戦争中にも関わらず、内務省主導で総裁・大久保利通、副総裁・松方正義の下で、第一回内国勧業博覧会を開催。製鉄所や紡績所を経営して士族授産事業と殖産興業が進み、それと並行して秩禄処分が進められたため、士族反乱に乗じなかった士族は、次第にブルジョアジーとプロレタリアートに分解した。 士族反乱(自由民権運動) 1873年(明治6年)の征韓論政変により下野した板垣退助は翌1874年(明治7年)後藤象二郎・江藤新平・副島種臣らと愛国公党を結成、由利公正らと民撰議院設立建白書 を明治7年(1874年)1月政府左院に提出し、高知に立志社を設立する。この建白書が各地の新聞に掲載されたことで、政府に不満を持つ士族を中心に運動が進められるようになった。一方、民選議院を設立すべきか否かの議論も新聞雑誌紙上で盛んに交わされるようになった。翌1875年(明治8年)には愛国社が結成されるが、大阪会議で板垣が参議に復帰して漸次立憲政体樹立の詔を出すとともに、官選の元老院を設け大審院を置いて裁判制度を整備し、地方官会議を開いて地方議会の開設について討議した。また一方で、政府は新聞紙条例や讒謗律を制定して急進的な反政府の言論活動を取り締まった。後になり立志社が西南戦争に乗じて挙兵しようとしたとする立志社の獄が発生して幹部が逮捕されている。 民撰議院設立建白書に名を連ねた江藤新平は1874年(明治7年)郷里の佐賀で島義勇と共に不平士族の首領となって反乱を起こした(佐賀の乱)。政府はこれを鎮圧したが、廃刀令や家禄制度の廃止などによって士族の不満はいっそう高まった。1876年(明治9年)熊本で神風連の乱、福岡で秋月の乱、山口で萩の乱と一連の士族反乱が起こり、翌1877年(明治10年)ついに西郷隆盛を首領とする鹿児島士族ら約4万人が政府に対して兵を挙げた(西南戦争)。西南戦争は政府にとっても大きな試練で、新しい軍隊を総動員して約8ヶ月に渡って九州各地で激しい戦闘が展開された。戦争のさなか木戸が病死、西郷も自刃し、翌1878年(明治11年)には大久保が東京で不平士族の島田一郎ら6名により暗殺された(紀尾井坂の変)。こうして明治政府の「維新三傑」体制は終わりを告げ、薩長元老による官僚藩閥政権が確立した。 自由民権運動の共通の目的は国会開設であった。次第に農民の間にも支持層が広がり、1880年(明治13年)全国の民権派団体が大阪に集まって愛国社の大会を開き、国会期成同盟を結成し8万7千名余の署名を連ねた。私擬憲法が草案され始め、40編以上が発表された。イギリス流の二院制の議会政治(交詢社、嚶鳴社)、人民主権と一院制(立志社、植木枝盛)、君権主義(五日市憲法)などのように民権派から発表されたものが多かった。1881年(明治14年)開拓使官有物払下げ事件に端を発した明治十四年の政変で、井上毅・伊藤博文・岩倉具視らドイツ流憲法の支持者は即時国会開設を唱えていた急進派官吏を政府から追放する一方「国会開設の詔勅」を発し、1890年(明治23年)に議会を開設することを国民に約束した。その結果、明治政府から追放されることとなった板垣退助は自由党を、福地源一郎は立憲帝政党を、大隈重信は立憲改進党を結成し、来る国会開設の準備を図ろうとした。 1882年(明治15年)道路造成事業に反対した農民や自由党員らが検挙され(福島事件)、続いて加波山事件・秩父事件など東日本各地で自由党員らによる暴発事件が起こった。こうして自由民権運動は衰退していき、1887年(明治20年)大同団結運動を起こしに政府に迫ったが、政府は保安条例を発して多くの民権運動家を東京から追放した。財政面では、西南戦争後のインフレーションの整理を図るため、大蔵卿松方正義を中心に1882年(明治15年)に日本銀行を創立し、1885年(明治18年)から正貨である銀貨と引き換えのできる兌換紙幣を発行させた(銀本位制)。また官営工場を民間に払い下げた影響から政商が生まれ、のちにこれらは財閥を形成していった。 1882年(明治15年)、政府内で実権を握った伊藤は憲法調査のためヨーロッパを訪問。帰国後1884年(明治17年)華族令を制定して国家の功労者にも爵位を与えて華族とし、貴族院を作るための華族制度を整えた。1885年(明治18年)には太政官制を廃止して内閣制を導入し、初代内閣総理大臣には伊藤博文が就任、1888年(明治21年)新設された枢密院の議長にも就任した。1888年(明治21年)には市制、町村制、府県制、郡制が公布され地方自治制が実施された。1889年(明治22年)大日本帝国憲法、翌1890年(明治23年)教育勅語が発布された。 伊藤以降の初期内閣の構成はいずれも薩摩藩(黒田清隆、松方正義)と長州藩(伊藤博文、山縣有朋)を中心にして組閣され、1890年(明治23年)11月25日帝国議会の幕が開いた。以後激しい選挙干渉にて民党を抑えようとしたが、1892年(明治25年)に成立した第2次伊藤内閣の時には政府と自由党が次第に歩み寄りを進め、協力して政治を運用するようになった。 条約改正問題 19世紀後半にアジアの多くの国々は欧米諸国の植民地となっていたが、幕末以来の不平等条約を改正して関税自主権の確立(税権回復)と領事裁判制度の撤廃(法権回復)とを実現することが、日本にとって欧米諸国と対等の地位に立つためには何よりも重要であった。1871年(明治4年)、日本と清国は日清修好条規に調印。1873年(明治6年)に外務卿・副島種臣は、清国皇帝に謁見し日清修好条規批准書の交換を行った。 1878年(明治11年)に外務卿・寺島宗則の下でアメリカとの間で税権回復の交渉が成立したが、イギリスなどの反対により新しい条約は発効しなかった。後を継いだ外務卿・井上馨は欧化政策を取り、風俗や生活様式を西洋化して交渉を有利に運ぼうとした。1883年(明治16年)に日比谷に建てられた「鹿鳴館」では、政府高官や外国公使などによる西洋風の舞踏会がしきりに開かれた。井上の改正案は外国人に日本国内を開放(内地雑居)するかわりに税権の一部を回復し、領事裁判制度を撤廃するというものであったが、国権を傷つけるものだとして政府内外から強い反対が起こり、1887年(明治20年)交渉は中止され、井上は辞職した。 これに続いて、1889年(明治22年)大隈重信外相がアメリカ・ドイツ・ロシアとの間に新条約を調印したが、大審院(現在の最高裁判所に相当)に限り外国人裁判官の任用を承認していたので、『新聞日本』を基盤に持つ東邦協会メンバーを皮切りに国民協会を率いる保守派の品川弥二郎や鳥尾小弥太、民権派の星亨を中心として再び国内に反対運動が起きた。大隈は玄洋社の活動家に爆弾を投げつけられて負傷したため交渉は中止となって新条約は発効せず、またその後も青木周蔵外相の交渉が1891年(明治24年)に訪日したロシア帝国皇太子(当時、後のニコライ2世皇帝)が滋賀・大津で警護の警察官に襲われて負傷(大津事件)したことにより挫折するなど、条約改正は難航した。 その後、イギリスは東アジアにおけるロシアの勢力拡張に警戒心を深め、日本との条約改正に応じるようになった。1894年(明治27年)に外務大臣陸奥宗光は駐英公使青木周蔵に交渉を進めさせ、イギリスとの間で領事裁判権の撤廃と関税自主権の一部回復を内容とした「日英通商航海条約」の調印に成功した。関税自主権の完全回復は、後に持ち越された。 大日本帝国憲法 憲法制定に至るまで 伊藤博文は井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎、ヘルマン・ロエスレルらと憲法制定の準備を開始し、1888年(明治21年)枢密院を設置した。そして、1889年(明治22年)黒田清隆内閣の時に君主権が強いプロイセン憲法を模倣した大日本帝国憲法が明治天皇から臣下に授ける形で制定された。 大日本帝国憲法の内容 同憲法は天皇を第3条で神聖不可侵と規定し、第4条で統治権を総攬する元首と規定した。つまり形式上は天皇が権力の総元締ということになった。 三権に関しては以下の通りである。第1に立法権であるが天皇は第5条において帝国議会の協賛を以って行使すると規定された。天皇の立法権は概ね法律の裁可が中心で、またその裁可には国務大臣の副署が必要とされた。つまり、大臣の副署を経てから天皇が裁可し法案が成立する、という形式である。また、帝国議会は選挙で選ばれる国会議員からなる衆議院(下院)と華族や皇族などからなる貴族院(上院)の二院で構成された。第2に行政権であるが、後の日本国憲法と異なり議院内閣制に基づく連帯責任ではなく、第55条で各国務大臣は天皇を輔弼し個別に責任を負うものであった。第3に司法権であるが、第57条で天皇の名において法律により裁判所が司法権を行うものであった。 この憲法の問題は主なものに以下の2つが挙げられる。第1は第11条に規定されている「天皇は陸海軍(大日本帝国陸軍・大日本帝国海軍)を統帥する」という規定であった。陸軍省・海軍省を有する内閣や帝国議会は軍部(陸軍:参謀本部、海軍:軍令部)に対して直接関与できなかった。第2は第21条で規定された「法律の範囲内において自由である」という臣民(国民)の権利であった。 また、黒田清隆首相は「政党の動向に左右されず、超然として公正な施策を行おうとする政府の政治姿勢」を示し、議会と対立した。 その後1889年(明治22年)の大日本帝国憲法公布に伴い「衆議院議員選挙」法が公布され、「直接国税15円以上を納税した25歳以上の男子のみ」に選挙権を与えた制限選挙を実施し、1890年(明治23年)に最初の第1回帝国議会が開会された。 発布 憲法の発布により天皇中心の国家体制が確立されるとともに国民の権利と自由が認められ、国政参加への道が開かれた。不十分であったとはいえ、他のアジア諸国に先駆けて憲法と議会を持つ近代国家への道を歩み始めた。 日本法において民法・商法などの諸法典も制定された。民法はフランスのギュスターヴ・エミール・ボアソナードの助言を受け、フランス民法典と日本の慣習法を折衷したものであったが、特に「家族制度についての規定が家父長制に基づく日本の美風に背く」として非難が起こり実施が一時延期された。 日清戦争 日本は1882年(明治15年)の壬午事変と1884年(明治17年)の甲申政変を契機に朝鮮を巡って清と対立し、甲午農民戦争を契機に1894年(明治27年)日清戦争が勃発した。当時の国力では財力、軍艦、装備、兵数すべてにおいて清の方が優位であったが、士気と訓練度で勝った日本は勝利し下関条約によって以下の内容を清に認めさせた。 朝鮮の独立の承認 領土として遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲 賠償金(2億両(テール)、日本円で3億1千万円)を獲得 重慶・長沙・蘇州・杭州の4港開港 下関条約の結果、清の朝鮮に対する宗主権は否定され、ここに東アジアの国際秩序であった冊封体制は終焉を迎えた(李氏朝鮮は1897年(明治30年)大韓帝国として独立した)。しかし、遼東半島はロシア、フランス、ドイツの三国干渉により返還させられた(代償として3000万両を獲得)結果、国民に屈辱感を与え報復心が煽られた(臥薪嘗胆)。 結果としてこの戦争により日本も諸列強の仲間入りをし、欧米列強に認められることとなった。他方「眠れる獅子」といわれた清が敗戦したことから、諸列強による中国大陸の植民地化の動きが加速されることとなった。加えて、日清戦争の賠償金は1897年(明治30年)の金本位制施行の源泉となり、官営八幡製鉄所造営(1901年(明治34年)開設)の資金となるなど戦果は経済的にも影響を与えた。一方、日本は外国との間にある不平等条約の廃棄を公然と要求しうるようになった。 日露戦争 日清戦争終了後、ロシア帝国は清に圧力をかけ、遼東半島の旅順、大連を租借した。また、シベリア鉄道およびその支線である東清鉄道を建設し南下政策を進めていった。とりわけ、義和団の乱(義和団事件)以降、ロシアは満州に軍隊を駐留させて利権を確保していった。日本はロシアの動きを牽制すべく、1902年(明治35年)イギリスとの間に日英同盟を締結した。当時、世界第一の大帝国で「栄光ある孤立」を貫いていたイギリスが初めて同盟を締結したということとアジアの新興国家である日本が相手ということから世界の注目を受けたが、ヨーロッパでは極東において成り上がりの日本を手先にして火中の栗(中国)を拾わせようとするものとする風刺も見られた。その後、満州、朝鮮半島の利害が対立したロシア帝国相手に日露戦争が勃発した。 陸軍は遼東半島上陸後、旅順攻囲戦、奉天会戦と圧倒的物量で上回るロシア陸軍を辛うじて後退させることに成功した。一方、海軍は最終的には日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃滅した。 ロシアはなお陸軍は維持していたが、海軍力の大半を失い国内でも革命運動が発展していたため講和に傾いた。日本も長期戦には耐えうる経済発展を達成していなかったので、外相小村壽太郎はアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトに仲介を依頼して講和に持ち込んだ。日露戦争を終結させたポーツマス条約の内容は以下の通りである。 ロシアは日本の韓国においての政治・軍事・経済の優先権を認める。 清領内の旅順、大連の租借権および、長春以南の鉄道とその付属の権利を日本に譲渡する。 北緯50度以南の樺太(すなわち南樺太)とその付属の諸島を譲渡する。 オホーツク海、ベーリング海の漁業権を日本に認める。 しかし、賠償金は全く取れなかったため、国民の怒りが爆発し、日比谷焼打事件が起こった。 後の大東亜戦争時に比べると反戦的な主張も比較的許容されており、萬朝報によった堺利彦・片山潜らの反戦運動や、キリスト教の立場からする内村鑑三の非戦論も唱えられた。 日露戦争における日本の勝利は白色人種大国に対する有色人種小国の勝利であり、世界史上の意義も大きかった。第一次エチオピア戦争でエチオピア帝国がイタリア王国に勝利した先例はあるが、これはイギリス、フランスの全面的な軍事的支援によるものであった。そのため、日露戦争における日本の勝利は有色人種国家独自の軍隊による白色人種国家に対する近代初の勝利といえる。 条約改正の実現と帝国主義国家への道 1905年(明治38年)、韓国統監府初代統監には伊藤博文が任命されたが、1908年(明治41年)に辞任した。また、1906年(明治39年)のポーツマス条約で獲得した遼東半島南部(関東州)および長春以南の東清鉄道に対し、それぞれ関東都督府、南満州鉄道株式会社(満鉄)が設置された。その後1909年(明治42年)7月、第2次桂内閣が韓国併合を閣議決定、10月26日に伊藤はロシアとの会談を行うため渡満したが、ハルビンに到着した際に大韓帝国の独立運動家安重根から撃たれて暗殺された。1910年(明治43年)には日韓併合条約を結んで大韓帝国を併合し、ここに諸列強と並ぶ帝国主義国家にのし上がった。大国ロシアに対して戦勝を記録したことは諸外国にも反響を与えた。 1911年(明治44年)、日本はアメリカ合衆国と新しい日米通商航海条約を締結、イギリス、ドイツ、フランスおよびイタリアとも同内容の条約を締結した。外務大臣小村壽太郎は関税自主権の全面回復に成功し、これにより、かつて江戸幕府の政権時に西洋列強と結んだ不平等条約を対等な国家間条約に改善する条約改正の主要な部分が完了、日本は長年の課題を克服し、名実ともに西欧諸国と対等な国際関係を結ぶこととなった。嘉永年間以来の黒船の衝撃と、その後に目指した西欧列強と並ぶ近代国家作りは一応達成された。 その後、第一次世界大戦の講和により完成したベルサイユ体制の世界で、日本は1920年(大正9年)に設立された国際連盟に常任理事国として参加、明治維新から約50年という速さで列強国の一つに数えられることになった。 明治年間の条約改正交渉年表 植民地化されずに自力で近代化への改革をなした日本は、1894年(明治27年)には英国と条約改正を成し遂げ、これを皮切りに幕末以来の不平等条約の解消を進めた。これを完全に達成したのは韓国併合以降である。 日墺修好通商航海条約(1869年〔明治2年〕):欧米諸国の、日本に対する不平等条約体制が完成する。 岩倉使節団を派遣(1871年〔明治4年〕):条約改正交渉失敗。 外務卿寺島宗則による交渉(1876年〔明治9年〕- 1878年〔明治11年〕):税権の回復にアメリカは賛成するが英独が反対し頓挫。 外相井上馨による交渉(1882年〔明治15年〕- 1888年〔明治21年〕):鹿鳴館の建設による欧化政策、裁判所に外国人判事を採用など→ボアソナードや谷干城、国粋主義者の反発、ノルマントン号事件に対する不首尾もあり、井上辞任。 外相大隈重信による交渉(1888年〔明治21年〕- 1889年〔明治22年〕):大審院にのみ外国人判事を採用することがロンドンタイムズ紙にリークされる→玄洋社の来島恒喜のテロに遭遇し、辞任。 外相青木周蔵による交渉(1889年〔明治22年〕- 1891年〔明治24年〕):法権回復にイギリスは賛成したが、大津事件で頓挫。 日英通商航海条約(1894年〔明治27年〕):外相陸奥宗光、イギリスに治外法権の撤廃(領事裁判権の撤廃)を認めさせる。 日米通商航海条約(1911年〔明治44年〕):外相小村寿太郎、アメリカに日本の関税自主権を認めさせる。 産業の変化 明治時代で特徴的な点が、西洋式文物の大量輸入による産業革命である。 しかし明治維新が起こった時には神仏分離令により廃仏毀釈運動が起こった。1870年代(明治3年〜12年)中期になると、西洋文明の輸入が本格化。1872年(明治5年)の「殖産興業」による鉄道開業と富岡製糸場設立は、これを象徴する出来事である。 松方デフレによる不況、内国勧業博覧会の実施を経て、日清戦争の勝利によって軽工業を中心とする産業革命が本格化した。1901年(明治34年)には、日本初の西洋式製鉄所である官営八幡製鉄所が開業し、重工業の勃興を告げた。 年表 1868年(明治元年) 明治維新、神仏分離令、7月江戸は東京と改称、鎮将府が置かれ、江戸府は東京府となった。東京行幸(9月20日発駕〜10月12日東京着)、京都還幸(11月)。この年、現在の長野・栃木などの諸県で農民騒擾。 1869年(明治2年) 東京奠都。:戊辰戦争の終結、五稜郭の戦い。版籍奉還(3月)。太政官制導入。蝦夷地、北海道と改称、開拓使設置(8月)。 1870年(明治3年) 日章旗が国旗となる(商船規則)。樺太開拓使設立。庚午事変。苗字許可令(庶民苗字差許)。横浜毎日新聞発刊。 1871年(明治4年) 新貨条例制定。廃藩置県、全国の府県を改廃(3府72県となる)。戸籍法を定める(翌1872年2月1日より実施:壬申戸籍)、日清修好条規、新貨条例。この年、現在の岡山・島根などの諸県で旧藩主の東京移住に反対して騒擾。岩倉使節団派遣。宮古島島民遭難事件。 1872年(明治5年) 学制。琉球藩設置、琉球国王の実質的廃位。初めて全国の戸籍調査を実施(総人口3311万825人)。太陽暦の採用(十一月九日の改暦詔書)。2月15日、田畑永代売買禁止令を解く、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日とした)。 1873年(明治6年) 神武天皇の即位日を2月11日に改めて、紀元節を制定する。徴兵令。地租改正。征韓論問題(明治六年政変:西郷隆盛・板垣退助等が下野)。 1874年(明治7年) 民選議院設立建白書。佐賀の乱。台湾出兵。この年、秋田・高知などの諸県で地租改正反対などの農民騒擾約21件。 1875年(明治8年) 2月13日、平民の称姓布告。4月14日、左院・右院を廃し、元老院・大審院・地方官会議を設置し、暫時立憲政体を建てるとの詔勅出る。樺太・千島交換条約。6月20日、第1回地方官会議開く。6月28日、讒謗律・新聞紙条例を定める。9月30日、江華島事件起こる。この年、福岡・島根などで農民騒擾約15件。大阪会議、秩禄処分、国立銀行条例。 1876年(明治9年) 日朝修好条規(江華条約)、帯刀を禁止(廃刀令)、筑摩県以下の14県を廃合(3府35県)、神風連の乱・秋月の乱・萩の乱・思案橋事件起こる。茨城県農民一揆・伊勢暴動(三重県農民一揆)、愛知県・岐阜県・堺県下へも波及。この年、鳥取・長野などの諸府県で主に地租・地価改定を巡り農民騒動約26件。小笠原諸島を日本の領有とする。 1877年(明治10年) 地租を100分の2.5へ軽減、2月15日、西南戦争始まる(9月24日、西郷隆盛自刃)。2月28日、熊本県民3000人暴動。8月、コレラ、長崎・横浜に発生(〜10、全国に流行)。この年、熊本をはじめ諸県で農民騒動約47件。 1878年(明治11年) 地方三新法、紀尾井坂の変、1876年1月1日調査の戸籍表を発表(戸数7,293,110人、人口34,338,400)。竹橋事件。 1879年(明治12年) 8月31日、明宮嘉仁親王(大正天皇)誕生。琉球処分、沖縄県を設置、琉球王国滅亡。 1880年(明治13年) 国会期成同盟が結成される。君が代に曲がつけられる。 1881年(明治14年) 開拓使官有物払下げ事件→明治十四年の政変。国会開設の詔勅出される。→大隈重信失脚後、大蔵卿松方正義による松方デフレ)。ハワイ王国のカラカウア王来日。 1882年(明治15年) 福島事件。壬午事変 1883年(明治16年) 陸軍大学校開設。鹿鳴館開館。 1884年(明治17年) 群馬事件、加波山事件、秩父事件、甲申政変、大同団結運動 1885年(明治18年) 大阪事件、銀本位制、天津条約 (日清)、内閣制度が発足。 1886年(明治19年) ノルマントン号事件 1887年(明治20年) 保安条例 1888年(明治21年) 海軍大学校開設。日墨修好通商条約締結。香川県が愛媛県より独立。 1889年(明治22年) 大日本帝国憲法発布。衆議院議員選挙法・貴族院令など公布。市制・町村制が施行。 1890年(明治23年) 第1回衆議院議員総選挙(翌1891年3月7日閉会)、第1回帝国議会召集、『教育ニ関スル勅語』発布、府県制・郡制が執行される。年末より「明治23年恐慌」始まる。 1891年(明治24年) 大津事件、足尾銅山鉱毒事件、濃尾地震。 1892年(明治25年) 第2回衆議院議員総選挙。 1894年(明治27年) 第3回衆議院議員総選挙、第4回衆議院議員総選挙、甲午農民戦争(東学党の乱)→日英通商航海条約→日清戦争 (- 1895年〔明治28年〕)。 1895年(明治28年) 下関条約で日本が台湾・澎湖諸島・遼東半島を獲得、三国干渉で遼東半島を領土剥奪。八幡製鉄所。 1896年(明治29年) 明治三陸地震 1897年(明治30年) 貨幣法制定 1898年(明治31年) 第5回衆議院議員総選挙、大津事件、第6回衆議院議員総選挙。 1900年(明治33年) 義和団の乱(義和団事件)。治安警察法 1901年(明治34年) 4月29日、迪宮裕仁親王(昭和天皇)誕生。足尾銅山鉱毒事件、官営八幡製鉄所の操業が開始される。 1902年(明治35年) 日英同盟締結。第7回衆議院議員総選挙。 1903年(明治36年) 第8回衆議院議員総選挙。 1904年(明治37年) 日露戦争(- 1905年〔明治38年〕)、第9回衆議院議員総選挙。 1905年(明治38年) 日本海海戦。ポーツマス条約。日比谷焼打事件。第二次日韓協約。 1906年(明治39年) 鉄道国有法公布。南満州鉄道設立。 1907年(明治40年) ハーグ密使事件 1908年(明治41年) 赤旗事件。第10回衆議院議員総選挙。 1909年(明治42年) 伊藤博文#暗殺 1910年(明治43年) 韓国併合。大逆事件(幸徳事件ほか)。 1911年(明治44年) 関税自主権の回復により、幕末以来の不平等条約が完全撤廃される。 1912年(明治45年/大正元年) 第11回衆議院議員総選挙。第一次護憲運動(憲政擁護運動)。7月30日、明治天皇崩御、皇太子嘉仁親王が天皇に践祚、大正に改元される。 西暦との対照表 ※明治5年までは旧暦を使用していたため、西暦(グレゴリオ暦)の年とはずれが生じる。詳細は明治元年〜5年の各年の項目を参照。 ※は小の月を示す。 現代における明治 総務省統計局の推計では、2009年(平成21年)10月1日の時点では、日本における明治生まれの人口は16万6千人で、総人口の0.1%となった。 2011年(平成23年)10月1日の時点では、日本における明治生まれの人口は7万1千人で総人口の0.1%。以降の統計では大正生まれの人口と合算して発表されている(2011年の大正生まれの人口は417万人で総人口の3.3% )。 2012年(平成24年)7月30日で明治生まれは全員100歳以上となる。9月発表の百歳以上高齢者(9月15日時点、大正元年7月31日~9月15日生まれを除いて明治生まれである)は5万1千376人。 2017年(平成29年)10月1日の時点では、日本における明治・大正生まれの人口は170万7千人で総人口の1.3%。 明治生まれで令和改元の日(2019年5月1日)まで生きた人はおおよそ2600人程度。 2019年(令和元年)10月1日の時点では、日本における明治・大正生まれの人口は114万1千人で総人口の0.9%。 2020年頃より47都道府県のうち県内に明治生まれの存命者が1人となったりゼロとなるケースが出てきている。岩手県、栃木県、富山県は最高齢者が大正元年や2年で明治生まれの存命者がいない。 2021年10月1日の時点では、日本における明治・大正生まれの人口は67万7千人で総人口の0.5%。 2022年7月30日で明治生まれは全員110歳以上となる。 2000年代初め頃から、生年月日記入欄で元号を選択させる場合は明治が省かれる(すなわち、大正・昭和・平成の3つから選択させる。)ようになる。ただし、行政機関の申請・届出書類やJR各社の定期券購入申込書などでは、2010年(平成22年)の時点では明治が入っている場合が多い。 明治を冠するもの これらのうち、明治グループ・明治大学の略として「明治」を用いることが多い。 企業 明治安田生命(旧明治生命) 明治ホールディングス(明治グループ) 明治(旧明治乳業、旧明治製菓)ほか、明治グループ傘下各社 大日本明治製糖 明治機械 明治屋 明治書院 明治鉱業 明治海運 学校 明治大学 明治学院大学 明治国際医療大学 明治薬科大学 その他 博物館明治村 明治館 (曖昧さ回避) 明治用水 明治治水 明治憲法 明治通り (曖昧さ回避) 明治会堂 架空の事物 関東明治組(コンピューターゲーム『探偵 神宮寺三郎シリーズ』に登場する暴力団組織) また、通話表で「め」を送る際に「明治のメ」という。 脚注 注釈 出典 参考文献 関連書籍 宮地正人・佐々木隆・木下直之『ビジュアル・ワイド 明治時代館』小学館、2005年、ISBN 978-4096230312 湯沢雍彦・奥田都子・中原順子・佐藤裕紀子 『百年前の家庭生活』クレス出版、2006年、ISBN 4877333363 関連項目 明治の人物一覧 幕末 明治維新 大日本帝国 東京時代 産業革命 1860年代 1870年代 1880年代 1890年代 1890年代 1900年代 1910年代 外部リンク 明治政史 - 『明治文化全集』o9 明治天皇 日本の元号 日 戦前の日本 19世紀 20世紀 1868年設立 1912年廃止
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%92%E8%8A%B8%E5%AD%A6
園芸学
園芸学(えんげいがく、)は、農業における園芸のための技術向上と、自然現象の理解、また文化や芸術的な見地から植物を利用した研究や開発を目的とする農学の一分野である。花及び観賞植物、野菜、果樹、庭園を中心にさまざまな植物を扱い、植物学、生物学、自然科学などと深く関連する。そのなかの専門分野としては、果樹園芸学、蔬菜園芸学、花卉園芸学、園芸利用学、造園学がある。野菜、果樹、花及び観賞植物、庭園を中心にさまざまな植物を扱う。また園芸学を科学的に研究する学者を園芸学者といい、園芸そのものを営みとする者を園芸家という。 日本での研究は、西は南九州大学、香川大学、大阪府立大学、西日本短期大学、東は千葉大学、東京農業大学をはじめ、テクノ・ホルティ園芸専門学校など、各地の大学や農業試験場などにおいて研究が盛んである。 関連項目 園芸作物 古典園芸植物 植物の繁殖方法一覧 外部リンク 「園芸学会」公式web 植物学の分野
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A3
大正
は、日本の元号の一つ。 明治の後、昭和の前。大化以降229番目、245個目の元号である。大正天皇の在位期間である1912年(大正元年)7月30日から1926年(大正15年)12月25日まで。 日本の元号として初めて、元年から最終年である15年までの全期間グレゴリオ暦が用いられた。日本史の時代区分上では、元号が大正であった期間をという。本項ではこの時代についても記述する。 改元 1912年(明治45年)7月30日 - 明治天皇が崩御して皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が践祚(即位)したため、登極令(1909年〈明治42年〉公布)に基づき改元の詔書を公布、即日施行して同日は「大正元年7月30日」となった。 大正改元の詔書(1912年(明治45年)7月30日) 1926年(大正15年)12月25日 - 大正天皇が47歳で崩御し、その長男である皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が25歳で践祚したため昭和に改元。同日は「昭和元年12月25日」となった。なお、皇太子裕仁親王は1921年(大正10年)11月25日以降、持病が篤くなった大正天皇の摂政を務めている。 出典 大正の由来は『易経』彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也(いにりててしきは、のなり)」から。「大正」は過去に4回(「元弘」「承応」「万治」「貞享」改元時)候補に上がったが、5回目で採用された。 なお、「大正天皇実録」によれば、明治に代わる新元号案として「大正」「天興」「興化」「永安」「乾徳」「昭徳」の案があったが、最終案で「大正」「天興」「興化」に絞られ、枢密顧問の審議により大正に決定した。 森鴎外が『元号考』の執筆にあたり、賀古鶴所に宛てた書簡で「『大正』はベトナムで使用があり、御幣を担ぐわけではないが中国では『正』の字の元号を嫌う。『正』の字は『一而ニシテ止ル』と読めるので、『正』の字を付けて滅びた例を調べるべきなのに不確認である」と不満を述べている。 概要 大正時代(1912年-1926年)は、大正天皇の在位した期間を指している。 日本史の時代区分は通常(一世一元の制以前)、古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸と政権の中心地による呼称である。大正時代は(年数が大正元年〜大正15年の15年間で、期間は1912年〜1926年の14年間)日本史で一番短い時代区分である。 大正年間には、2度に及ぶ護憲運動(憲政擁護運動)が起こり、明治以来の超然内閣の政治体制が揺らいで、政党勢力が進出することになった。それらは大正デモクラシーと呼ばれて、尾崎行雄・犬養毅らがその指導層となった。 大正デモクラシー時代は1918年(大正7年)の米騒動の前と後で区別されることが多いが、米騒動の同年に初めて爵位を持たない非華族階級であり、衆議院に議席を有する原敬(「平民宰相」とあだ名された)が本格的な政党内閣(=原内閣)を組織した。 原は卓越した政治感覚と指導力を有する政治家であり、「教育制度の改善」、「交通機関の整備」、「産業および通商貿易の振興」、「国防の充実」の4大政綱を推進したが、普通選挙法に反対するなどその登場期に平民達に期待された程の改革もなさないままに終わり、1921年(大正10年)大塚駅員だった中岡艮一により東京駅構内で暗殺された(原敬暗殺事件)。 この前後の時期は普選運動が活発化して、平塚雷鳥や市川房枝らの婦人参政権運動も活発だった。 1925年(大正14年)には加藤高明内閣下で普通選挙法が成立したが、同時にロシア革命の勃発による国内での社会主義・共産主義思想の台頭への警戒感から治安維持法が制定された。言論界も活況を呈して、皇室を有する君主制と民主主義を折衷しようとした吉野作造の民本主義や美濃部達吉の天皇機関説などが現れた。 1921年(大正10年)11月25日に皇太子裕仁親王が大正天皇の病状悪化によって摂政宮となった。明治時代を見直す機運から明治天皇と昭憲皇太后を祀る明治神宮が大正9年(1920年)11月1日創建された。 1923年(大正12年)に加藤友三郎首相が在任中に死去して8日後に関東大震災が起こり、首都東京が壊滅的な打撃を受けたが、程なく復興した。震災後、山本権兵衛元首相が再度政権に返り咲き、第2次山本内閣が成立した。その後、第二次護憲運動(憲政擁護運動)が起こり、護憲三派内閣として加藤高明内閣が成立した。 日本も連合国として勝者の側につき、列強「五大国」の一員となった第一次世界大戦後には、ベルサイユ・ワシントン体制に順応的な幣原喜重郎外相による幣原外交(加藤高明内閣)が展開され、中華民国への内政不干渉、ソビエト連邦との国交樹立など、一定のハト派・国際協調的な色彩を示した。 大正時代は藩閥的な超然内閣を主導していた江戸時代生まれの元勲たちが政界から引退したり他界して、高等教育機関で養成された世代の人々が社会の中枢を担うようになっていった。 国外では第一次世界大戦の結果として、王政打倒の革命が起きた。敗戦国のドイツやオーストリアや連合国からドイツと和解して戦線から離脱したロシアなどで君主制が廃止された。ロシア革命では世界初の社会主義国のソビエト連邦が成立した。ドイツではワイマール憲法のもとドイツ共和国(ヴァイマル共和政)が誕生した。共和制国家の成立は、デモクラシーの勝利とされた。 しかし、日本において共和制の誕生は天皇制・皇室廃止の意味があり、労働運動の高まりを利用して共産主義が広まることを警戒して治安維持法が制定された。多くの国で君主制が廃止されたことが口実となった。共産主義思想は日本のインテリ層に影響を与え、大正期の知識人は、改造・革新・革命・維新の4種類を政治運動のスローガンに掲げた。 文化風俗面の特徴としては、近代都市の発達や経済の拡大に伴い都市文化、大衆文化が花開き、「大正モダン」と呼ばれる華やかな時代を迎えた。女性の就労も増え、それまでの女工などに代わって、電話交換手や女子事務員など「職業婦人」と呼ばれる層が現れ、カフェの女給、バスガール、デパート店員、女医、映画女優といった新しい職業も人気となり、東京や横浜、大阪や神戸などでは大企業や外資系企業に勤める大学卒で高収入なホワイトカラーが登場し、断髪で洋装のモガ(モダンガールの略。男性はモボ)が登場した。 大正年間を通じて、都市にこうした享楽的な文化が生まれる反面、スラムの形成、民衆騒擾の発生、労働組合と小作人組合が結成されて、労働争議が激化するなど社会的な矛盾も深まっていった。 護憲運動と政治 1911年(明治44年)に第2次西園寺内閣が成立した頃、日本の国家財政は非常に悪化していたが、中国の辛亥革命に刺激された陸軍は、抗日運動対策も兼ねて、前年に併合した朝鮮に駐屯させる2個師団の増設を強く政府に迫った。緊縮財政方針の西園寺公望がこれを拒否し、政府・与党(立憲政友会)と陸軍が対立すると、多くの国民が陸軍の横暴に憤り、政治改革の機運が高まった。また1912年(明治45年/大正元年)7月30日に明治天皇が崩御して大正天皇が即位したり、美濃部達吉が『憲法講話』を刊行して、天皇機関説や政党内閣論を唱えたことも国民に新しい政治を期待させた。 1912年(大正元年)の末、2個師団増設が閣議で承認されなかったことに抗議して、上原勇作陸相が単独で辞表を大正天皇に提出し、陸軍が軍部大臣現役武官制を楯にその後任を推薦しなかったため、西園寺内閣は総辞職に追い込まれた。代わって長州閥と陸軍の長老である桂太郎が、就任したばかりの内大臣と侍従長を辞して第3次桂内閣を組織すると、「宮中府中の別」の原則を無視して宮中の職から首相に転じたことが、藩閥勢力が新天皇を擁して政権独占を企てているとの非難の声が上がった。 立憲国民党の犬養毅と立憲政友会の尾崎行雄を先頭とする野党勢力や新聞に、商工業者や都市部の知識人階級も加わり、「閥族打破・憲政擁護」を掲げる運動が全国に広がった(第一次護憲運動)。桂は立憲同志会を自ら組織してこれに対抗しようとしたが、護憲運動は強まる一方だったので1913年(大正2年)、民衆が議会を包囲するなか在職わずか50日余で退陣した(大正政変)。 桂のあとは、薩摩出身の海軍大将である山本権兵衛が立憲政友会を与党に内閣を組織した。山本内閣は行政整理を行うとともに、文官任用令を改正して政党員にも高級官僚への道を開き、また軍部大臣現役武官制を改めて、予備・後備役の将官にまで資格を拡げ、官僚・軍部に対する政党の影響力拡大に努めたが1914年(大正3年)、外国製の軍艦や兵器の輸入を巡る海軍高官の汚職事件(シーメンス事件)が発覚すると、都市民衆の抗議行動が再び高まり、やむなく退陣した。 これを見た山縣有朋ら元老は庶民の間で人気のある大隈重信を急遽後継首相に推薦し、第2次大隈内閣が成立した。大隈は立憲同志会を少数与党として出発したが、1915年(大正4年)の総選挙で立憲同志会などの与党が立憲政友会に圧勝した。この結果、懸案の2個師団増設案は議会を通過した。また同内閣下で第一次世界大戦が勃発しており、同盟国イギリスがドイツ帝国に宣戦すると、日本は日英同盟を理由にドイツに宣戦し、中国におけるドイツの植民地青島、山東省、南洋諸島の一部を占領した。ついで大戦のためヨーロッパ諸国が中国問題に介入する余力のないのを利用して、1915年(大正4年)に袁世凱政府に、加藤高明外相が二十一か条の要求を提出した(対華21ヶ条要求)。 続く寺内政権では、袁政権の後継となった北方軍閥の段祺瑞内閣に巨額の借款を与えて(西原借款)、政治・経済・軍事にわたる中国における日本の権限を拡大しようと努めた。極東の権益を保持するため第4次日露協約、イギリスとの覚書、特派大使石井菊次郎の石井・ランシング協定を締結した。1917年(大正6年)のロシア革命を好機とみた寺内内閣は北満州・沿海州まで勢力を広げようとした(シベリア出兵)。 寺内正毅の超然内閣に対抗して憲政会が結成されると、寺内首相は1917年(大正6年)に衆議院を解散、総選挙の結果、立憲政友会が憲政会に代わって衆議院の第一党となった。大戦による急激なインフレーションとシベリア出兵を見越した米の買い占めによって国内では米価が暴騰して、1918年(大正7年)8月には富山県の漁村で主婦達が米の安売りを要求したことが新聞に報道されると米騒動が全国に広がった。さらに労働者の待遇改善、小作人の小作料引き下げの運動も起こった。 政府はようやくそれを鎮圧したが、シベリア出兵を推進した寺内正毅首相は1918年(大正7年)9月21日に退陣した。 民衆運動の力を目の当たりにした元老たちはついに政党内閣を認め、立憲政友会総裁の原敬を首相に推薦し、1918年(大正7年)9月29日には初の本格的な政党内閣である原内閣が成立した。華族でなかった原は「平民宰相」と呼ばれて国民に親しまれた。普通選挙の要求が高まった情勢を背景に、原は政党の地位を高めながら自党の党勢拡大を行い、大資本や地主などとの間に深い関係を築いた。また元老との衝突を避けながらも、元老の政治力の縮小に努力した。しかし、原は普通選挙制の導入については国民の期待に反して「現在の社会の組織に向かって脅迫を与えるもの」として拒み続け、選挙権の納税資格を3円以上に引き下げ、小選挙区制を導入する選挙改革にとどめた。これらは「党利党略」として世論の不信を招いた。また外交面では1919年(大正8年)に満州で日中両軍が衝突する寛城子事件が起きる。1920年(大正9年)の尼港事件では在留邦人と駐留日本軍が赤軍と中国軍に皆殺しにされ内閣の責任が追及された。1921年(大正10年)11月4日には原が東京駅頭で鉄道労働者の中岡艮一に暗殺された(原敬暗殺事件)。 続いて政友会総裁となった高橋是清が首相となり、高橋内閣は経済不況に対応して積極政策を試みたがそのことで内紛が起こったため、緊縮財政と普通選挙を訴える憲政会への期待が高まっていった。外交面では1922年(大正11年)初頭にワシントン会議があり、アジアにワシントン体制が構築された。その結果、日本国内でも国際協調主義が強まった。高橋内閣は内紛により倒れ、代わってワシントン会議全権だった海軍大将加藤友三郎が政友会を事実上の与党として内閣を組織した。加藤はワシントン会議の協定に従って海軍軍縮を行い、さらに山梨半造陸軍大臣によって山梨軍縮と呼ばれる陸軍軍縮も断行して選挙権拡大の検討に入った。 加藤の病死後、関東大震災の危機の中で第2次山本内閣が立てられ、再度政権に返り咲いた山本は挙国一致内閣の必要性と普通選挙採用を訴えたが政友会の協力が得られず、虎の門事件の責任を取り総辞職に追い込まれた。続いて貴族院を母体とした清浦内閣が成立し、反政党政治的な態度を示したが、それに対抗して衆議院の憲政会・革新倶楽部・政友会の三派は、第二次護憲運動を起こした。1924年(大正13年)の総選挙では護憲三派(憲政会、政友会、革新倶楽部)が大勝を収め、護憲三派内閣として加藤高明内閣が成立した。これ以降衆議院の第一党党首が首相を務めるのが風習化した(憲政の常道)。 加藤内閣は、宇垣軍縮と呼ばれる高田陸軍師団・豊橋陸軍師団・岡山陸軍師団・久留米陸軍師団の4個の陸軍師団を削減して大量の将校の人員削減など陸軍軍縮を行い、兵力を削減した経費で戦車・自動車・航空機など20世紀に導入された軍事装備を大量配置して陸軍の近代化を行い、中等学校(現在の高等学校課程にほぼ相当)以上の男子学校のカリキュラムに軍事教練を設けて過剰となった将校を教官にした。1925年(大正14年)、普通選挙法を成立させ、納税額によらず25歳以上の成人男子全員に選挙権を与える男子普通選挙が実現することになる。しかし、婦人の参政権は認めず、生活貧困者の選挙権も認めないなどの制約があった。普選には「革命」の安全弁としての役割も期待されていたが、同時に8年前のロシア革命のように「革命の発火点」になる恐れも考えられたため、普選法と同時に治安維持法を成立させ、「国体の変革」「私有財産否定」を目的とした活動の禁止と、そうした結社に加入することを厳重に取り締まった。また、勅令175号1925年(大正14年)5月8日により、朝鮮、台湾、樺太にも治安維持法が施行される。しかし普選の実現により、無産政党にも議会進出の道が開かれ、1926年(大正15年)には労働農民党が発足した。また同年治安警察法第17条も廃止された。外交面では、日ソ基本条約を結んで世界史上初の社会主義国家ソビエト連邦との国交を樹立した。 同年12月25日に大正天皇が47歳で崩御し、その長男で摂政を務めていた皇太子裕仁親王が25歳で践祚し、15年程続いた大正時代は終わり、63年間に及ぶ昭和の時代へと突入した。 第一次世界大戦と景気 1914年(大正3年)には、第一次世界大戦が勃発した。元老の井上馨はその機会を「天佑」と言い、日英同盟を理由に参戦した。本土や植民地が被害を被ることこそなかったものの、連合国の要請を受けてヨーロッパにも派兵し多数の戦死者を出した結果、戦勝国の一員となった。 発生直後こそは世界的規模への拡大に対する混乱から一時恐慌寸前にまで陥ったが、やがて戦火に揺れたヨーロッパの列強各国に代わり日本とアメリカの両新興国家が物資の生産拠点として貿易を加速させ、日本経済は空前の好景気となり、大きく経済を発展させた。特に世界的に品不足となった影響で繊維(紡績産業・漁網製造産業)などの軽工業や造船業・製鉄業など重工業が飛躍的に発展して、後進的な未発達産業であった化学工業も最大の輸入先であるドイツとの交戦によって自国による生産が必要とされて、一気に近代化が進んだ。こうした中で多数の「成金」が出現する。また、政府財政も日露戦争以来続いた財政難を克服することに成功する。 しかし、1918年(大正7年)に戦争が終結すると過剰な設備投資と在庫の滞留が原因となって反動不況が発生した。さらに戦時中停止していた金輸出禁止の解除(いわゆる「金解禁」)の時期を逸したために、日本銀行に大量の金が滞留して金本位制による通貨調整の機能を失った。さらに関東大震災による京浜工業地帯の壊滅と緊急輸入による在庫の更なる膨張、震災手形とその不良債権化問題の発生などによって、景気回復の見通しが全く立たないままに昭和金融恐慌・世界恐慌を迎えることになる。 パリ講和会議では、「人種差別撤廃案」を主張し、大多数の国の支持を得たがアメリカ、イギリス、オーストラリアなどの反対によって否決された。当時アジアの中で数少ない独立国であった日本は、国際連盟に加盟し、アメリカ・イギリス・フランス・イタリアの5カ国と並ぶ世界の1等国として国際連盟の常任理事国となる。国際連盟事務次長には新渡戸稲造が就任している。しかしドイツ植民地であったマーシャル諸島(日本は南洋諸島に南洋庁を設置した)が日本に委任統治された結果、日本の太平洋地域への進出が進み、フィリピンやハワイ諸島を領有するアメリカと直接的に領土・領海の境域が接するようにもなり、日米の対立関係は深まり、アメリカの圧力で日英同盟が解消されるなど、太平洋戦争(大東亜戦争)への伏線が芽生えることにもなった。 震災復興 1923年(大正12年)9月1日には関東大震災が生じた。この未曾有の大災害に首都東京は甚大な損害を受ける。震災後、元首相の山本権兵衛が再び政権を担い、第2次山本内閣が成立した。新内閣の内務大臣となった後藤新平が震災復興で大規模な都市計画を構想して手腕を振るった。震災での壊滅を機会に江戸時代以来の東京の街を大幅に改良し、道路拡張や区画整理などを行いインフラが整備され、大変革を遂げた。 江戸の伝統を受け継ぐ町並みが一部を残して破壊され、東京は下水道整備やラジオ放送が本格的に始まるなど近代都市へと大きな進化を遂げた。しかし、一部に計画されたパリやロンドンを参考にした環状道路や放射状道路等の建設は諸事情により行われなかった。これによって培われた経験が戦後の首都高速道路の建設に繋がる。 文化 芸能文化 日本初のレコードでヒットした歌謡曲とされる松井須磨子の「カチューシャの唄」をはじめとする数々の歌謡曲が誕生した。ジャズもこの時代に日本に伝わり、それなりに発展する。落語・講談・能・文楽・歌舞伎・新派劇・新国劇などの日本的な伝統演劇に対して西洋劇を導入する新劇運動(芸術座・築地小劇場)が盛んになり、昭和時代に発展する芸能界の基礎となる俳優・女優・歌手などの職業が新しく誕生して、その後の大衆文化の原型が生まれた。活動写真(現在の映画)や少女歌劇(現在の宝塚歌劇団)が登場した。 都市文化 日露戦争頃から、経済文化の中心地であった大阪・神戸において都市を背景にした大衆文化が成立し(阪神間モダニズム)、全国へ波及した。今日に続く日本人の生活様式もこの時代にルーツが求められるものが多い。一方、東京では1915年(大正4年)に浮世絵版画の復刻をしつつ、新しい伝統木版画を創造しようとしていた渡辺庄三郎の主導によってフリッツ・カペラリの水彩画を錦絵風の木版画にしたのを機に橋口五葉、伊東深水、川瀬巴水、吉田博、名取春仙らによる新版画の活動が開始された。この動きは1923年(大正12年)の関東大震災後には新興の版元を多く巻き込んで全国的に広まり、昭和時代まで続いていった。 道路や交通機関が整備された。路面電車や青バス(東京乗合自動車)や円太郎バスなどの乗合バスが市内を走行した。大正後期から昭和初期までの大大阪時代に大阪府では、東京府よりも先におびただしい私鉄網が完成し、とりわけ小林一三が主導した阪神急行電鉄の巧みな経営術により、阪神間に多くの住宅衛星都市群が出現した。 一方、日清戦争(1894年〜1895年〔明治27年〜明治28年〕)を経て東洋一の貿易港となっていた神戸港に夥しく流入する最新の欧米文化は衛星都市の富裕層に受け入れられ広まり、モダンな芸術・文化・生活様式が誕生した。大阪・神戸は関東大震災後に東京から文化人の移住等もあって、文化的に更なる隆盛をみた。大正中期に都市部で洋風生活を取り入れた「文化住宅」が一般向け住宅として流行をした。 東京府(東京市)では、関東大震災で火災による被害が甚大だった影響で下町が江戸時代の街並みを失う一方、震災の影響が総じて少なかった丸の内、大手町地区にエレベーターの付いたビルディングの建設が相次ぎ、大企業や外資系企業の一大オフィス街が成立した。下町で焼け出された人々が世田谷、杉並等それまで純然たる農村であった地域に移住して、新宿、渋谷を単なる盛り場から「副都心」へと成長させた。 1918年(大正7年)に専門学校から昇格する形で私立大学を中心に旧制大学を認可する大学令と高等学校令が公布されて高等教育機関が整備され、東京帝大の卒業生の半数が民間企業に就職するようになり、大企業や外資系企業に勤める大卒の「サラリーマン」が大衆の主人公となった。 明治時代まで呉服屋であった老舗が次々に「百貨店」に変身を遂げ、銀座はデパート街へと変貌した。井戸やまきによるかまどの使用や明治時代の石油ランプが廃れて、上水道・ガス・電気が普及する。神前結婚や大本教や霊友会など新宗教が盛んになる。家庭電気器具では扇風機・電気ストーブ・電気アイロン・電気コンロが普及した。ブリキやセルロイド製のおもちゃなど新素材のおもちゃが登場した。 スポーツの開始 箱根駅伝大会が金栗四三の尽力で開始されて、オリンピック競技が盛んになった。1920年(大正9年)のアントワープオリンピックでは、日本人初のメダルとしてテニスで銀メダルを獲得した。朝日新聞社と毎日新聞社による中等学校野球などのスポーツが開始された。明治神宮外苑に「神宮外苑野球場」ができたのが1926年(大正15年)で、その前年出発した「東京六大学野球」が愈々隆盛を極めるようなる。 マスコミの発達 東京に拠点を置いていた『時事新報』、『國民新聞』、『萬朝報』の主要紙が関東大震災の被災で凋落し、取って代って大阪に本社を置いていた『大阪朝日新聞』、『大阪毎日新聞』が100万部を突破して東京に進出、それに対抗した『讀賣新聞』も成長を果たして、今の「三大紙」といわれるようになる新聞業界の基礎が築かれた。 1925年(大正14年)3月には、東京、大阪、名古屋の主要三大都市でラジオ放送が始まり、新しいマスメディアが社会に刺激を与えるようになる。 大正前期、新聞について書かれた記事によると、『風俗書報』第四六七号(一九一六[大正五]年一月)の「新聞紙」にて柏拳生は「新聞紙は斯く重宝なるものとして貴ばるゝと共に、群衆心理を左右する恐るべき魔力を有す。」と述べている。また、光本悦三郎『鞍上と机上:続東京馬米九里』(一九一四[大正三]年一二月 無星神叢書)の「新聞の裏面」にて「群盲は新聞の裏面を知らないで、表面に現れた文字だけよりかは何も知らない。」とあるように、大正期の新聞は人々に多大な影響を与えた。 自動車の登場 震災で鉄道が被害を受けたこともあって、「自動車」が都市交通の桧舞台にのし上がり、「円タク」などタクシーの登場もあって、旅客か貨物かを問わず陸運手段として大きな地位を占めるようになる。また、これまでのような上流階級や富裕層のみならず、中流階級を中心にオースチンなどの輸入車を中心とした自家用車の普及も始まった。 食文化 都市部では新たに登場した中産階級を中心に“洋食”が広まり「カフェ」「レストラン」が成長して、飲食店のあり方に変革をもたらした。カレーライス・とんかつ・コロッケは大正の三大洋食と呼ばれた。特にコロッケは益田太郎冠者作詞の楽曲のコロッケの唄 (1917年(大正6年)にヒット)の登場により、洋食とは縁のなかった庶民の食卓にまで影響が及ぶこととなった。米騒動による米価高騰対策として原敬内閣は積極的にパンの代用食運動を展開した。パンは昭和の戦後期になって普及するが、和製洋食に米の御飯と云う、戦後の日本人の食事の主流は大正時代に定着して、中華料理の中華そばの普及や和食の復権運動があった。ロシアパンがロシア革命で日本に亡命して来た白系ロシア人によって紹介されて広まった。1919年(大正8年)7月7日 に日本で初めての乳酸菌飲料カルピスが発売される。人造氷が発達した。アイスクリーム・パン・チキンライス・コーヒー・ラムネ・紅茶・サイダー・ビール・キャラメル・チョコレートなど洋食品が普及した。喫茶店やレストランが増加した。昭和一桁にかけて、麺類や缶詰類など簡易食品が発達した。 ファッション 女性の間で洋髪が流行して、七三分け・髪の毛の耳隠しなどが行われた。女学生に制服が使用された。男子はセルの袴が良く使用された。明治時代まで庶民には縁のなかった「欧米式美容室」、「ダンスホール」が都市では珍しい存在ではなくなり、モダンボーイ・モダンガール(モボ・モガ)の男女など、男性の洋装が当たり前になったのもこの時代である。一方、地方(特に農漁村)の労働者階級ではそういった近代的な文化の恩恵を受けることはまれで、都市と地方の格差は縮まらなかった。 学術研究史 西田幾多郎などの京都学派が学問の主流だった。東洋史では内藤湖南が唱えた唐宋変革論が盛んに論議された。 1915年(大正4年)に北里柴三郎設立の北里研究所が設立された。1917年(大正6年)に財界からの寄付金と国庫補助金、皇室下賜金などのを財源に、半官半民の財団法人として理化学研究所が設立された。その他航空研究所(東京帝国大学付属研究所で航空科学を研究)・金属材料研究所(本多光太郎の提案で東北帝国大学に設立)・地震研究所(関東大震災の教訓から地震と地震予知研究)が大正時代に設立される。 大正文学史 文学界には新現実主義の芥川龍之介、耽美派の谷崎潤一郎、さらに武者小路実篤・志賀直哉ら人道主義(ヒューマニズム)を理想とした白樺派が台頭した。この頃までに近代日本語が多くの文筆家らの努力で形成された。詩・和歌では萩原朔太郎が新しい口語自由詩のリズムを完成させ、今日に続く文章日本語のスタイルが完成し、上記の他に、中里介山の『大菩薩峠』や『文藝春秋』の経営にも当たった菊池寛などの文芸作品が登場した。 出版業界においては1冊1円の「円本」が爆発的に売れた。1921年(大正10年)には、小牧近江らによって雑誌『種蒔く人』が創刊され、昭和初期にかけてプロレタリア文学運動に発展した。また1924年(大正13年)には、小山内薫が築地小劇場を創立し、新劇を確立させた。新聞、同人誌等が次第に普及し、新しい絵画や音楽、写真や「活動写真」と呼ばれた映画などの娯楽も徐々に充実した。俳壇では『ホトトギス』が一大勢力を築き、保守俳壇の最有力誌として隆盛を誇った。柳宗悦が朝鮮美術を薦めて民芸運動を提唱した。 大正時代末期には鏑木清方が「展覧会芸術」などに対して、版画等のことを「卓上芸術」として提唱した。 社会問題 社会事業 社会事業を巡る議論が盛んとなり、国家経営政策として第1回国勢調査が1920年(大正9年)に実施された。米騒動後には政府・地方で社会局および方面委員制度の創設が相次いで行われ、それらの機関によって都市の貧民調査や公設市場の設置などが進められていった。 医療衛生問題 東京府・大阪府などの都市部で上水道が普及した。明治期まで非常に多かった乳児死亡率が大正期に減少した。世界中にパンデミックを引き起こしたスペイン風邪は日本国内で2380万人(当時の対人口比:約43%)が感染し、島村抱月や大山捨松、皇族では竹田宮恒久王が死去するなど約39万人の日本人が死亡した 教化総動員運動 また、1919年(大正8年)には第一次世界大戦を契機とした国民の思想・生活の変動に対処するという目的で内務省の主導による民力涵養運動が開始されており、後の教化総動員運動の先駆けともなる、国家が国民の生活の隅々まで統制を行おうとする傾向がこの時期から見られるようになる。 労働運動 こうして大正年間において社会事業が活発となった原因として、小作争議の頻発や労働運動の大規模化など、地方改良運動に見られるような従来の生産拡大方針では解決不可能な問題が深刻化したことが指摘されている。 鈴木文治によって友愛会が設立されて、第一次世界大戦期間中にインフレが進行したことによって米騒動が発生した。成金が誕生する一方で貧富の差が拡大したことで急増した労働争議に友愛会などの労働組合が深く関係した。 部落解放運動 大正デモクラシーによって様々な社会運動が行われた。 明治期に四民平等となった後も、被差別部落出身者に対する差別が残った。明治政府の貧困対策や身分解放政策の不備、また賎民専用の皮革産業などの生業を失い貧困層となったことや、旧百姓身分の農民層からの偏見があった。西光万吉や阪本清一郎らが中心となり1922年(大正11年)に全国水平社が結成された。 女性解放運動 女性の解放が叫ばれ、ウェートレス・デパートの店員・バスガール・電話交換手・劇場の案内人・美容師・事務員・和文や英文のタイピスト・通訳・保母・看護婦・医師など社会に進出して働く職業婦人が増加した。 普通選挙運動の対象が男性のみであったことから、女性の地位向上を目指す女性運動家が出現し、新婦人協会が設立された。また、高等女学校や大学へ進学する女子生徒も増えた。 朝鮮併合問題 三・一運動によって朝鮮総督府がこれまでの憲兵警察制度による武断統治を見直し、内鮮一体と朝鮮半島の近代化を目的とする文化政治に改めた。貧困から逃れるため朝鮮人の外地から内地への密航が多発して、在日朝鮮人の増加に伴う内地人との軋轢や社会不安が社会問題となった。 大正仏教運動 西洋思想の影響を受けて仏教が近代化し、仏教思想と西洋哲学を統合する仏教近代化政策が実施された。僧侶の参政権運動が明治末期から大正期かけてあった。僧侶の政治活動が盛んで妹尾義郎が新興仏教青年同盟を結成した。仏教関係の政治団体が盛んに社会運動を行うが昭和戦前期に軍部によって弾圧された。東京帝国大学でインド哲学の専門学科が1917年(大正6年)に開設された。井上円了を中心に仏教の迷信を否定する妖怪研究があった。1924年(大正13年)に大正新脩大蔵経の編纂が開始された。 年表 1912年(大正元年) 7月30日、明治天皇崩御、皇太子嘉仁親王が第123代天皇に践祚。明治から大正に改元される。明治天皇の大喪の礼。乃木希典陸軍大将夫妻が殉死する。桂太郎、第3次桂内閣成立。憲政擁護会が結成。火力発電を抜いて水力発電量が第1位になる。友愛会結成。 1913年(大正2年) 大正政変(第3次桂太郎内閣総辞職)、第1次山本権兵衛内閣成立。アメリカ合衆国のカリフォルニア州で排日土地法成立。宝塚唄歌隊(後の宝塚歌劇団)誕生。 1914年(大正3年) 鹿児島県の桜島が大噴火して大隅半島と陸続きになる(桜島の大正大噴火)。外電によりシーメンス事件発覚。大正天皇即位奉祝「東京大正博覧会」始まる。「カチューシャの唄」の流行。日本初の国産車登場。第一次世界大戦勃発、日英同盟を理由にドイツ帝国に宣戦布告、連合国の一員に加わる。東京駅開業。三越呉服店が日本初のデパートメントストア宣言を行い、エレベーター・エスカレーター付きの近代的店舗を建築。 1915年(大正4年) 日本が中華民国の袁世凱政権に対華21ヶ条を要求。第12回衆議院議員総選挙で与党が圧勝。選挙干渉などが起きる。第1回全国中等学校優勝野球大会開催。大正天皇即位の礼。東京証券取引所で空前の出来高。 1916年(大正5年) 吉野作造が「中央公論」で「民本主義」を提案。夏目漱石死去。 1917年(大正6年) 4月20日、第13回衆議院議員総選挙(政友会165議席,憲政会121議席,国民党35議席,無所属60議席)。ロシア革命。中国での日本権益に関する米国との石井・ランシング協定締結。 1918年(大正7年) シベリア出兵。1918年米騒動。松下幸之助が二股ソケットを売り出す。鈴木三重吉が「赤い鳥」創刊。第一次世界大戦終結。スペインかぜ流行拡大(第1波)。武者小路実篤が宮崎県に「新しき村」を建設。大学令公布。東京海上ビル完成。 1919年(大正8年) パリ講和会議開催。3月1日に朝鮮半島で三・一運動。 モスクワでコミンテルン創立大会。7月13日、寛城子事件。カルピス発売。選挙法改正。全国普選期成大会開催。「パイノパイノパイ(東京節)」の流行。 1920年(大正9年) 国際連盟設立。尼港事件。新婦人協会設立。大正天皇の第1回病状発表がされる。上野公園で日本初のメーデー。5月10日、第14回衆議院議員総選挙(政友会278議席,憲政会110議席,国民党29議席、,無所属47議席)、第1回国勢調査(総人口7698万8379人、内地5596万3053人)。明治神宮造営工事が施工。11月4日、尾崎行雄・犬養毅島田三郎ら、政界革新普選同盟会を結成。 1921年(大正10年) 安田善次郎暗殺。原敬暗殺事件。皇太子裕仁親王の欧州訪問の実施と摂政への就任。羽仁もと子の自由学園が創立。スペインかぜ感染終焉。 1922年(大正11年) ワシントン会議開催、(四カ国条約、九カ国条約、ワシントン海軍軍縮条約)。 山縣有朋・森鷗外死去。大阪市・名古屋市・八幡市で官業労働者がデモ。 ソビエト連邦が成立する。 コミンテルン日本支部として堺利彦・山川均が日本共産党結成。 アインシュタイン来日。 1923年(大正12年) 関東大震災、『国民精神作興ニ関スル詔書』が発布される。「船頭小唄」の流行。丸の内ビルヂング完成。亀戸事件。甘粕事件。虎の門事件。 1924年(大正13年) 排日移民法が米国連邦議会で成立。皇太子裕仁親王が久邇宮良子女王(のち香淳皇后)と成婚、良子女王は皇太子妃となる。第15回衆議院議員総選挙(護憲三派大勝、憲政会151議席、政友会105議席、革新倶楽部30議席、政友本党109議席、無所属69議席)、メートル法実施。甲子園球場完成。婦人参政権獲得期成同盟会が結成。第二次護憲運動。 1925年(大正14年) 治安維持法制定。 普通選挙法制定。 日ソ基本条約締結。 日本政府がソビエト連邦を国家承認する。 日本初のラジオ放送。 1926年(大正15年/昭和元年) 1月30日第1次若槻内閣(若槻禮次郎首相、憲政会内閣)成立。労働農民党結成。朝鮮で6・10万歳運動。日本放送協会設立。12月25日、大正天皇崩御、それに伴い皇太子裕仁親王が第124代天皇に践祚。光文事件。同日昭和に改元。 西暦との対照表 元年と最終年の期間 大正元年(1912年): 7月30日〜12月31日〈155日間〉 大正15年(1926年): 1月1日〜12月25日〈359日間〉 大正時代の評価 松尾尊兊の自著で「教育が普及していきわたり、都市に住む人が増加して、都市化で住民の都市問題が誕生して、和食や和服から洋食や洋服となり、政治に関心がある国民が増加して民本主義思想や社会運動が活発となった」としている。 皿木喜久が自著紹介する山本夏彦のエッセー集では「大正デモクラシーをひと口で言うと『猫なで声』と答える」とした。恋愛が謳歌されて、儒教と断絶して挨拶の口上が言えなくなり、新聞の社説が文語文から口語文となった。のびのびとした大正ロマン文化が花開き、大正自由教育運動などの教育や大正期新興美術運動など芸術で自由な考え方や自由を尊重する試みが行われた。大正時代は日本史上の他の政治制度より一番ましな民本主義が誕生して、欠陥があったが戦後日本の政治思想の基本となっている。デモクラシーが、社会主義思想や平和主義思想と解釈されて、天皇制(天皇・皇室制度)など日本の伝統を否定する考え方と混同されたのが、大正時代であった。 現代における大正 2019年(令和元年)10月1日の時点では、日本における明治・大正生まれの人口は114万1千人で総人口の0.9%。 2020年頃より都道府県の最高齢者が大正生まれとなるケースが出てきている。男性の最高齢者は過半数の都道府県で大正生まれが最高齢で大正5年が最高齢となる県も出てきている。人口の少ない町村によっては大正生まれが1人~5人の自治体もある。大正元年生まれは2022年で110歳を迎えた。 大正を冠するもの 企業 大正製薬 大正海上火災保険(後に三井海上火災保険。現三井住友海上火災保険) 大正薬品工業 大正薬化工業 大正銀行 - 2020年に徳島銀行との合併で徳島大正銀行になった。 家具の大正堂(ルームズ大正堂) 地名(公共施設) 大阪市大正区 大正橋 大正駅 大正駅 (大阪府) 大正駅 (北海道) 大正駅 (長崎県) 大正内港 大正運河 大正警察署 大正消防署 大正 (八尾市) 大正町 大正町 (曖昧さ回避) 大正村 (曖昧さ回避) 大正村 (北海道) 大正村 (神奈川県) テーマパーク 日本大正村 文化作品名 大正九年(ミュージシャン) 大正野球娘。 大正琴 商品 大正海老(タイショウエビ) 学校 大正大学 大阪府立大正高等学校 - 2018年度から大阪府立大正白稜高等学校に統合・移行。 呉港高等学校(旧称大正中学) 脚注 注釈 出典 参考文献 皿木喜久『平成日本の原景大正時代を訪ねてみた』 松尾尊兊『日本の歴史第17巻大正時代〜大正デモクラシー』 成田龍一『大正デモクラシー』 学習院大学史料館『絵葉書で読み解く大正時代』 肥後和男『少年少女日本の歴史大正から昭和へ』 関連項目 大正デモクラシー 大正ロマン(大正浪漫) 大正自由教育運動 大正期新興美術運動 大正政変 大正維新 大正世代 東京時代 元号一覧 (台湾) 辛亥革命 民国紀元・主体暦 - 元年が大正と同じ。 第一次世界大戦 ヴァイマル共和国 護憲運動 昭和モダン 1910年代 1920年代 たいしよう 日本の元号 日本の歴史 (時代別) 日 大正天皇 戦前の日本 20世紀 1912年設立 1926年廃止
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易経
『易経』(えききょう、正字体:易經、)は、古代中国の書物。著者は伏羲とされている。 商の時代から蓄積された卜辞(ぼくじ)を集大成したものとして易経は成立した。 『卜』(ぼく)が動物である亀の甲羅や牛や鹿の肩甲骨に入ったヒビの形から占うものであるのに対して、『筮』(めどき/めどぎ)は植物である『蓍』(シ、めどぎ)の茎の本数を用いた占いである。 現代では、哲学書としての易経と占術のテキストとしての易経が、一部重なりながらも別のものとなっている。中心思想は、陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説く。 易経は儒家である荀子の学派によって儒家の経典として取り込まれた。 「玄学」の立場からは『老子道徳経』・『荘子』と合わせて「三玄(の書)」と呼ばれる。 また、中国では『黄帝内經』・『山海經』と合わせて「上古三大奇書」とも呼ぶ。 概要 儒教の基本書籍である五経の筆頭に挙げられる経典であり、『周易』(しゅうえき、Zhōu Yì)または単に『易』(えき)とも呼ぶ。通常は、基本の「経」の部分である『周易』に儒教的な解釈による附文(十翼または伝)を付け加えたものを一つの書とすることが多く、一般に『易経』という場合それを指すことが多いが、本来的には『易経』は卦の卦画・卦辞・爻辞部分の上下二篇のみを指す。 三易の一つであり、太古よりの占いの知恵を体系・組織化し、深遠な宇宙観にまで昇華させている。今日行われる易占法の原典であるが、古代における占いは現代にしばしば見られる軽さとは大いに趣きを異にし、共同体の存亡に関わる極めて重要かつ真剣な課題の解決法であり、占師は政治の舞台で命がけの責任を背負わされることもあった。 古来、占いを重視する象数易と哲理を重視する義理易があり、象数易は漢代に、義理易は宋代に流行した。 『史記』日者列伝で長安の東市で売卜をしていた楚人司馬季主と博士賈誼との議論において、易は「先王・聖人の道術」であるという記述がある。 書名 この書物の本来の書名は『易』または『周易』である。『易経』というのは宋以降の名称で、儒教の経書に挙げられたためにこう呼ばれる。 なぜ『易』という名なのか、古来から様々な説が唱えられてきた。ただし、「易」という語がもっぱら「変化」を意味し、また占いというもの自体が過去・現在・未来へと変化流転していくものを捉えようとするものであることから、何らかの点で “変化” と関連すると考える人が多い。 有名なものに「易」という字が蜥蜴に由来するという “蜥蜴説” があり、蜥蜴が肌の色を変化させることに由来するという。 また、「易」の字が「日」と「月」から構成されるとする “日月説” があり、太陽と太陰(月)で陰陽を代表させているとする説もあり、太陽や月、星の運行から運命を読みとる占星術に由来すると考える人もいる。 伝統的な儒教の考えでは、『周易正義』が引く『易緯乾鑿度』の「易は一名にして三義を含む」という「変易」「不易」「易簡(簡易)」(かわる、かわらぬ、たやすい)の “三易説” を採っている。 また、『周易』の「周」は中国王朝の周代の易の意であると言われることが多いが、鄭玄などは「周」は「あまねく」の意味であると解している。しかし、『史記』日者列伝には、「周代において最も盛んであった」という記述がある。 『易経』の構成 現行『易経』は、本体部分とも言うべき(1)「経」(狭義の「易経」。「上経」と「下経」に分かれる)と、これを注釈・解説する10部の(2)「伝」(「易伝」または「十翼(じゅうよく)」ともいう)からなる。 経 「経」には、六十四卦のそれぞれについて、図像である卦画像と、卦の全体的な意味について記述する卦辞と、さらに卦を構成している6本の爻位(こうい)の意味を説明する384の爻辞(乾・坤にのみある「用九」「用六」を加えて数えるときは386)とが、整理され箇条書きに収められ、上経(30卦を収録)・下経(34卦を収録)の2巻に分かれる。 伝(十翼、易伝) 「伝」(「易伝」、「十翼」)は、「彖伝(たんでん)上・下」、「象伝(しょうでん)上・下」、「繋辞伝(けいじでん)上・下」、「文言伝(ぶんげんでん)」、「説卦伝(せっかでん)」、「序卦伝(じょかでん)」、「雑卦伝(ざっかでん)」の計10部である。これらの中で繋辞伝には小成八卦の記述はあるものの、大成卦の解説では大成卦を小成八卦の組み合わせとしては解しておらず、繋辞伝が最初に作られた「伝」と推測される。 「彖伝上・下」には、「周易上・下経」それぞれの卦辞の注釈が収められている。 「象伝上・下」には、各卦の象形の意味についての短い解説と、その爻辞の注釈が収められている。易占家の間では、前者部分を「大象」、後者部分を「爻伝」、というふうに呼称を区別していることがある。 「文言伝」では、六十四卦のうち最も重要かつ基本の位置づけにある二卦である、乾(けん)および坤(こん)について、詳しい訓詁的な解説がなされる。 「繋辞伝上・下」には、易の成り立ち、易の思想、占いの方式、など、『易』に関する包括的な説明が収められている。 「説卦伝」では、大成六十四卦のもととなる小成八卦の概念、森羅万象をこの八種の象に分類するその分類のされ方が、詳説される。 「序卦伝」には、現行の「周易上・下経」での六十四卦の並び方の理由が説明されている。 「雑卦伝」では、占いにあたって卦象を読み解く際の、ちょっとしたヒントが、各卦ごとに短い言葉で述べられる。着目ヒント集である。 1973年、馬王堆漢墓で発見された帛書『周易』写本に「十翼」は無く、付属文書は二三子問・繋辞・易之義・要・繆和・昭力の六篇で構成されていた。 現代 現代出版されている易経では、一つの卦に対して、卦辞、彖、象、爻辞の順でそれぞれが並べられていることが多く、「経」、「彖」、「象」を一体のものとして扱っている。たとえば「易―中国古典選10」では、一つの卦は、王弼・程頤にならい以下のように編集されている。 易の成立と展開 易占の成立 易経の繋辞上伝には「易は聖人の著作である」ということが書かれており、儒家によって後に伝説が作られた。古来の伝承によれば、易の成立は以下のようなものであったという。 まず伏羲が八卦を作り、さらにそれを重ねて六十四卦とした(一説に神農が重卦したとも)。次に周の文王が卦辞を作り、周公が爻辞を作った(一説に爻辞も文王の作とする)。そして、孔子が「伝」を書いて商瞿(しょうく)へと伝え、漢代の田何(でんか)に至ったものとされる。この『易』作成に関わる伏羲・文王(周公)・孔子を「三聖」という(文王と周公を分ける場合でも親子なので一人として数える)。孔子が晩年易を好んで伝(注釈、いわゆる「十翼」といわれる彖伝・繋辞伝・象伝・説卦伝・文言伝)を書いたというのは特に有名であり、『史記』孔子世家には「孔子は晩年易を愛読し、彖・繋・象・説卦・文言を書いた。易を読んで竹簡のとじひもが三度も切れてしまった」と書かれており、「韋編三絶」の故事として名高い。 このような伝説は儒家が『易』を聖人の作った経典としてゆく過程で形成された。伏羲画卦は「易伝」の繋辞下伝の記述に基づいており、庖犧(伏羲)が天地自然の造型を観察して卦を作り、神明の徳に通じ、万物の姿を類型化したとあり、以後、庖犧-神農-黄帝-堯-舜と続く聖人たちが卦にもとづき人間社会の文明制度を創造したとある。 しかしながら、この伝説は古くから疑問視されていた。易の文言が伝承と相違している点が多いためである。宋の欧陽脩が、「十翼は複数の人間の著作物だろう」と疑問を呈したのに始まり、宋代以降易経の成立に関する研究が進めば進むほど、上記の伝説が信じがたいことが明らかになった。朱熹は「六十四卦はただ上経だけが整った形になっているが、下経は乱雑な記述になっており、繋辞上伝は整っているが繋辞下伝は彖伝・象伝と整合性が取れない」といい、「彖伝・象伝はよく出来ているので聖人の著作だろう」と考えたが、他の伝は聖人の著作ではないと考えていたのではないか、と内藤湖南は論文『易疑』で述べている。内藤は更に「商瞿以來の傳授が信ぜられぬことの外、即ち田何が始めて竹帛に著はしたといふことは、恐らく事實とするを得べく、少くとも其時までは易の内容にも變化の起り得ることが容易なものと考へられるのである。それ故筮の起原は或は遠き殷代の巫に在りとし、禮運に孔子が殷道を觀んと欲して宋に之て坤乾を得たりとあるのが、多少の據りどころがあるものとしても、それが今日の周易になるには、絶えず變化し、而かも文化の急激に發達した戰國時代に於て、最も多く變化を受けたものと考ふべきではあるまいか。」(『易疑』)と述べ、易が聖人の著作であることを否定した。後には孔子と易との関わりまでも疑問視されたが、これは高田眞治・白川静らによって逆に否定された。現代では以下のように考えられている。 古代中国、殷代には、亀甲を焼き、そこに現れる亀裂の形(卜兆)で、国家的な行事の吉凶を占う「亀卜」が、神事として盛んに行われていたことが、殷墟における多量の甲骨文の発見などにより知られている。西周以降の文の、「蓍亀」や「亀策」(策は筮竹)などの語に見られるように、その後、亀卜と筮占が併用された時代があったらしい。両者の比較については、『春秋左氏伝』僖公4年の記に、亀卜では不吉、占筮では吉と、結果が違ったことについて卜人が、「筮は短にして卜(亀卜)は長なり。卜に従うに如かず(占筮は短期の視点から示し、亀卜は長期の視点から示します。亀卜に従うほうがよいでしょう)」と述べた、という記事が見られる。『春秋左氏伝』には亀卜や占筮に関するエピソードが多く存在するが、それらの記事では、(亀卜の)卜兆と、(占筮の)卦、また、卜兆の形につけられた占いの言葉である繇辞(ちゅうじ)と、卦爻につけられた占いの言葉である卦辞・爻辞が、それぞれ対比的な関係を見せている。こうして占われた結果が朝廷に蓄積され、これが周易のもとになったと考えられている。周易のもとになった書物が各地に普及すると、難解な占いの文の解釈書が必要になり、戦国末期から前漢の初期に彖伝・象伝以外の「十翼」が成立したのであろう…というのが丸山松幸による現在の通説のまとめである。 また周代の理想的な官制を描いた『周礼』の春官宗伯には大卜という官吏が三兆・三易・三夢の法を司ったとされ、三兆(玉兆・瓦兆・原兆)すなわち亀卜に関しては「その経兆の体は皆な百有二十、その頌は皆な千有二百」とあり、後漢の鄭玄は卜兆が120体に分類され、1体ごとに10ずつの繇があったと解している。一方、三易(連山・帰蔵・周易)すなわち占筮に関しては「その経卦は皆な八、その別は皆な六十有四」と述べ、卦に八卦があり、それを2つ組み合わせた六十四卦の卦辞がある『易』に対応した記述となっている。なお三易の「連山」「帰蔵」を鄭玄はそれぞれ夏代・殷代の易と解している。「連山」「帰蔵」は後世に伝わっていない。 1993年、郭店一号墓より竹簡に記された『易』が発見された。これは現存最古の秦代の『易』の写本である。 易の注釈史 『易』にはこれまでさまざまな解釈が行われてきたが、大別すると象数易(しょうすうえき)と義理易(ぎりえき)に分けられる。「象数易」とは卦の象形や易の数理から天地自然の法則を読み解こうとする立場であり、「義理易」とは経文から聖人が人々に示そうとした義理(倫理哲学)を明らかにしようという立場である。 漢代には天象と人事が影響し、君主の行動が天に影響して災異が起こるとする天人相関説があり、これにもとづいて易の象数から未来に起こる災異を予測する神秘主義的な象数易(漢代の易学)が隆盛した。ここで『易』はもっぱら政治に用いられ、預言書的な性格をもった。特に孟喜・京房らは戦国時代以来の五行と呼ばれる循環思想を取り込み、十二消息卦など天文律暦と易の象数とを結合させた卦気説と呼ばれる理論体系を構築した。前漢末の劉歆はこのような象数に基づく律暦思想の影響下のもと漢朝の官暦太初暦を補正した三統暦を作っており、また劉歆から始まる古文学で『易』は五経のトップとされた。 一方、魏の王弼は卦象の解釈に拘泥する「漢易」のあり方に反対し、経文が語ろうとしている真意をくみ取ろうとする「義理易」を打ち立てた。彼の注釈では『易』をもっぱら人事を取り扱うものとし、老荘思想に基づきつつ、さまざまな人間関係のなかにおいて個人が取るべき処世の知恵を見いだそうとした。彼の『易注』は南朝において学官に立てられ、唐代には『五経正義』の一つとして『周易正義』が作られた。 こうして王弼注が国家権威として認定されてゆくなかで「漢易」の系譜は途絶えた。そのなかにあって李鼎祚が漢易の諸注を集めて『周易集解』を残し、後代に漢易の一端を伝えている。 宋代になると、従来の伝ならびに漢唐訓詁学の諸注を否定する新しい経学が興った。易でもさまざまな注釈書が作られたが、「義理易」において王弼注と双璧と称される程頤の『程氏易伝』がある。また「象数易」では数理で易卦の生成原理を解こうとする『皇極経世書』や太極や陰陽五行による周敦頤の『通書』、張載の『正蒙』などがある。ここで太極図や先天図、河図洛書といった図像をが用いられ、図書先天の学という易図学が興った。南宋になると、義理易と象数易を統合しようとする動きが現れ、朱震の『漢上易伝』、朱熹の『周易本義』がある。 周敦頤から二程子を経て後の朱子学に連なる儒教の形而上学的基礎は、『易経』に求められる。 主要概念 八卦 筮竹を操作した結果、得られる記号である卦は6本の「爻」と呼ばれる横棒(─か- -の2種類がある)によって構成されているが、これは3爻ずつのものが上下に2つ重ねて作られているとされる。この3爻の組み合わせによってできる8つの基本図像は「八卦」と呼ばれる。 『易経』は従来、占いの書であるが、易伝においては卦の象形が天地自然に由来するとされ、社会事象にまで適用された。八卦の象はさまざまな事物・事象を表すが、特に説卦伝において整理して示されており、自然現象に配当して、乾=天、坤=地、震=雷、巽=風、坎=水、離=火、艮=山、兌=沢としたり(説卦伝3)、人間社会(家族成員)に類推して乾=父、坤=母、震=長男、巽=長女、坎=中男、離=中女、艮=少男、兌=少女としたり(説卦伝10)した。一方、爻については陰陽思想により─を陽、--を陰とし、万物の相反する性質について説明した。このように戦国時代以降、儒家は陰陽思想や黄老思想を取り入れつつ天地万物の生成変化を説明する易伝を作成することで『易』の経典としての位置を確立させた。 なお八卦の順序には繋辞上伝の生成論(太極-両儀-四象-八卦)による「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」と説卦伝5の生成論による「乾・坤・震・巽・坎・離・艮・兌」の2通りがある。前者を伏羲先天八卦、後者を文王後天八卦と呼び、前者によって八卦を配置した図を「先天図」、後者によるものを「後天図」という。しかし、実際は11世紀の北宋の邵雍の著作『』において初めて伏羲先天八卦、文王後天八卦として図と結びつけられたのであり、先天諸図は邵雍の創作と推測されている。 六十四卦 「経」における六十四卦の並び方がどのように決定されたのかは現代では不明である。また六十四卦の卦辞や爻辞を調べる場合、「経」における六十四卦の並べ方そのままでは不便であり、六十四卦を上下にわけることで、インデックスとなる小成八卦の組み合わせによって六十四卦が整理された。その後、小成八卦自体が世界の構成要素の象徴となって、様々な意味が付与されることとなった。 具体例をしめすと、乾は以下のとおりである。 陰陽を示す横線(爻)が6本が重ねられた卦のシンボルがある。次に卦辞が続き卦の名前(乾)と卦全体の内容を様々な象徴的な言葉で説明する。 次に初九、九二、九三、九四、九五、上九(、用九)で始まる爻辞があり、シンボル中の各爻について説明する。6本線(爻)の位置を下から上に、初二三四五上という語で表し、九は陽()を表している。(陰()は六で表す。) 爻辞は卦辞と似ているが、初から上へと状況が遷移する変化をとらえた説明がされる。象徴的なストーリーと一貫した主題で説明されることも多い。乾では、陽の象徴である龍が地中から天に登るプロセスを描き判断を加えている。 占筮の定義 一般に「占筮」といえば、『易経』に基づいて筮竹を用いて占をすることを言う(太古には「蓍」という植物の茎を乾燥させたものを使っていた。「蓍」とはキク科多年草であるノコギリソウのこと。なお、日本語で「蓍」(和名「メドギ」)は、ノコギリソウではなくてメドハギという豆科の別の植物)。この占においては、50本の筮竹を操作して卦や爻を選び定め、それによって吉凶その他を占う。「卜筮」と同義。 占法 『易』の経文には占法に関する記述がなく、繋辞上伝に簡単に記述されているのみである。繋辞上伝をもとに唐の孔穎達『周易正義』や南宋の朱熹『周易本義』筮儀によって復元の試みがなされ、現在の占いはもっぱら朱熹に依っている。 易で占うために卦を選ぶことを立卦といい、筮竹をつかう、正式な本筮法、煩雑を避けた中筮法、略筮法(三変筮法)や、コイン(擲銭法)、サイコロなどを利用する簡略化した方法も用いられる。これらによって占いを企図した時点の偶然で卦が選択され、大別すると選ばれた1爻を6回重ねる方法(本筮法、中筮法など)と、選ばれた八卦を2回重ねる方法(略筮法など)がある。さらに各方法には変爻(極まって陰陽が反転しようとしている爻)の有無や位置を選ぶ操作があり状況変化を表現する。このとき選ばれた元の卦を本卦、変化した卦を之卦という。こうして卦が得られた後、卦や変爻について易経の判断を参照し当面する課題や状態をみて解釈し占断をおこなう。 本筮法 朱熹の本筮法を筮竹あるいは蓍の使用に限って説明すれば以下のようである。 繋辞上伝には「四営して易を成し、十有八変して卦を成す」とあり、これを四つの営みによって一変ができ、三変で1爻が得られ、それを6回繰り返した18変で1卦が得られるとした。さらに4営は伝文にある「分かちて二と為し以て両に象る」を第1営、「一を掛け以て三に象る」を第2営、「これを(かぞ)うるに四を以てし以て四時に象る」を第3営、「奇をに帰し以て閏に象る(「奇」は残余、「」は指の間と解釈される)」を第4営とした。 第1変 50本の筮竹の中から1本を取り、筮筒に戻す。この1本は使用せず、49本を用いる。この1本は太極に象る。 第1営 - 残りの筮竹を無心で左手と右手で2つに分ける。これは天地に象る。 第2営 - 右手の中から1本を抜き、左手の小指と薬指の間に挟む。この1本は人に象り、あわせて天地人の三才に象る。 第3営(1) - 左手分(天策)の本数を右手で4本ずつ数える。これは四時に象る。 第4営(1) - その余り(割り切れる場合には4本)を薬指と中指の間に挟む。これは閏月に象る。 第3営(2) - 右手分(地策)の本数を左手で4本ずつ数える。 第4営(2) - 残った余り(割り切れる場合は4本)を中指と人差し指の間に挟む。第2営からここまでの5操作のうちに閏月を象る残余を挟む操作が2度あることは五歳二閏(5年に約2回閏月があること)に象る。 左手の指の間に挟みこんだ残余の筮竹の総和を求める。必ず9本か5本になる。(なお、第1変では後述のように陰陽に大きな偏りが出るため占いに使うのは適当ではない。偏りを避けるため、占筮には簡略化した中筮法・略筮法・擲銭法を使うべきである。ただし、占いの結果が均等であるべきとの決まりがある訳ではない。結果の偏りも含めて、それが本来の筮法であると解釈する事も可能である。) 第2変 - 49本から第1変の結果の9本か5本を抜いた44本または40本の筮竹で四営を行う。すると左手の指に挟みこまれた筮竹の総和は8本か4本になる。 第3変 - 第2変の結果の8本か4本を抜いた40本か、36本か、32本の筮竹で四営を行う。すると左手の指に挟みこまれた筮竹の総和は8本か4本になる。 画爻 - ここで第1変・第2変・第3変の残数により初爻が決まり、それを記録する作業が行われる。これは筆で板に4種類の記号を書き込むが、卦木(算木)で表すこともできる。残余の数は9本か5本、8本か4本であり、これを多いか少ないかによって区別すると、3変とも多い「三多」、2変が少なく1変が多い「二少一多」、2変が多く1変が少ない「二多一少」、3変とも少ない「三少」となる。これらの総和をそれぞれ最初の49本から引くと数えた筮竹の総数に当たるが、これは四時の4と陰陽の数を相乗じることによって得られるとされる。すなわち老陽の9、少陰の8、少陽の7、老陰の6である。ここで導かれた陰陽の属性を表す記号(重・折・単・交)を初爻の位置に記録する。ここで少陽・老陽は陽爻であるが、少陽が不変爻であるのに対し、老陽は陰への変化の可能性をもった変爻である。また少陰・老陰は陰爻であるが、少陰が不変爻であるのに対し、老陰は陽への変化の可能性をもった変爻である。 {| class="wikitable" |- !colspan=2|筮竹!!colspan=3|爻 |- !残余の多少!!数の意味!!属性!!数!!記号 |- |三少||5+4+4=1349-13=36=4*9||老陽||9||align="center"|□(重) |- |二少一多||5+4+8または5+8+4または9+4+4=1749-17=32=4*8||少陰||8||align="center"|- -(折) |- |二多一少||9+4+8または9+8+4または5+8+8=2149-21=28=4*7||少陽||7||align="center"|─(単) |- |三多||9+8+8=2549-25=24=4*6||老陰||6||align="center"|×(交) |} 第4変〜第18変 - 上記と同様の操作を続け、初爻の上に下から上への順に第2爻から上爻までを記録し、6爻1卦が定まる。 占断 - 以上の操作で定まった卦を「本卦(ほんか)」といい、さらに本卦の変爻(老陰・老陽)を相対する属性に変化させた卦を求め、これを「之卦(しか)」という。ここではじめて『易経』による占断がなされる。占いの結果は本卦と之卦の卦辞を踏まえたうえで、本卦の変爻の爻辞に求められる。なお2つ以上の変爻がある場合には本卦の卦辞によれ(『春秋左氏伝』)あるいは2変爻であれば本卦のその2爻辞(上位を主とする)により、3爻辞であれば本卦と之卦の各卦辞によれ(朱熹『易学啓蒙』)とされる。例えば、左手の指に挟んだ残数が第3変までで9・8・4、第6変までで9・4・8、第9変までで5・8・8、第12変までで9・8・8、第15変までで9・4・4、第18変までで5・8・4であったとすると、¦¦×||| と記録され、本卦は¦¦¦|||泰、之卦は¦¦||||大壮となる。これを「泰の大壮に之(ゆ)く」といい、占断は泰・大壮の卦辞を参考にしつつ泰卦の変爻、六四の爻辞によって行われる。 中筮法 上記本筮法は18変を必要とし、しかも第1変の陰陽に偏りがあるため、偏りの無い筮法として、6変筮法である中筮法がある。これは第1変第3営において天策を8本ずつ数えその残余(割り切れる場合は0本)に人策の1本を加えた1〜8本によって次のように初爻を決定する。 1本ならば乾  → 老陽(□) 2本ならば兌  → 少陰(- -) 3本ならば離  → 少陰(- -) 4本ならば震  → 少陽(─) 5本ならば巽  → 少陰(- -) 6本ならば坎  → 少陽(─) 7本ならば艮  → 少陽(─) 8本ならば坤  → 老陰(×) 同様のことを6回繰り返して本卦を得る。 略筮法 さらに簡略化した3変の略筮法もある。これは中筮法の第1変の結果をそのまま内卦(初爻から第3爻)とし、同様に第2変で外卦(第4爻から第6爻)を求めて本卦を得た後、第3変は6本ずつ数えて人策を加えた残余の1〜6本によって変爻の位置(1→初爻〜6→第6爻)を決定するという方法である。 その他 また筮竹を用いずに卦を立てる占法もあり、3枚の硬貨を同時に投げて、3枚裏を老陽(□)、2枚裏・1枚表を少陰(- -)、2枚表・1枚裏を少陽(─)、3枚表を老陰(×)とする擲銭法が唐の賈公彦『儀礼正義』に記されている。これは、硬貨の表裏で本筮法の残余の多少を表すとするものであり、他に、硬貨の表裏を以て中筮法の乾兌離震巽坎艮坤を表すとして四象を決める方法や表の枚数の多少をそのまま四象に反映する方法、6枚の硬貨の表裏をそのまま陰陽として並べて本卦にする方法もある。 数学との関連性 易卦は二進法で数を表していると解釈でき、次のように数を当てはめることができる。右側は二進法の表示であり、易卦と全く同じ並びになることが理解できる。  0   000  1   001  2   010  3   011  4   100  5   101  6   110  7   111 本筮法の第1変においては49本の筮竹を天策(x本)と地策(49-x本)に分け、地策から1本を人策として分ける。よって地策は48-x本となる。第4営後に9本残るのは天策地策ともに4本ずつ残る場合のみであり、これはxが4の倍数の時に限られる。第2変、第3変では4本残る(天地人1−2−1または2−1−1)か8本残る(同3−4−1または4−3−1)かは半々となり偏りはない。(なお、50本から太極として1本除いた49本を使うのではなく、最初に7×7=49本から太極として1本除いた48本を使うとするなら第1変の偏りはなくなる。) 参考文献 現代 『新釈漢文大系 易経(上)』(今井宇三郎訳注・解説/明治書院) ISBN 978-4-625-57023-0 『新釈漢文大系 易経(中)』(今井宇三郎/明治書院) ISBN 978-4-625-57024-7 『新釈漢文大系 易経(下)』(今井宇三郎・堀池信夫・間嶋潤一/明治書院) ISBN 978-4-625-67314-6 『新書漢文大系 易経』(今井宇三郎/辛賢編、明治書院) - 上記の抜粋新書版。 『易経(上)』(高田眞治・後藤基巳訳注/岩波文庫) ISBN 978-4003320112 『易経(下)』(高田眞治・後藤基巳訳注/岩波文庫) ISBN 978-4003320129 『易―中国古典選10』(本田済訳著/朝日選書) ISBN 978-4022590107 『易経講座―程氏易伝を読む』(上・下、本田済/斯文会) ISBN 978-4896191806 / ISBN 978-4896191813 『易学 成立と展開 』(本田済著/講談社学術文庫)ISBN 978-4065250112 『易経 中国の思想Ⅶ』(丸山松幸訳/徳間書店) ISBN 978-4198605919 - 改訂版はKindle版。2016年3月 『増訂 易経』(三浦國雄訳著/東洋書院) ISBN 978-4885944086 『易経 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』(三浦國雄/角川ソフィア文庫:角川学芸出版) ISBN 978-4044072155 『全釈 易経』(上・中・下、黒岩重人/藤原書店) ISBN 978-4894349315 / ISBN 978-4894349360 / ISBN 978-4894349384 『易を読むために 易学基礎講座』(黒岩重人/藤原書店) ISBN 978-4894348615 近代 『易と人生哲学』(著:安岡正篤/致知出版社) 『易学の研究』(著:上野清/歴史図書出版) 『易学概観』(著:兼坂晋/博文館) 『易と中庸の研究』(著:武内義雄/岩波書店) 『易の話』(著:金谷治/講談社現代新書、改訂版・講談社学術文庫) ISBN 978-4061596160 『上代中国陰陽五行思想の研究』(著:小林信明) 『宋代易学の研究』(著:今井宇三郎/明治図書) 『易経と老子の比較研究』(著:山縣初男) 『周公と其の時代』(著:林泰輔) 『支那古代史論』『支那天文学の組織と起原』(著:飯島忠夫) 『東洋天文学研究』(著:新城新蔵) 『殷虚卜辞研究』(著:島那男) 『殷周革命』(著:佐野学) 『古代殷帝国』(編著:貝塚茂樹/みすず書房) 『支那上代思想史研究』(著:出石誠彦) 『易の研究』(著:津田左右吉) 『周漢思想研究』(著:重澤俊郎) 『支那封建社会史』(著:陶希聖、野原四郎訳/四海書房) 『易学大講座』(講:加藤大岳/紀元書房(全8巻)) 、易学者による易経講義録 『中国古典文学大系12 史記(下)』(訳著:野口定男ほか/平凡社) 『周易講義』(講:根本通明) 古代から近世 『周易正義』(著:孔穎達) 『周易虞氏義』(著:張恵言) 『易傳』(著:程伊川) 『周易集註』(著:来知徳) 『周易経翼通解』(著:伊藤東涯) 『周易欄外書』(著:佐藤一斎) 『玄語』『贅語』『敢語』(著:三浦梅園) 『周易本義拙解』(著:平住専安) 『易学啓蒙索驥編』(著:平住専安) 脚注 注釈 出典 関連項目 他の思想、占い 道教 太極図 風水 『太玄経』 - 揚雄が易を模してを著した。 占星術 ジオマンシー ピタゴラス ピタゴラス教団 易経から取られた語句 観光 -「観国之光,利用賓于王」の節に由来する。 易の音楽 - 易経を用いた操作によって作曲されたピアノ曲。アメリカの作曲家、ジョン・ケージが作曲した。 外部リンク 易経(中文) - 中国哲学書電子化計画 (ctext.org) 易経 - 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ 周易|易経|現代語訳 -「九去堂」ブログ えききよう 経書 紀元前1千年紀の書籍 哲学書 中国哲学 先秦の書籍
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四書五経
四書五経(ししょごきょう)は、儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経の総称。ただしこのうち『大学』『中庸』はもともと『礼記』の一章を独立させたものである。 要綱 君子が国家や政治に対する志を述べる大説として日常の出来事に関する意見・主張や噂話など虚構・空想の話を書く小説と区別される。 四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』、五経は『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』をいい、五経を以て四書よりも高しとする(「礼記」の成立受容史については「三礼」の項を参照)。「楽経」を含めて四書六経ともいう。 中国本国だけでなく、日本や朝鮮でも広く講義された。朝鮮では『礼記』と『春秋』を省いて「四書三経」ともいった。 戦国時代の六経 『荘子』や『語叢』においては、下記の六種類の経書が列挙されている。 詩 書 礼 楽 易 春秋 当時の儒家らはこれらの経典を重視したが、『楽』は早くに失われたとされる。 前漢の五経 易(施氏(施讎)・孟氏(孟喜)・梁丘氏(梁丘賀)・京氏(京房)) 書(大夏侯氏(夏侯勝)・小夏侯氏(夏侯建)・欧陽氏) 詩(斉詩・韓詩・魯詩) 士礼(后氏(后蒼)・戴氏(戴徳・戴聖)・慶氏(慶普)) 春秋(公羊氏・穀梁氏) 唐代の五経 唐の太宗は、以下の経典を「五経」とし、『五経正義』という解釈を孔穎達らに定めさせた。唐代以前の注釈類は殆んど現存しないため、唐代以前の経学研究の基本書とされている。 易……『周易正義』(王弼・韓康伯注、孔穎達等疏) 書……『尚書正義』(偽古文尚書。孔安国伝(偽孔伝と呼ばれる)、孔穎達等疏) 詩……『毛詩正義』(毛伝、鄭玄箋、孔穎達等疏) 礼記……『礼記正義』(小戴礼記。鄭玄注、孔穎達等疏) 春秋……『春秋正義』(春秋左氏伝をテキスト、杜預注、孔穎達等疏) 宋代以降の五経 宋代には唐代までに集成された五経研究(古注)に対して、批判的な厖大な注釈書(新注)を生み出した。これは宋・元の二王朝を通じて行われ、明の永楽年間に『五経大全』として結実した。『五経大全』は科挙のテキストとしても利用され世上に流行したが、即席的に編纂された書物であったこと、しかも『五経大全』の種本の殆んどが現存すること、また明朝そのものの経学研究が低調であったこと等から、『五経大全』そのものの学術的評価は低い。『五経大全』の注釈書は朱熹とその弟子の蔡沈、朱熹の先駆者程頤の私淑の弟子の胡安国と、比較的簡潔な注釈を行った陳澔が選ばれている。 易(朱熹の『周易本義』) 書(蔡沈の『書集伝』) 詩経(朱熹の『詩集伝』) 礼記(陳澔の『礼記集説』) 春秋(胡安国の『春秋伝』) 宋代以降の四書 『礼記』のうち「中庸」「大学」を重視する立場は、韓愈など宋代以前の学者にも見られた傾向であるが、北宋の二程子は特にこれらを重視した。 南宋の朱熹が『礼記』の一篇であった『大学』と『中庸』をそれぞれ独立させ、『論語』『孟子』と合わせ「四書」として五経以前に読むべき入門の学として顕彰し、その注釈書として『四書章句集注』(『大学章句』・『中庸章句』・『論語集注』・『孟子集注』)を著した。四書は元代以降、科挙の科目に採用され、五経よりも広く読まれるようになった。 関連項目 四書 五経 十三経 脚注 経書
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論語
『論語』(ろんご、)は、孔子とその高弟の言行を、孔子の死後に弟子が記録した書物である。儒教の経典である経書の一つで、朱子学における「四書」の一つに数えられる。 その内容の簡潔さから儒教入門書として広く普及し、中国の歴史を通じて最もよく読まれた本の一つである。古くからその読者層は知識人に留まらず、一般の市民や農民の教科書としても用いられていた。 名称 『論語』という名称が定着するのは、前漢の宣帝・元帝の頃からであり、『史記』仲尼弟子列伝の司馬遷の賛に用いられるほか、戴聖の『礼記』などに使用例がある。それ以前は、単に「伝」(『史記』封禅書・『漢書』宣帝紀)や「語」(『塩鉄論』)という呼称例がある。 『論語』の書名の由来は諸説あり、定説はない。最も古い説は班固の『漢書』芸文志に見える説である。 皇侃の『論語義疏』では、「論」の字の解釈について、音が共通する「倫」字の意味とする説、「論」の意味とする班固説、論・倫に相違はないとする三説を紹介している。このうち「倫」字の意味とする場合、更に以下の四つの説があるという。 「倫」は「次」の意味で、順序次第が整っていて理屈が乱れないさまを示す。 「倫」は「理」の意味で、ものごとの道理を示す。 「倫」は「綸」の意味で、国家の統治に役立つことを示す。 「倫」は「輪」の意味で、あらゆる意味が備わり、永遠に回る車輪を示す。 合わせて、「語」は単なる言葉ではなく、相手の議論に対する批判や問答を表す言葉であるとする。 成立 門人による編纂 一般には、『漢書』芸文志に記載されているように孔子の門人が孔子の死後に集まって編纂したとされているが、この門人が誰なのかという点には様々な異説がある。比較的古くからある説には、以下の例がある。 弟子の子夏ら64人が編纂した(『文選』李善注引『論語讖』)。 冉雍・子游・子夏らが編纂した(『経典釈文』引鄭玄説)。 七十弟子が編纂した(『論語義疏』)。 唐代の学者の柳宗元は、『論語』には孔子の弟子の曾参の死が描かれていることから、『論語』は曾参の弟子が編纂したものであると考えた。北宋の程子は、孔子の弟子の有若・曾参が『論語』では「子」の敬称をつけて呼ばれることから、この二人の門人が編纂したと考えた。また、江戸時代の学者である太宰春台は、『論語』は前後十篇ずつで内容や体裁に差があることを見出し、前半は子張、後半は原憲の編纂であると推論した。 現在の形の『論語』の成立 『論語集解』によれば、漢代の武帝の頃には三種のテキストの『論語』があった。 魯論 孔子の祖国の魯で伝えられた。計20篇。夏侯勝・蕭望之・韋賢・韋玄成らによって伝えられた。 斉論 問王篇・知道篇の2篇が多く、計22篇。王卿・庸生・王吉らによって伝えられた。 古論(古文論語) 魯の共王の劉余が孔子の旧宅を壊した際に発見された『論語』で、漢代以前の古い文字で書かれていた。堯曰篇が二つに分かれており、計21篇。孔安国によって注釈が作られた。 前漢の張禹が「魯論」と「斉論」を校正して『張侯論』を作ると、後漢の包咸・周氏がこれに対して注釈を作った。そののち、後漢の鄭玄が「魯論」を中心にしながら「斉論」「古論」を統一し『論語』の注釈書を作った。また、後漢の熹平4年(175年)には、経書を石に刻んで保存する事業(「石経」)によって『論語』の石経が作られた。これもわずかながら現存している。 三国時代に入り、陳羣・王粛・周生烈らによって多くの注釈が作られた。これらを集大成したのが何晏らによって編纂された『論語集解』で、これが現在まで完全な形で存在している最古の注釈である。 受容 『論語』は非常に簡潔な記述で書かれており、儒学の入門書として古くから広く普及した。一方で、簡潔すぎるためはっきり意味が定めがたく、後世に多くの解釈が生まれることとなった。したがって、時代や文化に応じて様々な受容の様相が見られ、注釈も数多く作られた。 中国 漢代以来、儒教の第一の経典は「五経」(『易』・『書』・『詩』・『礼』・『春秋』)であったが、『論語』や『孝経』も別格扱いで同時に尊重されていた。前漢の昭帝・宣帝・元帝らは幼くして『論語』と『孝経』を学んでおり、この頃には『論語』は基礎教養として受け入れられていた。 経書研究が進むにしたがい、後漢の鄭玄は、他の経書とともに『論語』を解釈し、経書全体で統一的な解釈を与えることを試みた。魏の何晏らの『論語集解』は先人の解釈を引用して編纂された。鄭玄注の経学的要素は排除され、他の経書とは切り離し『論語』の本文から読み取れる一般的な意味を示した。これに基づいて梁の皇侃が『論語義疏』作られ、更に北宋に官製の注釈書として『論語正義』が作られた。 南宋に入り、朱子学が勃興すると、「五経」と合わせて「四書」(『論語』・『孟子』・『大学』・『中庸』)も重視されるようになり、『論語』はより重要な地位を担うこととなった。朱熹は『論語集注』を作り、朱子学の立場から新たな解釈を施した。 清の考証学の時代には、劉宝楠の『論語正義』など、実証的な観点による解釈が試みられた。 日本 3世紀の終わりごろ、応神天皇の時代に百済の博士である王仁が『論語』十巻と『千字文』一巻を倭国に貢上(貢上=「貢ぎ物を差し上げる」)したことが『古事記』に記載されている。しかし、『日本書紀』に読まれる百済が倭国に貢上したとされる王仁や『論語』『千字文』などの歴史構成を批判的に検討する文献学的な批判があり、王仁が『論語』『千字文』などの典籍をもたらしたという王仁伝説や、継体欽明朝に五経博士が百済から交代派遣されたとする伝承は、事実とは認め難いとする指摘は多数存在する。 718年に編纂が始められた『養老律令』においては、教授の際に用いるべき注釈として『論語』の鄭玄注・何妟注が挙げられており、既に大学での教授や官吏登用の際の必読書とされていたことが分かる。 藤原佐世の『日本国見在書目録』にも、「論語十巻鄭玄注」「論語十巻何晏注」「論語義疏皇侃撰」などが著録されている。『論語集解』は、正平19年(1364年)に初めて木版出版され、いっそう普及した。 江戸時代に入ると、伊藤仁斎や荻生徂徠らによって優れた注釈が作られ、一部は中国に逆輸入されて受容された。また、吉田篁墩や市野迷庵のように『論語』や『論語集解』の校勘によって業績を上げた者もいた。 西洋 カトリック布教のために中国に来訪したイエズス会の宣教師により、徐々に中国古典の翻訳が試みられるようになった。1660年、アンドレ・フェランが『大学』と『論語』をラテン語に訳し、1662年にが孔子の伝記を附して出版した。1687年、ルイ14世の認可のもと、フィリップ・クプレがパリで『中国の哲学者孔子』を刊行し、『孟子』を除く「四書」の翻訳がなされた。さらに、1711年、フランソワ・ノエルによって「四書」の完訳がなされ、プラハで刊行された。クプレ訳は明の張居正の解釈によるものであり、ノエル訳は朱熹と張居正の解釈の両方を受けたものである。 イエズス会士を通じて伝わった中国の哲学は、17世紀から18世紀にはシノワズリの一部として流行した。フランスではヴォルテール、ディドロ、モンテスキュー、ケネーといった思想家に注目され、啓蒙思想の発展に寄与した。ドイツではクリスティアン・ヴォルフが理神論的立場から、キリスト教が無くても道徳が成立し得る実例として孔子を喧伝した。 一方で19世紀のヘーゲルは、孔子の教えは哲学ではなく平凡な通俗道徳でしかないと酷評、道徳ならキケロ『』の方が優れているとし、イエズス会士の翻訳も原文からかけ離れた意訳であるとした。 解釈の多様性 『論語』の言葉は短く断片的で、読者をしてさまざまな想像を掻き立てるものであり、その解釈は読者の数だけ存在するといえる。たとえば、橋本秀美は、金谷治の『論語』解釈が、無意識のうちに、当時の日本社会であるべきとされた知識人の姿と孔子を重ね合わせる場合があることを指摘する。そして、人々が『論語』を読み『論語』を解釈するのは、あたかも人が鏡を覗き込むようなものであり、その解釈は解釈者自身の心そのものを示していると述べた。 ここでは、古くから相反する解釈があることで知られる『論語』の章として、子罕篇の「川上の嘆」の一節を具体例として示す。 この一節に対する漢唐の時代の注釈である「古注」系統の解釈と、宋代以降の「新注」系統の解釈は大きく異なっている。たとえば、後漢の鄭玄は、本節を「川の流れのように時が過ぎ去り、君主に任用されることなく空しく年老いていく我が身の不遇を嘆いたもの」と解釈する。これは「あらゆるものは移ろい、変化していずれは失われる」という悲しみや儚さを表現するものであり、鄭玄・皇侃・六朝の詩文などでは、この解釈を採用する。 一方、新注では「宇宙の運行は川の流れのように止まることないものであり、これと同じように、学問を志す者も常に我が身を振り返るべきだ」との意味に取る。この解釈は、古注とは逆に、力強い自己改革の精神を読み取るもので、伊藤仁斎の説もこれと一致する。この新注の解釈は朱子学的な色彩の強い解釈ではあるが、古くは『孟子』における議論と内容が一致するものでもあり、その由来は古い。『孟子』の他に、漢代の揚雄も同様の解釈を取っている。また東洋哲学の研究者の井筒俊彦は、この一節から『方丈記』に代表される「物事の普遍的な変化」を悲観的に捉える仏教と、これを楽観的に捉える宋学の対比を読み取っている。 新出文献 1906年、フランスのポール・ペリオ、イギリスのオーレル・スタインらの探検隊が、敦煌の千仏洞から敦煌文献の一つとして鄭玄注『論語』の写本の一部を発見した。これは南北朝時代から唐代の写本である。また、1969年にはトルファン地域のアスターナ地区で、再び鄭玄注『論語』が発見された。これは唐の景龍4年(710年)に卜天寿という少年によって書写された本である。 1973年、河北省定州市の前漢の中山懐王劉脩の墓から、『論語』の一部が書かれた竹簡が発見された。劉脩は紀元前55年に没したため、これより以前のものであることが分かる。この竹簡に記された『論語』の内容は、現行本との間に異同は多いが、内容は類似しており、現行本の祖本の一つであると考えられる。 1990年代の初頭、朝鮮民主主義人民共和国の平壌市郊外の旧楽浪郡の領域にある貞柏洞364号墳から、『論語』の一部が書かれた竹簡が発見された。この出来事は、2009年頃から国際的に知られるようになった。この墓には紀元前45年の戸籍簿が副葬されており、前漢の頃には『論語』が辺境地域にまで伝播していたことが明らかになった。 2016年、江西省南昌市にある遺跡(前漢の劉賀の墓)から、漢代当時の『斉論語』と推定される竹簡の断片(『論語』知道篇)が出土した。 2020年、注釈書の一つ『論語義疏』について6〜7世紀初めに中国で書かれたとみられる最古級の写本が日本で見つかった。 構成 512に区切られる短文・長文が、全10巻20篇の中にまとめられる形で収録されている。前10篇を「上論」、後10篇を「下論」と呼んで区別したりもする。篇の名称は(「子曰」を除く)各篇の最初の二文字(または三文字)を採ったものであり、章によってはその章の内容のことをいう。 巻一 学而(がくじ)第一 「学んで時に之を習う」という孔子の言葉に始まる。「学」についての記述、孔子の根本思想についての立件が多いため、熟読すると良いと朱熹は言う(集注)。凡そ十六章。 為政(いせい)第二 「政を為すに徳を以てすれば、譬えば北辰の其の所に居て、衆星之に共するが如し」という孔子の徳治論に始まる。政治についての記述が多いとされる。凡そ二十四章。 巻二 八佾(はちいつ)第三 孔子が魯の家老の季孫氏の不遜な態度を批判する言葉から始まる。礼楽に関する記述が多く、この「八佾」も礼楽の行列の名前である。凡そ二十六章。 里仁(りじん)第四 「仁に里(お)るを美しと為す」という孔子の言葉に始まる。「仁徳」に関する記述が多いとされる。朱熹は凡そ二十六章。 巻三 公冶長(こうやちょう)第五 孔子の弟子の公冶長との問答より始まることから公冶長篇と名付けられたとされる。名の通り孔子の弟子の公冶長との問答より始まることから公冶長篇と名付けられたとされる。この章の殆ど(最後の三章)が孔子と弟子との問答や人物評価が書かれている。凡そ二十七章。 雍也(ようや)第六 孔子が弟子の冉雍を「雍や南面せしむるべし」と絶賛した章に始まる。人物評論や「仁」と「知」の論が目立つとされる。凡そ二十八章。 巻四 述而(じゅつじ)第七 「述べて作らず」という孔子の言葉に始まる。孔子の自身言葉や容態、行動に関した記述が多いとされる。凡そ三十七章。 泰伯(たいはく)第八 「泰伯は其れ至徳と謂うべきのみ」という孔子の言葉に始まる。泰伯への称賛から、礼楽など、終盤には聖人などの構成とされる。凡そ二十一章。 巻五 子罕(しかん)第九 「子、罕(まれ)に利と命と仁とを言う」という章に始まる。孔子の言行や孔子の出処進退に関する門人の記録が多いとされる。凡そ三十章。 郷党(きょうとう)第十 郷里における孔子の様子を記す章で構成されている特異な一篇。篇首が「孔子」で始まり、「子曰」という記述がないとされる。吉田(1960)は朱熹の集注をもとに十八章に分けた。 巻六 先進(せんしん)第十一 「先進の礼楽に於けるや、野人なり」という孔子の言葉に始まる。門人などの人物評論が多く、孔子が祖国の魯に帰国してからの門人との言行の記述があることから孔子晩年期がわかる。凡そ二十五章。 顔淵(がんえん)第十二 孔子と門人、君主が「仁」や「政」に関する問答は多く、篇首には顔回との「仁」についての問答から始まる。凡そ二十四章。 巻七 子路(しろ)第十三 「子路政を問う」という政治に関する孔子と子路の問答から始まる。前半は政治について、後半は善人や士君子や道徳についての問答が多いとされる。凡そ三十章。 憲問(けんもん)第十四 「憲、恥を問う」という弟子の原憲が恥について孔子に尋ねる章から始まる。この篇首、原憲が孔子に「恥」について問いたが、これ以降の篇では「原憲」のことを「原思」と字を用いていることからこの篇はは原憲が書いたのではないか,または魯の国で編集したのではないかと吉田(1960)は考察した。凡そ四十六章。 巻八 衛霊公(えいれいこう)第十五 「衛の霊公、陳(陣)を孔子に問う」という章から始まる。この篇は修身出処に関する雑言が多いとされる。凡そ四十一章。 季氏(きし)第十六 魯の家老である季孫氏が魯の属国を討伐しようとしたことをめぐって、孔子と冉雍・子路が問答を交わす章から始まる。この篇は「下論」でも体裁が異なっているとし、「子曰く」とあったところが「孔子曰」となっている。凡そ十四章。 巻九 陽貨(ようか)第十七 「陽貨孔子を見んと欲す」、季孫氏の家臣の楊貨が孔子を政治に誘おうとする場面から始まる。この篇は孔子の出処進退に関する章が数章ある。世の中が衰え、道が行われないことを嘆いたり、当局者や門人に与えた警告も多いとされる。凡そ二十六章。 微子(びし)第十八 「微子、之を去る」、孔子が殷に三仁ありと論評する章に始まる。この篇は他の逸民の話が多いが、孔子に関係を持った人達の出処進退などが記されているとされる。凡そ十一章。 巻十 子張(しちょう)第十九 子張の「士は危うきを見ては命を致す」という言葉に始まる。この篇の大体が孔子の門人たちの言葉のみ記されている。特に高弟の言が多く、孔子に類するような言葉などが多いとされる。凡そ二十五章。 堯曰(ぎょうえつ)第二十 「堯曰く、咨(ああ)、爾(なんじ)舜」という堯の言葉に始まる。この篇は凡そ三章であるが、聖人の政治や為政者にとっての政治的訓誡、君子の要訣など論語全篇に照応させたように見られると吉田(1960)は言う。 故事成語 『論語』に由来する故事成語には、以下の例がある。 故きを温ねて(たずねて)新しきを知る - 為政篇「 子曰、温故而知新」 過去の事跡や先人の知恵に学んで現在の問題を考え、新しい知識や道理を生み出すこと。「温故知新」とも。 一を聞いて十を知る - 公冶長篇「賜也何敢望回、回也聞一以知十、賜也聞一以知二」 一端を聞いただけで全体を理解すること。理解が早く聡明であること。 牛刀をもって鶏を割く - 陽貨篇「割雞焉用牛刀」 小さなことを処理するのに大げさな手段を用いること。 過ちて改めざるをこれ過ちという - 衛霊公篇「過而不改、是謂過矣」 過ちを犯しても改めないことこそが、真の過ちである。 過ぎたるは猶お及ばざるが如し - 先進篇「過猶不及」 適当な程度を超えているのは、不足と同じ。中庸が大切であるたとえ。 憤せずんば啓せず - 述而篇「不憤不啓、不悱不発、挙一隅不以三隅反、則不復也」 心に理解できなくて、憤り奮い立つほどでなければ、教え導かない。自発的にやろうとしない者には教えない。 径(こみち)によらず - 雍也篇「有澹臺滅明者、行不由径」 小道を通らないで、大道を行く。人生においては近道をしないで、正直にしたがい歩む。 性相い近し、習い相い遠し - 陽貨篇「性相近也、習相遠也」 人間は生まれつきの天性はたいして差がないが、後天的な習慣によって大きく違ってくる。 徳は孤ならず - 里仁篇「徳不孤、必有鄰」 徳のあるものは、決して孤立することはなく、必ず従う者、助ける者がいる。 和して同ぜず - 子路篇「君子和而不同、小人同而不和」 人と仲良く打ち解けても、道理に背いてまで人にへつらわないこと。 脚注 注釈 脚注 参考文献 新訂版(原著1963年) 別版 ISBN 402-2590025 ISBN 404-4006288 元版『論語 中国古典選 一・二』朝日新聞社、1959-63年、新版1965-66年。弟子尾崎雄二郎が筆記 別版復刊2005年ほか 辞書 中国語文献 朱熹『四書章句集注』、中華書局〈新編諸子集成〉、2006年。 関連文献 『論語』の翻訳 別版『論語 上・下』明徳出版社〈中国古典新書〉、新装版2010年 新版再刊、現代語訳のみ。 (原著・岩波書店、1974年6月) 『論語』の注釈の訳注 ワイド版2009年 ワイド版2009年 元版『荻生徂徠全集 3・4 経学』みすず書房、1977-78年。原文収録 朱熹 『論語集注』 土田健次郎訳注、平凡社〈東洋文庫〉 全4巻、2013-2015年 『論語 朱熹の本文訳と別解』 石本道明、青木洋司訳著、明徳出版社 2017年12月 子安宣邦『仁斎論語 『論語古義』現代語訳と評釈』ぺりかん社 上下、2017年12月 渡邉義浩主編『全譯 論語集解』 汲古書院、上巻(2020年5月)、下巻(2020年9月) 渡邉義浩訳『論語集解 魏・何晏〈集解〉』 早稲田大学出版部・早稲田文庫 上下、2021年 - ※上記の普及版 概説書・専門書 新版再刊 新版再刊 新版再刊 総ルビ付き。 新版再刊 新版再刊 新版再刊 「孔子は易を読んだのか」 「『論語』の成立過程と定州『論語』」 「儒教に見る形と心」等、従来の学説を覆す『三国志』研究の権威・渡邉史学の核心を成す『論語』研究。 『論語』を題材にした作品 小説 古林青史 『宰予 一 孔子から不仁な者と呼ばれた弟子の物語』 埼玉新聞社、2021年、ISBN 978-4-87889-528-9 関連項目 論語の注釈 儒教、経学 日本の儒教 孔門十哲 - 孔子の弟子の中で特に優秀とされる十人 儒学者 道徳 道徳教育 修身 諸子百家 外部リンク 論語全文・・の表示変換ができる 紀元前1千年紀の書籍 先秦の書籍 経書 政治書 政治思想書 古代哲学の文献 孔子
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カードゲーム
カードゲーム(Card Game)は、広義にはカードを使って行うゲームの総称。狭義にはいわゆるトランプを使ったゲームのこと。歴史的には麻雀やドミノなどのタイル(牌)を使うゲーム(タイルゲーム)と起源を同じくしており、タイルゲーム・カードゲームは手札(手牌)という要素によって、囲碁、リバーシ、将棋といったボードゲームと区別される。以下では、タイルゲームを除くカードゲームについて解説する。 ヨーロッパにこの種のゲームが現れたのは、14世紀のイタリアではないかと推測されている。その後、遊びの範囲を広くするため、ある特定のゲームを遊びやすくするため、今までの形式とは違った遊びをするため等の理由で専門のカードデッキが生まれた。 1993年発売のマジック:ザ・ギャザリングの流行以降、個人ごとに決められた範囲内で自由にカードデッキを作り、その内容を元に勝負に臨むトレーディングカードゲームが生まれ、独自の分化が築かれている。 方式 人数 カードゲームは大別して、1人で遊ぶもの(ソリティア)と、2人以上で遊ぶものに分けられる。また2人用のゲームは3人以上のゲームとくらべて特殊な構造をしていることが多い。たとえばすべてのカードを手札として配ってしまうと、2人の場合は相手が何を持っているのかが完全にわかってしまうので、カードの一部を配らないなどの工夫が必要になる。 3人以上のゲームでは、中心になる競技者(あるいは競技者のチーム)に対して、それ以外の競技者が協力して対抗するゲームと、各競技者がそれぞれ独立して戦うゲーム(カットスロート)がある。 4人以上のゲームでは、複数の競技者がチームを組んで競技するゲームもある。4人では向かい合った2人ずつが固定したチームを組み、5人では中心になるひとりの競技者がパートナーを指名するなどの方法が一般的に行われる。 カードを配る 多くのゲームではカードを各競技者に配る。カジノゲームなど、誰が配るかがあらかじめ決まっていることもあるが、何らかの方法でゲーム参加者の中からディーラー(配り手)を決める必要がある場合も多い。ディーラーはじゃんけんなどで決めることも可能だが、より本格的には、カットによる方法が用いられる。すなわち、カードを裏向きに積んであるカードを、各競技者が適当なところで上下に二分し、その上半分の一番下のカードを見せてから元に戻す。一番高い(ゲームによっては一番低い)ランクのカードを選んだ競技者がディーラーになる。複数の競技者が同じランクのカードを選んだ場合は、該当する競技者だけでもう一度カットを行う。 ディーラーをこの方法で決定しなければならないのは最初の一回だけで、以降はディーラーが順番に次の競技者に移動するのが普通である。 通常はディーラーはカードをシャッフルし、ディーラー以外の競技者がカットしてからカードを配る。ゲームによってはシャッフルを禁止しているものや、配り方が細かく定められているものもある。 競技方向 カードゲームではしばしば各競技者が(あるいは各競技者に対して)順番にある行動をする場合がある(カードを1枚ずつ出すなど)。このとき、最初に行動した競技者から見て左へ左へと行われるのを「時計回り(または右回り)」といい、逆に右へ右へと行われるのを「反時計回り(または左回り)」という。 アジアでは全般的に反時計回りが多い。日本では時計回りはしばしば「泥棒回り」と言って嫌われる。 これに対して、イギリス・フランス・ドイツ・ロシアなどでは時計回りが多い。同じヨーロッパでもイタリア・スペイン・ポルトガル・スイス・バルカン半島などでは反時計回りが多い。北アメリカとオーストラリア・ニュージーランドでは時計回り、ラテンアメリカでは反時計回りが普通である。近代の日本は時計回りの国の影響が強かったため、トランプの場合は時計回りに競技することも多い。 トランプゲーム ポーカー アルカナ40 コントラクトブリッジ ジン・ラミー スペード ナポレオン ババ抜き 7並べ セブンブリッジ 神経衰弱 ダウト ページワン 大富豪(大貧民) ゴニンカン ツーテンジャック ハーツ ブラックジャック 51 フリーセル 専用カードゲーム ア行 アイバンホ 悪代官 Up Front アップルトゥアップル あやつり人形 アルゴ イコールカード インカの黄金 ウィザード UNO うんすんカルタ お邪魔者 O'NO 99 俺のケツをなめろ! カ行 かるた 百人一首 上毛かるた 幻聴妄想かるた キングス・コート クーハンデル クク グラス クロノノーツ ごきぶりサラダ ごきぶりスープ ごきぶりポーカー コヨーテ コロレット コンチェルト・グロッソ、うさぎのコンサート サ行 三国殺 サンファン シェフィ 水道管ゲーム スティッヒルン そっとおやすみ STUN SUPER大戦略 セット XENO ゼロ タ行 ダイナマイト・ナース たった今考えたプロポーズの言葉を君に捧ぐよ。 「たべちゃうぞ!!」陸のなかまたち 「たべちゃうぞ!!」海のなかまたち タロット ディクシット 電車でGOゲーム ドブル ドミニオン ナ行 ナンジャモンジャ ニムト ノイ ハ行 はぁって言うゲーム バカカード ハゲタカのえじき バケツくずし バトルライン 花札 ハリガリ、ハリガリジュニア バーンレート ビッグチーズ ぴっぐテン ピット ピラミッド・カードゲーム ブクブク フラックス フリンケピンケ フロカティサーカス プロ野球ゲーム ペンギンパーティー ボーナンザ 北海道旅人ゲーム マ行 マンチキン マンマミーア! ミールボーンズ 迷宮コンクエスト 迷宮牧場の決闘 モンスターメーカー ラ行 ラブレター ランドウンター(ブクブク) リミッツ ロストシティー ロッカ ワ行 ワードバスケット エクスプレインザワード トレーディングカードゲーム バトルスピリッツ デュエルマスターズ バディファイト マジック:ザ・ギャザリング ポケモンカードゲーム 遊☆戯☆王オフィシャルカードゲーム モンスターコレクション アクエリアンエイジ ガンダムウォー ランブリングエンジェル 脚注 関連項目 ボードゲーム ユーロゲーム ソリティア ゲーム
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孟子
孟子(もうし、、、紀元前372年? - 紀元前289年?)は、中国戦国時代の儒学者、思想家。姓は姫、氏は孟、諱は、字はか。とも称される。「子」は先生という意味で尊称。孔子の孫である子思の門人に学業を受けたとされ、儒教(特に朱子学)では孔子に次いで重要な人物とされる。そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。 言行は『孟子』にめられている。性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。 経歴 孟子は鄒国(現在の山東省済寧市鄒城市)の人で、その母が孟子を育てた時の話が有名である。最初は墓地の近くに住んでいたが、やがて孟子が葬式の真似事を始めたので母は家を移した。移った所は市場の近くで、やがて孟子が商人の真似事を始めたので母は再び家を移した。次に移った所は学問所の近くで、やがて孟子が学問を志すようになったので母はやっと安心したという。この話は孟母三遷として知られ、史実ではないとされているが、子供の育成に対する環境の影響に関して良く引き合いに出され、鄒城市には孟母三遷祠が建てられている。孟子の母は、他にも孟母断機の故事で知られている。孟子が学業を途中で辞めて家に帰って来たとき、母はちょうど機を織っていたが、その織物を刀で切断し「お前が学問を途中で辞めるのは私が織物を断ち切るのと同じことだ」と言って諫めた。孟子は再び勉学に励んだ。以上の話は漢代の『韓詩外伝』巻9や『列女伝』巻1に見える伝説である。 『史記』孟子荀卿列伝によれば、孟子は孔子の孫である子思の門人に学んだ。子思に直接学んだという説もあるが、年代が合っていない。 彼は、自分のことを王の師匠であり、賓客である、と考えていたので、遊歴するときには数十台の車と数百人の従者を従えていた。諸侯と同等である、というプライドを持っていたのである。 かつて魏の恵王が秦や斉に奪われた土地を回復する方法を孟子に質問した時、孟子は仁者無敵を説いた。それは、国土は小さくても、仁政を施せば、誰にも負けない、ということである。仁政とは、刑罰を簡単にして、税を軽くし、丁寧に耕作して、若者には孝悌忠信の道徳教育を行うことである。そのような仁政を受けた民は、戦いでも勇敢で、仁政のない国の民は、主君に協力せず背いたりもする。ゆえに、仁者無敵である、というのである。 論語に載せられている孔子の弟子の有子の言葉とされているものに、 孝弟なる者は、それ仁の本為るか。 がある。孝とは親に対する愛情、弟とは兄に対する尊敬のことである。 仁の実は親に事うること是なり。義の実は兄に従うこと是なり。 という言葉が『孟子「離婁篇」』にある。これは、孔子の説いた仁を拡大した孟子の説く仁義のことを示している。孟子は自分のことを孔子の正統な継承者だと自負していた。 その後、恵王が死んでその子の襄王が即位すると、孟子はこの襄王を 之を望みたるに人君に似ず と評していたため、失望して斉に行った。斉では宣王が即位していた。ここでも孟子は国士扱いを望み、好きに論争するだけで給料のもらえる稷下の学士と同等にされたくない、というプライドがあった。 抱関(門番)、撃柝(夜警)の者も、皆、常職有りて上(君主)より食む。常職無くして而も上より賜るは、不恭と為すなり。 と『孟子「萬章伝」』にある。門番から夜警に至るまで、皆定職があって給料をもらっているのに、定職もないのに給料をもらうのは、人生に対して真面目な態度とは言えない、と主張した。故、宣王に呼び出されて参内することを拒否して宣王自ら来てほしいと要請して、自分が王宮に行くのは何か進言したいことができたときだけ、ということにした。孟子は自分のことを「所不召之臣(召さざる所の臣)」と思っていた。 管仲すら且つ召す可からず。而るを況や管仲為らざらん者をや。 と述べている。管仲は桓公を補佐して春秋の覇者にした人物である。桓公は管仲のことを決して呼びつけにしなかった。そして、管仲すら、と述べていることで、孟子は自分を管仲や殷の湯王を補佐して湯王にも呼びつけにされなかった伊尹以上の人物であると確信していた。 とある日、宣王が孟子に向い、殷の臣であった武王が主君である殷の紂王を伐って周を打ち立てたことについて、質問した。すると、孟子は 仁を賊ふ者は之を賊と謂ひ、義を賊ふ者は之を残と謂ひ、残賊の人は之を一夫と謂ふ。一夫の紂を誅せりとは聞けども、未だ君を弑したりとは聞かず。 と答えた。これの意味は、 「仁を失った者は賊であり、義を失った者は残であり、仁義を失った者は君主である資格がなく、残賊、つまり、ただの男である。ただの男の紂を殺したとは言えても、君主である王を殺したとは言えない。」 ということである。要するに、これほど君主の位は軽い、と言いたいのである。 また、宣王が卿の態度を質問した時、孟子は、王室と関係がある貴戚の卿と、王室と関係のない異姓の卿では、王に対する態度も違う、と言った。まず、貴戚の卿は、 君に大過有れば則ち諫め、之を反覆して聴かれざれば、則ち位を易う。 と説いた。つまり、 「君主が道理から外れていることをしていれば諫言をするが、聞き入れられなければ、追放して別の君主に変える。」 ということである。貴戚の卿は、君主と血がつながっているので、君主が仁義にかなわない場合には、放っておけないので王族の中から仁義にかなうものを選ぶ必要がある。これを聞いて宣王は驚いて顔色を変えたが、孟子は過度のますらおであり、自分の発言に王がどんなに顔色を変えても堂々としていた。自分の思想を全く疑わずに説くのである。次に、異姓の卿は 君に大過有れば則ち諫め、之を反覆して聴かざれば、則ち去る。 と説いた。つまり、 「君主が道理から外れていることをしていれば諫言をするが、聞き入れられなければ、その君主の下を去っていく。」 ということである。異姓の卿は、君主と血がつながっていないので、君主が仁義にかなわない場合には、放っておいてその君主の下を離れる。戦国時代の君臣関係は極めて自由であり、自分の出身地に仕えないことはもちろん、数国に仕えることもある。この際も、君主の廃立など考えずに気に入った国に仕官する、といったことを基にして発言している。 しかし、孟子が斉に仕えてから七、八年か経つと、宣王は病気を理由に孟子の家に使者を派遣して 「あなたと話したいことがありますが、運悪く風邪のためそちらに行けません。いかがですか?あなたの方から来てはいただけないでしょうか?」 と伝えて呼び出そうとした。しかし、孟子も病気という口実で拒否した。 不幸にして、疾有り。朝に造る能わず。 たった今、参内しようとしていたのに、仮病を使って拒否した。「召さざる所の臣」である孟子はこのような事情でも行くわけには行かない。翌日、東郭氏に不幸なことがあったので、家まで行って弔問することにした。それに対して弟子の公孫丑が 「昨日、病気を理由に参内を断ったのに、今日改めて外出するのはいかがなるものでしょうか? およしなさい」 と出掛けないことを勧めたが、孟子は 「昨日は病気だったが今日は治った。行かなければ」 と言って行ってしまった。そのようなことで自分の行動を制限されることを孟子は良しとしない。ところが孟子が出かけている間、宣王が病気見舞いの使者と医師を派遣してきたので、家で留守番をしていた弟子の孟仲子は慌てて、先程少し調子が良くなりまして、参内に参りました、とその場を取り繕った。そして、孟子の通りそうな場所に使者を派遣して、どうかご帰宅せずに、そのまま参内して下さい、と伝えた。それを聞いた孟子は、帰宅も参内もしないで友人の景丑の家に泊まった。景丑は王命に従わなかった孟子を非難した。これによって、孟子と宣王の関係がしっくりこなくなった。孟子はこの事件によって、斉を立ち去る気持ちを固めた。その後、とうとう孟子は斉を去ることにした。それを聞いた宣王は急いで孟子の家まで出向き、また会えるでしょうか? と聞いた。それに対して孟子は 敢へて請はざるのみ。固より願ふ所なり と答えた。 「また会いたいと、こちらからは望みませんが、王とお会いするのは私としても嫌ではありません」 それで、宣王はまだ希望がある、と思った。数百人もの稷下の学士を抱えている宣王にしても、孟子のその激しい理想主義には辟易するが、現実的な政策で役に立ちそうではないとしても、この優れた人物を他国に持っていかれることも残念だと思った。そこで、孟子の弟子の陳子を通じて 「都心の大邸宅を与え、門弟養成のために一万鍾の俸禄を支給し、大臣をはじめ廷臣たちに孟子を尊敬させるようにする」 と伝えた。鍾は穀物を図る単位で、約五十リットルだと言われている。当時の一万鍾は、通説によれば、日本の江戸時代の禄高で千五百石足らずだという。しかし、孟子にはこれが少額だったと見え、 如し予をして富まむと欲せしむれば、十万を辞して万を受けんこと、是れ富まむと欲すると為さんや。 と断った。これは 「もし私の力で国を興したければ、十万鍾の俸禄を約束するべきです。私はそれを辞退して、一万鍾を受けましょう。これでは私のことを、冨貴を願っている、とは言えないはずです。」 という意味である。 賤丈夫有り。必ず壟断を求めて之に登り、もつて左右望して市利を罔せり。人皆以て賤しと為す。故に従つて之を征せり。 と孟子は言った。 「昔、市では物々交換によって、お互いの納得する交易を行って、生活に必要な物を手に入れる場所でした。ところが、卑しい欲張りがいて、壟断(切り立ったような高い位置)に登って左右を見まわしたのです。普通は地面に自分の売り物を並べて交換するのですが、高所から見ると、良い物を売っている人をいち早く発見できます。そのような連中は、生活に必要な物を仕入れに来たのではなく、営利を上げるために来ているのです。何と嫌らしいことかと人々がこれを非難し、政府もこれに征(税のこと)を掛けることにしたのです。」 という意味だ。つまり、孟子は、自分はこんな卑しい欲張りではない、と言いたいのだ。「利益を壟断する」という用法はここからきている。 そして、孟子はいよいよ斉を去る旅に出た。その折、孟子は昼という場所に三日も留まった。一度宣王の申し出をきっぱりと断っておきながら、まるで宣王の使いが来るのを待つかのようにゆっくり進むことが、孟子の評判を下げたようであった。斉の尹子と言う人物は孟子に憧れており、自分のことをますらおだと自負していた。だからこそ、昼に三日も逗留した、という話を聞いて、大きく失望した。 「俺は孟子を見損なった。面白くもない」 と尹子は言った。その話を弟子の高子から聞いた孟子は 「尹子という者は、俺を理解できていないのだ」 と言った。そして、 予、三宿して昼を出づるも、予が心に於ては猶お速しと以為へり。王よ庶幾はくは之を改めよ。王如し諸を改むれば、則ち必ず予を反さん。夫れ昼を出ずるも王は予を追わざりなり。予、然る後に浩然として帰るの志有り。予、然ると雖も豈に王を舎てんや。 と言った。 「三日で昼を出たのは早すぎるくらいだ。もしも宣王があの後思い直して使者を送ってくれば、私は喜んで引き返す。すると、斉の民は豊かになる。もしも、あの後使者が来なくても、私は宣王を捨てない。それを考えると、王の使者が来るのが待ちどうしい」 という意味である。それを聞いた尹子は 士は誠に小人なり と嘆いた。 孟子の思想 性善 その名の通り、人間は生まれながらにして善であるという思想(性善説)である。 当時、墨家の告子は、人の性には善もなく不善もなく、そのため文王や武王のような明君が現れると民は善を好むようになり、幽王や厲王のような暗君が現れると民は乱暴を好むようになると説き、またある人は、性が善である人もいれば不善である人もいると説いていた。これに対して孟子は、「人の性の善なるは、猶ほ水の下(ひく)きに就くがごとし」(告子章句上)と述べ、人の性は善であり、どのような聖人も小人もその性は一様であると主張した。また、性が善でありながら人が時として不善を行うことについては、この善なる性が外物によって失われてしまうからだとした。そのため孟子は、「大人(たいじん、大徳の人の意)とは、其の赤子の心を失わざる者なり」(離婁章句下)、「学問の道は他無し、其の放心(放失してしまった心)を求むるのみ」(告子章句上)とも述べている。 その後、荀子(じゅんし)は性悪説を唱えたが、孟子の性善説は儒教主流派の中心概念となって多くの儒者に受け継がれた。 孟子と荀子 孟子の対立思想として、荀子の性悪説が挙げられる。しかし、孟子は人間の本性として「#四端」があると述べただけであって、それを努力して伸ばさない限り人間は禽獸(きんじゅう/けだものの意)同然の存在だと言う。決して人間は放っておいても仁・義・礼・智の徳を身に付けるとは言っておらず、そのため学問をして努力する君子は禽獸同然の人民を指導する資格があるという主張となる。一方、荀子は人間の本性とは欲望的存在であるが、学問や礼儀という「偽」(こしらえもの、人為の意)を後天的に身に付けることによって公共善に向うことができると主張する。すなわち、両者とも努力して学問することを通じて人間がよき徳を身に付けると説く点では、実は同じなのである。すなわち「人間の持つ可能性への信頼」が根底にある。両者の違いは、孟子が人間の主体的な努力によって社会全体まで統治できるという楽観的な人間中心主義に終始したのに対して、荀子は君主がまず社会に制度を制定して型を作らなければ人間はよくならないという社会システム重視の考えに立ったところにある。前者は後世に朱子学のような主観中心主義への道を開き、後者は荀子の弟子たちによってそのまま法家思想となっていった。 四端 孟子は人の性が善であることを説き、続けて仁・義・礼・智の徳を誰もが持っている4つの心に根拠付けた。 その説くところによれば、人間には誰でも「四端(したん)」が存在する。「四端」とは「四つの端緒」という意味で、それは「惻隠」(他者を見ていたたまれなく思う心)・「羞悪」(不正や悪を憎む心)・「辞譲」(譲ってへりくだる心)・「是非」(正しいこととまちがっていることを判断する能力)と定義される。この四端を努力して拡充することによって、それぞれが仁・義・礼・智という人間の4つの徳に到達すると言うのである。だから人間は学んで努力することによって自分の中にある「四端」をどんどん伸ばすべきなのであり、また伸ばすだけで聖人のような偉大な人物にさえなれる可能性があると主張する。 仁義 孔子は仁を説いたが、孟子はこれを発展させて仁義を説いた。仁とは「忠恕」(真心と思いやり)であり、「義とは宜なり」(『中庸』)というように、義とは事物に適切であることをいう。 王覇 孟子は古今の君主を「王者」と「覇者」とに、そして政道を「王道」と「覇道」とに弁別し、前者が後者よりも優れていると説いた。 孟子によれば、覇者とは武力によって借り物の仁政を行う者であり、そのため大国の武力がなければ覇者となって人民や他国を服従させることはできない。対して王者とは、徳によって本当の仁政を行う者であり、そのため小国であっても人民や他国はその徳を慕って心服するようになる。故に孟子は、覇者を全否定はしないものの、「五覇は三王(夏の禹王と殷の湯王と周の文王または武王)の罪人なり。今の諸侯は五覇の罪人なり。今の大夫は今の諸侯の罪人なり」(告子章句下)と述べて5人の覇者や当時群雄割拠していた諸侯たちを痛烈に批判し、堯・舜や三王の「先王の道」(王道)を行うべきだと主張したのである。 民本 孟子は領土や軍事力の拡大ではなく、人民の心を得ることによって天下を取ればよいと説いた。王道によって自国の人民だけでなく、他国の人民からも王者と仰がれるようになれば諸侯もこれを侵略することはできないという。 梁の恵王から利益によって国を強くする方法について問われると、孟子は、君主は利益でなく仁義によって国を治めるべきであり、そうすれば小国であっても大国に負けることはないと説いた。孟子によれば、天下を得るためには民を得ればよく、民を得るためにはその心を得ればよい。では民の心を得るための方法は何かといえば、それは民の欲しがるものを集めてやり、民の嫌がるものを押し付けないことである。民は安心した暮らしを求め、人を殺したり殺されたりすることを嫌うため、もし王者が仁政を行えば天下の民は誰も敵対しようとせず、それどころか自分の父母のように仰ぎ慕うようになるという。故に孟子は「仁者敵無し」(梁恵王章句上)と言い、また「天下に敵無き者は天吏(天の使い)なり。然(かくのごと)くにして王たらざる者は、未だ之(これ)有らざるなり」(公孫丑章句上)と言ったのである。 孟子によれば、僅か百里四方の小国の君主でも天下の王者となることができる。覇者の事績について斉の宣王から問われたときも、孟子は、君主は覇道でなく王道を行うべきであり、そうすれば天下の役人は皆王の朝廷に仕えたがり、農夫は皆王の田野を耕したがり、商人は皆王の市場で商売したがり、旅人は皆王の領内を通行したがり、自国の君主を憎む者は皆王のもとへ訴えたがるだろう。そうなれば誰も王を止めることはできない、と答えている。もちろん農夫からは農業税、商人からは商業税、旅人からは通行税を得て国は豊かになり、また人民も生活が保障されてはじめて孝悌忠信を教え込むことができるようになる。孟子の民本思想はその経済思想とも密接に関連しており、孟子が唱えた「井田制」もこのような文脈で捉えられるべきだろう。 しかし、これは当時としては非常に急進的な主張であり、当時の君主たちに孟子の思想が受け入れられない原因となった。孟子は「民を貴しと為し、社稷之(これ)に次ぎ、君を軽しと為す」(盡心章句下)、つまり政治にとって人民が最も大切で、次に社稷(国家の祭神)が来て、君主などは軽いと明言している。あくまで人民あっての君主であり、君主あっての人民ではないという。これは晩年弟子に語った言葉であると考えられているが、各国君主との問答でも、「君を軽しと為す」とは言わないまでも人民を重視する姿勢は孟子に一貫している。絶対の権力者であるはずの君主の地位を社会の一機能を果たす相対的な位置付けで考えるこのような言説は、自分たちの地位を守りたい君主の耳に快いはずがなかったのである。 天命 孟子自身は「革命」という言葉を用いていないものの、その天命説は明らかに後の革命説の原型をなしている。 孟子によれば、舜は天下を天から与えられて天子となったのであり、堯から与えられたのではない。天下を与えられるのは天だけであり、たとえ堯のような天子であっても天命に逆らって天下をやりとりすることはできない。では、その天の意思、天命はどのように示されるのかといえば、それは直接にではなく、民の意思を通して示される。民がある人物を天子と認め、その治世に満足するかどうかによって天命は判断されるのである。 また、殷(商)の湯王が夏の桀王(けつおう)を追放し、周の武王が殷の紂王(ちゅうおう)を征伐したことも、臣下による君主への弑逆には当たらないとした。なぜならば、いくら桀紂が天子の位にあったとはいえ、仁義のない「残賊」にすでに天命はなく、ただの民と同じだからである。 このように、孟子の天命説は武力による君主の放伐さえも容認するものであった。しかしながら、孟子は革命の首唱者であっても革命家ではなかった。その天命説も放伐を煽動するのではなく、むしろ規制するためのものであったといえるだろう。 天子の位は、かつては代々賢者から賢者へと禅譲されていたが、禹(う)が崩ずると賢者の益でなくその子啓が位を継ぎ、以後今日まで世襲が続いている。これは禹の時代になって徳が衰えたからなのではないか、という弟子の萬章の問いに対し、孟子は明確にこれを否定している。孟子によれば、位を賢者が継ぐか子が継ぐかはすべて天命によるものであり、両者に優劣の差はない。孟子は孔子の言を引いて「唐・虞は禅(ゆず)り、夏后・殷・周は継ぐも、其の義は一なり」(萬章章句上)と述べている。そのため、位を世襲しながら天によって廃されてしまうのは、必ず桀紂のような「残賊」だけだとされる。 孟子が湯武の放伐を正当化したのは、あくまでそれが天命によってなされたからであり、もし天命によっていなければ、つまり君主が不仁不義でなければただの簒奪となる。周王室の力が衰え、各地で君主が臣下に国を乗っ取られる乱世にあって、孟子はその下剋上に道徳性を求めたと見るべきだろう。 このことはルソーの社会契約論と酷似している 後世の評価 以下は、中国語版ウィキペディアからの引用。 孟子は儒家の最も主要な代表的人物の一人である。しかし、中国において、孟子の地位は宋代以前にはあまり高くなかった。中唐時代に韓愈が『原道』を著して、孟子を戦国時代の儒家の中で唯一孔子の「道統」を受け継いだという評価を開始し、こうして孟子の「昇格運動」が現れた。以降孟子とその著作の地位は次第に上昇していった。北宋時代、神宗の熙寧4年(1071年)、『孟子』の書は初めて科挙の試験科目の中に入れられた。元豊6年(1083年)、孟子は初めて政府から「鄒国公」の地位を追贈され、翌年孔子廟に孔子の脇に並置して祭られることが許された。この後『孟子』は儒家の経典に昇格し、南宋時代の朱熹はまた『孟子』の語義を注釈し、『大学』、『中庸』と並んで「四書」と位置付け、さらにその実際的な地位を「五経」の上に置いた。元代の至順元年(1330年)、孟子は加えて「亜聖公」に封じられ、以後「亜聖」と称されるようになり、その地位は孔子に次ぐとされたのである。 孔子(武人の子)や、後代の朱熹・王陽明らと異なり、孟子は武人ではなく、兵学を修めず、軍事指揮経験がなく、著作には六芸など実学的教養への言及がない。「孟母三遷」の伝承は、それが事実なら、孔子が君子の教養として弟子たちに修養を勧めた「六芸」を著しく侮辱するものであり(墓地における礼は六芸の第一、市場における数は六芸の第六だが、孟母はこれを賤業と見下した)、孟子は孔子たちがもっとも嫌悪したであろうステレオタイプの差別主義者・出世主義者の母親によって育てられたことになる。上述のように、孟子の天命説(革命説)そのものは、孔子の著作にもその萌芽があって、それを発展させて論となしたことは必ずしも孔子の道統を逸脱するものではなかったが、日本の一姓相伝(万世一系)的な国体観と合致しない。そのため、中国の航海者たちの間には、明代の「有携其書(孟子)往者舟即覆溺」(五雑俎)などのように、孟子を積んで日本に向かう船は沈むという伝承があった。日本においても、孟子の地位は江戸時代以前はあまり高くなく、むしろ忌避されていたのである。日本の元号は宗教上・産業上の瑞祥を除き、基本的に四書五経を出典とするが、四書五経の中の『孟子』に由来する元号はいまだかつて存在しない。 日本では、林羅山、徳川家康、伊藤仁斎、上田秋成、佐藤一斎、吉田松陰、西郷隆盛、北一輝らが熱読したことで知られる。 孟廟 孟子の出身地である山東省鄒城市の南郊には、孟子を祭祀する孟廟が建てられている。別名を亜聖廟ともいい、南北に長い長方形で、五進の門を持ち、殿宇は64間あり、敷地面積は4万平方メートルを超える。正殿を亜聖殿といい、現存のものは清の康熙年間に地震で傾いた後に再建されたもので、7間あり、高さ17m、幅27m、奥行き20mある。「曲阜の孔廟、孔林、孔府の拡大」として2008年3月にユネスコの世界遺産の暫定リストに入れられている。 朝鮮では、孟子は氏族の新昌孟氏の始祖とされる。日本においても、中国(または朝鮮)における孟子の子孫で医官であった孟二寛が、秀吉の朝鮮出兵の際に捕虜として日本に連行されて毛利氏・浅野氏に仕え、渡辺治庵と名乗り、その孫の武林唯七(隆重)が赤穂浪士に参加したという伝承がある。 書物としての『孟子』 書としての『孟子』は、上述のとおり儒教正典の四書の一つである。孟子が一生行った遊説や論争、弟子たちとの問答、及び語録の集成である。 書名は『毛詩』と区別するため「もうじ」と発音し、人名は「もうし」と発音するのが日本での習慣であったが、近年は書名の場合でも「もうし」と発音することが多い。 『孟子』の注を書いた後漢の趙岐は、『孟子』は孟子の引退後に、彼が弟子の公孫丑・萬章らと共に問答を集め、また規則の言葉を選んで編集したと記載している。武内義雄は孟子自撰説に反対し、孟子の門弟または再伝の弟子くらいの手記をあつめて編纂されたものとする。 「梁恵王章句上・下」 「公孫丑章句上・下」 「滕文公章句上・下」 「離婁章句上・下」 「萬章章句上・下」 「告子章句上・下」 「盡心章句上・下」 の七篇よりなる。 儒教倫理説の根本教義のひとつとされ、社会秩序の維持のため守るべき5つの徳として有名な「五倫の道」は滕文公上篇に記載されており、性善説の根拠たるべき道徳学説として知られる四端説は、公孫丑上篇に記されている。 なお『論語』は孔子が登場しない章も含まれていて、孔子本人と弟子たちの言行録となっているが、『孟子』は全章に孟子本人が登場する。 脚注 外部リンク 『孟子』 (原文、現代中国語版、英語版) 孟子を読む(『孟子』の原文と訳の電子化プロジェクト)(白文、現代語訳、解説) 紀元前4世紀中国の哲学者 紀元前3世紀中国の哲学者 紀元前4世紀中国の儒学者 紀元前3世紀中国の儒学者 中国の政治哲学者 言語哲学者 戦国魏の人物 稷下の人物 中国の紙幣の人物 済寧出身の人物 紀元前370年代生 紀元前289年没 田斉の人物 新昌孟氏
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%A4
バンダイ
株式会社バンダイ()は、バンダイナムコグループの玩具、模型、既製服(アパレル)、生活用品等を手がけるメーカー。「変身」や「妖怪」を商標登録している。コーポレート・メッセージは「夢・クリエイション」。 概要 企業系列 かつては三和グループのメンバーであり三和系企業で設立されたみどり会のメンバーだったが、2005年、ナムコとの経営統合後にみどり会を退会した。 日本国外での展開 バンダイグループは、日本国外において、現地の人気キャラクターを盛んに玩具化し、「新 キャプテン・スカーレット」や「バットマン」、「ベン10」などの玩具が現地の子会社を通じて発売されている。 1990年代にスーパー戦隊シリーズを日本国外向けにした作品である「マイティ・モーフィン・パワーレンジャー」の玩具をアメリカを始めとする日本国外で発売し、大成功を収めた。以後、『ニンジャスティール』までのパワーレンジャーシリーズの玩具を毎年、発売していたが、2019年4月1日をもってサバン・ブランドとの契約終了により『ビーストモーファーズ』以降の同シリーズの玩具販売はハズブロへ移行した。 2000年代以後はそれらに加えて、現地のキャラクターをアニメ化して展開している。アメリカではアメリカングリーティング社が開発したグリーティングカードのキャラクターである「ストロベリーショートケーキ」を、ヨーロッパではフランスの絵本を題材とした「ベルフラワーバニーズ」などをアニメ化している。 2010年代はアジアでのメディアミックス戦略にも力を入れ、インドネシア向けに石森プロと共同開発した等身大特撮ヒーロー「ガルーダの戦士ビマ」を展開している。これを受け2014年には現地法人BANDAI NAMCO INDONESIAを設立した。この他「アイカツ!」も韓国や台湾、香港、インドネシアでアニメと関連玩具を展開している。 「マイティ・モーフィン・パワーレンジャー」の成功に合わせて、ガンダムシリーズなどの日本のキャラクターの玩具も日本国外で発売を行っている。 歴史 1950年代  創業者、山科直治(1918年 - 1997年10月28日)の義兄久々津一夫が経営する繊維会社「萬代産業」の玩具製造子会社「萬代屋」として浅草にて創業。「萬代」(万代)とは武経七書の一つに数えられる兵法書「六韜」に登場する語の「萬代不易」(永久不変の意)に由来し、創業者の山科直治が「いつの世も人の心を満たす物を作り、絶えない企業の発展を願う」という意味だとしている。 当初は萬代産業の余りの布切れで作った人形を販売。その後、1950年初の自社製品のゴムまり「リズムボール」発売、「B26ナイトプレイン」が50万個以上のヒットになり、これ以降、金属玩具を主力とするようになる。輸出が中心で国内には輸出の余りを販売しており、玩具業界では評判が悪かったが国内向けの玩具開発をてがけるようになる。創業〜1960年代当時は、教育のバンダイと言われた。 1960年代 1961年、社名を萬代屋からバンダイに変更する。玩具メーカーとしては後発であり旧来の玩具業界から反発が強かったため、同じく後発のタカラ(現・タカラトミー)とエポック社と組んで1961年に「玩具三社会」を設立。三社共同の玩具見本市を開催したり、新入社員の研修を合同で行うようになる。後にトミー(現・タカラトミー)とニチガンと学習研究社(現・学研ホールディングス)が加わり「玩具六社会」になる。 1960年代半ばより「クレイジーフォーム」「わんぱくフリッパー」「サンダーバード」などのヒットにより大手に成長する。しかし1968年に提唱した「無返品取引」が「バンダイは返品負担を問屋に押しつけるんだ!」と玩具流通業界の反発にあう。さらに「キャプテンスカーレット」の失敗により、「バンダイ倒産近し」という「黒い噂」が生まれる。それと共にバンダイ不買運動が起こる。 こうした騒動は「無返品取引」を撤回し、さらに「キャプテンスカーレット」の売上不振で倒産した今井科学(イマイ)の業務をバンダイが引き継ぐことで終息した。 1970年代 1960年代の版権違反問題で大失敗し版権協会から追放され、業績が落ち込んでいたところ、東映の渡邊亮徳が『仮面ライダー』を作る際にバンダイの救済も兼ねる形で、バンダイに子会社を設立させた。それが1971年発足のポピーである。以後ポピーがキャラクター玩具を担う形となり、東映と関係を深めて行きキャラクタービジネスを主軸としたマーチャンダイジングを推進していった。1970年代にポピーは急成長し、売上でバンダイ本社を抜くようになり、ポピー社員はバンダイ社員の羨望をうけることになる。ポピーがバンダイ本社に合併されるまではバンダイ本社はほとんどキャラクター玩具を扱っていなかったため、現在のバンダイのキャラクター玩具はポピーが基盤となっている。 1967年に経営破綻した模型メーカーのコグレのプラモデルの金型を買い取ったことから本社内に模型部を発足。前述の今井科学の静岡工場と金型と社員を買収して、1971年に子会社のバンダイ模型を設立。静岡県の清水工場を拠点にバンダイ模型が企画開発と生産を行い、本社の模型部が営業と販売を行う体制となる。 旧今井製品の再版を土台にスタートしたため「バンダイは倒産した会社の金型を使っている」と業界内での評価は悪く、新製品の開発が急がれミリタリーや自動車の模型などを開発する。特に1/48機甲師団シリーズは手頃な価格と内部構造の再現で、1970年代前半は田宮模型の1/35ミリタリーミニチュアシリーズと並ぶ人気商品となる。また1970年代中頃の一時期、米国モノグラム社の販売代理店となり、同社の優れた1/48航空機キットを全国に低価格で供給した。同じ頃東映の大ヒット映画「トラック野郎」の版権を取得し、主人公の乗った11tトラック「一番星」をモデル化。当初得意の1/48スケールの販売だけだったが、後に全長55センチの超大型1/20スケールのものを発売、25年以上経った現在も販売を継続している。 1977年冬に発売した宇宙戦艦ヤマトでは1/500、1/700等キャラクター系キットに対する初のスケール表示の導入や、艦首を広げたディフォルメモデル、主役メカだけでなく脇役メカや悪役側メカもシリーズに加えるなどの商品展開のディスプレイキットが大ヒットした。それまではゼンマイやモーター駆動による「玩具」色が強かったキャラクター系キットがディスプレイキット主体に転換される結果となった。その商品展開は機動戦士ガンダム関連キット(通称「ガンプラ」)に継承されて1980年代以降の爆発的ヒットにつながり、プラモデルの取扱はキャラクター系キットに特化され、数多くのヒット商品を産み出した。 1978年には、宇宙戦艦ヤマトと超合金ブームの人気を受け、ブルマァクの倒産により商品ライセンスを失った円谷プロダクションのウルトラシリーズ商品ライセンスを獲得する。以後、バンダイのウルトラシリーズは大ヒットしていった。 ポピーは東宝のゴジラシリーズ等の特撮怪獣映画、ウルトラシリーズ等の円谷プロの特撮、そして仮面ライダーシリーズ・スーパー戦隊シリーズ・80年代に始まるメタルヒーローシリーズ等の東映の特撮・アニメをはじめとした、作品の世界観やキャラクターを使用した玩具・雑貨・既製服などを商品化する「キャラクターマーチャンダイジング」ビジネスを得意としていた。仮面ライダーとスーパー戦隊とメタルヒーローでは当初から玩具を手がけていた。 番組企画当初より登場キャラクターのデザイン等への参加および介入することでおよそ1年間の商品販売計画を策定しており、現在のキャラクター玩具ビジネスの基本ラインは、同社のスタイルを踏襲したものが多い。 1980年代 1980年に山科直治は35歳の長男・山科誠に社長職を譲り会長職に退いた。この時期、バンダイグループは玩具業界一位にまで成長しており、山科直治は「勝負はついた」という趣旨の発言をしている。 山科誠は出版社の編集者を志望していたが、その志望が叶えられなかったことと前述の「黒い噂」の払拭に努めていた時期の山科直治の「長男を入社させるくらいだからバンダイは大丈夫なんだ」というアピールとしてバンダイに入社した。このため玩具事業には興味を持たず、文房具、アパレル、菓子、映像、音楽、パソコン、アミューズメントなど事業の多角化に進むことになる。これは表面上は少子化で玩具事業の成長が見込めないためとされたが、山科誠が玩具事業にいる古参社員を煙たがったためともされている。 一方、1980年代の玩具業界は成長が頭打ちになり、限られたパイを巡って競争が激化、玩具メーカーの倒産も相次ぎ、前述の「玩具六社会」は1984年に解散した。その中でゲーム会社は急成長し任天堂やセガはバンダイの売上を追い抜いた。 この流れに対応し1980年代中盤には独自のテレビゲーム機の販売を行うもファミリーコンピュータ(ファミコン)をはじめとする他社ハードのサードパーティーとしてソフトの製造・販売を手がけるようになる。「なぜ、ファミコンをするのか?」と言われたものの、ファミコン参入第1弾「キン肉マン マッスルタッグマッチ」のヒットで軌道に乗った。 1982年にガンプラの販売において「ヤミ再販」(メーカーが価格を決め、流通業者にそれを守らせること)と「抱き合わせ販売」(ガンダム以外の商品も買わないとガンダムを売らない)を行い守らなかった場合には出荷停止を行ったことが独占禁止法違反にあたるとしてバンダイとポピーは公正取引委員会の立入検査を受けた。1983年に公正取引委員会のヤミ再販排除の勧告を受諾する。しかしもう一つの問題である「抱き合わせ販売」については不問となった。 1983年に株式上場に向けバンダイ本社を存続会社としてグループ8社の合併を行った。 1986年に玩具メーカーとして初めて東証2部上場を果たした。これにより社員たちの中にあった「所詮、俺たちは下町のおもちゃメーカーじゃないか」という卑下する気持ちが払拭できたとある。 なお山科直治は第二次世界大戦で中国に出征しており、「戦時中の贖罪」として1985年に中国福建省に日中合弁会社・中国福萬(福建)玩具有限公司を設立。ビジネス上の狙いとしては、円高で日本国内での玩具製造のコストが上がったため、円高の影響がない中国で製造しようということである。これ以降、バンダイは海外生産の比率を上げていくことになり、現在では9割が海外生産である。 1989年の第39回創立記念式典で山科誠は「バンダイランド」の構想を語った。これは、ディズニーを手本としたレジャー施設の構想である。また多角化を一層押し進め、玩具会社から脱皮し、ディズニーのような総合エンタテインメント企業を目指すことも語られた。この「日本のディズニー」という目標は現在のバンダイでも継承されている。同年、提携していたコアランドテクノロジー株式会社を子会社化し、商号を株式会社「バンプレスト」に変更、杉浦幸昌が初代社長になった。ただしこの際に、人的に相当な流出入の変化があったため、バンプレストとコアランドテクノロジーの関係は法人格を引き継いだだけの関係にすぎないと捉える向きもある。 1990年代 海外では1993年にアメリカ版スーパー戦隊のパワーレンジャーが大ヒットをとばす。しかし前述のようにゲーム機で任天堂やセガに後れをとったと考えたバンダイは1994年に「プレイディア」、1996年に「ピピンアットマーク」を販売するも失敗。これに加え、同時期の玩具事業の不振、スーパーファミコン用ソフトの不振により1997年3月期の連結決算は上場以来初の赤字となる見通しになった。 こうした経営不振から1997年、セガとの間で「セガバンダイ」として合併を行うと発表された。これに関してセガの中山社長は「ピピンが成功していたら合併はなかったろう」としている。逆にセガが弱い低年齢向けのキャラクターで強みがあるバンダイとの合併はセガにとってはメリットがあった。また当時、セガはライバルのSCEにゲーム機戦争で負けつつあり、この合併は「敗者連合」とされた。 しかしバンダイのたまごっちの大ヒットや、バンダイ社内からの反発も強く構想は破談になった。ただこの2要素が破談の「決定的要因ではない」としている。 セガの方が企業規模が大きいうえに「社風が米国流でドライ」であったため、合理化の名の下にリストラ(解雇)の懸念があったのである。またバンダイ系列の問屋を統合して誕生したハピネットでは存続会社のトウショウ社員ばかりが優遇されていた「ハピネットの悪夢」も強く想起され、合併の存続会社がセガである以上、リストラされなかったとしてもバンダイ社員は不遇になるものと思われた。さらに、かつてのバンダイでは考えられなかったが、一流上場企業の社員としての誇りが「セガバンダイ」の名前に強く反発した。また合併反対派が山科直治を取り込んだことも影響した。 この時の責任を取り、山科誠は社長職を辞任して会長に退くも後任の茂木隆は山科誠派で、「山科体制」は維持された。 セガとは合併破談後も業務提携が続けられ、バンダイはしばらくの間、セガのゲーム機向けのソフトを優先的に開発することとなる。 ピピンの事業はその後も続けられたが1998年に撤退、同事業をてがけていたBDE(バンダイ・デジタル・エンタテインメント)は解散する。これに伴って特別損失270億円を計上。このためたまごっちのヒットにより1998年3月期の連結決算は2882億円と過去最高であったにもかかわらず、単独決算では赤字に転落した。 さらにたまごっちの大ブームの終息を見極められず、大量の在庫を抱えてしまい、1999年3月期では単独決算、連結決算ともに赤字になる。単独決算は2期連続の赤字である。この責任を取り、茂木隆は退職。山科誠も名誉会長職に退き、「山科体制」は崩壊した。 1999年に山科誠が推進した多角化を放棄し、赤字事業を清算するためにバンダイ入社三年目の高須武男が社長に就任。高須が「泥をかぶった」形で事業の整理が始まる。彼の就任中に音楽、映像、海外販社などの事業は撤退ないし縮小することになる。玩具事業に不慣れな高須武男を山科直治時代からの「大番頭」である杉浦幸昌が会長職から支援した。 同年には携帯ゲーム機市場における任天堂の一強体制を打破すべく、携帯ゲーム機「ワンダースワン」を投入して、一定の成功を収める。 2000年代以降 2002年に長さ方向の寸法を短縮した鉄道車両のショーティーモデルの塗装済みキットである「Bトレインショーティー」を発売。同様の鉄道模型に近い商品としてNゲージと同じ縮尺で先頭車両をリアルに模型化した食玩「スタートレイン」やレール幅がZゲージより小さい電池駆動のスケールモデル「ZZ TRAIN」も「Bトレインショーティー」と前後して発売されている。 2003年3月期の連結決算で営業利益と経常利益が過去最高を達成。本物のドラえもんを作る「リアル・ドリーム・ドラえもん・プロジェクト」を開始。一方、2000年に「ワンダースワン」の後継機として登場した「ワンダースワンカラー」は「ファイナルファンタジーシリーズ」が携帯ゲーム機で初めての投入もあってそこそこの人気を得るも、人気ソフトの不足や、任天堂の「ゲームボーイアドバンス」による攻勢によってジリ貧に陥り、2003年に携帯ゲーム機のハード開発から事実上の撤退を表明している。 杉浦幸昌は定年65歳の内規に従い会長職を辞した。彼の引退を記念して以前社長を務めたバンプレストの本社があった千葉県松戸市にあるビルを改装し、バンダイミュージアムとして開館。前述の「バンダイランド」の構想を持っていた同社としては不満の残るものだったものの、特撮ヒーロー関連の展示やガンダムの世界観に基づいた博物館とバーを運営するなどした。2006年8月31日に閉館。2007年4月28日、栃木県壬生町におもちゃのまちバンダイミュージアムとして装いも新たに開館。 また文化事業にも熱心な所を見せ、バブル崩壊後各社が活動を縮小する中で、世界有数のトイ・コレクションを藤田文化財団から譲り受け、軽井沢ワールドトイミュージアム(現在閉館)と栃木県壬生町の新バンダイミュージアムで公開している。同ミュージアムでは19世紀の蒸気機関模型や20世紀初頭の炭鉱模型が展示されている。また、バンダイミュージアムでは玩具だけでなく、エジソンの発明品が一堂に展示されている。 2004年4月、本社ビルを現在の場所へ移転する。この新社屋のエレベーターは4基あり、それぞれバンダイが商品化しているキャラクターの声(まめっち、仮面ライダー1号、アンパンマン、アムロ・レイ)がアナウンスするというユニークな作りになっている。 2005年9月、それまで業務提携などを行ってきたナムコと共同で持株会社を設立し経営統合。前述の高須武男の手腕により「経営は万全」とした上での統合である。持株会社・バンダイナムコホールディングスの子会社となった。この経営統合で誕生した総合アミューズメント(AM)事業グループバンダイナムコグループは、現在AM業界では任天堂、セガサミーグループに次ぐ第3位の事業規模を誇る。この時は「セガバンダイ」の時と違い、「バンダイナムコ」の名前に対する反発はほとんどなかった。 2006年3月1日、旧イマイ時代からプラモデルを生産していた静岡市清水区の静岡ワークスから静岡市葵区の新工場に移転し、「バンダイホビーセンター」として稼動を開始。開発・設計・金型・生産という、ガンプラに関わる営業とプロモーション以外の分野をまとめて担当し、開発から生産までを施設内に一括することで生産効率と品質の向上が図られている。3月31日、バンダイナムコグループの事業再編の一環として、家庭用ビデオゲーム事業部門をナムコを母体としたゲーム事業部門「バンダイナムコゲームス」へ統合(旧・バンダイゲーム事業部門が手がけるゲームは、2014年まで「バンダイ」レーベルで発売していた)。ちなみに、「アドバンスピコ・ビーナ」(セガトイズ)のサードパーティに関しては、電子玩具としているため、引き続き当社が担当している。それ以降、バンダイは主にトイホビー事業専門の会社組織となった。6月、ウィルコムのW-SIMを使い、子供向けPHS、「キッズケータイpapipo!」を発売した。1997年発売の「たまぴっち」以来のPHS端末の発売であり、これまで発売してきた「メルプチ」の発展版になる。 2008年4月1日、バンダイナムコゲームスがバンプレストを吸収合併しゲームソフト事業とアミューズメント機器事業を継承、プライズ事業(UFOキャッチャーなどの景品の開発・販売)は新会社バンプレストを設立し継承。 2009年4月1日、当社運営のバンダイレーベル専用サイトは、バンダイナムコゲームス公式サイトに統合され、統合前に発売されたゲームタイトルだけは知的財産権も自社で管理していたが、それと同時にバンダイナムコゲームスに引き継がれた。また、バンダイレーベルのゲームタイトルのCMは企業としてのバンダイのCMで製作されていたが、それ以降からバンダイレーベルもバンダイナムコゲームスの自社CMに移行したため、ゲーム事業から完全に撤退した。4月20日、公式ショッピングサイト「プレミアムバンダイ」を開設。一般流通では販売しづらい商品や大人用アパレル商品などを中心にさまざまな商品展開を実施している。 2018年2月9日、バンダイナムコグループの再編が発表され、ホビー事業部並びにコレクターズ事業部が手がけているハイターゲット向けの玩具、プラモデルの企画・開発・製造・販売などの事業を同年4月1日付で新会社BANDAI SPIRITSへ移管したため、同時にバンダイはトイ事業カンパニー(トイ戦略室、ボーイズ事業部、ガールズ事業部、プリスクール事業部)、ベンディング事業カンパニー(ベンダー事業部、カード事業部)、ライフ事業カンパニー(キャンディ事業部、アパレル事業部、ライフ事業部)の社内カンパニー制を導入した。 沿革 1950年 - 山科直治が株式会社萬代屋を設立し、社長に就く。 1961年 - 商号を株式会社バンダイに変更。バンダイ、タカラ、エポック社で「玩具三社会」設立。1965年まで「三社会見本展示会」を東京都内で開催。 1963年 - バンダイ運輸を設立。玩具三社会にトミー工業と日本玩具株式会社(ニチガン)が加わり、「玩具五社会」になる。運輸部がバンダイ運輸(後のバンダイロジパル)として分社化。バンダイ初のテレビキャラクター商品鉄腕アトムを発売。 1965年 - バンダイ創立15周年。会社創立時の「B」ロゴから祝意をモチーフにした『バンザイ』ロゴを導入。 1967年 - 経営破綻した模型メーカーのコグレの製品金型を買い取って模型市場へ参入。玩具五社会に学習研究社が加わり「玩具六社会」になる。 1969年 - 経営不振に陥った模型メーカーの今井科学の工場と金型を譲り受ける。 1970年 - バンダイ創立20周年。ジャパン・トンカ設立。 1971年 - ポピー(ボーイズトイ事業部およびコレクターズ事業部の源流)、バンダイ模型(ホビー事業部の源流)を設立。仮面ライダー『変身ベルト』発売。この変身ベルトは、現在以降も継続されている。 1972年 - 『超合金マジンガーZ』発売。 1975年 - バンダイ創立25周年。 1976年 - 「うごく絵本」で出版事業に進出。 1977年 - 『ガシャポン』発売(カプセル玩具自販機に参入) 1978年 - バンダイ出版設立。『ウルトラシリーズ』の商品ライセンスを獲得。玩具自動販売機事業に進出。 1980年 - バンダイ創立30周年。山科直治が会長に退き、長男の山科誠(現:日本BS放送社長)が社長に就任。プラスチック製のガンダムプラモデル(ガンプラ)を発売し大ブームになる。ジャパン・トンカをマミートに名称変更。 1981年 - 玩具菓子事業に進出。 1981年〜1982年 - 世界各国に相次いで支社を設立する。 1982年 - 乗り物変形ロボット玩具シリーズ『マシンロボ』発売。エモーション ビデオ課設立(後のバンダイビジュアル)。 1983年 - バンダイを存続会社として、ポピー、バンダイ模型、バンダイ工業、バンダイオーバーシーズ、マミート、セレンテ、バンダイ出版の7社を吸収合併した新生バンダイがスタートする。これをきっかけにしてCIと、キャッチコピー「夢・クリエイション 楽しいときを創る企業(2018年3月末までメインスポンサーにおける提供時の読み)」を掲げる。映像ソフト販売子会社としてAE企画(Account Executive Planning、後のバンダイビジュアル)設立。アパレル事業部を設立。 1984年 - 『タマゴラス』が発売。ビデオ課がネットワーク フロンティア事業部として分社化。玩具六社会が解散。 1985年 - バンダイ創立35周年。ファミコンソフト『キン肉マン マッスルタッグマッチ』がミリオンセラーを記録。中国福建省に日中合弁会社・中国福萬(福建)玩具有限公司を設立。中国市場に進出。 1986年 - 東証2部に上場。資本金107億9600万円。ファミリートレーナーを発売。『子象物語 地上に降りた天使』で映画分野に進出。米玩具大手マテル社との共同出資でマーバ・コーポレーションを設立。バービーを販売。 1987年 - ウォルト・ディズニー・カンパニーと映像ソフト販売契約を結ぶ(1989年に契約終了)。『聖闘士星矢』聖闘士聖衣大系(セイントクロスシリーズ)がヒットする。タイに合併会社 BANDAI AND K.C. CO., LTD.を設立。ミサワホーム、日本公文教育研究会と共同で小型コンピューターの開発会社「コンピュータープレゼンス」を設立。 1988年 - 東証1部に上場。ネットワーク フロンティア事業部を吸収し、メディア事業部が発足。「森は生きている/12カ月のニーナ」でミュージカル事業に進出。 1989年 - AE企画がバンダイビジュアル販売と社名を変更。北野武監督のデビュー作『その男、凶暴につき』を制作。 1990年 - バンダイ創立40周年。文化放送からレコード会社、アポロン音楽工業を譲受し『株式会社アポロン』に社名変更 1991年 - バンダイビジュアル販売がバンダイビジュアルと社名を変更。バンダイ系列の玩具卸3社(トウショウ、セイコー、ダイリン)が合併、トウショウを存続会社にしハピネットに社名変更。 1992年 - メディア事業部の映像ソフト事業をバンダイビジュアルに統合。バンダイ運輸をバンダイロジパルに社名変更。クリスマスおもちゃプレゼント大賞が12月24日に毎年開催される。 1993年 - アメリカで『パワーレンジャー』関連商品が大ヒット。 1994年 - サンライズがグループ企業となる。プレイディアを発売。 1995年 - バンダイ創立45周年。アメリカに慈善事業であるThe Bandai Foundationを設立。 1996年 - 公式サイトを開設。ピピンアットマーク、『たまごっち』発売。バンダイ・シンガポール設立。株式会社アポロンをバンダイ・ミュージックエンタテインメントに社名変更(その後2000年に解散、音源はエモーションミュージックに承継し、現在はバンダイナムコミュージックライブが管理) 1997年 - ハイパーヨーヨー、デジタルモンスターを発売。たまごっちの爆発的ヒットにより多くの人々の労働時間を空費させることができたことに対して、企画・開発元のウィズと共同でイグノーベル賞の経済学賞を受賞。 1998年 - たまごっちが社会現象にまでなり売上高を大幅に伸ばしたが、機を逸した大増産で供給過多に陥り、ピピンアットマークの販売不振も重なったことで126億円に上る損失を計上し上場以来初の赤字となる。大人向けフィギュアS.I.C.発売。 1999年 - 高須武男(三和銀行・現三菱UFJ銀行出身)が社長に就任。携帯ゲーム機ワンダースワンを発売。 2000年 - バンダイ創立50周年。ワンダースワンカラーを発売。キャラクター研究所を設立。セイカノート(現・サンスター文具)がグループ会社になる。 2001年 - 葦プロダクションがグループ企業となる。※現在は資本関係を解消。 2002年 - ツクダオリジナル(後のパルボックス、現在はメガハウスに統合)がグループ企業に、『出撃!マシンロボレスキュー』としてマシンロボ復活。ガンダムコレクション(1/400スケール完成品フィギュア)発売。キャラクター研究所が開発した第1号キャラクター『くまのがっこう』の絵本がブロンズ新社から出版される。同年6月には、iモード開発者の松永真理を社外取締役に迎える。 2003年 - バンダイ初の企業博物館『バンダイミュージアム』を千葉県松戸市に開業(2007年に栃木県下都賀郡壬生町に移転) 2004年 - 新本社ビルに移転する。旧本社はバンダイ第2ビルに改称。「ドラえもん・ザ・ロボット」を発売。子会社のバンプレストが遊園地「浅草花やしき」を当時の運営会社トーゴから譲受。 2005年 - バンダイ創立55周年。社長に上野和典が就任。ピープルが株式公開(JASDAQ証券取引所に株式上場)を契機に、資本提携を行いグループ会社入りへ。ナムコと共同持株会社バンダイナムコホールディングスを設立、経営統合。データカードダス第1号『データカードダス ドラゴンボールZ』稼働。『神羅万象チョコ』発売。 2006年 - ビデオゲーム事業部をバンダイナムコゲームスへ移管。ウルトラシリーズ40周年、たまごっち10周年。 2007年 - データカードダス『大怪獣バトル ULTRA MONSTERS』稼働。 2008年 - TYOから円谷プロダクションの株式33.4%を取得。翌2009年には同社から株式15.6%を追加取得、持ち株比率49.0%になる。大人向けアクションフィギュア『S.H.Figuarts』発売。 2010年 - バンダイ創立60周年。変身するミニカー『ブーブ』発売。ネットカードダス第1号『プロ野球オーナーズリーグ』発売。子供向けキャラクターTシャツ『TPETS!』発売。 2011年 - 東日本大震災により、仙台工場が一時閉鎖。 2012年 - 新筐体「データカードダスNEO」をリリースし、同年にこの筐体を使用した『百獣大戦グレートアニマルカイザー』『アイカツ!』が稼働。『アイカツ!』はメディアミックスを展開し、人気コンテンツとなる。 2013年 - カード事業部、ベンダー事業部、ライフ事業部の3部門が東京スカイツリーイーストタワーに移転。 2014年 - レベルファイブ開発のゲーム『妖怪ウォッチ』関連商品を発売し、大ヒットする。 2015年 - バンダイ創立65周年。社長に川口勝が就任。 2018年 - 社内カンパニー制を導入。同時にフィギュア・プラモデル等のハイターゲット向け事業を分割し、BANDAI SPIRITSに事業譲渡。 2020年 - バンダイ創立70周年。 2021年 - 社長に竹中一博が就任。カンパニー制を廃止しディビジョン制に移行。 主な商品 キャラクター玩具 ガンダムシリーズ関連の玩具 ソフトビニール人形 ライダーヒーローシリーズ ムービーモンスターシリーズ ウルトラ怪獣シリーズ ウルトラヒーローシリーズ 変身ベルト 超合金 - 現在はトイ事業カンパニー取扱の製品のみ。 S.I.C. マスクコレクション ポケモンキッズ オリジナル玩具 マシンロボシリーズ ユニトロボーン タマゴラスシリーズ たまごっちシリーズ デジタルモンスターシリーズ プリモプエル ∞にできるシリーズ アニマギア トレーディングカード トレーディングカードアーケードゲームもここへ置く。 カードダス データカードダス バトルスピリッツ ドラゴンボールヒーローズ - トレーディングカードアーケードゲーム 超獣戯牙ガオロードチョコ その他 ガシャポン - カプセル自販機 スマートパンツ 化粧品 Creer Beaute(クレアボーテ)- ベルサイユのばらやルパン三世とのコラボ化粧品を販売している。 Pretty Holic(プリティホリック) - 『プリキュアシリーズ』の子ども向けコスメを販売している。 BANDAI SPIRITSへ移管された部門 キャラクター玩具 ガンプラ ROBOT魂 S.H.Figuarts 聖闘士聖衣神話 超合金 - 旧ホビー事業部取扱の製品のみ。 PROPLICA 鉄道模型 Bトレインショーティー 展開終了した商品 玩具 エアポートシリーズ ポピニカシリーズ ジャンボマシンダーシリーズ ピースメーカー プラデラシリーズ マシンロボシリーズ マシンロボ 600 CGロボ マシンロボレスキュー マシンロボ ムゲンバインシリーズ ムゲンバインビルド合体シリーズ デジロボ・トキマ 機甲錠人メタルジョー ロボット電卓・ロボロイド パズルカル(パズル電卓。1988年グッドデザイン賞・受賞。) テレビパワーシリーズ リアルロボットレボリューション レボルト 装着変身シリーズ - 現在はS.H.Figuartsへ移行 ウルトラコイン伝説 聖闘士聖衣大系 - 現在は聖闘士聖衣神話シリーズへ移行。 京本コレクション - 京本政樹監修のウルトラマン・仮面ライダーの巨大フィギュア ソフビ魂シリーズ ナックルファイター ディスクファイター パームトップウォーカー ワンダーボーグ B TRAIN(ビートレイン)、B TRAIN MINI(ビートレインミニ) - ダイキャスト成形の鉄道玩具 ミニミニレール トレジャーガウスト ヨーカイザー キーボッツ 超機甲爆走ロボトライ クラッシュギア バクシード 化石錬成ゼルゲノム 20Q スペースワープ VARSX スタートレイン Press Hard ant's life studio モービルタウン ハイパーヨーヨー 超造形魂 ケンダマクロス もじバケる ブーブ バトルブレイク ホンモノピラフレッスン あわ曜日 破幻のジスタ ここたまシリーズ メガブロック ガンダムシリーズ玩具 元祖SDガンダム タマロイド 超Cガンダム SDガンダムフルカラー MOBILE SUIT IN ACTION!! - 現在は「ROBOT魂」シリーズへ移行 テレビゲーム機 インテレビジョン(マテル社からの輸入販売) アルカディア 光速船 RX-78 GUNDAM(ゲームパソコン) てれびっこ プレイディア ピピンアットマーク ゲームソフト FC、FCD、GB、VB、GBA、DS、SFC、N64、GC、PS、MD、GG、SS、DC、PS2、3DO、Winなど ゲーム周辺機器 スーパーコントローラー(FC) スーパーコントローラー2(FC) ファミリートレーナー(FC) ファミリートレーナー吸音マット(FC) スーファミターボ(SFC) キッズステーション(PS) 電子ゲーム コンピュータ・ウォーゲームシリーズ - 複雑な計算を瞬時に判定するマイコン(専用の自動判定機)を使用した誰にでも手軽にシミュレーションを楽しめるタイプのゲームシリーズ。 01 02 03 ゴジラ GODZILLA LCD GAME DIGITALシリーズ テクトロンシリーズ サウンドバトラー ワンダースワン ワンダースワンカラー スワンクリスタル デジタルペット系ゲーム レジェンズ 陰陽闘神機 トレーディングカードゲーム ネットカードダス プロ野球オーナーズリーグ Panini Football League ガンダムデュエルカンパニー ガンダムウォー ガンダムウォーネグザ ガンダムトライエイジ - トレーディングカードアーケードゲーム クルセイドシステムカードシリーズ ミラクルバトルカードダス レンジャーズストライク 妖怪ウォッチ とりつきカードバトル 神羅万象チョコ - 食玩(カード入り菓子)であるが便宜的にここへ置く。 輸入玩具 主にバンダイアメリカ製品。 獣旋バトル モンスーノ キャプテンパワー(マテル) その他 8盤 デチョンパシリーズ - キャラクター型腕時計。 バンダイifシリーズ - ウォーシミュレーションゲーム バンダイDoシリーズ - テーブルトークRPG バンダイHOゲージ - HOゲージ鉄道模型のトータルセット。 ハコビジョン コンピュータゲームソフト 提供番組 90秒以上の筆頭提供番組でのスポンサー読みは、ポピー時代としては「お子さまに夢と勇気をと願う ポピー」(男児向け)、または「小さな心に夢とロマンをと願う ポピー」(女児向け)のいずれかで、バンダイグループが体制移行した際は「新しい子供文化を創造する バンダイグループ」で、ポピーと合併した1983年から2018年3月までは「楽しい時間(とき)を創る企業 バンダイ」、2018年度以降は「夢・クリエイション バンダイ」、クレジット表示は「 」。 ここでは、1983年に旧ポピーとの合併後に提供した(している)番組を記載する。⭐︎があるものは、旧ポピー時代から続行の番組(現在終了したものも含む)。 また、特記事項のない不定期での提供や再放送、独立局の番組は本項では省略している。 現在 2022年現在。 日本テレビ系列 それいけ!アンパンマン(一部地域除く) 読売テレビ制作土曜夕方枠のアニメ(一部の作品のみ) 僕のヒーローアカデミア テレビ朝日系列 クレヨンしんちゃん ニチアサキッズタイム プリキュアシリーズ(朝日放送テレビ制作) 仮面ライダーシリーズ(仮面ライダークウガ以降) スーパー戦隊シリーズ☆ TBS系列 日5(一部の作品のみ) 機動戦士ガンダム 水星の魔女 テレビ東京系列 おはスタ 妖怪ウォッチ♪ ウルトラシリーズ(ウルトラマン列伝以降) BORUTO-ボルト-NARUTO NEXT GENERATIONS(再放送を含む) SPY×FAMILY フジテレビ系列 デジモンゴーストゲーム ONE PIECE 過去 日本テレビ系列 キン肉マン ぴえろ魔法少女シリーズ 星銃士ビスマルク 忍者戦士飛影 結界師(読売テレビ制作) テレビ朝日系列 ドラえもん(番組自体は第2期として継続中)☆ メタルヒーローシリーズ☆ チンプイ 藤子不二雄ワイド→藤子不二雄ワールド 悪魔くん キャプテンパワー 美少女戦士セーラームーンシリーズ SLAM DUNK キューティーハニーF マシュランボー スティッチ! デジモンクロスウォーズ 暴れん坊力士!!松太郎 ワールドトリガー(第1期のみ) 朝日放送テレビ制作のアニメ とんがり帽子のメモル まじかる☆タルるートくん 夢のクレヨン王国 おジャ魔女どれみシリーズ 明日のナージャ 名古屋テレビ制作のアニメ 聖戦士ダンバイン 重戦機エルガイム 機動戦士Zガンダム→機動戦士ガンダムZZ 機甲戦記ドラグナー かいけつゾロリ→まじめにふまじめ かいけつゾロリ 古代王者 恐竜キング Dキッズ・アドベンチャー バトルスピリッツシリーズ トライブクルクル ヘボット! TBS系列 ウルトラシリーズ(ウルトラマンメビウスまで)☆ 仮面ライダーシリーズ(毎日放送制作、仮面ライダーBLACK RXまで)☆ さくらももこ劇場 コジコジ 毎日放送制作のアニメ 3丁目のタマ うちのタマ知りませんか? ガンダムシリーズ 機動戦士ガンダムSEED→機動戦士ガンダムSEED DESTINY 機動戦士ガンダム00 機動戦士ガンダムAGE 機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 交響詩篇エウレカセブン 呪術廻戦 テレビ東京系列 ぐリンちょリンぱリン ハローキティとバッドばつ丸→キティズパラダイスシリーズ 遊☆戯☆王デュエルモンスターズ(一時期のみ) ラブひな しあわせソウのオコジョさん NARUTO -ナルト- ケロロ軍曹 BLEACH 焼きたて!!ジャぱん ギャラリーフェイク うえきの法則 甲虫王者ムシキング〜森の民の伝説〜 創聖のアクエリオン ふしぎ星の☆ふたご姫→ふしぎ星の☆ふたご姫 Gyu! .hack//Roots ゼーガペイン 銀魂 出ましたっ!パワパフガールズZ デルトラクエスト(テレビ愛知制作) ケータイ捜査官7 ジュエルペットシリーズ たまごっち!シリーズ アイカツ! アイカツスターズ! アイカツフレンズ! アイカツオンパレード! アイカツプラネット! ガイストクラッシャー→ガイストクラッシャー ゴッド編 妖怪ウォッチ 妖怪ウォッチ シャドウサイド 妖怪ウォッチ! 妖怪学園Y 〜Nとの遭遇〜 ディスク・ウォーズ:アベンジャーズ マジンボーン かみさまみならい ヒミツのここたま→キラキラハッピー★ ひらけ!ここたま デジモンユニバース アプリモンスターズ ピカっと解決 ピカちんハンター→ポチっと発明 ピカちんキット フジテレビ系列 Dr.スランプ アラレちゃん☆ 東映不思議コメディーシリーズ(一部の作品除く)☆ 未来警察ウラシマン こちら葛飾区亀有公園前派出所 ドラゴンボール ドラゴンボールZ ドラゴンボールGT ドラゴンボール改 ドラゴンボール超 デジモンシリーズ デジモンアドベンチャー デジモンアドベンチャー02 デジモンテイマーズ デジモンフロンティア デジモンセイバーズ デジモンアドベンチャー: HUNTER×HUNTER(1999年版) 金色のガッシュベル!! トリコ のだめカンタービレ 鬼滅の刃(FNN全国ネットのみ) レ・ミゼラブル 少女コゼット(BSフジ) +Ultra BEASTARS BNA ビー・エヌ・エー 空挺ドラゴンズ キャロル&チューズデイ INGRESS THE ANIMATION 他多数 VTuber DJマロンとMCズイミー 2019年3月12日よりYouTubeバンダイ公式チャンネルとワンダースクールで活動を開始したバーチャルYouTuber。おもちゃ紹介やミニアニメも配信している。2019年12月3日より新キャラクターの声優オーディション募集。 ミニアニメ 電話サービス 1995年度から「バンダイこども電話サービス」がスタート。2009年度より「バンダイテレフォンサービス」に改称。2022年現在、男児向け特撮作品(スーパー戦隊シリーズ)や女児向けアニメ(プリキュアシリーズ)作品を中心に主人公が電話で登場している。かつては女児向けアニメとして、「美少女戦士セーラームーンシリーズ」や「夢のクレヨン王国」、「おジャ魔女どれみシリーズ」、「明日のナージャ」の主人公も電話で登場したことがある。 現在サービスを実施するキャラクター 2022年度 暴太郎戦隊ドンブラザーズ デリシャスパーティ♡プリキュア 過去にサービスを実施していたキャラクター 1995年度 超力戦隊オーレンジャー 美少女戦士セーラームーンSuperS 1996年度 激走戦隊カーレンジャー 美少女戦士セーラームーンセーラースターズ 1997年度 電磁戦隊メガレンジャー キューティーハニーF 1998年度 星獣戦隊ギンガマン 夢のクレヨン王国 1999年度 救急戦隊ゴーゴーファイブ おジャ魔女どれみ 2000年度 未来戦隊タイムレンジャー おジャ魔女どれみ# 2001年度 百獣戦隊ガオレンジャー も〜っと!おジャ魔女どれみ 2002年度 忍風戦隊ハリケンジャー おジャ魔女どれみドッカ〜ン! 2003年度 爆竜戦隊アバレンジャー 明日のナージャ 2004年度 特捜戦隊デカレンジャー ふたりはプリキュア 2005年度 魔法戦隊マジレンジャー ふたりはプリキュアMax Heart 2006年度 轟轟戦隊ボウケンジャー ふたりはプリキュアSplash Star 2007年度 獣拳戦隊ゲキレンジャー Yes!プリキュア5 2008年度 炎神戦隊ゴーオンジャー Yes!プリキュア5GoGo! 2009年度 侍戦隊シンケンジャー フレッシュプリキュア! 2010年度 天装戦隊ゴセイジャー ハートキャッチプリキュア! 2011年度 海賊戦隊ゴーカイジャー スイートプリキュア♪ 2012年度 特命戦隊ゴーバスターズ スマイルプリキュア! 2013年度 獣電戦隊キョウリュウジャー ドキドキ!プリキュア 2014年度 烈車戦隊トッキュウジャー ハピネスチャージプリキュア! 2015年度 手裏剣戦隊ニンニンジャー Go!プリンセスプリキュア 2016年度 動物戦隊ジュウオウジャー 魔法つかいプリキュア! 2017年度 宇宙戦隊キュウレンジャー キラキラ☆プリキュアアラモード 2018年度 快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー HUGっと!プリキュア 2019年度 騎士竜戦隊リュウソウジャー スター☆トゥインクルプリキュア 2020年度 魔進戦隊キラメイジャー ヒーリングっど♥プリキュア 2021年度 機界戦隊ゼンカイジャー トロピカル〜ジュ!プリキュア 参考文献 猪俣謙次、加藤智『ガンプラ開発真話 そして市場勢力図は塗り替えられた』メディアワークス、2006年 松本悟、仲吉昭治『俺たちのガンダム・ビジネス』日本経済新聞出版社、2007年 脚注 注釈 出典 関連項目 関連会社 バンダイナムコグループ BANDAI SPIRITS バンダイナムコエンターテインメント 東映 創通 バンダイナムコフィルムワークス(サンライズ) 関連施設など おもちゃのまちバンダイミュージアム 軽井沢ワールドトイミュージアム ガンプラビルダーズワールドカップ Side-B バンダム牧場(創業者の山科直治は、生前馬主としても活動し、また、北海道浦河町に牧場を開設し、オーナーブリーダーとしても活動していた) 道の駅ばんだい(2007年に福島県磐梯町の町長が同名のよしみで社長を訪問したことをきっかけに官民交流が行われたことから、館内にBANDAI製品のコーナーが設置され、大型のガンダムの立像も設置されている。) 提携企業など 三和銀行(三和グループの中核企業) 円谷プロダクション 小学館 マッグガーデン 横浜フリューゲルス(1993年から1998年にユニフォーム背番号スポンサー) Q ENTERTAINMENT 劇団飛行船 その他 小松崎茂 イグノーベル賞 王立宇宙軍 オネアミスの翼(山科誠がスポンサー) 外部リンク プレミアムバンダイ バンダイナムコグループ 1950年設立の企業 台東区の企業 日本の玩具メーカー 日本の模型メーカー 日本の鉄道模型メーカー 食玩 かつての携帯電話メーカー テーブルトークRPGに関係する企業 日本のコンピュータゲームメーカー・ブランド ロボット関連企業 三和グループの歴史 2005年の合併と買収
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書経
『書経』(しょきょう)は、中国古代の歴史書で、伝説の聖人である堯・舜から夏・殷・周王朝までの天子や諸侯の政治上の心構えや訓戒・戦いに臨んでの檄文などが記載されている。『尚書』または単に『書』とも呼ばれ、儒教の重要な経典である五経の一つでもある。 内容に違いがある2種類の本文が伝わっており、それぞれを「古文尚書」・「今文尚書」と呼んで区別する。現代に伝わっている「古文尚書」は由来に偽りがあることが断定されているので「偽古文尚書」とも呼ばれる。もともとの「古文尚書」は失われており、現代には伝わっていない。 名称 『書経』は、先秦時代には単に「書」と呼ばれるか、その内容の時代の名を冠して「夏書」「商書」「周書」と呼ばれるのが通例である。漢代に入って『尚書』の名が生じ、広く用いられるようになった。「尚」は「上」に通じる語であるが、その示す意味には古来以下の説がある。 後漢の馬融は、上古の有虞氏の書であることから、「尚書」の名がついたとする。 後漢の鄭玄は、天上・至上の書であることから、「尚書」の名がついたとする。 魏の王粛は、上(帝王)の言動を史官が記録した書であることから「尚書」の名がついたとする。 『書経』の名は、南宋に生じたもので、劉欽『書経衍義』や趙若燭『書経箋註精通』といった例がある。明代以後、『書経』という呼び名が普及した。現在は、『書経』と『尚書』の名が併用されている。 成立 『書経』は、現在の形として成立するまでに、非常に複雑な道筋を辿っている。古くから儒教の中で伝統的に唱えられてきた説がある一方で、「疑古」の風潮の中で近年の研究からも様々な説が生まれており、その成立の事情に関しては確固たる決着は見ていない。 原資料 『書経』のうち、最も古く成立したと考えられるのは、「周書」のうち西周の文王・周公の訓辞を記録した「五誥」(大誥・康誥・酒誥・召誥・洛誥)の部分である。これらは金文学・考古学の研究から、記録としての確実性も比較的高いことが示されている。但し、金文資料には見えない語句も多く、西周期の同時代資料とみなすことができるわけではない。また、「周書」以前の篇については、周代以後に創作(または脚色)されて作られたものであり、成立自体は先秦に遡るが、史実としての信頼性には欠けるとされる。この説は「加上説」と呼ばれ、顧頡剛・内藤湖南らによって唱えられた。 飯島忠夫は、「堯典」に四つの星、「鳥」「火」「虚」「昴」の記述があることに注目し、天体の位置を計算したところあてはまるのは堯の時代ではなく紀元前4世紀頃の戦国時代初期であると推測した。 全体の成立 『書経』には秦の穆公の記載があるため、全体が一書として成立したのは、早くても秦の穆公が在位を開始した紀元前659年以降である。 古来の通説では、儒教の聖人である孔子が唐虞から秦の穆公までの記録を編纂し、100篇からなる『書経』を作ったとされる。近年の研究では、これは史実であるとは認められないが、『論語』に『書経』の引用が見えることや、孔子の教学として「詩・書・礼・楽」が重視されたことから、孔子の時には何らかの原初的な『書経』は存在していたと考えられる。 『書経』の引用は、先秦の成立とされる書物(『国語』『春秋左氏伝』『孟子』『墨子』『荀子』など)に広く見受けられ、どのような形のものであるかは不明であるが、多くの学者によって『書経』が読まれていたことは確実である。特に、堯・舜・禹に関わる「堯典」「皋陶謨」「禹貢」の三篇は、儒教的古代観を形作る上で大きな役割を果たした。今文二十九篇の全体が、現在と似た形で成書した時期については、『孟子』より後、紀元前3世紀ごろであると考えられる。 伝来 先秦時代までに伝えられてきた『書経』は、秦の始皇帝の焚書によって一度失われた。その後、漢代に入り、「今文尚書」と「古文尚書」の二種が再発見され、再び『書経』が世に出ることとなる。 今文尚書 漢代になると儒教が復興し、経書の一つである『書経』も再び重視されるようになった。そのきっかけとなったのは、秦の博士であった伏生(伏勝)が、壁中に隠されていた29篇の『書経』を発見したことである。この『書経』は、漢代の通行字体である隷書体(今文)で書かれていたため、「今文尚書」と呼称される。伏生の一派による『書経』の解釈を示した書として『尚書大伝』があり、その一部が現在に伝わっている。 「今文尚書」は、斉魯において伏生から(字は和伯)・張生に伝えられ、欧陽生から兒寛、張生から夏侯都尉に伝えられた。以後も博士の間で伝授され、宣帝の時には・夏侯勝(大夏侯)・(小夏侯)の三家が学官として立てられた。 古文尚書 漢代、「今文尚書」以外にも『書経』が発見されることがあったが、これらはしばしば漢代の通行字体ではなく、秦代以前の文字で書かれたものであった。これを「古文尚書」と呼ぶ。「今文尚書」は学官に立てられた公的な学問であったため、その師授系統は比較的明白であるが、「古文尚書」は漢代を通して民間で研究が進んだ書であり、歴史書の記述も錯綜している。以下の例がある: 孔子家伝本 孔子の十世の孫である孔安国が「古文尚書」を今文に写定すると、「今文尚書」にない十余篇があった(『史記』儒林伝)。 中古文本 劉向が欧陽氏・大小夏侯氏の「今文尚書」と校訂する際に用いた、宮中の図書館が所蔵していた「古文尚書」のこと(『漢書』芸文志)。 河間献王本 古典収集を好んだ河間献王劉徳が伝えた「古文尚書」のこと。 張覇百両篇本 張覇が伝えた102篇の「古文尚書」が世間に伝わっていた。成帝のとき、これを宮中の書と比べたところ偽書であると分かった(『漢書』儒林伝)。 劉歆が宣揚した孔子壁中本 劉歆の「移太常博士書」に、景帝のとき、魯恭王劉余が孔子の旧宅を壊して宮殿としようとしたところ、壁の中から「古文尚書」を得た。これは「今文尚書」には存在しない16篇を含んでおり、後に孔安国がこれを伝えたが、巫蠱の獄のため普及しなかった、とある(『漢書』楚元王伝)。 それぞれの本の関係は定かではないが、一般には孔子家伝本・中古文本・孔子壁中本が同一であるとされ、一般に前漢の「古文尚書」というと孔安国・劉向・劉歆に関わるこの本のことを指す。 前漢の宣帝のとき、劉歆が「古文尚書」を学官に立てるよう要求したが、退けられた。この要求は、新の王莽の時に実現したが、その後、後漢の光武帝のときに再度廃された。 後漢の『尚書』受容 後漢においては、「今文尚書」の三家は変わらず学官に立てられ、博士の間で授受された。そのため、代々欧陽氏の学を受けた桓栄・桓郁や鮑永・のほか、数多くの学者が「今文尚書」を学んだ。 一方、「古文尚書」も徐々に普及し、学者の間で用いられるようになった。前漢と同様、その授受関係ははっきりしておらず、以下の二つの系統がある: 徐惲・劉歆門徒の壁中古文本 徐惲が桑欽・賈徽に「古文尚書」を伝え、賈徽が賈逵に伝えると、賈逵は章帝の勅令で『欧陽大小夏侯尚書古文同異』(欧陽氏・大小夏侯氏の「今文尚書」と「古文尚書」の異同を記録した書)を作った(『後漢書』賈逵伝)。また、鄭興・鄭衆も古文を治めたが、この学は劉歆に淵源する(『後漢書』鄭興伝)。以下、彼らの学は馬融・鄭玄らに受け継がれた。 杜林漆書古文本 杜林は西州にて漆で書かれた「古文尚書」を得た。この本は古文で書かれてはいたが、篇は「今文尚書」と同じ部分しか残っていなかった。杜林本には、衛宏が『古文尚書訓旨』を、徐巡が『古文尚書音』を、賈逵が『古文尚書訓』を、馬融が『古文尚書伝』を、盧植が『尚書章句』を、鄭玄が『古文尚書注』を作った(『後漢書』杜林伝)。 杜林漆書古文本は「今文尚書」と同じ篇しかなく、実際に馬融・鄭玄が作った注釈は「今文尚書」と同じ篇に対してのみ附されている。ここから、杜林本は実際には孔安国に由来する「古文尚書」そのものではなく、伏生以来の「今文尚書」を古文の字体によって書き直したものではないか、という説もある。 後漢になり、経学がますます盛んになると、今文を主として研究する博士を中心とする学者と、古文を主として研究する民間を中心とする学者に分かれた。それぞれを今文学・古文学と呼ぶ。今文・古文は、もとは字体の差異によるものであるが、学説にも大きな差異が生じるようになった。今文・古文の対立は『詩経』『春秋』などにも存在するが、「今文尚書」と「古文尚書」の対立はその象徴的なものである。こうした学説の分岐を受けて、章帝の建初4年(79年)には、白虎観会議が開催され、白虎通義が編纂されて経義の統一が図られた。また、許慎といった学者は、古文学の立場から『五経異議』を著し、今文説・古文説の学説の相違を整理した。 結局、後漢の末期には馬融・鄭玄らの学問が盛んになり、徐々に古文学が発展した。ただし、孔安国由来の逸書16篇を含んだ「古文尚書」は、いつの間にか伝来を絶ち、西晋の永嘉の乱の頃に失われてしまった。 偽古文尚書 古文尚書は失われてしまったが、東晋時代の元帝(在位317年 - 323年)の時に豫章内史の梅賾(ばいさく)という人物が、「古文尚書」を発見したとして朝廷に献上した。後に偽作であることが判明しているので、現在ではこの『書経』は「偽古文尚書」(ぎこぶんしょうしょ)と呼ばれる。 この本は「今文尚書」のうち「舜典」を除く28篇(篇を分けると33篇)と、新出の偽作部分である25篇からなるものであり、合計すると劉歆や桓譚のいう「古文尚書58篇」の篇数と合致する。また、注釈として孔安国伝が付され、孔安国の大序と百篇書序が各篇頭につけられているが、これも梅賾による偽作であり、現在では「偽孔伝」と呼ばれる。なお、梅賾本のうち「今文尚書」と重なる28篇(「舜典」を除く)に関しては、漢代から引き継がれた系統のテキストであり、新たに偽作されたものではない。 梅賾本には「舜典」が存在しなかったため、魏の王粛注の「堯典」を二つに分け、後半の「慎徽五典」以下の部分が「舜典」として用いられた。「舜典」には孔伝が存在しないため、王粛注・范寧注が代わりに用いられた。その後、南朝の斉の姚方興がその闕を補う「孔安国伝古文舜典」を献上したが、この本には「慎徽五典」の手前に二十八字が加えられていた。 この梅賾本は、東晋で学官に立てられ、その後も南朝において継続して受容された。北朝では鄭玄注の『尚書』が用いられていたが、梅賾本に注釈をつけた梁の費甝(ひかん)の義疏が隋の劉炫によって受容されると、北朝においても広まった。このとき、劉炫は梅賾本と姚方興本を合わせた本を用い、このテキストが徐々に広がるようになった。唐の『尚書正義』(『五経正義』の一つ)がこの梅賾本と姚方興本を合わせた本を用いたことで、以後はこのテキストの『尚書』が一般的なものとなる。現在に伝わる『尚書』はこの系統のものである。 唐の玄宗の天宝3載(744年)、衛包が古文尚書の改訂を行い、字体は古文から開元文字に改められた。現代に伝わっている尚書は、このときの改訂を経たものである。 偽古文尚書への疑い 『書経』に対する文献学的な研究は、特に宋代以後に活発になる。例えば、程頤が金滕篇を、蘇軾が胤征篇・顧命篇を疑った例がある。梅賾によって献上された本が偽作ではないかという説は、南宋の呉棫『書稗伝』によって初めて提唱された。これを承けて、朱熹も書序・孔伝への疑問を示している。 その後、梅賾本が偽作であることについては、元代の呉澄、明代のが論証を行った。そして、清の閻若璩が20年の考証の結果を『尚書古文疏証』全八巻にまとめ、25篇は偽古文であると証明した 。 ただし偽作と考えられている25編についても、吉川幸次郎が 「それが僞作であるといふことは、それが何等の意義ももたぬといふことではない。いかにも古代史の資料としては、これは全く無價値のものである。しかし中世以後の社會はこの二十五篇を眞のものと認めて來たのであつて、これらの僞「經」は、或種の學説の根據ともなつてゐる。たとへば「大禹謨」篇の「道心惟微、人心惟危」は宋の「理學」の原理となつた。また「周官」篇は官制に、「胤征」篇は曆法に影響を與へてゐる。 」 と評するように、一定の価値を認める研究者も少なくない。 内容 構成 現行の『書経』は58篇からなる。この各篇は、①書かれた内容の時代によるもの、②書かれた体裁によるもの、③文献学的見地によるもの、の三つの方法による分類が可能である。 『書経』58篇は時代順に並べられており、時代によって「虞書」「夏書」「商書」「周書」の四つに区別される。 各篇は、その体裁によって「誥」(君主が臣下に下す訓辞)・「謨」(臣下が君主に述べる訓辞)・「誓」(君主の民衆への宣誓)・「命」(君主による命令の言葉)といった種類に分けられる。 『書経』に対する文献学的研究が進むにつれて、現行の『書経』のうちの38篇は、魏晋の頃に「古文尚書」が奏上された際に付加された偽作であることが明らかになった。これを「偽古文尚書」と呼び、漢代以来の各篇を引き継いでいた「今文尚書」と区別する。 篇目 「今文尚書」には後に「太誓(泰誓)」が加えられ29篇となった。この「太誓」は漢代に作られた偽書とされる。「偽古文尚書」にある「泰誓」3篇はまたこれとは別の偽書である。 「古文尚書」の逸書16篇の篇名は1.「舜典」、2.「汨作」、3.「九共」、4.「大禹謨」、5.「益稷」、6.「五子之歌」、7.「胤征」、8.「湯誥」、9.「咸有一徳」、10.「典宝」、11.「伊訓」、12.「肆命」、13.「原命」、14.「武成」、15.「旅獒」、16.「冏命」であった。 「偽古文尚書」の構成は複雑であるが、その最たるものが「舜典」であり、もともと梅賾本には「舜典」がなく、魏の王粛注本の「堯典」の後半部「慎徽五典…」以下が当てられ、注も王粛注が付けられたという。その後、南朝斉の姚方興が孔安国伝古文「舜典」なるものを献上したが、「慎徽五典」以前に「曰若稽古…」の十二字が多くあったという。現在のものはその後にさらに「濬哲文明…」の十六字が加えられている。他には「皋陶謨」(こうようぼ)の後半部から「益稷」が作られ、「盤庚」は三篇に分けられ、「顧命」後半部から「康王之誥」が作られた。 文章の特徴 『書経』のうち「周書」は特に文章が難解であることで知られており、唐の韓愈や清末の王国維といった大学者でさえ、その難解さを嘆いている。このことは、逆に「周書」が『書経』の中で比較的古い姿を留めていることを示す。 注釈 『書経』に付けられた注釈としては、以下の例がある。 『尚書』孔安国伝 先述したように、偽作されたもの。 『尚書』鄭玄注 亡佚。他書に引用からされた文章から復元されたものがある。 『尚書正義』 孔安国伝に基づき、唐の孔穎達らによって疏が作られた。唐の『五経正義』の一つ。13巻58篇。後に『十三経注疏』に入れられた。 『書集伝』 南宋の撰。6巻58篇。蔡沈は朱熹の弟子であり、序には「堯典」「舜典」「皋陶謨」「大禹謨」に朱熹の校閲を受けたとある。元・明・清と科挙試験の教科書として取りあげられ、広く読まれた。「蔡伝」とも呼ばれる。 『尚書後案』 清の王鳴盛撰。 『尚書今古文注疏』 清の孫星衍撰。もっぱら今文29篇について注釈し、偽孔伝を退け、漢代今文学・古文学の注釈を集め清朝考証学の成果を集めて疏をつけたもの。22年もの時間を費やし完成させた。 『古文尚書撰異』 清の段玉裁撰。 近年の再発見 2008年7月、清華大学は2000枚あまりの戦国時代の竹簡を得た。これは実業家の趙偉国が海外から購入して清華大学に寄贈したもので、「清華簡」と呼ばれる。専門家の鑑定によれば、この竹簡は戦国時代中期から晩期(今から2300-2400年前)の楚のものである。清華簡には『尚書』の多くの篇が含まれており、焚書坑儒以前の写本である。その中のあるものは現行の『尚書』にも存在する篇だが(「金縢」「康誥」「顧命」など)、その文言には多くの差異があり 、篇題が異なっているものもある。さらに多いのは今まで知られなかった佚篇で、たとえば『尚書』の名篇「傅説之命」は先秦の文献が引用している「説命」と一致し、現行の偽古文「説命」とはまったく異なる 。 2009年4月現在、清華簡はそのが初歩的な解読を終えている。2009年までに内容が発表されたものは2種類で、「保訓」と周の武王の時代の楽詩である。「保訓」にはもと題がついておらず、専門家によって本文内容をもとに題がつけられた。内容は周の文王が臨終の際にその子の発(武王)に述べた遺言である。楽詩は周の武王が文王の宗廟で「飲至」の典礼を行うに際し、酒を飲むときにうたう歌で、『楽経』の原文の疑いがある。 今までに整理された清華簡のうち、古代の『尚書』の佚篇の疑いのあるものには「尹至」「尹誥」「説命」「程寤」「保訓」「金縢」「皇門」「祭公」「厚父」「封許之命」がある。うち「厚父」の中の一段である「天降下民、作之君、作之師、惟曰其助上帝寵之」は『孟子』に『書』からの引用として引かれている。しかし、『偽古文尚書』ではこの文を「周書・泰誓」に含めてしまっている。 日本との関係 書経が日本に伝来した年代は明らかではないが、継体天皇の時代に五経博士の段楊爾・高安茂が相次いで来朝したという記録があるため、この際伝来したものといわれる。 日本の元号 「昭和」や「平成」といった日本の元号は、『書経』の中の言葉に典拠がある。「昭和」は『書経』堯典「百姓昭明、協和万邦」に由来し、「平成」は『書経』大禹謨「地平天成」に由来する。但し、『書経』大禹謨は偽作の篇であり、「地平天成」の語はもともと『春秋左氏伝』に基づく言葉である。 日本の国宝 古文尚書巻第六 - 1巻/紙本墨書/縦26.0cm 全長328.0cm/紙背『元秘抄』/7世紀(唐時代)/東京国立博物館蔵 古文尚書巻第三、第五、第十二 - 1巻/紙本墨書/縦26.7cm 全長1138cm/紙背『元秘抄』/7世紀(唐時代)/東洋文庫蔵 これらは同系の写本であり、広橋家が所蔵していた広橋本の一つである。唐の太宗李世民(在位626年 - 649年)の諱を避けていないため、それ以前の伝本をもとに写本したと考えられる。 所々隷書体が使われており、いわゆる「隷古定尚書」と考えられている。「隷古定」とは「偽古文尚書」が生んだ字体で古文を隷書で写し取ったとされるものである。独特で奇怪な字体なので一般に「隷古奇字」ともいわれる。唐の玄宗が天宝初年に『尚書』の字体をすべて楷書に改めさせたのでそれ以後は使われていない。 他の唐鈔本や敦煌本に比べて隷書が使われている文字が多く、現存する最古の鈔本とされている。なお紙背には高辻長成の『元秘抄』が室町時代に書写されている。 宋版尚書正義 - 12世紀(南宋)/足利学校遺蹟図書館蔵 南宋刊本のいわゆる越州八行本。淳熙(1174年 - 1189年)前後の両浙東路茶塩司刻本。 全訳版 『新釈漢文大系25・26 書経』 明治書院、1983年・1985年、上巻は加藤常賢、下巻は小野沢精一、宇野精一による詳細な訳注・解説。 『全釈漢文大系11 尚書』 池田末利訳注、集英社、1976年 詳細な訳注書  『中国古典文学大系1 書経』 赤塚忠訳、平凡社、1972年、復刊1994年、現代語訳文のみ 『世界古典文学全集2 書経・詩経国風』 尾崎雄二郎ほか訳、筑摩書房、1969年 参考文献 日本語文献 創文社、1983年。。 中国語文献・洋書 脚注 関連項目 経書 十三経 儒教 孔子 注釈 疑古 朱子学 今文 外部リンク 書経(中文) 紀元前1千年紀の書籍 経書 中国の歴史書
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ババ抜き
とは、複数人で行うトランプの遊び方のひとつ。始めに同数のカードを人数分配り、一枚ずつ他者から抜き取り同じ札があれば捨て、最後にジョーカーを持っている人が負け。 遊び方 ジョーカーを1枚加えた53枚のカードを使う。 2人以上からプレイできるが、3人以上が好ましい。 プレイヤーに全てのカードを伏せたまま均等に配る。 プレイヤーは各々手札を確認し、同位の札を2枚ずつペアにして場に捨てる(と、というように)。 ここで手札がなくなった者は勝ち抜けとなる。 手元にペアとなる同位の札がなくなったところで、最初のプレイヤー(カードを配った人の左隣の人)が右隣の人の手札を裏に見たまま、任意の1枚を取る。札を取った時、手札に同位の札があったらペアにして場に捨て、無ければそのまま手札に加える。 時計回りの順に、各プレイヤーは右隣の人の手札を一枚取っていく。 順に手札を取ってペアを捨てていき、手札がなくなった者から順に勝ち抜けていく。 最後まで手札、すなわちジョーカーを持っていた者が負け。 ローカルルール 続けてゲームを行う場合、前のゲームの敗者が次のゲームで最初にジョーカーを持つ。 続けてゲームを行う場合、前回最初に上がった者は不要なカードを2枚、前回の敗者に渡すことができる、大富豪に近い要素を取り入れたルール。 備考 元々はジョーカーを加えるのではなく、クイーンを1枚抜いて51枚のカードを使って行われていた。古い書物にはこの形で紹介されている。 「Old Maid」は、1枚のクイーンが「Match」の相手がおらず、独り売れ残ることから名付けられた。日本では1907年(明治40年)に書かれた『世界遊戯法大全』にこれの和訳として「お婆抜き」の名前で紹介されている。 派生して、クイーンではなくランダムにカードを1枚抜いてそれを確認せずに行う方法をジジ抜きという。ババ抜きと違い、1枚残るカードが誰にもわからないのでゲーム終盤まで予想できない。世界遊戯法大全ではこちらは「お爺抜き」として紹介されている。 また、ジョーカーを加え任意の1枚を抜いて行う「ジジババ抜き」という遊びもある。 比喩 最後に悪い物を持ったまま損害を被る事、運悪く損害を被る事を「ババを引く」などと、ババ抜きに例えて表現する事がある。また、掴まされた偽札を他人に回す事の隠喩としても使われる。 脚注 関連項目 トランプ ジジ抜き カードゲーム ははぬき
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ジジ抜き
は、複数人で遊ぶトランプゲームである。ババ抜きのバリエーションルールのひとつ。 遊び方 『遊びの大事典』で紹介されている「ジジ抜き」のルール ジョーカーを除いたトランプ52枚を用意する。 52枚から、プレイヤー全員に内容が判らないように1枚を除く。 残った51枚をプレイヤーの手札として配る。以降のルールはババ抜きと同じ。 除かれたカードと同位のカードは3枚しかなく、1組が捨てられると残りの1枚は捨てられなくなる。この余った1枚が「ジジ」となり、これを最後まで持っていたプレイヤーが敗者となる。そのためババ抜きと違い、ある程度ゲームが進まなければどのカードが「ジジ」か分からないのがジジ抜きの特徴といえる。 また、ババ抜きの原型とも言える「Old Maid」では4枚のクイーンから1枚を除外した51枚でプレイするが、これを4枚のキングから1枚を除外して遊ぶ方法を「ジジ抜き」と呼ぶこともある。 1907年発行の『世界遊戯法大全』では「お爺抜き()」として、このキング1枚を除外するルールが紹介されている。 ドイツでは4枚のジャックから1枚を抜いたバリエーションを「兵士抜き」「黒いピーター()」と呼んでおり、「敗者の顔を黒く塗る」という罰則もあった。 ローカルルール 続けてゲームを行う場合、第2ゲーム以降は前回のゲームで最初に上がった者が、最初に抜く1枚を選べる。 ジョーカーが2枚以上含まれるトランプを使用する場合に、最初に用意するトランプにジョーカーを偶数枚(例えば2枚)含めた状態にする。 ジョーカーも他のカードと同じ様に扱われ、2枚揃えば捨てる事ができる。 変形ジジ抜き 以下に「変形ジジ抜き」のルールを示す。 ジョーカー1枚を加えたトランプ53枚を用意する。 53枚をプレイヤーに配る。 ジョーカーは任意の1枚とペアにできる。 ペアのカードを捨てるときは、カードを裏返しにして内容が判らないようにして捨てる。 どのカードが最後の1枚になるかは、ジョーカーを手札にしたプレイヤーの任意となる。 ジジババ抜き 以下に「ジジババ抜き」のルールを示す。 ジョーカー1枚とトランプ52枚を用意する。 52枚から、プレイヤー全員に内容が判らないように1枚を除外する。 51枚にジョーカー1枚を加えて52枚とし、プレイヤーに配る。 以後のルールはババ抜きに同じだが、勝利条件が異なる。 最大の違いは、最後まで手札(ジョーカーまたは抜いた1枚に対応するカード)を持っていた者が勝ちという点にある。勝利条件となる札が2枚あるため、勝者は1人(手札2枚)のときもあれば、2人のときもある。 参考書籍 出典 関連項目 トランプ ババ抜き トランプゲーム
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ハドソン
株式会社ハドソン()はかつて存在した北海道を発祥とするゲームソフト開発・販売会社。 ゲームソフトのパッケージ裏面やその説明書の裏表紙などに正式社名ロゴを記載していないゲームソフトメーカーの一つでもあった。 2012年3月1日をもって当時親会社であったコナミデジタルエンタテインメント (KDE) に吸収され、2013年12月31日まで同社のブランドとなっていた。 概要 1973年5月18日、工藤裕司とその弟工藤浩により札幌市豊平区に通信機器と美術写真の販売を目的とした「有限会社ハドソン」として創業。同年9月にはアマチュア無線ショップCQハドソンを開店。 1970年代後半にパソコンのソフトウェアの制作で頭角を現し、1978年には日本で初めてパソコン用のゲームソフトウェアを販売した。1980年代初頭には高い技術力でパソコンソフトメーカーの大手となる。シャープのパソコン用のHu-BASICと呼ばれるBASICインタープリタや、X68000のOSであるHuman68kやそのグラフィカルのシェルであるビジュアルシェル等を開発していた。 任天堂がファミリーコンピュータを発表した際、まだブームになっていない時点から接近を図り、任天堂初のサードパーティとなった。以降家庭用ゲーム機向けソフト開発がメインとなる。自由な社風の元、独自の企画を行っていた。特に「ハドソン全国キャラバン」や「高橋名人」は人気児童誌で積極的にタイアップされたことから、当時の子供世代にとっては抜群の知名度を誇る。 一方で自社でのハード開発にも乗り出しており、日本電気ホームエレクトロニクス株式会社と組み、1987年にはハドソンが独自に設計開発したCPU、サウンドチップ、画像処理チップなどC62システムと呼ばれるHuC62シリーズを搭載した家庭用ゲーム機『PCエンジン』を発表、ソフトメーカーながら高い技術力の片鱗を見せた。1992年には将来を担う最新テクノロジーの研究開発部門として、芸術の森アートビレッジ内に「ハドソン中央研究所」を設立。1994年12月に発売した後継機種である次世代ゲーム機『PC-FX』の音源や動画処理などのチップセットもPCエンジンと同様にHuC62シリーズが採用された。 1997年にはトレーディングカードの企画・開発・販売事業に乗り出し、同年4月にパイロットショップ「フューチャービー」を開店する。 1998年11月にメインバンクである北海道拓殖銀行が破綻して以降は資金繰りが難航して経営が悪化した。2001年にコナミ(後のコナミホールディングス)が筆頭株主になり、2005年には子会社化。その後2011年にコナミの完全子会社になり、翌2012年にはコナミの「SNS分野におけるビジネスチャンス拡大に向け、グループのデジタルエンタテインメント事業の中核会社であるKDEに経営資源を集中し、より一層の連携強化を図る」という方針に伴い、KDEに吸収合併され、法人としてのハドソンは解散した。その後はブランド名としてハドソンの名が残されていたが、2013年年末に同ブランドが名実共に消滅する事となり、2014年1月よりコナミブランドに統一されている。 歴史 創業 創業者の工藤裕司は北海道ニセコ町出身であり、日本大学理工学部卒業後、名古屋でサラリーマンをしていた。しかし在学中から行っていた、自ら撮影した蒸気機関車の写真を販売するサイドビジネス「グループハドソンプロダクション」で、資金管理に関して無知だったために信頼していた人間に金を持ち逃げされるなどトラブルを多く抱え、本業も退社し、失意の内に帰郷していた。 1973年5月18日、札幌市豊平区に通信機器と美術写真の販売を目的とした、有限会社ハドソンとして創業。同年9月にアマチュア無線ショップCQハドソンを開店。当初は喫茶店を開業するつもりだったが、同一建物内で別の借り主が喫茶店を開業したため、急遽無線ショップに変更したとも言われている。 なお、上記のトラブルを踏まえ信用できる人間を使うという意味で、当時北海学園大学法学部2年生だった実弟の工藤浩を中退させ、経営サイドに引き込んでいる。ただし、アマチュア無線販売時代のハドソンはほぼ毎月赤字だった。 工藤が最も気に入っていた蒸気機関車「C-62(シーロクニ、シロクニ)」の車軸配置「車輪配置 4-6-4」の愛称、"ハドソン"がそのまま社名になった。また、ハドソンの代表電話の下4ケタは4622。。 パソコンのソフトメーカー時代 1970年代末、工藤裕司がアメリカでのホビーパソコンのブームを伝える雑誌記事を目にし、米国への視察旅行を行い、そこで高額なパソコン「POLY88」を購入し持ち帰った。無線機器の販売だけではなく、付加価値をつけた商売の必要性を感じたためであった。 その後、パソコンの販売はもとより、アメリカ視察で購入したパソコンで組んだソフトウェアの制作・販売を手掛けるようになり、1978年には日本で初めてパソコン用パッケージゲームソフトの開発・販売業務を行うようになる。当時は、同じ電子機器を扱っているからという理由で多くのアマチュア無線ショップがパソコン販売会社に鞍替えしていた。 ソフトウェアに関しては、当初はパソコンを購入した客が自力でプログラムを開発できない場合のおまけとしての存在だった。この時点のハドソンにはまだ開発用の機材がほとんど無く、顧客に販売するコンピュータを納品の前日にこっそり開梱しプログラムを打ち込み、当日朝には再度梱包して納品するという、ある種の自転車操業を行っていたこともある。なお、ソフトは店頭販売も行っていたが、ローカル都市の1ショップであり広告宣伝もさほど行っていなかったため、知る人ぞ知るという状況だった。 一方で、ショップは次第に、北海道大学の学生などを主とした札幌市内のパソコンマニアの溜まり場となった。後にハドソンに入社してボンバーマンの生みの親となる中本伸一など、一部の学生はアルバイトとして自らソフトを開発し、それらのソフトも店頭で販売するようになったが、「いつ潰れてもおかしくない資金繰り」だった。 しかし1979年、ハドソンが扱っていたパソコンの販売元シャープの勧めで、「月刊マイコン」(電波新聞社)昭和54年7月号にオリジナルソフトウェアの通信販売広告を掲載すると一転、郵便局員が毎日のように現金書留の詰まった白い袋を担いで来る状況になり、莫大な利益を得ることになった。当時のハドソン社内では郵便局員を「サンタクロース」と呼んでいた。 以降、パソコンソフト開発で高い技術力を発揮し精力的に作品を発表し、一躍ハドソンは日本を代表するパソコンソフトメーカーとしての認知を得る。ただし、当初は主にシャープのMZシリーズ、X1シリーズ用のBASIC(Hu-BASIC)などを手掛けており、日本で圧倒的な人気があったNECのPC-8000シリーズ用のソフトを開発していなかった。そのため、ハドソンの名前は当時のパソコンのライトユーザーには浸透していなかった。 1981年には孫正義率いるパソコンソフトの流通会社である日本ソフトバンクと独占契約を結び、上新電機を始めとする全国の主なパソコン販売店の店頭でソフトウェアが販売される体制を確立した。なおソフトバンクの歴史でハドソンの存在は必要不可欠と言われており、現在も孫は工藤兄弟を「恩人」と呼び、事ある毎に礼を欠かしていない。なお、日本ソフトバンクのソフトウェア流通部門はその後紆余曲折を経て、2020年現在はSB C&Sの一部となっている。 家庭用ゲームソフトの開発 1983年に任天堂が家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータを発売。ハドソンはこの時期にファミコン向けBASIC言語「ファミリーベーシック」を共同開発した。これを契機にファミリーコンピュータ用ゲームソフト開発に乗り出す。 主にパソコンソフトの開発者をそのままファミコンソフトの開発担当としたため、ハドソンのパソコン事業は徐々に規模を縮小していくことになったが、この方針転換は、当時専務だった工藤浩がデパートの丸井今井札幌店(当時はハドソンのアンテナショップも置かれていた)にてファミコンの『ドンキーコング』を遊んでいる子供たちを見て、このゲーム機はいずれパソコンでのゲームを追い抜くと判断したことによるもので、創業者の工藤裕司もその判断を支持したためである。 事実上、初のサードパーティーとなったことで、初期参入会社と同様に、任天堂からソフトの年間発売制限数の緩和やロイヤリティのなど優遇措置を受けることになり、ハドソンはファミコン黎明期にヒット作を連発しファミコンのソフトメーカーとして一躍名を馳せる。 他会社と決定的に違ったのは、社内に自由な空気があり、積極的に独自の企画を生み出したことである。全国各地を巡業するゲーム大会「ハドソン全国キャラバン」や、16連打でスイカを割る「高橋名人」は小学館の『コロコロコミック』を筆頭に児童誌でも大々的に取り上げられ、高橋を題材にした『高橋名人の冒険島』の他にも『忍者ハットリくん』や『ドラえもん』『ロードランナー』『桃太郎伝説』などが100万本以上のミリオンセラーを記録するなど、ファミコン人気を決定的なものにした。 PCエンジンには『原人シリーズ』や『桃太郎シリーズ』『天外魔境シリーズ』『ボンバーマンシリーズ』等の代表的な作品・シリーズだけでなく『R-TYPE』『イースI・II』など極めて完成度の高い移植も手掛けている。初めての分野や技術にも積極的に挑戦し、1988年12月には世界で初めてCD-ROMを媒体としたゲームソフトを開発・発売した他、2000年8月にはコンシューマーゲーム初のMORPG『ルーンジェイド』を発売した。 その他にも『スーパー桃太郎電鉄III』や『桃太郎電鉄7』がミリオンを達成したり、1998年の時点でボンバーマンシリーズが累計販売本数1000万本を突破するなど、様々なプラットフォームでゲームソフトを供給するソフトメーカーの雄として存在を示した。 2005年にコナミの子会社となった以後も吸収されるまでゲームソフトの供給を続けており、2008年発売のWii用ゲームソフト『DECA SPORTA Wiiでスポーツ"10"種目!』は全世界累計約277万本を販売し、以後シリーズ化された。 家庭用ゲームハードの開発 ハドソンは本来、技術者の集団ということもあり、任天堂のサードパーティーとして、ファミコンブームの立役者としての立場に甘んじる事無く、独自のハード作りにも乗り出した。 1987年に日本電気ホームエレクトロニクス(NEC HE)と共同開発した家庭用ゲーム機PCエンジンは、ハドソンが独自に設計開発したCPU、サウンドチップ、画像処理チップなどC62システムと呼ばれるHuC62シリーズを搭載しており、実質ハドソンが開発したゲーム機であり、当時のライバル機である任天堂のスーパーファミコンやセガのメガドライブと日本を含め世界市場で覇権争いを展開した。全世界累計の販売台数は1000万台を記録している。 1994年12月に発売した後継機種である次世代ゲーム機『PC-FX』の音源や動画処理などのチップセットもPCエンジンと同様にHuC62シリーズが採用されたが、当時次々と発表された競合ハードであるPlayStation、セガサターン、NINTENDO64の3D性能に対抗すべく急遽PC-FXに搭載する予定だった3Dポリゴン用チップの開発が間に合わず、結果としてPCエンジンの延長線上である従来型の2Dゲーム路線のソフト開発がメインになってしまうなど急速に発展する3Dゲーム市場からは後塵を拝してしまい、本機を最後にハード開発から撤退する事になったものの、長年NEC HE系列のファーストパーティー的な存在であり続けた。 ゲーム関連分野及びコンピュータゲーム以外の分野への進出 1991年にコンピュータプログラマー、デザイナーの養成を目的に「ハドソンコンピュータデザイナーズスクール株式会社」を設立し同スクールを開校、コンピュータゲームに関わる人材を養成していたが、1997年に同社を「株式会社フューチャービー(後に株式会社未来蜂歌留多商会に商号変更)」とし、トレーディングカードの企画・開発・販売事業に乗り出した。同年4月には東京都千代田区にあるサンポウ水道橋ビルの2階にトレーディングカードを扱うパイロットショップ「フューチャービー」を開店し、後に全国に展開された。 また1991年から札幌の老舗デパート丸井今井のデータウェアハウス構築に協力しており、その流通向けデータベース・マーケティングシステム開発のノウハウを活かしてデータウェアハウス用パッケージソフト「P2/S」を開発した。 1992年には札幌芸術の森アートビレッジ内に、将来を担う最新テクノロジーの研究開発部門であるハドソン中央研究所(コア・テクノロジー事業部)を設立し、ゲーム機用半導体開発、ゲーム開発環境の整備などを行っていた。その一方同研究所は1997年に育成散歩計「てくてくエンジェル」を開発し、日経産業新聞優秀賞を受賞。その他にも筑波大学の徳永隆治らと共同で画像圧縮技術「Hybrid Vector Quantization(HVQ)」及び動画圧縮技術「HVQM」を開発し、さらに2002年には日本ビクターと共同でCD-ROMコピー防止技術「ROOT」を開発する、株式会社イーブックイニシアティブジャパンと共同で独自のフォーマット形式の電子書籍を閲覧するソフトウェア「ebi.BookReader」を開発するなど、ゲーム業界だけではなく様々な業界に関わる技術開発を行っていた。 コナミの子会社化、そしてハドソンブランドの終焉 1990年代末、メインバンクだった北海道拓殖銀行の破綻により資金繰りが悪化。2000年3月よりiモード用のゲームコンテンツ配信を開始するなど、携帯電話向けの事業に乗り出すが、経営状態は好転せず、2000年代に入ってコナミの資本が入るようになり、2004年には創業者が経営から完全に手を引き、2005年にはコナミの子会社となる。同時に特徴的であった「自由な社風」も社内から無くなった。 2007年に本社を東京ミッドタウンに移すがヒット作がほとんどなく、2008年には社長を退任した遠藤やマリオパーティシリーズのスタッフがエヌディーキューブに移籍。コナミの完全子会社になった2011年は、開発ラインナップに家庭用ゲーム機向けタイトルが無くなったことで高橋名人が退社。 さらに、『桃太郎シリーズ』のゲーム監督さくまあきらも、長年付き合いのあった桃太郎電鉄の開発チーム「Team Kawada」に在籍するハドソン社員の多くが退社したり、ハドソンを吸収合併したKDE-Jに在籍する社員との間に発生したトラブルにより、コナミとの確執を経て決別。事実上、桃太郎シリーズ打ち切りと同シリーズの著作権をコナミと他社に譲渡せず、一旦「永久に封印する」という事態が起きた。 そして翌2012年3月1日に、コナミの「SNS分野におけるビジネスチャンス拡大に向け、コナミグループのデジタルエンタテインメント事業の中核会社であるKDEに経営資源を集中し、より一層の連携強化を図る」という方針に伴い、KDEに吸収合併する形で法人としてのハドソンが消滅した。 なお、法人消滅後も当初は体裁上ハドソンブランドのサービスは継続されていたが、バーチャルコンソールでのラインナップの追加以外には目立った動きはあまりなく、2013年末をもってハドソンブランドが消滅。これらのアーカイブも全てコナミブランドに統一され、翌年の2014年元日付けでハドソンブランドの公式ホームページも閉鎖され、名実共に40年7か月の歴史に幕を下ろした。 コナミブランド統一以降の旧ハドソンブランドのシリーズ展開 2014年にコナミブランドに統一された後から現在に至るまで、旧ハドソンブランドのシリーズ作品が新たに発売されている。ただし、ハドソンが開発・販売をしていた時とは携わっているスタッフが異なる場合が多く、現時点(2022年6月現在)ではいずれの作品も従来のシリーズとは路線の異なる部分が少なくない。 コナミブランド統一後(2014年以降)の各シリーズの展開については、各シリーズの記事を参照。 沿革 1973年(昭和48年) 5月18日 - 工藤裕司・工藤浩が、札幌市豊平区にて通信機器の販売、美術写真の販売を目的に有限会社ハドソンを設立。 9月 - アマチュア無線機器の販売店「CQハドソン」を開店。 1975年(昭和50年)9月 - パソコン用機器の販売を開始。 1978年(昭和53年)3月 - 日本で初めてパソコン用パッケージゲームソフトの開発・販売を開始。 1982年(昭和57年) 3月 - 東京事業所(東京都千代田区麹町)開設。 1984年(昭和59年) 7月 - 初のサードパーティとしてファミリーコンピュータ用ソフト・周辺機器の開発・販売を開始。 10月 - 株式会社メディアを買収、同社を「株式会社ハドソン販売」に商号変更。 11月 - 有限会社ハドソンから株式会社ハドソンへ組織変更。 1985年(昭和60年) 6月 - 東京事業所、新宿区市谷田町へ移転。 7~8月 - 第1回TDKファミコン全国キャラバン大会開催。 12月20日 - ファミコン用ソフト『ボンバーマン』を発売。以後シリーズ化。 1986年(昭和61年) 3月 - 株式会社ハドソン(法律上の消滅会社、実質上の存続会社)、株式会社ハドソン(法律上の存続会社、本店札幌市北区、休眠会社を合併し商号変更したもの)及び株式会社ハドソン販売の三社合併。 9月12日 - ハドソン所属のファミコン名人・高橋名人をキャラクターに起用した『高橋名人の冒険島』を発売。以後シリーズ化。 10月3日 - 高橋名人を題材にしたテレビアニメ『Bugってハニー』が日本テレビ系列他にて放送開始。 1987年(昭和62年) 7月 - 「シュウォッチ」発売。 7月 - 独自のLSIを含む「C62システム」を開発。NECホームエレクトロニクスとゲーム機「PCエンジン」を共同開発。 9月 - PCエンジン用ソフトの開発・販売を開始。 10月26日 - ハドソン初のRPGであるファミコン用ソフト『桃太郎伝説』を発売。以後桃太郎シリーズとしてシリーズ化。 1988年(昭和63年) 7月 - コンピュータソフトの商標権・版権管理を目的に「ハニービー音楽出版株式会社」を設立。 12月 - R&D業務とMD業務(ライセンス管理等)を目的に「未来計画株式会社」を設立。 12月2日 - 前年に発売された『桃太郎伝説』の派生作品として、ファミコン用ソフト『桃太郎電鉄』を発売。以後シリーズ化。 12月4日 - CD-ROMを媒体とした世界初のゲームソフト『No・Ri・Ko』『ファイティングストリート』を発売。 1989年(平成元年) 3月31日 - コンピュータゲームにおける初のデジタルコミック『コブラ 黒竜王の伝説』を発売。 6月30日 - CD-ROMを媒体とした世界初のRPG『天外魔境 ZIRIA』を発売。以後シリーズ化。 10月2日 - 「桃太郎伝説」を題材にしたテレビアニメ『桃太郎伝説 PEACHBOY LEGEND』がテレビ東京系列他にて放送開始。 1990年(平成2年) 8月 - ゲームボーイ用ソフトの開発・販売を開始。 10月8日 - 「桃太郎伝説 PEACHBOY LEGEND」の続編である『PEACH COMMAND 新桃太郎伝説』がテレビ東京系列他にて放送開始。 1991年(平成3年)4月 - コンピュータプログラマー、デザイナーの養成を目的に「ハドソンコンピュータデザイナーズスクール株式会社」を設立。 1992年(平成4年) 1月 - スーパーファミコン用ソフト・周辺機器の開発・販売を開始。 9月 - 札幌市南区、芸術の森アートビレッジ内に「ハドソン中央研究所(コア・テクノロジー事業部)」を設立。 9月 - ハドソン創業20周年を記念し、中央研究所内に庶民の穴銭資料館「方泉處」を開設。 1993年(平成5年)7月 - 世界初のハイビジョンゲーム『HI-TEN ボンバーマン』を開発、イベントに使用。 1994年(平成6年) 3月 - 32ビット半導体チップセット「HuC62シリーズ」を開発。 5月 - 創業者の弟・工藤浩が代表取締役社長に就任。 12月 - NECホームエレクトロニクスと共同開発したゲーム機「PC-FX」が同社より発売される。 12月 - PC-FX用ソフトの開発・販売を開始。 1996年(平成8年) コンサドーレ札幌のオフィシャルパートナー。 5月18日 - CIロゴの表記を「HUDSON GROUP HUDSON SOFT」から「HUDSON」に変更。 6月 - セガサターン用ソフト・周辺機器の開発・販売を開始。 1997年(平成9年) コンサドーレ札幌のオフィシャルパートナー撤退。 2月 - ハドソンコンピュータデザイナーズスクール株式会社を「株式会社フューチャービー」に商号変更。会社目的も未来の玩具の企画・デザイン及び販売、トレーディングショップの管理運営に変更。 4月 - 東京都千代田区にあるサンポウ水道橋ビルの2階にパイロットショップ「フューチャービー」を開店。トレーディングカードを扱い、102名を収容可能な本格的なデュエルルームを備える。フューチャービーの店舗は後に全国に展開される。 8月 - NINTENDO64用ソフト・周辺機器の開発・販売を開始。 11月 - PlayStation用ソフトの開発・販売を開始。 12月 - 世界初の育成散歩計「てくてくエンジェル」を発売。 1998年(平成10年) 2月7日 - 「ボンバーマン」とタカラ社の「ビーダマン」を題材としたテレビアニメ『Bビーダマン爆外伝』がテレビ朝日系列にて放送開始。 3月 - 株式会社フューチャービーを「株式会社未来蜂歌留多商会」に商号変更。フューチャービーはパイロットショップの名前として存続。 5月 - 任天堂ゲーム機の開発環境整備等を目的に任天堂と合弁で「招布株式会社」を設立。 12月18日 - 開発を手掛けたNINTENDO64用ソフト『マリオパーティ』が任天堂から発売される。以後シリーズ化。 1999年(平成11年) 2月 - てくてくエンジェルが「日経産業新聞優秀賞」を受賞。 2月7日 - 「Bビーダマン爆外伝」の続編である『Bビーダマン爆外伝V』がテレビ朝日系列にて放送開始。 3月 - ドリームキャスト用ソフトの開発・販売を開始。 5月 - 東京事業所、新宿区市谷田町から中央区築地に移転。 5月29日 - 自社が著作権を保有する「ボンバーマン」「桃太郎」などのキャラクターイラストについて、教育関係及び福祉関係団体等の非営利目的での使用の場合の無償使用許可、同一目的用のキャラクター線画配布を朝日新聞紙面上で発表。 2000年(平成12年) 2月 - 保有していた未来計画株式会社の全株式を三菱商事に売却。 3月 - 招布株式会社の第三者割当増資を引き受け、子会社化。 3月 - 携帯電話「iモード」向けゲーム配信サービスを開始。 7月~8月15日 - 「ボンバーマンシリーズ」とでんすけすいかのタイアップキャンペーンを実施。 10月3日 - 次世代ゲーム機向けソフトの開発・販売を行なうための合弁会社の設立について、フランスのアンフォグラム社と合意。 11月 - アンフォグラム社と合弁で「アンフォグラムハドソン株式会社」を設立。 12月 - 大証ナスダックジャパン・スタンダードに上場。 2001年(平成13年) 1月 - iアプリ対応コンテンツサービスを開始。 3月 - PlayStation 2用ソフトの開発・販売を開始。 3月 - 富士通他4社とASP事業の本格展開に際し、ジェイビートゥビー株式会社の第三者割当増資を引受。 3月 - ゲームボーイアドバンス用ソフトの開発・販売を開始。 3月 - ゲームソフトの長期開発資金としてシンジケートローンを実施。 5月 - CQハドソン閉店。 5月 - 庶民の穴銭資料館「方泉處」を閉館。 8月 - コナミが第三者割当増資を引き受け筆頭株主となる。 12月 - コナミコンピュータエンタテインメントの札幌事業を「ハドソンスタジオ」として分割、継承。企業体質強化及び収益の向上を図るため、組織を大幅に変更、社内カンパニー制を導入。 2002年(平成14年) 1月 - 前年12月発売の『桃太郎電鉄X ~九州編もあるばい~』が発売1ヵ月で50万本を出荷。 4月 - ニンテンドーゲームキューブ用ソフトの開発・販売を開始。 5月 - 株式会社イーブックイニシアティブジャパンと共同開発した、独自のフォーマット形式の電子書籍の閲覧ソフトウェア「ebi.BookReader」が同社よりリリースされる。 6月 - 台湾におけるiモードサービスを開始。 6月 - 筑波大学の徳永隆治らと共同で開発した独自の画像圧縮技術「HVQ」の提供により、株式会社イーブックイニシアティブジャパンと共に岩見沢市立図書館における岩波文庫電子書籍化サービスに参入。 7月 - 中央研究所を「コア・テクノロジーセンター」に、東京事業所を東京支社に改称。 8月 - CD-ROMコピー防止技術「ROOT」を日本ビクター(現・JVCケンウッド)と共同開発。 9月 - 当初の目的を達成・終了したため招布株式会社を清算。 10月 - パソコン用地図ソフト「MaPiVi」を株式会社ゼンリンと共同開発。 10月2日 - 「ボンバーマン」を題材としたテレビアニメ『ボンバーマンジェッターズ』がテレビ東京系にて放送開始。 12月 - 携帯電話用アクセサリー「チョ~!ワイドレンズ」(広角レンズ)を発売。 2003年(平成15年) 10月14日 - 東京都台東区の妙泉寺に桃太郎シリーズの登場キャラクター「貧乏神」をモチーフとした「貧乏が去る(猿)像」を設置、10月14日以降一般公開される。 11月 - アメリカ・カリフォルニア州サンマテオに100%子会社「Hudson Entertainment, Inc.」を設立。 2004年(平成16年)11月 - 遠藤英俊が代表取締役社長に就任。創業者である工藤兄弟が経営から退く。 2005年(平成17年) 1月 - PlayStation Portable用ソフトの開発・販売を開始。 4月 - 第三者割当増資をコナミ(後のコナミホールディングス)が引き受け、コナミの連結子会社となる。 5月 - ハニービー音楽出版(連結子会社)を吸収合併。 5月 - ニンテンドーDS用ソフトの開発・販売を開始。 7月 - 本社を創業の地・札幌市豊平区から東京都中央区に移転する。 2006年(平成18年) 3月 - 株式会社未来蜂歌留多商会(連結子会社)を清算。 3月 - Xbox 360用ソフトの開発・販売を開始。 8月4日~8日 - 「桃太郎電鉄シリーズ」と五所川原立佞武多がタイアップ。「桃太郎電鉄 立佞武多」が制作・運行された。 12月 - Wii用ソフトの開発・販売を開始。 2007年(平成19年) 4月 - 「桃太郎電鉄シリーズ」と銚子電鉄がタイアップ。「桃太郎電鉄 ラッピング車両」が運行され、犬吠駅、仲ノ町駅、笠上黒生駅に同タイトルの登場キャラクターをモチーフとした「しあわせ三像」が設置された。 6月 - 本社を東京都港区赤坂のミッドタウン・イーストに移転。 2008年(平成20年) 3月 - 音楽レーベル「ハドソン・ミュージックエンタテインメント」を設立(2013年末までに清算)。 3月19日 - Wii用ソフト『DECA SPORTA Wiiでスポーツ"10"種目!』を発売。以後シリーズ化。 6月 - 石塚通弘(元KDE経営本部長)が代表取締役社長に就任。 2009年(平成21年) 4月 - 札幌支社を北海道本社に改称。 5月 - 東京本社を赤坂ミッドタウン・タワーに移転。 2011年(平成23年) 3月末 - 完全子会社化に伴いアメリカにおける子会社「Hudson Entertainment, Inc.」を解散。 4月1日 - コナミとの間で簡易株式交換を実施し、コナミの完全子会社となる。上原和彦(KDE執行役員)が代表取締役社長に就任する。 5月 - 北海道本社を札幌事業所に改称。 7月 - 東京本社、かつてあったミッドタウン・イーストに再移転。 2012年(平成24年) 3月1日 - コナミの「SNS分野におけるビジネスチャンス拡大に向け、コナミグループのデジタルエンタテインメント事業の中核会社であるKDEに経営資源を集中し、より一層の連携強化を図る」という方針に伴い、KDEに吸収合併され、法人としてのハドソンが解散した。 2014年(平成26年)1月1日 - ハドソンブランドの公式ホームページが消滅した。 社長の趣味と企業風土 ハドソンの社名の由来は、熱狂的な鉄道ファンでもあった創業者・工藤裕司が、国鉄C62形蒸気機関車のハドソン形という車軸配置から取ったものである。 工藤は大学在学中からサラリーマン時代にかけて、サイドビジネスとして自ら撮影した蒸気機関車の写真を販売しており、その際に用いていた社名も「グループハドソンプロダクション」だった。 工藤の鉄道趣味は留まることを知らず、社名のみならずハドソンの社内にも鉄道関連のトリビアが溢れていた。社長室には常時組み立て中の鉄道模型が置かれ、工藤がC62形の2号機が好きだったことから、本社の入口にもC62の部品の一部が飾られていた。また、会社の代表電話番号の末尾4桁は4622で、さらには郵便番号をC62にちなんだ「062」にするため、本社をわざわざ北海道札幌市豊平区に置くという独特の拘りぶりだった。また、かつて札幌芸術の森に隣接したアートビレッジにあったハドソン中央研究所(コア・テクノロジー事業部)の屋上にはライブスチームの線路が敷設され、専属のメカニックが配置されていたほか、研究所の大会議室ではテーブル中央に鉄道模型のジオラマが置かれC62の模型が走っていた。その模様はNHKスペシャル『新・電子立国』でも取り上げられた。 1988年から1995年までC62ニセコ号を運行していた北海道鉄道文化協議会(通称:鉄文協)ではスポンサーの一社を務めていた。C62運行のスポンサーが集まらず、鉄文協が「おたくの社名のハドソンというのは、C62の車軸配置の通称なんですよ。その縁で協力してもらえませんか?」と依頼したところ、そこで初めて工藤もC62好きであることを知り、二つ返事で協力に至ったという。 また、他の趣味として古銭の収集があり、社内に「東洋鋳造貨幣研究所」という古銭専門の研究所を設け、ハドソンの文化事業の一環として中央研究所の建物内に庶民の穴銭資料館「方泉處(ほうせんか)」という古銭博物館を開設していた他、博物館名と同じ「方泉處」という季刊の研究誌(1992年 - 1998年)も発行していたが、1990年代末に経営難に陥って以降はこれらの活動は順次的に廃止されていった。方泉處という名前は、展示の元になっていた工藤のコレクションの保管箱に付けられた名前「方穿貨(ほうせんか)」が由来となっている。 1980年代半ばのハドソン関係者が口々に言う「会社の自由な空気」は社員のみならず、社長自身もそれを体現していた。中でも1986年当時の社員旅行はバブル景気(バブル経済)の過度期であったこともあり、「貸切ジェット機でハワイ旅行」という、一般企業ではあまり類のないものであった。 『迷宮組曲 ミロンの大冒険』を制作し、後に同社のサウンド部門のプロデューサーとなった笹川敏幸は「自由な空気」について「とっても些細なことに、とことんこだわってみる。究極までやりつくしてみる。」という遊び心があったと語っている。 社章・CIロゴ 社章は蜂で、「ハチ助」とも呼ばれている。ハドソンのゲームソフトにボーナスキャラ・隠れキャラとして古くから数多く登場している。由来は、北海道のアマチュア無線のエリア番号が「8(はち)」であるため、同音である「蜂」を採用したと言われている。高橋名人によると当初は「CQハチ助」と呼ばれていた(これは高橋の勘違いであり、実際は「JA8スケ」である。理由は当時のアマチュア無線の北海道のコールサインがJA8で始まっていたことによるものである)。 1996年5月18日よりハドソンのCIロゴの表記が「HUDSON GROUP HUDSON SOFT」から「HUDSON」に変更された。高橋名人によるとその理由は「HUDSONのみの表記にすることで、全体的なCIロゴサイズを変更しなくてもハチ助を大きくレイアウト出来るから」だという。 2007年にはハチ助をモチーフとしたアーバンライフスタイルブランド「8SK(ハチスケ)」が立ち上げられ、Tシャツやキャップが公式サイトなどで販売されていた。 ハドソン全国キャラバン 「ハドソン全国キャラバン」とは、ハドソンが国内大手の電子部品メーカーのTDKとの協賛で1985年から行っていたゲーム大会のこと。 最大の特徴は「キャラバン」の名にふさわしく、北海道から沖縄まで全国各地を巡業していた事である。各都道府県の政令指定都市にとどまらず、他の都市でも行われた。最大は第2回の40都道府県・65会場である。 1985年 - 1997年のキャラバンでは毎回「公式ソフト」としてハドソン製のゲームソフトが1本製作され、そのゲームを用いた大会が行われた。 1990年 - 1992年の3回は「ワールドカップ」として、会場を日本だけでなく海外にも拡大した。 1993年からは「ハドソンスーパーキャラバン」の題に改題された。 1998年 - 2000年の3回はコンピュータゲームではなくカードゲームの大会が行われ、2000年をもっていったん「キャラバン」の名を冠したイベントは終了した。 2006年、「ハドソン全国キャラバン'06」で「キャラバン」の名が復活し、このときの公式ソフトにはニンテンドーDSの『Touch!ボンバーマンランド』の他、シュウォッチも使われた。 公式ソフト 1985年:スターフォース 1986年:スターソルジャー 1987年:ヘクター'87 1988年:パワーリーグ 1989年:ガンヘッド 1990年:スーパースターソルジャー 1991年:ファイナルソルジャー 1992年:ソルジャーブレイド 1993年:Hi-TENボンバーマン 1994年:Hi-TENキャラBOM 1995年:天外魔境ZERO 1996年:サターンボンバーマン 1997年:スーパービーダマン ファイティングフェニックス 2006年:Touch!ボンバーマンランド トレーディングカードゲーム 1998年:大貝獣物語 THE MIRACLE OF THE ZONE 1999年:大貝獣物語 THE MIRACLE OF THE ZONE 青の章 2000年:パワーリーグ 夢のスタジアム2000 事業拠点 2009年4月から2011年4月末まで、2本社体制となっていた(登記上本店は東京本社)。かつては、大阪、名古屋、福岡等にも事業所を設置していた。市谷田町に札幌市時計台を模した東京支社ビルを擁していた時期もある。 本社 東京都港区赤坂9丁目7番2号 ミッドタウン・イースト 札幌事業所 札幌市豊平区平岸3条5丁目4番22号 ハドソンビル (現・平岸グランドビル新館) ハドソン創業の地であり、2005年に東京に本社を移転した時は札幌支社となるが、その時点で北海道にも拠点があったことから、2009年4月より北海道本社に改称。2011年5月からは札幌事業所に改称され、KDEへの吸収後も残ったが、2014年10月に閉鎖。 製品 ハードウェア・デバイス HuC6202 VPC (Video Priority Controller) PCエンジンスーパーグラフィックスに搭載されているチップ HuC6230 音源チップ、HuC6280の波形メモリ音源部にADPCMを追加 HuC6260 VCE (Video Color Encoder) HuC6261 ビデオ管理機能を持つ。HuC6260の次世代チップ HuC6270 VDC (Video Display Controller) HuC6271 Motion JPEGデコーダ HuC6272 メモリコントローラ HuC6280 高速の8bitCPU 6502互換のマイクロプロセッサと波形メモリ音源を搭載 これらは、HuC62シリーズとしてPCエンジンのチップセットとして使われた。 POEMS(Portable Entertainment Mixed Solution) 32ビットシングルチップLSIで、動画表示、3D/3D描画エンジン、サウンドエンジン、拡張メモリインターフェイス、ネットワーク機能を搭載したSoC。採用例としては、コナミから発売されたPLAY-POEMS等が有る。 パソコン用ソフトウェア 実用ソフト PALL CAI PALL LIFE DATA BASE QSO整理 株式売買 アペンド10 アペンド20 RAM TEST テンキー&ファンクションキー 英会話レッスン 価値判断 金種計算 姓名判断 占星術 プログラミング言語、OS FORM(Tiny Fortran) PALL(Tiny PASCAL) GAL(ASCIIのGAMEの拡張版,クレームにて回収) Hu-BASIC(MZ,X1用のBASICインタープリタ、韓国三星のSPC-1000にも採用実績がある) Hu G-BASIC(グラフィック重視のBASIC) mini Hu BASICコンパイラ(整数型BASICコンパイラ) NS-Hu BASIC(ファミリーベーシックに内蔵された整数型BASICインタープリタ) HuCAL(簡易言語) HuVOICE(パソコンのPSGを使った音声発生ソフト) H-DOS 任天堂製ファミコンソフトの移植(アレンジ移植を含む) マリオブラザーズ スペシャル パンチボール マリオブラザーズ スーパーマリオブラザーズスペシャル アイスクライマー バルーンファイト エキサイトバイク 任天堂のゴルフ 任天堂のテニス ドンキーコング3 16ビットパソコン用ソフト Human68k シャープX68000用オペレーティングシステム (開発のみ) X-BASIC シャープX68000用BASIC (開発のみ) パワーリーグ 桃太郎伝説 全略ハードディスク殿PC-9801 ハードディスクユーティリティー ゲーム ポケットファミリー 幸せ家族計画 殿様ゲーム バリケード 水泳 オセロ ブロッククズシ アニマルレッスン マージャン 陣取りゲーム さるも木から落ちる チェッカー ポーカー 月面着陸 カンニング大作戦 スクランブル モンタージュ スタートレック ボーリング スロットマシン 雀球 野球拳 ブラックジャック スーパーゴルフ ハングマン D-DAY アルデバラン#1 アルデバラン#2 ヤシの実落し パチンコ ベースボール ダービー モンタージュ 医は算術なり 頭の体操No.1 ビンゴ25 ICBM迎撃作戦 将棋 サメうちゲーム 大戦車突破作戦 夢のプロ野球 リアルゴルフ エスケープ大作戦 戦国軍団 めぐみちゃん三惑 リバース 緊急発進 スペースハンバーガー ベジタブルクラッシュ 来なさい! スーパーゴルフ2 グルグル クレイジースパイ カエルシューター ミスターバタフライ ゾンビパニック スペーストラブル 爆弾男 ガンマン サブマリンパニック 詰将棋 アタックUFO 酒泥棒 ぐしゃ キャノンボール ピラミッド・アドベンチャー ひつじや~い MJ-05 HELP! 華麗な怪盗 Justice Knight 明るい農園 フィールドウォーズ スーパードアーズ バブルクンド1999 スカイダイバー パワーフェイル スラローム ゼロファイター ミステリーマウンテン ヒヨコファイター 3びきの子ぶたの大冒険 STEP1 3びきの子ぶたの大冒険 STEP2 3びきの子ぶたの大冒険 STEP3 ?ポリスドッグ キラーステーション イタサンドリアス ディッシュキャリア ファイヤーボール 雨の日は大忙し カラーボール STAR STREAM BEAN'S JACK シーボンバー ディメンジョナルウォーズ サブマリン・シューター めだかの兄妹 スクウェアーガーデン ザ・スパイダー バイナリィランド ギャングマン THEえんま大王 ディオーネ 忍者 影 ねずみとり 暴走特急SOS マハリト ミミタン ローディボール アタックシーモンスター インディアンの冒険 ゴルフ狂 デゼニランド 三次元ボンバーマン ナッツ&ミルク 銀行強盗 ファイヤーレスキュー サラダの国のトマト姫 ジャン狂 花札狂 野球狂 トランプ狂 デゼニワールド タイムパラドックス ヒラニプラ 家庭用ゲーム機 日本電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス)との共同開発。 PCエンジン PCエンジンシャトル PCエンジンコアグラフィックス PCエンジンコアグラフィックスII PCエンジンGT PCエンジンLT PCエンジンスーパーグラフィックス CD-ROM2 SUPER CD-ROM2 PCエンジンDuo PCエンジンDuo-R PCエンジンDuo-RX PC-FX ゲーム以外のゲーム機向けソフトウェア Hu-VIDEO - PCエンジン用アニメーション再生技術(動画圧縮技術) Hybrid Vector Quantization(HVQ) - 筑波大学の徳永隆治らと「マリオパーティシリーズ」のために共同開発した画像圧縮技術(画像圧縮エンジン) HVQM - 筑波大学の徳永隆治らと共同開発した動画圧縮技術(動画圧縮エンジン) 主な家庭用ゲーム作品(移植作品を含む) 周辺機器 ゲームコントローラー ハドソンジョイスティック(FC用、1985年、定価3,500円、黄色) - スティック型。 ジョイカード(FC用、赤) - 色は、任天堂純正コントローラー色と同じ。連射コントローラー。 ジョイカードMK.2(FC用、1986年6月、定価1,980円、赤) - 15連射コントローラー。 ジョイカードMK.2 ヘクター'87バージョン(1987年、1,980円)  ジョイカードMK.2 サンスイバージョン1(1990年、定価2,980円) ジョイカードMK.2 サンスイバージョン2(定価2,980円) ジョイカード サンスイSSS(定価2,980円、灰色) かつての音響機器メーカーであった山水電気の子会社・福島サンスイと共同開発した(1980年代当時)製品で、音量ボリュームとイヤホン出力端子を装備した15連射コントローラー。独自開発のサウンドシフト機能を搭載した事により、十字キーの左右入力とステレオ音声のLRが連動して聞こえるため、臨場感のある独特なステレオサウンド(実質的にはテクニカル(擬似)ステレオ扱い)がモノラル出力のファミコンでも堪能出来る仕様になっている。 ジョイカードmkⅡ(透明色、非売品) - Bugってハニーの懸賞品。ゲーム内のパスワードを応募。 ジョイカード(MSX用) - 色は、灰色。 ジョイカード スーパーX(MSX、X1、X68000用) ジョイカード スーパーII(MSX用) スーパージョイカード(SFC用、1991年、定価2,980円) ジョイカード64(N64用) ジョイカード64 J(N64用、緑色) - Jリーグ イレブンビート1997の懸賞品。応募券を送ると抽選で1000名に当選。 ジョイカード64 P(N64用、青色) - パワーリーグ64の懸賞品。応募券を送ると抽選で1000名に当選。 SBOMジョイカード(SS用)- 『サターンボンバーマン』、『銀河お嬢様伝説ユナ3』などに対応。 外部記憶装置 天の声バンク(PCE用、1991年9月6日、定価3,880円) - HuCARD型の外部記憶カード。 天の声2(PCE用、1989年8月8日、定価2,600円) - PCエンジン本体に接続する外部記憶ユニット。 メモリーカード・ソフトカード BEE CARD - カード型のメモリーカード。MSXで使用するには別途BEE PACKが必要。 HuCARD - PCエンジン用メモリーカード。PCエンジン用ソフトメディアの主流がCD-ROMに移行するまではソフトとしても発売され、その後は周辺機器として(CD-ROM2用システムカード、アーケードカード、天の声バンクなど)のHuCARDも発売された。 その他 ファミコンシステムラック(FC用、1,500円) ファミコン本体とディスクシステムを固定するラック。 その他の商品 シュウォッチ てくてくエンジェル てくてくエンジェルDue てくてくエンジェルPocket チョ~!ワイドレンズ - 携帯電話用広角レンズ ROOT - 日本ビクターと共同開発したCD-ROMのコピーガード技術 MaPiVi - ゼンリンと共同開発したパソコン用地図ソフト。発売はゼンリン ebi.BookReader - 電子書籍閲覧ソフトウェア。リリースはイーブックイニシアティブジャパン 主な提供番組 (★は筆頭提供番組、それ以外は複数社提供) 日本テレビ系 Bugってハニー(1986年10月3日 - 1987年9月25日)★一社提供 DOKIドキDO!(1987年10月2日 - 1988年3月25日)★ 魔神英雄伝ワタル(途中でピープルに交代)★ 魔動王グランゾート テレビ朝日系 藤子不二雄ワイド(1985年 - 1987年、『忍者ハットリくん』パート提供) 時空戦士スピルバン ボボボーボ・ボーボボ ドラえもん ビックリマンシリーズ ビックリマン 新ビックリマン Bビーダマン爆外伝シリーズ Bビーダマン爆外伝 Bビーダマン爆外伝V フジテレビ系 空想科学世界ガリバーボーイ ★ ドラゴンボールZ 藤子不二雄のキテレツ大百科★ テレビ東京系 おはようスタジオ(提供時期不明) ゲームバラエティ(高橋名人出演番組→PCエンジン宣伝番組) 高橋名人の面白ランド(1986年10月7日 - 1987年9月29日)★ 冒険!テレビ遊び塾(1988年4月19日 - 9月20日) さきどり!PC遊び塾(1988年10月4日 - 1989年3月21日) 大竹まことのただいま!PCランド(1989年4月4日 - 1992年3月31日) 聖PCハイスクール(1992年4月7日 - 9月29日)★ そのまんま東のバーチャル情報局(1992年10月6日 - 1993年7月6日) そのまんま東のバーチャルZ(1993年7月13日 - 9月28日) 愛天使伝説ウェディングピーチ ボンバーマンジェッターズ ★ アークエとガッチンポー スパイダーライダーズ 〜オラクルの勇者たち〜 ネットゴーストPIPOPA メタルファイト ベイブレードシリーズ メタルファイト ベイブレード メタルファイト ベイブレード爆 FAIRY TAIL (事実における最後の提供番組) 桃太郎伝説シリーズ 桃太郎伝説 PEACHBOY LEGEND(1989年10月2日 - 1990年10月1日)★ PEACH COMMAND 新桃太郎伝説(1990年10月8日 - 1991年4月1日)★ Dr.リンにきいてみて! 爆走兄弟レッツ&ゴー!! 炎の闘球児 ドッジ弾平 鬼神童子ZENKI 魁!!クロマティ高校 ぴたテン ギャラクシーエンジェルA その他 強殖装甲ガイバー(TVアニメ版)(WOWOW) 提供番組における補足 『藤子不二雄のキテレツ大百科』『Bugってハニー』などの筆頭提供番組での提供読みは「キミたちのいい脇役。HUDSON SOFT」で、クレジットは白バックに「提供」の文字の下にカラーの「ハチ助」が大きく表示され、その下に「キミたちのいい脇役になりたいな。(改行)(改行)HUDSON SOFT」と表示されていた。但し、キテレツのみブルーバック。 『高橋名人の面白ランド』では映像をバックに黒の縁取りに白文字で「提供(改行、ハチ助、改行)(改行)HUDSON SOFT」とだけ表示していた。 また、『愛天使伝説ウェディングピーチ』では、1995年10月放送分よりセイカノートとの交代で隔週スポンサーを担当し、1996年3月放送分まで担当した。隔週でセイカノートとスポンサーを交互に入れ替え。提供クレジットは1995年10月 - 1996年3月放送分。1995年9月放送分のみ、PT扱いだった。 『愛天使伝説ウェディングピーチ』にて、同社のCM(テレビ・ラジオ共通)の最後に流れているサウンドロゴの「バ~イHUDSON!」はお馴染みの定番であるハチ助が登場するシーンであり、ももこ、ゆり、ひなぎく、スカーレットの4人が「バ~イ」のパターンがあるというCMで終わるという形式が存在している。なお、ハドソンは『ウェディングピーチ』でもサブスポンサーを担当した。 2005年の『強殖装甲ガイバー』にて、ゲーム販売には関わらないTVCMを放送し、提供読みはメインキャラクター4名が担当していた。 2006年に放送された『スパイダーライダーズ 〜オラクルの勇者たち〜』では、提供スポンサーに参加。同年発売のニンテンドーDS用ソフト『スパイダーライダーズ 〜転生の章〜』にて、前作の『冒険遊記プラスターワールド』のキャラクターも登場したこともある。 晩年は、「HUDSON」の提供クレジット表示となっていた。但し、『ぴたテン』、『ギャラクシーエンジェルA』などの一部の番組は、「ハドソン」とカタカナの社名フォントの提供クレジット表示となっていた。 『メタルファイト ベイブレード』では、第2シリーズ(爆)までの提供に参加しており、第3シリーズ(4D)とZEROGでは提供には参加していなかった。 参考文献 赤木哲平『セガVS.任天堂―マルチメディア・ウォーズのゆくえ』(日本能率協会マネジメントセンター、1992年) 工藤裕司 工藤裕司(1947年4月6日 - )北海道ニセコ町生まれ:ハドソン創業者。現在のペンネームは三遊亭あほまろ。趣味については#社長の趣味と企業風土を参照。 関連項目 ハドソン・ミュージックエンタテインメント - ハドソンの音楽レーベル。 高橋名人 - ファミコン全盛期にハドソン所属の“ ファミコン名人 ”として一世を風靡した。 毛利名人 中本伸一 - 初期の中心人物のひとりで元副社長。 大里幸夫 - ゲームプロデューサー。取締役を務める。 辻尚之 - 元専務取締役。 川田忠之 - 「川田名人」としてハドソンのプロモーションに関わっていたが、後にゲーム制作を手掛けるようになり『スーパースターソルジャー』『ドレミファンタジー ミロンのドキドキ大冒険』などを手掛ける。また開発チーム「Team Kawada」のリーダーとして『桃太郎電鉄シリーズ』の制作指揮を担当する。 藤原茂樹 - ゲームデザイナー。『ボンバーマンシリーズ』プロデューサー。ゲームディレクターやスーパーバイザーなどとしてボンバーマンシリーズに携わる。 笹川敏幸 - 『迷宮組曲 ミロンの大冒険』の作者。後に同社のサウンドプロデュースを手掛けるようになり、『天外魔境ZERO』『天外魔境 第四の黙示録』では作曲を担当している。 猪狩寛 - ゲームプロデューサー。元執行役員 油布賢一 - 音楽事業部のゼネラルマネージャーとして「ハドソン・ミュージックエンタテインメント」を設立。前職はエクシング(JOYSOUND運用元)の第一制作G・統括プロデューサーであり、ハドソン在籍中に『カラオケJOYSOUND Wii』や音楽CD『エブリバディー』のプロデュースなどを手掛ける。 ロケットスタジオ - 初期の中心人物のひとりである竹部隆司が1999年に設立。 エヌディーキューブ - 元社長の遠藤英俊やマリオパーティーシリーズ開発スタッフが移籍。 ヴァルハラゲームスタジオ - 元専務取締役の辻尚之や川田忠之(川田名人)など桃太郎電鉄シリーズ開発スタッフの一部が移籍。 ハ・ン・ド - 藤原茂樹などのスタッフが移籍。 i-revo - 「i-revoミュージック&ムービーICE」を運営。 新・電子立国 - 第4回「ビデオゲーム〜巨富の攻防〜」にてハドソンの創業から発展までのエピソードが紹介されている。 ディーライツ - ハドソンの子会社であった未来計画株式会社を前身とする会社。 ハムスター (ゲーム会社) - 元研究スタッフが札幌開発室へ移籍し、アーケードアーカイブスシリーズタイトルの移植作業に携わる。 脚注 注釈 出典 外部リンク ハドソン 公式サイト 2013年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ Do the Hudson!! for iPod touch and iPhone 2013年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ (創業者である工藤裕司のTwitterアカウント) コナミの歴史 豊平区の歴史 札幌市の文化 かつて存在した日本のコンピュータゲームメーカー かつて存在した東京都の企業 かつて存在した北海道の企業 1973年設立の企業 2012年廃止の企業 戦後の札幌 北海道発祥の企業 2012年の合併と買収
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%88
ダウト
ダウトは、複数人で遊ぶトランプゲームの一つ。各々がカードの数字を読み上げながら裏返しに出していき、それがウソである(読み上げられた数字が出したカードの数字と違う)と思った参加者が「ダウト!」と叫んでウソを暴くのが特徴のゲームである。 西洋のカードゲームBullshitが日本に伝わったもので、日本語のゲーム名「ダウト」は、英語でのゲームの別名 "I Doubt It" のDoubt(ダウト)の単語に由来する。大阪、兵庫などの関西圏ではダウトが訛った座布団の名称で呼ばれる。その名前から由来して座布団の上にカードを出す遊び方をする。 遊び方 準備 使用するカードは、ジョーカーを除く1組52枚のトランプである。 全てのプレイヤーに均等にカードを配り、プレイ順を決める。 一般的なルールと勝敗決定 決められたプレイ順に従い、プレイヤーはカードを1枚ずつ裏向きに出していく。 最初のプレイヤーから1, 2, 3, …, 10, J (11), Q (12), K (13) の順で、自分の番に対応するカードをその数字をコールしながら場に出していく。スートはどれでもよい。「K」の次は「A」に戻ってまたA, 2, 3, …, J, Q, Kと順番に出していく。パスはできない。 プレイヤーは自分の順番に対応する数字以外のカードを出すこともできる。これは手札がない場合に限らず、戦略的に出すことも認められる。 他のプレイヤーは、もし出されたカードがその人の順番に対応してないカードであると思ったら「ダウト」とコールすることができる。2人以上が同時に「ダウト」をかけたら、先に「ダウト」とコールしたプレイヤーが「ダウト」をかけたものとする。 出されたカードに対して「ダウト」をかけられたら、そのカードを表向きにする。結果の責任は以下のように取らされる。 もし、そのカードが順番に対応していなければ(虚偽が見抜かれた場合)、カードを出したプレイヤーが今まで出されたカードを全て手札に加えなければならない。 逆に、そのカードが順番に対応しているものであったら、「ダウト」をかけたプレイヤーが今まで出されたカードを全て手札に加えなければならない。 「ダウト」が成功したか否か関係なく、「ダウト」されたプレイヤーの次のプレイヤーはそのまま次の数字に対応するカードから出し始める。例えば「2」で「ダウト」をかけられたら、「ダウト」の結果が成功でも失敗でも次のプレイヤーは「3」のカードを出すことになる。 以上のようにしてゲームを進めていき、誰か1人の手札がなくなった時点でゲームを終了し、手札をなくしたプレイヤーの優勝となる。他のプレーヤーは現在の手札の数が少ない順に2位、3位…と順位をつけるルールもある。 各プレイヤーの手札が少なくなるにつれて、順番に対応するカードを出せる確率が低くなっていくので、他のプレイヤーに「ダウト」をかけられやすくなる。しかし、プレイヤー全員の手札が少なくなった状態で自ら「ダウト」をかけることは既に出された札が多いわけであり、出された札をすべて引っ込めなければならなくなった時の敗戦の危険性が高くなる。途中「ダウト」が迫っても出す順番は一定であることを利用して、順番に対応するカードがどれになるのかを各プレイヤーが瞬時に予測し、いつダウトのカードを出すか、いつ「ダウト」とコールするのか、などの戦略がこのゲームの勝敗において重要な鍵を握る。 バリアントルール 以下のようなバリアントルールも存在する。 ダウトの声がかけられた場合に、そのカードのうちどれかを引いて、対応した数字である場合に限りダウト成功とするルールもある。 人数が多い場合はカードデッキを複数使う。 一度に出せるカードの数は複数(2~4枚)でもよい。ただし、対応していないカードが1枚でも交ぜて出し、ダウトのコールをかけられると、出されたカードをすべて手札に加えなければならない。 ダウトの時に数字が一致していなかった場合は、次の番の人がその数字から再開する。(例:AのときにAでないカードを出してダウトをかけられると、次の番の人がAのカードと思われるカードを出す) カードを引き取る代わりに自分の手札をすべて捨て、その人を負けとする 1回もダウトを成功させずに上がることを禁止する。ダウトを成功させずに手札がなくなった場合、出したカードの真偽等に関わらず今まで出されたカードを全て引き取らなければならない。 ジョーカーを、どの数字としても使えるカードとしてゲームで使用する。 等のバリエーションルールもある。 ゼロ和ゲームなので理論上はいつまでも続けることができ、「終わらないゲーム」の代名詞として使われることがある。特に、3人以下でするとなかなか終わらないため、ダウトをして実際に正しくない場合、相手が自分の手札から2枚引き、正しい場合は自分が相手の手札から2枚引くという方法を使う場合がある。 戦略 4枚手札に揃っている数字は絶対にダウトが成功するので、確実にカードを押し付けることができる。 また「ダウト」宣言で数字を持ち越すルールでは使えないが、A~Kを全て手札に揃えると13ターンの間に相手が上がらない限り勝つことができる。 チート 欧米ではこれに似たゲーム「チート」がある。こちらは基本的なルールはダウトと一緒だが、出したカードが対応していないと思っても自分の前の人にしかコールすることができない。 なおこのゲームのコールは「チート」である。 日本での歴史 日本では1907年(明治40年)に書かれた書物である世界遊戯法大全にDoubt It!の和訳として「そうですか」の名前で紹介されている。この遊びでは「ダウト」ではなく「そうですか」の掛け声を掛ける。 1981年版の開隆堂出版発行の中学英語教科書New Prince1年で取り上げられた。 関連項目 トランプ カードゲーム :en:Cheat (game) 外部リンク ダウト|トランプの歴史・遊びかた - 任天堂 トランプゲーム
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%B0%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA%E6%9B%B8%E5%BA%97%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%83%90%E3%83%90
さらば国分寺書店のオババ
『さらば国分寺書店のオババ』(さらばこくぶんじしょてんのオババ)は、椎名誠のエッセイ。椎名の作家としてのデビュー作であり、また昭和軽薄体を用いたスーパーエッセイの代表作である。 内容 国鉄はいま わしらの眼をまともに見ることができるか 検札を待つ時の微妙な気分、駅で聞く何だかよくわからない業務連絡、地下鉄のやたらと大きい車内放送などの鉄道に関する疑問や怒りを綴る。また、カラオケは人々の「超人願望」を叶えるものでないか、とも指摘する。 日本の“本官”たちはいったい何を話しておるのか 自身が留置場に入れられた経験をもとに、警察官の居丈高な態度の理由について言及する。厳しいオババが店番をする国分寺書店に本を売りに行った体験も綴る。 死ね! そこいら中の制服関係の皆様 自分が嫌う人々の共通項として、濃紺色の制服を着ていることを発見する。さらにバスの運転手、高校野球を作り上げる大人たち、店員が大声で叫ぶ寿司屋、子供をやたらと管理する幼稚園についても怒りを向ける。 うに寿司のジャーナリズム的摂取方法 公務員のもらう金について試算し、おかしさを指摘する。「噂の真相」創刊記念パーティで、場にあるうに寿司をどんどん食べていく恐るべき男を見かけ、そこからマスコミの不要性を説く。 夕陽にむかい背を丸め痛恨のチーズケーキ九六〇円の春 ふたたび国分寺書店に本を売りに行こうとしたが、そこは陶器の専門店となっていた。毎日厳しく客を指導し、本を美しく保っていたオババ。店を畳んだオババの人生に思いを馳せる。 解説 この本は当時情報センター出版局に勤務していた星山佳須也の依頼によって書かれた。星山が三五館という出版社を立ち上げると、義理と人情によって版元をそちらに移した。椎名と星山はこの本は文庫化しないと約束していたが、1996年に、二人の義理を壊さない形で新潮文庫に収められた。 また、この本が出て3、4年後に、椎名は『帰ってきたオババの逆襲』という本を書き下ろそうとし、少し書き始めたが、結局完成には至らなかった。 ちなみに、椎名はこの本の出版以前に『クレジットとキャッシュレス社会』『クレジットカードの実務知識』『大規模小売店と流通戦争』という3冊の本を書いている。しかし、いずれも椎名の前職である流通業界に関連する実用書であるため、デビュー作としては本書が紹介されることが多い。また、椎名自身も本書を「モノカキとしての実質的なデビュー作」と認識している。 当時の反響 書籍情報 情報センター出版局 (1979年11月、全234頁) 三五館(1993年3月、全269頁) 新潮文庫(1996年9月、全253頁) クリーク・アンド・リバー社(2014年5月、全263頁)電子書籍 脚注 関連項目 ストアーズ社 高田榮一 椎名誠 日本の随筆 1979年の書籍 多摩地域を舞台とした作品
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宇多田ヒカル
宇多田 ヒカル(うただ ヒカル、1983年〈昭和58年〉1月19日 - )は、日本の歌手、シンガーソングライター、ミュージシャン、音楽プロデューサー。本名:宇多田 光(読み同じ)。愛称はヒッキー。音楽プロデューサーの父・宇多田照實と歌手の母・藤圭子の下、アメリカ合衆国ニューヨークで生まれた。所属芸能事務所はU3MUSIC。所属レーベルはエピックレコードジャパン。ロンドン在住。 概要 1998年末に15歳でCDデビューし、デビューシングル「Automatic/time will tell」は、ダブルミリオンの大ヒットを記録。1stアルバム『First Love』は累計売上枚数765万枚を超え(オリコン調べ)、日本国内の歴代アルバムセールス1位になっているほか、2ndアルバム『Distance』では初週売上枚数が歴代1位となる300万枚(オリコン調べ)を記録している。2007年発表の「Flavor Of Life」は当時のデジタル・シングルのセールスにおいて世界1位を記録した。また、『日本ゴールドディスク大賞』「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」を、2000年と2003年に受賞している。 2010年に「人間活動」として翌年以降の音楽活動休止を発表。結婚・出産を経て、2016年に活動を再開し、復帰作『Fantome』はその年の『Billboard JAPAN年間総合アルバムチャート』で1位を獲得したほか、『第9回CDショップ大賞』で「大賞」を、『第58回日本レコード大賞』で「最優秀アルバム賞」を受賞した。また、2018年に発売した7thアルバム『初恋』とその他の成果により、第69回芸術選奨で大衆芸能部門にて「新人賞」を受賞している。 2018年現在までに、『First Love』『Distance』『DEEP RIVER』『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1』『Fantome』の5作品がオリコンまたはBillboard Japanの年間アルバムチャートで1位になっている。 来歴 日本でのデビュー以前 1983年1月19日に、アメリカ合衆国ニューヨークに生まれた。親の仕事の関係で、小さい頃から東京とニューヨークを頻繁に行き来していたという。家族の生活は音楽を中心に回っていたといい、宇多田は小学校低学年の頃からスタジオで宿題をしたりご飯を食べたりソファーで寝たりしていた。その中で、「光、ここちょっと歌ってくれない?」と頼まれ、親の楽曲で歌ったりすることもあった。 1990年に藤圭子(RA U)、宇多田照實(SKING U)、宇多田ヒカル(H。IKASO U)の家族3人ユニット「U3」を結成。1993年9月17日に当時10歳の宇多田ヒカルもボーカルとして参加し、ニューセンチュリーレコードの前身であるセンチュリーレコードからU3としてロック曲を収録したスタジオ・アルバム『STAR』を発売して日本デビューしている。またこの頃、「自分で作ってみたら」と言われて「I'll Be Stronger」という楽曲で始めて作詞作曲した(英語詞)。 1995年になると宇多田ヒカルが母親の代わりにメインボーカルとなり、「cubic U」名義としてインディーズのレコードレーベルから作品をヨーロッパやアメリカ合衆国で発売し、翌年にかけて合計3枚のレコードと1枚のマキシシングルを発表。日本では1996年9月26日には日本クラウンから藤圭子 with cubic Uとしてシングル「冷たい月 〜泣かないで〜」を発売。1997年1月、アメリカで「Cubic U」としてシングル「Close To You」(「遙かなる影」のカバー)、次いでアルバム『Precious』を発売。 同年秋、東京のスタジオでレコーディングしていたところ、隣のスタジオにいたディレクターの三宅彰の目に留まり、「日本語でやってみない?」という誘いにより日本デビューが決まった。なお、Cubic Uの日本盤として1998年1月16日にシングル、1月28日にアルバムを発売しているほか、NHK-BS2の『新・真夜中の王国』でテレビ初出演している。 1998年 - 2003年:日本でメジャーデビュー、『First Love』、『Distance』、『Deep River』 1998年10月、FMラジオレギュラー番組『Hikki's Sweet&Sour』と『WARNING HIKKI ATTACK!!』が放送開始(いずれも1999年3月放送終了)。 12月9日、「宇多田ヒカル」として1stシングル「Automatic/time will tell」発売。当時は(J-POPにおいて)8cmシングルから12cmシングルへと移行し始めた過渡期にあったため、8cm盤と12cm盤の2形態で発売した。また、当時のオリコンチャートも8cm盤と12cm盤を個別に集計していたため、12cm盤が12位、8cm盤が20位であった。ところが、ラジオ放送局へのプロモーションが功を奏して日本国内各地のFMラジオ局がヘヴィー・ローテーションしたことや外資系CDショップがプッシュしたこと、作詞作曲を手掛ける15歳の帰国子女が藤圭子の娘であることがマスメディアに大々的に取り上げられたことなどによって瞬く間に人気を得て、社会現象と化した。1stシングルは1999年2月8日付のオリコンチャートで売上枚数100万枚を突破してミリオンセラーとなった。その後、8cm盤・12cm盤を合わせた売上枚数は200万枚を突破した。1999年2月17日に2ndシングル「Movin' on without you」を発売し、3月1日付オリコンチャートにおいて12cm盤が初の1位となった。 1999年3月10日、1stアルバム『First Love』を発売。初週売上枚数は200万枚を突破し、その後も数十万単位で売れ続けて日本国内の歴代アルバムチャート1位となる。売上枚数は日本国内のみでおよそ765万枚、日本国外も含めるとおよそ990万枚と言われている。4月28日にはアルバムからタイトル曲「First Love」をリカットした。 新人ながらこのような爆発的なヒットを達成した背景として、当時流行していた「だんご3兄弟」の影響で普段レコード店に足を運ばない層が多数CDを買い求めたとも理由の一つと報じられている。 ここまで本人のメディア出演は学業と両立させていくためラジオや雑誌に限られていたが、6月18日の『ミュージックステーション』を皮切りに『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』、『SMAP×SMAP』などのテレビ番組に出演し、いずれも番組最高視聴率を記録した。11月10日にジャム&ルイス(Jam & Lewis)プロデュースによる4thシングル「Addicted To You」を発売。オリコンシングルチャートの初週売上枚数106.8万枚は当時歴代2位の記録であった。 2000年、NHK放送文化研究所が実施した「好きなタレント調査」において調査開始以来初のケースとなる圏外からの一気に1位(女性タレント部門)を獲得した。『第72回選抜高等学校野球大会』入場行進曲に「First Love」が使用された。5月に発表された1999年度の高額納税者において納税額2億6564万円で全国89位、芸能人では1位となった。本業の収入で全国100位以内に登場した10代は、史上初である。5thシングル「Wait & See 〜リスク〜」、6thシングル「For You/タイム・リミット」を発表(「タイム・リミット」はTAKURO(GLAY)との共作)。7月から8月にかけて初の全国ツアー『BOHEMIAN SUMMER 〜宇多田ヒカル Circuit Live 2000〜』を開催。9月にはコロンビア大学へ入学した。 2001年、7thシングル「Can You Keep A Secret?」を発表し、主題歌となったドラマ『HERO』にカメオ出演した。3月28日に発売した2ndアルバム『Distance』は浜崎あゆみのベスト・アルバム『A BEST』と同日発売であったことから大きな話題を呼んだ。初週売上枚数はオリコンアルバムチャート歴代1位となる300万枚を記録した。7月25日にはアルバム『Distance』の表題曲をアレンジした8thシングル「FINAL DISTANCE」を発売。映画『ラッシュアワー2』(Rush Hour 2)サウンドトラックに「Hikaru Utada feat. Foxy Brown」名義で「Blow My Whistle」を提供。MTVジャパン初制作となる『MTVアンプラグド』に出演した。TezukaOsamu@Cinemaで配信されたインターネットアニメ『ブラック・ジャック』においてピノコ役に起用された。アメリカのニュース雑誌『TIME』アメリカ版の2001年9月15日特別増刊号「Music Goes Global」でU2のボノ(Bono)、ビョーク(Björk)らとともに表紙を飾り、アジア版12月17日号では単独で表紙を飾った。11月28日には9thシングル「traveling」とライヴDVD『Utada Hikaru Unplugged』を同時発売した。 2002年1月31日、『世界経済フォーラム』のオープニングセレモニーでクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)とフィル・ラモーン(Phil Ramone)指揮のもとライヴパフォーマンスを披露し、2月18日には総理大臣官邸で開かれたジョージ・W・ブッシュ(George Walker Bush) 大統領(当時)来日を歓迎するレセプションに招待された。また、アメリカのレコードレーベルであるアイランド・デフ・ジャム・ミュージック・グループ(The Island Def Jam Music Group)と専属契約を結んだことを発表、同時に2001年からコロンビア大学を休学していることが明かされた。3月20日に10thシングル「光」を発売。 11thシングル「SAKURAドロップス/Letters」発売直前にシングルと3rdアルバムのプロモーション活動中止を発表。理由は4月に行った卵巣腫瘍(良性)摘出手術後の治療による副作用が予想以上にあったことである。なお、シングル及びアルバム『DEEP RIVER』は予定通り発売した。アルバムは初週売上枚数235万枚(プラネットは189万枚)を記録してトリプルミリオンを達成し、オリコン年間アルバムチャート1位を獲得した。9月6日にはミュージック・ビデオやディスクジャケットをともに製作してきた紀里谷和明との結婚を発表した。 自身20歳の誕生日となる2003年1月19日にライヴ・ストリーミング『20代はイケイケ!』を開催。トークとミニライヴが行われ、当日にはおよそ100万件のアクセスを記録し、DVD化した。1月29日には12thシングル「COLORS」を発売。3月26日発売の『くずアルバム』にはコーラスで参加した。3月29日発売のコズミック・デブリ(Cosmic Debris)による絵本『エミリー・ザ・ストレンジ』(Emily The Strange)では翻訳を担当している。 2004年 - 2005年:世界進出、『Exodus』 2004年、日本武道館5日間公演となるライヴ『Utada Hikaru in BudoKan 2004 「ヒカルの5」』を開催。3月24日に発売された尾崎豊のトリビュート・アルバム『"BLUE" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』では「I LOVE YOU」をカバーした。3月31日に『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1』を発売、4月21日には映画『CASSHERN』主題歌となった13thシングル「誰かの願いが叶うころ」を発売して日本国内の活動に一区切りをつけた。 「Utada」として全米デビュー前に、アテネオリンピックのオフィシャル・アルバム『UNITY』に参加。「ティンバランド&カイリー・ディーン&UTADA」(TIMBALAND & KILEY DEAN & UTADA)として「By Your Side」を提供した。ティンバランドやジョン・セオドア(Jon Theodore、当時のマーズ・ヴォルタメンバー)がプロディース参加した全米デビュー・アルバム『エキソドス』(EXODUS)は9月8日に日本盤が先行発売し、オリコンチャート初登場1位を獲得してミリオンセラーにもなった。アメリカ盤は10月5日に発売した。 2005年 - 2008年:日本での活動、『Ultra Blue』、『Heart Station』 2005年、日本国内の活動再開となる14thシングル「Be My Last」を9月28日に発売し、15thシングル「Passion」を12月14日に発売した。また、ライヴとトークを期間限定でネット配信した。 2006年、16thシングル「Keep Tryin'」を発売。6月14日には4thアルバム『ULTRA BLUE』を発売し、7月から9月にかけて全国ツアー『UTADA UNITED 2006』を開催。期間限定のブログも開設した。『ULTRA BLUE』はオリコンチャート初登場1位を獲得、1stアルバムから5作連続で初動セールスが50万枚を突破した。また、台湾のJ-POPチャートでも初となるアルバム5作連続1位になっている。11月22日にはNHK『みんなのうた』10月〜11月のうたに使用された「ぼくはくま」をシングル発売し、pom ponetteとコラボレーションしたチャリティー企画『「ぼくはくま」オリジナルT-シャツコンテスト』を開催し、グランプリに輝いたTシャツを商品化。すべてのTシャツ収益は世界の子どもにワクチンを日本委員会に寄付された。 2007年、ドラマ『花より男子2(リターンズ)』イメージソングを収録した18thシングル「Flavor Of Life」を発売。オリコンチャートは3週連続1位となったほか、音楽配信では当時の邦楽新記録を樹立し、9月までには当時のデジタル・シングル世界一のセールスになった。一方、私生活では紀里谷和明との離婚を発表している。19thシングル「Beautiful World/Kiss & Cry」は映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』テーマソングと「This Is Love」に続き起用された日清食品カップヌードル「FREEDOM-PROJECT」CMソングを収録。また、ニーヨ(Ne-Yo)がUtadaをフィーチャーしたデジタル・シングル「ドゥ・ユー feat. Utada」が11月21日から配信開始。12月9日のデビュー記念日を迎えるにあたり、デビュー曲「Automatic」の着うたを4日間限定で無料配信し、50万ダウンロードを記録した。 2008年2月20日には20thシングル「HEART STATION/Stay Gold」を発売、全国のFMラジオ局とのコラボレーション企画を行った。3月には無料ダウンロード企画第2弾となる「First Love」の着うたを4日間限定で無料配信し、前回を上回る70万ダウンロードを記録した。5thアルバム『HEART STATION』は3月19日に発売となり、6作連続となるオリコンアルバムチャート1位となり、ミリオンセラーになった。5月21日にはアルバムからドラマ『ラスト・フレンズ』主題歌の「Prisoner Of Love」をリカットした。10月20日からはドラマ『イノセント・ラヴ』主題歌になった2ndアルバム『Distance』収録の「Eternally」を新たにミキシングした「Eternally -Drama Mix-」の着うた・RBTを配信開始した(着うたフル・PC配信は10月31日から配信開始)。 2009年 - 2010年:二度目の世界進出、『This is The One』 2009年、Utada名義でMyspaceにオフィシャル・ページを開設。スターゲイト(Stargate)がプロデュースし、トリッキー・スチュワート(Tricky Stewart)も参加したアルバム『ディス・イズ・ザ・ワン』(This Is The One)は3月14日に日本先行発売した。 3月19日には初のオフィシャル・ブック『点 -ten-』『線 -sen-』を発売。これを記念して、かつてのFMレギュラー番組『宇多田ヒカルのトレビアン・ボヘミアン』がスペシャル番組として復活した。 3月24日に全米配信した『ディス・イズ・ザ・ワン』(This Is The One)は日本人アーティストとしては最高位となる総合アルバム・チャート19位、POPアルバム・チャート2位を記録し、5月12日のCD発売後はBillboard 200において日本人アーティストとして23年ぶりにチャート100位以内にランクインした。ところが、アメリカでのプロモーション活動は扁桃周囲炎の再発により中止となる。 6月27日には映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』公開に合わせて「Beautiful World」をリミックスした「Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix-」を配信開始した。2009年春には、Myspace主催によるUtadaカラオケ・コンテストを日米で開催。日米双方から優勝を選出し、都内で宇多田と優勝者によるカラオケ・パーティーが開催された。 2010年1月から2月にかけては、初の北米ツアー『Utada "In The Flesh" 2010 Tour』を開催し、ロンドン公演含む全10公演を行った。 2010年 - 2015年:「人間活動」期、母・藤圭子の死、結婚、出産 2010年8月9日、来年以降のアーティスト活動を止めて「人間活動」に専念することを告げ、同時に秋から冬にかけてシングル・コレクションvol.2や新曲を発売することも発表した。9月28日にはTwitter公式アカウントを開設し(当初は期間限定の予定であった)、CM出演やライヴ開催を発表した。 ところが、11月24日の『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.2』発売日にアイランド・デフ・ジャムがUtada名義のベスト・アルバム『Utada The Best』を発売することが発覚し、本人の意向とは異なるアルバム発売に不快感を露わにした。そのため、今後の日本国外の活動においてもEMI MUSICと契約し、アーティスト名を「宇多田ヒカル」に統一することを発表した。 12月8日・9日に横浜アリーナで開催したライブ『WILD LIFE』では、8日の公演を日本国内の映画館で生中継し、Ustreamで世界配信した。 東日本大震災の被災者のために義援金を送り、自ら献血を行ったことを公表。2012年11月17日には映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』公開に合わせて、テーマソング「桜流し」を配信開始し、DVDシングルを12月26日に発売した。 2013年4月からは月1回のラジオレギュラー番組『KUMA POWER HOUR with Utada Hikaru』の放送がスタート(2014年3月終了)。2013年12月9日のデビュー日には『Utada/Utada Hikaru: In The Flesh 2010』と過去のライヴ作品をiTunesで配信開始。 2014年3月10日は1stアルバム『First Love』発売から15年を記念した『15th Anniversary Edition』を製作、ハイレゾリューションオーディオも配信開始した。 人間活動中の2013年には母親(藤圭子)の死もあったが、翌2014年にイタリア人男性と再婚(2018年に離婚が判明)、2015年には第1子となる男児を出産した。 2015年 - 2016年:活動再開、『Fantôme』 2016年、NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』主題歌を担当することが決定。また、ニュース番組『NEWS ZERO』エンディングテーマも担当することを発表すると同時に、初披露となる4月4日からアーティスト活動を再開することを発表した。 「花束を君に」「真夏の通り雨」は4月15日に配信開始となった。「花束を君に」をリスナーにとって大切な人に贈ることを目的とした「ギフトキャンペーン」を開催し、売上の一部は熊本地震災害義援金に寄付された。 9月28日には椎名林檎、小袋成彬、KOHHが参加したおよそ8年ぶりとなる6thアルバム『Fantôme』を発売した。『Fantôme』は各配信サイトにおいて日本を含む世界31か国(地域)でランクインし、CDセールスにおいてもオリコンチャート4週連続1位になった。10月に単独アーティスト初となる民放ラジオ101局による特別番組『サントリー天然水 presents 宇多田ヒカルのファントーム・アワー』がオンエアになった。 12月9日のデビュー記念日には2003年の『20代はイケイケ!』以来となるネットイベント『サントリー天然水PRESENTS「30代はほどほど。」』を開催し、KOHHとPUNPEEがゲスト出演した。また、小田和正によるコラボレーション・ライヴ番組『クリスマスの約束』に初出演して「Automatic」などを披露したほか、『第67回NHK紅白歌合戦』にロンドンからの中継で初出場した。 2017年 - 2018年:レーベル移籍、『初恋』 2017年、THE BACK HORNとの共同プロデュースとなったシングル曲「あなたが待ってる」に作詞、編曲、ピアノ、バックグラウンドボーカルで参加した。 2月9日にはソニー・ミュージックレーベルズ内のレーベルであるエピックレコードジャパンに移籍することをオフィシャルサイトで発表した。 7月には移籍後初となる新曲「大空で抱きしめて」と「Forevermore」を配信開始した。12月には「あなた」を配信開始したほか、初の歌詞集『宇多田ヒカルの言葉』を発売した。 2018年になると、アルバム『Fantôme』収録曲「ともだち」に参加した小袋成彬のメジャー・デビューとなるアルバム『分離派の夏』のプロデュースを手掛けたことを発表し、「Lonely One feat. 宇多田ヒカル」を先行ストリーミング配信した。 椎名林檎のトリビュート・アルバム『アダムとイヴの林檎』に宇多田ヒカル&小袋成彬として参加し、「丸ノ内サディスティック」をカバーした。 6月27日には「大空で抱きしめて」「Forevermore」「あなた」のほか、「誓い」「Play A Love Song」「初恋」「Good night」のタイアップ曲を収録した7thアルバム『初恋』を発売した。 アルバム発売にあわせて、かつてのFMレギュラー番組が一夜限りに復活して『宇多田ヒカルのTRÈS BIEN! BOHEMIAN! SPECIAL』として放送したほか、同年年末には、12年ぶりとなる全国ツアー『Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018』を開催した。 2019年 - 2022年 『BADモード』 2019年1月には、世界的エレクトロミュージシャンSkrillexとのコラボ曲で、ゲームソフト『キングダム ハーツIII』に書き下ろした「Face My Fears」を11年ぶりにCDシングルとしてリリースした。 また、11月にリリースされた椎名林檎のベストアルバム『ニュートンの林檎 〜初めてのベスト盤〜』に収録された楽曲「浪漫と算盤」で椎名林檎と3年ぶりの共演を果たしたほか、同月リリースの井上陽水のトリビュートアルバム『井上陽水トリビュート』では『少年時代 (井上陽水の曲)』をカバーした。 2020年に入ると、ドラマ『美食探偵 明智五郎』の主題歌として新曲「Time」を書き下ろし、「サントリー天然水」のTVCMには新曲「誰にも言わない」が採用された。新曲2曲がリリースされた5月には、自宅から1か月限定で毎週日曜日にインスタライブを行い、ファンからの様々な質問に答えたほか、中村倫也やTAKA、KOHHがゲストとして出演した。 2021年には、アニメ映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のテーマソングに新曲「One Last Kiss」が起用され、また、これまでに宇多田が『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズに提供してきた関連楽曲全曲が収録されるEP『One Last Kiss』のリリースも決定した。さらに、4月にNHKEテレにて放送開始のアニメ「不滅のあなたへ」の主題歌に、新曲「PINK BLOOD」が起用されることも発表された。7月には新曲「Find Love」が、資生堂の世界ブランド・SHISEIDOによる新グローバルキャンペーン「POWER IS YOU」(パワー・イズ・ユー)のキャンペーンソングに決定、またキャンペーンのブランドムービーに女優の、プロサッカー選手のミーガン・ラピノーとともに出演した。 2022年には、8枚目のオリジナルアルバム「BADモード」をリリース。1月19日に先行配信を開始し、2月23日にフィジカルCDを発売した。 4月16日(現地時間)には、アメリカ最大級の野外音楽フェスティバル「Coachella Valley Music and Arts Festival」のメインステージに88risingの一員として出演し、計5曲を披露した 人物 宇多田家の祖先は山口県にあり、父親が子どもの頃に家系図を見せられて由緒ある家の跡継ぎであることを説明されたという。郷土資料によると山口県山口市徳地島地(旧佐波郡徳地町島地)に宇多田という大庄屋があり、たくさんの土地を持っていたとの記述が残っている。 本人のツイートによると、予定を3週間以上も過ぎた後もなかなか産まれなかったため、医師の判断で帝王切開したものの、ほぼ死産の状態だったとのこと。この時父親は医師から「残念ですが…」と告げられるも、懸命に名前を呼ぶと、徐々に血の気が入り蘇生したという。2020年10月、Twitter上で「アメリカの大統領選の在外投票の登録ギリギリ間に合った」と発言しており、日本とアメリカの二重国籍を維持していると思われる。 名前に関して、漢字表記ではなく片仮名の「ヒカル」と名乗った理由は、漢字だと何か堅い感じがするという意見がEMI社内で出たため。画数にこだわったのは、よい画数の名前であると言われていることによる。ちなみに元々の名前の由来は、母親(藤圭子)が網膜色素変性症のため、徐々に視力を失っていた時に授かった子であることから「我が子から光が失われないように」という願いを込め命名したと言われている。この他にも「いちご」や「めろん」、「すいか」が候補に挙がっていたという。ニックネームは「ヒッキー」(Hikki)。 身長に関しては、ある時に病院で正確に測ったところ、158.9cmであることが判明。今まで158cm(15歳当時の記録)であると公言してきたことから、2017年3月に出演したラジオ番組内で各所プロフィールの更新を求めた。2019年5月に過剰運動症候群と診断されたことを公表。本人は「病気とかじゃないよ!」と投稿している。 2002年、19歳の時に紀里谷和明と結婚、2007年に離婚。2014年2月にイタリア人男性と再婚。2015年7月に第1子となる男児を出産したことを報告したが、2018年4月に離婚していたことが明らかになった(公式発表ではない)。 2021年6月26日、自身がノンバイナリーであることをインスタライブにて公表している。 趣味・嗜好 ブログやTwitterにおいて自身の好きなものや興味を持っているものなどを随時書き込んでいる。 2006年の23歳の誕生日に大きなテディベア(くまのぬいぐるみ)をプレゼントされ、以来大のくま好きであることを公言。ちなみにそのテディベアには「くまちゃん」という名前がついており(宇多田が自ら命名)、『ぼくはくま』のモデルになった。その後も、宇多田のSNSアカウントやミュージックビデオなど、様々なところに「くまちゃん」が登場している。 テトリスの腕前について広く知られており、2006年には任天堂のクラブニンテンドー会員限定イベント『宇多田ヒカルとテトリス対戦!!』が開催され、一般ユーザーや任天堂開発チームとテトリスDSの1対1対戦を行った。ちなみに、テトリスDSでカウンターストップとなる99999999点を達成している。 自身のインスタグラムアカウントでは、度々地面に落ちている「落とし物」の写真をアップロードしている。2020年1月のマツコの知らない世界の正月SPに出演した際には、それらが「落とし物の世界」として紹介された。 宇多田は読書家でも知られており、自ら次のように語っている。「とにかく文学は永遠に私の情熱であるでしょう! 本は財産です。読んだ本は全部とっておく。服よりほんの占めるスペースが多い。」2018年の雑誌のインタビューでは、物心がついた頃から「他者と、世界と繋がるための方法、手段」として読書を始めていたと語っており、それは小説に限らず、子供向けの絵本や、詩、短編など、様々だった。また、その「繋がっている」という感覚が、宇多田の作家としての原点だったという。2020年の文學界での又吉直樹との対談では、自身の子どものころについて、「自分にとって唯一自由で、自分であることが許された、安心していられる場所」「現実で自由にならないこと、耐えられないことから、いつでも逃げられる場所」が「本の世界」だったと明かした。2017年12月に全国の38書店で展開された「宇多田書店」では、以下の人物の作品を推薦書籍として選出している。開高健、宮沢賢治、中上健次、芥川龍之介、川端康成、森鴎外、夏目漱石、三島由紀夫、稲垣足穂、谷崎潤一郎、埴谷雄高、大岡昇平、遠藤周作、ヘルマン・ヘッセ、オスカー・ワイルド、アン・クラーク・アモール、シェル・シルヴァスタイン、エドガー・アラン・ポー、エリ・ヴィーゼル、F・スコット・フィッツジェラルド、ジョージ・オーウェル、ダニエル・キイス、司馬遼太郎、アンリ・ベルクソン、ロアルド・ダール、田村隆一、J・D・サリンジャー、有吉佐和子、家永三郎、ゲーテ、中西進、白州正子、エリザベート・バダンテール、中原中也など。また、1999年に当時16歳の宇多田は、講演で来日したダニエル・キイス(「アルジャーノンに花束を」などの著者、当時72歳)と文藝春秋で対談している。 また、特に好きな作家には中上健次や宮沢賢治の名前を挙げており、中上健次の娘で作家の中上紀と対談した際には『異族』『紀州弁』(『鳥のように獣のように』所収)を好きな作品として挙げ、宇多田にとって初の歌詞集『宇多田ヒカルの言葉』を出版する際に行なった本人による選書企画『宇多田書店』において、中上の作品群から9作品選んでいる。 宇多田はまた大の漫画好きでもある。小説が漫画よりも「高尚なイメージ」があることについて、「くだらないものはくだらないし、いいものはいい」「くだらない小説読むんだったら良質の漫画の方がよっぽど有益」と、自身のブログで語っている。子供の頃は、漫画家を目指していて、漫画雑誌「りぼん」に投稿したこともあるという。2017年に開催された「宇多田書店」では、以下の作品を推薦書籍として選出した。「バガボンド」、「リアル」、「SLAM DUNK」、「HUNTER×HUNTER」、「レベルE」、「幽☆遊☆白書」、「うる星やつら」、「らんま1/2」、「キャッツ・アイ」、「シティーハンター」、「ベルサイユのばら」、「攻殻機動隊」、「バイオメガ」、「はじめの一歩」、「MONSTER」、「20世紀少年」、「ゴルゴ13」、「鬼平犯科帳」(さいとうたかを)、「ブラック・ジャック」、「七色いんこ」、「ブッダ」、「AKIRA」、「サーカス・ワンダー」、「鬼切丸伝」、「ピアノの森」、「北斗の拳」、「サラリーマン金太郎」、「ぼくの地球を守って」など。 また宇多田は、2006年5月号の「Invitation」で、漫画家・浦沢直樹と対談している。 人間活動 2010年に活動休止を発表したことについて、「(休養中の行動を『人間活動』と表現したのは)思っていることを長く書こうとしても伝わらないことが多くて、短い言葉を使おうと思った。」「自分の力で生きたい。色々と知らないことがあるまま生活しているので、1人でも生きられるようになりたい。」「得意なことばっかりやっても成長がないと思って。もし私と同じく、自分の中の苦手なこと、避けようとしている部分に向き合っていきたいと考えている人がいるなら、一緒に頑張りましょう!」と発言しているほか、「有名人(見られる側)になってからの十数年、どんどん自分が見えなくなっていってた。全然自分のこと理解できてなかったし周りの人たちのことも「知ろう」としてなかった。苦しい、さびしい生き方をしてました。まだ若いうちに気付けてよかったです。みんなに感謝」とツイートしている。 音楽性 作詞・作曲・編曲を手掛け、自らプログラミングも行っている(2018年現在もApple Logic Pro Ⅹを使用)。絶対音感を持っていると噂されたことがあるが、本人がこれを否定している。曲作りに関しては曲先であり、「桜流し」配信開始時には「基本、コード→メロディー→歌詞という流れ。アレンジャーも私です。」とツイートしている。母親の藤圭子は、ヒカルが演歌の陰鬱や悲しさに影響されないように心掛けていたとしている。 デビュー当初から宇多田ヒカルを担当している三宅彰は、デビュー10周年の際に受けたインタビューで宇多田の変化についてコメントしており、『First Love』から『ULTRA BLUE』までのアルバム4枚は誰に向けて書いたのか具体的に見える曲が多かったが、『HEART STATION』は顔の見えない不特定多数に向いていると述べている。さらに、「10代は内面に向かいがちだったのが、20代半ばになり社会と自分というものを結びつけることができるようになったのかなと思う」とも評している。 作風 デビューアルバム『First Love』と続く『Distance』の楽曲はR&B色が強く、「Addicted To You」や「Wait & See ~リスク~」では、ジャム&ルイスがプロデューサーとして迎えられた。自らも編曲に参加するようになった3rdアルバム『DEEP RIVER』では、R&Bの域を越え、ロックやダンスなどのジャンルを包含した普遍的なポップスとなり、またジャケット写真や遠藤周作の小説にインスパイアされたタイトルからも窺える、暗く内省的な世界観を打ち出すようになった。自身が完全に音作りをするようになったUtada名義でのアルバム『Exodus』は、R&Bからオルタナティブ、ポップ、ダンス、エレクトロニカなどをミックスした、今まで以上にジャンルレスな作風となっており、また内数曲では、ヒップホップ/R&Bシーンに革新的なビート旋風を巻き起こしたティンバランドなどがプロデューサーに迎えられた。『ULTRA BLUE』になると、ほぼ全曲の作詞作曲編曲、プログラミングまでを自らが行うようになり、次作『HEART STATION』にかけて打ち込み主体の楽曲が多くなった。『ULTRA BLUE』では内省的で私小説のような趣をみせ、メロディも主旋律が強めで高音を多用した独創的なものとなる。そして、同作や『Exodus』での技巧的・実験的な作風への反動で、『HEART STATION』と続く『This is The One』では、比較的ポップな楽曲が多くを占めるようになった。『HEART STATION』では、ヒップホップとハウスを練り込んだようなビートの上に優しいメロディがのった、しっとりとした洋楽ポップスのようなモードへ入る。Utada名義の2ndアルバム『This is The One』では、トラックメイカーにスターゲイトやトリッキー・スチュワートを迎え、前作『Exodus』とは一転し、USのメインストリームを意識したR&Bにシフトチェンジした。 母・藤圭子の死、結婚、初の出産を経て、2016年にリリースした復帰作『Fantome』は、宇多田が母の死と向き合ったもので、「日本語で歌うこと」をテーマに制作され、プライベートな喪失の痛みを普遍的なポップソングに昇華している点などが評価された。音楽的には、『Fantome』と次作『初恋』ともに、打ち込み主体の活動休止以前とうってかわって、ほぼ全曲が生バンドによるプロダクションとなり、エンジニアにはグラミー賞受賞経験のあるスティーヴ・フィッツモーリスを起用した。両作とも「日本語のポップス」であることを貫きながらも、世界的なポップスのトレンドである緻密にしてシンプルなアレンジを基礎構造にもつ仕上がりとなっている。『初恋』では、現代ジャズシーン最高峰ドラマーの呼び声高いクリス・デイヴを起用しており、また私小説的な歌詞や、リズム・譜割りに対する新たなアプローチが評価されている。 影響 フレディ・マーキュリー、コクトー・ツインズ、ナイン・インチ・ネイルズ、ジミ・ヘンドリックス、プリンス、エディット・ピアフ、チック・コリア、ブルー・ナイル、ビョーク、 レニー・クラヴィッツ、バルトーク・ベーラ、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ジェフ・バックリー、尾崎豊、美空ひばり、フランク・オーシャンなどをお気に入りのアーティストとして挙げており、アリーヤやメアリー・J. ブライジなどのR&Bアーティストからも影響を受けたという。また2013年放送の自身のラジオでは、「トータルでいうとソングライターとしてとか、歌手としてとか,アーティストとして生きてる人たちの中で一番憧れるアーティスト」としてPJ ハーヴェイを挙げている。また、「他のアーティストと一日入れ替われるんだったらPJ ハーヴェイかトム・ヨークになってみたい」とも語っている。 また、これまでの宇多田の作品には文学作品に影響されたものが多くある。3rdアルバム『DEEP RIVER』(2002)ならびにその収録曲「Deep River」のタイトルは、遠藤周作の小説「深い河」にインスピレーションを得ている。2004年の世界進出時のアルバム『EXODUS』の収録曲「Kremlin Dusk」には、アメリカの作家エドガー・アラン・ポーの物語詩「大鴉」からの引用が幾つか見られる。5thアルバム『HEART STATION』の収録曲「テイク5」の歌詞は、本人がインタビューで「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』みたいにしたかった。」と語っている。また同作品については、2018年に出演したNHKのSONGSにてその一節を引用し、「幸せ」についての自論を語った。2008年にはブログで「唯識三十頌」の写経をしていることを綴った。三島由紀夫の遺作「豊饒の海」で知って以来の写経のお気に入りだという。なお宇多田は、2005年に三島の同作の第一部を映画化した「春の雪」の主題歌に「Be My Last」を書き下ろしていた。6thアルバム『Fantome』の収録曲「荒野の狼」の曲名は、ヘルマン・ヘッセの同名の小説からとったという。2018年に開催された12年ぶりの全国ツアー「Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018」の題名は、ロシアの詩人・ナボコフの長編小説「カメラ・オブスクーラ」の英題から引用されている。また、その年に自身が出演したNHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」では、楽曲「夕凪」の制作中に同じくナボコフの小説「青白い炎」に出てくる詩を読みながら涙するシーンが映る。2019年12月に発売された「文學界1月号」では、作家で芸人の又吉直樹と「創作」をテーマに対談した。なお、宇多田と又吉はそれまでにもSONGSや宇多田のツアーで共演していた。2020年に自身が出演したサントリー天然水のTVCMでは、自身が選んだというイギリスの詩人・ワーズワースの詩の一節(国木田独歩訳)を朗読している。 使用機材 MacBook Pro(15-inch, 2017)とLogic Pro Xを使って曲作りを行なっている。マイクロフォンはNEUMANN TLM 67、NEUMANN TLM 102、オーディオインターフェースはRME Babyface Pro、MIDIキーボードはM-AUDIO Keystation 61es、モニターヘッドフォンはSONY MDR-7506、マイクスタンドはQuiklok、スタジオモニターはFocal CMS50、スピーカースタンドはIsoAcousticsを使用している。なお、以前住んでいたアパートでは壊れた機材はトイレに積んでいたという。 楽曲制作 10歳で作詞作曲を始めているが、編曲に関して当初は外部に任せていた。アルバム制作を重ねるにつれ、アレンジからプログラミングに至るまで、すべての音を統括するようになった。まず2ndアルバム『Distance』収録の「DISTANCE」およびそれをアレンジした8thシングル「FINAL DISTANCE」から編曲においても大きく関わるようになり、2004年の13thシングル「誰かの願いが叶うころ」以降は、ほぼすべての楽曲の編曲を単独で行うようになる。宇多田の楽曲においては、バックコーラスの声も多重録音によりすべて本人が歌っている。歌詞のインスピレーションは毎日の生活から得る。日本では抽象的なことを歌詞にする書き手が多いが、宇多田自身はヴィジュアルコンセプトから入るので映画のシナリオを書くように言葉にした情景はすべて映像として見ることが出来ると語っている。作曲では、まずパソコンソフトやシンセサイザーなどで流したサウンドに合わせてコードを付け、それにメロディをのせる。歌詞を作るのはそれらの作業が終わった後。 音楽活動再開以降は、自らの住んでいるロンドンで一連の楽曲制作が行われている。とりわけ活動休止前は、常に単独で制作しており、他のアーティストとのコラボレーションも少なかったことから、周りからは「密室系アーティスト」と呼ばれていたというが、復帰後は他アーティストとの共演も増え、サウンド面においても主に生楽器が用いられるようになった。アルバム『Fantome』『初恋』のレコーディング、ミックスを担当したスティーブ・フィッツモーリスによると、宇多田のいないところでレコーディングが行われることはないといい、その点が他アーティストとの違う点だと語った。またスティーブによれば、「僕はこれまで大勢の人の作品を手掛けてきたけど、中でも宇多田さんは最も断固とした態度の持ち主の一人」という。その中でも印象的なエピソードとして、レコーディングにてミュージシャンたちが宇多田の要望に「ちょっとこれできない、難しい」と言ったときに、宇多田が「それは、不可能なの? 難しいの?」(英語:“Is it impossible? Or is it difficult?”)と聞き返したことを挙げている。いきものがかりのリーダー・水野良樹は、2016年放送の関ジャム 完全燃SHOWにて、宇多田の「レコーディングのこだわり」を語り、「宇多田のレコーディングにやってきた日本有数のミュージシャンが、宇多田の指摘のスゴさに、落ち込んで帰っていく」という逸話を紹介した。 音楽観 自身のメロディに関して宇多田は、活動休止以前は「音楽の表面的な意味でのいいメロディを、こう行くとなんか気持ちいいなっていうメロディを、探って探ってつないでいた」という。一方、活動再開(アルバム『Fantome』)以降のメロディは、「マグマが湧いて出てくるみたいな、うねりのようなもの」「ゆっくり、べたべた、地を這う、蛇のようなもの」だと話した。また、そのようなメロディには「日本語がほんとに合う」としており、「沈んでいくタイプの心の残り方をする」とも語っている。また、宇多田はメロディ自体をリズムと捉えているといい、「私からしたら(メロディとは)リズムにピッチついてるみたいな感じ。」とも語るなど、楽曲におけるリズムに対するこだわりを話している。また、アルバム『HEART STATION』リリース時のインタビューでは「音楽のジャンルは、キックとスネアの音で決まる」と語っている。その他にも、子供は大人よりも「変拍子も癖のあるリズムの取り方も素直に受け入れることができて尚且つおもしろがる」ので、「子供と一緒に音楽を聴くのが楽しい」とツイートしている。 作詞は、宇多田が楽曲制作において最後に取りかかる作業である。歌詞集「宇多田ヒカルの言葉」(2017)の序文では、「『誰か』の気持ちを描くことで、自分の意識下にあった気持ちに触れる」ことが宇多田にとっての作詞だと綴っている。そこではまた、それまでの自身の歌詞を次のように3期に分けている。 初期は「自分の無意識にあるものを表面にすくいあげる行為」を無意識にしていた。 第二期ではそれを意識的に行うようになり、すくい上げるというより、潜りに行くようになった。 活動休止を経た第三期では、自らに課していた様々な検閲を取り払うことで表現の幅が広がり、それまでになく己をさらけ出すような作品も、それまでになくフィクション性の高い作品も登場する。 自身の考える日本語表現については、萩原朔太郎の『詩の原理』で語り尽くされているという。また宇多田は、2018年の小袋成彬と酒井一途との座談会で、デビュー曲「Automatic」に関して「言葉の途中の一瞬に間が空くことへの評論があって、『?? だって音楽じゃん? 言葉?』ってなった。」と語っている。「言葉に対して、ここが良い切れ目とか、ここが切っちゃいけないとかが自分にない」という。「音楽が第一言語」とも語っており、作詞は「音楽を日本語に翻訳する」ような作業だという。また宇多田は、2008年の雑誌のインタビューで「悪いポップはコビだけど、いいポップは思いやり」だと述べているほか、別の場所では「"媚び"は音楽自体の終焉を招く」と、自らの音楽に対する姿勢を表明している。 評価 HMVは、2003年の「Top 100 Japanese pops Artists」で第24位に、2005年の「日本のシンガーTOP30」で第10位に宇多田ヒカルを選出している。 宇多田のデビューは日本中に大きな衝撃を与えた。音楽プロデューサーの小室哲哉は、宇多田について、デビュー曲『Automatic』の衝撃や宇多田の"自由さ"を指摘しており、また"自らの引退を考えさせたアーティスト"と評している。また、「宇多田ヒカルをきっかけに、プロデューサーやレコード会社の人の言葉に耳を傾けつつという、音楽業界の暗黙の了解みたいなものがなくなった。」とも指摘している。音楽ジャーナリストの宇野維正もまた、宇多田の登場によってそれまでレコード会社や大手プロダクションが握っていた日本の音楽シーンをアーティスト自身が手にする時代が来たと語る。また、宇多田がデビュー当初にすでに"音楽家としての権利"を保持していたことを指摘し、これは「世界中を見渡しても異例の契約条件」と語った。同じく音楽ジャーナリストの柴那典は、宇多田の歌はデビュー以来、徹底して「個」の表現であり続けてきたとし、多数の『アムラー』を生み出した安室奈美恵や『女子高生のカリスマ』として同年にデビューした浜崎あゆみのように女性たちの憧れの対象としてのアイコンにはならず、どれだけ沢山のCDが売れようと、聴き手は『一対一』の親密でパーソナルな関係の中で宇多田の歌を受け取ってきたのだと指摘。柴はさらに、「そういうタイプのアーティストが登場し、そのデビュー作が最も大きなヒットとなったことが、後に続く時代の変化の一つのうねりのようなものにつながったのではないか」と考えている。ロッキング・オン・グループの代表取締役社長で音楽評論家の渋谷陽一は、宇多田ヒカルの登場によって、「日本人の持つポップミュージックのDNAが変わった。」とコメント。また、宇多田の「革命性と大衆性の両立」を指摘してその衝撃を語った。ミュージシャンで音楽評論家の近田春夫は、宇多田のデビュー後のJ-POPを「宇多田ヒカルというB-29による空爆後の焼野原」と表現。宇多田の登場によって日本の音楽シーンが一変したと語った。写真家の藤原新也は五木寛之との対談で、当時の"宇多田ブーム"について、「マーケティングによって成り立った乾いた小室産業から宇多田的な個的な情感に時代がシフトした」と分析した。吉本隆明は自著「現代日本の詩歌」(2003)で宇多田のデビュー曲「Automatic」を取り上げ、「口語でできた、すぐれた歌詞で、純粋詩人の作品」「きわめて個性的に女の子の気持ちを歌っている」と評価した。 宇多田のデビュー当時、しばしば宇多田の歌詞における"字切り"の特徴が指摘されていた。トレモロイドの小林侑太は、「Automatic」に代表される宇多田の楽曲が、リズムのアクセントと音自体の発音の強弱の一致によって"心地良いグルーブ感"を生んでいると指摘。「細かな発音の強弱や譜割りに対する鋭敏な感覚を持っていれば歌でグルーヴを表現できる」という感覚が宇多田の登場によって当時の日本の音楽シーンに持ち込まれたとも考察している。作曲家の筒美京平は、宇多田の楽曲に関して「コード進行の上にのせるメロディーの作り方が新しい」と評価。またそのメロディーも"和のテイスト"を感じさせるとコメントした。ミュージシャン/音楽プロデューサーの玉井健二は、また『traveling』などの楽曲を挙げ、コンポーズの素晴らしさを指摘。「日本語が乗る前提の主旋律に日本語じゃないグルーブを的確に融合させられている」点などを高く評価している。 また、アーティストとしての宇多田にも様々な指摘、評価がなされてきた。上述の渋谷陽一は、宇多田について、「その存在と才能の巨大さのためか、どこか透明な印象がある」と言う。また、「すべてのエモーションのベースに悲しみがある」とも評している。宇野維正は、宇多田のこれまでのライブ活動の少なさから、「人気ポップアーティストとしては、世界的にも稀な『スタジオの音楽家』」と指摘。また宇多田の編曲家としての側面にも注目し、"All Songs Written and Arranged by Utada Hikaru" という「日本の他の女性アーティストの作品ではまず目にすることがない」クレジットが、宇多田の音楽家としての本質を表わしていると語った。ジャズミュージシャンで宇多田の楽曲のプロデュースを手掛けたこともある菊池成孔は、2006年のネット記事の連載にて宇多田に関して次のように指摘する。「〈日本に帰化した、日本人以上に日本人である外国人選手〉という、本来ならば日本人では着任不可能な任務を遂行しているという意味で、完全なオリジナルである。」そして、宇多田のライブに集まる観客が圧倒的に〈日本人の集団〉であるとし、そこに「無意識や無作為が国民性を掴んだ強さ」を見出している。いきものがかりのリーダー・水野良樹は、宇多田の作品には「宇多田さんの持つ強烈な"個"の匂いがたちこめている」と指摘。また、こういった性格の作品が「とてつもなく多くの人々に、熱狂の中で、すんなりと受け入れられていく」ことに驚きを示している。糸井重里は宇多田の歌詞、言葉に注目し、宇多田が「『だれよりも、われ』であるがゆえに『だれよりも、それぞれ』に変態していける」と評価した。ミュージシャンの井上陽水は、宇多田が特殊な環境で生まれ育ってるゆえにアウトサイダー(外部の人、部外者)のような雰囲気を感じさせるとコメント。楽曲に関しては「もう1回聴くとどういう発見があるんだろうと思わせるような数少ないアーティストの1人」と評価した。また、陽水は宇多田が多くの日本人をひきつけている要因として、宇多田の声に代表される"切なさ"を挙げている。宇多田の声質については、松任谷由実や平井堅も"フラジャイル(か弱い、壊れやすい)"な歌声が聴く人をひきつけると評している。映画監督の河瀨直美は、宇多田の歌詞集に寄稿した際、宇多田の創作のあり方について、「自らの声に力があることを本能的に知っていて、その力にはどんな言葉を用いればより人々にその想いが届くのか...を客観的に見つめている」と評価している。桑田佳祐は自身のラジオ番組で、宇多田の復帰作『Fantome』を「革命的なものをお作りになった」と絶賛。「平成の『ジョンの魂』、次元が違う、ほとんどビョーキ、もう私はレコーディングも年越しライブもやめます!」と冗談交じりに語った。シンガーソングライターの小田和正は同じく宇多田の歌詞集への寄稿で、宇多田の復帰作『真夏の通り雨』の一節"降り止まぬ 真夏の通り雨"に衝撃を受けたといい、復帰後の宇多田について「あの頃のみずみずしさを失うことなく、感性は圧倒的にその深みを増した。」と評価した。宇多田は活動休止中の2013年に、当時InterFMの執行役員だったピーター・バラカンの提案でラジオ番組のパーソナリティを1年間務めていた。バラカンは、その提案の理由について「ああ、この人(宇多田)ラジオの喋り手として面白いな」と感じていたといい、「単純に言えば月並みではないということ」「他の人があまり注目していない音楽を独自のアンテナで捉えて紹介してくれる。あるいは有名な曲だとしてもその取り上げ方や紹介の仕方にもセンスのある人。」と、音楽の聴き手としての宇多田を評価した。 受賞歴 『日本ゴールドディスク大賞』「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」を2度、『CDショップ大賞』などを受賞している。 ディスコグラフィ 出演 ラジオ CM テレビ NHK紅白歌合戦出場歴 NETFLIX アニメ インターネットアニメ『ブラック・ジャック』(ピノコ役)(2001年、2007年11月30日 - ) ライブ ネットイベント タイアップ曲一覧 脚注 注釈 出典 関連項目 ニューヨーク州出身の人物一覧 ポピュラー音楽の音楽家一覧 (日本・個人) 音楽に関する世界一の一覧 日本一の一覧 外部リンク 公式ウェブサイト レコード会社ウェブサイト 宇多田ヒカル - SonyMusic 宇多田ヒカル - ユニバーサルミュージックおよびEMIミュージック・ジャパン SNS・YouTube 作品リスト・データベース 日系アメリカ人のミュージシャン 日本の女性シンガーソングライター 日本の女性ポップ歌手 日本のR&B・ミュージシャン 日本のオルタナティヴ・ロック・ミュージシャン アメリカ合衆国の女性シンガーソングライター 日本の女性YouTuber ノンバイナリー・ジェンダーの人物 LGBTの人物 ノンバイナリーの芸術家 ノンバイナリーの音楽家 日本出身のLGBTの音楽家 アメリカ合衆国の女性ポップ歌手 エピックレコードジャパンのアーティスト ユニバーサルミュージックジャパンのアーティスト オリコン年間シングルチャート1位獲得アーティスト オリコン年間アルバムチャート1位獲得アーティスト NHK紅白歌合戦出演者 日本のギネス世界記録保持者 CDショップ大賞受賞者 英語と日本語のネイティブ 在イギリス・アメリカ人 日本の音楽プロデューサー ニューヨーク市出身の人物 1983年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E7%A9%BA%E9%96%93%E6%B3%95
実空間法
とは、実空間での波動関数を、FET(有限要素法)や、差分方程式を直接解いて求める方法。 これに対し、通常のバンド計算では、周期的境界条件の下に、逆格子空間での計算を必要とする。 利点 実空間法には次のような利点が存在する。 実空間のみで計算が行われるので、FFT(高速フーリエ変換)による計算を必要としない。FFTの計算部分は並列化が難しく、これを使用しないことは計算を並列化する上で有利となる。 境界条件を自由に設定でき、周期的境界条件に縛られない。したがって電場のような外場を課した系に対しての電子状態計算も、外場に細工することなしに可能となる。 脚注 関連項目 第一原理バンド計算 バンド計算
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%94%E3%82%8D%E3%81%8F
すごろく
すごろく(双六、槊)とは、サイコロを振って、出た目に従って升目にある駒を進めて上がりに近づける盤上遊戯(ボードゲーム)である。競争ゲームの一種。 概要 すごろくには二人で対戦する盤双六(ばんすごろく)と複数人が競争して上がりを目指す絵双六(えすごろく)の2種類がある。江戸時代には盤双六と絵双六が共にすごろくと呼ばれていたため、混乱が生じた。盤双六は幕末期に廃れ、現在では、双六と言えばほぼ確実に絵双六を指す。 盤双六 盤双六(ばんすごろく)は二人で遊ぶボードゲームであり、古い形のバックギャモンの一種である。盤上に配置された双方15個の石をどちらが先に全てゴールさせることができるかを競う。片方のプレイヤーは黒い石を、もう一方のプレイヤーは白い石を使う。平安時代は上手が黒とされ、江戸時代には上手が白とされた。 さいころの目に合わせて二つの石を動かすか、あるいは一つの石を二回進めることができる。後戻りはできない。相手の石が二つ以上あるマス目には進めない。 石をすべて内地(インナーボード)に入れた段階で勝ち(バックギャモンのベアリングイン相当)。これを「入勝(いりがち)」という。 相手の石が一つだけ存在するマス目に石を移動した場合、相手のその石(「端石」、ブロットに相当)を一時的にゲームから取り除くことができる。これを「切る」という。 切られた石はマス目の外に置かれる。石を切られたプレーヤーは自分の手番が来たとき、切られた石を動かしてマス目に戻さなければ他の石を動かせない。 相手が進めないマス目を六つ連続で作ることを「蒸す」といい、重要な戦術としていた。(上田竹翁の『新撰雙陸独稽古』明治三十年、青木嵩山堂による[]) ダブリングキューブはない。(ダブリングキューブは1920年代にアメリカで発明された) 源流 盤双六の起源についてはバックギャモン#歴史を参照。中国にはシルクロードを経由して入ってきた。魏の曹植が盤双六を発明したというのは伝説にすぎない。日本には遅くとも7世紀には中国から伝来した。 文学 盤双六は広く知られた文学作品にも登場している。 清少納言『枕草子』第一三四段(11世紀) 紫式部『源氏物語』常夏(11世紀) 『平家物語』巻第一・願立(13世紀) 吉田兼好『徒然草』第一一〇段(14世紀) 隆盛と衰退 盤双六はゲームの進行に際してさいころによる偶然の要素が大きいため、賭博に用いられた。『日本書紀』によれば、689年12月に持統天皇によって初めての禁止令が出されている。正倉院宝物中には聖武天皇の遺愛品とされる木画紫檀双六局(もくがしたんのすごろくきょく)が納められている。 鎌倉時代の宮廷の実力者西園寺公衡や室町時代の伏見宮貞成親王、戦国時代の山科言継の日記にも盤双六の記録が残されている。 雛飾りの雛道具では碁盤・将棋盤・双六盤の三面を婚礼調度のミニチュアとして並べることがある。盤双六はかつて上流階級の婦女子のたしなみでもあった。 盤双六は文化文政時代には衰微していた。第二次世界大戦後、舶来のバックギャモンが遊ばれるようになる。 絵双六 絵双六(えすごろく、繪雙六)というのは、上記の盤双六の影響を受けて発達した遊戯で、紙に絵を描いてさいころを振って絵の上のマスの中にある駒を進めて上がりを目指すものである。ただし、かなり早い段階で(賭博の道具でもあった)盤双六とは別箇の発展を遂げていった。 ただし、最古のものとされる浄土双六には絵の代わりに仏教の用語や教訓が書かれており、室町時代後期(15世紀後半)には浄土双六が遊ばれていたとされる。なお、その名称や内容から元は浄土宗系統の僧侶によって作られたとも言われ、江戸時代の井原西鶴の作品(『好色一代男』など)には浄土双六がしばしば登場する。文政年間の曲亭馬琴の『耽奇漫録』によれば、当時浄土双六には大きく分けて4種類あったとする。ほぼ同時期に書かれた柳亭種彦の『還魂紙料』には、双六の起源について、 中国の陞官図の一種である選仏図に由来する 天台宗で初学の僧侶の学習のために作成された「名目双六」に由来する 熊野比丘尼の絵解に由来する という3つの説を述べ、選仏図説が一番もっともらしいとしている。 江戸時代の元禄年間には、道中双六・野郎双六(芝居双六)などが絵入りの双六が遊ばれるようになり、後期になると勧善懲悪や立身出世などのテーマ性を持ったものや浮世絵師による豪華な双六も出現するようになる。その一方で、春画などを用いたり、賭博性を持たせた双六も存在したため、天保の改革などにおいては禁圧の対象となっている。 明治時代以後は文明開化・富国強兵をテーマにしたものも現れ、次第に国民教化の手段として用いられるようになっていった。また、児童雑誌の付録として欠かせないものとなった。 戦後、遊びの多様化や社会の変化から双六は衰退したと言われている。しかし、今日のボードゲームやテレビゲームの中にさいころ(あるいは代用品としてルーレット)を用いてゲームを進行させる作品が多く存在しており、これらを双六の進化・発展した姿であると考えることもできる。 なお、絵双六そのものは日本独自のものであるが、西洋にもバックギャモンの影響を受けたと見られる、鵞鳥のゲームと呼ばれる双六に近い趣旨のゲームが14世紀頃から行われており、20世紀に入ってこうしたゲームの影響を受けてモノポリーや人生ゲームが発明されることとなった。 名前の由来 さいころを2個振り、双方とも最大値である6のゾロ目がいかに出るかが形勢を左右したゲームであったため、「雙六」あるいは異字体として「双六」という字が当てられるようになった(「雙」・「双」は同じ意味を持つ)という説がある。しかし、日本の遊戯の歴史における先駆的な研究家である増川宏一は、江戸時代以前の日記などの記録類においては誤記と思われる少数例を除けば「雙六」と「双六」の使い分けがはっきりとしていること、日本語以外の言語でも盤双六系遊戯と絵双六系遊戯にはそれぞれ違う単語があてられているのがほとんどであることから、両者は同じ「すごろく」であっても全く別な遊戯であり、雙六(盤双六)に「双六」という表記を用いるのは不適切であると唱えている。 5世紀はじめに漢訳された『涅槃経』に見える「波羅塞戯」(はらそくぎ)が盤双六のことであるという。「波羅塞」はサンスクリット(さいころ)の音訳。後に北魏では「握槊」(あくさく)と呼ばれ、南朝では「双六・双陸」(そうりく)と呼ばれた。唐以降は「双六・双陸」と呼ばれるようになった。(陸は六の大字。)。 脚注 参考文献 増川宏一『[ すごろく I]』ものと人間の文化史79-I(法政大学出版局、1995年)ISBN 4-588-20791-1〔盤すごろくについて記述〕 増川宏一『[ すごろく II]』ものと人間の文化史79-II(法政大学出版局、1995年)ISBN 4-588-20792-X〔絵すごろくについて記述〕 関連項目 鵞鳥のゲーム 蛇と梯子 ユンノリ 陞官図 世界一周双六ゲーム ボードゲーム 浮世絵 外部リンク 双六ねっと 東京学芸大学双六コレクション 『双六独稽古』(1811年) 『双陸錦嚢抄』(1827年) 『[ 新撰雙陸独稽古]』(1897年) 『[ 世界遊戯法大全]』(1907年) 盤すごろくの遊び方 ボードゲーム 伝統玩具 日本の郷土玩具 ダイスゲーム 新春の季語
1823
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スラブ近似
スラブ近似(スラブきんじ、Slab approximation)は、周期的境界条件に縛られる通常のバンド計算手法(除く実空間法)において、表面などの周期的境界条件を満たさない系を扱うための一便法である。スラブモデル(Slab model)または、周期的スラブモデル(Repeated slab model)とも言うことがある。日本語では薄膜モデルとなる。 まず、表面を扱うためには、スーパーセルを考え、その中に表面層(スラブ)と真空層を考える。つまり、表面層-真空層-表面層-真空層…が無限に続く周期系と考える。表面層及び真空層が十分に厚ければ(このためスーパーセルが必要)、表面層(スラブ)同士及び、表面層の表面(おもてめん)と裏面との相互作用の影響を無視することができる。真空層の厚さは、場合によるが、だいたい10オングストローム程度取る。 表面層は、表裏両面を同等に計算する場合と、裏面を水素等で終端(大抵固定)して計算する場合がある。どちらも一長一短があり、両者の違いは論文などで議論されることもある。ただし、分子が表面吸着した系を計算する際には、表裏両面に吸着させる方が良いとされる。これは吸着によって表面付近に電気分極が生じるためで、表裏両面に吸着させることによって、スラブ同士が意図しない相互作用をすることを防ぐことができる。なお、片面に吸着させつつ、スラブ間の双極子相互作用を打ち消す外部電場を加える手法もある。 関連項目 第一原理バンド計算 バンド計算
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1月19日
1月19日(いちがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から19日目に当たり、年末まであと346日(閏年では347日)ある。 できごと 1160年(平治元年12月9日) - 平治の乱が始まる。 1419年 - 百年戦争: イングランド王ヘンリー5世がフランス北岸のルーアンを陥落。 1795年 - バタヴィア共和国が成立。 1829年 - 戯曲『ファウスト 第一部』が初演。 1853年 - ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『イル・トロヴァトーレ』がローマで初演。 1862年 - 南北戦争: ミル・スプリングスの戦い 1868年(慶応3年12月25日)- 江戸薩摩藩邸の焼討事件が起こる。 1908年 - 日本天文学会が発足。 1911年 - 読売新聞が社説で国定教科書における南北朝並立の記述を批判、いずれの皇統が正当かをめぐり帝国議会での論争に発展。(南北朝正閏問題) 1927年 - 前年12月に没した日本の大行天皇の追号が大正天皇と決まる。 1927年 - 英政府が支那派兵を決定 1934年 - エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世の甥アラヤ・アベベの妃に黒田広志子爵の次女の黒田雅子が決定。4月にイタリアの干渉で破談。 1940年 - 毛沢東が「新民主主義論」を発表。 1942年 - 抑留していたドイツ人を護送中のオランダ貨物船「ファン・イムホフ」がインド洋上で日本軍によって撃沈、救助活動が充分に行われないままドイツ人非戦闘員多数が犠牲となる。(ファン・イムホフ号事件) 1946年 - 極東国際軍事裁判所条例制定。 1946年 - NHKラジオで『のど自慢素人音楽会』(現在の『NHKのど自慢』)が放送開始。 1950年 - 日本社会党が第5回党大会で左派・右派に分裂。 1952年 - フィリピン・モンテンルパにあるニュー・ビリビッド刑務所で、BC級戦犯とされた元日本軍兵士17名の死刑(絞首刑)が、教誨師・加賀尾秀忍立ち会いのもと執行される(この出来事がきっかけとなり、渡辺はま子の戦後最大のヒット曲「ああモンテンルパの夜は更けて」が2名の日本人戦犯によって作詞、作曲された) 1960年 - 改定日米安全保障条約に調印。 1966年 - インド首相にインディラ・ガンディーが選出される。 1968年 - 原子力空母エンタープライズが佐世保に寄港、1月23日まで停泊。 1969年 - 東大安田講堂事件: 警視庁機動隊が東大安田講堂に篭城していた全学共闘会議の封鎖を解除。 1977年 - 東京ローズことアイバ戸栗ダキノが、フォード米大統領の特赦によりアメリカ国籍を回復。 1978年 - ドイツのフォルクスワーゲンが、42年のロングセラーだった小型車ビートルの国内生産を打ち切り。 1978年 - TBS、人気音楽番組『ザ・ベストテン』放送開始(~1989年9月28日) 1983年 - 初のGUI環境を持ったパーソナルコンピュータ「Lisa」がApple Computerから発売。 1984年 - 九州から関東の太平洋側各地で15年ぶりの大雪。 1984年 -週刊文春がいわゆるロス疑惑を報じる。 1991年 - 登山家の田部井淳子が南極大陸最高峰ヴィンソン・マシフ登頂に成功し、女性で初めて世界六大陸の最高峰を征服。 1993年 - チェコとスロバキアが国連に加盟。 1993年 - 皇室会議で皇太子徳仁親王と外務省職員・小和田雅子の婚約を正式決定。 1995年 - 第一次チェチェン紛争: ロシアがチェチェン共和国の首都グロズヌイの大統領府を占拠。 1997年 - 京樽が東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請。 1997年 - 篠塚建次郎がパリダカール・ラリーの四輪部門にて日本人初の総合優勝。 1999年 - 奈良県明日香村で富本銭が発掘される。日本最古の貨幣の可能性。 2006年 - NASAが史上初の冥王星無人探査機「ニュー・ホライズンズ」を打ち上げる。 2008年 - 京都市内で初の都市高速道路となる阪神高速8号京都線が上鳥羽出入口 - 第二京阪道路接続部間で開通。 2010年 - 日本航空と子会社2社が戦後最大の経営破綻で会社更生法を申請。 2022年 - テレビ東京の子供向け生放送番組「おはスタ」が、「子供向け生放送テレビ番組の最多エピソード数」でギネス世界記録に認定。 誕生日 人物 840年 - ミカエル3世、東ローマ帝国アモリア王朝の第3代(最後)の皇帝(+ 867年) 1200年(正治2年1月2日) - 道元、曹洞宗の開祖(+ 1253年) 1544年 - フランソワ2世、フランス王(+ 1560年) 1625年(寛永元年12月11日) - 北村季吟、歌人、俳人(+ 1705年) 1698年(元禄10年12月8日) - 森川俊常、第5代生実藩主(+ 1734年) 1702年(元禄14年12月22日) - 島津継豊、第5代薩摩藩主(+ 1760年) 1736年 - ジェームズ・ワット、技術者(+ 1819年) 1747年 - ヨハン・ボーデ、天文学者(+ 1826年) 1787年(天明6年12月1日) - 木下利徽、第9代足守藩主(+ 1851年) 1798年 - オーギュスト・コント、社会学者、哲学者、数学者(+ 1857年) 1807年 - ロバート・E・リー、軍人(+ 1870年) 1808年 - ライサンダー・スプーナー、政治哲学者(+ 1887年) 1809年 - エドガー・アラン・ポー、小説家(+ 1849年) 1813年 - ヘンリー・ベッセマー、技術者、発明家(+ 1898年) 1819年 - ウィリアム・フリス、画家(+ 1909年) 1832年 - フェルディナント・ラウプ、ヴァイオリニスト、作曲家(+ 1875年) 1835年 - アウグスト・ケルクホフス、暗号研究者(ケルクホフスの原理)(+ 1903年) 1839年 - ポール・セザンヌ、画家(+ 1906年) 1848年 - マシュー・ウェッブ、航海士(キャプテン・ウェッブ、ウェッブ船長)(+ 1883年) 1851年 - ヨハン・エイクマン、薬学者、化学者(+ 1915年) 1851年 - ヤコブス・カプタイン、天文学者(+ 1922年) 1863年(文久2年11月30日) - 牧野謙次郎、漢学者(+ 1937年) 1863年 - ウェルナー・ゾンバルト、経済学者、社会学者(+ 1941年) 1864年(文久3年12月11日) - 小山作之助、作曲家、教育者(+ 1927年) 1867年 - ジャン・デルヴィル、美術家(+ 1953年) 1868年 - グスタフ・マイリンク、小説家(+ 1932年) 1874年 - 常陸山谷右エ門、大相撲第19代横綱(+ 1922年) 1876年 - 若嶌權四郎、大相撲第21代横綱(+ 1943年) 1878年 - ハーバート・チャップマン、サッカー選手・指導者、WMフォーメーション開発者(+ 1934年) 1879年 - ボリス・サヴィンコフ、革命家、政治家(+ 1925年) 1883年 - ヘルマン・アーベントロート、指揮者(+ 1956年) 1887年 - 、評論家(+ 1943年) 1889年 - 鴇田英太郎、劇作家(+ 1929年) 1889年 - ゾフィー・トイバー=アルプ、芸術家(+ 1943年) 1890年 - エルマー・ニクランダー、陸上競技選手(+ 1942年) 1893年 - マグダ・タリアフェロ、ピアニスト(+ 1986年) 1897年 - 青木孝義、政治家(+ 1962年) 1899年 - 逸見広、小説家(+ 1971年) 1902年 - 小松均、日本画家(+ 1989年) 1903年 - エルヴィン・ニレジハジ、ピアニスト、作曲家(+ 1987年) 1903年 - ボリス・ブラッハー、作曲家(+ 1975年) 1906年 - リリアン・ハーヴェイ、女優(+ 1968年) 1907年 - 江藤智、政治家(+ 1982年) 1908年 - 久世竜、殺陣師、俳優(+ 1985年) 1909年 - 山本庸一、雪印乳業社長、日本乳製品協会会長(+ 1987年) 1909年 - ハンス・ホッター、バスバリトン歌手(+ 2003年) 1909年 - 水原茂、プロ野球選手、監督(+ 1982年) 1910年 - 高辻正己、官僚、裁判官(+ 1997年) 1910年 - 苅田久徳、プロ野球選手、監督、審判員(+ 2001年) 1911年 - チョール・シン、最高裁判所裁判官(+ 2009年) 1912年 - クルト・ブレントル、ドイツ空軍のエース・パイロット(+ 1943年) 1912年 - レオニート・カントロヴィチ、数学者、経済学者(+ 1986年) 1912年 - 笠原良三、脚本家(+ 2002年) 1916年 - 小倉朗、作曲家(+ 1990年) 1918年 - ルチアーノ・エンメル、映画監督(+ 2009年) 1919年 - アントニオ・ピエトランジェリ、映画監督(+ 1968年) 1919年 - 風間完、挿絵画家(+ 2003年) 1919年 - 大久保婦久子、芸術家(+ 2000年) 1920年 - ハビエル・ペレス・デ・クエヤル、第5代国連事務総長(+ 2020年) 1920年 - 玉櫻八郎、相撲力士(+ 1999年) 1920年 - 竹下一記、郵政事務次官、熊本県民テレビ社長(+ 2003年) 1921年 - 古谷春雄、ホテルニューオータニ専務・総料理長、日本エスコフィエ協会会長(+ 2006年) 1921年 - パトリシア・ハイスミス、作家(+ 1995年) 1922年 - イェジー・カヴァレロヴィチ、映画監督(+ 2007年) 1922年 - 柳瀬睦男、物理学者(+ 2008年) 1923年 - マルクス・ヴォルフ、ドイツ民主共和国国家保安省(シュタージ)対外諜報総局長(+ 2006年) 1923年 - 江夏美好、作家(+ 1982年) 1923年 - ジーン・ステイプルトン、女優(+ 2013年) 1924年 - 森幹太、俳優(+ 2000年) 1925年 - 日沼頼夫、医学者、塩野義製薬副社長(+ 2015年) 1926年 - 巖本真理、ヴァイオリニスト(+ 1979年) 1927年 - 正森成二、政治家(+ 2006年) 1930年 - 平岡千之、外交官、迎賓館館長(+ 1996年) 1930年 - ティッピ・ヘドレン、女優 1931年 - 明石康、国際公務員 1931年 - 柴田俊治、朝日放送社長(+ 2015年) 1932年 - 郷司裕、アマチュア野球審判員(+ 2006年) 1932年 - 花井悠、プロ野球選手(+ 2007年) 1932年 - 多田尋子、作家 1932年 - リチャード・レスター、映画監督 1934年 - 小川誠二、物理学者 1934年 - 佐江衆一、小説家 1935年 - 生田正治、商船三井社長、日本郵政公社初代総裁 1935年 - 柴田翔、小説家 1935年 - フレッド・バレンタイン、元プロ野球選手(+ 2022年) 1936年 - 操上和美、写真家 1937年 - 櫻田慧、モスバーガー(モスフードサービス)創業者(+ 1997年) 1937年 - ビルギッタ、スウェーデン王女 1937年 - 芳谷圭児、漫画家 1938年 - 馬場雄二、ビジュアルデザイナー 1938年 - 北村昭斎、漆芸家 1939年 - フィリップ・エバリー、カントリー・ミュージック(エヴァリー・ブラザース)(+ 2014年) 1940年 - 三瀬顕、弁護士 1940年 - 相沢邦昭、元プロ野球選手 1940年 - 、ゴルフ選手 1940年 - パオロ・ボルセリーノ、反マフィア治安判事(+ 1992年) 1941年 - 二葉由紀子、漫才師(+ 2017年) 1941年 - パット・パターソン、プロレスラー(+ 2020年) 1942年 - 岩田安生、俳優、声優(+ 2009年) 1942年 - ナラ・レオン、ボサノヴァ歌手(+ 1989年) 1942年 - 渡辺康二、プロテニス選手、日本テニス協会副会長 1942年 - マイケル・クロフォード、歌手、俳優 1942年 - パウル=エーリク・ルモ、政治家 1943年 - ジャニス・ジョプリン、歌手(+ 1970年) 1943年 - 安田春雄、プロゴルファー 1944年 - トム・メイン、建築家 1944年 - ピーター・リンチ、実業家 1945年 - 佐高信、経済評論家 1946年 - マツシマススム、写真家 1946年 - ドリー・パートン、歌手 1946年 - ジュリアン・バーンズ、小説家 1947年 - 横山ひろし、漫才師(横山たかし・ひろし) 1947年 - 田子冬樹、調教師 1947年 - ロッド・エヴァンス、ミュージシャン(元ディープ・パープル) 1947年 - 松尾徹人、政治家(+ 2011年) 1947年 - ポーラ・ディーン、料理司会者 1948年 - 丘みつ子、女優 1948年 - 馬場滋、囲碁棋士 1948年 - 助川汎、俳優 1948年 - 阿部道、競輪選手 1948年 - ナンシー・リンチ、情報工学者 1949年 - ロバート・パーマー、歌手(+ 2003年) 1949年 - 堀高明、スターフライヤー創業者 1949年 - 辻哲也、元プロ野球選手 1950年 - 金子晴美、ジャズ・シンガー 1951年 - 八木康行、日本マクドナルド社長 1951年 - 有川正沙子、作詞家 1951年 - 坂口志文、医学者(免疫学) 1952年 - 中田章道、将棋棋士 1953年 - 、俳優 1954年 - 松任谷由実、シンガーソングライター 1954年 - 田所嘉徳、政治家 1954年 - シンディ・シャーマン、写真家 1954年 - リチャード・ゲイル、元プロ野球選手 1954年 - マーシャル・カーク・マキュージック、計算機科学者 1954年 - ティエリー・ジョンケ、小説家(+ 2009年) 1954年 - 今村俊一、舞台俳優 1955年 - 田辺節子、女優 1955年 - サイモン・ラトル、指揮者、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者兼芸術監督 1955年 - 谷一之、政治家 1956年 - 平間正一、佐川急便代表取締役社長 1957年 - 柴門ふみ、漫画家 1957年 - 小林健二、アーティスト 1957年 - 、NFL選手 1958年 - 高橋比奈子、政治家 1958年 - アレン・スティール、SF作家 1958年 - 、画家 1959年 - 椎野茂、アナウンサー 1959年 - 竹本泉、漫画家 1959年 - 白井貴子、シンガーソングライター 1959年 - 新里玲乙奈、歌手(EVE) 1959年 - 、ウィキメディア財団CTO 1959年 - 、ベーシスト(ドッケン) 1960年 - 岩崎文紀、作曲家、編曲家 1960年 - 藤丸敏、政治家 1960年 - マウロ・タソッティ、元サッカー選手 1960年 - 愛田真夕美、漫画家 1961年 - 林芳正、政治家 1961年 - ポール・マクレーン、俳優 1961年 - 、俳優 1961年 - 、ファッションデザイナー 1962年 - 中村力、政治家 1962年 - 西司、シンガーソングライター 1962年 - 福山哲郎、政治家 1962年 - 高橋幸慈、漫画家 1962年 - 坂東三津之助、歌舞伎俳優(+ 2013年) 1962年 - クリス・セイボー、元プロ野球選手 1962年 - ジェフ・ヴァン・ガンディ、バスケットボール指導者、ESPN解説者 1963年 - 松重豊、俳優 1963年 - キャロン・ウィーラー、歌手(Soul II Soul) 1963年 - マーティン・バシール、ジャーナリスト 1963年 - ジョン・バーコウ、政治家 1964年 - 殊能将之、ミステリー作家(+ 2013年) 1964年 - 清水馨、舞台女優 1964年 - 増田英治、俳優 1964年 - 佐久間純子、声優(+ 2011年) 1964年 - 田中誠二、厚生労働官僚 1965年 - 矢堀孝一、ギタリスト 1965年 - 相沢正輝、声優 1966年 - ステファン・エドベリ、テニス選手 1966年 - 柴田啓、ベンチャーリパブリック創業者 1966年 - 南翔子、歌手 1966年 - デューク・雪子、翻訳家 1967年 - ねこぢる、漫画家(+ 1998年) 1967年 - 笠原浩夫、俳優 1967年 - 白石禮子、ヴァイオリニスト 1967年 - ハビエル・カマラ、俳優 1968年 - 川井郁子、ヴァイオリニスト、作曲家 1968年 - 斎藤有太、キーボーディスト 1969年 - 柴田博、朝日放送テレビアナウンサー 1969年 - 佐野信義、ゲームミュージック作曲家 1969年 - 加藤朋子、囲碁棋士 1969年 - プレドラグ・ミヤトヴィッチ、サッカー選手 1969年 - スティーヴ・ストーントン、サッカー選手 1969年 - 大熊裕司、サッカー選手 1969年 - 向山佳絵子、チェリスト、NHK交響楽団首席チェロ奏者 1969年 - エドウィージ・ダンティカ、作家 1969年 - ルーク・ロングリー、プロバスケットボール選手 1969年 - ショーン・ウェイアンズ、俳優、映画監督 1970年 - ウド鈴木、お笑いタレント(キャイ〜ン) 1970年 - 大日ノ出崇揚、元大相撲力士 1970年 - 火の竜、タレント、元大相撲力士 1970年 - 五味岡たまき、アイドル 1970年 - シュテファン・フロイント、サッカー選手 1970年 - 井関佳子、声優、歌手 1971年 - 丸川珠代、政治家、アナウンサー 1971年 - 佐伯晃、俳優 1971年 - フィル・ネビン、元プロ野球選手 1971年 - 渡邉英豊、元サッカー選手 1971年 - 栁澤哲、陸上競技選手 1972年 - 中川礼二、漫才師(中川家) 1972年 - 今井久美子、女優 1972年 - サルバトーレ・ウルソー、元プロ野球選手 1972年 - 安田佑子、フリーアナウンサー 1972年 - 大井裕子、歌手、アイドル 1972年 - 村山ひとし、タレント、放送作家 1972年 - ドレア・ド・マッテオ、女優 1972年 - ジョン・フィッシャー 、企業家 1972年 - ロン・キリングス、プロレスラー 1973年 - 王軍霞、陸上競技選手 1973年 - 木村郁美、アナウンサー 1973年 - 小林千晴、女優 1973年 - 宮本泰介、政治家、習志野市長 1973年 - 東城光志、声優 1973年 - カレン・ランコム、女優 1974年 - 中井英行、ミュージシャン(オセロケッツ) 1974年 - 川本真琴、シンガーソングライター 1974年 - 室町大助、俳優、殺陣師 1974年 - 車谷啓介、ドラマー(元三枝夕夏IN db) 1974年 - 、コメディアン 1974年 - マルセロ・バロン・ポランクジック、サッカー選手 1975年 - フェルナンド・セギノール、元プロ野球選手 1975年 - RIKKI、歌手 1975年 - 森宮隆、俳優 1975年 - 福島里美、女優 1975年 - ナタリー・クック、ビーチバレー選手 1976年 - タルソ・マルケス、F1レーサー 1976年 - 、バイアスロン選手 1976年 - 中川勝弥、プロゴルファー 1977年 - キム・ソヨン、声優 1977年 - Cocco、シンガーソングライター 1977年 - 林美穂、女優 1977年 - 湯場忠志、プロボクサー 1977年 - ローレン・エタメ・マイヤー、サッカー選手 1977年 - 荒畑潤一、プロスケーター 1978年 - 井戸実、実業家 1978年 - 林敬子、タレント 1978年 - 石井俊也、サッカー選手 1979年 - 金炳賢、元プロ野球選手 1979年 - パウロ・フェレイラ、サッカー選手 1979年 - スベトラーナ・ホルキナ、元体操競技選手、政治家 1979年 - 平間美貴、女優 1979年 - 三田村勝典、タレント 1980年 - ジェンソン・バトン、F1レーサー 1980年 - 木村ネネ、元プロレスラー 1980年 - 望月章男、俳優 1980年 - ルーク・マクファーレン、俳優 1980年 - アルヴィーダス・マツィヤウスカス、プロバスケットボール選手 1981年 - 井口玲音、アナウンサー 1981年 - 藤岡幹大、ギタリスト(+ 2018年) 1981年 - 南綾子、作家 1981年 - 市川貴之、プロ野球審判員 1981年 - ルイス・ゴンサレス、サッカー選手 1981年 - アシエル・デル・オルノ、サッカー選手 1981年 - ビッツィー・トゥロック、女優 1982年 - 張韶涵(アンジェラ・チャン)、歌手、女優 1982年 - ジョディ・スウィーティン、女優 1982年 - 森崎愛、タレント 1982年 - 中村裕司、騎手 1982年 - 島田裕介、サッカー選手 1982年 - 中曽根康隆、政治家 1982年 - 陳祚、競泳選手 1982年 - 竹中知華、アナウンサー 1983年 - 宇多田ヒカル、シンガーソングライター 1983年 - 、ノルディックスキー選手 1983年 - 有坂きなり、舞台女優 1983年 - グレン・モス、サッカー選手 1983年 - (ジェーン・ホァン)、歌手 1984年 - 加藤未央、女優 1984年 - アリオナ・サフチェンコ、フィギュアスケート選手 1984年 - カルン・チャンドック、F1レーサー 1984年 - 西野友子、アナウンサー 1984年 - ジミー・ケベ、サッカー選手 1984年 - ニコラス・パレハ、サッカー選手 1985年 - 石川梨華、タレント(元モーニング娘。、元美勇伝) 1985年 - 木村美紀、タレント 1985年 - アルペル・ウチャル、フィギュアスケート選手 1985年 - シェイ・リリーホワイト、元プロ野球選手 1985年 - 船山祐二、元サッカー選手 1985年 - ベニー・ファイルハーバー、サッカー選手 1985年 - 松橋周太呂、お笑いタレント(元ジューシーズ) 1985年 - 溜口佑太朗、お笑いタレント(ラブレターズ) 1985年 - 、サッカー選手 1986年 - 牧野由依、声優、女優、歌手 1986年 - 定常菜都子、アナウンサー 1986年 - 島川未有、アナウンサー 1986年 - クラウディオ・マルキジオ、サッカー選手 1986年 - ムサ・ソウ、サッカー選手 1987年 - 金子有希、声優、舞台女優 1987年 - ジョーダン・ブラウニンガー、フィギュアスケート選手 1987年 - 百瀬茉莉奈、タレント 1987年 - 太田基裕、俳優 1987年 - 東野行恭、タレント 1987年 - ジャフェット・アマダー、プロ野球選手 1987年 - エドガル・マヌチャリアン、サッカー選手 1988年 - 落合由佳、アナウンサー 1988年 - 宮嶋那帆、アナウンサー 1988年 - 山本裕典、タレント、俳優 1988年 - 渡辺早織、ファッションモデル、女優 1988年 - 小松憲太、サッカー選手 1988年 - マティアス・クレメント、プロレスラー 1988年 - ショーン・トールソン、プロ野球選手 1988年 - ジャベール・マギー、プロバスケットボール選手 1989年 - 玄也、俳優、スタントマン(+ 2012年) 1989年 - 藤満霞、プロボクサー 1989年 - 實藤友紀、サッカー選手 1989年 - 佐藤謙介、サッカー選手 1989年 - ジェイムズ・ベレスフォード、プロ野球選手 1989年 - ジェイク・リー、プロレスラー 1990年 - 池田智子、ミュージシャン(元Shiggy Jr.) 1990年 - makimu、元ファッションモデル 1990年 - 萩澤正太、元ラグビー選手 1990年 - リチャード・クレイン、プロ野球選手 1991年 - 日向野祥、俳優、ミュージシャン(HIROZ、HIROZ SEVEN+) 1991年 - 高橋ユウ、ファッションモデル 1991年 - 蒼山幸子、ミュージシャン(ねごと) 1991年 - 鈴木駿也、元プロ野球選手 1991年 - 宮城雅史、サッカー選手 1991年 - 前田佳美、ファッションモデル 1991年 - 田中麻耶、アナウンサー 1991年 - ダリヤ・クリシナ、陸上競技選手 1991年 - 、女優 1991年 - ペトラ・マルティッチ、テニス選手 1992年 - KENTA、俳優 1992年 - ローガン・ラーマン、俳優 1992年 - ショーン・ジョンソン、体操選手 1992年 - マック・ミラー、ラッパー(+ 2018年) 1993年 - 久野美咲、声優 1993年 - 永野愛理、声優(元Wake Up, Girls!) 1993年 - 金澤まい、声優 1993年 - エリック・トーレス、サッカー選手 1993年 - ガス・ルイス、俳優 1993年 - 劉晏含、バレーボール選手 1994年 - 小薗江愛理、女優 1994年 - 小池美由、アイドル、歌手 1994年 - 長谷川真優、女優 1994年 - 伊東大輝、タレント 1994年 - 澤本夏輝、歌手(FANTASTICS from EXILE TRIBE) 1994年 - 千葉弘輝、タレント 1994年 - マティアス・ギンター、サッカー選手 1995年 - 星奈々、元子役 1995年 - 初川みなみ、AV女優 1997年 - 黒岩伶奈、女優 1997年 - 山崎あみ、ファッションモデル 1997年 - 太田賢吾、プロ野球選手 1998年 - 上原れな、元タレント 1999年 - ジョナサン・テイラー、アメリカンフットボール選手 2000年 - 伊藤あさひ、俳優 2000年 - 松岡はな、アイドル(HKT48) 2000年 - 佐藤七海、アイドル(元AKB48) 2001年 - 髙松瞳、アイドル(=LOVE) 2001年 - 人見古都音、アイドル(元AKB48) 2003年 - 佐竹桃華、女優 2004年 - 黒見明香、アイドル(乃木坂46) 2004年 - 伊勢鈴蘭、アイドル(アンジュルム) 2005年 - 住田悠華、アイドル(アップアップガールズ(仮)) 生年不明 - KOTOKO、シンガーソングライター 生年不明 - 笹倉綾人、漫画家 生年不明 - 田中美幸、声優 生年不明 - keiji、ミュージシャン(Mix Speaker's,Inc.) 生年不明 - 蜂須賀智隆、声優 生年不明 - 今川靜也、作曲家 人物以外(動物など) 1980年 - ロコ、のぼりべつクマ牧場にいる日本最高齢の雄ヒグマ(+ 2014年) 忌日 639年 - ダゴベルト1世、フランク王(* 603年) 969年(康保3年12月2日) - 藤原朝忠、平安時代の公卿、歌人(* 910年) 1202年(建仁元年12月24日) - 藤原多子、近衛天皇・二条天皇の后(* 1140年) 1243年(仁治3年12月27日) - 近衛家実、鎌倉時代の公卿(* 1179年) 1283年(弘安5年12月19日) - 姉小路忠方、鎌倉時代の公卿(* 1241年) 1361年(正平15年/延文5年12月12日) - 関山慧玄、臨済宗の僧(* 1277年) 1468年(応仁元年12月24日) - 佐竹義人、室町時代の守護大名(* 1400年) 1576年 - ハンス・ザックス、劇作家、歌手、遍歴職人(* 1494年) 1603年(慶長7年12月8日) - 勧修寺晴豊、安土桃山時代の公卿(* 1544年) 1719年(享保3年11月29日) - 尭延法親王、江戸時代の法親王(* 1677年) 1786年(天明5年12月20日) - 米倉昌晴、第3代六浦藩主、江戸幕府若年寄(* 1728年) 1793年(寛政4年12月8日) - 勝川春章、浮世絵師(* 1726年) 1833年 - フェルディナン・エロルド、作曲家(* 1791年) 1865年 - プルードン、アナーキスト(* 1809年) 1878年 - アンリ・ヴィクトル・ルニョー、物理学者、化学者(* 1810年) 1881年 - エルコレ・デンボウスキー、天文学者(* 1812年) 1881年 - オギュスト・マリエット、エジプト考古学者(* 1821年) 1888年 - アントン・ド・バリー、植物学者(* 1831年) 1899年 - 勝海舟、幕臣、政治家(* 1823年) 1929年 - 梁啓超、政治運動家、ジャーナリスト、歴史家(* 1873年) 1900年 - マーティ・バーゲン、プロ野球選手(* 1871年) 1930年 - フランク・ラムゼイ、数学者(* 1903年) 1931年 - 森道伯、漢方一貫堂医学の創始者(* 1867年) 1942年 - 猪俣津南雄、経済学者(* 1889年) 1942年 - ヴァルター・シュピース、画家(* 1895年) 1946年 - 靉光、洋画家(* 1907年) 1947年 - 石原純、物理学者、歌人(* 1881年) 1948年 - トニー・ガルニエ、都市計画家、建築家(* 1869年) 1948年 - 出口王仁三郎、宗教家(* 1871年) 1951年 - 星一、実業家(* 1873年) 1956年 - ニコライ・パニン、フィギュアスケート選手(* 1871年) 1957年 - ミゲル・コバルビアス、画家(* 1904年) 1962年 - 安井誠一郎、元東京都知事、自由民主党衆議院議員(* 1891年) 1962年 - 高登渉、大相撲の力士・元関脇(* 1908年) 1964年 - アルノルト・シュヴァスマン、天文学者(* 1870年) 1969年 - ヤン・パラフ、「プラハの春」の英雄として知られる大学生(* 1948年) 1972年 - マイケル・レビン、ヴァイオリニスト(* 1936年) 1972年 - 田中照雄、プロ野球選手(* 1933年) 1976年 - 八木秀次、八木・宇田アンテナ開発者(* 1886年) 1979年 - 唐牛敏世、みちのく銀行初代頭取(* 1879年) 1980年 - 高橋信三、毎日放送元会長(* 1901年) 1980年 - 穂積驚、小説家(* 1912年) 1982年 - エリス・レジーナ、歌手(* 1945年) 1988年 - エフゲニー・ムラヴィンスキー、指揮者(* 1903年) 1989年 - 佐竹義利、実業家(* 1904年) 1990年 - 橋本登美三郎、政治家(* 1901年) 1990年 - オショウ、神秘家(* 1931年) 1991年 - 宇佐美毅、第2代宮内庁長官(* 1903年) 1992年 - 高野鎮雄、日本ビクター元副社長(* 1923年) 1999年 - 芳の里淳三、大相撲力士、プロレスラー(* 1928年) 2000年 - ヘディ・ラマー、女優、発明家(* 1914年) 2000年 - ベッティーノ・クラクシ、イタリア首相(* 1934年) 2000年 - ジョージ・レドヤード・ステビンズ、植物学者、遺伝学者(* 1906年) 2002年 - 渡辺啓助、推理作家(* 1901年) 2003年 - 北出清五郎、アナウンサー(* 1922年) 2003年 - 田中明夫、俳優(* 1926年) 2006年 - 有島重武、元公明党衆議院議員(* 1924年) 2006年 - ウィルソン・ピケット、ソウル・R&B歌手(* 1941年) 2007年 - スコット・ビガロー、プロレスラー(* 1961年) 2008年 - 河林満、小説家(* 1950年) 2012年 - サラ・バーク、女子スノーボーダー(* 1982年) 2013年 - スタン・ミュージアル、プロ野球選手(* 1920年) 2013年 - アール・ウィーバー、元メジャーリーグ監督(* 1930年) 2013年 - 大鵬幸喜、元大相撲力士、第48代横綱(* 1940年) 2014年 - 野中マリ子、女優(* 1927年) 2015年 - 矢吹健、歌手(* 1945年) 2016年 - 小出保太郎、世界最高齢の男性(* 1903年) 2016年 - エットーレ・スコラ、映画監督(* 1931年) 2020年 - 重光武雄、実業家(* 1922年) 2020年 - 奈良原一高、写真家(* 1931年) 2020年 - 原知佐子、女優(* 1936年) 2021年 - 伊藤英成、政治家(* 1941年) 2021年 - 鈴木重靖、経済学者(* 1925年) 2021年 - 長岡三重子、水泳選手、実業家、能楽師(* 1914年) 記念日・年中行事 空気清浄機の日() 日本電機工業会が2006年に制定。「い(1)い(1)く(9)うき」の語呂合せ。 カラオケの日/のど自慢の日() 1946年1月19日にNHKラジオで『のど自慢素人音楽会』(現在の『NHKのど自慢』)が放送開始されたことに由来。 はっぴぃおかん・大阪いちじくの日() 大阪府羽曳野市のはっぴぃおかんが制定。いちじくの商品を広め、大阪を代表する特産品・お土産にするのが目的。日付は、「いち(1)じく(19)」と読む語呂合わせから。 家庭消火器点検の日() 全国消防機器販売業協会が1991年10月に制定。1と19で「119」となることから。11月9日が消防庁が定めた「119の日」であるため、1月19日を記念日とした。 いちじく浣腸の日() いちじく製薬株式会社が創業90周年を記念し2015年に制定。さらに多くの人にいちじく浣腸を知ってもらうのが目的。日付は、「いち(1)じく(19)」と読む語呂合わせから。 いいくちの日() 花王株式会社が制定。歯のケアだけでなく、口内環境全般を健康な状態に保つことを意識してもらうのが目的。日付は、「いい(11)くち(9)」と読む語呂合わせから。 フィクションのできごと 2003年 - 城戸真司が「金色のカニ」を探しにいく。(特撮ドラマ『仮面ライダー龍騎』) 2004年 - 佐々岡コウジがセンター試験でカンニングをしたと疑われ、柿の木坂高校を退学処分となる。(ドラマ『ガチバカ!』) 2006年 - レオイマジンが現れる。電王ライナーフォームによって倒される。(特撮『仮面ライダー電王』) 2019年 - SCP-3519の影響による自殺率が世界人口の約1%に達する。 誕生日(フィクション) 1983年 - 神崎優衣、特撮『仮面ライダー龍騎』のヒロイン 1997年 - 姫川葵、漫画・アニメ『ハイキュー!!』に登場するキャラクター 1998年 - 林田藍里、アニメ『Wake Up, Girls!』に登場するキャラクター 生年不明 - 小宮千尋、漫画・小説・アニメ『少年メイド』の主人公 生年不明 - 室戸亜岐、ゲーム・アニメ『フォトカノ』のヒロインのひとり 生年不明 - ウィル・A・ツェペリ、漫画・アニメ『ジョジョの奇妙な冒険』に登場するキャラクター 生年不明 - スパンダイン、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター 生年不明 - 我愛羅、漫画・アニメ『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター 生年不明 - 五十嵐勝也、漫画『Romancers』に登場するキャラクター 生年不明 - コヨーテ・スターク、漫画・アニメ『BLEACH』に登場するキャラクター 生年不明 - リリネット・ジンジャーバック、漫画・アニメ『BLEACH』に登場するキャラクター 生年不明 - ヒメコの母、漫画・アニメ『SKET DANCE』に登場するキャラクター 生年不明 - 田口たんぽぽ、漫画・アニメ『灼熱の卓球娘』に登場するキャラクター 生年不明 - 佐藤栄樹、漫画・アニメ『DAYS』に登場するキャラクター 生年不明 - 多磨レイカ、漫画・アニメ『風夏』に登場するキャラクター 生年不明 - ジャック=ベザリウス、漫画・アニメ『PandoraHearts』に登場するキャラクター 生年不明 - 大島千づる、漫画・アニメ『となりの怪物くん』に登場するキャラクター 生年不明 - 橘うらら、読者参加企画・アニメ『セラフィムコール』に登場するキャラクター 生年不明 - 安達妙子、アニメ『センチメンタルジャーニー』に登場するキャラクター 生年不明 - 八木原克己、アニメ『イナズマイレブン アレスの天秤』に登場するキャラクター 生年不明 - 松原葵、ゲーム・アニメ『To Heart』に登場するキャラクター 生年不明 - エテキチ、ゲーム『どうぶつの森』に登場するキャラクター 生年不明 - メアリー・コクラン、ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 吉光、ゲーム・アニメ『閃乱カグラNewWave』に登場するキャラクター 生年不明 - 両奈、ゲーム・アニメ『閃乱カグラ』シリーズに登場するキャラクター 生年不明 - 両備、ゲーム・アニメ『閃乱カグラ』シリーズに登場するキャラクター 生年不明 - 金春貴之、ゲーム・アニメ『喧嘩番長 乙女』に登場するキャラクター 生年不明 - 逢坂ここ、ゲーム・アニメ『八月のシンデレラナイン』に登場するキャラクター 出典 関連項目
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B8
セブンブリッジ
セブンブリッジは、7枚の手持ちカードで行う2~6人用の日本のトランプゲーム。 ラミーのバリエーションの一つであり、そのルールには同じラミー系のゲームである麻雀との関連性が見られる。 ブリッジと名はついているが、コントラクトブリッジ(いわゆるブリッジ)とは全く関係がない。 主なルール 手札を7枚ずつ配り、残りは裏向きに山札とする。 順に、山札から1枚ずつ取って手札に加え、要らないカード1枚を表向きに捨てる。 可能であれば、同じ数字の札(同位札)3枚以上か、同じスートの連続する数字の札(シークエンス)3枚以上の組み合わせを手元に晒すことができる。これをメルドという。ただし、7のカードは1枚だけでメルドすることができる。また、7を含むシークエンスは2枚(6-7または7-8)でもメルドすることができる。 メルドしたプレイヤーは、可能であれば、自分または他人のメルドに手持ちの札をルールに従って付け足すことができる(付け札)。 同位札のメルドには同じ数字のカードを、シークエンスのメルドには同じスートの連続する数字のカードを付け札することができる。 メルドをしていないプレイヤーは、付け札することはできない。 直前に他のプレイヤーが捨てたカードを用いればメルドできるときは、山札を取る代わりにそのカードを取ることができる。 捨てられたカードと同じ数字のカードを2枚以上持っているときは、誰でも「ポン」と言ってそのカードを取ることができる。 自分のすぐ前の人が捨てたカードと合わせて3枚以上のシークエンスができるときは、「チー」と言ってそのカードを取ることができる(チーは自分の前の人の番のみ可能である)。 1巡目はポンやチーをすることができないとするのが一般的である。 ポンとチーが競合した場合は、ポンが優先される。 ポン・チーがされた後は、ポン・チーをした人の次の人の手番となる。 1人のプレイヤーが全ての札を晒し、最後にカードを1枚捨てて上がればラウンドが終了する。プレイヤーごとに手持ちのカードの合計点数を計算し、上がった人は0点となる。 絵札とエースは10点、2~10はその数字を点数として計算することが多い。 全くメルドや付け札をせずに、一度に手札全てを晒して上がった場合には、ボーナスが与えられる(他のプレイヤーの点数が高くなる)。 上がるときは必ずカードを1枚捨てなければならないとするのが一般的であるが、捨て札を必要としないルールもある。 直前の捨て札を用いて上がった場合、その捨て札を捨てた者の責任として点数を決める場合がある。 以上のラウンドを繰り返し、最も点数の少ないプレイヤーが勝者となる。 特殊なルール 他のプレイヤーが上がったときに7を持っていた場合は、ペナルティとして点数が2倍になるルールがある。 ジョーカーをオールマイティーとして加えるルールがある。 この場合、ジョーカーを任意のカードの代わりとして用いてメルドを作ることができる(例:ハート4・ジョーカー・ハート6、ハート3・ジョーカー・スペード3)。 その反面、他のプレイヤーが上がったときにジョーカーを持っていた場合は、ペナルティとして点数が5倍になるルールがある。 なお、地域によっては、7やジョーカーでは上がれないというルールも存在する。 役名 同位札同じ数字の札3枚以上(例:ハート3・ダイヤ3・スペード3) シークエンス同じスートの連続する数字の札3枚以上(例:ハートの2-3-4) Q-K-A、A-2-3は連続するが、K-A-2は不可とされる(AとKは連続しないとするルールもある)。 脚注 関連項目 トランプ ラミー カナスタ ラミーキューブ ジン・ラミー 外部リンク セブンブリッジ|トランプの歴史・遊びかた|トランプ - 任天堂 ラミー 日本のトランプゲーム
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%AB%E6%B3%95
スーパーセル法
スーパーセル法 (スーパーセルほう、super-cell method) は、シミュレーション計算手法の一つである。(主にバンド計算時に)周期的境界条件を置いてシミュレーションするときのセル(周期的に繰り返される単位)を理論的に最小なユニットセル(単位胞・単位格子)より大きなスーパーセルとする方法である。 周期的境界条件は、無限に同じセルが繰り返された系を仮定する。セルにユニットセルを使った場合、それは無限に続く完全結晶ということになる。不純物や欠陥を扱う場合や、表面を扱う場合にはそれは成り立たず、スーパーセル法が必要になる。 フォノン(格子振動)を従来型の方法で計算する場合も、Γ点以外のk点でのフォノンを求めるためには、スーパーセルでの計算が必要である(DFPT法では必要ない)。 関連項目 単位胞 結晶 並進対称性 第一原理バンド計算 バンド計算
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E8%AA%8C
雑誌
とは、逐次刊行物であり、定期刊行物である出版物の一種。一般に流通している、漫画・小説を含む娯楽雑誌だけではなく、報道、それらを包含した総合雑誌、各種の趣味雑誌や専門雑誌、学術研究誌や官公庁誌なども含めた様々なジャンルに存在する。広義の本のうち雑誌は、単行本を中心とする書籍・図書と並ぶ二大情報源である。 特徴 雑誌の特徴としては以下のことが挙げられる。 週刊、月刊、隔月刊、季刊、年刊などのように定期的に刊行される。 一定の編集者と読者を持つ。 複数の記事が一定の編集方法の元に同時に掲載されている。 仮綴じ冊子の形態をとることが多い。 こうした特徴により、速報性の点で日刊新聞には及ばないが、書籍・図書よりは優位にある。また書籍・図書に比べて刊行が容易であり、書籍・図書として発行するには難しい狭い専門分野の情報や娯楽情報の提供などに利用されている。 雑誌と書籍の中間的な存在としてムックがあり、流通上は雑誌として扱われている。 創刊と休刊・廃刊 雑誌の刊行を始めることを「創刊」(第1号は「創刊号」)、刊行の中断は「休刊」、終了は「廃刊」と呼ぶ。休刊と称していても、実際には復活せずそのまま廃刊となることも多い。 長期にわたって大部数で刊行が続く雑誌もあれば、流行の変化や出版不況などを背景に休廃刊したり、紙でなくオンライン配信に移行したりする雑誌もある。 日本の雑誌の号数と発売日の関係 日本の雑誌では、過去には雑誌によって号数の表記基準が異なり、中には実際の発売時期より数か月先の号数を表記する雑誌も現れるなどして、書店・読者の混乱を招いた。このため1986年11月に日本雑誌協会が制定した自主規程「雑誌作成上の留意事項」により、以下の範囲で発売日より先の日付・号数も付けることができるように決められた。その結果、現在は雑誌の新しさを演出するために発売日よりも前倒しで表記する雑誌が多い。なお発売日と同じ号数を表記しても構わない。 週刊誌 - 発売日から15日先までの月日 旬刊誌・隔週刊誌・月2回刊誌 - 発売日から1か月先までの月日 月刊誌・隔月誌 - 16日発売以降は、2か月先までの月(45日先まで) 委託扱いの日本の雑誌の返本 週刊誌 - 発売日から45日(増刊号は60日) 月二回刊行誌・隔週誌・月刊誌 - 発売から90日 隔月誌 - 発売から120日 ムック・コミックス - 返品義務なし 通常雑誌コードの下に L-mm/dd と表示されており発売年(年末の場合は翌年)のmm月dd日にまでが期限という意味である。しかし、大規模ではない書店では通常バックナンバーを保存する余裕がないため、新号発売前日の夜には全て回収され、箱詰めうえ翌朝に新号を納本にきた出版取次業者に渡されることが多い。 歴史 雑誌は、百科事典の誕生と同様、新しい知識や情報、視点を広く一般に開示、紹介するものとして出発した。世界で最初の本格的な雑誌は1665年に仏国パリで創刊された『ジュルナル・デ・サバン』(fr:Journal des sçavans)と、同年に英国ロンドンで創刊された『フィロソフィカル・トランザクションズ』(The Philosophical Transactions)だと言われている。初めて「magazine」の語を使用したのは1731年にロンドンで創刊された『ジェントルマンズ・マガジン』(:en:The Gentleman's Magazine)である。日本で最初の本格的な雑誌は、1867年(慶應3年)10月に洋学者の柳河春三が創刊した『西洋雑誌』だと言われ、「Magazine」の訳語に「雑誌」を用いている。総合雑誌としては明六雑誌が初になる。 種類 一般誌 市販目的の雑誌全般を指し、その範囲は極めて広い(#一般誌の分類)。刊行頻度としては週刊から季刊程度までの間にほとんどが納まり、月刊のものが最も多い。 学術雑誌 学術論文を主として掲載。自然科学分野では特に重要なメディアとなっている。 官公庁誌 中央官庁や地方公共団体によって刊行されるもの。一部は市販もされるが、一般の出版取次には乗らないものが多い。 団体・協会誌 多くが会員への配布を目的とし、市販されない。機関紙(機関誌)を参照。 同人誌 同好者が自身の作品を発表するために発行するもの(同人誌の中には、シリーズ化や定期刊行がなされず、「雑誌」とは言えない刊行物も含まれる)。 企業誌 PR誌、社内報、技報など。 一般誌の分類 総合誌 総合月刊誌 総合週刊誌(男性週刊誌) 実話誌 写真週刊誌 女性週刊誌 専門雑誌 文芸雑誌 小説誌 経済誌(ビジネス誌) 科学誌 天文雑誌 医療雑誌 パソコン雑誌 歴史雑誌 趣味・娯楽 ファッション雑誌 漫画雑誌 スポーツ雑誌 模型雑誌 ゲーム雑誌 アニメ雑誌 自動車雑誌 オートバイ雑誌 カメラ雑誌 鉄道雑誌 音楽雑誌 旅行雑誌 情報誌 テレビ情報誌 FM情報誌 求人情報誌 タウン情報誌 パチンコ・パチスロ情報誌 映画情報誌 子供誌 少年雑誌 学年誌 「雑誌ジャンル・カテゴリー区分」による分類 日本雑誌広告協会雑誌分類認定委員会が定めた、「雑誌ジャンル・カテゴリー区分」。 分類項目は2021年7月時点のもので、ジャンル名・カテゴリ・対象読者の性別・ビークル・雑誌発行社の順に並べてある。 なおティーンズは19歳以下、ヤングは20-24歳、ヤングアダルトは25-39歳、ミドルエイジは40-59歳、シニアは60歳以上を目安とされている。 総合月刊誌 一般週刊誌 写真週刊誌 女性週刊誌 男性ヤング誌 男性ヤングアダルト誌 男性ミドルエイジ誌 女性ティーンズ誌 女性ヤング誌 女性ヤングアダルト誌 女性ミドルエイジ誌 女性シニア誌 ビジネス・マネー誌 モノ・トレンド情報誌 スポーツ誌 自動車誌 オートバイ誌 パソコン・コンピュータ誌 生活実用情報誌 食・グルメ情報誌 ナチュラルライフ誌 ビューティコスメ誌 マタニティ子育て誌 健康誌 ブライダル情報誌 旅行・レジャー誌 エリア情報誌 文芸・歴史誌 テレビ情報誌 エンターテインメント情報誌 ゲーム・アニメ情報誌 少年向けコミック誌 男性向けコミック誌 少女向けコミック誌 女性向けコミック誌 車内・機内・会員誌 フリーマガジン 建築・住宅誌 業界・技術専門誌 介護 子供誌 アウトドア 住(インテリア・エクステリア・雑貨) 手作り 園芸 ペット 時計 きもの 美容(技術者) カメラ 自然科学 アート・デザイン クロスワードパズル ホビー ギャンブル・ロト 語学 教養 教育(一般) 教育(実務者) 時刻表 年鑑 ムック 上記以外にも、様々な分野・年齢に向けた雑誌が存在する。 流通 小売店販売が最も一般的な流通方法である。宅配販売やデジタル販売といった方法もとられる。 小売店販売 取次を通して書店や駅売店、コンビニエンスストアなどで販売される一般的な流通方法である。この場合は雑誌コードの取得が不可欠だが入手が難しい。 刊行の間隔が短いものほど出版社への返品期限も短い傾向があるため、書店の棚に並ぶ日数は短くなる。雑誌によっては特約店や一部の書店で常備している場合もあり、書店在庫が数冊しかない場合には返品期限を過ぎても返品せずそのまま売り切るケースもあるが、それ以外での書店では過去に刊行された号(バックナンバー)の入手は難しい。また、いわゆるオンライン書店では流通システムの関係上バックナンバーは原則として返品せず、在庫を売り切るまで販売するケースが多い。 ヨーロッパでは、書店の他に雑誌と新聞のみを扱う専門店がある。一部、ペーパーバックも置いていたりする。新聞・雑誌店という類のもの。 宅配販売 専門的な分野の雑誌は、契約制で企業や個人宅に直接配送するものがある。専門的でなくても読者の便宜を配慮して、定期購読契約すれば宅配してくれる場合が多い。 小売販売と宅配を両方する雑誌が多いが、宅配専門の雑誌も存在する。小売販売と宅配を両方する雑誌の場合、定期購読契約すると送料が無料になり、さらにおまけなどの特典をくれる場合もある。 書籍や雑誌は、日本の文化政策の一環として郵便料金が安く抑えられており(ゆうメール)、特に第3種郵便に指定された定期刊行物の郵便料金は安い。学術刊行物(学会誌)の場合は第4種郵便としてさらに安い料金で送ることができる。郵便局以外の民間の宅配便業者でも、メール便の大口割引などで、比較的安い値段で宅配することができる。 デジタル販売 これまでの紙の流通に加え、電子書籍の一種であるデジタル雑誌(aka 電子雑誌、デジタルマガジン)の発行が日本でも始まった。記事単位での販売や紹介ではなく、表紙から裏表紙までまるごと記事、広告ともに見せる形態である。これらデジタル雑誌はその特性を用いて、雑誌内が検索できたり、動画をみせたり、編集ページや広告ページからホームページへのリンクを飛ばしたりするなどの工夫がされているものもある。 2006年には主婦の友社が紙では休刊した『ef』を『デジタルef』としてデジタル版のみで発行。2007年初旬には『ニューズウィーク日本版』や『R25』がデジタル版での流通を本格的に開始している。 ここにきて、他にも多くの雑誌(フリーペーパー含む)がデジタル雑誌として発売や発行され始めている。 米国では2002年ごろからデジタル雑誌での販売が始まっていて、新たな流通手段として定着している。 広告 読者の購入によって出版社が得る販売代金の他に、特に近年においては広告料金の比率が高まっている。有名雑誌のカラー広告の出稿料金にはページ単価が200万円を超えるものもあり、広告媒体としての存在感が増す一方で、スポンサーを向いた誌面作りの傾向が強まることなどの弊害もある。 純粋な広告の他に、スポンサーとのタイアップ記事、広告企画記事が掲載されることもある。本文記事と区別するために広告であることが明記されたり、該当記事のみページ数を省いて印刷することもある。 雑誌広告は、より高い効果を期待して、当該雑誌の主な購読者層をターゲットにしたものとなる場合がほとんどである。とりわけ、一部の専門分野を対象にした雑誌では、一般の小売店では入手しづらい商品の通信販売を行う業者の広告が多く掲載される。そのため「広告も情報のうち」として、広告の多い雑誌が重宝がられる雑誌も一部存在する。一例を挙げると、電気回路(エレクトロニクス)関連の専門誌の場合、半分以上が電子部品や工具などの広告で占められている。 読者投稿欄の役割 雑誌は読者からの投稿欄を設けているところが多い。商業的な理由から相応な質を担保するために編集部の選別を通ったものが掲載される。このことが読者に一定水準以上の文章を書かなければいけないという規範を植えつけ、知的水準の底上げに役立つと言われる。 雑誌の単行本化とバックナンバー 雑誌に掲載された記事や作品(小説・漫画など)は書籍化されることもあるが、雑誌の内容全体に比してごく一部である。 このため新品としての販売期間が過ぎたバックナンバーが読書・鑑賞や収集の対象になることもある。古書店の中には特定のジャンルの雑誌バックナンバーを専門または品揃えの一部として扱う店もあるほか、インターネットオークションやフリマアプリなどを介して個人間で売買されることがある。 バックナンバーを閲覧できる場としては、雑誌専門図書館の大宅壮一文庫(東京都世田谷区)。同様な雑誌専門図書館であった「六月社」(東京都新宿区)は2018年6月10日で閉館となった。 脚注 注釈 出典 参考文献 平野英俊「第2章 図書館資料の種類と特質」『改訂図書館資料論』樹村房〈新・図書館シリーズ 7〉2004年3月15日改訂第1刷発行、ISBN 978-4883670796、23 - 57頁 社団法人日本図書館協会 図書館ハンドブック編集委員会 編集「第III章 図書館資料」『図書館ハンドブック 第5版』1998年3月25日第6刷発行、ISBN 978-4820490029、137 - 216頁 津田良成編『図書館・情報学概論 第二版』勁草書房、1997年1月20日第2版第6刷発行、ISBN 978-4326000500 関連項目 フリーペーパー 本 印刷 雑誌の日 日本雑誌協会 カストリ雑誌 読者ページの一覧 専門雑誌 外部リンク 社団法人日本雑誌協会 国立国会図書館 雑誌記事索引採録誌一覧 フォーマット別の出版物 和製漢語
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7並べ
7並べ(しちならべ、sevens)は、トランプゲームの一つ。多くのトランプゲームの解説本(ホイル)では、チルドレンズ・ゲーム(子供向けのゲーム)として扱われている。また、ファンタンドミノともいう。 ジャンル ストップ系のゲーム(=ルールに従って場に手札を出し、早く手札をなくすことを競うゲーム)である。 人数 理論上は1人でも20人以上でも可能だが、4 - 10人程度が望ましい。 使用するもの トランプ一組からジョーカーを抜いた52枚だが、ジョーカーを加えることもある(ワイルドカードとしてのジョーカーは後述)。 ゲームの目的 定められた回数以上にパスをすることなく、誰よりも早く自分の手札をなくすこと。 札が全て揃っているかを確かめるため。 札をマーク別かつ番号順に揃えて片付けるため。 レイアウト ゲームが進むにつれて、場にカードが順に置かれていく。この際カードはスート毎に、ランク順に並べる(Aをランク最小のカードとみなし、以下2、3J、Q、K)。ゲームが終了して全てのカードが出揃うと、スート毎に揃ったAからKまでの列が4列できる。 カードを並べる際、同じスートのカード同士はカードの長辺が互いに接するように置く。また、各スートのカードの列は、カードの短辺側が互いに接するように置く。(図参照) 基本ルール これはあくまでも基本ルールで、日本での公式大会ではこのルールで行っている。 パスは3回まで。 出せるカードがあっても出さなくても良い。(3回パスした人は出せるカードがあれば必ず出さなければならない。) 親は各プレイヤーにカードを一枚ずつ順に、カードがなくなるまで配る。この際、ゲームに参加しているプレイヤー数によっては、プレイヤーによって枚数に差がでることがあるが、気にせずゲームを続ける。 カードが配り終わったら、まず前準備として、ランクが7のカードを持っているプレイヤーは、手札からそのカードを取りだし、場に置く。4枚の7は一列に並べて置く。 7の札が並べ終ったら、ゲームを開始する。ダイヤの7を出した人から(もしくはジャンケン、親から、親の隣からなど様々)順番にプレイする。以下左回り(時計回り)に各プレイヤーの番が回ってくる。 各プレイヤーは、自分の番が来たら、次のいずれかの行動を取る。 手札から一枚カードを場に出す。 パスを宣言する。 手札から出せるカードには制限がある。カードを手札から出せるのは、そのカードと同スートで、ランク(数字)が一つ異なるカード、及びそのカードから7までのカードが全て場に出ている場合のみである。(J、Q、Kは11、12、13相当) このため、場に出ているカードは7から同スートの隣り合うカードへと広がっていく形となる。 例えば今スペードの札が5から9まで場に出ている時、スペードの札で場に出せるのは、4と10だけである。 場に出せるカードを持っていない場合、プレイヤーはパスを宣言する。パスは事前に定められた回数(多くの場合3回)しかできない。定められた回数より4回目のパスをした(3回パスしても出せるカードがない)時点で負けとなり、そのプレイヤーはゲームから脱落する(はき出し)(ルールの詳細は後述)。 順位 ゲームの途中で脱落しなかったプレイヤーの中で、最初に手札を全て使い切ったプレイヤーが優勝である。以下順に、(ゲームの途中で脱落しなかったプレイヤーの中で)、2番目、3番目に手札を全て使い切ったプレイヤーが2位、3位になる。 ゲームの途中で脱落してしまったプレイヤーの順位は、脱落していないプレイヤーの順位よりも低い。最初に脱落してしまったプレイヤーの順位が最も低く、以下2番目、3番目に脱落したプレイヤーの順位が2番目、3番目に低い。 ※順位付けも地方により様々でこの限りではない。 ルールの詳細 戦略的なパス 場に出せるカードがあるにも関わらず戦略的な理由でわざとパスをしてもよい、というルールが一般的である。 の札を持っているのに、の札をわざと出さずにパスすることを、を止めるという。 ゲームの途中で脱落したプレイヤーの手札の取り扱い ゲームの途中でプレイヤーが脱落したら、そのプレイヤーの手札を全て、場の該当箇所に置いた後、残りのプレイヤーはゲームを続ける。この際脱落したプレイヤーの手札に、現時点では出せないはずの手札があっても、場に並べる。 例えば場にハートの札が3から8まで場に出ている段階で、10を持っているプレイヤーが脱落したとする。このプレイヤーが9を持っていなければ、8の隣りに(将来9を置くために)カード一つ分の間を空けて、10を置く。 誰かが脱落した後のプレイにおいても、手札から出せるカードのルールは変わらない。カードを手札から出せるのは、そのカードと同スートの7の札とそのカード自身とを結ぶ札がすでに場に出ている場合だけである。 例えば今スペードの札が5~8とJとが場に出ている時、スペードの札で場に出せるのは、4と9だけである。10やQは7と結ばれていないので出すことはできない。(ローカルルールによっては出せる場合がある) オプショナル・ルール ワイルドカードとしてのジョーカー ジョーカーを一枚または二枚追加してゲームを行う。ジョーカーはワイルドカードとしての役目を果たす。ジョーカーを持っているプレイヤーは、自分の番であれば任意の時に、通常の札を出す代わりにジョーカーを場に置くことができる。ババ抜きと同じく、最後にジョーカーを持っていたプレイヤーは負けとなる(ジョーカーで上がったりジョーカーだけを残すと反則負けとなるルールもある。)が、前述の通り、プレイヤーの誰かが4回目のパスをして脱落した場合はジョーカーを持っているプレイヤーでも最下位ではない順位となる。 プレイヤー(以下Aと呼ぶ)がジョーカーを置いたら、ジョーカーが置かれた位置のカードを持っているプレイヤーはすぐにその位置のカードを出し、代わりにジョーカーを手札に加えなければならない。ただルールによってはジョーカーを受け取るか任意で選択できるようにしている場合もある。 例えば、プレイヤーAがジョーカーを5の位置に置いたら、5を持っているプレイヤーはジョーカーの位置に5を置き、ジョーカーを引き取らなければならない。 プレイヤーAがジョーカーを置くことができるのは、現時点でプレイできるカードの位置だけである。例えばハートのカードが4からJまでしか場に出ていなかった場合、プレイヤーAは2の位置にジョーカーを置くことはできない。ハートでプレイヤーAがジョーカーを置けるのは、3かQだけである。 ジョーカーの位置のカードが出されたら、プレイヤーAの左隣のプレイヤーの番に移る。 ルールによっては、ジョーカーは単独で使わず、場に出したいカードの間を埋める形で使用する。上記の例で言えば、プレイヤーAが2を出したい場合に、4の隣にジョーカー・2の順に並べて配置する。3を持っているプレイヤーはジョーカーの位置にカードを出し、代わりにジョーカーを手札に加えなければならない。このルールでは条件を満たすカードが無いとジョーカーを出せないため、場に出ているカードから一つ飛ばしたカードが無いような終盤にジョーカーを持っていると負けが確定する。 ローカルルールとして、2ゲーム以上続けて行う場合、2回目以降に最初にジョーカーを持つのは必ず前のゲームの敗者(最後までジョーカーを持っていたプレイヤー)とする場合がある。 AとKとのリンク AとKは「隣り合った」ランクであるとみなす。すなわち♠の7からKまでが場に出ている時には♠のAを場に出すことが許されるし、♠の7からAまでが場に出ている時には♠のKを場に出すことが許される。 ♠のAとKとが場に出ている時、♠のAとKとはつながっているという。 ♠の7からKまでとAとが場に出たら、以後順に♠の2,3,4を場に出すことができるし、♠の7からAまでとKとが場に出たら、以後順に♠のQ,J,10を場に出すことができる。 ♠の7からKまでとAとが場に出た状態で、♠の6,5,4側にカードをつなげたり、♠の7からAまでとKとが場に出た状態で、♠の8,9,10側にカードをつなげたりする行為を許すかどうかは地方ルールによる。許すルールの方が一般的である。これを許さない場合、♠のAとKがつながった場合に、♠を止めているプレイヤーが逆に不利となるルールである(ハンゲームではこれを「トンネルルール」という)。 お化け ゴーストというゲームから入った、日本特有のオプショナル・ルールである。 ゲームからまだ脱落していないプレイヤーはゲームから脱落したプレイヤーと会話してはならない(脱落したプレイヤーはあの手この手で脱落していないプレイヤーとの会話を試みる)。もし脱落したプレイヤーと会話してしまったら、脱落したプレイヤーと会話してしまったプレイヤーとの立場が入れ替わる。脱落したプレイヤーは会話してしまったプレイヤーの手札を使ってゲームに復帰し、逆に会話してしまったプレイヤーはゲームから脱落したものとみなされる。 お化けのルールを採用した場合、どの時点でゲームから脱落したとみなすべきかは難しい。ゲームが終了していた段階で脱落したプレイヤー同士順位の決めに関して固定的なルールはない。 コンボ 2~3人でのプレイ時に戦略性を持たせる為に採用される。 手番にカードを出した際、そこに隣接するカードを手札から連続で出しても良いとする。 例として、自分の手番にスペードの8を出し、更にスペードの9,10,Jを出すというもの。 2枚目以降は1コンボ、2コンボとカウントする。ターン終了時には、コンボ数と同枚数の任意の手札を次プレイヤーに譲渡できる。 (上記の例では、追加分スペードの9,10,J分=3コンボ=3枚譲渡) 歴史 日本の7並べは外国のファンタン(fantan)というゲームが元になっている。ファンタンのルールは日本の7並べとほとんど同じである。ただし、7並べでは事前に7を全て並べてからゲームを開始するのに対し、ファンタンでは場に一枚もカードがない状態からゲームを始める。7の札を持ったプレイヤーは、自分の番が来たときに7を場に出す権利を持っている。誰かが7を場に出したら、皆はその♠の札を7につなげることができる。 ローカルルール 殺しの7並べ 殺しの7並べという名称が一般的だが、陰険7並べ、封鎖の7並べと呼ぶ事もある。 以下、仮に、、、の順に7のカードが並べられているとしてルールの説明をする。 主に以下の二点において通常の7並べと異なる: 出す事を許されるカードの種類 カードの「死」という概念 殺しの7並べで出すことができる札は、通常の7並べで出せる札よりもずっと多い。各プレイヤーは自分の番が回ってきた時、以下の条件を満たすカードを出すことができる: そのカードに上下左右もしくは斜めに接するカードがすでに場に出ている。 例えば10を出すことができるのは、9、J、10、10、9、J、9、Jのいずれかの札がすでに場に出ている時に限る。 カードXがまだ場に出されていない状態で、カードXと上下左右に接する札が全て場に出ている時、カードXは死んでいるカードと呼ばれる。死んでしまったカードは場に出すことはできない。 手札が全て死んでしまったカードのみになったプレイヤーはゲームから抜ける。通常の7並べと同様、定められた回数以上にパスをしたプレイヤーはゲームから脱落する。全員がゲームから抜けるか脱落するかした段階でゲームは終了である。 勝敗 脱落していないプレイヤーの中で、手札として持っている死んでしまったカードの枚数が最も少ないプレイヤーが優勝である。二人のプレイヤーが持っている死んでしまったカードの枚数が同じ時は、先にゲームから抜けたプレイヤーの方が順位が高い。 通常の7並べと異なり、(死んでしまったカードの枚数が同じでない時は)、いつゲームから抜けたのかに関わらず順位が決まることに注意されたい。 ゲームから脱落してしまったプレイヤーの順位の決め方は、通常の7並べと同じである。 隅や角にあるカードの取り扱い 場の外側は「壁」で囲まれているものとみなし、隅や角にあるカードはそれぞれ3方向、2方向を囲まれたら死んだものとみなす。 例えば8は、7、9、8が場に出そろった段階で死に、Aは、2、Aが出そろった段階で死ぬ。 死の定義に関するもの 死の定義に関して以下の2種類の地方ルールがある。 上下左右全てが囲まれなくとも、左右のみ出そろった段階で死んだとみなす。 3枚以下のカードが一辺に囲まれた場合、囲まれたカードは全て死んだものとみなす。 第2のルールを例で説明する。例えばA、4、2、3、2、3が出そろった段階で2、3は両方とも死ぬ。 死んだ札の取り扱いに関するもの 手札として保管せず、死んだ段階で、場の札とまざらないように自分の真下に置いておく。表向きに置く、というルールと裏向きに置くというルールとがある。 慣用句 通常の7並べで8を持って邪魔する人から転じて、買う気もないのに物を無駄に取り置きしたり、大して興味のない他人に独占欲を抱く人のことを「エイトキーパー」と呼ぶ。 脚注 関連項目 トランプ カードゲーム トランプゲーム
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9
ニュース
ニュース()とは、珍しい出来事や新しい情報のことである。また、最近発生した政治や事件・事故・スポーツ・地域情報などの出来事や珍しい出来事などを伝えることである。 語源 英語の綴りは「」であり、「ニューズ(英国)」「ヌーズ(北米)」と読む。これは「」を複数形にしたものであり、「(複数の)新しいこと」という意味の、中世ラテン語やフランス語の単語から英訳された。 この語の語源が方角をあらわす「北」「東」「西」「南」のそれぞれを意味する英語「」「」「」「」の頭文字だという意味だといわれることがあるが、これは民間語源で間違いである。 媒体 新聞やテレビ、ラジオ、電光掲示板、ウェブ(特にニュースサイト)などがメディアとして使われる。テレビが普及する以前には、映画(ニュース映画)も使われた。 1990年代以降、ウェブ(インターネット)の普及で個人などでもニュースを発信することができるようになった。この場合は専門的な情報のみのニュースが多い。 市場調査会社ピュー・リサーチセンターの2008年12月の調査によれば、ウェブを媒体としてニュースを知る人の割合が、ついに新聞を上回った。調査は2008年12月上旬にアメリカ国内の1,489名の成人に対して行われたもので、40%がウェブから国内外のニュースを得ることが多いと回答し、一方、新聞からという者は35%にとどまった。新聞を情報源としている人の割合は2005年からほぼ横ばいだが、ウェブを情報源としている人の率が高くなっており、2007年9月の前回調査では24%であった。 一方、テレビをニュース情報源としているしたのは回答者の70%であり、依然ウェブと新聞を上回っている。30歳以下の若年成人層に限定すれば、ウェブはすでに情報源としてテレビに追いつき、ともに59%となった。2007年ではテレビの割合は68%、ウェブの割合は34%であり、急速にウェブの割合が増えている。 歴史 アクタ・ディウルナ - ローマ時代に壁に貼られることでニュースを伝えた最古の新聞。 瓦版(読売、絵草紙、一枚摺とも) - 江戸時代に民間で出回った情報媒体。1684年(貞享1年)に読売禁止令が出される。 Canards、オカジオネル(occasionnel)、éphémères - フランスで16-17世紀に出された出版物。一枚刷りから、冊子の形で販売された。1701年に書物監督局が設立され、(特認、出版特認などとも訳される)がない出版社以外の出版が禁じられた。そのため、パリ以外の地方で海賊版などの違法書籍と共に出版されることとなった。 イギリスでは、王室などへの誹謗中傷が問題になり、17世紀の星室庁によって報道出版社は取り締まり対象となり、許可のない出版が行えなくなった。 健康 2021年、ハーバード大学医学部は、過度に宣伝された健康ニュースが不必要な不安を助長し、健康に害を及ぼす可能性があると警告した。 脚注 関連項目 報道番組 ニュース系列 ニュースキャスター(アンカーマン) ニュース映画 ニュースサイト ネットニュース ニュースグループ 報道 英語の語句 知識社会学 コミュニケーション fiu-vro:Miä sünnüs pap:Eventonan aktual pt:Jornalismo#Notícia
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天気予報
とは、ある地域で天気がどう変化するか予測し、知らせること。ともいう。 過去の天気や現況の天気、気圧、風向、風速、気温、湿度など大気の状態に関する情報を収集し、これをもとに、特定の地域あるいは広範囲な領域に対し、当日から数日後まで(種類によっては数ヶ月後に及ぶものもある)の天気風、風、気温などの大気の状態と、それに関連する水域や地面の状態を予測して伝えるものである。 概要 日常生活や業務に対して天気が与える影響は非常に大きく、19世紀に近代気象学が生まれると同時に科学的な天気予報の試みが行われてきた。現代における天気予報は、気象のメカニズムを解明する気象学の発達と並んで、多種多様で世界的な気象観測網の構築、コンピューターの発展に支えられた数値予報インフラストラクチャーの整備、そして情報を一般に広く伝えるマスメディアによって支えられ、運用されている。 地球の大気の挙動は、カオスそのものであるため、初期値鋭敏性が高く、大気シミュレーションの計算誤差が、反復計算により指数関数的に増大するため、長期間の予測は極めて難しい。また地形の影響が大きい山岳部は天気が急変しやすく、予報のアルゴリズム精度が落ちるなど正確な天気予報が外れることも多い。しかし、予測の初期値を得る大気計測、気象衛星による観測データやスーパーコンピュータの利用などにより、予報精度は向上している。 数値予報が台頭してくるまで、天気予報は観測記録をもとにした過去のノウハウや経験則の蓄積に頼る部分が大きく、予報官の経験に左右されるところが大きかった。数値予報の登場によって解析業務の負担が軽減されるとともに、精度が向上して予報の幅も広がってきている。また、観測の自動化・無人化も急速に進んでいる。 気象観測・情報収集・研究に関しては、世界気象機関(WMO)などの国際機関、世界各国の気象機関や防災担当の国家機関、研究機関や大学などによって連携して行われている。世界各国で法的な規定をもって責任機関を定め、気象に関する業務を担当させている。国によっては予報業務の自由化(民間開放)も進められているが、国際的には、国連の世界気象機関が、1995年の第12回世界気象会議議決事項40附属書3において、「関係する加盟国が認めた場合を除き、商業セクターの気象業務提供者は、その活動する国及び海域において、生命及び財産の安全に関わる予報及び警報を公表してはならない。商業セクターが公表する生命及び財産の安全に関わる予報及び警報は、国家気象・水文気象機関等の公的機関が公共的な業務に係る責務として実施するものと矛盾しないものでなければならない」との指針を示している。 現代の天気予報は、ゲリラ豪雨や激化する猛暑などに代表される気象災害の増加・変化やニーズの変化への対応、エルニーニョ・南方振動(ENSO)や北極振動(AO)等の最新知見を取り入れた予報精度の向上などが大きなテーマとされている。そのため、そういった豪雨などの異常気象、ENSOやAOなどの気候パターン、地球温暖化などの気候変動の解明が求められているほか、気象機関は市民に対して天気や気候変動に関する説明・解説を行う一定の責任も負っている。 天気予報の要素 一般的な天気予報の情報は、どこの(予報区域)、何を(予報要素)、いつからいつまで(予報期間)、どんな形式で(予報形式)予報するかという4つの大きな要素がある。 予報区域 地点ごと - 主要な観測点・都市における予報値を発表する。 予報区ごと - 予報区内における全観測点の平均、または代表観測点における予報値を発表する。 格子点ごと - 予報領域内を細かく区切った、各格子点における予報値を発表する。 予報要素 気温・最高気温・最低気温、湿度、露点温度、風向・風速、降水(降水量・降水確率)、天気・波浪の高さ、海水温など。海氷、雷、突風などもある。気圧配置、前線や(一般向けではないが)気温、相当温位、渦度などの分布を示す天気図の予報、熱帯低気圧(台風など)の勢力や進路を示す地図の予報もある。その他「#特色のある予報」も参照。 予報期間 日本の気象庁の場合、以下の4区分がある。実際の期間については下記を参照。 短時間予報 - 3時間後まで 短期予報 - 3時間後を超え48時間後まで 中期予報 - 48時間後を超え7日後まで 長期予報 - 8日後以後を含むもの 天気や気温などを予報する場合、1時間ごと・3時間ごと・6時間ごとなど、必要性や情報量の制約からいくつか区分方法を使い分けている。雲画像やレーダー画像などは、5分ごと・10分ごと・30分ごと・1時間ごとなどより細かい区分を用いる。 予報形式 カテゴリー予報 - いくつかの区分の中から1つを選んで発表する。天気(「晴れ」「くもり」「雨」)など。 量的予報 - 予測値をそのまま、適切な位で丸めて発表する。気温、降水量、風向、風速など。 確率予報 - 予測値を確率として表現し、適切な値で丸めて発表する。降水確率など。 上の3形式が典型的な予報形式である。これ以外に分類できないものとして、最も可能性の高い1つの状態を表現するもの(天気図など)。 天気予報の歴史 近代以前の予報 天気は多くの人々の生計と生活に大きな影響を与えるものであり、古代においてもこのことは今にもまして重要なことであった。およそ数千年の間、人々は一日が、もしくは一つの季節がどのような天気になるか予想しようとしてきた。紀元前650年に、バビロニア人は雲のパターンから天気を予測し、紀元前およそ340年には、アリストテレスが気象学に基づいた天候のパターンを描き出した。中国大陸の民族も少なくとも紀元前300年までに天気を予測していた。 通常、古代の天気予報の方法は、天候のパターンを見つけることに依存していたために全ては経験に頼ったものであった。例えば、日没時に空が際立って赤かったならば、翌日は晴れが予想される、などといった具合にである(「夕焼け#観天望気」参照)。この経験は、世代を越えて天気に関する知恵(たとえば諺など、観天望気)を蓄積することとなった。しかしながら、これらの予測全てが信頼できるものだと証明されるとは限らず、また、それら経験に頼った天気予報は後の研究により厳格な統計学的分析に依拠しないものもあるということが判明してきている。 特に漁師や廻船などの船乗りは荒れた海に出ると生命にかかわるため、天気の観測・予測を日本では「日和見」を重視した。日本各地に残る日和山(ひよりやま)等の地名は、そこから天気の具合を観察したことによる。 日本では1884年(明治17年)6月1日に近代的な天気予報の第一号が発表されたが、江戸時代には平戸藩で参勤交代など船の運航を担っていた山崎家は天気見様(てんきみよう)という天気観測・予報に力を入れていた。 天気予報の近代化 1837年の電報の発明まで、近代的な天気予報の時代は到来しなかった。この発明までは蒸気機関車より少しでも早いリアルタイムの大気の状態についての情報は伝えることができなかったからである。しかし電報の発明は、ほぼ瞬時に広範囲から気象の状態に関する情報を収集することが可能となった。このことにより、はるか風上の天気の情報を元にした天気予報が可能となった。 クリミア戦争の際、暴風で黒海の英仏艦隊が壊滅したのを受けて、フランスのパリ天文台台長のユルバン・ルヴェリエが暴風雨を予測する研究を行い、天気予報の必要性をナポレオン3世に進言した。 1854年に設立されたイギリス気象庁は世界で最も早期に設立された気象機関の一つで、1870年代に天気図の作成を開始、1879年には新聞に対して情報提供を開始するなど先進的な試みを行っている。気象学の発達した欧米各国は、1873年に国際気象機関(IMO、後の世界気象機関)を設立して国際協力を推進した。一方で、軍事機密を伴う部分もあるため、予報のノウハウは各国が独自に培っていった部分が大きい。 科学的な天気予報の誕生に功績があったと最も信じられている人物は、フランシス・ボーフォート(ボーフォート風力階級で知られる)と彼の部下ロバート・フィッツロイ(the Fitzroy Barometerの開発者)である。2人はイギリスの海軍や政官界で影響力をもった人物で、当時新聞で嘲られていたが、彼らの仕事は、科学的信頼を獲得し、英国艦隊によって受け入れられ、今日の天気予報知識の全ての基礎を形成した。 現代の天気予報 20世紀の間に、大気変化の研究を取り入れた気象学は大きく進歩した。数値予報の考え方は1922年にルイス・フライ・リチャードソンによって提示された。しかしながら、天気予報を成り立たせるために必要な膨大な計算をこなすコンピュータはその当時存在しなかった。1970年に初めて、数値予報により世界中の天気予報業務を行うことが可能となった。 国際テレビ放送やインターネットの発達により天気予報のグローバル化が進んでいる。特に先進国の民間気象会社は、世界の気象機関や自社で観測したデータなどをもとに世界各国の天気予報をインターネットや各メディアでユーザーに届けるようになった。グローバルな天気予報は利便性を向上させる一方、情報源、予報技術、信頼性などが見えにくく、災害をもたらすような気象現象において責任国家機関の情報と各民間気象事業者の予報が異なる事態により受け手が混乱を招く問題も指摘されている。世界気象機関WMOでは情報の混乱の緩和を図るため、世界の主要都市の週間予報と災害の危険のある顕著現象について公式の情報提供を行っている。 一方で気象サービスの商業化とともに、各国の公共サービスの見直しや財政の緊縮化を背景に、国家が気象サービスを有料化する動きもある。その顕著な例がニュージーランドで、ニュージーランドでは政府が100%株式を保有する政府企業が有料で気象サービスを提供するようになっている。ヨーロッパでもこのような商業化の流れがみられるが、アメリカや日本では通信料だけで国の機関から気象サービスの提供を受けることができ商業化とは対極にある。気象サービスの商業化政策に対しては、気象情報の有効活用や開発意欲を阻む要因になるともいわれている。 天気予報システム 現代の天気予報システムは5つの構成要素から成り立っている。 情報収集 情報の融合 数値予報 気象変化の型をたたきだす エンドユーザに対する予測の提供 情報収集 気象学は地道な観測から始まったように、天気予報においても不断の観測が予報を支えている。デジタル計器など存在せず有人観測が主流だった時代には、多数の観測点を設置して定期的に人の手により交代で観測を行っていた。自動観測が広く普及した現在、観測点数を増やすことも容易になり、無人化も進行してきている。 現在、世界的に主流な観測方法として、 陸上では、温度計、湿度計、風向風速計、気圧計、雨量計、積雪計、蒸発計、日射計、日照計などをセット(効率を考え、温度計や雨量計など重要性の高い測器が高密度で設置されることが多い)で自動気象観測所(AWS)として設置することが多い。日本ではアメダスがこれに当たる。一般的に、主要都市を含めた上で、国土を一定の密度でカバーするように設置される。予報業務等と観測を併せて行う気象台も、主要都市などに設置されている。また、先進国では国土をカバーできるように気象レーダー(マイクロ波、ミリ波、デュアルドップラー)が整備されている。アメリカ合衆国ではドップラー・レーダー網のNEXRADが整備されている。 海上では、気温や気圧等に加えて海水温や流速等を観測する海洋気象ブイの設置が進んでいる。気象観測船による観測も各国が行っている。 上空では、高層気象観測の一環としてラジオゾンデ(レーウィンゾンデ)、ロケットゾンデ、ドロップゾンデ等での観測が行われている。天気予報を行う上では地上〜対流圏上部付近までの上空の気温、気圧、湿度、風を知ることが非常に重要であり、これは衛星観測でもできないことから、無人化の流れの中でも人手と観測網は維持されている。航空機による観測も行われており、旅客機に搭載された機器も重要な情報源である。新しい観測手法として、地上に設置されたLIDARやSODARによる上空風速の観測の利用が広まってきている。また、気象衛星によるリモートセンシング観測も行われ、雲画像や水蒸気分布、気温、風向・風速などが収集されている。 観測の精度を一定に保つため、観測機器の仕様や運用についてはWMOが統一基準を定めており、それに基づき各国は細かい基準を定めている。日本では観測機器の気象測器検定、気象庁による「気象観測の手引き」などがこれに該当する。 観測要素の多い気象台を中心として、国際的に情報提供する観測点が定められており、全球気象通信システム(GTS)に載せられ世界中へ配信される。日本では、気象庁が構築しているネットワークであるADESSを経由してGTSへ接続されている。また、AMDAR等の情報ネットワークもある。この国際データはSYNOP、SHIP、METARなどのいわゆる国際気象通報式の形式をとり、WMOやICAOにより定められた統一基準に従って定時(SYNOP3時間毎、METAR1時間毎など)・臨時に情報を送信する。 情報の融合 天気予報には、情報の迅速な伝達と収集が重要である。気象庁では、COSMETSで情報の統合整理を行っている。国際データ、ブイやラジオゾンデ、気象台の観測データはADESS経由で、気象情報のデータは気象衛星センターのサーバ経由で、アメダスのデータは地域気象観測センター経由で、COSMETSに送信される。国際的には、全球通信システム(GTS)と呼ばれる世界規模の通信網を通して各国の気象機関の間で情報をやり取りしている。また途上国向けに、全球データ処理・予測システム(GDPFS)のもとで、各地域の主要気象機関がガイダンス資料(後述)までの作成も行い、提供している。 数値予報 理論式で構成された数値予報モデルに観測値を入力する(データ同化)。観測値は観測点の偏りが原因でデータの分布はまばらであるため、推定(客観解析)を行ってデータを補正する。このデータを一次データとして、ガイダンスを作成する。 気象庁では、COSMETSの中の演算部分であるNAPSで数値予報の演算を行い、予報結果を気象庁本庁のほか、各地の気象台などへと送信する。演算には高性能のスーパーコンピュータの利用が不可欠であり、その性能が予報精度や速度を左右する。 気象変化の型をたたきだす 数値予報モデルの演算結果はあくまで格子点形式で物理量を出力するのみであるため、これを予報に利用しやすい形に変換する必要がある。例えば、気圧配置データをもとに天気図を作成したり、湿度・気温・気圧のデータから雲量を割り出し更にそれから天気分布を割り出すなどの「翻訳作業」を行う。こうして作成した気象のパターン資料を天気予報ガイダンスという。ふつう、いくつかのパターンのガイダンス資料を出力しておき、それらの中から検討を行い、最適化や補正を行って、1つの値あるいは数値幅を決めたり、予報文の検討や警報の判断を行ったりする。 一般利用者に対する予測の提供 導き出された情報を予報の種類に合わせてまとめ、適切な形式で発表する。予報期間が長いほど精度が下がるため、天気・気温・降水確率などの一般的な天気予報は1週間後までしか行われていない。また、雨や雷、突風や集中豪雨などの局地現象の様子を提供するレーダー画像やナウキャスト、地図上で台風の進路を示す台風情報など、天気予報の形式は様々である。 また、航空管制、鉄道、バス、船舶などは、その分野に適した専門的情報を提供する必要がある。例えば、航空管制における飛行場予報や航空路の乱気流、着氷、火山灰の予測、船舶における波浪、海流、海水温の予測などが挙げられる。 天気予報の精度 天気予報の信頼性は、予報精度の高さに左右される。日本の気象庁における、適中率(1992年〜2019年の28年間全国平均)を挙げると、17:00発表の翌日予報で83%、翌々日で80%、11:00発表の週間天気7日後予報で67%となっている。適中率は、"降水の有無の適中率"とされており、晴れや曇りなどの天気概況の適中判定ではない。 予報精度の評価方法は、予報形式ごとにいくつかある。 カテゴリー予報では、実際と予報の両方において、各カテゴリ内の事象出現回数を表にまとめ、次のような指標を用いて表現する。この方法では、見逃し率と空振り率は、現象が発生するかしないかの2カテゴリ(計4区分)を用いるのが適切である。 適中率(一致率) 実際のカテゴリと予報のカテゴリが一致する事象の出現割合(%)。 各予報カテゴリの適中率の場合、予報で対象カテゴリとした事象のうち、実際に発生した事象の割合(%)を求めればよい。 見逃し率 実際は発生したが、予報では発生しないとした事象の出現割合(%)。 空振り率 実際は発生しなかったが、予報では発生するとした事象の出現割合(%)。 捕捉率 実際に発生した事象のうち、予報でも発生するとした事象の割合(%)。 スレットスコア 実際でも予報でも発生となった事象/全事象-実際も予報も発生しなかった事象(%)…発生することが少ない事象に適している。 スキルスコア 1-(予報における二乗平均誤差/気候値予報における平均2乗誤差)…1が完全予報であり、これに近いほど予報精度が高い。予報の難易度が除外されている。 バイアススコア 予報で発生するとした事象/実際に発生した事象(%)…1に近いほど、見逃し・空振り間の偏りが小さい。 量的予報では、以下の指標が用いられる。 平均誤差(ME) …予報の誤差の期間平均の偏りを示す。 二乗平均平方根誤差(RMSE) …予報の誤差の標準的大きさを示す。 確率予報では、以下の指標が用いられる。 ブライアスコア(BS) …予報確率Fi、実際値Ai(発生した場合1、発生しなかった場合0などとする)としたときの確率誤差の総和を予報回数Nで割ったもの。値が0に近いほど精度が高い。 ブライアスキルスコア(BSc-BSf)/BSc 気候値予報のブライアスコア(BSc)と予報のブライアスコア(BSf)を比較したもの。値が大きいほど予報の意義が大きい。 天気予報に関する機関 国際機関 気象に関する主要な国際機関として、国際連合の下部機関である世界気象機関(WMO、本部ジュネーブ)や国際民間航空機関(ICAO)がある。 WMOは天気予報の分野では、観測方法の国際的統一のための「技術規則」や「国際気象通報式」の採択、国際気象専用回線網の構築、世界気象センター (WMC)や特別地域責任センター(RSMC)など支援センターの設置を行っている。統一的な観測方法と国際回線の構築により、先進国では日々の数値予報モデルの運用が可能になっている。また、発展途上国では特別地域責任センターRSMCの提供する情報を国際回線やインターネットで入手することで自国の天気予報に役立てている。 各国の機関 欧米における天気予報 アメリカにおける天気予報 アメリカ海洋大気庁 気象関連資格 アメリカでは1956年からアメリカ気象学会(AMS)が気象コンサルタントCCM(Certified Consulting Meteorologist)の資格試験を実施している(技能資格であり国家資格ではない)。CCMの取得要件は何度も改定されているが、高等教育機関で一定の気象学の学習と単位を取得していることが要件になっている。 また、ラジオやテレビに出演する天気キャスターの資格として、Seal of Approval Program for Radio and Television(AMSの科学者らによって1959年に創設)やNational Weather Association Broadcast Seal of Approval(1982年にNationalWeatherAssociation(全国気象協会)が創設)がある。 イギリスにおける天気予報 イギリス気象庁 天気予報の提供媒体 英国放送協会(BBC)では創立時から天気予報を放送していたが、日々の天気予報を放送するようになったのは1923年3月からである。BBCは1922年11月14日からイギリス気象庁の天気予報の提供を受けていたが、2015年に打ち切りが報じられた。 首都ロンドンのピカデリーサーカスの電光掲示板では2017年の改修後から天気予報も表示されることとなった。 世界空域予報センター アメリカとイギリスは世界空域予報センターを分担して運営しており国際線の飛行計画や航空機の運航のために必要な風や気温の情報を提供している。 日本における天気予報 日本の気象業務法は、気象に関する観測・情報収集から発表まで、および研究、それらに付帯する業務を「気象業務」と定めており、気象庁が中心となって執り行っている。 気象庁の予報 気象庁が発表する一般向けの予報の種類には、あらかじめ決められた予報区ごとの気象状態を予報するものと、地図上を一定の大きさの升目に区切った格子ごとの気象状態を予報するものとがある。 前者の例としては、 時系列予報(3時間ごとに24時間先まで予報) 短期予報(今日・明日・明後日の予報) 週間予報(発表日翌日から7日先までの予報) 季節予報(1か月・3か月先までのおよその天気の特徴) がある。また、警報・注意報や気象情報も予報区ごとに発表される。 は週間予報は週1回程度→後に週2回程度の発表であったが、現在は毎日発表されている。季節予報はおおむね月の下旬に3ヶ月先の予報、毎週木曜日に翌月1か月分の予報を出すことが一般的である 予報区の種類には、「全般」(日本全国)、「地方」(全国で11)、「府県」(東京都を含む、広大な北海道は2〜3の振興局ごとに細分)などがあり、どの予報区について予報を発表するかは、予報の種類によって異なっている。 予報には、天気の予報以外に、最高・最低気温、降水確率の予報も含まれる。また、時系列予報および短期予報では、時間ごとの気温、風向・風速、降水量、波浪の高さなども含まれる。気温や風向風速、天気などは、予報区内の代表的地点(気象官署またはアメダス観測所のある地点)における予報値が発表される。 短期予報と地域時系列予報は原則として5時・11時・17時の3回発表している。週間予報は11時・17時の2回発表している。 2008年7月28日の都賀川水難事故や2014年8月20日に発生した広島土砂災害などのように、当初発表した予報が大雨に結びつかなくても(曇り時々晴れ)、突発的に積乱雲が発達して大雨になることがある。特に「雷を伴う」が発表されている場合は注意が必要である。 後者の例としては、 天気分布予報:天気、気温、降水量、降雪量(3時間ごとに24時間先まで予報) 降水短時間予報(1時間ごとに6時間先まで予報) 降水/雷/竜巻ナウキャスト(10分ごとに1時間先まで予報) 黄砂情報予測(6時間ごとに4日先まで予報) 紫外線情報(1時間ごとに翌日18時まで予報) 予報天気図(24時間後および48時間後) 台風情報(1時間または3時間ごとに24時間先まで、3日および5日先まで) がある。 前者(予報区ごと)に比べると、過去の解析・現在の実況の経過を見ながら、予報を示していく種類の予報が多い。長期の予測が難しいという特徴があるため、短期の予報を迅速に伝えることで信頼性が増す。 大別して、日本列島を数〜数十kmの格子で区分したメッシュを用いて予報を図で示すメッシュ形式のものと、日本列島周辺の地図上に等圧線などを示して予報を表す天気図形式のもの2つがある。 一般向け予報とは別に提供されている船舶向け予報(天気図)では、気圧、流線、風。、渦度、気温、湿数、降水量などの予報を発表している。 このうち台風情報に関しては気象庁のみが発表することにしており、民間気象情報会社であっても、台風の進路図は気象庁のものを利用する(ただし見やすさや独自の表示に一部アレンジを施すことはある) 予報用語 気象庁の天気予報では、誤解や混乱を防ぐため、予報に用いる用語を定めており、メディアに対してもそれに準じた用語を使用するよう指導している。独特の言い回しや、厳密に規定された表現などがある。以下に、よく用いられる用語の例を挙げる。 一時…連続的な現象で、予報期間の1/4未満のとき(予報文では時間細分を伴うものが多い)。 時々…断続的(現象の切れ間が1時間以上ある)な現象で、予報期間の1/2未満のとき(予報文では時間細分を伴うものがある)。 所により(ところどころ)…現象の発生する場所が散在していて特定の地域名で表現しにくく、かつその合計面積が予報区の50%未満のとき。 詳しくは「予報用語」を参照。 警報・注意報など 警報は、重大な災害の起こるおそれのある旨を警告して行う予報である。 警報が発表された場合は、NHK総合テレビジョンでは画面上にテロップで表示される。気象情報の番組中では赤字で表示される。NHKラジオ第1放送(FM放送は「ラジオ深夜便」放送時のみ。但し放送しない場合あり)では、放送中の番組内に割り込んで「番組(曲)の途中ですが気象関連のお知らせです。先ほど○時□分、△△地方に大雨洪水警報が発表されました」などとして警報が発表されたことが報じられる。 警報に準じて災害が起こるおそれがある場合に、あるいは社会・経済活動に広範囲な支障を及ぼす現象について注意喚起のために発表する予報を注意報という。 警報・注意報およびこれに関する情報には、気象庁が単独で発表するもののほか、個別の河川に対して河川管理者と共同で発表する共同洪水予報や、大雨警報を補足してがけ崩れなどへの警戒を呼びかけるために都道府県と共同で発表する土砂災害警戒情報もある。 予報業務許可事業者 現在では、気象庁だけではなく、気象業務法第17条に基づき気象庁長官の許可を受けた官民の予報業務許可事業者も独自の予報を提供している。なお、許可事業者が予報業務を行う場合は、事業所ごとに気象予報士を置かなければならない。 現在の予報業務許可事業者のリストは 気象庁の公式一覧 を参照されたい。ここには、気象予報を行っている民間企業以外に、日立市・羽曳野市といった地方自治体、数名の個人事業者(気象予報士)が含まれる。 許可事業者が行う天気予報の業務は、気象庁と重複する部分もあるが、様々な独自業務もある。代表されるものとしては桜前線があり、許可事業者3社が発表を行うようになったこと、また、大元の気象庁の方が2010年より発表を取りやめることになった経緯がある。なお、警報や注意報に関しては重要性が高く混乱を防ぐため、気象庁だけが行うこととなっている。 許可事業者が利用する一次資料にあたる、観測データや数値予報の根拠データ等は気象業務支援センターからも提供されており、どの事業者でも利用可能となっている。しかし、数値予報自体は自社設備で独自に行っているところもある。予報資料(ガイダンス)の中心部分は各社独自のものであり、これに基づいて各事業者が予報を発表している。 特色のある予報 天気予報では、天気天候と密接にかかわる他の情報が合わせて伝えられることが多い。それらは季節や地域によって様々な特色がある。 人々が天気予報情報を得る経路 人々が天気予報の情報を得る経路について、2017年にマクロミル社が日本の1000人を対象に調査した結果では、人々が天気予報を確認している媒体(情報源)の1位は「テレビ番組の天気予報コーナー」でおよそ8割、2位が「スマホ(携帯電話)の天気情報アプリ」でおよそ5割の人々が利用している。テレビ番組とスマホアプリの利用傾向は世代によって異なり、若い世代ほどスマートフォン(スマホ)から天気予報の情報を得ている傾向があり、20代の女性で75%がスマホのアプリから情報を得ている。 放送 放送(テレビ・ラジオ)では気象情報番組や報道番組内の天気コーナーなどで定期的に放送を行う。取り扱う番組によって、気象庁発表のものをそのまま流用するもの、各社局が契約した気象業務許可事業者の天気情報を使用するもの、専属の気象予報士が提供情報を基に独自に加工するものがある。警報発表時(発令・解除)にはテロップで伝えられることがあるほか、台風・前線などによる豪雨などの広域災害が予想される場合やそれが発生した場合には報道特別番組(主にNHK)が放送される。衛星放送・ケーブルテレビでは天気のみを扱う専門チャンネルがある。東京メトロポリタンテレビジョンはまだインターネットが普及していなかった開局前、「101回天気予報」をうたっており、実際の開局後にはそこまでは多くなかったものの頻繁に天気予報を放送していた。これに影響されてか、テレビ東京も1997年から2003年まで各番組の終わりがけにネットワークぐるみで「ウェザーブレイク」を自動送出で放送していた。 一般にテレビ放送や新聞では、天気予報をイラストマークにより直感的に分かるよう表示している。テレビ放送では、ごく初期には地図ボード(天気図の場合もあり)に天気予報のイラストマークを貼り付けたものをテレビカメラが映し、アナウンサーが各地域の予報を読み上げる方法であった。やがて字幕テロップによる表示が現れ、現在では次のようなイラストマーク表示がほぼ主流となった。ニュースウオッチ9の天気コーナーのようにキャラクター化する場合もある。 晴れ 太陽で表示。今夜の天気(時系列予報での深夜も含む)が晴れという場合では、星や月を使う場合が多い。視聴者の“夜なのに太陽マークはおかしい”という指摘から変えられた。 くもり 雲で表示。「Yahoo!天気」では、雨の確率が高い灰色のくもりと雨の降らない白いくもりの2種類を使い分ける(2018年11月以降)。 雨 傘で表示される場合が多い。通常、傘は開いた状態で示し、「一時雨」の場合は傘は畳んだ状態で示す。 雷を伴う場合、雷をイメージした稲光のマークを添える場合もある。また社によっては(TBS系列に多く見られる)雲マーク(雲の色が灰色)に雨粒や稲光のマークを添えていることもある。 雷雨をアナウンスで説明する場合には、「雷雨でしょう」よりも、「雨で雷を伴うでしょう」と説明することが多い。 暴風雨 台風接近などにより、雨で暴風を伴う場合は“斜めにして開かれた傘”で雨粒が舞っているように見せている。かつては大木の幹が折れているイラストが用いられていたこともある。 アナウンスで説明する場合、「暴風雨でしょう」よりも、「雨で暴風を伴うでしょう」と説明することが多い。これは「暴風」も「暴風雨」も発音が「ぼーふー」となるため、聞き間違いを誘発する可能性が高いことによる。 雪 雪だるま(NHK・日テレ・フジテレビなど「一時雪」の場合は雪だるまを小さく表示)または、雪の結晶(TBS系列・テレビ朝日など)で表示。アニメーションで表す場合、雪がゆっくりと降っているように見せていることもある。 暴風雪 暴風を伴って「風雪強い」状態となる場合は、これに雪が激しく舞っているように表示。 こちらもアナウンスで説明する場合には「暴風雪でしょう」よりも、「雪で暴風を伴うでしょう」と説明することが多い 雷 稲妻で表示。1970年代はよく鬼様の鬼をマークとしていたが(TBS系キリンレモンのお天気ママさん)、近年はより明瞭な稲妻を描写したものが多い。 これらのマークを1つまたは2つ組み合わせて表現するが、日本テレビほか一部地域では「晴れ時々雨か雪」などの時には3つのマークを使用する場合がある。 「のち」「一時」など 天気予報に使われる「のち」「時々・一時」の表現については手法がいくつかある。「のち」は、右向き矢印(→)で表現するのが主流で(ほかにはスラッシュ(/)など、マークを2つ並べ、その間、または下に矢印を置く。「時々」「一時」はマークを2つ並べる、マークを重ねる、「時々・一時」のあとのマークを小さく表示する、2つのマークの間に縦棒(|)を置く、などがある。 スマートフォンのアプリ スマートフォン(AndroidフォンやiPhone)では、天気予報の情報を提供するアプリが非常に多種類、無料で提供されている。たとえばAndroidフォンならば、Google Playをクリックして検索欄にキーワードとして「天気予報」と入力して検索すると多数の(2021年時点で100を超える数の)天気予報アプリが表示されるので、その中から他の利用者からの評価やそれぞれの機能などを考慮して選んでインストールすれば、すぐに使い始めることができる。 Webサイト PCなどのウェブブラウザを使って、気象機関や許可事業者のインターネット上のWebサイトで一次情報が得られる。ポータルサイトやマスコミなどメディア系サイトでは一次情報元と契約を結び天気のページを設けて提供しているほか、一部の一般サイトで天気情報を表示するツールを組み込んだものもある。 また、PCのデスクトップ上で使用するウィジェット(ガジェット)やアプリケーションソフトウェアの中にも天気情報を表示するものがある。インターネット放送においても、天気専門のチャンネルがある。 インターネットではAccuWeatherなど許可事業者ではない海外企業も日本の天気予報を発表している。 電子メール 一部の許可事業者、ポータルサイト、自治体などでは、事前登録者に対して警報発表時に電子メールを一斉送信するサービスを提供している。 新聞 ほとんどの新聞では、天気欄に予報を記載している。 電話(テレホンサービス) NTT 日本電信電話公社(電電公社)の電話情報サービス(テレホンサービス)の第一号として、1954年9月に試験開始され、1955年1月より全国展開された。1964年3月から全国統一の電話番号(3桁特番)「177」が導入され、後身の日本電信電話(NTT)およびNTT東日本・NTT西日本でもサービスが継続されている。 原則、概況(当日実績)および当日・翌日・翌々日の予報を詳細に案内する。気象業務許可事業者である日本気象協会経由で各地の地方気象台(東京は気象庁)が地域ごとに発表した予報情報を受け、NTT側で自動生成した定型文に沿った合成音声(自動音声応答装置)で案内している。発表データに連動する形で、1日8回から11回程度更新されている。 各地では、7日後までの週間天気予報を案内するテレホンサービスも設けられている。3桁特番でなく加入者電話番号による(地域によって番号体系が異なる)ものであり、番号は各地の音声案内の最後に紹介される。 1990年代前半までは発表ごとに女性ナレーター(地域によっては男性の場合もあり)の解説を収録したものがエンドレステープ類で再生される形態であった。このため、朝は「おはようございます」の挨拶から始まることもあった。 各地で単純に「177」をダイヤルした場合、電話をかけた地域の予報が流れる(市内電話料金が適用)。番号の前に市外局番を付けた「市外局番+177」にかければ、その局番の地域の予報を聞くことができる(市外電話料金が適用)。 ただし、市外局番が3ケタの地域の「市外局番+177」を聞こうとすると、つながらなかったり、「****-177」と4ケタで掛け直すようアナウンスが流れる局番がある。これは局番の上3ケタが県をまたいで使用されているためである。 「市外局番+177」では、発信元の住所どおりの都道府県ではなく、隣の都道府県の予報が流れることがある(例・兵庫県内の尼崎市の06、伊丹市・川西市・川辺郡猪名川町の全域と宝塚市の一部地域の072)。いずれも隣接地で使用されている市外局番であるため。該当する市町内の固定電話や公衆電話からの場合はこの限りではない。 2008年11月、気象庁の予報警報業務拡充により、それまで存在していなかった小笠原村地域を対象とした177(04998+177)が開始された。 ネットワーク上発信地域の特定が困難である携帯電話(PHSは除く)では、上記の「市外局番+177」でなければつながらない。IP電話・インターネット電話では提供事業者によって接続対象外となっている場合がある。 中継電話(マイライン)や直収電話からの発信においては市内通話でもその回線経由で接続・課金される。 その他の電話事業者 かつて、東京通信ネットワーク(KDDIに吸収され消滅)の東京電話アステルと東京電話からの発信に限定した「ハロー天気」という独自の天気予報ダイヤルが2000年12月より提供されていた。これは許可事業者のウェザー・サービスの情報提供を基に177と同レベルの天気予報を、当時の東京電話のキャラクターである松坂慶子が案内するもの。国際電気通信基礎技術研究所の技術により松坂の声をサンプリングして生成した合成音声で発声するものだったが、時間に応じて「おはようございます」「こんばんは」と声かけするなど自然体で癒やし系的な語り口が特徴だった。電話番号は8610(市内)・市外局番+8610。東京電話アステルでは基地局の位置情報を基に現在地の天気予報を提供する155#8610という番号も運用された。2001年後半頃にサービスを終了。 電光掲示板等 都市部を中心に予報を流す電光掲示板や車内案内ディスプレイが街頭の目立つ所に設置されている。文字・マーク式のものもあるが、近年は液晶ディスプレイ(LCD)方式が増加している。また、電車や航空機の中など、公共交通機関ではLCDで一次情報元から提供を受けた天気情報を流すところがある。 日本の天気予報の年表 1875年(明治8年):東京気象台(気象庁の前身)が赤坂で観測開始。“春一番が吹いた日”など各種の観測データは1876年より蓄積されている。 1883年(明治16年):日本初の天気図作成と暴風警報発出。 1884年(明治17年)6月1日:東京気象台から日本で最初の天気予報が発表され、以降1941年の中断に至るまでの毎日3回日本全国の天気を予報し、東京市内の交番で掲示された。予報内容は日本全国を一文で表し第1号の予報は「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ 但シ雨天勝チ」と発表された。 1888年(明治21年)3月23日:『時事新報』が日本の新聞として初めて天気予報を掲載。同年8月12日からは『東京朝日新聞』の朝刊に天気予報が掲載される。 1893年(明治26年)1月1日:時事新報がイラスト入りの天気予報の掲載を開始。 1925年(大正14年)3月22日:ラジオ放送による天気予報の開始(ラジオ放送開始日)。 1941年(昭和16年)12月8日:太平洋戦争の開戦により、機密保持のため発表が中断される。 1945年(昭和20年)8月17日:終戦の8月15日から2日後にラジオの天気予報が復活。 1953年(昭和28年)2月1日:テレビ放映による天気予報の開始(テレビ放送開始日)。 1955年(昭和30年)1月1日:電話による天気予報案内サービスの開始(番号が「177」に統一されたのは1964年)。 1959年(昭和34年):数値予報業務の開始。 1978年(昭和53年):気象衛星「ひまわり」による観測開始。 1980年(昭和55年)6月1日:降水確率予報を東京地方で開始。 1994年(平成6年):気象予報士試験実施。 1995年(平成7年)4月1日:天気予報の自由化。予報業務許可事業者が独自の予報を発表できるようになった。これ以降、気象ビジネス市場が拡大。 2013年(平成15年):特別警報の運用開始。 2000年代前半にはインターネットの普及により、ウェブサイトで最新の天気予報をいつでも入手できるようになり、過去の気象データの入手も容易になった。携帯電話の普及は、天気予報の入手をさらに容易にした。2000年代後半には、地上デジタルテレビ放送開始に伴い、地上波データ放送で常時天気予報の入手が可能となった。 脚注 注釈 出典 関連項目 気象庁 - 防災気象情報 気象予報士 傾向推定 桜井勉 - 日本の天気予報の創始者 気象学 気象観測 気象通報式 宇宙天気予報 お天気お姉さん(曖昧さ回避) 外部リンク 天気予報等で用いる予報用語 - 気象庁 日本気象協会 気象事業 気象情報 分野別のジャーナリズム
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0
テーブルゲーム
テーブルゲームは、プレイヤーが実際にテーブルを囲んで行うタイプのゲームの総称。狭義のボードゲームおよびカードゲームなどを含む。 コンピュータゲームに対して、実際の人間が行うゲームを指してこの語を用いる場合もあり、これらのテーブルゲームをコンピューターゲーム上で表現したものの総称を(コンピューターゲームの一分類として)指す場合もある。その際、TBLという略表記も用いられる。 アナログゲームと呼ばれることもあり、アナログの本来の意味からすると適切な用法ではないと執拗に主張する者もいるが、日本ではその多様性からそう呼ばれることが一般的である。 形式による分類 厳密な分類ではなく、これらの境界にあたるゲームも多数存在するが、便宜的によく使われる分類である。 ボードゲーム - ボード(盤)とコマ(駒)を主体とするゲーム。囲碁、将棋、オセロ、チェス、バックギャモン、双六など。 カードゲーム - カードを主体とするゲーム。トランプ、花札、UNOなど。 タイルゲーム - タイル(牌)を使うゲーム。本質的にはカードゲームと同じである。麻雀、ドミノなど。 ダイスゲーム - サイコロを主体とするゲーム。ちんちろりん、丁半、ブラフ、スゴロクなど。 立体ゲーム - 特定の形状をしたギミックが主体となるゲーム。ジェンガ、黒ひげ危機一発など。 テーマによる分類 「アブストラクトゲーム」を除き、ゲームで再現しようとするテーマは多岐に渡る。以下に主なものを挙げる。 スポーツゲーム - 野球、サッカーなどのスポーツをテーマにしたゲーム。野球盤など。 経済ゲーム - 会社経営などをテーマとし、ゲーム内でお金を稼ぐことを目的としたゲーム。モノポリー、人生ゲームなど。 戦争ゲーム SFゲーム ファンタジーゲーム 鉄道ゲーム その他 - 探検、推理、建設、おとぎ話、などいろいろなテーマがありうる。 アブストラクトゲーム - 具体的なテーマは無く、抽象性の高いゲーム。 内容による分類 その他、ゲームシステムや内容により、よく使われるジャンル名である。下記のそれぞれが対等に並列されるわけではない。 シミュレーションゲーム - 戦争などの状況を出来るだけ現実的に再現した上で勝敗を競うか、あるいは再現そのものを楽しむゲーム。 ロールプレイングゲーム(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム) - 何らかの役目を課せられた仮想人物を操演し、司会・審判役を交えて対話によって進行するゲーム。ダンジョンズ&ドラゴンズなど。 ギャンブルゲーム - 偶然性を含み、賭けの要素の強いゲーム。ルーレットなど。 トレーディングカードゲーム - プレイヤーがそれぞれにカードを集め、集めたカードを使って対戦する形式のカードゲーム。 テーブルゲームシミュレーター アソビ大全シリーズ だれでもアソビ大全 (ニンテンドーDS) 世界のアソビ大全51 (Nintendo Switch) 関連項目 マインドスポーツ アナログゲーム てえふるけえむ てえふるけえむ
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1975%E5%B9%B4
1975年
この項目では、国際的な視点に基づいた1975年について記載する。 他の紀年法 干支:乙卯(きのと う) 日本(月日は一致) 昭和50年 皇紀2635年 中華民国(月日は一致) 中華民国暦64年 朝鮮民主主義人民共和国(月日は一致) 主体64年 仏滅紀元:2517年閏10月4日 - 2518年閏9月13日 イスラム暦:1394年12月17日 - 1395年12月27日 ユダヤ暦:5735年4月18日 - 5736年4月27日 Unix Time:157766400 - 189302399 修正ユリウス日(MJD):42413 - 42777 リリウス日(LD):143254 - 143618 ※主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国で1997年に制定された。 カレンダー できごと 1月 1月17日 - フランスで前年に成立したヴェイユ法が施行され、人工妊娠中絶が合法化。 2月 2月11日 - イギリス保守党の党首にマーガレット・サッチャーを選出(同党初の女性党首誕生)。 2月18日 - 世界的に活躍した双子デュオ歌手、ザ・ピーナッツが引退表明。 3月 4月 4月1日 - まんが名作劇場サザエさん放送開始 4月4日 - マイクロソフト設立。 4月30日 - サイゴン陥落によりベトナム戦争終結。 5月 5月7日 - イギリスのエリザベス2世夫妻が日本を訪問(イギリスの国家元首として初の来日)。 5月16日 - エベレスト日本女子登山隊の田部井淳子が女性として世界初の登頂に成功。 6月 6月9日 - フィリピン大統領マルコスが中華人民共和国国務院総理周恩来と北京で共同声明を発表し中華人民共和国と国交を結び台湾を中国の一部と認める。 6月25日 - モザンビークがモザンビーク人民共和国として完全独立。 7月 7月5日 - 沢松和子・アン清村組がウィンブルドン・テニス女子ダブルスで優勝。 7月12日 - サントメ・プリンシペがポルトガルから独立。 7月17日 - ソ連の宇宙船ソユーズ19号とアメリカの宇宙船アポロ18号が地球を周回する軌道上で史上初の国際ドッキングに成功する(アポロ・ソユーズテスト計画)。 7月19日 - 沖縄国際海洋博覧会開幕。 7月30日 - アメリカ合衆国の労働組合指導者ジミー・ホッファがデトロイトの自宅を出た後失踪する。 8月 8月4日 - 日本赤軍がマレーシア・クアラルンプールのアメリカ大使館等を占拠(クアラルンプール事件)。 8月15日 三木首相が現職首相としてはじめて終戦記念日に靖国神社を参拝。 バングラデシュでクーデター。ムジブル・ラフマン大統領が暗殺される。 9月 10月 10月8日 - アメリカで空前のヒットを記録した映画『風と共に去りぬ』が日本テレビの『水曜ロードショー』で世界で初めてテレビで放映される(前後編に分けて放送された。10月8日に前編・10月15日に後編)。 10月24日 - ジョン・デロリアンがデロリアン・モーター・カンパニー(DMC)創業。 11月 121月15日 - 第1回先進国首脳会議がフランスのランブイエで開催。 11月22日 - 韓国で「学園浸透スパイ団事件」。徐勝他18人の留学生が国家保安法違反容疑で逮捕される。 11月30日 - 九龍站搬迁至紅磡。 12月 ・12月21日 - 第1回コミックマーケット開催 日付不詳 底質暫定除去基準が定められる。 周年 以下に、過去の主な出来事からの区切りの良い年数(周年)を記す。 第二次世界大戦・太平洋戦争関連、終結から30年。 1月27日 - ソビエト連邦軍によるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所解放。 4月30日 - アドルフ・ヒトラーが自殺。 8月6日 - 広島市への原子爆弾投下。 8月9日 - 長崎市への原子爆弾投下。 9月2日 - 日本の降伏文書調印により太平洋戦争終結。 3月8日 - 血の日曜日事件(セルマの大行進)から10年。 4月14日 - リンカーン大統領暗殺事件から110年。 10月10日 - 朝鮮労働党結党30周年。 10月24日 - 国際連合発足30周年。 12月18日 - 日韓国交正常化10周年。 芸術・文化・ファッション 音楽 イーグルス 「呪われた夜」 ヴァン・マッコイ「ハッスル」 ジェファーソン・スターシップ 「ミラクルズ」 グランド・ファンク「オー・ワンダフル」 オハイオ・プレイヤーズ 「ファイア」 クール&ザ・ギャング 「ハリウッド・スウィンギング」 KC&ザ・サンシャイン・バンド 「ゲットダウン・トゥナイト」「ザッツ・ザ・ウェイ」 エルトン・ジョン「フィラデルフィア・フリーダム」「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」 カーペンターズ「オンリー・イエスタデイ」 ジョン・レノン「スタンド・バイ・ミー」 ウイングス「あの娘におせっかい」「ワインカラーの少女」 映画 タワーリング・インフェルノ(1974、アメリカ) ヤング・フランケンシュタイン ハリーとトント チャイナタウン アリスの恋 レニー・ブルース ジョーズ ロッキー・ホラー・ショー スポーツ モハメド・アリが、ジョー・フレイジャーに勝利し、世界ヘビー級タイトルを防衛した。試合は14ラウンドが終了した段階で、フレイジャー側が試合をストップさせた。アリも、試合の続行が難しいほど疲労困憊していたという。 誕生 1月 1月1日 - フェルナンド・タティス、元メジャーリーガー 1月2日 - 孫敏漢、野球選手 1月2日 - ジェフ・スーパン、メジャーリーガー 1月3日 - トーマ・バンガルテル、ミュージシャン(ダフト・パンク) 1月6日 - ゆかな、声優 1月7日 - 伊藤舞子、声優 1月8日 - エレーナ・グルシナ、フィギュアスケート選手 1月8日 - ジェレミー・ゴンザレス、元プロ野球選手(+ 2008年) 1月8日 - ダーク・ヴェルビューレン、ミュージシャン(ドラマー) 1月9日 - デイモン・マイナー、元プロ野球選手 1月11日 - 持田真樹、女優 1月13日 - ルネ・エリクセン、ミュージシャン 1月16日 - Mr.X(モストデンジャラス)、お笑い芸人 1月17日 - スクエアプッシャー、テクノミュージシャン 1月17日 - スコット・マレン、元プロ野球選手 1月19日 - フェルナンド・セギノール、元プロ野球選手 1月20日 - デビッド・エクスタイン、元メジャーリーガー 1月21日 - ニッキー・バット、サッカー選手 1月28日 - 神谷浩史、声優 1月29日 - 杉本ゆう、声優 1月29日 - ガリト・チャイト、フィギュアスケート選手 2月 2月4日 - じゅんいちダビッドソン、お笑いタレント 2月6日 - チャド・アレン、元プロ野球選手 2月6日 - 川瀬智子、歌手 2月7日 - レミ・ガイヤール、イタズラ者 2月8日 - トニー・マウンス、元プロ野球選手 2月9日 - ブラディミール・ゲレーロ、元メジャーリーガー 2月11日 - レイニエル・ジェロ、野球選手 2月14日 - ダマソ・マルテ、元メジャーリーガー 2月16日 - セバスチアン・コラシンスキー、フィギュアスケート選手 2月18日 - アイラ・ボーダーズ、野球選手 2月18日 - ガリー・ネヴィル、元サッカー選手 2月20日 - リバン・ヘルナンデス、メジャーリーガー 2月22日 - ドリュー・バリモア、女優 2月23日 - 永田亮子、声優 2月25日 - 千葉千恵巳、声優 2月25日 - 小松里歌、声優 2月26日 - マーク・デローサ、メジャーリーガー 2月26日 - ラトカ・コヴァジーコヴァー、フィギュアスケート選手 2月28日 - 茶山莉子、声優 3月 3月4日 - キルステン・ボルム、陸上競技選手 3月4日 - クラウディオ・リベルジャーニ、野球選手 3月9日 - フアン・セバスティアン・ベロン、元サッカー選手 3月9日 - ロイ・マカーイ、元サッカー選手 3月13日 - ケンジ・シラトリ、作家 3月15日 - ウィル・アイ・アム、ミュージシャン、ブラック・アイド・ピース 3月15日 - ピエール・ヌジャンカ、サッカー選手 3月15日 - ベセリン・トパロフ、チェスプレーヤー 3月17日 - ジャスティン・ホーキンス、ミュージシャン 3月19日 - ビビアン・スー、タレント 3月20日 - 浅川悠、声優 3月25日 - ミゲル・メヒア、メジャーリーガー 3月26日 - ロベルト・ボッレ、バレエダンサー 3月27日 - ファーギー、ミュージシャン、ブラック・アイド・ピース 3月28日 - フリオ・ズレータ、元メジャーリーガー 3月31日 - ライアン・ループ、元プロ野球選手 4月 4月4日 - スコット・ローレン、メジャーリーガー 4月5日 - ドミンゴ・グスマン、プロ野球選手 4月7日 - ロニー・ベリアード、元メジャーリーガー 4月8日 - オクサナ・カザコワ、フィギュアスケート選手 4月9日 - ロビー・ファウラー、サッカー選手 4月10日 - ミッツ・マングローブ、女装家、ドラァグクイーン、タレント、ナレーター 4月13日 - タチアナ・ナフカ、フィギュアスケート選手 4月15日 - 李日韓、プロレス・レフェリー 4月17日 - トリフン・ジバノビッチ、フィギュアスケート選手 4月19日 - ユッシ・ヤースケライネン、サッカー選手 4月21日 - カルロス・カスティーヨ、元プロ野球選手 4月27日 - ペドロ・フェリス、メジャーリーガー 4月29日 - ラファエル・ベタンコート、メジャーリーガー 4月29日 - 堀慶末、死刑囚 4月30日 - トミ・ヨーツセン、ミュージシャン 5月 5月1日 - マルク=ヴィヴィアン・フォエ、サッカー選手(+ 2003年) 5月2日 - デビッド・ベッカム、サッカー選手 5月3日 - マクシム・ムルヴィツァ、ピアニスト 5月5日 - 沈正洙、野球選手 5月7日 - ジャン=セバスチャン・フェクトー、フィギュアスケート選手 5月12日 - ジョナ・ロムー、ラグビー選手(+ 2015年) 5月15日 - セルゲイ・サフノフスキー、フィギュアスケート選手 5月15日 - ピーター・イワース、ミュージシャン 5月17日 - スコット・シーボル、プロ野球選手 5月17日 - エリエル・サンチェス、野球選手 5月25日 - ランドール・サイモン、元プロ野球選手 5月25日 - 趙寅成、野球選手 5月27日 - ジェイミー・オリヴァー、シェフ 6月 6月3日 - ホセ・モリーナ、メジャーリーガー 6月4日 - アンジェリーナ・ジョリー、女優 6月5日 - ジードルナス・イルガスカス、バスケットボール選手 6月6日 - 陳綺貞(チアー・チェン)、台湾のシンガーソングライター 6月7日 - アレン・アイバーソン、バスケットボール選手 6月8日 - サラ・アビトボル、フィギュアスケート選手 6月11日 - チェ・ジウ、女優 6月11日 - デニス・マツーエフ、ピアニスト 6月19日 - アンソニー・パーカー、バスケットボール選手 6月22日 - エステバン・ジャン、元プロ野球選手 6月23日 - マイク・ジェームス、バスケット選手 6月25日 - ウラジーミル・クラムニク、チェス選手 6月25日 - リンダ・カーデリーニ、女優 6月27日 - トビー・マグワイア、俳優 6月28日 - ジョン・ノトヴェイト、ミュージシャン 6月29日 - マシュー・ゲイツ、フィギュアスケート選手 6月30日 - ラルフ・シューマッハ、F1レーサー 7月 7月1日 - スフィアン・スティーヴンス、ソングライター 7月5日 - エルナン・クレスポ、サッカー選手 7月6日 - 50セント、ラッパー 7月14日 - ティム・ハドソン、元メジャーリーガー 7月18日 - トリー・ハンター、メジャーリーガー 7月20日 - レイ・アレン、バスケットボール選手 7月22日 - スコット・シールズ、元メジャーリーガー 7月23日 - ヴァレリー・サウレー、フィギュアスケート選手 7月23日 - 桐井大介、声優 7月26日 - リズ・トラス、政治家 7月27日 - アレックス・ロドリゲス、メジャーリーガー 7月27日 - シェイ・ヒレンブランド、メジャーリーガー 7月29日 - セス・グライシンガー、プロ野球選手 7月31日 - ゲーブ・キャプラー、メジャーリーガー 8月 8月2日 - ジョー・ディロン、メジャーリーガー 8月3日 - ルーズベルト・ブラウン、元プロ野球選手 8月6日 - ビクター・ザンブラーノ、元メジャーリーガー 8月7日 - エドガー・レンテリア、メジャーリーガー 8月9日 - ブライアン・フエンテス、元メジャーリーガー 8月9日 - マヌエル・ベガ、野球選手 8月10日 - イルハン・マンスズ、サッカー選手 8月27日 - ビョーン・イエロッテ、ミュージシャン 8月30日 - マリナ・アニシナ、フィギュアスケート選手 8月31日 - ゲーブ・キャプラー、メジャーリーガー 9月 9月1日 - 河本邦弘、声優 9月4日 - マーク・ロンソン、シンガーソングライター 9月6日 - デレク・リー、メジャーリーガー 9月9日 - ドロタ・シュデク、フィギュアスケート選手 9月13日 - 今野宏美、声優 9月18日 - ランディ・ウィアリアムス、プロ野球選手 9月20日 - ファン・パブロ・モントーヤ、NASCARレーサー、元F1ドライバー 9月20日 - アーシア・アルジェント、女優・映画監督 9月28日 - フアン・モレノ、元野球選手 9月30日 - カルロス・ギーエン、元メジャーリーガー 10月 10月1日 - ブランドン・ナイト、元プロ野球選手 10月1日 - キム・ソナ、韓国の女優 10月5日 - ケイト・ウィンスレット、女優 10月9日 - マーク・ヴィドゥカ、元サッカー選手 10月10日 - イーサーン、ミュージシャン 10月10日 - プラシド・ポランコ、元メジャーリーガー 10月17日 - ヘクター・アルモンテ、元プロ野球選手 10月18日 - ビョン・ホギル、ミュージカル俳優、歌手 10月21日 - エンリケ・イラーリオ、サッカー選手 10月26日 - 小西寛子、声優 10月29日 - カリーム・ガルシア、プロ野球選手 10月30日 - マルコ・スクータロ、元メジャーリーガー 11月 11月1日 - メーガン・ウィング、フィギュアスケート選手 11月6日 - 新谷真弓、声優 11月10日 - ジェイソン・ターマン、元プロ野球選手 11月10日 - オユンナ、モンゴル出身のシンガーソングライター 11月13日 - キム、サッカー選手 11月18日 - デビッド・オルティーズ、メジャーリーガー 11月18日 - アール・アグノリー、元マイナーリーガー 11月26日 - パトリス・ローゾン、フィギュアスケート選手 11月28日 - 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ゲームボーイ
ゲームボーイ(GAME BOY)は、1989年4月21日に任天堂が発売した携帯型ゲーム機。略称は「GB」。 日本において1,280万台以上を売り上げた携帯型ゲームであるゲーム&ウオッチの次世代ゲーム機器として発売した商品であり、任天堂の携帯ゲーム機としては2つ目にあたる。同社を玩具メーカーとして成長させた横井軍平が開発した。また、エポック社から発売されたゲームポケコンに次ぐROM交換方式の携帯型ゲーム機である。 開発当初はファミリーコンピュータよりも高画質なメガドライブやPCエンジンなどが発売されており、任天堂もこれらに対抗するスーパーファミコンの開発を進めていた状況で、本機は乾電池の持続性と価格面の兼ね合いからモノクロ型(4階調)を採用している。社内では「今さらモノクロで売れるのか」とあまり期待しない声があったが、世界累計で5,000万台近くを出荷した。 後のゲームボーイシリーズの初代機であり、このシリーズは2005年までの16年間に渡って同社から発売された。 沿革 1989年 1月17日 - 同年4月14日に発売と発表される。本体は月産30万台、ソフトは月産100万個のペースでの生産計画。 3月 - 任天堂がコナミ、バンダイ、カプコン、アスキー、ジャレコなど21社とライセンス契約を結び、ライセンスは原則としてゲームソフトの種類ごとに契約する「タイトル契約」とした。 4月21日 - ゲームボーイ発売。 8月末 - 出荷台数が国内71万台、米国45万台でトータル100万台以上を突破。品薄状態のため、本体の月産を40万台、1990年8月までに月産100万台へ。サードパーティは約50社。 1990年 1月 - 品薄状態のゲームボーイなどを人気のないゲームソフトと抱き合わせで小売店に販売していた玩具問屋6社、支店8ヶ所が独占禁止法違反の疑いで立入検査される。 5月末 - 出荷台数が262万台、サードパーティは72社。 7月31日 - ビック東海が任天堂の許諾を得て、ゲームボーイ専用の拡大鏡『ライトボーイ』を日米同時発売、1991年3月までに50万個出荷予定。 8月 - 出荷台数が304万台、ソフトは74タイトルで1872万個出荷。 1991年 2月 - ゲームギアやPCエンジンGTなどの対抗機が出現したことによりいわゆる「携帯ゲーム機戦争」に突入。 10月 - 玩具問屋業界、ゲームボーイソフトの在庫が深刻化。 1992年 5月 - 日本航空、国際線で機内用のゲームボーイ無料貸出し開始。 12月 - アジアでゲームボーイのコピーソフトが出回る。 1993年12月 - 国内出荷台数が974万台、米国では1477万台、ソフトの出荷数は国内6105万個、米国6290万個。 1994年11月21日 - 初のカラーバリエーションであるゲームボーイブロス発売。 1995年10月 - タカラがゲームボーイをモチーフにした「ゲームボーイシャンプー」を発売。 1996年2月 - 『ポケットモンスター赤・緑』発売。このゲームがキラーソフトとなり、完全に下火になっていたゲームボーイ業界が再加熱。 1996年7月21日 - ゲームボーイポケット発売。 1997年 7月 - ハドソン全国キャラバンが、ゲームボーイ人気の急上昇を受け『スーパービーダマン ファイティングフェニックス』で開催。 12月 - ポケモンショックが起こり、『ポケットモンスター赤・緑』でも画面の高速点滅による健康への問題の有無が取り沙汰された。 1998年7月 - バンダイがゲームボーイに接続して使用する魚群探知機「ポケットソナー」を発売。 2000年3月1日 - ニンテンドウパワーでゲームソフトの書き換え開始。 2003年9月 - 「ゲームボーイライト」「ゲームボーイポケット」を含めたモノクロシリーズの生産が終了。 2007年10月31日 - 修理サポート終了。 ハードウェア 名称 プロジェクトリーダーの岡田智が、偶然目にした雑誌名「ゲームボーイ」を気に入り、ゲームボーイの商標を任天堂が取得し、商品名に使用することになった。 「ゲームボーイ」という名称がイギリスでは性差別として問題となったこともある。これをコピーライターの糸井重里が名付けたという噂があるが誤り。 デザイン パッケージのデザインは横井軍平が行っており、これはデザイン費用を軽減させるためでもあった。裏面を付属品の説明にしたのも横井のアイディアである。発注は、和多田印刷の北工場(当時)。 初代ゲームボーイの本体や初期の頃のゲームボーイソフトのパッケージに印刷されている、小さな四角は21個あり、本体の発売日の21日にちなんでいる。 初代ゲームボーイの配色や発売日を決めるのに使った花札は、任天堂の裏紙が赤の『都の花』である。 筐体 筐体デザインは、下部がアシンメトリーになっており、左側を軸にして本体を支えつつ十字キーを操作し、よく使うAボタン・Bボタンがある右側の下部は丸みをおびた曲線にして、本体が手首に当たらないように配慮している。 横井の発案で、当初はストラップホールの装着が提案されていたが、当時はストラップという存在がほとんど知られていなかったため装着が見送られた。 子供が取り扱うものであるため、ゲームボーイ本体には厳しい耐久テストがあり、頑丈に設計されている。耐久テストとして本体を高いところから投げ落とし、壊れた場合には作り直し、投げられた後でもきちんと動作すると確認できてから発売が決定したとも言われ、具体的には「開発当時、任天堂の社長だった山内溥が完成したばかりの最終デモ機を床に叩きつけ、問題なく動作したため発売が決定された」という情報源の不明な逸話が流布している。これについて任天堂広報室は「いつの間にか、そのような話ができあがった」とコメントしている。 任天堂は、「ゲーム会社にできる唯一の支援」として、湾岸戦争の際にアメリカ軍兵士に暇潰し用としてゲームボーイを提供した。その後、空爆で倒壊した兵舎から発見されたゲームボーイは、外装がひどく焼けていたが内部には問題はなく、正常に動作したというエピソードがある。このゲームボーイは、その後ニューヨークの任天堂直営店「Nintendo New York」に保管展示されており、触ることは出来ないが、常時『テトリス』のデモ画面が動いている。 液晶 シチズンから液晶テレビ用のモノクロディスプレイの売り込みがあり、開発がスタートした。本機はシャープと共同で開発し、シャープは40億円を投じゲームボーイの液晶開発用の工場を設立。液晶は同社のものを使用している。 画面はSTN反射式モノクロ液晶。異なるゲームのあらゆる表現に対応する液晶表示として、細かい表示セグメントを縦横に格子状に敷き詰めたドットマトリクス式を採用した。開発時はTN液晶の採用が検討されていたが、当時任天堂の社長だった山内溥の「画面が見られない」との意見でSTN液晶に変更された。STN型液晶は反射に弱いため、画面のコントラストを調節するダイヤルがついている。コントラストを弱くするほど電池の持ちが良くなる。ゲームボーイの液晶の寿命は短く、『スーパーマリオランド』や『アレイウエイ』などのようにプレイヤーの残り数が固定位置に表示されるソフトは、残り表示が見にくくなることがあった。また、液晶の反射板が黄色(金色)に近い色で、ドットの配置されているLCDの大部分では液晶の灰色みがわずかに混じった鈍い黄緑色になっており、視認性は悪かった。 モノクロ液晶問題の際、横井軍平とは別に、山内溥社長(当時)と一緒に開発二課の上村雅之もシャープ総合開発センター(奈良県天理市)内にあった、液晶工場に出向きSTN液晶の調整に関わっている。最終調整は、横井軍平が行った。 液晶画面には経年とともに横線・縦線状の空ラインが発生してその部分が表示されなくなり、プレイに支障をきたす故障が多発した。湾岸戦争帰りのゲームボーイ写真では「LINES」の行で画面中央部を横切る白い横線がそれである(写真の例はまだ初期症状)。使用時間がさらに経過するとこの症状はさらに進行し、空線が幅広くなったり別の位置にも新たな空線が出現したりする。それゆえ現存する初代ゲームボーイで正常な画面のものはとても少ない。またこの不具合はゲームボーイブロス、同ポケット、同カラーへの買い替え需要の一因にもなった。多少は個体差もある。後にライン抜けの原因は特定されており、熱可塑性樹脂を採用した信号ケーブルの接触不良である。この伸び縮みする弾性部分に持ち歩く等の振動に繋がる行為を極力行わない個体は酷使されても画面故障の起こらない場合もある。また、有志によりYoutubeなどで故障部に熱を与え修理する動画も公開されている。 液晶保護カバー 液晶保護カバーのフレームの色は、花札の『藤に時鳥』にちなんで『藤色』。十字キーの『黒色』、Aボタン・Bボタンの『赤色』は、花札の裏紙の色を表している。 液晶保護カバーがついているために、中にゴミやホコリが入ると取り出せなくなり、非常に見づらくなるため、所有者の中には自らカバーを分解してホコリを取り除く者もいた。また、カバーの影が液晶に落ち、画面最上部の表示が見づらいといった難点も生じた。 音声 一般的にゲームボーイの音声チャンネルは本体のスピーカーでは、モノラルである。ステレオヘッドホンなどを使用すると、自動でステレオにチャンネルが切り換わる。最初の値下げの前まではゲームボーイにステレオイヤホン(外箱には「ステレオヘッドホン」と記載)が同梱されていた。 電源 電源には世界規格である乾電池を使っていて、かつ使用に際して本体とソフト以外の装置が不要で、発展途上国の一般家庭にまで広く普及している希有なハードでもある。4本の内蔵電源にアルカリ電池を使うことで最高30時間連続プレイが可能。 「外国人は充電してまで遊ばない」といった乾電池の搭載を指針する発言は、充電式アダプタに使用する世界各国の電圧やコンセント、プラグの形状を考慮したためである。また、持ち運んで携帯することに重点をおいたためでもある。 電池ランプ 初代ゲームボーイには「パイロットランプ」が採用されている。このランプを安定して点灯させるための電圧が電池から得られなくなると、次第にこのランプを点灯させる光が暗くなるので、これによって電池を交換するタイミングがわかる。もっとも、電池残量が少なくなると画面の映りが悪くなるので、こうした形でも電池の残量は把握できる。 電池の持続性 ライバルメーカーであるセガやNEC-HE、アタリが本ゲーム機に対抗して発売した携帯ゲーム機(「ゲームギア」、「PCエンジンGT」、「Atari Lynx」)について横井軍平は「ライバルがカラーで出たらウチの勝ち」と最初から情勢を読み切っている(当時携帯ゲーム機のカラー化は高コストかつ消費電力が高かった。ゲームボーイはコストと消費電力を抑えることのできる白黒液晶を採用していた)。 1990年(平成2年)8月28日に行われた第2回初心会展にて、当時の任天堂社長の山内溥もカラー化すればモノクロと比較して「電池の寿命が十分の一しかない、これでは携帯型ゲーム機としてユーザーが満足しない」と発言している。 通信 他のゲームボーイと通信ケーブルで通信できる。主に対戦やデータ交換に使われた。 可能な限り機能を削って費用削減を目指して開発されたが、後期における大躍進のきっかけとなった通信機能は、付けても大して生産費用が上がらず、何か面白いゲームができるかもしれないという漠然とした理由で、開発者の横井軍平曰く「深く考えずに付けた」などとする話が残されている。 "RDY/ACK"信号(通信準備のための信号と、通信が正確に行われたことを証明する信号)が全くないために、通信を正確に行うにはトリッキーなプログラムが必要だった。通信中にケーブルを引き抜くとデータが破損するという注意書きもあったが、通信中に誤ってまたは悪ふざけでケーブルを引き抜く事故が絶えず、これを利用してバグ技に使用するものもいた。『ポケットモンスター』ではポケモンをコピーする裏技があった。 カートリッジ交換 カートリッジ交換は本体の電源を切ることで行うことができる。初代機(ブロスを含む)では電源スイッチに連動してカートリッジをロックする機構が採用されており、電源スイッチをOFFにしなければカートリッジを抜くことはできなくなっている。カートリッジ側についてもこのロックをかけるための切り欠きが存在したが、ゲームボーイカラー専用カートリッジには切り欠きが無く、初代機に差しても電源スイッチを入れることができなくなっている。スーパーゲームボーイやゲームボーイポケット以降ではこのギミックが廃止されているが、カラー非対応の本体ではカラー専用カートリッジが利用できないことに変わりは無い。 仕様 CPU:シャープ製のLR35902がサウンドなどの機能と共に組み込まれている。動作クロック周波数は、4.19MHz。Intel 8080に近似した機能を持つカスタムプロセッサである。但しIntel 8080から一部の命令が削減され、Z80のフラグ処理の一部と電源制御に使われる独自命令及び仕様が追加されていることや、シャープがZ80のセカンドソースメーカーであることから、カスタムZ80とも表記される。 RAM:8kバイト VRAM:8Kバイト ROM:256k - 32Mビット 画面:2.45インチSTN液晶(4階調モノクロ、160×144ドット) スプライト:8×8(最少)1画面中 最大40個表示 / 1水平ライン上に 最大10個表示 BG:1面/256×256制御(32x32タイル) ウィンドウ機能(スクロール制限あり) サウンド:パルス波(矩形波)2ch+波形メモリ音源1ch+ノイズ1ch ステレオ出力可(定位は左、中央、右の3つのみ)。イヤホン、またはヘッドフォン等の外部出力使用時のみステレオ音声。イヤホン未使用時は本体に登載のスピーカーが1つの関係で各チャンネルの音声は合成されてモノラル出力となる。 寸法:90mm×148mm×32mm(電池を除く) 電源:単3形マンガン乾電池4本 (SUM-3 AA,R6) / 専用充電式アダプタ(初代機のみ対応) / 専用バッテリーケース(単二電池4本使用で約40時間使用可・初代機のみ対応) 通信ポート:シリアル通信ポート搭載(別売りの通信ケーブルにより対戦プレイが可能) 割込み機能:パッド入力割込み、シリアル通信割込み、タイマー割込み、LCDC割込み、Vブランク割込み ファミリーコンピュータとの比較 ファミリーコンピュータと比較してCPU,RAM,VRAMの性能で優れている。『X(エックス)』(1992年5月発売)などでは、このCPU性能を活かし、低fpsではあるが隠面消去を行ったワイヤーフレームによる完全な3DCGを描画していた。ファミリーコンピュータにも同様に3DCGを用いた『スターラスター』があるが、点とスプライトのみの描画であった。 一方で、画面解像度と色数とスプライト表示性能はファミリーコンピュータの方が優れていた。特に、ファミリーコンピュータはカラー表示ができたが、ゲームボーイはモノクロであった。従って、キャラクターのアニメーションではゲームボーイの方が優れているが、静止画の質はファミリーコンピュータの方が優れていた。 音源の面では、ゲームボーイの音源のパルス波(矩形波)やノイズはファミリーコンピュータとほぼ同等の音だが、ファミリーコンピュータでは疑似三角波とDPCM音源を鳴らせたのに対し、ゲームボーイでは波形メモリ音源を鳴らすことができた。また、ファミリーコンピュータの音源は全てモノラルだったのに対し、ゲームボーイの音源は全てステレオ再生可能だった。ただし、本体のスピーカーは1つのためモノラル出力であり、ステレオで聴くにはイヤホンジャックの利用が必要だった。 音量レジスタの値を高速に変更することでPCM再生を行うことも可能で、『ポケットモンスター ピカチュウ』のゲームスタート画面などで利用していた。 しかし、音量レジスタ書き換え時に非線形に音量が変化してノイズが発生するため、初めからPCM再生を行うことを想定してDPCMを搭載していたファミリーコンピュータに比べると音質が著しく劣っていた。 本体 1989年4月21日に12,500円(消費税3%税込)で発売後、1993年6月6日に『ゼルダの伝説 夢をみる島』発売と同時に9,800円(消費税3%税込)に価格改定(このとき専用ステレオイヤホンは別売に)が行われ、翌年1994年5月1日に8,000円(税別) に再度価格改定が行われた。型番はDMG-001。 ゲームボーイブロス(ゲームボーイ ブラザーズ、GAME BOY Bros.) 1994年11月21日に発売されたカラーバリエーション。ブロスとは「brothers」の省略形「bros.」をカタカナにしたもの。商標としての提案者は糸井重里。任天堂発売のGBカートリッジ同梱(特に『マリオのピクロス』)の広告や雑誌などでは「ゲームボーイブラザーズ」と紹介されることもあった。 バリエーション ホワイト(AB両ボタンが赤紫ではなく黒) ブラック グリーン レッド イエロー スケルトン 派生機 ゲームボーイポケット 1996年7月21日発売。型番はMGB-001 ゲームボーイライト 1998年4月14日発売。型番はMGB-101 周辺機器 製品コードのDMGは「Dot Matrix Game」が由来。 1994年後期 - 1995年初期にカセットラベルに書かれたコード「DMG-○○J(A)」から「DMG-○○○J-JPN」に変更された。 ライセンス商品 バーコードボーイ (ナムコ) バーコードリーダー。 ソフトウェア 構成 商品としてのソフトの構成は、紙製の外箱、真ん中にソフトを納めるためのくぼみが開いたプラ製の透明トレー、ソフトケース、説明書を基本としている。ソフトによっては葉書やチラシなどがついたものもあった。ゲームボーイカラー専用ソフトになるとカートリッジ形状の変更による製造コストの関係からこの構成は変化し、トレーが紙製になり、さらにソフトケースがつかなくなり薄いビニール袋で代用された。モノクロ用の全ゲームボーイソフトにケースがついていたため一部では「新品なのにケースがついていない」と勘違いするものもいた。この変化以降、任天堂のすべての携帯ゲーム機のソフトにソフトケースが付属しなくなった。 中古店などではソフトのみの状態を俗称でハダカと呼称していたが、これは箱やケースなどの付属品がすべてない状態を指す(着用品に例え、何も着ていないし何も持っていないので裸という意味)。 ソフト本体の仕様としてラベル面の右上にだけ欠けが見られるが、これは初代ゲームボーイの起動時にスイッチオンと連動して出っ張りが突出し右上の欠けたこの位置に当たるためである。この出っ張りは欠けた部分に出っ張りが引っかかるこの位置までソフトを挿入して下さいという意味でありソフトを浅く挿入しただけでは本体の出っ張りにソフトが接触して起動すらできなかった。 ライセンス表記 日本の初期のサードタイトルの多くのソフトには、タイトル画面の一番下に『LICENSED BY NINTENDO』が表記され、任天堂の許可を得てリリースされていることを示しており紙箱のイラストも任天堂のソフトと酷似しているが、スクウェア(後のスクウェア・エニックス)などのメーカーや、後期のサードソフト作品では表記されていない。ハル研究所開発、任天堂発売の『星のカービィ』では、開発元が自社で発売される予定の『ティンクルポポ』の内容をアレンジしたものであるため、『LICENSED TO NINTENDO』の表記がある。 リセット機能 ゲームボーイ専用カートリッジには「A」+「B」+「START」+「SELECT」をタイトル画面以降に同時に押すとリセットされる機能があることが多い。任天堂のソフトではほとんど備わっていて初期のソフトには説明書にも表記されていた。『ゼルダの伝説 夢をみる島』では例外的にセーブに割り当てられている。コナミなど、サードタイトルのソフトには必ずしも搭載されているわけではない。ゲームボーイアドバンス以降の任天堂携帯ゲーム機にもこの機能は引き継がれている。 ゲームタイトル 1989年4月21日に発売されたローンチタイトルは『スーパーマリオランド』『アレイウエイ』『ベースボール』『役満』の4本だった。同年6月に発売された『テトリス』の売上本数は最終的に423万本を数えるヒットとなった。 日本国内において、本機で動かせる最後の任天堂公式ソフトは2002年6月28日に発売されたバンプレストの『From TV animation ONE PIECE 幻のグランドライン冒険記!』であり、これはカラー・モノクロ兼用ソフトである。当時は本体発売から13年2か月経過しており、任天堂ハード全体では最も長寿であった。 2002年以降も非公式としてソフトのリリースは続いており、発売30周年となる2019年4月21日には、ゲームインパクトから『ドラキュラの城』が発売された。 広告 数種類のCMが放映された。 日本発売時 3人の海外の少年がゲームボーイを持って初めて旅に出るというシチュエーションであった。2パターンあり、1つは家畜車の藁の上で寝て、夜はたき火を囲みながらゲームに興じ、便乗した貨物列車から原野に飛び出すがゲームボーイを忘れたことに少年たちは取りに戻るというシーンが描かれた。もう1つは同じく海外の少年3人がヒッチハイクをするために路上で車を待つ間にゲームに興じていたら、車に意思表示をするのを忘れてしまい、通り抜けた車を走って追いかけるというものであった。2つのCMともに「君とならどこまでも」というフレーズで締めくくる。 テトリス発売時 ロボコップ風のキャラクターが指先から放った光線で成人男性を召喚しテトリスで対戦するというもの。 ゲームボーイブロス発売時 当時SMAPのメンバーであった木村拓哉が仕事の合間にゲームに興じるというもの。CMの最後に木村が「君は何色?」と視聴者に問いかける。 その他 任天堂より交通事故に遭ったある少年に、怪我をした少年の腕に合わせて、初代ゲームボーイの十字キーとAボタン・Bボタンの位置を入れ替えたゲームボーイが渡された事がある。このゲームボーイの基板の半田付けや筐体のボタン位置調整などは、当時開発部長だった横井軍平が当時の任天堂本社(京都市東山区福稲上高松町、後に京都リサーチセンターとなる場所)内で全て行った。なお、この行為は、山内溥社長(当時)に承諾を得ており、基板の半田付けの際に様子を見に来ている。 前述の旧任天堂本社には、初代ゲームボーイにちなんで藤の木が植えられている。 別冊宝島には1989年のサブカル・流行の1つとしてゲームボーイが紹介されている。 脚注 注釈 出典 参考文献 関連項目 コンピューターゲーム コンシューマーゲーム iCARD トモダチコレクション - 任天堂のニンテンドーDS用ソフト。ゲーム内でゲームボーイをお宝としている。 外部リンク ゲームボーイ公式サイト ゲームボーイ ゲームボーイファミリー10年間の足跡 - N.O.M 99年3月号(No.7) 1億台突破記念 ゲームボーイ特集 - N.O.M 2000年5月号(No.21) 1980年代の玩具 アセンブリ言語 登録商標
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https://ja.wikipedia.org/wiki/D2-VTR
D2-VTR
D-2 VTRとはコンポジットデジタル記録方式を採用したVTRの規格である。主に放送業務関連で用いられた。 解説 ソニーとアンペックスが1988年に開発したもので、日本国内では日本民間放送連盟がNTSC放送用の番組およびCM素材の交換規準として採用したため素材の受け渡しや放送番組の送出に広く用いられた。 D-2 VTRに先行してコンポーネントデジタル記録方式のD-1 VTRが規格化・製品化(1987年)されたものの放送局では機器が高価なこと(VTRだけでなく編集設備もコンポーネント信号に対応させる必要がある、コンポジット信号用機器も残るので変換機器が必要など)、ビデオテープのランニングコストが高いことなどからD-2 VTRの方が普及した。このため、コンポジット映像を編集する映像編集スタジオでもD-2編集室を整備するに至り1990年代に普及が進んだ。 しかし輝度信号と色信号が合成されたコンポジット映像信号の記録方式のためにデジタル放送、DVD-Videoなど元々コンポーネント映像信号を用いる最近のデジタルメディアでD-2をマスターに使うとコンポーネント方式に変換する際にクロスカラーとドット妨害の発生が避けられず画質が劣化する。このためデジタル放送への転換が進むにつれ、送出用としては使用されなかった。2016年に機材修理のサポートが終了し、その後D-2テープメディアの販売も終了したため役目を終え、大部分の記録済みメディアはLTOやオプティカルディスク(アーカイバル・ディスク)に変換された。 D-2 フォーマット概要 NTSC:525/60、2:1インターレース方式の場合 記録方式:ヘリカルスキャン方式 記録ヘッド数:4 ヘッドドラム径:75mm ヘッドドラム回転数:89.82Hz(約5400rpm) カセットテープサイズ: 254×150×33mm(M)、他にLとSがあり テープ磁性体:メタルテープ(塗布型) テープ幅:19mm(3/4インチ) テープ送り速度:約131.7mm/s 記録トラック幅:39.1μm(ガードバンド無しアジマス記録) 信号方式:デジタル 記録速度:総合 127Mbps 情報源符号化方式 映像:14.318MHz(4×fsc)8ビット 非圧縮デジタル 音声:非圧縮 48kHz/20ビット直線量子化×4ch 伝送路符号化方式:M2+RS誤り訂正符号 規格名称 SMPTE ST 245:記録方式 SMPTE ST 246:磁気テープ規格 SMPTE ST 226:テープカセット規格(D-1/D-2共通) SMPTE ST 247:テープへの記録フォーマット(映像データ) SMPTE ST 248:同上(タイムコード、制御、キューデータ) SMPTE ST 244:パラレルインターフェース規格 脚注 関連項目 D-1 VTR D3-VTR D6-VTR ビデオテープ コンポジットビデオフォーマット
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https://ja.wikipedia.org/wiki/BETACAM
BETACAM
BETACAM(ベータカム)は、ソニーが開発したアナログコンポーネント記録のカセット式VTR。かつて放送用・業務用における撮影において、世界中で事実上の標準方式となっていた。ベータマックス(Betamax)と同規格のテープを、3〜6倍の速度で使うことで、記録密度を下げ見かけ上の磁界強度を上げて高周波記録を実現している。通称「ベーカム」。 概要 それまでENG取材に用いる機材は、ビデオカメラ部と、U規格などのVTR部が別々になっていて、カメラを担いだカメラマンの後には、ケーブルで繋がれたVTRを持つビデオエンジニアが付いて回るという2人1組、もしくはカメラマン1人が両方を担ぐという機動性に欠ける取材を強いられていた。1982年にベータカム方式のカメラ一体型VTR「BVW-1」が登場。ビデオカメラとVTRが同体化(カムコーダ)されケーブルから解放されたカメラマンの機動力は飛躍的に向上する事となった。また、U規格のカラー低域変換方式に対しコンポーネント式のY-C別デュアルトラックを用いたダイレクト記録を採用して、より高画質化することができた。この成功を受けて自社でVTR製品を持たないカメラメーカーの数社がソニーとの提携によりBETACAMの録画機と一体型にできるカメラを発売し、ソニー以外のカメラを好む現場に対しても本フォーマットは浸透していった。 同時期に松下電器産業(現 パナソニック)が"Mビジョン"と呼ばれるVHSテープへコンポーネント記録を行うフォーマット(M規格)を開発したが振るわなかった。1986年にはBETACAM-SPに追随しメタルテープ化したフォーマット"MII"方式を投入したものの、再生互換性を確保したBETACAMグループが引き続き圧倒的なシェアを維持したことは民生用ビデオ規格ベータマックスの敗退と対照的である。テープはベータマックスと同じ1/2インチ幅のテープを使うが、走行スピードが異なるためにバックコーティングや磁性体などのテープ材質が若干異なる。 1983年には、編集機能付きのレコーダー「BVW-40」が発売され、収録から編集、送出に至るまでBETACAMによるシステムの構築が実現し、フレーム単位での編集精度が向上した。これらはキー局クラスでは報道部門で用いられ、取材先から持ち返ったテープを編集機で手早く編集し、ニュースサブ(副調整室)からニュース素材として生送出するなどの用途に重宝された。日本では番組やCMの送出にはD2-VTRが標準として用いられていたが、ケーブルテレビ局の番組送出用や、コスト重視の欧米の放送局では番組やCM送出用としても広く用いられた。カセット方式であることを生かしてカートシステム(オートチェンジャー)がアサカなど数社から提供され、CM編集や番組送出用として使用されたほか、SONY自身もD2用のカートであるLMSのローコスト版としてベータカートを発売、主に送出用として供給していた。 1990年代後半には、松下電器が中小プロダクションや企業向けに価格を大幅に落とした「MIIプロマインド」シリーズを発売したのに対抗し「2000PROシリーズ」(型番では「PVW-xxxx」)を発売。放送用のBVWシリーズに対して、オキサイドテープの録画機能を廃するなど機能を絞り、AFM音声2chやTBC(タイムベースコレクタ)のビット数などが仕様上省かれた事によって低コストでのBETACAM導入が可能となり、アナログコンポーネントVTRの裾野を大きく広めた。 さらに低廉な価格で文教・医療分野用も意識して投入された「UVWシリーズ」ではAFM音声2chに加え、VITC(垂直帰線期間内タイムコード)が省略されている。 BETACAM-SPで導入された「ラージカセット」が後にオリジナルのBETACAMへも引き継がれ、カセットサイズはSP同様「スモールカセット」(最大30分)と「ラージカセット」(最大90分)の2種類存在する。 放送・業務用として非常に普及し、膨大な撮影素材が存在することから、後継のデジタル記録版であるDigital BETACAM・BETACAM-SX・MPEG IMXやHDCAM等においてもBETACAM-SPの再生だけは可能としたモデルも設定され、素材の活用をはかれるように考えられていた。 主な仕様 ベータカムフォーマット オキサイドテープ 記録方式 輝度:FM方式 クロマ:時分割・時間圧縮クロマFM方式 記録帯域 輝度:30Hz〜4.1MHz R-Y,B-Y:30Hz〜1.5MHz SN比 48dB以上 テープ速度 118.6mm/s ベータカムSPフォーマット メタルテープ 記録帯域 輝度:30Hz〜4.5MHz(PVWシリーズ)30Hz〜4.0MHz(UVWシリーズ)色差信号はベータカムと同等 SN比 51dB以上(PVWシリーズメタルテープ)49dB以上(UVWシリーズ) インターフェース BETACAMでは、一般的なコンポジット映像信号の他独自のコンポーネント信号を用いるインターフェースやCTDM信号を用いるインターフェースを用いる。 コンポーネント BNCコネクタを3つ又は12pinコネクタを用いて接続する。 SETUP 0% Y:1.0Vp-p(同期286mVを含む) 75Ω B-Y/R-Y:0.756Vp-p 75Ω SETUP 7.5% Y:1.0Vp-p(同期286mVを含む) 75Ω B-Y/R-Y:0.7Vp-p 75Ω 機器ラインアップ 一体型カメラ BVWシリーズのカメラ部は括弧内記載のカメラと同等性能であるが、リニアマトリクス回路非搭載であるので、表現力はやや劣る。 スタジオ/ポータブル VTR ドッカブルVTR(カメラ一体型用) 関連項目 BETACAM-SP BETACAM-SX Digital BETACAM MPEG IMX HDCAM XDCAM 外部リンク 放送業務用制作機材の歴史(映像制作機材) - ソニー・法人向 ビデオテープ ソニーの製品
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https://ja.wikipedia.org/wiki/PocketStation
PocketStation
PocketStation(ポケットステーション)は、1999年1月23日に発売された小型の携帯型ゲーム機。発売元はソニー・コンピュータエンタテインメント (SCE) (現・ソニー・インタラクティブエンタテインメント (SIE) )。型番は SCPH-4000 。通称「ポケステ」。 開発 ビジネス用ではない個人用のPDAとして、ゲーム面ではPlayStationと連携する携帯型ゲーム機として開発され、周辺機器として販売された。 開発意図はプレイステーションで培ったソフトを携帯型ゲーム機でどのように共有していくかであり、開発時のイメージは任天堂のゲームボーイに近かった。 第三者からは開発当時人気を博していた『たまごっち』を意識したデザインと性能になっていると評価されるが、開発担当者の岡本伸一はそれを否定している。 ボディカラーはホワイトとスケルトンの2色で、開発当初はどのようなゲームが本機に対応するか予想つかなかったため、無機質な色が選ばれた。 沿革 1998年 2月19日 - メモリーカードを発展させた超小型PDAを開発したと発表。 10月8日 - 12月23日に発売することを発表。 10月9日~11日 - 東京ゲームショウ '98 秋 で初公開。 12月9日 - 発売日延期を発表。 1999年1月23日 - 発売。 PocketStation用ミニゲームが付属するPlayStation用ゲームソフト『どこでもいっしょ』がヒット。ゲーム内にポケット・ピープルと呼ばれる5種類のキャラクターが登場する。その中で「井上トロ」が女子高生を中心に好評を得ていた。供給量の不足と重なり一時期は入手困難な状態となった。 1999年2月11日 PocketStationにも対応するソフトとして、『ファイナルファンタジーVIII』が発売。99年の対応ソフトの中で売上が1位となった。本編で使用するアイテムの収集など、様々な要素が盛り込まれている。 1999年7月 - 累計販売個数が100万個突破。 1999年10月 - 累計販売個数が200万個突破。 2002年7月19日 - PocketStation生産終了。 2013年12月3日 - PSVitaアプリとして復活 PlayStation Vita用無料アプリ『PocketStation for PlayStation Vita』を配信することを11月5日に発表。このアプリを使うことでゲームアーカイブスで配信されているPocketStation対応ソフトをPSVita上で楽しむことができるようになる。PocketStationがなくては動作しなかったためこれまでゲームアーカイブスで提供できなかった『どこでもいっしょ』も同日に配信開始となる。 ハードウェア 詳細は公式サイトを参照。 CPU PlayStation用メモリーカードとほぼ同じ大きさのボディに、32ビット RISC CPUを内蔵する。 画面 画面は32ドット四方の反射型モノクロ液晶ディスプレイで、PlayStationのロゴタイプがうっすらと浮かび上がっている。 操作系 操作ボタンは上・下・左・右の4つの方向ボタンと決定ボタンがひとつ付いているのみである。 通信 上部には赤外線通信ポートを搭載し、PocketStation同士での通信が可能となっている。一部のサード製PSソフトでは、任天堂のゲームボーイカラーやバンダイのワンダースワンと本機を介した赤外線通信ができるものがある。注意点は2000年代までに生産されたテレビのリモコンなど、旧式の規格の赤外線発生装置にしか反応しない。 電源 電源としてコイン型リチウム電池を1個必要とする。使用環境にもよるが電池の消耗が早く、頻繁に交換する必要があったため、電池のフタのネジを外せるドライバーと予備の電池が収納できるポケットドライバーが発売されていた。 スペック CPU:32ビット RISC CPU ARM7T メモリ:SRAM 2キロバイト、フラッシュメモリ 128キロバイト(PS1専用メモリーカード領域と兼用) 画面:32×32ドット 反射型モノクロ液晶ディスプレイ サウンド:小型スピーカー(10ビットPCM) 通信:赤外線方式(双方向・IrDA準拠) 電源:ボタン型電池(CR2032)×1 付属品:ストラップ 発売モデル 発売当初は光沢のあるホワイトモデル (SCPH-4000) のみだったが、後にスケルトンボディのクリスタルモデル (SCPH-4000C) も発売された。また、『遊☆戯☆王 真デュエルモンスターズ 封印されし記憶』の限定版にはクリスタルブラック、『ときめきメモリアル2』の限定版にはクリアピンクのPocketStationが同梱された。 使用方法 主にPlayStationのゲーム本編に付随するミニゲームを遊ぶのに使用された。 PocketStation上でゲームをプレイするためには、まずゲームデータをPlayStationから転送する必要がある。そのためPocketStation単体での使用はできない。操作パネルを上に90度持ち上げ、PlayStation本体のメモリーカードスロットへ挿入する。挿入すると赤外線通信ポートに内蔵されたLEDが赤く光るとともに、電子メロディが鳴る。システム上、ミニゲームは通常のセーブデータと同じ扱いであり、最低1ブロックを利用してセーブを行う形式となる。当然ではあるが通常のPlayStation用メモリーカードとしての使用も可能。また、メモリーカードとしてセーブデータを記録している場合、PS上で表示されるセーブデータアイコンを表示できるのだが、タイトルによってはPocketStationでの表示用に用意されたアイコンが表示される。 また、ミニゲームはセーブ用の領域が許す限り、いくつでも導入することができる。メニューでプレイしたいゲームを選ぶ事で自由に変更することが出来た。 本体には時計が内蔵されておりアラーム機能付きの時計として利用できるほか、カードスロット経由でプレイステーションから時刻を参照することもできた。一部のソフトではゲーム内で時刻を連動させたり特定の日時にイベントを発生させるのに使用されている。 非公式に、インターネット上でPocketStation用ゲームソフトの開発ツールが出回っており、一部では自主制作ソフトも公開されていた。パソコン上で開発したゲームソフトをPocketStationに転送するためには、PlayStation用メモリカードのリーダー・ライターが必要となる。 反響 開発者の岡本伸一は「"身につけられるコンピューター”をコンセプトに、わずか30グラムのボディーに機能を詰め込みました。さわるすべての人にエンターテイメントとは何かということを教えてくれるマシンです」と述べた。しかし『どこでもいっしょ』以降は目立ったヒット作も生まれず、ほとんどはPlayStationのおまけミニゲーム程度だった。 荒すぎたドットがユーザーの不評を買ったこともあり、やがて対応ソフトの開発も減少、発売から約3年半で生産終了となった。ゲームハードとして使わなくなってからはメモリーカードとして使用するプレーヤーもいた。 対応ゲームソフト一覧 50音順に記載。 PlayStation ソフト PlayStation 2ソフト 電車でGO!3通勤編(タイトー) 電車でGO!新幹線 山陽新幹線編(タイトー) 東京バス案内(サクセス) 関連項目 ビジュアルメモリ - セガが発売した家庭用ゲーム機であるドリームキャストの周辺機器。本機と外観や使用方法が類似している。 トロとパズル - 2020年7月10日に、本機を再現したアイテムが登場。 脚注 外部リンク PocketStation プレイステーション® オフィシャルサイト コンピュータゲームの周辺機器 PlayStation 携帯型ゲーム機 1990年代の玩具
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Digital BETACAM
Digital BETACAM(デジタルベータカム)とはSDTV対応の放送および映像制作用デジタルVTR規格の一つである。「デジベ」ないしは「デジベタ」と略される。 1993年にソニーが放送用ビデオ機器としてデファクトスタンダードになったBetacam、Betacam SPの後継を狙って開発、商品化された。10bit量子化のデジタルコンポーネント(YCbCr 4:2:2)記録方式を採用している。音声は4チャンネル。ビデオテープ上へは入力のデジタルコンポーネント映像信号のビットレートを約1/2に低減しDCT圧縮(不可逆圧縮)したのち記録されているが、視覚上の劣化は低く抑えられている。この圧縮方式は既存のビデオ編集機でフレーム単位の編集が行えるようイントラフレーム圧縮方式(フレーム内圧縮方式)で行われており、後継のBetacam SXなどのようなMPEG-2は採用されていない。 使用するビデオカセットの大きさはBetacamと同一であるが、Digital BETACAM対応カセットであることを識別するための検出孔が追加された。カセットのボディは青灰色、リッドは黒色である。BetacamとBetacam SPフォーマットの再生に対応した機種もある。 ソニーは「D-1、D-2」のようにDigital BETACAMをD-4と銘打ちをしたかったのだが、LTC(タイムコード)の記録方式がアナログであったためD-4という規格名にする事は許されなかった。D-4が欠番なのはこの為である。 実際の運用で言えばコンポーネント記録のためドラマの収録やクロマキー映像合成の素材送出、比較的予算の少ないCMの収録も多く、アニメのマスターテープとしては半ば標準フォーマットとして広く使われている。また、DVDのマスターテープとしても標準的といえる。送出では、メディアコストの高いD-2では地方局での制作実情にそぐわないため非常に運用が多い。またスカパー!でも加入者が多く予算のあるチャンネルで採用が多い。 脚注 関連項目 ITU-R601 D-1 VTR D-2 VTR D3-VTR D5-VTR DVCAM DVCPRO Betacam SX MPEG IMX MII HDCAM P2 D-VHS W-VHS てしたるへたかむ ソニーの製品 en:Betacam#Digital Betacam no:Betacam#Digital Betacam
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC
日本のアナウンサー
本記事の日本のアナウンサー(にっぽんのアナウンサー)では、日本の放送局に勤めるアナウンサーについて述べる。 概要 アナウンサーとは、放送するマスメディアが、収拾した情報を元に作った原稿を音読して、視聴者へ伝達する者である。 日本の放送メディアで最初のアナウンサーは、1925年(大正14年)に現在はNHKにあたる東京放送局のラジオ試験送信時に入局した京田武男(東京日日新聞から)、大羽仙外(報知新聞から)で、仮放送開始時さらに2人迎え4人、6月に翠川秋子(後藤新平の推薦)を迎え5人となって愛宕山時代を迎えた。のちにテレビのアナウンサーが登場し、旧来の放送圏域が広い地上波のラジオやテレビに加えて、ミニFMやイベント放送局やコミュニティ放送、ケーブルテレビや衛星放送、インターネットラジオやインターネットテレビなどが登場し、各々でアナウンサーがいる。下記の歴史に詳述がある。 欧米ではニュースは記者の取材活動が重要と広く認識され、取材から原稿の作成・編集、読み上げまで一連する作業や、マイクや録音などの音声担当者やカメラマン、ディレクター、アシスタントディレクターなども含めて組織的連携の全ての役割や人物が欠けても番組は成立しない、と広く認識されている。ニュースでマイクやカメラの前で原稿を読む役割を担う職業を、組織的な責任の最後を担う専門的職業の意味を込めた「アンカー」や「ニュース・プレゼンター」と称する概念が重要視されている。日本は欧米ほどの認識は醸成されておらず、放送で原稿を読む者を単に「アナウンサー」称している。民放では「アナ」と短縮形で呼ばれることも多い。2018年時点でNHKのアナウンサーはおよそ500人で男性の比率がやや高く、民放は局ごとに傾向が異なる。下記の雇用に詳述がある。 現在の日本のアナウンサーは、特定の放送局に社員として所属するアナウンサー(一般的に「局アナウンサー(略称:局アナ)」と呼ばれる)と、特定の放送局に所属しないフリーアナウンサーの2つに大別される。新卒で採用された組織で勤務する「生え抜き」と中途採用者がいる。アナウンサーの採用情報や求人情報は、各放送局のウェブサイトなどに掲載されている。アナウンサーの採用試験を受けるためには、大卒以上の学歴が必要である。アナウンサーという職種は枠が少ない上に一般人の間で知名度が極端に高く誰でも知っている職業なのでこの職業に就くことを夢見る若者が多く、民放キー局やNHKなどでは数名程度の採用枠に対して数千~数万倍の応募者が殺到する、というような状況になっている。#雇用、#採用 アナウンサーは視聴者からの好感度が重視されるが、ラジオのアナウンサーの場合、声や話し方だけでリスナーから評価されるのに対して、テレビ放送の場合視聴者は画面でアナウンサーの顔を見続けることになるので、テレビのアナウンサーは声や話し方に加えて顔立ち・容姿でも視聴者から好感されることが重視される。 民放では高視聴率獲得(およびスポンサー獲得)のためにアナウンサーのタレント・アイドル化を図るという技法も採用されている。 歴史 ラジオ放送開始時は経験者や手本になる資料などは存在せず、組織的な研修もできず、新聞記者や編集者から選抜された者が各自で話し言葉のスタイルを模索しつつ遂行した。 1925年(大正14年)3月22日、社団法人東京放送局によりラジオ放送が開始され、東京日日新聞の運動部記者出身の京田武男が第一声を発した。放送開始時のアナウンサーは他に、大羽涛(大羽仙外)、熊崎真吉、桐野音次郎の3名がいる。6月に翠川秋子が入局し、日本初の女性アナウンサーとなった。 日本初のスポーツ実況中継は、1927年(昭和2年)8月13日の第13回全国中等学校優勝野球大会の札幌一中対青森師範の試合を、社団法人日本放送協会元銀行員の魚谷忠が担当した。 1953年(昭和28年)2月1日、テレビ放送が始まる。第一声は志村正順アナウンサーによる局名アナウンスで、続いて当時NHK会長の古垣鐵郎が挨拶した。 1961年(昭和36年)にNHKを退職して独立して1962年(昭和37年)に民放番組の司会に抜擢された、高橋圭三が日本初のフリーアナウンサーである。 アナウンサーの主な仕事 「自分の声・言葉」を用い「広く一般に事象を伝達する」ために、アナウンサーは正しい日本語能力を要し、文法・アクセントに加えて放送局が内規する放送用語も順守する。主たる業務を下記する。 報道番組や情報番組でニュースなどを正しく伝える。「スタジオ中継」と「現地リポート」の場合がある。 各種スポーツの実況中継やリポート。 報道対象に対する取材やインタビュー。 番組の司会やアシスタント。タレント化が進んで以降は、タレントと同様にパネリストやトークゲストとしての出演も多い。 ナレーション(VTRや、スポンサー名読み、番組宣伝広告など)。 所属する放送局のプロモーション 上記の「視聴者・聴取者」向けの放送への出演や取材の職務のほか以下のような放送以外の業務もある。 番組出演の前打ち合わせと準備(メイクや衣装合わせ、原稿の下読みなど)および反省会。 ディレクターを兼ねたり、編集作業の一部を担当(地方局やミニ番組では人員的制約によりこの傾向が強い)などの地味な作業もある。 放送局関連のイベントの司会。 放送局やアナウンサー自身のブログやtwitterの管理。 雇用 NHKの全国のアナウンサーの人数は、2018年時点で、およそ500人である。 男女比 NHKの正局員における現役アナウンサーは東京本部・地域拠点局を含む地方放送局を問わず、古くから男性の方が女性より比較的多い。 民放の放送局における現役アナウンサーは、かつては性別に分けると男性の方が女性より多いという局が比較的多かったが、2018年現在は性別に分けると一つ目は男性も女性も人数が同数という局、二つ目は女性の方が男性より多いという局が増加傾向にある。また、民放の放送局での現役アナウンサーの性別での伸び率は女性の方が高い。 勤務内容 若手を中心に宿直・早番・遅番などの交代勤務があり、早朝や深夜の生放送を担当する場合も含め、勤務時間や生活サイクルが不規則になる例も多い。報道・情報番組は準備のため放送開始2時間前には出勤する必要があるため、早朝番組で生放送する出演者は深夜(2~3時)に自宅を出る(もちろん公共交通機関は一切動いていないので、局差し回しのタクシー、または許可を受けて自家用車で出社。自動車通勤は交通事故の懸念から通常は許されていないが、地方局では通勤のための交通機関がない場合もあり自動車通勤が認められている放送局もある)など、その勤務実態は過酷である。 職務の性格上、勤務は曜日が基準となり祝日も無関係であるが、一般に年に1回5日間程度のまとまった休みをとることが認められている。一部放送局では、労働組合との協定で週休2日制を強く守っている場合もある。(NHKの地方局ではその傾向が顕著である)社員であるため年次有給休暇も与えられるが、ほとんど消化できないのが現状で、1〜2か月まとめて消化してから退社する若しくは定年退職者は嘱託に移行といった例も多い。正職員アナウンサーが嘱託となって継続雇用される場合でも、同様の例が多い。(シニアスタッフは除く)但し、地方局では嘱託職員は勤務日数が正職員よりも少なくなることも近年では目立っている。さらに、嘱託を過ぎてからの再雇用制度であるシニアスタッフ(基本的には正社員としての雇用期間を満了した60歳以上の職員、場合によっては70歳以上の職員。NHKにおいては定年時に嘱託になるかシニアスタッフになるか選ぶことができるようになっている)においては、東京本部においても、多くても勤務日数は週4日程度に抑えられている。東京本部においては、中には週1日や週2日の勤務をしているシニアスタッフも極僅かではあるが存在している。地方局では週4日や週3日勤務が基本であるなど、近年では定年退職者を中心に柔軟な働き方も見られるようになっている。しかし、正職員の働き方は今現在も過酷であり、改善はあまり進んでいない現状がある。 地方局の場合はスタッフの人員が少ないため、アナウンサーであっても報道記者やディレクターなどの裏方仕事を兼務する例が少なくなく、支局駐在となる例もある。 職場環境・福利厚生 局アナウンサーは、編成部門のアナウンス部あるいは放送部などに属している。労働条件については正社員のほか、契約社員として勤務している者もいる。局アナウンサーは「社員」なので、基本的に局内に机もあり、仮眠室・食堂・ネットワーク・保険など社内の施設・福利厚生を利用できる。 様々な雇用関係 放送局の正社員・契約社員として所属している者のほか、芸能事務所・制作会社からの派遣社員も存在する。在京キー局ではTBSのTBSニュースバードのキャスターや、TBS954情報キャスター(ラジオのみの出演)などが派遣社員でほぼ派遣先の放送局の専属出演する。TBSの場合、これらのキャスターは地上波放送への出演は少なく、それぞれCS放送やラジオへの出演が中心となる。局によっては「リポーター」「パーソナリティ」と称する。なお、ラジオ局の場合は中継車の運転やディレクター業務などアナウンス業務以外の業務も担うことがある。 フジテレビは、かつて「専属リポーター・司会者募集」の名目でアナウンサーを募集していた。これは当時同局に存在していた「労組・第二労組」の2組織に対し、創業者の鹿内信隆が、組合所属のアナウンサーをそのまま“アナウンサー”と呼び、第二組合の所属者を“リポーター”(正式名は「報道局解説放送室付リポーター」)や「司会者」と呼んで差別化を図っていた、いわゆる会社の内紛に起因した事象である。どちらも業務内容は全く同じで、これがアナウンサー採用試験と知らずに受験した者もいた程だった。田丸美寿々や辛坊治郎らもその一員とされる。辛坊はこの事実を知りフジテレビに入社せず、読売テレビに入社した。 GyaOは「ギャオーディション」というオーディション番組でアナウンサーを募集した。これはGyaOでのアナウンス業務をはじめ、ドラマ・バラエティ・映画など、自社媒体の番組へ出演する者の公募であり、GyaOを運営していたUSENの社員としての募集ではないので、一般にいわれる局アナウンサーとは意味が異なる。 契約アナウンサー 契約局員 (NHK) ・契約社員(民放など)は「契約アナウンサー」と呼ばれる。人件費削減の波を受け増加傾向にあるが、契約社員の直接雇用等、今後の課題が多く残されている。 契約アナウンサーは女性に多く、男性では少ない。 NHKは多くの場合、女性アナウンサーの事例にあてはまる。職員・契約を合わせたアナウンサーのうち、女性は職員アナウンサーが少なく、配属されていない地方放送局もある。そのため、各放送局が個別で契約アナウンサーを採用する例が比較的多い。 芸能事務所(東京・地方を問わず)に所属している放送局の契約アナウンサーも少なからず存在している。 契約アナウンサーをキャスターまたはリポーターと称している。そこからNHKの正職員・局アナウンサーとなったのは、現在までのところ森田美由紀と荒木美和の2人のみであり、非常に狭き門となっている。 民放ローカル局を中心に契約社員を採用する局が増加しており、非正規雇用がアナウンサーの分野にも広がっている。 フリーアナウンサー この場合の「フリー」は、放送局と直接の雇用関係がないことを指す。完全なフリーランスでなく、人材派遣事務所や芸能事務所などに所属している者もこう呼ばれる。 局アナとフリーアナウンサーの仕事内容に実質的な違いはないが、雇用形態に大きな差がある。局アナは社員・職員としての給与と仕事の供与、労働三権が保証されている代わりに、社命である業務や異動を基本的に断れない。勤務地が大きく変わることはないが、別の分野を担当させられる。要は局アナは「会社員」(NHKのみ「団体職員」)であり、その権利と同時に組織の一員としての義務を負い、局の方針に反することはできない。一方、フリーアナウンサーは、雇用契約の契約書の形式や内容が異なり、仕事内容が明記・限定された形で契約書に署名する(つまりその特定の仕事限定、端的に言えば、特定の番組限定で出演する契約を結ぶ)。仕事の契約は、事務所や知り合いの紹介、オーディションなどを通じ自ら競争を勝ち抜いて獲得する必要があるが、別の角度から言えば、嫌な仕事に関しては契約を結ばなければよいので「仕事の内容を選ぶことができる」とも言える。逆に言うと、仕事内容や契約相手の局は選べるかわりに、どの局からも相手にしてもらえず、全く仕事が無い状態になり無収入になってしまう可能性もある、とも言える。つまりテレビ局の側にも、多数のフリーアナウンサーの中から自局に都合のいい人を選ぶ自由があり、契約を結ばない自由がある。 フリーになる人の動機はさまざまである。そもそも最初からフリーアナウンサーとして活動している人々もかなりの数いる。別業種からの転職者もいる。局アナがその局の番組に出演して獲得した知名度を活用して(その知名度を他局に高く売れるあいだに、と)フリーになる場合もあり、その場合、単純に高収入の可能性があることに惹かれてそれを選ぶ人もいる。「自分を試したい・仕事の幅を広げたい」という理由を挙げる人、つまり他局でフリーでならばもっと違う仕事で実力を発揮できるはず、と感じるから(あるいは、そういう建前で)フリーを選ぶ人もいる。もっと違う理由で、たとえばテレビ局が報道らしい報道を行っておらず権力者におもねったような腐った報道をするばかりで、おまけにテレビ局のプロデューサーがスタッフやアナウンサーに対してセクハラを連発していて、そういう問題だらけのテレビ局にうんざりして、別の局で仕事をするためにフリーになる場合もある。 フリーになった後の報酬の額は、一種の「運」や、自身のアナウンサーとしての実力、自身の世渡り術、そして外部の諸要因という大きな要素群など、さまざまな要因が影響する。成功できると思って退社してフリーになった途端に病気に罹ってしまい、無収入になってしまう場合もある。自分には実力があると信じ高収入を得られると期待してフリーになっても、ふたを開けてみたら収入が大幅減となってしまい、後になって自己評価と他者評価に大きな乖離があったことに気付かされる場合もある。運にも恵まれ、外部要因にも恵まれ、かつアナウンサーの実力もあり、世渡り術にもたけている場合は、フリーアナウンサーになることで局アナよりも高額の収入を得られる例もある。(ただしフリーアナウンサーは各種手当や福利厚生もなく、業務必需品は自分で揃える必要があり、実は単純に額面通りの差だけ豊かになるわけではない。正社員というのは、"見えない"形で様々な報酬を得られており、フリーになるとそれが消滅する、という面はある。)。仕事のミスに対する批判や視聴率の評価は、局アナウンサー以上にシビアであるとされる。(野球チームが雇う「助っ人外人」のように)即戦力扱いで実際に高視聴率という結果が出た場合は「便利なコマ」として扱かってもらえて高報酬を払ってもらえる可能性が高いが、一旦、何かの拍子に視聴率低迷などという現象が起きると、実力不足などと判断され、(「もはや用なし、と判断された 助っ人外人」のように)番組プロデューサーから簡単に見切られがちで、つまり一種の「使い捨てのコマ」扱いで、単純に契約解除となり、局アナ(正社員)のような「セーフティネット」は無く(他番組の仕事をあてがってもらえるわけでもなく、他部門に所属する形で給料を支払ってくれるわけもなく)、仕事も無くなり無収入になってしまう可能性もかなりある。つまり局アナからフリーアナウンサーになることは、わかりやすく言うと一種の《賭け》であり、博打(ばくち)を行うような状態、「イチかバチか」の状態になる。そんなわけで、フリーになると決め辞表を提出した時は平気だったのに、いざ退社の時期が迫って自身の境遇が変化することをひしひしと感じ始めると悪夢を見たり、辞めてしまった後になっても、辞表を出したこととか辞めたこととか全部ナシにならないかな…と思ったり、もう今さらしょうがない、と思うなどして、長期間気持が揺れ続ける人もいる。 なお、局アナが所属局を退職してフリーアナウンサーに転身する場合、古巣局への義理立ての意味もあり、フリー転身直後は一定期間他局への出演を控えるという慣例がある。明確に一定期間他局に出演しないと古巣局と取り決めを持つ場合もある。系列局制作番組や企業のコマーシャルへの出演はフリー転身直後でも可能の場合あり。 その一方で、大塚範一、小倉智昭、露木茂、羽鳥慎一のようにフリー転身の翌月から他局でレギュラー番組を持つという例外もある。特に羽鳥は日本テレビ退職の数日後にテレビ朝日でレギュラーでの冠番組を開始させた。この時は日本テレビ・テレビ朝日両社上層部との話し合いがあったという。羽鳥のこの離れ業でフリー転身後の身でも他局からの仕事を請けやすくなったという向きもある。また、一時期の三雲孝江、小宮悦子、高島彩、ラジオ局の元アナウンサーなどのように、フリー転身後も他局ではほとんど仕事をせず、古巣局制作番組しかほぼ出演しないという人物も存在する。 NHKアナウンサーがフリーとなる場合、初めのうちは民放局と専属契約を結び、軌道に乗ったら完全フリーに、という傾向が多い。羽佐間正雄、久保純子のようにNHK退職直後にNHKと専属契約した人物もいる。ただし、専属契約となる形でのフリーだけではなく、在京キー局や在阪準キー局への移籍というパターンもある。 採用 新卒採用の場合、4年制大学卒業を必須としている局がほとんど(地方局では短期大学卒業者を採用対象とするところもある)で、さらに募集要領には年齢制限、留年制限を設けているところが圧倒的に多い。また、大学のコースは文系・理系は関係無く採用対象となる。また、NHKのみ毎月のNHK受信料を払っている事も条件である。また総務、制作などの部門とは採用枠が別に設けられていることも多い。前述の通り非常に人気の高い職種であるため、その競争率は非常に高くキー局アナウンサー試験の倍率は芸能オーデションの倍率をも凌駕する倍率である。居住地や出身地以外、さながら日本全国の放送局に対し応募書類を送ることも珍しくはなく、面接の度に日本全国を行脚する志望者もいる。学生時代にアルバイトでアナウンサーやリポーターの経験を積むか、アナウンススクールで指導を受けた方が有利であるとされる(NHKの三浦拓実局員(ラジオNIKKEI主催レースアナウンサー養成講座第1期生)がその一例)。一部の大学には「アナウンス研究会」というサークルまで存在する。 採用試験(面接試験を含む)では正しい日本語が話せるか、好印象を与える雰囲気・容姿を持つか、とっさの機転が利くかなどが重視される。語学やスポーツといった、業務に活かせる得意分野が求められる場合もある。 入社後は、数か月間の研修の後、短時間のナレーションや提供読み、スポットニュースのような難易度の低いとされる業務に就き、多くの場合、入社後半年から1年でレギュラー番組出演となる。初めての生放送出演は「初鳴き」と呼ばれることもある。稀に、研修と並行して4月の入社時からレギュラー番組を獲得する例もある。こういった例は人員の少ないローカル局がほとんどだったが、後にキー局でも見受けられるようになった。放送局などが直接運営するアナウンサースクールを実質研修の場と捉えていることがある。また災害対策基本法指定公共機関に指定されているNHKでは、深夜のニュースの放送終了後、全職員を対象にした災害発生時(特に緊急地震速報・津波警報発令時)の緊急報道訓練をほぼ毎日実施しており、アナウンス部所属局員もその訓練を受ける。 非大都市圏の放送局を中心に、コストダウンのため、新卒採用であっても正社員としてではなく、期間を区切った契約職として採用する事例が増えつつある。これらの場合、契約満了時に解雇するか、それとも契約延長または正社員転換で残留させるかは、それぞれの放送局の判断に委ねられている。 2001年10月1日にTBS(現・TBSホールディングス)がラジオ部門を分社化させたのを皮切りに、認定放送持株会社移行を含むラジオ・テレビ部門の分社化が相次いでいる。分社化したテレビ・ラジオ各局のアナウンサー募集・採用は人件費削減の観点からテレビ局側が行っており、ラジオ局に「アナウンサーの派遣業務」としてアナウンス業務を行っている。さらに、ラジオ局の送信所保守管理も経費削減の観点からテレビ局に委託している。 異動・転勤・昇進 多くの放送局では、アナウンサーは専門職とされるため、業務内容が大幅に異なる部署への異動になることは少ない。ただし、業務内容が近い報道記者への異動や解説委員就任、国内外の拠点への異動、本人の強い希望がある場合の異動もある。また、報道記者に転出しても主にワイドニュースなどニュースキャスターとして出演を継続する元アナウンサーもいる。地方局の一部ではアナウンサーの肩書きを残したままで報道記者兼任という場合もある。また、現在は少なくなったが、放送局を新規に立ち上げる際、所属予定の系列局もしくは立地地域の既存の放送局から新設局のアナウンス部門の指導員として出向する例もある。 従来は異動の少ない業種だったため、一般部署への配置転換が否定的に報じられる事もある。しかし2000年代頃より、アナウンサー個人のスキャンダルに対する一種の懲罰や、テレビ放送の完全デジタル化による負担増に伴う人件費抑制策などで人事異動を全社規模化する放送局が増えており、アナウンス業務から外される事例は珍しくなくなっている。 NHKの女性職員アナウンサーも以前は東京本部(渋谷)に転勤になるとほとんど動かない例が圧倒的だったが、2010年代に入ると40歳代以上は管理職として、30歳代については男性局員との格差是正を主眼として、渋谷から強制的に転勤させる例が急増している。2011年は、年度替わりに30歳前後の2人が渋谷から出されたほか、6月24日付の幹部級人事では一気に5人が地域放送局のアナウンス統括職に起用され渋谷から転出、1人が渋谷内部で配置転換となった。なお、NHKの男性局員は全国各地を転々とするのが普通で(管理職クラスでも例外はなく、2021年には武田真一が大阪局に転勤した。)、その途中、人事でアナウンス部門から離れることも珍しくない。入局以来、渋谷で働いた経験がないという事例も少なくないほか、渋谷で長く残れる人もほんの一握りである。中にはその地方の土地柄や環境などを気に入り、家まで建ててその地方局に継続的に、または職歴の大半において在籍するアナウンサーも極く僅かではあるが存在する。(一例としてNHKでは盛岡局の上原康樹(現・岩手県議会議員)、佐賀局の三上たつ次など) 鈴木史朗(当時TBS)のように別部署に異動していた元アナウンサーが復帰する例があるほか、報道記者が転身する例もある。対して、他部署から新たにアナウンサーになる例は、1980-90年代のテレビ東京などに見られる程度で少ない。また、アナウンス部以外の部署に所属していても番組出演機会がある場合、「アナウンサー」の名称を用いる例もある。 キャリアを重ねて管理職や役員待遇になると「チーフアナウンサー」や「エグゼクティブアナウンサー」の肩書きを持つ例が多い(主にNHK)。管理職もしくはベテランアナウンサーとなると、後輩の指導を行うほか、部内のアナウンサーのスケジュール管理業務や経営・企画会議の参加が増えるため、番組出演がやや少なくなる傾向にある。ただし、労働争議によるストライキで組合員である若手アナウンサーが出演を見合わせた場合、彼らの代役として主に生放送番組に出演する例もある。主にスポットニュースやワイドニュースが該当する。ただし番組によってはワールドビジネスサテライトのように、元々担当しているフリー契約のアナウンサーやナレーターのみで乗り切る例もあれば、補いきれない場合は管理職のアナウンサーが出演する。ただ局によってテレビ東京のように人員が少なく補いきれないこともあり、その場合は同じ局で出演している同種番組のフリーアナウンサーが担当することもある。 アナウンサー現職のままの役員就任は、2003年に朝日放送取締役に就任した道上洋三(2007年に退任、現:常勤顧問)などの例はあるものの稀で、アナウンサー経験者の役員の多くは他部署への異動後に就任している。 仕事を求めて別の局へ移籍する例もある。地方局は契約社員であるなど身分が不安定なこともあってとくに多く、3社以上を渡り歩く者もいる。中途採用は経験者がほとんどであるが、異業種からの転職も見られる。 退職、他局への転職、フリー転身など 地方局を中心に複数の放送局に在籍している(していた)局のアナウンサーは多く存在している。また、1つの放送局の在籍期間は放送局を移籍した2局目か2局目以降に在籍した期間が最初に在籍した放送局よりも長いと言う例も多い。 様々なアナウンサー スポーツアナウンサー 該当者は:Category:スポーツアナウンサーを参照。スポーツ中継の実況担当は男性アナウンサーが務めることが圧倒的に多い。 中立且つ冷静な放送が求められるアナウンス職にあって、自らの興奮や感動をストレートに表現することが許される分野で、野球のホームランシーンなどを大声で伝える「絶叫型」アナウンスがある。しかし、これを良しとしない意見もあり、視聴者・聴取者(リスナー)の好みによる所が大きい。また、世相や試合状況にアナウンサーが応えられるかにもよる。 1936年のベルリンオリンピックで、水泳女子の前畑秀子が金メダルを獲得した際、ラジオ中継を担当していた河西三省は、激しいデッドヒートを受けて「前畑頑張れ!前畑頑張れ!」と38回連呼し、日本中に感動と興奮を伝えた。 一方で、2000年9月14日のシドニーオリンピック、サッカー日本代表の試合で得点の際「ゴール!」を20回以上(最大29回)叫んだ日本テレビの船越雅史(現在はアナウンス職から離脱)の実況には多くの批判・抗議が寄せられた。 ご当地アナウンサー そもそも使用例が少ないが、特に三大都市圏以外の道県において、放送局の放送圏域内で生まれ育って、同局でアナウンサーとして活動する者を指す(ただし、単に「地元の放送局所属のアナウンサー」という使用例もある)。 NHKは全国組織であるため、基本的に一定年数同じ地域に勤務した場合は、他の地域へ転勤となる。このため、出身地で勤務できる可能性はそれほど高くない。しかし逆に地元勤務となった場合は、そのことを最大限に利用して地域社会に貢献することができる。近年各放送局の役割再強化を図っているNHKに於いては、ご当地アナウンサーは重要な戦力となる。 富山では、山田重光が福岡を一旦離れてUターンして以降、アナウンスを統括する放送部副部長が3代続けて地元富山県出身者となっている。隣の新潟では、2009年8月の時点で6人いるアナウンサーの半分が地元新潟県出身者だった(後に転勤で1人出て2人に)。拠点局ではない一般放送局でこうした事例はまれである。山形県では、柴田徹がUターン後、山形弁でふるさとを語るバラエティ番組『今夜はなまらナイト』を立ち上げ、今や全国にファンを有する。拠点局でも、名古屋は単身赴任者を含め愛知県出身者が多く在籍している。 民放はNHKと異なり、特定地域だけをエリアとする。「キー局」と呼ばれる在京局も、本来は東京都または関東のローカル局であり、NHK以上に地域に根差した活動を行っている。 民放の中には、法令改正で差別的雇用が禁じられるまで、アナウンサーの採用にあたって、その放送局が所在する都道府県の出身者に限るという条件を付ける場合があった。 サガテレビでは、少なくとも1990年代までは正社員としてのアナウンサー採用を佐賀県出身者に限っていた。県外出身者については、あくまでもニュース番組のアシスタントとしての扱いだった。現在は特に女性アナウンサーを契約職採用中心に切り替えたため、こうした制限はなくなった。正社員アナウンサーは公式サイトに全員入社年が記されており、2010年に花田百合奈が初の県外出身正社員アナウンサーとして入るまで全員が佐賀県出身者だった。 テレビ大分では、現在でもアナウンサーの採用を大分県出身者に限っている模様である。しかし、小笠原正典アナウンサーと、田辺智彦アナウンサーは、県外生まれである。そのため、アナウンサープロフィールの出生地が、その他のアナウンサーと違う。 女子アナウンサーとその背景 女子アナウンサーは、通称「女子アナ」として、その「タレント化」が顕著であるとされる者を特に指し、揶揄的に用いられる場合がある。特に民放、中でも東京キー局では「タレント化」の傾向が極めて著しい。 1980年代後半以降に採用された女子アナウンサーの大半が、俗に言う「ブランド大学」(東京六大学や関関同立など)の出身であり、またミス・コンテストの準グランプリやミスキャンパスに選出された経歴を持つ者も少なくない。また、業務上必要なアナウンス技術よりも、容姿を優先したり、誤読やトチリなど本来は許されないはずのミスを視聴率獲得のため珍重した結果、芸能人さながらの扱いを受ける例が多いと見る向きもある。さらに2000年代以降は平井理央、紺野あさ美、宮澤智、斎藤ちはる、市來玲奈など元アイドルが女子アナとなる事例が見られる。 「下手な芸能人を使うより、自局の女子アナを起用した方が視聴者受けがよく、しかも安価」と彼女らを「商品化」するのは、「とにかく視聴率ありき」という商業主義の民放テレビ局の姿勢も大きいと見られる。また、女子アナにコスプレをさせることも多い。 その結果、キャリアを積み、「読みの技術」が高まった中堅アナウンサーを、「若い方が良い」、「バラエティ番組で使いづらい」との理由で冷遇する傾向があり、これは「女子アナ30歳定年(限界)説」なる言葉をも生んでいる。ただ、NHKでは女性であっても入局後数年間は東京・渋谷以外の地方局に配属してアナウンサーとしての技量を磨きキャリアを積ませるという方針があり、「若さ」や「鮮度」よりもアナウンサーという「職業」として求められる技量を重視する傾向が強いので、民放とは全く事情が異なる。そのため、NHKでは逆に30歳を過ぎた中堅局員(和久田麻由子局員など)が重用される例が多い。 民放では「売れっ子」女子アナウンサーはその多くが20歳代で、30歳前後の年齢を一つの転機と見るのは一般的なOLと同じである。さらに「見られる職業」の最たるものであるため、その「鮮度」が露骨に求められ、30歳頃までに人気や実力を確立できなかった者は、容赦なく裏方に配置替えされ、次々に姿を消していく。「女子アナ30歳定年(限界)説」はこういった事象を背景にしており、女子アナウンサー本人がこれに言及している例もある。フジテレビジョンは1969年まで、女子社員にのみ25歳定年制を敷いていた。 女子アナは男性プロデューサーやバラエティ番組で共演する男性タレントからセクシャルハラスメントを受けることが多くあるほか、局の幹部から接待の相手役に繰り出されることも多いとされる。これらの行為にも女子アナは番組キャスティング権を持つ重役からの命令であるため、否定できないという。女子アナがフリー転身を決断する背景にはこの風潮も一因であるとの見方もある。 女子アナウンサーの系譜 かつて女性アナウンサーの担当する分野は、料理、育児、手芸をテーマとする番組や、インタビューの聞き手などが主だった。 今日のようにタレント並みに注目を浴びる女子アナウンサーにつながる系譜は、1975年フジテレビに入社し、同局初の女性キャスターとなった後、女子アナウンサー史上初のスキャンダルを起こした田丸美寿々や、1978年NHKに入局し「TVガイド」の表紙を飾ったり、民放への大型移籍や玉の輿婚が話題になった頼近美津子らを端緒とする見方や、1980年代前半のフジテレビアナウンサーによる当時は異例だった「コント色の強いバラエティ番組への参加」からなど、いくつかの見方がある。1977年入社の益田由美は、なるほど!ザ・ワールドで体を張ったリポートで、「ひょうきん由美」と呼ばれ親しまれた。1980年入社の山村美智子、1984年入社の寺田理恵子、1985年入社の長野智子は、オレたちひょうきん族に「ひょうきんアナウンサー」と称され司会を務めた。 女子アナウンサーは「女子アナ」と略されることが多いが、この略語を誰が最初に作ったのかは定かではない。今とほぼ同じ意味での概念が成立し、この言葉が使われ始めたのは1980年代後半からとされることが多い。「女性アナ」という言い方ではこれ以前からあった。頼近のフジテレビ移籍を報じた1981年当時の週刊誌には「女性アナ」という表記が多く使われている。1987年にフジテレビ出版から発行された同局アナウンサーを取り上げた書籍『アナ本』の中にはすでに「女子アナ」という表記が見受けられる。現在も「女性アナ」と表記することもある。「女子アナ」と「女性アナ」という表記が混在する記事もみられる。2001年には句点付きの『女子アナ。』と題するドラマまで制作された。 続編として1991年に発行された『アナ本2』では、当時「花の三人娘」と呼ばれた、有賀さつき、河野景子、八木亜希子に焦点が当てられた。1993年には、日本テレビの人気アナウンサー永井美奈子ら3人からなるユニット「DORA」が結成され、CDをリリースした。 女子アナウンサー路線はフジテレビ、次いで日本テレビが先行していたが、TBSには1993年に雨宮塔子が、1994年に進藤晶子が入社しそれぞれバラエティ番組とスポーツ番組で局の看板アナウンサーとなった。NHKには1994年に久保純子が入局し看板アナウンサーとなった。以後女子アナウンサー人気の定着とともに、各局とも女子アナウンサーと呼ばれるアナウンサーが増えていった。 1990年代後半から芸能事務所「セント・フォース」などは女性キャスター、リポーターに特化したマネージメント展開を行い、各局のニュース・ワイドショー番組に所属タレントを派遣。各局を退職したアナウンサーを所属タレントとして受け入れるほか、学生の所属タレントがその後、出演していた局のアナウンス職として採用される事例も存在し(本田朋子など)、さらには局との共同出資で芸能事務所(フォニックス)を設立するなど、局と事務所、相互の関係を深めている。 また、滝川クリステル(共同テレビ→フリー)、葉山エレーヌ→石田エレーヌ→葉山エレーヌ(日本テレビ)、加藤シルビアや小林悠(共にTBS)、ヒロド歩美(ABCテレビ)など、ハーフのアナウンサーが多く起用される傾向も見られる。外国人とのインタビューに際し通訳を介さず直接取材できる人材としての帰国子女や海外留学経験者と同等の理由で採用されているが、日本人のハーフに対するイメージから採用が多くなっているとも見られる。滝川、葉山(石田)などは当初は日本名で活動していたが、局のイメージ戦略のために意図的に外国名を名乗っており、タレント化の是非を巡る議論の一端となっている。 タレント化に関する論議 バラエティ番組やクイズ番組などで、社会的常識に欠ける発言や回答をするアナウンサーが時折見られる。これは「資質低下」だと厳しい指摘がされることが一般的だが、視聴率獲得目的の「演出」や一種のやらせも入っていることがある、と内幕が暴露されることもある。元日テレアナウンサーの石川牧子が「若者の読み書きの能力は年々低下している」「入社希望の学生の漢字テストの成績が良くない」と語っている他、日本テレビOBの福澤朗も自身のブログで、「非常に憂慮している」とした上で、「テレビはもうアナウンサーを必要としていない」と苦言を呈している。有賀さつきは、出演者の瞬間的なリアクションに、自分を含めた番組製作者らは台本にはない魅力を共有しており、自分もボケの役割をある程度進んで引き受けていたことや、社会的常識があるはずの局アナのイメージを逆手に取った、演出の一面があったことを明かしている。 兼業、副業、他職種への進出 日本の局アナウンサーは放送局の企画で歌手デビューをしたり、ドラマや映画にチョイ役の俳優として出演するという例も存在する(劇中の情報・報道番組に出演するキャスター役に起用されることもある)。 例外的ではあるが、局アナウンサーであっても、放送局同士のコラボレーション企画等により他局の番組に出演する例もある。この影響で局アナウンサーが裏番組と重複出演となる例もある(詳細は「小林麻耶」の項を参照)。その他、放送局同士の共同制作番組を放送する際、その広告に各局アナウンサーが勢揃いで出演することもある。また、東京オリンピックに向けて様々な局同士の連携がなされた。 本名で活動する者が多いが、中には芸名を用いる者も存在する(局アナ・フリーアナウンサー双方。ラジオの場合は「マイクネーム」と呼ばれることもある)。 局アナウンサーの中には会社への報告を行う事を条件として、講演会や結婚式の司会などの副業を行う者も存在する。有名になるに連れてだんだんとアルバイトでの収入も増え、所属局から貰う給料の倍以上の額を稼ぐ程になることもあるという。 テレビ局所属のアナウンサーはかつて水着着用で番組出演をする場面が見受けられたが、1990年代後半頃からは各局男女ともに水着姿での出演を規制するようになった(ただし、例外もある)。2015年現在、日本テレビの場合、アナウンサーを極めて高度な清廉性が求められる職種と位置づけている。 放送メディア以外の職業 後述のように、放送メディア以外の分野でアナウンス活動を行うものも存在する。後述以外にも「ラジオパーソナリティ」、「ディスクジョッキー」、「声優」、「ナレーター」、「朗読家」なども求められる資質が似ていることから、アナウンサー業と掛け持ちする例がある。 司会業 選挙関連 選挙立候補者の応援演説や、選挙カーから候補者名や政策を連呼する活動が知られる。女性の場合、その声を鳥に例え「ウグイス嬢」と呼び、むしろ正式な呼称がない状態が生じている。男性の場合「カラス君」や「カラスボーイ」の俗称があるが、女性が一般的なのであまり使われない。 場内アナウンス アナウンスは英 announce 、announcement であるが、場内アナウンスとは、催し物の会場の中や駅の構内の人などに放送で呼びかけること。競技場やホールなどで、選手交代や演目などの案内を観客に告げる職業。 用例でみられるのは、『風ふたたび』(1951、永井龍男)に、野分かな「ざわめき立った客席へ、場内アナウンスが道原の名を呼びかけた」、『星のない街路』(1958、北社夫) 「さまざまな人種の旅人がバッグをさげて行きかっている。合間を案内を告げる場内アナウンスが縫ってゆく」など、使用されている。 女性の場合「ウグイス嬢」の俗称が、男性の場合は「スタジアムDJ」と称される場合がある。これらと意味合いの異なる場内アナウンスとして、競馬などの公営競技における場内実況(中央競馬におけるグリーンチャンネル等の他媒体向けの実況と同じ)を担当する職業もある。 リングアナウンサー プロレス、ボクシングなどの格闘技において選手コール、進行業務などをするアナウンサー。実況アナウンサーとは異なる。 ナレーターコンパニオン 商品説明や司会進行を担当するイベントコンパニオン。 公式サイトの掲載プロフィール 顔写真・生まれた月日(テレビ朝日は掲載していない。NHKに至っては生年も非公表)・大まかな出身地・血液型は掲載されている例が多く、対して放送局に入社した時期・生まれた年・出身大学・身長などは掲載されていない例も多い。なお、公式ウェブサイトの顔写真は公式プロフィール写真として、番組や放送局関連のイベントのウェブページや案内に使われる例が多い。 脚注 注釈 出典 参考文献 NHKアナウンサー史編集委員会 『アナウンサーたちの70年』 講談社、1992年、ISBN 978-4062032322。 日本放送協会 『20世紀放送史』 日本放送協会、2001年、ISBN 978-4140071991。 小松克彦、女子アナ愛好会 『新・女子アナ時代』 双葉社、2000年、ISBN 978-4575290769。 共同通信社 『アナウンサーのすべて[女性編]』 共同通信社、1998年、ISBN 978-4764130364。 岡野敏之 『女子アナぱこぱこ大図鑑』 讀賣新聞社、1993年 関連項目 ニュースキャスター 気象キャスター。:Category:気象キャスター 地上デジタル放送推進大使 イベントコンパニオン ミスキャンパス - ミスターキャンパス 日本のアナウンサー一覧 外部リンク アナウンサーになるには? 天職攻略大図鑑 キャリアガーデン 桑子さん アナウンサーってどんな仕事ですか?NHK就活応援ニュースゼミ「教えて先輩!」 「桑子」は桑子真帆
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%BF%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%81
ピタゴラスイッチ
『ピタゴラスイッチ』は、2002年4月9日からNHK Eテレで放送されている幼児向けのテレビ番組。 国際的な放送番組のコンテストである日本賞(教育・教養番組)や、プリ・ジュネス(子供・青少年向けテレビ番組)で最優秀賞の受賞歴がある。 概要 何気ない日常に隠れている不思議な構造や面白い考え方を紹介することで、いろいろな事象や仕掛けを通して「考え方」を育成する、というテーマの番組。毎回付けられる副題は前半の人形劇のテーマで、車だん吉や井上順らが声優として出演している。内容の大部分は後半に放送するいくつかの小さなコーナーで占められる。2007年度から土曜日夕方に15分バージョンの再放送が実施される。2006年には携帯サイトが開設され、着メロなどがダウンロードできるようになった。番組タイトル名は古代ギリシアの数学者「ピタゴラス」と「スイッチ」の造語である。 通常版では基本的に、番組前半部では人形劇「きょうのトピック」または「地下ゴラスイッチ」、後半部では文房具などを使って、面白い道を作ってボールをゴールまで転がす「ピタゴラ装置」やその他のコーナーを数本放送する構成が取られている。スペシャルを冠した放送回では、人形劇のキャラクターによる進行の下、あるいは人形劇自体を休止した上でミニコーナーの総集編や従来のコーナー・歌にちなんだ特集などを放送するケースがある。 番組の監修は佐藤雅彦と内野真澄。佐藤雅彦が過去に制作した作品や、慶應義塾大学佐藤雅彦研究室(以下、佐藤研。佐藤は2005年度まで在籍)の学生がワークショップで作った作品が採用されている。こうした作品は当番組のほかに、書籍『ねっとのおやつ』(文庫版タイトル『四国はどこまで入れ替え可能か』)や『任意の点P』などでも紹介されている。また、近年は佐藤研の卒業生からなるクリエイティブ・グループ「ユーフラテス」もコーナーの企画・制作に携わっている。 各コーナーの映像には、NHKで過去に放送された番組やそれを模したもの(『NHKニュース』や『NHK高校講座』、スポーツ中継など)が多く使用されている。アテネ夏季五輪やソルトレイクシティ冬季五輪の映像といった、オリンピックの映像も使用されている。 NHKの学校放送は新作を放送した次の1年間は再放送となるが、人形劇は毎年新作を放送する。それに対して、ミニコーナーは使い回しが多い。学校の長期休暇中、教育テレビは学校教育放送番組の放送時刻を大幅に変更して編成しているが、当番組については通常通りの時間枠で再放送を実施。 通常の番組の他に、ミニコーナーや歌のコーナーを5分に再編集した「ピタゴラスイッチ・ミニ」がある(最初のタイトルロゴで、「ミニ」と書かれた四角い体の虫が横切る演出がある。)。 NHK国際放送のチャンネルであるNHKワールドプレミアム では、この番組 "PythagoraSwitch" と、ミニの "PythagoraSwitch mini" が放映されている。さらに、2015年度より、ミニの番組を再編集し英語吹き替え・英語字幕を付与した "PythagoraSwitch mini" が、ネット配信を含む NHK国際放送 NHKワールド で放送されている、なお英語吹き替え版は番組のタイトルコールが日本の物とは異なる。 番組開始時は、4:3標準画質による製作で放送されていたが、2010年度以降には、ハイビジョン化された。従来の4:3の映像を放送する場合は、画面左右の両端にサイドパネルを入れて放送する。ただしミニでは現在も4:3で放送される回があり、16:9HDの映像も4:3HDで放送される。 2015年度より、通常版、ミニ共に字幕放送に対応している。 2021年度より、ピタゴラスイッチミニと15分版がそれぞれ廃止され、10分に統一される。ちなみに、2021年度以降の大抵の番組は番組終了時に「おわり(終)」表記が廃止されているのに対し、こちらは2021年4月3日放送分のみ「おわり」表記があった(翌週の4月10日放送分からは土曜の放送も「おわり」表記が使用されなくなった)。 放送時間 (2022年4月時点、時間はいずれもJST) 本放送 水曜日~金曜日 8:35 - 8:45 月曜日~水曜日 18:40 - 18:50 土曜日 7:35 - 7:45 放送開始当初から2011年3月までは学校放送枠にて水曜日 10:30 - 10:45に放送されていたが、2011年4月より幼稚園・保育所の時間枠廃止に伴いEテレキッズに併合され、9月までは土曜日の17:35 - 17:50に放送されていた。 しかしこの年のEテレ秋改編で金曜日のミニ再放送などを廃止して金曜日 17:25 - 17:40へ移動し(土曜日の時間帯にはアニメ『バクマン。』第2シリーズを17:30から放送)、2012年4月より土曜日の午前枠に移動することになった。 2015年9月5日の放送は本放送ではなく、下記の『ピタゴラスイッチ・ミニ』を7:45 - 7:50に放送した。これは7:50 - 8:00に『Q~こどものための哲学~』を放送することに伴うものである。 2002年度の放送開始時から2020年度までは15分だったが、2021年度のEテレの番組改編に伴い、放送時間が15分から10分に短縮された。 なお、2021年7月20日以降、『デザインあ』が小山田圭吾の不祥事により長期休止となったことから、暫定的に月・火・水曜の朝の放送(放送時間は木・金曜と同じ)も追加、週6日の帯放送を実施していた。 過去 2021年度 本放送 月曜日~金曜日 8:35 - 8:45 再放送 月曜日 15:45 - 15:55、金曜日 13:50 - 14:00、23:45 - 23:55 こちらも本放送と同様に2週連続で同内容を放送している。なお、「幼稚園・保育所の時間」枠時代は他の学校放送と同様に祝日の放送は休止していたほか、再放送枠が夕方に移行した2011年度以降は高校総体などのスポーツ中継を放送する関係で休止になることがある。当該再放送はEテレキッズの編成見直しに伴い、2015~2016年度は再放送枠が一旦廃止されたが、2017年度より再放送枠での放送が復活した。 放送開始当初から(2009年度を除く)2011年3月までは火曜日 09:15 - 09:30に放送されたが「幼稚園・保育所の時間」枠解消に伴い、2011年度から2014年度(2015年3月)まで月曜日の15:45 - 16:00に変更された。 15分版時代の放送時間 2002年度-2006年度 水曜日 10:30-10:45、火曜日 9:15-9:30 (再放送) 2007年度 水曜日 10:30-10:45、火曜日 9:15-9:30 (再放送)、土曜日 17:25-17:40 (昔の再放送) 2008年度、2010年度 水曜日 10:30-10:45、火曜日 9:15-9:30 (再放送)、土曜日 7:00-7:15 (昔の再放送)、土曜日 17:35-17:50 (昔の再放送、朝と同内容) 2009年度 水曜日 10:30-10:45 (再放送なし)、土曜日 7:00-7:15 (昔の再放送)、土曜日 17:35-17:50 (昔の再放送、朝と同内容) 2011年度上半期 土曜日 17:35-17:50、月曜日 15:45-16:00 (再放送) 2011年度下半期 月曜日 15:45-16:00、金曜日 17:25-17:40 (再放送) 2012年度-2014年度、2017年度-2020年度 土曜日 7:45-8:00、月曜日 15:45-16:00 (再放送) 2015年度-2016年度 土曜日 7:45-8:00 (再放送なし) ピタゴラスイッチ・ミニ 『ピタゴラスイッチ・ミニ』は以下の時間に放送されている。放送開始から2021年3月26日まではEテレで放送されていたが、同年4月以降は放送チャンネルをNHK総合テレビジョンに切り替え、毎週日曜深夜の放送となった。 全国放送は日曜深夜だが、一部地域では平日昼前にも放送される(いわゆる裏送り番組として放送)。なお、平日については国会中継が組まれた場合は休止になる。 特記が無い場合、朝放送分は月曜~金曜の放送である。 コーナー きょうのトピック(スタジオコーナー) 百科おじさんがピタとゴラ(『大人のピタゴラスイッチ』では片桐仁)に世の中の仕組みを解説する人形劇。人形操演は木ぐつの木。人形が登場しない放送回も存在する。「ミニ」では放送されない。劇中BGMの作曲は栗原正己。2021年4月以降の10分版では、土曜日と月曜日のみ放送している(月曜は土曜放送分の再放送)。 ピタとゴラ(『大人のピタゴラスイッチ』では片桐)の疑問に百科おじさんが「詳しくはわしの○○ページに書いてあーる」と答え該当するページを参照させるが、ピタとゴラは「じーっ、子供だから、読めませーん」と返し、更なる詳細の解説のためテレビのジョンが呼ばれる、というのが定番。『大人の-』では片桐が「じーっ、大人だから、読めまーす」と言うが、読んだだけでは難しくて意味が解らなかったので、更なる詳細の解説のため同様にテレビのジョンが呼ばれる。 登場人物 ピタ、ゴラ、スーの名前や百科おじさんの昔のあだ名は番組タイトルの「ピタゴラスイッチ」に因んでいる。 ピタ 声 - 星河舞 知りたがりの灰色のペンギン。 いつもかぶっているニット帽は、昔住んでいた動物園でお世話になった飼育係のおじさんにもらった物。 ゴラ 声 - 西村朋紘 慌て者の紺色のペンギン。 ピタが言った言葉の要点を2回繰り返すことが多い。ピタの帽子の真似をしてバケツをかぶっている。 百科おじさん 声 - 名古屋章(初年度 - 2003年7月)→川久保潔(2003年8月 - 2004年度)→車だん吉(2005年度 - 現在) おじさんの顔をした百科事典。本名は、百科一之進。 ピタとゴラには世の中のことについて教えてくれるが、曲がったことは大嫌いである。趣味は読書。イギリスに弟がいる。夢は大英図書館に所蔵されること。将棋クラブや陶芸教室に通っている。 各回の百科おじさんのページ数は放送内容に関連した語呂合わせになっている(例えば、712ページで「ナイフ」、529ページで「呉服」など)。合計988ページ。 甥のディックが幼い頃には、「イチノシン」とうまく発音できない彼から「イッチ」と呼ばれていたらしい。 2021年度以降は番組全体の進行を務めている。 スー 声 - うえだゆうじ 黄色いセーターを着た、気の利くねずみ。 リヤカー付きの赤い車に乗って、色々な物を運んで来る。ポキポキアニメのファン。初期はテレビのジョンのリモコンを忘れた百科おじさんに、リモコンを届けるのが定番だった。 たまに愛車のメンテナンス(カーレースに出たりするらしい)や、編み物など、車から降りて出演することもある。ねずみだけに猫が大の苦手で、首輪を見ただけで怖がってしまう。地上と地下を行き来してモグ郎やグラオとも交流している。 テレビのジョン 声 - 井上順 ブラウン管テレビの形をした、何でも映し出すテレビ犬。 散歩は週に2回ぐらい。雨の日は外に出ない。パンよりもケーキが好物である。 映像を流しているときは、徳田章がナレーションを行っている。 ディック・ショナリー 声 - デーブ・スペクター イギリス在住の、百科おじさんの甥。 日本語の勉強をするために来日している。表紙は緑だが中身は英語で書かれているため、百科おじさんとは本の開き方が逆になっている。 彼の中身を見たピタとゴラは、「じーっ、子供だし、英語で書いてあるから、ますます読めませーん」と発言した。 片桐仁(ラーメンズ) 『大人のピタゴラスイッチ』・『大解説スペシャル』のみ登場。同シリーズで、ピタとゴラの役割を担当する。 数学が苦手である(『数ピタ』では、急用を理由に逃げ出そうとしたほど)。 地下ゴラスイッチ 2018年4月7日放送分以降、不定期に放送されているコーナー。ピタやゴラ達に代わって、モグラのキャラクターであるモグ郎やグラオ達が進行する。 地下田 モグ郎(ちかだ モグろう) 声 - 飛田展男 ピタやゴラ達が住む家の地下に暮らしている、モグラのおじさん。 妻がいる(現時点で、ストーリーには登場していない)。 グラオ 声 - 水橋かおり モグ郎の子供。 地上あちこち潜望鏡で地上の世界を観察しており、観察した物事について疑問に思った事を父のモグ郎に尋ねる。 タブレットン 声 - 飯尾和樹(ずん) タブレット端末の姿をしたブタ。常に敬語で話す。語尾に「ブ~」を付けることもある。 普段は地下のトンネルで寝ており(本人は毎回『トンネル』と『豚(とん)寝る』をかけたギャグを飛ばすが、モグ郎達にスルーされている)、グラオが知りたがっている事柄についてさらなる解説を行う際に呼び出される。画面をスワイプする事で、画像や映像を映し出すことができる。テレビのジョンと同様、映像を映している間は徳田がナレーションを行う。また、テレビのジョンと異なりVTRの途中に登場人物らの相槌やコメントが挿入される。 ピタゴラ装置 番組のオープニング・エンディング・番組途中に放送される、番組を象徴するコーナーの一つ。 「ピタゴラ装置」と呼ばれるからくり装置(いわゆるルーブ・ゴールドバーグ・マシンだが、佐藤雅彦は「ピタゴラ装置=ゴールドバーグ・マシン」という表現を嫌っており、かつ、両者は全く違うものだと主張している)を利用して番組タイトルを完成させる。この装置は、紙コップや定規やクリップなど身の回りのもので組み立てられているが、非常に複雑な仕掛けがなされており、最初のきっかけを人力で与えたあとはすべての動きが連鎖的に引き起こされる(ドミノ倒しに似ており、その発展といえる)。 15分版のオープニング・エンディングでは放送される装置が固定されており、オープニングは装置No.10「フライパン」、エンディングは装置No.9「レコードプレーヤー」だった。対照的に「ミニ」ではオープニング・エンディング共に毎回異なっており、放送回によっては「アルゴリズムたいそう・こうしん」や歌が最後のコーナーになった場合、エンディングが省略されてそのまま番組が終了するケースもある。2021年度以降放送時間が10分に短縮されてからは毎回異なる装置が放送されるようになった。 ハイビジョン化以降、4:3放送時代の装置が流れる機会は年々減少したが、2021年度からは「名作選」と題し4:3の映像を含めた過去の装置も再び放送されるようになる。 ピタゴラ装置の部分のみをまとめたDVD付き書籍が発売された。詳細は関連映像作品・書籍を参照。 プロスポーツ選手とのコラボレーション 著名なプロのスポーツ選手が始動や中継・フィニッシュを行う、史上初の人力が絡んだピタゴラ装置。 香川しんじ装置 プロサッカー選手・香川真司が、装置の始動役(ビー玉の設置)及び、装置のギミックのひとつとしてボールをリフティングしてゴールまで運ぶ役を務めた屋外型の装置。この回では最後に香川直筆または口頭によるメッセージが放送される。 桃田けんと装置 プロバドミントン選手・桃田賢斗が装置の始動役(シャトルコックの設置)及び、発射されたシャトルをターゲットやゴールへスマッシュで打ち返す役を務めた。最後に桃田によるメッセージが流れる。 ピタゴラじゃんけん装置 2021年4月1日放送分で初登場のコーナー。ピタゴラ装置の手前にそれぞれグー・チョキ・パーのサインが付いたゴールが並べられており、装置ギミックとなるボールの軌道から視聴者がじゃんけんで出すべき手を予想する。1回目はナレーションがゴールまでの軌道を予想するが、より複雑さを増した2回目は「よそうタイム」が途中で時間切れとなるため視聴者自身で軌道を考える必要がある。時々「ちょいむず」「かなりむず」と称し、装置の複雑化に加えてダミーのギミックも盛り込み予想をより困難にした難易度強化版が披露されることもある。 アルゴリズムたいそう・こうしん いずれも出演はいつもここから(山田一成・菊地秀規)で、歌唱も2人が担当。通常版の場合、たいそうとこうしんが続けて行われるケースもある。いつもここからの2人が、様々な人たちと体操するのが恒例となっている。また共通して複数でやる時は、他の参加者が2人目(菊池)の掛け声、「アルゴリズムたいそうー(こうしーん)」を斉唱し、同じく2人目(菊池)が「〇〇のみなさんといっしょ」と言って、たいそう・こうしんが始まる。さらに「たいそう」は本番後に、「こうしん」は練習後にサウンドロゴが表示され、このコーナーのみ彼らが歌う。「たいそう」では体操終了後に山田・菊池・他の参加者の順に「アルゴリズムたいそう、おわり」(練習版は山田・菊池のみ「アルゴリズムたいそう、練習おわり」)と言って締める。 アルゴリズムたいそう 2人1組で行う体操。アルゴリズムがテーマとなっており、1人では意味の無い動きが、2人並ぶと関連性のあるものとなる(『しゃがむ動作』が『腕を横に振る』動作と組み合わさることで『腕を避ける動作』になる、等)。体操が終わった後に、「1人で練習」をする場合があり、練習の形態は「やまだバージョン」と「きくちバージョン」がある。「○○のみなさんといっしょ」の後は、体操をした人数の半分の人数で練習する(半分以下の場合もある)。 過去に行われた体操の映像を繋ぎ合わせた「とくべつへん」も存在する。2016年3月5日に「ワシのみたい名作コーナー 第2弾〜アルゴリズムたいそう〜」として過去の放送の中から人気の回が一挙放送された。 2人で体操を行う場合は、白背景と住宅室内ロケの2種類がある。 これまでの参加者(人名の所属団体は撮影当時のもの)。 NHKのアナウンサーのみなさんといっしょ(徳田章・松本和也・中川緑・小野文惠) 田柄幼稚園のみんなといっしょ 日本体育大学柔道部のみなさんといっしょ 千葉県こども病院のみなさんといっしょ 陸奥部屋の力士のみなさんといっしょ 帆船日本丸の乗組員のみなさんといっしょ 『おかあさんといっしょ』のお兄さん・お姉さんのみなさんといっしょ 2002年版(杉田あきひろ・つのだりょうこ・佐藤弘道・タリキヨコ〈2002年当時の出演者〉) 2009年版(坂田おさむ・神崎ゆう子・茂森あゆみ・速水けんたろう・杉田あきひろ・つのだりょうこ・三谷たくみ・横山だいすけ・小林よしひさ・いとうまゆ) 「おかあさんといっしょ」の番組50周年を記念して実施され、2009年当時のレギュラー4人と一部の歴代のうたのお兄さん・お姉さんが出演した(杉田・つのだは2002年版に続いて、2度目の出演)。2009年12月18日に「おかあさんといっしょ」内で先行放送され(番組宣伝は、山田による「『ピタゴラスイッチ』も見てね!」)、2010年1月20日にピタゴラスイッチで初放送された(こちらの番組宣伝は、おかあさんといっしょの歴代お兄さんお姉さんによる「『おかあさんといっしょ』も見てね!」)。 2018年版(小林よしひさ・花田ゆういちろう・小野あつこ・上原りさ)(2018年1月当時の出演者) 山田と菊地の代わりに、小野と花田が歌唱しながら体操を行った。小林は2009年版に続いて2度目の出演。2018年3月26日に「おかあさんといっしょ」内でも放送された。 2019年版(花田ゆういちろう・小野あつこ・福尾誠・秋元杏月)(2019年12月当時の出演者) 2018年版と同じく、小野と花田が歌唱を担当。小野・花田は2度目の出演。 ジャイアンツのピッチャーのみなさんといっしょ(内海哲也・木佐貫洋・久保裕也・林昌範) QRIOのみなさんといっしょ QRIOにアルゴリズムたいそうの動きをプログラムさせて体操させている。 埼玉県立浦和北高校のみなさんといっしょ 収録当時の在校生の生徒を中心に、最大規模となる922人(練習版は461人)で体操。 南極地域観測隊のみなさんといっしょ 南極で収録された映像と、いつもここからの2名による、衛星中継風の演出で行われた。 バスガイドのみなさんといっしょ(はとバスのバスガイド) 雷門・東京タワー・東京都庁舎・レインボーブリッジの名所4ヵ所の前で体操を行った。練習の際には山田バージョンはレインボーブリッジで、菊地バージョンは雷門で行われた。 地下トンネル日比谷共同溝の工事現場のみなさんといっしょ 「共同溝」というものが一般にわかりにくかったこともあり、後日徳田のナレーションによる「共同溝」の解説を追加して再度放送された。 テレビ体操のみなさんといっしょ ピアノ伴奏により行われた。 京都の舞妓さんといっしょ 最後に舞妓さん達が語尾に「どす」を付けている。 サーカス団のみなさんといっしょ(木下大サーカスの団員) なでしこジャパンのみなさんといっしょ(宮間あや・阪口夢穂・大野忍・澤穂希・安藤梢・近賀ゆかり・鮫島彩・岩清水梓) 「子どもたちにも、ぜひ『なでしこジャパン』を知ってもらって応援してほしい」というチームからのオファーにより実現したもので、2011 FIFA女子ワールドカップに向けた合宿中の愛媛県松山市で撮影された。なでしこジャパンが同大会で初優勝すると一躍注目を集め、開催国のドイツで「世界チャンピオンのかわいい秘密」として取り上げられるほどになり、NHKでは選手名のテロップなどを追加したものをYouTubeの公式チャンネルで公開するに至った(既に公開終了)。 新幹線にかかわるみなさんといっしょ JR西日本博多総合車両所及び博多駅新幹線ホームで収録。冒頭に「特別に許可を得て撮影しています」のテロップが表示された。 NHK交響楽団のメンバーのみなさんといっしょ 2013年1月に放送された『大人のピタゴラスイッチちょいむず』で先行放送。団員が交代で体操をした他、伴奏演奏もNHK交響楽団が担当した。腕を横に振る運動のところで、打楽器奏者が大太鼓とタムタムをそれぞれ叩く。いつもここからは普段のスーツではなく、燕尾服を着用。 東北楽天ゴールデンイーグルスのみなさんといっしょ(松井稼頭央・嶋基宏・聖澤諒・枡田慎太郎・小山伸一郎・青山浩二・田中将大・草野大輔アンバサダー・マスコットキャラクター「クラッチ」「クラッチーナ」) 東日本大震災が発生した後であり、終了後に選手全員が“がんばろう 東北!”と掛け声を入れた。 オーストラリアの小学生のみなさんといっしょ オーストラリアの小学校で撮影されたバージョンとオーストラリアの観光スポットで撮影されたバージョン(いつもここからの2人のみで小学生は登場しない)がある。 浦和レッズのみなさんといっしょ(平川忠亮、鈴木啓太、阿部勇樹、那須大亮、西川周作、梅崎司、槙野智章、柏木陽介) 文楽の人形遣いのみなさんといっしょ(人形浄瑠璃文楽座の座員) 人形使いの6人と合わせて8人で行われた。このバージョンのみ途中で文楽についての解説VTRが挿入された後、文楽の人形が踊る「文楽の人形のみなさんといっしょ」バージョンが改めて行われる場合があり、いつもここからは中央ではなく両サイドで体操を行う。人形遣い達による体操と解説VTRが省略され初めから人形が体操を行う場合は、冒頭で山田が文楽について簡潔に説明する。 King & Princeとハメハメハ大王(佐藤二朗)といっしょ 2019年1月1日放送の特別番組「Eうた♪ココロの大冒険」のドラマパートで放送。 警察官のみなさんといっしょ(富山西警察署の署員) 飛行機にかかわるみなさんといっしょ 貨物船ではたらくみなさんといっしょ 本編後に貨物船に関する解説が放送される(いつもここからもVTR内に出演)。 アルゴリズムこうしん アルゴリズムたいそうを発展させた行進。2003年度から放送。出演と歌唱は同じく、いつもここからの2人。2人以上で縦一列になって輪唱のように1人ずつ動きをずらして行う。前の人の動きと後ろ人の動きが関連性を持ったものになっており、動きがかみ合うとぶつかりそうでぶつからない。外部の人達とコラボレーションをして行進するときは前から2番目の人が「〜といっしょ」、そうでないときは先頭の人が「歩幅は小さく」と号令を言うのがきまり。2010年以降の新作では、通常の1.5倍-2倍速のテンポで行進する「アルゴリズムこうしんMAX」のパターンが追加されている。 先頭から順に以下のような動きと一歩前進を繰り返す(最初のステップで先頭が1.を、次のステップで先頭が2.、次の人が1.を、その次のステップで先頭が3.、次の人が2.、その次の人が1.を、…の順)。これにより、同じ場所に誰がやってきても、その場所では全員が必ず同じ動きをすることになる。 膝を曲げながら、前方に腕を伸ばす(いわゆる「前ならえ」) 腕を胴に当てて上体を後ろに反る(偉ぶって反り返る様子) 後方に向いて上体を前にかがめる(いわゆる「お辞儀」) 進行方向右を向いて手を額にかざし、右と前(進行方向に対して後と右)を見回す 膝を曲げながら大きく腕をかく(いわゆる「平泳ぎ」のポーズ) 大きくしゃがんで、地面に落ちているものを拾う所作をする(いわゆる「栗拾い」のポーズ) 空気入れ(フロアポンプ)を2回動作させるまねをする 腕を2回横に開く(これにより「体内に空気が入った」所作になる) 2巡したら、「そろそろ終わりかな」と、手をぐるぐる回す。 先頭が「そろそろ終わりかな」を3回繰り返したら、全員が(直前にどの動作をしていても)片足を上げて終了。 行進の前に、山田・菊地のどちらかが「ひとりで行進」をする事もある。「ひとりで行進」は曲が1巡した所で、曲がフェードアウトして終了する。「○○のみなさんといっしょ」の前には、その場所で撮影した物が放送される。 フィリピンのとある刑務所では、囚人達の教育の一環で導入されている。 これまでの参加者(人名の所属団体は撮影当時のもの)。 レーシングチームのみなさんといっしょ(DyDomiuレーシングチームの選手と整備士 = 高橋裕紀、櫻井大幸ほか) 横浜中華街のコックさんといっしょ 忍者のみなさんといっしょ 千葉市緑消防署のみなさんといっしょ 終了後、「火事と救急は119番!」と2人目、隊員達がいった後、全員で敬礼する。 川崎フロンターレのみなさんといっしょ(我那覇和樹・鬼木達・寺田周平・今野章・アウグスト・マスコットキャラクター「ふろん太」) プロレスラーのみなさんといっしょ(KAIENTAI-DOJOの選手達 = 大石真翔・旭志織・PSYCHO・房総ボーイ雷斗・小幡優作・YOSHIYA) 海上保安庁 巡視艇まつなみのみなさんといっしょ 航空会社のみなさんといっしょ(全日空の操縦者・キャビンアテンダント・整備士) NHKでは公共放送という立場上、企業名・商品名の露出が禁じられているため、前述の「アルゴリズムたいそう 飛行機にかかわるみなさんといっしょ」と異なり尾翼の「ANA」ロゴが伏せられていた。 鉄道会社のみなさんといっしょ(京王電鉄の乗務員と整備士) 水族館のみなさんといっしょ(伊豆・三津シーパラダイスのスタッフ) 安来節保存会のみなさんといっしょ 田んぼ横のあぜ道を歩くバージョン(山田先頭)と、ステージ上の舞台を歩くバージョン(菊地先頭)がある。 ウィーン少年合唱団のみなさんといっしょ 8人が代表で行進して残りの団員がコーラスを担当、伴奏はピアノで行われた。練習はいつもここからのバージョンが用いられた。 ブルーマンのみなさんといっしょ バレエ団のみなさんといっしょ(東京シティ・バレエ団のバレエダンサー) 途中で行進が2組加わる。最後にいつもここからの2人がダンサーらに取り囲まれるフィナーレがある。 東京消防庁ハイパーレスキューのみなさんといっしょ JAXA宇宙科学研究所のみなさんといっしょ 2010年12月28日に、ISAS相模原キャンパス内のM-Vロケット実物大模型の前で撮影された。放映時には、本編の前にJAXA・ISASや小惑星探査機「はやぶさ」の解説が挿入された。 ラグビー選手のみなさんといっしょ(パナソニック ワイルドナイツの選手達 = 霜村誠一、相馬朋和、三宅敬、北川智規、木川隼吾、若松大志、ダニエル・ヒーナン) 終了後、霜村が飛んできたラグビーボールをキャッチし、パントキックした後、ラガーマン達は走りさっていく。MAX1.5倍バージョンは1人目が「夢に向かって…」といって全員が左腕を上げて「トライ!!」と叫ぶ。 アイスホッケー選手のみなさんといっしょ(東北フリーブレイズの選手達 = 田中豪、菊池恭平、橋本三千雄、大久保智仁、篠原亨太、若林クリスヘッドコーチ) テクノルアイスパーク新井田のリンク内(氷の上)で行進を行った。いつもここからは長靴を、選手は全員スケートシューズを履いて行った。 ASIMOのみなさんといっしょ ASIMO3体と行進した。通常より若干テンポを落として行われた。ASIMOはいつもここからの2人に続けて歌って行進した。 バレーボール選手のみなさんといっしょ(サントリーサンバーズの選手達 = 山本湧、栗山雅史、塩田達也、星谷健太朗、椿山竜介、山村宏太) 日本舞踊のみなさんといっしょ(花柳寿太一郎、尾上紫、若柳吉優、若柳美香康) 国立劇場で、和楽器による演奏(囃子)と長唄による歌唱で行われた。最後にいつもここから以外の4人が舞踊を踊る。 おかあさんといっしょのお兄さん・お姉さんといっしょ 先述のアルゴリズムたいそう(2018年版)に続いて実施。 2018年版(小林よしひさ・花田ゆういちろう・小野あつこ・上原りさ)(2018年1月当時の出演者) 先述のアルゴリズムたいそう(2018年版)に続いて実施。山田と菊地の代わりに、小野と花田が歌唱しながら行進を行った。 2019年版(花田ゆういちろう・小野あつこ・福尾誠・秋元杏月)(2019年12月当時の出演者) 先述のアルゴリズムたいそう(2019年版)に続いて実施。山田、菊地、小野、花田の史上初となる4人歌唱バージョンで行われた。 ゴールボール選手のみなさんといっしょ 選手は全員アイシェード(目隠し)をした状態で行う。冒頭でゴールボールについての解説が流される。 おとうさんスイッチ 2002年度 = 「おとうさんスイッチ 1」(スイッチのピッという音がする) 2003年度 = 「おとうさんスイッチ 2」 2004年度〜 = 「おとうさんスイッチ おじいちゃんも(可)」 2007年度〜(突発的に) = 「おとうさんスイッチ おじいちゃんも(可) 方言も(可)」 2008年度〜(突発的に) = 「おとうさんスイッチ おじいちゃんも(可) ひいおじいちゃんも(可)」 ナレーター - 徳田章アナ 空き箱に50音のいずれかの行の文字5つが書かれた手作りの「おとうさんスイッチ」を子供が押し、そのおとうさん(2004年以降は祖父・ひいおじいちゃんのケースもある)がその文字から始まる動きをするという視聴者参加型コーナー。冒頭に出演者の自己紹介をした後、オープニングは、知久が「おとうさんスイッチ(2・おじいちゃんも可)いきますよ〜」と歌ってスタートする。香川真司が出演した「かがわスイッチ」放送時のみ、知久が「かがわスイッチ いきますよ〜」と本気モードで歌ってスタートした。 年度最初の放送はあ行、2回目の放送はか行、という放送順となっている。わ行まで行くと次回からは濁音となり(わ行は放送されない)、濁音が終わるとその後は拗音となる(濁音のた行(だぢづでど)は放送されない)。拗音が終わるとまたあ行に戻ってくる。スイッチを押す回数は最低で一周の5回だが、6回以上押されることがあり、6回目以降は子供が任意に選んだスイッチを押し、そのスイッチで指定された同じ動作を繰り返す。 出演する親子は基本的に一般人・視聴者だが、以下の著名人が本名を名乗り親子で出演したことがある。 横山剣(クレイジーケンバンド ヴォーカル) - 「おとうさんスイッチ 2」ら行 敷島勝盛(大相撲浦風親方・当時は錦島親方) - 「おとうさんスイッチ おじいちゃんも(可)」が行 浦野正樹(勝手にしやがれ ダブルベース) - 「おとうさんスイッチ おじいちゃんも(可)」ぎゃ行、バンドメンバーの福島忍と斉藤淳一郎もゲスト出演 片桐仁(ラーメンズ)-「おとうさんスイッチ おじいちゃんも(可)」さ行 徳田章 - 「おとうさんスイッチ おじいちゃんも(可)ひいおじいちゃんも(可)」は行、ひいおじいちゃんスイッチ・おじいちゃんスイッチとして、自身の父親と一緒に動作をこなした。 香川真司 - この回のみ「おとうさんスイッチ」ではなく、「かがわスイッチ」として放送され、番組のロゴが描かれたユニフォームを着て、が行を担当した。 おとうさんスイッチの作り方 作詞 - 佐藤雅彦、内野真澄 作曲 - 栗原正己 歌 - 知久寿焼(元たま) 加藤千晶 前述の「おとうさんスイッチ」の作り方を歌で紹介する。映像はスイッチのみが登場し、スイッチの作り方とはボタンの向きが逆になっている。また、知久と加藤は、2014年12月~2015年1月に、みんなのうたで、知久はゆきだるまかぞく、加藤は四つ角のメロディーを歌っていたことでも知られる。 おてつだいロボ 前述の「おとうさんスイッチ」の派生コーナー。2010年度から放送。おかあさん(場合によってはおとうさん。この場合は完全なる「おとうさんスイッチ」の逆バージョン)がスイッチを押し、子供が扮する「おてつだいロボ」がその文字からはじまる動き(お手伝い)をするというコーナー。スイッチの構造や作り方はおとうさんスイッチと同じ。コーナーの最後に、おてつだいロボのアニメーション(曲はフルサイズまたは1番のみ)が流れる事がある。歌は栗原が担当。 おてつだいロボのテーマ 作詞 - 佐藤雅彦、内野真澄 作曲 - 栗原正己 歌 - 栗原正己 アニメーション フレーミー 声 - 井上順 13個の四角いフレームで構成された白い犬「フレーミー」のアニメ。モチーフはテリア。他のキャラクターも単純図形で構成されているが、透明ではない。So-net「ねっとのおやつ」作品から。 フレーミーには水玉模様のスポッティーと、真っ黒のペインティーという2匹の兄弟が居る。フレーミーは骨が好物で掃除機が苦手。スポッティーは赤ちゃんの世話を任されており、チーズが好物でネコが苦手。ペインティーはドーナツが好物でネズミが苦手、昔は隣の家に祖父がいた(現在は犬小屋の前に花が挿されていることから、亡くなっている)。 フレーミーは、驚いて飛び上がった後落ちたり、何かにぶつかったり、工事現場に入った時にブルドーザーで外に押し出された時などに胴体や足、頭、耳、尻尾がバラバラに分かれてしまう。しかし、簡単に元に戻せる。バラバラになった時に鳥などに鼻や目、尻尾をどこかへ持って行かれる事もある。スポッティーとペインティーとの喧嘩などで全身のパーツがバラバラになり、でたらめに合体したことで誰が誰だか分からなくなることがあるが、それぞれの好物或いは苦手な物が出現することで元に戻れる。 一度、ストーリーが算数の問題出題になって終わった回があり、この時のみ番組エンディングがピタゴラ装置ではなく解答・解説のアニメーションになる。この話を放送した「ミニ」のエンディングでは解答・解説アニメーションは放映せず通常通りピタゴラ装置を放送、そこにテロップで解答を載せたのみであった。 オンエアでは「ミニ」を中心に、「フレーミーのうた」といういわばテーマソングの歌唱とその歌詞に合わせた映像で終わることもあった。 10本アニメ 声 - 片桐仁(ラーメンズ)、荒川良々、近藤公園、平野貴大、田中要次ほか 2005年度から放送。10本の棒が合体していろいろなものに変身するストーリー。佐藤研ワークショップからの派生。 ぼてじん 作 - 貝塚智子、うえ田みお 声 - フットボールアワー 2006年度から放送。 黄色いサイコロのキャラクター・ぼてじん(声 - 岩尾望)が、地面に描かれたマス目の中を前後左右に動いて、カメラに向かってぼてじんのサイコロの面に書かれたメッセージを披露するが、実はマス目から外れても移動可能である。マス目上で回転することもできる。毛虫が苦手。 同年10月に初登場した、オレンジ色の小さいサイズのいぬてん(声 - 後藤輝基)がたまに登場する。こちらには顔と「ワン」しか書いていない。いぬてんもマス目上で回転することができる。いぬてんの家としていえてん(声 - 後藤輝基)も存在する(犬小屋の形をしている関係上、歪な七面体の形である)。 PlayStationのゲーム、『XI[sai]』が元ネタとなっている。 だれじん 作曲 - 栗原正己 ナレーション - 徳田章 2019年1月5日の放送で初登場の『ぼてじん』からの派生コーナー。ぼてじんの前に現れる身近なモノをモチーフにしたキャラクター(声 - 後藤輝基)を軌道となるマス目の形から考える。 いぬてんプログラム 2020年7月25日の放送で初登場の『ぼてじん』からの派生コーナー。いぬてんが目的地に正しく到着するための道順(プログラム)を考察する。 まきじゃくのジャック 作詞・作曲 - 佐藤雅彦、内野真澄、堀江由朗 声・歌 - 堀江由朗 アニメーション - 永迫志乃 2016年1月23日放送で初登場のアニメーションのコーナー。擬人化された巻き尺のジャックが、さまざまな日用品のキャラクター達とからむ。コーナーの最初の部分と最後の部分に歌が入る。 その他のコーナー  角砂糖アニメ 角砂糖12個が並べ方を変えるだけで様々な形に変身する。佐藤研のワークショップ作品。 今日のスイッチ ナレーション - 徳田章 とある場所・施設にある機械の起動スイッチを押し、何かが起こる様子を紹介(例:噴水、観覧車)。メインコーナーや歌以外では珍しくピタ、ゴラ、百科おじさんが出演する。 今日のロボット ナレーション - 徳田章 いろいろなロボット(主に作業用ロボット)を紹介する。 今日の手順 ナレーション - 徳田章 とある事柄の一連の動作及び手順をまず文字のみで提示し、そのあとその一連の動作を行っている映像を流す。 ○と△のしゅうだん ナレーション - 徳田章 ある映像で、一定の動きをする集団とそうでない集団とに分け、その動きを説明する(駅 (JR戸塚駅) のホームで電車を待っている人の頭上に○と△の記号テロップが挿入されている。△は電車がホームを通ってもカメラに収まり【電車の手前側のホームにいる】、○は電車に隠れて映らない【電車の奥側のホームにいる】、など)。主に今日の△が紹介される。 何してるの?おじさん 出演 - 小林賢太郎(当時ラーメンズ) 撮影 - ホンマタカシ ドラマ風のコーナー。公園で小林扮するおじさんが奇妙な動きをしている。それを見た少年達の内の一人が、「おじさん何してるの?」と尋ねると、実はあるものの形態模写だったことがわかる。2020年11月をもって小林は芸能界を引退し裏方へと転じたが、今後放送がどうなるかは現時点で不明。 なんのあと? 撮影 - ホンマタカシ 何らかの動きが終わった「跡」の様子を最初に見てから、物体の動きが逆戻りして始めに戻り、「何の跡」だったのかが分かる。ラーメンズ小林扮する「おじさん」がゲスト出演した時もあった(水風船の回)(例・火のついたろうそく、水に入った角砂糖など)。最後はそれをみた子供が驚愕するのが定番。 なにしてる点? / なにしてるひと? 歌 - 知久寿焼 モーションキャプチャのマーカーの部分の動きだけが表示され、何をしている所かを考える。 ポキポキアニメ 声 - 草彅剛 1本の長い線をポキポキ折り曲げていろいろなものを作っていく。なお、どんな形になっても必ず最後は元の直線に戻り、「失礼しまーす」と言って退場する。稀に短い線とセットで出てくることもあり、このときは短い線も退場時に同じく高い声で挨拶する。2009年の草彅の不祥事による活動休止期間中は放送されなかった。 勝手なルール ナレーション - 岸部一徳 撮影 - ホンマタカシ 子供たちが一風変わった行動をとるが、実は勝手に決めたあるルールにのっとって行動をしているというもの。 走って文字 ナレーション - 山本晃士ロバート 撮影 - ホンマタカシ グラウンドを複数人が走る様子を上空から見る。すべての動きが終わったあともう一度同じ映像が流れるのだが、今度は走った姿がそのまま残像となり、軌跡を繋ぎ合わせると文字になっている。 数えてみよう 作詞 - 佐藤雅彦、内野真澄 作曲・歌 - 桜井秀俊 不確定な動きをする群集を対象にして数える(例・バレーボールの弾む回数を数えるなど)。他の学校放送で放送されたものやオリンピックの映像をそのまま切り取ってきたような映像が特徴。 2021年4月10日放送分で十数年ぶりに新作を放送し、製麺工程を例に2の冪を扱った。また、この回から歌詞テロップが表示されるようになる。 なんだこれ? 作詞 - 佐藤雅彦、内野真澄 作曲 - 桜井秀俊 歌 - 知久寿焼 割り箸で構成された、ぱっと見ただけではよく分からない立体が、回転して違う方向から見てみると、平面的につじつまが合う物体として認識できる。 5秒でわかる ナレーション - 内藤勝人 鉛筆はなぜ6角形か、醤油差しの空気穴の役目など、身近な豆知識を短い映像で解き明かす。 がんばれ!製品テスト ナレーション - 徳田章 工業製品の出荷前の製品テストの様子を紹介する。 きょうのスレスレ 作詞 - 佐藤雅彦 作曲 - 栗原正己 歌 - スレスレ合唱団 ナレーション - 内藤勝人 ベルトコンベア上に、物の移動をさえぎるように立てた厚紙の型を抜いたようなものが置いてあり、そこをスレスレで物が通り過ぎる。型を見て何が通り過ぎるのか、その物の形を連想する(例:コーヒーカップ、本)。 めかぬか、るかろか、ねかわか、はかけか 作詞 - 内野真澄、佐藤雅彦 作曲 - 栗原正己 歌 - めかぬか合唱団 ゆっくりと描き出される、ある一文字の平仮名が、最終的にどちらの平仮名になるかという歌。対照される二文字は、途中の筆跡まで形が似ているものが選ばれているため、答えはギリギリ最後まで分からない(「は」と「け」、「る」と「ろ」など)。 何の数字? ナレーション - 和田源二 まず数字だけが表示される。一見、ランダムな配置のように見えるが、その後、その数字と位置が何を意味する説明がある。 ピタゴラ拳法だんだんだん! 作詞 - 佐藤雅彦、内野真澄 作曲 - 佐藤雅彦、菅俊一 出演 - 河相我聞 2009年度の放送より実施。粘土で出来た緑もしくは赤のキューブが登場。かけ声と同時にキューブが凹んだり分割したり、固まったりと変形する。河相の示す手本を真似て視聴者がかけ声に合わせて身振りをすると、まるで視聴者がキューブを変形させているように見える仕組みになっている。 とうめい人間X(エックス) 作曲 - 栗原正己 声 - ほんこん 透明人間Xが登場、その後透明になって移動する。説明と効果音のみをヒントに移動先を想像する。 新しい生物 声 - 小野卓司 ボルトとナットなど、家にある何の変哲もないモノが動きを持つ生物のようにふるまう様子を描いた実写アニメ。 No.1 ケシゴムザウルス(消しゴム) No.2 ストロケラプス(ストロー) No.3 ワゴムヌス(輪ゴム) No.4 ボルトノドン(ボルト、ナット) No.5 カクザザトン(角砂糖) No.6 フセンヌス(付箋) No.7 ハシノドン(箸) No.8 ブラシノドン(ブラシ) No.9 マッチバコヌス(マッチ箱) ゲストとしてクリップムシ(クリップ)が登場する。 No.10 アルミホイルプス(アルミホイル) また、No.1 - No.6の生物をテーマにした歌、「新しい生物の歌」(歌:角田信朗)がある。 プチリョンコってなんだ 音楽・歌 - 栗原正己 「プリン」と「チョコ」(プチリョンコ)、「歯磨き」と「虫歯」(はむみしがばき)、「キリン」と「ラクダ」(キラリクンダ)など、2つの単語を1字ずつ互い違いに組み合わせた、文字ブロックに書かれた単語が歌に合わせてベルトコンベアを流れていく。ベルトコンベアには1字ずつに分ける分岐器があり、音楽の間にもとの単語を考える。最初に必ず「プチリョンコ」が流れ、その後に他の単語が流れるようになっている。 ひとつとびぶったい パタトクカシー ナレーション - 徳田章 協力 日本切断研究所 音楽・歌 - 栗原正己 「プチリョンコってなんだ」の発展版。登場するのは「パタトクカシーー」だが、タイトルは「パタトクカシー」。内容はプチリョンコと同じだが、ムービーが文字ブロックではなく、実物を使ったものになっている。例:パタトクカシーー→パトカー+タクシー→パトカーの模型とタクシーの模型を数個に切断したものを交互に並べ、合体させた状態で画面に登場→最後はそれぞれに分離し2つの言葉通りに合体しなおす。「サスンリダッルパ」(サンダル+スリッパ)、「ハペサンミチ」(ハサミ+ペンチ)、「ブシャラモシジ」(ブラシ+シャモジ)などのバリエーションがある。 こんなことできません 出演 - 関根勤、岩井ジョニ男(イワイガワ) 2012年に初登場。人間にはできないとんでもない動きでも、写真をつないでみることで、できるように見えてしまうコーナー。「こんなことできません」という台詞の後に作品が流され、種明かしの模様(最初の映像とは異なる)を経て「こんなことできました」で終わる(タイトルも「こんなこと できませんした」に変わる。この時、岩井は何故かカメラの方を向いていることが多い)。最初に関根が実際に動作を行い、その後種明かしを兼ねて1コマずつ撮影する様子を早回しで見せる。岩井は基本的に傍観者だが、種明かしのシーンで関根の動作を模倣するか、(関根が単独で自身や道具の位置をずらす事が困難な場合)補助に当たる事がある。 「みなさんのこんなことできません」と題し、視聴者から投稿された作品を放映することもある。 ブラックボックス人問題 作 - うえ田みお 作曲 - 栗原 正己 2013年1月3日放送の「大人のピタゴラスイッチ・かなりむず」で先行放送。顔の描かれた黒い箱とその左右にベルトコンベア風の板のついた「装置」に向かって、いろいろな形のものが右から左に動いて箱の右側から入る。すると、そのものの向きが変わったり整ったりして箱の左側から出てくるのをみて、箱の中のしくみがどうなっているかを想像することができる実写アニメで、最後に箱の中身を見せる(見せている時は何故かブラックボックス人の表情が変わらない)。「Eのかたち のまき」「◎のかたち のまき」「頭でっかちのかたち のまき」など。コーナー内で流れるBGMは、「とうめいにんげんX」のものと同一。 どっちが本物? 2013年1月3日放送の「大人のピタゴラスイッチ・かなりむず」で先行放送。紙に描かれた偽物(いわゆる3Dトリックアート)と紙に乗った本物を見分けるクイズ。 ○○ソート 作 - 山本晃士ロバート 2013年1月2日放送の「大人のピタゴラスイッチ・ちょいむず」で先行放送。ソート(きれいにならべかえること)のアルゴリズムを、長さ・重さの異なる10個程度のものをソートしながら説明する実写アニメ。「背のじゅんに ならべよう!の巻 しめじソート(マージソート)」「重いじゅんにならべ! じゃがいもソート(クイックソート)」など。 どうぶつのアルゴリズム 2013年1月2日放送の「大人のピタゴラスイッチ・ちょいむず」で先行放送。あらゆる動物の習性をアルゴリズムの観点から取り上げる。 ピタゴラ暗号棒 作詞 - 佐藤雅彦、貝塚智子 作曲・歌 - 栗原正己 親子2人(父と子供)(時には祖父と孫)の出演者が、子供がラップフィルムの芯棒や卒業証書用の丸筒(暗号棒)などに巻き付けた細長い紙に縦書きの文を書いて“暗号”メッセージを伝える。古代ギリシャ・スパルタで使われた「スキュタレー」という暗号方式で、巻き付けた紙をほどくと、文字が飛び飛びになる。たとえば「にちようび_さっかー_やりたい」が「に__さちやっよりかうたーびい」となる。子供はその紙を家のどこかに置くが父以外(母である事が多い。祖父の場合は父や兄弟姉妹)は分からない。父が仕事から帰ってきて、紙を見つけるとそれが暗号文だと分かり、暗号棒に巻き付けて読む。そして最後には休みの日に暗号文の事を実行する映像が流れる。なお、子供が男の子か女の子かで歌詞の一部が異なる。 「ピタゴラ暗号棒」の歌に合わせてコーナーが進む。 なんのどうぶつ? ナレーション - 和田源二 モーションキャプチャのマーカー部分の動きだけで示された動物が何かを考える。 ピタゴラスイッチおりたたみハンカチ劇場 作詞 - 貝塚智子、内野真澄 作曲 - 貝塚智子、栗原正己 歌 - 栗原正己 作 - ユーフラテス ハンカチの表裏に折りたたむと向きが正しくなるイラストを描いておき、2つ折り→4→8→16と進めながらイラストを見るという漫画のコーナー。「おりたたみハンカチ劇場」の歌に合わせてコーナーが進む。 ピタとゴラ けんかのまき みんなでやまのぼりのまき ピタとゴラ しりとりのまき(この回からはピタとゴラとスーの声が吹き込まれる) みんなでかくれんぼのまき これらのハンカチは実際に市販されている。また、「おうちでやってみなスペシャル」(2020年7月11日放送分)では「ピタとゴラ しりとりのまき」のようにしりとりの要素を取り入れた折り紙の作り方が紹介された。 くねくね人まちがいさがし 声 - ナイツ 2枚の絵にある3箇所の相違点を見つける間違い探し。絵は紙に印刷されており、重ねてパラパラマンガの要領で答え合わせをする。何故か2つ目の間違いは通常ならば別々に数えるものが多い。 スレスレ3D ナレーション - 徳田章 上述「きょうのスレスレ」の3Dバージョン。回転台に置かれた物体がスレスレで通過できる穴の形状を考える。2015年1月の「大人のピタゴラスイッチ」で先行放送し、本家『ピタゴラ』では『きょうのスレスレ ~かいてん編~』と改題し放送。 ねんどれナンドレラッツの跡じまん 声 - サンドウィッチマン 歌 - 栗原正己 体が直方体の粘土でできた、ねんどれ・ナンドレの2つのキャラクターが、「走っていたらコケてついた」という体の前面の跡を相手に自慢しあい、何の跡なのかを視聴者に考えてもらおうというクレイアニメーションのコーナー。ねんどれはいつも待ち合わせに遅刻しているが、先に着くナンドレも同じく遅刻しかけており一度だけ彼の方が遅れて来た事がある。 ピタゴラ装置アカデミア 作 - 佐藤匡 ピタゴラ装置に使われている様々なギミックの作り方を紹介する。ゴールが実際に市販された。 ピタゴラ装置 こうすると面白い 作 - 石川将也 ピタゴラ装置の動きをさらに面白く見せる工夫について解説する。「ピタゴラ装置 大解説スペシャル」で先行放送。 もじもじ装置 作 - 佐藤匡 2016年1月9日放送(#322)で初登場のアニメーションのコーナー。ひらがな(たとえば「い」「の」「し」)と書かれた正方形のブロックの上をボールが弾みながら進むとボールがブロックの上に乗ったときに「い」等と声がする。ボールが飛び石のようにブロックを弾んでいき、ブロック崩しのラケットのような動く壁が登場してボールを反射すると「し」のブロックに再び乗るため、「いのしし」と聞こえることばをつくる。 そこで橋は考えた 歌 - 栗原正己 ナレーション - 徳田章 2016年6月11日放送(#330)で初登場のコーナー。前半は共通のアニメーションと歌で、川がある→車が通れない→橋を架ける→船が通れない、に続いて「そこで橋は考えた」のナレーションが入る。橋のモノローグにより可動橋を提案、「出来んのかなこんな橋 ちょっと無理だろこんな橋 出来んのかなこんな橋 出来たらすごいぞこんな橋」という歌のあとに実在する同タイプの可動橋が紹介される。 「出来んだなこんな橋 ほんとにあんだなこんな橋 ぶーん」という歌が流され、その後「今日の橋は○○橋(種類)でした。」というナレーションでコーナーは終わる。 旋回橋(2016年6月11日)- 京都府天橋立の廻旋橋 跳開橋(2016年6月18日)- 高知県の手結港可動橋 昇開橋(2016年8月27日)- 徳島県の加賀須野橋 運搬橋(2016年10月8日)- スペインのビスカヤ橋 降開橋(2016年11月26日)- ギリシャのイスミア橋(コリントス運河) 転造跳開橋(2017年1月7日)- ニュージーランドの その5のみ「この橋はたまに魚も獲れてしまいます」と補足される。 ウソだと思うなら、やってみな。 歌 - 奥田民生 2017年4月8日放送で初登場のコーナー。身近な物を使って実験が可能な科学の現象を紹介する。最初は歌に合わせて擬人化された物のキャラクターが登場するアニメーションが流れ、途中から実写で実験の手本が流される。歌の最後には実験を成功させやすくするためのアドバイスが付け加えられる。 「おうちでやってみなスペシャル」(2020年7月11日放送分)では「ミニ」と題して自宅にある身近なものだけでできる実験を3つ紹介した(アニメーション・歌はなく実写とナレーションのみによる解説)。 トンカッチのそこのしくみがしりタイム 作 - うえ田みお 2017年6月10日放送で初登場のコーナー。装置評論家のトンカッチが、冒頭で流れた装置の仕組みを解説する。 かさねておえかき 2018年4月7日放送で初登場のコーナー。3枚のアクリル板に絵を書き、最後に板を重ねて絵を完成させる。 もじもじコンベアー 2018年9月8日放送で初登場のコーナー。「プチリョンコってなんだ」と同じく文字ブロックを使っており、いずれかがのブロックが重なっている。 考えもしない 身近に存在しながらも考える機会の少ないあらゆる物の構造について解説するコーナー。「大人のピタゴラスイッチ 想像力としかくい穴」で先行放送。 現実ってこういうこと 「大人のピタゴラスイッチ 想像力としかくい穴」で先行放送。 トンカッチのピタゴラ装置おなやみ相談室 作 - 米本弘文 2020年1月11日放送で初登場のコーナー。トンカッチが視聴者から寄せられたピタゴラ装置に関する相談に答える。 もんくたれぞう〜世の中のまちがい、指摘させてもらいます〜 2020年10月24日放送で初登場のコーナー。目が4つあるキャラクター「もんくたれぞう」が登場する。身近で見つけた物の仕組みについてたれぞうが間違いを指摘するが、ナレーションと映像からなる解説によってその仕組みが合理的なものである事を理解し、最後に文句をつけた事を謝罪する。 100グラムにちょうせん! 作 - 貝塚智子 声・歌 - 石田明(NON STYLE) 2020年11月14日放送で初登場のコーナー。子供が家の中にある物を組み合わせ、「はかり先生」でピッタリ100グラムの計量に挑戦する。総重量の微調整段階に入った場合は、「おたすけボックス」のアイテムとして一円玉(1枚=1グラム)を使うことができる。「ピーマン」という応援役のキャラクターが登場する。 なんのプログラム? 「ピタゴラミングスイッチ」で初登場のコーナー。ある一連の行動をフローチャートで表現し、それがどのような行動であるかを考える。 想像してみよ 作 - 佐藤匡、貝塚智子 「ピタゴラミングスイッチ」で初登場のコーナー。身の回りにある「変なもの」の正体を想像することによって考察する。 鉄琴階段プログラム 作 - 米本弘文 「ピタゴラミングスイッチ」で初登場のコーナー。ミニチュアの階段におもちゃの鉄琴の音板を並べ、最上段からビー玉を転がすと特定の曲が演奏される仕掛けを作る。 かくすと みえてくる 2021年4月1日放送で初登場のコーナー。「ハトは本当に首を前後に振りながら歩いているのか」など、動く物体の大部分を隠すことで部分的な動きの実態を解明する。 押し出しクイズ 2021年4月2日放送で初登場のコーナー。 いま、なにがとおった? 2021年4月10日放送で初登場のコーナー。立て掛けられた2枚の板の裏側を横切る物体が何か当てるクイズ。板の間には僅かな隙間があり、この部分を1コマずつ切り取り横に並べることで正体が判明する。 紙の下はナンドレラ?合戦 2021年4月29日放送で初登場の『ねんどれナンドレラッツの跡じまん』からの派生コーナー。ねんどれが描かれた紙にフロッタージュの要領で写し出した物が何であるかを当てる。兄弟という設定の人物2人が手と台詞のみで登場し互いに問題を出し合う。 箱のすけ 2021年10月2日放送で初登場のコーナー。箱から首を出し、様々な動きをする「箱のすけ」の箱の中はどうなっているのかを考察するコーナー。 番組内のオリジナルソング ピタゴラスイッチ オープニングテーマ 作曲 - 栗原正己 演奏 - 栗コーダーカルテット、渋栗オーケストラ(大人のピタゴラスイッチ) ピタゴラスイッチ エンディングテーマ 作曲 - 栗原正己 演奏 - 栗コーダーカルテット、NHK交響楽団(大人のピタゴラスイッチ) オープニングテーマと同じ曲だが、アレンジが異なっている。 そっくり↓ひっくり↑かえしましょ(2002年度) 作詞 - もりちよこ 作曲 - 坂出雅海 歌 - ピタ・ゴラ(星河舞・西村朋紘) 擬態語を逆から言うと全く別の意味になる対比の歌(例・しずしず<>ずしずし(歩く)など)。 あるくのどのあし?(2002年度) 作詞・作曲 - 荒木尚美 歌 - ピタ・ゴラ(星河舞・西村朋紘) 両足を交互に出して歩くと、手が互い違いに出るのは体が知っていることで、「無理に逆にすると不自然になる」とわかる歌。 おんなじとこちがうとこ(2002年度) 作詞・作曲 - 加藤千晶 歌 - ピタ・ゴラ(星河舞・西村朋紘) カレイとヒラメなど、よく似たものを見分ける歌。 ぼくのおとうさん(2002年度) 作詞 - 佐藤雅彦・内野真澄 作曲・歌 - 栗原正己 出演 - ふるごおり雅浩 状況に応じて「ぼくのおとうさん」はなんと呼ばれるのか。食堂(お店)に入ると「お客さん(おきゃくさん)」になり、歯医者(病院)に行くと「患者さん(かんじゃさん)」になり、歩いていると「通行人(つうこうにん)」になるなど、同じ人間でも場に応じて色々な役割をもつことがわかる歌。お父さん役はふるごおり雅浩。 …の中をよく見たら(2002年度) 作詞 - 桑原永江 作曲 - 悠木昭宏 歌 - ピタ・ゴラ(星河舞・西村朋紘) ことばのなかに隠れている別の言葉をさがす歌(例・「冷蔵庫(れいゾウこ)」の中には『ゾウ』がいる)。 水はぐるぐる(2002年度) 作詞 - 日暮真三 作曲・編曲 - 岡村みどり 歌 - ピタ・ゴラ(星河舞・西村朋紘) 水は気体・液体・固体と形を変えても実は同じもの、という内容。ピタとゴラが歌に合わせて氷を作ったり熱いお茶を入れたり、湯気で曇ったガラスを見つけたりする。2002年度第3回「水もお湯も同じもの?のまき」の内容と類似。 ピタゴラジョンマーチ(2003年度) 作詞・作曲 - パラダイス山元 編曲 - テディ熊谷 歌 - ピタ・ゴラ(星河舞・西村朋紘) そのまんま「マーチ」かと思いきや、ひとつのことについての、程度での名称の違いも絡めたうた(例・人に対して、「かおなじみ」、「みずしらず」、「(顔だけ知っているのは)かおみしり」)。 んがなくちゃ、いか(2003年度) 歌 - ピタ・ゴラ(星河舞・西村朋紘) 作詞 - もりちよこ 作曲 - 小杉保夫 言葉からある文字(「ここでは「ん」)を抜くと全然別の意味になる対比のうた(例・「あんまん(餡まん)」<>「あま(尼、海女)」)。 ぞうのあしおと係(2004年度) 作詞 - 佐藤雅彦、内野真澄 作曲 - 栗原正己 歌 - 知久寿焼 音響効果を果たす楽器を紹介(例・象の足音係はチューバ、その後に、シジミ→カスタネット、ヘビ→ヴァイオリン、ウサギ→シロフォンと続く)。 ピタゴラそうち41番の歌(2004年度) 作詞 - 佐藤雅彦・内野真澄 作曲 - 栗原正己 歌 - 日下好明 2004年当時、ピタゴラ装置の中で「もっとも長い」と呼ばれていた41番の作品の動きを歌にしたもの。 つながりうた もりのおく(2005年度) 作詞 - 佐藤雅彦・内野真澄 作曲・歌 - 桜井秀俊 森の小屋に住むクマの家族の日常を描く。小節毎に分けられた歌詞がしりとりのように繋がっている(一部2文字続きの歌詞もある)。 フレーミーのうた(2005年度) 作詞 - 佐藤雅彦・内野真澄 作曲 - 渋谷毅 歌 - 井上順 通常放送時のBGM(インストゥルメンタル)に歌詞を載せたもの。 いたちのたぬき(2006年度) 作詞 - 佐藤雅彦・内野真澄 作曲・歌 - 栗原正己 アニメーション 植田美緒 数字が答えとなる言葉遊びを歌詞にしている歌(例・「いたちのたぬき」は「いたち」から「た」を抜く(たぬき)と「1(いち)」)。 オノマトペのうた(2007年度) 作詞・アニメーション - 内野真澄・植田美緒 作曲・歌 - 栗原正己 オノマトペ(擬音語・擬態語)ばかりを並べた歌。最初に、オノマトペの文字のみが画面に表れ、一通り終わった後、再び歌を繰り返しながら絵が加わり、どんな動きがオノマトペになっているかが明らかになるという内容。 スーのうた(2008年度) 作詞 - 内野真澄・佐藤雅彦 作曲・歌 - 栗原正己 コーラス - 杉並児童合唱団 台詞 - スー(うえだゆうじ)、ピタ(星河舞)、ゴラ(西村朋紘) スーを紹介する歌。気が利き、働き者で休まない、そしてたまに風邪をひくが、元気になればまた大活躍、そしてガンコ者、という歌(「ねずみですが丑年生まれでスー」等のセリフが入る)。 なぞなぞうた いたちのたぬき2(2009年度) 作詞 - 内野真澄 作曲・歌 - 栗原正己 アニメーション - 植田美緒 「いたちのたぬき」に2年ぶりに新しい歌詞を追加した第2弾。他に、不適切だった「3」の部分の歌詞が、「さんまのまぬけ」から「さんまのまつり」に変更されている。 パパ ママ ぼく、 いぬ ネコ ぞう(2009年度) 作詞 - 石川将也・内野真澄 作曲・歌 - 栗原正己 「パパ」「ママ」「ぼく」「いぬ」「ネコ」「ぞう」を5-6回繰り返す歌詞。映像では、「パパ」「ママ」「ぼく」「いぬ」「ネコ」「ぞう」の顔、食べ物、足跡、仕事、赤ちゃんの時の顔、寝ている時(「パパ」は寝る前)が登場した。 こたつたこ(2009年度) 作詞・作曲 - 内野真澄 歌・編曲 - 栗原正己 アニメーション - 植田美緒 歌詞が5文字の回文になっている(例・こたつたこ、いかとかい(イカと貝)、くらげらく(クラゲ楽)など)。 こたつたこ2(2010年度) 作詞・作曲 - 内野真澄 歌・編曲 - 栗原正己 アニメーション - 植田美緒 「こたつたこ」に、新しい歌詞を加えたバージョン。 みんなでつくるこたつたこ(2010年度) 作詞・作曲 - 内野真澄 歌・編曲 栗原正己 アニメーション - 植田美緒 ナレーション - 宮岡和寛 「こたつたこ」に、一般公募による新しい歌詞を加えたバージョン。募集・発表は「その1」から「その4」にかけて4度行われた。 わしがイッチの唄 作詞 - 内野真澄 作曲 - 栗原正己 歌 - 百科おじさん(車だん吉) 百科おじさんの本名がついに判明。立ち位置では左からピタ、ゴラ、スー、イッチの順に立っている。前述の理由上、オチの部分で番組のサウンドロゴを使用している。 ぼてじんの唄 作詞 - 内野真澄 作曲 - 栗原正己 アニメーション - うえ田みお 歌 - フットボールアワー ぼてじんの紹介の歌。ぼてじんの性質、ともだち(いぬてん・いえてん)、毛虫が苦手なことが紹介されている。 ぴきひきびきの歌 歌 - 栗原正己 ものを数えるときの助数詞に、数によって濁音や半濁音がつくことを教える歌。カエルのキャラクターが登場し、飛び込み台から池に飛び込む。 ぽんほんぼんの歌 歌 - 栗原正己 「ぴきひきびきの歌」の続編。助数詞の歌で、ニンジンのキャラクターが登場し、シャワーで泥を洗い木箱に入る。 ねじねじの歌 歌 - 栗原正己 鳥小屋などに使われる金網の作り方を歌う歌。曲名の由来は原料の針金を「ねじねじ」して作ることから。特番「大人のピタゴラスイッチ ちょいむず」で先行放送。 新しい生物の歌 作詞 - 佐藤雅彦、内野真澄 作曲 - 栗原正己 編曲 - 上柴はじめ 歌 - 角田信朗 語り - 小野卓司 アニメーション - ユーフラテス 「新しい生物」のうちの「ケシゴムザウルス」「ストロケラプス」「ワゴムヌス」「ボルトノドン」「カクザザトン」「フセンヌス」を歌で紹介する。 ビーバーのダム(2013年度) 歌 - 栗原正己 作詞 - 内野真澄、佐藤雅彦 作曲 - 内野真澄、栗原正己 ビーバーの作るダムについて、映像に合わせて歌が流れる。本編後に「ビーバーミニ解説」と題してビーバーに関する補足説明を流す場合がある。 デジタルウォーク 歌・作曲 - 栗原正己 作詞 - 内野真澄、佐藤雅彦 「大人のピタゴラスイッチ デジむず」で先行放送。動画を1秒ごとに区切って静止画にしたものを繋いで、早回しにして見せるもの。歩いている人や犬が地面を滑っているように見える。情報を連続的に扱う「アナログ」と離散的に処理する「デジタル」の違いを視覚的に表している。歌詞は3番まであるが、放送回によっては3番のみカットされることがある。 対応の歌 歌・作曲 - 栗原正己 作詞 - 内野真澄、佐藤雅彦 「大人のピタゴラスイッチ デジむず」で先行放送。みかんはEテレ0655&2355の「みかんをむくのはどっちから?」、カラスは考えるカラス〜科学の考え方〜からの出典。みかんのへたをめくったときの筋の数と中身の房の数や、出席している幼稚園児の数と靴の数など、1対1対応を説明する。 がんばれ!装置153番のマーチ 歌 - デーモン閣下 作詞 - 内野真澄、佐藤雅彦 作曲 - 内野真澄、栗原正己 2015年1月2日の「大人のピタゴラスイッチ 数ピタ!たのしい数学」で先行放送。うまく作動せずNGを繰り返した153番のピタゴラ装置が、最後に54テイク目で成功するところまでを歌でたどる。 ピタゴラフィニッシュのうた 作詞 - うえ田みお 作曲 - 栗原正己 歌 - 装置チーム選抜隊 2015年8月の「ピタゴラ装置 大解説スペシャル~前半戦~」で先行放送。「わしがイッチの唄」の別バージョン。前述の理由上、オチの部分で番組のサウンドロゴを使用している。 針金ハンガーの歌 歌 - 栗原正己 2015年8月の「ピタゴラ装置 大解説スペシャル~後半戦~」で先行放送。針金ハンガーが工場で製造される過程に合わせた歌詞がついている。放送回によっては検査の工程などが歌われる後半が省略される場合がある。 みえみえみえの歌 歌 - 栗原正己 2016年1月2日放送の「大人のピタゴラスイッチ」でエンディング曲として先行放送。普通なら見えない空気や、外からは見えないホースの中の水やチューブ滑り台の中の子供、地面の下を動くプレーリードッグ、地下鉄(丸ノ内線 )を矢印でたどる。 まきじゃくのジャックの歌 作詞・作曲 - 堀江由朗、内野真澄、佐藤雅彦 歌 - 堀江由朗、まきじゃく合唱団 アニメーション - 永迫志乃、石川将也 「まきじゃくのジャック」のテーマソング。ジャックの全長や体重、磁石に付く性質などが紹介される。一部シーンでトンカッチが登場する。 10本アニメ音頭 作詞 - 内野真澄、うえ田みお 作曲 - 栗原正己 歌 - 三山ひろし 合いの手 - 10本合唱団 民謡風にアレンジされた10本アニメのテーマソングで1~6番まである。もともと「10本アニメスペシャル」のエンディングで使用されたもの。 どうして ○○ みんな おなじ向き? 作詞 - うえ田みお 歌・作曲 - 栗原正己 動物の群れや豆苗の伸び方等が同じ向きを向く理由について説明した歌。 クッキー型の型のうた 作詞 - 石川将也、佐藤雅彦、内野真澄 作曲・歌 - 栗原正己 ナレーション - 徳田章 クッキーの生地を抜き型で作る様子を流した後、その抜き型の製造工程を流し、クッキー型にも「型」があり、それがどのようにして作られているかを説明する。同じ形のたくさんのものには型があるということを説明した歌。冒頭では「クッキー型のうた」が曲名として表示されるが、ラストに上記の曲名が表示される。 ハキリアリの行進 作詞 - 内野真澄、佐藤匡 作曲 - 栗原正己 歌 - サンドウィッチマン ハキリアリの生態について説明した歌。歌詞は2番まで存在し、いずれかワンコーラスが流れるが、「やくわりをわけてばっちりスペシャル」(2020年6月6日放送回)ではフルバージョンで放送された(同時に歌詞テロップが新規に追加される)。 ほんとはもっとおおきいぞ 作詞 - 米本弘史 作曲 - 栗原正己 歌 - ナイツ(塙宣之・土屋伸之) トイレットペーパーなどの品物が、製造段階では大きなサイズで作られてから小さく切り分けられていることを説明した歌。 くものすのプログラム 作 - 貝塚智子 歌 - 栗原正己 アニメーション - 村本咲       「ピタゴラミングスイッチ」で初登場。クモが巣作りをする様子をプログラミング的観点から詳細に解説した歌。冒頭ではアニメーションによるクモの営巣についての補足説明が入る。 『ビーだま・ビーすけ』シリーズ ストーリーが存在するピタゴラ装置である。ビー玉の3兄弟が主人公で、長男は緑色のビータ、次男は赤色のビーすけ、三男は黄色のビーゴロー。この三人が、敵の黒玉軍から逃げるのがこのシリーズの内容。2018年7月28日に『ビーだま・ビーすけの大冒険スペシャル!』が放送され、これまでの3作が再放送された後に4作目である『~完結編~ 黒玉軍の野望』を初放送。これをもって、ストーリーが一旦完結した。 ビーだま・ビーすけの大冒険 歌 - 浜崎貴司、ピタゴラ少年少女合唱団 2015年8月4日の『ピタゴラ装置 大解説スペシャル~前半戦~』で初放送。敵の一味に兄弟のビータとビーゴローを攫われたビーすけが救出のため敵の陣地に単身乗り込む。ナレーション(声 - 佐藤匡)が無線でビーすけに陣地の情報を与えている。 ビーすけを救え! ビーだま兄弟の大冒険 歌 - 浜崎貴司、ピタゴラ少年少女合唱団 2017年1月2日の『大人のピタゴラスイッチ ピーマンとハトと数学』で初放送。前作の拉致事件により心に傷を負ったビータとビーゴローのために「勇気の出るドングリ」を探しに森へ向かったビーすけが敵に捕まってしまう。事態を知ったビータとビーゴローは彼の救出に立ち向かう。 一時休戦 ビーすけと黒玉王子の大脱出 歌 - 浜崎貫司、ピタゴラ少年少女合唱団 語り - パトリック・ハーラン 2018年1月1日の『大人のピタゴラスイッチ 想像力としかくい穴』で初放送。暗黒の谷に迷い込んだビーすけと黒玉軍の王子が協力して谷を脱出する。 ビーだま・ビーすけの大冒険~完結編~ 黒玉軍の野望 歌 - 浜崎貫司、ピタゴラ少年少女合唱団 2018年7月28日の『ビーだま・ビーすけの大冒険スペシャル!』で初放送。過去3作に新規のサイドストーリーを追加したシリーズの総集編にあたり、黒玉軍(声 - 早川諄)がビーだま兄弟を幾度と無く襲うようになった経緯にスポットを当てている。黒玉軍らによるピタゴラ装置も登場する。 特別番組 ピタゴラスイッチ デラックスシリーズ デラックス1:2005年12月30日 0:35 - 1:05 NHK総合 (再放送)2005年12月31日 8:30 - 9:00 Eテレ、2006年2月5日 16:00 - 16:30 Eテレ デラックス2:2006年1月1日 8:30 - 9:00 Eテレ (再放送)2006年2月5日 16:30 - 17:00 Eテレ 通常放送の2回分を1回にまとめた、スペシャル版。最初のタイトルコールの後、スーが「デラックス~」と言いながら、タイトルロゴの下を車で通過する演出があった。 ピタゴラスイッチ セレクション 放送日:2005年12月31日 0:35 - 1:05 NHK総合 オトナの知らない教育テレビ玉手箱〜ピタゴラスイッチ 放送日:2006年10月30日(10月29日未明) 1:35 - 2:35 これまでの通常放送の中から、4回分が続けて再放送された。 ピタゴラスイッチ・セレクション 放送日:2007年1月3日 11:20 - 11:50 10本アニメスペシャル「ぽ」の巻 放送日:2016年3月26日 10:30 - 10:40 他 Eテレ 10本アニメスペシャル「ん」の巻 放送日:2016年3月26日 10:40 - 10:50 他 Eテレ ビーだま・ビーすけの大冒険スペシャル!~完結編~ 黒玉軍の野望 放送日:2018年7月28日 16:25 - 16:40 他 Eテレ ピタゴラスイッチ ミニミニ 放送時間1分。2021年3月に全16回が放送された。番組最後のテロップは「大人のピタゴラスイッチシリーズ」同様、漢字の「終」となっている。 ピタゴラミングスイッチ 放送日:2021年3月30日 9:15 - 9:35 Eテレ 2021年度から小学校の教育課程で義務化されるプログラミング教育を念頭に受けて製作された特別番組。百科おじさん司会の下、プログラミング的思考を養うクイズが出題される。ピタゴラ装置の応用型「プログラミング装置」の他、「もんくたれぞう〜世の中のまちがい、指摘させてもらいます〜」「ぼてじん」などレギュラーコーナーの特別版を放送。 大人のピタゴラスイッチシリーズ ピタゴラスイッチの通常の視聴者よりも大人(中学生以上)をターゲットにして、より深い考え方・概念を扱う特別番組。2013年から2018年まで、毎年正月に新作が放送されていた。2019年以降は、新作の放送は行われていない。 行われている時間帯は夜であるため、ピタとゴラはもう寝ているという設定で登場せず、百科おじさんと片桐仁が進行する(テレビのジョンやスーが加わる時もある)。『数ピタ!たのしい数学』・『ピーマンとハトと数学』では、放送時間を10分拡大して放送。 オープニング曲はいずれも渋栗オーケストラによる演奏、エンディングテーマ曲は基本的にNHK交響楽団による演奏の物を使用。番組ロゴは通常版は緑色だが、本シリーズはオレンジ色になっている。番組最後の「おわり」のテロップも、漢字の「終」になっている。 2015年に放送された『ピタゴラ装置 大解説スペシャル』では、『大人の-』シリーズと同様に片桐と百科おじさんが進行し、BGMも同シリーズと同じものが使用された。ただし、番組ロゴは通常版と同じ緑色だった。 2015年1月放送の「数ピタ!たのしい数学」より、字幕放送を開始した。従来の『ピタゴラスイッチ』と異なり、漢字がルビなしで使用される。 放送されたコーナーの一部は通常の「ピタゴラスイッチ」で後に放送される事がある(『○○ソート』『考えもしない』等)。 放映リスト 大人のピタゴラスイッチ「ちょいむず」 放送日:2013年1月2日 23:30 - 24:00 Eテレ、(再放送)2013年1月6日 16:00 - 16:30 Eテレ、2013年3月16日 22:55 - 23:25 Eテレ、2013年12月30日 2:00 - 2:30 Eテレ 大人のピタゴラスイッチ「かなりむず」 放送日:2013年1月3日 23:30 - 24:00 Eテレ、(再放送)2013年1月6日 16:30 - 17:00 Eテレ、2013年3月23日 22:55 - 23:25 Eテレ、2013年12月30日 2:30 - 3:00 Eテレ 大人のピタゴラスイッチ「デジむず」 放送日:2014年1月2日 23:40 - 24:10 Eテレ、(再放送)2014年1月26日 16:00 - 16:30 Eテレ、2014年12月31日 13:30 - 14:00 Eテレ 大人のピタゴラスイッチ「数ピタ!たのしい数学」 放送日:2015年1月2日 23:10 - 23:50 Eテレ、(再放送)2015年1月3日 16:00 - 16:40 Eテレ、2015年1月10日 3:15 - 3:55 NHK総合、2015年1月31日 16:00 - 16:40 Eテレ、2018年7月9日 18:55 - 19:35 Eテレ ピタゴラ装置 大解説スペシャル(前半戦) 放送日:2015年8月4日 23:25 - 23:55 Eテレ ピタゴラ装置 大解説スペシャル(後半戦) 放送日:2015年8月11日 23:25 - 23:55 Eテレ 大人のピタゴラスイッチ「見えピタ!こうすれば見える」 放送日:2016年1月2日 23:10 - 23:40 Eテレ、(再放送)2018年4月26日 18:55 - 19:25 Eテレ、2018年12月31日 17:00 - 17:30 大人のピタゴラスイッチ「ピーマンとハトと数学」 放送日:2017年1月2日 22:30 - 23:10 Eテレ、(再放送)2017年1月3日 16:20 - 17:00 Eテレ、2018年7月2日 18:55 - 19:35 Eテレ 大人のピタゴラスイッチ「想像力としかくい穴」 放送日:2018年1月1日 23:00 - 23:30 Eテレ、(再放送)2018年1月2日 7:10 - 7:40 Eテレ、2018年4月25日 18:55 - 19:25 Eテレ 受賞歴 2003年に、「第25回 みかたをかえてみる」が第三十回日本賞「子ども番組の部」で最優秀賞(総務大臣賞)を受賞。この「第25回 みかたをかえてみる」は、ミュンヘンで開催された「プリ・ジュネス2004」で、「6歳までのノンフィクション部門」最優秀賞を受賞した。 2018年には、「プリ・ジュネス2018」で「ビーだま・ビーすけの大冒険スペシャル! ~黒玉軍に気をつけろ~」が「6歳までのフィクション部門」最優秀賞を受賞している。 スタッフ 人形操演 - しみずひかる・島村真弓・多田順子・高橋奈巳・高椋士門・沼舘千佳子 ナレーション - 徳田章 音楽 - 栗原正己 ピタゴラ装置 - ユーフラテス 総合指導 - 佐藤雅彦・内野真澄 制作 - NHKエデュケーショナル パロディ おはスタ第1部ムッシータウン(テレビ東京)内のコーナーで当番組の仕掛けをまねして、朝ごはんを食べたい仕掛けに。開発・出演は、くまだまさし。 FNS地球特捜隊ダイバスター - ゴール地点でパチンコ玉が足の爪に落ちる「イタゴラスイッチ」(玉が当たると痛いので)、ゴール地点で蚊取り線香の灰が足の甲に落ちる「アツゴラスイッチ」(灰が落ちると熱いので)が放送された。 ピラメキーノ 大人の喜ばせ方講座(テレビ東京)- ピタゴラ装置は登場しないが、コーナーロゴや音楽、演出などが「ピタゴラスイッチ」と似ている。 べるぜバブ - 主人公・男鹿辰巳の必殺技に「お父さんスイッチ」というものがある。本家同様「お父さんスイッチ い」などと叫ぶ。ただし空き箱に文字5つが書かれた箱は登場しない。 はねるのトびら(フジテレビ)- 塚っちゃんスイッチ トリビアの泉(フジテレビ)- 2010年2月27日放送の特番で、司会の高橋克実がピタゴラ装置のギネス世界記録を持っている事が発表された(但し、高橋は実際はギネス記録に挑戦していたグループの現場にたまたま居合わせただけである)。その際にピタゴラ装置のVTRが流れたが、最後のロゴが『ピタゴラスイッチ』ではなく『トリビア』になっていた。 伊集院光 深夜の馬鹿力(TBSラジオ)- 不運の連続がまるでピタゴラ装置のような体験を投稿する「イタゴラスイッチ」というコーナーがある。 魔界戦記ディスガイア4 - 武器形態プリニーの攻撃の一つにピタゴラ装置をオマージュしたものがある。 世界の果てまでイッテQ!(日本テレビ)-「ピタデガワスイッチ」と称して、出川哲朗や河北麻友子らが人間カラクリ装置に挑戦する内容。 オドロキ見たいテレビ びっくりぃむ(テレビ朝日)- 連動マシンで芸能人をドッキリにかける「ピタゴラどっきり」というコーナーがある。OPは当番組OPのパロディ。 タイムボカン24(読売テレビ) - 第15話「ピタゴラスは○○の天才だった!」で、ピタゴラスの「真歴史」が「からくり名人」という事になっており、連動マシンを使用したパロディが登場。BGMも当番組OPを流用。 99.9-刑事専門弁護士-(TBS)- 第6話で片桐仁が演じる明石が誤って転倒した際にBGMが流れた。 超かわいい映像連発!どうぶつピース!! (テレビ東京)- 過去にアニマルからくり装置という企画があった。第2回までは犬しか出なかったが第3回では他の動物も登場した。第3回の後、しばらくピタゴラ装置の企画は無かったが、2021年11月18日の放送回で第4回ではピタゴラスイッチのBGMが使われた。 ザ!鉄腕!DASH!! (日本テレビ)- 夏にからくり流しそうめんという企画がある。途中にピタゴラ装置を使っている。 あさチャン!(TBS)『ぐでたまさんぽ』- 山口県編で鳥居に賽銭箱が神社を紹介。ぐでたまが転がって最後に鳥居から『ぐでたま』の垂れ幕が出て終了。BGMも本家に似せているものであった。 妖怪ウォッチ♪『ヨウカイスイッチ』- ウィスパー(CV:関智一)が起こした何らかの行動がトリガーとなり、ジバニャン(CV:小桜エツコ)の声で「ヨウカイスイッチ」のコールがかかり、妖怪たちによるトラブルの連鎖がスタートする。ウィスパーがオチを担当する場合と、最後まで気づかずにコーナーが終了する場合がある。 翔んで埼玉(東映) - 2019年公開の映画。鶏が卵(無精卵)を産み、最終的に割れて目玉焼きになるシーンでピタゴラ装置を使用。 関連映像作品・書籍 書籍 NHKピタゴラスイッチアルゴリズムたいそう―おまけおとうさんスイッチ(2003年2月 日本放送出版協会 ISBN 9784144071263) おどりかた図解(モデルはいつもここから)。イラストでおとうさんスイッチの紹介も。 ピタゴラブック(1)ぴったりはまるの本(2006年10月 ポプラ社 ISBN 9784591094709) 身近なもののシルエットとひとことヒント。そこから元の物体が何かを想像する。しっかりした厚手の紙の本なので、持ち歩いて実際に「はめて」みよう。 ピタゴラブック(2)フレーミーとそうじき(2006年11月 ポプラ社 ISBN 9784591094945) フレーミーがそうじきを嫌いな理由。なるほど。 ピタゴラブック(3)フレーミーともぐら(2007年4月 ポプラ社 ISBN 9784591097663) ほうこうおんちのもぐら親子のおはなし。 ピタゴラブック(4)フレーミーとのみのノミー(2007年12月 ポプラ社 ISBN 9784591100325) 本放送のノミー登場分とほぼ同内容。世界一小さい(?)「のみBOOK」つき。 ピタゴラブック(5)フレーミーのあかいえさいれ(2010年4月 ポプラ社 ISBN 9784591117873) フレーミーのお気に入りの赤いえさ入れがある日…。フレーミーのオリジナル絵本。 CD, DVD いずれもDVDの発売元は小学館、販売元はポニーキャニオン。CDの発売・販売元はワーナーミュージック・ジャパン。 NHKピタゴラスイッチ アルゴリズムたいそう&こうしん(2003年6月、ワーナーミュージック・ジャパン、ASIN: B000095YLG) たいそう、こうしん共に練習バージョン(どちらかのカラオケ)やカラオケも含め全9曲収録。 ピタゴラ装置DVDブック1(2006年12月、ISBN 978-4-09-480311-2、小学館/ポニーキャニオン、DVD規格品番:PCBE-52408) 33点のピタゴラ装置の映像とその解説本。書店・DVDショップの双方で取り扱う。 ピタゴラ装置DVDブック2(2007年4月 ISBN、978-4-09-480312-9、小学館/ポニーキャニオン、DVD規格品番:PCBE-52422) 「ピタゴラ装置史上最長(販売元Webサイトより)」として知られる「ピタゴラ装置41番のうた」ほか、全32作品+試作風景を所収。 ピタゴラ装置DVDブック3(2011年11月 ISBN 978-4-09-480314-3、小学館/ポニーキャニオン、DVD規格品番:PCBE-53758) 「どうぶつ装置」ほか、全42作品+試作風景を所収。 ピタゴラスイッチ こたつたこDVDブック(2010年4月、ISBN 978-4-09-726414-9、小学館) ピタゴラスイッチ うたのCD (2010年8月、ワーナーミュージック・ジャパン、ASIN: B003O6KBZ6) 「ピタゴラスイッチ オープニングテーマ」ほか、全22作品 脚注 注釈 出典 関連項目 佐藤雅彦 (メディアクリエーター) ユーフラテス (グループ) ピタゴラ装置 - ルーブ・ゴールドバーグ・マシン Eテレ0655&2355 - 佐藤雅彦・ユーフラテスが制作するNHK教育テレビの別番組。「ピタゴラスイッチ」の要素を含むコーナーがある。 考えるカラス〜科学の考え方〜 佐藤が監修・ユーフラテスが制作に関与しているNHK教育テレビの理科・科学番組で、番組内に出てくるカラスが当番組にも登場している。 外部リンク ピタゴラスイッチ - NHK ピタゴラスイッチ | NHK for School ピタゴラスイッチ ケータイサイト ピタゴラスイッチのスタッフによる携帯サイト(有料)。ピタゴラスイッチの待ち受けやデコメール、着メロなどがある。NTTドコモ iモード とスマートフォン、 au EZweb 、ソフトバンク Yahoo!ケータイ に対応(2016年11月2日現在)。 NHK教育テレビジョンの科学教育番組 NHK教育テレビジョンの人形劇 NHK教育テレビジョンのミニ番組 NHK教育テレビジョンの帯番組 2002年のテレビ番組 (日本) 放送文化基金賞・放送文化 佐藤雅彦 継続中の作品
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https://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8823%E6%97%A5
9月23日
9月23日(くがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から266日目(閏年では267日目)にあたり、年末まであと99日ある。 できごと 38年 - ローマ皇帝カリグラが二番目の妹であり6月10日に亡くなったユリア・ドルシッラを女神であると宣言し、ウェヌスとして神格化。 1122年 - 叙任権闘争: 神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世とローマ教皇カリストゥス2世がヴォルムス協約を締結。 1338年 - 百年戦争: アルネマイデンの戦い(Battle of Arnemuiden)。同戦争初の海戦であるとともに火薬砲が使用された最初の海戦とされる。 1409年 - ヘルレン(臚朐河)の戦い(Battle of Kherlen、胪朐河之战)、明軍がモンゴル軍に勝利。 1459年 - 薔薇戦争: ブロア・ヒースの戦いが起こる。 1543年(天文12年8月25日) - 種子島西村前之浜にポルトガル人を乗せた船が漂着(鉄砲伝来)。 1561年 - スペイン王フェリペ2世がフロリダでの植民地化を停止するよう命ずる王令(セドゥラ(Cédula de identidad))を発布。 1568年 - サン・フアン・デ・ウルアの戦い(Battle of San Juan de Ulúa (1568))が起こる。英西間の貿易紛争。 1597年(慶長2年8月12日) - 慶長の役:南原城の戦いが始まる。 1641年 - 10万ポンド以上の金(今日では10億ポンド以上の価値がある)の宝物を運ぶイギリス商船マーチャント・ロイヤル(Merchant Royal)がランズエンド岬沖の海で沈没する。 1779年 - アメリカ独立戦争: 。 1780年 - アメリカ独立戦争: イギリス人将校ジョン・アンドレをスパイ容疑で逮捕。 1803年 - 第二次マラーター戦争: アッサイェの戦い。 1806年 - ルイス・クラーク探検隊が北アメリカ大陸探検の後、出発地のセントルイスに帰還。 1821年 - ギリシャ独立戦争: トリポリ包囲戦(Siege of Tripolitsa)がギリシャの勝利に終わる。 1846年 - ベルリン天文台のJ・ガレが天文学者U・ルベリエの計算に基づき、海王星を発見。 1862年 - ビスマルクがプロイセン首相に就任。 1868年 - プエルト・リコでスペインの支配に対するラレスの反乱(Grito de Lares)が始まる。 1871年(明治4年8月9日) - 明治政府が散髪脱刀令を布告。 1884年 - 加波山事件が発生。 1884年 - ヴィルへネス岬(Cape Virgenes)にて座標した蒸気船アークティク(Arctique)により砂金が発見され、ティエラ・デル・フエゴのゴールドラッシュ(Tierra del Fuego gold rush)が始まる。 1889年 - 山内房治郎により京都府京都市下京区で花札製造・販売会社として任天堂(当時の任天堂骨牌、または山内房治郎商店)が創業される。 1895年 - リモージュでフランス最初の労働団体であるフランス労働総同盟結成。 1899年 - 米比戦争: オロンガポの戦い(Battle of Olongapo)。 1905年 - ノルウェーとスウェーデンがカールスタード(Karlstad)条約に調印し両国の連合が解散される(Dissolution of the union between Norway and Sweden)。 * 1908年 - 横浜線が開業。 1909年 - ガストン・ルルーの小説『オペラ座の怪人』が刊行。 1911年 - アール・オヴィントン(Earle Ovington)によるアメリカ初の航空郵便配達がアメリカ郵政省の許可のもと行われる。 1913年 - ローラン・ギャロスが地中海横断飛行を達成。 1920年 - アレクサンドル・ミルランがフランス第12代大統領(フランス第三共和政)に就任。 1926年 - 山陽本線特急列車脱線事故。山陽本線安芸中野駅 - 海田市駅間で東京発下関行きの下り特急列車が脱線転覆、34人が死亡。 1932年 - ヒジャーズ・ネジド王国とハッサ、カティフ、ナジュドが統一してサウジアラビア王国が成立。 1936年 - 上海日本人水兵狙撃事件が発生。 1937年 - 第二次国共合作成立。 1938年 - ズデーテン危機: チェコスロヴァキアが動員令を発令。 1939年 - 日中戦争:大本営が支那派遣軍総司令部を設置。 1940年 - 第二次世界大戦:日本軍がヴィシー政権との協定に基づき北部仏印に進駐。 1940年 - 第二次世界大戦:イギリス軍がフランス領西アフリカに侵攻するがフランス軍に撃退される(ダカール沖海戦)。 1941年 - 第二次世界大戦:アウシュヴィッツでガス室実験が初めて行われる。 1943年 - 第二次世界大戦:北イタリアのナチス占領地に、ベニート・ムッソリーニによるイタリア社会共和国(サロ共和国)が建国。 1948年 - 帝国銀行から第一銀行が分離。 1950年 - 松竹より映画『長崎の鐘』公開。 1950年 - 浅間山が大爆発。登山中の高校生1人が噴石により死亡。降灰は東京にも見られた。 1950年 - 朝鮮戦争: 282高地の戦い。 1952年 - リチャード・ニクソン副大統領候補が「チェッカーズ・スピーチ」を行い、政治資金の私的流用疑惑を否定。 1957年 - ダイエー第1号店が大阪市の千林駅前に開店。 1960年 - 永仁の壺事件:陶芸家・加藤唐九郎が重要文化財の「永仁銘瓶子」は自分が作ったものであると公表。 1962年 - リンカーン・センターが開館。 1964年 - 王貞治が年間55本塁打の日本新記録(当時)を樹立。 1972年 - 長野県で戸隠高原バス事故が発生。15人が死亡、67人が負傷。 1972年 - エクスプローラー計画の一環でIMP-Iが打ち上げられる。 1973年 - アルゼンチン大統領選挙でファン・ペロンが18年ぶりに再選。 1981年 - 新日本プロレスのリング上でラッシャー木村がアントニオ猪木に「こんばんは」と挨拶して失笑を買った「こんばんは事件」が起きた。 1983年 - この年の9月19日に独立したセントクリストファー・ネイビスが国連に加盟。 1983年 - ガルフエア771便爆破事件が発生。 1984年 - 蔵前国技館がこの日の秋場所千秋楽をもって閉館。 1984年 - フランスで文化大臣が『La Journée Portes Ouvertes(ドアを開ける日)』を提唱し、毎年9月中旬の週末に、フランス 文化財(文化遺産)の日(Journées Du Patrimoine)が始まる。ヨーロッパ文化遺産の日の始まり。 1986年 - ジム・デシェイズがこの日のロサンゼルス・ドジャース戦では初回から8者連続三振を奪いMLB記録を樹立。 1987年 - 沖縄県などで、日本では29年ぶり、20世紀最後の金環日食が観測。 1997年 - 日米政府が「新たな日米防衛協力のための指針」(新ガイドライン)に合意。 1999年 - アメリカの火星探査機「マーズ・クライメイト・オービター」との通信が途絶。 2000年 - ブレット・J・グラドマンやジョン・J・カヴェラーズらの研究チームにより土星の第21衛星タルボス、第22衛星イジラク、第23衛星スットゥングル、第25衛星ムンディルファリ、第27衛星スカジ、第28衛星エリアポ、第29衛星シャルナク、第30衛星スリュムルが発見される。 2002年 - Mozilla Firefoxの初版が公開。 2004年 - ハリケーン・ジーンが発生。こののちハイチなどに甚大な被害をもたらし、同国では死者1870人・行方不明者870人・被災者約30万人の人的被害となった。 2006年 - 日本の太陽観測衛星「ひので」打ち上げ。 2008年 - 福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督が勇退を表明。 2008年 - スマートフォン用オペレーティングシステムの初版 Android 1.0 が公開。 2008年 - カウハヨキ学校銃撃事件(Kauhajoki school shooting)。 2019年 - トーマス・クック・グループがロンドンの裁判所に破産申請を行う。 2022年 - 西九州新幹線が武雄温泉 - 長崎間で開業。 誕生日 紀元前63年 - アウグストゥス、初代ローマ皇帝(+ 14年) 1158年 - ジョフロワ2世、ブルターニュ公(+ 1186年) 1161年(応保元年9月3日) - 高倉天皇、第80代天皇(+ 1181年) 1215年 - クビライ、モンゴル帝国第5代皇帝(+ 1294年) 1439年 - フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ、芸術家、建築家、軍事技術者(+ 1501年) 1491年 - ジャック・カルティエ、航海士(+ 1557年) 1495年 - バグラト3世(Bagrat III of Imereti)、イメレティ王国(Kingdom of Imereti)の君主(+ 1565年) 1569年(永禄12年8月13日) - 立花誾千代、戦国時代の女性当主(+ 1602年) 1597年 - フランチェスコ・バルベリーニ(Francesco Barberini (1597–1679))、カトリックの枢機卿(+ 1679年) 1598年 - エレオノーラ・ゴンザーガ、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世后(+ 1655年) 1640年(寛永17年8月8日) - 伊達綱宗、陸奥国仙台藩第3代藩主(+ 1711年) 1642年 - ジョヴァンニ・マリア・ボノンチーニ、ヴァイオリニスト、作曲家(+ 1678年) 1647年 - ジョセフ・ダドリー、マサチューセッツ湾直轄植民地とニューハンプシャー植民地の総督(+ 1720年) 1650年 - ジェレミー・コリア(Jeremy Collier)、司教(+ 1726年) 1713年 - フェルナンド6世、スペイン王(+ 1759年) 1728年 - カルロ・アリオーニ、医師・植物学者(+ 1804年) 1740年(元文5年8月3日) - 後桜町天皇、第117代天皇(+ 1813年) 1759年 - クロティルデ・ディ・ボルボーネ=フランチア、サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ4世妃(+ 1802年) 1771年(明和8年8月15日) - 光格天皇、第119代天皇(+ 1840年) 1771年(明和8年8月15日) - 稲垣長続、志摩国鳥羽藩第4代藩主(+ 1819年) 1781年 - アンナ・フョードロヴナ、コンスタンチン・パヴロヴィチ大公妃(+ 1860年) 1781年 - ユリアーネ・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト(+ 1860年) 1782年 - ジャック・フェレオル・マザス(Jacques Féréol Mazas)、ヴァイオリニスト(+ 1849年) 1782年 - マクシミリアン・ツー・ヴィート=ノイヴィート(Prince Maximilian zu Wied-Neuwied)、博物学者、民族学者(+ 1867年) 1791年 - ヨハン・フランツ・エンケ、天文学者(+ 1865年) 1791年 - テオドール・ケルナー(Theodor Körner (author))、作家、軍人(+ 1813年) 1791年(寛政3年8月26日) - 池田定興、因幡国若桜藩第6代藩主(+ 1807年) 1799年 - シャルル・ジャン=バティスト・アミョ(Charles Jean-Baptiste Amyot)、昆虫学者(+ 1866年) 1800年 - ウィリアム・ホームズ・マクガフィー(William Holmes McGuffey)、作家(+ 1873年) 1812年(文化9年8月18日) - 松平定和、伊勢国桑名藩第2代藩主(+ 1841年) 1814年 - アンリ・ド・カステラーヌ(Henri de Castellane)、政治家(+ 1847年) 1814年(文化11年8月10日) - 一柳末延、播磨国龍野藩第9代藩主(+ 1855年) 1819年 - アルマン・フィゾー、光速度を測定した物理学者(+ 1896年) 1827年(文政10年8月3日) - 片桐貞中、大和国小泉藩第9代藩主(+ 1843年) 1838年 - ヴィクトリア・ウッドハル(Victoria Woodhull)、ジャーナリスト(+ 1927年) 1841年(天保12年8月9日) - 石川総管、常陸国下館藩第3代藩主(+ 1899年) 1846年 - アーサー・ヘスケス・グルーム、実業家、六甲山開発者(+ 1918年) 1849年 - フーゴ・フォン・ゼーリガー、天文学者(+ 1924年) 1851年 - エレン・ヘイズ(Ellen Hayes)、数学者、物理学者(+ 1930年) 1852年 - ジェームズ・キャロル・ベックウィズ、画家(+ 1917年) 1861年 - ロバート・ボッシュ、発明家、ロバート・ボッシュ創業者(+ 1942年) 1863年 - メリー・チャーチ・テレル(Mary Church Terrell)、作家(+ 1954年) 1865年 - シュザンヌ・ヴァラドン、画家(+ 1938年) 1865年 - ルー・バイアーバウアー、プロ野球選手(+ 1926年) 1865年 - ペッカ・ハロネン、画家(+ 1933年) 1865年 - バロネス・オルツィ、作家(+ 1947年) 1870年 - ジャック・キャリウ(Jacques Cariou)、馬術選手(+ 1951年) 1871年 - フランティセック・クプカ、画家(+ 1957年) 1874年 - フランシス・レーン、陸上競技選手(+ 1927年) 1876年 - モシェ・ツヴィ・シーガル(Moshe Zvi Segal)、ラビ、学者(+ 1968年) 1878年 - 青山士、土木技師(+ 1963年) 1880年 - ジョン・ボイド・オア、国際連合食糧農業機関(FAO)の初代長官(+ 1971年) 1882年 - 田中萬逸、政治家(+ 1963年) 1885年 - ロベール・リオッテル(Robert Liottel)、フェンシング選手(+ 1968年) 1887年 - 下村定、陸軍軍人、政治家(+ 1968年) 1889年 - ウォルター・リップマン、「冷戦」「ステレオタイプ」の生みの親の一人(+ 1974年) 1890年 - フリードリヒ・パウルス、陸軍軍人(+ 1957年) 1894年 - アルバート・リューイン(Albert Lewin)、映画プロデューサー(+ 1968年) 1895年 - ジョニー・モカン(Johnny Mokan)、野球選手(+ 1985年) 1896年 - 森信三、哲学者(+ 1992年) 1897年 - ポール・デルヴォー、画家(+ 1994年) 1897年 - ウォルター・ピジョン、俳優(+ 1984年) 1899年 - トム・C・クラーク(Tom C. Clark)、第59代アメリカ合衆国司法長官(+ 1977年) 1899年 - ルイーズ・ネヴェルソン、彫刻家(+ 1988年) 1900年 - ビル・ストーン(Bill Stone (Royal Navy sailor))、王立海軍軍人(+ 2009年) 1901年 - 細川一、医師(+ 1970年) 1901年 - ヤロスラフ・サイフェルト、作家(+ 1986年) 1902年 - 蘇歩青(Su Buqing)、数学者(+ 2003年) 1906年 - チャールズ・リッチー(Charles Ritchie (diplomat))、外交官、在米カナダ大使(+ 1995年) 1906年 - モーリス・フォンブール(Maurice Fombeure)、作家(+ 1981年) 1907年 - ドゥアルテ・ヌノ・デ・ブラガンサ、ブラガンサ公(+ 1976年) 1907年 - ドミニク・オーリー、小説家(+ 1998年) 1907年 - フィル・エドワーズ、陸上競技選手(+ 1971年) 1907年 - アルバート・アモンズ(Albert Ammons)、ピアニスト(+ 1949年) 1909年 - ロレンツ・アントニ(Lorenc Antoni)、作曲家(+ 1991年) 1911年 - フランク・モス(Frank Moss)、政治家(+ 2003年) 1912年 - トニー・スミス、美術家(+ 1980年) 1913年 - 吉田秀和、クラシック音楽評論家(+ 2012年) 1913年 - 田中朋次郎、騎手、調教師(+ 2003年) 1913年 - カール=ヘニング・ペダーセン(Carl-Henning Pedersen)、画家(+ 2007年) 1914年 - 東條輝雄、航空技術者、実業家(+ 2012年) 1915年 - クリフォード・シャル、物理学者(+ 2001年) 1915年 - ジュリアス・ベイカー(Julius Baker)、フルート奏者(+ 2003年) 1915年 - セルジオ・ベルトーニ(Sergio Bertoni)、サッカー選手、監督(+ 1995年) 1916年 - アルド・モーロ、政治家、イタリア首相、法務大臣(+ 1978年) 1917年 - 中西陽一、政治家、石川県知事(+ 1994年) 1917年 - エル・サント、プロレスラー(+ 1984年) 1917年 - アシマ・チャタジー(Asima Chatterjee)、化学者(+ 2006年) 1917年 - ネーメト・イムレ、陸上競技選手(+ 1989年) 1918年 - 平山菊二、元プロ野球選手(+ 1998年) 1919年 - ピエール・ロラン・ジョット(Pierre-Roland Giot)、考古学者(+ 2002年) 1920年 - ミッキー・ルーニー、俳優(+ 2014年) 1921年 - 布施正、騎手、調教師(+ 2001年) 1922年 - ルイーズ・ラサム(Louise Latham)、女優(+ 2018年) 1923年 - モハメド・ハサネイン・ハイカル(Mohamed Hassanein Heikal)、ジャーナリスト(+ 2016年) 1924年 - ジャン・ピア(Jean Piat)、俳優(+ 2018年) 1925年 - エレオノラ・ロッシ=ドラゴ、女優(+ 2007年) 1925年 - デニス・C・トゥウィチェット、中国研究者(+ 2006年) 1925年 - ジャン=シャルル・タケラ、脚本家 1926年 - ジョン・コルトレーン、ジャズサクソフォーン奏者(+ 1967年) 1926年 - アンドレ・カサーニュ、発明家、電気技師、玩具制作者(+ 2013年) 1929年 - シャーンドル・コチシュ、サッカー選手(+ 1979年) 1930年 - レイ・チャールズ、歌手(+ 2004年) 1930年 - コリン・ブレイクリー(Colin Blakely)、俳優(+ 1987年) 1931年 - ヒリー・クリスタル(Hilly Kristal)、クラブオーナー(+ 2007年) 1931年 - エドゥアール・J・モーニック(Édouard Maunick)、ムラートの詩人(+ 2021年) 1931年 - ジェラルド・メリシュー(Gerald Merrithew)、政治家(+ 2004年) 1934年 - 保利耕輔、政治家 1934年 - ペール・オーロフ・エンキスト(Per Olov Enquist)、ジャーナリスト、作家(+ 2020年) 1935年 - 御手洗冨士夫、実業家、キヤノン会長、第6代経団連会長 1935年 - フェントン・ロビンソン、ブルースギタリスト、歌手(+ 1997年) 1935年 - プレム・チョプラ(Prem Chopra)、俳優 1935年 - レス・マッキャン、ジャズ・ピアニスト、ボーカリスト 1935年 - ロン・ティンダル(Ron Tindall)、サッカー選手(+ 2012年) 1935年 - マルガリータ・ニコラエワ、体操選手(+ 1993年) 1936年 - バレンティン・パニアグア、政治家、ペルー大統領(+ 2006年) 1936年 - ジョージ・イーストハム(George Eastham)、サッカー選手 1937年 - ジャック・プーラン(Jacques Poulin)、作家 1938年 - ロミー・シュナイダー、女優(+ 1982年) 1938年 - ジャン=クロード・メジエール、漫画家(+ 2022年) 1938年 - マリア・パーシー(Maria Perschy)、女優 1939年 - ロイ・ブキャナン、ギタリスト、ブルースミュージシャン(+ 1988年) 1940年 - 沢田和猫、声優 1940年 - ゲルハルト・ヘンニゲ、陸上競技選手 1940年 - ディック・ソーネット(Dick Thornett)、水泳選手、ラグビーユニオン選手、ラグビーリーグ選手(+ 2011年) 1940年 - ミシェル・テメル、第37代ブラジル大統領 1941年 - ジョージ・ジャクソン、共産主義者、ブラックパンサー党の指導者 1941年 - ノーマ・ウィンストン、ジャズ・シンガー 1942年 - シーラ・マリア・カルデロン(Sila María Calderón)、プエルトリコ国務長官 1943年 - フリオ・イグレシアス、ミュージシャン 1943年 - マーティ・ショッテンハイマー、アメリカンフットボール選手、コーチ(+ 2021年) 1944年 - 守屋武昌、官僚 1944年 - リチャード・ランバート(Richard Lambert)、ジャーナリスト、大英博物館理事長 1944年 - ローレン・シュライヴァー(Loren Shriver)、宇宙飛行士 1945年 - イーゴリ・イワノフ、外交官、政治家、外務大臣 1945年 - アラン・オールド(Alan Old)、ラグビー選手 1946年 - 矢崎健治、元プロ野球選手 1946年 - 五十嵐洋一、プロ野球審判員 1946年 - フランツ・フィッシュラー(Franz Fischler)、政治家 1946年 - ベルナール・マリス、経済学者、作家、ジャーナリスト 1946年 - ダヴォリン・ポポヴィッチ(Davorin Popović)、歌手 1947年 - 清月輝、女優(+ 1970年) 1947年 - メアリー・ケイ・プレイス、女優 1947年 - クリスチャン・ボルデロー、アイスホッケー選手 1948年 - 小野進也、俳優 1949年 - ブルース・スプリングスティーン、ミュージシャン 1949年 - 畑野実、元プロ野球選手 1949年 - フロエラ・ベンジャミン(Floella Benjamin)、女優 1950年 - ディートマー・ローレンツ、柔道家 1950年 - ジョージ・ガゾーン(George Garzone)、サックス奏者 1952年 - デニス・ランプ(Dennis Lamp)、野球選手 1952年 - ジム・モリソン(Jim Morrison (baseball))、野球選手 1953年 - ユセフ・アムラニ、外交官 1954年 - シェリー・ブレア、弁護士、トニー・ブレア首相夫人 1954年 - チャーリー・バーネット、コメディアン(+ 1996年) 1956年 - パオロ・ロッシ、サッカー選手(+ 2020年) 1956年 - ピーター・デヴィッド(Peter David)、作家・ライター 1956年 - リリ・カラティ(Lilli Carati)、女優(+ 2014年) 1957年 - 石塚元章、報道記者 1957年 - トニー・フォサス(Tony Fossas)、野球選手 1958年 - ダニエル・ダックス(Danielle Dax)、ミュージシャン 1958年 - ラリー・マイズ、プロゴルファー 1959年 - 藤原カムイ、漫画家 1959年 - ロザリンド・チャオ、女優 1959年 - ジェイソン・アレクサンダー、俳優 1959年 - ハンス・ナイマン、総合格闘家 1959年 - エリザベス・ペーニャ、女優 1959年 - マーティン・ペイジ、歌手 1960年 - 石山東吉、漫画家 1960年 - カート・ベイヤー、プロレスラー 1962年 - 川平慈英、タレント 1963年 - 勝呂壽統、元プロ野球選手 1963年 - 山根ミチル、ゲーム音楽作曲家 1963年 - ハオ・モニラット、外交官 1963年 - ガブリエレ・ラインシュ、陸上競技選手 1964年 - イジリー岡田、タレント 1964年 - 稲葉浩志、ミュージシャン(B'z) 1964年 - 床嶋佳子、女優 1965年 - アレカ・ハモンド、政治家 1965年 - 小川睦彦、パラリンピック自転車競技選手 1965年 - 川原尚行、医師、NPO法人ロシナンテス理事長 1965年 - 佐藤俊彦、津軽三味線奏者 1965年 - 藤井かほり、女優 1965年 - マーク・ウッドフォード、プロテニス選手 1965年 - 益田明典、元プロ野球選手 1966年 - 北瀬佳範、ゲームプロデューサー 1967年 - 中山雅史、サッカー選手 1967年 - 叶美香、タレント、グラビアアイドル 1968年 - 阿部和重、小説家 1968年 - 島袋優、ミュージシャン(BEGIN) 1969年 - 鈴木杏樹、女優 1970年 - 初田啓介、アナウンサー 1971年 - 西村修、プロレスラー、政治家 1971年 - 松田賢二、俳優 1971年 - 出口雄大、元プロ野球選手 1972年 - 渡部建、お笑いタレント(アンジャッシュ) 1972年 - 加藤将之、 声優 1973年 - 服部年宏、元サッカー選手 1973年 - 布部陽功、元サッカー選手、指導者 1973年 - 下山さおり、元アナウンサー 1973年 - 普天間かおり、 シンガーソングライター 1973年 - レネ・ローゼ、フィギュアスケート選手 1973年 - 河井案里、政治家 1974年 - エリック・ノット、元プロ野球選手 1974年 - 井上晴美、女優 1975年 - 先野久美子、元バレーボール選手 1975年 - みょーちゃん、お笑い芸人 1976年 - 金丸義信、プロレスラー 1977年 - 城咲仁、タレント 1978年 - ニッチロー、ものまねタレント 1979年 - 三遊亭美るく、落語家 1980年 - Syu、ギタリスト 1982年 - 韓寒、作家 1983年 - 鈴木歩、囲碁女流棋士 1983年 - アルビス・オヘイダ、元プロ野球選手 1984年 - 相川友希、アイドル(元SDN48) 1985年 - うえむらちか、女優 1985年 - 後藤真希、女優、歌手(元モーニング娘。) 1985年 - ジョバ・チェンバレン、元プロ野球選手 1985年 - 川澄奈穂美、サッカー選手 1985年 - くぼたみか、元グラビアアイドル 1986年 - 廣田詩夢、元声優 1986年 - ミゲル・ゴンサレス、プロ野球選手 1986年 - 皇風俊司、元大相撲力士 1987年 - 谷内伸也、歌手 1987年 - 小林悠、サッカー選手 1987年 - ゴンザレス・ヘルメン、プロ野球選手 1988年 - 木村了、俳優 1988年 - 堂上直倫、プロ野球選手 1988年 - 宝城カイリ、プロレスラー 1989年 - トレバー・メイ、プロ野球選手 1989年 - 押谷祐樹、サッカー選手 1989年 - わたなべ麻衣、モデル、タレント、女優 1990年 - 寺島咲、女優 1990年 - 崇岡白、元俳優 1990年 - 鍵谷陽平、プロ野球選手 1990年 - 武富孝介、サッカー選手 1990年 - ローラン・アルヴァレス、フィギュアスケート選手 1991年 - 朝倉あき、女優 1991年 - 岩本乃蒼、アナウンサー、元ファッションモデル 1991年 - 高田秋、タレント、ファッションモデル 1991年 - メラニー・ウダン、テニス選手 1991年 - ダニエル・ドッツァウアー、フィギュアスケート選手 1991年 - 小林大紀、声優 1991年 - キー、アイドル、俳優、タレント(SHINee) 1992年 - ダイラン・アンスワース、プロ野球選手 1994年 - 静実芽、元グラビアアイドル 1995年 - 小林愛実、ピアニスト 1997年 - 武井証、俳優 1997年 - 兼子真衣、アナウンサー 1997年 - ともやん、YouTuber、バスケットボール選手 1998年 - 寺田蘭世、元アイドル(元乃木坂46) 1999年 ‐ 牧丈一郎、プロ野球選手 1999年 - ウギ、アイドル((G)I-DLE) 2001年 - ライ・グァンリン、アイドル(元Wanna One) 生年不明 - 眞水徳一、声優 忌日 79年 - ウェスパシアヌス、ローマ皇帝(* 9年) 788年 - アルフワルド1世(Ælfwald I of Northumbria)、ノーサンブリア王(* 759年または767年) 1173年(承安3年8月15日) - 藤原育子、二条天皇中宮(* 1146年) 1267年 - ベアトリス・ド・プロヴァンス、プロヴァンス女伯(* 1229年?) 1281年(弘安4年8月9日) - 北条宗政、鎌倉幕府評定衆(* 1253年) 1334年(建武元年8月25日) - 二条兼基、鎌倉時代の公卿(* 1268年) 1386年 - ダン1世(Dan I of Wallachia)、ワラキアのヴォイヴォダ(* 1354年) 1455年(康正元年8月12日) - 千葉胤宣、室町時代の武将(* 1445年) 1461年 - カルロス、ピアナ公(* 1421年) 1465年(寛正6年9月3日) - 大内教弘、周防国の守護大名(* 1420年) 1484年(文明16年9月4日) - 一色義春、若狭国の守護大名(* 1466年) 1508年 - ベアトリーチェ・ダラゴーナ、ナポリ王女(* 1457年) 1555年(弘治元年9月8日) - 朝倉宗滴、戦国武将(* 1477年) 1573年(天正元年8月27日) - 浅井久政、近江国の戦国大名(* 1526年) 1581年(天正9年8月26日) - 二階堂盛義、戦国武将(* 1544年?) 1715年(正徳5年8月26日) - 森川許六、俳人(* 1656年) 1728年 - クリスティアン・トマジウス、哲学者(* 1655年) 1738年 - ヘルマン・ブールハーフェ、医学者(* 1668年) 1751年(寛延4年8月4日) - 荷田在満、国学者(* 1706年) 1789年 - サイラス・ディーン、外交官、諜報員(* 1737年) 1803年(享和3年8月8日) - 大久保忠顕、小田原藩主(* 1760年) 1820年 - フランソワ・クリストフ・ケレルマン、フランス軍の名誉元帥(* 1735年) 1826年(文政9年8月22日) - 神保綱忠、米沢藩士、儒学者(* 1743年) 1830年 - エリザベス・モンロー、アメリカ合衆国のファーストレディ(* 1768年) 1835年 - ヴィンチェンツォ・ベッリーニ、作曲家(* 1801年) 1858年(安政5年8月17日) - 土岐村路、曲亭馬琴の筆記助手(* 1806年) 1859年(安政6年8月27日) - 鵜飼吉左衛門、水戸藩士(* 1798年) 1859年(安政6年8月27日) - 安島帯刀、水戸藩家老(* 1811年) 1859年(安政6年8月27日) - 茅根伊予之介、水戸藩士(* 1824年) 1859年(安政6年8月27日) - 鵜飼幸吉、水戸藩士(* 1828年) 1864年(元治元年8月23日) - 立原朴二郎、水戸藩士(* 1832年) 1870年 - プロスペル・メリメ、小説家(* 1803年) 1873年 - ジャン・シャコルナク、天文学者(* 1823年) 1876年 - 安井息軒、儒学者(* 1799年) 1877年 - ユルバン・ルヴェリエ、天文学者(* 1811年) 1881年 - 伊良子光順、典薬寮の医師(* 1823年) 1882年 - フリードリヒ・ヴェーラー、化学者(* 1800年) 1889年 - ウィルキー・コリンズ、小説家(* 1824年) 1890年 - ローレンツ・フォン・シュタイン、社会学者、法学者(* 1815年) 1892年 - ジョン・ポープ、アメリカ陸軍の少将(* 1822年) 1896年 - イーヴァル・オーセン、言語学者、文献学者、詩人(* 1813年) 1904年 - エミール・ガレ、ガラス工芸家、デザイナー(* 1846年) 1912年 - 横山作次郎、柔道家(* 1864年) 1919年 - アンニーバレ・リッコ、天文学者(* 1844年) 1920年 - 赤松則良、日本海軍の中将、貴族院議員(* 1841年) 1929年 - リヒャルト・ジグモンディ、化学者(* 1865年) 1938年 - 井上角五郎、政治家、実業家(* 1860年) 1939年 - ジークムント・フロイト、精神科医(* 1856年) 1939年 - 岡田三郎助、洋画家(* 1869年) 1951年 - 2代目立花家花橘、落語家(* 1884年) 1952年 - 大井上康、農学者(* 1892年) 1968年 - 野田高梧、脚本家(* 1893年) 1970年 - ブールヴィル、俳優、コメディアン(* 1917年) 1973年 - A・S・ニイル、教育者、サマーヒル・スクール創設者(* 1883年) 1973年 - パブロ・ネルーダ、詩人(* 1904年) 1974年 - 花田清輝、評論家(* 1909年) 1976年 - ロジェ・ブールダン、フルート奏者(* 1923年) 1978年 - ライマン・ボストック、プロ野球選手(* 1950年) 1987年 - ルイス・ケントナー、ピアニスト(* 1905年) 1987年 - ボブ・フォッシー、映画監督、振付師(* 1927年) 1990年 - 徳永正利、参議院議長(* 1913年) 1992年 - ジェームズ・ヴァン・フリート、アメリカ陸軍の将軍(* 1892年) 1994年 - マドレーヌ・ルノー、女優(* 1900年) 1994年 - ロバート・ブロック、小説家(* 1917年) 1994年 - 京塚昌子、女優(* 1930年) 1995年 - 松枝茂夫、中国文学者(* 1905年) 1996年 - 児玉三夫、教育学者(* 1915年) 1996年 - 藤子・F・不二雄、漫画家(* 1933年) 1997年 - 天城山猪太夫、大相撲力士(* 1906年) 2000年 - 工藤栄一、映画監督(* 1929年) 2001年 - ロバート・エイブル、映像作家(* 1937年) 2003年 - 松田博明、アマチュア野球指導者(* 1926年) 2006年 - マルコム・アーノルド、作曲家(* 1921年) 2006年 - 梶本隆夫、元プロ野球選手、プロ野球監督(* 1935年) 2006年 - アラダー・ペゲ、ジャズベーシスト(* 1939年) 2008年 - ウィリアム・ウッドラフ、歴史家、作家(* 1916年) 2008年 - 森田成美、経済学者、広島大学名誉教授(* 1929年) 2008年 - ソーニャ・サヴィッチ、女優(* 1961年) 2009年 - 中平幸典、信金中央金庫理事相談役・元理事長、元大蔵省国際金融局長(* 1939年) 2009年 - エルトゥールル・オスマン、オスマン家第43代家長(* 1912年) 2010年 - ジェラルド・S・レッサー、心理学者、幼児番組『セサミストリート』チーフアドバイザー(* 1926年) 2011年 - 児玉輝代、俳人(* 1926年) 2011年 - 五十嵐喜芳、声楽家、テノール歌手(* 1928年) 2011年 - アキコ・カンダ、舞踏家、ダンサー、振付家(* 1935年) 2013年 - 、経済学者(* 1940年) 2014年 - ドン・マノキャン、プロレスラー(* 1934年) 2014年 - ヨーガン・レール、ファッションデザイナー(* 1944年) 2015年 - 中村勝広、元プロ野球選手、監督(*1949年) 2016年 - 稲村雲洞、書家(* 1924年) 2018年 - 宮田光、俳優、声優(* 1930年) 2018年 - チャールズ・K・カオ、物理学者 (* 1933年) 2018年 - 滝内弥瑞生、元プロ野球選手(* 1935年) 2020年 - ジュリエット・グレコ、シャンソン歌手(* 1927年) 記念日・年中行事 秋分(2015年・2017年・2018年・2019年・2021年・2022年・2023年など) 二十四節気のひとつ。昼と夜の長さがほぼ同じになる日。 秋の社日(、このころ)※秋分に最も近い戊の日 秋分の日()※秋分の場合(2012年~2043年は4で割り切れない年が該当) 国民の祝日の一つ。「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日。 建国記念日() 1932年のこの日、ハッサ、カティフ、ナジュド、ヒジャーズが統一してサウジアラビア王国が成立した。 テニスの日() 日本テニス協会と日本プロテニス協会が1998年に制定。 不動産の日() 全国宅地建物取引業協会連合会(全宅連)が1984年に制定。秋は不動産取引が活発になる時期であることと、「ふ(二)どう(十)さん(三)」の語呂合せから。 万年筆の日 1809年のこの日、イギリスのフレデリック・バーソロミュー・フォルシュが万年筆の原型となる軸内にインクを貯蔵できるペンを考案し、特許を取得したことから。 海王星の日 1846年のこの日、ヨハン・ゴットフリート・ガレがユルバン・ルヴェリエの予測を基にした観測によって海王星を発見したことから。#できごとも参照。 リトアニア・ユダヤ人・ジェノサイドの日() フィクションのできごと 年不明 - 木曜日、午後ジェイムズ・シェパード医師はエルキュール・ポアロにアクロイド家の家政婦エリザベス・ラッセルの来訪(第20章)まで書いた手記を手渡す。手記を読んだポアロは夜に関係者をからまつ荘に集め事件の真相を明日ラグラン警部に告げると言う。(小説『アクロイド殺し』第23章から第24章) 197x年 - 科学者、雨村征男が乗ったとされるYS11A型旅客機が、北アルプス上空で自衛隊機F-104ジェット戦闘機と衝突し、墜落、遭難する。(テレビドラマ『腐蝕の構造』。原作小説では7月18日) 1975年 - 国道2号線で交通事故発生。(小説『博士の愛した数式』) 誕生日(フィクション) 1968年 - 結城晶(アキラ)、ゲーム・アニメ『バーチャファイター』の主人公 2016年 - ピーター・ラートリー、漫画・アニメ『約束のネバーランド』に登場するキャラクター(+ 2047年) 2075年 - クロウ・F・アルメディオ、ゲーム『スターオーシャン4 -THE LAST HOPE-』に登場するキャラクター 生年不明 - 國崎出雲、漫画・ドラマCD『國崎出雲の事情』の主人公 生年不明 - ガウ、ゲーム『キングスレイド』に登場するキャラクター 生年不明 - 神崎・H・アリア、小説・アニメ『緋弾のアリア』のメインヒロイン 生年不明 - 加藤恵、ライトノベル・アニメ『冴えない彼女の育てかた』のメインヒロイン 生年不明 - エミリア、ライトノベル・アニメ『Re:ゼロから始める異世界生活』のヒロイン 生年不明 ‐ 錦木千束、アニメ『リコリス・リコイル』の主人公 生年不明 - ルールー・アムール(愛のプリキュア:キュアアムール) 、アニメ『HUGっと!プリキュア』に登場するキャラクター 生年不明 - チターナ、アニメ『ジュエルペット』に登場するキャラクター 生年不明 - ウーロン、漫画・アニメ『ドラゴンボール』に登場するキャラクター 生年不明 - 塩崎哲士、漫画・アニメ『SLAM DUNK』に登場するキャラクター 生年不明 - 玉川よしお、漫画・アニメ『テニスの王子様』に登場するキャラクター 生年不明 - 本城狂死郎(黒板八郎)、漫画・アニメ『銀魂』に登場するキャラクター 生年不明 - 山中いの、漫画・アニメ『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター 生年不明 - 奈良シカダイ、漫画・アニメ『BORUTO-ボルト-NARUTO NEXT GENERSTION』に登場するキャラクター 生年不明 - 高橋千秋(キャプテン)、漫画・アニメ『SKET DANCE』に登場するキャラクター 生年不明 - 奴良リクオ、漫画・アニメ『ぬらりひょんの孫』に登場するキャラクター 生年不明 - 実渕玲央、漫画・アニメ『黒子のバスケ』に登場するキャラクター 生年不明 - 八百万百(クリエティ)、漫画・アニメ『僕のヒーローアカデミア』に登場するキャラクター 生年不明 - 櫻井香月、漫画『ものの歩』に登場するキャラクター 生年不明 - 湯瀬こまち、漫画・アニメ『ジモトがジャパン』に登場するキャラクター 生年不明 - 道端信二、漫画・アニメ『東京喰種』に登場するキャラクター 生年不明 - 東堂葵、漫画・アニメ『呪術廻戦』に登場するキャラクター 生年不明 - 佐藤真悟、漫画・アニメ『オフサイド』に登場するキャラクター 生年不明 - HEVN、漫画・アニメ『GetBackers-奪還屋-』に登場するキャラクター 生年不明 - 鬼怒川綾乃、漫画・アニメ『スクールランブル』に登場するキャラクター 生年不明 - 古葉遥奈、漫画・アニメ『君のいる町』に登場するキャラクター 生年不明 - シム、漫画・アニメ『アラタカンガタリ〜革神語〜』に登場するキャラクター 生年不明 - 相模玲、漫画・アニメ『こどものおもちゃ』に登場するキャラクター 生年不明 - 羽柴嵐士、漫画・アニメ『HIGH SCORE』に登場するキャラクター 生年不明 - 羽柴泉水、漫画・アニメ『HIGH SCORE』に登場するキャラクター 生年不明 - グランドマザー(天地秋乃 グランマ)、漫画・アニメ『ARIA』に登場するキャラクター 生年不明 - ヴィンセント=ナイトレイ(ヴィンス)、漫画・アニメ『PandoraHearts』に登場するキャラクター 生年不明 - 茶倉由衣、漫画・アニメ『CRASH!』に登場するキャラクター 生年不明 - クラスティ、小説・漫画『ログ・ホライズン』に登場するキャラクター 生年不明 - 御堂巴、アニメ・ゲーム『バトルアスリーテス大運動会』に登場するキャラクター 生年不明 - アンチョビ、アニメ・漫画・ゲーム『ガールズ&パンツァー』に登場するキャラクター 生年不明 - 白鳥音緒、アニメ『魔法少女大戦』に登場するキャラクター 生年不明 - 日和正勝、アニメ『イナズマイレブン アレスの天秤』に登場するキャラクター 生年不明 - 椎拳崇、ゲーム『ザ・キング・オブ・ファイターズ』シリーズに登場するキャラクター 生年不明 - 水瀬秋子、ゲーム・アニメ『Kanon』に登場するキャラクター 生年不明 - 平知盛、ゲーム・アニメ『遙かなる時空の中で3』に登場するキャラクター 生年不明 - 草壁美鈴、ゲーム・漫画・アニメ『11eyes』に登場するキャラクター 生年不明 - ナオ、ゲーム『ドリームクラブ』シリーズに登場するキャラクター 生年不明 - 小嶺幸、ゲーム・アニメ『グリザイアの果実』に登場するキャラクター 生年不明 - 埋音陽鳥、ゲーム『はーとふる彼氏』に登場するキャラクター 生年不明 - セブン、ゲーム『ファイナルファンタジー零式』に登場するキャラクター 生年不明 - 小倉愛、ゲーム・アニメ『ガールフレンド(仮)』に登場するキャラクター 生年不明 - スペルヴィア、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター 生年不明 - 成海遥香、ゲーム・アニメ「バトルガールハイスクール」に登場するキャラクター 生年不明 - 青山樹、ゲーム・アニメ『スタンドマイヒーローズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 愛場純、ゲーム・漫画・アニメ『アイドル事変』に登場するキャラクター 生年不明 - 初瀬麻里安、ゲーム・アニメ『八月のシンデレラナイン』に登場するキャラクター 生年不明 - クオ、ゲーム・アニメ『キラッとプリ☆チャン』に登場するキャラクター 生年不明 - 幽谷霧子、ゲーム『アイドルマスター シャイニーカラーズ』に登場するキャラクター 生年不明 - エース・トラッポラ、ゲーム『ディズニー ツイステッドワンダーランド』に登場するキャラクター 生年不明 - 早坂絋平、ゲーム・アニメ『From ARGONAVIS』に登場するキャラクター 生年不明 - 可憐、メディアミックス『シスター・プリンセス』に登場するキャラクター 生年不明 - 管野直枝、メディアミックス『ストライクウィッチーズ』に登場するキャラクター 出典 関連項目
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E8%B1%A1%E4%BA%88%E5%A0%B1%E5%A3%AB
気象予報士
気象予報士(きしょうよほうし)は、日本の国家資格の一つで、気象業務法第3章の2に基づき、指定試験機関(気象業務法第24条の5、一般財団法人気象業務支援センター)が実施する知識及び技能についての試験(以下、気象予報士試験という)に合格した者(同法第24条の4)であって、気象庁長官による登録(同法第24条の20)を受けた者をいう。 1993年(平成5年)の気象業務法改正によって、気象庁以外の者に対する予報業務の許可が一般向け予報業務についても実施されることになった際、その予報業務の技術水準及び信頼性を担保するための予想担当者の技能試験として創設された。第1回試験は、1994年(平成6年)8月28日に実施されている。 概要 気象庁長官の許可を受けて予報業務を行う予報業務許可事業者は、予報業務を行う事業所ごとに気象予報士を置かなければならず(同法19条の2)、予報業務のうち現象の予想については、気象予報士に行わせなければならない(同法19条の3)。 予報業務許可事業者は、一日当たりの現象の予想を行う時間に応じて、所要の人数の専任の気象予報士を置かなければならない(気象業務法施行規則第11条の2)。ただし、気象予報士と予報業務許可事業者との間に雇用などの専属の関係は必要ではなく、気象予報士は、複数の事業者のために現象の予想を行うこともできる。 ただし、2007年(平成19年)の気象業務法の改正により新たに許可されることになった地震動(緊急地震速報)および火山現象の予報業務については、気象予報士を置く必要はなく、これとは別に所定の技術基準に適合した方法により現象の予想を行うこととされている。 この資格が新設された当初、テレビの気象解説者が試験を受けて話題になったが、現象の予想を伴わない単なる天気解説(気象庁や気象予報会社の発表した予報を解説するだけ)には、気象予報士の資格は必要ないため、以前からお天気お姉さんと通称される女性キャスターが登用されることもあった(予報は日本気象協会の職員が行う)。NHK・民間放送とも、気象予報士の資格を持つアナウンサーもみられる。 自衛隊において気象予報士は、予報官として幹部任用資格となっている他、技術曹制度の対象でもある。 2021年(令和3年)3月12日現在、気象予報士名簿に登録された気象予報士の数は、10,840名となっている。男女比は男性 88%、女性12%。気象予報士のうち、予報業務許可事業者に就職している者は700名程度、そのうち現象の予想を担当しているのは400 - 450名程度とみられる。 一方、予報業務許可事業以外の業界において、多くの気象予報士が、経営判断のための気象情報の分析、報道・教育等用の気象コンテンツの作成等に携わっており、制度の目的外で活用される資格ともなっている。 気象予報士の団体として日本気象予報士会があるが、これは弁護士会などと違い、任意加入団体である。気象関連業務従事者の加入割合は少なく、また、活動のほとんどが同好会のような性格であることから、加入率は、4割を下回っている(詳しくは日本気象予報士会の項目参照)。 2021年(令和3年)4月現在の史上最年少合格者は、2017年(平成29年)に11歳11か月で合格した北海道北見市の小学6年生の女子で、4度目の受験で合格した。男性最年少は2021年(令和3年)に12歳0か月で合格した福岡市の小学6年生で、同じく4度目の受験での合格だった。最年長は1998年(平成10年)に74歳10か月で合格した元・高校教諭の男性。 国家試験 気象予報士試験は8月と翌年1月の日曜日に一年度2回行われている。法律では年1回以上と定められているが、2020年(令和2年)現在、一年度2回が通例となっている。合格率は第1 - 4回頃まで現業の受験者が多かったことから高めに推移した(過去最高は第1回の18.0%)。その後は4 - 6%台で推移し、平均の合格率は約5%である。2012年(平成24年)8月の第38回(通回)試験において沖縄会場で実施予定の試験が台風15号の影響で同試験史上初の延期となった。 受験資格 制限なし(年齢・学歴等に関係なく受験可能であるが、気象業務法による処分を受けた場合を除く) 試験科目 学科試験(多肢選択式) 予報業務に関する一般知識(60分間) 大気の構造 大気の熱力学 降水過程 大気における放射 大気の力学 気象現象 気候の変動 気象業務法その他の気象業務に関する法規 予報業務に関する専門知識(60分間) 観測の成果の利用 数値予報 短期予報・中期予報 長期予報 局地予報 短時間予報 気象災害 予想の精度の評価 気象の予想の応用 実技試験1、2(記述式)…各75分間 気象概況及びその変動の把握 局地的な気象の予想 台風等緊急時における対応 学科試験に合格して実技試験に不合格だった、または学科試験の一部のみ合格点を取った者は、その後1年間(試験2回)、合格点を取った試験が免除される。また、気象庁または自衛隊で予報の実務経験がある者などについても、学科試験の免除制度が用意されている。 合格基準 学科試験(予報業務に関する一般知識):15問中正解が11以上 学科試験(予報業務に関する専門知識):15問中正解が11以上 実技試験:総得点が満点の70%以上 (※ ただし、難易度により調整される場合がある) 試験地 北海道・宮城県・東京都・大阪府・福岡県・沖縄県の6都道府県で行われる。なお、一つの試験地で試験会場は複数ある場合がある。 試験手数料 免除科目なし - 11,400円 学科一科目が免除 - 10,400円 学科二科目が免除 - 9,400円 著名人の合格者 石原良純 - タレント 三浦奈保子 - タレント 小林豊 - TBS社員、元アナウンサー 市川寛子 - テレビ朝日社員、元アナウンサー 窪塚俊介 - 俳優 片岡信和 - 俳優 清原博 - 国際弁護士 泉麻人 - コラム二スト 3代目桂文之助 - 落語家 春風亭昇吉 - 落語家 春日萌花 - プロレスラー 武藤十夢 - AKB48 阿部亮平 - ジャニーズ事務所「Snow Man」 矢部太郎 - お笑い芸人「カラテカ」 藤井ペイジ - お笑い芸人「飛石連休」 白坂みあん - AV女優 南雲穂波 - 名古屋テレビアナウンサー 桜沢信司 - CBCテレビ社員、元アナウンサー 沢朋宏 - CBCテレビアナウンサー 古川枝里子 - CBCテレビアナウンサー 磯貝初奈 -フリーアナウンサー、 元・中京テレビアナウンサー 福島智之 - 東海テレビアナウンサー 山岸愛梨 - ウェザーニューズキャスター 脚注 注釈 出典 関連項目 天気予報 予報業務許可事業者 気象業務法 気象学者 - 予報ではなく研究に従事している 日本の歴史・地理に関する資格一覧 まんてん おかえりモネ 外部リンク 気象庁ホームページ 一般財団法人気象業務支援センター 気象庁 気象事業 日本の国家資格 名称独占資格 地理の資格
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2100年代
2100年代(にせんひゃくねんだい)は、 西暦(グレゴリオ暦)2100年から2109年までの10年間を指す十年紀。本項で詳述する。 西暦2100年から2199年までの100年間を指す。22世紀とほぼ同じ意味であるが、開始と終了の年が1年ずれている。 この項目では、国際的な視点に基づいた2100年代について記載する。 予定・予測される主な出来事 現時点ではこの時代がどのようなものになるかを決定することは極めて困難である。よって確実に起こると予測される事象はごく限られたものとなっている。 2100年頃を目安にした予測 21世紀初頭において、同世紀の最終年にあたる2100年頃を目安にした様々な予測が出されている。 人口に関する予測(国際連合経済社会局による「世界人口推計2019年版」の中位推計値) この頃の世界人口は約110億人となる。 日本の人口が約7,500万人にまで減少する可能性がある。 気候変動に関する予測(気候変動に関する政府間パネル (IPCC) の報告に基づくシミュレーション結果) 地球の平均気温は21世紀初頭と比較して3℃上昇する(地球温暖化)。高緯度の地域ほど上昇幅が大きい。 日本では、東京・北陸の真夏日が21世紀初頭よりも100日以上増加する。 海水面の上昇により、ツバルやモルディブが水没。多数の環境難民が発生する。 アマゾン熱帯雨林の草原化が進行する。 その他 2102年 - ポラリス(現在の北極星)が天の北極に最も接近する。 2107年12月31日 - FAT12からexFATまでのFATシリーズの日付の許容範囲を超える。 フィクションのできごと 時代表記が「20XX年」とされている作品における表記の変化が2100年までに全て起きる。 2100年 - 宇宙時代に対応するために「地球大学」が設立された。宇宙学を学ぶひろみはパイロット志願であり、その卒業試験に挑もうとしている(バーニングフォース)。 2101年 - 合衆国資源輸送艦グラハム号が、月面軌道上で連合軍巡洋艦バイカルの自動迎撃装置誤作動によって撃沈されるという「グラハム号事件」が発生。これをきっかけとして第四次世界大戦が勃発(重装機兵ヴァルケン)。 2100年頃 - イオリア・シュヘンベルグが戦争根絶を目的にソレスタルビーイング創設(機動戦士ガンダム00)。 2102年10月23日 - 『再生の日』。各分野において才能のある人物達を収容した地下シェルター「Vault 76」の扉が開かれ、放たれた人々はアメリカ再建のため核兵器によって荒廃した土地「アパラチア」へと踏み出すこととなる(Fallout 76)。 2105年頃 - Buy N. Large社によるクリーンアップ作戦が開始(ウォーリー)。 2100年。世界各国は手を結び「世界鉄道評議会」を発足させ、地上以外でも走行可能となる新鉄道システム「レーザーレール」の開発に着手した。このレーザーレールを走行する車両「トレインヒーロー」は人工知能を搭載し、人型ロボットに変形することができる。彼らは「トレインベース」と称する基地で日夜訓練を積むと同時に、世界中の災害現場で救助作業にあたる任務を遂行する。 (トレインヒーロー) 脚注 注釈 出典 関連項目 十年紀の一覧 年表 年表一覧
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鮎川哲也
は、日本の小説家。本名、。東京府に生まれ、大連に育つ。拓殖大学商学部卒。 アリバイ崩しを得意とし、『ペトロフ事件』『黒いトランク』『人それを情死と呼ぶ』など、鬼貫警部を探偵役とする本格推理小説を発表。ほか『りら荘事件』『死者を笞打て』などの長編小説や多数の短編小説を執筆し、さらにはアンソロジーの編纂や、新人の育成などにも力を尽くした。 経歴 1919年2月14日、東京府巣鴨に生まれた。父が南満州鉄道地質調査所の測量技師となったため、小学3年生のときに一家で満州大連に移り住み、旧制中学を卒業するまでここで過ごした。東京の音楽関係の上級学校に進学するが、肋膜炎を患い退学し満州に戻る。1938年、拓殖大学予科に入り、商学部に進むが、病のため満州に戻ることが多かった。この間に推理小説を読み始め、クロフツの『ポンスン事件』に影響され、『ペトロフ事件』を書きあげたが、原稿は引き上げの際に紛失してしまった。1944年、父の定年退職に伴い東京に戻るが、戦禍に遭い九州に疎開。 戦後に上京し、GHQ勤務のかたわら、那珂川透、薔薇小路棘麿、青井久利、中河通、宇田川蘭子など多数の筆名で雑誌に投稿。1948年、『ロック』1月号に「月魄」(那珂川透名義)、8月号に「蛇と猪」(薔薇小路棘麿名義)を発表。1950年、『宝石』100万円懸賞の長篇部門に『ペトロフ事件』(本名の中川透名義)が第一席で入選し、本格デビューしたが、出版社との関係がこじれ、この作品は出版されなかった。1956年、公募で充てることになった講談社の『書下ろし長篇探偵小説全集』第13巻に、『黒いトランク』を応募し、当選。筆名を鮎川哲也に改める。この2作で探偵役を務める鬼貫警部は、主にアリバイ・トリックを主眼とした小説で活躍する。 1959年に、星影龍三が登場する『りら荘事件』を発表。 1960年には、『憎悪の化石』と『黒い白鳥』により、第13回日本探偵作家クラブ賞を受賞。社会派推理小説が主流となる中で、松本清張の『点と線』を意識して『人それを情死と呼ぶ』(1961年)を書くなど、寡作ながらも以後も一貫して本格推理小説を書き続ける。1972年から、銀座・三番館のバーテンを探偵役としたシリーズを開始。1964年に推理作家の芦川澄子と結婚、3年後に離婚したものの、のちに復縁した。 1955年発表(中川透名義、未完)の少年物『魔人鉄仮面』では、藤巻探偵と助手のアキラ君が登場。両者は以後鮎川作品の少年物では複数回登場する。鮎川名義での再デビュー初期には、鳥羽ひろし君シリーズ、三吉少年シリーズ、一夫と豪助シリーズなど少年物の執筆量が大人向けよりも多かった時期もある。 創作以外にも、アンソロジーの編纂を通して、戦前の作家・作品を発掘。また後進の育成にも力を入れ、1988年には自らのデビューに倣い、東京創元社から「鮎川哲也と十三の謎」と題したシリーズを刊行し、若手作家に発表の場を与えた。第12巻として予告された新作『白樺荘事件』の刊行が期待されていたが、未完となった。1990年に、東京創元社主催の長編推理小説新人賞である鮎川哲也賞が創設される。1993年からは、『本格推理』の編集長として、新人作家の発掘に尽力した。クラシックを中心に音楽にも造詣が深く、唱歌の作詞・作曲者を訪ねるエッセイ集『唱歌のふるさと』がある。 2001年に、本格推理小説への多大な貢献を評価され、第1回本格ミステリ大賞特別賞を受賞。翌年9月24日に、83歳で死去した。没後、第6回日本ミステリー文学大賞を贈られた。 主要作品 全集 鮎川哲也長編推理小説全集(全6巻/1975年 - 1976年、立風書房) 黒いトランク(ペトロフ事件 / 赤い密室 / 黒いトランク) 憎悪の化石(りら荘事件 / 憎悪の化石) 黒い白鳥(黒い白鳥 / 人それを情死と呼ぶ) 砂の城(砂の城 / 偽りの墳墓) 死のある風景(死のある風景 / 宛先不明) 風の証言(積木の塔 / 風の証言 / 達也が嗤う:犯人当て小説) 鮎川哲也短編推理小説選集(全6巻/1978年 - 1979年、立風書房) 五つの時計 青い密室 プラスチックの塔 黒い版画 新赤髪連盟 写楽が見ていた 鬼貫警部もの 長編 ペトロフ事件(1950年4月、『別冊宝石』/1960年11月、光風社) - 鮎川が影響を受けた作家・クロフツの「ポンスン事件」を連想させる表題。初出時は「中川透」名義 黒いトランク(1956年7月、講談社〈書下ろし長篇小説全集〉) - 前作に続いて、クロフツ「樽」を思わせる趣向。 黒い白鳥(1959年7月 - 12月、『宝石』/1960年2月、講談社) 憎悪の化石(1959年11月、講談社〈書下ろし長編推理小説シリーズ〉) 人それを情死と呼ぶ(1961年6月、東都書房〈東都ミステリー〉) 砂の城(1963年4月、中央公論社) 偽りの墳墓(1963年7月、文藝春秋新社〈ポケット文春〉 死のある風景(1965年1月、講談社) 宛先不明(1965年7月、学習研究社〈ガッケン・ブックスミステリー〉) 準急ながら(1966年6月、文藝春秋〈ポケット文春〉) 積木の塔(1966年12月、読売新聞社〈新本格推理小説全集〉) 鍵孔のない扉(1969年6月、光文社〈カッパ・ノベルス〉) 風の証言(1971年11月、毎日新聞社) 戌神はなにを見たか(1976年2月、講談社〈推理小説特別書下ろしシリーズ〉) 沈黙の函(1978年1月 - 5月、「蝋の鶯」として『小説宝石』/1979年3月、光文社〈カッパ・ノベルス〉) 王を探せ(1979年4月、「王」として『野性時代』/1981年12月、角川書店〈カドカワ・ノベルズ〉) 死びとの座(1982年10月 - 1983年5月、『週刊新潮』/1983年12月、新潮社) 中編 城と塔 1971 短編 楡の木荘の殺人 1951 悪魔が笑う 1951 碑文谷事件 1955 1時10分 (一時十分) 1956 白昼の悪魔 1956 誰の屍体か 1957 春陽文庫、1960 五つの時計 1957 早春に死す 1958 愛に朽ちなん 1958 見えない機関車 - 二ノ宮心中 1958 不完全犯罪 1960 急行出雲 1960 死のある風景 1961 下り"はつかり" 講談社 1962 古銭 1962 偽りの墳墓 1962 わるい風 1963 暗い穽 1964 金貨の首飾りをした女 1966 夜の訪問者 1967 いたい風 1969 殺意の餌 1970 MF計画 1974 まだらの犬 1975 倒叙 青いエチュード 1956 - 最初の倒叙もの短編。数度にわたり映像化。 首 1976 - テレビドラマ「チェックメイト78」の一作として映像化。 星影龍三もの 長編 りら荘事件(1956年9月 - 1957年12月、『探偵実話』/1958年8月、光風社) - 星影龍三もの長編の代表作。 白の恐怖(1959年12月、桃源社〈書下ろし推理小説全集〉) 朱の絶筆(1976年1月 - 1977年1月、『幻影城』/1979年7月、祥伝社〈ノン・ノベル〉) 中短編 呪縛再現 1953 赤い密室(「青い密室」雄山閣出版 1961) 黄色い悪魔 消えた奇術師 白い密室、講談社、1958 怪塔記 道化師の檻 薔薇荘殺人事件 悪魔はここに 青い密室 砂とくらげと 1961 三番館シリーズ 太鼓叩きはなぜ笑う(Wisdom of the Nameless Bartender) 徳間書店トクマ・ノベルズ、1974 のち文庫、創元推理文庫、2003年 春の驟雨 新ファントム・レディ 白い手黒い手 太鼓叩きはなぜ笑う サムソンの犯罪(Advice of the Nameless Bartender) 徳間書店トクマ・ノベルズ、1976 のち文庫、創元推理文庫、2003年 中国屏風 割れた電球 菊香る 屍衣を着たドンホァン 走れ俊平 分身 サムソンの犯罪 ブロンズの使者(Intelligence of the Nameless Bartender) 徳間書店トクマ・ノベルズ、1984 のち文庫、創元推理文庫、2003年 ブロンズの使者 1984 夜の冒険 1976 百足 相似の部屋 マーキュリーの靴 1980 塔の女 1982 材木座の殺人 双葉書房フタバ・ノベルズ、1986、創元推理文庫、2003年 棄てられた男 人を呑む家 同期の桜 青嵐荘事件 停電にご注意 材木座の殺人 クイーンの色紙 光文社文庫、1987、創元推理文庫、2003年 秋色軽井沢 X・X クイーンの色紙 タウン・ドレスは赤い色 鎌倉ミステリーガイド モーツァルトの子守歌 立風書房、1992、のち文庫、創元推理文庫、2003年 クライン氏の肖像 ジャスミンの匂う部屋 写楽昇天 人形の館 死にゆく者の…… 風見氏の受難 モーツァルトの子守歌 その他 長編 翳ある墓標(1962年7月、早川書房〈日本ミステリ・シリーズ〉) 死者を笞打て(1964年1月 - 5月、『宝石』/1965年8月、講談社) 中短編 ポロさん 1943 月魄 1948 蛇と猪 1948 地虫 1949 雪姫 1951 影法師 1954 山荘の一夜 1954 ダイヤルMを廻せ 1954 朝めしご用心 1954 アトランタ姫 1956 甌 1956 最後の接吻 1956 退屈なエマ子 1956 アドバルーン殺人事件 1956 海辺の悲劇 弥生書房、1960 達也が嗤う(「薔薇荘殺人事件」講談社 1960) 矛盾する足跡 1969 砂の時計 毎日新聞社 1974 茜荘事件 ブロンズの使者 - 同タイトルの三番館シリーズ「ブロンズの使者」のオリジナル短編。 倒叙 北の女 1966 - テレビドラマ「チェックメイト78」の一作として映像化。 小さな孔 1968 - 同上。 蟻 1968 - 同上。 わらべは見たり 1971 - 同上。 ジュブナイル 魔人鉄仮面 1955 - 中川透名義、未完 悪魔博士 1958 (1988年、光文社文庫) - 児童向けミステリの長編。 鳥羽ひろし君の推理ノート 1959 - 短編集。 リレー作品 ジュピター殺人事件(1954年5月、『密室』/他の執筆者は藤雪夫と狩久) 密室の妖光(「解決編」を担当、「問題編」は大谷洋太郎) 編書・アンソロジー こんな探偵小説が読みたい(1992年9月、晶文社) 怪奇探偵小説集全3巻(1983~84年双葉文庫、1998年にハルキ文庫より復刊) エッセイ集 推理小説関係 幻の探偵作家を求めて(1985年10月、晶文社) 本格ミステリーを楽しむ法(1986年9月、晶文社) 音楽関係 唱歌のふるさと 花(1992年5月、音楽之友社〈music gallery〉) 唱歌のふるさと 旅愁(1993年12月、音楽之友社〈music gallery〉) 唱歌のふるさと うみ(1995年9月、音楽之友社〈music gallery〉) 翻訳 C・デイリー・キング『鉄路のオベリスト』(1981年1月 - 7月、『EQ』/1983年、光文社〈カッパ・ノベルス〉) 映像化作品 テレビドラマ 日本テレビ系 スリラー劇場 夜のプリズム 青いエチュード(1959年3月4日、主演:高木二朗) 火曜サスペンス劇場 刑事・鬼貫八郎(1993年3月9日 - 2005年9月20日、全18回、主演:大地康雄) フジテレビ系 スリラー劇場 青いエチュード(1960年1月9日 - 1月16日、全2話、主演:千典子) 五つの時計(1960年2月6日 - 2月13日、全2話、主演:不破潤) 他殺にしてくれ(1961年3月30日 - 4月6日、全2話、主演:臼井正明) 悪魔はここに(1961年7月20日 - 7月27日、全2話、主演:山本礼三郎) ライオン午後のサスペンス 疑惑の女(1983年10月31日 - 1983年12月2日、全25話、主演:早乙女愛、原作:人それを情死と呼ぶ) NHK 灰色のシリーズ 急行出雲(1960年9月21日 - 9月28日、全2話、主演:安井昌二) TBS系 グリーン劇場 人それを情死と呼ぶ(1961年3月11日、主演:三ツ矢歌子) 月曜ドラマスペシャル 人それを情死と呼ぶ(1996年6月24日、主演:栗原小巻) テレビ朝日系 ミステリーベスト21 人それを情死と呼ぶ(1962年10月26日、主演:中川弘子) 土曜ワイド劇場 人それを情死と呼ぶ(1977年11月12日、主演:佐久間良子) 喪服を着た花嫁(1990年11月3日、主演:若村麻由美、原作:鍵孔のない扉) チェックメイト78(1978年10月6日 - 1979年3月9日、全22話、主演:松方弘樹) 参考文献 芦辺拓・有栖川有栖・二階堂黎人編『鮎川哲也読本』(1998年9月、原書房) 山前譲編『本格一筋六十年 想い出の鮎川哲也』(2002年12月、東京創元社) 脚注 外部リンク 本格一筋六十年・想い出の鮎川哲也 - 東京創元社 鮎川哲也賞 20世紀日本の小説家 日本の推理作家 日本推理作家協会賞受賞者 本格ミステリ大賞受賞者 拓殖大学出身の人物 東京都区部出身の人物 1919年生 2002年没
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21エモン
『21エモン』(にじゅういちエモン)は、藤子・F・不二雄による日本の少年SF漫画。 概要 『週刊少年サンデー』(小学館)1968年1号から1969年6号まで、増刊掲載も含め全55話を連載。その後、『朝日小学生新聞』での連載やアニメ化など、各種メディアに展開された。 藤子・F・不二雄は「これまで日常の舞台にオバケやスーパーマンなどの「非日常」が入り込むことで生まれるギャップの面白さを描いてきたが、ひとつその逆をやってみようと思い、この21エモンを描きました。つまり未来という「非日常」を舞台に、今に通じる日常を描くことで新たな面白さが生まれると思ったからです」と、本作のコンセプトを後日述懐している。 藤子・F・不二雄が珍しく「楽しんで描いた」と語る作品だったが、ギャグで人気を博した当時の藤子作品とは異なり連載当時は評価は芳しくなく、本作連載中のアニメ化は実現しなかった。 しかし、後年になるに従って次第に再評価されるようになり、1981年に映画化、さらに1991年に連載から22年もの歳月を経てテレビアニメ化された。掲載誌の性格や連載終了で使えなかったアイデアのいくつかは、同じコンセプトの『モジャ公』へ流用されていたが、アニメ化で逆流用されている。 2010年、小学館発行の藤子・F・不二雄大全集のラインナップとして全2巻で刊行された。 あらすじ(週刊少年サンデー連載版を中心に) 21世紀の地球は異星との交流が進み、国際連合ならぬ星間連合にも加盟して、多くの惑星からの観光客がひっきりなしに訪れる一大観光惑星となっていた。 そんな中、トウキョウシティーに居を構えるホテル「つづれ屋」は、江戸幕府の成立とほぼ同時に旅館として開業して以来、初代当主の市右衛門、二代目仁右衛門、三代目参右衛門…と二十代、四百数十年にわたって細々と続く老舗ホテルだが、利用客はサッパリで隣接する豪華なホテル・ギャラクシーやオリオンホテルなどに圧倒されて潰れる寸前であった。 現当主の20エモンは閑古鳥の経営状態を立て直そうと必死になるが、その跡取り息子21エモンはホテル経営に関心を持とうとせず、宇宙へと憧れパイロットになって大宇宙を冒険したいという夢を持っていた。家業に専念して欲しい父親に叱咤されて21エモンはしぶしぶボーイとして働くが、コツコツとチップを貯め、いつかは自分のロケットを手に入れたいという夢があったため続ける。「つづれ屋」に居候する宇宙生物モンガーやボーイとして働かされているイモ掘りロボットのゴンスケといった強烈な個性を持った家人たち、さらには宇宙からの風変わりな客が次々とホテルに押しかけて、21エモンと「つづれ屋」は毎日のように珍騒動に巻き込まれる。 外見も風俗習慣も全く異なる宇宙人の宿泊客や、進歩した宇宙文明に触れて様変わりした地球文明の様子なども描かれる。基本的に「つづれ屋」が舞台となるコメディーだが、連載中21エモンは3度宇宙への旅を決行しており、物語は宇宙を巡る冒険ものへとシフトしたこともあった。なおアニメでは、テレビ版・81年の劇場版とも、宇宙への夢とつづれ屋発展の夢を両立させる形で終了している。 コミックス 虫コミックス(虫プロ商事) 全3巻(1971年、絶版) てんとう虫コミックス(小学館) 全4巻(1977年、絶版) 藤子不二雄ランド(中央公論社) 全5巻(1984年、絶版) 小学館コロコロ文庫(小学館) 全3巻(1997年) 藤子・F・不二雄大全集(小学館) 全2巻(2010年) 第2巻には、既存の単行本で未収録だったモンガーを主人公にした『モンガーちゃん』(『幼稚園』連載。全3話)も収録されている。 てんとう虫コミックス(小学館) 全4巻(2018年、新装版)「藤子・F・不二雄大全集」と同じ高画質の原画スキャンデータを使用。 作品世界(テレビアニメを中心に) アニメでの舞台は2051年→2071年。宇宙観光時代に突入したばかりの地球。 地理 地球 原作 1980年代前半‐第3次世界大戦勃発の危機を迎えるが、宇宙人が停戦を呼びかけると共に全ての核兵器を不発にしたことによって回避される。 この時期、つづれ屋(19エモンの代、20エモンが物心つく前)一家は信州の山奥へと疎開したが、帰ってみるとつづれ屋が全焼してしまっていた。 1980年代後半‐世界連邦政府が樹立。その後10年以上にわたって連邦政府への反乱が起こるも鎮圧される。 つづれ屋再建のため、20年近くにわたって苦難の時期が続くが、どうにか再建に成功する(その直後に19エモンは病死し20エモンが後を継ぐ)。 2000年代‐星間連盟に加入し異星との交流が始まる。 つづれ屋も宇宙人の宿泊を可能にするための改造を施す。 アニメ 1999年7月‐ダイオー星人キョウフが訪問。以降、外宇宙より注目を浴びる。 2001年‐地球連邦政府(全36州)により、世界各国は統合され、従来の国家は州となった(例、日本国→日本州)。そして世界各地の首都以下はその州の区域化がなされる。カタカナ表記を用い、都道府県名は「――シティー」とする(例:東京都→トウキョウシティー、六本木→ロッポンギ)。ただし各州の自治には、従来通り首相や大統領制が残る。2052年にノーブル星の王室が訪問したときの日本州首相の名は鈴木。日本州首相とは別に日本州知事も存在する。 2050年‐宇宙観光ブームが始まり、観光星として注目され始める。 言語 宇宙標準語として「共宙語」が使われはじめる。しかし完全に普及しているわけではなく、トウキョウシティー内でも日本語の文字、英字、共宙語の文字が混在している。宇宙では共宙語が主流だが、共宙語が使われていない星も存在するため、万能ではない。 交通 20世紀の自動車は減少し、代わりにエアカーが主流となる。現代における自動車とは異なり、小学生であるエモンでも、ボード型、スクーター型、軽乗用車型を運転可能。個人用のほか、公共用のバス型もある。 鉄道はほとんどが廃止され、代わりにチューブトレインを開設している。トウキョウシティーからシズオカシティーまでは15分で移動することが可能である。 公共施設 宇宙港(1話、3話など多くの回で登場) 旅客宇宙船、貨物宇宙船などの発着場。稀に行われる催し「客寄せサテライト」では、近隣ホテルが趣向を凝らした出し物を行う(7話)。 シュミレーションクラブ(原文ママ) 通称「シュミクラ」。スペースシップでのレースを体験できる「スペースワールド」などがある。21エモンの世界ではこのようなレース・シューティング体感アトラクションで、女子も男子と同様・対等にプレイをして勝負をする。おもに、課外授業の時間(自宅学習中の午後3時より)に子どもが利用する。 ノンエアースタジアム 通称「スタジアム」。キュービックテニスと呼ばれるいわゆる無重力状態下での立体テニス、スペースシミュレーショと呼ばれる月面体験などのノンエアースポーツを楽しむための施設。おもに、子どもの遊ぶ義務のために与えられたプレイタイムに子どもが利用する。 空中ホログラフィ・シアター 現代での街頭テレビに当たる。地球連邦の最先端都市であるシンジュクの街頭にある。ホテルギャラクシー出資(第6話)。 気象コントロールタワー 年間の気象スケジュールに合わせて天候を調節する施設(第6話)。 食料合成工場 水とバクテリアで食品を生産する工場(第6話)。 地球連邦日本州庁舎 地球連邦唯一の移動可能な庁舎。平時は旧国会議事堂跡地にある(第6話)。 ネイチャー・ドーム 最新ホログラフィと無重力装置でさまざまな自然を体験できる施設(第6話)。 昭和村 昭和時代までの古い物がまとめられているレトロテーマパーク。つづれ屋の正面に位置する。作品の連載当時(昭和40年代)を再現した住宅街、ハチ公像、銭湯、走る新幹線などがある(第6話)。 宇宙大使館 つづれ屋に宿泊していた、宇宙からの要人を探す場面で登場(第7話)。 学校(小学校) 自宅学習の日以外に登校して授業を受ける。 子供センター アルバイト情報の検索、登録などができる(第9話)。工作室ではロケットを始めあらゆるものを製作することができる。子どもたちは一日に決められた時間、ここで遊ばなくてはいけない。 中央ゴミセンター ここへゴミを集め、ロケットで宇宙へ運ぶ。 バイオファーム ドーム型農園。16番街32番地、現代の日本橋のあたりにある。ホテル・ギャラクシーの食品部の開発農場でもある。 海底公園 潜水艇などで魚と戯れるための公園。現代の東京ベイにある。ライトフェンスと呼ばれる警戒ラインの先には立入禁止の海洋牧場があり、光に触れると警備艇が駆けつける。 自然野菜栽培温室 ドーム型農園。芋畑などがある。課外授業で訪れる(13話)。 ロボット刑務所 重大な犯罪を犯したロボットは、人間の刑務所とは別にここに送られる(4話)。 迎賓館 要人を晩餐会などで接待する場所。 地球連邦長官官邸 現在でいう首相官邸。 銀河連立図書館 原作では国立図書館。調べものをする際に通信回線により動画で調べることができる。 公営マンション 地下に設けられた比較的安い賃料で居住可能なマンション。 天体 月 地球の衛星。ルナの出身地であるコペルニクスシティがある。 火星 エモンが修学旅行で訪れた。この作品での火星は、いわゆる「テラフォーミング」されており、地熱炉や表面の大部分を覆う「オキシロイア」という植物により、地球上とほぼ変わらない環境となっている。また、「客寄せ」のため、アニメ版では火星人型のロボット(原作ではタコを遺伝子操作で改造した生物)や「運河」が存在する(第11話・第12話)。 水星・金星 原作では水星にルナの別荘がある。また、原作では金星に「ビーナス館」と呼ばれる高級ホテルがある。 ガニメデ 木星の衛星の一つ。21エモンの幼馴染、ホシノハルカの一家が在住する。住人は地下都市に居住。賑わいはあるものの治安は良くない。また、天然の農作物は超高値(第22話)。 イオ・エウロパ・カリスト 木星の衛星の中でも特に大きいもので、ガニメデとともにガリレオ衛星と呼ばれる。イオにはエモンが地上すれすれまで接近し、火山噴火の中を飛んだ(イオには実際に活動中の火山が存在する)。 ケレス 原作では、つづれ屋の親族が経営するホテル・くずれ屋が存在する。 アニメ版では、違法採石業者の逮捕に協力したエモンがマスコミの取材を受けた(22話)。 冥王星 原作ではガラの悪い飲食店街があり、ゴンスケがあり金を盗られてしまう。また冥王星に着いたエモンが「これから太陽系を飛び出す」と発言しており、連載当時、冥王星は惑星であり太陽系の最果ての地という扱いだった。 アニメ版ではスカンレーのセリフに登場するのみ。 ササヤマ星 ヘッコロダニ星雲タンバ星系にある星で、モンガーの出身星。貨幣制度が存在せず、つづれ屋に泊まったササヤマ星人は「宿代を払う」という概念を持たなかった。 ミリオネヤ星 黒い球体のような姿をした住民の住む星。 この星では一度もらった物を返す行為が一番の侮辱となっている。 また、この星ではダイヤモンドがゴロゴロしているため値打ちがない(第3話・第4話)。 ワンダラー星 地球に似た星で、住民は直立歩行する犬に似る。星間連合の最初の加盟星で、星間連合の中でも最高の力を有する。また科学技術の先端を誇り、ワープ航法を発明し、銀河系を初めて航行した(第6話)。 ウキキラー星 ワンダラー星大使であるワントナック公爵を銃撃しようとした暗殺者たちの出身星(第6話)。住民は猿のような姿である。 コイケラス星 ラーメンに酷似した食べ物を非常に好む人種の星。その星の宇宙人は藤子不二雄のキャラクターの小池さんに似ている。住人の頭に生えているヒラヒラは、最高進化の証として誇られる(アニメ第7話)。 カネアマリ星 星間連合所属ナンバー73惑星。短時間で200万円が得られる仕事を提供する。地球からはあまりに遠いため、行くだけで何百万円もかかる(第9話)。 レガナ星 自転速度が地球の3分の1という星。一日の長さは72時間(第9話)。 ツイン星  ドッチとトッヂの出身星であり、共通の恒星を公転している双子惑星である。互いの星は、恒星を挟んで反対側に位置しているため目視できない上、両方の惑星の間には強力な空間のねじれがあるため、同一の星系内にありながら、これまでほとんど直接的な交流が行われてこなかった。奇妙なことに両方の惑星では住民の名前・行動・性格などがほとんど一致している。 レイダンボー星 極端に扁平な楕円軌道をもつ2つの惑星からなる星(兄弟星?)。一方の星が恒星(レイダンボー星系における「太陽」)に近い位置にあるときに、もう一方の星は恒星から遠い位置にある。レイダンボー星人は暑くないと生きられないため、二つの惑星を渡り鳥のように行き来している。住民は親切な人柄であり、他人の役に立つことを何よりの喜びとしている。 バカデッカ・シティの惑星 原作にのみ登場する都市。バカデッカ・シティはエモンによると銀河系7番目の大都市である。ただし、この都市の位置する惑星の名称は登場せず、不明である。ウッシッシというハッシシに似た麻薬の密輸団が暗躍しており、エモンの宿泊したホテルがその密輸団の取引場所となってしまったため、モンガーやゴンスケがその騒動に巻き込まれた(エモンは手紙を書くのに夢中で気づかなかった)。 オートマ星(原作ではボタンポン星) 宇宙屈指の科学文明の発展した惑星。原作では銀河系で2番目に発達しているという設定となっている。中枢をコンピュータによって管理されており、そのコンピュータによる恩恵で住人は医療発達で長寿を可能とし、また肉体を不要とする為に感覚器官である眼、鼻、口を本体から切り離し行動して享楽に浸っている。外からの肉体を有する来訪者には野蛮人と呼称し差別的。また、生きるのに飽きて死を望む際にはベルトコンベアに乗って全てを消去するゼロ次元に向かうようになっている(第31話)。 ボタンチラリ星 原作のみの登場。かつて銀河系で最も科学文明の発達した惑星であったが、科学が発達しすぎて技術自体の開発・維持までロボット任せとしていたため、恒星の異常によって星のメインコンピューターがダウンしても復旧することが出来ず、住民は原始人に退化してしまった。知力も体力も大きく低下しており、細い枝も持ち上げられず簡単な足し算も解けないほど。街にはコントロール機能を失ったロボットや機械が暴走し続けている。アニメ版では登場しないが、オートマ星のエピソードにその影響を残している(第31話)。 マジカル星 アニメ版のみの登場。無限トランクの発明家、ポロロッコリーの出身星。手作りの発明品を特産としている。 ナイナイ星 アニメ版のみの登場。原因不明の伝染病が蔓延しているため、住民全員が衛星に避難している。さらに伝染病への対処法が見つからず、銀河パトロールによって星ごと破壊されることになっていた。自身を親の仇と狙うムエから逃れるためにエモン達が逃れるものの、復讐心に取りつかれたムエとの決闘の場にさせられてしまう。紆余曲折の末にムエと婚約者のミエの誤解を解いたエモン達とムエ達によって惑星はミサイル攻撃と伝染病から救われることになった。なお、この話はモジャ公のエピソードを原作としている。 ハッピー星(原作ではデカンショ星) 脳にとりついて宿主をコントロールする人形のような姿の寄生生物パッピー(原作ではハッピー)に乗っ取られた星。原作・アニメともにエモンとモンガーがレジスタンスの援助で宇宙警察に助けを求め、パッピー(ハッピー)の脅威を取り除いた。原作では、ゴンスケがこの星で巨大なサツマイモを発見する。 モアモア星 アニメ版のみ登場。星全体が寒冷化によって氷河期となってしまい、住民は毛皮のような服を重ね着している。かつてモンガー族の一人(一匹)がこの星に人工太陽と文明をもたらしたという。 シード星 かつて存在した星。植物型宇宙人であるシード星人の故郷だったが、爆発により消滅。生き残った50億人が新たな故郷を求めて宇宙を当てなく彷徨っている(第37話)。 トレジャー星 2071年にエモンとルナが探検した惑星。レアストーンを発見し新しい宇宙船を手に入れた(第39話)。 ノーブル星 ファナの出身星(映画第2作)。 ばら星雲 銀河系のはずれにある、渦巻状アステロイドの星雲。小惑星がバラの花びらのように渦巻いている。小惑星の中にはいくつものテーマパークが集まっている。毎年開かれるアステロイドラリーが見もの(映画第2作)。実在のばら星雲とは、やや天体の構成が異なる。 ばら星雲・ユーエンチ星 緑に輝く星。バイオ植物のテーマパーク、バイオパークがある。アステロイドラリーではこの星が出発地となり、バラ星雲の中心部を目指して飛ぶ(映画第2作)。 ばら星雲・雪の惑星 北半球はスノーパーク、南半球は恐竜パーク。原始パークとも(映画第2作)。 ばら星雲・都会の星 ギャンブルパークがある。ここでは低速運転が義務付けられている(映画第2作)。 ばら星雲・アステロイドベルト 小惑星群。「悪夢の森」と呼ばれるアステロイドの密集地帯。迷い込むと動きが取れなくなることもある(映画第2作)。 ばら星雲・暗黒星 アステロイドベルトにおける最大の星。「鉄の死神」と呼ばれ恐れられる。光を反射しないため、近づくまでその存在を知ることはできず、数多くの宇宙船がその犠牲となっている。星の中心には「地獄の風穴」と呼ばれるトンネルが開いており、そこが唯一の抜け道(映画第2作)。 ばら星雲・水の惑星 ばら星雲の中心星でアステロイドラリーのゴール。(映画第2作)。 登場人物 声の項は1981年アニメ映画版 / テレビアニメ版の順。1人しか記載されていない場合は特記ない限りテレビアニメ版のキャストとし、それ以外のものは別途記載する。 つづれ屋 21エモン(本名:つづれ屋21エモン) 声:井上和彦/佐々木望/斎賀みつき(Fシアター上映作「21エモン&ドラえもん ようこそ!ホテルつづれ屋へ」) 本作の主人公。通称“エモン”。江戸初期から続くホテル「つづれ屋」の跡取り息子(21代目)。ホテルのボーイのような服装を日常的にしている。 将来「宇宙パイロットになりたい」という夢を持ち、それに反対する父親への反発も根強い。家業の手伝いもするが、宿泊客からのチップを貯め、宇宙旅行の資金にすることが目的である。その一方ギャラクシーによるつづれ屋の買収に反対したり、リゲルにつづれ屋を馬鹿にされると取っ組み合いの喧嘩をしかけるなど、つづれ屋への愛着も強い。また宇宙旅行の資金をつづれ屋の改築用に置いていくなど、根が親孝行である。そのため、宇宙パイロットになるかつづれ屋を継ぐかの板挟みに悩み続けており、その葛藤が原作・アニメともにストーリーの軸になっている。 性格は一本気で頭に血が上りやすく、容姿とともに父親譲りである。正義感が強く、勇気も行動力もあるが、行き当たりばったりでもあるため、無茶をして周囲を心配させることもしばしばある。また、貧乏暮らしの影響から図々しいところもある。原作ではややとぼけた少年であったが、アニメではかなりの切れ者と思わせる描写もある。また、通信講座でナビゲーターの資格を取るなど(26話)、好きなものに関する勉強は得意な模様。 ハルカによると「(幼稚園児のころから)無茶ばっかりしていたみたい」(22話)、ルナによると「すぐに怒るから心配」(1話)と評されている。 アニメ版では小学6年生、原作では中学生。 モンガー 声:杉山佳寿子/大谷育江/小林由美子(Fシアター上映作「21エモン&ドラえもん ようこそ!ホテルつづれ屋へ」) 原作では、つづれ屋に宿泊したササヤマ星人が連れていたペットで、宿泊費代わりに置いていった。テレビアニメでは、ササヤマ星人のバッグに隠れて密航し地球へ訪れる。それ以来、つづれ屋を気に入り住んでいる。エモンを慕っており彼の夢を献身的に支援する。行き当たりばったりな面があるエモンと比較して、かなりのしっかり者である ヘッコロダニ星雲タンバ星系ササヤマ星出身の「絶対生物」。学術名ケイイチハラ。銀河連立図書館(原作では国立図書館。ただし国立国会図書館との関連は不明)によると、絶対生物であるため、真空や数万度の高熱、絶対零度に近い極寒に耐え、何を食べてもエネルギーにする生命力を持つという。テレポーテーションや透視(原作、映画1作目のみ)の能力もあるが、移動や透視の制限範囲は3キロメートル。テレポーテーションは「モンガー」との掛け声が必要。アニメ版でのみ、マジカル星の発明家・ポロロッコリー(後述)が宿代代りに残していった無限トランクを飲み込んだことから、アイテムを出す能力がある。ただし、尻尾を強打または負傷すると超能力の使用に支障を来たし、無理に使おうとすると激痛を伴うのが弱点。 基本的には「モンガー」「モア」「ムイ」などが本来の言葉(鳴き声?)と思われるが、知能が高いので人語を理解し発することも出来る。すべての人語を理解できるわけではなく、古い共宙語の文字は解読できないらしい描写もある(34話)。原作では、種としての性質が無口であり、原作初期は人語を週に一言しかしゃべることができないという設定だった。そのため、一言人語をしゃべってしまうと、一週間後まで人語は発することが出来ない。後に、尻尾に相当する部分にある脳に衝撃を受けたおかげで、おしゃべりになる(他の副作用は見られない)。しかしテレビアニメではそのような制約はなく、また別冊少年サンデーに発表された21エモンの江戸時代の先祖のエピソードでは、別個体のモンガーが登場して自由にしゃべっていた。 原作では3歳で誕生日は10月11日。 ゴンスケ 声:肝付兼太/龍田直樹 元イモ掘り用ロボットで、無断で掘ったイモを焼いて食べたせいでクビとなり廃棄されそうになったところを、正規のボーイロボットやメイドロボットを買えなかった20エモンに安く買われてつづれ屋でボーイとして働くことになった。 言葉に訛りがあり、口が悪い上に傍若無人な態度をとる典型的トラブルメーカーで、周囲もよく悩まされる。運転技術は荒く、アニメでは女性ロボットを口説いては毎回すげなく振られている。 ボーイの仕事にはまるで興味がなく怠けてばかりいて、常にイモ掘りのことばかり考えている。愛読書は「月刊イモ生活」と「月刊イモ掘り新聞」。夢はイモの星へ行き、宇宙でイモ畑を作ること。雨漏りで使っていないつづれ屋の客室の一室を勝手にイモ畑に改造してイモを栽培し、それを売って金銭を貯めている。 また資産運用に才能がある模様で、イモの売上げ金、チップ、バイト代などを元手にかなりの小金を貯め込んでいる。アニメでは株や不動産取引にも手を出して成功させており、ユナイテッド・エクスプレス・プラチナカードを保持しており、それでリゲルを黙らせている(16話)。原作ではエモンはゴンスケの資金援助によってスペースシップを手に入れる事が出来た。 性格に難はあるものの農作業用ロボットとしての性能は健在で、イモ栽培の特別講師のアルバイトをしたり(13話)、土の質などを的確に分析していた場面もあった(14話、37話)。また栽培したイモの味をつづれ屋の面々や宿泊客から絶賛され、結果イモ料理がつづれ屋の客寄せ材料として採用されている(16話)。基本的にサツマイモと戯れる描写がほとんどだが、アニメ版では長芋やジャガイモも栽培していた(16話)。またイモそのものよりもイモ栽培に執着しており、「イモは作ることに意義がある」と発言したり、栽培したイモを食べて良いか尋ねられた際には「好きなだけ持って行け」と返している(16話)。原作にて宇宙の墓場に漂着し食料が尽きた際にも、自身が栽培したイモを食べるよう促している。 かなり型の古い旧型ロボットだが、それゆえに相手からの操作を受けないなどの利点を発揮することもある。サルガッソー探検の際、サルガッソーを住処とするガウシーが発する電磁波の影響で一時的に高性能かつ聡明になったことがある(27話)。また、スターターの回路が切断されたロケットのエンジンを元通りに修理するという離れ業を成し遂げたこともある(36話)。 動力源は原子力電池で背中の部分に入っており、電力が切れれば電池交換する必要がある。 モンガーとは基本的に不仲であり、「宇宙だぬき」「フーセンだぬき」「水滴野郎」「ラッキョウだぬき」などと罵り、頻繁に衝突する。しかし21エモンの息子の22エモンの頃には「久しぶりにやるか」など、頻度が激減している模様。 原作では5歳で、誕生日は偶然にもモンガーと同じく10月11日。 アニメ版ではガンスケというゴンスケによく似た赤色版が登場する。 藤子・F・不二雄はゴンスケのキャラクターを相当気に入っていたようで、『ウメ星デンカ』など、他作品にもゴンスケを登場させている。 パパ(本名:つづれ屋20エモン) 声:二見忠男/中庸助(少年時代:菅原淳一) 21エモンの父で、つづれ屋の20代目当主。歴史あるつづれ屋に誇りを持っている。 息子の21エモンにつづれ屋を継がせたいと強く願っており、エモンの宇宙行きに対して徹底的に反対するが、中古ロケットを買い与えたり、エモンの旅立ちを素直に祝えずに悩むなど、実際には息子想いの父親である。 典型的な昔気質の頑固親父であり、善良かつ正直者で、曲がったことを嫌う。また、古き良きものを愛し、つづれ屋の向かいにあるレトロな町並みの昭和村へよく散歩に行く。 年齢は40代半ば-後半。アニメには父の19エモンと遥か祖先の5エモンも登場している。 ママ 声:栗葉子/松島みのり 21エモンの母。つづれ屋の料理担当のほか、生存環境の異なる宇宙人宿泊客の部屋の環境設定も行う。 21エモンの将来を巡って夫と意見が衝突したこともあったが、概して夫婦仲はよい。 性格は温厚で、一本気で対立しやすい夫と息子、トラブルメーカーのゴンスケなどの間に立ち、なだめ役にまわることも多い。マスコミが押し掛けた際には、しっかりとつづれ屋の宣伝をしているなど、ちゃっかり者の一面もある。 容姿は美人で、スリット入りのスカートを身につけるなど、貧乏ながらそれなりにお洒落もしている。 オナベ 声:丸山裕子/肝付兼太 メイドロボット。つづれ屋の清掃を主に担当し、料理の補助も行う。 原作では、中古ロボットバーゲンで11,000円で売られていたものを、苦心して購入資金を調達した20エモンが買ってきた。アニメでは、モンガーのテレポートサービスで急に増えた客に対応するために新たに20エモンが購入した中古ロボットである。 よく気がつく働き者だが、おせっかいすぎるのが玉にキズ。 強い腕力を持ち、手から磁力を発生させることで、相手の拳銃を奪うなど、高い戦闘力も備えている。へらず口、暴言を吐くゴンスケを制裁する場面も多い。 アニメ版ではオミソというオナベに似た金色版が登場している。 22エモン(本名:つづれ屋22エモン) 声:佐々木望 21エモンとルナの間に生まれた子供。テレビアニメ最終回に登場。愛称は「マゴエモン」。 幼いころの父同様に宇宙にあこがれ、モンガーやゴンスケと行動を共にしている。 基本的に容姿と性格は父と似ている一方、両親にめったに会えないことを寂しがる側面を持つ。また父親の21エモンが少年時代に被っていた帽子と着ていた宇宙服をもらっている。 21エモンの関係者 ルナ 声:潘恵子/冬馬由美 つづれ屋の隣に建つ高級ホテル・ギャラクシーの社長の娘。2040年に、月のコペルニクスシティーで生まれる。21エモンの同級生でガールフレンドでもあるが、ビジネス面のライバルでもある。原作とテレビアニメ版では髪型も髪の色も異なり、原作では金髪、テレビアニメ版では緑になっている。 ビジネス面でのドライで容赦ない面が描かれており、父や支配人の代理としてつづれ屋の買収に関わったこともある(2話)が、一個人としてはつづれ屋に友好的であり、20エモン夫妻からも好意的に受け入れられている。 しっかり者で頭の回転が速く行動力もあり、周囲への気配りができる。頻繁に喧嘩をする21エモンとリゲルやモンガーとゴンスケの仲裁役もこなす。粘り強さや根気も兼ね備えており、物事への責任感も強い。また、かなりお転婆。 テレビ版では原作以上に21エモンに対し想いを寄せているように描写されている。その一方、エモンはルナに対して好意をもってはいるものの恋愛感情についてはまだ自覚がないようである。 後に21エモンと結婚し、22エモンを出産した後、21エモンの宇宙探検に同行している。 ルナのパパ 声:塩見竜介/上田敏也(少年時代:山崎たくみ) ホテル・ギャラクシーの経営者。企業人としての冷徹さと良識ある思慮深い人格者ぶりを併せ持つ(娘・ルナにも多分に見られる)。 ルナにはあまり小遣いを与えず、アルバイトをさせている。つづれ屋をトイレの増設用地として買収しようと企んだこともある。 アニメでは20エモン、リゲルの父・マサカズとは同級生で、過去も現在も喧嘩の仲裁役である(28話)。 なお、原作の裏設定では、ギャラクシーが建設されたのはまだ10年ほど前のことで、つづれ屋が落ち目になったのはそれ以降とされている。アニメではその描写はなく、ギャラクシー建設は原作より古いようである。 カメキチ 声:はせさん治(映画) 原作のみ登場のエモンやルナのクラスメイト。 金持ちの息子で、エモンを馬鹿にしている。しかし、本人は小柄で、大した才能も見受けられない。ルナに好意を持っていることもあり、何かとエモンをおとしめようとするが、やればやるほど墓穴を掘ってしまう。 オリノ・リゲル 声:真柴摩利 原作でのカメキチに相当し、テレビアニメにのみ登場する人物。 カメキチと異なり、容姿には恵まれており、才能もある模様。エモンやルナに比べてやや長身である。ゴージャスをモットーとするホテル・オリオンの社長の息子。 金持ちの息子ゆえにプライドが高く、エモンを馬鹿にしているのはカメキチと同じ。自らを「貴公子」と呼び、普段は強気な態度を見せているが、逆境には弱い。いわゆるヘタレである。 ルナに好意を持つが、ルナがエモンに好意を持っているのを快く思っておらず、その反動でエモンにケンカを売っては、カメキチ同様墓穴を掘っているが、憎らしくも友情も抱く。 髪型から、しばしばゴンスケに「しいたけ」と呼称される。 オリノ・マサカズ 声:矢田耕司(少年時代:伊藤美紀) リゲルの父親でテレビアニメにのみ登場する人物。 「あわてる二枚目はもらいが少ない」と息子に言い聞かせている。少年時代は息子同様かなり容姿に恵まれていた。 20エモンとは小学校時代に同級生であり、過去も現在も喧嘩相手である(28話)。 スカンレー 声:飯塚昭三/玄田哲章 著名な宇宙探検家。片腕をロケットのエンジン爆発で吹き飛ばされ、片脚を冥王星での凍傷で切断し、わき腹を火星のモンスター(原作では大ダコ)に食われるなど、数々の冒険により体の部分部分を失い、その箇所をサイボーグ化している。 原作では1話のみの登場だが、アニメ版では常連客となり、つづれ屋を我が家のように愛する。 性格は豪快かつ剛毅だが、マスコミに追われてつづれ屋を騒がせたことを気遣うなど、周囲への気配りを忘れない一面も持つ。21エモンに自身のサイボーグ化された体を見せて宇宙冒険の厳しさや家業や家族の大切さを説く一方で、その宇宙冒険を許すよう20エモンに宇宙のすばらしさを説き、サルガッソーへの探検では21エモンと旅を共にした。 ジンゴロー 原作にのみ登場。エモンのクラスメイトであり、メカ好きの少年。何かを作らせた時の腕前は天下一品。 性格的にエモンやルナよりも大人だが、超大出力のステレオをテストしようとして、自宅の天井を吹き飛ばしたこともある。どうしても自分の宇宙船が欲しいエモンが、彼に子供センターの工作室で(本物の)宇宙船を作らせようとしたが、モンガーとゴンスケのわがままのせいで大失敗してしまった。 ハルカ(本名:ホシノ・ハルカ) 声:江森浩子 テレビアニメにのみ登場する。エモンが幼い頃、隣に住んでいた同世代の女の子。地球から引っ越す際、エモンに帽子をプレゼントした。木星の衛星であるガニメデに在住。月在住時には、コペルニクス・シティーのパレードでバトンをやっていた。父親は宇宙監察官。 ホシノ(ハルカの父) 声:掛川裕彦 ハルカの父で宇宙監察官。エモンが違法砕石者から追われているのを救い出した。エモンの行動によって長いこと追跡していた違法砕石者を逮捕できたために、お礼代わりにガニメデまで自家用ヨットでエモンたちを送っていった。 エモン親子とも旧知の仲である。年齢は不詳だが40代半ば-後半の20エモンよりやや若年に見える。 ホシノ夫人(ハルカの母) 声 :佐々木るん ガニメデの自宅を訪れたエモンたちを料理で歓迎した。エモンについては「あのエモン君がこんなに大きくなってるなんてね」と言っていた。 先生(ヤマダ先生) 声:上田敏也/稲葉実 エモンのクラスの担任。アニメではスカンレーの恩師でもある模様。 ギャラクシーの支配人 声:加藤治/島香裕 ホテル・ギャラクシーの支配人。つづれ屋買収の交渉に訪れたり、つづれ屋に苦情を言いに来たりする。 ゲストキャラ ワントナック公爵 声:古谷徹 ワンダラー星の大使。テレビアニメでは第6話に登場。故郷の最新鋭の科学を苦手とし、レトロなものを愛好する趣味を持ち、先に泊ったギャラクシーの設備に難色を示し、ギャラクシー隣接のつづれ屋に泊まる。つづれ屋の向かいにある昭和村でレトロなものを存分に味わっていた。 腕っ節が強く、自身の暗殺を試みたウキキラス星人を返り討ちにしている。 筒状の容器に入った電柱のような形の携帯トイレを所持していた。 ジロ・ミケラン 声:田中秀幸 アニメ版のみ登場。全宇宙的に有名なファッションデザイナーで、後にエモンが着用する宇宙服をデザインした人物。 子どもの頃からの夢だった宇宙旅行をするためにデザインしたものをゴミ処理してもらうようにエモンたちに依頼。その時にエモンに宇宙服を無料で与えている。 相棒のガンスケ(声:龍田直樹)はゴンスケとほぼ同形式の芋掘りロボット。口の悪さはゴンスケと同様だが、奔放で子供っぽいジロとは対照的なしっかり者である。 ガトミック 声:矢田稔 アニメ版のみ登場。アニメ登場時には老齢だが、宇宙航行技術が未発展だった時代に活躍した名パイロットである。現役時代には数多くの航路を開拓し、その存在はパイロットの間では伝説となっている。ハンドルを握ると現役時代を思い出し、高揚する。スカンレーの師匠でもある模様。 妻は宇宙船の客室乗務員(声:原えりこ)であったが、間もなく「宇宙のサルガッソー」と呼ばれる航行危険区域での事故により亡くなっている。後にガトミック自身がその宙域を探検し、条例によって航行禁止区域に指定した。エモンを気に入り、後にロケットのエンジンを提供した。 メイドとして「オミソ」(声:肝付兼太)という名のロボットがいる(オナベとほぼ同形式のメイドロボットで、金色に塗装された色違い版)。 リッチマン 声:辻村真人 会社の経営者でその名の通りの大金持ち。ギャラクシーの常連客でもあるらしい。原作では木星行きのチケットと引き替えに、モンガーの買収をもちかけるなど、成金で嫌みな人物であったが、アニメ版では愛嬌のある性格になっている。 月で自家用ロケットを見物しているときに、モンガーのテレポートであちこちのロケットの乗り心地を味わわせてもらったことから、エモンたちを気に入る。その後、夕食やホンキートンクホッパーでの月面遊覧にエモンたちを誘い、過去に遺棄され廃墟となった月面都市で鉱物資源を発見した。だがその際に宇宙服を損傷し遭難しかけ、エモンたちに救われる。予定が変わり、木星にはエモンたちと同行できなくなったが、木星行きのチケットをプレゼントした。 エモンたちの旅の目的を聞いて「青春しとるのう」と笑顔を見せた。また、かなりのスピード狂でもある。 アケッチー 声:村山明 アケッチー探偵事務所のオーナーでテレビ版のみ登場する(13話)。事務所はあまり流行っている様子がなく、仕事がない。 普段はだらしない性格で、意地汚く、頼りなく、美女に弱い。しかし宇宙怪盗を追跡してからは、宙吊状態のまま単身で追い詰めるなど、いざという時の行動力は高い(ある意味エモンに似ている)。また、動物を捕らえる罠や、拳銃の先から吸盤を発射する装置を自作するなど、発明家としての才能も見せている。宇宙怪盗を捕らえてからは有名になった。 ウキキの木 ブッシュ星雲マングローブ星(原作では木星)出身の植物型宇宙生物。自我と知性を持ちながら自力では移動も会話もできず、脳波を放出して周囲の生物をコントロールすることで意思表示や様々な行動をする。主食は水で、地球の植物のように根から吸収する。 やや傍若無人だが宇宙各地に知人は多く、気に入った相手には協力を惜しまない。 エモンを気に入り、その身を助けたり、金塊を生み出し宇宙旅行の資金として提供した。 コイケラス星人(チャンフー閣下) 声:加藤治 コイケラス星から来た宿泊客で、実はコイケラス星の最高司令官。 エモンたちがサービスの一環として見せた大昔の怪獣映画『怪獣キャプテン』の敵役「スズキラス」が自分とそっくりなことに激怒、地球のコイケラス星への敵対行動と誤解して宇宙艦隊まで呼び寄せる。 モデルは藤子漫画の常連キャラクター「小池さん」。 トッヂ、ドッチ 声:横山智佐(トッヂ)、柳沢三千代(ドッチ) それぞれツイン星人。双子星であるツイン星のそれぞれからやってきた。 2016年に地球から贈られたメッセージを受け取り、その返事と共にやってきた代表者。地球で対面後、大喧嘩を始めてしまい、エモンとリゲルの父親をも巻き込んでしまう。 モコラ 声:高乃麗 モチ星雲モコモコ星から宇宙家出をして地球に密航してきて生き倒れになっていた所を21エモンと20エモンに助けられたモコモコ星人の子供。純真無垢だが世間知らず。 金属を食べるため、ゴンスケの手を食べたりする等したためにゴンスケからは嫌われている。登場時は50cm位の大きさだったが、モコモコ星人の第二次成長期で著しく大きくなり、ついには巨大化した為に本人の意図に反して大騒動を巻き起こしてしまう。最後は父・モゴランによって実家に連れ戻された。 モゴラン 声:屋良有作 モチ星雲モコモコ星人で、モコラの父。大型機械修理店を営んでいる。宇宙家出したモコラを連れ戻しに地球に来訪。モコラが迷惑をかけたお詫びに自身の弟子のレストアロボットたちを客として来訪させた。 グーパー・H・トロイ 声:堀内賢雄 連邦入国管理局の捜査官で、不法入国者を取り締まる仕事をしている。モコラの一件でつづれ屋に捜査に訪れる。捜査官としての用心深さと冷徹さと、一個人としての良識を併せ持っている。 コーヒーが好物。 ポロロッコリー 声:掛川裕彦 マジカル星出身の発明家でテレビ版のみに登場する(29話、32話)。発明の才能はあるものの、それ以外は非常に不器用で気弱な性格。 同じ星の出身者のハリハリフラワー(声:岸野一彦)に乗せられて地球で発明品の売り込みをしたが当然うまくいかなかった。地球に滞在していた時につづれ屋に発明品を悪用して泊まっていたが、良心の呵責から告白、宿代代わりに発明品を置いて帰郷。その中にモンガーが飲み込んだ無限トランクがある。 その後はギャロット博士(声:宮内幸平)の下で発明家の修行に励んでいる。 ギャロットの下に部品を卸している業者の娘・チップル(声:小林優子)と仲が良い。 ムエ 声:塩屋翼 テレポート、テレキネシス、透視など、強力な力を持つ長命のクエ星人の青年(35話、36話)。クエ星人の外見は妖怪の鵺に酷似している。 900年前に地球探検に来ていた父・ヌエ(声:掛川裕彦)を殺害した源三位頼政(声:加藤正之)を仇討ち相手として追っていたが、偶然見かけたエモンを頼政と誤解し、仇として執拗に命を狙った。 根は礼儀正しく情け深い善良な性格であるが、思い込みが激しく頭に血が上りやすい(ある意味、エモンに似ている)。謎の伝染病に侵されたナイナイ星でエモンたちを苦しめ追い詰めたものの伝染病(実は地球のただのインフルエンザ)に侵されたところをエモンに救われ、誤解が解けて和解、許婚であるミエ(後述)やモンガーとともにナイナイ星ごと伝染病を根絶しようとしたミサイル攻撃を阻止し、エモンたちの苦境を救った。 ミエ 声:鈴木みえ ムエの婚約者であるクエ星人の女性。自身を置き去りにして900年もの間、仇を追い続けてきたムエに仇討ちを止めるように説得しにきた。ムエ同様、根は礼儀正しい善人ではあるものの、思い込みが激しく血気盛んである。 マルス 声:江森浩子 故郷の惑星を爆発によって失い、新天地を求めて宛てのない旅をする植物型宇宙人・シード星人の少年。シード星人は本来は植物の姿をしているが人型の姿も持ち、他の種族への変装能力も併せ持つ。 基本的には心優しく正義感が強い。エモン一行ではエモンに擬態するもエモンたちに接した際に友情を深めてしまい、そのために同胞らの地球侵略計画との板挟みに苦悩。最終的には改心し、エモンとも和解。エモン一行が見つけた自然そのものの移動惑星に移住する。 演出家 声:徳丸完 シード星人の指導者であり、旅周りの一座の時は演出家として振る舞っている。 指導者としての人格者の部分と狡猾な部分を併せ持ち、自ら率先してマルスや女性シード人と共にエモンたちに化け、自身はゴンスケに擬態。地球侵略の先鋒となった。最終的には改心。 女性シード星人 声:横山智佐 シード星人の女性。マルスと演出家と共にエモン一行に擬態し、自身はモンガーに擬態した。マルスと同じく、地球侵略に罪悪感を抱くようになる。 テレビアニメ 1991年5月2日から1992年3月26日にテレビ朝日系列で放送。全39話。 原作発表から23年余、映画「宇宙へいらっしゃい!」から10年を経てテレビアニメ化となった。キャラクターデザインや設定の一部が変更(詳細は後述)され、エピソードは原作および『モジャ公』から流用がある。 チーフディレクターを務めた原恵一によると、原作は古いもののため「そのままアニメにするのは難しい」という思いがスタッフ内にあり、内容をかなり脚色したという。またテンポ良くとがった演出をしようとしたため、「自分で苦手な部分を無理してやったのではないか」と語っている。 第1話ではサブタイトルにもあるとおり、ドラえもんがゲスト出演しているが、セリフが一切ない背景キャラクターとして数秒間のみの出演であり、21エモンとも一切絡んでいない。なお、新番組予告では21エモンを視聴者に紹介する役割でドラえもんが台詞付きで出演している。 第29話以降、エモンとモンガーゴンスケと3人による宇宙旅が始まり、第38話で一応の終わりを迎え、第39話は総集編と後日談的な内容になっている。 この作品のメインスタッフは『エスパー魔美』(初期は『藤子不二雄ワイド』に内包)『チンプイ』と本作まで長らく藤子作品を手掛けていたが、これを機に演出の安藤敏彦と脚本スタッフ(もとひら了は除く)以外は、当枠から月曜19:00に移動した『クレヨンしんちゃん』へと移行し、『ドラえもん』シリーズを除いたテレビ朝日・シンエイ動画による藤子F原作のテレビアニメは本作で最終となっている。 原作とテレビアニメとの相違点 テレビシリーズおよび映画「21エモン・宇宙(そら)いけ! 裸足のプリンセス」は、当時の時代に合わせた若干のリニューアルが加えられている。 相違点 21エモンやルナなど、登場人物のデザインが変更されている。 時代設定を2023年から2051年に変更(劇場版では2年後の2053年)。 原作では当初「1週間に1度しか話さない」設定のモンガーが始めから多弁となっている。 モンガーがテレポート以外の超能力を持たない(潜在的には持っている模様:36話より)。 カメキチが登場しない代わりに、同じポジションの新キャラクターとして、21エモンの同級生であり、ルナの恋人を巡って21エモンと敵対関係になるキャラクター・リゲルとその父親・マサカズなどが追加されている。 原作では準レギュラーであったカメキチが登場しない。 原作では優柔不断な21エモンを宇宙パイロット一筋に変更している(ただし家業や両親を思いやる描写を加え、原作のテイストを残している)。 原作では中学生らしい21エモンが、TVアニメ版では小学6年生に変更されている。映画版では中学生である。 原作では立体テレビを使って私室で授業を受けていて学校に行ってないが、アニメでは学校で授業を受けている。但し、補習授業は私室の立体テレビを使って受けている。 原作では一度しか登場しないスカンレーが幾度も登場し、物語において重要な役割を果たす。 原作ではロケットの所有者は購入資金を工面したゴンスケだが、アニメでは21エモンがウキキの木から進呈された金塊から20エモンが購入したものであり所有者は21エモン。また、形状は著しく異なっている。なお原作のロケットは、1話-12話までのエンディングに1カットだけ登場している。 その他、物語の半分以上が原作にないオリジナルストーリーで構成されている(一部「モジャ公」の原作からの流用もある)。 原作では無茶で成金だったリッチマンが愛嬌のある性格に変わっていたり、木星鉱山強制収容所の所長・監督などの極悪人が登場しないなど、アニメ版の登場人物は、全般的に原作より親しみやすい好人物に変更されている。 スタッフ 原作:藤子・F・不二雄 作画監督(キャラクターデザイン):高倉佳彦 美術設定:川井憲 美術監督:星野直美 撮影監督:高橋秀子、斎藤秋男 録音監督:浦上靖夫、大熊昭 音楽:田中公平 音楽協力:テレビ朝日ミュージック、小学館プロダクション プロデューサー:木村純一(テレビ朝日)、亀山泰夫、高閑者清光(ASATSU)、別紙荘一、茂木仁史(シンエイ動画) チーフディレクター:原恵一 メカデザイン:荒川真嗣 色指定:野中幸子、松野由美、若菜陽子、大内裕智 特殊効果:土井通明、村上正博 背景:アトリエローク 撮影:旭プロダクション 効果:松田昭彦(フィズサウンドクリエイション) スタジオ:APUスタジオ 整音:柴田信弘 録音制作:オーディオプランニングユー 編集:岡安肇、小島俊彦、村井秀明、中葉由美子、川崎晃洋 タイトル:道川昭 現像:東京現像所 シリーズ構成:桶谷顕 広報担当:森田兆基(テレビ朝日) 制作デスク:山川順一、大澤正享(25話-) 制作:テレビ朝日、ASATSU、シンエイ動画 主題歌 オープニングテーマ - 『おーい!車屋さん』 作詞 - 米山正夫・荒木とよひさ / 作曲 - 米山正夫・馬飼野康二 / 編曲 - 鷺巣詩郎 / 歌 - 忍者 / レーベル - 日本コロムビア 美空ひばりの「車屋さん」(1958年)をロック調にリメイクした忍者の曲。ミュージック・ビデオ用のイントロが長いリミックスバージョンが存在する。忍者のアルバムを除いて一切収録されていない。 エンディングテーマ1 - 『21世紀の恋人』(第1話-第12話、第38話挿入歌) 作詞 - 神沢礼江 / 作曲 - 柴矢俊彦 / 編曲 - 西脇辰弥 / 歌 - 谷村有美 / レーベル - ソニーレコード ※本放送時の提供クレジット・エンドタイトルでは最終回まで使用された。アルバム収録は1991年発売の「White Songs」でのリミックス版のみ。 エンディングテーマ2 - 『ベートーベンだねRock'n'Roll』(第13話-第39話(最終話)) 作詞・作曲 - 川島だりあ / 編曲 - 寺尾広 / 歌 - テンテン / レーベル - ワーナー・パイオニア ※番組では音源を早送りした状態で使用され、キーとテンポが上がっている。劇場版「宇宙いけ!裸足のプリンセス」公開告知の関係で、終盤はショートバージョンだった。2011年発売の「藤子・F・不二雄 アニメ主題歌・挿入歌集」で、初めてアルバムに収録された。 各話リスト 放送局 ※放送日時は個別に出典が提示されているものを除き1992年3月終了時点、放送系列は放送当時のものとする。 再放送 2003年よりCS放送のテレ朝チャンネルで「シンエイアニメシアター」の一作品として全話再放送が開始され、2007年頃まで断続的に再放送がリピートで行われている。(現在はチャンネル内容が分割され2つになったうちのテレ朝チャンネル1。)2005年にはテレビ朝日の「アニメDEおめざめ」枠で1話から連続して再放送されたが、同年12月に打ち切られた。サイバーエージェントとテレビ朝日が運営しているインターネットテレビ局「AbemaTV」の家族アニメチャンネルにて2016年4月11日の本放送開始と同時に再放送を開始したが、オープニングとエンディングは割愛され、いきなり本編から放送している。 ビデオソフト 劇場版以外は長らく家庭用ビデオソフト発売はされていなかった。2010年6月にローソンで企画された「藤子・F・不二雄キャラクターズフェア」の一環として、ローソン店舗限定でヴィジョネアから販売されたDVD MAGIC(一部内容がPPVで収録されている)形態のDVDビデオ「藤子・F・不二雄 アニメキャラクター大集合!!(発売元:小学館)」第2巻に第17話が収録され初のソフト化となった。 2010年9月に藤子・F・不二雄ミュージアム開業記念企画として発売された「藤子・F・不二雄TVアニメアーカイブス」シリーズ(発売元:TCエンタテインメント・テレビ朝日 販売元:スーパー・ビジョン)のセレクション2と4に、それぞれ第14話、第35 - 36話が収録された。 2011年8月5日にDVD-BOX「21エモンComplete Box」(発売元:小学館・テレビ朝日 販売元:TCエンタテインメント)が発売された。放送から20年を経て初の全話パッケージソフト化となる。 2021年現在、Blu-ray版はリリースされていない。 映画 21エモン 宇宙へいらっしゃい! 『21エモン 宇宙へいらっしゃい!』(にじゅういちえもん うちゅうへいらっしゃい!)は、1981年8月1日に公開されたアニメ映画。上映時間は92分。同時上映は「ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ」。 解説 映画ドラえもんの公表から製作された藤子・F・不二雄原作の「21エモン」の初アニメ作品。つづれ屋での騒動を描いた前半と宇宙冒険に繰り出す後半で構成され、全体的に原作の流れをコンパクトに纏めた作品である。ギャグタッチの物語が宇宙に飛び出すことで引き締まり、緊張感のある冒険物語に仕上がったことで、原作の持つ面白さがよく再現されている。本作はテレビアニメ化に対するパイロットフィルム的な意味合いも持たせてあったが、この時点では実現せず10年を要したため、独立した作品となった。併映の『ドラえもん』とリンクする場面が1カット入っている。 なお、本作のエンドロール前に「今日はちょうど100年前にスペースシャトルが打ち上げられた記念日」というセリフが入ることから、作中の西暦は2077年、もしくは2081年と推測される。 キャスト 21エモン:井上和彦 パパ:二見忠男 ママ:栗葉子 ゴンスケ:肝付兼太 モンガー:杉山佳寿子 オナベ:丸山裕子 ルナ:潘恵子 ギャラクシー社長:塩見竜介 支配人:加藤治 山田先生:上田敏也 カメキチ:はせさん治 カワサキ:鈴木清信 ササヤマ星人:高田竜二 スカンレー:飯塚昭三 船長:筈見純 航海士:佐藤正治 ガイド:川島千代子 アナウンサー:松原雅子 コンピューター:尾崎桂子 バトンガール:一龍斎貞友 スタッフ 原作:藤子・F・不二雄 脚本:辻真先 作画監督:山田みちしろ 美術監督:川本征平 美術設定:門野真理子 撮影監督:小山信夫、金子仁 録音監督:浦上靖夫 音楽:菊池俊輔 プロデューサー:別紙壮一 、菅野哲夫 監督:芝山努 絵コンテ:小林治、河内日出夫、山田みちしろ 編集:井上和夫 色設計:若尾博司 仕上検査:堀籠知世美、三橋曜子 特殊効果:土井通明 演出助手:井上修 原画:河内日出夫、須田裕美子、吉本桂子、後藤真砂子、石井文子、後藤典子、若山佳幸、池ノ谷安夫、吉川文子、飯口悦子、大塚正実、木内良子、山崎勝彦、飯山嘉彦、森下圭介、原完治、川島明、大嶋聡、宮尾岳、天野公子、小林左希子、高橋由美子 動画:若山佳治、志村延子、加藤鏡子、清水環、佐藤正人、大貫健一、洞沢由美子、上ノ山順子、阿久津智子、力石裕子、森島裕、原佳寿美、大久保修、奈須川充、川東桃代、小林幸、田口陽子、内山朱美、大久保洋子、隅田由美子、佐藤弘美、川島郁子、大沢真紀子、佐藤定雄、箕輪美恵子、鹿取真三子、田渕正二、山本実、花輪弘昌、小清水弘幸、荒井淳、奈良美津子、岩崎文子、金子道子、山田智子、渡辺理恵、伊藤一男、三沢かずまさ、鈴木美穂、中谷マリ、赤塚ひでお、内藤たかし、前田順子、佐藤由美子、関三恵子、新木寿子、幸田知子、森川明美、高橋奈緒子、矢萩智子、中川早苗、升谷弘子 美術補:工藤剛一 背景:高野正道、斉藤由美子、藤井美千代、川沼信平 撮影:角原幸枝、茂呂広幸、柏田享、前田努、小松寿一、笠間いずみ、中出三記夫 音響効果:赤塚不二夫 整音:中戸川次男 録音スタジオ:APUスタジオ 録音制作:AUDIO PLANNING U 現像:東京現像所 文芸:山本有子 制作進行:川口亘、吉岡大、小沢一枝 プロデューサー補:佐久間晴夫 制作協力:藤子スタジオ、旭通信社 制作:シンエイ動画、小学館、テレビ朝日 配給:東宝 劇中歌 映像ソフト化 21エモン 宇宙いけ! 裸足のプリンセス 『21エモン 宇宙いけ!裸足のプリンセス』(にじゅういちえもん そらいけ!はだしのプリンセス)は、1992年3月7日に公開されたアニメ映画。上映時間は39分。同時上映は「ドラえもん のび太と雲の王国」。 解説 テレビシリーズの2年後(第38話と最終回である第39話の間に位置)という設定の中編作品で、 前半は『ローマの休日』をモチーフにした物語展開が、後半は『モジャ公』の「アステロイドラリー」をベースにした宇宙レース「銀河ラリー」が繰り広げられる。アニメ作品としては最初にDVD化された。尚、ゲストヒロインであるファナがメインであることから、本編のヒロインであるルナの出番は少ない。 キャスト メインキャラクター 21エモン:佐々木望 モンガー:大谷育江 ゴンスケ:龍田直樹 パパ:中庸助 ママ:松島みのり オナベ:肝付兼太 ルナ:冬馬由美 ゲストキャラクター ファナ王女:久川綾 ノーブル星王室の王女。 王族故の雁字搦めな生活に疲れ果て、宮廷を飛び出す。やがてつづれ屋へと行き着き、エモン達と出会い行動を共にする。エモンとほのかな想いを寄せ合う。 ノーブル王:宮内幸平 ノーブル星王国国王。ファナの父親。 ヒロン:掛川裕彦 アステロイドラリー参加者のひとり。 高飛車な面があるが正義感に厚く、正々堂々としたレースを信条としている。 ガルガ:渡部猛 オオトカゲ風の容姿をした宇宙人でアステロイドラリーの参加者のひとり。隻眼。 レーサーとしての腕は優秀だが、それ以上に勝利のために手段を選ばない卑劣さも併せ持つ。 親衛隊長:細井重之 ノーブル星王国の親衛隊長。 マヌカンロボット:斉藤庄子 スタッフ 原作:藤子・F・不二雄 監督:本郷みつる 脚本:桶谷顕 キャラクターデザイン・作画監督:高倉佳彦 メカニックデザイン:西村博之 美術監督:天水勝 撮影監督:熊谷正弘 録音監督:大熊昭 音楽:田中公平 色指定:渡辺美菜子 動画チェック:小原健二、加来哲郎 特殊効果:土井通明 エリ合成:古林一夫、渡辺由利夫 演出助手:市野隆文 編集:岡安肇、小島俊彦、中葉由美子、村井秀明、川崎晃洋、三宅圭貴 効果:松田昭彦(フィズサウンドクリエイション) 整音:柴田伸弘 録音スタジオ:APUスタジオ 録音制作:オーディオプランニングユー 技術協力:森幹生 タイトル:道川昭 現像:東京現像所 制作デスク:山川順一、大澤正享 プロデューサー:別紙壮一、茂木仁史、木村純一 制作協力:藤子プロ、ASATSU 制作:シンエイ動画、テレビ朝日 映像ソフト化 Fシアター 21エモン&ドラえもん ようこそ!ホテルつづれ屋へ 2012年10月3日から2013年8月27日まで、藤子・F・不二雄ミュージアムのFシアターで上映。 つづれ屋再建をのび太が立て直そうとするが、うまくいかず、結局ドラえもんの道具でうまくいくという流れは、後述の「オンボロ旅館をたて直せ」(『ドラえもん』てんとう虫コミックス32巻)とも共通点がある。 キャスト 21エモン:斎賀みつき モンガー:小林由美子 ゴンスケ:龍田直樹 『ドラえもん』との関連 『ドラえもん』と共演したのはこの作品が初めてではなく、何度か登場している。 『ドラえもん』てんとう虫コミックス32巻収録「オンボロ旅館をたて直せ」 家出したのび太が20世紀の「つづれ屋」(当時の主人は18エモン)に泊まることになり、ドラえもんの協力で経営難を救う。その時家出していた19エモンも、客寄せに使った道具の効果で帰ってくる。 映画『ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ』(1981年) 『21エモン 宇宙へいらっしゃい』の同時上映作品。1シーンのみ双方の視点から描かれたリンクが存在する。 映画『ドラミちゃん ミニドラSOS!!!』(1989年) 宅配ロボットとしてゴンスケが登場。 特別番組『春一番!日本一のアニメ祭り』(1992年) 『水曜特バン!』で放送。21エモンとモンガーが、ドラえもんとのび太を始めとするテレビ朝日系アニメのキャラクターと共演している。なお前回(1991年)放送分では、「紹介コーナー」で本作を紹介していた。 映画『トキメキソーラーくるまによん』(1992年) 馬車と蒸気機関の時代にゴンスケが登場。 大長編『ドラえもん のび太と銀河超特急』(1996年) 21エモン一家が銀河超特急に乗る乗客として1コマだけ登場。なおゴンスケのみ何故か5エモン時代の従業員の姿で登場している。 映画『ドラミ&ドラえもんズ ロボット学校七不思議!?』(1996年) エンディングのドラミの卒業式に21エモン、モンガー、ゴンスケが登場する。 映画『ザ☆ドラえもんズ おかしなお菓子なオカシナナ?』(1999年) 21エモン、モンガー、ゴンスケが登場。オカシナナ王国のオカシナナ祭りに出場したが、ニガニガ一味の悪巧みによって失格になってしまう。 映画『ドラミ&ドラえもんズ 宇宙ランド危機イッパツ!』(2001年) 警備隊員ピノが探し物をするシーンで、ガラクタ(ぬいぐるみ)の1つとしてモンガーとゴンスケが登場する。 映画『ドラえもん のび太とロボット王国』(2002年) 未来デパートから送られてきたロボットとして、ゴンスケが登場(声は島田敏)。 ロボット王国に住むチャペック博士のロボットとして、オナベが登場する(声は愛河里花子)。 映画『ドラえもん のび太と奇跡の島 〜アニマル アドベンチャー〜』(2012年) ベレーガモンド島で働くロボットとしてゴンスケが登場。 映画『ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』(2013年) ひみつ道具博物館のロボットとしてゴンスケが登場。 他作品への出演 藤子作品との出演 本作の登場人物は他の藤子作品、およびアニメに出演したことがある。ドラえもんとの競演は#『ドラえもん』との関連を参照、ゴンスケのみの登場に関してはゴンスケを参照。 『エスパー魔美』 「サブローは鉄砲玉」の巻にて20世紀の「つづれ屋」が登場している。映画『21エモン 宇宙へいらっしゃい!』公開にあわせたタイアップ。 『忍者ハットリくん』(新忍者ハットリくん) 藤子不二雄Ⓐの作品であるが、一部の作中でケン一の部屋に21エモンのポスターが貼られている(この他にもドラえもんやパーマンなどの藤子Fの作品がポスターでカメオ出演している)。 その他 連載間もない「週刊少年サンデー」1968年2・3合併号で、藤子・Fを始め、当時「少年サンデー」に漫画を連載していた漫画家8名が紅白に分かれ、「紅組」は手塚治虫の『どろろ』、「白組」は赤塚不二夫の『もーれつア太郎』の1頁パロディ漫画を発表する企画「紅白ものまねまんが合戦」で、藤子・Fは紅組で『どろろ』のパロディを発表。内容は百鬼丸とどろろが旅をしていると、そこへ妖怪が現れたので百鬼丸が襲いかかるが、妖怪は突然泣き崩れ、そこへ21エモンが「御客さん、こちら」と登場、実は妖怪は宇宙人というオチであった。この作品は「藤子・F不二雄大全集」版「21エモン」第1巻ラストの特集記事や、2013年3月発刊の「手塚治虫トレジャー・ボックス どろろ」に収録されている。 ゲーム 21エモン 〜めざせ! ホテル王〜 PCエンジン用ソフト。1994年7月29日にNECホームエレクトロニクスより発売。 すごろく形式のボードゲーム。サイコロでプレイヤー(駒)を進め、土地を買収しホテルを建設するという内容。また本作は、PCエンジンにおけるHuCARDタイプのソフトとして発売された最終作品。 脚注 注釈 出典 外部リンク 21エモン シンエイ動画公式サイト しゆういちえもん 1968年の漫画 週刊少年サンデーの漫画作品 別冊少年サンデー 藤子・F・不二雄の漫画作品 テレビ朝日系アニメ しゆういちえもん 1991年のテレビアニメ シンエイ動画 ADKグループのアニメ作品 藤子・F・不二雄原作のアニメ作品 てんとう虫コミックスのアニメ作品 藤子不二雄のコンピュータゲーム PCエンジン用ソフト 1994年のコンピュータゲーム コンピュータボードゲーム 宿泊施設を舞台とした漫画作品 宿泊施設を舞台としたアニメ作品 SFアニメ
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ギャラガ
『ギャラガ』 (GALAGA) は、ナムコ(現・バンダイナムコアミューズメント)が1981年9月に発売したアーケードゲーム。 概要 宇宙での戦いをイメージした固定画面型のシューティングゲームである。同社のゲーム『ギャラクシアン』(1979年)の後継として登場。ゲームデザイナーは横山茂。現在はUGSFシリーズの一作として扱われる。同社として初のスコアランキング(1位~5位、初期ハイスコア=20000)とネームエントリー(アルファベット3文字)を採用。 タイトルの「ギャラガ」とは、「ギャラクシー」+「蛾」の造語である。その名の通り、前作『ギャラクシアン』に比べ、敵キャラクターのデザインが蛾を連想させるものとなっている。 ファミリーコンピュータ等の家庭用ゲーム機や、電波新聞社により多くのパソコンにも移植された他、続編の『ギャラガ'88』(1987年)が発売されている。また、2007年3月にはTシャツブランドMARS16からオフィシャルのTシャツもリリースされた。 1981年登場以来、その人気は5年間も継続しており「『ギャラガ』ほど長く人々に愛されたシューティングゲームはないのではないか」との声もある。その人気どおり、前述のファミリーコンピュータ移植版も定番ゲームとして広く一般層に受け入れられた。 ゲーム内容 システム 自機(ファイター)を操り、各ステージに現れる40機の敵機(ギャラガ)を倒して行く。ステージ数の表示がされてから暫く経つと、画面外(上・左下・右下)から敵の編隊が画面内に飛来し所定の位置に整列する。この時点では敵は積極的な攻撃はして来ないが、ステージ数が進むと数発の攻撃弾を自機にめがけて放って来たり、数機の編隊の余剰敵が自機にめがけて体当たりをして来たりすることがある。 全ての編隊が画面内に入ってから少しすると、自機にやや近い側の敵から順に降下攻撃を仕掛けてくる。単機で攻撃を仕掛けて来る敵も有れば、ボス・ギャラガと共に編隊を組んで向かって来る敵、分裂を起こして3機編隊で向かって来る敵も有り、編隊で向かって来る敵は順番、連続で撃破すると多めのボーナスが貰えるようになっている。このボーナスのシステムは前作『ギャラクシアン』を受け継いでいる。 ボス・ギャラガと共に編隊を組んで向かって来る場合 護衛している敵機の数が多い時(最大2機)にボス・ギャラガを倒す。最後に倒す必要はない。 分裂を起こして3機編隊で向かって来る場合 3機とも取り逃がさず倒す。因みにこの3機編隊は最後の1機のみ、取り逃しても上段から復帰するので、それから倒しても有効。ただし、編隊キャラに変身している敵が画面上に居る時に自機がやられると、再整列の際に変身前の状態に戻ってしまい、ボーナスが獲得出来なくなってしまう。 また、敵機を倒した時の得点は待機時より降下攻撃中の方が点数が高くなっている。 自機パワーアップ 以下の方法により自機がパワーアップし、デュアル・ファイターとなることができる。デュアル・ファイターとは自機を2機並列に合体させた状態のもので、1回の攻撃で弾を2発同時に発射できるようになる。結果として攻撃範囲が広くなるが、当たり判定も大きくなる。 単機で向かってきたボス・ギャラガが自機の少し上でトラクタービームを放ってきた時、自機がそれに接触すると、回転しながら吸い上げられ、一旦敵の捕虜となる。捕虜となった自機は赤色に変わる。 この後、捕虜となった自機を引き連れて再び攻撃して来たボス・ギャラガを倒すと、捕虜となった自機を取り返すことができ、デュアル・ファイターとなる。 ただし、あくまで「攻撃中」にボス・ギャラガを倒さなければならず、待機中に倒してしまうと、捕虜となった自機は敵として、ギャラガと同じ動きで攻撃してくる。しかし、それを打ち落とさずに画面外に逃がすと、そのステージでは出て来なくなり、次のステージの最後に現れ、左から2番目のボス・ギャラガの真上に整列する。その後、改めてボス・ギャラガが連れて来るので、改めて奪還可能となる。 捕虜となった自機を撃ち落としてしまうと「救出失敗」であり、1000点は獲得できるものの、結果的に自機を1機失うことになる。 自機のストックがない状態でボス・ギャラガのトラクタービームに引っかかって捕虜にされてしまうと、ゲームオーバーになる。デュアル・ファイターの時はボス・ギャラガはトラクタービームを放って来ない。 チャレンジングステージ 最初は2ステージをクリアした後、以降は3ステージをクリアする毎に「チャレンジングステージ」となる。いわゆる「ボーナスステージ」であり、様々な編隊飛行をする敵機を撃ち落として得点を稼ぐと言うもの。このステージでは敵は全く攻撃して来ず、自機と当たる位置まで降下することもないので、チャレンジングステージで死ぬ事はない。飛行の仕方は、ほぼ単純な直線を描くもの、大きな円を描くもの、階段状に動くもの、8の字に動くもの、二手に分かれるもの等がある。編隊飛行は各編隊8機ずつ5組あるが、2組目にはボス・ギャラガが含まれており、勿論2発撃ち込む必要がある。 チャレンジングステージのボーナスはパーフェクトを除き撃墜数×100点で、上手く全てを撃ち落としてパーフェクトを出すと、スペシャルボーナス10000点が得られる。他にも各編隊を全滅させた際にはボーナス点が入る。 チャレンジングステージは全部で8種類。各チャレンジングステージに登場するキャラクターやその動き方は決まっているので、予めどんなキャラクターがどんな動きをするかを覚えておくのがポイント。自機がデュアル・ファイターであれば、パーフェクトを目指すには有利。 命中率 ゲームオーバーになると、発射ミサイル数、命中ミサイル数、命中率が表示される。ただし、これがスコア・ランキングに影響が出ることはない。 ステージ開始直後に出てくる敵キャラを一発で2匹倒すことができる。その後敵のミサイルのみに当たってゲームオーバーになると、命中率が200%になる。 バグ 敵の整列後の左端のザコ(青い敵)の1匹、または2匹を残してそのまま長時間(早い時は5分、遅い時は1時間半、平均で20分程度)待機していると、敵機が全く弾を撃って来なくなる。敵が弾を撃たなくなる条件は不明であるが、敵を2匹残して待機を続けた場合は、1匹を残して待機をした場合よりも、敵が弾を撃たなくなるようになるまでの時間を大幅に短縮させることができる。敵が弾を撃たなくなる状態になってからステージをクリアすると、その後のステージでも敵機は全く弾を撃たないままゲーム進行が可能になる。ただし、日本版と海外版共にバージョンB(基板上にある純正のROMシールにBの刻印がある物)は、敵が弾を撃たなくなるバグは修正されている。 デモプレイ中、自機をある程度操作することができる。これにより敵を全滅させてしまうことも可能で、本プレイ中には起きないバグ画面になることも有る。 テクニック 自機がボス・ギャラガのトラクタービームに引っかかっても、完全に捕虜となる前(自機が赤い色になる前)は弾を発射することができる。これを使ってトラクタービームを発射しているボス・ギャラガを倒し、そこから逃れるというテクニックも有る。回転中の発射タイミングによって、斜めに弾が飛ぶことがある。 得点・スコア ギャラガの1プレイヤー側のスコアは、10万の桁までしか表示されない為、100万点を超えるとスコアがゼロに戻る(ただし画面上部の「HIGH SCORE」欄には100万点を超える直前のスコアが残る)が、2プレイヤー側のスコアは100万点の桁が表示される。 またエブリエクステンド設定であっても、100万点を超えると自機が増えなくなる。 なお1000万点超までプレイしたプレイヤーも複数存在する。マイコソBASICマガジソ別冊 ALL ABOUT ベーマガCHALLENGE HIGH SCORE! ステージ数 ステージのカウントは最大255面である。 ステージ255(チャレンジングステージ)をクリアすると、次はステージ0が始まり、開始後にギャラガが1匹だけ飛来してきて強制リセットが掛かったり、フリーズして、ゲームが続行できなくなる。(ランク設定によって挙動が異なる) DIPスイッチの設定がDランクの場合のみ、255ステージクリア後に始まるステージ0は、上記の挙動にならず通常ステージと同様に進行し、0ステージをクリアするとステージ1に戻るので、実力次第で延々と続けられる。 噂 以降のナムコのゲームで隠れキャラクターである「スペシャルフラッグ」が登場している事から、一部では「『ギャラガ』にもスペシャルフラッグがあるのでは?」と噂されることも有ったようだが、本ゲームにはスペシャルフラッグは登場しない(次作品の『ギャプラス』で登場する)。 敵キャラクター ザコハチの形をしている。派手には動かないものの、画面下で1回転する性質がある。戦闘のステージを中心に登場する基本キャラの一種。ステージ3のチャレンジングステージ(一編隊全滅1000点)に登場。 ゴエイチョウ若しくはガの形をしている。左右に細かく動き、自機を狙って来る。ボス・ギャラガと共に編隊を組んで攻撃して来ることも有る。これも基本キャラの一種。なお、ザコ、ボス・ギャラガ、サソリ、ギャルボス以外は撃墜効果音はすべてゴエイと同じものである。ステージ7のチャレンジングステージ(一編隊全滅1000点)に登場。 ボス・ギャラガ 甲虫のような形態の、基本キャラの一種。耐久力があり、2発撃ち込まなければ倒すことができない唯一のキャラ。自機がデュアル・ファイターでない時、トラクタービームを放って自機を捕らえようとすることがある。チャレンジングステージでは全てのステージに登場。降下攻撃中のボスを破壊すると、敵が数秒間弾を撃って来なくなる。 トンボ ステージ11のチャレンジングステージ(一編隊全滅1500点)の敵。 サソリ(オガワムシ) ステージ4〜6でザコかゴエイが変身して3機編隊となって降下してくるキャラ。縦一列に並んで向かってくる。3機倒すと1000点のボーナス。撃墜時の効果音はボス・ギャラガと同じ。ステージ15のチャレンジングステージ(一編隊全滅1500点)のキャラでもある。 モミジ ステージ19のチャレンジングステージ(一編隊全滅2000点)の敵。生き物なのかなんなのか不明なキャラ。 ミドリ ステージ8〜10でザコかゴエイが変身して3機編隊となって降下してくるキャラ。横一列に並んで向かってくる為、全滅させるのは少々難しい。3機倒すと2000点のボーナス。ステージ23のチャレンジングステージ(一編隊全滅2000点)のキャラでもある。エイのような姿をしており、同じナムコ作品である『バラデューク』に登場するスクイドとケルカリアを足して2で割ったようなイメージである。 ギャルボス ステージ12〜14でザコかゴエイが変身して3機編隊となって降下してくるキャラ。分身が高速で体当たりしてくる強敵。3機倒すと3000点のボーナス。撃墜したときの効果音はボス・ギャラガへのショット1発目ヒットと同じ。ステージ27のチャレンジングステージ(一編隊全滅3000点)のキャラでもある。前作『ギャラクシアン』から登場のゲストキャラ。なお、ステージ16からはサソリに戻ってまた繰り返し順に登場。 エンタープライズ ステージ31のチャレンジングステージ(一編隊全滅3000点)の敵。『スタートレック』のエンタープライズ号がモデル。以後のチャレンジングステージはザコに戻ってまた同じ順序で登場するが、一編隊全滅のボーナス点が全て3000点になる。 移植版 ※ 下記表における社名「バンナム」は、ナムコの家庭用ゲーム事業社名が後に「バンダイナムコゲームス」→「バンダイナムコエンターテインメント」に変わった事により略記したもの。 他社版 許諾製品であるもののハード性能のために完全再現出来ず、タイトル変更された『セガ・ギャラガ』(SG-1000用)、『ギャラックス』(M5用)などのバリエーションが存在する。なお『セガ・ギャラガ』のプログラムは、ナムコの黒須一雄の手による。 ゲームボーイ版『ギャラガ&ギャラクシアン』 過去に他機種用に発売された二つの作品を、一本のソフトに収録した。 iPhone/iPod touch版 『Galaga REMIX』のタイトルで発売。『ナムコカーニバル』収録ゲームとは関係なく、オリジナル版とアレンジ版(PSP版の移植)を収録。タッチパネル(ボタンまたはスライド)、加速度センサーによる操作に対応。 Xbox Live Arcade版 Xbox OneのXbox 360後方互換に対応しており、既にXbox Live Arcade版を購入していれば、無料でXbox One上で遊ぶことができる。 その他 X Window System向けのクローンであるXGalagaが存在する。ソースコードも含め、GPLで提供されている。 スタッフ アーケード版 企画:横山茂 ハードウェア、プログラム:小川徹 サウンド:大野木宣幸 MSX版 プログラム:大森田不可止 評価 アーケード版 1998年に刊行されたゲーメストムック『ザ・ベストゲーム2』では、「固定画面で自機が左右にしか移動できないことや、画面上に編隊を組んでいる敵を全滅させると面クリアとなるルールなどは『ギャラクシアン』からの流れであり、そのシンプルなゲーム性に新フューチャーを無理なく組み込んだのがこの『ギャラガ』である」、「一番大きな特徴としては、ボス的キャラクターが放つ『トラクタービーム』がある」、「デュアルファイターこそが自機パワーアップの起源とも言えるのではないだろうか」と紹介されている。 ファミリーコンピュータ版 『ファミリーコンピュータMagazine』の1991年5月10日号特別付録の「ファミコンロムカセット オールカタログ」では、「『ギャラクシアン』を発展させたシューティングゲームの秀作」、「(デュアルファイターは)近頃のハデなパワーアップと異なり、合体した分、敵弾にあたりやすいというハンデを背負っているのが非常にシブイ」、「今でも十分に楽しめる内容を持っており、機会があればプレイしてもらいたい」と紹介されている。 関連作品 続編・リメイク ギャラクシアン 本作の前編。 ギャプラス 本作の続編。敵ではなく自機がトラクタービームを撃てる逆転の発想。海外でのタイトルは『GALAGA 3』。 ギャラガ'88 ギャプラスの続編。デュアルファイターだけでなくトリプルファイターにもなれる。チャレンジングステージは「THAT'S GALACTIC DANCIN'」と題したものになっており、専用のBGMに合わせてギャラガが踊るような動きをする。 コズモギャング・ザ・ビデオ シリーズ名を冠してはいないが、固定画面型シューティングゲームとして本作の影響下にある作品。(参考記載) ギャラガ・アレンジメント 同じタイトルを施した作品が以下二つ存在するが、内容はそれぞれで異なる。どちらもギャラガのリメイク作品となっている。 1995年に登場したアーケード『ナムコクラシックコレクション VOL.1』に収録されているのは、ギャプラスやギャラガ'88などのシリーズのキャラも登場し、デュアルファイターの種類も増えてさらに複数になった。最終ボスや倒すことで見られるエンディングの存在、タイムアタック要素の追加、二人同士での協力プレイも可能など、原作の基本部分を踏襲しつつゲーム性の幅を広げている。 PlayStation Portable版『ナムコミュージアム』に収録されているのは、1つのワールドに5つのエリアが組み込まれている構成で、パワーアップや敵の数がかなり多い(デュアル及びトリプルはなし)。iPhone版やXbox 360版『ナムコミュージアム バーチャルアーケード』にもPSPと同じアレンジ版が収録されている。 ギャラガ REMIX 2007年12月6日発売の『みんなで遊ぼう!ナムコカーニバル』(Wii)に収録。レール上を移動するパックマンをギャラガから守るFPS。4人までの同時プレイが可能。 ギャラガレギオンズ ギャラガのリメイク作品として、2008年8月20日にXbox Live Arcade(Xbox 360)にて販売開始(要800マイクロソフトポイント)。レギオンの名の通り、大量の敵機による編隊飛行が特徴。敵機の飛行ルートを線で描写したりと、音楽や光表現で陶酔感を生み出す仕様となっている。『ナムコミュージアム バーチャルアーケード』『パックマン&ギャラガ ディメンションズ』にも収録。 ギャラガ 3Dインパクト 2011年6月23日発売の『パックマン&ギャラガ ディメンションズ』(ニンテンドー3DS)に収録。3DSのモーションセンサーとジャイロセンサーの機能を使い、3DSを持って動かすことで照準をつけるという3D立体視のFPS。 スペース☆ギャラガ 2014年より主にスマートフォン向けのアプリゲームとして配信。同年に放送を開始する連続テレビアニメーション作品『スペース☆ダンディ』とギャラガのコラボーレーション作品と位置づけられており、ギャラガをベースとしつつクエスト形式のステージや対戦要素など様々な新機軸を盛り込んでいる。 後に『スーパースペース☆ギャラガ』と改題されリニューアル、現在は配信終了。 大量破壊VRシューティング ギャラガフィーバー 2018年3月9日よりVR ZONE SHINJUKU(閉店後はMAZARIAで継続)で稼働のVRアクティビティ。 その他 ギャラガの人気に伴い、多くのコピー版も登場した。名前も様々なものがあり、例えば『GALLAG(ギャラッグ)』『ギャンダ』『NEBULOUS BEE(ネブラスビー:星雲蜂)』等。更に『GATS BEE(ギャッツビー)』はゲーム内容そのものにもアレンジを加えており、自機の8方向移動を可能にした他、チャレンジングステージの編隊飛行パターンも変更している。21世紀になってもコピー基板が作られているという稀有なタイトルである(JAMMAハーネス対応)。ギャラガ全体の設置数が多かったため、今でも設置されている場所が見つかることがある。また、ダイソーのコンピューターゲームの中にかなり酷似したゲームがある。 『スターラスター』(1985年)の続編『スターイクシオン』(1999年)では、ギャラガが敵キャラとして登場。 同社の格闘ゲーム、PS版『鉄拳』(1995年)には、ゲーム起動時のローディング中限定でギャラガのチャレンジングステージが収録されており、ローディング中に遊ぶことが可能。なお、これを一定条件でクリアすることによって本編のある隠し要素も解禁される。 同社のガンシューティングゲーム『ガンバァール』(1998年)にて、本作のチャレンジングステージを再現したステージが収録されており、敵キャラのギャラガ達も客演として出演。このステージでギャラガを全て撃破すると、画面に赤い文字で“PERFECT!”と表示され、原作と同じ音楽が鳴る。 シューティングミニゲーム集『てんこもりシューティング』(1998年)に本作のチャレンジングステージをモチーフにした面が登場する。規定数の敵を撃ち落とすミッションとなっており、1人プレイではデュアルファイターを、2人同時プレイではそれぞれのシングルファイターを操作することになっている。 映画『アベンジャーズ』(2012年)での1シーンには、飛行空母の指令室内で、乗組員の1人が『ギャラガ』で遊んでいるシーンがある。トニー・スターク役のロバート・ダウニー・Jrが、「そこ、ギャラガやってるだろ?」と指摘するセリフもある。尚、このシーンに使われた『ギャラガ』は、映像はMSX版で音はファミコン版という構成になっている。 任天堂と共同開発の同社のレースゲーム『マリオカート アーケードグランプリDX』(2013年)にボス・ギャラガがアイテムとして登場。前に発射してトラクタービームで敵を捕獲する特殊系アイテム。 任天堂のゲーム『大乱闘スマッシュブラザーズ for Nintendo 3DS / Wii U』(2014年)にボス・ギャラガがアイテムとして登場。ファイターを捕獲して上空に連れ去り、場外ミスにさせようとうする。 『ピクセル』(2015年) - アメリカ映画。地球外生命体に向けて送った地球のメッセージを、宣戦布告と誤認した異星人が地球に飛来し攻撃を行う。その際、地球側がメッセージに同梱したコンピューターゲーム(『パックマン』、『ドンキーコング』など)のキャラクターを模した兵器のひとつに、「ギャラガ(1981年リリースの初期版)」が含まれている。 韓国SBSで放送されたアニメ『ハロージャドゥ』(2011年 - 2016年、原題:안녕 자두야)の第1シーズンの第23話「ゲーム中毒」で、ゲームイントロのBGMや敵の飛来時、トラクタービームなどのSEが使用されている。 脚注 参考文献 マイコンBASICマガジン編集部 『All about NAMCO』電波新聞社 1986年12月 ISBN 978-4885541070 外部リンク バーチャルコンソール ギャラガ(アーケード版) 1981年のコンピュータゲーム 1981年のアーケードゲーム Atari 7800用ソフト FM-7シリーズ用ゲームソフト IPhone用ゲームソフト MSX/MSX2用ソフト MZ用ゲームソフト PC-9800シリーズ用ゲームソフト PlayStation 4用ソフト SG-1000用ソフト Wii用バーチャルコンソール対応ソフト Wii U用バーチャルコンソール対応ソフト X1用ゲームソフト Xbox Live Arcade対応ソフト オールタイム100ビデオゲーム選出 ギャラクシアン 携帯電話アプリゲーム 固定画面シューティングゲーム ディスクシステム用ソフト ニンテンドー3DS用バーチャルコンソール対応ソフト ファミリーコンピュータ用ソフト
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コンパクトディスク
コンパクトディスク(; CD、シーディー)とは、デジタル情報を記録するためのメディアである。 光ディスク規格の一つでレコードに代わり音楽を記録するため、ソニーとフィリップスが共同開発した、第1世代光ディスクである。その後コンピュータ用のデータなど、派生規格の普及により音楽以外のデジタル情報収録(画像や動画など)に用いられる。 消費者向けデジタルオーディオでは最初の供給媒体で、1982年に商用音楽ソフトが発売された。その後1990年代後半からはCDと同じサイズでCDより高音質のSuper Audio CDやDVD-Audioなどの次世代オーディオメディアが登場したが、CDを置き換えるには至らなかった。しかし2000年代以降はインターネットによる音楽配信やストリーミング配信が増加し、2010年代以降はハイレゾなど配信データの高音質化やレコードの再評価により、音楽供給媒体としての売上は減少してきている。 歴史 名称と寸法のルーツ この記録メディアに「コンパクト」という言葉が使用された理由は、フィリップス社の意向によるところが大きい。 開発段階でフィリップス社が提示した試作品は、コンパクトカセットの対角線と同じ直径11.5 cmで、名称の一貫性が図られていた。その後ソニー側の提案で収録時間を延長したため、実際には直径12 cmとなった。 また、レーザーディスクの総本山がフィリップス社であり、そのディスクサイズが30 cmだったことにも由来する。これはLPの大きさを参考に設計されたためである。 最大収録時間に関するやり取り CD初期の最大収録時間(74分42秒)が決まったいきさつについて、開発元のソニーによれば以下の通りである。開発の過程でカセットテープの対角線と同じでDINに適合する11.5 cm(約60分)を主張するフィリップスに対し、当時ソニー副社長で声楽家出身の大賀典雄が「オペラ一幕分、あるいはベートーヴェンの第九が収まる収録時間」(12 cm、74分)を主張して調査した結果、クラシック音楽の95%が75分あれば1枚に収められることからそれを押し通した。その大きな要因となったのが、指揮者のカラヤンであった。 開発当時、大賀典雄は、親交のあったカラヤンに、11.5 cm(60分)と12 cm(74分)との二つの規格で二者択一の段階に来ていることを話すと、カラヤンは「ベートーヴェンの交響曲第9番が1枚に収まったほうがいい」と提言した。指揮者によって変わるが、カラヤンの「第九」は約63 – 69分であり、ほとんどのヒストリカル指揮者による演奏時間は60分を超えていた。結果的に74分(最大80分も可能)という収録時間は、1951年にライヴ録音されたフルトヴェングラー指揮のいわゆる「バイロイトの第九」(演奏時間およそ74分32秒)や、それに匹敵する長さであるカール・ベームやレナード・バーンスタインの演奏も、コンパクトディスク1枚に収めることが可能になった。 この話は、大賀がフィリップスを説得するためにカラヤンの名を引き合いに出したという見方があるが、カラヤンが音楽媒体のディジタル化を望んでいたことは事実である。しかしそれ以上の最大収録時間の長大化には、ソニーとフィリップスが躊躇したため、なかなか74分以上の長時間ディスクは1980年代には現れなかった。そのせいもあって、CD-BOXとして200枚以上のセット販売も依然として存在している。 年表 1965年、アメリカの発明家ジェームス・ラッセルが音楽用光学メディア・テクノロジーを発明。 1970年代前半、フィリップスとMCAがレーザーディスクを開発。 1975年、ソニーが光ディスクの開発を開始。 1977年、フィリップスがCDの開発を開始。ソニーがオーディオフェアでの光デジタルオーディオディスクを実証。 1979年、フィリップスがCDプロトタイプを示し、ソニーと共同開発を開始。 1981年、ドイツでテストCDが製造。 1982年 8月17日、当時の西ドイツのハノーファー(ハノーバー)のランゲンハーゲンにあるポリグラムの工場で、世界で初めて音楽CDの生産が開始。(追って当時のCBSソニー、日本コロムビアが続く) 10月1日、CBS・ソニー・EPIC・ソニー・日本コロムビアから、世界初の音楽CDが発売された。初回発売は、CBS・ソニー、EPIC・ソニーが合わせて約50タイトル、日本コロムビアが10タイトルだった。このうち最初に生産が行われたのはビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』(CBS・ソニー/35DP-1)。 10月15日、欧州で初めて、ポリグラム製の音楽CDが発売された。日本でも輸入販売され、ポリドールと日本フォノグラムから、欧州から5日遅れで同時に発売された。 1983年、米国およびその他の市場でも販売が開始された。 1986年、販売枚数ベースでCDがLPを追い抜いた。これは、レコード会社が親会社であるオーディオメーカーに配慮してレコード生産を縮小したことも影響している。 同年末、CD発売当初から当時のデジタル録音の音質に疑問を持っていたキングレコードは、CD化の流れに反し、高音質重量盤仕様のアナログLPレコード「ザ・スーパー・アナログ・ディスク」を発売。マスターテープはすべてアナログ録音のものが使われ、マスタリング・カッティング工程でデジタル処理を介在させないことを特徴とした。デッカ・レコードの旧譜の再カッティングが主体だったが、自社製作音源では、CDではデジタル録音のマスターを、「ザ・スーパー・アナログ・ディスク」では同時に録音されたアナログマスターを使ったものもあった。これが「CDより音質が良い」と反響を受けてシリーズ化された。 1987年 日本のウルテック社が開発した、反射膜に24Kの純金を使用した「GOLD CD(24K純金CD)」が、、日本コロムビア等から発売された。他社もそれに追随したが、1995年に日本ビクターが発表した高音質仕様CD「XRCD」が登場してからはあまり発売されなくなった。 1989年以降、CDは定価を次々と下げ低価格化が進み、規格品番に定価を思わせる数字を表記しなくなる。 1990年代前半にかけ、LPは一般的には生産されなくなっていく。 1990年代中期頃からは、キングレコードの高音質アナログレコードのシリーズ化も影響し、欧米でステレオ初期の米RCAビクターや英デッカを始めとするオリジナルの高音質復刻盤が続々と発売。またクラブ音楽の世界的流行もあり、アナログレコードが見直されて再燃する。 2000年代に入り、音楽配信サービスの普及により、世界的にCDの売上が減少傾向となる(CD不況)。 2006年、ガラス基板を用いたガラスCDが発売。音質向上を謳う一方で、コスト上昇やプレーヤーの互換性について欠点も挙げられる。 2008年、CDの保護層に液晶パネル用のポリカーボネートを採用したスーパー・ハイ・マテリアルCD(SHM-CD)が登場。それが一定の評価を得たことを受け、追随する形でハイ・クオリティCDとブルースペックCDが同年に販売された。 2010年以降、アナログレコードの再評価により、欧米だけでなく日本国内でもアナログ盤が再生産されるケースが増える。 2014年、国際レコード産業連盟(IFPI)の調査で、全世界でのCD、レコード等のパッケージ売上高が音楽配信の売上高を下回る。 2020年上半期の米国では、CDの売上がレコードの売上を下回る。一方、2021年の米国では、2004年以来17年ぶりにCDの売り上げが上昇した。これはアデル「30」が大きく貢献していると見られる。 仕様 サイズ コンパクトディスクの外見は直径12 cmまたは8 cm、厚さ1.2 mmの円盤状からなる。 一般に販売されているCDのほとんどは円形(円盤状)だが、商用音楽CDなど記録済みCDの一部には円形でないCDや「名刺型CD」や「カード型CD」の通称で呼ばれていたもので8 cmCDを切り取り周囲をコーティングした四角いCDも存在した。これらはCD-Rとして書き込み可能な物も市販されていたが、本来書き込み可能な部分が形状の都合で切り取られたことで省略されているため、通常8 cmCD-Rよりも書き込める容量が少なかった。 素材 プラスチックで作られている。プラスチックの材質は一般的なものはポリカーボネートで、ほかにAPO(非晶質ポリオレフィン)やガラスを使用したものもある。 記録層にアルミニウムのかわりに金を使用したものもあり、「ゴールドディスク」と呼ばれる。 読み取り方法 読み取りに780 nmの赤外線レーザーが用いられ、照射したレーザー光の反射を読み取る。 構造 レーザー光を反射させるため、コンパクトディスクは鏡のような役割を持ち、レーザー光を反射する厚さ約80 nmのアルミニウム蒸着膜と厚さ約10 µmの保護層、レーベルなどの印字膜の複数の層を重ねた構造になっている。 上から印刷層、保護層、反射・記録層、樹脂層で、記録層の部分は印刷面から10 µm (0.01 mm)、樹脂層から約1.2 mmの所にある。そのため、印刷面からの衝撃に弱く鉛筆やボールペン等、フェルト以外の油性マーカーで記入を行うと記録層にダメージが加わり音飛びなどの症状が出ることもある。最悪の場合読み込めなくなる可能性も考えられる。印刷層側に深い傷が入ったり湿度の高い場所に放置すると、記録層をのぞき反射層までがはがれることがある。レーベルのデザインによるが、2012年現在では反射層と印刷層が穴の部分まで拡大されたものが主流となっている。 ディスクには細かいくぼみが彫られており、このパターンによってデジタル情報を表現している。この読み取り面から見れば出っ張りになるくぼみをピットといい、ピットのない部分をランドという。ランドの部分に当ったレーザー光は反射してそのまま戻ってくるが、ピットがある部分に当ったレーザー光はランドからの反射波と1/2波長の位相差をもつため干渉して打ち消しあい暗くなる。 この明暗によりデジタル信号を読み取り、これをアナログ信号に戻して音声として出力する。ピットの幅は0.5 µmで長さは0.83 µmから0.3 µm単位で3.56 µmまで9種類、ピットから次のピットまでの距離も同じ9種類である。またピットの列をトラックというが、このトラックは1.6 µm間隔で、内側から外側に向かって渦巻状に並んでいる。 CDの虹色のような光沢は、この規則正しく並んだトラックで回折した光が、干渉することによる構造色である。 記録方式 データをピット列として記録するにはEFMという変調方式が用いられる。また誤り訂正はCIRCが使用される。短いバーストエラーからの誤り訂正を行う符号として「リード・ソロモン符号」を提案したのは、フィリップスのCD開発チーム責任者である。 コンピュータのデータ保管等、1 bitの誤りも許されない用途には追加の誤り検出、訂正が行われている。 容量 1枚のコンパクトディスクはCD-ROM形式の場合、12 cmディスクは約650から700 MiB、8 cmディスクは約155から300 MiBの容量を持つ。CD-DA形式での収録時間は12 cmディスクでは約74から80分である。 セクタ数は12 cmディスクの650 MiBでは約333,000セクタ、700 MiBでは約360,000セクタになる。1セクタは2,352バイトで、1セクタあたりのデータ容量はCD-ROM MODE1およびMODE2/FORM1で2,048バイト、MODE2で2,336バイト、MODE2/FORM2で2,324バイト、CD-DAで2,352バイトである。CD-ROMはCD-DAよりも規格が後に作成され、その際にエラー訂正がより重視されたため、2,352バイトのうち304バイトをヘッダやエラー訂正などに割り当てていることからCD-DAより容量が少なくなる。一部では800 MiBを超える容量のものもあるが、一部の機器では読み取れない場合がある。これに加えてサブチャンネルが1セクタあたり98バイト存在するので、1セクタ当たり2,448バイトとなる。 Pチャンネル 各トラックの開始点情報 Qチャンネル ISRCコードやMCN(メディアカタログ番号)、アドレス情報 R-Wチャンネル CD-TEXTやCD+Gで使用 なお、この650 MiBという容量は以下の計算式によって求められる。CD-DA形式では音楽データをサンプリング周波数44.1 kHz、ビット深度16 bit、チャンネル数2.0 chステレオで記録している。つまり1秒分の音楽データを44,100回に分割し、1回あたり16 bitを費やして記録している。このため、1秒分のデータ量は44,100×16×2÷8=176,400バイト(1バイト=8 bit)である。これが74分だと176,400×60秒×74分=783,216,000バイトとなり、これは約747 MiBとなる。全領域に音楽データだけを記録するならこれだけの記録が可能だが、CD-ROMのMODE1およびMODE2/FORM1の場合はエラー訂正用データ等が入るため、使用できる容量は783,216,000÷2,352×2,048=681,984,000バイトとなり、これが約650 MiBとなる。80分ディスクも同様の計算でCD-DAのみの場合は846,720,000バイトで約807 MiB、CD-ROMのMODE1およびMODE2/FORM1の場合は737,280,000バイトで約703 MiBとなる。 最大収録時間 音楽用途の場合、規格上デジタルのPCM形式で最大79分57秒、99トラックの音楽が記録でき、また1トラック中には99インデックス(位置決め標識)を設けることができる。2000年頃までのプレーヤーは、インデックスサーチできるものが多数存在した。 記録トラックの幅を狭めれば容量は増やせるが、古い音楽CDプレーヤーには稀に74分記録されたCD-Rは再生できても80分以上は再生できないという互換性の問題が存在する。2003年に策定されたガイドラインHigh Capacity Recordable Disc 1.0に対応していないCDプレーヤーでは長時間CDは再生できない。MP3ファイルをデータとして書き込んだ場合、最大収録時間はファイルのサイズにもよるが概ね8時間前後となる。ただし、対応機器は限られる。 8 cmCD(CD SINGLE)の最大収録時間は約22分程度。これは、CDビデオのオーディオパートとビデオパートを分けそれぞれ開発した際に由来。8 cmというサイズはケースに収納したときレコードのシングル盤ケースのちょうど半分のサイズとなるため、小売店でレコード用の棚を使いまわせるだろうと考えたためである。 現在の収録時間最長の音楽CDは、マーキュリー・レーベルにザンクト・フローリアン・アルトモンテ管弦楽団/レミ・バロー(指揮)が録音したブルックナー:交響曲第3番 (GRML99044)の89分03秒である。Eight-to-fourteen modulationが定めた規格上は97分まで可能であるが、YAMAHAほかのメーカーのドライブはすでに99分59秒まで対応し、100分収録を謳うCD-R商品もすでに発売されている。2019年現在までに990 MBのCD-Rまで開発されたので理論上は110分強がコンパクトディスクの最大収容量になるが、商用録音でこの収録時間はまだ出ていない。一時期にはソフトウェアにオーバーバーンモードまで設け、990 MBまで対応することを謳ったCD-Rドライブもあった。 現在市販されている最大の音楽用コンパクトディスクは台湾とポーランドで販売された99Min 870 MBとドイツで販売された100Min 900 MBであるが、両方とも頒布国が限定されているうえドライブ未対応といった問題が残っており、普及率は低い。CDを焼くソフトウェアはすでに90Min 800MBへ対応している。 2020年代は、90分CDがほぼ商用面で実用化しており、DECCAやNAXOSに90分CDを使用したクラシック音楽のためのコンパクトディスクがある。 転送速度 音楽CD(CD-DA形式)の再生時のデータの転送速度は1倍速で約176 KB/s(150 KiB/s) であり、これを基準として最大記録時間は640 MiBのディスクで約72分強、650 MiBのディスクで約74分強、700 MiBのディスクで約80分強、最新の800 MiBのディスクで約90分強、非公式の900 MiBのディスクで約100分強、非公式の990 MiBのディスクで約110分強となる。この音楽CDの1倍速を基準として、ディスクのデータ転送速度を表すのに「○倍速」という言い方をする。 規格 当初から音声・映像記録媒体として開発された。物理フォーマットは先に決まっており、音声記録ディスクの論理仕様が先行して策定された。少し遅れてビデオ記録用としてCDビデオが策定されたが、普及しなかった。後にデータ記録用としてCD-ROM、ビデオ記録用としてビデオCDなどの論理仕様が策定された。これらと対比して音声記録ディスクをCD-DAという。 また音声とデータを両方収録できるようにしたCD EXTRA及びミックスモードCD、CD-ROM XAがある。 さらに記録にピットを用いずに、レーザーによる媒体の物理的変化を利用して同等なデジタルデータの書き込みを行う方式が開発された。CD-Rはエンドユーザがデータの追加記録ができる。また、記録してしまった領域を取り戻し、空き領域として記憶領域を再利用することができないCD-Rに対して、CD-RWはデータの消去を可能にし、書き換えができる。 コンパクトディスクの仕様・規格は対象とする範囲や目的によって複数の規格に分かれており、各規格基準書の表紙の色によってそれぞれが呼び分けられている。 (以下、「規格名 / 対象範囲」) レッドブック / 物理仕様, CD-DA, CD-G, CD-EG, CDV, HDCD, CD-MIDI, CD-TEXT, CD SINGLE - 音楽用CD イエローブック / CD-ROM - 主にコンピュータ・データ用のCD グリーンブック / CD-i - 家庭用マルチメディア媒体 イエローブックMode2 / CD-ROM XA - CD-ROMをマルチメディアデータにより特化したCD ブルーブック / CD EXTRA - CD-DA(音楽)とデータを共存させているマルチセッションCD ホワイトブック / ビデオCD - CD-ROMに動画や音声などを記録 ベージュブック / フォトCD - コダック独自の符号化方式でデジタル化された画像のCD オレンジブック / CD-WO, CD-MO, CD-R, CD-RW - 記録型CD パープルブック / DDCD - 一般的なCDの2倍に当たる1.3GBの容量を持つCD 関連規格 コピーコントロールCD(CCCD) 特定規格の名ではなく、同様の特徴を持つディスクの総称である。無保証ながらも通常のCDプレイヤーで再生できることが多いため、流通などではしばしばCDとして扱われた。 片面に音楽CD、もう片面にDVDを貼り合わせた両面の再生専用ディスク。2004年に米国の大手レコード会社が発売した(DVDフォーラムが定めた規格ではない)。CD面は正式な音楽CD規格(レッドブック)に準拠していないためCDロゴは付いておらず、メーカーは「音楽専用面」「非DVD面」など遠回しな呼び方をしている。機器によっては正常に再生できなかったり故障の原因となる可能性がある。 後継規格 スカーレットブック / Super Audio CD(SACD) - 音声データをCD以上の高音質で記録した次世代CD規格の一つ CDの技術を踏まえて音質の向上、著作権管理機能が強化されたディスクが開発された。オーディオ分野で実用化されたものとしてはSuper Audio CDのほか、DVD-AudioやDTS-CDが発売されたがどれもCD-DAを代替するまでの普及には至っていない。これら光ディスクはいずれも直径12 cmでCDの大きさを踏襲している。またSuper Audio CDを「次世代CD」と呼ぶことがある。いずれもCDとの互換はなく、再生には専用のプレーヤーが必要である。 音楽用途 1982年10月1日に音楽用CDが発売されたのと同時にレコード店でも取り扱いが始まり、当初は「レコードよりも音質がよく、ノイズがないニューメディア」として扱われた。レコードと同商品のCD版として売られ、価格もレコードよりも約2割ほど高かった。価格は各社共に当初、デジタル録音音源では1枚3,800円、アナログ録音音源では1枚3,500円だった。当初は歌詞カードは中綴じ製本冊子ではなく、LPと同じ1枚もののライナーノーツを4つ折にしてCDケースに封入する例が多かった。ジャケットのサイズ感に対しコンパクト・ディスクのマークが大きくデザインされ、LP発売時にはカラー刷りの歌詞カードだったものも、白黒でなったものも多く、デザインはあまり力が入っていなかった(後に藤井隆が自身のアルバム等にわざとCDマークなどを取り入れている)。 録音・編集方式の表記 1985年、当時の西独のポリグラム社により、AAD, ADD, DAD, DDDといった表記が印刷されるようになり、その後この表記は他社も使用するようになる(レコード会社によっては 、 など異なった表記がされているものがある)。最初の文字は「レコーディング方式がアナログかデジタルか」、2番目の文字は「ミックスダウンならびに編集の方式がアナログかデジタルか」、3番目の文字は、「マスタリング方式がアナログかデジタルか」を表す。アナログレコードでもこの表示が為されていた商品があり、CDは商品がデジタルメディアであるため3番目の文字は常に「D」である。この表示は日本ではすぐに廃れるか他の表記に変更されたが、輸入盤CDやクラシックやジャズなどの作品には未だにこのマークが印刷されているものがある。 「AAD」と表示されたCDとは、デジタル・レコーダーが実用化される以前に、あるいは実用化後であっても、製作者の意図で敢えてアナログ方式でマルチ録音されたソースを元に、アナログ・レコーダーでミキシング、あるいは2chアナログレコーダーで直接録音するというフルアナログ工程で製作したものを、デジタル・マスタリングしたという意味である。 「ADD」と表示されたCDとは、デジタル・レコーダーが実用化される以前に、あるいは実用化後であっても、製作者の意図で敢えてアナログ方式でマルチ録音されたソースを元に、デジタル・レコーダーでミキシング、あるいは2chデジタルレコーダーで直接録音したものを、デジタル・マスタリングしたという意味である。 「DAD」と表示されたCDとは、デジタル・レコーダーの実用化以降にデジタル方式でマルチ録音されたソースを元に、アナログ・レコーダーでミキシングしたものを、デジタル・マスタリングしたという意味になる。 これは、初期のデジタル録音がアナログ・テープのような編集が難しかったことや、デジタル信号を直接処理できるミキシングコンソールが普及する以前には、デジタルマルチ録音されたソースであっても、ミキシング時にはマルチトラック信号をアナログ変換→ミキシング→デジタル変換→2chレコーダーにデジタル録音という信号変換処理を要したことから、敢えてドルビーSRなどの高性能なノイズリダクションと組み合わせる形でアナログ・レコーダーを使用してミキシングや編集を行う事例があったことによる。 邦楽ポップスでは、浅香唯がマイカルハミングバード在籍時代の後期に発表したアルバム(現在廃盤)の一部に、「DAD」で制作された例があり、ライナーノーツの最後にドルビーSRを併用してミックスダウンに使用した旨が記述されていた。 XRCDでは、オリジナルが16ビットデジタル録音の場合、一度24ビットD/Aコンバーターでアナログ信号に変換し、専用マスタリングコンソールから直接そのアナログ信号を出力し、24ビットD/Aコンバーターでデジタル信号に再変換して、CDマスター用の光磁気ディスクに収録するという、敢えてアナログ処理を介在させる手法が取られている。 「DDD」と表示されたCDとは、デジタル・レコーダーの実用化以降に、デジタル方式でマルチ録音されたソースを元に、デジタル・レコーダーでミキシング、あるいは2chデジタルレコーダーで直接録音するというフルデジタル工程で製作されたものを、デジタル・マスタリングしたという意味である。 タイトル曲・カップリング曲 レコードでは表をA面・裏をB面と呼んでいたが、CDには1面しかないのでポピュラー音楽のCDシングルなどの場合はレコードでのA面曲に相当するものを「タイトル曲(表題曲)、B面曲に相当するものを「カップリング曲」などと呼び分けている。後者は「… をカップリングしている」を意味する英語の「」を短縮した「C/W」と表記されることもある。 ただし、「タイトル(表題)曲」を2曲以上入れたCDシングルはCDであっても「両A面」「トリプルA面」「マルチA面」などという呼び方をすることが多い。 なお、CD時代に直結して、カップリング曲がいわゆるB面曲との認識が解かれたのは快挙である。タイトル曲に続いて直結で聴かれるようになってからは『B面曲だからね~』と揶揄されることもなく、続けて聴かれるようになり、(クウォリティが)底上げされていったのは快挙である。 ジャケット 1980年代後半にはプラスチックのケースでメジャーレーベルが発売したため、多くのレーベルが追従した。しかし、後に紙のジャケットでも流通するようになった。 問題点 発売当初は劣化しないと言われていた。実際には記録したデータは劣化しないが、保存方法が悪いとメディアが劣化を起こす。具体的には蒸着した反射膜の変化、基板となるポリカーボネートの変化、そしてCD-Rの場合には色素の変化の観点がある。全般として直射日光や高温・多湿を嫌う。 反射膜 現在、スパッタリング法によってアルミニウムの反射膜を形成する方法が主流となっているが、アルミニウムを用いるCDは環境にもよるが、20–30年が限度と見積られており、現在長期的な保存を可能とした製品の開発が急務となっている。その一方で、メーカー側などでは80年前後保存が可能とする指摘もある。なお反射膜に金を用いた場合、100年前後保存が可能と見積られているが、コストの問題など解決しなければならない課題がある。安価なものは印刷・反射層が端からはがれてきたり、水分が反射膜に浸透してアルミニウムが錆びてしまい反射の機能を失うなど、短寿命のものが多い。 色素 CD-Rでは記録面に直射日光を当て続けると色素が変化し読み込めなくなったり、質の悪い媒体の場合には蛍光灯に含まれる紫外線で変化するものもある。また高温・多湿の環境に置くと、ごく短時間でも印刷・反射層が端からはがれてくる事がある。 基板 ディスクに用いられるポリカーボネートは湿気にあうと加水分解する欠点があり、徐々に白濁していく。これにより情報を読み取るレーザーが通らなくなり、情報を読めなくなる。ディスクの寿命としては前述の反射膜や色素の寿命がよく取りざたされるが、環境によってはポリカーボネートの透明度で寿命が定まる場合もある。 なお、この欠点を悪用し開封後数週間程度で白濁するように製造された媒体もある。これにより、音楽や映像のソフトウェアを再生できる日数を制限する。 温度や湿度変化の影響が比較的少ないガラス製のCDが開発・発売され、保存性の改善が期待されている。2008年には液晶パネル用のポリカーボネートを使用したスーパー・ハイ・マテリアルCD(SHM-CD)とハイ・クオリティCD(HQCD)が開発・発売。さらにブルーレイディスクの技術を応用したブルースペックCDも開発・発売されている。 都市伝説 一部のマスメディアにおいて、コンパクトディスクを冷やすと音質が良くなると言われているが、CDに記録されている情報はデジタルであるため、ビットエラーがない限り記録内容が変質することはない。CDにおいて、ディスクの熱の影響により符号誤り率が増加することは考えにくいため、冷やしても音質には影響しない。もともと1993年にロンドンの新聞「サンデー・タイムズ」に紹介され、後に日本のテレビ番組にも紹介されそこから噂が広がってしまったのではないかとされている。 脚注 注釈 出典 参考文献 Ecma International. Standard ECMA-130: Data Interchange on Read-only 120 mm Optical Data Disks (CD-ROM), 2nd edition (June 1996). Pohlmann, Kenneth C. (1992). The Compact Disc Handbook. Middleton, Wisconsin: A-R Editions. ISBN 0-89579-300-8. Peek, Hans et al. (2009) Origins and Successors of the Compact Disc. Springer Science+Business Media B.V. ISBN 978-1-4020-9552-8. Peek, Hans B., The emergence of the compact disc, IEEE Communications Magazine, Jan. 2010, pp. 10–17. Nakajima, Heitaro; Ogawa, Hiroshi (1992) Compact Disc Technology, Tokyo, Ohmsha Ltd. ISBN 4-274-03347-3. 中島平太郎、 小川博司、「図解 コンパクトディスク読本」、オーム社、1982年、ISBN 4274029654 関連項目 CDプレーヤー CDDB SDリピーター ディスクドライブ仮想化ソフト ディスクカメラ(1982年に発表) 外部リンク Philips Research The history of the CD - The beginning CDとDVD - CyberLibrarian 日本の発明
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出渕裕
出渕 裕(いづぶち ゆたか〈いずぶち ゆたか〉、1958年〈昭和33年〉12月8日 - )は、日本のアニメのメカニックデザイナー、特撮のキャラクターデザイナー、アニメ監督、イラストレーター、漫画家。東京都生まれ。 人物 略歴 1974年放送の『宇宙戦艦ヤマト』のファンになり、アニメ業界に興味を持つようになる。「ヤマト・アソシエイション」というファンクラブの会員だった。 1978年、『闘将ダイモス』の敵ロボットデザイン担当でデビュー。同作でスタジオぬえのメンバーや東映のプロデューサー鈴木武幸とも知り合い、活動の場を拡げていった。 1980年代には、SF作家の豊田有恒が主宰した創作集団パラレル・クリエーションに所属。以後、漫画執筆、小説の挿絵など漫画家兼イラストレーターとしての活動も始める。その後、ガンダムシリーズや『機動警察パトレイバー』、スーパー戦隊シリーズなどの多くの作品でメカニックデザインを手がけ、2002年、テレビアニメ『ラーゼフォン』で初監督を務める。 アニメや特撮などの空想世界のみならず、川田工業株式会社の二足歩行ロボット、HRP-2の外形デザイン・イメージも担当した。 特撮作品への初参加は『科学戦隊ダイナマン』だが、『大戦隊ゴーグルファイブ』の頃からプロデューサーの鈴木武幸から声を掛けられており、この時は出渕がスケジュールの都合で断ったとのことである。『ダイナマン』から『超新星フラッシュマン』まで4年連続で敵側のキャラクターデザインを歴任(特に『フラッシュマン』では単独ですべての敵デザインを担当)、シリーズの降板は出渕自ら申し出たが、2012年『特命戦隊ゴーバスターズ』で25年ぶりにシリーズに参加した。 2012年、自身のファン作品である『宇宙戦艦ヤマト』のリメイク版、『宇宙戦艦ヤマト2199』の総監督を担当(他にもメカニックデザインや脚本なども兼任)している。 また、長年に亘って東放学園映画専門学校でアニメーション映像科の講師を務めており、「キャラクター表現ゼミ」を開催している。 交友関係 親しい友人らには「ブッちゃん」との愛称で呼ばれる。 学生時代は一アニメファンとして『宇宙戦艦ヤマト』のファンクラブなどに所属し、自主アニメ企画を立てたりもしていた。当時ヤマトファンクラブの会長だった氷川竜介によれば、お互い住んでいる所が近かったため会報の手伝いなどをよくしてもらっているなど交友があり、出渕がデビューするきっかけについても以下のように回想している。 氷川は当時、ヤマト以外のアニメの情報も扱う総合的な会報も作っており、出渕も協力していた。『超電磁ロボ コン・バトラーV』の特集および新番組『闘将ダイモス』の情報が掲載されていた号で、両作品の監督である長浜忠夫と出渕には、ファンレターをきっかけに交流があることが話題になり、サンライズで面会する機会が設けられた。 その際に出渕が先の自主アニメ企画をまとめた同人誌を長浜に見せたところ、出渕のデザインを気に入った長浜からの依頼でダイモスの敵メカデザインを作成することになり、実際に作成したデザインもそのまま採用され、デビューすることとなった。 東映のプロデューサー鈴木武幸ともここで知り合い、後の特撮デザイン進出へとつながっていく。 氷川の著作である『20年目のザンボット3』に収録された1979年の富野由悠季へのインタビューの際、著者の氷川に同行した「友人」が登場するが、これは出渕のことである。 漫画家ではゆうきまさみやとり・みきらと親交があり、彼らの漫画の登場人物として出演した。 ゆうきに『機動警察パトレイバー』のプロットを見せられた出渕はこれを気に入り、火浦功に協力を求めたり、伊藤和典に企画を紹介するなどTV化に向けて奔走した。 好み・趣味 友人のゆうきまさみが1987年に渋谷で行われた出渕の個展に寄せた漫画では、出渕は「僕は嫁さんよりも娘がほしい」と言っていたことがあるという。 『アニメージュ』1980年10月号の座談会で自分は「しずかちゃんのヌードに感じるタイプだなァ」と語っている。また『ドラえもん』は「しずかちゃんのヌードシーンがあるからみなくっちゃイケナイナァとおもうもン」と語っている。この座談会で実写も悪くないとする周囲に「アニメのほうが、ゼッタイいいよ。ナマナマしいのはキライッ」と力説した。 ゆうきやとりと同様、原田知世の熱烈なファンだった。原田知世の主演映画『天国にいちばん近い島』にも出演している。『ファンロード』誌において、レポートマンガを描く条件で原田知世にインタビュー。この時、握手した手を3日洗わなかったという。 ジム・ヘンソン監督の映画『ダーククリスタル』に傾倒し、デザイン面でも同映画のデザイナー、ブライアン・フロードの影響を受けている。また来日したジム・ヘンソンが、雑誌『B-CLUB』のインタビューを受けた際に、インタビュアーを務めている。 雑誌『宇宙船』vol.16に寄稿したイラストエッセイにて、『人造人間キカイダー』、『イナズマンF』『スーパーロボット レッドバロン』などの思い入れを綴った。 大のドイツ軍フリークとしても知られ、ナチス軍装についての造詣も深い。また『新機動戦記ガンダムW』の衣装デザインなどでも見せたように、西洋の装飾的な礼服についてもかなりの知識を持っている。フリッツヘルメットやパンツァーファウストなどをモビルスーツのデザインに採用し、「ジオン軍=ドイツ風」のイメージを確立した。 出渕がデザインを担当した『電撃戦隊チェンジマン』に登場する敵幹部ブーバは、放送直後にハリウッドでプレデターのデザインとして翻案されていると言われる。 人形作家辻村寿三郎のデザインに傾倒していた時期があり、特に『超新星フラッシュマン』などの悪役デザインにその影響が顕著である。 デザインの特徴 デザイナー活動の初期にはロボットアニメの敵側メカ(いわゆる「やられメカ」)を担当。 特徴的なデザインの意匠として、複数の並んだ穴(基本は上段3個、下段2個の5つ穴)が描かれることが多く、「ブチ穴」と通称される。出渕自身はこの意匠について「困ったときに穴を入れる」と述べている。 ケンプファーやサザビー、ズワァース、イングラムなど、メカのボディが三次曲面で構成されたものが多いのが、大きな特徴である。また、ガルディーン、イングラム、ジェガンなどでは頭部またはその周辺を左右非対称に描いており、左右対称の頭部がほとんどであるロボットデザインにおいて異色である(頭部に限らず、デザインをまとめたとされるνガンダムのフィン・ファンネル装備状態にもその傾向が見られる)。 メカとして物理的・構造的に無理があるものや、劇中の設定・考証を無視したものが多く、押井守には「メカ音痴」と評されている。 作品リスト 漫画 ときめいて! ビリンちゃん ♥(『戦闘メカ ザブングル大事典』) トラブル専科(いづぶちゆたか名義)(ザ・モーションコミック 1983年5月30日号)(読み切り) はっぴいえんどなんてくるわけない(いづぶちゆたか名義)(ザ・モーションコミック 1984年1月20日号、1984年6月1日号) ぬいぐるみ殺人事件 第9回(いづぶちゆたか名義) この世で一人の…(いづぶちゆたか名義)(ハイパー☆ゾーンIII)(読み切り) 秘密兵器D・A・K・K・O(いづぶちゆたか名義)(ザ・モーションコミック)(読み切り) 幻灯機(いづぶちゆたか名義)(ハイパー☆ゾーン)(読み切り) 機神幻想ルーンマスカー(月刊ドラゴンマガジン連載、未完)コミックス1巻 総集編(ムック)1 『ルーンマスカー』第1巻は、当時気鋭のデザイナー兼イラストレーターとして人気のあった出渕の初マンガ単行本ということもあって初版が(それまで出版で実績のない作家としては)異例の大部数となり、出渕のもとには高額の印税が舞い込むことになった。しかしこれまで手にしたこともない額をどう使えばいいのか分からない出渕は友人に使い道を相談して回り、相談された友人の間では「別荘を買わせよう」という企みが冗談半分で画策されていたという。 これはその友人の面々が「どうせブッちゃんは忙しくて使う暇がないんから、彼に別荘を買わせて俺らが使わせてもらえば(出渕的には税金対策になるし、自分たちはタダ同然で使えるから)お互いに幸せじゃないか」とバカ話を交わしたことから出た。そんな冗談も通じるほど付き合いの深い仲ならではのエピソードである。 2009年3月19日にRYU COMICSより新装版を発売。『月刊COMICリュウ』2009年8月号より第二部として連載を再開した。 月刊COMICリュウ2009年5月号特別付録『出渕裕コミック短編集』 初期の読み切り作品を集めたもので、出渕の希望により、今後コミックス化されることは絶対ないとされている。 新書版、全112ページ。 挿絵・イラスト ロードス島戦記 勘違いからヒロインのエルフ・ディードリットの耳を極端に長く描き(元となったエルフのデザインでは、エルフの耳はミスター・スポックのような形状である)、特定年齢層の日本人に「エルフと言えば長い耳」のイメージを定着させたことになっている。現在でも、日本・韓国のファンタジー系RPGで登場するエルフやそれに類する亜人は、極端に耳が長いことが挙げられる。グループSNE関連の冊子などでは「笹耳」と表現される。出渕本人は「メカのアンテナのようなイメージで描いた」とインタビューで語っている。後年、元ネタとして映画「ダーククリスタル」に登場するゲルフリン族の耳をイメージしていたと語っている (季刊コミッカーズ 1999年7月号)。 聖戦士ダンバイン(LD-BOX Part 1パッケージ、他) 機甲界ガリアン(BD-BOXパッケージ、月刊ニュータイプ1986年7月号付録ポスター、他) 未来放浪ガルディーン オーラバトラー戦記(カドカワノベルズ版の第3巻まで) ソルジャー・クイーンシリーズ メカニックデザイン 闘将ダイモス(1978年-1979年)- ノンクレジット 出渕の公式デビュー作品。敵メカを担当。浪人時代にスタジオ見学に訪れた際に、敵メカのアイデアを求めていた監督の長浜忠夫から誘われ、第16話頃から参加した。 未来ロボ ダルタニアス(1979年-1980年)- デザイン協力 敵メカを担当。 宇宙大帝ゴッドシグマ(1980年-1981年)- デザイン協力 敵メカを担当。 無敵ロボ トライダーG7(1980年-1981年)- メカニカルゲストデザイン 敵メカを担当。 宇宙戦艦ヤマトIII(1980年-1981年) - SF設定協力 アリゾナやゼーアドラーIIIなど、少数のメカをデザインした。SFファンダムの先輩がSF考証の豊田有恒と親しくしていたことから誘われたという。 最強ロボ ダイオージャ(1981年-1982年)- メカニカルゲストデザイン 敵メカを担当。 戦闘メカ ザブングル(1982年-1983年) - メカニカルゲストデザイン シリーズ当初より参加。前半の主役メカ・ザブングルと主人公達の「家」となるランドシップ・アイアンギアー、後半の主役メカ・ウォーカー・ギャリア以外のウォーカーマシン等のサブメカや小物デザインを担当し、メカニカルな見地での世界観統一に貢献した。また高荷義之が児童誌に連載したイラストのラフ原画も手掛けた。 宇宙戦艦ヤマト 完結編(1983年) ディンギル帝国のメカニックを辻忠直と共に担当。 聖戦士ダンバイン(1983年-1984年) - メカニカルゲストデザイン シリーズ序盤以降のメカデザインを担当。本作は企画スタート時よりスタジオぬえの宮武一貴が監督の富野由悠季と共にビジュアル的な世界観を構築し、主役メカのダンバインやその僚機となるダーナ・オシー、前半の敵主力機ドラムロといったオーラバトラーや主人公達が乗り組むオーラシップ・ゼラーナ等のデザインを手がけていたが、宮武がスタジオぬえの業務的事情(詳細は『超時空世紀オーガス』を参照)から同作を降板する事となったため、出渕はその後の作業を引き継ぐ形で参加する事となった。 宮武と出渕は直接の引継ぎを行っておらず、当初宮武が富野の意向に沿って確立しようとした「甲虫の様な意匠を、極めて工業的・産業的な観点から作り上げたロボットのデザイン」というコンセプトは必ずしも受け継がれていない。むしろ生物や中世の甲冑のイメージが強くなっている。ビランビーは当初「マサラグ」の名称が与えられ宮武の手でラフデザインまで進んでいたので、そのラフを元に出渕がクリンナップを行った。 超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか(1984年)- メカニックデザイン協力 ゼントラーディのパワードスーツ、ヌージャデル・ガーのデザインを担当。 機甲界ガリアン(1984年) 主役メカ・ガリアンとその強化改造型・アザルトガリアン以外のメカを出渕が一手に引き受け、ケンタウロス型の人馬兵や折り畳み式の翼による飛行能力を持った飛甲兵、水中戦に特化した水機兵等、重厚かつ壮大なファンタジーSFの世界にぴったりのデザインを提供。これによって、「伝説の鉄巨人」という設定ながらロボット然としたデザインのガリアンが特殊な存在であるという説得力を出す事にも一役買った。 機甲界ガリアン 鉄の紋章(1986年) 本編に登場するすべての機甲兵のデザインを担当。鉄巨神はテレビシリーズ版でのガリアンだが、そのシルエットと最低限のディテールは残しつつもロボット然とした印象を極力取り除き、テレビシリーズ以上にハードなヒロイックファンタジー(見方によってはダークファンタジーともいえる)となった物語に最適といえるデザインに仕立て上げた。邪神兵は本作用の完全オリジナルデザインで、ヒロイックでマッシヴな鉄巨神とは対を成す禍々しさを持ったものとなっている。 機動戦士ガンダムΖΖ(1986年) - メカニカルベースデザイン 中盤までの敵モビルスーツ、ガルスJやズサ等のラフデザインを担当。 元々は全てのメカデザインを永野護が担当する予定だったが、スポンサーであるバンダイの意向によって永野が降板したため、急遽主役メカ・ΖΖガンダムのデザイン原案は小林誠に依頼され(クリンナップは伸童舎)、敵メカのデザイン原案が出渕に発注された。 当初、『機動戦士Ζガンダム』の後番組には出渕デザインの新作が予定されていたが、ZZの企画が決定しペンディングとなった。 ケルベロス・サーガ(1987年-) 『紅い眼鏡』『人狼』など一連の映像・漫画作品に登場する、特機隊の装甲服「プロテクトスーツ」や車輌・航空機などのデザインを担当。出渕のドイツ軍装フリーク振りが遺憾なく発揮されている。 New Story of Aura Battler DUNBINE(1988年) 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(1988年) νガンダムなどモビルスーツのデザインを担当。 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争(1989年) MSだけでなく世界観構築のためのデザインワークスを担当しており、特に「ハイゴッグ」や「ケンプファー」は評価が高い。 機動警察パトレイバー(1988年-2002年) ごく一部を除き、漫画からアニメに至るまでほとんどのレイバーやその他メカニックデザインを担当した。 元々この作品はゆうきまさみと共に作り始めた企画が元であるため、他作品に比べて関与の度合いは深く、劇場版第3作となる『WXIII 機動警察パトレイバー』ではスーパーバイザー、アニメでは一部のエピソードにおいて「いづぶちゆたか」名義で脚本(TVシリーズ・後期OVAシリーズ)、絵コンテ(後期OVAシリーズ)を担当している。なお初期OVAシリーズ6話までと「劇場版第2作」の監督である押井守は、(出渕との仲が最も険悪だった時期に)従来のヒーローメカ然としたレイバーデザインに不満を持っていたと述べ、「メカ音痴のメカデザイナー」などと酷評している。 アッセンブル・インサート(1989年-1990年) ガサラキ(1998年) 日本アニメ(ーター)見本市 「世界の国からこんにちは」(2015年) - ロボットデザイン 「機動警察パトレイバーREBOOT」(2016年) - メカニカルデザイン・監修 キャラクターデザイン 特撮 ロボット8ちゃん(1981年) エバポリスをデザイン。SFファンダム関連で知り合っていた石森プロの青柳誠からの紹介であった。 科学戦隊ダイナマン(1983年)- キャラクターデザイン 実質的に初の特撮デザイン作品。敵キャラクターを担当。アニメーションのセンスを取り入れたシャープなデザインを多数輩出。 超電子バイオマン(1984年)- キャラクターデザイン 新帝国ギアやバイオハンター・シルバのデザイン マイティレディ(1984年・特撮オリジナルビデオ)- 初代マイティレディのコンセプトデザイン 電撃戦隊チェンジマン(1985年)- キャラクターデザイン 電撃戦隊・大星団双方のメインデザイン。ゴズマは多様な宇宙人で構成されるという設定からあえて統一的なコンセプトは持たせず、円谷プロダクション作品や海外SFのイメージも取り入れている。 超新星フラッシュマン(1986年)- キャラクターデザイン 全てのデザインを一手に手掛けた バトルガール(1991年 大映 ビデオ作品) - キューティー鈴木が演じるキャラクターのコスチュームをデザイン 仮面ライダーアギト(2001年)- 怪人であるアンノウン、および4人目の仮面ライダーであるアナザーアギトのデザイン 劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4(2001年) - アンノウンデザイン。草彅琢仁との連名 キューティーハニー(2004年・映画) 劇場版 仮面ライダー響鬼と7人の戦鬼(2005年) - 「魔化魍」デザイン 劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE(2006年) - ZECT衣装デザイン キューティーハニー THE LIVE(2007年) 仮面ライダーディケイド(2009年)- アギト編「バッファローロード」を担当 劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー(2009年)- キングダークを担当 仮面ライダーオーズ/OOO(2010年)- 篠原保との連名 オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー(2011年) - ショッカーグリードを担当 特命戦隊ゴーバスターズ(2012年)- キャラクターデザイン 篠原保、原田吉朗、森木靖泰、K-SuKeとの連名。25年ぶりのスーパー戦隊シリーズへの参加。 仮面ライダージオウ(2018年)- 篠原保との連名 シン・仮面ライダー(2023年) - 山下いくと、前田真宏との連名 アニメ デルパワーX 爆発みらくる元気!!(1986年) 鉄腕バーディー(漫画・ゆうきまさみ 1996年) 漫画 クルクルくりん(漫画・とり・みき)- 作中の自主映画「学園戦隊トリカマン」のスーツデザインと、一部の話でモブキャラを描いている。本人も何故か女子学生役で登場。 風の戦士ダン(作画:島本和彦/原作:雁屋哲) - メカニックや敵キャラクターなど多岐に及ぶがクレジットはされていない。当時デビュー間もない島本の画力では技術不足によりデザインの反映が困難であったことが島本の自叙伝『アオイホノオ』にて描かれている(出渕本人も登場)。また、一部シーンは作中にて現在の島本の画力で出渕のデザインに忠実に書き直して再現されている。 ゲーム ベルデセルバ戦記(テンキー 1997年) ソウルキャリバーIV(バンダイナムコゲームス 2008年)- ボーナスキャラクターの一人、シェラザードを担当 キャラクターリファインデザイン エイトマン(1994年)- 月刊マンガボーイズ連載、末松正博版 仮面ライダー THE FIRST(2005年)- 仮面ライダー1号、2号及びショッカー怪人を担当 スカルマン(2007年)- スカルマン・GRO等デザインの他、シリーズ構成・脚本等、全面に携わる 仮面ライダー THE NEXT(2007年) 平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊(2014年)- ヤマアラシロイドを担当 服飾デザイン 新機動戦記ガンダムW(1996年)- OZの華麗な制服を中心とした衣装デザインの協力。他にも『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』の拳銃がそのまま流用されている。 JUNK -RECORD OF THE LAST HERO-(漫画・麻宮騎亜 2004年-2007年)- JUNKスーツデザイン ローレライ(2005年)- パウラ水密服デザイン 劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE(2006年)- ZECT制服デザイン デザインワークス 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争(1989年)- デザインワークスとして、MSや戦艦・軍服・銃器などのデザインにも関わった サイレントメビウス(劇場版)(1991年) 装甲騎兵ボトムズ 赫奕たる異端(1994年)- 設定原案 機動戦士ガンダム MS IGLOO(2004年-2006年)- スーパーバイザーを兼務 交響詩篇エウレカセブン(2005年) ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序(2007年)- ゼーレのシンボルマークをリファイン ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(2012年) シン・ゴジラ(2016年) - 特殊建機小隊エンブレムデザイン コンセプトデザイン 地球へ…(2007年) デザイン(その他) スケバン刑事(劇場版)(1987年)メカ腕をデザイン 宇宙の騎士テッカマンブレード(1992年-1993年)「設定協力」 無限のリヴァイアス (1999年-2000年)- 「デザイン協力」としてクレジット Ergo Proxy (2006年)- 「デザイン協力」 ガラスの艦隊(2006年)「コンセプトアドバイザー」 機神大戦ギガンティック・フォーミュラ(2007年)「ギガンティックデザイン」(「ディアーヌ7」を担当) クリエイティブプロデューサー 鉄腕バーディー DECODE(2008年) 鉄腕バーディー DECODE:02(2009年) 監督作品 ラーゼフォン(TV版:2002年 劇場版:2003年) 宇宙戦艦ヤマト2199(2012年、総監督) 脚本 シャングリ・ラ(2009年) 画集 Neos―出渕裕デザインアート集(朝日ソノラマ刊、1985年) イルジオン―幻影(角川書店、1996年) Anam―魂(角川書店、1999年) 出渕裕画業30周年記念画集 IIIX(徳間書店、2008年) 連載記事 「メカニカルおもちゃ箱」、他(月刊コミックボンボン) 耽美雑誌「JUNE」誌上で自分のデザインした特撮悪役キャラを紹介するイラストコラム「闇の紳士録」を連載していた事がある。 出渕裕の酔いどれ人生相談(月刊COMICリュウ) 出演 ビデオマガジン「BANDAI ANIRAMA PRESS 電影帝国」Vol.1~5(1988-1989年発売) - 声優の川村万梨阿と2人でメインキャスターを担当した。 BSアニメ夜話(NHK BS2) - 以下の回にゲスト出演。 機動警察パトレイバー(劇場版)(2004年10月25日) 勇者ライディーン(2006年8月8日) その他 1998年の航空自衛隊戦技競技会の特別塗装として、第204飛行隊のF-15J戦闘機に、出渕がデザインしたワルキューレとグリフォンが描かれた HRP-2(川田工業株式会社) - 外形デザイン・イメージを担当。愛称名「Promet(プロメテ)」を考案 脚注 注釈 出典 参考文献 日本の漫画家 日本のアニメーション監督 日本のイラストレーター 特撮スタッフ メカニックデザイナー ガンダムのデザイナー 東京都出身の人物 1958年生 存命人物
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井上雄彦
井上 雄彦(いのうえ たけひこ、本名:成合 雄彦(なりあい たけひこ)、1967年1月12日 - )は、日本の漫画家。男性。鹿児島県伊佐市(旧大口市)出身。血液型はB型。 概略 代表作に『SLAM DUNK』・『バガボンド』・『リアル』など。スポーツや闘いを通じて青年の成長を描いた作品、現実的な人物描写やストイックな作風で知られる。 1988年、手塚賞入選の「楓パープル」でデビュー(この時は本名名義)。1990年、現在の名義である「井上雄彦」に変更して連載を開始した『SLAM DUNK』は日本におけるバスケットボールブームの火付け役となる。1998年からは宮本武蔵を題材にした『バガボンド』、1999年からは車椅子バスケットボールを題材にした『リアル』を連載。『バガボンド』による文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。2012年には平城遷都1300年記念アジアコスモポリタン賞文化賞を受賞。 来歴 小・中学校時代は剣道部に所属し、高校から当時まだマイナーだったバスケットボール部に入部し主将を務める。その一方で、子供の頃から絵を描くことを好み、高校の終わり頃より漫画家になることを意識するようになる。幼少期から特に好きだった漫画は水島新司『ドカベン』で、他にも影響を受けた漫画家に池上遼一(『男組』)、小林まこと等の名を挙げている。 鹿児島県立大口高等学校3年の時、芸大進学を前提に美術予備校の夏期講習を受けるが、「金がかかる」という理由で進路変更し、地元に近い熊本大学に進学する。20歳の時に週刊少年ジャンプに投稿した作品が編集者・中村泰造の目に止まり、本格的に漫画家の道を歩むために1987年大学を中退し上京。当時『シティーハンター』を連載中の北条司のアシスタントを10ヶ月ほど務め、ここで漫画制作の基本的な技術を身につけた。1988年、投稿作品『楓パープル』が第35回手塚賞に入選、漫画家としてデビューする。 週刊少年ジャンプ上で原作付きの初連載『カメレオンジェイル』やバスケの読み切り作品等を経て、1990年より『SLAM DUNK』を連載開始する。当時国内でのバスケットボールの人気度はさほどでなかったが、回を重ねる毎に人気を増し、やがて空前の大ヒットとなる。1993年にはアニメ化もされた。また、連載終了後10年を経た2006年には、文化庁によるアンケート企画「日本のメディア芸術100選」においてマンガ部門1位に選出されている。 1996年、6年間続いた『SLAM DUNK』が連載終了する。いくつかの小品を経て、1998年より『モーニング』にて、吉川英治の小説『宮本武蔵』を原作とした『バガボンド』の連載を開始する。並行して1999年からは本人曰く「TVで観て興味を持った」車椅子バスケットボールを題材にした『リアル』の不定期連載を『週刊ヤングジャンプ』にて開始、2019年現在、バガボンドは休載中である。この2作品について井上は「漫画の先人が作り上げてきた『マンガ的な手法やマンガ的記号』を『バガボンド』では極力使わないようにし、逆に『リアル』ではそれらを最大限に発揮して描いている。」と語っている。 バスケットボールとの関わり 井上は中学までは剣道部で活動していたが、高校では球技を始めたかったことや剣道部に実兄がいて照れくさかったことなどからバスケットボール部に入部した。インタビューによれば当初はバスケットにそれほど興味を持っていたわけではなく、友達に誘われて「ふと入った」感じだった、と語っている。自身はそれほど背が高くなかったためガード的なポジションを務めることが多かったという。 漫画家を目指すようになってからは「とにかくバスケット」を描こうと決めており、当時バスケットを題材にした漫画はなかったため「(自分が描くまでは)誰もやらないでくれよ」と思っていたという 。『SLAM DUNK』連載時にもバスケットボールチーム「TAKECHANS」を結成しポイントガードを担った。また『SLAM DUNK』終了後はBS1放送のNBA中継にゲストとして何度か出演している。 2004年頃から井上は「バスケットボールそのものに対しての感謝の気持ちを形にしたい」との思いからスポーツ奨学金の設立を構想、2006年に「スラムダンク奨学金」を設立した。バスケットボールのプロ選手を目指す日本の高校生を対象にアメリカのプレップスクール(大学入学準備校)への留学を助け、プロスポーツ選手を目指す留学生も多い進学校での勉学の道を支えている。 ちなみに、『SLAM DUNK』において一部の登場人物の顔などは、自身の高校の部活仲間や大学のサークル仲間がモデルとなっている。 年譜 1988年 - 「楓パープル」で第35回手塚賞入選(本名の成合雄彦名義)、デビュー。 1989年 - 『週刊少年ジャンプ』にて「カメレオンジェイル」を連載。 1990年 - 『週刊少年ジャンプ』で「SLAM DUNK」連載開始(1996年まで。この連載と前後する形で現在の名義に変更)。 1996年 - スポーツ・アイ ESPNのサイト上にて「BUZZER BEATER」連載開始(1998年まで)。 1998年 - 『モーニング』にて「バガボンド」連載開始。 1999年 - 『週刊ヤングジャンプ』にて「リアル」連載開始。 2008 〜 2010年 - 「井上雄彦 最後のマンガ展」を全国4都市で開催。 2010年 - 日本バスケットボール協会から特別表彰。 2014 〜 2015年 - 「特別展 ガウディ×井上雄彦-シンクロする創造の源泉-」を国内5ヶ所で開催。 受賞歴 1995年 - 第40回小学館漫画賞(『SLAM DUNK』) 2000年 - 第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞(『バガボンド』) 2000年 - 第24回講談社漫画賞(『バガボンド』) 2001年 - 第5回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞(『リアル』) 2002年 - 第6回手塚治虫文化賞マンガ大賞(『バガボンド』) 2008年 - 第2回 ASIAGRAPH Award 受賞 2009年 - 文化庁芸術選奨新人賞 2012年 - 平城遷都1300年記念アジアコスモポリタン賞文化賞受賞 作品リスト 連載作品 カメレオンジェイル(『週刊少年ジャンプ』集英社、1989年33号 - 44号)渡辺和彦原作 初連載作品。自在に姿を変化させる「危険請負人」カメレオン・ジェイルを主人公とした探偵もの。 SLAM DUNK(『週刊少年ジャンプ』集英社、1990年42号 - 1996年27号) 不良青年だった主人公・桜木花道が、高校バスケットボールの世界に入り活躍する様を描く代表作。桜木たちがインターハイに挑戦する半年間の1シーズンが6年をかけて描かれた。 HANG TIME(『週刊少年ジャンプ』集英社、1993年45号 - 48号) ボブ・グリーンの『マイケル・ジョーダン物語』を原作にした作品。『SLAM DUNK』連載中に短期集中連載された。 BUZZER BEATER(『月刊少年ジャンプ』集英社、1997年2月号 - 1998年8月号) バスケットの「宇宙リーグ」の模様を描いたSF・バスケット漫画。1996年よりオンラインコミックとして連載されたのち『月刊少年ジャンプ』に連載。WOWOW、日本テレビでアニメ化された。 バガボンド(『モーニング』講談社、1998年40号 - ) 吉川英治の小説『宮本武蔵』を原作とした作品。佐々木小次郎を聾啞者として描くなど、原作にはない独自の視点で描かれる場面も多い。長期休載を挟み2016年時点も不定期で連載中。 リアル(『週刊ヤングジャンプ』集英社、1999年48号 - ) 骨肉腫によって片足を失った戸川清春、自分の起こしたバイク事故で同乗者に障害を負わせてしまった野宮朋美、交通事故で半身不随となった高橋久信を中心に車椅子バスケットボールの世界を描く作品。『週刊ヤングジャンプ』に不定期連載され単行本が年1巻のペースで刊行されている。 短編作品 楓パープル(『週刊少年ジャンプ』集英社、1988年32号) 第35回手塚賞に入選したデビュー作。バスケットボールを題材にしており、主人公の流川楓のほか、後に『SLAM DUNK』に登場することになるキャラクターの原型が表れている。 華SHONEN(『週刊少年ジャンプ』集英社、1988年42号) 演劇部を舞台にした、女の子のような美少年(『楓パープル』の流川楓を流用)と活発な女の子とのラブコメディ。 JORDANみてーに(コミックス『カメレオンジェイル』第2巻描き下ろし、1989年) 高校バスケットの日本選抜を題材にした読み切り作品。 赤が好き(『週刊少年ジャンプ増刊』集英社、1990年サマースペシャル) 『SLAM DUNK』のパイロット版的短編作品。主人公・桜木の人物像のほか、『SLAM DUNK』の主要人物がほぼそのまま登場する。この作品の直後に『SLAM DUNK』の連載が開始された。 BABY FACE(『週刊少年ジャンプ』集英社、1992年3・4合併号) 23歳の孤独な殺し屋を描いた読み切り作品。『SLAM DUNK』連載中に掲載された。 ピアス(『週刊少年ジャンプ』集英社、1998年9号) 海沿いの街を舞台に、小学6年生の少年りょうたと少女あやこをめぐる読み切り作品。後に『週刊ヤングジャンプ』2001年49号にもアンコールとして掲載された。 JUMP少年(『トカイモン―トウキョウワカモノブック』小学館、1999年) I LOVE THIS GAME(『Adidas MANGA FEVER』、2002年) サッカーを題材にした読み切り作品。 『リアル×リオパラリンピック』(集英社、2016年) リオデジャネイロパラリンピックを取材して出版。 イラスト・デザイン他 1995年、アシックスとのコラボレーションによりバスケットボールシューズ “HIGH TIME” を発表、1996年グッドデザイン賞受賞 「第1回JBL男子トーナメント大会」ポスター描き下ろし(1996年) 「NBA解体新書」 カバーイラスト描き下ろし(1996年) 「NBA雑学バイブル」 カバーイラスト描き下ろし(1997年) 「FILA素人GAMES」ポスター描き下ろし(1997年) 資生堂「Aleph」CM演出(1998年) 「1on1」(プレイステーション用ソフト)キャラクターデザイン&ストーリコンセプト(1998年) 資生堂「uno」CM演出(2005年) 「PRIDE 男祭り 2005-ITADAKI-」 イラスト・題字 2005年、ユニクロのTシャツデザインコンテスト「UTGP」に審査員として参加、同時に自身もコラボレーションTシャツをデザインした。なお大賞には漫画家・内藤曜ノ介による作品「親父超え」が選ばれている。 「ロストオデッセイ」(Xbox 360用ソフト)メインキャラクターデザイン(2007年) 『薩摩のキセキ 日本の礎を築いた英傑たちの真実』(2007年、総合法令出版、西郷吉太郎・西郷隆文・大久保利泰・島津修久著)表紙イラスト 「隠し砦の三悪人」、描き下ろしポスター(2007年) 2007年11月、紀伊国屋書店ニューヨーク店オープン記念の壁画を制作。 同年11月、集英社と講談社の共同による『バガボンド』『リアル』のリミックス広告を実地。このうち読売新聞朝刊に掲載された広告が第12回読売出版広告大賞を受賞。 2008年から2010年まで東京・熊本・大阪・仙台を巡回し、自ら「最後」と銘打った「井上雄彦 最後のマンガ展」が開催された。 2009年9月15日 NHK総合テレビ・プロフェッショナル 仕事の流儀「闘いの螺旋、いまだ終わらず〜漫画家・井上雄彦」。 2011年5月、ナイキとのコラボレーションによりバスケットボールシューズ “NIKE AIR ZOOM BRAVE IV IT” と「ナイキ DRI-FIT IT ブカツ S/S Tシャツ」を発表。 2012年3月、エキサイトと共同でスマートフォンアプリ「Smile by Inoue Takehiko」を発表。ダウンロードは無料で、iOSとAndroidに対応している。 同年5月、『空白』を出版。 2013年、式年遷宮に合わせて伊勢神宮に絵巻「承(しょう)」(水墨画)を奉納、全国巡回展示後、2016年4月27日 - 6月27日にせんぐう館で公開された。 2015年10月24日、スケッチ集『円空を旅する』(美術出版社)発売。 2017年4月、三原カズトによる漫画『巻物ザムライ』(ふんわりジャンプ連載)の題字を担当。 共著 井上雄彦、伊藤比呂美『漫画がはじまる』スイッチ・パブリッシング、2008年6月。。 冲方丁、井上雄彦(述)「描きながら考え、道が見えてくる」『にすいです。 : 冲方丁対談集』角川グループパブリッシング、2013年。。 チームリアル(編)『リアル×リオパラリンピック』集英社、2016年。。別題『Takehiko Inoue,na animação da Paralimpíada Rio 2016! : 井上雄彦、熱狂のリオへ』。 アシスタント経験者 原泰久 立沢克美 和泉雄己 三原和人(三原カズト) 高島正嗣 関連番組 BSマンガ夜話(NHK BS2)- いずれも本人出演なし 『SLAM DUNK』1997年1月7日 - ゲストは古田新太、一条ゆかり 『リアル』2009年12月21日 - ゲストは柴田淳、石井正則 脚注 参考文献 主な執筆者の姓の50音順 関連資料 発行年順 『井上雄彦ぴあ:武蔵、熊本へ』〈ぴあmook〉2009年4月。。 「『スラムダンク 完全版 全24巻』井上雄彦 集英社 2002年」『最近の中高校生の日常を描いた本のリスト/2000年~2010年発行で登場人物が中高校生もの』神奈川県学校図書館員研究会、2011年7月13日、国立国会図書館〈レファレンス協同データベース〉。 中村トオル『井上雄彦100+1』東京:雷鳥社、2012年。別題『人生を変える信念の言葉』。。 金益見『贈りもの』講談社、2012年、。別題『安野モヨコ・永井豪・井上雄彦・王欣太ー漫画家4人からぼくらへ』。 Casa BRUTUS特別編集『ガウディと井上雄彦』〈マガジンハウスムック〉、2015年。。別題『THE GAUDÍ PILGRIMAGE WITH TAKEHIKO INOUE』。 山脇智子「井上雄彦『バガボンド』」『わたしが魅せられた漫画』清水正(監修)、日本大学芸術学部図書館、2015年、333頁。。 辻惟雄、泉武夫、山下裕二、板倉聖哲(編集委員)「展示風景 井上雄彦(いのうえたけひこ)」『日本美術全集』小学館、2016年。 第四章 80「井上雄彦(いのうえたけひこ)最後(さいご)のマンガ展(てん)」 第四章 81「エントランス・スペース・プロジェクト」 外部リンク INOUE TAKEHIKO ON THE WEB スラムダンク奨学金公式サイト 日本の漫画家 日本のバスケットボールに関する人物 鹿児島県出身の人物 1967年生 存命人物
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泡坂妻夫
は、日本の推理作家、小説家。東京府・東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。東京都立九段高等学校卒。 筆名の"泡"の旁は正しくは"己"ではなく"巳"。筆名は本名のアナグラムである。 経歴 東京・神田で「松葉屋」の屋号を持つ紋章上絵師(もんしょううわえし・和服に家紋を描き入れる専門の絵師)の家に生まれる。定時制で高校に通いながら約5年の会社勤めを経て、家業を継いで上絵師として働く。家業の傍ら幻影城新人賞に応募した短篇『DL2号機事件』が佳作入選して1976年に43歳で作家デビューした。なお、デビュー当初は、筆名の由来について質問されると、本名のアナグラムであることが恥ずかしくて説明できず、「家の近くは元、鈴木阿波守の下屋敷があったところで、その前の坂を阿波坂といいます、姓はその阿波坂をとり名の方は妻の姓「妻野」の一字をもらいました」という嘘の説明をしていたという。 その逆説を多用する作風から「日本のチェスタトン」と呼ばれた。また、劇中で用いられているトリックのタネを書籍自体に施した『しあわせの書』や、袋綴じされているページを切り開くと内容が変化する『生者と死者』など、紙媒体でしか成立しない仕掛けを施した、遊び心と技巧が一体となった作品がある。 文章中に繰り返し符号「々」を使用しないことが知られている。 作中で活躍する探偵役としては、亜愛一郎、曾我佳城、ヨギ ガンジー等。作品世界はすべて繋がっているらしく、ある作品の登場人物が別シリーズの作品にチラリと登場したり、時代小説にも先祖らしき人物が現れたりする。シリーズを終了させる際にパーティ場面を設定して、これまでの全主要人物が一堂に会する恒例のパターンなど、こまかな遊びがファンを喜ばせている。 また、泉鏡花文学賞を受賞した『折鶴』、直木賞を受賞した『蔭桔梗』などは、職人の世界を舞台にした「人情もの」小説である。このころになると、初期のオフビートな、ユーモラスな文体は、しっとりと情趣の濃いものに変化している。 奇術愛好家兼奇術師としても有名であり、1968年に第2回石田天海賞を受賞している。また、自身の名を冠した奇術の賞に厚川昌男賞がある。 作家活動と並行して家業の紋章上絵師の仕事も続け、その経験・知識から、家紋についての本も著している。 2009年2月3日、急性大動脈解離のため東京都内の病院で75歳で他界した。15年ぶりのシリーズ再開で、死の前日まで執筆した『ヨギ ガンジー、最後の妖術』が絶筆となった。 受賞 1975年 - 『DL2号機事件』で第1回幻影城新人賞に佳作入選。 1978年 - 『乱れからくり』で第31回日本推理作家協会賞を受賞。 1982年 - 『喜劇悲奇劇』で第9回角川小説賞を受賞。 1988年 - 『折鶴』で第16回泉鏡花文学賞を受賞。 1990年 - 『蔭桔梗』で第103回直木賞を受賞。 作品リスト 小説 亜愛一郎シリーズ 亜愛一郎の狼狽(1978年5月 幻影城ノベルス / 1981年11月 角川書店 / 1985年3月 角川文庫 / 1994年8月 創元推理文庫) 亜愛一郎の転倒(1982年7月 角川書店 / 1997年6月 創元推理文庫) 亜愛一郎の逃亡(1984年12月 角川書店 / 1997年7月 創元推理文庫) 曾我佳城シリーズ 天井のとらんぷ(1983年6月 講談社ノベルス / 1986年8月 講談社文庫) 花火と銃声(1988年6月 講談社ノベルス / 1992年8月 講談社文庫) 奇術探偵 曾我佳城全集(2000年7月 講談社 / 2020年1月 創元推理文庫【上・下】) 上2冊の合本+数編の短編(本シリーズの完結編となる短編を含む) 奇術探偵 曾我佳城全集 秘の巻(2003年6月 講談社文庫) 奇術探偵 曾我佳城全集 戯の巻(2003年6月 講談社文庫) 『奇術探偵 曾我佳城全集』の分冊文庫化。収録順が単行本及び創元推理文庫版と異なっている。 ヨギ ガンジーシリーズ ヨギ ガンジーの妖術(1984年1月 新潮社 / 1987年1月 新潮文庫 / 2018年6月 新潮文庫[改版]) ※連作短編集 しあわせの書〜迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術(1987年7月 新潮文庫) 生者と死者〜酩探偵ヨギ ガンジーの透視術(1994年10月 新潮文庫) 泡坂妻夫引退公演(東京創元社)、泡坂妻夫引退公演 手妻篇(創元推理文庫)に「カルダモンの匂い」「未確認飛行原人」「ヨギ ガンジー、最後の妖術」の3篇収録。 海方・小湊シリーズ 死者の輪舞(1985年5月 講談社 / 1989年1月 講談社文庫 / 1993年5月 出版芸術社 / 2019年2月 河出文庫) 毒薬の輪舞(1990年4月 講談社 / 1993年9月 講談社文庫 / 2019年4月 河出文庫) 宝引の辰捕者帳 鬼女の鱗(1988年3月 実業之日本社 / 1992年2月 文春文庫) 自来也小町(1994年6月 文藝春秋 / 1997年6月 文春文庫) 凧をみる武士(1995年5月 日本放送出版協会 / 1999年8月 文春文庫) 朱房の鷹(1999年4月 文藝春秋 / 2002年7月 文春文庫) 鳥居の赤兵衛(2004年8月 文藝春秋 / 2007年8月 文春文庫) 織姫かえる(2008年8月 文藝春秋) 夜光亭の一夜 宝引の辰捕者帳ミステリ傑作選(2018年8月 創元推理文庫) 上記6冊から作品13編を再収録。末國善己編。 夢裡庵先生捕物帳 びいどろの筆(1989年2月 徳間書店 / 1992年11月 徳間文庫) からくり富(1996年5月 徳間書店 / 1999年7月 徳間文庫) 飛奴(2002年10月 徳間書店 / 2005年1月 徳間文庫) 夢裡庵先生捕物帳(2017年12月 徳間文庫【上・下】) 上記の3冊を上下巻2冊に合本 その他の長編 11枚のとらんぷ(1976年10月 幻影城ノベルス / 1979年8月 角川文庫 / 1988年11月 双葉文庫 / 1993年5月 創元推理文庫 / 2014年6月 角川文庫) 乱れからくり(1977年12月 幻影城ノベルス / 1979年4月 角川文庫 / 1988年2月 双葉文庫 / 1993年9月 創元推理文庫 / 1996年10月 角川文庫 / 1997年11月 双葉文庫) 湖底のまつり(1978年11月 幻影城ノベルス / 1980年4月 角川文庫 / 1989年11月 双葉文庫 / 1994年6月 創元推理文庫) 花嫁のさけび(1980年1月 講談社 / 1983年8月 講談社文庫 / 1999年7月 ハルキ文庫 / 2017年11月 河出文庫) 迷蝶の島(1980年12月 文藝春秋 / 1987年2月 文春文庫 / 2018年3月 河出文庫) 喜劇悲奇劇(1982年5月 カドカワノベルズ / 1985年10月 角川文庫 / 1999年5月 ハルキ文庫 / 2010年1月 創元推理文庫) 妖女のねむり(1983年7月 新潮社 / 1986年1月 新潮文庫 / 1999年4月 ハルキ文庫 / 2010年6月 創元推理文庫) 花嫁は二度眠る(1984年4月 カッパ・ノベルス / 1989年4月 光文社文庫) 猫女(1985年12月 フタバノベルス / 1990年7月 双葉文庫) 斜光(1988年7月 カドカワノベルズ / 1991年5月 角川文庫 / 2001年6月 扶桑社文庫) 黒き舞楽(1990年3月 白水社 / 1993年12月 新潮文庫) 旋風(1992年5月 集英社 / 1995年2月 集英社文庫) 写楽百面相(1993年7月 新潮社 / 1996年9月 新潮文庫 / 2005年12月 文春文庫) 弓形の月(1994年4月 双葉社 / 1996年8月 双葉文庫) からくり東海道(1996年9月 光文社 / 1999年6月 光文社時代小説文庫) 春のとなり(2006年4月 南雲堂) その他の短編集 煙の殺意(1980年11月 講談社 / 1984年10月 講談社文庫 / 2001年11月 創元推理文庫) ゆきなだれ(1985年2月 文藝春秋 / 1988年4月 文春文庫) ダイヤル7をまわす時(1985年12月 光文社 / 1990年4月 光文社文庫) 妖盗S79号(1987年7月 文藝春秋 / 1990年6月 文春文庫 / 2018年1月 河出文庫) 奇跡の男(1988年2月 光文社 / 1991年2月 光文社文庫 / 2018年5月 徳間文庫) 折鶴(1988年3月 文藝春秋 / 1991年1月 文春文庫) 蔭桔梗(1990年2月 新潮社 / 1993年3月 新潮文庫) 砂のアラベスク(1990年10月 文藝春秋 / 1993年10月 文春文庫) 収録作品:砂のアラベスク「オール讀物」平成元年7月号 / ソンブラの愛「別冊文藝春秋」平成元年夏号 / 夜の人形「オール讀物」昭和62年9月号 / 裸の真波(まなみ)「別冊文藝春秋」平成2年秋号 ぼくたちの太陽(1991年1月 光文社) 【改題】雨女(1997年3月 光文社文庫) 収録作品:雨女(あめおんな)「小説宝石」昭和63年10月 / 蘭(らん)の女「別冊小説宝石」平成元年 / 三人目の女「小説宝石」平成2年10月 / ぼくたちの太陽「EQ」昭和63年11月 / 危険なステーキ「小説宝石」平成元年9月 / 凶手(きょうしゅ)の影「EQ」平成2年10月 夢の密室(1993年8月 光文社 / 1998年3月 光文社文庫) 恋路吟行(1993年10月 集英社 / 1997年5月 集英社文庫) 泡坂妻夫の怖い話(1995年5月 新潮社 / 1998年7月 新潮文庫) 砂時計(1996年12月 光文社 / 2000年3月 光文社文庫) 亜智一郎の恐慌(1997年12月 双葉社 / 2000年7月 双葉文庫 / 2004年1月 創元推理文庫) 鬼子母像(1998年12月 祥伝社 / 2003年2月 光文社文庫) 比翼(2001年2月 光文社 / 2003年8月 光文社文庫) 蚊取湖殺人事件(2005年3月 光文社文庫) 揚羽蝶(2006年11月 徳間書店) トリュフとトナカイ(2006年11月 岩崎書店) 泡坂妻夫引退公演(2012年8月 東京創元社) 泡坂妻夫引退公演 絡繰篇(2019年4月 創元推理文庫) 泡坂妻夫引退公演 手妻篇(2019年4月 創元推理文庫) 小説以外の著作 秘文字(1979年2月 社会思想社 / 1983年3月 社会思想社) 3人の作家(泡坂と中井英夫・日影丈吉)による書き下ろし短編の全文を、暗号化した作品集。1979年版では、暗号化以前の平文(原文)は収録されていなかった。泡坂の提供作「かげろう飛車」の原文は、後に扶桑社文庫版「斜光」に収録された。 トリック交響曲(1981年2月 時事通信社 / 1985年3月 文春文庫)※エッセイ集 魔術館の一夜(1983年2月 社会思想社 / 1987年5月 現代教養文庫)※奇術ショートショート集 ミステリーでも奇術でも(1989年10月 文藝春秋 / 1992年10月 文春文庫)※エッセイ集 家紋の話 上絵師が語る紋章の美(1997年11月 新潮選書)※エッセイ 泡亭の一夜(1999年10月 新潮社 / 2002年7月 新潮文庫)※新作落語集とエッセイ 大江戸奇術考 手妻・からくり・見立ての世界(2001年4月 平凡社新書)※奇術エッセイ集 泡坂妻夫 マジックの世界(2006年12月 東京堂出版)※創作マジック集 卍の魔力、巴の呪力 家紋おもしろ語り(2008年4月 新潮選書) 編纂 日本の名随筆 別巻7 奇術(1991年9月 作品社) 海外への翻訳 アメリカ Fox's Wedding("Ellery Queen's Mystery Magazine"July/August 2021)-DL2号機事件 The Card on the Ceiling("Ellery Queen's Mystery Magazine"November/December 2022)-天井のとらんぷ 中国(簡化字) (2012年5月、新星出版社)-しあわせの書〜迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術 (2013年3月、吉林出版集团有限责任公司)-湖底のまつり (2013年4月、吉林出版集团有限责任公司)-11枚のトランプ (2013年4月、吉林出版集团有限责任公司)-乱れからくり (2013年6月、吉林出版集团有限责任公司)-奇術探偵 曾我佳城全集(秘の巻) (2013年6月、吉林出版集团有限责任公司)-奇術探偵 曾我佳城全集(戯の巻) (2013年7月、吉林出版集团有限责任公司)-蔭桔梗 (2014年9月、吉林出版集团有限责任公司)-亜愛一郎の狼狽 台湾(正体字) (1991年、皇冠文化、許珀理訳)-蔭桔梗 (1999年、台灣英文雜誌社有限公司、刘子倩訳)-乱れからくり (2010年1月、獨步文化、王華懋訳、ISBN 9789866562433)-亜愛一郎の狼 (2010年9月、獨步文化、王華懋訳、ISBN 9789866562655)-亜愛一郎の転倒 (2011年4月、獨步文化、王華懋訳、ISBN 9789866562914)-亜愛一郎の逃亡 (2011年9月、獨步文化、王華懋訳、ISBN 9789866562990)-11枚のトランプ (2010年10月、新雨出版社、張嘉芬訳、ISBN 9789862270752)-しあわせの書〜迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術 大韓民国 (2010年7月、出版:シゴンサ(Sigongsa)、訳:クォン・ヨンジュ、ISBN 9788952758743) - 亜愛一郎の狼狽 映像化作品 映画 乱れからくり(1979年4月28日公開、配給:東宝、監督:児玉進、主演:松田優作) テレビドラマ テレビ朝日系 土曜ワイド劇場 映画スター殺人事件(1981年6月6日、主演:島田陽子、原作:花嫁のさけび) 花嫁のさけび(2008年4月5日、主演:浅野ゆう子) 日本テレビ系 火曜サスペンス劇場 乱れからくり ねじ屋敷連続殺人事件(1982年3月23日、主演:古城都、原作:乱れからくり) 猫に憑かれた花嫁(1987年8月4日、主演:泉ピン子、原作:猫女) 新婚 団地妻殺人事件(1990年6月26日、主演:山口智子、原作:飛んでくる声) フジテレビ・関西テレビ系 現代恐怖サスペンス 赤の追想(1988年7月25日、主演:樋口可南子) NHK総合テレビ 金曜時代劇 宝引の辰捕者帳(1995年3月31日 - 1995年8月18日、全21話、主演:小林薫) TBS系 月曜ドラマスペシャル 斜光(1998年6月22日、主演:名取裕子) テレビ東京系 水曜ミステリー9 カメラマン亜愛一郎の迷宮推理(2013年11月13日、主演:市川猿之助) 出典 20世紀日本の小説家 日本の推理作家 日本の奇術師 直木賞受賞者 日本推理作家協会賞受賞者 東京都立九段高等学校出身の人物 東京都区部出身の人物 1933年生 2009年没
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%81%8A%E3%81%82%E3%81%8D%E3%82%89
ひおあきら
ひお あきらは日本の漫画家、同人作家。 人物 高校時代に同人作家として、三鷹市内の中学の同級生の細井雄二、田村仁、近藤雅人と同人グループ「ミュータントプロ」を結成し、同人誌『墨汁三滴』を作成。のちに、河あきら、すがやみつるが参加した。 『宇宙戦艦ヤマト』などのアニメ作品の漫画版で知られる。竹宮惠子の『地球へ…』では、メカニックデザインやメカニック関係の作画担当として協力を行っている。 作品リスト 愛の戦士レインボーマン(原作:川内康範、テレビランド 1973年創刊号 - ) マジンガーZ(原作:永井豪、テレビランド 1973年9月号 - 11月号) 鋼鉄ジーグ(原作:永井豪、安田達矢、別冊テレビランド 1975年12月号) 未来救助隊アスガード7(原作:石ノ森章太郎、3年の科学 1975年4月号-1976年3月号) 宇宙戦艦ヤマト シリーズ 宇宙戦艦ヤマト さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち ヤマトよ永遠に 宇宙戦艦ヤマト 完結編 正義のシンボル コンドールマン 超電磁ロボ コン・バトラーV(原作:八手三郎、テレビランド 1976年) オーディーン 光子帆船スターライト ジキル博士とハイド氏 白鯨 一握の砂 三船久蔵 未来騎士シリーズ 人類と正義を護るべく、天才科学者たちが創造した未来騎士と呼ばれる人間そっくりのアンドロイドたちの物語。だが、誕生した未来騎士たちは己の存在について疑問を抱いて行く。 連続したシリーズではなく、読み切り短編が中心のオムニバス。単行本は『未来騎士シリーズ』として東京三世社から1982年にA5判ハードカバーが出版された。 1980年段階でソ連の崩壊と中央アジア諸国が独立している未来を予測していた。 サイレン戦記 水惑星サイレンへ地球からの巨大移民船「アンティリア」が飛来し、海底都市国家「アモーロート」を皮切りにサイレン全土への侵略を開始する。サイレンの水棲人類はアンティリアに立ち向かう。 舞台が海洋惑星なので、空戦以外の戦いは主に潜水艦戦である。第一部「アモーロート編」(月刊コミックペケ連載)、第二部「ストーム帝国編」(月刊OUT連載)があるが、未完に終わっている。 サイレン戦士 水惑星サイレンが登場するが『サイレン戦記』とは無関係。こちらでは、サイレン人たちが要塞宇宙船で地球(20世紀末)へ飛来して侵略を開始する(週刊少年キング連載)。 サイレン人の設定が『サイレン戦記』のサッキュバス皇子同様の雌雄同体の卵生水棲生物となり、主要兵器は海中戦闘用のロボット型有人機動兵器となった。 メカデザイン担当作品 宇宙からのメッセージ 光速電神アルベガス ここは惑星0番地 ビデオ戦士レザリオン 主にG1、G2、G5など地球連邦側のメカを担当。 地球へ… 当初はメカデザインだけではなく竹宮との合作になる予定だった。 師匠 石ノ森章太郎 アシスタント しげの秀一 阿乱レイ 脚注 注釈 出典 日本の漫画家 同人作家 存命人物
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聖日出夫
聖 日出夫(ひじり ひでお、1946年12月8日 - 2016年3月10日)は、日本の漫画家。 人物 北海道札幌市出身。本名:米浜裕暁(よねはま・ひろあき)。北海道札幌南高等学校卒業。 大学を受験するために上京するが、失敗。そのまま東京に居続け、1968年『一発野郎』で漫画家としてデビューした。 代表作に『なぜか笑介』『だから笑介』。両作品とも主人公の大原笑介の仕事ぶりを描いたサラリーマン漫画。連載のほぼ毎回、上司の高山課長が「あんたは…だからねーッ!」などと言うのに対して、「ズッ」と斜め後ろ45度の方向にコケて終わるのが特徴的で、当時は他の漫画にパロディとして使われたりした。 谷山浩子のバックバンドでベースを務めたミュージシャンの弟がいる。 2016年3月10日、胃がんのため死去。69歳没。 作品リスト 漫画 なぜか笑介 - 小学館『ビッグコミックスピリッツ』に連載、単行本全29巻。 だから笑介 - 『なぜか笑介』の続編、小学館『ビッグコミックスペリオール』に連載、単行本全22巻。 社長大原笑介 - 『だから笑介』の続編、小学館『ビッグコミックスペリオール』に連載、単行本全1巻。 サンデーパパ - 小学館『ビッグコミック』にシリーズ読切、単行本全1巻。 くのまち商店街 - 小学館『ビッグコミック』に連載、単行本全2巻。 ステップ - 光文社『コミックBE! 』に連載、単行本全1巻。 まんが世界食の祭典―北斗クンのイベント学入門 - 東急エージェンシー、1988年5月 ISBN 978-4924664487 大冒険・ラブ - 小学館『週刊少年サンデー』に連載(1972年33号~1972年37・38号)。 ドクター・ジュン - 原作:佐々木守。小学館『週刊少年サンデー』に連載(1973年36号~1974年2号)。 試験あらし(テストあらし) - 小学館『週刊少年サンデー』に不定期連載、単行本全5巻。 野球虫 - 小学館『週刊少年サンデー』に連載、単行本全2巻。 ホーム・ルーム - 小学館『週刊サンデー増刊号』に連載、単行本全3巻。 生徒ドンマイ - 小学館『少年ビッグコミック』に連載、単行本全15巻。 ボクら退屈族 - 小学館『少年ビッグコミック』に連載、単行本全3巻。 ツー・スリー - 小学館『小学四年生』に連載(1975年度)、単行本全1巻。 初恋ノート - 小学館『小学四年生』に連載(1976年度)。 人生二勝一敗(作・梶原一騎) - 集英社『週刊少年ジャンプ』に連載。 ハチ屋のベンケイ - 秋田書店『週刊少年チャンピオン』に連載。 浪漫くん - 秋田書店『週刊少年チャンピオン』に連載。 おいら熱血くん! - 少年画報社『週刊少年キング』に連載(1972年14号~24号)。 お勉強クラブ - 少年画報社『週刊少年キング』に連載(1976年44号~1977年19号)。 アッジェ - リイド社『リイドコミック』に連載(?~1976年7月1日号)。 秘伝食伝 - 小学館『女性セブン』に連載(1985年~1986年)。 ビジネス書 うっちゃって社員の勝ち!―ヤングサラリーマンに贈る「人間関係学」 - 情報センター出版局、1991年9月 ISBN 978-4795801554 ザ・飲ミュニケーション―出世する酒しない酒 - メディアファクトリー、1993年7月 ISBN 978-4889913026 脚注 日本の漫画家 北海道札幌南高等学校出身の人物 札幌市出身の人物 1946年生 2016年没
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VHS
VHS(ブイ・エイチ・エス、Video Home System:ビデオ・ホーム・システム)は、日本ビクター(現・JVCケンウッド)が1976年(昭和51年)に開発した家庭用ビデオ規格で、同社の登録商標(日本第1399409号ほか)である。 当初は記録方式を表現したVertical Helical Scan(バーチカル・ヘリカル・スキャン)の略称だったが、後にVideo Home System(ビデオ・ホーム・システム)の略称として再定義された。 概要 VHSの特徴として、ビデオの規格を原則として変えないことがあり、発売当初録画されたテープは現在流通している最新機種でも再生できる。テープは幅が1/2インチのカセットタイプで、標準録画時間が2時間だった。この形は現在では当たり前となったが、開発当時のVTRにはテープのリールが1つだけのカートリッジタイプがあったり、テープ幅やカセットのサイズもさまざまだったり、と互換性のない規格が氾濫していた。 技術の進歩によりテープの長尺化が進んだ結果、DF480を利用したときの現在は240分が最長となった。また、規格の範囲を大きく逸脱しないかたちでの改良を続けており、高画質化技術のHQ(High Quality)やHi-Fiオーディオ対応、ビデオカメラ規格のVHS-C、水平解像度400本以上の高画質機種S-VHSとそのビデオカメラ規格S-VHS-C、衛星放送などのPCMデジタルオーディオを劣化なく記録できるS-VHS DA(DigitalAudio)、アナログハイビジョン対応のW-VHS、デジタル放送対応のD-VHSなど幅広く展開している。全ての規格においてVHSテープの再生は基本的には対応している。なお、S-VHSの登場後は従来のVHSを識別のため「ノーマルVHS」または「コンベンショナルVHS」と呼ぶ場合がある。なお、上位規格であるデジタル記録のD-VHSでは地上デジタル放送・BSデジタル放送・CSデジタル放送などの無劣化記録が可能となっている。 ベータ、8ミリ、LD、VHDなどさまざまなメディアとの競争の結果、家庭用ビデオ方式としてデファクトスタンダードとなった。特に、DVD-Videoの普及以前は単に「ビデオ」といえば通常はVHSのことを指すものであり、関連企業も商品説明等でVHSの意でビデオという単語を用いていた(「ビデオ版とDVD版の内容は同一です」という表記や、VHSデッキを指して「ビデオデッキ」と称するなど)。 VHSのハードの普及台数は全世界で約9億台以上、テープに至っては推定300億巻以上といわれている。このことを称え、VHS規格発表から30周年の2006年(平成18年)にはIEEEによってVHSの開発が「電気電子技術分野の発展に貢献した歴史的業績」として『IEEEマイルストーン』に認定された。 歴史 開発 1956年(昭和31年)に開発されたアンペックス社の業務用2インチVTRはNTSC方式をそのまま録画可能であったが、巨大なシステムであった。ヘリカルスキャン技術は1955年(昭和30年)に東芝が基本特許を出願。1959年(昭和34年)に放送用1ヘッドヘリカルスキャン方式VTRを東芝が発表。回転2ヘッドヘリカルスキャンは同年に日本ビクターが開発している。それ以降、各社は比較的コンパクトなオープンリール式のVTRを発売、全てヘリカルスキャン方式であったが、各社バラバラで統一規格は制定されていなかった。 松下電器産業・日本ビクター・ソニーの3社は家庭用VTRも見据え、テープがカセットに収められたビデオレコーダー(VCR)の統一規格(Uマチック)に合意。発売したが高価なこともあり、オープンリール式と同様に企業の研修用途や教育機関、旅館・ホテルの館内有料放送などが主な販売先だった。 家庭用VTR機器が本格的に普及する時代を狙い、ソニーが各社に規格統一を呼びかけ先行して開発・発売されたベータマックスが、Uマチックの小型化を目指して開発された経緯から録画時間の延長よりカセットの小型化を優先し、最長60分の録画時間でU規格と同等の操作性を確保すべく開発されたのに対し、ビクターは民生用途としての実用性を重視し、カセットが若干大きくなることを承知で録画時間を最長120分として基本規格を開発。またメカ構造もU規格にとらわれずより量産化に適した構造を目指し、家庭用VTRというコンセプトを明確にして開発・発売された。 先に発表・発売されたのはソニーのベータマックス(1号機・SL-6300)で、1975年(昭和50年)4月16日に発表、同年5月10日に発売されている。 規格統一の争い ソニーは、松下電器産業(現:パナソニック)にベータ方式への参加を要請したが、松下の態度は不鮮明であった。 「VHSの父」と呼ばれる高野鎭雄が松下幸之助に直訴した、という経過が流布されたり、映画のストーリーで登場するが、史実に基づく経過は、松下電器は当初からVHS採用に動いていた。1975年当時、日本ビクター社長には、松野幸吉(元松下電器東京支社長)が就任していた。1975年8月、ビクターがVHSの試作機を完成させた情報が松下電器へもたらされ、同月、松下中央研究所の菅谷部長らがビクター横浜工場を訪問し、VHS試作機を見学した。NHK総合テレビ『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』の第2話では、1975年9月3日には松下幸之助がビクター横浜工場でVHS試作機を見学し、「ベータマックスは100点満点の製品だ、しかしこのVHSは150点だ」「ええもん造ってくれたな」と発言したと、試作機を覗き込む松下幸之助の写真つきで紹介されている。 1976年4月3日、ビクター横浜工場で、松下電器は松下幸之助相談役と稲井副社長、菅谷部長、ソニーは盛田会長、岩間社長、大賀副社長、木原専務、ビクターは松野社長、徳光副社長、高野事業部長が一同に会し、ベータ、VHS、VXを前にして初めて意見を交換した。VXは初めから問題にならず、VHSとベータとの長短が論じ合われた。佐藤正明著『映像メディアの世紀』によると、その後、松下幸之助相談役は「盛田さんがあまりにも熱心なので、もしかしたらベータマックスの方が良いのかと思って、ソニーの研究所も見せてもらったし、幸田の工場も見せてもらった。しかしわしの考えは変わらなかったな。」とも発言している。 1976年5月7日、ソニーの盛田会長は木原専務を伴って松下電器東京支社を訪れ、盛田だけが相談役室に通されて、松下相談役は「規格統一は何としてもせなあかん。そこでうちのビデオ事業部にベータマックスとVHSの双方かかる機械の開発を頼んでみたんやがダメやった。そこで盛田はんの言う通り、どこかの機械に統一するしか道はない。わしの見るところ、ベータマックスは百点や......わしの見るところVHSは百五十点や。仮に百二十点やったらビクターにベータを押し付けることもできるんやが......これだけ差がある以上どうにもならん。盛田はん、率直に言います。VHSの規格を採用してもらうという訳にはいかんやろうか」と発言した。「ご迷惑をおかけしました」盛田氏は返事をしない代わりに一礼して、相談役室を後にしたとされる。通商産業省が規格分裂に対し難色を示していたこともあり、松下幸之助氏が、ソニーへVHS採用を働きかけたが、ソニーが拒否していた。幸之助がVHSを選んだ決め手になったのは前述に挙げた理由の他に、VHSデッキのほうが軽かったこともあった。「ベータだと販売店の配送を待たなければならないが、VHSはギリギリ持ち帰れる重さで、購入者が自分で自宅に持ち帰りすぐ見られる」といった幸之助らしい基準だった 。 ビデオデッキの発売 1976年(昭和51年)10月31日、日本ビクターがVHS第1号ビデオデッキ(品番:HR-3300)を発売、当時の金額で定価25万6000円。留守番録画のできる時計内蔵の専用取付式タイマーは別売1万円で、VHSの録画テープも当初は120分が6000円となっていた。また、シャープ、三菱電機も当初は日本ビクターの第1号機をOEMで発売していた。翌1977年(昭和52年)1月よりビクターが現在のロゴの使用を開始したため、VHSの1号機であるHR-3300の最初期(1976年10月 - 12月)に生産されたロットは戦前から使ってきた(書体は微妙に違う)旧ロゴ(「VICTOR」ロゴ)をつけた唯一のデッキとなった。1977年1月生産・出荷分からは「Victor」ロゴに変更された。 1977年(昭和52年)には松下電器産業が普及型のVHSビデオデッキ「ナショナルマックロード」を発売し、VHSヒットのきっかけにもなった。 長時間録画のユーザーのニーズにも応えるため、1977年(昭和52年)に米国市場向けの2倍モード(LP)が、日本国内向け機器にも1979年(昭和54年)に3倍モード(EP)が開発され、幅広い機種に搭載された。また規格外ではあるが標準モードで2つの番組を同時に録画できる機種も存在しており、VTR普及期にはメーカーから様々な提案がなされた。その後は5倍モードも開発され一部の機種に搭載された。 1972年(昭和47年)に松下電器のビデオ事業部長になった谷井昭雄(元社長)によると、VHS普及の最大の山場は1977年2月のRCAとの提携だった。条件が付いて8月の出荷までに録音時間を2倍の4時間にすることも求められ、村瀬通三(元松下電器副社長)などの技術陣が達成した。松下電器ではOEM供給していたアメリカのRCAより、アメリカンフットボールの録画のためさらに長い録画時間が必要という要望があり、2倍(LP)モードをつけたVHSデッキを開発。OEM供給したが日本ビクターの了承を得ないものだった。VHS標準(SP)モードより画質・音質が低下し、さらにVHS規格の互換性からも外れる事から日本ビクターは松下電器の勝手なふるまいに怒り、2倍(LP)モード録画対応機種を絶対に日本国内で発売しないよう松下電器へ強く要請していた。日本国内のVHS陣営各社も、標準(SP)モードの2時間もあれば十分で、4時間録画の2倍(LP)モード採用には、日本国内にはアメリカンフットボールのような長時間録画需要が当時は無かったため否定的で、VHS規格の互換性からも外れているために採用する動きは無かった。 当初、VHSの音声トラックはテープの隅に固定ヘッドでモノラル録音するものだったが、その幅はコンパクトカセットより狭く、テープスピードは3/4だった。3倍モードではテープスピードが標準モードの1/3になり、S/N比の劣化(ヒスノイズの増加)および周波数特性の劣化が顕著となる。なおワウフラッターはビデオではテープ走行は同期の乱れとなるために厳格に管理されていた。上位機種では音声トラックをステレオ化していたこともあり、各メーカーでは少しでも高音質化すべくドルビーノイズリダクションシステム(ドルビーB)、dbxなどの音声信号の圧縮伸張処理技術を採用していたが、S/N比の劣化に対しては若干の改善が見られたものの周波数特性には対応できなかった。その時代のノーマル固定ヘッドでステレオ再生可能なデッキを現在、持っていないと、ノーマル音声でステレオ録音されたVHSテープをステレオで聴くことは当然だが不可能である。さらに問題なのがノーマル音声トラックに2ヶ国語の洋画を録画した場合であり、日本語と外国語が同時に再生される。当然のことながらスピーカーの左右バランスを調整しても解決はしない。 Hi-Fiデッキの普及 1983年(昭和58年)1983年3月、谷井昭雄と高野鎮雄、RCAのジャック・ソーター副社長の3人の写真が、当時の世界最大の国際週刊誌『タイム』の表紙を飾った。 同1983年4月、ソニーがステレオHi-Fi音声記録方式(ベータHi-Fi)を採用した「SL-HF77」を家庭用1/2インチビデオとしては世界で初めて発売した。ベータHi-Fiは従来ベータ機と輝度信号が4.4MHzから4.8MHzへ高域へのキャリアシフトも伴っており厳密な意味で互換性が失われたが、ベータHi-Fi録画されたテープを従来ベータ機で再生してもほとんど問題にならなかった。 ベータ陣営のHi-Fi化に対抗し、同1983年5月には松下電器が音声専用ヘッドを搭載し、磁性体への深層帯記録を使用し、ノーマルVHSと互換性のあるHi-Fiステレオオーディオ機能を追加した「NV-800」を発売。この機能はVHS Hi-Fiステレオ標準規格として採用された。松下の独自規格によるVHS Hi-Fi機「NV-800」はHi-Fi音声トラックの信号処理にdbxを使っていた。「NV-800」が採用したHi-Fi音声の磁性体への深層帯記録を用いたHi-Fi方式をVHS規格化するにあたりdbx、ドルビー社のライセンス料回避のため、両社の特許に抵触しない信号処理技術が開発され採用された。そのため「NV-800」で録画されたビデオカセットを、ビクター「HR-D725」以降発売された正式なVHS Hi-Fi規格ビデオデッキで再生すると、厳密には正式なVHS Hi-Fi規格との互換性が無いため、音声が多少歪む可能性がある。 同1983年秋には、ビクターから初めて正式なVHS Hi-Fi規格に対応した「HR-D725」が発売されている。このD725などの機種は前述のノーマル音声方式での録画・再生も可能でドルビーBにも対応していた。ダイナミックレンジは当初80dB以上、1986年(昭和61年)以降の機種ではCDの音声のダイナミックレンジとほぼ同等の90dB以上に向上した。周波数特性は20 - 20,000 Hzと、こちらもCDの音声の周波数特性とほぼ同等である。 これにともない、ノンHi-Fiのステレオ機器は1980年代には生産終了した。ノンHi-Fiのステレオ音声に対応した最末期のモデルとしては1988年発売のHi-fiおよびS-VHS対応機『HR-S10000』(ビクター)などがあった。国内メーカーによるノンHi-FiのモノラルVCRは単体機は1990年代後半に生産を終了。テレビデオはしばらくノンHi-Fi機の生産が続いたが、2000年代初頭には終了した。 1992年(平成4年)に高野鎮雄が68歳で死去したとき、VHSビデオデッキの普及台数は3.7億台であった。 2008年(平成20年)、日本ビクターの初代VHSデッキ「HR-3300」が、国立科学博物館の定めた重要科学技術史資料(通称:未来技術遺産)の第0020号に登録された。 2016年(平成28年)、船井電機(日本国内では後に「DX BROADTEC」ブランドとして展開)が7月末日をもってVHSビデオテープレコーダーの生産を終了。VHSビデオテープに関しては複数メーカーが引き続き生産・販売している。主な理由として、一般家庭での編集や再生、小売量販店などの防犯カメラに使われているケースが多く、そのような顧客のニーズに応えるためである。 2021年(令和3年)、アットアイデアは2026年を目処にVHSテープの非接触再生が可能なビデオデッキの開発・販売を目指していることを発表した。 ベータマックスとの規格争い VHSは、1975年(昭和50年)にソニーが開発・発売した家庭用ビデオベータマックスの対抗規格として脚光を浴びた。約10年間も続いた規格争い(ビデオ戦争)を制してVHSが生き残った。その要因としてはいくつかある。 共同で規格の充実を図る体制にしたこと VHS陣営はファミリー形成を重視した展開を行った。これが功を奏し、VHSを採用するメーカーを多数獲得して、共同で規格の充実を図る体制を確立した。また、家電メーカーを獲得したことによりその販売網を利用できた。特に松下電器産業が採用したことが大きい。ベータマックス陣営には家電販売網を持つ東芝などの存在もあったが、松下の販売網の規模と緻密さは大きく影響したと言われている。 量産に適した構造だったこと VHSは量産に適した構造で、普及期に廉価機の投入など戦略的な商品ラインナップを実現できた。ベータはUマチックと同じUローディング方式をそのまま用いたのに対し、VHSは開発が難航したものの部品点数が少なく生産もしやすいMローディングを採用した。記録時間を最初から実用的な2時間に設定しその後も長時間化に成功したこと、欧州・米国市場でのOEM供給先を獲得することに成功したこと、などが要因として挙げられる。 耐久性&互換性を重視した設計だったこと VHSは高画質化よりも長期耐久性や再生互換性を最重要視する設計の規格で、レンタルビデオ市場やセルビデオ市場を創造した。また関連会社の資金提供で映画やAV作品などのタイトルを豊富に作らせ、セルビデオソフト店が無かった黎明期は大手電器販売店の近所に作ったアンテナショップで販売した。 ベータ側の広告戦略の失敗 ベータ規格主幹のソニーによる広告戦略の失敗もあった。1984年(昭和59年)1月25日から4日間、ソニーが主要新聞各紙に広告を連続で掲載し、見出しは「ベータマックスはなくなるの?」「ベータマックスを買うと損するの?」「ベータマックスはこれからどうなるの?」となっており、最終日に「ますます面白くなるベータマックス!」と締めくくる展開であった。これは当時の新製品を告知する逆説的アプローチだったのだが、消費者には理解されず『ベータ終了』と短絡的に捕らえ、これを機にベータ離れが加速された。 ビデオソフトのシェアは、1980年にVHSがベータを上回った。1989年(平成元年)頃まではメーカーはVHSとベータを併売していた(一部メーカーは8mmビデオソフトも供給)が、ベータファミリーが崩壊し各社がVHSへと移行した。ソニーも1988年(昭和63年)にVHS/Beta/8mmビデオデッキを併売するようになり、ベータは市場シェアを徐々に落としたことから、ビデオソフトメーカーはビデオソフトをVHSのみで発売するようになり、レンタルビデオ店でもVHSが標準となった。家電量販店などでもビデオデッキはVHSやS-VHSが主流となった。より高画質を求めたベータユーザーはベータソフト供給打ち切り前後を境にレーザーディスク(LD)へと流れて行った。 セルビデオやレンタルビデオのソフトの再生互換性を鑑みて、各社独自仕様のVHSビデオデッキの発売は基本的には許されなかったが、1996年にシャープがダブルチューナを搭載し同時二番組録画・再生対応した「VC-BF80」を発売した。同時二番組録画・再生はVHS方式には規格されておらずVHS方式とは互換性が無く、当該機種で録画されたテープはシャープ製を含め他社VHS機種での再生も当然不可能であった。S-VHS搭載機でも、VHSの録画・再生は可能である。 ベータでは、βI・βIs(5.6 MHz Hi-Band)・βIsSHB(6.0 MHz Hi-Band)・βII(X2)・βIII各モード、Hi-BandBeta(5.6 MHz/βII・βIII)、BetaHi-Fi、ED-Betaなどの規格があったが、VHSはSP(標準)・LP(2倍/日本国内仕様では再生のみ対応)・EP(3倍)、VHSHi-Fi、S-VHSの、録画スピード2種類、映像信号2種類、Hifi信号重畳の有無、の簡素な組み合わせとなっていた。末期には S-VHS-ET、S-VHSDigitalAudio、W-VHS、D-VHSが乱立したが、初号機HR-3300以来のVHS標準モードで録画されたテープは、最終生産機でも再生できた。ベータは初期の標準モード・βIモード専用機種等では、後に開発された長時間モードや高画質・高音質規格で録画されたテープが再生できない環境にあった。VHSではテープカートリッジを小型化した VHS-C、S-VHS-C規格があったが、アダプターを介して据え置き型レコーダーで録画再生が可能であった。 ベータのビデオソフトではハイグレードテープを使用して、磁気保磁力が強い総メタルテープのマスターをスレーブのテープに超高速磁気転写プリントする方式をソニーが1980年代に開発したが、商業的には成功しなかった。VHSでは、画質劣化の少ない等速でのソフトウェア生産作業のために、幅広ヘッド搭載のダビング専用機が発売された。ベータ、VHSともにLDやVHD等のビデオディスクよりも高価なビデオソフト価格であった。1990年代に入り、OTARIがTMD高速熱転写方式による「T-710ビデオ・デュプリケーター」を開発し、VHS・SP(標準)モードで300倍速の高速プリントを実現しソフト製造の高速化が図られたが、同装置は単価の高いクロームテープを使用、販売台数はわずかであった。いずれにしてもビデオソフトの低価格化が進んだ。 VHS対ベータ戦争の火ぶたが切られたとき、ビクターはVHSファミリーの中で技術的問題や生産能力でまだVHSデッキを製造できないメーカーにOEM供給していた。ときには自社ブランドよりOEM供給向けの生産を優先していたこともあるという。それは様々なメーカーで販売することにより他社の販売網を活用できる上、VHSが多数派であるという印象を持たせる狙いもあったと言われる。なお、ソニーもベータファミリー各社の生産体制が整わないうちには自社製品をOEM供給していた。 VHS対ベータ戦争では負けたといわれるソニーだが、VHSで使われる技術にもソニーの保有する特許が多数使われているため、少なからぬライセンス収入があった。これは1969年(昭和44年)のU規格策定時にソニー/日本ビクター/松下電器の3社が結んだクロスライセンス契約が関係している。 両方式の基本的な記録方式である、回転2ヘッドヘリカルスキャン記録は日本ビクターの特許であり、ベータ長時間化での信号処理技術は日本ビクターの特許であった。ソニーはUテープローディング技術を始めとする非常に多数のVTR特許技術を保有していたが、VHSはMローディングであり日本ビクターの特許であった。しかし色差信号漏話除去はソニーの特許のため、ソニーとクロスライセンスを契約を結んでいなかった日立製作所、三菱電機、シャープ、赤井電機などのVHS陣営各社がVHSビデオデッキを発売した際、ソニーと特許利用契約を結ぶ必要があった。また、磁性材料から含め約28,000件にも達するビデオカセットテープに関する特許技術もソニーがほぼ掌握しており、ソニーとクロスライセンス契約を結んだ松下電器、日本ビクターはVHS方式発売当初、自社によるビデオカセットテープ生産設備を保有をしていなかったため、TDK・富士フイルム・住友スリーエムなどからのOEM供給で凌いでいた。ソニーと特許利用契約を結んだ日立製作所は日立マクセルのOEM供給によりVHSビデオカセットテープを発売。1978年(昭和53年)にソニーがクロスライセンス契約を結んでいないテープメーカーに対しても有償で特許を公開する方針としたため、テープメーカーが独自でVHSおよびBetaビデオカセットテープの発売が可能となった。 ビデオ戦争の末期には、ソニー製のVHSビデオデッキを望む声が市場から上がっていた。このことがソニーがVHS方式に参入する一つのきっかけとなっており、VHS・ベータ・8ミリのフルラインナップで「VTRの総合メーカー」を目指す方針に転換した。1988年(昭和63年)にソニーがVHS方式へ参入した際、障壁となるものは全くなかった。松下電器・日本ビクターとはクロスライセンス契約を結んでいたため、VHS参入時、松下電器・日本ビクターへVHS発売の了解を得る必要性すらなかった。実際、Uローディング準じた機構を採用したデッキでは「マッハドライブ」の愛称で出画時間の速さを売り物に宣伝するなど、自社の保有する特許を相当活用していた。 また、当時ソニーの子会社だったアイワ(初代法人)は親会社に先行してVHSに参入していた。最終的な販売台数は、VHS約9億台、ベータ約3500万台とされている。 VHSの需要低下と終焉 1976年からテレビ録画媒体として使用されるVHSであったが、21世紀に入るとDVDやハードディスクレコーダ、パソコンの普及、高精細テレビ放送やBlu-ray Discの登場、多くの国でのデジタルテレビ放送の開始といった「デジタル時代」「ハイビジョン時代」の中で、それに対応できないVHSカセットやVHS単体機は次第に売れなくなっていった。デジタルレコーダーとの複合機も、過去のライブラリーをデジタル化することに重点が移り、テレビ番組の録画ができないタイプのものが増えた。 アナログ磁気テープはデジタルメディアに対して音・画質共に悪いうえに劣化が著しく、頭出しや巻き戻しも面倒で、再生装置も巨大になる。VHSの場合水平解像度が240本とアナログテレビ放送の330本より低い。画質面は、1987年に高画質版VHSであるS-VHS、1999年にはデジタル録画対応VHSであるD-VHSが発売されるもデッキが高価であり、同年にパイオニア(ホームAV機器事業部。現・オンキヨーテクノロジー/ティアック)がDVDレコーダーを発表したこともありそれほど普及しなかった。また、DVDの普及に一役買ったのが、かつてのライバル・ソニーの関連会社であるソニー・コンピュータエンタテインメント(現・ソニー・インタラクティブエンタテインメント)の家庭用ビデオゲーム機であるPlayStation 2であった。 こうした状況も重なり、日本ビクターは2007年(平成19年)5月30日、経営不振による事業再建策として、VHSビデオ事業からの撤退・清算を発表した。2008年(平成20年)1月15日にS-VHS単体機を全機種生産終了したと発表し、同年10月27日にはVHS方式単体機の生産を終了した。 ビクターの撤退により、日本国内メーカーのVHSビデオ単体機の製造は船井電機(以下、フナイ)のみとなったが、やがてフナイも完全撤退した。以降はDVD、HDDなどの複合機として展開されていたが、大幅に縮小された。 各社はテレビの完全デジタル化を考慮し、販売の主力をHDD併用のブルーレイレコーダーに移したことで、次第に商品ラインナップは縮小し、これにあわせ録画用ビデオテープから撤退する事業者も相次いだことで、現在はほぼ市場から消滅している。S-VHS用テープは既に販売終了となっており、2014年12月末で日立マクセル(現・マクセル)も生産終了。2015年2月にはTDK(←イメーション〈現・グラスブリッジ・エンタープライゼス〉のTDK Life on Recordブランド)も生産終了となり、2015年6月には録画用テープの在庫切れが目立ってきた。 2010年代に入っても、VHS一体型のDVDレコーダーないしBDレコーダーが製造されていたが、各社とも2011年末までに生産完了となった。2011年末までVHS一体型のDVDレコーダーを発売していたのは、フナイと当時の子会社DXアンテナ以外ではパナソニックのDIGA「DMR-XP25V」(パナソニック自社生産)と東芝「D-VDR9K」(フナイのOEM)であった。2012年2月10日、パナソニックが「VHSデッキの日本国内向け生産を2011年限りで完全終了した」旨を公式発表した。 その後もビデオ判定など一部で使われていたが、2012年5月19日には横浜スタジアムで開催された横浜DeNAベイスターズ対千葉ロッテマリーンズでは、アレックス・ラミレスの本塁打性の飛球の判定に家庭用VHSデッキが使用され、映像では本塁打であることが分からなかったためにファウルと判定されたケースがあり物議を醸した。 2016年4月時点で新品として流通していたVHSデッキ(録画再生機・再生専用機)は以下の通り。 DXR170V(VHS一体型DVDレコーダー) 2014年7月1日にDXアンテナ(DX BROADTEC)から発売された。 2012年5月に「お客様のご要望にお応えして新発売!」と発売された「DXR160V」の後継。 RVP-100(再生専用VHSプレーヤー) 2013年12月中旬にドウシシャ(SANSUIブランド)から発売された。 4ヘッドHi-Fi音声対応でデジタルトラッキングを搭載した「再生専用」のVHS機であり、家庭に眠るVHS資産のDVD化やBD化、データ化に寄与する目的で商品化された。 全機種がフナイのOEM。2016年7月末には部品の調達が困難となったため、全機種生産終了となった。 規格一覧 記録方式:ヘリカルスキャンアジマス方式 記録ヘッド数:2 ヘッドドラム径:62mm ヘッドドラム回転数 NTSC:29.97 Hz(約1800rpm) PAL / SECAM:25 Hz(1500rpm) カセットテープサイズ: 188×104×25mm テープ幅:12.65mm テープ送り速度:約33.34mm/s(SP)/16.76mm/s(LP)/11.18mm/s(EP) 記録トラック幅:約58μm(SP)/29μm(LP)/19μm(EP) ※LPモード対応機種は、日本国内ではほとんど普及していない。 音声トラック ノーマル1トラック(モノラル音声) ノーマル2トラック(ステレオ音声。1978年(昭和53年)の音声多重放送開始に対応するために追加された。ヒスノイズが増加したため、対策としてドルビーノイズリダクションシステムBタイプを搭載した。なお、対応する製品は1987年(昭和62年)・日本ビクターのHR-S10000以降生産されていない) Hi-Fi2トラック(1983年(昭和58年)に開発されたHi-Fi規格が主流になるまでは、ノーマル2トラック対応機種が各社から発売されていた) S-VHS DA(DigitalAudio・ リニアPCM)過去には日本ビクター製の1990年(平成2年)発売の「HR-Z1」、パナソニック製「NV-DX1」、日立製作所製「VT-PCM1」、三菱電機製「HV-V3000」に対応する外付式DAプロセッサ「CX-P3000」など、国内のメーカーから対応する製品が発売された。衛星放送のエアチェックファンなどからDATと同等の高音質と高く評価されたが、1台あたり30万円 - 40万円台の高価格が災いし、わずか1世代で生産が終了した。 CDやHi-Fi規格もない1980年代前半、VHSカセットを用いた高音質・非圧縮PCMデジタルオーディオデッキテクニクス「SV-P100」が60万円。日立製作所Lo-D「PCM-V300」が498,000円と高額ではあるが発売されオーディオマニア層を中心に愛好されていた。1986年(昭和61年)に東芝より「A-900PCM」が248,000円で発売されグッドデザイン賞を受賞している。 信号方式 映像信号:周波数変調(FM)シンクチップ:3.4 MHz/白ピーク:4.4 MHz:クロマ信号:低域変換方式(VHS方式) 映像信号:周波数変調(FM)シンクチップ:5.4 MHz/白ピーク:7.0 MHz:クロマ信号:低域変換方式(S-VHS方式) 音声信号:2チャンネル長手方向記録(ノーマル音声トラックの場合) VHSテープを利用したシステム コンピュータ用ストレージ VHSが普及するにつれ量産効果が上がり、テープ価格が大幅に値段を下げた。オープンリールを多用していたコンピュータ業界はテープの安さからデータカートリッジとしての利用を推し進めた。富士通などは大型コンピュータの補助記憶装置として用い、数百本のVHSテープを筐体内ラックに納め、コンピューター制御によりジュークボックスさながらのオートローディングを行わせ大型磁気ディスク装置のバックアップ装置として活用した。この際使用したテープは市販のビデオ用テープと同じ規格の物を使用した。 家庭用オーディオ 『PCMプロセッサー』(ソニーSONY PCM-501ESなど)を使い、音楽CD等のデジタル音声信号を75Ωのコンポジットビデオ信号に変換し、PCMオーディオレコーダー(デジタルオーディオレコーダー)として活用することができた。記録時間は通常のVHSの長さと同じで三倍モードにも対応した(ただし、後発の5倍モードへの対応に関しては不明)。 プロオーディオユース 1991年(平成3年)、米ALESIS社がS-VHSテープに8トラックのデジタル録音を可能にしたMTR、ADAT(ALESIS DIGITAL AUDIO TAPE)を発売。機器ばかりでなくメディアも安価、かつ、16台までの同期動作も可能ということで、中小のスタジオやホームスタジオで急速に広まった。いくつかのメーカーから互換機も発売されるなど、この規格は一定の普及を見、adat(エーダット)として、Hi8テープに同様の録音ができるティアック社のDTRS規格とともに、ユーザーの根強い支持を得ている。 初期の機種ではデジタルがゆえに事前にフォーマット作業が必要だった(後に録音と同時フォーマットが可能になる)。120分の録画テープに対し、約41分の録音が可能。デジタル記録はヘッドとの物理的接触などによる損耗に弱いため、ベース・フィルムを強化したADATロゴ入りの推奨S-VHSテープも存在する。当初のTypeIフォーマットでは、サンプリングレートは44.1kHzや48kHz、サンプリングビット16bitsであったが、後のTypeIIフォーマットで24bitsにも対応した。さらに、1チャンネルにつき通常の2トラック分を使って96kHzの記録・伝送を実現するS/MUXという規格もある。 一方、デジタル入出力インターフェイスは、これも普及している角型オプティカル(TOS-Link)のジャックとケーブルを用いて、8チャンネルまでの同時伝送が可能なものを搭載していた(ADAT Optical Interface:こちらも後にレコーディング機器のディジタル入出力用として一定の地位を築いた)。もちろん、民生機で広く普及しているデジタル音声インターフェイスであるS/PDIFとは、論理フォーマット上の互換性はない。 エピソード VHSカセットから派生されたものとして、PVC(Premium Video Cassette)がある。プレミアムボックスという開閉できる透明な蓋がカセットの背ラベル部分に付いている。ここにはセルビデオの特典物の小物(模型やキーホルダーなど、重量40gまで)を収納することができる。ジャケットの背ラベルにも穴がくり抜かれていて、ボックス内が少し見えるようになっている。ボックスの開閉に支障となる物、その他同梱に不適当な物(粉類、水、油、磁気性のあるもの、溶けやすいもの、膨張するもの、液漏れしやすいもの、食品や菓子類、電池、壊れやすいもの)は収納できない。 1990年(平成2年)に任天堂が発売した家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」は、そのゲームソフトのパッケージ寸法がVHSテープと全く同じであった。この時点ではすでに多くの一般家庭にVHSが普及しており、VHSのビデオテープ収納棚(ビデオラック)においても安価なものが出回っていたため、ゲームカセットの保管場所としてVHSのビデオラックが好まれた。 1980年代〜1990年代にかけて、映画や音楽ビデオテープのダビングサービスが商売として横行していたが、現在は著作権の問題からそれらのダビングをしている。 1990年代後半にDVDが発売された際、VHSをそのままDVDにしている作品が多かった。 ハロー!プロジェクトの最筆頭グループであるモーニング娘。は2000年から2003年頃まではVHSとDVDを同時リリースしていた。 VHSカセット裏面中央に短辺と平行して刻まれた溝は、VHSデッキにベータのカセットを誤挿入することを防ぐためのものとされている。VHSデッキに誤ってベータのカセットを挿入しようとしても、デッキ内部に設けられた突起が障害となって挿入できなくなっている。VHSカセットを挿入する際はカセットの溝に突起が勘合して挿入できる。 1990年代頃からのVHSソフトの中には、コピーミスや不正コピーがないかどうかの確認のため、映像の末尾に「品質管理用の信号」として正弦波が記録されていたものが存在した。 関連映像 映画『陽はまた昇る』(2002年) ドキュメンタリー映画『VHSテープを巻き戻せ!』(2013年、米国、原題:Rewind This!) NHK プロジェクトX - 『窓際族が世界規格を作った〜VHS・執念の逆転劇〜』 フジテレビ カノッサの屈辱 - 『関ヶ原ビデオ合戦史 VHS対ベータ、そして8ミリへ』 V/H/Sシリーズ - オムニバス・ホラー映画のシリーズ V/H/S シンドローム (2012年) V/H/S ネクストレベル (2013年) V/H/S ファイナル・インパクト (2014年) 脚注 注釈 出典 参考文献 関連項目 外部リンク 株式会社JVCケンウッド HR-3300ビデオカセッターご愛用のしおり(取扱説明書) ビデオテープ コンポジットビデオフォーマット 日本の発明 日本ビクター パナソニックの製品
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平野仁
平野 仁(ひらの じん、本名:平野 仁(ひとし))は、日本の漫画家。福島県南会津郡出身。主に原作付きの劇画を手がけている。 概要 21歳の時、テレビ動画の会社に入社し、2年間アニメーターとして活躍した。『がんばれ!マリンキッド』などで作画を手がけ、その傍ら小遣い稼ぎのつもりで劇画を出版社へ持ち込む。デビュー作は『漫画サンデー』増刊の原作つきの作品で、「H・ハンター」というペンネームであった(作品のタイトルは覚えていないという)。その後4ヵ月はアニメーターと劇画家の両方の仕事をしていたが、以後は劇画に専念し、主に芳文社の『週刊漫画TIMES』や『漫画パンチ』などにて作品を発表する。 1975年頃より少年誌に進出し、小学館の『週刊少年サンデー』や『ビッグコミック』などで、漫画原作者の小池一夫とのコンビにより代表作となる『青春の尻尾』、『少年の町ZF』、『サハラ 女外人部隊』などを手がけた。 1980年代前半より主な執筆の場を青年漫画誌に移し、双葉社の『漫画アクション』やリイド社の『リイドコミック』をはじめ多くの出版社で、主に漫画原作者とコンビを組み作品を発表している。 単行本リスト 黒衣の妖女(青林堂)全1巻(1974年) 鮮血の墓標(芸文社)全1巻 ※初期短編集(1974年) 青春の尻尾(小学館)全6巻(1975年 - 1978年)原作:小池一夫 蒼い狙撃者(桃園書房)(1977年)全1巻 少年の町ZF(小学館)全9巻(1977年 - 1979年)原作:小池一夫 サハラ 女外人部隊(小学館)全8巻(1978年 - 1979年)原作:小池一夫 アリサ!(秋田書店)全4巻(1979年 - 1980年) 隼人がいく(秋田書店)全2巻(1981年) ハードオン(双葉社)全2巻(1981年) メロス(双葉社)全4巻(1982年 - 1983年)原作:外浦吾朗 B(双葉社)全2巻(1984年)原作:狩撫麻礼 凄春トライアングル(リイド社)全7巻(1984年 - 1985年)協力:やまざきせいや 哀シャドー(リイド社)全3巻(1985年)原作:工藤かずや 芝の貴婦人(講談社)全8巻(1989年 - 1990年)原作:牛次郎 眠狂四郎円月殺法 剣の舞(講談社)全1巻(1992年)原作:柴田錬三郎 TSURUGI(リイド社)全2巻(1993年) 魔人刑事(秋田書店)全2巻(1995年 - 1996年)原作:菊池秀行 飛ばしてなんボ 猛がチャージ(小池書院)全4巻(1998年 - 2000年)原作:小池一夫 真田くノ一忍法伝 かすみ(双葉社)全2巻(2004年 - 2005年)原作:神林洋司 実録極悪ヤクザ伝 仁義の墓場 石川力夫(竹書房)全1巻(2008年)原作:藤田五郎 脚注 日本の漫画家 日本の男性アニメーター 福島県出身の人物 生年未記載 存命人物
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平松伸二
平松 伸二(ひらまつ しんじ、1955年8月22日 - )は、日本の漫画家。岡山県高梁市出身、東京都葛飾区柴又在住。血液型はO型。代表作に『ドーベルマン刑事』『ブラック・エンジェルズ』『マーダーライセンス牙』など。妻は漫画原作者の安江うに。日本漫画家協会・参与。 来歴 中学生の頃から漫画を描き始める。岡山県立高梁高等学校1年生の時に描いた『勝負』(『週刊少年ジャンプ』掲載)でデビュー。在学中に5~6本の読み切りが載り、編集者である後藤広喜にスカウトされて上京。中島徳博のアシスタントとして働いたのち、1974年『ドーベルマン刑事』で連載デビュー。 法で裁けない悪党・外道を徹底的に叩き潰す主人公たちの活躍を描いた作品が多い一方、『リッキー台風』(プロレス)や『どす恋ジゴロ』(相撲)といった格闘技漫画も少なからず描いており、両作品ともセクシー描写が多く導入されている。主人公は屈強ながらも中性的な美貌の主として描かれることが多く、『マーダーライセンス牙』ではついに両性具有ヒーローという大胆な趣向に挑んだ。 2015年、『ドーベルマン刑事』連載40周年と『ブラック・エンジェルズ』完結30周年を迎えるにあたり、ケンドーコバヤシが司会を務めるテレビ番組『漫道コバヤシ』(2015年7月21日放送、『祝!「ドーベルマン刑事」連載40周年&「ブラック・エンジェルズ」完結30周年!平松伸二SP』、フジテレビONE)に出演し、製作秘話などを多く語った。 2015年春頃から自身の代表作のイラストに書を融合させた作品を「漫書」と称して発表している。それらの作品は展示会の会場およびネット通販で購入が可能である。 現在在住している葛飾区とコラボし、葛飾区の『わたしの便利帳』表紙や、特殊詐欺警戒啓蒙ポスター・チラシ、特殊詐欺啓蒙ラッピングバスなどの仕事も手がけている。 趣味は格闘技観戦。60歳を超えてからも毎日トレーニングを欠かさず、ボランティア活動にも積極的に取り組むというストイックな一面がある。 デビュー後しばらくまで死神姿のイマジナリーフレンドがおり、外道マンと読んでいたとのこと。ただし、全く本人のためにはならず常にアシスタントや恋人(後の妻)の悪口などを言っていたらしい。 作品リスト ドーベルマン刑事(原作:武論尊)全29巻 新ドーベルマン刑事(原案:武論尊)※『ドーベルマン刑事』の続編 リッキー台風 全9巻 リッキー・ザ・レディ ※『リッキー台風』の続編 ブラック・エンジェルズ 全20巻 ザ・松田 ブラックエンジェルズ ※『ブラック・エンジェルズ』のスピンオフ作品 全3巻 ザ・松田 超人最強伝説 ※『ザ・松田 ブラックエンジェルズ』の続編 全2巻 大江戸ブラック・エンジェルズ ※『ブラック・エンジェルズ』の時代劇版リブート作品 既刊2巻 ラブ&ファイヤー 全2巻 キララ 全1巻、新装版全1巻 マーダーライセンス牙 全22巻 マーダーライセンス牙&ブラックエンジェルズ ※マーダーライセンス牙』と『ブラック・エンジェルズ』のクロスオーバー作品 全13巻 武闘マン餓王 全1巻 愛修羅 ザ レジェンド ※この作品のみ平松伸士名義 全3巻 相場師 -シテ-(原作:観月壌) 全5巻 どす恋ジゴロ 全4巻 嗚呼どす恋ジゴロ ※『どす恋ジゴロ』の続編 全2巻 M8 勇気ある決断(原作:高嶋哲夫) 全1巻 東京UWF 全1巻 外道坊 全6巻 外道坊&マーダーライセンス牙 ※『外道坊』と『マーダーライセンス牙』のクロスオーバー作品。作品終盤に『ブラック・エンジェルズ』の雪藤洋士も登場 全5巻 モンスターハンター(原作:飯塚幸弘) 戦国SANADA紅蓮隊 極ラクゴ(原作:安江うに)※初の「夫婦合作」作品 ミスター★レディー 全1巻 男純情鯉太郎 全1巻 そしてボクは外道マンになる ※自伝漫画 全4巻 読切 モモタロー'87(単行本『モンスターハンター 平松伸二短編集』に収録) イラスト提供 ALICE IN HELL『THOUSAND PEOPLE SWORD KILL』(2019年) - アルバムジャケットを描く。 トリビアの泉(フジテレビ 2004年) - ファーブルおよび相撲のトリビアの解説にイラストを提供した。 師匠 中島徳博 アシスタント 猿渡哲也 高橋陽一 小栗かずまた 佐藤智一 池田文春 城谷間間 今谷鉄柱 脚注 外部リンク 【田中圭一のペンと箸―漫画家の好物ー】第19話:『ドーベルマン刑事』平松伸二と水道橋の焼肉屋 - 平松の長男が語るエピソードを掲載。漫画家の田中圭一がインタビュアー&作画 日本の漫画家 岡山県出身の人物 1955年生 存命人物
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蛭田達也
蛭田 達也(ひるた たつや、1961年(昭和36年)3月16日 - )は、日本の漫画家。福島県いわき市出身。横浜商科大学高等学校卒業。 略歴 1981年(昭和56年)、第27回少年マガジン新人漫画賞を『コータローまかりとおる!』(読切版)で受賞し、デビュー。 代表作は、空手の達人で明るく女好きの主人公が活躍する学園コメディー『コータローまかりとおる!』。単行本未収録の読み切り作品『あいつがKYOKI』を除いて、作品はこのシリーズのみである。 1986年(昭和61年)、『コータローまかりとおる!』で第10回講談社漫画賞少年部門を受賞。 2004年(平成16年)、長年患っていた腰痛が悪化した為、病気療養と発表した。長期間の休載に入って以降、一般には消息が途絶えていたが、2011年(平成23年)発行の「マイケル教えて!被災猫応援の教科書」()において作品を寄稿。この時「失業中(サボリ中)」とコメント。既に20年近く漫画家としての活動履歴が無い為、現在に於いては、事実上の引退状態と言える。 人物 ヘヴィメタルを愛好するメタラーで、仲間内でバンドを組んでおり、『コータロー』でもメタルやハードロックを軸にした話(第六部)を描いている。 猫好きであり、自宅にて何匹もネコを飼っていたことから、『コータロー』の柔道編ではネコたちが登場していた。 当時、人気を博していたドラマ「古畑任三郎」をこよなく愛し、『コータロー』の柔道編ではパロディーとして、作品内でミステリー展開を入れていた。 作品リスト コータローまかりとおる!(1982年 - 1994年、週刊少年マガジン、講談社、全59巻、ワイド版全31巻、文庫版全16巻) 新人賞受賞作を設定を一新して連載化。学生2万人の超巨大学園を舞台に、学園一のスケベにして空手の達人新堂功太郎の繰り広げる騒動を描く。初期は単なるハチャメチャ学園ラブコメだったが、連載が長期化するにつれて格闘漫画としての色彩を強くしていき、学園を支配する不良集団「蛇骨会」との抗争を発端とする闇の世界との戦いがストーリーの根本に流れる伏線となった。しかし、ストーリーがシリアスになっても主人公の奔放さは最後まで貫かれている。 実写映画化もされた。『コータローまかりとおる!』(1984年、東映)、黒崎輝主演。 新・コータローまかりとおる! 柔道編(1995年 - 2001年、週刊少年マガジン、全27巻) 上記作品の続編。気が弱いため実力を発揮できずにいる柔道少年西郷三四郎を実質的な主人公に、功太郎の巻き起こす騒動に巻き込まれつつ才能を開花させていく三四郎の成長を描く。 コータローまかりとおる! L(2003年 - 2004年、週刊少年マガジン → マガジンSPECIAL) 再び功太郎をメインにした続編。ニューヨークから功太郎の母が突然帰国したことをきっかけに、新堂家に伝わる秘伝虎の巻を狙うアメリカンニンジャ軍団との抗争が開始される。最終章と言われているが、作者病気療養の為長期休載。その後、復帰することなく掲載誌のマガジンSPECIALも2017年に休刊。未完のまま事実上の連載終了になっている。 あいつがKYOKI (1984年、週刊少年マガジン) 単行本未収録の読み切り。 アシスタント 森川ジョージ 脚注 日本の漫画家 横浜商科大学高等学校出身の人物 福島県出身の人物 1961年生 存命人物
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美内すずえ
美内 すずえ(みうち すずえ、本名:西尾 鈴江(にしお すずえ)、1951年2月20日 - )は、日本の漫画家。大阪府生まれ、大阪府大阪市出身。アカルプロジェクトのオーナー。 人物 実家は理髪店で、幼少時代はよく映画を見に行ったという。中学時代に貸本屋で手塚治虫などの漫画に熱狂するも母親に漫画を読むことを禁じられ、それならばと自分自身で漫画を描き始めるようになる。 1967年(昭和42年)、高校時代に『別冊マーガレット』10月号に「山の月と子だぬきと」でデビューした。さらに1976年(昭和51年)には『ガラスの仮面』が『花とゆめ』にて連載開始する。この作品は、1995年(平成7年)に第24回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞するなど、作者の代表作となった。 それ以外にも1982年(昭和57年)に『妖鬼妃伝』(『なかよし』、講談社)で、第6回講談社漫画賞を受賞している 。 1991年(平成3年)、山梨県甲府市にフレンチ料理とカフェの店Cafe du Crepuscule(カフェ・ド・クレプスキュール)を開店。2010年(平成22年)に吉祥寺に姉妹店開店。 2009年(平成21年)現在も「O-EN NETWORK」という精神世界を探求する団体を主宰しており、漫画家としての活動は10年近く停止状態だった時期があった。このことについて、作者側は漫画執筆意欲が失われたわけではなく、物語を構成するエピソードに非常に時間がかかり、単行本1冊のプロットだけでノート約10冊以上を必要とすること、さらに雑誌連載と単行本では描き下ろしがあることが理由であるとしている。『ガラスの仮面』以外にも『アマテラス』『聖アリス帝国』も未完結の作品とされている。なお、書店に赴いた際、居合わせた女子学生の「ガラスの仮面」最新刊に関する否定的な会話にショックを受け、考えに考えた展開への自信が揺らいだこともある。 2004年(平成16年)12月16日、読者待望の『ガラスの仮面』コミックス42巻が発売されたが、白泉社『花とゆめ』誌上で連載されていた原稿を一切使わずに全編描き下ろしされており、作品内容は大幅に改変されている。そのため、1989年(平成元年)から1997年(平成9年)まで連載された版(全75回)における複数のエピソードが宙に浮いた形となっている。 精神世界研究団体O-ENを主宰している他、2006年(平成18年)以降、『ガラスの仮面』内に登場する劇中劇「紅天女」を元にした新作能の監修も手掛けている。全国に公演回数が増加していることから、漫画制作がさらに遅れている。 2009年(平成21年)1月26日、約4年ぶりの『ガラスの仮面』コミックス43巻が発売された。これはコミックス42巻の続きとして、2008年(平成20年)7月から4ヶ月連続『別冊花とゆめ』に集中掲載された原稿が元となっているが、基本ストーリーに変更はないものの、様々な加筆修正・削除等改変がなされている。 2017年8月12日に宝島社「このマンガがすごい! Comics 妖鬼妃伝 美内すずえセレクション 黒の書」(同時収録「黒百合の系図」「ひばり鳴く朝」)、2018年1月12日に宝島社「このマンガがすごい! Comics 13月の悲劇 美内すずえセレクション 白の書」(同時収録「白い影法師」「孔雀色のカナリア」)が刊行された。 作品リスト ナオは光の中で - 別冊マーガレット 1968年11月号 赤い女神 - 別冊マーガレット 1970年5月号 - 6月号 燃える虹 - 別冊マーガレット 1970年9月号 - 11月号 13本のキャンドル - 別冊マーガレット 1970年12月号 日本列島一万年 - 別冊マーガレット 1971年1月号 - 2月号 ひばり鳴く朝 - 別冊マーガレット1971年6月号 13月の悲劇(美内すずえ怪奇傑作集) - 集英社「別冊マーガレット」1971年(昭和46年)9月号 - 10月号 バラ物語 - 別冊マーガレット 1972年1月号 雪の音 - 月刊セブンティーン 1972年2月号 炎のマリア - 別冊マーガレット 1972年6月号 泥棒シンデレラ - 花とゆめ 1972年24号 アマランスの女王 - 別冊マーガレット 1972年4月号 - 5月号 パンドラの秘密 - 別冊マーガレット 1972年9月号 - 10月号 ジュリエッタの嵐 − 別冊マーガレット 1973年1月号 - 2月号 みどりの炎 - 別冊マーガレット 1973年(昭和48年)9月号 人形の墓(美内すずえ作品集) - 週刊マーガレット 1973年37号 はるかなる風と光 - 別冊マーガレット 1973年10月号 - 1974年10月号 孔雀色のカナリア - 集英社「月刊セブンティーン」1973年(昭和48年)12月号 - 1974年(昭和49年)2月号 ガラスの仮面 - 『花とゆめ』(1976年1号 - 1997年20号)、『別冊花とゆめ』(2008年9月号 - 2012年7月号)【当初連載中断理由はコミックス発行準備と告知され49巻発売するも連載再開せず、2018年に掲載誌休刊に至った】 帰らざる氷河 - 別冊マーガレット 1975年1月号 冬のひまわり - 別冊マーガレット 1975年(昭和50年)2月号 忍者屋敷に春がきた - 別冊マーガレット 1975年(昭和50年)4月号【単行本未収録】 金色の闇が見ている - 別冊マーガレット 1975年(昭和50年)5月号 - 6月号 白ゆりの騎士 - 花とゆめ 1974年6月創刊号 - 1975年5号 白い影法師 - 講談社「月刊mimi」1975年(昭和50年)10月号 魔女メディア - 別冊マーガレット 1975年9月号 - 10月号 ポリアンナの騎士 - 別冊マーガレット 1976年(昭和51年)5月号 虹の戦 - 月刊mimi 1976年5月号 - 6月号 聖(セント)アリス帝国 【未完】 - (1976年 - 1978年) 王女アレキサンドラ - 別冊マーガレット 1977年4月号 黒百合の系図 - 月刊LaLa1977年9月号 - 12月号 黒百合の系図 - 月刊LaLa 1977年9月号 - 12月号 妖鬼妃伝 - なかよし1981年9月号 - 11月号 ダイナマイト・みるく・パイ - 花とゆめ 1982年2号 アマテラス 【未完】 - (1987年 - 2001年) 宇宙神霊記 - 1991年 アシスタント経験者 魔夜峰央 吉崎観音 槇村さとる くらもちふさこ 酒井美羽 笹生那実 日渡早紀 立野真琴 立花晶 関連番組 趣味百科『少女コミックを描く』第8回(1991年5月21日 NHK教育) - アトリエ訪問コーナーに登場 脚注 注釈 出典 参考文献 キネマ旬報社編 『マンガ夜話』vol.9(2000年9月1日号)、キネマ旬報社<キネ旬ムック>、2000年(平成12年)、ISBN 4-87376-549-8 NHK衛星第2テレビジョンのトーク番組『BSマンガ夜話』にて、『ガラスの仮面』をテーマに取り上げた1999年(平成11年)11月8日放送回を誌上で再現。 巻末に、「美内すずえ 完全保存版データ」として、単行本リスト(各作品の解説、あらすじ、書誌含む)や、1967年(昭和42年)から1999年(平成11年)までの作品年表(掲載誌名・号数、単行本化・改稿の有無含む)を収録。ほかにも、ノリアキラ、Peko及びヤマダトモコによる「美内すずえを読み解く45のキーワード」、『ガラスの仮面』の舞台、アニメ等の紹介などがある。 紅天女公演推進委員会編 『「ガラスの仮面」研究白書』 同文書院、1998年(平成10年)、ISBN 4-8103-7510-2 漫画『ガラスの仮面』についての解説本だが、巻末に、1967年(昭和42年)から1986年(昭和61年)までの美内すずえ作品一覧(掲載誌名・号数含む)を収録。 インタビュー対談、阿川佐和子のこの人に会いたい第1240回「美内すずえ」、週刊文春、2019年1月3日・10日新年特大号、第198-202頁。 外部リンク 美内すずえ オリーブの葉っぱ (美内すずえ公式サイト) 『ガラスの仮面』公式サイト (代表作『ガラスの仮面』公式サイト) 日本の漫画家 大阪市出身の人物 1951年生 存命人物
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三浦みつる
三浦 みつる(みうら みつる、1954年11月25日 - )は、日本の元漫画家。神奈川県横浜市中区本牧間門出身。本名:三浦 満(読み同じ)。男性。血液型はO型。代表作に『The・かぼちゃワイン』など。 概要 1971年、神奈川県立磯子工業高等学校在学中に「世にも不幸な男の話」で『週刊少年ジャンプ』(集英社)のヤングジャンプ賞を受賞。高校卒業後にサラリーマンを経て、手塚プロダクションのアシスタントを経験。1973年、『さまよう箱は』で第6回手塚賞佳作。1975年、『僕は狂わない』で第9回手塚賞佳作を受賞。 1983年、『The・かぼちゃワイン』で第7回(昭和58年度)講談社漫画賞少年部門受賞。 2017年12月、クラウドファンディング自主制作本『バック・トゥ・The♡かぼちゃワイン』発売。本作品をもって漫画家引退を宣言し、デビュー時から数えて45年以上に渡った漫画家活動に終止符を打った。 現在は絵本作家を目指して勉強中とのこと。 作品リスト もしもしこちらは(講談社『週刊少年マガジン』1977年21号掲載) - 第16回新人漫画賞入選作。 ハウス(1977年6月、『月刊少年マガジン』、講談社) - 大林宣彦監督による同名映画のコミカライズ。 あいつはラプラス(講談社『週刊少年マガジン』1978年11号 - 16号連載) - 単行本未刊行。 おもしろ倶楽部(全2巻、講談社『月刊少年マガジン』1978年5月号 - 1979年7月号連載) きまぐれザンボ(講談社『週刊少年マガジン』1979年34号 - 1980年1号連載) - 単行本未刊行。 ガラスの狼(講談社『月刊少年マガジン』1979年9月号 - 1980年1月号連載) - 単行本未刊行。 からくりパックス(全1巻、講談社『月刊少年マガジン』1980年2月号 - 7月号掲載) ケサランパサラン(全1巻、講談社『月刊少年マガジン』1980年9月号 - 1981年2月号連載) 恋のシャッターチャンス(講談社『週刊少年マガジン』1980年37号掲載) - 『コンビにまりあ』4巻に収録 The・かぼちゃワイン(全18巻、講談社『週刊少年マガジン』1981年4・5合併号 - 1984年26号連載)- 1982年にアニメ化された。 The かぼちゃワインsequel(2001年 - 2002年、コミック伝説マガジン、実業之日本社) - 掲載紙の休刊に伴い中断を余儀なくされる。後、2006年に加筆を加えた完全収録版の単行本が発売される。 The かぼちゃワイン Another(2006年 - 2009年、プレイコミック、秋田書店) バック・トゥ・The♡かぼちゃワイン(2017年12月) - クラウドファンディング自主制作本にして、自身の漫画家生活最後の作品。店頭販売は書泉グランデのみ。 お日さま元気(講談社『月刊少年マガジン』1982年4月号 - 6月号連載) - 『The かぼちゃワイン』番外編第2巻に収録。 ふたりでチェリー(1984年、月刊キャロル、講談社) レンズマン(全3巻、原案:E・E・スミス、講談社『週刊少年マガジン』1984年41号 - 1985年18号連載) - アニメとのタイアップ。 ココナッツAVE.(全6巻、講談社『週刊少年マガジン』1985年38号 - 1986年40号連載) 明日美(全1巻、講談社『モーニング』不定期連載、1987年刊) - 現代編。 ASUMI(全1巻、講談社『アフタヌーン』1987年2月号 - 12月号連載) - 未来編。 MR.DOZAEMON(全1巻、スコラ・講談社『コミックバーガー』1986年創刊号 - 1987年6号連載) いろはカルテ(全2巻、スコラ・講談社『コミックバーガー』1987年11号 - 1988年23号連載) ファーストメモリー(全3巻、ぶんか社、1990年刊) - 『いろはカルテ』完全版。 春日の局(全3巻、スコラ) ピンクスパット(全2巻、講談社) 苺でパイナップリン(全1巻、ぶんか社、1990年刊) 浮世のふくろう(全1巻、ぶんか社、1990年刊) シンデレラの忘れ物 三浦みつる傑作集(全1巻、集英社、1991年刊) 緋牡丹市民(全1巻、スコラ、1992年刊) 愛しのタワリシチ(全1巻、実業之日本社、1992年刊) 続・愛しのタワリシチ(全1巻) 愛しゃるリターン(全6巻、日本文芸社、1994年 - 1995年刊) トリガー(全1巻、原作:和泉聖治、日本文芸社、1996年刊) レディーQ(全1巻、日本文芸社、1997年刊) 涙を拭いて(原作:剣名舞) Alohaストリート - SGS、パチンコ店の景品としてのみ配布されたコミックブレイクにて連載。 コンビにまりあ - 2001年にTVドラマ化。 天才調香師 宝条ミカ ワンダフル エロタン(プレイコミック、秋田書店) ミュウ - 網地島ラインの就航船「マーメイド」に描いたオリジナルイラスト。 華姫レビュー セラピスト粧子 師匠 手塚治虫 アシスタント 神谷一郎 くさのあきひろ テレビ出演 教えてもらう前と後(2018年3月6日、TBS系列) - 手塚治虫の元アシスタントとして出演。源氏物語絵巻と手塚マンガの共通作画技法などについて語った。 関連作品 ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜(2009年、秋田書店) - アシスタント時代の三浦が登場。 ブラック・ジャックREAL~感動の医療体験談~(2013年、秋田書店) - 実話を元にしたストーリーに、手塚治虫のアシスタント経験者らが絵を描いた作品集。三浦も1編を担当。 その他の活動 日本漫画家協会の常務理事を務めている。 脚注 外部リンク 三浦みつる先生インタビュー/2005年12月号:日本漫画学院Web 日本の漫画家 横浜市出身の人物 1954年生 存命人物
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水島新司
水島 新司(みずしま しんじ、1939年〈昭和14年〉4月10日 - 2022年〈令和4年〉1月10日)は、日本の漫画家。野球漫画の第一人者。代表作に『野球狂の詩』『ドカベン』『あぶさん』など。 新潟県新潟市出身。趣味は野球、将棋。血液型はB型。元タレント・俳優の水島新太郎は長男。 来歴 生い立ち 1939年、新潟市の魚屋の家に生まれる。父親がギャンブル好きで多額の借金を背負い、金銭的に困窮した少年時代を送る。 中学は新潟市立白新中学校に通っており、当時同校に隣接していた新潟明訓高等学校への進学を希望していたものの、家庭の経済状況を勘案して高校進学を断念した。中学卒業後、父親が借金をしていた水産問屋に丁稚奉公に出されるが、そこで漫画家になることを決意。仕事後に睡眠時間を削って漫画を執筆する。 漫画家デビュー 1958年、大阪の貸本漫画出版社『日の丸文庫』の漫画短編誌『影』の新人漫画コンクールにデビュー作『深夜の客』を投稿する。評価としては次点であったが審査員の一人だった佐藤まさあきがその才能を評価し入選を強硬に主張。特別に特選二席として表彰される。その表彰式で社長の山田秀三に漫画家になりたい旨を直訴、「一年以内に漫画家になる」という条件で家族を説得し来阪する。 山田宅に住み込んで日の丸文庫の編集の下働きの仕事をしながら寝る間を削って漫画を執筆、人気貸本漫画家となる。日の丸文庫では主にコメディ漫画を執筆。短編集『オッス!』シリーズや『水島新司爆笑シリーズ』、大阪のTV局制作ドラマ『番頭はんと丁稚どん』や『てなもんや三度笠』の漫画化などで人気を博す。 野球漫画で大ヒット 1964年、日の丸文庫専属を経て独立、上京。『週刊少年キング』で多くの作品を描く。本格的な野球漫画として1969年に『エースの条件』を発表。1970年から『週刊少年サンデー』や『週刊少年チャンピオン』に仕事の幅を広げ、最初の大ヒットとなる『男どアホウ甲子園』、『銭っ子』をそれぞれ連載。 1972年からは『月刊少年マガジン』で『野球狂の詩』を読み切り不定期掲載、『週刊少年チャンピオン』で『ドカベン』を連載開始。1973年からは『ビッグコミックオリジナル』で『あぶさん』を連載開始。青年漫画にも進出する。『あぶさん』は2014年に完結するまで、41年にわたる長期連載となった。 この頃より上記の連載作品が人気を博し、野球漫画の第一人者としての地位を確立する。以降1975年に『男どアホウ甲子園』の続編『一球さん』を『週刊少年サンデー』に、1976年に『球道くん』を『マンガくん(少年ビッグコミック)』に発表。1977年からは野球漫画専門誌『一球入魂』を創刊して編集長となり、『ある野球人の記録』(単行本では『白球の詩』)を連載する。これらの主要な作品は各々長期の連載となり、野球漫画の名作という評価を得ていく事になる。1981年にはプロ野球機構そのものをすべてオリジナルで作る壮大で野心的な作品『光の小次郎』を『週刊少年マガジン』に発表した。 1977年ごろの、「知名人」(もしくは「著作家」)の所得番付で一位になったと、自ら語っている。 漫画家初期はサイクルサッカーなど野球以外のスポーツ漫画も多く手がけていた。野球漫画を描かなかった理由は、打つ・走る・投げるなど本物に近い絵を描きたかったが絵が下手だったので、一番好きな野球のジャンルを描ける自信が付くまで10年かかったためであるという。 クロスオーバー作品の連載 1983年には自身が今まで描いてきた高校野球漫画の集大成作品『大甲子園』を発表。『ドカベン』を中心に『野球狂の詩』『男どアホウ甲子園』『一球さん』『球道くん』『ダントツ』などの人気漫画の、それまで意識して描かなかったという登場キャラクターの高校3年の夏の大会を描いた。スター・システムを採用したクロスオーバー作品の先駆けでもあり、多くのヒット作品をもつ水島ならではの展開であった。 以後は1984年に『極道くん』(週刊少年マガジン)、1987年に『へい!ジャンボ』のリメイク『虹を呼ぶ男』(週刊少年チャンピオン)、1988年に『野球狂の詩』の番外編的作品『ストッパー』(コミックバーガー)、1990年に高校野球漫画の総決算『おはようKジロー』(週刊少年チャンピオン)を、1993年の『平成野球草子』(ビッグゴールド)を連載。 プロ野球編の連載 清原和博の希望もあって、1995年に『ドカベン プロ野球編』(週刊少年チャンピオン)を、リメイクブームの風潮から1997年に『野球狂の詩 平成編』(ミスターマガジン)を連載開始。これらは2000年に『新・野球狂の詩』(モーニング)、2004年に『ドカベン スーパースターズ編』とタイトルを改め長期連載となる。 2005年10月・11月に、8週連続(モーニングでは予告編含め9週)で『週刊少年チャンピオン』と『週刊モーニング』による、出版社を超えたコラボレーション企画として、『ドカベン スーパースターズ編』の東京スーパースターズと『新・野球狂の詩』の札幌華生堂メッツが日本シリーズで対決した。 2007年、漫画家生活50周年を迎え、『週刊少年チャンピオン』では漫画家生活50周年の企画として、連載している『ドカベン』を巻頭カラーにし、水島と同郷の高橋留美子の他、秋本治やさいとう・たかを、かわぐちかいじ、あだち充、井上雄彦、満田拓也、藤子不二雄A、森川ジョージ、高橋ヒロシなど沢山の漫画家からの寄せ書きとイラストが掲載された。また、王貞治、長嶋茂雄、ビートたけし、爆笑問題、松井秀喜、城島健司など野球関係者や芸能人からもメッセージが寄せられた。 2012年、ドカベンシリーズ40周年を記念し、最終章『ドカベン ドリームトーナメント編』連載開始。2018年に大団円を迎えた。週刊少年誌に連載する漫画家としてはあだち充を12歳も上回り、現役最長老であった。 引退・死去 2020年12月1日、同日付で63年間の漫画家生活から引退することを発表。最終作は2018年8月に発表した『あぶさん』の読み切り作品。 2022年1月10日、肺炎のため、東京都内の病院で死去。。喪主は妻修子。ドカベンシリーズに登場した松坂大輔は水島の訃報について、「漫画ドカベンに自分が初めて出た時の喜びは今でも忘れません…。」とコメントした。 テレビアニメ化等のメディア展開やパロディなど作品の二次利用も多く見られたが、2010年代以降はそれらの利用にも消極的になっていった。また現時点では作品の電子書籍化も行われていない。 エピソード 本人に関する逸話 進学を希望していた新潟明訓高等学校への思いから、のちに『ドカベン』で「明訓高校」を舞台にした。また、不知火が所属する「白新高校」の名称も通っていた中学校から取っている。なお、中学も家業の魚屋の手伝いのため欠席も多く、卒業が危ぶまれた事もあったという。 新潟市古町通には、水島の功績を顕彰し、漫画の登場人物の銅像を並べた「水島新司漫画ストリート」がある。しばしば岩鬼の銅像の咥えている葉っぱが盗難に遭い、問題となっている。 1970年代は東京都小金井市の音楽喫茶「白鳥」に通い、執筆や構想を練るなどに費やしていた。『野球狂の詩』のヒロイン・水原勇気は、その名を決めるのに思案し、喫茶店マスターの娘「ユウキ」という名が気に入りもらった。 「あぶさん」と「ボッツ」という2つの草野球チームを主宰。漫画作品の執筆のかたわら年間60試合前後に出場し続け、投手として200勝を達成した時には自費で名球会入り記念パーティーを催した。若手時代、身内で野球チームを作ろうとしたが人数が足りず、たまたまアシスタント志望でやってきた本宮ひろ志に対して、作品を見る前に「お前、野球できるか?」と尋ね、「できます」と言われたために即採用したという逸話も残っている。 草野球チームが縁で田中寅彦ら将棋のプロ棋士と知人になり、将棋漫画『父ちゃんの王将』を描いたり、作中に将棋棋士から転向した野球選手や、将棋棋士の名前そのまま、もしくはもじった名前の野球選手を登場させたりしている。 テレビ番組でのインタビューにて「最高の打者は誰か?」という質問に「山田太郎」(理由は甲子園大会通算打率7割5分を誇るから)と答えている。 選手個人としては「エンターテイナーとしてパ・リーグを大いに盛り上げてくれる存在」として、新庄剛志(元・日本ハム)の大ファンであるという。 メジャーリーグを嫌っており、MLB入りしたイチローや松井秀喜らを非難している。雑誌『月刊ホークス』内で2002年まで水島が連載を担当していたコラムでは、当時ダイエーに在籍していた井口資仁がメジャー移籍を球団に希望したニュースが流れた際、「何故日本で、日本のファンの前でプレーしてくれないのか」と疑問を呈し、「メジャーの選手が凄い凄いと言っても、漫画の世界ではそれ以上のものが描ける」と表現している。事実、1990年代以降の作品では登場する架空の選手がプロ野球記録や日本新記録を更新する描写が顕著化しており(福岡ダイエー以降の『あぶさん』が代表例)、あまりに現実離れした作風を批判する読者も多い。 また日本プロ野球の外国人選手も「現役バリバリはほとんどいないで、年俸だけは現役並み」と評しており日本人選手の生活圏や若手の働き場を奪っていると批判しており、いつの日か日本人だけのプロ野球が見てみたいと言っている。 MLB嫌いではあるものの、福岡ソフトバンクホークスオーナー・孫正義が考案する「世界一クラブ決定戦」の推進派である。理由としては、MLBの優勝決定戦が「ワールドシリーズ」と呼ばれることに不満を持っている為と言われる(「ワールド」の意味を理解しているのか、とのこと)。 国際試合への言及、国際試合の描写は少なく、『ドカベン プロ野球編』で2003年アテネオリンピック予選にドカベン世代が参加したシーン、『あぶさん』で景浦景虎が2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシックの代表候補として合宿に参加した様子など、ごくわずかなものにとどまっている。 今まで見てきた甲子園の試合では、1992年の松井の5打席連続敬遠が最も印象深いと語っている。 長男の水島新太郎はカルビープロ野球チップスカードの収集家としても有名で、水島はカードを参考にしながら登場人物の打撃フォームや投球フォームを描いたこともあるという。『ドカベン』の里中智の投球フォームのモデルが阪急ブレーブス・山田久志であることは有名である(南海ホークス・杉浦忠)。 いわゆる「空白の一日事件」で世間の大きな非難を浴び、おちおち外も歩けなくなった江川卓を一時かくまっていたことがあった。 本宮ひろ志の『実録たかされ』によると、江川3年時の作新学院が夏の甲子園2回戦で銚子商に敗れた夜に作新学院の宿舎を訪れ、選手の述懐によると「水島新司さんが来て酒飲んじゃって、どんちゃん騒ぎをしていた」というエピソードが語られている(しかし水島は下戸であり、酒は飲まない。本人の下戸の反面的に、水島作品には酒豪のキャラクターが多数、登場する)。 1986年6月1日、故郷・新潟の南海対西武戦で始球式を務めた際、通常は一球投げた時点で終わる所を、一打者に投げ終わるまで投げた事がある。ただしこの際に場内アナウンスで「これは真剣勝負です」と洒落で流したために、アウトカウントを勘違いするというハプニングがこの直後に起きている。 また、通常空振りで終えるはずの始球式で、過去に二度打ち返されヒットとされたことがある。前述の南海対西武戦と、日本ハム対ダイエー戦(2003年9月4日)である。一度目は西武の石毛宏典に、二度目はダイエーの柴原洋に打ち返されヒットとなった。打たれた水島はグローブを投げつけるリアクションを取った。 2006年5月9日に設立が発表された、独立リーグ「北信越ベースボールチャレンジリーグ(現:ベースボール・チャレンジ・リーグ)」のアドバイザーに就任している。 2008年、プロ野球マスターズリーグの福岡ドンタクズに入団。登録名は「あぶさん」、背番号は90。「代走での出場ならあるかもしれない。できたら遊撃手として出場したい」とコメントした。 2018年より野球殿堂の特別表彰候補者として名前が挙げられていた。2018年は3票、2019年は5票(候補者10人中3位)、2020年は3票(候補者10人中5位)だった。2020年12月1日、2021年の野球殿堂特別表彰候補者が発表されたが、水島新司本人の希望により候補者入りを辞退したことが分かった。 ホークス関連 1973年、『あぶさん』の連載にあたり、主人公・景浦安武の「入団交渉」のために当時の南海ホークス選手兼任監督であった野村克也を訪ねた時に、好きな球団を聞かれ「セは阪神、パは南海です」と答えたところ、「好きな球団は1つでええ」と言われたためその後はホークス一筋であった。「のんべえは持久力は無いけど、瞬発力があるから代打専門」という契約条件で入団、以来、永きに渡り代打専門で活躍している。また、『野球狂の詩』でプロ初の女性投手である水原勇気にリアリティを持たせるため、多くのプロ球界関係者にアドバイスを求めたところ、唯一前向きなアドバイスを与えてくれたのが野村であった(水原勇気の項目を参照)。 野村との親交を深め、映画『野球狂の詩』(1977年)では現実のチームとして南海ホークスを登場させ、野村が実際に打席に立ち水原(木之内みどり)と対戦した。尚、この映画には水島本人も出演している。 『あぶさん』で杉浦忠を追悼する回では、南海OBと公の場では絶縁しているはずの野村を出演させていた(一部OBとの私的な交流は実際にも若干あった模様)。また、『ドカベン プロ野球編』で岩鬼が福岡ダイエーホークスに入団したのも、水島のホークス好きに依ると言われている。 南海ホークスを買収した直後の1988年、当時の中内㓛オーナーとお互いのマネージャー、秘書無しで一対一で会食した。中内が社員に「ホークスのことは誰に聞いたら一番よく分かるのか」と尋ねたところ、全員が水島の名を挙げたという。中内は水島の話を聞きながら、一生懸命にメモをしていたという。 上記のようにホークス一筋が長かったが、2007年10月17日朝のNHKラジオ『きょうも元気でわくわくラジオ』のゲスト出演では「パはホークス、セは広島カープですね」と答えた。理由は「本物の野球球団、一から育ていい野球をしている」と答えている。 あるホークスの選手が起こしたふがいないプレーに激怒した水島は翌日、福岡に出向きその選手に説教をしたことがある。このエピソードは関口宏の東京フレンドパークIIに水島が来園した際に明らかにされた。 漫画に関する逸話 ニュースステーションにゲスト出演した際、あだち充の作品(『タッチ』他)を「野球を恋愛の小道具として扱っている」と批判した。その一方で『ドカベン スーパースターズ編』ではマンネリ化の打破のためか、岩鬼正美と夏川夏子、殿馬一人とマドンナ、里中智と山田サチ子といった恋愛を描いている。この他、「あぶさん」(特に主人公の景浦安武が結婚する前)に於いて、景浦の女性関係が描かれることも少なからずあった。なお上記にあるようにあだちは週刊少年チャンピオンの漫画家生活50周年企画に寄稿している。 伊集院光が水島にインタビューした際、「ドカベンを描いていて一番驚いた事はなんですか?」という質問で伊集院は「ファンの反響の多さ」等の答えを予想していたがそれに対しての水島の回答は「ネームでは岩鬼が三振するシーンを描いたのに、ペンを入れたら岩鬼がホームランを打ってしまった」と答え、伊集院を唖然とさせた。 水島の漫画は後続の野球漫画にも大きな影響を与えたが 井上雄彦や高橋陽一ら他競技のスポーツ漫画の大御所も影響を受けた。少年チャンピオンの水島新司漫画生活60周年記念号では井上や高橋が水島に祝辞を送っている。 賞歴 第19回(昭和48年度)小学館漫画賞受賞(『男どアホウ甲子園』『出刃とバット』) 第4回(昭和48年度)講談社出版文化賞児童漫画部門受賞(『野球狂の詩』) 第22回(昭和51年度)小学館漫画賞受賞(『あぶさん』) 2005年4月 紫綬褒章受章 第37回(2007年度)日本漫画家協会賞文部科学大臣賞受賞(全作品に対して) 2014年11月 旭日小綬章受章 作品一覧 五十音順。ただし、シリーズ物はそのシリーズ順。 I Love Baseball 朝子の野球日記 あぶさん(1973年 - 2014年) アルプスくん いただきヤスベエ(原作:牛次郎) 一球さん エースの条件(原作:花登筺) 男どアホウ甲子園(原作:佐々木守) おはようKジロー がんばれドリンカーズ 球道くん 草野球の神様(原作:北野武) 草野球列伝 ゴキブリ旋風 極道くん 少年番外地(原作:真樹日佐夫) ストッパー 銭っ子(原作:花登筺)-テレビドラマ化→つくしんぼ_(テレビドラマ) 先発完投 大甲子園 たそがれのキー太郎 たちまち晴太(原作:きむらはじめ) ダントツ でっかいチビ 父ちゃんの王将 ドカベン(1972年 - 1981年) ドカベン プロ野球編(1995年 - 2003年) ドカベン スーパースターズ編(2004年 - 2012年) ドカベン ドリームトーナメント編(2012年 - 2018年) 泣き笑い番長(連載時は『ファイティング番長』)(原作:梶原一騎) 虹を呼ぶ男 白球の詩 光の小次郎 平成野球草子 へい!ジャンボ 坊ちゃん(原作:夏目漱石) 水島新司野球傑作選 野球狂の詩 野球狂の詩 平成編 新・野球狂の詩 野球大将ゲンちゃん 野球どアホウ伝 輪球王トラ(原作:牛次郎) 出演 テレビ 月曜ワイド劇場『サンデー兆治の妻・愛のカムバック』(1986年4月7日、テレビ朝日) 徹子の部屋(テレビ朝日) テレビ探偵団(TBS) 映画 『ドカベン』(1977年 東映) - 徳川監督 役 『野球狂の詩』(1977年 日活) - メッツのファン 役 その他の仕事 NHK総合の少年ドラマシリーズ『叱られ人生』(1977年) - オープニングのイラストを提供した。原作者はサトウハチロー、脚本家は佐々木守であった。野球好きの主人公を「ドカベンの谷津」系の風貌で描いた。 フィンガー5のレコードジャケットのイラストを提供していた(「個人授業」など)。1999年に発売されたCD『フィンガー王国』にも使われた。 前述の南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)のファンであったことから、南海ホークス関連のレコードジャケットのイラストも提供した。斎藤努(当時毎日放送アナウンサー)歌唱による「青春ドカベン/球場の鷹」(香川伸行・南海ホークスの応援歌。ディスコメイトレコード)と香川伸行・加藤伸一・吉田博之・畠山準・湯上谷宏ら当時南海の主力選手の歌唱による「鷹の爪/暴れダカ・ロックンロール」(水島プロデュースによる楽曲。クラウンレコード)のイラストを手掛けた。 宮城県石巻市にある石ノ森萬画館の初代館長(2001年7月〜2003年3月)を務めた。 レコード『ああ野球狂の歌。』を吹き込んでいる。作詞も自らが行った。 関連本 磯山勉『水島新司マンガの魅力 マンガの魅力 漫画館シリーズ10』清山社 1978年 水島新司インタビューあり 脚注 外部リンク 日本の漫画家 紫綬褒章受章者 旭日小綬章受章者 福岡ソフトバンクホークス関連人物 新潟市出身の人物 日本コロムビアのアーティスト 1939年生 2022年没 日本の野球に関する人物
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三鷹公一
三鷹 公一(みたか こういち)は、兵庫県出身の日本の漫画家。 経歴 岡山大学出身。 1990年から1995年まで東京急行電鉄の夏のスタンプラリー『すたんぷポン』の漫画を担当していた。 作品リスト どーでもエージェント おんりいyou 激走アニィ レディ・ドール ゴール!嵐(連載『月刊少年キャプテン』1991年) フリケン龍(連載『月刊コロコロコミック』1992年3月号 - 9月号) 格闘キッド ダイナマイト!蛮(連載『別冊コロコロコミック』1992年12月号 - 1993年10月号) Jリーガー シュート(連載『小学三年生』) ブルースワット(連載『別冊コロコロコミック』1994年4月号 - 12月号) ボンバーマンビーダマン爆外伝(連載『別冊コロコロコミック』1996年10月号 - 1999年2月号) ボンバーマンビーダマン爆外伝V(連載『別冊コロコロコミック』1999年4月号 - 12月号) 超魔神英雄伝ワタル(連載『月刊コロコロコミック』1997年10月号 - 1998年3月号) 未来レーサーブイツイン(連載『小学二年生』1999年4月号 - 2000年3月号) ゾイドバトルストーリー(連載『小学二年生』2000年4月号 - 2001年2月号) ゾイドウォーズ・ゼロ(読切『小学二年生』2001年3月号) ゾイドウォーズ・ゼロ(連載『小学三年生』2001年4月号 - 2002年1月号) ゾイド・ゼロ(連載『小学二年生』2001年4月号 - 7月号) ドンと一本!(連載『ちゃぐりん』2001年5月号 - 2004年4月号) 電脳冒険記ウェブダイバー(『てれコロコミック』2001年9月号) へたっぴKICK!!(連載『ちゃぐりん』2004年5月号 - 2007年4月号) ジグザグ雷道(連載『ちゃぐりん』2007年5月号 - 2011年4月号) 火の球ベース(連載『ちゃぐりん』2011年5月号 - 2014年4月号) シューティング流星(スター)(連載『ちゃぐりん』2016年5月号 - 2021年4月号) おてつきカルタ!(連載『ちゃぐりん』2021年5月号 - 連載中) 師匠 望月三起也 吾妻ひでお みやたけし 脚注 外部リンク 絶版マンガ図書館無料配信中作品 日本の漫画家 兵庫県出身の人物 生年未記載 存命人物
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見田竜介
見田 竜介(みた りゅうすけ、男性、1967年8月24日 - )は、日本の漫画家。代表作に『ドラゴンハーフ』など。本名同じ。他に花筺絢(はながたみ あや)、不敵万才の筆名もある。配偶者はマンガ家の御祇島千明。 人物 幼少時、一年間メキシコで生活。自身の家庭を恵まれたものとは感じていなかった事を告白している。東京都立八王子北高等学校卒業後、アニメーターを志して東京アニメーター学院に進学。映画『天空の城ラピュタ』の仕上げに参加する。同校を中退後、有限会社スタジオ・ハードに就職する。不敵万才の筆名でゲーム雑誌のイラスト等を担当し、1988年、富士見書房発行の『月刊ドラゴンマガジン』創刊号にて漫画家デビュー。 作品は、韓国、タイ、イタリア、スペインなどでも翻訳されている。OVA化、ドラマCD化された作品も多数。 短期間、目を患っていたが2005年頃には全快し、作画をアナログからデジタルに移行した。2012年現在は、コミックスタジオ、イラストレーター、フォトショップなどを自在に使い、作品を発表している。 父親は社会学者の見田宗介。祖父はマルクス主義経済学者の見田石介。また、見田石介の父方の叔父が警察署長の甘粕春吉で、甘粕春吉の息子が陸軍軍人の甘粕正彦である。また、戦国時代の武将・甘粕景持は先祖にあたる。 弟は漫画家・イラストレーターでアシスタントの 見田航介。 作風 デビュー当時はつけペンによる作画に慣れておらず、連載初期等は主人公・ミンクの尻尾の先が歪になるのをごまかす目的で黒く塗り潰していたりもしたが、アシスタント等で経験を積み、丸ペンによる繊細な描線を得意とするまでになる。 以下に示すように非常に特徴的な絵柄である(『ドラゴンハーフ』の後半に顕著になる)。極端にデフォルメを施した癖の大きい絵柄ながら、根強いファンを獲得している。 登場人物の目が非常に大きい。また目の大部分は瞳で占められる。 女性キャラクターの場合、括れた腰、巨大な尻、細い脚が強調される。 細くて繊細な線が丁寧に描き込まれている。 カラー画材はデビュー当初はカラーインクを使用していたが、それ以降はエアブラシ&アクリル⇒コピックへと変化。特にコピックで描かれたイラストの評価は高く、美術出版社発行のコピックイラスト教本『コピックワールド』にも取り上げられた。 作品は『ドラゴンハーフ』以来いわゆる娯楽活劇が中心で、異世界ものが多い。独特のギャグセンス、流麗な線によるアクション、時にハッとさせるシリアスを売りとする。作品により作風の振れ幅が大きく、救い難い悲劇へ落とし込む事もあるが、最後は概ねハッピーエンドである。 作品目録 アニメ 『天空の城ラピュタ』 仕上げ ゲームブック ※は不敵万才名義での参加。 冒険ゲームブック(双葉社) 『ルパン三世 Pファイルを奪え!』 『光神話 パルテナの鏡 ~神殿の悪魔を倒せ!~』※ 『高橋名人の冒険島 ティナを救え!』 バブルン見田名義、有坂須美との共同担当。 『アルゴスの戦士 解かれたる封印』※ 『悪魔城ドラキュラ 古城の死闘』※ 『がんばれゴエモン!からくり道中 東海道五十三景』※ 『スーパーマリオブラザーズ Vol.2 大魔王ネオクッパの挑戦』※ 『スーパーマリオブラザーズ Vol.3 マリオ軍団出撃』※ 『終末の惑星 遥かなる西の帝国』※ 『アニマルタイフーン』 『アニマルタイフーン2 魔獣伝説』 アドベンチャーヒーローブックス(ケイブンシャ) 『サラマンダ ラティス救出作戦』※ 『げーむぶっく 元祖鬼が島』(ケイブンシャ) 漫画作品 ファジーな昼下がり(小学館刊行の月刊PCエンジン創刊号より連載) ドラゴンハーフ 朱玄白龍るびくら 黒髪のキャプチュード 愛天明王物語 閃光華るびくら 修験娘てんぐり 改造少女 柚 成人向け漫画 いずれも富士美出版富士美コミックスより発刊 Rose Rosse ああっご主人様ぁ ハメられたい女 絵 ナイトウィンドの影―ソード・ワールド短編集 モンスターコレクション ゲーム シェナン・ドラゴン(テクノポリス開発。PC88・MSX用ゲーム。1990年6月28日発売。6800円) クイズアベニューシリーズ(PCエンジン用ゲーム。NECアベニューより発売。) Astalon 地球の涙(DANGEN Entertainment。PlayStation 4・Nintendo Switch・Xbox One・PC) オナホール 日暮里ギフト製 2007.0111 ローセロッセ みつ - 本人が描いた成年コミックの単行本「Rose Rosse」とのコラボ商品(みくり、灯も同様) 2007.0111 ローセロッセ みくり 2007.0111 ローセロッセ 灯(あかり) 外部リンク 見田竜介の魔法 - 見田竜介オフィシャルサイト 見田竜介&御祗島千明「みたっち★おぎしまっち」 日本の漫画家 帰国子女 りゆうすけ 1967年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%8E%9F%E3%81%8B%E3%81%A4%E3%81%BF
道原かつみ
道原 かつみ(みちはら かつみ、 - )は、日本の漫画家・イラストレーター。広島県三原市出身で、現在も同市で執筆している。 略歴 小学校の同級生で後に漫画家になる宮脇明子から、中学3年のときに漫画を描いてみないかと声をかけられたことが、漫画を描き出すきっかけになった。1979年に『花とゆめ増刊冬の号』に投稿した「かわいいジュリア」で努力賞を受賞し、掲載されたことでデビューする。しかし、その後はヒット作に恵まれず、父親から「遊んでいないで就職しろ」と叱責されたこともあって、三原市役所に勤める。 田中芳樹の同名小説を漫画化した『銀河英雄伝説』が売れ始めたことで市役所を退職し、漫画家専業となる。 漫画制作にパソコンを導入したのは早いほうで、自身のウェブページにデジタルで制作する際のノウハウを公開していた。 2009年時点では、三原市在住で福山市内の専門学校漫画コースの講師として後輩の指導にあたっている。 代表作には『銀河英雄伝説』の他、麻城ゆう原作の『ジョーカー』シリーズなど。漫画だけではなく、イラスト提供作品や版画作品もあり、1990年には第21回星雲賞アート部門を受賞した。 2009年、広島県三原市のふるさと大使に任命される。 作品リスト 太字はアニメ化された作品 パンドラの惑星(1983年、徳間書店。1990年、徳間書店より新装版) ノリ・メ・タンゲレ(麻城ゆう原案、1984年、徳間書店。1990年、徳間書店より新装版) キャウ・キャット・キャン(1984年、徳間書店。1990年、徳間書店より新装版) 銀河英雄伝説外伝 黄金の翼(1986年、田中芳樹原作、徳間書店。1992年にOVAとしてアニメ化) ジョーカー・シリーズ(麻城ゆう原作、新書館) 帝王の庭(1987年、新書館。1998年、文庫化) ムーン・ファンタジー(1)(1988年。1998年、1・2を合本文庫化) ムーン・ファンタジー(2)(1989年) ドリーム・プレイング・ゲーム(1989年。1999年、『グリーン・パラダイス』と合本文庫化) グリーン・パラダイス(1991年) シャーロキアン・コンピュータ(1993年) χの歌声(1997年) ファイナル・ミッション(2004年) 空白の悲鳴(1988年、大陸書房。1994年、徳間書店で再版) 銀河英雄伝説(1988年、田中芳樹原作、徳間書店。少年キャプテン1989年1月号より連載開始) アル・カラルの遺産(1990年、徳間書店。1992年にOVAとしてアニメ化) アルカライラ(1993年、新書館) 銀河英雄伝説 英雄たちの肖像(田中芳樹原作、徳間書店) 画集 銀河英雄伝説道原かつみイラストレーションブック(1992年、徳間書店) JOKER―道原かつみ・画集(1993年、新書館) 銀河英雄伝説画集―[英雄たちの肖像]ロマンアルバム(1995年、徳間書店) 小説 以下の小説に挿絵を描いている。 間の楔(吉原理恵子作、年、光風社出版) JOKER外伝シリーズ(麻城ゆう作、新書館) 特捜司法官S-A(1)(1991年。2000年、文庫化) 特捜司法官S-A(2)(1993年) 新・特捜司法官S-A(1)(2005年) 新・特捜司法官S-A(2)(2005年) 新・特捜司法官S-A(3)(2006年) 月光界秘譚シリーズ(麻城ゆう作、新書館) 永の楽土(1992年) 風舟の傭兵(2000年。新シリーズ開始) 太陽の城(2001年) 滅びの道標(2002年) いにしえの残照(2002年) 逢魔が刻の聖地(1)(2003年。新シリーズ(月光界シリーズ)開始) 逢魔が刻の聖地(2)(2004年) 天界樹夢語りシリーズ(麻城ゆう作、新書館) 妖魔の里(1994年) 真逆の剣(1995年) 裏切りの海(1996年) シンデレラの海(1997年) 心臓に鎖(1998年) 幻想迷宮(1999年) 緑星(1999年) 銀河英雄伝説(田中芳樹作、徳間デュアル文庫) 星虫(岩本隆雄作、1990年、新潮文庫) アンソロジー 天下無敵あどりぶ銀英伝(田中芳樹・道原かつみ・高橋なの・かちとみさする・戸山奥・TOKAI・明智抄他、1994年、徳間書店) 全艦出撃!! 脚注・出典 外部リンク ねこまたぎくらぶ 日本の漫画家 SF漫画家 日本のイラストレーター 広島県出身の人物 1958年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%81%A4%E3%81%AF%E3%81%97%E3%81%A1%E3%81%8B%E3%81%93
みつはしちかこ
みつはし ちかこ(女性、1941年1月30日 - )は、日本の漫画家。本名青木 千禾子。代表作は『小さな恋のものがたり』『ハーイあっこです』など。 人物・経歴 茨城県石岡市生まれで、1歳の時から東京都中野区で育つ。1947年に中野区立鷺宮小学校に入学、1953年に中野区立第八中学校に入学。 1956年に東京都立武蔵丘高等学校に入学、美術部に所属後、放送劇部では脚本を書き上げるなどの活動を行った。同部における活動は、後の『小さな恋のものがたり』の原点となる。1959年に同校卒業後、皆川正インダストリアルデザイナーに1960年2月より入所。その後1961年4月よりヨーコーアニメーションに転職。同社倒産後は、日本アニメーション映画社などに勤務。 1959年12月に「イエスのカリタス修道女会」の新聞に「めいこちゃん」を連載後の1962年、代表作となる『小さな恋のものがたり』を『美しい十代』(学研)に連載開始。この間、学研を始めとした幾つかの雑誌に漫画を掲載。最初の単行本は幻余次郎との共著である『マンガ虎の巻』となった。その後1967年11月に『小さな恋のものがたり』の単行本を発売、1970年以降は毎年5月に新刊を刊行し、45集まで続くロングセラーとなる。1972年に日本テレビ系で実写ドラマ化(岡崎友紀主演)、1984年にはTBS系でアニメ化もされた他、1960年代後期から1970年代後期にかけて、幾つかの少女向け月刊雑誌に連載漫画や、エッセイを連載していた。 また、1980年から朝日新聞日曜版に連載された『ハーイあっこです』は『小さな恋のものがたり』と並ぶ代表作で、明るく朗らかな主婦とその家族の日常を描いた作品として、20年以上にわたる長期連載となり、1984年にフジテレビ系で実写ドラマ化(三田寛子主演)、1988年から1992年にかけてテレビ朝日系でアニメ化もされた。同時期である1982年からは、雑誌「Cobalt」にエッセイを掲載、1990年代まで連載が続いている。 その後、1999年7月から2008年3月にかけて、スーパーマーケット「サミット」の折込チラシに『アララさん』を連載。後に講談社から単行本化されている。 1977年、『小さな恋のものがたり』で日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。2015年、手塚治虫文化賞特別賞、日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞。 2013年の時点では町田市の玉川学園に在住。その縁で、2006年よりみつはしのイラストがラッピングされたコミュニティバス(玉ちゃんバス)が玉川学園地区内で運行されている。この他にも1998年には伊予銀行に描いたイラストの掲載、2008年には赤い羽根のボランティアコミック『アクションガイド』Vol.6に漫画を掲載が行われた。 作品リスト 漫画 小さな恋のものがたり(1〜46集、学研/のち文庫化) 無題(光文社の雑誌「マイホーム」にて1963年2月~3月に連載)。 リトル・タイラント(大和証券の冊子「ゴールド・プラン」にて1963年6月から同10月まで連載) つめたいつめたい少女の日記(「美しい十代」にて1964年掲載) アッコと先生(「美しい十代」にて1964~1965年連載) おしきり君(「平凡」にて1964年掲載) 気のいい彼(「女性明星」にて1965年掲載) アルプスのふしぎなランプ(「美しい十代」にて1967年掲載) となりのケン(秋元書房) となりのケン(1967年頃描き下ろし) クミコの青春ノート(ジュニア文芸にて1970~1971年連載) YOUのコイビト(成瀬書房) バラ色のめぐ(小説女学生コースにて1968年ごろ連載) 一匹ブーチャン(中三時代にて1970~1971年連載) いじわるスカンポ(ファニーにて1969年ごろ連載) 2階のヨースケ(ジュニア文芸にて1971年連載) 片恋エレジー(女学生の友増刊号にて1970年掲載) YOUのコイビト(女学生の友にて1971~1972年連載) 片思いから出発!!(秋元書房) クミコの青春ノート ただいま思春期 (小説女学生コースにて1969年ごろ連載) 涙のブンタッタ(女学生の友にて1969~1970年連載) 気になる小さな恋人クン(秋元書房) 赤いマントの恋人クン 結婚しちゃお…か(増刊微笑にて昭和47年11月20日号掲載) となりのケン わたしはみどり(秋元書房) ただいま思春期 涙のブンタッタ 赤いマントの恋人クン 結婚しちゃお…か みどりの世界 ケイコとマッチン(成瀬書房) 初恋のりりあん(講談社文庫) ピンクのふうちゃん(成瀬書房) カッコイイコをネラッチャオ(小説ジュニアにて1966年9月号に掲載) まっくろな涙(小説ジュニアにて1968年1月号に掲載) 初恋のヒト(小説ジュニアにて1969年9月号に掲載) ハーイあっこです(全20集、立風書房/のち朝日新聞社より文庫化) 孤島ロマン劇場(月刊ギャグダにて1983年3月号に掲載) 草むらのちいちゃん(芳文社) いのち短しいつでも花よ(「ビッグコミックオリジナル」にて1986年連載) ツキヨホシヨ物語(光文社) わたがしふうちゃん(全6巻、ポプラ社) おはよう!!ちいちゃん(家の光にて1993年ごろ連載) アララさん(全2巻、講談社) 極楽とーさん(まんがタイムファミリーにて1996年連載) 漫画関連本 詩画集 チッチとサリー(立風書房) チッチ愛の絵本(立風書房) 詩画集 続チッチとサリー(立風書房) 恋のおしゃべりノート(学研) 豪華記念保存版 小さな恋のものがたり(立風書房) チッチとサリー 四季(立風書房) チッチ恋占い(立風書房) 小さな恋のものがたり うちあけ話(立風書房) チッチとつくるお菓子のおくりもの(立風書房) 初恋の四季(学研) チッチのひみつ(学研) 片恋のときめき(学研) チッチのひとりごと(学研) 詩集・画集 ある日のみみ(fair ladyにて1971年連載) ちいさな妹の部屋(fair ladyにて1969年連載) 詩画集 ポケットの星(立風書房) 花ものがたり(立風書房) 愛についてあなたと(立風書房) 愛のスケッチブック(立風書房) 小さなラブポエジー(成瀬書房) 野の花のように(講談社) 詩画集 愛のひとりごと(秋元書房) こんにちは!!愛(立風書房) 花と少女(講談社) ちいさな、ちいさな恋物語(大和書房) あした元気になあれ(中央法規) あなたの名を呼ぶだけで(立風書房) 涙のとなりに(立風書房) ときめきに呼ばれて(三心堂出版社) 恋の迷子になったら(JTBパブリッシング) あなたにめぐりあえてほんとうによかった(相田みつをと共著、ダイヤモンド社) 野の花あかり 俳句ノートより(深夜叢書社) エッセイ あなたとミルクティーを(集英社文庫) じゃがいもの花が咲いたよ(立風書房) ふうちゃん窓をあけて(三笠書房) 親道こみち自然道(海田書房/のち角川書店より文庫化) ちかこの育児日記(立風書房) えんぴつコロリン(小学館/のち角川書店より文庫化) たんぽぽ日記(家の光協会/のち角川書店より文庫化) ちかこのほっとタイム(いんなぁとりっぷ社) 片恋がステキ!(立風書房) そのうちいつかは自分流(PHP研究所) ひとりぼっちの幸せ(イースト・プレス) ちいさなひとり暮らしのものがたり(興陽館) イラスト タイガース・ブック「小さなちいさなぼくたちのおはなし」 十代の悩みに答えて (著:山主敏子) どっちがどっち(著:大木圭) レモンエイジのふたり(著:藤本義一) ラジオの時間(とき)(著:こんのひとみ) マリコ シリーズ(著:高谷玲子) 静かに自習せよ 涙で顔を洗おう メリークリスマス シリーズ(著:ヒラリー・ナイト) クリスマスイブ物語 クリスマスのくつ下物語 クリスマスのかぞえ歌 クリスマスのABC あなたにめぐりあえてほんとうによかった (絆シリーズ特別編) (著:相田みつを) かわいい夫(著:山崎ナオコーラ) イラスト・カット絵 J子の撮影所訪問(美しい十代1962年7月号) もっと大人の知識を プラス・アルファ(美しい十代1965年) マンガ・コント おしゃべり青春日記(高1コース1964年2月号から同3月まで連載) 脚注 外部リンク (公式ブログ) マルポン良品 - 公式オンラインストア 『ちい恋通信』 - 定期講読誌 日本の漫画家 新聞連載の漫画家 茨城県出身の人物 1941年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%8E%9F%E4%BC%B8
光原伸
光原 伸(みつはら しん、1964年(昭和39年)1月31日 - )は、日本の漫画家。広島県三原市出身。関西大学法学部卒。本名は原 伸光(はら のぶみつ)。代表作は『週刊少年ジャンプ』(集英社)に連載された『アウターゾーン』。妻は同じく漫画家であり、『週刊少年ジャンプ』に連載した『WILD HALF』などで知られる浅美裕子。 来歴 関西大学法学部を卒業。そのまま大阪に住み、アルバイトをしながら漫画の執筆・投稿を続けた。 1987年(昭和62年)、「処刑の密室」(さんげりあ名義)が第23回(1月期)ホップ☆ステップ賞で佳作に選出され、同年に「リボルバー・クイーン」(光原伸名義)が『週刊少年ジャンプ』1987年サマースペシャルに掲載されデビュー。 翌年、『週刊少年ジャンプ』1988年41号に読み切り作品「黒ヒゲクライシス」が掲載される。これが初のジャンプ本誌掲載作品となった。 その後『週刊少年ジャンプ』1989年(平成元年)サマースペシャルに読み切り作品の第5作「マジック・セラー 〜ラスト・コール〜」が掲載される。これは後の代表作『アウターゾーン』の原型ともいえる作品となる。この作品の好評を受け、担当編集者が光原の住む大阪まで来訪。この際に編集者に勧められ、上京を決めた。 上京後、『週刊少年ジャンプ』にて1991年(平成3年)14号より1994年(平成6年)15号まで代表作『アウターゾーン』を連載。全15巻に及ぶ長期連載となり、連載終了後の1995年(平成7年)には小説版(山田隆司著、全1巻)も刊行されている。また、1997年(平成9年)にはジャンプコミックスセレクション版全10巻、2005年(平成17年)には文庫版全10巻が刊行されたほか、コンビニコミックでも刊行されている。 『アウターゾーン』連載終了以降は、連作短編「ダークブレイカーズ」シリーズや読み切り短編を『週刊少年ジャンプ』や同誌増刊、青年誌の『スーパージャンプ』、『オースーパージャンプ』などで発表。2002年(平成14年)ごろにはある青年誌で『アウターゾーン』の新作をやっていいかと打診したが、違うものがほしいと却下され実現しなかった(『アウターゾーン』の新作は2011年(平成23年)に別の雑誌で実現する)。2002年(平成14年)の読み切り短編「絶対安全サーヴィス会社」(『オースーパージャンプ』2002年7月号)辺りが、紙原稿の最後の作品であった。 2005年(平成17年)11月には、災害小説を得意とする小説家・石黒耀の原案を元に、石黒の小説版と光原の漫画版を同時制作・同時刊行する仕事を引き受ける。石黒耀の小説は『昼は雲の柱』(後に『富士覚醒』に改題)のタイトルで2006年(平成18年)に刊行され、光原による漫画版は2008年(平成20年)に『SECTOR COLLAPSE(セクターコラプス) -富士山崩壊-』(後に『富士山崩壊』に改題)のタイトルで刊行された。ジャンプ・コミックス版『アウターゾーン』最終巻(第15巻、1994年(平成6年)9月発行)以来、約14年ぶりの新刊であり、光原の初の描き下ろし単行本であった。この作品は光原がデジタル作画ツール「コミックスタジオ」を使用してすべて1人で描いたもので、巻末のあとがきで「一人で全部描いたのは二十年ぶり位かも」、「もう永久に終わらないのかと思う事もありましたが、最終的には自分らしい漫画に仕上がったと思います」と述べている。 2010年(平成22年)には『サムケ』(竹書房)にて妻の浅美裕子との合作「めりこみおじさん」を発表。初の合作作品となる。 2011年(平成23年)10月の『コミック特盛 怖すぎて禁じられた怪談』2011年秋号(ホーム社発行・集英社発売)から新作『アウターゾーン リ:ビジテッド』の連載を開始した。『アウターゾーン』の新作を描いてほしいという編集者からの要望は2008年(平成20年)にはすでにあり、それが3年越しに実現したものであった。 人物 樹崎聖のアシスタントを務めた経験がある。趣味はB級映画の鑑賞・収集。また、女子プロレスの大ファンでもある。 10代後半のころに映画『サンゲリア』と『ゾンビ』を見て以来のゾンビ映画好き。また、自身の作風とは異なり、一番好きな漫画は小学生のころに読んでいたギャグ漫画のとりいかずよし『トイレット博士』と山上たつひこ『がきデカ』だという。 主な作品 リボルバー・クイーン 商業誌デビュー作の読み切り作品。『週刊少年ジャンプ』1987年サマースペシャルに掲載。単行本『アウターゾーン』1巻に収録。その後、『サランドラの壺 光原伸短編集』(集英社、2014年(平成26年))に収録。 舞台はラスベガス。ギャンブルに敗れ全てを失った主人公は、彼に残された最後の財産である“命”を賭けてロシアンルーレットに挑む。対戦相手は拳銃の女王(リボルバー・クイーン)と呼ばれる強運の持ち主。連戦無敗の彼女は、なぜ危険なゲームを続けているのか。緊迫した室内に乾いた撃鉄の音が響き続ける。 ジャンプ・コミックス版『アウターゾーン』1巻(1991年(平成3年))の巻末に収録された際に加筆修正されており、雑誌掲載時とは物語のラスト付近の展開が異なっている。短編集『サランドラの壺』に収録されているのも加筆修正後のバージョンである。 マジック・セラー 〜ラスト・コール〜 『週刊少年ジャンプ』1989年(平成元年)サマースペシャルに掲載された読み切り作品。単行本『アウターゾーン』2巻に収録。その後、『サランドラの壺 光原伸短編集』に収録。 謎の老人「マジック・セラー」が案内人(ホスト)として登場する。彼の商品を買った者は必ず不可思議な体験をすることができるという。この話の主人公である高校生がフリーマーケットで老人から黒電話を購入する。その夜、回線につないでいないはずのその電話が鳴り響き、通話がつながる。相手の女性と話をしてみると、この電話は20年前からかかってきているものだということが判った。彼は不思議に思いながらも相手の女性に惹かれていくのだが……。後に連載作品となる『アウターゾーン』の原型とも言える作品。これが連載にならなかったのは、作者曰く「じじいより美女(ミザリィ)のほうがいいよね?」とのこと。 アウターゾーン 代表作。『週刊少年ジャンプ』で1991年14号より連載され、同年24号で一旦終了。その後、同年51号に第2部として連載が再開され、1994年15号まで連載された。単行本は全15巻、ジャンプコミックスセレクション版全10巻、文庫版全10巻。ジャンルはミステリー、ホラー。パラレルワールドとして存在する不思議な世界・アウターゾーンに巻き込まれた人々の姿を描く。基本的に各話完結で、ほぼ全話を通じて謎の美女ミザリィが案内人として登場する。 アウターゾーン リ:ビジテッド アウターゾーンの続編。ホーム社の季刊誌『コミック特盛』2011年秋号から2015年冬号(終刊号)まで全20話連載されたのち、ホーム社のWebマンガサイト・画楽ノ杜(がらくのもり)に移籍した。最新話は2016年(平成28年)9月27日公開の第22話。 作品リスト 単行本 『アウターゾーン』(ジャンプ・コミックス版全15巻、1991-1994年 / ジャンプコミックスセレクション版全10巻、1997年 - 1998年 / 集英社文庫版全10巻、2005年) 『SECTOR COLLAPSE(セクターコラプス) -富士山崩壊-』(監修:小山真人、描き下ろし、創美社発行、集英社発売、2008年11月25日) ISBN 978-4-420-22050-7 『富士山崩壊』(上記の本の改訂版 / 創美社発行、集英社発売、2012年7月5日) ISBN 978-4-420-22057-6 どちらもB6判ソフトカバー。光原のあとがきおよび監修者の小山真人による「解説」は『SECTOR COLLAPSE』にのみ収録されており、改訂版の『富士山崩壊』ではカットされている。 原作は石黒耀の2006年の小説『昼は雲の柱』(文庫化の際に『富士覚醒』に改題)。『アウターゾーン』以来約14年ぶりの新刊となった。 『アウターゾーン リ:ビジテッド』(ホーム社発行、集英社発売、ホームコミックス、2012年- 、既刊3巻) 『サランドラの壺 光原伸短編集』(ホーム社発行、集英社発売、ホームコミックス、2014年2月発行) ISBN 978-4-8342-3210-3 収録:サランドラの壺 / 非情の標的 / 絶対安全サーヴィス会社 / マジック・セラー 〜ラスト・コール〜 / リボルバー・クイーン 単行本描き下ろしのおまけ漫画「上京物語」「サランドラの挑戦」(各3ページ)も収録。 雑誌掲載・アンソロジー収録短編 ★マーク=『サランドラの壺 光原伸短編集』に収録。 処刑の密室(『ホップ☆ステップ賞SELECTION』第1巻、集英社、1988年3月15日発行) - 1987年1月期(第23回)ホップ☆ステップ賞佳作(さんげりあ名義) リボルバー・クイーン(週刊少年ジャンプ 1987年サマースペシャル) - デビュー作 ★ フォーチュン・テラー(週刊少年ジャンプ 1988年ウィンタースペシャル) 殺人プロット(週刊少年ジャンプ 1988年スプリングスペシャル、1988年3月30日発行) 黒ヒゲクライシス(週刊少年ジャンプ 1988年41号、1988年9月19日発行) マジック・セラー 〜ラスト・コール〜(週刊少年ジャンプ 1989年サマースペシャル)★ アウターゾーン スペシャル(月刊少年ジャンプ 1995年1月号) - アウターゾーンで唯一の単行本未収録作 ダーク・ブレイカーズ(週刊少年ジャンプ 1995年オータムスペシャル) ダークブレイカーズ(週刊少年ジャンプ 1996年サマースペシャル) サランドラの壺(週刊少年ジャンプ 1998年6号)★ 非情の標的(スーパージャンプ 2001年17号)★ 絶対安全サーヴィス会社(オースーパージャンプ 2002年7月号)★ 猫のおみやげ(『ねこまん 猫だらけコミック・アンソロジー』ホーム社発行、集英社発売、2008年6月発行) めりこみおじさん(サムケ Vol.1、竹書房、2010年6月12日発行) - 妻の浅美裕子との合作。これとは別に単独でイラストも掲載。 脚注 関連項目 広島県出身の人物一覧 日本の漫画家 広島県出身の人物 関西大学出身の人物 1964年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E4%B8%8B%E3%81%82%E3%81%8D%E3%82%89
宮下あきら
宮下 あきら(みやした あきら、1953年10月8日 - )は、日本の漫画家。血液型A型。代表作に『魁!!男塾』など。 経歴 東京都生まれ、三鷹市中原出身。小学生の頃より横山光輝の『伊賀の影丸』に影響を受け漫画を描き始める。 都立神代高校在学中にジミ・ヘンドリクスの影響を受け音楽にのめりこみ、卒業後はバンドマンとしてキャバレーなどで演奏をしていたが、音楽ではいつまで経っても食っていけないだろうと思い、自分が幼い頃に漫画家に憧れていたことを思い出し、漫画家を目指す。出版社に持ち込みを続けていたところ、編集者から高橋よしひろを紹介され、そのアシスタントになる。 第21回(78年度下期)少年マガジン新人漫画賞で『少年勝負師ケン』が佳作となり、1978年末の『少年マガジン増刊号』(1979/01/25号)に掲載され、デビューとなる。 1979年、高橋の師匠である本宮ひろ志からの紹介で集英社『週刊少年ジャンプ』に『私立極道高校』を連載開始。しかし滋賀県出身のアシスタントが、作中に無断で同県の実在する学校名などを出したことにより、滋賀県教育委員会などから抗議を受けた。宮下は監督不行届を問われる形となり、『私立極道高校』は『週刊少年ジャンプ』1980年11号で打ち切りとなった。なお、学帽政ら主要キャラクターは次作『激!!極虎一家』に引き続き登場している。 1985年より『週刊少年ジャンプ』で代表作となる『魁!!男塾』を連載開始。これが大ヒットとなり、連載は6年、単行本は34巻を刊行した。 2002年11月に発売されたヒップホップのコンピレーションアルバム『男塾伝説』のジャケット(中心人物である塾長シーモネーター(現・SEAMO)と元ネタである江田島平八が肩を組んでいる)を描いている。 2003年6月に発売された、ダンスグループ「PaniCrew」のグループ内ユニット「魁!ジョッパーズ(さきがけ!ジョッパーズ)」のデビューアルバムのジャケットに宮下が描いた、メンバーをモデルにしたキャラクターのイラストが使われている。 2012年1月20日に絶版となっていた『私立極道高校』が集英社より『復活版』として上下巻で刊行された。 人物 情に篤いバンカラ硬派の学生がライバル、宿敵と大喧嘩を繰り広げるという作品を描き続けている。作品中には極道物が多い。その一方でごく初期の作品を除いてコミカルな描写も多く、宮下自身も「硬派な男のカッコ良さと馬鹿さ加減の両方を描きたいと思って描いている」と語っている。他にも特筆すべき物として自分の作品内に、「民明書房」などのいかにもありそうな出版社の書籍から引用した解説文を出しており、当時その出版社の本を求め本屋などに問い合わせる電話が急増。また宮下によれば、「民明書房」の内容は誤りであると編集部に抗議もあったという。それら解説を纏めた書籍『民明書房大全』(創業者・大河内民明丸の出生物語も収録)が発売された。後に宮下本人が架空の出版社であることを告白している。 宮下の父は捜査一課に所属していたこともある警視庁の刑事であり、これがハードボイルド風の作品『ボギー THE GREAT』を生み出すことになったと単行本で述べている。 ジミ・ヘンドリックスのファンであり、度々作中に登場させている。作中においては、ロックなどの現代西洋音楽を好む若者が悪役的立場であり、日本の伝統音楽愛好家が主人公側として描かれる場合も多い。 ネームを描かずに下描きに入り、本人もその方がアドリブ的な面白さがあると語る。 一時期音楽スタジオを所有していた。現在は音楽スタジオを潰して、ホームシアターとなっているが、元々音楽スタジオで防音のため、大好きなギターを弾くこともできるという。 非常に親思いの人物で、親がらみのことになると情に絆されやすい一面がある。荻野真は自身の作品『孔雀王』の後書にて、「宮下先生に(荻野がデビュー前の原稿を『週刊ヤングジャンプ』の賞に持ち込んだ時、宮下は選考委員の一人だった)、親に顔向けがしたいんですとお願いし予選を通してもらった」と述懐している。 高橋よしひろのアシスタントを務めていたときに、『白い戦士ヤマト』で闘犬場の観衆を描いたが、それが全員ヤクザのような姿だったため編集に描き直させられ、高橋は「二度と宮下に観衆を描かせるな」と言われた。 2015年、愛車のフェラーリをだまし取られる詐欺に遭う。 駆け出しのころの宮下にとって吉野家の牛丼はご馳走であり、「いつか好きなだけ食べられることを夢見て頑張っていた」という。 作品リスト 連載 私立極道高校(『週刊少年ジャンプ』1979年21号 - 1980年11号) 激!!極虎一家(『週刊少年ジャンプ』1980年35号 - 1982年44号) 嗚呼!!毘沙門高校(『週刊少年ジャンプ』1983年4号 - 1982年25号) ボギー THE GREAT(『週刊少年ジャンプ』1983年52号 - 1984年30号) 魁!!男塾(『週刊少年ジャンプ』1985年22号 - 1991年35号) 瑪羅門の家族(『週刊少年ジャンプ』1992年25号 - 1993年12号) BAKUDAN(『週刊少年ジャンプ』1994年42号 - 1995年8号) 世紀末博狼伝サガ(『スーパージャンプ』1995年10号 - 1998年18号) 天より高く(『週刊プレイボーイ』1995年 - 2002年) 曉!!男塾 青年よ、大死を抱け(『スーパージャンプ』2001年11号 - 2010年10号) 天下無双 江田島平八伝(『オースーパージャンプ』2003年 - 2010年) 私立極道高校2011(『週刊漫画ゴラク』2011年7月8日号 - 2012年11月30日号) 極!!男塾(『週刊漫画ゴラク』2014年4月18日号 - 2016年11月25日号) 真!!男塾(『週刊漫画ゴラク』2016年12月9日号 - 2019年5月10・17日合併号) 読み切り 少年勝負師ケン(『少年マガジン増刊号』1979年1月25日号) 嗚呼 桜田門(『週刊少年ジャンプ』1980年11号) 学帽政 放浪編(『フレッシュジャンプ』1983年4月号) 菊一輪(『週刊少年ジャンプ』1983年37号) 空燃ゆる(『フレッシュジャンプ』1983年9月号) やばいYATSURA(『スーパージャンプ』1988年12月号) 任侠!!マスラオ部屋(『週刊少年ジャンプ』1993年36号) EDAJIMA -わしが江田島平八である-(『スーパージャンプ』1998年22号) - スーパージャンプ特別編集『天下無双 江田島平八伝 総集編』(2004年)に加筆版が掲載 大河内民明丸評伝 果てること未だ知らず(『民明書房大全』、2004年) - 『スーパージャンプ』2004年23号に加筆版が掲載 拳食同源 特級厨房師 王大人(『オースーパージャンプ』2010年4月号) HANZO(『スーパージャンプ』2011年4号) 魁!!俺の青春塾(週刊ヤングジャンプ増刊『アオハル bitter』、2012年) どんばれ 〜どん兵衛物語〜(どん兵衛公式サイト、2017年) 原案協力 いずれも『魁!!男塾』のスピンオフ作品。 男塾外伝 伊達臣人(作画:尾松知和、『別冊漫画ゴラク』2014年6月号 - 2015年2月号、『漫画ゴラクスペシャル』2015年4月号 - 2017年8月号、『ゴラクエッグ』2017年8月10日 - 2021年9月10日、全10巻) 男塾外伝 紅!!女塾(作画:サイトウミチ、『ゴラクエッグ』2015年1月23日 - 2017年8月30日、全5巻) - 女塾を舞台とした姉妹作 男塾外伝 大豪院邪鬼(作画:柳田東一郎、『ゴラクエッグ』2015年5月25日 - 2019年2月28日、『漫画ゴラクスペシャル』2019年6月号 - 2020年10月15日、全9巻) 男塾外伝 赤石剛次(作画:竹添裕史、『ゴラクエッグ』2016年5月25日 - 2019年5月30日、全5巻) 僕!!男塾(原作:宮川サトシ、作画:近藤和寿、『ゴラクエッグ』2017年4月10日 - 2019年3月20日、全2巻) 男塾外伝 死天王(作画:柳田東一郎、『ゴラクエッグ』2019年5月13日 - 2020年10月30日、全2巻) 男塾外伝 J(作画:近藤和寿、『マンガTOP』2020年6月18日 - 、全1巻) 関連書籍 民明書房大全 その他 竜の子ファイター(PCエンジン トンキンハウス) 1989年にトンキンハウスより発売されたPCエンジン用のゲームソフト。宮下ワールドに引き込まれた少年が漫画内の世界を冒険していくという内容のアクションゲーム。宮下はキャラクターデザインおよびパッケージイラストなどを担当。 ももクロ男祭り2015 in 太宰府 2016年5月11日発売。2015年に開催されたももいろクローバーZ同名イベントのライブBlu-ray&DVD。宮下はパッケージイラストを担当。男塾シリーズ同様ももクロメンバー5人をバンカラ学生に描いたデザインになっている。また、裏パッケージには男塾塾生が声を上げて歌う様子が描かれている。 関連人物 高橋よしひろ - アシスタントとして師事。 本宮ひろ志 - 高橋の師匠。宮下が慕う人物の一人。 今泉伸二 - 宮下のアシスタント。 吉村拓也 - 宮下のアシスタント。 猿渡哲也 - 同僚・友人。同じく格闘技を扱った作品が多い。 原哲夫 - 同僚・友人。 脚注 注釈 出典 外部リンク 日本の漫画家 東京都区部出身の人物 1953年生 存命人物
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みやたけし
みや たけし(1959年1月10日 - )は、日本の漫画家。香川県琴平町出身。血液型B型。 1978年、第15回手塚賞準入選(『マラソンハっちゃん』)。 代表作に『風のフィールド』など。 作品リスト Go☆シュート(1979年 - 1980年、『週刊少年ジャンプ』、集英社) ブンの青シュン!(1980年 - 1981年、『週刊少年ジャンプ』) ミルク捜査日記(1983年 - 1984年、『月刊少年ジャンプ』、集英社) 夏の球児たち(『月刊少年ジャンプ』、集英社) はしれ走(『週刊少年サンデー』、小学館) はるかなビシ(『週刊少年サンデー』) ストライカー列伝(1984年 - 1985年、『増刊少年サンデー』、小学館) わがまま空イブ(『週刊少年チャンピオン』、秋田書店、1986年22号 - 1986年33号) 風のフィールド(『週刊少年チャンピオン』1986年45号 - 1989年48号) めざせ一等賞(『週刊少年チャンピオン』1990年1号 - 1992年49号) よろしくミスキック(『月刊少年チャンピオン』1993年5月号 - 1993年) Shuji-修二-(『週刊少年チャンピオン』1993年7号 - 1993年51号) 小料理屋みな子(原案:南たかゆき、『週刊漫画TIMES』、芳文社、 - 2012年11/2号) 日本の漫画家 香川県出身の人物 1959年生 存命人物
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三山のぼる
三山 のぼる(みやま のぼる、1956年1月7日 - 2007年12月2日)は、日本の漫画家。熊本県八代市出身。高卒後に上京してデザイン会社に勤務したのち、村野守美に師事し、池沢さとしのアシスタントを経て、1981年に週刊少年ジャンプにて「男文太」でデビュー。代表作に『メフィスト』など。2007年に急性心不全で急逝した。 山田貴敏などの後輩らから手早い筆致と高い画力を評価されていた。控えめで物静かな人柄だったという。 作品 単行本 臥龍恥記 (原作:小池一夫、全4巻) よろしくモナミ 明日もカイカン!! ノストラダムスの息子たち (全2巻) ブリキ細工のトタン屋根 (全5巻) 三山のぼる/傑作短編集 ミッドナイト・トリップ 探偵桃語 (原作:本田一景、全1巻) 三山のぼる短編集1 [恋と青春譜] オームの法則 三山のぼる短編集2 [SF&ロマン] エヴァの時代 メフィスト (全6巻) 幸福ブイヨン (全2巻) カンタリス (全2巻) ゴドー (全2巻) シャイ・ニング RAT(ラット) (全2巻) COMING SOON (原作:荒井涼助) 風が吹いた日 トップ・スピン (原作:荒井涼助、全4巻) 用心棒売ります (原作:黒土三男、全2巻) ピカイチ (原作:木内一雅、全8巻) 燃える秋 (全3巻) 骨董屋優子 (原作:佐和みずえ、全5巻) 古稀堂物語 (原作:佐和みずえ) カンブリアン (全3巻) メディア (原作:加藤万里子) 麗羅 (原案:山田ゴメス、全7巻)  フォトガラ屋彦馬〜日本初のプロカメラマン (原作:壮野睦、全2巻) ファウストの女神 (原作:嶋本周、全2巻) 紅嵐 (原作:柊野陽、全2巻) 剣客情話(シナリオ:嶋本周) レクイエム―メモリアル未収録作品集 単行本未収録作品 ゼウス (コミックトム掲載) イングリッシュマン・イン・エヴェレスト ジョージ・マロリー物語 (モーニング掲載) まんきんたん (テレビランド掲載) 関連人物 師匠 池沢さとし 村野守美 アシスタント 山田貴敏 脚注 外部リンク 漫画家 - 三山のぼる - 遺族が運営する公式サイト(2014年-) 日本の漫画家 熊本県出身の人物 1956年生 2007年没
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宮脇明子
宮脇 明子(みやわき あきこ、1958年11月26日 - )は、日本の漫画家。広島県三原市出身。女性。代表作「ヤヌスの鏡」は連続ドラマにもなった。同じく漫画家の道原かつみとは小学校の同級生。 2009年、広島県三原市のふるさと大使に任命される。 作品リスト ヤヌスの鏡 名探偵保健室のオバさん 運命の恋人 金と銀のカノン 蒼い十字路 ナービー-死霊の館- ブラディ・ローズ-血のバラ- イノセント 砂の方舟 ケイコさんご用心!! バースディプレゼント 人魚伝説 ダイエットは殺しの暗号!? ひみつのルミちゃん リーインカーネーション-さよなら平田くん- 黄昏舞踏倶楽部 流れ庭師仁和左衛門 橫花一朝の夢 - 昭和の天一坊と呼ばれた男 ネロ〜Noir〜(2012年、Bbmfマガジン、ISBN 978-4766335781) 『フランダースの犬』の主人公ネロ少年が一命を取りとめ、成長。自分らを追いつめた村人たちに復讐を行うピカレスク漫画。 出典 日本の漫画家 広島県出身の人物 1958年生 存命人物
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迎夏生
迎 夏生(むかい なつみ)は、日本の漫画家、イラストレーター、同人作家。千葉県出身。女性。 1989年、「宅急リプトン」でデビュー。 作品リスト 連載終了 フォーチュン・クエスト(原作:深沢美潮、小説版の挿絵も担当) ルーンワース サボテンロード(読切作品「珠色ファニードラゴン」の主人公兄弟の母・マーフの若き日を描いた作品) ワンダル・ワンダリング!(月刊電撃コミックガオ!(メディアワークス)、全4巻) いただきっ春平!! +ANIMA(月刊電撃コミックガオ!(メディアワークス)、全10巻) Nui!(月刊コミックラッシュ(ジャイブ)、全3巻) 不老長寿の水 (角川書店 ドラゴンコミックス ソーサリアンシリーズ4、全1巻、1989年) 挿絵 IQ探偵タクト フォーチュン・クエスト 神拳 李酔竜 学習漫画 コミック版世界の伝記 ベートーベン (2011年) コミック版世界の伝記 クレオパトラ (2013年) コミック版世界の伝記 クララ・シューマン (2015年) コミック版世界の伝記 ルイ・ブライユ (2015年) コミック版世界の伝記 マイヤ・プリセツカヤ (2016年) コミック版世界の伝記 エカチェリーナ2世 (2017年) 画集 迎夏生画集1 フォーチュン・クエスト(1994年2月) 迎夏生画集2 ワンダル・ワンダリング!(1994年8月) Fortune Quest 迎夏生画集(2020年12月10日) 外部リンク む~む~通信 - 本人によるブログ。仕事、同人活動のお知らせ等。 迎夏生 (@mukai_wanokuni) - Twitter 日本の漫画家 日本の女性イラストレーター 千葉県出身の人物 存命人物
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むつ利之
むつ 利之( - としゆき、1955年10月10日 - )は、日本の漫画家。 経歴 青森県むつ市出身。青森県立田名部高等学校卒。1979年に「GOGO!ピンクソックス」にてデビュー。 代表作に、第13回講談社漫画賞少年部門を受賞した「名門!第三野球部」などがある。同作を執筆するまではお色気ギャグ漫画を中心として執筆していた。 「たたけよ、されば開かれん」が座右の銘で、作品中にたびたびこの言葉が使われている。 作品リスト GOGO!ピンクソックス(少年ビッグコミック 1979年 - 1981年) ポップコーンブギ(少年ビッグコミック 1981年) 1 1/2(ビッグコミックスピリッツ 1983年) ぎゃんばるギャング(週刊少年マガジン 1983年 - 1984年) バニラ37℃(週刊少年マガジン 1985年) 桃龍-DRAGON KISS-(ビッグコミックスピリッツ 1986年) ガルルル(ビッグコミックスピリッツ 1986年) 激辛あどれなりん(少年ビッグコミック 1987年) 甲子園が好き!(週刊少年サンデー 1987年) ゴッドシスター(週刊漫画アクション 1987年) いちご組千代目(ビッグコミック増刊 1987年) 大相撲が好き!(週刊少年サンデー 1987年) 名門!第三野球部(週刊少年マガジン 1987年 - 1993年) 東京ティラノサウルス(1988年) BIG(ミスターマガジン 1991年) Dr.NOGUCHI 新解釈の野口英世物語(週刊少年マガジン 1993年 - 1997年) 名人列伝(ミスターマガジン 1996年) 名門!源五郎丸厩舎(ミスターマガジン 1996年) 上を向いて歩こう(週刊少年マガジン 1997年) パパは馬券師(ミスターマガジン 1999年) 天国への階段(月刊少年マガジン→マガジンGREAT 1999年 - 2004年) 龍馬へ(週刊少年マガジン 2000年 - 2001年) GREAT SHOT(月刊少年マガジン 2002年 - 2003年) 速球の駿(週刊漫画サンデー 2005年) 復活!!第三野球部(MiChao! 2007年 - 2008年) 師匠 永井豪 日本の漫画家 ダイナミックプロの人物 1955年生 存命人物 青森県出身の人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E6%9E%9D%E8%B3%A2%E4%B8%80
村枝賢一
村枝 賢一(むらえだ けんいち、1967年9月5日 - )は、日本の漫画家。熊本県出身。男性。血液型はO型。妻は同じく漫画家の森真理。 代表作に『俺たちのフィールド』『RED』『仮面ライダーSPIRITS』など。 略歴 漫画家・吉田聡のアシスタントを経て、1987年に『アーム・ア・チャンピオン』(『週刊少年サンデー増刊号』11月号)でデビュー。 『仰天人間バトシーラー』のコミカライズを担当した立迫文明とは幼稚園時代からの幼馴染。河合克敏、久米田康治、椎名高志、藤田和日郎など『週刊少年サンデー』に連載経験のある漫画家たちとの交友関係が知られているほか、声優の関智一とも友人である。 2012年春には東京から故郷の熊本県芦北町へ移住している。 ヒーロークロスライン 村枝は、日本漫画界初のクロスオーバー作品企画『ヒーロークロスライン』(通称:HXL)の中心人物でもある。この企画は村枝が『月刊マガジンZ』に掲載経験のある漫画家を中心に集め、2007年からさまざまな媒体や表現方法でオリジナルのヒーロー作品を発表しており、なおかつ前述の通りその作品のほぼすべてが同一世界観で展開されている。自身もヒーロー漫画作品『ジエンド』及び『Z-END』や『サンデー×マガジン クロスライン』などで参加しているほか、同人サークル「ヒーロークロスライン」として同人誌即売会に参加し、HXL公式同人誌『ヒーロークロスライン アフターミッション』を寄稿している。なお、同人サークル「Z-END」としても隣同士のブースで同時参加しており、自身のラフイラストやカラーイラストを収録した同人誌を配布していた。 これに関連し、ヒーローショーを中心に活動するアクション集団「Project ENJIN」の立ち上げにも関わっている。 作品リスト 連載 サムライ銀(『週刊少年サンデー』1988年25号 - 28号) BIBLE(『マシンヘッド』No.1(1989年6月) - No.7(1990年11月)) 光路郎(『週刊少年サンデー増刊号』1989年11月号 - 1993年9月号) 妹先生 渚(『ゲッサン』2010年5月号 - 2014年5月号) 俺たちのフィールド(『週刊少年サンデー』1992年3・4合併号 - 1998年45号) 佃島パイレーツ(『週刊少年サンデー超』1995年8月号 - 1996年8月号) RED(『ヤングマガジンアッパーズ』1998年15号 - 2004年21号→『週刊ヤングマガジン』2005年10号 - 48号) 機動公務員かもしか!(『週刊少年サンデー』1999年22・23合併号 - 2000年35号) 仮面ライダーSPIRITS(『月刊マガジンZ』2001年1月号 - 2009年3月号) - 原作:石ノ森章太郎 新 仮面ライダーSPIRITS(『月刊少年マガジン』2009年8月号 - 連載中) - 原作:石ノ森章太郎 仮面ライダーをつくった男たち(『週刊少年マガジン』2006年43号,2007年6号 - 8号) ジエンド(『ヒーロークロスライン』2007年10月31日 - 2009年3月11日) - 同人誌『ヒーロークロスライン アフターミッション』へ移籍 Z-END(『マガジンSPECIAL』2009年No.9 - 2010年No.6) 読み切り アーム・ア・チャンピオン(『週刊少年サンデー増刊号』1987年11月号) - デビュー作 超純情症候群(『週刊少年サンデー増刊号』1989年2月号) 中山雅史物語(『週刊少年サンデー』1993年) かみつけ!(『週刊少年サンデー増刊号』1994年11月号,1995年2月号) ウルフガン(『週刊少年サンデー超』1996年10月号,11月号) 美丈夫三四郎(『週刊少年サンデー超』1997年7月号) RED SpecialMix(『週刊ヤングマガジン』2001年48号) ジングルベルアーミー(『ヤングマガジンアッパーズ』2004年1号) 聖なる夜に散歩する(『週刊ヤングマガジン』2005年2・3合併号) - 『妹先生 渚』第5巻収録 鉄屑のニコル(『週刊少年マガジン』2005年4・5合併号) ホーリーナイトベースボール(『週刊ヤングマガジン』2005年52号) 海鮮オクトパシー(『月刊少年シリウス』2007年7月号付録小冊子) 彼女が泉で溺れたら(『月刊少年シリウス』2007年12月号) サンデー×マガジン クロスライン AUSDYN〜オースダイン〜(『週刊少年サンデー』2009年32号) MINEZAAG〜マインザーグ〜(『週刊少年マガジン』2009年32号) 山吹神社さい銭泥棒事件(『マガジンSPECIAL』2010年1月号) - 原作:島田英次郎、合作漫画 商業誌以外 讃岐職人屋本舗(馬場民雄との共作) Z-END 浸透迷宮編(『ヒーロークロスライン アフターミッション』01(2009年12月)) ジエンド(『ヒーロークロスライン アフターミッション』03(2010年8月)) 書籍 漫画単行本 『BIBLE』、白夜書房 〈マシンヘッドコミックス〉 1990年、全1巻 - 初単行本 (新装版)講談社 〈アッパーズKC〉 2000年、全1巻 『光路郎』、小学館 〈少年サンデーコミックス〉 1991年 - 1993年、全7巻 (ワイド版)小学館 〈少年サンデーコミックスワイド版〉 1999年、全4巻 (廉価版)嶋中書店 〈アイランド・コミックスprimo〉 2004年、全4巻 (文庫版)小学館 〈小学館文庫〉 2010年、全4巻 『俺たちのフィールド』、小学館 〈少年サンデーコミックス〉 1992年 - 1998年、全34巻 (ワイド版)小学館 〈少年サンデーコミックスワイド版〉 2000年 - 2003年、全18巻 - 最終巻は外伝を収録 (文庫版)小学館 〈小学館文庫〉 2005年 - 2007年、全19巻 - 最終巻は外伝を収録 (廉価版)小学館 〈My first wide〉 2010年 - 2011年、全14巻 - 外伝および『中山雅史物語 ゴン!ゴン・ゴール』を収録 『佃島パイレーツ』、小学館 〈少年サンデーコミックス〉 1996年、全2巻 (新装版)講談社 〈マガジンZKC〉 2007年、全2巻 『俺たちのフィールド外伝』、小学館 〈少年サンデーコミックス〉 1999年、全1巻 『RED』、講談社 〈アッパーズKC〉→〈ヤンマガKC〉 1999年 - 2005年、全19巻 『機動公務員かもしか!』、小学館 〈少年サンデーコミックス〉 1999年 - 2000年、全6巻 (文庫版)小学館 〈小学館文庫〉 2007年、全3巻 『仮面ライダーSPIRITS』、講談社 〈マガジンZKC〉 2001年 - 2009年、全16巻 (廉価版)講談社 〈KPC〉 2007年、全2巻 - 第1部のみ (廉価版)『仮面ライダーSPIRITS THE BEGINNINGS』(廉価版)講談社 〈KPC〉 2011年、全1巻 - 上記廉価版の合本 『ウルフガン』、講談社 〈アッパーズKC〉 2002年、短編集 『かみつけ!』、講談社 〈アッパーズKC〉 2002年、短編集 『聖なる夜に散歩する』、講談社 〈ヤンマガKC〉 2005年、短編集 『仮面ライダーをつくった男たち』、講談社 〈KCDX〉 2007年、全1巻 - 取材・脚本:小田克己 (増補版)『仮面ライダーをつくった男たち1971・2011』、講談社 〈KCDX〉 2011年、全1巻 『ジエンド』、講談社 〈マガジンZKC HXL ヒーロークロスラインシリーズ〉 2008年 - 2009年、全4巻 『新 仮面ライダーSPIRITS』、講談社 〈KCDX〉 2009年 - 刊行中、既刊33巻 『Z-END』、講談社 〈KCDX〉 2010年、全2巻 『妹先生 渚』、小学館 〈ゲッサン少年サンデーコミックス〉 2012年 - 2014年、全5巻 関連書籍 『仮面ライダーSPIRITS 受け継がれる魂』、講談社 〈KCDX〉 2002年 - 2003年、全2巻 『仮面ライダーSPIRITS 超絶黙示録』、講談社 〈KCDX〉 2010年、全1巻 『魂の仮面ライダー爆談!! COMPLETE+』、辰巳出版 2011年、全1巻 - 鴬谷五郎との共著 仮面ライダーSPIRITS画集『改造人間』、講談社、2012年 小説挿絵 渋井猛 『ワイルド・ガーディアン』、発行:メディアワークス/発売:主婦の友社 〈電撃文庫〉 1997年、全1巻 堀慎二郎 『サナダユキムラ ―真田幸村―』、ワニブックス 〈GUM ノベルズ historie〉 2010年、全1巻 新井リュウジ 「ニードルアイ」、イーブックイニシアティブジャパン『KATANA』第53号 - 連載中、書籍未刊行 イラストなど たかしげ宙『ゲッターロボ』(電撃文庫)ゲストイラスト 『仮面ライダー THE FIRST』パンフレット用トリビュートイラスト トレーディングカードゲーム「レンジャーズストライク」 カード用に、秘密戦隊ゴレンジャーのヒーロー5人のイラストを描き下ろした。 舞台「仮面ライダー 戦闘員日記・仮面ライダー 戦闘員日記2」ポスターイラスト 『マップス・シェアードワールド -翼あるもの-』カラーイラスト (有)チェリーベル放送300回記念オリジナルカルタ「邪カルタ」パッケージイラスト 「劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー」スタッフTシャツ 『宇宙船』(ホビージャパン)Vol.125より連載「英雄無限倉庫」イラスト及び本文 『ヒーロークロスライン アフターミッション』01 - 05表紙イラスト ラジオドラマ「ニードルアイ」イラスト 松岡圭祐『人造人間キカイダー The Novel』(角川書店)表紙イラスト 『キカイダー REBOOT』キャラクターリファインデザイン 「麺太郎印 讃岐うどん」(有限会社 讃岐職人屋本舗) パッケージデザイン、封入特典イラスト その他実績 『からくりサーカス』長崎編における方言指導 師匠 吉田聡 アシスタント出身者 馬場民雄 白井三二朗 なかにしえいじ 広石匡司 出演 出没!アド街ック天国「江古田」(2000年1月29日 テレビ東京) - 在住漫画家の1人として紹介。森真理も登場。 脚注 外部リンク 村枝賢一のブログ - 公式ブログ ヒーロークロスライン公式サイト アクション集団project ENJIN公式サイト PERFECT PERFORMER 讃岐職人屋本舗 - 漫画掲載サイト(インターネットアーカイブ2013年6月15日分キャッシュ) 日本の漫画家 文徳高等学校出身の人物 熊本県出身の人物 1967年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%97
村上たかし
村上 たかし(むらかみ たかし、1965年4月8日 - )は、日本の男性漫画家。大阪府出身。。京都大学経済学部中退。血液型はO型。2007年から広島県東広島市在住。妻はエッセイストの村上佳代。 来歴 1985年、京都大学在学中に集英社の青年向け雑誌『ヤングジャンプ』にて『ナマケモノが見てた』でデビューする。同作は、まず読み切りが『ヤングジャンプ』の増刊号などに数回掲載された。次いで1986年に『ヤングジャンプ』33号から37号まで5号連続で短期連載された後、47号より正式に連載開始された。 1992年、本人主宰の映像サークルに所属し、『ナマケモノが見てた』内でのメンバー募集以来一緒に活動していた「佳代」と結婚。夫婦やその娘との生活、また他のサークルメンバーなどとの交流などについては竹書房発行の『ほんまでっせお客さん』などにも描かれている。 2000年、『ヤングジャンプ』にて連載されていた『ぱじ』にて第4回文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞した。 2008年から双葉社『漫画アクション』に連載された初めてのストーリー漫画『星守る犬』が2008年文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品となった。また、2009年9月8日広島ホームテレビのニュース番組にて本人や同作品が紹介されたほか、雑誌や新聞などでも同作品などについて複数取り上げられたとのことが本人ブログになどで報告されていた。2010年夏、西田敏行主演にて同作品が映画化されることが発表された。 2013年7月現在、竹書房の実録系4コマ漫画誌『本当にあった愉快な話』、集英社の隔週誌『グランドジャンプ』などで執筆活動をしている。 2013年、米国図書館協会の若者向けサービス部門 (YALSA) が選出する「12歳から18歳向けの優秀なグラフィック・ノベル2013年 (2013 Great Graphic Novels for Teens)」のベスト10に、英訳版『星守る犬』(『Stargazing Dog』NBM Publishing、2011)が選ばれた。 作風としては、『ナマケモノが見てた』シリーズや、『ほんまでっせお客さん』などのように、主にその生態や身の回りに起こった出来事などを面白おかしく強調して執筆する少々毒のある作品と、『ぱじ』や『星守る犬』などのように家族やペットとの絆や交流などを主眼に置いた作品などがある。 NHK教育テレビの幼児向けアニメ『はりもぐハーリー』のキャラクター原案を手がけた。 伊集院光の大ファン。 連載作品 されど父になる(『本当にあった愉快な話』、竹書房) コタおいで(『漫画アクション』、双葉社)2017年8号 - 2018年19号 探偵見習い アキオ…(『ビッグコミックオリジナル増刊号』、小学館) ピノ:PINO(『漫画アクション』、双葉社) 2020年12号 - 2021年15号 単行本リスト 一般向け ナマケモノが見てたシリーズ(『ヤングジャンプ』、集英社) ナマケモノが見てた 全11巻 ※文庫版集英社より全5巻 1987年6月、 / 文庫版 2004年5月、 1987年12月、 / 文庫版 2004年5月、 1988年4月、 / 文庫版 2004年7月、 1988年8月、 / 文庫版 2004年7月、 1988年11月、 / 文庫版 2004年8月、 1989年4月、 1989年7月、 1989年10月、 1990年1月、 1990年2月、 1990年4月、 ナマケモノがまた見てた 全8巻 1993年6月、 1993年11月、 1994年3月、 1994年7月、 1994年10月、 1995年3月、 1995年9月、 1996年3月、 天国でポン(『ヤングジャンプ』、集英社)全4巻 1991年7月、 1991年11月、 1992年4月、 1992年6月、 ちゃうちゃうちゃうんちゃう(『まんがくらぶ』、竹書房)全1巻、1996年9月、 はりもぐハーリー(日本放送出版協会)全2巻 はりもぐ大作戦 1996年12月、 はりもぐ大集合 1997年12月、 ほんまでっせお客さん(『まんがライフ』・『本当にあった愉快な話』など、竹書房)全3巻 1999年7月 2001年2月、 2003年5月、 ぱじ(『ヤングジャンプ』、集英社)2000年 - 2005年、全9巻 ※愛蔵版コミックス、2011年、全1巻 くうねるそだつ(『YOU』、集英社)全1巻、2003年4月、 ※絵:村上たかし、文章:村上佳代担当のエッセイコミック ぎんなん(『漫画アクション』、双葉社)全2巻 2007年8月28日発売、 2008年5月28日発売、 星守る犬シリーズ(『漫画アクション』、双葉社)全2巻 星守る犬 2009年7月7日発売、 続・星守る犬 2011年3月18日発売、 完全版・星守る犬 2022年2月26日発売、 村上たかしのほんまかいな見聞録(『本当にあった愉快な話』、竹書房)1巻、2010年5月、 ぽいぽいさま(『グランドジャンプ』、集英社)全2巻 2014年9月、 2015年8月、 青い鳥〜わくらば〜(『ビッグコミックオリジナル』、小学館) 全1巻、2014年9月、 アキオ…(『ビッグコミックオリジナル』、小学館) 全1巻、2016年8月、 後妻業の女(『ビッグコミックオリジナル』、小学館)全1巻 (2016年17号 - 22号)、黒川博行・著『後妻業』より、©2016『後妻業の女』製作委員会) 探偵見習い アキオ…(『ビッグコミックオリジナル増刊号』、小学館)既刊3巻 2020年6月30日発売、 2022年4月28日発売、 2022年8月30日発売、 成人向け 老人の性(『みこすり半劇場』ぶんか社)(1999年1月) 村上の下(『みこすり半劇場』ぶんか社)(2002年3月) 映像作品 アニメ ナマケモノが見てた(1988年 - 1989年)(東映ビデオ) はりもぐハーリー(1996年 - 1997年)(NHK) 実写 星守る犬(2011年)(東宝) ぱじ 〜ジイジと孫娘の愛情物語〜(2013年)(テレビ東京系列) 後妻業の女(2016年)(東宝&ROBOT) その他 映画『星守る犬』公開記念対談 西田敏行×村上たかし(2011年6月3日、朝日新聞朝刊全面広告10面) 企業広告イラスト 中国銀行 [広島市エリア](2013年3月 - ) テレビドラマ『重版出来!』(2016年4月 - 6月、TBS系) - 作中使用漫画「タンポポ鉄道」(八丹カズオ)、執筆を担当 広島ホームテレビ『みみよりライブ 5up!』火曜コメンテーター(2018年4月 - 2019年3月)妻:村上佳代と共に担当 出典 外部リンク 村上家.com 村上家 日記 日本の漫画家 大阪府出身の人物 1965年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/MEIMU
MEIMU
MEIMU(めいむ、本名:内山 孝、1963年9月24日 - )は、日本の男性漫画家。神奈川県出身。本郷高校デザイン科卒業。大阪芸術大学在学中に商業誌にデビューする。妻は漫画家の佐々木みすず。漫画家の克・亜樹は大学時代の同級生。 代表作は『DEATH MASK』『ぷっぷくマロロン』『キカイダー02』など。小説などからの漫画化作品もある。『スターオーシャン』(第一作)のキャラクターデザインも務めた。 作品リスト オリジナル DEATH SILK SCREEN FANCY スーパーコンプ Vol.1 MEIMU IN THE WORLD MEIMU 初期作品集 1 DEATH MASK 天空伝説リニアタス DEATH SHADOW 愛のエナジーハイパーミミ! AVENUE・M レシーブ ネオ昆虫世紀コーカサス ぱすてるぽいんと パワードミユちゃん CO-DOKU GAME 呪詛蛇 MEIMU傑作集 卒業写真 魔導士スドウ ぷっぷくマロロン 原案もの 愛と哀しみのバンパイア(ソーサリアンシリーズ) ラプラスの魔(原案:安田均) KISS.(原作:今関あきよし) コミカライズ 鈴木光司原作 リング2(脚本:高橋洋) バースデイ リング0 バースデイ 仄暗い水の底から 貞子 石森章太郎原作 キカイダー02 イナズマンVSキカイダー 仮面ライダー龍騎 13 RIDERS THE COMIC スカルマン 玩具修理者(小林泰三) 呪怨/JUON 呪怨2 機動戦士ガンダム MS IGLOO 603 MS IGLOO 黙示録 0079 MS IGLOO2 重力戦線 イラスト 『トワイライトタイム 茉莉子冬物語』(川本耕次著、富士見書房富士見美少女文庫。表紙、口絵、本文イラスト) 『ハイスクール 八犬伝』(橋本 治著、徳間書店トクマノベルズ ミオ。([冥夢]2巻~8巻表紙、本文イラスト) キャラクターデザイン スターオーシャン アニメーション ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド(デザインワークス、絵コンテ、エンドカードイラスト) アシスタント えすのサカエ 外部リンク MEIMU Twitter 日本の漫画家 大阪芸術大学出身の人物 本郷高等学校出身の人物 神奈川県出身の人物 1963年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E9%BB%92%E4%B8%89%E5%90%89
目黒三吉
目黒 三吉(めぐろ さんきち、1976年6月14日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。愛媛県出身。A型。 作品リスト 漫画 さんま(シュベール出版※成年コミック・絶版) 低俗霊DAYDREAM(少年エース(角川書店)連載、原作:奥瀬サキ) ぶっちゃけ? 庭子先生(ヤングガンガン(スクウェア・エニックス)2007年vol.04 読み切り) どみなのド!(チャンピオンRED(秋田書店)連載中、原作:雑破業) どうなのっ河本さん!(コミック アース・スター連載) おにぎりささ(コミック アース・スター連載) おにぎりちさ(コミック アース・スター連載) こころ オブ・ザ・デッド〜スーパー漱石大戦〜(コミックアース・スター連載、原作:夏目漱石、アメイジング翻案:架神恭介) そらと箒とトマトソース(WEBコミックガンマぷらす連載) 町人Aは悪役令嬢をどうしても救いたい 〜どぶと空と氷の姫君〜(コミック アース・スター連載、原作:一色孝太郎・Parum) アンソロジー 舞-乙HiMEアンソロジーコミック(ノーラ出版) 小説挿絵 飛鳥井全死は間違えない(元長柾木、角川書店) 荻浦嬢瑠璃は敗北しない(元長柾木、角川書店) D/dレスキュー(一条理希、集英社) 舞-HiME★DESTINY 龍の巫女(伊吹秀明、ホビージャパン) キャラクターデザインも担当 万年島殺人事件――壊し屋翔子の事件帖――(舞阪洸、幻冬舎) ゲーム原画・キャラクターデザイン 東京九龍(JANIS) わたしのありか。(JANIS) その他、同人アダルトゲームなどでも原画を担当した。 外部リンク 目黒三吉の お ひ や か し 目黒三吉の血豆丼(御新香付き)(閉鎖) 日本の漫画家 日本のイラストレーター 愛媛県出身の人物 1976年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%81%E3%82%8B%E3%81%B8%E3%82%93%E3%82%81%E3%83%BC%E3%81%8B%E3%83%BC
めるへんめーかー
めるへんめーかー(1957年6月15日 - )は、漫画家、イラストレーター。千葉県千葉市出身。 経歴・人物 第二回アテナ大賞にて第3席に入選。1978年、白泉社『花とゆめ』夏の増刊号に掲載された『三日月(クレセント・ムーン)の夢を探して』でデビュー。代表作に『モダン・ホラー・タイムズ』など。そのほかに、少女向け小説のイラスト等も手がける。ファンタジー漫画を多く手がけ、極端に線の細い独特の絵柄と、幻想的なストーリーを特徴とする。 妹は作家の妹尾ゆふ子。テレビゲームとパソコン通信が趣味で、そこから生まれた作品もある。 作品リスト 漫画 白泉社 花とゆめコミックス {| class="wikitable" style="font-size: smaller;" |- !タイトル!!発行年月日!!収録作品!!備考 |- |109ばんめのぼくの姫||1980/11/25||109ばんめのぼくの姫プリンセス・パンプキンのお嫁入りかぼちゃ畑での日々毛糸玉童話黄昏色ろまん||初単行本 |- |姫君と泥棒たち||1982/2/25||姫君と泥棒たち麦畑は黄金色姫君の踊る足どり月夜の晩にはフライング・トゥゲザーちょっぴり怪奇なハネムーンサマー・フェスティバル星みがき|| |- |薔薇色ららばい||1982/7/25||薔薇色ららばいベン&メリーコール落葉のひとひらみどりの夢を見ませんかリトル・リトル・バニィウィソラ・ウォードの森へおいで|| |- |ふらいど・えっぐ・む~ん||1983/2/25||ふらいど・えっぐ・む~んふらいど・ちきん・さんでいふらいど・すぷりんぐ・どりーむふらいど・ぽてと・ふらい魔法使いの日曜日ローリング・ワゴン 恋物語(ラブ・コメディ)三日月(クレッセント・ムーン)の夢をさがして魔法の森ろまんす|| |- |風色のリフレイン||1983/7/24||風色のリフレインとっても☆ファンタスティック!オカルト・アワー丘の館のリン春風の魔女魔法の森ろまんす七つめの扉を開けたなら|| |- |屋根裏の魔法使い||1984/2/23||屋根裏の魔法使いレーシィ・ムーンナイト真夏の夜に見た夢はあなたの背後(うしろ)にご用心ふりむけばミステリアス風変りなサンタクロース風のシーズンマジカル・フロスティング・ストーリー|| |- |風のスクランブル||1984/10/24||風のスクランブル魔法の森らぷそでぃぼくのシミュレーション・ラブ不・思・議フライングキング・ジョンはごきげんななめ受難者のイブはぁと・バレンタイン|| |- |お月様のシャワー||1985/9/25||お月様のシャワー聖・南瓜・戦争ハートにリボンをかけてミス・マリリンにくびったけ魔法の扉開けて目覚めればE・S・P眼狩都市|| |- |黄金色の自転車乗り||1986/1/25||黄金色の自転車乗り ※不思議の国のミス・アリスン ※緑の笛吹き ※夢みる草原 ※スイート・ドラゴンシュガーピンクのシンデレラ||※印グリーンゲイト・シリーズ |- |歌う竜||1986/6/25||歌う竜花冠のローレライ聖少女の館7人の貴婦人の館Do it アブラカタブラ 1Do it アブラカタブラ 2魔法スクランブルいつか王子さまが…|| |- |ファンファーレ・ガール||1987/1/25||ファンファーレ・ガール ※古い館の見る夢は ※マジカル・ベター・ハーフ ※もうひとつの季節ノース・フィールド天翔るロマンス・ライター||※印グリーンゲイト・シリーズ |- |海風骨董館||1987/6/25||海風骨董館浪漫てぃっく・ほりでぃ夢売り人の優しい魔法ひとりぼっちの森姫君はどこ!?都市の奏でる小夜曲|| |- |時の国のアリス||1988/6/25||星降る聖夜 ※時の国のアリス ※にんじん畑のミス・バニキン ※グリーン・ゲイト探偵団 ※ホーリー・ナイト・ラプソディ ※スプリング・マジック ※ハロウィン・ナイト||※印グリーンゲイト・シリーズ |- |月光幻想庭園||1989/6/25||月光幻想庭園ランラビットランみつめていたいドリーム・タイム迷路の国のアリスショート・タイム・トラベラー月の入り江時の向こうの月下美人TWINKLE☆LIGHT|| |- |丘の家のミッキー (1巻)||1990/9/25||丘の家のミッキー|| |- |丘の家のミッキー (2巻)||1991/2/25||丘の家のミッキーGood Taste Bad Tasteくえすと・もーどおーぷん・うぃんど||全2巻 |} ジェッツ・コミックス ・夢幻の館(1985/3/4) 白泉社 ・魔法の鍵(1991/9/30) ニフティーサーブで接点を持った作家・漫画家などとの交流の中で、いわゆる「三題噺」のフォーマットで作家達に作品の執筆を依頼し、いったん集英社コバルト文庫に作品として掲載された後に、それらの作品を原作として漫画に仕上げた作品集。 秋田書店 プリンセスコミックス {|class="wikitable" style="font-size: smaller;" |- !タイトル!!発行年月日!!収録作品!!備考 |- |もつれっ毛の姫君||1986/9/10||魔法使いの弟子もつれっ毛の姫君血と薔薇の日々昼下がりの王国で魔法仕掛けの英雄譚|| |- |永遠なる夢 永遠なるめざめ||1987/2/15||永遠なる夢 永遠なるめざめひなぎく野原はいつも晴れロールプレイング・ワンダーランドミッドナイト ティパーティ☆あけてびっくり箱想作雑景||「永遠なる夢 永遠なるめざめ」作者初の100P長編。 |- |夢狩人 (1巻)||1987/6/1||夢使い夢狩人 第1話~第4話|| |- |夢狩人 (2巻)||1988/4/15||夢狩人 第5話~第9話|| |- |夢狩人 (3巻)||1989/3/15||夢狩人 第10話~第14話||全3巻 |- |遠い呼び声||1987/12/30||遠い呼び声月明かりの精霊風変わりな子守唄ティム・チムニーのリバティーソング香草ロマンス|| |- |ペニントン館 (1巻)||1988/12/15||ペニントン館 第1話~第5話|| |- |ペニントン館 (2巻)||1989/11/15||ペニントン館 第6話~第10話|| |- |ペニントン館 (3巻)||1990/10/15||ペニントン館 第11話~第15話|| |- |ペニントン館 (4巻)||1991/11/05||ペニントン館 第16話~第20話||全4巻 |- |森にすむ人々 (1巻)||1990/2/15||森にすむ人々 第1話~第5話|| |- |森にすむ人々 (2巻)||1992/4/30||森にすむ人々 第6話~第10話||全2巻 |- |モダン・ホラー・タイムズ||1993/11/10||モダン・ホラー・タイムズ 第1話モダン・ホラー・タイムズ 第2話幽霊屋敷のミラクル・少女大いなる遺産不思議な転校生|| |} 実業之日本社 My Birthdayコミックス {|class="wikitable" style="font-size: smaller;" |- !タイトル!!発行年月日!!収録作品!!備考 |- |~空也&海シリーズ~ 空也in不思議の園 (1巻)||1989/2/8||空也in不思議の園 第1話~第4話魔法の滴|| |- |~空也&海シリーズ~ 空也in不思議の園 (2巻)||1989/9/8 ||空也in不思議の園 第5話~第6話ペパーミントガールハートフル ケーキ目覚めれば不思議の国||全2巻 |- |~月の森童話シリーズ~ 迷い子たちのティー・タイム (1巻)||1990/9/8||迷い子たちのティー・タイム 第1話~第5話|| |- |~月の森童話シリーズ~ 迷い子たちのティー・タイム (2巻)||1992/2/8||迷い子たちのティー・タイム 第6話~第10話||全2巻 |- |そして小さな世界||1993/8/8||そして小さな世界 第1話~第4話スウィート・リトル・クリスマス|| |} 主婦と生活社 ミッシィコミックス {|class="wikitable" style="font-size: smaller;" |- !タイトル!!発行年月日!!収録作品!!備考 |- |吸血鬼幻想譚 (1巻)||1991/8/25||吸血鬼幻想譚 ACT1~ACT4番外編 ホーンテッド・ハウスへようこそ|| |- |吸血鬼幻想譚 (2巻)||1989/9/8||吸血鬼幻想譚 ACT5~ACT8僕はアリスになりたかった|| |- |吸血鬼幻想譚 (3巻)||1992/5/25||吸血鬼幻想譚 ACT9~ACT13||全3巻 |- |~グリーンゲイトシリーズ1~ グリーンゲイトへようこそ||1992/11/10||グリーンゲイトへようこそ笑わない男金曜日のババロワGoing Your Way晴れた空にドードーの雨が降る|| |- |~グリーンゲイトシリーズ2~ リボンの魔術師||1993/9/10||リボンの魔術師Take Me Home傘を持つ老婦人美しい世界クリスマス・ラプソディートゥーティー・エヴァンスの秘密|| |- |~グリーンゲイトシリーズ3~ 悲しきダジャラー||1994/6/10||悲しきダジャラー東の風に乗ってレッド・ホット・チリ・ペッパーはるかなる緑の地へ -吸血の休日-魔法使いになりたいForever大好き!|| |- |視線のむこうにいつも君がいた||1993/12/10||廃園の天使永遠の聖三角形魔法使いの昼下がり視線のむこうにいつも君がいた恋する乙女たち風の音|| |- |ドリーム・ランド (1巻)||1995/1/10||ドリーム・ランド STAGE1~STAGE6|| |- |ドリーム・ランド (2巻)||1995/9/10||ドリーム・ランド STAGE7~STAGE14||全2巻 |- |ぼくたちの関係||1996/7/10||ぼくたちの関係ぼくがここにいる理由即売会へ行こう!ようこそガーデンパーティへ棚橋先輩の優雅な日々Lovely!ま・いっか!森の声|| |} 角川書店 ASUKAコミックス {|class="wikitable" style="font-size: smaller;" |- !タイトル!!発行年月日!!収録作品!!備考 |- |銀の竪琴 金の声||1990/9/17||夢の天樹銀の竪琴 金の声風を売る店Old English Garden|| |- |光の回廊||1991/11/17||光の回廊フィオーナ・リリーの片想いMiss Broomのお引越しみどりの郷愁DIARY of LONDON|| |- |夢果つる国の物語||1995/8/1||夢使いの谷シーエン伝説 序章覇王の影街巡る悪夢||ASUKA DXコミックス |} その他 東の空からファンタジア(1984/4/10)徳間書店・アニメージュ ONCE UPON A TIME(1985/11/15)早川書房 星降る森のリトル魔女 第1巻~第6巻 偕成社 わんだりんぐ WONDERLAND(全2巻)アスキー ベイビー・ウィザード(1996/1/25)アスキー 古い扉の向こう側(1995/2/10)大都社 マンガでわかるWindows 95(1995/12/6)ソフトバンク めるへんめーかー叙情名作集(1998/4/30)双葉社・日本漫画家大全 ※ グリーンゲイト・シリーズ 田舎町グリーンゲイトに住む人々は表向き普通の暮らしをしているが、みな秘密を持っている。住人たちのそれぞれの秘密を巡って描かれた短編シリーズ。 漫画文庫 不思議の森の物語 (全3巻) コバルト文庫 1987年コバルト春号~1993年コバルト12月号まで連載された作品を収録。 星降る森のリトル魔女 (全4巻) ソノラマ文庫 偕成社の漫画雑誌に連載されコミックスでは1巻~6巻まで発行された。未収録分も含め完全版として文庫版で発行。 グリーンゲイト物語 (全3巻) ソノラマ文庫 「白泉社」と「主婦と生活社」のコミックスに収録されていたグリーンゲイト・シリーズを文庫でまとめて発行。 1巻(2007年3月) ※初出コミックス 黄金色の自転車乗り ※「黄金色の自転車乗り」 不思議の国のミス・アリスン ※「黄金色の自転車乗り」 緑の笛吹き ※「黄金色の自転車乗り」 夢みる草原 ※「黄金色の自転車乗り」 ファンファーレ・ガール ※「ファンファーレ・ガール」 古い館の見る夢は ※「ファンファーレ・ガール」 マジカル・ベター・ハーフ ※「ファンファーレ・ガール」 星降る聖夜 ※「時の国のアリス」 時の国のアリス ※「時の国のアリス」 にんじん畑のミス・バニキン ※「時の国のアリス」 グリーン・ゲイト探偵団 ※「時の国のアリス」 2巻(2007年4月) ホーリー・ナイト・ラプソディ ※「時の国のアリス」 スプリング・マジック ※「時の国のアリス」 グリーンゲイトへようこそ ※「グリーンゲイトへようこそ」 笑わない男 ※「グリーンゲイトへようこそ」 金曜日のババロワ ※「グリーンゲイトへようこそ」 Going Your Way ※「グリーンゲイトへようこそ」 晴れた空にドードーの雨が降る ※「グリーンゲイトへようこそ」 リボンの魔術師 ※「リボンの魔術師」 Take Me Home ※「リボンの魔術師」 3巻(2007年5月) 傘を持つ老婦人 ※「リボンの魔術師」 美しい世界 ※「リボンの魔術師」 クリスマス・ラプソディー ※「リボンの魔術師」 トゥーティー・エヴァンスの秘密 ※「リボンの魔術師」 悲しきダジャラー ※「悲しきダジャラー」 東の風に乗って ※「悲しきダジャラー」 レッド・ホット・チリ・ペッパー ※「悲しきダジャラー」 はるかなる緑の地へ -吸血の休日- ※「悲しきダジャラー」 魔法使いになりたい ※「悲しきダジャラー」 Forever ※「悲しきダジャラー」 画集 不思議庭園(1988/9/3)白泉社 CD-ROM画集「不思議散歩」 GAINAX イラスト提供作品 丘の家のミッキー 久美沙織によるコバルト文庫のイラストレーション。1990年~1991年に、その1巻相当が漫画作品として「花とゆめコミックス」で全2巻が刊行された。 ザ・キャッスル PC-8801やMSXのゲーム。パッケージイラストを提供している。 MSXマガジン あるコーナーの扉絵は、めるへんめーかーによるものであった。 妖魔の騎士 フィリス・アイゼンシュタイン著、井辻朱美訳、早川文庫のファンタジー小説。表紙イラストを提供している。 まぼろしの少年リック: エマ・テナント著、井辻朱美訳 ヘルメ・ハイネの水晶の塔: 井辻朱美著 トワイライト・レディ: 菊池秀行著 スターゲイザー・シリーズ: 大和真也著 ある湖につづく空: 波多野鷹著 不思議英国: 波多野鷹著 幸せの妖精たち: エミール・シェラザード著 その他 ウィッチクエスト TRPGのリプレイ本に妹尾ゆふ子と共にプレイヤーとして参加。 『架空幻想都市』(上・下)(めるへんめーかー企画・編纂の短編小説アンソロジー)(ログアウト冒険文庫、1994年) 外部リンク 公式サイト 日本の漫画家 日本のイラストレーター 千葉市出身の人物 1957年生 存命人物
1886
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9B%E6%9C%88%E7%8E%B2%E5%AD%90
望月玲子
望月 玲子(もちづき れいこ、6月20日 - )は、日本の漫画家。静岡県出身。國學院大學文学部文学科卒。 1983年、『LaLa』(白泉社)に掲載された「アバンGALど・ろーど」でデビュー。 現在は、長編のロマンス小説のコミック化などを手がける。 作品リスト カレイドスコープ ベラドンナ Mr.G.Lを探して 花嵐 恋愛系青二才の冒険 七月はKierkegaard ムーンストーンの庭 ロマンチック・バーバリアンズ 優しい月 HEAT EDGE(全3巻) 迷宮の香り LOVE ORDER 200X(全4巻) ガラスの回廊 裸足でお散歩(全2巻) ハートにタンブリング DONTO EXCUSE ME!(全3巻) カノちゃんのユーガな種(全4巻) Patient Flowers ハート・チャンネル ハートをクリック! HEART PARADOX 麿の酩酊事件簿(全2巻、原作:高田紫欄) ヴァルダ 迷宮の貴婦人 望月玲子自選傑作集 魔性の螺旋 望月玲子自選ミステリー傑作集 幻の四重奏 赤川次郎ミステリーコレクション12(原作:赤川次郎) タケコさんの恋人(全12巻・全6巻) 新・タケコさんの恋人(全5巻・文庫全3巻) タケコさんの恋人21(全5巻) 愛は勘定にいれません ダイヤモンド・ダスト BUB [BACK UP BROTHERS](全2巻) 鳥類学者のファンタジア(全2巻、原作:奥泉光) はなびじん(全3巻) 【長編ロマンスコミックス】 高慢と偏見(全2巻、原作:ジェーン・オースティン) ロイヤルウエディング 薔薇の恋 百合の恋 ~分別と多感~(原作:ジェーン・オースティン) 黄金郷の伯爵(原作:アン・ハンプソン) 紅のシークと囚われの美女(原作:ナーン・ライアン) 口づけはさりげなく(原作:ジョスリン・デイ) 公爵と愛の光(原作:バーバラ・カートランド) 魔術師と花冠の姫 侯爵と秘密の恋 琥珀の王と首飾り 海賊王と竜紋章の姫/子爵と恋のクリノリン 翡翠の王と瑠璃の姫 漫画以外の作品 気むずかしい林檎 生きるリクツ(詩集) LOVE ENDROLL 外部リンク 日本の漫画家 國學院大學出身の人物 静岡県出身の人物 存命人物 生年未記載
1887
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B3%B6%E5%B9%B8%E4%B9%85
本島幸久
本島 幸久(もとしま ゆきひさ、1967年 - )は、日本の漫画家。 略歴 1987年、20歳の時に「喫茶店LaLa日記」(亜砂みえる名義)が『週刊少年マガジン』(講談社)に掲載されてデビュー。製作していた同人誌が当時の週刊少年マガジン編集長の目に留まっての抜擢であった。 『週刊少年マガジン』での初連載となった『風のシルフィード』は当時の少年漫画誌には珍しい競馬を主題とした漫画であり、騎手と競走馬を描いた物語は長期連載作品となった。後に続編となる『蒼き神話マルス』も『週刊少年マガジン』に連載されている。 ミステリーにも詳しく、ミステリー関連のムック本に、漫画や挿絵だけでなく書評なども掲載している。 ゴルフ雑誌『アルバトロス・ビュー』での連載など、ゴルフ漫画も多く、自身もプレーする。漫画の描写には、自身のゴルフ体験も活かされており、その描写には定評がある。 作品リスト 連載 風のシルフィード(週刊少年マガジン 1989年 - 1993年、全23巻、愛蔵版全13巻、文庫版全13巻) MAYA 真夜中の少女(週刊少年マガジン 1994年 - 1996年、全9巻) 蒼き神話マルス(週刊少年マガジン 1996年 - 1999年、全13巻、文庫版全4巻) 空の昴(原案協力:金谷多一郎、週刊少年マガジン→マガジンSPECIAL 2000年 - 2004年、全21巻) ちょっと探偵気分(小説現代増刊 メフィスト(講談社) 2004年、全1巻) 冥宮ミステリーファイル VISIONZ(週刊少年マガジン 2005年、短期集中連載、全1巻) ナンクルナイサで行こう!! 漫画レッスン宮里道場(指導:宮里優、脚本:かわさき健、企画協力:宮里道場、アルバトロス・ビュー(プレジデント社) 2006年 - 連載中) 担ぎ屋どおも(原作:七三太朗、週刊現代(講談社) 2007年 - 2010年、全11巻) コーキューシュッセ(原作:濱口輝、ゴルフレッスンコミック(日本文芸社) 2012年 - 2016年) 派遣ゴルファー明日美ちゃん(GOLFコミック(秋田書店) 2011年9月号 - 2014年4月号、全4巻) ジャンク­―がらくたのゴルフ―(原案協力:金谷多一郎、GOLFコミック(秋田書店) 2014年5月号 - 2017年7月号、全5巻) 杏プレイヤブル![序章](原案協力:金谷多一郎、GOLFコミック(秋田書店) 2017年8月号 - 2018年2月号(休刊)、全1巻) 哲先生のGolfラボ〜感育のススメ〜(指導:松本哲也、ゴルフレッスンコミック(日本文芸社) 2017年 - 連載中) ダモクレスのゴルフ(COMIC BULL、コミックDAYS(講談社) 2020年 - 2021年、全3巻) 読切 喫茶店LaLa日記(週刊少年マガジン、1987年、読切連作)※亜砂みえる名義 ヴァンパイラぴんく(マガジンFRESH、1999年) ティイング オフ 「空の昴」序章(原案協力:金谷多一郎、週刊少年マガジン、2000年) 丸山茂樹物語(写真・取材協力:宮本卓、週刊少年マガジン、2004年) 金田一さん事件ですよ!〜THE MOVIE 2006〜(別冊宝島 僕たちの好きな金田一耕助(宝島社)、2006年、) その他 解説 師匠 きくち正太 出典 外部リンク 日本の漫画家 福岡県出身の人物 1967年生 存命人物
1888
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%BE%E8%BE%BB%E8%A1%8C%E4%BA%BA
綾辻行人
は、日本の小説家・推理作家。教育学修士(京都大学)。京都府京都市出身。妻に同じく小説家の小野不由美がいる。代表作に「館シリーズ」、『Another』など。 本格ミステリ作家クラブ執行会議。日本推理作家協会会員、元本格ミステリ作家クラブ事務局長も兼ねる。 経歴 小学校6年生の夏休みに初期習作の『少年探偵団』のような短編推理小説を10篇書いた。 1979年に京都府立桂高等学校を卒業後、京都大学教育学部に入学。京大推理小説研究会に所属した。研究会の同期には後に結婚する小野不由美がおり、作家となる我孫子武丸や法月綸太郎も所属していた。大学4年生の冬に江戸川乱歩賞に、後の『十角館の殺人』の原型の作品で応募し、第1次選考に残った。 1984年に同大学大学院教育学研究科に進学し、逸脱行動論を専攻する。1986年に小野不由美と結婚。翌年、在学中に『十角館の殺人』で作家デビューする。講談社ノベルス編集部が「新本格ミステリー」と名付ける。大学院の修士課程を2年間で修了し、さらに博士後期課程に進み3年間在籍したものの、その後3年にわたって休学し、博士論文を書かずに単位取得退学している。1992年3月、専業作家となる。同年『時計館の殺人』で日本推理作家協会賞長編部門を受賞した。 綾辻の代表作でもある「館シリーズ」の累計発行部数は、2012年2月時点で409万部を超える。 作風 物理トリックよりも叙述トリックを得意とし、多くの作品にストーリーの構図を大きく転換させるどんでん返しが見られる。 ホラーや幻想文学の影響が色濃く、ミステリーだけではなくホラー作品を多く著している他、本領のミステリー作品においても心象描写の多い叙情的な文体を用いる。 エピソード ペンネームを考案したのはデビュー作『十角館の殺人』の推薦文を書いた島田荘司である。本来“”の“しんにょう”の点は1つで、姓名判断上、完璧な画数であったが、綾が点2つにした。 「館シリーズ」の探偵役である島田潔の名前は島田とその作品に登場する名探偵、御手洗潔を合わせたものである。この命名について綾辻は、「こんなに長く続くシリーズになるとわかっていたら、もっとちゃんと考えてつけたのに」と述べている。 漫画家の楳図かずおのことを、「わが心の師」で一番大きな影響を受けたと表明している。 エッセイなどで語っているが、かなりのゲーム好きである。 ALI PROJECTとは懇意で、『Another』をアニメ化する際の唯一のリクエストが、主題歌をALI PROJECTが担当することであった。後に実現し、『凶夢伝染』発売記念ライブ『凶夢伝染カルナバル』にてゲストとして出演を果たすとともに、『昭和恋々幻燈館』『阿芙蓉寝台』『共月亭で逢いましょう』をリクエストした。なお、綾辻本人はカラオケではALI PROJECTを知らない人の前でALI PROJECTの曲を歌う、アリハラ(アリプロ・ハラスメント)を愉しんでいる。 PlayStation用のゲーム『ナイトメア・プロジェクト YAKATA』・『黒ノ十三』製作にも深く関与する。 麻雀歴も長く、双葉社主催の「麻雀名人戦」第30期で名人位に就くなど、麻雀関係での交友も広い。 欅坂46のファン。 子どもの頃からの広島東洋カープファン。 飛行機恐怖症でもある。 2021年に放送された『PUI PUI モルカー』も気に入っており、Twitterではその愛情の深さがうかがえる。 関連人物 小野不由美 − 妻、同じく小説家。綾辻とは誕生日は1日違い。『迷路館の殺人』などの館シリーズや『霧越邸殺人事件』の図面は概要図は、綾辻が描いて正式な図面は小野が引く。 我孫子武丸 − 友人でもあり、綾辻とはゲームライバルでもある。 宮部みゆき − 綾辻と生年月日・デビュー年月が同じミステリー作家。第45回日本推理作家協会賞で長編部門を同時受賞するなど、同じミステリー作家として交流がある。 辻村深月 − 小学生の頃から綾辻作品の大ファンであり、大学時代には連絡先を教え逢い交流がある。ペンネームの「辻」も、綾辻から取った。メフィスト賞受賞は、綾辻が打ち合わせの編集者に聞いて了解を得て携帯電話で連絡した。 有栖川有栖- 「安楽椅子探偵シリーズ」で共演しており、経歴が綾辻とそっくりであることも知られている。また様々な著書で対談などをしている。 文学賞受賞・候補歴 1990年 - 『霧越邸殺人事件』で第12回吉川英治文学新人賞候補 1991年 - 『時計館の殺人』で第13回吉川英治文学新人賞候補。『霧越邸殺人事件』で第44回日本推理作家協会賞(長編部門)候補 1992年 - 『時計館の殺人』で第45回日本推理作家協会賞(長編部門)受賞 2005年 - 『暗黒館の殺人』で第5回本格ミステリ大賞候補 2008年 - 『深泥丘奇談』で第25回織田作之助賞候補 2010年 - 『Another』で第10回本格ミステリ大賞候補、第1回山田風太郎賞候補 2018年 - 第22回日本ミステリー文学大賞受賞 ミステリー・ランキング 週刊文春ミステリーベスト10 1987年 - 『十角館の殺人』8位 1990年 - 『霧越邸殺人事件』1位 1991年 - 『時計館の殺人』4位 1999年 - 『どんどん橋、落ちた』18位 2004年 - 『暗黒館の殺人』3位 2009年 - 『Another』4位 2012年 - 『奇面館の殺人』7位 2020年 - 『Another2001』7位 このミステリーがすごい! 1988年 - 『迷路館の殺人』7位 1991年 - 『霧越邸殺人事件』7位 1992年 - 『時計館の殺人』11位 2005年 - 『暗黒館の殺人』7位 2010年 - 『Another』3位 2013年 - 『奇面館の殺人』9位 2021年 - 『Another2001』3位 本格ミステリ・ベスト10 2000年 - 『どんどん橋、落ちた』3位 2005年 - 『暗黒館の殺人』2位 2010年 - 『Another』3位 2013年 - 『奇面館の殺人』3位 ミステリが読みたい! 2011年 - 『Another』1位 2013年 - 『奇面館の殺人』8位 2021年 - 『Another2001』5位 文学賞選考委員 数々のミステリー系文学賞の選考委員を歴任している。 鮎川哲也賞:1997年(第8回) - 1999年(第10回) 横溝正史ミステリ大賞:1997年(第17回) - 2013年(第33回) 横溝正史ミステリ&ホラー大賞:2019年(第39回) - 創元推理短編賞:2000年(第7回) - 2003年(第10回) ホラーサスペンス大賞:2004年(第5回) - 2005年(第6回) 江戸川乱歩賞:2004年(第50回) - 2007年(第53回)、2020年(第66回) - ミステリーズ!新人賞:2004年(第1回) - 2008年(第5回) 小説推理新人賞:2008年(第30回) - 2010年(第32回) 日本ミステリー文学大賞新人賞:2009年(第13回) - 2012年(第16回)、2015年(第19回) - 2018年(第22回) 日本ホラー小説大賞:2014年(第21回) - 2018年(第25回) 作品リスト 小説 館シリーズ 十角館の殺人(1987年9月 講談社ノベルス / 1991年9月 講談社文庫) 新装改訂版(2007年10月 講談社文庫 / 2008年9月 講談社 YA!ENTERTAINMENT / 2017年9月 講談社【限定愛蔵版】) 水車館の殺人(1988年2月 講談社ノベルス / 1992年3月 講談社文庫) 新装改訂版(2008年4月 講談社文庫 / 2010年2月 YA!ENTERTAINMENT) 迷路館の殺人(1988年9月 講談社ノベルス / 1992年 講談社文庫) 新装改訂版(2009年11月 講談社文庫) 人形館の殺人(1989年4月 講談社ノベルス / 1993年5月 講談社文庫) 新装改訂版(2010年8月 講談社文庫) 時計館の殺人(1991年9月 講談社ノベルス / 1995年6月 講談社文庫 / 2006年6月 双葉文庫) 新装改訂版(2012年6月 講談社文庫【上・下】) 黒猫館の殺人(1992年4月 講談社ノベルス / 1996年6月 講談社文庫) 新装改訂版(2014年1月 講談社文庫) 暗黒館の殺人(2004年9月 講談社ノベルス【上・下】 / 2007年10、11月 講談社文庫【全4巻】) びっくり館の殺人(2006年3月 講談社 ミステリーランド / 2008年11月 講談社ノベルス / 2010年8月 講談社文庫) 奇面館の殺人(2012年1月 講談社ノベルス / 2015年4月 講談社文庫【上・下】) 囁きシリーズ 緋色の囁き(1988年10月 祥伝社 ノン・ノベル / 1993年7月 祥伝社文庫 / 1997年11月 講談社文庫) 新装改訂版(2020年12月 講談社文庫) 暗闇の囁き(1989年9月 祥伝社 ノン・ノベル / 1994年7月 祥伝社文庫 / 1998年6月 講談社文庫) 新装改訂版(2021年5月 講談社文庫) 黄昏の囁き(1993年1月 祥伝社 ノン・ノベル / 1996年7月 祥伝社文庫 / 2001年6月 講談社文庫) 新装改訂版(2021年8月 講談社文庫) 殺人方程式シリーズ 殺人方程式 切断された死体の問題(1989年5月 光文社 カッパ・ノベルス / 1994年2月 光文社文庫 / 2005年2月 講談社文庫) 鳴風荘事件 殺人方程式II(1995年5月 光文社 カッパ・ノベルス / 1999年3月 光文社文庫 / 2006年3月 講談社文庫) 殺人鬼シリーズ 殺人鬼(1990年1月 双葉社 / 1994年10月 双葉ノベルズ / 1996年2月 新潮文庫) 殺人鬼 覚醒篇 【改訂決定版】(2011年8月 角川文庫) 殺人鬼II 逆襲篇(1993年10月 双葉社 / 1995年8月 双葉ノベルズ / 1997年2月 新潮文庫) 殺人鬼 逆襲篇 【改訂決定版】(2012年2月 角川文庫) 深泥丘シリーズ 深泥丘奇談(2008年2月 メディアファクトリー 幽ブックス / 2011年12月 MF文庫ダ・ヴィンチ / 2014年6月 角川文庫) 収録作品:顔 / 丘の向こう / 長引く雨 / 悪霊憑き / サムザムシ / 開けるな / 六山の夜 / 深泥丘魔術団 / 声 深泥丘奇談・続(2011年3月 メディアファクトリー 幽ブックス / 2013年2月 MF文庫ダ・ヴィンチ / 2014年9月 角川文庫) 収録作品:鈴 / コネコメガニ / 狂い桜 / 心の闇 / ホはホラー映画のホ / 深泥丘三地蔵 / ソウ / 切断 / 夜蠢く / ラジオ塔 深泥丘奇談・続々(2016年7月 KADOKAWA 幽ブックス / 2019年8月 角川文庫) 収録作品:タマミフル / 忘却と追憶 / 減らない謎 / 死後の夢 / カンヅメ奇談 / 海鳴り / 夜泳ぐ / 猫密室 / ねこしずめ Anotherシリーズ Another(2009年10月 角川書店 / 2011年11月 角川文庫【上・下】 / 2012年2月 角川スニーカー文庫【上・下】) Another エピソードS(2013年7月 角川書店 / 2014年12月 KADOKAWA【軽装版】 / 2016年6月 角川文庫) Another 2001(2020年9月 KADOKAWA) その他 霧越邸殺人事件(1990年9月 新潮社 / 1995年2月 新潮文庫 / 2002年6月 祥伝社 ノン・ノベル) 完全改訂版(2014年3月 角川文庫【上・下】) 眼球綺譚(1995年10月 集英社 / 1998年1月 祥伝社 ノン・ノベル / 1999年9月 集英社文庫 / 2009年1月 角川文庫) 収録作品:再生 / 呼子池の怪魚 / 特別料理 / バースデー・プレゼント / 鉄橋 / 人形 / 眼球綺譚 フリークス(1996年4月 光文社 カッパ・ノベルス / 2000年3月 光文社文庫 / 2011年4月 角川文庫) 収録作品:夢魔の手─三一三号室の患者─ / 四〇九号室の患者 / フリークス─五六四号室の患者─ げんだいミステリーワールド6 綾行人集(1999年4月 リブリオ出版) 収録作品:四〇九号室の患者 / 赤いマント / 呼子池の怪魚 どんどん橋、落ちた(1999年10月 講談社 / 2001年11月 講談社ノベルス / 2002年10月 講談社文庫) 新装改訂版(2017年2月 講談社文庫) 収録作品:どんどん橋、落ちた / ぼうぼう森、燃えた / フェラーリは見ていた / 伊園家の崩壊 / 意外な犯人 最後の記憶(2002年8月 角川書店 / 2006年1月 カドカワ・エンタテインメント / 2007年6月 角川文庫) 怪談えほん(8) くうきにんげん (2015年9月 岩崎書店) 人間じゃない 綾行人未収録作品集(2017年2月 講談社) 【改題】人間じゃない 〈完全版〉(2022年8月 講談社文庫) 収録作品:赤いマント / 崩壊の前日 / 洗礼 / 蒼白い女 / 人間じゃない─B〇四号室の患者─ / 仮題・ぬえの密室(完全版のみ) 書籍未収録短編 アンソロジー(収録) 「」内が綾行人の作品 日本ベストミステリー「珠玉集」 中(1992年7月 光文社 カッパ・ノベルス)「四〇九号室の患者」 【改題】秘密コレクション 日本ベストミステリー選集23(1996年7月 光文社文庫) ミステリーの愉しみ5 奇想の復活(1992年8月 立風書房)「どんどん橋、落ちた」 亀裂(1993年7月 角川ホラー文庫)「再生」 見知らぬ私(1994年7月 角川ホラー文庫)「バースデー・プレゼント」 「傑作推理(ベスト・オブ・ベスト)」大全集 上(1995年6月 光文社 カッパ・ノベルス)「赤いマント」 【改題】仮面のレクイエム 日本のベストミステリー選集25(1998年6月 光文社文庫) 短編で読む 推理傑作選50 下(1995年11月 光文社)「どんどん橋、落ちた」 幻想ミッドナイト 日常を破壊する恐怖の断片(1997年10月 カドカワ・エンタテインメント)「四〇九号室の患者」 最新「珠玉推理(ベスト・オブ・ベスト)」大全 中(1998年9月 光文社 カッパ・ノベルス)「特別料理」 【改題】怪しい舞踏会 日本ベストミステリー選集29(2002年5月 光文社文庫) 悲劇の臨時列車 鉄道ミステリー傑作編(1998年12月 光文社文庫)「鉄橋」 異界への入口(2001年4月 リブリオ出版)「鉄橋」 過去への幻想(2001年4月 リブリオ出版)「眼球綺譚」 事件現場に行こう 最新ベスト・ミステリーカレイドスコープ編(2001年11月 光文社 カッパ・ノベルス)「崩壊の前日」 【改題】事件現場に行こう 日本ベストミステリー選集33(2006年4月 光文社文庫) 短編復活(2002年11月 集英社文庫)「特別料理」 鉄路に咲く物語(2005年6月 光文社文庫)「鉄橋」 川に死体のある風景(2006年5月 東京創元社 / 2010年3月 創元推理文庫)「悪霊憑き」 京都魔界地図(2009年10月 PHP研究所)「深泥丘三地蔵」 Anniversary 50(2009年12月 光文社 カッパ・ノベルス)「深泥丘奇談─切断」 量子回廊 年刊日本SF傑作選(2010年7月 創元SF文庫)「心の闇」 ミステリ・オールスターズ(2010年9月 角川書店 / 2012年9月 角川文庫)「かえれないふたり 第3章 増殖する影」 0番目の事件簿(2012年11月 講談社)「遠すぎる風景」 私がデビューしたころ ミステリ作家51人の始まり(2014年6月 東京創元社)※エッセイアンソロジー「宝物のようなもの」 自薦 THE どんでん返し(2016年5月 双葉文庫)「再生」 日本推理作家協会賞受賞作家傑作短編集4 妖異(2017年6月 双葉文庫)「人形」 推理作家謎友録 日本推理作家協会70周年記念エッセイ(2017年8月 角川文庫)※エッセイアンソロジー 7人の名探偵 新本格30周年記念アンソロジー(2017年9月 講談社ノベルス)「仮題・ぬえの密室」 京都迷宮小路 傑作ミステリーアンソロジー(2018年11月 朝日文庫)「長びく雨」 絶対名作! 十代のためのベスト・ショート・ミステリー 謎解きミステリー(2021年12月 汐文社)「意外な犯人」 アンソロジー(編纂) 綾行人が選ぶ!楳図かずお怪奇幻想館(2000年11月 ちくま文庫) 贈る物語 Mystery(2002年11月 光文社 / 2006年10月 光文社文庫) 綾行人と有栖川有栖のミステリ・ジョッキー1(2008年7月 講談社) 綾行人と有栖川有栖のミステリ・ジョッキー2(2009年11月 講談社) 綾行人と有栖川有栖のミステリ・ジョッキー3(2012年4月 講談社) スペシャル・ブレンド・ミステリー 謎009(2014年9月 講談社文庫) 連城三紀彦レジェンド 傑作ミステリー集(2014年11月 講談社文庫) 連城三紀彦レジェンド2 傑作ミステリー集(2017年9月 講談社文庫) エッセイ・対談他 本格ミステリー館にて(1992年10月 森田塾出版 / 1997年12月 角川文庫) - 共著:島田荘司 セッション 綾行人対談集(1996年11月 集英社 / 1999年11月 集英社文庫) アヤツジ・ユキト1987-1995(1996年5月 講談社、1999年6月 講談社文庫 / 2007年8月 講談社) アヤツジ・ユキト1996-2000(2007年8月 講談社) アヤツジ・ユキト2001-2006(2007年8月 講談社) ナゴム、ホラーライフ 怖い映画のススメ(2009年6月 メディアファクトリー 幽ブックス) - 共著:牧野修 アヤツジ・ユキト2007-2013(2014年8月 講談社) シークレット 綾辻行人ミステリ対談集 in 京都(2020年9月 光文社) メディア・ミックス テレビドラマ 日本テレビ系 火曜サスペンス劇場 湖畔の館殺人事件(1993年3月23日、主演:高樹沙耶、原作:霧越邸殺人事件) テレビ朝日系 土曜ワイド劇場 「月蝕の館」殺人事件(1996年8月17日、主演:佐野史郎、原作:鳴風荘事件) 幻想ミッドナイト 四〇九号室の患者(1997年11月29日、主演:伊藤洋三郎) 安楽椅子探偵シリーズ(朝日放送、1999年10月1日 - 2008年10月10日、2017年1月6日) テレビアニメ Another(2012年1月9日 - 3月26日、全12話) 映画 Another(2012年8月4日公開、配給:東宝、監督:古澤健、主演:山﨑賢人) 漫画 YAKATA(画:田籠功次 1巻1998年、2巻1999年、3巻1999年 角川書店カドカワコミックス・エース) 眼球綺譚(画:児嶋都 2001年 角川書店、2009年 角川文庫) 緋色の囁き(画:児嶋都 2002年 角川書店あすかコミックスDX) 月館の殺人(画:佐々木倫子 上巻2005年、下巻2006年 IKKI COMICS / 新装版【上・下】2009年 KKI COMICS / 文庫版【上・下】2017年 小学館文庫) Another(画:清原紘 1巻2010年10月 2巻2011年3月 3巻2011年9月 4巻2011年12月 角川書店カドカワコミックス・エース) 十角館の殺人(画:清原紘 『月刊アフタヌーン』 / 講談社) ビデオゲーム 黒ノ十三(PlayStationソフト、トンキンハウス、1996年発売)監修 ナイトメア・プロジェクト YAKATA(PlayStationソフト、アスク講談社、1998年発売)監修 トリックロジック シーズン2(PlayStation Portableソフト、チュンソフト、2010年発売)「Yの標的」シナリオ 海外への翻訳 中国(簡化字) 館シリーズ (2004年4月、珠海出版社)- 十角館の殺人 (2004年4月、珠海出版社)- 水車館の殺人 (2004年4月、珠海出版社)- 迷路館の殺人 (2004年4月、珠海出版社)- 人形館の殺人 (2004年4月、珠海出版社)- 時計館の殺人 (2004年4月、珠海出版社)- 黒猫館の殺人 (2005年10月、珠海出版社)- 暗黒館の殺人 囁きシリーズ (刊行予定、吉林出版集团有限责任公司)- 緋色の囁き (刊行予定、吉林出版集团有限责任公司)- 暗闇の囁き (刊行予定、吉林出版集团有限责任公司)- 黄昏の囁き 殺人方程式シリーズ (2010年5月、珠海出版社)- 殺人方程式 切断された死体の問題 (2010年5月、珠海出版社)- 鳴風荘事件 殺人方程式II 殺人鬼シリーズ (刊行予定、吉林出版集团有限责任公司) (刊行予定、吉林出版集团有限责任公司) 雾越邸杀人事件(2007年11月、珠海出版社) 咚咚吊桥 坠落(2007年11月、珠海出版社)- どんどん橋、落ちた (2012年3月、人民文学出版社)- Another 怪胎 (刊行予定、吉林出版集团有限责任公司)- フリークス 欧米(英語) The Decagon House Murders(2015年6月、Locked Room International、訳者:Ho-Ling Wong)- 十角館の殺人 メディア出演 映画 アナザヘヴン(2000年) - コメンテーター 役※京極夏彦と友情出演 テレビドラマ 謎解きLIVE 第4弾 [四角館の密室]殺人事件(2016年1月23・24日、NHK BSプレミアム) - 堤源三朗 役(ドラマパート)※原作も担当 安楽椅子探偵 ON STAGE(2017年1月6日、朝日放送) ラジオ 東京ガベージコレクション(2012年2月5・12日、エフエム東京) ラジオ深夜便(2012年5月18日、NHKラジオ第1放送・FMラジオ放送) Berryz工房 嗣永桃子のぷりぷりプリンセス(2012年7月1・15日、文化放送超!A&G+)※1日はコメントで出演、15日はゲスト出演 冴沢鐘己のかしこTV(2017年11月30日、GIG TV MIX!!) テレビ番組 クイズ!ヘキサゴン(2004年8月25日、フジテレビジョン系列) 爆笑問題のススメ(2004年9月6日・2005年4月29日、日本テレビ系列) 情熱大陸(2008年2月3日、TBS系列) CONTACT CAFE C(2012年2月14日、メ~テレ) MAG・ネット~マンガ・アニメ・ゲームのゲンバ(2012年6月1日、NHK総合テレビ) 音龍門 〜MUSIC DRAGON GATE〜(2012年8月14日、日本テレビ) 偉大なるミステリー作家たち(2012年12月15日、チャンネル銀河) 麻雀 BATTLE ROYAL 2013(2012年12月31日 - 2013年1月3日、MONDO TV) 追跡者 ザ・プロファイラー(2013年1月23日、NHK BSプレミアム) SWITCHインタビュー 達人達(2014年9月1日、NHK教育テレビ) 謎解きLIVE 第2弾 忍びの里殺人事件(2014年9月13日・14日、NHK BSプレミアム)※スタジオゲスト 宮崎美子のすずらん本屋堂(2015年2月13日、BS11) NHKアーカイブス「すべては乱歩から始まった~日本ミステリーの父 没後50年」(2015年4月19日、NHK BSプレミアム) 妖しい文学館(2015年7月30日、NHK BSプレミアム) 二十の顔を持つ男 ~没後50年・知られざる江戸川乱歩~(2015年8月1日、NHK教育テレビ) 久米書店(2016年8月14日、BS日テレ) 深読み読書会(2016年12月13日・2017年7月5日、NHK BSプレミアム) 脚注 関連項目 本格派推理小説 外部リンク 本格ミステリ作家クラブ 20世紀日本の小説家 21世紀日本の小説家 日本の推理作家 日本のホラー作家 日本推理作家協会賞受賞者 +あやつし ゆきと 教育学修士取得者 教育学士取得者 京都大学出身の人物 京都市出身の人物 1960年生 存命人物
1890
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%B7%9D%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8
森川ジョージ
森川 ジョージ(もりかわ ジョージ、本名:森川 常次、1966年1月17日 - )は、日本の漫画家。血液型はO型。東京都出身。越谷市立北陽中学校、埼玉県立松伏高等学校卒業。 講談社専属で少年漫画を執筆。代表作は『はじめの一歩』。 略歴 1983年、高校在学時に『シルエットナイト』で漫画家デビューを果たす。1989年から『週刊少年マガジン』にて『はじめの一歩』を連載。以降、漫画家歴の大半を同作の執筆に費やしている。 2012年には短期集中連載として22年ぶりの新作『会いにいくよ』(原作・のぶみ)の第1話を『週刊少年マガジン』2012年31号に発表したが、全5話と当初より告知されていたにもかかわらず『はじめの一歩』との同時連載に支障が生じたため休載が続き、完結したのは2014年7号だった。 人物 小学校時代にちばてつやの『ハリスの旋風』を読んで、漫画家を志すようになる。ボクシングは大好きであったが、尊敬するちばてつやがボクシング漫画を描いていたので、その分野は避けていたという。 デビュー後に連載した『一矢NOW』と『シグナルブルー』の2作品が相次いで打ち切りに遭う。いずれも編集サイドの意向を汲んで、いわば妥協の形でスタートさせた作品だっただけに、ショックも大きかったという。すでに妻子持ちで生活も苦しい状況でこれが駄目なら漫画家をやめようと決意し、本当に自分の好きな分野の作品を描こうとボクシングを題材とした『はじめの一歩』を執筆するきっかけになった。 ボクシングジム「JB SPORTSボクシングジム」のオーナーでもあり、現在は会長も兼任している。大の釣り好きで、週に一日は趣味に費やす日を確保するという。 同じマガジン連載の『もう、しませんから。』およびその続編『ちょっと盛りました。』では作者の西本英雄をいじめる傍若無人な人物として描かれている。森川は同作品4巻のカバーイラストも描いている。 近年から『マガジン』誌上での巻末コメントは川柳となっている。 埼玉県立戸田翔陽高等学校の校章をデザインした。 作品リスト インサイド・グラフィティー シルエットナイト 一矢NOW(全2巻) シグナルブルー(全2巻) はじめの一歩(週刊少年マガジン、連載中、既刊135巻) 会いにいくよ(原作・のぶみ『上を向いて歩こう!』、全1巻) その他 ダイヤのA(第2期第6、7話エンドカード、2015年) アルスラーン戦記 風塵乱舞(第5話エンドカード、2016年) UQ HOLDER!(第11話エンドカード、2017年) リングマガジン(2019年9月号表紙イラスト) メイドインアビス 烈日の黄金郷(第2話エンドカード、2022年) その他の活動 講談社漫画賞・選考委員 - 第30回(2006年)から第34回(2010年)まで 日本漫画家協会・常務理事 関連番組 TVチャンピオン「少年マンガ王選手権」(1999年7月1日、テレビ東京) - 仕事場を訪れた選手たちに出題。 出没!アド街ック天国「綾瀬」(2003年5月10日、テレビ東京) - 「JB SPORTSボクシングジム」(当時は「JB SPORTS CLUB」)を紹介。 関連人物 しげの秀一(アシスタントとして師事) 咲香里(森川のアシスタント出身) 高橋ナオト 福島学 西本英雄 塀内夏子 脚注 外部リンク JBスポーツクラブ公式サイト 日本の漫画家 日本のプロボクシングプロモーター 東京都出身の人物 1966年生 存命人物