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一 白襷隊
明治三十七年十一月二十六日の未明だった。第×師団第×聯隊の白襷隊は、松樹山の補備砲台を奪取するために、九十三高地の北麓を出発した。
路は山陰に沿うていたから、隊形も今日は特別に、四列側面の行進だった。その草もない薄闇の路に、銃身を並べた一隊の兵が、白襷ばかり仄かせながら、静かに靴を鳴らして行くのは、悲壮な光景に違いなかった。現に指揮官のM大尉なぞは、この隊の先頭に立った時から、別人のように口数の少い、沈んだ顔色をしているのだった。が、兵は皆思いのほか、平生の元気を失わなかった。それは一つには日本魂の力、二つには酒の力だった。
しばらく行進を続けた後、隊は石の多い山陰から、風当りの強い河原へ出た。
「おい、後を見ろ。」
紙屋だったと云う田口一等卒は、同じ中隊から選抜された、これは大工だったと云う、堀尾一等卒に話しかけた。
「みんなこっちへ敬礼しているぜ。」
堀尾一等卒は振り返った。なるほどそう云われて見ると、黒々と盛り上った高地の上には、聯隊長始め何人かの将校たちが、やや赤らんだ空を後に、この死地に向う一隊の士卒へ、最後の敬礼を送っていた。
「どうだい? 大したものじゃないか? 白襷隊になるのも名誉だな。」
「何が名誉だ?」
堀尾一等卒は苦々しそうに、肩の上の銃を揺り上げた。
「こちとらはみんな死に行くのだぜ。して見ればあれは××××××××××××××そうって云うのだ。こんな安上りな事はなかろうじゃねえか?」
「それはいけない。そんな事を云っては×××すまない。」
「べらぼうめ! すむもすまねえもあるものか! 酒保の酒を一合買うのでも、敬礼だけでは売りはしめえ。」
田口一等卒は口を噤んだ。それは酒気さえ帯びていれば、皮肉な事ばかり並べたがる、相手の癖に慣れているからだった。しかし堀尾一等卒は、執拗にまだ話し続けた。
「それは敬礼で買うとは云わねえ。やれ×××××とか、やれ×××××だとか、いろんな勿体をつけやがるだろう。だがそんな事は嘘っ八だ。なあ、兄弟。そうじゃねえか?」
堀尾一等卒にこう云われたのは、これも同じ中隊にいた、小学校の教師だったと云う、おとなしい江木上等兵だった。が、そのおとなしい上等兵が、この時だけはどう云う訣か、急に噛みつきそうな権幕を見せた。そうして酒臭い相手の顔へ、悪辣な返答を抛りつけた。
「莫迦野郎! おれたちは死ぬのが役目じゃないか?」
その時もう白襷隊は、河原の向うへ上っていた。そこには泥を塗り固めた、支那人の民家が七八軒、ひっそりと暁を迎えている、――その家々の屋根の上には、石油色に襞をなぞった、寒い茶褐色の松樹山が、目の前に迫って見えるのだった。隊はこの村を離れると、四列側面の隊形を解いた。のみならずいずれも武装したまま、幾条かの交通路に腹這いながら、じりじり敵前へ向う事になった。
勿論江木上等兵も、その中に四つ這いを続けて行った。「酒保の酒を一合買うのでも、敬礼だけでは売りはしめえ。」――そう云う堀尾一等卒の言葉は、同時にまた彼の腹の底だった。しかし口数の少い彼は、じっとその考えを持ちこたえていた。それだけに、一層戦友の言葉は、ちょうど傷痕にでも触れられたような、腹立たしい悲しみを与えたのだった。彼は凍えついた交通路を、獣のように這い続けながら、戦争と云う事を考えたり、死と云う事を考えたりした。が、そう云う考えからは、寸毫の光明も得られなかった。死は×××××にしても、所詮は呪うべき怪物だった。戦争は、――彼はほとんど戦争は、罪悪と云う気さえしなかった。罪悪は戦争に比べると、個人の情熱に根ざしているだけ、×××××××出来る点があった。しかし×××××××××××××ほかならなかった。しかも彼は、――いや、彼ばかりでもない。各師団から選抜された、二千人余りの白襷隊は、その大なる×××にも、厭でも死ななければならないのだった。……
「来た。来た。お前はどこの聯隊だ?」
江木上等兵はあたりを見た。隊はいつか松樹山の麓の、集合地へ着いているのだった。そこにはもうカアキイ服に、古めかしい襷をあやどった、各師団の兵が集まっている、――彼に声をかけたのも、そう云う連中の一人だった。その兵は石に腰をかけながら、うっすり流れ出した朝日の光に、片頬の面皰をつぶしていた。
「第×聯隊だ。」
「パン聯隊だな。」
江木上等兵は暗い顔をしたまま、何ともその冗談に答えなかった。
何時間かの後、この歩兵陣地の上には、もう彼我の砲弾が、凄まじい唸りを飛ばせていた。目の前に聳えた松樹山の山腹にも、李家屯の我海軍砲は、幾たびか黄色い土煙を揚げた。その土煙の舞い上る合間に、薄紫の光が迸るのも、昼だけに、一層悲壮だった。しかし二千人の白襷隊は、こう云う砲撃の中に機を待ちながら、やはり平生の元気を失わなかった。また恐怖に挫がれないためには、出来るだけ陽気に振舞うほか、仕様のない事も事実だった。
「べらぼうに撃ちやがるな。」
堀尾一等卒は空を見上げた。その拍子に長い叫び声が、もう一度頭上の空気を裂いた。彼は思わず首を縮めながら、砂埃の立つのを避けるためか、手巾に鼻を掩っていた、田口一等卒に声をかけた。
「今のは二十八珊だぜ。」
田口一等卒は笑って見せた。そうして相手が気のつかないように、そっとポケットへ手巾をおさめた。それは彼が出征する時、馴染の芸者に貰って来た、縁に繍のある手巾だった。
「音が違うな、二十八珊は。――」
田口一等卒はこう云うと、狼狽したように姿勢を正した。同時に大勢の兵たちも、声のない号令でもかかったように、次から次へと立ち直り始めた。それはこの時彼等の間へ、軍司令官のN将軍が、何人かの幕僚を従えながら、厳然と歩いて来たからだった。
「こら、騒いではいかん。騒ぐではない。」
将軍は陣地を見渡しながら、やや錆のある声を伝えた。
「こう云う狭隘な所だから、敬礼も何もせなくとも好い。お前達は何聯隊の白襷隊じゃ?」
田口一等卒は将軍の眼が、彼の顔へじっと注がれるのを感じた。その眼はほとんど処女のように、彼をはにかませるのに足るものだった。
「はい。歩兵第×聯隊であります。」
「そうか。大元気にやってくれ。」
将軍は彼の手を握った。それから堀尾一等卒へ、じろりとその眼を転ずると、やはり右手をさし伸べながら、もう一度同じ事を繰返した。
「お前も大元気にやってくれ。」
こう云われた堀尾一等卒は、全身の筋肉が硬化したように、直立不動の姿勢になった。幅の広い肩、大きな手、頬骨の高い赭ら顔。――そう云う彼の特色は、少くともこの老将軍には、帝国軍人の模範らしい、好印象を与えた容子だった。将軍はそこに立ち止まったまま、熱心になお話し続けた。
「今打っている砲台があるな。今夜お前たちはあの砲台を、こっちの物にしてしまうのじゃ。そうすると予備隊は、お前たちの行った跡から、あの界隈の砲台をみんな手に入れてしまうのじゃ。何でも一遍にあの砲台へ、飛びつく心にならなければいかん。――」
そう云う内に将軍の声には、いつか多少戯曲的な、感激の調子がはいって来た。
「好いか? 決して途中に立ち止まって、射撃なぞをするじゃないぞ。五尺の体を砲弾だと思って、いきなりあれへ飛びこむのじゃ、頼んだぞ。どうか、しっかりやってくれ。」
将軍は「しっかり」の意味を伝えるように、堀尾一等卒の手を握った。そうしてそこを通り過ぎた。
「嬉しくもねえな。――」
堀尾一等卒は狡猾そうに、将軍の跡を見送りながら、田口一等卒へ目交せをした。
「え、おい。あんな爺さんに手を握られたのじゃ。」
田口一等卒は苦笑した。それを見るとどう云う訣か、堀尾一等卒の心の中には、何かに済まない気が起った。と同時に相手の苦笑が、面憎いような心もちにもなった。そこへ江木上等兵が、突然横合いから声をかけた。
「どうだい、握手で××××のは?」
「いけねえ。いけねえ。人真似をしちゃ。」
今度は堀尾一等卒が、苦笑せずにはいられなかった。
「××れると思うから腹が立つのだ。おれは捨ててやると思っている。」
江木上等兵がこう云うと、田口一等卒も口を出した。
「そうだ。みんな御国のために捨てる命だ。」
「おれは何のためだか知らないが、ただ捨ててやるつもりなのだ。×××××××でも向けられて見ろ。何でも持って行けと云う気になるだろう。」
江木上等兵の眉の間には、薄暗い興奮が動いていた。
「ちょうどあんな心もちだ。強盗は金さえ巻き上げれば、×××××××云いはしまい。が、おれたちはどっち道死ぬのだ。×××××××××××××××××××××たのだ。どうせ死なずにすまないのなら、綺麗に×××やった方が好いじゃないか?」
こう云う言葉を聞いている内に、まだ酒気が消えていない、堀尾一等卒の眼の中には、この温厚な戦友に対する、侮蔑の光が加わって来た。「何だ、命を捨てるくらい?」――彼は内心そう思いながら、うっとり空へ眼をあげた。そうして今夜は人後に落ちず、将軍の握手に報いるため、肉弾になろうと決心した。……
その夜の八時何分か過ぎ、手擲弾に中った江木上等兵は、全身黒焦になったまま、松樹山の山腹に倒れていた。そこへ白襷の兵が一人、何か切れ切れに叫びながら、鉄条網の中を走って来た。彼は戦友の屍骸を見ると、その胸に片足かけるが早いか、突然大声に笑い出した。大声に、――実際その哄笑の声は、烈しい敵味方の銃火の中に、気味の悪い反響を喚び起した。
「万歳! 日本万歳! 悪魔降伏。怨敵退散。第×聯隊万歳! 万歳! 万々歳!」
彼は片手に銃を振り振り、彼の目の前に闇を破った、手擲弾の爆発にも頓着せず、続けざまにこう絶叫していた。その光に透かして見れば、これは頭部銃創のために、突撃の最中発狂したらしい、堀尾一等卒その人だった。
二 間牒
明治三十八年三月五日の午前、当時全勝集に駐屯していた、A騎兵旅団の参謀は、薄暗い司令部の一室に、二人の支那人を取り調べて居た。彼等は間牒の嫌疑のため、臨時この旅団に加わっていた、第×聯隊の歩哨の一人に、今し方捉えられて来たのだった。
この棟の低い支那家の中には、勿論今日も坎の火っ気が、快い温みを漂わせていた。が、物悲しい戦争の空気は、敷瓦に触れる拍車の音にも、卓の上に脱いだ外套の色にも、至る所に窺われるのであった。殊に紅唐紙の聯を貼った、埃臭い白壁の上に、束髪に結った芸者の写真が、ちゃんと鋲で止めてあるのは、滑稽でもあれば悲惨でもあった。
そこには旅団参謀のほかにも、副官が一人、通訳が一人、二人の支那人を囲んでいた。支那人は通訳の質問通り、何でも明瞭に返事をした。のみならずやや年嵩らしい、顔に短い髯のある男は、通訳がまだ尋ねない事さえ、進んで説明する風があった。が、その答弁は参謀の心に、明瞭ならば明瞭なだけ、一層彼等を間牒にしたい、反感に似たものを与えるらしかった。
「おい歩兵!」
旅団参謀は鼻声に、この支那人を捉えて来た、戸口にいる歩哨を喚びかけた。歩兵、――それは白襷隊に加わっていた、田口一等卒にほかならなかった。――彼は戸の卍字格子を後に、芸者の写真へ目をやっていたが、参謀の声に驚かされると、思い切り大きい答をした。
「はい。」
「お前だな、こいつらを掴まえたのは? 掴まえた時どんなだったか?」
人の好い田口一等卒は、朗読的にしゃべり出した。
「私が歩哨に立っていたのは、この村の土塀の北端、奉天に通ずる街道であります。その支那人は二人とも、奉天の方向から歩いて来ました。すると木の上の中隊長が、――」
「何、木の上の中隊長?」
参謀はちょいと目蓋を挙げた。
「はい。中隊長は展望のため、木の上に登っていられたのであります。――その中隊長が木の上から、掴まえろと私に命令されました。」
「ところが私が捉えようとすると、そちらの男が、――はい。その髯のない男であります。その男が急に逃げようとしました。……」
「それだけか?」
「はい。それだけであります。」
「よし。」
旅団参謀は血肥りの顔に、多少の失望を浮べたまま、通訳に質問の意を伝えた。通訳は退屈を露さないため、わざと声に力を入れた。
「間牒でなければ何故逃げたか?」
「それは逃げるのが当然です。何しろいきなり日本兵が、躍りかかってきたのですから。」
もう一人の支那人、――鴉片の中毒に罹っているらしい、鉛色の皮膚をした男は、少しも怯まずに返答した。
「しかしお前たちが通って来たのは、今にも戦場になる街道じゃないか? 良民ならば用もないのに、――」
支那語の出来る副官は、血色の悪い支那人の顔へ、ちらりと意地の悪い眼を送った。
「いや、用はあるのです。今も申し上げた通り、私たちは新民屯へ、紙幣を取り換えに出かけて来たのです。御覧下さい。ここに紙幣もあります。」
髯のある男は平然と、将校たちの顔を眺め廻した。参謀はちょいと鼻を鳴らした。彼は副官のたじろいだのが、内心好い気味に思われたのだ。……
「紙幣を取り換える? 命がけでか?」
副官は負惜みの冷笑を洩らした。
「とにかく裸にして見よう。」
参謀の言葉が通訳されると、彼等はやはり悪びれずに、早速赤裸になって見せた。
「まだ腹巻をしているじゃないか? それをこっちへとって見せろ。」
通訳が腹巻を受けとる時、その白木綿に体温のあるのが、何だか不潔に感じられた。腹巻の中には三寸ばかりの、太い針がはいっていた。旅団参謀は窓明りに、何度もその針を検べて見た。が、それも平たい頭に、梅花の模様がついているほか、何も変った所はなかった。
「何か、これは?」
「私は鍼医です。」
髯のある男はためらわずに、悠然と参謀の問に答えた。
「次手に靴も脱いで見ろ。」
彼等はほとんど無表情に、隠すべき所も隠そうとせず、検査の結果を眺めていた。が、ズボンや上着は勿論、靴や靴下を検べて見ても、証拠になる品は見当らなかった。この上は靴を壊して見るよりほかはない。――そう思った副官は、参謀にその旨を話そうとした。
その時突然次の部屋から、軍司令官を先頭に、軍司令部の幕僚や、旅団長などがはいって来た。将軍は副官や軍参謀と、ちょうど何かの打ち合せのため、旅団長を尋ねて来ていたのだった。
「露探か?」
将軍はこう尋ねたまま、支那人の前に足を止めた。そうして彼等の裸姿へ、じっと鋭い眼を注いだ。後にある亜米利加人が、この有名な将軍の眼には、Monomania じみた所があると、無遠慮な批評を下した事がある。――そのモノメニアックな眼の色が、殊にこう云う場合には、気味の悪い輝きを加えるのだった。
旅団参謀は将軍に、ざっと事件の顛末を話した。が、将軍は思い出したように、時々頷いて見せるばかりだった。
「この上はもうぶん擲ってでも、白状させるほかはないのですが、――」
参謀がこう云いかけた時、将軍は地図を持った手に、床の上にある支那靴を指した。
「あの靴を壊して見給え。」
靴は見る見る底をまくられた。するとそこに縫いこまれた、四五枚の地図と秘密書類が、たちまちばらばらと床の上に落ちた。二人の支那人はそれを見ると、さすがに顔の色を失ってしまった。が、やはり押し黙ったまま、剛情に敷瓦を見つめていた。
「そんな事だろうと思っていた。」
将軍は旅団長を顧みながら、得意そうに微笑を洩した。
「しかし靴とはまた考えたものですね。――おい、もうその連中には着物を着せてやれ。――こんな間牒は始めてです。」
「軍司令官閣下の烱眼には驚きました。」
旅団副官は旅団長へ、間牒の証拠品を渡しながら、愛嬌の好い笑顔を見せた。――あたかも靴に目をつけたのは、将軍よりも彼自身が、先だった事も忘れたように。
「だが裸にしてもないとすれば、靴よりほかに隠せないじゃないか?」
将軍はまだ上機嫌だった。
「わしはすぐに靴と睨んだ。」
「どうもこの辺の住民はいけません。我々がここへ来た時も、日の丸の旗を出したのですが、その癖家の中を検べて見れば、大抵露西亜の旗を持っているのです。」
旅団長も何か浮き浮きしていた。
「つまり奸佞邪智なのじゃね。」
「そうです。煮ても焼いても食えないのです。」
こんな会話が続いている内、旅団参謀はまだ通訳と、二人の支那人を検べていた。それが急に田口一等卒へ、機嫌の悪い顔を向けると、吐き出すようにこう命じた。
「おい歩兵! この間牒はお前が掴まえて来たのだから、次手にお前が殺して来い。」
二十分の後、村の南端の路ばたには、この二人の支那人が、互に辮髪を結ばれたまま、枯柳の根がたに坐っていた。
田口一等卒は銃剣をつけると、まず辮髪を解き放した。それから銃を構えたまま、年下の男の後に立った。が、彼等を突殺す前に、殺すと云う事だけは告げたいと思った。
「儞、――」
彼はそう云って見たが、「殺す」と云う支那語を知らなかった。
「儞、殺すぞ!」
二人の支那人は云い合せたように、じろりと彼を振り返った。しかし驚いたけはいも見せず、それぎり別々の方角へ、何度も叩頭を続け出した。「故郷へ別れを告げているのだ。」――田口一等卒は身構えながら、こうその叩頭を解釈した。
叩頭が一通り済んでしまうと、彼等は覚悟をきめたように、冷然と首をさし伸した。田口一等卒は銃をかざした。が、神妙な彼等を見ると、どうしても銃剣が突き刺せなかった。
「儞、殺すぞ!」
彼はやむを得ず繰返した。するとそこへ村の方から、馬に跨った騎兵が一人、蹄に砂埃を巻き揚げて来た。
「歩兵!」
騎兵は――近づいたのを見れば曹長だった。それが二人の支那人を見ると、馬の歩みを緩めながら、傲然と彼に声をかけた。
「露探か? 露探だろう。おれにも、一人斬らせてくれ。」
田口一等卒は苦笑した。
「何、二人とも上げます。」
「そうか? それは気前が好いな。」
騎兵は身軽に馬を下りた。そうして支那人の後にまわると、腰の日本刀を抜き放した。その時また村の方から、勇しい馬蹄の響と共に、三人の将校が近づいて来た。騎兵はそれに頓着せず、まっ向に刀を振り上げた。が、まだその刀を下さない内に、三人の将校は悠々と、彼等の側へ通りかかった。軍司令官! 騎兵は田口一等卒と一しょに、馬上の将軍を見上げながら、正しい挙手の礼をした。
「露探だな。」
将軍の眼には一瞬間、モノメニアの光が輝いた。
「斬れ! 斬れ!」
騎兵は言下に刀をかざすと、一打に若い支那人を斬った。支那人の頭は躍るように、枯柳の根もとに転げ落ちた。血は見る見る黄ばんだ土に、大きい斑点を拡げ出した。
「よし。見事だ。」
将軍は愉快そうに頷きながら、それなり馬を歩ませて行った。
騎兵は将軍を見送ると、血に染んだ刀を提げたまま、もう一人の支那人の後に立った。その態度は将軍以上に、殺戮を喜ぶ気色があった。「この×××らばおれにも殺せる。」――田口一等卒はそう思いながら、枯柳の根もとに腰を下した。騎兵はまた刀を振り上げた。が、髯のある支那人は、黙然と首を伸ばしたぎり、睫毛一つ動かさなかった。……
将軍に従った軍参謀の一人、――穂積中佐は鞍の上に、春寒の曠野を眺めて行った。が、遠い枯木立や、路ばたに倒れた石敢当も、中佐の眼には映らなかった。それは彼の頭には、一時愛読したスタンダアルの言葉が、絶えず漂って来るからだった。
「私は勲章に埋った人間を見ると、あれだけの勲章を手に入れるには、どのくらい××な事ばかりしたか、それが気になって仕方がない。……」
――ふと気がつけば彼の馬は、ずっと将軍に遅れていた。中佐は軽い身震をすると、すぐに馬を急がせ出した。ちょうど当り出した薄日の光に、飾緒の金をきらめかせながら。
三 陣中の芝居
明治三十八年五月四日の午後、阿吉牛堡に駐っていた、第×軍司令部では、午前に招魂祭を行った後、余興の演芸会を催す事になった。会場は支那の村落に多い、野天の戯台を応用した、急拵の舞台の前に、天幕を張り渡したに過ぎなかった。が、その蓆敷の会場には、もう一時の定刻前に、大勢の兵卒が集っていた。この薄汚いカアキイ服に、銃剣を下げた兵卒の群は、ほとんど看客と呼ぶのさえも、皮肉な感じを起させるほど、みじめな看客に違いなかった。が、それだけまた彼等の顔に、晴れ晴れした微笑が漂っているのは、一層可憐な気がするのだった。
将軍を始め軍司令部や、兵站監部の将校たちは、外国の従軍武官たちと、その後の小高い土地に、ずらりと椅子を並べていた。そこには参謀肩章だの、副官の襷だのが見えるだけでも、一般兵卒の看客席より、遥かに空気が花やかだった。殊に外国の従軍武官は、愚物の名の高い一人でさえも、この花やかさを扶けるためには、軍司令官以上の効果があった。
将軍は今日も上機嫌だった。何か副官の一人と話しながら、時々番付を開いて見ている、――その眼にも始終日光のように、人懐こい微笑が浮んでいた。
その内に定刻の一時になった。桜の花や日の出をとり合せた、手際の好い幕の後では、何度か鳴りの悪い拍子木が響いた。と思うとその幕は、余興掛の少尉の手に、するすると一方へ引かれて行った。
舞台は日本の室内だった。それが米屋の店だと云う事は、一隅に積まれた米俵が、わずかに暗示を与えていた。そこへ前垂掛けの米屋の主人が、「お鍋や、お鍋や」と手を打ちながら、彼自身よりも背の高い、銀杏返しの下女を呼び出して来た。それから、――筋は話すにも足りない、一場の俄が始まった。
舞台の悪ふざけが加わる度に、蓆敷の上の看客からは、何度も笑声が立ち昇った。いや、その後の将校たちも、大部分は笑を浮べていた。が、俄はその笑と競うように、ますます滑稽を重ねて行った。そうしてとうとうしまいには、越中褌一つの主人が、赤い湯もじ一つの下女と相撲をとり始める所になった。
笑声はさらに高まった。兵站監部のある大尉なぞは、この滑稽を迎えるため、ほとんど拍手さえしようとした。ちょうどその途端だった。突然烈しい叱咤の声は、湧き返っている笑の上へ、鞭を加えるように響き渡った。
「何だ、その醜態は? 幕を引け! 幕を!」
声の主は将軍だった。将軍は太い軍刀の𣠽に、手袋の両手を重ねたまま、厳然と舞台を睨んで居た。
幕引きの少尉は命令通り、呆気にとられた役者たちの前へ、倉皇とさっきの幕を引いた。同時に蓆敷の看客も、かすかなどよめきの声のほかは、ひっそりと静まり返ってしまった。
外国の従軍武官たちと、一つ席にいた穂積中佐は、この沈黙を気の毒に思った。俄は勿論彼の顔には、微笑さえも浮ばせなかった。しかし彼は看客の興味に、同情を持つだけの余裕はあった。では外国武官たちに、裸の相撲を見せても好いか?――そう云う体面を重ずるには、何年か欧洲に留学した彼は、余りに外国人を知り過ぎていた。
「どうしたのですか?」
仏蘭西の将校は驚いたように、穂積中佐をふりかえった。
「将軍が中止を命じたのです。」
「なぜ?」
「下品ですから、――将軍は下品な事は嫌いなのです。」
そう云う内にもう一度、舞台の拍子木が鳴り始めた。静まり返っていた兵卒たちは、この音に元気を取り直したのか、そこここから拍手を送り出した。穂積中佐もほっとしながら、彼の周囲を眺め廻した。周囲にい並んだ将校たちは、いずれも幾分か気兼そうに、舞台を見たり見なかったりしている、――その中にたった一人、やはり軍刀へ手をのせたまま、ちょうど幕の開き出した舞台へ、じっと眼を注いでいた。
次の幕は前と反対に、人情がかった旧劇だった。舞台にはただ屏風のほかに、火のともった行燈が置いてあった。そこに頬骨の高い年増が一人、猪首の町人と酒を飲んでいた。年増は時々金切声に、「若旦那」と相手の町人を呼んだ。そうして、――穂積中佐は舞台を見ずに、彼自身の記憶に浸り出した。柳盛座の二階の手すりには、十二三の少年が倚りかかっている。舞台には桜の釣り枝がある。火影の多い町の書割がある。その中に二銭の団洲と呼ばれた、和光の不破伴左衛門が、編笠を片手に見得をしている。少年は舞台に見入ったまま、ほとんど息さえもつこうとしない。彼にもそんな時代があった。……
「余興やめ! 幕を引かんか? 幕! 幕!」
将軍の声は爆弾のように、中佐の追憶を打ち砕いた。中佐は舞台へ眼を返した。舞台にはすでに狼狽した少尉が、幕と共に走っていた。その間にちらりと屏風の上へ、男女の帯の懸かっているのが見えた。
中佐は思わず苦笑した。「余興掛も気が利かなすぎる。男女の相撲さえ禁じている将軍が、濡れ場を黙って見ている筈がない。」――そんな事を考えながら、叱声の起った席を見ると、将軍はまだ不機嫌そうに、余興掛の一等主計と、何か問答を重ねていた。
その時ふと中佐の耳は、口の悪い亜米利加の武官が、隣に坐った仏蘭西の武官へ、こう話しかける声を捉えた。
「将軍Nも楽じゃない。軍司令官兼検閲官だから、――」
やっと三幕目が始まったのは、それから十分の後だった。今度は木がはいっても、兵卒たちは拍手を送らなかった。
「可哀そうに。監視されながら、芝居を見ているようだ。」――穂積中佐は憐むように、ほとんど大きな話声も立てない、カアキイ服の群を見渡した。
三幕目の舞台は黒幕の前に、柳の木が二三本立ててあった。それはどこから伐って来たか、生々しい実際の葉柳だった。そこに警部らしい髯だらけの男が、年の若い巡査をいじめていた。穂積中佐は番附の上へ、不審そうに眼を落した。すると番附には「ピストル強盗清水定吉、大川端捕物の場」と書いてあった。
年の若い巡査は警部が去ると、大仰に天を仰ぎながら、長々と浩歎の独白を述べた。何でもその意味は長い間、ピストル強盗をつけ廻しているが、逮捕出来ないとか云うのだった。それから人影でも認めたのか、彼は相手に見つからないため、一まず大川の水の中へ姿を隠そうと決心した。そうして後の黒幕の外へ、頭からさきに這いこんでしまった。その恰好は贔屓眼に見ても、大川の水へ没するよりは、蚊帳へはいるのに適当していた。
空虚の舞台にはしばらくの間、波の音を思わせるらしい、大太鼓の音がするだけだった。と、たちまち一方から、盲人が一人歩いて来た。盲人は杖をつき立てながら、そのまま向うへはいろうとする、――その途端に黒幕の外から、さっきの巡査が飛び出して来た。「ピストル強盗、清水定吉、御用だ!」――彼はそう叫ぶが早いか、いきなり盲人へ躍りかかった。盲人は咄嗟に身構えをした。と思うと眼がぱっちりあいた。「憾むらくは眼が小さ過ぎる。」――中佐は微笑を浮べながら、内心大人気ない批評を下した。
舞台では立ち廻りが始まっていた。ピストル強盗は渾名通り、ちゃんとピストルを用意していた。二発、三発、――ピストルは続けさまに火を吐いた。しかし巡査は勇敢に、とうとう偽目くらに縄をかけた。兵卒たちはさすがにどよめいた。が、彼等の間からは、やはり声一つかからなかった。
中佐は将軍へ眼をやった。将軍は今度も熱心に、じっと舞台を眺めていた。しかしその顔は以前よりも、遥かに柔しみを湛えていた。
そこへ舞台には一方から、署長とその部下とが駈けつけて来た。が、偽目くらと挌闘中、ピストルの弾丸に中った巡査は、もう昏々と倒れていた。署長はすぐに活を入れた。その間に部下はいち早く、ピストル強盗の縄尻を捉えた。その後は署長と巡査との、旧劇めいた愁歎場になった。署長は昔の名奉行のように、何か云い遺す事はないかと云う。巡査は故郷に母がある、と云う。署長はまた母の事は心配するな。何かそのほかにも末期の際に、心遺りはないかと云う。巡査は何も云う事はない、ピストル強盗を捉えたのは、この上もない満足だと云う。
――その時ひっそりした場内に、三度将軍の声が響いた。が、今度は叱声の代りに、深い感激の嘆声だった。
「偉い奴じゃ。それでこそ日本男児じゃ。」
穂積中佐はもう一度、そっと将軍へ眼を注いだ。すると日に焼けた将軍の頬には、涙の痕が光っていた。「将軍は善人だ。」――中佐は軽い侮蔑の中に、明るい好意をも感じ出した。
その時幕は悠々と、盛んな喝采を浴びながら、舞台の前に引かれて行った。穂積中佐はその機会に、ひとり椅子から立ち上ると、会場の外へ歩み去った。
三十分の後、中佐は紙巻を啣えながら、やはり同参謀の中村少佐と、村はずれの空地を歩いていた。
「第×師団の余興は大成功だね。N閣下は非常に喜んでいられた。」
中村少佐はこう云う間も、カイゼル髭の端をひねっていた。
「第×師団の余興? ああ、あのピストル強盗か?」
「ピストル強盗ばかりじゃない。閣下はあれから余興掛を呼んで、もう一幕臨時にやれと云われた。今度は赤垣源蔵だったがね。何と云うのかな、あれは? 徳利の別れか?」
穂積中佐は微笑した眼に、広い野原を眺めまわした。もう高粱の青んだ土には、かすかに陽炎が動いていた。
「それもまた大成功さ。――」
中村少佐は話し続けた。
「閣下は今夜も七時から、第×師団の余興掛に、寄席的な事をやらせるそうだぜ。」
「寄席的? 落語でもやらせるのかね?」
「何、講談だそうだ。水戸黄門諸国めぐり――」
穂積中佐は苦笑した。が、相手は無頓着に、元気のよい口調を続けて行った。
「閣下は水戸黄門が好きなのだそうだ。わしは人臣としては、水戸黄門と加藤清正とに、最も敬意を払っている。――そんな事を云っていられた。」
穂積中佐は返事をせずに、頭の上の空を見上げた。空には柳の枝の間に、細い雲母雲が吹かれていた。中佐はほっと息を吐いた。
「春だね、いくら満洲でも。」
「内地はもう袷を着ているだろう。」
中村少佐は東京を思った。料理の上手な細君を思った。小学校へ行っている子供を思った。そうして――かすかに憂鬱になった。
「向うに杏が咲いている。」
穂積中佐は嬉しそうに、遠い土塀に簇った、赤い花の塊りを指した。Ecoute-moi, Madeline………――中佐の心にはいつのまにか、ユウゴオの歌が浮んでいた。
四 父と子と
大正七年十月のある夜、中村少将、――当時の軍参謀中村少佐は、西洋風の応接室に、火のついたハヴァナを啣えながら、ぼんやり安楽椅子によりかかっていた。
二十年余りの閑日月は、少将を愛すべき老人にしていた。殊に今夜は和服のせいか、禿げ上った額のあたりや、肉のたるんだ口のまわりには、一層好人物じみた気色があった。少将は椅子の背に靠れたまま、ゆっくり周囲を眺め廻した。それから、――急にため息を洩らした。
室の壁にはどこを見ても、西洋の画の複製らしい、写真版の額が懸けてあった。そのある物は窓に倚った、寂しい少女の肖像だった。またある物は糸杉の間に、太陽の見える風景だった。それらは皆電燈の光に、この古めかしい応接室へ、何か妙に薄ら寒い、厳粛な空気を与えていた。が、その空気はどう云う訣か、少将には愉快でないらしかった。
無言の何分かが過ぎ去った後、突然少将は室外に、かすかなノックの音を聞いた。
「おはいり。」
その声と同時に室の中へは、大学の制服を着た青年が一人、背の高い姿を現した。青年は少将の前に立つと、そこにあった椅子に手をやりながら、ぶっきらぼうにこう云った。
「何か御用ですか? お父さん。」
「うん。まあ、そこにおかけ。」
青年は素直に腰を下した。
「何です?」
少将は返事をするために、青年の胸の金鈕へ、不審らしい眼をやった。
「今日は?」
「今日は河合の――お父さんは御存知ないでしょう。――僕と同じ文科の学生です。河合の追悼会があったものですから、今帰ったばかりなのです。」
少将はちょいと頷いた後、濃いハヴァナの煙を吐いた。それからやっと大儀そうに、肝腎の用向きを話し始めた。
「この壁にある画だね、これはお前が懸け換えたのかい?」
「ええ、まだ申し上げませんでしたが、今朝僕が懸け換えたのです。いけませんか?」
「いけなくはない。いけなくはないがね、N閣下の額だけは懸けて置きたい、と思う。」
「この中へですか?」
青年は思わず微笑した。
「この中へ懸けてはいけないかね?」
「いけないと云う事もありませんが、――しかしそれは可笑しいでしょう。」
「肖像画はあすこにもあるようじゃないか?」
少将は炉の上の壁を指した。その壁には額縁の中に、五十何歳かのレムブラントが、悠々と少将を見下していた。
「あれは別です。N将軍と一しょにはなりません。」
「そうか? じゃ仕方がない。」
少将は容易に断念した。が、また葉巻の煙を吐きながら、静かにこう話を続けた。
「お前は、――と云うよりもお前の年輩のものは、閣下をどう思っているね?」
「別にどうも思ってはいません。まあ、偉い軍人でしょう。」
青年は老いた父の眼に、晩酌の酔を感じていた。
「それは偉い軍人だがね、閣下はまた実に長者らしい、人懐こい性格も持っていられた。……」
少将はほとんど、感傷的に、将軍の逸話を話し出した。それは日露戦役後、少将が那須野の別荘に、将軍を訪れた時の事だった。その日別荘へ行って見ると、将軍夫妻は今し方、裏山へ散歩にお出かけになった、――そう云う別荘番の話だった。少将は案内を知っていたから、早速裏山へ出かける事にした。すると二三町行った所に、綿服を纏った将軍が、夫人と一しょに佇んでいた。少将はこの老夫妻と、しばらくの間立ち話をした。が、将軍はいつまでたっても、そこを立ち去ろうとしなかった。「何かここに用でもおありですか?」――こう少将が尋ねると、将軍は急に笑い出した。「実はね、今妻が憚りへ行きたいと云うものだから、わしたちについて来た学生たちが、場所を探しに行ってくれた所じゃ。」ちょうど今頃、――もう路ばたに毬栗などが、転がっている時分だった。
少将は眼を細くしたまま、嬉しそうに独り微笑した。――そこへ色づいた林の中から、勢の好い中学生が、四五人同時に飛び出して来た。彼等は少将に頓着せず、将軍夫妻をとり囲むと、口々に彼等が夫人のために、見つけて来た場所を報告した。その上それぞれ自分の場所へ、夫人に来て貰うように、無邪気な競争さえ始めるのだった。「じゃあなた方に籤を引いて貰おう。」――将軍はこう云ってから、もう一度少将に笑顔を見せた。……
「それは罪のない話ですね。だが西洋人には聞かされないな。」
青年も笑わずにはいられなかった。
「まあそんな調子でね、十二三の中学生でも、N閣下と云いさえすれば、叔父さんのように懐いていたものだ。閣下はお前がたの思うように、決して一介の武弁じゃない。」
少将は楽しそうに話し終ると、また炉の上のレムブラントを眺めた。
「あれもやはり人格者かい?」
「ええ、偉い画描きです。」
「N閣下などとはどうだろう?」
青年の顔には当惑の色が浮んだ。
「どうと云っても困りますが、――まあN将軍などよりも、僕等に近い気もちのある人です。」
「閣下のお前がたに遠いと云うのは?」
「何と云えば好いですか?――まあ、こんな点ですね、たとえば今日追悼会のあった、河合と云う男などは、やはり自殺しているのです。が、自殺する前に――」
青年は真面目に父の顔を見た。
「写真をとる余裕はなかったようです。」
今度は機嫌の好い少将の眼に、ちらりと当惑の色が浮んだ。
「写真をとっても好いじゃないか? 最後の記念と云う意味もあるし、――」
「誰のためにですか?」
「誰と云う事もないが、――我々始めN閣下の最後の顔は見たいじゃないか?」
「それは少くともN将軍は、考うべき事ではないと思うのです。僕は将軍の自殺した気もちは、幾分かわかるような気がします。しかし写真をとったのはわかりません。まさか死後その写真が、どこの店頭にも飾られる事を、――」
少将はほとんど、憤然と、青年の言葉を遮った。
「それは酷だ。閣下はそんな俗人じゃない。徹頭徹尾至誠の人だ。」
しかし青年は不相変、顔色も声も落着いていた。
「無論俗人じゃなかったでしょう。至誠の人だった事も想像出来ます。ただその至誠が僕等には、どうもはっきりのみこめないのです。僕等より後の人間には、なおさら通じるとは思われません。……」
父と子とはしばらくの間、気まずい沈黙を続けていた。
「時代の違いだね。」
少将はやっとつけ加えた。
「ええ、まあ、――」
青年はこう云いかけたなり、ちょいと窓の外のけはいに、耳を傾けるような眼つきになった。
「雨ですね。お父さん。」
「雨?」
少将は足を伸ばしたまま、嬉しそうに話頭を転換した。
「また榲桲が落ちなければ好いが、……」
(大正十年十二月) | 底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
1996(平成8)年7月15日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月12日公開
2004年3月9日修正
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一 クリスマス
昨年のクリスマスの午後、堀川保吉は須田町の角から新橋行の乗合自働車に乗った。彼の席だけはあったものの、自働車の中は不相変身動きさえ出来ぬ満員である。のみならず震災後の東京の道路は自働車を躍らすことも一通りではない。保吉はきょうもふだんの通り、ポケットに入れてある本を出した。が、鍛冶町へも来ないうちにとうとう読書だけは断念した。この中でも本を読もうと云うのは奇蹟を行うのと同じことである。奇蹟は彼の職業ではない。美しい円光を頂いた昔の西洋の聖者なるものの、――いや、彼の隣りにいるカトリック教の宣教師は目前に奇蹟を行っている。
宣教師は何ごとも忘れたように小さい横文字の本を読みつづけている。年はもう五十を越しているのであろう、鉄縁のパンス・ネエをかけた、鶏のように顔の赤い、短い頬鬚のある仏蘭西人である。保吉は横目を使いながら、ちょっとその本を覗きこんだ、Essai sur les ……あとは何だか判然しない。しかし内容はともかくも、紙の黄ばんだ、活字の細かい、とうてい新聞を読むようには読めそうもない代物である。
保吉はこの宣教師に軽い敵意を感じたまま、ぼんやり空想に耽り出した。――大勢の小天使は宣教師のまわりに読書の平安を護っている。勿論異教徒たる乗客の中には一人も小天使の見えるものはいない。しかし五六人の小天使は鍔の広い帽子の上に、逆立ちをしたり宙返りをしたり、いろいろの曲芸を演じている。と思うと肩の上へ目白押しに並んだ五六人も乗客の顔を見廻しながら、天国の常談を云い合っている。おや、一人の小天使は耳の穴の中から顔を出した。そう云えば鼻柱の上にも一人、得意そうにパンス・ネエに跨っている。……
自働車の止まったのは大伝馬町である。同時に乗客は三四人、一度に自働車を降りはじめた。宣教師はいつか本を膝に、きょろきょろ窓の外を眺めている。すると乗客の降り終るが早いか、十一二の少女が一人、まっ先に自働車へはいって来た。褪紅色の洋服に空色の帽子を阿弥陀にかぶった、妙に生意気らしい少女である。少女は自働車のまん中にある真鍮の柱につかまったまま、両側の席を見まわした。が、生憎どちら側にも空いている席は一つもない。
「お嬢さん。ここへおかけなさい。」
宣教師は太い腰を起した。言葉はいかにも手に入った、心もち鼻へかかる日本語である。
「ありがとう。」
少女は宣教師と入れ違いに保吉の隣りへ腰をかけた。そのまた「ありがとう」も顔のように小ましゃくれた抑揚に富んでいる。保吉は思わず顔をしかめた。由来子供は――殊に少女は二千年前の今月今日、ベツレヘムに生まれた赤児のように清浄無垢のものと信じられている。しかし彼の経験によれば、子供でも悪党のない訣ではない。それをことごとく神聖がるのは世界に遍満したセンティメンタリズムである。
「お嬢さんはおいくつですか?」
宣教師は微笑を含んだ眼に少女の顔を覗きこんだ。少女はもう膝の上に毛糸の玉を転がしたなり、さも一かど編めるように二本の編み棒を動かしている。それが眼は油断なしに編み棒の先を追いながら、ほとんど媚を帯びた返事をした。
「あたし? あたしは来年十二。」
「きょうはどちらへいらっしゃるのですか?」
「きょう? きょうはもう家へ帰る所なの。」
自働車はこう云う問答の間に銀座の通りを走っている。走っていると云うよりは跳ねていると云うのかも知れない。ちょうど昔ガリラヤの湖にあらしを迎えたクリストの船にも伯仲するかと思うくらいである。宣教師は後ろへまわした手に真鍮の柱をつかんだまま、何度も自働車の天井へ背の高い頭をぶつけそうになった。しかし一身の安危などは上帝の意志に任せてあるのか、やはり微笑を浮かべながら、少女との問答をつづけている。
「きょうは何日だか御存知ですか?」
「十二月二十五日でしょう。」
「ええ、十二月二十五日です。十二月二十五日は何の日ですか? お嬢さん、あなたは御存知ですか?」
保吉はもう一度顔をしかめた。宣教師は巧みにクリスト教の伝道へ移るのに違いない。コオランと共に剣を執ったマホメット教の伝道はまだしも剣を執った所に人間同士の尊敬なり情熱なりを示している。が、クリスト教の伝道は全然相手を尊重しない。あたかも隣りに店を出した洋服屋の存在を教えるように慇懃に神を教えるのである。あるいはそれでも知らぬ顔をすると、今度は外国語の授業料の代りに信仰を売ることを勧めるのである。殊に少年や少女などに画本や玩具を与える傍ら、ひそかに彼等の魂を天国へ誘拐しようとするのは当然犯罪と呼ばれなければならぬ。保吉の隣りにいる少女も、――しかし少女は不相変編みものの手を動かしながら、落ち着き払った返事をした。
「ええ、それは知っているわ。」
「ではきょうは何の日ですか? 御存知ならば云って御覧なさい。」
少女はやっと宣教師の顔へみずみずしい黒眼勝ちの眼を注いだ。
「きょうはあたしのお誕生日。」
保吉は思わず少女を見つめた。少女はもう大真面目に編み棒の先へ目をやっていた。しかしその顔はどう云うものか、前に思ったほど生意気ではない。いや、むしろ可愛い中にも智慧の光りの遍照した、幼いマリアにも劣らぬ顔である。保吉はいつか彼自身の微笑しているのを発見した。
「きょうはあなたのお誕生日!」
宣教師は突然笑い出した。この仏蘭西人の笑う様子はちょうど人の好いお伽噺の中の大男か何かの笑うようである。少女は今度はけげんそうに宣教師の顔へ目を挙げた。これは少女ばかりではない。鼻の先にいる保吉を始め、両側の男女の乗客はたいてい宣教師へ目をあつめた。ただ彼等の目にあるものは疑惑でもなければ好奇心でもない。いずれも宣教師の哄笑の意味をはっきり理解した頬笑みである。
「お嬢さん。あなたは好い日にお生まれなさいましたね。きょうはこの上もないお誕生日です。世界中のお祝いするお誕生日です。あなたは今に、――あなたの大人になった時にはですね、あなたはきっと……」
宣教師は言葉につかえたまま、自働車の中を見廻した。同時に保吉と眼を合わせた。宣教師の眼はパンス・ネエの奥に笑い涙をかがやかせている。保吉はその幸福に満ちた鼠色の眼の中にあらゆるクリスマスの美しさを感じた。少女は――少女もやっと宣教師の笑い出した理由に気のついたのであろう、今は多少拗ねたようにわざと足などをぶらつかせている。
「あなたはきっと賢い奥さんに――優しいお母さんにおなりなさるでしょう。ではお嬢さん、さようなら。わたしの降りる所へ来ましたから。では――」
宣教師はまた前のように一同の顔を見渡した。自働車はちょうど人通りの烈しい尾張町の辻に止まっている。
「では皆さん、さようなら。」
数時間の後、保吉はやはり尾張町のあるバラックのカフェの隅にこの小事件を思い出した。あの肥った宣教師はもう電燈もともり出した今頃、何をしていることであろう? クリストと誕生日を共にした少女は夕飯の膳についた父や母にけさの出来事を話しているかも知れない。保吉もまた二十年前には娑婆苦を知らぬ少女のように、あるいは罪のない問答の前に娑婆苦を忘却した宣教師のように小さい幸福を所有していた。大徳院の縁日に葡萄餅を買ったのもその頃である。二州楼の大広間に活動写真を見たのもその頃である。
「本所深川はまだ灰の山ですな。」
「へええ、そうですかねえ。時に吉原はどうしたんでしょう?」
「吉原はどうしましたか、――浅草にはこの頃お姫様の婬売が出ると云うことですな。」
隣りのテエブルには商人が二人、こう云う会話をつづけている。が、そんなことはどうでも好い。カフェの中央のクリスマスの木は綿をかけた針葉の枝に玩具のサンタ・クロオスだの銀の星だのをぶら下げている。瓦斯煖炉の炎も赤あかとその木の幹を照らしているらしい。きょうはお目出たいクリスマスである。「世界中のお祝するお誕生日」である。保吉は食後の紅茶を前に、ぼんやり巻煙草をふかしながら、大川の向うに人となった二十年前の幸福を夢みつづけた。……
この数篇の小品は一本の巻煙草の煙となる間に、続々と保吉の心をかすめた追憶の二三を記したものである。
二 道の上の秘密
保吉の四歳の時である。彼は鶴と云う女中と一しょに大溝の往来へ通りかかった。黒ぐろと湛えた大溝の向うは後に両国の停車場になった、名高い御竹倉の竹藪である。本所七不思議の一つに当る狸の莫迦囃子と云うものはこの藪の中から聞えるらしい。少くとも保吉は誰に聞いたのか、狸の莫迦囃子の聞えるのは勿論、おいてき堀や片葉の葭も御竹倉にあるものと確信していた。が、今はこの気味の悪い藪も狸などはどこかへ逐い払ったように、日の光の澄んだ風の中に黄ばんだ竹の秀をそよがせている。
「坊ちゃん、これを御存知ですか?」
つうや(保吉は彼女をこう呼んでいた)は彼を顧みながら、人通りの少い道の上を指した。土埃の乾いた道の上にはかなり太い線が一すじ、薄うすと向うへ走っている。保吉は前にも道の上にこう云う線を見たような気がした。しかし今もその時のように何かと云うことはわからなかった。
「何でしょう? 坊ちゃん、考えて御覧なさい。」
これはつうやの常套手段である。彼女は何を尋ねても、素直に教えたと云うことはない。必ず一度は厳格に「考えて御覧なさい」を繰り返すのである。厳格に――けれどもつうやは母のように年をとっていた訣でもなんでもない。やっと十五か十六になった、小さい泣黒子のある小娘である。もとより彼女のこう云ったのは少しでも保吉の教育に力を添えたいと思ったのであろう。彼もつうやの親切には感謝したいと思っている。が、彼女もこの言葉の意味をもっとほんとうに知っていたとすれば、きっと昔ほど執拗に何にでも「考えて御覧なさい」を繰り返す愚だけは免れたであろう。保吉は爾来三十年間、いろいろの問題を考えて見た。しかし何もわからないことはあの賢いつうやと一しょに大溝の往来を歩いた時と少しも変ってはいないのである。……
「ほら、こっちにももう一つあるでしょう? ねえ、坊ちゃん、考えて御覧なさい。このすじは一体何でしょう?」
つうやは前のように道の上を指した。なるほど同じくらい太い線が三尺ばかりの距離を置いたまま、土埃の道を走っている。保吉は厳粛に考えて見た後、とうとうその答を発明した。
「どこかの子がつけたんだろう、棒か何か持って来て?」
「それでも二本並んでいるでしょう?」
「だって二人でつけりゃ二本になるもの。」
つうやはにやにや笑いながら、「いいえ」と云う代りに首を振った。保吉は勿論不平だった。しかし彼女は全知である。云わば Delphi の巫女である。道の上の秘密もとうの昔に看破しているのに違いない。保吉はだんだん不平の代りにこの二すじの線に対する驚異の情を感じ出した。
「じゃ何さ、このすじは?」
「何でしょう? ほら、ずっと向うまで同じように二すじ並んでいるでしょう?」
実際つうやの云う通り、一すじの線のうねっている時には、向うに横たわったもう一すじの線もちゃんと同じようにうねっている。のみならずこの二すじの線は薄白い道のつづいた向うへ、永遠そのもののように通じている。これは一体何のために誰のつけた印であろう? 保吉は幻燈の中に映る蒙古の大沙漠を思い出した。二すじの線はその大沙漠にもやはり細ぼそとつづいている。………
「よう、つうや、何だって云えば?」
「まあ、考えて御覧なさい。何か二つ揃っているものですから。――何でしょう、二つ揃っているものは?」
つうやもあらゆる巫女のように漠然と暗示を与えるだけである。保吉はいよいよ熱心に箸とか手袋とか太鼓の棒とか二つあるものを並べ出した。が、彼女はどの答にも容易に満足を表わさない。ただ妙に微笑したぎり、不相変「いいえ」を繰り返している。
「よう、教えておくれよう。ようってば。つうや。莫迦つうやめ!」
保吉はとうとう癇癪を起した。父さえ彼の癇癪には滅多に戦を挑んだことはない。それはずっと守りをつづけたつうやもまた重々承知しているが、彼女はやっとおごそかに道の上の秘密を説明した。
「これは車の輪の跡です。」
これは車の輪の跡です! 保吉は呆気にとられたまま、土埃の中に断続した二すじの線を見まもった。同時に大沙漠の空想などは蜃気楼のように消滅した。今はただ泥だらけの荷車が一台、寂しい彼の心の中におのずから車輪をまわしている。……
保吉は未だにこの時受けた、大きい教訓を服膺している。三十年来考えて見ても、何一つ碌にわからないのはむしろ一生の幸福かも知れない。
三 死
これもその頃の話である。晩酌の膳に向った父は六兵衛の盞を手にしたまま、何かの拍子にこう云った。
「とうとうお目出度なったそうだな、ほら、あの槙町の二弦琴の師匠も。……」
ランプの光は鮮かに黒塗りの膳の上を照らしている。こう云う時の膳の上ほど、美しい色彩に溢れたものはない。保吉は未だに食物の色彩――鮞脯だの焼海苔だの酢蠣だの辣薑だのの色彩を愛している。もっとも当時愛したのはそれほど品の好い色彩ではない。むしろ悪どい刺戟に富んだ、生なましい色彩ばかりである。彼はその晩も膳の前に、一掴みの海髪を枕にしためじの刺身を見守っていた。すると微醺を帯びた父は彼の芸術的感興をも物質的欲望と解釈したのであろう。象牙の箸をとり上げたと思うと、わざと彼の鼻の上へ醤油の匂のする刺身を出した。彼は勿論一口に食った。それから感謝の意を表するため、こう父へ話しかけた。
「さっきはよそのお師匠さん、今度は僕がお目出度なった!」
父は勿論、母や伯母も一時にどっと笑い出した。が、必ずしもその笑いは機智に富んだ彼の答を了解したためばかりでもないようである。この疑問は彼の自尊心に多少の不快を感じさせた。けれども父を笑わせたのはとにかく大手柄には違いない。かつまた家中を陽気にしたのもそれ自身甚だ愉快である。保吉はたちまち父と一しょに出来るだけ大声に笑い出した。
すると笑い声の静まった後、父はまだ微笑を浮べたまま、大きい手に保吉の頸すじをたたいた。
「お目出度なると云うことはね、死んでしまうと云うことだよ。」
あらゆる答は鋤のように問の根を断ってしまうものではない。むしろ古い問の代りに新らしい問を芽ぐませる木鋏の役にしか立たぬものである。三十年前の保吉も三十年後の保吉のように、やっと答を得たと思うと、今度はそのまた答の中に新しい問を発見した。
「死んでしまうって、どうすること?」
「死んでしまうと云うことはね、ほら、お前は蟻を殺すだろう。……」
父は気の毒にも丹念に死と云うものを説明し出した。が、父の説明も少年の論理を固守する彼には少しも満足を与えなかった。なるほど彼に殺された蟻の走らないことだけは確かである。けれどもあれは死んだのではない。ただ彼に殺されたのである。死んだ蟻と云う以上は格別彼に殺されずとも、じっと走らずにいる蟻でなければならぬ。そう云う蟻には石燈籠の下や冬青の木の根もとにも出合った覚えはない。しかし父はどう云う訣か、全然この差別を無視している。……
「殺された蟻は死んでしまったのさ。」
「殺されたのは殺されただけじゃないの?」
「殺されたのも死んだのも同じことさ。」
「だって殺されたのは殺されたって云うもの。」
「云っても何でも同じことなんだよ。」
「違う。違う。殺されたのと死んだのとは同じじゃない。」
「莫迦、何と云うわからないやつだ。」
父に叱られた保吉の泣き出してしまったのは勿論である。が、いかに叱られたにしろ、わからないことのわかる道理はない。彼はその後数箇月の間、ちょうどひとかどの哲学者のように死と云う問題を考えつづけた。死は不可解そのものである。殺された蟻は死んだ蟻ではない。それにも関らず死んだ蟻である。このくらい秘密の魅力に富んだ、掴え所のない問題はない。保吉は死を考える度に、ある日回向院の境内に見かけた二匹の犬を思い出した。あの犬は入り日の光の中に反対の方角へ顔を向けたまま、一匹のようにじっとしていた。のみならず妙に厳粛だった。死と云うものもあの二匹の犬と何か似た所を持っているのかも知れない。……
するとある火ともし頃である。保吉は役所から帰った父と、薄暗い風呂にはいっていた。はいっていたとは云うものの、体などを洗っていたのではない。ただ胸ほどある据え風呂の中に恐る恐る立ったなり、白い三角帆を張った帆前船の処女航海をさせていたのである。そこへ客か何か来たのであろう、鶴よりも年上の女中が一人、湯気の立ちこめた硝子障子をあけると、石鹸だらけになっていた父へ旦那様何とかと声をかけた。父は海綿を使ったまま、「よし、今行く」と返事をした。それからまた保吉へ顔を見せながら、「お前はまだはいってお出。今お母さんがはいるから」と云った。勿論父のいないことは格別帆前船の処女航海に差支えを生ずる次第でもない。保吉はちょっと父を見たぎり、「うん」と素直に返事をした。
父は体を拭いてしまうと、濡れ手拭を肩にかけながら、「どっこいしょ」と太い腰を起した。保吉はそれでも頓着せずに帆前船の三角帆を直していた。が、硝子障子のあいた音にもう一度ふと目を挙げると、父はちょうど湯気の中に裸の背中を見せたまま、風呂場の向うへ出る所だった。父の髪はまだ白い訣ではない。腰も若いもののようにまっ直である。しかしそう云う後ろ姿はなぜか四歳の保吉の心にしみじみと寂しさを感じさせた。「お父さん」――一瞬間帆前船を忘れた彼は思わずそう呼びかけようとした。けれども二度目の硝子戸の音は静かに父の姿を隠してしまった。あとにはただ湯の匂に満ちた薄明りの広がっているばかりである。
保吉はひっそりした据え風呂の中に茫然と大きい目を開いた。同時に従来不可解だった死と云うものを発見した。――死とはつまり父の姿の永久に消えてしまうことである!
四 海
保吉の海を知ったのは五歳か六歳の頃である。もっとも海とは云うものの、万里の大洋を知ったのではない。ただ大森の海岸に狭苦しい東京湾を知ったのである。しかし狭苦しい東京湾も当時の保吉には驚異だった。奈良朝の歌人は海に寄せる恋を「大船の香取の海に碇おろしいかなる人かもの思わざらん」と歌った。保吉は勿論恋も知らず、万葉集の歌などと云うものはなおさら一つも知らなかった。が、日の光りに煙った海の何か妙にもの悲しい神秘を感じさせたのは事実である。彼は海へ張り出した葭簾張りの茶屋の手すりにいつまでも海を眺めつづけた。海は白じろと赫いた帆かけ船を何艘も浮かべている。長い煙を空へ引いた二本マストの汽船も浮かべている。翼の長い一群の鴎はちょうど猫のように啼きかわしながら、海面を斜めに飛んで行った。あの船や鴎はどこから来、どこへ行ってしまうのであろう? 海はただ幾重かの海苔粗朶の向うに青あおと煙っているばかりである。……
けれども海の不可思議を一層鮮かに感じたのは裸になった父や叔父と遠浅の渚へ下りた時である。保吉は初め砂の上へ静かに寄せて来るさざ波を怖れた。が、それは父や叔父と海の中へはいりかけたほんの二三分の感情だった。その後の彼はさざ波は勿論、あらゆる海の幸を享楽した。茶屋の手すりに眺めていた海はどこか見知らぬ顔のように、珍らしいと同時に無気味だった。――しかし干潟に立って見る海は大きい玩具箱と同じことである。玩具箱! 彼は実際神のように海と云う世界を玩具にした。蟹や寄生貝は眩ゆい干潟を右往左往に歩いている。浪は今彼の前へ一ふさの海草を運んで来た。あの喇叭に似ているのもやはり法螺貝と云うのであろうか? この砂の中に隠れているのは浅蜊と云う貝に違いない。……
保吉の享楽は壮大だった。けれどもこう云う享楽の中にも多少の寂しさのなかった訣ではない。彼は従来海の色を青いものと信じていた。両国の「大平」に売っている月耕や年方の錦絵をはじめ、当時流行の石版画の海はいずれも同じようにまっ青だった。殊に縁日の「からくり」の見せる黄海の海戦の光景などは黄海と云うのにも関らず、毒々しいほど青い浪に白い浪がしらを躍らせていた。しかし目前の海の色は――なるほど目前の海の色も沖だけは青あおと煙っている。が、渚に近い海は少しも青い色を帯びていない。正にぬかるみのたまり水と選ぶ所のない泥色をしている。いや、ぬかるみのたまり水よりも一層鮮かな代赭色をしている。彼はこの代赭色の海に予期を裏切られた寂しさを感じた。しかしまた同時に勇敢にも残酷な現実を承認した。海を青いと考えるのは沖だけ見た大人の誤りである。これは誰でも彼のように海水浴をしさえすれば、異存のない真理に違いない。海は実は代赭色をしている。バケツの錆に似た代赭色をしている。
三十年前の保吉の態度は三十年後の保吉にもそのまま当嵌る態度である。代赭色の海を承認するのは一刻も早いのに越したことはない。かつまたこの代赭色の海を青い海に変えようとするのは所詮徒労に畢るだけである。それよりも代赭色の海の渚に美しい貝を発見しよう。海もそのうちには沖のように一面に青あおとなるかも知れない。が、将来に惝れるよりもむしろ現在に安住しよう。――保吉は予言者的精神に富んだ二三の友人を尊敬しながら、しかもなお心の一番底には不相変ひとりこう思っている。
大森の海から帰った後、母はどこかへ行った帰りに「日本昔噺」の中にある「浦島太郎」を買って来てくれた。こう云うお伽噺を読んで貰うことの楽しみだったのは勿論である。が、彼はそのほかにももう一つ楽しみを持ち合せていた。それはあり合せの水絵具に一々挿絵を彩ることだった。彼はこの「浦島太郎」にも早速彩色を加えることにした。「浦島太郎」は一冊の中に十ばかりの挿絵を含んでいる。彼はまず浦島太郎の竜宮を去るの図を彩りはじめた。竜宮は緑の屋根瓦に赤い柱のある宮殿である。乙姫は――彼はちょっと考えた後、乙姫もやはり衣裳だけは一面に赤い色を塗ることにした。浦島太郎は考えずとも好い、漁夫の着物は濃い藍色、腰蓑は薄い黄色である。ただ細い釣竿にずっと黄色をなするのは存外彼にはむずかしかった。蓑亀も毛だけを緑に塗るのは中々なまやさしい仕事ではない。最後に海は代赭色である。バケツの錆に似た代赭色である。――保吉はこう云う色彩の調和に芸術家らしい満足を感じた。殊に乙姫や浦島太郎の顔へ薄赤い色を加えたのは頗る生動の趣でも伝えたもののように信じていた。
保吉は匇々母のところへ彼の作品を見せに行った。何か縫ものをしていた母は老眼鏡の額越しに挿絵の彩色へ目を移した。彼は当然母の口から褒め言葉の出るのを予期していた。しかし母はこの彩色にも彼ほど感心しないらしかった。
「海の色は可笑しいねえ。なぜ青い色に塗らなかったの?」
「だって海はこう云う色なんだもの。」
「代赭色の海なんぞあるものかね。」
「大森の海は代赭色じゃないの?」
「大森の海だってまっ青だあね。」
「ううん、ちょうどこんな色をしていた。」
母は彼の強情さ加減に驚嘆を交えた微笑を洩らした。が、どんなに説明しても、――いや、癇癪を起して彼の「浦島太郎」を引き裂いた後さえ、この疑う余地のない代赭色の海だけは信じなかった。……「海」の話はこれだけである。もっとも今日の保吉は話の体裁を整えるために、もっと小説の結末らしい結末をつけることも困難ではない。たとえば話を終る前に、こう云う数行をつけ加えるのである。――「保吉は母との問答の中にもう一つ重大な発見をした。それは誰も代赭色の海には、――人生に横わる代赭色の海にも目をつぶり易いと云うことである。」
けれどもこれは事実ではない。のみならず満潮は大森の海にも青い色の浪を立たせている。すると現実とは代赭色の海か、それともまた青い色の海か? 所詮は我々のリアリズムも甚だ当にならぬと云うほかはない。かたがた保吉は前のような無技巧に話を終ることにした。が、話の体裁は?――芸術は諸君の云うように何よりもまず内容である。形容などはどうでも差支えない。
五 幻燈
「このランプへこう火をつけて頂きます。」
玩具屋の主人は金属製のランプへ黄色いマッチの火をともした。それから幻燈の後ろの戸をあけ、そっとそのランプを器械の中へ移した。七歳の保吉は息もつかずに、テエブルの前へ及び腰になった主人の手もとを眺めている。綺麗に髪を左から分けた、妙に色の蒼白い主人の手もとを眺めている。時間はやっと三時頃であろう。玩具屋の外の硝子戸は一ぱいに当った日の光りの中に絶え間のない人通りを映している。が、玩具屋の店の中は――殊にこの玩具の空箱などを無造作に積み上げた店の隅は日の暮の薄暗さと変りはない。保吉はここへ来た時に何か気味悪さに近いものを感じた。しかし今は幻燈に――幻燈を映して見せる主人にあらゆる感情を忘れている。いや、彼の後ろに立った父の存在さえ忘れている。
「ランプを入れて頂きますと、あちらへああ月が出ますから、――」
やっと腰を起した主人は保吉と云うよりもむしろ父へ向うの白壁を指し示した。幻燈はその白壁の上へちょうど差渡し三尺ばかりの光りの円を描いている。柔かに黄ばんだ光りの円はなるほど月に似ているかも知れない。が、白壁の蜘蛛の巣や埃もそこだけはありありと目に見えている。
「こちらへこう画をさすのですな。」
かたりと云う音の聞えたと思うと、光りの円はいつのまにかぼんやりと何か映している。保吉は金属の熱する匂に一層好奇心を刺戟されながら、じっとその何かへ目を注いだ。何か、――まだそこに映ったものは風景か人物かも判然しない。ただわずかに見分けられるのははかない石鹸玉に似た色彩である。いや、色彩の似たばかりではない。この白壁に映っているのはそれ自身大きい石鹸玉である。夢のようにどこからか漂って来た薄明りの中の石鹸玉である。
「あのぼんやりしているのはレンズのピントを合せさえすれば――この前にあるレンズですな。――直に御覧の通りはっきりなります。」
主人はもう一度及び腰になった。と同時に石鹸玉は見る見る一枚の風景画に変った。もっとも日本の風景画ではない。水路の両側に家々の聳えたどこか西洋の風景画である。時刻はもう日の暮に近い頃であろう。三日月は右手の家々の空にかすかに光りを放っている。その三日月も、家々も、家々の窓の薔薇の花も、ひっそりと湛えた水の上へ鮮かに影を落している。人影は勿論、見渡したところ鴎一羽浮んでいない。水はただ突当りの橋の下へまっ直に一すじつづいている。
「イタリヤのベニスの風景でございます。」
三十年後の保吉にヴェネチアの魅力を教えたのはダンヌンチオの小説である。けれども当時の保吉はこの家々だの水路だのにただたよりのない寂しさを感じた。彼の愛する風景は大きい丹塗りの観音堂の前に無数の鳩の飛ぶ浅草である。あるいはまた高い時計台の下に鉄道馬車の通る銀座である。それらの風景に比べると、この家々だの水路だのは何と云う寂しさに満ちているのであろう。鉄道馬車や鳩は見えずとも好い。せめては向うの橋の上に一列の汽車でも通っていたら、――ちょうどこう思った途端である。大きいリボンをした少女が一人、右手に並んだ窓の一つから突然小さい顔を出した。どの窓かははっきり覚えていない。しかし大体三日月の下の窓だったことだけは確かである。少女は顔を出したと思うと、さらにその顔をこちらへ向けた。それから――遠目にも愛くるしい顔に疑う余地のない頬笑みを浮かべた? が、それは掛け価のない一二秒の間の出来ごとである。思わず「おや」と目を見はった時には、少女はもういつのまにか窓の中へ姿を隠したのであろう。窓はどの窓も同じように人気のない窓かけを垂らしている。……
「さあ、もう映しかたはわかったろう?」
父の言葉は茫然とした彼を現実の世界へ呼び戻した。父は葉巻を啣えたまま、退屈そうに後ろに佇んでいる。玩具屋の外の往来も不相変人通りを絶たないらしい。主人も――綺麗に髪を分けた主人は小手調べをすませた手品師のように、妙な蒼白い頬のあたりへ満足の微笑を漂わせている。保吉は急にこの幻燈を一刻も早く彼の部屋へ持って帰りたいと思い出した。……
保吉はその晩父と一しょに蝋を引いた布の上へ、もう一度ヴェネチアの風景を映した。中空の三日月、両側の家々、家々の窓の薔薇の花を映した一すじの水路の水の光り、――それは皆前に見た通りである。が、あの愛くるしい少女だけはどうしたのか今度は顔を出さない。窓と云う窓はいつまで待っても、だらりと下った窓かけの後に家々の秘密を封じている。保吉はとうとう待ち遠しさに堪えかね、ランプの具合などを気にしていた父へ歎願するように話しかけた。
「あの女の子はどうして出ないの?」
「女の子? どこかに女の子がいるのかい?」
父は保吉の問の意味さえ、はっきりわからない様子である。
「ううん、いはしないけれども、顔だけ窓から出したじゃないの?」
「いつさ?」
「玩具屋の壁へ映した時に。」
「あの時も女の子なんぞは出やしないさ。」
「だって顔を出したのが見えたんだもの。」
「何を云っている?」
父は何と思ったか保吉の額へ手のひらをやった。それから急に保吉にもつけ景気とわかる大声を出した。
「さあ、今度は何を映そう?」
けれども保吉は耳にもかけず、ヴェネチアの風景を眺めつづけた。窓は薄明るい水路の水に静かな窓かけを映している。しかしいつかはどこかの窓から、大きいリボンをした少女が一人、突然顔を出さぬものでもない。――彼はこう考えると、名状の出来ぬ懐しさを感じた。同時に従来知らなかったある嬉しい悲しさをも感じた。あの画の幻燈の中にちらりと顔を出した少女は実際何か超自然の霊が彼の目に姿を現わしたのであろうか? あるいはまた少年に起り易い幻覚の一種に過ぎなかったのであろうか? それは勿論彼自身にも解決出来ないのに違いない。が、とにかく保吉は三十年後の今日さえ、しみじみ塵労に疲れた時にはこの永久に帰って来ないヴェネチアの少女を思い出している、ちょうど何年も顔をみない初恋の女人でも思い出すように。
六 お母さん
八歳か九歳の時か、とにかくどちらかの秋である。陸軍大将の川島は回向院の濡れ仏の石壇の前に佇みながら、味かたの軍隊を検閲した。もっとも軍隊とは云うものの、味かたは保吉とも四人しかいない。それも金釦の制服を着た保吉一人を例外に、あとはことごとく紺飛白や目くら縞の筒袖を着ているのである。
これは勿論国技館の影の境内に落ちる回向院ではない。まだ野分の朝などには鼠小僧の墓のあたりにも銀杏落葉の山の出来る二昔前の回向院である。妙に鄙びた当時の景色――江戸と云うよりも江戸のはずれの本所と云う当時の景色はとうの昔に消え去ってしまった。しかしただ鳩だけは同じことである。いや、鳩も違っているかも知れない。その日も濡れ仏の石壇のまわりはほとんど鳩で一ぱいだった。が、どの鳩も今日のように小綺麗に見えはしなかったらしい。「門前の土鳩を友や樒売り」――こう云う天保の俳人の作は必ずしも回向院の樒売りをうたったものとは限らないであろう。それとも保吉はこの句さえ見れば、いつも濡れ仏の石壇のまわりにごみごみ群がっていた鳩を、――喉の奥にこもる声に薄日の光りを震わせていた鳩を思い出さずにはいられないのである。
鑢屋の子の川島は悠々と検閲を終った後、目くら縞の懐ろからナイフだのパチンコだのゴム鞠だのと一しょに一束の画札を取り出した。これは駄菓子屋に売っている行軍将棋の画札である。川島は彼等に一枚ずつその画札を渡しながら、四人の部下を任命(?)した。ここにその任命を公表すれば、桶屋の子の平松は陸軍少将、巡査の子の田宮は陸軍大尉、小間物屋の子の小栗はただの工兵、堀川保吉は地雷火である。地雷火は悪い役ではない。ただ工兵にさえ出合わなければ、大将をも俘に出来る役である。保吉は勿論得意だった。が、円まろと肥った小栗は任命の終るか終らないのに、工兵になる不平を訴え出した。
「工兵じゃつまらないなあ。よう、川島さん。あたいも地雷火にしておくれよ、よう。」
「お前はいつだって俘になるじゃないか?」
川島は真顔にたしなめた。けれども小栗はまっ赤になりながら、少しも怯まずに云い返した。
「嘘をついていらあ。この前に大将を俘にしたのだってあたいじゃないか?」
「そうか? じゃこの次には大尉にしてやる。」
川島はにやりと笑ったと思うと、たちまち小栗を懐柔した。保吉は未にこの少年の悪智慧の鋭さに驚いている。川島は小学校も終らないうちに、熱病のために死んでしまった。が、万一死なずにいた上、幸いにも教育を受けなかったとすれば、少くとも今は年少気鋭の市会議員か何かになっていたはずである。……
「開戦!」
この時こう云う声を挙げたのは表門の前に陣取った、やはり四五人の敵軍である。敵軍はきょうも弁護士の子の松本を大将にしているらしい。紺飛白の胸に赤シャツを出した、髪の毛を分けた松本は開戦の合図をするためか、高だかと学校帽をふりまわしている。
「開戦!」
画札を握った保吉は川島の号令のかかると共に、誰よりも先へ吶喊した。同時にまた静かに群がっていた鳩は夥しい羽音を立てながら、大まわりに中ぞらへ舞い上った。それから――それからは未曾有の激戦である。硝煙は見る見る山をなし、敵の砲弾は雨のように彼等のまわりへ爆発した。しかし味かたは勇敢にじりじり敵陣へ肉薄した。もっとも敵の地雷火は凄まじい火柱をあげるが早いか、味かたの少将を粉微塵にした。が、敵軍も大佐を失い、その次にはまた保吉の恐れる唯一の工兵を失ってしまった。これを見た味かたは今までよりも一層猛烈に攻撃をつづけた。――と云うのは勿論事実ではない。ただ保吉の空想に映じた回向院の激戦の光景である。けれども彼は落葉だけ明るい、もの寂びた境内を駆けまわりながら、ありありと硝煙の匂を感じ、飛び違う砲火の閃きを感じた。いや、ある時は大地の底に爆発の機会を待っている地雷火の心さえ感じたものである。こう云う溌剌とした空想は中学校へはいった後、いつのまにか彼を見離してしまった。今日の彼は戦ごっこの中に旅順港の激戦を見ないばかりではない、むしろ旅順港の激戦の中にも戦ごっこを見ているばかりである。しかし追憶は幸いにも少年時代へ彼を呼び返した。彼はまず何を措いても、当時の空想を再びする無上の快楽を捉えなければならぬ。――
硝煙は見る見る山をなし、敵の砲弾は雨のように彼等のまわりへ爆発した。保吉はその中を一文字に敵の大将へ飛びかかった。敵の大将は身を躱すと、一散に陣地へ逃げこもうとした。保吉はそれへ追いすがった。と思うと石に躓いたのか、仰向けにそこへ転んでしまった。同時にまた勇ましい空想も石鹸玉のように消えてしまった。もう彼は光栄に満ちた一瞬間前の地雷火ではない。顔は一面に鼻血にまみれ、ズボンの膝は大穴のあいた、帽子も何もない少年である。彼はやっと立ち上ると、思わず大声に泣きはじめた。敵味方の少年はこの騒ぎにせっかくの激戦も中止したまま、保吉のまわりへ集まったらしい。「やあ、負傷した」と云うものもある。「仰向けにおなりよ」と云うものもある。「おいらのせいじゃなあい」と云うものもある。が、保吉は痛みよりも名状の出来ぬ悲しさのために、二の腕に顔を隠したなり、いよいよ懸命に泣きつづけた。すると突然耳もとに嘲笑の声を挙げたのは陸軍大将の川島である。
「やあい、お母さんて泣いていやがる!」
川島の言葉はたちまちのうちに敵味方の言葉を笑い声に変じた。殊に大声に笑い出したのは地雷火になり損った小栗である。
「可笑しいな。お母さんて泣いていやがる!」
けれども保吉は泣いたにもせよ、「お母さん」などと云った覚えはない。それを云ったように誣いるのはいつもの川島の意地悪である。――こう思った彼は悲しさにも増した口惜しさに一ぱいになったまま、さらにまた震え泣きに泣きはじめた。しかしもう意気地のない彼には誰一人好意を示すものはいない。のみならず彼等は口々に川島の言葉を真似しながら、ちりぢりにどこかへ駈け出して行った。
「やあい、お母さんって泣いていやがる!」
保吉は次第に遠ざかる彼等の声を憎み憎み、いつかまた彼の足もとへ下りた無数の鳩にも目をやらずに、永い間啜り泣きをやめなかった。
保吉は爾来この「お母さん」を全然川島の発明した譃とばかり信じていた。ところがちょうど三年以前、上海へ上陸すると同時に、東京から持ち越したインフルエンザのためにある病院へはいることになった。熱は病院へはいった後も容易に彼を離れなかった。彼は白い寝台の上に朦朧とした目を開いたまま、蒙古の春を運んで来る黄沙の凄じさを眺めたりしていた。するとある蒸暑い午後、小説を読んでいた看護婦は突然椅子を離れると、寝台の側へ歩み寄りながら、不思議そうに彼の顔を覗きこんだ。
「あら、お目覚になっていらっしゃるんですか?」
「どうして?」
「だって今お母さんって仰有ったじゃありませんか?」
保吉はこの言葉を聞くが早いか、回向院の境内を思い出した。川島もあるいは意地の悪い譃をついたのではなかったかも知れない。
(大正十三年四月) | 底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月8日公開
2004年3月9日修正
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一
ある春の午過ぎです。白と云う犬は土を嗅ぎ嗅ぎ、静かな往来を歩いていました。狭い往来の両側にはずっと芽をふいた生垣が続き、そのまた生垣の間にはちらほら桜なども咲いています。白は生垣に沿いながら、ふとある横町へ曲りました。が、そちらへ曲ったと思うと、さもびっくりしたように、突然立ち止ってしまいました。
それも無理はありません。その横町の七八間先には印半纏を着た犬殺しが一人、罠を後に隠したまま、一匹の黒犬を狙っているのです。しかも黒犬は何も知らずに、犬殺しの投げてくれたパンか何かを食べているのです。けれども白が驚いたのはそのせいばかりではありません。見知らぬ犬ならばともかくも、今犬殺しに狙われているのはお隣の飼犬の黒なのです。毎朝顔を合せる度にお互の鼻の匂を嗅ぎ合う、大の仲よしの黒なのです。
白は思わず大声に「黒君! あぶない!」と叫ぼうとしました。が、その拍子に犬殺しはじろりと白へ目をやりました。「教えて見ろ! 貴様から先へ罠にかけるぞ。」――犬殺しの目にはありありとそう云う嚇しが浮んでいます。白は余りの恐ろしさに、思わず吠えるのを忘れました。いや、忘れたばかりではありません。一刻もじっとしてはいられぬほど、臆病風が立ち出したのです。白は犬殺しに目を配りながら、じりじり後すざりを始めました。そうしてまた生垣の蔭に犬殺しの姿が隠れるが早いか、可哀そうな黒を残したまま、一目散に逃げ出しました。
その途端に罠が飛んだのでしょう。続けさまにけたたましい黒の鳴き声が聞えました。しかし白は引き返すどころか、足を止めるけしきもありません。ぬかるみを飛び越え、石ころを蹴散らし、往来どめの縄を擦り抜け、五味ための箱を引っくり返し、振り向きもせずに逃げ続けました。御覧なさい。坂を駈けおりるのを! そら、自動車に轢かれそうになりました! 白はもう命の助かりたさに夢中になっているのかも知れません。いや、白の耳の底にはいまだに黒の鳴き声が虻のように唸っているのです。
「きゃあん。きゃあん。助けてくれえ! きゃあん。きゃあん。助けてくれえ!」
二
白はやっと喘ぎ喘ぎ、主人の家へ帰って来ました。黒塀の下の犬くぐりを抜け、物置小屋を廻りさえすれば、犬小屋のある裏庭です。白はほとんど風のように、裏庭の芝生へ駈けこみました。もうここまで逃げて来れば、罠にかかる心配はありません。おまけに青あおした芝生には、幸いお嬢さんや坊ちゃんもボオル投げをして遊んでいます。それを見た白の嬉しさは何と云えば好いのでしょう? 白は尻尾を振りながら、一足飛びにそこへ飛んで行きました。
「お嬢さん! 坊ちゃん! 今日は犬殺しに遇いましたよ。」
白は二人を見上げると、息もつかずにこう云いました。(もっともお嬢さんや坊ちゃんには犬の言葉はわかりませんから、わんわんと聞えるだけなのです。)しかし今日はどうしたのか、お嬢さんも坊ちゃんもただ呆気にとられたように、頭さえ撫でてはくれません。白は不思議に思いながら、もう一度二人に話しかけました。
「お嬢さん! あなたは犬殺しを御存じですか? それは恐ろしいやつですよ。坊ちゃん! わたしは助かりましたが、お隣の黒君は掴まりましたぜ。」
それでもお嬢さんや坊ちゃんは顔を見合せているばかりです。おまけに二人はしばらくすると、こんな妙なことさえ云い出すのです。
「どこの犬でしょう? 春夫さん。」
「どこの犬だろう? 姉さん。」
どこの犬? 今度は白の方が呆気にとられました。(白にはお嬢さんや坊ちゃんの言葉もちゃんと聞きわけることが出来るのです。我々は犬の言葉がわからないものですから、犬もやはり我々の言葉はわからないように考えていますが、実際はそうではありません。犬が芸を覚えるのは我々の言葉がわかるからです。しかし我々は犬の言葉を聞きわけることが出来ませんから、闇の中を見通すことだの、かすかな匂を嗅ぎ当てることだの、犬の教えてくれる芸は一つも覚えることが出来ません。)
「どこの犬とはどうしたのです? わたしですよ! 白ですよ!」
けれどもお嬢さんは不相変気味悪そうに白を眺めています。
「お隣の黒の兄弟かしら?」
「黒の兄弟かも知れないね。」坊ちゃんもバットをおもちゃにしながら、考え深そうに答えました。
「こいつも体中まっ黒だから。」
白は急に背中の毛が逆立つように感じました。まっ黒! そんなはずはありません。白はまだ子犬の時から、牛乳のように白かったのですから。しかし今前足を見ると、いや、――前足ばかりではありません。胸も、腹も、後足も、すらりと上品に延びた尻尾も、みんな鍋底のようにまっ黒なのです。まっ黒! まっ黒! 白は気でも違ったように、飛び上ったり、跳ね廻ったりしながら、一生懸命に吠え立てました。
「あら、どうしましょう? 春夫さん。この犬はきっと狂犬だわよ。」
お嬢さんはそこに立ちすくんだなり、今にも泣きそうな声を出しました。しかし坊ちゃんは勇敢です。白はたちまち左の肩をぽかりとバットに打たれました。と思うと二度目のバットも頭の上へ飛んで来ます。白はその下をくぐるが早いか、元来た方へ逃げ出しました。けれども今度はさっきのように、一町も二町も逃げ出しはしません。芝生のはずれには棕櫚の木のかげに、クリイム色に塗った犬小屋があります。白は犬小屋の前へ来ると、小さい主人たちを振り返りました。
「お嬢さん! 坊ちゃん! わたしはあの白なのですよ。いくらまっ黒になっていても、やっぱりあの白なのですよ。」
白の声は何とも云われぬ悲しさと怒りとに震えていました。けれどもお嬢さんや坊ちゃんにはそう云う白の心もちも呑みこめるはずはありません。現にお嬢さんは憎らしそうに、
「まだあすこに吠えているわ。ほんとうに図々しい野良犬ね。」などと、地だんだを踏んでいるのです。坊ちゃんも、――坊ちゃんは小径の砂利を拾うと、力一ぱい白へ投げつけました。
「畜生! まだ愚図愚図しているな。これでもか? これでもか?」砂利は続けさまに飛んで来ました。中には白の耳のつけ根へ、血の滲むくらい当ったのもあります。白はとうとう尻尾を巻き、黒塀の外へぬけ出しました。黒塀の外には春の日の光に銀の粉を浴びた紋白蝶が一羽、気楽そうにひらひら飛んでいます。
「ああ、きょうから宿無し犬になるのか?」
白はため息を洩らしたまま、しばらくはただ電柱の下にぼんやり空を眺めていました。
三
お嬢さんや坊ちゃんに逐い出された白は東京中をうろうろ歩きました。しかしどこへどうしても、忘れることの出来ないのはまっ黒になった姿のことです。白は客の顔を映している理髪店の鏡を恐れました。雨上りの空を映している往来の水たまりを恐れました。往来の若葉を映している飾窓の硝子を恐れました。いや、カフェのテエブルに黒ビイルを湛えているコップさえ、――けれどもそれが何になりましょう? あの自動車を御覧なさい。ええ、あの公園の外にとまった、大きい黒塗りの自動車です。漆を光らせた自動車の車体は今こちらへ歩いて来る白の姿を映しました。――はっきりと、鏡のように。白の姿を映すものはあの客待の自動車のように、到るところにある訣なのです。もしあれを見たとすれば、どんなに白は恐れるでしょう。それ、白の顔を御覧なさい。白は苦しそうに唸ったと思うと、たちまち公園の中へ駈けこみました。
公園の中には鈴懸の若葉にかすかな風が渡っています。白は頭を垂れたなり、木々の間を歩いて行きました。ここには幸い池のほかには、姿を映すものも見当りません。物音はただ白薔薇に群がる蜂の声が聞えるばかりです。白は平和な公園の空気に、しばらくは醜い黒犬になった日ごろの悲しさも忘れていました。
しかしそう云う幸福さえ五分と続いたかどうかわかりません。白はただ夢のように、ベンチの並んでいる路ばたへ出ました。するとその路の曲り角の向うにけたたましい犬の声が起ったのです。
「きゃん。きゃん。助けてくれえ! きゃあん。きゃあん。助けてくれえ!」
白は思わず身震いをしました。この声は白の心の中へ、あの恐ろしい黒の最後をもう一度はっきり浮ばせたのです。白は目をつぶったまま、元来た方へ逃げ出そうとしました。けれどもそれは言葉通り、ほんの一瞬の間のことです。白は凄じい唸り声を洩らすと、きりりとまた振り返りました。
「きゃあん。きゃあん。助けてくれえ! きゃあん。きゃあん。助けてくれえ!」
この声はまた白の耳にはこう云う言葉にも聞えるのです。
「きゃあん。きゃあん。臆病ものになるな! きゃあん。臆病ものになるな!」
白は頭を低めるが早いか、声のする方へ駈け出しました。
けれどもそこへ来て見ると、白の目の前へ現れたのは犬殺しなどではありません。ただ学校の帰りらしい、洋服を着た子供が二三人、頸のまわりへ縄をつけた茶色の子犬を引きずりながら、何かわいわい騒いでいるのです。子犬は一生懸命に引きずられまいともがきもがき、「助けてくれえ。」と繰り返していました。しかし子供たちはそんな声に耳を借すけしきもありません。ただ笑ったり、怒鳴ったり、あるいはまた子犬の腹を靴で蹴ったりするばかりです。
白は少しもためらわずに、子供たちを目がけて吠えかかりました。不意を打たれた子供たちは驚いたの驚かないのではありません。また実際白の容子は火のように燃えた眼の色と云い、刃物のようにむき出した牙の列と云い、今にも噛みつくかと思うくらい、恐ろしいけんまくを見せているのです。子供たちは四方へ逃げ散りました。中には余り狼狽したはずみに、路ばたの花壇へ飛びこんだのもあります。白は二三間追いかけた後、くるりと子犬を振り返ると、叱るようにこう声をかけました。
「さあ、おれと一しょに来い。お前の家まで送ってやるから。」
白は元来た木々の間へ、まっしぐらにまた駈けこみました。茶色の子犬も嬉しそうに、ベンチをくぐり、薔薇を蹴散らし、白に負けまいと走って来ます。まだ頸にぶら下った、長い縄をひきずりながら。
× × ×
二三時間たった後、白は貧しいカフェの前に茶色の子犬と佇んでいました。昼も薄暗いカフェの中にはもう赤あかと電燈がともり、音のかすれた蓄音機は浪花節か何かやっているようです。子犬は得意そうに尾を振りながら、こう白へ話しかけました。
「僕はここに住んでいるのです。この大正軒と云うカフェの中に。――おじさんはどこに住んでいるのです?」
「おじさんかい?――おじさんはずっと遠い町にいる。」
白は寂しそうにため息をしました。
「じゃもうおじさんは家へ帰ろう。」
「まあお待ちなさい。おじさんの御主人はやかましいのですか?」
「御主人? なぜまたそんなことを尋ねるのだい?」
「もし御主人がやかましくなければ、今夜はここに泊って行って下さい。それから僕のお母さんにも命拾いの御礼を云わせて下さい。僕の家には牛乳だの、カレエ・ライスだの、ビフテキだの、いろいろな御馳走があるのです。」
「ありがとう。ありがとう。だがおじさんは用があるから、御馳走になるのはこの次にしよう。――じゃお前のお母さんによろしく。」
白はちょいと空を見てから、静かに敷石の上を歩き出しました。空にはカフェの屋根のはずれに、三日月もそろそろ光り出しています。
「おじさん。おじさん。おじさんと云えば!」
子犬は悲しそうに鼻を鳴らしました。
「じゃ名前だけ聞かして下さい。僕の名前はナポレオンと云うのです。ナポちゃんだのナポ公だのとも云われますけれども。――おじさんの名前は何と云うのです?」
「おじさんの名前は白と云うのだよ。」
「白――ですか? 白と云うのは不思議ですね。おじさんはどこも黒いじゃありませんか?」
白は胸が一ぱいになりました。
「それでも白と云うのだよ。」
「じゃ白のおじさんと云いましょう。白のおじさん。ぜひまた近い内に一度来て下さい。」
「じゃナポ公、さよなら!」
「御機嫌好う、白のおじさん! さようなら、さようなら!」
四
その後の白はどうなったか?――それは一々話さずとも、いろいろの新聞に伝えられています。大かたどなたも御存じでしょう。度々危い人命を救った、勇ましい一匹の黒犬のあるのを。また一時『義犬』と云う活動写真の流行したことを。あの黒犬こそ白だったのです。しかしまだ不幸にも御存じのない方があれば、どうか下に引用した新聞の記事を読んで下さい。
東京日日新聞。昨十八日(五月)午前八時四十分、奥羽線上り急行列車が田端駅附近の踏切を通過する際、踏切番人の過失に依り、田端一二三会社員柴山鉄太郎の長男実彦(四歳)が列車の通る線路内に立ち入り、危く轢死を遂げようとした。その時逞しい黒犬が一匹、稲妻のように踏切へ飛びこみ、目前に迫った列車の車輪から、見事に実彦を救い出した。この勇敢なる黒犬は人々の立騒いでいる間にどこかへ姿を隠したため、表彰したいにもすることが出来ず、当局は大いに困っている。
東京朝日新聞。軽井沢に避暑中のアメリカ富豪エドワアド・バアクレエ氏の夫人はペルシア産の猫を寵愛している。すると最近同氏の別荘へ七尺余りの大蛇が現れ、ヴェランダにいる猫を呑もうとした。そこへ見慣れぬ黒犬が一匹、突然猫を救いに駈けつけ、二十分に亘る奮闘の後、とうとうその大蛇を噛み殺した。しかしこのけなげな犬はどこかへ姿を隠したため、夫人は五千弗の賞金を懸け、犬の行方を求めている。
国民新聞。日本アルプス横断中、一時行方不明になった第一高等学校の生徒三名は七日(八月)上高地の温泉へ着した。一行は穂高山と槍ヶ岳との間に途を失い、かつ過日の暴風雨に天幕糧食等を奪われたため、ほとんど死を覚悟していた。然るにどこからか黒犬が一匹、一行のさまよっていた渓谷に現れ、あたかも案内をするように、先へ立って歩き出した。一行はこの犬の後に従い、一日余り歩いた後、やっと上高地へ着することが出来た。しかし犬は目の下に温泉宿の屋根が見えると、一声嬉しそうに吠えたきり、もう一度もと来た熊笹の中へ姿を隠してしまったと云う。一行は皆この犬が来たのは神明の加護だと信じている。
時事新報。十三日(九月)名古屋市の大火は焼死者十余名に及んだが、横関名古屋市長なども愛児を失おうとした一人である。令息武矩(三歳)はいかなる家族の手落からか、猛火の中の二階に残され、すでに灰燼となろうとしたところを、一匹の黒犬のために啣え出された。市長は今後名古屋市に限り、野犬撲殺を禁ずると云っている。
読売新聞。小田原町城内公園に連日の人気を集めていた宮城巡回動物園のシベリヤ産大狼は二十五日(十月)午後二時ごろ、突然巌乗な檻を破り、木戸番二名を負傷させた後、箱根方面へ逸走した。小田原署はそのために非常動員を行い、全町に亘る警戒線を布いた。すると午後四時半ごろ右の狼は十字町に現れ、一匹の黒犬と噛み合いを初めた。黒犬は悪戦頗る努め、ついに敵を噛み伏せるに至った。そこへ警戒中の巡査も駈けつけ、直ちに狼を銃殺した。この狼はルプス・ジガンティクスと称し、最も兇猛な種属であると云う。なお宮城動物園主は狼の銃殺を不当とし、小田原署長を相手どった告訴を起すといきまいている。等、等、等。
五
ある秋の真夜中です。体も心も疲れ切った白は主人の家へ帰って来ました。勿論お嬢さんや坊ちゃんはとうに床へはいっています。いや、今は誰一人起きているものもありますまい。ひっそりした裏庭の芝生の上にも、ただ高い棕櫚の木の梢に白い月が一輪浮んでいるだけです。白は昔の犬小屋の前に、露に濡れた体を休めました。それから寂しい月を相手に、こういう独語を始めました。
「お月様! お月様! わたしは黒君を見殺しにしました。わたしの体のまっ黒になったのも、大かたそのせいかと思っています。しかしわたしはお嬢さんや坊ちゃんにお別れ申してから、あらゆる危険と戦って来ました。それは一つには何かの拍子に煤よりも黒い体を見ると、臆病を恥じる気が起ったからです。けれどもしまいには黒いのがいやさに、――この黒いわたしを殺したさに、あるいは火の中へ飛びこんだり、あるいはまた狼と戦ったりしました。が、不思議にもわたしの命はどんな強敵にも奪われません。死もわたしの顔を見ると、どこかへ逃げ去ってしまうのです。わたしはとうとう苦しさの余り、自殺しようと決心しました。ただ自殺をするにつけても、ただ一目会いたいのは可愛がって下すった御主人です。勿論お嬢さんや坊ちゃんはあしたにもわたしの姿を見ると、きっとまた野良犬と思うでしょう。ことによれば坊ちゃんのバットに打ち殺されてしまうかも知れません。しかしそれでも本望です。お月様! お月様! わたしは御主人の顔を見るほかに、何も願うことはありません。そのため今夜ははるばるともう一度ここへ帰って来ました。どうか夜の明け次第、お嬢さんや坊ちゃんに会わして下さい。」
白は独語を云い終ると、芝生に腭をさしのべたなり、いつかぐっすり寝入ってしまいました。
× × ×
「驚いたわねえ、春夫さん。」
「どうしたんだろう? 姉さん。」
白は小さい主人の声に、はっきりと目を開きました。見ればお嬢さんや坊ちゃんは犬小屋の前に佇んだまま、不思議そうに顔を見合せています。白は一度挙げた目をまた芝生の上へ伏せてしまいました。お嬢さんや坊ちゃんは白がまっ黒に変った時にも、やはり今のように驚いたものです。あの時の悲しさを考えると、――白は今では帰って来たことを後悔する気さえ起りました。するとその途端です。坊ちゃんは突然飛び上ると、大声にこう叫びました。
「お父さん! お母さん! 白がまた帰って来ましたよ!」
白が! 白は思わず飛び起きました。すると逃げるとでも思ったのでしょう。お嬢さんは両手を延ばしながら、しっかり白の頸を押えました。同時に白はお嬢さんの目へ、じっと彼の目を移しました。お嬢さんの目には黒い瞳にありありと犬小屋が映っています。高い棕櫚の木のかげになったクリイム色の犬小屋が、――そんなことは当然に違いありません。しかしその犬小屋の前には米粒ほどの小ささに、白い犬が一匹坐っているのです。清らかに、ほっそりと。――白はただ恍惚とこの犬の姿に見入りました。
「あら、白は泣いているわよ。」
お嬢さんは白を抱きしめたまま、坊ちゃんの顔を見上げました。坊ちゃんは――御覧なさい、坊ちゃんの威張っているのを!
「へっ、姉さんだって泣いている癖に!」
(大正十二年七月) | 底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
初出:「女性改造」
1923(大正12)年8月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:もりみつじゅんじ
1999年3月1日公開
2012年3月22日修正
青空文庫作成ファイル:
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一
或秋の午頃、僕は東京から遊びに来た大学生のK君と一しょに蜃気楼を見に出かけて行った。鵠沼の海岸に蜃気楼の見えることは誰でももう知っているであろう。現に僕の家の女中などは逆まに舟の映ったのを見、「この間の新聞に出ていた写真とそっくりですよ。」などと感心していた。
僕等は東家の横を曲り、次手にO君も誘うことにした。不相変赤シャツを着たO君は午飯の支度でもしていたのか、垣越しに見える井戸端にせっせとポンプを動かしていた。僕は秦皮樹のステッキを挙げ、O君にちょっと合図をした。
「そっちから上って下さい。――やあ、君も来ていたのか?」
O君は僕がK君と一しょに遊びに来たものと思ったらしかった。
「僕等は蜃気楼を見に出て来たんだよ。君も一しょに行かないか?」
「蜃気楼か? ――」
O君は急に笑い出した。
「どうもこの頃は蜃気楼ばやりだな。」
五分ばかりたった後、僕等はもうO君と一しょに砂の深い路を歩いて行った。路の左は砂原だった。そこに牛車の轍が二すじ、黒ぐろと斜めに通っていた。僕はこの深い轍に何か圧迫に近いものを感じた。逞しい天才の仕事の痕、――そんな気も迫って来ないのではなかった。
「まだ僕は健全じゃないね。ああ云う車の痕を見てさえ、妙に参ってしまうんだから。」
O君は眉をひそめたまま、何とも僕の言葉に答えなかった。が、僕の心もちはO君にははっきり通じたらしかった。
そのうちに僕等は松の間を、――疎らに低い松の間を通り、引地川の岸を歩いて行った。海は広い砂浜の向うに深い藍色に晴れ渡っていた。が、絵の島は家々や樹木も何か憂鬱に曇っていた。
「新時代ですね?」
K君の言葉は唐突だった。のみならず微笑を含んでいた。新時代? ――しかも僕は咄嗟の間にK君の「新時代」を発見した。それは砂止めの笹垣を後ろに海を眺めている男女だった。尤も薄いインバネスに中折帽をかぶった男は新時代と呼ぶには当らなかった。しかし女の断髪は勿論、パラソルや踵の低い靴さえ確に新時代に出来上っていた。
「幸福らしいね。」
「君なんぞは羨しい仲間だろう。」
O君はK君をからかったりした。
蜃気楼の見える場所は彼等から一町ほど隔っていた。僕等はいずれも腹這いになり、陽炎の立った砂浜を川越しに透かして眺めたりした。砂浜の上には青いものが一すじ、リボンほどの幅にゆらめいていた。それはどうしても海の色が陽炎に映っているらしかった。が、その外には砂浜にある船の影も何も見えなかった。
「あれを蜃気楼と云うんですかね?」
K君は顋を砂だらけにしたなり、失望したようにこう言っていた。そこへどこからか鴉が一羽、二三町隔った砂浜の上を、藍色にゆらめいたものの上をかすめ、更に又向うへ舞い下った。と同時に鴉の影はその陽炎の帯の上へちらりと逆まに映って行った。
「これでもきょうは上等の部だな。」
僕等はO君の言葉と一しょに砂の上から立ち上った。するといつか僕等の前には僕等の残して来た「新時代」が二人、こちらへ向いて歩いていた。
僕はちょっとびっくりし、僕等の後ろをふり返った。しかし彼等は不相変一町ほど向うの笹垣を後ろに何か話しているらしかった。僕等は、――殊にO君は拍子抜けのしたように笑い出した。
「この方が反って蜃気楼じゃないか?」
僕等の前にいる「新時代」は勿論彼等とは別人だった。が、女の断髪や男の中折帽をかぶった姿は彼等と殆ど変らなかった。
「僕は何だか気味が悪かった。」
「僕もいつの間に来たのかと思いましたよ。」
僕等はこんなことを話しながら、今度は引地川の岸に沿わずに低い砂山を越えて行った。砂山は砂止めの笹垣の裾にやはり低い松を黄ばませていた。O君はそこを通る時に「どっこいしょ」と云うように腰をかがめ、砂の上の何かを拾い上げた。それは瀝青らしい黒枠の中に横文字を並べた木札だった。
「何だい、それは? Sr. H. Tsuji …… Unua …… Aprilo …… Jaro ……1906……」
「何かしら? dua …… Majesta ……ですか? 1926としてありますね。」
「これは、ほれ、水葬した死骸についていたんじゃないか?」
O君はこう云う推測を下した。
「だって死骸を水葬する時には帆布か何かに包むだけだろう?」
「だからそれへこの札をつけてさ。――ほれ、ここに釘が打ってある。これはもとは十字架の形をしていたんだな。」
僕等はもうその時には別荘らしい篠垣や松林の間を歩いていた。木札はどうもO君の推測に近いものらしかった。僕は又何か日の光の中に感じる筈のない無気味さを感じた。
「縁起でもないものを拾ったな。」
「何、僕はマスコットにするよ。……しかし1906から1926とすると、二十位で死んだんだな。二十位と――」
「男ですかしら? 女ですかしら?」
「さあね。……しかし兎に角この人は混血児だったかも知れないね。」
僕はK君に返事をしながら、船の中に死んで行った混血児の青年を想像した。彼は僕の想像によれば、日本人の母のある筈だった。
「蜃気楼か。」
O君はまっ直に前を見たまま、急にこう独り語を言った。それは或は何げなしに言った言葉かも知れなかった。が、僕の心もちには何か幽かに触れるものだった。
「ちょっと紅茶でも飲んで行くかな。」
僕等はいつか家の多い本通りの角に佇んでいた。家の多い? ――しかし砂の乾いた道には殆ど人通りは見えなかった。
「K君はどうするの?」
「僕はどうでも、………」
そこへ真白い犬が一匹、向うからぼんやり尾を垂れて来た。
二
K君の東京へ帰った後、僕は又O君や妻と一しょに引地川の橋を渡って行った。今度は午後の七時頃、――夕飯をすませたばかりだった。
その晩は星も見えなかった。僕等は余り話もせずに人げのない砂浜を歩いて行った。砂浜には引地川の川口のあたりに火かげが一つ動いていた。それは沖へ漁に行った船の目じるしになるものらしかった。
浪の音は勿論絶えなかった。が、浪打ち際へ近づくにつれ、だんだん磯臭さも強まり出した。それは海そのものよりも僕等の足もとに打ち上げられた海艸や汐木の匂らしかった。僕はなぜかこの匂を鼻の外にも皮膚の上に感じた。
僕等は暫く浪打ち際に立ち、浪がしらの仄くのを眺めていた。海はどこを見てもまっ暗だった。僕は彼是十年前、上総の或海岸に滞在していたことを思い出した。同時に又そこに一しょにいた或友だちのことを思い出した。彼は彼自身の勉強の外にも「芋粥」と云う僕の短篇の校正刷を読んでくれたりした。………
そのうちにいつかO君は浪打ち際にしゃがんだまま、一本のマッチをともしていた。
「何をしているの?」
「何ってことはないけれど、………ちょっとこう火をつけただけでも、いろんなものが見えるでしょう?」
O君は肩越しに僕等を見上げ、半ばは妻に話しかけたりした。成程一本のマッチの火は海松ふさや心太艸の散らかった中にさまざまの貝殻を照らし出していた。O君はその火が消えてしまうと、又新たにマッチを摺り、そろそろ浪打ち際を歩いて行った。
「やあ、気味が悪いなあ。土左衛門の足かと思った。」
それは半ば砂に埋まった遊泳靴の片っぽだった。そこには又海艸の中に大きい海綿もころがっていた。しかしその火も消えてしまうと、あたりは前よりも暗くなってしまった。
「昼間ほどの獲物はなかった訣だね。」
「獲物? ああ、あの札か? あんなものはざらにありはしない。」
僕等は絶え間ない浪の音を後に広い砂浜を引き返すことにした。僕等の足は砂の外にも時々海艸を踏んだりした。
「ここいらにもいろんなものがあるんだろうなあ。」
「もう一度マッチをつけて見ようか?」
「好いよ。………おや、鈴の音がするね。」
僕はちょっと耳を澄ました。それはこの頃の僕に多い錯覚かと思った為だった。が、実際鈴の音はどこかにしているのに違いなかった。僕はもう一度O君にも聞えるかどうか尋ねようとした。すると二三歩遅れていた妻は笑い声に僕等へ話しかけた。
「あたしの木履の鈴が鳴るでしょう。――」
しかし妻は振り返らずとも、草履をはいているのに違いなかった。
「あたしは今夜は子供になって木履をはいて歩いているんです。」
「奥さんの袂の中で鳴っているんだから、――ああ、Yちゃんのおもちゃだよ。鈴のついたセルロイドのおもちゃだよ。」
O君もこう言って笑い出した。そのうちに妻は僕等に追いつき、三人一列になって歩いて行った。僕等は妻の常談を機会に前よりも元気に話し出した。
僕はO君にゆうべの夢を話した。それは或文化住宅の前にトラック自動車の運転手と話をしている夢だった。僕はその夢の中にも確かにこの運転手には会ったことがあると思っていた。が、どこで会ったものかは目の醒めた後もわからなかった。
「それがふと思い出して見ると、三四年前にたった一度談話筆記に来た婦人記者なんだがね。」
「じゃ女の運転手だったの?」
「いや、勿論男なんだよ。顔だけは唯その人になっているんだ。やっぱり一度見たものは頭のどこかに残っているのかな。」
「そうだろうなあ。顔でも印象の強いやつは、………」
「けれども僕はその人の顔に興味も何もなかったんだがね。それだけに反って気味が悪いんだ。何だか意識の閾の外にもいろんなものがあるような気がして、………」
「つまりマッチへ火をつけて見ると、いろんなものが見えるようなものだな。」
僕はこんなことを話しながら、偶然僕等の顔だけははっきり見えるのを発見した。しかし星明りさえ見えないことは前と少しも変らなかった。僕は又何か無気味になり、何度も空を仰いで見たりした。すると妻も気づいたと見え、まだ何とも言わないうちに僕の疑問に返事をした。
「砂のせいですね。そうでしょう?」
妻は両袖を合せるようにし、広い砂浜をふり返っていた。
「そうらしいね。」
「砂と云うやつは悪戯ものだな。蜃気楼もこいつが拵えるんだから。………奥さんはまだ蜃気楼を見ないの?」
「いいえ、この間一度、――何だか青いものが見えたばかりですけれども。………」
「それだけですよ。きょう僕たちの見たのも。」
僕等は引地川の橋を渡り、東家の土手の外を歩いて行った。松は皆いつか起り出した風にこうこうと梢を鳴らしていた。そこへ背の低い男が一人、足早にこちらへ来るらしかった。僕はふとこの夏見た或錯覚を思い出した。それはやはりこう云う晩にポプラアの枝にかかった紙がヘルメット帽のように見えたのだった。が、その男は錯覚ではなかった。のみならず互に近づくのにつれ、ワイシャツの胸なども見えるようになった。
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僕は小声にこう言った後、忽ちピンだと思ったのは巻煙草の火だったのを発見した。すると妻は袂を銜え、誰よりも先に忍び笑いをし出した。が、その男はわき目もふらずにさっさと僕等とすれ違って行った。
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「おやすみなさいまし。」
僕等は気軽にO君に別れ、松風の音の中を歩いて行った。その又松風の音の中には虫の声もかすかにまじっていた。
「おじいさんの金婚式はいつになるんでしょう?」
「おじいさん」と云うのは父のことだった。
「いつになるかな。………東京からバタはとどいているね?」
「バタはまだ。とどいているのはソウセェジだけ。」
そのうちに僕等は門の前へ――半開きになった門の前へ来ていた。 | 底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館
1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第八卷」岩波書店
1978(昭和53)年3月22日発行
初出:「婦人公論 第十二年第三号」
1927(昭和2)年3月1日発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月24日公開
2016年2月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000147",
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一
高天原の国も春になった。
今は四方の山々を見渡しても、雪の残っている峰は一つもなかった。牛馬の遊んでいる草原は一面に仄かな緑をなすって、その裾を流れて行く天の安河の水の光も、いつか何となく人懐しい暖みを湛えているようであった。ましてその河下にある部落には、もう燕も帰って来れば、女たちが瓶を頭に載せて、水を汲みに行く噴き井の椿も、とうに点々と白い花を濡れ石の上に落していた。――
そう云う長閑な春の日の午後、天の安河の河原には大勢の若者が集まって、余念もなく力競べに耽っていた。
始、彼等は手ん手に弓矢を執って、頭上の大空へ矢を飛ばせた。彼等の弓の林の中からは、勇ましい弦の鳴る音が風のように起ったり止んだりした。そうしてその音の起る度に、矢は無数の蝗のごとく、日の光に羽根を光らせながら、折から空に懸っている霞の中へ飛んで行った。が、その中でも白い隼の羽根の矢ばかりは、必ずほかの矢よりも高く――ほとんど影も見えなくなるほど高く揚った。それは黒と白と市松模様の倭衣を着た、容貌の醜い一人の若者が、太い白檀木の弓を握って、時々切って放す利り矢であった。
その白羽の矢が舞い上る度に、ほかの若者たちは空を仰いで、口々に彼の技倆を褒めそやした。が、その矢がいつも彼等のより高く揚る事を知ると、彼等は次第に彼の征矢に冷淡な態度を装い出した。のみならず彼等の中の何者かが、彼には到底及ばなくとも、かなり高い所まで矢を飛ばすと、反ってその方へ賛辞を与えたりした。
容貌の醜い若者は、それでも快活に矢を飛ばせ続けた。するとほかの若者たちは、誰からともなく弓を引かなくなった。だから今まで紛々と乱れ飛んでいた矢の雨も、見る見る数が少くなって来た。そうしてとうとうしまいには、彼の射る白羽の矢ばかりが、まるで昼見える流星のように、たった一筋空へ上るようになった。
その内に彼も弓を止めて、得意らしい色を浮べながら、仲間の若者たちの方を振返った。が、彼の近所にはその満足を共にすべく、一人の若者も見当らなかった。彼等はもうその時には、みんな河原の水際により集まって、美しい天の安河の流れを飛び越えるのに熱中していた。
彼等は互に競い合って、同じ河の流れにしても、幅の広い所を飛び越えようとした。時によると不運な若者は、焼太刀のように日を照り返した河の中へ転げ落ちて、眩ゆい水煙を揚げる事もあった。が、大抵は向うの汀へ、ちょうど谷を渡る鹿のように、ひらりひらりと飛び移って行った。そうして今まで立っていたこちらの汀を振返っては声々に笑ったり話したりしていた。
容貌の醜い若者はこの新しい遊戯を見ると、すぐに弓矢を砂の上に捨てて、身軽く河の流れを躍り越えた。そこは彼等が飛んだ中でも、最も幅の広い所であった。けれどもほかの若者たちはさらに彼には頓着しなかった。彼等には彼の後で飛んだ――彼よりも幅の狭い所を彼よりも楽に飛び越えた、背の高い美貌の若者の方が、遥に人気があるらしかった。その若者は彼と同じ市松の倭衣を着ていたが、頸に懸けた勾玉や腕に嵌めた釧などは、誰よりも精巧な物であった。彼は腕を組んだまま、ちょいと羨しそうな眼を挙げて、その若者を眺めたが、やがて彼等の群を離れて、たった一人陽炎の中を河下の方へ歩き出した。
二
河下の方へ歩き出した彼は、やがて誰一人飛んだ事のない、三丈ほども幅のある流れの汀へ足を止めた。そこは一旦湍った水が今までの勢いを失いながら、両岸の石と砂との間に青々と澱んでいる所であった。彼はしばらくその水面を目測しているらしかったが、急に二三歩汀を去ると、まるで石投げを離れた石のように、勢いよくそこを飛び越えようとした。が、今度はとうとう飛び損じて、凄じい水煙を立てながら、まっさかさまに深みへ落ちこんでしまった。
彼の河へ落ちた所は、ほかの若者たちがいる所と大して離れていなかった。だから彼の失敗はすぐに彼等の目にもはいった。彼等のある者はこれを見ると、「ざまを見ろ」と云うように腹を抱えて笑い出した。と同時にまたある者は、やはり囃し立てながらも、以前よりは遥に同情のある声援の言葉を与えたりした。そう云う好意のある連中の中には、あの精巧な勾玉や釧の美しさを誇っている若者なども交っていた。彼等は彼の失敗のために、世間一般の弱者のごとく、始めて彼に幾分の親しみを持つ事が出来たのであった。が、彼等も一瞬の後には、また以前の沈黙に――敵意を蔵した沈黙に還らなければならない事が出来た。
と云うのは河に落ちた彼が、濡れ鼠のようになったまま、向うの汀へ這い上ったと思うと、執念深くもう一度その幅の広い流れの上を飛び越えようとしたからであった。いや、飛び越えようとしたばかりではない。彼は足を縮めながら、明礬色の水の上へ踊り上ったと思う内に、難なくそこを飛び越えた。そうしてこちらの水際へ、雲のような砂煙を舞い上げながら、どさりと大きな尻餅をついた。それは彼等の笑を買うべく、余りに壮厳すぎる滑稽であった。勿論彼等の間からは、喝采も歓呼も起らなかった。
彼は手足の砂を払うと、やっとずぶ濡れになった体を起して、仲間の若者たちの方を眺めやった。が、彼等はもうその時には、流れを飛び越えるのにも飽きたと見えて、また何か新しい力競べを試むべく、面白そうに笑い興じながら、河上の方へ急ぐ所であった。それでもまだ容貌の醜い若者は、快活な心もちを失わなかった。と云うよりも失う筈がなかった。何故と云えば彼等の不快は未に彼には通じなかった。彼はこう云う点になると、実際どこまでも御目出度く出来上った人間の一人であった。しかしまたその御目出度さがあらゆる強者に特有な烙印である事も事実であった。だから仲間の若者たちが河上の方へ行くのを見ると、彼はまだ滴を垂らしたまま、麗らかな春の日に目かげをして、のそのそ砂の上を歩き出した。
その間にほかの若者たちは、河原に散在する巌石を持上げ合う遊戯を始めていた。岩は牛ほどの大きさのも、羊ほどの小ささのも、いろいろ陽炎の中に転がっていた。彼等はみんな腕まくりをして、なるべく大きい岩を抱き起そうとした。が、手ごろな巌石のほかは、中でも膂力の逞しい五六人の若者たちでないと、容易に砂から離れなかった。そこでこの力競べは、自然と彼等五六人の独占する遊戯に変ってしまった。彼等はいずれも大きな岩を軽々と擡げたり投げたりした。殊に赤と白と三角模様の倭衣の袖をまくり上げた、顔中鬚に埋まっている、背の低い猪首の若者は、誰も持ち上げない巌石を自由に動かして見せた。周囲に佇んだ若者たちは、彼の非凡な力業に賞讃の声を惜まなかった。彼もまたその賞讃の声に報ゆべく、次第に大きな巌石に力を試みようとするらしかった。
あの容貌の醜い若者は、ちょうどこの五六人の力競の真最中へ来合せたのであった。
三
あの容貌の醜い若者は、両腕を胸に組んだまま、しばらくは力自慢の五六人が勝負を争うのを眺めていた。が、やがて技癢に堪え兼ねたのか、自分も水だらけな袖をまくると、幅の広い肩を聳かせて、まるで洞穴を出る熊のように、のそのそとその連中の中へはいって行った。そうしてまだ誰も持ち上げない巌石の一つを抱くが早いか、何の苦もなくその岩を肩の上までさし上げて見せた。
しかし大勢の若者たちは、依然として彼には冷淡であった。ただ、その中でもさっきから賞讃の声を浴びていた、背の低い猪首の若者だけは、容易ならない競争者が現れた事を知ったと見えて、さすがに妬ましそうな流し眼をじろじろ彼の方へ注いでいた。その内に彼は担いだ岩を肩の上で一揺り揺ってから、人のいない向うの砂の上へ勢いよくどうと投げ落した。するとあの猪首の若者はちょうど餌に饑えた虎のように、猛然と身を躍らせながら、その巌石へ飛びかかったと思うと、咄嗟の間に抱え上げて、彼にも劣らず楽々と肩よりも高くかざして見せた。
それはこの二人の腕力が、ほかの力自慢の連中よりも数段上にあると云う事を雄弁に語っている証拠であった。そこで今まで臆面も無く力競べをしていた若者たちはいずれも興のさめた顔を見合せながら、周囲に佇んでいる見物仲間へ嫌でも加わらずにはいられなかった。その代りまた後に残った二人は、本来さほど敵意のある間柄でもなかったが、騎虎の勢いで已むを得ず、どちらか一方が降参するまで雌雄を争わずにはいられなくなった。この形勢を見た多勢の若者たちは、あの猪首の若者がさし上げた岩を投げると同時に、これまでよりは一層熱心にどっとどよみを作りながら、今度はずぶ濡れになった彼の方へいつになく一斉に眼を注いだ。が、彼等がただ勝負にのみ興味を持っていると云う事は、――彼自身に対してはやはり好意を持っていないと云う事は、彼等の意地悪るそうな眼の中にも、明かによめる事実であった。
それでも彼は相不変悠々と手に唾など吐きながら、さっきのよりさらに一嵩大きい巌石の側へ歩み寄った。それから両手に岩を抑えて、しばらく呼吸を計っていたが、たちまちうんと力を入れると、一気に腹まで抱え上げた。最後にその手をさし換えてから、見る見る内にまた肩まで物も見事に担いで見せた。が、今度は投げ出さずに、眼で猪首の若者を招くと、人の好さそうな微笑を浮べながら、
「さあ、受取るのだ。」と声をかけた。
猪首の若者は数歩を隔てて、時々髭を噛みながら、嘲るように彼を眺めていたが、
「よし。」と一言答えると、つかつかと彼の側へ進み寄って、すぐにその巌石を小山のような肩へ抱き取った。そうして二三歩歩いてから、一度眼の上までさし上げて置いて、力の限り向うへ抛り投げた。岩は凄じい地響きをさせながら、見物の若者たちの近くへ落ちて、銀粉のような砂煙を揚げた。
大勢の若者たちはまた以前のようにどよめき立った。が、その声がまだ消えない内に、もうあの猪首の若者は、さらに勝敗を争うべく、前にも増して大きい岩を水際の砂から抱き起していた。
四
二人はこう云う力競べを何回となく闘わせた。その内に追い追い二人とも、疲労の気色を現して来た。彼等の顔や手足には、玉のような汗が滴っていた。のみならず彼等の着ている倭衣は、模様の赤黒も見えないほど、一面に砂にまみれていた。それでも彼等は息を切らせながら、必死に巌石を擡げ合って、最後の勝敗が決するまでは容易に止めそうな容子もなかった。
彼等を取り巻いた若者たちの興味は、二人の疲労が加わるのにつれて、益々強くなるらしかった。この点ではこの若者たちも闘鶏や闘犬の見物同様、残忍でもあれば冷酷でもあった。彼等はもう猪首の若者に特別な好意を持たなかった。それにはすでに勝負の興味が、余りに強く彼等の心を興奮の網に捉えていた。だから彼等は二人の力者に、代る代る声援を与えた。古来そのために無数の鶏、無数の犬、無数の人間が徒らに尊い血を流した、――宿命的にあらゆる物を狂気にさせる声援を与えた。
勿論この声援は二人の若者にも作用した。彼等は互に血走った眼の中に、恐るべき憎悪を感じ合った。殊に背の低い猪首の若者は、露骨にその憎悪を示して憚らなかった。彼の投げ捨てる巌石は、しばしば偶然とは解釈し難いほど、あの容貌の醜い若者の足もとに近く転げ落ちた。が、彼はそう云う危険に全然無頓着でいるらしかった。あるいは無頓着に見えるくらい、刻々近づいて来る勝敗に心を奪われているのかも知れなかった。
彼は今も相手の投げた巌石を危く躱しながら、とうとうしまいには勇を鼓して、これも水際に横わっている牛ほどの岩を引起しにかかった。岩は斜に流れを裂いて、淙々とたぎる春の水に千年の苔を洗わせていた。この大岩を擡げる事は、高天原第一の強力と云われた手力雄命でさえ、たやすく出来ようとは思われなかった。が、彼はそれを両手に抱くと、片膝砂へついたまま、渾身の力を揮い起して、ともかくも岩の根を埋めた砂の中からは抱え上げた。
この人間以上の膂力は、周囲に佇んだ若者たちから、ほとんど声援を与うべき余裕さえ奪った観があった。彼等は皆息を呑んで千曳の大岩を抱えながら、砂に片膝ついた彼の姿を眼も離さずに眺めていた。彼はしばらくの間動かなかった。しかし彼が懸命の力を尽している事だけは、その手足から滴り落ちる汗の絶えないのにも明かであった。それがやや久しく続いた後、声をひそめていた若者たちは、誰からともなくまたどよみを挙げた。ただそのどよみは前のような、勢いの好い声援の叫びではなく、思わず彼等の口を洩れた驚歎の呻きにほかならなかった。何故と云えばこの時彼は、大岩の下に肩を入れて、今までついていた片膝を少しずつ擡げ出したからであった。岩は彼が身を起すと共に、一寸ずつ、一分ずつ、じりじり砂を離れて行った。そうして再び彼等の間から一種のどよみが起った時には、彼はすでに突兀たる巌石を肩に支えながら、みずらの髪を額に乱して、あたかも大地を裂いて出た土雷の神のごとく、河原に横わる乱石の中に雄々しくも立ち上っていた。
五
千曳の大岩を担いだ彼は、二足三足蹌踉と流れの汀から歩みを運ぶと、必死と食いしばった歯の間から、ほとんど呻吟する様な声で、「好いか渡すぞ。」と相手を呼んだ。
猪首の若者は逡巡した。少くとも一瞬間は、凄壮そのもののような彼の姿に一種の威圧を感じたらしかった。が、これもすぐにまた絶望的な勇気を振い起して、
「よし。」と噛みつくように答えたと思うと、奮然と大手を拡げながら、やにわにあの大岩を抱き取ろうとした。
岩はほどなく彼の肩から、猪首の若者の肩へ移り出した。それはあたかも雲の堰が押し移るがごとく緩漫であった。と同時にまた雲の峰が堰き止め難いごとく刻薄であった。猪首の若者はまっ赤になって、狼のように牙を噛みながら、次第にのしかかって来る千曳の岩を逞しい肩に支えようとした。しかし岩が相手の肩から全く彼の肩へ移った時、彼の体は刹那の間、大風の中の旗竿のごとく揺れ動いたように思われた。するとたちまち彼の顔も半面を埋めた鬚を除いて、見る見る色を失い出した。そうしてその青ざめた額から、足もとの眩い砂の上へ頻に汗の玉が落ち始めた。――と思う間もなく今度は肩の岩が、ちょうどさっきとは反対に一寸ずつ、一分ずつ、じりじり彼を圧して行った。彼はそれでも死力を尽して、両手に岩を支えながら、最後まで悪闘を続けようとしたが、岩は依然として運命のごとく下って来た。彼の体は曲り出した。彼の頭も垂れるようになった。今の彼はどこから見ても、石塊の下にもがいている蟹とさらに変りはなかった。
周囲に集まった若者たちは、余りの事に気を奪われて、茫然とこの悲劇を見守っていた。また実際彼等の手では、到底千曳の大岩の下から彼を救い出す事はむずかしかった。いや、あの容貌の醜い若者でさえ、今となっては相手の背からさっき擡げた大盤石を取りのける事が出来るかどうか、疑わしいのは勿論であった。だから彼もしばらくの間は、恐怖と驚愕とを代る代る醜い顔に表しながら、ただ、漫然と自失した眼を相手に注ぐよりほかはなかった。
その内に猪首の若者は、とうとう大岩に背を圧されて、崩折れるように砂へ膝をついた。その拍子に彼の口からは、叫ぶとも呻くとも形容出来ない、苦しそうな声が一声溢れて来た。あの容貌の醜い若者は、その声が耳にはいるが早いか、急に悪夢から覚めたごとく、猛然と身を飜して、相手の上に蔽いかぶさった大岩を向うへ押しのけようとした。が、彼がまだ手さえかけない内に、猪首の若者は多愛もなく砂の上にのめりながら、岩にひしがれる骨の音と共に、眼からも口からも夥しく鮮な血を迸らせた。それがこの憐むべき強力の若者の最期であった。
あの容貌の醜い若者は、ぼんやり手を束ねたまま、陽炎の中に倒れている相手の屍骸を見下した。それから苦しそうな視線を挙げて、無言の答を求めるように、おずおず周囲に立っている若者たちを見廻した。が、大勢の若者たちは麗らかな日の光を浴びて、いずれも黙念と眼を伏せながら、一人も彼の醜い顔を仰ぎ見ようとするものはなかった。
六
高天原の国の若者たちは、それ以来この容貌の醜い若者に冷淡を装う事が出来なくなった。彼等のある一団は彼の非凡な腕力に露骨な嫉妬を示し出した。他の一団はまた犬のごとく盲目的に彼を崇拝した。さらにまた他の一団は彼の野性と御目出度さとに残酷な嘲笑を浴せかけた。最後に数人の若者たちは心から彼に信服した。が、敵味方の差別なく彼等がいずれも彼に対して、一種の威圧を感じ始めた事は、打ち消しようのない事実であった。
こう云う彼等の感情の変化は、勿論彼自身も見逃さなかった。が、彼のために悲惨な死を招いた、あの猪首の若者の記憶は、未だに彼の心の底に傷ましい痕跡を残していた。この記憶を抱いている彼は、彼等の好意と反感との前に、いずれも当惑に似た感じを味わないではいられなかった。殊に彼を尊敬する一団の若者たちに接する時は、ほとんど童女にでも似つかわしい羞恥の情さえ感じ勝ちであった。これが彼の味方には、今までよりまた一層、彼に好意の目なざしを向けさせることになるらしかった。と同時に彼の敵には、それだけ彼に反感を加えさせる事にもなるらしかった。
彼はなるべく人を避けた。そうして多くはたった一人、その部落を繞る山間の自然の中に時を過ごした。自然は彼に優しかった。森は木の芽を煙らせながら、孤独に苦しんでいる彼の耳へも、人懐しい山鳩の声を送って来る事を忘れなかった。沢も芽ぐんだ蘆と共に、彼の寂寥を慰むべく、仄かに暖い春の雲を物静な水に映していた。藪木の交る針金雀花、熊笹の中から飛び立つ雉子、それから深い谷川の水光りを乱す鮎の群、――彼はほとんど至る所に、仲間の若者たちの間には感じられない、安息と平和とを見出した。そこには愛憎の差別はなかった、すべて平等に日の光と微風との幸福に浴していた。しかし――しかし彼は人間であった。
時々彼が谷川の石の上に、水を掠めて去来する岩燕を眺めていると、あるいは山峡の辛夷の下に、蜜に酔って飛びも出来ない虻の羽音を聞いていると、何とも云いようのない寂しさが突然彼を襲う事があった。彼はその寂しさが、どこから来るのだかわからなかった。ただ、それが何年か前に、母を失った時の悲しみと似ているような気もちだけがした。彼はその当座どこへ行っても、当然そこにいるべき母のいない事を見せられると、必ず落莫たる空虚の感じに圧倒されるのが常であった。その悲しみに比べると、今の彼の寂しさが、より強いものとは思われなかった。が、一人の母を恋い歎くより、より大きいと云う心もちはあった。だから彼は山間の春の中に、鳥や獣のごとくさまよいながら、幸福と共に不可解な不幸をも味わずにはいられなかった。
彼はこの寂しさに悩まされると、しばしば山腹に枝を張った、高い柏の梢に上って、遥か目の下の谷間の景色にぼんやりと眺め入る事があった。谷間にはいつも彼の部落が、天の安河の河原に近く、碁石のように点々と茅葺き屋根を並べていた。どうかするとまたその屋根の上には、火食の煙が幾すじもかすかに立ち昇っている様も見えた。彼は太い柏の枝へ馬乗りに跨がりながら、長い間その部落の空を渡って来る風に吹かれていた。風は柏の小枝を揺って、折々枝頭の若芽の匀を日の光の中に煽り立てた。が、彼にはその風が、彼の耳元を流れる度に、こう云う言葉を細々と囁いて行くように思われた。
「素戔嗚よ。お前は何を探しているのだ。お前の探しているものは、この山の上にもなければ、あの部落の中にもないではないか。おれと一しょに来い。おれと一しょに来い。お前は何をためらっているのだ。素戔嗚よ。……」
七
しかし素戔嗚は風と一しょに、さまよって歩こうとは思わなかった。では何が孤独な彼を高天原の国に繋いでいたか。――彼は自らそう尋ねると、必ず恥かしさに顔が赤くなった。それはこの容貌の醜い若者にも、私かに彼が愛している部落の娘がいたからであった。そうしてその娘に彼のような野人が恋をすると云う事は、彼自身にも何となく不似合の感じがしたからであった。
彼が始めてこの娘に遇ったのは、やはりあの山腹の柏の梢に、たった一人上っていた時であった。彼はその日も茫然と、目の下に白くうねっている天の安河を眺めていると、意外にも柏の枝の下から晴れ晴れした女の笑い声が起った。その声はまるで氷の上へばらばらと礫を投げたように、彼の寂しい真昼の夢を突嗟の間に打ち砕いてしまった。彼は眠を破られた人の腹立たしさを感じながら、柏の下に草を敷いた林間の空き地へ眼を落した。するとそこには三人の女が、麗らかな日の光を浴びて、木の上の彼には気がつかないのか、頻に何か笑い興じていた。
彼等は皆竹籠を臂にかけている所を見ると、花か木の芽か山独活を摘みに来た娘らしかった。素戔嗚はその女たちを一人も見知って居なかった。が、彼等があの部落の中でも、卑しいものの娘でない事は、彼等の肩に懸っている、美しい領巾を見ても明かであった。彼等はその領巾を微風に飜しながら、若草の上に飛び悩んでいる一羽の山鳩を追いまわしていた。鳩は女たちの手の間を縫って、時々一生懸命に痛めた羽根をばたつかせたが、どうしても地上三尺とは飛び上る事が出来ないようであった。
素戔嗚は高い柏の上から、しばらくこの騒ぎを見下していた。するとその内に女たちの一人は臂に懸けた竹籠もそこへ捨てて、危く鳩を捕えようとした。鳩はまた一しきり飛び立ちながら、柔かい羽根を雪のように紛々とあたりへ撒き散らした。彼はそれを見るが早いか、今まで跨っていた太枝を掴んで、だらりと宙に吊り下った。と思うと一つ弾みをつけて、柏の根元の草の上へ、勢いよくどさりと飛び下りた。が、その拍子に足を辷らせて、呆気にとられた女たちの中へ、仰向けさまに転がってしまった。
女たちは一瞬間、唖のように顔を見合せていたが、やがて誰から笑うともなく、愉快そうに皆笑い出した。すぐに草の上から飛び起きた彼は、さすがに間の悪そうな顔をしながら、それでもわざと傲然と、女たちの顔を睨めまわした。鳩はその間に羽根を引き引き、木の芽に煙っている林の奥へ、ばたばた逃げて行ってしまった。
「あなたは一体どこにいらしったの?」
やっと笑い止んだ女たちの一人は蔑むようにこう云いながら、じろじろ彼の姿を眺めた。が、その声には、まだ抑え切れない可笑しさが残っているようであった。
「あすこにいた。あの柏の枝の上に。」
素戔嗚は両腕を胸に組んで、やはり傲然と返事をした。
八
女たちは彼の答を聞くと、もう一度顔を見合せて笑い出した。それが素戔嗚尊には腹も立てば同時にまた何となく嬉しいような心もちもした。彼は醜い顔をしかめながら、故に彼等を脅すべく、一層不機嫌らしい眼つきを見せた。
「何が可笑しい?」
が、彼等には彼の威嚇も、一向効果がないらしかった。彼等はさんざん笑ってから、ようやく彼の方を向くと、今度はもう一人がやや恥しそうに、美しい領巾を弄びながら、
「じゃどうしてまた、あすこから下りていらしったの?」と云った。
「鳩を助けてやろうと思ったのだ。」
「私たちだって助けてやる心算でしたわ。」
三番目の娘は笑いながら、活き活きと横合いから口を出した。彼女はまだ童女の年輩から、いくらも出てはいないらしかった。が、二人の友だちに比べると、顔も一番美しければ、容子もすぐれて溌溂としていた。さっき竹籠を投げ捨てながら、危く鳩を捕えようとしたのも、この利発らしい娘に違いなかった。彼は彼女と眼を合わすと、何故と云う事もなく狼狽した。が、それだけに、また一方では、彼女の前にその慌て方を見せたくないと云う心もちもあった。
「嘘をつけ。」
彼は一生懸命に、乱暴な返事を抛りつけた。が、その嘘でない事は、誰よりもよく彼自身が承知していそうな気もちがしていた。
「あら、嘘なんぞつくものですか。ほんとうに助けてやる心算でしたわ。」
彼女がこう彼をたしなめると、面白そうに彼の当惑を見守っていた二人の女たちも、一度に小鳥のごとくしゃべり出した。
「ほんとうですわ。」
「どうして嘘だと御思い?」
「あなたばかり鳩が可愛いのじゃございません。」
彼はしばらく返答も忘れて、まるで巣を壊された蜜蜂のごとく、三方から彼の耳を襲って来る女たちの声に驚嘆していた。が、やがて勇気を振い起すと、胸に組んでいた腕を解いて、今にも彼等を片っ端から薙倒しそうな擬勢を示しながら、雷のように怒鳴りつけた。
「うるさい。嘘でなければ、早く向うへ行け。行かないと、――」
女たちはさすがに驚いたらしく、慌てて彼の側を飛びのいた。が、すぐにまた声を立てて笑いながら、ちょうど足もとに咲いていた嫁菜の花を摘み取っては、一斉に彼へ抛りつけた。薄紫の嫁菜の花は所嫌わず紛々と、素戔嗚尊の体に降りかかった。彼はこの匀の好い雨を浴びたまま、呆気にとられて立ちすくんでいた。が、たちまち今怒鳴りつけた事を思い出して、両腕を大きく開くや否や、猛然と悪戯な女たちの方へ、二足三足突進した。
彼等はしかしその瞬間に、素早く林の外へ逃げて行った。彼は茫然と立ち止ったなり、次第に遠くなる領巾の色を、見送るともなく見送った。それからあたりの草の上に、点々と優しくこぼれている嫁菜の花へ眼をやった。すると何故か薄笑いが、自然と唇に上って来た。彼はごろりとそこへ横になって、芽をふいた梢の向うにある、麗らかな春の空を眺めた。林の外ではかすかながら、まだ女たちの笑い声が聞えた。が、間もなくそれも消えて、後にはただ草木の栄を孕んだ、明るい沈黙があるばかりになった。……
何分か後、あの羽根を傷けた山鳩は、怯ず怯ずまたそこへ還って来た。その時もう草の上の彼は、静な寝息を洩らしていた。が、仰向いた彼の顔には、梢から落ちる日の光と一しょに、未だに微笑の影があった。鳩は嫁莱の花を踏みながら、そっと彼の近くへ来た。そうして彼の寝顔を覗くと、仔細らしく首を傾けた。あたかもその微笑の意味を考えようとでもするように。――
九
その日以来、彼の心の中には、あの快活な娘の姿が、時々鮮かに浮ぶようになった。彼は前にも云ったごとく、彼自身にもこう云う事実を認める事が恥しかった。まして仲間の若者たちには、一言もこの事情を打ち明けなかった。また実際仲間の若者たちも彼の秘密を嗅ぎつけるには、余りに平生の素戔嗚が、恋愛とは遥に縁の遠い、野蛮な生活を送り過ぎていた。
彼は相不変人を避けて、山間の自然に親しみ勝ちであった。どうかすると一夜中、森林の奥を歩き廻って、冒険を探す事もないではなかった。その間に彼は大きな熊や猪などを仕止めたことがあった。また時にはいつになっても春を知らない峰を越えて、岩石の間に棲んでいる大鷲を射殺しにも行ったりした。が、彼は未嘗、その非凡な膂力を尽すべき、手強い相手を見出さなかった。山の向うに穴居している、慓悍の名を得た侏儒でさえ彼に出合う度毎に、必ず一人ずつは屍骸になった。彼はその屍骸から奪った武器や、矢先にかけた鳥獣を時々部落へ持って帰った。
その内に彼の武勇の名は、益々多くの敵味方を部落の中につくって行った。従って彼等は機会さえあると、公然と啀み合う事を憚らなかった。彼は勿論出来るだけ、こう云う争いを起させまいとした。が、彼等は彼等自身のために、彼の意嚮には頓着なく、ほとんど何事にも軋轢し合った。そこには何か宿命的な、必然の力も動いていた。彼は敵味方の反目に不快な感じを抱きながら、しかもその反目のただ中へ、我知らず次第に引き込まれて行った。――
現に一度はこう云うことがあった。
ある麗かな春の日暮、彼は弓矢をたばさみながら、部落の後に拡がっている草山を独り下って来た。その時の彼の心の中には、さっき射損じた一頭の牡鹿が、まだ折々は未練がましく、鮮かな姿を浮べていた。ところが草山がやや平になって、一本の楡の若葉の下に、夕日を浴びた部落の屋根が一目に見えるあたりまで来ると、そこには四五人の若者たちが、一人の若者を相手にして、頻に何か云い争っていた。彼等が皆この草山へ、牛馬を飼いに来るものたちだと云う事は、彼等のまわりに草を食んでいる家畜を見ても明らかであった。殊にその一人の若者は、彼を崇拝する若者たちの中でも、ほとんど奴僕のごとく彼に仕えるために、反って彼の反感を買った事がある男に違いなかった。
彼は彼等の姿を見ると、咄嗟に何事か起りそうな、忌わしい予感に襲われた。しかしここへ来かかった以上、元より彼等の口論を見て過ぎる訳にも行かなかった。そこで彼はまず見覚えのある、その一人の若者に、
「どうしたのだ。」と声をかけた。
その男は彼の顔を見ると、まるで百万の味方にでも遭ったように、嬉しそうに眼を輝かせながら、相手の若者たちの理不尽な事を滔々と早口にしゃべり出した。何でもその言葉によると、彼等はその男を憎むあまり、彼の飼っている牛馬をも傷けたり虐めたりするらしかった。彼はそう云う不平を鳴す間も、時々相手を睨みつけて、
「逃げるなよ。今に返報をしてやるから。」などと、素戔嗚の勇力を笠に着た、横柄な文句を並べたりした。
十
素戔嗚は彼の不平を聞き流してから、相手の若者たちの方を向いて、野蛮な彼にも似合わない、調停の言葉を述べようとした。するとその刹那に彼の崇拝者は、よくよく口惜しさに堪え兼ねたのか、いきなり近くにいた若者に飛びかかると、したたかその頬を打ちのめした。打たれた若者はよろめきながら、すぐにまた相手へ掴みかかった。
「待て。こら、待てと云ったら待たないか。」
こう叱りながら素戔嗚は、無理に二人を引き離そうとした。ところが打たれた若者は、彼に腕を掴まれると、血迷った眼を嗔らせながら、今度は彼へ獅噛みついて来た。と同時に彼の崇拝者は、腰にさした鞭をふりかざして、まるで気でも違ったように、やはり口論の相手だった若者たちの中へ飛びこんだ。若者たちも勿論この男に、おめおめ打たれるようなものばかりではなかった。彼等は咄嗟に二組に分れて、一方はこの男を囲むが早いか、一方は不慮の出来事に度を失った素戔嗚へ、紛々と拳を加えに来た。ここに立ち至ってはもう素戔嗚にも、喧嘩に加わるよりほかに途はなかった。のみならずついに相手の拳が、彼の頭に下った時、彼は理非も忘れるほど真底から一時に腹が立った。
たちまち彼等は入り乱れて、互に打ったり打たれたりし出した。あたりに草を食んでいた牛や馬も、この騒ぎに驚いて、四方へ一度に逃げて行った。が、それらの飼い主たちは拳を揮うのに夢中になって、しばらくは誰も家畜の行方に気をとめる容子は見えなかった。
が、その内に素戔嗚と争ったものは、手を折られたり、足を挫かれたりして、だんだん浮き足が立つようになった。そうしてとうとうしまいには、誰からともなく算を乱して、意気地なく草山を逃げ下って行った。
素戔嗚は相手を追い払うと、今度は彼の崇拝者が、まだ彼等に未練があるのを押し止めなければならなかった。
「騒ぐな。騒ぐな。逃げるものは逃がしてやるのが好いのだ。」
若者はやっと彼の手を離れると、べたりと草の上へ坐ってしまった。彼が手ひどく殴られた事は、一面に地腫のした彼の顔が、明白に語っている事実であった。素戔嗚は彼の顔を見ると、腹立たしい心のどん底から、急に可笑しさがこみ上げて来た。
「どうした? 怪我はしなかったか?」
「何、したってかまいはしません。今日と云う今日こそあいつらに、一泡吹かせてやったのですから。――それよりあなたこそ、御怪我はありませんか。」
「うん、瘤が一つ出来ただけだった。」
素戔嗚はこう云う一言に忌々しさを吐き出しながら、そこにあった一本の楡の根本に腰を下した。彼の眼の前には部落の屋根が、草山の腹にさす夕日の光の中に、やはり赤々と浮き上っていた。その景色が素戔嗚には、不思議に感じるくらい平和に見えた。それだけまた今までの格闘が、夢のような気さえしないではなかった。
二人は草を敷いたまま、しばらくは黙って物静な部落の日暮を見下していた。
「どうです。瘤は痛みますか。」
「大して痛まない。」
「米を噛んでつけて置くと好いそうですよ。」
「そうか。それは好い事を聞いた。」
十一
ちょうどこの喧嘩と同じように、素戔嗚は次第にある一団の若者たちを嫌でも敵にしなければならなくなった。しかしそれが数の上から云うと、ほとんどこの部落の若者たちの三分の二以上の多数であった。この連中は彼の味方が、彼を首領と仰ぐように、思兼尊だの手力雄尊だのと云う年長者に敬意を払っていた。しかしそれらの尊たちは、格別彼に敵意らしい何物も持っていないらしかった。
殊に思兼尊などは、むしろ彼の野蛮な性質に好意を持っているようであった。現にあの草山の喧嘩から、二三日経ったある日の午後、彼が例のごとくたった一人、山の中の古沼へ魚を釣りに行っていると、偶然そこへ思兼尊が、これも独り分け入って来た。そうして隔意なく彼と一しょに、朽木の幹へ腰を下して、思いのほか打融けた世間話などをし始めた。
尊はもう髪も髯も白くなった老人ではあるが、部落第一の学者でもあり、予ねてまた部落第一の詩人と云う名誉も担っていた。その上部落の女たちの中には、尊を非凡な呪物師のように思っているものもないではなかった。これは尊が暇さえあると、山谷の間をさまよい歩いて、薬草などを探して来るからであった。
彼は勿論思兼尊に、反感を抱くべき理由がなかった。だから糸を垂れたまま、喜んで尊の話相手になった。二人はそこで長い間、古沼に臨んだ柳の枝が、銀のような花をつけた下に、いろいろな事を話し合った。
「近頃はあなたの剛力が、大分評判のようじゃありませんか。」
しばらくしてから思兼尊は、こう云って、片頬に笑を浮べた。
「評判だけ大きいのです。」
「それだけでも結構ですよ。すべての事は評判があって、始めてあり甲斐があるのですから。」
素戔嗚にはこの答が、一向腑に落ちなかった。
「そうでしょうか。じゃ評判がなかったら、いくら私が剛力でも――」
「さらに剛力ではなくなるのです。」
「しかし人が掬わなくっても、砂金は始から砂金でしょう。」
「さあ、砂金だとわかるのは、人に掬われてからの上じゃありませんか。」
「すると人が、ただの砂を砂金だと思って掬ったら――」
「やはりただの砂でも砂金になるでしょう。」
素戔嗚は何だか思兼尊に、調戯われているような心もちがした。が、そうかと思って相手を見ても、尊の皺だらけな目尻には、ただ微笑が宿っているばかりで、人の悪そうな気色は少しもなかった。
「何だかそれじゃ砂金になっても、つまらないような気がしますが。」
「勿論つまらないものなのですよ。それ以上に考えるのは、考える方が間違っているのです。」
思兼尊はこう云うと、実際つまらなそうな顔をしながら、どこかで摘んで来たらしい蕗の薹の匀を嗅ぎ始めた。
十二
素戔嗚はしばらく黙っていた。するとまた思兼尊が彼の非凡な腕力へ途切れた話頭を持って行った。
「いつぞや力競べがあった時、あなたと岩を擡げ合って、死んだ男がいたじゃありませんか。」
「気の毒な事をしたものです。」
素戔嗚は何となく、非難でもされたような心もちになって、思わず眼を薄日がさした古沼の上へ漂わせた。古沼の水は底深そうに、まわりに芽ぐんだ春の木々をひっそりと仄明るく映していた。しかし思兼尊は無頓着に、時々蕗の薹へ鼻をやって、
「気の毒ですが、莫迦げていますよ。第一私に云わせると、競争する事がすでによろしくない。第二に到底勝てそうもない競争をするのが論外です。第三に命まで捨てるに至っては、それこそ愚の骨頂じゃありませんか。」
「しかし私は何となく気が咎めてならないのですが。」
「何、あれはあなたが殺したのじゃありません。力競べを面白がっていた、ほかの若者たちが殺したのです。」
「けれども私はあの連中に、反って憎まれているようです。」
「それは勿論憎まれますよ。その代りもしあなたが死んで、あなたの相手が勝負に勝ったら、あの連中はきっとあなたの相手を憎んだのに違いないでしょう。」
「世の中はそう云うものでしょうか。」
その時尊は返事をする代りに、「引いていますよ」と注意した。
素戔嗚はすぐに糸を上げた。糸の先には山目が一尾、溌溂と銀のように躍っていた。
「魚は人間より幸福ですね。」
尊は彼が竹の枝を山目の顎へ通すのを見ると、またにやにや笑いながら、彼にはほとんど通じない一種の理窟を並べ出した。
「人間が鉤を恐れている内に、魚は遠慮なく鉤を呑んで、楽々と一思いに死んでしまう。私は魚が羨しいような気がしますよ。」
彼は黙ってもう一度、古沼へ糸を抛りこんだ。が、やがて当惑らしい眼を尊へ向けて、
「どうもあなたのおっしゃる事は、私にはよく分りませんが。」と云った。
尊は彼の言葉を聞くと、思いのほか真面目な調子になって、白い顎髯を捻りながら、
「わからない方が結構ですよ。さもないとあなたも私のように、何もする事が出来なくなります。」
「どうしてですか。」
彼はわからないと云う口の下から、すぐまたこう尋ねずにはいられなかった。実際思兼尊の言葉は、真面目とも不真面目ともつかない内に、蜜か毒薬か、不思議なほど心を惹くものが潜んでいたのであった。
「鉤が呑めるのは魚だけです。しかし私も若い時には――」
思兼尊の皺だらけな顔には、一瞬間いつにない寂しそうな色が去来した。
「しかし私も若い時には、いろいろ夢を見た事がありましたよ。」
二人はそれから久しい間、互に別々な事を考えながら、静に春の木々を映している、古沼の上を眺めていた。沼の上には翡翠が、時々水を掠めながら、礫を打つように飛んで行った。
十三
その間もあの快活な娘の姿は、絶えず素戔嗚の心を領していた。殊に時たま部落の内外で、偶然彼女と顔を合わせると、ほとんどあの山腹の柏の下で、始めて彼女と遇った時のように、訳もなく顔が熱くなったり、胸がはずんだりするのが常であった。が、彼女はいつも取澄まして、全然彼を見知らないかのごとく、頭を下げる容子も見せなかった。――
ある朝彼は山へ行く途中、ちょうど部落のはずれにある噴き井の前を通りかかると、あの娘が三四人の女たちと一しょに、水甕へ水を汲んでいるのに遇った。噴き井の上には白椿が、まだ疎に咲き残って、絶えず湧きこぼれる水の水沫は、その花と葉とを洩れる日の光に、かすかな虹を描いていた。娘は身をかがめながら、苔蒸した井筒に溢れる水を素焼の甕へ落していたが、ほかの女たちはもう水を汲み了えたのか、皆甕を頭に載せて、しっきりなく飛び交う燕の中を、家々へ帰ろうとする所であった。が、彼がそこへ来た途端に、彼女は品良く身を起すと、一ぱいになった水甕を重そうに片手に下げたまま、ちらりと彼の顔へ眼をやった、そうしていつになく、人懐しげに口元へ微笑を浮べて見せた。
彼は例の通り当惑しながら、ちょいと挨拶の点頭を送った。娘は水甕を頭へ載せながら、眼でその挨拶に答えると、仲間の女たちの後を追って、やはり釘を撒くような燕の中を歩き出した。彼は娘と入れ違いに噴井の側へ歩み寄って、大きな掌へ掬った水に、二口三口喉を沾した。沽しながら彼女の眼つきや唇の微笑を思い浮べて、何か嬉しいような、恥かしいような心もちに顔を赤めていた。と同時にまた己自身を嘲りたいような気もしないではなかった。
その間に女たちはそよ風に領巾を飜しながら、頭の上の素焼の甕にさわやかな朝日の光を浴びて次第に噴き井から遠ざかって行った。が、間もなく彼等の中からは一度に愉快そうな笑い声が起った。それにつれて彼等のある者は、笑顔を後へ振り向けながら、足も止めずに素戔嗚の方へ、嘲るような視線を送りなぞした。
噴き井の水を飲んでいた彼は、幸その視線に煩わされなかった。しかし彼等の笑い声を聞くと、いよいよ妙に間が悪くなって、今更飲みたくもない水を、もう一杯手で掬って飲んだ。すると中高になった噴き井の水に、意外にも誰か人の姿が、咄嗟に覚束ない影を落した。素戔嗚は慌てた眼を挙げて、噴き井の向うの白椿の下へ、鞭を持った一人の若者が、のそのそと歩み寄ったのと顔を合せた。それは先日草山の喧嘩に、とうとう彼まで巻添えにした、あの牛飼の崇拝者であった。
「お早うございます。」
若者は愛想笑いを見せながら、恭しく彼に会釈をした。
「お早う。」
彼はこの若者にまで、狼狽した所を見られたかと思うと、思わず顔をしかめずにはいられなかった。
十四
が、若者はさり気ない調子で、噴き井の上に枝垂れかかった白椿の花を毮りながら、
「もう瘤は御癒りですか。」
「うん、とうに癒った。」
彼は真面目にこんな返事をした。
「生米を御つけになりましたか。」
「つけた。あれは思ったより利き目があるらしかった。」
若者は毮った椿の花を噴き井の中へ抛りこむと、急にまたにやにや笑いながら、
「じゃもう一つ、好い事を御教えしましょうか。」
「何だ。その好い事と云うのは。」
彼が不審そうにこう問返すと、若者はまだ意味ありげな笑を頬に浮べたまま、
「あなたの頸にかけて御出でになる、勾玉を一つ頂かせて下さい。」と云った。
「勾玉をくれ? くれと云えばやらないものでもないが、勾玉を貰ってどうするのだ?」
「まあ、黙って頂かせて下さい。悪いようにはしませんから。」
「嫌だ。どうするのだか聞かない内は、勾玉なぞをやる訳には行かない。」
素戔嗚はそろそろ焦れ出しながら、突慳貪に若者の請を却けた。すると相手は狡猾そうに、じろりと彼の顔へ眼をやって、
「じゃ云いますよ。あなたは今ここへ水を汲みに来ていた、十五六の娘が御好きでしょう。」
彼は苦い顔をして、相手の眉の間を睨みつけた。が、内心は少からず、狼狽に狼狽を重ねていた。
「御好きじゃありませんか、あの思兼尊の姪を。」
「そうか。あれは思兼尊の姪か。」
彼は際どい声を出した。若者はその容子を見ると、凱歌を挙げるように笑い出した。
「そら、御覧なさい。隠したってすぐに露われます。」
彼はまた口を噤んで、じっと足もとの石を見つめていた。水沫を浴びた石の間には、疎に羊歯の葉が芽ぐんでいた。
「ですから私に勾玉を一つ、御よこしなさいと云うのです。御好きならまた御好きなように、取計らいようもあるじゃありませんか。」
若者は鞭を弄びながら、透かさず彼を追窮した。彼の記憶には二三日前に、思兼尊と話し合った、あの古沼のほとりの柳の花が、たちまち鮮に浮んで来た。もしあの娘が尊の姪なら――彼は眼を足もとの石から挙げると、やはり顔をしかめたなり、
「そうして勾玉をどうするのだ?」と云った。
しかし彼の眼の中には、明かに今まで見えなかった希望の色が動いていた。
十五
若者の答えは無造作であった。
「何、その勾玉をあの娘に渡して、あなたの思召しを伝えるのです。」
素戔嗚はちょいとためらった。この男の弁舌を弄する事は、何となく彼には不快であった。と云って彼自身、彼の心を相手に訴えるだけの勇気もなかった。若者は彼の醜い顔に躊躇の色が動くのを見ると、わざと冷やかに言葉を継いだ。
「御嫌なら仕方はありませんが。」
二人はしばらくの間黙っていた。が、やがて素戔嗚は頸に懸けた勾玉の中から、美しい琅玕の玉を抜いて、無言のまま若者の手に渡した。それは彼が何よりも、大事にかけて持っている、歿くなった母の遺物であった。
若者はその琅玕に物欲しそうな眼を落しながら、
「これは立派な勾玉ですね、こんな性の好い琅玕は、そう沢山はありますまい。」
「この国の物じゃない。海の向うにいる玉造が、七日七晩磨いたと云う玉だ。」
彼は腹立たしそうにこう云うと、くるりと若者に背を向けて、大股に噴き井から歩み去った。若者はしかし勾玉を掌の上に載せながら、慌てて後を追いかけて来た。
「待っていて下さい。必ず二三日中には、吉左右を御聞かせしますから。」
「うん、急がなくって好いが。」
彼等は倭衣の肩を並べて、絶え間なく飛び交う燕の中を山の方へ歩いて行った。後には若者の投げた椿の花が、中高になった噴き井の水に、まだくるくる廻りながら、流れもせず浮んでいた。
その日の暮方、若者は例の草山の楡の根がたに腰を下して、また素戔嗚に預けられた勾玉を掌へ載せて見ながら、あの娘に云い寄るべき手段をいろいろ考えていた。するとそこへもう一人の若者が、斑竹の笛を帯へさして、ぶらりと山を下って来た。それは部落の若者たちの中でも、最も精巧な勾玉や釧の所有者として知られている、背の高い美貌の若者であった。彼はそこを通りかかると、どう思ったかふと足を止めて、楡の下の若者に「おい、君。」と声をかけた。若者は慌てて、顔を挙げた。が、彼はこの風流な若者が、彼の崇拝する素戔嗚の敵の一人だと云う事を承知していた。そこでいかにも無愛想に、
「何か御用ですか。」と返事をした。
「ちょいとその勾玉を見せてくれないか。」
若者は苦い顔をしながら、琅玕を相手の手に渡した。
「君の玉かい。」
「いいえ、素戔嗚尊の玉です。」
今度は相手の若者の方が、苦い顔をしずにはいられなかった。
「じゃいつもあの男が、自慢そうに下げている玉だ。もっともこのほかに下げているのは、石塊同様の玉ばかりだが。」
若者は毒口を利きながら、しばらくその勾玉を弄んでいたが、自分もその楡の根がたへ楽々と腰を下すと、
「どうだろう。物は相談と云うが、一つ君の計らいで、この玉を僕に売ってくれまいか。」と、大胆な事を云い出した。
十六
牛飼いの若者は否と返事をする代りに、頬を脹らせたまま黙っていた。すると相手は流し眼に彼の顔を覗きこんで、
「その代り君には御礼をするよ。刀が欲しければ刀を進上するし、玉が欲しければ玉も進上するし、――」
「駄目ですよ。その勾玉は素戔嗚尊が、ある人に渡してくれと云って、私に預けた品なのですから。」
「へええ、ある人へ渡してくれ? ある人と云うのは、ある女と云う事かい。」
相手は好奇心を動かしたと見えて、急に気ごんだ調子になった。
「女でも男でも好いじゃありませんか。」
若者は余計なおしゃべりを後悔しながら面倒臭そうにこう答を避けた。が、相手は腹を立てた気色もなく、反って薄気昧が悪いほど、優しい微笑を漏らしながら、
「そりゃどっちでも好いさ。どっちでも好いが、その人へ渡す品だったら、そこは君の働き一つで、ほかの勾玉を持って行っても、大した差支はなさそうじゃないか。」
若者はまた口を噤んで、草の上へ眼を反らせていた。
「勿論多少は面倒が起るかも知れないさ。しかしそのくらいな事はあっても、刀なり、玉なり、鎧なり、乃至はまた馬の一匹なり、君の手にはいった方が――」
「ですがね、もし先方が受け取らないと云ったら、私はこの玉を素戔嗚尊へ返さなければならないのですよ。」
「受け取らないと云ったら?」
相手はちょいと顔をしかめたが、すぐに優しい口調に返って、
「もし先方が女だったら、そりゃ素戔嗚の玉なぞは受け取らないね。その上こんな琅玕は、若い女には似合わないよ。だから反ってこの代りに、もっと派手な玉を持って行けば、案外すぐに受け取るかも知れない。」
若者は相手の云う事も、一理ありそうな気がし出した。実際いかに高貴な物でも、部落の若い女たちが、こう云う色の玉を好むかどうか、疑わしいには違いなかったのであった。
「それからだね――」
相手は唇を舐めながら、いよいよもっともらしく言葉を継いだ。
「それからだね、たとい玉が違ったにしても、受け取って貰った方が、受け取らずに返されるよりは、素戔嗚も喜ぶだろうじゃないか。して見れば玉は取り換えた方が、反って素戔嗚のためになるよ。素戔嗚のためになって、おまけに君が刀でも、馬でも手に入れるとなれば、もう文句はない筈だがね。」
若者の心の中には、両方に刃のついた剣やら、水晶を削った勾玉やら、逞ましい月毛の馬やらが、はっきりと浮び上って来た。彼は誘惑を避けるように、思わず眼をつぶりながら、二三度頭を強く振った。が、眼を開けると彼の前には、依然として微笑を含んでいる、美しい相手の顔があった。
「どうだろう。それでもまだ不服かい。不服なら――まあ、何とか云うよりも、僕の所まで来てくれ給え。刀も鎧もちょうど君に御誂えなのがある筈だ。厩には馬も五六匹いる。」
相手は飽くまでも滑な舌を弄しながら気軽く楡の根がたを立ち上った。若者はやはり黙念と、煮え切らない考えに沈んでいた。しかし相手が歩き出すと、彼もまたその後から、重そうな足を運び始めた。――
彼等の姿が草山の下に、全く隠れてしまった時、さらに一人の若者が、のそのそそこへ下って来た。夕日の光はとうに薄れて、あたりにはもう靄さえ動いていたが、その若者が素戔嗚だと云う事は、一目見てさえ知れる事であった。彼は今日射止めたらしい山鳥を二三羽肩にかけて、悠々と楡の下まで来ると、しばらく疲れた足を休めて、暮色の中に横たわっている部落の屋根を見下した。そうして独り唇に幸福な微笑を漂わせた。
何も知らない素戔嗚は、あの快活な娘の姿を心に思い浮べたのであった。
十七
素戔嗚は一日一日と、若者の返事を待ち暮した。が、若者はいつになっても、容易に消息を齋さなかった。のみならず故意か偶然か、ほとんどその後素戔嗚とは顔も合さないぐらいであった。彼は若者の計画が失敗したのではないかと思った。そのために彼と会う事が恥しいのではないかと思った。が、そのまた一方では、やはりまだあの快活な娘に、近づく機会がないのかも知れないと思い返さずにはいられなかった。
その間に彼はあの娘と、朝早く同じ噴き井の前で、たった一度落合った事があった。娘は例のごとく素焼の甕を頭の上に載せながら、四五人の部落の女たちと一しょに、ちょうど白椿の下を去ろうとしていた。が、彼の顔を見ると、彼女は急に唇を歪めて、蔑むような表情を水々しい眼に浮べたまま、昂然と一人先に立って、彼の傍を通り過ぎた。彼はいつもの通り顔を赤めた上に、その日は何とも名状し難い不快な感じまで味わされた。「おれは莫迦だ。あの娘はたとい生まれ変っても、おれの妻になるような女ではない。」――そう云う絶望に近い心もちも、しばらくは彼を離れなかった。しかし牛飼の若者が、否やの返事を持って来ない事は、人の好い彼に多少ながら、希望を抱かせる力になった。彼はそれ以来すべてをこの未知の答えに懸けて、二度と苦しい思いをしないために、当分はあの噴き井の近くへも立ち寄るまいと私かに決心した。
ところが彼はある日の日暮、天の安河の河原を歩いていると、折からその若者が馬を洗っているのに出会った。若者は彼に見つかった事が、明かに気まずいようであった。同時に彼も何となく口が利き悪い気もちになって、しばらくは入日の光に煙った河原蓬の中へ佇みながら、艶々と水をかぶっている黒馬の毛並を眺めていた。が、追い追いその沈黙が、妙に苦しくなり始めたので、とり敢えず話題を開拓すべく、目前の馬を指さしながら、
「好い馬だな。持主は誰だい。」と、まず声をかけた。すると意外にも若者は得意らしい眼を挙げて、
「私です。」と返事をした。
「そうか。そりゃ――」
彼は感嘆の言葉を呑みこむと、また元の通り口を噤んでしまった。が、さすがに若者は素知らぬ顔も出来ないと見えて、
「先達あの勾玉を御預りしましたが――」と、ためらい勝ちに切り出した。
「うん、渡してくれたかい。」
彼の眼は子供のように、純粋な感情を湛えていた、若者は彼と眼を合わすと、慌ててその視線を避けながら、故に馬の足掻くのを叱って、
「ええ、渡しました。」
「そうか。それでおれも安心した。」
「ですが――」
「ですが? 何だい。」
「急には御返事が出来ないと云う事でした。」
「何、急がなくっても好い。」
彼は元気よくこう答えると、もう若者には用がないと云ったように、夕霞のたなびいた春の河原を元来た方へ歩き出した。彼の心の中には、今までにない幸福の意識が波立っていた。河原蓬も、空も、その空に一羽啼いている雲雀も、ことごとく彼には嬉しそうであった。彼は頭を挙げて歩きながら、危く霞に紛れそうな雲雀と時々話をした。
「おい、雲雀。お前はおれが羨ましそうだな。羨ましくないと? 嘘をつけ。それなら何故そんなに啼き立てるのだ。雲雀。おい、雲雀。返事をしないか。雲雀。……」
十八
素戔嗚はそれから五六日の間、幸福そのもののような日を送った。ところがその頃から部落には、作者は誰とも判然しない、新しい歌が流行り出した。それは醜い山鴉が美しい白鳥に恋をして、ありとあらゆる空の鳥の哂い物になったと云う歌であった。彼はその歌が唱われるのを聞くと、今まで照していた幸福の太陽に、雲が懸ったような心もちがした。
しかし彼は多少の不安を感じながら、まだ幸福の夢から覚めずにいた。すでに美しい白鳥は、醜い山鴉の恋を容れてくれた。ありとあらゆる空の鳥は、愚な彼を哂うのではなく、反って仕合せな彼を羨んだり妬んだりしているのであった。――そう彼は信じていた。少くともそう信ぜずにはいられないような気がしていた。
だから彼はその後また、あの牛飼の若者に遇った時も、ただ同じ答を聞きたいばかりに、
「あの勾玉は確かに渡してくれたのだろうな。」と、軽く念を押しただけであった。若者はやはり間の悪るそうな顔をしながら、
「ええ、確かに渡しました。しかし御返事の所は――」とか何とか、曖昧に言葉を濁していた。それでも彼は渡したと云う言葉に満足して、その上立ち入った事情なぞは尋ねようとも思わなかった。
すると三四日経ったある夜の事、彼が山へ寝鳥でも捕えに行こうと思って、月明りを幸、部落の往来を独りぶらぶら歩いていると、誰か笛を吹きすさびながら、薄い靄の下りた中を、これも悠々と来かかるものがあった。野蛮な彼は幼い時から、歌とか音楽とか云うものにはさらに興味を感じなかった。が、藪木の花の匀のする春の月夜に包まれながら、だんだんこちらへやって来る笛の声に耳を傾けるのは、彼にとっても何となく、心憎い気のするものであった。
その内に彼とその男とは、顔を合せるばかりに近くなって来た。しかし相手は鼻の先へ来ても、相不変笛を吹き止めなかった。彼は路を譲りながら、天心に近い月を負って、相手の顔を透かして見た。美しい顔、燦びやかな勾玉、それから口に当てた斑竹の笛――相手はあの背の高い、風流な若者に違いなかった。彼は勿論この若者が、彼の野性を軽蔑する敵の一人だと云うことを承知していた。そこで始は昂然と肩を挙げて、挨拶もせずに通り過ぎようとした。が、いよいよ二人がすれ違おうとした時、何かがもう一度彼の眼を若者の体へ惹きつけた。と、相手の胸の上には、彼の母が遺物に残した、あの琅玕の勾玉が、曇りない月の光に濡れて、水々しく輝いていたではないか。
「待て。」
彼は咄嗟に腕を伸ばすと、若者の襟をしっかり掴んだ。
「何をする。」
若者は思わずよろめきながら、さすがに懸命の力を絞って、とられた襟を振り離そうとした。が、彼の手はさながら万力にかけたごとく、いくらもがいても離れなかった。
十九
「貴様はこの勾玉を誰に貰った?」
素戔嗚は相手の喉をしめ上げながら噛みつくようにこう尋ねた。
「離せ。こら、何をする。離さないか。」
「貴様が白状するまでは離さない。」
「離さないと――」
若者は襟を取られたまま、斑竹の笛をふり上げて、横払いに相手を打とうとした。が、素戔嗚は手もとを緩めるまでもなく、遊んでいた片手を動かして、苦もなくその笛を扭じ取ってしまった。
「さあ、白状しろ。さもないと、貴様を絞殺すぞ。」
実際素戔嗚の心の中には、狂暴な怒が燃え立っていた。
「この勾玉は――おれが――おれが馬と取換えたのだ。」
「嘘をつけ。これはおれが――」
「あの娘に」と云う言葉が、何故か素戔嗚の舌を硬ばらせた。彼は相手の蒼ざめた顔に熱い息を吹きかけながら、もう一度唸るような声を出した。
「嘘をつけ。」
「離さないか。貴様こそ、――ああ、喉が絞まる。――あれほど離すと云った癖に、貴様こそ嘘をつく奴だ。」
「証拠があるか、証拠が。」
すると若者はまだ必死に、もがきながら、
「あいつに聞いて見るが好い。」と、吐き出すような、一言を洩らした。「あいつ」があの牛飼いの若者であると云う事は、怒り狂った素戔嗚にさえ、問うまでもなく明かであった。
「よし。じゃ、あいつに聞いて見よう。」
素戔嗚は言下に意を決すると、いきなり相手を引っ立てながら、あの牛飼いの若者がたった一人住んでいる、そこを余り離れていない小家の方へ歩き出した。その途中も時々相手は、襟にかかった素戔嗚の手を一生懸命に振り離そうとした。しかし彼の手は相不変、鉄のようにしっかり相手を捉えて、打っても、叩いても離れなかった。
空には依然として、春の月があった。往来にも藪木の花の匀が、やはりうす甘く立ち罩めていた。が、素戔嗚の心の中には、まるで大暴風雨の天のように、渦巻く疑惑の雲を裂いて、憤怒と嫉妬との稲妻が、絶え間なく閃き飛んでいた。彼を欺いたのはあの娘であろうか。それとも牛飼いの若者であろうか。それともまたこの相手が何か狡猾な手段を弄して、娘から勾玉を巻き上げたのであろうか。……
彼はずるずる若者を引きずりながら、とうとう目ざす小家まで来た。見ると幸小家の主人は、まだ眠らずにいると見えて、仄かな一盞の燈火の光が、戸口に下げた簾の隙から、軒先の月明と鬩いでいた。襟をつかまれた若者は、ちょうどこの戸口の前へ来た時、始めて彼の手から自由になろうとする、最後の努力に成功した、と思うと時ならない風が、さっと若者の顔を払って、足さえ宙に浮くが早いか、あたりが俄に暗くなって、ただ一しきり火花のような物が、四方へ散乱するような心もちがした。――彼は戸口へ来ると同時に、犬の子よりも造作なく、月の光を堰いた簾の内へ、まっさかさまに投げこまれたのであった。
二十
家の中にはあの牛飼の若者が、土器にともした油火の下に、夜なべの藁沓を造っていた。彼は戸口に思いがけない人のけはいが聞えた時、一瞬間忙しい手を止めて、用心深く耳を澄ませたが、その途端に軒の簾が、大きく夜を煽ったと思うと、突然一人の若者が、取り乱した藁のまん中へ、仰向けざまに転げ落ちた。
彼はさすがに胆を消して、うっかりあぐらを組んだまま、半ば引きちぎられた簾の外へ、思わず狼狽の視線を飛ばせた。するとそこには素戔嗚が、油火の光を全身に浴びて、顔中に怒りを漲らせながら、小山のごとく戸口を塞いでいた。若者はその姿を見るや否や、死人のような色になって、しばらくただ狭い家の中をきょろきょろ見廻すよりほかはなかった。素戔嗚は荒々しく若者の前へ歩み寄ると、じっと彼の顔を睨み据えて、
「おい、貴様は確かにあの娘へ、おれの勾玉を渡したと云ったな。」と忌々しそうな声をかけた。
若者は答えなかった。
「それがこの男の頸に懸っているのは一体どうした始末なのだ?」
素戔嗚はあの美貌の若者へ、燃えるような瞳を移した。が、彼はやはり藁の中に、気を失ったのか、仮死か、眼を閉じたまま倒れていた。
「渡したと云うのは嘘か?」
「いえ、嘘じゃありません。ほんとうです。ほんとうです。」
牛飼いの若者は、始めて必死の声を出した。
「ほんとうですが、――ですが、実はあの琅玕の代りに、珊瑚の――その管玉を……」
「どうしてまたそんな真似をしたのだ?」
素戔嗚の声は雷のごとく、度を失った若者の心を一言毎に打ち砕いた。彼はとうとうしどろもどろに、美貌の若者が勧める通り、琅玕と珊瑚と取り換えた上、礼には黒馬を貰った事まで残りなく白状してしまった。その話を聞いている内に、刻々素戔嗚の心の中には、泣きたいような、叫びたいような息苦しい羞憤の念が、大風のごとく昂まって来た。
「そうしてその玉は渡したのだな。」
「渡しました。渡しましたが――」
若者は逡巡した。
「渡しましたが――あの娘は――何しろああ云う娘ですし、――白鳥は山鴉になどと――、失礼な口上ですが、――受け取らないと申し――」
若者は皆まで云わない内に、仰向けにどうと蹴倒された。蹴倒されたと思うと、大きな拳がしたたか彼の頭を打った。その拍子に燈火の盞が落ちて、あたりの床に乱れた藁は、たちまち、一面の炎になった。牛飼いの若者はその火に毛脛を焼かれながら、悲鳴を挙げて飛び起きると、無我夢中に高這いをして、裏手の方へ逃げ出そうとした。
怒り狂った素戔嗚は、まるで傷いた猪のように、猛然とその後から飛びかかった。いや、将に飛びかかろうとした時、今度は足もとに倒れていた、美貌の若者が身を起すと、これも死物狂に剣を抜いて、火の中に片膝ついたまま、いきなり彼の足を払おうとした。
二十一
その剣の光を見ると、突然素戔嗚の心の中には、長い間眠っていた、流血に憧れる野性が目ざめた。彼は素早く足を縮めて、相手の武器を飛び越えると、咄嗟に腰の剣を抜いて、牛の吼えるような声を挙げた。そうしてその声を挙げるが早いか、無二無三に相手へ斬ってかかった。彼等の剣は凄じい音を立てて、濛々と渦巻く煙の中に、二三度眼に痛い火花を飛ばせた。
しかし美貌の若者は、勿論彼の敵ではなかった。彼の振り廻す幅広の剣は、一太刀毎にこの若者を容赦なく死地へ追いこんで行った。いや、彼は数合の内に、ほとんど一気に相手の頭を斬り割る所まで肉薄していた。するとその途端に甕が一つ、どこからか彼の頭を目がけて、勢い好く宙を飛んで来た。が、幸それは狙いが外れて、彼の足もとへ落ちると共に、粉微塵に砕けてしまった。彼は太刀打を続けながら、猛り立った眼を挙げて、忙わしく家の中を見廻した。見廻すと、裏手の蓆戸の前には、さっき彼に後を見せた、あの牛飼いの若者が、これも眼を血走らせたまま、相手の危急を救うべく、今度は大きな桶を一つ、持ち上げている所であった。
彼は再び牛のような叫び声を挙げながら、若者が桶を投げるより先に、渾身の力を剣にこめて、相手の脳天へ打ち下そうとした。が、その時すでに大きな桶は、炎の空に風を切って、がんと彼の頭に中った。彼はさすがに眼が眩んだのか、大風に吹かれた旗竿のように思わずよろよろ足を乱して、危くそこへ倒れようとした。その暇に相手の若者は、奮然と身を躍らせると、――もう火の移った簾を衝いて、片手に剣を提げながら、静な外の春の月夜へ、一目散に逃げて行った。
彼は歯を喰いしばったまま、ようやく足を踏み固めた。しかし眼を開いて見ると、火と煙とに溢れた家の中には、とうに誰もいなくなっていた。
「逃げたな、何、逃げようと云っても、逃がしはしないぞ。」
彼は髪も着物も焼かれながら、戸口の簾を切り払って、蹌踉と家の外へ出た。月明に照らされた往来は、屋根を燃え抜いた火の光を得て、真昼のように明るかった。そうしてその明るい往来には、部落の家々から出て来た人の姿が、黒々と何人も立ち並んでいた。のみならずその人影は、剣を下げた彼を見ると、誰からともなく騒ぎ立って、「素戔嗚だ。素戔嗚だ。」と呼び交す声が、たちまち高くなり始めた。彼はそう云う声を浴びて、しばらくはぼんやり佇んで居た。また実際それよりほかに、何の分別もつかないほど、殺気立った彼の心の中には、気も狂いそうな混乱が、益々烈しくなって居たのであった。
その内に往来の人影は、見る見る数を加え出した。と同時に騒がしい叫び声も、いつか憎悪を孕んで居る険悪な調子を帯び始めた。
「火つけを殺せ。」
「盗人を殺せ。」
「素戔嗚を殺せ。」
二十二
この時部落の後にある、草山の楡の木の下には、髯の長い一人の老人が天心の月を眺めながら、悠々と腰を下していた。物静な春の夜は、藪木の花のかすかな匀を柔かく靄に包んだまま、ここでもただ梟の声が、ちょうど山その物の吐息のように、一天の疎な星の光を時々曇らせているばかりであった。
が、その内に眼の下の部落からは、思いもよらない火事の煙が、風の断えた中空へ一すじまっ直に上り始めた。老人はその煙の中に立ち昇る火の粉を眺めても、やはり膝を抱きながら、気楽そうに小声の歌を唱って、一向驚くらしい気色も見せなかった。しかし間もなく部落からは、まるで蜂の巣を壊したような人どよめきの音が聞えて来た。のみならずその音は次第に高くざわめき立って、とうとう戦でも起ったかと思う、烈しい喊声さえ伝わり出した。これにはさすがの老人も、いささか意外な気がしたと見えて、白い眉をひそめながら、おもむろに腰を擡げると、両手を耳へ当てがって、時ならない部落の騒動をじっと聞き澄まそうとするらしかった。
「はてな。剣の音なぞもするようだが。」
老人はこう呟きながら、しばらくはそこに伸び上って、絶えず金粉を煽っている火事の煙に見入っていた。
するとほどなく部落から、逃げて来たらしい七八人の男女が、喘ぎ喘ぎ草山へ上って来た。彼等のある者は髪を垂れた、十には足りない童児であった。ある者は肌も見えるくらい、襟や裳紐を取り乱した、寝起きらしい娘であった。そうしてまたある者は弓よりも猶腰の曲った、立居さえ苦しそうな老婆であった。彼等は草山の上まで来ると、云い合せたように皆足を止めて、月夜の空を焦している部落の火事へ眼を返した。が、やがてその中の一人が、楡の根がたに佇んだ老人の姿を見るや否や、気づかわしそうに寄り添った。この足弱の一群からは、「思兼尊、思兼尊。」と云う言葉が、ため息と一しょに溢れて来た。と同時に胸も露わな、夜目にも美しい娘が一人、「伯父様。」と声をかけながら、こちらを振り向いた老人の方へ、小鳥のように身軽く走り寄った。
「どうしたのだ、あの騒ぎは。」
思兼尊はまだ眉をひそめながら、取りすがった娘を片手に抱いて、誰にともなくこう尋ねた。
「素戔嗚尊がどうした事か、急に乱暴を始めたとか申す事でございますよ。」
答えたのはあの快活な娘でなくて、彼等の中に交っていた、眼鼻も見えないような老婆であった。
「何、素戔嗚尊が乱暴を始めた?」
「はい、それ故大勢の若者たちが、尊を搦めようと致しますと、平生尊の味方をする若者たちが承知致しませんで、とうとうあのように何年にもない、大騒動が始まったそうでございますよ。」
思兼尊は考え深い目つきをして、部落に上っている火事の煙と、尊の胸にすがっている娘の顔とを見比べた。娘は月に照らされたせいか、鬢の乱れた頬の色が、透き徹るかと思うほど青ざめていた。
「火を弄ぶものは、気をつけないと、――素戔嗚尊ばかりではない。火を弄ぶものは、気をつけないと――」
尊は皺だらけな顔に苦笑を浮べて、今はさらに拡がったらしい火の手を遥に眺めながら、黙って震えている姪の髪を劬るように撫でてやった。
二十三
部落の戦いは翌朝まで続いた。が、寡はついに衆の敵ではなかった。素戔嗚は味方の若者たちと共に、とうとう敵の手に生捉られた。日頃彼に悪意を抱いていた若者たちは、鞠のように彼を縛めた上、いろいろ乱暴な凌辱を加えた。彼は打たれたり蹴られたりする度毎に、ごろごろ地上を転がりまわって、牛の吼えるような怒声を挙げた。
部落の老若はことごとく、律通り彼を殺して、騒動の罪を贖わせようとした。が、思兼尊と手力雄尊と、この二人の勢力家だけは、容易に賛同の意を示さなかった。手力雄尊は素戔嗚の罪を憎みながらも、彼の非凡な膂力には愛惜の情を感じていた。これは同時にまた思兼尊が、むざむざ彼ほどの若者を殺したくない理由でもあった。のみならず尊は彼ばかりでなく、すべて人間を殺すと云う事に、極端な嫌悪を抱いていた。――
部落の老若は彼の罪を定めるために、三日の間議論を重ねた。が、二人の尊たちはどうしても意見を改めなかった。彼等はそこで死刑の代りに、彼を追放に処する事にした。しかしこのまま、彼の縄を解いて、彼に広い国外の自由の天地を与えるのは、到底彼等の忍び難い、寛大に過ぎた処置であった。彼等はまず彼の鬚を、一本残らずむしり取った。それから彼の手足の爪を、まるで貝でも剥がすように、未練未釈なく抜いてしまった。その上彼の縄を解くと、ほとんど手足も利かない彼へ、手ん手に石を投げつけたり、慓悍な狩犬をけしかけたりした。彼は血にまみれながら、ほとんど高這いをしないばかりに、蹌踉と部落を逃れて行った。
彼が高天原の国をめぐる山々の峰を越えたのは、ちょうどその後二日経った、空模様の怪しい午後であった。彼は山の頂きへ来た時、嶮しい岩むらの上へ登って、住み慣れた部落の横わっている、盆地の方を眺めて見た。が、彼の眼の下には、ただうす白い霧の海が、それらしい平地をぼんやりと、透かして見せるばかりであった。彼はしかし岩の上に、朝焼の空を負いながら、長い間じっと坐っていた。すると谷間から吹き上げる風が、昔の通り彼の耳へ、聞き慣れた囁きを送って来た。「素戔嗚よ。お前は何をさがしているのだ。おれと一しょに来い。おれと一しょに来い。素戔嗚よ。……」
彼はようやく立ち上った。そうしてまだ知らない国の方へ、おもむろに山を下り出した。
その内に朝焼の火照りが消えると、ぽつぽつ雨が落ちはじめた。彼は一枚の衣のほかに、何もまとってはいなかった。頸珠や剣は云うまでもなく、生捉りになった時に奪われていた。雨はこの追放人の上に、おいおい烈しくなり始めた。風も横なぐりに落して来ては、時々ずぶ濡れになった衣の裾を裸の脚へたたきつけた。彼は歯を食いしばりながら、足もとばかり見つめて歩いた。
実際眼に見えるものは、足もとに重なる岩だけであった。そのほかは一面に暗い霧が、山や谷を封じていた。霧の中では風雨の音か、それとも谷川の水の音か、凄じくざっと遠近に煮えくり返る音があった。が、彼の心の中には、それよりもさらに凄じく、寂しい怒が荒れ狂っていた。
二十四
やがて足もとの岩は、湿った苔になった。苔はまた間もなく、深い羊歯の茂みになった。それから丈の高い熊笹に、――いつの間にか素戔嗚は、山の中腹を埋めている森林の中へはいったのであった。
森林は容易に尽きなかった。風雨も依然として止まなかった。空には樅や栂の枝が、暗い霧を払いながら、悩ましい悲鳴を挙げていた。彼は熊笹を押し分けて、遮二無二その中を下って行った。熊笹は彼の頭を埋めて、絶えず濡れた葉を飛ばせていた。まるで森全体が、彼の行手を遮るべく、生きて動いているようであった。
彼は休みなく進み続けた。彼の心の内には相不変鬱勃として怒が燃え上っていた。が、それにも関らず、この荒れ模様の森林には、何か狂暴な喜びを眼ざまさせる力があるらしかった。彼は草木や蔦蘿を腕一ぱいに掻きのけながら、時々大きな声を出して、吼って行く風雨に答えたりした。
午もやや過ぎた頃、彼はとうとう一すじの谷川に、がむしゃらな進路を遮られた。谷川の水のたぎる向うは、削ったような絶壁であった。彼はその流れに沿って、再び熊笹を掻き分けて行った。するとしばらくして向うの岸へ、藤蔓を編んだ桟橋が、水煙と雨のしぶきとの中に、危く懸っている所へ出た。
桟橋を隔てた絶壁には、火食の煙が靡いている、大きな洞穴が幾つか見えた。彼はためらわずに桟橋を渡って、その穴の一つを覗いて見た。穴の中には二人の女が、炉の火を前に坐っていた。二人とも火の光を浴びて、描いたように赤く見えた。一人は猿のような老婆であったが、一人はまだ年も若いらしかった。それが彼の姿を見ると、同時に声を挙げながら、洞穴の奥へ逃げこもうとした。が、彼は彼等のほかに男手のないのを見るが早いか、猛然と穴の中へ突き進んだ。そうしてまず造作もなく、老婆をそこへ扭じ伏せてしまった。
若い女は壁に懸けた刀子へ手をかけるや否や、素早く彼の胸を刺そうとした。が、彼は片手を揮って、一打にその刀子を打ち落した。女はさらに剣を抜いて、執念く彼を襲って来た。しかし剣は一瞬の後、やはり鏘然と床に落ちた。彼はその剣を拾い取ると、切先を歯に啣えながら苦もなく二つに折って見せた。そうして冷笑を浮べたまま、戦いを挑むように女を見た。
女はすでに斧を執って、三度彼に手向おうとしていた。が、彼が剣を折ったのを見ると、すぐに斧を投げ捨てて、彼の憐に訴うべく、床の上にひれ伏してしまった。
「おれは腹が減っているのだ。食事の仕度をしれい。」
彼は捉えていた手を緩めて、猿のような老婆をも自由にした。それから炉の火の前へ行って、楽々とあぐらをかいた。二人の女は彼の命令通り、黙々と食事の仕度を始めた。
二十五
洞穴の中は広かった。壁にはいろいろな武器が懸けてあった。それが炉の火の光を浴びて、いずれも美々しく輝いていた。床にはまた鹿や熊の皮が、何枚もそこここに敷いてあった。その上何から起るのか、うす甘い匀が快く暖な空気に漂っていた。
その内に食事の仕度が出来た。野獣の肉、谷川の魚、森の木の実、干した貝、――そう云う物が盤や坏に堆く盛られたまま、彼の前に並べられた。若い女は瓶を執って、彼に酒を勧むべく、炉のほとりへ坐りに来た。目近に坐っているのを見れば、色の白い、髪の豊な、愛嬌のある女であった。
彼は獣のように、飮んだり食ったりした。盤や坏は見る見る内に、一つ残らず空になった。女は健啖な彼を眺めながら子供のように微笑していた。彼に刀子を加えようとした、以前の慓悍な気色などは、どこを探しても見えなかった。
「さあ、これで腹は出来た。今度は着る物を一枚くれい。」
彼は食事をすませると、こう云って、大きな欠伸をした。女は洞穴の奥へ行って、絹の着物を持って来た。それは今まで彼の見た事のない、精巧な織模様のある着物であった。彼は身仕度をすませると、壁の上の武器の中から、頭椎の剣を一振とって、左の腰に結び下げた。それからまた炉の火の前へ行って、さっきのようにあぐらを掻いた。
「何かまだ御用がございますか。」
しばらくの後、女はまた側へ来て、ためらうような尋ね方をした。
「おれは主人の帰るのを待っているのだ。」
「待って、――どうなさるのでございますか。」
「太刀打をしようと思うのだ。おれは女を劫して、盗人を働いたなどとは云われたくない。」
女は顔にかかる髪を掻き上げながら、鮮な微笑を浮べて見せた。「それでは御待ちになるがものはございません。私がこの洞穴の主人なのでございますから。」
素戔嗚は意外の感に打たれて、思わず眼を大きくした。
「男は一人もいないのか。」
「一人も居りません。」
「この近くの洞穴には?」
「皆私の妹たちが、二三人ずつ住んで居ります。」
彼は顔をしかめたまま二三度頭を強く振った。火の光、床の毛皮、それから壁上の太刀や剣、――すべてが彼には、怪しげな幻のような心もちがした。殊にこの若い女は、きらびやかな頸珠や剣を飾っているだけに、余計人間離れのした、山媛のような気がするのであった。しかし風雨の森林を長い間さまよった後この危害の惧のない、暖な洞穴に坐っているのは、とにかく快いには違いなかった。
「妹たちは大勢いるのか。」
「十六人居ります。――ただ今姥が知らせに参りましたから、その内に皆御眼にかかりに、出て参るでございましょう。」
成程そう云われて見れば、あの猿のような老婆の姿は、いつの間にか見えなくなっていた。
二十六
素戔嗚は膝を抱えたまま、洞外をどよもす風雨の音にぼんやり耳を傾けていた。すると女は炉の中へ、新に焚き木を加えながら、
「あの――御名前は何とおっしゃいますか。私は大気都姫と申しますが。」と云った。
「おれは素戔嗚だ。」
彼がこう名乗った時、大気都姫は驚いた眼を挙げて、今更のようにこの無様な若者を眺めた。素戔嗚の名は彼女の耳にも、明かに熟しているようであった。
「では今まではあの山の向うの、高天原の国にいらしったのでございますか。」
彼は黙って頷いた。
「高天原の国は、好い所だと申すではございませんか。」
この言葉を聞くと共に、一時静まっていた心頭の怒火が、また彼の眼の中に燃えあがった。
「高天原の国か。高天原の国は、鼠が猪よりも強い所だ。」
大気都姫は微笑した。その拍子に美しい歯が、鮮に火の光に映って見えた。
「ここは何と云う所だ?」
彼は強いて冷かに、こう話頭を転換した。が、彼女は微笑を含んで、彼の逞しい肩のあたりへじっと眼を注いだまま、何ともその問に答えなかった。彼は苛立たしい眉を動かして、もう一度同じ事を繰返した。大気都姫は始めて我に返ったように、滴るような媚を眼に浮べて、
「ここでございますか。ここは――ここは猪が鼠より強い所でございます。」と答えた。
その時俄に人のけはいがして、あの老婆を先頭に、十五人の若い女たちが、風雨にめげた気色もなく、ぞろぞろ洞穴の中へはいって来た。彼等は皆頬に紅をさして、高々と黒髪を束ねていた。それが順々に大気都姫と、親しそうな挨拶を交換すると、呆気にとられた彼のまわりへ、馴れ馴れしく手ん手に席を占めた。頸珠の色、耳環の光、それから着物の絹ずれの音、――洞穴の内はそう云う物が、榾明りの中に充ち満ちたせいか、急に狭くなったような心もちがした。
十六人の女たちは、すぐに彼を取りまいて、こう云う山の中にも似合わない、陽気な酒盛を開き始めた。彼は始は唖のように、ただ勧められる盃を一息にぐいぐい飲み干していた。が、酔がまわって来ると、追いおい大きな声を挙げて、笑ったり話したりする様になった。女たちのある者は、玉を飾って琴を弾いた。またある者は、盃を控えて、艶かしい恋の歌を唱った。洞穴は彼等のえらぐ声に、鳴りどよむばかりであった。
その内に夜になった。老婆は炉に焚き木を加えると共に、幾つも油火の燈台をともした。その昼のような光の中に、彼は泥のように酔い痴れながら、前後左右に周旋する女たちの自由になっていた。十六人の女たちは、時々彼を奪い合って、互に嬌嗔を帯びた声を立てた。が、大抵は大気都姫が、妹たちの怒には頓着なく、酒に中った彼を壟断していた。彼は風雨も、山々も、あるいはまた高天原の国も忘れて、洞穴を罩めた脂粉の気の中に、全く沈湎しているようであった。ただその大騒ぎの最中にも、あの猿のような老婆だけは、静に片隅に蹲って、十六人の女たちの、人目を憚らない酔態に皮肉な流し目を送っていた。
二十七
夜は次第に更けて行った。空になった盤や瓶は、時々けたたましい音を立てて、床の上にころげ落ちた。床の上に敷いた毛皮も、絶えず机から滴る酒に、いつかぐっしょり濡らされていた。十六人の女たちは、ほとんど正体もないらしかった。彼等の口から洩れるものは、ただ意味のない笑い声か、苦しそうな吐息の音ばかりであった。
やがて老婆は立ち上って、明るい油火の燈台を一つ一つ消して行った。後には炉に消えかかった、煤臭い榾の火だけが残った。そのかすかな火の光は、十六人の女に虐まれている、小山のような彼の姿を朦朧といつまでも照していた。……
翌日彼は眼をさますと、洞穴の奥にしつらえた、絹や毛皮の寝床の中に、たった一人横になっていた。寝床には菅畳を延べる代りに、堆く桃の花が敷いてあった。昨日から洞中に溢れていた、あのうす甘い、不思議な匀は、この桃の花の匀に違いなかった。彼は鼻を鳴らしながら、しばらくはただぼんやりと岩の天井を眺めていた。すると気違いじみた昨夜の記憶が、夢のごとく眼に浮んで来た。と同時にまた妙な腹立たしさが、むらむらと心頭を襲い出した。
「畜生。」
素戔嗚はこう呻きながら、勢いよく寝床を飛び出した。その拍子に桃の花が、煽ったように空へ舞い上った。
洞穴の中には例の老婆が、余念なく朝飯の仕度をしていた。大気都姫はどこへ行ったか、全く姿を見せなかった。彼は手早く靴を穿いて、頭椎の太刀を腰に帯びると、老婆の挨拶には頓着なく、大股に洞外へ歩を運んだ。
微風は彼の頭から、すぐさま宿酔を吹き払った。彼は両腕を胸に組んで、谷川の向うに戦いでいる、さわやかな森林の梢を眺めた。森林の空には高い山々が、中腹に懸った靄の上に、巑岏たる肌を曝していた。しかもその巨大な山々の峰は、すでに朝日の光を受けて、まるで彼を見下しながら、声もなく昨夜の狂態を嘲笑っているように見えるのであった。
この山々と森林とを眺めていると、彼は急に洞穴の空気が、嘔吐を催すほど不快になった。今は炉の火も、瓶の酒も、乃至寝床の桃の花も、ことごとく忌わしい腐敗の匀に充満しているとしか思われなかった。殊にあの十六人の女たちは、いずれも死穢を隠すために、巧な紅粉を装っている、屍骨のような心もちさえした。彼はそこで山々の前に、思わず深い息をつくと、悄然と頭を低れながら、洞穴の前に懸っている藤蔓の橋を渡ろうとした。
が、その時賑かな笑い声が、静な谷間に谺しながら、活き活きと彼の耳にはいった。彼は我知らず足を止めて、声のする方を振り返った。と、洞穴の前に通っている、細い岨路の向うから、十五人の妹をつれた、昨日よりも美しい大気都姫が、眼早く彼の姿を見つけて、眩い絹の裳を飜しながら、こちらへ急いで来る所であった。
「素戔嗚尊。素戔嗚尊。」
彼等は小鳥の囀るように、口々に彼を呼びかけた。その声はほとんど宿命的に、折角橋を渡りかけた素戔嗚の心を蕩漾させた。彼は彼自身の腑甲斐なさに驚きながら、いつか顔中に笑を浮べて、彼等の近づくのを待ちうけていた。
二十八
それ以来素戔嗚は、この春のような洞穴の中に、十六人の女たちと放縦な生活を送るようになった。
一月ばかりは、瞬く暇に過ぎた。
彼は毎日酒を飮んだり、谷川の魚を釣ったりして暮らした。谷川の上流には瀑があって、そのまた瀑のあたりには年中桃の花が開いていた。十六人の女たちは、朝毎にこの瀑壺へ行って、桃花の匀を浸した水に肌を洗うのが常であった。彼はまだ朝日のささない内に、女たちと一しょに水を浴ぶべく、遠い上流まで熊笹の中を、分け上る事も稀ではなかった。
その内に偉大な山々も、谷川を隔てた森林も、おいおい彼と交渉のない、死んだ自然に変って行った。彼は朝夕静寂な谷間の空気を呼吸しても、寸毫の感動さえ受けなくなった。のみならずそう云う心の変化が、全然彼には気にならなかった。だから彼は安んじて、酒びたりな日毎を迎えながら、幻のような幸福を楽んでいた。
しかしある夜夢の中に、彼は山上の岩むらに立って、再び高天原の国を眺めやった。高天原の国には日が当って、天の安河の大きな水が焼太刀のごとく光っていた。彼は勁い風に吹かれながら、眼の下の景色を見つめていると、急に云いようのない寂しさが、胸一ぱいに漲って来た、そうして思わず、声を立てて泣いた。その声にふと眼がさめた時、涙は実際彼の煩に、冷たい痕を止めていた。彼はそれから身を起して、かすかな榾明りに照らされた、洞穴の中を見廻した。彼と同じ桃花の寝床には、酒の匀のする大気都姫が、安らかな寝息を立てていた。これは勿論彼にとって、珍しい事でも何でもなかった。が、その姿に眼をやると、彼女の顔は不思議にも、眉目の形こそ変らないが、垂死の老婆と同じ事であった。
彼は恐怖と嫌悪とに、わななく歯を噛みしめながら、そっと生暖い寝床を辷り脱けた。そうして素早く身仕度をすると、あの猿のような老婆も感づかないほど、こっそり洞穴の外へ忍んで出た。
外には暗い夜の底に、谷川の音ばかりが聞えていた。彼は藤蔓の橋を渡るが早いか、獣のように熊笹を潜って、木の葉一つ動かない森林を、奥へ奥へと分けて行った。星の光、冷かな露、苔の匀、梟の眼――すべてが彼には今までにない、爽かな力に溢れているようであった。
彼は後も振返らずに、夜が明けるまで歩み続けた。森林の夜明けは美しかった。暗い栂や樅の空が燃えるように赤く染まった時、彼は何度も声を挙げて、あの洞穴を逃れ出した彼自身の幸福を祝したりした。
やがて太陽が、森の真上へ来た。彼は梢の山鳩を眺めながら、弓矢を忘れて来た事を後悔した。が、空腹を充すべき木の実は、どこにでも沢山あった。
日の暮は瞼しい崖の上に、寂しそうな彼を見出した。森はその崖の下にも、針葉樹の鋒を並べていた。彼は岩かどに腰を下して、谷に沈む日輪を眺めながら、うす暗い洞穴の壁に懸っている、剣や斧を思いやった。すると何故か、山々の向うから、十六人の女の笑い声が、かすかに伝わって来るような心もちがした。それは想像も出来ないくらい、怪しい誘惑に富んだ幻であった。彼は暮れかかる岩と森とを、食い入るように見据えたまま、必死にその誘惑を禦ごうとした。が、あの洞穴の榾火の思い出は、まるで眼に見えない網のように、じりじり彼の心を捉えて行った。
二十九
素戔嗚は一日の後、またあの洞中に帰って来た。十六人の女たちは、皆彼の逃げた事も知らないような顔をしていた。それはどう考えても、無関心を装っているとは思われなかった。むしろ彼等は始めから、ある不思議な無感受性を持っているような気がするのであった。
この彼等の無感受性は、当座の間彼を苦しませた。が、さらに一月ばかり経って見ると、反って彼はそのために、前よりも猶安々と、いつまでも醒めない酔のような、怪しい幸福に浸る事が出来た。
一年ばかりの月日は、再び夢のように通り過ぎた。
するとある日女たちは、どこから洞穴へつれて来たか、一頭の犬を飼うようになった。犬は全身まっ黒な、犢ほどもある牡であった。彼等は、殊に大気都姫は、人間のようにこの犬を可愛がった。彼も始は彼等と一しょに、盤の魚や獣の肉を投げてやる事を嫌わなかった。あるいはまた酒後の戯れに、相撲をとる事も度々あった。犬は時々前足を飛ばせて、酔い痴れた彼を投げ倒した。彼等はその度に手を叩いて、賑かに笑い興じながら、意気地のない彼を嘲り合った。
ところが犬は一日毎に、益々彼等に愛されて行った。大気都姫はとうとう食事の度に、彼と同じ盤や瓶を、犬の前にも並べるようになった。彼は苦い顔をして、一度は犬を逐い払おうとした。が、彼女はいつになく、美しい眼の色を変えて、彼の我儘を咎め立てた。その怒を犯してまでも、犬を成敗しようと云う勇気は、すでに彼には失われていた。彼はそこで犬と共に、肉を食ったり酒を飲んだりした。犬は彼の不快を知っているように、いつも盤を舐め廻しながら、彼の方へ牙を剥いて見せた。
しかしその間は、まだ好かった。ある朝彼は女たちに遅れて、例の通り瀑を浴びに行った。季節は夏に近かったが、そのあたりの桃は相不変、谷間の霧の中に開いていた。彼は熊笹を押し分けながら、桃の落花を湛えている、すぐ下の瀑壺へ下りようとした。その時彼の眼は思いがけなく、水を浴びている××××××黒い獣が動いているのを見た。××××××××××××××××××××××××××××××。彼はすぐに腰の剣を抜いて、一刺しに犬を刺そうとした。が、女たちはいずれも犬をかばって、自由に剣を揮わせなかった。その暇に犬は水を垂らしながら、瀑壺の外へ躍り上って、洞穴の方へ逃げて行ってしまった。
それ以来夜毎の酒盛りにも、十六人の女たちが、一生懸命に奪い合うのは、素戔嗚ではなくて、黒犬であった。彼は酒に中りながら、洞穴の奥に蹲って、一夜中酔泣きの涙を落していた。彼の心は犬に対する、燃えるような嫉妬で一ぱいであった。が、その嫉妬の浅間しさなどは、寸毫も念頭には上らなかった。
ある夜彼がまた洞穴の奥に、泣き顔を両手へ埋めていると、突然誰かが忍びよって、両手に彼を抱きながら艶めかしい言葉を囁いた。彼は意外な眼を挙げて、油火には遠い薄暗がりに、じっと相手の顔を透かして見た。と同時に怒声を発して、いきなり相手を突き放した。相手は一たまりもなく床に倒れて、苦しそうな呻吟の声を洩らした。――それはあの腰も碌に立たない、猿のような老婆の声であった。
三十
老婆を投げ倒した素戔嗚は、涙に濡れた顔をしかめたまま、虎のように身を起した。彼の心はその瞬間、嫉妬と憤怒と屈辱との煮え返っている坩堝であった。彼は眼前に犬と戯れている、十六人の女たちを見るが早いか、頭椎の太刀を引き抜きながら、この女たちの群った中へ、我を忘れて突進した。
犬は咄嗟に身を飜して、危く彼の太刀を避けた。と同時に女たちは、哮り立った彼を引き止むべく、右からも左からもからみついた。が、彼はその腕を振り離して、切先下りにもう一度狂いまわる犬を刺そうとした。
しかし大刀は犬の代りに、彼の武器を奪おうとした、大気都姫の胸を刺した。彼女は苦痛の声を洩らして、のけざまに床の上へ倒れた。それを見た女たちは、皆悲鳴を挙げながら、糅然と四方へ逃げのいた。燈台の倒れる音、けたたましく犬の吠える声、それから盤だの瓶だのが粉微塵に砕ける音、――今まで笑い声に満ちていた洞穴の中も、一しきりはまるで嵐のような、混乱の底に投げこまれてしまった。
彼は彼自身の眼を疑うように、一刹那は茫然と佇んでいた。が、たちまち大刀を捨てて、両手に頭を抑えたと思うと、息苦しそうな呻き声を発して、弦を離れた矢よりも早く、洞穴の外へ走り出した。
空には暈のかかった月が、無気味なくらいぼんやり蒼ざめていた。森の木々もその空に、暗枝をさし交せて、ひっそり谷を封じたまま、何か凶事が起るのを待ち構えているようであった。が、彼は何も見ず、何も聞かずに走り続けた。熊笹は露を振いながら、あたかも彼を埋めようとするごとく、どこまで行っても浪を立てていた。時々夜鳥がその中から、翼に薄い燐光を帯びて、風もない梢へ昇って行った。……
明け方彼は彼自身を、大きな湖の岸に見出した。湖は曇った空の下にちょうど鉛の板かと思うほど、波一つ揚げていなかった。周囲に聳えた山々も重苦しい夏の緑の色が、わずかに人心地のついた彼には、ほとんど永久に癒やす事を知らない、憂鬱そのもののごとくに見えた。彼は岸の熊笹を分けて、乾いた砂の上に下りた。それからそこに腰を下して、寂しい水面へ眼を送った。湖には遠く一二点、かいつぶりの姿が浮んでいた。
すると彼の心には、急に悲しさがこみ上げて来た。彼は高天原の国にいた時、無数の若者を敵にしていた。それが今では、一匹の犬が、彼の死敵のすべてであった。――彼は両手に顔を埋めて、長い間大声に泣いていた。
その間に空模様が変った。対岸を塞いだ山の空には、二三度鍵の手の稲妻が飛んだ。続いて殷々と雷が鳴った。彼はそれでも泣きながら、じっと砂の上に坐っていた。やがて雨を孕んだ風が、大うねりに岸の熊笹を渡った。と、俄に湖が暗くなって、ざわざわ波が騒ぎ始めた。
雷が猶鳴り続けた。その内に対岸の山が煙り出すと、どこともなくざっと木々が鳴って、一旦暗くなった湖が、見る見る向うからまた白くなった。彼は始めて顔を挙げた。その途端に天を傾けて、瀑のような大雨が、沛然と彼を襲って来た。
三十一
対岸の山はすでに見えなくなった。湖も立ち罩めた雲煙の中に、ややともすると紛れそうであった。ただ、稲妻の閃く度に、波の逆立った水面が、一瞬間遠くまで見渡された。と思うと雷の音が、必ず空を掻きむしるように、続けさまに轟々と爆発した。
素戔嗚はずぶ濡れになりながら、未に汀の砂を去らなかった。彼の心は頭上の空より、さらに晦濛の底へ沈んでいた。そこには穢れ果てた自己に対する、憤懣よりほかに何もなかった。しかし今はその憤懣を恣に洩らす力さえ、――大樹の幹に頭を打ちつけるか、湖の底に身を投ずるか、一気に自己を亡すべき、最後の力さえ涸れ尽きていた。だから彼は心身とも、まるで破れた船のように、空しく騒ぎ立つ波に臨んだまま、まっ白に落す豪雨を浴びて、黙然と坐っているよりほかはなかった。
天はいよいよ暗くなった。風雨も一層力を加えた。そうして――突然彼の眼の前が、ぎらぎらと凄まじい薄紫になった。山が、雲が、湖が皆半空に浮んで見えた。同時に地軸も砕けたような、落雷の音が耳を裂いた。彼は思わず飛び立とうとした。が、すぐにまた前へ倒れた。雨は俯伏せになった彼の上へ未練未釈なく降り濺いだ。しかし彼は砂の中に半ば顔を埋めたまま、身動きをする気色も見えなかった。……
何時間か過ぎた後、失神した彼はおもむろに、砂の上から起き上った。彼の前には静な湖が、油のように開いていた。空にはまだ雲が立ち迷ってただ一幅の日の光が、ちょうど対岸の山の頂へ帯のように長く落ちていた。そうしてその光のさした所が、そこだけほかより鮮かな黄ばんだ緑に仄めいていた。
彼は茫然と眼を挙げて、この平和な自然を眺めた。空も、木々も、雨後の空気も、すべてが彼には、昔見た夢の中の景色のような、懐しい寂莫に溢れていた。
「何かおれの忘れていた物が、あの山々の間に潜んでいる。」――彼はそう思いながら、貪るように湖を眺め続けた。しかしそれが何だったかは、遠い記憶を辿って見ても、容易に彼には思い出せなかった。
その内に雲の影が移って、彼を囲む真夏の山々へ、一時に日の光が照り渡った。山々を埋める森の緑は、それと共に美しく湖の空に燃え上った。この時彼の心には異様な戦慄が伝わるのを感じた。彼は息を呑みながら、熱心に耳を傾けた。すると重なり合った山々の奥から、今まで忘れていた自然の言葉が声のない雷のように轟いて来た。
彼は喜びに戦いた。戦きながらその言葉の威力の前に圧倒された。彼はしまいには砂に伏して、必死に耳を塞ごうとした。が、自然は語り続けた。彼は嫌でもその言葉に、じっと聞き入るより途はなかった。
湖は日に輝きながら、溌溂とその言葉に応じた。彼は――その汀にひれ伏している、小さな一人の人間は、代る代る泣いたり笑ったりしていた。が、山々の中から湧き上る声は、彼の悲喜には頓着なく、あたかも目に見えない波濤のように、絶えまなく彼の上へ漲って来た。
三十二
素戔嗚はその湖の水を浴びて、全身の穢れを洗い落した。それから岸に臨んでいる、大きな樅の木の陰へ行って、久しぶりに健な眠に沈んだ。が、夢はその間も、深い真夏の空の奥から、鳥の羽根が一すじ落ちるように、静に彼の上へ舞い下って来た。――
夢の中は薄暗かった。そうして大きな枯木が一本、彼の前に枝を伸していた。
そこへ一人の大男が、どこからともなく歩いて来た。顔ははっきり見えなかったが、柄に竜の飾のある高麗剣を佩いている事は、その竜の首が朦朧と金色に光っているせいか、一目にもすぐに見分けられた。
大男は腰の剣を抜くと、無造作にそれを鍔元まで、大木の根本へ突き通した。
素戔嗚はその非凡な膂力に、驚嘆しずにはいられなかった。すると誰か彼の耳に、
「あれは火雷命だ。」と、囁いてくれるものがあった。 大男は静に手を挙げて、彼に何か相図をした。それが彼には何となく、その高麗剣を抜けと云う相図のように感じられた。そうして急に夢が覚めた。
彼は茫然と身を起した。微風に動いている樅の梢には、すでに星が撒かれていた。周囲にも薄白い湖のほかは、熊笹の戦ぎや苔の匀が、かすかに動いている夕闇があった。彼は今見た夢を思い出しながら、そう云うあたりへ何気なく、懶い視線を漂わせた。
と、十歩と離れていない所に、夢の中のそれと変りのない、一本の枯木のあるのが見えた。彼は考える暇もなく、その枯木の側へ足を運んだ。
枯木はさっきの落雷に、裂かれたものに違いなかった。だから根元には何かの針葉が、枝ごと一面に散らばっていた。彼はその針葉を踏むと同時に、夢が夢でなかった事を知った。――枯木の根本には一振の高麗剣が竜の飾のある柄を上にほとんど鍔も見えないほど、深く突き立っていたのであった。
彼は両手に柄を掴んで、渾身の力をこめながら、一気にその剣を引き抜いた。剣は今し方磨いだように鍔元から切先まで冷やかな光を放っていた。「神々はおれを守って居て下さる。」――そう思うと彼の心には、新しい勇気が湧くような気がした。彼は枯木の下に跪いて天上の神々に祈りを捧げた。
その後彼はまた樅の木陰へ帰って、しっかり剣を抱きながら、もう一度深い眠に落ちた。そうして三日三晩の間、死んだように眠り続けた。
眠から覚めた素戔嗚は再び体を清むべく、湖の汀へ下りて行った。風の凪ぎ尽した湖は、小波さえ砂を揺すらなかった。その水が彼の足もとへ、汀に立った彼の顔を、鏡のごとく鮮かに映して見せた。それは高天原の国にいた時の通り、心も体も逞しい、醜い神のような顔であった。が、彼の眼の下には、今までにない一筋の皺が、いつの間にか一年間の悲しみの痕を刻んでいた。
三十三
それ以来彼はたった一人、ある時は海を渡り、ある時はまた山を越えて、いろいろな国をさまよって歩いた。しかしどの国のどの部落も、未嘗て彼の足を止めさせるには足らなかった。それらは皆名こそ変っていたが、そこに住んでいる民の心は、高天原の国と同じ事であった。彼は――高天原の国に未練のなかった彼は、それらの民に一臂の労を借してやった事はあっても、それらの民の一人となって、老いようと思った事は一度もなかった。「素戔嗚よ。お前は何を探しているのだ。おれと一しょに来い。おれと一しょに来い。……」
彼は風が囁くままに、あの湖を後にしてから、ちょうど満七年の間、はてしない漂泊を続けて来た。そうしてその七年目の夏、彼は出雲の簸の川を遡って行く、一艘の独木舟の帆の下に、蘆の深い両岸を眺めている、退屈な彼自身を見出したのであった。
蘆の向うには一面に、高い松の木が茂っていた。この松の枝が、むらむらと、互に鬩ぎ合った上には、夏霞に煙っている、陰鬱な山々の頂があった。そうしてそのまた山々の空には、時々鷺が両三羽、眩く翼を閃かせながら、斜に渡って行く影が見えた。が、この鷺の影を除いては、川筋一帯どこを見ても、ほとんど人を脅すような、明い寂寞が支配していた。
彼は舷に身を凭せて、日に蒸された松脂の匀を胸一ぱいに吸いこみながら、長い間独木舟を風の吹きやるのに任せていた。実際この寂しい川筋の景色も、幾多の冒険に慣れた素戔嗚には、まるで高天原の八衢のように、今では寸分の刺戟さえない、平凡な往来に過ぎないのであった。
夕暮が近くなった時、川幅が狭くなると共に、両岸には蘆が稀になって、節くれ立った松の根ばかりが、水と泥との交る所を、荒涼と絡っているようになった。彼は今夜の泊りを考えながら、前よりはやや注意深く、両岸に眼を配って行った。松は水の上まで枝垂れた枝を、鉄網のように纏め合せて、林の奥の神秘な世界を、執念く人目から隠していた。それでも時たまその松が、鹿でも水を飲みに来るせいか、疎に透いている所には不気味なほど赤い大茸が、薄暗い中に簇々と群っている朽木も見えた。
益々夕暮が迫って来た。その時、彼は遥か向うの、水に臨んでいる一枚岩の上に、人間らしい姿が一つ、坐っているのを発見した。勿論この川筋には、さっきから全然人煙の挙っている容子は見えなかった。だからこの姿を発見した時も、彼は始は眼を疑って、高麗剣の柄にこそ手をかけて見たが、まだ体は悠々と独木舟の舷に凭せていた。
その内に舟は水脈を引いて、次第にそこへ近づいて来た。すると一枚岩の上にいるのも、いよいよ人間に紛れなくなった。のみならずほどなくその姿は、白衣の据を長く引いた、女だと云う事まで明らかになった。彼は好奇心に眼を輝かせながら、思わず独木舟の舳に立ち上った。舟はその間も帆に微風を孕んで、小暗く空に蔓った松の下を、刻々一枚岩の方へ近づきつつあった。
三十四
舟はとうとう一枚岩の前へ来た。岩の上には松の枝が、やはり長々と枝垂れていた。素戔嗚は素早く帆を下すと、その松の枝を片手に掴んで、両足へうんと力を入れた。と同時に舟は大きく揺れながら、舳に岩角の苔をかすって、たちまちそこへ横づけになった。
女は彼の近づくのも知らず、岩の上へ独り泣き伏していた。が、人のけはいに驚いたのか、この時ふと顔を擡げて、舟の中の彼を見たと思うと、やにわに悲鳴を挙げながら、半ば岩を抱いている、太い松の蔭に隠れようとした。しかし彼はその途端に、片手に岩角を掴んだまま、「御待ちなさい。」と云うより早く、後へ引き残した女の裳を、片手にしっかり握りとめた。女は思わずそこへ倒れて、もう一度短い悲鳴を漏らした。が、それぎり身を起す気色もなく、また前のように泣き入ってしまった。
彼は纜を松の枝に結ぶと、身軽く岩の上へ飛び上った。そうして女の肩へ手をかけながら、
「御安心なさい。私は何もあなたの体に、害を加えようと云うのじゃありません。ただ、あなたがこんな所に、泣いているのが不審でしたから、どうしたのかと思って、舟を止めたのです。」と云った。
女はやっと顔を挙げて、水の上を罩めた暮色の中に、怯ず怯ず彼の姿を見上げた。彼はその刹那にこの女が、夢の中にのみ見る事が出来る、例えばこの夏の夕明りのような、どことなくもの悲しい美しさに溢れている事を知ったのであった。
「どうしたのです。あなたは路でも迷ったのですか。それとも悪者にでも浚われたのですか。」
女は黙って、首を振った。その拍子に頸珠の琅玕が、かすかに触れ合う音を立てた。彼はこの子供のような、否と云う返事の身ぶりを見ると、我知らず微笑が唇に上って来ずにはいられなかった。が、女はその次の瞬間には、見る見る恥しそうな色に頬を染めて、また涙に沾んだ眼を、もう一度膝へ落してしまった。
「では、――ではどうしたのです。何か難儀な事でもあったら、遠慮なく話して御覧なさい。私に出来る事でさえあれば、どんな事でもして上げます。」
彼がこう優しく慰めると、女は始めて勇気を得たように、時々まだ口ごもりながら、とにかく一切の事情を話して聞かせた。それによると女の父は、この川上の部落の長をしている、足名椎と云うものであった。ところが近頃部落の男女が、続々と疫病に仆れるため、足名椎は早速巫女に命じて、神々の心を尋ねさせた。すると意外にも、ここにいる、櫛名田姫と云う一人娘を、高志の大蛇の犠にしなければ、部落全体が一月の内に、死に絶えるであろうと云う託宣があった。そこで足名椎は已むを得ず、部落の若者たちと共に舟を艤して、遠い部落からこの岩の上まで、櫛名田姫を運んで来た後、彼女一人を後に残して、帰って行ったと云う事であった。
三十五
櫛名田姫の話を聞き終ると、素戔嗚は項を反らせながら、愉快そうに黄昏の川を見廻した。
「その高志の大蛇と云うのは、一体どんな怪物なのです。」「人の噂を聞きますと、頭と尾とが八つある、八つの谷にも亘るくらい、大きな蛇だとか申す事でございます。」
「そうですか。それは好い事を聞きました。そんな怪物には何年にも、出合った事がありませんから、話を聞いたばかりでも、力瘤の動くような気がします。」
櫛名田姫は心配そうに、そっと涼しい眼を挙げて、無頓着な彼を見守った。
「こう申す内にもいつ何時、大蛇が参るかわかりませんが、あなたは――」
「大蛇を退治する心算です。」
彼はきっぱりこう答えると、両腕を胸に組んだまま、静に一枚岩の上を歩き出した。
「退治すると仰有っても、大蛇は只今申し上げた通り、一方ならない神でございますから――」
「そうです。」
「万一あなたがそのために、御怪我をなさらないとも限りませんし、――」
「そうです。」
「どうせ私は犠になるものと、覚悟をきめた体でございます。たといこのまま、――」
「御待ちなさい。」
彼は歩みを続けながら、何か眼に見えない物を払いのけるような手真似をした。
「私はあなたをおめおめと大蛇の犠にはしたくないのです。」
「それでも大蛇が強ければ――」
「仕方がないと云うのですか。たとい仕方がないにしても、私はやはり戦うのです。」
櫛名田姫はまた顔を赤めて、帯に下げた鏡をまさぐりながら、かすかに彼の言葉を押し返した。
「私が大蛇の犠になるのは、神々の思召しでございます。」
「そうかも知れません。しかし犠になると云う事がなかったら、あなたは今時分たった一人、こんな所に来てはいないでしょう。して見ると神々の思召しは、あなたを大蛇の犠にするより、反って私に大蛇の命を断たせようと云うのかも知れません。」
彼は櫛名田姫の前に足を止めた。と同時に一瞬間、厳な権威の閃きが彼の醜い眉目の間に磅礴したように思われた。
「けれども巫女が申しますには――」
櫛名田姫の声はほとんど聞えなかった。
「巫女は神々の言葉を伝えるものです。神々の謎を解くものではありません。」
この時突然二頭の鹿が、もう暗くなった向うの松の下から、わずかに薄白んだ川の中へ、水煙を立てて跳りこんだ。そうして角を並べたまま、必死にこちらへ泳ぎ出した。
「あの鹿の慌てようは――もしや来るのではございますまいか。あれが、――あの恐ろしい神が、――」
櫛名田姫はまるで狂気のように、素戔嗚の腰へ縋りついた。
「そうです。とうとう来たようです。神々の謎の解ける時が。」
彼は対岸に眼を配りながら、おもむろに高麗剣の柄へ手をかけた。するとその言葉がまだ終らない内に、驟雨の襲いかかるような音が、対岸の松林を震わせながら、その上に疎な星を撒いた、山々の空へ上り出した。
(大正九年五月) | 底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年12月1日第1刷発行
1996(平成8)年4月1日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
初出:「大阪毎日新聞 夕刊」
1920(大正9)年3月~6月
入力:j.utiyama
校正:湯地光弘
1999年8月27日公開
2012年3月17日修正
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「浅草の永住町に、信行寺と云う寺がありますが、――いえ、大きな寺じゃありません。ただ日朗上人の御木像があるとか云う、相応に由緒のある寺だそうです。その寺の門前に、明治二十二年の秋、男の子が一人捨ててありました。それがまた生れ年は勿論、名前を書いた紙もついていない。――何でも古い黄八丈の一つ身にくるんだまま、緒の切れた女の草履を枕に、捨ててあったと云う事です。
「当時信行寺の住職は、田村日錚と云う老人でしたが、ちょうど朝の御勤めをしていると、これも好い年をした門番が、捨児のあった事を知らせに来たそうです。すると仏前に向っていた和尚は、ほとんど門番の方も振り返らずに、「そうか。ではこちらへ抱いて来るが好い。」と、さも事もなげに答えました。のみならず門番が、怖わ怖わその子を抱いて来ると、すぐに自分が受け取りながら、「おお、これは可愛い子だ。泣くな。泣くな。今日からおれが養ってやるわ。」と、気軽そうにあやし始めるのです。――この時の事は後になっても、和尚贔屓の門番が、樒や線香を売る片手間に、よく参詣人へ話しました。御承知かも知れませんが、日錚和尚と云う人は、もと深川の左官だったのが、十九の年に足場から落ちて、一時正気を失った後、急に菩提心を起したとか云う、でんぼう肌の畸人だったのです。
「それから和尚はこの捨児に、勇之助と云う名をつけて、わが子のように育て始めました。が、何しろ御維新以来、女気のない寺ですから、育てると云ったにした所が、容易な事じゃありません。守りをするのから牛乳の世話まで、和尚自身が看経の暇には、面倒を見ると云う始末なのです。何でも一度なぞは勇之助が、風か何か引いていた時、折悪く河岸の西辰と云う大檀家の法事があったそうですが、日錚和尚は法衣の胸に、熱の高い子供を抱いたまま、水晶の念珠を片手にかけて、いつもの通り平然と、読経をすませたとか云う事でした。
「しかしその間も出来る事なら、生みの親に会わせてやりたいと云うのが、豪傑じみていても情に脆い日錚和尚の腹だったのでしょう。和尚は説教の座へ登る事があると、――今でも行って御覧になれば、信行寺の前の柱には「説教、毎月十六日」と云う、古い札が下っていますが、――時々和漢の故事を引いて、親子の恩愛を忘れぬ事が、即ち仏恩をも報ずる所以だ、と懇に話して聞かせたそうです。が、説教日は度々めぐって来ても、誰一人進んで捨児の親だと名乗って出るものは見当りません。――いや勇之助が三歳の時、たった一遍、親だと云う白粉焼けのした女が、尋ねて来た事がありました。しかしこれは捨児を種に、悪事でもたくらむつもりだったのでしょう。よくよく問い質して見ると、疑わしい事ばかりでしたから、癇癖の強い日錚和尚は、ほとんど腕力を振わないばかりに、さんざん毒舌を加えた揚句、即座に追い払ってしまいました。
「すると明治二十七年の冬、世間は日清戦争の噂に湧き返っている時でしたが、やはり十六日の説教日に、和尚が庫裡から帰って来ると、品の好い三十四五の女が、しとやかに後を追って来ました。庫裡には釜をかけた囲炉裡の側に、勇之助が蜜柑を剥いている。――その姿を一目見るが早いか、女は何の取付きもなく、和尚の前へ手をついて、震える声を抑えながら、「私はこの子の母親でございますが、」と、思い切ったように云ったそうです。これにはさすがの日錚和尚も、しばらくは呆気にとられたまま、挨拶の言葉さえ出ませんでした。が、女は和尚に頓着なく、じっと畳を見つめながら、ほとんど暗誦でもしているように――と云って心の激動は、体中に露われているのですが――今日までの養育の礼を一々叮嚀に述べ出すのです。
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「所が和尚はその日もまた、蓮華夫人が五百人の子とめぐり遇った話を引いて、親子の恩愛が尊い事を親切に説いて聞かせました。蓮華夫人が五百の卵を生む。その卵が川に流されて、隣国の王に育てられる。卵から生れた五百人の力士は、母とも知らない蓮華夫人の城を攻めに向って来る。蓮華夫人はそれを聞くと、城の上の楼に登って、「私はお前たち五百人の母だ。その証拠はここにある。」と云う。そうして乳を出しながら、美しい手に絞って見せる。乳は五百条の泉のように、高い楼上の夫人の胸から、五百人の力士の口へ一人も洩れず注がれる。――そう云う天竺の寓意譚は、聞くともなく説教を聞いていた、この不幸な女の心に異常な感動を与えました。だからこそ女は説教がすむと、眼に涙をためたまま、廊下伝いに本堂から、すぐに庫裡へ急いで来たのです。
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「その後の事は云わずとも、大抵御察しがつくでしょう。勇之助は母親につれられて、横浜の家へ帰りました。女は夫や子供の死後、情深い運送屋主人夫婦の勧め通り、達者な針仕事を人に教えて、つつましいながらも苦しくない生計を立てていたのです。」
客は長い話を終ると、膝の前の茶碗をとり上げた。が、それに唇は当てず、私の顔へ眼をやって、静にこうつけ加えた。
「その捨児が私です。」
私は黙って頷きながら、湯ざましの湯を急須に注いだ。この可憐な捨児の話が、客松原勇之助君の幼年時代の身の上話だと云う事は、初対面の私にもとうに推測がついていたのであった。
しばらく沈黙が続いた後、私は客に言葉をかけた。
「阿母さんは今でも丈夫ですか。」
すると意外な答があった。
「いえ、一昨年歿くなりました。――しかし今御話した女は、私の母じゃなかったのです。」
客は私の驚きを見ると、眼だけにちらりと微笑を浮べた。
「夫が浅草田原町に米屋を出していたと云う事や、横浜へ行って苦労したと云う事は勿論嘘じゃありません。が、捨児をしたと云う事は、嘘だった事が後に知れました。ちょうど母が歿くなる前年、店の商用を抱えた私は、――御承知の通り私の店は綿糸の方をやっていますから、新潟界隈を廻って歩きましたが、その時田原町の母の家の隣に住んでいた袋物屋と、一つ汽車に乗り合せたのです。それが問わず語りに話した所では、母は当時女の子を生んで、その子がまた店をしまう前に、死んでしまったとか云う事でした。それから横浜へ帰って後、早速母に知れないように戸籍謄本をとって見ると、なるほど袋物屋の言葉通り、田原町にいた時に生まれたのは、女の子に違いありません。しかも生後三月目に死んでしまっているのです。母はどう云う量見か、子でもない私を養うために、捨児の嘘をついたのでした。そうしてその後二十年あまりは、ほとんど寝食さえ忘れるくらい、私に尽してくれたのでした。
「どう云う量見か、――それは私も今日までには、何度考えて見たかわかりません。が、事実は知れないまでも、一番もっともらしく思われる理由は、日錚和尚の説教が、夫や子に遅れた母の心へ異常な感動を与えた事です。母はその説教を聞いている内に、私の知らない母の役を勤める気になったのじゃありますまいか。私が寺に拾われている事は、当時説教を聞きに来ていた参詣人からでも教わったのでしょう。あるいは寺の門番が、話して聞かせたかも知れません。」
客はちょいと口を噤むと、考え深そうな眼をしながら、思い出したように茶を啜った。
「そうしてあなたが子でないと云う事は、――子でない事を知ったと云う事は、阿母さんにも話したのですか。」
私は尋ねずにはいられなかった。
「いえ、それは話しません。私の方から云い出すのは、余り母に残酷ですから。母も死ぬまでその事は一言も私に話しませんでした。やはり話す事は私にも、残酷だと思っていたのでしょう。実際私の母に対する情も、子でない事を知った後、一転化を来したのは事実です。」
「と云うのはどう云う意味ですか。」
私はじっと客の目を見た。
「前よりも一層なつかしく思うようになったのです。その秘密を知って以来、母は捨児の私には、母以上の人間になりましたから。」
客はしんみりと返事をした。あたかも彼自身子以上の人間だった事も知らないように。
(大正九年七月) | 底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
1993(平成5)年12月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
初出:「新潮」
1920(大正9)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月19日公開
2012年3月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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×
すべて背景を用いない。宦官が二人話しながら出て来る。
――今月も生み月になっている妃が六人いるのですからね。身重になっているのを勘定したら何十人いるかわかりませんよ。
――それは皆、相手がわからないのですか。
――一人もわからないのです。一体妃たちは私たちよりほかに男の足ぶみの出来ない後宮にいるのですからそんな事の出来る訣はないのですがね。それでも月々子を生む妃があるのだから驚きます。
――誰か忍んで来る男があるのじゃありませんか。
――私も始めはそう思ったのです。所がいくら番の兵士の数をふやしても、妃たちの子を生むのは止りません。
――妃たちに訊いてもわかりませんか。
――それが妙なのです。色々訊いて見ると、忍んで来る男があるにはある。けれども、それは声ばかりで姿は見えないと云うのです。
――成程、それは不思議ですね。
――まるで嘘のような話です。しかし何しろこれだけの事がその不思議な忍び男に関する唯一の知識なのですからね、何とかこれから予防策を考えなければなりません。あなたはどう御思いです。
――別にこれと云って名案もありませんがとにかくその男が来るのは事実なのでしょう。
――それはそうです。
――それじゃあ砂を撒いて置いたらどうでしょう。その男が空でも飛んで来れば別ですが、歩いて来るのなら足跡はのこる筈ですからね。
――成程、それは妙案ですね。その足跡を印に追いかければきっと捕まるでしょう。
――物は試しですからまあやって見るのですね。
――早速そうしましょう。(二人とも去る)
×
腰元が大ぜいで砂をまいている。
――さあすっかりまいてしまいました。
――まだその隅がのこっているわ。(砂をまく)
――今度は廊下をまきましょう。(皆去る)
×
青年が二人蝋燭の灯の下に坐っている。
B あすこへ行くようになってからもう一年になるぜ。
A 早いものさ。一年前までは唯一実在だの最高善だのと云う語に食傷していたのだから。
B 今じゃあアートマンと云う語さえ忘れかけているぜ。
A 僕もとうに「ウパニシャッドの哲学よ、さようなら」さ。
B あの時分はよく生だの死だのと云う事を真面目になって考えたものだっけな。
A なあにあの時分は唯考えるような事を云っていただけさ。考える事ならこの頃の方がどのくらい考えているかわからない。
B そうかな。僕はあれ以来一度も死なんぞと云う事を考えた事はないぜ。
A そうしていられるならそれでもいいさ。
B だがいくら考えても分らない事を考えるのは愚じゃあないか。
A しかし御互に死ぬ時があるのだからな。
B まだ一年や二年じゃあ死なないね。
A どうだか。
B それは明日にも死ぬかもわからないさ。けれどもそんな事を心配していたら、何一つ面白い事は出来なくなってしまうぜ。
A それは間違っているだろう。死を予想しない快楽ぐらい、無意味なものはないじゃあないか。
B 僕は無意味でも何でも死なんぞを予想する必要はないと思うが。
A しかしそれでは好んで欺罔に生きているようなものじゃないか。
B それはそうかもしれない。
A それなら何も今のような生活をしなくたってすむぜ。君だって欺罔を破るためにこう云う生活をしているのだろう。
B とにかく今の僕にはまるで思索する気がなくなってしまったのだからね、君が何と云ってもこうしているより外に仕方がないよ。
A (気の毒そうに)それならそれでいいさ。
B くだらない議論をしている中に夜がふけたようだ。そろそろ出かけようか。
A うん。
B じゃあその着ると姿の見えなくなるマントルを取ってくれ給え。(Aとって渡す。Bマントルを着ると姿が消えてしまう。声ばかりがのこる。)さあ、行こう。
A (マントルを着る。同じく消える。声ばかり。)
夜霧が下りているぜ。
×
声ばかりきこえる。暗黒。
Aの声 暗いな。
Bの声 もう少しで君のマントルの裾をふむ所だった。
Aの声 ふきあげの音がしているぜ。
Bの声 うん。もう露台の下へ来たのだよ。
×
女が大勢裸ですわったり、立ったり、ねころんだりしている。薄明り。
――まだ今夜は来ないのね。
――もう月もかくれてしまったわ。
――早く来ればいいのにさ。
――もう声がきこえてもいい時分だわね。
――声ばかりなのがもの足りなかった。
――ええ、それでも肌ざわりはするわ。
――はじめは怖かったわね。
――私なんか一晩中ふるえていたわ。
――私もよ。
――そうすると「おふるえでない」って云うのでしょう。
――ええ、ええ。
――なお怖かったわ。
――あの方のお産はすんで?
――とうにすんだわ。
――うれしがっていらっしゃるでしょうね。
――可哀いいお子さんよ。
――私も母親になりたいわ。
――おおいやだ、私はちっともそんな気はしないわ。
――そう?
――ええ、いやじゃありませんか。私はただ男に可哀がられるのが好き。
――まあ。
Aの声 今夜はまだ灯がついてるね。お前たちの肌が、青い紗の中でうごいているのはきれいだよ。
――あらもういらしったの。
――こっちへいらっしゃいよ。
――今夜はこっちへいらっしゃいましな。
Aの声 お前は金の腕環なんぞはめているね。
――ええ、何故?
Bの声 何でもないのさ。お前の髪は、素馨のにおいがするじゃないか。
――ええ。
Aの声 お前はまだふるえているね。
――うれしいのだわ。
――こっちへいらっしゃいな。
――まだ、そこにいらっしゃるの。
Bの声 お前の手は柔らかいね。
――いつでも可哀がって頂戴な。
――今夜は外へいらしっちゃあいやよ。
――きっとよ。よくって。
――ああ、ああ。
女の声がだんだん微な呻吟になってしまいに聞えなくなる。
沈黙。急に大勢の兵卒が槍を持ってどこからか出て来る。兵卒の声。
――ここに足あとがあるぞ。
――ここにもある。
――そら、そこへ逃げた。
――逃がすな。逃がすな。
騒擾。女はみな悲鳴をあげてにげる。兵卒は足跡をたずねて、そこここを追いまわる。灯が消えて舞台が暗くなる。
×
AとBとマントルを着て出てくる。反対の方向から黒い覆面をした男が来る。うす暗がり。
AとB そこにいるのは誰だ。
男 お前たちだって己の声をきき忘れはしないだろう。
AとB 誰だ。
男 己は死だ。
AとB 死?
男 そんなに驚くことはない。己は昔もいた。今もいる。これからもいるだろう。事によると「いる」と云えるのは己ばかりかも知れない。
A お前は何の用があって来たのだ。
男 己の用はいつも一つしかない筈だが。
B その用で来たのか。ああその用で来たのか。
A うんその用で来たのか。己はお前を待っていた。今こそお前の顔が見られるだろう。さあ己の命をとってくれ。
男 (Bに)お前も己の来るのを待っていたか。
B いや、己はお前なぞ待ってはいない。己は生きたいのだ。どうか己にもう少し生を味わせてくれ。己はまだ若い。己の脈管にはまだ暖い血が流れている。どうか己にもう少し己の生活を楽ませてくれ。
男 お前も己が一度も歎願に動かされた事のないのを知っているだろう。
B (絶望して)どうしても己は死ななければならないのか。ああどうしても己は死ななければならないのか。
男 お前は物心がつくと死んでいたのも同じ事だ。今まで太陽を仰ぐことが出来たのは己の慈悲だと思うがいい。
B それは己ばかりではない。生まれる時に死を負って来るのはすべての人間の運命だ。
男 己はそんな意味でそう云ったのではない。お前は今日まで己を忘れていたろう。己の呼吸を聞かずにいたろう。お前はすべての欺罔を破ろうとして快楽を求めながら、お前の求めた快楽その物がやはり欺罔にすぎないのを知らなかった。お前が己を忘れた時、お前の霊魂は飢えていた。飢えた霊魂は常に己を求める。お前は己を避けようとしてかえって己を招いたのだ。
B ああ。
男 己はすべてを亡ぼすものではない。すべてを生むものだ。お前はすべての母なる己を忘れていた。己を忘れるのは生を忘れるのだ。生を忘れた者は亡びなければならないぞ。
B ああ。(仆れて死ぬ。)
男 (笑う)莫迦な奴だ。(Aに)怖がることはない。もっと此方へ来るがいい。
A 己は待っている。己は怖がるような臆病者ではない。
男 お前は己の顔をみたがっていたな。もう夜もあけるだろう。よく己の顔を見るがいい。
A その顔がお前か? 己はお前の顔がそんなに美しいとは思わなかった。
男 己はお前の命をとりに来たのではない。
A いや己は待っている。己はお前のほかに何も知らない人間だ。己は命を持っていても仕方ない人間だ。己の命をとってくれ。そして己の苦しみを助けてくれ。
第三の声 莫迦な事を云うな。よく己の顔をみろ。お前の命をたすけたのはお前が己を忘れなかったからだ。しかし己はすべてのお前の行為を是認してはいない。よく己の顔を見ろ。お前の誤りがわかったか。これからも生きられるかどうかはお前の努力次第だ。
Aの声 己にはお前の顔がだんだん若くなってゆくのが見える。
第三の声 (静に)夜明だ。己と一緒に大きな世界へ来るがいい。
黎明の光の中に黒い覆面をした男とAとが出て行くのが見える。
×
兵卒が五六人でBの死骸を引ずって来る。死骸は裸、所々に創がある。
――竜樹菩薩に関する俗伝より――
(大正三年八月十四日) | 底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:野口英司
1998年3月10日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
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皆さん。
私は今大阪にいます、ですから大阪の話をしましょう。
昔、大阪の町へ奉公に来た男がありました。名は何と云ったかわかりません。ただ飯炊奉公に来た男ですから、権助とだけ伝わっています。
権助は口入れ屋の暖簾をくぐると、煙管を啣えていた番頭に、こう口の世話を頼みました。
「番頭さん。私は仙人になりたいのだから、そう云う所へ住みこませて下さい。」
番頭は呆気にとられたように、しばらくは口も利かずにいました。
「番頭さん。聞えませんか? 私は仙人になりたいのだから、そう云う所へ住みこませて下さい。」
「まことに御気の毒様ですが、――」
番頭はやっといつもの通り、煙草をすぱすぱ吸い始めました。
「手前の店ではまだ一度も、仙人なぞの口入れは引き受けた事はありませんから、どうかほかへ御出でなすって下さい。」
すると権助は不服そうに、千草の股引の膝をすすめながら、こんな理窟を云い出しました。
「それはちと話が違うでしょう。御前さんの店の暖簾には、何と書いてあると御思いなさる? 万口入れ所と書いてあるじゃありませんか? 万と云うからは何事でも、口入れをするのがほんとうです。それともお前さんの店では暖簾の上に、嘘を書いて置いたつもりなのですか?」
なるほどこう云われて見ると、権助が怒るのももっともです。
「いえ、暖簾に嘘がある次第ではありません。何でも仙人になれるような奉公口を探せとおっしゃるのなら、明日また御出で下さい。今日中に心当りを尋ねて置いて見ますから。」
番頭はとにかく一時逃れに、権助の頼みを引き受けてやりました。が、どこへ奉公させたら、仙人になる修業が出来るか、もとよりそんな事なぞはわかるはずがありません。ですから一まず権助を返すと、早速番頭は近所にある医者の所へ出かけて行きました。そうして権助の事を話してから、
「いかがでしょう? 先生。仙人になる修業をするには、どこへ奉公するのが近路でしょう?」と、心配そうに尋ねました。
これには医者も困ったのでしょう。しばらくはぼんやり腕組みをしながら、庭の松ばかり眺めていました。が番頭の話を聞くと、直ぐに横から口を出したのは、古狐と云う渾名のある、狡猾な医者の女房です。
「それはうちへおよこしよ。うちにいれば二三年中には、きっと仙人にして見せるから。」
「左様ですか? それは善い事を伺いました。では何分願います。どうも仙人と御医者様とは、どこか縁が近いような心もちが致して居りましたよ。」
何も知らない番頭は、しきりに御時宜を重ねながら、大喜びで帰りました。
医者は苦い顔をしたまま、その後を見送っていましたが、やがて女房に向いながら、
「お前は何と云う莫迦な事を云うのだ? もしその田舎者が何年いても、一向仙術を教えてくれぬなぞと、不平でも云い出したら、どうする気だ?」と忌々しそうに小言を云いました。
しかし女房はあやまる所か、鼻の先でふふんと笑いながら、
「まあ、あなたは黙っていらっしゃい。あなたのように莫迦正直では、このせち辛い世の中に、御飯を食べる事も出来はしません。」と、あべこべに医者をやりこめるのです。
さて明くる日になると約束通り、田舎者の権助は番頭と一しょにやって来ました。今日はさすがに権助も、初の御目見えだと思ったせいか、紋附の羽織を着ていますが、見た所はただの百姓と少しも違った容子はありません。それが返って案外だったのでしょう。医者はまるで天竺から来た麝香獣でも見る時のように、じろじろその顔を眺めながら、
「お前は仙人になりたいのだそうだが、一体どう云う所から、そんな望みを起したのだ?」と、不審そうに尋ねました。すると権助が答えるには、
「別にこれと云う訣もございませんが、ただあの大阪の御城を見たら、太閤様のように偉い人でも、いつか一度は死んでしまう。して見れば人間と云うものは、いくら栄耀栄華をしても、果ないものだと思ったのです。」
「では仙人になれさえすれば、どんな仕事でもするだろうね?」
狡猾な医者の女房は、隙かさず口を入れました。
「はい。仙人になれさえすれば、どんな仕事でもいたします。」
「それでは今日から私の所に、二十年の間奉公おし。そうすればきっと二十年目に、仙人になる術を教えてやるから。」
「左様でございますか? それは何より難有うございます。」
「その代り向う二十年の間は、一文も御給金はやらないからね。」
「はい。はい。承知いたしました。」
それから権助は二十年間、その医者の家に使われていました。水を汲む。薪を割る。飯を炊く。拭き掃除をする。おまけに医者が外へ出る時は、薬箱を背負って伴をする。――その上給金は一文でも、くれと云った事がないのですから、このくらい重宝な奉公人は、日本中探してもありますまい。
が、とうとう二十年たつと、権助はまた来た時のように、紋附の羽織をひっかけながら、主人夫婦の前へ出ました。そうして慇懃に二十年間、世話になった礼を述べました。
「ついては兼ね兼ね御約束の通り、今日は一つ私にも、不老不死になる仙人の術を教えて貰いたいと思いますが。」
権助にこう云われると、閉口したのは主人の医者です。何しろ一文も給金をやらずに、二十年間も使った後ですから、いまさら仙術は知らぬなぞとは、云えた義理ではありません。医者はそこで仕方なしに、
「仙人になる術を知っているのは、おれの女房の方だから、女房に教えて貰うが好い。」と、素っ気なく横を向いてしまいました。
しかし女房は平気なものです。
「では仙術を教えてやるから、その代りどんなむずかしい事でも、私の云う通りにするのだよ。さもないと仙人になれないばかりか、また向う二十年の間、御給金なしに奉公しないと、すぐに罰が当って死んでしまうからね。」
「はい。どんなむずかしい事でも、きっと仕遂げて御覧に入れます。」
権助はほくほく喜びながら、女房の云いつけを待っていました。
「それではあの庭の松に御登り。」
女房はこう云いつけました。もとより仙人になる術なぞは、知っているはずがありませんから、何でも権助に出来そうもない、むずかしい事を云いつけて、もしそれが出来ない時には、また向う二十年の間、ただで使おうと思ったのでしょう。しかし権助はその言葉を聞くとすぐに庭の松へ登りました。
「もっと高く。もっとずっと高く御登り。」
女房は縁先に佇みながら、松の上の権助を見上げました。権助の着た紋附の羽織は、もうその大きな庭の松でも、一番高い梢にひらめいています。
「今度は右の手を御放し。」
権助は左手にしっかりと、松の太枝をおさえながら、そろそろ右の手を放しました。
「それから左の手も放しておしまい。」
「おい。おい。左の手を放そうものなら、あの田舎者は落ちてしまうぜ。落ちれば下には石があるし、とても命はありゃしない。」
医者もとうとう縁先へ、心配そうな顔を出しました。
「あなたの出る幕ではありませんよ。まあ、私に任せて御置きなさい。――さあ、左の手を放すのだよ。」
権助はその言葉が終らない内に、思い切って左手も放しました。何しろ木の上に登ったまま、両手とも放してしまったのですから、落ちずにいる訣はありません。あっと云う間に権助の体は、権助の着ていた紋附の羽織は、松の梢から離れました。が、離れたと思うと落ちもせずに、不思議にも昼間の中空へ、まるで操り人形のように、ちゃんと立止ったではありませんか?
「どうも難有うございます。おかげ様で私も一人前の仙人になれました。」
権助は叮嚀に御時宜をすると、静かに青空を踏みながら、だんだん高い雲の中へ昇って行ってしまいました。
医者夫婦はどうしたか、それは誰も知っていません。ただその医者の庭の松は、ずっと後までも残っていました。何でも淀屋辰五郎は、この松の雪景色を眺めるために、四抱えにも余る大木をわざわざ庭へ引かせたそうです。
(大正十一年三月) | 底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月5日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000144",
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上
いつごろの話だか、わからない。北支那の市から市を渡って歩く野天の見世物師に、李小二と云う男があった。鼠に芝居をさせるのを商売にしている男である。鼠を入れて置く嚢が一つ、衣装や仮面をしまって置く笥が一つ、それから、舞台の役をする小さな屋台のような物が一つ――そのほかには、何も持っていない。
天気がいいと、四つ辻の人通りの多い所に立って、まず、その屋台のような物を肩へのせる、それから、鼓板を叩いて、人よせに、謡を唱う。物見高い街中の事だから、大人でも子供でも、それを聞いて、足を止めない者はほとんどない。さて、まわりに人の墻が出来ると、李は嚢の中から鼠を一匹出して、それに衣装を着せたり、仮面をかぶらせたりして、屋台の鬼門道から、場へ上らせてやる。鼠は慣れていると見えて、ちょこちょこ、舞台の上を歩きながら、絹糸のように光沢のある尻尾を、二三度ものものしく動かして、ちょいと後足だけで立って見せる。更紗の衣裳の下から見える前足の蹠がうす赤い。――この鼠が、これから雑劇の所謂楔子を演じようと云う役者なのである。
すると、見物の方では、子供だと、始から手を拍って、面白がるが、大人は、容易に感心したような顔を見せない。むしろ、冷然として、煙管を啣えたり、鼻毛をぬいたりしながら、莫迦にしたような眼で、舞台の上に周旋する鼠の役者を眺めている。けれども、曲が進むのに従って、錦切れの衣裳をつけた正旦の鼠や、黒い仮面をかぶった浄の鼠が、続々、鬼門道から這い出して来るようになると、そうして、それが、飛んだり跳ねたりしながら、李の唱う曲やその間へはいる白につれて、いろいろ所作をするようになると、見物もさすがに冷淡を装っていられなくなると見えて、追々まわりの人だかりの中から、※(口+桑)子大などと云う声が、かかり始める。すると、李小二も、いよいよ、あぶらがのって、忙しく鼓板を叩きながら、巧に一座の鼠を使いわける。そうして「沈黒江明妃青塚恨、耐幽夢孤雁漢宮秋」とか何とか、題目正名を唱う頃になると、屋台の前へ出してある盆の中に、いつの間にか、銅銭の山が出来る。………
が、こう云う商売をして、口を糊してゆくのは、決して容易なものではない。第一、十日と天気が悪いと口が干上ってしまう。夏は、麦が熟す時分から、例の雨期へはいるので、小さな衣裳や仮面にも、知らないうちに黴がはえる。冬もまた、風が吹くやら、雪がふるやらするので、とかく、商売がすたり易い。そう云う時には、ほかに仕方もないから、うす暗い客舎の片すみで、鼠を相手に退屈をまぎらせながら、いつもなら慌しい日の暮を、待ちかねるようにして、暮してしまう。鼠の数は、皆で、五匹で、それに李の父の名と母の名と妻の名と、それから行方の知れない二人の子の名とがつけてある。それが、嚢の口から順々に這い出して火の気のない部屋の中を、寒そうにおずおず歩いたり、履の先から膝の上へ、あぶない軽業をして這い上りながら、南豆玉のような黒い眼で、じっと、主人の顔を見つめたりすると、世故のつらさに馴れている李小二でも、さすがに時々は涙が出る。が、それは、文字通り時々で、どちらかと云えば、明日の暮しを考える屈託と、そう云う屈託を抑圧しようとする、あてどのない不愉快な感情とに心を奪われて、いじらしい鼠の姿も眼にはいらない事が多い。
その上、この頃は、年の加減と、体の具合が悪いのとで、余計、商売に身が入らない。節廻しの長い所を唱うと、息が切れる。喉も昔のようには、冴えなくなった。この分では、いつ、どんな事が起らないとも限らない。――こう云う不安は、丁度、北支那の冬のように、このみじめな見世物師の心から、一切の日光と空気とを遮断して、しまいには、人並に生きてゆこうと云う気さえ、未練未釈なく枯らしてしまう。何故生きてゆくのは苦しいか、何故、苦しくとも、生きて行かなければならないか。勿論、李は一度もそう云う問題を考えて見た事がない。が、その苦しみを、不当だとは、思っている。そうして、その苦しみを与えるものを――それが何だか、李にはわからないが――無意識ながら憎んでいる。事によると、李が何にでも持っている、漠然とした反抗的な心もちは、この無意識の憎しみが、原因になっているのかも知れない。
しかし、そうは云うものの、李も、すべての東洋人のように、運命の前には、比較的屈従を意としていない。風雪の一日を、客舎の一室で、暮らす時に、彼は、よく空腹をかかえながら、五匹の鼠に向って、こんな事を云った。「辛抱しろよ。己だって、腹がへるのや、寒いのを辛抱しているのだからな。どうせ生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え。それも、鼠よりは、いくら人間の方が、苦しいか知れないぞ………」
中
雪曇りの空が、いつの間にか、霙まじりの雨をふらせて、狭い往来を文字通り、脛を没する泥濘に満そうとしている、ある寒い日の午後の事であった。李小二は丁度、商売から帰る所で、例の通り、鼠を入れた嚢を肩にかけながら、傘を忘れた悲しさに、ずぶぬれになって、市はずれの、人通りのない路を歩いて来る――と、路傍に、小さな廟が見えた。折から、降りが、前よりもひどくなって、肩をすぼめて歩いていると、鼻の先からは、滴が垂れる。襟からは、水がはいる。途方に暮れていた際だから、李は、廟を見ると、慌てて、その軒下へかけこんだ。まず、顔の滴をはらう。それから、袖をしぼる。やっと、人心地がついた所で頭の上の扁額を見ると、それには、山神廟と云う三字があった。
入口の石段を、二三級上ると、扉が開いているので、中が見える。中は思ったよりも、まだ狭い。正面には、一尊の金甲山神が、蜘蛛の巣にとざされながら、ぼんやり日の暮を待っている。その右には、判官が一体、これは、誰に悪戯をされたのだか、首がない。左には、小鬼が一体、緑面朱髪で、猙獰な顔をしているが、これも生憎、鼻が虧けている。その前の、埃のつもった床に、積重ねてあるのは、紙銭であろう。これは、うす暗い中に、金紙や銀紙が、覚束なく光っているので、知れたのである。
李は、これだけ、見定めた所で、視線を、廟の中から外へ、転じようとした。すると丁度その途端に、紙銭の積んである中から、人間が一人出て来た。実際は、前からそこに蹲っていたのが、その時、始めて、うす暗いのに慣れた李の眼に、見えて来たのであろう。が、彼には、まるで、それが、紙銭の中から、忽然として、姿を現したように思われた。そこで、彼は、いささか、ぎょっとしながら、恐る恐る、見るような、見ないような顔をして、そっとその人間を窺って見た。
垢じみた道服を着て、鳥が巣をくいそうな頭をした、見苦しい老人である。(ははあ、乞丐をして歩く道士だな――李はこう思った。)瘠せた膝を、両腕で抱くようにして、その膝の上へ、髯の長い頤をのせている。眼は開いているが、どこを見ているのかわからない。やはり、この雨に遇ったと云う事は、道服の肩がぐっしょり濡れているので、知れた。
李は、この老人を見た時に、何とか語をかけなければ、ならないような気がした。一つには、濡鼠になった老人の姿が、幾分の同情を動かしたからで、また一つには、世故がこう云う場合に、こっちから口を切る習慣を、いつかつけてしまったからである。あるいは、また、そのほかに、始めの無気味な心もちを忘れようとする努力が、少しは加わっていたかも知れない。そこで李が云った。
「どうも、困ったお天気ですな。」
「さようさ。」老人は、膝の上から、頤を離して、始めて、李の方を見た。鳥の嘴のように曲った、鍵鼻を、二三度大仰にうごめかしながら、眉の間を狭くして、見たのである。
「私のような商売をしている人間には、雨位、人泣かせのものはありません。」
「ははあ、何御商売かな。」
「鼠を使って、芝居をさせるのです。」
「それはまたお珍しい。」
こんな具合で、二人の間には、少しずつ、会話が、交換されるようになった。その中に、老人も紙銭の中から出て来て、李と一しょに、入口の石段の上に腰を下したから、今では顔貌も、はっきり見える。形容の枯槁している事は、さっき見た時の比ではない。李はそれでも、いい話相手を見つけたつもりで、嚢や笥を石段の上に置いたまま、対等な語づかいで、いろいろな話をした。
道士は、無口な方だと見えて、捗々しくは返事もしない。「成程な」とか「さようさ」とか云う度に、歯のない口が、空気を噛むような、運動をする。根の所で、きたない黄いろになっている髯も、それにつれて上下へ動く、――それが如何にも、見すぼらしい。
李は、この老道士に比べれば、あらゆる点で、自分の方が、生活上の優者だと考えた。そう云う自覚が、愉快でない事は、勿論ない。が、李は、それと同時に、優者であると云う事が、何となくこの老人に対して済まないような心もちがした。彼は、談柄を、生活難に落して、自分の暮しの苦しさを、わざわざ誇張して、話したのは、完く、この済まないような心もちに、煩わされた結果である。
「まったく、それは泣きたくなるくらいなものですよ。食わずに、一日すごした事だって、度々あります。この間も、しみじみこう思いました。『己は鼠に芝居をさせて、飯を食っていると思っている。が、事によるとほんとうは、鼠が己にこんな商売をさせて、食っているのかも知れない。』実際、そんなものですよ。」
李は撫然として、こんな事さえ云った。が、道士の無口な事は、前と一向、変りがない。それが、李の神経には、前よりも一層、甚しくなったように思われた。(先生、己の云った事を、妙にひがんで取ったのだろう。余計な事は云わずに、黙っていればよかった。)――李は、心の中でこう自分を叱った。そうして、そっと横目を使って、老人の容子を見た。道士は、顔を李と反対の方に向けて、雨にたたかれている廟外の枯柳をながめながら、片手で、しきりに髪を掻いている。顔は見えないが、どうやら李の心もちを見透かして、相手にならずにいるらしい。そう思うと、多少不快な気がしたが、自分の同情の徹しないと云う不満の方が、それよりも大きいので、今度は話題を、今年の秋の蝗災へ持って行った。この地方の蒙った惨害の話から農家一般の困窮で、老人の窮状をジャスティファイしてやりたいと思ったのである。
すると、その話の途中で、老道士は、李の方へ、顔をむけた。皺の重なり合った中に、可笑しさをこらえているような、筋肉の緊張がある。
「あなたは私に同情して下さるらしいが、」こう云って、老人は堪えきれなくなったように、声をあげて笑った。烏が鳴くような、鋭い、しわがれた声で笑ったのである。「私は、金には不自由をしない人間でね、お望みなら、あなたのお暮し位はお助け申しても、よろしい。」
李は、話の腰を折られたまま、呆然として、ただ、道士の顔を見つめていた。(こいつは、気違いだ。)――やっとこう云う反省が起って来たのは、暫くの間瞪目して、黙っていた後の事である。が、その反省は、すぐにまた老道士の次の話によって、打壊された。「千鎰や二千鎰でよろしければ、今でもさし上げよう。実は、私は、ただの人間ではない。」老人は、それから、手短に、自分の経歴を話した。元は、何とか云う市の屠者だったが、偶々、呂祖に遇って、道を学んだと云うのである。それがすむと、道士は、徐に立って、廟の中へはいった。そうして、片手で李をさしまねきながら、片手で、床の上の紙銭をかき集めた。
李は五感を失った人のように、茫然として、廟の中へ這いこんだ。両手を鼠の糞と埃との多い床の上について、平伏するような形をしながら、首だけ上げて、下から道士の顔を眺めているのである。
道士は、曲った腰を、苦しそうに、伸ばして、かき集めた紙銭を両手で床からすくい上げた。それから、それを掌でもみ合せながら、忙しく足下へ撒きちらし始めた。鏘々然として、床に落ちる黄白の音が、にわかに、廟外の寒雨の声を圧して、起った。――撒かれた紙銭は、手を離れると共に、忽ち、無数の金銭や銀銭に、変ったのである。………
李小二は、この雨銭の中に、いつまでも、床に這ったまま、ぼんやり老道士の顔を見上げていた。
下
李小二は、陶朱の富を得た。偶、その仙人に遇ったと云う事を疑う者があれば、彼は、その時、老人に書いて貰った、四句の語を出して示すのである。この話を、久しい以前に、何かの本で見た作者は、遺憾ながら、それを、文字通りに記憶していない。そこで、大意を支那のものを翻訳したらしい日本文で書いて、この話の完りに附して置こうと思う。但し、これは、李小二が、何故、仙にして、乞丐をして歩くかと云う事を訊ねた、答なのだそうである。
「人生苦あり、以て楽むべし。人間死するあり、以て生くるを知る。死苦共に脱し得て甚だ、無聊なり。仙人は若かず、凡人の死苦あるに。」
恐らく、仙人は、人間の生活がなつかしくなって、わざわざ、苦しい事を、探してあるいていたのであろう。
(大正四年七月二十三日) | 底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月6日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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離れで電話をかけて、皺くちゃになったフロックの袖を気にしながら、玄関へ来ると、誰もいない。客間をのぞいたら、奥さんが誰だか黒の紋付を着た人と話していた。が、そこと書斎との堺には、さっきまで柩の後ろに立ててあった、白い屏風が立っている。どうしたのかと思って、書斎の方へ行くと、入口の所に和辻さんや何かが二、三人かたまっていた。中にももちろん大ぜいいる。ちょうど皆が、先生の死顔に、最後の別れを惜んでいる時だったのである。
僕は、岡田君のあとについて、自分の番が来るのを待っていた。もう明るくなったガラス戸の外には、霜よけの藁を着た芭蕉が、何本も軒近くならんでいる。書斎でお通夜をしていると、いつもこの芭蕉がいちばん早く、うす暗い中からうき上がってきた。――そんなことをぼんやり考えているうちに、やがて人が減って書斎の中へはいれた。
書斎の中には、電灯がついていたのか、それともろうそくがついていたのか、それは覚えていない。が、なんでも、外光だけではなかったようである。僕は、妙に改まった心もちで、中へはいった。そうして、岡田君が礼をしたあとで、柩の前へ行った。
柩のそばには、松根さんが立っている。そうして右の手を平にして、それを臼でも挽く時のように動かしている。礼をしたら、順々に柩の後ろをまわって、出て行ってくれという合図だろう。
柩は寝棺である。のせてある台は三尺ばかりしかない。そばに立つと、眼と鼻の間に、中が見下された。中には、細くきざんだ紙に南無阿弥陀仏と書いたのが、雪のようにふりまいてある。先生の顔は、半ば頬をその紙の中にうずめながら、静かに眼をつぶっていた。ちょうど蝋ででもつくった、面型のような感じである。輪廓は、生前と少しもちがわない。が、どこかようすがちがう。脣の色が黒んでいたり、顔色が変わっていたりする以外に、どこかちがっているところがある。僕はその前で、ほとんど無感動に礼をした。「これは先生じゃない」そんな気が、強くした。(これは始めから、そうであった。現に今でも僕は誇張なしに先生が生きているような気がしてしかたがない)僕は、柩の前に一、二分立っていた。それから、松根さんの合図通り、あとの人に代わって、書斎の外へ出た。
ところが、外へ出ると、急にまた先生の顔が見たくなった。なんだかよく見て来るのを忘れたような心もちがする。そうして、それが取り返しのつかない、ばかな事だったような心もちがする。僕はよっぽど、もう一度行こうかと思った。が、なんだかそれが恥しかった。それに感情を誇張しているような気も、少しはした。「もうしかたがない」――そう、思ってとうとうやめにした。そうしたら、いやに悲しくなった。
外へ出ると、松岡が「よく見て来たか」と言う。僕は、「うん」と答えながら、うそをついたような気がして、不快だった。
青山の斎場へ行ったら、靄がまったく晴れて、葉のない桜のこずえにもう朝日がさしていた。下から見ると、その桜の枝が、ちょうど鉄網のように細く空をかがっている。僕たちはその下に敷いた新しいむしろの上を歩きながら、みんな、体をそらせて、「やっと眼がさめたような気がする」と言った。
斎場は、小学校の教室とお寺の本堂とを、一つにしたような建築である。丸い柱や、両方のガラス窓が、はなはだみすぼらしい。正面には一段高い所があって、その上に朱塗の曲禄が三つすえてある。それが、その下に、一面に並べてある安直な椅子と、妙な対照をつくっていた。「この曲禄を、書斎の椅子にしたら、おもしろいぜ」――僕は久米にこんなことを言った。久米は、曲禄の足をなでながら、うんとかなんとかいいかげんな返事をしていた。
斎場を出て、入口の休所へかえって来ると、もう森田さん、鈴木さん、安倍さん、などが、かんかん火を起した炉のまわりに集って、新聞を読んだり、駄弁をふるったりしていた。新聞に出ている先生の逸話や、内外の人の追憶が時々問題になる。僕は、和辻さんにもらった「朝日」を吸いながら、炉のふちへ足をかけて、ぬれたくつから煙が出るのをぼんやり、遠い所のものを見るようにながめていた。なんだか、みんなの心もちに、どこか穴のあいている所でもあるような気がして、しかたがない。
そのうちに、葬儀の始まる時間が近くなってきた。「そろそろ受付へ行こうじゃないか」――気の早い赤木君が、新聞をほうり出しながら、「行」の所へ独特のアクセントをつけて言う。そこでみんな、ぞろぞろ、休所を出て、入口の両側にある受付へ分れ分れに、行くことになった。松浦君、江口君、岡君が、こっちの受付をやってくれる。向こうは、和辻さん、赤木君、久米という顔ぶれである。そのほか、朝日新聞社の人が、一人ずつ両方へ手伝いに来てくれた。
やがて、霊柩車が来る。続いて、一般の会葬者が、ぽつぽつ来はじめた。休所の方を見ると、人影がだいぶんふえて、その中に小宮さんや野上さんの顔が見える。中幅の白木綿を薬屋のように、フロックの上からかけた人がいると思ったら、それは宮崎虎之助氏だった。
始めは、時刻が時刻だから、それに前日の新聞に葬儀の時間がまちがって出たから、会葬者は存外少かろうと思ったが、実際はそれと全く反対だった。ぐずぐずしていると、会葬者の宿所を、帳面につけるのもまにあわない。僕はいろんな人の名刺をうけとるのに忙殺された。
すると、どこかで「死は厳粛である」と言う声がした。僕は驚いた。この場合、こんな芝居じみたことを言う人が、僕たちの中にいるわけはない。そこで、休所の方をのぞくと、宮崎虎之助氏が、椅子の上へのって、伝道演説をやっていた。僕はちょいと不快になった。が、あまり宮崎虎之助らしいので、それ以上には腹もたたなかった。接待係の人が止めたが、やめないらしい。やっぱり右手で盛なジェステュアをしながら、死は厳粛であるとかなんとか言っている。
が、それもほどなくやめになった。会葬者は皆、接待係の案内で、斎場の中へはいって行く。葬儀の始まる時刻がきたのであろう。もう受付へ来る人も、あまりない。そこで、帳面や香奠をしまつしていると、向こうの受付にいた連中が、そろってぞろぞろ出て来た。そうして、その先に立って、赤木君が、しきりに何か憤慨している。聞いてみると、誰かが、受付係は葬儀のすむまで、受付に残っていなければならんと言ったのだそうである。至極もっともな憤慨だから、僕もさっそくこれに雷同した。そうして皆で、受付を閉じて、斎場へはいった。
正面の高い所にあった曲彔は、いつの間にか一つになって、それへ向こうをむいた宗演老師が腰をかけている。その両側にはいろいろな楽器を持った坊さんが、一列にずっと並んでいる。奥の方には、柩があるのであろう。夏目金之助之柩と書いた幡が、下のほうだけ見えている。うす暗いのと香の煙とで、そのほかは何があるのだかはっきりしない。ただ花輪の菊が、その中でうずたかく、白いものを重ねている。――式はもう誦経がはじまっていた。
僕は、式に臨んでも、悲しくなる気づかいはないと思っていた。そういう心もちになるには、あまり形式が勝っていて、万事がおおぎょうにできすぎている。――そう思って、平気で、宗演老師の秉炬法語を聞いていた。だから、松浦君の泣き声を聞いた時も、始めは誰かが笑っているのではないかと疑ったくらいである。
ところが、式がだんだん進んで、小宮さんが伸六さんといっしょに、弔辞を持って、柩の前へ行くのを見たら、急に眶の裏が熱くなってきた。僕の左には、後藤末雄君が立っている。僕の右には、高等学校の村田先生がすわっている。僕は、なんだか泣くのが外聞の悪いような気がした。けれども、涙はだんだん流れそうになってくる。僕の後ろに久米がいるのを、僕は前から知っていた。だからその方を見たら、どうかなるかもしれない。――こんなあいまいな、救助を請うような心もちで、僕は後ろをふりむいた。すると、久米の眼が見えた。が、その眼にも、涙がいっぱいにたまっていた。僕はとうとうやりきれなくなって、泣いてしまった。隣にいた後藤君が、けげんな顔をして、僕の方を見たのは、いまだによく覚えている。
それから、何がどうしたか、それは少しも判然しない。ただ久米が僕の肘をつかまえて、「おい、あっちへ行こう」とかなんとか言ったことだけは、記憶している。そのあとで、涙をふいて、眼をあいたら、僕の前に掃きだめがあった。なんでも、斎場とどこかの家との間らしい。掃きだめには、卵のからが三つ四つすててあった。
少したって、久米と斎場へ行ってみると、もう会葬者がおおかた出て行ったあとで、広い建物の中はどこを見ても、がらんとしている。そうして、その中で、ほこりのにおいと香のにおいとが、むせっぽくいっしょになっている。僕たちは、安倍さんのあとで、お焼香をした。すると、また、涙が出た。
外へ出ると、ふてくされた日が一面に霜どけの土を照らしている。その日の中を向こうへ突きって、休所へはいったら、誰かが蕎麦饅頭を食えと言ってくれた。僕は、腹がへっていたから、すぐに一つとって口へ入れた。そこへ大学の松浦先生が来て、骨上げのことか何か僕に話しかけられたように思う。僕は、天とうも蕎麦饅頭もしゃくにさわっていた時だから、はなはだ無礼な答をしたのに相違ない。先生は手がつけられないという顔をして、帰られたようだった。あの時のことを今思うと、少からず恐縮する。
涙のかわいたのちには、なんだか張合ない疲労ばかりが残った。会葬者の名刺を束にする。弔電や宿所書きを一つにする。それから、葬儀式場の外の往来で、柩車の火葬場へ行くのを見送った。
その後は、ただ、頭がぼんやりして、眠いということよりほかに、何も考えられなかった。
(大正五年十二月) | 底本:「羅生門・鼻・芋粥」角川文庫、角川書店
1950(昭和25)年10月20日初版発行
1985(昭和60)年11月10日改版38版発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月12日公開
2004年3月10日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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大学生の中村は薄い春のオヴァ・コオトの下に彼自身の体温を感じながら、仄暗い石の階段を博物館の二階へ登っていった。階段を登りつめた左にあるのは爬虫類の標本室である。中村はそこへはいる前に、ちょっと金の腕時計を眺めた。腕時計の針は幸いにもまだ二時になっていない。存外遅れずにすんだものだ、――中村はこう思ううちにも、ほっとすると言うよりは損をした気もちに近いものを感じた。
爬虫類の標本室はひっそりしている。看守さえ今日は歩いていない。その中にただ薄ら寒い防虫剤の臭いばかり漂っている。中村は室内を見渡した後、深呼吸をするように体を伸ばした。それから大きい硝子戸棚の中に太い枯れ木をまいている南洋の大蛇の前に立った。この爬虫類の標本室はちょうど去年の夏以来、三重子と出合う場所に定められている。これは何も彼等の好みの病的だったためではない。ただ人目を避けるためにやむを得ずここを選んだのである。公園、カフェ、ステエション――それ等はいずれも気の弱い彼等に当惑を与えるばかりだった。殊に肩上げをおろしたばかりの三重子は当惑以上に思ったかも知れない。彼等は無数の人々の視線の彼等の背中に集まるのを感じた。いや、彼等の心臓さえはっきりと人目に映ずるのを感じた。しかしこの標本室へ来れば、剥製の蛇や蜥蝪のほかに誰一人彼等を見るものはない。たまに看守や観覧人に遇っても、じろじろ顔を見られるのはほんの数秒の間だけである。……
落ち合う時間は二時である。腕時計の針もいつのまにかちょうど二時を示していた。きょうも十分と待たせるはずはない。――中村はこう考えながら、爬虫類の標本を眺めて行った。しかし生憎彼の心は少しも喜びに躍っていない。むしろ何か義務に対する諦らめに似たものに充たされている。彼もあらゆる男性のように三重子に倦怠を感じ出したのであろうか? けれども捲怠を生ずるためには同一のものに面しなければならぬ。今日の三重子は幸か不幸か全然昨日の三重子ではない。昨日の三重子は、――山手線の電車の中に彼と目礼だけ交換した三重子はいかにもしとやかな女学生だった。いや、最初に彼と一しょに井の頭公園へ出かけた三重子もまだどこかもの優しい寂しさを帯びていたものである。……
中村はもう一度腕時計を眺めた。腕時計は二時五分過ぎである。彼はちょっとためらった後、隣り合った鳥類の標本室へはいった。カナリヤ、錦鶏鳥、蜂雀、――美しい大小の剥製の鳥は硝子越しに彼を眺めている。三重子もこう言う鳥のように形骸だけを残したまま、魂の美しさを失ってしまった。彼ははっきり覚えている。三重子はこの前会った時にはチュウイン・ガムばかりしゃぶっていた。そのまた前に会った時にもオペラの唄ばかり歌っていた。殊に彼を驚かせたのは一月ほど前に会った三重子である。三重子はさんざんにふざけた揚句、フット・ボオルと称しながら、枕を天井へ蹴上げたりした。……
腕時計は二時十五分である。中村はため息を洩らしながら、爬虫類の標本室へ引返した。が、三重子はどこにも見えない。彼は何か気軽になり、目の前の大蜥蜴に「失敬」をした。大蜥蜴は明治何年か以来、永久に小蛇を啣えている。永久に――しかし彼は永久にではない。腕時計の二時半になったが最後、さっさと博物館を出るつもりである。桜はまださいていない。が、両大師前にある木などは曇天を透かせた枝々に赤い蕾を綴っている。こういう公園を散歩するのは三重子とどこかへ出かけるよりも数等幸福といわなければならぬ。……
二時二十分! もう十分待ちさえすれば好い。彼は帰りたさをこらえたまま、標本室の中を歩きまわった。熱帯の森林を失った蜥蜴や蛇の標本は妙にはかなさを漂わせている。これはあるいは象徴かも知れない。いつか情熱を失った彼の恋愛の象徴かも知れない。彼は三重子に忠実だった。が、三重子は半年の間に少しも見知らぬ不良少女になった。彼の熱情を失ったのは全然三重子の責任である。少くとも幻滅の結果である。決して倦怠の結果などではない。……
中村は二時半になるが早いか、爬虫類の標本室を出ようとした。しかし戸口へ来ないうちにくるりと靴の踵を返した。三重子はあるいはひと足違いにこの都屋へはいって来るかも知れない。それでは三重子に気の毒である。気の毒?――いや気の毒ではない。彼は三重子に同情するよりも彼自身の義務感に悩まされている。この義務感を安んずるためにはもう十分ばかり待たなければならぬ。なに、三重子は必ず来ない。待っても待たなくてもきょうの午後は愉快に独り暮らせるはずである。……
爬虫類の標本室は今も不相変ひっそりしている。看守さえ未だにまわって来ない。その中にただ薄ら寒い防虫剤の臭いばかり漂っている。中村はだんだん彼自身にある苛立たしさを感じ出した。三重子は畢竟不良少女である。が、彼の恋愛は全然冷え切っていないのかも知れない。さもなければ彼はとうの昔に博物館の外を歩いていたのであろう。もっとも情熱は失ったにもせよ、欲望は残っているはずである。欲望?――しかし欲望ではない。彼は今になって見ると、確かに三重子を愛している。三重子は枕を蹴上げたりした。けれどもその足は色の白いばかりか、しなやかに指を反らせている。殊にあの時の笑い声は――彼は小首を傾けた三重子の笑い声を思い出した。
二時四十分。
二時四十五分。
三時。
三時五分。
三時十分になった時である。中村は春のオヴァ・コオトの下にしみじみと寒さを感じながら、人気のない爬虫類の標本室を後ろに石の階段を下りて行った。いつもちょうど日の暮のように仄暗い石の階段を。
× × ×
その日も電燈のともり出した時分、中村はあるカフェの隅に彼の友だちと話していた。彼の友だちは堀川という小説家志望の大学生である。彼等は一杯の紅茶を前に自動車の美的価値を論じたり、セザンヌの経済的価値を論じたりした。が、それ等にも疲れた後、中村は金口に火をつけながら、ほとんど他人の身の上のようにきょうの出来事を話し出した。
「莫迦だね、俺は。」
話しを終った中村はつまらなそうにこうつけ加えた。
「ふん、莫迦がるのが一番莫迦だね。」
堀川は無造作に冷笑した。それからまたたちまち朗読するようにこんなことをしゃべり出した。
「君はもう帰ってしまう。爬虫類の標本室はがらんとしている。そこへ、――時間はいくらもたたない。やっと三時十五分くらいだね、そこへ顔の青白い女学生が一人はいって来る。勿論看守も誰もいない。女学生は蛇や蜥蜴の中にいつまでもじっと佇んでいる。あすこは存外暮れ易いだろう。そのうちに光は薄れて来る。閉館の時刻もせまって来る。けれども女学生は同じようにいつまでもじっと佇んでいる。――と考えれば小説だがね。もっとも気の利いた小説じゃない。三重子なるものは好いとしても、君を主人公にしていた日には……」
中村はにやにや笑い出した。
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「莫迦を言え。俺は二十三貫五百目さ。三重子は確か十七貫くらいだろう。」
十年はいつか流れ去った。中村は今ベルリンの三井か何かに勤めている。三重子もとうに結婚したらしい。小説家堀川保吉はある婦人雑誌の新年号の口絵に偶然三重子を発見した。三重子はその写真の中に大きいピアノを後ろにしながら、男女三人の子供と一しょにいずれも幸福そうに頬笑んでいる。容色はまだ十年前と大した変りも見えないのであろう。目かたも、――保吉はひそかに惧れている、目かただけはことによると、二十貫を少し越えたかも知れない。……
(大正十四年一月) | 底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:奥西久美
1998年12月11日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
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一 本所
大導寺信輔の生まれたのは本所の回向院の近所だった。彼の記憶に残っているものに美しい町は一つもなかった。美しい家も一つもなかった。殊に彼の家のまわりは穴蔵大工だの駄菓子屋だの古道具屋だのばかりだった。それ等の家々に面した道も泥濘の絶えたことは一度もなかった。おまけに又その道の突き当りはお竹倉の大溝だった。南京藻の浮かんだ大溝はいつも悪臭を放っていた。彼は勿論こう言う町々に憂欝を感ぜずにはいられなかった。しかし又、本所以外の町々は更に彼には不快だった。しもた家の多い山の手を始め小綺麗な商店の軒を並べた、江戸伝来の下町も何か彼を圧迫した。彼は本郷や日本橋よりも寧ろ寂しい本所を――回向院を、駒止め橋を、横網を、割り下水を、榛の木馬場を、お竹倉の大溝を愛した。それは或は愛よりも憐みに近いものだったかも知れない。が、憐みだったにもせよ、三十年後の今日さえ時々彼の夢に入るものは未だにそれ等の場所ばかりである…………
信輔はもの心を覚えてから、絶えず本所の町々を愛した。並み木もない本所の町々はいつも砂埃りにまみれていた。が、幼い信輔に自然の美しさを教えたのはやはり本所の町々だった。彼はごみごみした往来に駄菓子を食って育った少年だった。田舎は――殊に水田の多い、本所の東に開いた田舎はこう言う育ちかたをした彼には少しも興味を与えなかった。それは自然の美しさよりも寧ろ自然の醜さを目のあたりに見せるばかりだった。けれども本所の町々はたとい自然には乏しかったにもせよ、花をつけた屋根の草や水たまりに映った春の雲に何かいじらしい美しさを示した。彼はそれ等の美しさの為にいつか自然を愛し出した。尤も自然の美しさに次第に彼の目を開かせたものは本所の町々には限らなかった。本も、――彼の小学時代に何度も熱心に読み返した蘆花の「自然と人生」やラボックの翻訳「自然美論」も勿論彼を啓発した。しかし彼の自然を見る目に最も影響を与えたのは確かに本所の町々だった。家々も樹木も往来も妙に見すぼらしい町々だった。
実際彼の自然を見る目に最も影響を与えたのは見すぼらしい本所の町々だった。彼は後年本州の国々へ時々短い旅行をした。が、荒あらしい木曾の自然は常に彼を不安にした。又優しい瀬戸内の自然も常に彼を退屈にした。彼はそれ等の自然よりも遥かに見すぼらしい自然を愛した。殊に人工の文明の中にかすかに息づいている自然を愛した。三十年前の本所は割り下水の柳を、回向院の広場を、お竹倉の雑木林を、――こう言う自然の美しさをまだ至る所に残していた。彼は彼の友だちのように日光や鎌倉へ行かれなかった。けれども毎朝父と一しょに彼の家の近所へ散歩に行った。それは当時の信輔には確かに大きい幸福だった。しかし又彼の友だちの前に得々と話して聞かせるには何か気のひける幸福だった。
或朝焼けの消えかかった朝、父と彼とはいつものように百本杭へ散歩に行った。百本杭は大川の河岸でも特に釣り師の多い場所だった。しかしその朝は見渡した所、一人も釣り師は見えなかった。広い河岸には石垣の間に舟虫の動いているばかりだった。彼は父に今朝に限って釣り師の見えぬ訣を尋ねようとした。が、まだ口を開かぬうちに忽ちその答を発見した。朝焼けの揺らめいた川波には坊主頭の死骸が一人、磯臭い水草や五味のからんだ乱杭の間に漂っていた。――彼は未だにありありとこの朝の百本杭を覚えている。三十年前の本所は感じ易い信輔の心に無数の追憶的風景画を残した。けれどもこの朝の百本杭は――この一枚の風景画は同時に又本所の町々の投げた精神的陰影の全部だった。
二 牛乳
信輔は全然母の乳を吸ったことのない少年だった。元来体の弱かった母は一粒種の彼を産んだ後さえ、一滴の乳も与えなかった。のみならず乳母を養うことも貧しい彼の家の生計には出来ない相談の一つだった。彼はその為に生まれ落ちた時から牛乳を飲んで育って来た。それは当時の信輔には憎まずにはいられぬ運命だった。彼は毎朝台所へ来る牛乳の壜を軽蔑した。又何を知らぬにもせよ、母の乳だけは知っている彼の友だちを羨望した。現に小学へはいった頃、年の若い彼の叔母は年始か何かに来ているうちに乳の張ったのを苦にし出した。乳は真鍮の嗽い茶碗へいくら絞っても出て来なかった。叔母は眉をひそめたまま、半ば彼をからかうように「信ちゃんに吸って貰おうか?」と言った。けれども牛乳に育った彼は勿論吸いかたを知る筈はなかった。叔母はとうとう隣の子に――穴蔵大工の女の子に固い乳房を吸って貰った。乳房は盛り上った半球の上へ青い静脈をかがっていた。はにかみ易い信輔はたとい吸うことは出来たにもせよ、到底叔母の乳などを吸うことは出来ないのに違いなかった。が、それにも関らずやはり隣の女の子を憎んだ。同時に又隣の女の子に乳を吸わせる叔母を憎んだ。この小事件は彼の記憶に重苦しい嫉妬ばかり残している。が、或はその外にも彼の Vita sexualis は当時にはじまっていたのかも知れない。………
信輔は壜詰めの牛乳の外に母の乳を知らぬことを恥じた。これは彼の秘密だった。誰にも決して知らせることの出来ぬ彼の一生の秘密だった。この秘密は又当時の彼には或迷信をも伴っていた。彼は只頭ばかり大きい、無気味なほど痩せた少年だった。のみならずはにかみ易い上にも、磨ぎ澄ました肉屋の庖丁にさえ動悸の高まる少年だった。その点は――殊にその点は伏見鳥羽の役に銃火をくぐった、日頃胆勇自慢の父とは似ても似つかぬのに違いなかった。彼は一体何歳からか、又どう言う論理からか、この父に似つかぬことを牛乳の為と確信していた。いや、体の弱いことをも牛乳の為と確信していた。若し牛乳の為とすれば、少しでも弱みを見せたが最後、彼の友だちは彼の秘密を看破してしまうのに違いなかった。彼はその為にどう言う時でも彼の友だちの挑戦に応じた。挑戦は勿論一つではなかった。或時はお竹倉の大溝を棹も使わずに飛ぶことだった。或時は回向院の大銀杏へ梯子もかけずに登ることだった。或時は又彼等の一人と殴り合いの喧嘩をすることだった。信輔は大溝を前にすると、もう膝頭の震えるのを感じた。けれどもしっかり目をつぶったまま、南京藻の浮かんだ水面を一生懸命に跳り越えた。この恐怖や逡巡は回向院の大銀杏へ登る時にも、彼等の一人と喧嘩をする時にもやはり彼を襲来した。しかし彼はその度に勇敢にそれ等を征服した。それは迷信に発したにもせよ、確かにスパルタ式の訓練だった。このスパルタ式の訓練は彼の右の膝頭へ一生消えない傷痕を残した。恐らくは彼の性格へも、――信輔は未だに威丈高になった父の小言を覚えている。――「貴様は意気地もない癖に、何をする時でも剛情でいかん。」
しかし彼の迷信は幸にも次第に消えて行った。のみならず彼は西洋史の中に少くとも彼の迷信には反証に近いものを発見した。それは羅馬の建国者ロミュルスに乳を与えたものは狼であると言う一節だった。彼は母の乳を知らぬことに爾来一層冷淡になった。いや、牛乳に育ったことは寧ろ彼の誇りになった。信輔は中学へはいった春、年とった彼の叔父と一しょに、当時叔父が経営していた牧場へ行ったことを覚えている。殊にやっと柵の上へ制服の胸をのしかけたまま、目の前へ歩み寄った白牛に干し草をやったことを覚えている。牛は彼の顔を見上げながら、静かに干し草へ鼻を出した。彼はその顔を眺めた時、ふとこの牛の瞳の中に何にか人間に近いものを感じた。空想?――或は空想かも知れない。が、彼の記憶の中には未だに大きい白牛が一頭、花を盛った杏の枝の下の柵によった彼を見上げている。しみじみと、懐しそうに。………
三 貧困
信輔の家庭は貧しかった。尤も彼等の貧困は棟割長屋に雑居する下流階級の貧困ではなかった。が、体裁を繕う為により苦痛を受けなければならぬ中流下層階級の貧困だった。退職官吏だった、彼の父は多少の貯金の利子を除けば、一年に五百円の恩給に女中とも家族五人の口を餬して行かなければならなかった。その為には勿論節倹の上にも節倹を加えなければならなかった。彼等は玄関とも五間の家に――しかも小さい庭のある門構えの家に住んでいた。けれども新らしい着物などは誰一人滅多に造らなかった。父は常に客にも出されぬ悪酒の晩酌に甘んじていた。母もやはり羽織の下にはぎだらけの帯を隠していた。信輔も――信輔は未だにニスの臭い彼の机を覚えている。机は古いのを買ったものの、上へ張った緑色の羅紗も、銀色に光った抽斗の金具も一見小綺麗に出来上っていた。が、実は羅紗も薄いし、抽斗も素直にあいたことはなかった。これは彼の机よりも彼の家の象徴だった。体裁だけはいつも繕わなければならぬ彼の家の生活の象徴だった。………
信輔はこの貧困を憎んだ。いや、今もなお当時の憎悪は彼の心の奥底に消し難い反響を残している。彼は本を買われなかった。夏期学校へも行かれなかった。新らしい外套も着られなかった。が、彼の友だちはいずれもそれ等を受用していた。彼は彼等を羨んだ。時には彼等を妬みさえした。しかしその嫉妬や羨望を自認することは肯じなかった。それは彼等の才能を軽蔑している為だった。けれども貧困に対する憎悪は少しもその為に変らなかった。彼は古畳を、薄暗いランプを、蔦の画の剥げかかった唐紙を、――あらゆる家庭の見すぼらしさを憎んだ。が、それはまだ好かった。彼は只見すぼらしさの為に彼を生んだ両親を憎んだ。殊に彼よりも背の低い、頭の禿げた父を憎んだ。父は度たび学校の保証人会議に出席した。信輔は彼の友だちの前にこう言う父を見ることを恥じた。同時にまた肉身の父を恥じる彼自身の心の卑しさを恥じた。国木田独歩を模倣した彼の「自ら欺かざるの記」はその黄ばんだ罫紙の一枚にこう言う一節を残している。――
「予は父母を愛する能はず。否、愛する能はざるに非ず。父母その人は愛すれども、父母の外見を愛する能はず。貌を以て人を取るは君子の恥づる所也。況や父母の貌を云々するをや。然れども予は如何にするも父母の外見を愛する能はず。……」
けれどもこう言う見すぼらしさよりも更に彼の憎んだのは貧困に発した偽りだった。母は「風月」の菓子折につめたカステラを親戚に進物にした。が、その中味は「風月」所か、近所の菓子屋のカステラだった。父も、――如何に父は真事しやかに「勤倹尚武」を教えたであろう。父の教えた所によれば、古い一冊の玉篇の外に漢和辞典を買うことさえ、やはり「奢侈文弱」だった! のみならず信輔自身も亦嘘に嘘を重ねることは必しも父母に劣らなかった。それは一月五十銭の小遣いを一銭でも余計に貰った上、何よりも彼の餓えていた本や雑誌を買う為だった。彼はつり銭を落したことにしたり、ノオト・ブックを買うことにしたり、学友会の会費を出すことにしたり、――あらゆる都合の好い口実のもとに父母の金銭を盗もうとした。それでもまだ金の足りない時には巧みに両親の歓心を買い、翌月の小遣いを捲き上げようとした。就中彼に甘かった老年の母に媚びようとした。勿論彼には彼自身の嘘も両親の嘘のように不快だった。しかし彼は嘘をついた。大胆に狡猾に嘘をついた。それは彼には何よりも先に必要だったのに違いなかった。が、同時に又病的な愉快を、――何か神を殺すのに似た愉快を与えたのにも違いなかった。彼は確かにこの点だけは不良少年に接近していた。彼の「自ら欺かざるの記」はその最後の一枚にこう言う数行を残している。――
「独歩は恋を恋すと言へり。予は憎悪を憎悪せんとす。貧困に対する、虚偽に対する、あらゆる憎悪を憎悪せんとす。……」
これは信輔の衷情だった。彼はいつか貧困に対する憎悪そのものをも憎んでいた。こう言う二重に輪を描いた憎悪は二十前の彼を苦しめつづけた。尤も多少の幸福は彼にも全然ない訣ではなかった。彼は試験の度ごとに三番か四番の成績を占めた。又或下級の美少年は求めずとも彼に愛を示した。しかしそれ等も信輔には曇天を洩れる日の光だった。憎悪はどう言う感情よりも彼の心を圧していた。のみならずいつか彼の心へ消し難い痕跡を残していた。彼は貧困を脱した後も、貧困を憎まずにはいられなかった。同時に又貧困と同じように豪奢をも憎まずにはいられなかった。豪奢をも、――この豪奢に対する憎悪は中流下層階級の貧困の与える烙印だった。或は中流下層階級の貧困だけの与える烙印だった。彼は今日も彼自身の中にこの憎悪を感じている。この貧困と闘わなければならぬ Petty Bourgeois の道徳的恐怖を。……
丁度大学を卒業した秋、信輔は法科に在学中の或友だちを訪問した。彼等は壁も唐紙も古びた八畳の座敷に話していた。其後へ顔を出したのは六十前後の老人だった。信輔はこの老人の顔に、――アルコオル中毒の老人の顔に退職官吏を直覚した。
「僕の父。」
彼の友だちは簡単にこうその老人を紹介した。老人は寧ろ傲然と信輔の挨拶を聞き流した。それから奥へはいる前に、「どうぞ御ゆっくり。あすこに椅子もありますから」と言った。成程二脚の肘かけ椅子は黒ずんだ縁側に並んでいた。が、それ等は腰の高い、赤いクッションの色の褪めた半世紀前の古椅子だった。信輔はこの二脚の椅子に全中流下層階級を感じた。同時に又彼の友だちも彼のように父を恥じているのを感じた。こう言う小事件も彼の記憶に苦しいほどはっきりと残っている。思想は今後も彼の心に雑多の陰影を与えるかも知れない。しかし彼は何よりも先に退職官吏の息子だった。下層階級の貧困よりもより虚偽に甘んじなければならぬ中流下層階級の貧困の生んだ人間だった。
四 学校
学校も亦信輔には薄暗い記憶ばかり残している。彼は大学に在学中、ノオトもとらずに出席した二三の講義を除きさえすれば、どう言う学校の授業にも興味を感じたことは一度もなかった。が、中学から高等学校、高等学校から大学と幾つかの学校を通り抜けることは僅かに貧困を脱出するたった一つの救命袋だった。尤も信輔は中学時代にはこう言う事実を認めなかった。少くともはっきりとは認めなかった。しかし中学を卒業する頃から、貧困の脅威は曇天のように信輔の心を圧しはじめた。彼は大学や高等学校にいる時、何度も廃学を計画した。けれどもこの貧困の脅威はその度に薄暗い将来を示し、無造作に実行を不可能にした。彼は勿論学校を憎んだ。殊に拘束の多い中学を憎んだ。如何に門衛の喇叭の音は刻薄な響を伝えたであろう。如何に又グラウンドのポプラアは憂欝な色に茂っていたであろう。信輔は其処に西洋歴史のデエトを、実験もせぬ化学の方程式を、欧米の一都市の住民の数を、――あらゆる無用の小智識を学んだ。それは多少の努力さえすれば、必しも苦しい仕事ではなかった。が、無用の小智識と言う事実をも忘れるのは困難だった。ドストエフスキイは「死人の家」の中にたとえば第一のバケツの水をまず第二のバケツへ移し、更に又第二のバケツの水を第一のバケツへ移すと言うように、無用の労役を強いられた囚徒の自殺することを語っている。信輔は鼠色の校舎の中に、――丈の高いポプラアの戦ぎの中にこう言う囚徒の経験する精神的苦痛を経験した。のみならず――
のみならず彼の教師と言うものを最も憎んだのも中学だった。教師は皆個人としては悪人ではなかったに違いなかった。しかし「教育上の責任」は――殊に生徒を処罰する権利はおのずから彼等を暴君にした。彼等は彼等の偏見を生徒の心へ種痘する為には如何なる手段をも選ばなかった。現に彼等の或ものは、――達磨と言う諢名のある英語の教師は「生意気である」と言う為に度たび信輔に体刑を課した。が、その「生意気である」所以は畢竟信輔の独歩や花袋を読んでいることに外ならなかった。又彼等の或ものは――それは左の眼に義眼をした国語漢文の教師だった。この教師は彼の武芸や競技に興味のないことを喜ばなかった。その為に何度も信輔を「お前は女か?」と嘲笑した。信輔は或時赫とした拍子に、「先生は男ですか?」と反問した。教師は勿論彼の不遜に厳罰を課せずには措かなかった。その外もう紙の黄ばんだ「自ら欺かざるの記」を読み返して見れば、彼の屈辱を蒙ったことは枚挙し難い位だった。自尊心の強い信輔は意地にも彼自身を守る為に、いつもこう言う屈辱を反撥しなければならなかった。さもなければあらゆる不良少年のように彼自身を軽んずるのに了るだけだった。彼はその自彊術の道具を当然「自ら欺かざるの記」に求めた。――
「予の蒙れる悪名は多けれども、分つて三と為すことを得べし。
「その一は文弱也。文弱とは肉体の力よりも精神の力を重んずるを言ふ。
「その二は軽佻浮薄也。軽佻浮薄とは功利の外に美なるものを愛するを言ふ。
「その三は傲慢也。傲慢とは妄に他の前に自己の所信を屈せざるを言ふ。
しかし教師も悉く彼を迫害した訣ではなかった。彼等の或ものは家族を加えた茶話会に彼を招待した。又彼等の或ものは彼に英語の小説などを貸した。彼は四学年を卒業した時、こう言う借りものの小説の中に「猟人日記」の英訳を見つけ、歓喜して読んだことを覚えている。が、「教育上の責任」は常に彼等と人間同士の親しみを交える妨害をした。それは彼等の好意を得ることにも何か彼等の権力に媚びる卑しさの潜んでいる為だった。さもなければ彼等の同性愛に媚びる醜さの潜んでいる為だった。彼は彼等の前へ出ると、どうしても自由に振舞われなかった。のみならず時には不自然に巻煙草の箱へ手を出したり、立ち見をした芝居を吹聴したりした。彼等は勿論この無作法を不遜の為と解釈した。解釈するのも亦尤もだった。彼は元来人好きのする生徒ではないのに違いなかった。彼の筺底の古写真は体と不吊合に頭の大きい、徒らに目ばかり赫かせた、病弱らしい少年を映している。しかもこの顔色の悪い少年は絶えず毒を持った質問を投げつけ、人の好い教師を悩ませることを無上の愉快としているのだった!
信輔は試験のある度に学業はいつも高点だった。が、所謂操行点だけは一度も六点を上らなかった。彼は6と言うアラビア数字に教員室中の冷笑を感じた。実際又教師の操行点を楯に彼を嘲っているのは事実だった。彼の成績はこの六点の為にいつも三番を越えなかった。彼はこう言う復讐を憎んだ。こう言う復讐をする教師を憎んだ。今も、――いや、今はいつのまにか当時の憎悪を忘れている。中学は彼には悪夢だった。けれども悪夢だったことは必しも不幸とは限らなかった。彼はその為に少くとも孤独に堪える性情を生じた。さもなければ彼の半生の歩みは今日よりももっと苦しかったであろう。彼は彼の夢みていたように何冊かの本の著者になった。しかし彼に与えられたものは畢竟落寞とした孤独だった。この孤独に安んじた今日、――或はこの孤独に安んずるより外に仕かたのないことを知った今日、二十年の昔をふり返って見れば、彼を苦しめた中学の校舎は寧ろ美しい薔薇色をした薄明りの中に横わっている。尤もグラウンドのポプラアだけは不相変欝々と茂った梢に寂しい風の音を宿しながら。………
五 本
本に対する信輔の情熱は小学時代から始まっていた。この情熱を彼に教えたものは父の本箱の底にあった帝国文庫本の水滸伝だった。頭ばかり大きい小学生は薄暗いランプの光のもとに何度も「水滸伝」を読み返した。のみならず本を開かぬ時にも替天行道の旗や景陽岡の大虎や菜園子張青の梁に吊った人間の腿を想像した。想像?――しかしその想像は現実よりも一層現実的だった。彼は又何度も木剣を提げ、干し菜をぶら下げた裏庭に「水滸伝」中の人物と、――一丈青扈三娘や花和尚魯智深と格闘した。この情熱は三十年間、絶えず彼を支配しつづけた。彼は度たび本を前に夜を徹したことを覚えている。いや、几上、車上、厠上、――時には路上にも熱心に本を読んだことを覚えている。木剣は勿論「水滸伝」以来二度と彼の手に取られなかった。が、彼は本の上に何度も笑ったり泣いたりした。それは言わば転身だった。本の中の人物に変ることだった。彼は天竺の仏のように無数の過去生を通り抜けた。イヴァン・カラマゾフを、ハムレットを、公爵アンドレエを、ドン・ジュアンを、メフィストフェレスを、ライネッケ狐を、――しかもそれ等の或ものは一時の転身には限らなかった。現に或晩秋の午後、彼は小遣いを貰う為に年とった叔父を訪問した。叔父は長州萩の人だった。彼はことさらに叔父の前に滔々と維新の大業を論じ、上は村田清風から下は山県有朋に至る長州の人材を讃嘆した。が、この虚偽の感激に充ちた、顔色の蒼白い高等学校の生徒は当時の大導寺信輔よりも寧ろ若いジュリアン・ソレル――「赤と黒」の主人公だった。
こう言う信輔は当然又あらゆるものを本の中に学んだ。少くとも本に負う所の全然ないものは一つもなかった。実際彼は人生を知る為に街頭の行人を眺めなかった。寧ろ行人を眺める為に本の中の人生を知ろうとした。それは或は人生を知るには迂遠の策だったのかも知れなかった。が、街頭の行人は彼には只行人だった。彼は彼等を知る為には、――彼等の愛を、彼等の憎悪を、彼等の虚栄心を知る為には本を読むより外はなかった。本を、――殊に世紀末の欧羅巴の産んだ小説や戯曲を。彼はその冷たい光の中にやっと彼の前に展開する人間喜劇を発見した。いや、或は善悪を分たぬ彼自身の魂をも発見した。それは人生には限らなかった。彼は本所の町々に自然の美しさを発見した。しかし彼の自然を見る目に多少の鋭さを加えたのはやはり何冊かの愛読書、――就中元禄の俳諧だった。彼はそれ等を読んだ為に「都に近き山の形」を、「欝金畠の秋の風」を、「沖の時雨の真帆片帆」を、「闇のかた行く五位の声」を、――本所の町々の教えなかった自然の美しさをも発見した。この「本から現実」へは常に信輔には真理だった。彼は彼の半生の間に何人かの女に恋愛を感じた。けれども彼等は誰一人女の美しさを教えなかった。少くとも本に学んだ以外の女の美しさを教えなかった。彼は日の光を透かした耳や頬に落ちた睫毛の影をゴオティエやバルザックやトルストイに学んだ。女は今も信輔にはその為に美しさを伝えている。若しそれ等に学ばなかったとすれば、彼は或は女の代りに牝ばかり発見していたかも知れない。…………
尤も貧しい信輔は到底彼の読むだけの本を自由に買うことは出来なかった。彼のこう言う困難をどうにかこうにか脱したのは第一に図書館のおかげだった。第二に貸本屋のおかげだった。第三に吝嗇の譏さえ招いだ彼の節倹のおかげだった。彼ははっきりと覚えている――大溝に面した貸本屋を、人の好い貸本屋の婆さんを、婆さんの内職にする花簪を。婆さんはやっと小学へ入った「坊ちゃん」の無邪気を信じていた。が、その「坊ちゃん」はいつの間にか本を探がす風を装いながら、偸み読みをすることを発明していた。彼は又はっきりと覚えている。――古本屋ばかりごみごみ並んだ二十年前の神保町通りを、その古本屋の屋根の上に日の光を受けた九段坂の斜面を。勿論当時の神保町通りは電車も馬車も通じなかった。彼は――十二歳の小学生は弁当やノオト・ブックを小脇にしたまま、大橋図書館へ通う為に何度もこの通りを往復した。道のりは往復一里半だった。大橋図書館から帝国図書館へ。彼は帝国図書館の与えた第一の感銘をも覚えている。――高い天井に対する恐怖を、大きい窓に対する恐怖を、無数の椅子を埋め尽した無数の人々に対する恐怖を。が、恐怖は幸いにも二三度通ううちに消滅した。彼は忽ち閲覧室に、鉄の階段に、カタロオグの箱に、地下の食堂に親しみ出した。それから大学の図書館や高等学校の図書館へ。彼はそれ等の図書館に何百冊とも知れぬ本を借りた。又それ等の本の中に何十冊とも知れぬ本を愛した。しかし――
しかし彼の愛したのは――殆ど内容の如何を問わずに本そのものを愛したのはやはり彼の買った本だった。信輔は本を買う為めにカフエへも足を入れなかった。が、彼の小遣いは勿論常に不足だった。彼はその為めに一週に三度、親戚の中学生に数学(!)を教えた。それでもまだ金の足りぬ時はやむを得ず本を売りに行った。けれども売り価は新らしい本でも買い価の半ば以上になったことはなかった。のみならず永年持っていた本を古本屋の手に渡すことは常に彼には悲劇だった。彼は或薄雪の夜、神保町通りの古本屋を一軒一軒覗いて行った。その内に或古本屋に「ツアラトストラ」を一冊発見した。それも只の「ツアラトストラ」ではなかった。二月ほど前に彼の売った手垢だらけの「ツアラトストラ」だった。彼は店先きに佇んだまま、この古い「ツアラトストラ」を所どころ読み返した。すると読み返せば読み返すほど、だんだん懐しさを感じだした。
「これはいくらですか?」
十分ばかり立った後、彼は古本屋の女主人にもう「ツアラトストラ」を示していた。
「一円六十銭、――御愛嬌に一円五十銭にして置きましょう。」
信輔はたった七十銭にこの本を売ったことを思い出した。が、やっと売り価の二倍、――一円四十銭に価切った末、とうとうもう一度買うことにした。雪の夜の往来は家々も電車も何か微妙に静かだった。彼はこう言う往来をはるばる本郷へ帰る途中、絶えず彼の懐ろの中に鋼鉄色の表紙をした「ツアラトストラ」を感じていた。しかし又同時に口の中には何度も彼自身を嘲笑していた。……
六 友だち
信輔は才能の多少を問わずに友だちを作ることは出来なかった。たといどう言う君子にもせよ、素行以外に取り柄のない青年は彼には用のない行人だった。いや、寧ろ顔を見る度に揶揄せずにはいられぬ道化者だった。それは操行点六点の彼には当然の態度に違いなかった。彼は中学から高等学校、高等学校から大学と幾つかの学校を通りぬける間に絶えず彼等を嘲笑した。勿論彼等の或ものは彼の嘲笑を憤った。しかし又彼等の或ものは彼の嘲笑を感ずる為にも余りに模範的君子だった。彼は「厭な奴」と呼ばれることには常に多少の愉快を感じた。が、如何なる嘲笑も更に手答えを与えないことには彼自身憤らずにはいられなかった。現にこう言う君子の一人――或高等学校の文科の生徒はリヴィングストンの崇拝者だった。同じ寄宿舎にいた信輔は或時彼に真事しやかにバイロンも亦リヴィングストン伝を読み、泣いてやまなかったと言う出たらめを話した。爾来二十年を閲した今日、このリヴィングストンの崇拝者は或基督教会の機関雑誌に不相変リヴィングストンを讃美している。のみならず彼の文章はこう言う一行に始まっている。――「悪魔的詩人バイロンさえ、リヴィングストンの伝記を読んで涙を流したと言うことは何を我々に教えるであろうか?」!
信輔は才能の多少を問わずに友だちを作ることは出来なかった。たとい君子ではないにもせよ、智的貪慾を知らない青年はやはり彼には路傍の人だった。彼は彼の友だちに優しい感情を求めなかった。彼の友だちは青年らしい心臓を持たぬ青年でも好かった。いや、所謂親友は寧ろ彼には恐怖だった。その代りに彼の友だちは頭脳を持たなければならなかった。頭脳を、――がっしりと出来上った頭脳を。彼はどう言う美少年よりもこう言う頭脳の持ち主を愛した。同時に又どう言う君子よりもこう言う頭脳の持ち主を憎んだ。実際彼の友情はいつも幾分か愛の中に憎悪を孕んだ情熱だった。信輔は今日もこの情熱以外に友情のないことを信じている。少くともこの情熱以外に Herr und Knecht の臭味を帯びない友情のないことを信じている。況んや当時の友だちは一面には相容れぬ死敵だった。彼は彼の頭脳を武器に、絶えず彼等と格闘した。ホイットマン、自由詩、創造的進化、――戦場は殆ど到る所にあった。彼はそれ等の戦場に彼の友だちを打ち倒したり、彼の友だちに打ち倒されたりした。この精神的格闘は何よりも殺戮の歓喜の為に行われたものに違いなかった。しかしおのずからその間に新しい観念や新しい美の姿を現したことも事実だった。如何に午前三時の蝋燭の炎は彼等の論戦を照らしていたか、如何に又武者小路実篤の作品は彼等の論戦を支配していたか、――信輔は鮮かに九月の或夜、何匹も蝋燭へ集って来た、大きい灯取虫を覚えている。灯取虫は深い闇の中から突然きらびやかに生まれて来た。が、炎に触れるが早いか、嘘のようにぱたぱたと死んで行った。これは何も今更のように珍しがる価のないことかも知れない。しかし信輔は今日もなおこの小事件を思い出す度に、――この不思議に美しい灯取虫の生死を思い出す度に、なぜか彼の心の底に多少の寂しさを感ずるのである。………
信輔は才能の多少を問わずに友だちを作ることは出来なかった。標準は只それだけだった。しかしやはりこの標準にも全然例外のない訣ではなかった。それは彼の友だちと彼との間を截断する社会的階級の差別だった。信輔は彼と育ちの似寄った中流階級の青年には何のこだわりも感じなかった。が、纔かに彼の知った上流階級の青年には、――時には中流上層階級の青年にも妙に他人らしい憎悪を感じた。彼等の或ものは怠惰だった。彼等の或ものは臆病だった。又彼等の或ものは官能主義の奴隷だった。けれども彼の憎んだのは必しもそれ等の為ばかりではなかった。いや、寧ろそれ等よりも何か漠然としたものの為だった。尤も彼等の或ものも彼等自身意識せずにこの「何か」を憎んでいた。その為に又下流階級に、――彼等の社会的対蹠点に病的な惝怳を感じていた。彼は彼等に同情した。しかし彼の同情も畢竟役には立たなかった。この「何か」は握手する前にいつも針のように彼の手を刺した。或風の寒い四月の午後、高等学校の生徒だった彼は彼等の一人、――或男爵の長男と江の島の崖の上に佇んでいた。目の下はすぐに荒磯だった。彼等は「潜り」の少年たちの為に何枚かの銅貨を投げてやった。少年たちは銅貨の落ちる度にぽんぽん海の中へ跳りこんだ。しかし一人海女だけは崖の下に焚いた芥火の前に笑って眺めているばかりだった。
「今度はあいつも飛びこませてやる。」
彼の友だちは一枚の銅貨を巻煙草の箱の銀紙に包んだ。それから体を反らせたと思うと、精一ぱい銅貨を投げ飛ばした。銅貨はきらきら光りながら、風の高い浪の向うへ落ちた。するともう海女はその時にはまっ先に海へ飛びこんでいた。信輔は未だにありありと口もとに残酷な微笑を浮べた彼の友だちを覚えている。彼の友だちは人並み以上に語学の才能を具えていた。しかし又確かに人並み以上に鋭い犬歯をも具えていた。…………
(以下続出)
附記 この小説はもうこの三四倍続けるつもりである。今度掲げるだけに「大導寺信輔の半生」と言う題は相当しないのに違いないが、他に替る題もない為にやむを得ず用いることにした。「大導寺信輔の半生」の第一篇と思って頂けば幸甚である。大正十三年十二月九日、作者記。 | 底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館
1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第七卷」岩波書店
1978(昭和53)年2月22日発行
初出:「中央公論 第四十年第一号」
1925(大正14)年1月1日発行
入力:j.utiyama
校正:もりみつじゅんじ
1998年10月11日公開
2016年2月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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この手紙は印度のダアジリンのラアマ・チャブズン氏へ出す手紙の中に封入し、氏から日本へ送って貰うはずである。無事に君の手へ渡るかどうか、多少の心配もない訣ではない。しかし万一渡らなかったにしろ、君は格別僕の手紙を予想しているとも思われないからその点だけは甚だ安心している。が、もしこの手紙を受け取ったとすれば、君は必ず僕の運命に一驚を喫せずにはいられないであろう。第一に僕はチベットに住んでいる。第二に僕は支那人になっている。第三に僕は三人の夫と一人の妻を共有している。
この前君へ手紙を出したのはダアジリンに住んでいた頃である。僕はもうあの頃から支那人にだけはなりすましていた。元来天下に国籍くらい、面倒臭いお荷物はない。ただ支那と云う国籍だけはほとんど有無を問われないだけに、頗る好都合に出来上っている。君はまだ高等学校にいた時、僕に「さまよえる猶太人」と云う渾名をつけたのを覚えているであろう。実際僕は君のいった通り、「さまよえる猶太人」に生れついたらしい。が、このチベットのラッサだけは甚だ僕の気に入っている。というのは何も風景だの、気候だのに愛着のある訣ではない。実は怠惰を悪徳としない美風を徳としているのである。
博学なる君はパンデン・アアジシャのラッサに与えた名を知っているであろう。しかしラッサは必ずしも食糞餓鬼の都ではない。町はむしろ東京よりも住み心の好いくらいである。ただラッサの市民の怠惰は天国の壮観といわなければならぬ。きょうも妻は不相変麦藁の散らばった門口にじっと膝をかかえたまま静かに午睡を貪っている。これは僕の家ばかりではない。どの家の門口にも二三人ずつは必ずまた誰か居睡りをしている。こういう平和に満ちた景色は世界のどこにも見られないであろう。しかも彼等の頭の上には、――ラマ教の寺院の塔の上にはかすかに蒼ざめた太陽が一つ、ラッサを取り巻いた峯々の雪をぼんやりかがやかせているのである。
僕は少くとも数年はラッサに住もうと思っている。それには怠惰の美風のほかにも、多少は妻の容色に心を惹かれているのかも知れない。妻は名はダアワといい、近隣でも美人と評されている。背は人並みよりは高いくらいであろう。顔はダアワという名前の通り、(ダアワは月の意味である。)垢の下にも色の白い、始終糸のように目を細めた、妙にもの優しい女である。夫の僕とも四人あることは前にもちょっと書いて置いた。第一の夫は行商人、第二の夫は歩兵の伍長、第三の夫はラマ教の仏画師、第四の夫は僕である。僕もまたこの頃は無職業ではない。とにかく器用を看板とした一かどの理髪師になり了せている。
謹厳なる君は僕のように、一妻多夫に甘んずるものを軽蔑せずにはいられないであろう。が、僕にいわせれば、あらゆる結婚の形式はただ便宜に拠ったものである。一夫一妻の基督教徒は必ずしも異教徒たる僕等よりも道徳の高い人間ではない。のみならず事実上の一妻多夫は事実上の一夫多妻と共に、いかなる国にもあるはずである。実際また一夫一妻はチベットにも全然ない訣ではない。ただルクソオ・ミンズの名のもとに(ルクソオ・ミンズは破格の意味である。)軽蔑されているだけである。ちょうど僕等の一妻多夫も文明国の軽蔑を買っているように。
僕は三人の夫と共に、一人の妻を共有することに少しも不便を感じていない。他の三人もまた同様であろう。妻はこの四人の夫をいずれも過不足なしに愛している。僕はまだ日本にいた時、やはり三人の檀那と共に、一人の芸者を共有したことがあった。その芸者に比べれば、ダアワは何という女菩薩であろう。現に仏画師はダアワのことを蓮華夫人と渾名している。実際川ばたの枝垂れ柳の下に乳のみ児を抱いている妻の姿は円光を負っているといわなければならぬ。子供はもう六歳をかしらに、乳のみ児とも三人出来ている。勿論誰はどの夫を父にするなどということはない。第一の夫はお父さんと呼ばれ、僕等三人は同じように皆叔父さんと呼ばれている。
しかしダアワも女である。まだ一度も過ちを犯さなかったという訣ではない。もう今では二年ばかり前、珊瑚珠などを売る商人の手代と僕等を欺いていたこともある。それを発見した第一の夫はダアワの耳へはいらないように僕等に善後策を相談した。すると一番憤ったのは第二の夫の伍長である。彼は直ちに二人の鼻を削ぎ落してしまえと主張し出した。温厚なる君はこの言葉の残酷を咎めるのに違いない。が、鼻を削ぎ落すのはチベットの私刑の一つである。(たとえば文明国の新聞攻撃のように。)第三の夫の仏画師は、ただいかにも当惑したように涙を流しているばかりだった。僕はその時三人の夫に手代の鼻を削ぎ落した後、ダアワの処置は悔恨の情のいかんに任せるという提議をした。勿論誰もダアワの鼻を削ぎ落してしまいたいと思うものはない。第一の夫の行商人はたちまち僕の説に賛成した。仏画師は不幸なる手代の鼻にも多少の憐憫を感じていたらしい。しかし伍長を怒らせないためにやはり僕に同意を表した。伍長も――伍長はしばらく考えた揚げ句、太い息を一つすると「子供のためもあるものだから」と、しぶしぶ僕等に従うことにした。
僕等四人はその翌日、容易に手代を縛り上げた。それから伍長は僕等の代理に、僕の剃刀を受け取るなり、無造作に彼の鼻を削ぎ落した。手代は勿論悪態をついたり、伍長の手へ噛みついたり、悲鳴を挙げたりしたのに違いない。しかし鼻を削ぎ落した後、血止めの薬をつけてやった行商人や僕などには泣いて感謝したことも事実である。
賢明なる君はその後のこともおのずから推察出来るであろう。ダアワは爾来貞淑に僕等四人を愛している。僕等も、――それは言わないでも好い。現にきのうは伍長さえしみじみと僕にこう言っていた。――「今になって考えて見ると、ダアワの鼻を削ぎ落さなかったのは実際不幸中の幸福だったね。」
ちょうど今午睡から覚めたダアワは僕を散歩につれ出そうとしている。では万里の海彼にいる君の幸福を祈ると共に、一まずこの手紙も終ることにしよう。ラッサは今家々の庭に桃の花のまっ盛りである。きょうは幸い埃風も吹かない。僕等はこれから監獄の前へ、従兄妹同志結婚した不倫の男女の曝しものを見物に出かけるつもりである。……
(大正十三年三月) | 底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月5日公開
2004年3月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "000033",
"作品名": "第四の夫から",
"作品名読み": "だいよんのおっとから",
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"原題": "",
"初出": "「サンデー毎日」1924(大正13)年4月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"姓読み": "あくたがわ",
"名読み": "りゅうのすけ",
"姓読みソート用": "あくたかわ",
"名読みソート用": "りゆうのすけ",
"姓ローマ字": "Akutagawa",
"名ローマ字": "Ryunosuke",
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◇
滝田君に初めて会ったのは夏目先生のお宅だったであろう。が、生憎その時のことは何も記憶に残っていない。
滝田君の初めて僕の家へ来たのは僕の大学を出た年の秋、――僕の初めて「中央公論」へ「手巾」という小説を書いた時である。滝田君は僕にその小説のことを「ちょっと皮肉なものですな」といった。
それから滝田君は二三ヵ月おきに僕の家へ来るようになった。
◇
或年の春、僕は原稿の出来ぬことに少からず屈託していた。滝田君はその時僕のために谷崎潤一郎君の原稿を示し、(それは実際苦心の痕の歴々と見える原稿だった。)大いに僕を激励した。僕はこのために勇気を得てどうにかこうにか書き上げる事が出来た。
僕の方からはあまり滝田君を尋ねていない。いつも年末に催されるという滝田君の招宴にも一度席末に列しただけである。それは確震災の前年、――大正十一年の年末だったであろう。僕はその夜田山花袋、高島米峰、大町桂月の諸氏に初めてお目にかかることが出来た。
◇
僕は又滝田君の病中にも一度しか見舞うことが出来なかった。滝田君は昔夏目先生が「金太郎」とあだ名した滝田君とは別人かと思うほど憔悴していた。が、僕や僕と一しょに行った室生犀生君に画帖などを示し、相変らず元気に話をした。
滝田君に最後に会ったのは今年の初夏、丁度ドラマ・リイグの見物日に新橋演舞場へ行った時である。小康を得た滝田君は三人のお嬢さんたちと見物に来ていた。僕はその顔を眺めた時、思わず「ずいぶんやせましたね」といった。この言葉はもちろん滝田君に不快を与えたのに違いなかった。滝田君は僕と一しょにいた佐佐木茂索君を顧みながら、「芥川さんよりも痩せていますか?」といった。
◇
滝田君の訃に接したのは、十月二十七日の夕刻である。僕は室生犀生君と一しょに滝田君の家へ悔みに行った。滝田君は庭に面した座敷に北を枕に横たわっていた。死顔は前に会った時より昔の滝田君に近いものだった。僕はそのことを奥さんに話した。「これは水気が来ておりますから、……綿を含ませたせいもあるのでございましょう。」――奥さんは僕にこういった。
滝田君についてはこの外に語りたいこともない訳ではない。しかし匆卒の間にも語ることの出来るのはこれだけである。 | 底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社
1995(平成7)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店
1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月初版発行
入力:向井樹里
校正:門田裕志
2005年2月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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滝田君はいつも肥っていた。のみならずいつも赤い顔をしていた。夏目先生の滝田君を金太郎と呼ばれたのも当らぬことはない。しかしあの目の細い所などは寧ろ菊慈童にそっくりだった。
僕は大学に在学中、滝田君に初対面の挨拶をしてから、ざっと十年ばかりの間可也親密につき合っていた。滝田君に鮭鮓の御馳走になり、烈しい胃痙攣を起したこともある。又雲坪を論じ合った後、蘭竹を一幅貰ったこともある。実際あらゆる編輯者中、僕の最も懇意にしたのは正に滝田君に違いなかった。しかし僕はどういう訳か、未だ嘗て滝田君とお茶屋へ行ったことは一度もなかった。滝田君は恐らくは僕などは話せぬ人間と思っていたのであろう。
滝田君は熱心な編輯者だった。殊に作家を煽動して小説や戯曲を書かせることには独特の妙を具えていた。僕なども始終滝田君に僕の作品を褒められたり、或は又苦心の余になった先輩の作品を見せられたり、いろいろ鞭撻を受けた為にいつの間にかざっと百ばかりの短篇小説を書いてしまった。これは僕の滝田君に何よりも感謝したいと思うことである。
僕は又中央公論社から原稿料を前借する為に時々滝田君を煩わした。何でも始めに前借したのは十円前後の金だったであろう。僕はその金にも困った揚句、確か夜の八時頃に滝田君の旧宅を尋ねて行った。滝田君の旧居は西片町から菊坂へ下りる横町にあった。僕はこの家を尋ねたことは前後にたった一度しかない。が、未だに門内か庭かに何か白い草花の沢山咲いていたのを覚えている。
滝田君は本職の文芸の外にも書画や骨董を愛していた。僕は今人の作品の外にも、椿岳や雲坪の出来の善いものを幾つか滝田君に見せて貰った。勿論僕の見なかったものにもまだ逸品は多いであろう。が、僕の見た限りでは滝田コレクションは何と言っても今人の作品に優れていた。尤も僕の鑑賞眼は頗る滝田君には不評判だった。「どうも芥川さんの美術論は文学論ほど信用出来ないからなあ。」――滝田君はいつもこう言って僕のあき盲を嗤っていた。
滝田君が日本の文芸に貢献する所の多かったことは僕の贅するのを待たないであろう。しかし当代の文士を挙げて滝田君の世話になったと言うならば、それは故人に佞するとも、故人に信なる言葉ではあるまい。成程僕等年少の徒は度たび滝田君に厄介をかけた。けれども滝田君自身も亦恐らくは徳田秋声氏の如き、或は田山花袋氏の如き、僕等の先輩に負う所の少しもない訳ではなかったであろう。
僕は滝田君の訃を聞いた夜、室生君と一しょに悔みに行った。滝田君は所謂観魚亭に北を枕に横わっていた。僕はその顔を見た時に何とも言われぬ落莫を感じた。それは僕に親切だった友人の死んだ為と言うよりも、況や僕に寛大だった編輯者の死んだ為と言うよりも、寧ろ唯あの滝田君と言う、大きい情熱家の死んだ為だった。僕は中陰を過ごした今でも滝田君のことを思い出す度にまだこの落莫を感じている。滝田君ほど熱烈に生活した人は日本には滅多にいないのかも知れない。 | 底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社
1995(平成7)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店
1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月発行
入力:向井樹里
校正:砂場清隆
2007年2月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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たね子は夫の先輩に当るある実業家の令嬢の結婚披露式の通知を貰った時、ちょうど勤め先へ出かかった夫にこう熱心に話しかけた。
「あたしも出なければ悪いでしょうか?」
「それは悪いさ。」
夫はタイを結びながら、鏡の中のたね子に返事をした。もっともそれは箪笥の上に立てた鏡に映っていた関係上、たね子よりもむしろたね子の眉に返事をした――のに近いものだった。
「だって帝国ホテルでやるんでしょう?」
「帝国ホテル――か?」
「あら、御存知なかったの?」
「うん、……おい、チョッキ!」
たね子は急いでチョッキをとり上げ、もう一度この披露式の話をし出した。
「帝国ホテルじゃ洋食でしょう?」
「当り前なことを言っている。」
「それだからあたしは困ってしまう。」
「なぜ?」
「なぜって……あたしは洋食の食べかたを一度も教わったことはないんですもの。」
「誰でも教わったり何かするものか!……」
夫は上着をひっかけるが早いか、無造作に春の中折帽をかぶった。それからちょっと箪笥の上の披露式の通知に目を通し「何だ、四月の十六日じゃないか?」と言った。
「そりゃ十六日だって十七日だって……」
「だからさ、まだ三日もある。そのうちに稽古をしろと言うんだ。」
「じゃあなた、あしたの日曜にでもきっとどこかへつれて行って下さる!」
しかし夫は何とも言わずにさっさと会社へ出て行ってしまった。たね子は夫を見送りながら、ちょっと憂鬱にならずにはいられなかった。それは彼女の体の具合も手伝っていたことは確かだった。子供のない彼女はひとりになると、長火鉢の前の新聞をとり上げ、何かそう云う記事はないかと一々欄外へも目を通した。が、「今日の献立て」はあっても、洋食の食べかたなどと云うものはなかった。洋食の食べかたなどと云うものは?――彼女はふと女学校の教科書にそんなことも書いてあったように感じ、早速用箪笥の抽斗から古い家政読本を二冊出した。それ等の本はいつの間にか手ずれの痕さえ煤けていた。のみならずまた争われない過去の匂を放っていた。たね子は細い膝の上にそれ等の本を開いたまま、どう云う小説を読む時よりも一生懸命に目次を辿って行った。
「木綿及び麻織物洗濯。ハンケチ、前掛、足袋、食卓掛、ナプキン、レエス、……
「敷物。畳、絨毯、リノリウム、コオクカアペト……
「台所用具。陶磁器類、硝子器類、金銀製器具……」
一冊の本に失望したたね子はもう一冊の本を検べ出した。
「繃帯法。巻軸帯、繃帯巾、……
「出産。生児の衣服、産室、産具……
「収入及び支出。労銀、利子、企業所得……
「一家の管理。家風、主婦の心得、勤勉と節倹、交際、趣味、……」
たね子はがっかりして本を投げ出し、大きい樅の鏡台の前へ髪を結いに立って行った。が、洋食の食べかただけはどうしても気にかかってならなかった。……
その次の午後、夫はたね子の心配を見かね、わざわざ彼女を銀座の裏のあるレストオランへつれて行った。たね子はテエブルに向かいながら、まずそこには彼等以外に誰もいないのに安心した。しかしこの店もはやらないのかと思うと、夫のボオナスにも影響した不景気を感ぜずにはいられなかった。
「気の毒だわね、こんなにお客がなくっては。」
「常談言っちゃいけない。こっちはお客のない時間を選って来たんだ。」
それから夫はナイフやフォオクをとり上げ、洋食の食べかたを教え出した。それもまた実は必ずしも確かではないのに違いなかった。が、彼はアスパラガスに一々ナイフを入れながら、とにかくたね子を教えるのに彼の全智識を傾けていた。彼女も勿論熱心だった。しかし最後にオレンジだのバナナだのの出て来た時にはおのずからこう云う果物の値段を考えない訣には行かなかった。
彼等はこのレストオランをあとに銀座の裏を歩いて行った。夫はやっと義務を果した満足を感じているらしかった。が、たね子は心の中に何度もフォオクの使いかただのカッフェの飲みかただのと思い返していた。のみならず万一間違った時には――と云う病的な不安も感じていた。銀座の裏は静かだった。アスファルトの上へ落ちた日あしもやはり静かに春めかしかった。しかしたね子は夫の言葉に好い加減な返事を与えながら、遅れ勝ちに足を運んでいた。……
帝国ホテルの中へはいるのは勿論彼女には始めてだった。たね子は紋服を着た夫を前に狭い階段を登りながら、大谷石や煉瓦を用いた内部に何か無気味に近いものを感じた。のみならず壁を伝わって走る、大きい一匹の鼠さえ感じた。感じた?――それは実際「感じた」だった。彼女は夫の袂を引き、「あら、あなた、鼠が」と言った。が、夫はふり返ると、ちょっと当惑らしい表情を浮べ、「どこに?……気のせいだよ」と答えたばかりだった。たね子は夫にこう言われない前にも彼女の錯覚に気づいていた。しかし気づいていればいるだけますます彼女の神経にこだわらない訣には行かなかった。
彼等はテエブルの隅に坐り、ナイフやフォオクを動かし出した。たね子は角隠しをかけた花嫁にも時々目を注いでいた。が、それよりも気がかりだったのは勿論皿の上の料理だった。彼女はパンを口へ入れるのにも体中の神経の震えるのを感じた。ましてナイフを落した時には途方に暮れるよりほかはなかった。けれども晩餐は幸いにも徐ろに最後に近づいて行った。たね子は皿の上のサラドを見た時、「サラドのついたものの出て来た時には食事もおしまいになったと思え」と云う夫の言葉を思い出した。しかしやっとひと息ついたと思うと、今度は三鞭酒の杯を挙げて立ち上らなければならなかった。それはこの晩餐の中でも最も苦しい何分かだった。彼女は怯ず怯ず椅子を離れ、目八分に杯をさし上げたまま、いつか背骨さえ震え出したのを感じた。
彼等はある電車の終点から細い横町を曲って行った。夫はかなり酔っているらしかった。たね子は夫の足もとに気をつけながらはしゃぎ気味に何かと口を利いたりした。そのうちに彼等は電燈の明るい「食堂」の前へ通りかかった。そこにはシャツ一枚の男が一人「食堂」の女中とふざけながら、章魚を肴に酒を飲んでいた。それは勿論彼女の目にはちらりと見えたばかりだった。が、彼女はこの男を、――この無精髭を伸ばした男を軽蔑しない訣には行かなかった。同時にまた自然と彼の自由を羨まない訣にも行かなかった。この「食堂」を通り越した後はじきにしもた家ばかりになった。従ってあたりも暗くなりはじめた。たね子はこう云う夜の中に何か木の芽の匂うのを感じ、いつかしみじみと彼女の生まれた田舎のことを思い出していた。五十円の債券を二三枚買って「これでも不動産(!)が殖えたのだからね」などと得意になっていた母親のことも。……
次の日の朝、妙に元気のない顔をしたたね子はこう夫に話しかけた。夫はやはり鏡の前にタイを結んでいるところだった。
「あなた、けさの新聞を読んで?」
「うん。」
「本所かどこかのお弁当屋の娘の気違いになったと云う記事を読んで?」
「発狂した? 何で?」
夫はチョッキへ腕を通しながら、鏡の中のたね子へ目を移した。たね子と云うよりもたね子の眉へ。――
「職工か何かにキスされたからですって。」
「そんなことくらいでも発狂するものかな。」
「そりゃするわ。すると思ったわ。あたしもゆうべは怖い夢を見た。……」
「どんな夢を?――このタイはもう今年ぎりだね。」
「何か大へんな間違いをしてね、――何をしたのだかわからないのよ。何か大へんな間違いをして汽車の線路へとびこんだ夢なの。そこへ汽車が来たものだから、――」
「轢かれたと思ったら、目を醒ましたのだろう。」
夫はもう上衣をひっかけ、春の中折帽をかぶっていた。が、まだ鏡に向ったまま、タイの結びかたを気にしていた。
「いいえ、轢かれてしまってからも、夢の中ではちゃんと生きているの。ただ体は滅茶滅茶になって眉毛だけ線路に残っているのだけれども、……やっぱりこの二三日洋食の食べかたばかり気にしていたせいね。」
「そうかも知れない。」
たね子は夫を見送りながら、半ば独り言のように話しつづけた。
「もうゆうべ大しくじりをしたら、あたしでも何をしたかわからないのだから。」
しかし夫は何とも言わずにさっさと会社へ出て行ってしまった。たね子はやっとひとりになると、その日も長火鉢の前に坐り、急須の湯飲みについであった、ぬるい番茶を飲むことにした。が、彼女の心もちは何か落ち着きを失っていた。彼女の前にあった新聞は花盛りの上野の写真を入れていた。彼女はぼんやりこの写真を見ながら、もう一度番茶を飲もうとした。すると番茶はいつの間にか雲母に似たあぶらを浮かせていた。しかもそれは気のせいか、彼女の眉にそっくりだった。
「…………」
たね子は頬杖をついたまま、髪を結う元気さえ起らずにじっと番茶ばかり眺めていた。
(昭和二年三月二十八日) | 底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年2月3日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000164",
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〔八月〕二十七日
朝床の中でぐずついていたら、六時になった。何か夢を見たと思って考え出そうとしたが思いつかない。
起きて顔を洗って、にぎり飯を食って、書斎の机に向ったが、一向ものを書く気にもならない。そこで読みかけの本をよんだ。何だかへんな議論が綿々と書いてある。面倒臭くなったから、それもやめにして腹んばいになって、小説を読んだ。土左衛門になりかかった男の心もちを、多少空想的に誇張して、面白く書いてある。こいつは話せると思ったら、こないだから頭に持っている小説が、急に早く書きたくなった。
バルザックか、誰かが小説の構想をする事を「魔法の巻煙草を吸う」と形容した事がある。僕はそれから魔法の巻煙草とほんものの巻煙草とを、ちゃんぽんに吸った。そうしたらじきに午になった。
午飯を食ったら、更に気が重くなった。こう云う時に誰か来ればいいと思うが、生憎誰も来ない。そうかと云ってこっちから出向くのも厄介である。そこで仕方がないから、籐の枕をして、また小説を読んだ。そうして読みながら、いつか午睡をしてしまった。
眼がさめると、階下に大野さんが来ている。起きて顔を洗って、大野さんの所へ行って、骨相学の話を少しした。骨相学の起源は動物学の起源と関係があると云うような事を聞いている中にアリストテレスがどうとかと云うむずかしい話になったから、話の方は御免を蒙って、一つ僕の顔を見て貰う事にした。すると僕は、直覚力も推理力も甚円満に発達していると云うのだから大したものである。もっともこれは、あとで「動物性も大分あります。」とか何か云われたので、結局帳消しになってしまったらしい。
大野さんが帰ったあとで湯にはいって、飯を食って、それから十時頃まで、調べ物をした。
二十八日
涼しいから、こう云う日に出なければ出る日はないと思って、八時頃うちを飛び出した。動坂から電車に乗って、上野で乗換えて、序に琳琅閣へよって、古本をひやかして、やっと本郷の久米の所へ行った。すると南町へ行って、留守だと云うから本郷通りの古本屋を根気よく一軒一軒まわって歩いて、横文字の本を二三冊買って、それから南町へ行くつもりで三丁目から電車に乗った。
ところが電車に乗っている間に、また気が変ったから今度は須田町で乗換えて、丸善へ行った。行って見ると狆を引張った妙な異人の女が、ジェコブの小説はないかと云って、探している。その女の顔をどこかで見たようだと思ったら、四五日前に鎌倉で泳いでいるのを見かけたのである。あんな崔嵬たる段鼻は日本人にもめったにない。それでも小僧さんは、レディ・オヴ・ザ・バアジならございますとか何とか、丁寧に挨拶していた。大方この段鼻も涼しいので東京へ出て来たのだろう。
丸善に一時間ばかりいて、久しぶりで日吉町へ行ったら、清がたった一人で、留守番をしていた。入学試験はどうしたいと尋いて見たら、「ええ、まあ。」と云いながら、坊主頭を撫でて、にやにやしている。それから暇つぶしに清を相手にして、五目ならべをしたら、五番の中四番ともまかされた。
その中に皆帰って来たから、一しょに飯を食って、世間話をしていると、八重子が買いたての夏帯を、いいでしょうと云って見せに来た。面倒臭いから、「うんいいよ、いいよ。」と云っていると、わざわざしめていた帯をしめかえて、「ああしめにくい。」と顔をしかめている。「しめにくければ、買わなければいいのに。」と云ったら、すぐに「大きなお世話だわ。」とへこまされた。
日暮方に、南町へ電話をかけて置いて、帰ろうとしたら、清が「今夜皆で金春館へ行こうって云うんですがね。一しょに行きませんか。」と云った。八重子も是非一しょに行けと云う、これは僕が新橋の芸者なるものを見た事がないから、その序に見せてやろうと云う厚意なのだそうである。僕は八重子に、「お前と一しょに行くと、御夫婦だと思われるからいやだよ。」と云って外へ出た。そうしたら、うしろで「いやあだ。」と云う声と、猪口の糸底ほどの唇を、反らせて見せるらしいけはいがした。
外濠線へ乗って、さっき買った本をいい加減にあけて見ていたら、その中に春信論が出て来て、ワットオと比較した所が面白かったから、いい気になって読んでいると、うっかりしている間に、飯田橋の乗換えを乗越して新見附まで行ってしまった。車掌にそう云うのも業腹だから、下りて、万世橋行へ乗って、七時すぎにやっと満足に南町へ行った。
南町で晩飯の御馳走になって、久米と謎々論をやっていたら、たちまち九時になった。帰りに矢来から江戸川の終点へ出ると、明き地にアセチリン瓦斯をともして、催眠術の本を売っている男がある。そいつが中々踔厲風発しているから、面白がって前の方へ出て聞いていると、あなたを一つかけて上げましょうと云われたので、匇々退却した。こっちの興味に感ちがいをする人間ほど、人迷惑なものはない。
家へ帰ったら、留守に来た手紙の中に成瀬のがまじっている。紐育は暑いから、加奈陀へ行くと書いてある。それを読んでいると久しぶりで成瀬と一しょにあげ足のとりっくらでもしたくなった。
二十九日
朝から午少し前まで、仕事をしたら、へとへとになったから、飯を食って、水風呂へはいって、漫然と四角な字ばかり並んだ古本をあけて読んでいると、赤木桁平が、帷子の上に縞絽の羽織か何かひっかけてやって来た。
赤木は昔から李太白が贔屓で、将進酒にはウェルトシュメルツがあると云うような事を云う男だから、僕の読んでいる本に李太白の名がないと、大に僕を軽蔑した。そこで僕も黙っていると負けた事にされるから暑いのを我慢して、少し議論をした。どうせ暇つぶしにやる議論だから勝っても負けても、どちらでも差支えない。その中に赤木は、「一体支那人は本へ朱で圏点をつけるのが皆うまい。日本人にやとてもああ円くは出来ないから、不思議だ。」と、つまらない事を感心し出した。朱でまるを描くくらいなら、己だって出来ると思ったが、うっかりそんな事を云うと、すぐ「じゃ、やって見ろ。」ぐらいな事になり兼ねないから、「成程そうかね。」とまず敬して遠ざけて置いた。
日の暮れ方に、二人で湯にはいって、それから、自笑軒へ飯を食いに行った。僕はそこで一杯の酒を持ちあつかいながら、赤木に大倉喜八郎と云う男が作った小唄の話をしてやった。何がどうとかしてござりんすと云う、大へんな小唄である。文句も話した時は覚えていたが、もうすっかり忘れてしまった。赤木は、これも二三杯の酒で赤くなって、へええ、聞けば聞くほど愚劣だねと、大にその作者を罵倒していた。
かえりに、女中が妙な行燈に火を入れて、門まで送って来たら、その行燈に白い蛾が何匹もとんで来た。それが甚、うつくしかった。
外へ出たら、このまま家へかえるのが惜しいような気がしたから、二人で電車へ乗って、桜木町の赤木の家へ行った。見ると石の門があって、中に大きな松の木があって、赤木には少し勿体ないような家だから、おい家賃はいくらすると訊いて見たが、なに存外安いよとか何とか、大に金のありそうな事を云ってすましている。それから、籐椅子に尻を据えて、勝手な気焔をあげていると、奥さんが三つ指で挨拶に出て来られたのには、少からず恐縮した。
すると、向うの家の二階で、何だか楽器を弾き出した。始はマンドリンかと思ったが、中ごろから、赤木があれは琴だと道破した。僕は琴にしたくなかったから、いや二絃琴だよと異を樹てた。しばらくは琴だ二絃琴だと云って、喧嘩していたが、その中に楽器の音がぴったりしなくなった。今になって考えて見ると、どうもあれはこっちの議論が、向うの人に聞えたのに相違ない。そう思うと、僕はいいが、赤木は向う同志と云う関係上、もっと恐縮して然るべき筈である。
帰りに池の端から電車へ乗ったら、左の奥歯が少し痛み出した。舌をやってみると、ぐらぐら動くやつが一本ある。どうも赤木の雄弁に少し祟られたらしい。
三十日
朝起きたら、歯の痛みが昨夜よりひどくなった。鏡に向って見ると、左の頬が大分腫れている。いびつになった顔は、確にあまり体裁の好いものじゃない。そこで右の頬をふくらせたら、平均がとれるだろうと思って、そっちへ舌をやって見たが、やっぱり顔は左の方へゆがんでいる。少くとも今日一日、こんな顔をしているのかと思ったら、甚不平な気がして来た。
ところが飯を食って、本郷の歯医者へ行ったら、いきなり奥歯を一本ぬかれたのには驚いた。聞いて見ると、この歯医者の先生は、いまだかつて歯痛の経験がないのだそうである。それでなければ、とてもこんなに顔のゆがんでいる僕をつかまえて辣腕をふるえる筈がない。
かえりに区役所前の古道具屋で、青磁の香炉を一つ見つけて、いくらだと云ったら、色眼鏡をかけた亭主が開闢以来のふくれっ面をして、こちらは十円と云った。誰がそんなふくれっ面の香炉を買うものか。
それから広小路で、煙草と桃とを買ってうちへ帰った。歯の痛みは、それでも前とほとんど変りがない。
午飯の代りに、アイスクリイムと桃とを食って、二階へ床をとらせて、横になった。どうも気分がよくないから、検温器を入れて見ると、熱が八度ばかりある。そこで枕を氷枕に換えて、上からもう一つ氷嚢をぶら下げさせた。
すると二時頃になって、藤岡蔵六が遊びに来た。到底起きる気がしないから、横になったまま、いろいろ話していると、彼が三分ばかりのびた髭の先をつまみながら、僕は明日か明後日御嶽へ論文を書きに行くよと云った。どうせ蔵六の事だから僕がよんだってわかるようなものは書くまいと思って、またカントかとか何とかひやかしたら、そんなものじゃないと答えた。それから、じゃデカルトだろう。君はデカルトが船の中で泥棒に遇った話を知っているかと、自分でも訳のわからない事をえらそうにしゃべったら、そんな事は知らないさと、あべこべに軽蔑された。大方僕が熱に浮かされているとでも思ったのだろう。このあとで僕の写真を見せたら、一体君の顔は三角定規を倒にしたような顔だのに、こう髪の毛を長くしちゃ、いよいよエステティッシュな趣を損うよ。と、入らざる忠告を聞かされた。
蔵六が帰った後で夕飯に粥を食ったが、更にうまくなかった。体中がいやにだるくって、本を読んでも欠伸ばかり出る。その中にいつか、うとうと眠ってしまった。
眼がさめて見ると、知らない間に、蚊帳が釣ってあった。そうして、それにあけて置いた窓から月がさしていた。無論電燈もちゃんと消してある。僕は氷枕の位置を直しながら、蚊帳ごしに明るい空を見た。そうしたらこの三年ばかり逢った事のない人の事が頭に浮んだ。どこか遠い所へ行っておそらくは幸福にくらしている人の事である。
僕は起きて、戸をしめて電燈をつけて、眠くなるまで枕もとの本を読んだ。
(大正六年) | 底本:「芥川龍之介全集8」ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年8月29日第1刷発行
1998(平成10)年2月17日第3刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」
1971(昭和46)年3月~11月刊行
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2007年7月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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自分が中学の四年生だった時の話である。
その年の秋、日光から足尾へかけて、三泊の修学旅行があった。「午前六時三十分上野停車場前集合、同五十分発車……」こう云う箇条が、学校から渡す謄写版の刷物に書いてある。
当日になると自分は、碌に朝飯も食わずに家をとび出した。電車でゆけば停車場まで二十分とはかからない。――そう思いながらも、何となく心がせく。停車場の赤い柱の前に立って、電車を待っているうちも、気が気でない。
生憎、空は曇っている。方々の工場で鳴らす汽笛の音が、鼠色の水蒸気をふるわせたら、それが皆霧雨になって、降って来はしないかとも思われる。その退屈な空の下で、高架鉄道を汽車が通る。被服廠へ通う荷馬車が通る。店の戸が一つずつ開く。自分のいる停車場にも、もう二三人、人が立った。それが皆、眠の足りなそうな顔を、陰気らしく片づけている。寒い。――そこへ割引の電車が来た。
こみ合っている中を、やっと吊皮にぶらさがると、誰か後から、自分の肩をたたく者がある。自分は慌ててふり向いた。
「お早う。」
見ると、能勢五十雄であった。やはり、自分のように、紺のヘルの制服を着て、外套を巻いて左の肩からかけて、麻のゲエトルをはいて、腰に弁当の包やら水筒やらをぶらさげている。
能勢は、自分と同じ小学校を出て、同じ中学校へはいった男である。これと云って、得意な学科もなかったが、その代りに、これと云って、不得意なものもない。その癖、ちょいとした事には、器用な性質で、流行唄と云うようなものは、一度聞くと、すぐに節を覚えてしまう。そうして、修学旅行で宿屋へでも泊る晩なぞには、それを得意になって披露する。詩吟、薩摩琵琶、落語、講談、声色、手品、何でも出来た。その上また、身ぶりとか、顔つきとかで、人を笑わせるのに独特な妙を得ている。従って級の気うけも、教員間の評判も悪くはない。もっとも自分とは、互に往来はしていながら、さして親しいと云う間柄でもなかった。
「早いね、君も。」
「僕はいつも早いさ。」能勢はこう云いながら、ちょいと小鼻をうごめかした。
「でもこの間は遅刻したぜ。」
「この間?」
「国語の時間にさ。」
「ああ、馬場に叱られた時か。あいつは弘法にも筆のあやまりさ。」能勢は、教員の名前をよびすてにする癖があった。
「あの先生には、僕も叱られた。」
「遅刻で?」
「いいえ、本を忘れて。」
「仁丹は、いやにやかましいからな。」「仁丹」と云うのは、能勢が馬場教諭につけた渾名である。――こんな話をしている中に、停車場前へ来た。
乗った時と同じように、こみあっている中をやっと電車から下りて停車場へはいると、時刻が早いので、まだ級の連中は二三人しか集っていない。互に「お早う」の挨拶を交換する。先を争って、待合室の木のベンチに、腰をかける。それから、いつものように、勢よく饒舌り出した。皆「僕」と云う代りに、「己」と云うのを得意にする年輩である。その自ら「己」と称する連中の口から、旅行の予想、生徒同志の品隲、教員の悪評などが盛んに出た。
「泉はちゃくいぜ、あいつは教員用のチョイスを持っているもんだから、一度も下読みなんぞした事はないんだとさ。」
「平野はもっとちゃくいぜ。あいつは試験の時と云うと、歴史の年代をみな爪へ書いて行くんだって。」
「そう云えば先生だってちゃくいからな。」
「ちゃくいとも。本間なんぞは receive のiとeと、どっちが先へ来るんだか、それさえ碌に知らない癖に、教師用でいい加減にごま化しごま化し、教えているじゃあないか。」
どこまでも、ちゃくいで持ちきるばかりで一つも、碌な噂は出ない。すると、その中に能勢が、自分の隣のベンチに腰をかけて、新聞を読んでいた、職人らしい男の靴を、パッキンレイだと批評した。これは当時、マッキンレイと云う新形の靴が流行ったのに、この男の靴は、一体に光沢を失って、その上先の方がぱっくり口を開いていたからである。
「パッキンレイはよかった。」こう云って、皆一時に、失笑した。
それから、自分たちは、いい気になって、この待合室に出入するいろいろな人間を物色しはじめた。そうして一々、それに、東京の中学生でなければ云えないような、生意気な悪口を加え出した。そう云う事にかけて、ひけをとるような、おとなしい生徒は、自分たちの中に一人もいない。中でも能勢の形容が、一番辛辣で、かつ一番諧謔に富んでいた。
「能勢、能勢、あのお上さんを見ろよ。」
「あいつは河豚が孕んだような顔をしているぜ。」
「こっちの赤帽も、何かに似ているぜ。ねえ能勢。」
「あいつはカロロ五世さ。」
しまいには、能勢が一人で、悪口を云う役目をひきうけるような事になった。
すると、その時、自分たちの一人は、時間表の前に立って、細い数字をしらべている妙な男を発見した。その男は羊羹色の背広を着て、体操に使う球竿のような細い脚を、鼠の粗い縞のズボンに通している。縁の広い昔風の黒い中折れの下から、半白の毛がはみ出している所を見ると、もうかなりな年配らしい。その癖頸のまわりには、白と黒と格子縞の派手なハンケチをまきつけて、鞭かと思うような、寒竹の長い杖をちょいと脇の下へはさんでいる。服装と云い、態度と云い、すべてが、パンチの挿絵を切抜いて、そのままそれを、この停車場の人ごみの中へ、立たせたとしか思われない。――自分たちの一人は、また新しく悪口の材料が出来たのをよろこぶように、肩でおかしそうに笑いながら、能勢の手をひっぱって、
「おい、あいつはどうだい。」とこう云った。
そこで、自分たちは、皆その妙な男を見た。男は少し反り身になりながら、チョッキのポケットから、紫の打紐のついた大きなニッケルの懐中時計を出して、丹念にそれと時間表の数字とを見くらべている。横顔だけ見て、自分はすぐに、それが能勢の父親だと云う事を知った。
しかし、そこにいた自分たちの連中には、一人もそれを知っている者がない。だから皆、能勢の口から、この滑稽な人物を、適当に形容する語を聞こうとして、聞いた後の笑いを用意しながら、面白そうに能勢の顔をながめていた。中学の四年生には、その時の能勢の心もちを推測する明がない。自分は危く「あれは能勢の父だぜ。」と云おうとした。
するとその時、
「あいつかい。あいつはロンドン乞食さ。」
こう云う能勢の声がした。皆が一時にふき出したのは、云うまでもない。中にはわざわざ反り身になって、懐中時計を出しながら、能勢の父親の姿を真似て見る者さえある。自分は、思わず下を向いた。その時の能勢の顔を見るだけの勇気が、自分には欠けていたからである。
「そいつは適評だな。」
「見ろ。見ろ。あの帽子を。」
「日かげ町か。」
「日かげ町にだってあるものか。」
「じゃあ博物館だ。」
皆がまた、面白そうに笑った。
曇天の停車場は、日の暮のようにうす暗い。自分は、そのうす暗い中で、そっとそのロンドン乞食の方をすかして見た。
すると、いつの間にか、うす日がさし始めたと見えて、幅の狭い光の帯が高い天井の明り取りから、茫と斜めにさしている。能勢の父親は、丁度その光の帯の中にいた。――周囲では、すべての物が動いている。眼のとどく所でも、とどかない所でも動いている。そうしてまたその運動が、声とも音ともつかないものになって、この大きな建物の中を霧のように蔽っている。しかし能勢の父親だけは動かない。この現代と縁のない洋服を着た、この現代と縁のない老人は、めまぐるしく動く人間の洪水の中に、これもやはり現代を超越した、黒の中折をあみだにかぶって、紫の打紐のついた懐中時計を右の掌の上にのせながら、依然としてポンプの如く時間表の前に佇立しているのである……
あとで、それとなく聞くと、その頃大学の薬局に通っていた能勢の父親は、能勢が自分たちと一しょに修学旅行に行く所を、出勤の途すがら見ようと思って、自分の子には知らせずに、わざわざ停車場へ来たのだそうである。
能勢五十雄は、中学を卒業すると間もなく、肺結核に罹って、物故した。その追悼式を、中学の図書室で挙げた時、制帽をかぶった能勢の写真の前で悼辞を読んだのは、自分である。「君、父母に孝に、」――自分はその悼辞の中に、こう云う句を入れた。
(大正五年三月) | 底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年11月11日公開
2004年3月10日修正
青空文庫作成ファイル:
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一 前島林右衛門
板倉修理は、病後の疲労が稍恢復すると同時に、はげしい神経衰弱に襲われた。――
肩がはる。頭痛がする。日頃好んでする書見にさえ、身がはいらない。廊下を通る人の足音とか、家中の者の話声とかが聞えただけで、すぐ注意が擾されてしまう。それがだんだん嵩じて来ると、今度は極些細な刺戟からも、絶えず神経を虐まれるような姿になった。
第一、莨盆の蒔絵などが、黒地に金の唐草を這わせていると、その細い蔓や葉がどうも気になって仕方がない。そのほか象牙の箸とか、青銅の火箸とか云う先の尖った物を見ても、やはり不安になって来る。しまいには、畳の縁の交叉した角や、天井の四隅までが、丁度刃物を見つめている時のような切ない神経の緊張を、感じさせるようになった。
修理は、止むを得ず、毎日陰気な顔をして、じっと居間にいすくまっていた。何をどうするのも苦しい。出来る事なら、このまま存在の意識もなくなしてしまいたいと思う事が、度々ある。が、それは、ささくれた神経の方で、許さない。彼は、蟻地獄に落ちた蟻のような、いら立たしい心で、彼の周囲を見まわした。しかも、そこにあるのは、彼の心もちに何の理解もない、徒に万一を惧れている「譜代の臣」ばかりである。「己は苦しんでいる。が、誰も己の苦しみを察してくれるものがない。」――そう思う事が、既に彼には一倍の苦痛であった。
修理の神経衰弱は、この周囲の無理解のために、一層昂進の度を早めたらしい。彼は、事毎に興奮した。隣屋敷まで聞えそうな声で、わめき立てた事も一再ではない。刀架の刀に手のかかった事も、度々ある。そう云う時の彼はほとんど誰の眼にも、別人のようになってしまう。ふだん黄いろく肉の落ちた顔が、どこと云う事なく痙攣して眼の色まで妙に殺気立って来る。そうして、発作が甚しくなると、必ず左右の鬢の毛を、ふるえる両手で、かきむしり始める。――近習の者は、皆この鬢をむしるのを、彼の逆上した索引にした。そう云う時には、互に警め合って、誰も彼の側へ近づくものがない。
発狂――こう云う怖れは、修理自身にもあった。周囲が、それを感じていたのは云うまでもない。修理は勿論、この周囲の持っている怖れには反感を抱いている。しかし彼自身の感ずる怖れには、始めから反抗のしようがない。彼は、発作が止んで、前よりも一層幽鬱な心が重く頭を圧して来ると、時としてこの怖れが、稲妻のように、己を脅かすのを意識した。そうして、同時にまた、そう云う怖れを抱くことが、既に発狂の予告のような、不吉な不安にさえ、襲われた。「発狂したらどうする。」
――そう思うと、彼は、俄に眼の前が、暗くなるような心もちがした。
勿論この怖れは、一方絶えず、外界の刺戟から来るいら立たしさに、かき消された。が、そのいら立たしさがまた、他方では、ややもすると、この怖れを眼ざめさせた。――云わば、修理の心は、自分の尾を追いかける猫のように、休みなく、不安から不安へと、廻転していたのである。
―――――――――――――――――――――――――
修理のこの逆上は、少からず一家中の憂慮する所となった。中でも、これがために最も心を労したのは、家老の前島林右衛門である。
林右衛門は、家老と云っても、実は本家の板倉式部から、附人として来ているので、修理も彼には、日頃から一目置いていた。これはほとんど病苦と云うものの経験のない、赭ら顔の大男で、文武の両道に秀でている点では、家中の侍で、彼の右に出るものは、幾人もない。そう云う関係上、彼はこれまで、始終修理に対して、意見番の役を勤めていた。彼が「板倉家の大久保彦左」などと呼ばれていたのも、完くこの忠諫を進める所から来た渾名である。
林右衛門は、修理の逆上が眼に見えて、進み出して以来、夜の目も寝ないくらい、主家のために、心を煩わした。――既に病気が本復した以上、修理は近日中に病緩の御礼として、登城しなければならない筈である。所が、この逆上では、登城の際、附合の諸大名、座席同列の旗本仲間へ、どんな無礼を働くか知れたものではない。万一それから刃傷沙汰にでもなった日には、板倉家七千石は、そのまま「お取りつぶし」になってしまう。殷鑑は遠からず、堀田稲葉の喧嘩にあるではないか。
林右衛門は、こう思うと、居ても立っても、いられないような心もちがした。しかし彼に云わせると、逆上は「体の病」ではない。全く「心の病」である――彼はそこで、放肆を諫めたり、奢侈を諫めたりするのと同じように、敢然として、修理の神経衰弱を諫めようとした。
だから、林右衛門は、爾来、機会さえあれば修理に苦諫を進めた。が、修理の逆上は、少しも鎮まるけはいがない。寧ろ、諫めれば諫めるほど、焦れれば焦れるほど、眼に見えて、進んで来る。現に一度などは、危く林右衛門を手討ちにさえ、しようとした。「主を主とも思わぬ奴じゃ。本家の手前さえなくば、切ってすてようものを。」――そう云う修理の眼の中にあったものは、既に怒りばかりではない。林右衛門は、そこに、また消し難い憎しみの色をも、読んだのである。
その中に、主従の間に纏綿する感情は、林右衛門の重ねる苦諫に従って、いつとなく荒んで来た。と云うのは、独り修理が林右衛門を憎むようになったと云うばかりではない。林右衛門の心にもまた、知らず知らず、修理に対する憎しみが、芽をふいて来た事を云うのである。勿論、彼は、この憎しみを意識してはいなかった。少くとも、最後の一刻を除いて、修理に対する彼の忠心は、終始変らないものと信じていた。「君君為らざれば、臣臣為らず」――これは孟子の「道」だったばかりではない。その後には、人間の自然の「道」がある。しかし、林右衛門は、それを認めようとしなかった。……
彼は、飽くまでも、臣節を尽そうとした。が、苦諫の効がない事は、既に苦い経験を嘗めている。そこで、彼は、今まで胸中に秘していた、最後の手段に訴える覚悟をした。最後の手段と云うのは、ほかでもない。修理を押込め隠居にして、板倉一族の中から養子をむかえようと云うのである。――
何よりもまず、「家」である。(林右衛門はこう思った。)当主は「家」の前に、犠牲にしなければならない。ことに、板倉本家は、乃祖板倉四郎左衛門勝重以来、未嘗、瑕瑾を受けた事のない名家である。二代又左衛門重宗が、父の跡をうけて、所司代として令聞があったのは、数えるまでもない。その弟の主水重昌は、慶長十九年大阪冬の陣の和が媾ぜられた時に、判元見届の重任を辱くしたのを始めとして、寛永十四年島原の乱に際しては西国の軍に将として、将軍家御名代の旗を、天草征伐の陣中に飜した。その名家に、万一汚辱を蒙らせるような事があったならば、どうしよう。臣子の分として、九原の下、板倉家累代の父祖に見ゆべき顔は、どこにもない。
こう思った林右衛門は、私に一族の中を物色した。すると幸い、当時若年寄を勤めている板倉佐渡守には、部屋住の子息が三人ある。その子息の一人を跡目にして、養子願さえすれば、公辺の首尾は、どうにでもなろう。もっともこれは、事件の性質上修理や修理の内室には、密々で行わなければならない。彼は、ここまで思案をめぐらした時に、始めて、明るみへ出たような心もちがした。そうして、それと同時に今までに覚えなかったある悲しみが、おのずからその心もちを曇らせようとするのが、感じられた。「皆御家のためじゃ。」――そう云う彼の決心の中には、彼自身朧げにしか意識しない、何ものかを弁護しようとするある努力が、月の暈のようにそれとなく、つきまとっていたからである。
―――――――――――――――――――――――――
病弱な修理は、第一に、林右衛門の頑健な体を憎んだ。それから、本家の附人として、彼が陰に持っている権柄を憎んだ。最後に、彼の「家」を中心とする忠義を憎んだ。「主を主とも思わぬ奴じゃ。」――こう云う修理の語の中には、これらの憎しみが、燻りながら燃える火のように、暗い焔を蔵していたのである。
そこへ、突然、思いがけない非謀が、内室の口によって伝えられた。林右衛門は修理を押込め隠居にして、板倉佐渡守の子息を養子に迎えようとする。それが、偶然、内室の耳へ洩れた。――これを聞いた修理が、眦を裂いて憤ったのは無理もない。
成程、林右衛門は、板倉家を大事に思うかも知れない。が、忠義と云うものは現在仕えている主人を蔑にしてまでも、「家」のためを計るべきものであろうか。しかも、林右衛門の「家」を憂えるのは、杞憂と云えば杞憂である。彼はその杞憂のために、自分を押込め隠居にしようとした。あるいはその物々しい忠義呼わりの後に、あわよくば、家を横領しようとする野心でもあるのかも知れない。――そう思うと修理は、どんな酷刑でも、この不臣の行を罰するには、軽すぎるように思われた。
彼は、内室からこの話を聞くと、すぐに、以前彼の乳人を勤めていた、田中宇左衛門という老人を呼んで、こう言った。
「林右衛門めを縛り首にせい。」
宇左衛門は、半白の頭を傾けた。年よりもふけた、彼の顔は、この頃の心労で一層皺を増している。――林右衛門の企ては、彼も快くは思っていない。が、何と云っても相手は本家からの附人である。
「縛り首は穏便でございますまい。武士らしく切腹でも申しつけまするならば、格別でございますが。」
修理はこれを聞くと、嘲笑うような眼で、宇左衛門を見た。そうして、二三度強く頭を振った。
「いや人でなし奴に、切腹を申しつける廉はない。縛り首にせい。縛り首にじゃ。」
が、そう云いながら、どうしたのか、彼は、血の色のない頬へ、はらはらと涙を落した。そうして、それから――いつものように両手で、鬢の毛をかきむしり始めた。
―――――――――――――――――――――――――
縛り首にしろと云う命が出た事は、直に腹心の近習から、林右衛門に伝えられた。
「よいわ。この上は、林右衛門も意地ずくじゃ。手を拱いて縛り首もうたれまい。」
彼は昂然として、こう云った。そうして、今まで彼につきまとっていた得体の知れない不安が、この沙汰を聞くと同時に、跡方なく消えてしまうのを意識した。今の彼の心にあるものは、修理に対するあからさまな憎しみである。もう修理は、彼にとって、主人ではない。その修理を憎むのに、何の憚る所があろう。――彼の心の明るくなったのは、無意識ながら、全く彼がこう云う論理を、刹那の間に認めたからである。
そこで、彼は、妻子家来を引き具して、白昼、修理の屋敷を立ち退いた。作法通り、立ち退き先の所書きは、座敷の壁に貼ってある。槍も、林右衛門自ら、小腋にして、先に立った。武具を担ったり、足弱を扶けたりしている若党草履取を加えても、一行の人数は、漸く十人にすぎない。それが、とり乱した気色もなく、つれ立って、門を出た。
延享四年三月の末である。門の外では、生暖い風が、桜の花と砂埃とを、一つに武者窓へふきつけている。林右衛門は、その風の中に立って、もう一応、往来の右左を見廻した。そうして、それから槍で、一同に左へ行けと相図をした。
二 田中宇左衛門
林右衛門の立ち退いた後は、田中宇左衛門が代って、家老を勤めた。彼は乳人をしていた関係上、修理を見る眼が、自らほかの家来とはちがっている。彼は親のような心もちで、修理の逆上をいたわった。修理もまた、彼にだけは、比較的従順に振舞ったらしい。そこで、主従の関係は、林右衛門のいた時から見ると、遥に滑になって来た。
宇左衛門は、修理の発作が、夏が来ると共に、漸く怠り出したのを喜んだ。彼も万一修理が殿中で無礼を働きはしないかと云う事を、惧れない訳ではない。が、林右衛門は、それを「家」に関る大事として、惧れた。併し、彼は、それを「主」に関る大事として惧れたのである。
勿論、「家」と云う事も、彼の念頭には上っていた。が、変があるにしてもそれは単に、「家」を亡すが故に、大事なのではない。「主」をして、「家」を亡さしむるが故に――「主」をして、不孝の名を負わしむるが故に、大事なのである。では、その大事を未然に防ぐには、どうしたら、いいであろうか。この点になると、宇左衛門は林右衛門ほど明瞭な、意見を持っていないようであった。恐らく彼は、神明の加護と自分の赤誠とで、修理の逆上の鎮まるように祈るよりほかは、なかったのであろう。
その年の八月一日、徳川幕府では、所謂八朔の儀式を行う日に、修理は病後初めての出仕をした。そうして、その序に、当時西丸にいた、若年寄の板倉佐渡守を訪うて、帰宅した。が、別に殿中では、何も粗匇をしなかったらしい。宇左衛門は、始めて、愁眉を開く事が出来るような心もちがした。
しかし、彼の悦びは、その日一日だけも、続かなかった。夜になると間もなく、板倉佐渡守から急な使があって、早速来るようにと云う沙汰が、凶兆のように彼を脅したからである。夜陰に及んで、突然召しを受ける。――そう云う事は、林右衛門の代から、まだ一度も聞いた事がない。しかも今日は、初めて修理が登城をした日である。――宇左衛門は、不吉な予感に襲われながら、慌しく佐渡守の屋敷へ参候した。
すると、果して、修理が佐渡守に無礼の振舞があったと云う話である。――今日出仕を終ってから、修理は、白帷子に長上下のままで、西丸の佐渡守を訪れた。見た所、顔色もすぐれないようだから、あるいはまだ快癒がはかばかしくないのかと思ったが、話して見ると、格別、病人らしい容子もない。そこで安心して、暫く世間話をしている中に、偶然、佐渡守が、いつものように前島林右衛門の安否を訊ねた。すると、修理は急に額を暗くして、「林右衛門めは、先頃、手前屋敷を駈落ち致してござる。」と云う。林右衛門が、どう云う人間かと云う事は、佐渡守もよく知っている。何か仔細がなくては、妄に主家を駈落ちなどする男ではない。こう思ったから、佐渡守は、その仔細を尋ねると同時に、本家からの附人にどう云う間違いが起っても、親類中へ相談なり、知らせなりしないのは、穏でない旨を忠告した。ところが、修理は、これを聞くと、眼の色を変えながら、刀の柄へ手をかけて、「佐渡守殿は、別して、林右衛門めを贔屓にせられるようでござるが、手前家来の仕置は、不肖ながら手前一存で取計らい申す。如何に当時出頭の若年寄でも、いらぬ世話はお置きなされい。」と云う口上である。そこでさすがの佐渡守も、あまりの事に呆れ返って、御用繁多を幸に、早速その場を外してしまった。――
「よいか。」ここまで話して来て、佐渡守は、今更のように、苦い顔をした。
――第一に、林右衛門の立ち退いた趣を、一門衆へ通達しないのは、宇左衛門の罪である。第二に、まだ逆上の気味のある修理を、登城させたのも、やはり彼の責を免れない。佐渡守だったから、いいが、もし今日のような雑言を、列座の大名衆にでも云ったとしたら、板倉家七千石は、忽ち、改易になってしまう。――
「そこでじゃ。今後は必ずとも、他出無用に致すように、別して、出仕登城の儀は、その方より、堅くさし止むるがよい。」
佐渡守は、こう云って、じろりと宇左衛門を見た。
「唯だ主につれて、その方まで逆上しそうなのが、心配じゃ。よいか。きっと申しつけたぞ。」
宇左衛門は眉をひそめながら、思切った声で答えた。
「よろしゅうござりまする、しかと向後は慎むでございましょう。」
「おお、二度と過をせぬのが、何よりじゃ。」
佐渡守は、吐き出すように、こう云った。
「その儀は、宇左衛門、一命にかけて、承知仕りました。」
彼は、眼に涙をためながら懇願するように、佐渡守を見た。が、その眼の中には、哀憐を請う情と共に、犯し難い決心の色が、浮んでいる。――必ず修理の他出を、禁ずる事が出来ると云う決心ではない。禁ずる事が出来なかったら、どうすると云う、決心である。
佐渡守は、これを見ると、また顔をしかめながら、面倒臭そうに、横を向いた。
―――――――――――――――――――――――――
「主」の意に従えば、「家」が危い。「家」を立てようとすれば、「主」の意に悖る事になる。嘗は、林右衛門も、この苦境に陥っていた。が、彼には「家」のために「主」を捨てる勇気がある。と云うよりは、むしろ、始からそれほど「主」を大事に思っていない。だから、彼は、容易く、「家」のために「主」を犠牲にした。
しかし、自分には、それが出来ない。自分は、「家」の利害だけを計るには、余りに「主」に親しみすぎている。「家」のために、ただ、「家」と云う名のために、どうして、現在の「主」を無理に隠居などさせられよう。自分の眼から見れば、今の修理も、破魔弓こそ持たないものの、幼少の修理と変りがない。自分が絵解きをした絵本、自分が手をとって習わせた難波津の歌、それから、自分が尾をつけた紙鳶――そう云う物も、まざまざと、自分の記憶に残っている。……
そうかと云って、「主」をそのままにして置けば、独り「家」が亡びるだけではない。「主」自身にも凶事が起りそうである。利害の打算から云えば、林右衛門のとった策は、唯一の、そうしてまた、最も賢明なものに相違ない。自分も、それは認めている。その癖、それが、自分には、どうしても実行する事が出来ないのである。
遠くで稲妻のする空の下を、修理の屋敷へ帰りながら、宇左衛門は悄然と腕を組んで、こんな事を何度となく胸の中で繰り返えした。
―――――――――――――――――――――――――
修理は、翌日、宇左衛門から、佐渡守の云い渡した一部始終を聞くと、忽ち顔を曇らせた。が、それぎりで、格別いつものように、とり上せる気色もない。宇左衛門は、気づかいながら、幾分か安堵して、その日はそのまま、下って来た。
それから、かれこれ十日ばかりの間、修理は、居間にとじこもって、毎日ぼんやり考え事に耽っていた。宇左衛門の顔を見ても、口を利かない。いや、ただ一度、小雨のふる日に、時鳥の啼く声を聞いて、「あれは鶯の巣をぬすむそうじゃな。」とつぶやいた事がある。その時でさえ、宇左衛門が、それを潮に、話しかけたが、彼は、また黙って、うす暗い空へ眼をやってしまった。そのほかは、勿論、唖のように口をつぐんで、じっと襖障子を見つめている。顔には、何の感情も浮んでいない。
所が、ある夜、十五日の総出仕が二三日の中に迫った時の事である。修理は突然宇左衛門をよびよせて、人払いの上、陰気な顔をしながら、こんな事を云った。
「先達、佐渡殿も云われた通り、この病体では、とても御奉公は覚束ないようじゃ。ついては、身共もいっそ隠居しようかと思う。」
宇左衛門は、ためらった。これが本心なら、元よりこれに越した事はないが、どうして、修理はそれほど容易に、家督を譲る気になれたのであろう。――
「御尤もでございます。佐渡守様もあのように、仰せられますからは、残念ながら、そうなさるよりほかはございますまい。が、まず一応は、御一門衆へも……」
「いや、いや、隠居の儀なら、林右衛門の成敗とは変って、相談せずとも、一門衆は同意の筈じゃ。」
修理、こう云って、苦々しげに、微笑した。
「さようでもございますまい。」
宇左衛門は、傷しそうな顔をして、修理を見た。が、相手は、さらに耳へ入れる容子もない。
「さて、隠居すれば、出仕しようと思うても出仕する事は出来ぬ。されば、」修理はじっと宇左衛門の顔を見ながら、一句一句、重みを量るように、「その前に、今一度出仕して、西丸の大御所様(吉宗)へ、御目通りがしたい。どうじゃ。十五日に、登城させてはくれまいか。」
宇左衛門は、黙って、眉をひそめた。
「それも、たった一度じゃ。」
「恐れながら、その儀ばかりは。」
「いかぬか。」
二人は、顔を見合せながら、黙った。しんとした部屋の中には、油を吸う燈心の音よりほかに、聞えるものはない。――宇左衛門は、この暫くの間を、一年のように長く感じた。佐渡守へ云い切った手前、それを修理に許しては自分の武士がたたないからである。
「佐渡殿の云われた事は、承知の上での頼みじゃ。」
ほどを経て、修理が云った。
「登城を許せば、その方が、一門衆の不興をうける事も、修理は、よう存じているが、思うて見い。修理は一門衆はもとより、家来にも見離された乱心者じゃ。」
そう云いながら、彼の声は、次第に感動のふるえを帯びて来た。見れば、眼も涙ぐんでいる。
「世の嘲りはうける。家督は人の手に渡す。天道の光さえ、修理にはささぬかと思うような身の上じゃ。その修理が、今生の望にただ一度、出仕したいと云う、それをこばむような宇左衛門ではあるまい。宇左衛門なら、この修理を、あわれとこそ思え、憎いとは思わぬ筈じゃ。修理は、宇左衛門を親とも思う。兄弟とも思う。親兄弟よりも、猶更なつかしいものと思う。広い世界に、修理がたのみに思うのは、ただその方一人きりじゃ。さればこそ、無理な頼みもする。が、これも決して、一生に二度とは云わぬ。ただ、今度一度だけじゃ。宇左衛門、どうかこの心を察してくれい。どうかこの無理を許してくれい。これ、この通りじゃ。」
彼は、家老の前へ両手をついて、涙を落しながら、額を畳へつけようとした。宇左衛門は、感動した。
「御手をおあげ下さいまし。御手をおあげ下さいまし。勿体のうございます。」
彼は、修理の手をとって、無理に畳から離させた。そうして泣いた。すると、泣くに従って、彼の心には次第にある安心が、溢れるともなく、溢れて来る。――彼は涙の中に、佐渡守の前で云い切った語を、再びありありと思い浮べた。
「よろしゅうございまする。佐渡守様が何とおっしゃりましょうとも、万一の場合には、宇左衛門皺腹を仕れば、すむ事でございまする。私一人の粗忽にして、きっと御登城おさせ申しましょう。」
これを聞くと、修理の顔は、急に別人の如く喜びにかがやいた。その変り方には、役者のような巧みさがある。がまた、役者にないような自然さもある。――彼は、突然調子の外れた笑い声を洩らした。
「おお、許してくれるか。忝い。忝いぞよ。」
そう云って、彼は嬉しそうに、左右を顧みた。
「皆のもの、よう聞け。宇左衛門は、登城を許してくれたぞ。」
人払いをした居間には、彼と宇左衛門のほかに誰もいない。皆のもの――宇左衛門は、気づかわしそうに膝を進めて、行燈の火影に恐る恐る、修理の眼の中を窺った。
三 刃傷
延享四年八月十五日の朝、五つ時過ぎに、修理は、殿中で、何の恩怨もない。肥後国熊本の城主、細川越中守宗教を殺害した。その顛末は、こうである。
―――――――――――――――――――――――――
細川家は、諸侯の中でも、すぐれて、武備に富んだ大名である。元姫君と云われた宗教の内室さえ、武芸の道には明かった。まして宗教の嗜みに、疎な所などのあるべき筈はない。それが、「三斎の末なればこそ細川は、二歳に斬られ、五歳ごとなる。」と諷われるような死を遂げたのは、完く時の運であろう。
そう云えば、細川家には、この凶変の起る前兆が、後になって考えれば、幾つもあった。――第一に、その年三月中旬、品川伊佐羅子の上屋敷が、火事で焼けた。これは、邸内に妙見大菩薩があって、その神前の水吹石と云う石が、火災のある毎に水を吹くので、未嘗、焼けたと云う事のない屋敷である。第二に、五月上旬、門へ打つ守り札を、魚籃の愛染院から奉ったのを見ると、御武運長久御息災とある可き所に災の字が書いてない。これは、上野宿坊の院代へ問い合せた上、早速愛染院に書き直させた。第三に、八月上旬、屋敷の広間あたりから、夜な夜な大きな怪火が出て、芝の方へ飛んで行ったと云う。
そのほか、八月十四日の昼には、天文に通じている家来の才木茂右衛門と云う男が目付へ来て、「明十五日は、殿の御身に大変があるかも知れませぬ。昨夜天文を見ますと、将星が落ちそうになって居ります。どうか御慎み第一に、御他出なぞなさいませんよう。」と、こう云った。目付は、元来余り天文なぞに信を措いていない。が、日頃この男の予言は、主人が尊敬しているので、取あえず近習の者に話して、その旨を越中守の耳へ入れた。そこで、十五日に催す能狂言とか、登城の帰りに客に行くとか云う事は、見合せる事になったが、御奉公の一つと云う廉で、出仕だけは止めにならなかったらしい。
それが、翌日になると、また不吉な前兆が、加わった。――十五日には、いつも越中守自身、麻上下に着換えてから、八幡大菩薩に、神酒を備えるのが慣例になっている。ところが、その日は、小姓の手から神酒を入れた瓶子を二つ、三宝へのせたまま受取って、それを神前へ備えようとすると、どうした拍子か瓶子は二つとも倒れて、神酒が外へこぼれてしまった。その時は、さすがに一同、思わず顔色を変えたと云う事である。
―――――――――――――――――――――――――
翌日、越中守は登城すると、御坊主田代祐悦が供をして、まず、大広間へ通った。が、やがて、大便を催したので、今度は御坊主黒木閑斎をつれて、湯呑み所際の厠へはいって、用を足した。さて、厠を出て、うすぐらい手水所で手を洗っていると突然後から、誰とも知れず、声をかけて、斬りつけたものがある。驚いて、振り返ると、その拍子にまた二の太刀が、すかさず眉間へ閃いた。そのために血が眼へはいって、越中守は、相手の顔も見定める事が出来ない。相手は、そこへつけこんで、たたみかけ、たたみかけ、幾太刀となく浴せかけた。そうして、越中守がよろめきながら、とうとう、四の間の縁に仆れてしまうと、脇差をそこへ捨てたなり、慌ててどこか見えなくなってしまった。
ところが、伴をしていた黒木閑斎が、不意の大変に狼狽して、大広間の方へ逃げて行ったなり、これもどこかへ隠れてしまったので、誰もこの刃傷を知るものがない。それを、暫くしてから、漸く本間定五郎と云う小拾人が、御番所から下部屋へ来る途中で発見した。そこで、すぐに御徒目付へ知らせる。御徒目付からは、御徒組頭久下善兵衛、御徒目付土田半右衛門、菰田仁右衛門、などが駈けつける。――殿中では忽ち、蜂の巣を破ったような騒動が出来した。
それから、一同集って、手負いを抱きあげて見ると、顔も体も血まみれで誰とも更に見分ける事が出来ない。が、耳へ口をつけて呼ぶと、漸く微な声で、「細川越中」と答えた。続いて、「相手はどなたでござる」と尋ねたが、「上下を着た男」と云う答えがあっただけで、その後は、もうこちらの声も通じないらしい。創は「首構七寸程、左肩六七寸ばかり、右肩五寸ばかり、左右手四五ヶ所、鼻上耳脇また頭に疵二三ヶ所、背中右の脇腹まで筋違に一尺五寸ばかり」である。そこで、当番御目付土屋長太郎、橋本阿波守は勿論、大目付河野豊前守も立ち合って、一まず手負いを、焚火の間へ舁ぎこんだ。そうしてそのまわりを小屏風で囲んで、五人の御坊主を附き添わせた上に、大広間詰の諸大名が、代る代る来て介抱した。中でも松平兵部少輔は、ここへ舁ぎこむ途中から、最も親切に劬ったので、わき眼にも、情誼の篤さが忍ばれたそうである。
その間に、一方では老中若年寄衆へこの急変を届けた上で、万一のために、玄関先から大手まで、厳しく門々を打たせてしまった。これを見た大手先の大小名の家来は、驚破、殿中に椿事があったと云うので、立ち騒ぐ事が一通りでない。何度目付衆が出て、制しても、すぐまた、海嘯のように、押し返して来る。そこへ、殿中の混雑もまた、益々甚しくなり出した。これは御目付土屋長太郎が、御徒目付、火の番などを召し連れて、番所番所から勝手まで、根気よく刃傷の相手を探して歩いたが、どうしても、その「上下を着た男」を見つける事が出来なかったからである。
すると、意外にも、相手は、これらの人々の眼にはかからないで、かえって宝井宗賀と云う御坊主のために、発見された。――宗賀は大胆な男で、これより先、一同のさがさないような場所場所を、独りでしらべて歩いていた。それがふと焚火の間の近くの厠の中を見ると、鬢の毛をかき乱した男が一人、影のように蹲っている。うす暗いので、はっきりわからないが、どうやら鼻紙嚢から鋏を出して、そのかき乱した鬢の毛を鋏んででもいるらしい。そこで宗賀は、側へよって声をかけた。
「どなたでござる。」
「これは、人を殺したで、髪を切っているものでござる。」
男は、しわがれた声で、こう答えた。
もう疑う所はない。宗賀は、すぐに人を呼んで、この男を厠の中から、ひきずり出した。そうして、とりあえず、それを御徒目付の手に渡した。
御徒目付はまた、それを蘇鉄の間へつれて行って、大目付始め御目付衆立ち合いの上で、刃傷の仔細を問い質した。が、男は、物々しい殿中の騒ぎを、茫然と眺めるばかりで、更に答えらしい答えをしない。偶々口を開けば、ただ時鳥の事を云う。そうして、そのあい間には、血に染まった手で、何度となく、鬢の毛をかきむしった。――修理は既に、発狂していたのである。
―――――――――――――――――――――――――
細川越中守は、焚火の間で、息をひきとった。が、大御所吉宗の内意を受けて、手負いと披露したまま駕籠で中の口から、平川口へ出て引きとらせた。公に死去の届が出たのは、二十一日の事である。
修理は、越中守が引きとった後で、すぐに水野監物に預けられた。これも中の口から、平川口へ、青網をかけた駕籠で出たのである。駕籠のまわりは水野家の足軽が五十人、一様に新しい柿の帷子を着、新しい白の股引をはいて、新しい棒をつきながら、警固した。――この行列は、監物の日頃不意に備える手配が、行きとどいていた証拠として、当時のほめ物になったそうである。
それから七日目の二十二日に、大目付石河土佐守が、上使に立った。上使の趣は、「其方儀乱心したとは申しながら、細川越中守手疵養生不相叶致死去候に付、水野監物宅にて切腹被申付者也」と云うのである。
修理は、上使の前で、短刀を法の如くさし出されたが、茫然と手を膝の上に重ねたまま、とろうとする気色もない。そこで、介錯に立った水野の家来吉田弥三左衛門が、止むを得ず後からその首をうち落した。うち落したと云っても、喉の皮一重はのこっている。弥三左衛門は、その首を手にとって、下から検使の役人に見せた。頬骨の高い、皮膚の黄ばんだ、いたいたしい首である。眼は勿論つぶっていない。
検使は、これを見ると、血のにおいを嗅ぎながら、満足そうに、「見事」と声をかけた。
―――――――――――――――――――――――――
同日、田中宇左衛門は、板倉式部の屋敷で、縛り首に処せられた。これは「修理病気に付、禁足申付候様にと屹度、板倉佐渡守兼ねて申渡置候処、自身の計らいにて登城させ候故、かかる凶事出来、七千石断絶に及び候段、言語道断の不届者」という罪状である。
板倉周防守、同式部、同佐渡守、酒井左衛門尉、松平右近将監等の一族縁者が、遠慮を仰せつかったのは云うまでもない。そのほか、越中守を見捨てて逃げた黒木閑斎は、扶持を召上げられた上、追放になった。
―――――――――――――――――――――――――
修理の刃傷は、恐らく過失であろう。細川家の九曜の星と、板倉家の九曜の巴と衣類の紋所が似ているために、修理は、佐渡守を刺そうとして、誤って越中守を害したのである。以前、毛利主水正を、水野隼人正が斬ったのも、やはりこの人違いであった。殊に、手水所のような、うす暗い所では、こう云う間違いも、起りやすい。――これが当時の定評であった。
が、板倉佐渡守だけは、この定評をよろこばない。彼は、この話が出ると、いつも苦々しげに、こう云った。
「佐渡は、修理に刃傷されるような覚えは、毛頭ない。まして、あの乱心者のした事じゃ。大方、何と云う事もなく、肥後侯を斬ったのであろう。人違などとは、迷惑至極な臆測じゃ。その証拠には、大目付の前へ出ても、修理は、時鳥がどうやら云うていたそうではないか。されば、時鳥じゃと思って、斬ったのかも知れぬ。」
(大正六年二月) | 底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月6日公開
2004年3月7日修正
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一
「おばば、猪熊のおばば。」
朱雀綾小路の辻で、じみな紺の水干に揉烏帽子をかけた、二十ばかりの、醜い、片目の侍が、平骨の扇を上げて、通りかかりの老婆を呼びとめた。――
むし暑く夏霞のたなびいた空が、息をひそめたように、家々の上をおおいかぶさった、七月のある日ざかりである。男の足をとめた辻には、枝のまばらな、ひょろ長い葉柳が一本、このごろはやる疫病にでもかかったかと思う姿で、形ばかりの影を地の上に落としているが、ここにさえ、その日にかわいた葉を動かそうという風はない。まして、日の光に照りつけられた大路には、あまりの暑さにめげたせいか、人通りも今はひとしきりとだえて、たださっき通った牛車のわだちが長々とうねっているばかり、その車の輪にひかれた、小さな蛇も、切れ口の肉を青ませながら、始めは尾をぴくぴくやっていたが、いつか脂ぎった腹を上へ向けて、もう鱗一つ動かさないようになってしまった。どこもかしこも、炎天のほこりを浴びたこの町の辻で、わずかに一滴の湿りを点じたものがあるとすれば、それはこの蛇の切れ口から出た、なまぐさい腐れ水ばかりであろう。
「おばば。」
「……」
老婆は、あわただしくふり返った。見ると、年は六十ばかりであろう。垢じみた檜皮色の帷子に、黄ばんだ髪の毛をたらして、尻の切れた藁草履をひきずりながら、長い蛙股の杖をついた、目の丸い、口の大きな、どこか蟇の顔を思わせる、卑しげな女である。
「おや、太郎さんか。」
日の光にむせるような声で、こう言うと、老婆は、杖をひきずりながら、二足三足あとへ帰って、まず口を切る前に、上くちびるをべろりとなめて見せた。
「何か用でもおありか。」
「いや、別に用じゃない。」
片目は、うすいあばたのある顔に、しいて作ったらしい微笑をうかべながら、どこか無理のある声で、快活にこう言った。
「ただ、沙金がこのごろは、どこにいるかと思ってな。」
「用のあるは、いつも娘ばかりさね。鳶が鷹を生んだおかげには。」
猪熊のばばは、いやみらしく、くちびるをそらせながら、にやついた。
「用と言うほどの用じゃないが、今夜の手はずも、まだ聞かないからな。」
「なに、手はずに変わりがあるものかね。集まるのは羅生門、刻限は亥の上刻――みんな昔から、きまっているとおりさ。」
老婆は、こう言って、わるがしこそうに、じろじろ、左右をみまわしたが、人通りのないのに安心したのかまた、厚いくちびるをちょいとなめて、
「家内の様子は、たいてい娘が探って来たそうだよ。それも、侍たちの中には、手のきくやつがいるまいという事さ。詳しい話は、今夜娘がするだろうがね。」
これを聞くと、太郎と言われた男は、日をよけた黄紙の扇の下で、あざけるように、口をゆがめた。
「じゃ沙金はまた、たれかあすこの侍とでも、懇意になったのだな。」
「なに、やっぱり販婦か何かになって、行ったらしいよ。」
「なんになって行ったって、あいつの事だ。当てになるものか。」
「お前さんは、相変わらずうたぐり深いね。だから、娘にきらわれるのさ。やきもちにも、ほどがあるよ。」
老婆は、鼻の先で笑いながら、杖を上げて、道ばたの蛇の死骸を突っついた。いつのまにかたかっていた青蝿が、むらむらと立ったかと思うと、また元のように止まってしまう。
「そんな事じゃ、しっかりしないと、次郎さんに取られてしまうよ。取られてもいいが、どうせそうなれば、ただじゃすまないからね。おじいさんでさえ、それじゃ時々、目の色を変えるんだから、お前さんならなおさらだろうじゃないか。」
「わかっているわな。」
相手は、顔をしかめながら、いまいましそうに、柳の根へつばを吐いた。
「それがなかなか、わからないんだよ。今でこそお前さんだって、そうやって、すましているが、娘とおじいさんとの仲をかぎつけた時には、まるで、気がふれたようだったじゃないか。おじいさんだって、そうさ、あれで、もう少し気が強かろうものなら、すぐにお前さんと刃物三昧だわね。」
「そりゃもう一年前の事だ。」
「何年前でも、同じ事だよ。一度した事は、三度するって言うじゃないか。三度だけなら、まだいいほうさ。わたしなんぞは、この年まで、同じばかを、何度したか、わかりゃしないよ。」
こう言って、老婆は、まばらな齒を出して、笑った。
「冗談じゃない。――それより、今夜の相手は、曲がりなりにも、藤判官だ、手くばりはもうついたのか。」
太郎は、日にやけた顔に、いらだたしい色を浮かべながら、話頭を転じた。おりから、雲の峰が一つ、太陽の道に当たったのであろう。あたりが翛然と、暗くなった。その中に、ただ、蛇の死骸だけが、前よりもいっそう腹の脂を、ぎらつかせているのが見える。
「なんの、藤判官だといって、高が青侍の四人や五人、わたしだって、昔とったきねづかさ。」
「ふん、おばばは、えらい勢いだな。そうして、こっちの人数は?」
「いつものとおり、男が二十三人。それにわたしと娘だけさ。阿濃は、あのからだだから、朱雀門に待っていて、もらう事にしようよ。」
「そう言えば、阿濃も、かれこれ臨月だったな。」
太郎はまた、あざけるように口をゆがめた。それとほとんど同時に、雲の影が消えて、往来はたちまち、元のように、目が痛むほど、明るくなる。――猪熊のばばも、腰をそらせて、ひとしきり東鴉のような笑い声を立てた。
「あの阿呆をね。たれがまあ手をつけたんだか――もっとも、阿濃は次郎さんに、執心だったが、まさかあの人でもなかろうよ。」
「親のせんぎはともかく、あのからだじゃ何かにつけて不便だろう。」
「そりゃ、どうにでもしかたはあるのだけれど、あれが不承知なのだから、困るわね。おかげで、仲間の者へ沙汰をするのも、わたし一人という始末さ。真木島の十郎、関山の平六、高市の多襄丸と、まだこれから、三軒まわらなくっちゃ――おや、そう言えば、油を売っているうちに、もうかれこれ未になる。お前さんも、もうわたしのおしゃべりには、聞き飽きたろう。」
蛙股の杖は、こういうことばと共に動いた。
「が、沙金は?」
この時、太郎のくちびるは、目に見えぬほど、かすかにひきつった。が、老婆は、これに気がつかなかったらしい。
「おおかた、きょうあたりは、猪熊のわたしの家で、昼寝でもしているだろうよ。きのうまでは、家にいなかったがね。」
片目は、じっと老婆を見た。そうして、それから、静かな声で、
「じゃ、いずれまた、日が暮れてから、会おう。」
「あいさ。それまでは、お前さんも、ゆっくり昼寝でもする事だよ。」
猪熊のばばは、口達者に答えながら、杖をひいて、歩きだした。綾小路を東へ、猿のような帷子姿が、藁草履の尻にほこりをあげて、日ざしにも恐れず、歩いてゆく。――それを見送った侍は、汗のにじんだ額に、険しい色を動かしながら、もう一度、柳の根につばを吐くと、それからおもむろに、くびすをめぐらした。
二人の別れたあとには、例の蛇の死骸にたかった青蝿が、相変わらず日の光の中に、かすかな羽音を伝えながら、立つかと思うと、止まっている。……
二
猪熊のばばは、黄ばんだ髪の根に、じっとりと汗をにじませながら、足にかかる夏のほこりも払わずに、杖をつきつき歩いてゆく。――
通い慣れた道ではあるが、自分が若かった昔にくらべれば、どこもかしこも、うそのような変わり方である。自分が、まだ台盤所の婢女をしていたころの事を思えば、――いや、思いがけない身分ちがいの男に、いどまれて、とうとう沙金を生んだころの事を思えば、今の都は、名ばかりで、そのころのおもかげはほとんどない。昔は、牛車の行きかいのしげかった道も、今はいたずらにあざみの花が、さびしく日だまりに、咲いているばかり、倒れかかった板垣の中には、無花果が青い実をつけて、人を恐れない鴉の群れは、昼も水のない池につどっている。そうして、自分もいつか、髪が白みしわがよって、ついには腰のまがるような、老いの身になってしまった。都も昔の都でなければ、自分も昔の自分でない。
その上、貌も変われば、心も変わった。始めて娘と今の夫との関係を知った時、自分は、泣いて騒いだ覚えがある。が、こうなって見れば、それも、当たりまえの事としか思われない。盗みをする事も、人を殺す事も、慣れれば、家業と同じである。言わば京の大路小路に、雑草がはえたように、自分の心も、もうすさんだ事を、苦にしないほど、すさんでしまった。が、一方から見ればまた、すべてが変わったようで、変わっていない。娘の今している事と、自分の昔した事とは、存外似よったところがある。あの太郎と次郎とにしても、やはり今の夫の若かったころと、やる事にたいした変わりはない。こうして人間は、いつまでも同じ事を繰り返してゆくのであろう。そう思えば、都も昔の都なら、自分も昔の自分である。……
猪熊のばばの心の中には、こういう考えが、漠然とながら、浮かんで来た。そのさびしい心もちに、つまされたのであろう、丸い目がやさしくなって、蟇のような顔の肉が、いつのまにか、ゆるんで来る。――と、また急に、老婆は、生き生きと、しわだらけの顔をにやつかせて、蛙股の杖のはこびを、前よりも急がせ始めた。
それも、そのはずである。四五間先に、道とすすき原とを(これも、元はたれかの広庭であったのかもしれない。)隔てる、くずれかかった築土があって、その中に、盛りをすぎた合歓の木が二三本、こけの色の日に焼けた瓦の上に、ほほけた、赤い花をたらしている。それを空に、枯れ竹の柱を四すみへ立てて、古むしろの壁を下げた、怪しげな小屋が一つ、しょんぼりとかけてある。――場所と言い、様子と言い、中には、こじきでも住んでいるらしい。
別して、老婆の目をひいたのは、その小屋の前に、腕を組んでたたずんだ、十七八の若侍で、これは、朽ち葉色の水干に黒鞘の太刀を横たえたのが、どういうわけか、しさいらしく、小屋の中をのぞいている。そのういういしい眉のあたりから、まだ子供らしさのぬけない頬のやつれが、一目で老婆に、そのたれという事を知らせてくれた。
「何をしているのだえ。次郎さん。」
猪熊のばばは、そのそばへ歩みよると、蛙股の杖を止めて、あごをしゃくりながら、呼びかけた。
相手は、驚いて、ふり返ったが、つくも髪の、蟇の面の、厚いくちびるをなめる舌を見ると、白い齒を見せて微笑しながら、黙って、小屋の中を指さした。
小屋の中には、破れ畳を一枚、じかに地面へ敷いた上に、四十格好の小柄な女が、石を枕にして、横になっている。それも、肌をおおうものは、腰のあたりにかけてある、麻の汗衫一つぎりで、ほとんど裸と変わりがない。見ると、その胸や腹は、指で押しても、血膿にまじった、水がどろりと流れそうに、黄いろくなめらかに、むくんでいる。ことに、むしろの裂け目から、天日のさしこんだ所で見ると、わきの下や首のつけ根に、ちょうど腐った杏のような、どす黒い斑があって、そこからなんとも言いようのない、異様な臭気が、もれるらしい。
枕もとには、縁の欠けた土器がたった一つ(底に飯粒がへばりついているところを見ると、元は粥でも入れたものであろう。)捨てたように置いてあって、たれがしたいたずらか、その中に五つ六つ、泥だらけの石ころが行儀よく積んである。しかも、そのまん中に、花も葉もひからびた、合歓を一枝立てたのは、おおかた高坏へ添える色紙の、心葉をまねたものであろう。
それを見ると、気丈な猪熊のばばも、さすがに顔をしかめて、あとへさがった。そうして、その刹那に、突然さっきの蛇の死骸を思い浮かべた。
「なんだえ。これは。疫病にかかっている人じゃないか。」
「そうさ。とてもいけないというので、どこかこの近所の家で、捨てたのだろう。これじゃ、どこでも持てあつかうよ。」
次郎はまた、白い齒を見せて、微笑した。
「それを、お前さんはまた、なんだって、見てなんぞいるのさ。」
「なに、今ここを通りかかったら、野ら犬が二三匹、いい餌食を見つけた気で、食いそうにしていたから、石をぶつけて、追い払ってやったところさ。わたしが来なかったら、今ごろはもう、腕の一つも食われてしまったかもしれない。」
老婆は、蛙股の杖にあごをのせて、もう一度しみじみ、女のからだを見た。さっき、犬が食いかかったというのは、これであろう。――破れ畳の上から、往来の砂の中へ、斜めにのばした二の腕には、水気を持った、土け色の皮膚に、鋭い齒の跡が三つ四つ、紫がかって残っている。が、女は、じっと目をつぶったなり、息さえ通っているかどうかわからない。老婆は、再び、はげしい嫌悪の感に、面を打たれるような心もちがした。
「いったい、生きているのかえ。それとも、死んでいるのかえ。」
「どうだかね。」
「気らくだよ、この人は。死んだものなら、犬が食ったって、いいじゃないか。」
老婆は、こう言うと、蛙股の杖をのべて、遠くから、ぐいと女の頭を突いてみた。頭はまくらの石をはずれて、砂に髪をひきながら、たわいなく畳の上へぐたりとなる。が、病人は、依然として、目をつぶったまま、顔の筋肉一つ動かさない。
「そんな事をしたって、だめだよ。さっきなんぞは、犬に食いつかれてさえ、やっぱりじっとしていたんだから。」
「それじゃ、死んでいるのさ。」
次郎は、三たび白い齒を見せて、笑った。
「死んでいたって、犬に食わせるのは、ひどいやね。」
「何がひどいものかね。死んでしまえば、犬に食われたって、痛くはなしさ。」
老婆は、杖の上でのび上がりながら、ぎょろり目を大きくして、あざわらうように、こう言った。
「死ななくったって、ひくひくしているよりは、いっそ一思いに、のど笛でも犬に食いつかれたほうが、ましかもしれないわね。どうせこれじゃ、生きていたって、長い事はありゃせずさ。」
「だって、人間が犬に食われるのを、黙って見てもいられないじゃないか。」
すると、猪熊のばばは、上くちびるをべろりとやって、ふてぶてしく空うそぶいた。
「そのくせ、人間が人間を殺すのは、お互いに平気で、見ているじゃないか。」
「そう言えば、そうさ。」
次郎は、ちょいと鬢をかいて、四たび白い齒を見せながら、微笑した。そうして、やさしく老婆の顔をながめながら、
「どこへ行くのだい、おばばは。」と問いかけた。
「真木島の十郎と、高市の多襄丸と、――ああ、そうだ。関山の平六へは、お前さんに、言づけを頼もうかね。」
こう言ううちに、猪熊のばばは、杖にすがって、もう二足三足歩いている。
「ああ、行ってもいい。」
次郎もようやく、病人の小屋をあとにして、老婆と肩を並べながら、ぶらぶら炎天の往来を歩きだした。
「あんなものを見たんで、すっかり気色がわるくなってしまったよ。」
老婆は、大仰に顔をしかめながら、
「――ええと、平六の家は、お前さんも知っているだろう。これをまっすぐに行って、立本寺の門を左へ切れると、藤判官の屋敷がある。あの一町ばかり先さ。ついでだから、屋敷のまわりでもまわって、今夜の下見をしておおきよ。」
「なにわたしも、始めからそのつもりで、こっちへ出て来たのさ。」
「そうかえ、それはお前さんにしては、気がきいたね。お前さんのにいさんの御面相じゃ、一つ間違うと、向こうにけどられそうで、下見に行っても、もらえないが、お前さんなら、大丈夫だよ。」
「かわいそうに、兄きもおばばの口にかかっちゃ、かなわないね。」
「なに、わたしなんぞはいちばん、あの人の事をよく言っているほうさ。おじいさんなんぞと来たら、お前さんにも話せないような事を、言っているわね。」
「それは、あの事があるからさ。」
「あったって、お前さんの悪口は、言わないじゃないか。」
「じゃおおかた、わたしは子供扱いにされているんだろう。」
二人は、こんな閑談をかわしながら、狭い往来をぶらぶら歩いて行った。歩くごとに、京の町の荒廃は、いよいよ、まのあたりに開けて来る。家と家との間に、草いきれを立てている蓬原、そのところどころに続いている古築土、それから、昔のまま、わずかに残っている松や柳――どれを見ても、かすかに漂う死人のにおいと共に、滅びてゆくこの大きな町を、思わせないものはない。途中では、ただ一人、手に足駄をはいている、いざりのこじきに行きちがった。――
「だが、次郎さん、お気をつけよ。」
猪熊のばばは、ふと太郎の顔を思い浮かべたので、ひとり苦笑を浮かべながら、こう言った。
「娘の事じゃ、ずいぶんにいさんも、夢中になりかねないからね。」
が、これは、次郎の心に、思ったよりも大きな影響を与えたらしい。彼は、ひいでた眉の間を、にわかに曇らせながら、不快らしく目を伏せた。
「そりゃわたしも、気をつけている。」
「気をつけていてもさ。」
老婆は、いささか、相手の感情の、この急激な変化に驚きながら、例のごとくくちびるをなめなめ、つぶやいた。
「気をつけていてもだわね。」
「しかし、兄きの思わくは兄きの思わくで、わたしには、どうにもできないじゃないか。」
「そう言えば、実もふたもなくなるがさ。実はわたしは、きのう娘に会ったのだよ。すると、きょう未の下刻に、お前さんと寺の門の前で、会う事になっていると言うじゃないか。それで、お前さんのにいさんには半月近くも、顔は合わせないようにしているとね、太郎さんがこんな事を知ってごらん。また、お前さん、一悶着だろう。」
次郎は、老婆の娓々として説くことばをさえぎるように、黙って、いらだたしく何度もうなずいた。が、猪熊のばばは、容易に口を閉ざしそうなけしきもない。
「さっき、向こうの辻で、太郎さんに会った時にも、わたしはよくそう言って来たけれどね、そうなりゃ、わたしたちの仲間だもの、すぐに刃物三昧だろうじゃないか。万一、その時のはずみで、娘にけがでもあったら、とわたしは、ただ、それが心配なのさ。娘は、なにしろあのとおりの気質だし、太郎さんにしても、一徹人だから、わたしは、お前さんによく頼んでおこうと思ってね。お前さんは、死人が犬に食われるのさえ、見ていられないほど、やさしいんだから。」
こう言って、老婆は、いつか自分にも起こって来た不安を、しいて消そうとするように、わざとしわがれた声で、笑って見せた。が、次郎は依然として、顔を暗くしながら、何か物思いにふけるように、目を伏せて歩いている。……
「大事にならなければいいが。」
猪熊のばばは、蛙股の杖を早めながら、この時始めて心の底で、しみじみこう、祈ったのである。
かれこれその時分の事である。楚の先に蛇の死骸をひっかけた、町の子供が三四人、病人の小屋の外を通りかかると、中でもいたずらな一人が、遠くから及び腰になって、その蛇を女の顔の上へほうり上げた。青く脂の浮いた腹がぺたり、女の頬に落ちて、それから、腐れ水にぬれた尾が、ずるずるあごの下へたれる――と思うと、子供たちは、一度にわっとわめきながら、おびえたように、四方へ散った。
今まで死んだようになっていた女が、その時急に、黄いろくたるんだまぶたをあけて、腐った卵の白味のような目を、どんより空に据えながら、砂まぶれの指を一つびくりとやると、声とも息ともわからないものが、干割れたくちびるの奥のほうから、かすかにもれて来たからである。
三
猪熊のばばに別れた太郎は、時々扇で風を入れながら、日陰も選ばず、朱雀の大路を北へ、進まない歩みをはこんだ。――
日中の往来は、人通りもきわめて少ない。栗毛の馬に平文の鞍を置いてまたがった武士が一人、鎧櫃を荷なった調度掛けを従えながら、綾藺笠に日をよけて、悠々と通ったあとには、ただ、せわしない燕が、白い腹をひらめかせて、時々、往来の砂をかすめるばかり、板葺、檜皮葺の屋根の向こうに、むらがっているひでり雲も、さっきから、凝然と、金銀銅鉄を熔かしたまま、小ゆるぎをするけしきはない。まして、両側に建て続いた家々は、いずれもしんと静まり返って、その板蔀や蒲簾の後ろでは、町じゅうの人がことごとく、死に絶えてしまったかとさえ疑われる。――
猪熊のばばの言ったように、沙金を次郎に奪われるという恐れは、ようやく目の前に迫って来た。あの女が、――現在養父にさえ、身を任せたあの女が、あばたのある、片目の、醜いおれを、日にこそ焼けているが目鼻立ちの整った、若い弟に見かえるのは、もとよりなんの不思議もない。おれは、ただ、次郎が、――子供の時から、おれを慕ってくれたあの次郎が、おれの心もちを察してくれて、よしや沙金のほうから手を出してもその誘惑に乗らないだけの、慎みを持ってくれる事と、いちずに信じ切っていた。が、今になって考えれば、それは、弟を買いかぶった、虫のいい量見に過ぎなかった。いや、弟を見上げすぎたというよりも、沙金のみだらな媚びのたくみを、見下げすぎた誤りだった。ひとり次郎ばかりではない。あの女のまなざし一つで、身を滅ぼした男の数は、この炎天にひるがえる燕の数よりも、たくさんある。現にこう言うおれでさえ、ただ一度、あの女を見たばかりで、とうとう今のように、身をおとした。……
すると四条坊門の辻を、南へやる赤糸毛の女車が、静かに太郎の行く手を通りすぎる。車の中の人は見えないが、紅の裾濃に染めた、すずしの下簾が、町すじの荒涼としているだけに、ひときわ目に立ってなまめかしい。それにつき添った牛飼いの童と雑色とは、うさんらしく太郎のほうへ目をやったが、牛だけは、角をたれて、漆のように黒い背を鷹揚にうねらしながら、わき見もせずに、のっそりと歩いてゆく。しかしとりとめのない考えに沈んでいる太郎には、車の金具の、まばゆく日に光ったのが、わずかに目にはいっただけである。
彼は、しばらく足をとめて、車を通りこさせてから、また片目を地に伏せて、黙々と歩きはじめた。――
(おれが右の獄の放免をしていた時の事を思えば、今では、遠い昔のような、心もちがする。あの時のおれと今のおれとを比べれば、おれ自身にさえ、同じ人間のような気はしない。あのころのおれは、三宝を敬う事も忘れなければ、王法にしたがう事も怠らなかった。それが、今では、盗みもする。時によっては、火つけもする。人を殺した事も、二度や三度ではない。ああ、昔のおれは――仲間の放免といっしょになって、いつもの七半を打ちながら、笑い興じていた、あの昔のおれは、今のおれの目から見ると、どのくらいしあわせだったかわからない。
考えれば、まだきのうのように思われるが、実はもう一年前になった。――あの女が、盗みの咎で、検非違使の手から、右の獄へ送られる。おれがそれと、ふとした事から、牢格子を隔てて、話し合うような仲になる。それから、その話が、だんだんたび重なって、いつか互いに身の上の事まで、打ち明け始める。とうとう、しまいには、猪熊のばばや同類の盗人が、牢を破ってあの女を救い出すのを、見ないふりをして、通してやった。
その晩から、おれは何度となく、猪熊のばばの家へ出はいりをした。沙金は、おれの行く時刻を見はからって、あの半蔀の間から、雀色時の往来をのぞいている。そうしておれの姿が見えると、鼠鳴きをして、はいれと言う。家の中には、下衆女の阿濃のほかに、たれもいない。やがて、蔀をおろす。結び燈台へ火をつける。そうして、あの何畳かの畳の上に、折敷や高坏を、所狭く置きならべて、二人ぎりの小酒盛をする。そのあげくが、笑ったり、泣いたり、けんかをしたり、仲直りをしたり――言わば、世間並みの恋人どうしが、するような事をして、いつでも夜を明かした。
日の暮れに来て、夜のひき明け方に帰る。――あれが、それでも一月は続いたろう。そのうちに、おれには沙金が猪熊のばばのつれ子である事、今では二十何人かの盗人の頭になって、時々洛中をさわがせている事、そうしてまた、日ごろは容色を売って、傀儡同様な暮らしをしている事――そういう事が、だんだんわかって来た。が、それは、かえってあの女に、双紙の中の人間めいた、不思議な円光をかけるばかりで、少しも卑しいなどという気は起こさせない。無論、あの女は、時々おれに、いっそ仲間へはいれと言う。が、おれはいつも、承知しない。すると、あの女は、おれの事を臆病だと言って、ばかにする。おれはよくそれで、腹を立てた。………)
「はい、はい」と馬をしかる声がする。太郎は、あわてて、道をよけた。
米俵を二俵ずつ、左右へ積んだ馬をひいて、汗衫一つの下衆が、三条坊門の辻を曲がりながら、汗もふかずに、炎天の大路を南へ下って来る。その馬の影が、黒く地面に焼きついた上を、燕が一羽、ひらり羽根を光らせて、すじかいに、空へ舞い上がった。と思うと、それがまた礫を投げるように、落として来て、太郎の鼻の先を一文字に、向こうの板庇の下へはいる。
太郎は、歩きながら、思い出したように、はたはたと、黄紙の扇を使った。――
(そういう月日が、続くともなく続くうちに、おれは、偶然あの女と養父との関係に、気がついた。もっともおれ一人が、沙金を自由にする男でないという事も、知っていなかったわけではない。沙金自身さえ、関係した公卿の名や法師の名を、何度も自慢らしくおれに話した事がある。が、おれはこう思った。あの女の肌は、おおぜいの男を知っているかもしれない。けれども、あの女の心は、おれだけが占有している。そうだ、女の操は、からだにはない。――おれは、こう信じて、おれの嫉妬をおさえていた。もちろんこれも、あの女から、知らず知らずおれが教わった、考え方にすぎないかもしれない。が、ともかくもそう思うと、おれの苦しい心はいくぶんか楽になった。しかし、あの女と養父との関係は、それとちがう。
おれは、それを感づいた時に、なんとも言えず、不快だった。そういう事をする親子なら、殺して飽きたらない。それを黙って見る実の母の、猪熊のばばもまた、畜生より、無残なやつだ。こう思ったおれは、あの酔いどれのおやじの顔を見るたびに、何度太刀へ手をかけたか、わからない。が、沙金はそのたびに、おれの前で、ことさら、手ひどく養父をばかにした。そうしてその見え透いた手くだがまた、不思議におれの心を鈍らせた。「わたしはおとうさんがいやでいやでしかたがないんです」と言われれば、養父をにくむ気にはなっても、沙金をにくむ気には、どうしてもなれない。そこで、おれと養父とは、きょうがきょうまで、互いににらみ合いながら、何事もなくすぎて来た。もしあのおじじにもう少し、勇気があったなら、――いや、おれにもう少し、勇気があったなら、おれたちはとうの昔、どちらか死んでいた事であろう。……)
頭を上げると、太郎はいつか二条を折れて、耳敏川にまたがっている、小さい橋にかかっていた。水のかれた川は、細いながらも、焼き太刀のように、日を反射して、絶えてはつづく葉柳と家々との間に、かすかなせせらぎの音を立てている。その川のはるか下に、黒いものが二つ三つ、鵜の鳥かと思うように、流れの光を乱しているのは、おおかた町の子供たちが、水でも浴びているのであろう。
太郎の心には、一瞬の間、幼かった昔の記憶が、――弟といっしょに、五条の橋の下で、鮠を釣った昔の記憶が、この炎天に通う微風のように、かなしく、なつかしく、返って来た。が、彼も弟も、今は昔の彼らではない。
太郎は、橋を渡りながら、うすいあばたのある顔に、また険しい色をひらめかせた。――
(すると、突然ある日、そのころ筑後の前司の小舎人になっていた弟が、盗人の疑いをかけられて、左の獄へ入れられたという知らせが来た。放免をしているおれには、獄中の苦しさが、たれよりもよく、わかっている。おれは、まだ筋骨のかたまらない弟の身の上を、自分の事のように、心配した。そこで、沙金に相談すると、あの女はさもわけがなさそうに、「牢を破ればいいじゃないの」と言う。かたわらにいた猪熊のばばも、しきりにそれをすすめてくれる。おれは、とうとう覚悟をきめて、沙金といっしょに、五六人の盗人を語り集めた。そうして、その夜のうちに、獄をさわがして、難なく弟を救い出した。その時、受けた傷の跡は、今でもおれの胸に残っている。が、それよりも忘れられないのは、おれがその時始めて、放免の一人を切り殺した事であった。あの男の鋭い叫び声と、それから、あの血のにおいとは、いまだにおれの記憶を離れない。こう言う今でも、おれはそれを、この蒸し暑い空気の中に、感じるような心もちがする。
その翌日から、おれと弟とは、猪熊の沙金の家で、人目を忍ぶ身になった。一度罪を犯したからは、正直に暮らすのも、あぶない世渡りをしてゆくのも、検非違使の目には、変わりがない。どうせ死ぬくらいなら、一日も長く生きていよう。そう思ったおれは、とうとう沙金の言うなりになって、弟といっしょに盗人の仲間入りをした。それからのおれは、火もつける。人も殺す。悪事という悪事で、なに一つしなかったものはない。もちろん、それも始めは、いやいやした。が、してみると、意外に造作がない。おれはいつのまにか、悪事を働くのが、人間の自然かもしれないと思いだした。……)
太郎は、半ば無意識に辻をまがった。辻には、石でまわりを積んだ一囲いの土饅頭があって、その上に石塔婆が二本、並んで、午後の日にかっと、照りつけられている。その根元にはまた、何匹かのとかげが、煤のように黒いからだを、気味悪くへばりつかせていたが、太郎の足音に驚いたのであろう、彼の影の落ちるよりも早く、一度にざわめきながら、四方へ散った。が、太郎は、それに目をやるけしきもない。――
「おれは、悪事をつむに従って、ますます沙金に愛着を感じて来た。人を殺すのも、盗みをするのも、みんなあの女ゆえである。――現に牢を破ったのさえ、次郎を助けようと思うほかに、一人の弟を見殺しにすると、沙金にわらわれるのを、おそれたからであった。――そう思うと、なおさらおれは、何に換えても、あの女を失いたくない。
その沙金を、おれは今、肉身の弟に奪われようとしている。おれが命を賭けて助けてやった、あの次郎に奪われようとしている。奪われようとしているのか、あるいは、もう奪われているのか、それさえも、はっきりはわからない。沙金の心を疑わなかったおれは、あの女がほかの男をひっぱりこむのも、よくない仕事の方便として、許していた。それから、養父との関係も、あのおじじが親の威光で、何も知らないうちに、誘惑したと思えば、目をつぶって、すごせない事はない。が、次郎との仲は、別である。
おれと弟とは、気だてが変わっているようで、実は見かけほど、変わっていない。もっとも顔かたちは、七八年前の痘瘡が、おれには重く、弟には軽かったので、次郎は、生まれついた眉目をそのままに、うつくしい男になったが、おれはそのために片目つぶれた、生まれもつかない不具になった。その醜い、片目のおれが、今まで沙金の心を捕えていたとすれば、(これも、おれのうぬぼれだろうか。)それはおれの魂の力に相違ない。そうして、その魂は、同じ親から生まれた弟も、おれに変わりなく持っている。しかも、弟は、たれの目にもおれよりはうつくしい。そういう次郎に、沙金が心をひかれるのは、もとより理の当然である。その上また、次郎のほうでも、おれにひきくらべて考えれば、到底あの女の誘惑に、勝てようとは思われない。いや、おれは、始終おれの醜い顔を恥じている。そうして、たいていの情事には、おのずからひかえ目になっている。それでさえ、沙金には、気違いのように、恋をした。まして、自分の美しさを知っている次郎が、どうして、あの女の見せる媚びを、返さずにいられよう。――
こう思えば、次郎と沙金とが、近づくようになるのは、無理もない。が、無理がないだけ、それだけ、おれには苦痛である。弟は、沙金をおれから奪おうとする。――それも、沙金の全部を、おれから奪おうとする。いつかは、そうして必ず。ああ、おれの失うのは、ひとり沙金ばかりではない。弟もいっしょに失うのだ。そうして、そのかわりに、次郎と言う名の敵ができる。――おれは、敵には用捨しない。敵も、おれに用捨はしないだろう。そうなれば、落ち着くところは、今からあらかじめわかっている。弟を殺すか、おれが殺されるか。……)
太郎は、死人のにおいが、鋭く鼻を打ったのに、驚いた。が、彼の心の中の死が、におったというわけではない。見ると、猪熊の小路のあたり、とある網代の塀の下に腐爛した子供の死骸が二つ、裸のまま、積み重ねて捨ててある。はげしい天日に、照りつけられたせいか、変色した皮膚のところどころが、べっとりと紫がかった肉を出して、その上にはまた青蝿が、何匹となく止まっている。そればかりではない。一人の子供のうつむけた顔の下には、もう足の早い蟻がついた。――
太郎は、まのあたりに、自分の行く末を見せつけられたような心もちがした。そうして、思わず下くちびるを堅くかんだ。――
「ことに、このごろは、沙金もおれを避けている。たまに会っても、いい顔をした事は、一度もない。時々はおれに面と向かって、悪口さえきく事がある。おれはそのたびに腹を立てた。打った事もある。蹴った事もある。が、打っているうちに、蹴っているうちに、おれはいつでも、おれ自身を折檻しているような心もちがした。それも無理はない。おれの二十年の生涯は、沙金のあの目の中に宿っている。だから沙金を失うのは、今までのおれを失うのと、変わりはない。
沙金を失い、弟を失い、そうしてそれとともにおれ自身を失ってしまう。おれはすべてを失う時が来たのかもしれない。……)
そう思ううちに、彼は、もう猪熊のばばの家の、白い布をぶら下げた戸口へ来た。まだここまでも、死人のにおいは、伝わって来るが、戸口のかたわらに、暗い緑の葉をたれた枇杷があって、その影がわずかながら、涼しく窓に落ちている。この木の下を、この戸口へはいった事は、何度あるかわからない。が、これからは?
太郎は、急にある気づかれを感じて、一味の感傷にひたりながら、その目に涙をうかべて、そっと戸口へ立ちよった。すると、その時である。家の中から、たちまちけたたましい女の声が、猪熊の爺の声に交じって、彼の耳を貫ぬいた。沙金なら、捨ててはおけない。
彼は、入り口の布をあげて、うすぐらい家の中へ、せわしく一足ふみ入れた。
四
猪熊のばばに別れると、次郎は、重い心をいだきながら、立本寺の門の石段を、一つずつ数えるように上がって、そのところどころ剥落した朱塗りの丸柱の下へ来て、疲れたように腰をおろした。さすがの夏の日も、斜めにつき出した、高い瓦にさえぎられて、ここまではさして来ない。後ろを見ると、うす暗い中に、一体の金剛力士が青蓮花を踏みながら、左手の杵を高くあげて、胸のあたりに燕の糞をつけたまま、寂然と境内の昼を守っている。――次郎は、ここへ来て、始めて落ち着いて、自分の心もちが考えられるような気になった。
日の光は、相変わらず目の前の往来を、照り白ませて、その中にとびかう燕の羽を、さながら黒繻子か何かのように、光らせている。大きな日傘をさして、白い水干を着た男が一人、青竹の文挾にはさんだ文を持って、暑そうにゆっくり通ったあとは、向こうに続いた築土の上へ、影を落とす犬もない。
次郎は、腰にさした扇をぬいて、その黒柿の骨を、一つずつ指で送ったり、もどしたりしながら、兄と自分との関係を、それからそれへ、思い出した。――
なんで自分は、こう苦しまなければ、ならないのであろう。たった一人の兄は、自分を敵のように思っている。顔を合わせるごとに、こちらから口をきいても、浮かない返事をして、話の腰を折ってしまう。それも、自分と沙金とが、今のような事になってみれば、無理のない事に相違ない。が、自分は、あの女に会うたびに、始終兄にすまないと思っている。別して、会ったのちのさびしい心もちでは、よく兄がいとしくなって、人知れない涙もこぼしこぼしした。現に、一度なぞは、このまま、兄にも沙金にも別れて、東国へでも下ろうとさえ、思った事がある。そうしたら、兄も自分を憎まなくなるだろうし、自分も沙金を忘れられるだろう。そう思って、よそながら暇ごいをするつもりで、兄の所へ会いにゆくと、兄はいつも、そっけなく、自分をあしらった。そうして、沙金に会うと、――今度は自分が、せっかくの決心を忘れてしまう。が、そのたびに、自分はどのくらい、自分自身を責めた事であろう。
しかし、兄には、自分のこの苦しみがわからない。ただいちずに、自分を、恋の敵だと思っている。自分は、兄にののしられてもいい。顔につばきされてもいい。あるいは場合によっては、殺されてもいい。が、自分が、どのくらい自分の不義を憎んでいるか、どのくらい兄に同情しているか、それだけは、察していてもらいたい。その上でならば、どんな死にざまをするにしても、兄の手にかかれば、本望だ。いや、むしろ、このごろの苦しみよりは、一思いに死んだほうが、どのくらいしあわせだかわからない。
自分は、沙金に恋をしている。が、同時に憎んでもいる。あの女の多情な性質は、考えただけでも、腹立たしい。その上に、絶えずうそをつく。それから、兄や自分でさえためらうような、ひどい人殺しも、平気でする。時々、自分は、あの女のみだらな寝姿をながめながら、どうして、自分がこんな女に、ひかされるのだろうと思ったりした。ことに、見ず知らずの男にも、なれなれしく肌を任せるのを見た時には、いっそ自分の手で、殺してやろうかという気にさえなった。それほど、自分は、沙金を憎んでいる。が、あの女の目を見ると、自分はやっぱり、誘惑に陥ってしまう。あの女のように、醜い魂と、美しい肉身とを持った人間は、ほかにいない。
この自分の憎しみも、兄にはわかっていないようだ。いや、元来兄は、自分のように、あの女の獣のような心を、憎んではいないらしい。たとえば、沙金とほかの男との関係を見るにしても、兄と自分とは全く目がちがう。兄は、あの女がたれといっしょにいるのを見ても、黙っている。あの女の一時の気まぐれは、気まぐれとして、許しているらしい。が、自分は、そういかない。自分にとっては、沙金が肌身を汚す事は、同時に沙金が心を汚す事だ。あるいは心を汚すより、以上の事のように思われる。もちろん自分には、あの女の心が、ほかの男に移るのも許されない。が、肌身をほかの男に任せるのは、それよりもなお、苦痛である。それだからこそ、自分は兄に対しても、嫉妬をする。すまないとは思いながら、嫉妬をする。してみると、兄と自分との恋は、まるでちがう考えが、元になっているのではあるまいか。そうしてそのちがいが、よけい二人の仲を、悪くするのではあるまいか。………
次郎は、ぼんやり往来をながめながら、こんな事をしみじみと考えた。すると、ちょうどその時である。突然、けたたましい笑い声が、まばゆい日の光を動かして、往来のどちらかから聞こえて来た。と思うと、かん高い女の声が、舌のまわらない男の声といっしょになって、人もなげに、みだらな冗談を言いかわして来る。次郎は、思わず扇を腰にさして、立ち上がった。
が、柱の下をはなれて、まだ石段へ足をおろすかおろさないうちに、小路を南へ歩いて来た二人の男女が、彼の前を通りかかった。
男は、樺桜の直垂に梨打の烏帽子をかけて、打ち出しの太刀を濶達に佩いた、三十ばかりの年配で、どうやら酒に酔っているらしい。女は、白地にうす紫の模様のある衣を着て、市女笠に被衣をかけているが、声と言い、物ごしと言い、紛れもない沙金である。――次郎は、石段をおりながら、じっとくちびるをかんで、目をそらせた。が、二人とも、次郎には、目をかける様子がない。
「じゃよくって。きっと忘れちゃいやよ。」
「大丈夫だよ。おれがひきうけたからは、大船に乗った気でいるがいい」
「だって、わたしのほうじゃ命がけなんですもの。このくらい、念を押さなくちゃしようがないわ。」
男は赤ひげの少しある口を、咽まで見えるほど、あけて笑いながら、指で、ちょいと沙金の頬を突っついた。
「おれのほうも、これで命がけさ。」
「うまく言っているわ。」
二人は、寺の門の前を通りすぎて、さっき次郎が猪熊のばばと別れた辻まで行くと、そこに足をとめたまましばらくは、人目も恥じず、ふざけ合っていたが、やがて、男は、振りかえり振りかえり、何かしきりにからかいながら、辻を東へ折れてしまう。女は、くびすをめぐらして、まだくすくす笑いながら、またこっちへ帰って来る。――次郎は、石段の下にたたずんで、うれしいのか情けないのか、わからないような感情に動かされながら、子供らしく顔を赤らめて、被衣の中からのぞいている、沙金の大きな黒い目を迎えた。
「今のやつを見た?」
沙金は、被衣を開いて、汗ばんだ顔を見せながら、笑い笑い、問いかけた。
「見なくってさ。」
「あれはね。――まあここへかけましょう。」
二人は、石段の下の段に、肩をならべて、腰をおろした。幸い、ここには門の外に、ただ一本、細い幹をくねらした、赤松の影が落ちている。
「あれは、藤判官の所の侍なの。」
沙金は、石段の上に腰をおろすかおろさないのに、市女笠をぬいで、こう言った。小柄な、手足の動かし方に猫のような敏捷さがある、中肉の、二十五六の女である。顔は、恐ろしい野性と異常な美しさとが、一つになったとでもいうのであろう。狭い額とゆたかな頬と、あざやかな歯とみだらなくちびると、鋭い目と鷹揚な眉と、――すべて、一つになり得そうもないものが、不思議にも一つになって、しかもそこに、爪ばかりの無理もない。が、中でもみごとなのは、肩にかけた髪で、これは、日の光のかげんによると、黒い上につややかな青みが浮く。さながら、烏の羽根と違いがない。次郎は、いつ見ても変わらない女のなまめかしさを、むしろ憎いように感じたのである。
「そうして、お前さんの情人なんだろう。」
沙金は、目を細くして笑いながら、無邪気らしく、首をふった。
「あいつのばかと言ったら、ないのよ。わたしの言う事なら、なんでも、犬のようにきくじゃないの。おかげで、何もかも、すっかりわかってしまった。」
「何がさ。」
「何がって、藤判官の屋敷の様子がよ。そりゃひとかたならないおしゃべりなんでしょう。さっきなんぞは、このごろ、あすこで買った馬の話まで、話して聞かしたわ。――そうそう、あの馬は太郎さんに頼んで盗ませようかしら。陸奥出の三才駒だっていうから、まんざらでもないわね。」
「そうだ。兄きなら、なんでもお前の御意次第だから。」
「いやだわ。やきもちをやかれるのは、わたし大きらい。それも、太郎さんなんぞ、――そりゃはじめは、わたしのほうでも、少しはどうとか思ったけれど、今じゃもうなんでもないわ。」
「そのうちに、わたしの事もそう言う時が来やしないか。」
「それは、どうだかわかりゃしない。」
沙金は、またかん高い声で、笑った。
「おこったの? じゃ、来ないって言いましょうか。」
「内心女夜叉さね。お前は。」
次郎は、顔をしかめながら、足もとの石を拾って、向こうへ投げた。
「そりゃ、女夜叉かもしれないわ。ただ、こんな女夜叉にほれられたのが、あなたの因果だわね。――まだうたぐっているの。じゃわたし、もう知らないからいい。」
沙金は、こう言って、しばらくじっと、往来を見つめていたが、急に鋭い目を、次郎の上に転じると、たちまち冷ややかな微笑が、くちびるをかすめて、一過した。
「そんなに疑うのなら、いい事を教えてあげましょうか。」
「いい事?」
「ええ」
女は、顔を次郎のそばへ持って来た。うす化粧のにおいが、汗にまじって、むんと鼻をつく。――次郎は、身のうちがむずがゆいほど、はげしい衝動を感じて、思わず顔をわきへむけた。
「わたしね、あいつにすっかり、話してしまったの。」
「何を?」
「今夜、みんなで藤判官の屋敷へ、行くという事を。」
次郎は、耳を信じなかった。息苦しい官能の刺激も、一瞬の間に消えてしまう。――彼はただ、疑わしげに、むなしく女の顔を見返した。
「そんなに驚かなくたっていいわ。なんでもない事なのよ。」
沙金は、やや声を低めて、あざわらうような調子を出した。
「わたしこう言ったの。わたしの寝る部屋は、あの大路面の檜垣のすぐそばなんですが、ゆうべその檜垣の外で、きっと盗人でしょう、五六人の男が、あなたの所へはいる相談をしているのが聞こえました。それがしかも、今夜なんです。おなじみがいに、教えてあげましたから、それ相当の用心をしないと、あぶのうござんすよって。だから、今夜は、きっと向こうにも、手くばりがあるわ。あいつも、今人を集めに行ったところなの。二十人や三十人の侍は、くるにちがいなくってよ。」
「どうしてまた、そんなよけいな事をしたのさ。」
次郎は、まだ落ち着かない様子で、当惑したらしく、沙金の目をうかがった。
「よけいじゃないわ。」
沙金は、気味悪く、微笑した。そうして、左の手で、そっと次郎の右の手に、さわりながら、
「あなたのためにしたの。」
「どうして?」
こう言いながら、次郎の心には、恐ろしいあるものが感じられた。まさか――
「まだわからない? そう言っておいて、太郎さんに、馬を盗む事を頼めば――ね。いくらなんだって、一人じゃかなわないでしょう。いえさ、ほかのものが加勢をしたって、知れたものだわ。そうすれば、あなたもわたしも、いいじゃないの。」
次郎は、全身に水を浴びせられたような心もちがした。
「兄きを殺す!」
沙金は、扇をもてあそびながら、素直にうなずいた。
「殺しちゃ悪い?」
「悪いよりも――兄きを罠にかけて――」
「じゃあなた殺せて?」
次郎は、沙金の目が、野猫のように鋭く、自分を見つめているのを感じた。そうして、その目の中に、恐ろしい力があって、それが次第に自分の意志を、麻痺させようとするのを感じた。
「しかし、それは卑怯だ。」
「卑怯でも、しかたがなくはない?」
沙金は、扇をすてて、静かに両手で、次郎の右の手をとらえながら、追窮した。
「それも、兄き一人やるのならいいが、仲間を皆、あぶない目に会わせてまで――」
こう言いながら、次郎は、しまったと思った。狡猾な女はもちろん、この機会を見のがさない。
「一人やるのならいいの? なぜ?」
次郎は、女の手をはなして、立ち上がった。そうして、顔の色を変えたまま、黙って、沙金の前を、右左に歩き出した。
「太郎さんを殺していいんなら、仲間なんぞ何人殺したって、いいでしょう。」
沙金は、下から次郎の顔を見上げながら、一句を射た。
「おばばはどうする?」
「死んだら、死んだ時の事だわ。」
次郎は、立ち止まって、沙金の顔を見おろした。女の目は、侮蔑と愛欲とに燃えて炭火のように熱を持っている。
「あなたのためなら、わたしたれを殺してもいい。」
このことばの中には、蝎のように、人を刺すものがある。次郎は、再び一種の戦慄を感じた。
「しかし、兄きは――」
「わたしは、親も捨てているのじゃない?」
こう言って、沙金は、目を落とすと、急に張りつめた顔の表情がゆるんで、焼け砂の上へ、日に光りながらはらはらと涙が落ちた。
「もうあいつに話してしまったのに、――今さら取り返しはつきはしない。――そんな事がわかったら、わたしは――わたしは、仲間に――太郎さんに殺されてしまうじゃないの。」
その切れ切れなことばと共に、次郎の心には、おのずから絶望的な勇気が、わいてくる。血の色を失った彼は、黙って、土にひざをつきながら、冷たい両手に堅く、沙金の手をとらえた。
彼らは二人とも、その握りあう手のうちに、恐ろしい承諾の意を感じたのである。
五
白い布をかかげて、家の中に一足ふみこんだ太郎は、意外な光景に驚かされた。――
見ると、広くもない部屋の中には、廚へ通う遣戸が一枚、斜めに網代屏風の上へ、倒れかかって、その拍子にひっくり返ったものであろう、蚊やりをたく土器が、二つになってころがりながら、一面にあたりへ、燃え残った青松葉を、灰といっしょにふりまいている。その灰を頭から浴びて、ちぢれ髪の、色の悪い、肥った、十六七の下衆女が一人、これも酒肥りに肥った、はげ頭の老人に、髪の毛をつかまれながら、怪しげな麻の単衣の、前もあらわに取り乱したまま、足をばたばた動かして、気違いのように、悲鳴を上げる――と、老人は、左手に女の髪をつかんで、右手に口の欠けた瓶子を、空ざまにさし上げながら、その中にすすけた液体を、しいて相手の口へつぎこもうとする。が、液体は、いたずらに女の顔を、目と言わず、鼻と言わず、うす黒く横流れするだけで、口へは、ほとんどはいらないらしい。そこで老人は、いよいよ、気をいらって無理に女の口を、割ろうとする。女は、とられた髪も、ぬけるほど強く、頭を振って、一滴もそれを飲むまいとする。手と手と、足と足とが、互いにもつれたり、はなれたりして、明るい所から、急にうす暗い家の中へはいった、太郎の目には、どちらがどちらのからだとも、わからない。が、二人がたれだという事は、もちろん一目見て、それと知れた。――
太郎は、草履を脱ぐ間ももどかしそうに、あわただしく部屋の中へおどりこむと、とっさに老人の右の手をつかんで、苦もなく瓶子をもぎはなしながら、怒気を帯びて、一喝した。
「何をする?」
太郎の鋭いこのことば、たちまちかみつくような、老人のことばで答えられた。
「おぬしこそ、何をする。」
「おれか。おれならこうするわ。」
太郎は、瓶子を投げすてて、さらに相手の左の手を、女の髪からひき離すと、足をあげて老人を、遣戸の上へ蹴倒した。不意の救いに驚いたのであろう、阿濃はあわてて、一二間這いのいたが、老人の後へ倒れたのを見ると、神仏をおがむように、太郎の前へ手を合わせて、震えながら頭を下げた。と思うと、乱れた髪もつくろわずに、脱兎のごとく身をかわして、はだしのまま、縁を下へ、白い布をひらりとくぐる。――猛然として、追いすがろうとする猪熊の爺を、太郎が再び一蹴して、灰の中に倒した時には、彼女はすでに息を切らせて、枇杷の木の下を北へ、こけつまろびつして、走っていた。………
「助けてくれ。人殺しじゃ。」
老人は、こうわめきながら、始めの勢いにも似ず、網代屏風をふみ倒して、廚のほうへ逃げようとする。――太郎は、すばやく猿臂をのべて、浅黄の水干の襟上をつかみながら、相手をそこへ引き倒した。
「人殺し。人殺し。助けてくれ。親殺しじゃ。」
「ばかな事を。たれがおぬしなぞ殺すものか。」
太郎は、ひざの下に老人を押し伏せたまま、こう高らかに、あざわらった。が、それと同時に、このおやじを殺したいという欲望が、おさえがたいほど強く、起こって来た。殺すのには、もちろんなんのめんどうもない。ただ、一突き――あの赤く皮のたるんでいる頸を、ただ、一突き突きさえすれば、それでもう万事が終わってしまう。突き通した太刀のきっさきが、畳へはいる手答えと、その太刀の柄へ感じて来る、断末魔の身もだえと、そうして、また、その太刀を押しもどす勢いで、あふれて来る血のにおいと、――そういう想像は、おのずから太郎の手を、葛巻きの太刀の柄へのばさせた。
「うそじゃ。うそじゃ。おぬしは、いつもわしを殺そうと思うている。――やい、たれか助けてくれ。人殺しじゃ。親殺しじゃ。」
猪熊の爺は、相手の心を見通したのか、またひとしきりはね起きようとして、すまいながら、必死になって、わめき立てた。
「おぬしは、なんで阿濃を、あのような目にあわせた。さあそのしさいを言え。言わねば……」
「言う。言う。――言うがな。言ったあとでも、おぬしの事じゃ。殺さないものでも、なかろう。」
「うるさい。言うか、言わぬか。」
「言う。言う。言う。が、まず、そこを放してくれ。これでは、息がつまって、口がきけぬわ。」
太郎は、それを耳にもかけないように、殺気立った声で、いらだたしく繰り返した。
「言うか、言わぬか。」
「言う。」と、猪熊の爺は、声をふりしぼって、まだはね返そうと、もがきながら、「言うともな。あれはただ、わしが薬をのましょうと思うたのじゃ。それを、あの阿濃の阿呆めが、どうしても飲みおらぬ。されば、ついわしも手荒な事をした。それだけじゃ。いや、まだある。薬をこしらえおったのは、おばばじゃ。わしの知った事ではない。」
「薬? では、堕胎薬だな。いくら阿呆でも、いやがる者をつかまえて、非道な事をするおやじだ。」
「それ見い。言えと言うから、言えば、なおおぬしは、わしを殺す気になるわ。人殺し。極道。」
「たれがおぬしを殺すと言った?」
「殺さぬ気なら、なぜおぬしこそ、太刀の柄へ手をかけているのじゃ。」
老人は、汗にぬれたはげ頭を仰向けて、上目に太郎を見上げながら、口角に泡をためて、こう叫んだ。太郎は、はっと思った。殺すなら、今だという気が、心頭をかすめて、一閃する。彼は思わず、ひざに力を入れながら、太刀の柄を握りしめて、老人の頸のあたりをじっと見た。わずかに残った胡麻塩の毛が、後頭部を半ばおおった下に、二筋の腱が、赤い鳥肌の皮膚のしわを、そこだけ目だたないように、のばしている。――太郎は、その頸を見た時に、不思議な憐憫を感じだした。
「人殺し。親殺し。うそつき。親殺し。親殺し。」
猪熊の爺は、つづけさまに絶叫しながら、ようやく、太郎のひざの下からはね起きた。はね起きると、すばやく倒れた遣戸を小盾にとって、きょろきょろ、目を左右にくばりながら、すきさえあれば、逃げようとする。――その一面に赤く地ばれのした、目も鼻もゆがんでいる、狡猾らしい顔を見ると、太郎は、今さらのように、殺さなかったのを後悔した。が、彼はおもむろに太刀の柄から手を離すと、彼自身をあわれむように苦笑をくちびるに浮かべながら、手近の古畳の上へしぶしぶ腰をおろした。
「おぬしを殺すような太刀は、持たぬわ。」
「殺せば、親殺しじゃて。」
彼の様子に安心した、猪熊の爺は、そろそろ遣戸の後ろから、にじり出ながら、太郎のすわったのと、すじかいに敷いた畳の上へ、自分も落ちつかない尻をすえた。
「おぬしを殺して、なんで親殺しになる?」
太郎は、目を窓にやりながら、吐き出すように、こう言った。四角に空を切りぬいた窓の中には、枇杷の木が、葉の裏表に日を受けて、明暗さまざまな緑の色を、ひっそりと風のないこずえにあつめている。
「親殺しじゃよ。――なぜと言えばな。沙金は、わしの義理の子じゃ。されば、つながるおぬしも、子ではないか。」
「じゃ、その子を妻にしているおぬしは、なんだ。畜生かな、それともまた、人間かな。」
老人は、さっきの争いに破れた、水干の袖を気にしながら、うなるような声で言った。
「畜生でも、親殺しはすまいて。」
太郎は、くちびるをゆがめて、あざわらった。
「相変わらず、達者な口だて。」
「何が達者な口じゃ。」
猪熊の爺は、急に鋭く、太郎の顔をにらめたが、やがてまた、鼻で笑いながら、
「されば、おぬしにきくがな、おぬしは、このわしを、親と思うか。いやさ、親と思う事ができるかよ。」
「きくまでもないわ。」
「できまいな」
「おお、できない。」
「それが手前勝手じゃ。よいか。沙金はおばばのつれ子じゃよ。が、わしの子ではない。されば、おばばにつれそうわしが、沙金を子じゃと思わねばならぬなら、沙金につれそうおぬしも、わしを親じゃと思わねばなるまいがな。それをおぬしは、わしを親とも思わぬ。思わぬどころか、場合によっては、打ち打擲もするではないか。そのおぬしが、わしにばかり、沙金を子と思えとは、どういうわけじゃ。妻にして悪いとは、どういうわけじゃ。沙金を妻にするわしが、畜生なら、親を殺そうとするおぬしも、畜生ではないか。」
老人は、勝ち誇った顔色で、しわだらけの人さし指を、相手につきつけるようにしながら、目をかがやかせて、しゃべり立てた。
「どうじゃ。わしが無理か、おぬしが無理か、いかなおぬしにも、このくらいな事はわかるであろう。それもわしとおばばとは、まだわしが、左兵衛府の下人をしておったころからの昔なじみじゃ。おばばが、わしをどう思うたか、それは知らぬ。が、わしはおばばを懸想していた。」
太郎は、こういう場合、この酒飲みの、狡猾な、卑しい老人の口から、こういう昔語りを聞こうとは夢にも思っていなかった。いや、むしろ、この老人に、人並みの感情があるかどうか、それさえ疑わしいと、思っていた。懸想した猪熊の爺と懸想された猪熊のばばと、――太郎は、おのずから自分の顔に、一脈の微笑が浮かんで来るのを感じたのである。
「そのうちに、わしはおばばに情人がある事を知ったがな。」
「そんなら、おぬしはきらわれたのじゃないか。」
「情人があったとて、わしのきらわれたという、証拠にはならぬ。話の腰を折るなら、もうやめじゃ。」
猪熊の爺は、真顔になって、こう言ったが、すぐまた、ひざをすすめて、太郎のほうへにじり寄りながら、つばをのみのみ、話しだした。
「そのうちに、おばばがその情人の子をはらんだて。が、これはなんでもない。ただ、驚いたのは、その子を生むと、まもなく、おばばの行き方が、わからなくなって、しもうた事じゃ。人に聞けば、疫病で死んだの、筑紫へ下ったのと言いおるわ。あとで聞けば、なんの、奈良坂のしるべのもとへ、一時身を寄せておったげじゃ。が、わしは、それからにわかに、この世が味気なくなってしもうた。されば、酒も飲む、賭博も打つ。ついには、人に誘われて、まんまと強盗にさえ身をおとしたがな。綾を盗めば綾につけ、錦を盗めば、錦につけ、思い出すのは、ただ、おばばの事じゃ。それから十年たち、十五年たって、やっとまたおばばに、めぐり会ってみれば――」
今では全く、太郎と一つ畳にすわりこんだ老人は、ここまで話すと、次第に感情がたかぶって来たせいか、しばらくはただ、涙に頬をぬらしながら、口ばかり動かして、黙っている。太郎は、片目をあげて、別人を見るように、相手のべそをかいた顔をながめた。
「めぐり会ってみれば、おばばは、もう昔のおばばではない。わしも、昔のわしでなかったのじゃ。が、つれている子の沙金を見れば、昔のおばばがまた、帰って来たかと思うほど、おもかげがよう似ているて。されば、わしはこう思うた。今、おばばに別れれば、沙金ともまた別れなければならぬ。もし沙金と別れまいと思えば、おばばといっしょになるばかりじゃ。よし、ならば、おばばを妻にしよう――こう思い切って、持ったのが、この猪熊の痩世帯じゃ。………」
猪熊の爺は、泣き顔を、太郎の顔のそばへ持って来ながら、涙声でこう言った。すると、その拍子に、今まで気のつかなかった、酒くさいにおいが、ぷんとする。――太郎は、あっけにとられて、扇のかげに、鼻をかくした。
「されば、昔からきょうの日まで、わしが命にかけて思うたのは、ただ、昔のおばば一人ぎりじゃ。つまりは今の沙金一人ぎりじゃよ。それを、おぬしは、何かにつけて、わしを畜生じゃなどと言う。このおやじがおぬしは、それほど憎いのか。憎ければ、いっそ殺すがよい。今ここで、殺すがよい。おぬしに殺されれば、わしも本望じゃ。が、よいか、親を殺すからは、おぬしも、畜生じゃぞよ。畜生が畜生を殺す――これは、おもしろかろう。」
涙がかわくに従って、老人はまた、元のように、ふて腐れた悪態をつきながら、しわだらけの人さし指をふり立てた。
「畜生が畜生を殺すのじゃ。さあ殺せ。おぬしは、卑怯者じゃな。ははあ、さっき、わしが阿濃に薬をくれようとしたら、おぬしが腹を立てたのを見ると、あの阿呆をはらませたのも、おぬしらしいぞ。そのおぬしが、畜生でのうて、何が畜生じゃ。」
こう言いながら、老人は、いちはやく、倒れた遣戸の向こうへとびのいて、すわと言えば、逃げようとするけはいを示しながら、紫がかった顔じゅうの造作を、憎々しくゆがめて見せる。――太郎は、あまりの雑言に堪えかねて、立ち上がりながら、太刀の柄へ手をかけたが、やめて、くちびるを急に動かすとたちまち相手の顔へ、一塊の痰をはきかけた。
「おぬしのような畜生には、これがちょうど、相当だわ。」
「畜生呼ばわりは、おいてくれ。沙金は、おぬしばかりの妻かよ。次郎殿の妻でもないか。されば、弟の妻をぬすむおぬしもやはり、畜生じゃ。」
太郎は、再びこのおやじを殺さなかった事を後悔した。が、同時にまた、殺そうという気の起こる事を恐れもした。そこで、彼は、片目を火のようにひらめかせながら、黙って、席を蹴って去ろうとする――すると、その後ろから、猪熊の爺はまた、指をふりふり、罵詈を浴びせかけた。
「おぬしは、今の話をほんとうだと思うか。あれは、みんなうそじゃ。ばばが昔なじみじゃというのも、うそなら、沙金がおばばに似ているというのもうそじゃ。よいか。あれは、みんなうそじゃ。が、とがめたくも、おぬしはとがめられまい。わしはうそつきじゃよ。畜生じゃよ。おぬしに殺されそくなった、人でなしじゃよ。………」
老人は、こう唾罵を飛ばしながら、おいおい、呂律がまわらなくなって来た。が、なおも濁った目に懸命の憎悪を集めながら、足を踏み鳴らして、意味のない事を叫びつづける。――太郎は、堪えがたい嫌悪の情に襲われて、耳をおおうようにしながら、匇々、猪熊の家を出た。外には、やや傾きかかった日がさして、相変わらずその中を、燕が軽々と流れている。――
「どこへ行こう。」
外へ出て、思わずこう小首を傾けた太郎は、ふとさっきまでは、自分が沙金に会うつもりで、猪熊へ来たのに、気がついた。が、どこへ行ったら、沙金に会えるという、当てもない。
「ままよ。羅生門へ行って、日の暮れるのでも待とう。」
彼のこの決心には、もちろん、いくぶん沙金に会えるという望みが、隠れている。沙金は、日ごろから、強盗にはいる夜には、好んで、男装束に身をやつした。その装束や打ち物は、みな羅生門の楼上に、皮子へ入れてしまってある。――彼は、心をきめて、小路を南へ、大またに歩きだした。
それから、三条を西へ折れて、耳敏川の向こう岸を、四条まで下ってゆく――ちょうど、その四条の大路へ出た時の事である。太郎は、一町を隔てて、この大路を北へ、立本寺の築土の下を、話しながら通りかかる、二人の男女の姿を見た。
朽ち葉色の水干とうす紫の衣とが、影を二つ重ねながら、はればれした笑い声をあとに残して、小路から小路へ通りすぎる。めまぐるしい燕の中に、男の黒鞘の太刀が、きらりと日に光ったかと思うと、二人はもう見えなくなった。
太郎は、額を曇らせながら、思わず道ばたに足をとめて、苦しそうにつぶやいた。
「どうせみんな畜生だ。」
六
ふけやすい夏の夜は、早くも亥の上刻に迫って来た。――
月はまだ上らない。見渡す限り、重苦しいやみの中に、声もなく眠っている京の町は、加茂川の水面がかすかな星の光をうけて、ほのかに白く光っているばかり、大路小路の辻々にも、今はようやく灯影が絶えて、内裏といい、すすき原といい、町家といい、ことごとく、静かな夜空の下に、色も形もおぼろげな、ただ広い平面を、ただ、際限もなく広げている。それがまた、右京左京の区別なく、どこも森閑と音を絶って、たまに耳にはいるのは、すじかいに声を飛ばすほととぎすのほかに、何もない。もしその中に一点でも、人なつかしい火がゆらめいて、かすかなものの声が聞こえるとすれば、それは、香の煙のたちこめた大寺の内陣で、金泥も緑青も所斑な、孔雀明王の画像を前に、常燈明の光をたのむ参籠の人々か、さもなくば、四条五条の橋の下で、短夜を芥火の影にぬすむ、こじき法師の群れであろう。あるいはまた、夜な夜な、往来の人をおびやかす朱雀門の古狐が、瓦の上、草の間に、ともすともなくともすという、鬼火のたぐいであるかもしれない。が、そのほかは、北は千本、南の鳥羽街道の境を尽くして、蚊やりの煙のにおいのする、夜色の底に埋もれながら、河原よもぎの葉を動かす、微風もまるで知らないように、沈々としてふけている。
その時、王城の北、朱雀大路のはずれにある、羅生門のほとりには、時ならない弦打ちの音が、さながら蝙蝠の羽音のように、互いに呼びつ答えつして、あるいは一人、あるいは三人、あるいは五人、あるいは八人、怪しげないでたちをしたものの姿が、次第にどこからか、つどって来た。おぼつかない星明かりに透かして見れば、太刀をはくもの、矢を負うもの、斧を執るもの、戟を持つもの、皆それぞれ、得物に身を固めて、脛布藁沓の装いもかいがいしく、門の前に渡した石橋へ、むらむらと集まって、列を作る――と、まっさきには、太郎がいた。それにつづいて、さっきの争いも忘れたように、猪熊の爺が、物々しく鉾の先を、きらりと暗にひらめかせる。続いて、次郎、猪熊のばば、少し離れて、阿濃もいる。それにかこまれて、沙金は一人、黒い水干に太刀をはいて、胡簶を背に弓杖をつきながら、一同を見渡して、あでやかな口を開いた。――
「いいかい。今夜の仕事は、いつもより手ごわい相手なんだからね。みなそのつもりで、いておくれ。さしずめ十五六人は、太郎さんといっしょに、裏から、あとはわたしといっしょに、表からはいってもらおう。中でも目ぼしいのは、裏の厩にいる陸奥出の馬だがね。これは、太郎さん、あなたに頼んでおくわ。よくって。」
太郎は、黙って星を見ていたが、これを聞くと、くちびるをゆがめながら、うなずいた。
「それから断わっておくが、女子供を質になんぞとっては、いけないよ。あとの始末がめんどうだからね。じゃ、人数がそろったら、そろそろ出かけよう。」
こう言って、沙金は弓をあげて、一同をさしまねいたが、しょんぼり、指をかんで立っている、阿濃を顧みると、またやさしくことばを添えた。
「じゃ、お前はここで、待っていておくれ。一刻か二刻で、皆帰ってくるからね。」
阿濃は、子供のように、うっとり沙金の顔を見て、静かに合点した。
「されば、行こう。ぬかるまいぞ、多襄丸。」
猪熊の爺は、戟をたばさみながら、隣にいる仲間をふり返った。蘇芳染の水干を着た相手は、太刀のつばを鳴らして、「ふふん」と言ったまま、答えない。そのかわりに、斧をかついだ、青ひげのさわやかな男が、横あいから、口を出した。
「おぬしこそ、また影法師なぞにおびえまいぞ。」
これと共に、二十三人の盗人どもは、ひとしく忍び笑いをもらしながら、沙金を中に、雨雲のむらがるごとく、一団の殺気をこめて、朱雀大路へ押し出すと、みぞをあふれた泥水が、くぼ地くぼ地へ引かれるようにやみにまぎれて、どこへ行ったか、たちまちのうちに、見えなくなった。……
あとには、ただ、いつか月しろのした、うす明るい空にそむいて、羅生門の高い甍が、寂然と大路を見おろしているばかり、またしてもほととぎすの、声がおちこちに断続して、今まで七丈五級の大石段に、たたずんでいた阿濃の姿も、どこへ行ったか、見えなくなった。――が、まもなく、門上の楼に、おぼつかない灯がともって、窓が一つ、かたりとあくと、その窓から、遠い月の出をながめている、小さな女の顔が出た。阿濃は、こうして、次第に明るくなってゆく京の町を、目の下に見おろしながら、胎児の動くのを感じるごとに、ひとりうれしそうに、ほほえんでいるのである。
七
次郎は、二人の侍と三頭の犬とを相手にして、血にまみれた太刀をふるいながら、小路を南へ二三町、下るともなく下って来た。今は沙金の安否を気づかっている余裕もない。侍は衆をたのんで、すきまもなく切りかける。犬も毛の逆立った背をそびやかして、前後をきらわず、飛びかかった。おりからの月の光に、往来は、ほのかながら、打つ太刀をたがわせないほどに、明るくなっている。――次郎は、その中で、人と犬とに四方を囲まれながら、必死になって、切りむすんだ。
相手を殺すか、相手に殺されるか、二つに一つより生きる道はない。彼の心には、こういう覚悟と共に、ほとんど常軌を逸した、凶猛な勇気が、刻々に力を増して来た。相手の太刀を受け止めて、それを向こうへ切り返しながら、足もとを襲おうとする犬を、とっさに横へかわしてしまう。――彼は、この働きをほとんど同時にした。そればかりではない。どうかするとその拍子に切り返した太刀を、逆にまわして、後ろから来る犬の牙を、防がなければならない事さえある。それでもさすがにいつか傷をうけたのであろう。月明かりにすかして見ると、赤黒いものが一すじ、汗ににじんで、左の小鬢から流れている。が、死に身になった次郎には、その痛みも気にならない。彼は、ただ、色を失った額に、ひいでた眉を一文字にひそめながら、あたかも太刀に使われる人のように、烏帽子も落ち、水干も破れたまま、縦横に刃を交えているのである。
それがどのくらい続いたか、わからない。が、やがて、上段に太刀をふりかざした侍の一人が、急に半身を後ろへそらせて、けたたましい悲鳴をあげたと思うと、次郎の太刀は、早くもその男の脾腹を斜めに、腰のつがいまで切りこんだのであろう。骨を切る音が鈍く響いて、横に薙いだ太刀の光が、うすやみをやぶってきらりとする。――と、その太刀が宙におどって、もう一人の侍の太刀を、ちょうと下から払ったと見る間に、相手は肘をしたたか切られて、やにわに元来たほうへ、敗走した。それを次郎が追いすがりざまに、切ろうとしたのと、狩犬の一頭が鞠のように身をはずませて、彼の手もとへかぶりついたのとが、ほとんど、同時の働きである。彼は、一足あとへとびのきながら、ふりむかった血刀の下に、全身の筋肉が一時にゆるむような気落ちを感じて、月に黒く逃げてゆく相手の後ろ姿を見送った。そうしてそれと共に、悪夢からさめた人のような心もちで、今自分のいる所が、ほかならない立本寺の門前だという事に気がついた。――
これから半刻ばかり以前の事である。藤判官の屋敷を、表から襲った偸盗の一群は、中門の右左、車宿りの内外から、思いもかけず射出した矢に、まず肝を破られた。まっさきに進んだ真木島の十郎が、太腿を箆深く射られて、すべるようにどうと倒れる。それを始めとして、またたく間に二三人、あるいは顔を破り、あるいは臂を傷つけて、あわただしく後ろを見せた。射手の数は、もちろん何人だかわからない。が、染め羽白羽のとがり矢は、中には物々しい鏑の音さえ交えて、またひとしきり飛んで来る。後ろに下がっていた沙金でさえ、ついには黒い水干の袖を斜めに、流れ矢に射通された。
「お頭にけがをさすな。射ろ。射ろ。味方の矢にも、鏃があるぞ。」
交野の平六が、斧の柄をたたいて、こうののしると、「おう」という答えがあって、たちまち盗人の中からも、また矢叫びの声が上がり始める。太刀の柄に手をかけて、やはり後ろに下がっていた次郎は、平六のこのことばに、一種の苛責を感じながら、見ないようにして沙金の顔を横からそっとのぞいて見た。沙金は、この騒ぎのうちにも冷然とたたずみながら、ことさら月の光にそむきいて、弓杖をついたまま、口角の微笑もかくさず、じっと矢の飛びかうのを、ながめている。――すると、平六が、またいら立たしい声を上げて、横あいから、こう叫んだ。
「なぜ十郎を捨てておくのじゃ。おぬしたちは矢玉が恐ろしゅうて、仲間を見殺しにする気かよ。」
太腿を縫われた十郎は、立ちたくも立てないのであろう、太刀を杖にして居ざりながら、ちょうど羽根をぬかれた鴉のように、矢を避け避け、もがいている。次郎は、それを見ると、異様な戦慄を覚えて、思わず腰の太刀をぬき払った。が、平六はそれを知ると、流し目にじろりと彼の顔を見て、
「おぬしは、お頭に付き添うていればよい。十郎の始末は、小盗人でたくさんじゃ。」と、あざけるように言い放った。
次郎は、このことばに皮肉な侮蔑を感じて、くちびるをかみながら、鋭く平六の顔を見返した。――すると、ちょうどそのとたんである。十郎を救おうとして、ばらばらと走り寄った、盗人たちの機先を制して、耳をつんざく一声の角を合図に、粉々として乱れる矢の中を、門の内から耳のとがった、牙の鋭い、狩犬が六七頭すさまじいうなり声を立てながら、夜目にも白くほこりを巻いて、まっしぐらに衝いて出た。続いてそのあとから十人十五人、手に手に打ち物を取った侍が、先を争って屋敷の外へ、ひしめきながらあふれて来る。味方ももちろん、見てはいない。斧をふりかざした平六を先に立てて、太刀や鉾が林のように、きらめきながら並んだ中から、人とも獣ともつかない声を、たれとも知らずわっと上げると、始めのひるんだけしきにも似ず一度に備えを立て直して、猛然として殺到する。沙金も、今は弓にたかうすびょうの矢をつがえて、まだ微笑を絶たない顔に、一脈の殺気を浮かべながら、すばやく道ばたの築土のこわれを小楯にとって、身がまえた。――
やがて敵と味方は、見る見るうちに一つになって、気の違ったようにわめきながら、十郎の倒れている前後をめぐって、無二無三に打ち合い始めた。その中にまた、狩犬がけたたましく、血に飢えた声を響かせて、戦いはいずれが勝つとも、しばらくの間はわからない。そこへ一人、裏へまわった仲間の一人が、汗と埃とにまみれながら、二三か所薄手を負うた様子で、血に染まったままかけつけた。肩にかついだ太刀の刃のこぼれでは、このほうの戦いも、やはり存外手痛かったらしい。
「あっちは皆ひき上げますぜ。」
その男は、月あかりにすかしながら、沙金の前へ来ると、息を切らし切らし、こう言った。
「なにしろ肝腎の太郎さんが、門の中で、やつらに囲まれてしまったという騒ぎでしてな。」
沙金と次郎とは、うす暗い築土の影の中で、思わず目と目を見合わせた。
「囲まれて、どうしたえ。」
「どうしたか、わかりません。が、事によると、――まあそれもあの人の事だから、万々大丈夫だろうと思いますがな。」
次郎は、顔をそむけながら、沙金のそばを離れた。が、小盗人はもちろんそんな事は、気にとめない。
「それにおじじやおばばまで、手を負ったようでした。あのぶんじゃ殺されたやつも、四五人はありましょう。」
沙金はうなずいた。そうして次郎のあとから追いかけるように、険のある声で、
「じゃ、わたしたちもひき上げましょう。次郎さん、口笛を吹いてちょうだい。」と言った。
次郎は、あらゆる表情が、凝り固まったような顔をしながら、左手の指を口へ含んで、鋭く二声、口笛の音を飛ばせた。これが、仲間にだけ知られている、引き揚げの時の合図である。が、盗人たちは、この口笛を聞いても、踵をめぐらす様子がない。(実は、人と犬とにとりかこまれてめぐらすだけの余裕がなかったせいであろう。)口笛の音は、蒸し暑い夜の空気を破って、むなしく小路の向こうに消えた。そうしてそのあとには、人の叫ぶ声と、犬のほえる声と、それから太刀の打ち合う音とが、はるかな空の星を動かして、いっそう騒然と、立ちのぼった。
沙金は、月を仰ぎながら、稲妻のごとく眉を動かした。
「しかたがないわね。じゃ、わたしたちだけ帰りましょう。」
そういう話のまだ終わらないうちに、そうして、次郎がそれを聞かないもののように、再び指を口に含んで相図を吹こうとした時に、盗人たちの何人かが、むらむらと備えを乱して、左右へ分かれた中から、人と犬とが一つになって、二人の近くへ迫って来た。――と思うと、沙金の手に弓返りの音がして、まっさきに進んだ白犬が一頭、たかうすびょうの矢に腹を縫われて、苦鳴と共に、横に倒れる。見る間に、黒血がその腹から、斑々として砂にたれた。が、犬に続いた一人の男は、それにもおじず、太刀をふりかざして、横あいから次郎に切ってかかる。その太刀が、ほとんど無意識に受けとめた、次郎の太刀の刃を打って、鏘然とした響きと共に、またたく間、火花を散らした。――次郎はその時、月あかりに、汗にぬれた赤ひげと切り裂かれた樺桜の直垂とを、相手の男に認めたのである。
彼は直下に、立本寺の門前を、ありありと目に浮かべた。そうして、それと共に、恐ろしい疑惑が、突然として、彼を脅かした。沙金はこの男と腹を合わせて、兄のみならず、自分をも殺そうとするのではあるまいか。一髪の間にこういう疑いをいだいた次郎は、目の前が暗くなるような怒りを感じて、相手の太刀の下を、脱兎のごとく、くぐりぬけると、両手に堅く握った太刀を、奮然として、相手の胸に突き刺した。そうして、ひとたまりもなく倒れる相手の男の顔を、したたか藁沓でふみにじった。
彼は、相手の血が、生暖かく彼の手にかかったのを感じた。太刀の先が肋の骨に触れて、強い抵抗を受けたのを感じた。そうしてまた、断末魔の相手が、ふみつけた彼の藁沓に、下から何度もかみついたのを感じた。それが、彼の復讐心に、快い刺激を与えたのは、もちろんである。が、それにつれて、彼はまた、ある名状しがたい心の疲労に、襲われた。もし周囲が周囲だったら、彼は必ずそこに身を投げ出して、飽くまで休息をむさぼった事であろう。しかし、彼が相手の顔をふみつけて、血のしたたる太刀を向こうの胸から引きぬいているうちに、もう何人かの侍は、四方から彼をとり囲んだ。いや、すでに後ろから、忍びよった男の鉾は、危うく鋒を、彼の背に擬している。が、その男は、不意に前へよろめくと、鉾の先に次郎の水干の袖を裂いて、うつむけにがくりと倒れた。たかうすびょうの矢が一筋、颯然と風を切りながら、ひとゆりゆって後頭部へ、ぐさと箆深く立ったからである。
それからのちの事は、次郎にも、まるで夢のようにしか思われない。彼はただ、前後左右から落ちて来る太刀の中に、獣のようなうなり声を出して、相手を選まず渡り合った。周囲に沸き返っている、声とも音ともつかない物の響きと、その中に出没する、血と汗とにまみれた人の顔と――そのほかのものは、何も目にはいらない。ただ、さすがに、あとにのこして来た沙金の事が、太刀からほとばしる火花のように、時々心にひらめいた。が、ひらめいたと思ううちに、刻々迫ってくる生死の危急が、たちまちそれをかき消してしまう。そうして、そのあとにはまた、太刀音と矢たけびとが、天をおおう蝗の羽音のように、築土にせかれた小路の中で、とめどもなくわき返った。――次郎は、こういう勢いに促されて、いつか二人の侍と三頭の犬とに追われながら、小路を南へ少しずつ切り立てられて来たのである。
が、相手の一人を殺し、一人を追いはらったあとで、犬だけなら、恐れる事もないと思ったのは、結局次郎の空だのみにすぎなかった。犬は三頭が三頭ながら、大きさも毛なみも一対な茶まだらの逸物で、子牛もこれにくらべれば、大きい事はあっても、小さい事はない。それが皆、口のまわりを人間の血にぬらして、前に変わらず彼の足もとへ、左右から襲いかかった。一頭の頤を蹴返すと、一頭が肩先へおどりかかる。それと同時に、一頭の牙が、すんでに太刀を持った手を、かもうとした。とまた、三頭とも巴のように、彼の前後に輪を描いて、尾を空ざまに上げながら、砂のにおいをかぐように、頤を前足へすりつけて、びょうびょうとほえ立てる。――相手を殺したのに、気のゆるんだ次郎は、前よりもいっそう、この狩犬の執拗い働きに悩まされた。
しかも、いら立てば立つほど、彼の打つ太刀は皆空を切って、ややともすれば、足場を失わせようとする。犬は、そのすきに乗じて、熱い息を吐きながら、いよいよ休みなく肉薄した。もうこうなっては、ただ、窮余の一策しか残っていない。そこで、彼は、事によったら、犬が追いあぐんで、どこかに逃げ場ができるかもしれないという、一縷の望みにたよりながら、打ちはずした太刀を引いて、おりから足をねらった犬の背を危うく向こうへとび越えると、月の光をたよりにして、ひた走りに走り出した。が、もとよりこの企ても、しょせんはおぼれようとするものが、藁でもつかむのと変わりはない。犬は、彼が逃げるのを見ると、ひとしくきりりと尾を巻いて、あと足に砂を蹴上げながら真一文字に追いすがった。
が、彼のこの企ては、単に失敗したというだけの事ではない。実はそれがために、かえって虎口にはいるような事ができたのである。――次郎は立本寺の辻をきわどく西へ切れて、ものの二町と走るか走らないうちに、たちまち行く手の夜を破って、今自身を追っている犬の声より、より多くの犬の声が、耳を貫ぬいて起こるのを聞いた。それから、月に白んだ小路をふさいで、黒雲に足のはえたような犬の群れが、右往左往に入り乱れて、餌食を争っているさまが見えた。最後に――それはほとんど寸刻のいとまもなかったくらいである。すばやく彼を駆けぬけた狩犬の一頭が、友を集めるように高くほえると、そこに狂っていた犬の群れは、ことごとく相呼び相答えて、一度に狺々の声をあげながら、見る間に彼を、その生きて動く、なまぐさい毛皮の渦巻きの中へ巻きこんだ。深夜、この小路に、こうまで犬の集まっていたのは、もとよりいつもある事ではない。次郎は、この廃都をわが物顔に、十二十と頭をそろえて、血のにおいに飢えて歩く、獰猛な野犬の群れが、ここに捨ててあった疫病の女を、宵のうちから餌食にして、互いに牙をかみながら、そのちぎれちぎれな肉や骨を、奪い合っているところへ、来たのである。
犬は、新しい餌食を見ると、一瞬のいとまもなく、あらしに吹かれて飛ぶ稲穂のように、八方から次郎へ飛びかかった。たくましい黒犬が、太刀の上をおどり越えると、尾のない狐に似た犬が、後ろから来て、肩をかすめる。血にぬれた口ひげが、ひやりと頬にさわったかと思うと、砂だらけな足の毛が、斜めに眉の間をなでた。切ろうにも突こうにも、どれと相手を定める事ができない。前を見ても、後ろを見ても、ただ、青くかがやいている目と、絶えずあえいでいる口とがあるばかり、しかもその目とその口が、数限りもなく、道をうずめて、ひしひしと足もとに迫って来る。――次郎は、太刀を回しながら、急に、猪熊のばばの話を思い出した。「どうせ死ぬのなら一思いに死んだほうがいい。」彼は、そう心に叫んで、いさぎよく目をつぶったが、喉をかもうとする犬の息が、暖かく顔へかかると、思わずまた、目をあいて、横なぐりに太刀をふるった。何度それを繰り返したか、わからない。しかし、そのうちに、腕の力が、次第に衰えて来たのであろう、打つ太刀が、一太刀ごとに重くなった。今では踏む足さえ危うくなった。そこへ、切った犬の数よりも、はるかに多い野犬の群れが、あるいは芒原の向こうから、あるいは築土のこわれをぬけて、続々として、つどって来る。――
次郎は、絶望の目をあげて、天上の小さな月を一瞥しながら、太刀を両手にかまえたまま、兄の事や沙金の事を、一度に石火のごとく、思い浮かべた。兄を殺そうとした自分が、かえって犬に食われて死ぬ。これより至極な天罰はない。――そう思うと、彼の目には、おのずから涙が浮かんだ。が、犬はその間も、用捨はしない。さっきの狩犬の一頭が、ひらりと茶まだらな尾をふるったかと思うと、次郎はたちまち左の太腿に、鋭い牙の立ったのを感じた。
するとその時である。月にほのめいた両京二十七坊の夜の底から、かまびすしい犬の声を圧してはるかに戞々たる馬蹄の音が、風のように空へあがり始めた。……
―――――――――――――――――
しかしその間も阿濃だけは、安らかな微笑を浮かべながら、羅生門の楼上にたたずんで、遠くの月の出をながめている。東山の上が、うす明るく青んだ中に、ひでりにやせた月は、おもむろにさみしく、中空に上ってゆく。それにつれて、加茂川にかかっている橋が、その白々とした水光りの上に、いつか暗く浮き上がって来た。
ひとり加茂川ばかりではない。さっきまでは、目の下に黒く死人のにおいを蔵していた京の町も、わずかの間に、つめたい光の鍍金をかけられて、今では、越の国の人が見るという蜃気楼のように、塔の九輪や伽藍の屋根を、おぼつかなく光らせながら、ほのかな明るみと影との中に、あらゆる物象を、ぼんやりとつつんでいる。町をめぐる山々も、日中のほとぼりを返しているのであろう、おのずから頂きをおぼろげな月明かりにぼかしながら、どの峰も、じっと物を思ってでもいるように、うすい靄の上から、静かに荒廃した町を見おろしている――と、その中で、かすかに凌霄花のにおいがした。門の左右を埋める藪のところどころから、簇々とつるをのばしたその花が、今では古びた門の柱にまといついて、ずり落ちそうになった瓦の上や、蜘蛛の巣をかけた楹の間へ、はい上がったのがあるからであろう。……
窓によりかかった阿濃は、鼻の穴を大きくして、思い入れ凌霄花のにおいを吸いながら、なつかしい次郎の事を、そうして、早く日の目を見ようとして、動いている胎児の事を、それからそれへと、とめどなく思いつづけた。――彼女は双親を覚えていない。生まれた所の様子さえ、もう全く忘れている。なんでも幼い時に一度、この羅生門のような、大きな丹塗りの門の下を、たれかに抱くか、負われかして、通ったという記憶がある。が、これももちろん、どのくらいほんとうだか、確かな事はわからない。ただ、どうにかこうにか、覚えているのは、物心がついてからのちの事ばかりである。そうして、それがまた、覚えていないほうがよかったと思うような事ばかりである。ある時は、町の子供にいじめられて、五条の橋の上から河原へ、さかさまにつき落とされた。ある時は、飢えにせまってした盗みの咎で、裸のまま、地蔵堂の梁へつり上げられた。それがふと沙金に助けられて、自然とこの盗人の群れにはいったが、それでも苦しい目にあう事は、以前と少しも変わりがない。白痴に近い天性を持って生まれた彼女にも、苦しみを、苦しみとして感じる心はある。阿濃は猪熊のばばの気に逆らっては、よくむごたらしく打擲された。猪熊の爺には、酔った勢いで、よく無理難題を言いかけられた。ふだんは何かといたわってくれる沙金でさえ、癇にさわると、彼女の髪の毛をつかんで、ずるずる引きずりまわす事がある。まして、ほかの盗人たちは、打つにもたたくにも、用捨はない。阿濃は、そのたびにいつもこの羅生門の上へ逃げて来ては、ひとりでしくしく泣いていた。もし次郎が来なかったら、そうして時々、やさしいことばをかけてくれなかったら、おそらくとうにこの門の下へ身を投げて、死んでしまっていた事であろう。
煤のようなものが、ひらひらと月にひるがえって、甍の下から、窓の外をうす青い空へ上がった。言うまでもなく蝙蝠である。阿濃は、その空へ目をやって、まばらな星に、うっとりとながめ入った。――するとまたひとしきり、腹の子が、身動きをする。彼女は急に耳をすますようにして、その身動きに気をつけた。彼女の心が、人間の苦しみをのがれようとして、もがくように、腹の子はまた、人間の苦しみを嘗めに来ようとして、もがいている。が、阿濃は、そんな事は考えない。ただ、母になるという喜びだけが、そうして、また、自分も母になれるという喜びだけが、この凌霄花のにおいのように、さっきから彼女の心をいっぱいにしているからである。
そのうちに、彼女はふと、胎児が動くのは、眠れないからではないかと思いだした。事によると、眠られないあまりに、小さな手や足を動かして、泣いてでもいるのかもしれない。「坊やはいい子だね。おとなしく、ねんねしておいで、今にじき夜が明けるよ。」――彼女は、こう胎児にささやいた。が、腹の中の身動きは、やみそうで、容易にやまない。そのうちに痛みさえ、どうやら少しずつ加わって来る。阿濃は、窓を離れて、その下にうずくまりながら、結び燈台のうす暗い灯にそむいて、腹の中の子を慰めようと、細い声で歌をうたった。
君をおきて
あだし心を
われ持たばや
なよや、末の松山
波も越えなむや
波も越えなむ
うろ覚えに覚えた歌の声は、灯のゆれるのに従って、ふるえふるえ、しんとした楼の中に断続した。歌は、次郎が好んでうたう歌である。酔うと、彼は必ず、扇で拍子をとりながら、目をねむって、何度もこの歌をうたう。沙金はよく、その節回しがおかしいと言って、手を打って笑った。――その歌を、腹の中の子が、喜ばないというはずはない。
しかし、その子が、実際次郎の胤かどうか、それは、たれも知っているものがない。阿濃自身も、この事だけは、全く口をつぐんでいる。たとえ盗人たちが、意地悪く子の親を問いつめても、彼女は両手を胸に組んだまま、はずかしそうに目を伏せて、いよいよ執拗く黙ってしまう。そういう時は、必ず垢じみた彼女の顔に女らしい血の色がさして、いつか睫毛にも、涙がたまって来る。盗人たちは、それを見ると、ますます何かとはやし立てて、腹の子の親さえ知らない、阿呆な彼女をあざわらった。が、阿濃は胎児が次郎の子だという事を、かたく心の中で信じている。そうして、自分の恋している次郎の子が、自分の腹にやどるのは、当然な事だと信じている。この楼の上で、ひとりさびしく寝るごとに、必ず夢に見るあの次郎が、親でなかったとしたならば、たれがこの子の親であろう。――阿濃は、この時、歌をうたいながら、遠い所を見るような目をして、蚊に刺されるのも知らずに、うつつながら夢を見た。人間の苦しみを忘れた、しかもまた人間の苦しみに色づけられた、うつくしく、いたましい夢である。(涙を知らないものの見る事ができる夢ではない。)そこでは、いっさいの悪が、眼底を払って、消えてしまう。が、人間の悲しみだけは、――空をみたしている月の光のように、大きな人間の悲しみだけは、やはりさびしくおごそかに残っている。……
なよや、末の松山
波も越えなむや
波も越えなむ
歌の声は、ともし火の光のように、次第に細りながら消えていった。そうして、それと共に、力のない呻吟の声が、暗を誘うごとく、かすかにもれ始めた。阿濃は、歌の半ばで、突然下腹に、鋭い疼痛を感じ出したのである。
―――――――――――――――――
相手の用意に裏をかかれた盗人の群れは、裏門を襲った一隊も、防ぎ矢に射しらまされたのを始めとして、中門を打って出た侍たちに、やはり手痛い逆撃ちをくらわせられた。たかが青侍の腕だてと思い侮っていた先手の何人かも、算を乱しながら、背を見せる――中でも、臆病な猪熊の爺は、たれよりも先に逃げかかったが、どうした拍子か、方角を誤って、太刀をぬきつれた侍たちのただ中へ、はいるともなく、はいってしまった。酒肥りした体格と言い、物々しく鉾をひっさげた様子と言い、ひとかど手なみのすぐれたものと、思われでもしたのであろう。侍たちは、彼を見ると、互いに目くばせをかわしながら、二人三人、鋒をそろえたまま、じりじり前後から、つめよせて来た。
「はやるまいぞ。わしはこの殿の家人じゃ。」
猪熊の爺は、苦しまぎれにあわただしくこう叫んだ。
「うそをつけ。――おのれにたばかれるような阿呆と思うか。――往生ぎわの悪いおやじじゃ。」
侍たちは、口々にののしりながら、早くも太刀を打ちかけようとする。もうこうなっては、逃げようとしても逃げられない。猪熊の爺の顔は、とうとう死人のような色になった。
「何がうそじゃ。何がうそじゃよ。」
彼は、目を大きくして、あたりをしきりに見回しながら、逃げ場はないかと気をあせった。額には、つめたい汗がわいて来る。手もふるえが止まらない。が、周囲は、どこを見ても、むごたらしい生死の争いが、盗人と侍との間に戦われているばかり、静かな月の下ではあるが、はげしい太刀音と叫喚の声とが、一塊になった敵味方の中から、ひっきりなしにあがって来る。――しょせん逃げられないとさとった彼は、目を相手の上にすえると、たちまち別人のように、凶悪なけしきになって、上下の齒をむき出しながら、すばやく鉾をかまえて、威丈高にののしった。
「うそをついたがどうしたのじゃ。阿呆。外道。畜生。さあ来い。」
こう言うことばと共に、鉾の先からは、火花が飛んだ。中でも屈竟な、赤あざのある侍が一人、衆に先んじてかたわらから、無二無三に切ってかかったのである。が、もとより年をとった彼が、この侍の相手になるわけはない。まだ十合と刃を合わせないうちに、見る見る、鉾先がしどろになって、次第にあとへ下がってゆく。それがやがて小路のまん中まで、切り立てられて来たかと思うと、相手は、大きな声を出して、彼が持っていた鉾の柄を、みごとに半ばから、切り折った。と、また一太刀、今度は、右の肩先から胸へかけて、袈裟がけに浴びせかける。猪熊の爺は、尻居に倒れて、とび出しそうに大きく目を見ひらいたが、急に恐怖と苦痛とに堪えられなくなったのであろう、あわてて高這いに這いのきながら声をふるわせて、わめき立てた。
「だまし討ちじゃ。だまし討ちを、食らわせおった。助けてくれ。だまし討ちじゃ。」
赤あざの侍は、その後ろからまた、のび上がって、血に染んだ太刀をふりかざした。その時もし、どこからか猿のようなものが、走って来て、帷子の裾を月にひるがえしながら、彼らの中へとびこまなかったとしたならば、猪熊の爺は、すでに、あえない最後を遂げていたのに相違ない。が、その猿のようなものは、彼と相手との間を押しへだてると、とっさに小刀をひらめかして、相手の乳の下へ刺し通した。そうして、それとともに、相手の横に払った太刀をあびて、恐ろしい叫び声を出しながら、焼け火箸でも踏んだように、勢いよくとび上がると、そのまま、向こうの顔へしがみついて、二人いっしょにどうと倒れた。
それから、二人の間には、ほとんど人間とは思われない、猛烈なつかみ合いが、始まった。打つ。噛む。髪をむしる。しばらくは、どちらがどちらともわからなかったが、やがて、猿のようなものが、上になると、再び小刀がきらりと光って、組みしかれた男の顔は、痣だけ元のように赤く残しながら、見ているうちに、色が変わった。すると、相手もそのまま、力が抜けたのか、侍の上へ折り重なって、仰向けにぐたりとなる――その時、始めて月の光にぬれながら、息も絶え絶えにあえいでいる、しわだらけの、蟇に似た、猪熊のばばの顔が見えた。
老婆は、肩で息をしながら、侍の死体の上に横たわって、まだ相手の髻をとらえた、左の手もゆるめずに、しばらくは苦しそうな呻吟の声をつづけていたが、やがて白い目を、ぎょろりと一つ動かすと、干からびたくちびるを、二三度無理に動かして、
「おじいさん。おじいさん。」と、かすかに、しかもなつかしそうに、自分の夫を呼びかけた。が、たれもこれに答えるものはない。猪熊の爺は、老女の救いを得ると共に、打ち物も何も投げすてて、こけつまろびつ、血にすべりながら、いち早くどこかへ逃げてしまった。そのあとにももちろん、何人かの盗人たちは、小路のそこここに、得物をふるって、必死の戦いをつづけている。が、それらは皆、この垂死の老婆にとって、相手の侍と同じような、行路の人に過ぎないのであろう。――猪熊のばばは、次第に細ってゆく声で、何度となく、夫の名を呼んだ。そうして、そのたびに、答えられないさびしさを、負うている傷の痛みよりも、より鋭く味わわされた。しかも、刻々衰えて行く視力には、次第に周囲の光景が、ぼんやりとかすんで来る。ただ、自分の上にひろがっている大きな夜の空と、その中にかかっている小さな白い月と、それよりほかのものは、何一つはっきりとわからない。
「おじいさん。」
老婆は、血の交じった唾を、口の中にためながら、ささやくようにこう言うと、それなり恍惚とした、失神の底に、――おそらくは、さめる時のない眠りの底に、昏々として沈んで行った。
その時である。太郎は、そこを栗毛の裸馬にまたがって、血にまみれた太刀を、口にくわえながら、両の手に手綱をとって、あらしのように通りすぎた。馬は言うまでもなく、沙金が目をつけた、陸奥出の三才駒であろう。すでに、盗人たちがちりぢりに、死人を残して引き揚げた小路は、月に照らされて、さながら霜を置いたようにうす白い。彼は、乱れた髪を微風に吹かせながら、馬上に頭をめぐらして、後にののしり騒ぐ人々の群れを、誇らかにながめやった。
それも無理はない。彼は、味方の破れるのを見ると、よしや何物を得なくとも、この馬だけは奪おうと、かたく心に決したのである。そうして、その決心どおり、葛巻きの太刀をふるいふるい、手に立つ侍を切り払って、単身門の中に踏みこむと、苦もなく厩の戸を蹴破って、この馬の覊綱を切るより早く、背に飛びのる間も惜しいように、さえぎるものをひづめにかけて、いっさんに宙を飛ばした。そのために受けた傷も、もとより数えるいとまはない。水干の袖はちぎれ、烏帽子はむなしく紐をとどめて、ずたずたに裂かれた袴も、なまぐさい血潮に染まっている。が、それも、太刀と鉾との林の中から、一人に会えば一人を切り、二人に会えば二人を切って、出て来た時の事を思えば、うれしくこそあれ、惜しくはない。――彼は、後ろを見返り見返り、晴れ晴れした微笑を、口角に漂わせながら、昂然として、馬を駆った。
彼の念頭には、沙金がある。と同時にまた、次郎もある。彼は、みずから欺く弱さをしかりながら、しかもなお沙金の心が再び彼に傾く日を、夢のように胸に描いた。自分でなかったなら、たれがこの馬をこの場合、奪う事ができるだろう。向こうには、人の和があった。しかも地の利さえ占めている。もし次郎だったとしたならば――彼の想像には、一瞬の間、侍たちの太刀の下に、切り伏せられている弟の姿が、浮かんだ。これは、もちろん、彼にとって、少しも不快な想像ではない。いやむしろ彼の中にあるある物は、その事実である事を、祈りさえした。自分の手を下さずに、次郎を殺す事ができるなら、それはひとり彼の良心を苦しめずにすむばかりではない。結果から言えば、沙金がそのために、自分を憎む恐れもなくなってしまう。そう思いながらも、彼は、さすがに自分の卑怯を恥じた。そうして口にくわえた太刀を、右手にとって、おもむろに血をぬぐった。
そのぬぐった太刀を、ちょうど鞘におさめた時である。おりから辻を曲がった彼は、行く手の月の中に、二十と言わず三十と言わず、群がる犬の数を尽くして、びょうびょうとほえ立てる声を聞いた。しかも、その中にただ一人、太刀をかざした人の姿が、くずれかかった築土を背負って、おぼろげながら黒く見える。と思う間に、馬は、高くいななきながら、長い鬣をさっと振るうと、四つの蹄に砂煙をまき上げて、またたく暇に太郎をそこへ疾風のように持って行った。
「次郎か。」
太郎は、我を忘れて、叫びながら、険しく眉をひそめて、弟を見た。次郎も片手に太刀をかざしながら、項をそらせて、兄を見た。そうして刹那に二人とも、相手の瞳の奥にひそんでいる、恐ろしいものを感じ合った。が、それは、文字どおり刹那である。馬は、吠えたける犬の群れに、脅かされたせいであろう、首を空ざまにつとあげると、前足で大きな輪をかきながら、前よりもすみやかに、空へ跳った。あとには、ただ、濛々としたほこりが、夜空に白く、ひとしきり柱になって、舞い上がる。次郎は、依然として、野犬の群れの中に、傷をこうむったまま、立ちすくんだ。……
太郎は――一時に、色を失った太郎の顔には、もうさっきの微笑の影はない。彼の心の中では、何ものかが、「走れ、走れ」とささやいている。ただ、一時、ただ、半時、走りさえすれば、それで万事が休してしまう。彼のする事を、いつかしなくてはならない事を、犬が代わってしてくれるのである。
「走れ、なぜ走らない?」ささやきは、耳を離れない。そうだ。どうせいつかしなくてはならない事である。おそいと早いとの相違がなんであろう。もし弟と自分の位置を換えたにしても、やはり弟は自分のしようとする事をするに違いない。「走れ。羅生門は遠くはない。」太郎は、片目に熱を病んだような光を帯びて、半ば無意識に、馬の腹を蹴った。馬は、尾と鬣とを、長く風になびかせながら、ひづめに火花を散らして、まっしぐらに狂奔する。一町二町月明かりの小路は、太郎の足の下で、急湍のように後ろへ流れた。
するとたちまちまた、彼のくちびるをついて、なつかしいことばが、あふれて来た。「弟」である。肉身の、忘れる事のできない「弟」である。太郎は、かたく手綱を握ったまま、血相を変えて歯がみをした。このことばの前には、いっさいの分別が眼底を払って、消えてしまう。弟か沙金かの、選択をしいられたわけではない。直下にこのことばが電光のごとく彼の心を打ったのである。彼は空も見なかった。道も見なかった。月はなおさら目にはいらなかった。ただ見たのは、限りない夜である。夜に似た愛憎の深みである。太郎は、狂気のごとく、弟の名を口外に投げると、身をのけざまに翻して、片手の手綱を、ぐいと引いた。見る見る、馬の頭が、向きを変える。と、また雪のような泡が、栗毛の口にあふれて、蹄は、砕けよとばかり、大地を打った。――一瞬ののち、太郎は、惨として暗くなった顔に、片目を火のごとくかがやかせながら、再び、もと来たほうへまっしぐらに汗馬を跳らせていたのである。
「次郎。」
近づくままに、彼はこう叫んだ。心の中に吹きすさぶ感情のあらしが、このことばを機会として、一時に外へあふれたのであろう。その声は、白燃鉄を打つような響きを帯びて、鋭く次郎の耳を貫ぬいた。
次郎は、きっと馬上の兄を見た。それは日ごろ見る兄ではない。いや、今しがた馬を飛ばせて、いっさんに走り去った兄とさえ、変わっている。険しくせまった眉に、かたく、下くちびるをかんだ歯に、そうしてまた、怪しく熱している片目に、次郎は、ほとんど憎悪に近い愛が、――今まで知らなかった、不思議な愛が燃え立っているのを見たのである。
「早く乗れ。次郎。」
太郎は、群がる犬の中に、隕石のような勢いで、馬を乗り入れると、小路を斜めに輪乗りをしながら、叱咤するような声で、こう言った。もとより躊躇に、時を移すべき場合ではない。次郎は、やにわに持っていた太刀を、できるだけ遠くへほうり投げると、そのあとを追って、頭をめぐらす野犬のすきをうかがって、身軽く馬の平首へおどりついた。太郎もまたその刹那に猿臂をのばし、弟の襟上をつかみながら、必死になって引きずり上げる。――馬の頭が、鬣に月の光を払って、三たび向きを変えた時、次郎はすでに馬背にあって、ひしと兄の胸をいだいていた。
と、たちまち一頭、血みどろの口をした黒犬が、すさまじくうなりながら、砂を巻いて鞍壺へ飛びあがった。とがった牙が、危うく次郎のひざへかかる。そのとたんに、太郎は、足をあげて、したたか栗毛の腹を蹴った。馬は、一声いななきながら、早くも尾を宙に振るう。――その尾の先をかすめながら、犬は、むなしく次郎の脛布を食いちぎって、うずまく獣の波の中へ、まっさかさまに落ちて行った。
が、次郎は、それをうつくしい夢のように、うっとりした目でながめていた。彼の目には、天も見えなければ、地も見えない。ただ、彼をいだいている兄の顔が、――半面に月の光をあびて、じっと行く手を見つめている兄の顔が、やさしく、おごそかに映っている。彼は、限りない安息が、おもむろに心を満たして来るのを感じた。母のひざを離れてから、何年にも感じた事のない、静かな、しかも力強い安息である。――
「にいさん。」
馬上にある事も忘れたように、次郎はその時、しかと兄をいだくと、うれしそうに微笑しながら、頬を紺の水干の胸にあてて、はらはらと涙を落としたのである。
半時ののち、人通りのない朱雀の大路を、二人は静かに馬を進めて行った。兄も黙っていれば、弟も口をきかない。しんとした夜は、ただ馬蹄の響きにこだまをかえして、二人の上の空には涼しい天の川がかかっている。
八
羅生門の夜は、まだ明けない。下から見ると、つめたく露を置いた甍や、丹塗りのはげた欄干に、傾きかかった月の光が、いざよいながら、残っている。が、その門の下は、斜めにつき出した高い檐に、月も風もさえぎられて、むし暑い暗がりが、絶えまなく藪蚊に刺されながら、酸えたようによどんでいる。藤判官の屋敷から、引き揚げてきた偸盗の一群は、そのやみの中にかすかな松明の火をめぐりながら、三々五々、あるいは立ちあるいは伏し、あるいは丸柱の根がたにうずくまって、さっきから、それぞれけがの手当てに忙しい。
中でも、いちばん重手を負ったのは、猪熊の爺である。彼は、沙金の古い袿を敷いた上に、あおむけに横たわって、半ば目をつぶりながら、時々ものにおびえるように、しわがれた声で、うめいている。一時の間、ここにこうしているのか、それとも一年も前から同じように寝ているのか、彼の困憊した心には、それさえ時々はわからない。目の前には、さまざまな幻が、瀕死の彼をあざけるように、ひっきりなく徂来すると、その幻と、現在門の下で起こっている出来事とが、彼にとっては、いつか全く同一な世界になってしまう。彼は、時と所とを分かたない、昏迷の底に、その醜い一生を、正確に、しかも理性を超越したある順序で、まざまざと再び、生活した。
「やい、おばば、おばばはどうした。おばば。」
彼は、暗から生まれて、暗へ消えてゆく恐ろしい幻に脅かされて、身をもだえながら、こううなった。すると、かたわらから額の傷を汗衫の袖で包んだ、交野の平六が顔を出して、
「おばばか。おばばはもう十万億土へ行ってしもうた。おおかた蓮の上でな、おぬしの来るのを、待ち焦がれている事じゃろう。」
言いすてて、自分の冗談を、自分でからからと笑いながら、向こうのすみに、真木島の十郎の腿のけがの手当をしている、沙金のほうをふり返って、声をかけた。
「お頭、おじじはちとむずかしいようじゃ。苦しめるだけ、殺生じゃて。わしがとどめを刺してやろうかと思うがな。」
沙金は、あでやかな声で、笑った。
「冗談じゃないよ。どうせ死ぬものなら、自然に死なしておやりな。」
「なるほどな、それもそうじゃ。」
猪熊の爺は、この問答を聞くと、ある予期と恐怖とに襲われて、からだじゅうが一時に凍るような心もちがした。そうして、また大きな声でうなった。平六と同じような理由で、敵には臆病な彼も、今までに何度、致死期の仲間の者をその鉾の先で、とどめを刺したかわからない。それも多くは、人を殺すという、ただそれだけの興味から、あるいは自分の勇気を人にも自分にも示そうとする、ただそれだけの目的から、進んでこの無残なしわざをあえてした。それが今は――
と、たれか、彼の苦しみも知らないように、灯の陰で一人、鼻歌をうたう者がある。
いたち笛ふき
猿かなず
いなごまろは拍子うつ
きりぎりす
ぴしゃりと、蚊をたたく音が、それに次いで聞こえる。中には「ほう、やれ」と拍子をとったものもあった。二三人が、肩をゆすったけはいで、息のつまったような笑い声を立てる。――猪熊の爺は、総身をわなわなふるわせながら、まだ生きているという事実を確かめたいために、重い眶を開いて、じっとともし火の光を見た。灯は、その炎のまわりに無数の輪をかけながら、執拗い夜に攻められて、心細い光を放っている。と、小さな黄金虫が一匹ぶうんと音を立てて、飛んで来て、その光の輪にはいったかと思うとたちまち羽根を焼かれて、下へ落ちた。青臭いにおいが、ひとしきり鼻を打つ。
あの虫のように、自分もほどなく死ななければならない。死ねば、どうせ蛆と蝿とに、血も肉も食いつくされるからだである。ああこの自分が死ぬ。それを、仲間のものは、歌をうたったり笑ったりしながら、何事もないように騒いでいる。そう思うと、猪熊の爺は、名状しがたい怒りと苦痛とに、骨髄をかまれるような心もちがした。そうして、それとともに、なんだか轆轤のようにとめどなく回っている物が、火花を飛ばしながら目の前へおりて来るような心もちがした。
「畜生。人でなし。太郎。やい。極道。」
まわらない舌の先から、おのずからこういうことばが、とぎれとぎれに落ちて来る。――真木島の十郎は、腿の傷が痛まないように、そっとねがえりをうちながら、喉のかわいたような声で、沙金にささやいた。
「太郎さんは、よくよく憎まれたものさな。」
沙金は、眉をひそめながら、ちょいと猪熊の爺のほうを見て、うなずいた。すると鼻歌をうたったのと同じ声で、
「太郎さんはどうした。」とたずねたものがある。
「まず助かるまいな。」
「死んだのを見たと言うたのは、たれじゃ。」
「わしは、五六人を相手に切り合うているのを見た。」
「やれやれ、頓生菩提、頓生菩提。」
「次郎さんも、見えないぞ。」
「これも事によると、同じくじゃ。」
太郎も死んだ。おばばも、もう生きてはいない。自分も、すぐに死ぬであろう。死ぬ。死ぬとは、なんだ。なんにしても、自分は死にたくない。が、死ぬ。虫のように、なんの造作もなく死んでしまう。――こんな取りとめのない考えが、暗の中に鳴いている藪蚊のように、四方八方から、意地悪く心を刺して来る。猪熊の爺は、形のない、気味の悪い「死」が、しんぼうづよく、丹塗りの柱の向こうに、じっと自分の息をうかがっているのを感じた。残酷に、しかもまた落ち着いて、自分の苦痛をながめているのを感じた。そうして、それが少しずつ居ざりながら、消えてゆく月の光のように、次第にまくらもとへすりよって来るのを感じた。なんにしても、自分は死にたくない。――
夜はたれとか寝む
常陸の介と寝む
寝たる肌もよし
男山の峰のもみじ葉
さぞ名はたつや
また、鼻歌の声が、油しめ木の音のような呻吟の声と一つになった。とたれか、猪熊の爺の枕もとで、つばをはきながら、こう言ったものがある。
「阿濃のあほうが見えぬの。」
「なるほど、そうじゃ。」
「おおかた、この上に寝ておろう。」
「や、上で猫が鳴くぞ。」
みな、一時にひっそりとなった。その中を、絶え絶えにつづく猪熊の爺のうなり声と一つになって、かすかに猫の声が聞こえて来る。と流れ風が、始めてなま暖かく、柱の間を吹いて、うす甘い凌霄花のにおいが、どこからかそっと一同の鼻を襲った。
「猫も化けるそうな。」
「阿濃の相手には、猫の化けた、老いぼれが相当じゃよ。」
すると、沙金が、衣ずれの音をさせて、たしなめるように、こう言った。
「猫じゃないよ。ちょっとたれか行って、見て来ておくれ。」
声に応じて、交野の平六が、太刀の鞘を、柱にぶっつけながら、立ち上がった。楼上に通う梯子は、二十いくつの段をきざんで、その柱の向こうにかかっている。――一同は、理由のない不安に襲われて、しばらくはたれも口をとざしてしまった。その間をただ、凌霄花のにおいのする風が、またしてもかすかに、通りぬけると、たちまち楼上で平六の、何か、わめく声がした。そうして、ほどなく急いで梯子をおりて来る足音が、あわただしく、重苦しい暗をかき乱した。――ただ事ではない。
「どうじゃ。阿濃めが、子を産みおったわ。」
平六は、梯子をおりると、古被衣にくるんだ、丸々としたものを、勢いよくともし火の下へ出して見せた。女の臭いのする、うすよごれた布の中には、生まれたばかりの赤ん坊が、人間というよりは、むしろ皮をむいた蛙のように、大きな頭を重そうに動かしながら、醜い顔をしかめて、泣き立てている。うすい産毛といい、細い手の指と言い、何一つ、嫌悪と好奇心とを、同時にそそらないものはない。――平六は、左右を見まわしながら、抱いている赤子を、ふり動かして、得意らしく、しゃべり立てた。
「上へ上がって見ると、阿濃め、窓の下へつっ伏したなり、死んだようになって、うなっていると、阿呆とはいえ、女の部じゃ。癪かと思うて、そばへ行くと、いや驚くまい事か。さかなの腸をぶちまけたようなものが、うす暗い中で、泣いているわ。手をやると、それがぴくりと動いた。毛のないところを見れば、猫でもあるまい。じゃてひっつかんで、月明かりにかざして見ると、このとおり生まれたばかりの赤子じゃ。見い。蚊に食われたと見えて、胸も腹も赤まだらになっているわ。阿濃も、これからはおふくろじゃよ。」
松明の火を前に立った、平六のまわりを囲んで、十五六人の盗人は、立つものは立ち、伏すものは伏して、いずれも皆、首をのばしながら、別人のように、やさしい微笑を含んで、この命が宿ったばかりの、赤い、醜い肉塊を見守った。赤ん坊は、しばらくも、じっとしていない。手を動かす。足を動かす。しまいには、頭を後ろへそらせて、ひとしきりまた、けたたましく泣き立てた。と、齒のない口の中が見える。
「やあ舌がある。」
前に鼻歌をうたった男が、頓狂な声で、こう言った。それにつれて、一同が、傷も忘れたように、どっと笑う。――その笑い声のあとを追いかけるように、この時、突然、猪熊の爺が、どこにそれだけの力が残っていたかと思うような声で、険しく一同の後ろから、声をかけた。
「その子を見せてくれ。よ。その子を。見せないか。やい、極道。」
平六は、足で彼の頭をこづいた。そうして、おどかすような調子で、こう言った。
「見たければ、見るさ。極道とは、おぬしの事じゃ。」
猪熊の爺は、濁った目を大きく見開いて、平六が身をかがめながら、無造作につきつけた赤ん坊を、食いつきそうな様子をして、じっと見た。見ているうちに、顔の色が、次第に蝋のごとく青ざめて、しわだらけの眦に、涙が玉になりながら、たまって来る。と思うと、ふるえるくちびるのほとりには、不思議な微笑の波が漂って、今までにない無邪気な表情が、いつか顔じゅうの筋肉を柔らげた。しかも、饒舌な彼が、そうなったまま、口をきかない。一同は、「死」がついに、この老人を捕えたのを知った。しかし彼の微笑の意味はたれも知っているものがない。
猪熊の爺は、寝たまま、おもむろに手をのべて、そっと赤ん坊の指に触れた。と、赤ん坊は、針にでも刺されたように、たちまちいたいたしい泣き声を上げる。平六は、彼をしかろうとして、そうしてまた、やめた。老人の顔が――血のけを失った、この酒肥りの老人の顔が、その時ばかりは、平生とちがった、犯しがたいいかめしさに、かがやいているような気がしたからである。その前には、沙金でさえ、あたかも何物かを待ち受けるように、息を凝らしながら、養父の顔を、――そうしてまた情人の顔を、目もはなさず見つめている。が、彼はまだ、口を開かない。ただ、彼の顔には、秘密な喜びが、おりから吹きだした明け近い風のように、静かに、ここちよく、あふれて来る。彼は、この時、暗い夜の向こうに、――人間の目のとどかない、遠くの空に、さびしく、冷ややかに明けてゆく、不滅な、黎明を見たのである。
「この子は――この子は、わしの子じゃ。」
彼は、はっきりこう言って、それから、もう一度赤ん坊の指にふれると、その手が力なく、落ちそうになる。――それを、沙金が、かたわらからそっとささえた。十余人の盗人たちは、このことばを聞かないように、いずれも唾をのんで、身動きもしない。と、沙金が顔を上げて、赤子を抱いたまま、立っている交野の平六の顔を見て、うなずいた。
「啖がつまる音じゃ。」
平六は、たれに言うともなく、つぶやいた。――猪熊の爺は、暗におびえて泣く赤子の声の中に、かすかな苦悶をつづけながら、消えかかる松明の火のように、静かに息をひきとったのである。……
「爺も、とうとう死んだの。」
「さればさ。阿濃を手ごめにした主も、これで知れたと言うものじゃ。」
「死骸は、あの藪中へ埋めずばなるまい。」
「鴉の餌食にするのも、気の毒じゃな。」
盗人たちは、口々にこんな事を、うす寒そうに、話し合った。と、遠くで、かすかに、鶏の声がする。いつか夜の明けるのも、近づいたらしい。
「阿濃は?」と沙金が言った。
「わしが、あり合わせの衣をかけて、寝かせて来た。あのからだじゃて、大事はあるまい。」
平六の答えも、日ごろに似ずものやさしい。
そのうちに、盗人が二人三人、猪熊の爺の死骸を、門の外へ運び出した。外も、まだ暗い。有明の月のうすい光に、蕭条とした藪が、かすかにこずえをそよめかせて、凌霄花のにおいが、いよいよ濃く、甘く漂っている。時々かすかな音のするのは、竹の葉をすべる露であろう。
「生死事大。」
「無常迅速。」
「生き顔より、死に顔のほうがよいようじゃな。」
「どうやら、前よりも真人間らしい顔になった。」
猪熊の爺の死骸は、斑々たる血痕に染まりながら、こういうことばのうちに、竹と凌霄花との茂みを、次第に奥深く舁かれて行った。
九
翌日、猪熊のある家で、むごたらしく殺された女の死骸が発見された。年の若い、肥った、うつくしい女で、傷の様子では、よほどはげしく抵抗したものらしい。証拠ともなるべきものは、その死骸が口にくわえていた、朽ち葉色の水干の袖ばかりである。
また、不思議な事には、その家の婢女をしていた阿濃という女は、同じ所にいながら、薄手一つ負わなかった。この女が、検非違使庁で、調べられたところによると、だいたいこんな事があったらしい。だいたいと言うのは、阿濃が天性白痴に近いところから、それ以上要領を得る事が、むずかしかったからである。――
その夜、阿濃は、夜ふけて、ふと目をさますと、太郎次郎という兄弟のものと、沙金とが、何か声高に争っている。どうしたのかと思っているうちに、次郎が、いきなり太刀をぬいて、沙金を切った。沙金は助けを呼びながら、逃げようとすると、今度は太郎が、刃を加えたらしい。それからしばらくは、ただ、二人のののしる声と、沙金の苦しむ声とがつづいたが、やがて女の息がとまると、兄弟は、急にいだきあって、長い間黙って、泣いていた。阿濃は、これを遣り戸のすきまから、のぞいていたが、主人を救わなかったのは、全く抱いて寝ている子供に、けがをさすまいと思ったからである。――
「その上、その次郎さんと申しますのが、この子の親なのでございます。」
阿濃は、急に顔を赤らめて、こう言った。
「それから、太郎さんと次郎さんとは、わたしの所へ来て、たっしゃでいろよと申しました。この子を見せましたら、次郎さんは、笑いながら、頭をなでてくれましたが、それでもまだ目には涙がいっぱいたまっておりましたっけ。わたしはもっとそうしていたかったのでござりますが、二人とも、たいへんに急いで、すぐに外へ出ますと、おおかた枇杷の木にでもつないでおいたのでございましょう、馬へとびのって、どこかへ行ってしまいました。馬は二匹ではございません。わたしが、この子を抱いて、窓から見ておりますと、一匹に二人で乗って行くのが、月がございましたから、よく見えました。そのあとで、わたしは、主人の死骸はそのままにして、そっとまた床へはいりました。主人がよく人を殺すのを見ましたから、その死骸もわたしには、こわくもなんともなかったのでございます。」
検非違使には、やっとこれだけの事がわかった。そうして、阿濃は、罪の無いのが明らかになったので、さっそく自由の身にされた。
それから、十年余りのち、尼になって、子供を養育していた阿濃は、丹後守何某の随身に、驍勇の名の高い男の通るのを見て、あれが太郎だと人に教えた事がある。なるほどその男も、うす痘瘡で、しかも片目つぶれていた。
「次郎さんなら、わたしすぐにも駆けて行って、会うのだけれど、あの人はこわいから……」
阿濃は、娘のようなしなをして、こう言った。が、それがほんとうに太郎かどうか、それはたれにも、わからない。ただ、その男にも弟があって、やはり同じ主人に仕えるという事だけ、そののちかすかに風聞された。
(大正六年四月二十日) | 底本:「羅生門・鼻・芋粥・偸盗」岩波文庫、岩波書店
1960(昭和35)年11月25日第1刷発行
1993(平成5)年9月20日第46刷発行
底本の親本:「芥川竜之介全集」岩波書店
1954(昭和29)年~1955(昭和30)年
初出:「中央公論」
1917(大正6)年4、7月
入力:福田芽久美
校正:野口英司
1998年10月4日公開
2007年9月24日修正
青空文庫作成ファイル:
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前置き
これは三年前支那に遊び、長江を溯った時の紀行である。こう云う目まぐるしい世の中に、三年前の紀行なぞは誰にも興味を与えないかも知れない。が、人生を行旅とすれば、畢竟あらゆる追憶は数年前の紀行である。私の文章の愛読者諸君は「堀川保吉」に対するように、この「長江」の一篇にもちらりと目をやってくれないであろうか?
私は長江を溯った時、絶えず日本を懐しがっていた。しかし今は日本に、――炎暑の甚しい東京に汪洋たる長江を懐しがっている。長江を? ――いや、長江ばかりではない、蕪湖を、漢口を、廬山の松を、洞庭の波を懐しがっている。私の文章の愛読者諸君は「堀川保吉」に対するように、この私の追憶癖にもちらりと目をやってはくれないであろうか?
一 蕪湖
私は西村貞吉と一しょに蕪湖の往来を歩いていた。往来は此処も例の通り、日さえ当らない敷石道である。両側には銀楼だの酒桟だの、見慣れた看板がぶら下っているが、一月半も支那にいた今では、勿論珍しくも何ともない。おまけに一輪車の通る度に、きいきい心棒を軋ませるのは、頭痛さえしかねない騒々しさである。私は暗澹たる顔をしながら、何と西村に話しかけられても、好い加減な返事をするばかりだった。
西村は私を招く為に、何度も上海へ手紙を出している。殊に蕪湖へ着いた夜なぞはわざわざ迎えの小蒸気を出したり、歓迎の宴を催したり、いろいろ深切を尽してくれた。(しかもわたしの乗った鳳陽丸は浦口を発するのが遅かった為に、こう云う彼の心尽しも悉水泡に帰したのである。)のみならず彼の社宅たる唐家花園に落ち着いた後も、食事とか着物とか寝具とか、万事に気を配ってくれるのには、実際恐れ入るより外はなかった。して見ればこの東道の主人の前へも、二日間の蕪湖滞在は愉快に過さねばならぬ筈である。しかし私の紳士的礼譲も、蝉に似た西村の顔を見ると、忽何処かに消滅してしまう。これは西村の罪ではない。君僕の代りにお前おれを使う、我々の親みの罪である。さもなければ往来の真ん中に、尿をする豚と向い合った時も、あんなに不快を公表する事は、当分差控える気になったかも知れない。
「つまらない所だな、蕪湖と云うのは。――いや一蕪湖ばかりじゃないね。おれはもう支那には飽き厭きしてしまった。」
「お前は一体コシャマクレテいるからな。支那は性に合わないのかも知れない。」
西村は横文字は知っていても、日本語は甚未熟である。「こましゃくれる」を「コシャマクレル」、鶏冠を「トカサ」、懐を「フトロコ」、「がむしゃら」を「ガラムシャ」――その外日本語を間違える事は殆挙げて数えるのに堪えない。私は西村に日本語を教えにわざわざ渡来した次第でもないから、仏頂面をして見せたぎり、何とも答えず歩き続けた。
すると稍幅の広い往来に、女の写真を並べた家があった。その前に閑人が五六人、つらつら写真の顔を見ては、何か静に話している。これは何だと聞いて見たら、済良所だと云う答があった。済良所と云うのは養育院じゃない。自由廃業の女を保護する所である。
一通り町を遍歴した後、西村は私を倚陶軒、一名大花園と云う料理屋へつれて行った。此処は何でも李鴻章の別荘だったとか云う事である。が、園へはいった時の感じは、洪水後の向島あたりと違いはない。花木は少いし、土は荒れているし、「陶塘」の水も濁っているし、家の中はがらんとしているし、殆御茶屋と云う物とは、最も縁の遠い光景である。我々は軒の鸚鵡の籠を見ながら、さすがに味だけはうまい支那料理を食った。が、この御馳走になっている頃から、支那に対する私の嫌悪はだんだん逆上の気味を帯び始めた。
その夜唐家花園のバルコンに、西村と籐椅子を並べていた時、私は莫迦莫迦しい程熱心に現代の支那の悪口を云った。現代の支那に何があるか? 政治、学問、経済、芸術、悉堕落しているではないか? 殊に芸術となった日には、嘉慶道光の間以来、一つでも自慢になる作品があるか? しかも国民は老若を問わず、太平楽ばかり唱えている。成程若い国民の中には、多少の活力も見えるかも知れない。しかし彼等の声と雖も、全国民の胸に響くべき、大いなる情熱のないのは事実である。私は支那を愛さない。愛したいにしても愛し得ない。この国民的腐敗を目撃した後も、なお且支那を愛し得るものは、頽唐を極めたセンジュアリストか、浅薄なる支那趣味の惝怳者であろう。いや、支那人自身にしても、心さえ昏んでいないとすれば、我々一介の旅客よりも、もっと嫌悪に堪えない筈である。……
私は盛に弁じ立てた。バルコンの外の槐の梢は、ひっそりと月光に涵されている。この槐の梢の向う、――幾つかの古池を抱えこんだ、白壁の市街の尽きる所は揚子江の水に違いない。その水の汪々と流れる涯には、ヘルンの夢みた蓬莱のように懐しい日本の島山がある。ああ、日本へ帰りたい。
「お前なんぞは何時でも帰れるじゃないか?」
ノスタルジアに感染した西村は月明りの中に去来する、大きい蛾の姿を眺めながら、殆独語のようにこう云った。私の滞在はどう考えても、西村には為にならなかったらしい。
二 溯江
私は溯江の汽船へ三艘乗った。上海から蕪湖までは鳳陽丸、蕪湖から九江までは南陽丸、九江から漢口までは大安丸である。
鳳陽丸に乗った時は、偉い丁抹人と一しょになった。客の名は盧糸、横文字に書けば Roose である。何でも支那を縦横する事、二十何年と云うのだから、当世のマルコ・ポオロと思えば間違いない。この豪傑が暇さえあると、私だの同船の田中君だのを捉えては、三十何呎の蟒蛇を退治した話や、広東の盗侠ランクワイセン(漢字ではどんな字に当るのだか、ルウズ氏自身も知らなかった。)の話や、河南直隷の飢饉の話や、虎狩豹狩の話なぞを滔々と弁じ来り弁じ去ってくれた。その中でも面白かったのは、食卓を共にした亜米利加人の夫婦と、東西両洋の愛を論じた時である。この亜米利加人の夫婦、――殊に細君に至っては、東洋に対する西洋の侮蔑に踵の高い靴をはかせた如き、甚横柄な女人だった。彼女の見る所に従えば、支那人は勿論日本人も、ラヴと云う事を知っていない。彼等の曚昧は憐むべしである。これを聞いたルウズ氏は、カリイの皿に向いながら、忽異議を唱え出した。いや、愛の何たるかは東洋人と雖も心得ている。たとえば或四川の少女は、――と得意の見聞を吹聴すると、細君はバナナの皮を剥きかけた儘、いや、それは愛ではない、単なる憐憫に過ぎぬと云う。するとルウズ氏は頑強に、では或日本東京の少女は、――と又実例をつきつけ始める。とうとうしまいには相手の細君も、怒火心頭に発したのであろう、突然食卓を離れると、御亭主と一しょに出て行ってしまった。私はその時のルウズ氏の顔を未にはっきり覚えている。先生は我々黄色い仲間へ、人の悪い微笑を送るが早いか、人さし指に額を叩きながら、「ナロウ・マインデット」とか何とか云った。生憎この夫婦の亜米利加人は、南京で船を下りてしまったが、ずっと溯江を続けたとすれば、もっといろいろ面白い波瀾を巻き起していたのに相違ない。
蕪湖から乗った南陽丸では、竹内栖鳳氏の一行と一しょだった。栖鳳氏も九江に下船の上、廬山に登る事になっていたから、私は令息、――どうも可笑しい。令息には正に違いないが、余り懇意に話をしたせいか、令息と呼ぶのは空々しい気がする。が、兎に角その令息の逸氏なぞと愉快に溯江を続ける事が出来た。何しろ長江は大きいと云っても、結局海ではないのだから、ロオリングも来なければピッチングも来ない。船は唯機械のベルトのようにひた流れに流れる水を裂きながら、悠々と西へ進むのである。この点だけでも長江の旅は船に弱い私には愉快だった。
水は前にも云った通り、金鏽に近い代赭である。が、遠い川の涯は青空の反射も加わるから、大体刃金色に見えぬ事はない。其処を名高い大筏が二艘も三艘も下って来る。現に私の実見した中にも、豚を飼っている筏があったから、成程飛び切りの大筏になると、一村落を載せたものもあるかも知れない。又筏とは云うものの、屋根もあるし壁もあるし、実は水に浮んだ家屋である。南陽丸の船長竹下氏の話では、これらの筏に乗っているのは雲南貴州等の土人だと云う。彼等はそう云う山の中から、万里の濁流の押し流す儘に、悠々と江を下って来る。そうして浙江安徽等の町々へ無事に流れついた時、筏に組んで来た木材を金に換える。その道中短きものは五六箇月、長きものは殆一箇年、家を出る時は妻だった女も、家へ帰る時は母になるそうである。しかし長江を去来するのは、勿論この筏のように、原始時代の遺物に限った訣じゃない。一度は亜米利加の砲艦が一艘、小蒸気に標的を牽かせながら、実弾射撃なぞをしていた事もある。
江の広い事も前に書いた。が、これも三角洲があるから、一方の岸には遠い時でも、必一方には草色が見える。いや、草色ばかりじゃない。水田の稲の戦ぎも見える。楊柳の水に生え入ったのも見える。水牛がぼんやり立ったのも見える。青い山は勿論幾つも見える。私は支那へ出かける前、小杉未醒氏と話していたら、氏は旅先の注意の中にこう云う事をつけ加えた。
「長江は水が低くってね、両岸がずっと高いから、船の高い所へ上るんですね。船長のいる、――何と云うかな、あの高い所があるでしょう。あすこへ上らねえと、眺望が利きませんよ。あすこは普通の客はのせねえから、何とか船長を護摩かすんですね。……」
私は先輩の云う事だから、鳳陽丸でも南陽丸でも、江上の眺望を恣にする為に、始終船長を護摩かそうとしていた。処が南陽丸の竹下船長はまだ護摩かしにかからない内からサロンの屋根にある船長室へ、深切にも私を招待してくれた。しかし此処へ上って見ても、格別風景には変りもない。実際又甲板にいても、ちゃんと陸地は見渡せたのである。私は妙に思ったから、護摩かそうとした意志を白状した上、船長にその訣を尋ねて見た。すると船長は笑い出した。
「それは小杉さんの来られた時はまだ水が少かったのでしょう。漢口あたりの水面の高低は、夏冬に四十五六呎も違いますよ。」
三 廬山(上)
若葉を吐いた立ち木の枝に豚の死骸がぶら下っている。それも皮を剥いだ儘、後足を上にぶら下っている。脂肪に蔽われた豚の体は気味の悪い程まっ白である。私はそれを眺めながら、一体豚を逆吊りにして、何が面白いのだろうと考えた。吊下げる支那人も悪趣味なら、吊下げられる豚も間が抜けている。所詮支那程下らない国は何処にもあるまいと考えた。
その間に大勢の苦力どもは我々の駕籠の支度をするのに、腹の立つ程騒いでいる。勿論苦力に碌な人相はない。しかし殊に獰猛なのは苦力の大将の顔である。この大将の麦藁帽は Kuling Estate Head Coolie No* とか横文字を抜いた、黒いリボンを巻きつけている。昔 Marius the Epicurean は、蛇使いが使う蛇の顔に、人間じみた何かを感じたと云う。私は又この苦力の顔に蛇らしい何かを感じたのである。愈支那は気に食わない。
十分の後、我々一行八人は籐椅子の駕籠に揺られながら、石だらけの路を登り出した。一行とは竹内栖鳳氏の一族郎党、並に大元洋行のお上さんである。駕籠の乗り心地は思ったよりも好い。私はその駕籠の棒に長々と両足を伸ばしながら、廬山の風光を楽んで行った。と云うと如何にも体裁が好いが、風光は奇絶でも何でもない。唯雑木の茂った間に、山空木が咲いているだけである。廬山らしい気などは少しもしない。これならば、支那へ渡らずとも、箱根の旧道を登れば沢山である。
前の晩私は九江にとまった。ホテルは即ち大元洋行である。その二階に寝ころびながら、康白情氏の詩を読んでいると、潯陽江に泊した支那の船から、蛇皮線だか何かの音がして来る。それは兎に角風流な気がした。が、翌朝になって見ると、潯陽江に候と威張っていても、やはり赤濁りの溝川だった。楓葉荻花秋瑟瑟などと云う、洒落れた趣は何処にもない。川には木造の軍艦が一艘、西郷征伐に用いたかの如き、怪しげな大砲の口を出しながら、琵琶亭のほとりに繋っている。では猩猩は少時措き、浪裡白跳張順か黒旋風李逵でもいるかと思えば、眼前の船の篷の中からは、醜悪恐るべき尻が出ている。その尻が又大胆にも、――甚尾籠な申し条ながら、悠々と川に糞をしている。……
私はそんな事を考えながら、何時かうとうと眠ってしまった。何十分か過ぎた後、駕籠の止まったのに眼をさますと、我々のつい鼻の先には、出たらめに石段を積み上げた、嶮しい坂が突き立っている。大元洋行のお上さんは、此処は駕籠が上らないから、歩いて頂きたいと説明した。私はやむを得ず竹内逸氏と、胸突き八町を登り出した。風景は不相変平凡である。唯坂の右や左に、炎天の埃を浴びながら、野薔薇の花が見えるのに過ぎない。
駕籠に乗ったり、歩かせられたり、いずれにもせよ骨の折れる、忌々しい目を繰返した後、やっとクウリンの避暑地へ来たのは彼是午後の一時頃だった。この又避暑地の一角なるものが軽井沢の場末と選ぶ所はない。いや、赤禿の山の裾に支那のランプ屋だの酒桟だのがごみごみ店を出した景色は軽井沢よりも一層下等である。西洋人の別荘も見渡した所、気の利いた構えは一軒も見えない。皆烈しい日の光に、赤や青のペンキを塗った、卑しい亜鉛屋根を火照らせている。私は汗を拭いながら、このクウリンの租界を拓いた牧師エドワアド・リットル先生も永年支那にいたものだから、とんと美醜の判断がつかなくなったのだろうと想像した。
しかし其処を通り抜けると、薊や除虫菊の咲いた中に、うつ木も水々しい花をつけた、広い草原が展開した。その草原が尽きるあたりに、石の垣をめぐらせた、小さい赤塗りの家が一軒、岩だらけの山を後にしながら、翩々と日章旗を翻している。私はこの旗を見た時に、祖国を思った、――と云うよりは、祖国の米の飯を思った。なぜと云えばその家こそ、我々の空腹を満たすべき大元洋行の支店だったからである。
四 廬山(下)
飯を食ってしまったら、急に冷気を感じ出したのはさすがに海抜三千尺である。成程廬山はつまらないにもしろ、この五月の寒さだけは珍重に値するのに違いない。私は窓側の長椅子に岩山の松を眺めながら、兎に角廬山の避暑地的価値には敬意を表したいと考えた。
其処へ姿を現したのは大元洋行の主人である。主人はもう五十を越しているのであろう。しかし赤みのさした顔はまだエネルギイに充ち満ちた、逞しい活動家を示している。我々はこの主人を相手にいろいろ廬山の話をした。主人は頗る雄弁である。或は雄弁過ぎるのかも知れない。何しろ一たび興到ると、白楽天と云う名前をハクラクと縮めてしまうのだから、それだけでも豪快や思うべしである。
「香炉峰と云うのも二つありますがね。こっちのは李白の香炉峰、あっちのは白楽天の香炉峰――このハクラクの香炉峰ってやつは松一本ない禿山でがす。……」
大体こう云う調子である。が、それはまだしも好い。いや、香炉峰の二つあるのなどは寧ろ我々には便利である。一つしかないものを二つにするのは特許権を無視した罪悪かも知れない。しかし既に二つあるものは、たとい三つにしたにもせよ、不法行為にはならない筈である。だから私は向うに見える山を忽「私の香炉峰」にした。けれども主人は雄弁以外に、廬山を見ること恋人の如き、熱烈なる愛着を蓄えている。
「この廬山って山はですね。五老峰とか、三畳泉とか、古来名所の多い山でがす。まあ、御見物なさるんなら、いくら短くっても一週間、それから十日って所でがしょう。その先は一月でも半年でも、――尤も冬は虎も出ますが……」
こう云う「第二の愛郷心」はこの主人に限ったことじゃない。支那に在留する日本人は悉ふんだんに持ち合わせている。苟も支那を旅行するのに愉快ならんことを期する士人は土匪に遇う危険は犯すにしても、彼等の「第二の愛郷心」だけは尊重するように努めなければならぬ。上海の大馬路はパリのようである。北京の文華殿にもルウブルのように、贋物の画などは一枚もない。――と云うように感服していなければならぬ。しかし廬山に一週間いるのは単に感服しているのよりも、遥に骨の折れる仕事である。私はまず恐る恐る、主人に私の病弱を訴え、相成るべくは明日の朝下山したいと云う希望を述べた。
「明日もうお帰りですか? じゃ何処も見られませんぜ。」
主人は半ば憐むように、又半ば嘲るようにこう私の言葉に答えた。が、それきりあきらめるかと思うと、今度はもう一層熱心に、「じゃ今の内にこの近所を御見物なさい。」と勧め出した。これも断ってしまうのは虎退治に出かけるよりも危険である。私はやむを得ず竹内氏の一行と、見たくもない風景を見物に出かけた。
主人の言葉に従えば、クウリンの町は此処を距ること、ほんの一跨ぎだと云うことである。しかし実際歩いて見ると、一跨ぎや二跨ぎどころの騒ぎではない。路は山笹の茂った中に何処までもうねうね登っている。私はいつかヘルメットの下に汗の滴るのを感じながら、愈天下の名山に対する憤慨の念を新にし出した。名山、名画、名人、名文――あらゆる「名」の字のついたものは、自我を重んずる我々を、伝統の奴隷にするものである。未来派の画家は大胆にも、古典的作品を破壊せよと云った。古典的作品を破壊する次手に、廬山もダイナマイトの火に吹き飛ばすが好い。……
しかしやっと辿り着いて見ると、山風に鳴っている松の間、岩山を繞らせた目の下の谷に、赤い屋根だの黒い屋根だの、無数の屋根が並んでいるのは、思ったよりも快い眺めである。私は道ばたに腰を下し、大事にポケットに蓄えて来た日本の「敷島」へ火を移した。レエスを下げた窓も見える。草花の鉢を置いたバルコンも見える。青芝を劃ったテニス・コオトも見える。ハクラクの香炉峰は姑く問わず、兎に角避暑地たるクウリンは一夏を消するのに足る処らしい。私は竹内氏の一行のずんずん先へ行った後も、ぼんやり巻煙草を御えた儘、かすかに人影の透いて見える家々の窓を見下していた、いつか東京に残して来た子供の顔などを思い出しながら。 | 底本:「上海游記・江南游記」講談社文芸文庫、講談社
2001(平成13)年10月10日第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第十一巻」岩波書店
1996(平成8)年9月9日発行
※()内の編者による注記は省略しました。
入力:門田裕志
校正:岡山勝美
2015年2月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "051216",
"作品名": "長江游記",
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"名読みソート用": "りゆうのすけ",
"姓ローマ字": "Akutagawa",
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"生年月日": "1892-03-01",
"没年月日": "1927-07-24",
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一
中学の三年の時だった。三学期の試験をすませたあとで、休暇中読む本を買いつけの本屋から、何冊だか取りよせたことがある。夏目先生の虞美人草なども、その時その中に交っていたかと思う。が、中でもいちばん大部だったのは、樗牛全集の五冊だった。
自分はそのころから非常な濫読家だったから、一週間の休暇の間に、それらの本を手に任せて読み飛ばした。もちろん樗牛全集の一巻、二巻、四巻などは、読みは読んでもむずかしくって、よく理窟がのみこめなかったのにちがいない。が、三巻や五巻などは、相当の興味をもって、しまいまで読み通すことができたように記憶する。
その時、はじめて樗牛に接した自分は、あの名文からはなはだよくない印象を受けた。というのは、中学生たる自分にとって、どうも樗牛はうそつきだという気がしたのである。
それにはほかにもいろいろ理由があったろうが、今でも覚えているのは、あの「わが袖の記」や何かの美しい文章が、いかにもそらぞらしく感ぜられたことである。あれには樗牛が月夜か何かに、三保の松原の羽衣の松の下へ行って、大いに感慨悲慟するところがあった。あすこを読むと、どうも樗牛は、いい気になって流せる涙を、ふんだんに持ち合わせていたような心もちがする。あるいは持ち合わせていなくっても、文章の上だけでおくめんもなく滂沱の観を呈しえたような心もちがする。その得意になって、泣き落しているところが、はなはだ自分には感心できなかった。人をあざむくか、己をあざむくか、どこかでうそをつかなければ、とうていああおおげさには、おいおい泣けるわけのものじゃない。――そこで、自分は一も二もなく樗牛をうそつきだときめてしまったのである。だからそれ以来、二度とあの「わが袖の記」や何かを読もうと思ったことはない。
それから大学を卒業するまで、約十年近くの間、自分は全く樗牛を忘れていた。ニイチェを読んだ時も思い出さなかったのは、自分ながら少々不思議な気もするが、事実であって見れば、もちろんどうするというわけにもいかない。ところが卒業後まもなく、赤木桁平君といっしょに飯を食ったら、君が突然自分をつかまえて樗牛論を弁じだした。そうして先覚者だとかなんとか言って、いろいろ樗牛をほめたてた。が、自分は依然として樗牛はうそつきだと確信していたから、先覚者でもなんでも彼はうそつきだからいかんと言って、どうしても赤木君の説に服さなかった。その時はついにそれぎりで、樗牛はえらいともえらくないともつかずにしまったが、ほとんど十年近くも読んだことのない樗牛をまたのぞいてみる気になったのは、全くこの議論のおかげである。
自分はその後まもなく、秋の夜の電灯の下で、書棚のすみから樗牛全集をひっぱり出した。五冊そろえて買った本が、今はたった二冊しかない。あとはおおかた売り飛ばすか、借しなくすかしてしまったのであろう。が、幸いその二冊のうちには、あの「わが袖の記」のはいっている五巻がある。自分はその一冊を紫檀の机の上へ開いて、静かに始めから読んでいた。
むろんそこには、いやみや涙があった。いや、詠歎そのものさえも、すでに時代と交渉がなくなっていたと言ってもさしつかえない。が、それにもかかわらず、あの「わが袖の記」の文章の中にはどこか樗牛という人間を彷彿させるものがあった。そうしてその人間は、迂余曲折をきわめたしちめんどうな辞句の間に、やはり人間らしく苦しんだりもがいたりしていた。だから樗牛は、うそつきだったわけでもなんでもない。ただ中学生だった自分の眼が、この樗牛の裸の姿をつかまえそくなっただけである。自分は樗牛の慟哭には微笑した。が、そのもっともかすかな吐息には、幾度も同情せずにいられなかった。――日は遠く海の上を照している。海は銀泥をたたえたように、広々と凪ぎつくして、息をするほどの波さえ見えない。その日と海とをながめながら、樗牛は砂の上にうずくまって、生ということを考える。死ということを考える。あるいはまた芸術ということを考える。が、樗牛の思索は移っていっても、周囲の景物にはさらに変化らしい変化がない。暖かい砂の上には、やはり船が何艘も眠っている。さっきから倦まずにその下を飛んでいるのは、おおかたこの海に多い鴎であろう。と思うとまた、向こうに日を浴びている漁夫の翁も、あいかわらず網をつくろうのに余念がない。こういう風景をながめていると、病弱な樗牛の心の中には、永遠なるものに対する惝怳が汪然としてわいてくる。日も動かない。砂も動かない。海は――目の前に開いている海も、さながら白昼の寂寞に聞き入ってでもいるかのごとく、雲母よりもまぶしい水面を凝然と平に張りつめている。樗牛の吐息はこんな瞬間に、はじめて彼の胸からあふれて出た。――自分はこういう樗牛を想像しながら、長い秋の夜を、いつまでもその文章に対していた。が、同情は昔とちがって、惜しげもなくその美しい文章に注がれるが、しかも樗牛と自分との間には、まだ何かがはさまっている。それは時代であろうか。いや、それはただ、時代ばかりであろうか。――自分はこう自分に問いかけた時、手もとにない樗牛の本が改めてまた読みたかった。それを今まで読まずにいるのは、したがってこの問に明白な答を与ええないのは、全く自分の怠慢である。そう言えば今年の秋も、もういつか小春になってしまった。
二
ちょうどそれと反対なのは、竜華寺にある樗牛の墓である。
始、竜華寺へ行ったのは中学の四年生の時だった。春の休暇のある日、確、静岡から久能山へ行って、それからあすこへまわったかと思う。あいにくの吹き降りで、不二見村の往還から寺の門まで行く路が、文字通りくつを没するほどぬかっていたが、その春雨にぬれた大覇王樹が、青い杓子をべたべたのばしながら、もの静かな庫裡を後ろにして、夏目先生の「草枕」の一節を思い出させたのは、今でも歴々と覚えている。それから急な石段を墓の所へ登ると、菫がたくさん咲いていた。いや、墓の上にも、誰がやったのだか、その菫を束にしたのが二つ三つ載せてあった。墓はあの通り白い大理石で、「吾人は須く現代を超越せざるべからず」が、「高山林次郎」という名といっしょに、あざやかな鑿の痕を残している。自分はそのなめらかな石の面に、ちらばっている菫の花束をいかにも樗牛にふさわしいたむけの花のようにながめて来た。その後、樗牛の墓というと、必ず自分の記憶には、この雨にぬれている菫の紫が四角な大理石といっしょに髣髴されたものである。これはさらに自分の思い出したくないことであるが、おそらくその時の自分は、いかにも偉大な思想家の墓前を訪うらしい、思わせぶりな感傷に充ち満ちていたことだろうと思う。ことによるとそのあとで、「竜華寺に詣ずるの記」くらいは、惻々たる哀怨の辞をつらねて、書いたことがあるかもしれない。
ところがこのごろになって、あの近所を通ったついでに、ふと樗牛のことを思い出して、また竜華寺へ出かけて行った。その日は夏の晴天で、脂臭い蘇鉄のにおいが寺の庭に充満しているころだったが、例の急な石段を登って、山の上へ出てみると、ほとんど意外だったくらい、あの大理石の墓がくだらなく見えた。どうも貧弱で、いやに小さくまとまっていて、その上またはなはだ軽佻浮薄な趣がある。これじゃ頼もしくないと思って、雑木の涼しい影が落ちている下へ、くたびれた尻をすえたまま、ややしばらく見ていたが、やはりくだらないという心もちは取消しようがない。第一、そばに立っている日本風のお堂との対照ばかりでも、悲惨なこっけいの感じが先にたってしまう。その上荒れはてた周囲の風物が、四方からこの墓の威厳を害している。一山の蝉の声の中に埋れながら、自分は昔、春雨にぬれているこの墓を見て、感に堪えたということがなんだかうそのような心もちがした。と同時にまた、なんだか地下の樗牛に対してきのどくなような心もちがした。不二山と、大蘇鉄と、そうしてこの大理石の墓と――自分は十年ぶりで「わが袖の記」を読んだのとは、全く反対な索漠さを感じて、匆々竜華寺の門をあとにした。爾来今日に至っても、二度とあのきのどくな墓に詣でようという気は樗牛に対しても起す勇気がない。
しかし怪しげな、国家主義の連中が、彼らの崇拝する日蓮上人の信仰を天下に宣伝した関係から、樗牛の銅像なぞを建設しないのは、まだしも彼にとって幸福かもしれない。――自分は今では、時々こんなことさえ考えるようになった。 | 底本:「羅生門・鼻・芋粥」角川文庫、角川書店
1950(昭和25)年10月20日初版発行
1985(昭和60)年11月10日改版38版発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月12日公開
2004年3月10日修正
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一 埃
僕の記憶の始まりは数え年の四つの時のことである。と言ってもたいした記憶ではない。ただ広さんという大工が一人、梯子か何かに乗ったまま玄能で天井を叩いている、天井からはぱっぱっと埃が出る――そんな光景を覚えているのである。
これは江戸の昔から祖父や父の住んでいた古家を毀した時のことである。僕は数え年の四つの秋、新しい家に住むようになった。したがって古家を毀したのは遅くもその年の春だったであろう。
二 位牌
僕の家の仏壇には祖父母の位牌や叔父の位牌の前に大きい位牌が一つあった。それは天保何年かに没した曾祖父母の位牌だった。僕はもの心のついた時から、この金箔の黒ずんだ位牌に恐怖に近いものを感じていた。
僕ののちに聞いたところによれば、曾祖父は奥坊主を勤めていたものの、二人の娘を二人とも花魁に売ったという人だった。のみならずまた曾祖母も曾祖父の夜泊まりを重ねるために家に焚きもののない時には鉈で縁側を叩き壊し、それを薪にしたという人だった。
三 庭木
新しい僕の家の庭には冬青、榧、木斛、かくれみの、臘梅、八つ手、五葉の松などが植わっていた。僕はそれらの木の中でも特に一本の臘梅を愛した。が、五葉の松だけは何か無気味でならなかった。
四 「てつ」
僕の家には子守りのほかに「てつ」という女中が一人あった。この女中はのちに「源さん」という大工のお上さんになったために「源てつ」という渾名を貰ったものである。
なんでも一月か二月のある夜、(僕は数え年の五つだった)地震のために目をさました「てつ」は前後の分別を失ったとみえ、枕もとの行灯をぶら下げたなり、茶の間から座敷を走りまわった。僕はその時座敷の畳に油じみのできたのを覚えている。それからまた夜中の庭に雪の積もっていたのを覚えている。
五 猫の魂
「てつ」は源さんへ縁づいたのちも時々僕の家へ遊びに来た。僕はそのころ「てつ」の話した、こういう怪談を覚えている。――ある日の午後、「てつ」は長火鉢に頬杖をつき、半睡半醒の境にさまよっていた。すると小さい火の玉が一つ、「てつ」の顔のまわりを飛びめぐり始めた。「てつ」ははっとして目を醒ました。火の玉はもちろんその時にはもうどこかへ消え失せていた。しかし「てつ」の信ずるところによればそれは四、五日前に死んだ「てつ」の飼い猫の魂がじゃれに来たに違いないというのだった。
六 草双紙
僕の家の本箱には草双紙がいっぱいつまっていた。僕はもの心のついたころからこれらの草双紙を愛していた。ことに「西遊記」を翻案した「金毘羅利生記」を愛していた。「金毘羅利生記」の主人公はあるいは僕の記憶に残った第一の作中人物かもしれない。それは岩裂の神という、兜巾鈴懸けを装った、目なざしの恐ろしい大天狗だった。
七 お狸様
僕の家には祖父の代からお狸様というものを祀っていた。それは赤い布団にのった一対の狸の土偶だった。僕はこのお狸様にも何か恐怖を感じていた。お狸様を祀ることはどういう因縁によったものか、父や母さえも知らないらしい。しかしいまだに僕の家には薄暗い納戸の隅の棚にお狸様の宮を設け、夜は必ずその宮の前に小さい蝋燭をともしている。
八 蘭
僕は時々狭い庭を歩き、父の真似をして雑草を抜いた。実際庭は水場だけにいろいろの草を生じやすかった。僕はある時冬青の木の下に細い一本の草を見つけ、早速それを抜きすててしまった。僕の所業を知った父は「せっかくの蘭を抜かれた」と何度も母にこぼしていた。が、格別、そのために叱られたという記憶は持っていない。蘭はどこでも石の間に特に一、二茎植えたものだった。
九 夢中遊行
僕はそのころも今のように体の弱い子供だった。ことに便秘しさえすれば、必ずひきつける子供だった。僕の記憶に残っているのは僕が最後にひきつけた九歳の時のことである。僕は熱もあったから、床の中に横たわったまま、伯母の髪を結うのを眺めていた。そのうちにいつかひきつけたとみえ、寂しい海辺を歩いていた。そのまた海辺には人間よりも化け物に近い女が一人、腰巻き一つになったなり、身投げをするために合掌していた。それは「妙々車」という草双紙の中の插画だったらしい。この夢うつつの中の景色だけはいまだにはっきりと覚えている。正気になった時のことは覚えていない。
一〇 「つうや」
僕がいちばん親しんだのは「てつ」ののちにいた「つる」である。僕の家はそのころから経済状態が悪くなったとみえ、女中もこの「つる」一人ぎりだった。僕は「つる」のことを「つうや」と呼んだ。「つうや」はあたりまえの女よりもロマンティック趣味に富んでいたのであろう。僕の母の話によれば、法界節が二、三人編み笠をかぶって通るのを見ても「敵討ちでしょうか?」と尋ねたそうである。
一一 郵便箱
僕の家の門の側には郵便箱が一つとりつけてあった。母や伯母は日の暮れになると、かわるがわる門の側へ行き、この小さい郵便箱の口から往来の人通りを眺めたものである。封建時代らしい女の気もちは明治三十二、三年ころにもまだかすかに残っていたであろう。僕はまたこういう時に「さあ、もう雀色時になったから」と母の言ったのを覚えている。雀色時という言葉はそのころの僕にも好きな言葉だった。
一二 灸
僕は何かいたずらをすると、必ず伯母につかまっては足の小指に灸をすえられた。僕に最も怖ろしかったのは灸の熱さそれ自身よりも灸をすえられるということである。僕は手足をばたばたさせながら「かちかち山だよう。ぼうぼう山だよう」と怒鳴ったりした。これはもちろん火がつくところから自然と連想を生じたのであろう。
一三 剥製の雉
僕の家へ来る人々の中に「お市さん」という人があった。これは代地かどこかにいた柳派の「五りん」のお上さんだった。僕はこの「お市さん」にいろいろの画本や玩具などを貰った。その中でも僕を喜ばせたのは大きい剥製の雉である。
僕は小学校を卒業する時、その尾羽根の切れかかった雉を寄附していったように覚えている。が、それは確かではない。ただいまだにおかしいのは雉の剥製を貰った時、父が僕に言った言葉である。
「昔、うちの隣にいた××××(この名前は覚えていない)という人はちょうど元日のしらしら明けの空を白い鳳凰がたった一羽、中洲の方へ飛んで行くのを見たことがあると言っていたよ。もっともでたらめを言う人だったがね」
一四 幽霊
僕は小学校へはいっていたころ、どこの長唄の女師匠は亭主の怨霊にとりつかれているとか、ここの仕事師のお婆さんは嫁の幽霊に責められているとか、いろいろの怪談を聞かせられた。それをまた僕に聞かせたのは僕の祖父の代に女中をしていた「おてつさん」という婆さんである。僕はそんな話のためか、夢とも現ともつかぬ境にいろいろの幽霊に襲われがちだった。しかもそれらの幽霊はたいていは「おてつさん」の顔をしていた。
一五 馬車
僕が小学校へはいらぬ前、小さい馬車を驢馬に牽かせ、そのまた馬車に子供を乗せて、町内をまわる爺さんがあった。僕はこの小さい馬車に乗って、お竹倉や何かを通りたかった。しかし僕の守りをした「つうや」はなぜかそれを許さなかった。あるいは僕だけ馬車へ乗せるのを危険にでも思ったためかもしれない。けれども青い幌を張った、玩具よりもわずかに大きい馬車が小刻みにことこと歩いているのは幼目にもハイカラに見えたものである。
一六 水屋
そのころはまた本所も井戸の水を使っていた。が、特に飲用水だけは水屋の水を使っていた。僕はいまだに目に見えるように、顔の赤い水屋の爺さんが水桶の水を水甕の中へぶちまける姿を覚えている。そう言えばこの「水屋さん」も夢現の境に現われてくる幽霊の中の一人だった。
一七 幼稚園
僕は幼稚園へ通いだした。幼稚園は名高い回向院の隣の江東小学校の附属である。この幼稚園の庭の隅には大きい銀杏が一本あった。僕はいつもその落葉を拾い、本の中に挾んだのを覚えている。それからまたある円顔の女生徒が好きになったのも覚えている。ただいかにも不思議なのは今になって考えてみると、なぜ彼女を好きになったか、僕自身にもはっきりしない。しかしその人の顔や名前はいまだに記憶に残っている。僕はつい去年の秋、幼稚園時代の友だちに遇い、そのころのことを話し合った末、「先方でも覚えているかしら」と言った。
「そりゃ覚えていないだろう」
僕はこの言葉を聞いた時、かすかに寂しい心もちがした。その人は少女に似合わない、萩や芒に露の玉を散らした、袖の長い着物を着ていたものである。
一八 相撲
相撲もまた土地がらだけに大勢近所に住まっていた。現に僕の家の裏の向こうは年寄りの峯岸の家だったものである。僕の小学校にいた時代はちょうど常陸山や梅ヶ谷の全盛を極めた時代だった。僕は荒岩亀之助が常陸山を破ったため、大評判になったのを覚えている。いったいひとり荒岩に限らず、国見山でも逆鉾でもどこか錦絵の相撲に近い、男ぶりの人に優れた相撲はことごとく僕の贔屓だった。しかし相撲というものは何か僕にはばくぜんとした反感に近いものを与えやすかった。それは僕が人並みよりも体が弱かったためかもしれない。また平生見かける相撲が――髪を藁束ねにした褌かつぎが相撲膏を貼っていたためかもしれない。
一九 宇治紫山
僕の一家は宇治紫山という人に一中節を習っていた。この人は酒だの遊芸だのにお蔵前の札差しの身上をすっかり費やしてしまったらしい。僕はこの「お師匠さん」の酒の上の悪かったのを覚えている。また小さい借家にいても、二、三坪の庭に植木屋を入れ、冬などは実を持った青木の下に枯れ松葉を敷かせたのを覚えている。
この「お師匠さん」は長命だった。なんでも晩年味噌を買いに行き、雪上がりの往来で転んだ時にも、やっと家へ帰ってくると、「それでもまあ褌だけ新しくってよかった」と言ったそうである。
二〇 学問
僕は小学校へはいった時から、この「お師匠さん」の一人息子に英語と漢文と習字とを習った。が、どれも進歩しなかった。ただ英語はTやDの発音を覚えたくらいである。それでも僕は夜になると、ナショナル・リイダアや日本外史をかかえ、せっせと相生町二丁目の「お師匠さん」の家へ通って行った。It is a dog――ナショナル・リイダアの最初の一行はたぶんこういう文章だったであろう。しかしそれよりはっきりと僕の記憶に残っているのは、何かの拍子に「お師匠さん」の言った「誰とかさんもこのごろじゃ身なりが山水だな」という言葉である。
二一 活動写真
僕がはじめて活動写真を見たのは五つか六つの時だったであろう。僕は確か父といっしょにそういう珍しいものを見物した大川端の二州楼へ行った。活動写真は今のように大きい幕に映るのではない。少なくとも画面の大きさはやっと六尺に四尺くらいである。それから写真の話もまた今のように複雑ではない。僕はその晩の写真のうちに魚を釣っていた男が一人、大きい魚が針にかかったため、水の中へまっさかさまにひき落とされる画面を覚えている。その男はなんでも麦藁帽をかぶり、風立った柳や芦を後ろに長い釣竿を手にしていた。僕は不思議にその男の顔がネルソンに近かったような気がしている。が、それはことによると、僕の記憶の間違いかもしれない。
二二 川開き
やはりこの二州楼の桟敷に川開きを見ていた時である。大川はもちろん鬼灯提灯を吊った無数の船に埋まっていた。するとその大川の上にどっと何かの雪崩れる音がした。僕のまわりにいた客の中には亀清の桟敷が落ちたとか、中村楼の桟敷が落ちたとか、いろいろの噂が伝わりだした。しかし事実は木橋だった両国橋の欄干が折れ、大勢の人々の落ちた音だった。僕はのちにこの椿事を幻灯か何かに映したのを見たこともあるように覚えている。
二三 ダアク一座
僕は当時回向院の境内にいろいろの見世物を見たものである。風船乗り、大蛇、鬼の首、なんとか言う西洋人が非常に高い桿の上からとんぼを切って落ちて見せるもの、――数え立てていれば際限はない。しかしいちばんおもしろかったのはダアク一座の操り人形である。その中でもまたおもしろかったのは道化た西洋の無頼漢が二人、化けもの屋敷に泊まる場面である。彼らの一人は相手の名前をいつもカリフラと称していた。僕はいまだに花キャベツを食うたびに必ずこの「カリフラ」を思い出すのである。
二四 中洲
当時の中洲は言葉どおり、芦の茂ったデルタアだった。僕はその芦の中に流れ灌頂や馬の骨を見、気味悪がったことを覚えている。それから小学校の先輩に「これはアシかヨシか?」と聞かれて当惑したことも覚えている。
二五 寿座
本所の寿座ができたのもやはりそのころのことだった。僕はある日の暮れがた、ある小学校の先輩と元町通りを眺めていた。すると亜鉛の海鼠板を積んだ荷車が何台も通って行った。
「あれはどこへ行く?」
僕の先輩はこう言った。が、僕はどこへ行くか見当も何もつかなかった。
「寿座! じゃあの荷車に積んであるのは?」
僕は今度は勢い好く言った。
「ブリッキ!」
しかしそれはいたずらに先輩の冷笑を買うだけだった。
「ブリッキ? あれはトタンというものだ」
僕はこういう問答のため、妙に悄気たことを覚えている。その先輩は中学を出たのち、たちまち肺を犯されて故人になったとかいうことだった。
二六 いじめっ子
幼稚園にはいっていた僕はほとんど誰にもいじめられなかった。もっとも本間の徳ちゃんにはたびたび泣かされたものである。しかしそれは喧嘩の上だった。したがって僕も三度に一度は徳ちゃんを泣かせた記憶を持っている。徳ちゃんは確か総武鉄道の社長か何かの次男に生まれた、負けぬ気の強い餓鬼大将だった。
しかし小学校へはいるが早いか僕はたちまち世間に多い「いじめっ子」というものにめぐり合った。「いじめっ子」は杉浦誉四郎である。これは僕の隣席にいたから何か口実を拵えてはたびたび僕をつねったりした。おまけに杉浦の家の前を通ると狼に似た犬をけしかけたりもした。(これは今日考えてみれば Greyhound という犬だったであろう)僕はこの犬に追いつめられたあげく、とうとうある畳屋の店へ飛び上がってしまったのを覚えている。
僕は今漫然と「いじめっ子」の心理を考えている。あれは少年に現われたサアド型性欲ではないであろうか? 杉浦は僕のクラスの中でも最も白晳の少年だった。のみならずある名高い富豪の妾腹にできた少年だった。
二七 画
僕は幼稚園にはいっていたころには海軍将校になるつもりだった。が、小学校へはいったころからいつか画家志願に変っていた。僕の叔母は狩野勝玉という芳崖の乙弟子に縁づいていた。僕の叔父もまた裁判官だった雨谷に南画を学んでいた。しかし僕のなりたかったのはナポレオンの肖像だのライオンだのを描く洋画家だった。
僕が当時買い集めた西洋名画の写真版はいまだに何枚か残っている。僕は近ごろ何かのついでにそれらの写真版に目を通した。するとそれらの一枚は、樹下に金髪の美人を立たせたウイスキイの会社の広告画だった。
二八 水泳
僕の水泳を習ったのは日本水泳協会だった。水泳協会に通ったのは作家の中では僕ばかりではない。永井荷風氏や谷崎潤一郎氏もやはりそこへ通ったはずである。当時は水泳協会も芦の茂った中洲から安田の屋敷前へ移っていた。僕はそこへ二、三人の同級の友達と通って行った。清水昌彦もその一人だった。
「僕は誰にもわかるまいと思って水の中でウンコをしたら、すぐに浮いたんでびっくりしてしまった。ウンコは水よりも軽いもんなんだね」
こういうことを話した清水も海軍将校になったのち、一昨年(大正十三年)の春に故人になった。僕はその二、三週間前に転地先の三島からよこした清水の手紙を覚えている。
「これは僕の君に上げる最後の手紙になるだろうと思う。僕は喉頭結核の上に腸結核も併発している。妻は僕と同じ病気に罹り僕よりも先に死んでしまった。あとには今年五つになる女の子が一人残っている。……まずは生前のご挨拶まで」
僕は返事のペンを執りながら、春寒の三島の海を思い、なんとかいう発句を書いたりした。今はもう発句は覚えていない。しかし「喉頭結核でも絶望するには当たらぬ」などという気休めを並べたことだけはいまだにはっきりと覚えている。
二九 体刑
僕の小学校にいたころには体刑も決して珍しくはなかった。それも横顔を張りつけるくらいではない。胸ぐらをとって小突きまわしたり、床の上へ突き倒したりしたものである。僕も一度は擲られた上、習字のお双紙をさし上げたまま、半時間も立たされていたことがあった。こういう時に擲られるのは格別痛みを感ずるものではない。しかし、大勢の生徒の前に立たされているのはせつないものである。僕はいつかイタリアのファッショは社会主義にヒマシユを飲ませ、腹下しを起こさせるという話を聞き、たちまち薄汚いベンチの上に立った僕自身の姿を思い出したりした。のみならずファッショの刑罰もあるいは存外当人には残酷ではないかと考えたりした。
三〇 大水
僕は大水にもたびたび出合った。が、幸いどの大水も床の上へ来たことは一度もなかった。僕は母や伯母などが濁り水の中に二尺指しを立てて、一分殖えたの二分殖えたのと騒いでいたのを覚えている。それから夜は目を覚ますと、絶えずどこかの半鐘が鳴りつづけていたのを覚えている。
三一 答案
確か小学校の二、三年生のころ、僕らの先生は僕らの机に耳の青い藁半紙を配り、それへ「かわいと思うもの」と「美しいと思うもの」とを書けと言った。僕は象を「かわいと思うもの」にし、雲を「美しいと思うもの」にした。それは僕には真実だった。が、僕の答案はあいにく先生には気に入らなかった。
「雲などはどこが美しい? 象もただ大きいばかりじゃないか?」
先生はこうたしなめたのち、僕の答案へ×印をつけた。
三二 加藤清正
加藤清正は相生町二丁目の横町に住んでいた。と言ってももちろん鎧武者ではない。ごく小さい桶屋だった。しかし主人は標札によれば、加藤清正に違いなかった。のみならずまだ新しい紺暖簾の紋も蛇の目だった。僕らは時々この店へ主人の清正を覗きに行った。清正は短い顋髯を生やし、金槌や鉋を使っていた。けれども何か僕らには偉そうに思われてしかたがなかった。
三三 七不思議
そのころはどの家もランプだった。したがってどの町も薄暗かった。こういう町は明治とは言い条、まだ「本所の七不思議」とは全然縁のないわけではなかった。現に僕は夜学の帰りに元町通りを歩きながら、お竹倉の藪の向こうの莫迦囃しを聞いたのを覚えている。それは石原か横網かにお祭りのあった囃しだったかもしれない。しかし僕は二百年来の狸の莫迦囃しではないかと思い、一刻も早く家へ帰るようにせっせと足を早めたものだった。
三四 動員令
僕は例の夜学の帰りに本所警察署の前を通った。警察署の前にはいつもと変わり、高張り提灯が一対ともしてあった。僕は妙に思いながら、父や母にそのことを話した。が、誰も驚かなかった。それは僕の留守の間に「動員令発せらる」という号外が家にも来ていたからだった。僕はもちろん日露戦役に関するいろいろの小事件を記憶している。が、この一対の高張り提灯ほど鮮かに覚えているものはない。いや、僕は今日でも高張り提灯を見るたびに婚礼や何かを想像するよりもまず戦争を思い出すのである。
三五 久井田卯之助
久井田という文字は違っているかもしれない。僕はただ彼のことをヒサイダさんと称していた。彼は僕の実家にいる牛乳配達の一人だった。同時にまた今日ほどたくさんいない社会主義者の一人だった。僕はこのヒサイダさんに社会主義の信条を教えてもらった。それは僕の血肉には幸か不幸か滲み入らなかった。が、日露戦争中の非戦論者に悪意を持たなかったのは確かにヒサイダさんの影響だった。
ヒサイダさんは五、六年前に突然僕を訪問した。僕が彼と大人同士の社会主義論をしたのはこの時だけである。(彼はそれから何か月もたたずに天城山の雪中に凍死してしまった)しかし僕は社会主義論よりも彼の獄中生活などに興味を持たずにはいられなかった。
「夏目さんの『行人』の中に和歌の浦へ行った男と女とがとうとう飯を食う気にならずに膳を下げさせるところがあるでしょう。あすこを牢の中で読んだ時にはしみじみもったいないと思いましたよ」
彼は人懐い笑顔をしながら、そんなことも話していったものだった。
三六 火花
やはりそのころの雨上がりの日の暮れ、僕は馬車通りの砂利道を一隊の歩兵の通るのに出合った。歩兵は銃を肩にしたまま、黙って進行をつづけていた。が、その靴は砂利と擦れるたびに時々火花を発していた。僕はこのかすかな火花に何か悲壮な心もちを感じた。
それから何年かたったのち、僕は白柳秀湖氏の「離愁」とかいう小品集を読み、やはり歩兵の靴から出る火花を書いたものを発見した。(僕に白柳秀湖氏や上司小剣氏の名を教えたものもあるいはヒサイダさんだったかもしれない)それはまだ中学生の僕には僕自身同じことを見ていたせいか、感銘の深いものに違いなかった。僕はこの文章から同氏の本を読むようになり、いつかロシヤの文学者の名前を、――ことにトゥルゲネフの名前を覚えるようになった。それらの小品集はどこへ行ったか、今はもう本屋でも見かけたことはない。しかし僕は同氏の文章にいまだに愛惜を感じている。ことに東京の空を罩める「鳶色の靄」などという言葉に。
三七 日本海海戦
僕らは皆日本海海戦の勝敗を日本の一大事と信じていた。が、「今日晴朗なれども浪高し」の号外は出ても、勝敗は容易にわからなかった。するとある日の午飯の時間に僕の組の先生が一人、号外を持って教室へかけこみ、「おい、みんな喜べ。大勝利だぞ」と声をかけた。この時の僕らの感激は確かにまた国民的だったのであろう。僕は中学を卒業しない前に国木田独歩の作品を読み、なんでも「電報」とかいう短篇にやはりこういう感激を描いてあるのを発見した。
「皇国の興廃この一挙にあり」云々の信号を掲げたということはおそらくはいかなる戦争文学よりもいっそう詩的な出来事だったであろう。しかし僕は十年ののち、海軍機関学校の理髪師に頭を刈ってもらいながら、彼もまた日露の戦役に「朝日」の水兵だった関係上、日本海海戦の話をした。すると彼はにこりともせず、きわめてむぞうさにこう言うのだった。
「なに、あの信号は始終でしたよ。それは号外にも出ていたのは日本海海戦の時だけですが」
三八 柔術
僕は中学で柔術を習った。それからまた浜町河岸の大竹という道場へもやはり寒稽古などに通ったものである。中学で習った柔術は何流だったか覚えていない。が、大竹の柔術は確か天真揚心流だった。僕は中学の仕合いへ出た時、相手の稽古着へ手をかけるが早いか、たちまちみごとな巴投げを食い、向こう側に控えた生徒たちの前へ坐っていたことを覚えている。当時の僕の柔道友だちは西川英次郎一人だった。西川は今は鳥取の農林学校か何かの教授をしている。僕はそののちも秀才と呼ばれる何人かの人々に接してきた。が、僕を驚かせた最初の秀才は西川だった。
三九 西川英次郎
西川は渾名をライオンと言った。それは顔がどことなしにライオンに似ていたためである。僕は西川と同級だったために少なからず啓発を受けた。中学の四年か五年の時に英訳の「猟人日記」だの「サッフォオ」だのを読みかじったのは、西川なしにはできなかったであろう。が、僕は西川には何も報いることはできなかった。もし何か報いたとすれば、それはただ足がらをすくって西川を泣かせたことだけであろう。
僕はまた西川といっしょに夏休みなどには旅行した。西川は僕よりも裕福だったらしい。しかし僕らは大旅行をしても、旅費は二十円を越えたことはなかった。僕はやはり西川といっしょに中里介山氏の「大菩薩峠」に近い丹波山という寒村に泊まり、一等三十五銭という宿賃を払ったのを覚えている。しかしその宿は清潔でもあり、食事も玉子焼などを添えてあった。
たぶんまだ残雪の深い赤城山へ登った時であろう。西川はこごみかげんに歩きながら、急に僕にこんなことを言った。
「君は両親に死なれたら、悲しいとかなんとか思うかい?」
僕はちょっと考えたのち、「悲しいと思う」と返事をした。
「僕は悲しいとは思わない。君は創作をやるつもりなんだから、そういう人間もいるということを知っておくほうがいいかもしれない」
しかし僕はその時分にはまだ作家になろうという志望などを持っていたわけではなかった。それをなぜそう言われたかはいまだに僕には不可解である。
四〇 勉強
僕は僕の中学時代はもちろん、復習というものをしたことはなかった。しかし試験勉強はたびたびした。試験の当日にはどの生徒も運動場でも本を読んだりしている。僕はそれを見るたびに「僕ももっと勉強すればよかった」という後悔を伴った不安を感じた。が、試験場を出るが早いか、そんなことはけろりと忘れていた。
四一 金
僕は一円の金を貰い、本屋へ本を買いに出かけると、なぜか一円の本を買ったことはなかった。しかし一円出しさえすれば、僕が欲しいと思う本は手にはいるのに違いなかった。僕はたびたび七十銭か八十銭の本を持ってきたのち、その本を買ったことを後悔していた。それはもちろん本ばかりではなかった。僕はこの心もちの中に中産下層階級を感じている。今日でも中産下層階級の子弟は何か買いものをするたびにやはり一円持っているものの、一円をすっかり使うことに逡巡してはいないであろうか?
四二 虚栄心
ある冬に近い日の暮れ、僕は元町通りを歩きながら、突然往来の人々が全然僕を顧みないのを感じた。同時にまた妙に寂しさを感じた。しかし格別「今に見ろ」という勇気の起こることは感じなかった。薄い藍色に澄み渡った空には幾つかの星も輝いていた。僕はこれらの星を見ながら、できるだけ威張って歩いて行った。
四三 発火演習
僕らの中学は秋になると、発火演習を行なったばかりか、東京のある聯隊の機動演習にも参加したものである。体操の教官――ある陸軍大尉はいつも僕らには厳然としていた。が、実際の機動演習になると、時々命令に間違いを生じ、おお声に上官に叱られたりしていた。僕はいつもこの教官に同情したことを覚えている。
四四 渾名
あらゆる東京の中学生が教師につける渾名ほど刻薄に真実に迫るものはない。僕はあいにく今日ではそれらの渾名を忘れている。が、今から四、五年前、僕の従姉の子供が一人、僕の家へ遊びに来た時、ある中学の先生のことを「マッポンがどうして」などと話していた。僕はもちろん「マッポン」とはなんのことかと質問した。
「どういうことも何もありませんよ。ただその先生の顔を見ると、マッポンという気もちがするだけですよ」
僕はそれからしばらくののち、この中学生と電車に乗り、偶然その先生の風丰に接した。するとそれは、――僕もやはり文章ではとうてい真実を伝えることはできない。つまりそれは渾名どおり、正に「マッポン」という感じだった。
(大正十五年三月―昭和二年一月) | 底本:「河童・玄鶴山房」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年11月30日改版初版発行
1979(昭和54)年9月20日改版14版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:一色伸子
校正:小林繁雄
2001年1月29日公開
2004年3月16日修正
青空文庫作成ファイル:
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恒藤恭は一高時代の親友なり。寄宿舎も同じ中寮の三番室に一年の間居りし事あり。当時の恒藤もまだ法科にはいらず。一部の乙組即ち英文科の生徒なりき。
恒藤は朝六時頃起き、午の休みには昼寝をし、夜は十一時の消灯前に、ちゃんと歯を磨いた後、床にはいるを常としたり。その生活の規則的なる事、エマヌエル・カントの再来か時計の振子かと思う程なりき。当時僕等のクラスには、久米正雄の如き或は菊池寛の如き、天縦の材少なからず、是等の豪傑は恒藤と違い、酒を飲んだりストオムをやったり、天馬の空を行くが如き、或は乗合自動車の町を走るが如き、放縦なる生活を喜びしものなり。故に恒藤の生活は是等の豪傑の生活に対し、規則的なるよりも一層規則的に見えしなるべし。僕は恒藤の親友なりしかど、到底彼の如くに几帳面なる事能わず、人並みに寝坊をし、人並みに夜更かしをし、凡庸に日を送るを常としたり。
恒藤は又秀才なりき。格別勉強するとも見えざれども、成績は常に首席なる上、仏蘭西語だの羅甸語だの、いろいろのものを修業しいたり。それから休日には植物園などへ、水彩画の写生に出かけしものなり。僕もその御伴を仰せつかり、彼の写生する傍らに半日本を読みし事も少からず。恒藤の描きし水彩画中、最も僕の記憶にあるものは冬枯れの躑躅を写せるものなり。但し記憶にある所以は不幸にも画の妙にあらず。躑躅だと説明される迄は牛だとばかり思っていた故なり。
恒藤は又論客なりき。――その前にもう一つ書きたき事は恒藤も詩を作れる事なり。当時僕等のクラスには詩人歌人少からず。「げに天才の心こそカメレオンにも似たりけれ」と歌えるものは当時の久米正雄なり。「教室の机によれば何となく怒鳴つて見たい心地するなり」と歌えるものは当時の菊池寛なり。当時の恒藤に数篇の詩あるも、亦怪しむを要せざるべし。その一篇に云う。
かみはつねにうゑにみてり
いのちのみをそのにまきて
みのれるときむさぼりくふ
かみのうゑのゆゑによりて
かみのみなをほめたたふや
はかなきみをむすべるもの
もう一度新たに書き出せば、恒藤は又論客なり。僕は爾来十余年、未だ天下に彼の如く恐るべき論客あるを知らず。若し他に一人を数うべしとせば、唯児島喜久雄君あるのみ。僕は現在恒藤と会うも、滅多に議論を上下せず。上下すれば負ける事をちゃんと心得ている故なり。されど一高にいた時分は、飯を食うにも、散歩をするにも、のべつ幕なしに議論をしたり。しかも議論の問題となるものは純粋思惟とか、西田幾太郎とか、自由意志とか、ベルグソンとか、むずかしい事ばかりに限りしを記憶す。僕はこの論戦より僕の論法を発明したり。聞説す、かのガリヴァアの著者は未だ論理学には熟せざるも、議論は難からずと傲語せしと。思うにスヰフトも親友中には、必恒藤恭の如き、辛辣なる論客を有せしなるべし。
恒藤は又謹厳の士なり。酒色を好まず、出たらめを云わず、身を処するに清白なる事、僕などとは雲泥の差なり。同室同級の藤岡蔵六も、やはり謹厳の士なりしが、これは謹厳すぎる憾なきにあらず。「待合のフンクティオネンは何だね?」などと屡僕を困らせしものはこの藤岡蔵六なり。藤岡にはコオエンの学説よりも、待合の方が難解なりしならん。恒藤はそんな事を知らざるに非ず。知って而して謹厳なりしが如し。しかもその謹厳なる事は一言一行の末にも及びたりき。例えば恒藤は寮雨をせず。寮雨とは夜間寄宿舎の窓より、勝手に小便を垂れ流す事なり。僕は時と場合とに応じ、寮雨位辞するものに非ず。僕問う。「君はなぜ寮雨をしない?」恒藤答う。「人にされたら僕が迷惑する。だからしない。君はなぜ寮雨をする?」僕答う。「人にされても僕は迷惑しない、だからする。」恒藤は又賄征伐をせず。皿を破り飯櫃を投ぐるは僕も亦能くせざる所なり。僕問う。「君はなぜ賄征伐をしない?」恒藤答う。「無用に器物を毀すのは悪いと思うから。――君はなぜしない?」僕答う。「しないのじゃない、出来ないのだ。」
今恒藤は京都帝国大学にシュタムラアとかラスクとかを講じ、僕は東京に文を売る。相見る事一年に一両度のみ。昔一高の校庭なる菩提樹下を逍遥しつつ、談笑して倦まざりし朝暮を思えば、懐旧の情に堪えざるもの多し。即ち改造社の嘱に応じ、立ちどころにこの文を作る。時に大正壬戌の年、黄花未だ発せざる重陽なり。 | 底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社
1995(平成7)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店
1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月初版発行
入力:向井樹里
校正:門田裕志
2005年2月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "043385",
"作品名": "恒藤恭氏",
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"名読みソート用": "りゆうのすけ",
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"名ローマ字": "Ryunosuke",
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僕は今この温泉宿に滞在しています。避暑する気もちもないではありません。しかしまだそのほかにゆっくり読んだり書いたりしたい気もちもあることは確かです。ここは旅行案内の広告によれば、神経衰弱に善いとか云うことです。そのせいか狂人も二人ばかりいます。一人は二十七八の女です。この女は何も口を利かずに手風琴ばかり弾いています。が、身なりはちゃんとしていますから、どこか相当な家の奥さんでしょう。のみならず二三度見かけたところではどこかちょっと混血児じみた、輪廓の正しい顔をしています。もう一人の狂人は赤あかと額の禿げ上った四十前後の男です。この男は確か左の腕に松葉の入れ墨をしているところを見ると、まだ狂人にならない前には何か意気な商売でもしていたものかも知れません。僕は勿論この男とは度たび風呂の中でも一しょになります。K君は(これはここに滞在しているある大学の学生です。)この男の入れ墨を指さし、いきなり「君の細君の名はお松さんだね」と言ったものです。するとこの男は湯に浸ったまま、子供のように赤い顔をしました。……
K君は僕よりも十も若い人です。おまけに同じ宿のM子さん親子とかなり懇意にしている人です。M子さんは昔風に言えば、若衆顔をしているとでも言うのでしょう。僕はM子さんの女学校時代にお下げに白い後ろ鉢巻をした上、薙刀を習ったと云うことを聞き、定めしそれは牛若丸か何かに似ていたことだろうと思いました。もっともこのM子さん親子にはS君もやはり交際しています。S君はK君の友だちです。ただK君と違うのは、――僕はいつも小説などを読むと、二人の男性を差別するために一人を肥った男にすれば、一人を瘠せた男にするのをちょっと滑稽に思っています。それからまた一人を豪放な男にすれば、一人を繊弱な男にするのにもやはり微笑まずにはいられません。現にK君やS君は二人とも肥ってはいないのです。のみならず二人とも傷き易い神経を持って生まれているのです。が、K君はS君のように容易に弱みを見せません。実際また弱みを見せない修業を積もうともしているらしいのです。
K君、S君、M子さん親子、――僕のつき合っているのはこれだけです。もっともつき合いと言ったにしろ、ただ一しょに散歩したり話したりするほかはありません。何しろここには温泉宿のほかに(それもたった二軒だけです。)カッフェ一つないのです。僕はこう云う寂しさを少しも不足には思っていません。しかしK君やS君は時々「我等の都会に対する郷愁」と云うものを感じています。M子さん親子も、――M子さん親子の場合は複雑です。M子さん親子は貴族主義者です。従ってこう云う山の中に満足している訣はありません。しかしその不満の中に満足を感じているのです。少くともかれこれ一月だけの満足を感じているのです。
僕の部屋は二階の隅にあります。僕はこの部屋の隅の机に向かい、午前だけはちゃんと勉強します。午後はトタン屋根に日が当るものですから、その烈しい火照りだけでもとうてい本などは読めません。では何をするかと言えば、K君やS君に来て貰ってトランプや将棊に閑をつぶしたり、組み立て細工の木枕をして(これはここの名産です。)昼寝をしたりするだけです。五六日前の午後のことです。僕はやはり木枕をしたまま、厚い渋紙の表紙をかけた「大久保武蔵鐙」を読んでいました。するとそこへ襖をあけていきなり顔を出したのは下の部屋にいるM子さんです。僕はちょっと狼狽し、莫迦莫迦しいほどちゃんと坐り直しました。
「あら、皆さんはいらっしゃいませんの?」
「ええ。きょうは誰も、……まあ、どうかおはいりなさい。」
M子さんは襖をあけたまま、僕の部屋の縁先に佇みました。
「この部屋はお暑うございますわね。」
逆光線になったM子さんの姿は耳だけ真紅に透いて見えます。僕は何か義務に近いものを感じ、M子さんの隣に立つことにしました。
「あなたのお部屋は涼しいでしょう。」
「ええ、……でも手風琴の音ばかりして。」
「ああ、あの気違いの部屋の向うでしたね。」
僕等はこんな話をしながら、しばらく縁先に佇んでいました。西日を受けたトタン屋根は波がたにぎらぎらかがやいています。そこへ庭の葉桜の枝から毛虫が一匹転げ落ちました。毛虫は薄いトタン屋根の上にかすかな音を立てたと思うと、二三度体をうねらせたぎり、すぐにぐったり死んでしまいました。それは実に呆っ気ない死です。同時にまた実に世話の無い死です。――
「フライ鍋の中へでも落ちたようですね。」
「あたしは毛虫は大嫌い。」
「僕は手でもつまめますがね。」
「Sさんもそんなことを言っていらっしゃいました。」
M子さんは真面目に僕の顔を見ました。
「S君もね。」
僕の返事はM子さんには気乗りのしないように聞えたのでしょう。(僕は実はM子さんに、――と云うよりもM子さんと云う少女の心理に興味を持っていたのですが。)M子さんは幾分か拗ねたようにこう言って手すりを離れました。
「じゃまた後ほど。」
M子さんの帰って行った後、僕はまた木枕をしながら、「大久保武蔵鐙」を読みつづけました。が、活字を追う間に時々あの毛虫のことを思い出しました。……
僕の散歩に出かけるのはいつも大抵は夕飯前です。こう云う時にはM子さん親子をはじめ、K君やS君も一しょに出るのです。そのまた散歩する場所もこの村の前後二三町の松林よりほかにはありません。これは毛虫の落ちるのを見た時よりもあるいは前の出来事でしょう。僕等はやはりはしゃぎながら、松林の中を歩いていました。僕等は?――もっともM子さんのお母さんだけは例外です。この奥さんは年よりは少くとも十ぐらいはふけて見えるのでしょう。僕はM子さんの一家のことは何も知らないものの一人です。しかしいつか読んだ新聞記事によれば、この奥さんはM子さんやM子さんの兄さんを産んだ人ではないはずです。M子さんの兄さんはどこかの入学試験に落第したためにお父さんのピストルで自殺しました。僕の記憶を信ずるとすれば、新聞は皆兄さんの自殺したのもこの後妻に来た奥さんに責任のあるように書いていました。この奥さんの年をとっているのもあるいはそんなためではないでしょうか? 僕はまだ五十を越していないのに髪の白い奥さんを見る度にどうもそんなことを考えやすいのです。しかし僕等四人だけはとにかくしゃべりつづけにしゃべっていました。するとM子さんは何を見たのか、「あら、いや」と言ってK君の腕を抑えました。
「何です? 僕は蛇でも出たのかと思った。」
それは実際何でもない。ただ乾いた山砂の上に細かい蟻が何匹も半死半生の赤蜂を引きずって行こうとしていたのです。赤蜂は仰けになったなり、時々裂けかかった翅を鳴らし、蟻の群を逐い払っています。が、蟻の群は蹴散らされたと思うと、すぐにまた赤蜂の翅や脚にすがりついてしまうのです。僕等はそこに立ちどまり、しばらくこの赤蜂のあがいているのを眺めていました。現にM子さんも始めに似合わず、妙に真剣な顔をしたまま、やはりK君の側に立っていたのです。
「時々剣を出しますわね。」
「蜂の剣は鉤のように曲っているものですね。」
僕は誰も黙っているものですから、M子さんとこんな話をしていました。
「さあ、行きましょう。あたしはこんなものを見るのは大嫌い。」
M子さんのお母さんは誰よりも先きに歩き出しました。僕等も歩き出したのは勿論です。松林は路をあましたまま、ひっそりと高い草を伸ばしていました。僕等の話し声はこの松林の中に存外高い反響を起しました。殊にK君の笑い声は――K君はS君やM子さんにK君の妹さんのことを話していました。この田舎にいる妹さんは女学校を卒業したばかりらしいのです。が、何でも夫になる人は煙草ものまなければ酒ものまない、品行方正の紳士でなければならないと言っていると云うことです。
「僕等は皆落第ですね?」
S君は僕にこう言いました。が、僕の目にはいじらしいくらい、妙にてれ切った顔をしていました。
「煙草ものまなければ酒ものまないなんて、……つまり兄貴へ当てつけているんだね。」
K君も咄嗟につけ加えました。僕は善い加減な返事をしながら、だんだんこの散歩を苦にし出しました。従って突然M子さんの「もう帰りましょう」と言った時にはほっとひと息ついたものです。M子さんは晴れ晴れした顔をしたまま、僕等の何とも言わないうちにくるりと足を返しました。が、温泉宿へ帰る途中はM子さんのお母さんとばかり話していました。僕等は勿論前と同じ松林の中を歩いて行ったのです。けれどもあの赤蜂はもうどこかへ行っていました。
それから半月ばかりたった後です。僕はどんより曇っているせいか、何をする気もなかったものですから、池のある庭へおりて行きました。するとM子さんのお母さんが一人船底椅子に腰をおろし、東京の新聞を読んでいました。M子さんはきょうはK君やS君と温泉宿の後ろにあるY山へ登りに行ったはずです。この奥さんは僕を見ると、老眼鏡をはずして挨拶しました。
「こちらの椅子をさし上げましょうか?」
「いえ、これで結構です。」
僕はちょうどそこにあった、古い籐椅子にかけることにしました。
「昨晩はお休みになれなかったでしょう?」
「いいえ、……何かあったのですか?」
「あの気の違った男の方がいきなり廊下へ駈け出したりなすったものですから。」
「そんなことがあったんですか?」
「ええ、どこかの銀行の取りつけ騒ぎを新聞でお読みなすったのが始まりなんですって。」
僕はあの松葉の入れ墨をした気違いの一生を想像しました。それから、――笑われても仕かたはありません、僕の弟の持っている株券のことなどを思い出しました。
「Sさんなどはこぼしていらっしゃいましたよ。……」
M子さんのお母さんはいつか僕に婉曲にS君のことを尋ね出しました。が、僕はどう云う返事にも「でしょう」だの「と思います」だのとつけ加えました。(僕はいつも一人の人をその人としてだけしか考えられません。家族とか財産とか社会的地位とか云うことには自然と冷淡になっているのです。おまけに一番悪いことはその人としてだけ考える時でもいつか僕自身に似ている点だけその人の中から引き出した上、勝手に好悪を定めているのです。)のみならずこの奥さんの気もちに、――S君の身もとを調べる気もちにある可笑しさを感じました。
「Sさんは神経質でいらっしゃるでしょう?」
「ええ、まあ神経質と云うのでしょう。」
「人ずれはちっともしていらっしゃいませんね。」
「それは何しろ坊ちゃんですから、……しかしもう一通りのことは心得ていると思いますが。」
僕はこう云う話の中にふと池の水際に沢蟹の這っているのを見つけました。しかもその沢蟹はもう一匹の沢蟹を、――甲羅の半ば砕けかかったもう一匹の沢蟹をじりじり引きずって行くところなのです。僕はいつかクロポトキンの相互扶助論の中にあった蟹の話を思い出しました。クロポトキンの教えるところによれば、いつも蟹は怪我をした仲間を扶けて行ってやると云うことです。しかしまたある動物学者の実例を観察したところによれば、それはいつも怪我をした仲間を食うためにやっていると云うことです。僕はだんだん石菖のかげに二匹の沢蟹の隠れるのを見ながら、M子さんのお母さんと話していました。が、いつか僕等の話に全然興味を失っていました。
「みんなの帰って来るのは夕がたでしょう?」
僕はこう言って立ち上りました。同時にまたM子さんのお母さんの顔にある表情を感じました。それはちょっとした驚きと一しょに何か本能的な憎しみを閃かせている表情です。けれどもこの奥さんはすぐにもの静かに返事をしました。
「ええ、M子もそんなことを申しておりました。」
僕は僕の部屋へ帰って来ると、また縁先の手すりにつかまり、松林の上に盛り上ったY山の頂を眺めました。山の頂は岩むらの上に薄い日の光をなすっています。僕はこう云う景色を見ながら、ふと僕等人間を憐みたい気もちを感じました。……
M子さん親子はS君と一しょに二三日前に東京へ帰りました。K君は何でもこの温泉宿へ妹さんの来るのを待ち合せた上、(それは多分僕の帰るのよりも一週間ばかり遅れるでしょう。)帰り仕度をするとか云うことです。僕はK君と二人だけになった時に幾分か寛ぎを感じました。もっともK君を劬りたい気もちの反ってK君にこたえることを惧れているのに違いありません。が、とにかくK君と一しょに比較的気楽に暮らしています。現にゆうべも風呂にはいりながら、一時間もセザアル・フランクを論じていました。
僕は今僕の部屋にこの手紙を書いています。ここはもう初秋にはいっています。僕はけさ目を醒ました時、僕の部屋の障子の上に小さいY山や松林の逆さまに映っているのを見つけました。それは勿論戸の節穴からさして来る光のためだったのです。しかし僕は腹ばいになり、一本の巻煙草をふかしながら、この妙に澄み渡った、小さい初秋の風景にいつにない静かさを感じました。………
ではさようなら。東京ももう朝晩は大分凌ぎよくなっているでしょう。どうかお子さんたちにもよろしく言って下さい。
(昭和二年六月七日) | 底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年2月3日公開
2004年3月10日修正
青空文庫作成ファイル:
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室生犀星はちゃんと出来上った人である。僕は実は近頃まであの位室生犀星なりに出来上っていようとは思わなかった。出来上った人と云う意味はまあ簡単に埒を明ければ、一家を成した人と思えば好い。或は何も他に待たずに生きられる人と思えば好い。室生は大袈裟に形容すれば、日星河岳前にあり、室生犀星茲にありと傍若無人に尻を据えている。あの尻の据えかたは必しも容易に出来るものではない。ざっと周囲を見渡した所、僕の知っている連中でも大抵は何かを恐れている。勿論外見は恐れてはいない。内見も――内見と言う言葉はないかも知れない。では夫子自身にさえ己は無畏だぞと言い聞かせている。しかしやはり肚の底には多少は何かを恐れている。この恐怖の有無になると、室生犀星は頗る強い。世間に気も使わなければ、気を使われようとも思っていない。庭をいじって、話を書いて、芋がしらの水差しを玩んで――つまり前にも言ったように、日月星辰前にあり、室生犀星茲にありと魚眠洞の洞天に尻を据えている。僕は室生と親んだ後この点に最も感心したのみならずこの点に感心したことを少からず幸福に思っている。先頃「高麗の花」を評した時に詩人室生犀星には言い及んだから、今度は聊か友人――と言うよりも室生の人となりを記すことにした。或はこれも室生の為に「こりゃ」と叱られるものかも知れない。 | 底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社
1995(平成7)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店
1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月発行
入力:向井樹里
校正:砂場清隆
2007年2月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "043386",
"作品名": "出来上った人",
"作品名読み": "できあがったひと",
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"副題": "――室生犀星氏――",
"副題読み": "――むろうさいせいし――",
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"姓ローマ字": "Akutagawa",
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"生年月日": "1892-03-01",
"没年月日": "1927-07-24",
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"底本の親本名1": "芥川龍之介全集第1~9、12巻",
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これは孝子伝吉の父の仇を打った話である。
伝吉は信州水内郡笹山村の百姓の一人息子である。伝吉の父は伝三と云い、「酒を好み、博奕を好み、喧嘩口論を好」んだと云うから、まず一村の人々にはならずもの扱いをされていたらしい。(註一)母は伝吉を産んだ翌年、病死してしまったと云うものもある。あるいはまた情夫の出来たために出奔してしまったと云うものもある。(註二)しかし事実はどちらにしろ、この話の始まる頃にはいなくなっていたのに違いない。
この話の始まりは伝吉のやっと十二歳になった(一説によれば十五歳)天保七年の春である。伝吉はある日ふとしたことから、「越後浪人服部平四郎と云えるものの怒を買い、あわや斬りも捨てられん」とした。平四郎は当時文蔵と云う、柏原の博徒のもとに用心棒をしていた剣客である。もっともこの「ふとしたこと」には二つ三つ異説のない訣でもない。
まず田代玄甫の書いた「旅硯」の中の文によれば、伝吉は平四郎の髷ぶしへ凧をひっかけたと云うことである。
なおまた伝吉の墓のある笹山村の慈照寺(浄土宗)は「孝子伝吉物語」と云う木版の小冊子を頒っている。この「伝吉物語」によれば伝吉は何もした訣ではない。ただその釣をしている所へ偶然来かかった平四郎に釣道具を奪われようとしただけである。
最後に小泉孤松の書いた「農家義人伝」の中の一篇によれば、平四郎は伝吉の牽いていた馬に泥田へ蹴落されたと云うことである。(註三)
とにかく平四郎は腹立ちまぎれに伝吉へ斬りかけたのに違いない。伝吉は平四郎に追われながら、父のいる山畠へ逃げのぼった。父の伝三はたった一人山畠の桑の手入れをしていた。が、子供の危急を知ると、芋の穴の中へ伝吉を隠した。芋の穴と云うのは芋を囲う一畳敷ばかりの土室である。伝吉はその穴の中に俵の藁をかぶったまま、じっと息をひそめていた。
「平四郎たちまち追い至り、『老爺、老爺、小僧はどちへ行ったぞ』と尋ねけるに、伝三もとよりしたたかものなりければ、『あの道を走り行き候』とぞ欺きける。平四郎その方へ追い行かんとせしが、ふと伝三の舌を吐きたるを見咎め、『土百姓めが、大胆にも□□□□□□□□□□□(虫食いのために読み難し)とて伝三を足蹴にかけければ、不敵の伝三腹を据え兼ね、あり合う鍬をとるより早く、いざさらば土百姓の腕を見せんとぞ息まきける。
「いずれ劣らぬ曲者ゆえ、しばく(シの誤か)は必死に打ち合いけるが、……
「平四郎さすがに手だれなりければ、思うままに伝三を疲らせつつ、打ちかくる鍬を引きはずすよと見る間に、伝三の肩さきへ一太刀浴びせ、……
「逃げんとするを逃がしもやらず、拝み打ちに打ち放し、……
「伝吉のありかには気づかずありけん、悠々と刀など押し拭い、いずこともなく立ち去りけり。」(旅硯)
脳貧血を起した伝吉のやっと穴の外へ這い出した時には、もうただ芽をふいた桑の根がたに伝三の死骸のあるばかりだった。伝吉は死骸にとりすがったなり、いつまでも一人じっとしていたが、涙は不思議にも全然睫毛を沾さなかった。その代りにある感情の火のように心を焦がすのを感じた。それは父を見殺しにした彼自身に対する怒だった。理が非でも仇を返さなければ消えることを知らない怒だった。
その後の伝吉の一生はほとんどこの怒のために終始したと云ってもよい。伝吉は父を葬った後、長窪にいる叔父のもとに下男同様に住みこむことになった。叔父は枡屋善作(一説によれば善兵衛)と云う、才覚の利いた旅籠屋である。(註四)伝吉は下男部屋に起臥しながら仇打ちの工夫を凝らしつづけた。この仇打の工夫についても、諸説のいずれが正しいかはしばらく疑問に附するほかはない。
(一)「旅硯」、「農家義人伝」等によれば、伝吉は仇の誰であるかを知っていたことになっている。しかし「伝吉物語」によれば、服部平四郎の名を知るまでに「三星霜を閲し」たらしい。なおまた皆川蜩庵の書いた「木の葉」の中の「伝吉がこと」も「数年を経たり」と断っている。
(二)「農家義人伝」、「本朝姑妄聴」(著者不明)等によれば、伝吉の剣法を学んだ師匠は平井左門と云う浪人である。左門は長窪の子供たちに読書や習字を教えながら、請うものには北辰夢想流の剣法も教えていたらしい。けれども「伝吉物語」「旅硯」「木の葉」等によれば、伝吉は剣法を自得したのである。「あるいは立ち木を讐と呼び、あるいは岩を平四郎と名づけ」、一心に練磨を積んだのである。
すると天保十年頃意外にも服部平四郎は突然往くえを晦ましてしまった。もっともこれは伝吉につけ狙われていることを知ったからではない。ただあらゆる浮浪人のようにどこかへ姿を隠してしまったのである。伝吉は勿論落胆した。一時は「神ほとけも讐の上を守らせ給うか」とさえ歎息した。この上仇を返そうとすればまず旅に出なければならない。しかし当てもない旅に出るのは現在の伝吉には不可能である。伝吉は烈しい絶望の余り、だんだん遊蕩に染まり出した。「農家義人伝」はこの変化を「交を博徒に求む、蓋し讐の所在を知らんと欲する也」と説明している。これもまたあるいは一解釈かも知れない。
伝吉はたちまち枡屋を逐われ、唐丸の松と称された博徒松五郎の乾児になった。爾来ほとんど二十年ばかりは無頼の生活を送っていたらしい。(註五)「木の葉」はこの間に伝吉の枡屋の娘を誘拐したり、長窪の本陣何某へ強請に行ったりしたことを伝えている。これも他の諸書に載せてないのを見れば、軽々に真偽を決することは出来ない。現に「農家義人伝」は「伝吉、一郷の悪少と共に屡横逆を行えりと云う。妄誕弁ずるに足らざる也。伝吉は父讐を復せんとするの孝子、豈、這般の無状あらんや」と「木の葉」の記事を否定している。けれども伝吉はこの間も仇打ちの一念は忘れなかったのであろう。比較的伝吉に同情を持たない皆川蜩庵さえこう書いている。「伝吉は朋輩どもには仇あることを云わず、仇あることを知りしものには自らも仇の名など知らざるように装いしとなり。深志あるものの所作なるべし。」が、歳月は徒らに去り、平四郎の往くえは不相変誰の耳にもはいらなかった。
すると安政六年の秋、伝吉はふと平四郎の倉井村にいることを発見した。もっとも今度は昔のように両刀を手挟んでいたのではない。いつか髪を落した後、倉井村の地蔵堂の堂守になっていたのである。伝吉は「冥助のかたじけなさ」を感じた。倉井村と云えば長窪から五里に足りない山村である。その上笹山村に隣り合っているから、小径も知らないのは一つもない。(地図参照)伝吉は現在平四郎の浄観と云っているのも確かめた上、安政六年九月七日、菅笠をかぶり、旅合羽を着、相州無銘の長脇差をさし、たった一人仇打ちの途に上った。父の伝三の打たれた年からやっと二十三年目に本懐を遂げようとするのである。
伝吉の倉井村へはいったのは戌の刻を少し過ぎた頃だった。これは邪魔のはいらないためにわざと夜を選んだからである。伝吉は夜寒の田舎道を山のかげにある地蔵堂へ行った。窓障子の破れから覗いて見ると、榾明りに照された壁の上に大きい影が一つ映っていた。しかし影の持主は覗いている角度の関係上、どうしても見ることは出来なかった。ただその大きい目前の影は疑う余地のない坊主頭だった。のみならずしばらく聞き澄ましていても、この佗しい堂守のほかに人のいるけはいは聞えなかった。伝吉はまず雨落ちの石へそっと菅笠を仰向けに載せた。それから静かに旅合羽を脱ぎ、二つに畳んだのを笠の中に入れた。笠も合羽もいつの間にかしっとりと夜露にしめっていた。すると、――急に便通を感じた。伝吉はやむを得ず藪かげへはいり、漆の木の下へ用を足した。この一条を田代玄甫は「胆の太きこそ恐ろしけれ」と称え、小泉孤松は「伝吉の沈勇、極まれり矣」と嘆じている。
身仕度を整えた伝吉は長脇差を引き抜いた後、がらりと地蔵堂の門障子をあけた。囲炉裡の前には坊主が一人、楽々と足を投げ出していた。坊主はこちらへ背を見せたまま、「誰じゃい?」とただ声をかけた。伝吉はちょいと拍子抜けを感じた。第一にこう云う坊主の態度は仇を持つ人とも思われなかった。第二にその後ろ姿は伝吉の心に描いていたよりもずっと憔悴を極めていた。伝吉はほとんど一瞬間人違いではないかと云う疑いさえ抱いた。しかしもう今となってはためらっていられないのは勿論だった。
伝吉は後ろ手に障子をしめ、「服部平四郎」と声をかけた。坊主はそれでも驚きもせずに、不審そうに客を振り返った。が、白刃の光りを見ると、咄嵯に法衣の膝を起した。榾火に照らされた坊主の顔は骨と皮ばかりになった老人だった。しかし伝吉はその顔のどこかにはっきりと服部平四郎を感じた。
「誰じゃい、おぬしは?」
「伝三の倅の伝吉だ。怨みはおぬしの身に覚えがあるだろう。」
浄観は大きい目をしたまま、黙然とただ伝吉を見上げた。その顔に現れた感情は何とも云われない恐怖だった。伝吉は刀を構えながら、冷やかにこの恐怖を享楽した。
「さあ、その伝三の仇を返しに来たのだ。さっさと立ち上って勝負をしろ。」
「何、立ち上れじゃ?」
浄観は見る見る微笑を浮べた。伝吉はこの微笑の中に何か妙に凄いものを感じた。
「おぬしは己が昔のように立ち上れると思うているのか? 己は居ざりじゃ。腰抜けじゃ。」
伝吉は思わず一足すさった。いつか彼の構えた刀はぶるぶる切先を震わしていた。浄観はその容子を見やったなり、歯の抜けた口をあからさまにもう一度こうつけ加えた。
「立ち居さえ自由にはならぬ体じゃ。」
「嘘をつけ。嘘を……」
伝吉は必死に罵りかけた。が、浄観は反対に少しずつ冷静に返り出した。
「何が嘘じゃ? この村のものにも聞いて見るが好い。己は去年の大患いから腰ぬけになってしもうたのじゃ。じゃが、――」
浄観はちょいと言葉を切ると、まともに伝吉の目の中を見つめた。
「じゃが己は卑怯なことは云わぬ。いかにもおぬしの云う通り、おぬしの父親は己の手にかけた。この腰抜けでも打つと云うなら、立派に己は打たれてやる。」
伝吉は短い沈黙の間にいろいろの感情の群がるのを感じた。嫌悪、憐憫、侮蔑、恐怖、――そう云う感情の高低は徒に彼の太刀先を鈍らせる役に立つばかりだった。伝吉は浄観を睨んだぎり、打とうか打つまいかと逡巡していた。
「さあ、打て。」
浄観はほとんど傲然と斜に伝吉へ肩を示した。その拍子にふと伝吉は酒臭い浄観の息を感じた。と同時に昔の怒のむらむらと心に燃え上るのを感じた。それは父を見殺しにした彼自身に対する怒だった。理が非でも仇を打たなければ消えることを知らない怒だった。伝吉は武者震いをするが早いか、いきなり浄観を袈裟がけに斬った。……
伝吉の見事に仇を打った話はたちまち一郷の評判になった。公儀も勿論この孝子には格別の咎めを加えなかったらしい。もっとも予め仇打ちの願書を奉ることを忘れていたから、褒美の沙汰だけはなかったようである。その後の伝吉を語ることは生憎この話の主題ではない。が、大体を明かにすれば、伝吉は維新後材木商を営み、失敗に失敗を重ねた揚句、とうとう精神に異状を来した。死んだのは明治十年の秋、行年はちょうど五十三である。(註六)しかしこう云う最期のことなどは全然諸書に伝わっていない。現に「孝子伝吉物語」は下のように話を結んでいる。――
「伝吉はその後家富み栄え、楽しい晩年を送りました。積善の家に余慶ありとは誠にこの事でありましょう。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。」
(大正十二年十二月) | 底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月8日公開
2004年3月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000034",
"作品名": "伝吉の敵打ち",
"作品名読み": "でんきちのかたきうち",
"ソート用読み": "てんきちのかたきうち",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「サンデー毎日」1924(大正13)年1月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-01-08T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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"人物ID": "000879",
"姓": "芥川",
"名": "竜之介",
"姓読み": "あくたがわ",
"名読み": "りゅうのすけ",
"姓読みソート用": "あくたかわ",
"名読みソート用": "りゆうのすけ",
"姓ローマ字": "Akutagawa",
"名ローマ字": "Ryunosuke",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1892-03-01",
"没年月日": "1927-07-24",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "芥川龍之介全集5",
"底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房",
"底本初版発行年1": "1987(昭和62)年2月24日",
"入力に使用した版1": "1995(平成7)年4月10日第6刷",
"校正に使用した版1": "1996(平成8)年7月15日第7刷",
"底本の親本名1": "筑摩全集類聚版芥川龍之介全集",
"底本の親本出版社名1": "筑摩書房",
"底本の親本初版発行年1": "1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "j.utiyama",
"校正者": "かとうかおり",
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一
僕の母は狂人だった。僕は一度も僕の母に母らしい親しみを感じたことはない。僕の母は髪を櫛巻きにし、いつも芝の実家にたった一人坐りながら、長煙管ですぱすぱ煙草を吸っている。顔も小さければ体も小さい。その又顔はどう云う訳か、少しも生気のない灰色をしている。僕はいつか西廂記を読み、土口気泥臭味の語に出合った時に忽ち僕の母の顔を、――痩せ細った横顔を思い出した。
こう云う僕は僕の母に全然面倒を見て貰ったことはない。何でも一度僕の養母とわざわざ二階へ挨拶に行ったら、いきなり頭を長煙管で打たれたことを覚えている。しかし大体僕の母は如何にももの静かな狂人だった。僕や僕の姉などに画を描いてくれと迫られると、四つ折の半紙に画を描いてくれる。画は墨を使うばかりではない。僕の姉の水絵の具を行楽の子女の衣服だの草木の花だのになすってくれる。唯それ等の画中の人物はいずれも狐の顔をしていた。
僕の母の死んだのは僕の十一の秋である。それは病の為よりも衰弱の為に死んだのであろう。その死の前後の記憶だけは割り合にはっきりと残っている。
危篤の電報でも来た為であろう。僕は或風のない深夜、僕の養母と人力車に乗り、本所から芝まで駈けつけて行った。僕はまだ今日でも襟巻と云うものを用いたことはない。が、特にこの夜だけは南画の山水か何かを描いた、薄い絹の手巾をまきつけていたことを覚えている。それからその手巾には「アヤメ香水」と云う香水の匂のしていたことも覚えている。
僕の母は二階の真下の八畳の座敷に横たわっていた。僕は四つ違いの僕の姉と僕の母の枕もとに坐り、二人とも絶えず声を立てて泣いた。殊に誰か僕の後ろで「御臨終御臨終」と言った時には一層切なさのこみ上げるのを感じた。しかし今まで瞑目していた、死人にひとしい僕の母は突然目をあいて何か言った。僕等は皆悲しい中にも小声でくすくす笑い出した。
僕はその次の晩も僕の母の枕もとに夜明近くまで坐っていた。が、なぜかゆうべのように少しも涙は流れなかった。僕は殆ど泣き声を絶たない僕の姉の手前を恥じ、一生懸命に泣く真似をしていた。同時に又僕の泣かれない以上、僕の母の死ぬことは必ずないと信じていた。
僕の母は三日目の晩に殆ど苦しまずに死んで行った。死ぬ前には正気に返ったと見え、僕等の顔を眺めてはとめ度なしにぽろぽろ涙を落した。が、やはりふだんのように何とも口は利かなかった。
僕は納棺を終った後にも時々泣かずにはいられなかった。すると「王子の叔母さん」と云う或遠縁のお婆さんが一人「ほんとうに御感心でございますね」と言った。しかし僕は妙なことに感心する人だと思っただけだった。
僕の母の葬式の出た日、僕の姉は位牌を持ち、僕はその後ろに香炉を持ち二人とも人力車に乗って行った。僕は時々居睡りをし、はっと思って目を醒ます拍子に危く香炉を落しそうにする。けれども谷中へは中々来ない。可也長い葬列はいつも秋晴れの東京の町をしずしずと練っているのである。
僕の母の命日は十一月二十八日である。又戒名は帰命院妙乗日進大姉である。僕はその癖僕の実父の命日や戒名を覚えていない。それは多分十一の僕には命日や戒名を覚えることも誇りの一つだった為であろう。
二
僕は一人の姉を持っている。しかしこれは病身ながらも二人の子供の母になっている。僕の「点鬼簿」に加えたいのは勿論この姉のことではない。丁度僕の生まれる前に突然夭折した姉のことである。僕等三人の姉弟の中でも一番賢かったと云う姉のことである。
この姉を初子と云ったのは長女に生まれた為だったであろう。僕の家の仏壇には未だに「初ちゃん」の写真が一枚小さい額縁の中にはいっている。初ちゃんは少しもか弱そうではない。小さい笑窪のある両頬なども熟した杏のようにまるまるしている。………
僕の父や母の愛を一番余計に受けたものは何と云っても「初ちゃん」である。「初ちゃん」は芝の新銭座からわざわざ築地のサンマアズ夫人の幼稚園か何かへ通っていた。が、土曜から日曜へかけては必ず僕の母の家へ――本所の芥川家へ泊りに行った。「初ちゃん」はこう云う外出の時にはまだ明治二十年代でも今めかしい洋服を着ていたのであろう。僕は小学校へ通っていた頃、「初ちゃん」の着物の端巾を貰い、ゴム人形に着せたのを覚えている。その又端巾は言い合せたように細かい花や楽器を散らした舶来のキャラコばかりだった。
或春先の日曜の午後、「初ちゃん」は庭を歩きながら、座敷にいる伯母に声をかけた。(僕は勿論この時の姉も洋服を着ていたように想像している。)
「伯母さん、これは何と云う樹?」
「どの樹?」
「この莟のある樹。」
僕の母の実家の庭には背の低い木瓜の樹が一株、古井戸へ枝を垂らしていた。髪をお下げにした「初ちゃん」は恐らくは大きい目をしたまま、この枝のとげとげしい木瓜の樹を見つめていたことであろう。
「これはお前と同じ名前の樹。」
伯母の洒落は生憎通じなかった。
「じゃ莫迦の樹と云う樹なのね。」
伯母は「初ちゃん」の話さえ出れば、未だにこの問答を繰り返している。実際又「初ちゃん」の話と云ってはその外に何も残っていない。「初ちゃん」はそれから幾日もたたずに柩にはいってしまったのであろう。僕は小さい位牌に彫った「初ちゃん」の戒名は覚えていない。が、「初ちゃん」の命日が四月五日であることだけは妙にはっきりと覚えている。
僕はなぜかこの姉に、――全然僕の見知らない姉に或親しみを感じている。「初ちゃん」は今も存命するとすれば、四十を越していることであろう。四十を越した「初ちゃん」の顔は或は芝の実家の二階に茫然と煙草をふかしていた僕の母の顔に似ているかも知れない。僕は時々幻のように僕の母とも姉ともつかない四十恰好の女人が一人、どこかから僕の一生を見守っているように感じている。これは珈琲や煙草に疲れた僕の神経の仕業であろうか? それとも又何かの機会に実在の世界へも面かげを見せる超自然の力の仕業であろうか?
三
僕は母の発狂した為に生まれるが早いか養家に来たから、(養家は母かたの伯父の家だった。)僕の父にも冷淡だった。僕の父は牛乳屋であり、小さい成功者の一人らしかった。僕に当時新らしかった果物や飲料を教えたのは悉く僕の父である。バナナ、アイスクリイム、パイナアップル、ラム酒、――まだその外にもあったかも知れない。僕は当時新宿にあった牧場の外の槲の葉かげにラム酒を飲んだことを覚えている。ラム酒は非常にアルコオル分の少ない、橙黄色を帯びた飲料だった。
僕の父は幼い僕にこう云う珍らしいものを勧め、養家から僕を取り戻そうとした。僕は一夜大森の魚栄でアイスクリイムを勧められながら、露骨に実家へ逃げて来いと口説かれたことを覚えている。僕の父はこう云う時には頗る巧言令色を弄した。が、生憎その勧誘は一度も効を奏さなかった。それは僕が養家の父母を、――殊に伯母を愛していたからだった。
僕の父は又短気だったから、度々誰とでも喧嘩をした。僕は中学の三年生の時に僕の父と相撲をとり、僕の得意の大外刈りを使って見事に僕の父を投げ倒した。僕の父は起き上ったと思うと、「もう一番」と言って僕に向って来た。僕は又造作もなく投げ倒した。僕の父は三度目には「もう一番」と言いながら、血相を変えて飛びかかって来た。この相撲を見ていた僕の叔母――僕の母の妹であり、僕の父の後妻だった叔母は二三度僕に目くばせをした。僕は僕の父と揉み合った後、わざと仰向けに倒れてしまった。が、もしあの時に負けなかったとすれば、僕の父は必ず僕にも掴みかからずにはいなかったであろう。
僕は二十八になった時、――まだ教師をしていた時に「チチニウイン」の電報を受けとり、倉皇と鎌倉から東京へ向った。僕の父はインフルエンザの為に東京病院にはいっていた。僕は彼是三日ばかり、養家の伯母や実家の叔母と病室の隅に寝泊りしていた。そのうちにそろそろ退屈し出した。そこへ僕の懇意にしていた或愛蘭土の新聞記者が一人、築地の或待合へ飯を食いに来ないかと云う電話をかけた。僕はその新聞記者が近く渡米するのを口実にし、垂死の僕の父を残したまま、築地の或待合へ出かけて行った。
僕等は四五人の芸者と一しょに愉快に日本風の食事をした。食事は確か十時頃に終った。僕はその新聞記者を残したまま、狭い段梯子を下って行った。すると誰か後ろから「ああさん」と僕に声をかけた。僕は中段に足をとめながら、段梯子の上をふり返った。そこには来合せていた芸者が一人、じっと僕を見下ろしていた。僕は黙って段梯子を下り、玄関の外のタクシイに乗った。タクシイはすぐに動き出した。が、僕は僕の父よりも水々しい西洋髪に結った彼女の顔を、――殊に彼女の目を考えていた。
僕が病院へ帰って来ると、僕の父は僕を待ち兼ねていた。のみならず二枚折の屏風の外に悉く余人を引き下らせ、僕の手を握ったり撫でたりしながら、僕の知らない昔のことを、――僕の母と結婚した当時のことを話し出した。それは僕の母と二人で箪笥を買いに出かけたとか、鮨をとって食ったとか云う、瑣末な話に過ぎなかった。しかし僕はその話のうちにいつか眶が熱くなっていた。僕の父も肉の落ちた頬にやはり涙を流していた。
僕の父はその次の朝に余り苦しまずに死んで行った。死ぬ前には頭も狂ったと見え「あんなに旗を立てた軍艦が来た。みんな万歳を唱えろ」などと言った。僕は僕の父の葬式がどんなものだったか覚えていない。唯僕の父の死骸を病院から実家へ運ぶ時、大きい春の月が一つ、僕の父の柩車の上を照らしていたことを覚えている。
四
僕は今年の三月の半ばにまだ懐炉を入れたまま、久しぶりに妻と墓参りをした。久しぶりに、――しかし小さい墓は勿論、墓の上に枝を伸ばした一株の赤松も変らなかった。
「点鬼簿」に加えた三人は皆この谷中の墓地の隅に、――しかも同じ石塔の下に彼等の骨を埋めている。僕はこの墓の下へ静かに僕の母の柩が下された時のことを思い出した。これは又「初ちゃん」も同じだったであろう。唯僕の父だけは、――僕は僕の父の骨が白じらと細かに砕けた中に金歯の交っていたのを覚えている。………
僕は墓参りを好んではいない。若し忘れていられるとすれば、僕の両親や姉のことも忘れていたいと思っている。が、特にその日だけは肉体的に弱っていたせいか、春先の午後の日の光の中に黒ずんだ石塔を眺めながら、一体彼等三人の中では誰が幸福だったろうと考えたりした。
かげろふや塚より外に住むばかり
僕は実際この時ほど、こう云う丈艸の心もちが押し迫って来るのを感じたことはなかった。 | 底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館
1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第八卷」岩波書店
1978(昭和53)年3月22日発行
初出:「改造 第八卷第十一号」
1926(大正15)年10月1日発行
入力:j.utiyama
校正:山本奈津恵
1998年10月5日公開
2016年2月25日修正
青空文庫作成ファイル:
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変化の激しい都会
僕に東京の印象を話せといふのは無理である。何故といへば、或る印象を得るためには、印象するものと、印象されるものとの間に、或る新鮮さがなければならない。ところが、僕は東京に生れ、東京に育ち、東京に住んでゐる。だから、東京に対する神経は麻痺し切つてゐるといつてもいゝ。従つて、東京の印象といふやうなことは、殆んど話すことがないのである。
しかし、こゝに幸せなことは、東京は変化の激しい都会である。例へばつい半年ほど前には、石の擬宝珠のあつた京橋も、このごろでは、西洋風の橋に変つてゐる。そのために、東京の印象といふやうなものが、多少は話せないわけでもない。殊に、僕の如き出不精なものは、それだけ変化にも驚き易いから、幾分か話すたねも殖えるわけである。
住み心地のよくないところ
大体にいへば、今の東京はあまり住み心地のいゝところではない。例へば、大川にしても、僕が子供の時分には、まだ百本杭もあつたし、中洲界隈は一面の蘆原だつたが、もう今では如何にも都会の川らしい、ごみ〳〵したものに変つてしまつた。殊にこの頃出来るアメリカ式の大建築は、どこにあるのも見にくいものゝみである。その外、電車、カフエー、並木、自働車、何れもあまり感心するものはない。
しかし、さういふ不愉快な町中でも、一寸した硝子窓の光とか、建物の軒蛇腹の影とかに、美しい感じを見出すことが、まあ、僕などはこんなところにも都会らしい美しさを感じなければ外に安住するところはない。
広重の情趣
尤も、今の東京にも、昔の錦絵にあるやうな景色は全然なくなつてしまつたわけではない。僕は或る夏の暮れ方、本所の一の橋のそばの共同便所へ入つた。その便所を出て見ると、雨がぽつ〳〵降り出してゐた。その時、一の橋とたてがはの川の色とは、そつくり広重だつたといつてもいゝ。しかし、さういふ景色に打突かることは、まあ、非常に稀だらうと思ふ。
郊外の感じ
序でに郊外のことを言へば、概して、郊外は嫌ひである。嫌ひな理由の第一は、妙に宿場じみ、新開地じみた町の感じや、所謂武蔵野が見えたりして、安直なセンチメンタリズムが厭なのである。さういふものゝ僕の住んでゐる田端もやはり東京の郊外である。だから、あんまり愉快ではない。 | 底本:「心にふるさとがある17 わが町わが村(東日本)」作品社
1998(平成10)年4月25日第1刷発行
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:浦山敦子
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年1月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "045623",
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天王寺の別当、道命阿闍梨は、ひとりそっと床をぬけ出すと、経机の前へにじりよって、その上に乗っている法華経八の巻を灯の下に繰りひろげた。
切り燈台の火は、花のような丁字をむすびながら、明く螺鈿の経机を照らしている。耳にはいるのは几帳の向うに横になっている和泉式部の寝息であろう。春の夜の曹司はただしんかんと更け渡って、そのほかには鼠の啼く声さえも聞えない。
阿闍梨は、白地の錦の縁をとった円座の上に座をしめながら、式部の眼のさめるのを憚るように、中音で静かに法華経を誦しはじめた。
これが、この男の日頃からの習慣である。身は、傅の大納言藤原道綱の子と生れて、天台座主慈恵大僧正の弟子となったが、三業も修せず、五戒も持した事はない。いや寧ろ「天が下のいろごのみ」と云う、Dandy の階級に属するような、生活さえもつづけている。が、不思議にも、そう云う生活のあい間には、必ずひとり法華経を読誦する。しかも阿闍梨自身は、少しもそれを矛盾だと思っていないらしい。
現に今日、和泉式部を訪れたのも、験者として来たのでは、勿論ない。ただこの好女の数の多い情人の一人として春宵のつれづれを慰めるために忍んで来た。――それが、まだ一番鶏も鳴かないのに、こっそり床をぬけ出して、酒臭い唇に、一切衆生皆成仏道の妙経を読誦しようとするのである。……
阿闍梨は褊袗の襟を正して、専念に経を読んだ。
それが、どのくらいつづいたかわからない。が、暫くすると、切り燈台の火が、いつの間にか、少しずつ暗くなり出したのに気がついた。焔の先が青くなって、光がだんだん薄れて来る。と思うと、丁字のまわりが煤のたまったように黒み出して、追々に火の形が糸ほどに細ってしまう。阿闍梨は、気にして二三度燈心をかき立てた。けれども、暗くなる事は、依然として変りがない。
そればかりか、ふと気がつくと、灯の暗くなるのに従って、切り燈台の向うの空気が一所だけ濃くなって、それが次第に、影のような人の形になって来る。阿闍梨は、思わず読経の声を断った。――
「誰じゃ。」
すると、声に応じて、その影からぼやけた返事が伝って来た。
「おゆるされ。これは、五条西の洞院のほとりに住む翁でござる。」
阿闍梨は、身を稍後へすべらせながら眸を凝らして、じっとその翁を見た。翁は経机の向うに白の水干の袖を掻き合せて、仔細らしく坐っている。朦朧とはしながらも、烏帽子の紐を長くむすび下げた物ごしは満更狐狸の変化とも思われない。殊に黄色い紙を張った扇を持っているのが、灯の暗いにも関らず気高くはっきりと眺められた。
「翁とは何の翁じゃ。」
「おう、翁とばかりでは御合点まいるまい。ありようは、五条の道祖神でござる。」
「その道祖神が、何としてこれへ見えた。」
「御経を承わり申した嬉しさに、せめて一語なりとも御礼申そうとて、罷り出たのでござる。」
阿闍梨は不審らしく眉をよせた。
「道命が法華経を読み奉るのは、常の事じゃ。今宵に限った事ではない。」
「されば。」
道祖神は、ちょいと語を切って、種々たる黄髪の頭を、懶げに傾けながら不相変呟くような、かすかな声で、
「清くて読み奉らるる時には、上は梵天帝釈より下は恒河沙の諸仏菩薩まで、悉く聴聞せらるるものでござる。よって翁は下賤の悲しさに、御身近うまいる事もかない申さぬ。今宵は――」と云いかけながら、急に皮肉な調子になって、「今宵は、御行水も遊ばされず、且つ女人の肌に触れられての御誦経でござれば、諸々の仏神も不浄を忌んで、このあたりへは現ぜられぬげに見え申した。されば、翁も心安う見参に入り、聴聞の御礼申そう便宜を、得たのでござる。」
「何とな。」
道命阿闍梨は、不機嫌らしく声をとがらせた。道祖神は、それにも気のつかない容子で、
「されば、恵心の御房も、念仏読経四威儀を破る事なかれと仰せられた。翁の果報は、やがて御房の堕獄の悪趣と思召され、向後は……」
「黙れ。」
阿闍梨は、手頸にかけた水晶の念珠をまさぐりながら、鋭く翁の顔を一眄した。
「不肖ながら道命は、あらゆる経文論釈に眼を曝した。凡百の戒行徳目も修せなんだものはない。その方づれの申す事に気がつかぬうつけと思うか。」――が、道祖神は答えない。切り燈台のかげに蹲ったまま、じっと頭を垂れて、阿闍梨の語を、聞きすましているようである。
「よう聞けよ。生死即涅槃と云い、煩悩即菩提と云うは、悉く己が身の仏性を観ずると云う意じゃ。己が肉身は、三身即一の本覚如来、煩悩業苦の三道は、法身般若外脱の三徳、娑婆世界は常寂光土にひとしい。道命は無戒の比丘じゃが、既に三観三諦即一心の醍醐味を味得した。よって、和泉式部も、道命が眼には麻耶夫人じゃ。男女の交会も万善の功徳じゃ。われらが寝所には、久遠本地の諸法、無作法身の諸仏等、悉く影顕し給うぞよ。されば、道命が住所は霊鷲宝土じゃ。その方づれ如き、小乗臭糞の持戒者が、妄に足を容るべきの仏国でない。」
こう云って阿闍梨は容をあらためると、水晶の念珠を振って、苦々しげに叱りつけた。
「業畜、急々に退き居ろう。」
すると、翁は、黄いろい紙の扇を開いて、顔をさしかくすように思われたが、見る見る、影が薄くなって、蛍ほどになった切り燈台の火と共に、消えるともなく、ふっと消える――と、遠くでかすかながら、勇ましい一番鶏の声がした。
「春はあけぼの、ようよう白くなりゆく」時が来たのである。
(大正五年十二月十三日) | 底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年11月11日公開
2004年3月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "000135",
"作品名": "道祖問答",
"作品名読み": "どうそもんどう",
"ソート用読み": "とうそもんとう",
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"原題": "",
"初出": "「大阪朝日新聞夕刊」1917(大正6)年1月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
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"姓読み": "あくたがわ",
"名読み": "りゅうのすけ",
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"姓ローマ字": "Akutagawa",
"名ローマ字": "Ryunosuke",
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"生年月日": "1892-03-01",
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"入力に使用した版1": "1995(平成7)年10月5日第13刷",
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"底本の親本名1": "筑摩全集類聚版芥川龍之介全集",
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一
或春の日暮です。
唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。
若者は名を杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を費い尽して、その日の暮しにも困る位、憐な身分になっているのです。
何しろその頃洛陽といえば、天下に並ぶもののない、繁昌を極めた都ですから、往来にはまだしっきりなく、人や車が通っていました。門一ぱいに当っている、油のような夕日の光の中に、老人のかぶった紗の帽子や、土耳古の女の金の耳環や、白馬に飾った色糸の手綱が、絶えず流れて行く容子は、まるで画のような美しさです。
しかし杜子春は相変らず、門の壁に身を凭せて、ぼんやり空ばかり眺めていました。空には、もう細い月が、うらうらと靡いた霞の中に、まるで爪の痕かと思う程、かすかに白く浮んでいるのです。
「日は暮れるし、腹は減るし、その上もうどこへ行っても、泊めてくれる所はなさそうだし――こんな思いをして生きている位なら、一そ川へでも身を投げて、死んでしまった方がましかも知れない」
杜子春はひとりさっきから、こんな取りとめもないことを思いめぐらしていたのです。
するとどこからやって来たか、突然彼の前へ足を止めた、片目眇の老人があります。それが夕日の光を浴びて、大きな影を門へ落すと、じっと杜子春の顔を見ながら、
「お前は何を考えているのだ」と、横柄に声をかけました。
「私ですか。私は今夜寝る所もないので、どうしたものかと考えているのです」
老人の尋ね方が急でしたから、杜子春はさすがに眼を伏せて、思わず正直な答をしました。
「そうか。それは可哀そうだな」
老人は暫く何事か考えているようでしたが、やがて、往来にさしている夕日の光を指さしながら、
「ではおれが好いことを一つ教えてやろう。今この夕日の中に立って、お前の影が地に映ったら、その頭に当る所を夜中に掘って見るが好い。きっと車に一ぱいの黄金が埋まっている筈だから」
「ほんとうですか」
杜子春は驚いて、伏せていた眼を挙げました。ところが更に不思議なことには、あの老人はどこへ行ったか、もうあたりにはそれらしい、影も形も見当りません。その代り空の月の色は前よりも猶白くなって、休みない往来の人通りの上には、もう気の早い蝙蝠が二三匹ひらひら舞っていました。
二
杜子春は一日の内に、洛陽の都でも唯一人という大金持になりました。あの老人の言葉通り、夕日に影を映して見て、その頭に当る所を、夜中にそっと掘って見たら、大きな車にも余る位、黄金が一山出て来たのです。
大金持になった杜子春は、すぐに立派な家を買って、玄宗皇帝にも負けない位、贅沢な暮しをし始めました。蘭陵の酒を買わせるやら、桂州の竜眼肉をとりよせるやら、日に四度色の変る牡丹を庭に植えさせるやら、白孔雀を何羽も放し飼いにするやら、玉を集めるやら、錦を縫わせるやら、香木の車を造らせるやら、象牙の椅子を誂えるやら、その贅沢を一々書いていては、いつになってもこの話がおしまいにならない位です。
するとこういう噂を聞いて、今までは路で行き合っても、挨拶さえしなかった友だちなどが、朝夕遊びにやって来ました。それも一日毎に数が増して、半年ばかり経つ内には、洛陽の都に名を知られた才子や美人が多い中で、杜子春の家へ来ないものは、一人もない位になってしまったのです。杜子春はこの御客たちを相手に、毎日酒盛りを開きました。その酒盛りの又盛なことは、中々口には尽されません。極かいつまんだだけをお話しても、杜子春が金の杯に西洋から来た葡萄酒を汲んで、天竺生れの魔法使が刀を呑んで見せる芸に見とれていると、そのまわりには二十人の女たちが、十人は翡翠の蓮の花を、十人は瑪瑙の牡丹の花を、いずれも髪に飾りながら、笛や琴を節面白く奏しているという景色なのです。
しかしいくら大金持でも、御金には際限がありますから、さすがに贅沢家の杜子春も、一年二年と経つ内には、だんだん貧乏になり出しました。そうすると人間は薄情なもので、昨日までは毎日来た友だちも、今日は門の前を通ってさえ、挨拶一つして行きません。ましてとうとう三年目の春、又杜子春が以前の通り、一文無しになって見ると、広い洛陽の都の中にも、彼に宿を貸そうという家は、一軒もなくなってしまいました。いや、宿を貸すどころか、今では椀に一杯の水も、恵んでくれるものはないのです。
そこで彼は或日の夕方、もう一度あの洛陽の西の門の下へ行って、ぼんやり空を眺めながら、途方に暮れて立っていました。するとやはり昔のように、片目眇の老人が、どこからか姿を現して、
「お前は何を考えているのだ」と、声をかけるではありませんか。
杜子春は老人の顔を見ると、恥しそうに下を向いたまま、暫くは返事もしませんでした。が、老人はその日も親切そうに、同じ言葉を繰返しますから、こちらも前と同じように、
「私は今夜寝る所もないので、どうしたものかと考えているのです」と、恐る恐る返事をしました。
「そうか。それは可哀そうだな。ではおれが好いことを一つ教えてやろう。今この夕日の中へ立って、お前の影が地に映ったら、その胸に当る所を、夜中に掘って見るが好い。きっと車に一ぱいの黄金が埋まっている筈だから」
老人はこう言ったと思うと、今度もまた人ごみの中へ、掻き消すように隠れてしまいました。
杜子春はその翌日から、忽ち天下第一の大金持に返りました。と同時に相変らず、仕放題な贅沢をし始めました。庭に咲いている牡丹の花、その中に眠っている白孔雀、それから刀を呑んで見せる、天竺から来た魔法使――すべてが昔の通りなのです。
ですから車に一ぱいにあった、あの夥しい黄金も、又三年ばかり経つ内には、すっかりなくなってしまいました。
三
「お前は何を考えているのだ」
片目眇の老人は、三度杜子春の前へ来て、同じことを問いかけました。勿論彼はその時も、洛陽の西の門の下に、ほそぼそと霞を破っている三日月の光を眺めながら、ぼんやり佇んでいたのです。
「私ですか。私は今夜寝る所もないので、どうしようかと思っているのです」
「そうか。それは可哀そうだな。ではおれが好いことを教えてやろう。今この夕日の中へ立って、お前の影が地に映ったら、その腹に当る所を、夜中に掘って見るが好い。きっと車に一ぱいの――」
老人がここまで言いかけると、杜子春は急に手を挙げて、その言葉を遮りました。
「いや、お金はもういらないのです」
「金はもういらない? ははあ、では贅沢をするにはとうとう飽きてしまったと見えるな」
老人は審しそうな眼つきをしながら、じっと杜子春の顔を見つめました。
「何、贅沢に飽きたのじゃありません。人間というものに愛想がつきたのです」
杜子春は不平そうな顔をしながら、突慳貪にこう言いました。
「それは面白いな。どうして又人間に愛想が尽きたのだ?」
「人間は皆薄情です。私が大金持になった時には、世辞も追従もしますけれど、一旦貧乏になって御覧なさい。柔しい顔さえもして見せはしません。そんなことを考えると、たといもう一度大金持になったところが、何にもならないような気がするのです」
老人は杜子春の言葉を聞くと、急ににやにや笑い出しました。
「そうか。いや、お前は若い者に似合わず、感心に物のわかる男だ。ではこれからは貧乏をしても、安らかに暮して行くつもりか」
杜子春はちょいとためらいました。が、すぐに思い切った眼を挙げると、訴えるように老人の顔を見ながら、
「それも今の私には出来ません。ですから私はあなたの弟子になって、仙術の修業をしたいと思うのです。いいえ、隠してはいけません。あなたは道徳の高い仙人でしょう。仙人でなければ、一夜の内に私を天下第一の大金持にすることは出来ない筈です。どうか私の先生になって、不思議な仙術を教えて下さい」
老人は眉をひそめたまま、暫くは黙って、何事か考えているようでしたが、やがて又にっこり笑いながら、
「いかにもおれは峨眉山に棲んでいる、鉄冠子という仙人だ。始めお前の顔を見た時、どこか物わかりが好さそうだったから、二度まで大金持にしてやったのだが、それ程仙人になりたければ、おれの弟子にとり立ててやろう」と、快く願を容れてくれました。
杜子春は喜んだの、喜ばないのではありません。老人の言葉がまだ終らない内に、彼は大地に額をつけて、何度も鉄冠子に御時宜をしました。
「いや、そう御礼などは言って貰うまい。いくらおれの弟子にしたところが、立派な仙人になれるかなれないかは、お前次第で決まることだからな。――が、ともかくもまずおれと一しょに、峨眉山の奥へ来て見るが好い。おお、幸、ここに竹杖が一本落ちている。では早速これへ乗って、一飛びに空を渡るとしよう」
鉄冠子はそこにあった青竹を一本拾い上げると、口の中に咒文を唱えながら、杜子春と一しょにその竹へ、馬にでも乗るように跨りました。すると不思議ではありませんか。竹杖は忽ち竜のように、勢よく大空へ舞い上って、晴れ渡った春の夕空を峨眉山の方角へ飛んで行きました。
杜子春は胆をつぶしながら、恐る恐る下を見下しました。が、下には唯青い山々が夕明りの底に見えるばかりで、あの洛陽の都の西の門は、(とうに霞に紛れたのでしょう)どこを探しても見当りません。その内に鉄冠子は、白い鬢の毛を風に吹かせて、高らかに歌を唱い出しました。
朝に北海に遊び、暮には蒼梧。
袖裏の青蛇、胆気粗なり。
三たび岳陽に入れども、人識らず。
朗吟して、飛過す洞庭湖。
四
二人を乗せた青竹は、間もなく峨眉山へ舞い下りました。
そこは深い谷に臨んだ、幅の広い一枚岩の上でしたが、よくよく高い所だと見えて、中空に垂れた北斗の星が、茶碗程の大きさに光っていました。元より人跡の絶えた山ですから、あたりはしんと静まり返って、やっと耳にはいるものは、後の絶壁に生えている、曲りくねった一株の松が、こうこうと夜風に鳴る音だけです。
二人がこの岩の上に来ると、鉄冠子は杜子春を絶壁の下に坐らせて、
「おれはこれから天上へ行って、西王母に御眼にかかって来るから、お前はその間ここに坐って、おれの帰るのを待っているが好い。多分おれがいなくなると、いろいろな魔性が現れて、お前をたぶらかそうとするだろうが、たといどんなことが起ろうとも、決して声を出すのではないぞ。もし一言でも口を利いたら、お前は到底仙人にはなれないものだと覚悟をしろ。好いか。天地が裂けても、黙っているのだぞ」と言いました。
「大丈夫です。決して声なぞは出しません。命がなくなっても、黙っています」
「そうか。それを聞いて、おれも安心した。ではおれは行って来るから」
老人は杜子春に別れを告げると、又あの竹杖に跨って、夜目にも削ったような山々の空へ、一文字に消えてしまいました。
杜子春はたった一人、岩の上に坐ったまま、静に星を眺めていました。するとかれこれ半時ばかり経って、深山の夜気が肌寒く薄い着物に透り出した頃、突然空中に声があって、
「そこにいるのは何者だ」と、叱りつけるではありませんか。
しかし杜子春は仙人の教通り、何とも返事をしずにいました。
ところが又暫くすると、やはり同じ声が響いて、
「返事をしないと立ちどころに、命はないものと覚悟しろ」と、いかめしく嚇しつけるのです。
杜子春は勿論黙っていました。
と、どこから登って来たか、爛々と眼を光らせた虎が一匹、忽然と岩の上に躍り上って、杜子春の姿を睨みながら、一声高く哮りました。のみならずそれと同時に、頭の上の松の枝が、烈しくざわざわ揺れたと思うと、後の絶壁の頂からは、四斗樽程の白蛇が一匹、炎のような舌を吐いて、見る見る近くへ下りて来るのです。
杜子春はしかし平然と、眉毛も動かさずに坐っていました。
虎と蛇とは、一つ餌食を狙って、互に隙でも窺うのか、暫くは睨合いの体でしたが、やがてどちらが先ともなく、一時に杜子春に飛びかかりました。が虎の牙に噛まれるか、蛇の舌に呑まれるか、杜子春の命は瞬く内に、なくなってしまうと思った時、虎と蛇とは霧の如く、夜風と共に消え失せて、後には唯、絶壁の松が、さっきの通りこうこうと枝を鳴らしているばかりなのです。杜子春はほっと一息しながら、今度はどんなことが起るかと、心待ちに待っていました。
すると一陣の風が吹き起って、墨のような黒雲が一面にあたりをとざすや否や、うす紫の稲妻がやにわに闇を二つに裂いて、凄じく雷が鳴り出しました。いや、雷ばかりではありません。それと一しょに瀑のような雨も、いきなりどうどうと降り出したのです。杜子春はこの天変の中に、恐れ気もなく坐っていました。風の音、雨のしぶき、それから絶え間ない稲妻の光、――暫くはさすがの峨眉山も、覆るかと思う位でしたが、その内に耳をもつんざく程、大きな雷鳴が轟いたと思うと、空に渦巻いた黒雲の中から、まっ赤な一本の火柱が、杜子春の頭へ落ちかかりました。
杜子春は思わず耳を抑えて、一枚岩の上へひれ伏しました。が、すぐに眼を開いて見ると、空は以前の通り晴れ渡って、向うに聳えた山々の上にも、茶碗ほどの北斗の星が、やはりきらきら輝いています。して見れば今の大あらしも、あの虎や白蛇と同じように、鉄冠子の留守をつけこんだ、魔性の悪戯に違いありません。杜子春は漸く安心して、額の冷汗を拭いながら、又岩の上に坐り直しました。
が、そのため息がまだ消えない内に、今度は彼の坐っている前へ、金の鎧を着下した、身の丈三丈もあろうという、厳かな神将が現れました。神将は手に三叉の戟を持っていましたが、いきなりその戟の切先を杜子春の胸もとへ向けながら、眼を嗔らせて叱りつけるのを聞けば、
「こら、その方は一体何物だ。この峨眉山という山は、天地開闢の昔から、おれが住居をしている所だぞ。それも憚らずたった一人、ここへ足を踏み入れるとは、よもや唯の人間ではあるまい。さあ命が惜しかったら、一刻も早く返答しろ」と言うのです。
しかし杜子春は老人の言葉通り、黙然と口を噤んでいました。
「返事をしないか。――しないな。好し。しなければ、しないで勝手にしろ。その代りおれの眷属たちが、その方をずたずたに斬ってしまうぞ」
神将は戟を高く挙げて、向うの山の空を招きました。その途端に闇がさっと裂けると、驚いたことには無数の神兵が、雲の如く空に充満ちて、それが皆槍や刀をきらめかせながら、今にもここへ一なだれに攻め寄せようとしているのです。
この景色を見た杜子春は、思わずあっと叫びそうにしましたが、すぐに又鉄冠子の言葉を思い出して、一生懸命に黙っていました。神将は彼が恐れないのを見ると、怒ったの怒らないのではありません。
「この剛情者め。どうしても返事をしなければ、約束通り命はとってやるぞ」
神将はこう喚くが早いか、三叉の戟を閃かせて、一突きに杜子春を突き殺しました。そうして峨眉山もどよむ程、からからと高く笑いながら、どこともなく消えてしまいました。勿論この時はもう無数の神兵も、吹き渡る夜風の音と一しょに、夢のように消え失せた後だったのです。
北斗の星は又寒そうに、一枚岩の上を照らし始めました。絶壁の松も前に変らず、こうこうと枝を鳴らせています。が、杜子春はとうに息が絶えて、仰向けにそこへ倒れていました。
五
杜子春の体は岩の上へ、仰向けに倒れていましたが、杜子春の魂は、静に体から抜け出して、地獄の底へ下りて行きました。
この世と地獄との間には、闇穴道という道があって、そこは年中暗い空に、氷のような冷たい風がぴゅうぴゅう吹き荒んでいるのです。杜子春はその風に吹かれながら、暫くは唯木の葉のように、空を漂って行きましたが、やがて森羅殿という額の懸った立派な御殿の前へ出ました。
御殿の前にいた大勢の鬼は、杜子春の姿を見るや否や、すぐにそのまわりを取り捲いて、階の前へ引き据えました。階の上には一人の王様が、まっ黒な袍に金の冠をかぶって、いかめしくあたりを睨んでいます。これは兼ねて噂に聞いた、閻魔大王に違いありません。杜子春はどうなることかと思いながら、恐る恐るそこへ跪いていました。
「こら、その方は何の為に、峨眉山の上へ坐っていた?」
閻魔大王の声は雷のように、階の上から響きました。杜子春は早速その問に答えようとしましたが、ふと又思い出したのは、「決して口を利くな」という鉄冠子の戒めの言葉です。そこで唯頭を垂れたまま、唖のように黙っていました。すると閻魔大王は、持っていた鉄の笏を挙げて、顔中の鬚を逆立てながら、
「その方はここをどこだと思う? 速に返答をすれば好し、さもなければ時を移さず、地獄の呵責に遇わせてくれるぞ」と、威丈高に罵りました。
が、杜子春は相変らず唇一つ動かしません。それを見た閻魔大王は、すぐに鬼どもの方を向いて、荒々しく何か言いつけると、鬼どもは一度に畏って、忽ち杜子春を引き立てながら、森羅殿の空へ舞い上りました。
地獄には誰でも知っている通り、剣の山や血の池の外にも、焦熱地獄という焔の谷や極寒地獄という氷の海が、真暗な空の下に並んでいます。鬼どもはそういう地獄の中へ、代る代る杜子春を抛りこみました。ですから杜子春は無残にも、剣に胸を貫かれるやら、焔に顔を焼かれるやら、舌を抜かれるやら、皮を剥がれるやら、鉄の杵に撞かれるやら、油の鍋に煮られるやら、毒蛇に脳味噌を吸われるやら、熊鷹に眼を食われるやら、――その苦しみを数え立てていては、到底際限がない位、あらゆる責苦に遇わされたのです。それでも杜子春は我慢強く、じっと歯を食いしばったまま、一言も口を利きませんでした。
これにはさすがの鬼どもも、呆れ返ってしまったのでしょう。もう一度夜のような空を飛んで、森羅殿の前へ帰って来ると、さっきの通り杜子春を階の下に引き据えながら、御殿の上の閻魔大王に、
「この罪人はどうしても、ものを言う気色がございません」と、口を揃えて言上しました。
閻魔大王は眉をひそめて、暫く思案に暮れていましたが、やがて何か思いついたと見えて、
「この男の父母は、畜生道に落ちている筈だから、早速ここへ引き立てて来い」と、一匹の鬼に言いつけました。
鬼は忽ち風に乗って、地獄の空へ舞い上りました。と思うと、又星が流れるように、二匹の獣を駆り立てながら、さっと森羅殿の前へ下りて来ました。その獣を見た杜子春は、驚いたの驚かないのではありません。なぜかといえばそれは二匹とも、形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母の通りでしたから。
「こら、その方は何のために、峨眉山の上に坐っていたか、まっすぐに白状しなければ、今度はその方の父母に痛い思いをさせてやるぞ」
杜子春はこう嚇されても、やはり返答をしずにいました。
「この不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さえ都合が好ければ、好いと思っているのだな」
閻魔大王は森羅殿も崩れる程、凄じい声で喚きました。
「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまえ」
鬼どもは一斉に「はっ」と答えながら、鉄の鞭をとって立ち上ると、四方八方から二匹の馬を、未練未釈なく打ちのめしました。鞭はりゅうりゅうと風を切って、所嫌わず雨のように、馬の皮肉を打ち破るのです。馬は、――畜生になった父母は、苦しそうに身を悶えて、眼には血の涙を浮べたまま、見てもいられない程嘶き立てました。
「どうだ。まだその方は白状しないか」
閻魔大王は鬼どもに、暫く鞭の手をやめさせて、もう一度杜子春の答を促しました。もうその時には二匹の馬も、肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えに階の前へ、倒れ伏していたのです。
杜子春は必死になって、鉄冠子の言葉を思い出しながら、緊く眼をつぶっていました。するとその時彼の耳には、殆声とはいえない位、かすかな声が伝わって来ました。
「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰っても、言いたくないことは黙って御出で」
それは確に懐しい、母親の声に違いありません。杜子春は思わず、眼をあきました。そうして馬の一匹が、力なく地上に倒れたまま、悲しそうに彼の顔へ、じっと眼をやっているのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思いやって、鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む気色さえも見せないのです。大金持になれば御世辞を言い、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何という有難い志でしょう。何という健気な決心でしょう。杜子春は老人の戒めも忘れて、転ぶようにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、「お母さん」と一声を叫びました。…………
六
その声に気がついて見ると、杜子春はやはり夕日を浴びて、洛陽の西の門の下に、ぼんやり佇んでいるのでした。霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、――すべてがまだ峨眉山へ、行かない前と同じことです。
「どうだな。おれの弟子になったところが、とても仙人にはなれはすまい」
片目眇の老人は微笑を含みながら言いました。
「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかったことも、反って嬉しい気がするのです」
杜子春はまだ眼に涙を浮べたまま、思わず老人の手を握りました。
「いくら仙人になれたところが、私はあの地獄の森羅殿の前に、鞭を受けている父母を見ては、黙っている訳には行きません」
「もしお前が黙っていたら――」と鉄冠子は急に厳な顔になって、じっと杜子春を見つめました。
「もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。――お前はもう仙人になりたいという望も持っていまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になったら好いと思うな」
「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです」
杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子が罩っていました。
「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には遇わないから」
鉄冠子はこう言う内に、もう歩き出していましたが、急に又足を止めて、杜子春の方を振り返ると、
「おお、幸、今思い出したが、おれは泰山の南の麓に一軒の家を持っている。その家を畑ごとお前にやるから、早速行って住まうが好い。今頃は丁度家のまわりに、桃の花が一面に咲いているだろう」と、さも愉快そうにつけ加えました。 | 底本:「蜘蛛の糸・杜子春」新潮文庫、新潮社
1968(昭和43)年11月15日発行
1989(平成元)年5月30日46刷
初出:「赤い鳥」
1920(大正9)年7月号
入力:蒋龍
校正:noriko saito
2005年1月7日作成
2013年10月29日修正
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豊島は僕より一年前に仏文を出た先輩だから、親しく話しをするようになったのは、寧ろ最近の事である。僕が始めて豊島与志雄と云う名を知ったのは、一高の校友会雑誌に、「褪紅色の珠」と云う小品が出た時だろう。それがどう云う訳か、僕の記憶には「登志雄」として残った。その登志雄が与志雄と校正されたのは、豊島に会ってからの事だったと思う。
初めて会ったのは、第三次の新思潮を出す時に、本郷の豊国の二階で、出版元の啓成社の人たちと同人との会があった、その時の事である。一番隅の方へひっこんでいた僕の前へ、紺絣の着物を着た、大柄な、色の白い、若い人が来て坐った。眼鏡はその頃はまだかけていなかったと思うが、確には覚えていない。僕はその人と小説の話をした。それが豊島だった事は、云うまでもなかろう。何でもその時は、大へんおとなしい、無口な人と云う印象を受けた。それから、いゝ男だとも思ったらしい。らしいと云うのは、その後鴻の巣か何かで会があった時に、豊島の男ぶりを問題にした覚えがあるからである。
それから豊島とは、始終或程度の間隔を置いて、つき合っていた。何かの用で内へ来た時に、ムンクの画が好きだと云いながら、持っている本を出して見せた事がある。多分好きだろうと思って、ギイの素描を見せたら、これは嫌いだと云ったのもその時ではないかと思う。それからどこかの芝居の二階で遇った事がある。その時は糸織の羽織か何か著て、髪を油で光らせて、甚大家らしい風格を備えていた。それから新思潮が発刊して一年たった年の秋、どこかで皆が集まって、飯を食った時にも会ったと云う記憶がある。「玉突場の一隅」を褒めたら、あれは左程自信がないと云ったのも恐らく其時だったろう。それから――後はみんな、忘れてしまった。が、兎に角、世間並の友人づき合いしかしなかった事は確である。それでいて、始終豊島の作品を注意して読んでいた所を見ると、やはり僕の興味は豊島の書く物に可成強く動かされていたのかも知れない。
それが今日ではだん〳〵お互に下らない事もしゃべり合うような仲になった。尤もそれは何時からだかはっきり分らない。三土会などが出来る以前からだったような気もするし、以後からだったような気もしない事はない。
豊島は作品から受ける感じとよく似た男である。誰かゞそれを洒落れて、「豊島は何時でも秋の中にいる」と形容した、そう云う性格の一面は世間でもよく知っているだろう。が、豊島の人間にある愛す可き悪党味は、その芸術からは得られない。親しくしていると、ちょいと人の好い公卿悪と云うような所がある。そうしてそれが豊島の人間に、或「動き」をつけている。そう云う所を知って見ると、豊島が比較的多方面な生活上の趣味を持っているのも不思議はない。
だから何も豊島は「何時でも秋の中にいる」訳ではない。反って実は秋が豊島の中にいるのである。 | 底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社
1995(平成7)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店
1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月初版発行
入力:向井樹里
校正:門田裕志
2005年2月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行った。工事を――といったところが、唯トロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。
トロッコの上には土工が二人、土を積んだ後に佇んでいる。トロッコは山を下るのだから、人手を借りずに走って来る。煽るように車台が動いたり、土工の袢天の裾がひらついたり、細い線路がしなったり――良平はそんなけしきを眺めながら、土工になりたいと思う事がある。せめては一度でも土工と一しょに、トロッコへ乗りたいと思う事もある。トロッコは村外れの平地へ来ると、自然と其処に止まってしまう。と同時に土工たちは、身軽にトロッコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。それから今度はトロッコを押し押し、もと来た山の方へ登り始める。良平はその時乗れないまでも、押す事さえ出来たらと思うのである。
或夕方、――それは二月の初旬だった。良平は二つ下の弟や、弟と同じ年の隣の子供と、トロッコの置いてある村外れへ行った。トロッコは泥だらけになったまま、薄明るい中に並んでいる。が、その外は何処を見ても、土工たちの姿は見えなかった。三人の子供は恐る恐る、一番端にあるトロッコを押した。トロッコは三人の力が揃うと、突然ごろりと車輪をまわした。良平はこの音にひやりとした。しかし二度目の車輪の音は、もう彼を驚かさなかった。ごろり、ごろり、――トロッコはそう云う音と共に、三人の手に押されながら、そろそろ線路を登って行った。
その内にかれこれ十間程来ると、線路の勾配が急になり出した。トロッコも三人の力では、いくら押しても動かなくなった。どうかすれば車と一しょに、押し戻されそうにもなる事がある。良平はもう好いと思ったから、年下の二人に合図をした。
「さあ、乗ろう!」
彼等は一度に手をはなすと、トロッコの上へ飛び乗った。トロッコは最初徐ろに、それから見る見る勢よく、一息に線路を下り出した。その途端につき当りの風景は、忽ち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して来る。顔に当る薄暮の風、足の下に躍るトロッコの動揺、――良平は殆ど有頂天になった。
しかしトロッコは二三分の後、もうもとの終点に止まっていた。
「さあ、もう一度押すじゃあ」
良平は年下の二人と一しょに、又トロッコを押し上げにかかった。が、まだ車輪も動かない内に、突然彼等の後には、誰かの足音が聞え出した。のみならずそれは聞え出したと思うと、急にこう云う怒鳴り声に変った。
「この野郎! 誰に断ってトロに触った?」
其処には古い印袢天に、季節外れの麦藁帽をかぶった、背の高い土工が佇んでいる。――そう云う姿が目にはいった時、良平は年下の二人と一しょに、もう五六間逃げ出していた。――それぎり良平は使の帰りに、人気のない工事場のトロッコを見ても、二度と乗って見ようと思った事はない。唯その時の土工の姿は、今でも良平の頭の何処かに、はっきりした記憶を残している。薄明りの中に仄めいた、小さい黄色の麦藁帽、――しかしその記憶さえも、年毎に色彩は薄れるらしい。
その後十日余りたってから、良平は又たった一人、午過ぎの工事場に佇みながら、トロッコの来るのを眺めていた。すると土を積んだトロッコの外に、枕木を積んだトロッコが一輛、これは本線になる筈の、太い線路を登って来た。このトロッコを押しているのは、二人とも若い男だった。良平は彼等を見た時から、何だか親しみ易いような気がした。「この人たちならば叱られない」――彼はそう思いながら、トロッコの側へ駈けて行った。
「おじさん。押してやろうか?」
その中の一人、――縞のシャツを着ている男は、俯向きにトロッコを押したまま、思った通り快い返事をした。
「おお、押してくよう」
良平は二人の間にはいると、力一杯押し始めた。
「われは中中力があるな」
他の一人、――耳に巻煙草を挟んだ男も、こう良平を褒めてくれた。
その内に線路の勾配は、だんだん楽になり始めた。「もう押さなくとも好い」――良平は今にも云われるかと内心気がかりでならなかった。が、若い二人の土工は、前よりも腰を起したぎり、黙黙と車を押し続けていた。良平はとうとうこらえ切れずに、怯ず怯ずこんな事を尋ねて見た。
「何時までも押していて好い?」
「好いとも」
二人は同時に返事をした。良平は「優しい人たちだ」と思った。
五六町余り押し続けたら、線路はもう一度急勾配になった。其処には両側の蜜柑畑に、黄色い実がいくつも日を受けている。
「登り路の方が好い、何時までも押させてくれるから」――良平はそんな事を考えながら、全身でトロッコを押すようにした。
蜜柑畑の間を登りつめると、急に線路は下りになった。縞のシャツを着ている男は、良平に「やい、乗れ」と云った。良平は直に飛び乗った。トロッコは三人が乗り移ると同時に、蜜柑畑の匀を煽りながら、ひた辷りに線路を走り出した。「押すよりも乗る方がずっと好い」――良平は羽織に風を孕ませながら、当り前の事を考えた。「行きに押す所が多ければ、帰りに又乗る所が多い」――そうもまた考えたりした。
竹藪のある所へ来ると、トロッコは静かに走るのを止めた。三人は又前のように、重いトロッコを押し始めた。竹藪は何時か雑木林になった。爪先上りの所所には、赤錆の線路も見えない程、落葉のたまっている場所もあった。その路をやっと登り切ったら、今度は高い崖の向うに、広広と薄ら寒い海が開けた。と同時に良平の頭には、余り遠く来過ぎた事が、急にはっきりと感じられた。
三人は又トロッコへ乗った。車は海を右にしながら、雑木の枝の下を走って行った。しかし良平はさっきのように、面白い気もちにはなれなかった。「もう帰ってくれれば好い」――彼はそうも念じて見た。が、行く所まで行きつかなければ、トロッコも彼等も帰れない事は、勿論彼にもわかり切っていた。
その次に車の止まったのは、切崩した山を背負っている、藁屋根の茶店の前だった。二人の土工はその店へはいると、乳呑児をおぶった上さんを相手に、悠悠と茶などを飲み始めた。良平は独りいらいらしながら、トロッコのまわりをまわって見た。トロッコには頑丈な車台の板に、跳ねかえった泥が乾いていた。
少時の後茶店を出て来しなに、巻煙草を耳に挟んだ男は、(その時はもう挟んでいなかったが)トロッコの側にいる良平に新聞紙に包んだ駄菓子をくれた。良平は冷淡に「難有う」と云った。が、直に冷淡にしては、相手にすまないと思い直した。彼はその冷淡さを取り繕うように、包み菓子の一つを口へ入れた。菓子には新聞紙にあったらしい、石油の匀がしみついていた。
三人はトロッコを押しながら緩い傾斜を登って行った。良平は車に手をかけていても、心は外の事を考えていた。
その坂を向うへ下り切ると、又同じような茶店があった。土工たちがその中へはいった後、良平はトロッコに腰をかけながら、帰る事ばかり気にしていた。茶店の前には花のさいた梅に、西日の光が消えかかっている。「もう日が暮れる」――彼はそう考えると、ぼんやり腰かけてもいられなかった。トロッコの車輪を蹴って見たり、一人では動かないのを承知しながらうんうんそれを押して見たり、――そんな事に気もちを紛らせていた。
ところが土工たちは出て来ると、車の上の枕木に手をかけながら、無造作に彼にこう云った。
「われはもう帰んな。おれたちは今日は向う泊りだから」
「あんまり帰りが遅くなるとわれの家でも心配するずら」
良平は一瞬間呆気にとられた。もうかれこれ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の途はその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――そう云う事が一時にわかったのである。良平は殆ど泣きそうになった。が、泣いても仕方がないと思った。泣いている場合ではないとも思った。彼は若い二人の土工に、取って附けたような御時宜をすると、どんどん線路伝いに走り出した。
良平は少時無我夢中に線路の側を走り続けた。その内に懐の菓子包みが、邪魔になる事に気がついたから、それを路側へ抛り出す次手に、板草履も其処へ脱ぎ捨ててしまった。すると薄い足袋の裏へじかに小石が食いこんだが、足だけは遙かに軽くなった。彼は左に海を感じながら、急な坂路を駈け登った。時時涙がこみ上げて来ると、自然に顔が歪んで来る。――それは無理に我慢しても、鼻だけは絶えずくうくう鳴った。
竹藪の側を駈け抜けると、夕焼けのした日金山の空も、もう火照りが消えかかっていた。良平は、愈気が気でなかった。往きと返りと変るせいか、景色の違うのも不安だった。すると今度は着物までも、汗の濡れ通ったのが気になったから、やはり必死に駈け続けたなり、羽織を路側へ脱いで捨てた。
蜜柑畑へ来る頃には、あたりは暗くなる一方だった。「命さえ助かれば――」良平はそう思いながら、辷ってもつまずいても走って行った。
やっと遠い夕闇の中に、村外れの工事場が見えた時、良平は一思いに泣きたくなった。しかしその時もべそはかいたが、とうとう泣かずに駈け続けた。
彼の村へはいって見ると、もう両側の家家には、電燈の光がさし合っていた。良平はその電燈の光に、頭から汗の湯気の立つのが、彼自身にもはっきりわかった。井戸端に水を汲んでいる女衆や、畑から帰って来る男衆は、良平が喘ぎ喘ぎ走るのを見ては、「おいどうしたね?」などと声をかけた。が、彼は無言のまま、雑貨屋だの床屋だの、明るい家の前を走り過ぎた。
彼の家の門口へ駈けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。その泣き声は彼の周囲へ、一時に父や母を集まらせた。殊に母は何とか云いながら、良平の体を抱えるようにした。が、良平は手足をもがきながら、啜り上げ啜り上げ泣き続けた。その声が余り激しかったせいか、近所の女衆も三四人、薄暗い門口へ集って来た。父母は勿論その人たちは、口口に彼の泣く訣を尋ねた。しかし彼は何と云われても泣き立てるより外に仕方がなかった。あの遠い路を駈け通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気もちに迫られながら、…………
良平は二十六の年、妻子と一しょに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握っている。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。………… | 底本:「蜘蛛の糸・杜子春」新潮文庫、新潮社
1968(昭和43)年11月15日発行
1984(昭和59)年12月25日38刷改版
1989(平成元)年5月30日46刷
入力:蒋龍
校正:鈴木厚司
2004年10月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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私がまだ赤門を出て間もなく、久米正雄君と一ノ宮へ行った時でした。夏目先生が手紙で「毎木曜日にワルモノグイが来て、何んでも字を書かせて取って行く」という意味のことを云って寄越されたので、その手紙を後に滝田さんに見せると、之はひどいと云って夏目先生に詰問したので、先生が滝田さんに詫びの手紙を出された話があります。当時夏目先生の面会日は木曜だったので、私達は昼遊びに行きましたが、滝田さんは夜行って玉版箋などに色々のものを書いて貰われたらしいんです。だから夏目先生のものは随分沢山持っていられました。書画骨董を買うことが熱心で、滝田さん自身話されたことですが、何も買う気がなくて日本橋の中通りをぶらついていた時、埴輪などを見附けて一時間とたたない中に千円か千五百円分を買ったことがあるそうです。まあすべてがその調子でした。震災以来は身体の弱い為もあったでしょうが蒐集癖は大分薄らいだようです。最後に会ったのはたしか四五月頃でしたか、新橋演舞場の廊下で誰か後から僕の名を呼ぶのでふり返って見ても暫く誰だか分らなかった。あの大きな身体の人が非常に痩せて小さくなって顔にかすかな赤味がある位でした。私はいつも云っていたことですが、滝田さんは、徳富蘇峰、三宅雄二郎の諸氏からずっと下って僕等よりもっと年の若い人にまで原稿を通じて交渉があって、色々の作家の逸話を知っていられるので、もし今後中央公論の編輯を誰かに譲って閑な時が来るとしたら、それらの追憶録を書かれると非常に面白いと思っていました。 | 底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社
1995(平成7)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店
1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月発行
入力:向井樹里
校正:砂場清隆
2007年2月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "043388",
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"没年月日": "1927-07-24",
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"底本名1": "大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ",
"底本出版社名1": "講談社文芸文庫、講談社",
"底本初版発行年1": "1995(平成7)年1月10日",
"入力に使用した版1": "1995(平成7)年1月10日第1刷",
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舎衛城は人口の多い都である。が、城の面積は人口の多い割に広くはない。従ってまた厠溷も多くはない。城中の人々はそのためにたいていはわざわざ城外へ出、大小便をすることに定めている。ただ波羅門や刹帝利だけは便器の中に用を足し、特に足を労することをしない。しかしこの便器の中の糞尿もどうにか始末をつけなければならぬ。その始末をつけるのが除糞人と呼ばれる人々である。
もう髪の黄ばみかけた尼提はこう言う除糞人の一人である。舎衛城の中でも最も貧しい、同時に最も心身の清浄に縁の遠い人々の一人である。
ある日の午後、尼提はいつものように諸家の糞尿を大きい瓦器の中に集め、そのまた瓦器を背に負ったまま、いろいろの店の軒を並べた、狭苦しい路を歩いていた。すると向うから歩いて来たのは鉢を持った一人の沙門である。尼提はこの沙門を見るが早いか、これは大変な人に出会ったと思った。沙門はちょっと見たところでは当り前の人と変りはない。が、その眉間の白毫や青紺色の目を知っているものには確かに祇園精舎にいる釈迦如来に違いなかったからである。
釈迦如来は勿論三界六道の教主、十方最勝、光明無礙、億々衆生平等引導の能化である。けれどもその何ものたるかは尼提の知っているところではない。ただ彼の知っているのはこの舎衛国の波斯匿王さえ如来の前には臣下のように礼拝すると言うことだけである。あるいはまた名高い給孤独長者も祇園精舎を造るために祇陀童子の園苑を買った時には黄金を地に布いたと言うことだけである。尼提はこう言う如来の前に糞器を背負った彼自身を羞じ、万が一にも無礼のないように倉皇と他の路へ曲ってしまった。
しかし如来はその前に尼提の姿を見つけていた。のみならず彼が他の路へ曲って行った動機をも見つけていた。その動機が思わず如来の頬に微笑を漂わさせたのは勿論である。微笑を?――いや、必ずしも「微笑を」ではない。無智愚昧の衆生に対する、海よりも深い憐憫の情はその青紺色の目の中にも一滴の涙さえ浮べさせたのである。こう言う大慈悲心を動かした如来はたちまち平生の神通力により、この年をとった除糞人をも弟子の数に加えようと決心した。
尼提の今度曲ったのもやはり前のように狭い路である。彼は後を振り返って如来の来ないのを確かめた上、始めてほっと一息した。如来は摩迦陀国の王子であり、如来の弟子たちもたいていは身分の高い人々である。罪業の深い彼などは妄りに咫尺することを避けなければならぬ。しかし今は幸いにも無事に如来の目を晦ませ、――尼提ははっとして立ちどまった。如来はいつか彼の向うに威厳のある微笑を浮べたまま、安庠とこちらへ歩いている。
尼提は糞器の重いのを厭わず、もう一度他の路へ曲って行った。如来が彼の面前へ姿を現したのは不可思議である。が、あるいは一刻も早く祇園精舎へ帰るためにぬけ道か何かしたのかも知れない。彼は今度も咄嗟の間に如来の金身に近づかずにすんだ。それだけはせめてもの仕合せである。けれども尼提はこう思った時、また如来の向うから歩いて来るのに喫驚した。
三度目に尼提の曲った路にも如来は悠々と歩いている。
四たび目に尼提の曲った道にも如来は獅子王のように歩いている。
五たび目に尼提の曲った路にも、――尼提は狭い路を七たび曲り、七たびとも如来の歩いて来るのに出会った。殊に七たび目に曲ったのはもう逃げ道のない袋路である。如来は彼の狼狽するのを見ると、路のまん中に佇んだなり、徐ろに彼をさし招いた。「その指繊長にして、爪は赤銅のごとく、掌は蓮華に似たる」手を挙げて「恐れるな」と言う意味を示したのである。が、尼提はいよいよ驚き、とうとう瓦器をとり落した。
「まことに恐れ入りますが、どうかここをお通し下さいまし。」
進退共に窮まった尼提は糞汁の中に跪いたまま、こう如来に歎願した。しかし如来は不相変威厳のある微笑を湛えながら、静かに彼の顔を見下している。
「尼提よ、お前もわたしのように出家せぬか!」
如来が雷音に呼びかけた時、尼提は途方に暮れた余り、合掌して如来を見上げていた。
「わたくしは賤しいものでございまする。とうていあなた様のお弟子たちなどと御一しょにおることは出来ませぬ。」
「いやいや、仏法の貴賤を分たぬのはたとえば猛火の大小好悪を焼き尽してしまうのと変りはない。……」
それから、――それから如来の偈を説いたことは経文に書いてある通りである。
半月ばかりたった後、祇園精舎に参った給孤独長者は竹や芭蕉の中の路を尼提が一人歩いて来るのに出会った。彼の姿は仏弟子になっても、余り除糞人だった時と変っていない。が、彼の頭だけはとうに髪の毛を落している。尼提は長者の来るのを見ると、路ばたに立ちどまって合掌した。
「尼提よ。お前は仕合せものだ。一たび如来のお弟子となれば、永久に生死を躍り越えて常寂光土に遊ぶことが出来るぞ。」
尼提はこう言う長者の言葉にいよいよ慇懃に返事をした。
「長者よ。それはわたくしが悪かった訣ではございませぬ。ただどの路へ曲っても、必ずその路へお出になった如来がお悪かったのでございまする。」
しかし尼提は経文によれば、一心に聴法をつづけた後、ついに初果を得たと言うことである。
(大正十四年八月十三日) | 底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年2月1日公開
2004年3月10日修正
青空文庫作成ファイル:
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大谷川
馬返しをすぎて少し行くと大谷川の見える所へ出た。落葉に埋もれた石の上に腰をおろして川を見る。川はずうっと下の谷底を流れているので幅がやっと五、六尺に見える。川をはさんだ山は紅葉と黄葉とにすきまなくおおわれて、その間をほとんど純粋に近い藍色の水が白い泡を噴いて流れてゆく。
そうしてその紅葉と黄葉との間をもれてくる光がなんとも言えない暖かさをもらして、見上げると山は私の頭の上にもそびえて、青空の画室のスカイライトのように狭く限られているのが、ちょうど岩の間から深い淵をのぞいたような気を起させる。
対岸の山は半ばは同じ紅葉につつまれて、その上はさすがに冬枯れた草山だが、そのゆったりした肩には紅い光のある靄がかかって、かっ色の毛きらずビロードをたたんだような山の肌がいかにも優しい感じを起させる。その上に白い炭焼の煙が低く山腹をはっていたのはさらに私をゆかしい思いにふけらせた。
石をはなれてふたたび山道にかかった時、私は「谷水のつきてこがるる紅葉かな」という蕪村の句を思い出した。
戦場が原
枯草の間を沼のほとりへ出る。
黄泥の岸には、薄氷が残っている。枯蘆の根にはすすけた泡がかたまって、家鴨の死んだのがその中にぶっくり浮んでいた。どんよりと濁った沼の水には青空がさびついたように映って、ほの白い雲の影が静かに動いてゆくのが見える。
対岸には接骨木めいた樹がすがれかかった黄葉を低れて力なさそうに水にうつむいた。それをめぐって黄ばんだ葭がかなしそうに戦いて、その間からさびしい高原のけしきがながめられる。
ほおけた尾花のつづいた大野には、北国めいた、黄葉した落葉松が所々に腕だるそうにそびえて、その間をさまよう放牧の馬の群れはそぞろに我々の祖先の水草を追うて漂浪した昔をおもい出させる。原をめぐった山々はいずれもわびしい灰色の霧につつまれて、薄い夕日の光がわずかにその頂をぬらしている。
私は荒涼とした思いをいだきながら、この水のじくじくした沼の岸にたたずんでひとりでツルゲーネフの森の旅を考えた。そうして枯草の間に竜胆の青い花が夢見顔に咲いているのを見た時に、しみじみあの I have nothing to do with thee という悲しい言が思い出された。
巫女
年をとった巫女が白い衣に緋の袴をはいて御簾の陰にさびしそうにひとりですわっているのを見た。そうして私もなんとなくさびしくなった。
時雨もよいの夕に春日の森で若い二人の巫女にあったことがある。二人とも十二、三でやはり緋の袴に白い衣をきて白粉をつけていた。小暗い杉の下かげには落葉をたく煙がほの白く上って、しっとりと湿った森の大気は木精のささやきも聞えそうな言いがたいしずけさを漂せた。そのもの静かな森の路をもの静かにゆきちがった、若い、いや幼い巫女の後ろ姿はどんなにか私にめずらしく覚えたろう。私はほほえみながら何度も後ろをふりかえった。けれども今、冷やかな山懐の気が肌寒く迫ってくる社の片かげに寂然とすわっている老年の巫女を見ては、そぞろにかなしさを覚えずにはいられない。
私は、一生を神にささげた巫女の生涯のさびしさが、なんとなく私の心をひきつけるような気がした。
高原
裏見が滝へ行った帰りに、ひとりで、高原を貫いた、日光街道に出る小さな路をたどって行った。
武蔵野ではまだ百舌鳥がなき、鵯がなき、畑の玉蜀黍の穂が出て、薄紫の豆の花が葉のかげにほのめいているが、ここはもうさながらの冬のけしきで、薄い黄色の丸葉がひらひらついている白樺の霜柱の草の中にたたずんだのが、静かというよりは寂しい感じを起させる。この日は風のない暖かなひよりで、樺林の間からは、菫色の光を帯びた野州の山々の姿が何か来るのを待っているように、冷え冷えする高原の大気を透してなごりなく望まれた。
いつだったかこんな話をきいたことがある。雪国の野には冬の夜なぞによくものの声がするという。その声が遠い国に多くの人がいて口々に哀歌をうたうともきければ、森かげの梟の十羽二十羽が夜霧のほのかな中から心細そうになきあわすとも聞える。ただ、野の末から野の末へ風にのって響くそうだ。なにものの声かはしらない。ただ、この原も日がくれから、そんな声が起りそうに思われる。
こんなことを考えながら半里もある野路を飽かずにあるいた。なんのかわったところもないこの原のながめが、どうして私の感興を引いたかはしらないが、私にはこの高原の、ことに薄曇りのした静寂がなんとなくうれしかった。
工場(以下足尾所見)
黄色い硫化水素の煙が霧のようにもやもやしている。その中に職工の姿が黒く見える。すすびたシャツの胸のはだけたのや、しみだらけの手ぐいで頬かぶりをしたのや、中には裸体で濡菰を袈裟のように肩からかけたのが、反射炉のまっかな光をたたえたかたわらに動いている。機械の運転する響き、職工の大きな掛声、薄暗い工場の中に雑然として聞えるこれらの音が、気のよわい私には一つ一つ強く胸を圧するように思われる――裸体の一人が炉のかたわらに近づいた。汗でぬれた肌が露を置いたように光って見える。細長い鉄の棒で小さな炉の口をがたりとあける。紅に輝いた空の日を溶かしたような、火の流れがずーうっとまっすぐに流れ出す。流れ出すと、炉の下の大きなバケツのようなものの中へぼとぼとと重い響きをさせて落ちて行く。バケツの中がいっぱいになるに従って、火の流れがはいるたびにはらはらと火の粉がちる。火の粉は職工のぬれ菰にもかかる。それでも平気で何か歌をうたっている。
和田さんの「煒燻」を見たことがある。けれども時代の陰影とでもいうような、鋭い感興は浮かばなかった。その後にマロニックの「不漁」を見た時もやはり暗い切実な感じを覚えなかった。が今、この工場の中に立って、あの煙を見、あの火を見、そうしてあの響きをきくと、労働者の真生活というような悲壮な思いがおさえがたいまでに起ってくる。彼らの銅のような筋肉を見給え。彼らの勇ましい歌をきき給え。私たちの生活は彼らを思うたびにイラショナルなような気がしてくる。あるいは真に空虚な生活なのかもしれない。
寺と墓
路ばたに寺があった。
丹も見るかげがなくはげて、抜けかかった屋根がわらの上に擬宝珠の金がさみしそうに光っていた。縁には烏の糞が白く見えて、鰐口のほつれた紅白のひものもう色がさめたのにぶらりと長くさがったのがなんとなくうらがなしい。寺の内はしんとして人がいそうにも思われぬ。その右に墓場がある。墓場は石ばかりの山の腹にそうて開いたので、灰色をした石の間に灰色をした石塔が何本となく立っているのが、わびしい感じを起させる。草の青いのもない。立花さえもほとんど見えぬ。ただ灰色の石と灰色の墓である。その中に線香の紙がきわだって赤い。これでも人を埋めるのだ。私はこの石ばかりの墓場が何かのシンボルのような気がした。今でもあの荒涼とした石山とその上の曇った濁色の空とがまざまざと目にのこっている。
温かき心
中禅寺から足尾の町へ行く路がまだ古河橋の所へ来ない所に、川に沿うた、あばら家の一ならびがある。石をのせた屋根、こまいのあらわな壁、たおれかかったかき根とかき根には竿を渡しておしめやらよごれた青い毛布やらが、薄い日の光に干してある。そのかき根について、ここらには珍しいコスモスが紅や白の花をつけたのに、片目のつぶれた黒犬がものうそうにその下に寝ころんでいた。その中で一軒門口の往来へむいた家があった。外の光になれた私の眼には家の中は暗くて何も見えなかったが、その明るい縁さきには、猫背のおばあさんが、古びたちゃんちゃんを着てすわっていた。おばあさんのいる所の前がすぐ往来で、往来には髪ののびた、手も足も塵と垢がうす黒くたまったはだしの男の児が三人で土いじりをしていたが、私たちの通るのを見て「やア」と言いながら手をあげた。そうしてただ笑った。小供たちの声に驚かされたとみえておばあさんも私たちの方を見た。けれどもおばあさんは盲だった。
私はこのよごれた小供の顔と盲のおばあさんを見ると、急にピーター・クロポトキンの「青年よ、温かき心をもって現実を見よ」という言が思い出された。なぜ思い出されたかはしらない。ただ、漂浪の晩年をロンドンの孤客となって送っている、迫害と圧迫とを絶えずこうむったあのクロポトキンが温かき心をもってせよと教える心もちを思うと我知らず胸が迫ってきた。そうだ温かき心をもってするのは私たちの務めだ。
私たちはあくまで態度をヒューマナイズして人生を見なければならぬ。それが私たちの努力である。真を描くという、それもけっこうだ。しかし、「形ばかりの世界」を破ってその中の真を捕えようとする時にも必ず私たちは温かき心をもってしなければならない。「形ばかりの世界」にとらわれた人々はこのあばら家に楽しそうに遊んでいる小児のような、それでなければ盲目の顔を私たちの方にむけて私たちを見ようとするおばあさんのような人ばかりではあるまいか。
この「形ばかりの世界」を破るのに、あくまでも温かき心をもってするのは当然私たちのつとめである。文壇の人々が排技巧と言い無結構と言う、ただ真を描くと言う。冷やかな眼ですべてを描いたいわゆる公平無私にいくばくの価値があるかは私の久しい前からの疑問である。単に著者の個人性が明らかに印象せられたというに止まりはしないだろうか。
私は年長の人と語るごとにその人のなつかしい世なれた風に少からず酔わされる。文芸の上ばかりでなく温かき心をもってすべてを見るのはやがて人格の上の試錬であろう。世なれた人の態度はまさしくこれだ。私は世なれた人のやさしさを慕う。
私はこんなことを考えながら古河橋のほとりへ来た。そうして皆といっしょに笑いながら足尾の町を歩いた。
雑誌の編輯に急がれて思うようにかけません。宿屋のランプの下で書いた日記の抄録に止めます。
(明治四十四年ごろ) | 底本:「羅生門・鼻・芋粥」角川文庫、角川書店
1950(昭和25)年10月20日初版発行
1985(昭和60)年11月10日改版38版発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月11日公開
2004年3月10日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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昔、支那の或田舎に書生が一人住んでいました。何しろ支那のことですから、桃の花の咲いた窓の下に本ばかり読んでいたのでしょう。すると、この書生の家の隣に年の若い女が一人、――それも美しい女が一人、誰も使わずに住んでいました。書生はこの若い女を不思議に思っていたのはもちろんです。実際また彼女の身の上をはじめ、彼女が何をして暮らしているかは誰一人知るものもなかったのですから。
或風のない春の日の暮、書生はふと外へ出て見ると、何かこの若い女の罵っている声が聞えました。それはまたどこかの庭鳥がのんびりと鬨を作っている中に、如何にも物ものしく聞えるのです。書生はどうしたのかと思いながら、彼女の家の前へ行って見ました。すると眉を吊り上げた彼女は、年をとった木樵りの爺さんを引き据え、ぽかぽか白髪頭を擲っているのです。しかも木樵りの爺さんは顔中に涙を流したまま、平あやまりにあやまっているではありませんか!
「これは一体どうしたのです? 何もこういう年よりを、擲らないでも善いじゃありませんか!――」
書生は彼女の手を抑え、熱心にたしなめにかかりました。
「第一年上のものを擲るということは、修身の道にもはずれている訣です。」
「年上のものを? この木樵りはわたしよりも年下です。」
「冗談を言ってはいけません。」
「いえ、冗談ではありません。わたしはこの木樵りの母親ですから。」
書生は呆気にとられたなり、思わず彼女の顔を見つめました。やっと木樵りを突き離した彼女は美しい、――というよりも凜々しい顔に血の色を通わせ、目じろぎもせずにこう言うのです。
「わたしはこの倅のために、どの位苦労をしたかわかりません。けれども倅はわたしの言葉を聞かずに、我儘ばかりしていましたから、とうとう年をとってしまったのです。」
「では、……この木樵りはもう七十位でしょう。そのまた木樵りの母親だというあなたは、一体いくつになっているのです?」
「わたしですか? わたしは三千六百歳です。」
書生はこういう言葉と一しょに、この美しい隣の女が仙人だったことに気づきました。しかしもうその時には、何か神々しい彼女の姿は忽ちどこかへ消えてしまいました。うらうらと春の日の照り渡った中に木樵りの爺さんを残したまま。……
――昭和二年二月―― | 底本:「蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇」岩波文庫、岩波書店
1990(平成2)年8月16日第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:もりみつじゅんじ
1999年5月15日公開
2004年1月13日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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楊某と云う支那人が、ある夏の夜、あまり蒸暑いのに眼がさめて、頬杖をつきながら腹んばいになって、とりとめのない妄想に耽っていると、ふと一匹の虱が寝床の縁を這っているのに気がついた。部屋の中にともした、うす暗い灯の光で、虱は小さな背中を銀の粉のように光らせながら、隣に寝ている細君の肩を目がけて、もずもず這って行くらしい。細君は、裸のまま、さっきから楊の方へ顔を向けて、安らかな寝息を立てているのである。
楊は、その虱ののろくさい歩みを眺めながら、こんな虫の世界はどんなだろうと思った。自分が二足か三足で行ける所も、虱には一時間もかからなければ、歩けない。しかもその歩きまわる所が、せいぜい寝床の上だけである。自分も虱に生れたら、さぞ退屈だった事であろう。……
そんな事を漫然と考えている中に、楊の意識は次第に朧げになって来た。勿論夢ではない。そうかと云ってまた、現でもない。ただ、妙に恍惚たる心もちの底へ、沈むともなく沈んで行くのである。それがやがて、はっと眼がさめたような気に帰ったと思うと、いつか楊の魂はあの虱の体へはいって、汗臭い寝床の上を、蠕々然として歩いている。楊は余りに事が意外なので、思わず茫然と立ちすくんだ。が、彼を驚かしたのは、独りそればかりではない。――
彼の行く手には、一座の高い山があった。それがまた自らな円みを暖く抱いて、眼のとどかない上の方から、眼の先の寝床の上まで、大きな鍾乳石のように垂れ下っている。その寝床についている部分は、中に火気を蔵しているかと思うほど、うす赤い柘榴の実の形を造っているが、そこを除いては、山一円、どこを見ても白くない所はない。その白さがまた、凝脂のような柔らかみのある、滑な色の白さで、山腹のなだらかなくぼみでさえ、丁度雪にさす月の光のような、かすかに青い影を湛えているだけである。まして光をうけている部分は、融けるような鼈甲色の光沢を帯びて、どこの山脈にも見られない、美しい弓なりの曲線を、遥な天際に描いている。……
楊は驚嘆の眼を見開いて、この美しい山の姿を眺めた。が、その山が彼の細君の乳の一つだと云う事を知った時に、彼の驚きは果してどれくらいだった事であろう。彼は、愛も憎みも、乃至また性欲も忘れて、この象牙の山のような、巨大な乳房を見守った。そうして、驚嘆の余り、寝床の汗臭い匂も忘れたのか、いつまでも凝固まったように動かなかった。――楊は、虱になって始めて、細君の肉体の美しさを、如実に観ずる事が出来たのである。
しかし、芸術の士にとって、虱の如く見る可きものは、独り女体の美しさばかりではない。
(大正六年九月) | 底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年10月28日第1刷発行
1996(平成8)年7月15日第11刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年12月28日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000114",
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ある雨の降る日の午後であった。私はある絵画展覧会場の一室で、小さな油絵を一枚発見した。発見――と云うと大袈裟だが、実際そう云っても差支えないほど、この画だけは思い切って彩光の悪い片隅に、それも恐しく貧弱な縁へはいって、忘れられたように懸かっていたのである。画は確か、「沼地」とか云うので、画家は知名の人でも何でもなかった。また画そのものも、ただ濁った水と、湿った土と、そうしてその土に繁茂する草木とを描いただけだから、恐らく尋常の見物からは、文字通り一顧さえも受けなかった事であろう。
その上不思議な事にこの画家は、蓊鬱たる草木を描きながら、一刷毛も緑の色を使っていない。蘆や白楊や無花果を彩るものは、どこを見ても濁った黄色である。まるで濡れた壁土のような、重苦しい黄色である。この画家には草木の色が実際そう見えたのであろうか。それとも別に好む所があって、故意こんな誇張を加えたのであろうか。――私はこの画の前に立って、それから受ける感じを味うと共に、こう云う疑問もまた挟まずにはいられなかったのである。
しかしその画の中に恐しい力が潜んでいる事は、見ているに従って分って来た。殊に前景の土のごときは、そこを踏む時の足の心もちまでもまざまざと感じさせるほど、それほど的確に描いてあった。踏むとぶすりと音をさせて踝が隠れるような、滑な淤泥の心もちである。私はこの小さな油画の中に、鋭く自然を掴もうとしている、傷しい芸術家の姿を見出した。そうしてあらゆる優れた芸術品から受ける様に、この黄いろい沼地の草木からも恍惚たる悲壮の感激を受けた。実際同じ会場に懸かっている大小さまざまな画の中で、この一枚に拮抗し得るほど力強い画は、どこにも見出す事が出来なかったのである。
「大へんに感心していますね。」
こう云う言と共に肩を叩かれた私は、あたかも何かが心から振い落されたような気もちがして、卒然と後をふり返った。
「どうです、これは。」
相手は無頓着にこう云いながら、剃刀を当てたばかりの顋で、沼地の画をさし示した。流行の茶の背広を着た、恰幅の好い、消息通を以て自ら任じている、――新聞の美術記者である。私はこの記者から前にも一二度不快な印象を受けた覚えがあるので、不承不承に返事をした。
「傑作です。」
「傑作――ですか。これは面白い。」
記者は腹を揺って笑った。その声に驚かされたのであろう。近くで画を見ていた二三人の見物が皆云い合せたようにこちらを見た。私はいよいよ不快になった。
「これは面白い。元来この画はね、会員の画じゃないのです。が、何しろ当人が口癖のようにここへ出す出すと云っていたものですから、遺族が審査員へ頼んで、やっとこの隅へ懸ける事になったのです。」
「遺族? じゃこの画を描いた人は死んでいるのですか。」
「死んでいるのです。もっとも生きている中から、死んだようなものでしたが。」
私の好奇心はいつか私の不快な感情より強くなっていた。
「どうして?」
「この画描きは余程前から気が違っていたのです。」
「この画を描いた時もですか。」
「勿論です。気違いででもなければ、誰がこんな色の画を描くものですか。それをあなたは傑作だと云って感心してお出でなさる。そこが大に面白いですね。」
記者はまた得意そうに、声を挙げて笑った。彼は私が私の不明を恥じるだろうと予測していたのであろう。あるいは一歩進めて、鑑賞上における彼自身の優越を私に印象させようと思っていたのかも知れない。しかし彼の期待は二つとも無駄になった。彼の話を聞くと共に、ほとんど厳粛にも近い感情が私の全精神に云いようのない波動を与えたからである。私は悚然として再びこの沼地の画を凝視した。そうして再びこの小さなカンヴァスの中に、恐しい焦躁と不安とに虐まれている傷しい芸術家の姿を見出した。
「もっとも画が思うように描けないと云うので、気が違ったらしいですがね。その点だけはまあ買えば買ってやれるのです。」
記者は晴々した顔をして、ほとんど嬉しそうに微笑した。これが無名の芸術家が――我々の一人が、その生命を犠牲にして僅に世間から購い得た唯一の報酬だったのである。私は全身に異様な戦慄を感じて、三度この憂鬱な油画を覗いて見た。そこにはうす暗い空と水との間に、濡れた黄土の色をした蘆が、白楊が、無花果が、自然それ自身を見るような凄じい勢いで生きている。………
「傑作です。」
私は記者の顔をまともに見つめながら、昂然としてこう繰返した。
(大正八年四月) | 底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年12月1日第1刷発行
1996(平成8)年4月1日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年12月28日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
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おれは締切日を明日に控えた今夜、一気呵成にこの小説を書こうと思う。いや、書こうと思うのではない。書かなければならなくなってしまったのである。では何を書くかと云うと、――それは次の本文を読んで頂くよりほかに仕方はない。
―――――――――――――――――――――――――
神田神保町辺のあるカッフェに、お君さんと云う女給仕がいる。年は十五とか十六とか云うが、見た所はもっと大人らしい。何しろ色が白くって、眼が涼しいから、鼻の先が少し上を向いていても、とにかく一通りの美人である。それが髪をまん中から割って、忘れな草の簪をさして、白いエプロンをかけて、自働ピアノの前に立っている所は、とんと竹久夢二君の画中の人物が抜け出したようだ。――とか何とか云う理由から、このカッフェの定連の間には、夙に通俗小説と云う渾名が出来ているらしい。もっとも渾名にはまだいろいろある。簪の花が花だから、わすれな草。活動写真に出る亜米利加の女優に似ているから、ミス・メリイ・ピックフォオド。このカッフェに欠くべからざるものだから、角砂糖。ETC. ETC.
この店にはお君さんのほかにも、もう一人年上の女給仕がある。これはお松さんと云って、器量は到底お君さんの敵ではない。まず白麺麭と黒麺麭ほどの相違がある。だから一つカッフェに勤めていても、お君さんとお松さんとでは、祝儀の収入が非常に違う。お松さんは勿論、この収入の差に平かなるを得ない。その不平が高じた所から、邪推もこの頃廻すようになっている。
ある夏の午後、お松さんの持ち場の卓子にいた外国語学校の生徒らしいのが、巻煙草を一本啣えながら、燐寸の火をその先へ移そうとした。所が生憎その隣の卓子では、煽風機が勢いよく廻っているものだから、燐寸の火はそこまで届かない内に、いつも風に消されてしまう。そこでその卓子の側を通りかかったお君さんは、しばらくの間風をふせぐために、客と煽風機との間へ足を止めた。その暇に巻煙草へ火を移した学生が、日に焼けた頬へ微笑を浮べながら、「難有う」と云った所を見ると、お君さんのこの親切が先方にも通じたのは勿論である。すると帳場の前へ立っていたお松さんが、ちょうどそこへ持って行く筈の、アイスクリイムの皿を取り上げると、お君さんの顔をじろりと見て、「あなた持っていらっしゃいよ。」と、嬌嗔を発したらしい声を出した。――
こんな葛藤が一週間に何度もある。従ってお君さんは、滅多にお松さんとは口をきかない。いつも自働ピアノの前に立っては、場所がらだけに多い学生の客に、無言の愛嬌を売っている。あるいは業腹らしいお松さんに無言ののろけを買わせている。
が、お君さんとお松さんとの仲が悪いのは、何もお松さんが嫉妬をするせいばかりではない。お君さんも内心、お松さんの趣味の低いのを軽蔑している。あれは全く尋常小学を出てから、浪花節を聴いたり、蜜豆を食べたり、男を追っかけたりばかりしていた、そのせいに違いない。こうお君さんは確信している。ではそのお君さんの趣味というのが、どんな種類のものかと思ったら、しばらくこの賑かなカッフェを去って、近所の露路の奥にある、ある女髪結の二階を覗いて見るが好い。何故と云えばお君さんは、その女髪結の二階に間借をして、カッフェへ勤めている間のほかは、始終そこに起臥しているからである。
二階は天井の低い六畳で、西日のさす窓から外を見ても、瓦屋根のほかは何も見えない。その窓際の壁へよせて、更紗の布をかけた机がある。もっともこれは便宜上、仮に机と呼んで置くが、実は古色を帯びた茶ぶ台に過ぎない。その茶ぶ――机の上には、これも余り新しくない西洋綴の書物が並んでいる。「不如帰」「藤村詩集」「松井須磨子の一生」「新朝顔日記」「カルメン」「高い山から谷底見れば」――あとは婦人雑誌が七八冊あるばかりで、残念ながらおれの小説集などは、唯一の一冊も見当らない。それからその机の側にある、とうにニスの剥げた茶箪笥の上には、頸の細い硝子の花立てがあって、花びらの一つとれた造花の百合が、手際よくその中にさしてある。察する所この百合は、花びらさえまだ無事でいたら、今でもあのカッフェの卓子に飾られていたのに相違あるまい。最後にその茶箪笥の上の壁には、いずれも雑誌の口絵らしいのが、ピンで三四枚とめてある。一番まん中なのは、鏑木清方君の元禄女で、その下に小さくなっているのは、ラファエルのマドンナか何からしい。と思うとその元禄女の上には、北村四海君の彫刻の女が御隣に控えたベエトオフェンへ滴るごとき秋波を送っている。但しこのベエトオフェンは、ただお君さんがベエトオフェンだと思っているだけで、実は亜米利加の大統領ウッドロオ・ウイルソンなのだから、北村四海君に対しても、何とも御気の毒の至に堪えない。――
こう云えばお君さんの趣味生活が、いかに芸術的色彩に富んでいるか、問わずしてすでに明かであろうと思う。また実際お君さんは、毎晩遅くカッフェから帰って来ると、必ずこのベエトオフェン alias ウイルソンの肖像の下に、「不如帰」を読んだり、造花の百合を眺めたりしながら、新派悲劇の活動写真の月夜の場面よりもサンティマンタアルな、芸術的感激に耽るのである。
桜頃のある夜、お君さんはひとり机に向って、ほとんど一番鶏が啼く頃まで、桃色をしたレタア・ペエパアにせっせとペンを走らせ続けた。が、その書き上げた手紙の一枚が、机の下に落ちていた事は、朝になってカッフェへ出て行った後も、ついにお君さんには気がつかなかったらしい。すると窓から流れこんだ春風が、その一枚のレタア・ペエパアを飜して、鬱金木綿の蔽いをかけた鏡が二つ並んでいる梯子段の下まで吹き落してしまった。下にいる女髪結は、頻々としてお君さんの手に落ちる艶書のある事を心得ている。だからこの桃色をした紙も、恐らくはその一枚だろうと思って、好奇心からわざわざ眼を通して見た。すると意外にもこれは、お君さんの手蹟らしい。ではお君さんが誰かの艶書に返事を認めたのかと思うと、「武男さんに御別れなすった時の事を考えると、私は涙で胸が張り裂けるようでございます」と書いてある。果然お君さんはほとんど徹夜をして、浪子夫人に与うべき慰問の手紙を作ったのであった。――
おれはこの挿話を書きながら、お君さんのサンティマンタリスムに微笑を禁じ得ないのは事実である。が、おれの微笑の中には、寸毫も悪意は含まれていない。お君さんのいる二階には、造花の百合や、「藤村詩集」や、ラファエルのマドンナの写真のほかにも、自炊生活に必要な、台所道具が並んでいる。その台所道具の象徴する、世智辛い東京の実生活は、何度今日までにお君さんへ迫害を加えたか知れなかった。が、落莫たる人生も、涙の靄を透して見る時は、美しい世界を展開する。お君さんはその実生活の迫害を逃れるために、この芸術的感激の涙の中へ身を隠した。そこには一月六円の間代もなければ、一升七十銭の米代もない。カルメンは電燈代の心配もなく、気楽にカスタネットを鳴らしている。浪子夫人も苦労はするが、薬代の工面が出来ない次第ではない。一言にして云えばこの涙は、人間苦の黄昏のおぼろめく中に、人間愛の燈火をつつましやかにともしてくれる。ああ、東京の町の音も全くどこかへ消えてしまう真夜中、涙に濡れた眼を挙げながら、うす暗い十燭の電燈の下に、たった一人逗子の海風とコルドヴァの杏竹桃とを夢みている、お君さんの姿を想像――畜生、悪意がない所か、うっかりしているとおれまでも、サンティマンタアルになり兼ねないぞ。元来世間の批評家には情味がないと言われている、すこぶる理智的なおれなのだが。
そのお君さんがある冬の夜、遅くなってカッフェから帰って来ると、始は例のごとく机に向って、「松井須磨子の一生」か何か読んでいたが、まだ一頁と行かない内に、どう云う訳かその書物にたちまち愛想をつかしたごとく、邪慳に畳の上へ抛り出してしまった。と思うと今度は横坐りに坐ったまま、机の上に頬杖をついて、壁の上のウイル――べエトオフェンの肖像を冷淡にぼんやり眺め出した。これは勿論唯事ではない。お君さんはあのカッフェを解傭される事になったのであろうか。さもなければお松さんのいじめ方が一層悪辣になったのであろうか。あるいはまたさもなければ齲歯でも痛み出して来たのであろうか。いや、お君さんの心を支配しているのは、そう云う俗臭を帯びた事件ではない。お君さんは浪子夫人のごとく、あるいはまた松井須磨子のごとく、恋愛に苦しんでいるのである。ではお君さんは誰に心を寄せているかと云うと――幸お君さんは壁の上のベエトオフェンを眺めたまま、しばらくは身動きもしそうはないから、その間におれは大急ぎで、ちょいとこの光栄ある恋愛の相手を紹介しよう。
お君さんの相手は田中君と云って、無名の――まあ芸術家である。何故かと云うと田中君は、詩も作る、ヴァイオリンも弾く、油絵の具も使う、役者も勤める、歌骨牌も巧い、薩摩琵琶も出来ると云う才人だから、どれが本職でどれが道楽だか、鑑定の出来るものは一人もいない。従ってまた人物も、顔は役者のごとくのっぺりしていて、髪は油絵の具のごとくてらてらしていて、声はヴァイオリンのごとく優しくって、言葉は詩のごとく気が利いていて、女を口説く事は歌骨牌をとるごとく敏捷で、金を借り倒す事は薩摩琵琶をうたうごとく勇壮活溌を極めている。それが黒い鍔広の帽子をかぶって、安物らしい猟服を着用して、葡萄色のボヘミアン・ネクタイを結んで――と云えば大抵わかりそうなものだ。思うにこの田中君のごときはすでに一種のタイプなのだから、神田本郷辺のバアやカッフェ、青年会館や音楽学校の音楽会(但し一番の安い切符の席に限るが)兜屋や三会堂の展覧会などへ行くと、必ず二三人はこの連中が、傲然と俗衆を睥睨している。だからこの上明瞭な田中君の肖像が欲しければ、そう云う場所へ行って見るが好い。おれが書くのはもう真平御免だ。第一おれが田中君の紹介の労を執っている間に、お君さんはいつか立上って、障子を開けた窓の外の寒い月夜を眺めているのだから。
瓦屋根の上の月の光は、頸の細い硝子の花立てにさした造花の百合を照らしている。壁に貼ったラファエルの小さなマドンナを照らしている。そうしてまたお君さんの上を向いた鼻を照らしている。が、お君さんの涼しい眼には、月の光も映っていない。霜の下りたらしい瓦屋根も、存在しないのと同じ事である。田中君は今夜カッフェから、お君さんをここまで送って来た。そうして明日の晩は二人で、楽しく暮そうと云う約束までした。明日はちょうど一月に一度あるお君さんの休日だから、午後六時に小川町の電車停留場で落合って、それから芝浦にかかっている伊太利人のサアカスを見に行こうと云うのである。お君さんは今日までに、未嘗男と二人で遊びに出かけた覚えなどはない。だから明日の晩田中君と、世間の恋人同士のように、つれ立って夜の曲馬を見に行く事を考えると、今更のように心臓の鼓動が高くなって来る。お君さんにとって田中君は、宝窟の扉を開くべき秘密の呪文を心得ているアリ・ババとさらに違いはない。その呪文が唱えられた時、いかなる未知の歓楽境がお君さんの前に出現するか。――さっきから月を眺めて月を眺めないお君さんが、風に煽られた海のごとく、あるいはまた将に走らんとする乗合自動車のモオタアのごとく、轟く胸の中に描いているのは、実にこの来るべき不可思議の世界の幻であった。そこには薔薇の花の咲き乱れた路に、養殖真珠の指環だの翡翠まがいの帯止めだのが、数限りもなく散乱している。夜鶯の優しい声も、すでに三越の旗の上から、蜜を滴すように聞え始めた。橄欖の花の匀いの中に大理石を畳んだ宮殿では、今やミスタア・ダグラス・フェアバンクスと森律子嬢との舞踏が、いよいよ佳境に入ろうとしているらしい。……
が、おれはお君さんの名誉のためにつけ加える。その時お君さんの描いた幻の中には、時々暗い雲の影が、一切の幸福を脅すように、底気味悪く去来していた。成程お君さんは田中君を恋しているのに違いない。しかしその田中君は、実はお君さんの芸術的感激が円光を頂かせた田中君である。詩も作る、ヴァイオリンも弾く、油絵の具も使う、役者も勤める、歌骨牌も巧い、薩摩琵琶も出来るサア・ランスロットである。だからお君さんの中にある処女の新鮮な直観性は、どうかするとこのランスロットのすこぶる怪しげな正体を感ずる事がないでもない。暗い不安の雲の影は、こう云う時にお君さんの幻の中を通りすぎる。が、遺憾ながらその雲の影は、現れるが早いか消えてしまう。お君さんはいくら大人じみていても、十六とか十七とか云う少女である。しかも芸術的感激に充ち満ちている少女である。着物を雨で濡らす心配があるか、ライン河の入日の画端書に感嘆の声を洩らす時のほかは、滅多に雲の影などへ心を止めないのも不思議ではない。いわんや今は薔薇の花の咲き乱れている路に、養殖真珠の指環だの翡翠まがいの帯止めだのが――以下は前に書いた通りだから、そこを読み返して頂きたい。
お君さんは長い間、シャヴァンヌの聖・ジュヌヴィエヴのごとく、月の光に照らされた瓦屋根を眺めて立っていたが、やがて嚏を一つすると、窓の障子をばたりとしめて、また元の机の際へ横坐りに坐ってしまった。それから翌日の午後六時までお君さんが何をしていたか、その間の詳しい消息は、残念ながらおれも知っていない。何故作者たるおれが知っていないのかと云うと――正直に云ってしまえ。おれは今夜中にこの小説を書き上げなければならないからである。
翌日の午後六時、お君さんは怪しげな紫紺の御召のコオトの上にクリイム色の肩掛をして、いつもよりはそわそわと、もう夕暗に包まれた小川町の電車停留場へ行った。行くとすでに田中君は、例のごとく鍔広の黒い帽子を目深くかぶって、洋銀の握りのついた細い杖をかいこみながら、縞の荒い半オオヴァの襟を立てて、赤い電燈のともった下に、ちゃんと佇んで待っている。色の白い顔がいつもより一層また磨きがかかって、かすかに香水の匀までさせている容子では、今夜は格別身じまいに注意を払っているらしい。
「御待たせして?」
お君さんは田中君の顔を見上げると、息のはずんでいるような声を出した。
「なあに。」
田中君は大様な返事をしながら、何とも判然しない微笑を含んだ眼で、じっとお君さんの顔を眺めた。それから急に身ぶるいを一つして、
「歩こう、少し。」
とつけ加えた。いや、つけ加えたばかりではない。田中君はもうその時には、アアク燈に照らされた人通りの多い往来を、須田町の方へ向って歩き出した。サアカスがあるのは芝浦である。歩くにしてもここからは、神田橋の方へ向って行かなければならない。お君さんはまだ立止ったまま、埃風に飜るクリイム色の肩掛へ手をやって、
「そっち?」
と不思議そうに声をかけた。が、田中君は肩越しに、
「ああ。」
と軽く答えたぎり、依然として須田町の方へ歩いて行く。そこでお君さんもほかに仕方がないから、すぐに田中君へ追いつくと、葉を振った柳の並樹の下を一しょにいそいそと歩き出した。するとまた田中君は、あの何とも判然しない微笑を眼の中に漂わせて、お君さんの横顔を窺いながら、
「お君さんには御気の毒だけれどもね、芝浦のサアカスは、もう昨夜でおしまいなんだそうだ。だから今夜は僕の知っている家へ行って、一しょに御飯でも食べようじゃないか。」
「そう、私どっちでも好いわ。」
お君さんは田中君の手が、そっと自分の手を捕えたのを感じながら、希望と恐怖とにふるえている、かすかな声でこう云った。と同時にまたお君さんの眼にはまるで「不如帰」を読んだ時のような、感動の涙が浮んできた。この感動の涙を透して見た、小川町、淡路町、須田町の往来が、いかに美しかったかは問うを待たない。歳暮大売出しの楽隊の音、目まぐるしい仁丹の広告電燈、クリスマスを祝う杉の葉の飾、蜘蛛手に張った万国国旗、飾窓の中のサンタ・クロス、露店に並んだ絵葉書や日暦――すべてのものがお君さんの眼には、壮大な恋愛の歓喜をうたいながら、世界のはてまでも燦びやかに続いているかと思われる。今夜に限って天上の星の光も冷たくない。時々吹きつける埃風も、コオトの裾を巻くかと思うと、たちまち春が返ったような暖い空気に変ってしまう。幸福、幸福、幸福……
その内にふとお君さんが気がつくと、二人はいつか横町を曲ったと見えて、路幅の狭い町を歩いている。そうしてその町の右側に、一軒の小さな八百屋があって、明く瓦斯の燃えた下に、大根、人参、漬け菜、葱、小蕪、慈姑、牛蒡、八つ頭、小松菜、独活、蓮根、里芋、林檎、蜜柑の類が堆く店に積み上げてある。その八百屋の前を通った時、お君さんの視線は何かの拍子に、葱の山の中に立っている、竹に燭奴を挟んだ札の上へ落ちた。札には墨黒々と下手な字で、「一束四銭」と書いてある。あらゆる物価が暴騰した今日、一束四銭と云う葱は滅多にない。この至廉な札を眺めると共に、今まで恋愛と芸術とに酔っていた、お君さんの幸福な心の中には、そこに潜んでいた実生活が、突如としてその惰眠から覚めた。間髪を入れずとは正にこの謂である。薔薇と指環と夜鶯と三越の旗とは、刹那に眼底を払って消えてしまった。その代り間代、米代、電燈代、炭代、肴代、醤油代、新聞代、化粧代、電車賃――そのほかありとあらゆる生活費が、過去の苦しい経験と一しょに、恰も火取虫の火に集るごとく、お君さんの小さな胸の中に、四方八方から群って来る。お君さんは思わずその八百屋の前へ足を止めた。それから呆気にとられている田中君を一人後に残して、鮮な瓦斯の光を浴びた青物の中へ足を入れた。しかもついにはその華奢な指を伸べて、一束四銭の札が立っている葱の山を指さすと、「さすらい」の歌でもうたうような声で、
「あれを二束下さいな。」と云った。
埃風の吹く往来には、黒い鍔広の帽子をかぶって、縞の荒い半オオヴァの襟を立てた田中君が、洋銀の握りのある細い杖をかいこみながら、孤影悄然として立っている。田中君の想像には、さっきからこの町のはずれにある、格子戸造の家が浮んでいた。軒に松の家と云う電燈の出た、沓脱ぎの石が濡れている、安普請らしい二階家である、が、こうした往来に立っていると、その小ぢんまりした二階家の影が、妙にだんだん薄くなってしまう。そうしてその後には徐に一束四銭の札を打った葱の山が浮んで来る。と思うとたちまち想像が破れて、一陣の埃風が過ぎると共に、実生活のごとく辛辣な、眼に滲むごとき葱の匀が実際田中君の鼻を打った。
「御待ち遠さま。」
憐むべき田中君は、世にも情無い眼つきをして、まるで別人でも見るように、じろじろお君さんの顔を眺めた。髪を綺麗にまん中から割って、忘れな草の簪をさした、鼻の少し上を向いているお君さんは、クリイム色の肩掛をちょいと顋でおさえたまま、片手に二束八銭の葱を下げて立っている。あの涼しい眼の中に嬉しそうな微笑を躍らせながら。
―――――――――――――――――――――――――
とうとうどうにか書き上げたぞ。もう夜が明けるのも間はあるまい。外では寒そうな鶏の声がしているが、折角これを書き上げても、いやに気のふさぐのはどうしたものだ。お君さんはその晩何事もなく、またあの女髪結の二階へ帰って来たが、カッフェの女給仕をやめない限り、その後も田中君と二人で遊びに出る事がないとは云えまい。その時の事を考えると、――いや、その時はまたその時の事だ。おれが今いくら心配した所で、どうにもなる訳のものではない。まあこのままでペンを擱こう。左様なら。お君さん。では今夜もあの晩のように、ここからいそいそ出て行って、勇ましく――批評家に退治されて来給え。
(大正八年十二月十一日) | 底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年12月1日第1刷発行
1996(平成8)年4月1日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月8日公開
2004年3月12日修正
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"底本名1": "芥川龍之介全集3",
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………僕は何でも雑木の生えた、寂しい崖の上を歩いて行った。崖の下はすぐに沼になっていた。その又沼の岸寄りには水鳥が二羽泳いでいた。どちらも薄い苔の生えた石の色に近い水鳥だった。僕は格別その水鳥に珍しい感じは持たなかった。が、余り翼などの鮮かに見えるのは無気味だった。――
――僕はこう言う夢の中からがたがた言う音に目をさました。それは書斎と鍵の手になった座敷の硝子戸の音らしかった。僕は新年号の仕事中、書斎に寝床をとらせていた。三軒の雑誌社に約束した仕事は三篇とも僕には不満足だった。しかし兎に角最後の仕事はきょうの夜明け前に片づいていた。
寝床の裾の障子には竹の影もちらちら映っていた。僕は思い切って起き上り、一まず後架へ小便をしに行った。近頃この位小便から水蒸気の盛んに立ったことはなかった。僕は便器に向いながら、今日はふだんよりも寒いぞと思った。
伯母や妻は座敷の縁側にせっせと硝子戸を磨いていた。がたがた言うのはこの音だった。袖無しの上へ襷をかけた伯母はバケツの雑巾を絞りながら、多少僕にからかうように「お前、もう十二時ですよ」と言った。成程十二時に違いなかった。廊下を抜けた茶の間にはいつか古い長火鉢の前に昼飯の支度も出来上っていた。のみならず母は次男の多加志に牛乳やトオストを養っていた。しかし僕は習慣上朝らしい気もちを持ったまま、人気のない台所へ顔を洗いに行った。
朝飯兼昼飯をすませた後、僕は書斎の置き炬燵へはいり、二三種の新聞を読みはじめた。新聞の記事は諸会社のボオナスや羽子板の売れ行きで持ち切っていた。けれども僕の心もちは少しも陽気にはならなかった。僕は仕事をすませる度に妙に弱るのを常としていた。それは房後の疲労のようにどうすることも出来ないものだった。………
K君の来たのは二時前だった。僕はK君を置き炬燵に請じ、差し当りの用談をすませることにした。縞の背広を着たK君はもとは奉天の特派員、――今は本社詰めの新聞記者だった。
「どうです? 暇ならば出ませんか?」
僕は用談をすませた頃、じっと家にとじこもっているのはやり切れない気もちになっていた。
「ええ、四時頃までならば。………どこかお出かけになる先はおきまりになっているんですか?」
K君は遠慮勝ちに問い返した。
「いいえ、どこでも好いんです。」
「お墓はきょうは駄目でしょうか?」
K君のお墓と言ったのは夏目先生のお墓だった。僕はもう半年ほど前に先生の愛読者のK君にお墓を教える約束をしていた。年の暮にお墓参りをする、――それは僕の心もちに必ずしもぴったりしないものではなかった。
「じゃお墓へ行きましょう。」
僕は早速外套をひっかけ、K君と一しょに家を出ることにした。
天気は寒いなりに晴れ上っていた。狭苦しい動坂の往来もふだんよりは人あしが多いらしかった。門に立てる松や竹も田端青年団詰め所とか言う板葺きの小屋の側に寄せかけてあった。僕はこう言う町を見た時、幾分か僕の少年時代に抱いた師走の心もちのよみ返るのを感じた。
僕等は少時待った後、護国寺前行の電車に乗った。電車は割り合いにこまなかった。K君は外套の襟を立てたまま、この頃先生の短尺を一枚やっと手に入れた話などをしていた。
すると富士前を通り越した頃、電車の中ほどの電球が一つ、偶然抜け落ちてこなごなになった。そこには顔も身なりも悪い二十四五の女が一人、片手に大きい包を持ち、片手に吊り革につかまっていた。電球は床へ落ちる途端に彼女の前髪をかすめたらしかった。彼女は妙な顔をしたなり、電車中の人々を眺めまわした。それは人々の同情を、――少くとも人々の注意だけは惹こうとする顔に違いなかった。が、誰も言い合せたように全然彼女には冷淡だった。僕はK君と話しながら、何か拍子抜けのした彼女の顔に可笑しさよりも寧ろはかなさを感じた。
僕等は終点で電車を下り、注連飾りの店など出来た町を雑司ヶ谷の墓地へ歩いて行った。
大銀杏の葉の落ち尽した墓地は不相変きょうもひっそりしていた。幅の広い中央の砂利道にも墓参りの人さえ見えなかった。僕はK君の先に立ったまま、右側の小みちへ曲って行った。小みちは要冬青の生け垣や赤鏽のふいた鉄柵の中に大小の墓を並べていた。が、いくら先へ行っても、先生のお墓は見当らなかった。
「もう一つ先の道じゃありませんか?」
「そうだったかも知れませんね。」
僕はその小みちを引き返しながら、毎年十二月九日には新年号の仕事に追われる為、滅多に先生のお墓参りをしなかったことを思い出した。しかし何度か来ないにしても、お墓の所在のわからないことは僕自身にも信じられなかった。
その次の稍広い小みちもお墓のないことは同じだった。僕等は今度は引き返す代りに生け垣の間を左へ曲った。けれどもお墓は見当らなかった。のみならず僕の見覚えていた幾つかの空き地さえ見当らなかった。
「聞いて見る人もなし、………困りましたね。」
僕はこう言うK君の言葉にはっきり冷笑に近いものを感じた。しかし教えると言った手前、腹を立てる訣にも行かなかった。
僕等はやむを得ず大銀杏を目当てにもう一度横みちへはいって行った。が、そこにもお墓はなかった。僕は勿論苛ら苛らして来た。しかしその底に潜んでいるのは妙に侘しい心もちだった。僕はいつか外套の下に僕自身の体温を感じながら、前にもこう言う心もちを知っていたことを思い出した。それは僕の少年時代に或餓鬼大将にいじめられ、しかも泣かずに我慢して家へ帰った時の心もちだった。
何度も同じ小みちに出入した後、僕は古樒を焚いていた墓地掃除の女に途を教わり、大きい先生のお墓の前へやっとK君をつれて行った。
お墓はこの前に見た時よりもずっと古びを加えていた。おまけにお墓のまわりの土もずっと霜に荒されていた。それは九日に手向けたらしい寒菊や南天の束の外に何か親しみの持てないものだった。K君はわざわざ外套を脱ぎ、丁寧にお墓へお時宜をした。しかし僕はどう考えても、今更恬然とK君と一しょにお時宜をする勇気は出悪かった。
「もう何年になりますかね?」
「丁度九年になる訣です。」
僕等はそんな話をしながら、護国寺前の終点へ引き返して行った。
僕はK君と一しょに電車に乗り、僕だけ一人富士前で下りた。それから東洋文庫にいる或友だちを尋ねた後、日の暮に動坂へ帰り着いた。
動坂の往来は時刻がらだけに前よりも一層混雑していた。が、庚申堂を通り過ぎると、人通りもだんだん減りはじめた。僕は受け身になりきったまま、爪先ばかり見るように風立った路を歩いて行った。
すると墓地裏の八幡坂の下に箱車を引いた男が一人、楫棒に手をかけて休んでいた。箱車はちょっと眺めた所、肉屋の車に近いものだった。が、側へ寄って見ると、横に広いあと口に東京胞衣会社と書いたものだった。僕は後から声をかけた後、ぐんぐんその車を押してやった。それは多少押してやるのに穢い気もしたのに違いなかった。しかし力を出すだけでも助かる気もしたのに違いなかった。
北風は長い坂の上から時々まっ直に吹き下ろして来た。墓地の樹木もその度にさあっと葉の落ちた梢を鳴らした。僕はこう言う薄暗がりの中に妙な興奮を感じながら、まるで僕自身と闘うように一心に箱車を押しつづけて行った。……… | 底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館
1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第八卷」岩波書店
1978(昭和53)年3月22日発行
初出:「新潮 第二十三年第一号」
1926(大正15)年1月1日発行
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年10月6日公開
2016年2月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000107",
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野呂松人形を使うから、見に来ないかと云う招待が突然来た。招待してくれたのは、知らない人である。が、文面で、その人が、僕の友人の知人だと云う事がわかった。「K氏も御出の事と存じ候えば」とか何とか、書いてある。Kが、僕の友人である事は云うまでもない。――僕は、ともかくも、招待に応ずる事にした。
野呂松人形と云うものが、どんなものかと云う事は、その日になって、Kの説明を聞くまでは、僕もよく知らなかった。その後、世事談を見ると、のろまは「江戸和泉太夫、芝居に野呂松勘兵衛と云うもの、頭ひらたく色青黒きいやしげなる人形を使う。これをのろま人形と云う。野呂松の略語なり」とある。昔は蔵前の札差とか諸大名の御金御用とかあるいはまたは長袖とかが、楽しみに使ったものだそうだが、今では、これを使う人も数えるほどしかないらしい。
当日、僕は車で、その催しがある日暮里のある人の別荘へ行った。二月の末のある曇った日の夕方である。日の暮には、まだ間があるので、光とも影ともつかない明るさが、往来に漂っている。木の芽を誘うには早すぎるが、空気は、湿気を含んで、どことなく暖い。二三ヶ所で問うて、漸く、見つけた家は、人通りの少ない横町にあった。が、想像したほど、閑静な住居でもないらしい。昔通りのくぐり門をはいって、幅の狭い御影石の石だたみを、玄関の前へ来ると、ここには、式台の柱に、銅鑼が一つ下っている。そばに、手ごろな朱塗の棒まで添えてあるから、これで叩くのかなと思っていると、まだ、それを手にしない中に、玄関の障子のかげにいた人が、「どうぞこちらへ」と声をかけた。
受附のような所で、罫紙の帳面に名前を書いて、奥へ通ると、玄関の次の八畳と六畳と、二間一しょにした、うす暗い座敷には、もう大分、客の数が見えていた。僕は、人中へ出る時は、大抵、洋服を着てゆく。袴だと、拘泥しなければならない。繁雑な日本の étiquette も、ズボンだと、しばしば、大目に見られやすい。僕のような、礼節になれない人間には、至極便利である。その日も、こう云う訳で、僕は、大学の制服を着て行った。が、ここへ来ている連中の中には、一人も洋服を着ているものがない。驚いた事には、僕の知っている英吉利人さえ、紋附にセルの袴で、扇を前に控えている。Kの如き町家の子弟が結城紬の二枚襲か何かで、納まっていたのは云うまでもない。僕は、この二人の友人に挨拶をして、座につく時に、いささか、étranger の感があった。
「これだけ、お客があっては、――さんも大よろこびだろう。」Kが僕に云った。――さんと云うのは、僕に招待状をくれた人の名である。
「あの人も、やはり人形を使うのかい。」
「うん、一番か二番は、習っているそうだ。」
「今日も使うかしら。」
「いや、使わないだろう。今日は、これでもこの道のお歴々が使うのだから。」
Kは、それから、いろいろ、野呂松人形の話をした。何でも、番組の数は、皆で七十何番とかあって、それに使う人形が二十幾つとかあると云うような事である。自分は、時々、六畳の座敷の正面に出来ている舞台の方を眺めながら、ぼんやりKの説明を聞いていた。
舞台と云うのは、高さ三尺ばかり、幅二間ばかりの金箔を押した歩衝である。Kの説によると、これを「手摺り」と称するので、いつでも取壊せるように出来ていると云う。その左右へは、新しい三色緞子の几帳が下っている。後は、金屏風をたてまわしたものらしい。うす暗い中に、その歩衝と屏風との金が一重、燻しをかけたように、重々しく夕闇を破っている。――僕は、この簡素な舞台を見て非常にいい心もちがした。
「人形には、男と女とあってね、男には、青頭とか、文字兵衛とか、十内とか、老僧とか云うのがある。」Kは弁じて倦まない。
「女にもいろいろありますか。」と英吉利人が云った。
「女には、朝日とか、照日とかね、それからおきね、悪婆なんぞと云うのもあるそうだ。もっとも中で有名なのは、青頭でね。これは、元祖から、今の宗家へ伝来したのだと云うが……」
生憎、その内に、僕は小用に行きたくなった。
――厠から帰って見ると、もう電燈がついている。そうして、いつの間にか「手摺り」の後には、黒い紗の覆面をした人が一人、人形を持って立っている。
いよいよ、狂言が始まったのであろう。僕は、会釈をしながら、ほかの客の間を通って、前に坐っていた所へ来て坐った。Kと日本服を来た英吉利人との間である。
舞台の人形は、藍色の素袍に、立烏帽子をかけた大名である。「それがし、いまだ、誇る宝がござらぬによって、世に稀なる宝を都へ求めにやろうと存ずる。」人形を使っている人が、こんな事を云った。語と云い、口調と云い、間狂言を見るのと、大した変りはない。
やがて、大名が、「まず、与六を呼び出して申しつけよう。やいやい与六あるか。」とか何とか云うと、「へえ」と答えながらもう一人、黒い紗で顔を隠した人が、太郎冠者のような人形を持って、左の三色緞子の中から、出て来た。これは、茶色の半上下に、無腰と云う着附けである。
すると、大名の人形が、左手を小さ刀の柄にかけながら、右手の中啓で、与六をさしまねいで、こう云う事を云いつける。――「天下治まり、目出度い御代なれば、かなたこなたにて宝合せをせらるるところ、なんじの知る通り、それがし方には、いまだ誇るべき宝がないによって、汝都へ上り、世に稀なるところの宝が有らば求めて参れ。」与六「へえ」大名「急げ」「へえ」「ええ」「へえ」「ええ」「へえさてさて殿様には……」――それから与六の長い Soliloque が始まった。
人形の出来は、はなはだ、簡単である。第一、着附の下に、足と云うものがない。口が開いたり、目が動いたりする後世の人形に比べれば、格段な相違である。手の指を動かす事はあるが、それも滅多にやらない。するのは、ただ身ぶりである。体を前後にまげたり、手を左右に動かしたりする――それよりほかには、何もしない。はなはだ、間ののびた、同時に、どこか鷹揚な、品のいいものである。僕は、人形に対して、再び、étranger の感を深くした。
アナトオル・フランスの書いたものに、こう云う一節がある、――時代と場所との制限を離れた美は、どこにもない。自分が、ある芸術の作品を悦ぶのは、その作品の生活に対する関係を、自分が発見した時に限るのである。Hissarlik の素焼の陶器は自分をして、よりイリアッドを愛せしめる。十三世紀におけるフィレンツェの生活を知らなかったとしたら、自分は神曲を、今日の如く鑑賞する事は出来なかったのに相違ない。自分は云う、あらゆる芸術の作品は、その製作の場所と時代とを知って、始めて、正当に愛し、かつ、理解し得られるのである。……
僕は、金色の背景の前に、悠長な動作を繰返している、藍の素袍と茶の半上下とを見て、図らず、この一節を思い出した。僕たちの書いている小説も、いつかこの野呂松人形のようになる時が来はしないだろうか。僕たちは、時代と場所との制限をうけない美があると信じたがっている。僕たちのためにも、僕たちの尊敬する芸術家のためにも、そう信じて疑いたくないと思っている。しかし、それが、果して、そうありたいばかりでなく、そうある事であろうか。……
野呂松人形は、そうある事を否定する如く、木彫の白い顔を、金の歩衝の上で、動かしているのである。
狂言は、それから、すっぱが出て、与六を欺し、与六が帰って、大名の不興を蒙る所で完った。鳴物は、三味線のない芝居の囃しと能の囃しとを、一つにしたようなものである。
僕は、次の狂言を待つ間を、Kとも話さずに、ぼんやり、独り「朝日」をのんですごした。
(大正五年七月十八日) | 底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年11月11日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000112",
"作品名": "野呂松人形",
"作品名読み": "のろまにんぎょう",
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"初出": "「人文」1916(大正5)年8月",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"名読みソート用": "りゆうのすけ",
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"入力者": "j.utiyama",
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一 レエン・コオト
僕は或知り人の結婚披露式につらなる為に鞄を一つ下げたまま、東海道の或停車場へその奥の避暑地から自動車を飛ばした。自動車の走る道の両がわは大抵松ばかり茂っていた。上り列車に間に合うかどうかは可也怪しいのに違いなかった。自動車には丁度僕の外に或理髪店の主人も乗り合せていた。彼は棗のようにまるまると肥った、短い顋髯の持ち主だった。僕は時間を気にしながら、時々彼と話をした。
「妙なこともありますね。××さんの屋敷には昼間でも幽霊が出るって云うんですが」
「昼間でもね」
僕は冬の西日の当った向うの松山を眺めながら、善い加減に調子を合せていた。
「尤も天気の善い日には出ないそうです。一番多いのは雨のふる日だって云うんですが」
「雨の降る日に濡れに来るんじゃないか?」
「御常談で。……しかしレエン・コオトを着た幽霊だって云うんです」
自動車はラッパを鳴らしながら、或停車場へ横着けになった。僕は或理髪店の主人に別れ、停車場の中へはいって行った。すると果して上り列車は二三分前に出たばかりだった。待合室のベンチにはレエン・コオトを着た男が一人ぼんやり外を眺めていた。僕は今聞いたばかりの幽霊の話を思い出した。が、ちょっと苦笑したぎり、とにかく次の列車を待つ為に停車場前のカッフェへはいることにした。
それはカッフェと云う名を与えるのも考えものに近いカッフェだった。僕は隅のテエブルに坐り、ココアを一杯註文した。テエブルにかけたオイル・クロオスは白地に細い青の線を荒い格子に引いたものだった。しかしもう隅々には薄汚いカンヴァスを露していた。僕は膠臭いココアを飲みながら、人げのないカッフェの中を見まわした。埃じみたカッフェの壁には「親子丼」だの「カツレツ」だのと云う紙札が何枚も貼ってあった。
「地玉子、オムレツ」
僕はこう云う紙札に東海道線に近い田舎を感じた。それは麦畑やキャベツ畑の間に電気機関車の通る田舎だった。……
次の上り列車に乗ったのはもう日暮に近い頃だった。僕はいつも二等に乗っていた。が、何かの都合上、その時は三等に乗ることにした。
汽車の中は可也こみ合っていた。しかも僕の前後にいるのは大磯かどこかへ遠足に行ったらしい小学校の女生徒ばかりだった。僕は巻煙草に火をつけながら、こう云う女生徒の群れを眺めていた。彼等はいずれも快活だった。のみならず殆どしゃべり続けだった。
「写真屋さん、ラヴ・シインって何?」
やはり遠足について来たらしい、僕の前にいた「写真屋さん」は何とかお茶を濁していた。しかし十四五の女生徒の一人はまだいろいろのことを問いかけていた。僕はふと彼女の鼻に蓄膿症のあることを感じ、何か頬笑まずにはいられなかった。それから又僕の隣りにいた十二三の女生徒の一人は若い女教師の膝の上に坐り、片手に彼女の頸を抱きながら、片手に彼女の頬をさすっていた。しかも誰かと話す合い間に時々こう女教師に話しかけていた。
「可愛いわね、先生は。可愛い目をしていらっしゃるわね」
彼等は僕には女生徒よりも一人前の女と云う感じを与えた。林檎を皮ごと噛じっていたり、キャラメルの紙を剥いていることを除けば。……しかし年かさらしい女生徒の一人は僕の側を通る時に誰かの足を踏んだと見え、「御免なさいまし」と声をかけた。彼女だけは彼等よりもませているだけに反って僕には女生徒らしかった。僕は巻煙草を啣えたまま、この矛盾を感じた僕自身を冷笑しない訣には行かなかった。
いつか電燈をともした汽車はやっと或郊外の停車場へ着いた。僕は風の寒いプラットホオムへ下り、一度橋を渡った上、省線電車の来るのを待つことにした。すると偶然顔を合せたのは或会社にいるT君だった、僕等は電車を待っている間に不景気のことなどを話し合った。T君は勿論僕などよりもこう云う問題に通じていた。が、逞しい彼の指には余り不景気には縁のない土耳古石の指環も嵌まっていた。
「大したものを嵌めているね」
「これか? これはハルビンへ商売に行っていた友だちの指環を買わされたのだよ。そいつも今は往生している。コオペラティヴと取引きが出来なくなったものだから」
僕等の乗った省線電車は幸いにも汽車ほどこんでいなかった。僕等は並んで腰をおろし、いろいろのことを話していた。T君はついこの春に巴里にある勤め先から東京へ帰ったばかりだった。従って僕等の間には巴里の話も出勝ちだった。カイヨオ夫人の話、蟹料理の話、御外遊中の或殿下の話、……
「仏蘭西は存外困ってはいないよ、唯元来仏蘭西人と云うやつは税を出したがらない国民だから、内閣はいつも倒れるがね。……」
「だってフランは暴落するしさ」
「それは新聞を読んでいればね。しかし向うにいて見給え。新聞紙上の日本なるものはのべつ大地震や大洪水があるから」
するとレエン・コオトを着た男が一人僕等の向うへ来て腰をおろした。僕はちょっと無気味になり、何か前に聞いた幽霊の話をT君に話したい心もちを感じた。が、T君はその前に杖の柄をくるりと左へ向け、顔は前を向いたまま、小声に僕に話しかけた。
「あすこに女が一人いるだろう? 鼠色の毛糸のショオルをした、……」
「あの西洋髪に結った女か?」
「うん、風呂敷包みを抱えている女さ。あいつはこの夏は軽井沢にいたよ。ちょっと洒落れた洋装などをしてね」
しかし彼女は誰の目にも見すぼらしいなりをしているのに違いなかった。僕はT君と話しながら、そっと彼女を眺めていた。彼女はどこか眉の間に気違いらしい感じのする顔をしていた。しかもその又風呂敷包みの中から豹に似た海綿をはみ出させていた。
「軽井沢にいた時には若い亜米利加人と踊ったりしていたっけ。モダアン……何と云うやつかね」
レエン・コオトを着た男は僕のT君と別れる時にはいつかそこにいなくなっていた。僕は省線電車の或停車場からやはり鞄をぶら下げたまま、或ホテルへ歩いて行った。往来の両側に立っているのは大抵大きいビルディングだった。僕はそこを歩いているうちにふと松林を思い出した。のみならず僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?――と云うのは絶えずまわっている半透明の歯車だった。僕はこう云う経験を前にも何度か持ち合せていた。歯車は次第に数を殖やし、半ば僕の視野を塞いでしまう、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失せる代りに今度は頭痛を感じはじめる、――それはいつも同じことだった。眼科の医者はこの錯覚(?)の為に度々僕に節煙を命じた。しかしこう云う歯車は僕の煙草に親まない二十前にも見えないことはなかった。僕は又はじまったなと思い、左の目の視力をためす為に片手に右の目を塞いで見た。左の目は果して何ともなかった。しかし右の目の瞼の裏には歯車が幾つもまわっていた。僕は右側のビルディングの次第に消えてしまうのを見ながら、せっせと往来を歩いて行った。
ホテルの玄関をはいった時には歯車ももう消え失せていた。が、頭痛はまだ残っていた。僕は外套や帽子を預ける次手に部屋を一つとって貰うことにした。それから或雑誌社へ電話をかけて金のことを相談した。
結婚披露式の晩餐はとうに始まっていたらしかった。僕はテエブルの隅に坐り、ナイフやフォオクを動かし出した。正面の新郎や新婦をはじめ、白い凹字形のテエブルに就いた五十人あまりの人びとは勿論いずれも陽気だった。が、僕の心もちは明るい電燈の光の下にだんだん憂鬱になるばかりだった。僕はこの心もちを遁れる為に隣にいた客に話しかけた。彼は丁度獅子のように白い頬髯を伸ばした老人だった。のみならず僕も名を知っていた或名高い漢学者だった。従って又僕等の話はいつか古典の上へ落ちて行った。
「麒麟はつまり一角獣ですね。それから鳳凰もフェニックスと云う鳥の、……」
この名高い漢学者はこう云う僕の話にも興味を感じているらしかった。僕は機械的にしゃべっているうちにだんだん病的な破壊慾を感じ、堯舜を架空の人物にしたのは勿論、「春秋」の著者もずっと後の漢代の人だったことを話し出した。するとこの漢学者は露骨に不快な表情を示し、少しも僕の顔を見ずに殆ど虎の唸るように僕の話を截り離した。
「もし堯舜もいなかったとすれば、孔子は譃をつかれたことになる。聖人の譃をつかれる筈はない」
僕は勿論黙ってしまった。それから又皿の上の肉へナイフやフォオクを加えようとした。すると小さい蛆が一匹静かに肉の縁に蠢めいていた。蛆は僕の頭の中に Worm と云う英語を呼び起した。それは又麒麟や鳳凰のように或伝説的動物を意味している言葉にも違いなかった。僕はナイフやフォオクを置き、いつか僕の杯にシャンパアニュのつがれるのを眺めていた。
やっと晩餐のすんだ後、僕は前にとって置いた僕の部屋へこもる為に人気のない廊下を歩いて行った。廊下は僕にはホテルよりも監獄らしい感じを与えるものだった。しかし幸いにも頭痛だけはいつの間にか薄らいでいた。
僕の部屋には鞄は勿論、帽子や外套も持って来てあった。僕は壁にかけた外套に僕自身の立ち姿を感じ、急いでそれを部屋の隅の衣裳戸棚の中へ抛りこんだ。それから鏡台の前へ行き、じっと鏡に僕の顔を映した。鏡に映った僕の顔は皮膚の下の骨組みを露わしていた。蛆はこう云う僕の記憶に忽ちはっきり浮び出した。
僕は戸をあけて廊下へ出、どこと云うことなしに歩いて行った。するとロッビイへ出る隅に緑いろの笠をかけた、脊の高いスタンドの電燈が一つ硝子戸に鮮かに映っていた。それは何か僕の心に平和な感じを与えるものだった。僕はその前の椅子に坐り、いろいろのことを考えていた。が、そこにも五分とは坐っている訣に行かなかった。レエン・コオトは今度もまた僕の横にあった長椅子の背に如何にもだらりと脱ぎかけてあった。
「しかも今は寒中だと云うのに」
僕はこんなことを考えながら、もう一度廊下を引き返して行った。廊下の隅の給仕だまりには一人も給仕は見えなかった。しかし彼等の話し声はちょっと僕の耳をかすめて行った。それは何とか言われたのに答えた All right と云う英語だった。「オオル・ライト」?――僕はいつかこの対話の意味を正確に掴もうとあせっていた。「オオル・ライト」? 「オオル・ライト」? 何が一体オオル・ライトなのであろう?
僕の部屋は勿論ひっそりしていた。が、戸をあけてはいることは妙に僕には無気味だった。僕はちょっとためらった後、思い切って部屋の中へはいって行った。それから鏡を見ないようにし、机の前の椅子に腰をおろした。椅子は蜥蜴の皮に近い、青いマロック皮の安楽椅子だった。僕は鞄をあけて原稿用紙を出し、或短篇を続けようとした。けれどもインクをつけたペンはいつまでたっても動かなかった。のみならずやっと動いたと思うと、同じ言葉ばかり書きつづけていた。All right……All right……All right sir……All right……
そこへ突然鳴り出したのはベッドの側にある電話だった。僕は驚いて立ち上り、受話器を耳へやって返事をした。
「どなた?」
「あたしです。あたし……」
相手は僕の姉の娘だった。
「何だい? どうかしたのかい?」
「ええ、あの大へんなことが起ったんです。ですから、……大へんなことが起ったもんですから。今叔母さんにも電話をかけたんです」
「大へんなこと?」
「ええ、ですからすぐに来て下さい。すぐにですよ」
電話はそれぎり切れてしまった。僕はもとのように受話器をかけ、反射的にベルの鈕を押した。しかし僕の手の震えていることは僕自身はっきり意識していた。給仕は容易にやって来なかった。僕は苛立たしさよりも苦しさを感じ、何度もベルの鈕を押した。やっと運命の僕に教えた「オオル・ライト」と云う言葉を了解しながら。
僕の姉の夫はその日の午後、東京から余り離れていない或田舎に轢死していた。しかも季節に縁のないレエン・コオトをひっかけていた。僕はいまもそのホテルの部屋に前の短篇を書きつづけている。真夜中の廊下には誰も通らない。が、時々戸の外に翼の音の聞えることもある。どこかに鳥でも飼ってあるのかも知れない。
二 復讐
僕はこのホテルの部屋に午前八時頃に目を醒ました。が、ベッドをおりようとすると、スリッパアは不思議にも片っぽしかなかった。それはこの一二年の間、いつも僕に恐怖だの不安だのを与える現象だった。のみならずサンダアルを片っぽだけはいた希臘神話の中の王子を思い出させる現象だった。僕はベルを押して給仕を呼び、スリッパアの片っぽを探して貰うことにした。給仕はけげんな顔をしながら、狭い部屋の中を探しまわった。
「ここにありました。このバスの部屋の中に」
「どうして又そんな所に行っていたのだろう?」
「さあ、鼠かも知れません」
僕は給仕の退いた後、牛乳を入れない珈琲を飲み、前の小説を仕上げにかかった。凝灰岩を四角に組んだ窓は雪のある庭に向っていた。僕はペンを休める度にぼんやりとこの雪を眺めたりした。雪は莟を持った沈丁花の下に都会の煤煙によごれていた。それは何か僕の心に傷ましさを与える眺めだった。僕は巻煙草をふかしながら、いつかペンを動かさずにいろいろのことを考えていた。妻のことを、子供たちのことを、就中姉の夫のことを。……
姉の夫は自殺する前に放火の嫌疑を蒙っていた。それもまた実際仕かたはなかった。彼は家の焼ける前に家の価格に二倍する火災保険に加入していた。しかも偽証罪を犯した為に執行猶予中の体になっていた。けれども僕を不安にしたのは彼の自殺したことよりも僕の東京へ帰る度に必ず火の燃えるのを見たことだった。僕は或は汽車の中から山を焼いている火を見たり、或は又自動車の中から(その時は妻子とも一しょだった)常磐橋界隈の火事を見たりしていた。それは彼の家の焼けない前にもおのずから僕に火事のある予感を与えない訣には行かなかった。
「今年は家が火事になるかも知れないぜ」
「そんな縁起の悪いことを。……それでも火事になったら大変ですね。保険は碌についていないし、……」
僕等はそんなことを話し合ったりした。しかし僕の家は焼けずに、――僕は努めて妄想を押しのけ、もう一度ペンを動かそうとした。が、ペンはどうしても一行とは楽に動かなかった。僕はとうとう机の前を離れ、ベッドの上に転がったまま、トルストイの Polikouchka を読みはじめた。この小説の主人公は虚栄心や病的傾向や名誉心の入り交った、複雑な性格の持ち主だった。しかも彼の一生の悲喜劇は多少の修正を加えさえすれば、僕の一生のカリカテュアだった。殊に彼の悲喜劇の中に運命の冷笑を感じるのは次第に僕を無気味にし出した。僕は一時間とたたないうちにベッドの上から飛び起きるが早いか、窓かけの垂れた部屋の隅へ力一ぱい本を抛りつけた。
「くたばってしまえ!」
すると大きい鼠が一匹窓かけの下からバスの部屋へ斜めに床の上を走って行った。僕は一足飛びにバスの部屋へ行き、戸をあけて中を探しまわった。が、白いタッブのかげにも鼠らしいものは見えなかった。僕は急に無気味になり、慌ててスリッパアを靴に換えると、人気のない廊下を歩いて行った。
廊下はきょうも不相変牢獄のように憂鬱だった。僕は頭を垂れたまま、階段を上ったり下りたりしているうちにいつかコック部屋へはいっていた。コック部屋は存外明るかった。が、片側に並んだ竈は幾つも炎を動かしていた。僕はそこを通りぬけながら、白い帽をかぶったコックたちの冷やかに僕を見ているのを感じた。同時に又僕の堕ちた地獄を感じた。「神よ、我を罰し給え。怒り給うこと勿れ。恐らくは我滅びん」――こう云う祈祷もこの瞬間にはおのずから僕の脣にのぼらない訣には行かなかった。
僕はこのホテルの外へ出ると、青ぞらの映った雪解けの道をせっせと姉の家へ歩いて行った。道に沿うた公園の樹木は皆枝や葉を黒ませていた。のみならずどれも一本ごとに丁度僕等人間のように前や後ろを具えていた。それもまた僕には不快よりも恐怖に近いものを運んで来た。僕はダンテの地獄の中にある、樹木になった魂を思い出し、ビルディングばかり並んでいる電車線路の向うを歩くことにした。しかしそこも一町とは無事に歩くことは出来なかった。
「ちょっと通りがかりに失礼ですが、……」
それは金鈕の制服を着た二十二三の青年だった。僕は黙ってこの青年を見つめ、彼の鼻の左の側に黒子のあることを発見した。彼は帽を脱いだまま、怯ず怯ずこう僕に話しかけた。
「Aさんではいらっしゃいませんか?」
「そうです」
「どうもそんな気がしたものですから、……」
「何か御用ですか?」
「いえ、唯お目にかかりたかっただけです。僕も先生の愛読者の……」
僕はもうその時にはちょっと帽をとったぎり、彼を後ろに歩き出していた。先生、A先生、――それは僕にはこの頃で最も不快な言葉だった。僕はあらゆる罪悪を犯していることを信じていた。しかも彼等は何かの機会に僕を先生と呼びつづけていた。僕はそこに僕を嘲る何ものかを感じずにはいられなかった。何ものかを?――しかし僕の物質主義は神秘主義を拒絶せずにはいられなかった。僕はつい二三箇月前にも或小さい同人雑誌にこう云う言葉を発表していた。――「僕は芸術的良心を始め、どう云う良心も持っていない。僕の持っているのは神経だけである」……
姉は三人の子供たちと一しょに露地の奥のバラックに避難していた。褐色の紙を貼ったバラックの中は外よりも寒いくらいだった。僕等は火鉢に手をかざしながら、いろいろのことを話し合った。体の逞しい姉の夫は人一倍痩せ細った僕を本能的に軽蔑していた。のみならず僕の作品の不道徳であることを公言していた。僕はいつも冷やかにこう云う彼を見おろしたまま、一度も打ちとけて話したことはなかった。しかし姉と話しているうちにだんだん彼も僕のように地獄に堕ちていたことを悟り出した。彼は現に寝台車の中に幽霊を見たとか云うことだった。が、僕は巻煙草に火をつけ、努めて金のことばかり話しつづけた。
「何しろこう云う際だしするから、何もかも売ってしまおうと思うの」
「それはそうだ。タイプライタアなどは幾らかになるだろう」
「ええ、それから画などもあるし」
「次手にNさん(姉の夫)の肖像画も売るか? しかしあれは……」
僕はバラックの壁にかけた、額縁のない一枚のコンテ画を見ると、迂濶に常談も言われないのを感じた。轢死した彼は汽車の為に顔もすっかり肉塊になり、僅かに唯口髭だけ残っていたとか云うことだった。この話は勿論話自身も薄気味悪いのに違いなかった。しかし彼の肖像画はどこも完全に描いてあるものの、口髭だけはなぜかぼんやりしていた。僕は光線の加減かと思い、この一枚のコンテ画をいろいろの位置から眺めるようにした。
「何をしているの?」
「何でもないよ。……唯あの肖像画は口のまわりだけ、……」
姉はちょっと振り返りながら、何も気づかないように返事をした。
「髭だけ妙に薄いようでしょう」
僕の見たものは錯覚ではなかった。しかし錯覚ではないとすれば、――僕は午飯の世話にならないうちに姉の家を出ることにした。
「まあ、善いでしょう」
「又あしたでも、……きょうは青山まで出かけるのだから」
「ああ、あすこ? まだ体の具合は悪いの?」
「やっぱり薬ばかり嚥んでいる。催眠薬だけでも大変だよ。ヴェロナアル、ノイロナアル、トリオナアル、ヌマアル……」
三十分ばかりたった後、僕は或ビルディングへはいり、昇降機に乗って三階へのぼった。それから或レストオランの硝子戸を押してはいろうとした。が、硝子戸は動かなかった。のみならずそこには「定休日」と書いた漆塗りの札も下っていた。僕は愈不快になり、硝子戸の向うのテエブルの上に林檎やバナナを盛ったのを見たまま、もう一度往来へ出ることにした。すると会社員らしい男が二人何か快活にしゃべりながら、このビルディングにはいる為に僕の肩をこすって行った。彼等の一人はその拍子に「イライラしてね」と言ったらしかった。
僕は往来に佇んだなり、タクシイの通るのを待ち合せていた。タクシイは容易に通らなかった。のみならずたまに通ったのは必ず黄いろい車だった。(この黄いろいタクシイはなぜか僕に交通事故の面倒をかけるのを常としていた)そのうちに僕は縁起の好い緑いろの車を見つけ、とにかく青山の墓地に近い精神病院へ出かけることにした。
「イライラする、――tantalizing――Tantalus――Inferno……」
タンタルスは実際硝子戸越しに果物を眺めた僕自身だった。僕は二度も僕の目に浮んだダンテの地獄を詛いながら、じっと運転手の背中を眺めていた。そのうちに又あらゆるものの譃であることを感じ出した。政治、実業、芸術、科学、――いずれも皆こう云う僕にはこの恐しい人生を隠した雑色のエナメルに外ならなかった。僕はだんだん息苦しさを感じ、タクシイの窓をあけ放ったりした。が、何か心臓をしめられる感じは去らなかった。
緑いろのタクシイはやっと神宮前へ走りかかった。そこには或精神病院へ曲る横町が一つある筈だった。しかしそれもきょうだけはなぜか僕にはわからなかった。僕は電車の線路に沿い、何度もタクシイを往復させた後、とうとうあきらめておりることにした。
僕はやっとその横町を見つけ、ぬかるみの多い道を曲って行った。するといつか道を間違え、青山斎場の前へ出てしまった。それはかれこれ十年前にあった夏目先生の告別式以来、一度も僕は門の前さえ通ったことのない建物だった。十年前の僕も幸福ではなかった。しかし少くとも平和だった。僕は砂利を敷いた門の中を眺め、「漱石山房」の芭蕉を思い出しながら、何か僕の一生も一段落ついたことを感じない訣には行かなかった。のみならずこの墓地の前へ十年目に僕をつれて来た何ものかを感じない訣にも行かなかった。
或精神病院の門を出た後、僕は又自動車に乗り、前のホテルへ帰ることにした。が、このホテルの玄関へおりると、レエン・コオトを着た男が一人何か給仕と喧嘩をしていた。給仕と?――いや、それは給仕ではない、緑いろの服を着た自動車掛りだった。僕はこのホテルへはいることに何か不吉な心もちを感じ、さっさともとの道を引き返して行った。
僕の銀座通りへ出た時にはかれこれ日の暮も近づいていた。僕は両側に並んだ店や目まぐるしい人通りに一層憂鬱にならずにはいられなかった。殊に往来の人々の罪などと云うものを知らないように軽快に歩いているのは不快だった。僕は薄明るい外光に電燈の光のまじった中をどこまでも北へ歩いて行った。そのうちに僕の目を捉えたのは雑誌などを積み上げた本屋だった。僕はこの本屋の店へはいり、ぼんやりと何段かの書棚を見上げた。それから「希臘神話」と云う一冊の本へ目を通すことにした。黄いろい表紙をした「希臘神話」は子供の為に書かれたものらしかった。けれども偶然僕の読んだ一行は忽ち僕を打ちのめした。
「一番偉いツォイスの神でも復讐の神にはかないません。……」
僕はこの本屋の店を後ろに人ごみの中を歩いて行った。いつか曲り出した僕の背中に絶えず僕をつけ狙っている復讐の神を感じながら。……
三 夜
僕は丸善の二階の書棚にストリントベルグの「伝説」を見つけ、二三頁ずつ目を通した。それは僕の経験と大差のないことを書いたものだった。のみならず黄いろい表紙をしていた。僕は「伝説」を書棚へ戻し、今度は殆ど手当り次第に厚い本を一冊引きずり出した。しかしこの本も挿し画の一枚に僕等人間と変りのない、目鼻のある歯車ばかり並べていた。(それは或独逸人の集めた精神病者の画集だった)僕はいつか憂鬱の中に反抗的精神の起るのを感じ、やぶれかぶれになった賭博狂のようにいろいろの本を開いて行った。が、なぜかどの本も必ず文章か挿し画かの中に多少の針を隠していた。どの本も?――僕は何度も読み返した「マダム・ボヴァリイ」を手にとった時さえ、畢竟僕自身も中産階級のムッシウ・ボヴァリイに外ならないのを感じた。……
日の暮に近い丸善の二階には僕の外に客もないらしかった。僕は電燈の光の中に書棚の間をさまよって行った。それから「宗教」と云う札を掲げた書棚の前に足を休め、緑いろの表紙をした一冊の本へ目を通した。この本は目次の第何章かに「恐しい四つの敵、――疑惑、恐怖、驕慢、官能的欲望」と云う言葉を並べていた。僕はこう云う言葉を見るが早いか、一層反抗的精神の起るのを感じた。それ等の敵と呼ばれるものは少くとも僕には感受性や理智の異名に外ならなかった。が、伝統的精神もやはり近代的精神のようにやはり僕を不幸にするのは愈僕にはたまらなかった。僕はこの本を手にしたまま、ふといつかペン・ネエムに用いた「寿陵余子」と云う言葉を思い出した。それは邯鄲の歩みを学ばないうちに寿陵の歩みを忘れてしまい、蛇行匍匐して帰郷したと云う「韓非子」中の青年だった。今日の僕は誰の目にも「寿陵余子」であるのに違いなかった。しかしまだ地獄へ堕ちなかった僕もこのペン・ネエムを用いていたことは、――僕は大きい書棚を後ろに努めて妄想を払うようにし、丁度僕の向うにあったポスタアの展覧室へはいって行った。が、そこにも一枚のポスタアの中には聖ジョオジらしい騎士が一人翼のある竜を刺し殺していた。しかもその騎士は兜の下に僕の敵の一人に近いしかめ面を半ば露していた。僕は又「韓非子」の中の屠竜の技の話を思い出し、展覧室へ通りぬけずに幅の広い階段を下って行った。
僕はもう夜になった日本橋通りを歩きながら、屠竜と云う言葉を考えつづけた。それは又僕の持っている硯の銘にも違いなかった。この硯を僕に贈ったのは或若い事業家だった。彼はいろいろの事業に失敗した揚句、とうとう去年の暮に破産してしまった。僕は高い空を見上げ、無数の星の光の中にどのくらいこの地球の小さいかと云うことを、――従ってどのくらい僕自身の小さいかと云うことを考えようとした。しかし昼間は晴れていた空もいつかもうすっかり曇っていた。僕は突然何ものかの僕に敵意を持っているのを感じ、電車線路の向うにある或カッフェへ避難することにした。
それは「避難」に違いなかった。僕はこのカッフェの薔薇色の壁に何か平和に近いものを感じ、一番奥のテエブルの前にやっと楽々と腰をおろした。そこには幸い僕の外に二三人の客のあるだけだった。僕は一杯のココアを啜り、ふだんのように巻煙草をふかし出した。巻煙草の煙は薔薇色の壁へかすかに青い煙を立ちのぼらせて行った。この優しい色の調和もやはり僕には愉快だった。けれども僕は暫らくの後、僕の左の壁にかけたナポレオンの肖像画を見つけ、そろそろ又不安を感じ出した。ナポレオンはまだ学生だった時、彼の地理のノオト・ブックの最後に「セエント・ヘレナ、小さい島」と記していた。それは或は僕等の言うように偶然だったかも知れなかった。しかしナポレオン自身にさえ恐怖を呼び起したのは確かだった。……
僕はナポレオンを見つめたまま、僕自身の作品を考え出した。するとまず記憶に浮かんだのは「侏儒の言葉」の中のアフォリズムだった。(殊に「人生は地獄よりも地獄的である」と云う言葉だった)それから「地獄変」の主人公、――良秀と云う画師の運命だった。それから……僕は巻煙草をふかしながら、こう云う記憶から逃れる為にこのカッフェの中を眺めまわした。僕のここへ避難したのは五分もたたない前のことだった。しかしこのカッフェは短時間の間にすっかり容子を改めていた。就中僕を不快にしたのはマホガニイまがいの椅子やテエブルの少しもあたりの薔薇色の壁と調和を保っていないことだった。僕はもう一度人目に見えない苦しみの中に落ちこむのを恐れ、銀貨を一枚投げ出すが早いか、匇々このカッフェを出ようとした。
「もし、もし、二十銭頂きますが、……」
僕の投げ出したのは銅貨だった。
僕は屈辱を感じながら、ひとり往来を歩いているうちにふと遠い松林の中にある僕の家を思い出した。それは或郊外にある僕の養父母の家ではない、唯僕を中心にした家族の為に借りた家だった。僕はかれこれ十年前にもこう云う家に暮らしていた。しかし或事情の為に軽率にも父母と同居し出した。同時に又奴隷に、暴君に、力のない利己主義者に変り出した。……
前のホテルに帰ったのはもうかれこれ十時だった。ずっと長い途を歩いて来た僕は僕の部屋へ帰る力を失い、太い丸太の火を燃やした炉の前の椅子に腰をおろした。それから僕の計画していた長篇のことを考え出した。それは推古から明治に至る各時代の民を主人公にし、大体三十余りの短篇を時代順に連ねた長篇だった。僕は火の粉の舞い上るのを見ながら、ふと宮城の前にある或銅像を思い出した。この銅像は甲冑を着、忠義の心そのもののように高だかと馬の上に跨っていた。しかし彼の敵だったのは、――
「譃!」
僕は又遠い過去から目近い現代へすべり落ちた。そこへ幸いにも来合せたのは或先輩の彫刻家だった。彼は不相変天鵞絨の服を着、短い山羊髯を反らせていた。僕は椅子から立ち上り、彼のさし出した手を握った。(それは僕の習慣ではない、パリやベルリンに半生を送った彼の習慣に従ったのだった)が、彼の手は不思議にも爬虫類の皮膚のように湿っていた。
「君はここに泊っているのですか?」
「ええ、……」
「仕事をしに?」
「ええ、仕事もしているのです」
彼はじっと僕の顔を見つめた。僕は彼の目の中に探偵に近い表情を感じた。
「どうです、僕の部屋へ話しに来ては?」
僕は挑戦的に話しかけた。(この勇気に乏しい癖に忽ち挑戦的態度をとるのは僕の悪癖の一つだった)すると彼は微笑しながら、「どこ、君の部屋は?」と尋ね返した。
僕等は親友のように肩を並べ、静かに話している外国人たちの中を僕の部屋へ帰って行った。彼は僕の部屋へ来ると、鏡を後ろにして腰をおろした。それからいろいろのことを話し出した。いろいろのことを?――しかし大抵は女の話だった。僕は罪を犯した為に地獄に堕ちた一人に違いなかった。が、それだけに悪徳の話は愈僕を憂鬱にした。僕は一時的清教徒になり、それ等の女を嘲り出した。
「S子さんの唇を見給え。あれは何人もの接吻の為に……」
僕はふと口を噤み、鏡の中に彼の後ろ姿を見つめた。彼は丁度耳の下に黄いろい膏薬を貼りつけていた。
「何人もの接吻の為に?」
「そんな人のように思いますがね」
彼は微笑して頷いていた。僕は彼の内心では僕の秘密を知る為に絶えず僕を注意しているのを感じた。けれどもやはり僕等の話は女のことを離れなかった。僕は彼を憎むよりも僕自身の気の弱いのを恥じ、愈憂鬱にならずにはいられなかった。
やっと彼の帰った後、僕はベッドの上に転がったまま、「暗夜行路」を読みはじめた。主人公の精神的闘争は一々僕には痛切だった。僕はこの主人公に比べると、どのくらい僕の阿呆だったかを感じ、いつか涙を流していた。同時に又涙は僕の気もちにいつか平和を与えていた。が、それも長いことではなかった。僕の右の目はもう一度半透明の歯車を感じ出した。歯車はやはりまわりながら、次第に数を殖やして行った。僕は頭痛のはじまることを恐れ、枕もとに本を置いたまま、○・八グラムのヴェロナアルを嚥み、とにかくぐっすり眠ることにした。
けれども僕は夢の中に或プウルを眺めていた。そこには又男女の子供たちが何人も泳いだりもぐったりしていた。僕はこのプウルを後ろに向うの松林へ歩いて行った。すると誰か後ろから「おとうさん」と僕に声をかけた。僕はちょっとふり返り、プウルの前に立った妻を見つけた。同時に又烈しい後悔を感じた。
「おとうさん、タオルは?」
「タオルはいらない。子供たちに気をつけるのだよ」
僕は又歩みをつづけ出した。が、僕の歩いているのはいつかプラットフォオムに変っていた。それは田舎の停車場だったと見え、長い生け垣のあるプラットフォオムだった。そこには又Hと云う大学生や年をとった女も佇んでいた。彼等は僕の顔を見ると、僕の前に歩み寄り、口々に僕へ話しかけた。
「大火事でしたわね」
「僕もやっと逃げて来たの」
僕はこの年をとった女に何か見覚えのあるように感じた。のみならず彼女と話していることに或愉快な興奮を感じた。そこへ汽車は煙をあげながら、静かにプラットフォオムへ横づけになった。僕はひとりこの汽車に乗り、両側に白い布を垂らした寝台の間を歩いて行った。すると或寝台の上にミイラに近い裸体の女が一人こちらを向いて横になっていた。それは又僕の復讐の神、――或狂人の娘に違いなかった。……
僕は目を醒ますが早いか、思わずベッドを飛び下りていた。僕の部屋は不相変電燈の光に明るかった。が、どこかに翼の音や鼠のきしる音も聞えていた。僕は戸をあけて廊下へ出、前の炉の前へ急いで行った。それから椅子に腰をおろしたまま、覚束ない炎を眺め出した。そこへ白い服を着た給仕が一人焚き木を加えに歩み寄った。
「何時?」
「三時半ぐらいでございます」
しかし向うのロッビイの隅には亜米利加人らしい女が一人何か本を読みつづけた。彼女の着ているのは遠目に見ても緑いろのドレッスに違いなかった。僕は何か救われたのを感じ、じっと夜のあけるのを待つことにした。長年の病苦に悩み抜いた揚句、静かに死を待っている老人のように。……
四 まだ?
僕はこのホテルの部屋にやっと前の短篇を書き上げ、或雑誌に送ることにした。尤も僕の原稿料は一週間の滞在費にも足りないものだった。が、僕は僕の仕事を片づけたことに満足し、何か精神的強壮剤を求める為に銀座の或本屋へ出かけることにした。
冬の日の当ったアスファルトの上には紙屑が幾つもころがっていた。それらの紙屑は光の加減か、いずれも薔薇の花にそっくりだった。僕は何ものかの好意を感じ、その本屋の店へはいって行った。そこもまたふだんよりも小綺麗だった。唯目金をかけた小娘が一人何か店員と話していたのは僕には気がかりにならないこともなかった。けれども僕は往来に落ちた紙屑の薔薇の花を思い出し、「アナトオル・フランスの対話集」や「メリメエの書簡集」を買うことにした。
僕は二冊の本を抱え、或カッフェへはいって行った。それから一番奥のテエブルの前に珈琲の来るのを待つことにした。僕の向うには親子らしい男女が二人坐っていた。その息子は僕よりも若かったものの、殆ど僕にそっくりだった。のみならず彼等は恋人同志のように顔を近づけて話し合っていた。僕は彼等を見ているうちに少くとも息子は性的にも母親に慰めを与えていることを意識しているのに気づき出した。それは僕にも覚えのある親和力の一例に違いなかった。同時に又現世を地獄にする或意志の一例にも違いなかった。しかし、――僕は又苦しみに陥るのを恐れ、丁度珈琲の来たのを幸い、「メリメエの書簡集」を読みはじめた、彼はこの書簡集の中にも彼の小説の中のように鋭いアフォリズムを閃かせていた。それ等のアフォリズムは僕の気もちをいつか鉄のように巌畳にし出した。(この影響を受け易いことも僕の弱点の一つだった)僕は一杯の珈琲を飲み了った後、「何でも来い」と云う気になり、さっさとこのカッフェを後ろにして行った。
僕は往来を歩きながら、いろいろの飾り窓を覗いて行った。或額縁屋の飾り窓はベエトオヴェンの肖像画を掲げていた。それは髪を逆立てた天才そのものらしい肖像画だった。僕はこのベエトオヴェンを滑稽に感ぜずにはいられなかった。……
そのうちにふと出合ったのは高等学校以来の旧友だった。この応用化学の大学教授は大きい中折れ鞄を抱え、片目だけまっ赤に血を流していた。
「どうした、君の目は?」
「これか? これは唯の結膜炎さ」
僕はふと十四五年以来、いつも親和力を感じる度に僕の目も彼の目のように結膜炎を起すのを思い出した。が、何とも言わなかった。彼は僕の肩を叩き、僕等の友だちのことを話し出した。それから話をつづけたまま、或カッフェへ僕をつれて行った。
「久しぶりだなあ。朱舜水の建碑式以来だろう」
彼は葉巻に火をつけた後、大理石のテエブル越しにこう僕に話しかけた。
「そうだ。あのシュシュン……」
僕はなぜか朱舜水と云う言葉を正確に発音出来なかった。それは日本語だっただけにちょっと僕を不安にした。しかし彼は無頓着にいろいろのことを話して行った。Kと云う小説家のことを、彼の買ったブル・ドッグのことを、リウイサイトと云う毒瓦斯のことを。……
「君はちっとも書かないようだね。『点鬼簿』と云うのは読んだけれども。……あれは君の自叙伝かい?」
「うん、僕の自叙伝だ」
「あれはちょっと病的だったぜ。この頃体は善いのかい?」
「不相変薬ばかり嚥んでいる始末だ」
「僕もこの頃は不眠症だがね」
「僕も?――どうして君は『僕も』と言うのだ?」
「だって君も不眠症だって言うじゃないか? 不眠症は危険だぜ。……」
彼は左だけ充血した目に微笑に近いものを浮かべていた。僕は返事をする前に「不眠症」のショウの発音を正確に出来ないのを感じ出した。
「気違いの息子には当り前だ」
僕は十分とたたないうちにひとり又往来を歩いて行った。アスファルトの上に落ちた紙屑は時々僕等人間の顔のようにも見えないことはなかった。すると向うから断髪にした女が一人通りかかった。彼女は遠目には美しかった。けれども目の前へ来たのを見ると、小皺のある上に醜い顔をしていた。のみならず妊娠しているらしかった。僕は思わず顔をそむけ、広い横町を曲って行った。が、暫らく歩いているうちに痔の痛みを感じ出した。それは僕には坐浴より外に瘉すことの出来ない痛みだった。
「坐浴、――ベエトオヴェンもやはり坐浴をしていた。……」
坐浴に使う硫黄の匂いは忽ち僕の鼻を襲い出した。しかし勿論往来にはどこにも硫黄は見えなかった。僕はもう一度紙屑の薔薇の花を思い出しながら、努めてしっかりと歩いて行った。
一時間ばかりたった後、僕は僕の部屋にとじこもったまま、窓の前の机に向かい、新らしい小説にとりかかっていた。ペンは僕にも不思議だったくらい、ずんずん原稿用紙の上を走って行った。しかしそれも二三時間の後には誰か僕の目に見えないものに抑えられたようにとまってしまった。僕はやむを得ず机の前を離れ、あちこちと部屋の中を歩きまわった。僕の誇大妄想はこう云う時に最も著しかった。僕は野蛮な歓びの中に僕には両親もなければ妻子もない、唯僕のペンから流れ出した命だけあると云う気になっていた。
けれども僕は四五分の後、電話に向わなければならなかった。電話は何度返事をしても、唯何か曖昧な言葉を繰り返して伝えるばかりだった。が、それはともかくもモオルと聞えたのに違いなかった。僕はとうとう電話を離れ、もう一度部屋の中を歩き出した。しかしモオルと云う言葉だけは妙に気になってならなかった。
「モオル――Mole……」
モオルは鼹鼠と云う英語だった。この聯想も僕には愉快ではなかった。が、僕は二三秒の後、Mole を la mort に綴り直した。ラ・モオルは、――死と云う仏蘭西語は忽ち僕を不安にした。死は姉の夫に迫っていたように僕にも迫っているらしかった。けれども僕は不安の中にも何か可笑しさを感じていた。のみならずいつか微笑していた。この可笑しさは何の為に起るか?――それは僕自身にもわからなかった。僕は久しぶりに鏡の前に立ち、まともに僕の影と向い合った。僕の影も勿論微笑していた。僕はこの影を見つめているうちに第二の僕のことを思い出した。第二の僕、――独逸人の所謂 Doppel gaenger は仕合せにも僕自身に見えたことはなかった。しかし亜米利加の映画俳優になったK君の夫人は第二の僕を帝劇の廊下に見かけていた。(僕は突然K君の夫人に「先達はつい御挨拶もしませんで」と言われ、当惑したことを覚えている)それからもう故人になった或隻脚の飜訳家もやはり銀座の或煙草屋に第二の僕を見かけていた。死は或は僕よりも第二の僕に来るのかも知れなかった。若し又僕に来たとしても、――僕は鏡に後ろを向け、窓の前の机へ帰って行った。
四角に凝灰岩を組んだ窓は枯芝や池を覗かせていた。僕はこの庭を眺めながら、遠い松林の中に焼いた何冊かのノオト・ブックや未完成の戯曲を思い出した。それからペンをとり上げると、もう一度新らしい小説を書きはじめた。
五 赤光
日の光は僕を苦しめ出した。僕は実際鼹鼠のように窓の前へカアテンをおろし、昼間も電燈をともしたまま、せっせと前の小説をつづけて行った。それから仕事に疲れると、テエヌの英吉利文学史をひろげ、詩人たちの生涯に目を通した。彼等はいずれも不幸だった。エリザベス朝の巨人たちさえ、――一代の学者だったベン・ジョンソンさえ彼の足の親指の上に羅馬とカルセエジとの軍勢の戦いを始めるのを眺めたほど神経的疲労に陥っていた。僕はこう云う彼等の不幸に残酷な悪意に充ち満ちた歓びを感じずにはいられなかった。
或東かぜの強い夜、(それは僕には善い徴だった)僕は地下室を抜けて往来へ出、或老人を尋ねることにした。彼は或聖書会社の屋根裏にたった一人小使いをしながら、祈祷や読書に精進していた。僕等は火鉢に手をかざしながら、壁にかけた十字架の下にいろいろのことを話し合った。なぜ僕の母は発狂したか? なぜ僕の父の事業は失敗したか? なぜ又僕は罰せられたか?――それ等の秘密を知っている彼は妙に厳かな微笑を浮かべ、いつまでも僕の相手をした。のみならず時々短い言葉に人生のカリカテュアを描いたりした。僕はこの屋根裏の隠者を尊敬しない訣には行かなかった。しかし彼と話しているうちに彼もまた親和力の為に動かされていることを発見した。――
「その植木屋の娘と云うのは器量も善いし、気立も善いし、――それはわたしに優しくしてくれるのです」
「いくつ?」
「ことしで十八です」
それは彼には父らしい愛であるかも知れなかった。しかし僕は彼の目の中に情熱を感じずにはいられなかった。のみならず彼の勧めた林檎はいつか黄ばんだ皮の上へ一角獣の姿を現していた。(僕は木目や珈琲茶碗の亀裂に度たび神話的動物を発見していた)一角獣は麒麟に違いなかった。僕は或敵意のある批評家の僕を「九百十年代の麒麟児」と呼んだのを思い出し、この十字架のかかった屋根裏も安全地帯ではないことを感じた。
「如何ですか、この頃は?」
「不相変神経ばかり苛々してね」
「それは薬でも駄目ですよ。信者になる気はありませんか?」
「若し僕でもなれるものなら……」
「何もむずかしいことはないのです。唯神を信じ、神の子の基督を信じ、基督の行った奇蹟を信じさえすれば……」
「悪魔を信じることは出来ますがね。……」
「ではなぜ神を信じないのです? 若し影を信じるならば、光も信じずにはいられないでしょう?」
「しかし光のない暗もあるでしょう」
「光のない暗とは?」
僕は黙るより外はなかった。彼もまた僕のように暗の中を歩いていた。が、暗のある以上は光もあると信じていた。僕等の論理の異るのは唯こう云う一点だけだった。しかしそれは少くとも僕には越えられない溝に違いなかった。……
「けれども光は必ずあるのです。その証拠には奇蹟があるのですから。……奇蹟などと云うものは今でも度たび起っているのですよ」
「それは悪魔の行う奇蹟は。……」
「どうして又悪魔などと云うのです?」
僕はこの一二年の間、僕自身の経験したことを彼に話したい誘惑を感じた。が、彼から妻子に伝わり、僕もまた母のように精神病院にはいることを恐れない訣にも行かなかった。
「あすこにあるのは?」
この逞しい老人は古い書棚をふり返り、何か牧羊神らしい表情を示した。
「ドストエフスキイ全集です。『罪と罰』はお読みですか?」
僕は勿論十年前にも四五冊のドストエフスキイに親しんでいた。が、偶然(?)彼の言った『罪と罰』と云う言葉に感動し、この本を貸して貰った上、前のホテルへ帰ることにした。電燈の光に輝いた、人通りの多い往来はやはり僕には不快だった。殊に知り人に遇うことは到底堪えられないのに違いなかった。僕は努めて暗い往来を選び、盗人のように歩いて行った。
しかし僕は暫らくの後、いつか胃の痛みを感じ出した。この痛みを止めるものは一杯のウイスキイのあるだけだった。僕は或バアを見つけ、その戸を押してはいろうとした。けれども狭いバアの中には煙草の煙の立ちこめた中に芸術家らしい青年たちが何人も群がって酒を飲んでいた。のみならず彼等のまん中には耳隠しに結った女が一人熱心にマンドリンを弾きつづけていた。僕は忽ち当惑を感じ、戸の中へはいらずに引き返した。するといつか僕の影の左右に揺れているのを発見した。しかも僕を照らしているのは無気味にも赤い光だった。僕は往来に立ちどまった。けれども僕の影は前のように絶えず左右に動いていた。僕は怯ず怯ずふり返り、やっとこのバアの軒に吊った色硝子のランタアンを発見した。ランタアンは烈しい風の為に徐ろに空中に動いていた。……
僕の次にはいったのは或地下室のレストオランだった。僕はそこのバアの前に立ち、ウイスキイを一杯註文した。
「ウイスキイを? Black and White ばかりでございますが、……」
僕は曹達水の中にウイスキイを入れ、黙って一口ずつ飲みはじめた。僕の鄰には新聞記者らしい三十前後の男が二人何か小声に話していた。のみならず仏蘭西語を使っていた。僕は彼等に背中を向けたまま、全身に彼等の視線を感じた。それは実際電波のように僕の体にこたえるものだった。彼等は確かに僕の名を知り、僕の噂をしているらしかった。
「Bien……très mauvais……pourquoi ?……」
「Pourquoi ?……le diable est mort !……」
「Oui, oui……d'enfer……」
僕は銀貨を一枚投げ出し、(それは僕の持っている最後の一枚の銀貨だった)この地下室の外へのがれることにした。夜風の吹き渡る往来は多少胃の痛みの薄らいだ僕の神経を丈夫にした。僕はラスコルニコフを思い出し、何ごとも懺悔したい欲望を感じた。が、それは僕自身の外にも、――いや、僕の家族の外にも悲劇を生じるのに違いなかった。のみならずこの欲望さえ真実かどうかは疑わしかった。若し僕の神経さえ常人のように丈夫になれば、――けれども僕はその為にはどこかへ行かなければならなかった。マドリッドへ、リオへ、サマルカンドへ、……
そのうちに或店の軒に吊った、白い小型の看板は突然僕を不安にした。それは自動車のタイアアに翼のある商標を描いたものだった。僕はこの商標に人工の翼を手よりにした古代の希臘人を思い出した。彼は空中に舞い上った揚句、太陽の光に翼を焼かれ、とうとう海中に溺死していた。マドリッドへ、リオへ、サマルカンドへ、――僕はこう云う僕の夢を嘲笑わない訣には行かなかった。同時に又復讐の神に追われたオレステスを考えない訣にも行かなかった。
僕は運河に沿いながら、暗い往来を歩いて行った。そのうちに或郊外にある養父母の家を思い出した。養父母は勿論僕の帰るのを待ち暮らしているのに違いなかった。恐らくは僕の子供たちも、――しかし僕はそこへ帰ると、おのずから僕を束縛してしまう或力を恐れずにはいられなかった。運河は波立った水の上に達磨船を一艘横づけにしていた。その又達磨船は船の底から薄い光を洩らしていた。そこにも何人かの男女の家族は生活しているのに違いなかった。やはり愛し合う為に憎み合いながら。……が、僕はもう一度戦闘的精神を呼び起し、ウイスキイの酔いを感じたまま、前のホテルへ帰ることにした。
僕は又机に向い、「メリメエの書簡集」を読みつづけた。それは又いつの間にか僕に生活力を与えていた。しかし僕は晩年のメリメエの新教徒になっていたことを知ると、俄かに仮面のかげにあるメリメエの顔を感じ出した。彼もまたやはり僕等のように暗の中を歩いている一人だった。暗の中を?――「暗夜行路」はこう云う僕には恐しい本に変りはじめた。僕は憂鬱を忘れる為に「アナトオル・フランスの対話集」を読みはじめた。が、この近代の牧羊神もやはり十字架を荷っていた。……
一時間ばかりたった後、給仕は僕に一束の郵便物を渡しに顔を出した。それ等の一つはライプツィッヒの本屋から僕に「近代の日本の女」と云う小論文を書けと云うものだった。なぜ彼等は特に僕にこう云う小論文を書かせるのであろう? のみならずこの英語の手紙は「我々は丁度日本画のように黒と白の外に色彩のない女の肖像画でも満足である」と云う肉筆のP・Sを加えていた。僕はこう云う一行に Black and White と云うウイスキイの名を思い出し、ずたずたにこの手紙を破ってしまった。それから今度は手当り次第に一つの手紙の封を切り、黄いろい書簡箋に目を通した。この手紙を書いたのは僕の知らない青年だった。しかし二三行も読まないうちに「あなたの『地獄変』は……」と云う言葉は僕を苛立たせずには措かなかった。三番目に封を切った手紙は僕の甥から来たものだった。僕はやっと一息つき、家事上の問題などを読んで行った。けれどもそれさえ最後へ来ると、いきなり僕を打ちのめした。
「歌集『赤光』の再版を送りますから……」
赤光! 僕は何ものかの冷笑を感じ、僕の部屋の外へ避難することにした。廊下には誰も人かげはなかった。僕は片手に壁を抑え、やっとロッビイへ歩いて行った。それから椅子に腰をおろし、とにかく巻煙草に火を移すことにした。巻煙草はなぜかエエア・シップだった。(僕はこのホテルへ落ち着いてから、いつもスタアばかり吸うことにしていた)人工の翼はもう一度僕の目の前へ浮かび出した。僕は向うにいる給仕を呼び、スタアを二箱貰うことにした。しかし給仕を信用すれば、スタアだけは生憎品切れだった。
「エエア・シップならばございますが、……」
僕は頭を振ったまま、広いロッビイを眺めまわした。僕の向うには外国人が四五人テエブルを囲んで話していた。しかも彼等の中の一人、――赤いワン・ピイスを着た女は小声に彼等と話しながら、時々僕を見ているらしかった。
「Mrs. Townshead……」
何か僕の目に見えないものはこう僕に囁いて行った。ミセス・タウンズヘッドなどと云う名は勿論僕の知らないものだった。たとい向うにいる女の名にしても、――僕は又椅子から立ち上り、発狂することを恐れながら、僕の部屋へ帰ることにした。
僕は僕の部屋へ帰ると、すぐに或精神病院へ電話をかけるつもりだった。が、そこへはいることは僕には死ぬことに変らなかった。僕はさんざんためらった後、この恐怖を紛らす為に「罪と罰」を読みはじめた。しかし偶然開いた頁は「カラマゾフ兄弟」の一節だった。僕は本を間違えたのかと思い、本の表紙へ目を落した。「罪と罰」――本は「罪と罰」に違いなかった。僕はこの製本屋の綴じ違えに、――その又綴じ違えた頁を開いたことに運命の指の動いているのを感じ、やむを得ずそこを読んで行った。けれども一頁も読まないうちに全身が震えるのを感じ出した。そこは悪魔に苦しめられるイヴァンを描いた一節だった。イヴァンを、ストリントベルグを、モオパスサンを、或はこの部屋にいる僕自身を。……
こう云う僕を救うものは唯眠りのあるだけだった。しかし催眠剤はいつの間にか一包みも残らずになくなっていた。僕は到底眠らずに苦しみつづけるのに堪えなかった。が、絶望的な勇気を生じ、珈琲を持って来て貰った上、死にもの狂いにペンを動かすことにした。二枚、五枚、七枚、十枚、――原稿は見る見る出来上って行った。僕はこの小説の世界を超自然の動物に満たしていた。のみならずその動物の一匹に僕自身の肖像画を描いていた。けれども疲労は徐ろに僕の頭を曇らせはじめた。僕はとうとう机の前を離れ、ベッドの上へ仰向けになった。それから四五十分間は眠ったらしかった。しかし又誰か僕の耳にこう云う言葉を囁いたのを感じ、忽ち目を醒まして立ち上った。
「Le diable est mort」
凝灰岩の窓の外はいつか冷えびえと明けかかっていた。僕は丁度戸の前に佇み、誰もいない部屋の中を眺めまわした。すると向うの窓硝子は斑らに外気に曇った上に小さい風景を現していた。それは黄ばんだ松林の向うに海のある風景に違いなかった。僕は怯ず怯ず窓の前へ近づき、この風景を造っているものは実は庭の枯芝や池だったことを発見した。けれども僕の錯覚はいつか僕の家に対する郷愁に近いものを呼び起していた。
僕は九時にでもなり次第、或雑誌社へ電話をかけ、とにかく金の都合をした上、僕の家へ帰る決心をした。机の上に置いた鞄の中へ本や原稿を押しこみながら。
六 飛行機
僕は東海道線の或停車場からその奥の或避暑地へ自動車を飛ばした。運転手はなぜかこの寒さに古いレエン・コオトをひっかけていた。僕はこの暗合を無気味に思い、努めて彼を見ないように窓の外へ目をやることにした。すると低い松の生えた向うに、――恐らくは古い街道に葬式が一列通るのをみつけた。白張りの提灯や竜燈はその中に加わってはいないらしかった。が、金銀の造花の蓮は静かに輿の前後に揺いで行った。……
やっと僕の家へ帰った後、僕は妻子や催眠薬の力により、二三日は可也平和に暮らした。僕の二階は松林の上にかすかに海を覗かせていた。僕はこの二階の机に向かい、鳩の声を聞きながら、午前だけ仕事をすることにした。鳥は鳩や鴉の外に雀も縁側へ舞いこんだりした。それもまた僕には愉快だった。「喜雀堂に入る」――僕はペンを持ったまま、その度にこんな言葉を思い出した。
或生暖かい曇天の午後、僕は或雑貨店へインクを買いに出かけて行った。するとその店に並んでいるのはセピア色のインクばかりだった。セピア色のインクはどのインクよりも僕を不快にするのを常としていた。僕はやむを得ずこの店を出、人通りの少ない往来をぶらぶらひとり歩いて行った。そこへ向うから近眼らしい四十前後の外国人が一人肩を聳かせて通りかかった。彼はここに住んでいる被害妄想狂の瑞典人だった。しかも彼の名はストリントベルグだった。僕は彼とすれ違う時、肉体的に何かこたえるのを感じた。
この往来は僅かに二三町だった。が、その二三町を通るうちに丁度半面だけ黒い犬は四度も僕の側を通って行った。僕は横町を曲りながら、ブラック・アンド・ホワイトのウイスキイを思い出した。のみならず今のストリントベルグのタイも黒と白だったのを思い出した。それは僕にはどうしても偶然であるとは考えられなかった。若し偶然でないとすれば、――僕は頭だけ歩いているように感じ、ちょっと往来に立ち止まった。道ばたには針金の柵の中にかすかに虹の色を帯びた硝子の鉢が一つ捨ててあった。この鉢は又底のまわりに翼らしい模様を浮き上らせていた。そこへ松の梢から雀が何羽も舞い下って来た。が、この鉢のあたりへ来ると、どの雀も皆言い合わせたように一度に空中へ逃げのぼって行った。……
僕は妻の実家へ行き、庭先の籐椅子に腰をおろした。庭の隅の金網の中には白いレグホン種の鶏が何羽も静かに歩いていた。それから又僕の足もとには黒犬も一匹横になっていた。僕は誰にもわからない疑問を解こうとあせりながら、とにかく外見だけは冷やかに妻の母や弟と世間話をした。
「静かですね、ここへ来ると」
「それはまだ東京よりもね」
「ここでもうるさいことはあるのですか?」
「だってここも世の中ですもの」
妻の母はこう言って笑っていた。実際この避暑地もまた「世の中」であるのに違いなかった。僕は僅かに一年ばかりの間にどのくらいここにも罪悪や悲劇の行われているかを知り悉していた。徐ろに患者を毒殺しようとした医者、養子夫婦の家に放火した老婆、妹の資産を奪おうとした弁護士、――それ等の人々の家を見ることは僕にはいつも人生の中に地獄を見ることに異らなかった。
「この町には気違いが一人いますね」
「Hちゃんでしょう。あれは気違いじゃないのですよ。莫迦になってしまったのですよ」
「早発性痴呆と云うやつですね。僕はあいつを見る度に気味が悪くってたまりません。あいつはこの間もどう云う量見か、馬頭観世音の前にお時宜をしていました」
「気味が悪くなるなんて、……もっと強くならなければ駄目ですよ」
「兄さんは僕などよりも強いのだけれども、――」
無精髭を伸ばした妻の弟も寝床の上に起き直ったまま、いつもの通り遠慮勝ちに僕等の話に加わり出した。
「強い中に弱いところもあるから。……」
「おやおや、それは困りましたね」
僕はこう言った妻の母を見、苦笑しない訣には行かなかった。すると弟も微笑しながら、遠い垣の外の松林を眺め、何かうっとりと話しつづけた。(この若い病後の弟は時々僕には肉体を脱した精神そのもののように見えるのだった)
「妙に人間離れをしているかと思えば、人間的欲望もずいぶん烈しいし、……」
「善人かと思えば、悪人でもあるしさ」
「いや、善悪と云うよりも何かもっと反対なものが、……」
「じゃ大人の中に子供もあるのだろう」
「そうでもない。僕にははっきりと言えないけれど、……電気の両極に似ているのかな。何しろ反対なものを一しょに持っている」
そこへ僕等を驚かしたのは烈しい飛行機の響きだった。僕は思わず空を見上げ、松の梢に触れないばかりに舞い上った飛行機を発見した。それは翼を黄いろに塗った。珍らしい単葉の飛行機だった。鶏や犬はこの響きに驚き、それぞれ八方へ逃げまわった。殊に犬は吠え立てながら、尾を捲いて縁の下へはいってしまった。
「あの飛行機は落ちはしないか?」
「大丈夫。……兄さんは飛行機病と云う病気を知っている?」
僕は巻煙草に火をつけながら、「いや」と云う代りに頭を振った。
「ああ云う飛行機に乗っている人は高空の空気ばかり吸っているものだから、だんだんこの地面の上の空気に堪えられないようになってしまうのだって。……」
妻の母の家を後ろにした後、僕は枝一つ動かさない松林の中を歩きながら、じりじり憂鬱になって行った。なぜあの飛行機はほかへ行かずに僕の頭の上を通ったのであろう? なぜ又あのホテルは巻煙草のエエア・シップばかり売っていたのであろう? 僕はいろいろの疑問に苦しみ、人気のない道を選って歩いて行った。
海は低い砂山の向うに一面に灰色に曇っていた。その又砂山にはブランコのないブランコ台が一つ突っ立っていた。僕はこのブランコ台を眺め、忽ち絞首台を思い出した。実際又ブランコ台の上には鴉が二三羽とまっていた、鴉は皆僕を見ても、飛び立つ気色さえ示さなかった。のみならずまん中にとまっていた鴉は大きい嘴を空へ挙げながら、確かに四たび声を出した。
僕は芝の枯れた砂土手に沿い、別荘の多い小みちを曲ることにした。この小みちの右側にはやはり高い松の中に二階のある木造の西洋家屋が一軒白じらと立っている筈だった。(僕の親友はこの家のことを「春のいる家」と称していた)が、この家の前へ通りかかると、そこにはコンクリイトの土台の上にバス・タッブが一つあるだけだった。火事――僕はすぐにこう考え、そちらを見ないように歩いて行った。すると自転車に乗った男が一人まっすぐに向うから近づき出した。彼は焦茶いろの鳥打ち帽をかぶり、妙にじっと目を据えたまま、ハンドルの上へ身をかがめていた。僕はふと彼の顔に姉の夫の顔を感じ、彼の目の前へ来ないうちに横の小みちへはいることにした。しかしこの小みちのまん中にも腐った鼹鼠の死骸が一つ腹を上にして転がっていた。
何ものかの僕を狙っていることは一足毎に僕を不安にし出した。そこへ半透明な歯車も一つずつ僕の視野を遮り出した。僕は愈最後の時の近づいたことを恐れながら、頸すじをまっ直にして歩いて行った。歯車は数の殖えるのにつれ、だんだん急にまわりはじめた。同時に又右の松林はひっそりと枝をかわしたまま、丁度細かい切子硝子を透かして見るようになりはじめた。僕は動悸の高まるのを感じ、何度も道ばたに立ち止まろうとした。けれども誰かに押されるように立ち止まることさえ容易ではなかった。……
三十分ばかりたった後、僕は僕の二階に仰向けになり、じっと目をつぶったまま、烈しい頭痛をこらえていた。すると僕の眶の裏に銀色の羽根を鱗のように畳んだ翼が一つ見えはじめた。それは実際網膜の上にはっきりと映っているものだった。僕は目をあいて天井を見上げ、勿論何も天井にはそんなもののないことを確めた上、もう一度目をつぶることにした。しかしやはり銀色の翼はちゃんと暗い中に映っていた。僕はふとこの間乗った自動車のラディエエタア・キャップにも翼のついていたことを思い出した。……
そこへ誰か梯子段を慌しく昇って来たかと思うと、すぐに又ばたばた駈け下りて行った。僕はその誰かの妻だったことを知り、驚いて体を起すが早いか、丁度梯子段の前にある、薄暗い茶の間へ顔を出した。すると妻は突っ伏したまま、息切れをこらえていると見え、絶えず肩を震わしていた。
「どうした?」
「いえ、どうもしないのです。……」
妻はやっと顔を擡げ、無理に微笑して話しつづけた。
「どうもした訣ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが死んでしまいそうな気がしたものですから。……」
それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だった。――僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか? | 底本:「河童・或る阿呆の一生」新潮文庫、新潮社
1968(昭和43)年12月15日発行
1987(昭和62)年11月5日41刷
入力:蒋龍
校正:田中敬三
2009年3月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "042377",
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禅智内供の鼻と云えば、池の尾で知らない者はない。長さは五六寸あって上唇の上から顋の下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。
五十歳を越えた内供は、沙弥の昔から、内道場供奉の職に陞った今日まで、内心では始終この鼻を苦に病んで来た。勿論表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。これは専念に当来の浄土を渇仰すべき僧侶の身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。それよりむしろ、自分で鼻を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったからである。内供は日常の談話の中に、鼻と云う語が出て来るのを何よりも惧れていた。
内供が鼻を持てあました理由は二つある。――一つは実際的に、鼻の長いのが不便だったからである。第一飯を食う時にも独りでは食えない。独りで食えば、鼻の先が鋺の中の飯へとどいてしまう。そこで内供は弟子の一人を膳の向うへ坐らせて、飯を食う間中、広さ一寸長さ二尺ばかりの板で、鼻を持上げていて貰う事にした。しかしこうして飯を食うと云う事は、持上げている弟子にとっても、持上げられている内供にとっても、決して容易な事ではない。一度この弟子の代りをした中童子が、嚏をした拍子に手がふるえて、鼻を粥の中へ落した話は、当時京都まで喧伝された。――けれどもこれは内供にとって、決して鼻を苦に病んだ重な理由ではない。内供は実にこの鼻によって傷つけられる自尊心のために苦しんだのである。
池の尾の町の者は、こう云う鼻をしている禅智内供のために、内供の俗でない事を仕合せだと云った。あの鼻では誰も妻になる女があるまいと思ったからである。中にはまた、あの鼻だから出家したのだろうと批評する者さえあった。しかし内供は、自分が僧であるために、幾分でもこの鼻に煩される事が少くなったと思っていない。内供の自尊心は、妻帯と云うような結果的な事実に左右されるためには、余りにデリケイトに出来ていたのである。そこで内供は、積極的にも消極的にも、この自尊心の毀損を恢復しようと試みた。
第一に内供の考えたのは、この長い鼻を実際以上に短く見せる方法である。これは人のいない時に、鏡へ向って、いろいろな角度から顔を映しながら、熱心に工夫を凝らして見た。どうかすると、顔の位置を換えるだけでは、安心が出来なくなって、頬杖をついたり頤の先へ指をあてがったりして、根気よく鏡を覗いて見る事もあった。しかし自分でも満足するほど、鼻が短く見えた事は、これまでにただの一度もない。時によると、苦心すればするほど、かえって長く見えるような気さえした。内供は、こう云う時には、鏡を箱へしまいながら、今更のようにため息をついて、不承不承にまた元の経机へ、観音経をよみに帰るのである。
それからまた内供は、絶えず人の鼻を気にしていた。池の尾の寺は、僧供講説などのしばしば行われる寺である。寺の内には、僧坊が隙なく建て続いて、湯屋では寺の僧が日毎に湯を沸かしている。従ってここへ出入する僧俗の類も甚だ多い。内供はこう云う人々の顔を根気よく物色した。一人でも自分のような鼻のある人間を見つけて、安心がしたかったからである。だから内供の眼には、紺の水干も白の帷子もはいらない。まして柑子色の帽子や、椎鈍の法衣なぞは、見慣れているだけに、有れども無きが如くである。内供は人を見ずに、ただ、鼻を見た。――しかし鍵鼻はあっても、内供のような鼻は一つも見当らない。その見当らない事が度重なるに従って、内供の心は次第にまた不快になった。内供が人と話しながら、思わずぶらりと下っている鼻の先をつまんで見て、年甲斐もなく顔を赤らめたのは、全くこの不快に動かされての所為である。
最後に、内供は、内典外典の中に、自分と同じような鼻のある人物を見出して、せめても幾分の心やりにしようとさえ思った事がある。けれども、目連や、舎利弗の鼻が長かったとは、どの経文にも書いてない。勿論竜樹や馬鳴も、人並の鼻を備えた菩薩である。内供は、震旦の話の序に蜀漢の劉玄徳の耳が長かったと云う事を聞いた時に、それが鼻だったら、どのくらい自分は心細くなくなるだろうと思った。
内供がこう云う消極的な苦心をしながらも、一方ではまた、積極的に鼻の短くなる方法を試みた事は、わざわざここに云うまでもない。内供はこの方面でもほとんど出来るだけの事をした。烏瓜を煎じて飲んで見た事もある。鼠の尿を鼻へなすって見た事もある。しかし何をどうしても、鼻は依然として、五六寸の長さをぶらりと唇の上にぶら下げているではないか。
所がある年の秋、内供の用を兼ねて、京へ上った弟子の僧が、知己の医者から長い鼻を短くする法を教わって来た。その医者と云うのは、もと震旦から渡って来た男で、当時は長楽寺の供僧になっていたのである。
内供は、いつものように、鼻などは気にかけないと云う風をして、わざとその法もすぐにやって見ようとは云わずにいた。そうして一方では、気軽な口調で、食事の度毎に、弟子の手数をかけるのが、心苦しいと云うような事を云った。内心では勿論弟子の僧が、自分を説伏せて、この法を試みさせるのを待っていたのである。弟子の僧にも、内供のこの策略がわからない筈はない。しかしそれに対する反感よりは、内供のそう云う策略をとる心もちの方が、より強くこの弟子の僧の同情を動かしたのであろう。弟子の僧は、内供の予期通り、口を極めて、この法を試みる事を勧め出した。そうして、内供自身もまた、その予期通り、結局この熱心な勧告に聴従する事になった。
その法と云うのは、ただ、湯で鼻を茹でて、その鼻を人に踏ませると云う、極めて簡単なものであった。
湯は寺の湯屋で、毎日沸かしている。そこで弟子の僧は、指も入れられないような熱い湯を、すぐに提に入れて、湯屋から汲んで来た。しかしじかにこの提へ鼻を入れるとなると、湯気に吹かれて顔を火傷する惧がある。そこで折敷へ穴をあけて、それを提の蓋にして、その穴から鼻を湯の中へ入れる事にした。鼻だけはこの熱い湯の中へ浸しても、少しも熱くないのである。しばらくすると弟子の僧が云った。
――もう茹った時分でござろう。
内供は苦笑した。これだけ聞いたのでは、誰も鼻の話とは気がつかないだろうと思ったからである。鼻は熱湯に蒸されて、蚤の食ったようにむず痒い。
弟子の僧は、内供が折敷の穴から鼻をぬくと、そのまだ湯気の立っている鼻を、両足に力を入れながら、踏みはじめた。内供は横になって、鼻を床板の上へのばしながら、弟子の僧の足が上下に動くのを眼の前に見ているのである。弟子の僧は、時々気の毒そうな顔をして、内供の禿げ頭を見下しながら、こんな事を云った。
――痛うはござらぬかな。医師は責めて踏めと申したで。じゃが、痛うはござらぬかな。
内供は首を振って、痛くないと云う意味を示そうとした。所が鼻を踏まれているので思うように首が動かない。そこで、上眼を使って、弟子の僧の足に皹のきれているのを眺めながら、腹を立てたような声で、
――痛うはないて。
と答えた。実際鼻はむず痒い所を踏まれるので、痛いよりもかえって気もちのいいくらいだったのである。
しばらく踏んでいると、やがて、粟粒のようなものが、鼻へ出来はじめた。云わば毛をむしった小鳥をそっくり丸炙にしたような形である。弟子の僧はこれを見ると、足を止めて独り言のようにこう云った。
――これを鑷子でぬけと申す事でござった。
内供は、不足らしく頬をふくらせて、黙って弟子の僧のするなりに任せて置いた。勿論弟子の僧の親切がわからない訳ではない。それは分っても、自分の鼻をまるで物品のように取扱うのが、不愉快に思われたからである。内供は、信用しない医者の手術をうける患者のような顔をして、不承不承に弟子の僧が、鼻の毛穴から鑷子で脂をとるのを眺めていた。脂は、鳥の羽の茎のような形をして、四分ばかりの長さにぬけるのである。
やがてこれが一通りすむと、弟子の僧は、ほっと一息ついたような顔をして、
――もう一度、これを茹でればようござる。
と云った。
内供はやはり、八の字をよせたまま不服らしい顔をして、弟子の僧の云うなりになっていた。
さて二度目に茹でた鼻を出して見ると、成程、いつになく短くなっている。これではあたりまえの鍵鼻と大した変りはない。内供はその短くなった鼻を撫でながら、弟子の僧の出してくれる鏡を、極りが悪るそうにおずおず覗いて見た。
鼻は――あの顋の下まで下っていた鼻は、ほとんど嘘のように萎縮して、今は僅に上唇の上で意気地なく残喘を保っている。所々まだらに赤くなっているのは、恐らく踏まれた時の痕であろう。こうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない。――鏡の中にある内供の顔は、鏡の外にある内供の顔を見て、満足そうに眼をしばたたいた。
しかし、その日はまだ一日、鼻がまた長くなりはしないかと云う不安があった。そこで内供は誦経する時にも、食事をする時にも、暇さえあれば手を出して、そっと鼻の先にさわって見た。が、鼻は行儀よく唇の上に納まっているだけで、格別それより下へぶら下って来る景色もない。それから一晩寝てあくる日早く眼がさめると内供はまず、第一に、自分の鼻を撫でて見た。鼻は依然として短い。内供はそこで、幾年にもなく、法華経書写の功を積んだ時のような、のびのびした気分になった。
所が二三日たつ中に、内供は意外な事実を発見した。それは折から、用事があって、池の尾の寺を訪れた侍が、前よりも一層可笑しそうな顔をして、話も碌々せずに、じろじろ内供の鼻ばかり眺めていた事である。それのみならず、かつて、内供の鼻を粥の中へ落した事のある中童子なぞは、講堂の外で内供と行きちがった時に、始めは、下を向いて可笑しさをこらえていたが、とうとうこらえ兼ねたと見えて、一度にふっと吹き出してしまった。用を云いつかった下法師たちが、面と向っている間だけは、慎んで聞いていても、内供が後さえ向けば、すぐにくすくす笑い出したのは、一度や二度の事ではない。
内供ははじめ、これを自分の顔がわりがしたせいだと解釈した。しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。――勿論、中童子や下法師が哂う原因は、そこにあるのにちがいない。けれども同じ哂うにしても、鼻の長かった昔とは、哂うのにどことなく容子がちがう。見慣れた長い鼻より、見慣れない短い鼻の方が滑稽に見えると云えば、それまでである。が、そこにはまだ何かあるらしい。
――前にはあのようにつけつけとは哂わなんだて。
内供は、誦しかけた経文をやめて、禿げ頭を傾けながら、時々こう呟く事があった。愛すべき内供は、そう云う時になると、必ずぼんやり、傍にかけた普賢の画像を眺めながら、鼻の長かった四五日前の事を憶い出して、「今はむげにいやしくなりさがれる人の、さかえたる昔をしのぶがごとく」ふさぎこんでしまうのである。――内供には、遺憾ながらこの問に答を与える明が欠けていた。
――人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。――内供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。
そこで内供は日毎に機嫌が悪くなった。二言目には、誰でも意地悪く叱りつける。しまいには鼻の療治をしたあの弟子の僧でさえ、「内供は法慳貪の罪を受けられるぞ」と陰口をきくほどになった。殊に内供を怒らせたのは、例の悪戯な中童子である。ある日、けたたましく犬の吠える声がするので、内供が何気なく外へ出て見ると、中童子は、二尺ばかりの木の片をふりまわして、毛の長い、痩せた尨犬を逐いまわしている。それもただ、逐いまわしているのではない。「鼻を打たれまい。それ、鼻を打たれまい」と囃しながら、逐いまわしているのである。内供は、中童子の手からその木の片をひったくって、したたかその顔を打った。木の片は以前の鼻持上げの木だったのである。
内供はなまじいに、鼻の短くなったのが、かえって恨めしくなった。
するとある夜の事である。日が暮れてから急に風が出たと見えて、塔の風鐸の鳴る音が、うるさいほど枕に通って来た。その上、寒さもめっきり加わったので、老年の内供は寝つこうとしても寝つかれない。そこで床の中でまじまじしていると、ふと鼻がいつになく、むず痒いのに気がついた。手をあてて見ると少し水気が来たようにむくんでいる。どうやらそこだけ、熱さえもあるらしい。
――無理に短うしたで、病が起ったのかも知れぬ。
内供は、仏前に香花を供えるような恭しい手つきで、鼻を抑えながら、こう呟いた。
翌朝、内供がいつものように早く眼をさまして見ると、寺内の銀杏や橡が一晩の中に葉を落したので、庭は黄金を敷いたように明るい。塔の屋根には霜が下りているせいであろう。まだうすい朝日に、九輪がまばゆく光っている。禅智内供は、蔀を上げた縁に立って、深く息をすいこんだ。
ほとんど、忘れようとしていたある感覚が、再び内供に帰って来たのはこの時である。
内供は慌てて鼻へ手をやった。手にさわるものは、昨夜の短い鼻ではない。上唇の上から顋の下まで、五六寸あまりもぶら下っている、昔の長い鼻である。内供は鼻が一夜の中に、また元の通り長くなったのを知った。そうしてそれと同時に、鼻が短くなった時と同じような、はればれした心もちが、どこからともなく帰って来るのを感じた。
――こうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない。
内供は心の中でこう自分に囁いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。
(大正五年一月) | 底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1997(平成9)年4月15日第14刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
初出:「新思潮」
1916(大正5)年2月
入力:平山誠、野口英司
校正:もりみつじゅんじ
1997年11月4日公開
2011年5月21日修正
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一
部屋の隅に据えた姿見には、西洋風に壁を塗った、しかも日本風の畳がある、――上海特有の旅館の二階が、一部分はっきり映っている。まずつきあたりに空色の壁、それから真新しい何畳かの畳、最後にこちらへ後を見せた、西洋髪の女が一人、――それが皆冷やかな光の中に、切ないほどはっきり映っている。女はそこにさっきから、縫物か何かしているらしい。
もっとも後は向いたと云う条、地味な銘仙の羽織の肩には、崩れかかった前髪のはずれに、蒼白い横顔が少し見える。勿論肉の薄い耳に、ほんのり光が透いたのも見える。やや長めな揉み上げの毛が、かすかに耳の根をぼかしたのも見える。
この姿見のある部屋には、隣室の赤児の啼き声のほかに、何一つ沈黙を破るものはない。未に降り止まない雨の音さえ、ここでは一層その沈黙に、単調な気もちを添えるだけである。
「あなた。」
そう云う何分かが過ぎ去った後、女は仕事を続けながら、突然、しかし覚束なさそうに、こう誰かへ声をかけた。
誰か、――部屋の中には女のほかにも、丹前を羽織った男が一人、ずっと離れた畳の上に、英字新聞をひろげたまま、長々と腹這いになっている。が、その声が聞えないのか、男は手近の灰皿へ、巻煙草の灰を落したきり、新聞から眼さえ挙げようとしない。
「あなた。」
女はもう一度声をかけた。その癖女自身の眼もじっと針の上に止まっている。「何だい。」
男は幾分うるさそうに、丸々と肥った、口髭の短い、活動家らしい頭を擡げた。
「この部屋ね、――この部屋は変えちゃいけなくって?」
「部屋を変える? だってここへはやっと昨夜、引っ越して来たばかりじゃないか?」
男の顔はけげんそうだった。
「引っ越して来たばかりでも。――前の部屋ならば明いているでしょう?」
男はかれこれ二週間ばかり、彼等が窮屈な思いをして来た、日当りの悪い三階の部屋が一瞬間眼の前に見えるような気がした。――塗りの剥げた窓側の壁には、色の変った畳の上に更紗の窓掛けが垂れ下っている。その窓にはいつ水をやったか、花の乏しい天竺葵が、薄い埃をかぶっている。おまけに窓の外を見ると、始終ごみごみした横町に、麦藁帽をかぶった支那の車夫が、所在なさそうにうろついている。………
「だがお前はあの部屋にいるのは、嫌だ嫌だと云っていたじゃないか?」
「ええ。それでもここへ来て見たら、急にまたこの部屋が嫌になったんですもの。」
女は針の手をやめると、もの憂そうに顔を挙げて見せた。眉の迫った、眼の切れの長い、感じの鋭そうな顔だちである。が、眼のまわりの暈を見ても、何か苦労を堪えている事は、多少想像が出来ないでもない。そう云えば病的な気がするくらい、米噛みにも静脈が浮き出している。
「ね、好いでしょう。……いけなくて?」
「しかし前の部屋よりは、広くもあるし居心も好いし、不足を云う理由はないんだから、――それとも何か嫌な事があるのかい?」
「何って事はないんですけれど。……」
女はちょいとためらったものの、それ以上立ち入っては答えなかった。が、もう一度念を押すように、同じ言葉を繰り返した。
「いけなくって、どうしても?」
今度は男が新聞の上へ煙草の煙を吹きかけたぎり、好いとも悪いとも答えなかった。
部屋の中はまたひっそりになった。ただ外では不相変、休みのない雨の音がしている。
「春雨やか、――」
男はしばらくたった後、ごろりと仰向きに寝転ぶと、独り言のようにこう云った。
「蕪湖住みをするようになったら、発句でも一つ始めるかな。」
女は何とも返事をせずに、縫物の手を動かしている。
「蕪湖もそんなに悪い所じゃないぜ。第一社宅は大きいし、庭も相当に広いしするから、草花なぞ作るには持って来いだ。何でも元は雍家花園とか云ってね、――」
男は突然口を噤んだ。いつか森とした部屋の中には、かすかに人の泣くけはいがしている。
「おい。」
泣き声は急に聞えなくなった。と思うとすぐにまた、途切れ途切れに続き出した。
「おい。敏子。」
半ば体を起した男は、畳に片肘靠せたまま、当惑らしい眼つきを見せた。
「お前は己と約束したじゃないか? もう愚痴はこぼすまい。もう涙は見せない事にしよう。もう、――」
男はちょいと瞼を挙げた。
「それとも何かあの事以外に、悲しい事でもあるのかい? たとえば日本へ帰りたいとか、支那でも田舎へは行きたくないとか、――」
「いいえ。――いいえ。そんな事じゃなくってよ。」
敏子は涙を落し落し、意外なほど烈しい打消し方をした。
「私はあなたのいらっしゃる所なら、どこへでも行く気でいるんです。ですけれども、――」
敏子は伏眼になったなり、溢れて来る涙を抑えようとするのか、じっと薄い下唇を噛んだ。見れば蒼白い頬の底にも、眼に見えない炎のような、切迫した何物かが燃え立っている。震える肩、濡れた睫毛、――男はそれらを見守りながら、現在の気もちとは没交渉に、一瞬間妻の美しさを感じた。
「ですけれども、――この部屋は嫌なんですもの。」
「だからさ、だからさっきもそう云ったじゃないか? 何故この部屋がそんなに嫌だか、それさえはっきり云ってくれれば、――」
男はここまで云いかけると、敏子の眼がじっと彼の顔へ、注がれているのに気がついた。その眼には涙の漂った底に、ほとんど敵意にも紛い兼ねない、悲しそうな光が閃いている。何故この部屋が嫌になったか? ――それは独り男自身の疑問だったばかりではない。同時にまた敏子が無言の内に、男へ突きつけた反問である。男は敏子と眼を合せながら、二の句を次ぐのに躊躇した。
しかし言葉が途切れたのは、ほんの数秒の間である。男の顔には見る見る内に、了解の色が漲って来た。
「あれか?」
男は感動を蔽うように、妙に素っ気のない声を出した。
「あれは己も気になっていたんだ。」
敏子は男にこう云われると、ぽろぽろ膝の上へ涙を落した。
窓の外にはいつのまにか、日の暮が雨を煙らせている。その雨の音を撥ねのけるように、空色の壁の向うでは、今もまた赤児が泣き続けている。………
二
二階の出窓には鮮かに朝日の光が当っている。その向うには三階建の赤煉瓦にかすかな苔の生えた、逆光線の家が聳えている。薄暗いこちらの廊下にいると、出窓はこの家を背景にした、大きい一枚の画のように見える。巌乗な槲の窓枠が、ちょうど額縁を嵌めたように見える。その画のまん中には一人の女が、こちらへ横顔を向けながら、小さな靴足袋を編んでいる。
女は敏子よりも若いらしい。雨に洗われた朝日の光は、その肉附きの豊かな肩へ、――派手な大島の羽織の肩へ、はっきり大幅に流れている。それがやや俯向きになった、血色の好い頬に反射している。心もち厚い唇の上の、かすかな生ぶ毛にも反射している。
午前十時と十一時との間、――旅館では今が一日中でも、一番静かな時刻である。商売に来たのも、見物に来たのも、泊り客は大抵外出してしまう。下宿している勤め人たちも勿論午後までは帰って来ない。その跡にはただ長い廊下に、時々上草履を響かせる、女中の足音だけが残っている。
この時もそれが遠くから、だんだんこちらへ近づいて来ると、出窓に面した廊下には、四十格好の女中が一人、紅茶の道具を運びながら、影画のように通りかかった。女中は何とも云われなかったら、女のいる事も気がつかずに、そのまま通りすぎてしまったかも知れない。が、女は女中の姿を見ると、心安そうに声をかけた。
「お清さん。」
女中はちょいと会釈してから、出窓の方へ歩み寄った。
「まあ、御精が出ますこと。――坊ちゃんはどうなさいました?」
「うちの若様? 若様は今お休み中。」
女は編針を休めたまま、子供のように微笑した。
「時にね、お清さん。」
「何でございます? 真面目そうに。」
女中も出窓の日の光に、前掛だけくっきり照らさせながら、浅黒い眼もとに微笑を見せた。
「御隣の野村さん、――野村さんでしょう、あの奥さんは?」
「ええ、野村敏子さん。」
「敏子さん? じゃ私と同じ名だわね。あの方はもう御立ちになったの?」
「いいえ、まだ五六日は御滞在でございましょう。それから何でも蕪湖とかへ、――」
「だってさっき前を通ったら、御隣にはどなたもいらっしゃらなかったわよ。」「ええ、昨晩急にまた、三階へ御部屋が変りましたから、――」
「そう。」
女は何か考えるように、丸々した顔を傾けて見せた。
「あの方でしょう? ここへ御出でになると、その日に御子さんをなくなしたのは?」
「ええ。御気の毒でございますわね。すぐに病院へも御入れになったんですけれど。」
「じゃ病院で御なくなりなすったの? 道理で何にも知らなかった。」
女は前髪を割った額に、かすかな憂鬱の色を浮べた。が、すぐにまた元の通り、快活な微笑を取り戻すと、悪戯そうな眼つきになった。
「もうそれで御用ずみ。どうかあちらへいらしって下さい。」
「まあ、随分でございますね。」
女中は思わず笑い出した。
「そんな邪慳な事をおっしゃると、蔦の家から電話がかかって来ても、内証で旦那様へ取次ぎますよ。」
「好いわよ。早くいらっしゃいってば。紅茶がさめてしまうじゃないの?」
女中が出窓にいなくなると、女はまた編物を取り上げながら、小声に歌をうたい出した。
午前十時と十一時との間、――旅館では今が一日中でも、一番静かな時刻である。部屋毎の花瓶に素枯れた花は、この間に女中が取り捨ててしまう。二階三階の真鍮の手すりも、この間に下男が磨くらしい。そう云う沈黙が拡がった中に、ただ往来のざわめきだけが、硝子戸を開け放した諸方の窓から、日の光と一しょにはいって来る。
その内にふと女の膝から、毛糸の球が転げ落ちた。球はとんと弾むが早いか、一筋の赤を引きずりながら、ころころ廊下へ出ようとする、――と思うと誰か一人、ちょうどそこへ来かかったのが、静かにそれを拾い上げた。
「どうも有難うございました。」
女は籐椅子を離れながら、恥しそうに会釈をした。見れば球を拾ったのは、今し方女中と噂をした、痩せぎすな隣室の夫人である。
「いいえ。」
毛糸の球は細い指から、脂よりも白い括り指へ移った。
「ここは暖かでございますね。」
敏子は出窓へ歩み出ると、眩しそうにやや眼を細めた。
「ええ、こうやって居りましても、居睡りが出るくらいでございますわ。」
二人の母は佇んだまま、幸福そうに微笑し合った。
「まあ、御可愛いたあたですこと。」
敏子の声はさりげなかった。が、女はその言葉に、思わずそっと眼を外らせた。
「二年ぶりに編針を持って見ましたの。――あんまり暇なもんですから。」
「私なぞはいくら暇でも、怠けてばかり居りますわ。」
女は籐椅子へ編物を捨てると、仕方がなさそうに微笑した。敏子の言葉は無心の内に、もう一度女を打ったのである。
「お宅の坊ちゃんは、――坊ちゃんでございましたわね? いつ御生れになりましたの?」
敏子は髪へ手をやりながら、ちらりと女の顔を眺めた。昨日は泣き声を聞いているのも堪えられない気がした隣室の赤児、――それが今では何物よりも、敏子の興味を動かすのである。しかもその興味を満足させれば、反って苦しみを新たにするのも、はっきりわかってはいるのである。これは小さな動物が、コブラの前では動けないように、敏子の心もいつのまにか、苦しみそのものの催眠作用に捉われてしまった結果であろうか? それともまた手傷を負った兵士が、わざわざ傷口を開いてまでも、一時の快を貪るように、いやが上にも苦しまねばやまない、病的な心理の一例であろうか?
「この御正月でございました。」
女はこう答えてから、ちょいとためらう気色を見せた。しかしすぐ眼を挙げると、気の毒そうにつけ加えた。
「御宅ではとんだ事でございましたってねえ。」
敏子は沾んだ眼の中に、無理な微笑を漂わせた。
「ええ、肺炎になりましたものですから、――ほんとうに夢のようでございました。」
「それも御出て匇々にねえ。何と申し上げて好いかわかりませんわ。」
女の眼にはいつのまにか、かすかに涙が光っている。
「私なぞはそんな目にあったら、まあ、どうするでございましょう?」
「一時は随分悲しゅうございましたけれども、――もうあきらめてしまいましたわ。」
二人の母は佇んだまま、寂しそうな朝日の光を眺めた。
「こちらは悪い風が流行りますの。」
女は考え深そうに、途切れていた話を続け出した。
「内地はよろしゅうございますわね。気候もこちらほど不順ではなし、――」
「参りたてでよくはわかりませんけれども、大へん雨の多い所でございますね。」
「今年は余計――あら、泣いて居りますわ。」
女は耳を傾けたまま、別人のような微笑を浮べた。
「ちょいと御免下さいまし。」
しかしその言葉が終らない内に、もうそこへはさっきの女中が、ばたばた上草履を鳴らせながら、泣き立てる赤児を抱きそやして来た。赤児を、――美しいメリンスの着物の中に、しかめた顔ばかり出した赤児を、――敏子が内心見まいとしていた、丈夫そうに頤の括れた赤児を!
「私が窓を拭きに参りますとね、すぐにもう眼を御覚ましなすって。」
「どうも憚り様。」
女はまだ慣れなそうに、そっと赤児を胸に取った。
「まあ、御可愛い。」
敏子は顔を寄せながら、鋭い乳の臭いを感じた。
「おお、おお、よく肥っていらっしゃる。」
やや上気した女の顔には、絶え間ない微笑が満ち渡った。女は敏子の心もちに、同情が出来ない訳ではない。しかし、――しかしその乳房の下から、――張り切った母の乳房の下から、汪然と湧いて来る得意の情は、どうする事も出来なかったのである。
三
雍家花園の槐や柳は、午過ぎの微風に戦ぎながら、庭や草や土の上へ、日の光と影とをふり撒いている。いや、草や土ばかりではない。その槐に張り渡した、この庭には似合わない、水色のハムモックにもふり撒いている。ハムモックの中に仰向けになった、夏のズボンに胴衣しかつけない、小肥りの男にもふり撒いている。
男は葉巻に火をつけたまま、槐の枝に吊り下げた、支那風の鳥籠を眺めている。鳥は文鳥か何からしい。これも明暗の斑点の中に、止り木をあちこち伝わっては、時々さも不思議そうに籠の下の男を眺めている。男はその度にほほ笑みながら、葉巻を口へ運ぶ事もある。あるいはまた人と話すように、「こら」とか「どうした?」とか云う事もある。
あたりは庭木の戦ぎの中に、かすかな草の香を蒸らせている。一度ずっと遠い空に汽船の笛の響いたぎり、今はもう人音も何もしない。あの汽船はとうに去ったであろう。赤濁りに濁った長江の水に、眩い水脈を引いたなり、西か東かへ去ったであろう。その水の見える波止場には、裸も同様な乞食が一人、西瓜の皮を噛じっている。そこにはまた仔豚の群も、長々と横たわった親豚の腹に、乳房を争っているかも知れない、――小鳥を見るのにも飽きた男は、そんな空想に浸ったなり、いつかうとうと眠りそうになった。
「あなた。」
男は大きい眼を明いた。ハムモックの側に立っているのは、上海の旅館にいた時より、やや血色の好い敏子である。髪にも、夏帯にも、中形の湯帷子にも、やはり明暗の斑点を浴びた、白粉をつけない敏子である。男は妻の顔を見たまま、無遠慮に大きい欠伸をした。それからさも大儀そうに、ハムモックの上へ体を起した。
「郵便よ、あなた。」
敏子は眼だけ笑いながら、何本か手紙を男へ渡した。と同時に湯帷子の胸から、桃色の封筒にはいっている、小さい手紙を抜いて見せた。
「今日は私にも来ているのよ。」
男はハムモックに腰かけたなり、もう短い葉巻を噛み噛み、無造作に手紙を読み始めた。敏子もそこへ佇んだまま、封筒と同じ桃色の紙へ、じっと眼を落している。
雍家花園の槐や柳は、午過ぎの微風に戦ぎながら、この平和な二人の上へ、日の光と影とをふり撒いている。文鳥はほとんど囀らない。何か唸る虫が一匹、男の肩へ舞い下りたが、直にそれも飛び去ってしまった。………
こう云うしばらくの沈黙の後、敏子は伏せた眼も挙げずに、突然かすかな叫び声を出した。
「あら、お隣の赤さんも死んだんですって。」
「お隣?」
男はちょいと聞き耳を立てた。
「お隣とはどこだい?」
「お隣よ。ほら、あの上海の××館の、――」
「ああ、あの子供か? そりゃ気の毒だな。」
「あんなに丈夫そうな赤さんがねえ。……」
「何だい、病気は?」
「やっぱり風邪ですって。始めは寝冷えぐらいの事と思い居り候ところ、――ですって。」
敏子はやや興奮したように、口早に手紙を読み続けた。
「病院に入れ候時には、もはや手遅れと相成り、――ね、よく似ているでしょう? 注射を致すやら、酸素吸入を致すやら、いろいろ手を尽し候えども、――それから何と読むのかしら? 泣き声だわ。泣き声も次第に細るばかり、その夜の十一時五分ほど前には、ついに息を引き取り候。その時の私の悲しさ、重々御察し下され度、……」
「気の毒だな。」
男はもう一度ハムモックに、ゆらりと仰向けになりながら、同じ言葉を繰返した。男の頭のどこかには、未に瀕死の赤児が一人、小さい喘ぎを続けている。と思うとその喘ぎは、いつかまた泣き声に変ってしまう。雨の音の間を縫った、健康な赤児の泣き声に。――男はそう云う幻の中にも、妻の読む手紙に聴き入っていた。
「重々御察し下され度、それにつけてもいつぞや御許様に御眼にかかりし事など思い出され、あの頃はさぞかし御許様にも、――ああ、いや、いや。ほんとうに世の中はいやになってしまう。」
敏子は憂鬱な眼を挙げると、神経的に濃い眉をひそめた。が、一瞬の無言の後、鳥籠の文鳥を見るが早いか、嬉しそうに華奢な両手を拍った。
「ああ、好い事を思いついた! あの文鳥を放してやれば好いわ。」
「放してやる? あのお前の大事の鳥をか?」
「ええ、ええ、大事の鳥でもかまわなくってよ。お隣の赤さんのお追善ですもの。ほら、放鳥って云うでしょう。あの放鳥をして上げるんだわ。文鳥だってきっと喜んでよ。――私には手がとどかないかしら? とどかなかったら、あなた取って頂戴。」
槐の根もとに走り寄った敏子は、空気草履を爪立てながら、出来るだけ腕を伸ばして見た。しかし籠を吊した枝には、容易に指さえとどこうとしない。文鳥は気でも違ったように、小さい翼をばたばたやる。その拍子にまた餌壺の黍も、鳥籠の外に散乱する。が、男は面白そうに、ただ敏子を眺めていた。反らせた喉、膨んだ胸、爪先に重みを支えた足、――そう云う妻の姿を眺めていた。
「取れないかしら?――取れないわ。」
敏子は足を爪立てたまま、くるりと夫の方へ向いた。
「取って頂戴よ。よう。」
「取れるものか? 踏み台でもすれば格別だが、――何もまた放すにしても、今直には限らないじゃないか?」
「だって今直に放したいんですもの、よう。取って頂戴よう。取って下さらなければいじめるわよ。よくって? ハムモックを解いてしまうわよ。――」
敏子は男を睨むようにした。が、眼にも唇にも、漲っているものは微笑である。しかもほとんど平静を失した、烈しい幸福の微笑である。男はこの時妻の微笑に、何か酷薄なものさえ感じた。日の光に煙った草木の奥に、いつも人間を見守っている、気味の悪い力に似たものさえ。
「莫迦な事をするなよ。――」
男は葉巻を投げ捨てながら、冗談のように妻を叱った。
「第一あの何とか云った、お隣の奥さんにもすまないじゃないか? あっちじゃ子供が死んだと云うのに、こっちじゃ笑ったり騒いだり、……」
すると敏子はどうしたのか、突然蒼白い顔になった。その上拗ねた子供のように、睫毛の長い眼を伏せると、別に何と云う事もなしに、桃色の手紙を破り出した。男はちょいと苦い顔をした。が、気まずさを押しのけるためか、急にまた快活に話し続けた。
「だがまあ、こうしていられるのは、とにかく仕合せには違いないね。上海にいた時には弱ったからな。病院にいれば気ばかりあせるし、いなければまた心配するし、――」
男はふと口を噤んだ。敏子は足もとに眼をやったなり、影になった頬の上に、いつか涙を光らせている。しかし男は当惑そうに、短い口髭を引張ったきり、何ともその事は云わなかった。
「あなた。」
息苦しい沈黙の続いた後、こう云う声が聞えた時も、敏子はまだ夫の前に、色の悪い顔を背けていた。
「何だい?」
「私は、――私は悪いんでしょうか! あの赤さんのなくなったのが、――」
敏子は急に夫の顔へ、妙に熱のある眼を注いだ。
「なくなったのが嬉しいんです。御気の毒だとは思うんですけれども、――それでも私は嬉しいんです。嬉しくっては悪いんでしょうか? 悪いんでしょうか? あなた。」
敏子の声には今までにない、荒々しい力がこもっている。男はワイシャツの肩や胴衣に今は一ぱいにさし始めた、眩い日の光を鍍金しながら、何ともその問に答えなかった。何か人力に及ばないものが、厳然と前へでも塞がったように。
(大正十年八月) | 底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
1996(平成8)年7月15日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:もりみつじゅんじ
1999年3月1日公開
2004年3月7日修正
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一
ある花曇りの朝だった。広子は京都の停車場から東京行の急行列車に乗った。それは結婚後二年ぶりに母親の機嫌を伺うためもあれば、母かたの祖父の金婚式へ顔をつらねるためもあった。しかしまだそのほかにもまんざら用のない体ではなかった。彼女はちょうどこの機会に、妹の辰子の恋愛問題にも解決をつけたいと思っていた。妹の希望をかなえるにしろ、あるいはまたかなえないにしろ、とにかくある解決だけはつけなければならぬと思っていた。
この問題を広子の知ったのは四五日前に受け取った辰子の手紙を読んだ時だった。広子は年ごろの妹に恋愛問題の起ったことは格別意外にも思わなかった。予期したと言うほどではなかったにしろ、当然とは確かに思っていた。けれどもその恋愛の相手に篤介を選んだと言うことだけは意外に思わずにはいられなかった。広子は汽車に揺られている今でも、篤介のことを考えると、何か急に妹との間に谷あいの出来たことを感ずるのだった。
篤介は広子にも顔馴染みのあるある洋画研究所の生徒だった。処女時代の彼女は妹と一しょに、この画の具だらけの青年をひそかに「猿」と諢名していた。彼は実際顔の赤い、妙に目ばかり赫かせた、――つまり猿じみた青年だった。のみならず身なりも貧しかった。彼は冬も金釦の制服に古いレエン・コオトをひっかけていた。広子は勿論篤介に何の興味も感じなかった。辰子も――辰子は姉に比べると、一層彼を好まぬらしかった。あるいはむしろ積極的に憎んでいたとも云われるほどだった。一度なども辰子は電車に乗ると、篤介の隣りに坐ることになった。それだけでも彼女には愉快ではなかった。そこへまた彼は膝の上の新聞紙包みを拡げると、せっせとパンを噛じり出した。電車の中の人々の目は云い合せたように篤介へ向った。彼女は彼女自身の上にも残酷にその目の注がれるのを感じた。しかし彼は目じろぎもせずに悠々とパンを食いつづけるのだった。……
「野蛮人よ、あの人は。」
広子はこのことのあって後、こう辰子の罵ったのをいまさらのように思い出した。なぜその篤介を愛するようになったか?――それは広子には不可解だった。けれども妹の気質を思えば、一旦篤介を愛し出したが最後、どのくらい情熱に燃えているかはたいてい想像出来るような気がした。辰子は物故した父のように、何ごとにも一図になる気質だった。たとえば油画を始めた時にも、彼女の夢中になりさ加減は家族中の予想を超越していた。彼女は華奢な画の具箱を小脇に、篤介と同じ研究所へ毎日せっせと通い出した。同時にまた彼女の居間の壁には一週に必ず一枚ずつ新しい油画がかかり出した。油画は六号か八号のカンヴァスに人体ならば顔ばかりを、風景ならば西洋風の建物を描いたのが多いようだった。広子は結婚前の何箇月か、――殊に深い秋の夜などにはそう云う油画の並んだ部屋に何時間も妹と話しこんだ。辰子はいつも熱心にゴオグとかセザンヌとかの話をした。当時どこかに上演中だった武者小路氏の戯曲の話もした。広子も美術だの文芸だのに全然興味のない訣ではなかった。しかし彼女の空想は芸術とはほとんど縁のない未来の生活の上に休み勝ちだった。目はその間も額縁に入れた机の上の玉葱だの、繃帯をした少女の顔だの、芋畑の向うに連った監獄の壁だのを眺めながら。……
「何と言うの、あなたの画の流儀は?」
広子はそんなことを尋ねたために辰子を怒らせたのを思い出した。もっとも妹に怒られることは必ずしも珍らしい出来事ではなかった。彼等は芸術の見かたは勿論、生活上の問題などにも意見の違うことはたびたびあった。現にある時は武者小路氏の戯曲さえ言い合いの種になった。その戯曲は失明した兄のために犠牲的の結婚を敢てする妹のことを書いたものだった。広子はこの上演を見物した時から、(彼女はよくよく退屈しない限り、小説や戯曲を読んだことはなかった。)芸術家肌の兄を好まなかった。たとい失明していたにしろ、按摩にでも何にでもなれば好いのに、妹の犠牲を受けているのは利己主義者であるとも極言した。辰子は姉とは反対に兄にも妹にも同情していた。姉の意見は厳粛な悲劇をわざと喜劇に翻訳する世間人の遊戯であるなどとも言った。こう言う言い合いのつのった末には二人ともきっと怒り出した。けれどもさきに怒り出すのはいつも辰子にきまっていた。広子はそこに彼女自身の優越を感ぜずにはいられなかった。それは辰子よりも人間の心を看破していると言う優越だった。あるいは辰子ほど空疎な理想に捉われていないと言う優越だった。
「姉さん。どうか今夜だけはほんとうの姉さんになって下さい。聡明ないつもの姉さんではなしに。」
三度目に広子の思い出したのは妹の手紙の一行だった。その手紙は不相変白い紙を細かいペンの字に埋めていた。しかし篤介との関係になると、ほとんど何ごとも書いてなかった。ただ念入りに繰り返してあるのは彼等は互に愛し合っていると云う、簡単な事実ばかりだった。広子は勿論行の間に彼等の関係を読もうとした。実際またそう思って読んで行けば、疑わしい個所もないではなかった。けれども再応考えて見ると、それも皆彼女の邪推らしかった。広子は今もとりとめのない苛立たしさを感じながら、もう一度何か憂鬱な篤介の姿を思い浮べた。すると急に篤介の匂――篤介の体の発散する匂は干し草に似ているような気がし出した。彼女の経験に誤りがなければ、干し草の匂のする男性はたいてい浅ましい動物的の本能に富んでいるらしかった。広子はそう云う篤介と一しょに純粋な妹を考えるのは考えるのに堪えない心もちがした。
広子の聯想はそれからそれへと、とめどなしに流れつづけた。彼女は汽車の窓側にきちりと膝を重ねたまま、時どき窓の外へ目を移した。汽車は美濃の国境に近い近江の山峡を走っていた。山峡には竹藪や杉林の間に白じろと桜の咲いているのも見えた。「この辺は余ほど寒いと見える。」――広子はいつか嵐山の桜も散り出したことなどを思い出していた。
二
広子は東京へ帰った後、何かと用ばかり多かったために二三日の間は妹とも話をする機会を捉えなかった。それをやっと捉えたのは母かたの祖父の金婚式から帰って来た夜の十時ごろだった。妹の居間には例の通り壁と云う壁に油画がかかり、畳に据えた円卓の上にも黄色い笠をかけた電燈が二年前の光りを放っていた。広子は寝間着に着換えた上へ、羽織だけ紋のあるのをひっかけたまま、円卓の前の安楽椅子へ坐った。
「ただ今お茶をさし上げます。」
辰子は姉の向うに坐ると、わざと真面目にこんなことを言った。
「いえ、もうどうぞ。――ほんとうにお茶なんぞ入らないことよ。」
「じゃ紅茶でも入れましょうか?」
「紅茶も沢山。――それよりもあの話を聞かせて頂戴。」
広子は妹の顔を見ながら、出来るだけ気軽にこう言った。と言うのは彼女の感情を、――かなり複雑な陰影を帯びた好奇心だの非難だのあるいはまた同情だのを見透かされないためもあれば、被告じみた妹の心もちを楽にしてやりたいためもあったのだった。しかし辰子は思いのほか、困ったらしいけはいも見せなかった。いや、その時の彼女のそぶりに少しでも変化があったとすれば、それは浅黒い顔のどこかにほとんど目にも止らぬくらい、緊張した色が動いただけだった。
「ええ、ぜひわたしも姉さんに聞いて頂きたいの。」
広子は内心プロロオグの簡単にすんだことに満足した。けれども辰子はそう言ったぎり、しばらく口を開かなかった。広子は妹の沈黙を話し悪いためと解釈した。しかし妹を促すことはちょっと残酷な心もちがした。同時にまたそう云う妹の羞恥を享楽したい心もちもした。かたがた広子は安楽椅子の背に西洋髪の頭を靠せたまま、全然当面の問題とは縁のない詠嘆の言葉を落した。
「何だか昔に返ったような気がするわね、この椅子にこうやって坐っていると。」
広子は彼女自身の言葉に少女じみた感動を催しながら、うっとり部屋の中を眺めまわした。なるほど椅子も、電燈も、円卓も、壁の油画も昔の記憶の通りだった。が、何かその間に不思議な変化が起っていた。何か?――広子はたちまちこの変化を油画の上に発見した。机の上の玉葱だの、繃帯をした少女の顔だの、芋畠の向うの監獄だのはいつの間にかどこかへ消え失せていた。あるいは消え失せてしまわないまでも、二年前には見られなかった、柔かい明るさを呼吸していた。殊に広子は正面にある一枚の油画に珍らしさを感じた。それはどこかの庭を描いた六号ばかりの小品だった。白茶けた苔に掩われた木々と木末に咲いた藤の花と木々の間に仄めいた池と、――画面にはそのほかに何もなかった。しかしそこにはどの画よりもしっとりした明るさが漂っていた。
「あなたの画、あそこにあるのも?」
辰子は後ろを振り向かずに、姉の指した画を推察した。
「あの画? あれは大村の。」
大村は篤介の苗字だった。広子は「大村の」に微笑を感じた。が、一瞬間羨ましさに似た何ものかを感じたのも事実だった。しかし辰子は無頓着に羽織の紐をいじりいじり、落ち着いた声に話しつづけた。
「田舎の家の庭を描いたのですって。――大村の家は旧家なんですって。」
「今は何をしているの?」
「県会議員か何かでしょう。銀行や会社も持っているようよ。」
「あの人は次男か三男かなの?」
「長男――って云うのかしら? 一人きりしかいないんですって。」
広子はいつか彼等の話が当面の問題へはいり出した、――と言うよりもむしろその一部を解決していたのに気がついた。今度の事件を聞かされて以来、彼女の気がかりになっていたのはやはり篤介の身分だった。殊に貧しげな彼の身なりはこの世俗的な問題に一層の重みを加えていた。それを今彼等の問答は無造作に片づけてしまったのだった。ふとその事実に気のついた広子は急に常談を言う寛ぎを感じた。
「じゃ立派な若旦那様なのね。」
「ええ、ただそりゃボエエムなの。下宿も妙なところにいるのよ。羅紗屋の倉庫の二階を借りているの。」
辰子はほとんど狡猾そうにちらりと姉へ微笑を送った。広子はこの微笑の中に突然一人前の女を捉えた。もっともこれは東京駅へ出迎えた妹を見た時から、時々意識へ上ることだった。けれどもまだ今のように、はっきり焦点の合ったことはなかった。広子はその意識と共にたちまち篤介との関係にも多少の疑惑を抱き出した。
「あなたもそこへ行ったことがあるの?」
「ええ、たびたび行ったことがあるわ。」
広子の聯想は結婚前のある夜の記憶を呼び起した。母はその夜風呂にはいりながら、彼女に日どりのきまったことを話した。それから常談とも真面目ともつかずに体の具合を尋ねたりした。生憎その夜の母のように淡白な態度に出られなかった彼女は、今もただじっと妹の顔を見守るよりほかに仕かたはなかった。しかし辰子は不相変落ち着いた微笑を浮べながら、眩しそうに黄色い電燈の笠へ目をやっているばかりだった。
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「大村が?」
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広子はちょっと苛立たしさを感じた。のみならず取り澄ました妹の態度も芝居ではないかと言う猜疑さえ生じた。すると辰子は弄んでいた羽織の紐を投げるようにするなり、突然こう言う問を発した。
「母さんは許して下さるでしょうか?」
広子はもう一度苛立たしさを感じた。それは恬然と切りこんで来る妹に対する苛立たしさでもあれば、だんだん受太刀になって来る彼女自身に対する苛立たしさでもあった。彼女は篤介の油画へ浮かない目を遊ばせたまま「そうねえ」と煮え切らない返事をした。
「姉さんから話していただけない?」
辰子はやや甘えるように広子の視線を捉えようとした。
「わたしから話すったって、――わたしもあなたたちのことは知らないじゃないの?」
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しかしまた咄嗟に妹の言葉を利用することも忘れなかった。
「あら、あなたこそ話さないんじゃないの?――じゃすっかり聞かせて頂戴。その上でわたしも考えて見るから。」
「そう? じゃとにかく話して見るわ。その代りひやかしたり何かしちゃ厭よ。」
辰子はまともに姉の顔を見たまま、彼女の恋愛問題を話し出した。広子は小首を傾けながら、時々返事をする代りに静かな点頭を送っていた。が、内心はこの間も絶えず二つの問題を解決しようとあせっていた。その一つは彼等の恋愛の何のために生じたかと言うことであり、もう一つは彼等の関係のどのくらい進んでいるかと言うことだった。しかし正直な妹の話もほとんど第一の問題には何の解決も与えなかった。辰子はただ篤介と毎日顔を合せているうちにいつか彼と懇意になり、いつかまた彼を愛したのだった。のみならず第二の問題もやはり判然とはわからなかった。辰子は他人の身の上のように彼の求婚した時のことを話した。しかもそれは抒情詩よりもむしろ喜劇に近いものだった。――
「大村は電話で求婚したの。可笑しいでしょう? 何でも画に失敗して、畳の上にころがっていたら、急にそんな気になったんですって。だっていきなりどうだって言ったって、返事に困ってしまうじゃないの? おまけにその時は電話室の外へ母さんも探しものに来ているんでしょう? わたし、仕かたがなかったから、ただウイ、ウイって言って置いたの。……」
それから?――それから先も妹の話は軽快に事件を追って行った。彼等は一しょに展覧会を見たり、植物園へ写生に行ったり、ある独逸のピアニストを聴いたりしていた。が、彼等の関係は辰子の言葉を信用すれば、友だち以上に出ないものだった。広子はそれでも油断せずに妹の顔色を窺ったり、話の裏を考えたり、一二度は鎌さえかけて見たりした。しかし辰子は電燈の光に落ち着いた瞳を澄ませたまま、少しも臆した色を見せないのだった。
「まあ、ざっとこう言う始末なの。――ああ、それから姉さんにわたしから手紙を上げたことね、あのことは大村にも話して置いたの。」
広子は妹の話し終った時、勿論歯痒いもの足らなさを感じた。けれども一通り打ち明けられて見ると、これ以上第二の問題には深入り出来ないのに違いなかった。彼女はそのためにやむを得ず第一の問題に縋りついた。
「だってあなたはあの人は大嫌いだって言っていたじゃないの?」
広子はいつか声の中にはいった挑戦の調子を意識していた。が、辰子はこの問にさえ笑顔を見せたばかりだった。
「大村もわたしは大嫌いだったんですって。ジン・コクテルくらいは飲みそうな気がしたんですって。」
「そんなものを飲む人がいるの?」
「そりゃいるわ。男のように胡坐をかいて花を引く人もいるんですもの。」
「それがあなたがたの新時代?」
「かも知れないと思っているの。……」
辰子は姉の予想したよりも遥かに真面目に返事をした。と思うとたちまち微笑と一しょにもう一度話頭を引き戻した。
「それよりもわたしの問題だわね、姉さんから話していただけない?」
「そりゃ話して上げないこともないわ。上げないこともないけれども、――」
広子はあらゆる姉のように忠告の言葉を加えようとした。すると辰子はそれよりも先にこう話を截断した。
「とにかく大村を知らないじゃね。――じゃ姉さん、二三日中に大村に会っちゃ下さらない? 大村も喜んでお目にかかると思うの。」
広子はこの話頭の変化に思わず大村の油画を眺めた。藤の花は苔ばんだ木々の間になぜか前よりもほのぼのとしていた。彼女は一瞬間心の中に昔の「猿」を髣髴しながら、曖昧に「そうねえ」を繰り返した。が、辰子は「そうねえ」くらいに満足する気色も見せなかった。
「じゃ会って下さるわね。大村の下宿へ行って下さる?」
「だって下宿へも行かれないじゃないの?」
「じゃここへ来て貰いましょうか? それも何だか可笑しいわね。」
「あの人は前にも来たことはあるの?」
「いいえ、まだ一度もないの。それだから何だか可笑しいのよ。じゃあと、――じゃこうして下さらない? 大村は明後日表慶館へ画を見に行くことになっているの。その時刻に姉さんも表慶館へ行って大村に会っちゃ下さらない?」
「そうねえ、わたしも明後日ならば、ちょうどお墓参りをする次手もあるし。……」
広子はうっかりこう言った後、たちまち軽率を後悔した。けれども辰子はその時にはもう別人かと思うくらい、顔中に喜びを漲らせていた。
「そうお? じゃそうして頂戴。大村へはわたしから電話をかけて置くわ。」
広子は妹の顔を見るなり、いつか完全に妹の意志の凱歌を挙げていたことを発見した。この発見は彼女の義務心よりも彼女の自尊心にこたえるものだった。彼女は最後にもう一度妹の喜びに乗じながら、彼等の秘密へ切りこもうとした。が、辰子はその途端に、――姉の唇の動こうとした途端に突然体を伸べるが早いか、白粉を刷いた広子の頬へ音の高いキスを贈った。広子は妹のキスを受けた記憶をほとんど持ち合せていなかった。もし一度でもあったとすれば、それはまだ辰子の幼稚園へ通っていた時代のことだけだった。彼女はこう言う妹のキスに驚きよりもむしろ羞しさを感じた。このショックは勿論浪のように彼女の落ち着きを打ち崩した。彼女は半ば微笑した目にわざと妹を睨めるほかはなかった。
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「だってほんとうに嬉しいんですもの。」
辰子は円卓の上へのり出したまま、黄色い電燈の笠越しに浅黒い顔を赫かせていた。
「けれども始めからそう思っていたのよ。姉さんはきっとわたしたちのためには何でもして下さるのに違いないって。――実は昨日も大村と一日姉さんの話をしたの。それでね、……」
「それで?」
辰子はちょっと目の中に悪戯っ児らしい閃きを宿した。
「それでもうおしまいだわ。」
三
広子は化粧道具や何かを入れた銀細具のバッグを下げたまま、何年にもほとんど来たことのない表慶館の廊下を歩いて行った。彼女の心は彼女自身の予期していたよりも静かだった。のみならず彼女はその落ち着きの底に多少の遊戯心を意識していた。数年前の彼女だったとすれば、それはあるいは後めたい意識だったかも知れなかった。が、今は後めたいよりもむしろ誇らしいくらいだった。彼女はいつか肥り出した彼女の肉体を感じながら、明るい廊下の突き当りにある螺旋状の階段を登って行った。
螺旋状の階段を登りつめた所は昼も薄暗い第一室だった。彼女はその薄暗い中に青貝を鏤めた古代の楽器や古代の屏風を発見した。が、肝腎の篤介の姿は生憎この部屋には見当らなかった。広子はちょっと陳列棚の硝子に彼女の髪形を映して見た後、やはり格別急ぎもせずに隣の第二室へ足を向けた。
第二室は天井から明りを取った、横よりも竪の長い部屋だった。そのまた長い部屋の両側を硝子越しに埋めているのは藤原とか鎌倉とか言うらしい、もの寂びた仏画ばかりだった。篤介は今日も制服の上に狐色になったクレヴァア・ネットをひっかけ、この伽藍に似た部屋の中をぶらぶら一人歩いていた。広子は彼の姿を見た時、咄嗟に敵意の起るのを感じた。しかしそれは掛け値なしにほんの咄嗟の出来事だった。彼はもうその時にはまともにこちらを眺めていた。広子は彼の顔や態度にたちまち昔の「猿」を感じた。同時にまた気安い軽蔑を感じた。彼はこちらを眺めたなり、礼をしたものかしないものか判断に迷っているらしかった。その妙に落ち着かない容子は確かに恋愛だのロマンスだのと縁の遠いものに違いなかった。広子は目だけ微笑しながら、こう言う妹の恋人の前へ心もち足早に歩いて行った。
「大村さんでいらっしゃいますわね? わたしは――御存知でございましょう?」
篤介はただ「ええ」と答えた。彼女はこの「ええ」の中にはっきり彼の狼狽を感じた。のみならずこの一瞬間に彼の段鼻だの、金歯だの、左の揉み上げの剃刀傷だの、ズボンの膝のたるんでいることだの、――そのほか一々数えるにも足らぬ無数の事実を発見した。しかし彼女の顔色は何も気づかぬように冴え冴えしていた。
「今日は勝手なことをお願い申しまして、さぞ御迷惑でございましょう。そんな失礼なことをとは思ったんでございますが、何でもと妹が申すもんでございますから。……」
広子はこう話しかけたまま、静かにあたりを眺めまわした。リノリウムの床には何脚かのベンチも背中合せに並んでいた。けれどもそこに腰をかけるのは却って人目に立ち兼ねなかった。人目は?――彼等の前後には観覧人が三四人、今も普賢や文珠の前にそっと立ち止まったり歩いたりしていた。
「いろいろ伺いたいこともあるんでございますけれども、――じゃぶらぶら歩きながら、お話しすることに致しましょうか?」
「ええ、どうでも。」
広子はしばらく無言のまま、ゆっくり草履を運んで行った。この沈黙は確かに篤介には精神的拷問に等しいらしかった。彼は何か言おうとするようにちょっと一度咳払いをした。が、咳払いは天井の硝子にたちまち大きい反響を生じた。彼はその反響に恐れたのか、やはり何も言わずに歩きつづけた。広子はこう言う彼の苦痛に多少の憐憫を感じていた。けれどもまた何の矛盾もなしに多少の享楽をも感じていた。もっとも守衛や観覧人に時々一瞥を与えられるのは勿論彼女にも不快だった。しかし彼等も年齢の上から、――と言うよりもさらに服装の上から決して二人の関係を誤解しないには違いなかった。彼女はその気安さの上から不安らしい篤介を見下していた。彼はあるいは彼女には敵であるかも知れなかった。が、敵であるにもしろ、世慣れぬ妹と五十歩百歩の敵であることは確かだった。……
「伺いたいと申しますのは大したことではないんでございますけれどもね、――」
彼女は第二室を出ようとした時、ことさら彼へ目をやらずにやっと本文へはいり出した。
「あれにも母親が一人ございますし、あなたもまた、――あなたは御両親ともおありなんでございますか?」
「いいえ、親父だけです。」
「お父様だけ。御兄弟は確かございませんでしたね?」
「ええ、僕だけです。」
彼等は第二室を通り越した。第二室の外は円天井の下に左右へ露台を開いた部屋だった。部屋も勿論円形をしていた。そのまた円形は廊下ほどの幅をぐるりと周囲へ余したまま、白い大理石の欄干越しにずっと下の玄関を覗かれるように出来上っていた。彼等は自然と大理石の欄干の外をまわりながら、篤介の家族や親戚や交友のことを話し合った。彼女は微笑を含んだまま、かなり尋ね悪い局所にも巧に話を進めて行った。しかしその割に彼女や辰子の家庭の事情などには沈黙していた。それは必ずしも最初から相手を坊ちゃんと見縊った上の打算ではないのに違いなかった。けれどもまた坊ちゃんと見縊らなければ、彼女ももっとこちらの内輪を窺わせていたことは確かだった。
「じゃ余りお友だちはおありにならないんでございますね?」(未完)
(大正十四年四月) | 底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月5日公開
2004年3月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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"初出": "「中央公論」1923(大正12)年9月、1925(大正14)年4月「女性」",
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これは近頃Nさんと云う看護婦に聞いた話である。Nさんは中々利かぬ気らしい。いつも乾いた唇のかげに鋭い犬歯の見える人である。
僕は当時僕の弟の転地先の宿屋の二階に大腸加答児を起して横になっていた。下痢は一週間たってもとまる気色は無い。そこで元来は弟のためにそこに来ていたNさんに厄介をかけることになったのである。
ある五月雨のふり続いた午後、Nさんは雪平に粥を煮ながら、いかにも無造作にその話をした。
× × ×
ある年の春、Nさんはある看護婦会から牛込の野田と云う家へ行くことになった。野田と云う家には男主人はいない。切り髪にした女隠居が一人、嫁入り前の娘が一人、そのまた娘の弟が一人、――あとは女中のいるばかりである。Nさんはこの家へ行った時、何か妙に気の滅入るのを感じた。それは一つには姉も弟も肺結核に罹っていたためであろう。けれどもまた一つには四畳半の離れの抱えこんだ、飛び石一つ打ってない庭に木賊ばかり茂っていたためである。実際その夥しい木賊はNさんの言葉に従えば、「胡麻竹を打った濡れ縁さえ突き上げるように」茂っていた。
女隠居は娘を雪さんと呼び、息子だけは清太郎と呼び捨てにしていた。雪さんは気の勝った女だったと見え、熱の高低を計るのにさえ、Nさんの見たのでは承知せずに一々検温器を透かして見たそうである。清太郎は雪さんとは反対にNさんに世話を焼かせたことはない。何でも言うなりになるばかりか、Nさんにものを言う時には顔を赤めたりするくらいである。女隠居はこう云う清太郎よりも雪さんを大事にしていたらしい。その癖病気の重いのは雪さんよりもむしろ清太郎だった。
「あたしはそんな意気地なしに育てた覚えはないんだがね。」
女隠居は離れへ来る度に(清太郎は離れに床に就いていた。)いつもつけつけと口小言を言った。が、二十一になる清太郎は滅多に口答えもしたこともない。ただ仰向けになったまま、たいていはじっと目を閉じている。そのまた顔も透きとおるように白い。Nさんは氷嚢を取り換えながら、時々その頬のあたりに庭一ぱいの木賊の影が映るように感じたと云うことである。
ある晩の十時前に、Nさんはこの家から二三町離れた、灯の多い町へ氷を買いに行った。その帰りに人通りの少ない屋敷続きの登り坂へかかると、誰か一人ぶらさがるように後ろからNさんに抱きついたものがある。Nさんは勿論びっくりした。が、その上にも驚いたことには思わずたじたじとなりながら、肩越しに相手をふり返ると、闇の中にもちらりと見えた顔が清太郎と少しも変らないことである。いや、変らないのは顔ばかりではない。五分刈りに刈った頭でも、紺飛白らしい着物でも、ほとんど清太郎とそっくりである。しかしおとといも喀血した患者の清太郎が出て来るはずはない。況やそんな真似をしたりするはずはない。
「姐さん、お金をおくれよう。」
その少年はやはり抱きついたまま、甘えるようにこう声をかけた。その声もまた不思議にも清太郎の声ではないかと思うくらいである。気丈なNさんは左の手にしっかり相手の手を抑えながら、「何です、失礼な。あたしはこの屋敷のものですから、そんなことをおしなさると、門番の爺やさんを呼びますよ」と言った。
けれども相手は不相変「お金をおくれよう」を繰り返している。Nさんはじりじり引き戻されながら、もう一度この少年をふり返った。今度もまた相手の目鼻立ちは確かに「はにかみや」の清太郎である。Nさんは急に無気味になり、抑えていた手を緩めずに出来るだけ大きい声を出した。
「爺やさん、来て下さい!」
相手はNさんの声と一しょに、抑えられていた手を振りもぎろうとした。同時にまたNさんも左の手を離した。それから相手がよろよろする間に一生懸命に走り出した。
Nさんは息を切らせながら、(後になって気がついて見ると、風呂敷に包んだ何斤かの氷をしっかり胸に当てていたそうである。)野田の家の玄関へ走りこんだ。家の中は勿論ひっそりしている。Nさんは茶の間へ顔を出しながら、夕刊をひろげていた女隠居にちょっと間の悪い思いをした。
「Nさん、あなた、どうなすった?」
女隠居はNさんを見ると、ほとんど詰るようにこう言った。それは何もけたたましい足音に驚いたためばかりではない。実際またNさんは笑ってはいても、体の震えるのは止まらなかったからである。
「いえ、今そこの坂へ来ると、いたずらをした人があったものですから、……」
「あなたに?」
「ええ、後からかじりついて、『姐さん、お金をおくれよう』って言って、……」
「ああ、そう言えばこの界隈には小堀とか云う不良少年があってね、……」
すると次の間から声をかけたのはやはり床についている雪さんである。しかもそれはNさんには勿論、女隠居にも意外だったらしい、妙に険のある言葉だった。
「お母様、少し静かにして頂戴。」
Nさんはこう云う雪さんの言葉に軽い反感――と云うよりもむしろ侮蔑を感じながら、その機会に茶の間を立って行った。が、清太郎に似た不良少年の顔は未だに目の前に残っている。いや、不良少年の顔ではない。ただどこか輪郭のぼやけた清太郎自身の顔である。
五分ばかりたった後、Nさんはまた濡れ縁をまわり、離れへ氷嚢を運んで行った。清太郎はそこにいないかも知れない、少くとも死んでいるのではないか?――そんな気もNさんにはしないではなかった。が、離れへ行って見ると、清太郎は薄暗い電燈の下に静かにひとり眠っている。顔もまた不相変透きとおるように白い。ちょうど庭に一ぱいに伸びた木賊の影の映っているように。
「氷嚢をお取り換え致しましょう。」
Nさんはこう言いかけながら、後ろが気になってならなかった。
× × ×
僕はこの話の終った時、Nさんの顔を眺めたまま多少悪意のある言葉を出した。
「清太郎?――ですね。あなたはその人が好きだったんでしょう?」
「ええ、好きでございました。」
Nさんは僕の予想したよりも遥かにさっぱりと返事をした。
(大正十五年八月十二日) | 底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年2月1日公開
2004年3月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "000046",
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尾生は橋の下に佇んで、さっきから女の来るのを待っている。
見上げると、高い石の橋欄には、蔦蘿が半ば這いかかって、時々その間を通りすぎる往来の人の白衣の裾が、鮮かな入日に照らされながら、悠々と風に吹かれて行く。が、女は未だに来ない。
尾生はそっと口笛を鳴しながら、気軽く橋の下の洲を見渡した。
橋の下の黄泥の洲は、二坪ばかりの広さを剰して、すぐに水と続いている。水際の蘆の間には、大方蟹の棲家であろう、いくつも円い穴があって、そこへ波が当る度に、たぶりと云うかすかな音が聞えた。が、女は未だに来ない。
尾生はやや待遠しそうに水際まで歩を移して、舟一艘通らない静な川筋を眺めまわした。
川筋には青い蘆が、隙間もなくひしひしと生えている。のみならずその蘆の間には、所々に川楊が、こんもりと円く茂っている。だからその間を縫う水の面も、川幅の割には広く見えない。ただ、帯ほどの澄んだ水が、雲母のような雲の影をたった一つ鍍金しながら、ひっそりと蘆の中にうねっている。が、女は未だに来ない。
尾生は水際から歩をめぐらせて、今度は広くもない洲の上を、あちらこちらと歩きながら、おもむろに暮色を加えて行く、あたりの静かさに耳を傾けた。
橋の上にはしばらくの間、行人の跡を絶ったのであろう。沓の音も、蹄の音も、あるいはまた車の音も、そこからはもう聞えて来ない。風の音、蘆の音、水の音、――それからどこかでけたたましく、蒼鷺の啼く声がした。と思って立止ると、いつか潮がさし出したと見えて、黄泥を洗う水の色が、さっきよりは間近に光っている。が、女は未だに来ない。
尾生は険しく眉をひそめながら、橋の下のうす暗い洲を、いよいよ足早に歩き始めた。その内に川の水は、一寸ずつ、一尺ずつ、次第に洲の上へ上って来る。同時にまた川から立昇る藻の匀や水の匀も、冷たく肌にまつわり出した。見上げると、もう橋の上には鮮かな入日の光が消えて、ただ、石の橋欄ばかりが、ほのかに青んだ暮方の空を、黒々と正しく切り抜いている。が、女は未だに来ない。
尾生はとうとう立ちすくんだ。
川の水はもう沓を濡しながら、鋼鉄よりも冷やかな光を湛えて、漫々と橋の下に広がっている。すると、膝も、腹も、胸も、恐らくは頃刻を出ない内に、この酷薄な満潮の水に隠されてしまうのに相違あるまい。いや、そう云う内にも水嵩は益高くなって、今ではとうとう両脛さえも、川波の下に没してしまった。が、女は未だに来ない。
尾生は水の中に立ったまま、まだ一縷の望を便りに、何度も橋の空へ眼をやった。
腹を浸した水の上には、とうに蒼茫たる暮色が立ち罩めて、遠近に茂った蘆や柳も、寂しい葉ずれの音ばかりを、ぼんやりした靄の中から送って来る。と、尾生の鼻を掠めて、鱸らしい魚が一匹、ひらりと白い腹を飜した。その魚の躍った空にも、疎ながらもう星の光が見えて、蔦蘿のからんだ橋欄の形さえ、いち早い宵暗の中に紛れている。が、女は未だに来ない。……
―――――――――――――――――――――――――
夜半、月の光が一川の蘆と柳とに溢れた時、川の水と微風とは静に囁き交しながら、橋の下の尾生の死骸を、やさしく海の方へ運んで行った。が、尾生の魂は、寂しい天心の月の光に、思い憧れたせいかも知れない。ひそかに死骸を抜け出すと、ほのかに明るんだ空の向うへ、まるで水の匀や藻の匀が音もなく川から立ち昇るように、うらうらと高く昇ってしまった。……
それから幾千年かを隔てた後、この魂は無数の流転を閲して、また生を人間に託さなければならなくなった。それがこう云う私に宿っている魂なのである。だから私は現代に生れはしたが、何一つ意味のある仕事が出来ない。昼も夜も漫然と夢みがちな生活を送りながら、ただ、何か来るべき不可思議なものばかりを待っている。ちょうどあの尾生が薄暮の橋の下で、永久に来ない恋人をいつまでも待ち暮したように。
(大正八年十二月) | 底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年12月1日第1刷発行
1996(平成8)年4月1日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月8日公開
2004年3月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "000024",
"作品名": "尾生の信",
"作品名読み": "びせいのしん",
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"初出": "「中央文学」1920(大正9)年1月",
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吾妻橋の欄干によって、人が大ぜい立っている。時々巡査が来て小言を云うが、すぐまた元のように人山が出来てしまう。皆、この橋の下を通る花見の船を見に、立っているのである。
船は川下から、一二艘ずつ、引き潮の川を上って来る。大抵は伝馬に帆木綿の天井を張って、そのまわりに紅白のだんだらの幕をさげている。そして、舳には、旗を立てたり古風な幟を立てたりしている。中にいる人間は、皆酔っているらしい。幕の間から、お揃いの手拭を、吉原かぶりにしたり、米屋かぶりにしたりした人たちが「一本、二本」と拳をうっているのが見える。首をふりながら、苦しそうに何か唄っているのが見える。それが橋の上にいる人間から見ると、滑稽としか思われない。お囃子をのせたり楽隊をのせたりした船が、橋の下を通ると、橋の上では「わあっ」と云う哂い声が起る。中には「莫迦」と云う声も聞える。
橋の上から見ると、川は亜鉛板のように、白く日を反射して、時々、通りすぎる川蒸汽がその上に眩しい横波の鍍金をかけている。そうして、その滑な水面を、陽気な太鼓の音、笛の音、三味線の音が虱のようにむず痒く刺している。札幌ビールの煉瓦壁のつきる所から、土手の上をずっと向うまで、煤けた、うす白いものが、重そうにつづいているのは、丁度、今が盛りの桜である。言問の桟橋には、和船やボートが沢山ついているらしい。それがここから見ると、丁度大学の艇庫に日を遮られて、ただごみごみした黒い一色になって動いている。
すると、そこへ橋をくぐって、また船が一艘出て来た。やはりさっきから何艘も通ったような、お花見の伝馬である。紅白の幕に同じ紅白の吹流しを立てて、赤く桜を染めぬいたお揃いの手拭で、鉢巻きをした船頭が二三人櫓と棹とで、代る代る漕いでいる。それでも船足は余り早くない。幕のかげから見える頭数は五十人もいるかと思われる。橋をくぐる前までは、二梃三味線で、「梅にも春」か何かを弾いていたが、それがすむと、急に、ちゃんぎりを入れた馬鹿囃子が始まった。橋の上の見物がまた「わあっ」と哂い声を上げる。中には人ごみに押された子供の泣き声も聞える。「あらごらんよ、踊っているからさ」と云う甲走った女の声も聞える――船の上では、ひょっとこの面をかぶった背の低い男が、吹流しの下で、馬鹿踊を踊っているのである。
ひょっとこは、秩父銘仙の両肌をぬいで、友禅の胴へむき身絞りの袖をつけた、派手な襦袢を出している。黒八の襟がだらしなくはだけて、紺献上の帯がほどけたなり、だらりと後へぶら下がっているのを見ても、余程、酔っているらしい。踊は勿論、出たらめである。ただ、いい加減に、お神楽堂の上の莫迦のような身ぶりだとか、手つきだとかを、繰返しているのにすぎない。それも酒で体が利かないと見えて、時々はただ、中心を失って舷から落ちるのを防ぐために、手足を動かしているとしか、思われない事がある。
それがまた、一層可笑しいので、橋の上では、わいわい云って、騒いでいる。そうして、皆、哂いながら、さまざまな批評を交換している。「どうだい、あの腰つきは」「いい気なもんだぜ、どこの馬の骨だろう」「おかしいねえ、あらよろけたよ」「一そ素面で踊りゃいいのにさ」――ざっとこんな調子である。
その内に、酔が利いて来たのか、ひょっとこの足取がだんだん怪しくなって来た。丁度、不規則な Metronome のように、お花見の手拭で頬かぶりをした頭が、何度も船の外へのめりそうになるのである。船頭も心配だと見えて、二度ばかり後から何か声をかけたが、それさえまるで耳にははいらなかったらしい。
すると、今し方通った川蒸汽の横波が、斜に川面をすべって来て、大きく伝馬の底を揺り上げた。その拍子にひょっとこの小柄な体は、どんとそのあおりを食ったように、ひょろひょろ前の方へ三足ばかりよろけて行ったが、それがやっと踏止ったと思うと、今度はいきなり廻転を止められた独楽のように、ぐるりと一つ大きな円をかきながら、あっと云う間に、メリヤスの股引をはいた足を空へあげて、仰向けに伝馬の中へ転げ落ちた。
橋の上の見物は、またどっと声をあげて哂った。
船の中ではそのはずみに、三味線の棹でも折られたらしい。幕の間から見ると、面白そうに酔って騒いでいた連中が、慌てて立ったり坐ったりしている。今まではやしていた馬鹿囃子も、息のつまったように、ぴったり止んでしまった。そうして、ただ、がやがや云う人の声ばかりする。何しろ思いもよらない混雑が起ったのにちがいない。それから少時すると、赤い顔をした男が、幕の中から首を出して、さも狼狽したように手を動かしながら、早口で何か船頭に云いつけた。すると、伝馬はどうしたのか、急に取舵をとって、舳を桜とは反対の山の宿の河岸に向けはじめた。
橋の上の見物が、ひょっとこの頓死した噂を聞いたのはそれから十分の後である。もう少し詳しい事は、翌日の新聞の十把一束と云う欄にのせてある。それによると、ひょっとこの名は山村平吉、病名は脳溢血と云う事であった。
× × ×
山村平吉はおやじの代から、日本橋の若松町にいる絵具屋である。死んだのは四十五で、後には痩せた、雀斑のあるお上みさんと、兵隊に行っている息子とが残っている。暮しは裕だと云うほどではないが、雇人の二三人も使って、どうにか人並にはやっているらしい。人の噂では、日清戦争頃に、秋田あたりの岩緑青を買占めにかかったのが、当ったので、それまでは老鋪と云うだけで、お得意の数も指を折るほどしか無かったのだと云う。
平吉は、円顔の、頭の少し禿げた、眼尻に小皺のよっている、どこかひょうきんな所のある男で、誰にでも腰が低い。道楽は飲む一方で、酒の上はどちらかと云うと、まずいい方である。ただ、酔うと、必ず、馬鹿踊をする癖があるが、これは当人に云わせると、昔、浜町の豊田の女将が、巫女舞を習った時分に稽古をしたので、その頃は、新橋でも芳町でも、お神楽が大流行だったと云う事である。しかし、踊は勿論、当人が味噌を上げるほどのものではない。悪く云えば、出たらめで、善く云えば喜撰でも踊られるより、嫌味がないと云うだけである。もっともこれは、当人も心得ていると見えて、しらふの時には、お神楽のおの字も口へ出した事はない。「山村さん、何かお出しなさいな」などと、すすめられても、冗談に紛らせて逃げてしまう。それでいて、少しお神酒がまわると、すぐに手拭をかぶって、口で笛と太鼓の調子を一つにとりながら、腰を据えて、肩を揺って、塩吹面舞と言うのをやりたがる。そうして、一度踊り出したら、いつまでも図にのって、踊っている。はたで三味線を弾いていようが、謡をうたっていようが、そんな事にはかまわない。
ところが、その酒が崇って、卒中のように倒れたなり、気の遠くなってしまった事が、二度ばかりある。一度は町内の洗湯で、上り湯を使いながら、セメントの流しの上へ倒れた。その時は腰を打っただけで、十分とたたない内に気がついたが、二度目に自家の蔵の中で仆れた時には、医者を呼んで、やっと正気にかえして貰うまで、かれこれ三十分ばかりも手間どった。平吉はその度に、医者から酒を禁じられるが、殊勝らしく、赤い顔をしずにいるのはほんのその当座だけで、いつでも「一合位は」からだんだん枡数がふえて、半月とたたない中に、いつの間にかまた元の杢阿弥になってしまう。それでも、当人は平気なもので「やはり飲まずにいますと、かえって体にいけませんようで」などと勝手な事を云ってすましている。
× × ×
しかし平吉が酒をのむのは、当人の云うように生理的に必要があるばかりではない。心理的にも、飲まずにはいられないのである。何故かと云うと、酒さえのめば気が大きくなって、何となく誰の前でも遠慮が入らないような心持ちになる。踊りたければ踊る。眠たければ眠る。誰もそれを咎める者はない。平吉には、何よりも之が難有いのである。何故これが難有いか。それは自分にもわからない。
平吉はただ酔うと、自分がまったく、別人になると云う事を知っている。勿論、馬鹿踊を踊ったあとで、しらふになってから、「昨夜は御盛んでしたな」と云われると、すっかりてれてしまって、「どうも酔ぱらうとだらしはありませんでね。何をどうしたんだか、今朝になってみると、まるで夢のような始末で」と月並な嘘を云っているが、実は踊ったのも、眠てしまったのも、いまだにちゃんと覚えている。そうして、その記憶に残っている自分と今日の自分と比較すると、どうしても同じ人間だとは思われない。それなら、どっちの平吉がほんとうの平吉かと云うと、これも彼には、判然とわからない。酔っているのは一時で、しらふでいるのは始終である。そうすると、しらふでいる時の平吉の方が、ほんとうの平吉のように思われるが、彼自身では妙にどっちとも云い兼ねる。何故かと云うと、平吉が後で考えて、莫迦莫迦しいと思う事は、大抵酔った時にした事ばかりである。馬鹿踊はまだ好い。花を引く。女を買う。どうかすると、ここに書けもされないような事をする。そう云う事をする自分が、正気の自分だとは思われない。
Janus の云う神様には、首が二つある。どっちがほんとうの首だか知っている者は誰もいない。平吉もその通りである。
ふだんの平吉と酔っている時の平吉とはちがうと云った。そのふだんの平吉ほど、嘘をつく人間は少いかもしれない。これは平吉が自分で時々、そう思うのである。しかし、こう云ったからと云って、何も平吉が損得の勘定ずくで嘘をついていると云う訳では毛頭ない。第一彼は、ほとんど、嘘をついていると云う事を意識せずに、嘘をついている。もっともついてしまうとすぐ、自分でもそうと気がつくが、現についている時には、全然結果の予想などをする余裕は、無いのである。
平吉は自分ながら、何故そう嘘が出るのだかわからない。が人と話していると自然に云おうとも思わない嘘が出てしまう、しかし、格別それが苦になる訣でもない。悪い事をしたと云う気がする訳でもない。そこで平吉は、毎日平気で嘘をついている。
× × ×
平吉の口から出た話によると、彼は十一の年に南伝馬町の紙屋へ奉公に行った。するとそこの旦那は大の法華気違いで、三度の飯も御題目を唱えない内は、箸をとらないと云った調子である。所が、平吉がお目見得をしてから二月ばかりするとそこのお上みさんがふとした出来心から店の若い者と一しょになって着のみ着のままでかけ落ちをしてしまった。そこで、一家安穏のためにした信心が一向役にたたないと思ったせいか、法華気違いだった旦那が急に、門徒へ宗旨替をして、帝釈様のお掛地を川へ流すやら、七面様の御影を釜の下へ入れて焼くやら、大騒ぎをした事があるそうである。
それからまた、そこに廿までいる間に店の勘定をごまかして、遊びに行った事が度々あるが、その頃、馴染みになった女に、心中をしてくれと云われて弱った覚もある。とうとう一寸逃れを云って、その場は納まったが、後で聞くとやはりその女は、それから三日ばかりして、錺屋の職人と心中をしていた。深間になっていた男がほかの女に見かえたので、面当てに誰とでも死にたがっていたのである。
それから廿の年におやじがなくなったので、紙屋を暇をとって自家へ帰って来た。半月ばかりするとある日、おやじの代から使っていた番頭が、若旦那に手紙を一本書いて頂きたいと云う。五十を越した実直な男で、その時右の手の指を痛めて、筆を持つ事が出来なかったのである。「万事都合よく運んだからその中にゆく。」と書いてくれと云うので、その通り書いてやった。宛名が女なので、「隅へは置けないぜ」とか何とか云って冷評したら、「これは手前の姉でございます」と答えた。すると三日ばかりたつ内に、その番頭がお得意先を廻りにゆくと云って家を出たなり、いつまでたっても帰らない。帳面を検べてみると、大穴があいている。手紙はやはり、馴染の女の所へやったのである。書かせられた平吉ほど莫迦をみたものはない。……
これが皆、嘘である。平吉の一生(人の知っている)から、これらの嘘を除いたら、あとには何も残らないのに相違ない。
× × ×
平吉が町内のお花見の船の中で、お囃子の連中にひょっとこの面を借りて、舷へ上ったのも、やはりいつもの一杯機嫌でやったのである。
それから踊っている内に、船の中へころげ落ちて、死んだ事は、前に書いてある。船の中の連中は、皆、驚いた。一番、驚いたのは、あたまの上へ落ちられた清元のお師匠さんである。平吉の体はお師匠さんのあたまの上から、海苔巻や、うで玉子の出ている胴の間の赤毛布の上へ転げ落ちた。
「冗談じゃあねえや。怪我でもしたらどうするんだ。」これはまだ、平吉が巫山戯ていると思った町内の頭が、中っ腹で云ったのである。けれども、平吉は動くけしきがない。
すると頭の隣にいた髪結床の親方が、さすがにおかしいと思ったか、平吉の肩へ手をかけて、「旦那、旦那…もし…旦那…旦那」と呼んで見たが、やはり何とも返事がない。手のさきを握っていると冷くなっている。親方は頭と二人で平吉を抱き起した。一同の顔は不安らしく、平吉の上にさしのべられた。「旦那……旦那……もし……旦那……旦那……」髪結床の親方の声が上ずって来た。
するとその時、呼吸とも声ともわからないほど、かすかな声が、面の下から親方の耳へ伝って来た。「面を……面をとってくれ……面を。」頭と親方とはふるえる手で、手拭と面を外した。
しかし面の下にあった平吉の顔はもう、ふだんの平吉の顔ではなくなっていた。小鼻が落ちて、唇の色が変って、白くなった額には、油汗が流れている。一眼見たのでは、誰でもこれが、あの愛嬌のある、ひょうきんな、話のうまい、平吉だと思うものはない。ただ変らないのは、つんと口をとがらしながら、とぼけた顔を胴の間の赤毛布の上に仰向けて、静に平吉の顔を見上げている、さっきのひょっとこの面ばかりである。
(大正三年十二月) | 底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年11月11日公開
2004年3月8日修正
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僕は籐の長椅子にぼんやり横になっている。目の前に欄干のあるところをみると、どうも船の甲板らしい。欄干の向うには灰色の浪に飛び魚か何か閃いている。が、何のために船へ乗ったか、不思議にもそれは覚えていない。つれがあるのか、一人なのか、その辺も同じように曖昧である。
曖昧と云えば浪の向うも靄のおりているせいか、甚だ曖昧を極めている。僕は長椅子に寝ころんだまま、その朦朧と煙った奥に何があるのか見たいと思った。すると念力の通じたように、見る見る島の影が浮び出した。中央に一座の山の聳えた、円錐に近い島の影である。しかし大体の輪郭のほかは生憎何もはっきりとは見えない。僕は前に味をしめていたから、もう一度見たいと念じて見た。けれども薄い島の影は依然として薄いばかりである。念力も今度は無効だったらしい。
この時僕は右隣にたちまち誰かの笑うのを聞いた。
「はははははは、駄目ですね。今度は念力もきかないようですね。はははははは。」
右隣の籐椅子に坐っているのは英吉利人らしい老人である。顔は皺こそ多いものの、まず好男子と評しても好い。しかし服装はホオガスの画にみた十八世紀の流行である。Cocked hat と云うのであろう。銀の縁のある帽子をかぶり、刺繍のある胴衣を着、膝ぎりしかないズボンをはいている。おまけに肩へ垂れているのは天然自然の髪の毛ではない。何か妙な粉をふりかけた麻色の縮れ毛の鬘である。僕は呆気にとられながら、返事をすることも忘れていた。
「わたしの望遠鏡をお使いなさい。これを覗けばはっきり見えます。」
老人は人の悪い笑い顔をしたまま、僕の手に古い望遠鏡を渡した。いつかどこかの博物館に並んでいたような望遠鏡である。
「オオ、サンクス。」
僕は思わず英吉利語を使った。しかし老人は無頓着に島の影を指さしながら、巧みに日本語をしゃべりつづけた。その指さした袖の先にも泡のようにレエスがはみ出している。
「あの島はサッサンラップと云うのですがね。綴りですか? 綴りはSUSSANRAPです。一見の価値のある島ですよ。この船も五六日は碇泊しますから、ぜひ見物にお出かけなさい。大学もあれば伽藍もあります。殊に市の立つ日は壮観ですよ。何しろ近海の島々から無数の人々が集まりますからね。……」
僕は老人のしゃべっている間に望遠鏡を覗いて見た。ちょうど鏡面に映っているのはこの島の海岸の市街であろう。小綺麗な家々の並んだのが見える。並木の梢に風のあるのが見える。伽藍の塔の聳えたのが見える。靄などは少しもかかっていない。何もかもことごとくはっきりと見える。僕は大いに感心しながら、市街の上へ望遠鏡を移した。と同時に僕の口はあっと云う声を洩らしそうになった。
鏡面には雲一つ見えない空に不二に似た山が聳えている。それは不思議でも何でもない。けれどもその山は見上げる限り、一面に野菜に蔽われている。玉菜、赤茄子、葱、玉葱、大根、蕪、人参、牛蒡、南瓜、冬瓜、胡瓜、馬鈴薯、蓮根、慈姑、生姜、三つ葉――あらゆる野菜に蔽われている。蔽われている? 蔽わ――そうではない。これは野菜を積み上げたのである。驚くべき野菜のピラミッドである。
「あれは――あれはどうしたのです?」
僕は望遠鏡を手にしたまま、右隣の老人をふり返った。が、老人はもうそこにいない。ただ籐の長椅子の上に新聞が一枚抛り出してある。僕はあっと思った拍子に脳貧血か何か起したのであろう。いつかまた妙に息苦しい無意識の中に沈んでしまった。
× × ×
「どうです、見物はすみましたか?」
老人は気味の悪い微笑をしながら、僕の側へ腰をおろした。
ここはホテルのサロンであろう。セセッション式の家具を並べた、妙にだだっ広い西洋室である。が、人影はどこにも見えない。ずっと奥に見えるリフトも昇ったり降ったりしている癖に、一人も客は出て来ないようである。よくよくはやらないホテルらしい。
僕はこのサロンの隅の長椅子に上等のハヴァナを啣えている。頭の上に蔓を垂らしているのは鉢植えの南瓜に違いない。広い葉の鉢を隠したかげに黄いろい花の開いたのも見える。
「ええ、ざっと見物しました。――どうです、葉巻は?」
しかし老人は子供のようにちょいと首を振ったなり、古風な象牙の嗅煙草入れを出した。これもどこかの博物館に並んでいたのを見た通りである。こう云う老人は日本は勿論、西洋にも今は一人もあるまい。佐藤春夫にでも紹介してやったら、さぞ珍重することであろう。僕は老人に話しかけた。
「町のそとへ一足出ると、見渡す限りの野菜畑ですね。」
「サッサンラップ島の住民は大部分野菜を作るのです。男でも女でも野菜を作るのです。」
「そんなに需要があるものでしょうか?」
「近海の島々へ売れるのです。が、勿論売れ残らずにはいません。売れ残ったのはやむを得ず積み上げて置くのです。船の上から見えたでしょう、ざっと二万呎も積み上っているのが?」
「あれがみんな売れ残ったのですか? あの野菜のピラミッドが?」
僕は老人の顔を見たり、目ばかりぱちぱちやるほかはなかった。が、老人は不相変面白そうにひとり微笑している。
「ええ、みんな売れ残ったのです。しかもたった三年の間にあれだけの嵩になるのですからね。古来の売れ残りを集めたとしたら、太平洋も野菜に埋まるくらいですよ。しかしサッサンラップ島の住民は未だに野菜を作っているのです。昼も夜も作っているのです。はははははは、我々のこうして話している間も一生懸命に作っているのです。はははははは、はははははは。」
老人は苦しそうに笑い笑い、茉莉花の匂のするハンカチイフを出した。これはただの笑いではない。人間の愚を嘲弄する悪魔の笑いに似たものである。僕は顔をしかめながら、新しい話題を持ち出すことにした。
僕「市はいつ立つのですか?」
老人「毎月必ず月はじめに立ちます。しかしそれは普通の市ですね。臨時の大市は一年に三度、――一月と四月と九月とに立ちます。殊に一月は書入れの市ですよ。」
僕「じゃ大市の前は大騒ぎですね?」
老人「大騒ぎですとも。誰でも大市に間に合うように思い思いの野菜を育てるのですからね。燐酸肥料をやる、油滓をやる、温室へ入れる、電流を通じる、――とてもお話にはなりません。中にはまた一刻も早く育てようとあせった挙句、せっかく大事にしている野菜を枯らしてしまうものもあるくらいです。」
僕「ああ、そう云えば野菜畑にきょうも痩せた男が一人、気違いのような顔をしたまま、『間に合わない、間に合わない』と駈けまわっていました。」
老人「それはさもありそうですね。新年の大市も直ですから。――町にいる商人も一人残らず血眼になっているでしょう。」
僕「町にいる商人と云うと?」
老人「野菜の売買をする商人です。商人は田舎の男女の育てた野菜畑の野菜を買う、近海の島々から来た男女はそのまた商人の野菜を買う、――と云う順序になっているのです。」
僕「なるほど、その商人でしょう、これは肥った男が一人、黒い鞄をかかえながら、『困る、困る』と云っているのを見ました。――じゃ一番売れるのはどう云う種類の野菜ですか?」
老人「それは神の意志ですね。どう云うものとも云われません。年々少しずつ違うようですし、またその違う訣もわからないようです。」
僕「しかし善いものならば売れるでしょう?」
老人「さあ、それもどうですかね。一体野菜の善悪は片輪のきめることになっているのですが、……」
僕「どうしてまた片輪などがきめるのです?」
老人「片輪は野菜畑へ出られないでしょう。従ってまた野菜も作れない、それだけに野菜の善悪を見る目は自他の別を超越する、公平の態度をとることが出来る、――つまり日本の諺を使えば岡目八目になる訣ですね。」
僕「ああ、その片輪の一人ですね。さっき髯の生えた盲が一人、泥だらけの八つ頭を撫でまわしながら、『この野菜の色は何とも云われない。薔薇の花の色と大空の色とを一つにしたようだ』と云っていましたよ。」
老人「そうでしょう。盲などは勿論立派なものです。が、最も理想的なのはこの上もない片輪ですね。目の見えない、耳の聞えない、鼻の利かない、手足のない、歯や舌のない片輪ですね。そう云う片輪さえ出現すれば、一代の Arbiter elegantiarum になります。現在人気物の片輪などはたいていの資格を具えていますがね、ただ鼻だけきいているのです。何でもこの間はその鼻の穴へゴムを溶かしたのをつぎこんだそうですが、やはり少しは匂がするそうですよ。」
僕「ところでその片輪のきめた野菜の善悪はどうなるのです?」
老人「それがどうにもならないのです。いくら片輪に悪いと云われても、売れる野菜はずんずん売れてしまうのです。」
僕「じゃ商人の好みによるのでしょう?」
老人「商人は売れる見こみのある野菜ばかり買うのでしょう。すると善い野菜が売れるかどうか……」
僕「お待ちなさいよ。それならばまず片輪のきめた善悪を疑う必要がありますね。」
老人「それは野菜を作る連中はたいてい疑っているのですがね。じゃそう云う連中に野菜の善悪を聞いて見ると、やはりはっきりしないのですよ。たとえばある連中によれば『善悪は滋養の有無なり』と云うのです。が、またほかの連中によれば『善悪は味にほかならず』と云うのです。それだけならばまだしも簡単ですが……」
僕「へええ、もっと複雑なのですか?」
老人「その味なり滋養なりにそれぞれまた説が分れるのです。たとえばヴィタミンのないのは滋養がないとか、脂肪のあるのは滋養があるとか、人参の味は駄目だとか、大根の味に限るとか……」
僕「するとまず標準は滋養と味と二つある、その二つの標準に種々様々のヴァリエエションがある、――大体こう云うことになるのですか?」
老人「中々そんなもんじゃありません。たとえばまだこう云うのもあります。ある連中に云わせると、色の上に標準もあるのです。あの美学の入門などに云う色の上の寒温ですね。この連中は赤とか黄とか温い色の野菜ならば、何でも及第させるのです。が、青とか緑とか寒い色の野菜は見むきもしません。何しろこの連中のモットオは『野菜をしてことごとく赤茄子たらしめよ。然らずんば我等に死を与えよ』と云うのですからね。」
僕「なるほどシャツ一枚の豪傑が一人、自作の野菜を積み上げた前にそんな演説をしていましたよ。」
老人「ああ、それがそうですよ。その温い色をした野菜はプロレタリアの野菜と云うのです。」
僕「しかし積み上げてあった野菜は胡瓜や真桑瓜ばかりでしたが、……」
老人「それはきっと色盲ですよ。自分だけは赤いつもりなのですよ。」
僕「寒い色の野菜はどうなのです?」
老人「これも寒い色の野菜でなければ野菜ではないと云う連中がいます。もっともこの連中は冷笑はしても、演説などはしないようですがね、肚の中では負けず劣らず温い色の野菜を嫌っているようです。」
僕「するとつまり卑怯なのですか?」
老人「何、演説をしたがらないよりも演説をすることが出来ないのです。たいてい酒毒か黴毒かのために舌が腐っているようですからね。」
僕「ああ、あれがそうなのでしょう。シャツ一枚の豪傑の向うに細いズボンをはいた才子が一人、せっせと南瓜をもぎりながら、『へん、演説か』と云っていましたっけ。」
老人「まだ青い南瓜をでしょう。ああ云う色の寒いのをブルジョア野菜と云うのです。」
僕「すると結局どうなるのです? 野菜を作る連中によれば、……」
老人「野菜を作る連中によれば、自作の野菜に似たものはことごとく善い野菜ですが、自作の野菜に似ないものはことごとく悪い野菜なのです。これだけはとにかく確かですよ。」
僕「しかし大学もあるのでしょう? 大学の教授は野菜学の講義をしているそうですから、野菜の善悪を見分けるくらいは何でもないと思いますが、……」
老人「ところが大学の教授などはサッサンラップ島の野菜になると、豌豆と蚕豆も見わけられないのです。もっとも一世紀より前の野菜だけは講義の中にもはいりますがね。」
僕「じゃどこの野菜のことを知っているのです?」
老人「英吉利の野菜、仏蘭西の野菜、独逸の野菜、伊太利の野菜、露西亜の野菜、一番学生に人気のあるのは露西亜の野菜学の講義だそうです。ぜひ一度大学を見にお出でなさい。わたしのこの前参観した時には鼻眼鏡をかけた教授が一人、瓶の中のアルコオルに漬けた露西亜の古胡瓜を見せながら、『サッサンラップ島の胡瓜を見給え。ことごとく青い色をしている。しかし偉大なる露西亜の胡瓜はそう云う浅薄な色ではない。この通り人生そのものに似た、捕捉すべからざる色をしている。ああ、偉大なる露西亜の胡瓜は……』と懸河の弁を振っていました。わたしは当時感動のあまり、二週間ばかり床についたものです。」
僕「すると――するとですね、やはりあなたの云うように野菜の売れるか売れないかは神の意志に従うとでも考えるよりほかはないのですか?」
老人「まあ、そのほかはありますまい。また実際この島の住民はたいていバッブラッブベエダを信仰していますよ。」
僕「何です、そのバッブラッブ何とか云うのは?」
老人「バッブラッブベエダです。BABRABBADAと綴りますがね。まだあなたは見ないのですか? あの伽藍の中にある……」
僕「ああ、あの豚の頭をした、大きい蜥蜴の偶像ですか?」
老人「あれは蜥蜴ではありません。天地を主宰するカメレオンですよ。きょうもあの偶像の前に大勢お時儀をしていたでしょう。ああ云う連中は野菜の売れる祈祷の言葉を唱えているのです。何しろ最近の新聞によると、紐育あたりのデパアトメント・ストアアはことごとくあのカメレオンの神託の下るのを待った後、シイズンの支度にかかるそうですからね。もう世界の信仰はエホバでもなければ、アラアでもない。カメレオンに帰したとも云われるくらいです。」
僕「あの伽藍の祭壇の前にも野菜が沢山積んでありましたが、……」
老人「あれはみんな牲ですよ。サッサンラップ島のカメレオンには去年売れた野菜を牲にするのですよ。」
僕「しかしまだ日本には……」
老人「おや、誰か呼んでいますよ。」
僕は耳を澄まして見た。なるほど僕を呼んでいるらしい。しかもこの頃蓄膿症のために鼻のつまった甥の声である。僕はしぶしぶ立ち上りながら、老人の前へ手を伸ばした。
「じゃきょうは失礼します。」
「そうですか。じゃまた話しに来て下さい。わたしはこう云うものですから。」
老人は僕と握手した後、悠然と一枚の名刺を出した。名刺のまん中には鮮かに Lemuel Gulliver と印刷をしてある! 僕は思わず口をあいたまま、茫然と老人の顔を見つめた。麻色の髪の毛に囲まれた、目鼻だちの正しい老人の顔は永遠の冷笑を浮かべている、――と思ったのはほんの一瞬間に過ぎない。その顔はいつか悪戯らしい十五歳の甥の顔に変っている。
「原稿ですってさ。お起きなさいよ。原稿をとりに来たのですってさ。」
甥は僕を揺すぶった。僕は置火燵に当ったまま、三十分ばかり昼寝をしたらしい。置火燵の上に載っているのは読みかけた Gulliver's Travels である。
「原稿をとりに来た? どこの原稿を?」
「随筆のをですってさ。」
「随筆の?」
僕は我知らず独言を云った。
「サッサンラップ島の野菜市には『はこべら』の類も売れると見える。」
(大正十二年十二月) | 底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月10日公開
2004年3月7日修正
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ある機会で、予は下に掲げる二つの手紙を手に入れた。一つは本年二月中旬、もう一つは三月上旬、――警察署長の許へ、郵税先払いで送られたものである。それをここへ掲げる理由は、手紙自身が説明するであろう。
第一の手紙
――警察署長閣下、
先ず何よりも先に、閣下は私の正気だと云う事を御信じ下さい。これ私があらゆる神聖なものに誓って、保証致します。ですから、どうか私の精神に異常がないと云う事を、御信じ下さい。さもないと、私がこの手紙を閣下に差上げる事が、全く無意味になる惧があるのでございます。そのくらいなら、私は何を苦しんで、こんな長い手紙を書きましょう。
閣下、私はこれを書く前に、ずいぶん躊躇致しました。何故かと申しますと、これを書く以上、私は私一家の秘密をも、閣下の前に暴露しなければならないからでございます。勿論それは、私の名誉にとって、かなり大きな損害に相違ございません。しかし事情はこれを書かなければ、もう一刻の存在も苦痛なほど、切迫して参りました。ここで私は、ついに断乎たる処置を執る事に、致したのでございます。
そう云う必要に迫られて、これを書いた私が、どうして、狂人扱いをされて、黙って居られましょう。私はもう一度、ここに改めてお願い致します。閣下、どうか私の正気だと云う事を御信用下さい。そうして、この手紙を御面倒ながら、御一読下さい。これは私が、私と私の妻との名誉を賭して、書いたものでございますから。
かような事を、くどく書きつづけるのは、繁忙な職務を御鞅掌になる閣下にとって、余りに御迷惑を顧みない仕方かも知れません。しかし、私の下に申上げようとする事実の性質上、閣下が私の正気だと云う事を御信用になるのは、どうしても必要でございます。さもなければ、どうしてこの超自然な事実を、御承認になる事が出来ましょう。どうして、この創造的精力の奇怪な作用を、可能視なさる事が出来ましょう。それほど、私が閣下の御留意を請いたいと思う事実には不可思議な性質が加わっているのでございます。ですから、私は以上のお願いを敢て致しました。猶これから書く事も、あるいは冗漫の譏を免れないものかも知れません。しかし、これは一方では私の精神に異状がないと云う事を証明すると同時に、また一方ではこう云う事実も古来決して絶無ではなかったと云う事をお耳に入れるために、幾分の必要がありはしないかと、思われるのでございます。
歴史上、最も著名な実例の一つは、恐らくカテリナ女帝に現われたものでございましょう。それからまた、ゲエテに現れた現象も、やはりそれに劣らず著名なものでございます。が、これらは、余り人口に膾炙しすぎて居りますから、ここにはわざと申上げません。私は、それより二三の権威ある実例によって、出来るだけ手短に、この神秘の事実の性質を御説明申したいと思います。まず Dr. Werner の与えている実例から、始めましょう。彼によりますと、ルウドウィッヒスブルクの Ratzel と云う宝石商は、ある夜街の角をまがる拍子に、自分と寸分もちがわない男と、ばったり顔を合せたそうでございます。その男は、後間もなく、木樵りが檞の木を伐り倒すのに手を借して、その木の下に圧されて歿くなりました。これによく似ているのは、ロストックで数学の教授をしていた Becker に起った実例でございましょう。ベッカアはある夜五六人の友人と、神学上の議論をして、引用書が必要になったものでございますから、それをとりに独りで自分の書斎へ参りました。すると、彼以外の彼自身が、いつも彼のかける椅子に腰をかけて、何か本を読んでいるではございませんか。ベッカアは驚きながら、その人物の肩ごしに、読んでいる本を一瞥致しました。本はバイブルで、その人物の右手の指は「爾の墓を用意せよ。爾は死すべければなり」と云う章を指さして居ります。ベッカアは友人のいる部屋へ帰って来て、一同に自分の死の近づいた事を話しました。そうして、その語通り、翌日の午後六時に、静に息をひきとりました。
これで見ると、Doppelgaenger の出現は、死を予告するように思われます。が、必ずしもそうばかりとは限りません。Dr. Werner は、ディレニウス夫人と云う女が、六歳になる自分の息子と夫の妹と三人で、黒い着物を着た第二の彼女自身を見た時に、何も変事の起らなかった事を記録しています。これはまた、そう云う現象が、第三者の眼にも映じると云う、実例になりましょう。Stilling 教授が挙げているトリップリンと云うワイマアルの役人の実例や、彼の知っている某M夫人の実例も、やはり、この部類に属すべきものではございませんか。
更に進んで、第三者のみに現れたドッペルゲンゲルの例を尋ねますと、これもまた決して稀ではございません。現に Dr. Werner 自身もその下女が二重人格を見たそうでございます。次いで、ウルムの高等裁判所長の Pflzer と申す男は、その友人の官吏が、ゲッティンゲンにいる息子の姿を、自分の書斎で見たと云う事実に、確かな証明を与えて居ります。そのほか、「幽霊の性質に関する探究」の著者が挙げて居りますカムパアランドのカアクリントン教会区で、七歳の少女がその父の二重人格を見たと云う実例や「自然の暗黒面」の著者が挙げて居りますH某と云う科学者で芸術家だった男が、千七百九十二年三月十二日の夜、その叔父の二重人格を見たと云う実例などを数えましたら、恐らくそれは、夥しい数に上る事でございましょう。
私はさし当り、これ以上実例を列挙して、貴重なる閣下の時間を浪費おさせ申そうとは致しますまい。ただ、閣下は、これらが皆疑う可らざる事実だと云う事を、御承知下さればよろしゅうございます。さもないと、あるいは私の申上げようとする事が、全然とりとめのない、馬鹿げた事のように思召すかも知れません。何故かと申しますと、私も、私自身のドッペルゲンゲルに苦しまされているものだからでございます。そうして、その事に関して、いささか閣下にお願いの筋があるからでございます。
私は私自身のドッペルゲンゲルと書きました。が、詳しく云えば、私及私の妻のドッペルゲンゲルと申さなくてはなりません。私は当区――町――丁目――番地居住、佐々木信一郎と申すものでございます。年齢は三十五歳、職業は東京帝国文科大学哲学科卒業後、引続き今日まで、私立――大学の倫理及英語の教師を致して居ります。妻ふさ子は、丁度四年以前に、私と結婚致しました。当年二十七歳になりますが、子供はまだ一人もございません。ここで私が特に閣下の御注意を促したいのは、妻にヒステリカルな素質があると云う事でございます。これは結婚前後が最も甚しく、一時は私とさえほとんど語を交えないほど、憂鬱になった事もございましたが、近年は発作も極めて稀になり、気象も以前に比べれば、余程快活になって参りました。所が、昨年の秋からまた精神に何か動揺が起ったらしく、この頃では何かと異常な言動を発して、私を窘める事も少くはございません。ただ、私が何故妻のヒステリイを力説するか、それはこの奇怪な現象に対する私自身の説明と、ある関係があるからで、その説明については、いずれ後で詳しく申上る事に致しましょう。
さて、私及私の妻に現れたドッペルゲンゲルの事実は、どんなものかと申しますと、大体においてこれまでに三度ございました。今それを一つずつ私の日記を参考として、出来るだけ正確に、ここへ記載して御覧に入れましょう。
第一は、昨年十一月七日、時刻は略午後九時と九時三十分との間でございます。当日私は妻と二人で、有楽座の慈善演芸会へ参りました。打明けた御話をすれば、その会の切符は、それを売りつけられた私の友人夫婦が何かの都合で行かれなくなったために、私たちの方へ親切にもまわしてくれたのです。演芸会そのものの事は、別にくだくだしく申上げる必要はございません。また実際音曲にも踊にも興味のない私は、云わば妻のために行ったようなものでございますから、プログラムの大半は徒に私の退屈を増させるばかりでございました。従って、申上げようと思ったと致しましても、全然その材料を欠いているような始末でございます。ただ、私の記憶によりますと、仲入りの前は、寛永御前仕合と申す講談でございました。当時の私の思量に、異常な何ものかを期待する、準備的な心もちがありはしないかと云う懸念は、寛永御前仕合の講談を聞いたと云うこの一事でも一掃されは致しますまいか。
私は、仲入りに廊下へ出ると、すぐに妻を一人残して、小用を足しに参りました。申上げるまでもなく、その時分には、もう廻りの狭い廊下が、人で一ぱいになって居ります。私はその人の間を縫いながら、便所から帰って参りましたが、あの弧状になっている廊下が、玄関の前へ出る所で、予期した通り私の視線は、向うの廊下の壁によりかかるようにして立っている、妻の姿に落ちました。妻は、明い電燈の光がまぶしいように、つつましく伏眼になりながら、私の方へ横顔を向けて、静に立っているのでございます。が、それに別に不思議はございません。私が私の視覚の、同時にまた私の理性の主権を、ほとんど刹那に粉砕しようとする恐ろしい瞬間にぶつかったのは、私の視線が、偶然――と申すよりは、人間の知力を超越した、ある隠微な原因によって、その妻の傍に、こちらを後にして立っている、一人の男の姿に注がれた時でございました。
閣下、私は、その時その男に始めて私自身を認めたのでございます。
第二の私は、第一の私と同じ羽織を着て居りました。第一の私と同じ袴を穿いて居りました。そうしてまた、第一の私と、同じ姿勢を装って居りました。もしそれがこちらを向いたとしたならば、恐らくその顔もまた、私と同じだった事でございましょう。私はその時の私の心もちを、何と形容していいかわかりません。私の周囲には大ぜいの人間が、しっきりなしに動いて居ります。私の頭の上には多くの電燈が、昼のような光を放って居ります。云わば私の前後左右には、神秘と両立し難い一切の条件が、備っていたとでも申しましょうか。そうして私は実に、そう云う外界の中に、突然この存在以外の存在を、目前に見たのでございます。私の錯愕は、そのために、一層驚くべきものになりました。私の恐怖は、そのために、一層恐るべきものになりました。もし妻がその時眼をあげて、私の方を一瞥しなかったなら、私は恐らく大声をあげて、周囲の注意をこの奇怪な幻影に惹こうとした事でございましょう。
しかし、妻の視線は、幸にも私の視線と合しました。そうして、それとほとんど同時に、第二の私は丁度硝子に亀裂の入るような早さで、見る間に私の眼界から消え去ってしまいました。私は、夢遊病患者のように、茫然として妻に近づきました。が、妻には、第二の私が眼に映じなかったのでございましょう。私が側へ参りますと、妻はいつもの調子で、「長かったわね」と申しました。それから、私の顔を見て、今度はおずおず「どうかして」と尋ねました。私の顔色は確かに、灰のようになっていたのに相違ございません。私は冷汗を拭いながら、私の見た超自然な現象を、妻に打明けようかどうかと迷いました。が、心配そうな妻の顔を見ては、どうして、これが打明けられましょう。私はその時、この上妻に心配させないために、一切第二の私に関しては、口を噤もうと決心したのでございます。
閣下、もし妻が私を愛していなかったなら、そうしてまた私が妻を愛していなかったなら、どうして私にこう云う決心が出来ましょう。私は断言致します。私たちは、今日まで真底から、互に愛し合って居りました。しかし世間はそれを認めてくれません。閣下、世間は妻が私を愛している事を認めてくれません。それは恐しい事でございます。恥ずべき事でございます。私としては、私が妻を愛している事を否定されるより、どのくらい屈辱に価するかわかりません。しかも世間は、一歩を進めて、私の妻の貞操をさえ疑いつつあるのでございます。――
私は感情の激昂に駆られて、思わず筆を岐路に入れたようでございます。
さて、私はその夜以来、一種の不安に襲われはじめました。それは前に掲げました実例通り、ドッペルゲンゲルの出現は、屡々当事者の死を予告するからでございます。しかし、その不安の中にも、一月ばかりの日数は、何事もなく過ぎてしまいました。そうして、その中に年が改まりました。私は勿論、あの第二の私を忘れた訳ではございません。が、月日の経つのに従って、私の恐怖なり不安なりは、次第に柔らげられて参りました。いや、時には、実際、すべてを幻覚と言う名で片づけてしまおうとした事さえございます。
すると、恰も私のその油断を戒めでもするように、第二の私は、再び私の前に現れました。
これは一月の十七日、丁度木曜日の正午近くの事でございます。その日私は学校に居りますと、突然旧友の一人が訪ねて参りましたので、幸い午後からは授業の時間もございませんから、一しょに学校を出て、駿河台下のあるカッフェへ飯を食いに参りました。駿河台下には、御承知の通りあの四つ辻の近くに、大時計が一つございます。私は電車を下りる時に、ふとその時計の針が、十二時十五分を指していたのに気がつきました。その時の私には、大時計の白い盤が、雪をもった、鉛のような空を後にして、じっと動かずにいるのが、何となく恐しいような気がしたのでございます。あるいは事によるとこれも、あの前兆だったかも知れません。私は突然この恐しさに襲われたので、大時計を見た眼を何気なく、電車の線路一つへだてた中西屋の前の停留場へ落しました。すると、その赤い柱の前には、私と私の妻とが肩を並べながら、睦じそうに立っていたではございませんか。
妻は黒いコオトに、焦茶の絹の襟巻をして居りました。そうして鼠色のオオヴァ・コオトに黒のソフトをかぶっている私に、第二の私に、何か話しかけているように見えました。閣下、その日は私も、この第一の私も、鼠色のオオヴァ・コオトに、黒のソフトをかぶっていたのでございます。私はこの二つの幻影を、如何に恐怖に充ちた眼で、眺めましたろう。如何に憎悪に燃えた心で、眺めましたろう。殊に、妻の眼が第二の私の顔を、甘えるように見ているのを知った時には――ああ、一切が恐しい夢でございます。私には到底当時の私の位置を、再現するだけの勇気がございません。私は思わず、友人の肘をとらえたなり、放心したように往来へ立ちすくんでしまいました。その時、外濠線の電車が、駿河台の方から、坂を下りて来て、けたたましい音を立てながら、私の目の前をふさいだのは、全く神明の冥助とでも云うものでございましょう。私たちは丁度、外濠線の線路を、向うへ突切ろうとしていた所なのでございます。
電車は勿論、すぐに私たちの前を通りぬけました。しかしその後で、私の視線を遮ったのは、ただ中西屋の前にある赤い柱ばかりでございました。二つの幻影は、電車のかげになった刹那に、どこかへ見えなくなってしまったのでございます。私は、妙な顔をしている友人を促して、可笑しくもない事を可笑しそうに笑いながら、わざと大股に歩き出しました。その友人が、後に私が発狂したと云う噂を立てたのも、当時の私の異常な行動を考えれば、満更無理な事ではございません。しかし、私の発狂の原因を、私の妻の不品行にあるとするに至っては、好んで私を侮辱したものと思われます。私は、最近にその友人への絶交状を送りました。
私は、事実を記すのに忙しい余り、その時の妻が、妻の二重人格にすぎない事を証明致さなかったように思います。当時の正午前後、妻は確かに外出致しませんでした。これは、妻自身はもとより、私の宅で召使っている下女も、そう申して居る事でございます。また、その前日から、頭痛がすると申して、とかくふさぎ勝ちでいた妻が、俄に外出する筈もございません。して見ますと、この場合、私の眼に映じた妻の姿は、ドッペルゲンゲルでなくて、何でございましょう。私は、妻が私に外出の有無を問われて、眼を大きくしながら、「いいえ」と云った顔を、今でもありありと覚えて居ります。もし世間の云うように、妻が私を欺いているのなら、ああ云う、子供のような無邪気な顔は、決して出来るものではございません。
私が第二の私の客観的存在を信ずる前に、私の精神状態を疑ったのは、勿論の事でございます。しかし、私の頭脳は少しも混乱して居りません。安眠も出来ます。勉強も出来ます。成程、二度目に第二の私を見て以来、稍ともすると、ものに驚き易くなって居りますが、これはあの奇怪な現象に接した結果であって、断じて原因ではございません。私はどうしても、この存在以外の存在を信じなければならないようになったのでございます。
しかし、私は、その時も妻には、とうとう、あの幻影の事を話さずにしまいました。もし運命が許したら、私は今日までもやはり口を噤んで居りましたろう。が、執拗な第二の私は、三度私の前にその姿を現しました。これは前週の火曜日、即ち二月十三日の午後七時前後の事でございます。私はその時、妻に一切を打明けなければならないような羽目になってしまいました。これもそうするほかに、私たちの不幸を軽くする手段が、なかったのですから、仕方がございません。が、この事は後でまた、申上げる事に致しましょう。
その日、丁度宿直に当っていた私は、放課後間もなく、はげしい胃痙攣に悩まされたので、早速校医の忠告通り、車で宅へ帰る事に致しました。所が午頃からふり出した雨に風が加わって、宅の近くへ参りました時には、たたきつけるような吹き降りでございます。私は門の前で匇々車賃を払って、雨の中を大急ぎで玄関まで駈けて参りました。玄関の格子には、いつもの通り、内から釘がさしてございます。が、私には外からでも釘が抜けますから、すぐに格子をあけて、中へはいりました。大方雨の音にまぎれて、格子のあく音が聞えなかったのでございましょう。奥からは誰も出て参りません。私は靴をぬいで、帽子とオオヴァ・コオトとを折釘にかけて、玄関から一間置いた向うにある、書斎の唐紙をあけました。これは茶の間へ行く間に、教科書其他のはいっている手提鞄を、そこへ置いて行くのが習慣になっているからでございます。
すると、私の眼の前には、たちまち意外な光景が現れました。北向きの窓の前にある机と、その前にある輪転椅子と、そうしてそれらを囲んでいる書棚とには、勿論何の変化もございません。しかし、こちらに横をむけて、その机の側に立っていた女と、輪転椅子に腰をかけていた男とは、一体誰だったでございましょう。閣下、私はこの時、第二の私と第二の私の妻とを、咫尺の間に見たのでございます。私は当時の恐しい印象を忘れようとしても、忘れる事は出来ません。私の立っている閾の上からは、机に向って並んでいる二人の横顔が見えました。窓から来るつめたい光をうけて、その顔は二つとも鋭い明暗を作って居ります。そうして、その顔の前にある、黄いろい絹の笠をかけた電燈が、私の眼にはほとんどまっ黒に映りました。しかも、何と云う皮肉でございましょう。彼等は、私がこの奇怪な現象を記録して置いた、私の日記を読んでいるのでございます。これは机の上に開いてある本の形で、すぐにそれがわかりました。
私はこの光景を一瞥すると同時に、私自身にもわからない叫び声が、自ら私の唇を衝いて出たような記憶がございます。また、その叫び声につれて、二人の幻影が同時に私の方を見たような記憶もございます。もし彼等が幻影でなかったなら、私はその一人たる妻からでも、当時の私の容子を話して貰う事が出来たでございましょう。しかし勿論それは不可能な事でございます。ただ、確かに覚えているのは、その時私がはげしい眩暈を感じたと云う事よりほかに、全く何もございません。私はそのまま、そこに倒れて、失神してしまったのでございます。その物音に驚いて、妻が茶の間から駈けつけて来た時には、あの呪うべき幻影ももう消えていたのでございましょう。妻は私をその書斎へ寝かして、早速氷嚢を額へのせてくれました。
私が正気にかえったのは、それから三十分ばかり後の事でございます。妻は、私が失神から醒めたのを見ると、突然声を立てて泣き出しました。この頃の私の言動が、どうも妻の腑に落ちないと申すのでございます。「何かあなたは疑っていらっしゃるのでしょう。そうでしょう。それなら、何故そうと打明けてくださらないのです。」妻はこう申して、私を責めました。世間が、妻の貞操を疑っていると云う事は、閣下も御承知の筈でございます。それはその時すでに、私の耳へはいって居りました。恐らくは妻もまた、誰からと云う事なく、この恐しい噂を聞いていたのでございましょう。私は妻の語が、私もそう云う疑を持ってはいはしないかと云う掛念で、ふるえているのを感じました。妻は、私のあらゆる異常な言動が、皆その疑から来たものと思っているらしいのでございます。この上私が沈黙を守るとすればそれは徒に妻を窘める事になるよりほかはございません。そこで、私は、額にのせた氷嚢が落ちないように、静に顔を妻の方へ向けながら、低い声で「許してくれ。己はお前に隠して置いた事がある。」と申しました。そうしてそれから、第二の私が三度まで私の眼を遮った話を、出来るだけ詳しく話しました。「世間の噂も、己の考えでは、誰か第二の己が第二のお前と一しょにいるのを見て、それから捏造したものらしい。己は固くお前を信じている。その代りお前も己を信じてくれ。」私はその後で、こう力を入れてつけ加えました。しかし、妻は、弱い女の身として、世間の疑の的になると云う事が、如何にも切ないのでございましょう。あるいはまた、ドッペルゲンゲルと云う現象が、その疑を解くためには余りに異常すぎたせいもあるのに相違ございません。妻は私の枕もとで、いつまでも啜り上げて泣いて居ります。
そこで私は、前に掲げた種々の実例を挙げて、如何にドッペルゲンゲルの存在が可能かと云う事を、諄々として妻に説いて聞かせました。閣下、妻のようにヒステリカルな素質のある女には、殊にこう云う奇怪な現象が起り易いのでございます。その例もやはり、記録に乏しくはございません。例えば著名なソムナンビュウルの Auguste Muller などは、屡々その二重人格を示したと云う事です。但しそう云う場合には、その夢遊病患者の意志によって、ドッペルゲンゲルが現れるのでございますから、その意志が少しもない妻の場合には、当てはまらないと云う非難もございましょう。また一歩を譲って、それで妻の二重人格が説明出来るにしても、私のそれは出来ないと云う疑問が起るかも知れません。しかしこれ等は、決して解釈に苦むほど困難な問題ではございません。何故かと申しますと、自分以外の人間の二重人格を現す能力も、時には持っているものがある事は、やはり疑い難い事実でございます。フランツ・フォン・バアデルが Dr. Werner に与えました手紙によりますと、エッカルツハウズンは、死ぬ少し前に、自分は他の人間の二重人格を現す能力を持っていると、公言したそうでございます。して見ますれば、第二の疑問は、第一の疑問と同じく、妻がそれを意志したかどうかと云う事になってしまう訳でございましょう。所で、意志の有無と申す事は、存外不確なものでございますまいか。成程、妻はドッペルゲンゲルを現そうとは、意志しなかったのに相違ございません。しかし、私の事は始終念頭にあったでございましょう。あるいは私とどこかへ一しょに行く事を、望んで居ったかも知れません。これが妻のような素質を持っているものに、ドッペルゲンゲルの出現を意志したと、同じような結果を齎すと云う事は、考えられない事でございましょうか。少くとも私はそうありそうな事だと存じます。まして、私の妻のような実例も、二三外に散見しているではございませんか。
私はこう云うような事を申して、妻を慰めました。妻もやっと得心が行ったのでございましょう。それからは、「ただあなたがお気の毒ね」と申して、じっと私の顔を見つめたきり、涙を乾かしてしまいました。
閣下、私の二重人格が私に現れた、今日までの経過は、大体右のようなものでございます。私は、それを、妻と私との間の秘密として、今日まで誰にも洩らしませんでした。しかし今はもう、その時ではございません。世間は公然、私を嘲り始めました。そうしてまた、私の妻を憎み始めました。現にこの頃では、妻の不品行を諷した俚謡をうたって、私の宅の前を通るものさえございます。私として、どうして、それを黙視する事が出来ましょう。
しかし、私が閣下にこう云う事を御訴え致すのは、単に私たち夫妻に無理由な侮辱が加えられるからばかりではございません。そう云う侮辱を耐え忍ぶ結果、妻のヒステリイが、益昂進する傾があるからでございます。ヒステリイが益昂進すれば、ドッペルゲンゲルの出現もあるいはより頻繁になるかも知れません。そうすれば、妻の貞操に対する世間の疑は、更に甚しくなる事でございましょう。私はこのディレムマをどうして脱したらいいか、わかりません。
閣下、こう云う事情の下にある私にとっては、閣下の御保護に依頼するのが、最後の、そうしてまた唯一の活路でございます。どうか私の申上げた事を御信じ下さい。そうして、残酷な世間の迫害に苦しんでいる、私たち夫妻に御同情下さい。私の同僚の一人は故に大きな声を出して、新聞に出ている姦通事件を、私の前で喋々して聞かせました。私の先輩の一人は、私に手紙をよこして、妻の不品行を諷すると同時に、それとなく離婚を勧めてくれました。それからまた、私の教えている学生は、私の講義を真面目に聴かなくなったばかりでなく、私の教室の黒板に、私と妻とのカリカテュアを描いて、その下に「めでたしめでたし」と書いて置きました。しかし、それらは皆、多少なりとも私と交渉のある人々でございますが、この頃では、赤の他人の癖に、思いもよらない侮辱を加えるものも、決して少くはございません。ある者は、無名のはがきをよこして、妻を禽獣に比しました。ある者は、宅の黒塀へ学生以上の手腕を揮って、如何わしい画と文句とを書きました。そうして更に大胆なるある者は、私の庭内へ忍びこんで、妻と私とが夕飯を認めている所を、窺いに参りました。閣下、これが人間らしい行でございましょうか。
私は閣下に、これだけの事を申上げたいために、この手紙を書きました。私たち夫妻を凌辱し、脅迫する世間に対して、官憲は如何なる処置をとる可きものか、それは勿論閣下の問題で、私の問題ではございません。が、私は、賢明なる閣下が、必ず私たち夫妻のために、閣下の権能を最も適当に行使せられる事を確信して居ります。どうか昭代をして、不祥の名を負わせないように、閣下の御職務を御完うし下さい。
猶、御質問の筋があれば、私はいつでも御署まで出頭致します。ではこれで、筆を擱く事に致しましょう。
第二の手紙
――警察署長閣下、
閣下の怠慢は、私たち夫妻の上に、最後の不幸を齎しました。私の妻は、昨日突然失踪したぎり、未にどうなったかわかりません。私は危みます。妻は世間の圧迫に耐え兼ねて、自殺したのではございますまいか。
世間はついに、無辜の人を殺しました。そうして閣下自身も、その悪む可き幇助者の一人になられたのでございます。
私は今日限り、当区に居住する事を止めるつもりでございます。無為無能なる閣下の警察の下に、この上どうして安んじている事が出来ましょう。
閣下、私は一昨日、学校も辞職しました。今後の私は、全力を挙げて、超自然的現象の研究に従事するつもりでございます。閣下は恐らく、一般世人と同様、私のこの計画を冷笑なさる事でしょう。しかし一警察署長の身を以て、超自然的なる一切を否定するのは、恥ずべき事ではございますまいか。
閣下はまず、人間が如何に知る所の少ないかを御考えになるべきでしょう。たとえば、閣下の使用せられる刑事の中にさえ、閣下の夢にも御存知にならない伝染病を持っているものが、大勢居ります。殊にそれが、接吻によって、迅速に伝染すると云う事実は、私以外にほとんど一人も知っているものはございません。この例は、優に閣下の傲慢なる世界観を破壊するに足りましょう。……
× × ×
それから、先は、ほとんど意味をなさない、哲学じみた事が、長々と書いてある。これは不必要だから、ここには省く事にした。
(大正六年八月十日) | 底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月6日公開
2004年3月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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一
小野の小町、几帳の陰に草紙を読んでいる。そこへ突然黄泉の使が現れる。黄泉の使は色の黒い若者。しかも耳は兎の耳である。
小町 (驚きながら)誰です、あなたは?
使 黄泉の使です。
小町 黄泉の使! ではもうわたしは死ぬのですか? もうこの世にはいられないのですか? まあ、少し待って下さい。わたしはまだ二十一です。まだ美しい盛りなのです。どうか命は助けて下さい。
使 いけません。わたしは一天万乗の君でも容赦しない使なのです。
小町 あなたは情を知らないのですか? わたしが今死んで御覧なさい。深草の少将はどうするでしょう? わたしは少将と約束しました。天に在っては比翼の鳥、地に在っては連理の枝、――ああ、あの約束を思うだけでも、わたしの胸は張り裂けるようです。少将はわたしの死んだことを聞けば、きっと歎き死に死んでしまうでしょう。
使 (つまらなそうに)歎き死が出来れば仕合せです。とにかく一度は恋されたのですから、……しかしそんなことはどうでもよろしい。さあ地獄へお伴しましょう。
小町 いけません。いけません。あなたはまだ知らないのですか? わたしはただの体ではありません。もう少将の胤を宿しているのです。わたしが今死ぬとすれば、子供も、――可愛いわたしの子供も一しょに死ななければなりません。(泣きながら)あなたはそれでも好いと云うのですか? 闇から闇へ子供をやっても、かまわないと云うのですか?
使 (ひるみながら)それはお子さんにはお気の毒です。しかし閻魔王の命令ですから、どうか一しょに来て下さい。何、地獄も考えるほど、悪いところではありません。昔から名高い美人や才子はたいてい地獄へ行っています。
小町 あなたは鬼です。羅刹です。わたしが死ねば少将も死にます。少将の胤の子供も死にます。三人ともみんな死んでしまいます。いえ、そればかりではありません。年とったわたしの父や母もきっと一しょに死んでしまいます。(一層泣き声を立てながら)わたしは黄泉の使でも、もう少し優しいと思っていました。
使 (迷惑そうに)わたしはお助け申したいのですが、……
小町 (生き返ったように顔を上げながら)ではどうか助けて下さい。五年でも十年でもかまいません。どうかわたしの寿命を延ばして下さい。たった五年、たった十年、――子供さえ成人すれば好いのです。それでもいけないと云うのですか?
使 さあ、年限はかまわないのですが、――しかしあなたをつれて行かなければ代りが一人入るのです。あなたと同じ年頃の、……
小町 (興奮しながら)では誰でもつれて行って下さい。わたしの召使いの女の中にも、同じ年の女は二三人います。阿漕でも小松でもかまいません。あなたの気に入ったのをつれて行って下さい。
使 いや、名前もあなたのように小町と云わなければいけないのです。
小町 小町! 誰か小町と云う人はいなかったかしら。ああ、います。います。(発作的に笑い出しながら)玉造の小町と云う人がいます。あの人を代りにつれて行って下さい。
使 年もあなたと同じくらいですか?
小町 ええ、ちょうど同じくらいです。ただ綺麗ではありませんが、――器量などはどうでもかまわないのでしょう?
使 (愛想よく)悪い方が好いのです。同情しずにすみますから。
小町 (生き生きと)ではあの人に行って貰って下さい。あの人はこの世にいるよりも、地獄に住みたいと云っています。誰も逢う人がいないものですから。
使 よろしい。その人をつれて行きましょう。ではお子さんを大事にして下さい。(得々と)黄泉の使も情だけは心得ているつもりなのです。
使、突然また消え失せる。
小町 ああ、やっと助かった! これも日頃信心する神や仏のお計らいであろう。(手を合せる)八百万の神々、十方の諸菩薩、どうかこの嘘の剥げませぬように。
二
黄泉の使、玉造の小町を背負いながら、闇穴道を歩いて来る。
小町 (金切声を出しながら)どこへ行くのです? どこへ行くのです?
使 地獄へ行くのです。
小町 地獄へ! そんなはずはありません。現に昨日安倍の晴明も寿命は八十六と云っていました。
使 それは陰陽師の嘘でしょう。
小町 いいえ、嘘ではありません。安倍の晴明の云うことは何でもちゃんと当るのです。あなたこそ嘘をついているのでしょう。そら、返事に困っているではありませんか?
使 (独白)どうもおれは正直すぎるようだ。
小町 まだ強情を張るつもりなのですか? さあ、正直に白状しておしまいなさい。
使 実はあなたにはお気の毒ですが、……
小町 そんなことだろうと思っていました。「お気の毒ですが、」どうしたのです?
使 あなたは小野の小町の代りに地獄へ堕ちることになったのです。
小町 小野の小町の代りに! それはまた一体どうしたんです?
使 あの人は今身持ちだそうです。深草の少将の胤とかを、……
小町 (憤然と)それをほんとうだと思ったのですか? 嘘ですよ。あなた! 少将は今でもあの人のところへ百夜通いをしているくらいですもの。少将の胤を宿すのはおろか、逢ったことさえ一度もありはしません。嘘も、嘘も、真赤な嘘ですよ!
使 真赤な嘘? そんなことはまさかないでしょう。
小町 では誰にでも聞いて御覧なさい。深草の少将の百夜通いと云えば、下司の子供でも知っているはずです。それをあなたは嘘とも思わずに、……あの人の代りにわたしの命を、……ひどい。ひどい。ひどい。(泣き始める)
使 泣いてはいけません。泣くことは何もないのですよ。(背中から玉造の小町を下す)あなたは始終この世よりも、地獄に住みたがっていたでしょう。して見ればわたしの欺されたのは、反って仕合せではありませんか?
小町 (噛みつきそうに)誰がそんなことを云ったのです?
使 (怯ず怯ず)やっぱりさっき小野の小町が、……
小町 まあ、何と云う図々しい人だ! 嘘つき! 九尾の狐! 男たらし! 騙り! 尼天狗! おひきずり! もうもうもう、今度顔を合せたが最後、きっと喉笛に噛みついてやるから。口惜しい。口惜しい。口惜しい。(黄泉の使をこづきまわす)
使 まあ、待って下さい。わたしは何も知らなかったのですから、――まあ、この手をゆるめて下さい。
小町 一体あなたが莫迦ではありませんか? そんな嘘を真に受けるとは、……
使 しかし誰でも真に受けますよ。……あなたは何か小野の小町に恨まれることでもあるのですか?
小町 (妙に微笑する)あるような、ないような、……まあ、あるのかも知れません。
使 するとその恨まれることと云うのは?
小町 (軽蔑するように)お互に女ではありませんか?
使 なるほど、美しい同士でしたっけ。
小町 あら、お世辞などはおよしなさい。
使 お世辞ではありませんよ。ほんとうに美しいと思っているのです。いや、口には云われないくらい美しいと思っているのです。
小町 まあ、あんな嬉しがらせばっかり! あなたこそ黄泉には似合わない、美しいかたではありませんか?
使 こんな色の黒い男がですか?
小町 黒い方が立派ですよ。男らしい気がしますもの。
使 しかしこの耳は気味が悪いでしょう。
小町 あら、可愛いではありませんか? ちょいとわたしに触らして下さい。わたしは兎が大好きなのですから。(使の兎の耳を玩弄にする)もっとこっちへいらっしゃい。何だかわたしはあなたのためなら、死んでも好いような気がしますよ。
使 (小町を抱きながら)ほんとうですか?
小町 (半ば眼を閉じたまま)ほんとうならば?
使 こうするのです。(接吻しようとする)
小町 (突きのける)いけません。
使 では、……では嘘なのですか?
小町 いいえ、嘘ではありません。ただあなたが本気かどうか、それさえわかれば好いのです。
使 では何でも云いつけて下さい。あなたの欲しいものは何ですか? 火鼠の裘ですか、蓬莱の玉の枝ですか、それとも燕の子安貝ですか?
小町 まあ、お待ちなさい。わたしのお願はこれだけです。――どうかわたしを生かして下さい。その代りに小野の小町を、――あの憎らしい小野の小町を、わたしの代りにつれて行って下さい。
使 そんなことだけで好いのですか? よろしい。あなたの云う通りにします。
小町 きっとですね? まあ、嬉しい。きっとならば、……(使を引き寄せる)
使 ああ、わたしこそ死んでしまいそうです。
三
大勢の神将、あるいは戟を執り、あるいは剣を提げ、小野の小町の屋根を護っている。そこへ黄泉の使、蹌踉と空へ現れる。
神将 誰だ、貴様は?
使 わたしは黄泉の使です。どうかそこを通して下さい。
神将 通すことはならぬ。
使 わたしは小町をつれに来たのです。
神将 小町を渡すことはなおさらならぬ。
使 なおさらならぬ? あなたがたは一体何ものです?
神将 我々は天が下の陰陽師、安倍の晴明の加持により、小町を守護する三十番神じゃ。
使 三十番神! あなたがたはあの嘘つきを、――あの男たらしを守護するのですか?
神将 黙れ! か弱い女をいじめるばかりか、悪名を着せるとは怪しからぬやつじゃ。
使 何が悪名です? 小町はほんとうに、嘘つきの男たらしではありませんか?
神将 まだ云うな。よしよし、云うならば云って見ろ。その耳を二つとも削いでしまうぞ。
使 しかし小町は現にわたしを……
神将 (憤然と)この戟を食らって往生しろ! (使に飛びかかる)
使 助けてくれえ! (消え失せる)
四
数十年後、老いたる女乞食二人、枯芒の原に話している。一人は小野の小町、他の一人は玉造の小町。
小野の小町 苦しい日ばかり続きますね。
玉造の小町 こんな苦しい思いをするより、死んだ方がましかも知れません。
小野の小町 (独り語のように)あの時に死ねば好かったのです。黄泉の使に会った時に、……
玉造の小町 おや、あなたもお会いになったのですか?
小野の小町 (疑深そうに)あなたもと仰有るのは? あなたこそお会いになったのですか?
玉造の小町 (冷やかに)いいえ、わたしは会いません。
小野の小町 わたしの会ったのも唐の使です。
しばらくの間沈黙。黄泉の使、忙しそうに通りかかる。
玉造の小町 ┐
小野の小町 ┘黄泉の使! 黄泉の使!
黄泉の使 誰です、わたしを呼びとめたのは?
玉造の小町 (小野の小町に)あなたは黄泉の使を御存知ではありませんか?
小野の小町 (玉造の小町に)あなたも知らないとはおっしゃれますまい。(黄泉の使に)このかたは玉造の小町です。あなたはとうに御存知でしょう。
玉造の小町 このかたは小野の小町です。やっぱりあなたのお馴染でしょう。
使 何、玉造の小町に小野の小町! あなたがたが、――骨と皮ばかりの女乞食が!
小野の小町 どうせ骨と皮ばかりの女乞食ですよ。
玉造の小町 わたしに抱きついたのを忘れたのですか?
使 まあ、そう腹を立てずに下さい。あんまり変っていたものですから、つい口を辷らせたのです。……時にわたしを呼びとめたのは、何か用でもあるのですか?
小野の小町 ありますとも。ありますとも。どうか黄泉へつれて行って下さい。
玉造の小町 わたしも一しょにつれて行って下さい。
使 黄泉へつれて行け? 冗談を云ってはいけません。またわたしを欺すのでしょう。
玉造の小町 あら、欺しなどするものですか!
小野の小町 ほんとうにどうかつれて行って下さい。
使 あなたがたを! (首を振りながら)どうもわたしには受け合われません。またひどい目に会うのは嫌ですから、誰かほかのものにお頼みなさい。
小野の小町 どうかわたしを憐れんで下さい。あなたも情は知っているはずです。
玉造の小町 そんなことを云わずに、つれて行って下さい。きっとあなたの妻になりますから。
使 駄目です。駄目です。あなたがたにかかり合うと――いや、あなたがたばかりではない、女と云うやつにかかり合うと、どんな目に会うかわかりません。あなたがたは虎よりも強い。内心如夜叉の譬通りです。第一あなたがたの涙の前には、誰でも意気地がなくなってしまう。(小野の小町に)あなたの涙などは凄いものですよ。
小野の小町 嘘です。嘘です。あなたはわたしの涙などに動かされたことはありません。
使 (耳にもかけずに)第二にあなたがたは肌身さえ任せば、どんなことでも出来ないことはない。(玉造の小町に)あなたはその手を使ったのです。
玉造の小町 卑しいことを云うのはおよしなさい。あなたこそ恋を知らないのです。
使 (やはり無頓着に)第三に、――これが一番恐ろしいのですが、第三に世の中は神代以来、すっかり女に欺されている。女と云えばか弱いもの、優しいものと思いこんでいる。ひどい目に会わすのはいつも男、会わされるのはいつも女、――そうよりほかに考えない。その癖ほんとうは女のために、始終男が悩まされている。(小野の小町に)三十番神を御覧なさい。わたしばかり悪ものにしていたでしょう。
小野の小町 神仏の悪口はおよしなさい。
使 いや、わたしには神仏よりも、もっとあなたがたが恐ろしいのです。あなたがたは男の心も体も、自由自在に弄ぶことが出来る。その上万一手に余れば、世の中の加勢も借りることが出来る。このくらい強いものはありますまい。またほんとうにあなたがたは日本国中至るところに、あなたがたの餌食になった男の屍骸をまき散らしています。わたしはまず何よりも先へ、あなたがたの爪にかからないように、用心しなければなりません。
小野の小町 (玉造の小町に)まあ、何と云う人聞きの悪い、手前勝手な理窟でしょう。
玉造の小町 (小野の小町に)ほんとうに男のわがままには呆れ返ってしまいます。(黄泉の使に)女こそ男の餌食です。いいえ、あなたが何と云っても、男の餌食に違いありません。昔も男の餌食でした。今も男の餌食です。将来も男の、……
使 (急に晴れ晴れと)将来は男に有望です。女の太政大臣、女の検非違使、女の閻魔王、女の三十番神、――そういうものが出来るとすれば、男は少し助かるでしょう。第一に女は男狩りのほかにも、仕栄えのある仕事が出来ますから。第二に女の世の中は今の男の世の中ほど、女に甘いはずはありませんから。
小野の小町 あなたはそんなにわたしたちを憎いと思っているのですか?
玉造の小町 お憎みなさい。お憎みなさい。思い切ってお憎みなさい。
使 (憂鬱に)ところが憎み切れないのです。もし憎み切れるとすれば、もっと仕合せになっているでしょう。(突然また凱歌を挙げるように)しかし今は大丈夫です。あなたがたは昔のあなたがたではない。骨と皮ばかりの女乞食です。あなたがたの爪にはかかりません。
玉造の小町 ええ、もうどこへでも行ってしまえ!
小野の小町 まあ、そんなことを云わずに、……これ、この通り拝みますから。
使 いけません。ではさようなら。(枯芒の中に消える)
小野の小町 どうしましょう?
玉造の小町 どうしましょう?
二人ともそこへ泣き伏してしまう。
(大正十二年二月) | 底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月10日公開
2004年3月10日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000086",
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これは日比谷公園のベンチの下に落ちていた西洋紙に何枚かの文放古である。わたしはこの文放古を拾った時、わたし自身のポケットから落ちたものとばかり思っていた。が、後に出して見ると、誰か若い女へよこした、やはり誰か若い女の手紙だったことを発見した。わたしのこう云う文放古に好奇心を感じたのは勿論である。のみならず偶然目についた箇所は余人は知らずわたし自身には見逃しのならぬ一行だった。――
「芥川龍之介と来た日には大莫迦だわ。」!
わたしはある批評家の云ったように、わたしの「作家的完成を棒にふるほど懐疑的」である。就中わたし自身の愚には誰よりも一層懐疑的である。「芥川龍之介と来た日には大莫迦だわ!」何と云うお転婆らしい放言であろう。わたしは心頭に発した怒火を一生懸命に抑えながら、とにかく一応は彼女の論拠に点検を加えようと決心した。下に掲げるのはこの文放古を一字も改めずに写したものである。
「……あたしの生活の退屈さ加減はお話にも何にもならないくらいよ。何しろ九州の片田舎でしょう。芝居はなし、展覧会はなし、(あなたは春陽会へいらしって? 入らしったら、今度知らせて頂戴。あたしは何だか去年よりもずっと好さそうな気がしているの)音楽会はなし、講演会はなし、どこへ行って見るってところもない始末なのよ。おまけにこの市の智識階級はやっと徳富蘆花程度なのね。きのうも女学校の時のお友達に会ったら、今時分やっと有島武郎を発見した話をするんじゃないの? そりゃあなた、情ないものよ。だからあたしも世間並みに、裁縫をしたり、割烹をやったり、妹の使うオルガンを弾いたり、一度読んだ本を読み返したり、家にばかりぼんやり暮らしているの。まああなたの言葉を借りればアンニュイそれ自身のような生活だわね。
「それだけならばまだ好いでしょう。そこへまた時々親戚などから結婚問題を持って来るのよ。やれ県会議員の長男だとか、やれ鉱山持ちの甥だとか、写真ばかりももう十枚ばかり見たわ。そうそう、その中には東京に出ている中川の息子の写真もあってよ。いつかあなたに教えて上げたでしょう。あのカフェの女給か何かと大学の中を歩いていた、――あいつも秀才で通っているのよ。好い加減人を莫迦にしているじゃないの? だからあたしはそう云ってやるのよ。『あたしも結婚しないとは云いません。けれども結婚する時には誰の評価を信頼するよりも先にあたし自身の評価を信頼します。その代りに将来の幸不幸はあたし一人責任を負いますから』って。
「けれどももう来年になれば、弟も商大を卒業するし、妹も女学校の四年になるでしょう。それやこれやを考えて見ると、あたし一人結婚しないってことはどうもちょっとむずかしいらしいの。東京じゃそんなことは何でもないのね。それをこの市じゃ理解もなしに、さも弟だの妹だのの結婚を邪魔でもするために片づかずにいるように考えるんでしょう。そう云う悪口を云われるのはずいぶんあなた、たまらないものよ。
「そりゃあたしはあなたのようにピアノを教えることも出来ないんだし、いずれは結婚するほかに仕かたのないことも知っているわ。けれどもどう云う男とでも結婚する訣には行かないじゃないの? それをこの市じゃ何かと云うと、『理想の高い』せいにしてしまうのよ。『理想の高い』! 理想って言葉にさえ気の毒だわね。この市じゃ夫の候補者のほかには理想って言葉を使わないんですもの。そのまた候補者の御立派なことったら! そりゃあなたに見せたいくらいよ。ちょっと一例を挙げて見ましょうか? 県会議員の長男は銀行か何かへ出ているのよ。それが大のピュリタンなの。ピュリタンなのは好いけれども、お屠蘇も碌に飲めない癖に、禁酒会の幹事をしているんですって。もともと下戸に生まれたんなら、禁酒会へはいるのも可笑しいじゃないの? それでも御当人は大真面目に禁酒演説なんぞをやっているんですって。
「もっとも候補者は一人残らず低能児ばかりって訣でもないのよ。両親の一番気に入っている電燈会社の技師なんぞはとにかく教育のある青年らしいの。顔もちょっと見た所はクライスラアに似ているわね。この山本って人は感心に社会問題の研究をしているんですって。けれど芸術だの哲学だのには全然興味のない人なのよ。おまけに道楽は大弓と浪花節とだって云うんじゃないの? それでもさすがに浪花節だけは好い趣味じゃないと思っていたんでしょう。あたしの前じゃ浪花節のなの字も云わずにすましていたの。ところがいつかあたしの蓄音機へガリ・クルチやカルソウをかけて聞かせたら、うっかり『虎丸はないんですか?』ってお里を露わしてしまったのよ。まだもっと可笑しいのはあたしの家の二階へ上ると、最勝寺の塔が見えるんでしょう。そのまた塔の霞の中に九輪だけ光らせているところは与謝野晶子でも歌いそうなのよ。それを山本って人の遊びに来た時に『山本さん。塔が見えるでしょう?』って教えてやったら、『ああ、見えます。何メエトルくらいありますかなあ』って真面目に首をひねっているの。低能児じゃないって云ったけれども、芸術的にはまあ低能児だわね。
「そう云う点のわかっているのは文雄ってあたしの従兄なのよ。これは永井荷風だの谷崎潤一郎だのを読んでいるの。けれども少し話し合って見ると、やっぱり田舎の文学通だけにどこか見当が違っているのね。たとえば「大菩薩峠」なんぞも一代の傑作だと思っているのよ。そりゃまだ好いにしても、評判の遊蕩児と来ているんでしょう。そのために何でも父の話じゃ、禁治産か何かになりそうなんですって。だから両親もあたしの従兄には候補者の資格を認めていないの。ただ従兄の父親だけは――つまりあたしの叔父だわね。叔父だけは嫁に貰いたいのよ。それも表向きには云われないものだから、内々あたしへ当って見るんでしょう。そのまた言い草が好いじゃないの?『お前さんにでも来て貰えりゃ、あいつの極道もやみそうだから』ですって。親ってみんなそう云うものか知ら? それにしてもずいぶん利己主義者だわね。つまり叔父の考えにすりゃ、あたしは主婦と云うよりも、従兄の遊蕩をやめさせる道具に使われるだけなんですもの。ほんとうに惘れ返ってものも云われないわ。
「こう云う結婚難の起るにつけても、しみじみあたしの考えることは日本の小説家の無力さ加減だわね。教育を受けた、向上した、そのために教養の乏しい男を夫に選ぶことは困難になった、――こう云う結婚難に遇っているのはきっとあたし一人ぎりじゃないわ。日本中どこにもいるはずだわ。けれども日本の小説家は誰もこう云う結婚難に悩んでいる女性を書かないじゃないの? ましてこう云う結婚難を解決する道を教えないじゃないの? そりゃ結婚したくなければ、しないのに越したことはない訣だわね。それでも結婚しないとすれば、たといこの市にいるように莫迦莫迦しい非難は浴びないにしろ、自活だけは必要になって来るでしょう。ところがあたしたちの受けているのは自活に縁のない教育じゃないの? あたしたちの習った外国語じゃ家庭教師も勤まらないし、あたしたちの習った編物じゃ下宿代も満足に払われはしないわ。するとやっぱり軽蔑する男と結婚するほかはないことになるわね。あたしはこれはありふれたようでも、ずいぶん大きい悲劇だと思うの。(実際またありふれているとすれば、それだけになおさら恐ろしいじゃないの?)名前は結婚って云うけれども、ほんとうは売笑婦に身を売るのと少しも変ってはいないと思うの。
「けれどもあなたはあたしと違って、立派に自活して行かれるんでしょう。そのくらい羨ましいことはありはしないわ。いいえ、実はあなたどころじゃないのよ。きのう母と買いものに行ったら、あたしよりも若い女が一人、邦文タイプライタアを叩いていたの。あの人さえあたしに比べれば、どのくらい仕合せだろうと思ったりしたわ。そうそう、あなたは何よりもセンティメンタリズムが嫌いだったわね。じゃもう詠歎はやめにして上げるわ。……
「それでも日本の小説家の無力さ加減だけは攻撃させて頂戴。あたしはこう云う結婚難を解決する道を求めながら、一度読んだ本を読み返して見たの。けれどもあたしたちの代弁者は譃のように一人もいないじゃないの? 倉田百三、菊池寛、久米正雄、武者小路実篤、里見弴、佐藤春夫、吉田絃二郎、野上弥生、――一人残らず盲目なのよ。そう云う人たちはまだ好いとしても、芥川龍之介と来た日には大莫迦だわ。あなたは『六の宮の姫君』って短篇を読んではいらっしゃらなくって? (作者曰く、京伝三馬の伝統に忠実ならんと欲するわたしはこの機会に広告を加えなければならぬ。『六の宮の姫君』は短篇集『春服』に収められている。発行書肆は東京春陽堂である)作者はその短篇の中に意気地のないお姫様を罵っているの。まあ熱烈に意志しないものは罪人よりも卑しいと云うらしいのね。だって自活に縁のない教育を受けたあたしたちはどのくらい熱烈に意志したにしろ、実行する手段はないんでしょう。お姫様もきっとそうだったと思うわ。それを得意そうに罵ったりするのは作者の不見識を示すものじゃないの? あたしはその短篇を読んだ時ほど、芥川龍之介を軽蔑したことはないわ。……」
この手紙を書いたどこかの女は一知半解のセンティメンタリストである。こう云う述懐をしているよりも、タイピストの学校へはいるために駆落ちを試みるに越したことはない。わたしは大莫迦と云われた代りに、勿論彼女を軽蔑した。しかしまた何か同情に似た心もちを感じたのも事実である。彼女は不平を重ねながら、しまいにはやはり電燈会社の技師か何かと結婚するであろう。結婚した後はいつのまにか世間並みの細君に変るであろう。浪花節にも耳を傾けるであろう。最勝寺の塔も忘れるであろう。豚のように子供を産みつづけ――わたしは机の抽斗の奥へばたりとこの文放古を抛りこんだ。そこにはわたし自身の夢も、古い何本かの手紙と一しょにそろそろもう色を黄ばませている。……
(大正十三年四月) | 底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月8日公開
2004年3月7日修正
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僕は重い外套にアストラカンの帽をかぶり、市ヶ谷の刑務所へ歩いて行った。僕の従兄は四五日前にそこの刑務所にはいっていた。僕は従兄を慰める親戚総代にほかならなかった。が、僕の気もちの中には刑務所に対する好奇心もまじっていることは確かだった。
二月に近い往来は売出しの旗などの残っていたものの、どこの町全体も冬枯れていた。僕は坂を登りながら、僕自身も肉体的にしみじみ疲れていることを感じた。僕の叔父は去年の十一月に喉頭癌のために故人になっていた。それから僕の遠縁の少年はこの正月に家出していた。それから――しかし従兄の収監は僕には何よりも打撃だった。僕は従兄の弟と一しょに最も僕には縁の遠い交渉を重ねなければならなかった。のみならずそれ等の事件にからまる親戚同志の感情上の問題は東京に生まれた人々以外に通じ悪いこだわりを生じ勝ちだった。僕は従兄と面会した上、ともかくどこかに一週間でも静養したいと思わずにはいられなかった。………
市ヶ谷の刑務所は草の枯れた、高い土手をめぐらしていた。のみならずどこか中世紀じみた門には太い木の格子戸の向うに、霜に焦げた檜などのある、砂利を敷いた庭を透かしていた。僕はこの門の前に立ち、長い半白の髭を垂らした、好人物らしい看守に名刺を渡した。それから余り門と離れていない、庇に厚い苔の乾いた面会人控室へつれて行って貰った。そこにはもう僕のほかにも薄縁りを張った腰かけの上に何人も腰をおろしていた。しかし一番目立ったのは黒縮緬の羽織をひっかけ、何か雑誌を読んでいる三十四五の女だった。
妙に無愛想な一人の看守は時々こう云う控室へ来、少しも抑揚のない声にちょうど面会の順に当った人々の番号を呼び上げて行った。が、僕はいつまで待っても、容易に番号を呼ばれなかった。いつまで待っても――僕の刑務所の門をくぐったのはかれこれ十時になりかかっていた。けれども僕の腕時計はもう一時十分前だった。
僕は勿論腹も減りはじめた。しかしそれよりもやり切れなかったのは全然火の気と云うもののない控室の中の寒さだった。僕は絶えず足踏みをしながら、苛々する心もちを抑えていた。が、大勢の面会人は誰も存外平気らしかった。殊に丹前を二枚重ねた、博奕打ちらしい男などは新聞一つ読もうともせず、ゆっくり蜜柑ばかり食いつづけていた。
しかし大勢の面会人も看守の呼び出しに来る度にだんだん数を減らして行った。僕はとうとう控室の前へ出、砂利を敷いた庭を歩きはじめた。そこには冬らしい日の光も当っているのに違いなかった。けれどもいつか立ち出した風も僕の顔へ薄い塵を吹きつけて来るのに違いなかった。僕は自然と依怙地になり、とにかく四時になるまでは控室へはいるまいと決心した。
僕は生憎四時になっても、まだ呼び出して貰われなかった。のみならず僕より後に来た人々もいつか呼び出しに遇ったと見え、大抵はもういなくなっていた。僕はとうとう控室へはいり、博奕打ちらしい男にお時宜をした上、僕の場合を相談した。が、彼はにこりともせず、浪花節語りに近い声にこう云う返事をしただけだった。
「一日に一人しか会わせませんからね。お前さんの前に誰か会っているんでしょう。」
勿論こう云う彼の言葉は僕を不安にしたのに違いなかった。僕はまた番号を呼びに来た看守に一体従兄に面会することは出来るかどうか尋ねることにした。しかし看守は僕の言葉に全然返事をしなかった上、僕の顔も見ずに歩いて行ってしまった。同時にまた博奕打ちらしい男も二三人の面会人と一しょに看守のあとについて行ってしまった。僕は土間のまん中に立ち、機械的に巻煙草に火をつけたりした。が、時間の移るにつれ、だんだん無愛想な看守に対する憎しみの深まるのを感じ出した。(僕はこの侮辱を受けた時に急に不快にならないことをいつも不思議に思っている。)
看守のもう一度呼び出しに来たのはかれこれ五時になりかかっていた。僕はまたアストラカンの帽をとった上、看守に同じことを問いかけようとした。すると看守は横を向いたまま、僕の言葉を聞かないうちにさっさと向うへ行ってしまった。「余りと言えば余り」とは実際こう云う瞬間の僕の感情に違いなかった。僕は巻煙草の吸いさしを投げつけ、控室の向うにある刑務所の玄関へ歩いて行った。
玄関の石段を登った左には和服を着た人も何人か硝子窓の向うに事務を執っていた。僕はその硝子窓をあけ、黒い紬の紋つきを着た男に出来るだけ静かに話しかけた。が、顔色の変っていることは僕自身はっきり意識していた。
「僕はTの面会人です。Tには面会は出来ないんですか?」
「番号を呼びに来るのを待って下さい。」
「僕は十時頃から待っています。」
「そのうちに呼びに来るでしょう。」
「呼びに来なければ待っているんですか? 日が暮れても待っているんですか?」
「まあ、とにかく待って下さい。とにかく待った上にして下さい。」
相手は僕のあばれでもするのを心配しているらしかった。僕は腹の立っている中にもちょっとこの男に同情した。「こっちは親戚総代になっていれば、向うは刑務所総代になっている、」――そんな可笑しさも感じないのではなかった。
「もう五時過ぎになっています。面会だけは出来るように取り計って下さい。」
僕はこう言い捨てたなり、ひとまず控室へ帰ることにした。もう暮れかかった控室の中にはあの丸髷の女が一人、今度は雑誌を膝の上に伏せ、ちゃんと顔を起していた。まともに見た彼女の顔はどこかゴシックの彫刻らしかった。僕はこの女の前に坐り、未だに刑務所全体に対する弱者の反感を感じていた。
僕のやっと呼び出されたのはかれこれ六時になりかかっていた。僕は今度は目のくりくりした、機敏らしい看守に案内され、やっと面会室の中にはいることになった。面会室は室と云うものの、精々二三尺四方ぐらいだった。のみならず僕のはいったほかにもペンキ塗りの戸の幾つも並んでいるのは共同便所にそっくりだった。面会室の正面にこれも狭い廊下越しに半月形の窓が一つあり、面会人はこの窓の向うに顔を顕わす仕組みになっていた。
従兄はこの窓の向うに、――光の乏しい硝子窓の向うに円まると肥った顔を出した。しかし存外変っていないことは幾分か僕を力丈夫にした。僕等は感傷主義を交えずに手短かに用事を話し合った。が、僕の右隣りには兄に会いに来たらしい十六七の女が一人とめどなしに泣き声を洩らしていた。僕は従兄と話しながら、この右隣りの泣き声に気をとめない訣には行かなかった。
「今度のことは全然冤罪ですから、どうか皆さんにそう言って下さい。」
従兄は切り口上にこう言ったりした。僕は従兄を見つめたまま、この言葉には何とも答えなかった。しかし何とも答えなかったことはそれ自身僕に息苦しさを与えない訣には行かなかった。現に僕の左隣りには斑らに頭の禿げた老人が一人やはり半月形の窓越しに息子らしい男にこう言っていた。
「会わずにひとりでいる時にはいろいろのことを思い出すのだが、どうも会うとなると忘れてしまってな。」
僕は面会室の外へ出た時、何か従兄にすまなかったように感じた。が、それは僕等同志の連帯責任であるようにも感じた。僕はまた看守に案内され、寒さの身にしみる刑務所の廊下を大股に玄関へ歩いて行った。
ある山の手の従兄の家には僕の血を分けた従姉が一人僕を待ち暮らしているはずだった。僕はごみごみした町の中をやっと四谷見附の停留所へ出、満員の電車に乗ることにした。「会わずにひとりいる時には」と言った、妙に力のない老人の言葉は未だに僕の耳に残っていた。それは女の泣き声よりも一層僕には人間的だった。僕は吊り革につかまったまま、夕明りの中に電燈をともした麹町の家々を眺め、今更のように「人さまざま」と云う言葉を思い出さずにはいられなかった。
三十分ばかりたった後、僕は従兄の家の前に立ち、コンクリイトの壁についたベルの鈕へ指をやっていた。かすかに伝わって来るベルの音は玄関の硝子戸の中に電燈をともした。それから年をとった女中が一人細目に硝子戸をあけて見た後、「おや……」何とか間投詞を洩らし、すぐに僕を往来に向った二階の部屋へ案内した。僕はそこのテエブルの上へ外套や帽子を投げ出した時、一時に今まで忘れていた疲れを感じずにはいられなかった。女中は瓦斯暖炉に火をともし、僕一人を部屋の中に残して行った。多少の蒐集癖を持っていた従兄はこの部屋の壁にも二三枚の油画や水彩画をかかげていた。僕はぼんやりそれらの画を見比べ、今更のように有為転変などと云う昔の言葉を思い出していた。
そこへ前後してはいって来たのは従姉や従兄の弟だった。従姉も僕の予期したよりもずっと落ち着いているらしかった。僕は出来るだけ正確に彼等に従兄の伝言を話し、今度の処置を相談し出した。従姉は格別積極的にどうしようと云う気も持ち合せなかった。のみならず話の相間にもアストラカンの帽をとり上げ、こんなことを僕に話しかけたりした。
「妙な帽子ね。日本で出来るもんじゃないでしょう?」
「これ? これはロシア人のかぶる帽子さ。」
しかし従兄の弟は従兄以上に「仕事師」だけにいろいろの障害を見越していた。
「何しろこの間も兄貴の友だちなどは××新聞の社会部の記者に名刺を持たせてよこすんです。その名刺には口止め料金のうち半金は自腹を切って置いたから、残金を渡してくれと書いてあるんです。それもこっちで検べて見れば、その新聞記者に話したのは兄貴の友だち自身なんですからね。勿論半金などを渡したんじゃない。ただ残金をとらせによこしているんです。そのまた新聞記者も新聞記者ですし、……」
「僕もとにかく新聞記者ですよ。耳の痛いことは御免蒙りますかね。」
僕は僕自身を引き立てるためにも常談を言わずにはいられなかった。が、従兄の弟は酒気を帯びた目を血走らせたまま、演説でもしているように話しつづけた。それは実際常談さえうっかり言われない権幕に違いなかった。
「おまけに予審判事を怒らせるためにわざと判事をつかまえては兄貴を弁護する手合いもあるんですからね。」
「それはあなたからでも話して頂けば、……」
「いや、勿論そう言っているんです。御厚意は重々感謝しますけれども、判事の感情を害すると、反って御厚意に背きますからと頭を下げて頼んでいるんです。」
従姉は瓦斯暖炉の前に坐ったまま、アストラカンの帽をおもちゃにしていた。僕は正直に白状すれば、従兄の弟と話しながら、この帽のことばかり気にしていた。火の中にでも落されてはたまらない。――そんなことも時々考えていた。この帽は僕の友だちのベルリンのユダヤ人町を探がした上、偶然モスクヴァへ足を伸ばした時、やっと手に入れることの出来たものだった。
「そう言っても駄目ですかね?」
「駄目どころじゃありません。僕は君たちのためを思って骨を折っていてやるのに失敬なことを言うなと来るんですから。」
「なるほどそれじゃどうすることも出来ない。」
「どうすることも出来ません。法律上の問題には勿論、道徳上の問題にもならないんですからね。とにかく外見は友人のために時間や手数をつぶしている、しかし事実は友人のために陥し穽を掘る手伝いをしている、――あたしもずいぶん奮闘主義ですが、ああ云うやつにかかっては手も足も出すことは出来ません。」
こう云う僕等の話の中に俄かに僕等を驚かしたのは「T君万歳」と云う声だった。僕は片手に窓かけを挙げ、窓越しに往来へ目を落した。狭い往来には人々が大勢道幅一ぱいに集っていた。のみならず××町青年団と書いた提灯が幾つも動いていた。僕は従姉たちと顔を見合せ、ふと従兄には××青年団団長と云う肩書もあったのを思い出した。
「お礼を言いに出なくっちゃいけないでしょうね。」
従姉はやっと「たまらない」と云う顔をし、僕等二人を見比べるようにした。
「何、わたしが行って来ます。」
従兄の弟は無造作にさっさと部屋を後ろにして行った。僕は彼の奮闘主義にある羨しさを感じながら、従姉の顔を見ないように壁の上の画などを眺めたりした。しかし何も言わずにいることはそれ自身僕には苦しかった。と云って何か言ったために二人とも感傷的になってしまうことはなおさら僕には苦しかった。僕は黙って巻煙草に火をつけ、壁にかかげた画の一枚に、――従兄自身の肖像画に遠近法の狂いなどを見つけていた。
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従姉は妙に空ぞらしい声にとうとう僕に話しかけた。
「町内ではまだ知らずにいるのかしら?」
「ええ、……でも一体どうしたんでしょう?」
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「それはTさんの身になって見れば、いろいろ事情もあったろうしさ。」
「そうでしょうか?」
僕はいつか苛立たしさを感じ、従姉に後ろを向けたまま、窓の前へ歩いて行った。窓の下の人々は不相変万歳の声を挙げていた。それはまた「万歳、万歳」と三度繰り返して唱えるものだった。従兄の弟は玄関の前へ出、手ん手に提灯をさし上げた大勢の人々にお時宜をしていた。のみならず彼の左右には小さい従兄の娘たちも二人、彼に手をひかれたまま、時々取ってつけたようにちょっとお下げの頭を下げたりしていた。………
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「そうお、あたしも手足が冷えてね。」
従姉は余り気のないように長火鉢の炭などを直していた。………
(昭和二年六月四日) | 底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:もりみつじゅんじ
1999年3月1日公開
2012年3月22日修正
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僕は中学五年生の時に、ドオデエの「サッフォ」という小説の英訳を読んだ。もちろんどんな読み方をしたか、当てになったものではない。まあいいかげんに辞書を引いては、頁をはぐっていっただけであるが、ともかくそれが僕にとっては、最初に親しんだ仏蘭西小説だった。「サッフォ」には感心したかどうか、確かなことは覚えていない。ただあの舞踏会から帰るところに、明け方のパリの光景を描いた、たった五、六行の文章がある。それがうれしかったことだけは覚えている。
それからアナトオル・フランスの「タイス」という小説を読んだ。なんでもそのころ早稲田文学の新年号に、安成貞雄君が書いた紹介があったものだから、それを読むとすぐに丸善へ行って買って来たという記憶がある。この本は大いに感服した。(今でもフランスの著作中、いちばんおもしろいのは何かと問われれば、すぐに僕は「タイス」と答える。その次に「女王ペドオク」をあげる。名高い「赤百合」なぞという小説は、さらにうまいと思われない)もっとも議論のおもしろさなぞは、所々しか通じなかったらしい。しかし僕は「タイス」の行の下へ、むやみに色鉛筆の筋を引いた。その本は今でも持っているが、当時筋を引いたところは、ニシアスの言葉がいちばん多い。ニシアスというのは警句ばかり吐いているアレクサンドリアの高等遊民である。――これも僕が中学の五年生の時分だった。
高等学校へはいったのちは、語学も少し眼鼻がついたから、時々仏蘭西の小説も読んでみた。ただしその道の人が読むように、系統的に読んだのでもなんでもない。手当たりしだいどれでもござれに、ざっと眼を通したのである。その中でも覚えているのは、フロオベルに「聖アントワンの誘惑」という小説がある。あの本が何度とりかかっても、とうとうしまいまで読めなかった。もっともロオタス・ライブラリイという紫色の英訳本で見ると、むちゃくちゃに省略してあるから、ぞうさなくしまいまで読んでしまう。当時の僕は「聖アントワンの誘惑」も、ちゃんと心得ているような顔をしていたが、実はあの紫色の本のごやっかいになっていたのである。近ごろケエベル先生の小品集を読んでみたら、先生もあれと「サランボオ」とは退屈な本だと言っている。僕は大いにうれしかった。しかしあれに比べると、まだ「サランボオ」なぞのほうが、どのくらい僕にはおもしろいか知れない。それからド・モオパスサンは、敬服してもきらいだった。(今でも二、三の作品は、やはり読むと不快な気がする)それからどういう因縁か、ゾラは大学へはいるまでに、一冊も長篇を読まずにしまった。それからドオデエはその時代から、妙に久米正雄と似ている気がした。もっともその時分の久米正雄は、やっと一高の校友会雑誌に詩を出すくらいなことだったから、よほどドオデエのほうが偉く見えた。それからゴオティエはおもしろがって読んだ。なにしろ絢爛無双だから、長篇でも短篇でも愉快だった。しかし評判の「マドモアゼル・モオパン」も西洋人のいうほどありがたくはなかった。「アヴァタアル」とか「クレオパトラの一夜」とかいう短篇も、ジョオジ・ムウアなぞがかたじけながるように、渾然玉のごとしとは思われなかった。同じカンダウレス王の伝説からも、ヘッベルはあの恐るべき「ギイゲスの指輪」を造り出している。が、翻ってゴオティエの短篇を見ると、主人公の王様でもなんでも、いっこう溌溂たる趣がない。ただしこれはずっとのちに、ヘッベルの芝居を読んでいた時、その編輯者の序文の中に、ことによるとゴオティエの短篇が、ヘッベルにヒントを与えたのかも知れないという、もっともらしい説をあげていたから、またゴオティエを引っぱり出してみて、その感を深くしたような次第である。それから、――もうめんどうくさくなった。
いったい僕が高等学校時代に、どれこれの本を読みましたと言ったところが、おもしろいことも何もあるはずはない。せいぜい人を煙に捲くくらいが落ちである。ただせっかくしゃべったものだから、これだけのことはつけ加えておきたい。というのは当時あるいは当時以後五、六年の間に、僕が読んだ仏蘭西の小説は、たいてい現代に遠くない。あるいは現代の作家が書いたものである。ざっとさかのぼってみたところが、シャトオブリアンとか、――ぎりぎり決着のところと言っても、ルッソオとかヴォルテエルとか、より古いところへは行っていない。(モリエエルは例外である)もちろん文壇に篤学の士が多いから、中には Cent nouvelles Nouvelles du roi Louis Ⅺ までも読んでいるという大家があるかもしれない。しかしそういう例外を除くと、まず僕の読んだような小説が、文壇一般にも読まれている仏蘭西文学だと言ってもよい訳である。すると僕の読んだ小説のことを話すのは、広い文壇にも大いに関係があるのだから、ばかにして聞いたり何かしてはいけない。――これでもまだもったいがつかなければ、僕がそんな本しか読んでいないということは、文壇に影響を与えた仏蘭西文学は、だいたいそんな本のほかに出ないということになりはしないか。文壇はラブレエの影響も、ラシイヌやコルネイユの影響も受けていない。ただおもに十九世紀以後の作家たちの影響を受けている。その証拠には仏蘭西文学に最も私淑している諸先輩の小説にも、いわゆるレスプリ・ゴオロアの磅礴しているような作品は見えない。たとい十九世紀以後の作家たちの中に、ゴオル精神からほとばしった笑い声が時々響くことがあっても、文壇はそれに唖の耳を借すよりほかはなかったのである。この点でも日本のパルナスは、鴎外先生の小説通り、永久にまじめな葬列だった。――こんな理窟も言えるかもしれない。だからこの僕の話も、いよいよばかにして聞いてはいけない。
(大正十年二月) | 底本:「藪の中・将軍」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年5月30日改版初版発行
2009(平成21)年2月25日改版38版発行
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
入力:岡山勝美
校正:坂本真一
2017年1月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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私の家は代々お奥坊主だったのですが、父も母もはなはだ特徴のない平凡な人間です。父には一中節、囲碁、盆栽、俳句などの道楽がありますが、いずれもものになっていそうもありません。母は津藤の姪で、昔の話をたくさん知っています。そのほかに伯母が一人いて、それが特に私のめんどうをみてくれました。今でもみてくれています。家じゅうで顔がいちばん私に似ているのもこの伯母なら、心もちの上で共通点のいちばん多いのもこの伯母です。伯母がいなかったら、今日のような私ができたかどうかわかりません。
文学をやることは、誰も全然反対しませんでした。父母をはじめ伯母もかなり文学好きだからです。その代わり実業家になるとか、工学士になるとか言ったらかえって反対されたかもしれません。
芝居や小説はずいぶん小さい時から見ました。先の団十郎、菊五郎、秀調なぞも覚えています。私がはじめて芝居を見たのは、団十郎が斎藤内蔵之助をやった時だそうですが、これはよく覚えていません。なんでもこの時は内蔵之助が馬をひいて花道へかかると、桟敷の後ろで母におぶさっていた私が、うれしがって、大きな声で「ああうまえん」と言ったそうです。二つか三つくらいの時でしょう。小説らしい小説は、泉鏡花氏の「化銀杏」が始めだったかと思います。もっともその前に「倭文庫」や「妙々車」のようなものは卒業していました。これはもう高等小学校へはいってからです。 | 底本:「羅生門・鼻・芋粥」角川文庫、角川書店
1950(昭和25)年10月20日初版発行
1985(昭和60)年11月10日改版38版発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月12日公開
2004年3月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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「堀川さん。弔辞を一つ作ってくれませんか? 土曜日に本多少佐の葬式がある、――その時に校長の読まれるのですが、……」
藤田大佐は食堂を出しなにこう保吉へ話しかけた。堀川保吉はこの学校の生徒に英吉利語の訳読を教えている。が、授業の合い間には弔辞を作ったり、教科書を編んだり、御前講演の添削をしたり、外国の新聞記事を翻訳したり、――そう云うことも時々はやらなければならぬ。そう云うことをまた云いつけるのはいつもこの藤田大佐である。大佐はやっと四十くらいであろう。色の浅黒い、肉の落ちた、神経質らしい顔をしている。保吉は大佐よりも一足あとに薄暗い廊下を歩みながら、思わず「おや」と云う声を出した。
「本多少佐は死なれたんですか?」
大佐も「おや」と云うように保吉の顔をふり返った。保吉はきのうずる休みをしたため、本多少佐の頓死を伝えた通告書を見ずにしまったのである。
「きのうの朝歿くなられたです。脳溢血だと云うことですが、……じゃ金曜日までに作って来て下さい。ちょうどあさっての朝までにですね。」
「ええ、作ることは作りますが、……」
悟りの早い藤田大佐はたちまち保吉の先まわりをした。
「弔辞を作られる参考には、後ほど履歴書をおとどけしましょう。」
「しかしどう云う人だったでしょう? 僕はただ本多少佐の顔だけ見覚えているくらいなんですが、……」
「さあ、兄弟思いの人だったですね。それからと……それからいつもクラス・ヘッドだった人です。あとはどうか名筆を揮って置いて下さい。」
二人はもう黄色に塗った科長室の扉の前に立っていた。藤田大佐は科長と呼ばれる副校長の役をしているのである。保吉はやむを得ず弔辞に関する芸術的良心を抛擲した。
「資性穎悟と兄弟に友にですね。じゃどうにかこじつけましょう。」
「どうかよろしくお願いします。」
大佐に別れた保吉は喫煙室へ顔を出さずに、誰も人のいない教官室へ帰った。十一月の日の光はちょうど窓を右にした保吉の机を照らしている。彼はその前へ腰をおろし、一本のバットへ火を移した。弔辞はもう今日までに二つばかり作っている。最初の弔辞は盲腸炎になった重野少尉のために書いたものだった。当時学校へ来たばかりの彼は重野少尉とはどう云う人か、顔さえはっきりした記憶はなかった。しかし弔辞の処女作には多少の興味を持っていたから、「悠々たるかな、白雲」などと唐宋八家文じみた文章を草した。その次のは不慮の溺死を遂げた木村大尉のために書いたものだった。これも木村大尉その人とは毎日同じ避暑地からこの学校の所在地へ汽車の往復を共にしていたため、素直に哀悼の情を表することが出来た。が、今度の本多少佐はただ食堂へ出る度に、禿げ鷹に似た顔を見かけただけである。のみならず弔辞を作ることには興味も何も持っていない。云わば現在の堀川保吉は註文を受けた葬儀社である。何月何日の何時までに竜燈や造花を持って来いと云われた精神生活上の葬儀社である。――保吉はバットを啣えたまま、だんだん憂鬱になりはじめた。……
「堀川教官。」
保吉は夢からさめたように、机の側に立った田中中尉を見上げた。田中中尉は口髭の短い、まろまろと顋の二重になった、愛敬のある顔の持主である。
「これは本多少佐の履歴書だそうです。科長から今堀川教官へお渡ししてくれと云うことでしたから。」
田中中尉は机の上へ罫紙を何枚も綴じたのを出した。保吉は「はあ」と答えたぎり、茫然と罫紙へ目を落した。罫紙には叙任の年月ばかり細かい楷書を並べている。これはただの履歴書ではない。文官と云わず武官と云わず、あらゆる天下の官吏なるものの一生を暗示する象徴である。……
「それから一つ伺いたい言葉があるのですが、――いや、海上用語じゃありません。小説の中にあった言葉なんです。」
中尉の出した紙切れには何か横文字の言葉が一つ、青鉛筆の痕を残している。Masochism ――保吉は思わず紙切れから、いつも頬に赤みのさした中尉の童顔へ目を移した。
「これですか? このマソヒズムと云う……」
「ええ、どうも普通の英和辞書には出て居らんように思いますが。」
保吉は浮かない顔をしたまま、マソヒズムの意味を説明した。
「いやあ、そう云うことですか!」
田中中尉は不相変晴ればれした微笑を浮かべている。こう云う自足した微笑くらい、苛立たしい気もちを煽るものはない。殊に現在の保吉は実際この幸福な中尉の顔へクラフト・エビングの全語彙を叩きつけてやりたい誘惑さえ感じた。
「この言葉の起源になった、――ええと、マゾフと云いましたな。その人の小説は巧いんですか?」
「まあ、ことごとく愚作ですね。」
「しかしマゾフと云う人はとにかく興味のある人格なんですな?」
「マゾフですか? マゾフと云うやつは莫迦ですよ。何しろ政府は国防計画よりも私娼保護に金を出せと熱心に主張したそうですからね。」
マゾフの愚を知った田中中尉はやっと保吉を解放した。もっともマゾフは国防計画よりも私娼保護を重んじたかどうか、その辺は甚だはっきりしない。多分はやはり国防計画にも相当の敬意を払っていたであろう。しかしそれをそう云わなければ、この楽天家の中尉の頭に変態性慾の莫迦莫迦しい所以を刻みつけてしまうことは不可能だからである。……
保吉は一人になった後、もう一本バットに火をつけながら、ぶらぶら室内を歩みはじめた。彼の英吉利語を教えていることは前にも書いた通りである。が、それは本職ではない。少くとも本職とは信じていない。彼はとにかく創作を一生の事業と思っている。現に教師になってからも、たいてい二月に一篇ずつは短い小説を発表して来た。その一つ、――サン・クリストフの伝説を慶長版の伊曾保物語風にちょうど半分ばかり書き直したものは今月のある雑誌に載せられている。来月はまた同じ雑誌に残りの半分を書かなければならぬ。今月ももう七日とすると、来月号の締切り日は――弔辞などを書いている場合ではない。昼夜兼行に勉強しても、元来仕事に手間のかかる彼には出来上るかどうか疑問である。保吉はいよいよ弔辞に対する忌いましさを感じ出した。
この時大きい柱時計の静かに十二時半を報じたのは云わばニュウトンの足もとへ林檎の落ちたのも同じことである。保吉の授業の始まるまではもう三十分待たなければならぬ。その間に弔辞を書いてしまえば、何も苦しい仕事の合い間に「悲しいかな」を考えずとも好い。もっともたった三十分の間に資性穎悟にして兄弟に友なる本多少佐を追悼するのは多少の困難を伴っている。が、そんな困難に辟易するようでは、上は柿本人麻呂から下は武者小路実篤に至る語彙の豊富を誇っていたのもことごとく空威張りになってしまう。保吉はたちまち机に向うと、インク壺へペンを突こむが早いか、試験用紙のフウルス・カップへ一気に弔辞を書きはじめた。
× × ×
本多少佐の葬式の日は少しも懸け価のない秋日和だった。保吉はフロック・コオトにシルク・ハットをかぶり、十二三人の文官教官と葬列のあとについて行った。その中にふと振り返ると、校長の佐佐木中将を始め、武官では藤田大佐だの、文官では粟野教官だのは彼よりも後ろに歩いている。彼は大いに恐縮したから、直後ろにいた藤田大佐へ「どうかお先へ」と会釈をした。が、大佐は「いや」と云ったぎり、妙ににやにや笑っている。すると校長と話していた、口髭の短い粟野教官はやはり微笑を浮かべながら、常談とも真面目ともつかないようにこう保吉へ注意をした。
「堀川君。海軍の礼式じゃね、高位高官のものほどあとに下るんだから、君はとうてい藤田さんの後塵などは拝せないですよ。」
保吉はもう一度恐縮した。なるほどそう云われて見れば、あの愛敬のある田中中尉などはずっと前の列に加わっている。保吉は匇々大股に中尉の側へ歩み寄った。中尉はきょうも葬式よりは婚礼の供にでも立ったように欣々と保吉へ話しかけた。
「好い天気ですなあ。……あなたは今葬列に加わられたんですか?」
「いや、ずっと後ろにいたんです。」
保吉はさっきの顛末を話した。中尉は勿論葬式の威厳を傷けるかと思うほど笑い出した。
「始めてですか、葬式に来られたのは?」
「いや、重野少尉の時にも、木村大尉の時にも出て来たはずです。」
「そう云う時にはどうされたですか?」
「勿論校長や科長よりもずっとあとについていたんでしょう。」
「そりゃどうも、――大将格になった訣ですな。」
葬列はもう寺に近い場末の町にはいっている。保吉は中尉と話しながら、葬式を見に出た人々にも目をやることを忘れなかった。この町の人々は子供の時から無数の葬式を見ているため、葬式の費用を見積ることに異常の才能を生じている。現に夏休みの一日前に数学を教える桐山教官のお父さんの葬列の通った時にも、ある家の軒下に佇んだ甚平一つの老人などは渋団扇を額へかざしたまま、「ははあ、十五円の葬いだな」と云った。きょうも、――きょうは生憎あの時のように誰もその才能を発揮しない。が、大本教の神主が一人、彼自身の子供らしい白っ子を肩車にしていたのは今日思い出しても奇観である。保吉はいつかこの町の人々を「葬式」とか何とか云う短篇の中に書いて見たいと思ったりした。
「今月は何とかほろ上人と云う小説をお書きですな。」
愛想の好い田中中尉はしっきりなしに舌をそよがせている。
「あの批評が出ていましたぜ。けさの時事、――いや、読売でした。後ほど御覧に入れましょう。外套のポケットにはいっていますから。」
「いや、それには及びません。」
「あなたは批評をやられんようですな。わたしはまた批評だけは書いて見たいと思っているんです。例えばシェクスピイアのハムレットですね。あのハムレットの性格などは……」
保吉はたちまち大悟した。天下に批評家の充満しているのは必ずしも偶然ではなかったのである。
葬列はとうとう寺の門へはいった。寺は後ろの松林の間に凪いだ海を見下している。ふだんは定めし閑静であろう。が、今は門の中は葬列の先に立って来た学校の生徒に埋められている。保吉は庫裡の玄関に新しいエナメルの靴を脱ぎ、日当りの好い長廊下を畳ばかり新しい会葬者席へ通った。
会葬者席の向う側は親族席になっている。そこの上座に坐っているのは本多少佐のお父さんであろう。やはり禿げ鷹に似た顔はすっかり頭の白いだけに、令息よりも一層慓悍である。その次に坐っている大学生は勿論弟に違いあるまい。三番目のは妹にしては器量の好過ぎる娘さんである。四番目のは――とにかく四番目以後の人にはこれと云う特色もなかったらしい。こちら側の会葬者席にはまず校長が坐っている。その次には科長が坐っている。保吉はちょうど科長のま後ろ、――会葬者席の二列目にズボンの尻を据えることにした。と云っても科長や校長のようにちゃんと膝を揃えたのではない。容易に痺れの切れないように大胡坐をかいてしまったのである。
読経は直にはじまった。保吉は新内を愛するように諸宗の読経をも愛している。が、東京乃至東京近在の寺は不幸にも読経の上にさえたいていは堕落を示しているらしい。昔は金峯山の蔵王をはじめ、熊野の権現、住吉の明神なども道明阿闍梨の読経を聴きに法輪寺の庭へ集まったそうである。しかしそう云う微妙音はアメリカ文明の渡来と共に、永久に穢土をあとにしてしまった。今も四人の所化は勿論、近眼鏡をかけた住職は国定教科書を諳誦するように提婆品か何かを読み上げている。
その中に読経の切れ目へ来ると、校長の佐佐木中将はおもむろに少佐の寝棺の前へ進んだ。白い綸子に蔽われた棺はちょうど須弥壇を正面にして本堂の入り口に安置してある。そのまた棺の前の机には造花の蓮の花の仄めいたり、蝋燭の炎の靡いたりする中に勲章の箱なども飾ってある。校長は棺に一礼した後、左の手に携えていた大奉書の弔辞を繰りひろげた。弔辞は勿論二三日前に保吉の書いた「名文」である。「名文」は格別恥ずる所はない。そんな神経はとうの昔、古い革砥のように擦り減らされている。ただこの葬式の喜劇の中に彼自身も弔辞の作者と云う一役を振られていることは、――と云うよりもむしろそう云う事実をあからさまに見せつけられることはとにかく余り愉快ではない。保吉は校長の咳払いと同時に、思わず膝の上へ目を伏せてしまった。
校長は静かに読みはじめた。声はやや錆びを帯びた底にほとんど筆舌を超越した哀切の情をこもらせている。とうてい他人の作った弔辞を読み上げているなどとは思われない。保吉はひそかに校長の俳優的才能に敬服した。本堂はもとよりひっそりしている。身動きさえ滅多にするものはない。校長はいよいよ沈痛に「君、資性穎悟兄弟に友に」と読みつづけた。すると突然親族席に誰かくすくす笑い出したものがある。のみならずその笑い声はだんだん声高になって来るらしい。保吉は内心ぎょっとしながら、藤田大佐の肩越しに向う側の人々を物色した。と同時に場所柄を失した笑い声だと思ったものは泣き声だったことを発見した。
声の主は妹である。旧式の束髪を俯向けたかげに絹の手巾を顔に当てた器量好しの娘さんである。そればかりではない、弟も――武骨そうに見えた大学生もやはり涙をすすり上げている。と思うと老人もしっきりなしに鼻紙を出してはしめやかに鼻をかみつづけている。保吉はこう云う光景の前にまず何よりも驚きを感じた。それからまんまと看客を泣かせた悲劇の作者の満足を感じた。しかし最後に感じたものはそれらの感情よりも遥かに大きい、何とも云われぬ気の毒さである。尊い人間の心の奥へ知らず識らず泥足を踏み入れた、あやまるにもあやまれない気の毒さである。保吉はこの気の毒さの前に、一時間に亘る葬式中、始めて悄然と頭を下げた。本多少佐の親族諸君はこう云う英吉利語の教師などの存在も知らなかったのに違いない。しかし保吉の心の中には道化の服を着たラスコルニコフが一人、七八年たった今日もぬかるみの往来へ跪いたまま、平に諸君の高免を請いたいと思っているのである。………
葬式のあった日の暮れがたである。汽車を降りた保吉は海岸の下宿へ帰るため、篠垣ばかり連った避暑地の裏通りを通りかかった。狭い往来は靴の底にしっとりと砂をしめらせている。靄ももういつか下り出したらしい。垣の中に簇った松は疎らに空を透かせながら、かすかに脂の香を放っている。保吉は頭を垂れたまま、そう云う静かさにも頓着せず、ぶらぶら海の方へ歩いて行った。
彼は寺から帰る途中、藤田大佐と一しょになった。すると大佐は彼の作った弔辞の出来栄えを賞讃した上、「急焉玉砕す」と云う言葉はいかにも本多少佐の死にふさわしいなどと云う批評を下した。それだけでも親族の涙を見た保吉を弱らせるには十分である。そこへまた同じ汽車に乗った愛敬者の田中中尉は保吉の小説を批評している読売新聞の月評を示した。月評を書いたのはまだその頃文名を馳せていたN氏である。N氏はさんざん罵倒した後、こう保吉に止めを刺していた。――「海軍××学校教官の余技は全然文壇には不必要である」!
半時間もかからずに書いた弔辞は意外の感銘を与えている。が、幾晩も電燈の光りに推敲を重ねた小説はひそかに予期した感銘の十分の一も与えていない。勿論彼はN氏の言葉を一笑に付する余裕を持っている。しかし現在の彼自身の位置は容易に一笑に付することは出来ない。彼は弔辞には成功し、小説には見事に失敗した。これは彼自身の身になって見れば、心細い気のすることは事実である。一体運命は彼のためにいつこう云う悲しい喜劇の幕を下してくれるであろう?………
保吉はふと空を見上げた。空には枝を張った松の中に全然光りのない月が一つ、赤銅色にはっきりかかっている。彼はその月を眺めているうちに小便をしたい気がした。人通りは幸い一人もない。往来の左右は不相変ひっそりした篠垣の一列である。彼は右側の垣の下へ長ながと寂しい小便をした。
するとまだ小便をしているうちに、保吉の目の前の篠垣はぎいと後ろへ引きあげられた。垣だとばかり思っていたものは垣のように出来た木戸だったのであろう。そのまた木戸から出て来たのを見れば、口髭を蓄えた男である。保吉は途方に暮れたから、小便だけはしつづけたまま、出来るだけゆっくり横向きになった。
「困りますなあ。」
男はぼんやりこう云った。何だか当惑そのものの人間になったような声をしている。保吉はこの声を耳にした時、急に小便も見えないほど日の暮れているのを発見した。
(大正十三年三月) | 底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月8日公開
2004年3月10日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000027",
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"作品名読み": "ぶんしょう",
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"初出": "「女性」1924(大正13)年4月",
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"姓読みソート用": "あくたかわ",
"名読みソート用": "りゆうのすけ",
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一 雍和宮
今日も亦中野江漢君につれられ、午頃より雍和宮一見に出かける。喇嘛寺などに興味も何もなけれど、否、寧ろ喇嘛寺などは大嫌いなれど、北京名物の一つと言えば、紀行を書かされる必要上、義理にも一見せざる可らず。我ながら御苦労千万なり。
薄汚い人力車に乗り、やっと門前に辿りついて見れば、成程大伽藍には違いなし。尤も大伽藍などと言えば、大きいお堂が一つあるようなれど、この喇嘛寺は中々そんなものにあらず。永祐殿、綏成殿、天王殿、法輪殿などと云う幾つものお堂の寄り合い世帯なり。それも日本のお寺とは違い、屋根は黄色く、壁は赤く、階段は大理石を用いたる上、石の獅子だの、青銅の惜字塔だの(支那人は文字を尊ぶ故、文字を書きたる紙を拾えば、この塔の中へ入れるよし、中野君の説明なり。つまり多少芸術的なる青銅製の紙屑籠を思えば好し。)乾降帝の「御碑」だのも立っていれば、兎に角荘厳なるに近かるべし。
第六所東配殿に木彫りの歓喜仏四体あり。堂守に銀貨を一枚やると、繍幔をとって見せてくれる。仏は皆藍面赤髪、背中に何本も手を生やし、無数の人頭を頸飾にしたる醜悪無双の怪物なり。歓喜仏第一号は人間の皮をかけたる馬に跨り、炎口に小人を啣うるもの、第二号は象頭人身の女を足の下に踏まえたるもの、第三号は立って女を婬するもの。第四号は――最も敬服したるは第四号なり。第四号は牛の背上に立ち、その又牛は僭越にも仰臥せる女を婬しつつあり。されど是等の歓喜仏は少しもエロティックな感じを与えず。只何か残酷なる好奇心の満足を与うるのみ。歓喜仏第四号の隣には半ば口を開きたるやはり木彫りの大熊あり。この熊も因縁を聞いて見れば、定めし何かの象徴ならん。熊は前に武人二人(藍面にして黒毛をつけたる槍を持てり)、後に二匹の小熊を伴う。
それから寧阿殿なりしと覚ゆ。ワンタン屋のチャルメラに似たる音せしかば、ちょっと中を覗きて見しに、喇嘛僧二人、怪しげなる喇叭を吹奏しいたり。喇嘛僧と言うもの、或は黄、或は赤、或は紫などの毛のつきたる三角帽を頂けるは多少の画趣あるに違いなけれど、どうも皆悪党に思われてならず。幾分にても好意を感じたるはこの二人の喇叭吹きだけなり。
それから又中野君と石畳の上を歩いていたるに、万福殿の手前の楼の上より堂守一人顔を出し、上って来いと手招きをしたり。狭い梯子を上って見れば、此処にも亦幕に蔽われたる仏あれど、堂守容易に幕をとってくれず。二十銭出せなどと手を出すのみ。やっと十銭に妥協し、幕をとって拝し奉れば、藍面、白面、黄面、赤面、馬面等を生やしたる怪物なり。おまけに又何本も腕を生やしたる上、(腕は斧や弓の外にも、人間の首や腕をふりかざしいたり)右の脚は鳥の脚にして左の脚は獣の脚なれば、頗る狂人の画に類したりと言うべし。されど予期したる歓喜仏にはあらず。(尤もこの怪物は脚下に二人の人間を踏まえいたり。)中野君即ち目を瞋らせて、「貴様は譃をついたな。」と言えば、堂守大いに狼狽し、頻に「これがある、これがある」と言う。「これ」とは藍色の男根なり。隆々たる一具、子を作ることを為さず、空しく堂守をして煙草銭を儲けしむ。悲しいかな、喇嘛仏の男根や。
喇嘛寺の前に喇嘛画師の店七軒あり。画師の総数三十余人。皆西蔵より来れるよし。恒豊号と言う店に入り、喇嘛仏の画数枚を購う。この画、一年に一万二三千元売れると言えば、喇嘛画師の収入も莫迦にならず。
二 辜鴻銘先生
辜鴻銘先生を訪う。ボイに案内されて通りしは素壁に石刷の掛物をぶら下げ、床にアンペラを敷ける庁堂なり。ちょっと南京虫はいそうなれど、蕭散愛すべき庁堂と言うべし。
待つこと一分ならざるに眼光烱々たる老人あり。闥を排して入り来り、英語にて「よく来た、まあ坐れ」と言う。勿論辜鴻銘先生なり。胡麻塩の辮髪、白の大掛児、顔は鼻の寸法短かければ、何処か大いなる蝙蝠に似たり。先生の僕と談ずるや、テエブルの上に数枚の藁半紙を置き、手は鉛筆を動かしてさっさと漢字を書きながら、口はのべつ幕なしに英吉利語をしゃべる。僕の如く耳の怪しきものにはまことに便利なる会話法なり。
先生、南は福建に生れ、西は蘇格蘭のエディンバラに学び、東は日本の婦人を娶り、北は北京に住するを以て東西南北の人と号す。英語は勿論、独逸語も仏蘭西語も出来るよし。されどヤング・チャイニィイズと異り、西洋の文明を買い冠らず。基督教、共和政体、機械万能などを罵る次手に、僕の支那服を着たるを見て、「洋服を着ないのは感心だ。只憾むらくは辮髪がない。」と言う。先生と談ずること三十分、忽ち八九歳の少女あり。羞かしそうに庁堂へ入り来る。蓋し先生のお嬢さんなり。(夫人は既に鬼籍に入る。)先生、お嬢さんの肩に手をかけ、支那語にて何とか囁けば、お嬢さんは小さい口を開き、「いろはにほへとちりぬるをわか……」云々と言う。夫人の生前教えたるなるべし。先生は満足そうに微笑していれど、僕は聊センティメンタルになり、お嬢さんの顔を眺むるのみ。
お嬢さんの去りたる後、先生、又僕の為に段を論じ、呉を論じ、併せて又トルストイを論ず。(トルストイは先生へ手紙をよこしたよし。)論じ来り、論じ去って、先生の意気大いに昂るや、眼は愈炬の如く、顔は益蝙蝠に似たり。僕の上海を去らんとするに当り、ジョオンズ、僕の手を握って曰、「紫禁城は見ざるも可なり、辜鴻銘を見るを忘るること勿れ。」と。ジョオンズの言、僕を欺かざるなり。僕、亦先生の論ずる所に感じ、何ぞ先生の時事に慨して時事に関せんとせざるかを問う。先生、何か早口に答うれど、生憎僕に聞きとること能わず。「もう一度どうか」を繰り返せば、先生、さも忌々しそうに藁半紙の上に大書して曰、「老、老、老、老、老、……」と。
一時間の後、先生の邸を辞し、歩して東単牌楼のホテルに向えば、微風、並木の合歓花を吹き、斜陽、僕の支那服を照す。しかもなお蝙蝠に似たる先生の顔、僕の眼前を去らざるが如し。僕は大通りへ出ずるに当り、先生の門を回看して、――先生、幸に咎むること勿れ、先生の老を歎ずるよりも先に、未だ年少有為なる僕自身の幸福を讃美したり。
三 十刹海
中野江漢君の僕を案内してくれたるものは北海の如き、万寿山の如き、或は又天壇の如き、誰も見物するもののみにあらず。文天祥祠も、楊椒山の故宅も、白雲観も、永楽大鐘も、(この大鐘は半ば土中に埋まり、事実上の共同便所に用いられつつあり。)悉中野君の案内を待って一見するを得しものなり。されど最も面白かりしは今日中野君と行って見たる十刹海の遊園なるべし。
尤も遊園とは言うものの、庭の出来ている次第にはあらず。只大きい蓮池のまわりに葭簾張りの掛茶屋のあるだけなり。掛茶屋の外には針鼠だの大蝙蝠だのの看板を出した見世物小屋も一軒ありしように記憶す。僕等はこう言う掛茶屋にはいり、中野君は玫瑰露の杯を嘗め、僕は支那茶を啜りつつ、二時間ばかり坐っていたり。何がそんなに面白かりしと言えば、別に何事もあった訣にはあらず、只人を見るのが面白かりしだけなり。
蓮花は未だ開かざれど、岸をめぐれる槐柳のかげや前後の掛茶屋にいる人を見れば、水煙管を啣えたる老爺あり、双孖髻に結える少女あり、兵卒と話している道士あり、杏売りを値切っている婆さんあり、人丹(仁丹にあらず)売りあり、巡査あり、背広を着た年少の紳士あり、満洲旗人の細君あり、――と数え上げれば際限なけれど、兎に角支那の浮世絵の中にいる心ちありと思うべし。殊に旗人の細君は黒い布か紙にて造りたる髷とも冠ともつかぬものを頂き、頬にまるまると紅をさしたるさま、古風なること言うべからず。その互にお時儀をするや、膝をかがめて腰をかがめず、右手をまっ直に地へ下げるは奇体にも優雅の趣ありと言うべし。成程これでは観菊の御宴に日本の宮女を見たるロティイも不思議の魅力を感ぜしならん。僕は実際旗人の細君にちょっと満洲流のお時儀をし、「今日は」と言いたき誘惑を受けたり。但しこの誘惑に従わざりしは少くとも中野君の幸福なりしならん。僕等のはいりし掛茶屋を見るも、まん中に一本の丸太を渡し、男女は断じて同席することを許さず。女の子をつれたる親父などは女の子だけを向う側に置き、自分はこちら側に坐りながら、丸太越しに菓子などを食わせていたり。この分にては僕も敬服の余り、旗人の細君にお時儀をしたとすれば、忽ち風俗壊乱罪に問われ、警察か何かへ送られしならん。まことに支那人の形式主義も徹底したものと称すべし。
僕、この事を中野君に話せば、中野君、一息に玫瑰露を飲み干し、扨徐に語って曰、「そりゃ驚くべきものですよ。環城鉄道と言うのがあるでしょう。ええ、城壁のまわりを通っている汽車です。あの鉄道を拵える時などには線路の一部が城内を通る、それでは環城にならんと言って、わざわざ其処だけは城壁の中へもう一つ城壁を築いたですからね。兎に角大した形式主義ですよ。」
四 胡蝶夢
波多野君や松本君と共に辻聴花先生に誘われ、昆曲の芝居を一見す。京調の芝居は上海以来、度たび覗いても見しものなれど、昆曲はまだ始めてなり。例の如く人力車の御厄介になり、狭い町を幾つも通り抜けし後、やっと同楽茶園と言う劇場に至る。紅に金文字のびらを貼れる、古き煉瓦造りの玄関をはいれば、――但し「玄関をはいれば」と言うも、切符などを買いし次第にあらず、元来支那の芝居なるものは唯ぶらりと玄関をはいり、戯を聴くこと幾分の後、金を集めに来る支那の出方に定額の入場料を払ってやるを常とす。これは波多野君の説明によれば、つまるかつまらぬかわからぬ芝居に前以て金など出せるものかと言う支那的論理によれるもののよし。まことに我等看客には都合好き制度と言わざるべからず。扨煉瓦造りの玄関をはいれば、土間に並べたる腰掛に雑然と看客の坐れることはこの劇場も他と同様なり。否、昨日梅蘭芳や楊小楼を見たる東安市場の吉祥茶園は勿論、一昨日余叔岩や尚小雲を見たる前門外の三慶園よりも一層じじむさき位ならん。この人ごみの後を通り、二階桟敷に上らんとすれば、酔顔酡たる老人あり。鼈甲の簪に辮髪を巻き、芭蕉扇を手にして徘徊するを見る。波多野君、僕に耳語して曰、「あの老爺が樊半山ですよ。」と。僕は忽ち敬意を生じ、梯子段の中途に佇みたるまま、この老詩人を見守ること多時。恐らくは当年の酔李白も――などと考えし所を見れば、文学青年的感情は少くとも未だ国際的には幾分か僕にも残りおるなるべし。
二階桟敷には僕等よりも先に、疎髯を蓄え、詰め襟の洋服を着たる辻聴花先生あり。先生が劇通中の劇通たるは支那の役者にも先生を拝して父と做すもの多きを見て知るべし。揚州の塩務官高洲太吉氏は外国人にして揚州に官たるもの、前にマルコ・ポオロあり、後に高洲太吉ありと大いに気焔を吐きいたれど、外国人にして北京に劇通たるものは前にも後にも聴花散人一人に止めを刺さざるべからず。僕は先生を左にし、波多野君を右にして坐りたれば、(波多野君も「支那劇五百番」の著者なり。)「綴白裘」の両帙を手にせざるも、今日だけは兎に角半可通の資格位は具えたりと言うべし。(後記。辻聴花先生に漢文「中国劇」の著述あり。順天時報社の出版に係る。僕は北京を去らんとするに当り、先生になお邦文「支那芝居」の著述あるを仄聞したれば、先生に請うて原稿を預かり、朝鮮を経て東京に帰れる後、二三の書肆に出版を勧めたれど、書肆皆愚にして僕の言を容れず。然るに天公その愚を懲らし、この書今は支那風物研究会の出版する所となる。次手を以て広告すること爾り。)
乃ち葉巻に火を点じて俯瞰すれば、舞台の正面に紅の緞帳を垂れ、前に欄干をめぐらせることもやはり他の劇場と異る所なし。其処に猿に扮したる役者あり。何か歌をうたいながら、くるくる棒を振りまわすを見る。番附に「火焔山」とあるを見れば、勿論この猿は唯の猿にあらず。僕の幼少より尊敬せる斉天大聖孫悟空ならん。悟空の側には又衣裳を着けず、粉黛を装わざる大男あり。三尺余りの大団扇を揮って、絶えず悟空に風を送るを見る。羅刹女とはさすがに思われざれば、或は牛魔王か何かと思い、そっと波多野君に尋ねて見れば、これは唯煽風機代りに役者を煽いでやる後見なるよし。牛魔王は既に戦負けて、舞台裏へ逃げこみし後なりしならん。悟空も亦数分の後には一打十万八千路、――と言っても実際は大股に悠々と鬼門道へ退却したり。憾むらくは樊半山に感服したる余り、火焔山下の大殺を見損いしことを。
「火焔山」の次は「胡蝶夢」なり。道服を着たる先生の舞台をぶらぶら散歩するは「胡蝶夢」の主人公荘子ならん。それから目ばかり大いなる美人の荘子と喋々喃々するはこの哲学者の細君なるべし。其処までは一目瞭然なれど、時々舞台へ現るる二人の童子に至っては何の象徴なるかを朗かにせず。「あれは荘子の子供ですか?」と又ぞろ波多野君を悩ますれば、波多野君、聊か唖然として、「あれはつまり、その、蝶々ですよ。」と言う。しかし如何に贔屓眼に見るも、蝶々なぞと言うしろものにあらず。或は六月の天なれば、火取虫に名代を頼みしならん。唯この芝居の筋だけは僕も先刻承知なりし為、登場人物を知りし上はまんざら盲人の垣覗きにもあらず。否、今までに僕の見たる六十有余の支那芝居中、一番面白かりしは事実なり。抑「胡蝶夢」の筋と言えば、荘子も有らゆる賢人の如く、女のまごころを疑う為、道術によりて死を装い、細君の貞操を試みんと欲す。細君、荘子の死を嘆き、喪服を着たり何かすれど、楚の公子の来り弔するや、……
「好!」
この大声を発せるものは辻聴花先生なり。僕は勿論「好!」の声に慣れざる次第でも何でもなけれど、未だ曾て特色あること、先生の「好!」の如くなるものを聞かず。まず匹を古今に求むれば、長坂橋頭蛇矛を横えたる張飛の一喝に近かるべし。僕、惘れて先生を見れば、先生、向うを指して曰、「あすこに不准怪声叫好と言う札が下っているでしょう。怪声はいかん。わたしのように『好!』と言うのは好いのです。」と。大いなるアナトオル・フランスよ。君の印象批評論は真理なり。怪声と怪声たらざるとは客観的標準を以て律すべからず。僕等の認めて怪声と做すものは、――しかしその議論は他日に譲り、もう一度「胡蝶夢」に立ち戻れば、楚の公子の来り弔するや、細君、忽公子に惚れて荘子のことを忘るるに至る。忘るるに至るのみならず、公子の急に病を発し、人間の脳味噌を嘗めるより外に死を免るる策なしと知るや、斧を揮って棺を破り、荘子の脳味噌をとらんとするに至る。然るに公子と見しものは元来胡蝶に外ならざれば、忽飛んで天外に去り細君は再婚するどころならず、却って悪辣なる荘子の為にさんざん油をとらるるに終る。まことに天下の女の為には気の毒千万なる諷刺劇と言うべし。――と言えば劇評位書けそうなれど、実は僕には昆曲の昆曲たる所以さえ判然せず。唯どこか京調劇よりも派手ならざる如く感ぜしのみ。波多野君は僕の為に「梆子は秦腔と言うやつでね。」などと深切に説明してくるれど、畢竟馬の耳に念仏なりしは我ながら哀れなりと言わざるべからず。なお次手に僕の見たる「胡蝶夢」の役割を略記すれば、荘子の細君――韓世昌、荘子――陶顕亭、楚の公子――馬夙彩、老胡蝶――陳栄会等なるべし。
「胡蝶夢」を見終りたる後、辻聴花先生にお礼を言い、再び波多野君や松本君と人力車上の客となれば、新月北京の天に懸り、ごみごみしたる往来に背広の紳士と腕を組みたる新時代の女子の通るを見る。ああ言う連中も必要さえあれば、忽――斧は揮わざるにもせよ、斧よりも鋭利なる一笑を用い、御亭主の脳味噌をとらんとするなるべし。「胡蝶夢」を作れる士人を想い、古人の厭世的貞操観を想う。同楽園の二階桟敷に何時間かを費したるも必しも無駄ではなかったようなり。
五 名勝
万寿山。自動車を飛ばせて万寿山に至る途中の風光は愛すべし。されど万寿山の宮殿泉石は西太后の悪趣味を見るに足るのみ。柳の垂れたる池の辺に醜悪なる大理石の画舫あり。これも亦大評判なるよし。石の船にも感歎すべしとせば、鉄の船なる軍艦には卒倒せざるべからざらん乎。
玉泉山。山上に廃塔あり。塔下に踞して北京の郊外を俯瞰す。好景、万寿山に勝ること数等。尤もこの山の泉より造れるサイダアは好景よりも更に好なるかも知れず。
白雲観。洪大尉の石碣を開いて一百八の魔君を走らせしも恐らくはこう言う所ならん。霊官殿、玉皇殿、四御殿など、皆槐や合歓の中に金碧燦爛としていたり。次手に葡萄架後の台所を覗けば、これも世間並の台所にあらず。「雲厨宝鼎」の額の左右に金字の聯をぶら下げて曰、「勺水共飲蓬莱客、粒米同餐羽士家」と。但し道士も時勢には勝たれず、せっせと石炭を運びいたり。
天寧寺。この寺の塔は隋の文帝の建立のよし。尤も今あるのは乾隆二十年の重修なり。塔は緑瓦を畳むこと十三層、屋縁は白く、塔壁は赤し、――と言えば綺麗らしけれど、実は荒廃見るに堪えず。寺は既に全然滅び、只紫燕の乱飛するを見るのみ。
松筠庵。楊椒山の故宅なり。故宅と言えば風流なれど、今は郵便局の横町にある上、入口に君子自重の小便壺あるは没風流も亦甚し。瓦を敷き、岩を積みたる庭の前に諌草亭あり。庭に擬宝珠の鉢植え多し。椒山の「鉄肩担道義、辣手著文章」の碑をランプの台に使いたるも滑稽なり。後生、まことに恐るべし。椒山、この語の意を知れりや否や。
謝文節公祠。これも外右四区警察署第一半日学校の門内にあり。尤もどちらが家主かは知らず。薇香堂なるものの中に畳山の木像あり。木像の前に紙錫、硝子張の燈籠など、他は只満堂の塵埃のみ。
窑台。三門閣下に昼寝する支那人多し。満目の蘆荻。中野君の説明によれば、北京の苦力は炎暑の候だけ皆他省へ出稼ぎに行き、苦力の細君はその間にこの蘆荻の中にて売婬するよし。時価十五銭内外と言う。
陶然亭。古刹慈悲浄林の額なども仰ぎ見たれど、そんなものはどうでもよし。陶然亭は天井を竹にて組み、窓を緑紗にて張りたる上、蔀めきたる卍字の障子を上げたる趣、簡素にして愛すべし。名物の精進料理を食いおれば、鳥声頻に天上より来る。ボイにあれは何だと聞けば、――実はちょっと聞いて貰えば、郭公の声と答えたよし。
文天祥祠。京師府立第十八国民高等小学校の隣にあり。堂内に木像並に宋丞相信国公文公之神位なるものを安置す。此処も亦塵埃の漠々たるを見るのみ。堂前に大いなる楡(?)の木あり。杜少陵ならば老楡行か何か作る所ならん。僕は勿論発句一つ出来ず。英雄の死も一度は可なり。二度目の死は気の毒過ぎて、到底詩興などは起らぬものと知るべし。
永安寺。この寺の善因殿は消防隊の展望台に用いられつつあり。葉巻を啣えて殿上に立てば、紫禁城の黄瓦、天寧寺の塔、アメリカの無線電信柱等、皆歴々と指呼すべし。
北海。柳、燕、蓮池、それ等に面せる黄瓦丹壁の大清皇帝用小住宅。
天壇。地壇。先農壇。皆大いなる大理石の壇に雑草の萋々と茂れるのみ。天壇の外の広場に出ずるに、忽一発の銃声あり。何ぞと問えば、死刑なりと言う。
紫禁城。こは夢魔のみ。夜天よりも厖大なる夢魔のみ。 | 底本:「上海游記・江南游記」講談社文芸文庫、講談社
2001(平成13)年10月10日第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第十二巻」岩波書店
1996(平成8)年10月8日発行
※()内の編者による注記は省略しました。
入力:門田裕志
校正:岡山勝美
2015年2月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "051217",
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阿媽港甚内の話
わたしは甚内と云うものです。苗字は――さあ、世間ではずっと前から、阿媽港甚内と云っているようです。阿媽港甚内、――あなたもこの名は知っていますか? いや、驚くには及びません。わたしはあなたの知っている通り、評判の高い盗人です。しかし今夜参ったのは、盗みにはいったのではありません。どうかそれだけは安心して下さい。
あなたは日本にいる伴天連の中でも、道徳の高い人だと聞いています。して見れば盗人と名のついたものと、しばらくでも一しょにいると云う事は、愉快ではないかも知れません。が、わたしも思いのほか、盗みばかりしてもいないのです。いつぞや聚楽の御殿へ召された呂宋助左衛門の手代の一人も、確か甚内と名乗っていました。また利休居士の珍重していた「赤がしら」と称える水さしも、それを贈った連歌師の本名は、甚内とか云ったと聞いています。そう云えばつい二三年以前、阿媽港日記と云う本を書いた、大村あたりの通辞の名前も、甚内と云うのではなかったでしょうか? そのほか三条河原の喧嘩に、甲比丹「まるどなど」を救った虚無僧、堺の妙国寺門前に、南蛮の薬を売っていた商人、……そう云うものも名前を明かせば、何がし甚内だったのに違いありません。いや、それよりも大事なのは、去年この「さん・ふらんしすこ」の御寺へ、おん母「まりや」の爪を収めた、黄金の舎利塔を献じているのも、やはり甚内と云う信徒だった筈です。
しかし今夜は残念ながら、一々そう云う行状を話している暇はありません。ただどうか阿媽港甚内は、世間一般の人間と余り変りのない事を信じて下さい。そうですか? では出来るだけ手短かに、わたしの用向きを述べる事にしましょう。わたしはある男の魂のために、「みさ」の御祈りを願いに来たのです。いや、わたしの血縁のものではありません。と云ってもまたわたしの刃金に、血を塗ったものでもないのです。名前ですか? 名前は、――さあ、それは明かして好いかどうか、わたしにも判断はつきません。ある男の魂のために、――あるいは「ぽうろ」と云う日本人のために、冥福を祈ってやりたいのです。いけませんか?――なるほど阿媽港甚内に、こう云う事を頼まれたのでは、手軽に受合う気にもなれますまい。ではとにかく一通り、事情だけは話して見る事にしましょう。しかしそれには生死を問わず、他言しない約束が必要です。あなたはその胸の十字架に懸けても、きっと約束を守りますか? いや、――失礼は赦して下さい。(微笑)伴天連のあなたを疑うのは、盗人のわたしには僭上でしょう。しかしこの約束を守らなければ、(突然真面目に)「いんへるの」の猛火に焼かれずとも、現世に罰が下る筈です。
もう二年あまり以前の話ですが、ちょうどある凩の真夜中です。わたしは雲水に姿を変えながら、京の町中をうろついていました。京の町中をうろついたのは、その夜に始まったのではありません。もうかれこれ五日ばかり、いつも初更を過ぎさえすれば、必ず人目に立たないように、そっと家々を窺ったのです。勿論何のためだったかは、註を入れるにも及びますまい。殊にその頃は摩利伽へでも、一時渡っているつもりでしたから、余計に金の入用もあったのです。
町は勿論とうの昔に人通りを絶っていましたが、星ばかりきらめいた空中には、小やみもない風の音がどよめいています。わたしは暗い軒通いに、小川通りを下って来ると、ふと辻を一つ曲った所に、大きい角屋敷のあるのを見つけました。これは京でも名を知られた、北条屋弥三右衛門の本宅です。同じ渡海を渡世にしていても、北条屋は到底角倉などと肩を並べる事は出来ますまい。しかしとにかく沙室や呂宋へ、船の一二艘も出しているのですから、一かどの分限者には違いありません。わたしは何もこの家を目当に、うろついていたのではないのですが、ちょうどそこへ来合わせたのを幸い、一稼ぎする気を起しました。その上前にも云った通り、夜は深いし風も出ている、――わたしの商売にとりかかるのには、万事持って来いの寸法です。わたしは路ばたの天水桶の後に、網代の笠や杖を隠した上、たちまち高塀を乗り越えました。
世間の噂を聞いて御覧なさい。阿媽港甚内は、忍術を使う、――誰でも皆そう云っています。しかしあなたは俗人のように、そんな事は本当と思いますまい。わたしは忍術も使わなければ、悪魔も味方にはしていないのです。ただ阿媽港にいた時分、葡萄牙の船の医者に、究理の学問を教わりました。それを実地に役立てさえすれば、大きい錠前を扭じ切ったり、重い閂を外したりするのは、格別むずかしい事ではありません。(微笑)今までにない盗みの仕方、――それも日本と云う未開の土地は、十字架や鉄砲の渡来と同様、やはり西洋に教わったのです。
わたしは一ときとたたない内に、北条屋の家の中にはいっていました。が、暗い廊下をつき当ると、驚いた事にはこの夜更けにも、まだ火影のさしているばかりか、話し声のする小座敷があります。それがあたりの容子では、どうしても茶室に違いありません。「凩の茶か」――わたしはそう苦笑しながら、そっとそこへ忍び寄りました。実際その時は人声のするのに、仕事の邪魔を思うよりも、数寄を凝らした囲いの中に、この家の主人や客に来た仲間が、どんな風流を楽しんでいるか?――そんな事に心が惹かれたのです。
襖の外に身を寄せるが早いか、わたしの耳には思った通り、釜のたぎりがはいりました。が、その音がすると同時に、意外にも誰か話をしては、泣いている声が聞えるのです。誰か、――と云うよりもそれは二度と聞かずに、女だと云う事さえわかりました。こう云う大家の茶座敷に、真夜中女の泣いていると云うのは、どうせただ事ではありません。わたしは息をひそめたまま、幸い明いていた襖の隙から、茶室の中を覗きこみました。
行燈の光に照された、古色紙らしい床の懸け物、懸け花入の霜菊の花。――囲いの中には御約束通り、物寂びた趣が漂っていました。その床の前、――ちょうどわたしの真正面に坐った老人は、主人の弥三右衛門でしょう、何か細かい唐草の羽織に、じっと両腕を組んだまま、ほとんどよそ眼に見たのでは、釜の煮え音でも聞いているようです。弥三右衛門の下座には、品の好い笄髷の老女が一人、これは横顔を見せたまま、時々涙を拭っていました。
「いくら不自由がないようでも、やはり苦労だけはあると見える。」――わたしはそう思いながら、自然と微笑を洩らしたものです。微笑を、――こう云ってもそれは北条屋夫婦に、悪意があったのではありません。わたしのように四十年間、悪名ばかり負っているものには、他人の、――殊に幸福らしい他人の不幸は、自然と微笑を浮ばせるのです。(残酷な表情)その時もわたしは夫婦の歎きが、歌舞伎を見るように愉快だったのです。(皮肉な微笑)しかしこれはわたし一人に、限った事ではありますまい。誰にも好まれる草紙と云えば、悲しい話にきまっているようです。
弥三右衛門はしばらくの後、吐息をするようにこう云いました。
「もうこの羽目になった上は、泣いても喚いても取返しはつかない。わたしは明日にも店のものに、暇をやる事に決心をした。」
その時また烈しい風が、どっと茶室を揺すぶりました。それに声が紛れたのでしょう。弥三右衛門の内儀の言葉は、何と云ったのだかわかりません。が、主人は頷きながら、両手を膝の上に組み合せると、網代の天井へ眼を上げました。太い眉、尖った頬骨、殊に切れの長い目尻、――これは確かに見れば見るほど、いつか一度は会っている顔です。
「おん主、『えす・きりすと』様。何とぞ我々夫婦の心に、あなた様の御力を御恵み下さい。……」
弥三右衛門は眼を閉じたまま、御祈りの言葉を呟き始めました。老女もやはり夫のように天帝の加護を乞うているようです。わたしはその間瞬きもせず、弥三右衛門の顔を見続けました。するとまた凩の渡った時、わたしの心に閃いたのは、二十年以前の記憶です。わたしはこの記憶の中に、はっきり弥三右衛門の姿を捉えました。
その二十年以前の記憶と云うのは、――いや、それは話すには及びますまい。ただ手短に事実だけ云えば、わたしは阿媽港に渡っていた時、ある日本の船頭に危い命を助けて貰いました。その時は互に名乗りもせず、それなり別れてしまいましたが、今わたしの見た弥三右衛門は、当年の船頭に違いないのです。わたしは奇遇に驚きながら、やはりこの老人の顔を見守っていました。そう云えば威かつい肩のあたりや、指節の太い手の恰好には、未に珊瑚礁の潮けむりや、白檀山の匂いがしみているようです。
弥三右衛門は長い御祈りを終ると、静かに老女へこう云いました。
「跡はただ何事も、天主の御意次第と思うたが好い。――では釜のたぎっているのを幸い、茶でも一つ立てて貰おうか?」
しかし老女は今更のように、こみ上げる涙を堪えるように、消え入りそうな返事をしました。
「はい。――それでもまだ悔やしいのは、――」
「さあ、それが愚痴と云うものじゃ。北条丸の沈んだのも、抛げ銀の皆倒れたのも、――」
「いえ、そんな事ではございません。せめては倅の弥三郎でも、いてくれればと思うのでございますが、……」
わたしはこの話を聞いている内に、もう一度微笑が浮んで来ました。が、今度は北条屋の不運に、愉快を感じたのではありません。「昔の恩を返す時が来た」――そう思う事が嬉しかったのです。わたしにも、御尋ね者の阿媽港甚内にも、立派に恩返しが出来る愉快さは、――いや、この愉快さを知るものは、わたしのほかにはありますまい。(皮肉に)世間の善人は可哀そうです。何一つ悪事を働かない代りに、どのくらい善行を施した時には、嬉しい心もちになるものか、――そんな事も碌には知らないのですから。
「何、ああ云う人でなしは、居らぬだけにまだしも仕合せなぐらいじゃ。……」
弥三右衛門は苦々しそうに、行燈へ眼を外らせました。
「あいつが使いおった金でもあれば、今度も急場だけは凌げたかも知れぬ。それを思えば勘当したのは、………」
弥三右衛門はこう云ったなり、驚いたようにわたしを眺めました。これは驚いたのも無理はありません。わたしはその時声もかけずに、堺の襖を明けたのですから。――しかもわたしの身なりと云えば、雲水に姿をやつした上、網代の笠を脱いだ代りに、南蛮頭巾をかぶっていたのですから。
「誰だ、おぬしは?」
弥三右衛門は年はとっていても、咄嗟に膝を起しました。
「いや、御驚きになるには及びません。わたしは阿媽港甚内と云うものです。――まあ、御静かになすって下さい。阿媽港甚内は盗人ですが、今夜突然参上したのは、少しほかにも訣があるのです。――」
わたしは頭巾を脱ぎながら、弥三右衛門の前に坐りました。
その後の事は話さずとも、あなたには推察出来るでしょう。わたしは北条屋の危急を救うために、三日と云う日限を一日も違えず、六千貫の金を調達する、恩返しの約束を結んだのです。――おや、誰か戸の外に、足音が聞えるではありませんか? では今夜は御免下さい。いずれ明日か明後日の夜、もう一度ここへ忍んで来ます。あの大十字架の星の光は阿媽港の空には輝いていても、日本の空には見られません。わたしもちょうどああ云うように日本では姿を晦ませていないと、今夜「みさ」を願いに来た、「ぽうろ」の魂のためにもすまないのです。
何、わたしの逃げ途ですか? そんな事は心配に及びません。この高い天窓からでも、あの大きい暖炉からでも、自由自在に出て行かれます。ついてはどうか呉々も、恩人「ぽうろ」の魂のために、一切他言は慎んで下さい。
北条屋弥三右衛門の話
伴天連様。どうかわたしの懺悔を御聞き下さい。御承知でも御座いましょうが、この頃世上に噂の高い、阿媽港甚内と云う盗人がございます。根来寺の塔に住んでいたのも、殺生関白の太刀を盗んだのも、また遠い海の外では、呂宋の太守を襲ったのも、皆あの男だとか聞き及びました。それがとうとう搦めとられた上、今度一条戻り橋のほとりに、曝し首になったと云う事も、あるいは御耳にはいって居りましょう。わたしはあの阿媽港甚内に一方ならぬ大恩を蒙りました。が、また大恩を蒙っただけに、ただ今では何とも申しようのない、悲しい目にも遇ったのでございます。どうかその仔細を御聞きの上、罪びと北条屋弥三右衛門にも、天帝の御愛憐を御祈り下さい。
ちょうど今から二年ばかり以前の、冬の事でございます。ずっとしけばかり続いたために、持ち船の北条丸は沈みますし、抛げ銀は皆倒れますし、――それやこれやの重なった揚句、北条屋一家は分散のほかに、仕方のない羽目になってしまいました。御承知の通り町人には取引き先はございましても、友だちと申すものはございません。こうなればもう我々の家業は、うず潮に吸われた大船も同様、まっ逆さまに奈落の底へ、落ちこむばかりなのでございます。するとある夜、――今でもこの夜の事は忘れません。ある凩の烈しい夜でございましたが、わたし共夫婦は御存知の囲いに、夜の更けるのも知らず話して居りました。そこへ突然はいって参ったのは、雲水の姿に南蛮頭巾をかぶった、あの阿媽港甚内でございます。わたしは勿論驚きもすれば、また怒りも致しました。が、甚内の話を聞いて見ますと、あの男はやはり盗みを働きに、わたしの宅へ忍びこみましたが、茶室には未に火影ばかりか、人の話し声が聞えている、そこで襖越しに、覗いて見ると、この北条屋弥三右衛門は、甚内の命を助けた事のある、二十年以前の恩人だったと、こう云う次第ではございませんか?
なるほどそう云われて見れば、かれこれ二十年にもなりましょうか、まだわたしが阿媽港通いの「ふすた」船の船頭を致していた頃、あそこへ船がかりをしている内に、髭さえ碌にない日本人を一人、助けてやった事がございます。何でもその時の話では、ふとした酒の上の喧嘩から、唐人を一人殺したために、追手がかかったとか申して居りました。して見ればそれが今日では、あの阿媽港甚内と云う、名代の盗人になったのでございましょう。わたしはとにかく甚内の言葉も嘘ではない事がわかりましたから、一家のものの寝ているのを幸い、まずその用向きを尋ねて見ました。
すると甚内の申しますには、あの男の力に及ぶ事なら、二十年以前の恩返しに、北条屋の危急を救ってやりたい、差当り入用の金子の高は、どのくらいだと尋ねるのでございます。わたしは思わず苦笑致しました。盗人に金を調達して貰う、――それが可笑しいばかりではございません。いかに阿媽港甚内でも、そう云う金があるくらいならば、何もわざわざわたしの宅へ、盗みにはいるにも当りますまい。しかしその金高を申しますと、甚内は小首を傾けながら、今夜の内にはむずかしいが、三日も待てば調達しようと、無造作に引き受けたのでございます。が、何しろ入用なのは、六千貫と云う大金でございますから、きっと調達出来るかどうか、当てになるものではございません。いや、わたしの量見では、まず賽の目をたのむよりも、覚束ないと覚悟をきめていました。
甚内はその夜わたしの家内に、悠々と茶なぞ立てさせた上、凩の中を帰って行きました。が、その翌日になって見ても、約束の金は届きません。二日目も同様でございました。三日目は、――この日は雪になりましたが、やはり夜に入ってしまった後も、何一つ便りはありません。わたしは前に甚内の約束は、当にして居らぬと申し上げました。が、店のものにも暇を出さず、成行きに任せていた所を見ると、それでも幾分か心待ちには、待っていたのでございましょう。また実際三日目の夜には、囲いの行燈に向っていても、雪折れの音のする度毎に、聞き耳ばかり立てて居りました。
所が三更も過ぎた時分、突然茶室の外の庭に、何か人の組み合うらしい物音が聞えるではございませんか? わたしの心に閃いたのは、勿論甚内の身の上でございます。もしや捕り手でもかかったのではないか?――わたしは咄嗟にこう思いましたから、庭に向いた障子を明けるが早いか、行燈の火を掲げて見ました。雪の深い茶室の前には、大明竹の垂れ伏したあたりに、誰か二人掴み合っている――と思うとその一人は、飛びかかる相手を突き放したなり、庭木の陰をくぐるように、たちまち塀の方へ逃げ出しました。雪のはだれる音、塀に攀じ登る音、――それぎりひっそりしてしまったのは、もうどこか塀の外へ、無事に落ち延びたのでございましょう。が、突き放された相手の一人は、格別跡を追おうともせず、体の雪を払いながら、静かにわたしの前へ歩み寄りました。
「わたしです。阿媽港甚内ですよ。」
わたしは呆気にとられたまま、甚内の姿を見守りました。甚内は今夜も南蛮頭巾に、袈裟法衣を着ているのでございます。
「いや、とんだ騒ぎをしました。誰もあの組打ちの音に、眼を覚さねば仕合せですが。」
甚内は囲いへはいると同時に、ちらりと苦笑を洩らしました。
「何、わたしが忍んで来ると、ちょうど誰かこの床の下へ、這いこもうとするものがあるのです。そこで一つ手捕りにした上、顔を見てやろうと思ったのですが、とうとう逃げられてしまいました。」
わたしはまださっきの通り、捕り手の心配がございましたから、役人ではないかと尋ねて見ました。が、甚内は役人どころか、盗人だと申すのでございます。盗人が盗人を捉えようとした、――このくらい珍しい事はございますまい。今度は甚内よりもわたしの顔に、自然と苦笑が浮びました。しかしそれはともかくも、調達の成否を聞かない内は、わたしの心も安まりません。すると甚内は云わない先に、わたしの心を読んだのでございましょう、悠々と胴巻をほどきながら、炉の前へ金包みを並べました。
「御安心なさい、六千貫の工面はつきましたから。――実はもう昨日の内に、大抵調達したのですが、まだ二百貫ほど不足でしたから、今夜はそれを持って来ました。どうかこの包みを受け取って下さい。また昨日までに集めた金は、あなた方御夫婦も知らない内に、この茶室の床下へ隠して置きました。大方今夜の盗人のやつも、その金を嗅ぎつけて来たのでしょう。」
わたしは夢でも見ているように、そう云う言葉を聞いていました。盗人に金を施して貰う、――それはあなたに伺わないでも、確かに善い事ではございますまい。しかし調達が出来るかどうか、半信半疑の境にいた時は、善悪も考えずに居りましたし、また今となって見れば、むげに受け取らぬとも申されません。しかもその金を受け取らないとなれば、わたしばかりか一家のものも、路頭に迷うのでございます。どうかこの心もちに、せめては御憐憫を御加え下さい。わたしはいつか甚内の前に、恭しく両手をついたまま、何も申さずに泣いて居りました。……
その後わたしは二年の間、甚内の噂を聞かずに居りました。が、とうとう分散もせずに恙ないその日を送られるのは、皆甚内の御蔭でございますから、いつでもあの男の仕合せのために、人知れずおん母「まりや」様へも、祈願をこめていたのでございます。ところがどうでございましょう、この頃往来の話を聞けば、阿媽港甚内は御召捕りの上、戻り橋に首を曝していると、こう申すではございませんか? わたくしは驚きも致しました。人知れず涙も落しました。しかし積悪の報と思えば、これも致し方はございますまい。いや、むしろこの永年、天罰も受けずに居りましたのは、不思議だったくらいでございます。が、せめてもの恩返しに、陰ながら回向をしてやりたい。――こう思ったものでございますから、わたしは今日伴もつれずに、早速一条戻り橋へ、その曝し首を見に参りました。
戻り橋のほとりへ参りますと、もうその首を曝した前には、大勢人がたかって居ります。罪状を記した白木の札、首の番をする下役人――それはいつもと変りません。が、三本組み合せた、青竹の上に載せてある首は、――ああ、そのむごたらしい血まみれの首は、どうしたと云うのでございましょう? わたしは騒々しい人だかりの中に、蒼ざめた首を見るが早いか、思わず立ちすくんでしまいました。この首はあの男ではございません。阿媽港甚内の首ではございません。この太い眉、この突き出た頬、この眉間の刀創、――何一つ甚内には似て居りません。しかし、――わたしは突然日の光も、わたしのまわりの人だかりも、竹の上に載せた曝し首も、皆どこか遠い世界へ、流れてしまったかと思うくらい、烈しい驚きに襲われました。この首は甚内ではございません。わたしの首でございます。二十年以前のわたし、――ちょうど甚内の命を助けた、その頃のわたしでございます。「弥三郎!」――わたしは舌さえ動かせたなら、こう叫んでいたかも知れません。が、声を揚げるどころかわたしの体は瘧を病んだように、震えているばかりでございました。
弥三郎! わたしはただ幻のように、倅の曝し首を眺めました。首はやや仰向いたまま半ば開いた眶の下から、じっとわたしを見守って居ります。これはどうした訣でございましょう? 倅は何かの間違いから、甚内と思われたのでございましょうか? しかし御吟味も受けたとすれば、そう云う間違いは起りますまい。それとも阿媽港甚内というのは、倅だったのでございましょうか? わたしの宅へ来た贋雲水は、誰か甚内の名前を仮りた、別人だったのでございましょうか? いや、そんな筈はございません。三日と云う日限を一日も違えず、六千貫の金を工面するものは、この広い日本の国にも、甚内のほかに誰が居りましょう? して見ると、――その時わたしの心の中には、二年以前雪の降った夜、甚内と庭に争っていた、誰とも知らぬ男の姿が、急にはっきり浮んで参りました。あの男は誰だったのでございましょう? もしや倅ではございますまいか? そう云えばあの男の姿かたちは、ちらりと一目見ただけでも、どうやら倅の弥三郎に、似ていたようでもございます。しかしこれはわたし一人の、心の迷いでございましょうか? もし倅だったとすれば、――わたしは夢の覚めたように、しけじけ首を眺めました。するとその紫ばんだ、妙に緊りのない唇には、何か微笑に近い物が、ほんのり残っているのでございます。
曝し首に微笑が残っている、――あなたはそんな事を御聞きになると、御哂いになるかも知れません。わたしさえそれに気のついた時には、眼のせいかとも思いました。が、何度見直しても、その干からびた唇には、確かに微笑らしい明みが、漂っているのでございます。わたしはこの不思議な微笑に、永い間見入って居りました。と、いつかわたしの顔にも、やはり微笑が浮んで参りました。しかし微笑が浮ぶと同時に、眼には自然と熱い涙も、にじみ出して来たのでございます。
「お父さん、勘忍して下さい。――」
その微笑は無言の内に、こう申していたのでございます。
「お父さん。不孝の罪は勘忍して下さい。わたしは二年以前の雪の夜、勘当の御詫びがしたいばかりに、そっと家へ忍んで行きました。昼間は店のものに見られるのさえ、恥しいなりをしていましたから、わざわざ夜の更けるのを待った上、お父さんの寝間の戸を叩いても、御眼にかかるつもりでいたのです。ところがふと囲いの障子に、火影のさしているのを幸い、そこへ怯ず怯ず行きかけると、いきなり誰か後から、言葉もかけずに組つきました。
「お父さん。それから先はどうなったか、あなたの知っている通りです。わたしは余り不意だったため、お父さんの姿を見るが早いか、相手の曲者を突き放したなり、高塀の外へ逃げてしまいました。が、雪明りに見た相手の姿は、不思議にも雲水のようでしたから、誰も追う者のないのを確かめた後、もう一度あの茶室の外へ、大胆にも忍んで行ったのです。わたしは囲いの障子越しに、一切の話を立ち聞きました。
「お父さん。北条屋を救った甚内は、わたしたち一家の恩人です。わたしは甚内の身に危急があれば、たとえ命は抛っても、恩に報いたいと決心しました。またこの恩を返す事は、勘当を受けた浮浪人のわたしでなければ出来ますまい。わたしはこの二年間、そう云う機会を待っていました。そうして、――その機会が来たのです。どうか不孝の罪は勘忍して下さい。わたしは極道に生れましたが、一家の大恩だけは返しました。それがせめてもの心やりです。……」
わたしは宅へ帰る途中も、同時に泣いたり笑ったりしながら、倅のけなげさを褒めてやりました。あなたは御存知になりますまいが、倅の弥三郎もわたしと同様、御宗門に帰依して居りましたから、もとは「ぽうろ」と云う名前さえも、頂いて居ったものでございます。しかし、――しかし倅も不運なやつでございました。いや、倅ばかりではございません。わたしもあの阿媽港甚内に一家の没落さえ救われなければ、こんな嘆きは致しますまいに。いくら未練だと思いましても、こればかりは切のうございます。分散せずにいた方が好いか、倅を殺さずに置いた方が好いか、――(突然苦しそうに)どうかわたしを御救い下さい。わたしはこのまま生きていれば、大恩人の甚内を憎むようになるかも知れません。………(永い間の歔欷)
「ぽうろ」弥三郎の話
ああ、おん母「まりや」様! わたしは夜が明け次第、首を打たれる事になっています。わたしの首は地に落ちても、わたしの魂は小鳥のように、あなたの御側へ飛んで行くでしょう。いや、悪事ばかり働いたわたしは、「はらいそ」(天国)の荘厳を拝する代りに、恐しい「いんへるの」(地獄)の猛火の底へ、逆落しになるかも知れません。しかしわたしは満足です。わたしの心には二十年来、このくらい嬉しい心もちは、宿った事がないのです。
わたしは北条屋弥三郎です。が、わたしの曝し首は、阿媽港甚内と呼ばれるでしょう。わたしがあの阿媽港甚内、――これほど愉快な事があるでしょうか? 阿媽港甚内、――どうです? 好い名前ではありませんか? わたしはその名前を口にするだけでも、この暗い牢の中さえ、天上の薔薇や百合の花に、満ち渡るような心もちがします。
忘れもしない二年前の冬、ちょうどある大雪の夜です。わたしは博奕の元手が欲しさに、父の本宅へ忍びこみました。ところがまだ囲いの障子に、火影がさしていましたから、そっとそこを窺おうとすると、いきなり誰か言葉もかけず、わたしの襟上を捉えたものがあります。振り払う、また掴みかかる、――相手は誰だか知らないのですが、その力の逞しい事は、到底ただものとは思われません。のみならず二三度揉み合う内に、茶室の障子が明いたと思うと、庭へ行燈をさし出したのは、紛れもない父の弥三右衛門です。わたしは一生懸命に、掴まれた胸倉を振り切りながら、高塀の外へ逃げ出しました。
しかし半町ほど逃げ延びると、わたしはある軒下に隠れながら、往来の前後を見廻しました。往来には夜目にも白々と、時々雪煙りが揚るほかには、どこにも動いているものは見えません。相手は諦めてしまったのか、もう追いかけても来ないようです。が、あの男は何ものでしょう? 咄嗟の間に見た所では、確かに僧形をしていました。が、さっきの腕の強さを見れば、――殊に兵法にも精しいのを見れば、世の常の坊主ではありますまい。第一こう云う大雪の夜に、庭先へ誰か坊主が来ている、――それが不思議ではありませんか? わたしはしばらく思案した後、たとい危い芸当にしても、とにかくもう一度茶室の外へ、忍び寄る事に決心しました。
それから一時ばかりたった頃です。あの怪しい行脚の坊主は、ちょうど雪の止んだのを幸い、小川通りを下って行きました。これが阿媽港甚内なのです。侍、連歌師、町人、虚無僧、――何にでも姿を変えると云う、洛中に名高い盗人なのです。わたしは後から見え隠れに甚内の跡をつけて行きました。その時ほど妙に嬉しかった事は、一度もなかったのに違いありません。阿媽港甚内! 阿媽港甚内! わたしはどのくらい夢の中にも、あの男の姿を慕っていたでしょう。殺生関白の太刀を盗んだのも甚内です。沙室屋の珊瑚樹を詐ったのも甚内です。備前宰相の伽羅を切ったのも、甲比丹「ぺれいら」の時計を奪ったのも、一夜に五つの土蔵を破ったのも、八人の参河侍を斬り倒したのも、――そのほか末代にも伝わるような、稀有の悪事を働いたのは、いつでも阿媽港甚内です。その甚内は今わたしの前に、網代の笠を傾けながら、薄明るい雪路を歩いている。――こう云う姿を眺められるのは、それだけでも仕合せではありませんか? が、わたしはこの上にも、もっと仕合せになりたかったのです。
わたしは浄厳寺の裏へ来ると、一散に甚内へ追いつきました。ここはずっと町家のない土塀続きになっていますから、たとい昼でも人目を避けるには、一番御誂えの場所なのですが、甚内はわたしを見ても、格別驚いた気色は見せず、静かにそこへ足を止めました。しかも杖をついたなり、わたしの言葉を待つように、一言も口を利かないのです。わたしは実際恐る恐る、甚内の前に手をつきました。しかしその落着いた顔を見ると、思うように声さえ出て来ません。
「どうか失礼は御免下さい。わたしは北条屋弥三右衛門の倅弥三郎と申すものです。――」
わたしは顔を火照らせながら、やっとこう口を切りました。
「実は少し御願いがあって、あなたの跡を慕って来たのですが、……」
甚内はただ頷きました。それだけでも気の小さいわたしには、どのくらい難有い気がしたでしょう。わたしは勇気も出て来ましたから、やはり雪の中に手をついたなり、父の勘当を受けている事、今はあぶれものの仲間にはいっている事、今夜父の家へ盗みにはいった所が、計らず甚内にめぐり合った事、なおまた父と甚内との密談も一つ残らず聞いた事、――そんな事を手短に話しました。が、甚内は不相変、黙然と口を噤んだまま、冷やかにわたしを見ているのです。わたしはその話をしてしまうと、一層膝を進ませながら、甚内の顔を覗きこみました。
「北条一家の蒙った恩は、わたしにもまたかかっています。わたしはその恩を忘れないしるしに、あなたの手下になる決心をしました。どうかわたしを使って下さい。わたしは盗みも知っています。火をつける術も知っています。そのほか一通りの悪事だけは、人に劣らず知っています。――」
しかし甚内は黙っています。わたしは胸を躍らせながら、いよいよ熱心に説き立てました。
「どうかわたしを使って下さい。わたしは必ず働きます。京、伏見、堺、大阪、――わたしの知らない土地はありません。わたしは一日に十五里歩きます。力も四斗俵は片手に挙ります。人も二三人は殺して見ました。どうかわたしを使って下さい。わたしはあなたのためならば、どんな仕事でもして見せます。伏見の城の白孔雀も、盗めと云えば、盗んで来ます。『さん・ふらんしすこ』の寺の鐘楼も、焼けと云えば焼いて来ます。右大臣家の姫君も、拐せと云えば拐して来ます。奉行の首も取れと云えば、――」
わたしはこう云いかけた時、いきなり雪の中へ蹴倒されました。
「莫迦め!」
甚内は一声叱ったまま、元の通り歩いて行きそうにします。わたしはほとんど気違いのように法衣の裾へ縋りつきました。
「どうかわたしを使って下さい。わたしはどんな場合にも、きっとあなたを離れません。あなたのためには水火にも入ります。あの『えそぽ』の話の獅子王さえ、鼠に救われるではありませんか? わたしはその鼠になります。わたしは、――」
「黙れ。甚内は貴様なぞの恩は受けぬ。」
甚内はわたしを振り放すと、もう一度そこへ蹴倒しました。
「白癩めが! 親孝行でもしろ!」
わたしは二度目に蹴倒された時、急に口惜しさがこみ上げて来ました。
「よし! きっと恩になるな!」
しかし甚内は見返りもせず、さっさと雪路を急いで行きます。いつかさし始めた月の光に網代の笠を仄めかせながら、……それぎりわたしは二年の間、ずっと甚内を見ずにいるのです。(突然笑う)「甚内は貴様なぞの恩は受けぬ」……あの男はこう云いました。しかしわたしは夜の明け次第、甚内の代りに殺されるのです。
ああ、おん母「まりや様!」わたしはこの二年間、甚内の恩を返したさに、どのくらい苦しんだか知れません。恩を返したさに?――いや、恩と云うよりも、むしろ恨を返したさにです。しかし甚内はどこにいるか? 甚内は何をしているか?――誰にそれがわかりましょう? 第一甚内はどんな男か?――それさえ知っているものはありません。わたしが遇った贋雲水は四十前後の小男です。が、柳町の廓にいたのは、まだ三十を越えていない、赧ら顔に鬚の生えた、浪人だと云うではありませんか? 歌舞伎の小屋を擾がしたと云う、腰の曲った紅毛人、妙国寺の財宝を掠めたと云う、前髪の垂れた若侍、――そう云うのを皆甚内とすれば、あの男の正体を見分ける事さえ、到底人力には及ばない筈です。そこへわたしは去年の末から、吐血の病に罹ってしまいました。
どうか恨みを返してやりたい、――わたしは日毎に痩せ細りながら、その事ばかりを考えていました。するとある夜わたしの心に、突然閃いた一策があります。「まりや」様! 「まりや」様! この一策を御教え下すったのは、あなたの御恵みに違いありません。ただわたしの体を捨てる、吐血の病に衰え果てた、骨と皮ばかりの体を捨てる、――それだけの覚悟をしさえすれば、わたしの本望は遂げられるのです。わたしはその夜嬉しさの余り、いつまでも独り笑いながら、同じ言葉を繰返していました。――「甚内の身代りに首を打たれる。甚内の身代りに首を打たれる。………」
甚内の身代りに首を打たれる――何とすばらしい事ではありませんか? そうすれば勿論わたしと一しょに、甚内の罪も亡んでしまう。――甚内は広い日本国中、どこでも大威張に歩けるのです。その代り(再び笑う)――その代りわたしは一夜の内に、稀代の大賊になれるのです。呂宋助左衛門の手代だったのも、備前宰相の伽羅を切ったのも、利休居士の友だちになったのも、沙室屋の珊瑚樹を詐ったのも、伏見の城の金蔵を破ったのも、八人の参河侍を斬り倒したのも、――ありとあらゆる甚内の名誉は、ことごとくわたしに奪われるのです。(三度笑う)云わば甚内を助けると同時に、甚内の名前を殺してしまう、一家の恩を返すと同時に、わたしの恨みも返してしまう、――このくらい愉快な返報はありません。わたしがその夜嬉しさの余り、笑い続けたのも当然です。今でも、――この牢の中でも、これが笑わずにいられるでしょうか?
わたしはこの策を思いついた後、内裏へ盗みにはいりました。宵闇の夜の浅い内ですから、御簾越しに火影がちらついたり、松の中に花だけ仄めいたり、――そんな事も見たように覚えています。が、長い廻廊の屋根から、人気のない庭へ飛び下りると、たちまち四五人の警護の侍に、望みの通り搦められました。その時です。わたしを組み伏せた鬚侍は、一生懸命に縄をかけながら、「今度こそは甚内を手捕りにしたぞ」と、呟いていたではありませんか? そうです。阿媽港甚内のほかに、誰が内裏なぞへ忍びこみましょう? わたしはこの言葉を聞くと、必死にもがいている間でも、思わず微笑を洩らしたものです。
「甚内は貴様なぞの恩にはならぬ。」――あの男はこう云いました。しかしわたしは夜の明け次第、甚内の代りに殺されるのです。何と云う気味の好い面当てでしょう。わたしは首を曝されたまま、あの男の来るのを待ってやります。甚内はきっとわたしの首に、声のない哄笑を感ずるでしょう。「どうだ、弥三郎の恩返しは?」――その哄笑はこう云うのです。「お前はもう甚内では無い。阿媽港甚内はこの首なのだ、あの天下に噂の高い、日本第一の大盗人は!」(笑う)ああ、わたしは愉快です。このくらい愉快に思った事は、一生にただ一度です。が、もし父の弥三右衛門に、わたしの曝し首を見られた時には、――(苦しそうに)勘忍して下さい。お父さん! 吐血の病に罹ったわたしは、たとい首を打たれずとも、三年とは命は続かないのです。どうか不孝は勘忍して下さい、わたしは極道に生まれましたが、とにかく一家の恩だけは返す事が出来たのですから、………
(大正十一年三月) | 底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
1993(平成5)年12月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月19日公開
2004年3月10日修正
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大溝
僕は本所界隈のことをスケッチしろという社命を受け、同じ社のO君と一しょに久振りに本所へ出かけて行った。今その印象記を書くのに当り、本所両国と題したのは或は意味を成していないかも知れない。しかしなぜか両国は本所区のうちにあるものの、本所以外の土地の空気も漂っていることは確かである。そこでO君とも相談の上、ちょっと電車の方向板じみた本所両国という題を用いることにした。――
僕は生れてから二十歳頃までずっと本所に住んでいた者である。明治二、三十年代の本所は今日のような工業地ではない。江戸二百年の文明に疲れた生活上の落伍者が比較的多勢住んでいた町である。従って何処を歩いて見ても、日本橋や京橋のように大商店の並んだ往来などはなかった。若しその中に少しでもにぎやかな通りを求めるとすれば、それは僅かに両国から亀沢町に至る元町通りか、或は二の橋から亀沢町に至る二つ目通り位なものだったであろう。勿論その外に石原通りや法恩寺橋通りにも低い瓦屋根の商店は軒を並べていたのに違いない。しかし広い「お竹倉」をはじめ、「伊達様」「津軽様」などという大名屋敷はまだ確かに本所の上へ封建時代の影を投げかけていた。……
殊に僕の住んでいたのは「お竹倉」に近い小泉町である。「お竹倉」は僕の中学時代にもう両国停車場や陸軍被服廠に変ってしまった。しかし僕の小学時代にはまだ「大溝」にかこまれた、雑木林や竹藪の多い封建時代の「お竹倉」だった。「大溝」とはその名の示す通り少くとも一間半あまりの溝のことである。この溝は僕の知っていた頃にはもう黒い泥水をどろりと淀ませているばかりだった。(僕はそこへ金魚にやるぼうふらをすくいに行ったことをきのうのように覚えている。)しかし「御維新」以前には溝よりも堀に近かったのであろう。僕の叔父は十何歳かの時に年にも似合わない大小を差し、この溝の前にしゃがんだまま、長い釣竿をのばしていた。すると誰か叔父の刀にぴしりと鞘当てをしかけた者があった。叔父は勿論むっとして肩越しに相手を振返ってみた。僕の一家一族の内にもこの叔父程負けぬ気の強かった者はない。こういう叔父はこの時にも相手によって売られた喧嘩を買う位の勇気は持っていたであろう。が、相手は誰かと思うと、朱鞘の大小をかんぬき差しに差した身の丈抜群の侍だった。しかも誰にも恐れられていた「新徴組」の一人に違いなかった。かれは叔父を尻目にかけながら、にやにや笑って歩いていた。叔父はかれを一目見たぎり、二度と長い釣竿の先から目をあげずにいたとかいうことである。……
僕は小学時代にも「大溝」のそばを通る度にこの叔父の話を思い出した。叔父は「御維新」以前には新刀無念流の剣客だった。(叔父が安房上総へ武者修行に出かけ、二刀流の剣客と試合をした話も矢張り僕を喜ばせたものである。)それから「御維新」前後には彰義隊に加わる志を持っていた。最後に僕の知っている頃には年をとった猫背の測量技師だった。「大溝」は今日の本所にはない。叔父もまた大正の末年に食道癌を病んで死んでしまった。本所の印象記の一節にこういうことを加えるのは或は私事に及び過ぎるのであろう。しかし僕はO君と一しょに両国橋を渡りながら大川の向うに立ち並んだ無数のバラックを眺めた時には実際烈しい流転の相に驚かない訳には行かなかった。僕の「大溝」を思い出したり、その又「大溝」に釣をしていた叔父を思い出したりすることも、必ずしも偶然ではないのである。
両国
両国の鉄橋は震災前と変らないといっても差支えない。ただ鉄の欄干の一部はみすぼらしい木造に変っていた。この鉄橋の出来たのはまだ僕の小学時代である。しかし櫛形の鉄橋には懐古の情も起って来ない。僕は昔の両国橋に――狭い木造の両国橋にいまだに愛惜を感じている。それは僕の記憶によれば、今日よりも下流にかかっていた。僕は時々この橋を渡り、浪の荒い「百本杭」や蘆の茂った中洲を眺めたりした。中洲に茂った蘆は勿論、「百本杭」も今は残っていない。「百本杭」はその名の示す通り、河岸に近い水の中に何本も立っていた乱杭である。昔の芝居は殺し場などに多田の薬師の石切場と一しょに度々この人通りの少ない「百本杭」の河岸を使っていた。僕は夜は「百本杭」の河岸を歩いたかどうかは覚えていない。が朝は何度もそこに群がる釣師の連中を眺めに行った。O君は僕のこういうのを聞き、大川でも魚のつれたことに多少の驚嘆をもらしていた。一度も釣竿を持ったことのない僕は「百歩杭」でつれた魚の何と何だったかを知っていない。しかし或夏の夜明けにこの河岸へ出かけて見ると、いつも多い釣師の連中は一人もそこに来ていなかった。その代りに杭の間には坊主頭の土左衛門が一人うつむけに浪にゆすられていた。……
両国橋の袂にある表忠碑も昔に変らなかった。表忠碑を書いたのは日露役の陸軍総司令官大山巌公爵である。日露役のはじまったのは僕の中学へはいり立てだった。明治二十五年に生れた僕は勿論日清役の事を覚えていない。しかし北清事変の時には太平という広小路(両国)の絵草紙屋へ行き、石版刷の戦争の絵を時々一枚ずつ買ったものである。それ等の絵には義和団の匪徒やイギリス兵などは斃れていても、日本兵は一人も、斃れていなかった。僕はもうその時にも、矢張り日本兵も一人位は死んでいるのに違いないと思ったりした。しかし日露役の起った時には徹頭徹尾ロシア位悪い国はないと信じていた。僕のリアリズムは年と共に発達する訳には行かなかったのであろう。もっともそれは僕の知人なども出征していたためもあるかも知れない。この知人は南山の戦いに鉄条網にかかって戦死してしまった。鉄条網という言葉は今日では誰も知らない者はない。けれども日露役の起った時には全然在来の辞書にない、新しい言葉の一つだったのである。僕は大きい表忠碑を眺め、今更のように二十年前の日本を考えずにはいられなかった。同時に又ちょっと表忠碑にも時代錯誤に近いものを感じない訳には行かなかった。
この表忠碑の後には確か両国劇場という芝居小屋の出来る筈になっていた。現に僕は震災前にも落成しない芝居小屋の煉瓦壁を見たことを覚えている。けれども今は薄ぎたないトタン葺きのバラックの外に何も芝居小屋らしいものは見えなかった。もっとも僕は両国の鉄橋に愛惜を持っていないようにこの煉瓦建の芝居小屋にも格別の愛惜を持っていない。両国橋の木造だった頃には駒止橋もこの辺に残っていた。のみならず井生村楼や二州楼という料理屋も両国橋の両側に並んでいた。それから又すし屋の与平、うなぎ屋の須崎屋、牛肉の外にも冬になると猪や猿を食わせる豊田屋、それから回向院の表門に近い横町にあった「坊主軍鶏――」こう一々数え立てて見ると、本所でも名高い食物屋は大抵この界隈に集まっていたらしい。
富士見の渡し
僕等は両国橋の袂を左へ切れ、大川に沿って歩いて行った。「百本杭」のないことは前にも書いた通りである。しかし「伊達様」は残っているかも知れない。僕はまだ幼稚園時代からこの「伊達様」の中にある和霊神社のお神楽を見物に行ったものである。なんでも母などの話によれば、女中の背中におぶさったまま、熱心にお神楽を見ているうちに「うんこ」をしてしまったこともあったらしい。しかし何処を眺めても、トタンぶきのバラックの外に「伊達様」らしい屋敷は見えなかった。「伊達様」の庭には木犀が一本秋ごとに花を盛っていたものである。僕はその薄甘いにおいを子供心にも愛していた。あの木犀も震災の時に勿論灰になってしまったことであろう。
流転の相の僕を脅すのは「伊達様」の見えなかったことばかりではない。僕は確かこの近所にあった「富士見の渡し」を思い出した。が、渡し場らしい小屋はどこにも見えない。僕は丁度道端に芋を洗っていた三十前後の男に渡し場の有無をたずねて見ることにした。しかし彼は「富士見の渡し」という名前を知っていないのは勿論、渡し場のあったことさえ知らないらしかった。「富士見の渡し」はこの河岸から「明治病院」の裏手に当る河岸へ通っていた。その又向う河岸は掘割になり、そこに時々どこかの家の家鴨なども泳いでいたものである。僕は中学へはいった後も或親戚を尋ねるために度々「富士見の渡し」を渡って行った。その親戚は三遊派の「五りん」とかいうもののお上さんだった。僕の家へ何かの拍子に円朝の息子の出入りしたりしたのもこういう親戚のあったためであろう。僕はまたその家の近所に今村次郎という標札を見付け、この名高い速記者(種々の講談の)に敬意を感じたことを覚えている。――
僕は講談というものを寄席ではほとんど聞いたことはない。僕の知っている講釈師は先代の村井吉瓶だけである。(もっとも典山とか伯山とか或はまた伯龍とかいう新時代の芸術家は知らない訳ではない。)従って僕は講談を知るために大抵今村次郎の速記本によった。しかし落語は家族達と一緒に相生町の広瀬だの米沢町(日本橋区)の立花家だのへ聞きに行ったものである。殊に度々行ったのは相生町の広瀬だった。が、どういう落語を聞いたかは生憎はっきりと覚えていない。ただ吉田国五郎の人形芝居を見たことだけはいまだにありありと覚えている。しかも僕の見た人形芝居は大抵小幡小平次とか累とかいう怪談物だった。僕は近頃大阪へ行き、久振りに文楽を見物した。けれども今日の文楽は僕の昔みた人形芝居よりも軽業じみたけれんを使っていない。吉田国五郎の人形芝居は例えば清玄の庵室などでも、血だらけな清玄の幽霊は太夫の見台が二つにわれると、その中から姿を現したものである。寄席の広瀬も焼けてしまったであろう。今村次郎氏も「明治病院」の裏手に――僕は正直に白状すれば、今村次郎氏の現存しているかどうかも知らないものの一人である。
そのうちに僕は震災前と――というよりむしろ二十年前と少しも変らないものを発見した。それは両国駅の引込線をとどめた、三尺に足りない草土手である。僕は実際この草土手に「国亡びて山河あり」という詠嘆を感じずにはいられなかった。しかしこの小さい草土手にこういう詠嘆を感じるのはそれ自身僕には情なかった。
お竹倉
僕の知人は震災のために、何人もこの界隈に斃れている。僕の妻の親戚などは男女九人の家族中、やっと命を全うしたのは二十前後の息子だけだった。それも火の粉を防ぐために戸板をかざして立っていたのを旋風のために巻き上げられ、安田家の庭の池の側へ落ちてどうかにか息を吹き返したのである。それから又僕は家へ毎日のように遊びに来た「お粂さん」という人などは命だけは助かったものの、一時は発狂したのも同様だった(「お粂さんは」髪の毛の薄いためにどこへも片付かずにいる人だった。しかし髪の毛を生やすために蝙蝠の血などを頭へ塗っていた。)最後に僕の通っていた江東小学校の校長さんは両眼とも明を失った上、前年にはたった一人の息子を失い、震災の年には御夫婦とも焼け死んでしまったとかいうことだった。僕も本所に住んでいたとすれば、恐らくは矢張りこの界隈に火事を避けていたことであろう。従って又僕は勿論、僕の家族もかれ等のように非業の最期を遂げていたかも知れない。僕は高い褐色の本所会館を眺めながら、こんなことをO君と話し合ったりした。
「しかし両国橋を渡った人は大抵助かっていたのでしょう?」
「両国橋を渡った人はね。……それでも元町通りには高圧線の落ちたのに触れて死んだ人もあったということですよ。」
「兎に角東京中でも被服廠跡程大勢焼け死んだところはなかったのでしょう。」
こういう種々の悲劇のあったのはいずれも昔の「お竹倉」の跡である。僕の知っていた頃の「お竹倉」は大体「御維新」前と変らなかったものの、もう総武鉄道会社の敷地の中に加えられていた。僕はこの鉄道会社の社長の次男の友達だったから、みだりに人を入れなかった「お竹倉」の中へも遊びに行った。そこは前にもいったように雑木林や竹やぶのある、町中には珍しい野原だったのみならず古い橋のかかった掘割さえ大川に通じていた。僕は時々空気銃を肩にし、その竹やぶや雑木林の中に半日を暮したものである。どぶ板の上に育った僕に自然の美しさを教えたものは何よりも先に「お竹倉」だったであろう。僕は中学を卒業する前に英訳の「猟人日記」を拾い読みにしながら、何度も「お竹倉」の中の景色を――「とりかぶと」の花の咲いた藪の蔭や大きい昼の月のかかった雑木林の梢を思い出したりした。「お竹倉」は勿論その頃にはいかめしい陸軍被服廠や両国駅に変っていた。けれども震災後の今日を思えば、――「卻って并州を望めばこれ故郷」と支那人の歌ったものも偶然ではない。
総武鉄道の工事のはじまったのはまだ僕の小学時代だったであろう。その以前の「お竹倉」は夜は「本所の七不思議」を思い出さずにはいられない程、もの寂しかったのに違いない。夜は?……いや、昼間さえ僕は「お竹倉」の中を歩きながら、「おいてき堀」や「片葉の蘆」はどこかこのあたりにあるものと信じない訳には行かなかった。現に夜学に通う途中「お竹倉」の向うにばかばやしを聞き、てっきりあれは「狸ばやし」に違いないと思ったことを覚えている。それはおそらく小学時代の僕一人の恐怖ではなかったのであろう。なんでも総武鉄道の工事中にそこへかよっていた線路工夫の一人は、宵闇の中に幽霊を見、気絶してしまったとかいうことだった。
大川端
本所会館は震災前の安田家の跡に建ったのであろう。安田家は確か花崗石を使ったルネサンス式の建築だった。僕は椎の木などの茂った中にこの建築の立っていたのに明治時代そのものを感じている。が、セセッション式の本所会館は「牛乳デー」とかいうもののために植込みのある玄関の前に大きいポスターを掲げたり、宣伝用の自動車を並べたりしていた。僕の水泳を習いに行った「日本遊泳協会」は丁度、この河岸にあったものである。僕はいつか何かの本に三代将軍家光は水泳を習いに日本橋へ出かけたということを発見し、滑稽に近い今昔の感を催さない訳には行かなかった。しかし僕等の大川へ水泳を習いに行ったということも後世には不可解に感じられるであろう。現に今でもO君などは「この川でも泳いだりしたものですかね」と少なからず驚嘆していた。
僕は又この河岸にも昔に変らないものを発見した。それは――生憎何の木かはちょっと僕には見当もつかない。が、兎に角新芽を吹いた昔の並木の一本である。僕の覚えている柳の木は一本も今では残っていない。けれどもこの木だけは何かの拍子に火事にも焼かれずに立っているのであろう。僕は殆どこの木の幹に手を触れてみたい誘惑を感じた。のみならずその木の根元には子供を連れたお婆あさんが二人曇天の大川を眺めながら、花見か何かにでも来ているように稲荷ずしを食べて話し合っていた。
本所会館の隣にあるのは建築中の同愛病院である。高い鉄の櫓だの、何階建かのコンクリートの壁だの、殊に砂利を運ぶ人夫だのは確かに僕を威圧するものだった。同時にまた工業地になった「本所の玄関」という感じを打ち込まなければ措かないものだった。僕は半裸体の工夫が一人汗に身体を輝かせながら、シャベルを動かしているのを見、本所全体もこの工夫のように烈しい生活をしていることを感じた。この界隈の家々の上に五月のぼりの翻っていたのは僕の小学時代の話である。今では――誰も五月のぼりよりは新しい日本の年中行事になったメイ・デイを思い出すのに違いない。
僕は昔この辺にあった「御蔵橋」という橋を渡り、度々友綱の家の側にあった或友達の家へ遊びに行った。かれもまた海軍の将校になった後、二、三年前に故人になっている。しかし僕の思い出したのは必ずしもかれのことばかりではない。かれの住んでいた家のあたり、――瓦屋根の間に樹木の見える横町のことも思い出したのである。そこは僕の住んでいた元町通りに比べると、はるかに人通りも少ければ「しもた家」も殆ど門並みだった。「椎の木松浦」のあった昔は暫く問わず、「江戸の横網鶯の鳴く」と北原白秋氏の歌った本所さえ今ではもう「歴史的大川端」に変ってしまったという外はない。如何に万法は流転するとはいえ、こういう変化の絶え間ない都会は世界中にも珍しいであろう。
僕等はいつか工事場らしい板囲いの前に通りかかった。そこにも労働者が二、三人、せっせと槌を動かしながら、大きい花崗石を削っていた。のみならず工事中の鉄橋さえ泥濁りに濁った大川の上へ長々と橋梁を横たえていた。僕はこの橋の名前は勿論、この橋の出来る話も聞いたことはなかった。震災は僕等のうしろにある「富士見の渡し」を滅してしまった。が、その代りに僕等の前には新しい鉄橋を造ろうとしている。……
「これは何という橋ですか?」
麦わら帽をかむった労働者の一人は矢張槌を動かしたまま、ちょっと僕の顔を見上げ、存外親切に返事をした。
「これですか? これは蔵前橋です。」
一銭蒸汽
僕等はそこから引き返して川蒸汽の客になるために横網の浮き桟橋へおりて行った。昔はこの川蒸汽も一銭蒸汽と呼んだものである。今はもう賃銭も一銭ではない。しかし、五銭出しさえすれば、何区でも勝手に行かれるのである。けれども屋根のある浮き桟橋は――震災は勿論この浮き桟橋も炎にして空へ立ち昇らせたであろう。が、一見した所は明治時代に変っていない。僕等はベンチに腰をおろし、一本の巻煙草に火をつけながら、川蒸汽の来るのを待つことにした。
「石垣にはもう苔が生えていますね。もっとも震災以来四、五年になるが、……」
僕はふとこんなことをいい、O君のために笑われたりした。
「苔の生えるのは当り前であります。」
大川は前にも書いたように一面に泥濁りに濁っている。それから大きい浚泄船が一艘起重機をもたげた向う河岸も勿論「首尾の松」や土蔵の多い昔の「一番堀」や「二番堀」ではない。最後に川の上を通る船でも今では小蒸汽や達磨船である。五大力、高瀬船、伝馬、荷足、田舟などという大小の和船も、何時の間にか流転の力に押し流されたのであろう。僕はO君と話しながら「沅湘日夜東に流れて去る」という支那人の詩を思い出した。こういう大都会の中の川は沅湘のように悠々と時代を超越していることは出来ない。現世は実に大川さえ刻々に工業化しているのである。
しかしこの浮き桟橋の上に川蒸汽を待っている人々は大抵大川よりも保守的である。僕は巻煙草をふかしながら、唐桟柄の着物を着た男や銀杏返しに結った女を眺め、何か矛盾に近いものを感じない訳には行かなかった。同時にまた明治時代にめぐり合った或なつかしみに近いものを感じない訳には行かなかった。そこへ下流から漕いで来たのは久振りに見る五大力である。艫の高い五大力の上には鉢巻きをした船頭が一人一丈余りの櫓を押していた。それからお上さんらしい女が一人御亭主に負けずに棹を差していた。こういう水上生活者の夫婦位妙に僕等にも抒情詩めいた心持ちを起させるものは少ないかも知れない。僕はこの五大力を見送りながら――そのまた五大力の上にいる四、五歳の男の子を見送りながら、幾分かかれ等の幸福を羨みたい気さえ起していた。
両国橋をくぐって来た川蒸汽はやっと浮き桟橋へ横着けになった。「隅田丸三十号」(?)――僕は或はこの小蒸汽に何度も前に乗っているのであろう。兎に角これも明治時代に変っていないことは確かである。川蒸汽の中は満員だった上、立っている客も少なくない。僕等はやむを得ず船ばたに立ち、薄日の光に照らされた両岸の景色を見て行くことにした。尤も船ばたに立っていたのは僕等二人に限った訳ではない。僕等の前にも夏外套を着た、あご髯の長い老人さえやはり船ばたに立っていたのである。
川蒸汽は静かに動き出した。すると大勢の客の中に忽ち「毎度御やかましうございますが」と甲高い声を出しはじめたのは絵葉書や雑誌を売る商人である。これもまた昔に変っていない。若し少しでも変っているとすれば、「何ごとも活動ばやりの世の中でございますから」などという言葉をはさんでいることであろう。僕はまだ小学時代からこういう商人の売っているものを一度も買った覚えはない。が、天窓越しにかれの姿を見おろし、ふと僕の小学時代に伯母と一しょに川蒸汽に乗ったときのことを思い出した。
乗り継ぎ「一銭蒸汽」
僕等はその時にどこへ行ったのか、兎に角伯母だけは長命寺の桜餅を一籠膝にしていた。すると男女の客が二人僕等の顔を尻目にかけながら、「何か匂いますね」「うん、糞臭いな」などと話しはじめた。長命寺の桜餅を糞臭いとは――僕は未だに生意気にもこの二人を田舎者めと軽蔑したことを覚えている。長命寺にも震災以来一度も足を入れたことはない。それから長命寺の桜餅は――勿論今でも昔のように評判の善いことは確かである。しかし饀や皮にあった野趣だけはいつか失われてしまった。……
川蒸汽は蔵前橋の下をくぐり、厩橋へ真直に進んで行った。そこへ向うから僕等の乗ったのと余り変らない川蒸汽が一艘矢張り浪を蹴って近づき出した。が、七、八間隔ててすれ違ったのを見ると、この川蒸汽の後部には甲板の上に天幕を張り、ちゃんと大川の両岸の景色を見渡せる設備も整っていた。こういう古風な川蒸汽もまた目まぐるしい時代の影響を蒙らない訳には行かないらしい。その後へ向うから走って来たのはお客や芸者を乗せたモオター・ボートである。屋根船や船宿を知っている老人達は定めしこのモオター・ボートに苦々しい顔をすることであろう。僕は江戸趣味に随喜するものではない。しかし僕の小学時代に大川に浪を立てるものは「一銭蒸汽」のあるだけだった。或はその外に利根川通いの外輪船のあるだけだった。僕は渡し舟に乗る度に「一銭蒸汽」の浪の来ることを、――このうねうねした浪のために舟のゆれることを恐れたものである。しかし今日の大川の上に大小の浪を残すものは一々数えるのに耐えないであろう。
僕は船端に立ったまま、鼠色に輝いた川の上を見渡し、確か広重も描いていた河童のことを思い出した。河童は明治時代には、――少なくとも「御維新」前後には大根河岸の川にさえ出没していた。僕の母の話によれば、観世新路に住んでいた或男やもめの植木屋とかは子供のおしめを洗っているうちに大根河岸の川の河童に脇の下をくすぐられたということである。(観世新路に植木屋の住んでいたことさえ僕等にはもう不思議である。)まして大川にいた河童の数は決して少なくなかったであろう。いや、必ずしも河童ばかりではない。僕の父の友人の一人は夜網を打ちに出ていたところ、何か舳へ上ったのを見ると、甲羅だけでもたらいほどあるすっぽんだったなどと話していた。僕は勿論こういう話を恐らく事実とは思っていない。けれども明治時代――或いは明治時代以前の人々はこれ等の怪物を目撃する程この町中を流れる川に詩的恐怖を持っていたのであろう。
『今ではもう河童もいないでしょう。』
『こう泥だの油だの一面に流れているのではね。――しかもこの橋の下あたりには年を取った河童の夫婦が二匹今だに住んでいるかも知れません。』
川蒸汽は僕等の話の中に厩橋の下へはいって行った。薄暗い橋の下だけは浪の色もさすがに蒼んでいた。僕は昔は渡し船へ乗ると、――いや、時には橋を渡る時さえ、磯臭い匂のしたことを思い出した。しかし今日の大川の水は何の匂も持っていない。若し又持っているとすれば、唯泥臭い匂だけであろう。……
『あの橋は今度出来る駒形橋ですね?』
O君は生憎僕の問に答えることは出来なかった。駒形は僕の小学時代には大抵「コマカタ」と呼んでいたものである。が、それもとうの昔に「コマガタ」と発音するようになってしまった。「君は今駒形あたりほとゝぎす」を作った遊女も或いは「コマカタ」と澄んだ音を「ほとゝぎす」の声に響かせたかったかも知れない。支那人は「文章は千古の事」といった。が、文章もおのずから匂を失ってしまうことは大川の水に変らないのである。
柳島
僕等は川蒸汽を下りて吾妻橋の袂へ出、そこへ来合せた円タクに乗って柳島へ向うことにした。この吾妻橋から柳島へ至る電車道は前後に二、三度しか通った覚えはない。まして電車の通らない前には一度も通ったことはなかったであろう。一度も?――若し一度でも通ったとすれば、それは僕の小学時代に業平橋かどこかにあった或かなり大きい寺へ葬式に行った時だけである。僕はその葬式の帰りに確か父に「御維新」前の本所の話をしてもらった。父は往来の左右を見ながら「昔はここいらは原ばかりだった」とか「何とか様の裏の田には鶴が下りたものだ」とか話していた。しかしそれ等の話の中でも最も僕を動かしたものは「御維新」前には行き倒れとか首くくりとかの死骸を早桶に入れその又早桶を葭簀に包んだ上、白張りの提灯を一本立てて原の中に据えて置くという話だった。僕は草原の中に立った白張りの提灯を想像し、何か気味の悪い美しさを感じた。しかもかれこれ真夜中になると、その早桶のおのずからごろりところげるというに至っては――明治時代の本所はたとえ草原には乏しかったにせよ、恐らくはまだこのあたりに多少いわゆる「御朱引外」の面かげをとどめていたのであろう。しかし今はどこを見ても、ただ電柱やバラックの押し合いへし合いしているだけである。僕は泥のはねかかったタクシーの窓越しに往来を見ながら、金銭を武器にする修羅界の空気を憂欝に感じるばかりだった。
僕等は「橋本」の前で円タクを下り、水のどす黒い掘割伝いに亀戸の天神様に行って見ることにした。名高い柳島の「橋本」も今は食堂に変っている。尤もこの家は焼けずにすんだらしい。現に古風な家の一部やあれ果てた庭なども残っている。けれどもすりガラスへ緑いろに「食堂」と書いた軒灯は少なくとも僕にははかなかった。僕は勿論「橋本」の料理を云々する程の通人ではない。のみならず「橋本」へ来たことさえあるかないかわからない位である。が、五代目菊五郎の最初の脳溢血を起したのは確かこの「橋本」の二階だったであろう。
掘割を隔てた妙見様も今ではもうすっかり裸になっている。それから掘割に沿うた往来も――僕は中学時代に蕪村句集を読み、「君行くや柳緑に路長し」という句に出会った時、この往来にあった柳を思い出さずにはいられなかった。しかし今僕等の歩いているのは有田ドラックや愛聖館の並んだせせこましいなりににぎやかな往来である。近頃私娼の多いとかいうのも恐らくはこの往来の裏あたりであろう。僕は浅草千束町にまだ私娼の多かった頃の夜の景色を覚えている。それは窓ごとに火かげのさした十二階の聳えているために殆ど荘厳な気のするものだった。が、この往来はどちらへ抜けてもボオドレエル的色彩などは全然見つからないのに違いない。たといデカダンスの詩人だったとしても、僕は決してこういう町裏を徘徊する気にはならなかったであろう。けれども明治時代の風刺詩人斎藤緑雨は、十二階に悪趣味そのものを見出している。すると明日の詩人たちは有田ドラックや愛聖館にもかれ等自身の『悪の花』を――或は又『善の花』を歌い上げることになるかも知れない。
萩寺あたり
僕は碌でもないことを考えながらふと愛聖館の掲示板を見上げた。するとそこに書いてあるのは確かこういう言葉だった。
「神様はこんなにたくさんの人間をお造りになりました。ですから人間を愛していらっしゃいます。」
産児制限論者は勿論、現世の人々はこういう言葉に微笑しない訳にはゆかないであろう。人口過剰に苦しんでいる僕等はこんなにたくさんの人間のいることを神の愛の証拠と思うことは出来ない。いや、寧ろ全能の主の憎しみの証拠とさえ思われるであろう。しかし本所の或場末に小学生を教育している僕の旧友の言葉に依れば、少なくともその界隈に住んでいる人々は子供の数の多い家ほど却って暮しも楽だということである。それは又どの家の子供も兎に角十か十一になるとそれぞれ子供なりに一日の賃金を稼いで来るからだということである。愛聖館の掲示板にこういう言葉を書いた人は或はこの事実を知らなかったかも知れない。が、確かにこういう言葉は現世の本所の或場末に生活している人々の気持ちを代弁することになっているであろう。尤も子供の多い程暮しも楽だということは子供自身には仕合せかどうか、多少の疑問のあることは事実である。
それから僕等は通りがかりにちょっと萩寺を見物した。萩寺も突っかい棒はしてあるものの、幸い震災には焼けずにすんだらしい。けれども萩の四、五株しかない上、落合直文先生の石碑を前にした古池の水も渇れ〳〵になっているのは哀れだった。ただこの古池に臨んだ茶室だけは昔よりも一層もの寂びている。僕は萩寺の門を出ながら、昔は本所の猿江にあった僕の家の菩提寺を思い出した。この寺には何でも司馬江漢や小林平八郎の墓の外に名高い浦里時次郎の比翼塚も建っていたものである。僕の司馬江漢を知ったのは勿論余り古いことではない。しかし義士の討入りの夜に両刀を揮って闘った振り袖姿の小林平八郎は小学時代の僕などには実に英雄そのものだった。それから浦里時次郎も、――僕はあらゆる東京人のように芝居には悪縁の深いものである。従って矢張り小学時代から浦里時次郎を尊敬していた。(けれども正直に白状すれば、はじめて浦里時次郎を舞台の上に見物した時、僕の恋愛を感じたものは浦里よりもむしろ禿だった。)この寺は――慈眼寺という日蓮宗の寺は、震災よりも何年か前に染井の墓地のあたりに移転している。かれ等の墓も寺と一しょに定めし同じ土地に移転しているであろう。が、あのじめじめした猿江の墓地は未だに僕の記憶に残っている。就中薄い水苔のついた小林平八郎の墓の前に曼珠沙華の赤々と咲いていた景色は明治時代の本所以外に見ることの出来ないものだったかも知れない。
萩寺の先にある電柱(?)は「亀戸天神近道」というペンキ塗りの道標を示していた。僕等はその横町を曲り、待合やカフェの軒を並べた、狭苦しい往来を歩いて行った。が、肝腎の天神様へは容易に出ることも出来なかった。すると道ばたに女の子が一人メリンスの袂を翻しながら、傍若無人にゴム毬をついていた。
「天神様へはどう行きますか?」
「あっち。」
女の子は僕等に返事をした後、聞えよがしにこんなことをいった。
「みんな天神様のことばかり訊くのね。」
僕はちょっと忌々しさを感じ、この如何にもこましゃくれた十ばかりの女の子を振り返った。しかし彼女は側目も振らずに(しかも僕に見られていることをはっきり承知していながら)矢張り毬をつき続けていた。実際支那人のいったように「変らざる者よりして之を観れば」何ごとも変らないのに違いない。僕もまた僕の小学時代には鉄面皮にも生薬屋へ行って「半紙を下さい」などといったものだった。
天神様
僕等は門並みの待合の間をやっと「天神様」の裏門へたどりついた。するとその門の中には夏外套を著た男が一人、何か滔々としゃべりながら、「お立ち合い」の人々へ小さい法律書を売りつけていた。僕はかれの雄弁に辟易せずにはいられなかった。が、この人ごみを通りこすと、今度は背広を著た男が一人最新化学応用の目薬というものを売りつけていた。この「天神様」の裏の広場も僕の小学時代にはなかったものである。しかし広場の出来た後にもここにかかる見世物小屋は活き人形や「からくり」ばかりだった。
「こっちは法律、向うは化学――ですね。」
「亀戸も科学の世界になったのでしょう。」
僕等はこんなことを話し合いながら、久しぶりに「天神様」へお詣りに行った。「天神様」の拝殿は仕合せにも昔に変っていない。いや、昔に変っていないのは筆塚や石の牛も同じことである。僕は僕の小学時代に古い筆を何本も筆塚へ納めたことを思い出した。(が、僕の字は何年たっても一向上達する容子はない。)それから又石の牛の額へ銭を投げてのせることに苦心したことも思い出した。こういう時に投げる銭は今のように一銭銅貨ではない。大抵は五厘か寛永通宝である。その又穴銭の中の文銭を集め、所謂「文銭の指環」を拵えたのも何年前の流行であろう。僕等は拝殿の前へ立ち止まり、ちょっと帽をとってお時宜をした。
「太鼓橋も昔の通りですか?」
「ええ、しかしこんなに小さかったかな。」
「子供の時に大きいと思ったものは存外あとでは小さいものですね。」
「それは太鼓橋ばかりじゃないかも知れない。」
僕等はのれんをかけた掛け茶屋越しにどんより水光りのする池を見ながら、やっと短い花房を垂らした藤棚の下を歩いて行った。この掛け茶屋や藤棚もやはり昔に変っていない。しかし木の下や池のほとりに古人の句碑の立っているのは僕には何か時代錯誤を感じさせない訳には行かなかった。江戸時代に興った「風流」は江戸時代と一しょに滅んでしまった。唯僕等の明治時代はまだどこかに二百年間の「風流」の匂いを残している。けれども今は目のあたりに、――O君はにやにや笑いながら、恐らくは君自身は無意識に僕にこの矛盾を指し示した。
「カルシウム煎餅も売っていますね。」
「ああ、あの大きい句碑の前にね――それでもまだ張り子の亀の子は売っている。」
僕等は「天神様」の外へ出た後「船橋屋」の葛餅を食う相談した。が、本所に疎遠になった僕には「船橋屋」も容易に見つからなかった。僕はやむを得ず荒物屋の前に水を撒いていたお上さんに田舎者らしい質問をした。それから花柳病の医院の前をやっと又船橋屋へたどり着いた。船橋屋も家は新たになったものの、大体は昔に変っていない。僕等は縁台に腰をおろし、鴨居の上にかけ並べた日本アルプスの写真を見ながら、葛餅を一盆ずつ食うことにした。
「安いものですね、十銭とは。」
O君は大いに感心していた。しかし僕の中学時代には葛餅も一盆三銭だった。僕は僕の友だちと一しょに江東梅園などへ遠足に行った帰りに度々この葛餅を食ったものである。江東梅園も臥竜梅と一しょにとうに滅びてしまっているであろう。水田や榛の木のあった亀戸はこういう梅の名所だった為に南画らしい趣を具えていた。今は船橋屋の前も広い新開の往来の向うに二階建の商店が何軒も軒を並べている。……
錦糸堀
僕は天神橋の袂から又円タクに乗ることにした。この界隈はどこを見ても、――僕はもう今昔の変化を云々するのにも退屈した。僕の目に触れるものは半ば出来上った小公園である。或はトタン塀を繞らした工場である。或は又見すぼらしいバラックである。斎藤茂吉氏は何かの機会に「ものゝ行きとどまらめやも」と歌い上げた。しかし今日の本所は「ものゝ行き」を現していない。そこにあるものは震災のために生じた「ものゝ飛び」に近いものである。僕は昔この辺に糧秣廠のあったことを思い出し、更にその糧秣廠に火事のあったことを思い出し、如露亦如電という言葉は必ずしも誇張ではないことを感じた。
僕の通っていた第三中学校も鉄筋コンクリートに変っている。僕はこの中学校へ五年の間通いつづけた。当時の校舎も震災のために灰になってしまったのであろう。が、僕の中学時代には鼠色のペンキを塗った二階建の木造だった。それから校舎のまわりにはポプラァが何本かそよいでいた。(この界隈は土の痩せているためにポプラァ以外の木は育ち悪かったのである。)僕はそこへ通っているうちに英語や数学を覚えた外にも如何に僕等人間の情け無いものであるかを経験した。こういうのは僕の先生たちや友だちの悪口をいっているのではない。僕等人間といううちには勿論僕のこともはいっているのである。たとえば僕等は或友だちをいじめ、かれを砂の中に生き埋めにした。僕等のかれをいじめたのは格別理由のあった訳ではない。若し又理由らしいものを挙げるとすれば、ただかれの生意気だった――或はかれのかれ自身を容易に曲げようとしなかったからである。僕はもう五、六年前、久しぶりにかれとこの話をし、この小事件もかれの心に暗い影を落しているのを感じた。かれは今揚子江の岸に相変らず孤独に暮している……
こういう僕の友だちと一しょに僕の記憶に浮んで来るのは僕等を教えた先生たちである。僕はこの「繁昌記」の中に一々そんな記憶を加えるつもりはない。けれどもただ一人この機会にスケッチしておきたいのは山田先生である。山田先生は第三中学校の剣道部というものの先生だった。先生の剣道は封建時代の剣客に勝るとも劣らなかったのであろう。何でも先生に学んだ一人は武徳会の大会に出、相手の小手へ竹刀を入れると、余り気合いの烈しかったために相手の腕を一打ちに折ってしまったとかいうことだった。が、僕の伝えたいのは先生の剣道のことばかりではない。先生は又食物を減じ、仙人に成る道も修行していた。のみならず明治時代にも不老不死の術に通じた、正真紛れのない仙人の住んでいることを確信していた。僕は不幸にも先生のように仙人に敬意を感じていない。しかし先生の鍛錬にはいつも敬意を感じている。先生は或時博物学教室へ行き、そこにあったコップの昇汞水を水と思って飲み干してしまった。それを知った博物学の先生は驚いて医者を迎えにやった。医者は勿論やって来るが早いか、先生に吐剤を飲ませようとした。けれども先生は吐剤ということを知ると、自若としてこういう返事をした。
「山田次郎吉は六十を越しても、まだ人様のいられる前でへどを吐くほどもうろくはしませぬ。どうか車を一台お呼び下さい。」
先生は何とかいう法を行い、とうとう医者にもかからずにしまった。僕はこの三、四年の間は誰からも先生の噂を聞かない。あの面長の山田先生は或はもう列仙伝中の人々と一しょに遊んでいるのであろう。しかし僕は相変らず埃臭い空気の中に、――僕等をのせた円タクは僕のそんなことを考えているうちに江東橋を渡って走って行った。
緑町、亀沢町
江東橋を渡った向うもやはりバラックばかりである。僕は円タクの窓越しに赤さびをふいたトタン屋根だのペンキ塗りの板目だのを見ながら確か明治四十三年にあった大水のことを思い出した。今日の本所は火事には会っても、洪水には会うことはないであろう。が、その時の大水は僕の記憶に残っているのでは一番水嵩の高いものだった。江東橋界隈の人々の第三中学校へ避難したのもやはりこの大水のあった時である。僕は江東橋を越えるにも一面に漲った泥水の中を泳いで行かなければならなかった……
「実際その時は大変でしたよ。尤も僕の家などは床の上へ水は来なかったけれども。」
「では浅い所もあったのですね?」
「緑町二丁目――かな。何でもあの辺は膝位まででしたがね。僕はSという友だちと一しょにその路地の奥にいるもう一人の友だちを見舞に行ったんです。するとSという友だちが溝の中へ落ちてしまってね……」
「ああ、水が出ていたから、溝のあることがわからなかったんですね。」
「ええ、――しかしSのやつは膝まで水の上に出ていたんです。それがあっという拍子に可なり深い溝だったと見え、水の上に出ているのは首だけになってしまったんでしょう。僕は思わず笑ってしまってね。」
僕等をのせた円タクはこういう僕等の話の中に寿座の前を通り過ぎた。絵看板を掲げた寿座は余り昔と変らないらしかった。僕の父の話によれば、この辺――二つ目通りから先は「津軽様」の屋敷だった。「御維新」前の或年の正月、父は川向うへ年始に行き、帰りに両国橋を渡って来ると少しも見知らない若侍が一人偶然父と道づれになった。彼もちゃんと大小をさし、鷹の羽の紋のついた上下を着ている。父は彼と話しているうちにいつか僕の家を通り過ぎてしまった。のみならずふと気づいた時には「津軽様」の溝へ転げこんでいた。同時に又若侍はいつかどこかへ見えなくなっていた。父は泥まみれになったまま、僕の家へ帰って来た。何でも父の刀は鞘走った拍子にさかさまに溝の中に立ったということである。それから若侍に化けた狐は(父は未だにこの若侍を狐だったと信じている。)刀の光に恐れた為にやっと逃げ出したのだということである。実際狐の化けたのかどうかは僕にはどちらでも差支えない。僕は唯父の口からこういう話を聞かされる度に昔の本所の如何に寂しかったかを想像している。
僕等は亀沢町の角で円タクをおり、元町通りを両国へ歩いて行った。菓子屋の寿徳庵は昔のように繁昌しているらしい。しかしその向うの質屋の店は安田銀行に変っている。この質屋の「利いちゃん」も僕の小学校時代の友だちだった。僕はいつか遊び時間に僕等の家にあるものを自慢し合ったことを覚えている。僕の友だちは僕のように年をとった小役人の息子ばかりではない。が誰も「利いちゃん」の言葉には驚嘆せずにはいられなかった。
「僕の家の土蔵の中には大砲万右衛門の化粧廻しもある。」
大砲は僕等の小学時代に、――常陸山や梅ヶ谷の大関だった時代に横綱を張った相撲だった。
相生町
本所警察署もいつの間にかコンクリートの建物に変っている。僕の記憶にある警察署は古い赤煉瓦の建物だった。僕はこの警察署長の息子も僕の友だちだったのを覚えている。それから警察署の隣にある蝙蝠傘屋も――傘屋の木島さんは今日でも僕のことを覚えていてくれるであろうか? いや、木島さん一人ではない。僕はこの界隈に住んでいた大勢の友だちを覚えている。しかし僕の友だちは長い年月の流れるのにつれ、もう全然僕などとは縁のない暮しをしているであろう。僕は四、五年前の簡閲点呼に大紙屋の岡本さんと一緒になった。僕の知っていた大紙屋は封建時代に変りのない土蔵造りの紙屋である。その又薄暗い店の中には番頭や小僧が何人も忙しそうに歩きまわっていた。が、岡本さんの話によれば、今では店の組織も変り、海外へ紙を輸出するのにもいろいろ計画を立てて居るらしい。
「この辺もすっかり変っていますか?」
「昔からある店もありますけれども……町全体の落ち着かなさ加減はね。」
僕はその大紙屋にあった「馬車通り」(「馬車通り」というのは四つ目あたりへ通うガタ馬車のあった為である。)のぬかるみを思い出した。しかしまだ明治時代にはそこにも大紙屋のあったように封建時代の影の落ちた何軒かの「しにせ」は残っていた。僕はこの「馬車通り」にあった「魚善」という肴屋を覚えている。それから又樋口さんという門構えの医者を覚えている。最後にこの樋口さんの近所にピストル強盗清水定吉の住んでいたことを覚えている。明治時代もあらゆる時代のように何人かの犯罪的天才を造り出した。ピストル強盗も稲妻強盗や五寸釘の虎吉と一しょにこういう天才たちの一人だったであろう。僕は彼が按摩になって警官の目をくらませていたり、彼の家の壁をがんどう返しにして出没を自在にしていたことにロマン趣味を感じずにはいられなかった。これ等の犯罪的天才は大抵は小説の主人公になり、更に又所謂壮士芝居の劇中人物になったものである。僕はこういう壮士芝居の中に「大悪僧」とかいうものを見、一場々々の血なまぐささに夜もろく〳〵眠られなかった。尤もこの「大悪僧」は或はピストル強盗のように実在の人物ではなかったかも知れない。
僕等はいつか埃の色をした国技館の前へ通りかかった。国技館は丁度日光の東照宮の模型か何かを見世物にしている所らしかった。僕の通っていた江東小学校は丁度ここに建っていたものである。現に残っている大銀杏も江東小学校の運動場の隅に――というよりも附属幼稚園の運動場の隅に枝をのばしていた。当時の小学校の校長の震災の為に死んだことは前にも書いた通りである。が、僕はつい近頃やはり当時から在職していたT先生にお目にかかり、女生徒に裁縫を教えていた或女の先生も割下水に近い京極子爵家(?)の溝の中で死んだことを知ったりした。この先生は着物は腐れ、体は骨になっていたものの、貯金帳だけちゃんと残っていた為にやっと誰だかわかったそうである。T先生の話によれば、僕等を教えた先生たちは大抵は本所にはいないらしい。僕は比留間先生に張り倒されたことを覚えている。それから宗先生に後頭部を突かれたことを覚えている。それから葉若先生に、――けれども僕の覚えているのは体罰を受けたことばかりではない。僕は又この小学校の中にいろいろの喜劇のあったことも覚えている。殊に大島という僕の親友がちゃんと机に向ったまま、いつかうんこをしていたのは喜劇中の喜劇だった。しかしこの大島敏夫も――花や歌を愛していた江東小学校の秀才も二十前後に故人になっている……
国技館の隣に回向院のあることは大抵誰でも知っているであろう。所謂本場所の相撲もまだ国技館の出来ない前には回向院の境内に蓆張りの小屋をかけていたものである。僕等はこの義士の打ち入り以来名高い回向院を見るために、国技館の横を曲って行った。が、それもここへ来る前にひそかに僕の予期していたようにすっかり昔に変っていた。
回向院
今日の回向院はバラックである。如何に金の紋を打った亜鉛葺きの屋根は反っていても、ガラス戸を立てた本堂はバラックという外は仕かたはない。僕等は読経の声を聞きながら、やはり僕には昔馴染みの鼠小僧の墓を見物に行った。墓の前には今日でも乞食が三、四人集まっていた。がそんなことはどうでもよい。それよりも僕を驚かしたのは膃肭獣供養塔というものの立っていたことである。僕はぼんやりこの石碑を見上げ、何かその奥の鼠小僧の墓に同情しない訳には行かなかった。
鼠小僧治郎太夫の墓は建札も示している通り、震災の火事にもほろびなかった。赤い提灯や蝋燭や教覚速善居士の額も大体昔の通りである。尤も今は墓の石を欠かれない用心のしてあるばかりではない。墓の前の柱にちゃんと「御用のおかたはお守り石をさし上げます」と書いた、小さい紙札もはりつけてある。僕等はこの墓を後にし、今度は又墓地の奥に――国技館の後ろにある京伝の墓を尋ねて行った。
この墓地も僕にはなつかしかった。僕は僕の友だちと一しょに度たびいたずらに石塔を倒し、寺男や坊さんに追いかけられたものである。尤も昔は樹木も茂り、一口に墓地というよりも卵塔場という気のしたものだった。が、今は墓石は勿論、墓をめぐった鉄柵にもすさまじい火の痕は残っている。僕は「水子塚」の前を曲り、京伝の墓の前へたどり着いた。京伝の墓も京山の墓と一しょにやはり昔に変っていない。ただそれ等の墓の前に柿か何かの若木が一本、ひょろりと枝をのばしたまま、若葉を開いているのは哀れだった。
僕等は回向院の表門を出、これもバラックになった坊主軍鶏を見ながら、一つ目の橋へ歩いて行った。僕の記憶を信ずるとすれば、この一つ目の橋のあたりは大正時代にも幾分か広重らしい画趣を持っていたものである。しかしもう今日ではどこにもそんな景色は残っていない。僕等は無残にもひろげられた跡を向う両国へ引き返しながら、偶然「泰ちゃん」の家の前を通りかかった。
「泰ちゃん」は下駄屋の息子である。僕は僕の小学時代にも作文は多少上手だった。が、僕の作文は――というよりも僕等の作文は、大抵いわゆる美文だった。「富士の峰白くかりがね池の面に下り、空仰げば月うるわしく、余が影法師黒し。」――これは僕の作文ではない、二、三年前に故人になった僕の小学時代の友だちの一人――清水昌彦君の作品である。「泰ちゃん」はこういう作文の中にひとり教科書のにおいのない、生き〳〵とした口語文を作った。それは何でも「虹」という作文の題の出た時である。僕は内心僕の作文の一番になることを信じていた。が、先生の一番にしたのは「泰ちゃん」――下駄屋「伊勢甚」の息子木村泰助君の作文だった。「泰ちゃん」は先生の命令を受け、かれ自身の作文を朗読した。それは恐らくは誰よりも僕を動かさずにはおかなかった。僕は勿論「泰ちゃん」のために見事に敗北を受けたことを感じた。同時に又「泰ちゃん」の描いた「虹」にありありと夕立ちの通り過ぎたのを感じた。僕を動かした文章は東西にわたって少なくはない。しかしまず僕を動かしたのはこの「泰ちゃん」の作文である。運命は僕を売文の徒にした。若し「泰ちゃん」も僕のようにペンを執っていたとすれば「大東京繁昌記」の読者はこの「本所両国」よりも或は数等美しい印象記を読んでいたかも知れない。けれども「泰ちゃん」はどうしているであらう? 僕は幾つも下駄の並んだ飾り窓の前にたたずんだまま、そっと店の中へ目を移した。店の中には「泰ちゃん」のお母さんらしい人が一人座っている。が、木村泰助君は生憎どこにも見えなかった……
方丈記
僕「きょう本所へ行って来ましたよ。」
父「本所もすっかり変ったな。」
母「うちの近所はどうなっているえ?」
僕「どうなっているって……釣竿屋の石井さんにうちを売ったでしょう。あの石井さんのあるだけですね。ああ、それから提灯屋もあった。……」
伯母「あすこに銭湯もあったでしょう。」
僕「今でも常盤湯という銭湯はありますよ。」
伯母「常盤湯といったかしら。」
妻「あたしのいた辺も変ったでしょうね?」
僕「変らないのは石河岸だけだよ。」
妻「あすこにあった、大きい柳は?」
僕「柳などは勿論焼けてしまったさ。」
母「お前のまだ小さかった頃には電車も通っていなかったんだからね。」
僕「『榛の木馬場』あたりはかたなしですね。」
父「あすこには葛飾北斎が住んでいたことがある。」
僕「『割下水』もやっぱり変ってしまいましたよ。」
母「あすこには悪御家人が沢山いてね。」
僕「僕の覚えている時分でも何かそんな気のする所でしたね。」
妻「お鶴さんの家はどうなったでしょう?」
僕「お鶴さん? ああ、あの藍問屋の娘さんか。」
妻「ええ、兄さんの好きだった人。」
僕「あの家はどうだったかな。兄さんのためにも見て来るんだったっけ。尤も前に通ったんだけれども。」
伯母「あたしは地震の年以来一度も行ったことはないんだから――行っても驚くだろうけれども。」
僕「それは驚くだけですよ。伯母さんには見当もつかないかも知れない。」
父「何しろ変りも変ったからね。そら、昔は夕がたになると、みんな門を細目にあけて往来を見ていたもんだろう?」
母「法界節や何かの帰って来るのをね。」
伯母「あの時分は蝙蝠も沢山いたでしょう。」
僕「今は雀さえ飛んでいませんよ。僕は実際無常を感じてね。……それでも一度行ってごらんなさい。まだずん〳〵変ろうとしているから。」
妻「わたしは一度子供達に亀戸の太鼓橋を見せてやりたい。」
父「臥竜梅はもうなくなっただろうな?」
僕「ええ、あれはもうとうに……さあ、これから驚いたということを十五回だけ書かなければならない。」
妻「驚いた、驚いたと書いていれば善いのに。」(笑う)
僕「その外に何も書けるもんか、若し何か書けるとすれば……そうだ。このポケット本の中にちゃんともう誰か書き尽している。――『玉敷きの都の中に、棟を並べ甍を争へる、尊き卑しき人の住居は、代々を経てつきせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。……いにしへ見し人は、二三十人の中に僅に一人二人なり。朝に死し、夕に生まるゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。』……」
母「何だえ、それは? 『お文様』のようじゃないか?」
僕「これですか? これは『方丈記』ですよ。僕などよりもちょっと偉かった鴨の長明という人の書いた本ですよ。」 | 底本:「大東京繁昌記」毎日新聞社
1999(平成11)年5月15日
初出:「東京日日新聞」
1927(昭和2)年5月6日~22日
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2013年5月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "055721",
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ある時雨の降る晩のことです。私を乗せた人力車は、何度も大森界隈の険しい坂を上ったり下りたりして、やっと竹藪に囲まれた、小さな西洋館の前に梶棒を下しました。もう鼠色のペンキの剥げかかった、狭苦しい玄関には、車夫の出した提灯の明りで見ると、印度人マティラム・ミスラと日本字で書いた、これだけは新しい、瀬戸物の標札がかかっています。
マティラム・ミスラ君と云えば、もう皆さんの中にも、御存じの方が少くないかも知れません。ミスラ君は永年印度の独立を計っているカルカッタ生れの愛国者で、同時にまたハッサン・カンという名高い婆羅門の秘法を学んだ、年の若い魔術の大家なのです。私はちょうど一月ばかり以前から、ある友人の紹介でミスラ君と交際していましたが、政治経済の問題などはいろいろ議論したことがあっても、肝腎の魔術を使う時には、まだ一度も居合せたことがありません。そこで今夜は前以て、魔術を使って見せてくれるように、手紙で頼んで置いてから、当時ミスラ君の住んでいた、寂しい大森の町はずれまで、人力車を急がせて来たのです。
私は雨に濡れながら、覚束ない車夫の提灯の明りを便りにその標札の下にある呼鈴の釦を押しました。すると間もなく戸が開いて、玄関へ顔を出したのは、ミスラ君の世話をしている、背の低い日本人の御婆さんです。
「ミスラ君は御出でですか。」
「いらっしゃいます。先ほどからあなた様を御待ち兼ねでございました。」
御婆さんは愛想よくこう言いながら、すぐその玄関のつきあたりにある、ミスラ君の部屋へ私を案内しました。
「今晩は、雨の降るのによく御出ででした。」
色のまっ黒な、眼の大きい、柔な口髭のあるミスラ君は、テエブルの上にある石油ランプの心を撚りながら、元気よく私に挨拶しました。
「いや、あなたの魔術さえ拝見出来れば、雨くらいは何ともありません。」
私は椅子に腰かけてから、うす暗い石油ランプの光に照された、陰気な部屋の中を見廻しました。
ミスラ君の部屋は質素な西洋間で、まん中にテエブルが一つ、壁側に手ごろな書棚が一つ、それから窓の前に机が一つ――ほかにはただ我々の腰をかける、椅子が並んでいるだけです。しかもその椅子や机が、みんな古ぼけた物ばかりで、縁へ赤く花模様を織り出した、派手なテエブル掛でさえ、今にもずたずたに裂けるかと思うほど、糸目が露になっていました。
私たちは挨拶をすませてから、しばらくは外の竹藪に降る雨の音を聞くともなく聞いていましたが、やがてまたあの召使いの御婆さんが、紅茶の道具を持ってはいって来ると、ミスラ君は葉巻の箱の蓋を開けて、
「どうです。一本。」と勧めてくれました。
「難有う。」
私は遠慮なく葉巻を一本取って、燐寸の火をうつしながら、
「確かあなたの御使いになる精霊は、ジンとかいう名前でしたね。するとこれから私が拝見する魔術と言うのも、そのジンの力を借りてなさるのですか。」
ミスラ君は自分も葉巻へ火をつけると、にやにや笑いながら、匀の好い煙を吐いて、
「ジンなどという精霊があると思ったのは、もう何百年も昔のことです。アラビヤ夜話の時代のこととでも言いましょうか。私がハッサン・カンから学んだ魔術は、あなたでも使おうと思えば使えますよ。高が進歩した催眠術に過ぎないのですから。――御覧なさい。この手をただ、こうしさえすれば好いのです。」
ミスラ君は手を挙げて、二三度私の眼の前へ三角形のようなものを描きましたが、やがてその手をテエブルの上へやると、縁へ赤く織り出した模様の花をつまみ上げました。私はびっくりして、思わず椅子をずりよせながら、よくよくその花を眺めましたが、確かにそれは今の今まで、テエブル掛の中にあった花模様の一つに違いありません。が、ミスラ君がその花を私の鼻の先へ持って来ると、ちょうど麝香か何かのように重苦しい匀さえするのです。私はあまりの不思議さに、何度も感嘆の声を洩しますと、ミスラ君はやはり微笑したまま、また無造作にその花をテエブル掛の上へ落しました。勿論落すともとの通り花は織り出した模様になって、つまみ上げること所か、花びら一つ自由には動かせなくなってしまうのです。「どうです。訳はないでしょう。今度は、このランプを御覧なさい。」
ミスラ君はこう言いながら、ちょいとテエブルの上のランプを置き直しましたが、その拍子にどういう訳か、ランプはまるで独楽のように、ぐるぐる廻り始めました。それもちゃんと一所に止ったまま、ホヤを心棒のようにして、勢いよく廻り始めたのです。初の内は私も胆をつぶして、万一火事にでもなっては大変だと、何度もひやひやしましたが、ミスラ君は静に紅茶を飲みながら、一向騒ぐ容子もありません。そこで私もしまいには、すっかり度胸が据ってしまって、だんだん早くなるランプの運動を、眼も離さず眺めていました。
また実際ランプの蓋が風を起して廻る中に、黄いろい焔がたった一つ、瞬きもせずにともっているのは、何とも言えず美しい、不思議な見物だったのです。が、その内にランプの廻るのが、いよいよ速になって行って、とうとう廻っているとは見えないほど、澄み渡ったと思いますと、いつの間にか、前のようにホヤ一つ歪んだ気色もなく、テエブルの上に据っていました。
「驚きましたか。こんなことはほんの子供瞞しですよ。それともあなたが御望みなら、もう一つ何か御覧に入れましょう。」
ミスラ君は後を振返って、壁側の書棚を眺めましたが、やがてその方へ手をさし伸ばして、招くように指を動かすと、今度は書棚に並んでいた書物が一冊ずつ動き出して、自然にテエブルの上まで飛んで来ました。そのまた飛び方が両方へ表紙を開いて、夏の夕方に飛び交う蝙蝠のように、ひらひらと宙へ舞上るのです。私は葉巻を口へ啣えたまま、呆気にとられて見ていましたが、書物はうす暗いランプの光の中に何冊も自由に飛び廻って、一々行儀よくテエブルの上へピラミッド形に積み上りました。しかも残らずこちらへ移ってしまったと思うと、すぐに最初来たのから動き出して、もとの書棚へ順々に飛び還って行くじゃありませんか。
が、中でも一番面白かったのは、うすい仮綴じの書物が一冊、やはり翼のように表紙を開いて、ふわりと空へ上りましたが、しばらくテエブルの上で輪を描いてから、急に頁をざわつかせると、逆落しに私の膝へさっと下りて来たことです。どうしたのかと思って手にとって見ると、これは私が一週間ばかり前にミスラ君へ貸した覚えがある、仏蘭西の新しい小説でした。
「永々御本を難有う。」
ミスラ君はまだ微笑を含んだ声で、こう私に礼を言いました。勿論その時はもう多くの書物が、みんなテエブルの上から書棚の中へ舞い戻ってしまっていたのです。私は夢からさめたような心もちで、暫時は挨拶さえ出来ませんでしたが、その内にさっきミスラ君の言った、「私の魔術などというものは、あなたでも使おうと思えば使えるのです。」という言葉を思い出しましたから、
「いや、兼ね兼ね評判はうかがっていましたが、あなたのお使いなさる魔術が、これほど不思議なものだろうとは、実際、思いもよりませんでした。ところで私のような人間にも、使って使えないことのないと言うのは、御冗談ではないのですか。」
「使えますとも。誰にでも造作なく使えます。ただ――」と言いかけてミスラ君はじっと私の顔を眺めながら、いつになく真面目な口調になって、
「ただ、欲のある人間には使えません。ハッサン・カンの魔術を習おうと思ったら、まず欲を捨てることです。あなたにはそれが出来ますか。」
「出来るつもりです。」
私はこう答えましたが、何となく不安な気もしたので、すぐにまた後から言葉を添えました。
「魔術さえ教えて頂ければ。」
それでもミスラ君は疑わしそうな眼つきを見せましたが、さすがにこの上念を押すのは無躾だとでも思ったのでしょう。やがて大様に頷きながら、
「では教えて上げましょう。が、いくら造作なく使えると言っても、習うのには暇もかかりますから、今夜は私の所へ御泊りなさい。」
「どうもいろいろ恐れ入ります。」
私は魔術を教えて貰う嬉しさに、何度もミスラ君へ御礼を言いました。が、ミスラ君はそんなことに頓着する気色もなく、静に椅子から立上ると、
「御婆サン。御婆サン。今夜ハ御客様ガ御泊リニナルカラ、寝床ノ仕度ヲシテ置イテオクレ。」
私は胸を躍らしながら、葉巻の灰をはたくのも忘れて、まともに石油ランプの光を浴びた、親切そうなミスラ君の顔を思わずじっと見上げました。
× × ×
私がミスラ君に魔術を教わってから、一月ばかりたった後のことです。これもやはりざあざあ雨の降る晩でしたが、私は銀座のある倶楽部の一室で、五六人の友人と、暖炉の前へ陣取りながら、気軽な雑談に耽っていました。
何しろここは東京の中心ですから、窓の外に降る雨脚も、しっきりなく往来する自働車や馬車の屋根を濡らすせいか、あの、大森の竹藪にしぶくような、ものさびしい音は聞えません。
勿論窓の内の陽気なことも、明い電燈の光と言い、大きなモロッコ皮の椅子と言い、あるいはまた滑かに光っている寄木細工の床と言い、見るから精霊でも出て来そうな、ミスラ君の部屋などとは、まるで比べものにはならないのです。
私たちは葉巻の煙の中に、しばらくは猟の話だの競馬の話だのをしていましたが、その内に一人の友人が、吸いさしの葉巻を暖炉の中に抛りこんで、私の方へ振り向きながら、
「君は近頃魔術を使うという評判だが、どうだい。今夜は一つ僕たちの前で使って見せてくれないか。」
「好いとも。」
私は椅子の背に頭を靠せたまま、さも魔術の名人らしく、横柄にこう答えました。
「じゃ、何でも君に一任するから、世間の手品師などには出来そうもない、不思議な術を使って見せてくれ給え。」
友人たちは皆賛成だと見えて、てんでに椅子をすり寄せながら、促すように私の方を眺めました。そこで私は徐に立ち上って、
「よく見ていてくれ給えよ。僕の使う魔術には、種も仕掛もないのだから。」
私はこう言いながら、両手のカフスをまくり上げて、暖炉の中に燃え盛っている石炭を、無造作に掌の上へすくい上げました。私を囲んでいた友人たちは、これだけでも、もう荒胆を挫がれたのでしょう。皆顔を見合せながらうっかり側へ寄って火傷でもしては大変だと、気味悪るそうにしりごみさえし始めるのです。
そこで私の方はいよいよ落着き払って、その掌の上の石炭の火を、しばらく一同の眼の前へつきつけてから、今度はそれを勢いよく寄木細工の床へ撒き散らしました。その途端です、窓の外に降る雨の音を圧して、もう一つ変った雨の音が俄に床の上から起ったのは。と言うのはまっ赤な石炭の火が、私の掌を離れると同時に、無数の美しい金貨になって、雨のように床の上へこぼれ飛んだからなのです。
友人たちは皆夢でも見ているように、茫然と喝采するのさえも忘れていました。
「まずちょいとこんなものさ。」
私は得意の微笑を浮べながら、静にまた元の椅子に腰を下しました。
「こりゃ皆ほんとうの金貨かい。」
呆気にとられていた友人の一人が、ようやくこう私に尋ねたのは、それから五分ばかりたった後のことです。
「ほんとうの金貨さ。嘘だと思ったら、手にとって見給え。」
「まさか火傷をするようなことはあるまいね。」
友人の一人は恐る恐る、床の上の金貨を手にとって見ましたが、
「成程こりゃほんとうの金貨だ。おい、給仕、箒と塵取りとを持って来て、これを皆掃き集めてくれ。」
給仕はすぐに言いつけられた通り、床の上の金貨を掃き集めて、堆く側のテエブルへ盛り上げました。友人たちは皆そのテエブルのまわりを囲みながら、
「ざっと二十万円くらいはありそうだね。」
「いや、もっとありそうだ。華奢なテエブルだった日には、つぶれてしまうくらいあるじゃないか。」
「何しろ大した魔術を習ったものだ。石炭の火がすぐに金貨になるのだから。」
「これじゃ一週間とたたない内に、岩崎や三井にも負けないような金満家になってしまうだろう。」などと、口々に私の魔術を褒めそやしました。が、私はやはり椅子によりかかったまま、悠然と葉巻の煙を吐いて、
「いや、僕の魔術というやつは、一旦欲心を起したら、二度と使うことが出来ないのだ。だからこの金貨にしても、君たちが見てしまった上は、すぐにまた元の暖炉の中へ抛りこんでしまおうと思っている。」
友人たちは私の言葉を聞くと、言い合せたように、反対し始めました。これだけの大金を元の石炭にしてしまうのは、もったいない話だと言うのです。が、私はミスラ君に約束した手前もありますから、どうしても暖炉に抛りこむと、剛情に友人たちと争いました。すると、その友人たちの中でも、一番狡猾だという評判のあるのが、鼻の先で、せせら笑いながら、
「君はこの金貨を元の石炭にしようと言う。僕たちはまたしたくないと言う。それじゃいつまでたった所で、議論が干ないのは当り前だろう。そこで僕が思うには、この金貨を元手にして、君が僕たちと骨牌をするのだ。そうしてもし君が勝ったなら、石炭にするとも何にするとも、自由に君が始末するが好い。が、もし僕たちが勝ったなら、金貨のまま僕たちへ渡し給え。そうすれば御互の申し分も立って、至極満足だろうじゃないか。」
それでも私はまだ首を振って、容易にその申し出しに賛成しようとはしませんでした。所がその友人は、いよいよ嘲るような笑を浮べながら、私とテエブルの上の金貨とを狡るそうにじろじろ見比べて、
「君が僕たちと骨牌をしないのは、つまりその金貨を僕たちに取られたくないと思うからだろう。それなら魔術を使うために、欲心を捨てたとか何とかいう、折角の君の決心も怪しくなってくる訳じゃないか。」
「いや、何も僕は、この金貨が惜しいから石炭にするのじゃない。」
「それなら骨牌をやり給えな。」
何度もこういう押問答を繰返した後で、とうとう私はその友人の言葉通り、テエブルの上の金貨を元手に、どうしても骨牌を闘わせなければならない羽目に立ち至りました。勿論友人たちは皆大喜びで、すぐにトランプを一組取り寄せると、部屋の片隅にある骨牌机を囲みながら、まだためらい勝ちな私を早く早くと急き立てるのです。
ですから私も仕方がなく、しばらくの間は友人たちを相手に、嫌々骨牌をしていました。が、どういうものか、その夜に限って、ふだんは格別骨牌上手でもない私が、嘘のようにどんどん勝つのです。するとまた妙なもので、始は気のりもしなかったのが、だんだん面白くなり始めて、ものの十分とたたない内に、いつか私は一切を忘れて、熱心に骨牌を引き始めました。
友人たちは、元より私から、あの金貨を残らず捲き上げるつもりで、わざわざ骨牌を始めたのですから、こうなると皆あせりにあせって、ほとんど血相さえ変るかと思うほど、夢中になって勝負を争い出しました。が、いくら友人たちが躍起となっても、私は一度も負けないばかりか、とうとうしまいには、あの金貨とほぼ同じほどの金高だけ、私の方が勝ってしまったじゃありませんか。するとさっきの人の悪い友人が、まるで、気違いのような勢いで、私の前に、札をつきつけながら、
「さあ、引き給え。僕は僕の財産をすっかり賭ける。地面も、家作も、馬も、自働車も、一つ残らず賭けてしまう。その代り君はあの金貨のほかに、今まで君が勝った金をことごとく賭けるのだ。さあ、引き給え。」
私はこの刹那に欲が出ました。テエブルの上に積んである、山のような金貨ばかりか、折角私が勝った金さえ、今度運悪く負けたが最後、皆相手の友人に取られてしまわなければなりません。のみならずこの勝負に勝ちさえすれば、私は向うの全財産を一度に手へ入れることが出来るのです。こんな時に使わなければどこに魔術などを教わった、苦心の甲斐があるのでしょう。そう思うと私は矢も楯もたまらなくなって、そっと魔術を使いながら、決闘でもするような勢いで、
「よろしい。まず君から引き給え。」
「九。」
「王様。」
私は勝ち誇った声を挙げながら、まっ蒼になった相手の眼の前へ、引き当てた札を出して見せました。すると不思議にもその骨牌の王様が、まるで魂がはいったように、冠をかぶった頭を擡げて、ひょいと札の外へ体を出すと、行儀よく剣を持ったまま、にやりと気味の悪い微笑を浮べて、
「御婆サン。御婆サン。御客様ハ御帰リニナルソウダカラ、寝床ノ仕度ハシナクテモ好イヨ。」
と、聞き覚えのある声で言うのです。と思うと、どういう訳か、窓の外に降る雨脚までが、急にまたあの大森の竹藪にしぶくような、寂しいざんざ降りの音を立て始めました。
ふと気がついてあたりを見廻すと、私はまだうす暗い石油ランプの光を浴びながら、まるであの骨牌の王様のような微笑を浮べているミスラ君と、向い合って坐っていたのです。
私が指の間に挟んだ葉巻の灰さえ、やはり落ちずにたまっている所を見ても、私が一月ばかりたったと思ったのは、ほんの二三分の間に見た、夢だったのに違いありません。けれどもその二三分の短い間に、私がハッサン・カンの魔術の秘法を習う資格のない人間だということは、私自身にもミスラ君にも、明かになってしまったのです。私は恥しそうに頭を下げたまま、しばらくは口もきけませんでした。
「私の魔術を使おうと思ったら、まず欲を捨てなければなりません。あなたはそれだけの修業が出来ていないのです。」
ミスラ君は気の毒そうな眼つきをしながら、縁へ赤く花模様を織り出したテエブル掛の上に肘をついて、静にこう私をたしなめました。
(大正八年十一月十日) | 底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年12月1日第1刷発行
1996(平成8)年4月1日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月8日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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一
松江へ来て、まず自分の心をひいたものは、この市を縦横に貫いている川の水とその川の上に架けられた多くの木造の橋とであった。河流の多い都市はひとり松江のみではない。しかし、そういう都市の水は、自分の知っている限りでたいていはそこに架けられた橋梁によって少からず、その美しさを殺がれていた。なぜといえば、その都市の人々は必ずその川の流れに第三流の櫛形鉄橋を架けてしかもその醜い鉄橋を彼らの得意なものの一つに数えていたからである。自分はこの間にあって愛すべき木造の橋梁を松江のあらゆる川の上に見いだしえたことをうれしく思う。ことにその橋の二、三が古日本の版画家によって、しばしばその構図に利用せられた青銅の擬宝珠をもって主要なる装飾としていた一事は自分をしていよいよ深くこれらの橋梁を愛せしめた。松江へ着いた日の薄暮雨にぬれて光る大橋の擬宝珠を、灰色を帯びた緑の水の上に望みえたなつかしさは事新しくここに書きたてるまでもない。これらの木橋を有する松江に比して、朱塗りの神橋に隣るべく、醜悪なる鉄のつり橋を架けた日光町民の愚は、誠にわらうべきものがある。
橋梁に次いで、自分の心をとらえたものは千鳥城の天主閣であった。天主閣はその名の示すがごとく、天主教の渡来とともに、はるばる南蛮から輸入された西洋築城術の産物であるが、自分たちの祖先の驚くべき同化力は、ほとんど何人もこれに対してエキゾティックな興味を感じえないまでに、その屋根と壁とをことごとく日本化し去ったのである。寺院の堂塔が王朝時代の建築を代表するように、封建時代を表象すべき建築物を求めるとしたら天主閣を除いて自分たちは何を見いだすことができるだろう。しかも明治維新とともに生まれた卑しむべき新文明の実利主義は全国にわたって、この大いなる中世の城楼を、なんの容赦もなく破壊した。自分は、不忍池を埋めて家屋を建築しようという論者をさえ生んだわらうべき時代思想を考えると、この破壊もただ微笑をもって許さなければならないと思っている。なぜといえば、天主閣は、明治の新政府に参与した薩長土肥の足軽輩に理解せらるべく、あまりに大いなる芸術の作品であるからである。今日に至るまで、これらの幼稚なる偶像破壊者の手を免がれて、記憶すべき日本の騎士時代を後世に伝えんとする天主閣の数は、わずかに十指を屈するのほかに出ない。自分はその一つにこの千鳥城の天主閣を数えうることを、松江の人々のために心から祝したいと思う。そうして蘆と藺との茂る濠を見おろして、かすかな夕日の光にぬらされながら、かいつぶり鳴く水に寂しい白壁の影を落している、あの天主閣の高い屋根がわらがいつまでも、地に落ちないように祈りたいと思う。
しかし、松江の市が自分に与えたものは満足ばかりではない。自分は天主閣を仰ぐとともに「松平直政公銅像建設之地」と書いた大きな棒ぐいを見ないわけにはゆかなかった。否、ひとり、棒ぐいのみではない。そのかたわらの鉄網張りの小屋の中に古色を帯びた幾面かのうつくしい青銅の鏡が、銅像鋳造の材料として積み重ねてあるのも見ないわけにはゆかなかった。梵鐘をもって大砲を鋳たのも、危急の際にはやむをえないことかもしれない。しかし泰平の時代に好んで、愛すべき過去の美術品を破壊する必要がどこにあろう。ましてその目的は、芸術的価値において卑しかるべき区々たる小銅像の建設にあるのではないか。自分はさらに同じような非難を嫁が島の防波工事にも加えることを禁じえない。防波工事の目的が、波浪の害を防いで嫁が島の風趣を保存せしめるためであるとすれば、かくのごとき無細工な石がきの築造は、その風趣を害する点において、まさしく当初の目的に矛盾するものである。「一幅淞波誰剪取 春潮痕似嫁時衣」とうたった詩人石埭翁をしてあの臼を連ねたような石がきを見せしめたら、はたしてなんと言うであろう。
自分は松江に対して同情と反感と二つながら感じている。ただ、幸いにしてこの市の川の水は、いっさいの反感に打勝つほど、強い愛惜を自分の心に喚起してくれるのである。松江の川についてはまた、この稿を次ぐ機会を待って語ろうと思う。
二
自分が前に推賞した橋梁と天主閣とは二つながら過去の産物である。しかし自分がこれらのものを愛好するゆえんはけっして単にそれが過去に属するからのみではない。いわゆる「寂び」というような偶然的な属性を除き去っても、なおこれらのものがその芸術的価値において、没却すべからざる特質を有しているからである。このゆえに自分はひとり天主閣にとどまらず松江の市内に散在する多くの神社と梵刹とを愛するとともに(ことに月照寺における松平家の廟所と天倫寺の禅院とは最も自分の興味をひいたものであった)新たな建築物の増加をもけっして忌憚しようとは思っていない。不幸にして自分は城山の公園に建てられた光栄ある興雲閣に対しては索莫たる嫌悪の情以外になにものも感ずることはできないが、農工銀行をはじめ、二、三の新たなる建築物に対してはむしろその効果において認むべきものが少くないと思っている。
全国の都市の多くはことごとくその発達の規範を東京ないし大阪に求めている。しかし東京ないし大阪のごとくになるということは、必ずしもこれらの都市が踏んだと同一な発達の径路によるということではない。否むしろ先達たる大都市が十年にして達しえた水準へ五年にして達しうるのが後進たる小都市の特権である。東京市民が現に腐心しつつあるものは、しばしば外国の旅客に嗤笑せらるる小人の銅像を建設することでもない。ペンキと電灯とをもって広告と称する下等なる装飾を試みることでもない。ただ道路の整理と建築の改善とそして街樹の養成とである。自分はこの点において、松江市は他のいずれの都市よりもすぐれた便宜を持っていはしないかと思う。堀割に沿うて造られた街衢の井然たることは、松江へはいるとともにまず自分を驚かしたものの一つである。しかも処々に散見する白楊の立樹は、いかに深くこの幽鬱な落葉樹が水郷の土と空気とに親しみを持っているかを語っている。そして最後に建築物に関しても、松江はその窓と壁と露台とをより美しくながめしむべき大いなる天恵――ヴェネティアをしてヴェネティアたらしむる水を有している。
松江はほとんど、海を除いて「あらゆる水」を持っている。椿が濃い紅の実をつづる下に暗くよどんでいる濠の水から、灘門の外に動くともなく動いてゆく柳の葉のように青い川の水になって、なめらかなガラス板のような光沢のある、どことなく LIFELIKE な湖水の水に変わるまで、水は松江を縦横に貫流して、その光と影との限りない調和を示しながら、随所に空と家とその間に飛びかう燕の影とを映して、絶えずものういつぶやきをここに住む人間の耳に伝えつつあるのである。この水を利用して、いわゆる水辺建築を企画するとしたら、おそらくアアサア・シマンズの歌ったように「水に浮ぶ睡蓮の花のような」美しい都市が造られることであろう。水と建築とはこの町に住む人々の常に顧慮すべき密接なる関係にたっているのである。けっして調和を一松崎水亭にのみゆだぬべきものではない。
自分は、この盂蘭盆会に水辺の家々にともされた切角灯籠の火が樒のにおいにみちたたそがれの川へ静かな影を落すのを見た人々はたやすくこの自分のことばに首肯することができるだろうと思う。
自分は最後にこの二篇の蕪雑な印象記を井川恭氏に献じて自分が同氏に負っている感謝をわずかでも表したいと思うことを附記しておく(おわり)
(大正四年八月) | 底本:「羅生門・鼻・芋粥」角川文庫、角川書店
1950(昭和25)年10月20日初版発行
1985(昭和60)年11月10日改版38版発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月11日公開
2004年3月10日修正
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "000096",
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"初出": "「松陽新報」1915(大正4)年8月",
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或曇った冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待っていた。とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に一人も乗客はいなかった。外を覗くと、うす暗いプラットフォオムにも、今日は珍しく見送りの人影さえ跡を絶って、唯、檻に入れられた小犬が一匹、時々悲しそうに、吠え立てていた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかわしい景色だった。私の頭の中には云いようのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のようなどんよりした影を落していた。私は外套のポッケットへじっと両手をつっこんだまま、そこにはいっている夕刊を出して見ようと云う元気さえ起らなかった。
が、やがて発車の笛が鳴った。私はかすかな心の寛ぎを感じながら、後の窓枠へ頭をもたせて、眼の前の停車場がずるずると後ずさりを始めるのを待つともなく待ちかまえていた。ところがそれよりも先にけたたましい日和下駄の音が、改札口の方から聞え出したと思うと、間もなく車掌の何か云い罵る声と共に、私の乗っている二等室の戸ががらりと開いて、十三四の小娘が一人、慌しく中へはいって来た、と同時に一つずしりと揺れて、徐に汽車は動き出した。一本ずつ眼をくぎって行くプラットフォオムの柱、置き忘れたような運水車、それから車内の誰かに祝儀の礼を云っている赤帽――そう云うすべては、窓へ吹きつける煤煙の中に、未練がましく後へ倒れて行った。私は漸くほっとした心もちになって、巻煙草に火をつけながら、始めて懶い睚をあげて、前の席に腰を下していた小娘の顔を一瞥した。
それは油気のない髪をひっつめの銀杏返しに結って、横なでの痕のある皸だらけの両頬を気持の悪い程赤く火照らせた、如何にも田舎者らしい娘だった。しかも垢じみた萌黄色の毛糸の襟巻がだらりと垂れ下った膝の上には、大きな風呂敷包みがあった。その又包みを抱いた霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事そうにしっかり握られていた。私はこの小娘の下品な顔だちを好まなかった。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快だった。最後にその二等と三等との区別さえも弁えない愚鈍な心が腹立たしかった。だから巻煙草に火をつけた私は、一つにはこの小娘の存在を忘れたいと云う心もちもあって、今度はポッケットの夕刊を漫然と膝の上へひろげて見た。するとその時夕刊の紙面に落ちていた外光が、突然電燈の光に変って、刷の悪い何欄かの活字が意外な位鮮に私の眼の前へ浮んで来た。云うまでもなく汽車は今、横須賀線に多い隧道の最初のそれへはいったのである。
しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂鬱を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切っていた。講和問題、新婦新郎、涜職事件、死亡広告――私は隧道へはいった一瞬間、汽車の走っている方向が逆になったような錯覚を感じながら、それらの索漠とした記事から記事へ殆機械的に眼を通した。が、その間も勿論あの小娘が、あたかも卑俗な現実を人間にしたような面持ちで、私の前に坐っている事を絶えず意識せずにはいられなかった。この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、そうして又この平凡な記事に埋っている夕刊と、――これが象徴でなくて何であろう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であろう。私は一切がくだらなくなって、読みかけた夕刊を抛り出すと、又窓枠に頭を靠せながら、死んだように眼をつぶって、うつらうつらし始めた。
それから幾分か過ぎた後であった。ふと何かに脅されたような心もちがして、思わずあたりを見まわすと、何時の間にか例の小娘が、向う側から席を私の隣へ移して、頻に窓を開けようとしている。が、重い硝子戸は中々思うようにあがらないらしい。あの皸だらけの頬は愈赤くなって、時々鼻洟をすすりこむ音が、小さな息の切れる声と一しょに、せわしなく耳へはいって来る。これは勿論私にも、幾分ながら同情を惹くに足るものには相違なかった。しかし汽車が今将に隧道の口へさしかかろうとしている事は、暮色の中に枯草ばかり明い両側の山腹が、間近く窓側に迫って来たのでも、すぐに合点の行く事であった。にも関らずこの小娘は、わざわざしめてある窓の戸を下そうとする、――その理由が私には呑みこめなかった。いや、それが私には、単にこの小娘の気まぐれだとしか考えられなかった。だから私は腹の底に依然として険しい感情を蓄えながら、あの霜焼けの手が硝子戸を擡げようとして悪戦苦闘する容子を、まるでそれが永久に成功しない事でも祈るような冷酷な眼で眺めていた。すると間もなく凄じい音をはためかせて、汽車が隧道へなだれこむと同時に、小娘の開けようとした硝子戸は、とうとうばたりと下へ落ちた。そうしてその四角な穴の中から、煤を溶したようなどす黒い空気が、俄に息苦しい煙になって、濛々と車内へ漲り出した。元来咽喉を害していた私は、手巾を顔に当てる暇さえなく、この煙を満面に浴びせられたおかげで、殆息もつけない程咳きこまなければならなかった。が、小娘は私に頓着する気色も見えず、窓から外へ首をのばして、闇を吹く風に銀杏返しの鬢の毛を戦がせながら、じっと汽車の進む方向を見やっている。その姿を煤煙と電燈の光との中に眺めた時、もう窓の外が見る見る明くなって、そこから土の匂や枯草の匂や水の匂が冷かに流れこんで来なかったなら、漸咳きやんだ私は、この見知らない小娘を頭ごなしに叱りつけてでも、又元の通り窓の戸をしめさせたのに相違なかったのである。
しかし汽車はその時分には、もう安々と隧道を辷りぬけて、枯草の山と山との間に挟まれた、或貧しい町はずれの踏切りに通りかかっていた。踏切りの近くには、いずれも見すぼらしい藁屋根や瓦屋根がごみごみと狭苦しく建てこんで、踏切り番が振るのであろう、唯一旒のうす白い旗が懶げに暮色を揺っていた。やっと隧道を出たと思う――その時その蕭索とした踏切りの柵の向うに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立っているのを見た。彼等は皆、この曇天に押しすくめられたかと思う程、揃って背が低かった。そうして又この町はずれの陰惨たる風物と同じような色の着物を着ていた。それが汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反らせて、何とも意味の分らない喊声を一生懸命に迸らせた。するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。私は思わず息を呑んだ。そうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾顆の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。
暮色を帯びた町はずれの踏切りと、小鳥のように声を挙げた三人の子供たちと、そうしてその上に乱落する鮮な蜜柑の色と――すべては汽車の窓の外に、瞬く暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ない程はっきりと、この光景が焼きつけられた。そうしてそこから、或得体の知れない朗な心もちが湧き上って来るのを意識した。私は昂然と頭を挙げて、まるで別人を見るようにあの小娘を注視した。小娘は何時かもう私の前の席に返って、相不変皸だらけの頬を萌黄色の毛糸の襟巻に埋めながら、大きな風呂敷包みを抱えた手に、しっかりと三等切符を握っている。…………
私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。 | 底本:「蜘蛛の糸・杜子春」新潮文庫、新潮社
1968(昭和43)年11月15日発行
1988(平成元)年5月30日46刷
入力:蒋龍
校正:noriko saito
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "043017",
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"初出": "「新潮」1919(大正8)年5月",
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"生年月日": "1892-03-01",
"没年月日": "1927-07-24",
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"底本名1": "蜘蛛の糸・杜子春",
"底本出版社名1": "新潮文庫、新潮社",
"底本初版発行年1": "1968(昭和43)年11月15日",
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講堂で、罹災民慰問会の開かれる日の午後。一年の丙組(当日はここを、僕ら――卒業生と在校生との事務所にした)の教室をはいると、もう上原君と岩佐君とが、部屋のまん中へ机をすえて、何かせっせと書いていた。うつむいた上原君の顔が、窓からさす日の光で赤く見える。入口に近い机の上では、七条君や下村君やその他僕が名を知らない卒業生諸君が、寄附の浴衣やら手ぬぐいやら晒布やら浅草紙やらを、罹災民に分配する準備に忙しい。紺飛白が二人でせっせと晒布をたたんでは手ぬぐいの大きさに截っている。それを、茶の小倉の袴が、せっせと折目をつけては、行儀よく積み上げている。向こうのすみでは、原君や小野君が机の上に塩せんべいの袋をひろげてせっせと数を勘定している。
依田君もそのかたわらで、大きな餡パンの袋をあけてせっせと「ええ五つ、十う、二十」をやっているのが見える。なにしろ、塩せんべいと餡パンとを合わせると、四円ばかりになるんだから、三人とも少々、勘定には辟易しているらしい。
教壇の方を見ると、繩でくくった浅草紙や、手ぬぐいの截らないのが、雑然として取乱された中で、平塚君や国富君や清水君が、黒板へ、罹災民の数やら塩せんべいの数やらを書いてせっせと引いたり割ったりしている。急いで書くせいか、数字までせっせと忙しそうなかっこうをしているから、おかしい。そうすると広瀬先生がおいでになる。ちょっと、二言三言話して、すぐまたせっせと出ていらっしゃる。そのうちにパンが足りなくなって、せっせと買い足しにやる。せっせと先生の所へ通信部を開く交渉に行く。開成社へ電話をかけてせっせとはがきを取寄せる。誰でも皆せっせとやる。何をやるのでもせっせとやる。その代わり埓のあくことおびただしい。窓から外を見ると運動場は、処々に水のひいた跡の、じくじくした赤土を残して、まだ、壁土を溶かしたような色をした水が、八月の青空を映しながら、とろりと動かずにたたえている。その水の中を、やせた毛の長い黒犬が、鼻を鳴らしながら、ぐしょぬれになって、かけてゆく。犬まで、生意気にせっせと忙しそうな気がする。
慰問会が開かれたのは三時ごろである。
鼠色の壁と、不景気なガラス窓とに囲まれた、伽藍のような講堂には、何百人かの罹災民諸君が、雑然として、憔悴した顔を並べていた。垢じみた浴衣で、肌っこに白雲のある男の児をおぶった、おかみさんもあった。よごれた、薄い縕袍に手ぬぐいの帯をしめた、目のただれた、おばあさんもあった。白いメリヤスのシャツと下ばきばかりの若い男もあった。大きなかぎ裂きのある印半纏に、三尺をぐるぐるまきつけた、若い女もあった。色のさめた赤毛布を腰のまわりにまいた、鼻の赤いおじいさんもあった。そうしてこれらの人々が皆、黄ばんだ、弾力のない顔を教壇の方へ向けていた。教壇の上では蓄音機が、鼻くたのような声を出してかっぽれか何かやっていた。
蓄音機がすむと、伊津野氏の開会の辞があった。なんでも、かなり長いものであったが、おきのどくなことには今はすっかり忘れてしまった。そのあとで、また蓄音機が一くさりすむと、貞水の講談「かちかち甚兵衛」がはじまった。にぎやかな笑い顔が、そこここに起る。こんな笑い声もこれらの人々には幾日ぶりかで、口に上ったのであろう。学校の慰問会をひらいたのも、この笑い声を聞くためではなかろうか。ガラス窓から長方形の青空をながめながら、この笑い声を聞いていると、ものとなく悲しい感じが胸に迫る。
講談がおわるとほどなく、会が閉じられた。そうして罹災民諸君は狭い入口から、各の室へ帰って行く。その途中の廊下に待っていて、僕たちは、おとなの諸君には、ビスケットの袋を、少年少女の諸君には、塩せんべいと餡パンとを、呈上した。区役所の吏員や、白服の若い巡査が「お礼を言って、お礼を言って」と注意するので、罹災民諸君はいちいちていねいに頭をさげられる。中でも十一、二の赤い帯をしめた、小さな女の子が、「お礼を言って」と言われるとぴったり床の上に膝をついて、僕たちのくつであるく、あの砂だらけの床板に額をつけて、「ありがとう」と言われた時には、思わず、ほろりとさせられてしまった。
慰問会がおわるとすぐに、事務室で通信部を開始する。手紙を書けない人々のために書いてあげる設備である。原君と小野君と僕とが同じ机で書く。あの事務室の廊下に面した、ガラス障子をはずして、中へ図書室の細長い机と、講堂にあるベンチとを持ちこんで、それに三人で尻をすえたのである。外の壁へは、高田先生に書いていただいた、「ただで、手紙を書いてあげます」という貼紙をしたので、直ちに多くの人々がこの窓の外に群がった。いよいよはがきに鉛筆を走らせるまでには、どうにか文句ができるだろうくらいな、おうちゃくな根性ですましていたが、こうなってみると、いくら「候間」や「候段」や「乍憚御休神下され度」でこじつけていっても、どうにもこうにも、いかなくなってきた。二、三人目に僕の所へ来たおじいさんだったが、聞いてみると、なんでも小松川のなんとか病院の会計の叔父の妹の娘が、そのおじいさんの姉の倅の嫁の里の分家の次男にかたづいていて、小松川の水が出たから、そのおじいさんの姉の倅の嫁の里の分家の次男の里でも、昔から世話になった主人の倅が持っている水車小屋へ、どうとかしたところが、その病院の会計の叔父の妹がどうとかしたから、見合わせてそのじいの倅の友だちの叔父の神田の猿楽町に錠前なおしの家へどうとかしたとか、なんとか言うので、何度聞き直しても、八幡の藪でも歩いているように、さっぱり要領が得られないので弱っちまった。いまだに、あの時のことを考えると、はがきへどんなことを書いたんだか、いっこう判然しない。これは原君の所へ来た、おばあさんだが、原君が「宛名は」ときくと、平五郎さんだとかなんとか言う。「苗字はなんというんです」と押返して尋ねると、苗字は知らないが平五郎さんで、平五郎さんていえば近所じゅうどこでも知ってるから、苗字なんかなくっても、とどくのに違いないと保証する。さすがの原君も、「ただ平五郎さんじゃあ、とどきますまい」って、恐縮していたが、とうとうさじを投げて、なんとか町なんとか番地平五郎殿と書いてしまった。あれでうまく、平五郎さんの家へとどいたら、いくら平五郎さんでも、よくとどいたもんだと感心するにちがいない。
ことにこっけいなのは、誰の所へ来たんだか忘れたが、宛名に「しようせんじ、のだやすつてん」というやつがあって、誰も漢字に翻訳することができなかった。それでも結局「修善寺野田屋支店」だろうということになったが、こんな和文漢訳の問題が出ればどこの学校の受験者だって落第するにきまっている。
通信部は、日暮れ近くなって閉じた。あのいつもの銀行員が来て月謝を取扱う小さな窓のほうでも、上原君や岩佐君やその他の卒業生諸君が、執筆の労をとってくださった。そうしてこっちも、かれこれ同じ時刻に窓を閉じた。僕たちの帰った時には、あたりがもう薄暗かった。二階の窓からは、淡い火影がさして、白楊の枝から枝にかけてあった洗たく物も、もうすっかり取りこまれていた。
通信部はそれからも、つづいて開いた。前記の諸君を除いて、平塚君、国富君、砂岡君、清水君、依田君、七条君、下村君、その他今は僕が忘れてしまって、ここに表彰する光栄を失したのを悲しむ。幾多の諸君が、熱心に執筆の労をとってくださったのは、特に付記して、前後六百枚のはがきの、このために費されたのが、けっして偶然でないということを表したいと思う。
その翌々日の午後、義捐金の一部をさいてあがなった、四百余の猿股を罹災民諸君に寄贈することになった。皆で、猿股の一ダースを入れた箱を一つずつ持って、部屋部屋を回って歩く。ジプシーのような、脊の低い区役所の吏員が、帳面と引合わせて、一人一人罹災民諸君を呼び出すのを、僕たちが一枚一枚、猿股を渡すという手はずであった。残念なことに、どの部屋で、どんな人がどんなことをしていたか忘れてしまったがただ一つ覚えているのは、五年の丙組の教室へはいった時だったと思う。薄暗いすみっこに、色のさめた、黒い太い縞のある、青毛布が丸くなっていた。始めは、ただ毛布が丸めてあるんだと思ったが、例のジプシーが名まえを呼びはじめると、その毛布がむくむくと動いて、中から灰色の長い髯が出た。それから、眼の濁った赭ら面の老人が出た。そうして最後に、灰色の長く伸びた髪の毛が出た。しばらく僕たちを見ていたがまた眼をつぶった。かたわらへよると酒の香がする。なんとなく、あの毛布の下に、ウォッカの罎でも隠してありそうな気がした。
二階の部屋をまわった平塚君の話では、五年の甲組の教室に狂女がいて、じっとバケツの水を見つめていたそうだ。あの雨じみのある鼠色の壁によりかかって、結び髪の女が、すりきれた毛繻子の帯の間に手を入れながら、うつむいてバケツの水を見ている姿を想像したら、やはり小説めいた感じがした。
猿股を配ってしまった時、前田侯から大きな梅鉢の紋のある長持へ入れた寄付品がたくさん来た。落雁かと思ったら、シャツと腹巻なのだそうである。前田侯だけに、やることが大きいなあと思う。
罹災民諸君が何日ぶりかで、諸君の家へ帰られる日の午前に、僕たちは、僕たちの集めた義捐金の残額を投じて、諸君のために福引を行うことにした。
景品はその前夜に註文した。当日の朝、僕が学校の事務室へ行った時には、もう僕たちの連中が、大ぜい集って、盛んに籤をこしらえていた。うまく紙撚をよれる人が少いので、広瀬先生や正木先生が、手伝ってくださる。僕たちの中では、砂岡君がうまく撚る。僕は「へえ、器用だね」と、感心して見ていた。もちろん僕には撚れない。
事務室の中には、いろんな品物がうずたかく積んであった。前の晩、これを買う時に小野君が、口をきわめて、その効用を保証した亀の子だわしもある。味噌漉の代理が勤まるというなんとか笊もある。羊羹のミイラのような洗たくせっけんもある。草ぼうきもあれば杓子もある。下駄もあれば庖刀もある。赤いべべを着たお人形さんや、ロッペン島のあざらしのような顔をした土細工の犬やいろんなおもちゃもあったが、その中に、五、六本、ブリキの銀笛があったのは蓋し、原君の推奨によって買ったものらしい。景品の説明は、いいかげんにしてやめるが、もう一つ書きたいのは、黄色い、能代塗の箸である。それが何百膳だかこてこてある。あとで何膳ずつかに分ける段になると、その漆臭いにおいが、いつまでも手に残ったので閉口した。ちょっと嗅いでも胸が悪くなる。福引の景品に、能代塗の箸は、孫子の代まで禁物だと、しみじみ悟ったのはこの時である。
籤ができあがると、原君と依田君とが、各室をまわる労をとった。少したつと、もう大ぜい籤を持った人々がやってくる。事務室の向かって右の入口から入れて、ふだんはしめ切ってある、右のとびらをあけて出すことにした。景品はほうきと目笊とせっけんで一組、たわしと何とか笊と杓子で一組、下駄に箸が一膳で一組という割合で、いちばん割の悪いのは、能代塗の臭い箸が一膳で一組である。こいつだけは、僕なら、いくら籤に当っても、ご免をこうむろうと思う。
砂岡君と国富君とが、読み役で、籤を受取っては、いちいち大きな声で読み上げる。中には一家族五人ことごとく、下駄に当った人があった。一家族十人ばかり、ことごとく能代塗の臭い箸に当ったら、こっけいだろうと思ってたが、不幸にして、そういう人はなかったように記憶する。
一回、福引を済ましたあとでも、景品はだいぶん残った。そこで、残った景品のすべてに、空籤を加えて、ふたたび福引を行った。そうしてそれをおわったのはちょうど正午であった。避難民諸君は、もうそろそろ帰りはじめる。中にはていねいにお礼を言いに来る人さえあった。
多大の満足と多少の疲労とを持って、僕たちが何日かを忙しい中に暮らした事務室を去った時、窓から首を出して見たら、泥まみれの砂利の上には、素枯れかかった檜や、たけの低い白楊が、あざやかな短い影を落して、真昼の日が赤々とした鼠色の校舎の羽目には、亜鉛板やほうきがよせかけてあるのが見えた。おおかた明日から、あとそうじが始まるのだろう。
(明治四十三年、東京府立第三中学校学友会雑誌) | 底本:「羅生門・鼻・芋粥」角川文庫、角川書店
1950(昭和25)年10月20日初版発行
1985(昭和60)年11月10日改版38版発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月11日公開
2004年3月10日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000099",
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一
森の中。三人の盗人が宝を争っている。宝とは一飛びに千里飛ぶ長靴、着れば姿の隠れるマントル、鉄でもまっ二つに切れる剣――ただしいずれも見たところは、古道具らしい物ばかりである。
第一の盗人 そのマントルをこっちへよこせ。
第二の盗人 余計な事を云うな。その剣こそこっちへよこせ。――おや、おれの長靴を盗んだな。
第三の盗人 この長靴はおれの物じゃないか? 貴様こそおれの物を盗んだのだ。
第一の盗人 よしよし、ではこのマントルはおれが貰って置こう。
第二の盗人 こん畜生! 貴様なぞに渡してたまるものか。
第一の盗人 よくもおれを撲ったな。――おや、またおれの剣も盗んだな?
第三の盗人 何だ、このマントル泥坊め!
三人の者が大喧嘩になる。そこへ馬に跨った王子が一人、森の中の路を通りかかる。
王子 おいおい、お前たちは何をしているのだ? (馬から下りる)
第一の盗人 何、こいつが悪いのです。わたしの剣を盗んだ上、マントルさえよこせと云うものですから、――
第三の盗人 いえ、そいつが悪いのです。マントルはわたしのを盗んだのです。
第二の盗人 いえ、こいつ等は二人とも大泥坊です。これは皆わたしのものなのですから、――
第一の盗人 嘘をつけ!
第二の盗人 この大法螺吹きめ!
三人また喧嘩をしようとする。
王子 待て待て。たかが古いマントルや、穴のあいた長靴ぐらい、誰がとっても好いじゃないか?
第二の盗人 いえ、そうは行きません。このマントルは着たと思うと、姿の隠れるマントルなのです。
第一の盗人 どんなまた鉄の兜でも、この剣で切れば切れるのです。
第三の盗人 この長靴もはきさえすれば、一飛びに千里飛べるのです。
王子 なるほど、そう云う宝なら、喧嘩をするのももっともな話だ。が、それならば欲張らずに、一つずつ分ければ好いじゃないか?
第二の盗人 そんな事をしてごらんなさい。わたしの首はいつ何時、あの剣に切られるかわかりはしません。
第一の盗人 いえ、それよりも困るのは、あのマントルを着られれば、何を盗まれるか知れますまい。
第二の盗人 いえ、何を盗んだ所が、あの長靴をはかなければ、思うようには逃げられない訣です。
王子 それもなるほど一理窟だな。では物は相談だが、わたしにみんな売ってくれないか? そうすれば心配も入らないはずだから。
第一の盗人 どうだい、この殿様に売ってしまうのは?
第三の盗人 なるほど、それも好いかも知れない。
第二の盗人 ただ値段次第だな。
王子 値段は――そうだ。そのマントルの代りには、この赤いマントルをやろう、これには刺繍の縁もついている。それからその長靴の代りには、この宝石のはいった靴をやろう。この黄金細工の剣をやれば、その剣をくれても損はあるまい。どうだ、この値段では?
第二の盗人 わたしはこのマントルの代りに、そのマントルを頂きましょう。
第一の盗人と第三の盗人 わたしたちも申し分はありません。
王子 そうか。では取り換えて貰おう。
王子はマントル、剣、長靴等を取り換えた後、また馬の上に跨りながら、森の中の路を行きかける。
王子 この先に宿屋はないか?
第一の盗人 森の外へ出さえすれば「黄金の角笛」という宿屋があります。では御大事にいらっしゃい。
王子 そうか。ではさようなら。(去る)
第三の盗人 うまい商売をしたな。おれはあの長靴が、こんな靴になろうとは思わなかった。見ろ。止め金には金剛石がついている。
第二の盗人 おれのマントルも立派な物じゃないか? これをこう着た所は、殿様のように見えるだろう。
第一の盗人 この剣も大した物だぜ。何しろ柄も鞘も黄金だからな。――しかしああやすやす欺されるとは、あの王子も大莫迦じゃないか?
第二の盗人 しっ! 壁に耳あり、徳利にも口だ。まあ、どこかへ行って一杯やろう。
三人の盗人は嘲笑いながら、王子とは反対の路へ行ってしまう。
二
「黄金の角笛」と云う宿屋の酒場。酒場の隅には王子がパンを噛じっている。王子のほかにも客が七八人、――これは皆村の農夫らしい。
宿屋の主人 いよいよ王女の御婚礼があるそうだね。
第一の農夫 そう云う話だ。なんでも御壻になる人は、黒ん坊の王様だと云うじゃないか?
第二の農夫 しかし王女はあの王様が大嫌いだと云う噂だぜ。
第一の農夫 嫌いなればお止しなされば好いのに。
主人 ところがその黒ん坊の王様は、三つの宝ものを持っている。第一が千里飛べる長靴、第二が鉄さえ切れる剣、第三が姿の隠れるマントル、――それを皆献上すると云うものだから、欲の深いこの国の王様は、王女をやるとおっしゃったのだそうだ。
第二の農夫 御可哀そうなのは王女御一人だな。
第一の農夫 誰か王女をお助け申すものはないだろうか?
主人 いや、いろいろの国の王子の中には、そう云う人もあるそうだが、何分あの黒ん坊の王様にはかなわないから、みんな指を啣えているのだとさ。
第二の農夫 おまけに欲の深い王様は、王女を人に盗まれないように、竜の番人を置いてあるそうだ。
主人 何、竜じゃない、兵隊だそうだ。
第一の農夫 わたしが魔法でも知っていれば、まっ先に御助け申すのだが、――
主人 当り前さ、わたしも魔法を知っていれば、お前さんなどに任せて置きはしない。(一同笑い出す)
王子 (突然一同の中へ飛び出しながら)よし心配するな! きっとわたしが助けて見せる。
一同 (驚いたように)あなたが⁈
王子 そうだ、黒ん坊の王などは何人でも来い。(腕組をしたまま、一同を見まわす)わたしは片っ端から退治して見せる。
主人 ですがあの王様には、三つの宝があるそうです。第一には千里飛ぶ長靴、第二には、――
王子 鉄でも切れる剣か? そんな物はわたしも持っている。この長靴を見ろ。この剣を見ろ。この古いマントルを見ろ。黒ん坊の王が持っているのと、寸分も違わない宝ばかりだ。
一同 (再び驚いたように)その靴が⁈ その剣が⁈ そのマントルが⁈
主人 (疑わしそうに)しかしその長靴には、穴があいているじゃありませんか?
王子 それは穴があいている。が、穴はあいていても、一飛びに千里飛ばれるのだ。
主人 ほんとうですか?
王子 (憐むように)お前には嘘だと思われるかも知れない。よし、それならば飛んで見せる。入口の戸をあけて置いてくれ。好いか。飛び上ったと思うと見えなくなるぞ。
主人 その前に御勘定を頂きましょうか?
王子 何、すぐに帰って来る。土産には何を持って来てやろう。イタリアの柘榴か、イスパニアの真桑瓜か、それともずっと遠いアラビアの無花果か?
主人 御土産ならば何でも結構です。まあ飛んで見せて下さい。
王子 では飛ぶぞ。一、二、三!
王子は勢好く飛び上る。が、戸口へも届かない内に、どたりと尻餅をついてしまう。
一同どっと笑い立てる。
主人 こんな事だろうと思ったよ。
第一の農夫 干里どころか、二三間も飛ばなかったぜ。
第二の農夫 何、千里飛んだのさ。一度千里飛んで置いて、また千里飛び返ったから、もとの所へ来てしまったのだろう。
第一の農夫 冗談じゃない。そんな莫迦な事があるものか。
一同大笑いになる。王子はすごすご起き上りながら、酒場の外へ行こうとする。
主人 もしもし御勘定を置いて行って下さい。
王子無言のまま、金を投げる。
第二の農夫 御土産は?
王子 (剣の柄へ手をかける)何だと?
第二の農夫 (尻ごみしながら)いえ、何とも云いはしません。(独り語のように)剣だけは首くらい斬れるかも知れない。
主人 (なだめるように)まあ、あなたなどは御年若なのですから、一先御父様の御国へお帰りなさい。いくらあなたが騒いで見たところが、とても黒ん坊の王様にはかないはしません。とかく人間と云う者は、何でも身のほどを忘れないように慎み深くするのが上分別です。
一同 そうなさい。そうなさい。悪い事は云いはしません。
王子 わたしは何でも、――何でも出来ると思ったのに、(突然涙を落す)お前たちにも恥ずかしい(顔を隠しながら)ああ、このまま消えてもしまいたいようだ。
第一の農夫 そのマントルを着て御覧なさい。そうすれば消えるかも知れません。
王子 畜生!(じだんだを踏む)よし、いくらでも莫迦にしろ。わたしはきっと黒ん坊の王から可哀そうな王女を助けて見せる。長靴は千里飛ばれなかったが、まだ剣もある。マントルも、――(一生懸命に)いや、空手でも助けて見せる。その時に後悔しないようにしろ。(気違いのように酒場を飛び出してしまう。)
主人 困ったものだ、黒ん坊の王様に殺されなければ好いが、――
三
王城の庭。薔薇の花の中に噴水が上っている。始は誰もいない。しばらくの後、マントルを着た王子が出て来る。
王子 やはりこのマントルは着たと思うと、たちまち姿が隠れると見える。わたしは城の門をはいってから、兵卒にも遇えば腰元にも遇った。が、誰も咎めたものはない。このマントルさえ着ていれば、この薔薇を吹いている風のように、王女の部屋へもはいれるだろう。――おや、あそこへ歩いて来たのは、噂に聞いた王女じゃないか? どこかへ一時身を隠してから、――何、そんな必要はない、わたしはここに立っていても、王女の眼には見えないはずだ。
王女は噴水の縁へ来ると、悲しそうにため息をする。
王女 わたしは何と云う不仕合せなのだろう。もう一週間もたたない内に、あの憎らしい黒ん坊の王は、わたしをアフリカへつれて行ってしまう。
獅子や鰐のいるアフリカへ、(そこの芝の上に坐りながら)わたしはいつまでもこの城にいたい。この薔薇の花の中に、噴水の音を聞いていたい。……
王子 何と云う美しい王女だろう。わたしはたとい命を捨てても、この王女を助けて見せる。
王女 (驚いたように王子を見ながら)誰です、あなたは?
王子 (独り語のように)しまった! 声を出したのは悪かったのだ!
王女 声を出したのが悪い? 気違いかしら? あんな可愛い顔をしているけれども、――
王子 顔? あなたにはわたしの顔が見えるのですか?
王女 見えますわ。まあ、何を不思議そうに考えていらっしゃるの?
王子 このマントルも見えますか?
王女 ええ、ずいぶん古いマントルじゃありませんか?
王子 (落胆したように)わたしの姿は見えないはずなのですがね。
王女 (驚いたように)どうして?
王子 これは一度着さえすれば、姿が隠れるマントルなのです。
王女 それはあの黒ん坊の王のマントルでしょう。
王子 いえ、これもそうなのです。
王女 だって姿が隠れないじゃありませんか?
王子 兵卒や腰元に遇った時は、確かに姿が隠れたのですがね。その証拠には誰に遇っても、咎められた事がなかったのですから。
王女 (笑い出す)それはそのはずですわ。そんな古いマントルを着ていらっしゃれば下男か何かと思われますもの。
王子 下男!(落胆したように坐ってしまう)やはりこの長靴と同じ事だ。
王女 その長靴もどうかしましたの?
王子 これも千里飛ぶ長靴なのです。
王女 黒ん坊の王の長靴のように?
王子 ええ、――ところがこの間飛んで見たら、たった二三間も飛べないのです。御覧なさい。まだ剣もあります。これは鉄でも切れるはずなのですが、――
王女 何か切って御覧になって?
王子 いえ、黒ん坊の王の首を斬るまでは、何も斬らないつもりなのです。
王女 あら、あなたは黒ん坊の王と、腕競べをなさりにいらしったの?
王子 いえ、腕競べなどに来たのじゃありません。あなたを助けに来たのです。
王女 ほんとうに?
王子 ほんとうです。
王女 まあ、嬉しい!
突然黒ん坊の王が現れる。王子と王女とはびっくりする。
黒ん坊の王 今日は。わたしは今アフリカから、一飛びに飛んで来たのです。どうです、わたしの長靴の力は?
王女 (冷淡に)ではもう一度アフリカへ行っていらっしゃい。
王 いや、今日はあなたと一しょに、ゆっくり御話がしたいのです。(王子を見る)誰ですか、その下男は?
王子 下男?(腹立たしそうに立ち上る)わたしは王子です。王女を助けに来た王子です。わたしがここにいる限りは、指一本も王女にはささせません。
王 (わざと叮嚀に)わたしは三つの宝を持っています。あなたはそれを知っていますか?
王子 剣と長靴とマントルですか? なるほどわたしの長靴は一町も飛ぶ事は出来ません。しかし王女と一しょならば、この長靴をはいていても、千里や二千里は驚きません。またこのマントルを御覧なさい。わたしが下男と思われたため、王女の前へも来られたのは、やはりマントルのおかげです。これでも王子の姿だけは、隠す事が出来たじゃありませんか?
王 (嘲笑う)生意気な! わたしのマントルの力を見るが好い。(マントルを着る。同時に消え失せる)
王女 (手を打ちながら)ああ、もう消えてしまいました。わたしはあの人が消えてしまうと、ほんとうに嬉しくてたまりませんわ。
王子 ああ云うマントルも便利ですね。ちょうどわたしたちのために出来ているようです。
王 (突然また現われる。忌々しそうに)そうです。あなた方のために出来ているようなものです。わたしには役にも何にもたたない。(マントルを投げ捨てる)しかしわたしは剣を持っている。(急に王子を睨みながら)あなたはわたしの幸福を奪うものだ。さあ尋常に勝負をしよう。わたしの剣は鉄でも切れる。あなたの首位は何でもない。(剣を抜く)
王女 (立ち上るが早いか、王子をかばう)鉄でも切れる剣ならば、わたしの胸も突けるでしょう。さあ、一突きに突いて御覧なさい。
王 (尻ごみをしながら)いや、あなたは斬れません。
王女 (嘲るように)まあ、この胸も突けないのですか? 鉄でも斬れるとおっしゃった癖に!
王子 お待ちなさい。(王女を押し止めながら)王の云う事はもっともです。王の敵はわたしですから、尋常に勝負をしなければなりません。(王に)さあ、すぐに勝負をしよう。(剣を抜く)
王 年の若いのに感心な男だ。好いか? わたしの剣にさわれば命はないぞ。
王と王子と剣を打ち合せる。するとたちまち王の剣は、杖か何か切るように、王子の剣を切ってしまう。
王 どうだ?
王子 剣は切られたのに違いない。が、わたしはこの通り、あなたの前でも笑っている。
王 ではまだ勝負を続ける気か?
王子 あたり前だ。さあ、来い。
王 もう勝負などはしないでも好い。(急に剣を投げ捨てる)勝ったのはあなただ。わたしの剣などは何にもならない。
王子 (不思議そうに王を見る)なぜ?
王 なぜ? わたしはあなたを殺した所が、王女にはいよいよ憎まれるだけだ。あなたにはそれがわからないのか?
王子 いや、わたしにはわかっている。ただあなたにはそんな事も、わかっていなそうな気がしたから。
王 (考えに沈みながら)わたしには三つの宝があれば、王女も貰えると思っていた。が、それは間違いだったらしい。
王子 (王の肩に手をかけながら)わたしも三つの宝があれば、王女を助けられると思っていた。が、それも間違いだったらしい。
王 そうだ。我々は二人とも間違っていたのだ。(王子の手を取る)さあ、綺麗に仲直りをしましょう。わたしの失礼は赦して下さい。
王子 わたしの失礼も赦して下さい。今になって見ればわたしが勝ったか、あなたが勝ったかわからないようです。
王 いや、あなたはわたしに勝った。わたしはわたし自身に勝ったのです。(王女に)わたしはアフリカへ帰ります。どうか御安心なすって下さい。王子の剣は鉄を切る代りに、鉄よりももっと堅い、わたしの心を刺したのです。わたしはあなた方の御婚礼のために、この剣と長靴と、それからあのマントルと、三つの宝をさし上げましょう。もうこの三つの宝があれば、あなた方二人を苦しめる敵は、世界にないと思いますが、もしまた何か悪いやつがあったら、わたしの国へ知らせて下さい。わたしはいつでもアフリカから、百万の黒ん坊の騎兵と一しょに、あなた方の敵を征伐に行きます。(悲しそうに)わたしはあなたを迎えるために、アフリカの都のまん中に、大理石の御殿を建てて置きました。その御殿のまわりには、一面の蓮の花が咲いているのです。(王子に)どうかあなたはこの長靴をはいたら、時々遊びに来て下さい。
王子 きっと御馳走になりに行きます。
王女 (黒ん坊の王の胸に、薔薇の花をさしてやりながら)わたしはあなたにすまない事をしました。あなたがこんな優しい方だとは、夢にも知らずにいたのです。どうかかんにんして下さい。ほんとうにわたしはすまない事をしました。(王の胸にすがりながら、子供のように泣き始める)
王 (王女の髪を撫でながら)有難う。よくそう云ってくれました。わたしも悪魔ではありません。悪魔も同様な黒ん坊の王は御伽噺にあるだけです。(王子に)そうじゃありませんか?
王子 そうです。(見物に向いながら)皆さん! 我々三人は目がさめました。悪魔のような黒ん坊の王や、三つの宝を持っている王子は、御伽噺にあるだけなのです。我々はもう目がさめた以上、御伽噺の中の国には、住んでいる訣には行きません。我々の前には霧の奥から、もっと広い世界が浮んで来ます。我々はこの薔薇と噴水との世界から、一しょにその世界へ出て行きましょう。もっと広い世界! もっと醜い、もっと美しい、――もっと大きい御伽噺の世界! その世界に我々を待っているものは、苦しみかまたは楽しみか、我々は何も知りません。ただ我々はその世界へ、勇ましい一隊の兵卒のように、進んで行く事を知っているだけです。
(大正十一年十二月) | 底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~11月刊行
入力:j.utiyama
校正:多羅尾伴内
2004年1月5日作成
2010年11月4日修正
青空文庫作成ファイル:
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一 なぜファウストは悪魔に出会ったか?
ファウストは神に仕えていた。従って林檎はこういう彼にはいつも「智慧の果」それ自身だった。彼は林檎を見る度に地上楽園を思い出したり、アダムやイヴを思い出したりしていた。
しかし或雪上りの午後、ファウストは林檎を見ているうちに一枚の油画を思い出した。それはどこかの大伽藍にあった、色彩の水々しい油画だった。従って林檎はこの時以来、彼には昔の「智慧の果」の外にも近代の「静物」に変り出した。
ファウストは敬虔の念のためか、一度も林檎を食ったことはなかった。が或嵐の烈しい夜、ふと腹の減ったのを感じ、一つの林檎を焼いて食うことにした。林檎は又この時以来、彼には食物にも変り出した。従って彼は林檎を見る度に、モオゼの十戒を思い出したり、油の絵具の調合を考えたり、胃袋の鳴るのを感じたりしていた。
最後に或薄ら寒い朝、ファウストは林檎を見ているうちに突然林檎も商人には商品であることを発見した。現に又それは十二売れば、銀一枚になるのに違いなかった。林檎はもちろんこの時以来、彼には金銭にも変り出した。
或どんより曇った午後、ファウストはひとり薄暗い書斎に林檎のことを考えていた。林檎とは一体何であるか?――それは彼には昔のように手軽には解けない問題だった。彼は机に向ったまま、いつかこの謎を口にしていた。
「林檎とは一体何であるか?」
すると、か細い黒犬が一匹、どこからか書斎へはいって来た。のみならずその犬は身震いをすると、忽ち一人の騎士に変り、丁寧にファウストにお時宜をした。――
なぜファウストは悪魔に出会ったか?――それは前に書いた通りである。しかし悪魔に出会ったことはファウストの悲劇の五幕目ではない。或寒さの厳しい夕、ファウストは騎士になった悪魔と一しょに林檎の問題を論じながら、人通りの多い街を歩いて行った。すると痩せ細った子供が一人、顔中涙に濡らしたまま貧しい母親の手をひっぱっていた。
「あの林檎を買っておくれよう!」
悪魔はちょっと足を休め、ファウストにこの子供を指し示した。
「あの林檎を御覧なさい。あれは拷問の道具ですよ。」
ファウストの悲劇はこういう言葉にやっと五幕目の幕を挙げはじめたのである。
二 なぜソロモンはシバの女王とたった一度しか会わなかったか?
ソロモンは生涯にたった一度シバの女王に会っただけだった。それは何もシバの女王が遠い国にいたためではなかった。タルシシの船や、ヒラムの船は三年に一度金銀や象牙や猿や孔雀を運んで来た。が、ソロモンの使者の駱駝はエルサレムを囲んだ丘陵や沙漠を一度もシバの国へ向ったことはなかった。
ソロモンはきょうも宮殿の奥にたった一人坐っていた。ソロモンの心は寂しかった。モアブ人、アンモニ人、エドミ人、シドン人、ヘテ人等の妃たちも彼の心を慰めなかった。彼は生涯に一度会ったシバの女王のことを考えていた。
シバの女王は美人ではなかった。のみならず彼よりも年をとっていた。しかし珍しい才女だった。ソロモンはかの女と問答をするたびに彼の心の飛躍するのを感じた。それはどういう魔術師と星占いの秘密を論じ合う時でも感じたことのない喜びだった。彼は二度でも三度でも、――或は一生の間でもあの威厳のあるシバの女王と話していたいのに違いなかった。
けれどもソロモンは同時に又シバの女王を恐れていた。それはかの女に会っている間は彼の智慧を失うからだった。少くとも彼の誇っていたものは彼の智慧かかの女の智慧か見分けのつかなくなるためだった。ソロモンはモアブ人、アンモニ人、エドミ人、シドン人、ヘテ人等の妃たちを蓄えていた。が、彼女等は何といっても彼の精神的奴隷だった。ソロモンは彼女等を愛撫する時でも、ひそかに彼女等を軽蔑していた。しかしシバの女王だけは時には反って彼自身を彼女の奴隷にしかねなかった。
ソロモンは彼女の奴隷になることを恐れていたのに違いなかった。しかし又一面には喜んでいたのにも違いなかった。この矛盾はいつもソロモンには名状の出来ぬ苦痛だった。彼は純金の獅子を立てた、大きい象牙の玉座の上に度々太い息を洩らした。その息は又何かの拍子に一篇の抒情詩に変ることもあった。
わが愛する者の男の子等の中にあるは
林の樹の中に林檎のあるがごとし。
…………………………………………
その我上に翻したる旗は愛なりき。
請ふ、なんぢら乾葡萄をもてわが力を補へ。
林檎をもて我に力をつけよ。
我は愛によりて疾みわづらふ。
或日の暮、ソロモンは宮殿の露台にのぼり、はるかに西の方を眺めやった。シバの女王の住んでいる国はもちろん見えないのに違いなかった。それは何かソロモンに安心に近い心もちを与えた。しかし又同時にその心もちは悲しみに近いものも与えたのだった。
すると突然幻は誰も見たことのない獣を一匹、入り日の光の中に現じ出した。獣は獅子に似て翼を拡げ、頭を二つ具えていた。しかもその頭の一つはシバの女王の頭であり、もう一つは彼自身の頭だった。頭は二つとも噛み合いながら、不思議にも涙を流していた。幻は暫く漂っていた後、大風の吹き渡る音と一しょに忽ち又空中へ消えてしまった。そのあとには唯かがやかしい、銀の鎖に似た雲が一列、斜めにたなびいているだけだった。
ソロモンは幻の消えた後もじっと露台に佇んでいた。幻の意味は明かだった。たといそれはソロモン以外の誰にもわからないものだったにもせよ。
エルサレムの夜も更けた後、まだ年の若いソロモンは大勢の妃たちや家来たちと一しょに葡萄の酒を飲み交していた。彼の用いる杯や皿はいずれも純金を用いたものだった。しかしソロモンはふだんのように笑ったり話したりする気はなかった。唯きょうまで知らなかった、妙に息苦しい感慨の漲って来るのを感じただけだった。
番紅花の紅なるを咎むる勿れ。
桂枝の匂へるを咎むる勿れ。
されど我は悲しいかな。
番紅花は余りに紅なり。
桂枝は余りに匂ひ高し。
ソロモンはこう歌いながら、大きい竪琴を掻き鳴らした。のみならず絶えず涙を流した。彼の歌は彼に似げない激越の調べを漲らせていた。妃たちや家来たちはいずれも顔を見合せたりした。が、誰もソロモンにこの歌の意味を尋ねるものはなかった。ソロモンはやっと歌い終ると、王冠を頂いた頭を垂れ、暫くはじっと目を閉じていた。それから、――それから急に笑顔を挙げ、妃たちや家来たちとふだんのように話し出した。
タルシシの船やヒラムの船は三年に一度金銀や象牙や猿や孔雀を運んで来た。が、ソロモンの使者の駱駝はエルサレムを囲んだ丘陵や沙漠を一度もシバの国へ向ったことはなかった。
三 なぜロビンソンは猿を飼ったか?
なぜロビンソンは猿を飼ったか? それは彼の目のあたりに彼のカリカチュアを見たかったからである。わたしはよく承知している。銃を抱いたロビンソンはぼろぼろのズボンの膝をかかえながら、いつも猿を眺めてはもの凄い微笑を浮かべていた。鉛色の顔をしかめたまま、憂鬱に空を見上げた猿を。 | 底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館
1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第八卷」岩波書店
1978(昭和53)年3月22日発行
初出:「サンデー毎日 第六年第十五号」
1927(昭和2)年4月1日発行
入力:j.utiyama
校正:多羅尾伴内
2004年1月5日公開
2016年2月25日修正
青空文庫作成ファイル:
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"名ローマ字": "Ryunosuke",
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"生年月日": "1892-03-01",
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"底本の親本名1": "芥川龍之介全集 第八卷",
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1 鼠
一等戦闘艦××の横須賀軍港へはいったのは六月にはいったばかりだった。軍港を囲んだ山々はどれも皆雨のために煙っていた。元来軍艦は碇泊したが最後、鼠の殖えなかったと云うためしはない。――××もまた同じことだった。長雨の中に旗を垂らした二万噸の××の甲板の下にも鼠はいつか手箱だの衣嚢だのにもつきはじめた。
こう云う鼠を狩るために鼠を一匹捉えたものには一日の上陸を許すと云う副長の命令の下ったのは碇泊後三日にならない頃だった。勿論水兵や機関兵はこの命令の下った時から熱心に鼠狩りにとりかかった。鼠は彼等の力のために見る見る数を減らして行った。従って彼等は一匹の鼠も争わない訣には行かなかった。
「この頃みんなの持って来る鼠は大抵八つ裂きになっているぜ。寄ってたかって引っぱり合うものだから。」
ガンルウムに集った将校たちはこんなことを話して笑ったりした。少年らしい顔をしたA中尉もやはり彼等の一人だった。つゆ空に近い人生はのんびりと育ったA中尉にはほんとうには何もわからなかった。が、水兵や機関兵の上陸したがる心もちは彼にもはっきりわかっていた。A中尉は巻煙草をふかしながら、彼等の話にまじる時にはいつもこう云う返事をしていた。
「そうだろうな。おれでも八つ裂きにし兼ねないから。」
彼の言葉は独身者の彼だけに言われるのに違いなかった。彼の友だちのY中尉は一年ほど前に妻帯していたために大抵水兵や機関兵の上にわざと冷笑を浴びせていた。それはまた何ごとにも容易に弱みを見せまいとするふだんの彼の態度にも合していることは確かだった。褐色の口髭の短い彼は一杯の麦酒に酔った時さえ、テエブルの上に頬杖をつき、時々A中尉にこう言ったりしていた。
「どうだ、おれたちも鼠狩をしては?」
ある雨の晴れ上った朝、甲板士官だったA中尉はSと云う水兵に上陸を許可した。それは彼の小鼠を一匹、――しかも五体の整った小鼠を一匹とったためだった。人一倍体の逞しいSは珍しい日の光を浴びたまま、幅の狭い舷梯を下って行った。すると仲間の水兵が一人身軽に舷梯を登りながら、ちょうど彼とすれ違う拍子に常談のように彼に声をかけた。
「おい、輸入か?」
「うん、輸入だ。」
彼等の問答はA中尉の耳にはいらずにはいなかった。彼はSを呼び戻し、甲板の上に立たせたまま、彼等の問答の意味を尋ね出した。
「輸入とは何か?」
Sはちゃんと直立し、A中尉の顔を見ていたものの、明らかにしょげ切っているらしかった。
「輸入とは外から持って来たものであります。」
「何のために外から持って来たか?」
A中尉は勿論何のために持って来たかを承知していた。が、Sの返事をしないのを見ると、急に彼に忌々しさを感じ、力一ぱい彼の頬を擲りつけた。Sはちょっとよろめいたものの、すぐにまた不動の姿勢をした。
「誰が外から持って来たか?」
Sはまた何とも答えなかった。A中尉は彼を見つめながら、もう一度彼の横顔を張りつける場合を想像していた。
「誰だ?」
「わたくしの家内であります。」
「面会に来たときに持って来たのか?」
「はい。」
A中尉は何か心の中に微笑しずにはいられなかった。
「何に入れて持って来たか?」
「菓子折に入れて持って来ました。」
「お前の家はどこにあるのか?」
「平坂下であります。」
「お前の親は達者でいるか?」
「いえ、家内と二人暮らしであります。」
「子供はないのか?」
「はい。」
Sはこう云う問答の中も不安らしい容子を改めなかった。A中尉は彼を立たせて措いたまま、ちょっと横須賀の町へ目を移した。横須賀の町は山々の中にもごみごみと屋根を積み上げていた。それは日の光を浴びていたものの、妙に見すぼらしい景色だった。
「お前の上陸は許可しないぞ。」
「はい。」
SはA中尉の黙っているのを見、どうしようかと迷っているらしかった。が、A中尉は次に命令する言葉を心の中に用意していた。が、しばらく何も言わずに甲板の上を歩いていた。「こいつは罰を受けるのを恐れている。」――そんな気もあらゆる上官のようにA中尉には愉快でないことはなかった。
「もう善い。あっちへ行け。」
A中尉はやっとこう言った。Sは挙手の礼をした後、くるりと彼に後ろを向け、ハッチの方へ歩いて行こうとした。彼は微笑しないように努力しながら、Sの五六歩隔った後、俄かにまた「おい待て」と声をかけた。
「はい。」
Sは咄嗟にふり返った。が、不安はもう一度体中に漲って来たらしかった。
「お前に言いつける用がある。平坂下にはクラッカアを売っている店があるな?」
「はい。」
「あのクラッカアを一袋買って来い。」
「今でありますか?」
「そうだ。今すぐに。」
A中尉は日に焼けたSの頬に涙の流れるのを見のがさなかった。――
それから二三日たった後、A中尉はガンルウムのテエブルに女名前の手紙に目を通していた。手紙は桃色の書簡箋に覚束ないペンの字を並べたものだった。彼は一通り読んでしまうと、一本の巻煙草に火をつけながら、ちょうど前にいたY中尉にこの手紙を投げ渡した。
「何だ、これは? ……『昨日のことは夫の罪にては無之、皆浅はかなるわたくしの心より起りしこと故、何とぞ不悪御ゆるし下され度候。……なおまた御志のほどは後のちまでも忘れまじく』………」
Y中尉は手紙を持ったまま、だんだん軽蔑の色を浮べ出した。それから無愛想にA中尉の顔を見、冷かすように話しかけた。
「善根を積んだと云う気がするだろう?」
「ふん、多少しないこともない。」
A中尉は軽がると受け流したまま、円窓の外を眺めていた。円窓の外に見えるのは雨あしの長い海ばかりだった。しかし彼はしばらくすると、俄かに何かに羞じるようにこうY中尉に声をかけた。
「けれども妙に寂しいんだがね。あいつのビンタを張った時には可哀そうだとも何とも思わなかった癖に。……」
Y中尉はちょっと疑惑とも躊躇ともつかない表情を示した。それから何とも返事をしずにテエブルの上の新聞を読みはじめた。ガンルウムの中には二人のほかにちょうど誰もい合わせなかった。が、テエブルの上のコップにはセロリイが何本もさしてあった。A中尉もこの水々しいセロリイの葉を眺めたまま、やはり巻煙草ばかりふかしていた。こう云う素っ気ないY中尉に不思議にも親しみを感じながら。………
2 三人
一等戦闘艦××はある海戦を終った後、五隻の軍艦を従えながら、静かに鎮海湾へ向って行った。海はいつか夜になっていた。が、左舷の水平線の上には大きい鎌なりの月が一つ赤あかと空にかかっていた。二万噸の××の中は勿論まだ落ち着かなかった。しかしそれは勝利の後だけに活き活きとしていることは確かだった。ただ小心者のK中尉だけはこう云う中にも疲れ切った顔をしながら、何か用を見つけてはわざとそこここを歩きまわっていた。
この海戦の始まる前夜、彼は甲板を歩いているうちにかすかな角燈の光を見つけ、そっとそこへ歩いて行った。するとそこには年の若い軍楽隊の楽手が一人甲板の上に腹ばいになり、敵の目を避けた角燈の光に聖書を読んでいるのであった。K中尉は何か感動し、この楽手に優しい言葉をかけた。楽手はちょいと驚いたらしかった。が、相手の上官の小言を言わないことを発見すると、たちまち女らしい微笑を浮かべ、怯ず怯ず彼の言葉に答え出した。……しかしその若い楽手ももう今ではメエン・マストの根もとに中った砲弾のために死骸になって横になっていた。K中尉は彼の死骸を見た時、俄かに「死は人をして静かならしむ」と云う文章を思い出した。もしK中尉自身も砲弾のために咄嗟に命を失っていたとすれば、――それは彼にはどう云う死よりも幸福のように思われるのだった。
けれどもこの海戦の前の出来事は感じ易いK中尉の心に未だにはっきり残っていた。戦闘準備を整えた一等戦闘艦××はやはり五隻の軍艦を従え、浪の高い海を進んで行った。すると右舷の大砲が一門なぜか蓋を開かなかった。しかももう水平線には敵の艦隊の挙げる煙も幾すじかかすかにたなびいていた。この手ぬかりを見た水兵たちの一人は砲身の上へ跨るが早いか、身軽に砲口まで腹這って行き、両足で蓋を押しあけようとした。しかし蓋をあけることは存外容易には出来ないらしかった。水兵は海を下にしたまま、何度も両足をあがくようにしていた。が、時々顔を挙げては白い歯を見せて笑ったりもしていた。そのうちに××は大うねりに進路を右へ曲げはじめた。同時にまた海は右舷全体へ凄まじい浪を浴びせかけた。それは勿論あっと言う間に大砲に跨った水兵の姿をさらってしまうのに足るものだった。海の中に落ちた水兵は一生懸命に片手を挙げ、何かおお声に叫んでいた。ブイは水兵たちの罵る声と一しょに海の上へ飛んで行った。しかし勿論××は敵の艦隊を前にした以上、ボオトをおろす訣には行かなかった。水兵はブイにとりついたものの、見る見る遠ざかるばかりだった。彼の運命は遅かれ早かれ溺死するのに定まっていた。のみならず鱶はこの海にも決して少いとは言われなかった。……
若い楽手の戦死に対するK中尉の心もちはこの海戦の前の出来事の記憶と対照を作らずにいる訣はなかった。彼は兵学校へはいったものの、いつか一度は自然主義の作家になることを空想していた。のみならず兵学校を卒業してからもモオパスサンの小説などを愛読していた。人生はこう云うK中尉には薄暗い一面を示し勝ちだった。彼は××に乗り組んだ後、エジプトの石棺に書いてあった「人生――戦闘」と云う言葉を思い出し、××の将校や下士卒は勿論、××そのものこそ言葉通りにエジプト人の格言を鋼鉄に組み上げていると思ったりした。従って楽手の死骸の前には何かあらゆる戦いを終った静かさを感じずにはいられなかった。しかしあの水兵のようにどこまでも生きようとする苦しさもたまらないと思わずにはいられなかった。
K中尉は額の汗を拭きながら、せめては風にでも吹かれるために後部甲板のハッチを登って行った。すると十二吋の砲塔の前に綺麗に顔を剃った甲板士官が一人両手を後ろに組んだまま、ぶらぶら甲板を歩いていた。そのまた前には下士が一人頬骨の高い顔を半ば俯向け、砲塔を後ろに直立していた。K中尉はちょっと不快になり、そわそわ甲板士官の側へ歩み寄った。
「どうしたんだ?」
「何、副長の点検前に便所へはいっていたもんだから。」
それは勿論軍艦の中では余り珍らしくない出来事だった。K中尉はそこに腰をおろし、スタンションを取り払った左舷の海や赤い鎌なりの月を眺め出した。あたりは甲板士官の靴の音のほかに人声も何も聞えなかった。K中尉は幾分か気安さを感じ、やっときょうの海戦中の心もちなどを思い出していた。
「もう一度わたくしはお願い致します。善行賞はお取り上げになっても仕かたはありません。」
下士は俄に顔を挙げ、こう甲板士官に話しかけた。K中尉は思わず彼を見上げ、薄暗い彼の顔の上に何か真剣な表情を感じた。しかし快活な甲板士官はやはり両手を組んだまま、静かに甲板を歩きつづけていた。
「莫迦なことを言うな。」
「けれどもここに起立していてはわたくしの部下に顔も合わされません。進級の遅れるのも覚悟しております。」
「進級の遅れるのは一大事だ。それよりそこに起立していろ。」
甲板士官はこう言った後、気軽にまた甲板を歩きはじめた。K中尉も理智的には甲板士官に同意見だった。のみならずこの下士の名誉心を感傷的と思う気もちもない訣ではなかった。が、じっと頭を垂れた下士は妙にK中尉を不安にした。
「ここに起立しているのは恥辱であります。」
下士は低い声に頼みつづけた。
「それはお前の招いたことだ。」
「罰は甘んじて受けるつもりでおります。ただどうか起立していることは」
「ただ恥辱と云う立てまえから見れば、どちらも畢竟同じことじゃないか?」
「しかし部下に威厳を失うのはわたくしとしては苦しいのであります。」
甲板士官は何とも答えなかった。下士は、――下士もあきらめたと見え、「あります」に力を入れたぎり、一言も言わずに佇んでいた。K中尉はだんだん不安になり、(しかもまた一面にはこの下士の感傷主義に欺されまいと云う気もない訣ではなかった。)何か彼のために言ってやりたいのを感じた。しかしその「何か」も口を出た時には特色のない言葉に変っていた。
「静かだな。」
「うん。」
甲板士官はこう答えたなり、今度は顋をなでて歩いていた。海戦の前夜にK中尉に「昔、木村重成は……」などと言い、特に叮嚀に剃っていた顋を。……
この下士は罰をすました後、いつか行方不明になってしまった。が、投身することは勿論当直のある限りは絶対に出来ないのに違いなかった。のみならず自殺の行われ易い石炭庫の中にもいないことは半日とたたないうちに明かになった。しかし彼の行方不明になったことは確かに彼の死んだことだった。彼は母や弟にそれぞれ遺書を残していた。彼に罰を加えた甲板士官は誰の目にも落ち着かなかった。K中尉は小心ものだけに人一倍彼に同情し、K中尉自身の飲まない麦酒を何杯も強いずにはいられなかった。が、同時にまた相手の酔うことを心配しずにもいられなかった。
「何しろあいつは意地っぱりだったからなあ。しかし死ななくっても善いじゃないか?――」
相手は椅子からずり落ちかかったなり、何度もこんな愚痴を繰り返していた。
「おれはただ立っていろと言っただけなんだ。それを何も死ななくったって、……」
××の鎮海湾へ碇泊した後、煙突の掃除にはいった機関兵は偶然この下士を発見した。彼は煙突の中に垂れた一すじの鎖に縊死していた。が、彼の水兵服は勿論、皮や肉も焼け落ちたために下っているのは骸骨だけだった。こう云う話はガンルウムにいたK中尉にも伝わらない訣はなかった。彼はこの下士の砲塔の前に佇んでいた姿を思い出し、まだどこかに赤い月の鎌なりにかかっているように感じた。
この三人の死はK中尉の心にいつまでも暗い影を投げていた。彼はいつか彼等の中に人生全体さえ感じ出した。しかし年月はこの厭世主義者をいつか部内でも評判の善い海軍少将の一人に数えはじめた。彼は揮毫を勧められても、滅多に筆をとり上げたことはなかった。が、やむを得ない場合だけは必ず画帖などにこう書いていた。
君看双眼色
不語似無愁
3 一等戦闘艦××
一等戦闘艦××は横須賀軍港のドックにはいることになった。修繕工事は容易に捗どらなかった。二万噸の××は高い両舷の内外に無数の職工をたからせたまま、何度もいつにない苛立たしさを感じた。が、海に浮かんでいることも蠣にとりつかれることを思えば、むず痒い気もするのに違いなかった。
横須賀軍港には××の友だちの△△も碇泊していた。一万二千噸の△△は××よりも年の若い軍艦だった。彼等は広い海越しに時々声のない話をした。△△は××の年齢には勿論、造船技師の手落ちから舵の狂い易いことに同情していた。が、××を劬るために一度もそんな問題を話し合ったことはなかった。のみならず何度も海戦をして来た××に対する尊敬のためにいつも敬語を用いていた。
するとある曇った午後、△△は火薬庫に火のはいったために俄かに恐しい爆声を挙げ、半ば海中に横になってしまった。××は勿論びっくりした。(もっとも大勢の職工たちはこの××の震えたのを物理的に解釈したのに違いなかった。)海戦もしない△△の急に片輪になってしまう、――それは実際××にはほとんど信じられないくらいだった。彼は努めて驚きを隠し、はるかに△△を励したりした。が、△△は傾いたまま、炎や煙の立ち昇る中にただ唸り声を立てるだけだった。
それから三四日たった後、二万噸の××は両舷の水圧を失っていたためにだんだん甲板も乾割れはじめた。この容子を見た職工たちはいよいよ修繕工事を急ぎ出した。が、××はいつの間にか彼自身を見離していた。△△はまだ年も若いのに目の前の海に沈んでしまった。こう云う△△の運命を思えば、彼の生涯は少くとも喜びや苦しみを嘗め尽していた。××はもう昔になったある海戦の時を思い出した。それは旗もずたずたに裂ければ、マストさえ折れてしまう海戦だった。……
二万噸の××は白じらと乾いたドックの中に高だかと艦首を擡げていた。彼の前には巡洋艦や駆逐艇が何隻も出入していた。それから新らしい潜航艇や水上飛行機も見えないことはなかった。しかしそれ等は××には果なさを感じさせるばかりだった。××は照ったり曇ったりする横須賀軍港を見渡したまま、じっと彼の運命を待ちつづけていた。その間もやはりおのずから甲板のじりじり反り返って来るのに幾分か不安を感じながら。……
(昭和二年六月十日) | 底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~11月刊行
入力:j.utiyama
校正:多羅尾伴内
2004年1月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001125",
"作品名": "三つの窓",
"作品名読み": "みっつのまど",
"ソート用読み": "みつつのまと",
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"初出": "「改造」1927(昭和2)年7月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2004-01-30T00:00:00",
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"名": "竜之介",
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ある冬の夜、私は旧友の村上と一しょに、銀座通りを歩いていた。
「この間千枝子から手紙が来たっけ。君にもよろしくと云う事だった。」
村上はふと思い出したように、今は佐世保に住んでいる妹の消息を話題にした。
「千枝子さんも健在だろうね。」
「ああ、この頃はずっと達者のようだ。あいつも東京にいる時分は、随分神経衰弱もひどかったのだが、――あの時分は君も知っているね。」
「知っている。が、神経衰弱だったかどうか、――」
「知らなかったかね。あの時分の千枝子と来た日には、まるで気違いも同様さ。泣くかと思うと笑っている。笑っているかと思うと、――妙な話をし出すのだ。」
「妙な話?」
村上は返事をする前に、ある珈琲店の硝子扉を押した。そうして往来の見える卓子に私と向い合って腰を下した。
「妙な話さ。君にはまだ話さなかったかしら。これはあいつが佐世保へ行く前に、僕に話して聞かせたのだが。――」
君も知っている通り、千枝子の夫は欧洲戦役中、地中海方面へ派遣された「A――」の乗組将校だった。あいつはその留守の間、僕の所へ来ていたのだが、いよいよ戦争も片がつくと云う頃から、急に神経衰弱がひどくなり出したのだ。その主な原因は、今まで一週間に一度ずつはきっと来ていた夫の手紙が、ぱったり来なくなったせいかも知れない。何しろ千枝子は結婚後まだ半年と経たない内に、夫と別れてしまったのだから、その手紙を楽しみにしていた事は、遠慮のない僕さえひやかすのは、残酷な気がするくらいだった。
ちょうどその時分の事だった。ある日、――そうそう、あの日は紀元節だっけ。何でも朝から雨の降り出した、寒さの厳しい午後だったが、千枝子は久しぶりに鎌倉へ、遊びに行って来ると云い出した。鎌倉にはある実業家の細君になった、あいつの学校友だちが住んでいる。――そこへ遊びに行くと云うのだが、何もこの雨の降るのに、わざわざ鎌倉くんだりまで遊びに行く必要もないと思ったから、僕は勿論僕の妻も、再三明日にした方が好くはないかと云って見た。しかし千枝子は剛情に、どうしても今日行きたいと云う。そうしてしまいには腹を立てながら、さっさと支度して出て行ってしまった。
事によると今日は泊って来るから、帰りは明日の朝になるかも知れない。――そう云ってあいつは出て行ったのだが、しばらくすると、どうしたのだかぐっしょり雨に濡れたまま、まっ蒼な顔をして帰って来た。聞けば中央停車場から濠端の電車の停留場まで、傘もささずに歩いたのだそうだ。では何故またそんな事をしたのだと云うと、――それが妙な話なのだ。
千枝子が中央停車場へはいると、――いや、その前にまだこう云う事があった。あいつが電車へ乗った所が、生憎客席が皆塞がっている。そこで吊り革にぶら下っていると、すぐ眼の前の硝子窓に、ぼんやり海の景色が映るのだそうだ。電車はその時神保町の通りを走っていたのだから、無論海の景色なぞが映る道理はない。が、外の往来の透いて見える上に、浪の動くのが浮き上っている。殊に窓へ雨がしぶくと、水平線さえかすかに煙って見える。――と云う所から察すると、千枝子はもうその時に、神経がどうかしていたのだろう。
それから、中央停車場へはいると、入口にいた赤帽の一人が、突然千枝子に挨拶をした。そうして「旦那様はお変りもございませんか。」と云った。これも妙だったには違いない。が、さらに妙だった事は、千枝子がそう云う赤帽の問を、別に妙とも思わなかった事だ。「難有う。ただこの頃はどうなすったのだか、さっぱり御便りが来ないのでね。」――そう千枝子は赤帽に、返事さえもしたと云うのだ。すると赤帽はもう一度「では私が旦那様にお目にかかって参りましょう。」と云った。御目にかかって来ると云っても、夫は遠い地中海にいる。――と思った時、始めて千枝子は、この見慣れない赤帽の言葉が、気違いじみているのに気がついたのだそうだ。が、問い返そうと思う内に、赤帽はちょいと会釈をすると、こそこそ人ごみの中に隠れてしまった。それきり千枝子はいくら探して見ても、二度とその赤帽の姿が見当らない。――いや、見当らないと云うよりも、今まで向い合っていた赤帽の顔が、不思議なほど思い出せないのだそうだ。だから、あの赤帽の姿が見当らないと同時に、どの赤帽も皆その男に見える。そうして千枝子にはわからなくても、あの怪しい赤帽が、絶えずこちらの身のまわりを監視していそうな心もちがする。こうなるともう鎌倉どころか、そこにいるのさえ何だか気味が悪い。千枝子はとうとう傘もささずに、大降りの雨を浴びながら、夢のように停車場を逃げ出して来た。――勿論こう云う千枝子の話は、あいつの神経のせいに違いないが、その時風邪を引いたのだろう。翌日からかれこれ三日ばかりは、ずっと高い熱が続いて、「あなた、堪忍して下さい。」だの、「何故帰っていらっしゃらないんです。」だの、何か夫と話しているらしい譫言ばかり云っていた。が、鎌倉行きの祟りはそればかりではない。風邪がすっかり癒った後でも、赤帽と云う言葉を聞くと、千枝子はその日中ふさぎこんで、口さえ碌に利かなかったものだ。そう云えば一度なぞは、どこかの回漕店の看板に、赤帽の画があるのを見たものだから、あいつはまた出先まで行かない内に、帰って来たと云う滑稽もあった。
しかしかれこれ一月ばかりすると、あいつの赤帽を怖がるのも、大分下火になって来た。「姉さん。何とか云う鏡花の小説に、猫のような顔をした赤帽が出るのがあったでしょう。私が妙な目に遇ったのは、あれを読んでいたせいかも知れないわね。」――千枝子はその頃僕の妻に、そんな事も笑って云ったそうだ。ところが三月の幾日だかには、もう一度赤帽に脅かされた。それ以来夫が帰って来るまで、千枝子はどんな用があっても、決して停車場へは行った事がない。君が朝鮮へ立つ時にも、あいつが見送りに来なかったのは、やはり赤帽が怖かったのだそうだ。
その三月の幾日だかには、夫の同僚が亜米利加から、二年ぶりに帰って来る。――千枝子はそれを出迎えるために、朝から家を出て行ったが、君も知っている通り、あの界隈は場所がらだけに、昼でも滅多に人通りがない。その淋しい路ばたに、風車売りの荷が一台、忘れられたように置いてあった。ちょうど風の強い曇天だったから、荷に挿した色紙の風車が、皆目まぐるしく廻っている。――千枝子はそう云う景色だけでも、何故か心細い気がしたそうだが、通りがかりにふと眼をやると、赤帽をかぶった男が一人、後向きにそこへしゃがんでいた。勿論これは風車売が、煙草か何かのんでいたのだろう。しかしその帽子の赤い色を見たら、千枝子は何だか停車場へ行くと、また不思議でも起りそうな、予感めいた心もちがして、一度は引き返してしまおうかとも、考えたくらいだったそうだ。
が、停車場へ行ってからも、出迎えをすませてしまうまでは、仕合せと何事も起らなかった。ただ、夫の同僚を先に、一同がぞろぞろ薄暗い改札口を出ようとすると、誰かあいつの後から、「旦那様は右の腕に、御怪我をなすっていらっしゃるそうです。御手紙が来ないのはそのためですよ。」と、声をかけるものがあった。千枝子は咄嗟にふり返って見たが、後には赤帽も何もいない。いるのはこれも見知り越しの、海軍将校の夫妻だけだった。無論この夫妻が唐突とそんな事をしゃべる道理もないから、声がした事は妙と云えば、確かに妙に違いなかった。が、ともかく、赤帽の見えないのが、千枝子には嬉しい気がしたのだろう。あいつはそのまま改札口を出ると、やはりほかの連中と一しょに、夫の同僚が車寄せから、自動車に乗るのを送りに行った。するともう一度後から、「奥様、旦那様は来月中に、御帰りになるそうですよ。」と、はっきり誰かが声をかけた。その時も千枝子はふり向いて見たが、後には出迎えの男女のほかに、一人も赤帽は見えなかった。しかし後にはいないにしても、前には赤帽が二人ばかり、自動車に荷物を移している。――その一人がどう思ったか、途端にこちらを見返りながら、にやりと妙に笑って見せた。千枝子はそれを見た時には、あたりの人目にも止まったほど、顔色が変ってしまったそうだ。が、あいつが心を落ち着けて見ると、二人だと思った赤帽は、一人しか荷物を扱っていない。しかもその一人は今笑ったのと、全然別人に違いないのだ。では今笑った赤帽の顔は、今度こそ見覚えが出来たかと云うと、不相変記憶がぼんやりしている。いくら一生懸命に思い出そうとしても、あいつの頭には赤帽をかぶった、眼鼻のない顔より浮んで来ない。――これが千枝子の口から聞いた、二度目の妙な話なのだ。
その後一月ばかりすると、――君が朝鮮へ行ったのと、確か前後していたと思うが、実際夫が帰って来た。右の腕を負傷していたために、しばらく手紙が書けなかったと云う事も、不思議にやはり事実だった。「千枝子さんは旦那様思いだから、自然とそんな事がわかったのでしょう。」――僕の妻なぞはその当座、こう云ってはあいつをひやかしたものだ。それからまた半月ばかりの後、千枝子夫婦は夫の任地の佐世保へ行ってしまったが、向うへ着くか着かないのに、あいつのよこした手紙を見ると、驚いた事には三度目の妙な話が書いてある。と云うのは千枝子夫婦が、中央停車場を立った時に、夫婦の荷を運んだ赤帽が、もう動き出した汽車の窓へ、挨拶のつもりか顔を出した。その顔を一目見ると、夫は急に変な顔をしたが、やがて半ば恥かしそうに、こう云う話をし出したそうだ。――夫がマルセイユに上陸中、何人かの同僚と一しょに、あるカッフェへ行っていると、突然日本人の赤帽が一人、卓子の側へ歩み寄って、馴々しく近状を尋ねかけた。勿論マルセイユの往来に、日本人の赤帽なぞが、徘徊しているべき理窟はない。が、夫はどう云う訳か格別不思議とも思わずに、右の腕を負傷した事や帰期の近い事なぞを話してやった。その内に酔っている同僚の一人が、コニャックの杯をひっくり返した。それに驚いてあたりを見ると、いつのまにか日本人の赤帽は、カッフェから姿を隠していた。一体あいつは何だったろう。――そう今になって考えると、眼は確かに明いていたにしても、夢だか実際だか差別がつかない。のみならずまた同僚たちも、全然赤帽の来た事なぞには、気がつかないような顔をしている。そこでとうとうその事については、誰にも打ち明けて話さずにしまった。所が日本へ帰って来ると、現に千枝子は、二度までも怪しい赤帽に遇ったと云う。ではマルセイユで見かけたのは、その赤帽かと思いもしたが、余り怪談じみているし、一つには名誉の遠征中も、細君の事ばかり思っているかと、嘲られそうな気がしたから、今日まではやはり黙っていた。が、今顔を出した赤帽を見たら、マルセイユのカッフェにはいって来た男と、眉毛一つ違っていない。――夫はそう話し終ってから、しばらくは口を噤んでいたが、やがて不安そうに声を低くすると、「しかし妙じゃないか? 眉毛一つ違わないと云うものの、おれはどうしてもその赤帽の顔が、はっきり思い出せないんだ。ただ、窓越しに顔を見た瞬間、あいつだなと……」
村上がここまで話して来た時、新にカッフェへはいって来た、友人らしい三四人が、私たちの卓子へ近づきながら、口々に彼へ挨拶した。私は立ち上った。
「では僕は失敬しよう。いずれ朝鮮へ帰る前には、もう一度君を訪ねるから。」
私はカッフェの外へ出ると、思わず長い息を吐いた。それはちょうど三年以前、千枝子が二度までも私と、中央停車場に落ち合うべき密会の約を破った上、永久に貞淑な妻でありたいと云う、簡単な手紙をよこした訳が、今夜始めてわかったからであった。…………
(大正九年十二月) | 底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
1993(平成5)年12月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月19日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
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書紀によると、日本では、推古天皇の三十五年春二月、陸奥で始めて、貉が人に化けた。尤もこれは、一本によると、化人でなくて、比人とあるが、両方ともその後に歌之と書いてあるから、人に化けたにしろ、人に比ったにしろ、人並に唄を歌った事だけは事実らしい。
それより以前にも、垂仁紀を見ると、八十七年、丹波の国の甕襲と云う人の犬が、貉を噛み食したら、腹の中に八尺瓊曲玉があったと書いてある。この曲玉は馬琴が、八犬伝の中で、八百比丘尼妙椿を出すのに借用した。が、垂仁朝の貉は、ただ肚裡に明珠を蔵しただけで、後世の貉の如く変化自在を極めた訳ではない。すると、貉の化けたのは、やはり推古天皇の三十五年春二月が始めなのであろう。
勿論貉は、神武東征の昔から、日本の山野に棲んでいた。そうして、それが、紀元千二百八十八年になって、始めて人を化かすようになった。――こう云うと、一見甚だ唐突の観があるように思われるかも知れない。が、それは恐らく、こんな事から始まったのであろう。――
その頃、陸奥の汐汲みの娘が、同じ村の汐焼きの男と恋をした。が、女には母親が一人ついている。その目を忍んで、夜な夜な逢おうと云うのだから、二人とも一通りな心づかいではない。
男は毎晩、磯山を越えて、娘の家の近くまで通って来る。すると娘も、刻限を見計らって、そっと家をぬけ出して来る。が、娘の方は、母親の手前をかねるので、ややもすると、遅れやすい。ある時は、月の落ちかかる頃になって、やっと来た。ある時は、遠近の一番鶏が啼く頃になっても、まだ来ない。
そんな事が、何度か続いたある夜の事である。男は、屏風のような岩のかげに蹲りながら、待っている間のさびしさをまぎらせるつもりで、高らかに唄を歌った。沸き返る浪の音に消されるなと、いらだたしい思いを塩からい喉にあつめて、一生懸命に歌ったのである。
それを聞いた母親は、傍にねている娘に、あの声は何じゃと云った。始めは寝たふりをしていた娘も、二度三度と問いかけられると、答えない訳には行かない。人の声ではないそうな。――狼狽した余り、娘はこう誤魔化した。
そこで、人でのうて何が歌うと、母親が問いかえした。それに、貉かも知れぬと答えたのは、全く娘の機転である。――恋は昔から、何度となく女にこう云う機転を教えた。
夜が明けると、母親は、この唄の声を聞いた話を近くにいた蓆織りの媼に話した。媼もまたこの唄の声を耳にした一人である。貉が唄を歌いますかの――こう云いながらも、媼はまたこれを、蘆刈りの男に話した。
話が伝わり伝わって、その村へ来ていた、乞食坊主の耳へはいった時、坊主は、貉の唄を歌う理由を、仔細らしく説明した。――仏説に転生輪廻と云う事がある。だから貉の魂も、もとは人間の魂だったかも知れない。もしそうだとすれば、人間のする事は、貉もする。月夜に歌を唄うくらいな事は、別に不思議でない。……
それ以来、この村では、貉の唄を聞いたと云う者が、何人も出るようになった。そうして、しまいにはその貉を見たと云う者さえ、現れて来た。これは、鴎の卵をさがしに行った男が、ある夜岸伝いに帰って来ると、未だ残っている雪の明りで、磯山の陰に貉が一匹唄を歌いながら、のそのそうろついているのを目のあたりに見たと云うのである。
既に、姿さえ見えた。それに次いで、ほとんど一村の老若男女が、ことごとくその声を聞いたのは、寧ろ自然の道理である。貉の唄は時としては、山から聞えた。時としては、海から聞えた。そうしてまた更に時としては、その山と海との間に散在する、苫屋の屋根の上からさえ聞えた。そればかりではない。最後には汐汲みの娘自身さえ、ある夜突然この唄の声に驚かされた。――
娘は、勿論これを、男の唄の声だと思った。寝息を窺うと、母親はよく寝入っているらしい。そこで、そっと床をぬけ出して、入口の戸を細目にあけながら、外の容子を覗いて見た。が、外はうすい月と浪の音ばかりで、男の姿はどこにもない。娘は暫くあたりを見廻していたが、突然つめたい春の夜風にでも吹かれたように、頬をおさえながら、立ちすくんでしまった。戸の前の砂の上に、点々として貉の足跡のついているのが、その時朧げに見えたからであろう。……
この話は、たちまち幾百里の山河を隔てた、京畿の地まで喧伝された。それから山城の貉が化ける。近江の貉が化ける。ついには同属の狸までも化け始めて、徳川時代になると、佐渡の団三郎と云う、貉とも狸ともつかない先生が出て、海の向うにいる越前の国の人をさえ、化かすような事になった。
化かすようになったのではない。化かすと信ぜられるようになったのである――こう諸君は、云うかも知れない。しかし、化かすと云う事と、化かすと信ぜられると云う事との間には、果してどれほどの相違があるのであろう。
独り貉ばかりではない。我々にとって、すべてあると云う事は、畢竟するにただあると信ずる事にすぎないではないか。
イェエツは、「ケルトの薄明り」の中で、ジル湖上の子供たちが、青と白との衣を着たプロテスタント派の少女を、昔ながらの聖母マリアだと信じて、疑わなかった話を書いている。ひとしく人の心の中に生きていると云う事から云えば、湖上の聖母は、山沢の貉と何の異る所もない。
我々は、我々の祖先が、貉の人を化かす事を信じた如く、我々の内部に生きるものを信じようではないか。そうして、その信ずるものの命ずるままに我々の生き方を生きようではないか。
貉を軽蔑すべからざる所以である。
(大正六年三月) | 底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」
1971(昭和46)年3月~11月
入力:j.utiyama
校正:もりみつじゅんじ
1998年11月7日公開
2004年1月11日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000102",
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"作品名読み": "むじな",
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"初出": "「読売新聞」1917(大正6)年3月",
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"姓読み": "あくたがわ",
"名読み": "りゅうのすけ",
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僕は、船のサルーンのまん中に、テーブルをへだてて、妙な男と向いあっている。――
待ってくれ給え。その船のサルーンと云うのも、実はあまり確かでない。部屋の具合とか窓の外の海とか云うもので、やっとそう云う推定を下しては見たものの、事によると、もっと平凡な場所かも知れないと云う懸念がある。いや、やっぱり船のサルーンかな。それでなくては、こう揺れる筈がない。僕は木下杢太郎君ではないから、何サンチメートルくらいな割合で、揺れるのかわからないが、揺れる事は、確かに揺れる。嘘だと思ったら、窓の外の水平線が、上ったり下ったりするのを、見るがいい。空が曇っているから、海は煮切らない緑青色を、どこまでも拡げているが、それと灰色の雲との一つになる所が、窓枠の円形を、さっきから色々な弦に、切って見せている。その中に、空と同じ色をしたものが、ふわふわ飛んでいるのは、大方鴎か何かであろう。
さて、僕の向いあっている妙な男だが、こいつは、鼻の先へ度の強そうな近眼鏡をかけて、退屈らしく新聞を読んでいる。口髭の濃い、顋の四角な、どこかで見た事のあるような男だが、どうしても思い出せない。頭の毛を、長くもじゃもじゃ生やしている所では、どうも作家とか画家とか云う階級の一人ではないかと思われる。が、それにしては着ている茶の背広が、何となく釣合わない。
僕は、暫く、この男の方をぬすみ見ながら、小さな杯へついだ、甘い西洋酒を、少しずつなめていた。これは、こっちも退屈している際だから、話しかけたいのは山々だが、相手の男の人相が、甚だ、無愛想に見えたので、暫く躊躇していたのである。
すると、角顋の先生は、足をうんと踏みのばしながら、生あくびを噛みつぶすような声で、「ああ、退屈だ。」と云った。それから、近眼鏡の下から、僕の顔をちょいと見て、また、新聞を読み出した。僕はその時、いよいよ、こいつにはどこかで、会った事があるのにちがいないと思った。
サルーンには、二人のほかに誰もいない。
暫くして、この妙な男は、また、「ああ、退屈だ。」と云った。そうして、今度は、新聞をテーブルの上へ抛り出して、ぼんやり僕の酒を飲むのを眺めている。そこで僕は云った。
「どうです。一杯おつきあいになりませんか。」
「いや、難有う。」彼は、飲むとも飲まないとも云わずに、ちょいと頭をさげて、「どうも、実際退屈しますな。これじゃ向うへ着くまでに、退屈死に死んじまうかも知れません。」
僕は同意した。
「まだ、ZOILIA の土を踏むには、一週間以上かかりましょう。私は、もう、船が飽き飽きしました。」
「ゾイリア――ですか。」
「さよう、ゾイリア共和国です。」
「ゾイリアと云う国がありますか。」
「これは、驚いた。ゾイリアを御存知ないとは、意外ですな。一体どこへお出でになる御心算か知りませんが、この船がゾイリアの港へ寄港するのは、余程前からの慣例ですぜ。」
僕は当惑した。考えて見ると、何のためにこの船に乗っているのか、それさえもわからない。まして、ゾイリアなどと云う名前は、未嘗、一度も聞いた事のない名前である。
「そうですか。」
「そうですとも。ゾイリアと云えば、昔から、有名な国です。御承知でしょうが、ホメロスに猛烈な悪口をあびせかけたのも、やっぱりこの国の学者です。今でも確かゾイリアの首府には、この人の立派な頌徳表が立っている筈ですよ。」
僕は、角顋の見かけによらない博学に、驚いた。
「すると、余程古い国と見えますな。」
「ええ、古いです。何でも神話によると、始は蛙ばかり住んでいた国だそうですが、パラス・アテネがそれを皆、人間にしてやったのだそうです。だから、ゾイリア人の声は、蛙に似ていると云う人もいますが、これはあまり当になりません。記録に現れたのでは、ホメロスを退治した豪傑が、一番早いようです。」
「では今でも相当な文明国ですか。」
「勿論です。殊に首府にあるゾイリア大学は、一国の学者の粋を抜いている点で、世界のどの大学にも負けないでしょう。現に、最近、教授連が考案した、価値測定器の如きは、近代の驚異だと云う評判です。もっとも、これは、ゾイリアで出るゾイリア日報のうけ売りですが。」
「価値測定器と云うのは何です。」
「文字通り、価値を測定する器械です。もっとも主として、小説とか絵とかの価値を、測定するのに、使用されるようですが。」
「どんな価値を。」
「主として、芸術的な価値をです。無論まだその他の価値も、測定出来ますがね。ゾイリアでは、それを祖先の名誉のために MENSURA ZOILI と名をつけたそうです。」
「あなたは、そいつをご覧になった事があるのですか。」
「いいえ。ゾイリア日報の挿絵で、見ただけです。なに、見た所は、普通の計量器と、ちっとも変りはしません。あの人が上る所に、本なりカンヴァスなりを、のせればよいのです。額縁や製本も、少しは測定上邪魔になるそうですが、そう云う誤差は後で訂正するから、大丈夫です。」
「それはとにかく、便利なものですね。」
「非常に便利です。所謂文明の利器ですな。」角顋は、ポケットから朝日を一本出して、口へくわえながら、「こう云うものが出来ると、羊頭を掲げて狗肉を売るような作家や画家は、屏息せざるを得なくなります。何しろ、価値の大小が、明白に数字で現れるのですからな。殊にゾイリア国民が、早速これを税関に据えつけたと云う事は、最も賢明な処置だと思いますよ。」
「それは、また何故でしょう。」
「外国から輸入される書物や絵を、一々これにかけて見て、無価値な物は、絶対に輸入を禁止するためです。この頃では、日本、英吉利、独逸、墺太利、仏蘭西、露西亜、伊太利、西班牙、亜米利加、瑞典、諾威などから来る作品が、皆、一度はかけられるそうですが、どうも日本の物は、あまり成績がよくないようですよ。我々のひいき眼では、日本には相当な作家や画家がいそうに見えますがな。」
こんな事を話している中に、サルーンの扉があいて、黒坊のボイがはいって来た。藍色の夏服を着た、敏捷そうな奴である、ボイは、黙って、脇にかかえていた新聞の一束を、テーブルの上へのせる。そうして、直また、扉の向うへ消えてしまう。
その後で角顋は、朝日の灰を落しながら、新聞の一枚をとりあげた。楔形文字のような、妙な字が行列した、所謂ゾイリア日報なるものである。僕は、この不思議な文字を読み得る点で、再びこの男の博学なのに驚いた。
「不相変、メンスラ・ゾイリの事ばかり出ていますよ。」彼は、新聞を読み読み、こんな事を云った。「ここに、先月日本で発表された小説の価値が、表になって出ていますぜ。測定技師の記要まで、附いて。」
「久米と云う男のは、あるでしょうか。」
僕は、友だちの事が気になるから、訊いて見た。
「久米ですか。『銀貨』と云う小説でしょう。ありますよ。」
「どうです。価値は。」
「駄目ですな。何しろこの創作の動機が、人生のくだらぬ発見だそうですからな。そしておまけに、早く大人がって通がりそうなトーンが、作全体を低級な卑しいものにしていると書いてあります。」
僕は、不快になった。
「お気の毒ですな。」角顋は冷笑した。「あなたの『煙管』もありますぜ。」
「何と書いてあります。」
「やっぱり似たようなものですな。常識以外に何もないそうですよ。」
「へええ。」
「またこうも書いてあります。――この作者早くも濫作をなすか。……」
「おやおや。」
僕は、不快なのを通り越して、少し莫迦莫迦しくなった。
「いや、あなた方ばかりでなく、どの作家や画家でも、測定器にかかっちゃ、往生です。とてもまやかしは利きませんからな。いくら自分で、自分の作品を賞め上げたって、現に価値が測定器に現われるのだから、駄目です。無論、仲間同志のほめ合にしても、やっぱり評価表の事実を、変える訳には行きません。まあ精々、骨を折って、実際価値があるようなものを書くのですな。」
「しかし、その測定器の評価が、確かだと云う事は、どうしてきめるのです。」
「それは、傑作をのせて見れば、わかります。モオパッサンの『女の一生』でも載せて見れば、すぐ針が最高価値を指しますからな。」
「それだけですか。」
「それだけです。」
僕は黙ってしまった。少々、角顋の頭が、没論理に出来上っているような気がしたからである。が、また、別な疑問が起って来た。
「じゃ、ゾイリアの芸術家の作った物も、やはり測定器にかけられるのでしょうか。」
「それは、ゾイリアの法律が禁じています。」
「何故でしょう。」
「何故と云って、ゾイリア国民が承知しないのだから、仕方がありません。ゾイリアは昔から共和国ですからな。Vox populi, vox Dei を文字通りに遵奉する国ですからな。」
角顋は、こう云って、妙に微笑した。「もっとも、彼等の作物を測定器へのせたら、針が最低価値を指したと云う風説もありますがな。もしそうだとすれば、彼等はディレムマにかかっている訳です。測定器の正確を否定するか、彼等の作物の価値を否定するか、どっちにしても、難有い話じゃありません。――が、これは風説ですよ。」
こう云う拍子に、船が大きく揺れたので、角顋はあっと云う間に椅子から、ころがり落ちた。するとその上へテーブルが倒れる。酒の罎と杯とがひっくりかえる。新聞が落ちる。窓の外の水平線が、どこかへ見えなくなる。皿の破れる音、椅子の倒れる音、それから、波の船腹へぶつかる音――、衝突だ。衝突だ。それとも海底噴火山の爆発かな。
気がついて見ると、僕は、書斎のロッキング・チェアに腰をかけて St. John Ervine の The Critics と云う脚本を読みながら、昼寝をしていたのである。船だと思ったのは、大方椅子の揺れるせいであろう。
角顋は、久米のような気もするし、久米でないような気もする。これは、未だにわからない。
(大正五年十一月二十三日) | 底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年11月11日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "000097",
"作品名": "Mensura Zoili",
"作品名読み": "メンスラ ゾイリ",
"ソート用読み": "めんすらそいり",
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"初出": "「新思潮」1917(大正6)年1月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1998-11-11T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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"人物ID": "000879",
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"名": "竜之介",
"姓読み": "あくたがわ",
"名読み": "りゅうのすけ",
"姓読みソート用": "あくたかわ",
"名読みソート用": "りゆうのすけ",
"姓ローマ字": "Akutagawa",
"名ローマ字": "Ryunosuke",
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"生年月日": "1892-03-01",
"没年月日": "1927-07-24",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "芥川龍之介全集1",
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"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年9月24日",
"入力に使用した版1": "1995(平成7)年10月5日第13刷",
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歳晩のある暮方、自分は友人の批評家と二人で、所謂腰弁街道の、裸になった並樹の柳の下を、神田橋の方へ歩いていた。自分たちの左右には、昔、島崎藤村が「もっと頭をあげて歩け」と慷慨した、下級官吏らしい人々が、まだ漂っている黄昏の光の中に、蹌踉たる歩みを運んで行く。期せずして、同じく憂鬱な心もちを、払いのけようとしても払いのけられなかったからであろう。自分たちは外套の肩をすり合せるようにして、心もち足を早めながら、大手町の停留場を通りこすまでは、ほとんど一言もきかずにいた。すると友人の批評家が、あすこの赤い柱の下に、電車を待っている人々の寒むそうな姿を一瞥すると、急に身ぶるいを一つして、
「毛利先生の事を思い出す。」と、独り語のように呟いた。
「毛利先生と云うのは誰だい。」
「僕の中学の先生さ。まだ君には話した事がなかったかな。」
自分は否と云う代りに、黙って帽子の庇を下げた。これから下に掲げるのはその時その友人が、歩きながら自分に話してくれた、その毛利先生の追憶である。――
―――――――――――――――――――――――――
もうかれこれ十年ばかり以前、自分がまだある府立中学の三年級にいた時の事である。自分の級に英語を教えていた、安達先生と云う若い教師が、インフルエンザから来た急性肺炎で冬期休業の間に物故してしまった。それが余り突然だったので、適当な後任を物色する余裕がなかったからの窮策であろう。自分の中学は、当時ある私立中学で英語の教師を勤めていた、毛利先生と云う老人に、今まで安達先生の受持っていた授業を一時嘱託した。
自分が始めて毛利先生を見たのは、その就任当日の午後である。自分たち三年級の生徒たちは、新しい教師を迎えると云う好奇心に圧迫されて、廊下に先生の靴音が響いた時から、いつになくひっそりと授業の始まるのを待ちうけていた。所がその靴音が、日かげの絶えた、寒い教室の外に止まって、やがて扉が開かれると、――ああ、自分はこう云う中にも、歴々とその時の光景が眼に浮んでいる。扉を開いてはいって来た毛利先生は、何より先その背の低いのがよく縁日の見世物に出る蜘蛛男と云うものを聯想させた。が、その感じから暗澹たる色彩を奪ったのは、ほとんど美しいとでも形容したい、光滑々たる先生の禿げ頭で、これまた後頭部のあたりに、種々たる胡麻塩の髪の毛が、わずかに残喘を保っていたが、大部分は博物の教科書に画が出ている駝鳥の卵なるものと相違はない。最後に先生の風采を凡人以上に超越させたものは、その怪しげなモオニング・コオトで、これは過去において黒かったと云う事実を危く忘却させるくらい、文字通り蒼然たる古色を帯びたものであった。しかも先生のうすよごれた折襟には、極めて派手な紫の襟飾が、まるで翼をひろげた蛾のように、ものものしく結ばれていたと云う、驚くべき記憶さえ残っている。だから先生が教室へはいると同時に、期せずして笑を堪える声が、そこここの隅から起ったのは、元より不思議でも何でもない。
が、読本と出席簿とを抱えた毛利先生は、あたかも眼中に生徒のないような、悠然とした態度を示しながら、一段高い教壇に登って、自分たちの敬礼に答えると、いかにも人の好さそうな、血色の悪い丸顔に愛嬌のある微笑を漂わせて、
「諸君」と、金切声で呼びかけた。
自分たちは過去三年間、未嘗てこの中学の先生から諸君を以て遇せられた事は、一度もない。そこで毛利先生のこの「諸君」は、勢い自分たち一同に、思わず驚嘆の眼を見開かせた。と同時に自分たちは、すでに「諸君」と口を切った以上、その後はさしずめ授業方針か何かの大演説があるだろうと、息をひそめて待ちかまえていたのである。
しかし毛利先生は、「諸君」と云ったまま、教室の中を見廻して、しばらくは何とも口を開かない。肉のたるんだ先生の顔には、悠然たる微笑の影が浮んでいるのに関らず、口角の筋肉は神経的にびくびく動いている。と思うと、どこか家畜のような所のある晴々した眼の中にも、絶えず落ち着かない光が去来した。それがどうも口にこそ出さないが、何か自分たち一同に哀願したいものを抱いていて、しかもその何ものかと云う事が、先生自身にも遺憾ながら判然と見きわめがつかないらしい。
「諸君」
やがて毛利先生は、こう同じ調子で繰返した。それから今度はその後へ、丁度その諸君と云う声の反響を捕えようとする如く、
「これから私が、諸君にチョイス・リイダアを教える事になりました」と、いかにも慌しくつけ加えた。自分たちはますます好奇心の緊張を感じて、ひっそりと鳴りを静めながら、熱心に先生の顔を見守っていた。が、毛利先生はそう云うと同時に、また哀願するような眼つきをして、ぐるりと教室の中を見廻すと、それぎりで急に椅子の上へ弾機がはずれたように腰を下した。そうして、すでに開かれていたチョイス・リイダアの傍へ、出席簿をひろげて眺め出した。この唐突たる挨拶の終り方が、いかに自分たちを失望させたか、と云うよりもむしろ、失望を通り越して、いかに自分たちを滑稽に感じさせたか、それは恐らく云う必要もない事であろう。
しかし幸いにして先生は、自分たちが笑を洩すのに先立って、あの家畜のような眼を出席簿から挙げたと思うと、たちまち自分たちの級の一人を「さん」づけにして指名した。勿論すぐに席を離れて、訳読して見ろと云う相図である。そこでその生徒は立ち上って、ロビンソン・クルウソオか何かの一節を、東京の中学生に特有な、気の利いた調子で訳読した。それをまた毛利先生は、時々紫の襟飾へ手をやりながら、誤訳は元より些細な発音の相違まで、一々丁寧に直して行く。発音は妙に気取った所があるが、大体正確で、明瞭で、先生自身もこの方面が特に内心得意らしい。
が、その生徒が席に復して、先生がそこを訳読し始めると、再び自分たちの間には、そこここから失笑の声が起り始めた。と云うのは、あれほど発音の妙を極めた先生も、いざ翻訳をするとなると、ほとんど日本人とは思われないくらい、日本語の数を知っていない。あるいは知っていても、その場に臨んでは急には思い出せないのであろう。たとえばたった一行を訳するにしても、「そこでロビンソン・クルウソオは、とうとう飼う事にしました。何を飼う事にしたかと云えば、それ、あの妙な獣で――動物園に沢山いる――何と云いましたかね、――ええとよく芝居をやる――ね、諸君も知っているでしょう。それ、顔の赤い――何、猿? そうそう、その猿です。その猿を飼う事にしました。」
勿論猿でさえこのくらいだから、少し面倒な語になると、何度もその周囲を低徊した揚句でなければ、容易に然るべき訳語にはぶつからない。しかも毛利先生はその度にひどく狼狽して、ほとんどあの紫の襟飾を引きちぎりはしないかと思うほど、頻に喉元へ手をやりながら、当惑そうな顔をあげて、慌しく自分たちの方へ眼を飛ばせる。と思うとまた、両手で禿げ頭を抑えながら、机の上へ顔を伏せて、いかにも面目なさそうに行きづまってしまう。そう云う時は、ただでさえ小さな先生の体が、まるで空気の抜けた護謨風船のように、意気地なく縮み上って、椅子から垂れている両足さえ、ぶらりと宙に浮びそうな心もちがした。それをまた生徒の方では、面白い事にして、くすくす笑う。そうして二三度先生が訳読を繰返す間には、その笑い声も次第に大胆になって、とうとうしまいには一番前の机からさえ、公然と湧き返るようになった。こう云う自分たちの笑い声がどれほど善良な毛利先生につらかったか、――現に自分ですら今日その刻薄な響を想起すると、思わず耳を蔽いたくなる事は一再でない。
それでもなお毛利先生は、休憩時間の喇叭が鳴り渡るまで、勇敢に訳読を続けて行った。そうして、ようやく最後の一節を読み終ると、再び元のような悠然たる態度で、自分たちの敬礼に答えながら、今までの惨澹たる悪闘も全然忘れてしまったように、落ち着き払って出て行ってしまった。その後を追いかけてどっと自分たちの間から上った、嵐のような笑い声、わざと騒々しく机の蓋を明けたり閉めたりさせる音、それから教壇へとび上って、毛利先生の身ぶりや声色を早速使って見せる生徒――ああ、自分はまだその上に組長の章をつけた自分までが、五六人の生徒にとり囲まれて、先生の誤訳を得々と指摘していたと云う事実すら、思い出さなければならないのであろうか。そうしてその誤訳は? 自分は実際その時でさえ、果してそれがほんとうの誤訳かどうか、確かな事は何一つわからずに威張っていたのである。
―――――――――――――――――――――――――
それから三四日経たある午の休憩時間である。自分たち五六人は、機械体操場の砂だまりに集まって、ヘルの制服の背を暖い冬の日向に曝しながら、遠からず来るべき学年試験の噂などを、口まめにしゃべり交していた。すると今まで生徒と一しょに鉄棒へぶら下っていた、体量十八貫と云う丹波先生が、「一二、」と大きな声をかけながら、砂の上へ飛び下りると、チョッキばかりに運動帽をかぶった姿を、自分たちの中に現して、
「どうだね、今度来た毛利先生は。」と云う。丹波先生はやはり自分たちの級に英語を教えていたが、有名な運動好きで、兼ねて詩吟が上手だと云う所から、英語そのものは嫌っていた柔剣道の選手などと云う豪傑連の間にも、大分評判がよかったらしい。そこで先生がこう云うと、その豪傑連の一人がミットを弄びながら、
「ええ、あんまり――何です。皆あんまり、よく出来ないようだって云っています。」と、柄にもなくはにかんだ返事をした。すると丹波先生はズボンの砂を手巾ではたきながら、得意そうに笑って見せて、
「お前よりも出来ないか。」
「そりゃ僕より出来ます。」
「じゃ、文句を云う事はないじゃないか。」
豪傑はミットをはめた手で頭を掻きながら、意気地なくひっこんでしまった。が、今度は自分の級の英語の秀才が、度の強い近眼鏡をかけ直すと、年に似合わずませた調子で、
「でも先生、僕たちは大抵専門学校の入学試験を受ける心算なんですから、出来る上にも出来る先生に教えて頂きたいと思っているんです。」と、抗弁した。が、丹波先生は不相変勇壮に笑いながら、
「何、たった一学期やそこいら、誰に教わったって同じ事さ。」
「じゃ毛利先生は一学期だけしか御教えにならないんですか。」
この質問には丹波先生も、いささか急所をつかれた感があったらしい。世故に長けた先生はそれにはわざと答えずに、運動帽を脱ぎながら、五分刈の頭の埃を勢よく払い落すと、急に自分たち一同を見渡して、
「そりゃ毛利先生は、随分古い人だから、我々とは少し違っているさ。今朝も僕が電車へ乗ったら、先生は一番まん中にかけていたっけが、乗換えの近所になると、『車掌、車掌』って声をかけるんだ。僕は可笑しくって、弱ったがね。とにかく一風変った人には違いないさ。」と、巧に話頭を一転させてしまった。が、毛利先生のそう云う方面に関してなら、何も丹波先生を待たなくとも、自分たちの眼を駭かせた事は、あり余るほど沢山ある。
「それから毛利先生は、雨が降ると、洋服へ下駄をはいて来られるそうです。」
「あのいつも腰に下っている、白い手巾へ包んだものは、毛利先生の御弁当じゃないんですか。」
「毛利先生が電車の吊皮につかまっていられるのを見たら、毛糸の手袋が穴だらけだったって云う話です。」
自分たちは丹波先生を囲んで、こんな愚にもつかない事を、四方からやかましく饒舌り立てた。ところがそれに釣りこまれたのか、自分たちの声が一しきり高くなると、丹波先生もいつか浮き浮きした声を出して、運動帽を指の先でまわしながら、
「それよりかさ、あの帽子が古物だぜ――」と、思わず口へ出して云いかけた、丁度その時である。機械体操場と向い合って、わずかに十歩ばかり隔っている二階建の校舎の入口へ、どう思ったか毛利先生が、その古物の山高帽を頂いて、例の紫の襟飾へ仔細らしく手をやったまま、悠然として小さな体を現した。入口の前には一年生であろう、子供のような生徒が六七人、人馬か何かして遊んでいたが、先生の姿を見ると、これは皆先を争って、丁寧に敬礼する。毛利先生もまた、入口の石段の上にさした日の光の中に佇んで、山高帽をあげながら笑って礼を返しているらしい。この景色を見た自分たちは、さすがに皆一種の羞恥を感じて、しばらくの間はひっそりと、賑な笑い声を絶ってしまった。が、その中で丹波先生だけは、ただ、口を噤むべく余りに恐縮と狼狽とを重ねたからでもあったろう。「あの帽子が古物だぜ」と、云いかけた舌をちょいと出して、素早く運動帽をかぶったと思うと、突然くるりと向きを変えて、「一――」と大きく喚きながら、チョッキ一つの肥った体を、やにわに鉄棒へ抛りつけた。そうして「海老上り」の両足を遠く空ざまに伸しながら、「二――」と再び喚いた時には、もう冬の青空を鮮に切りぬいて、楽々とその上に上っていた。この丹波先生の滑稽なてれ隠しが、自分たち一同を失笑させたのは無理もない。一瞬間声を呑んだ機械体操場の生徒たちは、鉄棒の上の丹波先生を仰ぎながら、まるで野球の応援でもする時のように、わっと囃し立てながら、拍手をした。
こう云う自分も皆と一しょに、喝采をしたのは勿論である。が、喝采している内に、自分は鉄棒の上の丹波先生を、半ば本能的に憎み出した。と云ってもそれだけまた、毛利先生に同情を注いだと云う訳でもない。その証拠にはその時自分が、丹波先生へ浴びせた拍手は、同時に毛利先生へ、自分たちの悪意を示そうと云う、間接目的を含んでいたからである。今自分の頭で解剖すれば、その時の自分の心もちは、道徳の上で丹波先生を侮蔑すると共に、学力の上では毛利先生も併せて侮蔑していたとでも説明する事が出来るかも知れない。あるいはその毛利先生に対する侮蔑は、丹波先生の「あの帽子が古物だぜ」によって、一層然るべき裏書きを施されたような、ずうずうしさを加えていたとも考える事が出来るであろう。だから自分は喝采しながら、聳かした肩越しに、昂然として校舎の入口を眺めやった。するとそこには依然として、我毛利先生が、まるで日の光を貪っている冬蠅か何かのように、じっと石段の上に佇みながら、一年生の無邪気な遊戯を、余念もなく独り見守っている。その山高帽子とその紫の襟飾と――自分は当時、むしろ、哂うべき対象として、一瞥の中に収めたこの光景が、なぜか今になって見ると、どうしてもまた忘れる事が出来ない。……
―――――――――――――――――――――――――
就任の当日毛利先生が、その服装と学力とによって、自分たちに起させた侮蔑の情は、丹波先生のあの失策(?)があって以来、いよいよ級全体に盛んになった。すると、また、それから一週間とたたないある朝の事である。その日は前夜から雪が降りつづけて、窓の外にさし出ている雨天体操場の屋根などは、一面にもう瓦の色が見えなくなってしまったが、それでも教室の中にはストオヴが、赤々と石炭の火を燃え立たせて、窓硝子につもる雪さえ、うす青い反射の光を漂わす暇もなく、溶けて行った。そのストオヴの前に椅子を据えながら、毛利先生は例の通り、金切声をふりしぼって、熱心にチョイス・リイダアの中にあるサアム・オヴ・ライフを教えていたが、勿論誰も真面目になって、耳を傾けている生徒はない。ない所か、自分の隣にいる、ある柔道の選手の如きは、読本の下へ武侠世界をひろげて、さっきから押川春浪の冒険小説を読んでいる。
それがかれこれ二三十分も続いたであろう。その中に毛利先生は、急に椅子から身を起すと、丁度今教えているロングフェロオの詩にちなんで、人生と云う問題を弁じ出した。趣旨はどんな事だったか、さらに記憶に残っていないが、恐らくは議論と云うよりも、先生の生活を中心とした感想めいたものだったと思う。と云うのは先生が、まるで羽根を抜かれた鳥のように、絶えず両手を上げ下げしながら、慌しい調子で饒舌った中に、
「諸君にはまだ人生はわからない。ね。わかりたいったって、わかりはしません。それだけ諸君は幸福なんでしょう。我々になると、ちゃんと人生がわかる。わかるが苦しい事が多いです。ね。苦しい事が多い。これで私にしても、子供が二人ある。そら、そこで学校へ上げなければならない。上げれば――ええと――上げれば――学資? そうだ。その学資が入るでしょう。ね。だから中々苦しい事が多い……」と云うような文句のあった事を、かすかに覚えているからである。が、何も知らない中学生に向ってさえ、生活難を訴える――あるいは訴えない心算でも訴えている、先生の心もちなぞと云うものは、元より自分たちに理解されよう筈がない。それより訴えると云うその事実の、滑稽な側面ばかり見た自分たちは、こう先生が述べ立てている中に、誰からともなくくすくす笑い出した。ただ、それがいつもの哄然たる笑声に変らなかったのは、先生の見すぼらしい服装と金切声をあげて饒舌っている顔つきとが、いかにも生活難それ自身の如く思われて、幾分の同情を起させたからであろう。しかし自分たちの笑い声が、それ以上大きくならなかった代りに、しばらくすると、自分の隣にいた柔道の選手が、突然武侠世界をさし置いて、虎のような勢を示しながら、立ち上った。そうして何を云うかと思うと、
「先生、僕たちは英語を教えて頂くために、出席しています。ですからそれが教えて頂けなければ、教室へはいっている必要はありません。もしもっと御話が続くのなら、僕は今から体操場へ行きます。」
こう云って、その生徒は、一生懸命に苦い顔をしながら、恐しい勢でまた席に復した。自分はその時の毛利先生くらい、不思議な顔をした人を見た事はない。先生はまるで雷に撃たれたように、口を半ば開けたまま、ストオヴの側へ棒立ちになって、一二分の間はただ、その慓悍な生徒の顔ばかり眺めていた。が、やがて家畜のような眼の中に、あの何かを哀願するような表情が、際どくちくりと閃いたと思うと、急に例の紫の襟飾へ手をやって、二三度禿げ頭を下げながら、
「いや、これは私が悪い。私が悪かったから、重々あやまります。成程諸君は英語を習うために出席している。その諸君に英語を教えないのは、私が悪かった。悪かったから、重々あやまります。ね。重々あやまります。」と、泣いてでもいるような微笑を浮べて、何度となく同じような事を繰り返した。それがストオヴの口からさす赤い火の光を斜に浴びて、上衣の肩や腰の摺り切れた所が、一層鮮に浮んで見える。と思うと先生の禿げ頭も、下げる度に見事な赤銅色の光沢を帯びて、いよいよ駝鳥の卵らしい。
が、この気の毒な光景も、当時の自分には徒に、先生の下等な教師根性を暴露したものとしか思われなかった。毛利先生は生徒の機嫌をとってまでも、失職の危険を避けようとしている。だから先生が教師をしているのは、生活のために余儀なくされたので、何も教育そのものに興味があるからではない。――朧げながらこんな批評を逞ゅうした自分は、今は服装と学力とに対する侮蔑ばかりでなく、人格に対する侮蔑さえ感じながら、チョイス・リイダアの上へ頬杖をついて、燃えさかるストオヴの前へ立ったまま、精神的にも肉体的にも、火炙りにされている先生へ、何度も生意気な笑い声を浴びせかけた。勿論これは、自分一人に限った事でも何でもない。現に先生をやりこめた柔道の選手なぞは、先生が色を失って謝罪すると、ちょいと自分の方を見かえって、狡猾そうな微笑を洩しながら、すぐまた読本の下にある押川春浪の冒険小説を、勉強し始めたものである。
それから休憩時間の喇叭が鳴るまで、我毛利先生はいつもよりさらにしどろもどろになって、憐むべきロングフェロオを無二無三に訳読しようとした。「Life is real, life is earnest.」――あの血色の悪い丸顔を汗ばませて、絶えず知られざる何物かを哀願しながら、こう先生の読み上げた、喉のつまりそうな金切声は、今日でもなお自分の耳の底に残っている。が、その金切声の中に潜んでいる幾百万の悲惨な人間の声は、当時の自分たちの鼓膜を刺戟すべく、余りに深刻なものであった。だからその時間中、倦怠に倦怠を重ねた自分たちの中には、無遠慮な欠伸の声を洩らしたものさえ、自分のほかにも少くはない。しかし毛利先生は、ストオヴの前へ小さな体を直立させて、窓硝子をかすめて飛ぶ雪にも全然頓着せず、頭の中の鉄条が一時にほぐれたような勢で、絶えず読本をふりまわしながら、必死になって叫びつづける。「Life is real, life is earnest. ―― Life is real, life is earnest.」……
―――――――――――――――――――――――――
こう云う次第だったから、一学期の雇庸期間がすぎて、再び毛利先生の姿を見る事が出来なくなってしまった時も、自分たちは喜びこそすれ、決して惜しいなどとは思わなかった。いや、その喜ぶと云う気さえ出なかったほど、先生の去就には冷淡だったと云えるかも知れない。殊に自分なぞはそれから七八年、中学から高等学校、高等学校から大学と、次第に成人になるのに従って、そう云う先生の存在自身さえ、ほとんど忘れてしまうくらい、全然何の愛惜も抱かなかったものである。
すると大学を卒業した年の秋――と云っても、日が暮れると、しばしば深い靄が下りる、十二月の初旬近くで、並木の柳や鈴懸などが、とうに黄いろい葉をふるっていた、ある雨あがりの夜の事である。自分は神田の古本屋を根気よくあさりまわって、欧洲戦争が始まってから、めっきり少くなった独逸書を一二冊手に入れた揚句、動くともなく動いている晩秋の冷い空気を、外套の襟に防ぎながら、ふと中西屋の前を通りかかると、なぜか賑な人声と、暖い飲料とが急に恋しくなったので、そこにあったカッフェの一つへ、何気なく独りではいって見た。
ところが、はいって見るとカッフェの中は、狭いながらがらんとして、客の影は一人もない。置き並べた大理石の卓の上には、砂糖壺の鍍金ばかりが、冷く電燈の光を反射している。自分はまるで誰かに欺かれたような、寂しい心もちを味いながら、壁にはめこんだ鏡の前の、卓へ行って腰を下した。そうして、用を聞きに来た給仕に珈琲を云いつけると、思い出したように葉巻を出して、何本となくマチを摺った揚句、やっとそれに火をつけた。すると間もなく湯気の立つ珈琲茶碗が、自分の卓の上に現れたが、それでも一度沈んだ気は、外に下りている靄のように、容易な事では晴れそうもない。と云って今古本屋から買って来たのは、字の細い哲学の書物だから、ここでは折角の名論文も、一頁と読むのは苦痛である。そこで自分は仕方がなく、椅子の背へ頭をもたせてブラジル珈琲とハヴァナと代る代る使いながら、すぐ鼻の先の鏡の中へ、漫然と煮え切らない視線をさまよわせた。
鏡の中には、二階へ上る楷子段の側面を始として、向うの壁、白塗りの扉、壁にかけた音楽会の広告なぞが、舞台面の一部でも見るように、はっきりと寒く映っている。いや、まだそのほかにも、大理石の卓が見えた。大きな針葉樹の鉢も見えた。天井から下った電燈も見えた。大形な陶器の瓦斯煖炉も見えた。その煖炉の前を囲んで、しきりに何か話している三四人の給仕の姿も見えた。そうして――こう自分が鏡の中の物象を順々に点検して、煖炉の前に集まっている給仕たちに及んだ時である。自分は彼等に囲まれながら、その卓に向っている一人の客の姿に驚かされた。それが、今まで自分の注意に上らなかったのは、恐らく周囲の給仕にまぎれて、無意識にカッフェの厨丁か何かと思いこんでいたからであろう。が、その時、自分が驚いたのは、何もいないと思った客が、いたと云うばかりではない。鏡の中に映っている客の姿が、こちらへは僅に横顔しか見せていないにも関らず、あの駝鳥の卵のような、禿げ頭の恰好と云い、あの古色蒼然としたモオニング・コオトの容子と云い、最後にあの永遠に紫な襟飾の色合いと云い、我毛利先生だと云う事は、一目ですぐに知れたからである。
自分は先生を見ると同時に、先生と自分とを隔てていた七八年の歳月を、咄嗟に頭の中へ思い浮べた。チョイス・リイダアを習っていた中学の組長と、今ここで葉巻の煙を静に鼻から出している自分と――自分にとってその歳月は、決して短かかったとは思われない。が、すべてを押し流す「時」の流も、すでに時代を超越したこの毛利先生ばかりは、如何ともする事が出来なかったからであろうか。現在この夜のカッフェで給仕と卓を分っている先生は、宛然として昔、あの西日もささない教室で読本を教えていた先生である。禿げ頭も変らない。紫の襟飾も同じであった。それからあの金切声も――そういえば、先生は、今もあの金切声を張りあげて、忙しそうに何か給仕たちへ、説明しているようではないか。自分は思わず微笑を浮べながら、いつかひき立たない気分も忘れて、じっと先生の声に耳を借した。
「そら、ここにある形容詞がこの名詞を支配する。ね、ナポレオンと云うのは人の名前だから、そこでこれを名詞と云う。よろしいかね。それからその名詞を見ると、すぐ後に――このすぐ後にあるのは、何だか知っているかね。え。お前はどうだい。」
「関係――関係名詞。」
給仕の一人が吃りながら、こう答えた。
「何、関係名詞? 関係名詞と云うものはない。関係――ええと――関係代名詞? そうそう関係代名詞だね。代名詞だから、そら、ナポレオンと云う名詞の代りになる。ね。代名詞とは名に代る詞と書くだろう。」
話の具合では、毛利先生はこのカッフェの給仕たちに英語を教えてでもいるらしい。そこで自分は椅子をずらせて、違った位置からまた鏡を覗きこんだ。すると果してその卓の上には、読本らしいものが一冊開いてある。毛利先生はその頁を、頻に指でつき立てながら、いつまでも説明に厭きる容子がない。この点もまた先生は、依然として昔の通りであった。ただ、まわりに立っている給仕たちは、あの時の生徒と反対に、皆熱心な眼を輝かせて、目白押しに肩を合せながら、慌しい先生の説明におとなしく耳を傾けている。
自分は鏡の中のこの光景を、しばらく眺めている間に、毛利先生に対する温情が意識の表面へ浮んで来た。一そ自分もあすこへ行って、先生と久闊を叙し合おうか。が、多分先生は、たった一学期の短い間、教室だけで顔を合せた自分なぞを覚えていまい。よしまた覚えているとしても――自分は卒然として、当時自分たちが先生に浴びせかけた、悪意のある笑い声を思い出すと、結局名乗なぞはあげない方が、遥に先生を尊敬する所以だと思い直した。そこで珈琲が尽きたのを機会にして、短くなった葉巻を捨てながら、そっと卓から立上ると、それが静にした心算でも、やはり先生の注意を擾したのであろう。自分が椅子を離れると同時に、先生はあの血色の悪い丸顔を、あのうすよごれた折襟を、あの紫の襟飾を、一度にこちらへふり向けた。家畜のような先生の眼と自分の眼とが、鏡の中で刹那の間出会ったのは正にこの時である。が、先生の眼の中には、さっき自分が予想した通り、果して故人に遇ったと云う気色らしいものも浮んでいない。ただ、そこに閃いていたものは、例の如く何ものかを、常に哀願しているような、傷ましい目なざしだけであった。
自分は眼を伏せたまま、給仕の手から伝票を受けとると、黙ってカッフェの入口にある帳場の前へ勘定に行った。帳場には自分も顔馴染みの、髪を綺麗に分けた給仕頭が、退屈そうに控えている。
「あすこに英語を教えている人がいるだろう。あれはこのカッフェで頼んで教えて貰うのかね。」
自分は金を払いながら、こう尋ねると、給仕頭は戸口の往来を眺めたまま、つまらなそうな顔をして、こんな答を聞かせてくれた。
「何、頼んだ訳じゃありません。ただ、毎晩やって来ちゃ、ああやって、教えているんです。何でももう老朽の英語の先生だそうで、どこでも傭ってくれないんだって云いますから、大方暇つぶしに来るんでしょう。珈琲一杯で一晩中、坐りこまれるんですから、こっちじゃあんまり難有くもありません。」
これを聞くと共に自分の想像には、咄嗟に我毛利先生の知られざる何物かを哀願している、あの眼つきが浮んで来た。ああ、毛利先生。今こそ自分は先生を――先生の健気な人格を始めて髣髴し得たような心もちがする。もし生れながらの教育家と云うものがあるとしたら、先生は実にそれであろう。先生にとって英語を教えると云う事は、空気を呼吸すると云う事と共に、寸刻といえども止める事は出来ない。もし強いて止めさせれば、丁度水分を失った植物か何かのように、先生の旺盛な活力も即座に萎微してしまうのであろう。だから先生は夜毎に英語を教えると云うその興味に促されて、わざわざ独りこのカッフェへ一杯の珈琲を啜りに来る。勿論それはあの給仕頭などに、暇つぶしを以て目さるべき悠長な性質のものではない。まして昔、自分たちが、先生の誠意を疑って、生活のためと嘲ったのも、今となっては心から赤面のほかはない誤謬であった。思えばこの暇つぶしと云い生活のためと云う、世間の俗悪な解釈のために、我毛利先生はどんなにか苦しんだ事であろう。元よりそう云う苦しみの中にも、先生は絶えず悠然たる態度を示しながら、あの紫の襟飾とあの山高帽とに身を固めて、ドン・キホオテよりも勇ましく、不退転の訳読を続けて行った。しかし先生の眼の中には、それでもなお時として、先生の教授を受ける生徒たちの――恐らくは先生が面しているこの世間全体の――同情を哀願する閃きが、傷ましくも宿っていたではないか。
刹那の間こんな事を考えた自分は、泣いて好いか笑って好いか、わからないような感動に圧せられながら、外套の襟に顔を埋めて、匇々カッフェの外へ出た。が、後では毛利先生が、明るすぎて寒い電燈の光の下で、客がいないのを幸いに、不相変金切声をふり立て、熱心な給仕たちにまだ英語を教えている。
「名に代る詞だから、代名詞と云う。ね。代名詞。よろしいかね……」
(大正七年十二月) | 底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年10月28日第1刷発行
1996(平成8)年7月15日第11刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月7日公開
2004年3月9日修正
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一
むかし、むかし、大むかし、ある深い山の奥に大きい桃の木が一本あった。大きいとだけではいい足りないかも知れない。この桃の枝は雲の上にひろがり、この桃の根は大地の底の黄泉の国にさえ及んでいた。何でも天地開闢の頃おい、伊弉諾の尊は黄最津平阪に八つの雷を却けるため、桃の実を礫に打ったという、――その神代の桃の実はこの木の枝になっていたのである。
この木は世界の夜明以来、一万年に一度花を開き、一万年に一度実をつけていた。花は真紅の衣蓋に黄金の流蘇を垂らしたようである。実は――実もまた大きいのはいうを待たない。が、それよりも不思議なのはその実は核のあるところに美しい赤児を一人ずつ、おのずから孕んでいたことである。
むかし、むかし、大むかし、この木は山谷を掩った枝に、累々と実を綴ったまま、静かに日の光りに浴していた。一万年に一度結んだ実は一千年の間は地へ落ちない。しかしある寂しい朝、運命は一羽の八咫鴉になり、さっとその枝へおろして来た。と思うともう赤みのさした、小さい実を一つ啄み落した。実は雲霧の立ち昇る中に遥か下の谷川へ落ちた。谷川は勿論峯々の間に白い水煙をなびかせながら、人間のいる国へ流れていたのである。
この赤児を孕んだ実は深い山の奥を離れた後、どういう人の手に拾われたか?――それはいまさら話すまでもあるまい。谷川の末にはお婆さんが一人、日本中の子供の知っている通り、柴刈りに行ったお爺さんの着物か何かを洗っていたのである。……
二
桃から生れた桃太郎は鬼が島の征伐を思い立った。思い立った訣はなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白ものに愛想をつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさに旗とか太刀とか陣羽織とか、出陣の支度に入用のものは云うなり次第に持たせることにした。のみならず途中の兵糧には、これも桃太郎の註文通り、黍団子さえこしらえてやったのである。
桃太郎は意気揚々と鬼が島征伐の途に上った。すると大きい野良犬が一匹、饑えた眼を光らせながら、こう桃太郎へ声をかけた。
「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰に下げたのは何でございます?」
「これは日本一の黍団子だ。」
桃太郎は得意そうに返事をした。勿論実際は日本一かどうか、そんなことは彼にも怪しかったのである。けれども犬は黍団子と聞くと、たちまち彼の側へ歩み寄った。
「一つ下さい。お伴しましょう。」
桃太郎は咄嗟に算盤を取った。
「一つはやられぬ。半分やろう。」
犬はしばらく強情に、「一つ下さい」を繰り返した。しかし桃太郎は何といっても「半分やろう」を撤回しない。こうなればあらゆる商売のように、所詮持たぬものは持ったものの意志に服従するばかりである。犬もとうとう嘆息しながら、黍団子を半分貰う代りに、桃太郎の伴をすることになった。
桃太郎はその後犬のほかにも、やはり黍団子の半分を餌食に、猿や雉を家来にした。しかし彼等は残念ながら、あまり仲の好い間がらではない。丈夫な牙を持った犬は意気地のない猿を莫迦にする。黍団子の勘定に素早い猿はもっともらしい雉を莫迦にする。地震学などにも通じた雉は頭の鈍い犬を莫迦にする。――こういういがみ合いを続けていたから、桃太郎は彼等を家来にした後も、一通り骨の折れることではなかった。
その上猿は腹が張ると、たちまち不服を唱え出した。どうも黍団子の半分くらいでは、鬼が島征伐の伴をするのも考え物だといい出したのである。すると犬は吠えたけりながら、いきなり猿を噛み殺そうとした。もし雉がとめなかったとすれば、猿は蟹の仇打ちを待たず、この時もう死んでいたかも知れない。しかし雉は犬をなだめながら猿に主従の道徳を教え、桃太郎の命に従えと云った。それでも猿は路ばたの木の上に犬の襲撃を避けた後だったから、容易に雉の言葉を聞き入れなかった。その猿をとうとう得心させたのは確かに桃太郎の手腕である。桃太郎は猿を見上げたまま、日の丸の扇を使い使いわざと冷かにいい放した。
「よしよし、では伴をするな。その代り鬼が島を征伐しても宝物は一つも分けてやらないぞ。」
欲の深い猿は円い眼をした。
「宝物? へええ、鬼が島には宝物があるのですか?」
「あるどころではない。何でも好きなものの振り出せる打出の小槌という宝物さえある。」
「ではその打出の小槌から、幾つもまた打出の小槌を振り出せば、一度に何でも手にはいる訣ですね。それは耳よりな話です。どうかわたしもつれて行って下さい。」
桃太郎はもう一度彼等を伴に、鬼が島征伐の途を急いだ。
三
鬼が島は絶海の孤島だった。が、世間の思っているように岩山ばかりだった訣ではない。実は椰子の聳えたり、極楽鳥の囀ったりする、美しい天然の楽土だった。こういう楽土に生を享けた鬼は勿論平和を愛していた。いや、鬼というものは元来我々人間よりも享楽的に出来上った種族らしい。瘤取りの話に出て来る鬼は一晩中踊りを踊っている。一寸法師の話に出てくる鬼も一身の危険を顧みず、物詣での姫君に見とれていたらしい。なるほど大江山の酒顛童子や羅生門の茨木童子は稀代の悪人のように思われている。しかし茨木童子などは我々の銀座を愛するように朱雀大路を愛する余り、時々そっと羅生門へ姿を露わしたのではないであろうか? 酒顛童子も大江山の岩屋に酒ばかり飲んでいたのは確かである。その女人を奪って行ったというのは――真偽はしばらく問わないにもしろ、女人自身のいう所に過ぎない。女人自身のいう所をことごとく真実と認めるのは、――わたしはこの二十年来、こういう疑問を抱いている。あの頼光や四天王はいずれも多少気違いじみた女性崇拝家ではなかったであろうか?
鬼は熱帯的風景の中に琴を弾いたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、頗る安穏に暮らしていた。そのまた鬼の妻や娘も機を織ったり、酒を醸したり、蘭の花束を拵えたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。殊にもう髪の白い、牙の脱けた鬼の母はいつも孫の守りをしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしていたものである。――
「お前たちも悪戯をすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒顛童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい? 人間というものは角の生えない、生白い顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面に鉛の粉をなすっているのだよ。それだけならばまだ好いのだがね。男でも女でも同じように、譃はいうし、欲は深いし、焼餅は焼くし、己惚は強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……」
四
桃太郎はこういう罪のない鬼に建国以来の恐ろしさを与えた。鬼は金棒を忘れたなり、「人間が来たぞ」と叫びながら、亭々と聳えた椰子の間を右往左往に逃げ惑った。
「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」
桃太郎は桃の旗を片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉の三匹に号令した。犬猿雉の三匹は仲の好い家来ではなかったかも知れない。が、饑えた動物ほど、忠勇無双の兵卒の資格を具えているものはないはずである。彼等は皆あらしのように、逃げまわる鬼を追いまわした。犬はただ一噛みに鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭い嘴に鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺す前に、必ず凌辱を恣にした。……
あらゆる罪悪の行われた後、とうとう鬼の酋長は、命をとりとめた数人の鬼と、桃太郎の前に降参した。桃太郎の得意は思うべしである。鬼が島はもう昨日のように、極楽鳥の囀る楽土ではない。椰子の林は至るところに鬼の死骸を撒き散らしている。桃太郎はやはり旗を片手に、三匹の家来を従えたまま、平蜘蛛のようになった鬼の酋長へ厳かにこういい渡した。
「では格別の憐愍により、貴様たちの命は赦してやる。その代りに鬼が島の宝物は一つも残らず献上するのだぞ。」
「はい、献上致します。」
「なおそのほかに貴様の子供を人質のためにさし出すのだぞ。」
「それも承知致しました。」
鬼の酋長はもう一度額を土へすりつけた後、恐る恐る桃太郎へ質問した。
「わたくしどもはあなた様に何か無礼でも致したため、御征伐を受けたことと存じて居ります。しかし実はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点が参りませぬ。ついてはその無礼の次第をお明し下さる訣には参りますまいか?」
桃太郎は悠然と頷いた。
「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」
「ではそのお三かたをお召し抱えなすったのはどういう訣でございますか?」
「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子をやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」
鬼の酋長は驚いたように、三尺ほど後へ飛び下ると、いよいよまた丁寧にお時儀をした。
五
日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹と、人質に取った鬼の子供に宝物の車を引かせながら、得々と故郷へ凱旋した。――これだけはもう日本中の子供のとうに知っている話である。しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送った訣ではない。鬼の子供は一人前になると番人の雉を噛み殺した上、たちまち鬼が島へ逐電した。のみならず鬼が島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形へ火をつけたり、桃太郎の寝首をかこうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいという噂である。桃太郎はこういう重ね重ねの不幸に嘆息を洩らさずにはいられなかった。
「どうも鬼というものの執念の深いのには困ったものだ。」
「やっと命を助けて頂いた御主人の大恩さえ忘れるとは怪しからぬ奴等でございます。」
犬も桃太郎の渋面を見ると、口惜しそうにいつも唸ったものである。
その間も寂しい鬼が島の磯には、美しい熱帯の月明りを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子の実に爆弾を仕こんでいた。優しい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗ほどの目の玉を赫かせながら。……
六
人間の知らない山の奥に雲霧を破った桃の木は今日もなお昔のように、累々と無数の実をつけている。勿論桃太郎を孕んでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉は今度はいつこの木の梢へもう一度姿を露わすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。……
(大正十三年六月) | 底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
初出:「サンデー毎日 夏期特別号」
1924(大正13)年7月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月8日公開
2012年9月21日修正
青空文庫作成ファイル:
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或夏の夜、まだ文科大学の学生なりしが、友人山宮允君と、観潮楼へ参りし事あり。森先生は白きシャツに白き兵士の袴をつけられしと記憶す。膝の上に小さき令息をのせられつつ、仏蘭西の小説、支那の戯曲の話などせられたり。話の中、西廂記と琵琶記とを間違え居られし為、先生も時には間違わるる事あるを知り、反って親しみを増せし事あり。部屋は根津界隈を見晴らす二階、永井荷風氏の日和下駄に書かれたると同じ部屋にあらずやと思う。その頃の先生は面の色日に焼け、如何にも軍人らしき心地したれど、謹厳などと云う堅苦しさは覚えず。英雄崇拝の念に充ち満ちたる我等には、快活なる先生とのみ思われたり。
又夏目先生の御葬式の時、青山斎場の門前の天幕に、受附を勤めし事ありしが、霜降の外套に中折帽をかぶりし人、わが前へ名刺をさし出したり。その人の顔の立派なる事、神彩ありとも云うべきか、滅多に世の中にある顔ならず。名刺を見れば森林太郎とあり。おや、先生だったかと思いし時は、もう斎場へ入られし後なりき。その時先生を見誤りしは、当時先生の面の色黒からざりし為なるべし。当時先生は陸軍を退かれ、役所通いも止められしかば、日に焼けらるる事もなかりしなり。(未定稿) | 底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社
1995(平成7)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店
1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月発行
入力:向井樹里
校正:砂場清隆
2007年2月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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"底本出版社名1": "講談社文芸文庫、講談社",
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わん
ある冬の日の暮、保吉は薄汚いレストランの二階に脂臭い焼パンを齧っていた。彼のテエブルの前にあるのは亀裂の入った白壁だった。そこにはまた斜かいに、「ホット(あたたかい)サンドウィッチもあります」と書いた、細長い紙が貼りつけてあった。(これを彼の同僚の一人は「ほっと暖いサンドウィッチ」と読み、真面目に不思議がったものである。)それから左は下へ降りる階段、右は直に硝子窓だった。彼は焼パンを齧りながら、時々ぼんやり窓の外を眺めた。窓の外には往来の向うに亜鉛屋根の古着屋が一軒、職工用の青服だのカアキ色のマントだのをぶら下げていた。
その夜学校には六時半から、英語会が開かれるはずになっていた。それへ出席する義務のあった彼はこの町に住んでいない関係上、厭でも放課後六時半まではこんなところにいるより仕かたはなかった。確か土岐哀果氏の歌に、――間違ったならば御免なさい。――「遠く来てこの糞のよなビフテキをかじらねばならず妻よ妻よ恋し」と云うのがある。彼はここへ来る度に、必ずこの歌を思い出した。もっとも恋しがるはずの妻はまだ貰ってはいなかった。しかし古着屋の店を眺め、脂臭い焼パンをかじり、「ホット(あたたかい)サンドウィッチ」を見ると、「妻よ妻よ恋し」と云う言葉はおのずから唇に上って来るのだった。
保吉はこの間も彼の後ろに、若い海軍の武官が二人、麦酒を飲んでいるのに気がついていた。その中の一人は見覚えのある同じ学校の主計官だった。武官に馴染みの薄い彼はこの人の名前を知らなかった。いや、名前ばかりではない。少尉級か中尉級かも知らなかった。ただ彼の知っているのは月々の給金を貰う時に、この人の手を経ると云うことだけだった。もう一人は全然知らなかった。二人は麦酒の代りをする度に、「こら」とか「おい」とか云う言葉を使った。女中はそれでも厭な顔をせずに、両手にコップを持ちながら、まめに階段を上り下りした。その癖保吉のテエブルへは紅茶を一杯頼んでも容易に持って来てはくれなかった。これはここに限ったことではない。この町のカフェやレストランはどこへ行っても同じことだった。
二人は麦酒を飲みながら、何か大声に話していた。保吉は勿論その話に耳を貸していた訣ではなかった。が、ふと彼を驚かしたのは、「わんと云え」と云う言葉だった。彼は犬を好まなかった。犬を好まない文学者にゲエテとストリントベルグとを数えることを愉快に思っている一人だった。だからこの言葉を耳にした時、彼はこんなところに飼ってい勝ちな、大きい西洋犬を想像した。同時にそれが彼の後ろにうろついていそうな無気味さを感じた。
彼はそっと後ろを見た。が、そこには仕合せと犬らしいものは見えなかった。ただあの主計官が窓の外を見ながら、にやにや笑っているばかりだった。保吉は多分犬のいるのは窓の下だろうと推察した。しかし何だか変な気がした。すると主計官はもう一度、「わんと云え。おい、わんと云え」と云った。保吉は少し体を扭じ曲げ、向うの窓の下を覗いて見た。まず彼の目にはいったのは何とか正宗の広告を兼ねた、まだ火のともらない軒燈だった。それから巻いてある日除けだった。それから麦酒樽の天水桶の上に乾し忘れたままの爪革だった。それから、往来の水たまりだった。それから、――あとは何だったにせよ、どこにも犬の影は見なかった。その代りに十二三の乞食が一人、二階の窓を見上げながら、寒そうに立っている姿が見えた。
「わんと云え。わんと云わんか!」
主計官はまたこう呼びかけた。その言葉には何か乞食の心を支配する力があるらしかった。乞食はほとんど夢遊病者のように、目はやはり上を見たまま、一二歩窓の下へ歩み寄った。保吉はやっと人の悪い主計官の悪戯を発見した。悪戯?――あるいは悪戯ではなかったかも知れない。なかったとすれば実験である。人間はどこまで口腹のために、自己の尊厳を犠牲にするか?――と云うことに関する実験である。保吉自身の考えによると、これは何もいまさらのように実験などすべき問題ではない。エサウは焼肉のために長子権を抛ち、保吉はパンのために教師になった。こう云う事実を見れば足りることである。が、あの実験心理学者はなかなかこんなことぐらいでは研究心の満足を感ぜぬのであろう。それならば今日生徒に教えた、De gustibus non est Disputandum である。蓼食う虫も好き好きである。実験したければして見るが好い。――保吉はそう思いながら、窓の下の乞食を眺めていた。
主計官はしばらく黙っていた。すると乞食は落着かなそうに、往来の前後を見まわし始めた。犬の真似をすることには格別異存はないにしても、さすがにあたりの人目だけは憚っているのに違いなかった。が、その目の定まらない内に、主計官は窓の外へ赤い顔を出しながら、今度は何か振って見せた。
「わんと云え。わんと云えばこれをやるぞ。」
乞食の顔は一瞬間、物欲しさに燃え立つようだった。保吉は時々乞食と云うものにロマンティックな興味を感じていた。が、憐憫とか同情とかは一度も感じたことはなかった。もし感じたと云うものがあれば、莫迦か嘘つきかだとも信じていた。しかし今その子供の乞食が頸を少し反らせたまま、目を輝かせているのを見ると、ちょいといじらしい心もちがした。ただしこの「ちょいと」と云うのは懸け値のないちょいとである。保吉はいじらしいと思うよりも、むしろそう云う乞食の姿にレムブラント風の効果を愛していた。
「云わんか? おい、わんと云うんだ。」
乞食は顔をしかめるようにした。
「わん。」
声はいかにもかすかだった。
「もっと大きく。」
「わん。わん。」
乞食はとうとう二声鳴いた。と思うと窓の外へネエベル・オレンジが一つ落ちた。――その先はもう書かずとも好い。乞食は勿論オレンジに飛びつき、主計官は勿論笑ったのである。
それから一週間ばかりたった後、保吉はまた月給日に主計部へ月給を貰いに行った。あの主計官は忙しそうにあちらの帳簿を開いたり、こちらの書類を拡げたりしていた。それが彼の顔を見ると、「俸給ですね」と一言云った。彼も「そうです」と一言答えた。が、主計官は用が多いのか、容易に月給を渡さなかった。のみならずしまいには彼の前へ軍服の尻を向けたまま、いつまでも算盤を弾いていた。
「主計官。」
保吉はしばらく待たされた後、懇願するようにこう云った。主計官は肩越しにこちらを向いた。その唇には明らかに「直です」と云う言葉が出かかっていた。しかし彼はそれよりも先に、ちゃんと仕上げをした言葉を継いだ。
「主計官。わんと云いましょうか? え、主計官。」
保吉の信ずるところによれば、そう云った時の彼の声は天使よりも優しいくらいだった。
西洋人
この学校へは西洋人が二人、会話や英作文を教えに来ていた。一人はタウンゼンドと云う英吉利人、もう一人はスタアレットと云う亜米利加人だった。
タウンゼンド氏は頭の禿げた、日本語の旨い好々爺だった。由来西洋人の教師と云うものはいかなる俗物にも関らずシェクスピイアとかゲエテとかを喋々してやまないものである。しかし幸いにタウンゼンド氏は文芸の文の字もわかったとは云わない。いつかウワアズワアスの話が出たら、「詩と云うものは全然わからぬ。ウワアズワアスなどもどこが好いのだろう」と云った。
保吉はこのタウンゼンド氏と同じ避暑地に住んでいたから、学校の往復にも同じ汽車に乗った。汽車はかれこれ三十分ばかりかかる。二人はその汽車の中にグラスゴオのパイプを啣えながら、煙草の話だの学校の話だの幽霊の話だのを交換した。セオソフィストたるタウンゼンド氏はハムレットに興味を持たないにしても、ハムレットの親父の幽霊には興味を持っていたからである。しかし魔術とか錬金術とか、occult sciences の話になると、氏は必ずもの悲しそうに頭とパイプとを一しょに振りながら、「神秘の扉は俗人の思うほど、開き難いものではない。むしろその恐しい所以は容易に閉じ難いところにある。ああ云うものには手を触れぬが好い」と云った。
もう一人のスタアレット氏はずっと若い洒落者だった。冬は暗緑色のオオヴァ・コートに赤い襟巻などを巻きつけて来た。この人はタウンゼンド氏に比べると、時々は新刊書も覗いて見るらしい。現に学校の英語会に「最近の亜米利加の小説家」と云う大講演をやったこともある。もっともその講演によれば、最近の亜米利加の大小説家はロバアト・ルイズ・スティヴンソンかオオ・ヘンリイだと云うことだった!
スタアレット氏も同じ避暑地ではないが、やはり沿線のある町にいたから、汽車を共にすることは度たびあった。保吉は氏とどんな話をしたか、ほとんど記憶に残っていない。ただ一つ覚えているのは、待合室の煖炉の前に汽車を待っていた時のことである。保吉はその時欠伸まじりに、教師と云う職業の退屈さを話した。すると縁無しの眼鏡をかけた、男ぶりの好いスタアレット氏はちょいと妙な顔をしながら、
「教師になるのは職業ではない。むしろ天職と呼ぶべきだと思う。You know, Socrates and Plato are two great teachers …… Etc.」と云った。
ロバアト・ルイズ・スティヴンソンはヤンキイでも何でも差支えない。が、ソクラテスとプレトオをも教師だったなどと云うのは、――保吉は爾来スタアレット氏に慇懃なる友情を尽すことにした。
午休み
――或空想――
保吉は二階の食堂を出た。文官教官は午飯の後はたいてい隣の喫煙室へはいる。彼は今日はそこへ行かずに、庭へ出る階段を降ることにした。すると下から下士が一人、一飛びに階段を三段ずつ蝗のように登って来た。それが彼の顔を見ると、突然厳格に挙手の礼をした。するが早いか一躍りに保吉の頭を躍り越えた。彼は誰もいない空間へちょいと会釈を返しながら、悠々と階段を降り続けた。
庭には槙や榧の間に、木蘭が花を開いている。木蘭はなぜか日の当る南へ折角の花を向けないらしい。が、辛夷は似ている癖に、きっと南へ花を向けている。保吉は巻煙草に火をつけながら、木蘭の個性を祝福した。そこへ石を落したように、鶺鴒が一羽舞い下って来た。鶺鴒も彼には疎遠ではない。あの小さい尻尾を振るのは彼を案内する信号である。
「こっち! こっち! そっちじゃありませんよ。こっち! こっち!」
彼は鶺鴒の云うなり次第に、砂利を敷いた小径を歩いて行った。が、鶺鴒はどう思ったか、突然また空へ躍り上った。その代り背の高い機関兵が一人、小径をこちらへ歩いて来た。保吉はこの機関兵の顔にどこか見覚えのある心もちがした。機関兵はやはり敬礼した後、さっさと彼の側を通り抜けた。彼は煙草の煙を吹きながら、誰だったかしらと考え続けた。二歩、三歩、五歩、――十歩目に保吉は発見した。あれはポオル・ゴオギャンである。あるいはゴオギャンの転生である。今にきっとシャヴルの代りに画筆を握るのに相違ない。そのまた挙句に気違いの友だちに後ろからピストルを射かけられるのである。可哀そうだが、どうも仕方がない。
保吉はとうとう小径伝いに玄関の前の広場へ出た。そこには戦利品の大砲が二門、松や笹の中に並んでいる。ちょいと砲身に耳を当てて見たら、何だか息の通る音がした。大砲も欠伸をするかも知れない。彼は大砲の下に腰を下した。それから二本目の巻煙草へ火をつけた。もう車廻しの砂利の上には蜥蜴が一匹光っている。人間は足を切られたが最後、再び足は製造出来ない。しかし蜥蜴は尻っ尾を切られると、直にまた尻っ尾を製造する。保吉は煙草を啣えたまま、蜥蝪はきっとラマルクよりもラマルキアンに違いないと思った。が、しばらく眺めていると、蜥蜴はいつか砂利に垂れた一すじの重油に変ってしまった。
保吉はやっと立ち上った。ペンキ塗りの校舎に沿いながら、もう一度庭を向うへ抜けると、海に面する運動場へ出た。土の赤いテニス・コオトには武官教官が何人か、熱心に勝負を争っている。コオトの上の空間は絶えず何かを破裂させる。同時にネットの右や左へ薄白い直線を迸らせる。あれは球の飛ぶのではない。目に見えぬ三鞭酒を抜いているのである。そのまた三鞭酒をワイシャツの神々が旨そうに飲んでいるのである。保吉は神々を讃美しながら、今度は校舎の裏庭へまわった。
裏庭には薔薇が沢山ある。もっとも花はまだ一輪もない。彼はそこを歩きながら、径へさし出た薔薇の枝に毛虫を一匹発見した。と思うとまた一匹、隣の葉の上にも這っているのがあった。毛虫は互に頷き頷き、彼のことか何か話しているらしい。保吉はそっと立ち聞きすることにした。
第一の毛虫 この教官はいつ蝶になるのだろう? 我々の曾々々祖父の代から、地面の上ばかり這いまわっている。
第二の毛虫 人間は蝶にならないのかも知れない。
第一の毛虫 いや、なることはなるらしい。あすこにも現在飛んでいるから。
第二の毛虫 なるほど、飛んでいるのがある。しかし何と云う醜さだろう! 美意識さえ人間にはないと見える。
保吉は額に手をかざしながら、頭の上へ来た飛行機を仰いだ。
そこに同僚に化けた悪魔が一人、何か愉快そうに歩いて来た。昔は錬金術を教えた悪魔も今は生徒に応用化学を教えている。それがにやにや笑いながら、こう保吉に話しかけた。
「おい、今夜つき合わんか?」
保吉は悪魔の微笑の中にありありとファウストの二行を感じた。――「一切の理論は灰色だが、緑なのは黄金なす生活の樹だ!」
彼は悪魔に別れた後、校舎の中へ靴を移した。教室は皆がらんとしている。通りすがりに覗いて見たら、ただある教室の黒板の上に幾何の図が一つ描き忘れてあった。幾何の図は彼が覗いたのを知ると、消されると思ったのに違いない。たちまち伸びたり縮んだりしながら、
「次の時間に入用なのです。」と云った。
保吉はもと降りた階段を登り、語学と数学との教官室へはいった。教官室には頭の禿げたタウンゼンド氏のほかに誰もいない。しかもこの老教師は退屈まぎれに口笛を吹き吹き、一人ダンスを試みている。保吉はちょいと苦笑したまま、洗面台の前へ手を洗いに行った。その時ふと鏡を見ると、驚いたことにタウンゼンド氏はいつのまにか美少年に変り、保吉自身は腰の曲った白頭の老人に変っていた。
恥
保吉は教室へ出る前に、必ず教科書の下調べをした。それは月給を貰っているから、出たらめなことは出来ないと云う義務心によったばかりではない。教科書には学校の性質上海上用語が沢山出て来る。それをちゃんと検べて置かないと、とんでもない誤訳をやりかねない。たとえば Cat's paw と云うから、猫の足かと思っていれば、そよ風だったりするたぐいである。
ある時彼は二年級の生徒に、やはり航海のことを書いた、何とか云う小品を教えていた。それは恐るべき悪文だった。マストに風が唸ったり、ハッチへ浪が打ちこんだりしても、その浪なり風なりは少しも文字の上へ浮ばなかった。彼は生徒に訳読をさせながら、彼自身先に退屈し出した。こう云う時ほど生徒を相手に、思想問題とか時事問題とかを弁じたい興味に駆られることはない。元来教師と云うものは学科以外の何ものかを教えたがるものである。道徳、趣味、人生観、――何と名づけても差支えない。とにかく教科書や黒板よりも教師自身の心臓に近い何ものかを教えたがるものである。しかし生憎生徒と云うものは学科以外の何ものをも教わりたがらないものである。いや、教わりたがらないのではない。絶対に教わることを嫌悪するものである。保吉はそう信じていたから、この場合も退屈し切ったまま、訳読を進めるより仕かたなかった。
しかし生徒の訳読に一応耳を傾けた上、綿密に誤を直したりするのは退屈しない時でさえ、かなり保吉には面倒だった。彼は一時間の授業時間を三十分ばかり過した後、とうとう訳読を中止させた。その代りに今度は彼自身一節ずつ読んでは訳し出した。教科書の中の航海は不相変退屈を極めていた。同時にまた彼の教えぶりも負けずに退屈を極めていた。彼は無風帯を横ぎる帆船のように、動詞のテンスを見落したり関係代名詞を間違えたり、行き悩み行き悩み進んで行った。
そのうちにふと気がついて見ると、彼の下検べをして来たところはもうたった四五行しかなかった。そこを一つ通り越せば、海上用語の暗礁に満ちた、油断のならない荒海だった。彼は横目で時計を見た。時間は休みの喇叭までにたっぷり二十分は残っていた。彼は出来るだけ叮嚀に、下検べの出来ている四五行を訳した。が、訳してしまって見ると、時計の針はその間にまだ三分しか動いていなかった。
保吉は絶体絶命になった。この場合唯一の血路になるものは生徒の質問に応ずることだった。それでもまだ時間が余れば、早じまいを宣してしまうことだった。彼は教科書を置きながら、「質問は――」と口を切ろうとした。と、突然まっ赤になった。なぜそんなにまっ赤になったか?――それは彼自身にも説明出来ない。とにかく生徒を護摩かすくらいは何とも思わぬはずの彼がその時だけはまっ赤になったのである。生徒は勿論何も知らずにまじまじ彼の顔を眺めていた。彼はもう一度時計を見た。それから、――教科書を取り上げるが早いか、無茶苦茶に先を読み始めた。
教科書の中の航海はその後も退屈なものだったかも知れない。しかし彼の教えぶりは、――保吉は未に確信している。タイフウンと闘う帆船よりも、もっと壮烈を極めたものだった。
勇ましい守衛
秋の末か冬の初か、その辺の記憶ははっきりしない。とにかく学校へ通うのにオオヴァ・コオトをひっかける時分だった。午飯のテエブルについた時、ある若い武官教官が隣に坐っている保吉にこう云う最近の椿事を話した。――つい二三日前の深更、鉄盗人が二三人学校の裏手へ舟を着けた。それを発見した夜警中の守衛は単身彼等を逮捕しようとした。ところが烈しい格闘の末、あべこべに海へ抛りこまれた。守衛は濡れ鼠になりながら、やっと岸へ這い上った。が、勿論盗人の舟はその間にもう沖の闇へ姿を隠していたのである。
「大浦と云う守衛ですがね。莫迦莫迦しい目に遇ったですよ。」
武官はパンを頬張ったなり、苦しそうに笑っていた。
大浦は保吉も知っていた。守衛は何人か交替に門側の詰め所に控えている。そうして武官と文官とを問わず、教官の出入を見る度に、挙手の礼をすることになっている。保吉は敬礼されるのも敬礼に答えるのも好まなかったから、敬礼する暇を与えぬように、詰め所を通る時は特に足を早めることにした。が、この大浦と云う守衛だけは容易に目つぶしを食わされない。第一詰め所に坐ったまま、門の内外五六間の距離へ絶えず目を注いでいる。だから保吉の影が見えると、まだその前へ来ない内に、ちゃんともう敬礼の姿勢をしている。こうなれば宿命と思うほかはない。保吉はとうとう観念した。いや、観念したばかりではない。この頃は大浦を見つけるが早いか、響尾蛇に狙われた兎のように、こちらから帽さえとっていたのである。
それが今聞けば盗人のために、海へ投げこまれたと云うのである。保吉はちょいと同情しながら、やはり笑わずにはいられなかった。
すると五六日たってから、保吉は停車場の待合室に偶然大浦を発見した。大浦は彼の顔を見ると、そう云う場所にも関らず、ぴたりと姿勢を正した上、不相変厳格に挙手の礼をした。保吉ははっきり彼の後ろに詰め所の入口が見えるような気がした。
「君はこの間――」
しばらく沈黙が続いた後、保吉はこう話しかけた。
「ええ、泥坊を掴まえ損じまして、――」
「ひどい目に遇ったですね。」
「幸い怪我はせずにすみましたが、――」
大浦は苦笑を浮べたまま、自ら嘲るように話し続けた。
「何、無理にも掴まえようと思えば、一人ぐらいは掴まえられたのです。しかし掴まえて見たところが、それっきりの話ですし、――」
「それっきりと云うのは?」
「賞与も何も貰えないのです。そう云う場合、どうなると云う明文は守衛規則にありませんから、――」
「職に殉じても?」
「職に殉じてでもです。」
保吉はちょいと大浦を見た。大浦自身の言葉によれば、彼は必ずしも勇士のように、一死を賭してかかったのではない。賞与を打算に加えた上、捉うべき盗人を逸したのである。しかし――保吉は巻煙草をとり出しながら、出来るだけ快活に頷いて見せた。
「なるほどそれじゃ莫迦莫迦しい。危険を冒すだけ損の訣ですね。」
大浦は「はあ」とか何とか云った。その癖変に浮かなそうだった。
「だが賞与さえ出るとなれば、――」
保吉はやや憂鬱に云った。
「だが、賞与さえ出るとなれば、誰でも危険を冒すかどうか?――そいつもまた少し疑問ですね。」
大浦は今度は黙っていた。が、保吉が煙草を啣えると、急に彼自身のマッチを擦り、その火を保吉の前へ出した。保吉は赤あかと靡いた焔を煙草の先に移しながら、思わず口もとに動いた微笑を悟られないように噛み殺した。
「難有う。」
「いや、どうしまして。」
大浦はさりげない言葉と共に、マッチの箱をポケットへ返した。しかし保吉は今日もなおこの勇ましい守衛の秘密を看破したことと信じている。あの一点のマッチの火は保吉のためにばかり擦られたのではない。実に大浦の武士道を冥々の裡に照覧し給う神々のために擦られたのである。
(大正十二年四月) | 底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月10日公開
2004年3月9日修正
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検非違使に問われたる木樵りの物語
さようでございます。あの死骸を見つけたのは、わたしに違いございません。わたしは今朝いつもの通り、裏山の杉を伐りに参りました。すると山陰の藪の中に、あの死骸があったのでございます。あった処でございますか? それは山科の駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。竹の中に痩せ杉の交った、人気のない所でございます。
死骸は縹の水干に、都風のさび烏帽子をかぶったまま、仰向けに倒れて居りました。何しろ一刀とは申すものの、胸もとの突き傷でございますから、死骸のまわりの竹の落葉は、蘇芳に滲みたようでございます。いえ、血はもう流れては居りません。傷口も乾いて居ったようでございます。おまけにそこには、馬蠅が一匹、わたしの足音も聞えないように、べったり食いついて居りましたっけ。
太刀か何かは見えなかったか? いえ、何もございません。ただその側の杉の根がたに、縄が一筋落ちて居りました。それから、――そうそう、縄のほかにも櫛が一つございました。死骸のまわりにあったものは、この二つぎりでございます。が、草や竹の落葉は、一面に踏み荒されて居りましたから、きっとあの男は殺される前に、よほど手痛い働きでも致したのに違いございません。何、馬はいなかったか? あそこは一体馬なぞには、はいれない所でございます。何しろ馬の通う路とは、藪一つ隔たって居りますから。
検非違使に問われたる旅法師の物語
あの死骸の男には、確かに昨日遇って居ります。昨日の、――さあ、午頃でございましょう。場所は関山から山科へ、参ろうと云う途中でございます。あの男は馬に乗った女と一しょに、関山の方へ歩いて参りました。女は牟子を垂れて居りましたから、顔はわたしにはわかりません。見えたのはただ萩重ねらしい、衣の色ばかりでございます。馬は月毛の、――確か法師髪の馬のようでございました。丈でございますか? 丈は四寸もございましたか? ――何しろ沙門の事でございますから、その辺ははっきり存じません。男は、――いえ、太刀も帯びて居れば、弓矢も携えて居りました。殊に黒い塗り箙へ、二十あまり征矢をさしたのは、ただ今でもはっきり覚えて居ります。
あの男がかようになろうとは、夢にも思わずに居りましたが、真に人間の命なぞは、如露亦如電に違いございません。やれやれ、何とも申しようのない、気の毒な事を致しました。
検非違使に問われたる放免の物語
わたしが搦め取った男でございますか? これは確かに多襄丸と云う、名高い盗人でございます。もっともわたしが搦め取った時には、馬から落ちたのでございましょう、粟田口の石橋の上に、うんうん呻って居りました。時刻でございますか? 時刻は昨夜の初更頃でございます。いつぞやわたしが捉え損じた時にも、やはりこの紺の水干に、打出しの太刀を佩いて居りました。ただ今はそのほかにも御覧の通り、弓矢の類さえ携えて居ります。さようでございますか? あの死骸の男が持っていたのも、――では人殺しを働いたのは、この多襄丸に違いございません。革を巻いた弓、黒塗りの箙、鷹の羽の征矢が十七本、――これは皆、あの男が持っていたものでございましょう。はい。馬もおっしゃる通り、法師髪の月毛でございます。その畜生に落されるとは、何かの因縁に違いございません。それは石橋の少し先に、長い端綱を引いたまま、路ばたの青芒を食って居りました。
この多襄丸と云うやつは、洛中に徘徊する盗人の中でも、女好きのやつでございます。昨年の秋鳥部寺の賓頭盧の後の山に、物詣でに来たらしい女房が一人、女の童と一しょに殺されていたのは、こいつの仕業だとか申して居りました。その月毛に乗っていた女も、こいつがあの男を殺したとなれば、どこへどうしたかわかりません。差出がましゅうございますが、それも御詮議下さいまし。
検非違使に問われたる媼の物語
はい、あの死骸は手前の娘が、片附いた男でございます。が、都のものではございません。若狭の国府の侍でございます。名は金沢の武弘、年は二十六歳でございました。いえ、優しい気立でございますから、遺恨なぞ受ける筈はございません。
娘でございますか? 娘の名は真砂、年は十九歳でございます。これは男にも劣らぬくらい、勝気の女でございますが、まだ一度も武弘のほかには、男を持った事はございません。顔は色の浅黒い、左の眼尻に黒子のある、小さい瓜実顔でございます。
武弘は昨日娘と一しょに、若狭へ立ったのでございますが、こんな事になりますとは、何と云う因果でございましょう。しかし娘はどうなりましたやら、壻の事はあきらめましても、これだけは心配でなりません。どうかこの姥が一生のお願いでございますから、たとい草木を分けましても、娘の行方をお尋ね下さいまし。何に致せ憎いのは、その多襄丸とか何とか申す、盗人のやつでございます。壻ばかりか、娘までも………(跡は泣き入りて言葉なし)
× × ×
多襄丸の白状
あの男を殺したのはわたしです。しかし女は殺しはしません。ではどこへ行ったのか? それはわたしにもわからないのです。まあ、お待ちなさい。いくら拷問にかけられても、知らない事は申されますまい。その上わたしもこうなれば、卑怯な隠し立てはしないつもりです。
わたしは昨日の午少し過ぎ、あの夫婦に出会いました。その時風の吹いた拍子に、牟子の垂絹が上ったものですから、ちらりと女の顔が見えたのです。ちらりと、――見えたと思う瞬間には、もう見えなくなったのですが、一つにはそのためもあったのでしょう、わたしにはあの女の顔が、女菩薩のように見えたのです。わたしはその咄嗟の間に、たとい男は殺しても、女は奪おうと決心しました。
何、男を殺すなぞは、あなた方の思っているように、大した事ではありません。どうせ女を奪うとなれば、必ず、男は殺されるのです。ただわたしは殺す時に、腰の太刀を使うのですが、あなた方は太刀は使わない、ただ権力で殺す、金で殺す、どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう。なるほど血は流れない、男は立派に生きている、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません。(皮肉なる微笑)
しかし男を殺さずとも、女を奪う事が出来れば、別に不足はない訳です。いや、その時の心もちでは、出来るだけ男を殺さずに、女を奪おうと決心したのです。が、あの山科の駅路では、とてもそんな事は出来ません。そこでわたしは山の中へ、あの夫婦をつれこむ工夫をしました。
これも造作はありません。わたしはあの夫婦と途づれになると、向うの山には古塚がある、この古塚を発いて見たら、鏡や太刀が沢山出た、わたしは誰も知らないように、山の陰の藪の中へ、そう云う物を埋めてある、もし望み手があるならば、どれでも安い値に売り渡したい、――と云う話をしたのです。男はいつかわたしの話に、だんだん心を動かし始めました。それから、――どうです。欲と云うものは恐しいではありませんか? それから半時もたたない内に、あの夫婦はわたしと一しょに、山路へ馬を向けていたのです。
わたしは藪の前へ来ると、宝はこの中に埋めてある、見に来てくれと云いました。男は欲に渇いていますから、異存のある筈はありません。が、女は馬も下りずに、待っていると云うのです。またあの藪の茂っているのを見ては、そう云うのも無理はありますまい。わたしはこれも実を云えば、思う壺にはまったのですから、女一人を残したまま、男と藪の中へはいりました。
藪はしばらくの間は竹ばかりです。が、半町ほど行った処に、やや開いた杉むらがある、――わたしの仕事を仕遂げるのには、これほど都合の好い場所はありません。わたしは藪を押し分けながら、宝は杉の下に埋めてあると、もっともらしい嘘をつきました。男はわたしにそう云われると、もう痩せ杉が透いて見える方へ、一生懸命に進んで行きます。その内に竹が疎らになると、何本も杉が並んでいる、――わたしはそこへ来るが早いか、いきなり相手を組み伏せました。男も太刀を佩いているだけに、力は相当にあったようですが、不意を打たれてはたまりません。たちまち一本の杉の根がたへ、括りつけられてしまいました。縄ですか? 縄は盗人の有難さに、いつ塀を越えるかわかりませんから、ちゃんと腰につけていたのです。勿論声を出させないためにも、竹の落葉を頬張らせれば、ほかに面倒はありません。
わたしは男を片附けてしまうと、今度はまた女の所へ、男が急病を起したらしいから、見に来てくれと云いに行きました。これも図星に当ったのは、申し上げるまでもありますまい。女は市女笠を脱いだまま、わたしに手をとられながら、藪の奥へはいって来ました。ところがそこへ来て見ると、男は杉の根に縛られている、――女はそれを一目見るなり、いつのまに懐から出していたか、きらりと小刀を引き抜きました。わたしはまだ今までに、あのくらい気性の烈しい女は、一人も見た事がありません。もしその時でも油断していたらば、一突きに脾腹を突かれたでしょう。いや、それは身を躱したところが、無二無三に斬り立てられる内には、どんな怪我も仕兼ねなかったのです。が、わたしも多襄丸ですから、どうにかこうにか太刀も抜かずに、とうとう小刀を打ち落しました。いくら気の勝った女でも、得物がなければ仕方がありません。わたしはとうとう思い通り、男の命は取らずとも、女を手に入れる事は出来たのです。
男の命は取らずとも、――そうです。わたしはその上にも、男を殺すつもりはなかったのです。所が泣き伏した女を後に、藪の外へ逃げようとすると、女は突然わたしの腕へ、気違いのように縋りつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。いや、その内どちらにしろ、生き残った男につれ添いたい、――そうも喘ぎ喘ぎ云うのです。わたしはその時猛然と、男を殺したい気になりました。(陰鬱なる興奮)
こんな事を申し上げると、きっとわたしはあなた方より残酷な人間に見えるでしょう。しかしそれはあなた方が、あの女の顔を見ないからです。殊にその一瞬間の、燃えるような瞳を見ないからです。わたしは女と眼を合せた時、たとい神鳴に打ち殺されても、この女を妻にしたいと思いました。妻にしたい、――わたしの念頭にあったのは、ただこう云う一事だけです。これはあなた方の思うように、卑しい色欲ではありません。もしその時色欲のほかに、何も望みがなかったとすれば、わたしは女を蹴倒しても、きっと逃げてしまったでしょう。男もそうすればわたしの太刀に、血を塗る事にはならなかったのです。が、薄暗い藪の中に、じっと女の顔を見た刹那、わたしは男を殺さない限り、ここは去るまいと覚悟しました。
しかし男を殺すにしても、卑怯な殺し方はしたくありません。わたしは男の縄を解いた上、太刀打ちをしろと云いました。(杉の根がたに落ちていたのは、その時捨て忘れた縄なのです。)男は血相を変えたまま、太い太刀を引き抜きました。と思うと口も利かずに、憤然とわたしへ飛びかかりました。――その太刀打ちがどうなったかは、申し上げるまでもありますまい。わたしの太刀は二十三合目に、相手の胸を貫きました。二十三合目に、――どうかそれを忘れずに下さい。わたしは今でもこの事だけは、感心だと思っているのです。わたしと二十合斬り結んだものは、天下にあの男一人だけですから。(快活なる微笑)
わたしは男が倒れると同時に、血に染まった刀を下げたなり、女の方を振り返りました。すると、――どうです、あの女はどこにもいないではありませんか? わたしは女がどちらへ逃げたか、杉むらの間を探して見ました。が、竹の落葉の上には、それらしい跡も残っていません。また耳を澄ませて見ても、聞えるのはただ男の喉に、断末魔の音がするだけです。
事によるとあの女は、わたしが太刀打を始めるが早いか、人の助けでも呼ぶために、藪をくぐって逃げたのかも知れない。――わたしはそう考えると、今度はわたしの命ですから、太刀や弓矢を奪ったなり、すぐにまたもとの山路へ出ました。そこにはまだ女の馬が、静かに草を食っています。その後の事は申し上げるだけ、無用の口数に過ぎますまい。ただ、都へはいる前に、太刀だけはもう手放していました。――わたしの白状はこれだけです。どうせ一度は樗の梢に、懸ける首と思っていますから、どうか極刑に遇わせて下さい。(昂然たる態度)
清水寺に来れる女の懺悔
――その紺の水干を着た男は、わたしを手ごめにしてしまうと、縛られた夫を眺めながら、嘲るように笑いました。夫はどんなに無念だったでしょう。が、いくら身悶えをしても、体中にかかった縄目は、一層ひしひしと食い入るだけです。わたしは思わず夫の側へ、転ぶように走り寄りました。いえ、走り寄ろうとしたのです。しかし男は咄嗟の間に、わたしをそこへ蹴倒しました。ちょうどその途端です。わたしは夫の眼の中に、何とも云いようのない輝きが、宿っているのを覚りました。何とも云いようのない、――わたしはあの眼を思い出すと、今でも身震いが出ずにはいられません。口さえ一言も利けない夫は、その刹那の眼の中に、一切の心を伝えたのです。しかしそこに閃いていたのは、怒りでもなければ悲しみでもない、――ただわたしを蔑んだ、冷たい光だったではありませんか? わたしは男に蹴られたよりも、その眼の色に打たれたように、我知らず何か叫んだぎり、とうとう気を失ってしまいました。
その内にやっと気がついて見ると、あの紺の水干の男は、もうどこかへ行っていました。跡にはただ杉の根がたに、夫が縛られているだけです。わたしは竹の落葉の上に、やっと体を起したなり、夫の顔を見守りました。が、夫の眼の色は、少しもさっきと変りません。やはり冷たい蔑みの底に、憎しみの色を見せているのです。恥しさ、悲しさ、腹立たしさ、――その時のわたしの心の中は、何と云えば好いかわかりません。わたしはよろよろ立ち上りながら、夫の側へ近寄りました。
「あなた。もうこうなった上は、あなたと御一しょには居られません。わたしは一思いに死ぬ覚悟です。しかし、――しかしあなたもお死になすって下さい。あなたはわたしの恥を御覧になりました。わたしはこのままあなた一人、お残し申す訳には参りません。」
わたしは一生懸命に、これだけの事を云いました。それでも夫は忌わしそうに、わたしを見つめているばかりなのです。わたしは裂けそうな胸を抑えながら、夫の太刀を探しました。が、あの盗人に奪われたのでしょう、太刀は勿論弓矢さえも、藪の中には見当りません。しかし幸い小刀だけは、わたしの足もとに落ちているのです。わたしはその小刀を振り上げると、もう一度夫にこう云いました。
「ではお命を頂かせて下さい。わたしもすぐにお供します。」
夫はこの言葉を聞いた時、やっと唇を動かしました。勿論口には笹の落葉が、一ぱいにつまっていますから、声は少しも聞えません。が、わたしはそれを見ると、たちまちその言葉を覚りました。夫はわたしを蔑んだまま、「殺せ。」と一言云ったのです。わたしはほとんど、夢うつつの内に、夫の縹の水干の胸へ、ずぶりと小刀を刺し通しました。
わたしはまたこの時も、気を失ってしまったのでしょう。やっとあたりを見まわした時には、夫はもう縛られたまま、とうに息が絶えていました。その蒼ざめた顔の上には、竹に交った杉むらの空から、西日が一すじ落ちているのです。わたしは泣き声を呑みながら、死骸の縄を解き捨てました。そうして、――そうしてわたしがどうなったか? それだけはもうわたしには、申し上げる力もありません。とにかくわたしはどうしても、死に切る力がなかったのです。小刀を喉に突き立てたり、山の裾の池へ身を投げたり、いろいろな事もして見ましたが、死に切れずにこうしている限り、これも自慢にはなりますまい。(寂しき微笑)わたしのように腑甲斐ないものは、大慈大悲の観世音菩薩も、お見放しなすったものかも知れません。しかし夫を殺したわたしは、盗人の手ごめに遇ったわたしは、一体どうすれば好いのでしょう? 一体わたしは、――わたしは、――(突然烈しき歔欷)
巫女の口を借りたる死霊の物語
――盗人は妻を手ごめにすると、そこへ腰を下したまま、いろいろ妻を慰め出した。おれは勿論口は利けない。体も杉の根に縛られている。が、おれはその間に、何度も妻へ目くばせをした。この男の云う事を真に受けるな、何を云っても嘘と思え、――おれはそんな意味を伝えたいと思った。しかし妻は悄然と笹の落葉に坐ったなり、じっと膝へ目をやっている。それがどうも盗人の言葉に、聞き入っているように見えるではないか? おれは妬しさに身悶えをした。が、盗人はそれからそれへと、巧妙に話を進めている。一度でも肌身を汚したとなれば、夫との仲も折り合うまい。そんな夫に連れ添っているより、自分の妻になる気はないか? 自分はいとしいと思えばこそ、大それた真似も働いたのだ、――盗人はとうとう大胆にも、そう云う話さえ持ち出した。
盗人にこう云われると、妻はうっとりと顔を擡げた。おれはまだあの時ほど、美しい妻を見た事がない。しかしその美しい妻は、現在縛られたおれを前に、何と盗人に返事をしたか? おれは中有に迷っていても、妻の返事を思い出すごとに、嗔恚に燃えなかったためしはない。妻は確かにこう云った、――「ではどこへでもつれて行って下さい。」(長き沈黙)
妻の罪はそれだけではない。それだけならばこの闇の中に、いまほどおれも苦しみはしまい。しかし妻は夢のように、盗人に手をとられながら、藪の外へ行こうとすると、たちまち顔色を失ったなり、杉の根のおれを指さした。「あの人を殺して下さい。わたしはあの人が生きていては、あなたと一しょにはいられません。」――妻は気が狂ったように、何度もこう叫び立てた。「あの人を殺して下さい。」――この言葉は嵐のように、今でも遠い闇の底へ、まっ逆様におれを吹き落そうとする。一度でもこのくらい憎むべき言葉が、人間の口を出た事があろうか? 一度でもこのくらい呪わしい言葉が、人間の耳に触れた事があろうか? 一度でもこのくらい、――(突然迸るごとき嘲笑)その言葉を聞いた時は、盗人さえ色を失ってしまった。「あの人を殺して下さい。」――妻はそう叫びながら、盗人の腕に縋っている。盗人はじっと妻を見たまま、殺すとも殺さぬとも返事をしない。――と思うか思わない内に、妻は竹の落葉の上へ、ただ一蹴りに蹴倒された、(再び迸るごとき嘲笑)盗人は静かに両腕を組むと、おれの姿へ眼をやった。「あの女はどうするつもりだ? 殺すか、それとも助けてやるか? 返事はただ頷けば好い。殺すか?」――おれはこの言葉だけでも、盗人の罪は赦してやりたい。(再び、長き沈黙)
妻はおれがためらう内に、何か一声叫ぶが早いか、たちまち藪の奥へ走り出した。盗人も咄嗟に飛びかかったが、これは袖さえ捉えなかったらしい。おれはただ幻のように、そう云う景色を眺めていた。
盗人は妻が逃げ去った後、太刀や弓矢を取り上げると、一箇所だけおれの縄を切った。「今度はおれの身の上だ。」――おれは盗人が藪の外へ、姿を隠してしまう時に、こう呟いたのを覚えている。その跡はどこも静かだった。いや、まだ誰かの泣く声がする。おれは縄を解きながら、じっと耳を澄ませて見た。が、その声も気がついて見れば、おれ自身の泣いている声だったではないか? (三度、長き沈黙)
おれはやっと杉の根から、疲れ果てた体を起した。おれの前には妻が落した、小刀が一つ光っている。おれはそれを手にとると、一突きにおれの胸へ刺した。何か腥い塊がおれの口へこみ上げて来る。が、苦しみは少しもない。ただ胸が冷たくなると、一層あたりがしんとしてしまった。ああ、何と云う静かさだろう。この山陰の藪の空には、小鳥一羽囀りに来ない。ただ杉や竹の杪に、寂しい日影が漂っている。日影が、――それも次第に薄れて来る。――もう杉や竹も見えない。おれはそこに倒れたまま、深い静かさに包まれている。
その時誰か忍び足に、おれの側へ来たものがある。おれはそちらを見ようとした。が、おれのまわりには、いつか薄闇が立ちこめている。誰か、――その誰かは見えない手に、そっと胸の小刀を抜いた。同時におれの口の中には、もう一度血潮が溢れて来る。おれはそれぎり永久に、中有の闇へ沈んでしまった。………
(大正十年十二月) | 底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
1996(平成8)年7月15日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
初出:「新潮」
1922(大正11)年1月
入力:平山誠、野口英司
校正:もりみつじゅんじ
1997年11月10日公開
2011年5月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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赤沢
雑木の暗い林を出ると案内者がここが赤沢ですと言った。暑さと疲れとで目のくらみかかった自分は今まで下ばかり見て歩いていた。じめじめした苔の間に鷺草のような小さな紫の花がさいていたのは知っている。熊笹の折りかさなった中に兎の糞の白くころがっていたのは知っている。けれどもいったい林の中を通ってるんだか、やぶの中をくぐっているんだかはさっぱり見当がつかなかった。ただむやみに、岩だらけの路を登って来たのを知っているばかりである。それが「ここが赤沢です」と言う声を聞くと同時にやれやれ助かったという気になった。そうして首を上げて、今まで自分たちの通っていたのが、しげった雑木の林だったということを意識した。安心すると急に四方のながめが眼にはいるようになる。目の前には高い山がそびえている。高い山といっても平凡な、高い山ではない。山膚は白っちゃけた灰色である。その灰色に縦横の皺があって、くぼんだ所は鼠色の影をひいている。つき出た所ははげしい真夏の日の光で雪がのこっているのかと思われるほど白く輝いて見える。山の八分がこのあらい灰色の岩であとは黒ずんだ緑でまだらにつつまれている。その緑が縦にMの字の形をしてとぎれとぎれに山膚を縫ったのが、なんとなく荒涼とした思いを起させる。こんな山が屏風をめぐらしたようにつづいた上には浅黄繻子のように光った青空がある。青空には熱と光との暗影をもった、溶けそうな白い雲が銅をみがいたように輝いて、紫がかった鉛色の陰を、山のすぐれて高い頂にはわせている。山に囲まれた細長い渓谷は石で一面に埋められているといってもいい。大きなのやら小さなのやら、みかげ石のまばゆいばかりに日に反射したのやら、赤みを帯びたインク壺のような形のやら、直八面体の角ばったのやら、ゆがんだ球のようなまるいのやら、立体の数をつくしたような石が、雑然と狭い渓谷の急な斜面に充たされている。石の洪水。少しおかしいが全く石の洪水という語がゆるされるのならまさしくそれだ。上の方を見上げると一草の緑も、一花の紅もつけない石の連続がずーうっと先の先の方までつづいている。いちばん遠い石は蟹の甲羅くらいな大きさに見える。それが近くなるに従ってだんだんに大きくなって、自分たちの足もとへ来ては、一間に高さが五尺ほどの鼠色の四角な石になっている。荒廃と寂寞――どうしても元始的な、人をひざまずかせなければやまないような強い力がこの両側の山と、その間にはさまれた谷との上に動いているような気がする。案内者が「赤沢の小屋ってなアあれですあ」と言う。自分たちの立っている所より少し低い所にくくりまくらのような石がある。それがまたきわめて大きい。動物園の象の足と鼻を切って、胴だけを三つ四つつみ重ねたらあのくらいになるかもしれない。その石がぬっと半ば起きかかった下に焚火をした跡がある。黒い燃えさしや、白い石がうずたかくつもっていた。あの石の下に寝るんだそうだ。夜中に何かのぐあいであの石が寝がえりを打ったら、下の人間はぴしゃんこになってしまうだろうと思う。渓谷の下の方はこの大石にさえぎられて何も見えぬ。目の前にひろげられたのはただ、長いしかも乱雑な石の排列、頭の上におおいかかるような灰色の山々、そうしてこれらを強く照らす真夏の白い日光ばかりである。
自然というものをむきつけにまのあたりに見るような気がして自分はいよいよはげしい疲れを感ぜざるを得なかった。
朝三時
さあ行こうと中原が言う。行こうと返事をして手袋をはめているうちに中原はもう歩きだした。そうして二度目に行くよと言ったときには中原の足は自分の頭より高い所にあった。上を見るとうす暗い中に夏服の後ろ姿がよろけるように右左へゆれながら上って行く。自分もつえを持ってあとについて上りはじめた。上りはじめて少し驚いた。路といってはもとよりなんにもない。魚河岸へ鮪がついたように雑然ところがった石の上を、ひょいひょいとびとびに上るのである。どうかするとぐらぐらとゆれるやつがある。おやと思ってその次のやつへ足をかけるとまたぐらりとくる。しかたがないから四つんばいになって猿のような形をして上る。その上にまだ暗いのでなんでも判然とわからない。ただまっ黒なものの中をうす白いものがふらふらと上ってゆくあとを、いいかげんに見当をつけてはって行くばかりである。心細いことおびただしい。おまけにきわめて寒い。昨夜ぬいでおいたたびが今朝はごそごそにこわばっている。手で石の角をつかむたんびに冷たさが毛糸の手袋をとおしてしみてくる。鼻のあたまがつめたくなって息がきれる。はっはっ言うたびに口から白い霧が出る。途中でふり向いて見ると谷底まで黒いものがつづいてその中途で白いまるいものと細長いものとが動いていた。「おおい」と呼ぶと下でも「おおい」と答える。小さい時に掘井戸の上から中をのぞきこんでおおいと言うとおおいと反響をしたのが思い出される。まるいのは市村の麦わら帽子、細長いのは中塚の浴衣であった。黒いものは谷の底からなお上へのぼって馬の背のように空をかぎる。その中で頭の上の遠くに、菱の花びらの半ばをとがったほうを上にしておいたような、貝塚から出る黒曜石の鏃のような形をしたのが槍が岳で、その左と右に歯朶の葉のような高低をもって長くつづいたのが、信濃と飛騨とを限る連山である。空はその上にうすい暗みを帯びた藍色にすんで、星が大きく明らかに白毫のように輝いている。槍が岳とちょうど反対の側には月がまだ残っていた。七日ばかりの月で黄色い光がさびしかった。あたりはしんとしている。死のしずけさという思いが起ってくる。石をふみ落すとからからという音がしばらくきこえて、やがてまたもとの静けさに返ってしまう。路が偃松の中へはいると、歩くたびに湿っぽい鈍い重い音ががさりがさりとする。ふいにギャアという声がした。おやと思うと案内者が「雷鳥です」と言った。形は見えない。ただやみの中から鋭い声をきいただけである。人をのろうのかもしれない。静かな、恐れをはらんだ絶嶺の大気を貫いて思わずもきいた雷鳥の声は、なんとなくあるシンボルでもあるような気がした。
(明治四十四年ごろ) | 底本:「羅生門・鼻・芋粥」角川文庫、角川書店
1950(昭和25)年10月20日初版発行
1985(昭和60)年11月10日改版38版発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月11日公開
2004年3月10日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000181",
"作品名": "槍が岳に登った記",
"作品名読み": "やりがたけにのぼったき",
"ソート用読み": "やりかたけにのほつたき",
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"原題": "",
"初出": "「芥川龍之介全集 別冊」岩波書店、1929(昭和4)年2月",
"分類番号": "NDC 915",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-01-11T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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"人物ID": "000879",
"姓": "芥川",
"名": "竜之介",
"姓読み": "あくたがわ",
"名読み": "りゅうのすけ",
"姓読みソート用": "あくたかわ",
"名読みソート用": "りゆうのすけ",
"姓ローマ字": "Akutagawa",
"名ローマ字": "Ryunosuke",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1892-03-01",
"没年月日": "1927-07-24",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "羅生門・鼻・芋粥",
"底本出版社名1": "角川文庫、角川書店",
"底本初版発行年1": "1950(昭和25)年10月20日",
"入力に使用した版1": "1985(昭和60)年11月10日改版38版",
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十月のある午後、僕等三人は話し合いながら、松の中の小みちを歩いていた。小みちにはどこにも人かげはなかった。ただ時々松の梢に鵯の声のするだけだった。
「ゴオグの死骸を載せた玉突台だね、あの上では今でも玉を突いているがね。……」
西洋から帰って来たSさんはそんなことを話して聞かせたりした。
そのうちに僕等は薄苔のついた御影石の門の前へ通りかかった。石に嵌めこんだ標札には「悠々荘」と書いてあった。が、門の奥にある家は、――茅葺き屋根の西洋館はひっそりと硝子窓を鎖していた。僕は日頃この家に愛着を持たずにはいられなかった。それは一つには家自身のいかにも瀟洒としているためだった。しかしまたそのほかにも荒廃を極めたあたりの景色に――伸び放題伸びた庭芝や水の干上った古池に風情の多いためもない訣ではなかった。
「一つ中へはいって見るかな。」
僕は先に立って門の中へはいった。敷石を挟んだ松の下には姫路茸などもかすかに赤らんでいた。
「この別荘を持っている人も震災以来来なくなったんだね。……」
するとT君は考え深そうに玄関前の萩に目をやった後、こう僕の言葉に反対した。
「いや、去年までは来ていたんだね。去年ちゃんと刈りこまなけりゃ、この萩はこうは咲くもんじゃない。」
「しかしこの芝の上を見給え。こんなに壁土も落ちているだろう。これは君、震災の時に落ちたままになっているのに違いないよ。」
僕は実際震災のために取り返しのつかない打撃を受けた年少の実業家を想像していた。それはまた木蔦のからみついたコッテエジ風の西洋館と――殊に硝子窓の前に植えた棕櫚や芭蕉の幾株かと調和しているのに違いなかった。
しかしT君は腰をかがめ、芝の上の土を拾いながら、もう一度僕の言葉に反対した。
「これは壁土の落ちたのじゃない。園芸用の腐蝕土だよ。しかも上等な腐蝕土だよ。」
僕等はいつか窓かけを下した硝子窓の前に佇んでいた。窓かけは、もちろん蝋引だった。
「家の中は見えないかね。」
僕等はそんなことを話しながら、幾つかの硝子窓を覗いて歩いた。窓かけはどれも厳重に「悠々荘」の内部を隠していた。が、ちょうど南に向いた硝子窓の框の上には薬壜が二本並んでいた。
「ははあ、沃度剤を使っていたな。――」
Sさんは僕等をふり返って言った。
「この別荘の主人は肺病患者だよ。」
僕等は芒の穂を出した中を「悠々荘」の後ろへ廻って見た。そこにはもう赤錆のふいた亜鉛葺の納屋が一棟あった。納屋の中にはストオヴが一つ、西洋風の机が一つ、それから頭や腕のない石膏の女人像が一つあった。殊にその女人像は一面に埃におおわれたまま、ストオヴの前に横になっていた。
「するとその肺病患者は慰みに彫刻でもやっていたのかね。」
「これもやっぱり園芸用のものだよ。頭へ蘭などを植えるものでね。……あの机やストオヴもそうだよ。この納屋は窓も硝子になっているから、温室の代りに使っていたんだろう。」
T君の言葉はもっともだった。現にその小さい机の上には蘭科植物を植えるのに使うコルク板の破片も載せてあった。
「おや、あの机の脚の下にヴィクトリア月経帯の缶もころがっている。」
「あれは細君の……さあ、女中のかも知れないよ。」
Sさんは、ちょっと苦笑して言った。
「じゃこれだけは確実だね。――この別荘の主人は肺病になって、それから園芸を楽しんでいて、……」
「それから去年あたり死んだんだろう。」
僕等はまた松の中を「悠々荘」の玄関へ引き返した。花芒はいつか風立っていた。
「僕等の住むには広過ぎるが、――しかしとにかく好い家だね。……」
T君は階段を上りながら、独言のようにこう言った。
「このベルは今でも鳴るかしら。」
ベルは木蔦の葉の中にわずかに釦をあらわしていた。僕はそのベルの釦へ――象牙の釦へ指をやった。ベルは生憎鳴らなかった。が、万一鳴ったとしたら、――僕は何か無気味になり、二度と押す気にはならなかった。
「何と言ったっけ、この家の名は?」
Sさんは玄関に佇んだまま、突然誰にともなしに尋ねかけた。
「悠々荘?」
「うん、悠々荘。」
僕等三人はしばらくの間、何の言葉も交さずに茫然と玄関に佇んでいた、伸び放題伸びた庭芝だの干上った古池だのを眺めながら。
(大正十五年十月二十六日・鵠沼) | 底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
初出:「サンデー毎日」
1927(昭和2)年1月
入力:j.utiyama
校正:小林繁雄
2005年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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1
天主教徒の古暦の一枚、その上に見えるのはこう云う文字である。――
御出生来千六百三十四年。せばすちあん記し奉る。
二月。小
二十六日。さんたまりやの御つげの日。
二十七日。どみいご。
三月。大
五日。どみいご、ふらんしすこ。
十二日。……………
2
日本の南部の或山みち。大きい樟の木の枝を張った向うに洞穴の口が一つ見える。暫くたってから木樵りが二人。この山みちを下って来る。木樵りの一人は洞穴を指さし、もう一人に何か話しかける。それから二人とも十字を切り、はるかに洞穴を礼拝する。
3
この大きい樟の木の梢。尻っ尾の長い猿が一匹、或枝の上に坐ったまま、じっと遠い海を見守っている。海の上には帆前船が一艘。帆前船はこちらへ進んで来るらしい。
4
海を走っている帆前船が一艘。
5
この帆前船の内部。紅毛人の水夫が二人、檣の下に賽を転がしている。そのうちに勝負の争いを生じ、一人の水夫は飛び立つが早いか、もう一人の水夫の横腹へずぶりとナイフを突き立ててしまう。大勢の水夫は二人のまわりへ四方八方から集まって来る。
6
仰向けになった水夫の死に顔。突然その鼻の穴から尻っ尾の長い猿が一匹、顋の上に這い出して来る。が、あたりを見まわしたと思うと忽ち又鼻の穴の中へはいってしまう。
7
上から斜めに見おろした海面。急にどこか空中から水夫の死骸が一つ落ちて来る。死骸は水けぶりの立った中に忽ち姿を失ってしまう。あとには唯浪の上に猿が一匹もがいているばかり。
8
海の向うに見える半島。
9
前の山みちにある樟の木の梢。猿はやはり熱心に海の上の帆前船を眺めている。が、やがて両手を挙げ、顔中に喜びを漲らせる。すると猿がもう一匹いつか同じ枝の上にゆらりと腰をおろしている。二匹の猿は手真似をしながら、暫く何か話しつづける。それから後に来た猿は長い尻っ尾を枝にまきつけ、ぶらりと宙に下ったまま、樟の木の枝や葉に遮られた向うを目の上に手をやって眺めはじめる。
10
前の洞穴の外部。芭蕉や竹の茂った外には何もそこに動いていない。そのうちにだんだん日の暮になる。すると洞穴の中から蝙蝠が一匹ひらひらと空へ舞い上って行く。
11
この洞穴の内部。「さん・せばすちあん」がたった一人岩の壁の上に懸けた十字架の前に祈っている。「さん・せばすちあん」は黒い法服を着た、四十に近い日本人。火をともした一本の蝋燭は机だの水瓶だのを照らしている。
12
蝋燭の火かげの落ちた岩の壁。そこには勿論はっきりと「さん・せばすちあん」の横顔も映っている。その横顔の頸すじを尻っ尾の長い猿の影が一つ静かに頭の上へ登りはじめる。続いて又同じ猿の影が一つ。
13
「さん・せばすちあん」の組み合せた両手。彼の両手はいつの間にか紅毛人のパイプを握っている。パイプは始めは火をつけていない。が、見る見る空中へ煙草の煙を挙げはじめる。………
14
前の洞穴の内部。「さん・せばすちあん」は急に立ち上り、パイプを岩の上へ投げつけてしまう。しかしパイプは不相変煙草の煙を立ち昇らせている。彼は驚きを示したまま、二度とパイプに近よらない。
15
岩の上に落ちたパイプ。パイプは徐ろに酒を入れた「ふらすこ」の瓶に変ってしまう。のみならずその又「ふらすこ」の瓶も一きれの「花かすていら」に変ってしまう。最後にその「花かすていら」さえ今はもう食物ではない。そこには年の若い傾城が一人、艶しい膝を崩したまま、斜めに誰かの顔を見上げている。………
16
「さん・せばすちあん」の上半身。彼は急に十字を切る。それからほっとした表情を浮かべる。
17
尻っ尾の長い猿が二匹一本の蝋燭の下に蹲っている。どちらも顔をしかめながら。
18
前の洞穴の内部。「さん・せばすちあん」はもう一度十字架の前に祈っている。そこへ大きい梟が一羽さっとどこからか舞い下って来ると、一煽ぎに蝋燭の火を消してしまう。が、一すじの月の光だけはかすかに十字架を照らしている。
19
岩の壁の上に懸けた十字架。十字架は又十字の格子を嵌めた長方形の窓に変りはじめる。長方形の窓の外は茅葺きの家が一つある風景。家のまわりには誰もいない。そのうちに家はおのずから窓の前へ近よりはじめる。同時に又家の内部も見えはじめる。そこには「さん・せばすちあん」に似た婆さんが一人片手に糸車をまわしながら、片手に実のなった桜の枝を持ち、二三歳の子供を遊ばせている。子供も亦彼の子に違いない。が、家の内部は勿論、彼等もやはり霧のように長方形の窓を突きぬけてしまう。今度見えるのは家の後ろの畠。畠には四十に近い女が一人せっせと穂麦を刈り干している。………
20
長方形の窓を覗いている「さん・せばすちあん」の上半身。但し斜めに後ろを見せている。明るいのは窓の外ばかり。窓の外はもう畠ではない。大勢の老若男女の頭が一面にそこに動いている。その又大勢の頭の上には十字架に懸った男女が三人高だかと両腕を拡げている。まん中の十字架に懸った男は全然彼と変りはない。彼は窓の前を離れようとし、思わずよろよろと倒れかかる。――
21
前の洞穴の内部。「さん・せばすちあん」は十字架の下の岩の上へ倒れている。が、やっと顔を起し、月明りの落ちた十字架を見上げる。十字架はいつか初い初いしい降誕の釈迦に変ってしまう。「さん・せばすちあん」は驚いたようにこう云う釈迦を見守った後、急に又立ち上って十字を切る。月の光の中をかすめる、大きい一羽の梟の影。降誕の釈迦はもう一度もとの十字架に変ってしまう。………
22
前の山みち。月の光の落ちた山みちは黒いテエブルに変ってしまう。テエブルの上にはトランプが一組。そこへ男の手が二つ現れ、静かにトランプを切った上、左右へ札を配りはじめる。
23
前の洞穴の内部。「さん・せばすちあん」は頭を垂れ、洞穴の中を歩いている。すると彼の頭の上へ円光が一つかがやきはじめる。同時に又洞穴の中も徐ろに明るくなりはじめる。彼はふとこの奇蹟に気がつき、洞穴のまん中に足を止める。始めは驚きの表情。それから徐ろに喜びの表情。彼は十字架の前にひれ伏し、もう一度熱心に祈りを捧げる。
24
「さん・せばすちあん」の右の耳。耳たぶの中には樹木が一本累々と円い実をみのらせている。耳の穴の中は花の咲いた草原。草は皆そよ風に動いている。
25
前の洞穴の内部。但し今度は外部に面している。円光を頂いた「さん・せばすちあん」は十字架の前から立ち上り、静かに洞穴の外へ歩いて行く。彼の姿の見えなくなった後、十字架はおのずから岩の上へ落ちる。同時に又水瓶の中から猿が一匹躍り出し、怖わ怖わ十字架に近づこうとする。それからすぐに又もう一匹。
26
この洞穴の外部。「さん・せばすちあん」は月の光の中に次第にこちらへ歩いて来る。彼の影は左には勿論、右にももう一つ落ちている。しかもその又右の影は鍔の広い帽子をかぶり、長いマントルをまとっている。彼はその上半身に殆ど洞穴の外を塞いだ時、ちょっと立ち止まって空を見上げる。
27
星ばかり点々とかがやいた空。突然大きい分度器が一つ上から大股に下って来る。それは次第に下るのに従い、やはり次第に股を縮め、とうとう両脚を揃えたと思うと、徐ろに霞んで消えてしまう。
28
広い暗の中に懸った幾つかの太陽。それ等の太陽のまわりには地球が又幾つもまわっている。
29
前の山みち。円光を頂いた「さん・せばすちあん」は二つの影を落したまま、静かに山みちを下って来る。それから樟の木の根もとに佇み、じっと彼の足もとを見つめる。
30
斜めに上から見おろした山みち。山みちには月の光の中に石ころが一つ転がっている。石ころは次第に石斧に変り、それから又短剣に変り、最後にピストルに変ってしまう。しかしそれももうピストルではない。いつか又もとのように唯の石ころに変っている。
31
前の山みち。「さん・せばすちあん」は立ち止まったまま、やはり足もとを見つめている。影の二つあることも変りはない。それから今度は頭を挙げ、樟の木の幹を眺めはじめる。………
32
月の光を受けた樟の木の幹。荒あらしい木の皮に鎧われた幹は何も始めは現していない。が、次第にその上に世界に君臨した神々の顔が一つずつ鮮かに浮んで来る。最後には受難の基督の顔。最後には?――いや、「最後には」ではない。それも見る見る四つ折りにした東京××新聞に変ってしまう。
33
前の山みちの側面。鍔の広い帽子にマントルを着た影はおのずから真っすぐに立ち上る。尤も立ち上ってしまった時はもう唯の影ではない。山羊のように髯を伸ばした、目の鋭い紅毛人の船長である。
34
この山みち。「さん・せばすちあん」は樟の木の下に船長と何か話している。彼の顔いろは重おもしい。が、船長は脣に絶えず冷笑を浮かべている。彼等は暫く話した後、一しょに横みちへはいって行く。
35
海を見おろした岬の上。彼等はそこに佇んだまま、何か熱心に話している。そのうちに船長はマントルの中から望遠鏡を一つ出し、「さん・せばすちあん」に「見ろ」と云う手真似をする。彼はちょっとためらった後、望遠鏡に海の上を覗いて見る。彼等のまわりの草木は勿論、「さん・せばすちあん」の法服は海風の為にしっきりなしに揺らいでいる。が、船長のマントルは動いていない。
36
望遠鏡に映った第一の光景。何枚も画を懸けた部屋の中に紅毛人の男女が二人テエブルを中に話している。蝋燭の光の落ちたテエブルの上には酒杯やギタアや薔薇の花など。そこへ又紅毛人の男が一人突然この部屋の戸を押しあけ、剣を抜いてはいって来る。もう一人の紅毛人の男も咄嗟にテエブルを離れるが早いか、剣を抜いて相手を迎えようとする。しかしもうその時には相手の剣を心臓に受け、仰向けに床の上へ倒れてしまう。紅毛人の女は部屋の隅に飛びのき、両手に頬を抑えたまま、じっとこの悲劇を眺めている。
37
望遠鏡に映った第二の光景。大きい書棚などの並んだ部屋の中に紅毛人の男が一人ぼんやりと机に向っている。電灯の光の落ちた机の上には書類や帳簿や雑誌など。そこへ紅毛人の子供が一人勢よく戸をあけてはいって来る。紅毛人はこの子供を抱き、何度も顔へ接吻した後、「あちらへ行け」と云う手真似をする。子供は素直に出て行ってしまう。それから又紅毛人は机に向い、抽斗から何か取り出したと思うと、急に頭のまわりに煙を生じる。
38
望遠鏡に映った第三の光景。或露西亜人の半身像を据えた部屋の中に紅毛人の女が一人せっせとタイプライタアを叩いている。そこへ紅毛人の婆さんが一人静かに戸をあけて女に近より、一封の手紙を出しながら、「読んで見ろ」と云う手真似をする。女は電灯の光の中にこの手紙へ目を通すが早いか、烈しいヒステリイを起してしまう。婆さんは呆気にとられたまま、あとずさりに戸口へ退いて行く。
39
望遠鏡に映った第四の光景。表現派の画に似た部屋の中に紅毛人の男女が二人テエブルを中に話している。不思議な光の落ちたテエブルの上には試験管や漏斗や吹皮など。そこへ彼等よりも背の高い、紅毛人の男の人形が一つ無気味にもそっと戸を押しあけ、人工の花束を持ってはいって来る。が、花束を渡さないうちに機械に故障を生じたと見え、突然男に飛びかかり、無造作に床の上に押し倒してしまう。紅毛人の女は部屋の隅に飛びのき、両手に頬を抑えたまま、急にとめどなしに笑いはじめる。
40
望遠鏡に映った第五の光景。今度も亦前の部屋と変りはない。唯前と変っているのは誰もそこにいないことである。そのうちに突然部屋全体は凄まじい煙の中に爆発してしまう。あとは唯一面の焼野原ばかり。が、それも暫くすると、一本の柳が川のほとりに生えた、草の長い野原に変りはじめる。その又野原から舞い上る、何羽とも知れない白鷺の一群。………
41
前の岬の上。「さん・せばすちあん」は望遠鏡を持ち、何か船長と話している。船長はちょっと頭を振り、空の星を一つとって見せる。「さん・せばすちあん」は身をすさらせ、慌てて十字を切ろうとする。が、今度は切れないらしい。船長は星を手の平にのせ、彼に「見ろ」と云う手真似をする。
42
星をのせた船長の手の平。星は徐ろに石ころに変り、石ころは又馬鈴薯に変り、馬鈴薯は三度目に蝶に変り、蝶は最後に極く小さい軍服姿のナポレオンに変ってしまう。ナポレオンは手の平のまん中に立ち、ちょっとあたりを眺めた後、くるりとこちらへ背中を向けると、手の平の外へ小便をする。
43
前の山みち。「さん・せばすちあん」は船長のあとからすごすごそこへ帰って来る。船長はちょっと立ちどまり、丁度金の輪でもはずすように「さん・せばすちあん」の円光をとってしまう。それから彼等は樟の木の下にもう一度何か話しはじめる。みちの上に落ちた円光は徐ろに大きい懐中時計になる。時刻は二時三十分。
44
この山みちのうねったあたり。但し今度は木や岩は勿論、山みちに立った彼等自身も斜めに上から見おろしている。月の光の中の風景はいつか無数の男女に満ちた近代のカッフェに変ってしまう。彼等の後は楽器の森。尤もまん中に立った彼等を始め、何も彼も鱗のように細かい。
45
このカッフェの内部。「さん・せばすちあん」は大勢の踊り子達にとり囲まれたまま、当惑そうにあたりを眺めている。そこへ時々降って来る花束。踊り子達は彼に酒をすすめたり、彼の頸にぶら下ったりする。が、顔をしかめた彼はどうすることも出来ないらしい。紅毛人の船長はこう云う彼の真後ろに立ち、不相変冷笑を浮べた顔を丁度半分だけ覗かせている。
46
前のカッフエの床。床の上には靴をはいた足が幾つも絶えず動いている。それ等の足は又いつの間にか馬の足や鶴の足や鹿の足に変っている。
47
前のカッフエの隅。金鈕の服を着た黒人が一人大きい太鼓を打っている。この黒人も亦いつの間にか一本の樟の木に変ってしまう。
48
前の山みち。船長は腕を組んだまま、樟の木の根もとに気を失った「さん・せばすちあん」を見おろしている。それから彼を抱き起し、半ば彼を引きずるように向うの洞穴へ登って行く。
49
前の洞穴の内部。但し今度も外部に面している。月の光はもう落ちていない。が、彼等の帰って来た時にはおのずからあたりも薄明るくなっている。「さん・せばすちあん」は船長を捉え、もう一度熱心に話しかける。船長はやはり冷笑したきり、何とも彼の言葉に答えないらしい。が、やっと二こと三ことしゃべると、未だに薄暗い岩のかげを指さし、彼に「見ろ」と云う手真似をする。
50
洞穴の内部の隅。顋髯のある死骸が一つ岩の壁によりかかっている。
51
彼等の上半身。「さん・せばすちあん」は驚きや恐れを示し、船長に何か話しかける。船長は一こと返事をする。「さん・せばすちあん」は身をすさらせ、慌てて十字を切ろうとする。が、今度も切ることは出来ない。
52
Judas ………
53
前の死骸――ユダの横顔。誰かの手はこの顔を捉え、マッサァジをするように顔を撫でる。すると頭は透明になり、丁度一枚の解剖図のようにありありと脳髄を露してしまう。脳髄は始めはぼんやりと三十枚の銀を映している。が、その上にいつの間にかそれぞれ嘲りや憐みを帯びた使徒たちの顔も映っている。のみならずそれ等の向うには家だの、湖だの、十字架だの、猥褻な形をした手だの、橄欖の枝だの、老人だの、――いろいろのものも映っているらしい。………
54
前の洞穴の内部の隅。岩の壁によりかかった死骸は徐ろに若くなりはじめ、とうとう赤児に変ってしまう。しかしこの赤児の顋にも顋髯だけはちゃんと残っている。
55
赤児の死骸の足のうら。どちらの足のうらもまん中に一輪ずつ薔薇の花を描いている。けれどもそれ等は見る見るうちに岩の上へ花びらを落してしまう。
56
彼等の上半身。「さん・せばすちあん」は愈興奮し、何か又船長に話しかける。船長は何とも返事をしない。が、殆ど厳粛に「さん・せばすちあん」の顔を見つめている。
57
半ば帽子のかげになった、目の鋭い船長の顔。船長は徐ろに舌を出して見せる。舌の上にはスフィンクスが一匹。
58
前の洞穴の内部の隅。岩の壁によりかかった赤児の死骸は次第に又変りはじめ、とうとうちゃんと肩車をした二匹の猿になってしまう。
59
前の洞穴の内部。船長は「さん・せばすちあん」に熱心に何か話しかけている。が、「さん・せばすちあん」は頭を垂れたまま、船長の言葉を聞かずにいるらしい。船長は急に彼の腕を捉え、洞穴の外部を指さしながら、彼に「見ろ」と云う手真似をする。
60
月の光を受けた山中の風景。この風景はおのずから「磯ぎんちゃく」の充満した、嶮しい岩むらに変ってしまう。空中に漂う海月の群。しかしそれも消えてしまい、あとには小さい地球が一つ広い暗の中にまわっている。
61
広い暗の中にまわっている地球。地球はまわるのを緩めるのに従い、いつかオレンジに変っている。そこへナイフが一つ現れ、真二つにオレンジを截ってしまう。白いオレンジの截断面は一本の磁針を現している。
62
彼等の上半身。「さん・せばすちあん」は船長にすがったまま、じっと空中を見つめている。何か狂人に近い表情。船長はやはり冷笑したまま、睫毛一つ動かさない。のみならず又マントルの中から髑髏を一つ出して見せる。
63
船長の手の上に載った髑髏。髑髏の目からは火取虫が一つひらひらと空中へ昇って行く。それから又三つ、二つ、五つ。
64
前の洞穴の内部の空中。空中は前後左右に飛びかう無数の火取虫に充ち満ちている。
65
それ等の火取虫の一つ。火取虫は空中を飛んでいるうちに一羽の鷲に変ってしまう。
66
前の洞穴の内部。「さん・せばすちあん」はやはり船長にすがり、いつか目をつぶっている。のみならず船長の腕を離れると、岩の上に倒れてしまう。しかし又上半身を起し、もう一度船長の顔を見上げる。
67
岩の上に倒れてしまった「さん・せばすちあん」の下半身。彼の手は体を支えながら、偶然岩の上の十字架を捉える。始めは如何にも怯ず怯ずと、それから又急にしっかりと。
68
十字架をかざした「さん・せばすちあん」の手。
69
後ろを向いた船長の上半身。船長は肩越しに何かを窺い、失望に満ちた苦笑を浮べる。それから静かに顋髯を撫でる。
70
前の洞穴の内部。船長はさっさと洞穴を出、薄明るい山みちを下って来る。従って山みちの風景も次第に下へ移って来る。船長の後ろからは猿が二匹。船長は樟の木の下へ来ると、ちょっと立ち止まって帽をとり、誰か見えないものにお時宜をする。
71
前の洞穴の内部。但し今度も外部に面している。しっかり十字架を握ったまま、岩の上に倒れている「さん・せばすちあん」。洞穴の外部は徐ろに朝日の光を仄めかせはじめる。
72
斜めに上から見おろした岩の上の「さん・せばすちあん」の顔。彼の顔は頬の上へ徐ろに涙を流しはじめる、力のない朝日の光の中に。
73
前の山みち。朝日の光の落ちた山みちはおのずから又もとのように黒いテエブルに変ってしまう。テエブルの左に並んでいるのはスペイドの一や画札ばかり。
74
朝日の光のさしこんだ部屋。主人は丁度戸をあけて誰かを送り出したばかりである。この部屋の隅のテエブルの上には酒の罎や酒杯やトランプなど。主人はテエブルの前に坐り、巻煙草に一本火をつける。それから大きい欠伸をする。顋髯を生やした主人の顔は紅毛人の船長と変りはない。
* * * * *
後記。「さん・せばすちあん」は伝説的色彩を帯びた唯一の日本の天主教徒である。浦川和三郎氏著「日本に於ける公教会の復活」第十八章参照。 | 底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館
1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第八卷」岩波書店
1978(昭和53)年3月22日発行
初出:「改造 第九卷第四号」
1927(昭和2)年4月1日発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月26日公開
2016年2月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000188",
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わたしはすっかり疲れていた。肩や頸の凝るのは勿論、不眠症もかなり甚しかった。のみならず偶々眠ったと思うと、いろいろの夢を見勝ちだった。いつか誰かは「色彩のある夢は不健全な証拠だ」と話していた。が、わたしの見る夢は画家と云う職業も手伝うのか、大抵色彩のないことはなかった。わたしはある友だちと一しょにある場末のカッフェらしい硝子戸の中へはいって行った。そのまた埃じみた硝子戸の外はちょうど柳の新芽をふいた汽車の踏み切りになっていた。わたしたちは隅のテエブルに坐り、何か椀に入れた料理を食った。が、食ってしまって見ると、椀の底に残っているのは一寸ほどの蛇の頭だった。――そんな夢も色彩ははっきりしていた。
わたしの下宿は寒さの厳しい東京のある郊外にあった。わたしは憂鬱になって来ると、下宿の裏から土手の上にあがり、省線電車の線路を見おろしたりした。線路は油や金錆に染った砂利の上に何本も光っていた。それから向うの土手の上には何か椎らしい木が一本斜めに枝を伸ばしていた。それは憂鬱そのものと言っても、少しも差し支えない景色だった。しかし銀座や浅草よりもわたしの心もちにぴったりしていた。「毒を以て毒を制す、」――わたしはひとり土手の上にしゃがみ、一本の煙草をふかしながら、時々そんなことを考えたりした。
わたしにも友だちはない訣ではなかった。それはある年の若い金持ちの息子の洋画家だった。彼はわたしの元気のないのを見、旅行に出ることを勧めたりした。「金の工面などはどうにでもなる。」――そうも親切に言ってくれたりした。が、たとい旅行に行っても、わたしの憂鬱の癒らないことはわたし自身誰よりも知り悉していた。現にわたしは三四年前にもやはりこう云う憂鬱に陥り、一時でも気を紛らせるためにはるばる長崎に旅行することにした。けれども長崎へ行って見ると、どの宿もわたしには気に入らなかった。のみならずやっと落ちついた宿も夜は大きい火取虫が何匹もひらひら舞いこんだりした。わたしはさんざん苦しんだ揚句、まだ一週間とたたないうちにもう一度東京へ帰ることにした。……
ある霜柱の残っている午後、わたしは為替をとりに行った帰りにふと制作慾を感じ出した。それは金のはいったためにモデルを使うことの出来るのも原因になっていたのに違いなかった。しかしまだそのほかにも何か発作的に制作慾の高まり出したのも確かだった。わたしは下宿へ帰らずにとりあえずMと云う家へ出かけ、十号ぐらいの人物を仕上げるためにモデルを一人雇うことにした。こう云う決心は憂鬱の中にも久しぶりにわたしを元気にした。「この画さえ仕上げれば死んでも善い。」――そんな気も実際したものだった。
Mと云う家からよこしたモデルは顔は余り綺麗ではなかった。が、体は――殊に胸は立派だったのに違いなかった。それからオオル・バックにした髪の毛も房ふさしていたのに違いなかった。わたしはこのモデルにも満足し、彼女を籐椅子の上へ坐らせて見た後、早速仕事にとりかかることにした。裸になった彼女は花束の代りに英字新聞のしごいたのを持ち、ちょっと両足を組み合せたまま、頸を傾けているポオズをしていた。しかしわたしは画架に向うと、今更のように疲れていることを感じた。北に向いたわたしの部屋には火鉢の一つあるだけだった。わたしは勿論この火鉢に縁の焦げるほど炭火を起した。が、部屋はまだ十分に暖らなかった。彼女は籐椅子に腰かけたなり、時々両腿の筋肉を反射的に震わせるようにした。わたしはブラッシュを動かしながら、その度に一々苛立たしさを感じた。それは彼女に対するよりもストオヴ一つ買うことの出来ないわたし自身に対する苛立たしさだった。同時にまたこう云うことにも神経を使わずにはいられないわたし自身に対する苛立たしさだった。
「君の家はどこ?」
「あたしの家? あたしの家は谷中三崎町。」
「君一人で住んでいるの?」
「いいえ、お友だちと二人で借りているんです。」
わたしはこんな話をしながら、静物を描いた古カンヴァスの上へ徐ろに色を加えて行った。彼女は頸を傾けたまま、全然表情らしいものを示したことはなかった。のみならず彼女の言葉は勿論、彼女の声もまた一本調子だった。それはわたしには持って生まれた彼女の気質としか思われなかった。わたしはそこに気安さを感じ、時々彼女を時間外にもポオズをつづけて貰ったりした。けれども何かの拍子には目さえ動かさない彼女の姿にある妙な圧迫を感じることもない訣ではなかった。
わたしの制作は捗どらなかった。わたしは一日の仕事を終ると、大抵は絨氈の上にころがり、頸すじや頭を揉んで見たり、ぼんやり部屋の中を眺めたりしていた。わたしの部屋には画架のほかに籐椅子の一脚あるだけだった。籐椅子は空気の湿度の加減か、時々誰も坐らないのに籐のきしむ音をさせることもあった。わたしはこう云う時には無気味になり、早速どこかへ散歩へ出ることにしていた。しかし散歩に出ると云っても、下宿の裏の土手伝いに寺の多い田舎町へ出るだけだった。
けれどもわたしは休みなしに毎日画架に向っていた。モデルもまた毎日通って来ていた。そのうちにわたしは彼女の体に前よりも圧迫を感じ出した。それにはまた彼女の健康に対する羨しさもあったのに違いなかった。彼女は不相変無表情にじっと部屋の隅へ目をやったなり、薄赤い絨氈の上に横わっていた。「この女は人間よりも動物に似ている。」――わたしは画架にブラッシュをやりながら、時々そんなことを考えたりした。
ある生暖い風の立った午後、わたしはやはり画架に向かい、せっせとブラッシュを動かしていた。モデルはきょうはいつもよりは一層むっつりしているらしかった。わたしはいよいよ彼女の体に野蛮な力を感じ出した。のみならず彼女の腋の下や何かにある匀も感じ出した。その匀はちょっと黒色人種の皮膚の臭気に近いものだった。
「君はどこで生まれたの?」
「群馬県××町」
「××町? 機織り場の多い町だったね。」
「ええ。」
「君は機を織らなかったの?」
「子供の時に織ったことがあります。」
わたしはこう云う話の中にいつか彼女の乳首の大きくなり出したのに気づいていた。それはちょうどキャベツの芽のほぐれかかったのに近いものだった。わたしは勿論ふだんのように一心にブラッシュを動かしつづけた。が、彼女の乳首に――そのまた気味の悪い美しさに妙にこだわらずにはいられなかった。
その晩も風はやまなかった。わたしはふと目をさまし、下宿の便所へ行こうとした。しかし意識がはっきりして見ると、障子だけはあけたものの、ずっとわたしの部屋の中を歩きまわっていたらしかった。わたしは思わず足をとめたまま、ぼんやりわたしの部屋の中に、――殊にわたしの足もとにある、薄赤い絨氈に目を落した。それから素足の指先にそっと絨氈を撫でまわした。絨氈の与える触覚は存外毛皮に近いものだった。「この絨氈の裏は何色だったかしら?」――そんなこともわたしには気がかりだった。が、裏をまくって見ることは妙にわたしには恐しかった。わたしは便所へ行った後、匇々床へはいることにした。
わたしは翌日の仕事をすますと、いつもよりも一層がっかりした。と云ってわたしの部屋にいることは反ってわたしには落ち着かなかった。そこでやはり下宿の裏の土手の上へ出ることにした。あたりはもう暮れかかっていた。が、立ち木や電柱は光の乏しいのにも関らず、不思議にもはっきり浮き上っていた。わたしは土手伝いに歩きながら、おお声に叫びたい誘惑を感じた。しかし勿論そんな誘惑は抑えなければならないのに違いなかった。わたしはちょうど頭だけ歩いているように感じながら、土手伝いにある見すぼらしい田舎町へ下りて行った。
この田舎町は不相変人通りもほとんど見えなかった。しかし路ばたのある電柱に朝鮮牛が一匹繋いであった。朝鮮牛は頸をさしのべたまま、妙に女性的にうるんだ目にじっとわたしを見守っていた。それは何かわたしの来るのを待っているらしい表情だった。わたしはこう云う朝鮮牛の表情に穏かに戦を挑んでいるのを感じた。「あいつは屠殺者に向う時もああ云う目をするのに違いない。」――そんな気もわたしを不安にした。わたしはだんだん憂鬱になり、とうとうそこを通り過ぎずにある横町へ曲って行った。
それから二三日たったある午後、わたしはまた画架に向いながら、一生懸命にブラッシュを使っていた。薄赤い絨氈の上に横たわったモデルはやはり眉毛さえ動かさなかった。わたしはかれこれ半月の間、このモデルを前にしたまま、捗どらない制作をつづけていた。が、わたしたちの心もちは少しも互に打ち解けなかった。いや、むしろわたし自身には彼女の威圧を受けている感じの次第に強まるばかりだった。彼女は休憩時間にもシュミイズ一枚着たことはなかった。のみならずわたしの言葉にももの憂い返事をするだけだった。しかしきょうはどうしたのか、わたしに背中を向けたまま、(わたしはふと彼女の右の肩に黒子のあることを発見した。)絨氈の上に足を伸ばし、こうわたしに話しかけた。
「先生、この下宿へはいる路には細い石が何本も敷いてあるでしょう?」
「うん。……」
「あれは胞衣塚ですね。」
「胞衣塚?」
「ええ、胞衣を埋めた標に立てる石ですね。」
「どうして?」
「ちゃんと字のあるのも見えますもの。」
彼女は肩越しにわたしを眺め、ちらりと冷笑に近い表情を示した。
「誰でも胞衣をかぶって生まれて来るんですね?」
「つまらないことを言っている。」
「だって胞衣をかぶって生まれて来ると思うと、……」
「?……」
「犬の子のような気もしますものね。」
わたしはまた彼女を前に進まないブラッシュを動かし出した。進まない?――しかしそれは必ずしも気乗りのしないと云う訣ではなかった。わたしはいつも彼女の中に何か荒あらしい表現を求めているものを感じていた。が、この何かを表現することはわたしの力量には及ばなかった。のみならず表現することを避けたい気もちも動いていた。それはあるいは油画の具やブラッシュを使って表現することを避けたい気もちかも知れなかった。では何を使うかと言えば、――わたしはブラッシュを動かしながら、時々どこかの博物館にあった石棒や石剣を思い出したりした。
彼女の帰ってしまった後、わたしは薄暗い電燈の下に大きいゴオガンの画集をひろげ、一枚ずつタイテイの画を眺めて行った。そのうちにふと気づいて見ると、いつか何度も口のうちに「かくあるべしと思いしが」と云う文語体の言葉を繰り返していた。なぜそんな言葉を繰り返していたかは勿論わたしにはわからなかった。しかしわたしは無気味になり、女中に床をとらせた上、眠り薬を嚥んで眠ることにした。
わたしの目を醒ましたのはかれこれ十時に近い頃だった。わたしはゆうべ暖かったせいか、絨氈の上へのり出していた。が、それよりも気になったのは目の醒める前に見た夢だった。わたしはこの部屋のまん中に立ち、片手に彼女を絞め殺そうとしていた。(しかもその夢であることははっきりわたし自身にもわかっていた。)彼女はやや顔を仰向け、やはり何の表情もなしにだんだん目をつぶって行った。同時にまた彼女の乳房はまるまると綺麗にふくらんで行った。それはかすかに静脈を浮かせた、薄光りのしている乳房だった。わたしは彼女を絞め殺すことに何のこだわりも感じなかった。いや、むしろ当然のことを仕遂げる快さに近いものを感じていた。彼女はとうとう目をつぶったまま、いかにも静かに死んだらしかった。――こう云う夢から醒めたわたしは顔を洗って来た後、濃い茶を二三杯飲み干したりした。けれどもわたしの心もちは一層憂鬱になるばかりだった。わたしはわたしの心の底にも彼女を殺したいと思ったことはなかった。しかしわたしの意識の外には、――わたしは巻煙草をふかしながら、妙にわくわくする心もちを抑え、モデルの来るのを待ち暮らした。けれども彼女は一時になっても、わたしの部屋を尋ねなかった。この彼女を待っている間はわたしにはかなり苦しかった。わたしは一そ彼女を待たずに散歩に出ようかと思ったりした。が、散歩に出ることはそれ自身わたしには怖しかった。わたしの部屋の障子の外へ出る、――そんな何でもないことさえわたしの神経には堪えられなかった。
日の暮はだんだん迫り出した。わたしは部屋の中を歩みまわり、来るはずのないモデルを待ち暮らした。そのうちにわたしの思い出したのは十二三年前の出来事だった。わたしは――まだ子供だったわたしはやはりこう云う日の暮に線香花火に火をつけていた。それは勿論東京ではない。わたしの父母の住んでいた田舎の家の縁先だった。すると誰かおお声に「おい、しっかりしろ」と云うものがあった。のみならず肩を揺すぶるものもあった。わたしは勿論縁先に腰をおろしているつもりだった。が、ぼんやり気がついて見ると、いつか家の後ろにある葱畠の前にしゃがんだまま、せっせと葱に火をつけていた。のみならずわたしのマッチの箱もいつかあらまし空になっていた。――わたしは巻煙草をふかしながら、わたしの生活にはわたし自身の少しも知らない時間のあることを考えない訣には行かなかった。こう云う考えはわたしには不安よりもむしろ無気味だった。わたしはゆうべ夢の中に片手に彼女を絞め殺した。けれども夢の中でなかったとしたら、……
モデルは次の日もやって来なかった。わたしはとうとうMと云う家へ行き、彼女の安否を尋ねることにした。しかしMの主人もまた彼女のことは知らなかった。わたしはいよいよ不安になり、彼女の宿所を教えて貰った。彼女は彼女自身の言葉によれば谷中三崎町にいるはずだった。が、Mの主人の言葉によれば本郷東片町にいるはずだった。わたしは電燈のともりかかった頃に本郷東片町の彼女の宿へ辿り着いた。それはある横町にある、薄赤いペンキ塗りの西洋洗濯屋だった。硝子戸を立てた洗濯屋の店にはシャツ一枚になった職人が二人せっせとアイロンを動かしていた。わたしは格別急がずに店先の硝子戸をあけようとした。が、いつか硝子戸にわたしの頭をぶつけていた。この音には勿論職人たちをはじめ、わたし自身も驚かずにはいられなかった。
わたしは怯ず怯ず店の中にはいり、職人たちの一人に声をかけた。
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この言葉はわたしを不安にした。が、それ以上尋ねることはやはりわたしには考えものだった。わたしは何かあった場合に彼等に疑いをかけられない用心をする気もちも持ち合せていた。
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(昭和二年) | 底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:もりみつじゅんじ
1999年3月1日公開
2004年3月13日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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良平はある雑誌社に校正の朱筆を握っている。しかしそれは本意ではない。彼は少しの暇さえあれば、翻訳のマルクスを耽読している。あるいは太い指の先に一本のバットを楽しみながら、薄暗いロシアを夢みている。百合の話もそう云う時にふと彼の心を掠めた、切れ切れな思い出の一片に過ぎない。
今年七歳の良平は生まれた家の台所に早い午飯を掻きこんでいた。すると隣の金三が汗ばんだ顔を光らせながら、何か大事件でも起ったようにいきなり流し元へ飛びこんで来た。
「今ね、良ちゃん。今ね、二本芽の百合を見つけて来たぜ。」
金三は二本芽を表わすために、上を向いた鼻の先へ両手の人さし指を揃えて見せた。
「二本芽のね?」
良平は思わず目を見張った。一つの根から芽の二本出た、その二本芽の百合と云うやつは容易に見つからない物だったのである。
「ああ、うんと太い二本芽のね、ちんぼ芽のね、赤芽のね、……」
金三は解けかかった帯の端に顔の汗を拭きながら、ほとんど夢中にしゃべり続けた。それに釣りこまれた良平もいつか膳を置きざりにしたまま、流し元の框にしゃがんでいた。
「御飯を食べてしまえよ。二本芽でも赤芽でも好いじゃないか。」
母はだだ広い次の間に蚕の桑を刻み刻み、二三度良平へ声をかけた。しかし彼はそんな事も全然耳へはいらないように、芽はどのくらい太いかとか、二本とも同じ長さかとか、矢つぎ早に問を発していた。金三は勿論雄弁だった。芽は二本とも親指より太い。丈も同じように揃っている。ああ云う百合は世界中にもあるまい。………
「ね、おい、良ちゃん。今直見にあゆびよう。」
金三は狡るそうに母の方を見てから、そっと良平の裾を引いた。二本芽の赤芽のちんぼ芽の百合を見る、――このくらい大きい誘惑はなかった。良平は返事もしない内に、母の藁草履へ足をかけた。藁草履はじっとり湿った上、鼻緒も好い加減緩んでいた。
「良平! これ! 御飯を食べかけて、――」
母は驚いた声を出した。が、もう良平はその時には、先に立って裏庭を駈け抜けていた。裏庭の外には小路の向うに、木の芽の煙った雑木林があった。良平はそちらへ駈けて行こうとした。すると金三は「こっちだよう」と一生懸命に喚きながら、畑のある右手へ走って行った。良平は一足踏み出したなり、大仰にぐるりと頭を廻すと、前こごみにばたばた駈け戻って来た。なぜか彼にはそうしないと、勇ましい気もちがしないのだった。
「なあんだね、畑の土手にあるのかね?」
「ううん、畑の中にあるんだよ。この向うの麦畑の……」
金三はこう云いかけたなり、桑畑の畔へもぐりこんだ。桑畑の中生十文字はもう縦横に伸ばした枝に、二銭銅貨ほどの葉をつけていた。良平もその枝をくぐりくぐり、金三の跡を追って行った。彼の直鼻の先には継の当った金三の尻に、ほどけかかった帯が飛び廻っていた。
桑畑を向うに抜けた所はやっと節立った麦畑だった。金三は先に立ったまま、麦と桑とに挟まれた畔をもう一度右へ曲りかけた。素早い良平はその途端に金三の脇を走り抜けた。が、三間と走らない内に、腹を立てたらしい金三の声は、たちまち彼を立止らせてしまった。
「何だい、どこにあるか知ってもしない癖に!」
悄気返った良平はしぶしぶまた金三を先に立てた。二人はもう駈けなかった。互にむっつり黙ったまま、麦とすれすれに歩いて行った。しかしその麦畑の隅の、土手の築いてある側へ来ると、金三は急に良平の方へ笑い顔を振り向けながら、足もとの畦を指して見せた。
「こう、ここだよ。」
良平もそう云われた時にはすっかり不機嫌を忘れていた。
「どうね? どうね?」
彼はその畦を覗きこんだ。そこには金三の云った通り、赤い葉を巻いた百合の芽が二本、光沢の好い頭を尖らせていた。彼は話には聞いていても、現在この立派さを見ると、声も出ないほどびっくりしてしまった。
「ね、太かろう。」
金三はさも得意そうに良平の顔へ目をやった。が、良平は頷いたぎり、百合の芽ばかり見守っていた。
「ね、太かろう。」
金三はもう一度繰返してから、右の方の芽にさわろうとした。すると良平は目のさめたように、慌ててその手を払いのけた。
「あっ、さわんなさんなよう、折れるから。」
「好いじゃあ、さわったって。お前さんの百合じゃないに!」
金三はまた怒り出した。良平も今度は引きこまなかった。
「お前さんのでもないじゃあ。」
「わしのでないって、さわっても好いじゃあ。」
「よしなさいってば。折れちまうよう。」
「折れるもんじゃよう。わしはさっきさんざさわったよう。」
「さっきさんざさわった」となれば、良平も黙るよりほかはなかった。金三はそこへしゃがんだまま、前よりも手荒に百合の芽をいじった。しかし三寸に足りない芽は動きそうな気色も見せなかった。
「じゃわしもさわろうか?」
やっと安心した良平は金三の顔色を窺いながら、そっと左の芽にさわって見た。赤い芽は良平の指のさきに、妙にしっかりした触覚を与えた。彼はその触覚の中に何とも云われない嬉しさを感じた。
「おおなあ!」
良平は独り微笑していた。すると金三はしばらくの後、突然またこんな事を云い始めた。
「こんなに好いちんぼ芽じゃ球根はうんと大きかろうねえ。――え、良ちゃん掘って見ようか?」
彼はもうそう云った時には、畦の土に指を突こんでいた。良平のびっくりした事はさっきより烈しいくらいだった。彼は百合の芽も忘れたように、いきなりその手を抑えつけた。
「よしなさいよう。よしなさいってば。――」
それから良平は小声になった。
「見つかると、お前さん、叱られるよ。」
畑の中に生えている百合は野原や山にあるやつと違う。この畑の持ち主以外に誰も取る事は許されていない。――それは金三にもわかっていた。彼はちょいと未練そうに、まわりの土へ輪を描いた後、素直に良平の云う事を聞いた。
晴れた空のどこかには雲雀の声が続いていた。二人の子供はその声の下に二本芽の百合を愛しながら、大真面目にこう云う約束を結んだ。――第一、この百合の事はどんな友だちにも話さない事。第二、毎朝学校へ出る前、二人一しょに見に来る事。……
―――――――――――――――――――――――――
翌朝二人は約束通り、一しょに百合のある麦畑へ来た。百合は赤い芽の先に露の玉を保っていた。金三は右のちんぼ芽を、良平は左のちんぼ芽を、それぞれ爪で弾きながら、露の玉を落してやった。
「太いねえ!――」
良平はその朝もいまさらのように、百合の芽の立派さに見惚れていた。
「これじゃ五年経っただね。」
「五年ねえ?――」
金三はちょいと良平の顔へ、蔑すみに満ちた目を送った。
「五年ねえ? 十年くらいずらじゃ。」
「十年! 十年ってわしより年上かね?」
「そうさ。お前さんより年上ずらじゃ。」
「じゃ花が十咲くかね?」
五年の百合には五つ花が出来、十年の百合には十花が出来る、――彼等はいつか年上のものにそう云う事を教えられていた。
「咲くさあ、十ぐらい!」
金三は厳かに云い切った。良平は内心たじろぎながら、云い訣のように独り言を云った。
「早く咲くと好いな。」
「咲くもんじゃあ。夏でなけりゃ。」
金三はまた嘲笑った。
「夏ねえ? 夏なもんか。雨の降る時分だよう。」
「雨の降る時分は夏だよう。」
「夏は白い着物を着る時だよう。――」
良平も容易に負けなかった。
「雨の降る時分は夏なもんか。」
「莫迦! 白い着物を着るのは土用だい。」
「嘘だい。うちのお母さんに訊いて見ろ。白い着物を着るのは夏だい!」
良平はそう云うか云わない内に、ぴしゃり左の横鬢を打たれた。が、打たれたと思った時にはもうまた相手を打ち返していた。
「生意気!」
顔色を変えた金三は力一ぱい彼を突き飛ばした。良平は仰向けに麦の畦へ倒れた。畦には露が下りていたから、顔や着物はその拍子にすっかり泥になってしまった。それでも彼は飛び起きるが早いか、いきなり金三へむしゃぶりついた。金三も不意を食ったせいか、いつもは滅多に負けた事のないのが、この時はべたりと尻餅をついた。しかもその尻餅の跡は百合の芽の直に近所だった。
「喧嘩ならこっちへ来い。百合の芽を傷めるからこっちへ来い。」
金三は顋をしゃくいながら、桑畑の畔へ飛び出した。良平もべそをかいたなり、やむを得ずそこへ出て行った。二人はたちまち取組み合いを始めた。顔を真赤にした金三は良平の胸ぐらを掴まえたまま、無茶苦茶に前後へこづき廻した。良平はふだんこうやられると、たいてい泣き出してしまうのだった。しかしその朝は泣き出さなかった。のみならず頭がふらついて来ても、剛情に相手へしがみついていた。
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二人はやっと掴み合いをやめた。彼等の前には薄痘痕のある百姓の女房が立っていた。それはやはり惣吉と云う学校友だちの母親だった。彼女は桑を摘みに来たのか、寝間着に手拭をかぶったなり、大きい笊を抱えていた。そうして何か迂散そうに、じろじろ二人を見比べていた。
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金三はわざと元気そうに云った。が、良平は震えながら、相手の言葉を打ち切るように云った。
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良平は金三の叱られるのを見ると、「ざまを見ろ」と云いたかった。しかしそう云ってやるより前に、なぜか涙がこみ上げて来た。そのとたんにまた金三は惣吉の母の手を振り離しながら、片足ずつ躍るように桑の中を向うへ逃げて行った。
「日金山が曇った! 良平の目から雨が降る!」
―――――――――――――――――――――――――
その翌日は夜明け前から、春には珍らしい大雨だった。良平の家では蚕に食わせる桑の貯えが足りなかったから、父や母は午頃になると、蓑の埃を払ったり、古い麦藁帽を探し出したり、畑へ出る仕度を急ぎ始めた。が、良平はそう云う中にも肉桂の皮を噛みながら、百合の事ばかり考えていた。この降りでは事によると、百合の芽も折られてしまったかも知れない。それとも畑の土と一しょに、球根ごとそっくり流されはしないか?……
「金三のやつも心配ずら。」
良平はまたそうも思った。すると可笑しい気がした。金三の家は隣だから、軒伝いに行きさえすれば、傘をさす必要もないのだった。しかし昨日の喧嘩の手前、こちらからは遊びに行きたくなかった。たとい向うから遊びに来ても、始は口一つ利かずにいてやる。そうすればあいつも悄気るのに違いない。………(未完)
(大正十一年九月) | 底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月8日公開
2004年3月9日修正
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あなたは私の申し上げる事を御信じにならないかも知れません。いや、きっと嘘だと御思いなさるでしょう。昔なら知らず、これから私の申し上げる事は、大正の昭代にあった事なのです。しかも御同様住み慣れている、この東京にあった事なのです。外へ出れば電車や自働車が走っている。内へはいればしっきりなく電話のベルが鳴っている。新聞を見れば同盟罷工や婦人運動の報道が出ている。――そう云う今日、この大都会の一隅でポオやホフマンの小説にでもありそうな、気味の悪い事件が起ったと云う事は、いくら私が事実だと申した所で、御信じになれないのは御尤もです。が、その東京の町々の燈火が、幾百万あるにしても、日没と共に蔽いかかる夜をことごとく焼き払って、昼に返す訣には行きますまい。ちょうどそれと同じように、無線電信や飛行機がいかに自然を征服したと云っても、その自然の奥に潜んでいる神秘な世界の地図までも、引く事が出来たと云う次第ではありません。それならどうして、この文明の日光に照らされた東京にも、平常は夢の中にのみ跳梁する精霊たちの秘密な力が、時と場合とでアウエルバッハの窖のような不思議を現じないと云えましょう。時と場合どころではありません。私に云わせれば、あなたの御注意次第で、驚くべき超自然的な現象は、まるで夜咲く花のように、始終我々の周囲にも出没去来しているのです。
たとえば冬の夜更などに、銀座通りを御歩きになって見ると、必ずアスファルトの上に落ちている紙屑が、数にしておよそ二十ばかり、一つ所に集まって、くるくる風に渦を巻いているのが、御眼に止まる事でしょう。それだけなら、何も申し上げるほどの事はありませんが、ためしにその紙屑が渦を巻いている所を、勘定して御覧なさい。必ず新橋から京橋までの間に、左側に三個所、右側に一個所あって、しかもそれが一つ残らず、四つ辻に近い所ですから、これもあるいは気流の関係だとでも、申して申せない事はありますまい。けれどももう少し注意して御覧になると、どの紙屑の渦の中にも、きっと赤い紙屑が一つある――活動写真の広告だとか、千代紙の切れ端だとか、乃至はまた燐寸の商標だとか、物はいろいろ変ていても、赤い色が見えるのは、いつでも変りがありません。それがまるでほかの紙屑を率るように、一しきり風が動いたと思うと、まっさきにひらりと舞上ります。と、かすかな砂煙の中から囁くような声が起って、そこここに白く散らかっていた紙屑が、たちまちアスファルトの空へ消えてしまう。消えてしまうのじゃありません。一度にさっと輪を描いて、流れるように飛ぶのです。風が落ちる時もその通り、今まで私が見た所では、赤い紙が先へ止まりました。こうなるといかにあなたでも、御不審が起らずにはいられますまい。私は勿論不審です。現に二三度は往来へ立ち止まって、近くの飾窓から、大幅の光がさす中に、しっきりなく飛びまわる紙屑を、じっと透かして見た事もありました。実際その時はそうして見たら、ふだんは人間の眼に見えない物も、夕暗にまぎれる蝙蝠ほどは、朧げにしろ、彷彿と見えそうな気がしたからです。
が、東京の町で不思議なのは、銀座通りに落ちている紙屑ばかりじゃありません。夜更けて乗る市内の電車でも、時々尋常の考に及ばない、妙な出来事に遇うものです。その中でも可笑しいのは人気のない町を行く赤電車や青電車が、乗る人もない停留場へちゃんと止まる事でしょう。これも前の紙屑同様、疑わしいと御思いになったら、今夜でもためして御覧なさい。同じ市内の電車でも、動坂線と巣鴨線と、この二つが多いそうですが、つい四五日前の晩も、私の乗った赤電車が、やはり乗降りのない停留場へぱったり止まってしまったのは、その動坂線の団子坂下です。しかも車掌がベルの綱へ手をかけながら、半ば往来の方へ体を出して、例のごとく「御乗りですか。」と声をかけたじゃありませんか。私は車掌台のすぐ近くにいましたから、すぐに窓から外を覗いて見ました。と、外は薄雲のかかった月の光が、朦朧と漂っているだけで、停留場の柱の下は勿論、両側の町家がことごとく戸を鎖した、真夜中の広い往来にも、さらに人間らしい影は見えません。妙だなと思う途端、車掌がベルの綱を引いたので、電車はそのまま動き出しましたが、それでもまだ窓から外を眺めていると、停留場が遠くなるのに従って、今度は何となく私の眼にも、そこの月の光の中に、だんだん小さくなって行く人影があるような気がしました。これは申すまでもなく、私の神経の迷かもしれませんが、あの先を急ぐ赤電車の車掌が、どうして乗る人もない停留場へ電車を止めなどしたのでしょう。しかもこんな目に遇ったのは、何も私ばかりじゃなく、私の知人の間にも、三四人はいようと云うのです。して見ると、まさか電車の車掌がその度に寝惚けたとも申されますまい。現に私の知人の一人なぞは、車掌をつかまえて、「誰もいないじゃないか。」と、きめつけると、車掌も不審そうな顔をして、「大勢さんのように思いましたが。」と、答えた事があるそうです。
そのほかまだ数え立てれば、砲兵工廠の煙突の煙が、風向きに逆って流れたり、撞く人もないニコライの寺の鐘が、真夜中に突然鳴り出したり、同じ番号の電車が二台、前後して日の暮の日本橋を通りすぎたり、人っこ一人いない国技館の中で、毎晩のように大勢の喝采が聞えたり、――所謂「自然の夜の側面」は、ちょうど美しい蛾の飛び交うように、この繁華な東京の町々にも、絶え間なく姿を現しているのです。従ってこれから私が申上げようと思う話も、実はあなたが御想像になるほど、現実の世界と懸け離れた、徹頭徹尾あり得べからざる事件と云う次第ではありません。いや、東京の夜の秘密を一通り御承知になった現在なら、無下にはあなたも私の話を、莫迦になさる筈はありますまい。もしまたしまいまで御聞きになった上でも、やはり鶴屋南北以来の焼酎火の匀がするようだったら、それは事件そのものに嘘があるせいと云うよりは、むしろ私の申し上げ方が、ポオやホフマンの塁を摩すほど、手に入っていない罪だろうと思います。何故と云えば一二年以前、この事件の当事者が、ある夏の夜私と差向いで、こうこう云う不思議に出遇った事があると、詳しい話をしてくれた時には、私は今でも忘れられないほど、一種の妖気とも云うべき物が、陰々として私たちのまわりを立て罩めたような気がしたのですから。
この当事者と云う男は、平常私の所へ出入をする、日本橋辺のある出版書肆の若主人で、ふだんは用談さえすませてしまうと、匇々帰ってしまうのですが、ちょうどその夜は日の暮からさっと一雨かかったので、始は雨止みを待つ心算ででも、いつになく腰を落着けたのでしょう。色の白い、眉の迫った、痩せぎすな若主人は、盆提灯へ火のはいった縁先のうす明りにかしこまって、かれこれ初夜も過ぎる頃まで、四方山の世間話をして行きました。その世間話の中へ挟みながら、「是非一度これは先生に聞いて頂きたいと思って居りましたが。」と、ほとんど心配そうな顔色で徐に口を切ったのが、申すまでもなく本文の妖婆の話だったのです。私は今でもその若主人が、上布の肩から一なすり墨をぼかしたような夏羽織で、西瓜の皿を前にしながら、まるで他聞でも憚るように、小声でひそひそ話し出した容子が、はっきりと記憶に残っています。そう云えばもう一つ、その頭の上の盆提灯が、豊かな胴へ秋草の模様をほんのりと明く浮かせた向うに、雨上りの空がむら雲をだだ黒く一面に乱していたのも、やはり妙に身にしみて、忘れる事が出来ません。
そこで肝腎の話と云うのは、その新蔵と云う若主人が(ほかに差障りがあるといけませんから、仮にこう呼んで置きましょう。)二十三の夏にあった事で、当時本所一つ目辺に住んでいた神下しの婆の所へ、ちと心配な筋があって、伺いを立てに行ったと云う、それが抑々の発端なのです。何でも六月の上旬ある日、新蔵はあの界隈に呉服屋を出している、商業学校時代の友だちを引張り出して、一しょに与兵衛鮨へ行ったのだそうですが、そこで一杯やっている内に、その心配な筋と云うのを問わず語りに話して聞かせると、その友だちの泰さんと云うのが急に真面目な顔をして、「じゃお島婆さんに見て貰い給え。」と、熱心に勧め出しました。そこで仔細を聞いて見ると、この神下しの婆と云うのは、二三年以前に浅草あたりから今の所へ引越して来たので、占もすれば加持もする――それがまた飯綱でも使うのかと思うほど、霊顕があると云うのです。「君も知っているだろう。ついこの間魚政の女隠居が身投げをした。――あの屍骸がどうしても上らなかったんだが、お島婆さんにお札を貰って、それを一の橋から川へ抛りこむと、その日の内に浮いて出たじゃないか。しかも御札を抛りこんだ、一の橋の橋杭の所にさ。ちょうど日の暮の上げ潮だったが、仕合せとあすこにもやっていた、石船の船頭が見つけてね。さあ、御客様だ、土左衛門だと云う騒ぎで、早速橋詰の交番へ届けたんだろう。僕が通りかかった時にゃ、もう巡査が来ていたが、人ごみの後から覗いて見ると、上げたばかりの女隠居の屍骸が、荒菰をかぶせて寝かしてある、その菰の下から出た、水ぶくれの足の裏には、何だと思う、君? あの御札がぴったり斜っかけに食附いていたんだ。僕はさすがにぞっとしたね。」――と云う友だちの話を聞いた時には、新蔵もやはり背中が寒くなって、夕潮の色だの、橋杭の形だの、それからその下に漂っている女隠居の姿だの――そんな物が一度に眼の前へ、浮んで来たような気がしたそうです。が、何しろ一杯機嫌で、「そりゃ面白い。是非一つ見て貰おう。」と、負惜しみの膝を進めました。「じゃ僕が案内しよう。この間金談を見て貰いに行って以来、今じゃあの婆さんとも大分懇意になっているから。」「何分頼む。」――こう云う調子で、啣え楊枝のまま与兵衛を出ると、麦藁帽子に梅雨晴の西日をよけて、夏外套の肩を並べながら、ぶらりとその神下しの婆の所へ出かけたと云います。
ここでその新蔵の心配な筋と云うのを御話しますと、家に使っていた女中の中に、お敏と云う女があって、それが新蔵とは一年越互に思い合っていたのですが、どうした訣か去年の暮に叔母の病気を見舞いに行ったぎり、音沙汰もなくなってしまったのです。驚いたは新蔵ばかりでなく、このお敏に目をかけていた新蔵の母親も心配して、請人を始め伝手から伝手へ、手を廻して探しましたが、どうしても行く方が分りません。やれ、看護婦になっているのを見たの、やれ、妾になったと云う噂があるの、と、取沙汰だけはいろいろあっても、さて突きつめた所になると、皆目どうなったか知れないのです。新蔵は始気遣って、それからまた腹を立てて、この頃ではただぼんやりと沈んでいるばかりになりましたが、その元気のない容子が、薄々ながら二人の関係を感づいていた母親には、新しい心配の種になったのでしょう。芝居へやる。湯治を勧める。あるいは商売附合いの宴会へも父親の名代を勤めさせる――と云った具合に骨を折って、無理にも新蔵の浮かない気分を引き立てようとし始めました。そこでその日も母親が、本所界隈の小売店を見廻らせると云うのは口実で、実は気晴らしに遊んで来いと云わないばかり、紙入の中には小遣いの紙幣まで入れてくれましたから、ちょうど東両国に幼馴染があるのを幸、その泰さんと云うのを引張り出して、久しぶりに近所の与兵衛鮨へ、一杯やりに行ったのです。
こう云う事情がありましたから、お島婆さんの所へ行くと云っても、新蔵のほろ酔の腹の底には、どこか真剣な所があったのでしょう。一つ目の橋の袂を左へ切れて、人通りの少い竪川河岸を二つ目の方へ一町ばかり行くと、左官屋と荒物屋との間に挟まって、竹格子の窓のついた、煤だらけの格子戸造りが一軒ある――それがあの神下しの婆の家だと聞いた時には、まるでお敏と自分との運命が、この怪しいお島婆さんの言葉一つできまりそうな、無気味な心もちが先に立って、さっきの酒の酔なぞは、すっかりもう醒めてしまったそうです。また実際そのお島婆さんの家と云うのが、見たばかりでも気が滅入りそうな、庇の低い平家建で、この頃の天気に色の出た雨落ちの石の青苔からも、菌ぐらいは生えるかと思うぐらい、妙にじめじめしていました。その上隣の荒物屋との境にある、一抱あまりの葉柳が、窓も蔽うほど枝垂れていますから、瓦にさえ暗い影が落ちて、障子一重隔てた向うには、さもただならない秘密が潜んでいそうな、陰森としたけはいがあったと云います。
が、泰さんは一向無頓着に、その竹格子の窓の前へ立止ると、新蔵の方を振返って、「じゃいよいよ鬼婆に見参と出かけるかな。だが驚いちゃいけないぜ。」と、今更らしい嚇しを云うのです。新蔵は勿論嘲笑って、「子供じゃあるまいし。誰が婆さんくらいに恐れるものか。」と、うっちゃるように答えましたが、泰さんは反ってその返事に人の悪るそうな眼つきを返しながら、「何さ。婆さんを見たんじゃ驚くまいが、ここには君なんぞ思いもよらない、別嬪が一人いるからね。それで御忠告に及んだんだよ。」と、こう云う内にもう格子へ手をかけて、「御免。」と、勢の好い声を出しました。するとすぐに「はい。」と云う、含み声の答があって、そっと障子を開けながら、入口の梱に膝をついたのは、憐しい十七八の娘です。成程これじゃ、泰さんが、「驚くな」と云ったのも、さらに不思議はありません。色の白い、鼻筋の透った、生際の美しい細面で、殊に眼が水々しい。――が、どこかその顔立ちにも、痛々しい窶れが見えて、撫子を散らしためりんすの帯さえ、派手な紺絣の単衣の胸をせめそうな気がしたそうです。泰さんは娘の顔を見ると、麦藁帽子を脱ぎながら、「阿母さんは?」と尋ねました。すると娘は術なさそうな顔をして、「生憎出まして留守でございますが。」と、さも自分が悪い事でもしたように、眶を染めて答えましたが、ふと涼しい眼を格子戸の外へやると、急に顔の色が変って、「あら。」と、かすかに叫びながら、飛び立とうとしたじゃありませんか。泰さんは場所が場所だけに、さては通り魔でもしたのかと思ったそうですが、慌てて後を振返ると、今まで夕日の中に立っていた新蔵の姿が見えません。と、二度びっくりする暇もなく、泰さんの袂にすがったのは、その神下しの婆の娘で、それが息をはずませながら、一生懸命な声で云うのを聞くと、「あなた。今の御連れ様にどうかそう仰有って下さいまし。二度とこの近所へ御立寄りなすっちゃいけません。さもないと、あの方の御命にも関るような事が起りますから。」と、こう切れ切れに云うのだそうです。泰さんは何が何やら、まるで煙に捲かれた体で、しばらくはただ呆気にとられていましたが、とにかく、言伝てを頼まれた体なので、「よろしい。確かに頼まれました。」と云ったきり、よくよく狼狽したのでしょう。麦藁帽子もぶら下げたまま、いきなり外へ飛び出すと、新蔵の後を追いかけて、半町ばかり駈け出しました。
その半町ばかり離れた所が、ちょうど寂しい石河岸の前で、上の方だけ西日に染まった、電柱のほかに何もない――そこに新蔵はしょんぼりと、夏外套の袖を合せて、足元を眺めながら、佇んでいました。が、やっと駈けつけた泰さんが、まだ胸が躍っていると云う調子で、「冗談じゃないぜ。驚くなと云った僕の方が、どのくらい君に驚かされたか知れやしない。一体君はあの別嬪を――」と云いかけると、新蔵はもう一つ目橋の方へ落着かない歩みを運びながら、「知っているとも。あれが君、お敏なんだ。」と、興奮した声で答えたそうです。泰さんは三度びっくりした――びっくりした筈でしょう。何しろこれからその行方を見て貰おうと云う当の女が、人もあろうにお島婆さんの娘だと云う騒ぎなのですから。と云って泰さんもその娘に頼まれた、容易ならない言伝ての手前、驚いてばかりもいられますまい。そこで麦藁帽子をかぶるが早いか、二度とこの界隈へは近づくなと云うお敏の言葉を、声色同様に饒舌って聞かせました。新蔵はその言葉を静に聞いていましたが、やがて眉を顰めると、迂散らしい眼つきをして、「来てくれるなと云うのはわかるけれど、来れば命にかかわると云うのは不思議じゃないか。不思議よりゃむしろ乱暴だね。」と、腹を立てたような声を出すのです。が、泰さんもただ言伝てを聞いただけで、どうした訣とも問い質さずに、お島婆さんの家を駈け出したのですから、いくら相手を慰めたくも、好い加減な御座なりを並べるほかは、慰めようがありません。すると新蔵はなおさらの事、別人のように黙りこんで、さっさと歩みを早めたそうですが、その内にまた与兵衛鮨の旗の出ている下へ来ると、急に泰さんの方をふり向いて、「僕はお敏に逢ってくりゃ好かった。」と、残念らしい口吻を洩しました。その時泰さんが何気なく、「じゃもう一度逢いに行くさ。」と、調戯うようにこう云った――それが後になって考えると、新蔵の心に燃えている、焔のような逢いたさへ、油をかける事になったのでしょう。ほどなく泰さんに別れると、すぐ新蔵が取って返したのは、回向院前の坊主軍鶏で、あたりが暗くなるのを待ちながら、銚子も二三本空にしました。そうして日がとっぷり暮れると同時に、またそこを飛び出して、酒臭い息を吐きながら、夏外套の袖を後へ刎ねて、押しかけたのはお敏の所――あの神下しの婆の家です。
それが星一つ見えない、暗の夜で、悪く地息が蒸れる癖に、時々ひやりと風が流れる、梅雨中にありがちな天気でした。新蔵は勿論中っ腹で、お敏の本心を聞かない内は、ただじゃ帰らないくらいな気組でしたから、墨を流した空に柳が聳えて、その下に竹格子の窓が灯をともした、底気味悪い家の容子にも頓着せず、いきなり格子戸をがらりとやると、狭い土間に突立って、「今晩は。」と一つ怒鳴ったそうです。その声を聞いたばかりでも、誰だろうくらいな推量はすぐについたからでしょう。あの優しい含み声の返事も、その時は震えていたようですが、やがて静に障子が開くと、梱越しに手をついた、やつやつしいお敏の姿が、次の間からさす電燈の光を浴びて、今でも泣いているかと思うほど、悄々とそこへ現れました。が、こちらは元より酒の上で、麦藁帽子を阿弥陀にかぶったまま、邪慳にお敏を見下しながら、「ええ、阿母さんは御在宅ですか。手前少々見て頂きたい事があって、上ったんですが、――御覧下さいますか、いかがなもんでしょう。御取次。」と、白々しくずっきり云った。――それがどのくらいつらかったのでしょう、お敏はやはり手をついたまま、消え入りたそうに肩を落して、「はい。」と云ったぎりしばらくは涙を呑んだようでしたが、もう一度新蔵が虹のような酒気を吐いて、「御取次。」と云おうとすると、襖を隔てた次の間から、まるで蟇が呟くように、「どなたやらん、そこな人。遠慮のうこちへ通らっしゃれ。」と、力のない、鼻へ抜けた、お島婆さんの声が聞えました。そこな人も凄じい。お敏を隠した発頭人。まずこいつをとっちめて、――と云う権幕でしたから、新蔵はずいと上りざまに、夏外套を脱ぎ捨てると、思わず止めようとしたお敏の手へ、麦藁帽子を残したなり、昂然と次の間へ通りました。が、可哀そうなのは後に残ったお敏で、これは境の襖の襖側にぴったりと身を寄せたまま、夏外套や麦藁帽子の始末をしようと云う方角もなく、涙ぐんだ涼しい眼に、じっと天井を仰ぎながら、華奢な両手を胸へ組んで、頻に何か祈念でも凝らしているように見えたそうです。
さて次の間へ通った新蔵は、遠慮なく座蒲団を膝へ敷いて、横柄にあたりを見廻すと、部屋は想像していた通り、天井も柱も煤の色をした、見すぼらしい八畳でしたが、正面に浅い六尺の床があって、婆娑羅大神と書いた軸の前へ、御鏡が一つ、御酒徳利が一対、それから赤青黄の紙を刻んだ、小さな幣束が三四本、恭しげに飾ってある、――その左手の縁側の外は、すぐに竪川の流でしょう。思いなしか、立て切った障子に響いて、かすかな水の音が聞えました。さて肝腎の相手はと見ると、床の前を右へ外して、菓子折、サイダア、砂糖袋、玉子の折などの到来物が、ずらりと並んでいる箪笥の下に、大柄な、切髪の、鼻が低い、口の大きな、青ん膨れに膨れた婆が、黒地の単衣の襟を抜いて、睫毛の疎な目をつぶって、水気の来たような指を組んで、魍魎のごとくのっさりと、畳一ぱいに坐っていました。さっきこの婆のものを云う声が、蟇の呟くようだったと云いましたが、こうして坐っているのを見ると、蟇も蟇、容易ならない蟇の怪が、人間の姿を装って、毒気を吐こうとしているとでも形容しそうな気色ですから、これにはさすがの新蔵も、頭の上の電燈さえ、光が薄れるかと思うほど、凄しげな心もちがして来たそうです。
が、勿論それくらいな事は、重々覚悟の前でしたから、「じゃ一つ御覧を願いたい。縁談ですがね。」と、きっぱり云った。――その言葉が聞えないのか、お島婆さんはやっと薄眼を開いて、片手を耳へ当てながら、「何の、縁談の。」と繰返しましたが、やはり同じようなぼやけた声で、「おぬし、女が欲しいでの。」と、のっけから鼻で笑ったと云います。新蔵はじりじり業の煮えるのをこらえながら、「欲しいからこそ、見て貰うんです。さもなけりゃ、誰がこんな――」と、柄にもない鉄火な事を云って、こちらも負けずに鼻で笑いました。けれども婆は自若として、まるで蝙蝠の翼のように、耳へ当てた片手を動かしながら、「怒らしゃるまいてや。口が悪いはわしが癖じゃての。」と、まだ半ばせせら笑うように、新蔵の言葉を遮りましたが、それでもようやく調子を改めて、「年はの。」と、仔細らしく尋ねたそうです。「男は二十三――酉年です。」「女はの。」「十七。」「卯年よの。」「生れ月は――」「措かっしゃい。年ばかりでも知りょうての。」婆はこう云いながら、二三度膝の上の指を折って、星でも数えるようでしたが、やがて皮のたるんだ眶を挙げて、ぎょろりと新蔵へ眼をくれると、「成らぬてや。成らぬてや。大凶も大凶よの。」と、まず大仰に嚇かして、それからまた独り呟くように、「この縁を結んだらの、おぬしにもせよ、女にもせよ、必ず一人は身を果そうじゃ。」と、云い切ったろうじゃありませんか。かっとしたのは新蔵で、さてこそ命にかかわると云ったのは、この婆の差金だろうと、見てとったから、我慢が出来ません。じりりと膝を向け直すと、まだ酒臭い顋をしゃくって、「大凶結構。男が一度惚れたからにゃ、身を果すくらいは朝飯前です。火難、剣難、水難があってこそ、惚れ栄えもあると御思いなさい。」と、嵩にかかって云い放しました。すると婆はまた薄眼になって、厚い唇をもぐもぐ動かしながら、「なれどもの、男に身を果された女はどうじゃ。まいてよ、女に身を果された男はの、泣こうてや。吼えようてや。」と、嘲笑うような声で云うのです。おのれ、お敏の体に指一本でもさして見ろ――と気負った勢いで、新蔵は婆を睨めつけながら、「女にゃ男がついています。」と、真向からきめつけると、相手は相不変手を組んだまま、悪く光沢のある頬をにやりとやって、「では男にはの。」と、嘯くように問い返しました。その時は思わずぞっとしたと、新蔵が後で話しましたが、これは成程あの婆に果し状をつけられたようなものですから、気味が悪かったのには、相違ありますまい。しかもそう問い返した後で、婆は新蔵のひるんだ気色を見ると、黒い単衣の襟をぐいと抜いて、「いかにおぬしが揣ろうともの、人間の力には天然自然の限りがあるてや。悪あがきは思い止らっしゃれ。」と、猫撫声を出しましたが、急にもう一度大きな眼を仇白く見開いて、「それ、それ、証拠は目のあたりじゃ。おぬしにはあのため息が聞えぬかいの。」と、今度は両手を耳へ当てながら、さも一大事らしく囁いたと云うのです。新蔵は我知らず堅くなって、じっと耳を澄ませましたが、襖一重向うに隠れている、お敏のけはいを除いては、何一つ聞えるものもありません。すると婆は益々眼をぎょろつかせて、「聞えぬかいの。おぬしのような若いのが、そこな石河岸の石の上で、ついているため息が聞えぬかいの。」と、次第に後の箪笥に映った影も大きくなるかと思うほど、膝を進めて来ましたが、やがてその婆臭い匀が、新蔵の鼻を打ったと思うと、障子も、襖も、御酒徳利も、御鏡も、箪笥も、座蒲団も、すべて陰々とした妖気の中に、まるで今までとは打って変った、怪しげな形を現して、「あの若いのもおぬしのように、おのが好色心に目が眩んでの、この婆に憑らせられた婆娑羅の大神に逆うたてや。されば立ち所に神罰を蒙って、瞬く暇に身を捨ちょうでの。おぬしには善い見せしめじゃ。聞かっしゃれ。」と云う声が、無数の蠅の羽音のように、四方から新蔵の耳を襲って来ました。その拍子に障子の外の竪川へ、誰とも知れず身を投げた、けたたましい水音が、宵闇を破って聞えたそうです。これに荒胆を挫がれた新蔵は、もう五分とその場に居たたまれず、捨台辞を残すのもそこそこで、泣いているお敏さえ忘れたように、蹌踉とお島婆さんの家を飛び出しました。
さて日本橋の家へ帰って、明くる日起きぬけに新聞を見ると、果して昨夜竪川に身投げがあった。――それも亀沢町の樽屋の息子で、原因は失恋、飛びこんだ場所は、一の橋と二の橋との間にある石河岸と出ているのです。それが神経にこたえたのでしょう。新蔵は急に熱が出て、それから三日ばかりと云うものは、ずっと床についていました。が、寝ていても気にかかるのは、申すまでもなくお敏の事で、勿論今となって見れば、何も相手が心変りをしたと云う訣じゃなく、突然暇をとったのも、二度とこの界隈へ来てくれるなと云ったのも、皆お島婆さんの作略に相異ないのですから、今更のようにお敏を疑ったのが恥しくもなって来ますし、また一方ではこの自分に何の怨もないお島婆さんが、何故そんな作略をめぐらすのだか、不思議で仕方がなかったそうです。それにつけても人一人身投げをさせて見ているような、鬼婆と一しょにいるのじゃ、今にもお敏は裸のまま、婆娑羅の大神が祭ってある、あの座敷の古柱へ、ぐるぐる巻に括りつけられて、松葉燻しぐらいにはされ兼ねますまい。そう思うともう新蔵は、おちおち寝てもいられないような気がしますから、四日目には床を離れるが早いか、とにもかくにも泰さんの所へ、知慧を借りに出かけようとすると、ちょうどそこへその泰さんの所から、電話がかかって来たじゃありませんか。しかもその電話と云うのが、ほかならないお敏の一件で、聞けば昨夜遅くなってから、泰さんの所へお敏が来た。そうして是非一度若旦那に御目にかかって、委細の話をしたいのだが、以前奉公していた御店へ、電話もまさかかけられないから、あなたに言伝てを頼みたい――と云う用向きだったそうです。逢いたいのは、こちらも同じ思いですから、新蔵はほとんど送話器にすがりつきそうな勢いで、「どこで逢うと云うんだろう。」と、一生懸命に問いかけますと、能弁な泰さんは、「それがさ、」とゆっくり前置きをして、「何しろあんな内気な女が、二三度会ったばかりの僕の所へ、尋ねて来ようと云うんだから、よくよく思い余っての上なんだろう。そう思うと、僕もすっかりつまされてしまってね、すぐに待合をとも考えたんだが、婆の手前は御湯へ行くと云って、出て来るんだと聞いて見りゃ、川向うは少し遠すぎるし――と云ってほかに然るべき所もないから、よろしい、僕の所の二階を明渡しましょうって云ったんだが、余り恐れ入りますからとか何とか云って、どうしても承知しない。もっともこりゃ気兼ねをするのも、無理はないと思ったから、じゃどこかにお前さんの方に、心当りの場所でもありますかって尋ねると、急に赤い顔をしたがね。小さな声で、明日の夕方、近所の石河岸まで若旦那様に来て頂けないでしょうかと云うんだ。野天の逢曳は罪がなくって好い。」と、笑を噛み殺した容子でした。が、元より新蔵の方は笑う所の騒ぎじゃなく、「じゃ石河岸ときまったんだね。」と、もどかしそうに念を押すと、仕方がないから、そうきめて置いた、時間は六時と七時との間、用が済んだら、自分の所へも寄ってくれと云う返事です。新蔵は礼と一しょに承知の旨を答えると、早速電話を切りましたが、さあそれから日の暮までが、待遠しいの、待遠しくないのじゃありません。算盤を弾く。帳合いを手伝う。中元の進物の差図をする。――その合間には、じれったそうな顔をして、帳場格子の上にある時計の針ばかり気にしていました。
そう云う苦しい思いをして、やっと店をぬけ出したのは、まだ西日の照りつける、五時少し前でしたが、その時妙な事があったと云うのは、小僧の一人が揃えて出した日和下駄を突かけて、新刊書類の建看板が未に生乾きのペンキの匀を漂わしている後から、アスファルトの往来へひょいと一足踏み出すと、新蔵のかぶっている麦藁帽子の庇をかすめて、蝶が二羽飛び過ぎました。烏羽揚羽と云うのでしょう。黒い翅の上に気味悪く、青い光沢がかかった蝶なのです。勿論その時は格別気にもしないで、二羽とも高い夕日の空へ、揉み上げられるようになって見えなくなるのを、ちらりと頭の上に仰ぎながら、折よく通りかかった上野行の電車へ飛び乗ってしまいましたが、さて須田町で乗換えて、国技館前で降りて見ると、またひらひらと麦藁帽子にまつわるのは、やはり二羽の黒い揚羽でした。が、まさか日本橋からここまで蝶が跡をつけて、来ようなどとは考えませんから、この時もやはり気にとめずに、約束の刻限にはまだ余裕もあろうと云うので、あれから一つ目の方へ曲る途中、看板に藪とある、小綺麗な蕎麦屋を一軒見つけて、仕度旁々はいったそうです。もっとも今日は謹んで、酒は一滴も口にせず、妙に胸が閊えるのを、やっと冷麦を一つ平げて、往来の日足が消えた時分、まるで人目を忍ぶ落人のように、こっそり暖簾から外へ出ました。するとその外へ出た所を、追いすがるごとくさっと来て、おやと思う鼻の先へ一文字に舞い上ったのは、今度も黒天鵞絨の翅の上に、青い粉を刷いたような、一対の烏羽揚羽なのです。その時は気のせいか、額へ羽搏った蝶の形が、冷やかに澄んだ夕暮の空気を、烏ほどの大きさに切抜いたかと思いましたが、ぎょっとして思わず足を止めると、そのまますっと小さくなって、互にからみ合いながら、見る見る空の色に紛れてしまいました。重ね重ねの怪しい蝶の振舞に、新蔵もさすがに怯気がさして、悪く石河岸なぞへ行って立っていたら、身でも投げたくなりはしないかと、二の足を踏む気さえ起ったと云います。が、それだけまた心配なのは、今夜逢いに来るお敏の身の上ですから、新蔵はすぐに心をとり直すと、もう黄昏の人影が蝙蝠のようにちらほらする回向院前の往来を、側目もふらずまっすぐに、約束の場所へ駈けつけました。所が駈けつけるともう一度、御影の狛犬が並んでいる河岸の空からふわりと来て、青光りのする翅と翅とがもつれ合ったと思う間もなく、蝶は二羽とも風になぐれて、まだ薄明りの残っている電柱の根元で消えたそうです。
ですからその石河岸の前をぶらぶらして、お敏の来るのを待っている間も、新蔵は気が気じゃありません。麦藁帽子をかぶり直したり、袂へ忍ばせた時計を見たり、小一時間と云うものは、さっき店の帳場格子の後にいた時より、もっと苛立たしい思いをさせられました。が、いくら待ってもお敏の姿が見えないので、我知らず石河岸の前を離れながら、お島婆さんの家の方へ、半町ばかり歩いて来ると、右側に一軒洗湯があって、大きく桃の実を描いた上に、万病根治桃葉湯と唐めかした、ペンキ塗りの看板が出ています。お敏が湯に行くのを口実に、家を出ると云ったのは、この洗湯じゃないかと思う。――ちょうどその途端に女湯の暖簾をあげて、夕闇の往来へ出て来たのは、紛れもないお敏でした。なりはこの間と変りなく、撫子模様のめりんすの帯に紺絣の単衣でしたが、今夜は湯上りだけに血色も美しく、銀杏返しの鬢のあたりも、まだ濡れているのかと思うほど、艶々と櫛目を見せています。それが濡手拭と石鹸の箱とをそっと胸へ抱くようにして、何が怖いのか、往来の右左へ心配そうな眼をくばりましたが、すぐに新蔵の姿を見つけたのでしょう。まだ気づかわしそうな眼でほほ笑むと、つと蓮葉に男の側へ歩み寄って、「長い事御待たせ申しまして。」と便なさそうに云いました。「何、いくらも待ちゃしない。それよりお前、よく出られたね。」新蔵はこう云いながら、お敏と一しょに元来た石河岸の方へゆっくり歩き出しましたが、相手はやはり落着かない容子で、そわそわ後ばかり見返りますから、「どうしたんだ。まるで追手でもかかりそうな風じゃないか。」と、わざと調戯うように声をかけますと、お敏は急に顔を赤らめて、「まあ私、折角いらしって下すった御礼も申し上げないで――ほんとうによく御出で下さいました。」と、それでも不安らしく答えるのです。そこで新蔵も気がかりになって、あの石河岸へ来るまでの間に、いろいろ仔細を尋ねましたが、お敏はただ苦しそうな微笑を洩らして、「こうしている所が見つかって御覧なさいまし。私ばかりかあなたまで、どんな恐しい目に御遇いになるか知れたものではございませんよ。」と、それだけの返事しかしてくれません。その内にもう二人は、約束の石河岸の前へ来かかりましたが、お敏は薄暗がりにつくばっている御影の狛犬へ眼をやると、ほっと安心したような吐息をついて、その下をだらだらと川の方へ下りて行くと、根府川石が何本も、船から挙げたまま寝かしてある――そこまで来て、やっと立止ったそうです。恐る恐るその後から、石河岸の中へはいった新蔵は、例の狛犬の陰になって、往来の人目にかからないのを幸、夕じめりのした根府川石の上へ、無造作に腰を下しながら、「私の命にかかわるの、恐しい目に遇うのって、一体どうしたと云う訣なんだい。」と、またさっきの返事を促しました。するとお敏はしばらくの間、蒼黒く石垣を浸している竪川の水を見渡して、静に何か口の内で祈念しているようでしたが、やがてその眼を新蔵に返すと、始めて、嬉しそうに微笑して、「もうここまで来れば大丈夫でございますよ。」と、囁くように云うじゃありませんか。新蔵は狐につままれたような顔をして、無言のままお敏の顔を見返しました。それからお敏が、自分も新蔵の側へ腰をかけて、途切れ勝にひそひそ話し出したのを聞くと、成程二人は時と場合で、命くらいは取られ兼ねない、恐しい敵を控えているのです。
元来あのお島婆さんと云うのは、世間じゃ母親のように思っていますが、実は遠縁の叔母とかで、お敏の両親が生きていた内は、つき合いさえしなかったものだそうです。何でも代々宮大工だったお敏の父親に云わせると、「あの婆は人間じゃねえ。嘘だと思ったら、横っ腹を見ろ。魚の鱗が生えてやがるじゃねえか。」とかで、往来でお島婆さんに遇ったと云っても、すぐに切火を打ったり、浪の花を撒いたりするくらいでした。が、その父親が歿くなって間もなく、お敏には幼馴染で母親には姪に当る、ある病身な身なし児の娘が、お島婆さんの養女になったので、自然お敏の家とあの婆の家との間にも、親類らしい往来が始まったのです。けれどもそれさえほんの一二年で、お敏は母親に死なれると、世話をする兄弟もなかったので、百ヶ日もまだすまない内に、日本橋の新蔵の家へ奉公する事になりましたから、それぎりお島婆さんとも交渉が絶えてしまいました。そう云うあの婆の所へ、どうしてまたお敏が行くようになったかは、後で御話しする事にしましょう。
ところでお島婆さんの素性はと云うと、歿くなった父親にでも聞いて見たらともかく、お敏は何も知りませんが、ただ、昔から口寄せの巫女をしていたと云う事だけは、母親か誰かから聞いていました。が、お敏が知ってからは、もう例の婆娑羅の大神と云う、怪しい物の力を借りて、加持や占をしていたそうです。この婆娑羅の大神と云うのが、やはりお島婆さんのように、何とも素性の知れない神で、やれ天狗だの、狐だのと、いろいろ取沙汰もありましたが、お敏にとっては産土神の天満宮の神主などは、必ず何か水府のものに相違ないと云っていました。そのせいかお島婆さんは、毎晩二時の時計が鳴ると、裏の縁側から梯子伝いに、竪川の中へ身を浸して、ずっぷり頭まで水に隠したまま、三十分あまりもはいっている――それもこの頃の陽気ばかりだと、さほどこたえはしますまいが、寒中でもやはり湯巻き一つで、紛々と降りしきる霙の中を、まるで人面の獺のように、ざぶりと水へはいると云うじゃありませんか。一度などはお敏が心配して、電燈を片手に雨戸を開けながら、そっと川の中を覗いて見たら、向う岸の並蔵の屋根に白々と雪が残っているだけ、それだけ余計黒い水の上に、婆の切髪の頭だけが、浮巣のように漂っていたそうです。その代りこの婆のする事は、加持でも占でも験がある――と云うと、善い方ばかりのようですが、この婆に金を使って、親とか夫とか兄弟とかを呪い殺したものも大勢いました。現にこの間この石河岸から身を投げた男なぞも、同じ柳橋の芸者とかに思をかけたある米問屋の主人の頼みで、あの婆が造作もなく命を捨てさせてしまったのだそうです。が、どう云う秘密な理由があるのか、一人でもそこで呪い殺された、この石河岸のような場所になると、さすがの婆の加持祈祷でも、そのまわりにいる人間には、害を加える事が出来ません。のみならず、そこでしている事は、千里眼同様な婆の眼にも、はいらずにすむようですから、それでお敏は新蔵を、わざわざこの石河岸へ呼び寄せたと云う次第なのです。
ではどう云う訣でお島婆さんが、それほどお敏と新蔵との恋の邪魔をするかと云いますと、この春頃から相場の高低を見て貰いに来るある株屋が、お敏の美しいのに目をつけて、大金を餌にあの婆を釣った結果、妾にする約束をさせたのだそうです。が、それだけなら、ともかくも金で埓の開く事ですが、ここにもう一つ不思議な故障があるのは、お敏を手離すと、あの婆が加持も占も出来なくなる。――と云うのは、お島婆さんがいざ仕事にとりかかるとなると、まずその婆娑羅の大神をお敏の体に祈り下して、神憑りになったお敏の口から、一々差図を仰ぐのだそうです。これは何もそうしなくとも、あの婆自身が神憑りになったらよさそうに思われますが、そう云う夢とも現ともつかない恍惚の境にはいったものは、その間こそ人の知らない世界の消息にも通じるものの、醒めたが最後、その間の事はすっかり忘れてしまいますから、仕方がなくお敏に神を下して、その言葉を聞くのだとか云う事でした。こう云う事情がある以上、あの婆がお敏を手離さないのも、まずもっともと云わなければなりますまい。ところが株屋の方はまたそれがつけ目なので、お敏を妾にする以上、必ずお島婆さんもついて来るに相違ありませんから、そこでこれには相場を占わせて、あわよくば天下を取ろうと云う、色と欲とにかけた腹らしいのです。
が、お敏の身になって見れば、いかに夢現の中で云う事にしろ、お島婆さんが悪事を働くのは、全く自分の云いつけ通りにするのですから、良心がなければ知らない事、こんな道具に使われるのは空恐しいのに相違ありません。そう云えば前に御話ししたお島婆さんの養女と云うのも、引き取られるからこの役に使われ通しで、ただでさえ脾弱いのが益々病身になってしまいましたが、とうとうしまいには心の罪に責められて、あの婆の寝ている暇に、首を縊って死んだと云う事です。お敏が新蔵の家から暇をとったのは、この養女が死んだ時で、可哀そうにその新仏が幼馴染のお敏へ宛てた、一封の書置きがあったのを幸、早くもあの婆は後釜にお敏を据えようと思ったのでしょう。まんまとそれを種に暇を貰わせて、今の住居へおびき寄せると、殺しても主人の所へは帰さないと、強面に云い渡してしまったそうです。が、勿論新蔵と堅い約束の出来ていたお敏は、その晩にも逃げ帰る心算だったそうですが、向うも用心していたのでしょう。度々入口の格子戸を窺っても、必ず外に一匹の蛇が大きなとぐろを巻いているので、到底一足も踏み出す勇気は、起らなかったと云う事です。それからその後も何度となく、隙を狙っては逃げ出しにかかると、やはり似たような不思議があって、どうしても本意が遂げられません。そこでこの頃は仕方がなく何も因縁事と詮めて、泣く泣くお島婆さんの云いなり次第になっていました。
ところがこの間新蔵が来て以来、二人の関係が知れて見ると、日頃非道なあの婆が、お敏を責めるの責めないのじゃありません。それも打ったりつねったりするばかりか、夜更けを待っては怪しげな法を使って、両腕を空ざまに吊し上げたり、頸のまわりへ蛇をまきつかせたり、聞くさえ身の毛のよ立つような、恐しい目にあわせるのです。が、それよりもさらにつらいのは、そう云う折檻の相間相間に、あの婆がにやりと嘲笑って、これでも思い切らなければ、新蔵の命を縮めても、お敏は人手に渡さないと、憎々しく嚇す事でした。こうなるとお敏も絶体絶命ですから、今までは何事も宿命と覚悟をきめていたのが、万一新蔵の身の上に、取り返しのつかない事でも起っては大変と、とうとう男に一部始終を打ち明ける気になったのです。が、それも新蔵が委細を聞いた後になって、そう云う恐しい事をする女かと、嫌いもし蔑みもしそうでしたから、いよいよ泰さんの所へ駈けつけるまでには、どのくらい思い迷ったか、知れないほどだったと云う事でした。
お敏はこう話し終ると、またいつものように蒼白くなった顔を挙げて、じっと新蔵の眼を見つめながら、「そう云う因果な身の上なのでございますから、いくらつらくっても悲しくっても、何もなかった昔と詮めて、このまま――」と云いかけましたが、もう我慢が出来なくなったと見えて、男の膝へすがったなり、袖を噛んで泣き出しました。途方に暮れたのは新蔵で、しばらくはただお敏の背をさすりながら、叱ったり励ましたりしていたものの、さてあのお島婆さんを向うにまわして、どうすれば無事に二人の恋を遂げる事が出来るかと云うと、残念ながら勝算は到底ないと云わなければなりません。が、勿論お敏のためにも弱味を見すべき場合ではないので、無理に元気の好い声を出しながら、「何、そんなに心配おしでない。長い間にはまた何とか分別もつこうと云うものだから。」と、一時のがれの慰めを云いますと、お敏はようやく涙をおさめて、新蔵の膝を離れましたが、それでもまだ潤み声で、「それは長い間でしたら、どうにかならない事もございますまいが、明後日の夜はまた家の御婆さんが、神を下すと云って居りましたもの。もしその時私がふとした事でも申しましたら――」と、術なさそうに云うのです。これには新蔵も二度吐胸を衝いて、折角のつけ元気さえ、全く沮喪せずにはいられませんでした。明後日と云えば、今日明日の中に、何とか工夫をめぐらさなければ、自分は元よりお敏まで、とり返しのつかない不幸の底に、沈淪しなければなりますまい。が、たった二日の間に、どうしてあの怪しい婆を、取って抑える事が出来ましょう。たとい警察へ訴えたにしろ、幽冥の世界で行われる犯罪には、法律の力も及びません。そうかと云って社会の輿論も、お島婆さんの悪事などは、勿論哂うべき迷信として、不問に附してしまうでしょう。そう思うと新蔵は、今更のように腕を組んで、茫然とするよりほかはありませんでした。そう云う苦しい沈黙が、しばらくの間続いた後で、お敏は涙ぐんだ眼を挙げると、仄かに星の光っている暮方の空を眺めながら、「いっそ私は死んでしまいたい。」と、かすかな声で呟きましたが、やがて物に怯えたように、怖々あたりを見廻して、「余り遅くなりますと、また家の御婆さんに叱られますから、私はもう帰りましょう。」と、根も精もつき果てた人のように云うのです。成程そう云えばここへ来てから、三十分は確かに経ちましたろう。夕闇は潮の匀と一しょに二人のまわりを立て罩めて、向う河岸の薪の山も、その下に繋いである苫船も、蒼茫たる一色に隠れながら、ただ竪川の水ばかりが、ちょうど大魚の腹のように、うす白くうねうねと光っています。新蔵はお敏の肩を抱いて、優しく唇を合せてから、「ともかくも明日の夕方には、またここまで来ておくれ。私もそれまでには出来るだけ、知慧を絞って見る心算だから。」と、一生懸命に力をつけました。お敏は頬の涙の痕をそっと濡手拭で拭きながら、無言のまま悲しそうに頷きましたが、さて悄々根府川石から立上って、これも萎れ切った新蔵と一しょに、あの御影の狛犬の下を寂しい往来へ出ようとすると、急にまた涙がこみ上げて来たのでしょう。夜目にも美しい襟足を見せて、せつなそうにうつむきながら、「ああ、いっそ私は死んでしまいたい。」と、もう一度かすかにこう云いました。するとその途端です。さっき二羽の黒い蝶が消えた、例の電柱の根元の所に、大きな人間の眼が一つ、髣髴として浮び出したじゃありませんか。それも睫毛のない、うす青い膜がかかったような、瞳の色の濁っている、どこを見ているともつかない眼で、大きさはかれこれ三尺あまりもありましたろう。始は水の泡のようにふっと出て、それから地の上を少し離れた所へ、漂うごとくぼんやり止りましたが、たちまちそのどろりとした煤色の瞳が、斜に眥の方へ寄ったそうです。その上不思議な事には、この大きな眼が、往来を流れる闇ににじんで、朦朧とあったのに関らず、何とも云いようのない悪意の閃きを蔵しているように見えました。新蔵は思わず拳を握って、お敏の体をかばいながら、必死にこの幻を見つめたと云います。実際その時は総身の毛穴へ、ことごとく風がふきこんだかと思うほど、ぞっと背筋から寒くなって、息さえつまるような心もちだったのでしょう。いくら声を立てようと思っても、舌が動かなかったと云う事でした。が、幸その眼の方でも、しばらくは懸命の憎悪を瞳に集めて、やはりこちらを見返すようでしたが、見る見る内に形が薄くなって、最後に貝殻のような眶が落ちると、もうそこには電柱ばかりで、何も怪しい物の姿は見えません。ただ、あの烏羽揚羽のような物が、ひらひら飛び立ったように見えたそうですが、それは事によると、地を掠めた蝙蝠だったかも知れますまい。その後で新蔵とお敏とは、まるで悪い夢からでも醒めたように、うっとり色を失った顔を見合せましたが、たちまち互の眼の中に恐しい覚悟の色を読み合うと、我知らずしっかり手をとり交して、わなわな身ぶるいしたと云う事です。
それから三十分ばかり経った後、新蔵はまだ眼の色を変えたまま、風通しの好い裏座敷で、主人の泰さんを前にしながら、今夜出合ったさまざまな不思議な事を、小声でひそひそと話していました。二羽の黒い蝶の事、お島婆さんの秘密の事、大きな眼の幻の事――すべてが現代の青年には、荒唐無稽としか思われない事ですが、兼ねてあの婆の怪しい呪力を心得ている泰さんは、さらに疑念を挟む気色もなく、アイスクリイムを薦めながら、片唾を呑んで聞いてくれるのです。「その大きな眼が消えてしまうと、お敏はまっ蒼な顔をして、『どうしましょう。ここであなたと御目にかかったのが、もう御婆さんに知れてしまいました。』と云うんだ。が、僕は『こうなったが最後、あの婆と我々との間には、戦争が始まったのも同様なんだから、知れようが知れまいが、かまうもんか。』って威張ったんだがね。困った事には今も話した通り、僕は明日またあの石河岸で、お敏と落合う約束がしてあるだろう。ところが今夜の出合いがあの婆に見つかったとなると、恐らく明日はお敏を手放して、出さないだろうと思うんだ。だからよしんばあの婆の爪の下から、お敏を救い出す名案があってもだね、おまけにその名案が今日明日中に思いついたにしてもだ。明日の晩お敏に逢えなけりゃ、すべての計画が画餅になる訣だろう。そう思ったら、僕はもう、神にも仏にも見放されたような心もちがしてね。お敏に別れてここへ来るまでの間も、まるで足は地に着いていないような心もちだった。」――新蔵はこう委細を話し終ると、思い出したように団扇を使いながら、心配そうに泰さんの顔を窺いました。が、泰さんは存外驚かずに、しばらくはただ軒先の釣荵が風にまわるのを見ていましたが、ようやく新蔵の方へ眼を移すと、それでもちょいと眉をひそめて、「つまり君が目的を達するにゃ、三重の難関がある訣だね。第一に君はお島婆さんの手から、安全にだね、安全にお敏さんを奪い取らなければならない。第二にそれも明後日までには、是非共実行する必要がある。それからその実行上の打合せをするために、明日中にお敏さんに逢って置きたい、――と云うのが第三の難関だろう。そこでこの第三の難関はだね。第一第二の難関さえ切り抜けられりゃ、どうにでもなると思うんだ。」と、自信があるらしい口調で云うのです。新蔵はまだ浮かない顔をしたまま、「どうして?」と、疑わしそうに尋ねました。すると泰さんは面憎いほど落着いた顔をして、「何、訣はありゃしない。君が逢えなけりゃ――」と云いかけましたが、急にあたりを見廻しながら、「こうっと、こりゃいざと云う時まで伏せて置こう。どうもさっきからの話じゃ、あの婆め、君のまわりへ厳重に網を張っているらしいから、うっかりした事は云わない方が好さそうだ。実は第一第二の難関も破って破れなくはなさそうに思うんだが。――まあ、まあ、万事僕に任せて置くさ。それより今夜は麦酒でも飲んで、大いに勇気を養って行き給え。」と、しまいにはさも気楽らしい笑に紛してしまうじゃありませんか。新蔵は勿論それを、もどかしくも腹立たしくも思いましたが、さてその麦酒が始まって見ると、やはり泰さんの用心がもっともだったと思うような事が起りました。と云うのは二人の間に浮かない世間話が始まってから、ふと泰さんが気がつくと、燻し鮭の小皿と一しょに、新蔵の膳に載って居るコップがもう泡の消えた黒麦酒をなみなみと湛えたまま、口もつけずに置いてあります。そこで泰さんが水の垂れる麦酒罎の尻をとって、「さあ、ちっと陽気に干そうじゃないか。」と、相手を促した時の事でした。何気なくそのコップをとり上げた新蔵が、ぐいと一息に飲もうとすると、直径二寸ばかりの円を描いた、つらりと光る黒麦酒の面に、天井の電燈や後の葭戸が映っている――そこへ一瞬間、見慣れない人間の顔が映ったのです。いや、もっと精密に云えばただ見慣れない顔と云うだけで、人間かどうかもはっきりとはわかりません。こちらの考え方一つでは、鳥とでも、獣とでも、乃至は蛇や蛙とでも、思って思えない事はないのです。それも顔と云うよりは、むしろその一部分で、殊に眼から鼻のあたりが、まるで新蔵の肩越しにそっとコップの中を覗いたかのごとく、電燈の光を遮って、ありありと影を落しました。こう云うと長い間の事のようですが、前にも云った通りほんの一瞬間で、何とも判然しない物の眼が、直径二寸の黒麦酒の円の中から、ちらりと新蔵の眼を窺ったと思うと、たちまち消え失せてしまったのです。新蔵は飲もうとしたコップを下へ置いて、きょろきょろ前後を見廻しました。が、電燈も依然として明るければ、軒先の釣荵も相不変風に廻っていて、この涼しい裏座敷には、さらに妖臭を帯びた物も見当りません。「どうした。虫でもはいったんじゃないか。」――こう泰さんに尋ねられた新蔵は、仕方なく額の汗を拭って、「何、妙な顔がこの麦酒に映ったんだ。」と、恥しそうに答えました。これを聞くと泰さんは、「妙な顔が映った?」と反響のように繰返しながら、新蔵のコップを覗きこみましたが、元より今はそう云う泰さんの顔のほかに、顔らしいものは何も映りません。「君の神経のせいじゃないか。まさかあの婆も、僕の所までは手を出しゃしなかろう。」「だって君は今も自分でそう云ったじゃないか。僕の体のまわりにゃ、抜け目なくあの婆が網を張っているからって。」「大きにそうだっけ。だがまさか――まさかその麦酒のコップへ、あの婆が舌を入れて、一口頂戴したって次第でもなかろう。それならかまわないから、干してしまい給え。」――こう云う具合に泰さんは、いろいろ沈んだ相手の気を引き立てようとしましたが、新蔵は益々ふさぐ一方で、とうとうそのコップも干さない内に、もう帰り仕度をし始めました。そこで泰さんもやむを得ず、呉々も力を落さないようにと、再三親切な言葉を添えてから、電車では心もとないと云うので、車まで云いつけてくれたそうです。
その晩は寝ても、妙な夢ばかり見て、何度となくうなされましたが、それでもようやく朝になると、新蔵は早速泰さんの所へ、昨夜の礼旁々電話をかけました。すると電話に出て来たのは、泰さんの店の番頭で、「旦那は今朝ほど早く、どちらかへ御出かけになりました。」と云う挨拶なのです。新蔵はもしやお島婆さんの所へでも、行ったのじゃないかと思いましたが、打ち明けてそう尋ねる訣にも行かず、また尋ねたにした所で、余人の知っている筈もありませんから、帰り匇々知らせてくれるようにと、よく番頭に頼んで置いて、一まず電話を切ってしまいました。所がかれこれ午近くになると、今度は泰さんから電話がかかって来て、案の定今朝お島婆さんの所へ、家相を見て貰いに行ったと云うのです。「幸、お敏さんに会ったからね、僕の計画だけは手紙にして、そっとあの人の手に握らせて来たよ。返事は明日でなくっちゃわからないが、何しろ非常の場合だから、お敏さんも振って引受けそうなもんだ。」――こう云う泰さんの言葉を聞いていると、いかにも万事が好都合に運びそうな気がしますから、いよいよ新蔵はその計画と云うのが知りたくなって、「一体何をどうする心算なんだ。」と尋ねますと、泰さんはやはり昨夜のように、電話でもにやにや笑っている容子で、「まあ、もう二三日待ち給え。あの婆が相手じゃ、電話だって油断がならないからね。じゃいずれまた僕の方から、電話をかける事にしよう。さようなら。」と云う始末なのです。電話を切った新蔵は、いつもの通りその後で、帳場格子の後へ坐りましたが、さあここ二日の間に自分とお敏との運命がきまるのだと思うと、心細いともつかず、もどかしいともつかず、そうかと云って猶更また嬉しいともつかず、ただ妙にわくわくした心もちになって、帳面も算盤も手につきません。そこでその日は、まだ熱がとれないようだと云うのを口実に、午から二階の居間で寝ていました。が、その間でも絶えず気になったのは、誰かが自分の一挙一動をじっと見つめているような心もちで、これは寝ていると起きているとに関らず、執念深くつきまとっていたそうです。現に午過ぎの三時頃には、確かに二階の梯子段の上り口に、誰か蹲っているものがあって、その視線が葭戸越しに、こちらへ向けられているようでしたから、すぐに飛び起きて、そこまで出て行って見ましたが、ただ磨きこんだ廊下の上に、ぼんやり窓の外の空が映っているだけで、何も人間らしいものは見えませんでした。
こう云う具合でその翌日になると、益々新蔵は気が気でなくなって、泰さんの電話がかかるのを今か今かと待っていましたが、ようやく昨日と同じ刻限になって、約束通り電話口へ呼び出されました。しかし出て見ると泰さんは、昨日よりさらに元気の好い声で、「とうとう君、お敏さんの返事があってね、一切僕の計画通り実行する事になったよ。何、どうして返事を受取った? また用を拵えて、僕自身あの婆の所へ出馬したのさ。すると昨日手紙で頼んであるから、取次に出たお敏さんが、すぐに僕の手へ返事を忍ばせたんだ。可愛い返事だぜ。平仮名で『しょうちいたしました』と書いてある――」と、得意らしく弁じ立てるのです。ところが今日は妙な事に、こう云う言葉の途中から、泰さんの声ばかりでなく、もう一人誰かの声がはいりました。もっともこの声と云うのも、何と云っているのだか、言葉は皆目わからないのですが、とにかく勢いの好い泰さんの声とは正反対に、鼻へかかった、力のない、喘ぐような、まだるい声が、ちょうど陰と日向とのように泰さんの饒舌って行く間を縫って、受話器の底へ流れこむのです。始めの内は新蔵も、混線だろうくらいな量見で、別に気にもしませんでしたから、「それから、それから。」と促し立てて、懐しいお敏の消息を、夢中になって聞いていました。が、その内に泰さんにも、この妙な声が聞えたのでしょう。「何だか騒々しいな。君の方かい。」と尋ねますから、「いや僕の方じゃない。混線だろう。」と答えますと、泰さんはちょいと舌打ちをした気色で、「じゃ一度切って、またかけ直すぜ。」と云いながら、一度所か二度も三度も、交換手に小言を云っちゃ、根気よく繋ぎ直させましたが、やはり蟇の呟くような、ぶつぶつ云う声が聞えるのです。泰さんもしまいには我を折って、「仕方がないな。どこかに故障があるんだろう。――が、それより肝腎の本筋だがね、いよいよお敏さんが承知したとなりゃ、まあ、万々計画通り成功するだろうと思うから、安心して吉報を待ってい給え。」と、またさっきの話を続け出しましたが、新蔵はやはり泰さんの計画と云うのが気になるので、もう一遍昨日のように、「一体何をどうする心算なんだ。」と尋ねますと、相手は例のごとく澄ましたもので、「もう一日辛抱し給え。明日の今時分までにゃ、きっと君にも知らせられるだろうと思うから。――まあ、そんなに急がないで、大船に乗った気で待っているさ。果報は寝て待てって云うじゃないか。」と、冗談まじりに答えました。するとその声がまだ終らない内に、もう一つのぼやけた声が急に耳の側へ来て、「悪あがきは思い止らっしゃれや。」と、はっきり嘲笑ったじゃありませんか。泰さんと新蔵とは思わず同時に両方から、「何だ、今の声は。」と尋ね合いましたが、それぎり受話器の中はひっそりして、あの呟くような鼻声さえ全く聞えなくなってしまいました。「こりゃいけない。今のは君、あの婆だぜ。悪くすると、折角の計画も――まあ、すべてが明日の事だ。じゃこれで失敬するよ。」――こう云いながら、電話を切った泰さんの声の中には、明かに狼狽したけはいが感じられました。また実際お島婆さんが、二人の間の電話にさえ気を配るようになったとすると、勿論泰さんとお敏とが秘密の手紙をやりとりしているにも、目をつけているのに相違ありませんから、泰さんの慌てるのももっともなのです。まして新蔵の身になって見れば、どうする心算か知らないにもせよ、とにかくかけ換のない泰さんの計画が、あの婆に裏を掻かれる以上、それこそ万事休してしまうよりほかはありません。ですから新蔵は電話口を離れると、まるで喪心した人のように、ぼんやり二階の居間へ行って、日が暮れるまで、窓の外の青空ばかり眺めていました。その空にも気のせいか、時々あの忌わしい烏羽揚羽が、何十羽となく群を成して、気味の悪い更紗模様を織り出した事があるそうですが、新蔵はもう体も心もすっかり疲れ果てていましたから、その不思議を不思議として、感じる事さえ出来なかったと云います。
その晩もまた新蔵は悪夢ばかり見続けて、碌々眠る事さえ出来ませんでしたが、それでも夜が明けると、幾分か心に張りが出ましたので、砂を噛むより味のない朝飯をすませると、早速泰さんへ電話をかけました。「莫迦に、早いじゃないか。僕のような朝寝坊の所へ、今時分電話をかけるのは残酷だよ。」――泰さんは実際まだ眠むそうな声で、こう苦情を申し立てましたが、新蔵はそれには返事もしないで、「僕はね、昨日の電話の一件があって以来、とても便々と家にゃいられないからね。これからすぐに君の所へ行くよ。いいえ、電話で君の話を聞いたくらいじゃ、とても気が休まらないんだ。好いかい。すぐに行くからね。」と、だだっ子のように云い張ったそうです。この興奮し切った口調を聞いちゃ、泰さんもほかに仕方がなかったのでしょう。「じゃ来給え。待っているから。」と、素直に答えてくれたので、新蔵は電話を切るが早いか、心配そうな母親にもむずかしい顔を見せただけで、どこへ行くとも断らずに、ふいと店を飛び出しました。出て見ると、空はどんよりと曇って、東の方の雲の間に赤銅色の光が漂っている、妙に蒸暑い天気でしたが、元よりそんな事は気にかける余裕もなく、すぐ電車へ飛び乗って、すいているのを幸と、まん中の座席へ腰を下したそうです。すると一時恢復したように見えた疲労が、意地悪くまだ残っていたのか、新蔵は今更のように気が沈んで、まるで堅い麦藁帽子が追々頭をしめつけるのかと思うほど、烈しい頭痛までして来ました。そこで気を紛せたい一心から、今まで下駄の爪先ばかりへやっていた眼を、隣近所へ挙げて見ると、この電車にもまた不思議があった。――と云うのは、天井の両側に行儀よく並んでいる吊皮が、電車の動揺するのにつれて、皆振子のように揺れていますが、新蔵の前の吊皮だけは、始終じっと一つ所に、動かないでいるのです。それも始は可笑しいなくらいな心もちで、深くは気にも止めませんでしたが、その内にまた誰かに見つめられているような、気味の悪い心もちが自然に強くなり出したので、こんな吊皮の下に坐っているのが、いけないのだろうと思いましたから、向う側の隅にある空席へわざわざ移りました。移って、ふと上を見ると、今まで揺られていた吊皮が突然造りつけたように動かなくなって、その代りさっきの吊皮が、さも自由になったのを喜ぶらしく、勢いよくぶらつき始めたじゃありませんか。新蔵は毎度の事ながら、この時もやはり頭痛さえ忘れるほど、何とも云えない恐怖を感じて、思わず救いを求めるごとく、ほかの乗客たちの顔を見廻しました。と、斜に新蔵と向い合った、どこかの隠居らしい婆さんが一人、黒絽の被布の襟を抜いて、金縁の眼鏡越しにじろりと新蔵の方を見返したのです。勿論それはあの神下しの婆なぞとは何の由縁もない人物だったのには相違ありませんが、その視線を浴びると同時に、新蔵はたちまちお島婆さんの青んぶくれの顔を思い出しましたから、もう矢も楯もたまりません。いきなり切符を車掌へ渡すと、仕事を仕損じた掏摸より早く、電車を飛び降りてしまいました。が、何しろ凄まじい速力で、進行していた電車ですから、足が地についたと思うと、麦藁帽子が飛ぶ。下駄の鼻緒が切れる。その上俯向きに前へ倒れて、膝頭を摺剥くと云う騒ぎです。いや、もう少し起き上るのが遅かったら、砂煙を立てて走って来た、どこかの貨物自働車に、轢かれてしまった事でしょう。泥だらけになった新蔵は、ガソリンの煙を顔に吹きつけて、横なぐれに通りすぎた、その自働車の黄色塗の後に、商標らしい黒い蝶の形を眺めた時、全く命拾いをしたのが、神業のような気がしたそうです。
それが鞍掛橋の停留場へ一町ばかり手前でしたが、仕合せと通りかかった辻車が一台あったので、ともかくもその車へ這い上ると、まだ血相を変えたまま、東両国へ急がせました。が、その途中も動悸はするし、膝頭の傷はずきずき痛むし、おまけに今の騒動があった後ですから、いつ何時この車もひっくり返りかねないような、縁起の悪い不安もあるし、ほとんど生きている空はなかったそうです。殊に車が両国橋へさしかかった時、国技館の天に朧銀の縁をとった黒い雲が重なり合って、広い大川の水面に蜆蝶の翼のような帆影が群っているのを眺めると、新蔵はいよいよ自分とお敏との生死の分れ目が近づいたような、悲壮な感激に動かされて、思わず涙さえ浮めました。ですから車が橋を渡って、泰さんの家の門口へやっと梶棒を下した時には、嬉しいのか、悲しいのか、自分にも判然しないほど、ただ無性に胸が迫って、けげんな顔をしている車夫の手へ、方外な賃銭を渡す間も惜しいように、倉皇と店先の暖簾をくぐりました。
泰さんは新蔵の顔を見ると、手をとらないばかりにして、例の裏座敷へ通しましたが、やがてその手足の創痕だの、綻びの切れた夏羽織だのに気がついたものと見えて、「どうしたんだい。その体裁は。」と、呆れたように尋ねました。「電車から落っこってね、鞍掛橋の所で飛び降りをしそくなったもんだから。」「田舎者じゃあるまいし、――気が利かないにも、ほどがあるぜ。だが何だってまた、あんな所で、飛び降りなんぞしたんだろう。」――そこで新蔵は電車の中で出会った不思議を、一々泰さんに話して聞かせました。すると泰さんは熱心にその一部始終を聞き終ってから、いつになく眉をひそめて、「形勢いよいよ非だね。僕はお敏さんが失敗したんじゃないかと思うんだが。」と独り言のように云うのです。新蔵はお敏の名前を聞くと、急にまた動悸が高まるような気がしましたから、「失敗したんじゃないかって? 君は一体お敏に何をやらせようとしたんだ。」と、詰問するごとく尋ねました。けれども泰さんはその問には答えないで、「もっともこうなるのも僕の罪かも知れないんだ。僕がお敏さんへ手紙を渡した事なんぞを、電話で君にしゃべらなかったら、あの婆も僕の計画には感づかずにいたのに違いないんだからな。」と、いかにも当惑したらしいため息さえ洩らすのです。新蔵はいよいよたまらなくなって、「今になってもまだ君の計画を知らせてくれないと云うのは、あんまり君、残酷じゃないか。そのおかげで僕は、二重の苦しみをしなけりゃならないんだ。」と、声を震わせながら怨じ立てると、泰さんは「まあ。」と抑えるような手つきをして、「そりゃ重々もっともだよ。もっともだと云う事は僕もよく承知しているんだが、あの婆を相手にしている以上、これも已むを得ない事だと思ってくれ給え。現に今も云った通り、僕はお敏さんへ手紙を渡した事も、君に打明けずに黙っていたら、もっと万事好都合に、運んだかも知れないと思っているんだ。何しろ君の一言一動は、皆、お島婆さんにゃ見透しらしいからね。いや、事によると、この間の電話の一件以来、僕も随分あの婆に睨まれていないもんでもない。が、今までの所じゃ、とにかく僕には君ほどの不思議な事件も起らないんだから、実際僕の計画が失敗したのかどうか、それがはっきり分るまでは、いくら君に恨まれても、一切僕の胸一つにおさめて置きたいと思うんだ。」と、諭したり慰めたりしてくれました。が、新蔵はそう聞いた所で、泰さんの云う事には得心出来ても、お敏の安否を気使う心に変りのある筈はありませんから、まだ険しい表情を眉の間に残したまま、「それにしても君、お敏の体に間違いのあるような事はないだろうね。」と、突っかかるように念を押すと、泰さんもやはり心配そうな眼つきをして、「さあ。」と云ったぎり、しばらくは思案に沈んでいましたが、やがてちょいと次の間の柱時計を覗きながら、「僕もそれが気になって仕方がないんだ。じゃあの婆の家へは行かないでも、近所まで偵察に行って見ようか。」と、思い切ったらしく云うのです。新蔵も実は悠長にこうして坐りこんでいるのが、気が気でなかった所ですから、勿論いやと言う筈はありません。そこですぐに相談が纏って、ものの五分と経たない内に、二人は夏羽織の肩を並べながら、匇々泰さんの家を出ました。
所が泰さんの家を出て、まだ半町と行かない内に、ばたばた後から駈けて来るものがありますから、二人とも、同時に振返って見ると、別に怪しいものではなく、泰さんの店の小僧が一人、蛇の目を一本肩にかついで、大急ぎで主人の後を追いかけて来たのです。「傘か。」「へえ、番頭さんが降りそうですから御持ちなさいましって云いました。」「そんならお客様の分も持ってくりゃ好いのに。」――泰さんは苦笑しながら、その蛇の目を受取ると、小僧は生意気に頭を掻いてから、とってつけたように御辞儀をして、勢いよく店の方へ駈けて行ってしまいました。そう云えば成程頭の上にはさっきよりも黒い夕立雲が、一面にむらむらと滲み渡って、その所々を洩れる空の光も、まるで磨いた鋼鉄のような、気味の悪い冷たさを帯びているのです。新蔵は泰さんと一しょに歩きながら、この空模様を眺めると、また忌わしい予感に襲われ出したので、自然相手との話もはずまず、無暗に足ばかり早め出しました。ですから泰さんは遅れ勝ちで、始終小走りに追いついては、さも気忙しそうに汗を拭いていましたが、その内にとうとうあきらめたのでしょう。新蔵を先へ立たせたまま、自分は後から蛇の目の傘を下げて、時々友だちの後姿を気の毒そうに眺めながら、ぶらぶら歩いて行きました。すると二人が一の橋の袂を左へ切れて、お敏と新蔵とが日暮に大きな眼の幻を見た、あの石河岸の前まで来た時、後から一台の車が来て、泰さんの傍を走り抜けましたが、その車の上の客の姿を見ると、泰さんは急に眉をひそめて、「おい、おい。」と、けたたましく新蔵を呼び止めるじゃありませんか。そこで新蔵もやむを得ず足を止めて、不承不承に相手を見返りながら、うるさそうに「何だい。」と答えると、泰さんは急ぎ足に追いついて、「君は今、車へ乗って通った人の顔を見たかい。」と、妙な事を尋ねるのです。「見たよ。痩せた、黒い色眼鏡をかけている男だろう。」――新蔵はいぶかしそうにこう云いながら、またさっさと歩き出しましたが、泰さんはさらにひるまないで、前よりも一層重々しく、「ありゃね、君、僕の家の上華客で、鍵惣って云う相場師だよ。僕は事によるとお敏さんを妾にしたいと云っているのは、あの男じゃないかと思うんだがどうだろう。いや、格別何故って訣もないんだが、ふとそんな気がし出したんだ。」と、思いもよらない事を云い出しました。が、新蔵はやはり沈んだ調子で、「気だけだろう。」と云い捨てたまま、例の桃葉湯の看板さえ眺めもせずに歩いて行くのです。と、泰さんは蛇の目の傘で二人の行く方を指さしながら、「必ずしも気だけじゃないよ。見給え。あの車はお島婆さんの家の前へ、ちゃんと止っているじゃないか。」と得意らしく新蔵の顔を見返しました。見ると実際さっきの車は、雨を待っている葉柳が暗く条を垂らした下に、金紋のついた後をこちらへ向けて、車夫は蹴込みの前に腰をかけているらしく、悠々と楫棒を下ろしているのです。これを見た新蔵は、始めて浮かぬ顔色の底に、かすかな情熱を動かしながら、それでもまだ懶げな最初の調子を失わないで、「だがね、君、あの婆に占を見て貰いに来る相場師だって、鍵惣とかのほかにもいるだろうじゃないか。」と面倒臭そうに答えましたが、その内にもうお島婆さんの家と隣り合った、左官屋の所まで来かかったからでしょう。泰さんはその上自説も主張しないで、油断なくあたりに気をくばりながら、まるで新蔵の身をかばうように、夏羽織の肩を摺り合せて、ゆっくり、お島婆さんの家の前を通りすぎました。通りすぎながら、二人が尻眼に容子を窺うと、ただふだんと変っているのは、例の鍵惣が乗って来た車だけで、これは遠くで眺めたのよりもずっと手前、ちょうど左官屋の水口の前に太ゴムの轍を威かつく止めて、バットの吸殻を耳にはさんだ車夫が、もっともそうに新聞を読んでいます。が、そのほかは竹格子の窓も、煤けた入口の格子戸も、乃至はまだ葭戸にも変らない、格子戸の中の古ぼけた障子の色も、すべてがいつもと変らないばかりか、家内もやはり日頃のように、陰森とした静かさが罩もっているように思われました。まして万一を僥倖して来た、お敏の姿らしいものは、あのしおらしい紺絣の袂が、ひらめくのさえ眼にはいりません。ですから二人はお島婆さんの家の前を隣の荒物屋の方へ通りぬけると、今までの心の緊張が弛んだと云う以外にも、折角の当てが外れたと云う落胆まで背負わずにはいられませんでした。
ところがその荒物屋の前へ来ると、浅草紙、亀の子束子、髪洗粉などを並べた上に、蚊やり線香と書いた赤提燈が、一ぱいに大きく下っている――その店先へ佇んで、荒物屋のお上さんと話しているのは、紛れもないお敏だろうじゃありませんか。二人は思わず顔を見合せると、ほとんど一秒もためらわずに、夏羽織の裾を飜しながら、つかつかと荒物屋の店へはいりました。そのけはいに気がついて、二人の方を振り向いたお敏は、見る見る蒼白い頬の底にほのかな血の色を動かしましたが、さすがに荒物屋のお上さんの手前も兼ねなければならなかったのでしょう。軒先へ垂れている柳の条を肩へかけたまま、無理に胸の躍るのを抑えるらしく、「まあ。」とかすかな驚きの声を洩らしたとか云う事です。すると泰さんは落着き払って、ちょいと麦藁帽子の庇へ手をやりながら、「阿母さんは御宅ですか。」と、さりげなく言葉をかけました。「はあ、居ります。」「で、あなたは?」「御客様の御用で半紙を買いに――」――こう云うお敏の言葉が終らない内に、柳に塞がれた店先が一層うす暗くなったと思うとたちまち蚊やり線香の赤提燈の胴をかすめて、きらりと一すじ雨の糸が冷たく斜に光りました。と同時に柳の葉も震えるかと思うほど、どろどろと雷が鳴ったそうです。泰さんはこれを切っかけに、一足店の外へ引返しながら、「じゃちょいと阿母さんにそう云って下さい。私がまた見てお貰い申したい事があって上りましたって――今も御門先で度々御免と声をかけたんだが、一向音沙汰がないんでね、どうしたのかと思ったら、肝腎の御取次がここで油を売っていたんです。」と、お敏と荒物屋のお上さんとを等分に見比べて、手際よく快活に笑って見せました。勿論何も知らない荒物屋のお上さんは、こう云う泰さんの巧な芝居に、気がつく筈もありませんから、「じゃお敏さん、早く行ってお上げなさいよ。」と、気忙わしそうに促すと、自分も降り出した雨に慌てて、蚊やり線香の赤提燈を匇々とりこめに立ったと云います。そこでお敏も、「じゃ叔母さん、また後程。」と挨拶を残して、泰さんと新蔵とを左右にしながら、荒物屋の店を出ましたが、元より三人ともお島婆さんの家の前には足も止めず、もう点々と落ちて来る大粒な雨を蛇の目に受けて、一つ目の方へ足を早めました。実際その何分かの間は、当人同志は云うまでもなく、平常は元気の好い泰さんさえ、いよいよ運命の賽を投げて、丁か半かをきめる時が来たような気がしたのでしょう。あの石河岸の前へ来るまでは、三人とも云い合せたように眼を伏せて、見る間に土砂降りになって来た雨も気がつかないらしく、無言で歩き続けました。
その内に御影の狛犬が向い合っている所まで来ると、やっと泰さんが顔を挙げて、「ここが一番安全だって云うから、雨やみ旁々この中で休んで行こう。」と、二人の方を振り返りました。そこで皆一つ傘の下に雨をよけながら、積み上げた石と石との間をぬけて、ふだんは石切りが仕事をする所なのでしょう。石河岸の隅に張ってある蓆屋根の下へはいりました。その時は雨も益々凄じくなって、竪川を隔てた向う河岸も見えないほど、まっ白にたぎり落ちていましたから、この一枚の蓆屋根くらいでは、到底洩らずにすむ訣もありません。のみならず、霧のような雨のしぶきも、湿った土の匀と一しょに、濛々と外から吹きこんで来ます。そこで三人は蓆屋根の下にはいりながらも、まだ一本の蛇の目を頼みにして、削りかけたままになっている門柱らしい御影の上に、目白押しに腰を下しました。と、すぐに口を切ったのは新蔵です。「お敏、僕はもうお前に逢えないかと思っていた。」――こう云う内にまた雨の中を斜に蒼白い電光が走って、雲を裂くように雷が鳴りましたから、お敏は思わず銀杏返しを膝の上へ伏せて、しばらくはじっと身動きもしませんでしたが、やがて全く色を失った顔を挙げると、夢現のような目なざしをうっとりと外の雨脚へやって、「私ももう覚悟はして居りました。」と気味の悪いほど静に云いました。心中――そう云う穏ならない文字が、まるで燐ででも書いたように、新蔵の頭脳へ焼きついたのは、実にこのお敏の言葉を聞いた、瞬間だったと云う事です。が、二人の間に腰を据えて、大きく蛇の目をかざしていた泰さんは、左右へ当惑そうな眼を配りながら、それでも声だけは元気よく、「おい、しっかりしなくっちゃいけないぜ。お敏さんも勇気を出すんです。得てこう云う時には死神が、とっ着きたがるものですからね。――そりゃそうと今来ているお客は、鍵惣って云う相場師でしょう。ええ、私もちょいと知っているんです。あなたを妾にしたいって云うのは、あの男じゃないんですか。」と、早速実際的な方面へ話を移してしまいました。するとお敏も急に夢から覚めたように、涼しい眼を泰さんの顔に注ぎながら、「ええ、あの人なんでございます。」と、口惜しそうに答えたそうです。「それ見給え。やっぱり僕の見込んだ通りじゃないか。」――こう云って泰さんは、得意らしく新蔵の方を見返りましたが、すぐにまた真面目な調子になって、劬るようにお敏の方へ向いながら、「この降りじゃ、いくら鍵惣でもまだ二十分や三十分は御宅にいるでしょう。その間に一つ、私の計画がどうなったか話して聞かせて下さい。もし万事休したとなりゃ、男は当って砕けろだ。私がこれから御宅へ行って、直接鍵惣に懸合って見ますから。」と、新蔵の耳にも頼母しいほど、男らしく云い切りました。その間も雷はいよいよ烈しくなって、昼ながらも大幅な稲妻が、ほとんど絶え間なく滝のような雨をはたいていましたが、お敏はもうその悲しさをさえ忘れるくらい、必死を極めていたのでしょう。顔も美しいと云うよりは、むしろ凄いようなけはいを帯びて、こればかりは変らない、鮮な唇を震わせながら、「それがみんな裏を掻かれて、――もう何も彼も駄目でございますわ。」と、細く透る声で答えました。それからお敏が、この雷雨の蓆屋根の下で、残念そうに息をはずませながら、途切れ途切れに物語った話を聞くと、新蔵の知らない泰さんの計画と云うのは、たった昨夜一晩の内に、こんな鋭い曲折を作って、まんまと失敗してしまったのです。
泰さんは始新蔵から、お島婆さんがお敏へ神を下して、伺いを立てると云う事を聞いた時に、咄嗟に胸に浮んだのは、その時お敏が神憑りの真似をして、あの婆に一杯食わせるのが一番近道だと云う事でした。そこで前にも云った通り、家相を見て貰うのにかこつけて、お島婆さんの所へ行った時に、そっとその旨を書いた手紙をお敏に手渡して来たのです。お敏もこの計画を実行するのは、随分あぶない橋を渡るようなものだとは思いましたが、何しろ差当ってそのほかに、目前の災難を切り抜ける妙案も思い当りませんから、明くる日の朝思い切って、「しょうちいたしました」と云う返事を泰さんに渡しました。ところがその晩の十二時に、例のごとくあの婆が竪川の水に浸った後で、いよいよ婆娑羅の神を祈り下し始めると、全く人間業では仕方のない障害のあるのを知ったのです。が、その仔細を申し上げるのには、今の世にあろうとも思われない、あの婆の不思議な修法の次第を御話して置かなければなりますまい。お島婆さんはいざ神を下すとなると、あろう事かお敏を湯巻一つにして、両手を後へ括り上げた上、髪さえ根から引きほどいて、電燈を消したあの部屋のまん中に、北へ向って坐らせるのだそうです。それから自分も裸のまま、左の手には裸蝋燭をともし、右の手には鏡を執って、お敏の前へ立ちはだかりながら、口の内に秘密の呪文を念じて、鏡を相手につきつけつきつけ、一心不乱に祈念をこめる――これだけでも普通の女なら、気を失うのに違いありませんが、その内に追々呪文の声が高くなって来ると、あの婆は鏡を楯にしながら、少しずつじりじり詰めよせて、しまいには、その鏡に気圧されるのか、両手の利かないお敏の体が仰向けに畳へ倒れるまで、手をゆるめずに責めるのだと云う事です。しかもこうして倒してしまった上で、あの婆はまるで屍骸の肉を食う爬虫類のように這い寄りながら、お敏の胸の上へのしかかって、裸蝋燭の光が落ちる気味の悪い鏡の中を、下からまともにいつまでも覗かせるのだと云うじゃありませんか。するとほどなくあの婆娑羅の神が、まるで古沼の底から立つ瘴気のように、音もなく暗の中へ忍んで来て、そっと女の体へ乗移るのでしょう。お敏は次第に眼が据って、手足をぴくぴく引き攣らせると、もうあの婆が口忙しく畳みかける問に応じて、息もつかずに、秘密の答を饒舌り続けると云う事です。ですからその晩もお島婆さんは、こう云う手順を違えずに、神を祈下そうとしましたが、お敏は泰さんとの約束を守って、うわべは正気を失ったと見せながら、内心はさらに油断なく、機会さえあれば真しやかに、二人の恋の妨げをするなと、贋の神託を下す心算でいました。勿論その時あの婆が根掘り葉掘り尋ねる問などは、神慮に叶わない風を装って、一つも答えない事にきめていたのです。ところが例の裸蝋燭の光を受けて、小さいながら爛々と輝いた鏡の面を見つめていると、いくら気を確かに持とうと思っていても、自然と心が恍惚として、いつとなく我を忘れそうな危険に脅され始めました。そうかと云って、あの婆は、呪文を唱える暇もぬかりなく、じっとこちらの顔色を窺いすましているのですから、隙を狙って鏡から眼を離すと云う訣にも行きません。その内に鏡はお敏の視線を吸いよせるように、益々怪しげな光を放って、一寸ずつ、一分ずつ、宿命よりも気味悪く、だんだんこちらへ近づいて来ました。おまけにあの青んぶくれの婆が、絶え間なく呟く呪文の声も、まるで目に見えない蜘蛛の巣のように、四方からお敏の心を搦んで、いつか夢とも現ともわからない境へ引きずりこもうとするのです。それがどのくらいかかったか、お敏自身も後になって考えたのでは、朧げな記憶さえ残っていません。が、ともかくも自分には一晩中とも思われるほど、長い長い間続いた後で、とうとうお敏は苦心の甲斐もなく、あの婆の秘法の穽に陥れられてしまったのでしょう。うす暗い裸蝋燭の火がまたたく中に、大小さまざまの黒い蝶が、数限りもなく円を描いて、さっと天井へ舞上ったと思うと、そのまま目の前の鏡が見えなくなって、いつもの通り死人も同様な眠に沈んでしまいました。
お敏は雷鳴と雨声との中に、眼にも唇にも懸命の色を漲らせて、こう一部始終を語り終りました。さっきから熱心に耳を傾けていた泰さんと新蔵とは、この時云い合せたように吐息をして、ちらりと視線を交せましたが、兼て計画の失敗は覚悟していても、一々その仔細を聞いて見ると、今度こそすべてが画餅に帰したと云う、今更らしい絶望の威力を痛切に感じたからでしょう。しばらくは二人とも唖のように口を噤んだまま、天を覆して降る豪雨の音を茫然とただ聞いていました。が、その内に泰さんは勇気を振い起したと見えて、今まで興奮し切っていた反動か、見る見る陰鬱になり出したお敏に向って、「その間の事は何一つまるで覚えていないのですか。」と、励ますように尋ねたそうです。と、お敏は眼を伏せて、「ええ、何も――」と答えましたが、すぐにまた哀訴するような眼なざしを恐る恐る泰さんの顔へ挙げて、「やっと正気になりました時には、もう夜が明けて居りましたんです。」と、怨めしそうにつけ加えると、急に袂を顔へ当てて、忍び泣きに咽び入りました。そう云う内にも外の天気は、まだ晴れ間も見えないばかりか、雷は今にも落ちかかるかと思うほど、殷々と頭上に轟き渡って、その度に瞳を焼くような電光が、しっきりなく蓆屋根の下へも閃いて来ます。すると今まで身動きもしなかった新蔵が、何と思ったか突然立ち上ると、凄じく血相を変えたまま、荒れ狂う雨と稲妻との中へ、出て行きそうにするじゃありませんか。しかもその手には、いつの間にか、石切りが忘れて行ったらしい鑿を提げているのです。これを見た泰さんは、蛇の目をそこへ抛り出すが早いか、やにわに後から追いすがって、抱くように新蔵の肩を抑えました。「おい、気でも違ったのか。」――思わずこう泰さんは怒鳴りつけながら、無理に相手を引き戻そうとすると、新蔵は別人のように上ずった声で、「離してくれ給え。もうこうなりゃ、僕が死ぬか、あの婆を殺すかよりほかはないんだ。」と、夢中で喚き立てるのです。「莫迦な事をするな。第一今日は鍵惣も来合せていると云うじゃないか。だから僕が向うへ行って――」「鍵惣が何だ。お敏を妾にしようと云うやつが、君の頼みなんぞ聞くものか。それよりか僕を離してくれ給え。よ、友達甲斐に離してくれ給えったら。」「君はお敏さんの事を忘れたのか。君がそんな無謀な事をしたら、あの人はどうするんだ。」――二人がこう揉み合っている間に、新蔵は優しい二つの腕が、わなわな震えながらも力強く、首のまわりに懸ったのを感じました。それから涙に溢れた涼しい眼が、限りなく悲しい光を湛えて、じっと彼の顔に注がれているのを眺めました。最後に大雨の音を縫って、ほとんど聞きとれないほどかすかな声が、「御一しょに死なせて下さいまし。」と、囁いたのを耳にしました。と同時に近くへ落雷があったのでしょう。天が裂けたような一声の霹靂と共に紫の火花が眼の前へ散乱すると、新蔵は恋人と友人とに抱かれたまま、昏々として気を失ってしまいました。
それから何日か経った後の事です。新蔵はやっと長い悪夢に似た昏睡状態から覚めて見ると、自分は日本橋の家の二階で、氷嚢を頭に当てながら、静に横になっていました。枕元には薬罎や検温器と一しょに、小さな朝顔の鉢があって、しおらしい瑠璃色の花が咲いていますから、大方まだ朝の内なのでしょう。雨、雷鳴、お島婆さん、お敏、――そんな記憶をぼんやり辿りながら、新蔵はふと眼を傍へ転ずると、思いがけなくそこの葭戸際には、銀杏返しの鬢がほつれた、まだ頬の色の蒼白いお敏が、気づかわしそうに坐っていました。いや、坐っているばかりか、新蔵が正気に返ったのを見ると、たちまちかすかに顔を赤らめて、「若旦那様、御気がつきなさいましたか。」と、つつましく声をかけたじゃありませんか。「お敏。」――新蔵はまだ夢を見ているような心もちで、こう恋人の名を呟きましたが、その時また枕もとで、「まあ、これでやっと安心した。――おっと、そのまま、そのまま、なるべく静にしていなくっちゃいけないぜ。」と、これもやはり思いがけない泰さんの声が聞えました。「君もいたのか。」「僕もいるしさ。君の阿母さんもここに御出でなさる。御医者様は今し方帰ったばかりだ。」――こんな問答を交換しながら、新蔵は眼をお敏から返して、まるで遠い所の物でも見るように、うっとりと反対の側を眺めると、成程泰さんと母親とが、ほっとしたような顔を見合せて、枕もとに近く坐っています。が、やっと正気に返った新蔵には、あの恐しい大雷雨の後、どうして日本橋の家へ帰って来たのか、さらにそう云う消息がのみこめませんから、しばらくはただ茫然と三人の顔ばかり眺めていました。が、その内に母親は優しく新蔵の顔を覗きこんで、「もう何事も無事に治まったからね、この上はお前もよく養生をして、一日も早く丈夫な体になってくれなけりゃいけませんよ。」と、劬わるように言葉をかけました。すると泰さんもその後から、「安心し給え。君たち二人の思が神に通じたんだよ。お島婆さんは鍵惣と話している内に、神鳴りに打たれて死んでしまった。」と、いつもよりも快活に云い添えるのです。新蔵はこの意外な吉報を聞くと同時に、喜びとも悲しみとも名状し難い、不思議な感動に蕩揺されて、思わず涙を頬に落すと、そのまま眼をとざしてしまいました。それが看護をしていた三人には、また失神したとでも思われたのでしょう。急に皆そわそわ立ち騒ぐようなけはいがし出しましたから、新蔵はまた眼を開くと、腰を浮かせかけていた泰さんが、わざと大袈裟に舌打ちをして、「何だ。驚かせるぜ。――御安心なさい。今泣いた烏がもう笑っています。」と、二人の女の方をふり返りました。実際新蔵はもうこの世の中にあの怪しい婆の影がささなくなったのだと考えると、自然と微笑が唇に浮んで来るのを感じたのです。それからまたしばらくの間、この幸福な微笑を楽んだ後で、新蔵は泰さんの顔へ眼をやりながら、「鍵惣は?」と尋ねました。と、泰さんは笑いながら、「鍵惣か。鍵惣は目をまわしただけだった。」と云って、何故かちょいとためらったようでしたが、やがて思い直したらしく、「僕は昨日見舞に行って、あの男自身の口から聞いたんだがね。お敏さんは神を下された時に、君たち二人の恋の邪魔をすれば、あの婆の命に関ると、繰返し繰返し云ったそうだ。が、あの婆は狂言だと思ったので、明くる日鍵惣が行った時に、この上はもう殺生な事をしても、君たち二人の仲を裂くとか、大いに息まいていたらしいよ。して見ると、僕の計画は、失敗に終ったのに違いないんだが、そのまた計画通りの事が、実際は起っていたんだろうじゃないか。しかしお島婆さんがそれを狂言だと思った揚句、とうとう自滅したなんぞは、どう考えても予想外だね。これじゃ婆娑羅の神と云うのも、善だか悪だかわからなくなった。」と、怪訝そうに話して聞かせるのです。こう云う話を聞くにつけても、新蔵はいよいよこの間から、自分を掌中に弄んだ、幽冥の力の怪しさに驚かないではいられませんでしたが、たちまちまた自分はあの雷雨の日以来、どうしていたのだろうと思い出しましたから、「じゃ僕は。」と尋ねますと、今度はお敏が泰さんに代って、「あの石河岸からすぐ車で、近所の御医者様へ御つれ申しましたが、雨に御打たれなすったせいか、大層御熱が高くなって、日の暮にこちらへ御帰りになっても、まるで正気ではいらっしゃいませんでした。」と、しみじみした調子で口を添えました。これを聞くと泰さんも、満足そうに膝をのり出して、「その熱がやっと引いたのは、全く君のお母さんとお敏さんとのおかげだよ。今日でまる三日の間、譫言ばかり云っている君の看病で、お敏さんは元より阿母さんも、まんじりとさえなさらないんだ。もっともお島婆さんの方は、追善心に葬式万端、僕がとりしきってやって来たがね。それもこれも阿母さんの御世話になっていない物はないんだよ。」と、末は励ますように述べ立てるのです。「阿母さん。難有う。」「何だね、お前、私より泰さんに御礼を申し上げなくっちゃ。」――こう云う内に親子とも、いや、お敏も、泰さんも、皆涙を浮べていました。が、泰さんは男だけに、すぐ元気な声を出して、「もうかれこれ三時でしょう。じゃ私は御暇しますかな。」と、半ば体を起しかけると、新蔵は不審そうに眉をよせて、「三時? 今はまだ朝じゃないのかい。」と、妙な事を尋ねるのです。呆気にとられた泰さんは、「冗談云っちゃいけない。」と云いながら、帯の間の時計を抜いて、蓋を開けて見せそうにしましたが、ふと新蔵の眼が枕もとの朝顔の花に落ちているのを見ると、急に晴れ晴れした微笑を浮べて、こんな事を話して聞かせました。「この朝顔はね、あの婆の家にいた時から、お敏さんが丹精した鉢植なんだ。ところがあの雨の日に咲いた瑠璃色の花だけは、奇体に今日まで凋まないんだよ。お敏さんは何でもこの花が咲いている限り、きっと君は本復するに違いないって、自分も信じりゃ僕たちにも度々云っていたものなんだ。その甲斐があって、君が正気に返ったんだから、同じ不思議な現象にしても、これだけはいかにも優しいじゃないか。」
(大正八年九月二十二日) | 底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年12月1日第1刷発行
1996(平成8)年4月1日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月8日公開
2004年3月13日修正
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ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか云う災がつづいて起った。そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。
その代りまた鴉がどこからか、たくさん集って来た。昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾のまわりを啼きながら、飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいたようにはっきり見えた。鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、啄みに来るのである。――もっとも今日は、刻限が遅いせいか、一羽も見えない。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉の糞が、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖の尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面皰を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。
作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申の刻下りからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍の先に、重たくうす暗い雲を支えている。
どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はない。選んでいれば、築土の下か、道ばたの土の上で、饑死をするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊した揚句に、やっとこの局所へ逢着した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。
下人は、大きな嚔をして、それから、大儀そうに立上った。夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗の柱にとまっていた蟋蟀も、もうどこかへ行ってしまった。
下人は、頸をちぢめながら、山吹の汗袗に重ねた、紺の襖の肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の患のない、人目にかかる惧のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子が眼についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。下人はそこで、腰にさげた聖柄の太刀が鞘走らないように気をつけながら、藁草履をはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。
それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の容子を窺っていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い鬚の中に、赤く膿を持った面皰のある頬である。下人は、始めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高を括っていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしているらしい。これは、その濁った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。
下人は、守宮のように足音をぬすんで、やっと急な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。そうして体を出来るだけ、平にしながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内を覗いて見た。
見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸が、無造作に棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるという事である。勿論、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土を捏ねて造った人形のように、口を開いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖の如く黙っていた。
下人は、それらの死骸の腐爛した臭気に思わず、鼻を掩った。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからだ。
下人の眼は、その時、はじめてその死骸の中に蹲っている人間を見た。檜皮色の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片を持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分女の死骸であろう。
下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身の毛も太る」ように感じたのである。すると老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱をとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。
その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。――いや、この老婆に対すると云っては、語弊があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、饑死をするか盗人になるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上り出していたのである。
下人には、勿論、何故老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。
そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、梯子から上へ飛び上った。そうして聖柄の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚いたのは云うまでもない。
老婆は、一目下人を見ると、まるで弩にでも弾かれたように、飛び上った。
「おのれ、どこへ行く。」
下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞いで、こう罵った。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は死骸の中で、しばらく、無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへ扭じ倒した。丁度、鶏の脚のような、骨と皮ばかりの腕である。
「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」
下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、白い鋼の色をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球が眶の外へ出そうになるほど、見開いて、唖のように執拗く黙っている。これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を見下しながら、少し声を柔らげてこう云った。
「己は検非違使の庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄をかけて、どうしようと云うような事はない。ただ、今時分この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだ。」
すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。眶の赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉の啼くような声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘にしようと思うたのじゃ。」
下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑と一しょに、心の中へはいって来た。すると、その気色が、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、蟇のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。
「成程な、死人の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
老婆は、大体こんな意味の事を云った。
下人は、太刀を鞘におさめて、その太刀の柄を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな面皰を気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いている中に、下人の心には、ある勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。
「きっと、そうか。」
老婆の話が完ると、下人は嘲るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰から離して、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」
下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪を倒にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。
下人の行方は、誰も知らない。
(大正四年九月) | 底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1997(平成9)年4月15日第14刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第一巻」筑摩書房
1971(昭和46)年3月5日初版第1刷発行
初出:「帝国文学」
1915(大正4)年11月号
※底本の編者による脚注は省略しました。
入力:平山誠、野口英司
校正:もりみつじゅんじ
1997年10月29日公開
2022年7月16日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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この集にはいっている短篇は、「羅生門」「貉」「忠義」を除いて、大抵過去一年間――数え年にして、自分が廿五歳の時に書いたものである。そうして半は、自分たちが経営している雑誌「新思潮」に、一度掲載されたものである。
この期間の自分は、東京帝国文科大学の怠惰なる学生であった。講義は一週間に六七時間しか、聴きに行かない。試験は何時も、甚だ曖昧な答案を書いて通過する、卒業論文の如きは、一週間で怱忙の中に作成した。その自分がこれらの余戯に耽り乍ら、とにかく卒業する事の出来たのは、一に同大学諸教授の雅量に負う所が少くない。唯偏狭なる自分が衷心から其雅量に感謝する事の出来ないのは、遺憾である。
自分は「羅生門」以前にも、幾つかの短篇を書いていた。恐らく未完成の作をも加えたら、この集に入れたものの二倍には、上っていた事であろう。当時、発表する意志も、発表する機関もなかった自分は、作家と読者と批評家とを一身に兼ねて、それで格別不満にも思わなかった。尤も、途中で三代目の「新思潮」の同人になって、短篇を一つ発表した事がある。が、間もなく「新思潮」が廃刊すると共に、自分は又元の通り文壇とは縁のない人間になってしまった。
それが彼是一年ばかり続く中に、一度「帝国文学」の新年号へ原稿を持ちこんで、返された覚えがあるが、間もなく二度目のがやっと同じ雑誌で活字になり、三度目のが又、半年ばかり経って、どうにか日の目を見るような運びになった。その三度目が、この中へ入れた「羅生門」である。その発表後間もなく、自分は人伝に加藤武雄君が、自分の小説を読んだと云う事を聞いた。断って置くが、読んだと云う事を聞いたので、褒めたと云う事を聞いたのではない。けれども自分はそれだけで満足であった。これが、自分の小説も友人以外に読者がある、そうして又同時にあり得ると云う事を知った始である。
次いで、四代目の「新思潮」が久米、松岡、菊池、成瀬、自分の五人の手で、発刊された。そうして、その初号に載った「鼻」を、夏目先生に、手紙で褒めて頂いた。これが、自分の小説を友人以外の人に批評された、そうして又同時に、褒めて貰った始めである。
爾来程なく、鈴木三重吉氏の推薦によって、「芋粥」を「新小説」に発表したが、「新思潮」以外の雑誌に寄稿したのは、寧ろ「希望」に掲げられた、「虱」を以て始めとするのである。
自分が、以上の事をこの集の後に記したのは、これらの作品を書いた時の自分を幾分でも自分に記念したかったからに外ならない。自分の創作に対する所見、態度の如きは、自ら他に発表する機会があるであろう。唯、自分は近来ます〳〵自分らしい道を、自分らしく歩くことによってのみ、多少なりとも成長し得る事を感じている。従って、屡々自分の頂戴する新理智派と云い、新技巧派と云う名称の如きは、何れも自分にとっては寧ろ迷惑な貼札たるに過ぎない。それらの名称によって概括される程、自分の作品の特色が鮮明で単純だとは、到底自信する勇気がないからである。
最後に自分は、常に自分を刺戟し鼓舞してくれる「新思潮」の同人に対して、改めて感謝の意を表したいと思う。この集の如きも、或は諸君の名によって――同人の一人の著作として覚束ない存在を未来に保つような事があるかも知れない。そうなれば、勿論自分は満足である。が、そうならなくとも亦必ずしも満足でない事はない。敢て同人に語を寄せる所以である。
大正六年五月
芥川龍之介 | 底本:「日本の文学 33 羅生門」ほるぷ出版
1984(昭和59)年8月1日初版第1刷発行
1986(昭和61)年12月1日初版第3刷発行
底本の親本:「羅生門」阿蘭陀書房
1917(大正6)年5月発行
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年12月28日公開
2004年3月17日修正
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "000022",
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一
宇治の大納言隆国「やれ、やれ、昼寝の夢が覚めて見れば、今日はまた一段と暑いようじゃ。あの松ヶ枝の藤の花さえ、ゆさりとさせるほどの風も吹かぬ。いつもは涼しゅう聞える泉の音も、どうやら油蝉の声にまぎれて、反って暑苦しゅうなってしもうた。どれ、また童部たちに煽いででも貰おうか。
「何、往来のものどもが集った? ではそちらへ参ると致そう。童部たちもその大団扇を忘れずに後からかついで参れ。
「やあ、皆のもの、予が隆国じゃ。大肌ぬぎの無礼は赦してくれい。
「さて今日はその方どもにちと頼みたい事があって、わざと、この宇治の亭へ足を止めて貰うたのじゃ。と申すはこの頃ふとここへ参って、予も人並に双紙を一つ綴ろうと思い立ったが、つらつら独り考えて見れば、生憎予はこれと云うて、筆にするほどの話も知らぬ。さりながらあだ面倒な趣向などを凝らすのも、予のような怠けものには、何より億劫千万じゃ。ついては今日から往来のその方どもに、今は昔の物語を一つずつ聞かせて貰うて、それを双紙に編みなそうと思う。さすれば内裡の内外ばかりうろついて居る予などには、思いもよらぬ逸事奇聞が、舟にも載せ車にも積むほど、四方から集って参るに相違あるまい。何と、皆のもの、迷惑ながらこの所望を叶えてくれる訳には行くまいか。
「何、叶えてくれる? それは重畳、では早速一同の話を順々にこれで聞くと致そう。
「こりゃ童部たち、一座へ風が通うように、その大団扇で煽いでくれい。それで少しは涼しくもなろうと申すものじゃ。鋳物師も陶器造も遠慮は入らぬ。二人ともずっとこの机のほとりへ参れ。鮓売の女も日が近くば、桶はその縁の隅へ置いたが好いぞ。わ法師も金鼓を外したらどうじゃ。そこな侍も山伏も簟を敷いたろうな。
「よいか、支度が整うたら、まず第一に年かさな陶器造の翁から、何なりとも話してくれい。」
二
翁「これは、これは、御叮嚀な御挨拶で、下賤な私どもの申し上げます話を、一々双紙へ書いてやろうと仰有います――そればかりでも、私の身にとりまして、どのくらい恐多いかわかりません。が、御辞退申しましては反って御意に逆う道理でございますから、御免を蒙って、一通り多曖もない昔話を申し上げると致しましょう。どうか御退屈でもしばらくの間、御耳を御借し下さいまし。
「私どものまだ年若な時分、奈良に蔵人得業恵印と申しまして、途方もなく鼻の大きい法師が一人居りました。しかもその鼻の先が、まるで蜂にでも刺されたかと思うくらい、年が年中恐しくまっ赤なのでございます。そこで奈良の町のものが、これに諢名をつけまして、鼻蔵――と申しますのは、元来大鼻の蔵人得業と呼ばれたのでございますが、それではちと長すぎると申しますので、やがて誰云うとなく鼻蔵人と申し囃しました。が、しばらく致しますと、それでもまだ長いと申しますので、さてこそ鼻蔵鼻蔵と、謡われるようになったのでございます。現に私も一両度、その頃奈良の興福寺の寺内で見かけた事がございますが、いかさま鼻蔵とでも譏られそうな、世にも見事な赤鼻の天狗鼻でございました。その鼻蔵の、鼻蔵人の、大鼻の蔵人得業の恵印法師が、ある夜の事、弟子もつれずにただ一人そっと猿沢の池のほとりへ参りまして、あの采女柳の前の堤へ、『三月三日この池より竜昇らんずるなり』と筆太に書いた建札を、高々と一本打ちました。けれども恵印は実の所、猿沢の池に竜などがほんとうに住んでいたかどうか、心得ていた訳ではございません。ましてその竜が三月三日に天上すると申す事は、全く口から出まかせの法螺なのでございます。いや、どちらかと申しましたら、天上しないと申す方がまだ確かだったのでございましょう。ではどうしてそんな入らざる真似を致したかと申しますと、恵印は日頃から奈良の僧俗が何かにつけて自分の鼻を笑いものにするのが不平なので、今度こそこの鼻蔵人がうまく一番かついだ挙句、さんざん笑い返してやろうと、こう云う魂胆で悪戯にとりかかったのでございます。御前などが御聞きになりましたら、さぞ笑止な事と思召しましょうが、何分今は昔の御話で、その頃はかような悪戯を致しますものが、とかくどこにもあり勝ちでございました。
「さてあくる日、第一にこの建札を見つけましたのは、毎朝興福寺の如来様を拝みに参ります婆さんで、これが珠数をかけた手に竹杖をせっせとつき立てながら、まだ靄のかかっている池のほとりへ来かかりますと、昨日までなかった建札が、采女柳の下に立って居ります。はて法会の建札にしては妙な所に立っているなと不審には思ったのでございますが、何分文字が読めませんので、そのまま通りすぎようと致しました時、折よく向うから偏衫を着た法師が一人、通りかかったものでございますから、頼んで読んで貰いますと、何しろ『三月三日この池より竜昇らんずるなり』で、――誰でもこれには驚いたでございましょう。その婆さんも呆気にとられて、曲った腰をのしながら、『この池に竜などが居りましょうかいな。』と、とぼんと法師の顔を見上げますと、法師は反って落ち着き払って、『昔、唐のある学者が眉の上に瘤が出来て、痒うてたまらなんだ事があるが、ある日一天俄に掻き曇って、雷雨車軸を流すがごとく降り注いだと見てあれば、たちまちその瘤がふっつと裂けて、中から一匹の黒竜が雲を捲いて一文字に昇天したと云う話もござる。瘤の中にさえ竜が居たなら、ましてこれほどの池の底には、何十匹となく蛟竜毒蛇が蟠って居ようも知れぬ道理じゃ。』と、説法したそうでございます。何しろ出家に妄語はないと日頃から思いこんだ婆さんの事でございますから、これを聞いて肝を消しますまい事か、『成程そう承りますれば、どうやらあの辺の水の色が怪しいように見えますわいな。』で、まだ三月三日にもなりませんのに、法師を独り後に残して、喘ぎ喘ぎ念仏を申しながら、竹杖をつく間もまだるこしそうに急いで逃げてしまいました。後で人目がございませんでしたら、腹を抱えたかったのはこの法師で――これはそうでございましょう。実はあの発頭人の得業恵印、諢名は鼻蔵が、もう昨夜建てた高札にひっかかった鳥がありそうだくらいな、はなはだ怪しからん量見で、容子を見ながら、池のほとりを、歩いて居ったのでございますから。が、婆さんの行った後には、もう早立ちの旅人と見えて、伴の下人に荷を負わせた虫の垂衣の女が一人、市女笠の下から建札を読んで居るのでございます。そこで恵印は大事をとって、一生懸命笑を噛み殺しながら、自分も建札の前に立って一応読むようなふりをすると、あの大鼻の赤鼻をさも不思議そうに鳴らして見せて、それからのそのそ興福寺の方へ引返して参りました。
「すると興福寺の南大門の前で、思いがけなく顔を合せましたのは、同じ坊に住んで居った恵門と申す法師でございます。それが恵印に出会いますと、ふだんから片意地なげじげじ眉をちょいとひそめて、『御坊には珍しい早起きでござるな。これは天気が変るかも知れませぬぞ。』と申しますから、こちらは得たり賢しと鼻を一ぱいににやつきながら、『いかにも天気ぐらいは変るかも知れませぬて。聞けばあの猿沢の池から三月三日には、竜が天上するとか申すではござらぬか。』と、したり顔に答えました。これを聞いた恵門は疑わしそうに、じろりと恵印の顔を睨めましたが、すぐに喉を鳴らしながらせせら笑って、『御坊は善い夢を見られたな。いやさ、竜の天上するなどと申す夢は吉兆じゃとか聞いた事がござる。』と、鉢の開いた頭を聳かせたまま、行きすぎようと致しましたが、恵印はまるで独り言のように、『はてさて、縁無き衆生は度し難しじゃ。』と、呟いた声でも聞えたのでございましょう。麻緒の足駄の歯を扭って、憎々しげにふり返りますと、まるで法論でもしかけそうな勢いで、『それとも竜が天上すると申す、しかとした証拠がござるかな。』と問い詰るのでございます。そこで恵印はわざと悠々と、もう朝日の光がさし始めた池の方を指さしまして、『愚僧の申す事が疑わしければ、あの采女柳の前にある高札を読まれたがよろしゅうござろう。』と、見下すように答えました。これにはさすがに片意地な恵門も、少しは鋒を挫かれたのか、眩しそうな瞬きを一つすると、『ははあ、そのような高札が建ちましたか。』と気のない声で云い捨てながら、またてくてくと歩き出しましたが、今度は鉢の開いた頭を傾けて、何やら考えて行くらしいのでございます。その後姿を見送った鼻蔵人の可笑しさは、大抵御推察が参りましょう。恵印はどうやら赤鼻の奥がむず痒いような心もちがして、しかつめらしく南大門の石段を上って行く中にも、思わず吹き出さずには居られませんでした。
「その朝でさえ『三月三日この池より竜昇らんずるなり』の建札は、これほどの利き目がございましたから、まして一日二日と経って見ますと、奈良の町中どこへ行っても、この猿沢の池の竜の噂が出ない所はございません。元より中には『あの建札も誰かの悪戯であろう。』など申すものもございましたが、折から京では神泉苑の竜が天上致したなどと申す評判もございましたので、そう云うものさえ内心では半信半疑と申しましょうか、事によるとそんな大変があるかも知れないぐらいな気にはなって居ったのでございます。するとここにまた思いもよらない不思議が起ったと申しますのは、春日の御社に仕えて居りますある禰宜の一人娘で、とって九つになりますのが、その後十日と経たない中に、ある夜母の膝を枕にしてうとうとと致して居りますと、天から一匹の黒竜が雲のように降って来て、『わしはいよいよ三月三日に天上する事になったが、決してお前たち町のものに迷惑はかけない心算だから、どうか安心していてくれい。』と人語を放って申しました。そこで娘は目がさめるとすぐにこれこれこうこうと母親に話しましたので、さては猿沢の池の竜が夢枕に立ったのだと、たちまちまたそれが町中の大評判になったではございませんか。こうなると話にも尾鰭がついて、やれあすこの稚児にも竜が憑いて歌を詠んだの、やれここの巫女にも竜が現れて託宣をしたのと、まるでその猿沢の池の竜が今にもあの水の上へ、首でも出しそうな騒ぎでございます。いや、首までは出しも致しますまいが、その中に竜の正体を、目のあたりにしかと見とどけたと申す男さえ出て参りました。これは毎朝川魚を市へ売りに出ます老爺で、その日もまだうす暗いのに猿沢の池へかかりますと、あの采女柳の枝垂れたあたり、建札のある堤の下に漫々と湛えた夜明け前の水が、そこだけほんのりとうす明く見えたそうでございます。何分にも竜の噂がやかましい時分でございますから、『さては竜神の御出ましか。』と、嬉しいともつかず、恐しいともつかず、ただぶるぶる胴震いをしながら、川魚の荷をそこへ置くなり、ぬき足にそっと忍び寄ると、采女柳につかまって、透かすように、池を窺いました。するとそのほの明い水の底に、黒金の鎖を巻いたような何とも知れない怪しい物が、じっと蟠って居りましたが、たちまち人音に驚いたのか、ずるりとそのとぐろをほどきますと、見る見る池の面に水脈が立って、怪しい物の姿はどことも知れず消え失せてしまったそうでございます。が、これを見ました老爺は、やがて総身に汗をかいて、荷を下した所へ来て見ますと、いつの間にか鯉鮒合せて二十尾もいた商売物がなくなっていたそうでございますから、『大方劫を経た獺にでも欺されたのであろう。』などと哂うものもございました。けれども中には『竜王が鎮護遊ばすあの池に獺の棲もう筈もないから、それはきっと竜王が魚鱗の命を御憫みになって、御自分のいらっしゃる池の中へ御召し寄せなすったのに相違ない。』と申すものも、思いのほか多かったようでございます。
「こちらは鼻蔵の恵印法師で、『三月三日この池より竜昇らんずるなり』の建札が大評判になるにつけ、内々あの大鼻をうごめかしては、にやにや笑って居りましたが、やがてその三月三日も四五日の中に迫って参りますと、驚いた事には摂津の国桜井にいる叔母の尼が、是非その竜の昇天を見物したいと申すので、遠い路をはるばると上って参ったではございませんか。これには恵印も当惑して、嚇すやら、賺すやら、いろいろ手を尽して桜井へ帰って貰おうと致しましたが、叔母は、『わしもこの年じゃで、竜王の御姿をたった一目拝みさえすれば、もう往生しても本望じゃ。』と、剛情にも腰を据えて、甥の申す事などには耳を借そうとも致しません。と申してあの建札は自分が悪戯に建てたのだとも、今更白状する訳には参りませんから、恵印もとうとう我を折って、三月三日まではその叔母の世話を引き受けたばかりでなく、当日は一しょに竜神の天上する所を見に行くと云う約束までもさせられました。さてこうなって考えますと、叔母の尼さえ竜の事を聞き伝えたのでございますから、大和の国内は申すまでもなく、摂津の国、和泉の国、河内の国を始めとして、事によると播磨の国、山城の国、近江の国、丹波の国のあたりまでも、もうこの噂が一円にひろまっているのでございましょう。つまり奈良の老若をかつごうと思ってした悪戯が、思いもよらず四方の国々で何万人とも知れない人間を瞞す事になってしまったのでございます。恵印はそう思いますと、可笑しいよりは何となく空恐しい気が先に立って、朝夕叔母の尼の案内がてら、つれ立って奈良の寺々を見物して歩いて居ります間も、とんと検非違使の眼を偸んで、身を隠している罪人のような後めたい思いがして居りました。が、時々往来のものの話などで、あの建札へこの頃は香花が手向けてあると云う噂を聞く事でもございますと、やはり気味の悪い一方では、一かど大手柄でも建てたような嬉しい気が致すのでございます。
「その内に追い追い日数が経って、とうとう竜の天上する三月三日になってしまいました。そこで恵印は約束の手前、今更ほかに致し方もございませんから、渋々叔母の尼の伴をして、猿沢の池が一目に見えるあの興福寺の南大門の石段の上へ参りました。丁度その日は空もほがらかに晴れ渡って、門の風鐸を鳴らすほどの風さえ吹く気色はございませんでしたが、それでも今日と云う今日を待ち兼ねていた見物は、奈良の町は申すに及ばず、河内、和泉、摂津、播磨、山城、近江、丹波の国々からも押し寄せて参ったのでございましょう。石段の上に立って眺めますと、見渡す限り西も東も一面の人の海で、それがまた末はほのぼのと霞をかけた二条の大路のはてのはてまで、ありとあらゆる烏帽子の波をざわめかせて居るのでございます。と思うとそのところどころには、青糸毛だの、赤糸毛だの、あるいはまた栴檀庇だのの数寄を凝らした牛車が、のっしりとあたりの人波を抑えて、屋形に打った金銀の金具を折からうららかな春の日ざしに、眩ゆくきらめかせて居りました。そのほか、日傘をかざすもの、平張を空に張り渡すもの、あるいはまた仰々しく桟敷を路に連ねるもの――まるで目の下の池のまわりは時ならない加茂の祭でも渡りそうな景色でございます。これを見た恵印法師はまさかあの建札を立てたばかりで、これほどの大騒ぎが始まろうとは夢にも思わずに居りましたから、さも呆れ返ったように叔母の尼の方をふり向きますと、『いやはや、飛んでもない人出でござるな。』と情けない声で申したきり、さすがに今日は大鼻を鳴らすだけの元気も出ないと見えて、そのまま南大門の柱の根がたへ意気地なく蹲ってしまいました。
「けれども元より叔母の尼には、恵印のそんな腹の底が呑みこめる訳もございませんから、こちらは頭巾もずり落ちるほど一生懸命首を延ばして、あちらこちらを見渡しながら、成程竜神の御棲まいになる池の景色は格別だの、これほどの人出がした上からは、きっと竜神も御姿を御現わしなさるだろうのと、何かと恵印をつかまえては話しかけるのでございます。そこでこちらも柱の根がたに坐ってばかりは居られませんので、嫌々腰を擡げて見ますと、ここにも揉烏帽子や侍烏帽子が人山を築いて居りましたが、その中に交ってあの恵門法師も、相不変鉢の開いた頭を一きわ高く聳やかせながら、鵜の目もふらず池の方を眺めて居るではございませんか。恵印は急に今までの情けない気もちも忘れてしまって、ただこの男さえかついでやったと云う可笑しさに独り擽られながら、『御坊』と一つ声をかけて、それから『御坊も竜の天上を御覧かな。』とからかうように申しましたが、恵門は横柄にふりかえると、思いのほか真面目な顔で、『さようでござる。御同様大分待ち遠い思いをしますな。』と、例のげじげじ眉も動かさずに答えるのでございます。これはちと薬が利きすぎた――と思うと、浮いた声も自然に出なくなってしまいましたから、恵印はまた元の通り世にも心細そうな顔をして、ぼんやり人の海の向うにある猿沢の池を見下しました。が、池はもう温んだらしい底光りのする水の面に、堤をめぐった桜や柳を鮮にじっと映したまま、いつになっても竜などを天上させる気色もございません。殊にそのまわりの何里四方が、隙き間もなく見物の人数で埋まってでもいるせいか、今日は池の広さが日頃より一層狭く見えるようで、第一ここに竜が居ると云うそれがそもそも途方もない嘘のような気が致すのでございます。
「が、一時一時と時の移って行くのも知らないように、見物は皆片唾を飲んで、気長に竜の天上を待ちかまえて居るのでございましょう。門の下の人の海は益広がって行くばかりで、しばらくする内には牛車の数も、所によっては車の軸が互に押し合いへし合うほど、多くなって参りました。それを見た恵印の情けなさは、大概前からの行きがかりでも、御推察が参るでございましょう。が、ここに妙な事が起ったと申しますのは、どう云うものか、恵印の心にもほんとうに竜が昇りそうな――それも始はどちらかと申すと、昇らない事もなさそうな気がし出した事でございます。恵印は元よりあの高札を打った当人でございますから、そんな莫迦げた気のすることはありそうもないものでございますが、目の下で寄せつ返しつしている烏帽子の波を見て居りますと、どうもそんな大変が起りそうな気が致してなりません。これは見物の人数の心もちがいつとなく鼻蔵にも乗り移ったのでございましょうか。それともあの建札を建てたばかりに、こんな騒ぎが始まったと思うと、何となく気が咎めるので、知らず知らずほんとうに竜が昇ってくれれば好いと念じ出したのでございましょうか。その辺の事情はともかくも、あの高札の文句を書いたものは自分だと重々承知しながら、それでも恵印は次第次第に情けない気もちが薄くなって、自分も叔母の尼と同じように飽かず池の面を眺め始めました。また成程そう云う気が起りでも致しませんでしたら、昇る気づかいのない竜を待って、いかに不承不承とは申すものの、南大門の下に小一日も立って居る訳には参りますまい。
「けれども猿沢の池は前の通り、漣も立てずに春の日ざしを照り返して居るばかりでございます。空もやはりほがらかに晴れ渡って、拳ほどの雲の影さえ漂って居る容子はございません。が、見物は相不変、日傘の陰にも、平張の下にも、あるいはまた桟敷の欄干の後にも、簇々と重なり重なって、朝から午へ、午から夕へ日影が移るのも忘れたように、竜王が姿を現すのを今か今かと待って居りました。
「すると恵印がそこへ来てから、やがて半日もすぎた時分、まるで線香の煙のような一すじの雲が中空にたなびいたと思いますと、見る間にそれが大きくなって、今までのどかに晴れていた空が、俄にうす暗く変りました。その途端に一陣の風がさっと、猿沢の池に落ちて、鏡のように見えた水の面に無数の波を描きましたが、さすがに覚悟はしていながら慌てまどった見物が、あれよあれよと申す間もなく、天を傾けてまっ白にどっと雨が降り出したではございませんか。のみならず神鳴も急に凄じく鳴りはためいて、絶えず稲妻が梭のように飛びちがうのでございます。それが一度鍵の手に群る雲を引っ裂いて、余る勢いに池の水を柱のごとく捲き起したようでございましたが、恵印の眼にはその刹那、その水煙と雲との間に、金色の爪を閃かせて一文字に空へ昇って行く十丈あまりの黒竜が、朦朧として映りました。が、それは瞬く暇で、後はただ風雨の中に、池をめぐった桜の花がまっ暗な空へ飛ぶのばかり見えたと申す事でございます――度を失った見物が右往左往に逃げ惑って、池にも劣らない人波を稲妻の下で打たせた事は、今更別にくだくだしく申し上るまでもございますまい。
「さてその内に豪雨もやんで、青空が雲間に見え出しますと、恵印は鼻の大きいのも忘れたような顔色で、きょろきょろあたりを見廻しました。一体今見た竜の姿は眼のせいではなかったろうか――そう思うと、自分が高札を打った当人だけに、どうも竜の天上するなどと申す事は、なさそうな気も致して参ります。と申して、見た事は確かに見たのでございますから、考えれば考えるほど益審でたまりません。そこで側の柱の下に死んだようになって坐っていた叔母の尼を抱き起しますと、妙にてれた容子も隠しきれないで、『竜を御覧じられたかな。』と臆病らしく尋ねました。すると叔母は大息をついて、しばらくは口もきけないのか、ただ何度となく恐ろしそうに頷くばかりでございましたが、やがてまた震え声で、『見たともの、見たともの、金色の爪ばかり閃かいた、一面にまっ黒な竜神じゃろが。』と答えるのでございます。して見ますと竜を見たのは、何も鼻蔵人の得業恵印の眼のせいばかりではなかったのでございましょう。いや、後で世間の評判を聞きますと、その日そこに居合せた老若男女は、大抵皆雲の中に黒竜の天へ昇る姿を見たと申す事でございました。
「その後恵印は何かの拍子に、実はあの建札は自分の悪戯だったと申す事を白状してしまいましたが、恵門を始め仲間の法師は一人もその白状をほんとうとは思わなかったそうでございます。これで一体あの建札の悪戯は図星に中ったのでございましょうか。それとも的を外れたのでございましょうか。鼻蔵の、鼻蔵人の、大鼻の蔵人得業の恵印法師に尋ねましても、恐らくこの返答ばかりは致し兼ねるのに相違ございますまい…………」
三
宇治大納言隆国「なるほどこれは面妖な話じゃ。昔はあの猿沢池にも、竜が棲んで居ったと見えるな。何、昔もいたかどうか分らぬ。いや、昔は棲んで居ったに相違あるまい。昔は天が下の人間も皆心から水底には竜が住むと思うて居った。さすれば竜もおのずから天地の間に飛行して、神のごとく折々は不思議な姿を現した筈じゃ。が、予に談議を致させるよりは、その方どもの話を聞かせてくれい。次は行脚の法師の番じゃな。
「何、その方の物語は、池の尾の禅智内供とか申す鼻の長い法師の事じゃ? これはまた鼻蔵の後だけに、一段と面白かろう。では早速話してくれい。――」
(大正八年四月) | 底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年12月1日第1刷発行
1996(平成8)年4月1日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月8日公開
2004年3月13日修正
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天主初成世界 随造三十六神 第一鉅神 云輅斉布児(中略) 自謂其智与天主等 天主怒而貶入地獄(中略) 輅斉雖入地獄受苦 而一半魂神作魔鬼遊行世間 退人善念
―左闢第三闢裂性中艾儒略荅許大受語―
一
破提宇子と云う天主教を弁難した書物のある事は、知っている人も少くあるまい。これは、元和六年、加賀の禅僧巴毗弇なるものの著した書物である。巴毗弇は当初南蛮寺に住した天主教徒であったが、その後何かの事情から、DS 如来を捨てて仏門に帰依する事になった。書中に云っている所から推すと、彼は老儒の学にも造詣のある、一かどの才子だったらしい。
破提宇子の流布本は、華頂山文庫の蔵本を、明治戊辰の頃、杞憂道人鵜飼徹定の序文と共に、出版したものである。が、そのほかにも異本がない訳ではない。現に予が所蔵の古写本の如きは、流布本と内容を異にする個所が多少ある。
中でも同書の第三段は、悪魔の起源を論じた一章であるが、流布本のそれに比して、予の蔵本では内容が遥に多い。巴毗弇自身の目撃した悪魔の記事が、あの辛辣な弁難攻撃の間に態々引証されてあるからである。この記事が流布本に載せられていない理由は、恐らくその余りに荒唐無稽に類する所から、こう云う破邪顕正を標榜する書物の性質上、故意の脱漏を利としたからでもあろうか。
予は以下にこの異本第三段を紹介して、聊巴毗弇の前に姿を現した、日本の Diabolus を一瞥しようと思う。なお巴毗弇に関して、詳細を知りたい人は、新村博士の巴毗弇に関する論文を一読するが好い。
二
提宇子のいわく、DS は「すひりつあるすすたんしや」とて、無色無形の実体にて、間に髪を入れず、天地いつくにも充満して在ませども、別して威光を顕し善人に楽を与え玉わんために「はらいそ」とて極楽世界を諸天の上に作り玉う。その始人間よりも前に、安助(天使)とて無量無数の天人を造り、いまだ尊体を顕し玉わず。上一人の位を望むべからずとの天戒を定め玉い、この天戒を守らばその功徳に依って、DS の尊体を拝し、不退の楽を極むべし。もしまた破戒せば「いんへるの」とて、衆苦充満の地獄に堕し、毒寒毒熱の苦難を与うべしとの義なりしに、造られ奉って未だ一刻をも経ざるに、即ち無量の安助の中に「るしへる」と云える安助、己が善に誇って我は是 DS なり、我を拝せよと勧めしに、かの無量の安助の中、三分の一は「るしへる」に同意し、多分は与せず、ここにおいて DS「るしへる」を初とし、彼に与せし三分の一の安助をば下界へ追い下し、「いんへるの」に堕せしめ給う。即安助高慢の科に依って、「じゃぼ」とて天狗と成りたるものなり。
破していわく、汝提宇子、この段を説く事、ひとえに自縄自縛なり、まず DS はいつくにも充ち満ちて在ますと云うは、真如法性本分の天地に充塞し、六合に遍満したる理を、聞きはつり云うかと覚えたり。似たる事は似たれども、是なる事は未だ是ならずとは、如此の事をや云う可き。さて汝云わずや。DS は「さひえんちいしも」とて、三世了達の智なりとは。然らば彼安助を造らば、即時に科に落つ可きと云う事を知らずんばあるべからず。知らずんば、三世了達の智と云えば虚談なり。また知りながら造りたらば、慳貪の第一なり。万事に叶う DS ならば、安助の科に堕せざるようには、何とて造らざるぞ。科に落つるをままに任せ置たるは、頗る天魔を造りたるものなり。無用の天狗を造り、邪魔を為さするは、何と云う事ぞ。されど「じゃぼ」と云う天狗、もとよりこの世になしと云うべからず。ただ、DS 安助を造り、安助悪魔と成りし理、聞えずと弁ずるのみ。
よしまた、「じゃぼ」の成り立は、さる事なりとするも、汝がこれを以て極悪兇猛の鬼物となす条、甚以て不審なり。その故は、われ、昔、南蛮寺に住せし時、悪魔「るしへる」を目のあたりに見し事ありしが、彼自らその然らざる理を述べ、人間の「じゃぼ」を知らざる事、夥しきを歎きしを如何。云うこと勿れ、巴毗弇、天魔の愚弄する所となり、妄に胡乱の言をなすと。天主と云う名に嚇されて、正法の明なるを悟らざる汝提宇子こそ、愚痴のただ中よ。わが眼より見れば、尊げに「さんた・まりあ」などと念じ玉う、伴天連の数は多けれど、悪魔「るしへる」ほどの議論者は、一人もあるまじく存ずるなり。今、事の序なれば、わが「じゃぼ」に会いし次第、南蛮の語にては「あぼくりは」とも云うべきを、あらあら下に記し置かん。
年月のほどは、さる可き用もなければ云わず。とある年の秋の夕暮、われ独り南蛮寺の境内なる花木の茂みを歩みつつ、同じく切支丹宗門の門徒にして、さるやんごとなきあたりの夫人が、涙ながらの懺悔を思いめぐらし居たる事あり。先つごろ、その夫人のわれに申されけるは、「このほど、怪しき事あり。日夜何ものとも知れず、わが耳に囁きて、如何ぞさばかりむくつけき夫のみ守れる。世には情ある男も少からぬものをと云う。しかもその声を聞く毎に、神魂たちまち恍惚として、恋慕の情自ら止め難し。さればとてまた、誰と契らんと願うにもあらず、ただ、わが身の年若く、美しき事のみなげかれ、徒らなる思に身を焦すなり」と。われ、その時、宗門の戒法を説き、かつ厳に警めけるは、「その声こそ、一定悪魔の所為とは覚えたれ。総じてこの「じゃぼ」には、七つの恐しき罪に人間を誘う力あり、一に驕慢、二に憤怒、三に嫉妬、四に貪望、五に色欲、六に餮饕、七に懈怠、一つとして堕獄の悪趣たらざるものなし。されば DS が大慈大悲の泉源たるとうらうえにて、「じゃぼ」は一切諸悪の根本なれば、いやしくも天主の御教を奉ずるものは、かりそめにもその爪牙に近づくべからず。ただ、専念に祈祷を唱え、DS の御徳にすがり奉って、万一「いんへるの」の業火に焼かるる事を免るべし」と。われ、さらにまた南蛮の画にて見たる、悪魔の凄じき形相など、こまごまと談りければ、夫人も今更に「じゃぼ」の恐しさを思い知られ、「さてはその蝙蝠の翼、山羊の蹄、蛇の鱗を備えしものが、目にこそ見えね、わが耳のほとりに蹲りて、淫らなる恋を囁くにや」と、身ぶるいして申されたり。われ、その一部始終を心の中に繰返しつつ、異国より移し植えたる、名も知らぬ草木の薫しき花を分けて、ほの暗き小路を歩み居しが、ふと眼を挙げて、行手を見れば、われを去る事十歩ならざるに、伴天連めきたる人影あり。その人、わが眼を挙ぐるより早く、風の如く来りて、問いけるは、「汝、われを知るや」と。われ、眼を定めてその人を見れば、面はさながら崑崙奴の如く黒けれど、眉目さまで卑しからず、身には法服の裾長きを着て、首のめぐりには黄金の飾りを垂れたり。われ、遂にその面を見知らざりしかば、否と答えけるに、その人、忽ち嘲笑うが如き声にて、「われは悪魔「るしへる」なり」と云う。われ、大に驚きて云いけるは、「如何ぞ、「るしへる」なる事あらん。見れば、容体も人に異らず。蝙蝠の翼、山羊の蹄、蛇の鱗は如何にしたる」と。その人答うらく、「悪魔はもとより、人間と異るものにあらず。われを描いて、醜悪絶類ならしむるものは画工のさかしらなり。わがともがらは、皆われの如く、翼なく、鱗なく、蹄なし。況や何ぞかの古怪なる面貌あらん。」われ、さらに云いけるは、「悪魔にしてたとい、人間と異るものにあらずとするも、そはただ、皮相の見に止るのみ。汝が心には、恐しき七つの罪、蝎の如くに蟠らん、」と。「るしへる」再び、嘲笑う如き声にて云うよう、「七つの罪は人間の心にも、蝎の如くに蟠れり。そは汝自ら知る所か」と。われ罵るらく、「悪魔よ、退け、わが心は DS が諸善万徳を映すの鏡なり。汝の影を止むべき所にあらず、」と。悪魔呵々大笑していわく、「愚なり、巴毗弇。汝がわれを唾罵する心は、これ即驕慢にして、七つの罪の第一よ。悪魔と人間の異らぬは、汝の実証を見て知るべし。もし悪魔にして、汝ら沙門の思うが如く、極悪兇猛の鬼物ならんか、われら天が下を二つに分って、汝が DS と共に治めんのみ。それ光あれば、必ず暗あり。DS の昼と悪魔の夜と交々この世を統べん事、あるべからずとは云い難し。されどわれら悪魔の族はその性悪なれど、善を忘れず。右の眼は「いんへるの」の無間の暗を見るとも云えど、左の眼は今もなお、「はらいそ」の光を麗しと、常に天上を眺むるなり。さればこそ悪において全からず。屡 DS が天人のために苦しめらる。汝知らずや、さきの日汝が懺悔を聞きたる夫人も、「るしへる」自らその耳に、邪淫の言を囁きしを。ただ、わが心弱くして、飽くまで夫人を誘う事能わず。ただ、黄昏と共に身辺を去来して、そが珊瑚の念珠と、象牙に似たる手頸とを、えもならず美しき幻の如く眺めしのみ。もしわれにして、汝ら沙門の恐るる如き、兇険無道の悪魔ならんか、夫人は必ず汝の前に懺悔の涙をそそがんより、速に不義の快楽に耽って、堕獄の業因を成就せん」と。われ、「るしへる」の弁舌、爽なるに驚きて、はかばかしく答もなさず、茫然としてただ、その黒檀の如く、つややかなる面を目戍り居しに、彼、たちまちわが肩を抱いて、悲しげに囁きけるは、「わが常に「いんへるの」に堕さんと思う魂は、同じくまた、わが常に「いんへるの」に堕すまじと思う魂なり。汝、われら悪魔がこの悲しき運命を知るや否や。わがかの夫人を邪淫の穽に捕えんとして、しかもついに捕え得ざりしを見よ。われ夫人の気高く清らかなるを愛ずれば、愈夫人を汚さまく思い、反ってまた、夫人を汚さまく思えば、愈気高く清らかなるを愛でんとす。これ、汝らが屡七つの恐しき罪を犯さんとするが如く、われらまた、常に七つの恐しき徳を行わんとすればなり。ああ、われら悪魔を誘うて、絶えず善に赴かしめんとするものは、そもそもまた汝らが DS か。あるいは DS 以上の霊か」と。悪魔「るしへる」は、かくわが耳に囁きて、薄暮の空をふり仰ぐよと見えしが、その姿たちまち霧の如くうすくなりて、淡薄たる秋花の木の間に、消ゆるともなく消え去り了んぬ。われ、即ち匇惶として伴天連の許に走り、「るしへる」が言を以てこれに語りたれど、無智の伴天連、反ってわれを信ぜず。宗門の内証に背くものとして、呵責を加うる事数日なり。されどわれ、わが眼にて見、わが耳にて聞きたるこの悪魔「るしへる」を如何にかして疑う可き。悪魔また性善なり。断じて一切諸悪の根本にあらず。
ああ、汝、提宇子、すでに悪魔の何たるを知らず、況やまた、天地作者の方寸をや。蔓頭の葛藤、截断し去る。咄。
(大正七年八月) | 底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年10月28日第1刷発行
1996年(平成8)7月15日第11刷発行
親本:筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
1971(昭和46)年3月~11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月7日公開
2010年11月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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橋場の玉川軒と云う茶式料理屋で、一中節の順講があった。
朝からどんより曇っていたが、午ごろにはとうとう雪になって、あかりがつく時分にはもう、庭の松に張ってある雪よけの縄がたるむほどつもっていた。けれども、硝子戸と障子とで、二重にしめきった部屋の中は、火鉢のほてりで、のぼせるくらいあたたかい。人の悪い中洲の大将などは、鉄無地の羽織に、茶のきんとうしの御召揃いか何かですましている六金さんをつかまえて、「どうです、一枚脱いじゃあ。黒油が流れますぜ。」と、からかったものである。六金さんのほかにも、柳橋のが三人、代地の待合の女将が一人来ていたが、皆四十を越した人たちばかりで、それに小川の旦那や中洲の大将などの御新造や御隠居が六人ばかり、男客は、宇治紫暁と云う、腰の曲った一中の師匠と、素人の旦那衆が七八人、その中の三人は、三座の芝居や山王様の御上覧祭を知っている連中なので、この人たちの間では深川の鳥羽屋の寮であった義太夫の御浚いの話しや山城河岸の津藤が催した千社札の会の話しが大分賑やかに出たようであった。
座敷は離れの十五畳で、このうちでは一番、広い間らしい。籠行燈の中にともした電燈が所々に丸い影を神代杉の天井にうつしている。うす暗い床の間には、寒梅と水仙とが古銅の瓶にしおらしく投げ入れてあった。軸は太祇の筆であろう。黄色い芭蕉布で煤けた紙の上下をたち切った中に、細い字で「赤き実とみてよる鳥や冬椿」とかいてある。小さな青磁の香炉が煙も立てずにひっそりと、紫檀の台にのっているのも冬めかしい。
その前へ毛氈を二枚敷いて、床をかけるかわりにした。鮮やかな緋の色が、三味線の皮にも、ひく人の手にも、七宝に花菱の紋が抉ってある、華奢な桐の見台にも、あたたかく反射しているのである。その床の間の両側へみな、向いあって、すわっていた。上座は師匠の紫暁で、次が中洲の大将、それから小川の旦那と順を追って右が殿方、左が婦人方とわかれている。その右の列の末座にすわっているのがこのうちの隠居であった。
隠居は房さんと云って、一昨年、本卦返りをした老人である。十五の年から茶屋酒の味をおぼえて、二十五の前厄には、金瓶大黒の若太夫と心中沙汰になった事もあると云うが、それから間もなく親ゆずりの玄米問屋の身上をすってしまい、器用貧乏と、持ったが病の酒癖とで、歌沢の師匠もやれば俳諧の点者もやると云う具合に、それからそれへと微禄して一しきりは三度のものにも事をかく始末だったが、それでも幸に、僅な縁つづきから今ではこの料理屋に引きとられて、楽隠居の身の上になっている。中洲の大将の話では、子供心にも忘れないのは、その頃盛りだった房さんが、神田祭の晩肌守りに「野路の村雨」のゆかたで喉をきかせた時だったと云うが、この頃はめっきり老いこんで、すきな歌沢もめったに謡わなくなったし、一頃凝った鶯もいつの間にか飼わなくなった。かわりめ毎に覗き覗きした芝居も、成田屋や五代目がなくなってからは、行く張合がなくなったのであろう。今も、黄いろい秩父の対の着物に茶博多の帯で、末座にすわって聞いているのを見ると、どうしても、一生を放蕩と遊芸とに費した人とは思われない。中洲の大将や小川の旦那が、「房さん、板新道の――何とか云った…そうそう八重次お菊。久しぶりであの話でも伺おうじゃありませんか。」などと、話しかけても、「いや、もう、当節はから意気地がなくなりまして。」と、禿頭をなでながら、小さな体を一層小さくするばかりである。
それでも妙なもので、二段三段ときいてゆくうちに、「黒髪のみだれていまのものおもい」だの、「夜さこいと云う字を金糸でぬわせ、裾に清十郎とねたところ」だのと云う、なまめいた文句を、二の上った、かげへかげへとまわってゆく三味線の音につれて、語ってゆく、さびた声が久しく眠っていたこの老人の心を、少しずつ目ざませて行ったのであろう。始めは背をまげて聞いていたのが、いつの間にか腰を真直に体をのばして、六金さんが「浅間の上」を語り出した時分には、「うらみも恋も、のこり寝の、もしや心のかわりゃせん」と云うあたりから、目をつぶったまま、絃の音にのるように小さく肩をゆすって、わき眼にも昔の夢を今に見かえしているように思われた。しぶいさびの中に、長唄や清元にきく事の出来ないつやをかくした一中の唄と絃とは、幾年となくこの世にすみふるして、すいもあまいも、かみ分けた心の底にも、時ならない情の波を立てさせずには置かないのであろう。
「浅間の上」がきれて「花子」のかけあいがすむと、房さんは「どうぞ、ごゆるり。」と挨拶をして、座をはずした。丁度、その時、御会席で御膳が出たので、暫くはいろいろな話で賑やかだったが、中洲の大将は、房さんの年をとったのに、よくよく驚いたと見えて、
「ああも変るものかね、辻番の老爺のようになっちゃあ、房さんもおしまいだ。」
「いつか、あなたがおっしゃったのはあの方?」と六金さんがきくと、
「師匠も知ってるから、きいてごらんなさい。芸事にゃあ、器用なたちでね。歌沢もやれば一中もやる。そうかと思うと、新内の流しに出た事もあると云う男なんで。もとはあれでも師匠と同じ宇治の家元へ、稽古に行ったもんでさあ。」
「駒形の、何とか云う一中の師匠――紫蝶ですか――あの女と出来たのもあの頃ですぜ。」と小川の旦那も口を出した。
房さんの噂はそれからそれへと暫くの間つづいたが、やがて柳橋の老妓の「道成寺」がはじまると共に、座敷はまたもとのように静かになった。これがすむと直ぐ、小川の旦那の「景清」になるので、旦那はちょっと席をはずして、はばかりに立った。実はその序に、生玉子でも吸おうと云う腹だったのだが、廊下へ出ると中洲の大将がやはりそっとぬけて来て、
「小川さん、ないしょで一杯やろうじゃあ、ありませんか。あなたの次は私の「鉢の木」だからね。しらふじゃあ、第一腹がすわりませんや。」
「私も生玉子か、冷酒で一杯ひっかけようと思っていた所で、御同様に酒の気がないと意気地がありませんからな。」
そこで一緒に小用を足して、廊下づたいに母屋の方へまわって来ると、どこかで、ひそひそ話し声がする。長い廊下の一方は硝子障子で、庭の刀柏や高野槙につもった雪がうす青く暮れた間から、暗い大川の流れをへだてて、対岸のともしびが黄いろく点々と数えられる。川の空をちりちりと銀の鋏をつかうように、二声ほど千鳥が鳴いたあとは、三味線の声さえ聞えず戸外も内外もしんとなった。きこえるのは、薮柑子の紅い実をうずめる雪の音、雪の上にふる雪の音、八つ手の葉をすべる雪の音が、ミシン針のひびくようにかすかな囁きをかわすばかり、話し声はその中をしのびやかにつづくのである。
「猫の水のむ音でなし。」と小川の旦那が呟いた。足をとめてきいていると声は、どうやら右手の障子の中からするらしい。それは、とぎれ勝ちながら、こう聞えるのである。
「何をすねてるんだってことよ。そう泣いてばかりいちゃあ、仕様ねえわさ。なに、お前さんは紀の国屋の奴さんとわけがある……冗談云っちゃいけねえ。奴のようなばばあをどうするものかな。さましておいて、たんとおあがんなはいだと。さあそうきくから悪いわな。自体、お前と云うものがあるのに、外へ女をこしらえてすむ訳のものじゃあねえ。そもそもの馴初めがさ。歌沢の浚いで己が「わがもの」を語った。あの時お前が……」
「房的だぜ。」
「年をとったって、隅へはおけませんや。」小川の旦那もこう云いながら、細目にあいている障子の内を、及び腰にそっと覗きこんだ。二人とも、空想には白粉のにおいがうかんでいたのである。
部屋の中には、電燈が影も落さないばかりに、ぼんやりともっている。三尺の平床には、大徳寺物の軸がさびしくかかって、支那水仙であろう、青い芽をつつましくふいた、白交趾の水盤がその下に置いてある。床を前に置炬燵にあたっているのが房さんで、こっちからは、黒天鵞絨の襟のかかっている八丈の小掻巻をひっかけた後姿が見えるばかりである。
女の姿はどこにもない。紺と白茶と格子になった炬燵蒲団の上には、端唄本が二三冊ひろげられて頸に鈴をさげた小さな白猫がその側に香箱をつくっている。猫が身うごきをするたびに、頸の鈴がきこえるか、きこえぬかわからぬほどかすかな音をたてる。房さんは禿頭を柔らかな猫の毛に触れるばかりに近づけて、ひとり、なまめいた語を誰に云うともなく繰り返しているのである。
「その時にお前が来てよ。ああまで語った己が憎いと云った。芸事と……」
中洲の大将と小川の旦那とは黙って、顔を見合せた。そして、長い廊下をしのび足で、また座敷へ引きかえした。
雪はやむけしきもない。……
(大正三年四月十四日) | 底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1997(平成9)年4月15日第14刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:野口英司
校正:野口英司
1998年2月21日公開
2004年3月13日修正
青空文庫作成ファイル:
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一
午砲を打つと同時に、ほとんど人影の見えなくなった大学の図書館は、三十分経つか経たない内に、もうどこの机を見ても、荒方は閲覧人で埋まってしまった。
机に向っているのは大抵大学生で、中には年輩の袴羽織や背広も、二三人は交っていたらしい。それが広い空間を規則正しく塞いだ向うには、壁に嵌めこんだ時計の下に、うす暗い書庫の入口が見えた。そうしてその入口の両側には、見上げるような大書棚が、何段となく古ぼけた背皮を並べて、まるで学問の守備でもしている砦のような感を与えていた。
が、それだけの人間が控えているのにも関らず、図書館の中はひっそりしていた。と云うよりもむしろそれだけの人間がいて、始めて感じられるような一種の沈黙が支配していた。書物の頁を飜す音、ペンを紙に走らせる音、それから稀に咳をする音――それらの音さえこの沈黙に圧迫されて、空気の波動がまだ天井まで伝わらない内に、そのまま途中で消えてしまうような心もちがした。
俊助はこう云う図書館の窓際の席に腰を下して、さっきから細かい活字の上に丹念な眼を曝していた。彼は色の浅黒い、体格のがっしりした青年だった。が、彼が文科の学生だと云う事は、制服の襟にあるLの字で、問うまでもなく明かだった。
彼の頭の上には高い窓があって、その窓の外には茂った椎の葉が、僅に空の色を透かせた。空は絶えず雲の翳に遮られて、春先の麗らかな日の光も、滅多にさしては来なかった。さしてもまた大抵は、風に戦いでいる椎の葉が、朦朧たる影を書物の上へ落すか落さない内に消えてしまった。その書物の上には、色鉛筆の赤い線が、何本も行の下に引いてあった。そうしてそれが時の移ると共に、次第に頁から頁へ移って行った。……
十二時半、一時、一時二十分――書庫の上の時計の針は、休みなく確かに動いて行った。するとかれこれ二時かとも思う時分、図書館の扉口に近い、目録の函の並んでいる所へ、小倉の袴に黒木綿の紋附をひっかけた、背の低い角帽が一人、無精らしく懐手をしながら、ふらりと外からはいって来た。これはその懐からだらしなくはみ出したノオト・ブックの署名によると、やはり文科の学生で、大井篤夫と云う男らしかった。
彼はそこに佇んだまま、しばらくはただあたりの机を睨めつけたように物色していたが、やがて向うの窓を洩れる大幅な薄日の光の中に、余念なく書物をはぐっている俊助の姿が目にはいると、早速その椅子の後へ歩み寄って、「おい」と小さな声をかけた。俊助は驚いたように顔を挙げて、相手の方を振返ったが、たちまち浅黒い頬に微笑を浮べて「やあ」と簡単な挨拶をした。と、大井も角帽をかぶったなり、ちょいと顋でこの挨拶に答えながら、妙に脂下った、傲岸な調子で、
「今朝郁文堂で野村さんに会ったら、君に言伝てを頼まれた。別に差支えがなかったら、三時までに『鉢の木』の二階へ来てくれと云うんだが。」
二
「そうか。そりゃ難有う。」
俊助はこう云いながら、小さな金時計を出して見た。すると大井は内懐から手を出して剃痕の青い顋を撫で廻しながら、じろりとその時計を見て、
「すばらしい物を持っているな。おまけに女持ちらしいじゃないか。」
「これか。こりゃ母の形見だ。」
俊助はちょいと顔をしかめながら、無造作に時計をポッケットへ返すと、徐に逞しい体を起して、机の上にちらかっていた色鉛筆やナイフを片づけ出した。その間に大井は俊助の読みかけた書物を取上げて、好い加減に所々開けて見ながら、
「ふん Marius the Epicurean か。」と、冷笑するような声を出したが、やがて生欠伸を一つ噛み殺すと、
「俊助ズィ・エピキュリアンの近況はどうだい。」
「いや、一向振わなくって困っている。」
「そう謙遜するなよ。女持ちの金時計をぶら下げているだけでも、僕より遥に振っているからな。」
大井は書物を抛り出して、また両手を懐へ突こみながら、貧乏揺りをし始めたが、その内に俊助が外套へ手を通し出すと、急に思い出したような調子で、
「おい、君は『城』同人の音楽会の切符を売りつけられたか。」と真顔になって問いかけた。
『城』と言うのは、四五人の文科の学生が「芸術の為の芸術」を標榜して、この頃発行し始めた同人雑誌の名前である。その連中の主催する音楽会が近々築地の精養軒で開かれると云う事は、法文科の掲示場に貼ってある広告で、俊助も兼ね兼ね承知していた。
「いや、仕合せとまだ売りつけられない。」
俊助は正直にこう答えながら、書物を外套の腋の下へ挟むと、時代のついた角帽をかぶって、大井と一しょに席を離れた。と、大井も歩きながら、狡猾そうに眼を働かせて、
「そうか、僕はもう君なんぞはとうに売りつけられたと思っていた。じゃこの際是非一枚買ってやってくれ。僕は勿論『城』同人じゃないんだが、あすこの藤沢に売りつけ方を委託されて、実は大いに困却しているんだ。」
不意打を食った俊助は、買うとか買わないとか答える前に、苦笑しずにはいられなかった。が、大井は黒木綿の紋附の袂から、『城』同人の印のある、洒落れた切符を二枚出すと、それをまるで花札のように持って見せて、
「一等が三円で、二等が二円だ。おい、どっちにする? 一等か。二等か。」
「どっちも真平だ。」
「いかん。いかん。金時計の手前に対しても、一枚だけは買う義務がある。」
二人はこんな押問答を繰返しながら、閲覧人で埋まっている机の間を通りぬけて、とうとう吹き曝しの玄関へ出た。するとちょうどそこへ、真赤な土耳其帽をかぶった、痩せぎすな大学生が一人、金釦の制服に短い外套を引っかけて、勢いよく外からはいって来た。それが出合頭に大井と顔を合せると、女のような優しい声で、しかもまた不自然なくらい慇懃に、
「今日は。大井さん。」と、声をかけた。
三
「やあ、失敬。」
大井は下駄箱の前に立止ると、相不変図太い声を出した。が、その間も俊助に逃げられまいと思ったのか、剃痕の青い顋で横柄に土耳其帽をしゃくって見せて、
「君はまだこの先生を知らなかったかな。仏文の藤沢慧君。『城』同人の大将株で、この間ボオドレエル詩抄と云う飜訳を出した人だ。――こっちは英文の安田俊助君。」と、手もなく二人を紹介してしまった。
そこで俊助も已むを得ず、曖昧な微笑を浮べながら、角帽を脱いで黙礼した。が、藤沢は、俊助の世慣れない態度とは打って変った、いかにも如才ない調子で、
「御噂は予々大井さんから、何かと承わって居りました。やはり御創作をなさいますそうで。その内に面白い物が出来ましたら、『城』の方へ頂きますから、どうかいつでも御遠慮なく。」
俊助はまた微笑したまま、「いや」とか「いいえ」とか好い加減な返事をするよりほかはなかった。すると今まで皮肉な眼で二人を見比べていた大井が、例の切符を土耳其帽に見せると、
「今、大いに『城』同人へ御忠勤を抽んでている所なんだ。」と、自慢がましい吹聴をした。
「ああ、そう。」
藤沢は気味の悪いほど愛嬌のある眼で、ちょいと俊助と切符とを見比べたが、すぐその眼を大井へ返して、
「じゃ一等の切符を一枚差上げてくれ給え。――失礼ですけれども、切符の御心配はいりませんから、聴きにいらして下さいませんか。」
俊助は当惑そうな顔をして、何度も平に辞退しようとした。が、藤沢はやはり愛想よく笑いながら、「御迷惑でもどうか」を繰返して、容易に出した切符を引込めなかった。のみならず、その笑の後からは、万一断られた場合には感じそうな不快さえ露骨に透かせて見せた。
「じゃ頂戴して置きます。」
俊助はとうとう我を折って、渋々その切符を受取りながら、素っ気ない声で礼を云った。
「どうぞ。当夜は清水昌一さんの独唱もある筈になっていますから、是非大井さんとでもいらしって下さい。――君は清水さんを知っていたかしら。」
藤沢はそれでも満足そうに華奢な両手を揉み合せて、優しくこう大井へ問いかけると、なぜかさっきから妙な顔をして、二人の問答を聞いていた大井は、さも冗談じゃないと云うように、鼻から大きく息を抜いて、また元の懐手に返りながら、
「勿論知らん。音楽家と犬とは昔から僕にゃ禁物だ。」
「そう、そう、君は犬が大嫌いだったっけ。ゲエテも犬が嫌いだったと云うから、天才は皆そうなのかも知れない。」
土耳其帽は俊助の賛成を求める心算か、わざとらしく声高に笑って見せた。が、俊助は下を向いたまま、まるでその癇高い笑い声が聞えないような風をしていたが、やがてあの時代のついた角帽の庇へ手をかけると、二人の顔を等分に眺めながら、
「じゃ僕は失敬しよう。いずれまた。」と、取ってつけたような挨拶をして、匇々石段を下りて行った。
四
二人に別れた俊助はふと、現在の下宿へ引き移った事がまだ大学の事務所まで届けてなかったのを思い出した。そこでまたさっきの金時計を出して見ると、約束の三時までにはかれこれ三十分足らずも時間があった。彼はちょいと事務所へ寄る事にして、両手を外套の隠しへ突っこみながら、法文科大学の古い赤煉瓦の建物の方へ、ゆっくりした歩調で歩き出した。
と、突然頭の上で、ごろごろと春の雷が鳴った。仰向いて見ると、空はいつの間にか灰汁桶を掻きまぜたような色になって、そこから湿っぽい南風が、幅の広い砂利道へ生暖く吹き下して来た。俊助は「雨かな」と呟きながら、それでも一向急ぐ気色はなく、書物を腋の下に挟んだまま、悠長な歩みを続けて行った。
が、そう呟くか呟かない内に、もう一度かすかに雷が鳴って、ぽつりと冷たい滴が頬に触れた。続いてまた一つ、今度は触るまでもなく、際どく角帽の庇を掠めて、糸よりも細い光を落した。と思うと追々に赤煉瓦の色が寒くなって、正門の前から続いている銀杏の並木の下まで来ると、もう高い並木の梢が一面に煙って見えるほど、しとしとと雨が降り出した。
その雨の中を歩いて行く俊助の心は沈んでいた。彼は藤沢の声を思い出した。大井の顔も思い出した。それからまた彼等が代表する世間なるものも思い出した。彼の眼に映じた一般世間は、実行に終始するのが特色だった。あるいは実行するのに先立って、信じてかかるのが特色だった。が、彼は持って生れた性格と今日まで受けた教育とに煩わされて、とうの昔に大切な、信ずると云う機能を失っていた。まして実行する勇気は、容易に湧いては来なかった。従って彼は世間に伍して、目まぐるしい生活の渦の中へ、思い切って飛びこむ事が出来なかった。袖手をして傍観す――それ以上に出る事が出来なかった。だから彼はその限りで、広い世間から切り離された孤独を味うべく余儀なくされた。彼が大井と交際していながら、しかも猶俊助ズィ・エピキュリアンなどと嘲られるのはこのためだった。まして土耳其帽の藤沢などは……
彼の考がここまで漂流して来た時、俊助は何気なく頭を擡げた。擡げると彼の眼の前には、第八番教室の古色蒼然たる玄関が、霧のごとく降る雨の中に、漆喰の剥げた壁を濡らしていた。そうしてその玄関の石段の上には、思いもよらない若い女がたった一人佇んでいた。
雨脚の強弱はともかくも、女は雨止みを待つもののごとく、静に薄暗い空を仰いでいた。額にほつれかかった髪の下には、潤いのある大きな黒瞳が、じっと遠い所を眺めているように見えた。それは白い――と云うよりもむしろ蒼白い顔の色に、ふさわしい二重瞼だった。着物は――黒い絹の地へ水仙めいた花を疎に繍い取った肩懸けが、なだらかな肩から胸へかけて無造作に垂れているよりほかに、何も俊助の眼には映らなかった。
女は俊助が首を擡げたのと前後して、遠い空から彼の上へうっとりとその黒瞳勝ちな目を移した。それが彼の眼と出合った時、女の視線はしばらくの間、止まるとも動くともつかず漂っていた。彼はその刹那、女の長い睫毛の後に、彼の経験を超越した、得体の知れない一種の感情が揺曳しているような心もちがした。が、そう思う暇もなく、女はまた眼を挙げて、向うの講堂の屋根に降る雨の脚を眺め出した。俊助は外套の肩を聳やかせて、まるで女の存在を眼中に置かない人のように、冷然とその前を通り過ぎた。三度頭の上の雲を震わせた初雷の響を耳にしながら。
五
雨に濡れた俊助が『鉢の木』の二階へ来て見ると、野村はもう珈琲茶碗を前に置いて、窓の外の往来へ退屈そうな視線を落していた。俊助は外套と角帽とを給仕の手に渡すが早いか、勢いよく野村の卓子の前へ行って、「待たせたか」と云いながら、どっかり曲木の椅子へ腰を下した。
「うん、待たない事もない。」
ほとんど鈍重な感じを起させるほど、丸々と肥満した野村は、その太い指の先でちょいと大島の襟を直しながら、細い鉄縁の眼鏡越しにのんびりと俊助の顔を見た。
「何にする? 珈琲か。紅茶か。」
「何でも好い。――今、雷が鳴ったろう。」
「うん、鳴ったような気もしない事はない。」
「相不変君はのんきだな。また認識の根拠は何処にあるかとか何とか云う問題を、御苦労様にも考えていたんだろう。」
俊助は金口の煙草に火をつけると、気軽そうにこう云って、卓子の上に置いてある黄水仙の鉢へ眼をやった。するとその拍子に、さっき大学の中で見かけた女の眼が、何故か一瞬間生々と彼の記憶に浮んで来た。
「まさか――僕は犬と遊んでいたんだ。」
野村は子供のように微笑しながら、心もち椅子をずらせて、足下に寝ころんでいた黒犬を、卓子掛の陰からひっぱり出した。犬は毛の長い耳を振って、大きな欠伸を一つすると、そのまままたごろりと横になって、仔細らしく俊助の靴の匀を嗅ぎ出した。俊助は金口の煙を鼻へ抜きながら、気がなさそうに犬の頭を撫でてやった。
「この間、栗原の家にいたやつを貰って来たんだ。」
野村は給仕の持って来た珈琲を俊助の方へ押しやりながら、また肥った指の先を着物の襟へちょいとやって、
「あすこじゃこの頃、家中がトルストイにかぶれているもんだから、こいつにも御大層なピエルと云う名前がついている。僕はこいつより、アンドレエと云う犬の方が欲しかったんだが、僕自身ピエルだから、何でもピエルの方をつれて行けと云うんで、とうとうこいつを拝領させられてしまったんだ。」
と、俊助は珈琲茶碗を唇へ当てながら、人の悪い微笑を浮べて、調戯うように野村を一瞥した。
「まあピエルで満足しとくさ。その代りピエルなら、追っては目出度くナタシアとも結婚出来ようと云うもんだ。」
野村もこれには狼狽したものと見えて、しばらくは顔を所斑に赤くしたが、それでも声だけはゆっくりした調子で、
「僕はピエルじゃない。と云って勿論アンドレエでもないが――」
「ないが、とにかく初子女史のナタシアたる事は認めるだろう。」
「そうさな、まあ御転婆な点だけは幾分認めない事もないが――」
「序に全部認めちまうさ。――そう云えばこの頃初子女史は、『戦争と平和』に匹敵するような長篇小説を書いているそうじゃないか。どうだ、もう追つけ完成しそうかね。」
俊助はようやく鋒芒をおさめながら、短くなった金口を灰皿の中へ抛りこんで、やや皮肉にこう尋ねた。
六
「実はその長篇小説の事で、今日は君に来て貰ったんだが。」
野村は鉄縁の眼鏡を外すと、刻銘に手巾で玉の曇りを拭いながら、
「初子さんは何でも、新しい『女の一生』を書く心算なんだそうだ。まあ Une Vie à la Tolstoï と云う所なんだろう。そこでその女主人公と云うのが、いろいろ数奇な運命に弄ばれた結果だね。――」
「それから?」
俊助は鼻を黄水仙の鉢へ持って行きながら、格別気乗りもしていなさそうな声でこう云った。が、野村は細い眼鏡の蔓を耳の後へからみつけると、相不変落着き払った調子で、
「最後にどこかの癲狂院で、絶命する事になるんだそうだ。ついてはその癲狂院の生活を描写したいんだが、生憎初子さんはまだそう云う所へ行って見た事がない。だからこの際誰かの紹介を貰って、どこでも好いから癲狂院を見物したいと云っているんだ。――」
俊助はまた金口に火を付けながら、半ば皮肉な表情を浮べた眼で、もう一度「それから?」と云う相図をした。
「そこで君から一つ、新田さんへ紹介してやって貰いたいんだが――新田さんと云うんだろう。あの物質主義者の医学士は?」
「そうだ――じゃともかくも手紙をやって、向うの都合を問い合せて見よう。多分差支えはなかろうと思うんだが。」
「そうか。そうして貰えれば、僕の方は非常に難有いんだ。初子さんも勿論大喜びだろう。」
野村は満足そうに眼を細くして、続けさまに二三度大島の襟を直しながら、
「この頃はまるでその『女の一生』で夢中になっているんだから。一しょにいる親類の娘なんぞをつかまえても、始終その話ばかりしているらしい。」
俊助は黙って、埃及の煙を吐き出しながら、窓の外の往来へ眼を落した。まだ霧雨の降っている往来には、細い銀杏の並木が僅に芽を伸ばして、亀の甲羅に似た蝙蝠傘が幾つもその下を動いて行く。それがまた何故か彼の記憶に、刹那の間さっき遇った女の眼を思い出させた。……
「君は『城』同人の音楽会へは行かないのか。」
しばらく沈黙が続いた後で、野村はふと思出したようにこう尋ねた。と同時に俊助は、彼の心が何分かの間、ほとんど白紙のごとく空しかったのに気がついた。彼はちょいと顔をしかめて、冷くなった珈琲を飲み干すと、すぐに以前のような元気を恢復して、
「僕は行こうと思っている。君は?」
「僕は今朝郁文堂で大井君に言伝てを頼んだら何でも買ってくれと云うので、とうとう一等の切符を四枚押つけられてしまった。」
「四枚とはまたひどく奮発したものじゃないか。」
「何、どうせ三枚は栗原で買って貰うんだから。――こら、ピエル。」
今まで俊助の足下に寝ころんでいた黒犬は、この時急に身を起すと、階段の上り口を睨みながら、凄じい声で唸り出した。犬の気色に驚いた野村と俊助とは、黄水仙の鉢を隔てて向い合いながら、一度にその方へ振り返った。するとちょうどそこにはあの土耳其帽の藤沢が、黒いソフトをかぶった大学生と一しょに、雨に濡れた外套を給仕の手に渡している所だった。
七
一週間の後、俊助は築地の精養軒で催される『城』同人の音楽会へ行った。音楽会は準備が整わないとか云う事で、やがて定刻の午後六時が迫って来ても、容易に開かれる気色はなかった。会場の次の間には、もう聴衆が大勢つめかけて、電燈の光も曇るほど盛に煙草の煙を立ち昇らせていた。中には大学の西洋人の教師も、一人二人は来ているらしかった。俊助は、大きな護謨の樹の鉢植が据えてある部屋の隅に佇みながら、別に開会を待ち兼ねるでもなく、ぼんやり周囲の話し声に屈托のない耳を傾けていた。
するとどこからか大井篤夫が、今日は珍しく制服を着て、相不変傲然と彼の側へ歩いて来た。二人はちょいと点頭を交換した。
「野村はまだ来ていないか。」
俊助がこう尋ねると、大井は胸の上に両手を組んで、反身にあたりを見廻しながら、
「まだ来ないようだ。――来なくって仕合せさ。僕は藤沢にひっぱられて来たもんだから、もうかれこれ一時間ばかり待たされている。」
俊助は嘲るように微笑した。
「君がたまに制服なんぞ着て来りゃ、どうせ碌な事はありゃしない。」
「これか。これは藤沢の制服なんだ。彼曰、是非僕の制服を借りてくれ給え、そうすると僕はそれを口実に、親爺のタキシイドを借りるから。――そこでやむを得ず、僕がこれを着て、聴きたくもない音楽会なんぞへ出たんだ。」
大井はあたり構わずこんな事を饒舌りながら、もう一度ぐるり部屋の中を見渡して、それから、あすこにいるのは誰、ここにいるのは誰と、世間に名の知られた作家や画家を一々俊助に教えてくれた。のみならず序を以て、そう云う名士たちの醜聞を面白そうに話してくれた。
「あの紋服と来た日にゃ、ある弁護士の細君をひっかけて、そのいきさつを書いた小説を御亭主の弁護士に献じるほど、すばらしい度胸のある人間なんだ。その隣のボヘミアン・ネクタイも、これまた詩よりも女中に手をつけるのが、本職でね。」
俊助はこんな醜い内幕に興味を持つべく、余りに所謂ニル・アドミラリな人間だった。ましてその時はそれらの芸術家の外聞も顧慮してやりたい気もちがあった。そこで彼は大井が一息ついたのを機会にして、切符と引換えに受取ったプログラムを拡げながら、話題を今夜演奏される音楽の方面へ持って行った。が、大井はこの方面には全然無感覚に出来上っていると見えて、鉢植の護謨の葉を遠慮なく爪でむしりながら、
「とにかくその清水昌一とか云う男は、藤沢なんぞの話によると、独唱家と云うよりゃむしろ立派な色魔だね。」と、また話を社会生活の暗黒面へ戻してしまった。
が、幸、その時開会を知らせるベルが鳴って、会場との境の扉がようやく両方へ開かれた。そうして待ちくたびれた聴衆が、まるで潮の引くように、ぞろぞろその扉口へ流れ始めた。俊助も大井と一しょにこの流れに誘われて、次第に会場の方へ押されて行ったが、何気なく途中で後を振り返ると、思わず知らず心の中で「あっ」と云う驚きの声を洩らした。
八
俊助は会場の椅子に着いた後でさえ、まだ全くさっきの驚きから恢復していない事を意識した。彼の心はいつになく、不思議な動揺を感じていた。それは歓喜とも苦痛とも弁別し難い性質のものだった。彼はこの心の動揺に身を任せたいと云う欲望もあった。で同時にまたそうしてはならないと云う気も働いていた。そこで彼は少くとも現在以上の動揺を心に齎さない方便として、成る可く眼を演壇から離さないような工夫をした。
金屏風を立て廻した演壇へは、まずフロックを着た中年の紳士が現れて、額に垂れかかる髪をかき上げながら、撫でるように柔しくシュウマンを唱った。それは Ich Kann's nicht fassen, nicht glauben で始まるシャミッソオの歌だった。俊助はその舌たるい唄いぶりの中から、何か恐るべく不健全な香気が、発散して来るのを感ぜずにはいられなかった。そうしてこの香気が彼の騒ぐ心を一層苛立てて行くような気がしてならなかった。だからようやく独唱が終って、けたたましい拍手の音が起った時、彼はわずかにほっとした眼を挙げて、まるで救いを求めるように隣席の大井を振返った。すると大井はプログラムを丸く巻いて、それを望遠鏡のように眼へ当てながら、演壇の上に頭を下げているシュウマンの独唱家を覗いていたが、
「成程、清水と云う男は、立派に色魔たるべき人相を具えているな。」と、呟くような声で云った。
俊助は初めてその中年の紳士が清水昌一と云う男だったのに気がついた。そこでまた演壇の方へ眼を返すと、今度はそこへ裾模様の令嬢が、盛な喝采に迎えられながら、ヴァイオリンを抱いてしずしずと登って来る所だった。令嬢はほとんど人形のように可愛かったが、遺憾ながらヴァイオリンはただ間違わずに一通り弾いて行くと云うだけのものだった。けれども俊助は幸と、清水昌一のシュウマンほど悪甘い刺戟に脅かされないで、ともかくも快よくチャイコウスキイの神秘な世界に安住出来るのを喜んだ。が、大井はやはり退屈らしく、後頭部を椅子の背に凭せて、時々無遠慮に鼻を鳴らしていたが、やがて急に思いついたという調子で、
「おい、野村君が来ているのを知っているか。」
「知っている。」
俊助は小声でこう答えながら、それでもなお眼は金屏風の前の令嬢からほかへ動かさなかった。と、大井は相手の答が物足らなかったものと見えて、妙に悪意のある微笑を漂わせながら、
「おまけにすばらしい美人を二人連れて来ている。」と、念を押すようにつけ加えた。
が、俊助は何とも答えなかった。そうして今までよりは一層熱心に演壇の上から流れて来るヴァイオリンの静かな音色に耳を傾けているらしかった。……
それからピアノの独奏と四部合唱とが終って、三十分の休憩時間になった時、俊助は大井に頓着なく、逞い体を椅子から起して、あの護謨の樹の鉢植のある会場の次の間へ、野村の連中を探しに行った。しかし後に残った大井の方は、まだ傲然と腕組みをしたまま、ただぐったりと頭を前へ落して、演奏が止んだのも知らないのか、いかにも快よさそうに、かすかな寝息を洩らしていた。
九
次の間へ来て見ると、果して野村が栗原の娘と並んで、大きな暖炉の前へ佇んでいた。血色の鮮かな、眼にも眉にも活々した力の溢れている、年よりは小柄な初子は、俊助の姿を見るが早いか、遠くから靨を寄せて、気軽くちょいと腰をかがめた。と、野村も広い金釦の胸を俊助の方へ向けながら、度の強い近眼鏡の後に例のごとく人の好さそうな微笑を漲らせて、鷹揚に「やあ」と頷いて見せた。俊助は暖炉の上の鏡を背負って、印度更紗の帯をしめた初子と大きな体を制服に包んだ野村とが、向い合って立っているのを眺めた時、刹那の間彼等の幸福が妬しいような心もちさえした。
「今夜はすっかり遅くなってしまった。何しろ僕等の方は御化粧に手間が取れるものだから。」
俊助と二言三言雑談を交換した後で、野村は大理石のマントル・ピイスへ手をかけながら、冗談のような調子でこう云った。
「あら、いつ私たちが御手間を取らせて? 野村さんこそ御出でになるのが遅かったじゃないの?」
初子はわざと濃い眉をひそめて、媚びるように野村の顔を見上げたが、すぐにまたその視線を俊助の方へ投げ返すと、
「先日は私妙な事を御願いして――御迷惑じゃございませんでしたの?」
「いや、どうしまして。」
俊助はちょいと初子に会釈しながら、後はやはり野村だけへ話しかけるような態度で、
「昨日新田から返事が来たが、月水金の内でさえあれば、いつでも喜んで御案内すると云うんだ。だからその内で都合の好い日に参観して来給え。」
「そうか。そりゃ難有う。――で、初子さんはいつ行って見ます?」
「いつでも。どうせ私用のない体なんですもの。野村さんの御都合で極めて頂けば好いわ。」
「僕が極めるって――じゃ僕も随行を仰せつかるんですか。そいつは少し――」
野村は五分刈の頭へ大きな手をやって、辟易したらしい気色を見せた。と、初子は眼で笑いながら、声だけ拗ねた調子で、
「だって私その新田さんって方にも、御目にかかった事がないんでしょう。ですもの、私たちだけじゃ行かれはしないわ。」
「何、安田の名刺を貰って行けば、向うでちゃんと案内してくれますよ。」
二人がこんな押問答を交換していると、突然、そこへ、暁星学校の制服を着た十ばかりの少年が、人ごみの中をくぐり抜けるようにして、勢いよく姿を現した。そうしてそれが俊助の顔を見ると、いきなり直立不動の姿勢をとって、愛嬌のある挙手の礼をして見せた。こちらの三人は思わず笑い出した。中でも一番大きな声を出して笑ったのは、野村だった。
「やあ、今夜は民雄さんも来ていたのか。」
俊助は両手で少年の肩を抑えながら、調戯うようにその顔を覗きこんだ。
「ああ、皆で自動車へ乗って来たの。安田さんは?」
「僕は電車で来た。」
「けちだなあ、電車だなんて。帰りに自動車へ乗せて上げようか。」
「ああ、乗せてくれ給え。」
この間も俊助は少年の顔を眺めながら、しかも誰かが民雄の後を追って、彼等の近くへ歩み寄ったのを感ぜずにはいられなかった。
十
俊助は眼を挙げた。と、果して初子の隣に同年輩の若い女が、紺地に藍の竪縞の着物の胸を蘆手模様の帯に抑えて、品よくすらりと佇んでいた。彼女は初子より大柄だった。と同時に眼鼻立ちは、愛くるしかるべき二重瞼までが、遥に初子より寂しかった。しかもその二重瞼の下にある眼は、ほとんど憂鬱とも形容したい、潤んだ光さえ湛えていた。さっき会場へはいろうとする間際に、偶然後へ振り返った、俊助の心を躍らせたものは、実にこのもの思わしげな、水々しい瞳の光だった。彼はその瞳の持ち主と咫尺の間に向い合った今、再び最前の心の動揺を感じない訳には行かなかった。
「辰子さん。あなたまだ安田さんを御存知なかったわね。――辰子さんと申しますの。京都の女学校を卒業なすった方。この頃やっと東京詞が話せるようになりました。」
初子は物慣れた口ぶりで、彼女を俊助に紹介した。辰子は蒼白い頬の底にかすかな血の色を動かして、淑かに束髪の頭を下げた。俊助も民雄の肩から手を離して、叮嚀に初対面の会釈をした。幸、彼の浅黒い頬がいつになく火照っているのには、誰も気づかずにいたらしかった。
すると野村も横合いから、今夜は特に愉快そうな口を出して、
「辰子さんは初子さんの従妹でね、今度絵の学校へはいるものだから、それでこっちへ出て来る事になったんだ。所が毎日初子さんが例の小説の話ばかり聞かせるので、余程体にこたえるのだろう。どうもこの頃はちと健康が思わしくない。」
「まあ、ひどい。」
初子と辰子とは同時にこう云った。が、辰子の声は、初子のそれに気押されて、ほとんど聞えないほど低い声だった。けれども俊助は、この始めて聞いた辰子の声の中に、優しい心を裏切るものが潜んでいるような心もちがした。それが彼には心強い気を起させた。
「画と云うと――やはり洋画を御やりになるのですか。」
相手の声に勇気を得た俊助は、まだ初子と野村とが笑い合っている内に、こう辰子へ問いかけた。辰子はちょいと眼を帯止めの翡翠へ落して、
「は。」と、思ったよりもはっきりした返事をした。
「画は却々うまい。優に初子さんの小説と対峙するに足るくらいだ。――だから、辰子さん。僕が好い事を教えて上げましょう。これから初子さんが小説の話をしたら、あなたも盛に画の話をするんです。そうでもしなくっちゃ、体がたまりません。」
俊助はただ微笑で野村に答えながら、もう一度辰子に声をかけて見た。
「お体は実際お悪いんですか。」
「ええ、心臓が少し――大した事はございませんけれど。」
するとさっきから退屈そうな顔をして、一同の顔を眺めていた民雄が、下からぐいぐい俊助の手をひっぱって、
「辰子さんはね、あすこの梯子段を上っても、息が切れるんだとさ。僕は二段ずつ一遍にとび上る事が出来るんだぜ。」
俊助は辰子と顔を見合せて、ようやく心置きのない微笑を交換した。
十一
辰子は蒼白い頬に片靨を寄せたまま、静に民雄から初子へ眼を移して、
「民雄さんはそりゃお強いの。さっきもあの梯子段の手すりへ跨って、辷り下りようとなさるんでしょう。私吃驚して、墜ちて死んだらどうなさるのって云ったら――ねえ、民雄さん。あなたあの時、僕はまだ死んだ事がないから、どうするかわからないって仰有ったわね。私可笑しくって――」
「成程ね、こりゃ却々哲学的だ。」
野村はまた誰よりも大きな声で笑い出した。
「まあ、生意気ったらないのね。――だから姉さんがいつでも云うんだわ、民雄さんは莫迦だって。」
部屋の中の火気に蒸されて、一層血色の鮮になった初子が、ちょっと睨める真似をしながら、こう弟を窘めると、民雄はまだ俊助の手をつかまえたまま、
「ううん。僕は莫迦じゃないよ。」
「じゃ利巧か?」
今度は俊助まで口を出した。
「ううん、利巧でもない。」
「じゃ何だい。」
民雄はこう云った野村の顔を見上げながら、ほとんど滑稽に近い真面目さを眉目の間に閃かせて、
「中位。」と道破した。
四人は声を合せて失笑した。
「中位は好かった。大人もそう思ってさえいれば、一生幸福に暮せるのに相違ない。こりゃ初子さんなんぞは殊に拳々服膺すべき事かも知れませんぜ。辰子さんの方は大丈夫だが――」
その笑い声が静まった時、野村は広い胸の上に腕を組んで、二人の若い女を見比べた。
「何とでもおっしゃい。今夜は野村さん私ばかりいじめるわね。」
「じゃ僕はどうだ。」
俊助は冗談のように野村の矢面に立った。
「君もいかん。君は中位を以て自任出来ない男だ。――いや、君ばかりじゃない。近代の人間と云うやつは、皆中位で満足出来ない連中だ。そこで勢い、主我的になる。主我的になると云う事は、他人ばかり不幸にすると云う事じゃない。自分までも不幸にすると云う事だ。だから用心しなくっちゃいけない。」
「じゃ君は中位派か。」
「勿論さ。さもなけりゃ、とてもこんな泰然としちゃいられはしない。」
俊助は憫むような眼つきをして、ちらりと野村の顔を見た。
「だがね、主我的になると云う事は、自分ばかり不幸にする事じゃない。他人までも不幸にする事だ。だろう。そうするといくら中位派でも、世の中の人間が主我的だったら、やっぱり不安だろうじゃないか。だから君のように泰然としていられるためには、中位派たる以上に、主我的でない世の中を――でなくとも、先ず主我的でない君の周囲を信用しなけりゃならないと云う事になる。」
「そりゃまあ信用しているさ。が、君は信用した上でも――待った。一体君は全然人間を当てにしていないのか。」
俊助はやはり薄笑いをしたまま、しているとも、していないとも答えなかった。初子と辰子との眼がもの珍らしそうに、彼の上へ注がれているのを意識しながら。
十二
音楽会が終った後で、俊助はとうとう大井と藤沢とに引きとめられて、『城』同人の茶話会に出席しなければならなくなった。彼は勿論進まなかった。が、藤沢以外の同人には、多少の好奇心もない事はなかった。しかも切符を貰っている義理合い上、無下に断ってしまうのも気の毒だと云う遠慮があった。そこで彼はやむを得ず、大井と藤沢との後について、さっきの次の間の隣にある、小さな部屋へ通ったのだった。
通って見ると部屋の中には、もう四五人の大学生が、フロックの清水昌一と一しょに、小さな卓子を囲んでいた。藤沢はその連中を一々俊助に紹介した。その中では近藤と云う独逸文科の学生と、花房と云う仏蘭西文科の学生とが、特に俊助の注意を惹いた人物だった。近藤は大井よりも更に背の低い、大きな鼻眼鏡をかけた青年で、『城』同人の中では第一の絵画通と云う評判を荷っていた。これはいつか『帝国文学』へ、堂々たる文展の批評を書いたので、自然名前だけは俊助の記憶にも残っているのだった。もう一人の花房は、一週間以前『鉢の木』へ藤沢と一しょに来た黒のソフトで、英仏独伊の四箇国語のほかにも、希臘語や羅甸語の心得があると云う、非凡な語学通で通っていた。そうしてこれまた Hanabusa と署名のある英仏独伊希臘羅甸の書物が、時々本郷通の古本屋に並んでいるので、とうから名前だけは俊助も承知している青年だった。この二人に比べると、ほかの『城』同人は存外特色に乏しかった。が、身綺麗な服装の胸へ小さな赤薔薇の造花をつけている事は、いずれも軌を一にしているらしかった。俊助は近藤の隣へ腰を下しながら、こう云うハイカラな連中に交っている大井篤夫の野蛮な姿を、滑稽に感ぜずにはいられなかった。
「御蔭様で、今夜は盛会でした。」
タキシイドを着た藤沢は、女のような柔しい声で、まず独唱家の清水に挨拶した。
「いや、どうもこの頃は咽喉を痛めているもんですから――それより『城』の売行きはどうです? もう収支償うくらいには行くでしょう。」
「いえ、そこまで行ってくれれば本望なんですが――どうせ我々の書く物なんぞが、売れる筈はありゃしません。何しろ人道主義と自然主義と以外に、芸術はないように思っている世間なんですから。」
「そうですかね。だがいつまでも、それじゃすまないでしょう。その内に君の『ボオドレエル詩抄』が、羽根の生えたように売れる時が来るかも知れない。」
清水は見え透いた御世辞を云いながら、給仕の廻して来た紅茶を受けとると、隣に坐っていた花房の方を向いて、
「この間の君の小説は、大へん面白く拝見しましたよ。あれは何から材料を取ったんですか。」
「あれですか。あれはゲスタ・ロマノルムです。」
「はあ、ゲスタ・ロマノルムですか。」
清水はけげんな顔をしながら、こう好い加減な返事をすると、さっきから鉈豆の煙管できな臭い刻みを吹かせていた大井が、卓子の上へ頬杖をついて、
「何だい、そのゲスタ・ロマノルムってやつは?」と、無遠慮な問を抛りつけた。
十三
「中世の伝説を集めた本でしてね。十四五世紀の間に出来たものなんですが、何分原文がひどい羅甸なんで――」
「君にも読めないかい。」
「まあ、どうにかですね。参考にする飜訳もいろいろありますから。――何でもチョオサアやシェクスピイアも、あれから材料を採ったんだそうです。ですからゲスタ・ロマノルムだって、中々莫迦には出来ませんよ。」
「じゃ君は少くとも材料だけは、チョオサアやシェクスピイアと肩を並べていると云う次第だね。」
俊助はこう云う問答を聞きながら、妙な事を一つ発見した。それは花房の声や態度が、不思議なくらい藤沢に酷似していると云う事だった。もし離魂病と云うものがあるとしたならば、花房は正に藤沢の離魂体とも見るべき人間だった。が、どちらが正体でどちらが影法師だか、その辺の際どい消息になると、まだ俊助にははっきりと見定めをつける事がむずかしかった。だから彼は花房の饒舌っている間も、時々胸の赤薔薇を気にしている藤沢を偸み見ずにはいられなかった。
すると今度はその藤沢が、縁に繍のある手巾で紅茶を飲んだ口もとを拭いながら、また隣の独唱家の方を向いて、
「この四月には『城』も特別号を出しますから、その前後には近藤さんを一つ煩わせて、展覧会を開こうと思っています。」
「それも妙案ですな。が、展覧会と云うと、何ですか、やはり諸君の作品だけを――」
「ええ、近藤さんの木版画と、花房さんや私の油絵と――それから西洋の画の写真版とを陳列しようかと思っているんです。ただ、そうなると、警視庁がまた裸体画は撤回しろなぞとやかましい事を云いそうでしてね。」
「僕の木版画は大丈夫だが、君や花房君の油絵は危険だぜ。殊に君の『Utamaro の黄昏』に至っちゃ――あなたはあれを御覧になった事がありますか。」
こう云って、鼻眼鏡の近藤はマドロス・パイプの煙を吐きながら、流し眼にじろりと俊助の方を見た。と、俊助がまだ答えない内に、卓子の向うから藤沢が口を挟んで、
「そりゃ君、まだ御覧にならないのですよ。いずれその内に、御眼にかけようとは思っているんですが――安田さんは絵本歌枕と云うものを御覧になった事がありますか。ありません? 私の『Utamaro の黄昏』は、あの中の一枚を装飾的に描いたものなんです。行き方は――と、近藤さん、あれは何と云ったら好いんでしょう。モオリス・ドニでもなし、そうかと云って――」
近藤は鼻眼鏡の後の眼を閉じてしばらく考に耽っていたが、やがて重々しい口を開こうとすると、また大井が横合いから、鉈豆の煙管を啣えたままで、
「つまり君、春画みたいなものなんだろう。」と、乱暴な註釈を施してしまった。
ところが藤沢は存外不快にも思わなかったと見えて、例のごとく無気味なほど柔しい微笑を漂わせながら、
「ええ、そう云えば一番早いかも知れませんね。」と、恬然として大井に賛成した。
十四
「成程、そりゃ面白そうだ。――ところでどうでしょう、春画などと云う物は、やっぱり西洋の方が発達しているんですか。」
清水がこう尋ねたのを潮に、近藤は悠然とマドロス・パイプの灰をはたきながら、大学の素読でもしそうな声で、徐に西洋の恁うした画の講釈をし始めた。
「一概に春画と云いますが、まあざっと三種類に区別するのが至当なので、第一は××××を描いたもの、第二はその前後だけを描いたもの、第三は単に××××を描いたもの――」
俊助は勿論こう云う話題に、一種の義憤を発するほど、道徳家でないには相違なかった。けれども彼には近藤の美的偽善とも称すべきものが――自家の卑猥な興味の上へ芸術的と云う金箔を塗りつけるのが、不愉快だったのもまた事実だった。だから近藤が得意になって、さも芸術の極致が、こうした画にあるような、いかがわしい口吻を弄し出すと、俊助は義理にも、金口の煙に隠れて、顔をしかめない訳には行かなかった。が、近藤はそんな事には更に気がつかなかったものと見えて、上は古代希臘の陶画から下は近代仏蘭西の石版画まで、ありとあらゆるこうした画の形式を一々詳しく説明してから、
「そこで面白い事にはですね、あの真面目そうなレムブラントやデュラアまでが、斯ういう画を描いているんです。しかもレムブラントのやつなんぞは、やっぱり例のレムブラント光線が、ぱっと一箇所に落ちているんだから、振っているじゃありませんか。つまりああ云う天才でも、やっぱりこの方面へ手を出すぐらいな俗気は十分あったんで――まあ、その点は我々と似たり寄ったりだったんでしょう。」
俊助はいよいよ聞き苦しくなった。すると今まで卓子の上へ頬杖をついて、半ば眼をつぶっていた大井が、にやりと莫迦にしたような微笑を洩すと、欠伸を噛み殺したような声を出して、
「おい、君、序にレムブラントもデュラアも、我々同様屁を垂れたと云う考証を発表して見ちゃどうだ。」
近藤は大きな鼻眼鏡の後から、険しい視線を大井へ飛ばせたが、大井は一向平気な顔で、鉈豆の煙管をすぱすぱやりながら、
「あるいは百尺竿頭一歩を進めて、同じく屁を垂れるから、君も彼等と甲乙のない天才だと号するのも洒落れているぜ。」
「大井君、よし給えよ。」
「大井さん。もう好いじゃありませんか。」
見兼ねたと云う容子で、花房と藤沢とが、同時に柔しい声を出した。と、大井は狡猾そうな眼で、まっ青になった近藤の顔をじろじろ覗きこみながら、
「こりゃ失敬したね。僕は何も君を怒らす心算で云ったんじゃないんだが――いや、ない所か、君の知識の該博なのには、夙に敬服に堪えないくらいなんだ。だからまあ、怒らないでくれ給え。」
近藤は執念深く口を噤んで、卓子の上の紅茶茶碗へじっと眼を据えていたが、大井がこう云うと同時に、突然椅子から立ち上って、呆気に取られている連中を後に、さっさと部屋を出て行ってしまった。一座は互に顔を見合せたまま、しばらくの間は気まずい沈黙を守っていなければならなかった。が、やがて俊助は空嘯いている大井の方へ、ちょいと顎で相図をすると、微笑を含んだ静な声で、
「僕は御先へ御免を蒙るから。――」
これが当夜、彼の口を洩れた、最初のそうしてまた最後の言葉だったのである。
十五
するとその後また一週間と経たない内に、俊助は上野行の電車の中で、偶然辰子と顔を合せた。
それは春先の東京に珍しくない、埃風の吹く午後だった。俊助は大学から銀座の八咫屋へ額縁の註文に廻った帰りで、尾張町の角から電車へ乗ると、ぎっしり両側の席を埋めた乗客の中に、辰子の寂しい顔が見えた。彼が電車の入口に立った時、彼女はやはり黒い絹の肩懸をかけて、膝の上にひろげた婦人雑誌へ、つつましい眼を落しているらしかった。が、その内にふと眼を挙げて、近くの吊皮にぶら下っている彼の姿を眺めると、たちまち片靨を頬に浮べて、坐ったまま、叮嚀に黙礼の頭を下げた。俊助は会釈を返すより先に、こみ合った乗客を押し分けて、辰子の前の吊皮へ手をかけながら、
「先夜は――」と、平凡に挨拶した。
「私こそ――」
それぎり二人は口を噤んだ。電車の窓から外を見ると、時々風がなぐれる度に、往来が一面に灰色になる。と思うとまた、銀座通りの町並が、その灰色の中から浮き上って、崩れるように後へ流れて行く。俊助はそう云う背景の前に、端然と坐っている辰子の姿を、しばらくの間見下していたが、やがてその沈黙がそろそろ苦痛になり出したので、今度はなる可く気軽な調子で、
「今日は?――御帰りですか。」と、出直して見た。
「ちょいと兄の所まで――国許の兄が出て参りましたから。」
「学校は? 御休みですか。」
「まだ始りませんの。来月の五日からですって。」
俊助は次第に二人の間の他人行儀が、氷のように溶けて来るのを感じた。と、広告屋の真紅の旗が、喇叭や太鼓の音を風に飛ばせながら、瞬く間電車の窓を塞いだ。辰子はわずかに肩を落して、そっと窓の外をふり返った。その時彼女の小さな耳朶が、斜にさして来る日の光を受けて、仄かに赤く透いて見えた。俊助はそれを美しいと思った。
「先達は、あれからすぐに御帰りになって。」
辰子は俊助の顔へ瞳を返すと、人懐しい声でこう云った。
「ええ、一時間ばかりいて帰りました。」
「御宅はやはり本郷?」
「そうです。森川町。」
俊助は制服の隠しをさぐって、名刺を辰子の手へ渡した。渡す時向うの手を見ると、青玉を入れた金の指環が、細っそりとその小指を繞っていた。俊助はそれもまた美しいと思った。
「大学の正門前の横町です。その内に遊びにいらっしゃい。」
「難有う。いずれ初子さんとでも。」
辰子は名刺を帯の間へ挟んで、ほとんど聞えないような返事をした。
二人はまた口を噤んで、電車の音とも風の音ともつかない町の音に耳を傾けた。が、俊助はこの二度目の沈黙を、前のように息苦しくは感じなかった。むしろ彼はその沈黙の中に、ある安らかな幸福の存在さえも明かに意識していたのだった。
十六
俊助の下宿は本郷森川町でも、比較的閑静な一区劃にあった。それも京橋辺の酒屋の隠居所を、ある伝手から二階だけ貸して貰ったので、畳建具も世間並の下宿に比べると、遥に小綺麗に出来上っていた。彼はその部屋へ大きな西洋机や安楽椅子の類を持ちこんで、見た眼には多少狭苦しいが、とにかく居心は悪くない程度の西洋風な書斎を拵え上げた。が、書斎を飾るべき色彩と云っては、ただ書棚を埋めている洋書の行列があるばかりで、壁に懸っている額の中にも、大抵はありふれた西洋名画の写真版がはいっているのに過ぎなかった。これに常々不服だった彼は、その代りによく草花の鉢を買って来ては、部屋の中央に据えてある寄せ木の卓子の上へ置いた。現に今日も、この卓子の上には、籐の籠へ入れた桜草の鉢が、何本も細い茎を抽いた先へ、簇々とうす赤い花を攅めている。……
須田町の乗換で辰子と分れた俊助は、一時間の後この下宿の二階で、窓際の西洋机の前へ据えた輪転椅子に腰を下しながら、漫然と金口の煙草を啣えていた。彼の前には読みかけた書物が、象牙の紙切小刀を挟んだまま、さっきからちゃんと開いてあった。が、今の彼には、その頁に詰まっている思想を咀嚼するだけの根気がなかった。彼の頭の中には辰子の姿が、煙草の煙のもつれるように、いつまでも美しく這い纏っていた。彼にはその頭の中の幻が、最前電車の中で味った幸福の名残りのごとく見えた。と同時にまた来るべき、さらに大きな幸福の前触れのごとくも見えるのだった。
すると机の上の灰皿に、二三本吸いさしの金口がたまった時、まず大儀そうに梯子段を登る音がして、それから誰か唐紙の向うへ立止ったけはいがすると、
「おい、いるか。」と、聞き慣れた太い声がした。
「はいり給え。」
俊助がこう答える間も待たないで、からりとそこの唐紙が開くと、桜草の鉢を置いた寄せ木の卓子の向うには、もう肥った野村の姿が、肩を揺ってのそのそはいって来た。
「静だな。玄関で何度御免と言っても、女中一人出て来ない。仕方がないからとうとう、黙って上って来てしまった。」
始めてこの下宿へ来た野村は、万遍なく部屋の中を見廻してから、俊助の指さす安楽椅子へ、どっかり大きな尻を据えた。
「大方女中がまた使いにでも行っていたんだろう。主人の隠居は聾だから、中々御免くらいじゃ通じやしない。――君は学校の帰りか。」
俊助は卓子の上へ西洋の茶道具を持ち出しながら、ちょいと野村の制服姿へ眼をやった。
「いや、今日はこれから国へ帰って来ようと思って――明後日がちょうど親父の三回忌に当るものだから。」
「そりゃ大変だな。君の国じゃ帰るだけでも一仕事だ。」
「何、その方は慣れているから平気だが、とかく田舎の年忌とか何とか云うやつは――」
野村は前以て辟易を披露するごとく、近眼鏡の後の眉をひそめて見せたが、すぐにまた気を変えて、
「ところで僕は君に一つ、頼みたい事があって寄ったのだが――」
十七
「何だい、改まって。」
俊助は紅茶茶碗を野村の前へ置くと、自分も卓子の前の椅子へ座を占めて、不思議そうに相手の顔へ眼を注いだ。
「改まりなんぞしやしないさ。」
野村は反って恐縮らしく、五分刈の頭を撫で廻したが、
「実は例の癲狂院行きの一件なんだが――どうだろう。君が僕の代りに初子さんを連れて行って、見せてやってくれないか。僕は今日行くと、何だ彼だで一週間ばかりは、とても帰られそうもないんだから。」
「そりゃ困るよ。一週間くらいかかったって、帰ってから、君が連れて行きゃ好いじゃないか。」
「ところが初子さんは、一日も早く見たいと云っているんだ。」
野村は実際困ったような顔をして、しばらくは壁に懸っている写真版へ、順々に眼をくばっていたが、やがてその眼がレオナルドのレダまで行くと、
「おや、あれは君、辰子さんに似ているじゃないか。」と、意外な方面へ談柄を落した。
「そうかね。僕はそうとも思わないが。」
俊助はこう答えながら、明かに嘘をついていると云う自覚があった。それは勿論彼にとって、面白くない自覚には相違なかった。が、同時にまた、小さな冒険をしているような愉快が潜んでいたのも事実だった。
「似ている。似ている。もう少し辰子さんが肥っていりゃ、あれにそっくりだ。」
野村は近眼鏡の下からしばらくレダを仰いでいた後で、今度はその眼を桜草の鉢へやると、腹の底から大きな息をついて、
「どうだ。年来の好誼に免じて、一つ案内役を引き受けてくれないか。僕はもう君が行ってくれるものと思って、その旨を初子さんまで手紙で通知してしまったんだが。」
俊助の舌の先には、「そりゃ君の勝手じゃないか」と云う言葉があった。が、その言葉がまだ口の外へ出ない内に、彼の頭の中へは刹那の間、伏目になった辰子の姿が鮮かに浮び上って来た。と、ほとんどそれが相手に通じたかのごとく、野村は安楽椅子の肘を叩きながら、
「初子さん一人なら、そりゃ君の辟易するのも無理はないが、辰子さんも多分――いや、きっと一しょに行くって云っていたから、その辺の心配はいらないんだがね。」
俊助は紅茶茶碗を掌に載せたまま、しばらくの間考えた。行く行かないの問題を考えるのか、一度断った依頼をまた引受けるために、然るべき口実を考えるのか――それも彼には判然しないような心もちがした。
「そりゃ行っても好いが。」
彼は現金すぎる彼自身を恥じながら、こう云った後で、追いかけるように言葉を添えずにはいられなかった。
「そうすりゃ、久しぶりで新田にも会えるから。」
「やれ、やれ、これでやっと安心した。」
野村はさもほっとしたらしく、胸の釦を二つ三つ外すと、始めて紅茶茶碗を口へつけた。
十八
「日はア。」
俊助の眼はまだ野村よりも、掌の紅茶茶碗へ止まり易かった。
「来週の水曜日――午後からと云う事になっているんだが、君の都合が悪るけりゃ、月曜か金曜に繰変えても好い。」
「何、水曜なら、ちょうど僕の方も講義のない日だ。それで――と、栗原さんへは僕の方から出かけて行くのか。」
野村は相手の眉の間にある、思い切りの悪い表情を見落さなかった。
「いや、向うからここへ来て貰おう。第一その方が道順だから。」
俊助は黙って頷いたまま、しばらく閑却されていた埃及煙草へ火をつけた。それから始めてのびのびと椅子の背に頭を靠せながら、
「君はもう卒業論文へとりかかったのか。」と、全く別な方面へ話題を開拓した。
「本だけはぽつぽつ読んでいるが――いつになったら考えが纏るか、自分でもちょいと見当がつかない。殊にこの頃のように俗用多端じゃ――」
こう云いかけた野村の眼には、また冷評されはしないかと云う懸念があった。が、俊助は案外真面目な調子で、
「多端――と云うと?」と問い返した。
「君にはまだ話さなかったかな。僕の母が今は国にいるが、僕でも大学を卒業したら、こちらへ出て来て、一しょになろうと云うんでね。それにゃ国の田地や何かも整理しなけりゃならないから、今度はまあ親父の年忌を兼ねて、その面倒も見に行く心算なんだ。どうもこう云う問題になると、中々哲学史の一冊も読むような、簡単な訳にゃ行かないんだから困る。」
「そりゃそうだろう。殊に君のような性格の人間にゃ――」
俊助は同じ東京の高等学校で机を並べていた関係から、何かにつけて野村一家の立ち入った家庭の事情などを、聞かせられる機会が多かった。野村家と云えば四国の南部では、有名な旧家の一つだと云う事、彼の父が政党に関係して以来、多少は家産が傾いたが、それでも猶近郷では屈指の分限者に相違ないと云う事、初子の父の栗原は彼の母の異腹の弟で、政治家として今日の位置に漕つけるまでには、一方ならず野村の父の世話になっていると云う事、その父の歿後どこかから妾腹の子と名乗る女が出て来て、一時は面倒な訴訟沙汰にさえなった事があると云う事――そう云ういろいろな消息に通じている俊助は、今また野村の帰郷を必要としている背後にも、どれほど複雑な問題が蟠まっているか、略想像出来るような心もちがした。
「まず当分はシュライエルマッヘルどころの騒ぎじゃなさそうだ。」
「シュライエルマッヘル?」
「僕の卒業論文さ。」
野村は気のなさそうな声を出すと、ぐったり五分刈の頭を下げて、自分の手足を眺めていたが、やがて元気を恢復したらしく、胸の金釦をかけ直して、
「もうそろそろ出かけなくっちゃ。――じゃ癲狂院行きの一件は、何分よろしく取計らってくれ給え。」
十九
野村が止めるのも聞かず、俊助は鳥打帽にインバネスをひっかけて、彼と一しょに森川町の下宿を出た。幸とうに風が落ちて、往来には春寒い日の暮が、うす明くアスファルトの上を流れていた。
二人は電車で中央停車場へ行った。野村の下げていた鞄を赤帽に渡して、もう電燈のともっている二等待合室へ行って見ると、壁の上の時計の針が、まだ発車の時刻には大分遠い所を指していた。俊助は立ったまま、ちょいと顎をその針の方へしゃくって見せた。
「どうだ、晩飯を食って行っては。」
「そうさな。それも悪くはない。」
野村は制服の隠しから時計を出して、壁の上のと見比べていたが、
「じゃ君は向うで待っていてくれ給え。僕は先へ切符を買って来るから。」
俊助は独りで待合室の側の食堂へ行った。食堂はほとんど満員だった。それでも彼が入口に立って、逡巡の視線を漂わせていると、気の利いた給仕が一人、すぐに手近の卓子に空席があるのを教えてくれた。が、その卓子には、すでに実業家らしい夫婦づれが、向い合ってフオクを動かしていた。彼は西洋風に遠慮したいと思ったが、ほかに腰を下す所がないので、やむを得ずそこへ連らせて貰う事にした。もっとも相手の夫婦づれは、格別迷惑らしい容子もなく、一輪挿しの桜を隔てながら、大阪弁で頻に饒舌っていた。
給仕が註文を聞いて行くと、間もなく野村が夕刊を二三枚つかんで、忙しそうにはいって来た。彼は俊助に声をかけられて、やっと相手の居場所に気がつくと、これは隣席の夫婦づれにも頓着なく、無造作に椅子をひき寄せて、
「今、切符を買っていたら、大井君によく似た人を見かけたが、まさか先生じゃあるまいな。」
「大井だって、停車場へ来ないとは限らないさ。」
「いや、何でも女づれらしかったから。」
そこへスウプが来た。二人はそれぎり大井を閑却して、嵐山の桜はまだ早かろうの、瀬戸内の汽船は面白かろうのと、春めいた旅の話へ乗り換えてしまった。するとその内に、野村が皿の変るのを待ちながら、急に思い出したと云う調子で、
「今初子さんの所へ例の件を電話でそう云って置いた。」
「じゃ今日は誰も送りに来ないか。」
「来るものか。何故?」
何故と尋かれると、俊助も返事に窮するよりほかはなかった。
「栗原へは今朝手紙を出すまで、国へ帰るとも何とも云っちゃなかったんだから――その手紙も電話で聞くと、もう少しさっき届いたばかりだそうだ。」
野村はまるで送りに来ない初子のために、弁解の労を執るような口調だった。
「そうか。道理で今日辰子さんに遇ったが何ともそう云う話は聞かなかった。」
「辰子さんに遇った? いつ?」
「午すぎに電車の中で。」
俊助はこう答えながら、さっき下宿で辰子の話が出たにも関らず、何故今までこんな事を黙っていたのだろうと考えた。が、それは彼自身にも偶然か故意か、判断がつけられなかった。
二十
プラットフォオムの上には例のごとく、見送りの人影が群っていた。そうしてそれが絶えず蠢いている上に、電燈のともった列車の窓が、一つずつ明く切り抜かれていた。野村もその窓から首を出して、外に立っている俊助と、二言三言落着かない言葉を交換した。彼等は二人とも、周囲の群衆の気もちに影響されて、発車が待遠いような、待遠くないような、一種の慌しさを感じずにはいられなかった。殊に俊助は話が途切れると、ほとんど敵意があるような眼で、左右の人影を眺めながら、もどかしそうに下駄の底を鳴らしていた。
その内にやっと発車の電鈴が響いた。
「じゃ行って来給え。」
俊助は鳥打帽の庇へ手をかけた。
「失敬、例の一件は何分よろしく願います。」と、野村はいつになく、改まった口調で挨拶した。
汽車はすぐに動き出した。俊助はいつまでもプラットフォオムに立って、次第に遠ざかって行く野村を見送るほど、感傷癖に囚われてはいなかった。だから彼はもう一度鳥打帽の庇へ手をかけると、未練なくあたりの人影に交って、入口の階段の方へ歩き出した。
が、その時、ふと彼の前を通りすぎる汽車の窓が眼にはいると、思いがけずそこには大井篤夫が、マントの肘を窓枠に靠せながら、手巾を振っているのが見えた。俊助は思わず足を止めた。と同時にさっき大井を見かけたと云う野村の言葉を思い出した。けれども大井は俊助の姿に気がつかなかったものと見えて、見る見る汽車の窓と共に遠くなりながらも、頻に手巾を振り続けていた。俊助は狐につままれたような気がして、茫然とその後を見送るよりほかはなかった。
が、この衝動から恢復した時、俊助の心は何よりも、その手巾の閃きに応ずべき相手を物色するのに忙しかった。彼はインバネスの肩を聳かせて、前後左右に雪崩れ出した見送り人の中へ視線を飛ばした。勿論彼の頭の中には、女づれのようだったと云う野村の言葉が残っていた。しかしそれらしい女の姿を、いくら探しても見当らなかった。と云うよりもそれらしい女が、いつも人影の間にうろうろしていた。そうしてその代りどれが本当の相手だか、さらに判別がつかなかった。彼はとうとう物色を断念しなければならなかった。
中央停車場の外へ出て、丸の内の大きな星月夜を仰いだ時も、俊助はまださっきの不思議な心もちから、全く自由にはなっていなかった。彼には大井がその汽車へ乗り合せていたと云う事より、汽車の窓で手巾を振っていたと云う事が、滑稽なくらい矛盾な感を与えるものだった。あの悪辣な人間を以て自他共に許している大井篤夫が、どうしてあんな芝居じみた真似をしていたのだろう。あるいは人が悪いのは附焼刃で、実は存外正直な感傷主義者が正体かも知れない。――俊助はいろいろな臆測の間に迷いながら、新開地のような広い道路を、濠側まで行って電車に乗った。
ところが翌日大学へ行くと、彼は純文科に共通な哲学概論の教室で、昨夜七時の急行へ乗った筈の大井と、また思いがけなく顔を合せた。
二十一
その日俊助は、いつよりもやや出席が遅れたので、講壇をめぐった聴講席の中でも、一番後の机に坐らなければならなかった。所がそこへ坐って見ると、なぞえに向うへ低くなった二三列前の机に、見慣れた黒木綿の紋附が、澄まして頬杖をついていた。俊助はおやと思った。それから昨夜中央停車場で見かけたのは、大井篤夫じゃなかったのかしらと思った。が、すぐにまた、いや、やはり大井に違いなかったと思い返した。そうしたら、彼が手巾を振っているのを見た時よりも、一層狐につままれたような心もちになった。
その内に大井は何かの拍子に、ぐるりとこちらへ振返った。顔を見ると、例のごとく傲岸不遜な表情があった。俊助は当然なるべきこの表情を妙にもの珍しく感じながら、「やあ」と云う挨拶を眼で送った。と、大井も黒木綿の紋附の肩越に、顎でちょいと会釈をしたが、それなりまた向うを向いて、隣にいた制服の学生と、何か話をし始めたらしかった。俊助は急に昨夜の一件を確かめたい気が強くなって来た。が、そのためにわざわざ席を離れるのは、面倒でもあるし、莫迦莫迦しくもあった。そこで万年筆へインクを吸わせながら、いささか腰を擡げ兼ねていると、哲学概論を担当している、有名なL教授が、黒い鞄を小脇に抱えて、のそのそ外からはいって来てしまった。
L教授は哲学者と云うよりも、むしろ実業家らしい風采を備えていた。それがその日のように、流行の茶の背広を一着して、金の指環をはめた手を動かしながら、鞄の中の草稿を取り出したりなどしていると、殊に講壇よりは事務机の後に立たせて見たいような心もちがした。が、講義は教授の風采とは没交渉に、その面倒なカント哲学の範疇の議論から始められた。俊助は専門の英文学の講義よりも、反って哲学や美学の講義に忠実な学生だったから、ざっと二時間ばかりの間、熱心に万年筆を動かして、手際よくノオトを取って行った。それでも合い間毎に顔を挙げて、これは煩杖をついたまま、滅多にペンを使わないらしい大井の後姿を眺めると、時々昨夜以来の不思議な気分が、カントと彼との間へ靄のように流れこんで来るのを感ぜずにはいられなかった。
だからやがて講義がすんで、机を埋めていた学生たちがぞろぞろ講堂の外へ流れ出すと、彼は入口の石段の上に足を止めて、後から来る大井と一しょになった。大井は相不変ノオト・ブックのはみ出した懐へ、無精らしく両手を突込んでいたが、俊助の顔を見るなりにやにや笑い出して、
「どうした。この間の晩の美人たちは健在か。」と、逆に冷評を浴びせかけた。
二人のまわりには大勢の学生たちが、狭い入口から両側の石段へ、しっきりなく溢れ出していた。俊助は苦笑を漏したまま、大井の言葉には答えないで、ずんずんその石段の一つを下りて行った。そうしてそこに芽を吹いている欅の並木の下へ出ると、始めて大井の方を振り返って、
「君は気がつかなかったか、昨夜東京駅で遇ったのを。」と、探りの一句を投げこんで見た。
二十二
「へええ、東京駅で?」
大井は狼狽したと云うよりも、むしろ決断に迷ったような眼つきをして、狡猾そうにちらりと俊助の顔を窺った。が、その眼が俊助の冷やかな視線に刎返されると、彼は急に悪びれない態度で、
「そうか。僕はちっとも気がつかなかった。」と白状した。
「しかも美人が見送りに来ていたじゃないか。」
勢いに乗った俊助は、もう一度際どい鎌をかけた。けれども大井は存外平然と、薄笑を唇に浮べながら、
「美人か――ありゃ僕の――まあ好いや。」と、思わせぶりな返事に韜晦してしまった。
「一体どこへ行ったんだ?」
「ありゃ僕の――」に辟易した俊助は、今度は全く技巧を捨てて、正面から大井を追窮した。
「国府津まで。」
「それから?」
「それからすぐに引返した。」
「どうして?」
「どうしてったって、――いずれ然るべき事情があってさ。」
この時丁子の花の匀が、甘たるく二人の鼻を打った。二人ともほとんど同時に顔を挙げて見ると、いつかもうディッキンソンの銅像の前にさしかかる所だった。丁子は銅像をめぐった芝生の上に、麗らかな日の光を浴びて、簇々とうす紫の花を綴っていた。
「だからさ、その然るべき事情とは抑も何だと尋いているんだ。」
と、大井は愉快そうに、大きな声で笑い出した。
「つまらん事を心配する男だな。然るべき事情と云ったら、要するに然るべき事情じゃないか。」
が、俊助も二度目には、容易に目つぶしを食わされなかった。
「いくら然るべき事情があったって、ちょいと国府津まで行くだけなら、何も手巾まで振らなくったって好さそうなもんじゃないか。」
するとさすがに大井の顔にも、瞬く間周章したらしい気色が漲った。けれども口調だけは相不変傲然と、
「これまた別に然るべき事情があって振ったのさ。」
俊助は相手のたじろいだ虚につけ入って、さらに調戯うような悪問いの歩を進めようとした。が、大井は早くも形勢の非になったのを覚ったと見えて、正門の前から続いている銀杏の並木の下へ出ると、
「君はどこへ行く? 帰るか。じゃ失敬。僕は図書館へ寄って行くから。」と、巧に俊助を抛り出して、さっさと向うへ行ってしまった。
俊助はその後を見送りながら、思わず苦笑を洩したが、この上追っかけて行ってまでも、泥を吐かせようと云う興味もないので、正門を出るとまっすぐに電車通りを隔てている郁文堂の店へ行った。ところがそこへ足を入れると、うす暗い店の奥に立って、古本を探していた男が一人、静に彼の方へ向き直って、
「安田さん。しばらく。」と、優しい声をかけた。
二十三
ほとんど常に夕暮の様な店の奥の乏しい光も、まっ赤な土耳其帽を頂いた藤沢を見分けるには十分だった。俊助は答礼の帽を脱ぎながら、埃臭い周囲の古本と相手のけばけばしい服装との間に、不思議な対照を感ぜずにはいられなかった。
藤沢は大英百科全書の棚に華奢な片手をかけながら、艶かしいとも形容すべき微笑を顔中に漂わせて、
「大井さんには毎日御会いですか。」
「ええ、今も一しょに講義を聴いて来たところです。」
「僕はあの晩以来、一度も御目にかからないんですが――」
俊助は近藤と大井との間の確執が、同じく『城』同人と云う関係上、藤沢もその渦中へ捲きこんだのだろうと想像した。が、藤沢はそう思われる事を避けたいのか、いよいよ優しい声を出して、
「僕の方からは二三度下宿へ行ったんですけれど、生憎いつも留守ばかりで――何しろ大井さんはあの通り、評判のドン・ジュアンですから、その方で暇がないのかも知れませんがね。」
大学へはいって以来、初めて大井を知った俊助は、今日まであの黒木綿の紋附にそんな脂粉の気が纏綿していようとは、夢にも思いがけなかった。そこで思わず驚いた声を出しながら、
「へええ、あれで道楽者ですか。」
「さあ、道楽者かどうですか――とにかく女はよく征服する人ですよ。そう云う点にかけちゃ高等学校時代から、ずっと我々の先輩でした。」
その瞬間俊助の頭の中には、昨夜汽車の窓で手巾を振っていた大井の姿が、ありありと浮び上って来た。と同時にやはり藤沢が、何か大井に含む所があって、好い加減に中傷の毒舌を弄しているのではないかとも思った。が、次の瞬間に藤沢はちょいと首を曲げて、媚びるような微笑を送りながら、
「何でも最近はどこかのレストランの給仕と大へん仲が好くなっているそうです。御同様羨望に堪えない次第ですがね。」
俊助は藤沢がこう云う話を、むしろ大井の名誉のために弁じているのだと云う事に気がついた。それと共に、頭の中の大井の姿は、いよいよその振っている手巾から、濃厚に若い女性の匀を放散せずにはすまさなかった。
「そりゃ盛ですね。」
「盛ですとも。ですから僕になんぞ会っている暇がないのも、重々無理はないんです。おまけに僕の行く用向きと云うのが、あの精養軒の音楽会の切符の御金を貰いに行くんですからね。」
藤沢はこう云いながら、手近の帳場机にある紙表紙の古本をとり上げたが、所々好い加減に頁を繰ると、すぐに俊助の方へ表紙を見せて、
「これも花房さんが売ったんですね。」
俊助は自然微笑が唇に上って来るのを意識した。
「梵字の本ですね。」
「ええ、マハアバラタか何からしいですよ。」
二十四
「安田さん、御客様でございますよ。」
こう云う女中の声が聞えた時、もう制服に着換えていた俊助は、よしとか何とか曖昧な返事をして置いて、それからわざと元気よく、梯子段を踏み鳴しながら、階下へ行った。行って見ると、玄関の格子の中には、真中から髪を割って、柄の長い紫のパラソルを持った初子が、いつもよりは一層溌剌と外光に背いて佇んでいた。俊助は閾の上に立ったまま、眩しいような感じに脅かされて、
「あなた御一人?」と尋ねて見た。
「いいえ、辰子さんも。」
初子は身を斜にして、透すように格子の外を見た。格子の外には、一間に足らない御影の敷石があって、そのまた敷石のすぐ外には、好い加減古びたくぐり門があった。初子の視線を追った俊助は、そのくぐり門の戸を開け放した向うに、見覚えのある紺と藍との竪縞の着物が、日の光を袂に揺りながら、立っているのを発見した。
「ちょいと上って、御茶でも飲んで行きませんか。」
「難有うございますけれど――」
初子は嫣然と笑いながら、もう一度眼を格子の外へやった。
「そうですか。じゃすぐに御伴しましょう。」
「始終御迷惑ばかりかけますのね。」
「何、どうせ今日は遊んでいる体なんです。」
俊助は手ばしこく編上の紐をからげると外套を腕にかけたまま、無造作に角帽を片手に掴んで、初子の後からくぐり門の戸をくぐった。
初子のと同じ紫のパラソルを持って、外に待っていた辰子は、俊助の姿を見ると、しなやかな手を膝に揃えて、叮嚀に黙礼の頭を下げた。俊助はほとんど冷淡に会釈を返した。返しながら、その冷淡なのがあるいは辰子に不快な印象を与えはしないだろうかと気づかった。と同時にまた初子の眼には、それでもまだ彼の心中を裏切るべき優しさがありはしまいかとも思った。が、初子は二人の応対には頓着なく、斜に紫のパラソルを開きながら、
「電車は? 正門前から御乗りになって。」
「ええ、あちらの方が近いでしょう。」
三人は狭い往来を歩き出した。
「辰子さんはね、どうしても今日はいらっしゃらないって仰有ったのよ。」
俊助は「そうですか?」と云う眼をして、隣に歩いている辰子を見た。辰子の顔には、薄く白粉を刷いた上に、紫のパラソルの反映がほんのりと影を落していた。
「だって、私、気の違っている人なんぞの所へ行くのは、気味が悪いんですもの。」
「私は平気。」
初子はくるりとパラソルを廻しながら、
「時々気違いになって見たいと思う事もあるわ。」
「まあ、いやな方ね。どうして?」
「そうしたら、こうやって生きているより、もっといろいろ変った事がありそうな気がするの。あなたそう思わなくって?」
「私? 私は変った事なんぞなくったって好いわ。もうこれで沢山。」
二十五
新田はまず三人の客を病院の応接室へ案内した。そこはこの種の建物には珍しく、窓掛、絨氈、ピアノ、油絵などで、甚しい不調和もなく装飾されていた。しかもそのピアノの上には、季節にはまだ早すぎる薔薇の花が、無造作に手頃な青銅の壺へ挿してあった。新田は三人に椅子を薦めると、俊助の問に応じて、これは病院の温室で咲かせた薔薇だと返答した。
それから新田は、初子と辰子との方へ向いて、予め俊助が依頼して置いた通り、精神病学に関する一般的智識とでも云うべきものを、歯切れの好い口調で説明した。彼は俊助の先輩として、同じ高等学校にいた時分から、畠違いの文学に興味を持っている男だった。だからその説明の中にも、種々の精神病者の実例として、ニイチェ、モオパッサン、ボオドレエルなどと云う名前が、一再ならず引き出されて来た。
初子は熱心にその説明を聞いていた。辰子も――これは始終伏眼がちだったが、やはり相当な興味だけは感じているらしく思われた。俊助は心の底の方で、二人の注意を惹きつけている説明者の新田が羨しかった。が、二人に対する新田の態度はほとんど事務的とも形容すべき、甚だ冷静なものだった。同時にまた縞の背広に地味な襟飾をした彼の服装も、世紀末の芸術家の名前を列挙するのが、不思議なほど、素朴に出来上っていた。
「何だか私、御話を伺っている内に、自分も気が違っているような気がして参りました。」
説明が一段落ついた所で、初子はことさら真面目な顔をしながら、ため息をつくようにこう云った。
「いや、実際厳密な意味では、普通正気で通っている人間と精神病患者との境界線が、存外はっきりしていないのです。況んやかの天才と称する連中になると、まず精神病者との間に、全然差別がないと云っても差支えありません。その差別のない点を指摘したのが、御承知の通りロムブロゾオの功績です。」
「僕は差別のある点も指摘して貰いたかった。」
こう俊助が横合から、冗談のように異議を申し立てると、新田は冷かな眼をこちらへ向けて、
「あれば勿論指摘したろう。が、なかったのだから、やむを得ない。」
「しかし天才は天才だが、気違いはやはり気違いだろう。」
「そう云う差別なら、誇大妄想狂と被害妄想狂との間にもある。」
「それとこれと一しょにするのは乱暴だよ。」
「いや、一しょにすべきものだ。成程天才は有為だろう。狂人は有為じゃないに違いない。が、その差別は人間が彼等の所行に与えた価値の差別だ。自然に存している差別じゃない。」
新田の持論を知っている俊助は、二人の女と微笑を交換して、それぎり口を噤んでしまった。と、新田もさすがに本気すぎた彼自身を嘲るごとく、薄笑の唇を歪めて見せたが、すぐに真面目な表情に返ると、三人の顔を見渡して、
「じゃ一通り、御案内しましょう。」と、気軽く椅子から立ち上った。
二十六
三人が初めて案内された病室には、束髪に結った令嬢が、熱心にオルガンを弾いていた。オルガンの前には鉄格子の窓があって、その窓から洩れて来る光が、冷やかに令嬢の細面を照らしていた。俊助はこの病室の戸口に立って、窓の外を塞いでいる白椿の花を眺めた時、何となく西洋の尼寺へでも行ったような心もちがした。
「これは長野のある資産家の御嬢さんですが、何でも縁談が調わなかったので、発狂したのだとか云う事です。」
「御可哀そうね。」
辰子は細い声で、囁くようにこう云った。が、初子は同情と云うよりも、むしろ好奇心に満ちた眼を輝かせて、じっと令嬢の横顔を見つめていた。
「オルガンだけは忘れないと見えるね。」
「オルガンばかりじゃない。この患者は画も描く。裁縫もする。字なんぞは殊に巧だ。」
新田は俊助にこう云ってから、三人を戸口に残して置いて、静にオルガンの側へ歩み寄った。が、令嬢はまるでそれに気がつかないかのごとく、依然として鍵盤に指を走らせ続けていた。
「今日は。御気分はいかがです?」
新田は二三度繰返して問いかけたが、令嬢はやはり窓の外の白椿と向い合ったまま、振返る気色さえ見せなかった。のみならず、新田が軽く肩へ手をかけると、恐ろしい勢いでふり払いながら、それでも指だけは間違いなく、この病室の空気にふさわしい、陰鬱な曲を弾きやめなかった。
三人は一種の無気味さを感じて無言のまま、部屋を外へ退いた。
「今日は御機嫌が悪いようです。あれでも気が向くと、思いのほか愛嬌のある女なんですが。」
新田は令嬢の病室の戸をしめると、多少失望したらしい声を出したが、今度はそのすぐ前の部屋の戸を開けて、
「御覧なさい。」と、三人の客を麾いた。
はいって見ると、そこは湯殿のように床を叩きにした部屋だった。その部屋のまん中には、壺を埋けたような穴が三つあって、そのまた穴の上には、水道栓が蛇口を三つ揃えていた。しかもその穴の一つには、坊主頭の若い男が、カアキイ色の袋から首だけ出して、棒を立てたように入れてあった。
「これは患者の頭を冷す所ですがね、ただじゃあばれる惧があるので、ああ云う風に袋へ入れて置くんです。」
成程その男のはいっている穴では蛇口の水が細い滝になって、絶えず坊主頭の上へ流れ落ちていた。が、その男の青ざめた顔には、ただ空間を見つめている、どんよりした眼があるだけで、何の表情も浮んではいなかった。俊助は無気味を通り越して、不快な心もちに脅かされ出した。
「これは残酷だ。監獄の役人と癲狂院の医者とにゃ、なるもんじゃない。」
「君のような理想家が、昔は人体解剖を人道に悖ると云って攻撃したんだ。」
「あれで苦しくは無いんでしょうか。」
「無論、苦しいも苦しくないもないんです。」
初子は眉一つ動かさずに、冷然と穴の中の男を見下していた。辰子は――ふと気がついた俊助が初子から眼を転じた時、もうその部屋の中にはいつの間にか、辰子の姿が見えなくなっていた。
二十七
俊助は不快になっていた矢先だから、初子と新田とを後に残して、うす暗い廊下へ退却した。と、そこには辰子が、途方に暮れたように、白い壁を背負って佇んでいた。
「どうしたのです。気味が悪いんですか。」
辰子は水々しい眼を挙げて、訴えるように俊助の顔を見た。
「いいえ、可哀そうなの。」
俊助は思わず微笑した。
「僕は不愉快です。」
「可哀そうだとは御思いにならなくって?」
「可哀そうかどうかわからないが――とにかくああ云う人間が、ああしているのを見たくないんです。」
「あの人の事は御考えにならないの。」
「それよりも先に、自分の事を考えるんです。」
辰子の青白い頬には、あるかない微笑の影がさした。
「薄情な方ね。」
「薄情かも知れません。その代りに自分の関係している事なら――」
「御親切?」
そこへ新田と初子とが出て来た。
「今度は――と、あちらの病室へ行って見ますか。」
新田は辰子や俊助の存在を全く忘れてしまったように、さっさと二人の前を通り越して、遠い廊下のつき当りにある戸口の方へ歩き出した。が、初子は辰子の顔を見ると、心もち濃い眉をひそめて、
「どうしたの。顔の色が好くなくってよ。」
「そう。少し頭痛がするの。」
辰子は低い声でこう答えながら、ちょいと掌を額に当てたが、すぐにいつものはっきりした声で、
「行きましょう。何でもないわ。」
三人は皆別々の事を考えながら、前後してうす暗い廊下を歩き出した。
やがて廊下のつき当りまで来ると、新田はその部屋の戸を開けて、後の三人を振返りながら、「御覧なさい」と云う手真似をした。ここは柔道の道場を思わせる、広い畳敷の病室だった。そうしてその畳の上には、ざっと二十人近い女の患者が、一様に鼠の棒縞の着物を着て雑然と群羊のごとく動いていた。俊助は高い天窓の光の下に、これらの狂人の一団を見渡した時、またさっきの不快な感じが、力強く蘇生って来るのを意識した。
「皆仲良くしているわね。」
初子は家畜を見るような眼つきをしながら、隣に立っている辰子に囁いた。が、辰子は静に頷いただけで、口へ出しては、何とも答えなかった。
「どうです。中へはいって見ますか。」
新田は嘲るような微笑を浮べて、三人の顔を見廻した。
「僕は真っ平だ。」
「私も、もう沢山。」
辰子はこう云って、今更のようにかすかな吐息を洩らした。
「あなたは?」
初子は生々した血の気を頬に漲らせて、媚びるようにじっと新田の顔を見た。
「私は見せて頂きますわ。」
二十八
俊助と辰子とは、さっきの応接室へ引き返した。引き返して見ると、以前はささなかった日の光が、斜に窓硝子を射透して、ピアノの脚に落ちていた。それからその日の光に蒸されたせいか、壺にさした薔薇の花も、前よりは一層重苦しく、甘い匀いを放っていた。最後にあの令嬢の弾くオルガンが、まるでこの癲狂院の建物のつく吐息のように、時々廊下の向うから聞えて来た。
「あの御嬢さんは、まだ弾いていらっしゃるのね。」
辰子はピアノの前に立ったまま、うっとりと眼を遠い所へ漂わせた。俊助は煙草へ火をつけながら、ピアノと向い合った長椅子へ、ぐったりと疲れた腰を下して、
「失恋したくらいで、気が違うものかな。」と、独り語のように呟いた。と、辰子は静に眼を俊助の顔へ移して、
「違わないと御思いになって?」
「さあ――僕は違いそうもありませんね。それよりあなたはどうです。」
「私? 私はどうするでしょう。」
辰子は誰に尋ねるともなくこう云ったが、急に青白い頬に血の色がさすと、眼を白足袋の上に落して、
「わからないわ。」と小さな声を出した。
俊助は金口を啣えたまま、しばらくはただ黙然と辰子の姿を眺めていたが、やがてわざと軽い調子で、
「御安心なさい。あんたなんぞは失恋するような事はないから。その代り――」
辰子はまた静に眼を挙げて俊助の眉の間を見た。
「その代り?」
「失恋させるかも知れません。」
俊助は冗談のように云った言葉が、案外真面目な調子を帯びていたのに気がついた。と同時に真面目なだけ、それだけ厭味なのを恥しく思った。
「そんな事を。」
辰子はすぐに眼を伏せたが、やがて俊助の方へ後を向けると、そっとピアノの蓋を開けて、まるで二人をとりまいた、薔薇の匀いのする沈黙を追い払おうとするように、二つ三つ鍵盤を打った。それは打つ指に力がないのか、いずれも音とは思われないほど、かすかな音を響かせたのに過ぎなかった。が、俊助はその音を聞くと共に、日頃彼の軽蔑する感傷主義が、彼自身をもすんでの事に捕えようとしていたのを意識した。この意識は勿論彼にとって、危険の意識には相違なかった。けれども彼の心には、その危険を免れたと云う、満足らしいものはさらになかった。
しばらくして初子が新田と一しょに、応接室へ姿を現した時、俊助はいつもより快活に、
「どうでした。初子さん。モデルになるような患者が見つかりましたか。」と声をかけた。
「ええ、御蔭様で。」
初子は新田と俊助とに、等分の愛嬌をふり撒きながら、
「ほんとうに私ためになりましたわ。辰子さんもいらっしゃれば好いのに。そりゃ可哀そうな人がいてよ。いつでも、御腹に子供がいると思っているんですって。たった一人、隅の方へ坐って、子守唄ばかり歌っているの。」
二十九
初子が辰子と話している間に、新田はちょいと俊助の肩を叩くと、
「おい、君に一つ見せてやる物がある。」と云って、それから女たちの方へ向きながら、
「あなた方はここで、しばらく御休みになって下さい。今、御茶でも差上げますから。」
俊助は新田の云う通り、おとなしくその後について、明るい応接室からうす暗い廊下へ出ると、今度はさっきと反対の方向にある、広い畳敷の病室へつれて行かれた。するとここにも向うと同じように、鼠の棒縞を着た男の患者が、二十人近くもごろごろしていた。しかもそのまん中には、髪をまん中から分けた若い男が、口を開いて、涎を垂らして、両手を翼のように動かしながら、怪しげな踊を踊っていた。新田は俊助をひっぱって、遠慮なくその連中の間へはいって行ったが、やがて膝を抱いて坐っていた、一人の老人をつかまえると、
「どうだね。何か変った事はないかい。」と、もっともらしく問いかけた。
「ございますよ。何でも今月の末までには、また磐梯山が破裂するそうで、――昨晩もその御相談に、神々が上野へ御集りになったようでございました。」
老人は目脂だらけの眼を見張って、囁くようにこう云った。が、新田はその答には頓着する気色もなく、俊助の方を振返って、
「どうだ。」と、嘲るような声を出した。
俊助は微笑を洩したばかりで、何ともその「どうだ」には答えなかった。と、新田はまた一人、これはニッケルの眼鏡をかけた、癇の強そうな男の前へ行って、
「いよいよ講和条約の調印もすんだようだね。君もこれからは暇になるだろう。」
が、その男は陰鬱な眼を挙げて、じろりと新田の顔を見ながら、
「とても暇にはなりませんよ。クレマンソオはどうしても、僕の辞職を聴許してくれませんからね。」
新田は俊助と顔を見合せたが、そこに漂っている微笑を認めると、また黙然と病室の隅へ歩を移して、さっきからじっと二人を見つめていた、品の好い半白の男に声をかけた。
「どうした。まだ細君は帰って来ないかね。」
「それがですよ。妻の方じゃ帰りたがっているんですが、――」
その患者はこう云いかけて、急に疑わしそうな眼を俊助へ向けると、気味の悪いほど真剣な調子になって、
「先生、あなたは大変な人を伴れて御出でなすった。こりゃあの評判の女たらしですぜ。私の妻をひっかけた――」
「そうか。じゃ早速僕から、警察へ引き渡してやろう。」
新田は無造作に調子を合わすと、三度俊助の方へ振り返って、
「君、この連中が死んだ後で、脳髄を出して見るとね、うす赤い皺の重なり合った上に、まるで卵の白味のような物が、ほんの指先ほど、かかっているんだよ。」
「そうかね。」
俊助は依然として微笑をやめなかった。
「つまり磐梯山の爆発も、クレマンソオへ出した辞職届も、女たらしの大学生も、皆その白味のような物から出て来るんだ、我々の思想や感情だって――まあ、他は推して知るべしだね。」
新田は前後左右に蠢いている鼠の棒縞を見廻しながら、誰にと云う事もなく、喧嘩を吹きかけるような手真似をした。
三十
初子と辰子とを載せた上野行の電車は、半面に春の夕日を帯びて、静に停留場から動き出した。俊助はちょいと角帽をとって、窓の内の吊皮にすがっている二人の女に会釈をした。女は二人とも微笑していた。が、殊に辰子の眼は、微笑の中にも憂鬱な光を湛えて、じっと彼の顔に注がれているような心もちがした。彼の心には刹那の間、あの古ぼけた教室の玄関に、雨止みを待っていた彼女の姿が、稲妻のように閃いた。と思うと、電車はもう速力を早めて、窓の内の二人の姿も、見る見る彼の眼界を離れてしまった。
その後を見送った俊助は、まだ一種の興奮が心に燃えているのを意識していた。彼はこのまま、本郷行の電車へ乗って、索漠たる下宿の二階へ帰って行くのに忍びなかった。そこで彼は夕日の中を、本郷とは全く反対な方向へ、好い加減にぶらぶら歩き出した。賑かな往来は日暮が近づくのに従って、一層人通りが多かった。のみならず、飾窓の中にも、アスファルトの上にも、あるいはまた並木の梢にも、至る所に春めいた空気が動いていた。それは現在の彼の気もちを直下に放出したような外界だった。だから町を歩いて行く彼の心には、夕日の光を受けながら、しかも夕日の色に染まっていない、頭の上の空のような、微妙な喜びが流れていた。………
その空が全く暗くなった頃、彼はその通りのある珈琲店で、食後の林檎を剥いていた。彼の前には硝子の一輪挿しに、百合の造花が挿してあった。彼の後では自働ピアノが、しっきりなくカルメンを鳴らしていた。彼の左右には幾組もの客が、白い大理石の卓子を囲みながら、綺麗に化粧した給仕女と盛に饒舌ったり笑ったりしていた。彼はこう云う周囲に身を置きながら、癲狂院の応接室を領していた、懶い午後の沈黙を思った。室咲きの薔薇、窓からさす日の光、かすかなピアノの響、伏目になった辰子の姿――ポオト・ワインに暖められた心には、そう云う快い所が、代る代る浮んだり消えたりした。が、やがて給仕女が一人、紅茶を持って来たのに気がついて、何気なく眼を林檎から離すと、ちょうど入口の硝子戸が開いた所で、しかもその入口には、黒いマントを着た大井篤夫が、燈火の多い外の夜から、のっそりはいって来る所だった。
「おい。」
俊助は思わず声をかけた。と、大井は驚いた視線を挙げて、煙草の煙の立ちこめている珈琲店の中を見廻したが、すぐに俊助の顔を見つけると、
「やあ、妙な所へ来ているな。」と云いながら、彼の卓子の向うへ歩み寄って、マントも脱がずに腰を下した。
「君こそ妙な所が御馴染じゃないか。」
俊助はこう冷評しながら、大井に愛想を売っている給仕女を一瞥した。
「僕はボヘミヤンだ。君のようなエピキュリアンじゃない。到る処の珈琲店、酒場、ないしは下って縄暖簾の類まで、ことごとく僕の御馴染なんだ。」
大井はもうどこかで一杯やって来たと見えて、まっ赤に顔を火照らせながら、こんな下らない気焔を挙げた。
三十一
「但し御馴染だって、借のある所にゃ近づかないがね。」
大井は急に調子を下げて、嘲笑うような表情をしたが、やがて帳場机の方へ半身を扭じ向けると、
「おい、ウイスキイを一杯。」と、横柄な声で命令した。
「じゃ、至る所、近づけなかないか。」
「莫迦にするな。こう見えたって――少くとも、この家へは来ているじゃないか。」
この時給仕女の中でも、一番背の低い、一番子供らしいのがウイスキイのコップを西洋盆へ載せて、大事そうに二人の所へ持って来た。それは括り頤の、眼の大きい、白粉の下に琥珀色の皮膚が透いて見える、健康そうな娘だった。俊助はその給仕女がそっと大井の顔へ親しみのある眼なざしを送りながら、盛りこぼれそうなウイスキイのコップを卓子の上へ移した時、二三日前に郁文堂であの土耳其帽の藤沢が話して聞かせた、最近の大井の情事なるものを思い出さずにはいられなかった。と、果して大井も臆面なく、その給仕女の方へまっ赤になった顔を向けると、
「そんなにすますなよ。僕が来て嬉しかったら、遠慮なく嬉しそうな顔をするが好いぜ。こりゃ僕の親友でね、安田と云う貴族なんだ。もっとも貴族と云ったって、爵位なんぞがある訳じゃない。ただ僕よりゃ少し金があるだけの違いなんだ。――僕の未来の細君、お藤さん。ここの家じゃ、まず第一の美人だね。もし今度また君が来たら、この人にゃ特別に沢山ティップを置いて行ってくれ。」
俊助は煙草に火をつけながら、微笑するよりほかはなかった。が、娘はこの種類の女には珍しい、純粋な羞恥の血を頬に上らせながら、まるで弟にでも対するように、ちょいと大井を睨めると、そのまま派手な銘仙の袂を飜して、匇々帳場机の方へ逃げて行ってしまった。大井はその後姿を目送しながら、わざとらしく大きな声で笑い出したが、すぐに卓子の上のウイスキイをぐいとやって、
「どうだ。美人だろう。」と、冗談のように俊助の賛同を求めた。
「うん、素直そうな好い女だ。」
「いかん、いかん。僕の云っているのは、お藤の――お藤さんの肉体的の美しさの事だ。素直そうななんぞと云う、精神的の美しさじゃない。そんな物は大井篤夫にとって、あってもなくっても同じ事だ。」
俊助は相手にならないで、埃及の煙ばかり鼻から出していた。すると大井は卓子越しに手をのばして、俊助の鼈甲の巻煙草入から金口を一本抜きとりながら、
「君のような都会人は、ああ云う種類の美に盲目だからいかん。」と、妙な所へ攻撃の火の手を上げ始めた。
「そりゃ君ほど烱眼じゃないが。」
「冗談じゃないぜ。君ほど烱眼じゃないなんぞとは、僕の方で云いたいくらいだ。藤沢のやつは、僕の事を、何ぞと云うとドン・ジュアン呼ばわりをするが、近来は君の方へすっかり御株を取られた形があらあね。どうした。いつかの両美人は?」
俊助は何を措いても、この場合この話題が避けたかった。そこで彼は大井の言葉がまるで耳へはいらないように、また談柄をお藤さんなる給仕女の方へ持って行った。
三十二
「幾つだ、あのお藤さんと云うのは?」
「行年十八、寅の八白だ。」
大井はまた新に註文したウイスキイをひっかけながら、高々と椅子の上へあぐらをかいて、
「年まわりから云や、あんまり素直でもなさそうだが、――まあ、そんな事はどうでも好い、素直だろうが、素直でなかろうが、どうせ女の事だから、退屈な人間にゃ相違なかろう。」
「ひどく女を軽蔑するな。」
「じゃ君は尊敬しているか。」
俊助は今度も微笑の中に、韜晦するよりほかはなかった。と、大井は三杯目のウイスキイを前に置いて、金口の煙を相手へ吹きかけながら、
「女なんてものは退屈だぜ。上は自動車へ乗っているのから下は十二階下に巣を食っているのまで、突っくるめて見た所が、まあ精々十種類くらいしかないんだからな。嘘だと思ったら、二年でも三年でも、滅茶滅茶に道楽をして見るが好い。すぐに女の種類が尽きて、面白くも何ともなくなっちまうから。」
「じゃ君も面白くない方か。」
「面白くない方か? 冗談だろう。――いや、皮肉なら皮肉でも好い。面白くないと云っている僕が、やっぱりこうやって女ばかり追っかけている。それが君にゃ莫迦げて見えるんだろう。だがね、面白くないと云うのも本当なんだ。同時にまた面白いと云うのも本当なんだ。」
大井は四杯目のウイスキイを命じた頃から、次第に平常の傲岸な態度がなくなって、酔を帯びた眼の中にも、涙ぐんでいるような光が加わって来た。勿論俊助はこう云う相手の変化を、好奇心に富んだ眼で眺めていた。が、大井は俊助の思わくなぞにはさらに頓着しない容子で、五杯六杯と続けさまにウイスキイを煽りながら、ますます熱心な調子になって、
「面白いと云うのはね、女でも追っかけていなけりゃ、それこそつまらなくってたまらないからなんだ。が、追っかけて見た所で、これまた面白くも何ともありゃしない。じゃどうすれば好いんだと君は云うだろう。じゃどうすれば好いんだと――それがわかっているぐらいなら、僕もこんなに寂しい思いなんぞしなくってもすむ。僕は始終僕自身にそう云っているんだ。じゃどうすれば好いんだと。」
俊助は少し持て余しながら、冗談のように相手を和げにかかった。
「惚れられるさ。そうすりゃ、少しは面白いだろう。」
が、大井は反って真面目な表情を眼にも眉にも動かしながら、大理石の卓子を拳骨で一つどんと叩くと、
「所がだ。惚れられるまでは、まだ退屈でも我慢がなるが、惚れられたとなったら、もう万事休すだ。征服の興味はなくなってしまう。好奇心もそれ以上は働きようがない。後に残るのはただ、恐るべき退屈中の退屈だけだ。しかも女と云うやつは、ある程度まで関係が進歩すると、必ず男に惚れてしまうんだから始末が悪い。」
俊助は思わず大井の熱心さに釣りこまれた。
「じゃどうすれば好いんだ?」
「だからさ。だからどうすれば好いんだと僕も云っていたんだ。」
大井はこう云いながら、殺気立った眉をひそめて、七八杯目のウイスキイをまずそうにぐいと飲み干した。
三十三
俊助はしばらく口を噤んで、大井の指にある金口がぶるぶる震えるのを眺めていた。と、大井はその金口を灰皿の中へ抛りこんで、いきなり卓子越しに俊助の手をつかまえると、
「おい。」と、切迫した声を出した。
俊助は返事をする代りに、驚いた眼を挙げて、ちょいと大井の顔を見た。
「おい、君はまだ覚えているだろう、僕があの七時の急行の窓で、女の見送り人に手巾を振っていた事があるのを。」
「勿論覚えている。」
「じゃ聞いてくれ。僕はあの女とこの間まで同棲していたんだ。」
俊助は好奇心が動くと共に、もう好い加減にアルコオル性の感傷主義は御免を蒙りたいと云う気にもなった。のみならず、周囲の卓子を囲んでいる連中が、さっきからこちらへ迂散らしい視線を送っているのも不快だった。そこで彼は大井の言葉には曖昧な返事を与えながら、帳場の側に立っているお藤に、「来い」と云う相図をして見せた。が、お藤がそこを離れない内に、最初彼の食事の給仕をした女が、急いで卓子の前へやって来た。
「勘定をしてくれ。この方の分も一しょだ。」
すると大井は俊助の手を離して、やはり眼に涙を湛えたまま、しげしげと彼の顔を眺めたが、
「おい、おい、勘定を払ってくれなんていつ云った? 僕はただ、聞いてくれと云ったんだぜ。聞いてくれりゃ好し、聞いてくれなけりゃ――そうだ。聞いてくれなけりゃ、さっさと帰ったら好いじゃないか。」
俊助は勘定をすませると、新に火をつけた煙草を啣えながら、劬るような微笑を大井に見せて、
「聞くよ。聞くが、ね、我々のように長く坐りこんじゃ、ここの家も迷惑だろう。だから一まず外へ出た上で、聞く事にしようじゃないか。」
大井はやっと納得した。が、卓子を離れるとなると、彼は口が達者なのとは反対に、頗る足元が蹣跚としていた。
「好いか。おい。危いぜ。」
「冗談云っちゃいけない。高がウイスキイの十杯や十五杯――」
俊助は大井の手をとらないばかりにして、入口の硝子戸の方へ歩き出した。と、そこにはもうお藤が、大きく硝子戸を開けながら、心配そうな眼を見張って、二人の出て来るのを待ち受けていた。彼女はそこの天井から下っている支那燈籠の光を浴びて、最前よりはさらに子供らしく、それだけ俊助にはさらに美しく見えた。が、大井はまるでお藤の存在には気がつかなかったものと見えて、逞い俊助の手に背中を抱えられながら、口一つ利かずにその前を通りすぎた。
「難有うございます。」
大井の後から外へ出た俊助には、こう云うお藤の言葉の中に、彼の大井に対する厚情を感謝しているような響が感じられた。彼はお藤の方を振り返って、その感謝に答うべき微笑を送る事を吝まなかった。お藤は彼等が往来へ出てしまってからも、しばらくは明い硝子戸の前に佇みながら、白い前掛の胸へ両手を合せて、次第に遠くなって行く二人の後姿を、懐しそうにじっと見守っていた。
三十四
大井は角帽の庇の下に、鈴懸の並木を照らしている街燈の光を受けるが早いか、俊助の腕へすがるようにして、
「じゃ聞いてくれ。迷惑だろうが、聞いてくれ。」と、執念くさっきの話を続け出した。
俊助も今度は約束した手前、一時を糊塗する訳にも行かなかった。
「あの女は看護婦でね、僕が去年の春扁桃腺を煩った時に――まあ、そんな事はどうでも好い、とにかく僕とあの女とは、去年の春以来の関係なんだ。それが君、どうして別れるようになったと思う? 単にあの女が僕に惚れたからなんだ。と云うよりゃ偶然の機会で、惚れていると云う事を僕に見せてしまったからなんだ。」
俊助は絶えず大井の足元を顧慮しながら、街燈の下を通りすぎる毎に、長くなったり短くなったりする彼等の影を、アスファルトの上に踏んで行った。そうしてややもすると散漫になり勝ちな注意を、相手の話へ集中させるのに忙しかった。
「と云ったって、何も大したいきさつがあった訳でも何でもない。ただ、あいつが僕の所へ来た手紙の事で、嫉妬を焼いただけの事なんだ。が、その時僕はあの女の腹の底まで見えたような気がして、一度に嫌気がさしてしまったじゃないか。するとあいつは嫉妬を焼いたと云う、その事だけが悪いんだと思ったもんだから、――いや、これも余談だった。僕が君に話したいのは、その僕の所へ来た手紙と云うやつなんだがね。」
大井はこう云って、酒臭い息を吐きながら、俊助の顔を覗くようにした。
「その手紙の差出人は、女名前じゃあったけれど、実は僕自身なんだ。驚くだろう。僕だって、自分で驚いているんだから、君が驚くのはちっとも不思議はない。じゃ何故僕はそんな手紙を書いたんだ? あの女が嫉妬を焼くかどうか、それが知りたかったからさ。」
さすがにこの時は俊助も、何か得体の知れない物にぶつかったような心もちがした。
「妙な男だな。」
「妙だろう。あいつが僕に惚れている事がわかりゃ、あいつが嫌になると云う事は、僕は百も承知しているんだ。そうしてあいつが嫌になった暁にゃ、余計世の中が退屈になると云う事も知っているんだ。しかも僕は、その時に、九分九厘まではあの女が嫉妬を焼く事を知っていたんだぜ。それでいて、手紙を書いたんだ。書かなけりゃいられなかったんだ。」
「妙な男だな。」
俊助は目まぐるしい人通りの中に、足元の怪しい大井をかばいながら、もう一度こう繰返した。
「だから僕の場合はこうなんだ。――女が嫌になりたいために女に惚れる。より退屈になりたいために退屈な事をする。その癖僕は心の底で、ちっとも女が嫌になりたくはないんだ。ちっとも退屈でいたくはないんだ。だから君、悲惨じゃないか。悲惨だろう。この上仕方のない事はないだろう。」
大井はいよいよ酔が発したと見えて、声さえ感動に堪えないごとく涙ぐむようになって来た。
三十五
その内に二人は、本郷行の電車に乗るべき、ある賑な四つ辻へ来た。そこには無数の燈火が暗い空を炙った下に、電車、自動車、人力車の流れが、絶えず四方から押し寄せていた。俊助は生酔の大井を連れてこの四つ辻を向うへ突切るには、そう云う周囲の雑沓と、険呑な相手の足元とへ、同時に気を配らなければならなかった。
所がやっと向うへ辿りつくと、大井は俊助の心配には頓着なく、すぐにその通りにあるビヤホオルの看板を見つけて、
「おい、君、もう一杯ここでやって行こう。」と、海老茶色をした入口の垂幕を、無造作に開いてはいろうとした。
「よせよ。そのくらい御機嫌なら、もう大抵沢山じゃないか。」
「まあ、そんな事を云わずにつき合ってくれ。今度は僕が奢るから。」
俊助はこの上大井の酒の相手になって、彼の特色ある恋愛談を傾聴するには、余りにポオト・ワインの酔が醒めすぎていた。そこで今まで抑えていたマントの背中を離しながら、
「じゃ、君一人で飲んで行くさ。僕はいくら奢られても真平だ。」
「そうか。じゃ仕方がない。僕はまだ君に聞いて貰いたい事が残っているんだが――」
大井は海老茶色の幕へ手をかけたまま、ふらつく足を踏みしめて、しばらく沈吟していたが、やがて俊助の鼻の先へ酒臭い顔を持って来ると、
「君は僕がどうしてあの晩、国府津なんぞへ行ったんだか知らないだろう。ありゃね、嫌になった女に別れるための方便なんだ。」
俊助は外套の隠しへ両手を入れて、呆れた顔をしながら、大井と眼を見合せた。
「へええ、どうして?」
「どうしてったって、――まず僕が是非とも国へ帰らなければならないような理由を書き下してさ。それから女と泣き別れの愁歎場がよろしくあって、とどあの晩汽車の窓で手巾を振ると云うのが大詰だったんだ。何しろ役者が役者だから、あいつは今でも僕が国へ帰っていると思っているんだろう。時々国の僕へ宛てたあいつの手紙が、こっちの下宿へ転送されて来るからね。」
大井はこう云って、自ら嘲るように微笑しながら、大きな掌を俊助の肩へかけて、
「僕だってそんな化の皮が、永久に剥げないとは思っていない。が、剥げるまでは、その化の皮を大事にかぶっていたいんだ。この心もちは君に通じないだろうな。通じなけりゃ――まあ、それまでだが、つまり僕は嫌になった女に別れるんでも、出来るだけ向うを苦しめたくないんだ。出来るだけ――いくら嘘をついてもだね。と云って、何もその場合まで好い子になりたいと云うんじゃない。向うのために、女のために、そうしてやるべき一種の義務が存在するような気がするんだ。君は矛盾だと思うだろう。矛盾もまた甚しいと思うだろう。だろうが、僕はそう云う人間なんだ。それだけはどうか呑み込んで置いてくれ。――じゃ失敬しよう。わが親愛なる安田俊助。」
大井は妙な手つきをして、俊助の肩を叩いたと思うと、その手に海老茶色の垂幕を挙げて、よろよろビヤホオルの中へはいってしまった。
「妙な男だな。」
俊助は軽蔑とも同情とも判然しない一種の感情に動かされながら三度こう呟いて、クラブ洗粉の広告電燈が目まぐるしく明滅する下を、静に赤い停留場の柱の方へ歩き出した。
三十六
下宿へ帰って来た俊助は、制服を和服に着換ると、まず青い蓋をかけた卓上電燈の光の下で、留守中に届いていた郵便へ眼を通した。その一つは野村の手紙で、もう一つは帯封に乞高評の判がある『城』の今月号だった。
俊助は野村の手紙を披いた時、その半切を埋めているものは、多分父親の三回忌に関係した、家事上の紛紜か何かだろうと云う、朧げな予期を持っていた。ところがいくら読んで行っても、そう云う実際方面の消息はほとんど一句も見当らなかった。その代り郷土の自然だの生活だのの叙述が、到る所に美しい詠歎的な文字を並べていた。磯山の若葉の上には、もう夏らしい海雲が簇々と空に去来していると云う事、その雲の下に干してある珊瑚採取の絹糸の網が、眩く日に光っていると云う事、自分もいつか叔父の持ち船にでも乗せて貰って、深海の底から珊瑚の枝を曳き上げたいと思っていると云う事――すべてが哲学者と云うよりは、むしろ詩人にふさわしい熱情の表現とも云わるべき性質のものだった。
俊助にはこの絢爛たる文句の中に、現在の野村の心もちが髣髴出来るように感ぜられた。それは初子に対する純粋な愛が遍照している心もちだった。そこには優しい喜びがあった。あるいはかすかな吐息があった。あるいはまたややもすれば流れようとする涙があった。だからその心もちを通過する限り、野村の眼に映じた自然や生活は、いずれも彼自身の愛の円光に、虹のごとき光彩を与えられていた。若葉も、海も、珊瑚採取も、ことごとくの意味においては、地上の実在を超越した一種の天啓にほかならなかった。従って彼の長い手紙も、その素朴な愛の幸福に同情出来るもののみが、始めて意味を解すべき黙示録のようなものだった。
俊助は微笑と共に、野村の手紙を巻きおさめて、今度は『城』の封を切った。表紙にはビアズリイのタンホイゼルの画が刷ってあって、その上に l'art pour l'art と、細い朱文字で入れた銘があった。目次を見ると、藤沢の「鳶色の薔薇」と云う抒情詩的の戯曲を筆頭に、近藤のロップス論とか、花房のアナクレオンの飜訳とか、いろいろな表題が行列していた。俊助ははなはだ同情のない眼で、しばらくそれらの表題を見廻していたが、やがて「倦怠」――大井篤夫と云う一行の文字にぶつかると、急にさっきの大井の姿が鮮かに記憶に浮んで来たので、早速その小説が載っている巻末の頁をはぐって見た。と、それは三人称でこそ書いてはあるが、実は今夜聞いた大井の告白を、そのまま活字にしたような小説だった。
俊助はわずか十分ばかりの間に、造作なく「倦怠」を読み終るとまた野村の手紙をひろげて見て、その達筆な行の上へ今更のように怪訝の眼を落した。この手紙の中に磅礴している野村の愛と、あの小説の中にぶちまけてある大井の愛と――一人の初子に天国を見ている野村と、多くの女に地獄を見ている大井と――それらの間にある大きな懸隔は、一体どこから生じたのだろう。いや、それよりも二人の愛は、どちらが本当の愛なのだろう。野村の愛が幻か。大井の愛が利己心か。それとも両方がそれぞれの意味で、やはり為のない愛だろうか。そうして彼自身の辰子に対する愛は?
俊助は青い蓋をかけた卓上電燈の光の下に、野村の手紙と大井の小説とを並べたまま、しばらくは両腕を胸に組んで、じっと西洋机の前へ坐っていた。
(以上を以て「路上」の前篇を終るものとす。後篇は他日を期する事とすべし。)
(大正八年七月) | 底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年12月1日第1刷発行
1996(平成8)年4月1日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年3月1日公開
2004年3月9日修正
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一 信濃の国は十州に
境連ぬる国にして
聳ゆる山はいや高く
流るる川はいや遠し
松本伊那佐久善光寺
四つの平は肥沃の地
海こそなけれ物さわに
万ず足らわぬ事ぞなき
二 四方に聳ゆる山々は
御嶽乗鞍駒ヶ岳
浅間は殊に活火山
いずれも国の鎮めなり
流れ淀まずゆく水は
北に犀川千曲川
南に木曽川天竜川
これまた国の固めなり
三 木曽の谷には真木茂り
諏訪の湖には魚多し
民のかせぎも豊かにて
五穀の実らぬ里やある
しかのみならず桑とりて
蚕飼いの業の打ちひらけ
細きよすがも軽からぬ
国の命を繋ぐなり
四 尋ねまほしき園原や
旅のやどりの寝覚の床
木曽の棧かけし世も
心してゆけ久米路橋
くる人多き筑摩の湯
月の名にたつ姨捨山
しるき名所と風雅士が
詩歌に詠みてぞ伝えたる
五 旭将軍義仲も
仁科の五郎信盛も
春台太宰先生も
象山佐久間先生も
皆此国の人にして
文武の誉たぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ
川と流れて名は尽ず
六 吾妻はやとし日本武
嘆き給いし碓氷山
穿つ隧道二十六
夢にも越る汽車の道
みち一筋に学びなば
昔の人にや劣るべき
古来山河の秀でたる
国は偉人のある習い | 底本:「淺井洌」松本市教育会
1990(平成2)年12月20日発行
※底本には、長野県歌として制定した際、「信濃教育会保存の昭和六年浅井洌直筆のものを基礎とし、用字を一部改めた」とあります。
入力:大野晋
校正:川山隆
2009年12月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品名": "県歌 信濃の国",
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一、吉田内閣不信任決議案賛成演説
一九五三(昭和二十八)年三月十四日 衆議院本会議
私は、日本社会党を代表いたしまして、ただいま議題になりました改進党並びに両社会党の共同提案による吉田内閣不信任案に対し賛成の意を表明せんとするものであります。
吉田内閣は、日本独立後初めて行われた総選挙のあとをうけて昨年十月召集され、現に開かれておる第十五国会において成立せる内閣であります。その内閣が、同じ特別国会に於て不信任案が提出され、その間五カ月有余というのでありますから、いかに吉田内閣が独立日本の要望にこたえ得ず、その立っている基盤がいかに脆弱であるかということを示す証左であると思うのであります。以下、不信任案に対する賛成の理由を述べて、各位の賛同を求めたいと思います。
第一には、第四次現吉田内閣は、独立後初めて成立せる内閣でありますから、独立後の日本をどうするかという抱負経綸が示され、日本国民に独立の気魄を吹き込み、民族として立ち上る気力を与えることが、その務めであるにもかかわらず、吉田内閣積年の宿弊は、独立後の日本の政治を混迷と彷徨の中に追い込んでおるのであります。終戦六年にして独立をかち得た国民は占領下に失われた国民としての自覚をとりもどし、民主主義的な民族として再建に努力せんとの熱意に燃えておるのであります。しかるに、吉田内閣は、この国民の熱情に何らこたえるところなく、いたずらに、外交はアメリカ追随、内政は反動と逆コースを驀進し、進歩的な国民を絶望に追い込むファッショ反動の政治を抬頭せしめ、一面、共産党に跳梁の間隙を与え、左右全体主義への道を開き、祖国と民主主義を危機に直面せしめておるのであります。民族の生気をとりもどし、国民を奮起せしめるためには、まず吉田内閣の打倒から始めなければなりません。これ、わが不信任案賛成の第一の理由であります。
第二には、日本の完全独立と平和確保のためにその退陣を要求するものであります。お互いの愛する祖国日本は、昨年四月二十八日、独立国家として国際場裡に再出発をしたのであります。現実に独立をした日本の姿を見れば、日米安全保障条約並びに行政協定に基づいて、日本の安全はアメリカの軍隊によって保障され、アメリカ軍人、軍属並びにこれらの家族には、日本の裁判権は及びません。およそ一国が他国の軍隊によってその安全が保障され、その期間が長きに及べば、独立は隷属に転化することを知らねばならぬのであります。日本に居住するものに対し日本の裁判権の及ばざることは、一種の治外法権であって、完全なる独立というわけには参りません。
加えて、領土問題についてこれを見るに、日本が発展途上に領有いたしました領土は、それぞれその国に帰すことはやむを得ぬとするも、南樺太、千島の領土権を失い、歯舞、色丹島は、北海道の行政区にあるにもかかわらず、ソビエトの占拠するところとなり、奄美大島、沖縄諸島、小笠原、硫黄島等、これらのものは特別なる軍事占領が継続され、百数十万の同胞は、日本の行政の外にあるのであります。まさに民族の悲劇といわなければなりません。しかも、これらの同胞は、一日も早く日本への復帰を望んでおるのであります。
従って、吉田内閣は、日本の完全独立のために、安全保障条約並びに行政協定の根本的改訂に、最大の努力をなさねばならぬにかかわらず、吉田総理、岡崎外相は、その都度外交と称せられる、アメリカ追従外交を展開し、日本国家の主体性を没却し、行政協定の改訂期を前にして何らの動きを示さず、領土問題についても何ら解決への努力を示さず、その買弁的性格をますます露骨に現わしておるのであります。特に、日本独立後国連軍を無協定のまま日本に駐屯せしめておるその外交の不手際を、断固糾弾しなければならぬと思うのであります。
また、国際情勢を見れば、アイゼンハワー将軍のアメリカ大統領就任、ダレス氏の国務長官就任、その巻きかえし外交の進展、ソ連スターリン首相の死、マレンコフ新首相の就任と動く中にも、世界は一種の引締って行く姿を見るのであります。世界人類には、依然として平和か戦争かということが重大なる課題となっております。しかるに、対日平和条約に対しては、まだ多くの未調印国家、未批准国家があり、特に一衣帯水のソ連並びに中共との間には戦争の状態が残っておるのであります。かかる中にあって、いかに世界平和に寄与せんとするかということは、日本外交の重大問題であります。これがためには、日本は絶対に戦争に介入しないという一大原則のもとに、自由アジアの解放と、自由アジアと西欧を結ぶ平和のかけ橋となることを日本外交の基本的方針として、自主独立の外交を展開して参らなければなりません。このことは、吉田内閣のごとく、その主体性を没却せる、アメリカ追従外交政策によっては断じて打開ができないのであります。われわれが不信任案に賛成せんとする第二の理由であります。
第三には、吉田内閣は、占領政策の行き過ぎ是正と称して、わが国民主化に最も必要なる諸制度を廃棄して、戦前及び戦時中の諸制度に還えさんとして、反動逆コースの政治を行わんとしております。われらは、この反動逆コースの政治に断固反対し、その退陣を迫らんとするものであります。およそ占領政策の行き過ぎがあるとすれば、その責任の大半は吉田総理それ自体が負わなければならないのであります。しかも、行き過ぎと称するものは、おおむね進歩的政策であって、是正せんとする方向は、反動と逆コースであります。われらが占領政策の行き過ぎを是正せんとするものは、国会軽視の傾向であり、行政府独善の観念であり、ワン・マンの名によって代表せられたる不合理と独裁の傾向であり、官僚政治の積弊であります。
しかるに、吉田内閣は、警察法の改正により戦前の警察国家の再現を夢み、全国民治安維持のための警察をして一政党の権力維持のための道具たらしめんとしております。また義務教育学校職員法の制定によって、義務教育費全額国庫負担という美名のもとに、教員を国家公務員として、その政治活動の自由を奪い、教職員組合の寸断、弱体化を期し、封建的教育専制を考慮しておるのであります。労働争議のよってもって起る原因を究明せず、最近の労働争議が吉田内閣の政策貧困から来ていることを意識せず、ただ弾圧だけすれば事足りると考え、電産、石炭産業の労働者のストライキ権に制限を加えるがごときは、労働者の基本的人権を無視したものにして、逆コースもはなはだしいものといわなければなりません。また、農村においては、農地の改革は事実上停止せられ、農業団体再編成の名のもとに官僚的農村支配を復活せんとしており、さらには、独占禁止法の改正によって財閥の復活を意図しておるのであります。今にしてこの反動逆コースを阻止せんとするにあらざれば、日本は財閥独裁、警察国家を再来いたしまして、日本国民の民主的、平和的国家建設の努力は水泡に帰するということを知らなければならぬのであります。これわれらが不信任案に賛成せんとする第三の理由であります。
第四には、吉田内閣の手によっては、日本の経済の自立と国民生活の安定は期せられません。かかる見地から、吉田内閣の退陣を要求するものであります。民族の独立の蔭には、経済の自立がなくてはなりません。日本は狭き領土において資源少なく、その中に、賠償を払いながら八千四百万の人間が生きて行かなければならぬのであります。これがためには、自由党の自由放任の資本主義経済によっては断じて打開されないと思うのであります。これには、われらの主張いたしますところの計画経済による以外に道はありません。現在、わが国経済界の実情は物資不足の時期は通り過ぎて、物資過剰のときとなって、資本家、企業家は生産制限をたくらんでおります。しかるに政府は、独占禁止法の精神を無視して、その生産制限の要求を容認しております。その結果は物価のつり上げとなって現われて来るのであります。この状態を打開するには、それは国内における購買力の増大が絶対に必要であります。これがためには、勤労者の所得の増大をはかるとともに、一面においては貿易の振興をはかって参らなければなりません。しかるに、吉田内閣の政策は、労働者には低賃金、農民には低米価、中小企業者には重税、貿易政策においてはまったく計画性を持たず、特需、新特需に依存をしておるのであります。
吉田内閣の農業政策を見るに、米は統制で抑え、肥料は自由販売として、日本の農民には高い肥料を売りつけ、安い米を買い上げ、外国には安い肥料を売って、高い米を輸入しているのであります。一体だれのための農政だか、解釈に苦しむものがあるのであります。農民の熾烈なる要求に申訳的に肥料の値下げをやりましたが、農民の憤激は高まっております。吉田内閣打倒の声は農村に満ち満ちておるといっても過言ではないと思うのであります。労働者、農民、中小企業者の生活安定なくしては、日本の経済の再建はありません。それは労働者を不逞のやからと呼び、貧乏な日本には労働争議はぜいたくといい、中小企業者は死んで行ってもしかたがない、金持ちは米を食って貧乏人は麦を食え、といったような性格の吉田内閣によっては、とうてい望みがたいものといわなければなりません。これわれらが第四に不信任案に賛成する理由であります。
第五点は、吉田内閣の憲法の精神の蹂躪、国会軽視の事実を指摘して、その退陣を要求するものであります。吉田内閣が、警察予備隊を保安隊に切りかえその装備を充実しつつあることは、憲法第九条の違反の疑い十分なることは、何人といえどもこれを認めるところであります。自衛力の漸増計画に名をかって、あえて憲法の規定を無視し、事実上の再軍備をやっておるのであります。一国の総理が、憲法を勝手に解釈し、その規定を無視するがごとき行動は、まさに専制政治家の態度というべきであります。また、吉田内閣は、これのみにとどまらず、警察法の改正によって、地方自治団体の財産を一片の法令によって、国家に取りあげ、憲法の精神を蹂躪せんとしておるのであります。
憲法は国家活動の源泉であり、その基準であります。また、憲法第九十九条には、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と規定しておるのであります。しかるに、吉田内閣は、憲法を軽視し、蹂躪し、ときには無視するがごとき行動をあえてとるのであります。まさに日本民主主義の敵であると思うのであります。民主日本に対する反逆者といって、あえて私は過ぎたる言葉でないと存ずるのであります。
吉田総理の国会無視の傾向は、第一次、第二次、第三次、第四次内閣と、数え来れば枚挙にいとまがございません。本国会においても、国会無視の発言をなしてこれを取消し、本会議、委員会にはほとんど出席せず、国民の代表とともに国政を論ずるという熱意を欠き、ワン・マン行政部独裁の態度を持っておることは、今更言をまたないところであります。われわれはかつて凶刃に倒れた浜口元民政党総裁が、議会の要求に応じて病を押して出席し、遂に倒れて行った態度と対比してみまして、吉田総理の非民主的な、封建的な行動は、民主的日本の総理として、その資格を欠くものと断じ、われらが憲法を守り、総理の国会軽視を糾弾するのが、不信任案賛成の第五の理由であります。
第六点は、道義の昂揚、綱紀粛正の面から吉田内閣を弾劾し、不信任案に賛成せんとするものであります。吉田総理は、口を開けば、綱紀粛正といい、道義の昂揚を叫び、本年二月の施政方針の演説の中には、特に道義の昂揚を掲げておるのであります。しかも、吉田内閣のもとでは、綱紀はそれほど紊乱しておらないと強弁されておるが、第十五国会の決算委員会に現れた報告書によれば、昨年度官庁においてむだに使われた金が三十億五千八百万円といわれておる。この数字は、会計検査院の限られたる人手で調査されたものでありますから、実際の数字はこの数倍に上ることと思います。国民の血税がかくのごとく使われておるのでありますから、これ綱紀の頽廃にあらずして何ぞやと私はいいたいのであります。吉田内閣のもとにおいては、あらゆる問題が利権の対象となっておるのであります。只見川問題といい、四日市燃料廠問題といい、炭鉱住宅問題といい、一つとして利権とつながらざるものはございません。
過日、この壇上において、人格者をもって任ぜられておる閣僚の一人から、待合政治の合理化、さらに妥当性の答弁を聞き、何ら反省の態度を見なかったことは、はなはだ遺憾といわなければなりません。総理みずからは、予算委員会に於て、一国の総理として品位を落すがごとき暴言を口にし、議員並びに国民を侮辱し、懲罰委員会に付せられておるのであります。およそ一国の総理大臣が懲罰委員会に付せられるということは、前代未聞、世界に類例のないことであろうと思うのであります。かかる立場に立った総理でありますならば、その道義的責任を感じて辞職するのが当然であるといわなければなりません。しかるに、多数を頼んで、懲罰委員会においてはその審議を引延ばし、取消せば事は済むというがごとき印象を与えておるのであります。
政治家にとって最も必要なことは、発言であり、意見の発表であります。一度発言したことに対しては、責任をとるのが政治家のとる態度でなければならぬと私は思っておるのであります。最近吉田内閣の閣僚の中には、取消せば事が済むがごとく考えておる者が多々あることは、はなはだ政治的道徳をわきまえざるものといわなければなりません。さらに、選挙違反の疑い濃厚な者が一国の外務大臣となり、一国の総理大臣が懲罰委員会にかけられておるという現実を見て、これが、日本の独立後の姿かと思い、諸外国が一体いかに考えるかということになりまするならば、国民の一人として冷水三斗という思いがするのであります。
道義の昂揚は理論ではありません。理屈ではありません。これは実践であります。百万遍の道義の理屈よりも、総理みずから道義的責任を感じて退陣されることが道義昂揚の最上の方法であるといわなければなりません。これ、われらが退陣を迫り、不信任案に賛成する第六の理由であります。
第七には、自由党の内紛の結果は、すでに自由党が多数党たる資格を失い、政局担当の能力を失っている点を指摘しなければなりません。この事実から、我々は吉田内閣に退陣を迫らんとするものであります。吉田総理は、現在政界の不安定の原因が自由党の内部矛盾の上にあるという事を知らねばなりません。さきに組閣に際してその内情を暴露した自由党は、さらに、池田通産大臣の不信任にあって党内不一致を露呈し、また多数党たる自己政党の総裁を懲罰委員会に付するがごとき、また不信任案上程を前にして内部混乱のごとき姿は、その政党としての機能を失ったものといわなければなりません。すなわち、政界不安定の原因が自由党の内紛であり、その責任の全部が、総裁たる吉田首相の統率力の欠如にあるといわなければなりません。自由党幹部の中には、自由党は、民同派、広川派なきものとして、少数党内閣として事に当らければならないと言明しております。二つの党首を持ち、二つの異なっている政策を持つのが、現実に自由党の姿であるといわなければなりません。多数党たる資格はなくなって、政権担当の任務は終ったのであります。もはや多数党としての権利を主張し、その責任をとらんとしても不可能であります。自由党が多数党としての資格を失っている以上、内閣が退陣をすることが当然であるといわなければなりません。
最後に申し上げたいことは、終戦後八年、内閣のかわる事八回、そのうち、吉田茂氏が内閣を組織すること四回であります。その期間五年六カ月に及んでおります。そうして、その任命せる大臣六十余名、延べ百三十余名といわれ、吉田総理のワン・マンぶりは徹底して、すでに民心は吉田内閣を去っております。今こそ人心一新のときであります。吉田内閣の退陣は国民の要望するところであります。吉田内閣の退陣が一日早ければ、それだけ国家の利益は益すということになるのであります。吉田総理も、政権に恋々とせず、しりぞくべきときにはしりぞくべきだと思います。今まさにその時であります。政治家はそのときを誤ってはなりません。しかるに吉田内閣並びにその側近派は、解散をもって反対党を恫喝しております。われらまた、解散もとより恐れるものではありません。しかし、自由党の内紛によってさきに国会が解散され、さらに半年を経ざる今日、同じ理由をもって、総理指名の議決を受けた特別国会を解散するというがごときは、天下の公器たる解散権を自己政党の内紛鎮圧に利用せんとするものであり、われら、これは北村君がいうがごとく一種のクーデターであると断言するものであります。さきに、政府方針の質問演説の際、我党の三宅正一君が、解散すべきは国会にあらずして自由党そのものであると喝破したものでありますが、まさにその通りであります。われらは、この際、吉田内閣は総辞職し、自由党は出直すべきときであると考えるのであります。ここに、吉田内閣退陣を強く要求いたします。
以上をもちまして、私の吉田内閣不信任案に対する賛成演説を終るのでありますが、各位の賛同を心よりお願いいたす次第であります。
二、政治協商会議講堂における講演
一九五九(昭和三十四)年三月十二日 社会党第二次訪中使節団々長として
中国の友人の皆さん、私はただいまご紹介にあずかりました日本社会党訪中使節団の団長浅沼稲次郎であります。私どもは一昨年四月まいりまして今回が二回目であります。一昨年まいりましたときも人民外交学会の要請で講演をやりましたが、今回はまた講演の機会をあたえられましたので要請されるままにこの演壇に立ちました。つきましては私はみなさんに、日本社会党が祖国日本の完全独立と平和、さらにはアジアの平和についていかに考えているかを率直に申しあげたいと存じます。(拍手)
一
今日世界の情勢をみますならば、二年前私ども使節団が中国を訪問した一九五七年四月以後の世界の情勢は変化をいたしました。毛沢東先生はこれを、東風が西風を圧倒しているという適切な言葉で表現されていますが、いまではこの言葉は中国のみでなく世界的な言葉になっています。いま世界では、平和と民主主義をもとめる勢力の増大、なかんずくアジア、アフリカにおける反植民地、反帝国主義の高揚は決定的な力となった大勢を示しています。(拍手)もはや帝国主義国家の植民地体制は崩れさりつつあります。がしかし極東においてもまだ油断できない国際緊張の要因もあります。それは金門、馬祖島の問題であきらかになったように、中国の一部である台湾にはアメリカの軍事基地があり、そしてわが日本の本土と沖縄においてもアメリカの軍事基地があります。しかも、これがしだいに大小の核兵器でかためられようとしているのであります。日中両国民はこの点において、アジアにおける核非武装をかちとり外国の軍事基地の撤廃をたたかいとるという共通の重大な課題をもっているわけであります。台湾は中国の一部であり、沖縄は日本の一部であります。それにもかかわらずそれぞれの本土から分離されているのはアメリカ帝国主義のためであります。アメリカ帝国主義についておたがいは共同の敵とみなしてたたかわなければならないと思います。(拍手)
この帝国主義に従属しているばかりでなく、この力をかりて、反省のない、ふたたび致命的にまちがった外交政策をもってアジアにのぞんでいるのが岸内閣の外交政策であります。それは昨年末とくに日米軍事同盟の性格を有する日米安保条約の改定と強化をし、更に将来はNEATOの体制の強化へと向わんとする危険な動きであります。この動きは中国との友好と国交正常化を阻害しようとする動きでもあります。これらの動きはあるいは警職法反対の日本国民のたたかいや平和を要求する国民の勢力によって動揺しつつあるが、しかし、これが今日、日中関係の不幸な原因を作っている根本になっています。以上の日米安保条約の改定と日中関係の不幸な状態とは、いずれも関係しあって岸内閣の基本的外交方針であり、アメリカ追随の岸内閣の車の両輪であります。それは昨年末のNBCブラウン記者にたいする岸信介の放言において彼みずからがこれをはっきりと裏書きしております。これらの政策を根本的に転換させてアジアに平和体制を作る方向に向かわないかぎり、日本国民に明るい前途はなく、ここにもまた日中両国民にとって緊急かつ共通の課題がございます。
このような問題をいかに解決するかという点に関し中日関係について申上げまするならば、昨年五月いらい岸内閣の政策によって中日関係はきわめて困難な事態におちいりました。それまでは、国交回復はおこなわれていないにかかわらず、中国と日本においてはさきに私と張奚若先生との共同声明をはじめとしまして数十にあまる友好と交流の協定を結び、日本国民もまた国交回復をめざしながら懸命に交流、友好の努力をつみかさねてまいりました。しかしついに中絶状態におちいったのであります。このことにつきましては日本国民は非常な悲しみを感じ、かつ岸内閣に鋭い怒りを感じているものであります。(拍手)ここでわが党の参議院議員佐多忠隆君が貴国を訪問して三原則、三措置、すなわち、(1)ただちに中国を敵視する言動と行動を中止しふたたびくりかえさないこと (2)二つの中国をつくる陰謀をやめること (3)中日両国の正常な関係の回復をはばまないこと――これを受けとり、これを正確に国民大衆につたえたのであります。
これにもとづきましてわが社会党は一九五八年九月に新しい日中関係打開の基本方針の決定をいたしました。すなわちその項目はつぎのとおりであります。岸内閣の政策転換の要求、(1)二つの中国の存在を認めるが如き一切の行動をやめ中華人民共和国との国交の回復を実現する (2)台湾問題は中国の内政問題であり、これをめぐる国際緊張は関係諸国のあいだで平和的に解決する (3)中国を対象とするNEATOのごとき軍事体制には参加しない (4)日本国内に核兵器を持ちこまない (5)国連その他の機構をつうじ中華人民共和国の国連代表権を支持する (6)長崎における国旗引きおろし事件にたいしては陳謝の意を表し今後中華人民共和国の国旗の尊厳を保障するため万全の措置を講ずる (7)友好と平和とを基礎にする人的、文化的、技術的、経済的交流を拡大し国交正常化を妨害することなくこれに積極的支持と協力をあたえる。とくに第四次貿易協定の完全実施を実現する。さらに台湾海峡をめぐる問題にかんしていえば、蒋介石グループにたいする軍事的支援、とくに台湾に米軍を駐屯することがアジアに緊張を激化するものであるとして、日本政府にたいしては慎重なる態度をとることを要請したのであります。(拍手)
さらにまた社会党は以上の基本方針にもとづきまして日中国交回復、正常化のために国民運動を展開し、もりあげることにいたしました。その要項は、第一、岸政府の政策の全面的転換を実現するためにすべての国民の力を広範に結集し、強力な運動を展開する。第二、現在の岸政府をもってしては現状の打開はきわめて困難であることの認識に立ち、長期かつねばり強い運動を展開できる態勢を整える。第三、この運動をするにあたっては原水爆反対、沖縄返還、軍事基地反対、憲法擁護などの運動と密接に提携してすすめる。第四、わが党は労働組合、農民組合、青年婦人団体、各経済・文化・民主団体などを結集して財界、保守党の良心分子にいたるまで運動に参加せしめる、とくにわが党が協力している中日国交回復国民会議を強化し、これを通じ積極的に運動を展開する。
わが党は以上のごとき国民運動および日本の岸政府にたいする政策転換のたたかいをもとめまして、中国側にたいしても浅沼・張奚若先生との共同コミュニケの精神にのっとり日中関係の改善にたいし積極的な協力をもとめる、こういうふうにしたわけであります。さらに去年四月の日本社会党中央委員会ではいままでの軍事基地反対運動、平和憲法擁護運動、原水爆禁止運動、沖縄返還および日中国交回復国民運動と日米安保条約体制打破の国民運動を、とくに本年におきましては日中国交回復国民運動と日米条約体制打破の国民運動に力を結集してたたかうことを決定したのであります。さらにこの運動の一環として時期をみて日本社会党の訪中使節団を送ることを決定しました。それは、いかに不幸な事態においても中日両国民のあいだの友好と交流はたえず努力していかねばならないこと、またそれによって岸内閣の政策に反対する中日両国民の国交回復運動が大きく前進することを期待しているためにほかならないのであります。(拍手)
二
この決定にもとづいて私たち使節団はふたたび中国を訪問したわけでありますが、同時に訪中の目的のためには、中国の姿をありのままに沢山みて、その姿を正しく日本の勤労大衆、国民につたえるためであります。私どもが日本を発つにあたって日本において民主団体、平和団体は日中国交回復の国民大会をひらいて次のごとき決議を決定いたしました。そしてわれわれ使節団を激励してくれたのであります。いま参考までに決議文を朗読してみます。
決議。政府は現在安保条約を改定する方針を明らかにしている。この改定は現行の安保体制を固定化するだけでなく、日本自からの意志でアメリカの軍事ブロックに参加することを再確認し、さらにアメリカとの共同防衛体制に公然と加入することになり、日本の軍事力の増強とアメリカへの軍事的義務の遂行を強制されることによって海外派兵はさけられなくなり、憲法第九条はまったく空文化することになる。とくにこの改定によってアメリカの核兵器持ちこみを許し日本が自ら核武装への道を歩むことは明らかであり、その結果中日関係は決定的事態におちいり、現在の日中関係の打開はおろか、国交回復は最も望みえないものになることもまた明らかである。日本の平和と繁栄を望みいかなる国とも平等に友好関係を保持することを望むわれわれは、かかる危険な安保体制とその遂行のために企図されている秘密保護法、防諜法制定の動きや、警職法改悪にあらわれた国民の基本的人権と自由の圧迫、軍事力強化にともなう国民生活の破壊などにたいして断固としてたたかわなければならない。われわれは昨年警職法改悪の意図を粉砕した経験と成果をもっている。このエネルギーはいまなお国民一人一人の中に強く燃えつづけ、たたかえば勝てるという確信はいよいよたかまりつつある。この集会に結集したわれわれは決意をあらたにしてあらゆる階層とその要求、行動を統一して安保条約改定を断固阻止し、すすんで安保条約を解消し、アメリカのクサリを断固切り、平和政策を樹立し、中日国交回復を実現しよう。右決議する。
これが内容です。(拍手)この決議にもられているものは、平和と民主主義を愛し、一日も早く中日の国交回復をやりたいという日本国民の熱烈な願望でございます。(拍手)
私ども中国にまいりましてから約一週間になりました。私たちは人民外交学会をはじめとして中国の皆さんの確固たる原則的態度と同時に大きな友情を感じております。とくに過日農業博覧会において農作物の爆発的な増産をする姿をみ、また工場建設の飛躍的な発展をみまして、とくに人民公社に深い感銘をおぼえたのであります。今後多くの日本国民とりわけ農民諸君が中国にきて、論より証拠のこの実情を目のあたりみられるようにしたいと考えております。(拍手)
三
今後中日両国民のあいだにおける重要な問題は、なによりも私たちが、日本における中日国交回復の国民運動を三原則の正しい方針のもとに力強くもりあげて、岸政府の反動政策を打破しさることが第一であると確信しております。しかしそれだけでは日本国民のアジアにたいする責任は解決されません。アジア全体の脅威はどうなっているかと申しあげまするならば、外国の軍事基地を日本と沖縄からなくさなければアジアにおける平和はこないことを私どもは感じます。それは私どもの責任と思っているわけであります。そのため社会党は安保条約体制の打破を中心課題としてたたかっているのであります。この安保条約を廃棄させて日本の平和の保障が確立するならば、すなわち日本が完全独立国家になることができまするならば、中ソ友好同盟条約中にあるところの予想される日本軍国主義とその背後にある勢力にたいする軍事条項もおのずから必要はなくなると私どもは期待をするのであります。そうしてさらに中ソ日米によるアジア全体の全般的な平和安全保障体制を確立して日本とアジアに永久平和がくることを日本の社会党はつねに念願としてたたかっているのであります。(拍手)昨年末この日本社会党の一貫した自主独立、積極的中立政策について中ソ両国が再確認をしたことにたいしましては、私ども平和外交の前進のために心から喜ぶものであります。
このようなアジアと日本の平和のためにはまず中国と日本との国交の回復がなされなければなりません。中国は一つ、台湾は中国の一部であります。中国においては、六億八千万の各位が中華人民共和国を作りあげておるのであります。日本はこの中華人民共和国とのあいだに国交を回復しなければなりません。また中華人民共和国が国際連合に加盟することも当然と信じます。また同時に日本と台湾政府のあいだにある日台条約は解消されるのが必然であると私どもは考えております。(拍手)日本は戦争で迷惑をかけた国々とのあいだに平和を回復し大公使を交換しています。しかるに満州事変いらい第二次世界戦争が終るまでいちばん迷惑をかけた中国とのあいだには国交が回復しておりません。それは保守党政策のあやまりであります。はなはだ遺憾と存ずるしだいであります。
私ども社会党は、一日も早く中国との国交回復をのぞんでやみません。元来、日本外交の過失はどこにあるかと考えてみまするならば、つねに遠くと結んで近くのものに背を向けたところにあったと思います。明治年間には遠くイギリスと日英同盟を結んでアジアにおける番兵のごとき役割をはたし、第二次世界戦争のさいはこれまた遠くドイツ、イタリアと軍事同盟を結び中国ならびに東南アジア諸国に背を向け、軍事的侵入を試み帝国主義的発展をなしたところに大失敗があったといわなければならないと思うのであります。いままたアメリカと結び、アメリカの東南アジアへの帝国主義的発展の媒介的な役割を果そうとしております。これは私どもが厳に政府にたいして警告し、これの転換をせまっているのであります。わが社会党はかかる外交方針に反対をいたします。すなわち、遠くと結び近くを攻めるという遠交近攻の政策より善隣友好の政策へと転換すべきであると思います。すなわち、いずれの国とも友好関係を結ぶことはもちろんでありますが、いずれの陣営にも属さず自主独立・善隣友好の外交、すなわち中国との国交正常化、アジア・アフリカ諸国との提携の強化、世界平和のために外交政策を推進しなければならないと考えているものであります。(拍手)
つぎに経済的には日本と中国は一衣帯水でかたく結ばなければならないと思います。現在日本経済はアメリカとの片貿易の上に立ちアメリカの特需の上に立っているのであります。またMSA協定にもとづく余剰農産物の輸入は、これまたアメリカと結び、アメリカの戦争経済に依存している姿であると私どもは考えさせられます。これにたいして一種の不安を感じています。経済の自立のないところに民族の自立はありません。日本が完全なる自主独立の国家として生きるためには、対米依存から脱却しなければなりません。日本が本来一つであるべきアジアと完全に一致せずアメリカの特需や輸入調達にもとづいているところに、今日の不幸な状態が生れ、またこれが背景となって岸内閣の反動的政策の経済的基礎となっていることも事実であろうと信ずるのであります。したがって、私どもは岸内閣に対し社会党への政権の引渡しをせまり、根本的な政策転換と中日国交回復をおこなった上、躍進しつつある中国の第二次五カ年計画と結びついた安全性のある中日貿易の交流、アジア諸国との経済協定の飛躍的な前進を期待しているものであります。(拍手)かくて日本は独立・中立政策の経済の基礎を確立して、その重工業の技術、設備、飛行機工場にいたるまで平和なアジアの建設のために奉仕するようにしたいと考えるものであります。
私たちはこのように平和と友好の願いをもって中国へまいりました。みなさんとアジアは一つであるというかたい友情の交歓をいたしまして帰国いたしますと、私たちは国会において岸内閣不信任案の提出、さらにつづいて私たちの中国訪問の報告を全国に遊説し、さらにまた四月からおこなわれまするところの地方選挙、参議院選挙が待っているのでありまして、この二つの選挙闘争も、国会の解散と岸内閣を倒す、これに集中してたたかいをすすめてまいりたいと考えているものであります。(拍手)このたたかいは、われわれが前進をするか、彼らが立ちなおるかの大きなわかれ目に立っているのであります。しかし最近、日本においては平和と革新の力が強まれば強まるほど、岸内閣は資本家階級と一体となってこれに対抗して必死の努力をかまえてきております。私たちはこのたたかいを必ずかちぬきたいと考えるわけであります。今後の政局と政策の根本的な転換をかちとるためにどうしてもかちぬかなければならないと思うのであります。中国ならびに全アジアのみなさんとともにアジアの平和とさらに世界の平和のためにもたたかいぬいてまいりたいと考えております。(拍手)
四
最後に申し上げたいと思いますことは、一昨年中国にまいりましたさいに毛沢東先生におあいいたしまして、そのときに先生はこういうことをいわれたのであります。中国はいまや国内の矛盾を解決する、すなわち資本主義の矛盾、階級闘争も解決し、帝国主義の矛盾、戦争も解決し、封建制度の矛盾、人間と人間の争い、これを解決して社会主義に一路邁進している。すなわちいまや中国においては六億八千万の国民が一致団結をして大自然との闘争をやっているんだということをいわれたのであります。私はこれに感激をおぼえて帰りました。今回中国へまいりまして、この自然との争いの中で勝利をもとめつつある中国人民の姿をみまして本当に敬服しているしだいであります。(拍手)植林に治水に農業に工業に中国人民の自然とのたたかいの勝利の姿をみるのであります。揚子江にかけられた大鉄橋、黄河の三門峡、永定河に作られんとする官庁ダム、さらに長城につらなっているところの緑の長城、砂漠の中の工場の出現、鉄道の建設と、飛躍しております姿をあげますならば枚挙にいとまありません。つねに自然とたたかいつつある人民勝利の姿があらゆる面にあらわれているのであります。(拍手)
人間本然の姿は人間と人間が争う姿ではないと思います。階級と階級が争う姿ではないと思います。また民族と民族が争って血を流すことでもないと思います。人間はこれらの問題を一日も早く解決をして、一切の力を動員して大自然と闘争するところに人間本然の姿があると思うのであります。このたたかいは社会主義の実行なくしてはおこないえません。中国はいまや一切の矛盾を解決して大自然に争いを集中しております。ここに社会主義国家前進の姿を思うことができるのであります。このたたかいに勝利を念願してやみません。(拍手)われわれ社会党もまた日本国内において資本主義とたたかい帝国主義とたたかって資本主義の矛盾、帝国主義の矛盾を克服して国内矛盾を解決し次には一切の矛盾を解決し、つぎに一切の力を自然との争いに動員して人類幸福のためにたたかいぬく決意をかためるものであります。(拍手)
以上で講演を終ります。ご謹聴を感謝申上げます。(拍手)
躍進中国の社会主義万才(拍手)
中日国交回復万才(拍手)
アジアと世界の平和万才(拍手)
三、最後の演説
一九六〇(昭和三十五)年十月十二日 日比谷公会堂・三党首立会演説会
諸君、臨時国会もいよいよ十七日召集ということになりました。今回開かれる国会は、安保条約改定の国民的な処置をつけるための解散国会であろうと思うのであります。この解散、総選挙を前にいたしまして、NHK、選挙管理委員会、さらには公明選挙連盟が主催をいたしまして自民、社会、民社の代表を集めて、その総選挙に臨む態度を表明する機会を与えられましたことを、まことにけっこうなことだと考え、感謝をするものであります。以下、社会党の考えを申し上げてみたいと思うのであります。
諸君、政治というものは、国家社会の曲がったものをまっすぐにし、不正なものを正しくし、不自然なものを自然の姿にもどすのが、その要諦であると私は思うのであります。しかし現在のわが国には、曲がったもの、不正なもの、不自然なものがたくさんあります。そこで私は、そのなかの重大な問題をあげ、政府の政策を批判しつつ社会党の立場を明らかにしてまいります。
第一は、池田内閣が所得倍増をとなえる足元から物価はどしどし上がっておるという状態であります。月給は二倍になっても、物価は三倍になったら、実際の生活程度は下がることはだれでもわかることであります。池田内閣は、その経済政策を、日本経済の成長率を九%とみて所得倍増をとなえておるのであります。これには多くの問題を内包しております。終戦後、勤労大衆の苦労によってやっと鉱工業生産は戦前の三倍になりましたが、大衆の生活はどうなったか、社会不安は解消されたか、貧富の差は、いわゆる経済の二重構造はどうなったか、ほとんど解決されておりません。自民党の河野一郎君も、表面の繁栄のかげに深刻なる社会不安があると申しております。かりに池田内閣で、十年後に日本の経済は二倍になっても、社会不安、生活の不安、これらは解消されないと思うのであります。たとえば来年は貿易の自由化が本格化して七〇%は完成しようとしております。そのために、北海道では大豆の値段が暴落し、また中小下請工場は単価の引き下げに悩んでおります。通産省の官僚が発表したところによっても、貿易の自由化が行なわれれば、鉱工業の生産に従事する従業員は百三十七万人失業者が出るであろうといわれておるのであります。まったく所得倍増どころの話ではありません。現在、日本国民は、所得倍増の前に物価倍増が来そうだと、その不安は高まっております。その上、池田総理は、農村を合理化するために六割の小農を離村せしむる、つまり小農切り捨てをいっております。このうえに農村から六百万有余の失業者が出たら、いったいどうなるのでありましょうか。来年のことをいうとオニが笑うといっておりますが、これではオニも笑えないだろうと思うのであります。
物価をきめるにしても、金融や財政投融資、これらのものの問題につきましては、とうぜん勤労大衆の代表者が参加し、計画的経済のもと、農業、中小企業の経営の向上、共同化、近代化を大にして経済政策の確立が必要であります。政府の発表でも、今年度の自然増収は二千百億円、来年度は二千五百億であると発表しております。この自然増収というものは、簡単にいえば税金の取り過ぎのものであります。国民大衆が汗水を流して働いたあげくかせいだ金が余分に税金として吸い上げられているわけであります。池田総理は、この大切な国民の血税の取り過ぎを、まったく自分の手柄のように考えて、一晩で減税案はできると自慢をしておりますが、自然増収はなにも政府の手柄でなく、国民大衆の勤労のたまものであります。(拍手)したがって国民にかえすのがとうぜんであります。さらに四年後には再軍備増強計画は倍加されて三千億になるといわれております。
わが社会党は、これを中止して、こうした財政を国民大衆の平和な暮らしのために使え、本然の社会保障、減税に使えと主張するものであります。(拍手)
池田総理は、投資によって生産がふえ、生産がふえれば所得がふえ、所得がふえれば貯蓄がふえ、貯蓄がふえればまた投資がふえる、こういっておるのでありますが、池田総理のいうように、資本主義の経済が循環論法で動いていたら、不景気も、恐慌も、首切りも、賃下げもなくなることになります。しかしながら――しかしながら、どうでしょうか。戦後十五年間、この間三回にわたる不景気がきておるのであります。なぜ、そういうことになるかといえば、生産が伸びた割に国民大衆の収入が増加しておらない、ところで、物が売れなくなった結果であります。したがってほんとうに経済を伸ばすためには、国民大衆の収入をふやすための社会保障、減税などの政策が積極的に取り入れられなければならぬと思うのであります。
ところで最近では、政府の社会保障と減税とは、最初のかけ声にくらべて小さくなる一方、他方大資本家をもうけさせる公共投資ばかりがふくらんでおるのであります。こんな政策がつづいてまいりましたならば、不景気はやってこないとだれが保障できるでありましょうか。池田総理は、財源はつくりだすものであるといっておりますが、財源は税金の自然増収であります。日本社会党は、社会保障、減税の財源として自然増収によるばかりでなく、ほんとうの財源を考えておるのであります。
その一つは、大企業のみ税金の特別措置をとっておる、措置法を改正して、大企業からもっとより多く税金をとるべきであると、私どもは主張するのであります。(拍手)
ここで一言触れておきたいと思いますることは、来年四月一日より実施されんとする国民年金法の問題であります。本年政府は準備しておりまして、二十歳以上から百円、三十五歳になったならば百五十円と五十九歳まで一ぱい積んで、六十五歳から一カ月三千五百円の年金を支給しようというのであります。二十歳から百円、三十五歳から百五十円と五十九歳までかけると五分五厘の複利計算で二十六万有余円になるのであります。それを六十五歳からは三千五百円支給してもらうということは、自分で積み立てた金を自分でもらうということになって、これは私は、社会保障というよりかも、一種の社会保険、保険制度であろうと思うのであります。しかも死亡すれば終りという多くの問題を含んでおります。社会党としては、その掛金は収入によって考えて、さらに国民年金の運営については、その費用は国家が負担し、積立金も勤労国民大衆のために使う、この福祉に使うということを主張しておるのであります。したがいまして、この実施を一年ないし二年延期をいたしまして、りっぱな内容あるものにして実施をすべきであると強く主張しておるものであります。
第二は、日米安全保障条約の問題であります。いよいよ解散、総選挙でありますが、日米安全保障条約に関して、主権者たる国民がその意思表示をなすということになっておるのであります。いわば今度の選挙の意義は、まことに重大なものがあろうと思うのであります。アメリカ軍は占領中をふくめて、ことしまで十五年日本に駐留をいたしましたが、条約の改正によってさらに十年駐とんせんとしておるのであります。外国の軍隊が二十五年の長きにわたって駐留するということは、日本の国はじまっていらいの不自然なできごとであります。インドのネールは「われわれは外国の基地を好まない。外国の基地が国内にあることは、その心臓部に外国の勢力が入り込んでいるようなことを示すものであって、常にそれは戦争のにおいをただよわす」こういっておるのでありますが、私どももまったく、これと同じ感じに打たれるのであります。(拍手)
日米安全保障条約は昭和二十六年、対日平和条約が締結された日に調印されたものであります。じらい日本は、アメリカにたいして軍事基地の提供をなし、アメリカは日本に軍隊を駐とんせしめるということになったのであります。日本は戦争がすんでから偉大なる変革をとげたのであります。憲法前文にもありますとおり、政府の行為によって日本に再び戦争のおこらないようにという大変革をとげました。第一は主権在民の大原則であります。第二には言論、集会、結社の自由、労働者の団結権、団体交渉権、ストライキ権が憲法で保障されることになったのであります。第三は、憲法第九条で「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」これがためには陸海空軍一切の戦力は保有しない、国の交戦権は行使しないと決定をしたのであります。この決定によって、日本は再軍備はできない、他国にたいして軍事基地の提供、軍事同盟は結ばないことになったはずであります。しかるに日米安全保障条約の締結によって大きな問題を残しておるのであります。日本がアメリカに提供した軍事基地、それはアメリカの飛び地のようなものであります。その基地の中には日本の裁判権は及ばない、その基地の中でどんな犯罪が行なわれましても、日本の裁判権は及ばないのであります。(拍手)
また日本の内地において犯罪を犯した人が基地の中へ飛び込んでしまったら、どうすることもできない。まさに治外法権の場所であるといわなければならぬと私は思うのであります。(拍手)
このような姿は完全なる日本の姿ではありません。これが、はじめ締結された当時においては七百三十カ所、四国大のものがあったのであります。いまでも二百六十カ所、水面を使っておりまする場所が、九十カ所ある。これは日本完全独立の姿ではないと私は思うのであります。(拍手)
さらにここには、アメリカに軍事的に日本が従属をしておる姿が現われておるといっても、断じて過言ではないと私は思うのであります。(拍手)
そればかりではない。この基地を拡大するために、日本人同士が血を流し合う、たとえば立川飛行場は、現在アメリカの基地になっておる、このアメリカの基地を拡大するために、砂川の農民の土地を取り上げようとする、砂川の農民は反抗する、そうすると調達庁の役人は警察官をよんでまいりまして、これを弾圧する。農民の背後には日本の完全独立を求める国民があって支援する。そうやって、おたがいにいがみ合って血を流し、日本の独立はアメリカの飛び地を拡大するために、日本人同士が血を流さなければならぬという矛盾を持っておる独立であるといっても、断じて過言ではないと私は思うのであります。(拍手)
したがいまして日本が完全独立国家になるためには、アメリカ軍隊には帰ってもらう、アメリカの基地を返してもらう、そうして積極的中立政策を行なうことが日本外交の基本でなければならぬと思うのであります。ところが岸内閣の手によって条約の改定が行なわれ、この春の通常国会で自民党の単独審議、一党独裁によって批准書の交換が行なわれたのであります。これによって日本とアメリカとの関係は、相互防衛条約を結ぶことになった。そうして戦争への危険性が増大をしてまいったのであります。
さらに加えて、日本はアメリカにたいして防衛力の拡大強化をなすという義務をおうようになりまして、生活的には増税となって圧迫をうけ、おたがいの言論、集会、結社の自由もそくばくをうけるという結果を招来しておるのであります。(拍手)
さらにわれわれが心配をいたしまするのは、防衛力の増大によって憲法改正、再軍備、徴兵制度が来はしないかということを心より心配するものであります。しかも防衛力の拡充については、日米間において協議をするということになっておりますから、一歩誤まれば、ここらから私はアメリカの内政干渉がきはしないかという心配をもつものであります。いずれにいたしましても、われわれは、このさいアメリカとの軍事関係は切るべきであろうと思う。同時に中ソ両国の間にある対日軍事関係も切るべく要求すべきであろうと思うのであります。そうして日本とアメリカとソビエトと中国、この四カ国、いわば両陣営を貫いた四カ国が中心になって、新しい安全保障体制をつくることが日本外交の基本でなければならぬと、私は主張するものであります。(拍手)
諸君、もう一つの根源をなすものは、おたがいの独立は尊重する、領土は尊重する、内政の干渉をやらない、侵略はしない、互恵平等の立場にたって、そうして新しい安全保障体制というのがとうぜんでなければならぬと私は思うのであります。ある意味あいにおきまして、私どもはこんどの選挙をつうじまして、この安保条約の危険性を国民に訴えまして、議会においてはああいう状態になっておるけれども、日本の主権者たる国民が安保条約に対して正しき立場を投票に表わすのが、主権者の任務なりと訴えてまいりたいと考えております。
第三の問題は、日本と中国の関係であります。日本は第二次世界大戦が終わるまで、最近五十年の間に五回ほど戦争をやっております。そのところがどうであったかと申しまするならば、主として中国並びに朝鮮において行なわれておるのであります。満州事変いらい日本が中国に与えた損害は、人命では一千万人、財貨では五百億ドルといわれております。これほど迷惑をかけた中国との関係には、まだ形式的には戦争の状態のままであります。これは修正をされていかなければならぬと思うのであります。現在、日本と台湾とを結んで日華平和条約がありまするが、これで一億人になんなんとする中国のかなたとの関係が正常化されたと考えることは、非常に私は無理もはなはだしいといわなければならぬと思うのであります。中国は一つ、台湾は中国の一部であると私どもは考えなければならぬのであります。(拍手)
したがって日本は一日も早く中国との間に国交を正常化することが日本外交の重大なる問題であると思うのであります。しかるに池田内閣は、台湾政府との条約にしがみついて、国連においては、中国の代表権問題にかんして、アメリカに追従する反対投票を行なっているのであります。まさに遺憾しごくなことであるといわなければなりません。われわれはいま国連の内部の状況をみるときに、私どもと同じように中立地域傾向が高まっておるということを見のがしてはならぬと私は思うのであります。(拍手)
もしアジア、アフリカに中立主義を無視して、日本がアメリカ追従の外交をやっていけば、アジアの孤児になるであろうということを明言してもさしつかえないと思うのであります。(拍手)
諸君、さいきん中国側においては、政府の間で貿易協定を結んでもいいといっておるのであります。池田総理は、共産圏との貿易はだまされるといっておるのでありまするが、一国の総理大臣からこういうようなことをきけば、いかがであろうかと思うのであります。池田総理は口を開けば、共産圏から畏敬される国になりたいといっている。これでは畏敬どころではない。軽蔑される結果になりはしないかと思うのでありまして、はなはだ残念しごくといわなければならないと思うのであります。自民党のなかにも、石橋湛山氏、松村謙三氏のように常識をもち、よい見通しをもった方々がおるのであります。(拍手)
かつて鳩山内閣のもとにおいて日ソ国交が正常化するについて、保守陣営には多くの反対がありました。社会党は積極的に支持したのであります。われわれは保守陣営のなかでも、中国との関係を正常化することを希望して行動する人がありますならば、党派をこえて、その人を応援するにやぶさかでないということを申し上げておきたいと思うのであります。(拍手)
第四は、議会政治のあり方であります。さいきん数年間、国会の審議は、ときに混乱し、ときには警官を議場に導入して、やっと案の通過をはかるというようなことさえ起こりました。いったい、こんな凶暴な事態が、こんな異常な事態がなぜ起こるかということを、われわれは考えてみなければならぬと思うのであります。国会の審議をみましても、社会党は政府ならびに自民党の提出します法案のうち、約八割はこれに賛成をしておるのであります。わが党が反対しておる法案は、警察官の職務執行法とかあるいは新安保条約とか、わが国の平和と民主主義に重大な影響を与えるものに対して、この大部分に対して私どもは反対しておるのであります。政府が憲法をこえた立法をせんとするものが大部分であります。日本社会党がこれらのものに本気になって反対しなかったら、わが国の再軍備はもっと進み、憲法改正、再軍備、お互いの生活と権利はじゅうりんされるような結果になってきておったといっても断じて私はいいすぎではないと思うのであります。
諸君、議会政治で重大なことは警職法、新安保条約の重大な案件が選挙のさいには国民の信を問わない、そのときには何も主張しないで、一たび選挙で多数をとったら、政権についたら、選挙のとき公約しないことを平気で多数の力で押しつけようというところに、大きな課題があるといわなければならぬと思うのであります。(拍手。場内騒然)
〈司会〉会場が大へんそうぞうしゅうございまして、お話がききたい方の耳に届かないと思います。だいたいこの会場の最前列には、新聞社の関係の方が取材においでになっているわけですけれども、これは取材の余地がないほどそうぞうしゅうございますので、このさい静粛にお話をうかがいまして、このあと進めたいと思います。(拍手)それではお待たせいたしました、どうぞ――
(浅沼委員長ふたたび)選挙のさいは国民に評判の悪いものは全部捨てておいて、選挙で多数を占むると――
(このとき暴漢がかけ上がり、浅沼委員長を刺す。場内騒然)
〈以下は浅沼委員長がつづけて語るべくして語らなかった、この演説の最終部分にあたるものの原案である〉
――どんな無茶なことでも国会の多数にものをいわせて押し通すというのでは、いったい何のために選挙をやり、何のために国会があるのか、わかりません。これでは多数派の政党がみずから議会政治の墓穴を掘ることになります。
たとえば新安保条約にいたしましても、日米両国交渉の結果、調印前に衆議院を解散、主権者たる国民に聞くべきであったと思います。しかし、それをやらなかった。五月十九日、二十日に国会内に警官が導入され、安保条約改定案が自民党の単独審議、単独強行採決がなされた。これにたいして国民は起って、解散総選挙によって主権者の判断をまつべきだととなえ、あの強行採決をそのまま確定してしまっては、憲法の大原則たる議会主義を無視することになるから、解散して主権者の意志を聞けと二千万人に達する請願となったのであります。しかるに参議院で単独審議、自然成立となって、批准書の交換となったのであります。かくて日本の議会政治は、五月十九日、二十日をもって死滅したといっても過言ではありません。かかる単独審議、一党独裁はあらためられなければなりません。また既成事実を作っておいて、今回解散と来てもおそすぎると思います。わが社会党は、日本の独立と平和、民主主義に重大な関係のある案件であって国民のなかに大きな反対のあるものは、諸外国では常識になっておるように総選挙によって、国民の賛否を問うべきであると主張する、社会党は政権を取ったら、かならずこのとおりに実行することを誓います。議会政治は国会を土俵として、政府と反対党がしのぎをけずって討論し合う、そして発展をもとめるものであります。それには憲法のもと、国会法、衆議院規則、慣例が尊重されなければなりません。日本社会党はこの上に行動をいたします。
最後に申し上げたいのは現在、日本の政治は金の政治であり、金権政治であります。この不正を正さねばなりません。現在わが国の政治は選挙でばく大なカネをかけ、当選すればそれを回収するために利権をあさり、時には指揮権の発動となり、カネをたくさん集めたものが総裁となり、総裁になったものが総理大臣になるという仕組みになっております。
政治がこのように金で動かされる結果として、金次第という風潮が社会にみなぎり、希望も理想もなく、その日ぐらしの生活態度が横行しております。戦前にくらべて犯罪件数は十数倍にのぼり、とくに青少年問題は年ごろのこどもをもつ親のなやみのタネになっております。政府はこれにたいして道徳教育とか教育基本法の改正とかいっておりますが、それより必要なことは、政治の根本が曲がっている、それをなおしてゆかねばなりません。
政府みずからが憲法を無視してどしどし再軍備をすすめ、最近では核弾頭もいっしょに使用できる兵器まで入れようとしておるのに、国民にたいしては法律を守れといって、税金だけはどしどし取り立ててゆく。これでは国民はいつまでもだまってはいられないと思います。
政治のあり方を正しくする基本はまず政府みずから憲法を守って、きれいな清潔な政治を行なうことであります。そして青少年には希望のある生活を、働きたいものには職場を、お年寄りには安定した生活を国が保障するような政策を実行しなければなりません。日本社会党が政権を取ったら、こういう政策を実行することをお約束申します。以上で演説を終りますが、総選挙終了後、日本の当面する最大の問題は、第一は中国との国交回復の問題であり、第二には憲法を擁護することであります。これを実現するには池田内閣では無理であります。それは、社会党を中心として良識ある政治家を糾合した、護憲、民主、中立政権にしてはじめて実行しうると思います。
諸君の積極的支持を切望します。
――おわり―― | 底本:「浅沼稲次郎 私の履歴書ほか」日本図書センター
1998(平成10)年8月25日第1刷発行
底本の親本:「驀進 人間機関車ヌマさんの記録」日本社会党機関紙局
1961(昭和36)年
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2010年11月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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もう銀婚式をあげる時がきている。しかし住居は依然として深川白河町の狭いアパート、事務所と併用の様なものなので生活にはなんの進展もない。
自分は早稲田を出て以来、三十年あまり、身を社会運動に投じ、自己を犠牲にして大衆に奉仕し、社会主義実現のために闘うことが、歴史的任務と考えて微力をつくしてきた。これはどうしても家庭を犠牲にする。戦後日本社会党が結成されてから、幹部の一人として、全国遊説、党組織ととびまわり、家庭にいるのは一ヵ月の三分の一くらいである。経済的にもらくではない。妻はよくかゝる生活に耐えてくれた。人間的にみれば、社会運動も酷なものと考えさせられることがある。家庭生活の解放、確立なくして、なんの社会運動かと思われることもある。
私は常に妻の協力に感謝しつつ、お互の生活のなかに休養を取る日はいつの日かと思いつゝ、仕事に専心している。(右派社会党書記長) | 底本:「週刊朝日2月15日号 第58巻第7号通巻第1735号」朝日新聞社
1953(昭和28)年2月15日発行
入力:かな とよみ
校正:持田和踏
2022年9月26日作成
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早稲田の森の青春
早稲田に入ったのは、大正六年で学校騒動で永井柳太郎、大山郁夫氏等が教授をやめられた年の九月であるが、早稲田を志望したのは早稲田は大隈重信侯が、時の官僚の軍閥に反抗して学問の独立、研究の自由を目標として創立した自由の学園であるという所に青年的魅惑を感じて憧れて入学したのである。丁度当時は、第一次欧洲戦争の影響で、デモクラシーの思想が擡頭して来た時代である。
そこで、学生の立場から民主主義、社会主義の研究を始めたのであるが、外部の社会主義運動、労働運動からの影響もあって学生の中に、思想的に飛躍しようとする者と、実際の面に即した者と、二つの流れが出てきた。
思想的に行こうとするのは、高津正道氏などがその側で、あの人達は、だんだん発展して、日本における最初の共産党事件、暁民共産党事件に連坐した。我々は建設者同盟をつくり、その指導者とも云う可き北沢新次郎教授が池袋に住んでいたので、その裏に同盟本部を設置して社会主義学生の共同生活が行われた。
当時の仲間は、和田巌、中村高一、平野力三、三宅正一、川俣清音、宮井進一、吉田実、田所輝明、稲村隆一等々で、学生が若き情熱に燃えて社会主義社会を建設するという理想の下に民衆の中へというモットーが労働運動、農民運動と連絡しながら日本労働総同盟、日本農民組合と関係を持って実際的の運動をやるようになった。私は労働運動の方でも、鉱夫組合の運動に興味をもって当時足尾の鉱山にはよく行ったものである。
学生時代での一番の思い出は、大正十二年五月十日だと思うが、その頃、早稲田に軍事研究団というものができた。早稲田は何といっても、自由の学園で、大隈重信侯が官僚軍閥に反抗してつくった学校であるから、ここを軍国主義化することができれば、大学の所謂学生運動全体に甚大な影響を与えることができるという立場からだと思うが、軍部のお声がかりで学校当局並びに学生の一部が参加して軍事研究団なるものをつくって、講堂で発会式を挙げた。そのころ早大内部の学生運動は、文化同盟という形で集結されておったが、その連中、軍事研究団の発会式に傍聴に出かけて猛烈なる弥次闘争を展開した。当日は名前は忘れたが第一師団長?が幕僚を従えて大勢乗り込んで、激励の辞をやったのであるが「汝らの勲章から、われわれ同胞の血がしたたる」とか「一将功成って万骨枯る」とか「早稲田を軍閥に売るな」「学生はしっかりしろ」とかと弥次って研究団の発会式も思うように行かなかった。その上に文化同盟の連中は、余勢をかって臨時学生有志大会を開いて盛んに気勢を挙げた。
その日私は、先日なくなられて早稲田大学政治経済部葬になった市村今朝蔵氏が英国で勉強する為に――洋行するので、横浜に見送りに行っていて、発会式の時のことを知らなかった。帰って来ると、学生が訪ねて来て、実は昨日こういう事件が起きた、ひとつ学生大会をやって、大いに軍事研究団反対の気勢を挙げてほしいと言う。私は、卒業の時期が延びて、まだ学校に籍があって雄弁会に関係して居たものだから、雄弁会主催という事で学生大会をやった。
大隈侯の銅像の前に五、六千の学生が集った。今は故人の安達正太郎君という雄弁会の幹事が出て、開会の辞をやり、次いで私が決議文をよんで、さてこれから私が演説を始めるという時に、黒マントを被った、柔道部、相撲部の連中が殴り込んで来た。中には、汚い話だが、糞尿を投げるやつがある、あっちでも、こっちでも大乱闘が始まる。戸叶武君の如きは大隈侯の銅像の上から落され、負傷するという始末で学生大騒乱の中に終った。丁度この日は金曜日だったので、われわれ学生はこれを「血の金曜日」と呼んで、大に気勢をあげたものである。
それ以後は、この文化同盟と、暴行学生の中心団体たる縦横倶楽部という右傾学生の集団との間に対峙が続いて、われわれは捕まると殴られるというので普通の学生の恰好をしては、危なくて歩けない状態であった。それでぶつかるのを極力避けていたのだがたまたま乱闘の四、五日か一週間後だったと思う、学校の裏を歩いていた時、到頭縦横倶楽部の連中にぶつかった。「一寸来い」といって、私は縦横倶楽部の事務所に連れられて行った。柔道部の連中が大勢私を取巻いて、「お前、社会主義者に煽動されて、ああいう大会をやったんだろう、怪しからんじゃないか、謝り状を一本書け」と言う。私はそれに対して「自分はなにも社会主義者から煽動されたわけではない。早稲田の学生として、純真な立場から、殊に大隈重信侯の官僚軍閥に反対して学問の独立と研究の自由の学園としてたてた早稲田のこの建学の精神を守るという学生的情熱でやったんだから書けない」と断った。それからは、殴る、打つ、蹴るで、瀕死の状態に陥ってしまったが遂に謝り状は書かずに朝迄頑張ってコブだらけの顔でビッコを引き乍らやっとのことで友人の家に辿り着いた。さあそれから、学生が大勢集って来て、大変なことになった。当時、大山郁夫、北沢新次郎、佐野学、猪俣津南雄教授これが教授側の指導者であったので足尾の坑夫が出て来て、これ等の教授宅には泊り込みで護衛する。また文化同盟の事務所には、学生が合宿して用意を整えて対峙する。私も当時日本橋におったが、いつ押しかけて来るか分らないので、何時も用意して対峙すると云った様に深刻な場面がつづいた。その中に六月五日に所謂暁の手入というのがあって第一次共産党事件の検挙が行われた。此の時には佐野教授が姿を晦ましてしまったので、学生のおどろきは相当なものがあった。此の共産党事件に佐野教授が関係があるというので大学内における佐野教授の研究室の捜査が行われた。これに対してまた、われわれ学生の憤激が爆発した。大学の中に捜査の手を伸べるとは何事か。我等は学問の独立と研究の自由を守らなければならない。大学擁護の運動を起さなければならんというのでその時には、三宅雪嶺先生、福田徳三先生、大山郁夫先生の三人を中心として、神田の基督教青年会館で大学擁護の一大講演会を開いた。その日は社会主義者高尾平兵衛が誰かに射殺された日で、息づまる雰囲気の中で演説会をやった。今でも忘れないが、この日は三人とも大雄弁で、殊に三宅雪嶺が、あの訥々の弁で、大いに学問の独立を擁護しなければならぬ、あくまで研究の自由を守らなければならぬと叫ばれたことはいまも印象に残っている。
当時の学生運動を振返ってみて、今の学生の動き方について考えさせられることは、この間も早稲田大学の全学連事務所は家宅捜索を受けたのだが、これに対して、学生の中から、研究の自由、学問の自由を擁護する運動が起っておらない。更に学校内の集会が禁止されても不思議を感じない、もっと飛躍した反抗運動はやるが、現実に自分達の学校が官憲から脅かされている姿に対して、学生が何の不思議も感じていない、あるいは感じているのかもしれないが、直接自分達の学校を守ろうという意欲の生れて来ないことは、昔を顧みて学生運動は現実的の動きの中でやらなければならんのではなかろうかという気がする。そういう意味で、また此の学生時代に鍛錬された自分の姿を顧みて学生運動は私にとっていつまでも忘れ得ない思い出の一つである。
もう一つ忘れられない思い出がある。大正十三年の夏か秋だったと思う。秋田県の阿仁合鉱山に争議が起きて、私と、今東京都議会の副議長をしている高梨君とが応援に行った。坑夫の家に泊められておったが、夜中に石が飛んで来る。竹槍がスッと突出して来る、というわけで、物情騒然たるものがあった。警察では、もう君らの生命は保障できないから、警察に来てくれ、と言って来た。そこでわれわれは裏山に逃げたが、結局警察に捕って保護検束されてしまった。すると、百人近い坑夫が揃って警察に押しかけて来て、君たちの生命を警察が保障できないなら、俺らの方で保障しますから帰ってくれ、と言うのでまた坑夫の家に行って泊った。三日三晩というもの、カンテラと鶴嘴で守ってもらった感激は、今でも忘れることができない。
しかし、最後には到頭もちきれなくなって結局、秋田県警察部から退去命令が出たので阿仁合川を、われわれを一人宛舟にのせて警官が五、六人乗って、急流下りをやった。あの圧迫の中での急流下りの快味も、未だに忘れることのできない思い出の一つである。
とにかく鉱山労働者の、同志に対する熱情は非常に強い。そのために到頭、足尾事件で五箇月監獄にぶち込まれることになった。
監獄に行ったのは、震災当時に市ヶ谷刑務所にぶち込まれたのと、足尾事件の時と、この二度である。
その代り、留置場入りは、枚挙に遑がない。演説会で中止命令に服さないといっては持って行かれ、争議で示威運動をやったといっては検束された。この頃地方に行くと、「昔あんたをよく検束したもんだが、最近は私も社会党が一番いいと思う、今は社会党ファンです」などと言ってくれる昔私を検束した警察官だった人と会うことがある。
アメリカの姿
私はアメリカへはこの間行って来たが、二カ月やそこらアメリカに行っていただけで、アメリカがどうのこうのと言うのはおこがましくて言いたくないのだが、ただ、こういうことは言えると思う。
われわれ渡米議員団では、この間帰って来てから、四月二十五日我が国会運営に就て改革意見書を両院議長に出したが、それは、われわれがかねて考えていたことを、アメリカに行って実地を見て来て確認したという形で理屈においてそう変ったことはない。日本にいても、アメリカの憲法の在り方は解るし、運営についても一応は紹介されているが、これを現実に見てこの視察の結果としての改革意見書を提出、これが改革の一つのきっかけになれば幸いである。これが実現の為大いに努力したいと思う。
そのことは別として、向うに行って考えさせられたことは、アメリカにも、戦争を割切った者と、割切らない者がいる。そのことは日本でも同じであろうと思う。戦争を割切っている人たちは、非常にわれわれを歓迎してくれた。日本を非常に理解して呉れる様になって居る。
先日尾崎行雄氏がアメリカ上院で歓迎された記事を見たが、我々議員団も南カロライナ州マサチュウセッツ州、ニューヨーク州の州議会を見学したが、各州議会共山崎団長と松本代議士を演壇に案内して議長が歓迎の辞を述べ山崎団長に謝辞を演説せしめ、松本代議士に通訳せしめると云った調子で一寸我が国では想像出来ない歓迎振であった。連邦議会においては上院議長―副大統領バークレー氏更には下院議長にも会う機会があったが、上院では議場内を通ってその後方に席を与え、先ず議長が一々我々を紹介し歓迎の辞を述べ、更に多数党―民主党の代表者、少数党―共和党の代表者が起って歓迎の辞を述べ、亦日本に来た事のある上院議員が起ち我々を排撃したボストンを選挙区にもつ議員も起って歓迎の辞を述べ、更に我々の名前を議事録にのせることを可決、またお互いに意見を述べ合うために二十分ほどの時間を与えて議場内でお互に意見の交換する事が出来た。これは異例のことだそうである。しかも上院、下院議長共に歓迎の辞の中で「君たちを迎えるのは、戦争の相手方として迎えるのではない。デモクラシーの友として迎えるのである、将来は世界のデモクラシーを擁護する立場において相提携したい」と述べられた。これらは戦争を割切った人達である。
しかし一方には、戦争を割切っていない人達がいる。ボストン事件もその一例である。ただあの真相は、日本の新聞が伝えているのとは一寸違っている。ボストンでは、われわれが行く一週間ほど前に、市長選挙が行われて、三十二歳の市の一書記が一躍市長に選挙された。それで決議機関である市会と市長側とうまく行かない点もあったと思う。市長はわれわれと会った時、マッカーサー元帥からの電報も来ている、自分も心から歓迎すると述べ、署名入の絵などを呉れて、非常に歓待してくれた。ところが市会では傍聴を禁止するという決議をしてしまった。つまり、市長の政治力の弱さ、市会の理事者側に対する厭がらせのとばっちりを受けたものと思う。亦一つはやはり戦争を割切らないで日本の将来に対する疑惑をもっている人達がある。それがボストン市会に現れたと云っても過言でもない、我々は民主化された、日本の姿を知らしめてゆかなければならないと思う。
しかしながら、何といってもアメリカは日本の二十何倍の広さをもち、物資もきわめて豊富である。もちろん失業者もあれば、資本主義の矛盾もいろいろ出てはいるが、皆が生活を楽しんでいる。ところが日本は今、生きるか死ぬかという生活をしている。従って少くとも経済の部面においては、雲泥の差があることは、常に考えていなければならない。アメリカの姿をそのまま日本にもって来ることも少し無理があると思う。日本の現状はイギリスのそれによく類似して居るのではあるまいか。
私は、六畳、四畳半、三畳三間の、深川のアパートにもう二十年も住んでいる。狭い上に訪客も多いので、疲れが休まらない。時折場所を換えてはと思うこともあるが長い間ひと所にいると、なかなかよそに移る気があっても決断が出来ない。近所の人達も行くなと言うし、自分としても少しよくなったからといって、このアパートを出て行く気がしないのである。そればかりでなく、私は此処で協同組合の組合長をしている。協同組合で風呂、魚屋、八百屋を経営して居るからいわば魚屋のオヤジであり、八百屋のオヤジであり、風呂屋のオヤジでもある。それでなおのこと近所中と親しくしているので、人情が移ってなかなか動けないでいる。党務で遊説等の為旅行して居る事が多いが在宅という事が分るといろんな方々が訪ねて来る。人に会う事はくたびれる仕事だが、会うことは亦愉快な事でもある。
私は純粋社会党員でありたい
社会党は政党として結党したのであるが、時々左右の対立などと新聞に書かれて非常に損をして居るが、古い社会党員には戸籍みたいなものがある。私の戸籍は、強いて言えば日労党である。しかし、日労の前は、労働農民党であり、さらにその前は農民労働党である。要するに統一政党の中から生れたものであるが、しかしやはり日本の無産政党の陣営の戸籍がある。たとえば、片山哲氏といえば安部先生と共に、すぐ社会民衆党だと言い、私とか麻生氏、河上氏、三宅氏等は日労党のかたまりだと言う。日本無産党というと、鈴木、加藤と来る。社会党はこれらの戸籍を全部やめて、そういう古い社会主義者に新しい分子を加えてつくった統一政党であるが、やはり何か事があると、古い仲間が集って、どうだ、どうだということになる。そういうことが、党内に派閥があるかのごとく見られるのである。
社会党は大衆政党であるから議論する場合、時には左的議論あり右的議論がある事は当然である。ただ左、右と固定化して派閥になることは警戒しなければならない。昨年一月の総選挙は共産党は四名から一躍三十五名になり自由党は二百七十名院内絶対過半数を穫得した所が、日本の労働階級は勝った共産党を求めないで敗れた社会党を選んで、国鉄、新産別、日教組、自治協、総同盟、炭労等々大量入党を開始した。亦四月大会では労組関係の六十五名の代議員を認めて再建方式を定めて社会党再建闘争に乗り出したのであるが、その成熟しない中に本年一月の大会で分裂の非運に遭遇したのであるが、日本勤労階級の社会党統一の要求は四月大会に於てその統一を完成し今回の参議院議員の改選には一大進出をなし、党内における労働階級の指導性は確立せられんとして居る。
一月大会の分裂は党員によりよき教訓を与え此の自己批判の上に社会党躍進の大勢は整備されつつある。私は私年来の主張たる社会党一本の姿の具現の為にあらゆる努力を捧げたいと思って居る。私は右の信念の下に党の運営の為東奔西走しつつあるのであるが、よく人は私を「まあまあ居士」だとか「優柔不断」だとか「小心」だとか「消極的」だとか、いろいろ批評されているが、およそ大衆団体の中にあって行動するのには、一つの運動方針を決めてやって行くのだから、大会で決めた方針を皆が遵奉して行けば、そこには対立もなければ、分裂もないわけである。大会は大衆の意思で決まるのだから、その時にどう決っても、これはやむを得ない。たとえば、昨年の大会で、鈴木茂三郎が書記長と決ったとき、私は組織局長として一年間喜んで協力した。
今は私が書記長であるが、加藤君が組織局長として協力してくれている。片山前委員長、鈴木前書記長、和田、三宅、波多野君にしても水谷君にしても、今度の選挙では、ほんとうに一本になって協力してくれました。だから、大会なり委員会で決ったことを、党員が私心を挟まないで行動して行けば、社会党には対立も、派閥も、分裂もないのである。ところがやはり人間のことだから、何度も一緒に集って飯を食ったりすると、ついやはり人情がうつるということもあろうと思うが、しかし大衆団体では、あくまでも全体の決定に従うということでなければならないと思う。少くとも私は、決ったことをやって行くというだけで、それ以外には何も考えていない。それで前に言ったような批評をされるのだと思うが、私はこの間の党の自己批判の時にも言ったのだが、皆が、純粋社会党員というか、俺は社会党員だ、右でも、左でもない、社会党員だという考えに皆がならなければならない。
それからもう一つは、いろんなことを決めるときに、多数決で決めるといっても、これはデモクラシーの原則だから当然だが、政党は同志の集団なのだから、そこには話合いも、妥協もあっていいと思う。労働組合は利害中心の集団だが、社会党は日本の社会主義的な変革を民主主義的方途を以ってしようという同志の集団なのである。同志には話合いも妥協も時によっては必要である。また、いかに議論が百出しても、纏めるべき所で纏めるということがあっていいのではないかと思う。しかしそういう考え方が「まあまあ居士」と言われる所以かもしれない。社会党の如き大衆団体の中にはまとめ役とも称す可きものはあってもいいと思う。社会党にかけて居たのは斯かる役割の人ではないかと思う。 | 底本:「浅沼稲次郎 私の履歴書ほか」日本図書センター
1998(平成10)年8月25日第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋」文藝春秋新社
1950(昭和25)年8月特別号
初出:「文藝春秋」文藝春秋新社
1950(昭和25)年8月特別号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2010年11月26日作成
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一、生まれ故郷は三宅島
わが生まれ故郷三宅島は大島、八丈島などとともに近世の流罪人の島として有名である。わたくしは先祖をたずねられると『大方流罪人の子孫だろう』と答えているが、事実、三宅島の歴史をみると遠くは天武天皇三年(皇紀一三三六年)三位麻積王の子を伊豆七島に流すと古書にある。島には有名流罪人の史跡が多い。三宅島という名の由来も養老三年(皇紀一三七九年)に、多治見三宅麿がこの島に流されてから三宅島と名づけられたといわれている。わたくしが子供のころ、三宅島の伊ヶ谷にはこれらの流罪人を入れた牢屋がまだ残っていた。三宅島の流罪人名士をあげると竹内式部、山県大弐の勤王学者、絵師英一蝶、「絵島生島」の生島新五郎、侠客小金井小次郎など多士多彩だ。しかしこれらの流罪名士の中の英雄はなんといっても源為朝であろう。わたくしの友人で郷土史研究家の浅沼悦太郎君が『キミが国会で力闘しているのは為朝の血を引いているからだ』といっていたが、現代の為朝にみられてちょっとくすぐったかった。島の文化は流罪人から非常な影響を受けたことは事実で、父も流人の漢学の素養のある人から日本外史、十八史略などを教えられたそうだ。私は母とともに十三歳までこの三宅島で暮した。三宅島時代で最も印象に残っているのは、小学校の五、六年ごろと思うが、断崖にかけてある樋を渡って母にしかられた思い出だ。三宅島は火山島で水に不便だ。清水を部落までひく樋がよく谷間にかかっている。私の渡った樋は高さ数十丈、長さ十丈ぐらいの谷間にかけられたもので、学校友だちと泳ぎに行った帰りに、『あの樋を渡れるかい』とけしかけられて渡った。一緒にいた従兄の井口知一君が最初に渡ったものだから、私も負けん気になって渡り、ご愛敬にも途中でしゃがんで樋の中にあった小石を拾って谷間に投げ込んでみせた。なんとも乱暴なことをしたもので、今でも故郷に帰るとこれが昔話にされる。私は知れると母にしかられるので黙っていたが、母はどこかで聞いたとみえ畑仕事から帰ると目から火の出るほどしかられた。母として丹精して育てたわが子の無謀が許せなかったのだろうが、私は恐れをなして外に逃げ、後で家に帰っても俵の中にかくれていた。
小学校六年の終りに上京、砂町にいた父の膝もとから砂町小学校に通い、ついで府立三中(今の両国高校)に入学した。このとき砂町小学校から七人三中を受け、私一人しか合格しなかったのをおぼえている。
府立三中は本所江東橋にあって、いわゆる下町の子弟が多く、そのため庶民精神が横溢していて、名校長八田三喜先生の存在と相まって進歩的な空気が強かった。この学校の先輩には北沢新次郎、河合栄治郎の両教授のような進歩的学者、作家では芥川龍之介、久保田万太郎の両氏、あるいは現京都府知事の蜷川虎三氏などがいる。
三中に入学した年の秋、学芸会があり、雄弁大会が催された。私はおだてられて出たが、三宅島から上京したばかりの田舎者であるから、すっかり上がってしまった。会場は化学実験の階段教室であるから聴衆が高い所に居ならんでいる。原稿を持って出たが、これを読むだけの気持の余裕がなく、無我夢中、やたらにカン高い声でしゃべってしまったが、わが生涯最初の演説はさんざんの失敗であった。これで演説はむずかしいものとキモに銘じた。
その後、三年のころだったか、八田校長が当時チョッキというアダ名で有名な蔵原惟郭代議士(現共産党中央指導部にいる蔵原惟人氏の父君)を連れてきて講演させたことがあった。内容はおぼえていないが、この講演には当時、非常な感銘を受けた。また学校の学芸会の際、河合栄治郎氏がしばしば白線入りの一高帽で来たり、帝大入学後は角帽姿で後輩を指導したことは忘れられず、私が政治に生きたいと考えるようになったさまざまの刺激の一つとなったものである。
二、早大生のころ
大正五年、府立三中を出た私は『早稲田大学に入って政治家になりたい』と父にいったところ、えらくしかられた。父は『政治家というものは財産をスリ減らして家をつぶすのがオチだ、実業家か、慶応の医科に入って医者になれ』という。その反動からどうせ一度は兵隊に行くのだから、いっそのこと軍人を少しやり、しかる後に早大に入ろうと思い、陸軍士官学校を二回、海軍兵学校を一回受けたが、いずれも落第してしまった。早大志望は募るばかりで、同年九月第二学期から編入試験を受けて、早稲田大学に入った。もちろん父の了解を得ず入学したものだから、家を飛び出して馬喰町の友人が経営する文房具店で働きながら勉強した。そのころは第一次大戦は終り、ロシア革命などの影響もあってデモクラシーが思想界を風靡した時代で、大正七年暮には東大に“新人会”が生まれた。早稲田でも東大に負けてなるものかと、同八年高橋清吾、北沢新次郎の両教授に、校外の大山郁夫教授が中心になって“民人同盟会”を作った。
しかしこの“民人同盟会”も、当時の思想界の変動とともに急進派と合理派に分れる羽目になり、急進派の学生は高津正道氏らを中心に暁民会を作り、暁民共産党に発展した。一方、私たちは北沢新次郎教授を中心に和田厳、稲村隆一、三宅正一、平野力三、中村高一らが集まって建設者同盟を結成した。建設者同盟は「本同盟は最も合理的な新生活の建設を期す」という文句を綱領として、池袋の北沢教授宅の隣りに本部を置き、雑誌“建設者”を発行、盛んに活動した。
池袋の本部合宿所は“大正の梁山泊”ともいうべきもので、同人が集まっては口角泡をとばして盛んに天下国家を論じたものだった。
建設者同盟での最大の思い出は反軍事研究団事件である。大正十二年、早稲田大学の乗馬学生団を中心に右翼学生の手で軍事研究団が組織され、五月十日その発会式が行われた。『学園を軍閥の手に渡すな』と憤激した学生は続々と会場につめかけ、来賓として出席した軍人や右翼教授たちを徹底的にヤジリ倒した。青柳団長が『わたくしは……』といえば『軍国主義者であります』とくる。ついで『私は……』というと『軍閥の犬であります』といった調子である。
私はその日、用事があって、現場には居合わせなかったが、仲間から発会式の模様をきき、翌日、さっそく学校の許可を受け、十二日正午から軍研反対の学生大会を開くことにした。
ところが相撲部など運動部を中心とする右翼学生が『売国奴を膺懲し、軍事研究団を応援しろ』というビラをはり、大会をつぶしにかかった。私は相撲部員であり、かつボートも漕いだから、稲村隆一君とともに相撲部に手を引くように頼みに行った。ところが議論をつくし説得しているうちに、稲村君の持っている鉄棒が問題になり乱闘に発展した。
やがて不気味なふん囲気の中に大隈侯銅像前で学生大会が開かれ、私が「自由の学府早稲田大学が軍閥官僚に利用されてはいけない」との決議文を朗読したまではよかったが、雄弁会幹事戸叶武君が演説を始めようとすると、突如、相撲部、柔道部の部員が襲いかかってきたので、会場は一大修羅場と化した。また校外より「縦横クラブ」一派の壮士も侵入し、打つ、ける、なぐるの乱暴の限りをつくした。この間、暴力学生側では糞尿を入れたビンを投げ、会場は徹底的に蹂躙された。われらは悲憤の涙にくれ、五月十二日を忘れるなと叫び、この日を“流血の金曜日”と名づけたものである。
この暴力の背後にひそむものは軍閥であり、その糸を引く警視庁、またそれを背景とする「縦横クラブ」であった。私は事件後も縦横クラブ員につかまって、その合宿所に一晩中監禁され、打つ、ける、なぐる、ほとんど人事不省になるリンチを受けた。こうした学生運動をやる一面、私はボートを漕ぎ、相撲をとり、運動部員としても活躍して、各科対抗のボート・レースには政経科の選手として出場、勝利をおさめ、ボート・レースを漕ぐ姿のまま大隈侯にお目にかかった。大隈侯はその時私の体をたたいて『いい身体だなあ』といわれたことが今でも印象に残っている。
三、震災→監獄→島流し
反軍事研究団事件のあと、わたくしは卒業をまたずに早稲田を飛び出し、社会運動の戦列に加わった。この年の九月一日、あの関東大震災は私にとって初めての大試練であった。この日私は群馬県大間々町で麻生久、松岡駒吉氏らとともに八百名の聴衆を前に社会問題演説会を行っている。会場がゆれる、聴衆がざわめく、初めて地震と気がついたが大したことはあるまいと思った。
無事演説会が終ってからも、せっかくここまで来たんだからというわけで、わたくしだけ足尾銅山に足を伸ばした。ところが足尾についてみると、東京が大変だというのであわてて帰京した。二、三日池袋の建設者同盟本部に身を寄せていたが、たまたま一年志願で入営していた田原春次君(現社会党代議士)が見舞にやってきて『お前らねらわれてるぞ、気をつけろ』と注意して帰った。社会主義者と朝鮮人に対する弾圧のことである。
そこで池袋の同志は一応思い思いの所に分散した。私はその夜早稲田大学裏にあった農民運動社に泊まったが、夜中の一時すぎ、窓や台所から乱入した二十五、六名の兵隊によってゆり起された。そして銃剣で、抵抗すれば撃つとおどかされながら、同宿の者数名とともに戸山ヶ原騎兵連隊の営倉にぶちこまれた。真暗で妙なにおいだけが鼻につく営倉の中で落付けるわけがない。翌日の夜練兵場に引張り出されたときはもうだめかと思った。しかし係官が住所、姓名を聞いただけで、また営倉にもどされた。いのちだけは助かったかと思っていると、こんどは市ヶ谷監獄へぶち込まれた。監獄に入ったものの何の理由で、いつまでおかれるのかとんと分らない。いまから考えると全く無茶な話だ。当時市ヶ谷には堺利彦、徳田球一、小岩井浄、田所輝明など第一次共産党事件関係者などもいて警戒は厳重、看守の態度もきわめて非人間的であった。
私はトコトンまで追い詰められて、かえって反抗気分が高まったようだ。巡回で通りかかった看守に『退屈だから本を読ませてくれ』と申入れた。看守は『忙しい』と簡単に断わったが、こちらはなおもしつこく要求した。それが悪かったらしい。夜九時ごろ看守の詰所に引張り出され『さっき何といったか、もう一度いってみろ』という。『本を貸せといったまでだ』というと『この口で悪たれをついたろう』と言いながら指を二本私の口に突込んで引張り上げ、床の上に転がして寄ってたかって打つ、ける、なぐるという始末。おまけに監房に帰された時は革手錠で後手にくくりあげられていた。革手錠は一週間ぐらいだったが、苦しくてろくろく寝ることも食うこともできなかった。
しかしこれでもまだ軽い方だったというから、いかに震災下とはいいながらむごたらしかったかがわかる。革手錠をはずされてから手錠磨きを命ぜられた。自分の手にかける手錠を自分で磨くのだからこれ以上の皮肉はない。約一ヵ月のち釈放されたが、出迎人は身寄りや友人ではなく早稲田警察の特高であった。仕方なく早稲田警察に行くと『田舎へ帰っておとなしくしてなきゃ検束する』と言い渡された。こうして私はしょんぼり故郷三宅島へ帰った。三宅島は昔流罪人の流された島、まさに「大正の遠島」というところだ。
平和な故郷に要注意人物として帰った私をみる島民の目は冷たかった。また私も離れ島でじっとしていることに耐えられなくなり、滞在わずか数ヵ月で東京に舞いもどった。翌年徴兵検査でまた三宅島へ帰ったが、この時はわざわざ東京から憲兵が一人私を尾行してきた。皮肉なことに村長をしていた父が徴兵検査の執行責任者だった。先の島流しといいこんどの監視つきといい、父もよほど困ったらしい。村長をやめようとまで言い出したが、私は子供の思想の責任を親が負う必要はないといって思いとどまらせた。陸士、海兵まで受けた私が憲兵の監視つきで徴兵検査を受ける身となったのも、皮肉といえば皮肉である。
四、三時間天下の書記長
新人会でも建設者同盟でも、当時の学生運動をやっていたものは民衆の中へということをよく言い、学生時代から実践運動に入っている者が多かった。建設者同盟の同志も和田巌が早くから友愛会に関係していたし、三宅、平野、稲村、私らは日本農民組合に参加していた。それで学窓を離れるや仲間はタモトを連ねて農民運動にとびこんだ。日農から平野力三は山梨県、三宅正一は新潟県、川俣清音は秋田県というように、それぞれ分担地区を割当てられ活躍したものである。これらの諸君が後年、故郷でもないそれらの分担地区から代議士に打って出たのも、若き日の活躍ぶりを示すに十分であろう。私は千葉県、新潟県、秋田県と各地を転戦した。
そのうち大正十四年、普選が成立した。この普選の実施は労働運動を政治運動に発展せしめる一転機をなしたもので、日本労働総同盟は政治運動への方向転換の宣言を行い、私の属する日農は単一無産政党の結成を提唱した。私たちはこの準備にかけ回ったが、その中途において労働組合戦線が分裂するとともに、右の労働総同盟が脱退、左の労働評議会も相ついで脱退した。結局、日農を中心として中立的な労働組合と農民組合が集まり、大正十四年十二月一日、東京神田のキリスト教青年会館で農民労働党の結党式をあげ、中央執行委員長欠員のもとに私が書記長、細野三千雄が会計に選ばれた。
この時の私は数え年二十九歳、負けん気と責任感から書記長を引受け、臨席する多数の警官を前にして「無産階級解放のために闘う」と勇ましい就任演説をやった。
ところが結党式を終えて間もなく、警視庁から新幹部へ呼出しがかかった。『なんだろう』と私たちが警視庁に出向くと、治安警察法により結社禁止、解散が言渡されたのである。これがなんと結党して三時間後のことだった。
半歳にわたる苦労は一片の禁止令によってふっとんだ。私は横暴な弾圧に心からの憤激を覚え、いうべき言葉はなかった。責任者として命令受領書に署名を強要され、やむなく浅沼稲次郎と書き拇印を押したが、怒りにふるえた悪筆の署名文字がいまだに印象に残っている。昔から三日天下という言葉があるが農民労働党は三時間天下であり、したがって私の第一回書記長もたった三時間であった。
しかし私は書記長となったとき今後党をどう運営してゆくか、離れ去った同志をどう農民労働党に結びつけるか、党の運営資金をどう調達するかの不安でいっぱいになっており、同志には済まないが個人としてはホッとした気持になったことは事実だ。われわれはこの弾圧に屈することなく、同十五年三月労働農民党を作った。日本最初の単一無産政党である。しかしこの労働農民党もただちに、左翼の残留派、中間の日本労農党、右翼の社会民衆党、極右の日本農民党の四つに分解し、以来無産政党は分裂と結合の長い歴史をたどった。
私は労働農民党解体後日本労農党に参加し、以来日労系主流のおもむくところに従い、日本大衆党、全国労農大衆党、社会大衆党と、戦争中政党解消がなされるまで数々の政党を巡礼した。労働農民党分裂のさいできた労農派、日労系、社民系は現在でも社会運動史上の戸籍とされているが、私は日労系とされている。
この戦前無産政党時代、私はずっと組織部長をやったが、これが政党人としての私の成長に非常なプラスになった。実際活動としては演説百姓の異名で全国をぶち歩き、またデモとなれば先頭に飛び出したので“デモの沼さん”ともいわれた。昭和五年のころと思うが、メーデーがあり、私は関東木材労働組合の一員として芝浦から上野までデモったことがある。そのときジグザグ行進で熱をあげたため検束された。当時の私は二十四貫ぐらいで非常に元気であった。私は無抵抗ではあるが、倒れるクセがあるので、検束するのに警官五、六人がかからねば始末におえない。このとき、暴れたあげく、荷物のように警察のトラックにほうりこまれた。若き日の思い出はつきない。
五、検束回数のレコードホルダー
私は戦前、無産政党に籍をおくと同時に日本農民組合、日本労働総同盟、日本鉱夫組合にも参加して労働運動もやってきた。その間数々の小作争議、鉱山争議、工場ストを経験したが、いまのストライキにくらべて感慨無量なものがある。
早大在学中、ふと足尾銅山のメーデーに参加したことが、私を鉱山労働運動に結びつけた。当時の足尾銅山には石山寅吉、高梨二夫、高橋長太郎、可児義雄など優秀な労働運動家がおり、日本鉱夫組合本部にも麻生久、加藤勘十、佐野学などの人がいて、私は鉱山労働運動に強くひきつけられた。以来、足尾銅山、小坂鉱山、花岡鉱山、阿仁銅山、別子銅山等の労働争議に参加した。そのうちで特に印象が深いのは大正十二年の秋田の阿仁銅山の争議である。
阿仁銅山の現地から鉱山労働組合本部へ首切りがあった旨の通知があったので、私は高梨君とともに現地に行った。阿仁銅山に到着し、鉱夫長屋の一室で作戦をねっていると、夜中の一時ごろと思うが、突然会社側のやとった暴力団が鉱夫長屋に押しかけてきた。暴力団はワイワイわめきながら、長屋を取巻き、石を投げたり、竹槍で無茶苦茶についてまわる。私はこれはヤラレたと覚悟したが、その時、私服の警官が入ってきて『君たちの生命は保障できないから、警察まできてくれ』という。私たちは負けてなるものかとがんばっていたが、騒ぎはますます激しくなるばかりなので、裏口から山の中へ逃込んだ。そして多少ホトボリもさめたろうと町へ出てくると警察に検挙され、阿仁合警察署に留置された。ところが今度は鉱夫たちが警察署に大挙押しかけてきて、警察が私たちの生命を保障できないなら自分たちがあずかると私たちを警察から出してくれ、三日三晩、カンテラとツルハシで守ってくれた。しかし事態は二転し、私たちはまた検束され後から応援にきた可児義雄君の三人、ともども警官五人に守られて再び阿仁合川を下り、そのまま秋田県から追放された。
その翌年足尾銅山の精練工場の首切りがあり、ストライキとなった。私は応援に行き、デモに加わったが、警官隊と衝突、治安警察法違反と公務執行妨害罪で検束され、栃木の女囚監獄の未決に入れられた。この私の事件で裁判の弁護をやってくれたのが、若き日の片山哲、麻生久、三輪寿壮の諸氏であった。裁判の最後になって『被告になにかいうことはないか』と裁判長がいったので『デモの妨害をしたのは警官である。その妨害した警官が罪にならず、なんの抵抗もしない私たちが罪になるのは了解に苦しむ。無罪だ』と述べたが懲役五ヵ月をくった。
獄中でゲタの鼻緒の芯をない、封筒はりをしたが、獄房の中へもシャバのタヨリが伝わってくる。ある房から新潟県の木崎村で大小作争議が起っていることを知らされた。私は友人の三宅正一、稲村隆一の両君が活躍していることを思い、いても立ってもおられず出獄したら、すぐその足で新潟に行き応援しようと心に決め、獄房の中で小さな声でアジ演説の練習をしていた。獄中の決心の通りに出獄後新潟にとんで行ったら、三宅君はすでに騒じょうの罪で新潟監獄につかまっていた。その後、昭和五年、日本農民組合(労農党系)と全日本農民組合(日労系)が合同して全国農民組合ができたが、私は争議部長に選ばれ、全国の小作争議をかけ回らされた。
昭和四年、日本大衆党の公認をうけ東京市深川区から市会議員に立候補した関係で、深川のアパートに住むようになり、それ以来、江東地区の労働運動に関係するようになった。関東木材産業労働組合、東京地方自由労働者組合、東京製糖労働組合の組合長をやり、日本労働総同盟に参加して、深川木場の労働者のために多くの争議を指導した。たしか昭和十年ごろと思うが、ある深川の製材工場が釘で厳重にロック・アウトをしたことがあった。われわれはこれをぶちこわして強引に工場へ入ったところ、会社側も負けじとお雇い人夫を動員、トビ口やコン棒を振上げ襲いかかってきた。あわや血の雨の降る大乱闘になろうという時、救いの神ともいうべき警官が現われ平野警察署長青木重臣君(のちの平沼内閣書記官長、愛媛県知事)の命令で、労使ともに検束されてしまった。留置場はまさに呉越同舟、敵も味方も一しょくたにされていたが、そのおかげで留置場内で話がまとまり、争議が解決したのだからケッ作だ。青木署長もなかなか思い切ったことをしたものである。
演説をやれば「注意、中止、検束」、デモでは先頭にいて「検束」という具合で、この当時の社会運動家の中ではわたくしが検束の回数では筆頭だったようだ。
六、鍛え上げたガラガラ声
沼は演説百姓よ
汚れた服にボロカバン
きょうは本所の公会堂
あすは京都の辻の寺
これは大正末年の日労党結党当時、友人の田所輝明君が、なりふり構わず全国をブチ歩く私の姿をうたったものだ。以来演説百姓は私の異名となり、今では演説書記長で通っている。私は演説百姓の異名をムシロ歓迎した。無産階級解放のため、黙々と働く社会主義者を、勤勉そのもののごとく大地に取組む農民の姿にナゾらえたもので、私はかくあらねばならぬと念じた。
まことに演説こそは大衆運動三十余年間の私の唯一の闘争武器であった。私は数年前「わが言論闘争録」という演説集を本にして出したが、その自序の中で「演説の数と地方遊説の多いことは現代政治家中第一」とあえて広言した。私は全国をブチ歩き、ラジオにもよく出るので私のガラガラ声が大衆の周知のものとなった。ラジオや寄席の声帯模写にもしばしば私の声の声色が登場して苦笑している。徳川夢声氏と対談したとき『あれは沼さんの声だと誰でも分るようになれば大したものだ』とほめられたことがある。
しかし私の声ははじめからこんなガラガラ声ではなかった。学生時代から江戸川の土手や三宅島の海岸で怒濤を相手にし、あるいは寒中、深夜、野原に出て寒げいこを行い、また謡曲がよいというので観世流を習ったりして声を練った結果、現在の声となった。これらの鍛練は大きな声と持続性の研究であり、おかげで私は水も飲まずに二、三時間の演説をやるのはいまでも平気だ。演説の思い出は多いが、その中でアジ演説で印象に残ったものを、自慢話めくが二、三披露してみよう。
その一つは昭和初年山形県の酒田公会堂で行われた日本農民組合の地主糾弾演説会である。二千人の聴衆を前にして、私は当時酒田に君臨していた本間一族など地主の横暴を非難し、小作民解放を説く大熱弁? をふるった。ところが二階から突然『そうだ』と叫び一壮漢が立上がったかとみるや、下にとび降りた。とび降りた当人はなんでもなかったが、天井から人が降ったのだから、その下敷になった人はたまらない。一人が打ちどころが悪くて死んだということである。私の演説が間接的にしろ殺人を行ったのである。
その二は昭和六年冬、全国労農党秋田県大会が行われたときである。私は細野三千雄、川俣清音、黒田寿男らの諸氏とともに、雪の降りしきる秋田県についた。駅には多数の出迎えの人があり、地元では駅前でブッて気勢をあげ、会場までデモる計画だったらしい。私たちはつぎつぎと演説したが、私が激越な口調でブッたところ、立会の警官から『弁士中止』の声がかかった。それにも構わず続けていると『検束!』という声がかかり、聴衆と警官との間に大乱闘が始まったのである。
私のところにも警官が押寄せたが、その時、私の前に立ちふさがり、私をかばってくれたのが五尺八寸、二十数貫という巨漢佐藤清吉君であった。佐藤君は相撲取りをしたことがあり、力があるので指揮者の警部補を殴りつけて傷を負わしてしまった。そのため私はすぐ釈放されたが、佐藤君は公務執行妨害で八ヵ月の刑を受けた。当時私は佐藤君にすまないと思い、しばらく寝ざめが悪かった。
その三は昭和二十四年の第一次吉田内閣当時、定員法をめぐって与野党が衝突したときのことである。社会党など革新派は首切り法案(定員法案)を葬るため頑張ったのだが、ついに審議引延しのタネが切れてしまった。ところへ田中織之進君が『国税庁設置の大蔵省設置法一部改正案の提案理由の中に“最高司令官の要求にもとづき……”とあるのを問題にしたらどうか』と提案、私がこれをタネにして本会議で一席弁じ審議引延しをすることになった。私は同法案が『政府の責任で出したものか、マ司令部の責任で出したものか、日本の国会の審議権を守れ』と迫った。ところが『修正した』と答弁があったので『それは削除か、誤字修正か』と手続きを問題にし、また当時の池田蔵相の前日の失言をとらえて食い下がった。私は四たび登壇してねばり、とうとう演壇から強制的におろされたがその途中、私の演説を聞いて共産党議員がいきり立って、民自党議員と乱闘を演じ、共産党の立花君が民自党の小西寅松親分の頭をポカポカなぐる騒ぎとなった。このため本会議は休憩となり、私はしてやったりとほくそ笑んだが、私のアジ演説は共産党員を走らせたのだから共産党以上だといわれた。
七、戦前の選挙戦
私の衆議院議員当選回数は昭和十一年に初めて当選して以来八回になった。社会党では西尾末広、水谷長三郎の両氏の十回に続き、私と片山氏が八回で古い方に数えられる。衆議院は十回立候補して二回落選、東京市会議員は四回立候補して二回当選、都会議員当選一回というわけで、立候補十五回の当選十回は必ずしも悪い率ではないと思っている。とくに戦後の選挙は安定性があったが、かけ出し時代の選挙はらくではなかった。
普選第一回の総選挙(昭和三年一月二十一日)は私は年が足りないので立候補できないので、群馬県第一区から立った須永好君の応援に出かけた。当時の無産党候補者の演説会には必ず警官が臨席して候補者が政府を攻撃し、社会主義を説くと「弁士中止」を命じ、聞かなければ検束となり、ついで大乱闘となったものだった。また一般の人も無産党候補の演説会とあれば、乱闘みたさに押寄せたもので「押すな押すなの三十八票」といわれ、実際の票にはならなかった。
昭和四年、日本大衆党から公認をうけて深川区から東京市会議員選挙に出て、初めての選挙をやったが得票数千二百票ばかりで敗れた。
その後昭和五年、当時の東京第四区(本所、深川)からはじめて衆議院議員選挙に打って出たが、これも三千二百票ばかりで惨敗した。ついで満州事変直後の昭和七年一月、総選挙が実施されたが、分裂した無産政党の大同団結がなり、全国労農大衆党が結成された直後でもあるので、私も大いに張切った。そのとき私ども全国大衆党の立候補者は“帝国主義戦争絶対反対”をスローガンとしてかかげた。ところが投票前夜に社会民衆党の公認候補馬島僩氏側が「満州を支那に返せという大衆党(浅沼)は国賊である」とのビラを全選挙区にばらまいた。
私も運動員たちもこの選挙は必勝を期していたところであり、投票前夜の意識的な中傷のビラには全く怒ってしまった。そこで演説会を終ると私の選挙運動員は大挙して馬島僩事務所を襲撃、大乱闘となり、私の運動員は全員検挙された。残ったのは私と事務長の山花秀雄君(現社会党代議士)の二人であり、この乱闘の結果、私はまた落選してしまった。
ついで昭和八年、東京市会議員選挙に立候補したが、このときは最高点で当選した。友人が酒の四斗樽を一本寄付してくれたので、選挙事務所に千余名が集まり、大祝杯をあげたが、あまりの雑踏でデモのような状態となり、数十名の警官が出て取締りに当った。
この東京市会議員の選挙からは芽が出て、昭和十一年の衆院議員選挙に当選し、トントン拍子に運ぶようになった。そうなってくると時の社会大衆党本部では、君はどこで選挙をやっても当選しそうだからと、昭和十二年の林内閣食逃げ解散後の選挙には、第四区(本所、深川)から第三区(京橋、日本橋、浅草)に移れという。私にとって第三区ははじめての選挙区ではあり、相手には頼母木桂吉、安藤正純、田川大吉郎、伊藤痴遊というそうそうたる人がひかえている。京橋、日本橋、浅草はまさに東京のヘソであり、日本の中心である。私はこれこそ男子の本懐と考え、本気になって闘い抜いた。その結果、安藤、田川の両強豪をおさえて、頼母木氏についで第二位で当選した。この時ばかりは本当に勝ったという感じがした。
その後、昭和十七年の翼賛選挙には立候補したが、直ちに辞退した。またその年、東京市会議員の改選に立候補したが、弾圧が激しく落選した。ついで都制施行とともに都会議員に当選し副議長になったが、終戦は都会議員で迎えた。
いま弾圧と迫害の中に闘われた戦前の選挙を思い、戦後の選挙とくらべると、その変り方に驚くばかりである。昭和十二年の選挙のときだったか、ある人が路に倒れた私の選挙の立看板を立て直したため検挙されたことがあった。バカげた話であるが、戦後はそんなこともなく明るくなったのが喜ばしい。
八、社会党誕生す
私は終戦の勅語を深川の焼け残ったアパートの一室で聞いたが、このときの気持を終生忘れることができない。二、三日前飛んできたB29のまいたビラを読んで、薄々は感づいていたものの、まるで全身が空洞になったような虚脱感に襲われた。私はこれまで何度か死線をさまよった。早大反軍研事件後の右翼のリンチ、東京大震災のときの社会主義者狩りと市ヶ谷監獄、秋田の阿仁銅山争議など――。しかしこれらのものは社会主義者としての当然の受難とも思えたのである。しかし戦争はもっと残酷なものだった。戦闘員たると否とにかかわらずすべてを滅亡させる。私の住んでいた深川の清砂アパートは二十年三月十日の空襲で全焼し、私はからくも生き残ったが、一時は死んだとのウワサがとんで、友人の川俣代議士が安否をたずねに来たことがある。無謀な戦争をやり、われわれ社会主義者の正当な声を弾圧した結果は、かかるみじめな敗戦となった。私は戦争の死線をこえて、つくづく生きてよかったと思い、これからはいわば余禄の命だと心に決めた。そしてこの余禄の命を今後の日本のために投げださねばならぬと感じた。
やがて敗戦の現実の中に、各政党の再建が進められ、保守陣営の進歩党、自由党の結党と呼応して、われわれ無産陣営でも新党を結成することになった。二十年九月五日、戦後初の国会が開かれたのを機会に、当時の代議士を中心として戦前の社会主義運動者、河上丈太郎、松本治一郎、河野密、西尾末広、水谷長三郎氏が集まり第一回の準備会を開いた。そこで戦前の一切の行きがかりを捨て、大同団結する方針が決まり、全国の生き残った同志に招待状を出すことになった。当時私は衆議院議員を一回休み、都会議員をしていたが、河上丈太郎氏から『君は戦前の無産党時代ずっと組織部長をしていたから全国の同志を知っているだろう。新党発起人の選考をやってくれ』と頼まれ、焼け残った書類を探しだして名簿を作成した。その名簿によって当時の社会主義運動家の長老、安部磯雄、賀川豊彦、高野岩三郎の三氏の名で招待状を出し同年九月二十二日、新橋蔵前工業会館で結党準備会を開いた。
ついで十一月二日、全国三千の同志を集め、東京の日比谷公会堂で結党大会を開いた。私はこのとき司会者をつとめたが、会場を見渡すといずれも軍服、軍靴のみすぼらしい格好ながら同じ理想と目的のため、これほど多くの人々が全国からはせ参じてくれたかと思うとうれしくてたまらなかった。同大会は松岡駒吉氏が大会議長をつとめ、水谷長三郎氏が経過報告をやり、党名を「日本社会党」と決め、委員長欠員のまま初代書記長に片山哲氏を選んだ。またこの大会での思い出として残っているのは、党名が日本社会党か、日本社会民主党かでもめたことである。結局国内的には日本社会党でゆき、国外向けには日本社会民主党ということに落ちついた。
結党当時、私は戦前同様組織部長をやったが、当時の社会党は西尾末広、水谷長三郎、平野力三の三氏のいわゆる「社会党三人男」で運営されていた。西尾氏が中心になり、水谷氏がスポークスマン、平野氏が選挙対策の責任者というわけだったが、現在、西尾氏が長老になり、水谷氏また病み、平野氏も違った陣営にあることを思うと、十年の歳月を感じて感無量である。
ついで社会党は二十一年の総選挙で九十八名、二十二年の総選挙で百四十三名を獲得、第一党となって、当時の民主党、国民協同党と協力して片山内閣を作った。そのときの特別国会では、衆院議長も第一党たる社会党がとることに話合いがつき、松岡駒吉氏が議長に選ばれ、ついで首班指名では松岡議長から『片山哲君が内閣総理大臣に指名されました』と宣告した。「松岡議長に片山首相」私はいまこそ社会運動三十年の夢が実現したのだと思い、涙がぽろぽろこぼれてくるのをどうしようもなかった。
九、野人で通す“マア・マア”居士
私の社会党書記長は二十三年以来であるからもう九年になる。なか一回、一年だけ書記長を休み、片山、河上、鈴木の三委員長のもとにずっと書記長をつとめてきたのであるから長いものである。おかげで今日では万年書記長の異名をとっている。この間、社会党は天下を取ったことがあり、また党自体が分裂、統一といったお家騒動の悲劇を演じてきた。私はその間ずっと書記長を通し、この歴史の渦中に動いたのであるから思い出は多い。
二十二年片山社会党内閣が成立し、当時の西尾書記長が国務大臣兼官房長官として入閣した。私はこのとき、西尾書記長の後を引受けて書記長代理を八ヵ月つとめたのが、現在の書記長商売の手始めで、翌二十三年一月の大会では正式に書記長に就任した。この当時の社会党はいわゆる与党であり、私は党務の責任者だ。野党慣れした私が当時の野党であった自由党に対抗、法案通過や、不信任案の否決に努力したり、とかく勝手の違った感じで苦労した。西尾官房長官に不信任案が出たときも、党内の左派が同調の動きをみせたので、これをまとめて否決するのに苦労した。
やがて与党の書記長にも別れる時がきた。二十四年春社会党は第一党の百四十三名から一挙に四十八名に転落、委員長の片山前首相も落選する大事件が起きた。私はこの敗戦の責任を問われ、続く大会では鈴木現社会党委員長と書記長を争って大敗を喫し、組織局長に格下げになった。組織局長は一年で辞め、鈴木委員長実現とともにまた書記長にもどったが、社会党はこれから分裂、統一をくり返し、書記長として党内をとりまとめるのに非常に苦労をした。
書記長の仕事は中央執行委員会の取りまとめの主任務のほかに、演説の要請があれば出ていく、国会対策にも足もふみ込むなど非常に忙しい。党務がいつも主であるから、家庭のことは二の次にされる。
二十五年の一月、早稲田大学講堂で党大会が開かれたが、その会場に父の死が知らされた。このときは私が書記長に再就任した大会ではあり、その大会で父の死を発表するのはエンギをかつぐのではないが、党に悪いと思ってこれを秘しかくした。その翌日、故米窪満亮氏の党葬があったが、私は葬儀委員長となっていたので、その葬式を終えてやっと三宅島に向かった。そのときは船便がないため、百トンばかりの小舟で三宅島に帰ったが、あわてたために、途中のタクシーの中にモーニングを置き忘れた。父にさからって政治家になった天罰か、親の死に目にも会えないのみか、かかる失敗もやった。
こういう私ごとは別として書記長の最大の仕事は党内とりまとめである。私は“マア・マア居士”といわれている。ある座談会でマア・マアという言葉をやたらに連発したので、つけられたのが初めだが、その後は党内をマア・マアとまとめるからということになった。事実私は中央執行委員会などの会議では採決をしない。たった一度、二十六年秋に、講和、安保両条約の賛否で党内が分れたとき採決をやったが、これが原因で党内左右派が大分裂した。
といっても書記長をしていれば、時におもしろいことにもぶつかる。二十四年の選挙で大敗した後、国会で首班選挙が行われた。片山委員長がいないときは書記長が代理で出ろといわれ、首班指名に七十八票もらったことがある。私は松岡前議長を推したのだが、私に決まり、共産党も社会党に同調したので思わぬ票になった。当時は家にふろがなく、銭湯に出かけていたが、湯ぶねの中で、近所の者に『あんなアパートから総理大臣候補が出るのはおかしい』とからかわれた。
最後に私は書記長としての自分を批判してみよう。私は昔から党会計に関係しない。社会主義政党は昔から党会計が委員長、書記長とならんで党三役と呼ばれ、重要な職務となっている。この会計がいるため、私の書記長は続いているともいえよう。また私は党のオモシとなって鎮座しているのは苦手である。“雀百まで踊りを忘れず”というべきか、書記長兼アジ・プロ部長心得で動いているのがすきだ。理論家でない私にとって行動こそが、私の唯一の武器であり、党につくす道であると思っている。私は学校を出て以来三十余年、議員以外の一切の勤めをしたことがない。自分でもよく今まで食ってこられたと不思議に思うが、野人はよくよく私の性にあっているのだろう。 | 底本:「浅沼稲次郎 私の履歴書ほか」日本図書センター
1998(平成10)年8月25日第1刷発行
底本の親本:「私の履歴書 第2集」日本経済新聞社
1957(昭和32)年
初出:「日本経済新聞」日本経済新聞社
1956(昭和31)年
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2010年11月26日作成
2013年12月2日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "051167",
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本物語は謂わば家庭的に行われたる霊界通信の一にして、そこには些の誇張も夾雑物もないものである。が、其の性質上記の如きところより、之を発表せんとするに当りては、亡弟も可なり慎重な態度を採り。霊告による祠の所在地、並に其の修行場などを実地に踏査する等、いよいよ其の架空的にあらざる事を確かめたる後、始めて之を雑誌に掲載せるものである。
霊界通信なるものは、純真なる媒者の犠牲的行為によってのみ信を措くに足るものが得らるるのであって、媒者が家庭的であるか否かには、大なる関係がなさそうである。否、家庭的なものの方が寧ろ不純物の夾雑する憂なく、却って委曲を尽し得べしとさえ考えらるるのである。
それは兎に角として、また内容価値の如何も之を別として、亡弟が心を籠めて遣せる一産物たるには相違ないのである。今や製本成り、紀念として之を座右に謹呈するに当たり、この由来の一端を記すこと爾り。
昭和十二年三月淺野正恭 | 底本:「霊界通信 小桜姫物語」潮文社
1985(昭和60)年7月31日第1刷発行
1998(平成10)年7月31日第9刷発行
底本の親本:「霊界通信 小櫻姫物語」心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年2月初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
入力:浅野和三郎・著作保存会(泉美、老神いさお、MUPさくら)
校正:POKEPEEK2011
2014年6月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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舌代
本物語は謂わば家庭的に行われたる霊界通信の一にして、そこには些の誇張も夾雑物もないものである。が、其の性質上記の如きところより、之を発表せんとするに当りては、亡弟も可なり慎重な態度を採り。霊告による祠の所在地、並に其の修行場などを実地に踏査する等、いよいよ其の架空的にあらざる事を確かめたる後、始めて之を雑誌に掲載せるものである。
霊界通信なるものは、純真なる媒者の犠牲的行為によってのみ信を措くに足るものが得らるるのであって、媒者が家庭的であるか否かには、大なる関係がなさそうである。否、家庭的なものの方が寧ろ不純物の夾雑する憂なく、却って委曲を尽し得べしとさえ考えらるるのである。
それは兎に角として、また内容価値の如何も之を別として、亡弟が心を籠めて遣せる一産物たるには相違ないのである。今や製本成り、紀念として之を座右に謹呈するに当たり、この由来の一端を記すこと爾り。
昭和十二年三月淺野正恭
序
霊界通信――即ち霊媒の口を通じ或は手を通じて霊界居住者が現界の我々に寄せる通信、例を挙ぐれば Gerldine Cummins の Beyond Human Personality は所謂「自動書記」の所産である。此書中に含まるる論文は故フレデリク・マイヤーズ――詩人として令名があるが、特に心霊科学に多大の努力貢献をした人――が霊界よりカムミンスの手を仮りて書いたものと信ずる旨をオリバ・ロッヂ卿、ローレンス・ヂョンス卿が証言した。(昨年十二月十八日の〟The Two Words〝所掲)
カムミンスの他の自動書記は是迄四五種ある。其文体は各々相違して居る。又彼の自著小説があるが、是は全く右数種の自動書記と相違している。心霊科学に何等の実験がなく、潜在意識の所産などなどと説く懐疑者の迷を醒ますに足ると思う。
小櫻姫物語は解説によれば鎌倉時代の一女性がT夫人の口を借り数年に亘って話たるものを淺野和三郎先生が筆記したのである。但し『T夫人の意識は奥の方に微かに残っている』から私の愚見に因れば多少の Fiction は或はあり得ぬとは保障し難い。
しかしこれらを斟酌しても本書は日本に於いては破天荒の著書である。是を完成し終った後、先生は二月一日突然発病し僅々三十五時間で逝いた。二十余年に亘り、斯学の為めに心血を灑ぎ、あまりの奮闘に精力を竭尽して斃れた先生は斯学における最大の偉勲者であることは曰う迄もない。
私は昨年三月二十二日、先生と先生の令兄淺野正恭中将と岡田熊次郎氏とにお伴して駿河台の主婦の友社来賓室に於て九條武子夫人と語る霊界の座談会に列した。主婦の友五月号に其の筆記が載せられた。
日本でこの方面の研究は日がまだ浅い、この研究に従事した福来友吉博士が無知の東京帝大理学部の排斥により同大学を追われたのは二十余年前である。英国理学の大家、エレクトロン首先研究者、クルクス管の発明者、ローヤル・ソサィティ会長の故クルックス、ソルボン大学教授リシエ博士(ノーベル勲章受領者)、同じくローヤル・ソサィティ会長オリバ・ロッヂ卿……これら諸大家の足許にも及ばぬ者が掛かる偉大な先進の努力と研究とのあるを全く知らず、先入が主となるので、井底の蛙の如き陋見から心霊現象を或は無視し或は冷笑するのは気の毒千万である。淺野先生が二十余年に亘る研究の結果の数種の著述心霊講座、神霊主義と共に本書は日本に於ける斯学にとりて重大な貢献である。
仙台に於いて土井晩翠
解説
――本書を繙かるる人達の為に――
淺野和三郎
本篇を集成したるものは私でありますが、私自身をその著者というのは当らない。私はただ入神中のT女の口から発せらるる言葉を側で筆録し、そして後で整理したというに過ぎません。
それなら本篇は寧ろT女の創作かというに、これも亦事実に当てはまっていない。入神中のT女の意識は奥の方に微かに残ってはいるが、それは全然受身の状態に置かれ、そして彼女とは全然別個の存在――小櫻姫と名告る他の人格が彼女の体躯を司配して、任意に口を動かし、又任意に物を視せるのであります。従ってこの物語の第一の責任者はむしろ右の小櫻姫かも知れないのであります。
つまるところ、本書は小櫻姫が通信者、T女が受信者、そして私が筆録者、総計三人がかりで出来上った、一種特異の作品、所謂霊界通信なのであります。現在欧米の出版界には、斯う言った作品が無数に現われて居りますが、本邦では、翻訳書以外にはあまり類例がありません。
T女に斯うした能力が初めて起ったのは、実に大正五年の春の事で、数えて見ればモー二十年の昔になります。最初彼女に起った現象は主として霊視で、それは殆んど申分なきまでに的確明瞭、よく顕幽を突破し、又遠近を突破しました。越えて昭和四年の春に至り、彼女は或る一つの動機から霊視の他に更に霊言現象を起すことになり、本人とは異った他の人格がその口頭機関を占領して自由自在に言語を発するようになりました。『これで漸くトーキーができ上がった……』私達はそんな事を言って歓んだものであります。『小櫻姫の通信』はそれから以後の産物であります。
それにしても右の所謂『小櫻姫』とは何人か? 本文をお読みになれば判る通り、この女性こそは相州三浦新井城主の嫡男荒次郎義光の奥方として相当世に知られている人なのであります。その頃三浦一族は小田原の北條氏と確執をつづけていましたが、武運拙く、籠城三年の後、荒次郎をはじめ一族の殆んど全部が城を枕に打死を遂げたことはあまりにも名高き史的事蹟であります。その際小櫻姫がいかなる行動に出たかは、歴史や口碑の上ではあまり明らかでないが、彼女自身の通信によれば、落城後間もなく病にかかり、油壺の南岸、浜磯の仮寓でさびしく帰幽したらしいのであります。それかあらぬか、同地の神明社内には現に小桜神社(通称若宮様)という小社が遺って居り、今尚お里人の尊崇の標的になって居ります。
次に当然問題になるのは小櫻姫とT女との関係でありますが、小櫻姫の告ぐる所によれば彼女はT女の守護霊、言わばその霊的指導者で、両者の間柄は切っても切れぬ、堅き因縁の羈絆で縛られているというのであります。それに就きては本邦並に欧米の名ある霊媒によりて調査をすすめた結果、ドーも事実として之を肯定しなければならないようであります。
尚お面白いのは、T女の父が、海軍将校であった為めに、はしなくも彼女の出生地がその守護霊と関係深き三浦半島の一角、横須賀であったことであります。更に彼女はその生涯の最も重要なる時期、十七歳から三十三歳までを三浦半島で暮らし、四百年前彼女の守護霊が親める山河に自分も親しんだのでありました。これは単なる偶然か、それとも幽冥の世界からのとりなしか、神ならぬ身には容易に判断し得る限りではありません。
最後に一言して置きたいのは筆録の責任者としての私の態度であります。小櫻姫の通信は昭和四年春から現在に至るまで足掛八年に跨がりて現われ、その分量は相当沢山で、すでに数冊のノートを埋めて居ります。又その内容も古今に亘り、顕幽に跨り、又或る部分は一般的、又或る部分は個人的と言った具合に、随分まちまちに入り乱れて居ります。従ってその全部を公開することは到底不可能で、私としては、ただその中から、心霊的に観て参考になりそうな個所だけを、成るべく秩序を立てて拾い出して見たに過ぎません。で、材料の取捨選択の責は当然私が引受けなければなりませんが、しかし通信の内容は全然原文のままで、私意を加へて歪曲せしめたような個所はただの一箇所もありません。その点は特に御留意を願いたいと存じます。
(十一、十、五)
一、その生立
修行も未熟、思慮も足りない一人の昔の女性がおこがましくもここにまかり出る幕でないことはよく存じて居りまするが、斯うも再々お呼び出しに預かり、是非くわしい通信をと、つづけざまにお催促を受けましては、ツイその熱心にほだされて、無下におことわりもできなくなって了ったのでございます。それに又神さまからも『折角であるから通信したがよい』との思召でございますので、今回いよいよ思い切ってお言葉に従うことにいたしました。私としてはせいぜい古い記憶を辿り、自分の知っていること、又自分の感じたままを、作らず、飾らず、素直に申述べることにいたします。それがいささかなりとも、現世の方々の研究の資料ともなればと念じて居ります。何卒あまり過分の期待をかけず、お心安くおきき取りくださいますように……。
ただ私として、前以てここに一つお断りして置きたいことがございます。それは私の現世生活の模様をあまり根掘り葉掘りお訊ねになられぬことでございます。私にはそれが何よりつらく、今更何の取得もなき、昔の身上などを露ほども物語りたくはございませぬ。こちらの世界へ引移ってからの私どもの第一の修行は、成るべく早く醜い地上の執着から離れ、成るべく速かに役にも立たぬ現世の記憶から遠ざかることでございます。私どもはこれでもいろいろと工夫の結果、やっとそれができて参ったのでございます。で、私どもに向って身上噺をせいと仰ッしゃるのは、言わば辛うじて治りかけた心の古疵を再び抉り出すような、随分惨たらしい仕打なのでございます。幽明の交通を試みらるる人達は常にこの事を念頭に置いて戴きとう存じます。そんな訳で、私の通信は、主に私がこちらの世界へ引移ってからの経験……つまり幽界の生活、修行、見聞、感想と言ったような事柄に力を入れて見たいのでございます。又それがこの道にたずさわる方々の私に期待されるところかと存じます。むろん精神を統一して凝乎と深く考え込めば、どんな昔の事柄でもはっきり想い出すことができないではありませぬ。しかもその当時の光景までがそっくりそのまま形態を造ってありありと眼の前に浮び出てまいります。つまり私どもの境涯には殆んど過去、現在、未来の差別はないのでございまして。……でも無理にそんな真似をして、足利時代の絵巻物をくりひろげてお目にかけて見たところで、大した価値はございますまい。現在の私としては到底そんな気分にはなりかねるのでございます。
と申しまして、私が今いきなり死んでからの物語を始めたのでは、何やらあまり唐突……現世と来世との連絡が少しも判らないので、取りつくしまがないように思われる方があろうかと感ぜられますので、甚だ不本意ながら、私の現世の経歴のホンの荒筋丈をかいつまんで申上げることに致しましょう。乗りかけた船とやら、これも現世と通信を試みる者の免れ難き運命――業かも知れませぬ……。
私は――実は相州荒井の城主三浦道寸の息、荒次郎義光と申す者の妻だったものにございます。現世の呼名は小櫻姫――時代は足利時代の末期――今から約四百余年の昔でございます。もちろんこちらの世界には昼夜の区別も、歳月のけじめもありませぬから、私はただ神さまから伺って、成るほどそうかと思う丈のことに過ぎませぬ。四百年といえば現世では相当長い星霜でございますが、不思議なものでこちらではさほどにも感じませぬ。多分それは凝乎と精神を鎮めて、無我の状態をつづけて居る期間が多い故でございましょう。
私の生家でございますか――生家は鎌倉にありました。父の名は大江廣信――代々鎌倉の幕府に仕へた家柄で、父も矢張りそこにつとめて居りました。母の名は袈裟代、これは加納家から嫁いでまいりました。両親の間には男の児はなく、たった一粒種の女の児があったのみで、それが私なのでございます。従って私は小供の時から随分大切に育てられました。別に美しい程でもありませぬが、体躯は先ず大柄な方で、それに至って健康でございましたから、私の処女時代は、全く苦労知らずの、丁度春の小禽そのまま、楽しいのんびりした空気に浸っていたのでございます。私の幼い時分には祖父も祖母もまだ存命で、それはそれは眼にも入れたいほど私を寵愛してくれました。好い日和の折などには私はよく二三の腰元どもに傅れて、長谷の大仏、江の島の弁天などにお詣りしたものでございます。寄せてはかえす七里ヶ浜の浪打際の貝拾いも私の何より好きな遊びの一つでございました。その時分の鎌倉は武家の住居の建ち並んだ、物静かな、そして何やら無骨な市街で、商家と言っても、品物は皆奥深く仕舞い込んでありました。そうそう私はツイ近頃不図した機会に、こちらの世界から一度鎌倉を覗いて見ましたが、赤瓦や青瓦で葺いた小さな家屋のぎっしり建て込んだ、あのけばけばしさには、つくづく呆れて了いました。
『あれが私の生れた同じ鎌倉かしら……。』私はひとりそうつぶやいたような次第で……。
その頃の生活状態をもっと詳しく物語れと仰っしゃいますか――致方がございませぬ、お喋りの序でに、少しばかり想い出して見ることにいたしましょう。もちろん、順序などは少しも立って居りませぬから何卒そのおつもりで……。
二、その頃の生活
先ずその頃の私達の受けた教育につきて申上げてみましょうか――時代が時代ゆえ、教育はもう至って簡単なもので、学問は読書、習字、又歌道一と通り、すべて家庭で修めました。武芸は主に薙刀の稽古、母がよく薙刀を使いましたので、私も小供の時分からそれを仕込まれました。その頃は女でも武芸一と通りは稽古したものでございます。処女時代に受けた私の教育というのは大体そんなもので、馬術は後に三浦家へ嫁入りしてから習いました。最初私は馬に乗るのが厭でございましたが、良人から『女子でもそれ位の事は要る』と言われ、それから教えてもらいました。実地に行って見ると馬は至って穏和しいもので、私は大へん乗馬が好きになりました。乗馬袴を穿いて、すっかり服装がかわり、白鉢巻をするのです。主に城内の馬場で稽古したのですが、後には乗馬で鎌倉へ実家帰りをしたこともございます。従者も男子のみでは困りますので、一人の腰元にも乗馬の稽古を致させました。その頃ちょっと外出するにも、少くとも四五人の従者は必らずついたもので……。
今度はその時分の物見遊山のお話なりといたしましょうか。物見遊山と申してもそれは至って単純なもので、普通はお花見、汐干狩、神社仏閣詣で……そんな事は只今と大した相違もないでしょうが、ただ当時の男子にとりて何よりの娯楽は猪狩り兎狩り等の遊びでございました。何れも手に手に弓矢を携え、馬に跨って、大へんな騒ぎで出掛けたものでございます。父は武人ではないのですが、それでも山狩りが何よりの道楽なのでした。まして筋骨の逞ましい、武家育ちの私の良人などは、三度の食事を一度にしてもよい位の熱心さでございました。『明日は大楠山の巻狩りじゃ』などと布達が出ると、乗馬の手入れ、兵糧の準備、狩子の勢揃い、まるで戦争のような大騒ぎでございました。
そうそう風流な、優さしい遊びも少しはありました。それは主として能狂言、猿楽などで、家来達の中にそれぞれその道の巧者なのが居りまして、私達も時々見物したものでございます。けれども自分でそれをやった覚えはございませぬ。京とは異って東国は大体武張った遊び事が流行ったものでございますから……。
衣服調度類でございますか――鎌倉にもそうした品物を売り捌く商人の店があるにはありましたが、さきほども申した通り、別に人目を引くように、品物を店頭に陳列するような事はあまりないようでございました。呉服物なども、良い品物は皆特別に織らせたもので、機織がなかなか盛んでございました。尤もごく高価の品は鎌倉では間に合わず、矢張りはるばる京に誂えたように記憶して居ります。
それから食物……これは只今の世の中よりずっと簡単なように見受けられます。こちらの世界へ来てからの私達は全然飲食をいたしませぬので、従ってこまかいことは判りませぬが、ただ私の守護しているこの女(T夫人)の平生の様子から考えて見ますと、今の世の調理法が大へん手数のかかるものであることはうすうす想像されるのでございます。あの大そう甘い、白い粉……砂糖とやら申すものは、もちろん私達の時代にはなかったもので、その頃のお菓子というのは、主に米の粉を固めた打菓子でございました。それでも薄っすりと舌に甘く感じたように覚えて居ります。又物の調味には、あの甘草という薬草の粉末を少し加えましたが、ただそれは上流の人達の調理に限られ、一般に使用するものではなかったように記憶して居ります。むろん酒もございました……濁っては居りませぬが、しかしそう透明ったものでもなかったように覚えて居ります。それから飲料としては桜の花漬、それを湯呑みに入れて白湯をさして客などにすすめました。
斯う言ったお話は、あまりつまらな過ぎますので、何卒これ位で切り上げさせて戴きましょう。私のようなあの世の住人が食物や衣類などにつきて遠い遠い昔の思い出語りをいたすのは何やらお門違いをしているようで、何分にも興味が乗らないで困ってしまいます……。
三、輿入れ
やがて私の娘時代にも終りを告ぐべき時節がまいりました。女の一生の大事はいうまでもなく結婚でございまして、それが幸不幸、運不運の大きな岐路となるのでございますが、私とてもその型から外れる訳にはまいりませんでした。私の三浦へ嫁ぎましたのは丁度二十歳の春で山桜が真盛りの時分でございました。それから荒井城内の十幾年の武家生活……随分楽しかった思い出の種子もないではございませぬが、何を申してもその頃は殺伐な空気の漲った戦国時代、北條某とやら申す老獪い成上り者から戦闘を挑まれ、幾度かのはげしい合戦の挙句の果が、あの三年越しの長の籠城、とうとう武運拙く三浦の一族は、良人をはじめとして殆んど全部城を枕に打死して了いました。その時分の不安、焦燥、無念、痛心……今でこそすっかり精神の平静を取り戻し、別にくやしいとも、悲しいとも思わなくなりましたが、当時の私どもの胸には正に修羅の業火が炎々と燃えて居りました。恥かしながら私は一時は神様も怨みました……人を呪いもいたしました……何卒その頃の物語り丈は差控えさせて戴きます……。
大江家の一人娘が何故他家へ嫁いだか、と仰せでございますか……あなたの誘い出しのお上手なのにはほんとうに困って了います……。ではホンの話の筋道だけつけて了うことに致しましょう。現世の人間としては矢張り現世の話に興味を有たるるか存じませぬが、私どもの境涯からは、そう言った地上の事柄はもう別に面白くも、おかしくも何ともないのでございます……。
私が三浦家への嫁入りにつきましては別に深い仔細はございませぬ。良人は私の父が見込んだのでございます。『たのもしい人物じゃ。あれより外にそちが良人と冊くべきものはない……』ただそれっきりの事柄で、私はおとなしく父の仰せに服従したまででございます。現代の人達から頭脳が古いと思われるか存じませぬが、古いにも、新らしいにも、それがその時代の女の道だったのでございます。そして父のつもりでは、私達夫婦の間に男児が生れたら、その一人を大江家の相続者に貰い受ける下心だったらしいのでございます。
見合いでございますか……それは矢張り見合いもいたしました。良人の方から実家へ訪ねてまいったように記憶して居ります。今も昔も同じこと、私は両親から召ばれて挨拶に出たのでございます。その頃良人はまだ若うございました。たしか二十五歳、横縦揃った、筋骨の逞ましい大柄の男子で、色は余り白い方ではありません。目鼻立尋常、髭はなく、どちらかといえば面長で、眼尻の釣った、きりっとした容貌の人でした。ナニ歴史に八十人力の荒武者と記してある……ホホホホ良人はそんな怪物ではございません。弓馬の道に身を入れる、武張った人ではございましたが、八十人力などというのは嘘でございます。気立ても存外優さしかった人で……。
見合の時の良人の服装でございますか――服装はたしか狩衣に袴を穿いて、お定まりの大小二腰、そして手には中啓を持って居りました……。
婚礼の式のことは、それは何卒おきき下さらないで……格別変ったこともございません。調度類は前以て先方へ送り届けて置いて、後から駕籠にのせられて、大きな行列を作って乗り込んだまでの話で……式はもちろん夜分に挙げたのでございます。すべては皆夢のようで、今更その当時を想い出して見たところで何の興味も起りません。こちらの世界へ引越して了へば、めいめい向きが異って、ただ自分の歩むべき途を一心不乱に歩む丈、従って親子も、兄弟も、夫婦も、こちらではめったにつきあいをしているものではございません。あなた方もいずれはこちらの世界へ引移って来られるでしょうが、その時になれば私どもの現在の心持がだんだんお判りになります。『そんな時代もあったかナ……』遠い遠い現世の出来事などは、ただ一片の幻影と化して了います。現世の話は大概これで宜しいでしょう。早くこちらの世界の物語に移りたいと思いますが……。
ナニ私が死ぬる前後の事情を物語れと仰っしゃるか……。それではごく手短かにそれだけ申上げることに致しましょう。今度こそ、いよいよそれっきりでおしまいでございます……。
四、落城から死
足掛三年に跨る籠城……月に幾度となく繰り返される夜打、朝駆、矢合わせ、切り合い……どっと起る喊の声、空を焦す狼火……そして最後に武運いよいよ尽きてのあの落城……四百年後の今日思い出してみる丈でも気が滅入るように感じます。
戦闘が始まってから、女子供はむろん皆城内から出されて居りました。私の隠れていた所は油壺の狭い入江を隔てた南岸の森の蔭、そこにホンの形ばかりの仮家を建てて、一族の安否を気づかいながら侘ずまいをして居りました。只今私が祀られているあの小桜神社の所在地――少し地形は異いましたが、大体あの辺だったのでございます。私はそこで対岸のお城に最後の火の手の挙るのを眺めたのでございます。
『お城もとうとう落ちてしまった……最早良人もこの世の人ではない……憎ッくき敵……女ながらもこの怨みは……。』
その時の一念は深く深く私の胸に喰い込んで、現世に生きている時はもとよりのこと、死んでから後も容易に私の魂から離れなかったのでございます。私がどうやらその後人並みの修行ができて神心が湧いてまいりましたのは、偏に神様のおさとしと、それから私の為めに和やかな思念を送ってくだされた、親しい人達の祈願の賜なのでございます。さもなければ私などはまだなかなか済われる女性ではなかったかも知れませぬ……。
兎にも角にも、落城後の私は女ながらも再挙を図るつもりで、僅ばかりの忠義な従者に護られて、あちこちに身を潜めて居りました。領地内の人民も大へん私に対して親切にかばってくれました。――が、何を申しましても女の細腕、力と頼む一族郎党の数もよくよく残り少なになって了ったのを見ましては、再挙の計劃の到底無益であることが次第次第に判ってまいりました。積もる苦労、重なる失望、ひしひしと骨身にしみる寂しさ……私の躯はだんだん衰弱してまいりました。
幾月かを過す中に、敵の監視もだんだん薄らぎましたので、私は三崎の港から遠くもない、諸磯と申す漁村の方に出てまいりましたが、モーその頃の私には世の中が何やら味気なく感じられて仕ょうがないのでした。
実家の両親は大へんに私の身の上を案じてくれまして、しのびやかに私の仮宅を訪れ、鎌倉へ帰れとすすめてくださるのでした。『良人もなければ、家もなく、又跡をつぐべき子供とてもない、よくよくの独り身、兎も角も鎌倉へ戻って、心静かに余生を送るのがよいと思うが……。』いろいろ言葉を尽してすすめられたのでありますが、私としては今更親元へもどる気持ちにはドーあってもなれないのでした。私はきっぱりと断りました。――
『思召はまことに有難うございまするが、一たん三浦家へ嫁ぎました身であれば、再びこの地を離れたくは思いませぬ。私はどこまでも三崎に留まり、亡き良人をはじめ、一族の後を弔いたいのでございます……。』
私の決心の飽まで固いのを見て、両親も無下に帰家をすすめることもできず、そのまま空しく引取って了われました。そして間もなく、私の住宅として、海から二三丁引込んだ、小高い丘に、土塀をめぐらした、ささやかな隠宅を建ててくださいました。私はそこで忠実な家来や腰元を相手に余生を送り、そしてそこでさびしくこの世の気息を引き取ったのでございます。
落城後それが何年になるかと仰ッしゃるか――それは漸く一年余り私が三十四歳の時でございました。まことに短命な、つまらない一生涯でありました。
でも、今から考えれば、私にはこれでも生前から幾らか霊覚のようなものが恵まれていたらしいのでございます。落城後間もなく、城跡の一部に三浦一族の墓が築かれましたので、私は自分の住居からちょいちょい墓参をいたしましたが、墓の前で眼を瞑って拝んで居りますと、良人の姿がいつもありありと眼に現われるのでございます。当時の私は別に深くは考えず、墓に詣れば誰にも見えるものであろう位に思っていました。私が三浦の土地を離れる気がしなかったのも、つまりはこの事があった為めでございました。当時の私に取りましては、死んだ良人に逢うのがこの世に於ける、殆んど唯一の慰安、殆んど唯一の希望だったのでございます。『何としても爰から離れたくない……』私は一図にそう思い込んで居りました。私は別に婦道が何うの、義理が斯うのと言って、六ヶしい理窟から割り出して、三浦に踏みとどまった訳でも何でもございませぬ。ただそうしたいからそうしたまでの話に過ぎなかったのでございます。
でも、私が死ぬるまで三浦家の墳墓の地を離れなかったという事は、その領地の人民の心によほど深い感動を与えたようでございました。『小櫻姫は貞女の亀鑑である』などと、申しまして、私の死後に祠堂を立て神に祀ってくれました。それが現今も残っている、あの小桜神社でございます。でも右申上げたとおり、私は別に貞女の亀鑑でも何でもございませぬ。私はただどこまでも自分の勝手を通した、一本気の女性だったに過ぎないのでございます。
五、臨終
気のすすまぬ現世時代の話も一と通り片づいて、私は何やら身が軽くなったように感じます。そちらから御覧になったら私達の住む世界は甚だたよりのないように見えるかも知れませぬが、こちらから現世を振りかえると、それは暗い、せせこましい、空虚な世界――何う思い直して見ても、今更それを物語ろうという気分にはなり兼ねます。とりわけ私の生涯などは、どなたのよりも一層つまらない一生だったのでございますから……。
え、まだ私の臨終の前後の事情がはっきりしていないと仰っしゃるか……そういえばホンにそうでございます。では致方がございません、これから大急ぎで、一と通りそれを申上げて了うことに致しましょう。
前にも述べたとおり、私の躯はだんだん衰弱して来たのでございます。床についてもさっぱり安眠ができない……箸を執っても一向食物が喉に通らない……心の中はただむしゃくしゃ……、口惜しい、怨めしい、味気ない、さびしい、なさけない……何が何やら自分にもけじめのない、さまざまの妄念妄想が、暴風雨のように私の衰えた躰の内をかけめぐって居るのです。それにお恥かしいことには、持って生れた負けずぎらいの気性、内実は弱いくせに、無理にも意地を通そうとして居るのでございますから、つまりは自分で自分の身を削るようなもの、新しい住居に移ってから一年とも経たない中に、私はせめてもの心遣りなる、あのお墓参りさえもできないまでに、よくよく憔悴けて了いました。一と口に申したらその時分の私は、消えかかった青松葉の火が、プスプスと白い煙を立て燻っているような塩梅だったのでございます。
私が重い枕に就いて、起居も不自由になったと聞いた時に、第一に馳せつけて、なにくれと介抱に手をつくしてくれましたのは矢張り鎌倉の両親でございました。『斯うかけ離れて住んで居ては、看護に手が届かんで困るのじゃが……。』めっきり小鬢に白いものが混るようになった父は、そんな事を申して何やら深い思案に暮れるのでした。大方内心では私の事を今からでも鎌倉に連れ戻りたかったのでございましたろう。気性の勝った母は、口に出しては別に何とも申しませんでしたが、それでも女は矢張り女、小蔭へまわってそっと泪を拭いて長太息を漏らしているのでございました。
『いつまでも老いたる両親に苦労をかけて、自分は何んという親不孝者であろう。いっそのことすべてをあきらめて、おとなしく鎌倉へ戻って専心養生につとめようかしら……。』そんな素直な考えも心のどこかに囁かないでもなかったのですが、次ぎの瞬間には例の負けぎらいが私の全身を包んで了うのでした。『良人は自分の眼の前で打死したではないか……憎いのはあの北條……縦令何事があろうとも、今更おめおめと親許などに……。』
鬼の心になり切った私は、両親の好意に背き、同時に又天をも人をも怨みつづけて、生甲斐のない日子を算えていましたが、それもそう長いことではなく、いよいよ私にとりて地上生活の最後の日が到着いたしました。
現世の人達から観れば、死というものは何やら薄気味のわるい、何やら縁起でもないものに思われるでございましょうが、私どもから観れば、それは一疋の蛾が繭を破って脱け出るのにも類した、格別不思議とも無気味とも思われない、自然の現象に過ぎませぬ。従って私としては割合に平気な気持で自分の臨終の模様をお話しすることができるのでございます。
四百年も以前のことで、大変記憶は薄らぎましたが、ざっと私のその時の実感を述べますると――何よりも先ず目立って感じられるのは、気がだんだん遠くなって行くことで、それは丁度、あのうたた寝の気持――正気のあるような、又無いような、何んとも言えぬうつらうつらした気分なのでございます。傍からのぞけば、顔が痙攣たり、冷たい脂汗が滲み出たり、死ぬる人の姿は決して見よいものではございませぬが、実際自分が死んで見ると、それは思いの外に楽な仕事でございます。痛いも、痒いも、口惜しいも、悲しいも、それは魂がまだしっかりと躯の内部に根を張っている時のこと、臨終が近づいて、魂が肉のお宮を出たり、入ったり、うろうろするようになりましては、それ等の一切はいつとはなしに、何所かえ消える、というよりか、寧ろ遠のいて了います。誰かが枕辺で泣いたり、叫んだりする時にはちょっと意識が戻りかけますが、それとてホンの一瞬の間で、やがて何も彼も少しも判らない、深い深い無意識の雲霧の中へとくぐり込んで了うのです。私の場合には、この無意識の期間が二三日つづいたと、後で神さまから教えられましたが、どちらかといえば二三日というのは先ず短い部類で、中には幾年幾十年と長い長い睡眠をつづけているものも稀にはあるのでございます。長いにせよ、又短かいにせよ、兎に角この無意識から眼をさました時が、私たちの世界の生活の始まりで、舞台がすっかりかわるのでございます。
六、幽界の指導者
いよいよこれから、こちらの世界のお話になりますが、最初はまだ半分足を現世にかけているようなもので、矢張り娑婆臭い、おきき苦しい事実ばかり申上げることになりそうでございます。――ナニその方が人間味があって却って面白いと仰っしゃるか……。御冗談でございましょう。話すものの身になれば、こんな辛い、恥かしいことはないのです……。
これは後で神様からきかされた事でございますが、私は矢張り、自力で自然に眼を覚ましたというよりか、神さまのお力で眼を覚まして戴いたのだそうでございます。その神さまというのは、大国主神様のお指図を受けて、新らしい帰幽者の世話をして下さる方なのでございます。これにつきては後で詳しく申上げますが、兎に角新たに幽界に入ったもので、斯う言った神の神使、西洋で申す天使のお世話に預からないものは一人もございませんので……。
幽界で眼を覚ました瞬間の気分でございますか――それはうっとりと夢でも見ているような気持、そのくせ、何やら心の奥の方で『自分の居る世界はモー異っている……。』と言った、微かな自覚があるのです。四辺は夕暮の色につつまれた、いかにも森閑とした、丁度山寺にでも臥て居るような感じでございます。
そうする中に私の意識は少しづつ回復してまいりました。
『自分はとうとう死んで了ったのか……。』
死の自覚が頭脳の内部ではっきりすると同時に、私は次第に激しい昂奮の暴風雨の中にまき込まれて行きました。私が先ず何よりつらく感じたのは、後に残した、老いたる両親のことでした。散々苦労ばかりかけて、何んの報ゆるところもなく、若い身上で、先立ってこちらへ引越して了った親不孝の罪、こればかりは全く身を切られるような思いがするのでした。『済みませぬ済みませぬ、どうぞどうぞお許しくださいませ……』何回私はそれを繰り返して血の涙に咽んだことでしょう!
そうする中にも私の心は更に他のさまざまの暗い考えに掻き乱されました。『親にさえ背いて折角三浦の土地に踏みとどまりながら、自分は遂に何の仕出かしたこともなかった! 何んという腑甲斐なさ……何んという不運の身の上……口惜しい……悲しい……情けない……。』何が何やら、頭脳の中はただごちゃごちゃするのみでした。
そうかと思えば、次ぎの瞬間には、私はこれから先きの未知の世界の心細さに慄い戦いているのでした。『誰人も迎えに来てくれるものはないのかしら……。』私はまるで真暗闇の底無しの井戸の内部へでも突き落されたように感ずるのでした。
ほとんど気でも狂うかと思われました時に、ひょくりと私の枕辺に一人の老人が姿を現しました。身には平袖の白衣を着て、帯を前で結び、何やら絵で見覚えの天人らしい姿、そして何んともいえぬ威厳と温情との兼ね具った、神々しい表情で凝乎と私を見つめて居られます。『一体これは何誰かしら……』心は千々に乱れながらも、私は多少の好奇心を催さずに居られませんでした。
このお方こそ、前に私がちょっと申上げた大国主神様からのお神使なのでございます。私はこのお方の一と方ならぬ導きによりて、辛くも心の闇から救い上げられ、尚おその上に天眼通その他の能力を仕込まれて、ドーやらこちらの世界で一人立ちができるようになったのでございます。これは前にものべた通り、決して私にのみ限ったことではなく、どなたでも皆神様のお世話になるのでございますが、ただ身魂の因縁とでも申しましょうか、めいめいの踏むべき道筋は異います。私などは随分きびしい、険しい道を踏まねばならなかった一人で、苦労も一しお多かったかわりに、幾分か他の方より早く明るい世界に抜け出ることにもなりました。ここで念の為めに申上げて置きますが、私を指導してくだすった神様は、お姿は普通の老人の姿を執って居られますが、実は人間ではございませぬ。つまり最初から生き通しの神、あなた方の自然霊というものなのです。斯う言った方のほうが、新らしい帰幽者を指導するのに、まつわる何の情実もなくて、人霊よりもよほど具合が宜しいと申すことでございます。
七、祖父の訪れ
私がお神使の神様から真先きに言いきかされたお言葉は、今ではあまりよく覚えても居りませぬが、大体こんなような意味のものでございました。――
『そなたはしきりに先刻から現世の事を思い出して、悲嘆の涙にくれているが、何事がありても再び現世に戻ることだけは協わぬのじゃ。そんなことばかり考えていると、良い境涯へはとても進めぬぞ! これからは俺がそなたの指導役、何事もよくききわけて、尊い神さまの裔孫としての御名を汚さぬよう、一時も早く役にもたたぬ現世の執着から離れるよう、しっかりと修行をして貰いますぞ! 執着が残っている限り何事もだめじゃ……。』
が、その場合の私には、斯うした神様のお言葉などは殆んど耳にも入りませんでした。私はいろいろの難題を持ち出してさんざん神様を困らせました。お恥かしいことながら、罪滅ぼしのつもりで一つ二つここで懺悔いたして置きます。
私が持ちかけた難題の一つは、早く良人に逢いたいという註文でございました。『現世で怨みが晴らせなかったから、良人と二人力を合わせて怨霊となり、せめて仇敵を取り殺してやりたい……。』――これが神さまに向ってのお願いなのでございますから、神さまもさぞ呆れ返って了われたことでしょう。もちろん、神様はそんな註文に応じてくださる筈はございませぬ。『他人を怨むことは何より罪深い仕業であるから許すことはできぬ。又良人には現世の執着が除れた時に、機会を見て逢わせてつかわす……。』いとも穏かに大体そんな意味のことを諭されました。もう一つ私が神様にお願いしたのは、自分の遺骸を見せて呉れとの註文でございました。当時の私には、せめて一度でも眼前に自分の遺骸を見なければ、何やら夢でも見て居るような気持で、あきらめがつかなくて仕方がないのでした。神さまはしばし考えていられたが、とうとう私の願いを容れて、あの諸磯の隠宅の一と間に横たわったままの、私の遺骸をまざまざと見せてくださいました。あの痩せた、蒼白い、まるで幽霊のような醜くい自分の姿――私は一と目見てぞっとして了いました。『モー結構でございます。』覚えずそう言って御免を蒙って了いましたが、この事は大へん私の心を落つかせるのに効能があったようでございました。
まだ外にもいろいろありますが、あまりにも愚かしい事のみでございますので、一と先ずこれで切り上げさせて戴きます。現在の私とて、まだまだ一向駄眼でございますが、帰幽当座の私などはまるで醜くい執着の凝塊、只今想い出しても顔が赭らんで了います……。
兎に角神様も斯んなききわけのない私の処置にはほとほとお手を焼かれたらしく、いろいろと手をかえ、品をかえて御指導の労を執ってくださいましたが、やがて私の祖父……私より十年ほど前に歿りました祖父を連れて来て、私の説諭を仰せつけられました。何にしろとても逢われないものと思い込んでいた肉親の祖父が、元の通りの慈愛に溢れた温容で、泣き悶えている私の枕辺にひょっくりとその姿を現わしたのですから、その時の私のうれしさ、心強さ!
『まあお爺さまでございますか!』私は覚えず跳び起きて、祖父の肩に取り縋って了いました。帰幽後私の暗い暗い心胸に一点の光明が射したのは実にこの時が最初でございました。
祖父はさまざまに私をいたわり、且つ励ましてくれました。――
『そなたも若いのに歿なって、まことに気の毒なことであるが、世の中はすべて老少不定、寿命ばかりは何んとも致方がない。これから先きはこの祖父も神さまのお手伝として、そなたの手引きをして、是非ともそなたを立派なものに仕上げて見せるから、こちらへ来たとて決して決して心細いことも、又心配なこともない。請合って、他の人達よりも幸福なものにしてあげる……。』
祖父の言葉には格別これと取り立てていうほどのこともないのですが、場合が場合なので、それは丁度しとしとと降る春雨の乾いた地面に浸みるように、私の荒んだ胸に融け込んで行きました。お蔭で私はそれから幾分心の落付きを取り戻し、神さまの仰せにもだんだん従うようになりました。人を見て法を説けとやら、こんな場合には矢張り段違いの神様よりも、お馴染みの祖父の方が、却って都合のよいこともあるものと見えます。私の祖父の年齢でございますか――たしか祖父は七十余りで歿りました。白哲で細面の、小柄の老人で、歯は一本なしに抜けて居ました。生前は薄い頭髪を茶筌に結っていましたが、幽界で私の許に訪れた時は、意外にもすっかり頭顱を丸めて居りました。私と異って祖父は熱心な仏教の信仰者だった為めでございましょう……。
八、岩窟
話が少し後に戻りますが、この辺で一つ取りまとめて私の最初の修行場、つまり、私がこちらの世界で真先きに置かれました境涯につきて、一と通り申述べて置くことに致したいと存じます。実は私自身も、初めてこちらの世界に眼を覚ました当座は、只一図に口惜しいやら、悲しいやらで胸が一ぱいで、自分の居る場所がどんな所かというような事に、注意するだけの心の余裕とてもなかったのでございます。それに四辺が妙に薄暗くて気が滅入るようで、誰しもあんな境遇に置かれたら、恐らくあまり朗かな気分にはなれそうもないかと考えられるのでございます。
が、その中、あの最初の精神の暴風雨が次第に収まるにつれて、私の傷けられた頭脳にも少しづつ人心地が出てまいりました。うとうとしながらも私は考えました。――
『私は今斯うして、たった一人法師で寝ているが、一たいここは何んな所かしら……。私が死んだものとすれば、ここは矢張り冥途とやらに相違ないであろうが、しかし私は三途の川らしいものを渡った覚えはない……閻魔様らしいものに逢った様子もない……何が何やらさっぱり腑に落ちない。モー少し光明が射してくれると良いのだが……。』
私は少し枕から頭部を擡げて、覚束ない眼つきをして、あちこち見𢌞したのでございます。最初は、何やら濛気でもかかっているようで、物のけじめも判りかねましたが、その中不図何所からともなしに、一条の光明が射し込んで来ると同時に、自分の置かれている所が、一つの大きな洞穴――岩屋の内部であることに気づきました。私は、少なからずびっくりしました。――
『オヤオヤ! 私は不思議な所に居る……私は夢を見ているのかしら……それとも爰は私の墓場かしら……。』
私は全く途方に暮れ、泣くにも泣かれないような気持で、ひしと枕に噛りつくより外に詮術もないのでした。
その時不意に私の枕辺近くお姿を現わして、いろいろと難有い慰めのお言葉をかけ、又何くれと詳しい説明をしてくだされたのは、例の私の指導役の神様でした。痒い所へ手が届くと申しましょうか、神様の方では、いつもチャーンとこちらの胸の中を見すかしていて、時と場合にぴったり当てはまった事を説ききかせてくださるのでございますから、どんなに判りの悪い者でも最後にはおとなしく耳を傾けることになって了います。私などは随分我執の強い方でございますが、それでもだんだん感化されて、肉身のお祖父様のようにお慕い申上げ、勿体ないとは知りつつも、私はいつしかこの神様を『お爺さま』とお呼び申上げるようになって了いました。前にも申上げたとおり私のような者がドーやら一人前のものになることができましたのは、偏にお爺さまのお仕込みの賜でございます。全く世の中に神様ほど難有いものはございませぬ。善きにつけ、悪しきにつけ、影身に添いて、人知れず何彼とお世話を焼いてくださるのでございます。それがよく判らないばかりに、兎角人間はわが侭が出たり、慢心が出たりして、飛んだ過失をしでかすことにもなりますので……。これはこちらの世界に引越して見ると、だんだん判ってまいります。
うっかりつまらぬ事を申上げてお手間を取らせました。私は急いで、あの時、神様が幽界の修行の事、その他に就いて私に言いきかせて下されたお話の要点を申上げることに致しましょう。それは大体斯うでございました。――
『そなたは今岩屋の内部に居ることに気づいて、いろいろ思い惑って居るらしいが、この岩屋は神界に於いて、そなたの修行の為めに特にこしらえてくだされた、難有い道場であるから、当分比所でみっしり修行を積み、早く上の境涯へ進む工夫をせねばならぬ。勿論ここは墓場ではない。墓は現界のもので、こちらの世界に墓はない……。現在そなたの眼にはこの岩屋が薄暗く感ずるであろうが、これは修行が積むにつれて自然に明るくなる。幽界では、暗いも、明るいもすべてその人の器量次第、心の明るいものは何所に居ても明るく、心の暗いものは、何所へ行っても暗い……。先刻そなたは三途の川や、閻魔様の事を考えていたらしいが、あれは仏者の方便である。嘘でもないが又事実でもない。あのようなものを見せるのはいと容易いがただ我国の神の道として、一切方便は使わぬことにしてある……。そなたはただ一人この道場に住むことを心細いと思うてはならぬ。入口には注連縄が張ってあるので、悪魔外道の類は絶対に入ることはできぬ。又たとえ何事が起っても、神の眼はいつも見張っているから、少しも不安を感ずるには及ばぬ……。すべて修行場は人によりてめいめい異う。家屋の内部に置かるるものもあれば、山の中に置かるる者もある。親子夫婦の間柄でも、一所には決して住むものでない。その天分なり、行状なりが各自異うからである。但し逢おうと思えば差支ない限りいつでも逢える……。』
一応お話が終った時に、神様はやおら私の手を執って、扶け起こしてくださいました。『そなたも一つ元気を出して、歩るいて見るがよい。病気は肉体のもので、魂に病気はない。これから岩屋の模様を見せてつかわす……。』
私はついふらふらと起き上りましたが、不思議にそれっきり病人らしい気持が失せて了い、同時に今迄敷いてあった寝具類も烟のように消えて了いました。私はその瞬間から現在に至るまで、ただの一度も寝床の上に臥たいと思った覚えはございませぬ。
それから私は神様に導かれて、あちこち歩いて見て、すっかり岩屋の内外の模様を知ることができました。岩屋は可なり巨きなもので、高さと幅さは凡そ三四間、奥行は十間余りもございましょうか。そして中央の所がちょっと折れ曲って、斜めに外に出るようになって居ります。岩屋の所在地は、相当に高い、岩山の麓で、山の裾をくり抜いて造ったものでございました。入口に立って四辺を見ると、見渡す限り山ばかりで、海も川も一つも見えません。現界の景色と比べて別に格段の相違もありませぬが、ただこちらの景色の方がどことなく浄らかで、そして奥深い感じが致しました。
岩屋の入口には、神様の言われましたとおり、果たして新しい注連縄が一筋張ってありました。
九、神鏡
一と通り見物が済むと、私達は再び岩屋の内部へ戻って来ました。すると神様は私に向い、早速修行のことにつきて、噛んでくくめるようにいろいろと説きさとしてくださるのでした。
『これからのそなたの生活は、現世のそれとはすっかり趣が変るから一時も早くそのつもりになってもらわねばならぬ。現世の生活にありては、主なるものが衣食住の苦労、大概の人間はただそれっきりの事にあくせくして一生を過して了うのであるが、こちらでは衣食住の心配は全然ない。大体肉体あっての衣食住で、肉体を棄てた幽界の住人は、できる丈早くそうした地上の考えを頭脳の中から払いのける工夫をせなければならぬ。それからこちらの住人として何より慎まねばならぬは、怨み、そねみ、又もろもろの欲望……そう言ったものに心を奪われるが最後、つまりは幽界の亡者として、いつまで経っても浮ぶ瀬はないことになる。で、こちらの世界で、何よりも大切な修行というのは精神の統一で、精神統一以外には殆んど何物もないといえる。つまりこれは一心不乱に神様を念じ、神様と自分とを一体にまとめて了って、他の一切の雑念妄想を払いのける工夫なのであるが、実地に行って見ると、これは思いの外に六ヶしい仕事で、少しの油断があれば、姿はいかに殊勝らしく神様の前に坐っていても、心はいつしか悪魔の胸に通っている。内容よりも外形を尚ぶ現世の人の眼は、それで結構くらませることができても、こちらの世界ではそのごまかしはきかぬ。すべては皆神の眼に映り、又或る程度お互の眼にも映る……。で、これからそなたも早速この精神統一の修行にかからねばならぬが、もちろん最初から完全を望むのは無理で、従って或る程度の過失は見逃しもするが、眼にあまる所はその都度きびしく注意を与えるから、そなたもその覚悟で居てもらいたい。又何ぞ望みがあるなら、今の中に遠慮なく申出るがよい。無理のないことであるならすべて許すつもりであるから……。』
漸く寝床を離れたと思えば、モーすぐこのようなきびしい修行のお催促で、その時の私は随分辛いことだ、と思いました。その後こちらで様子を窺って居りますと、人によりては随分寛やかな取扱いを受け、まるで夢のような、呑気らしい生活を送っているものも沢山見受けられますが、これはドーいう訳か私にもよく判りませぬ。私などはとりわけ、きびしい修行を仰せつけられた一人のようで、自分ながら不思議でなりませぬ。矢張りこれも身魂の因縁とやら申すものでございましょうか……。
それは兎も角も、私は神様から何ぞ望みのものを言えと言われ、いろいろと考え抜いた末にたった一つだけ註文を出しました。
『お爺さま、何うぞ私に一つの御神鏡を授けて戴き度う存じます。私はそれを御神体としてその前で精神統一の修行を致そうと思います。何かの目標がないと、私にはとても神様を拝むような気分になれそうもございませぬ……。』
『それは至極尤もな願いじゃ、直ちにそれを戴いてつかわす。』
お爺さまは快く私の願いを入れ、ちょっとあちらを向いて黙祷されましたが、モー次ぎの瞬間には、白木の台座の附いた、一体の御鏡がお爺さまの掌に載っていました。右の御鏡は早速岩屋の奥の、程よき高さの壁の凹所に据えられ、私の礼拝の最も神聖な目標となりました。それからモー四百余年、私の境涯はその間に幾度も幾度も変りましたが、しかし私は今も尚おその時戴いた御鏡の前で静座黙祷をつづけて居るのでございます。
十、親子の恩愛
参考の為めに少し幽界の修行の模様をききたいと仰っしゃいますか……。宜しうございます。私の存じていることは何なりとお話し致しますが、しかし現界で行るのと格別の相違もございますまい。私達とて矢張り御神前に静座して、心に天照大御神様の御名を唱え、又八百万の神々にお願いして、できる丈きたない考えを払いのける事に精神を打ち込むのでございます。もとより肉体はないのですから、現世で行るような、斎戒沐浴は致しませぬ。ただ斎戒沐浴をしたと同一の浄らかな気持になればよいのでございまして……。
それで、本当に深い深い統一状態に入ったとなりますと、私どもの姿はただ一つの球になります。ここが現世の修行と幽界の修行との一ばん目立った相違点かも知れませぬ。人間ではどんなに深い統一に入っても、躯が残ります。いかに御本人が心で無と観じましても、側から観れば、その姿はチャーンと其所に見えて居ります。しかるに、こちらでは、真実の精神統一に入れば、人間らしい姿は消え失せて、側からのぞいても、たった一つの白っぽい球の形しか見えませぬ。人間らしい姿が残って居るようでは、まだ修行が積んでいない何よりの証拠なのでございます。『そなたの、その醜るしい姿は何じゃ! まだ執着が強過ぎるぞ……。』私は何度醜るしい姿をお爺様に見つけられてお叱言を頂戴したか知れませぬ。自分でも、こんな事では駄目であると思い返して、一生懸命神様を念じて、飽まで浄らかな気分を続けようとあせるのでございますが、あせればあせるほど、チラリチラリと暗い影が射して来て統一を妨げて了います。私の岩屋の修行というのは、つまり斯うした失敗とお叱言の繰りかえしで、自分ながらほとほと愛想が尽きる位でございました。私というものはよくよく執着の強い、罪の深い、女性だったのでございましょう。――この生活が何年位続いたかとのお訊ねでございますか……。自分では一切夢中で、さほどに永いとも覚えませんでしたが、後でお爺さまから伺いますと、私の岩屋の修行は現世の年数にして、ざっと二十年余りだったとの事でございます。
現世的執着の中で、私にとりて、何よりも断ち切るのに骨が折れましたのは、前申すとおり矢張り、血を分けた両親に対する恩愛でございました。現世で何一つ孝行らしい事もせず、ただ一人先立ってこちらの世界に引越して了ったのかと考えますと、何ともいえずつらく、悲しく、残り惜しく、相済まなく、坐ても立っても居られないように感ぜられるのでございました。人間何がつらいと申しても、親と子とが順序をかえて死ぬるほど、つらいことはないように思われます。無論私には良人に対する執着もございました。しかし良人は私よりも先きに歿なって居り、それに又神さまが、時節が来れば逢わしてもやると申されましたので、そちらの方の断念は割合早くつきました。ただ現世に残した父母の事はどうあせりましてもあきらめ兼ねて悩み抜きました。そんな場合には、神様も、精神統一も、まるきりあったものではございませぬ。私はよく間近の岩へ齧りついて、悶え泣きに泣き入りました。そんな真似をしたところで、一たん死んだ者が、とても現世へ戻れるものでない事は充分承知しているのですが、それで矢張り止めることができないのでございます。
しかも何より困るのは、現世に残っている父母の悲嘆が、ひしひしと幽界まで通じて来ることでございました。両親は怠らず、私の墓へ詣でて花や水を手向け、又十日祭とか、五十日祭とか申す日には、その都度神職を招いて鄭重なお祭祀をしてくださるのでした。修行未熟の、その時分の私には、現界の光景こそ見えませんでしたが、しかし両親の心に思っていられることは、はっきりとこちらに感じて参るばかりか、『姫や姫や!』と呼びながら、絶え入るばかりに泣き悲しむ母の音声までも響いて来るのでございます。あの時分のことは今想い出しても自ずと涙がこぼれます……。
斯う言った親子の情愛などと申すものは、いつまで経ってもなかなか消えて無くなるものではないようで、私は現在でも矢張り父は父としてなつかしく、母は母として慕わしく感じます。が、不思議なもので、だんだん修行が積むにつれて、ドーやら情念の発作を打消して行くのが上手になるようでございます。それがつまり向上なのでございましょうかしら……。
十一、守刀
躯がなくなって、こちらの世界に引移って来ても、現世の執着が容易に除れるものでない事は、すでに申上げましたが、序でにモー少しここで自分の罪過を申上げて置くことに致しましょう。口頭ですっかり悟ったようなことを申すのは何でもありませぬが、実地に当って見ると思いの外に心の垢の多いのが人間の常でございます。私も時々こちらの世界で、現世生活中に大へん名高かった方々にお逢いすることがございますが、そうきれいに魂が磨かれた方ばかりも見当りませぬ。『あんな名僧知識と謳われた方がまだこんな薄暗い境涯に居るのかしら……。』時々意外に感ずるような場合もあるのでございます。
さてお約束の懺悔でございますが、私にとりて、何より身にしみているのを一つお話し致しましょう。それは私の守刀の物語でございます。忘れもしませぬ、それは私が三浦家へ嫁入りする折のことでございました、母は一振りの懐剣を私に手渡し、
『これは由緒ある御方から母が拝領の懐剣であるが、そなたの一生の慶事の紀念に、守刀としてお譲りします。肌身離さず大切に所持してもらいます……。』
両眼に涙を一ぱい溜めて、赤心こめて渡された紀念の懐剣――それは刀身といい、又装具といい、まことに申分のない、立派なものでございましたが、しかし私に取りましては、懐剣そのものよりも、それがなつかしい母の形見であることが、他の何物にもかえられぬほど大切なのでございました。私は一生涯その懐剣を自分の魂と思って肌身に附けて居たのでした。
いよいよ私の病勢が重って、もうとても難しいと思われました時に、私は枕辺に坐って居られる母に向かって頼みました。『私の懐剣は何卒このまま私と一緒に棺の中に納めて戴きとうございますが……。』すると母は即座に私の願を容れて、『その通りにしてあげますから安心するように……。』と、私の耳元に口を寄せて力強く囁いてくださいました。
私がこちらの世界に眼を覚ました時に、私は不図右の事柄を想い出しました。『母はあんなに固く請合ってくだされたが、果して懐剣が遺骸と一緒に墓に収めてあるかしら……。』そう思うと私はどうしてもそれが気懸りで気懸りで耐らなくなりました。とうとう私はある日指導役のお爺様に一伍一什を物語り、『若しもあの懐剣が、私の墓に収めてあるものなら、どうぞこちらに取寄せて戴きたい。生前と同様あれを守刀に致し度うございます……。』とお依みしました。今の世の方々には守刀などと申しても、或は頭に力強く響かぬかも存じませぬが、私どもの時代には、守刀はつまり女の魂、自分の生命から二番目の大切な品物だったのでございます。
神様もこの私の願を無理からぬ事と思召めされたか、快くお引受けしてくださいました。そして例のとおり、ちょっと精神の統一をして私の墓を透視されましたが、すぐにお判りになったものと見え『フムその懐剣なら確かに彼所に見えている。宜しい神界のお許しを願って、取寄せてつかわす……。』
そう言われたかと見ると、次ぎの瞬間には、お爺さまの手の中に、私の世にも懐かしい懐剣が握られて居りました。無論それは言わば刀の精だけで、現世の刀ではないのでございましょうが、しかしいかに査べて見ても、金粉を散らした、濃い朱塗りの装具といい、又それを包んだ真紅の錦襴の袋といい、生前現世で手慣れたものに寸分の相違もないのでした。私は心からうれしくお爺様に厚くお礼を申上げました。
私は右の懐剣を現在とても大切に所持して居ります。そして修行の時にはいつも之を御鏡の前へ備えることにして居るのでございます。
これなどは、一段も二段も上の方から御覧になれば、やはり一種の執着と言わるるかも存じませぬが、私どもの境涯では、どうしてもまだ斯うした執着からは離れ切れないのでございます。
十二、愛馬との再会
岩屋の修行中に、モー一つちょっと面白い話がございますから、序でに申上げることに致しましょう。それは私が、こちらで自分の愛馬に再会したお話でございます。
前にもお話し致しましたが、私は三浦家へ嫁入りしてから初めて馬術の稽古をいたしました。最初は馬に乗るのが何やら薄気味悪いように思われましたが、行って居ります内にだんだんと乗馬が好きになったと言うよりも、寧ろ馬が可愛くなって来たのでございます。乗り馴らした馬というものは、それはモー不思議なほど可愛くなるもので、事によると経験のないお方には、その真実の味いはお判りにならぬかも知れません。
私の愛馬と申しますのは、良人がいろいろと捜した上に、最後に、これならば、と見立ててくれたほどのことがございまして、それはそれは優さしい、美事な牡馬でございました。背材はそう高くはございませぬが、総体の地色は白で、それに所々に黒の斑点の混った美しい毛並は今更自慢するではございませぬが、全く素晴らしいもので、私がそれに乗って外出をした時には、道行く者も足を停めて感心して見惚れる位でございました。ナニ乗者に見惚れたのではないかと仰っしゃるか……。御冗談ばかり、そんな酔狂な者は只の一人だってございません。私の馬に見惚れたのでございます……。
そうそうこの馬の命名につきましては、良人と私との間に、なかなかの悶着がございました。私は優さしい名前がよいと思いまして、さんざん考え抜いた末にやっと『鈴懸』という名を思いついたのでございます。すると良人は私と意見が違いまして、それは余り面白くない、是非『若月』にせよと言い張って、何と申しても肯き入れないのです。私は内心不服でたまりませんでしたが、もともと良人が見立ててくれた馬ではあるし、とうとう『若月』と呼ぶことになって了いました。『今度は私が負けて置きます。しかしこの次ぎに良い馬が手に入った時はそれは是非鈴懸と呼ばせていただきます……。』私はそんなことを良人に申したのを覚えて居ります。しかしそれから間もなく、あの北條との戦闘が起ったので、私の望みはとうとう遂げられずに終りました。
とに角名前につきては最初斯んないきさつがありましたものの、私は若月が好きで好きで耐らないのでした。馬の方でも亦私によく馴染んで、私の姿が見えようものなら、さもうれしいと言った表情をして、あの巨きな躯をすり附けて来るのでした。
落城後私があちこち流浪をした時にも、若月はいつも私に附添って、散々苦労をしてくれました。で、私の臨終が近づきました時には、私は若月を庭前へ召んで貰って、この世の訣別を告げました。『汝にもいろいろ世話になりました……。』心の中でそう思った丈でしたが、それは必らず馬にも通じたことであろうと考えられます。これほど可愛がった故でもございましょう、私が岩屋の内部で精神統一の修行をしている時に、ある時思いも寄らず、若月の姿が私の眼にはっきりと映ったのでございます。
『事によると若月は最う死んだのかも知れぬ……。』
そう感じましたので、お爺さまにお訊ねして見ますと、果してこちらの世界に引越して居るとの事に、私は是非一と目昔の愛馬に逢って見たくて耐らなくなりました。
『甚だ勝手なお願いながら、一度若月の許へ連れて行ってくださる訳にはまいりますまいか……。』
『それはいと易いことじゃ。』と例の通りお爺さまは親切に答へてくださいました。『馬の方でもひどくそなたを慕っているから一度は逢って置くがよい。これから一緒に連れて行って上げる……。』
幽界では、何所をドー通って行くのか、途中のことは殆んど判りませぬ。そこが幽界の旅と現世の旅との大した相違点でございますが、兎も角も私達は、瞬く間に途中を通り抜けて、或る一つの馬の世界へまいりました。そこには見渡す限り馬ばかりで、他の動物は一つも居りません。しかし不思議なことには、どの馬もどの馬も皆逞ましい駿馬ばかりで、毛並みのもじゃもじゃした、イヤに脚ばかり太い駄馬などは何処にも見かけないのでした。
『私の若月も爰に居るのかしら……。』
そう思い乍ら、不図向うの野原を眺めますと、一頭の白馬が群れを離れて、飛ぶが如くに私達の方へ馳け寄ってまいりました。それはいうまでもなく、私の懐かしい、愛馬でございました。
『まァ若月……汝、よく来てくれた……。』
私は心から嬉しく、しきりに自分にまつわり附く愛馬の鼻を、いつまでもいつまでも軽く撫でてやりました。その時の若月のうれしげな面持……私は覚えず泪ぐんで了ったのでございました。
しばらく馬と一緒に遊んで、私は大へん軽い気持になって戻って来ましたが、その後二度と行って見る気にもなれませんでした。人間と動物との間の愛情にはいくらかあっさりしたところがあるものと見えます……。
十三、母の臨終
岩屋の修行中に誰かの臨終に出会ったことがあるか、とのお訊ねでございますか。――それは何度も何度もあります。私の父も、母も、それから私の手元に召使っていた、忠実な一人の老僕なども、私が岩屋に居る時に前後して歿しまして、その都度私はこちらから、見舞に参ったのでございます。何れあなたとしては、幽界から観た臨終の光景を知りたいと仰ッしゃるのでございましょう。宜しうございます。では、標本のつもりで、私の母の歿った折の模様を、ありのままにお話し致しましょう。わざわざ査べるのが目的で、行った仕事ではないのですから、むろんいろいろ見落しはございましょう。その点は充分お含みを願って置きます。機会がありましたら、誰かの臨終の実況を査べに出掛て見ても宜しうございます。ここに申上げるのはホンの当時の私が観たまま感じたままのお話でございます。
それは私が歿ってから、最うよほど経った時……かれこれ二十年近くも過ぎた時でございましょうか、ある日私が例の通り御神前で修行して居りますと、突然母の危篤の報知が胸に感じて参ったのでございます。斯うした場合には必らず何等かの方法で報知がありますもので、それは死ぬる人の思念が伝わる場合もあれば、又神様から特に知らせて戴く場合もあります。その他にもまだいろいろありましょう。母の臨終の際には、私は自力でそれを知ったのでございました。
私はびっくりして早速鎌倉の、あの懐かしい実家へと飛んで行きましたが、モーその時はよくよく臨終が迫って居りまして、母の霊魂はその肉体から半分出たり、入ったりしている最中でございました。人間の眼には、人の臨終というものは、ただ衰弱した一つの肉体に起る、あの悲惨な光景しか映りませぬが、私にはその外にまだいろいろの光景が見えるのでございます。就中一番目立つのは肉体の外に霊魂――つまりあなた方の仰っしゃる幽体が見えますことで……。
御承知でもございましょうが、人間の霊魂というものは、全然肉体と同じような形態をして肉体から離れるのでございます。それは白っぽい、幾分ふわふわしたもので、そして普通は裸体でございます。それが肉体の真上の空中に、同じ姿勢で横臥している光景は、決してあまり見よいものではございませぬ。その頃の私は、もう幾度も経験がありますので、さほどにも思いませんでしたが、初めて人間の臨終に出会た時は、何とまァ変怪なものかしらんと驚いて了いました。
最う一つおかしいのは肉体と幽体との間に紐がついて居ることで、一番太いのが腹と腹とを繋ぐ白い紐で、それは丁度小指位の太さでございます。頭部の方にもモー一本見えますが、それは通例前のよりもよほど細いようで……。無論斯うして紐で繋がれているのは、まだ絶息し切らない時で、最後の紐が切れた時が、それがいよいよその人の死んだ時でございます。
前申すとおり、私が母の枕辺に参りましたのは、その紐が切れる少し前でございました。母はその頃モー七十位、私が最後にお目にかかった時とは大変な相違で、見る影もなく、老いさらぼいて居りました。私はすぐ耳元に近づいて、『私でございます……』と申しましたが、人間同志で、枕元で呼びかわすのとは異い、何やらそこに一重隔てがあるようで、果してこちらの意思が病床の母に通じたか何うかと不安に感じられました。――尤もこれは地上の母に就いて申上げることで、肉体を棄てて了ってからの母の霊魂とは、むろん自由自在に通じたのでございます。母は帰幽後間もなく意識を取りもどし、私とは幾度も幾度も逢って、いろいろ越し方の物語に耽りました。母は、死ぬる前に、父や私の夢を見たと言って居りましたが、もちろんそれはただの夢ではないのです。つまり私達の意思が夢の形式で、病床の母に通じたものでございましょう……。
それは兎に角、あの時私は母の断末魔の苦悶の様を見るに見兼ねて、一生懸命母の躯を撫でてやったのを覚えています。これは只の慰めの言葉よりも幾分かききめがあったようで、母はそれからめっきりと楽になって、間もなく気息を引きとったのでございました。すべて何事も赤心をこめて一心にやれば、必らずそれ丈の事はあるもののようでございます。
母の臨終の光景について、モー一つ言い残してならないのは、私の眼に、現世の人達と同時に、こちらの世界の見舞者の姿が映ったことでございます。母の枕辺には人間は約十人余り、何れも眼を泣きはらして、永の別れを惜んでいましたが、それ等の人達の中で私が生前存じて居りましたのはたった二人ほどで、他は見覚えのない人達ばかりでした。それからこちらの世界からの見舞者は、第一が、母よりも先きへ歿った父、つづいて祖父、祖母、肉身の親類縁者、親しいお友達、それから母の守護霊、司配霊、産土の御神使、……一々数えたらよほどの数に上ったでございましょう。兎に角現世の見舞者よりはずっと賑かでございました。第一、双方の気分がすっかり異います。一方は自分達の仲間から親しい人を失うのでございますから、沈み切って居りますのに、他方は自分達の仲間に親しき人を一人迎えるのでございますから、寧ろ勇んでいるような、陽気な面持をしているのでございます。こんな事は、私の現世生活中には全く思いも寄らぬ事柄でございまして……。
他にも気づいた点がまだないではありませぬが、拙な言葉でとても言い尽せぬように思われますので、母の臨終の物語は、一と先ずこれ位にして置きましょう。
十四、守護霊との対面
第一期の修行中に経験した、重なる事柄につきては、以上で大体申上げたつもりでございますが、ただもう一つここで是非とも言い添えて置かねばならないと思いますのは私の守護霊の事でございます。誰にも一人の守護霊が附いて居ることは、心霊に志す方々の御承知の通りでございますが、私にも勿論一人の守護霊が附いて居り、そしてその守護霊との関係はただ現世のみに限らず、肉体の死後も引きつづいて、切っても切れぬ因縁の絆で結ばれて居るのでございます。もっとも、そうした事柄がはっきり判りましたのはよほど後の事で、帰幽当時の私などは、自分に守護霊などと申すものが有るか、無いかさえも全然知らなかったのでございます。で、私がこちらの世界で初めて自分の守護霊にお目にかかった時は、少なからず意外に感じまして、従ってその時の印象は今でもはっきりと頭脳に刻まれて居ります。
ある日私が御神前で、例の通り深い精神統一の状態に入って居た時でございます、意外にも一人の小柄の女性がすぐ眼の前に現われ、いかにも優さしく、私を見てにっこりと微笑まれるのです。打見る所、年齢は二十歳余り、顔は丸顔の方で、緻致はさしてよいとも言われませぬが、何所となく品位が備わり、雪なす富士額にくっきりと黛が描かれて居ります。服装は私の時代よりはやや古く、太い紐でかがった、広袖の白衣を纏い、そして下に緋の袴を穿いて居るところは、何う見ても御所に宮仕えして居る方のように窺われました。
意外なのは、この時初めてお目に懸ったばかりの、全然未知のお方なのにも係らず、私の胸に何ともいえぬ親しみの念がむくむくと湧いて出たことで……。それにその表情、物ごしがいかにも不思議……先方は丸顔、私は細面、先方は小柄、私は大柄、外形はさまで共通の個所がないにも係らず、何所とも知れず二人の間に大変似たところがあるのです。つまりは外面はあまり似ないくせに、底の方でよく似て居ると言った、よほど不思議な似方なのでございます。
『あの、どなた様でございますか……。』
漸く心を落つけて私の方から訊ねました。すると先方は不相変にこやかに――
『あなたは何も知らずに居られたでしょうが、実は自分はあなたの守護霊……あなたの一身上の事柄は何も彼も良う存じて居るものなのです。時節が来ぬ為めに、これまで蔭に控えて居ましたが、これからは何事も話相手になって上げます。』
私は嬉しいやら、恋しいやら、又不思議やら、何が何やらよくは判らぬ複雑な感情でその時初めて自分の魂の親の前に自身を投げ出したのでした。それは丁度、幼い時から別れ別れになっていた母と子が、不図どこかでめぐり合った場合に似通ったところがあるかも知れませぬ。何れにしてもこの一事は私にとりてまことに意外な、又まことに意義のある貴い経験でございました。
激しい昂奮から冷めた私は、もちろん私の守護霊に向っていろいろと質問の矢を放ち、それでも尚お腑に落ちぬ個所があれば、指導役のお爺様にも根掘り葉掘り問いつめました。お蔭で私の守護霊の素性はもとより、人間と守護霊の関係、その他に就きて大凡の事が漸く会得されるようになりました。――あの、それを残らず爰で物語れと仰っしゃるか……宜しうございます。何も御道の為めとあれば、私の存じて居る限りは逐一申上げて了いましょう。話が少し堅うございまして、何やら青表紙臭くなるかも存じませぬが、それは何卒大目に見逃がして戴きます。又私の申上げることにどんな誤謬があるかも計りかねますので、そこはくれぐれもただ一つの参考にとどめて戴きたいのでございます。私はただ神様やら守護霊様からきかされたところをお取次ぎするのですから、これが誤謬のないものだとは決して言い張るつもりはございませぬ……。
十五、生みの親魂の親
成るべく話の筋道が通るよう、これからすべてを一と纏めにして、私が長い年月の間にやっとまとめ上げた、守護霊に関するお話を順序よく申上げて見たいと存じます。それにつきては、少し奥の方まで溯って、神様と人間との関係から申上げねばなりませぬ。
昔の諺に『人は祖に基き、祖は神に基く』とやら申して居りますが、私はこちらの世界へ来て見て、その諺の正しいことに気づいたのでございます。神と申しますのは、人間がまだ地上に生れなかった時代からの元の生神、つまりあなた方の仰っしゃる『自我の本体』又は高級の『自然霊』なのでございます。畏れ多くはございますが、我国の御守護神であらせられる邇々藝命様を始め奉り、邇々藝命様に随って降臨された天児屋根命、天太玉命などと申す方々も、何れも皆そうした生神様で、今も尚お昔と同じく地の神界にお働き遊ばしてお出でになられます。その本来のお姿は白く光った球の形でございますが、余ほど真剣な気持で深い統一状態に入らなければ、私どもにもそのお姿を拝することはできませぬ。まして人間の肉眼などに映る気づかいはございませぬ。尤もこの球の形は、凝とお鎮まり遊ばした時の本来のお姿でございまして、一たんお働きかけ遊ばしました瞬間には、それぞれ異なった、世にも神々しい御姿にお変り遊ばします。更に又何かの場合に神々がはげしい御力を発揮される場合には荘厳と言おうか、雄大と申そうか、とても筆紙に尽されぬ、あの怖ろしい竜姿をお現わしになられます。一つの姿から他の姿に移り変ることの迅さは、到底造り附けの肉体で包まれた、地上の人間の想像の限りではございませぬ。
無論これ等の元の生神様からは、沢山の御分霊……つまり御子様がお生れになり、その御分霊から更に又御分霊が生れ、神界から霊界、霊界から幽界へと順々に階段がついて居ります。つまりすべてに亘りて連絡はとれて居り乍ら、しかしそのお受持がそれぞれ異うのでございます。こちらの世界をたった一つの、無差別の世界と考えることは大変な間違いで、例えば邇々藝命様に於かれましても、一番奥の神界に於てお指図遊ばされる丈で、その御命令はそれぞれの世界の代表者、つまりその御分霊の神々に伝わるのでございます。おこがましい申分かは存じませぬが、その点の御理解が充分でないと、地上に人類の発生した径路がよくお判りにならぬと存じます。稀薄で、清浄で、殆んど有るか無きかの、光の凝塊と申上げてよいようなお形態をお有ち遊ばされた高い神様が、一足跳びに濃く鈍い物質の世界へ、その御分霊を植え附けることは到底できませぬ。神界から霊界、霊界から幽界へと、だんだんにそのお形態を物質に近づけてあったればこそ、ここに初めて地上に人類の発生すべき段取に進み得たのであると申すことでございます。そんな面倒な手続を踏んであってさえも、幽から顕に、肉体のないものから肉体のあるものに、移り変るには、実に容易ならざる御苦心と、又殆んど数えることのできない歳月を閲したということでございます。一番困るのは物質というものの兎角崩れ易いことで、いろいろ工夫して造って見ても、皆半途で流れて了い、立派に魂の宿になるような、完全な人体は容易に出来上らなかったそうでございます。その順序、方法、又発生の年代等に就きても、或る程度まで神様から伺って居りますが、只今それを申上げている遑はございませぬ。いずれ改めて別の機会に申上げることに致しましょう。
兎に角、現在の人間と申すものが、最初神の御分霊を受けて地上に生れたものであることは確かでございます。もっとくわしくいうと、男女両柱の神々がそれぞれ御分霊を出し、その二つが結合して、ここに一つの独立した身魂が造られたのでございます。その際何うして男性女性の区別が生ずるかと申すことは、世にも重大なる神界の秘事でございますが、要するにそれは男女何れかが身魂の中枢を受持つかできまる事だそうで、よく気をつけて、天地の二神誓約の段に示された、古典の記録を御覧になれば大体の要領はつかめるとのことでございます。
さて最初地上に生れ出でた一人の幼児――無論それは力も弱く、智慧もとぼしく、そのままで無事に生長し得る筈はございませぬ。誰かが傍から世話をしてくれなければとても三日とは生きて居られる筈はございませぬ。そのお世話掛がつまり守護霊と申すもので、蔭から幼児の保護に当るのでございます。もちろん最初は父母の霊、殊に母の霊の熱心なお手伝もありますが、だんだん生長すると共に、ますます守護霊の働きが加わり、最後には父母から離れて立派に一本立ちの身となって了います。ですから生れた子供の性質や容貌は、或る程度両親に似て居ると同時に、又大変に守護霊の感化を受け、時とすれば殆んど守護霊の再来と申しても差支ない位のものも少くないのでございます。古事記の神代の巻に、豐玉姫からお生れになられたお子様を、妹の玉依姫が養育されたとあるのは、つまりそう言った秘事を暗示されたものだと承ります。
申すまでもなく子供の守護霊になられるものは、その子供の肉親と深い因縁の方……つまり同一系統の方でございまして、男子には男性の守護霊、女子には女性の守護霊が附くのでございます。人類が地上に発生した当初は、専ら自然霊が守護霊の役目を引き受けたと申すことでございますが、時代が過ぎて、次第に人霊の数が加わると共に、守護霊はそれ等の中から選ばれるようになりました。むろん例外はありましょうが、現在では数百年前乃至千年二千年前に帰幽した人霊が、守護霊として主に働いているように見受けられます。私などは帰幽後四百年余りで、さして新らしい方でも、又さして古い方でもございませぬ。
こんな複雑った事柄を、私の拙い言葉でできる丈簡単にかいつまんで申上げましたので、さぞお判りにくい事であろうかと恐縮して居る次第でございますが、わたくしの言葉の足りないところは、何卒あなた方の方でよきようにお察しくださるようお願い致します。
十六、守護霊との問答
岩屋の修行中に私が自分の守護霊と初めて逢ったお話を申上げたばかりに、ツイ斯んな長談議を致して了いました。斯んな拙い話が幾分たりともあなた方の御参考になればこの上もなき僥倖でございます。
序に、その際私と私の守護霊との間に行われた問答の一部を一応お話し致して置きましょう。格別面白くもございませぬが、私にとりましてはこれでも忘れ難い想い出の種子なのでございます。
問『あなたが私の守護霊であると仰っしゃるなら、何故もっと早くお出ましにならなかったのでございますか? 今迄私はお爺様ばかりを杖とも柱とも依りにして、心細い日を送って居りましたが、若しもあなたのような優さしい御方が最初からお世話をして下さったら、どんなにか心強いことであったでございましたろう……。』
答『それは一応尤もなる怨言であれど、神界には神界の掟というものがあるのです。あのお爺様は昔から産土神のお神使として、新たに帰幽した者を取扱うことにかけてはこの上もなくお上手で、とても私などの足元にも及ぶことではありませぬ。私などは修行も未熟、それに人情味と言ったようなものが、まだまだ大へんに強過ぎて、思い切ってきびしい躾を施す勇気のないのが何よりの欠点なのです。あなたの帰幽当時の、あの烈しい狂乱と執着……とても私などの手に負えたものではありませぬ。うっかりしたら、お守役の私までが、あの昂奮の渦の中に引き込まれて、徒らに泣いたり、怨んだりすることになったかも知れませぬ。かたがた私としては態とさし控えて蔭から見守って居る丈にとどめました。結局そうした方があなたの身の為めになったのです……。』
問『では今までただお姿を見せないという丈で、あなた様は私の狂乱の状態を蔭からすっかり御覧になっては居られましたので……。』
答『それはもちろんのことでございます。あなたの一身上の事柄は、現世に居った時のことも、又こちらの世界に移ってからの事も、一切知り抜いて居ります。それが守護霊というものの役目で、あなたの生活は同時に又大体私の生活でもあったのです。私の修行が未熟なばかりに、随分あなたにも苦労をさせました……。』
問『まあ勿体ないお言葉、そんなに仰せられますと私は穴へも入りたい思いがいたします……。それにしてもあなた様は何と仰っしゃる御方で、そしていつ頃の時代に現世にお生れ遊されましたか……。』
答『改めて名告るほどのものではないのですが、斯うした深い因縁の絆で結ばれている上からは、一と通り自分の素性を申上げて置くことに致しましょう。私はもと京の生れ、父は粟屋左兵衞と申して禁裡に仕えたものでございます。私の名は佐和子、二十五歳で現世を去りました。私の地上に居った頃は朝廷が南と北との二つに岐れ、一方には新田、楠木などが控え、他方には足利その他東国の武士どもが附き随い、殆んど連日戦闘のない日とてもない有様でした……。私の父は旗色の悪い南朝方のもので、従って私どもは生前に随分数々の苦労辛酸を嘗めました……。』
問『まあそれはお気の毒なお身の上……私の身に引きくらべて、心からお察し致します……。それにしても二十五歳で歿なられたとの事でございますが、それまでずっとお独身で……。』
答『独身で居りましたが、それには深い理由があるのです……。実は……今更物語るのもつらいのですが、私には幼い時から許嫁の人がありました。そして近い内に黄道吉日を択んで、婚礼の式を挙げようとしていた際に、不図起りましたのがあの戦乱、間もなく良人となるべき人は戦場の露と消え、私の若き日の楽しい夢は無残にも一朝にして吹き散らされて了いました……。それからの私はただ一個の魂の脱けた生きた骸……丁度蝕まれた花の蕾のしぼむように、次第に元気を失って、二十五の春に、さびしくポタリと地面に落ちて了ったのです。あなたの生涯も随分つらい一生ではありましたが、それでも私のにくらぶれば、まだ遥かに花も実もあって、どれ丈幸福だったか知れませぬ。上を見れば限りもないが、下を見ればまだ際限もないのです。何事も皆深い深い因縁の結果とあきらめて、お互に無益の愚痴などはこぼさぬことに致しましょう。お爺様の御指導のお蔭で近頃のあなたはよほど立派にはなりましたが、まだまだあきらめが足りないように思います。これからは私もちょいちょい見まわりにまいり、ともども向上を図りましょう……。』
その日の問答は大体斯んなところで終りましたが、斯うした一人のやさしい指導者が見つかったことは、私にとりて、どれ丈の心強さであったか知れませぬ。その後私の守護霊は約束のとおり、しばしば私の許に訪れて、いろいろと有難い援助を与えてくださいました。私は心から私のやさしい守護霊に感謝して居るものでございます。
十七、第二の修行場
私の最初の修行場――岩屋の中での物語は一と先ずこの辺でくぎりをつけまして、これから第二の山の修行場の方に移ることに致しましょう。修行場の変更などと申しますと、現世式に考えれば、随分億劫な、何やらどさくさした、うるさい仕事のように思われましょうが、こちらの世界の引越しは至極あっさりしたものでございます。それは場所の変更と申すよりは、むしろ境涯の変更、又は気分の変更と申すものかも知れませぬ。現にあの岩屋にしても、最初は何やら薄暗い陰鬱な処のように感ぜられましたが、それがいつとはなしにだんだん明るくなって、最後には全然普通の明るさ、些しも穴の内部という感じがしなくなり、それに連れて私自身の気持もずっと晴れやかになり、戸外へ出掛けて漫歩でもして見たいというような風になりました。たしかにこちらでは気分と境涯とがぴッたり一致しているもののように感ぜられます。
ある日私がいつになく統一の修行に倦きて、岩屋の入口まで何とはなしに歩み出た時のことでございました。ひょっくりそこへ現われたのが例の指導役のお爺さんでした。――
『そなたは戸外へ出たがっているようじゃナ。』
図星をさされて私は少しきまりが悪く感じました。
『お爺さま、何ういうものか今日は気が落付かないで困るのでございます……。私はどこかへ遊びに出掛けたくなりました。』
『遊びに出たい時には出ればよいのじゃ。俺がよい場所へ案内してあげる……。』
お爺さんまでが今日はいつもよりも晴々しい面持で誘って下さいますので、私も大へんうれしい気分になって、お爺さんの後について出掛けました。
岩屋から少し参りますと、モーそこはすぐ爪先上りになって、右も左も、杉や松や、その他の常盤木のしんしんと茂った、相当険しい山でございます。あの、現界の景色と同一かと仰ッしゃるか……左様でございます。格別異っても居りませぬが、ただ現界の山よりは何やら奥深く、神さびて、ものすごくはないかと感じられる位のものでございます。私達の辿る小路のすぐ下は薄暗い谿谷になって居て、樹叢の中をくぐる水音が、かすかにさらさらと響いていましたが、気の故か、その水音までが何となく沈んで聞えました。
『モー少し行った所に大へんに良い山の修行場がある。』とお爺さんは道々私に話しかけます。
『多分そちの気に入るであろうと思うが、兎も角も一応現場へ行って見るとしようか……。』
『何卒お願い致します……。』
私はただちょっと見物する位のつもりで軽く御返答をしたのでした。
間もなく一つの険しい坂を登りつめると、其処はやや平坦な崖地になっていました。そして四辺にはとても枝ぶりのよい、見上げるような杉の大木がぎッしりと立ち並んで居りましたが、その中の一番大きい老木には注連縄が張ってあり、そしてその傍に白木造りの、小さい建物がありました。四方を板囲いにして、僅かに正面の入口のみを残し、内部は三坪ばかりの板敷、屋根は丸味のついたこけら葺き、どこにも装飾らしいものはないのですが、ただすべてがいかにも神さびて、屋根にも、柱にも、古い苔が厚く蒸して居り、それが塵一つなき、飽まで浄らかな環境としっくり融け合って居りますので、実に何ともいえぬ落付きがありました。私は覚えず叫びました。
『まァ何という結構な所でございましょう! 私、こんなところで暮しとうございます……。』
するとお爺さんは満足らしい微笑を老顔に湛へて、徐ろに言われました。――
『実はここがそちの修行場なのじゃ。モー別に下の岩屋に帰るにも及ばぬ。早速内部へ入って見るがよい。何も彼も一切取り揃えてあるから……。』
私はうれしくもあれば、また意外でもあり、言わるるままに急いで建物の内部へ入って見ますと、中央正面の白木の机の上には果して日頃信仰の目標である、例の御神鏡がいつの間にか据えられて居り、そしてその側には、私の母の形見の、あのなつかしい懐剣までもきちんと載せられてありました。
私はわれを忘れて御神前に拝跪して心から感謝の言葉を述べたことでございました。
大体これが岩屋の修行場から山の修行場へ引越した時の実況でございます。現世の方から見れば一片の夢物語のように聴えるでございましょうが、そこが現世と幽界との相違なのだから何とも致方がございませぬ。私どもとても、幽界に入ったばかりの当座は、何やらすべてがたよりなく、又飽気なく思われて仕方がなかったもので……。しかしだんだん慣れて来ると矢張りこちらの生活の方が結構に感じられて来ました。僅か半里か一里の隣りの村に行くのにさえ、やれ従者だ、輿物だ、御召換だ……、半日もかかって大騒ぎをせねばならぬような、あんな面倒臭い現世の生活を送りながら、よくも格別の不平も言わずに暮らせたものである……。私はだんだんそんな風に感ずるようになったのでございます。何れ、あなた方にも、その味がやがてお判りになる時が参ります……。
十八、竜神の話
山の修行場へ移ってからの私は、何とはなしに気分がよほど晴れやかになったらしいのが自分にも感ぜられました。主なる仕事は矢張り御神前に静座して精神統一をやるのでございますが、ただ合間合間に私はよく室外へ出て、四辺の景色を眺めたり、鳥の声に耳をすませたりするようになりました。
前にも申上げた通り、私の修行場の所在地は山の中腹の平坦地で、崖の上に立って眺めますと、立木の隙間からずっと遠方が眼に入り、なかなかの絶景でございます。どこにも平野らしい所はなく、見渡すかぎり山又山、高いのも低いのも、又色の濃いのも淡いのも、いろいろありますが、どれも皆樹木の茂った山ばかり、尖った岩山などはただの一つも見えません。それ等が十重二十重に重なり合って絵巻物をくり拡げているところは、全く素晴らしい眺めで、ツイうっとりと見とれて、時の経つのも忘れて了う位でございます。
それから又あちこちの木々の茂みの中に、何ともいえぬ美しい鳥の音が聴えます。それは、昔鎌倉の奥山でよくきき慣れた時鳥の声に幾分似たところもありますが、しかしそれよりはもッと冴えて、賑かで、そして複雑った音色でございます。ただ一人の話相手とてもない私はどれ丈この鳥の音に慰められたか知れませぬ。どんな種類の鳥かしらと、或る時念の為めにお爺さんに伺って見ましたら、それはこちらの世界でもよほど珍らしい鳥で、現界には全然棲んでいないと申すことでございました。尤も音色が美しい割に毛並は案外つまらない鳥で、ある時不図近くの枝にとまっているところを見ると、大さは鳩位、幾分現界の鷹に似て、頚部に長い毛が生えていました。幽界の鳥でも矢張り声と毛並とは揃わぬものかしらと感心したことでございました。
もう一つ爰の景色の中で特に私の眼を惹いたものは、向って右手の山の中腹に、青葉がくれにちらちら見える一つの丹塗のお宮でございました。それはホンの三尺四方位の小さい社なのですが、見渡す限りただ緑の一色しかない中に、そのお宮丈がくッきりと朱く冴えているので大へんに目立つのでございます。私の心は次第に、そのお宮にひきつけられるようになりました。
で、ある日お爺さんが見舞われた時私は訊ねました。――
『お爺さま、あそこに大そう美しい、丹塗のお宮が見えますが、あれはどなた様をお祀りしてあるのでございますか。』
『あれは竜神様のお宮じゃ。これからは俺にばかり依らず、直接に竜神様にもお依みするがよい……。』
『竜神様でございますか?』私は大へん意外に感じまして、
『一体それは何ういう神様でございますか?』
『そろそろそちも竜神との深い関係を知って置かねばなるまい。よほど奥深い事柄であるから、とても一度で腑には落ちまいが、その中だんだん判って来る……。』
お爺さんはあたかも寺子屋のお師匠さんと言った面持で、いろいろ講釈をしてくださいました。お爺さまは斯んな風に説き出されました。――
『竜神というのは一と口に言えば元の活神、つまり人間が現世に現われる前から、こちらの世界で働いている神々じゃ。時として竜の姿を現わすから竜神には相違ないが、しかしいつもあんな恐ろしい姿で居るのではない。時と場合でやさしい神の姿にもなれば、又一つの丸い球にもなる。現に俺なども竜神の一人であるが、そちの指導役として現われる時は、いつも斯のような、老人の姿になっている……。ところで、この竜神と人間との関係であるが、人間の方では、何も知らずに、最初から自分一つの力で生れたもののように思って居るが、実は人間は竜神の分霊、つまりその子孫なのじゃ。ただ竜神はどこまでもこちらの世界の者、人間は地の世界の者であるから、幽から顕への移りかわりの仕事はまことに困難で、長い長い歳月を経て漸くのことでモノになったのじゃ。詳しいことは後で追々話すとして、兎に角人間は竜神の子孫、汝とても元へ溯れば、矢張りさる尊い竜神様の御末裔なのじゃ。これからはよくその事を弁えて、あの竜神様のお宮へお詣りせねばならぬ。又機会を見て竜宮界へも案内し、乙姫様にお目通りをさしてもあげる。』
お爺さんのお話は、何やらまわりくどいようで、なかなか当時の私の腑に落ち兼ねたことは申すまでもありますまい。殊におかしかったのが、竜宮界だの、乙姫様だのと申すことで、私は思わず笑い出して了いました。――
『まァ竜宮などと申すものが実際この世にあるのでございますか。――あれは人間の仮構事ではないでしょうか……。』
『決してそうではない。』とお爺さんは飽まで真面目に、『人間界に伝わる、あの竜宮の物語は実際こちらの世界で起った事実が、幾分尾鰭をつけて面白おかしくなっているまでじゃ。そもそも竜宮と申すのは、あれは神々のおくつろぎ遊ばす所……言わば人間界の家庭の如きものじゃ。前にものべた通り、こちらの世界は造りつけの現界とは異り、場所も、家屋も、又姿も、皆意思のままにどのようにもかえられる。で、竜宮界のみを竜神の世界と思うのは大きな間違で、竜神の働く世界は、他に限りもなく存在するのである。が、しかし神々にとりて何よりもうれしいのは矢張りあの竜宮界である。竜宮界は主に乙姫様のお指図で出来上った、家庭的の理想境なのじゃ。』
『乙姫様と仰ッしゃると……。』
『それは竜宮界で一番上の姫神様で、日本の昔の物語に豐玉姫とあるのがつまりその御方じゃ。神々のお好みがあるので、他にもさまざまの世界があちこちに出来てはいるが、それ等の中で、何と申しても一番立ち優っているのは矢張りこの竜宮界じゃ。すべてがいかにも清らかで、優雅で、そして華美な中に何ともいえぬ神々しいところがある。とても俺の口で述べ尽せるものではない。そちも成るべく早く修行を積んで、実地に竜宮界へ行って、乙姫様にもお目通りを願うがよい……。』
『私のようなものにもそれが協いましょうか……。』
『それは勿論協う……イヤ協わねばならぬ深い因縁がある。何を隠そう汝はもともと乙姫様の系統を引いているので、そちの竜宮行は言わば一種の里帰りのようなものじゃ……。』
お爺さんの述べる所はまだしッくり私の胸にはまりませんでしたが、しかしそれが一ト方ならず私の好奇心をそそったのは事実でございました。それからの私は絶えず竜宮界の事、乙姫様の事ばかり考え込むようになり、私の幽界生活に一の大切なる転換期となりました。
が、私の竜宮行きはそれからしばらく過ぎてからの事でございました。
十九、竜神の祠
順序として、これからポツポツ竜宮界のお話を致さねばならなくなりましたが、もともと口の拙ない私が、私よりももっと口の拙ない女の口を使って通信を致すのでございますから、さぞすべてがつまらなく、一向に多愛のない夢物語になって了いそうで、それが何より気がかりでございます。と申して、この話を省いて了えば私の幽界生活の記録に大きな孔が開くことになって筋道が立たなくなるおそれがございます。まあ致方がございませぬ、せいぜい気をつけて、私の実地に観たまま、感じたままをそっくり申上げることに致しましょう。
ここでちょっと申添えて置きたいのは、私の修行場の右手の山の半腹に在る、あの小さい竜神の祠のことでございます。私は竜宮行をする前に、所中そのお祠へ参拝したのでございますが、それがつまり私に取りて竜宮行の準備だったのでございました。私はそこで乙姫様からいろいろと有難い教訓やら、お指図やら、又おやさしい慰めのお言葉やらを戴きました。お蔭で私は自分でも気がつくほどめきめきと元気が出てまいりました。『その様子なら汝も近い内に乙姫様のお目通りができそうじゃ……。』指導役のお爺さんもそんなことを言って私を励ましてくださいました。
ここで私が竜神様のお祠へ行って、いろいろお指図を受けたなどと申しますと、現世の方々の中には何やら異様にお考えになられる者がないとも限りませぬが、それは現世の方々が、まだ神社というものの性質をよく御存じない為めかと存じます。お宮というものは、あれはただお賽銭を上げて、拍手を打って、首を下げて引きさがる為めに出来ている飾物ではないようでございます。赤心籠めて一生懸命に祈願をすれば、それが直ちに神様の御胸に通じ、同時に神様からもこれに対するお応答が降り、時とすればありありとそのお姿までも拝ませて戴けるのでございます……。つまり、すべては魂と魂の交通を狙ったもので、こればかりは実に何ともいえぬほど巧い仕組になって居るのでございます。私が山の修行場に居りながら、何うやら竜宮界の模様が少しづつ判りかけたのも、全くこの難有い神社参拝の賜でございました。もちろん地上の人間は肉体という厄介なものに包まれて居りますから、いかに神社の前で精神の統一をなされても、そう容易に神様との交通はできますまいが、私どものように、肉体を棄ててこちらの世界へ引越したものになりますと、殆んどすべての仕事はこの仕掛のみによりて行われるのでございます。ナニ人間の世界にも近頃電話だの、ラヂオだのという、重宝な機械が発明されたと仰っしゃるか……それは大へん結構なことでございます。しかしそれなら尚更私の申上げる事がよくお判りの筈で、神社の装置もラジオとやらの装置も、理窟は大体似たものかも知れぬ……。
まあ大へんつまらぬ事を申上げて了いました。では早速これから竜宮行の模様をお話しさせて戴きます……。
二十、竜宮へ鹿島立
こちらの世界の仕事は、何をするにも至極あっさりしていまして、すべてが手取り早く運ばれるのでございますが、それでもいよいよこれから竜宮行と決った時には、そこに相当の準備の必要がありました。何より肝要なのは斎戒沐浴……つまり心身を浄める仕事でございます。もちろん私どもには肉体はないのでございますから、人間のように実地に水などをかぶりは致しませぬ。ただ水をかぶったような清浄な気分になればそれで宜しいので、そうすると、いつの間にか服装までも、自然に白衣に変って居るのでございます。心と姿とがいつもぴったり一致するのが、こちらの世界の掟で、人間界のように心と姿とを別々に使い分けることばかりはとてもできないのでございます。
兎も角も私は白衣姿で、先ず御神前に端坐祈願し、それからあの竜神様のお祠へ詣でて、これから竜宮界へ参らせて戴きますと御報告申上げました。先方から何とか返答があったかと仰っしゃるか……それは無論ありました。『歓んであなたのお出でをお待ちして居ります……。』とそれはそれは鄭重な御挨拶でございました。
竜神様のお祠から自分の修行場へ戻って見ると、もう指導役のお爺さんが、そこでお待ちになって居られました。
『準備ができたらすぐに出掛けると致そう。俺が竜宮の入口まで送ってあげる。それから先きは汝一人で行くのじゃ。何も修行の為めである。あまり俺に依る気になっては面白うない……。』
そう言われた時に、私は何やら少し心細く感じましたが、それでもすぐに気を取り直して旅仕度を整えました。私のその時の旅姿でございますか……。それは現世の旅姿そのまま、言わばその写しでございます。かねて竜宮界は世にも奇麗な、華美なところと伺って居りますので、私もそのつもりになり、白衣の上に、私の生前一番好きな色模様の衣裳を重ねました。それは綿の入った、裾の厚いものでございますので、道中は腰の所で紐で結えるのでございます。それからもう一つ道中姿に無くてはならないのが被衣……私は生前の好みで、白の被衣をつけることにしました。履物は厚い草履でございます。
お爺さんは私の姿を見て、にこにこしながら『なかなか念の入った道中姿じゃナ。乙姫様もこれを御覧なされたらさぞお歓びになられるであろう。俺などはいつも一張羅じゃ……。』
そんな軽口をきかれて、御自身はいつもと同一の白衣に白の頭巾をかぶり、そして長い長い一本の杖を持ち、素足に白鼻緒の藁草履を穿いて私の先きに立たれたのでした。序でにお爺さんの人相書をもう少しくわしく申上げますなら、年齢の頃は凡そ八十位、頭髪は真白、鼻下から顎にかけてのお髭も真白、それから睫毛も矢張り雪のように真白……すべて白づくめでございます。そしてどちらかと云へば面長で、眼鼻立のよく整った、上品な面差の方でございます。私はまだ仙人というものをよく存じませぬが、若し本当に仙人があるとしたら、それは私の指導役のお爺さんのような方ではなかろうかと考えるのでございます。あの方ばかりはどこからどこまで、きれいに枯れ切って、すっかりあくぬけがして居られます。
山の修行場を後にした私達は、随分長い間険しい山道をば、下へ下へ下へと降ってまいりました。道はお爺さんが先きに立て案内して下さるので、少しも心配なことはありませぬが、それでもところどころ危つかしい難所だと思ったこともございました。又道中どこへ参りましても例の甲高い霊鳥の鳴声が前後左右の樹間から雨の降るように聴えました。お爺さんはこの鳥の声がよほどお好きと見えて、『こればかりは現界ではきかれぬ声じゃ。』と御自慢をして居られました。
漸く山を降り切ったと思うと、たちまちそこに一つの大きな湖水が現われました。よほど深いものと見えまして、湛えた水は藍を流したように蒼味を帯び、水面には対岸の鬱蒼たる森林の影が、くろぐろと映って居ました。岸はどこもかしこも皆割ったような巌で、それに松、杉その他の老木が、大蛇のように垂れ下っているところは、風情が良いというよりか、寧ろもの凄く感ぜられました。
『どうじゃ、この湖水の景色は……汝は些と気に入らんであろうが……。』
『私はこんな陰気くさい所は厭でございます。でもここは何ぞ縁由 のある所でございますか?』
『ここはまだ若い、下級の竜神達の修行の場所なのじゃ。俺は時々見𢌞わりに来るので、善うこの池の勝手を知っている。何も修行じゃ、汝もここでちょっと統一をして見るがよい。沢山の竜神達の姿が見えるであろう……。』
あまり良い気持は致しませんでしたが、修行とあれば辞むこともできず、私はとある巌の上に坐って統一状態に入って見ますと、果して湖水の中は肌の色の黒っぽい、あまり品の良くない竜神さんでぎっしり填っていました。角のあるもの、無いもの、大きなもの、小さなもの、眠っているもの、暴れているもの……。初めてそんな無気味な光景に接した私は、覚えずびっくりして眼を開けて叫びました。――
『お爺さま、もう沢山でございます。何うぞもっと晴れやかな所へお連れ下さいませ……。』
二十一、竜宮街道
しばらく湖水の畔を伝って歩るいて居る中に、山がだんだん低くなり、やがて湖水が尽きると共に山も尽きて、広々とした、少しうねりのある、明るい野原にさしかかりました。私達はその野原を貫く細道をどこまでもどこまでも先きへ急ぎました。
やがて前面に、やや小高い砂丘の斜面が現われ、道はその頂辺の所に登って行きます。『何やら由井ヶ浜らしい景色である……。』私はそんなことを考えながら、格別険しくもないその砂丘を登りつめましたが、さてそこから前面を見渡した時に、私はあまりの絶景に覚えずはっと気息づまりました。砂丘のすぐ真下が、えも言われぬ美しい一ツの入江になっているのではありませぬか!
刷毛で刷いたような弓なりになった広い浜……のたりのたりと音もなく岸辺に寄せる真青な海の水……薄絹を拡げたような、はてしもなくつづく浅霞……水と空との融け合うあたりにほのぼのと浮く遠山の影……それはさながら一幅の絵巻物をくりひろげたような、実に何とも言えぬ絶景でございました。
明けても暮れても、眼に入るものはただ山ばかり、ひたすら修行三昧に永い歳月を送った私でございますから、尚更この海の景色が気に入ったのでございましょう、しばらくの間私は全くすべてを打忘れて、砂丘の上に立ち尽して、つくづくと見惚れて了ったのでございました。
『どうじゃ、なかなかの良い眺めであろうが……。』
そう言われて私はやっと自分に戻りました。
『お爺さま、わたくし、こんななごやかな、良い景色は、まだ一度も見たためしがございませぬ……。ここは何と申すところでございますか?』
『これが竜宮界の入口なのじゃ。ここから竜宮はそう遠くない……。』
『竜宮は矢張り海の底にあるのでございますか?』
『イヤイヤあれは例によりて人間どもの勝手な仮構事じゃ。乙姫様は決して魚族の親戚でもなければ又人魚の叔母様でもない……。が、もともと竜宮は理想の別世界なのであるから、造ろうと思えば海の底にでも、又その他の何処にでも造れる。そこが現世の造りつけの世界と大へんに異う点じゃ……。』
『左様でございますか……。』
何やらよくは腑に落ち兼ねましたが、私はそう御返答するより外に致方がないのでした。
『さて』とお爺さんは、しばらく経ってから、いと真面目な面持で語り出でました。『俺の役目はここまで汝を案内すればそれで済んだので、これから先きは汝一人で行くのじゃ。あれ、あの入江のほとりから、少し左に外れたところに見ゆる真平な街道、あれをどこまでもどこまでも辿って行けば、その突き当りがつまり竜宮で、道を間違えるような心配は少しもない……。又竜宮へ行ってからは、どなたにお目にかかるか知れぬが、何れにしても、ただ先方のお話を伺う丈では面白うない。気のついたこと、腑に落ちぬことは、少しの遠慮もなく、どしどしお訊ねせんければ駄目であるぞ。すべて神界の掟として、こちらの求める丈しか教えられぬものじゃ。で、何事も油断なく、よくよく心の眼を開けて、乙姫様から愛想をつかされることのないよう心懸けてもらいたい……。では俺はこれで帰りますぞ……。』
そう言って、つと立ち上ったかと思うと、もうお爺さんの姿はどこにも見えませんでした。
例によりてその飽気なさ加減と言ったらありません。私はちょっと心さびしく感じましたが、それはほんの一瞬間のことでございました。私は斯んな場合にいつも肌から離さぬ、例の母の紀念の懐剣を、しっかりと帯の間にさし直して、急いで砂丘を降りて、お爺さんから教えられた通り、あの竜宮街道を真直に進んだのでした。
その後も私は幾度となくこの竜宮街道を通りましたが、何度通って見ても心地のよいのはこの街道なのでございます。それは天然の白砂をば何かで程よく固めたと言ったような、踏み心地で、足触りの良さと申したら比類がありませぬ。そして何所に一点の塵とてもなく、又道の両側に程よく配合った大小さまざまの植込も、実に何とも申上げかねるほど奇麗に出来て居り、とても現世ではこんな素晴らしい道路は見られませぬ。その街道が何の位続いているかとお訊ねですか……さァどれ位の道程かは、ちょっと見当がつきかねますが、よほど遠いこと丈は確かでございます。街道の入口の辺から前方を眺めても、霞が一帯にかかっていて、何も眼に入りませぬが、しばらく過ぎると有るか無きかのように、薄っすりと山の影らしいものが現われ、それから又しばらく過ぎると、何やらほんのりと丹塗りの門らしいものが眼に映ります。その辺からでも竜宮の御殿まではまだ半里位はたっぷりあるのでございます……。何分絵心も何も持ち合わせない私の力では、何のとりとめたお話もできないのが、大へんに残念でございます。あの美しい道中の眺めの、せめて十分の一なりとも皆様にお伝えしたいのでございますが……。
二十二、唐風の御殿
しばらくしてから私はとうとう竜宮界の御門の前に立っていましたが、それにしても私は四辺の光景があまりにも現実的なのをむしろ意外に思ったのでございました。お爺さんの御話から考えて見ましても、竜宮はドウやら一の蜃気楼、乙姫様の思召でかりそめに造り上げられる一の理想の世界らしく思われますのに、実地に当って見ますと、それはどこにあぶなげのない、いかにもがッしりとした、正真正銘の現実の世界なのでございます。『若しもこれが蜃気楼なら世の中に蜃気楼でないものは一つもありはしない……。』私は心の中でそう考えたのでございました。
竜宮界の大体の見た感じでございますが――さァ一と口に申したら、それはお社と言うよりかも、寧ろ一つの大きな御殿と言った感じ、つまり人間味が、たっぷりしているのでございます。そして何処やらに唐風なところがあります。先ずその御門でございますが、屋根は両端が上方にしゃくれて、大そう光沢のある、大型の立派な瓦で葺いてあります。門柱その他はすべて丹塗り、別に扉はなく、その丸味のついた入口からは自由に門内の模様が窺われます。あたりには別に門衛らしいものも見掛けませんでした。
で、私は思い切ってその門をくぐって行きましたが、門内は見事な石畳みの舗道になって居り、あたりに塵一つ落ちて居りませぬ。そして両側の広々としたお庭には、形の良い松その他が程よく植え込みになって居り、奥はどこまであるか、ちょっと見当がつかぬ位でございます。大体は地上の庭園とさしたる相違もございませぬが、ただあんなにも冴えた草木の色、あんなにも香ばしい土の匂いは、地上の何所にも見受けることはできませぬ。こればかりは実地に行って見るより外に、描くべき筆も、語るべき言葉もあるまいと考えられます。
御門から御殿まではどの位ありましょうか、よほど遠かったように思われます。御殿の玄関は黒塗りの大きな式台造り、そして上方の庇、柱、長押などは皆眼のさめるような丹塗り、又壁は白塗りでございますから、すべての配合がいかにも華美で、明朗で、眼がさめるように感じられました。
私はそこですっかり身づくろいを直しました。むろん心でただそう思いさえすればそれで宜しいので、そうすると今までの旅装束がその場できちんとした謁見の服装に変るのでございます。そんな事でもできなければ、たッた一人で、腰元も連れずに、竜宮の乙姫さまをお訪ねすることはできはしませぬ。
『御免くださいませ……。』
私は思い切ってそう案内を乞いました。すると、年の頃十五位に見える、一人の可愛らしい小娘がそこへ現われました。服装は筒袖式の桃色の衣服、頭髪を左右に分けて、背部の方でくるくるとまるめて居るところは、何う見ても御国風よりは唐風に近いもので、私はそれが却って妙に御殿の構造にしっくりと当てはまって、大へん美しいように感ぜられました。
『私は小櫻と申すものでございますが、こちらの奥方にお目通りをいたし度く、わざわざお訪ねいたしました……。』
乙姫様とお呼び申すのも何やらおかしく、さりとて神様の御名を申上ぐるのも、何やら改まり過ぎるように感じられ、ツイうっかり奥方と申上げて了いました。こちらへ来ても矢張り私には現世時代の呼び癖がついてまわって居たものと見えます。それでも取次ぎの小娘には私の言葉がよく通じたらしく、『承知致しました。少々お待ちくださいませ。』と言って、踵をかえして急いで奥へ入って行きました。
『乙姫様に首尾よくお目通りが叶うかしら……。』
私は多少の不安を感じながら玄関前に佇みました。
二十三、豐玉姫と玉依姫
間もなく以前の小娘が再び現われました。
『何うぞおあがりくださいませ……。』
言われるままに私は小娘に導かれて、御殿の長い長い廊下を幾曲り、ずっと奥まれる一と間に案内されました。室は十畳許りの青畳を敷きつめた日本間でございましたが、さりとて日本風の白木造りでもありませぬ。障子、欄間、床柱などは黒塗り、又縁の欄干、庇、その他造作の一部は丹塗り、と言った具合に、とてもその色彩が複雑で、そして濃艶なのでございます。又お床の間には一幅の女神様の掛軸がかかって居り、その前には陶器製の竜神の置物が据えてありました。その竜神が素晴らしい勢で、かっと大きな口を開けて居たのが今も眼の前に残って居ります。
開け放った障子の隙間からはお庭もよく見えましたが、それが又手数の込んだ大そう立派な庭園で、樹草泉石のえも言われぬ配合は、とても筆紙につくせませぬ。京の銀閣寺、金閣寺の庭園も数奇の限りを尽した、大そう贅沢なものとかねてきき及んで居りますので、或る時私はこちらからのぞいて見たことがございますが、竜宮界のお庭に比べるとあれなどはとても段違いのように見受けられました。いかに意匠をこらしても、矢張り現世は現世だけの事しかできないものと見えます……。
ナニそのお室で乙姫様にお目にかかったか、と仰ッしゃるか――ホホホ大そうお待ち兼ねでございますこと……。ではお庭の話などはこれで切り上げて、早速乙姫様にお目通りをしたお話に移りましょう。――尤も私がその時お目にかかりましたのは、玉依姫様の方で、豐玉姫様ではございませぬ。申すまでもなく竜宮界で第一の乙姫様と仰ッしゃるのが豐玉姫様、第二の乙姫様が玉依姫様、つまりこの両方は御姉妹の間柄ということになって居るのでございますが、何分にも竜宮界の事はあまりにも奥が深く、私にもまだ御両方の関係がよく判って居りませぬ。お二人が果して本当に御姉妹の間柄なのか、それとも豐玉姫の御分霊が玉依姫でおありになるのか、何うもその辺がまだ充分私の腑に落ちないのでございます。ただしそれが何うあろうとも、この御二方が切っても切れぬ、深い因縁の姫神であらせられることは確かでございます。私は其の後幾度も竜宮界に参り、そして幾度も御両方にお目にかかって居りますので、幾分その辺の事情には通じて居るつもりでございます。
この豐玉姫様と言われる御方は、第一の乙姫様として竜宮界を代表遊ばされる、尊い御方だけに、矢張りどことなく貫禄がございます。何となく、竜宮界の女王様と言った御様子が自然にお躯に備わって居られます。お年齢は二十七八又は三十位にお見受けしますが、もちろん神様に実際のお年齢はありませぬ。ただ私達の眼にそれ位に拝まれるというだけで……。それからお顔は、どちらかといえば下ぶくれの面長、眼鼻立ちの中で何所かが特に取り立てて良いと申すのではなしに、どこもかしこもよく整った、まことに品位の備わった、立派な御標致、そしてその御物越しは至ってしとやか、私どもがどんな無躾な事柄を申上げましても、決してイヤな色一つお見せにならず、どこまでも親切に、いろいろと訓えてくださいます。その御同情の深いこと、又その御気性の素直なことは、どこの世界を捜しても、あれ以上の御方が又とあろうとは思われませぬ。それでいて、奥の方には凛とした、大そうお強いところも自ずと備わっているのでございます。
第二の乙姫様の方は、豐玉姫様に比べて、お年齢もずっとお若く、やっと二十一か二か位に思われます。お顔はどちらかといえば円顔、見るからに大そうお陽気で、お召物などはいつも思い切った華美造り、丁度桜の花が一時にぱっと咲き出でたというような趣がございます。私が初めてお目にかかった時のお服装は、上衣が白の薄物で、それに幾枚かの色物の下着を襲ね、帯は前で結んでダラリと垂れ、その外に幾条かの、ひらひらした長いものを捲きつけて居られました。これまで私どもの知っている服装の中では、一番弁天様のお服装に似て居るように思われました。
兎に角この両方は竜宮界切っての花形であらせられ、お顔もお気性も、何所やら共通の所があるのでございますが、しかし引きつづいて、幾代かに亘りて御分霊を出して居られる中には、御性質の相違が次第次第に強まって行き、末の人間界の方では、豐玉姫系と玉依姫系との区別が可なりはっきりつくようになって居ります。概して豐玉姫の系統を引いたものは、あまりはしゃいだところがなく、どちらかといえばしとやかで、引込思案でございます。これに反して玉依姫系統の方は至って陽気で、進んで人中にも出かけてまいります。ただ人並みすぐれて情義深いことは、お両方に共通の美点で、矢張り御姉妹の血筋は争われないように見受けられます……。
あれ、又しても話が側路へそれて先走って了いました。これから後へ戻って、私が初めて玉依姫様にお目にかかった時の概況を申上げることに致しましょう。
二十四、なさけの言葉
先刻も申上げたとおり、私は小娘に導かれて、あの華麗な日本間に通され、そして薄絹製の白の座布団を与えられて、それへ坐ったのでございますが、不図自分の前面のところを見ると、そこには別に一枚の花模様の厚い座布団が敷いてあるのに気づきました。『きっと乙姫様がここへお坐りなさるのであろう。』――私はそう思いながら、乙姫様に何と御挨拶を申上げてよいか、いろいろと考え込んで居りました。
と、何やら人の気配を感じましたので頭をあげて見ますと、天から降ったか、地から湧いたか、モーいつの間にやら一人の眩いほど美しいお姫様がキチンと設けの座布団の上にお坐りになられて、にこやかに私の事を見守ってお出でなさるのです。私はこの時ほどびっくりしたことはめったにございませぬ。私は急いで座布団を外して、両手をついて叩頭をしたまま、しばらくは何と御挨拶の言葉も口から出ないのでした。
しかし、玉依姫様の方では何所までも打解けた御様子で、尊い神様と申上げるよりはむしろ高貴の若奥方と言ったお物越しで、いろいろと優しいお言葉をかけくださるのでした。――
『あなたが竜宮へお出でなさることは、かねてからお通信がありましたので、こちらでもそれを楽しみに大へんお待ちしていました。今日はわたくしが代ってお逢いしますが、この次ぎは姉君様が是非お目にかかるとの仰せでございます。何事もすべてお心易く、一切の遠慮を棄てて、訊くべきことは訊き、語るべきことは語ってもらいます。あなた方が地の世界に降り、いろいろと現界の苦労をされるのも、つまりは深き神界のお仕組で、それがわたくし達にも又となき良い学問となるのです。きけばドウやらあなたの現世の生活も、なかなか楽なものではなかったようで……。』
いかにもしんみりと、溢るるばかりの同情を以て、何くれと話しかけてくださいますので、いつの間にやら私の方でも心の遠慮が除り去られ、丁度現世で親しい方と膝を交えて、打解けた気分でよもやまの物語に耽ると言ったようなことになりました。帰幽以来何十年かになりますが、私が斯んな打寛いだ、なごやかな気持を味わったのは実にこの時が最初でございました。
それから私は問われるままに、鎌倉の実家のこと、嫁入りした三浦家のこと、北條との戦闘のこと、落城後の侘住居のことなど、有りのままにお話ししました。玉依姫様は一々首肯きながら私の物語に熱心に耳を傾けてくだされ、最後に私が独りさびしく無念の涙に暮れながら若くて歿ったことを申上げますと、あの美しいお顔をばいとど曇らせて涙さえ浮べられました。――
『それはまァお気毒な……あなたも随分つらい修行をなさいました……。』
たッた一と言ではございますが、私はそれをきいて心から難有いと思いました。私の胸に積り積れる多年の鬱憤もドウやらその御一言できれいに洗い去られたように思いました。
『斯んなお優しい神様にお逢いすることができて、自分は何と幸福な身の上であろう。自分はこれから修行を積んで、斯んな立派な神様のお相手をしてもあまり恥かしくないように、一時も早く心の垢を洗い浄めねばならない……。』
私は心の底で固くそう決心したのでした。
二十五、竜宮雑話
一と通り私の身上噺が済んだ時に、今度は私の方から玉依姫様にいろいろの事をお訊ねしました。何しろ竜宮界の初上り、何一つ弁えてもいない不束者のことでございますから、随分つまらぬ事も申上げ、あちらではさぞ笑止に思召されたことでございましたろう。何をお訊ねしたか、今ではもう大分忘れて了いましたが、標本のつもりで一つ二つ想い出して見ることに致しましょう。
真先きに私がお訊ねしたのは浦島太郎の昔噺のことでございました。――
『人間の世界には、浦島太郎という人が竜宮へ行って乙姫さまのお婿様になったという名高いお伽噺がございますが、あれは実際あった事柄なのでございましょうか……。』
すると玉依姫様はほほとお笑い遊ばしながら、斯う訓えてくださいました。――
『あの昔噺が事実そのままでないことは申すまでもなけれど、さりとて全く跡方もないというのではありませぬ。つまり天津日継の皇子彦火々出見命様が、姉君の御婿君にならせられた事実を現世の人達が漏れきいて、あんな不思議な浦島太郎のお伽噺に作り上げたのでございましょう。最後に出て来る玉手箱の話、あれも事実ではありませぬ。別にこの竜宮に開ければ紫の煙が立ちのぼる、玉手箱と申すようなものはありませぬ。あなたもよく知るとおり、神の世界はいつまで経っても、露かわりのない永遠の世界、彦火々出見命様と豐玉姫様は、今も昔と同じく立派な御夫婦の御間柄でございます。ただ命様には天津日継の大切な御用がおありになるので、めったに御夫婦揃ってこの竜宮界にお寛ぎ遊ばすことはありませぬ。現に只今も命様には何かの御用を帯びて御出ましになられ、乙姫様は、ひとりさびしくお不在を預かって居られます。そんなところが、あのお伽噺のつらい夫婦の別離という趣向になったのでございましょう……。』
そう言って玉依姫には心持ちお顔を赧く染められました。
それから私は斯んな事もお訊きしました。――
『斯うして拝見致しますと竜宮は、いかにもきれいで、のんきらしく結構に思われますが、矢張り神様にもいろいろつらい御苦労がおありなさるのでございましょう?』
『よい所へお気がついてくれました。』と玉依姫様は大そうお歓びになってくださいました。
『寛いで他にお逢いする時には、斯んな奇麗な所に住んで、斯んな奇麗な姿を見せて居れど、わたくし達とていつも斯うしてのみはいないのです。人間の修行もなかなか辛くはあろうが、竜神の修行とて、それにまさるとも劣るものではありませぬ。現世には現世の執着があり、霊界には霊界の苦労があります。わたくしなどは今が修行の真最中、寸時もうかうかと遊んでは居りませぬ。あなたは今斯うしている私の姿を見て、ただ一人のやさしい女性と思うであろうが、実はこれは人間のお客様を迎える時の特別の姿、いつか機会があったら、私の本当の姿をお見せすることもありましょう。兎に角私達の世界にはなかなか人間に知られない、大きな苦労があることをよく覚えていてもらいます。それがだんだん判ってくれば、現世の人間もあまり我侭を申さぬようになりましょう……。』
こんな真面目なお話をなさる時には、玉依姫様のあの美しいお顔がきりりと引きしまって、まともに拝むことができないほど神々しく見えるのでした。
私がその日玉依姫様から伺ったことはまだまだ沢山ございますが、それはいつか別の機会にお話しすることにして、ただ爰で是非附け加えて置きたいことが一つございます。それは玉依姫の霊統を受けた多くの女性の中に弟橘姫が居られることでございます。『あの人はわたくしの分霊を受けて生まれたものであるが、あれが一ばん名高くなって居ります……。』そう言われた時には大そうお得意の御模様が見えていました。
一と通りおききしたいことをおききしてから、お暇乞いをいたしますと『又是非何うぞ近い中に……。』という有難いお言葉を賜わりました。私は心から朗かな気分になって、再び例の小娘に導かれて玄関に立ち出で、そこからはただ一気に途中を通過して、無事に自分の山の修行場に戻りました。
二十六、良人との再会
前回の竜宮行のお話は何となく自分にも気乗りがいたしましたが、今度はドーも億劫で、気おくれがして、成ろうことなら御免を蒙りたいように感じられてなりませぬ。帰幽後生前の良人との初対面の物語……婦女の身にとりて、これほどの難題はめったにありませぬ。さればとて、それが話の順序であれば、無理に省いて仕舞う訳にもまいりませず、本当に困って居るのでございまして……。ナニ成るべく詳しく有りのままを話せと仰っしゃるか。そんなことを申されると、尚更談話がし難くなって了います。修行未熟な、若い夫婦の幽界に於ける初めての会合――とても他人さまに吹聴するほど立派なものでないに決って居ります。おきき苦しい点は成るべく発表なさらぬようくれぐれもお依みして置きます……。
いつかも申上げた通り、私がこちらの世界へ参りましたのは、良人よりも一年余り遅れて居りました。後で伺いますと、私が死んだことはすぐ良人の許に通知があったそうでございますが、何分当時良人はきびしい修行の真最中なので、自分の妻が死んだとて、とてもすぐ逢いに行くというような、そんな女々しい気分にはなれなかったそうでございます。私は又私で、何より案じられるのは現世に残して置いた両親のことばかり、それに心を奪われて、自分よりも先へ死んで了っている良人のことなどはそれほど気にかからないのでした。『時節が来たら何れ良人にも逢えるであろう……。』そんな風にあっさり考えていたのでした。
右のような次第で、帰幽後随分永い間、私達夫婦は分れ分れになったきりでございました。むろん、これがすべての男女に共通のことなのか何うかは存じませぬ。これはただ私達がそうであったと申す丈のことで……。
そうする中に私は岩屋の修行場から、山の修行場に進み、やがて竜宮界の訪問も済んだ頃になりますと、私のような執着の強い婦女にも、幾分安心ができて来たらしいのが自覚されるようになりました。すると、こちらからは別に何ともお願いした訳でも何でもないのに、ある日突然神様から良人に逢わせてやると仰せられたのでございます。『そろそろ逢ってもよいであろう。汝の良人は汝よりもモー少し心の落付きができて来たようじゃ……。』指導役のお爺さんが、いとどまじめくさってそんなことを言われるので、私は気まりが悪くて仕方がなく、覚えず顔を真紅に染めて、一たんはお断りしました。――
『そんなことはいつでも宜しうございます。修行の後戻りがすると大変でございますから……。』
『イヤイヤ一度は逢わせることに、先方の指導霊とも手筈をきめて置いてある。良人と逢った位のことで、すぐ後戻りするような修行なら、まだとても本物とは言われぬ。斯んなことをするのも、矢張り修行の一つじゃ。神として無理にはすすめぬから、有りのままに答えるがよい。何うじゃ逢って見る気はないか?』
『それでは、宜しきようにお願いいたしまする……。』
とうとう私はお爺さんにそう御返答をして了いました。
二十七、会合の場所
私の修行場を少し下へ降りた山の半腹に、小ぢんまりとした一つの平地がございます。周囲には程よく樹木が生えて、丁度置石のように自然石があちこちにあしらってあり、そして一面にふさふさした青苔がぎっしり敷きつめられて居るのです。そこが私達夫婦の会合の場所と決められました。
あなたも御承知の通り、こちらの世界では、何をやるにも、手間暇間は要りません。思い立ったが吉日で、すぐに実行に移されて行きます。
『話が決った上は、これからすぐに出掛けるとしよう……。』
お爺さんは眉一つ動かされず、済まし切って先きに立たれますので、私も黙ってその後について出掛けましたが、しかし私の胸の裡は千々に砕けて、足の運びが自然遅れ勝ちでございました。
申すまでもなく、十幾年の間現世で仲よく連れ添った良人と、久しぶりで再会するというのでございますから、私の胸には、夫婦の間ならでは味われぬ、あの一種特別のうれしさが急にこみ上げて来たのは事実でございます。すべて人間というものは死んだからと言って、別にこの夫婦の愛情に何の変りがあるものではございませぬ。変っているのはただ肉体の有無だけ、そして愛情は肉体の受持ではないらしいのでございます。
が、一方にかくうれしさがこみあぐると同時に、他方には何やら空恐ろしいような感じが強く胸を打つのでした。何にしろここは幽界、自分は今修行の第一歩をすませて、現世の執着が漸くのことで少しばかり薄らいだというまでのよくよくの未熟者、これが幾十年ぶりかで現世の良人に逢った時に、果して心の平静が保てるであろうか、果して昔の、あの醜しい愚痴やら未練やらが首を擡げぬであろうか……何う考えて見ても自分ながら危ッかしく感じられてならないのでした。
そうかと思うと、私の胸のどこやらには、何やら気まりがわるくてしょうのないところもあるのでした。久し振りで良人と顔を合わせるのも気まりがわるいが、それよりも一層恥かしいのは神さまの手前でした。あんな素知らぬ顔をして居られても、一から十まで人の心の中を洞察かるる神様、『この女はまだ大分娑婆の臭みが残っているナ……。』そう思っていられはせぬかと考えると、私は全く穴へでも入りたいほど恥かしくてならないのでした。
それでも予定の場所に着く頃までには、少しは私の肚が据ってまいりました。『縦令何事ありとも涙は出すまい。』――私は固くそう決心しました。
先方へついて見ると、良人はまだ来て居りませんでした。
『まあよかった……。』その時私はそう思いました。いよいよとなると、矢張りまだ気おくれがして、少しでも時刻を延ばしたいのでした。
お爺さんはと見れば何所に風が吹くと言った面持で、ただ黙々として、あちらを向いて景色などを眺めていられました。
二十八、昔語り
良人がいよいよ来着したのは、それからしばしの後で、私が不図側見をした瞬間に、五十余りと見ゆる一人の神様に附添われて、忽然として私のすぐ前面に、ありし日の姿を現わしたのでした。
『あッ矢張り元の良人だ……。』
私は今更ながら生死の境を越えて、少しも変っていない良人の姿に驚嘆の眼を見張らずにはいられませんでした。服装までも昔ながらの好みで、鼠色の衣裳に大紋打った黒の羽織、これに袴をつけて、腰にはお定まりの大小二本、大へんにきちんと改った扮装なのでした。
これが現世での出来事だったら、その時何をしたか知れませぬが、さすがに神様の手前、今更取り乱したところを見られるのが恥かしうございますから、私は一生懸命になって、平気な素振をしていました。良人の方でも少しも弱味を見せず、落付払った様子をしていました。
しばし沈黙がつづいた後で、私から言葉をかけました。――
『お別れしてから随分長い歳月を経ましたが、図らずも今ここでお目にかかることができまして、心から嬉しうございます。』
『全く今日は思い懸けない面会であった。』と良人もやがて武人らしい、重い口を開きました。
『あの折は思いの外の乱軍、訣別の言葉一つかわす隙もなく、あんな事になって了い、そなたも定めし本意ないことであったであろう……。それにしてもそなたが、斯うも早くこちらの世界へ来るとは思わなかった。いつまでも安泰に生き長らえて居てくれるよう、自分としては蔭ながら祈願していたのであったが、しかし過ぎ去ったことは今更何とも致方がない。すべては運命とあきらめてくれるよう……。』
飾気のない良人の言葉を私は心からうれしいと思いました。
『昔の事はモー何とも仰っしゃってくださいますな。あたにお別れしてからの私は、お墓参りが何よりの楽しみでございましたが、矢張り寿命と見えて、直にお後を慕うことになりました。一時の間こそ随分くやしいとも、悲しいとも思いましたが、近頃は、ドーやらあきらめがつきました。そして思いがけない今日のお目通り、こんなうれしい事はございませぬ……。』
かれこれと語り合っている中にも、お互の心は次第次第に融け合って、さながらあの思出多き三浦の館で、主人と呼び、妻と呼ばれて、楽しく起居を偕にした時代の現世らしい気分が復活して来たのでした。
『いつまで立話しでもなかろう。その辺に腰でもかけるとしようか。』
『ほんにそうでございました。丁度ここに手頃の腰掛けがございます。』
私達は三尺ほど隔てて、右と左に並んでいる、木の切株に腰をおろしました。そこは監督の神様達もお気をきかせて、あちらを向いて、素知らぬ顔をして居られました。
対話はそれからそれへとだんだん滑かになりました。
『あなたは生前と少しもお変りがないばかりか、却って少しお若くなりはしませぬか。』
『まさかそうでもあるまいが、しかしこちらへ来てから何年経っても年齢を取らないというところが不思議じゃ。』と良人は打笑い、『それにしてもそなたは些と老けたように思うが……。』
『あなたとお別れしてから、いろいろ苦労をしましたので、自然窶が出たのでございましょう。』
『それは大へん気の毒なことであった。が、斯うなっては最早苦労のしようもないから、その中自然元気が出て来るであろう。早くそうなってもらいたい。』
『承知致しました。みっちり修行を積んで、昔よりも若々しくなってお目にかけます……。』
さして取りとめのない事柄でも、斯うして親しく語り合って居りますと、私達の間には言うに言われぬ楽しさがこみ上げて来るのでした。
二十九、身上話
ここで一つ変っているのは、私達が殆んど少しも現世時代の思い出話をしなかったことで、若しひょっとそれを行ろうとすると、何やら口が填って了うように感じられるのでした。
で、自然私達の対話は死んでから後の事柄に限られることになりました。私が真先きに訊いたのは良人の死後の自覚の模様でした。――
『あなたがこちらでお気がつかれた時はどんな塩梅でございましたか?』
『俺は実はそなたの声で眼を覚ましたのじゃ。』と良人はじっと私を見守り乍らポツリポツリ語り出しました。『そなたも知る通り、俺は自尽して果てたのじゃが、この自殺ということは神界の掟としてはあまりほめたことではないらしく、自殺者は大抵皆一たんは暗い所へ置かれるものらしい。俺も矢張りその仲間で、死んでからしばらくの間何事も知らずに無我夢中で日を過した。尤も俺のは、敵の手にかからない為めの、言わば武士の作法に協った自殺であるから、罪は至って軽かったようで、従って無自覚の期間もそう長くはなかったらしい。そうする中にある日不図そなたの声で名を呼ばれるように感じて眼を覚ましたのじゃ。後で神様から伺えば、これはそなたの一心不乱の祈願が、首尾よく俺の胸に通じたものじゃそうで、それと知った時の俺のうれしさはどんなであったか……。が、それは別の話、あの時は何をいうにも四辺が真暗でどうすることもできず、しばらく腕を拱いてぼんやり考え込んでいるより外に道がなかった。が、その中うっすりと光明がさして来て、今日送って来てくだされた、あのお爺さんの姿が眼に映った。ドーじゃ、眼が覚めたか?――そう言葉をかけられた時のうれしさ! 俺はてっきり自分を救ってくれた恩人であろうと思って、お名前は? と訊ねると、お爺さんはにっこりして、汝は最早現世の人間ではない。これから俺の申すところをきいて、十分に修行を積まねばならぬ。俺は産土の神から遣わされた汝の指導者である、と申しきかされた。その時俺ははっとして、これは最う愚図愚図していられないと思った。それから何年になるか知れぬが、今では少し幽界の修行も積み、明るい所に一軒の家屋を構えて住わして貰っている……。』
私は良人の素朴な物語を大へんな興味を以てききました。殊に私の生存中の心ばかりの祈願が、首尾よく幽明の境を越えて良人の自覚のよすがとなったというのが、世にもうれしい事の限りでした。
入れ代って今度は良人の方で、私の経歴をききたいということになりました。で、私は今丁度あなたに申上げるように、帰幽後のあらましを物語りました。私が生きている時から霊視がきくようになり、今では坐ったままで何でも見えると申しますと、『そなたは何と便利なものを神様から授っているであろう!』と良人は大へんに驚きました。又私がこちらで愛馬に逢った話をすると、『あの時は、そなたの希望を容れないで、勝手な名前をつけさせて大へんに済まなかった。』と良人は丁寧に詫びました。その外さまざまの事がありますが、就中良人が非常に驚きましたのは私の竜宮行の物語でした。『それは飛んでもない面白い話じゃ。ドーもそなたの方が俺よりも資格がずっと上らしいぞ。俺の方が一向ぼんやりしているのに、そなたはいろいろ不思議なことをしている……。』と言って、大そう私を羨ましがりました。私も少し気の毒気味になり、『すべては霊魂の関係から役目が異うだけのもので、別に上下の差がある訳ではないでしょう。』と慰めて置きました。
私達はあまり対話に身が入って、すっかり時刻の経つのも忘れていましたが、不図気がついて見ると何処へ行かれたか、二人の神さん達の姿はその辺に見当らないのでした。
私達は期せずして互に眼と眼を見合わせました。
三十、永遠の愛
思い切って私はここに懺悔しますが、四辺に神さん達の眼が見張っていないと感付いた時に、私の心が急にむらむらとあらぬ方向へ引きづられて行ったことは事実でございます。
『久しぶりでめぐり合った夫婦の仲だもの、せめて手の先尖位は触れても見たい……。』
私の胸はそうした考えで、一ぱいに張りつめられて了いました。
物堅い良人の方でも、うわべはしきりに耐え耐えて居りながら、頭脳の内部は矢張りありし昔の幻影で充ち充ちているのがよく判るのでした。
とうとう堪えきれなくなって、私はいつしか切株から離れ、あたかも磁石に引かれる鉄片のように、一歩良人の方へと近づいたのでございます……。
が、その瞬間、私は急に立ち止って了いました。それは今まではっきりと眼に映っていた良人の姿が、急にスーッと消えかかったのに驚かされたからでございます。
『この眼がどうかしたのかしら……。』
そう思って、一歩退いて見直しますと、良人は矢張り元の通りはっきりした姿で、切株に腰かけて居るのです。
が、再び一歩前へ進むと、又もやすぐに朦朧と消えかかる……。
二度、三度、五度、幾度くりかえしても同じことなのです。
いよいよ駄目と悟った時に、私はわれを忘れてその場に泣き伏して了いました……。
× × × ×
『何うじゃ少しは悟れたであろうが……。』
私の肩に手をかけて、そう言われる者があるので、びっくりして涙の顔をあげて振り返って見ますと、いつの間に戻られたやら、それは私の指導役のお爺さんなのでした。私はその時穴があったら入りたいように感じました。
『最初から申しきかせた通り、一度逢った位ですぐ後戻りする修行はまだ本物とは言われない。』とお爺さんは私達夫婦に向って諄々と説ききかせて下さるのでした。『汝達には、姿はあれど、しかしそれは元の肉体とはまるっきり異ったものじゃ。強いて手と手を触れて見たところで、何やらかさかさとした、丁度張子細工のような感じがするばかり、そこに現世で味わったような甘味も面白味もあったものではない。尚お汝は先刻、良人の後について行って、昔ながらの夫婦生活でも営みたいように思ったであろうが……イヤ隠しても駄目じゃ、神の眼はどんなことでも見抜いているから……しかしそんな考えは早くすてねばならぬ。もともと二人の住むべき境涯が異っているのであるから、無理にそうした真似をしても、それは丁度鳥と魚とが一緒に住おうとするようなもので、ただお互に苦しみを増すばかりじゃ。そち達は矢張り離れて住むに限る。――が、俺が斯う申すのは、決して夫婦間の清い愛情までも棄てよというのではないから、その点は取り違いをせぬように……。陰陽の結びは宇宙万有の切っても切れぬ貴い御法則、いかに高い神々とてもこの約束からは免れない。ただその愛情はどこまでも浄められて行かねばならぬ。現世の夫婦なら愛と欲との二筋で結ばれるのも止むを得ぬが、一たん肉体を離れた上は、すっかり欲からは離れて了わねばならぬ。そち達は今正にその修行の真最中、少し位のことは大目に見逃がしてもやるが、あまりにそれに走ったが最後、結局幽界の落伍者として、亡者扱いを受け、幾百年、幾千年の逆戻りをせねばならぬ。俺達が受持っている以上、そち達に断じてそんな見苦しい真似わさせられぬ。これからそち達はどこまでも愛し合ってくれ。が、そち達はどこまでも浄い関係をつづけてくれ……。』
× × × ×
それから少時の後、私達はまるで生れ変ったような、世にもうれしい、朗かな気分になって、右と左とに袂を別ったことでございました。
ついでながら、私と私の生前の良人との関係は今も尚お依然として続いて居り、しかもそれはこのまま永遠に残るのではないかと思われます。が、むろんそれが互に許し合った魂と魂との浄き関係であることは、改めて申上げるまでもないと存じます。
三十一、香織女
良人との再会の模様を物語りました序に、同じ頃私がこちらで面会を遂げた二三の人達のお話をつづけることに致しましょう。縁もゆかりもない今の世の人達には、さして興味もあるまいと思いますが、私自身には、なかなか忘れられない事柄だったのでございます。
その一つは私がまだ実家に居た頃、腰元のようにして可愛がって居た、香織という一人の女性との会合の物語でございます。香織は私よりは年齢が二つ三つ若く、顔立はあまり良くもありませぬが、眼元の愛くるしい、なかなか悧溌な児でございました。身元は長谷部某と呼ぶ出入りの徒士の、たしか二番目の娘だったかと覚えて居ります。
私が三浦へ縁づいた時に、香織は親元へ戻りましたが、それでも所中鎌倉からはるばる私の所へ訪ねてまいり、そして何年経っても私の事を『姫さま姫さま』と呼んで居りました。その中香織も縁あって、鎌倉に住んでいる、一人の侍の許に嫁ぎ、夫婦仲も大そう円満で、その間に二人の男の児が生れました。気質のやさしい香織は大へんその子供達を可愛がって、三浦へまいる時は、一緒に伴て来たことも幾度かありました。
そんな事はまるで夢のようで、詳しい事はすっかり忘れましたが、ただ私が現世を離れる前に、香織から心からの厚い看護を受けた事丈は、今でも深く深く頭脳の底に刻みつけられて居ります。彼女は私の母と一緒に、例の海岸の私の隠れ家に詰め切って、それはそれは親身になってよく尽してくれ、私の病気が早く治るようにと、氏神様へ日参までしてくれるのでした。
ある日などは病床で香織から頭髪を解いて貰ったこともございました。私の頭髪は大へんに沢山で、日頃母の自慢の種でございましたが、その頃はモー床に就き切りなので、見る影もなくもつれて居ました。香織は櫛で解かしながらも、『折角こうしてきれいにしてあげても、このままつくねて置くのが惜しい。』と言ってさんざんに泣きました。傍で見ていた母も、『モー一度治って、晴衣を着せて見たい……。』と言って、泣き伏して了いました。斯んな話をしていると、私の眼には今でもその場の光景が、まざまざと映ってまいります……。
いよいよ最う駄目と観念しました時に、私は自分が日頃一ばん大切にしていた一襲の小袖を、形見として香織にくれました。香織はそれを両手にささげ、『たとえお別れしても、いつまでもいつまでも姫さまの紀念に大切に保存いたします……。』と言いながら、声も惜まず泣き崩れました。が、私の心は、モーその時分には、思いの外に落付いて了って、現世に別れるのがそう悲しくもなく、黙って眼を瞑ると、却って死んだ良人の顔がスーッと眼前に現われて来るのでした。
兎に角こんなにまで深い因縁のあった女性でございますから、こちらの世界へ来ても矢張り私のことを忘れない筈でございます。ある日私が御神前で統一の修行をして居りますと、急に躯がぶるぶると慓えるように感じました。何気なく背後を振り返って見ると、年の頃やや五十許と見ゆる一人の女性が坐って居りました。それが香織だったのでございます。
三十二、無理な願
『何やら昔の香織らしい面影が残って居れど、それにしては随分老け過ぎている……。』私が、そう考えて躊躇して居りますと、先方では、さも待ち切れないと言った様子で、膝をすり寄せてまいりました。――
『姫さまわたくしをお忘れでございますか……香織でございます……。』
『矢張りそうであったか。――私はそなたがまだ息災で現世に暮して居るものとばかり思っていました。一たいいつ歿ったのじゃ……。』
『もう、かれこれ十年位にもなるでございましょう。私のようなつまらぬものは、とてもこちらで姫さまにお目にかかれまいとあきらめて居りましたが、今日図らずも念願がかない、こんなうれしいことはございませぬ。よくまァ御無事で……些ッとも姫さまは往時とお変りがございませぬ。お懐かしう存じます……。』現世らしい挨拶をのべながら、香織はとうとう私の躯にしがみついて、泣き入りました。私もそうされて見れば、そこは矢張り人情で、つい一緒になって泣いて了いました。
心の昂奮が一応鎮まってから、私達の間には四方八方の物語が一しきりはずみました。――
『そなたは一たい、何処が悪くて歿ったのじゃ?』
『腹部の病気でございました。針で刺されるようにキリキリと毎日悩みつづけた末に、とうとうこんなことになりまして……。』
『それは気の毒であったが、何うしてそなたの死ぬことが、私の方へ通じなかったのであろう……。普通なら臨終の思念が感じて来ない筈はないと思うが……。』
『それは皆わたくしの不心得の為めでございます。』と香織は面目なげに語るのでした。『日頃わたくしは、死ねば姫さまの形見の小袖を着せてもらって、すぐお側に行ってお仕えするのだなどと、口癖のように申していたのでございますが、いざとなってさッぱりそれを忘れて了ったのでございます。どこまでも執着の強い私は、自分の家族のこと、とりわけ二人の子供のことが気にかかり、なかなか死切れなかったのでございます。こんな心懸の良くない女子の臨終の通報が、どうして姫さまのお許にとどく筈がございましょう。何も彼も皆私が悪かった為めでございます。』
正直者の香織は、涙ながらに、臨終に際して、自分の心懸の悪かったことをさんざん詫びるのでした。しばらくして彼女は言葉をつづけました。――
『それでもこちらへ来て、いろいろと神様からおさとしを受けたお蔭で、わたくしの現世の執着も次第に薄らぎ、今では修行も少し積みました。が、それにつれて、日ましに募って来るのは姫さまをお慕い申す心で、こればかりは何うしても我慢がしきれなくなり、幾度神様に、逢わせていただきたいとお依みしたか知れませぬ。でも神さまは、まだ早い早いと仰せられ、なかなかお許しが出ないのでございます。わたくしはあまりのもどかしさに、よくないことと知りながらもツイ神様に喰ってかかり、さんざん悪口を吐いたことがございました。それでも神様の方では、格別お怒りにもならず、内々姫さまのところをお調べになって居られたものと見えまして、今度いよいよ時節が来たとなりますと、御自身で私を案内して、連れて来て下すったのでございます。――姫さま、お願いでございます、これからは、どうぞお側にわたくしを置いてくださいませ。わたくしは、昔のとおり姫さまのお身のまわりのお世話をして上げたいのでございます……。』
そう言って香織は又もや私に縋りつくのでした。
これには私もほとほと持ちあつかいました。
『神界の掟としてそればかりは許されないのであるが……。』
『それは又何ういう訳でございますか? わたくしは是非こちらへ置いて戴きたいのでございます。』
『それは現世ですることで、こちらの世界では、そなたも知る通り、衣服の着がえにも、頭髪の手入にも、少しも人手は要らぬではないか。それに何とも致方のないのはそれぞれの霊魂の因縁、めいめいきちんと割り当てられた境涯があるので、たとえ親子夫婦の間柄でも、自分勝手に同棲することはできませぬ。そなたの芳志はうれしく思いますが、こればかりはあきらめてたもれ。逢おうと思えばいつでも逢える世界であるから何処に住まなければならぬということはない筈じゃ。それほど私のことを思ってくれるのなら、そんな我侭を言うかわりに、みっしり身相応の修行をしてくれるがよい。そして思い出したらちょいちょい私の許に遊びに来てたもれ……。』
最初の間、香織はなかなか腑に落ちぬらしい様子をしていましたが、それでも漸くききわけて、尚おしばらく語り合った上で、その日は暇を告げて自分の所へ戻って行きました。
今でも香織とは絶えず通信も致しまするし、又たまには逢いも致します。香織はもうすっかり明るい境涯に入り、顔なども若返って、自分にふさわしい神様の御用にいそしんで居ります。
三十三、自殺した美女
今度は入れ代って、或る事情の為めに自殺を遂げた一人の女性との会見のお話を致しましょう。少々陰気くさい話で、おききになるに、あまり良いお気持はしないでございましょうが、斯う言った物語も現世の方々に、多少の御参考にはなろうかと存じます。
その方は生前私と大へんに仲の良かったお友達の一人で、名前は敦子……あの敦盛の敦という字を書くのでございます。生家は畠山と言って、大そう由緒ある家柄でございます。その畠山家の主人と私の父とが日頃別懇にしていた関係から、私と敦子さまとの間も自然親しかったのでございます。お年齢は敦子さまの方が二つばかり下でございました。
お母さまが大へんお美しい方であった為め、お母さま似の敦子さまも眼の覚めるような御縹緻で、殊にその生際などは、慄えつくほどお綺麗でございました。『あんなにお美しい御縹緻に生れて敦子さまは本当に仕合せだ……。』そう言ってみんなが羨ましがったものでございますが、後で考えると、この御縹緻が却ってお身の仇となったらしく、矢張り女は、あまり醜いのも困りますが、又あまり美しいのもどうかと考えられるのでございます。
敦子さまの悩みは早くも十七八の娘盛りから始まりました。諸方から雨の降るようにかかって来る縁談、中には随分これはというのもあったそうでございますが、敦子さまは一つなしに皆断って了うのでした。これにはむろん訳があったのでございます。親戚の、幼馴染の一人の若人……世間によくあることでございますが、敦子さまは早くから右の若人と思い思われる仲になり、末は夫婦と、内々二人の間に堅い約束ができていたのでございました。これが望みどおり円満に収まれば何の世話はないのでございますが、月に浮雲、花に風とやら、何か両家の間に事情があって、二人は何うあっても一緒になることができないのでした。
こんな事で、敦子さまの婚期は年一年と遅れて行きました。敦子さまは後にはすっかり棄鉢気味になって、自分は生涯嫁には行かないなどと言い張って、ひどく御両親を困らせました。ある日敦子さまが私の許へ訪れましたので、私からいろいろ言いきかせてあげたことがございました。『御自分同志が良いのは結構であるが、斯ういうことは、矢張り御両親のお許諾を得た方がよい……。』どうせ私の申すことはこんな堅苦しい話に決って居ります。これをきいて敦子さまは別に反対もしませんでしたが、さりとて又成る程と思いかえしてくれる模様も見えないのでした。
それでも、その後幾年か経って、男の方があきらめて、何所からか妻を迎えた時に、敦子さまの方でも我が折れたらしく、とうとう両親の勧めに任せて、幕府へ出仕している、ある歴々の武士の許へ嫁ぐことになりました。それは敦子さまがたしか二十四歳の時でございました。
縁談がすっかり整った時に、敦子さまは遥るばる三浦まで御挨拶に来られました。その時私の良人もお目にかかりましたが、後で、『あんな美人を妻に持つ男子はどんなに仕合わせなことであろう……。』などと申した位に、それはそれは美しい花嫁姿でございました。しかし委細の事情を知って居る私には、あの美しいお顔の何所やらに潜む、一種の寂しさ……新婚を歓ぶというよりか、寧しろつらい運命に、仕方なしに服従していると言ったような、やるせなさがどことなく感じられるのでした。
兎も角こんな具合で、敦子さまは人妻となり、やがて一人の男の児が生れて、少くとも表面には大そう幸福らしい生活を送っていました。落城後私があの諸磯の海辺に佗住居をして居た時分などは、何度も何度も訪れて来て、何かと私に力をつけてくれました。一度は、敦子さまと連れ立ちて、城跡の、あの良人の墓に詣でたことがございましたが、その道すがら敦子さまが言われたことは今も私の記憶に残って居ります。――
『一たい恋しい人と別れるのに、生別れと死別れとではどちらがつらいものでしょうか……。事によると生別れの方がつらくはないでしょうか……。あなたの現在のお身上もお察し致しますが、少しは私の身の上も察してくださいませ。私は一つの生きた屍、ただ一人の可愛い子供があるばかりに、やっとこの世に生きていられるのです。若しもあの子供がなかったら、私などは夙の昔に……。』
現世に於ける私と敦子さまとの関係は大体こんなところでお判りかと存じます。
三十四、破れた恋
それから程経て、敦子さまが死んだこと丈は何かの機会に私に判りました。が、その時はそう深くも心にとめず、いつか逢えるであろう位に軽く考えていたのでした。それより又何年経ちましたか、或る日私が統一の修行を終えて、戸外に出て、四辺の景色を眺めて居りますと、私の守護霊……この時は指導役のお爺さんでなく、私の守護霊から、私に通信がありました。『ある一人の女性が今あなたを訪ねてまいります。年の頃は四十余りの、大そう美しい方でございます。』私は誰かしらと思いましたが、『ではお目にかかりましょう。』とお答えしますと、程なく一人のお爺さんの指導霊に連れられて、よく見覚えのある、あの美しい敦子さまがそこへひょっくりと現われました。
『まァお久しいことでございました。とうとうあなたと、こちらでお会いすることになりましたか……。』
私が近づいて、そう言葉をかけましたが、敦子さまは、ただ会釈をしたのみで、黙って下方を向いた切り、顔の色なども何所やら暗いように見えました。私はちょっと手持無沙汰に感じました。
すると案内のお爺さんが代って簡単に挨拶してくれました。――
『この人は、まだ御身に引き合わせるのには少し早過ぎるかとは思われたが、ただ本人が是非御身に逢いたい、一度逢わせてもらえば、気持が落ついて、修行も早く進むと申すので、御身の守護霊にも依んで、今日わざわざ連れてまいったような次第……御身とは生前又となく親しい間柄のように聞き及んでいるから、いろいろとよく言いきかせて貰いたい……。』
そう言ってお爺さんは、そのままプイと帰って了いました。私はこれには、何ぞ深い仔細があるに相違ないと思いましたので、敦子さまの肩に手をかけてやさしく申しました。――
『あなたと私とは幼い時代からの親しい間柄……殊にあなたが何回も私の佗住居を訪れていろいろと慰めてくだされた、あの心尽しは今もうれしい思い出の一つとなって居ります。その御恩がえしというのでもありませぬが、こちらの世界で私の力に及ぶ限りのことは何なりとしてあげます。何うぞすべてを打明けて、あなたの相談相手にしていただきます。兎も角もこちらへお入りくださいませ。ここが私の修行場でございます……。』
敦子さまは最初はただ泣き入るばかり、とても話をするどころではなかったのですが、それでも修行場の内部へ入って、そこの森とした、浄らかな空気に浸っている中に、次第に心が落ついて来て、ポツリポツリと言葉を切るようになりました。
『あなたは、こんな神聖な境地で立派な御修行、私などはとても段違いで、あなたの足元にも寄りつけはしませぬ……。』
こんな言葉をきっかけに、敦子さまは案外すらすらと打明話をすることになりましたが、最初想像したとおり、果して敦子さまの身の上には、私の知っている以上に、いろいろこみ入った事情があり、そして結局飛んでもない死方――自殺を遂げて了ったのでした。敦子さまは、斯んな風に語り出でました。――
『生前あなたにも、あるところまでお漏らししたとおり、私達夫婦の仲というものは、うわべとは大へんに異い、それはそれは暗い、冷たいものでございました。最初の恋に破れた私には、もともと他所へ縁づく気持などは少しもなかったのでございましたが、ただ老いた両親に苦労をかけては済まないと思ったばかりに、死ぬるつもりで躯だけは良人にささげましたものの、しかし心は少しも良人のものではないのでした。愛情の伴わぬ冷たい夫婦の間柄……他人さまのことは存じませぬが、私にとりて、それは、世にも浅ましい、つまらないものでございました……。嫁入りしてから、私は幾度自害しようとしたか知れませぬ。わたくしが、それもえせずに、どうやら生き永らえて居りましたのは、間もなく私が身重になった為めで、つまり私というものは、ただ子供の母として、惜くもないその日その日を送っていたのでございました。』
『こんな冷たい妻の心が、何でいつまで良人の胸にひびかぬ筈がございましょう。ヤケ気味になった良人はいつしか一人の側室を置くことになりました。それからの私達の間には前にもまして、一層大きな溝ができて了い、夫婦とはただ名ばかり、心と心とは千里もかけ離れて居るのでした。そうする中にポックリと、天にも地にもかけ換のない、一粒種の愛児に先立たれ、そのまま私はフラフラと気がふれたようになって、何の前後の考もなく、懐剣で喉を突いて、一図に小供の後を追ったのでございました……。』
敦子さまの談話をきいて居りますと、私までが気が変になりそうに感ぜられました。そして私には敦子さまのなされたことが、一応尤もなところもあるが、さて何やら、しっくり腑に落ちないところもあるように考えられて仕方がないのでした。
三十五、辛い修行
それから引きつづいて敦子さまは、こちらの世界に目覚めてからの一伍一什を私に物語ってくれましたが、それは私達のような、月並な婦女の通った路とは大へんに趣が異いまして、随分苦労も多く、又変化にも富んで居るものでございました。私は今ここでその全部をお漏しする訳にもまいりませんが、せめて現世の方に多少参考になりそうなところだけは、成るべく漏れなくお伝えしたいと存じます。
敦子さまが、こちらで最初置かれた境涯は随分みじめなもののようでございました。これが敦子さま御自身の言葉でございます。――
『死後私はしばらくは何事も知らずに無自覚で暮しました。従ってその期間がどれ位つづいたか、むろん判る筈もございませぬ。その中不図誰かに自分の名を呼ばれたように感じて眼を開きましたが、四辺は見渡すかぎり真暗闇、何が何やらさっぱり判らないのでした。それでも私はすぐに、自分はモー死んでいるな、と思いました。もともと死ぬる覚悟で居ったのでございますから、死ということは私には何でもないものでございましたが、ただ四辺の暗いのにはほとほと弱って了いました。しかもそれがただの暗さとは何となく異うのでございます。例えば深い深い穴蔵の奥と言ったような具合で、空気がしっとりと肌に冷たく感じられ、そして暗い中に、何やらうようよ動いているものが見えるのです。それは丁度悪夢に襲われているような感じで、その無気味さと申したら、全くお話しになりませぬ。そしてよくよく見つめると、その動いて居るものが、何れも皆異様の人間なのでございます。――頭髪を振り乱しているもの、身に一糸を纏わない裸体のもの、血みどろに傷いて居るもの……ただの一人として満足の姿をしたものは居りませぬ。殊に気味の悪かったのは私のすぐ傍に居る、一人の若い男で、太い荒縄で、裸身をグルグルと捲かれ、ちっとも身動きができなくされて居ります。すると、そこへ瞋の眥を釣り上げた、一人の若い女が現われて、口惜しい口惜しいとわめきつづけながら、件の男にとびかかって、頭髪を毮ったり、顔面を引っかいたり、足で蹴ったり、踏んだり、とても乱暴な真似をいたします。私はその時、きっとこの女はこの男の手にかかって死んだのであろうと思いましたが、兎に角こんな苛責の光景を見るにつけても、自分の現世で犯した罪悪がだんだん怖くなってどうにも仕方なくなりました。私のような強情なものが、ドーやら熱心に神様にお縋りする気持になりかけたのは、偏にこの暗闇の内部の、世にもものすごい懲戒の賜でございました……。』
敦子さまの物語はまだいろいろありましたが、だんだんきいて見ると、あの方が何より神様からお叱りを受けたのは、自殺そのものよりも、むしろそのあまりに強情な性質……一たん斯うと思えば飽までそれを押し通そうとする、我侭な気性の為めであったように思われました。敦子さまはこんな事も言いました。――
『私は生前何事も皆気随気侭に押しとおし、自分の思いが協わなければこの世に生甲斐がないように考えて居りました。一生の間に私が自分の胸の中を或る程度まで打明けたのは、あなたお一人位のもので、両親はもとよりその他の何人にも相談一つしたことはございませぬ。これが私の身の破滅の基だったのでございます。その性質はこちらの世界へ来てもなかなか脱けず、御指導の神様に対してさえ、すべてを隠そう隠そうと致しました。すると或時神様は、汝の胸に懐いていること位は、何も彼もくわしく判っているぞ、と仰せられて、私が今まで極秘にして居った、ある一つの事柄……大概お察しでございましょうが、それをすつぱりと言い当てられました。これにはさすがの私も我慢の角を折り、とうとう一切を懺悔してお恕しを願いました。その為めに私は割合に早くあの地獄のような境地から脱け出ることができました。尤も私の先祖の中に立派な善行のものが居ったお蔭で、私の罪までがよほど軽くされたと申すことで……。何れにしても私のような強情な者は、現世に居っては人に憎まれ、幽界へ来ては地獄に落され、大へんに損でございます。これにつけて、私は一つ是非あなたに折入ってお詫びしなければならぬことがございます。実はこのお詫をしたいばかりに、今日わざわざ神様にお依みして、つれて来て戴きましたような次第で……。』
敦子さまはそう言って、私に膝をすり寄せました。私は何事かしらと、襟を正しましたが、案外それはつまらないことでございました。――
『あなたの方で御記憶があるかドーかは存じませぬが、ある日私がお訪ねして、胸の思いを打ちあけた時、あなたは私に向い、自分同志が良いのも結構だが、斯ういうことは矢張り両親の許諾を得る方がよい、と仰っしゃいました。何を隠しましょう、私はその時、この人には、恋する人の、本当の気持は判らないと、心の中で大へんにあなたを軽視したのでございます。
――しかし、こちらの世界へ来て、だんだん裏面から、人間の生活を眺めることが、できるようになって見ると、自分の間違っていたことがよく判るようになりました。私は矢張り悪魔に魅れて居たのでございました。――私は改めてここでお詫びを致します。何うぞ私の罪をお恕し遊ばして、元のとおりこの不束な女を可愛がって、行末かけてお導きくださいますよう……。』
× × × ×
この人の一生には随分過失もあったようで、従って帰幽後の修行には随分つらいところもありましたが、しかしもともとしっかりした、負けぬ気性の方だけに、一歩一歩と首尾よく難局を切り抜けて行きまして、今ではすっかり明るい境涯に達して居ります。それでも、どこまでも自分の過去をお忘れなく、『自分は他人さまのように立派な所へは出られない。』と仰っしゃって、神様にお願いして、わざと小さな岩窟のような所に籠って、修行にいそしんで居られます。これなどは、むしろ私どもの良い亀鑑かと存じます。
三十六、弟橘姫
あまりに平凡な人達の噂ばかりつづきましたから、その埋合せという訳ではございませぬが、今度はわが国の歴史にお名前が立派に残っている、一人の女性にお目にかかったお話を致しましょう。外でもない、それは大和武尊様のお妃の弟橘姫様でございます……。
私達の間をつなぐ霊的因縁は別と致しましても、不思議に在世中から私は弟橘姫様と浅からぬ関係を有って居りました。御存じの通り姫のお祠は相模の走水と申すところにあるのですが、あそこは私の縁づいた三浦家の領地内なのでございます。で、三浦家ではいつも社殿の修理その他に心をくばり、又お祭でも催される場合には、必ず使者を立てて幣帛を献げました。何にしろ婦女の亀鑑として世に知られた御方の霊場なので、三浦家でも代々あそこを大切に取扱って居たらしいのでございます。そして私自身もたしか在世中に何回か走水のお祠に参拝致しました……。
ナニその時分の記憶を物語れと仰っしゃるか……随分遠い遠い昔のことで、まるきり夢のような感じがするばかり、とてもまとまったことは想い出せそうもありませぬ。たしか走水という所は浦賀の入江からさまで遠くもない、海と山との迫り合った狭い漁村で、そして姫のお祠は、その村の小高い崖の半腹に建って居り、石段の上からは海を越えて上総房州が一と目に見渡されたように覚えて居ります。
そうそういつか私がお詣りしたのは丁度春の半ばで、あちこちの山や森には山桜が満開でございました。走水は新井の城から三四里ばかりも隔った地点なので、私はよく騎馬で参ったのでした。馬はもちろん例の若月で、従者は一人の腰元の外に、二三人の家来が附いて行ったのでございます。道は三浦の東海岸に沿った街道で、たしか武山とか申す、可成り高い一つの山の裾をめぐって行くのですが、その日は折よく空が晴れ上っていましたので、馬上から眺むる海と山との景色は、まるで絵巻物をくり拡げたように美しかったことを今でも記憶して居ります。全くあの三浦の土地は、海の中に突き出た半島だけに、景色にかけては何処にもひけは取りませぬようで……。尤もそれは現世での話でございます。こちらの世界には竜宮界のようなきれいな所がありまして、三浦半島の景色がいかに良いと申しても、とてもくらべものにはなりませぬ。
領主の奥方が御通過というので百姓などは土下座でもしたか、と仰っしゃるか……ホホまさかそんなことはございませぬ。すれ違う時にちょっと道端に避けて首をさげる丈でございます。それすら私には気づまりに感じられ、ツイ外へ出るのが億劫で仕方がないのでした。幸いこちらの世界へ参ってから、その点の気苦労がすっかりなくなったのは嬉しうございますが、しかしこちらの旅はあまり、あっけなくて、現世でしたように、ゆるゆると道中の景色を味わうような面白味はさっぱりありませぬ……。
こんな夢物語をいつまで続けたとて致方がございませぬから、良い加減に切り上げますが、兎に角弟橘姫様に対する敬慕の念は在世中から深く深く私の胸に宿って居たことは事実でございました。『尊のお身代りとして入水された時の姫のお心持ちはどんなであったろう……。』祠前に額いて昔を偲ぶ時に、私の両眼からは熱い涙がとめどなく流れ落ちるのでした。
ところがいつか竜宮界を訪れた時に、この弟橘姫様が玉依姫様の末裔――御分霊を受けた御方であると伺いましたので、私の姫をお慕い申す心は一層強まってまいりました。『是非とも、一度お目にかかって、いろいろお話を承り、又お力添を願わねばならぬ……。』――そう考えると矢も楯もたまらぬようになり、とうとうその旨を竜宮界にお願いすると、竜宮界でも大そう歓ばれ、すぐその手続きをしてくださいました。
私がこちらで弟橘姫様にお目通りすることになったのはこんな事情からでございます。
三十七、初対面
竜宮界からかねて詳しい指図を受けて居りましたので、その時の私は思い切ってたった一人で出掛けました。初対面のこと故、服装なども失礼にならぬよう、日頃好みの礼装に、例の被衣を羽織ました。
ヅーッと何処までもつづく山路……大へん高い峠にかかったかと思うと、今度は降り坂になり、右に左にくねくねとつづらに折れて、時に樹木の間から蒼い海原がのぞきます。やがて行きついた所はそそり立つ大きな巌と巌との間を刳りとったような狭い峡路で、その奥が深い深い洞窟になって居ります。そこが弟橘姫様の日頃お好みの御修行場で、洞窟の入口にはチャーンと注連縄が張られて居りました。むろん橘姫様はいつもここばかりに引籠って居られるのではないのです。現世に立派なお祠があるとおり、こちらの世界にも矢張りそう言ったものがあり、御用があればすぐそちらへお出ましになられるそうで……。
『御免遊ばしませ……。』
口にこそ出しませんが、私は心でそう思って、会釈して洞窟の内部へ歩み入りますと、早くもそれと察して奥の方からお出ましになられたのは、私が年来お慕い申していた弟橘姫様でございました。打ち見るところお年齢はやっと二十四五、小柄で細面の、大そう美しい御縹緻でございますが、どちらかといえば少し沈んだ方で、きりりとやや釣り気味の眼元には、すぐれた御気性がよく伺われました。御召物は、これは又私どもの服装とはよほど異いまして、上衣はやや広い筒袖で、色合いは紫がかって居りました、下衣は白地で、上衣より二三寸下に延び、それには袴のように襞が取ってありました。頭髪は頭の頂辺で輪を造ったもので、ここにも古代らしい匂が充分に漂って居りました。又お履物は黒塗りの靴見いなものですが、それは木の皮か何ぞで編んだものらしく、そう重そうには見えませんでした……。
『私は斯ういうものでございますが、現世に居りました時から深くあなた様をお慕い申し、殊に先日乙姫さまから委細を承りましてから、一層お懐かしく、是非一度お目通りを願わずには居られなくなりました、一向何事も弁えぬ不束者でございますが、これからは末長くお教えを受けさせて戴きとう存じまする……。』
『かねて乙姫様からのお言葉により、あなたのお出でを心待ちにお待ち申して居りました。』とあちら様でも大そう歓んで私を迎えてくださいました。『自分とて、ただ少し早くこちらの世界へ引移ったという丈、これからはともどもに手を引き合って、修行することに致しましょう。何うぞこちらへ……。』
その口数の少ない、控え目な物ごしが、私には何より有難く思われました。『矢張り歴史に名高い御方だけのことがある。』私は心の中で独りそう感心しながら、誘わるるままに岩屋の奥深く進み入りました。
私自身も山の修行場へ移るまでは、矢張り岩屋住いをいたしましたが、しかし、ここはずっと大がかりに出来た岩屋で、両側も天井ももの凄いほどギザギザした荒削りの巌になって居ました。しかし外面から見たのとは違って、内部はちっとも暗いことはなく、ほんのりといかにも落付いた光りが、室全体に漲って居りました。『これなら精神統一がうまくできるに相違ない。』餅屋は餅屋と申しますか、私は矢張りそんなことを考えるのでした。
ものの二丁ばかりも進んだ所が姫の御修行の場所で、床一面に何やらふわっとした、柔かい敷物が敷きつめられて居り、そして正面の棚見たいにできた凹所が神床で、一つの円い御神鏡がキチンと据えられて居るばかり、他には何一つ装飾らしいものは見当りませんでした。
私達は神床の前面に、左と右に向き合って座を占めました。その頃の私は最う大分幽界の生活に慣れて来ていましたものの、兎に角自分より千年あまりも以前に帰幽せられた、史上に名高い御方と斯うして膝を交えて親しく物語るのかと思うと、何やら夢でも見て居るように感じられて仕方がないのでした。
三十八、姫の生立
私達の間には、それからそれへと、物語がとめどなくはずみました。霊の因縁と申すものはまことに不思議な力を有っているものらしく、これが初対面であり乍ら、相互の間の隔ての籬はきれいに除り去られ、さながら血を分けた姉妹のように、何も彼もすっかり心の底を打ち明けたのでございました。
私というものは御覧の通り何の取柄もない、短かい生涯を送ったものでございますが、それでも弟橘姫様は私の現世時代の浮沈に対して心からの同情を寄せて、親身になってきいてくださいました。『あなたも随分苦労をなさいました……。』そう言って、私の手を執って涙を流された時は、私は忝いやら、難有いやらで胸が一ぱいになり、われを忘れて姫の御膝に縋りついて了いました。
が、そんな話はただ私だけのことで、あなた方には格別面白くも、又おかしくもございますまいが、ただ其折弟橘姫様御自身の口づから漏された遠き昔の思い出話――これはせめてその一端なりとここでお伝えして置きたいと存じます。何にしろ日本の歴史を飾る第一の花形といえば、女性では弟橘姫様、又男性では大和武尊様でございます。このお二人にからまる事蹟が少しでも現世の人達に伝わることになれば、私の拙き通信にも初めて幾らかの意義が加わる訳でごさいます。私にとりてこんな冥加至極なことはございませぬ。尤も私の申上ぐるところが果して日本の古い書物に載せてあることと合っているか、いないか、それは私にはさっぱり判りませぬ。私はただ自分が伺いましたままをお伝えする丈でございますから、その点はよくよくお含みの上で取拾して戴き度う存じます。
それからもう一つ爰でくれぐれもお断りして置きたいのは、私がお取次ぎすることが、決して姫御自身のお言葉そのままでなく、ただ意味だけを伝えることでございます。当時の言語は含蓄が深いと申しますか、そのままではとても私どもの腑に落ちかぬるところがあり、私としては、不躾と知りつつも、何度も何度も問いかえして、やっとここまで取りまとめたのでございます。で、多少は私のきき損ね、思い違いがないとも限りませぬから、その点も何卒充分にお含み下さいますよう……。
『あなた様の御生立を伺わして戴き度う存じまするが……。』
機会を見て私はそう切り出しました。すると姫はしばらく凝乎と考え込まれ、それから漸く唇を開かれたのでございました。――
『いかにも遠い昔のこと、所の名も人の名も、急には胸に浮びませぬ。――私の生れたところは安芸の国府、父は安藝淵眞佐臣……代々この国の司を承って居りました。尤も父は時の帝から召し出され、いつもお側に仕える身とて、一年の大部は不在勝ち、国元にはただ女小供が残って居るばかりでございました……。』
『御きょうだいもおありでございましたか。』
『自分は三人のきょうだいの中の頭、他は皆男子でございました。』
『いつもお国元のみにお暮らしでございましたか?』
『そうのみとも限りませぬ。偶には父のお伴をして大和にのぼり、帝のお目通りをいたしたこともございます……。』
『アノ大和武尊様とも矢張り大和の方でお目にかかられたのでございまするか?』
『そうではありませぬ……。国元の館で初めてお目にかかりました……。』
山間の湖水のように澄み切った、気高い姫のお顔にも、さすがにこの時は情思の動きが薄い紅葉となって散りました。私は構わず問いつづけました。――
『何卒その時の御模様をもう少しくわしく伺わせていただく訳にはまいりますまいか? あれほどまでに深い深い夫婦の御縁が、ただかりそめの事で結ばれる筈はないと存じますが……。』
『さァ……何所から話の糸口を手繰り出してよいやら……。』
姫はしばらくさし俯いて考え込んで居られましたが、その中次第にその堅い唇が少しづつ綻びてまいりました。お話の前後をつづり合わせると、大体それは次ぎのような次第でございました……。
三十九、見合い
それはたしかに、ある年の夏の初、館の森に蝉時雨が早瀬を走る水のように、喧しく聞えている、暑い真昼過ぎのことであったと申します――館の内部は降って湧いたような不時の来客に、午睡する人達もあわててとび起き、上を下への大騒ぎを演じたのも道理、その来客と申すのは、誰あろう、時の帝の珍の皇子、当時筑紫路から出雲路にかけて御巡遊中の小碓命様なのでございました。御随行の人数は凡そ五六十人、いずれも命の直属の屈強の武人ばかりでございました。序でにちょっと附け加えて置きますが、その頃命の直属の部下と申しますのは、いつもこれ位の小人数でしかなかったそうで、いざ戦闘となれば、何れの土地に居られましても、附近の武人どもが、後から後から馳せ参じて忽ち大軍になったと申します。『わざわざ遠方からあまたの軍兵を率いて御出征になられるようなことはありませぬ……。』橘姫はそう仰っしゃって居られました。何所へまいるにもいつも命の御随伴をした橘姫がそう申されることでございますから、よもやこれに間違はあるまいと存じます。
それは兎に角、不意の来客としては五六十人はなかなかの大人数でございます。ましてそれが日本国中にただ一人あって、二人とはない、軍の神様の御同勢とありましては大へんでございます。恐らく森の蝉時雨だって、ぴったり鳴き止んだことでございましょう。ただその際何より好都合であったのは、姫の父君が珍らしく国元へ帰って居られたことで、御自身采配を振って家人を指図し、心限りの歓待をされた為めに、少しの手落もなかったそうでございます。それについて姫は少しくお言葉を濁して居られましたが、何うやら小碓命様のその日の御立寄は必らずしも不意打ではなく、かねて時の帝から御内命があり、言わば橘姫様とお見合の為めに、それとなくお越しになられたらしいのでございます。
何れにしても姫はその夕、両親に促がされ、盛装してお側にまかり出で、御接待に当られたのでした。『何分にも年若き娘のこととて恥かしさが先立ち、格別のお取持もできなかった……。』姫はあっさりと、ただそれっきりしかお口には出されませんでしたが、何やらお二人の間を維いだ、切っても切れぬ固い縁の糸は、その時に結ばれたらしいのでございます。実際又何れの時代をさがしても、この御二人ほどお似合の配偶はめったにありそうにもございませぬ。申すもかしこけれど、お婿様は百代に一人と言われる、すぐれた御器量の日の御子、又お妃は、しとやかなお姿の中に凛々しい御気性をつつまれた絶世の佳人、このお二人が一と目見てお互にお気に召さぬようなことがあったら、それこそ不思議でございます。お年輩も、たしか命はその時御二十四、姫は御十七、どちらも人生の花盛りなのでございました。
これは余談でございますが、私がこちらの世界で大和武尊様に御目通りした時の感じを、ここでちょっと申上げて置きたいと存じます。あんな武勇絶倫の御方でございますから、お目にかからぬ中は、どんなにも怖い御方かと存じて居りましたが、実際はそれはそれはお優さしい御風貌なのでございます。むろん御筋骨はすぐれて逞しうございますが、御顔は色白の、至ってお奇麗な細面、そして少し釣気味のお目元にも、又きりりと引きしまったお口元にも、殆んど女性らしい優さしみを湛えて居られるのでございます。『成るほどこの方なら少女姿に仮装られてもさして不思議はない筈……。』失礼とは存じながら私はその時心の中でそう感じたことでございました。
それはさて置き、命はその際は二晩ほどお泊りになって、そのままお帰りになられましたが、やがて帝のお裁可を仰ぎて再び安芸の国にお降り遊ばされ、その時いよいよ正式に御婚儀を挙げられたのでございました。尤も軍務多端の際とて、その式は至って簡単なもので、ただ内輪でお杯事をされただけ、間もなく新婚の花嫁様をお連れになって征途に上られたとのことでございました。『斯ういう場合であるから何所へまいるにも、そちを連れる。』命はそう仰せられたそうで、又姫の方でも、いとしき御方と苦労艱難を共にするのが女の勤めと、固く固く覚悟されたのでした。
四十、相摸の小野
幾年かに跨る賊徒征伐の軍の旅路に、さながら影の形に伴う如く、ただの一日として脊の君のお側を離れなかった弟橘姫の涙ぐましい犠牲の生活は、実にその時を境界として始められたのでした。或る年の冬は雪沓を穿いて、吉備国から出雲国への、国境の険路を踏み越える。又或る年の夏には焼くような日光を浴びつつ阿蘇山の奥深くくぐり入りて賊の巣窟をさぐる。その外言葉につくせぬ数々の難儀なこと、危険なことに遇われましたそうで、歳月の経つと共に、そのくわしい記憶は次第に薄れては行っても、その時胸にしみ込んだ、感じのみは今も魂の底から離れずに居るとの仰せでございました。
こんな苦しい道中のことでございますから、御服装などもそれはそれは質素なもので、足には藁沓、身には筒袖、さして男子の旅装束と相違していないのでした。なれども、姫は最初から心に固く覚悟して居られることとて、ただの一度も愚痴めきたことはお口に出されず、それにお体も、かぼそいながら至って御丈夫であった為め、一行の足手纏いになられるようなことは決してなかったと申すことでございます。
かかる艱苦の旅路の裡にありて、姫の心を支うる何よりの誇りは、御自分一人がいつも命のお伴と決って居ることのようでした。『日本一の日の御子から又なきものに愛しまれる……。』そう思う時に、姫の心からは一切の不満、一切の苦労が煙のように消えて了うのでした。当時の習慣でございますから、むろん命の御身辺には夥多の妃達がとりまいて居られました。それ等の中には橘姫よりも遥かに家柄の高いお方もあり、又縹緻自慢の、それはそれは艶麗な美女も居ないのではないのでした。が、それ等は言わば深窓を飾る手活の花、命のお寛ぎになられた折の軽いお相手にはなり得ても、いざ生命懸けの外のお仕事にかかられる時には、きまり切って橘姫にお声がかかる。これでは『仮令死んでも……。』という考が橘姫の胸の奥深く刻み込まれた筈でございましょう。
だんだん伺って見ると、数限りもない御一代中で、最大の御危難といえば、矢張り、あの相摸国での焼打だったと申すことでございます。姫はその時の模様丈は割合にくわしく物語られました。――
『あの時ばかりは、いかに武運に恵まれた御方でも、今日が御最後かと危まれました。自分は命のお指図で、二人ばかりの従者にまもられて、とある丘の頂辺に避けて、命の御身の上を案じわびて居りましたが、その中四方から急にめらめらと燃え拡がる野火、やがて見渡す限りはただ一面の火の海となって了いました。折から猛しい疾風さえ吹き募って、命のくぐり入られた草叢の方へと、飛ぶが如くに押し寄せて行きます。その背後は一帯の深い沼沢で、何所へも退路はありませぬ。もうほんの一と煽りですべては身の終り……。そう思うと私はわれを忘れて、丘の上から駆け降りようとしましたが、その瞬間、忽ちゴーッと耳もつぶれるような鳴動と共に、今までとは異って、西から東へと向きをかえた一陣の烈風、あなやと思う間もなく、猛火は賊の隠れた反対の草叢へ移ってまいりました……。その時たちまち、右手に高く、御秘蔵の御神剣を打り翳し、漆の黒髪を風に靡かせながら、部下の軍兵どもよりも十歩も先んじて、草原の内部から打って出でられた命の猛き御姿、あの時ばかりは、女子の身でありながら覚えず両手を空にさしあげて、声を限りにわあッと叫んで了いました……。後で御伺いすると、あの場合、命が御難儀を脱れ得たのは、矢張りあの御神剣のお蔭だったそうで、燃ゆる火の中で命がその御鞘を払われると同時に、風向きが急に変ったのだと申すことでございます。右の御神剣と申すのは、あれは前年わざわざ伊勢へ参られた時に、姨君から授けられた世にも尊い御神宝で、命はいつもそれを錦の袋に納めて、御自身の肌身につけて居られました。私などもただ一度しか拝まして戴いたことはございませぬ……。』
これが大体姫のお物語りでございます。その際命には、火焔の中に立ちながらも、しきりに姫の身の上を案じわびられたそうで、その忝ない御情意はよほど深く姫の胸にしみ込んで居るらしく、こちらの世界に引移って、最う千年にも余るというのに、今でも当時を想い出せば、自ずと涙がこぼれると言って居られました。
かくまで深いお二人の間でありながら、お児様としては、若建王と呼ばれる御方がただ一人――それも旅から旅へといつも御不在勝ちであった為めに、御自分の御手で御養育はできなかったと申すことでございました。つまり橘姫の御一生はすべてを脊の君に捧げつくした、世にも若々しい花の一生なのでございました。
四十一、海神の怒り
私が伺った橘姫のお物語の中には、まだいろいろお伝えしたいことがございますが、とても一度に語りつくすことはできませぬ。何れ又良い機会がありましたら改めてお漏しすることとして、ただあの走水の海で御入水遊ばされたお話だけは、何うあっても省く訳にはまいりますまい。あれこそはひとりこの御夫婦の御一代を飾る、尤も美しい事蹟であるばかりでなく、又日本の歴史の中での飛び切りの美談と存じます。私は成るべく姫のお言葉そのままをお取次ぎすることに致します。
『わたくし達が海辺に降り立ったのはまだ朝の間のことでございました。風は少し吹いて居りましたが、空には一点の雲もなく、五六里もあろうかと思わるる広い内海の彼方には、総の国の低い山々が絵のようにぽっかりと浮んで居りました。その時の私達の人数はいつもよりも小勢で、かれこれ四五十名も居ったでございましょうか。仕立てた船は二艘、どちらも堅牢な新船でございました。
『一同が今日の良き船出を寿ぎ合ったのもほんの束の間、やや一里ばかりも陸を離れたと覚しき頃から、天候が俄かに不穏の模様に変って了いました。西北の空からどっと吹き寄せる疾風、見る見る船はグルリと向きをかえ、人々は滝なす飛沫を一ぱいに浴びました。それにあの時の空模様の怪しさ、赭黒い雲の峰が、右からも左からも、もくもくと群がり出でて満天に折り重なり、四辺はさながら真夜中のような暗さに鎖されたと思う間もなく、白刃を植えたような稲妻が断間なく雲間に閃き、それにつれてどっと降りしきる大粒の雨は、さながら礫のように人々の面を打ちました。わが君をはじめ、一同はしきりに舟子達を励まして、暴れ狂う風浪と闘いましたが、やがて両三人は浪に呑まれ、残余は力つきて船底に倒れ、船はいつ覆るか判らなくなりました。すべてはものの半刻と経たぬ、ほんの僅かの間のことでございました。
『かかる場合にのぞみて、人間の依むところはただ神業ばかり……。私は一心不乱に、神様にお祈祷をかけました。船のはげしき動揺につれて、幾度となく投げ出さるる私の躯――それでも私はその都度起き上りて、手を合せて、熱心に祈りつづけました。と、忽ち私の耳にはっきりとした一つの囁き、『これは海神の怒り……今日限り命の生命を奪る……。』覚えずはっとして現実にかえれば、耳に入るはただすさまじき浪の音、風の叫び――が、精神を鎮めると又もや右の怪しき囁きがはっきりと耳に聞えてまいります……。
『二度、三度、五度……幾度くりかえしてもこれに間違のないことが判った時に、私はすべてを命に打ち明けました。命は日頃の、あの雄々しい御気性とて「何んの愚かなこと!」とただ一言に打ち消して了われましたが、ただいかにしても打ち消し得ないのは、いつまでも私の耳にきこゆるあの不思議の囁きでございました。私はとうとう一存で、神様にお縋りしました。「命は御国にとりてかけがえのない、大切の御身の上……何卒この数ならぬ女の生命を以て命の御生命にかえさせ玉え……。」二度、三度この祈りを繰りかえして居る内に、私の胸には年来の命の御情思がこみあげて、私の両眼からは涙が滝のように溢れました。一首の歌が自ずと私の口を突いて出たのもその時でございます。真嶺刺し、相摸の小野に、燃ゆる火の、火中に立ちて、問いし君はも……。
『右の歌を歌い終ると共に、いつしか私の躯は荒れ狂う波間に跳って居りました、その時ちらと拝したわが君のはっと愕かれた御面影――それが現世での見納めでございました。』
× × × ×
橘姫の御物語は一と先ずこれにて打ち切りといたしますが、ただ私として、ちょっとここで申添えて置きたいと思いますのは、海神の怒りの件でございます。大和武尊さまのような、あんな御立派なお方が、何故なれば海神の怒りを買われたか?――これは恐らくどなたも御不審の点かと存じまするが、実は私もこれにつきて、指導役のお爺さんにその訳を伺ったことがあるのでございます。その時お爺さんは斯う答えられました。――
『それは斯ういう次第じゃ。すべて物には表と裏とがある。命が日本国にとりて並びなき大恩人であることはいうまでもなけれど、しかし殺された賊徒の身になって見れば、命ほど、世にも憎いものはない。命の手にかかって滅ぼされた賊徒の数は何万とも知れぬ。で、それ等が一団の怨霊となって隙を窺い、たまたま心よからぬ海神の援けを獲て、あんな稀有の暴風雨をまき起したのじゃ。あれは人霊のみでできる仕業でなく、又海神のみであったら、よもやあれほどのいたずらはせなかったであろう。たまたま斯うした二つの力が合致したればこそ、あのような災難が急に降って湧いたのじゃ。当時の橘姫にはもとよりそうした詳しい事情の判ろう筈もない。姫があれをただ海神の怒りとのみ感じたのはいささか間違って居るが、それはそうとして、あの場合の姫の心胸にはまことに涙ぐましい真剣さが宿っていた。あれほどの真心が何ですぐ神々の御胸に通ぜぬことがあろう。それが通じたればこそ大和武尊には無事に、あの災難を切りぬけることが出来たのじゃ。橘姫は矢張り稀に見るすぐれた御方じゃ。』
私はこの説明が果してすべてを尽しているか否かは存じませぬ。ただ皆さまの御参考までに、私の伺ったところを附け加えて置くだけでございます。
四十二、天狗界探検
あまり面会談ばかりつづいたようでございますから、今度は少し模様をかえて、その頃修行の為めに私がこちらで探検に参りました、珍らしい境地のお話をすることにいたしましょう。こちらの世界には、現世とは全く異った、それはそれは変ったものが住んで居るところがあるのでございます。それがあまりにも飛び離れ過ぎていますので、あなた方は事によると半信半疑、よもやとお考えになられるか存じませぬが、これが事実であって見れば、自分の考で勝手に手加減を加える訳にもまいりませぬ。あなた方がそれを受け入れるか、入れないかは全く別として、兎も角も私の眼に映じたままを率直に述べて見ることに致します。
『今日は天狗の修行場に連れて行く……。』
ある日例の指導役のお爺さんが私にそう言われます。私には天狗などというものを別に見たいという考もないのでございましたが、それが修行の為めとあればお断りするのもドーかと思い、浮かぬ気分で、黙ってお爺さんの後について、山の修行場を出掛けました。
いつもとは異なり、その日は修行場の裏山から、奥へ奥へ奥へとどこまでも険阻な山路を分け入りました。こちらの世界では、どんな山坂を登り降りしても格別疲労は感じませぬが、しかし何やらシーンと底冷えのする空気に、私は覚えず総毛立って、躯がすくむように感じました。
『お爺さま、ここはよほどの深山なのでございましょう……私はぞくぞくしてまいりました……。』
『寒く感ずるのは山が深いからではない。ここはもうそろそろ天狗界に近いので、一帯の空気が自ずと異って来たのじゃ。大体天狗界は女人禁制の場所であるから汝にはあまり気持が宜しくあるまい……。』
『よもや天狗さんが怒って私を浚って行くようなことはございますまい……。』
『その心配は要らぬ。今日は神界からのお指図を受けて尋ねるのであるから、立派なお客様扱いを受けるであろう。二度と斯うした所に来ることもあるまいから、よくよく気をつけて天狗界の状況をさぐり、又不審の点があったら遠慮なく天狗の頭目に訊ねて置くがよいであろう……。』
やがて古い古い杉木立がぎっしりと全山を蔽いつくして、昼尚お暗い、とてもものすごい所へさしかかりました。私はますます全身に寒気を感じ、心の中では逃げて帰りたい位に思いましたが、それでもお爺さんが一向平気でズンズン足を運びますので、漸との思いでついて参りますと、いつしか一軒の家屋の前へ出ました。それは丸太を切り組んで出来た、やっと雨露を凌ぐだけの、極めてざっとした破屋で、広さは畳ならば二十畳は敷ける位でございましょう。が、もちろん畳は敷いてなく、ただ荒削りの厚板張りになって居りました。
『ここが天狗の道場じゃ。人間の世界の剣術道場によく似て居るであろうが……。』
そんなことを言ってお爺さんは私を促して右の道場へ歩み入りました。
と見ると、室内には白衣を着た五十余歳と思わるる一人の修験者らしい人物が居て、鄭重に腰をかがめて私達を迎えました。
『良うこそ……。かねてのお達しで、あなた方のお出でをお待ち受けして居りました。』
私は直ちにこれが天狗さんの頭目であるな、と悟りましたが、かねて想像して居たのとは異って、格別鼻が高い訳でもなく、ただ体格が普通人より少し大きく、又眼の色が人を射るように強い位の相違で、そしてその総髪にした頭の上には例の兜巾がチョコンと載って居りました。
『女人禁制の土地柄、格別のおもてなしとてでき申さぬ。ただいささか人間離れのした、一風変っているところがこの世界の御馳走で……。』
案外にさばけた挨拶をして、笑顔を見せてくれましたので、私も大へんに心が落つき、天狗さんというものは割合にやさしい所もあるものだと悟りました。
『今日はとんだお邪魔を致しまする。では御免遊ばしませ……。』
私は履物を脱いで、とうとう天狗さんの道場に上り込んで了いました。
四十三、天狗の力業
斯んな風に物語ると、すべてがいかにも人間界の出来事のように見えて、をかしなものでございますが、もちろんこの天狗さんは、私達に見せる為めに、態と人間の姿に化けて、そして人間らしい挨拶をして居たのでございます。道場だって同じこと、天狗さんに有形の道場は要らない筈でございますが、種がなくては掴まえどころがなさ過ぎますから、人間界の剣術の道場のようなものを仮りに造り上げて私達に見せたのでございましょう。すべて天狗に限らず、幽界の住人は化るのが上手でございますから、あなた方も何卒そのおつもりで、私の物語をきいて戴き度う存じます。さもないと、すべてが一篇のお伽噺のように見えて、さっぱり値打がないものになりそうでございます。
それはそうと、私達がその時面会した天狗さんの頭目というのは、仲間でもなかなか力のある傑物だそうでございまして、お爺さんが何か一つ不思議な事を見せてくれと依みますと、早速二つ返事で承諾してくれました。
『われわれの芸と申すは先ずざっと斯んなもので……。』
言うより早く天狗さんは電光のように道場から飛び出したと思う間もなく、忽ちするすると庭前に聳えている、一本の杉の大木に駆け上りました。それは丁度人間が平地を駆けると同じく、指端一つ触れずに、大木の幹をば蹴って、空へ向けて駆け上るのでございますが、その迅さ、見事さ、とても筆や言葉につくせる訳のものではありませぬ。私は覚えず坐席から立ち上って、呆れて上方を見上げましたが、その時はモー天狗さんの姿が頂辺の枝の茂みの中に隠れて了って、どこに居るやら判らなくなって居ました。
と、やがて梢の方で、バリバリという高い音が致します。
『木の枝を折っているナ……。』
お爺さんがそう言われている中に、天狗さんは直径一尺もありそうな、長い大きな杉の枝を片手にして、二三十丈の虚空から、ヒラリと身を躍らして私の見ている、すぐ眼の前に降り立ちました。
『いかがでござる……人間よりも些と腕ぶしが強いでござろうが……。』
いとど得意な面持で天狗さんはそう言って、つづいて手にせる枝をば、あたかもそれが芋殻でもあるかのように、片端からいき毮っては棄て、引き毮っては棄て、すっかり粉々にして了いました。
が、私としては天狗さんの力量に驚くよりも、寧しろその飽くまで天真爛漫な無邪気さに感服して了いました。
『あんな鹿爪らしい顔をしているくせに、その心の中は何という可愛いものであろう! これなら神様のお使者としてお役に立つ筈じゃ……。』
私は心の裡でそんなことを考えました。私が天狗さんを好きになったのは全くこの時からでございます。尤も天狗と申しましても、それには矢張り沢山の階段があり、質のよくない、修行未熟の野天狗などになると、神様の御用どころか、つまらぬ人間を玩具にして、どんなに悪戯をするか知れませぬ。そんなのは私としても勿論大嫌いで、皆様も成るべくそんな悪性の天狗にはかかり合われぬことを心からお願い致します。が、困ったことに、私どもがこちらから人間の世界を覗きますと、つまらぬ野天狗の捕虜になっている方々が随分沢山居られますようで……。大きなお世話かは存じませぬが、私は蔭ながら皆様の為めに心を痛めて居るのでございます。くれぐれも天狗とお交際になるなら、できるだけ強い、正しい、立派な天狗をお選びなさいませ。まごころから神様にお願いすれば、きっとすぐれたのをお世話して下さるものと存じます……。
四十四、天狗の性来
さてこの天狗と申すものの性来――これはどこまで行っても私どもには一つの大きな謎で、査べれば査べるほど腑に落ちなくなるようなところがございます。兎も角、私があの時、天狗の頭目に就いて問いただしたところに基き、ざっとそのお話しを致して見ることにしましょう。
先ず天狗の姿から申し上げましょう。前にものべた通り、天狗は時と場合で、人間その他いろいろなものの姿に上手に化けます。かく申す私なども最初はうっかりその手に乗せられましたもので……。しかし近頃ではもうそんな拙な真似はいたしません。天狗がどんな立派な姿に化けていても、すぐその正体を看破して了います。大体に於て申しますと、天狗の正体は人間よりは少し大きく、そして人間よりは寧ろ獣に似て居り、普通全身が毛だらけでございます。天狗の中のごくごく上等のもののみが人間に近い姿をして居りますようで……。
但しこれは姿のある天狗に就いて申したのでございます。天狗の中には姿を有たないのもございます。それは青味がかった丸い魂で、直径は三寸位でございましょうか。現に私どもが天狗界の修行場に居った時にも、三つ四つ樹の枝にひっついて光って居りました。
『あれはモーすっかり修行が積んで、姿を棄てた天狗達でござる……。』
天狗の頭目はそう私に説明してくれました。
天狗の姿も不思議でございますが、その生立は一層不思議でございます。天狗には別に両親というものがなく、人間が地上に発生した、遠い遠い原始時代に、斯ういうものも必要であろうという神様の思召で言わば一種の副産物として生れたものだと申すことでございます。天狗の頭目も『自分達は人間になり切れなかった魂でござる……。』と、あっさり告白して居りました。私はそれをきいた時に、何やら天狗さんに対して気の毒に感じられたのでございました。
兎も角も斯んな手続きで生れたのでございますから、天狗というものは全部中性……つまり男性でも、又女性でもないのでございます。これでは天狗の気持が容易に人間にのみ込めない筈でございます。人間の世界は、主従、親子、夫婦、兄弟、姉妹等の複雑った関係で、色とりどりの綾模様を織り出して居りますが、天狗の世界はそれに引きかえて、どんなにも一本調子、又どんなにも殺風景なことでございましょう。天狗の生活に比べたら、女人禁制の禅寺、男子禁制の尼寺の生活でも、まだどんなにも人情味たっぷりなものがありましょう。『全く不思議な世界があればあるもの……。』私はつくづくそう感じたのでございました。
斯く天狗は本来中性ではありますが、しかし性質からいえば、非常に男らしく武張ったのと、又非常に女らしく優さしいのとの区別があり、化る姿もそれに準じて、或は男になったり、或は女になったりするとのことでございます。日本と申す国は古来尚武の気性に富んだお国柄である為め、武芸、偵察、戦争の駈引等にすぐれた、つまり男性的の天狗さんは殆んど全部この国に集って了い、いざとなれば目覚ましい働きをしてくれますので、その点大そう結構でございますが、ただ愛とか、慈悲とか言ったような、優さしい女性式の天狗は、あまりこの国には現われず、大部分外国の方へ行って了っているようでございます。西洋の人が申す天使――あれにはいろいろ等差があり、偶には高級の自然霊を指している場合もありますが、しかしちょいちょい病床に現われたとか、画家の眼に映ったとかいうのは、大てい女性化した天狗さんのようでございます。
大体天狗の働きはそう大きいものではないらしく、普通は人間に憑って小手先きの仕事をするのが何より得意だと申すことでございます。偶には局部的の風位は起せても、大きな自然現象は大抵皆竜神さんの受持にかかり、とても天狗にはその真似ができないと申すことでございます。
最後に私があの時天狗さんの頭目からきかされた、人浚いの秘伝をお伝えして置きましょう。
『人を浚うということが本当にできるものでございますか?』
そう私が訊ねますと、天狗の頭目はいとど得意の面持で、斯んな風に説明してくれたのでした。――
『あれは本当といえば本当、ゴマカシといえばゴマカシでござる。われわれは肉体ぐるみ人間を遠方へ連れて行くことはめったにござらぬ。肉体は通例附近の森蔭や神社の床下などに隠し置き、ただ引き抽いた魂のみを遠方に連れ出すものでござる。人間というものは案外感じの鈍いもので、自分の魂が体から出たり、入ったりすることに気づかず、魂のみで経験したことを、宛かも肉体ぐるみ実地に見聞したように勘違いして、得意になって居るもので……。側でそれを見るのはよほど滑稽な感じがするものでござる……。』
四十五、竜神の修行場
天狗界の探検に引きつづいて、私は指導役のお爺さんから、竜神の修行場の探検を命ぜられました。――
『いつかは竜宮界への道すがら、ちょっと竜神の修行場をのぞかしたこともあるが、あれではあまりにあっけなかった。もう一度汝を彼所へ連れて行くとしょう。あの修行場には一人の老練な監督者が居るから、不審の点は何なりとそれに訊ねるがよい。』
『そのお方も矢張り竜神さんでございますか……。』
『無論そうじゃ。が、俺と同様、人間と面会する時は人間の姿に化けて居る……。』
一度行ったことのある境地でございますから、道中の見物は一切ヌキにして、私達は一と思いに、あのものすごい竜神の湖水の辺へ出て了いました。こちらの世界では遅く歩くも、速く歩くも、すべて自分の勝手で、そこはまことに便利でございます。
と見ると、水辺の、とある巨大な巌の上には六十前後と見ゆる、一人の老人が、佇んで私達の来るのを待って居りました。服装その他大体は私の案内役のお爺さんに似たり寄ったり、ただいくらか肉附きがよく、年輩も二つ三つ若いように見えました。それが監督の竜神さんであることはここに断るまでもありますまい。
一応簡単な挨拶を済ませてから、私は早速右の監督のお爺さんに話かけました。――
『修行場の模様はいつか拝見させて戴きましたので、今日はむしろ竜神さんの生活につきて、いろいろ腑に落ちかねる点を伺いたいのでございますが……。』
『何なりと訊ねて貰います。研究の為めとあれば、俺の方でもそのつもりで、差支なき限り何も彼も打ち明けて話すことにしましょう。竜神の世界は人間界とは大分に勝手が異うから、訊く方でも成るべくまごつかぬように……。』
あっさりとさばけた態度で、そう言われましたので、私の方でもすっかり安心して、思い浮ぶまま無遠慮にいろいろな事をおききしました、その時の問答の全部をここでお伝えする訳にもまいり兼ねますが、ただあなた方の御参考になりそうな個所は、成るべく洩なく拾い出しましょう。
問『竜神の子供は現在でも矢張り生れているのでございますか?』
答『人間の世界で子供が生れるように、こちらでもズンズン殖えます……。』
問『生れたての若い竜神の躯はどんな躯でございますか?』
答『別に変った躯でもないが、しかし人間からいえばつまり一の幽体、もちろん肉眼で見ることはできぬ。大さは普通三尺もあろうか……しかし伸縮は自由自在であるから、言わば大さが有って無いようなものじゃ……。』
問『蛇とは何う異いますか?』
答『蛇はもともと地上の下級動物、形も、性質も、資格も竜神とは全く別物じゃ。蛇がいかに功労経たところで竜神になれる訳のものでない……。』
問『竜神さんは矢張り人間の御先祖なのでございますか?』
答『左様、先祖といえば先祖であるが、寧ろ人間の遠祖、人間の創造者と言ったがよいであろう。つまり竜神がそのまま人間に変化したのではない。竜神がその分霊を地上に降して、ここに人類という、一つの新らしい生物を造り出したのじゃ。』
問『只今でも竜神さんはそう言ったお仕事をなさいますか?』
答『イヤこれは最初人類を創造り出す時の、ごく遠い大古の神業であって、今日では最早その必要はなくなった。そなたも知るとおり人間の男女は立派に人間の子を生んで居るであろうが……。』
そう言ってお爺さんはにっこりともせず、正面から私に鋭い一瞥を与えられました。
四十六、竜神の生活
私はひるまず質問をつづけました。――
問『竜神にも人間のように死ぬことがございますか?』
答『人間界にて考えているような、所謂死というものはもちろんない。あれは物質の世界のみに起る、一つのうるさい手続なのじゃ。――が、竜神の躯にも一つの変化が起るのは事実である。そなたも知る蛇の脱殻――丁度あれに似た薄い薄い皮が、竜神の躯から脱けて落ちるのじゃ。竜神は通例しッとりした沼地のような所でその皮を脱ぎすてる……。』
問『竜神さんの分霊が人体に宿ることは、今日では絶対に無いのでございますか?』
答『竜神の分霊が直接人体に宿って、人間として生れるということは絶対にないと言ってよい……。が、一人の幼児が母胎に宿った時に、同一系統の竜神がその幼児の守護霊又は司配霊として働くことは決して珍らしいことでもない。それが竜神として大切な修業の一つでもあるのじゃ……。』
問『竜神にも成年期がございますか。』
答『それはある。竜神とて修行を積まねば一人前にはなれない……。』
問『大体成年期は何歳位でございますか?』
答『これはいかにも無理な質問じゃ。本来こちらの世界に年齢はないのじゃから……。が、人間の年齢に直して見たら、はっきりとは判らぬが、凡そ五六百年位のところであろうか……。』
問『矢張り人間のように婚礼の式などもございますもので……。』
答『人間界の儀式とは異うが、矢張り夫婦になる時には定まった礼儀があり、そして上の竜神様からのお指図を受ける……。』
問『矢張り一夫一婦が規則でございますか?』
答『無論それが規則じゃ。修行の積んだ、高い竜神となれば、決してこの規律に背くようなことはせぬ。しかし乍ら霊格の低い竜神の間にはそうのみも言われぬ節がある……。』
問『生れるのは矢張り一体づつでございますか?』
答『一体が普通じゃ、双生児などはめったにない……。』
問『お産ということもありますもので……。』
答『妊娠する以上お産もある。その際、女性の竜神は大抵どこかに姿を隠すもので……。』
問『一対の夫婦の間に生れる子供の数はどれ位でございましょうか?』
答『それは判らぬ。通例よほど沢山で、幾人と勘定はしかねるのじゃ。』
問『年齢を取れば矢張り子供を生まぬようになるものでございますか?』
答『年齢を取るからではない、浄化するから子供を生まぬようになるのじゃ……。』
問『浄化したのと、浄化しないのとの区別は、何うして見分けられますか? 矢張り色でございますか?』
答『左様、色で一番よく判る。最初生れたての竜神は皆茶ッぽい色をして居る。その次ぎは黒、その黒味が次第に薄れて消炭色になり、そして蒼味が加わって来る。そなたも知る通り、多く見受ける竜神は大てい蒼黒い色をして居るであろうが……。それが一段向上すると浅黄色になり、更に又向上すると、あらゆる色が薄らいで了って、何ともいえぬ神々しい純白色になって来る。白竜になるのには大へんな修行、大へんな年代を重ねねばならぬ……。』
問『夫婦になるのは大ていどの辺の色でございますか?』
答『色には拠らぬ。黒は黒同志で夫婦になり、そしていつまで経っても黒が脱けないのも少くない……。』
問『男女の区別は主に何処で判りますか?』
答『角が一番の目標じゃ。角のあるのは男、角のないのは女……。』
問『夫婦の竜神は矢張り同棲するものでございますか?』
答『竜神にとりて、一緒に棲む、棲まぬは問題でない。竜神の生活は自由自在、人間のように少しも場所などには縛られない。』
問『生れたばかりの子供は何うして居りまするか?』
答『しばらくは母親の手元に置かれるが、やがて修業場の方で引取るのじゃ。』
問『何ういう訳で池を修行場にしてあるのでございますか?』
答『池は一種の行場じゃ。人間界の御禊と同じく、水で浄められる意味にもなって居るのでナ……。』
四十七、竜神の受持
いかに訊ねても訊ねても、竜神の生活は何やら薄い幕を隔てたようで、シックリとは腑に落ちない個所がございます。相当長い間こちらの世界に住んで居る私達ですらそう感ずるのでございますから、現世の方々としては尚更のことで、容易に竜神の存在が信じられない筈だとお察しすることができます。――と申して竜神さんの物語を握りつぶせば、私として虚欺の通信を送ることになり、それも気がとがめてなりませぬ。で、皆さまの信ずる、信じないはしばらく別として、もう少し私がその時監督のお爺さんからきかされたところを物語らせていただきます。――
問『竜神さんのお仕事というのは大体どんなものでございますか?』
答『竜神の受持はなかなか大きく、広く、そして複雑で、とてもそのすべてを語りつくすことはできぬ。ごく大まかに言ったら、人間の世界で天然現象と称えて居るものは、悉く竜神の受持であると思えばよいであろう。すべて竜神には竜神としての神聖な任務があり、それが直接人間界の利益になろうが、なるまいが、どうあっても遂行せねばならぬことになっている。風雨、寒暑、五穀の豊凶、ありとあらゆる天変地異……それ等の根抵には悉く竜神界の気息がかかって居るのじゃ……。』
問『産土神その他の御祭神は皆竜神様でございますか?』
答『奥の方は何れも竜神で固めてある……。』
問『外国にも産土はあるのでございますか?』
答『無論外国にもある。ただ外国には産土の社がないまでのことじゃ。産土の神があって、生死、疾病、諸種の災難等の守護に当ってくれればこそ、地上の人間は初めてその日その日の生活が営めるのじゃ。』
問『各神社には竜神様の外にもいろいろ眷族があるのでございますか?』
答『むろん沢山の眷族がある。人霊、天狗、動物霊……必要に応じていろいろ揃えてある……。』
問『産土神は皆男の神様でございますか?』
答『産土の主宰神は悉く男性に限るようじゃ。しかし幼児の保姆などにはよく女性の人霊が使われるようで……。』
問『仏教の信者などは死後何うなるのでございますか?』
答『いかなる教を信じても産土の神の司配を受けることに変りはないが、ただ仏の救いを信じ切って居るものは、その迷夢の覚めるまで、しばらく仏教の僧侶などに監督を任せることもある。――イヤしかしそなたの質問は大分俺の領分外の事柄に亘って来た。産土のことなら、俺よりもそなたの指導役の方が詳しいであろう。俺には成るべく竜神の修行場のことだけ訊いてもらいたいのじゃが……。』
問『ツイいろいろの事をお訊ねして相済まぬことでございました。実は平生指導役のお爺様からも、いろいろ承って居るのでございまするが、何やら腑に落ちかねるところもありますので、丁度良い折と考えて念を押して見たような次第で……。』
答『それも悪いとは申さぬが、しかし一升の桝には一升の分量しか入らぬ道理で、そなたの器量が大きくならぬ限り、いかにあせってもすべてが腑に落ちるという訳には参らぬ。今日はしばらくこの辺でとどめて置いては何うじゃナ?』
問『又とないよい機会でございますから、最う一つ二つ訊ねさせていただき度うございます。――――あの弁財天と申上げるのは、あれは皆女性の竜神様でございますか?』
答『その通り……。神に祀られている以上、何れも皆立派に修行の積める女神ばかりで、土地の守護もなされば、又人間の願事も、それが正しいことであれば、歓んで協えてくださる……。』
問『水天宮と申すのも矢張り……。』
答『あれは海上を守護される竜神……。』
問『最後にもう一つ伺わせて戴きます。あなた様はどんなお身分の御方で……。』
答『俺か……俺は妻もなく、又子もなく永久に独身の老いたる竜神じゃ……。竜神の中には斯う言った変り者も時としてないではない。現にそなたの指導役の老人なども矢張り俺のお仲間じゃ。――どりャ一応修行場の見𢌞りをすると致そう。今日はこれまで……。』
言いも終らずこの白衣の老人の姿はスーッと湖水の底に幻のように消えて行きました。
四十八、妖精の世界
竜神界、天狗界と、まるきり人間には見当のとれそうもない、別世界のお話を致した序でに、一つ思い切ってもっと見当のとれない或る世界の物語をさせていただきましょう。外でもない、それは妖精の世界のお話でございます。
『研究の為めに汝に見せてやらねばならぬ不思議な世界がまだ残っている。』と、或る日指導役のお爺さんが私に申されました。『人間は草や木をただ草や木とのみ考えるから、矢鱈に花を挘ったり、枝を折ったり、甚だしく心なき真似をするのであるが、実を言うと、草にも木にも皆精……つまり魂があるのじゃ。精があればこそあんなにも生を楽しみ、あんなにも美しい姿態を造りて、限りなく子孫を伝えて行くのじゃ。今日は汝を右の妖精達に引き合わせてやるから、成るべく無邪気な気持で、彼等に逢ってもらいたい。妖精というものは姿も可愛らしく、心も稚く、少しくこちらで敵意でも示すと、皆怖がって何所とも知れず姿を消して了う。人間界で妖精の姿を見る者が、大てい無邪気な小児に限るのもその故じゃ。今日の見物は天狗界や竜神界の大がかりな探検とはよほど勝手が異うぞ……。』
斯んな事を話してくれながら、お爺さんは私を促して山の修行場を出掛けたと思うと、そのまま一気に途中を飛び越して、忽ち一望眼も遥かなる、広い広い野原に出て了いました。見ればそこら中が、きれいな草地で、そして恰好の良いさまざまの樹草……松、梅、竹、その他があちこちに点綴して居るのでした。
『ここは妖精の見物には誂向きの場所じゃ。大ていの種類が揃って居るであろう。よく気をつけて見るがよい。』
そう注意されている中に、もう私の眼には蝶々のような羽翼をつけた、大さはやっと二三寸から三四寸位の、可愛らしい小人の群がちらちら映って来たのでした。
『まあ何という不思議な世界があればあったものでございましょう!』と私はわれを忘れて、夢中になって叫びました。『お爺さま、彼所に見ゆる十五、六歳位の少女は何と品位の良い様子をして居ることでございましょう。衣裳も白、羽根も白、そして白い紐で額に鉢巻をして居ります……。あれは何の精でございますか?』
『あれは梅の精じゃ。若木の梅であるから、その精も矢張り少女の姿をして居る……。』
『木の精でも矢張り年齢をとりまするか?』
『年齢をとるのは妖精も人間も同一じゃ。老木の精は、形は小さくとも、矢張り老人の姿をして居る……。』
『そして矢張り男女の区別がありまするか?』
『無論男女の区別があって、夫婦生活を営むのじゃ……。』
そう言っている中に、件の梅の精は、しばらく私達の方を珍らしそうに眺めて居ましたが、こちらに害意がないと知って安心したものか、やがてスーッと、丁度蜻蛉のように、空を横切って、私の足元に飛び来り、その無邪気な、朗かな顔に笑みを湛えて、下から私を見上げるのでした。
不図気がついて見ると、その小人の躰中から発散する、何ともいえぬ高尚な香気! 私はいつしかうっとりとして了いました。
『もしもし梅の精さん、あなたは何とまあ良い香を立てていなさるのです……。』
そう言いながら、私は成るべく先方を驚かさないように、徐かに徐かに腰を降して、この可愛い少女とさし向いになりました。
四十九、梅の精
梅の精は思いの外わるびれた様子もなく、私の顔をしげしげ凝視て佇って居ります。
『梅の精さん、あなた、お年齢はおいくつでございます?』
生前の癖で、私は真先きにそんな事を訊いて了いました。
『年齢? わたしそんなものは存じませぬ……。』
梅の精は銀の鈴のようなきれいな声で、そう答えてキョトンとしました。
私は自分ながら拙なことを訊いたとすぐ後悔しましたが、しかしこれで妖精とすらすら談話のできることが判って、嬉しくてなりませんでした。私はつづいて、いろいろ話しかけました。――
『ホンに、あなた方に年齢などはない筈でございました……。でもあなた方にも矢張り、両親もあれば兄妹もあるのでしょうね?』
『私のお母ァさまは、それはそれはやさしい、良いお母ァさまでございます……。兄妹は、あんまり沢山で数が分りませぬ……。』
『あなたはよく怖がらずに、私の所へ来てくれましたね。』
『でも姨さまは私を可愛がってくださいますもの……。』
『可愛がってくれる人と、くれない人とが判りますか?』
『はっきり判ります。私達は気の荒らい、惨い人間が大嫌いでございます。そんな人間だと私達は決して姿を見せませぬ。だって、格別用事もないのに、折角私達が咲かした花を枝ごと折ったり、何かするのですもの……。』
そう言って、梅の精はそのきれいな眉に八の字を寄せましたが、私にはそれが却って可愛らしくてなりませんでした。
『でも、人間は、この枝振りが気に入らないなどと言って、時々鋏でチョンチョン枝を摘むことがあるでしょう。そんな時にあなた方は矢張り腹が立ちますか?』
『別に腹が立ちもしませぬ……。枝振りを直す為めに伐るのと、悪戯で伐るのとは、気持がすっかり異います。私達にはその気持がよく判るのです……。』
『では花瓶に活ける為めに枝を伐られても、あなた方はそう気まずくは思わないでしょう?』
『それは思いませぬ……。私達を心から可愛がってくださる人間に枝の一本や二本歓んでさしあげます……。』
『果実を採られる気持も同じですか?』
『私達が丹精して作ったものが、少しでも人間のお役に立つと思えば、却ってうれしうございます……。』
『木によっては、根元から伐り倒される場合もありますが、その時あなた方は何うなさる?』
『そりゃよい気持は致しませぬ。しかし伐られるものを、私達の力で何うすることもできませぬ。すぐあきらめて、木が倒れる瞬間にそこを立ちのいて了います……。』
『あなた方の中にも、人間が好きなものと嫌いなもの、又性質のさびしいものと陽気なものと、いろいろ相違があるでしょうね?』
『それは様々でございます。中には随分ひねくれた、気むつかしい性質のものがあり、どうかすると人間を目の仇に致します……。』
何と申しましても、人間と妖精とでは、距離が大分かけ離れていて、談話がしっくりと腑に落ちないところもございますが、それでも、こうしている中に、幾分か先方の心持が呑み込めたように思われてまいりました。それから私はよきほどに梅の精との対話を切り上げ、他の妖精達の査べにかかりましたが、人間から観れば何れも大同小異の妖しい小人というのみで、一々細かいことは判りかねました。標本として私はそれ等の中で少し毛色の異ったものの人相書を申上げて置くことにいたしましょう。
梅の精の次ぎに私が目をとめたのは、松の精で、男松は男の姿、女松は女の姿、どちらも中年者でございました。梅の精よりかも遥かに威厳があり、何所やらどっしりと、きかぬ気性を具えているようでございました。しかし、その大さは矢張り五寸許、蒼味がかった茶っぽい唐服を着て、そしてきれいな羽根を生やして居るのでした。
松や梅の精に比べると竹の精はずっと痩ぎすで、何やら少し貧相らしく見えましたが、しかし性質はこれが一番穏和しいようでございました。で、若し松竹梅と三つ並べて見たら、強いのと弱いのとの両極端が松と竹とで、梅はその中間に位して居るようでございます。
それから菫、蒲公英、桔梗、女郎花、菊……一年生の草花の精は、何れも皆小供の姿をしたものばかり、形態は小柄で、眼のさめるような色模様の衣裳をつけて居りました。それ等が大きな群を作って、大空狭しと乱れ飛ぶところは、とても地上では見られぬ光景でございます。中でどれが一番きれいかと仰っしゃるか……さあ草花の精の中では矢張り菊の精が一番品位がよく、一番巾をきかしているようでございました……。
五十、銀杏の精
一と通り野原の妖精見物を済ませますと、指導役のお爺さんは、私に向って言われました。――
『この辺に見掛ける妖精達は概して皆年齢の若いものばかり、性質も無邪気で、一向多愛もないが、同じ妖精でも、五百年、千年と功労経たものになると、なかなか思慮分別もあり、うっかりするとヘタな人間は敵わぬことになる。例えばあの鎌倉八幡宮の社頭の大銀杏の精――あれなどはよほど老成なものじゃ……。』
『お爺さま、あの大銀杏ならば私も生前によく存じて居ります。何うぞこれからあそこへお連れ下さいませ……。一度その大銀杏の精と申すのに逢って置き度うございます。』
『承知致した。すぐ出掛けると致そう……。』
どこを何う通過したか、途中は少しも判りませぬが、私達は忽ちあの懐かしい鎌倉八幡宮の社前に着きました。巾の広い石段、丹塗の楼門、群がる鳩の群、それからあの大きな瘤だらけの銀杏の老木……チラとこちらから覗いた光景は、昔とさしたる相違もないように見受けられました。
私達は一応参拝を済ませてから、直ちに目的の銀杏の樹に近寄りますと、早くもそれと気づいたか、白茶色の衣裳をつけた一人の妖精が木蔭から歩み出で、私達に近づきました。身の丈は七八寸、肩には例の透明な羽根をはやして居りましたが、しかしよくよく見れば顔は七十余りの老人の顔で、そして手に一条の杖をついて居りました。私は一と目見て、これが銀杏の精だと感づきました。
『今日はわざわざこれなる女性を連れて来ました。』と指導役のお爺さんは老妖精に挨拶しました。『御手数でも、何かと教えてあげてください……。』
『ようこそ御出でくだされた。』と老妖精は笑顔で私を迎えてくれました。『そなたは気づかなかったであろうが、実はそなたがまだ可愛らしい少女姿でこの八幡宮へ御詣りなされた当時から、俺はようそなたを存じて居る……。人間の世界と申すものは瞬く間に移り変れど、俺などは幾年経っても元のままじゃ……。』
枯れた、落附いた調子でそう言って、老いたる妖精はつくづくと私の顔を打ちまもるのでございました。私も何やら昔馴染の老人にでもめぐり逢ったような気がして、懐かしさが胸にこみ上げて来るのでした。
老妖精は一層しんみりとした調子で、談話をつづけました。
『実を申すと俺はこの八幡宮よりももっと古く、元はここからさして遠くもない、とある山中に住んで居たのじゃ。然るにある年八幡宮がこの鶴岡に勧請されるにつけ、その神木として、俺が数ある銀杏の中から選び出され、ここに移し植えられることになったのじゃ。それから数えてももうずいぶんの星霜が積ったであろう。一たん神木となってからは、勿体なくもこの通り幹の周囲に注連縄が張りまわされ、誰一人手さえ触れようとせぬ。中には八幡宮を拝むと同時に俺に向って手を合わせて拝むものさえもある……。これと申すも皆神様の御加護、お蔭で他所の銀杏とは異なり、何年経てど枝も枯れず、幹も朽ちず、日本国中で無類の神木として、今もこの通り栄えて居るような次第じゃ。』
『長い歳月の間には随分いろいろの事を御覧になられたでございましょう……。』
『それは覧ました……。そなたも知らるる通り、この鎌倉と申すところは、幾度となく激しい合戦の巷となり、時にはこの銀杏の下で、御神前をも憚らぬ一人の無法者が、時の将軍に対して刃傷沙汰に及んだ事もある……。そうした場合、人間というものはさてさて惨いことをするものじゃと、俺はどんなに歎いたことであろう……。』
『でもよくこの銀杏の樹に暴行を加えるものがなかったものでございます……。』
『それは神木である御蔭じゃ。俺の外にこの銀杏には神様の御眷族が多数附いて居られる。若しいささかでもこれに暴行を加えようものなら、立所に神罰が降るであろう。ここで非命に斃れた、かの実朝公なども、今はこの樹に憑って、守護に当って居られる……。イヤ丁度良い機会じゃ。そなたも一応それ等の方々にお目にかかるがよいであろう。何れも爰にお揃いになって居られる……。』
そう言われて驚いて振り返って見ると、甲冑を附けた武将達だの、高級の天狗様だのが、数人樹の下に佇みて、笑顔で私達の様子を見守って居られましたが、中でも強く私の眼を惹いたのは、世にも気高い、若々しい実朝公のお姿でした……。
× × × ×
さなきだに不思議な妖精界の探検に、こんな意外の景物までも添えられ、心から驚き入ることのみ多かった故か、その日の私はいつに無く疲労を覚え、夢見心地でやっと修行場へ引き上げたことでございました。
五十一、第三の修行場
私の山の修行は随分長くつづきましたが、やがて又この修行場にも別れを告ぐべき時節がまいりました。
『汝の修行もここで一段落ついたようじゃ。これから別の修行場へ連れてまいる……。』
或る日指導役のお爺さんからそう言い渡されましたが、実をいうと私の方でも近頃はそろそろ山に倦が来きて、どこぞ別のところへ移って見たいような気分がして居たのでございました。私は二つ返事でお爺さんの言葉に従いました。
引越しは例によって至極お手軽でございました。私が自身で持参したのはただ母の形見の守刀だけで、いざ出発と決った瞬間に、今まで住んで居た小屋も、器具類もすうっと消え失せ、その跡には早くも青々とした蘇苔が隙間なく蒸して居るのでした。何があっけないと申して、斯んなあっけない仕事はめったにあるものでなく、相当幽界の生活に慣れた私でさえ、いささか物足りなさを感じない訳にもまいりませんでした。
が、お爺さんの方では、何処に風が吹くと言った面持で、振り向きもせず、ずんずん先きへ立って歩るき出されましたので、私も黙ってその後に跟いてまいりますと、いつしか道が下り坂になり、くねくねした九十九折をあちらへ繞り、こちらへ𢌞っている中に、何所ともなくすざまじい水音が響いてまいりました。
『お爺さま、あれは瀑布の音でございますか?』
『そうじゃ。今度の修行場はあの瀑布のすぐ傍にあるのじゃ。』
『まあ瀑布の修行場……。どんなに結構なところでございましょう。私も、何所か水のある所で修行したいような気分になって居りました。』
『それだから今度の瀑布の修行場となったのじゃ。汝も知る通り、こちらの世界の掟にはめったに無理なところはない……。』
そう話合っている中に、いつしか私達は飛沫を立てて流るる、二間ばかりの渓流のほとりに立っていました。右も左も削ったような高い崖、そこら中には見上げるような常盤木が茂って居り、いかにもしっとりと気分の落ちついた場所でした。
不図気がついて見ると、下方を流るる渓流の上手は十間余りの懸崕になって居り、そこに巾さが二三間ぐらいの大きな瀑布が、ゴーッとばかりすさまじい音を立てて、木の葉がくれに白布を懸けて居りました。
私はどこに一点の申分なき、四辺の清浄な景色に見惚れて、覚えず感歎の声を放ちましたが、しかしとりわけ私を驚かせたのは、瀑壺から四五間ほど隔てた、とある平坦な崖地の上に、私が先刻まで住んでいた、あの白木造りの小屋がいつの間にか移されて居たことでした。
『まあ斯んなところに……。』
私は呆れてそう叫びましたが、しかしお爺さんは例によってそんな事は当然だと言った風情で、ニコリともせず斯う言われるのでした。――
『これから汝はここでみっしり修行するのじゃ。俺はこれで帰る……。』
言うが早いか、お爺さんの白衣の姿はぷいと烟のように消えて、私はただひとりポッネンと、この閑寂な景色の中に取り残されました。
五十二、瀑布の白竜
たった一人で、そんな山奥の瀑壺の辺に暮すことになって、さびしくはなかったかと仰っしゃるか……。ちっともさびしいだの、気味がわるいだのということはございませぬ。そんな気持に襲われるのは死んでから間のない、何も判らぬ時分のこと、少しこちらで修行がつんでまいりますと、自分の身辺はいつも神様の有難い御力に衛られているような感じがして、何所に行っても安心して居られるのでございます。しかも今度の私の修行場は、山の修行場よりも一段格の高い浄地で、そこには大そうお立派な一体の竜神様が鎮まって居られたのでした。
ある時私が一心に統一の修行をして居りますと、誰か背後の方で私の名を呼ぶものがあるのです。『指導役のお爺さんかしら……。』そう思って不図振りかえて見ると、そこには六十前後と見ゆる、すぐれて品位のよい、凛々しいお顔の、白衣の老人が黒っぽい靴を穿いて佇んでいました。私は一と目見て、これはきっと貴い神さまだとさとり、丁寧に御挨拶を致しました。それがつまりこの瀑布の白竜さまなのでございました。
『俺は古くからこの瀑布を預かっている老人の竜神じゃが、此度縁あって汝を手元に預かることになって甚だ歓ばしい。一度汝に逢って置かうと思って、今日はわざわざ老人の姿に化けて出現てまいった。人間と談話をするのに竜体ではちと対照が悪いのでな……。』
そう言って私の顔を見て微笑れました。私はこんな立派な神様が時々姿を現わして親切に教えてくださるかと思うと、忝ないやら、心強いやら、自ずと涙がにじみ出ました。――
『これからは何卒よしなに御指導くださいますよう……。』
『俺の力量に及ぶことなら何なりと申出るがよい。すでに竜宮界からも、そなたの為めによく取計らえとのお指図じゃ。遠慮なく訊きたいことを訊いてもらいたい。』
親身になっていろいろとやさしく言われますので、私の方でもすっかり安心して、勿体ないとは思いつつも、いつしか懇意な叔父さまとでも対座しているような、打解けた気分になって了いました。
『あの大そう無躾なことを伺いますが、あなた様はよほど永くここにお住居でございますか。』
『さァ人間界の年数に直したら何年位になろうかな……。』と老竜神はにこにこし乍ら『少く見積っても三万年位にはなるであろうかな。』
『三万年!』と私はびっくりして、『その間には随分いろいろの変った事件が起ったでございましょう……。』
『もともとこちらの世界のことであるから、さまで変った事件も起らぬ。最初ここへ参った時に蒼黒かった俺の躯がいつの間にか白く変った位のものじゃ。その中俺の真実の姿を汝に見せて上げるとしょう……。』
『それは何時でございましょうか。只今すぐに拝まして戴きとう存じまするが……。』
『イヤすぐという訳にはまいらぬ。汝の修行がもう少し積んで、これならばと思われる時に見せるとしょう。』
その時はそんな対話をした丈でお分れしましたが、私としては一時も早くこの瀑布の竜神様の本体を拝みたいばかりに、それからというものは、一心不乱に精神統一の修行をつづけました。又場所が場所丈に、近頃の統一状態は以前よりもずっと深く、ずっと混りなくなったように自分にも感じられました。
それからどれ位経った時でございましょうか、ある日俄かに私の眼の前に、一道の光明がさながら洪水のように、どっと押し寄せてまいりました。一たんは、はっと愕きましたが、それが何かのお通報であろうと気がついて心を落ちつけますと、つづいて瀑布の方向に当って、耳がつぶれるばかりの異様の物音がひびきます。
私は直ちに統一を止めて、急いで滝壺の上に走り出て見ますと、果してそこには一体の白竜……爛々と輝く両眼、すっくと突き出された二本の大きな角、銀をあざむく鱗、鋒を植えたような沢山の牙……胴の周囲は二尺位、身長は三間余り……そう言った大きな、神々しいお姿が、どっと落ち来る飛沫を全身に浴びつつ、いかにも悠々たる態度で、巌角を伝わって、上へ上へと攀じ登って行かれる……。
眼のあたり、斯うした荘厳無比の光景に接した私は、感極りて言葉も出でず、覚えず両手を合わせて、その場に立ち尽したことでございました。
私は前にも幾度か竜体を目撃して居りますが、この時ほど間近く見、この時ほど立派なお姿を拝んだことはございませぬ。その時の光景はとても私の拙い言葉で尽すことはできませぬ。何卒然るべくお察しをお願いします……。
五十三、雨の竜神
瀑布の修行場では、私が実際瀑布にかかったかと仰っしゃるか……。かかりは致しませぬ。私はただ瀑布の音に溶け込むようにして、心を鎮めて坐って居たまでで、そうすると何ともいえぬ無我の境に誘れて行き、雑念などは少しもきざしませぬ。肉体のある者には水に打たれるのも或は結構でございましょうが、私どもにはあまりその効能がないようで……。又指導役のお爺さんも『瀑布にはかからんでも、その気分になればそれでよい……。』とのお言葉でございました。
或の日私が統一の修行に疲れて、瀑壺の所へ出てぼんやり水を眺めて居りますと、ここの竜神様が、又もや例の白衣姿で、白木の長い杖をつきながら、ひょっくり私の傍へお現われになりました。
『丁度よい機会であるから、汝を上の山へ連れて行って、一つ大へんに面白いものを見せて上げようと思うが……。』
『面白いものと言ってそれは何でございますか?』
『自分について来れば判る。汝は折角修行の為めにここへ寄越されているのであるから、この際できる丈何彼を見聞して置くがよいであろう……。』
もとより拒むべき筋合のものでございませぬから、私は早速身支度してこの親切な、老いたる竜神さんの後について出掛けることになりました。
瀑布の右手にくねくねと附いている狭い山道、私達はそれをば上へ上へと登って行きました。見るとその辺は老木がぎっしり茂っている、ごくごく淋しい深山で、そして不思議に山彦のよく響く処でございました。漸く山林地帯を出抜けると、そこは最う山の頂辺で、芝草が一面に生えて居り、相当に見晴しのきくところでございました。
『実は今日ここで汝に雨降りの実況を見せるつもりなのじゃ。と申して別に俺が直接にやるのではない。雨には雨の受持がある……。』
そう言って瀑布のお爺さんは、眼を閉じてちょっと黙祷をなさいましたが、間もなくゴーッという音がして、それがあちこちの山々にこだまして、ややしばらく音が止みませんでした。
と見ると、向うに一人の若い男子の姿が現われました。年の頃は三十許、身には丸味がかった袖の浅黄の衣服を着け、そして膝の辺でくくった、矢張り浅黄色の袴を穿き、足は草履に足袋と言った、甚だ身軽な扮装でした。頭髪は茶筌に結っていました。
『これは雨の竜神さんが化けて来たのに相違ない……。』一と目見た時に私はすぐそう感づきました。不思議なもので、いつ覚えたともなく、その頃の私にはそれ位の見わけがつくのでした。
お爺さんは言葉少なに私をこの若者に引き合わせた上で、
『今日は御苦労であるが、俺のところの修行者に一つ雨を降らせる実況を見せて貰いたいのじゃが……。』
『承知致しました。』
若者は快く引き受け、直ちにその準備にかかりました。尤も準備と言っても別にそううるさい手続のあるのでも何でもございませぬ。ただ上の神界に真心こめて祈願する丈で、その祈願が叶えば神界から雨を賜わることのようでございます。つまり自然界の仕事は幾段にも奥があり、いかに係りの竜神さんでも、御自分の力のみで勝手に雨を降らしたり、風を起したりはできないようでございます。
それはさて措き、年の若い雨の竜神さんは、瀑布の竜神さんと一緒になって、口の中で何か唱えごとをしながら、ややしばらく祈願をこめていましたが、それが終ると同時に、ぷいとその姿を消しました。
『あれは今竜体に戻ったのじゃ。』とお爺さんが説明してくれました。『竜体に戻らぬと仕事が出来ぬのでな……。その中直に始まるであろうから、しばらくここで待つがよい。』
そんなことを言っている中にも、何やら通信があるらしく、お爺さんはしきりに首肯いて居られます。
『何か差支でも起きたのでございますか?』
『いやそうではない。実は神界から、雨を降らせるに就いては、同時に雷の方も見せてやれとのお達しが参ったのじゃ。それで今その手筈をしているところで……。』
『まあ雷でございますか……。是非それも見せて戴き度うございます……。』
五十四、雷雨問答
それから間もなく、私は随分と激しい雷雨の実況を見せて戴いたのでございますが、外観からいえばそれは現世で目撃した雷雨の光景とさしたる相違もないのでした。先ず遥か向うの深山でゴロゴロという音がして、同時に眼も眩むばかりの稲妻が光る。その中、空が真暗くなって、あたりの山々が篠突くような猛雨の為めに白く包まれる……ただそれきりのことに過ぎませぬ。
が、内容からいえば、それは現世ではとても思いもよらぬような、不思議な、そして物凄い光景なのでございました。
『雨雲の中をよく見るがよい。眼を離してはならぬ。』
お爺さんからそう注意されるまでもなく、私はもう先刻から一心不乱に深い統一に入って、黒雲の中を睨みつめて居たのですが、たちまち一体の竜神の雄姿がそこに鮮かに見出されました。私は思わず叫びました。――
『あれあれ薄い鼠色の男の竜神さんが、大きな口を開けて、二本の角を振り立てて、雲の中をひどい勢で駆けて行かれる……。』
『それが先刻爰に見えた、あの若者なのじゃ。』
『あれ、向うの峰を掠めて、白い、大きな竜神さんが、眼にもとまらぬ迅さで横に飛んで行かれる……あの凄い眼の色……。』
『それが雷の竜神の一人じゃ。力量はこの方が一段も二段も上じゃ……。』
『あれ、雨の竜神さんが、こちらを向いて、何やら相図をして向うの方に飛んで行かれます……。』
『それは、そろそろ雨を切上げる相図をしているのじゃ。もう間もなく雨も雷も止むであろう……。』
果して間もなく雷雨は、拭うが如く止み、山の上は晴れた、穏かな最初の景色に戻りました。私は夢から覚めたような気分で、しばらくは言葉もきけませんでした。
ややありて私は瀑布の竜神さんに向い、今日見せられた事柄に就いていろいろお訊ねしましたが、いかに訊ねても訊ねても矢張り私の器だけのことしか判る筈もなく、従ってあまり御参考にもならぬかと存じますが、兎も角その時の問答の一部をお伝えして置きます。――
問『雨を降らすのと、雷を起すのとでは、いつもその受持が異うのでございますか?』
答『それは無論そうじゃ。俺達の世界にもそれぞれ受持がある……。』
問『どのような手続きで、あんな雨や雷が起るのでございますか?』
答『さあそれは甚だ六ヶしい……。一と口に言って了へば念力じゃが、むろんただそう言ったのみでは足らぬ。天地の間にはそこに動かすことのできぬ自然の法則があり、竜神でも、人間でも、その法則に背いては何事もできぬ。念力は無論大切で、念力なしには小雨一つ降らせることもできぬが、しかしその念力は、何は措いても自然の法則に協うことが肝要じゃ。先刻雨を降らせるにつきても、俺達が第一に神界のお許しを受けたのはそこじゃ。大きな仕事になればなるほど、ますます奥が深くなる。俺達は言わば神と人との中間の一つの活きた道具じゃ……。』
問『先刻の雨と雷とは、何れもお一人づつで行られたお仕事でございましたか?』
答『雨の方はただ一人の竜神の仕事じゃった。汝一人の為めに降らせたまでの俄雨であるから、従ってその仕掛もごく小さい……。が、雷の方はあれで二人がかりじゃ。こればかりは、いかなる場合にも二人は要る。一方は火竜、他方は水竜――つまり陽と陰との別な働きが加わるから、そこに初めてあの雷鳴だの、稲妻だのが起るので、雨に比べると、この仕事の方が遥かに手数がかかるのじゃ……。』
五十五、母の訪れ
私が滝の修行場へ滞在した期間はさして長くもなかった上に、あそこは言わば精神統一の特別の行場でございましたので、これはと言って特に申上げるほどの面白い出来事もございませぬ。私はあの滝の音をききながら、いつもその音の中に溶けこむような気分で、自分の存在も忘れて、うっとりとしていることが多いのでございました。お蔭様でそうした修行の結果、私の統一は以前にましてずっと深まり、物を視るにも、あれから大へんに楽になったように、自分にも感じられてまいりました。こちらの世界へ来てもすべては修行次第で、呑気に遊んでいたのでは、決して力量がつくものではないようでございます。実をいうと私などは、可なり執着も強く、しかも自分では成るべく呑気に構えていたい方なのですが、魂の因縁と申しましょうか、上の神様からのお指図で、いつも一つの修行から次ぎの修行へと追い立てられてまいりました為めに、やっと人並になれたのでございます。考えて見ると随分お恥かしい次第で……。
それはそうと滝の修行中にも、一つ二つの思い出の種子がない訳でもございませぬ。その一つは私の母がわざわざ訪ねて来てくれたことで、それが帰幽後に於ける母子の最初の対面でございました。
この対面につきては前以て指導役のお爺さんからちょっと前触がありました。『汝の母人も近頃は漸く修行が積んで、外出も自由にできるようになったので、是非一度汝に逢わそうかと思っている。何れ近い内にこちらに見えるであろう……。』――私はそれをきいた時は嬉しさで胸が一ぱいでございました。そして母に逢ったらこれも語ろう、あれも訊きたいと、生前死後にかけての積り積れるさまざまの事件が、丁度嵐のように私の頭脳の中に、一度に押し寄せて来たのでした。
それにつけても私の眼に特に力強く浮び出でたのは、前にも申上げた、母の臨終の光景でした。あの見る影もなく、老いさらばえる面影、あの断末魔のはげしい苦悶、あの肉体と幽体とをつなぐ無気味な二本の白い紐、それからあの臨終の床の辺をとりまいた現幽両界の多くの人達の集り……。私はその当時を憶い出して、覚えず涙に暮れつつも、近く訪れるこちらの世界の母がどんな様子をしていられるかを、あれか、これかと際限もなく想像するのでした。
すると、それから間もなく、森閑と鎮まり返った私の修行場の庭に、何やら人の訪れる気配がしましたので、不図振り向いて見ると、それは一人の指導役の老人に導かれた、私のなつかしい母親なのでした。
『お母さま‼』
『姫‼』
双方から馳せ寄った二人は互に縋りついて了いました。
現在の母の様子は、臨終の時の様子とはびっくりするほど変って了い、顔もすっかり朗かになり、年齢もたしかに十歳ばかり若返って居りました。母の方でも私が諸磯の佗住居にくすぼり返っていた時に比べて、あまりに若々しく、あまりに元気らしいのを見て、自分の事のように心から歓んでくれました。
『これほどあなたが立派な修行を積んでいるとは思わなかった。あなたの体からは丁度神さまのように光明が射します……。』
そんなことを言いながら、右から左からしげしげと私の姿を見まもるのでした。これも生みの母なればこそ、と思えば、自ずと先立つものは泪でございました。
不図気がついて見ると、庭先まで案内の労を執ってくだすった母の指導役のお爺さんは、いつの間にやら姿を消して、すべてを私達母子の為すところに任せられたのでした。
五十六、つきせぬ物語り
逢った上は心行くまましんみりと語り合おうと待ち構えていたのですが、さていよいよ斯うして母と膝を突き合わせて見ると、ひたぶるに胸が迫るばかりで、思って居ることの十が一も言葉に出でず、ともすれば泣きたくなって仕方がないのでした。
『こんなことでは余りにみつともない。今日は面白く語り合わねばならぬ……。』
私は一生懸命、成るべく涙を見せぬように努めましたが、それは母の方でも同様で、そっと涙を拭いては笑顔でかれこれと談話をつづけるのでした。
『あなたはこちらでどんな境地を通って来たのですか?』母は真先きにそう訊ねました。『最初からここではないようにきいて居りますが……。』
『私はこちらで修行場が三度ほどかわりました。最初は岩屋の修行場、そこはなかなか永うございました。その次ぎが山の修行場、その時代に竜宮界その他いろいろの珍らしい所へ連れて行かれ、又良人をはじめ多くの人達にも逢わせていただきました。現在この滝の修行場へ移ってからはまだ幾らにもなりませぬ……。』
『あなたはまあ何という結構な事ばかりして来られたことでしょう‼』と母は心から感心しました。『この母などは岩屋の修行だの、山の修行だのと、そんな変ったことはただの一つもして来はしませぬ。まして竜宮界などと言っては夢にだって見たこともない……。あなたはたしかに特別の御用を有って生れた人に相違ない……。私の指導役の神さまもそんなことを言って居られました……。』
『まさかそうでもございますまいが……。』
『イヤたしかにそうです。いつか時節が来たら、あなたにはきっと何ぞ大事のお仕事が授けられますよ。何うぞそのつもりで、今後もしっかり修行に精を出してください。母などは、他の多くの人達と同じく、こちらに参ってから、産土神様のお手元で、ある一室を宛てがわれ、そこで静かに修行をつづけているだけなのです……。』
『父上とは御一緒ではございませんか。』
『一緒ではありませぬ。現世に居た時分は、夫婦は同じ場所に行かれるものかと考えて居りましたが、こちらへ来て見ると同棲などは思いも寄りませぬ。魂の関係とやらで、良人は良人、妻は妻と、チャーンと区別がついているのです。もっとも私達の境涯でも逢おうと思えばいつでも逢われ、対話をしようと思えばいつでも対話はできますが……。斯んなことをいうとあなたから笑われるか知れませぬが、私は一度指導役の神様に向い、あまり心細いから、せめて良人とだけは一緒に住まわせて戴きたいと、お願いしたことがあるのです。それでも神様は何うあっても私の願いをおきき入れになってくださらないので、その時の私の力落しと云ったらなかったものです。私は今でも時々はいつの時代になったら、夫婦、親子、兄弟が昔のように楽しく同居することができるのかしらと思われてなりませぬ。あなたにはそんなことがないのですか?』
『ないでもございませぬが、近頃統一が深くなった為めか、だんだんそうした考えが薄らいでまいりました。相当に修行が積んだら、一緒に棲むとか、棲まないとか申すことは、さして苦労にならないようになって了うのではないでしょうか。竜宮界の上の神様達の御様子を見ても、いつも夫婦親子が同棲して居られることはないようでございます。それぞれ御用が異うので、平生は別々になってお働きになり、偶にしか御一緒になって、お寛ぎ遊ばすことがないと申します……。』
『神様でも矢張りそうなのでございますかね……。そうして見るとこの母などはまだ現世の執着が多分に残っている訳で、これからはあなたにあやかり、余り愚痴は申さぬことに気をつけましょう。今日は本当によいことを伺いました。あなたがそんなにまで修行が出来たのを見ると、私は心からうれしい……。』
そう言いながらも母の眼には、涙が一つぱい溜って居るのでした。
五十七、有難い親心
それから訊ねらるるままに、私は母に向って、帰幽後こちらの世界で見聞したくさぐさの物語を致しましたが、いつも一室に閉じこもって、単調なその日その日を送って居る母にとりては、一々びっくりすることのみ多いらしいのでした。最後に私が、最近滝の竜神さんの本体を拝ましていただいた話を致しますと、母の愕きは頂点に達しました。
『私はこちらの世界へ来て居りながら、ただの一度もまだ竜神さんの御本体を拝ましていただいたことがない。今日はあなたを訪れた紀念に、是非こちらの竜神さまにお目通りをしたい。あなたから篤とお依みしてくださらぬか……。』
これには私もいささか当惑して了いました。果して滝の竜神さんが快く母の依みを諾いてくださるか何うか、私にもまったく見当がとれないのでした。
『とも角も、私から折入ってお願いして見ることにいたしましょう。しばらくお待ちくださいませ……。』
私は単身瀑壺の側を通って上のお宮に詣で、母の願望をかなえさせてくださるようお依みしました。
滝の竜神さんはいつものように老人の姿でお現われになり、微笑を浮べて斯う言われるのでした。――
『汝達の談話はよう俺にも聴えて居ました。人間の母子の情愛と申すものは、大てい皆ああしたものらしく、俺達の世界のようになかなかあっさりはして居らんな。それで汝の母人は、今日爰へ来た序に俺の本体を見物して、それを土産に持って帰りたいということのようであるが、これは少々困った註文じゃ。俺の方で勿体ぶる訳ではないが、汝の母人の修行の程度では、俺がいかに見せたいと思ってもまだとてもまともに俺の姿を見ることはできぬのじゃ……。が、折角の依みとあって見れば何とか便宜を図って上げずばなるまい。兎も角も母人を瀑壺のところへ連れてまいるがよかろう……。』
私は早速修行場から母を瀑壺の辺に連れ出しました。そして二人で、両手を合せて一心に祈願をこめて居りますと、やがてどっと逆落しに落ち来る滝の飛沫の中に、二間位の白い女性の竜神の優さしい姿が現われて、巌角を伝ってすーッと上方に消え去りました。
『あれは俺の子供の一人じゃが……。』
そう言われて、驚いて振りかえると、滝の竜神さんが、いつもの老人の姿で、にこにこしながら、私達の背後に来て、佇んで居られるのでした。
私は厚く今日のお礼をのべて母を引き合わせました。竜神さんはいとど優さしく、いろいろと母を労わってくださいましたので、母もすっかり安心して、丁度現世でするように私の身の上を懇々とお依みするのでした。
『不束な娘でございますが、何うぞ今後とも宜しうお導きくださいますよう……。さぞ何かとお世話が焼けることでございましょう……。』
『イヤあなたは良いお子さんを有たれて、大へんにお幸福じゃ。』竜神さんというよりもむしろ人間らしい挨拶ぶり。『近頃は大分修行も積まれてもう一と息というところじゃ。人間には執着が強いので、それを棄てるのがなかなかの苦労、ここまで来るのには決して生やさしい事ではない……。』
『これから先きは娘は何ういう風になるのでございますか。まだ他にもいろいろ修行があるのでございましょうか?』
『イヤそろそろ修行に一段落つくところじゃ。本人が生前大へんに気に入った海辺があるので、これからそこへ落付かせることになって居る……。』
『左様でございますか。どんなに本人にとりまして満足なことでございましょう。』と母は自分のことよりも、私の前途につきて心を遣ってくれるのでした。『それについては、私があまりたびたび訪ねるのは、却って修行の邪魔になりましょうから、成るべく自分の住所を離れずに、ただ折々の消息をきいて楽しむことに致しましょう。その内折を見てこの娘の良人なりと訪ねさせていただき度うございます。そうすれば修行をするにも何んなに張合いがあることでございましょう……。』
『イヤそれはもうしばらく待ってもらいたい。』と滝の竜神さんはあわて気味に母を制しました。『あの人にはあの人としての仕事があり、めいめい為ることが異います。良人を招ぶのは海辺の修行場へ移ってからのことじゃ……。』
『矢張りそんな訳のものでございますか……。私どもにはこちらの世界のことがまだよくのみ込めないので、ときどき飛んだ失策をいたします。何分神様の方で宜しきように……。』
『その点は何うぞ安心なさるように……。ではこれでお別れします。』
滝の竜神さんがプイと姿を消し、それと入れ代りに母の指導役のお爺さんが早速姿を現わしましたので、母は名残惜しげに、それでも大して泪も見せず、間もなく別れを告げて帰り行きました。
『矢張り生みの母は有難い……。』
見送る私の眼からはこらへこらへた溜涙が一度に滝のように流れました。
五十八、可憐な少女
母に逢ってからの私は、しばらくの間気分が何となく落つかず、統一の修行をやって見ても、ツイふらふらと鎌倉で過した処女時代の光景を眼の中に浮べて見るようなことが多いのでした。『こんなことでは本当の修行にも何にもなりはしない。気晴らしに少し戸外へ出て見ましょう……。』とうとう私は単身で滝の修行場を出かけ、足のまにまに、谷川を伝って、下方へ下方へと降りて行きました。
戸外は矢張り戸外らしく、私は直に何ともいえぬ朗かな気持になりました。それに一歩一歩と川の両岸がのんびりと開けて行き、そこら中にはきれいな野生の花が、所せきまで咲き匂っているのです。『まあ見事な百合の花……。』私は覚えずそう叫んで、巌間から首をさし出していた半開の姫百合を手折り、小娘のように頭髪に挿したりしました。
私がそうした無邪気な乙女心に戻っている最中でした、不図附近に人の気配がするのに気がついて、愕いて振り返って見ますと、一本の満開の山椿の木蔭に、年齢の頃はやっと十歳ばかりの美しい少女が、七十歳位と見ゆる白髪の老人に伴われて佇っていました。
『あれは山椿の精ではないかしら……。』
一たんはそう思いましたが、眼を定めてよくよく見ると、それは妖精でも何でもなく、矢張り人間の小供なのでした。その娘はよほど良い家柄の生れらしく、丸ポチャの愛くるしい顔にはどことなく気品が備わって居り、白練の下衣に薄い薄い肉色の上衣を襲ね、白のへこ帯を前で結んでだらりと垂れた様子と言ったら飛びつきたいほど優美でした。頭髪は項の辺で切って背後に下げ、足には分厚の草履を突かっけ、すべてがいかにも無造作で、どこをさがしても厭味のないのが、むしろ不思議な位でございました。
兎に角日頃ただ一人山の中に閉じこもり、めったに外界と接する機会のない私にとりて、斯うした少女との不意の会合は世にももの珍らしい限りでございました。私は不躾とか、遠慮とか言ったようなことはすっかり忘れて了い、早速近づいて附添のお爺さんに訊ねました。――
『あの、このお児さまは、どこのお方でございますか?』
『これはもと京の生れじゃが、』と老人は一向済ました面持で『ごく幼い時分に父母に訣れ、そしてこちらの世界に来てからかくまで生長したものじゃ……。』
『まあこちらの世界で大きくなられたお方……私、まだ一度もそう言ったお方にお目にかかったことがございませぬ。もしお差支がなければ、これから私の滝の修行場までお出掛けくださいませぬか。ここからそう遠くもございませぬ……。』
『あなたの事はかねて滝の竜神さんから伺って居ります……。ではお言葉に従ってこれからお邪魔を致そうか……。雛子、この姨さまに御挨拶をなさい。』
そう言われると少女はにっこりして丁寧に頭をさげました。
私はいそいそとこの二人の珍客を伴いて、滝の修行場へと向ったのでした。
五十九、水さかずき
お客さまが見えた時に、こちらの世界で何が一ばん物足りないかといえば、それは食物のないことでございます。それも神様のお使者や、大人ならば兎も角も、斯うした小供さんの場合には、いかにも手持無沙汰で甚だ当惑するのでございます。
致方がないから、あの時私は御愛想に滝の水を汲んで二人に薦めたのでした。――
『他に何もさし上げるものとてございませぬ。どうぞこの滝のお水なりと召し上れ……。これならどんなに多量でもございます……。』
『これはこれは何よりのおもてなし……雛子、そなたも御馳走になるがよいであろう。世界中で何が美味いと申しても、結局水に越したものはござらぬ……。』
指導役のお爺さんはそんな御愛想を言いながら、教え子の少女に水をすすめ、又御自分でも、さも甘そうに二三杯飲んでくださいました。私の永い幽界生活中にもお客様と水杯を重ねたのは、たしかこの時限りのようで、想い出すと自分ながら可笑しく感ぜられます。
それはそうとこの少女の身の上は、格別変った来歴と申すほどのものでもございませぬが、その際指導役の老人からきかされたところは、多少は現世の人々の御参考にもなろうかと存じますので、あらましお伝えすることに致しましょう。
老人の物語るところによれば、この少女の名は雛子、生れて六歳のいたいけざかりにこちらの世界に引き移ったものだそうで、その時代は私よりもよほど後れ、帰幽後ざっと八十年位にしかならぬとのことでございました。父親は相当高い地位の大宮人で、名は狭間信之、母親の名はたしか光代、そして雛子は夫婦の仲の一粒種のいとし児だったのでした。
指導役のお爺さんはつづいてかく物語るのでした。――
『御身も知るとおり、こちらの世界では心の純潔な、迷いの少ないものはそのまま側路に入らず、すぐに産土神のお手元に引きとられる。殊に浮世の罪穢に汚されていない小供は例外なしに皆そうで、その為めこの娘なども、帰幽後すぐに俺の手で世話することになったのじゃ。しかるに困ったことにこの娘の両親は、きつい仏教信者であった為め、わが児が早く極楽浄土に行けるようにと、朝に晩にお経を上げてしきりに冥福を祈って居るのじゃ……。この娘自身はすやすやと眠っているから格別差支もないが、この娘の指導役をつとめる俺にはそれが甚だ迷惑、何とか良い工夫はないものかと頭脳を悩ましたことであった。むろん人間には、賢愚、善悪、大小、高下、さまざまの等差があるので、仏教の方便も穴勝悪いものでもなく、迷いの深い者、判りのわるい者には、しばらくこちらで極楽浄土の夢なりと見せて仏式で修行させるのも却ってよいでもあろう。――が、この娘としてはそうした方便の必要は毛頭なく、もともと純潔な小供の修行には、最初から幽界の現実に目覚めさせるに限るのじゃ。で、俺は、この娘がいよいよ眼を覚ますのを待ち、服装などもすぐに御国振りの清らかなものに改めさせ、そしてその姿で地上の両親の夢枕に立たせ、自分は神さまに仕えている身であるから、仏教のお経を上げることは止めてくださるようにと、両親の耳にひびかせてやったのじゃ。最初の間は二人とも半信半疑であったものの、それが三度五度と度重なるに連れて、漸くこれではならぬと気がついて、しばらくすると、現世から清らかな祝詞の声がひびいて来るようになりました……。イヤ一人の小供を満足に仕上げるにはなかなか並大抵の苦心ではござらぬ。幽界に於ても矢張り知識の必要はあるので、現世と同じように書物を読ませたり、又小供には小供の友達もなければならぬので、その取持をしてやったり、精神統一の修行をさせたり、神様のお道を教えたり、又時々はあちこち見学にも連れ出して見たり、心から好きでなければとても小供の世話は勤まる仕事ではござらぬ。が、お蔭でこの娘も近頃はすっかりこちらの世界の生活に慣れ、よく俺の指図をきいてくれるので大へんに助かって居ります。今日なども散歩に連れ出した道すがら図らずもあなたにめぐり逢い、この娘の為めには何よりの修行……あなたからも何とか言葉をかけて見てくだされ……。』
そう言って指導役の老人はあたかも孫にでも対する面持で、自分の教え子を膝元へ引き寄せるのでした。
『雛子さん』と私も早速口を切りました。『あなたはお爺さんと二人切りでさびしくはないのですか?』
『ちっともさびしいことはございません。』といかにもあっさりした返答。
『まァお偉いこと……。しかし時々はお父さまやお母さまにお逢いしたいでしょう。いつかお逢いしましたか?』
『たった一度しか逢いません……。お爺さんが、あまり逢っては良けないと仰っしゃいますから……。わたしそんなに逢いたくもない……。』
何をきかれてもこの娘の答は簡単明瞭、幽界で育った小供には矢張りどこか異ったところがあるのでした。
『これなら修行も案外に楽であろう……。』
私はつくづく肚の中でそう感じたことでした。
六十、母性愛
その日はそれ位のことで別れましたが、後で又ちょいちょいこの二人の来訪を受け、とうとうそれが縁で、私は一度こちらの世界でこの娘の母親とも面会を遂げることになりました。なかなかしとやかな婦人で、しきりに娘のことばかり気にかけて居りました。その際私達の間に交された問答の中には、多少皆様の御参考になるところがあるように思われますので、序にその要点だけここに申し添へて置きましょう。
問『あなた様は御生前に大そう厚い仏教の信者だったそうでございますが……。』
答『私どもは別に平生厚い仏教の信者というのでもなかったのでございますが、可愛い小供を亡った悲歎のあまり、阿弥陀様にお縋りして、あの娘が早く極楽浄土に行けるようにと、一心不乱にお経を上げたのでございました。こちらの世界の事情が少し判って見ると、それがいかに浅墓な、勝手な考であるかがよく判りますが、あの時分の私達夫婦はまるきり迷いの闇にとざされ、それがわが娘の済われるよすがであると、愚かにも思い込んで居たのでした。――あべこべに私ども夫婦はわが娘の手て済われました。夫婦が毎夜夢の中に続けざまに見るあの神々しい娘の姿……私どもの曇った心の鏡にも、だんだんとまことの神の道が朧気ながら映ってまいり、いつとはなしに御神前で祝詞を上げるようになりました。私どもは全く雛子の小さな手に導かれて神様の御許に近づくことができたのでございます。私がこちらの世界へまいる時にも、真先きに迎えに来てくれたのは矢張りあの娘でございました。その折私は飛び立つ思いで、今行きますよ……と申した事はよく覚えて居りますが、修行未熟の身の悲しさ、それから先きのことはさっぱり判らなくなって了いました。後で神さまから伺えば、私はそれから十年近くも眠っていたとのことで、自分ながらわが身の腑甲斐なさに呆れたことでございました……。』
問『いつお娘さまとはお逢いなされましたか……。』
答『自分が気がついた時、私はてっきりあの娘が自分の傍に居てくれるものと思い込み、しきりにその名を呼んだのでございます。――が、いかに呼べど叫べど、あの娘は姿を見せてくれませぬ。そして不図気がついて見ると、見も知らぬ一人の老人が枕辺に佇って、凝乎と私の顔を見つめて居るのでございます。やがて件の老人が徐ろに口を開いて、そなたの子供は今ここに居ないのじゃから、いかに呼んでも駄目じゃ。修行が積んだら逢わせてあげぬでもない……。そんなことを言われたのでございます。その時私は、何という不愛想な老人があればあるものかと心の中で怨みましたが、後で事情が判って見ると、この方がこちらの世界で私を指導してくださる産土神のお使者だったのでございました……。兎も角も、修行次第でわが娘に逢わしてもらえることが判りましたので、それからの私は、不束な身に及ぶ限りは、一生懸命に修行を励みました。そのお蔭で、とうとう日頃の願望の協う時がまいりました。どこをドウ通ったのやら途中のことは少しも判りませぬが、兎も角私は指導役の神さまに連れられて、あの娘の住居へ訪ねて行ったのでございます。あの娘の歿ったのは六歳の時でございましたが、それがこちらの世界で大分に大きく育っていたのには驚きました。稚な顔はそのままながら、どう見ても十歳位には見えるのでございます。私はうれしいやら、悲しいやら、夢中であの娘を両腕にひしとだきかかえたのでございます……。が、それまでが私の嬉しさの絶頂でございました。私は何やら奇妙な感じ……予て考えていたのとはまるきり異った、何やらしみじみとせぬ、何やら物足りない感じに、はっと愕かされたのでございます……。』
問『つまり軽くて温みがなく、手で触ってもカサカサした感じではございませんでしたか……。』
答『全くお言葉の通り……折角抱いてもさっぱり手応えがないのでございます。私にはいかに考えても、こればかりは現世の生活の方がよほど結構なように感じられて致方がございませぬ。神様のお言葉によれば、いつか時節がまいれば、親子、夫婦、兄弟が一緒に暮らすことになるとのことでございますが、あんな工合では、たとえ一緒に暮らしても、現世のように、そう面白いことはないのではございますまいか……。』
二人の問答はまだいろいろありますが、一と先ずこの辺で端折ることにいたしましょう。現世生活にいくらか未練の残っている、つまらぬ女性達の繰り言をいつまで申上げて見たところで、そう興味もございますまいから……。
六十一、海の修行場
前にも申上げた通り、私が滝の修行場に居りました期間は割合に短かく、又これと言って珍らしい話もありませぬ。私は大体彼所でただ統一の修行ばかりやっていたのでございますから……。
滝の修行時代がどれ位つづいたかと仰っしゃるか……。さァ自分にはさっぱりその見当がつきませぬが、指導役のお爺さんのお話では、あれでも現世の三十年位には当るであろうとの事でございました。三十年と申すと現世ではなかなか長い歳月でございますが、こちらでは時を量る標準が無い故か、一向それほどにも感じないのでございまして……。
それはそうと、私の滝の修行場生活もやがて終りを告ぐべき時がめぐってまいりました。ある日私が御神前で深い深い統一に入って居りますと、ひょっくり滝の竜神さんが、例の白衣姿ですぐ間近くお現われになり、斯う仰せられるのでございました。――
『そなたの統一もその辺まで進めば先ず大丈夫、大概の仕事に差支えることもあるまい。従ってそなたがこの上ここに居る必要もなくなった訳……ではこれでお別れじゃ……。』
言いも終らず、プイと姿をお消しになり、そしてそれと入れ代りに私の指導役のお爺さんが、いつの間にやら例の長い杖をついて入口に立って居られました。
私はびっくりして訊ねました。――
『お爺さま、これから何所ぞへお引越でございますか?』
『そうじゃ……今度の修行場はきっと汝の気に入るぞ……。すぐ出掛けるとしよう……。』
不相変あっさりしたものでございます。しかし、私の方でも近頃はいくらかこちらの世界の生活に慣れてまいりましたので、格別驚きも、怪しみもせず、ただ母の紀念の守刀を身につけた丈で、心静かに坐を起ちました。
が、それにつづいて起った局面の急転回には、さすがの私も少し呆れない訳にはまいりませんでした。お暇乞いの為めに私が滝の竜神さんの祠堂に向って合掌瞑目したのはホンの一瞬間、さて眼を開けると、もうそこはすでに滝の修行場でも何でもなく、一望千里の大海原を前にした、素晴らしく見晴らしのよい大きな巌の頂点に、私とお爺さんと並んで立っていたのでした。
『ここが今度の汝の修行場じゃ。何うじゃ気に入ったであろうが……。』
びっくりした私が御返答をしようとする間もあらせず、お爺さんの姿が又々烟のように側から消えて無くなって了いました。
重ね重ねの早業に、私は開いた口が容易に塞がりませんでしたが、漸く気を落ちつけて四辺の景色を見𢌞わした時に、私は三たび驚かされて了いました。何故かと申すに、巌の上から見渡す一帯の景色が、どう見ても昔馴染の三浦の西海岸に何所やら似通って居るのでございますから……。
六十二、現世のお浚
私はうれしいのやら、悲しいのやら、自分にもよくは判らぬ気分でしばらくあたりの景色に見とれて居ましたが、不図自分の住居のことが気になって来ました。
『お爺さんは私の住居について何とも仰っしゃられなかったが、一たいそれはどこにあるのかしら……。』
私は巌の上からあちこち見まわしました。
脚下は一帯の白砂で、そして自分の立っている巌の外にも幾つかの大きな巌があちこちに屹立して居り、それにはひねくれた松その他の常盤木が生えて居ましたが、不図気がついて見ると、中で一ばん大きな彼方の巌山の裾に、一つの洞窟らしいものがあり、これに新らしい注連縄が張りめぐらしてあるのでした。
『きっとあれが私の住居に相違ない……。』
私は急いで巌から降りてそこへ行って見ると、案に違わず巌山の底に八畳敷ほどの洞窟が天然自然に出来て居り、そして其所には御神体をはじめ、私が日頃愛用の小机までがすでにキチンと取り揃えられてありました。
一と目見て私は今度の住居が、心から好きになって了いました。洞窟と言っても、それはよくよく浅いもので明るさは殆んど戸外と変りなく、そして其所から海までの距離がたった五六間、あたりにはきれいな砂が敷きつめられていて、所々に美しい色彩の貝殻や香いの強い海藻やらが散ばっているのです。
『まるきり三浦の海岸そっくり……こんな場所なら、私はいつまでここに住んでもよい……。』
私は室を出たり、入ったり、しばらく坐ることも打忘れて小娘のようにはしゃいだことでした。
今日から振り返って考えると、この海の修行場は私の為めに神界で特に設けて下すったお浚いの場所ともいうべきものなのでございました。境遇は人の心を映すとやら、自分が現世時代に親んだのとそっくりの景色の中に犇と抱かれて、別に為すこともなくたった一人で暮らして居りますと、考はいつとはなしに遠い遠い昔に馳せ、ありとあらゆる、どんな細かい事柄までもはっきりと心の底に甦って来るのでした。紅い色の貝殻一つ、かすかにひびく松風一つが私にとりてどんなにも数多き思い出の種子だったでございましょう! それは丁度絵巻物を繰り拡げるように、物心ついた小娘時代から三十四歳で歿るまでの、私の生涯に起った事柄が細大漏れなく、ここで復習をさせられたのでした。
で、この海の修行場は私にとりて一の涙の棄て場所でもありました。最初四辺の景色が気に入ってはしゃいだのはホンの束の間、後はただ思い出しては泣き、更に思い出しては泣き、よくもあれで涙が涸れなかったと思われるほど泣いたのでございました。元来私は涙もろい女、今でも未だ泣く癖がとまりませぬが、しかしあの時ほど私がつづけざまに泣いたこともなかったように覚えて居ります。
が、思い出す丈思い出し、泣きたい丈泣きつくした時に、後には何ともいえぬしんみりと安らかな気分が私を見舞ってくれました。こんないくじのない者に幾分か心の落つきが出て来たように思われるのは、たしかにあの海の修行場で一生涯のお浚をしたお蔭であると存じます。私は今でもあれが私にとりて何より難有い修行場であったと感謝せずには居られませぬ。尚おここはただ昔の思い出の場所であったばかりでなく、現世時代に関係のあった方々との面会の場所でもあり、私は随分いろいろな人達とここでお逢いしました。標本として私が彼所で実家の忠僕及び良人に逢った話なりと致しましょうか。格別面白いこともございませぬが……。
六十三、昔の忠僕
私がある日海岸で遊んで居りますと、指導役のお爺さんが例の長い杖を突きながら彼方からトボトボと歩いて来られました。何うした風の吹きまわしか、その日は大へん御機嫌がよいらしく、老顔に微笑を湛えて斯う言われるのでした。――
『今日は思い掛けない人を連れて来るが、誰であるか一つ当てて見るがよい……。』
『そんなこと、私にはできはしませぬ……できる筈がございませぬ。』
『コレコレ、汝は何の為めに多年精神統一の修行をしたのじゃ。統一というものは斯うした場合に使うものじゃ……。』
『左様でございますか。ではちょっとお待ち下さいませ……。』
私は立ちながら眼を瞑って見ると、間もなく眼の底に頭髪の真白な、痩せた老人の姿がありありと映って来ました。
『八十歳位の年寄でございますが、私には見覚がありませぬ……。』
『今に判る……。ちょっと待って居るがよい。』
お爺さんはいとも気軽にスーッと巌山をめぐって姿を消して了いました。
しばらくするとお爺さんは私が先刻霊眼で見た一人の老人を連れて再びそこへ現われました。
『何うじゃ実物を視てもまだ判らんかナ。――これは汝のお馴染の爺や……数間の爺やじゃ……。』
そう言われた時の私の頭脳の中には、旧い旧い記憶が電光のように閃きました。――
『まァお前は爺やであったか! そう言えば成るほど昔の面影が残っています。――第一その小鼻の側の黒子……それが何より確かな目標です……。』
『姫さま、俺は今日のようにうれしい事はござりませぬ。』と数間の爺やは砂上に手をついてうれし涙に咽びながら『夙から姫さまに逢わせてもらいたいと神様に御祈願をこめていたのでござりますが、霊界の掟としてなかなかお許しが降りず、とうとう今日までかかって了いましたのじゃ。しかしお目にかかって見ればいつに変らぬお若さ……俺はこれで本望でござりまする……。』
考えて見れば、私達の対面は随分久しぶりの対面でございました。現世で別れた切り、かれこれ二百年近くにもなっているのでございますから……。数間の爺やのことは、ツイうっかりしてまだ一度もお風評を致しませんでしたが、これは、むかし鎌倉の実家に仕えていた老僕なのでございます。私が三浦へ嫁いだ頃は五十歳位でもあったでしょうが、夙に女房に先立たれ、独身で立ち働いている、至って忠実な親爺さんでした。三浦へも所中泊りがけで訪ねてまいり、よく私の愛馬の手入れなどをしてくれたものでございます。そうそう私が現世の見納めに若月を庭前へ曳かせた時、その手綱を執っていたのも、矢張りこの老人なのでございました。
だんだんきいて見ると、爺やが死んだのは、私よりもざっと二十年ばかり後だということでございました。『俺は生涯病気という病気はなく、丁度樹木が自然と立枯れするように、安らかに現世にお暇を告げました。身分こそ賎しいが、後生は至って良かった方でござります……。』そんなことを申して居りました。
こんな善良な人間でございますから、こちらの世界へ移って来てからも至って大平無事、丁度現世でまめまめしく主人に仕えたように、こちらでは後生大事に神様に仕え、そして偶には神様に連れられて、現世で縁故の深かった人達の許へも尋ねて行くとのことでございました。
『この間御両親様にもお目にかからせて戴きましたが、イヤその時は欣んでよいのやら、又は悲しんでよいのやら……現世の気持とは又格別でござりました……。』
爺やの口からはそう言った物語がいくつもいくつも出ました。最後に爺やは斯んなことを言い出しました。
『俺はこちらでまだ三浦の殿様に一度もお目にかかりませぬが、今日は姫さまのお手引きで、早速日頃の望を協えさせて戴く訳にはまいりますまいか。』
『さァ……。』
私がいささか躊躇って居りますと、指導役のお爺さんが直ちに側から引きとって言われました。――
『それはいと易いことじゃが、わざわざこちらから出掛けずとも、先方からこちらへ来て貰うことに致そう。そうすれば爺やも久しぶりで御夫婦お揃いの場面が見られるというものじゃ。まさか夫婦が揃っても、以前のように人間臭い執着を起しもしまいと思うが、どうじゃその点は請合ってくれるかナ?』
『お爺さまモー大丈夫でございますとも……。』
とうとう良人の方からこの海の修行場へ訪ねて来ることになって了いました。
六十四、主従三人
間もなく良人の姿がすーッと浪打際に現われました。服装その他は不相変でございますが、しばらく見ぬ間に幾らか修行が積んだのか、何所となく身に貫禄がついて居りました。
『近頃は大へんに御無沙汰を致しました。いつも御機嫌で何より結構でございます……。』
『お互にこちらでは別に風邪も引かんのでナ、アハハハハハ。そなたも近頃は大そう若返ったようじゃ……。』
二三問答を交して居る中に、数間の爺やもそこへ現われ、私の良人と久しぶりの対面を遂げました。その時の爺やの歓びは又格別、『お二人で斯うしてお揃いの所を見ると、まるで元の現世へ戻ったような気が致しまする……。』そんなこと言って洟をすするのでした。
そうする中にも、何人がどう世話して下すったのやら、砂の上には折畳みの床几が三つほど据えつけられてありました。しかもその中の二つは間近く向き合い、他の一脚は少し下って背後の方へ……。何う見たって私達三人の為めに特別に設けてくれたとしか思えない恰好なのでございます。
『どりァ遠慮なく頂戴致そうか。』良人もひどく気を良くしてその一つに腰を降ろしました。
『こちらへ来てから床几に腰をかけるのはこれが初めてじゃが、なかなか悪るい気持は致さんな……。』
然るべく床几に腰を降ろした主従三人は、それからそれへと際限もなく水入らずの昔語りに耽りましたが、何にしろ現世から幽界へかけての長い歳月の間に、積り積った話の種でございますから、いくら語っても語っても容易に尽きる模様は見えないのでした。その間には随分泣くことも、又笑うこともありましたが、ただ有難いことに、以前良人と会った時のような、あの現世らしい、変な気持だけは、最早殆んど起らないまでに心がきれいになっていました。私は平気で良人の手を握っても見ました。
『随分軽いお手でございますね。』
『イヤ斯うカサカサして居てはさっぱりじゃ。こんな張子細工では今更同棲してもはじまるまい。』
私達夫婦の間にはそんな戯談が口をついて出るところまであっさりした気分が湧いて居ました。爺やの方では一層枯れ切ったもので、ただもううれしくて耐らぬと言った面持で、黙って私達の様子を打ち守っているのでした。
ただ一つ良人にとりての禁物は三崎の話でした。あちらに見ゆる遠景が丁度油壺の附近に似て居りますので、うっかり話頭が籠城時代の事に向いますと、良人の様子が急に沈んで、さも口惜しいと言ったような表情を浮べるのでした。『これは良けない……。』私は急いで話を他に外らしたことでございました。
困ったのは、この時良人も爺やもなかなか帰ろうとしないことで、現世でいうなら二人が二三日私の修行場に滞在するようなことになりました。尤も、それはただ気持だけの話でございます。こちらには昼も夜もないのですから、現世のようにとても幾日とはっきり数える訳には行かないのでございます。その辺がどうも話が大へんにしにくい点でございまして……。
× × × ×
海の修行場の話はこれで切り上げますが、兎に角この修行場は私にとりて最後の仕上げの場所で、そして私はこの時に神様から修行終了の仰せを戴いたのでございます。同時に現世の方ではすでに私の為めに一つの神社が建立されて居り、私は間もなくこの修行場からその神社の方へと引移ることになったのでございます。
それに就きての経緯は何れ改めてこの次ぎに申上げることに致しましょう。
六十五、小桜神社の由来
ツイうっかりお約束をして了いましたので、これから私が小桜神社として祀られた次第を物語らなければならぬ段取になりましたが、実は私としてこんな心苦しいことはないのでございます。御覧のとおり私などは別にこれと申してすぐれた器量の女性でもなく、又修行と言ったところで、多寡が知れて居るのでございます。こんなものがお宮に祀られるというのはたしかに分に過ぎたことで、私自身もそれはよく承知しているのでございます。ただそれが事実である以上、拠なく申上げるようなものの、決して決して私が良い気になって居る訳でも何でもないことを、くれぐれもお含みになって戴きとう存じます。私にとりてこんなしにくい話はめったにないのでございますから……。
だんだん事の次第をしらべますると、話はずっと遠い昔、私がまだ現世に生きて居た時代に遡るのでございます。前にもお話ししたとおり、良人の討死後私は所中そのお墓詣りを致しました。何にしろお墓の前へ行って瞑目すれば、必らず良人のありし日の面影がありありと眼に映るのでございますから、当時の私にとりてそれが何よりの心の慰めで、よほどの雨風でもない限り、めったに墓参を怠るようなことはないのでした。『今日も又お目にかかって来ようかしら……。』私としてはただそれ位のあっさりした心持で出掛けたまでのことでございました。この墓詣りは私が病の床につくまでざっと一年あまりもつづいたでございましょうか……。
ところが意外にもこの墓参が大へんに里人の感激の種子となったのでございます。『小櫻姫は本当に烈女の亀鑑だ。まだうら若い身でありながら再縁しようなどという心は微塵もなく、どこまでも三浦の殿様に操を立て通すとは見上げたものである。』そんな事を言いまして、途中で私とすれ違う時などは、土地の男も女も皆泪ぐんで、いつまでもいつまでも私の後姿を見送るのでございました。
里人からそんなにまで慕ってもらいました私が、やがて病の為めに殪れましたものでございますから、その為めに一層人気が出たとでも申しましょうか、いつしか私のことを世にも類なき烈婦……気性も武芸も人並すぐれた女丈夫ででもあるように囃し立てたらしいのでございます。その事は後で指導役のお爺さんから伺って自分ながらびっくりして了いました。私は決してそんなに偉い女性ではございませぬ。私はただ自分の気が済むように、一と筋に女子として当り前の途を踏んだまでのことなのでございまして……。
尤も、最初は別に私をお宮に祀るまでの話が出た訳ではなく、時々思い出しては、野良への往来に私の墓に香花を手向ける位のことだったそうでございますが、その後不図とした事が動機となり、とうとう神社というところまで話が進んだのでございました、まことに人の身の上というものは何が何やらさっぱり見当がとれませぬ。生きて居る時にはさんざん悪口を言われたものが、死んでから口を極めて讃められたり、又その反対に、生前栄華の夢を見たものが、墓場に入ってからひどい辱しめを受けたりします。そしてそれが少しも御本人には関係のない事柄なのですから、考えて見ればまことに不思議な話で、煎じつむれば、これは矢張り何やら人間以上の奇びな力が人知れず奥の方で働いているのではないでしょうか。少くとも私の場合にはそうらしく感じられてならないのでございます……。
六十六、三浦を襲った大海嘯
さて只今申上げました不図とした動機というのは、或る年三浦の海岸を襲った大海嘯なのでございました。それはめったにない位の大きな時化で、一時は三浦三崎一帯の人家が全滅しそうに思われたそうでございます。
すると、その頃、諸磯の、或る漁師の妻で、平常から私の事を大へんに尊信してくれている一人の婦人がありました。『小櫻姫にお願いすれば、どんな事でも協えて下さる……。』そう思い込んでいたらしいのでございます。で、いよいよ暴風雨が荒れ出しますと、右の婦人が早速私の墓に駆けつけて一心不乱に祈願しました。――
『このままにして置きますと、三浦の土地は皆流れて了います。小櫻姫さま、何うぞあなた様のお力で、この災難を免れさせて戴きます。この土地でお縋りするのはあなた様より外にはござりませぬ。』
丁度その時私は海の修行場で不相変統一の修行三昧に耽って居りましたので、右の婦人の熱誠こめた祈願がいつになくはっきりと私の胸に通じて来ました。これには私も一と方ならず驚きました。――
『これは大へんである。三浦は自分にとりて切っても切れぬ深い因縁の土地、このまま土地の人々を見殺しにはできない。殊にあそこには良人をはじめ、三浦一族の墓もあること……。一つ竜神さんに一生懸命祈願して見ましょう……。正しい願いであるならきっと御神助が降るに相違ない……。』
それから私は未熟な自分にできる限りの熱誠をこめて、三浦の土地が災厄から免れるようにと、竜神界に祈願を籠めますと、間もなくあちらから『願いの趣聴き届ける……。』との難有いお言葉が伝わってまいりました。
果して、さしものに猛り狂った大時化が、間もなく収まり、三浦の土地はさしたる損害もなくして済んだのでしたが、三浦以外の土地、例えば伊豆とか、房州とかは百年来例がないと言われるほどの惨害を蒙ったのでした。
斯うした時には又妙に不思議な現象が重なるものと見えまして、私の姿がその夜右の漁師の妻の夢枕に立ったのだそうでございます。私としては別にそんなことをしようという所思はなく、ただ心にこの正直な婦人をいとしい女性と思った丈のことでしたが、たまたま右の婦人がいくらか霊能らしいものを有っていた為めに、私の思念が先方に伝わり、その結果夢に私の姿までも見ることになったのでございましょう。そうしたことは格別珍らしい事でも何でもないのですが、場合が場合とて、それが飛んでもない大騒ぎになって了いました。――
『小櫻姫はたしかに三浦の土地の守護神様だ。三浦の土地が今度不思議にも助かったのは皆小櫻姫のお蔭だ。現に小櫻姫のお姿が誰某の夢枕に立ったということだ……。難有いことではないか……。』
私とすればただ土地の人達に代って竜神さんに御祈願をこめたまでのことで、私自身に何の働きのあった訳ではないのでございますが、そうした経緯は無邪気な村人に判ろう筈もございません。で、とうとう私を祭神とした小桜神社が村人全体の相談の結果として、建立される段取になって了いました。
右の事情が指導役のお爺さんから伝えられた時に私はびっくりして了いました。私は真紅になって御辞退しました。――
『お爺さま、それは飛んでもないことでございます。私などはまだ修行中の身、力量といい、又行状といい、とてもそんな資格のあろう筈がございませぬ。他の事と異い、こればかりは御辞退申上げます……。』
が、お爺さんはいつかな承知なさらないのでした。――
『そなたが何と言おうと、神界ではすでに人民の願いを容れ、小桜神社を建てさせることに決めた。そなたの器量は神界で何もかも御存じじゃ。そなたはただ誠心誠意で人と神との仲介をすればそれでよい。今更我侭を申したとて何にもならんぞ……。』
『左様な訳のものでございましょうか……。』
私としては内心多大の不安を感じながら、そうお答えするより外に詮術がないのでございました。
六十七、神と人との仲介
以上のべたところで一と通り話の筋道だけはお判りになったことと存じます。神に祀られたといえば、ちょっと大変なことのように思われましょうが、内容は決してそれほどのことではないのでございまして……。
大体日本の言葉が、肉眼に見えないものを悉く神と言って了うから、甚だまぎらわしいのでございます。神という一字の中には飛んでもない階段があるのでございます。諺にも上には上とやら、一つの神界の上には更に一だん高い神界があり、その又上にも一層奥の神界があると言った塩梅に、どこまで行っても際限がないらしいのでございます。現在の私どもの境涯からいえば、最高のところは矢張り昔から教えられて居るとおり、天照大御神様の知しめす高天原の神界――それが事実上の宇宙の神界なのでございます。そこまでは、一心不乱になって統一をやればどうやら私どもにも接近されぬでもありませぬが、それから奥はとても私どもの力量には及びませぬ。指導役のお爺さんに伺って見ましても、あまり要領は獲られませぬ……。つまり無い訳ではないが、限りある器量ではどうにもしょうがないのでございましょう。
高天原の神界から一段降ったところが、取りも直さずわれわれの住む大地の神界で、ここに君臨遊ばすのが、申すまでもなく皇孫命様にあらせられます。ここになるとずっとわれわれとの距離が近いとでも申しましょうか、御祈願をこむれば直接神様からお指図を受けることもでき、又そう骨折らずにお神姿を拝むこともできます――。尤もこれは幾らか修行が積んでからの事で、最初こちらへ参ったばかりの時は、何が何やら腑に落ちぬことばかり、恥かしながら皇孫命様があらゆる神々を統率遊ばす、真の中心の御方であることさえも存じませんでした。『幽明交通の途が杜絶ているせいか、近頃の人間はまるきり駄目じゃ……。昔の人間にはそれ位のことがよく判っていたものじゃが……。』――指導役のお爺さんからそう言ってさんざんお叱りを受けたような次第でございました。私達でさえ、すでにこれなのでございますから、現世の方々が戸惑いをなさるのも或は無理からぬことかも知れませぬ。これは矢張りお爺さんの言われる通り、この際、大いに奮発して霊界との交通を盛んにする必要がございましょう。それさえできれば斯んなことは造作もなく判ることなのでございますから……。
今更申上ぐるまでもなく、皇孫命様をはじめ奉り、直接そのお指図の下にお働き遊ばす方々は何れも活神様……つまり最初からこちらの世界に活き通しの自然霊でございます。産土の神々は申すに及ばず、八幡様でも、住吉様でも、但しは又弁財天様のような方々でも、その御本体は悉くそうでないものはございませぬ。つまるところここまでが、真正の意味の神様なので、私どものように帰幽後神として祀られるのは真正の神ではありませぬ。ただ神界に籍を置いているという丈で……。尤も中には随分修行の積んた、お立派な方々もないではありませぬが、しかし、どんなに優れていても人霊は矢張り人霊だけのことしかできはしませぬ。一つ口に申したら、真正の神様と人間との中間に立ちてお取次ぎの役目をつとめるのが人霊の仕事――。まあそれ位に考えて戴けば、大体宜しいかと存じます。少くとも私のような未熟なものにできますことは、やっとそれだけでございます。神社に祀られたからと申して、矢鱈に六ヶしい問題などを私のところにお持込みになられることは固く御辞退いたします。精一ぱいお取次ぎはいたしますが、私などの力量で何一つできるものでございましょうか……。
六十八、幽界の神社
かれこれする中に、指導役のお爺さんからは、お宮の普請が、最う大分進行して居るとのお通知がありました。――
『後十日も経てばいよいよ鎮座祭の運びになる。形こそ小さいが、普請はなかなか手が込んで居るぞ……。』
そんな風評を耳にする私としては、これまでの修行場の引越しとは異って、何となく気がかり……幾分輿入れ前の花嫁さんの気持、と言ったようなところがあるのでした。つまり、うれしいようで、それで何やら心配なところかあるのでございます。
『お爺さま、鎮座祭とやらの時には、私がそのお宮に入るのでございますか……。』
『イヤそれとも少し異う……。現界にお宮が建つ時には、同時に又こちらの世界にもお宮が建ち、そなたとしてはこちらのお宮の方に入るのじゃ。――が、そなたも知る通り現幽は一致、幽界の事は直ちに現界に映るから、実際はどちらとも区別がつけられないことになる……。』
『現界の方では、どんな個所にお宮を建てて居るのでございますか。』
『彼所は何と呼ぶか……つまり籠城中にそなたが隠れていた海岸の森蔭じゃ。今でも里人達は、遠い昔の事をよく記憶えていて、わざとあの地点を選ぶことに致したらしい……。』
『では油ヶ壺のすぐ南側に当る、高い崖のある所でございましょう、大木のこんもりと茂った……。』
『その通りじゃ。が、そんなことはこの俺に訊くまでもなく、自分で覗いて見たらよいであろう。現界の方はそなたの方が本職じゃ……。』
お爺さんはそんなことを言って、まじめに取合ってくださいませんので、止むを得ずちょっと統一して、のぞいて見ると、果してお宮の所在地は、私の昔の隠家のあったところで、四辺の模様はさしてその時分と変って居ないようでした。普請はもう八分通りも進行して居り、大工やら、屋根職やらが、何れも忙がしそうに立働いているのが見えました。
『お爺さま、矢張り昔の隠家のあった所でございます。大そう立派なお宮で、私には勿体のうございます。』
『現界のお宮もよくできて居るが、こちらのお宮は一層手が込んで居るぞ。もう夙に出来上っているから、入る前に一度そなたを案内して置くと致そうか……。』
『そうしていただけば何より結構でございますが……。』
『ではこれからすぐに出掛ける……。』
不相変お爺さんのなさることは早急でございます。
私達は連れ立ちて海の修行場を後に、波打際のきれいな白砂を踏んで東へ東へと進みました。右手はのたりのたりといかにも長閑な海原、左手はこんもりと樹木の茂った丘つづき、どう見ても三浦の南海岸をもう少しきれいにしたような景色でございます。ただ海に一艘の漁船もなく、又陸に一軒の人家も見えないのが現世と異っている点で、それが為めに何やら全体の景色に夢幻に近い感じを与えました。
歩いた道程は一里あまりでございましょうか、やがて一つの奥深い入江を𢌞り、二つ三つ松原をくぐりますと、そこは欝葱たる森蔭の小じんまりとせる別天地、どうやら昔私が隠れていた浜磯の景色に似て、更に一層理想化したような趣があるのでした。
不図気がついて見ると、向うの崖を少し削った所に白木造りのお宮が木葉隠れに見えました。大さは約二間四方、屋根は厚い杉皮葺、前面は石の階段、周囲は濡椽になって居りました。
『何うじゃ、立派なお宮であろうが……。これでそなたの身も漸く固った訳じゃ。これからは引越騒ぎもないことになる……。』
そう言われるお爺さんのお顔には、多年手がけた教え児の身の振り方のついたのを心から歓ぶと言った、慈愛と安心の色が湛って居りました。私は勿体ないやら、うれしいやら、それに又遠い地上生活時代の淡い思い出までも打ち混り、今更何と言うべき言葉もなく、ただ泪ぐんでそこに立ち尽したことでございました。
六十九、鎮座祭
そうする中にいよいよ鎮座祭の日がまいりました。
『現界の方では今日はえらいお祭騒ぎじゃ。』と指導役のお爺さんが説ききかせてくださいました。『地元の里はいうまでもなく、三里五里の近郷近在からも大へんな人出で、あの狭い海岸が身動きのできぬ有様じゃ。往来には掛茶屋やら、屋台店やらが大分できて居る……。が、それは地上の人間界のことで、こちらの世界は至って静謐なものじゃ。俺一人でそなたをあのお宮へ案内すればそれで事が済むので……。まァこれまでの修行場の引越しと格別の相違もない……。』
そう言ってお爺さんは一向に取済ましたものでしたが、私としては、それでは何やら少し心細いように感じられてならないのでした。
『あのお爺さま、』私はとうとう切り出しました。『私一人では何やら心許のうございますから、お差支なくば私の守護霊さまに一緒に来て戴きたいのでございますが……。』
『それは差支ない。そなたを爰まで仕上げるのには、守護霊さんの方でも蔭で一と方ならぬ骨折じゃった。――もう追ッつけ現界の方では鎮座祭が始まるから、こちらもすぐにその支度にかかると致そうか……。』
毎々申上げますとおり、私どもの世界では何事も甚だ手取り早く運びます。先ず私の服装が瞬間に変りましたが、今日は平常とは異って、身には白練の装束、手には中啓、足には木の蔓で編んだ一種の草履、頭髪はもちろん垂髪……甚ださッぱりしたものでございました。他に身につけていたものといえばただ母の紀念の守刀――こればかりは女の魂でございますから、いかなる場合にも懐から離すようなことはないのでございます。
私の服装が変った瞬間には、もう私の守護霊さんもいそいそと私の修行場へお見えになりました。お服装は広袖の白衣に袴をつけ、上に何やら白の薄物を羽織って居られました。
『今日は良うこそ私をお召びくださいました。』と守護霊さんはいつもの控え勝ちな態度の中にも心からのうれしさを湛え、『私がこちらの世界へ引移つてから、かれこれ四百年にもなりますが、その永い間に今日ほど肩身が広く感じられることはただの一度もございませぬ。これと申すも偏に御指導役のお爺さまのお骨折、私からも厚くお礼を申上げます。この後とも何分宜しうお依み申しまする……。』
『イヤそう言われると俺はうれしい。』とお爺さんもニコニコ顔、『最初この人を預かった当座は、つまらぬ愚痴を並べて泣かれることのみ多く、さすがの俺もいささか途方に暮れたものじゃが、それにしてはよう爰まで仕上ったものじゃ。これからは、何と言おうが、小桜神社の祭神として押しも押されもせぬ身分じゃ……。早速出掛けると致そう。』
お爺さんはいつもの通りの白衣姿に藁草履、長い杖を突いて先頭に立たれたのでした。
浪打際を歩いたように感じたのはホンの一瞬間、私達はいつしか電光のように途中を飛ばして、例のお宮の社頭に立っていました。
内部に入ってホッと一と息つく間もなく、忽ち産土の神様の御神姿がスーッと神壇の奥深くお現われになりました。その場所は遠いようで近く、又近いようで遠く、まことに不思議な感じが致しました。
恭しく頭を低げている私の耳には、やがて神様の御声が凛々と響いてまいりました。それは大体左のような意味のお訓示でございました。
『今より神として祀らるる上は心して土地の守護に当らねばならぬ。人民からはさまざまの祈願が出るであろうが、その正邪善悪は別として、土地の守護神となった上は一応丁寧に祈願の全部を聴いてやらねばならぬ。取捨は其上の事である。神として最も戒むべきは怠慢の仕打、同時に最も慎むべきは偏頗不正の処置である。怠慢に流るる時はしばしば大事をあやまり、不正に流るる時はややもすれば神律を紊す。よくよく心して、神から托された、この重き職責を果すように……。』
産土の神様のお馴示が終ると、つづいて竜宮界からのお言葉がありましたが、それは勿体ないほどお優さしいもので、ただ『何事も六ヶしい事はこちらに訊くように……。』とのことでございました。
私は今更ながら身にあまる責任の重さを感ずると同時に、限りなき神恩の忝さをしみじみと味わったことでございました。
七十、現界の祝詞
そうする中にも、今日の鎮座祭のことは、早くもこちらの世界の各方面に通じたらしく、私の両親、祖父母、良人をはじめ、その外多くの人達からのお祝いの言葉が、頻々と私の耳にひびいで参りました。それは別にあちらで通信しようとする意思はなくても、自然とそう感じられて来るのでございます。近頃は現界でも、電信とか、電話とか申すものが出来て、斯うした場合によく利用されるそうでございますが、こちらの世界でする仕事も大体それに似たもので、ただもう少し便利なように思われます。『思えば通ずる……。』それがいつも私どものヤリ口なのでございまして……。
さてその際私に感じて来た通信の中では、矢張り良人のが一ばん力強くひびきました。『そなたはいよいよ神として祀られることになり、多年連添った良人として決して仇やおろそかには考えられない。しかもその神社の所在地は、あの油壺の対岸の隠れ家の跡とやら、この上ともしっかりやって貰いますぞ……。』
兎角して居る中に、指導役のお爺さんから御注意がありました。――
『現界ではいよいよ御霊鎮めの儀に取りかかった。そなたはすぐにその準備にかかるように……。』
私の身も心も、その時急に引きしまるように覚えました。
『これから自分はこのお宮に鎮まるのだ……。』
そう思った瞬間に、私の姿はいずくともなく消えて失せて了いました。
後でお爺さんから承るところによると、私というものはその時すっかり御幣の中に入って了ったのだそうで、つまり御幣が自分か、自分が御幣か、その境界が少しも判らなくなったのでございます。
その状態がどれ位つづいたかは自分には少しも判りませぬ。が、不思議なことに、そうして居る間、現世の人達が奏上する祝詞が手に取るようにはっきりと耳に響いて来るのでございます。その後何回斯うした儀式に臨んだか知れませぬが、いつもいつも同じ状態になるのでございまして、それは全く不思議でございます。
不図自分に返って見ると、お爺さんも、又守護霊さんも、先刻の姿勢のままで、並んで神壇の前に立って居られました。
『これで俺も一と安心じゃ……。』
お爺さんはしんみりとした口調で、ただそう仰ッしゃられたのみでした。つづいて守護霊さんも口を開かれました。――
『ここまで来るのには、御本人の苦労も一と通りではありませぬが、蔭になり、日向になって、親切にお導きくだされた神さま方のお骨折りは容易なものではございませぬ。決して決してその御恩をお忘れにならぬよう……。』
その折の私としましては感極りて言葉も出でず、せき来る涙を払えもあえず、竜神さま、氏神さま、その外の方々に心から感謝のまことを捧げたことでございました。
七十一、神馬
鎮座祭が済んでから私は一たん海の修行場に引き上げました。それは小桜神社の祭神として実際の仕事にかかる前にまだ何やら心の準備が要ると考えましたからで……。
で、私は一生懸命深い統一に入り、過去の一切の羈絆を断ち切ることによりて、一層自由自在な神通力を恵まれるよう、心から神様に祈願しました。それは時間にすれば恐らく漸く一刻位の短かい統一であったと思いますが、心が引緊っている故か、私とすれば前後にない位のすぐれて深い統一状態に入ったのでございました。畏れ多くも私として、天照大御神様、又皇孫命様の尊い御神姿を拝し奉ったのは実にその時が最初でございました。他にいろいろ申上げたいこともありますが、それは主に私一人に関係した霊界の秘事に属しますので、しばらく控えさせて戴くことに致しましょう。
ただ一つここで御披露して置きたいと思いますことは、神馬の件で……。つまり不図した動機から小桜神社に神馬が一頭新たに飼われることになったのでございます。その経緯は斯うなのでございます。
私が深い統一から覚めた時に、思いも寄らず最前からそこに控えて待っていたのは、数間の爺やでございました。爺やは今日の鎮座祭の慶びを述べた後で、突然斯んなことを言い出しました。――
『姫さまが今回神社にお入りなされるにつけては、是非神馬が一頭欲しいと思いまするが……。』
『ナニ神馬?』と私はびっくりしまして『そなたは又何うしてそんな事を言い出すのじゃ……。』
『実は姫様が昔お可愛がりになった、あの若月……あれがこちらの世界に来て居るのでござります。私は何回かあの若月に逢って居りますので……。』
『若月なら私も一度こちらで逢いました……。』
『もうお逢いなされましたか……何んとお早いことで……。が、それなら尚更のことでござります。是非あの若月を小桜神社の神馬に出世させておやり下さいませ。若月がどんなに歓ぶか知れませぬ。又苟且にも一つの神社に一頭の神馬もないとあっては何となく引立ちませんでナ……。』
『そんな勝手な事が、できるかしら……。』
『できても、できなくても一応神様に談判して戴きます。これ位の願いが許されないとあっては、俺にも料簡がござります……。』
数間の爺やの権幕と言ったら大へんなものでした。
そこでとうとう私から指導役のお爺さんにお話しすると、意外にも産土の神様の方ではすでにその手筈が整って居り、神社の横手に小屋も立派に出来て居るとの事でございました。それと知った時の数間の爺やの得意さと言ったらありませんでした。
『ソーれお見なされ姫様、他のことにかけては姫様がお偉いか知れぬが、馬の事にかけては矢張りこの爺やの方が一枚役者が上でござる……。』
間もなく私は海の修行場を引き上げて、永久に神社の方に引き移りましたが、それと殆んど同時に馬も数間の爺やに曳かれて、頭を打振り打振り歓び勇んで私の所に現われました。それからずっと今日まで馬は私の手元に元気よく暮して居りますが、ただこちらでは馬がいつも神社の境内につながれて居る訳ではなく、どこに行って居っても、私が呼べばすぐ現て来るだけでございます。さびしい時は私はよく馬を相手に遊びますが、馬の方でもあの大きな舌を持って来て私の顔を舐めたりします。それはまことに可愛らしいものでございまして……。
それから馬の呼名でございますが、私は予ての念願どおり、若月を改めて、こちらでは鈴懸と呼ぶことに致しました。私が神社に落ちついてから、真先きに訪ねてくれたのは父だの、母だの、良人だのでございましたが、私は何は措いても先ずこの鈴懸を紹介しました。その際誰よりも感慨深そうに見えたのは矢張り良人でございました。良人はしきりに馬の鼻面を撫でてやりながら『汝もとうとう出世して鈴懸になったか。イヤ結構結構! 俺はもう呼名について反対はせんぞ……。』そう言って、私の方を顧みて、意味ありげな微笑を漏したことでございました。
七十二、神社のその日その日
前申上げましたように、兎も角も私は小桜神社を預かる身となったのでございますが、それから今日まで引きつづいてざっと二百年、考えて見れば随分永いことでございます。私の任務というのはごく一と筋のもので、従って格別取り立てて吹聴するような珍らしい話の種とてもありませぬが、それでもこの永い星霜の間には何や彼やと後から後からさまざまの事件が湧いてまいり、とてもその全部を御伝えする訳にもまいりませぬ。中には又現世の人達に、今ここで御漏らししてはならないことも少しはあるのでございまして……。
で、いろいろと考えました末、これからあなた方に幾分か御参考になりそうな事柄だけを拾い出して御話しをいたし、そろそろこの拙き通信を切り上げさせて戴こうと存じます。
取り敢えず祭神となってからの生活の変化と言ったような点を簡単に申上げて置こうかと存じます。御承知の通り、私の仕事は大体上の神界と下の人間界との中間に立ちて御取次ぎを致すのでございますが、これでも相当に気骨が折れまして、うっかりして居ればどんな間違をするか知れません。修行時代には指導役の御爺さんが側から一々面倒を見てくださいましたから楽でございましたが、だんだんそうばかりも行かなくなりました。『汝には神様に伺うこともちゃんと教えてあるから、大概の事は自分の力で行らねばならぬぞ……。』そう言われるのでございます。又私としても、いつまでお爺さんにばかりお縋りするのもあまりに意気地がないように感じましたので、よくよくの重大事でもなければ、めったに御相談はせぬことに覚悟をきめました。
で、私として真先きに工夫したことは一日の区画を附けることでございました、本来からいえばこちらの世界に昼夜の区別はないのでございますが、それでは現界の人達と接するのにひどく勝手が悪く、どうにも仕方がございません。何にしろ人間界の方では朝は朝、夜は夜とちゃんと区画をつけて仕事をして居るのでございますから……。
乃で、私の方でもそれに調子を合わせて生活するように致し、丁度現世の人達が朝起きて洗面をすませ、神様を礼拝すると同じように、私も朝になれば斎戒沐浴して、天照大御神様をはじめ奉り、皇孫命様、竜神様、又産土神様を礼拝し、今日一日の任務を無事に勤めさせて下さいますようにと祈願を籠めることにしました。不思議なことにそんな場合には、いつも額いている私の頭の上で、さらっと幣の音が致します。その癖眼を開けて見ても、別に何も見えはしませぬ。恐らく斯うして神界から、人知れず私の躯を浄めて下さるのでございましょう……。
夜は夜で、又神様に御礼を申上げます。『今日一日の仕事を無事に勤めさせて戴きまして、まことに難有うございました……。』その気持は別に現世の時と些しも異りはしませぬ。兎に角これで初めて重荷が降りたように感じ、自分に戻って寛ぎますが、ただ現世と異うのは、それから床を敷いて寝るでもなく、たったひとりで懐かしい昔の思い出に耽って、しんみりした気分に浸る位のものでございます。
兎に角斯うして一日を区画って働くことは指導役のお爺さんからも大へんに褒められました。『よくそれ丈の考えがついた。それでこそ任務が立派に果される……。』そう仰しゃって戴いたのでございます。
ナニ参拝人の話をいたせと仰っしゃるか……宜しうございます。私もそのつもりで居りました。これからポツポツ想い出してその御話をして見ることに致しましょう。
七十三、参拝者の種類
神社の参拝者と申しましても、その種類はなかなか沢山でございます。近年は敬神の念が薄らぎました故か、めっきり参拝者の数が減り、又熱心さも薄らいだように感じられますが、昔は大そう真剣な方が多かったものでございます。時勢の変化はこちらから観て居ると実によく判ります。神霊の有るか、無いかもあやふやな人達から、単に形式的に頭を低げてもらいましても、ドーにも致方がございませぬ。神詣でには矢張り真心一つが資本でございます。たとえ神社へは参詣せずとも、熱心に心で念じてくだされば、ちゃんとこちらへ通ずるのでございますから……。
参拝者の中で一ばんに数も多く、又一ばんに美しいのは、矢張り何の註文もなしに、御礼に来らるる方々でございましょう。『毎日安泰に暮させていただきまして誠に難有うございます。何卒明日も無事息災に過せますよう……。』昔はこんなあっさりしたのが大そう多かったものでございます。殊に私が神に祀られました当座は、海嘯で助けられた御礼詣りの人々で賑いました。無論あの海嘯で相当沢山の人命が亡びたのでございますが、心掛の良い遺族は決して恨みがましいことを申さず、死ぬのも皆寿命であるとあきらめて、心から御礼を述べてくれるのでした。私として見れば、自分の力一つで助けた訳でもないのでございますから、そんな風に御礼を言われると却って気の毒でたまらず、一層身を入れてその人達を守護して上げたい気分になるのでした。
斯う言った御礼詣りに亜いで多いのは病気平癒の祈願、就中小供の病気平癒の祈願でございます。母性愛ばかりはこれは全く別で、あれほど純な、そしてあれほど力強いものはめったに他に見当りませぬ。それは実によく私の方に通じてまいります。――が、いかに依まれましても人間の寿命ばかりは何うにもなりませぬ。随分一心不乱になって神様に御縋りするのでございますが、死ぬものは矢張り死んで了います。そうした場合に平生心懸のよいものは、『これも因縁だから致方がございませぬ……。』と言って、立派にあきらめてくれますが、中には随分性質のよくないのがない訳でもございません。『あんな神様は駄目だ……幾ら依んだって些つとも利きはしない……。』そんな事を言って挨拶にも来ないのです。それが又よくこちらに通じますので……。矢張り人物の善悪は、うまく行った場合よりも拙く行った場合によく判るようでございます。
次ぎに案外多いのは若い男女の祈願……つまり好いた同志が是非添わしてほしいと言ったような祈願でございます。そんなのは篤と産土神様に伺いまして、差支のないものにはできる丈話が纏まるように骨を折ってやりますが、ひょっとすると、妻子のある男と一緒になりたいとか、又人妻と添はしてくれとか、随分道ならぬ、無理な註文もございます。無論私としてはそんな祈願を受附けないばかりか、次第によれば神様に申上げて懲戒を下して戴きもします。もぐりの流行神なら知らぬこと、苟くも正しい神として斯んな祈願に耳を傾けるものは絶対に無いと思えば宜しいかと存じます。
その外には事業成功の祈願、災難除けの祈願等いろいろございます。これは何れの神社でも恐らく同様かと存じます。人間はどんなに偉くても随分と隙間だらけのものであり、又随分と気の弱いものでもあり、平生は大きなことを申して威張って居りましても、まさかの場合には手も足も出はしませぬ。無論神の援助にも限りはありますが、しかし神の援助があるのと無いのとでは、そこに大へんな相違ができます。もともと神霊界ありての人間界なのでございますから、今更人間が旋毛を曲げて神様を無視するにも及びますまい。神様の方ではいつもチャーンとお膳立をして待って居て下さるのでございます。
それからモー一つ申上げて置きたいのは、あの願掛け……つまり念入りの祈願でございまして、これは大てい人の寝鎮まった真夜中のものと限って居ります。そうした場合には、むろん私の方でもよく注意してきいて上げ、夜中であるから良けないなどとは決して申しませぬ。現世でいうなら丁度急病人に呼び起されるお医者様と言ったところでございましょうか……。
まだまだ細かく申したら際限もありませぬが、参拝者の種類はざっと以上のようなところでございましょう、これから二つ三つ私の手にかけた実例をお話して見ることに致しますが、その前にちょっと申上げて置きたいのは、それ等の祈願を聴く場合の私の気持でございます。ただぼんやりしていたのでは聴き漏しがありますので、私は朝になればいつも深い統一状態に入り、そしてそのまま御弊と一緒になって了うのでございます。その方が参拝者達の心がずっとよく判るからでございます。つまり私の二百年間のその日その日はいつも御弊と一体、夜分参拝者が杜絶た時分になって初めて自分に返って御弊から離れると言った塩梅なのでございます。
ではこれからお約束の実例に移ります……。
七十四、命乞い
ここに私が神社に入ってから間もなく手にかけた事件がございますから、あまり珍らしくもありませぬが、それを一つお話しいたして見ましょう。それは水に溺れた五歳位の男の児の生命を助けたお話でございます。
その小供は相当地位のある人……たしか旗本とか申す身分の人の忰でございまして、平生は江戸住いなのですが、お附きの女中と申すのが諸磯の漁師の娘なので、それに伴れられてこちらへ遊びに来ていたらしいのでございます。丁度夏のことでございましたから、小供は殆んど家の内部に居るようなことはなく、海岸へ出て砂いじりをしたり、小魚を捕えたりして遊びに夢中、一二度は女中と一緒に私の許へお詣りに来たこともありました、普通なら一々参拝者を気にとめることもないのですが、右の女中と申すのが珍らしく心掛のよい、信心の熱い娘でございましたから、自然私の方でも目を掛けることになったのでございます。現と幽とに分れて居りましても、人情にかわりはなく、先方で熱心ならこちらでもツイその真心にほだされるのでございます。
すると或る日、この小供の身に飛んでもない災難が降って湧いたのでございます。御承知の方もありましょうが、三崎の西海岸には巌で囲まれた水溜があちこちに沢山ありまして、土地の漁師の小供達はよくそんなところで水泳ぎを致して居ります。真黒く日に焦けた躯を躍り狂わせて水くぐりをしているところはまるで河童のよう、よくあんなにもふざけられたものだと感心される位でございます。江戸から来ている小供はそれが羨しくて耐らなかったものでございましょう、自分では泳げもせぬのに、女中の不在の折に衣服を脱いで、深い水溜の一つに跳び込んだから耐りませぬ。忽ちブクブクと水底に沈んで了いました。しばらく過ぎてからその事が発見されて村中の大騒ぎとなりました。何にしろ附近に医師らしいものは居ない所なので、漁師達が寄ってたかって、水を吐かせたり、焚火で煖めたり、いろいろ手を尽しましたが、相当時刻が経っている為めに何うしても気息を吹き返さないのでした。
いよいよ絶望と決まった時に、私の許へ夢中で駆けつけたのが、例のお附の女中でございました。その娘はまるで半狂乱、頭髪を振り乱して階段の下に伏しまろび、一生懸命泣き乍ら祈願するのでした。――
『小櫻姫様、どうぞ若様の生命を取りとめて下さいませ……。私の過失で大切の若様を死なせて了っては、ドーあってもこの世に生き永らえて居られませぬ。たとえ私の生命を縮めましても若様を生かしていただきます。小供の時分から信心して居る私でございます、今度ばかりは是非私の願いをお聴き入れ下さいませ……。』
私の方でも心から気の毒に思いましたから、時を移さず一生懸命になって神様に命乞いの祈願をかけましたが、何分にも相当手遅れになって居りますので、神界から、一応は駄目であるとのお告でございました。しかし人間の至誠と申すものは、斯うした場合に大した働きをするものらしく、くしびな神の力が私から娘に、娘から小供へと一道の光となって注ぎかけ、とうとう死んだ筈の小供の生命がとりとめられたのでございました。全く人間はまごころ一つが肝要で、一心不乱になりますと、躯の内部から何やら一種の霊気と申すようなものが出て、普通ではとてもできない不思議な仕事をするらしいのでございます。
兎に角死んだ筈の小供が生き返ったのを見た時は私自身も心から嬉しうございました。まして当人はよほど有難かったらしく、早速さまざまのお供物を携えてお礼にまいったばかりでなく、その後も終生私の許へ参拝を欠かさないのでした。こんなのは善良な信者の標本と言っても宜しいのでございましょう。
七十五、入水者の救助
今度は一つ夫婦のいさかいから、危く入水しようとした女のお話を致しましょうか……。大たい夫婦争いにあまり感心したものは少のうございまして、中には側で見ている方が却って心苦しく、覚えず顔を背けたくなる場合もございます。これなども幾分かその類でございまして……。
或る日一人の男が蒼白な顔をして、慌てて社の前に駆けつけました。何事かしらと、じっと見て居りますると、その男はせかせかとはずむ呼吸を鎮めも敢えず、斯んなことを訴えるのでした。――
『神さま、何うぞ私の一生の願いをお聴き届け下さいませ……。私の女房奴が入水すると申して、家出をしたきり皆目行方が判らないのでございます。神様のお力でどうぞその足留めをしてくださいますよう……。実際のところ私はあれに死なれると甚だ困りますので……。私が他所に情婦をつくりましたのは、あれはホンの当座の出来心で、心から可愛いと思っているのは、矢張り永年連れ添って来た自家の女房なのでございます……。ただ彼女が余んまり嫉妬を焼いて仕方がございませんから、ツイ腹立まぎれに二つ三つ頭をどやしつけて、貴様のような奴はくたばって了えと呶鳴りましたが、心の底は決してそうは思っていないのでございます……。あんなことを言ったのは私が重畳悪うございました。これに懲りまして、私は早速情婦と手を切ります……。あの大切な女房に死なれては、私はもうこの世に生きている甲斐がありませぬ……。』
この男は三崎の町人で、年輩は三十四五の分別盛り、それが涙まじりに斯んなことを申すのでございますから、私は可笑しいやら、気の毒やら、全く呆れて了いました。でも折角の依みでございますから、兎も角も家出した女房の行方を探って見ますと、すぐその所在地が判りました。女は油ヶ壺の断崖の上に居りまして、しきりに小石を拾って袂の中に入れて居るのは、矢張り本当に入水するつもりらしいのでございます。そしてしくしく泣きながら、斯んなことを言って居りました。――
『口惜しい口惜しい! 自分の大切な良人をあんな女に寝とられて、何で黙って置けるものか! これから死んで、あの女に憑依いて仇を取ってやるからそう思って居るがよい……。』
平生はちょいちょい私のところへもお詣りに来る、至って温和な、そして顔立もあまり悪くはない女なのでございますのに、嫉妬の為めには斯んなにも精神が狂って、まるきり手がつけられないものになって了うのでございます。
見るに見兼ねて私は産土の神様に、氏子の一人が斯んな事情になって居りますから、何うぞ然るべく……と、お願いしてやりました。寿命のない者は、いかにお願いしてもおきき入れがございませぬが、矢張りこの女にはまだ寿命が残って居たのでございましょう、産土の神様の御眷族が丁度神主のような姿をしてその場に現われ、今しも断崖から飛び込まうとする女房の前に両手を拡げて立ちはだかったのでございます。
不意の出来事に、女房は思わずキャッ! と叫んで、地面に臀餅をついて了いましたが、その頃の人間は現今の人間とは異いまして、少しは神ごころがございますから、この女もすぐさまそれと気がついて、飛んだ心得違いをしたと心から悔悟して、死ぬることを思いとどまったのでございました。
一方私の方ではそれとなく良人の心に働きかけて、油ヶ壺の断崖の上に導いてやりましたので、二人はやがてバッタリと顔と顔を突き合わせました。
『ヤレヤレ生きていてくれたか……何と難有いことであろう……。』
『これというのも皆神様のお蔭……これから仲よく暮しましょう……。』
『俺が悪かった、勘弁してくれ。』
『お前もこれからわたしを可愛がって……。』
二人は涙ながらに、しがみついていつまでもいつまでも離れようとしないのでした。
その後男はすっかり心を入れかえ、村人からも羨まるるほど夫婦仲が良くなりました。現在でもその子孫はたしか彼地に栄えて居る筈でございます……。
七十六、生木を裂れた男女
あまり多愛のないお話ばかりつづきましたので、今度は少しばかり複雑ったお話……一つ願掛けのお話を致して見ましょう。この願掛けにはあまり性質の良いのは少うございます。大ていは男に情婦ができて夫婦仲が悪くなり、嫉妬のあまりその情婦を呪い殺す、と言ったのが多いようで、偶には私の所へもそんなのが持ち込まれることもあります。でも私としては、全然そう言った厭らしい祈願にはかかり合わないことにして居ります。呪咀が利く神は、あれは又別で、正しいものではないのでございます。話の種子としては或はその方が面白いか存じませぬが、生憎私の手許には一つもその持ち合わせがございませぬ。私の存じて居りますのは、ただきれいな願掛けのお話ばかりで、あまり面白くもないと思いますが、一つだけ標本として申上げることに致しましょう……。
それは或る鎌倉の旧家に起りました事件で、主人夫婦は漸く五十になるか、ならぬ位の年輩、そして二人の間にたった一人の娘がありました。母親が大へん縹緻よしなので、娘もそれに似て鄙に稀なる美人、又才気もはじけて居り、婦女の道一と通りは申分なく仕込まれて居りました。此が年頃になったのでございますから、縁談の口は諸方から雨の降るようにかかりましたが、俚諺にも帯に短かし襷に長しとやら、なかなか思う壺にはまったのがないのでございました。
すると或る時、鎌倉のある所に、能狂言の催しがありまして、親子三人連れでその見物に出掛けました折、不図間近の席に人品の賎しからぬ若者を見かけました。『これなら娘の婿として恥かしくない……。』両親の方では早くもそれに目星をつけ、それとなく言葉をかけたりしました。娘の方でも、まんざら悪い気持もしないのでした。
それから早速人を依んで、だんだん先方の身元を査べて見ると、生憎男の方も一人息子で、とても養子には行かれない身分なのでした。これには双方とも大へんに困り抜き、何とか良い工夫はないものかと、いろいろ相談を重ねましたが、もともと男の方でも女が気に入って居り、又女の方でも男が好きだったものでございますので、最後に、『二人の間に子供ができたらそれを与る』という約束が成り立ちまして、とうとう黄道吉日を選んでめでたく婿入りということになったのでした。
夫婦仲は至って円満で、双方の親達も大そう悦こびました。これで間もなく懐胎って、男の児でも生れれば、何のことはないのでございますが、そこがままならぬ浮世の習いで、一年経っても、二年過ぎても、三年が暮れても、ドウしても小供が生れないので、婿の実家の方ではそろそろあせり出しました。『この分で行けば家名は断絶する……。』――そう言って騒ぐのでした。が、三年ではまだ判らないというので、更に二年ほど待つことになりましたが、しかしそれが過ぎても、矢張り懐胎の気配もないので、とうとう実家では我慢がし切れず、止むを得ないから離縁して帰ってもらいたい、ということになって了いました。
二人の仲はとても濃かで、別れる気などは更になかったのでございますが、その頃は何よりも血筋を重んずる時代でございましたから、お婿さんは無理無理、あたかも生木を裂くようにして、実家へ連れ戻されて了ったのでした。今日の方々は随分無理解な仕打と御思いになるか存じませぬが、往時はよくこんな事があったものでございまして……。
兎に角斯うして飽きも飽かれもせぬ仲を割かれた娘の、その後の歎きと言ったら又格別でございました。一と月、二た月と経つ中に、どことはなしに躯がすっかり衰えて行き、やがて頭脳が少しおかしくなって、良人の名を呼びながら、夜中に臥床から起き出してあるきまわるようなことが、二度も三度も重なるようになって了いました。
保養の為めに、この娘が一人の老女に附添われて、三崎の遠い親戚に当るものの離座敷に引越してまいりましたのは、それから間もないことで、ここではしなくも願掛けの話が始まるのでございます。
七十七、神の申子
或る夜社頭の階段の辺に人の気配が致しますので、心を鎮めてこちらから覗いて見ますと、其処には二十五六の若い美しい女が、六十位の老女を連れて立って居りましたが、血走った眼に洗い髪をふり乱して居る様子は、何う見ても只事とは思われないのでした。
女はやがて階段の下に跪いて、こまごまと一伍一什を物語った上で、『何卒神様のお力で子供を一人お授け下さいませ。それが男の子であろうと、女の子であろうと、決して勝手は申しませぬ……。』と一心不乱に祈願を籠めるのでした。
これで一と通り女の事情は判ったのでございますが、男の方を査べなければ何とも判断しかねますので、私はすぐ其場で一層深い精神統一状態に入り、仔細にその心の中まで探って見ました。すると男も至って志繰の確かな、優さしい若者で、他の女などには目もくれず、堅い堅い決心をして居ることがよく判りました。
これで私の方でも真剣に身を入れる気になりましたが、何分にも斯んな祈願は、まだ一度も手掛けたことがないものでございますから、何うすれば子供を授けることができるのか、更に見当がとれませぬ。拠なく私の守護霊に相談をかけて見ましたが、あちらでも矢張りよく判らないのでございました。
そうする中にも、女の方では、雨にも風にもめげないで、初夜頃になると必らず願掛けにまいり、熱誠をこめて、早く子供を授けていただきたいとせがみます。それをきく私は全く気が気でないのでございました。
とうとう思案に余りまして、私は指導役のお爺さんに御相談をかけますと、お爺さんからは、斯んな御返答がまいりました。――
『それは結構なことであるから、是非子供を授けてやるがよい。但しその方法は自分で考えなければならぬ。それがつまり修行じゃ。こちらからは教えることはできない……。』
私としては、これは飛んでもないことになったと思いました。兎に角相手なしに妊娠しないことはよく判って居りますので、不取敢私は念力をこめて、あの若者を三崎の方へ呼び寄せることに致しました……。つまり男にそう思わせるのでございますが、これはなかなか並大ていの仕事ではないのでございまして……。
幸いにも私の念力が届き、男はやがて実家から脱け出して、ちょいちょい三崎の女の許へ近づくようになりました。乃で今度は産土の神様にお願いして、その御計らいで首尾よく妊娠させて戴きましたが、これがつまり神の申子と申すものでございましょう。只その詳しい手続きは私にもよく判りかねますので……。
これで先ず仕事の一段落はつきましたようなものの、ただこの侭に棄て置いては、折角の願掛けが協ったのか、協わないのかが、さっぱり人間の方に判りませんので、何とかしてそれを先方に通じさせる工夫が要るのでございます。これも指導役のお爺さんから教えられて、私は女が眠っている時に、白い珠を神様から授かる夢を見せてやりました。御存じの通り、白い珠はつまり男の児の徴号なのでございまして……。
女はそれからも引きつづいてお宮に日参しました。夢に見た白い玉がよほど気がかりと見えまして、いつもいつも『あれは何ういう訳でございますか?』と訊ねるのでございましたが、幽明交通の途が開けていない為めに、こればかりは教えてやることはできないので甚だ困りました。――が、その中、妊娠ということが次第に判って来たので、夫婦の歓びは一と通りでなく、三崎に居る間は、よく二人で連れ立ちてお礼にまいりました。
やかて月満ちて生れたのは、果して珠のような、きれいな男の児でございました。俗に神の申子は弱いなどと申しますが、決してそのようなものではなく、この児も立派に成人して、父親の実家の後を継ぎました。私のところにまいる信者の中では、この人達などが一番手堅かった方でございまして……。
× × × ×
斯う言った実話は、まだいくらでもございますが、そのおうわさは別の機会に譲り、これからごく簡単に神々のお受持につきて、私の存じて居るところを申し上げて、一と先ずこの通信を打ち切らせていただきとうございます。
七十八、神々の受持
神々のお受持と申しましても、これは私がこちらで実地に見たり、聞いたりしたところを、何の理窟もなしに、ありのまま申上げるのでございますから、何卒そのおつもりできいて戴きます。こんなものでも幾らか皆さまの手がかりになれば何より本望でございます。
現世の方々が、何は措いても第一に心得て置かねばならぬのは、産土の神様でございましょう。これはつまり土地の御守護に当らるる神様でございまして、その御本体は最初から活き通しの自然霊……つまり竜神様でございます。現に私どもの土地の産土様は神明様と申上げて居りますが、矢張り竜神様でございまして……。稀に人霊の場合もあるようにお見受けしますが、その補佐には矢張り竜神様が附いて居られます。ドーもこちらの世界のお仕事は、人霊のみでは何彼につけて不便があるのではないかと存じられます。
さて産土の神様のお任務の中で、何より大切なのは、矢張り人間の生死の問題でございます。現世の役場では、子供が生れてから初めて受附けますが、こちらでは生れるずっと以前からそれがお判りになって居りますようで、何にしましても、一人の人間が現世に生れると申すことは、なかなか重大な事柄でございますから、右の次第は産土の神様から、それぞれ上の神様にお届けがあり、やがて最高の神様のお手許までも達するとの事でございます。申すまでもなく、生れる人間には必らず一人の守護霊が附けられますが、これも皆上の神界からのお指図で決められるように承って居ります。
それから人間が歿なる場合にも、第一に受附けてくださるのが、矢張り産土の神様で、誕生のみが決してそのお受持ではないのでございます。これは氏子として是非心得て置かねばならぬことと存じられます。尤もそのお仕事はただ受附けて下さるだけで、直接帰幽者をお引受け下さいますのは大国主命様でございます。産土神様からお届出がありますと、大国主命様の方では、すぐに死者の行くべき所を見定め、そしてそれぞれ適当な指導役をお附けくださいますので……。指導役は矢張り竜神様でございます。人霊では、ややもすれば人情味があり過ぎて、こちらの世界の躾をするのに、あまり面白くないようでございます。私なども矢張り一人の竜神さんの御指導に預かったことは、かねがね申上げて居ります通りで、これは私に限らず、どなたも皆、その御世話になるのでございます。つまり現世では主として守護霊、又幽界では主として指導霊、のお世話になるものとお思いになれば宜しうございます。
尚お生死以外にも産土の神様のお世話に預かることは数限りもございませぬが、ただ産土の神様は言わば万事の切盛りをなさる総受附のようなもので、実際の仕事には皆それぞれ専門の神様が控えて居られます。つまり病気には病気直しの神様、武芸には武芸専門の神様、その外世界中のありとあらゆる仕事は、それぞれ皆受持の神様があるのでございます。人間と申すものは兎角自分の力一つで何でもできるように考え勝ちでございますが、実は大なり、小なり、皆蔭から神々の御力添えがあるのでございます。
さすがに日本国は神国と申されるだけ、外国とは異って、それぞれ名の附いた、尊い神社が到る所に見出されます。それ等の御本体を査べて見ますると、二た通りあるように存じます。一つはすぐれた人霊を御祭神としたもので、橿原神宮、香椎宮、明治神宮などがそれでございます。又他の一つは活神様を御祭神と致したもので、出雲の大社、鹿島神宮、霧島神宮等がそれでございます。ただし、いかにすぐれた人霊が御本体でありましても、その控えとしては、必らず有力な竜神様がお附き遊ばして居られますようで……。
今更申上ぐるまでもなく、すべての神々の上には皇孫命様がお控えになって居られます。つまりこの御方が大地の神霊界の主宰神に在しますので……。更にそのモー一つ奥には、天照大御神様がお控えになって居られますが、それは高天原……つまり宇宙の主宰神に在しまして、とても私どもから測り知ることのできない、尊い神様なのでございます……。
神界の組織はざっと右申上げたようなところでございます。これ等の神々の外に、この国には観音様とか、不動様とか、その他さまざまのものがございますが、私がこちらで実地に査べたところでは、それはただ途中の相違……つまり幽界の下層に居る眷族が、かれこれ区別を立てているだけのもので、奥の方は皆一つなのでございます。富士山に登りますにも、道はいろいろつけてございます。教えの道も矢張りそうした訳のものではなかろうかと存じられます。では一と先ずこれで……。(完結) | 底本:「霊界通信 小桜姫物語」潮文社
1985(昭和60)年7月31日第1刷発行
1998(平成10)年7月31日第9刷発行
底本の親本:「霊界通信 小櫻姫物語」心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年2月初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※横組み中のダブルミニュートには、底本では、JIS X 0213規格票の、縦書き用字形が用いられています。
入力:浅野和三郎・著作保存会(泉美、老神いさお、MUPさくら)
校正:POKEPEEK2011
2012年9月18日作成
2014年6月9日修正
青空文庫作成ファイル:
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しん粉細工に就いては、今更説明の必要もあるまい。たゞ、しん粉をねつて、それに着色をほどこし、花だの鳥だのゝ形を造るといふまでゞある。
が、時には奇術師が、これを奇術に応用する場合がある。しかしその眼目とするところは、やはり、如何に手早く三味線に合せてしん粉でものゝ形を造り上げるかといふ点にある。だから、正しい意味では、しん粉細工応用の奇術ではなくて、奇術応用のしん粉細工といふべきであらう。
さてそのやり方であるが、まづ術者は、十枚あるひは十数枚(この数まつたく任意)の、細長く切つた紙片を一枚づゝ観客に渡し、それへ好みの花の名を一つづゝ書いて貰ふ。書いてしまつたら、受けとる時にそこの文字が見えないために、ぎゆつとしごいて貰ふ。
そこで術者は、客席へ出て花の名を書いた紙を集める。しかし、客が籤へ書いた全部の花を造るのは容易ではない、といふので、そのうちから一本だけを客に選んで貰ふ。が、もうその時には、全部に同一の花の名を書いた籤とすり替へられてある。
これで奇術の方の準備がとゝのつたので、術者はしん粉細工にとりかゝる。まづ術者は、白や赤や青や紫やの色々のしん粉を見物に見せ、
『持出しましたるしん粉は、お目の前におきましてこと〴〵く験めます。』
といふ。勿論、しん粉になんの仕掛があるわけではないが一応はかういつて験めて見せる。
『さて只今より、これなるしん粉をもちまして、正面そなへつけの植木鉢に花を咲かせるので御座います。もし造上げましたる鉢の花が、お客様お抜取りの籤の花と相応いたしてをりましたら、お手拍子御唱采の程をお願ひいたします。』
かういつて、しん粉細工をはじめるのである。普通、植木鉢に数本の枝を差しておき、それへ、楽屋の三味線に合せてしん粉で造つた花や葉をべた〳〵くつゝけて行くのである。が、これが又、非常な速さで、大概の花は五分以内で仕上げてしまふ。
かうして花が出来上ると、客の抜いた籤と照合せる。が、勿論前に記したやうな仕組になつてゐるのだから、籤に書かれた花の名と、造上げた舞台の花とが一致することはいふまでもない。これが、奇術応用の『曲芸しん粉細工』である。
稲荷魔術の発明者として有名な、神道斎狐光師は、このしん粉細工にも非常に妙を得てをり、各所で大唱采を博してゐた。狐光師の、このしん粉細工に就いて愉快な話がある。
話は、大分昔のことだが、一時狐光老が奇術師をやめて遊んでゐた時代があつた。勿論、何をしなければならないといふ身の上ではなかつたが、ねが働きものゝ彼としては、遊んで暮すといふことの方が辛かつた。その時、ふと思ひついたのはしん粉細工だつた。
『面白い、暇つぶしにひとつ、大道でしん粉細工をはじめてやれ。』
一度考へると、決断も早いがすぐ右から左へやつてしまふ気性である。で彼は、早速小さい車を註文した。そしてその車の上へ三段、段をつくつてその上へ梅だの桃だの水仙だのゝしん粉細工の花を、鉢植にして並べることにした。
道楽が半分暇つぶしが半分といふ、至極のんきな商売で、狐光老はぶら〳〵、雨さへ降らなければ、毎日その車をひいて家を出かけて行つた。
五月の、よく晴れたある日であつた。
横浜は野毛通りの、とある橋の袂へ車をおいて、狐光老はしん粉で花を造つてゐた。
麗かな春の光が、もの優しくしん粉の花壇にそゝいでゐた。
『こりやあきれいだ。』
『うまく出来るもんだねえ。』
ちよいちよい、通りすがりの人達が立止つては、花壇の花をほめて行つた。もと〳〵、算盤を弾いてかゝつた仕事でないのだから、かうした讚辞を耳にしただけでも、もう狐光老の気持は充分に報いられてゐた。そして、『何しろこりや、美術しん粉細工なんだから……。』と、ひとり悦に入つてゐたのであつた。
と、そこへ、学校からの戻りと見える女生徒が三人通りかゝつた。そしてしん粉の花を眺めると、
『まあきれいだ!』
と立止つた。そして三人共車のそばへ寄つて来た。女生徒達は、しばらくしん粉を造る狐光老の手先に見とれてゐたが、『ねえ小父さん、小父さんにはどんな花でも出来るの?』
ときいた。
『あゝ出来るとも、小父さんに出来ない花なんてものは、たゞの一つだつてありはしない。』
『さう、ぢやああたしチユウリツプがほしいの。小父さん拵へてくれない?』
と一人がいつた。
『あたしもチユウリツプよ。』
『あたしも……。』
と、他の二人もチユウリツプの註文をした。然し此時、俄然よわつたのは狐光老だつた。何を隠さう、彼はチユウリツプの花を知らなかつた。『チユウリツプ、チユウリツプ、きいたやうな名だが……。』と二三度口の中で繰返したが、てんで、どんな花だか見当さえつかなかつた。
といつて今更、なんでも出来ると豪語した手前、それは知らぬとは到底いへないところである。
『ようし、勇敢にやつちまへ。』
と決心がつくと、やをらしん粉に手をかけて、またゝく暇に植木鉢に三杯、チユウリツプ ? の花を造り上げた。が、それは、むろん狐光老とつさに創作したところのチユウリツプで、桃の花とも桜の花ともつかない、実にへんてこな花であつた。
『さあ出来上つた。どうみてもほんものゝのチユウリツプそつくりだらう。』
と、狐光老は、それを女生徒達の前にさし出した。女生徒達は、あつけにとられた顔つきでそれを受けとると、
『うふゝ。』
『うふゝ。』
と、顔見合せて笑ひながら、おとなしく鉢を手にして帰つて行つた。が、後に残った狐光老はどうにも落付けなかつた。『チユウリツプ……一体どんな花だらう?』と、そのことばかり考へてゐた。
そのうち夕方になつた。で、店をたゝんで狐光老は、ぶら〳〵車をひいて野毛通りを歩いて行つた。ふと気がつくと、すぐ目の前に大きな花屋があつた。彼は急いで車を止めると、つか〳〵店の中へはいつて行つた。そして、
『チユウリツプはあるかい?』
ときいた。
『ございます。』と、すぐ店の者がチユウリツプを持つて来た。見ると、さつき自分の造つたものとは、似ても似つかぬ花であつた。
『いけねえ、とんでもないものを拵へちまつた。』
と、狐光老は、その花を買つて家に帰つた。そしてその晩、彼はチユウリツプの花の造り方に就いておそくまで研究した。
さて翌日、狐光老は、また昨日の場所へ店を出した。そして十杯あまり、大鉢のチユウリツプを造つて、屋台の上段へ、ずらり、人目をひくやうに並べておいた。
三時頃、また昨日の女生徒が三人並んで通りかゝつた。と、彼女達は、早くも棚のチユウリツプに目をつけて、
『あら、チユウリツプがあるわ。』
と、急いで店の前へ寄つて来た。
『小父さん、これチユウリツプつていふのよ。』
と、そのうちの一人が、花を指さしながらいつた。狐光老は、『勿論、勿論!』といふ顔つきで、『あゝチユウリツプといふんだよ。』
とすましてゐた。女生徒達はけげんさうに、
『でも小父さん、昨日あたし達に拵へてくれたチユウリツプ、とても変な花だつたわ。あたし今日みたいのがほしかつたの。』といつた。
『さうかい、そりやあ気の毒なことをしたね。このチユウリツプでよけりやあ、みんなで沢山持つておいで。』
狐光老は嬉しさうに微笑してゐた。
『でもわるいわ……。』
『何がお前、遠慮なんかすることがあるものかね。いゝだけ持つて行くがいゝ。が、嬢ちやん方は、昨日みたいなチユウリツプをまだ学校でならはなかつたかね。』ときいた。
『あらいやだ! あんなチユウリツプつて……。』
女生徒達は一斉に笑ひ出した。が、狐光老は、
『ありやあお前、あつちのチユウリツプなんだよ。』と、けろりとしてゐた。
その後間もなく、狐光老は奇術師に立戻つた。そして、この『美術曲芸しん粉細工』を演出する場合には、いつもいつもチユウリツプといふ、あのあちら的な花が一輪、二輪、三輪、あまた花々の中にまじつて咲いてゐた。 | 底本:「日本の名随筆 別巻7 奇術」作品社
1991(平成3)年9月25日第1刷発行
底本の親本:「奇術随筆」人文書院
1936(昭和11)年5月
入力:葵
校正:篠原陽子
2001年3月22日公開
2005年11月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001142",
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"名ローマ字": "Tokuzo",
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"生年月日": "1889",
"没年月日": "1944",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本の名随筆 別巻7 奇術",
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"底本の親本名1": "奇術随筆",
"底本の親本出版社名1": "人文書院",
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一
もう何年か前、ジェノアの少年で十三になる男の子が、ジェノアからアメリカまでただ一人で母をたずねて行きました。
母親は二年前にアルゼンチンの首府ブエーノスアイレスへ行ったのですが、それは一家がいろいろな不幸にあって、すっかり貧乏になり、たくさんなお金を払わねばならなかったので母は今一度お金持の家に奉公してお金をもうけ一家が暮せるようにしたいがためでありました。
このあわれな母親は十八歳になる子と十一歳になる子とをおいて出かけたのでした。
船は無事で海の上を走りました。
母親はブエーノスアイレスにつくとすぐに夫の兄弟にあたる人の世話でその土地の立派な人の家に働くことになりました。
母親は月に八十リラずつもうけましたが自分は少しも使わないで、三月ごとにたまったお金を故郷へ送りました。
父親も心の正しい人でしたから一生懸命に働いてよい評判をうけるようになりました。父親のただ一つのなぐさめは母親が早くかえってくるのをまつことでした。母親がいない家はまるでからっぽのようにさびしいものでした。ことに小さい方の子は母を慕って毎日泣いていました。
月日は早くもたって一年はすぎました。母親の方からは、身体の工合が少しよくないというみじかい手紙がきたきり、何のたよりもなくなってしまいました。
父親は大変心配して兄弟の所へ二度も手紙を出しましたが何の返事もありませんでした。
そこでイタリイの領事館からたずねてもらいましたが、三月ほどたってから「新聞にも広告してずいぶんたずねましたが見あたりません。」といってきました。
それから幾月かたちました。何のたよりもありません。父親と二人の子供は心配でなりませんでした。わけても小さい方の子は父親にだきついて「お母さんは、お母さんは、」といっていました。
父親は自分がアメリカへいって妻をさがしてこようかと考えました。けれども父親は働かねばなりませんでした。一番年上の子も今ではだんだん働いて手助をしてくれるので、一家にとっては、はなすわけにはゆきませんでした。
親子は毎日悲しい言葉をくりかえしていると、ある晩、小さい子のマルコが、
「お父さん僕をアメリカへやって下さい。おかあさんをたずねてきますから。」
と元気のよい声でいいました。
父親は悲しそうに、頭をふって何の返事もしませんでした、父親は心の中で、「どうして小さい子供を一人で一月もかかるアメリカへやることが出来よう。大人でさえなかなか行けないのに。」と思ったからでした。
けれどもマルコはどうしてもききませんでした。その日も、その次の日も、毎日毎日、父親にすがりついてたのみました。
「どうしてもやって下さい。外の人だって行ったじゃありませんか。一ぺんそこへゆきさえすればおじさんの家をさがします。もしも見つからなかったら領事館をたずねてゆきます。」
こういって父親にせがみました。父親はマルコの勇気にすっかり動かされてしまいました。
父親はこのことを自分の知っているある汽船の船長に話しすると船長はすっかり感心してアルゼンチンの国へ行く三等切符を一枚ただくれました。
そこでいよいよマルコは父親も承知してくれたので旅立つことになりました。父と兄とはふくろにマルコの着物を入れ、マルコのポケットにいくらかのお金を入れ、おじさんの所書をもわたしました。マルコは四月の晴れた晩、船にのりました。
父親は涙を流してマルコにいいました。
「マルコ、孝行の旅だから神様はきっと守って下さるでしょう。勇気を出して行きな、どんな辛いことがあっても。」
マルコは船の甲板に立って帽子をふりながら叫びました。
「お父さん、行ってきますよ。きっと、きっと、……」
青い美しい月の光りが海の上にひろがっていました。
船は美しい故郷の町をはなれました、大きな船の上にはたくさんな人たちが乗りあっていましたがだれ一人として知る人もなく、自分一人小さなふくろの前にうずくまっていました。
マルコの心の中にはいろいろな悲しい考えが浮んできました。そして一番悲しく浮んできたのは――おかあさんが死んでしまったという考えでした。マルコは夜もねむることが出来ませんでした。
でも、ジブラルタルの海峡がすぎた後で、はじめて大西洋を見た時には元気も出てきました。望も出てきました。けれどもそれはしばらくの間でした、自分が一人ぼっちで見知らぬ国へゆくと思うと急に心が苦しくなってきました。
船は白い波がしらをけって進んでゆきました。時々甲板の上へ美しい飛魚がはね上ることもありました。日が波のあちらへおちてゆくと海の面は火のように真赤になりました。
マルコはもはや力も抜けてしまって板の間に身体をのばして死んでいるもののように見えました。大ぜいの人たちも、たいくつそうにぼんやりとしていました。
海と空、空と海、昨日も今日も船は進んでゆきました。
こうして二十七日間つづきました。しかししまいには凉しいいい日がつづきました。マルコは一人のおじいさんと仲よしになりました。それはロムバルディの人で、ロサーリオの町の近くに農夫をしている息子をたずねてアメリカへゆく人でした。
マルコはこのおじいさんにすっかり自分の身の上を話しますと、おじいさんは大変同情して、
「大丈夫だよ。もうじきにおかあさんにあわれますよ。」
といいました。
マルコはこれをきいてたいそう心を丈夫にしました。
そしてマルコは首にかけていた十字のメダルにキスしながら「どうかおかあさんにあわせて下さい。」と祈りました。
出発してから二十七日目、それは美しい五月の朝、汽船はアルゼンチンの首府ブエーノスアイレスの都の岸にひろがっている大きなプラータ河に錨を下ろしました。マルコは気ちがいのようによろこびました。
「かあさんはもうわずかな所にいる。もうしばらくのうちにあえるのだ。ああ自分はアメリカへ来たのだ。」
マルコは小さいふくろを手に持ってボートから波止場に上陸して勇ましく都の方に向って歩きだしました。
一番はじめの街の入口にはいると、マルコは一人の男に、ロスアルテス街へ行くにはどう行けばよいか教えて下さいとたずねました、ちょうどその人はイタリイ人でありましたから、今自分が出てきた街を指しながらていねいに教えてくれました。
マルコはお礼をいって教えてもらった道を急ぎました。
それはせまい真すぐな街でした。道の両側にはひくい白い家がたちならんでいて、街にはたくさんな人や、馬車や、荷車がひっきりなしに通っていました。そしてそこにもここにも色々な色をした大きな旗がひるがえっていて、それには大きな字で汽船の出る広告が書いてありました。
マルコは新しい街にくるたびに、それが自分のさがしている街ではないのかと思いました、また女の人にあうたびにもしや自分の母親でないかしらと思いました。
マルコは一生懸命に歩きました。と、ある十文字になっている街へ出ました。マルコはそのかどをまがってみると、それが自分のたずねているロスアルテス街でありました。おじさんの店は一七五番でした。マルコは夢中になってかけ出しました。そして小さな組糸店にはいりました。これが一七五でした。見ると店には髪の毛の白い眼鏡をかけた女の人がいました。
「何か用でもあるの?」
女はスペイン語でたずねました。
「あの、これはフランセスコメレリの店ではありませんか。」
「メレリさんはずっと前に死にましたよ。」
と女の人は答えました。
マルコは胸をうたれたような気がしました、そして彼は早口にこういいました。
「メレリが僕のおかあさんを知っていたんです。おかあさんはメキネズさんの所へ奉公していたんです。わたしはおかあさんをたずねてアメリカへ来たのです。わたしはおかあさんを見つけねばなりません。」
「可愛そうにねえ!」
と女の人はいいました。そして「わたしは知らないが裏の子供にきいて上げよう。あの子がメレリさんの使をしたことがあるかもしれないから――、」
女の人は店を出ていってその少年を呼びました。少年はすぐにきました。そして「メレリさんはメキネズさんの所へゆかれた。時々わたしも行きましたよ。ロスアルテス街のはしの方です。」
と答えてくれました。
「ああ、ありがとう、奥さん」
マルコは叫びました。
「番地を教えて下さいませんか。君、僕と一しょに来てくれない?」
マルコは熱心にいいましたので少年は、
「では行こう」
といってすぐに出かけました。
二人はだまったまま長い街を走るように歩きました。
街のはしまでゆくと小さい白い家の入口につきました。そこには美しい門がたっていました。門の中には草花の鉢がたくさん見えました。
マルコはいそいでベルをおしました。すると若い女の人が出てきました。
「メキネズさんはここにいますねえ?」
少年は心配そうにききました。
「メキネズさんはコルドバへ行きましたよ。」
マルコは胸がドキドキしました。
「コルドバ? コルドバってどこです、そして奉公していた女はどうなりましたか。わたしのおかあさんです。おかあさんをつれて行きましたか。」
マルコはふるえるような声でききました。
若い女の人はマルコを見ながらいいました。
「わたしは知りませんわ、もしかするとわたしの父が知っているかもしれません、しばらく待っていらっしゃい。」
しばらくするとその父はかえってきました。背の高いひげの白い紳士でした。
紳士はマルコに
「お前のおかあさんはジェノア人でしょう。」
と問いました。
マルコはそうですと答えました。
「それならそのメキネズさんのところにいた女の人はコルドバという都へゆきましたよ。」
マルコは深いため息をつきました。そして
「それでは私はコルドバへゆきます。」
「かわいそうに。コルドバはここから何百哩もある。」
紳士はこういいました。
マルコは死んだように、門によりかかりました。
紳士はマルコの様子を見て、かわいそうに思いしきりに何か考えていました。が、やがて机に向って、一通の手紙を書いてマルコにわたしながらいいました。
「それではこの手紙をポカへ持っておいで、ここからポカへは二時間ぐらいでゆかれる。そこへいってこの手紙の宛名になっている紳士をたずねなさい。たれでも知っている紳士ですから、その人が明日お前をロサーリオの町へ送ってくれるでしょう、そこからまたたれかにたのんでコルドバへゆけるようしてくれるだろうから。コルドバへゆけばメキネズの家もお前のおかあさんも見つかるだろうから、それからこれをおもち。」
こういって紳士はいくらかのお金をマルコにあたえました。
マルコはただ「ありがとう、ありがとう」といって小さいふくろを持って外へ出ました。そして案内してくれた少年とも別れてポカの方へ向って出かけました。
二
マルコはすっかりつかれてしまいました。息が苦しくなってきました。そしてその次の日の暮れ方、果物をつんだ大きな船にのり込みました。
船は三日四晩走りつづけました。ある時は長い島をぬうてゆくこともありました。その島にはオレンヂの木がしげっていました。
マルコは船の中で一日に二度ずつ少しのパンと塩かけの肉を食べました。船頭たちはマルコのかなしそうな様子を見て言葉もかけませんでした。
夜になるとマルコは甲板で眠りました。青白い月の光りが広々とした水の上や遠い岸を銀色に照しました、マルコの心はしんとおちついてきました。そして「コルドバ」の名を呼んでいるとまるで昔ばなしにきいた不思議な都のような気がしてなりませんでした。
船頭は甲板に立ってうたをうたいました、そのうたはちょうどマルコが小さい時おかあさんからきいた子守唄のようでした。
マルコは急になつかしくなってとうとう泣き出してしまいました。
船頭は歌をやめるとマルコの方へかけよってきて、
「おいどうしたので、しっかりしなよ。ジェノアの子が国から遠く来たからって泣くことがあるものか。ジェノアの児は世界にほこる子だぞ。」
といいました。マルコはジェノアたましいの声をきくと急に元気づきました。
「ああそうだ、わたしはジェノアの児だ。」
マルコは心の中で叫びました。
船は夜のあけ方に、パラアナ河にのぞんでいるロサーリオの都の前にきました。
マルコは船をすててふくろを手にもってポカの紳士が書いてくれた手紙をもってアルゼンチンの紳士をたずねに町の方をゆきました。
町にはたくさんな人や、馬や、車がたくさん通っていました。
マルコは一時間あまりもたずね歩くと、やっとその家を見つけました。
マルコはベルをならすと家から髪の毛の赤い意地の悪そうな男が出てきて
「何の用か、」
とぶっきらぼうにいいました。
マルコは書いてもらった手紙を出しました。その男はその手紙を読んで
「主人は昨日の午後ブエーノスアイレスへ御家の人たちをつれて出かけられた。」
といいました。
マルコはどういってよいかわかりませんでした。ただそこに棒のように立っていました。そして
「わたしはここでだれも知りません。」
とあわれそうな声でいいました。するとその男は、
「物もらいをするならイタリイでやれ、」
といってぴしゃりと戸をしめてしまいました。
マルコはふくろをとりあげてしょんぼりと出かけました。マルコは胸をかきむしられたような気がしました。そして
「わたしはどこへ行ったらよいのだろう。もうお金もなくなった。」
マルコはもう歩く元気もなくなって、ふくろを道におろしてそこにうつむいていました、道を通りがかりの子供たちは立ち止ってマルコを見ていました。マルコはじっとしておりました。するとやがて「おいどうしたんだい。」とロムバルディの言葉でいった人がありました。マルコはひょっと顔を上げてみると、それは船の中で一しょになった年よったロムバルディのお百姓でありました。
マルコはおどろいて、
「まあ、おじいさん!」
と叫びました。
お百姓もおどろいてマルコのそばへかけて来ました。マルコは自分の今までの有様を残らず話しました。
お百姓は大変可愛そうに思って、何かしきりに考えていましたが、やがて、
「マルコ、わたしと一緒にお出でどうにかなるでしょう。」
といって歩き出しました。マルコは後について歩きました。二人は長い道を歩きました、やがてお百姓は一軒の宿屋の戸口に立ち止りました。看板には「イタリイの星」と書いてありました。
二人は大きな部屋へはいりました。そこには大勢の人がお酒をのみながら高い声で笑いながら話しあっていました。
お百姓はマルコを自分の前に立たせ皆にむかいながらこう叫びました。
「皆さん、しばらくわたしの話を聞いて下さい、ここにかわいそうな子供がいます。この子はイタリイの子供です。ジェノアからブエーノスアイレスまで母親をたずねて一人で来た子です。ところがこんどはコルドバへ行くのですがお金を一銭も持っていないのです。何とかいい考えが皆さんにありませんか。」
これをきいた五六人のものは立ち上って、
「とんでもないことだ。そんなことが出来るものか」
といいました。するとその中の一人は、テエブルをたたいて、
「おい、我々の兄弟だ。われわれの兄弟のために助けてやらねばならぬぞ。全く孝行者だ。一人できたのか。ほんとに偉いぞ。愛国者だ、さあこちらへ来な、葡萄酒でものんだがよい。わしたちが母親のところへとどけてあげるから心配しないがよい。」
こういってその男はマルコの肩をたたきふくろを下してやりました。
マルコのうわさが宿屋中にひろがると大勢の人たちが急いで出てきました、ロムバルディのおじいさんはマルコのために帽子を持ってまわるとたちまち四十二リラのお金があつまりました。
みんなの者はコップに葡萄酒をついで、
「お前のおかあさんの無事を祈る。」といってのみました。
マルコはうれしくてどうしてよいかわからずただ「ありがとう。」といって、おじいさんのくびに飛びつきました。
つぎの朝マルコはよろこび勇んでコルドバへ向って出かけました。マルコの顔はよろこびにかがやきました。
マルコは汽車にのりました。汽車は広々とした野原を走ってゆきました。つめたい風が汽車の窓からひゅっとはいってきました。マルコがジェノアを出た時は四月の末でしたがもう冬になっているのでした。けれどもマルコは夏の服を着ていました。マルコは寒くてなりませんでした。そればかりでなく身体も心もつかれてしまって夜もなかなか眠ることも出来ませんでした。マルコはもしかすると病気にでもなって倒れるのではないかと思いました。おかあさんにあうことも出来ないで死んだとしたら……マルコは急にかなしい心になりました。
コルドバへゆけばきっとお母さんにあえるかしら、ほんとうにおかあさんにあうことがたしかに出来るかしら。もしもロスアルテス街の紳士が間違ったことをいったのだとしたらどうしよう。マルコはこう思っているうちに眠ってゆきました。そしてコルドバへ行っている夢を見ました、それは一人のあやしい男が出てきて、「お前のおかあさんはここにいない。」といっている夢でした。マルコははっとしてとびおきると自分の向うのはしに三人の男が恐しい眼つきで何か話していました。マルコは思わずそこへかけよって、
「わたしは何も持っていません。イタリイから来たのです。おかあさんをたずねに一人できたのです。貧乏な子供です。どうぞ、何もしないで下さい。」
といいました。
三人の男は彼をかわいそうに思ってマルコの頭をなでながらいろいろ言葉をかけ一枚のシオルをマルコの体にまいて、眠られるようにしてくれました。その時はもう広い野には夕日がおちていました。
汽車がコルドバにつくと三人の男はマルコをおこしました。
マルコは飛びたつように汽車から飛び出しました。彼は停車場の人にメキネズの家はどこにあるかききました。その人はある教会の名をいいました。家はそのそばにあるのでした。マルコは急いで出かけました。
町はもう夜でした。
マルコはやっと教会を見つけ出して、ふるえる手でベルをならしました。すると年取った女の人が手にあかりを持って出てきました。
「何か用がありますか」
「メキネズさんはいますか。」
マルコは早口にいいました。
女の人は両手をくんで頭をふりながら答えました。
「メキネズさんはツークーマンへゆかれた。」
マルコはがっかりしてしまいました、そしてふるえるような声で、
「そこはどこです。どのくらいはなれているのです。おかあさんにあわないで、死んでしまいそうだ。」
「まあ可愛そうに、ここから四五百哩はなれていますよ。」
女の人は気の毒そうにいいました。
マルコは顔に手をおしあてて、「わたしはどうしたらいいのだろう、」
といって泣き出しました。
女の人はしばらくだまって考えていましたが、やがて思い出したように、
「ああ、そうそう、よいことがある、この町を右の方へゆくと、たくさんの荷車を牛にひかせて明日ツークーマンへ出かけてゆく商人がいますよ。その人に頼んでつれていってもらいなさい。何か手つだいでもすることにして、それが一番よい今すぐに行ってごらんなさい。」
といいました。
マルコはお礼をいいながらふくろをかつぎ急いで出かけました。しばらくゆくとそこには大ぜいの男が荷車に穀物のふくろをつんでいました。丈の高い口ひげのある男が長靴をはいて仕事の指図をしていました。その人がこの親方でした。
マルコはおそるおそるその人のそばへ行って「自分もどうかつれていって下さい。おかあさんをさがしにゆくのだから。」
とたのみました。
親方はマルコの様子をじろじろと見ながら
「お前をのせてゆく場所がない。」
とつめたく答えました。
マルコは一生懸命になって、たのみました。
「ここに十五リラあります。これをさしあげます。そして途中で働きます。牛や馬の飲水もはこびます。どんな御用でもいたします。どうぞつれて行って下さい。」
親方はまたじろじろとマルコを見てから、今度はいくらかやさしい声でいいました。
「おれたちはツークーマンへゆくのではない、サンチヤゴという別の町へゆくのだよ。だからお前をのせていっても途中で下りねばならないし、それに下りてからお前はずいぶん歩かなければならぬぞ。」
「ええ、どんな長い旅でもいたします。どんなことをしましてもツークーマンへまいりますからどうかのせていって下さい。」
マルコはこういってたのみました。
親方はまた、
「おい二十日もかかるぞ。つらい旅だぞ。それに一人で歩かねばならないのだぞ。」
といいました。
マルコは元気そうな声でいいました。
「はいどんな事でもこらえます、おかあさんにさえあえるなら。どうぞのせていって下さい」
親方はとうとうマルコの熱心に動かされてしまいました。そして「よし」といってマルコの手を握りしめました。
「お前は今夜荷車の中でねるのだよ。そして明日の朝、四時におこすぞ。」
親方はこういって家の中へはいってゆきました。
朝の四時になりました。星はつめたそうに光っていました。荷車の長い列はがたがたと動き出しました。荷車はみな六頭の牛にひかれてゆきました。そのあとからはたくさんな馬もついてゆきました。
マルコは車に積んだ袋の上にのりました。がすぐに眠ってしまいました。マルコが目をさますと、荷車の列はとまってしまって、人足たちは火をたきながらパンをやいて食べているのでした。みんなは食事がすむとしばらくひるねをしてそれからまた出かけました。みんなは毎朝五時に出て九時にとまり、夕方の五時に出て十時にとまりました。ちょうど兵隊が行軍するのと同じように規則正しくやりました。
マルコはパンをやく火をこしらえたり牛や馬にのませる水をくんできたり角灯の掃除をしたりしました。
みんなの進む所は、どちらを見ても広い平野がつづいていて人家もなければ人影も見えませんでした。たまたま二三人の旅人が馬にのってくるのにあうこともありましたが、風のように一散にかけてゆきました。くる日もくる日もただ広い野原しか見えないのでみんなは、たいくつでたいくつでたまりませんでした。人足たちはだんだん意地悪くなって、マルコをおどかしたり無理使したりしました。大きな秣をはこばせたり、遠い所へ水をくみにやらせたりしました。そして少しでもおそいと大きな声で叱りつけました。
マルコはへとへとにつかれて、夜になっても眠ることが出来ませんでした、荷車はぎいぎいとゆれ、体はころがるようになり、おまけに風が吹いてくると赤い土ほこりがたってきて息をすることさえ出来ませんでした。
マルコは全くつかれはててしまいました。それに朝から晩まで叱られたりいじめられたりするので日に日に元気もなくなってゆきました。ただマルコをかわいがってくれるものは親方だけでした。マルコは車のすみに小さくうずくまってふくろに顔をあてて泣いていました。
ある朝、マルコが水を汲んでくるのがおそいといって人足の一人が、彼をぶちました。それからというものは人足たちは代る代る彼を足でけりながら、「この宿なし犬め」といいました。
マルコは悲しくなってただすすりあげて泣いていました。マルコはとうとう病気になりました。三日のあいだ荷車の中で何もたべずに苦しんでいました。ただ水をくれたりして親切にしてくれるものは親方だけでした。親方はいつも彼のところへきては、
「しっかりせよ。母親にあえるのだから」
といってなぐさめてくれました。
マルコは、もう自分は死ぬのだと思いました。そしてしきりに「おかあさん。もうあえないのですか。おかあさん。」といって胸の上に手をくんで祈っていました。
親方は親切に看護をしたので、マルコはだんだんよくなってゆきました。すると今度は一番安心することの出来ない日がきました。それはもう九日も旅をつづけたのでツークーマンへゆく道とサンチヤゴへ行く道との分れる所へ来たからです。親方はマルコに別れなければならないことをいいました。
親方は何かと心配して道のことを教えてくれたり歩く時にじゃまにならないようにふくろをかつがせたりしました。マルコは親方の体にだきついて別れのあいさつをしました。
三
マルコは青い草の道に立って手をあげながら荷車の一隊を見送っていました。荷車の親方も人足たちも手をあげてマルコを見ていました。やがて一隊は平野の赤い土ほこりの中にかくれてしまいました。
マルコは草の道を歩いてゆきました。夜になると草のしげみへはいってふくろを枕にして眠りました。やがていく日かたつと彼の目の前に青々とした山脈を見ることが出来ました。マルコは飛びたつようによろこびました。山のてっぺんには白い雪が光っていました。マルコは自分の国のアルプス山を思い出しました。そして自分の国へ来たような気持になりました。
その山はアンデズ山でありました。アメリカの大陸の脊骨をつくっている山でした。空気もだんだんあたたかになってきました。そして所々に小さい人家が見えてきました。小さい店もありました。マルコはその店でパンを買ってたべました。また黒い顔をした女や子供たちにもであいました。その人たちはマルコをじっと見ていました。
マルコは歩けるだけ歩くと木の下に眠りました。その次の日もそうしました。そうするうちに彼の元気はすっかりなくなってしまいました。靴は破れ足から血がにじんでいました、彼はしくしく泣きながら歩き出しました。けれども「おかあさんにあえるのだ。」と思うと足のいたさも忘れてしまいました。
彼は元気を出して歩きました。ひろいきび畑を通ったり、はてしない野の間をぬけたり、あの高い青い山を見ながら四日、五日、一週間もたちました。彼の足からはたえず血がにじみ出ました、また急に元気がなくなって来ました、でもとうとうある日の夕方一人の女の人にあいましたから、
「ツークーマンへはここからいくらありますか。」
とたずねました。
女の人は、
「ツークーマンはここから二哩ほどだよ。」
と答えました。
マルコはよろこびました。そしてなくした元気をとりもどしたように歩き出しました。しかしそれはほんのしばらくでした。彼の力はすぐに抜けました。けれども心の中はうれしくてなりませんでした。
星はきらきらとかがやいていました、マルコは草の上に体をのばして美しい星空を眺めました。この時はマルコの心は幸福でありました。マルコは光っている星に話でもするようにいいました。
「ああおかあさん、あなたの子のマルコは今ここにいます。こんなに近くにいます。どうぞ無事でいて下さい、おかあさん、あなたは今何を思っていられますか。マルコのことを思って下さるのですか。」
マルコの母親は病気にかかってメキネズの立派なやしきにねていました。ところがメキネズは思いがけずブエーノスアイレスから遠くへ出かけねばならなくなりコルドバへきたのでした、その時母親は腫物が体の内に出来たので外科のお医者さんにかかるためツークーマンに見てもらっていたのでした。けれども大変な重い病気だったのでどれだけたってもなおりませんでした。それで手術をしてもらうということになりました。けれども母親は
「わたしはもうこらえる力がありません。手術のうちに死んでしまいます。どうかこのまま死なせて下さい。わたしはもう苦しまずに死にとうございます。」
といいました。
主人と奥さんは「手術をうけると早くなおるから、もっと元気を出しなさい、子供たちのためにも早くなおらなければなりません。」としずかにいってきかせました。
母親はたださめざめと泣きだしました。
「おお子供たち、みんなはもう生きていないだろう。わたしも死んでゆきたい。旦那様、奥さま、ありがとうございます。何かとお世話になりましてありがとうございます。わたしはもうお医者さまにかかりたくありません。わたしはここで死にとうございます。」
主人は「そんなことをいうものではない」といって女の手をとって慰めました。
けれども彼女はまるで死んだように眼をとじていました。主人と奥さんとはろうそくのかすかな光でこのあわれな女を見守っていました。「家を助けるために三千里もはなれた国へきて、あんなに働いたあとで死んでゆく。ほん当に可哀そうだ。」主人はこういってそこにぼんやりと立っていました。
マルコはいたい足をひきずりながら、ふくろをせおって次ぎの日の朝早くアルゼンチンの国でもっともにぎやかな町であるツークーマンの町へはいりました。ここもまた同じような街で、まっすぐな長い道と、ひくい白い家とがありました。ただマルコの目をよろこばしたものは大きな美しい植物と、イタリイでかつて見たこともないようにすみ切った青空でありました。彼は街をずんずん歩いてゆきました。そしてもしか母親にあいはしないかと女の人にあうたびにじっと見ました。女の人みんなに自分の母親でないかたずねてみたい心持になりました。街の子供たちは四五人あつまってきて、みすぼらしいほこりだらけの少年をじっと見ていました。
しばらく行くと道の左かわにイタリイの名の書いてある宿屋の看板が目につきました。中には眼鏡をかけた男の人がいました。
マルコはかけていってたずねました。
「ちょっとおたずねしますがメキネズさんの家はどちらでしょうか。」
男の人はちょっと考えていましたが、
「メキネズさんはここにはいないよ。ここから六哩ほどはなれているサラヂーロというところだ。」
と答えました。
マルコは剣で胸をつかれたようにそこに打ち倒れてしまいました。すると宿屋の主人や女たちが出てきて、「どうしたのだ、どうしたというのだ、」といいながらマルコを部屋の中へ入れました。
主人は彼をなだめるようにいいました。
「さあ、何も心配することはない。ここからしばらくの時間でゆける。川のそばの大きな砂糖工場がたっているところにメキネズさんの家がある。誰でも知っているよ、安心なさい、」
しばらくするとマルコは生きかえったようにおき上りながら、
「どちらへ行くんです、どうぞ早く道を教えて下さい。私はすぐにゆきます。」
といいました。
主人は、
「お前はつかれている、休まないと行かれない。今日はここで休んで明日ゆきなさい、一日かかるのだから。」
とすすめました。
「いけません。いけません。私は早くおかあさんにあわなければなりません。すぐにゆきます。」
マルコの強い心に動かされて、宿屋の主人は一人の男をわざわざ町はずれの森まで送ってよこしました。マルコは大変よろこんで教えてもらった道を急ぎました。道の両がわにはこんもりとした並木が立ちならんでいました。マルコは足のいたいことも忘れて歩きました。
その夜母親は大そう苦しんでもう息も切れ切れに、「お医者さまを呼んで下さい。助けて下さい。わたしはもう死にます。」
といいました。
主人や奥さんや女中たちは女の手をとってなぐさめました。
もう夜中でありました。マルコはもう歩む力もなくなっていく度となくころびました、けれどもマルコは「おかあさんにあえるのだ。」という心が胸にわいてきて足のいたいことも忘れてしまいました。
やがて東の空がしらじらとあけてきて、銀のような星も次第に消えてゆきました。
朝の八時になりました。ツークーマンのお医者さんは若い一人の助手をつれて病人の家へ来ました。そしてしきりに手術をうけるようにすすめました。メキネズ夫婦もそれをすすめました。けれどもそれは無駄でした。女はどうしても手術をうける気はありませんでした。手術をうけないうちに死んでゆくのだとあきらめているからでした。医者はそれでもあきらめずにもう一度いってみました。
けれども女は、
「わたしはこのまま安らかに死んでゆきとうございます。」
といいました、そしてまた消えてゆくような声で、
「奥さま、わたしの荷物と、この少しばかりのお金を家の者に送ってやってください、私はこれで死んでゆきます。どうぞ私の家へ手紙も出して下さい。わたしは子供を忘れることが出来ません。小さい子のマルコはどうしているでしょう、ああマルコが……」
といいました。
その時、主人もいませんでした。奥さんはあわただしくかけてゆきました。しばらくすると医者はよろこばしい顔をしてはいってきました。主人も奥さんもはいってきました。そして病人に、いいました。
「ジョセハ、うれしいことをきかせてあげるよ。」
「おどろいてはいけません。」
女はじっとその声をきいていました。
奥さんは
「お前がよろこぶことですよ、お前の大そう可愛がっている子にあうのですよ。」
女はきらきらする目で奥さんを見ました。そしてありったけの力を出して頭をあげました。
その時でした、ぼろぼろの服をきてほこりだらけになったマルコが入口に立ったのでした。
女はびっくりして「あっ」と叫び声をあげました。
マルコはかけよりました。母親はやせた細い手をのばしてマルコをだきしめました。そして気ちがいのように「どうしてここへ来たのほんとうにお前なのか。本当にマルコだねえ、ああほんとうに」と叫びました。
女はすぐに医者の方をむいていい出しました。
「お医者様、どうぞなおして下さい。早く手術をして下さい。わたしは早くよくなりたいです。どうぞお医者さま、マルコに見せないで。」
マルコは主人につれられて部屋を出ました。奥さんも女たちもいそいで出てゆきました。
マルコは不思議でなりませんでしたから、
「おかあさんをどうするのですか。」
と主人にたずねました。
主人はおかあさんが病気だから手術を受けるのだといいました。
と不意に女の叫び声が家中にひびきました。
マルコはびっくりして「おかあさんが死んだ。」と叫びました。
医者は入口に出て来て「おかあさんは助かった、」といいました。
マルコはしばらくぼんやりと立っていましたが、やがて医者の足許へかけていって泣きながら、
「お医者さま、ありがとうございます。」
といいました。
しかし医者はマルコの手をとってこういいました。
「マルコさん。おかあさんを助けたのは私ではありません。それはお前です。英雄のように立派なお前だ!」
| 底本:「家なき子」九段書房
1927(昭和2)年10月15日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「或る→ある かも知れ→かもしれ 位→くらい 毎→ごと 沢山→たくさん 只→ただ 一寸→ちょっと (て)見→み (て)貰→もら」
※底本は総ルビですが、一部を省きました。
※底本中、混在している「コルドバ」「コルトバ」「ゴルドバ」「エルドバ」「マルドバ」は原文をチェックの上、「コルドバ」に統一しました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(前田一貴)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2005年6月15日作成
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一
新橋を渡る時、発車を知らせる二番目の鈴が、霧とまではいえない九月の朝の、煙った空気に包まれて聞こえて来た。葉子は平気でそれを聞いたが、車夫は宙を飛んだ。そして車が、鶴屋という町のかどの宿屋を曲がって、いつでも人馬の群がるあの共同井戸のあたりを駆けぬける時、停車場の入り口の大戸をしめようとする駅夫と争いながら、八分がたしまりかかった戸の所に突っ立ってこっちを見まもっている青年の姿を見た。
「まあおそくなってすみませんでした事……まだ間に合いますかしら」
と葉子がいいながら階段をのぼると、青年は粗末な麦稈帽子をちょっと脱いで、黙ったまま青い切符を渡した。
「おやなぜ一等になさらなかったの。そうしないといけないわけがあるからかえてくださいましな」
といおうとしたけれども、火がつくばかりに駅夫がせき立てるので、葉子は黙ったまま青年とならんで小刻みな足どりで、たった一つだけあいている改札口へと急いだ。改札はこの二人の乗客を苦々しげに見やりながら、左手を延ばして待っていた。二人がてんでんに切符を出そうとする時、
「若奥様、これをお忘れになりました」
といいながら、羽被の紺の香いの高くするさっきの車夫が、薄い大柄なセルの膝掛けを肩にかけたままあわてたように追いかけて来て、オリーヴ色の絹ハンケチに包んだ小さな物を渡そうとした。
「早く早く、早くしないと出っちまいますよ」改札がたまらなくなって癇癪声をふり立てた。
青年の前で「若奥様」と呼ばれたのと、改札ががみがみどなり立てたので、針のように鋭い神経はすぐ彼女をあまのじゃくにした。葉子は今まで急ぎ気味であった歩みをぴったり止めてしまって、落ち付いた顔で、車夫のほうに向きなおった。
「そう御苦労よ。家に帰ったらね、きょうは帰りがおそくなるかもしれませんから、お嬢さんたちだけで校友会にいらっしゃいってそういっておくれ。それから横浜の近江屋――西洋小間物屋の近江屋が来たら、きょうこっちから出かけたからっていうようにってね」
車夫はきょときょとと改札と葉子とをかたみがわりに見やりながら、自分が汽車にでも乗りおくれるようにあわてていた。改札の顔はだんだん険しくなって、あわや通路をしめてしまおうとした時、葉子はするするとそのほうに近よって、
「どうもすみませんでした事」
といって切符をさし出しながら、改札の目の先で花が咲いたようにほほえんで見せた。改札はばかになったような顔つきをしながら、それでもおめおめと切符に孔を入れた。
プラットフォームでは、駅員も見送り人も、立っている限りの人々は二人のほうに目を向けていた。それを全く気づきもしないような物腰で、葉子は親しげに青年と肩を並べて、しずしずと歩きながら、車夫の届けた包み物の中には何があるかあててみろとか、横浜のように自分の心をひく町はないとか、切符を一緒にしまっておいてくれろとかいって、音楽者のようにデリケートなその指先で、わざとらしく幾度か青年の手に触れる機会を求めた。列車の中からはある限りの顔が二人を見迎え見送るので、青年が物慣れない処女のようにはにかんで、しかも自分ながら自分を怒っているのが葉子にはおもしろくながめやられた。
いちばん近い二等車の昇降口の所に立っていた車掌は右の手をポッケットに突っ込んで、靴の爪先で待ちどおしそうに敷き石をたたいていたが、葉子がデッキに足を踏み入れると、いきなり耳をつんざくばかりに呼び子を鳴らした。そして青年(青年は名を古藤といった)が葉子に続いて飛び乗った時には、機関車の応笛が前方で朝の町のにぎやかなさざめきを破って響き渡った。
葉子は四角なガラスをはめた入り口の繰り戸を古藤が勢いよくあけるのを待って、中にはいろうとして、八分通りつまった両側の乗客に稲妻のように鋭く目を走らしたが、左側の中央近く新聞を見入った、やせた中年の男に視線がとまると、はっと立ちすくむほど驚いた。しかしその驚きはまたたく暇もないうちに、顔からも足からも消えうせて、葉子は悪びれもせず、取りすましもせず、自信ある女優が喜劇の舞台にでも現われるように、軽い微笑を右の頬だけに浮かべながら、古藤に続いて入り口に近い右側の空席に腰をおろすと、あでやかに青年を見返りながら、小指をなんともいえないよい形に折り曲げた左手で、鬢の後れ毛をかきなでるついでに、地味に装って来た黒のリボンにさわってみた。青年の前に座を取っていた四十三四の脂ぎった商人体の男は、あたふたと立ち上がって自分の後ろのシェードをおろして、おりふし横ざしに葉子に照りつける朝の光線をさえぎった。
紺の飛白に書生下駄をつっかけた青年に対して、素性が知れぬほど顔にも姿にも複雑な表情をたたえたこの女性の対照は、幼い少女の注意をすらひかずにはおかなかった。乗客一同の視線は綾をなして二人の上に乱れ飛んだ。葉子は自分が青年の不思議な対照になっているという感じを快く迎えてでもいるように、青年に対してことさら親しげな態度を見せた。
品川を過ぎて短いトンネルを汽車が出ようとする時、葉子はきびしく自分を見すえる目を眉のあたりに感じておもむろにそのほうを見かえった。それは葉子が思ったとおり、新聞に見入っているかのやせた男だった。男の名は木部孤笻といった。葉子が車内に足を踏み入れた時、だれよりも先に葉子に目をつけたのはこの男であったが、だれよりも先に目をそらしたのもこの男で、すぐ新聞を目八分にさし上げて、それに読み入って素知らぬふりをしたのに葉子は気がついていた。そして葉子に対する乗客の好奇心が衰え始めたころになって、彼は本気に葉子を見つめ始めたのだ。葉子はあらかじめこの刹那に対する態度を決めていたからあわても騒ぎもしなかった。目を鈴のように大きく張って、親しい媚びの色を浮かべながら、黙ったままで軽くうなずこうと、少し肩と顔とをそっちにひねって、心持ち上向きかげんになった時、稲妻のように彼女の心に響いたのは、男がその好意に応じてほほえみかわす様子のないという事だった。実際男の一文字眉は深くひそんで、その両眼はひときわ鋭さを増して見えた。それを見て取ると葉子の心の中はかっとなったが、笑みかまけたひとみはそのままで、するすると男の顔を通り越して、左側の古藤の血気のいい頬のあたりに落ちた。古藤は繰り戸のガラス越しに、切り割りの崕をながめてつくねんとしていた。
「また何か考えていらっしゃるのね」
葉子はやせた木部にこれ見よがしという物腰ではなやかにいった。
古藤はあまりはずんだ葉子の声にひかされて、まんじりとその顔を見守った。その青年の単純な明らさまな心に、自分の笑顔の奥の苦い渋い色が見抜かれはしないかと、葉子は思わずたじろいだほどだった。
「なんにも考えていやしないが、陰になった崕の色が、あまりきれいだもんで……紫に見えるでしょう。もう秋がかって来たんですよ。」
青年は何も思っていはしなかったのだ。
「ほんとうにね」
葉子は単純に応じて、もう一度ちらっと木部を見た。やせた木部の目は前と同じに鋭く輝いていた。葉子は正面に向き直るとともに、その男のひとみの下で、悒鬱な険しい色を引きしめた口のあたりにみなぎらした。木部はそれを見て自分の態度を後悔すべきはずである。
二
葉子は木部が魂を打ちこんだ初恋の的だった。それはちょうど日清戦争が終局を告げて、国民一般はだれかれの差別なく、この戦争に関係のあった事柄や人物やに事実以上の好奇心をそそられていたころであったが、木部は二十五という若い齢で、ある大新聞社の従軍記者になってシナに渡り、月並みな通信文の多い中に、きわだって観察の飛び離れた心力のゆらいだ文章を発表して、天才記者という名を博してめでたく凱旋したのであった。そのころ女流キリスト教徒の先覚者として、キリスト教婦人同盟の副会長をしていた葉子の母は、木部の属していた新聞社の社長と親しい交際のあった関係から、ある日その社の従軍記者を自宅に招いて慰労の会食を催した。その席で、小柄で白皙で、詩吟の声の悲壮な、感情の熱烈なこの少壮従軍記者は始めて葉子を見たのだった。
葉子はその時十九だったが、すでに幾人もの男に恋をし向けられて、その囲みを手ぎわよく繰りぬけながら、自分の若い心を楽しませて行くタクトは充分に持っていた。十五の時に、袴をひもで締める代わりに尾錠で締めるくふうをして、一時女学生界の流行を風靡したのも彼女である。その紅い口びるを吸わして首席を占めたんだと、厳格で通っている米国人の老校長に、思いもよらぬ浮き名を負わせたのも彼女である。上野の音楽学校にはいってヴァイオリンのけいこを始めてから二か月ほどの間にめきめき上達して、教師や生徒の舌を巻かした時、ケーべル博士一人は渋い顔をした。そしてある日「お前の楽器は才で鳴るのだ。天才で鳴るのではない」と無愛想にいってのけた。それを聞くと「そうでございますか」と無造作にいいながら、ヴァイオリンを窓の外にほうりなげて、そのまま学校を退学してしまったのも彼女である。キリスト教婦人同盟の事業に奔走し、社会では男まさりのしっかり者という評判を取り、家内では趣味の高いそして意志の弱い良人を全く無視して振る舞ったその母の最も深い隠れた弱点を、拇指と食指との間にちゃんと押えて、一歩もひけを取らなかったのも彼女である。葉子の目にはすべての人が、ことに男が底の底まで見すかせるようだった。葉子はそれまで多くの男をかなり近くまで潜り込ませて置いて、もう一歩という所で突っ放した。恋の始めにはいつでも女性が祭り上げられていて、ある機会を絶頂に男性が突然女性を踏みにじるという事を直覚のように知っていた葉子は、どの男に対しても、自分との関係の絶頂がどこにあるかを見ぬいていて、そこに来かかると情け容赦もなくその男を振り捨ててしまった。そうして捨てられた多くの男は、葉子を恨むよりも自分たちの獣性を恥じるように見えた。そして彼らは等しく葉子を見誤っていた事を悔いるように見えた。なぜというと、彼らは一人として葉子に対して怨恨をいだいたり、憤怒をもらしたりするものはなかったから。そして少しひがんだ者たちは自分の愚を認めるよりも葉子を年不相当にませた女と見るほうが勝手だったから。
それは恋によろしい若葉の六月のある夕方だった。日本橋の釘店にある葉子の家には七八人の若い従軍記者がまだ戦塵の抜けきらないようなふうをして集まって来た。十九でいながら十七にも十六にも見れば見られるような華奢な可憐な姿をした葉子が、慎みの中にも才走った面影を見せて、二人の妹と共に給仕に立った。そしてしいられるままに、ケーベル博士からののしられたヴァイオリンの一手も奏でたりした。木部の全霊はただ一目でこの美しい才気のみなぎりあふれた葉子の容姿に吸い込まれてしまった。葉子も不思議にこの小柄な青年に興味を感じた。そして運命は不思議ないたずらをするものだ。木部はその性格ばかりでなく、容貌――骨細な、顔の造作の整った、天才風に蒼白いなめらかな皮膚の、よく見ると他の部分の繊麗な割合に下顎骨の発達した――までどこか葉子のそれに似ていたから、自意識の極度に強い葉子は、自分の姿を木部に見つけ出したように思って、一種の好奇心を挑発せられずにはいなかった。木部は燃えやすい心に葉子を焼くようにかきいだいて、葉子はまた才走った頭に木部の面影を軽く宿して、その一夜の饗宴はさりげなく終わりを告げた。
木部の記者としての評判は破天荒といってもよかった。いやしくも文学を解するものは木部を知らないものはなかった。人々は木部が成熟した思想をひっさげて世の中に出て来る時の華々しさをうわさし合った。ことに日清戦役という、その当時の日本にしては絶大な背景を背負っているので、この年少記者はある人々からは英雄の一人とさえして崇拝された。この木部がたびたび葉子の家を訪れるようになった。その感傷的な、同時にどこか大望に燃え立ったようなこの青年の活気は、家じゅうの人々の心を捕えないでは置かなかった。ことに葉子の母が前から木部を知っていて、非常に有為多望な青年だとほめそやしたり、公衆の前で自分の子とも弟ともつかぬ態度で木部をもてあつかったりするのを見ると、葉子は胸の中でせせら笑った。そして心を許して木部に好意を見せ始めた。木部の熱意が見る見る抑えがたく募り出したのはもちろんの事である。
かの六月の夜が過ぎてからほどもなく木部と葉子とは恋という言葉で見られねばならぬような間柄になっていた。こういう場合葉子がどれほど恋の場面を技巧化し芸術化するに巧みであったかはいうに及ばない。木部は寝ても起きても夢の中にあるように見えた。二十五というそのころまで、熱心な信者で、清教徒風の誇りを唯一の立場としていた木部がこの初恋においてどれほど真剣になっていたかは想像する事ができる。葉子は思いもかけず木部の火のような情熱に焼かれようとする自分を見いだす事がしばしばだった。
そのうちに二人の間柄はすぐ葉子の母に感づかれた。葉子に対してかねてからある事では一種の敵意を持ってさえいるように見えるその母が、この事件に対して嫉妬とも思われるほど厳重な故障を持ち出したのは、不思議でないというべき境を通り越していた。世故に慣れきって、落ち付き払った中年の婦人が、心の底の動揺に刺激されてたくらみ出すと見える残虐な譎計は、年若い二人の急所をそろそろとうかがいよって、腸も通れと突き刺してくる。それを払いかねて木部が命限りにもがくのを見ると、葉子の心に純粋な同情と、男に対する無条件的な捨て身な態度が生まれ始めた。葉子は自分で造り出した自分の穽にたわいもなく酔い始めた。葉子はこんな目もくらむような晴れ晴れしいものを見た事がなかった。女の本能が生まれて始めて芽をふき始めた。そして解剖刀のような日ごろの批判力は鉛のように鈍ってしまった。葉子の母が暴力では及ばないのを悟って、すかしつなだめつ、良人までを道具につかったり、木部の尊信する牧師を方便にしたりして、あらん限りの知力をしぼった懐柔策も、なんのかいもなく、冷静な思慮深い作戦計画を根気よく続ければ続けるほど、葉子は木部を後ろにかばいながら、健気にもか弱い女の手一つで戦った。そして木部の全身全霊を爪の先想いの果てまで自分のものにしなければ、死んでも死ねない様子が見えたので、母もとうとう我を折った。そして五か月の恐ろしい試練の後に、両親の立ち会わない小さな結婚の式が、秋のある午後、木部の下宿の一間で執り行なわれた。そして母に対する勝利の分捕り品として、木部は葉子一人のものとなった。
木部はすぐ葉山に小さな隠れ家のような家を見つけ出して、二人はむつまじくそこに移り住む事になった。葉子の恋はしかしながらそろそろと冷え始めるのに二週間以上を要しなかった。彼女は競争すべからぬ関係の競争者に対してみごとに勝利を得てしまった。日清戦争というものの光も太陽が西に沈むたびごとに減じて行った。それらはそれとしていちばん葉子を失望させたのは同棲後始めて男というものの裏を返して見た事だった。葉子を確実に占領したという意識に裏書きされた木部は、今までおくびにも葉子に見せなかった女々しい弱点を露骨に現わし始めた。後ろから見た木部は葉子には取り所のない平凡な気の弱い精力の足りない男に過ぎなかった。筆一本握る事もせずに朝から晩まで葉子に膠着し、感傷的なくせに恐ろしくわがままで、今日今日の生活にさえ事欠きながら、万事を葉子の肩になげかけてそれが当然な事でもあるような鈍感なお坊ちゃんじみた生活のしかたが葉子の鋭い神経をいらいらさせ出した。始めのうちは葉子もそれを木部の詩人らしい無邪気さからだと思ってみた。そしてせっせせっせと世話女房らしく切り回す事に興味をつないでみた。しかし心の底の恐ろしく物質的な葉子にどうしてこんな辛抱がいつまでも続こうぞ。結婚前までは葉子のほうから迫ってみたにも係わらず、崇高と見えるまでに極端な潔癖屋だった彼であったのに、思いもかけぬ貪婪な陋劣な情欲の持ち主で、しかもその欲求を貧弱な体質で表わそうとするのに出っくわすと、葉子は今まで自分でも気がつかずにいた自分を鏡で見せつけられたような不快を感ぜずにはいられなかった。夕食を済ますと葉子はいつでも不満と失望とでいらいらしながら夜を迎えねばならなかった。木部の葉子に対する愛着が募れば募るほど、葉子は一生が暗くなりまさるように思った。こうして死ぬために生まれて来たのではないはずだ。そう葉子はくさくさしながら思い始めた。その心持ちがまた木部に響いた。木部はだんだん監視の目をもって葉子の一挙一動を注意するようになって来た。同棲してから半か月もたたないうちに、木部はややもすると高圧的に葉子の自由を束縛するような態度を取るようになった。木部の愛情は骨にしみるほど知り抜きながら、鈍っていた葉子の批判力はまた磨きをかけられた。その鋭くなった批判力で見ると、自分と似よった姿なり性格なりを木部に見いだすという事は、自然が巧妙な皮肉をやっているようなものだった。自分もあんな事を想い、あんな事をいうのかと思うと、葉子の自尊心は思う存分に傷つけられた。
ほかの原因もある。しかしこれだけで充分だった。二人が一緒になってから二か月目に、葉子は突然失踪して、父の親友で、いわゆる物事のよくわかる高山という医者の病室に閉じこもらしてもらって、三日ばかりは食う物も食わずに、浅ましくも男のために目のくらんだ自分の不覚を泣き悔やんだ。木部が狂気のようになって、ようやく葉子の隠れ場所を見つけて会いに来た時は、葉子は冷静な態度でしらじらしく面会した。そして「あなたの将来のおためにきっとなりませんから」と何げなげにいってのけた。木部がその言葉に骨を刺すような諷刺を見いだしかねているのを見ると、葉子は白くそろった美しい歯を見せて声を出して笑った。
葉子と木部との間柄はこんなたわいもない場面を区切りにしてはかなくも破れてしまった。木部はあらんかぎりの手段を用いて、なだめたり、すかしたり、強迫までしてみたが、すべては全く無益だった。いったん木部から離れた葉子の心は、何者も触れた事のない処女のそれのようにさえ見えた。
それから普通の期間を過ぎて葉子は木部の子を分娩したが、もとよりその事を木部に知らせなかったばかりでなく、母にさえある他の男によって生んだ子だと告白した。実際葉子はその後、母にその告白を信じさすほどの生活をあえてしていたのだった。しかし母は目ざとくもその赤ん坊に木部の面影を探り出して、キリスト信徒にあるまじき悪意をこのあわれな赤ん坊に加えようとした。赤ん坊は女中部屋に運ばれたまま、祖母の膝には一度も乗らなかった。意地の弱い葉子の父だけは孫のかわいさからそっと赤ん坊を葉子の乳母の家に引き取るようにしてやった。そしてそのみじめな赤ん坊は乳母の手一つに育てられて定子という六歳の童女になった。
その後葉子の父は死んだ。母も死んだ。木部は葉子と別れてから、狂瀾のような生活に身を任せた。衆議院議員の候補に立ってもみたり、純文学に指を染めてもみたり、旅僧のような放浪生活も送ったり、妻を持ち子を成し、酒にふけり、雑誌の発行も企てた。そしてそのすべてに一々不満を感ずるばかりだった。そして葉子が久しぶりで汽車の中で出あった今は、妻子を里に返してしまって、ある由緒ある堂上華族の寄食者となって、これといってする仕事もなく、胸の中だけにはいろいろな空想を浮かべたり消したりして、とかく回想にふけりやすい日送りをしている時だった。
三
その木部の目は執念くもつきまつわった。しかし葉子はそっちを見向こうともしなかった。そして二等の切符でもかまわないからなぜ一等に乗らなかったのだろう。こういう事がきっとあると思ったからこそ、乗り込む時もそういおうとしたのだのに、気がきかないっちゃないと思うと、近ごろになく起きぬけからさえざえしていた気分が、沈みかけた秋の日のように陰ったりめいったりし出して、冷たい血がポンプにでもかけられたように脳のすきまというすきまをかたく閉ざした。たまらなくなって向かいの窓から景色でも見ようとすると、そこにはシェードがおろしてあって、例の四十三四の男が厚い口びるをゆるくあけたままで、ばかな顔をしながらまじまじと葉子を見やっていた。葉子はむっとしてその男の額から鼻にかけたあたりを、遠慮もなく発矢と目でむちうった。商人は、ほんとうにむちうたれた人が泣き出す前にするように、笑うような、はにかんだような、不思議な顔のゆがめかたをして、さすがに顔をそむけてしまった。その意気地のない様子がまた葉子の心をいらいらさせた。右に目を移せば三四人先に木部がいた。その鋭い小さな目は依然として葉子を見守っていた。葉子は震えを覚えるばかりに激昂した神経を両手に集めて、その両手を握り合わせて膝の上のハンケチの包みを押えながら、下駄の先をじっと見入ってしまった。今は車内の人が申し合わせて侮辱でもしているように葉子には思えた。古藤が隣座にいるのさえ、一種の苦痛だった。その瞑想的な無邪気な態度が、葉子の内部的経験や苦悶と少しも縁が続いていないで、二人の間には金輸際理解が成り立ち得ないと思うと、彼女は特別に毛色の変わった自分の境界に、そっとうかがい寄ろうとする探偵をこの青年に見いだすように思って、その五分刈りにした地蔵頭までが顧みるにも足りない木のくずかなんぞのように見えた。
やせた木部の小さな輝いた目は、依然として葉子を見つめていた。
なぜ木部はかほどまで自分を侮辱するのだろう。彼は今でも自分を女とあなどっている。ちっぽけな才力を今でも頼んでいる。女よりも浅ましい熱情を鼻にかけて、今でも自分の運命に差し出がましく立ち入ろうとしている。あの自信のない臆病な男に自分はさっき媚びを見せようとしたのだ。そして彼は自分がこれほどまで誇りを捨てて与えようとした特別の好意を眦を反して退けたのだ。
やせた木部の小さな目は依然として葉子を見つめていた。
この時突然けたたましい笑い声が、何か熱心に話し合っていた二人の中年の紳士の口から起こった。その笑い声と葉子となんの関係もない事は葉子にもわかりきっていた。しかし彼女はそれを聞くと、もう欲にも我慢がしきれなくなった。そして右の手を深々と帯の間にさし込んだまま立ち上がりざま、
「汽車に酔ったんでしょうかしらん、頭痛がするの」
と捨てるように古藤にいい残して、いきなり繰り戸をあけてデッキに出た。
だいぶ高くなった日の光がぱっと大森田圃に照り渡って、海が笑いながら光るのが、並み木の向こうに広すぎるくらい一どきに目にはいるので、軽い瞑眩をさえ覚えるほどだった。鉄の手欄にすがって振り向くと、古藤が続いて出て来たのを知った。その顔には心配そうな驚きの色が明らさまに現われていた。
「ひどく痛むんですか」
「ええかなりひどく」
と答えたがめんどうだと思って、
「いいからはいっていてください。おおげさに見えるといやですから……大丈夫あぶなかありませんとも……」
といい足した。古藤はしいてとめようとはしなかった。そして、
「それじゃはいっているがほんとうにあぶのうござんすよ……用があったら呼んでくださいよ」
とだけいって素直にはいって行った。
「Simpleton!」
葉子は心の中でこうつぶやくと、焼き捨てたように古藤の事なんぞは忘れてしまって、手欄に臂をついたまま放心して、晩夏の景色をつつむ引き締まった空気に顔をなぶらした。木部の事も思わない。緑や藍や黄色のほか、これといって輪郭のはっきりした自然の姿も目に映らない。ただ涼しい風がそよそよと鬢の毛をそよがして通るのを快いと思っていた。汽車は目まぐるしいほどの快速力で走っていた。葉子の心はただ渾沌と暗く固まった物のまわりを飽きる事もなく幾度も幾度も左から右に、右から左に回っていた。こうして葉子にとっては長い時間が過ぎ去ったと思われるころ、突然頭の中を引っかきまわすような激しい音を立てて、汽車は六郷川の鉄橋を渡り始めた。葉子は思わずぎょっとして夢からさめたように前を見ると、釣り橋の鉄材が蛛手になって上を下へと飛びはねるので、葉子は思わずデッキのパンネルに身を退いて、両袖で顔を抑えて物を念じるようにした。
そうやって気を静めようと目をつぶっているうちに、まつ毛を通し袖を通して木部の顔とことにその輝く小さな両眼とがまざまざと想像に浮かび上がって来た。葉子の神経は磁石に吸い寄せられた砂鉄のように、堅くこの一つの幻像の上に集注して、車内にあった時と同様な緊張した恐ろしい状態に返った。停車場に近づいた汽車はだんだんと歩度をゆるめていた。田圃のここかしこに、俗悪な色で塗り立てた大きな広告看板が連ねて建ててあった。葉子は袖を顔から放して、気持ちの悪い幻像を払いのけるように、一つ一つその看板を見迎え見送っていた。所々に火が燃えるようにその看板は目に映って木部の姿はまたおぼろになって行った。その看板の一つに、長い黒髪を下げた姫が経巻を持っているのがあった。その胸に書かれた「中将湯」という文字を、何げなしに一字ずつ読み下すと、彼女は突然私生児の定子の事を思い出した。そしてその父なる木部の姿は、かかる乱雑な連想の中心となって、またまざまざと焼きつくように現われ出た。
その現われ出た木部の顔を、いわば心の中の目で見つめているうちに、だんだんとその鼻の下から髭が消えうせて行って、輝くひとみの色は優しい肉感的な温かみを持ち出して来た。汽車は徐々に進行をゆるめていた。やや荒れ始めた三十男の皮膚の光沢は、神経的な青年の蒼白い膚の色となって、黒く光った軟らかい頭の毛がきわ立って白い額をなでている。それさえがはっきり見え始めた。列車はすでに川崎停車場のプラットフォームにはいって来た。葉子の頭の中では、汽車が止まりきる前に仕事をし遂さねばならぬというふうに、今見たばかりの木部の姿がどんどん若やいで行った。そして列車が動かなくなった時、葉子はその人のかたわらにでもいるように恍惚とした顔つきで、思わず知らず左手を上げて――小指をやさしく折り曲げて――軟らかい鬢の後れ毛をかき上げていた。これは葉子が人の注意をひこうとする時にはいつでもする姿態である。
この時、繰り戸がけたたましくあいたと思うと、中から二三人の乗客がどやどやと現われ出て来た。
しかもその最後から、涼しい色合いのインバネスを羽織った木部が続くのを感づいて、葉子の心臓は思わずはっと処女の血を盛ったようにときめいた。木部が葉子の前まで来てすれすれにそのそばを通り抜けようとした時、二人の目はもう一度しみじみと出あった。木部の目は好意を込めた微笑にひたされて、葉子の出ようによっては、すぐにも物をいい出しそうに口びるさえ震えていた。葉子も今まで続けていた回想の惰力に引かされて、思わずほほえみかけたのであったが、その瞬間燕返しに、見も知りもせぬ路傍の人に与えるような、冷刻な驕慢な光をそのひとみから射出したので、木部の微笑は哀れにも枝を離れた枯れ葉のように、二人の間をむなしくひらめいて消えてしまった。葉子は木部のあわてかたを見ると、車内で彼から受けた侮辱にかなり小気味よく酬い得たという誇りを感じて、胸の中がややすがすがしくなった。木部はやせたその右肩を癖のように怒らしながら、急ぎ足に濶歩して改札口の所に近づいたが、切符を懐中から出すために立ち止まった時、深い悲しみの色を眉の間にみなぎらしながら、振り返ってじっと葉子の横顔に目を注いだ。葉子はそれを知りながらもとより侮蔑の一瞥をも与えなかった。
木部が改札口を出て姿が隠れようとした時、今度は葉子の目がじっとその後ろ姿を逐いかけた。木部が見えなくなった後も、葉子の視線はそこを離れようとはしなかった。そしてその目にはさびしく涙がたまっていた。
「また会う事があるだろうか」
葉子はそぞろに不思議な悲哀を覚えながら心の中でそういっていたのだった。
四
列車が川崎駅を発すると、葉子はまた手欄によりかかりながら木部の事をいろいろと思いめぐらした。やや色づいた田圃の先に松並み木が見えて、その間から低く海の光る、平凡な五十三次風な景色が、電柱で句読を打ちながら、空洞のような葉子の目の前で閉じたり開いたりした。赤とんぼも飛びかわす時節で、その群れが、燧石から打ち出される火花のように、赤い印象を目の底に残して乱れあった。いつ見ても新開地じみて見える神奈川を過ぎて、汽車が横浜の停車場に近づいたころには、八時を過ぎた太陽の光が、紅葉坂の桜並み木を黄色く見せるほどに暑く照らしていた。
煤煙でまっ黒にすすけた煉瓦壁の陰に汽車が停まると、中からいちばん先に出て来たのは、右手にかのオリーヴ色の包み物を持った古藤だった。葉子はパラソルを杖に弱々しくデッキを降りて、古藤に助けられながら改札口を出たが、ゆるゆる歩いている間に乗客は先を越してしまって、二人はいちばんあとになっていた。客を取りおくれた十四五人の停車場づきの車夫が、待合部屋の前にかたまりながら、やつれて見える葉子に目をつけて何かとうわさし合うのが二人の耳にもはいった。「むすめ」「らしゃめん」というような言葉さえそのはしたない言葉の中には交じっていた。開港場のがさつな卑しい調子は、すぐ葉子の神経にびりびりと感じて来た。
何しろ葉子は早く落ち付く所を見つけ出したかった。古藤は停車場の前方の川添いにある休憩所まで走って行って見たが、帰って来るとぶりぶりして、駅夫あがりらしい茶店の主人は古藤の書生っぽ姿をいかにもばかにしたような断わりかたをしたといった。二人はしかたなくうるさく付きまつわる車夫を追い払いながら、潮の香の漂った濁った小さな運河を渡って、ある狭いきたない町の中ほどにある一軒の小さな旅人宿にはいって行った。横浜という所には似もつかぬような古風な外構えで、美濃紙のくすぶり返った置き行燈には太い筆つきで相模屋と書いてあった。葉子はなんとなくその行燈に興味をひかれてしまっていた。いたずら好きなその心は、嘉永ごろの浦賀にでもあればありそうなこの旅籠屋に足を休めるのを恐ろしくおもしろく思った。店にしゃがんで、番頭と何か話しているあばずれたような女中までが目にとまった。そして葉子が体よく物を言おうとしていると、古藤がいきなり取りかまわない調子で、
「どこか静かな部屋に案内してください」
と無愛想に先を越してしまった。
「へいへい、どうぞこちらへ」
女中は二人をまじまじと見やりながら、客の前もかまわず、番頭と目を見合わせて、さげすんだらしい笑いをもらして案内に立った。
ぎしぎしと板ぎしみのするまっ黒な狭い階子段を上がって、西に突き当たった六畳ほどの狭い部屋に案内して、突っ立ったままで荒っぽく二人を不思議そうに女中は見比べるのだった。油じみた襟元を思い出させるような、西に出窓のある薄ぎたない部屋の中を女中をひっくるめてにらみ回しながら古藤は、
「外部よりひどい……どこか他所にしましょうか」
と葉子を見返った。葉子はそれには耳もかさずに、思慮深い貴女のような物腰で女中のほうに向いていった。
「隣室も明いていますか……そう。夜まではどこも明いている……そう。お前さんがここの世話をしておいで?……なら余の部屋もついでに見せておもらいしましょうかしらん」
女中はもう葉子には軽蔑の色は見せなかった。そして心得顔に次の部屋との間の襖をあける間に、葉子は手早く大きな銀貨を紙に包んで、
「少しかげんが悪いし、またいろいろお世話になるだろうから」
といいながら、それを女中に渡した。そしてずっと並んだ五つの部屋を一つ一つ見て回って、掛け軸、花びん、団扇さし、小屏風、机というようなものを、自分の好みに任せてあてがわれた部屋のとすっかり取りかえて、すみからすみまできれいに掃除をさせた。そして古藤を正座に据えて小ざっぱりした座ぶとんにすわると、にっこりほほえみながら、
「これなら半日ぐらい我慢ができましょう」
といった。
「僕はどんな所でも平気なんですがね」
古藤はこう答えて、葉子の微笑を追いながら安心したらしく、
「気分はもうなおりましたね」
と付け加えた。
「えゝ」
と葉子は何げなく微笑を続けようとしたが、その瞬間につと思い返して眉をひそめた。葉子には仮病を続ける必要があったのをつい忘れようとしたのだった。それで、
「ですけれどもまだこんななんですの。こら動悸が」
といいながら、地味な風通の単衣物の中にかくれたはなやかな襦袢の袖をひらめかして、右手を力なげに前に出した。そしてそれと同時に呼吸をぐっとつめて、心臓と覚しいあたりにはげしく力をこめた。古藤はすき通るように白い手くびをしばらくなで回していたが、脈所に探りあてると急に驚いて目を見張った。
「どうしたんです、え、ひどく不規則じゃありませんか……痛むのは頭ばかりですか」
「いゝえ、お腹も痛みはじめたんですの」
「どんなふうに」
「ぎゅっと錐ででももむように……よくこれがあるんで困ってしまうんですのよ」
古藤は静かに葉子の手を離して、大きな目で深々と葉子をみつめた。
「医者を呼ばなくっても我慢ができますか」
葉子は苦しげにほほえんで見せた。
「あなただったらきっとできないでしょうよ。……慣れっこですからこらえて見ますわ。その代わりあなた永田さん……永田さん、ね、郵船会社の支店長の……あすこに行って船の切符の事を相談して来ていただけないでしょうか。御迷惑ですわね。それでもそんな事までお願いしちゃあ……ようござんす、わたし、車でそろそろ行きますから」
古藤は、女というものはこれほどの健康の変調をよくもこうまで我慢をするものだというような顔をして、もちろん自分が行ってみるといい張った。
実はその日、葉子は身のまわりの小道具や化粧品を調えかたがた、米国行きの船の切符を買うために古藤を連れてここに来たのだった。葉子はそのころすでに米国にいるある若い学士と許嫁の間柄になっていた。新橋で車夫が若奥様と呼んだのも、この事が出入りのものの間に公然と知れわたっていたからの事だった。
それは葉子が私生子を設けてからしばらく後の事だった。ある冬の夜、葉子の母の親佐が何かの用でその良人の書斎に行こうと階子段をのぼりかけると、上から小間使いがまっしぐらに駆けおりて来て、危うく親佐にぶっ突かろうとしてそのそばをすりぬけながら、何か意味のわからない事を早口にいって走り去った。その島田髷や帯の乱れた後ろ姿が、嘲弄の言葉のように目を打つと、親佐は口びるをかみしめたが、足音だけはしとやかに階子段を上がって、いつもに似ず書斎の戸の前に立ち止まって、しわぶきを一つして、それから規則正しく間をおいて三度戸をノックした。
こういう事があってから五日とたたぬうちに、葉子の家庭すなわち早月家は砂の上の塔のようにもろくもくずれてしまった。親佐はことに冷静な底気味わるい態度で夫婦の別居を主張した。そして日ごろの柔和に似ず、傷ついた牡牛のように元どおりの生活を回復しようとひしめく良人や、中にはいっていろいろ言いなそうとした親類たちの言葉を、きっぱりとしりぞけてしまって、良人を釘店のだだっ広い住宅にたった一人残したまま、葉子ともに三人の娘を連れて、親佐は仙台に立ちのいてしまった。木部の友人たちが葉子の不人情を怒って、木部のとめるのもきかずに、社会から葬ってしまえとひしめいているのを葉子は聞き知っていたから、ふだんならば一も二もなく父をかばって母に楯をつくべきところを、素直に母のするとおりになって、葉子は母と共に仙台に埋もれに行った。母は母で、自分の家庭から葉子のような娘の出た事を、できるだけ世間に知られまいとした。女子教育とか、家庭の薫陶とかいう事をおりあるごとに口にしていた親佐は、その言葉に対して虚偽という利子を払わねばならなかった。一方をもみ消すためには一方にどんと火の手をあげる必要がある。早月母子が東京を去るとまもなく、ある新聞は早月ドクトルの女性に関するふしだらを書き立てて、それにつけての親佐の苦心と貞操とを吹聴したついでに、親佐が東京を去るようになったのは、熱烈な信仰から来る義憤と、愛児を父の悪感化から救おうとする母らしい努力に基づくものだ。そのために彼女はキリスト教婦人同盟の副会長という顕要な位置さえ投げすてたのだと書き添えた。
仙台における早月親佐はしばらくの間は深く沈黙を守っていたが、見る見る周囲に人を集めて華々しく活動をし始めた。その客間は若い信者や、慈善家や、芸術家たちのサロンとなって、そこからリバイバルや、慈善市や、音楽会というようなものが形を取って生まれ出た。ことに親佐が仙台支部長として働き出したキリスト教婦人同盟の運動は、その当時野火のような勢いで全国に広がり始めた赤十字社の勢力にもおさおさ劣らない程の盛況を呈した。知事令夫人も、名だたる素封家の奥さんたちもその集会には列席した。そして三か年の月日は早月親佐を仙台には無くてはならぬ名物の一つにしてしまった。性質が母親とどこか似すぎているためか、似たように見えて一調子違っているためか、それとも自分を慎むためであったか、はたの人にはわからなかったが、とにかく葉子はそんなはなやかな雰囲気に包まれながら、不思議なほど沈黙を守って、ろくろく晴れの座などには姿を現わさないでいた。それにもかかわらず親佐の客間に吸い寄せられる若い人々の多数は葉子に吸い寄せられているのだった。葉子の控え目なしおらしい様子がいやが上にも人のうわさを引く種となって、葉子という名は、多才で、情緒の細やかな、美しい薄命児をだれにでも思い起こさせた。彼女の立ちすぐれた眉目形は花柳の人たちさえうらやましがらせた。そしていろいろな風聞が、清教徒風に質素な早月の佗住居の周囲を霞のように取り巻き始めた。
突然小さな仙台市は雷にでも打たれたようにある朝の新聞記事に注意を向けた。それはその新聞の商売がたきである或る新聞の社主であり主筆である某が、親佐と葉子との二人に同時に慇懃を通じているという、全紙にわたった不倫きわまる記事だった。だれも意外なような顔をしながら心の中ではそれを信じようとした。
この日髪の毛の濃い、口の大きい、色白な一人の青年を乗せた人力車が、仙台の町中を忙しく駆け回ったのを注意した人はおそらくなかったろうが、その青年は名を木村といって、日ごろから快活な活動好きな人として知られた男で、その熱心な奔走の結果、翌日の新聞紙の広告欄には、二段抜きで、知事令夫人以下十四五名の貴婦人の連名で早月親佐の冤罪が雪がれる事になった。この稀有の大げさな広告がまた小さな仙台の市中をどよめき渡らした。しかし木村の熱心も口弁も葉子の名を広告の中に入れる事はできなかった。
こんな騒ぎが持ち上がってから早月親佐の仙台における今までの声望は急に無くなってしまった。そのころちょうど東京に居残っていた早月が病気にかかって薬に親しむ身となったので、それをしおに親佐は子供を連れて仙台を切り上げる事になった。
木村はその後すぐ早月母子を追って東京に出て来た。そして毎日入りびたるように早月家に出入りして、ことに親佐の気に入るようになった。親佐が病気になって危篤に陥った時、木村は一生の願いとして葉子との結婚を申し出た。親佐はやはり母だった。死期を前に控えて、いちばん気にせずにいられないものは、葉子の将来だった。木村ならばあのわがままな、男を男とも思わぬ葉子に仕えるようにして行く事ができると思った。そしてキリスト教婦人同盟の会長をしている五十川女史に後事を託して死んだ。この五十川女史のまあまあというような不思議なあいまいな切り盛りで、木村は、どこか不確実ではあるが、ともかく葉子を妻としうる保障を握ったのだった。
五
郵船会社の永田は夕方でなければ会社から退けまいというので、葉子は宿屋に西洋物店のものを呼んで、必要な買い物をする事になった。古藤はそんならそこらをほッつき歩いて来るといって、例の麦稈帽子を帽子掛けから取って立ち上がった。葉子は思い出したように肩越しに振り返って、
「あなたさっきパラソルは骨が五本のがいいとおっしゃってね」
といった。古藤は冷淡な調子で、
「そういったようでしたね」
と答えながら、何か他の事でも考えているらしかった。
「まあそんなにとぼけて……なぜ五本のがお好き?」
「僕が好きというんじゃないけれども、あなたはなんでも人と違ったものが好きなんだと思ったんですよ」
「どこまでも人をおからかいなさる……ひどい事……行っていらっしゃいまし」
と情を迎えるようにいって向き直ってしまった。古藤が縁側に出るとまた突然呼びとめた。障子にはっきり立ち姿をうつしたまま、
「なんです」
といって古藤は立ち戻る様子がなかった。葉子はいたずら者らしい笑いを口のあたりに浮かべていた。
「あなたは木村と学校が同じでいらしったのね」
「そうですよ、級は木村の……木村君のほうが二つも上でしたがね」
「あなたはあの人をどうお思いになって」
まるで少女のような無邪気な調子だった。古藤はほほえんだらしい語気で、
「そんな事はもうあなたのほうがくわしいはずじゃありませんか……心のいい活動家ですよ」
「あなたは?」
葉子はぽんと高飛車に出た。そしてにやりとしながらがっくりと顔を上向きにはねて、床の間の一蝶のひどい偽い物を見やっていた。古藤がとっさの返事に窮して、少しむっとした様子で答え渋っているのを見て取ると、葉子は今度は声の調子を落として、いかにもたよりないというふうに、
「日盛りは暑いからどこぞでお休みなさいましね。……なるたけ早く帰って来てくださいまし。もしかして、病気でも悪くなると、こんな所で心細うござんすから……よくって」
古藤は何か平凡な返事をして、縁板を踏みならしながら出て行ってしまった。
朝のうちだけからっと破ったように晴れ渡っていた空は、午後から曇り始めて、まっ白な雲が太陽の面をなでて通るたびごとに暑気は薄れて、空いちめんが灰色にかき曇るころには、膚寒く思うほどに初秋の気候は激変していた。時雨らしく照ったり降ったりしていた雨の脚も、やがてじめじめと降り続いて、煮しめたようなきたない部屋の中は、ことさら湿りが強く来るように思えた。葉子は居留地のほうにある外国人相手の洋服屋や小間物屋などを呼び寄せて、思いきったぜいたくな買い物をした。買い物をして見ると葉子は自分の財布のすぐ貧しくなって行くのを怖れないではいられなかった。葉子の父は日本橋ではひとかどの門戸を張った医師で、収入も相当にはあったけれども、理財の道に全く暗いのと、妻の親佐が婦人同盟の事業にばかり奔走していて、その並み並みならぬ才能を、少しも家の事に用いなかったため、その死後には借金こそ残れ、遺産といってはあわれなほどしかなかった。葉子は二人の妹をかかえながらこの苦しい境遇を切り抜けて来た。それは葉子であればこそし遂せて来たようなものだった。だれにも貧乏らしいけしきは露ほども見せないでいながら、葉子は始終貨幣一枚一枚の重さを計って支払いするような注意をしていた。それだのに目の前に異国情調の豊かな贅沢品を見ると、彼女の貪欲は甘いものを見た子供のようになって、前後も忘れて懐中にありったけの買い物をしてしまったのだ。使いをやって正金銀行で換えた金貨は今鋳出されたような光を放って懐中の底にころがっていたが、それをどうする事もできなかった。葉子の心は急に暗くなった。戸外の天気もその心持ちに合槌を打つように見えた。古藤はうまく永田から切符をもらう事ができるだろうか。葉子自身が行き得ないほど葉子に対して反感を持っている永田が、あの単純なタクトのない古藤をどんなふうに扱ったろう。永田の口から古藤はいろいろな葉子の過去を聞かされはしなかったろうか。そんな事を思うと葉子は悒鬱が生み出す反抗的な気分になって、湯をわかさせて入浴し、寝床をしかせ、最上等の三鞭酒を取りよせて、したたかそれを飲むと前後も知らず眠ってしまった。
夜になったら泊まり客があるかもしれないと女中のいった五つの部屋はやはり空のままで、日がとっぷりと暮れてしまった。女中がランプを持って来た物音に葉子はようやく目をさまして、仰向いたまま、すすけた天井に描かれたランプの丸い光輪をぼんやりとながめていた。
その時じたッじたッとぬれた足で階子段をのぼって来る古藤の足音が聞こえた。古藤は何かに腹を立てているらしい足どりでずかずかと縁側を伝って来たが、ふと立ち止まると大きな声で帳場のほうにどなった。
「早く雨戸をしめないか……病人がいるんじゃないか。……」
「この寒いのになんだってあなたも言いつけないんです」
今度はこう葉子にいいながら、建て付けの悪い障子をあけていきなり中にはいろうとしたが、その瞬間にはっと驚いたような顔をして立ちすくんでしまった。
香水や、化粧品や、酒の香をごっちゃにした暖かいいきれがいきなり古藤に迫ったらしかった。ランプがほの暗いので、部屋のすみずみまでは見えないが、光の照り渡る限りは、雑多に置きならべられたなまめかしい女の服地や、帽子や、造花や、鳥の羽根や、小道具などで、足の踏みたて場もないまでになっていた。その一方に床の間を背にして、郡内のふとんの上に掻巻をわきの下から羽織った、今起きかえったばかりの葉子が、はでな長襦袢一つで東ヨーロッパの嬪宮の人のように、片臂をついたまま横になっていた。そして入浴と酒とでほんのりほてった顔を仰向けて、大きな目を夢のように見開いてじっと古藤を見た。その枕もとには三鞭酒のびんが本式に氷の中につけてあって、飲みさしのコップや、華奢な紙入れや、かのオリーヴ色の包み物を、しごきの赤が火の蛇のように取り巻いて、その端が指輪の二つはまった大理石のような葉子の手にもてあそばれていた。
「お遅うござんした事。お待たされなすったんでしょう。……さ、おはいりなさいまし。そんなもの足ででもどけてちょうだい、散らかしちまって」
この音楽のようなすべすべした調子の声を聞くと、古藤は始めて illusion から目ざめたふうではいって来た。葉子は左手を二の腕がのぞき出るまでずっと延ばして、そこにあるものを一払いに払いのけると、花壇の土を掘り起こしたようにきたない畳が半畳ばかり現われ出た。古藤は自分の帽子を部屋のすみにぶちなげて置いて、払い残された細形の金鎖を片づけると、どっかとあぐらをかいて正面から葉子を見すえながら、
「行って来ました。船の切符もたしかに受け取って来ました」
といってふところの中を探りにかかった。葉子はちょっと改まって、
「ほんとにありがとうございました」
と頭を下げたが、たちまち roughish な目つきをして、
「まあそんな事はいずれあとで、ね、……何しろお寒かったでしょう、さ」
といいながら飲み残りの酒を盆の上に無造作に捨てて、二三度左手をふってしずくを切ってから、コップを古藤にさしつけた。古藤の目は何かに激昂しているように輝いていた。
「僕は飲みません」
「おやなぜ」
「飲みたくないから飲まないんです」
この角ばった返答は男を手もなくあやし慣れている葉子にも意外だった。それでそのあとの言葉をどう継ごうかと、ちょっとためらって古藤の顔を見やっていると、古藤はたたみかけて口をきった。
「永田ってのはあれはあなたの知人ですか。思いきって尊大な人間ですね。君のような人間から金を受け取る理由はないが、とにかくあずかって置いて、いずれ直接あなたに手紙でいってあげるから、早く帰れっていうんです、頭から。失敬なやつだ」
葉子はこの言葉に乗じて気まずい心持ちを変えようと思った。そしてまっしぐらに何かいい出そうとすると、古藤はおっかぶせるように言葉を続けて、
「あなたはいったいまだ腹が痛むんですか」
ときっぱりいって堅くすわり直した。しかしその時に葉子の陣立てはすでにでき上がっていた。初めのほほえみをそのままに、
「えゝ、少しはよくなりましてよ」
といった。古藤は短兵急に、
「それにしてもなかなか元気ですね」
とたたみかけた。
「それはお薬にこれを少しいただいたからでしょうよ」
と三鞭酒を指さした。
正面からはね返された古藤は黙ってしまった。しかし葉子も勢いに乗って追い迫るような事はしなかった。矢頃を計ってから語気をかえてずっと下手になって、
「妙にお思いになったでしょうね。わるうございましてね。こんな所に来ていて、お酒なんか飲むのはほんとうに悪いと思ったんですけれども、気分がふさいで来ると、わたしにはこれよりほかにお薬はないんですもの。さっきのように苦しくなって来ると私はいつでも湯を熱めにして浴ってから、お酒を飲み過ぎるくらい飲んで寝るんですの。そうすると」
といって、ちょっといいよどんで見せて、
「十分か二十分ぐっすり寝入るんですのよ……痛みも何も忘れてしまっていい心持ちに……。それから急に頭がかっと痛んで来ますの。そしてそれと一緒に気がめいり出して、もうもうどうしていいかわからなくなって、子供のように泣きつづけると、そのうちにまた眠たくなって一寝入りしますのよ。そうするとそのあとはいくらかさっぱりするんです。……父や母が死んでしまってから、頼みもしないのに親類たちからよけいな世話をやかれたり、他人力なんぞをあてにせずに妹二人を育てて行かなければならないと思ったりすると、わたしのような、他人様と違って風変わりな、……そら、五本の骨でしょう」
とさびしく笑った。
「それですものどうぞ堪忍してちょうだい。思いきり泣きたい時でも知らん顔をして笑って通していると、こんなわたしみたいな気まぐれ者になるんです。気まぐれでもしなければ生きて行けなくなるんです。男のかたにはこの心持ちはおわかりにはならないかもしれないけれども」
こういってるうちに葉子は、ふと木部との恋がはかなく破れた時の、われにもなく身にしみ渡るさびしみや、死ぬまで日陰者であらねばならぬ私生子の定子の事や、計らずもきょうまのあたり見た木部の、心からやつれた面影などを思い起こした。そしてさらに、母の死んだ夜、日ごろは見向きもしなかった親類たちが寄り集まって来て、早月家には毛の末ほども同情のない心で、早月家の善後策について、さも重大らしく勝手気ままな事を親切ごかしにしゃべり散らすのを聞かされた時、どうにでもなれという気になって、暴れ抜いた事が、自分にさえ悲しい思い出となって、葉子の頭の中を矢のように早くひらめき通った。葉子の顔には人に譲ってはいない自信の色が現われ始めた。
「母の初七日の時もね、わたしはたて続けにビールを何杯飲みましたろう。なんでもびんがそこいらにごろごろころがりました。そしてしまいには何がなんだか夢中になって、宅に出入りするお医者さんの膝を枕に、泣き寝入りに寝入って、夜中をあなた二時間の余も寝続けてしまいましたわ。親類の人たちはそれを見ると一人帰り二人帰りして、相談も何もめちゃくちゃになったんですって。母の写真を前に置いといて、わたしはそんな事までする人間ですの。おあきれになったでしょうね。いやなやつでしょう。あなたのような方から御覧になったら、さぞいやな気がなさいましょうねえ」
「えゝ」
と古藤は目も動かさずにぶっきらぼうに答えた。
「それでもあなた」
と葉子は切なさそうに半ば起き上がって、
「外面だけで人のする事をなんとかおっしゃるのは少し残酷ですわ。……いゝえね」
と古藤の何かいい出そうとするのをさえぎって、今度はきっとすわり直った。
「わたしは泣き言をいって他人様にも泣いていただこうなんて、そんな事はこれんばかりも思やしませんとも……なるならどこかに大砲のような大きな力の強い人がいて、その人が真剣に怒って、葉子のような人非人はこうしてやるぞといって、わたしを押えつけて心臓でも頭でもくだけて飛んでしまうほど折檻をしてくれたらと思うんですの。どの人もどの人もちゃんと自分を忘れないで、いいかげんに怒ったり、いいかげんに泣いたりしているんですからねえ。なんだってこう生温いんでしょう。
義一さん(葉子が古藤をこう名で呼んだのはこの時が始めてだった)あなたがけさ、心の正直ななんとかだとおっしゃった木村に縁づくようになったのも、その晩の事です。五十川が親類じゅうに賛成さして、晴れがましくもわたしをみんなの前に引き出しておいて、罪人にでもいうように宣告してしまったのです。わたしが一口でもいおうとすれば、五十川のいうには母の遺言ですって。死人に口なし。ほんとに木村はあなたがおっしゃったような人間ね。仙台であんな事があったでしょう。あの時知事の奥さんはじめ母のほうはなんとかしようが娘のほうは保証ができないとおっしゃったんですとさ」
いい知らぬ侮蔑の色が葉子の顔にみなぎった。
「ところが木村は自分の考えを押し通しもしないで、おめおめと新聞には母だけの名を出してあの広告をしたんですの。
母だけがいい人になればだれだってわたしを……そうでしょう。そのあげくに木村はしゃあしゃあとわたしを妻にしたいんですって、義一さん、男ってそれでいいものなんですか。まあね物の譬えがですわ。それとも言葉ではなんといってもむだだから、実行的にわたしの潔白を立ててやろうとでもいうんでしょうか」
そういって激昂しきった葉子はかみ捨てるようにかん高くほゝと笑った。
「いったいわたしはちょっとした事で好ききらいのできる悪い質なんですからね。といってわたしはあなたのような生一本でもありませんのよ。
母の遺言だから木村と夫婦になれ。早く身を堅めて地道に暮らさなければ母の名誉をけがす事になる。妹だって裸でお嫁入りもできまいといわれれば、わたし立派に木村の妻になって御覧にいれます。その代わり木村が少しつらいだけ。
こんな事をあなたの前でいってはさぞ気を悪くなさるでしょうが、真直なあなただと思いますから、わたしもその気で何もかも打ち明けて申してしまいますのよ。わたしの性質や境遇はよく御存じですわね。こんな性質でこんな境遇にいるわたしがこう考えるのにもし間違いがあったら、どうか遠慮なくおっしゃってください。
あゝいやだった事。義一さん、わたしこんな事はおくびにも出さずに今の今までしっかり胸にしまって我慢していたのですけれども、きょうはどうしたんでしょう、なんだか遠い旅にでも出たようなさびしい気になってしまって……」
弓弦を切って放したように言葉を消して葉子はうつむいてしまった。日はいつのまにかとっぷりと暮れていた。じめじめと降り続く秋雨に湿った夜風が細々と通って来て、湿気でたるんだ障子紙をそっとあおって通った。古藤は葉子の顔を見るのを避けるように、そこらに散らばった服地や帽子などをながめ回して、なんと返答をしていいのか、いうべき事は腹にあるけれども言葉には現わせないふうだった。部屋は息気苦しいほどしんとなった。
葉子は自分の言葉から、その時のありさまから、妙にやる瀬ないさびしい気分になっていた。強い男の手で思い存分両肩でも抱きすくめてほしいようなたよりなさを感じた。そして横腹に深々と手をやって、さし込む痛みをこらえるらしい姿をしていた。古藤はややしばらくしてから何か決心したらしくまともに葉子を見ようとしたが、葉子の切なさそうな哀れな様子を見ると、驚いた顔つきをしてわれ知らず葉子のほうにいざり寄った。葉子はすかさず豹のようになめらかに身を起こしていち早くもしっかり古藤のさし出す手を握っていた。そして、
「義一さん」
と震えを帯びていった声は存分に涙にぬれているように響いた。古藤は声をわななかして、
「木村はそんな人間じゃありませんよ」
とだけいって黙ってしまった。
だめだったと葉子はその途端に思った。葉子の心持ちと古藤の心持ちとはちぐはぐになっているのだ。なんという響きの悪い心だろうと葉子はそれをさげすんだ。しかし様子にはそんな心持ちは少しも見せないで、頭から肩へかけてのなよやかな線を風の前のてっせんの蔓のように震わせながら、二三度深々とうなずいて見せた。
しばらくしてから葉子は顔を上げたが、涙は少しも目にたまってはいなかった。そしていとしい弟でもいたわるようにふとんから立ち上がりざま、
「すみませんでした事、義一さん、あなた御飯はまだでしたのね」
といいながら、腹の痛むのをこらえるような姿で古藤の前を通りぬけた。湯でほんのりと赤らんだ素足に古藤の目が鋭くちらっと宿ったのを感じながら、障子を細目にあけて手をならした。
葉子はその晩不思議に悪魔じみた誘惑を古藤に感じた。童貞で無経験で恋の戯れにはなんのおもしろみもなさそうな古藤、木村に対してといわず、友だちに対して堅苦しい義務観念の強い古藤、そういう男に対して葉子は今までなんの興味をも感じなかったばかりか、働きのない没情漢と見限って、口先ばかりで人間並みのあしらいをしていたのだ。しかしその晩葉子はこの少年のような心を持って肉の熟した古藤に罪を犯させて見たくってたまらなくなった。一夜のうちに木村とは顔も合わせる事のできない人間にして見たくってたまらなくなった。古藤の童貞を破る手を他の女に任せるのがねたましくてたまらなくなった。幾枚も皮をかぶった古藤の心のどん底に隠れている欲念を葉子の蠱惑力で掘り起こして見たくってたまらなくなった。
気取られない範囲で葉子があらん限りの謎を与えたにもかかわらず、古藤が堅くなってしまってそれに応ずるけしきのないのを見ると葉子はますますいらだった。そしてその晩は腹が痛んでどうしても東京に帰れないから、いやでも横浜に宿ってくれといい出した。しかし古藤は頑としてきかなかった。そして自分で出かけて行って、品もあろう事かまっ赤な毛布を一枚買って帰って来た。葉子はとうとう我を折って最終列車で東京に帰る事にした。
一等の客車には二人のほかに乗客はなかった。葉子はふとした出来心から古藤をおとしいれようとした目論見に失敗して、自分の征服力に対するかすかな失望と、存分の不快とを感じていた。客車の中ではまたいろいろと話そうといって置きながら、汽車が動き出すとすぐ、古藤の膝のそばで毛布にくるまったまま新橋まで寝通してしまった。
新橋に着いてから古藤が船の切符を葉子に渡して人力車を二台傭って、その一つに乗ると、葉子はそれにかけよって懐中から取り出した紙入れを古藤の膝にほうり出して、左の鬢をやさしくかき上げながら、
「きょうのお立て替えをどうぞその中から……あすはきっといらしってくださいましね……お待ち申しますことよ……さようなら」
といって自分ももう一つの車に乗った。葉子の紙入れの中には正金銀行から受け取った五十円金貨八枚がはいっている。そして葉子は古藤がそれをくずして立て替えを取る気づかいのないのを承知していた。
六
葉子が米国に出発する九月二十五日はあすに迫った。二百二十日の荒れそこねたその年の天気は、いつまでたっても定まらないで、気違い日和ともいうべき照り降りの乱雑な空あいが続き通していた。
葉子はその朝暗いうちに床を離れて、蔵の陰になつた自分の小部屋にはいって、前々から片づけかけていた衣類の始末をし始めた。模様や縞の派手なのは片端からほどいて丸めて、次の妹の愛子にやるようにと片すみに重ねたが、その中には十三になる末の妹の貞世に着せても似合わしそうな大柄なものもあった。葉子は手早くそれをえり分けて見た。そして今度は船に持ち込む四季の晴れ着を、床の間の前にあるまっ黒に古ぼけたトランクの所まで持って行って、ふたをあけようとしたが、ふとそのふたのまん中に書いてあるY・Kという白文字を見て忙しく手を控えた。これはきのう古藤が油絵の具と画筆とを持って来て書いてくれたので、かわききらないテレビンの香がまだかすかに残っていた。古藤は、葉子・早月の頭文字Y・Sと書いてくれと折り入って葉子の頼んだのを笑いながら退けて、葉子・木村の頭文字Y・Kと書く前に、S・Kとある字をナイフの先で丁寧に削ったのだった。S・Kとは木村貞一のイニシャルで、そのトランクは木村の父が欧米を漫遊した時使ったものなのだ。その古い色を見ると、木村の父の太っ腹な鋭い性格と、波瀾の多い生涯の極印がすわっているように見えた。木村はそれを葉子の用にと残して行ったのだった。木村の面影はふと葉子の頭の中を抜けて通った。空想で木村を描く事は、木村と顔を見合わす時ほどの厭わしい思いを葉子に起こさせなかった。黒い髪の毛をぴったりときれいに分けて、怜かしい中高の細面に、健康らしいばら色を帯びた容貌や、甘すぎるくらい人情におぼれやすい殉情的な性格は、葉子に一種のなつかしさをさえ感ぜしめた。しかし実際顔と顔とを向かい合わせると、二人は妙に会話さえはずまなくなるのだった。その怜かしいのがいやだった。柔和なのが気にさわった。殉情的なくせに恐ろしく勘定高いのがたまらなかった。青年らしく土俵ぎわまで踏み込んで事業を楽しむという父に似た性格さえこましゃくれて見えた。ことに東京生まれといってもいいくらい都慣れた言葉や身のこなしの間に、ふと東北の郷土の香いをかぎ出した時にはかんで捨てたいような反感に襲われた。葉子の心は今、おぼろげな回想から、実際膝つき合わせた時にいやだと思った印象に移って行った。そして手に持った晴れ着をトランクに入れるのを控えてしまった。長くなり始めた夜もそのころにはようやく白み始めて、蝋燭の黄色い焔が光の亡骸のように、ゆるぎもせずにともっていた。夜の間静まっていた西風が思い出したように障子にぶつかって、釘店の狭い通りを、河岸で仕出しをした若い者が、大きな掛け声でがらがらと車をひきながら通るのが聞こえ出した。葉子はきょう一日に目まぐるしいほどあるたくさんの用事をちょっと胸の中で数えて見て、大急ぎでそこらを片づけて、錠をおろすものには錠をおろし切って、雨戸を一枚繰って、そこからさし込む光で大きな手文庫からぎっしりつまった男文字の手紙を引き出すと風呂敷に包み込んだ。そしてそれをかかえて、手燭を吹き消しながら部屋を出ようとすると、廊下に叔母が突っ立っていた。
「もう起きたんですね……片づいたかい」
と挨拶してまだ何かいいたそうであった。両親を失ってからこの叔母夫婦と、六歳になる白痴の一人息子とが移って来て同居する事になったのだ。葉子の母が、どこか重々しくって男々しい風采をしていたのに引きかえ、叔母は髪の毛の薄い、どこまでも貧相に見える女だった。葉子の目はその帯しろ裸な、肉の薄い胸のあたりをちらっとかすめた。
「おやお早うございます……あらかた片づきました」
といってそのまま二階に行こうとすると、叔母は爪にいっぱい垢のたまった両手をもやもやと胸の所でふりながら、さえぎるように立ちはだかって、
「あのお前さんが片づける時にと思っていたんだがね。あすのお見送りに私は着て行くものが無いんだよ。おかあさんのもので間に合うのは無いだろうかしらん。あすだけ借りればあとはちゃんと始末をして置くんだからちょっと見ておくれでないか」
葉子はまたかと思った。働きのない良人に連れ添って、十五年の間丸帯一つ買ってもらえなかった叔母の訓練のない弱い性格が、こうさもしくなるのをあわれまないでもなかったが、物怯じしながら、それでいて、欲にかかるとずうずうしい、人のすきばかりつけねらう仕打ちを見ると、虫唾が走るほど憎かった。しかしこんな思いをするのもきょうだけだと思って部屋の中に案内した。叔母は空々しく気の毒だとかすまないとかいい続けながら錠をおろした箪笥を一々あけさせて、いろいろと勝手に好みをいった末に、りゅうとした一揃えを借る事にして、それから葉子の衣類までをとやかくいいながら去りがてにいじくり回した。台所からは、みそ汁の香いがして、白痴の子がだらしなく泣き続ける声と、叔父が叔母を呼び立てる声とが、すがすがしい朝の空気を濁すように聞こえて来た。葉子は叔母にいいかげんな返事をしながらその声に耳を傾けていた。そして早月家の最後の離散という事をしみじみと感じたのであった。電話はある銀行の重役をしている親類がいいかげんな口実を作って只持って行ってしまった。父の書斎道具や骨董品は蔵書と一緒に糶売りをされたが、売り上げ代はとうとう葉子の手にははいらなかった。住居は住居で、葉子の洋行後には、両親の死後何かに尽力したという親類の某が、二束三文で譲り受ける事に親族会議で決まってしまった。少しばかりある株券と地所とは愛子と貞世との教育費にあてる名儀で某々が保管する事になった。そんな勝手放題なまねをされるのを葉子は見向きもしないで黙っていた。もし葉子が素直な女だったら、かえって食い残しというほどの遺産はあてがわれていたに違いない。しかし親族会議では葉子を手におえない女だとして、他所に嫁入って行くのをいい事に、遺産の事にはいっさい関係させない相談をしたくらいは葉子はとうに感づいていた。自分の財産となればなるべきものを一部分だけあてがわれて、黙って引っ込んでいる葉子ではなかった。それかといって長女ではあるが、女の身として全財産に対する要求をする事の無益なのも知っていた。で「犬にやるつもりでいよう」と臍を堅めてかかったのだった。今、あとに残ったものは何がある。切り回しよく見かけを派手にしている割合に、不足がちな三人の姉妹の衣類諸道具が少しばかりあるだけだ。それを叔母は容赦もなくそこまで切り込んで来ているのだ。白紙のようなはかない寂しさと、「裸になるならきれいさっぱり裸になって見せよう」という火のような反抗心とが、むちゃくちゃに葉子の胸を冷やしたり焼いたりした。葉子はこんな心持ちになって、先ほどの手紙の包みをかかえて立ち上がりながら、うつむいて手ざわりのいい絹物をなで回している叔母を見おろした。
「それじゃわたしまだほかに用がありますししますから錠をおろさずにおきますよ。ごゆっくり御覧なさいまし。そこにかためてあるのはわたしが持って行くんですし、ここにあるのは愛と貞にやるのですから別になすっておいてください」
といい捨てて、ずんずん部屋を出た。往来には砂ほこりが立つらしく風が吹き始めていた。
二階に上がって見ると、父の書斎であった十六畳の隣の六畳に、愛子と貞世とが抱き合って眠っていた。葉子は自分の寝床を手早くたたみながら愛子を呼び起こした。愛子は驚いたように大きな美しい目を開くと半分夢中で飛び起きた。葉子はいきなり厳重な調子で、
「あなたはあすからわたしの代わりをしないじゃならないんですよ。朝寝坊なんぞしていてどうするの。あなたがぐずぐずしていると貞ちゃんがかわいそうですよ。早く身じまいをして下のお掃除でもなさいまし」
とにらみつけた。愛子は羊のように柔和な目をまばゆそうにして、姉をぬすみ見ながら、着物を着かえて下に降りて行った。葉子はなんとなく性の合わないこの妹が、階子段を降りきったのを聞きすまして、そっと貞世のほうに近づいた。面ざしの葉子によく似た十三の少女は、汗じみた顔には下げ髪がねばり付いて、頬は熱でもあるように上気している。それを見ると葉子は骨肉のいとしさに思わずほほえませられて、その寝床にいざり寄って、その童女を羽がいに軽く抱きすくめた。そしてしみじみとその寝顔にながめ入った。貞世の軽い呼吸は軽く葉子の胸に伝わって来た。その呼吸が一つ伝わるたびに、葉子の心は妙にめいって行った。同じ胎を借りてこの世に生まれ出た二人の胸には、ひたと共鳴する不思議な響きが潜んでいた。葉子は吸い取られるようにその響きに心を集めていたが、果ては寂しい、ただ寂しい涙がほろほろととめどなく流れ出るのだった。
一家の離散を知らぬ顔で、女の身そらをただひとり米国の果てまでさすらって行くのを葉子は格別なんとも思っていなかった。振り分け髪の時分から、飽くまで意地の強い目はしのきく性質を思うままに増長さして、ぐんぐんと世の中をわき目もふらず押し通して二十五になった今、こんな時にふと過去を振り返って見ると、いつのまにかあたりまえの女の生活をすりぬけて、たった一人見も知らぬ野ずえに立っているような思いをせずにはいられなかった。女学校や音楽学校で、葉子の強い個性に引きつけられて、理想の人ででもあるように近寄って来た少女たちは、葉子におどおどしい同性の恋をささげながら、葉子に inspire されて、われ知らず大胆な奔放な振る舞いをするようになった。そのころ「国民文学」や「文学界」に旗挙げをして、新しい思想運動を興そうとした血気なロマンティックな青年たちに、歌の心を授けた女の多くは、おおかた葉子から血脈を引いた少女らであった。倫理学者や、教育家や、家庭の主権者などもそのころから猜疑の目を見張って少女国を監視し出した。葉子の多感な心は、自分でも知らない革命的ともいうべき衝動のためにあてもなく揺ぎ始めた。葉子は他人を笑いながら、そして自分をさげすみながら、まっ暗な大きな力に引きずられて、不思議な道に自覚なく迷い入って、しまいにはまっしぐらに走り出した。だれも葉子の行く道のしるべをする人もなく、他の正しい道を教えてくれる人もなかった。たまたま大きな声で呼び留める人があるかと思えば、裏表の見えすいたぺてんにかけて、昔のままの女であらせようとするものばかりだった。葉子はそのころからどこか外国に生まれていればよかったと思うようになった。あの自由らしく見える女の生活、男と立ち並んで自分を立てて行く事のできる女の生活……古い良心が自分の心をさいなむたびに、葉子は外国人の良心というものを見たく思った。葉子は心の奥底でひそかに芸者をうらやみもした。日本で女が女らしく生きているのは芸者だけではないかとさえ思った。こんな心持ちで年を取って行く間に葉子はもちろんなんどもつまずいてころんだ。そしてひとりで膝の塵を払わなければならなかった。こんな生活を続けて二十五になった今、ふと今まで歩いて来た道を振り返って見ると、いっしょに葉子と走っていた少女たちは、とうの昔に尋常な女になり済ましていて、小さく見えるほど遠くのほうから、あわれむようなさげすむような顔つきをして、葉子の姿をながめていた。葉子はもと来た道に引き返す事はもうできなかった。できたところで引き返そうとする気はみじんもなかった。「勝手にするがいい」そう思って葉子はまたわけもなく不思議な暗い力に引っぱられた。こういうはめになった今、米国にいようが日本にいようが少しばかりの財産があろうが無かろうが、そんな事は些細な話だった。境遇でも変わったら何か起こるかもしれない。元のままかもしれない。勝手になれ。葉子を心の底から動かしそうなものは一つも身近には見当たらなかった。
しかし一つあった。葉子の涙はただわけもなくほろほろと流れた。貞世は何事も知らずに罪なく眠りつづけていた。同じ胎を借りてこの世に生まれ出た二人の胸には、ひたと共鳴する不思議な響きが潜んでいた。葉子は吸い取られるようにその響きに心を集めていたが、この子もやがては自分が通って来たような道を歩くのかと思うと、自分をあわれむとも妹をあわれむとも知れない切ない心に先だたれて、思わずぎゅっと貞世を抱きしめながら物をいおうとした。しかし何をいい得ようぞ。喉もふさがってしまっていた。貞世は抱きしめられたので始めて大きく目を開いた。そしてしばらくの間、涙にぬれた姉の顔をまじまじとながめていたが、やがて黙ったまま小さい袖でその涙をぬぐい始めた。葉子の涙は新しくわき返った。貞世は痛ましそうに姉の涙をぬぐいつづけた。そしてしまいにはその袖を自分の顔に押しあてて何か言い言いしゃくり上げながら泣き出してしまった。
七
葉子はその朝横浜の郵船会社の永田から手紙を受け取った。漢学者らしい風格の、上手な字で唐紙牋に書かれた文句には、自分は故早月氏には格別の交誼を受けていたが、あなたに対しても同様の交際を続ける必要のないのを遺憾に思う。明晩(すなわちその夜)のお招きにも出席しかねる、と剣もほろろに書き連ねて、追伸に、先日あなたから一言の紹介もなく訪問してきた素性の知れぬ青年の持参した金はいらないからお返しする。良人の定まった女の行動は、申すまでもないが慎むが上にもことに慎むべきものだと私どもは聞き及んでいる。ときっぱり書いて、その金額だけの為替が同封してあった。葉子が古藤を連れて横浜に行ったのも、仮病をつかって宿屋に引きこもったのも、実をいうと船商売をする人には珍しい厳格なこの永田に会うめんどうを避けるためだった。葉子は小さく舌打ちして、為替ごと手紙を引き裂こうとしたが、ふと思い返して、丹念に墨をすりおろして一字一字考えて書いたような手紙だけずたずたに破いて屑かごに突っ込んだ。
葉子は地味な他行衣に寝衣を着かえて二階を降りた。朝食は食べる気がなかった。妹たちの顔を見るのも気づまりだった。
姉妹三人のいる二階の、すみからすみまできちんと小ぎれいに片付いているのに引きかえて、叔母一家の住まう下座敷は変に油ぎってよごれていた。白痴の子が赤ん坊同様なので、東の縁に干してある襁褓から立つ塩臭いにおいや、畳の上に踏みにじられたままこびりついている飯粒などが、すぐ葉子の神経をいらいらさせた。玄関に出て見ると、そこには叔父が、襟のまっ黒に汗じんだ白い飛白を薄寒そうに着て、白痴の子を膝の上に乗せながら、朝っぱらから柿をむいてあてがっていた。その柿の皮があかあかと紙くずとごったになって敷き石の上に散っていた。葉子は叔父にちょっと挨拶をして草履をさがしながら、
「愛さんちょっとここにおいで。玄関が御覧、あんなによごれているからね、きれいに掃除しておいてちょうだいよ。――今夜はお客様もあるんだのに……」
と駆けて来た愛子にわざとつんけんいうと、叔父は神経の遠くのほうであてこすられたのを感じたふうで、
「おゝ、それはわしがしたんじゃで、わしが掃除しとく。構うてくださるな、おいお俊――お俊というに、何しとるぞい」
とのろまらしく呼び立てた。帯しろ裸の叔母がそこにやって来て、またくだらぬ口論をするのだと思うと、泥の中でいがみ合う豚かなんぞを思い出して、葉子は踵の塵を払わんばかりにそこそこ家を出た。細い釘店の往来は場所柄だけに門並みきれいに掃除されて、打ち水をした上を、気のきいた風体の男女が忙しそうに往き来していた。葉子は抜け毛の丸めたのや、巻煙草の袋のちぎれたのが散らばって箒の目一つない自分の家の前を目をつぶって駆けぬけたいほどの思いをして、ついそばの日本銀行にはいってありったけの預金を引き出した。そしてその前の車屋で始終乗りつけのいちばん立派な人力車を仕立てさして、その足で買い物に出かけた。妹たちに買い残しておくべき衣服地や、外国人向きの土産品や、新しいどっしりしたトランクなどを買い入れると、引き出した金はいくらも残ってはいなかった。そして午後の日がやや傾きかかったころ、大塚窪町に住む内田という母の友人を訪れた。内田は熱心なキリスト教の伝道者として、憎む人からは蛇蝎のように憎まれるし、好きな人からは予言者のように崇拝されている天才肌の人だった。葉子は五つ六つのころ、母に連れられて、よくその家に出入りしたが、人を恐れずにぐんぐん思った事をかわいらしい口もとからいい出す葉子の様子が、始終人から距てをおかれつけた内田を喜ばしたので、葉子が来ると内田は、何か心のこだわった時でもきげんを直して、窄った眉根を少しは開きながら、「また子猿が来たな」といって、そのつやつやしたおかっぱをなで回したりなぞした。そのうち母がキリスト教婦人同盟の事業に関係して、たちまちのうちにその牛耳を握り、外国宣教師だとか、貴婦人だとかを引き入れて、政略がましく事業の拡張に奔走するようになると、内田はすぐきげんを損じて、早月親佐を責めて、キリストの精神を無視した俗悪な態度だといきまいたが、親佐がいっこうに取り合う様子がないので、両家の間は見る見る疎々しいものになってしまった。それでも内田は葉子だけには不思議に愛着を持っていたと見えて、よく葉子のうわさをして、「子猿」だけは引き取って子供同様に育ててやってもいいなぞといったりした。内田は離縁した最初の妻が連れて行ってしまったたった一人の娘にいつまでも未練を持っているらしかった。どこでもいいその娘に似たらしい所のある少女を見ると、内田は日ごろの自分を忘れたように甘々しい顔つきをした。人が怖れる割合に、葉子には内田が恐ろしく思えなかったばかりか、その峻烈な性格の奥にとじこめられて小さくよどんだ愛情に触れると、ありきたりの人間からは得られないようななつかしみを感ずる事があった。葉子は母に黙って時々内田を訪れた。内田は葉子が来ると、どんな忙しい時でも自分の部屋に通して笑い話などをした。時には二人だけで郊外の静かな並み木道などを散歩したりした。ある時内田はもう娘らしく生長した葉子の手を堅く握って、「お前は神様以外の私のただ一人の道伴れだ」などといった。葉子は不思議な甘い心持ちでその言葉を聞いた。その記憶は長く忘れ得なかった。
それがあの木部との結婚問題が持ち上がると、内田は否応なしにある日葉子を自分の家に呼びつけた。そして恋人の変心を詰り責める嫉妬深い男のように、火と涙とを目からほとばしらせて、打ちもすえかねぬまでに狂い怒った。その時ばかりは葉子も心から激昂させられた。「だれがもうこんなわがままな人の所に来てやるものか」そう思いながら、生垣の多い、家並みのまばらな、轍の跡のめいりこんだ小石川の往来を歩き歩き、憤怒の歯ぎしりを止めかねた。それは夕闇の催した晩秋だった。しかしそれと同時になんだか大切なものを取り落としたような、自分をこの世につり上げてる糸の一つがぷつんと切れたような不思議なさびしさの胸に逼るのをどうする事もできなかった。
「キリストに水をやったサマリヤの女の事も思うから、この上お前には何もいうまい――他人の失望も神の失望もちっとは考えてみるがいい、……罪だぞ、恐ろしい罪だぞ」
そんな事があってから五年を過ぎたきょう、郵便局に行って、永田から来た為替を引き出して、定子を預かってくれている乳母の家に持って行こうと思った時、葉子は紙幣の束を算えながら、ふと内田の最後の言葉を思い出したのだった。物のない所に物を探るような心持ちで葉子は人力車を大塚のほうに走らした。
五年たっても昔のままの構えで、まばらにさし代えた屋根板と、めっきり延びた垣添いの桐の木とが目立つばかりだった。砂きしみのする格子戸をあけて、帯前を整えながら出て来た柔和な細君と顔を合わせた時は、さすがに懐旧の情が二人の胸を騒がせた。細君は思わず知らず「まあどうぞ」といったが、その瞬間にはっとためらったような様子になって、急いで内田の書斎にはいって行った。しばらくすると嘆息しながら物をいうような内田の声が途切れ途切れに聞こえた。「上げるのは勝手だがおれが会う事はないじゃないか」といったかと思うと、はげしい音を立てて読みさしの書物をぱたんと閉じる音がした。葉子は自分の爪先を見つめながら下くちびるをかんでいた。
やがて細君がおどおどしながら立ち現われて、まずと葉子を茶の間に招じ入れた。それと入れ代わりに、書斎では内田が椅子を離れた音がして、やがて内田はずかずかと格子戸をあけて出て行ってしまった。
葉子は思わずふらふらッと立ち上がろうとするのを、何気ない顔でじっとこらえた。せめては雷のような激しいその怒りの声に打たれたかった。あわよくば自分も思いきりいいたい事をいってのけたかった。どこに行っても取りあいもせず、鼻であしらい、鼻であしらわれ慣れた葉子には、何か真味な力で打ちくだかれるなり、打ちくだくなりして見たかった。それだったのに思い入って内田の所に来て見れば、内田は世の常の人々よりもいっそう冷ややかに酷く思われた。
「こんな事をいっては失礼ですけれどもね葉子さん、あなたの事をいろいろにいって来る人があるもんですからね、あのとおりの性質でしょう。どうもわたしにはなんともいいなだめようがないのですよ。内田があなたをお上げ申したのが不思議なほどだとわたし思いますの。このごろはことさらだれにもいわれないようなごたごたが家の内にあるもんですから、よけいむしゃくしゃしていて、ほんとうにわたしどうしたらいいかと思う事がありますの」
意地も生地も内田の強烈な性格のために存分に打ち砕かれた細君は、上品な顔立てに中世紀の尼にでも見るような思いあきらめた表情を浮かべて、捨て身の生活のどん底にひそむさびしい不足をほのめかした。自分より年下で、しかも良人からさんざん悪評を投げられているはずの葉子に対してまで、すぐ心が砕けてしまって、張りのない言葉で同情を求めるかと思うと、葉子は自分の事のように歯がゆかった。眉と口とのあたりにむごたらしい軽蔑の影が、まざまざと浮かび上がるのを感じながら、それをどうする事もできなかった。葉子は急に青味を増した顔で細君を見やったが、その顔は世故に慣れきった三十女のようだった。(葉子は思うままに自分の年を五つも上にしたり下にしたりする不思議な力を持っていた。感情次第でその表情は役者の技巧のように変わった)
「歯がゆくはいらっしゃらなくって」
と切り返すように内田の細君の言葉をひったくって、
「わたしだったらどうでしょう。すぐおじさんとけんかして出てしまいますわ。それはわたし、おじさんを偉い方だとは思っていますが、わたしこんなに生まれついたんですからどうしようもありませんわ。一から十までおっしゃる事をはいはいと聞いていられませんわ。おじさんもあんまりでいらっしゃいますのね。あなたみたいな方に、そう笠にかからずとも、わたしでもお相手になさればいいのに……でもあなたがいらっしゃればこそおじさんもああやってお仕事がおできになるんですのね。わたしだけは除け物ですけれども、世の中はなかなかよくいっていますわ。……あ、それでもわたしはもう見放されてしまったんですものね、いう事はありゃしません。ほんとうにあなたがいらっしゃるのでおじさんはお仕合わせですわ。あなたは辛抱なさる方。おじさんはわがままでお通しになる方。もっともおじさんにはそれが神様の思し召しなんでしょうけれどもね。……わたしも神様の思し召しかなんかでわがままで通す女なんですからおじさんとはどうしても茶碗と茶碗ですわ。それでも男はようござんすのね、わがままが通るんですもの。女のわがままは通すよりしかたがないんですからほんとうに情けなくなりますのね。何も前世の約束なんでしょうよ……」
内田の細君は自分よりはるか年下の葉子の言葉をしみじみと聞いているらしかった。葉子は葉子でしみじみと細君の身なりを見ないではいられなかった。一昨日あたり結ったままの束髪だった。癖のない濃い髪には薪の灰らしい灰がたかっていた。糊気のぬけきった単衣も物さびしかった。その柄の細かい所には里の母の着古しというような香いがした。由緒ある京都の士族に生まれたその人の皮膚は美しかった。それがなおさらその人をあわれにして見せた。
「他人の事なぞ考えていられやしない」しばらくすると葉子は捨てばちにこんな事を思った。そして急にはずんだ調子になって、
「わたしあすアメリカに発ちますの、ひとりで」
と突拍子もなくいった。あまりの不意に細君は目を見張って顔をあげた。
「まあほんとうに」
「はあほんとうに……しかも木村の所に行くようになりましたの。木村、御存じでしょう」
細君がうなずいてなお仔細を聞こうとすると、葉子は事もなげにさえぎって、
「だからきょうはお暇乞いのつもりでしたの。それでもそんな事はどうでもようございますわ。おじさんがお帰りになったらよろしくおっしゃってくださいまし、葉子はどんな人間になり下がるかもしれませんって……あなたどうぞおからだをお大事に。太郎さんはまだ学校でございますか。大きくおなりでしょうね。なんぞ持って上がればよかったのに、用がこんなものですから」
といいながら両手で大きな輪を作って見せて、若々しくほほえみながら立ち上がった。
玄関に送って出た細君の目には涙がたまっていた。それを見ると、人はよく無意味な涙を流すものだと葉子は思った。けれどもあの涙も内田が無理無体にしぼり出させるようなものだと思い直すと、心臓の鼓動が止まるほど葉子の心はかっとなった。そして口びるを震わしながら、
「もう一言おじさんにおっしゃってくださいまし、七度を七十倍はなさらずとも、せめて三度ぐらいは人の尤も許して上げてくださいましって。……もっともこれは、あなたのおために申しますの。わたしはだれにあやまっていただくのもいやですし、だれにあやまるのもいやな性分なんですから、おじさんに許していただこうとは頭から思ってなどいはしませんの。それもついでにおっしゃってくださいまし」
口のはたに戯談らしく微笑を見せながら、そういっているうちに、大濤がどすんどすんと横隔膜につきあたるような心地がして、鼻血でも出そうに鼻の孔がふさがった。門を出る時も口びるはなおくやしそうに震えていた。日は植物園の森の上に舂いて、暮れがた近い空気の中に、けさから吹き出していた風はなぎた。葉子は今の心と、けさ早く風の吹き始めたころに、土蔵わきの小部屋で荷造りをした時の心とをくらべて見て、自分ながら同じ心とは思い得なかった。そして門を出て左に曲がろうとしてふと道ばたの捨て石にけつまずいて、はっと目がさめたようにあたりを見回した。やはり二十五の葉子である。いゝえ昔たしかに一度けつまずいた事があった。そう思って葉子は迷信家のようにもう一度振り返って捨て石を見た。その時に日は……やはり植物園の森のあのへんにあった。そして道の暗さもこのくらいだった。自分はその時、内田の奥さんに内田の悪口をいって、ペテロとキリストとの間に取りかわされた寛恕に対する問答を例に引いた。いゝえ、それはきょうした事だった。きょう意味のない涙を奥さんがこぼしたように、その時も奥さんは意味のない涙をこぼした。その時にも自分は二十五……そんな事はない。そんな事のあろうはずがない……変な……。それにしてもあの捨て石には覚えがある。あれは昔からあすこにちゃんとあった。こう思い続けて来ると、葉子は、いつか母と遊びに来た時、何か怒ってその捨て石にかじり付いて動かなかった事をまざまざと心に浮かべた。その時は大きな石だと思っていたのにこれんぼっちの石なのか。母が当惑して立った姿がはっきり目先に現われた。と思うとやがてその輪郭が輝き出して、目も向けられないほど耀いたが、すっと惜しげもなく消えてしまって、葉子は自分のからだが中有からどっしり大地におり立ったような感じを受けた。同時に鼻血がどくどく口から顎を伝って胸の合わせ目をよごした。驚いてハンケチを袂から探り出そうとした時、
「どうかなさいましたか」
という声に驚かされて、葉子は始めて自分のあとに人力車がついて来ていたのに気が付いた。見ると捨て石のある所はもう八九町後ろになっていた。
「鼻血なの」
と応えながら葉子は初めてのようにあたりを見た。そこには紺暖簾を所せまくかけ渡した紙屋の小店があった。葉子は取りあえずそこにはいって、人目を避けながら顔を洗わしてもらおうとした。
四十格好の克明らしい内儀さんがわが事のように金盥に水を移して持って来てくれた。葉子はそれで白粉気のない顔を思う存分に冷やした。そして少し人心地がついたので、帯の間から懐中鏡を取り出して顔を直そうとすると、鏡がいつのまにかま二つに破れていた。先刻けつまずいた拍子に破れたのかしらんと思ってみたが、それくらいで破れるはずはない。怒りに任せて胸がかっとなった時、破れたのだろうか。なんだかそうらしくも思えた。それともあすの船出の不吉を告げる何かの業かもしれない。木村との行く末の破滅を知らせる悪い辻占かもしれない。またそう思うと葉子は襟元に凍った針でも刺されるように、ぞくぞくとわけのわからない身ぶるいをした。いったい自分はどうなって行くのだろう。葉子はこれまでの見窮められない不思議な自分の運命を思うにつけ、これから先の運命が空恐ろしく心に描かれた。葉子は不安な悒鬱な目つきをして店を見回した。帳場にすわり込んだ内儀さんの膝にもたれて、七つほどの少女が、じっと葉子の目を迎えて葉子を見つめていた。やせぎすで、痛々しいほど目の大きな、そのくせ黒目の小さな、青白い顔が、薄暗い店の奥から、香料や石鹸の香につつまれて、ぼんやり浮き出たように見えるのが、何か鏡の破れたのと縁でもあるらしくながめられた。葉子の心は全くふだんの落ち付きを失ってしまったようにわくわくして、立ってもすわってもいられないようになった。ばかなと思いながらこわいものにでも追いすがられるようだった。
しばらくの間葉子はこの奇怪な心の動揺のために店を立ち去る事もしないでたたずんでいたが、ふとどうにでもなれという捨てばちな気になって元気を取り直しながら、いくらかの礼をしてそこを出た。出るには出たが、もう車に乗る気にもなれなかった。これから定子に会いに行ってよそながら別れを惜しもうと思っていたその心組みさえ物憂かった。定子に会ったところがどうなるものか。自分の事すら次の瞬間には取りとめもないものを、他人の事――それはよし自分の血を分けた大切な独子であろうとも――などを考えるだけがばかな事だと思った。そしてもう一度そこの店から巻紙を買って、硯箱を借りて、男恥ずかしい筆跡で、出発前にもう一度乳母を訪れるつもりだったが、それができなくなったから、この後とも定子をよろしく頼む。当座の費用として金を少し送っておくという意味を簡単にしたためて、永田から送ってよこした為替の金を封入して、その店を出た。そしていきなりそこに待ち合わしていた人力車の上の膝掛けをはぐって、蹴込みに打ち付けてある鑑札にしっかり目を通しておいて、
「わたしはこれから歩いて行くから、この手紙をここへ届けておくれ、返事はいらないのだから……お金ですよ、少しどっさりあるから大事にしてね」
と車夫にいいつけた。車夫はろくに見知りもないものに大金を渡して平気でいる女の顔を今さらのようにきょときょとと見やりながら空俥を引いて立ち去った。大八車が続けさまに田舎に向いて帰って行く小石川の夕暮れの中を、葉子は傘を杖にしながら思いにふけって歩いて行った。
こもった哀愁が、発しない酒のように、葉子のこめかみをちかちかと痛めた。葉子は人力車の行くえを見失っていた。そして自分ではまっすぐに釘店のほうに急ぐつもりでいた。ところが実際は目に見えぬ力で人力車に結び付けられでもしたように、知らず知らず人力車の通ったとおりの道を歩いて、はっと気がついた時にはいつのまにか、乳母が住む下谷池の端の或る曲がり角に来て立っていた。
そこで葉子はぎょっとして立ちどまってしまった。短くなりまさった日は本郷の高台に隠れて、往来には厨の煙とも夕靄ともつかぬ薄い霧がただよって、街頭のランプの灯がことに赤くちらほらちらほらとともっていた。通り慣れたこの界隈の空気は特別な親しみをもって葉子の皮膚をなでた。心よりも肉体のほうがよけいに定子のいる所にひき付けられるようにさえ思えた。葉子の口びるは暖かい桃の皮のような定子の頬の膚ざわりにあこがれた。葉子の手はもうめれんすの弾力のある軟らかい触感を感じていた。葉子の膝はふうわりとした軽い重みを覚えていた。耳には子供のアクセントが焼き付いた。目には、曲がり角の朽ちかかった黒板塀を透して、木部から稟けた笑窪のできる笑顔が否応なしに吸い付いて来た。……乳房はくすむったかった。葉子は思わず片頬に微笑を浮かべてあたりをぬすむように見回した。とちょうどそこを通りかかった内儀さんが、何かを前掛けの下に隠しながらじっと葉子の立ち姿を振り返ってまで見て通るのに気がついた。
葉子は悪事でも働いていた人のように、急に笑顔を引っ込めてしまった。そしてこそこそとそこを立ちのいて不忍の池に出た。そして過去も未来も持たない人のように、池の端につくねんと突っ立ったまま、池の中の蓮の実の一つに目を定めて、身動きもせずに小半時立ち尽くしていた。
八
日の光がとっぷりと隠れてしまって、往来の灯ばかりが足もとのたよりとなるころ、葉子は熱病患者のように濁りきった頭をもてあまして、車に揺られるたびごとに眉を痛々しくしかめながら、釘店に帰って来た。
玄関にはいろいろの足駄や靴がならべてあったが、流行を作ろう、少なくとも流行に遅れまいというはなやかな心を誇るらしい履物といっては一つも見当たらなかった。自分の草履を始末しながら、葉子はすぐに二階の客間の模様を想像して、自分のために親戚や知人が寄って別れを惜しむというその席に顔を出すのが、自分自身をばかにしきったことのようにしか思われなかった。こんなくらいなら定子の所にでもいるほうがよほどましだった。こんな事のあるはずだったのをどうしてまた忘れていたものだろう。どこにいるのもいやだ。木部の家を出て、二度とは帰るまいと決心した時のような心持ちで、拾いかけた草履をたたきに戻そうとしたその途端に、
「ねえさんもういや……いや」
といいながら、身を震わしてやにわに胸に抱きついて来て、乳の間のくぼみに顔を埋めながら、成人のするような泣きじゃくりをして、
「もう行っちゃいやですというのに」
とからく言葉を続けたのは貞世だった。葉子は石のように立ちすくんでしまった。貞世は朝からふきげんになってだれのいう事も耳には入れずに、自分の帰るのばかりを待ちこがれていたに違いないのだ。葉子は機械的に貞世に引っぱられて階子段をのぼって行った。
階子段をのぼりきって見ると客間はしんとしていて、五十川女史の祈祷の声だけがおごそかに聞こえていた。葉子と貞世とは恋人のように抱き合いながら、アーメンという声の一座の人々からあげられるのを待って室にはいった。列座の人々はまだ殊勝らしく頭をうなだれている中に、正座近くすえられた古藤だけは昂然と目を見開いて、襖をあけて葉子がしとやかにはいって来るのを見まもっていた。
葉子は古藤にちょっと目で挨拶をして置いて、貞世を抱いたまま末座に膝をついて、一同に遅刻のわびをしようとしていると、主人座にすわり込んでいる叔父が、わが子でもたしなめるように威儀を作って、
「なんたらおそい事じゃ。きょうはお前の送別会じゃぞい。……皆さんにいこうお待たせするがすまんから、今五十川さんに祈祷をお頼み申して、箸を取っていただこうと思ったところであった……いったいどこを……」
面と向かっては、葉子に口小言一ついいきらぬ器量なしの叔父が、場所もおりもあろうにこんな場合に見せびらかしをしようとする。葉子はそっちに見向きもせず、叔父の言葉を全く無視した態度で急に晴れやかな色を顔に浮かべながら、
「ようこそ皆様……おそくなりまして。つい行かなければならない所が二つ三つありましたもんですから……」
とだれにともなくいっておいて、するすると立ち上がって、釘店の往来に向いた大きな窓を後ろにした自分の席に着いて、妹の愛子と自分との間に割り込んで来る貞世の頭をなでながら、自分の上にばかり注がれる満座の視線を小うるさそうに払いのけた。そして片方の手でだいぶ乱れた鬢のほつれをかき上げて、葉子の視線は人もなげに古藤のほうに走った。
「しばらくでしたのね……とうとう明朝になりましてよ。木村に持って行くものは、一緒にお持ちになって?……そう」
と軽い調子でいったので、五十川女史と叔父とが切り出そうとした言葉は、物のみごとにさえぎられてしまった。葉子は古藤にそれだけの事をいうと、今度は当の敵ともいうべき五十川女史に振り向いて、
「おばさま、きょう途中でそれはおかしな事がありましたのよ。こうなんですの」
といいながら男女をあわせて八人ほど居ならんだ親類たちにずっと目を配って、
「車で駆け通ったんですから前も後もよくはわからないんですけれども、大時計のかどの所を広小路に出ようとしたら、そのかどにたいへんな人だかりですの。なんだと思って見てみますとね、禁酒会の大道演説で、大きな旗が二三本立っていて、急ごしらえのテーブルに突っ立って、夢中になって演説している人があるんですの。それだけなら何も別に珍しいという事はないんですけれども、その演説をしている人が……だれだとお思いになって……山脇さんですの」
一同の顔には思わず知らず驚きの色が現われて、葉子の言葉に耳をそばだてていた。先刻しかつめらしい顔をした叔父はもう白痴のように口をあけたままで薄笑いをもらしながら葉子を見つめていた。
「それがまたね、いつものとおりに金時のように首筋までまっ赤ですの。『諸君』とかなんとかいって大手を振り立ててしゃべっているのを、肝心の禁酒会員たちはあっけに取られて、黙ったまま引きさがって見ているんですから、見物人がわいわいとおもしろがってたかっているのも全くもっともですわ。そのうちに、あ、叔父さん、箸をおつけになるように皆様におっしゃってくださいまし」
叔父があわてて口の締まりをして仏頂面に立ち返って、何かいおうとすると、葉子はまたそれには頓着なく五十川女史のほうに向いて、
「あの肩の凝りはすっかりおなおりになりまして」
といったので、五十川女史の答えようとする言葉と、叔父のいい出そうとする言葉は気まずくも鉢合わせになって、二人は所在なげに黙ってしまった。座敷は、底のほうに気持ちの悪い暗流を潜めながら造り笑いをし合っているような不快な気分に満たされた。葉子は「さあ来い」と胸の中で身構えをしていた。五十川女史のそばにすわって、神経質らしく眉をきらめかす中老の官吏は、射るようないまいましげな眼光を時々葉子に浴びせかけていたが、いたたまれない様子でちょっと居ずまいをなおすと、ぎくしゃくした調子で口をきった。
「葉子さん、あなたもいよいよ身のかたまる瀬戸ぎわまでこぎ付けたんだが……」
葉子はすきを見せたら切り返すからといわんばかりな緊張した、同時に物を物ともしないふうでその男の目を迎えた。
「何しろわたしども早月家の親類に取ってはこんなめでたい事はまずない。無いには無いがこれからがあなたに頼み所だ。どうぞ一つわたしどもの顔を立てて、今度こそは立派な奥さんになっておもらいしたいがいかがです。木村君はわたしもよく知っとるが、信仰も堅いし、仕事も珍しくはきはきできるし、若いに似合わぬ物のわかった仁だ。こんなことまで比較に持ち出すのはどうか知らないが、木部氏のような実行力の伴わない夢想家は、わたしなどは初めから不賛成だった。今度のはじたい段が違う。葉子さんが木部氏の所から逃げ帰って来た時には、わたしもけしからんといった実は一人だが、今になって見ると葉子さんはさすがに目が高かった。出て来ておいて誠によかった。いまに見なさい木村という仁なりゃ、立派に成功して、第一流の実業家に成り上がるにきまっている。これからはなんといっても信用と金だ。官界に出ないのなら、どうしても実業界に行かなければうそだ。擲身報国は官吏たるものの一特権だが、木村さんのようなまじめな信者にしこたま金を造ってもらわんじゃ、神の道を日本に伝え広げるにしてからが容易な事じゃありませんよ。あなたも小さい時から米国に渡って新聞記者の修業をすると口ぐせのように妙な事をいったもんだが(ここで一座の人はなんの意味もなく高く笑った。おそらくはあまりしかつめらしい空気を打ち破って、なんとかそこに余裕をつけるつもりが、みんなに起こったのだろうけれども、葉子にとってはそれがそうは響かなかった。その心持ちはわかっても、そんな事で葉子の心をはぐらかそうとする彼らの浅はかさがぐっと癪にさわった)新聞記者はともかくも……じゃない、そんなものになられては困りきるが(ここで一座はまたわけもなくばからしく笑った)米国行きの願いはたしかにかなったのだ。葉子さんも御満足に違いなかろう。あとの事はわたしどもがたしかに引き受けたから心配は無用にして、身をしめて妹さん方のしめしにもなるほどの奮発を頼みます……えゝと、財産のほうの処分はわたしと田中さんとで間違いなく固めるし、愛子さんと貞世さんのお世話は、五十川さん、あなたにお願いしようじゃありませんか、御迷惑ですが。いかがでしょう皆さん(そういって彼は一座を見渡した。あらかじめ申し合わせができていたらしく一同は待ち設けたようにうなずいて見せた)どうじゃろう葉子さん」
葉子は乞食の嘆願を聞く女王のような心持ちで、○○局長といわれるこの男のいう事を聞いていたが、財産の事などはどうでもいいとして、妹たちの事が話題に上るとともに、五十川女史を向こうに回して詰問のような対話を始めた。なんといっても五十川女史はその晩そこに集まった人々の中ではいちばん年配でもあったし、いちばんはばかられているのを葉子は知っていた。五十川女史が四角を思い出させるような頑丈な骨組みで、がっしりと正座に居直って、葉子を子供あしらいにしようとするのを見て取ると、葉子の心は逸り熱した。
「いゝえ、わがままだとばかりお思いになっては困ります。わたしは御承知のような生まれでございますし、これまでもたびたび御心配かけて来ておりますから、人様同様に見ていただこうとはこれっぱかりも思ってはおりません」
といって葉子は指の間になぶっていた楊枝を老女史の前にふいと投げた。
「しかし愛子も貞世も妹でございます。現在わたしの妹でございます。口幅ったいと思し召すかもしれませんが、この二人だけはわたしたとい米国におりましても立派に手塩にかけて御覧にいれますから、どうかお構いなさらずにくださいまし。それは赤坂学院も立派な学校には違いございますまい。現在私もおばさまのお世話であすこで育てていただいたのですから、悪くは申したくはございませんが、わたしのような人間が、皆様のお気に入らないとすれば……それは生まれつきもございましょうとも、ございましょうけれども、わたしを育て上げたのはあの学校でございますからねえ。何しろ現在いて見た上で、わたしこの二人をあすこに入れる気にはなれません。女というものをあの学校ではいったいなんと見ているのでござんすかしらん……」
こういっているうちに葉子の心には火のような回想の憤怒が燃え上がった。葉子はその学校の寄宿舎で一個の中性動物として取り扱われたのを忘れる事ができない。やさしく、愛らしく、しおらしく、生まれたままの美しい好意と欲念との命ずるままに、おぼろげながら神というものを恋しかけた十二三歳ごろの葉子に、学校は祈祷と、節欲と、殺情とを強制的にたたき込もうとした。十四の夏が秋に移ろうとしたころ、葉子はふと思い立って、美しい四寸幅ほどの角帯のようなものを絹糸で編みはじめた。藍の地に白で十字架と日月とをあしらった模様だった。物事にふけりやすい葉子は身も魂も打ち込んでその仕事に夢中になった。それを造り上げた上でどうして神様の御手に届けよう、というような事はもとより考えもせずに、早く造り上げてお喜ばせ申そうとのみあせって、しまいには夜の目もろくろく合わさなくなった。二週間に余る苦心の末にそれはあらかたでき上がった。藍の地に簡単に白で模様を抜くだけならさしたる事でもないが、葉子は他人のまだしなかった試みを加えようとして、模様の周囲に藍と白とを組み合わせにした小さな笹縁のようなものを浮き上げて編み込んだり、ひどく伸び縮みがして模様が歪形にならないように、目立たないようにカタン糸を編み込んで見たりした。出来上がりが近づくと葉子は片時も編み針を休めてはいられなかった。ある時聖書の講義の講座でそっと机の下で仕事を続けていると、運悪くも教師に見つけられた。教師はしきりにその用途を問いただしたが、恥じやすい乙女心にどうしてこの夢よりもはかない目論見を白状する事ができよう。教師はその帯の色合いから推して、それは男向きの品物に違いないと決めてしまった。そして葉子の心は早熟の恋を追うものだと断定した。そして恋というものを生来知らぬげな四十五六の醜い容貌の舎監は、葉子を監禁同様にして置いて、暇さえあればその帯の持ち主たるべき人の名を迫り問うた。
葉子はふと心の目を開いた。そしてその心はそれ以来峰から峰を飛んだ。十五の春には葉子はもう十も年上な立派な恋人を持っていた。葉子はその青年を思うさま翻弄した。青年はまもなく自殺同様な死に方をした。一度生血の味をしめた虎の子のような渇欲が葉子の心を打ちのめすようになったのはそれからの事である。
「古藤さん愛と貞とはあなたに願いますわ。だれがどんな事をいおうと、赤坂学院には入れないでくださいまし。私きのう田島さんの塾に行って、田島さんにお会い申してよくお頼みして来ましたから、少し片付いたらはばかりさまですがあなた御自身で二人を連れていらしってください。愛さんも貞ちゃんもわかりましたろう。田島さんの塾にはいるとね、ねえさんと一緒にいた時のようなわけには行きませんよ……」
「ねえさんてば……自分でばかり物をおっしゃって」
といきなり恨めしそうに、貞世は姉の膝をゆすりながらその言葉をさえぎった。
「さっきからなんど書いたかわからないのに平気でほんとにひどいわ」
一座の人々から妙な子だというふうにながめられているのにも頓着なく、貞世は姉のほうに向いて膝の上にしなだれかかりながら、姉の左手を長い袖の下に入れて、その手のひらに食指で仮名を一字ずつ書いて手のひらで拭き消すようにした。葉子は黙って、書いては消し書いては消しする字をたどって見ると、
「ネーサマハイイコダカラ『アメリカ』ニイツテハイケマセンヨヨヨヨ」
と読まれた。葉子の胸はわれ知らず熱くなったが、しいて笑いにまぎらしながら、
「まあ聞きわけのない子だこと、しかたがない。今になってそんな事をいったってしかたがないじゃないの」
とたしなめ諭すようにいうと、
「しかたがあるわ」
と貞世は大きな目で姉を見上げながら、
「お嫁に行かなければよろしいじゃないの」
といって、くるりと首を回して一同を見渡した。貞世のかわいい目は「そうでしょう」と訴えているように見えた。それを見ると一同はただなんという事もなく思いやりのない笑いかたをした。叔父はことに大きなとんきょな声で高々と笑った。先刻から黙ったままでうつむいてさびしくすわっていた愛子は、沈んだ恨めしそうな目でじっと叔父をにらめたと思うと、たちまちわくように涙をほろほろと流して、それを両袖でぬぐいもやらず立ち上がってその部屋をかけ出した。階子段の所でちょうど下から上がって来た叔母と行きあったけはいがして、二人が何かいい争うらしい声が聞こえて来た。
一座はまた白け渡った。
「叔父さんにも申し上げておきます」
と沈黙を破った葉子の声が妙に殺気を帯びて響いた。
「これまで何かとお世話様になってありがとうこざいましたけれども、この家もたたんでしまう事になれば、妹たちも今申したとおり塾に入れてしまいますし、この後はこれといって大して御厄介はかけないつもりでございます。赤の他人の古藤さんにこんな事を願ってはほんとうにすみませんけれども、木村の親友でいらっしゃるのですから、近い他人ですわね。古藤さん、あなた貧乏籤を背負い込んだと思し召して、どうか二人を見てやってくださいましな。いいでしょう。こう親類の前ではっきり申しておきますから、ちっとも御遠慮なさらずに、いいとお思いになったようになさってくださいまし。あちらへ着いたらわたしまたきっとどうともいたしますから。きっとそんなに長い間御迷惑はかけませんから。いかが、引き受けてくださいまして?」
古藤は少し躊躇するふうで五十川女史を見やりながら、
「あなたはさっきから赤坂学院のほうがいいとおっしゃるように伺っていますが、葉子さんのいわれるとおりにしてさしつかえないのですか。念のために伺っておきたいのですが」
と尋ねた。葉子はまたあんなよけいな事をいうと思いながらいらいらした。五十川女史は日ごろの円滑な人ずれのした調子に似ず、何かひどく激昂した様子で、
「わたしは亡くなった親佐さんのお考えはこうもあろうかと思った所を申したまでですから、それを葉子さんが悪いとおっしゃるなら、その上とやかく言いともないのですが、親佐さんは堅い昔風な信仰を持った方ですから、田島さんの塾は前からきらいでね……よろしゅうございましょう、そうなされば。わたしはとにかく赤坂学院が一番だとどこまでも思っとるだけです」
といいながら、見下げるように葉子の胸のあたりをまじまじとながめた。葉子は貞世を抱いたまましゃんと胸をそらして目の前の壁のほうに顔を向けていた、たとえばばらばらと投げられるつぶてを避けようともせずに突っ立つ人のように。
古藤は何か自分一人で合点したと思うと、堅く腕組みをしてこれも自分の前の目八分の所をじっと見つめた。
一座の気分はほとほと動きが取れなくなった。その間でいちばん早くきげんを直して相好を変えたのは五十川女史だった。子供を相手にして腹を立てた、それを年がいないとでも思ったように、気を変えてきさくに立ちじたくをしながら、
「皆さんいかが、もうお暇にいたしましたら……お別れする前にもう一度お祈りをして」
「お祈りをわたしのようなもののためになさってくださるのは御無用に願います」
葉子は和らぎかけた人々の気分にはさらに頓着なく、壁に向けていた目を貞世に落として、いつのまにか寝入ったその人の艶々しい顔をなでさすりながらきっぱりといい放った。
人々は思い思いな別れを告げて帰って行った。葉子は貞世がいつのまにか膝の上に寝てしまったのを口実にして人々を見送りには立たなかった。
最後の客が帰って行ったあとでも、叔父叔母は二階を片づけには上がってこなかった。挨拶一つしようともしなかった。葉子は窓のほうに頭を向けて、煉瓦の通りの上にぼうっと立つ灯の照り返しを見やりながら、夜風にほてった顔を冷やさせて、貞世を抱いたまま黙ってすわり続けていた。間遠に日本橋を渡る鉄道馬車の音が聞こえるばかりで、釘店の人通りは寂しいほどまばらになっていた。
姿は見せずに、どこかのすみで愛子がまだ泣き続けて鼻をかんだりする音が聞こえていた。
「愛さん……貞ちゃんが寝ましたからね、ちょっとお床を敷いてやってちょうだいな」
われながら驚くほどやさしく愛子に口をきく自分を葉子は見いだした。性が合わないというのか、気が合わないというのか、ふだん愛子の顔さえ見れば葉子の気分はくずされてしまうのだった。愛子が何事につけても猫のように従順で少しも情というものを見せないのがことさら憎かった。しかしその夜だけは不思議にもやさしい口をきいた。葉子はそれを意外に思った。愛子がいつものように素直に立ち上がって、洟をすすりながら黙って床を取っている間に、葉子はおりおり往来のほうから振り返って、愛子のしとやかな足音や、綿を薄く入れた夏ぶとんの畳に触れるささやかな音を見入りでもするようにそのほうに目を定めた。そうかと思うとまた今さらのように、食い荒らされた食物や、敷いたままになっている座ぶとんのきたならしく散らかった客間をまじまじと見渡した。父の書棚のあった部分の壁だけが四角に濃い色をしていた。そのすぐそばに西洋暦が昔のままにかけてあった。七月十六日から先ははがされずに残っていた。
「ねえさま敷けました」
しばらくしてから、愛子がこうかすかに隣でいった。葉子は、
「そう御苦労さまよ」
とまたしとやかに応えながら、貞世を抱きかかえて立ち上がろうとすると、また頭がぐらぐらッとして、おびただしい鼻血が貞世の胸の合わせ目に流れ落ちた。
九
底光りのする雲母色の雨雲が縫い目なしにどんよりと重く空いっぱいにはだかって、本牧の沖合いまで東京湾の海は物すごいような草色に、小さく波の立ち騒ぐ九月二十五日の午後であった。きのうの風が凪いでから、気温は急に夏らしい蒸し暑さに返って、横浜の市街は、疫病にかかって弱りきった労働者が、そぼふる雨の中にぐったりとあえいでいるように見えた。
靴の先で甲板をこつこつとたたいて、うつむいてそれをながめながら、帯の間に手をさし込んで、木村への伝言を古藤はひとり言のように葉子にいった。葉子はそれに耳を傾けるような様子はしていたけれども、ほんとうはさして注意もせずに、ちょうど自分の目の前に、たくさんの見送り人に囲まれて、応接に暇もなげな田川法学博士の目じりの下がった顔と、その夫人のやせぎすな肩との描く微細な感情の表現を、批評家のような心で鋭くながめやっていた。かなり広いプロメネード・デッキは田川家の家族と見送り人とで縁日のようににぎわっていた。葉子の見送りに来たはずの五十川女史は先刻から田川夫人のそばに付ききって、世話好きな、人のよい叔母さんというような態度で、見送り人の半分がたを自身で引き受けて挨拶していた。葉子のほうへは見向こうとする模様もなかった。葉子の叔母は葉子から二三間離れた所に、蜘蛛のような白痴の子を小婢に背負わして、自分は葉子から預かった手鞄と袱紗包みとを取り落とさんばかりにぶら下げたまま、花々しい田川家の家族や見送り人の群れを見てあっけに取られていた。葉子の乳母は、どんな大きな船でも船は船だというようにひどく臆病そうな青い顔つきをして、サルンの入り口の戸の陰にたたずみながら、四角にたたんだ手ぬぐいをまっ赤になった目の所に絶えず押しあてては、ぬすみ見るように葉子を見やっていた。その他の人々はじみな一団になって、田川家の威光に圧せられたようにすみのほうにかたまっていた。
葉子はかねて五十川女史から、田川夫婦が同船するから船の中で紹介してやるといい聞かせられていた。田川といえば、法曹界ではかなり名の聞こえた割合に、どこといって取りとめた特色もない政客ではあるが、その人の名はむしろ夫人のうわさのために世人の記憶にあざやかであった。感受力の鋭敏なそしてなんらかの意味で自分の敵に回さなければならない人に対してことに注意深い葉子の頭には、その夫人の面影は長い事宿題として考えられていた。葉子の頭に描かれた夫人は我の強い、情の恣ままな、野心の深い割合に手練の露骨な、良人を軽く見てややともすると笠にかかりながら、それでいて良人から独立する事の到底できない、いわば心の弱い強がり家ではないかしらんというのだった。葉子は今後ろ向きになった田川夫人の肩の様子を一目見たばかりで、辞書でも繰り当てたように、自分の想像の裏書きをされたのを胸の中でほほえまずにはいられなかった。
「なんだか話が混雑したようだけれども、それだけいって置いてください」
ふと葉子は幻想から破れて、古藤のいうこれだけの言葉を捕えた。そして今まで古藤の口から出た伝言の文句はたいてい聞きもらしていたくせに、空々しげにもなくしんみりとした様子で、
「確かに……けれどもあなたあとから手紙ででも詳しく書いてやってくださいましね。間違いでもしているとたいへんですから」
と古藤をのぞき込むようにしていった。古藤は思わず笑いをもらしながら、「間違うとたいへんですから」という言葉を、時おり葉子の口から聞くチャームに満ちた子供らしい言葉の一つとでも思っているらしかった。そして、
「何、間違ったって大事はないけれども……だが手紙は書いて、あなたの寝床の枕の下に置いときましたから、部屋に行ったらどこにでもしまっておいてください。それから、それと一緒にもう一つ……」
といいかけたが、
「何しろ忘れずに枕の下を見てください」
この時突然「田川法学博士万歳」という大きな声が、桟橋からデッキまでどよみ渡って聞こえて来た。葉子と古藤とは話の腰を折られて互いに不快な顔をしながら、手欄から下のほうをのぞいて見ると、すぐ目の下に、そのころ人の少し集まる所にはどこにでも顔を出す轟という剣舞の師匠だか撃剣の師匠だかする頑丈な男が、大きな五つ紋の黒羽織に白っぽい鰹魚縞の袴をはいて、桟橋の板を朴の木下駄で踏み鳴らしながら、ここを先途とわめいていた。その声に応じて、デッキまではのぼって来ない壮士体の政客や某私立政治学校の生徒が一斉に万歳を繰り返した。デッキの上の外国船客は物珍しさにいち早く、葉子がよりかかっている手欄のほうに押し寄せて来たので、葉子は古藤を促して、急いで手欄の折れ曲がったかどに身を引いた。田川夫婦もほほえみながら、サルンから挨拶のために近づいて来た。葉子はそれを見ると、古藤のそばに寄り添ったまま、左手をやさしく上げて、鬢のほつれをかき上げながら、頭を心持ち左にかしげてじっと田川の目を見やった。田川は桟橋のほうに気を取られて急ぎ足で手欄のほうに歩いていたが、突然見えぬ力にぐっと引きつけられたように、葉子のほうに振り向いた。
田川夫人も思わず良人の向くほうに頭を向けた。田川の威厳に乏しい目にも鋭い光がきらめいては消え、さらにきらめいて消えたのを見すまして、葉子は始めて田川夫人の目を迎えた。額の狭い、顎の固い夫人の顔は、軽蔑と猜疑の色をみなぎらして葉子に向かった。葉子は、名前だけをかねてから聞き知って慕っていた人を、今目の前に見たように、うやうやしさと親しみとの交じり合った表情でこれに応じた。そしてすぐそのばから、夫人の前にも頓着なく、誘惑のひとみを凝らしてその良人の横顔をじっと見やるのだった。
「田川法学博士夫人万歳」「万歳」「万歳」
田川その人に対してよりもさらに声高な大歓呼が、桟橋にいて傘を振り帽子を動かす人々の群れから起こった。田川夫人は忙しく葉子から目を移して、群集に取っときの笑顔を見せながら、レースで笹縁を取ったハンケチを振らねばならなかった。田川のすぐそばに立って、胸に何か赤い花をさして型のいいフロック・コートを着て、ほほえんでいた風流な若紳士は、桟橋の歓呼を引き取って、田川夫人の面前で帽子を高くあげて万歳を叫んだ。デッキの上はまた一しきりどよめき渡った。
やがて甲板の上は、こんな騒ぎのほかになんとなく忙しくなって来た。事務員や水夫たちが、物せわしそうに人中を縫うてあちこちする間に、手を取り合わんばかりに近よって別れを惜しむ人々の群れがここにもかしこにも見え始めた。サルン・デッキから見ると、三等客の見送り人がボーイ長にせき立てられて、続々舷門から降り始めた。それと入れ代わりに、帽子、上着、ズボン、ネクタイ、靴などの調和の少しも取れていないくせに、むやみに気取った洋装をした非番の下級船員たちが、ぬれた傘を光らしながら駆けこんで来た。その騒ぎの間に、一種生臭いような暖かい蒸気が甲板の人を取り巻いて、フォクスルのほうで、今までやかましく荷物をまき上げていた扛重機の音が突然やむと、かーんとするほど人々の耳はかえって遠くなった。隔たった所から互いに呼びかわす水夫らの高い声は、この船にどんな大危険でも起こったかと思わせるような不安をまき散らした。親しい間の人たちは別れの切なさに心がわくわくしてろくに口もきかず、義理一ぺんの見送り人は、ややともするとまわりに気が取られて見送るべき人を見失う。そんなあわただしい抜錨の間ぎわになった。葉子の前にも、急にいろいろな人が寄り集まって来て、思い思いに別れの言葉を残して船を降り始めた。葉子はこんな混雑な間にも田川のひとみが時々自分に向けられるのを意識して、そのひとみを驚かすようななまめいたポーズや、たよりなげな表情を見せるのを忘れないで、言葉少なにそれらの人に挨拶した。叔父と叔母とは墓の穴まで無事に棺を運んだ人夫のように、通り一ぺんの事をいうと、預かり物を葉子に渡して、手の塵をはたかんばかりにすげなく、まっ先に舷梯を降りて行った。葉子はちらっと叔母の後ろ姿を見送って驚いた。今の今までどことて似通う所の見えなかった叔母も、その姉なる葉子の母の着物を帯まで借りて着込んでいるのを見ると、はっと思うほどその姉にそっくりだった。葉子はなんという事なしにいやな心持ちがした。そしてこんな緊張した場合にこんなちょっとした事にまでこだわる自分を妙に思った。そう思う間もあらせず、今度は親類の人たちが五六人ずつ、口々に小やかましく何かいって、あわれむような妬むような目つきを投げ与えながら、幻影のように葉子の目と記憶とから消えて行った。丸髷に結ったり教師らしい地味な束髪に上げたりしている四人の学校友だちも、今は葉子とはかけ隔たった境界の言葉づかいをして、昔葉子に誓った言葉などは忘れてしまった裏切り者の空々しい涙を見せたりして、雨にぬらすまいと袂を大事にかばいながら、傘にかくれてこれも舷梯を消えて行ってしまった。最後に物おじする様子の乳母が葉子の前に来て腰をかがめた。葉子はとうとう行き詰まる所まで来たような思いをしながら、振り返って古藤を見ると、古藤は依然として手欄に身を寄せたまま、気抜けでもしたように、目を据えて自分の二三間先をぼんやりながめていた。
「義一さん、船の出るのも間が無さそうですからどうか此女……わたしの乳母ですの……の手を引いておろしてやってくださいましな。すべりでもすると怖うござんすから」
と葉子にいわれて古藤は始めてわれに返った。そしてひとり言のように、
「この船で僕もアメリカに行って見たいなあ」
とのんきな事をいった。
「どうか桟橋まで見てやってくださいましね。あなたもそのうちぜひいらっしゃいましな……義一さんそれではこれでお別れ。ほんとうに、ほんとうに」
といいながら葉子はなんとなく親しみをいちばん深くこの青年に感じて、大きな目で古藤をじっと見た。古藤も今さらのように葉子をじっと見た。
「お礼の申しようもありません。この上のお願いです。どうぞ妹たちを見てやってくださいまし。あんな人たちにはどうしたって頼んではおけませんから。……さようなら」
「さようなら」
古藤は鸚鵡返しに没義道にこれだけいって、ふいと手欄を離れて、麦稈帽子を目深にかぶりながら、乳母に付き添った。
葉子は階子の上がり口まで行って二人に傘をかざしてやって、一段一段遠ざかって行く二人の姿を見送った。東京で別れを告げた愛子や貞世の姿が、雨にぬれた傘のへんを幻影となって見えたり隠れたりしたように思った。葉子は不思議な心の執着から定子にはとうとう会わないでしまった。愛子と貞世とはぜひ見送りがしたいというのを、葉子はしかりつけるようにいってとめてしまった。葉子が人力車で家を出ようとすると、なんの気なしに愛子が前髪から抜いて鬢をかこうとした櫛が、もろくもぽきりと折れた。それを見ると愛子は堪え堪えていた涙の堰を切って声を立てて泣き出した。貞世は初めから腹でも立てたように、燃えるような目からとめどなく涙を流して、じっと葉子を見つめてばかりいた。そんな痛々しい様子がその時まざまざと葉子の目の前にちらついたのだ。一人ぽっちで遠い旅に鹿島立って行く自分というものがあじきなくも思いやられた。そんな心持ちになると忙しい間にも葉子はふと田川のほうを振り向いて見た。中学校の制服を着た二人の少年と、髪をお下げにして、帯をおはさみにしめた少女とが、田川と夫人との間にからまってちょうど告別をしているところだった。付き添いの守りの女が少女を抱き上げて、田川夫人の口びるをその額に受けさしていた。葉子はそんな場面を見せつけられると、他人事ながら自分が皮肉でむちうたれるように思った。竜をも化して牝豚にするのは母となる事だ。今の今まで焼くように定子の事を思っていた葉子は、田川夫人に対してすっかり反対の事を考えた。葉子はそのいまいましい光景から目を移して舷梯のほうを見た。しかしそこにはもう乳母の姿も古藤の影もなかった。
たちまち船首のほうからけたたましい銅鑼の音が響き始めた。船の上下は最後のどよめきに揺らぐように見えた。長い綱を引きずって行く水夫が帽子の落ちそうになるのを右の手でささえながら、あたりの空気に激しい動揺を起こすほどの勢いで急いで葉子のかたわらを通りぬけた。見送り人は一斉に帽子を脱いで舷梯のほうに集まって行った。その際になって五十川女史ははたと葉子の事を思い出したらしく、田川夫人に何かいっておいて葉子のいる所にやって来た。
「いよいよお別れになったが、いつぞやお話しした田川の奥さんにおひきあわせしようからちょっと」
葉子は五十川女史の親切ぶりの犠牲になるのを承知しつつ、一種の好奇心にひかされて、そのあとについて行こうとした。葉子に初めて物をいう田川の態度も見てやりたかった。その時、
「葉子さん」
と突然いって、葉子の肩に手をかけたものがあった。振り返るとビールの酔いのにおいがむせかえるように葉子の鼻を打って、目の心まで紅くなった知らない若者の顔が、近々と鼻先にあらわれていた。はっと身を引く暇もなく、葉子の肩はびしょぬれになった酔いどれの腕でがっしりと巻かれていた。
「葉子さん、覚えていますかわたしを……あなたはわたしの命なんだ。命なんです」
といううちにも、その目からはほろほろと煮えるような涙が流れて、まだうら若いなめらかな頬を伝った。膝から下がふらつくのを葉子にすがって危うくささえながら、
「結婚をなさるんですか……おめでとう……おめでとう……だがあなたが日本にいなくなると思うと……いたたまれないほど心細いんだ……わたしは……」
もう声さえ続かなかった。そして深々と息気をひいてしゃくり上げながら、葉子の肩に顔を伏せてさめざめと男泣きに泣き出した。
この不意な出来事はさすがに葉子を驚かしもし、きまりも悪くさせた。だれだとも、いつどこであったとも思い出す由がない。木部孤笻と別れてから、何という事なしに捨てばちな心地になって、だれかれの差別もなく近寄って来る男たちに対して勝手気ままを振る舞ったその間に、偶然に出あって偶然に別れた人の中の一人でもあろうか。浅い心でもてあそんで行った心の中にこの男の心もあったであろうか。とにかく葉子には少しも思い当たる節がなかった。葉子はその男から離れたい一心に、手に持った手鞄と包み物とを甲板の上にほうりなげて、若者の手をやさしく振りほどこうとして見たが無益だった。親類や朋輩たちの事あれがしな目が等しく葉子に注がれているのを葉子は痛いほど身に感じていた。と同時に、男の涙が薄い単衣の目を透して、葉子の膚にしみこんで来るのを感じた。乱れたつやつやしい髪のにおいもつい鼻の先で葉子の心を動かそうとした。恥も外聞も忘れ果てて、大空の下ですすり泣く男の姿を見ていると、そこにはかすかな誇りのような気持ちがわいて来た。不思議な憎しみといとしさがこんがらかって葉子の心の中で渦巻いた。葉子は、
「さ、もう放してくださいまし、船が出ますから」
ときびしくいって置いて、かんで含めるように、
「だれでも生きてる間は心細く暮らすんですのよ」
とその耳もとにささやいて見た。若者はよくわかったというふうに深々とうなずいた。しかし葉子を抱く手はきびしく震えこそすれ、ゆるみそうな様子は少しも見えなかった。
物々しい銅鑼の響きは左舷から右舷に回って、また船首のほうに聞こえて行こうとしていた。船員も乗客も申し合わしたように葉子のほうを見守っていた。先刻から手持ちぶさたそうにただ立って成り行きを見ていた五十川女史は思いきって近寄って来て、若者を葉子から引き離そうとしたが、若者はむずかる子供のように地だんだを踏んでますます葉子に寄り添うばかりだった。船首のほうに群がって仕事をしながら、この様子を見守っていた水夫たちは一斉に高く笑い声を立てた。そしてその中の一人はわざと船じゅうに聞こえ渡るようなくさめをした。抜錨の時刻は一秒一秒に逼っていた。物笑いの的になっている、そう思うと葉子の心はいとしさから激しいいとわしさに変わって行った。
「さ、お放しください、さ」
ときわめて冷酷にいって、葉子は助けを求めるようにあたりを見回した。
田川博士のそばにいて何か話をしていた一人の大兵な船員がいたが、葉子の当惑しきった様子を見ると、いきなり大股に近づいて来て、
「どれ、わたしが下までお連れしましょう」
というや否や、葉子の返事も待たずに若者を事もなく抱きすくめた。若者はこの乱暴にかっとなって怒り狂ったが、その船員は小さな荷物でも扱うように、若者の胴のあたりを右わきにかいこんで、やすやすと舷梯を降りて行った。五十川女史はあたふたと葉子に挨拶もせずにそのあとに続いた。しばらくすると若者は桟橋の群集の間に船員の手からおろされた。
けたたましい汽笛が突然鳴りはためいた。田川夫妻の見送り人たちはこの声で活を入れられたようになって、どよめき渡りながら、田川夫妻の万歳をもう一度繰り返した。若者を桟橋に連れて行った、かの巨大な船員は、大きな体躯を猿のように軽くもてあつかって、音も立てずに桟橋からずしずしと離れて行く船の上にただ一条の綱を伝って上がって来た。人々はまたその早業に驚いて目を見張った。
葉子の目は怒気を含んで手欄からしばらくの間かの若者を見据えていた。若者は狂気のように両手を広げて船に駆け寄ろうとするのを、近所に居合わせた三四人の人があわてて引き留める、それをまたすり抜けようとして組み伏せられてしまった。若者は組み伏せられたまま左の腕を口にあてがって思いきりかみしばりながら泣き沈んだ。その牛のうめき声のような泣き声が気疎く船の上まで聞こえて来た。見送り人は思わず鳴りを静めてこの狂暴な若者に目を注いだ。葉子も葉子で、姿も隠さず手欄に片手をかけたまま突っ立って、同じくこの若者を見据えていた。といって葉子はその若者の上ばかりを思っているのではなかった。自分でも不思議だと思うような、うつろな余裕がそこにはあった。古藤が若者のほうには目もくれずにじっと足もとを見つめているのにも気が付いていた。死んだ姉の晴れ着を借り着していい心地になっているような叔母の姿も目に映っていた。船のほうに後ろを向けて(おそらくそれは悲しみからばかりではなかったろう。その若者の挙動が老いた心をひしいだに違いない)手ぬぐいをしっかりと両眼にあてている乳母も見のがしてはいなかった。
いつのまに動いたともなく船は桟橋から遠ざかっていた。人の群れが黒蟻のように集まったそこの光景は、葉子の目の前にひらけて行く大きな港の景色の中景になるまでに小さくなって行った。葉子の目は葉子自身にも疑われるような事をしていた。その目は小さくなった人影の中から乳母の姿を探り出そうとせず、一種のなつかしみを持つ横浜の市街を見納めにながめようとせず、凝然として小さくうずくまる若者ののらしい黒点を見つめていた。若者の叫ぶ声が、桟橋の上で打ち振るハンケチの時々ぎらぎらと光るごとに、葉子の頭の上に張り渡された雨よけの帆布の端から余滴がぽつりぽつりと葉子の顔を打つたびに、断続して聞こえて来るように思われた。
「葉子さん、あなたは私を見殺しにするんですか……見殺しにするん……」
一〇
始めての旅客も物慣れた旅客も、抜錨したばかりの船の甲板に立っては、落ち付いた心でいる事ができないようだった。跡始末のために忙しく右往左往する船員の邪魔になりながら、何がなしの興奮にじっとしてはいられないような顔つきをして、乗客は一人残らず甲板に集まって、今まで自分たちがそば近く見ていた桟橋のほうに目を向けていた。葉子もその様子だけでいうと、他の乗客と同じように見えた。葉子は他の乗客と同じように手欄によりかかって、静かな春雨のように降っている雨のしずくに顔をなぶらせながら、波止場のほうをながめていたが、けれどもそのひとみにはなんにも映ってはいなかった。その代わり目と脳との間と覚しいあたりを、親しい人や疎い人が、何かわけもなくせわしそうに現われ出て、銘々いちばん深い印象を与えるような動作をしては消えて行った。葉子の知覚は半分眠ったようにぼんやりして注意するともなくその姿に注意をしていた。そしてこの半睡の状態が破れでもしたらたいへんな事になると、心のどこかのすみでは考えていた。そのくせ、それを物々しく恐れるでもなかった。からだまでが感覚的にしびれるような物うさを覚えた。
若者が現われた。(どうしてあの男はそれほどの因縁もないのに執念く付きまつわるのだろうと葉子は他人事のように思った)その乱れた美しい髪の毛が、夕日とかがやくまぶしい光の中で、ブロンドのようにきらめいた。かみしめたその左の腕から血がぽたぽたとしたたっていた。そのしたたりが腕から離れて宙に飛ぶごとに、虹色にきらきらと巴を描いて飛び跳った。
「……わたしを見捨てるん……」
葉子はその声をまざまざと聞いたと思った時、目がさめたようにふっとあらためて港を見渡した。そして、なんの感じも起こさないうちに、熟睡からちょっと驚かされた赤児が、またたわいなく眠りに落ちて行くように、再び夢ともうつつともない心に返って行った。港の景色はいつのまにか消えてしまって、自分で自分の腕にしがみ付いた若者の姿が、まざまざと現われ出た。葉子はそれを見ながらどうしてこんな変な心持ちになるのだろう。血のせいとでもいうのだろうか。事によるとヒステリーにかかっているのではないかしらんなどとのんきに自分の身の上を考えていた。いわば悠々閑々と澄み渡った水の隣に、薄紙一重の界も置かず、たぎり返って渦巻き流れる水がある。葉子の心はその静かなほうの水に浮かびながら、滝川の中にもまれもまれて落ちて行く自分というものを他人事のようにながめやっているようなものだった。葉子は自分の冷淡さにあきれながら、それでもやっぱり驚きもせず、手欄によりかかってじっと立っていた。
「田川法学博士」
葉子はまたふといたずら者らしくこんなことを思っていた。が、田川夫妻が自分と反対の舷の籐椅子に腰かけて、世辞世辞しく近寄って来る同船者と何か戯談口でもきいているとひとりで決めると、安心でもしたように幻想はまたかの若者にかえって行った。葉子はふと右の肩に暖かみを覚えるように思った。そこには若者の熱い涙が浸み込んでいるのだ。葉子は夢遊病者のような目つきをして、やや頭を後ろに引きながら肩の所を見ようとすると、その瞬間、若者を船から桟橋に連れ出した船員の事がはっと思い出されて、今まで盲いていたような目に、まざまざとその大きな黒い顔が映った。葉子はなお夢みるような目を見開いたまま、船員の濃い眉から黒い口髭のあたりを見守っていた。
船はもうかなり速力を早めて、霧のように降るともなく降る雨の中を走っていた。舷側から吐き出される捨て水の音がざあざあと聞こえ出したので、遠い幻想の国から一足飛びに取って返した葉子は、夢ではなく、まがいもなく目の前に立っている船員を見て、なんという事なしにぎょっとほんとうに驚いて立ちすくんだ。始めてアダムを見たイヴのように葉子はまじまじと珍しくもないはずの一人の男を見やった。
「ずいぶん長い旅ですが、何、もうこれだけ日本が遠くなりましたんだ」
といってその船員は右手を延べて居留地の鼻を指さした。がっしりした肩をゆすって、勢いよく水平に延ばしたその腕からは、強くはげしく海上に生きる男の力がほとばしった。葉子は黙ったまま軽くうなずいた、胸の下の所に不思議な肉体的な衝動をかすかに感じながら。
「お一人ですな」
塩がれた強い声がまたこう響いた。葉子はまた黙ったまま軽くうなずいた。
船はやがて乗りたての船客の足もとにかすかな不安を与えるほどに速力を早めて走り出した。葉子は船員から目を移して海のほうを見渡して見たが、自分のそばに一人の男が立っているという、強い意識から起こって来る不安はどうしても消す事ができなかった。葉子にしてはそれは不思議な経験だった。こっちから何か物をいいかけて、この苦しい圧迫を打ち破ろうと思ってもそれができなかった。今何か物をいったらきっとひどい不自然な物のいいかたになるに決まっている。そうかといってその船員には無頓着にもう一度前のような幻想に身を任せようとしてもだめだった。神経が急にざわざわと騒ぎ立って、ぼーっと煙った霧雨のかなたさえ見とおせそうに目がはっきりして、先ほどのおっかぶさるような暗愁は、いつのまにかはかない出来心のしわざとしか考えられなかった。その船員は傍若無人に衣嚢の中から何か書いた物を取り出して、それを鉛筆でチェックしながら、時々思い出したように顔を引いて眉をしかめながら、襟の折り返しについたしみを、親指の爪でごしごしと削ってははじいていた。
葉子の神経はそこにいたたまれないほどちかちかと激しく働き出した。自分と自分との間にのそのそと遠慮もなく大股ではいり込んで来る邪魔者でも避けるように、その船員から遠ざかろうとして、つと手欄から離れて自分の船室のほうに階子段を降りて行こうとした。
「どこにおいでです」
後ろから、葉子の頭から爪先までを小さなものででもあるように、一目に籠めて見やりながら、その船員はこう尋ねた。葉子は、
「船室まで参りますの」
と答えないわけには行かなかった。その声は葉子の目論見に反して恐ろしくしとやかな響きを立てていた。するとその男は大股で葉子とすれすれになるまで近づいて来て、
「船室ならば永田さんからのお話もありましたし、おひとり旅のようでしたから、医務室のわきに移しておきました。御覧になった前の部屋より少し窮屈かもしれませんが、何かに御便利ですよ。御案内しましょう」
といいながら葉子をすり抜けて先に立った。何か芳醇な酒のしみと葉巻煙草とのにおいが、この男固有の膚のにおいででもあるように強く葉子の鼻をかすめた。葉子は、どしんどしんと狭い階子段を踏みしめながら降りて行くその男の太い首から広い肩のあたりをじっと見やりながらそのあとに続いた。
二十四五脚の椅子が食卓に背を向けてずらっとならべてある食堂の中ほどから、横丁のような暗い廊下をちょっとはいると、右の戸に「医務室」と書いた頑丈な真鍮の札がかかっていて、その向かいの左の戸には「No.12 早月葉子殿」と白墨で書いた漆塗りの札が下がっていた。船員はつかつかとそこにはいって、いきなり勢いよく医務室の戸をノックすると、高いダブル・カラーの前だけをはずして、上着を脱ぎ捨てた船医らしい男が、あたふたと細長いなま白い顔を突き出したが、そこに葉子が立っているのを目ざとく見て取って、あわてて首を引っ込めてしまった。船員は大きなはばかりのない声で、
「おい十二番はすっかり掃除ができたろうね」
というと、医務室の中からは女のような声で、
「さしておきましたよ。きれいになってるはずですが、御覧なすってください。わたしは今ちょっと」
と船医は姿を見せずに答えた。
「こりゃいったい船医の私室なんですが、あなたのためにお明け申すっていってくれたもんですから、ボーイに掃除するようにいいつけておきましたんです。ど、きれいになっとるかしらん」
船員はそうつぶやきながら戸をあけて一わたり中を見回した。
「むゝ、いいようです」
そして道を開いて、衣嚢から「日本郵船会社絵島丸事務長勲六等倉地三吉」と書いた大きな名刺を出して葉子に渡しながら、
「わたしが事務長をしとります。御用があったらなんでもどうか」
葉子はまた黙ったままうなずいてその大きな名刺を手に受けた。そして自分の部屋ときめられたその部屋の高い閾を越えようとすると、
「事務長さんはそこでしたか」
と尋ねながら田川博士がその夫人と打ち連れて廊下の中に立ち現われた。事務長が帽子を取って挨拶しようとしている間に、洋装の田川夫人は葉子を目ざして、スカーツの絹ずれの音を立てながらつかつかと寄って来て眼鏡の奥から小さく光る目でじろりと見やりながら、
「五十川さんがうわさしていらしった方はあなたね。なんとかおっしゃいましたねお名は」
といった。この「なんとかおっしゃいましたね」という言葉が、名もないものをあわれんで見てやるという腹を充分に見せていた。今まで事務長の前で、珍しく受け身になっていた葉子は、この言葉を聞くと、強い衝動を受けたようになってわれに返った。どういう態度で返事をしてやろうかという事が、いちばんに頭の中で二十日鼠のようにはげしく働いたが、葉子はすぐ腹を決めてひどく下手に尋常に出た。「あ」と驚いたような言葉を投げておいて、丁寧に低くつむりを下げながら、
「こんな所まで……恐れ入ります。わたし早月葉と申しますが、旅には不慣れでおりますのにひとり旅でございますから……」
といってひとみを稲妻のように田川に移して、
「御迷惑ではこざいましょうが何分よろしく願います」
とまたつむりを下げた。田川はその言葉の終わるのを待ち兼ねたように引き取って、
「何不慣れはわたしの妻も同様ですよ。何しろこの船の中には女は二人ぎりだからお互いです」
とあまりなめらかにいってのけたので、妻の前でもはばかるように今度は態度を改めながら事務長に向かって、
「チャイニース・ステアレージには何人ほどいますか日本の女は」
と問いかけた。事務長は例の塩から声で
「さあ、まだ帳簿もろくろく整理して見ませんから、しっかりとはわかり兼ねますが、何しろこのごろはだいぶふえました。三四十人もいますか。奥さんここが医務室です。何しろ九月といえば旧の二八月の八月ですから、太平洋のほうは暴ける事もありますんだ。たまにはここにも御用ができますぞ。ちょっと船医も御紹介しておきますで」
「まあそんなに荒れますか」
と田川夫人は実際恐れたらしく、葉子を顧みながら少し色をかえた。事務長は事もなげに、
「暴けますんだずいぶん」
と今度は葉子のほうをまともに見やってほほえみながら、おりから部屋を出て来た興録という船医を三人に引き合わせた。
田川夫妻を見送ってから葉子は自分の部屋にはいった。さらぬだにどこかじめじめするような船室には、きょうの雨のために蒸すような空気がこもっていて、汽船特有な西洋臭いにおいがことに強く鼻についた。帯の下になった葉子の胸から背にかけたあたりは汗がじんわりにじみ出たらしく、むしむしするような不愉快を感ずるので、狭苦しい寝台を取りつけたり、洗面台を据えたりしてあるその間に、窮屈に積み重ねられた小荷物を見回しながら、帯を解き始めた。化粧鏡の付いた箪笥の上には、果物のかごが一つと花束が二つ載せてあった。葉子は襟前をくつろげながら、だれからよこしたものかとその花束の一つを取り上げると、そのそばから厚い紙切れのようなものが出て来た。手に取って見ると、それは手札形の写真だった。まだ女学校に通っているらしい、髪を束髪にした娘の半身像で、その裏には「興録さま。取り残されたる千代より」としてあった。そんなものを興録がしまい忘れるはずがない。わざと忘れたふうに見せて、葉子の心に好奇心なり軽い嫉妬なりをあおり立てようとする、あまり手もとの見えすいたからくりだと思うと、葉子はさげすんだ心持ちで、犬にでもするようにぽいとそれを床の上にほうりなげた。一人の旅の婦人に対して船の中の男の心がどういうふうに動いているかをその写真一枚が語り貌だった、葉子はなんという事なしに小さな皮肉な笑いを口びるの所に浮かべていた。
寝台の下に押し込んである平べったいトランクを引き出して、その中から浴衣を取り出していると、ノックもせずに突然戸をあけたものがあった。葉子は思わず羞恥から顔を赤らめて、引き出した派手な浴衣を楯に、しだらなく脱ぎかけた長襦袢の姿をかくまいながら立ち上がって振り返って見ると、それは船医だった。はなやかな下着を浴衣の所々からのぞかせて、帯もなくほっそりと途方に暮れたように身を斜にして立った葉子の姿は、男の目にはほしいままな刺激だった。懇意ずくらしく戸もたたかなかった興録もさすがにどぎまぎして、はいろうにも出ようにも所在に窮して、閾に片足を踏み入れたまま当惑そうに立っていた。
「飛んだふうをしていまして御免くださいまし。さ、おはいり遊ばせ。なんぞ御用でもいらっしゃいましたの」
と葉子は笑いかまけたようにいった。興録はいよいよ度を失いながら、
「いゝえ何、今でなくってもいいのですが、元のお部屋のお枕の下にこの手紙が残っていましたのを、ボーイが届けて来ましたんで、早くさし上げておこうと思って実は何したんでしたが……」
といいながら衣嚢から二通の手紙を取り出した。手早く受け取って見ると、一つは古藤が木村にあてたもの、一つは葉子にあてたものだった。興録はそれを手渡すと、一種の意味ありげな笑いを目だけに浮かべて、顔だけはいかにももっともらしく葉子を見やっていた。自分のした事を葉子もしたと興録は思っているに違いない。葉子はそう推量すると、かの娘の写真を床の上から拾い上げた。そしてわざと裏を向けながら見向きもしないで、
「こんなものがここにも落ちておりましたの。お妹さんでいらっしゃいますか。おきれいですこと」
といいながらそれをつき出した。
興録は何かいいわけのような事をいって部屋を出て行った。と思うとしばらくして医務室のほうから事務長のらしい大きな笑い声が聞こえて来た。それを聞くと、事務長はまだそこにいたかと、葉子はわれにもなくはっとなって、思わず着かえかけた着物の衣紋に左手をかけたまま、うつむきかげんになって横目をつかいながら耳をそばだてた。破裂するような事務長の笑い声がまた聞こえて来た。そして医務室の戸をさっとあけたらしく、声が急に一倍大きくなって、
「Devil take it! No tame creature then,eh?」と乱暴にいう声が聞こえたが、それとともにマッチをする音がして、やがて葉巻をくわえたままの口ごもりのする言葉で、
「もうじき検疫船だ。準備はいいだろうな」
といい残したまま事務長は船医の返事も待たずに行ってしまったらしかった。かすかなにおいが葉子の部屋にも通って来た。
葉子は聞き耳をたてながらうなだれていた顔を上げると、正面をきって何という事なしに微笑をもらした。そしてすぐぎょっとしてあたりを見回したが、われに返って自分一人きりなのに安堵して、いそいそと着物を着かえ始めた。
一一
絵島丸が横浜を抜錨してからもう三日たった。東京湾を出抜けると、黒潮に乗って、金華山沖あたりからは航路を東北に向けて、まっしぐらに緯度を上って行くので、気温は二日目あたりから目立って涼しくなって行った。陸の影はいつのまにか船のどの舷からもながめる事はできなくなっていた。背羽根の灰色な腹の白い海鳥が、時々思い出したようにさびしい声でなきながら、船の周囲を群れ飛ぶほかには、生き物の影とては見る事もできないようになっていた。重い冷たい潮霧が野火の煙のように濛々と南に走って、それが秋らしい狭霧となって、船体を包むかと思うと、たちまちからっと晴れた青空を船に残して消えて行ったりした。格別の風もないのに海面は色濃く波打ち騒いだ。三日目からは船の中に盛んにスティームが通り始めた。
葉子はこの三日というもの、一度も食堂に出ずに船室にばかり閉じこもっていた。船に酔ったからではない。始めて遠い航海を試みる葉子にしては、それが不思議なくらいたやすい旅だった。ふだん以上に食欲さえ増していた。神経に強い刺激が与えられて、とかく鬱結しやすかった血液も濃く重たいなりにもなめらかに血管の中を循環し、海から来る一種の力がからだのすみずみまで行きわたって、うずうずするほどな活力を感じさせた。もらし所のないその活気が運動もせずにいる葉子のからだから心に伝わって、一種の悒鬱に変わるようにさえ思えた。
葉子はそれでも船室を出ようとはしなかった。生まれてから始めて孤独に身を置いたような彼女は、子供のようにそれが楽しみたかったし、また船中で顔見知りのだれかれができる前に、これまでの事、これからの事を心にしめて考えてもみたいとも思った。しかし葉子が三日の間船室に引きこもり続けた心持ちには、もう少し違ったものもあった。葉子は自分が船客たちから激しい好奇の目で見られようとしているのを知っていた。立役は幕明きから舞台に出ているものではない。観客が待ちに待って、待ちくたぶれそうになった時分に、しずしずと乗り出して、舞台の空気を思うさま動かさねばならぬのだ。葉子の胸の中にはこんなずるがしこいいたずらな心も潜んでいたのだ。
三日目の朝電燈が百合の花のしぼむように消えるころ葉子はふと深い眠りから蒸し暑さを覚えて目をさました。スティームの通って来るラディエターから、真空になった管の中に蒸汽の冷えたしたたりが落ちて立てる激しい響きが聞こえて、部屋の中は軽く汗ばむほど暖まっていた。三日の間狭い部屋の中ばかりにいてすわり疲れ寝疲れのした葉子は、狭苦しい寝台の中に窮屈に寝ちぢまった自分を見いだすと、下になった半身に軽いしびれを覚えて、からだを仰向けにした。そして一度開いた目を閉じて、美しく円味を持った両の腕を頭の上に伸ばして、寝乱れた髪をもてあそびながら、さめぎわの快い眠りにまた静かに落ちて行った。が、ほどもなくほんとうに目をさますと、大きく目を見開いて、あわてたように腰から上を起こして、ちょうど目通りのところにあるいちめんに水気で曇った眼窓を長い袖で押しぬぐって、ほてった頬をひやひやするその窓ガラスにすりつけながら外を見た、夜はほんとうには明け離れていないで、窓の向こうには光のない濃い灰色がどんよりと広がっているばかりだった。そして自分のからだがずっと高まってやがてまた落ちて行くなと思わしいころに、窓に近い舷にざあっとあたって砕けて行く波濤が、単調な底力のある震動を船室に与えて、船はかすかに横にかしいだ。葉子は身動きもせずに目にその灰色をながめながら、かみしめるように船の動揺を味わって見た。遠く遠く来たという旅情が、さすがにしみじみと感ぜられた。しかし葉子の目には女らしい涙は浮かばなかった。活気のずんずん回復しつつあった彼女には何かパセティックな夢でも見ているような思いをさせた。
葉子はそうしたままで、過ぐる二日の間暇にまかせて思い続けた自分の過去を夢のように繰り返していた。連絡のない終わりのない絵巻がつぎつぎに広げられたり巻かれたりした。キリストを恋い恋うて、夜も昼もやみがたく、十字架を編み込んだ美しい帯を作って献げようと一心に、日課も何もそっちのけにして、指の先がささくれるまで編み針を動かした可憐な少女も、その幻想の中に現われ出た。寄宿舎の二階の窓近く大きな花を豊かに開いた木蘭の香いまでがそこいらに漂っているようだった。国分寺跡の、武蔵野の一角らしい櫟の林も現われた。すっかり少女のような無邪気な素直な心になってしまって、孤笻の膝に身も魂も投げかけながら、涙とともにささやかれる孤笻の耳うちのように震えた細い言葉を、ただ「はいはい」と夢心地にうなずいてのみ込んだ甘い場面は、今の葉子とは違った人のようだった。そうかと思うと左岸の崕の上から広瀬川を越えて青葉山をいちめんに見渡した仙台の景色がするすると開け渡った。夏の日は北国の空にもあふれ輝いて、白い礫の河原の間をまっさおに流れる川の中には、赤裸な少年の群れが赤々とした印象を目に与えた。草を敷かんばかりに低くうずくまって、はなやかな色合いのパラソルに日をよけながら、黙って思いにふける一人の女――その時には彼女はどの意味からも女だった――どこまでも満足の得られない心で、だんだんと世間から埋もれて行かねばならないような境遇に押し込められようとする運命。確かに道を踏みちがえたとも思い、踏みちがえたのは、だれがさした事だと神をすらなじってみたいような思い。暗い産室も隠れてはいなかった。そこの恐ろしい沈黙の中から起こる強い快い赤児の産声――やみがたい母性の意識――「われすでに世に勝てり」とでもいってみたい不思議な誇り――同時に重く胸を押えつける生の暗い急変。かかる時思いも設けず力強く迫って来る振り捨てた男の執着。あすをも頼み難い命の夕闇にさまよいながら、切れ切れな言葉で葉子と最後の妥協を結ぼうとする病床の母――その顔は葉子の幻想を断ち切るほどの強さで現われ出た。思い入った決心を眉に集めて、日ごろの楽天的な性情にも似ず、運命と取り組むような真剣な顔つきで大事の結着を待つ木村の顔。母の死をあわれむとも悲しむとも知れない涙を目にはたたえながら、氷のように冷え切った心で、うつむいたまま、口一つきかない葉子自身の姿……そんな幻像があるいはつぎつぎに、あるいは折り重なって、灰色の霧の中に動き現われた。そして記憶はだんだんと過去から現在のほうに近づいて来た。と、事務長の倉地の浅黒く日に焼けた顔と、その広い肩とが思い出された。葉子は思いもかけないものを見いだしたようにはっとなると、その幻像はたわいもなく消えて、記憶はまた遠い過去に帰って行った。それがまただんだん現在のほうに近づいて来たと思うと、最後にはきっと倉地の姿が現われ出た。
それが葉子をいらいらさせて、葉子は始めて夢現の境からほんとうに目ざめて、うるさいものでも払いのけるように、眼窓から目をそむけて寝台を離れた。葉子の神経は朝からひどく興奮していた。スティームで存分に暖まって来た船室の中の空気は息気苦しいほどだった。
船に乗ってからろくろく運動もせずに、野菜気の少ない物ばかりをむさぼり食べたので、身内の血には激しい熱がこもって、毛のさきへまでも通うようだった。寝台から立ち上がった葉子は瞑眩を感ずるほどに上気して、氷のような冷たいものでもひしと抱きしめたい気持ちになった。で、ふらふらと洗面台のほうに行って、ピッチャーの水をなみなみと陶器製の洗面盤にあけて、ずっぷりひたした手ぬぐいをゆるく絞って、ひやっとするのを構わず、胸をあけて、それを乳房と乳房との間にぐっとあてがってみた。強いはげしい動悸が押えている手のひらへ突き返して来た。葉子はそうしたままで前の鏡に自分の顔を近づけて見た。まだ夜の気が薄暗くさまよっている中に、頬をほてらしながら深い呼吸をしている葉子の顔が、自分にすら物すごいほどなまめかしく映っていた。葉子は物好きらしく自分の顔に訳のわからない微笑をたたえて見た。
それでもそのうちに葉子の不思議な心のどよめきはしずまって行った。しずまって行くにつれ、葉子は今までの引き続きでまた瞑想的な気分に引き入れられていた。しかしその時はもう夢想家ではなかった。ごく実際的な鋭い頭が針のように光ってとがっていた。葉子はぬれ手ぬぐいを洗面盤にほうりなげておいて、静かに長椅子に腰をおろした。
笑い事ではない。いったい自分はどうするつもりでいるんだろう。そう葉子は出発以来の問いをもう一度自分に投げかけてみた。小さい時からまわりの人たちにはばかられるほど才はじけて、同じ年ごろの女の子とはいつでも一調子違った行きかたを、するでもなくして来なければならなかった自分は、生まれる前から運命にでも呪われているのだろうか。それかといって葉子はなべての女の順々に通って行く道を通る事はどうしてもできなかった。通って見ようとした事は幾度あったかわからない。こうさえ行けばいいのだろうと通って来て見ると、いつでも飛んでもなく違った道を歩いている自分を見いだしてしまっていた。そしてつまずいては倒れた。まわりの人たちは手を取って葉子を起こしてやる仕方も知らないような顔をしてただばからしくあざわらっている。そんなふうにしか葉子には思えなかった。幾度ものそんな苦い経験が葉子を片意地な、少しも人をたよろうとしない女にしてしまった。そして葉子はいわば本能の向かせるように向いてどんどん歩くよりしかたがなかった。葉子は今さらのように自分のまわりを見回して見た。いつのまにか葉子はいちばん近しいはずの人たちからもかけ離れて、たった一人で崕のきわに立っていた。そこでただ一つ葉子を崕の上につないでいる綱には木村との婚約という事があるだけだ。そこに踏みとどまればよし、さもなければ、世の中との縁はたちどころに切れてしまうのだ。世の中に活きながら世の中との縁が切れてしまうのだ。木村との婚約で世の中は葉子に対して最後の和睦を示そうとしているのだ。葉子に取って、この最後の機会をも破り捨てようというのはさすがに容易ではなかった。木村といふ首桎を受けないでは生活の保障が絶え果てなければならないのだから。葉子の懐中には百五十ドルの米貨があるばかりだった。定子の養育費だけでも、米国に足をおろすや否や、すぐに木村にたよらなければならないのは目の前にわかっていた。後詰めとなってくれる親類の一人もないのはもちろんの事、ややともすれば親切ごかしに無いものまでせびり取ろうとする手合いが多いのだ。たまたま葉子の姉妹の内実を知って気の毒だと思っても、葉子ではというように手出しを控えるものばかりだった。木村――葉子には義理にも愛も恋も起こり得ない木村ばかりが、葉子に対するただ一人の戦士なのだ。あわれな木村は葉子の蠱惑に陥ったばかりで、早月家の人々から否応なしにこの重い荷を背負わされてしまっているのだ。
どうしてやろう。
葉子は思い余ったその場のがれから、箪笥の上に興録から受け取ったまま投げ捨てて置いた古藤の手紙を取り上げて、白い西洋封筒の一端を美しい指の爪で丹念に細く破り取って、手筋は立派ながらまだどこかたどたどしい手跡でペンで走り書きした文句を読み下して見た。
「あなたはおさんどんになるという事を想像してみる事ができますか。おさんどんという仕事が女にあるという事を想像してみる事ができますか。僕はあなたを見る時はいつでもそう思って不思議な心持ちになってしまいます。いったい世の中には人を使って、人から使われるという事を全くしないでいいという人があるものでしょうか。そんな事ができうるものでしょうか。僕はそれをあなたに考えていただきたいのです。
あなたは奇態な感じを与える人です。あなたのなさる事はどんな危険な事でも危険らしく見えません。行きづまった末にはこうという覚悟がちゃんとできているように思われるからでしょうか。
僕があなたに始めてお目にかかったのは、この夏あなたが木村君と一緒に八幡に避暑をしておられた時ですから、あなたについては僕は、なんにも知らないといっていいくらいです。僕は第一一般的に女というものについてなんにも知りません。しかし少しでもあなたを知っただけの心持ちからいうと、女の人というものは僕に取っては不思議な謎です。あなたはどこまで行ったら行きづまると思っているんです。あなたはすでに木村君で行きづまっている人なんだと僕には思われるのです。結婚を承諾した以上はその良人に行きづまるのが女の人の当然な道ではないでしょうか。木村君で行きづまってください。木村君にあなたを全部与えてください。木村君の親友としてこれが僕の願いです。
全体同じ年齢でありながら、あなたからは僕などは子供に見えるのでしょうから、僕のいう事などは頓着なさらないかと思いますが、子供にも一つの直覚はあります。そして子供はきっぱりした物の姿が見たいのです。あなたが木村君の妻になると約束した以上は、僕のいう事にも権威があるはずだと思います。
僕はそうはいいながら一面にはあなたがうらやましいようにも、憎いようにも、かわいそうなようにも思います。あなたのなさる事が僕の理性を裏切って奇怪な同情を喚び起こすようにも思います。僕は心の底に起こるこんな働きをもしいて押しつぶして理屈一方に固まろうとは思いません。それほど僕は道学者ではないつもりです。それだからといって、今のままのあなたでは、僕にはあなたを敬親する気は起こりません。木村君の妻としてあなたを敬親したいから、僕はあえてこんな事を書きました。そういう時が来るようにしてほしいのです。
木村君の事を――あなたを熱愛してあなたのみに希望をかけている木村君の事を考えると僕はこれだけの事を書かずにはいられなくなります。
古藤義一
木村葉子様」
それは葉子に取ってはほんとうの子供っぽい言葉としか響かなかった。しかし古藤は妙に葉子には苦手だった。今も古藤の手紙を読んで見ると、ばかばかしい事がいわれているとは思いながらも、いちばん大事な急所を偶然のようにしっかり捕えているようにも感じられた。ほんとうにこんな事をしていると、子供と見くびっている古藤にもあわれまれるはめになりそうな気がしてならなかった。葉子はなんという事なく悒鬱になって古藤の手紙を巻きおさめもせず膝の上に置いたまま目をすえて、じっと考えるともなく考えた。
それにしても、新しい教育を受け、新しい思想を好み、世事にうといだけに、世の中の習俗からも飛び離れて自由でありげに見える古藤さえが、葉子が今立っている崕のきわから先には、葉子が足を踏み出すのを憎み恐れる様子を明らかに見せているのだ。結婚というものが一人の女に取って、どれほど生活という実際問題と結び付き、女がどれほどその束縛の下に悩んでいるかを考えてみる事さえしようとはしないのだ。そう葉子は思ってもみた。
これから行こうとする米国という土地の生活も葉子はひとりでにいろいろと想像しないではいられなかった。米国の人たちはどんなふうに自分を迎え入れようとはするだろう。とにかく今までの狭い悩ましい過去と縁を切って、何の関りもない社会の中に乗り込むのはおもしろい。和服よりもはるかに洋服に適した葉子は、そこの交際社会でも風俗では米国人を笑わせない事ができる。歓楽でも哀傷でもしっくりと実生活の中に織り込まれているような生活がそこにはあるに違いない。女のチャームというものが、習慣的な絆から解き放されて、その力だけに働く事のできる生活がそこにはあるに違いない。才能と力量さえあれば女でも男の手を借りずに自分をまわりの人に認めさす事のできる生活がそこにはあるに違いない。女でも胸を張って存分呼吸のできる生活がそこにはあるに違いない。少なくとも交際社会のどこかではそんな生活が女に許されているに違いない。葉子はそんな事を空想するとむずむずするほど快活になった。そんな心持ちで古藤の言葉などを考えてみると、まるで老人の繰り言のようにしか見えなかった。葉子は長い黙想の中から活々と立ち上がった。そして化粧をすますために鏡のほうに近づいた。
木村を良人とするのになんの屈託があろう。木村が自分の良人であるのは、自分が木村の妻であるというほどに軽い事だ。木村という仮面……葉子は鏡を見ながらそう思ってほほえんだ。そして乱れかかる額ぎわの髪を、振り仰いで後ろになでつけたり、両方の鬢を器用にかき上げたりして、良工が細工物でもするように楽しみながら元気よく朝化粧を終えた。ぬれた手ぬぐいで、鏡に近づけた目のまわりの白粉をぬぐい終わると、口びるを開いて美しくそろった歯並みをながめ、両方の手の指を壺の口のように一所に集めて爪の掃除が行き届いているか確かめた。見返ると船に乗る時着て来た単衣のじみな着物は、世捨て人のようにだらりと寂しく部屋のすみの帽子かけにかかったままになっていた。葉子は派手な袷をトランクの中から取り出して寝衣と着かえながら、それに目をやると、肩にしっかりとしがみ付いて、泣きおめいた彼の狂気じみた若者の事を思った。と、すぐそのそばから若者を小わきにかかえた事務長の姿が思い出された。小雨の中を、外套も着ずに、小荷物でも運んで行ったように若者を桟橋の上におろして、ちょっと五十川女史に挨拶して船から投げた綱にすがるや否や、静かに岸から離れてゆく船の甲板の上に軽々と上がって来たその姿が、葉子の心をくすぐるように楽しませて思い出された。
夜はいつのまにか明け離れていた。眼窓の外は元のままに灰色はしているが、活々とした光が添い加わって、甲板の上を毎朝規則正しく散歩する白髪の米人とその娘との足音がこつこつ快活らしく聞こえていた。化粧をすました葉子は長椅子にゆっくり腰をかけて、両足をまっすぐにそろえて長々と延ばしたまま、うっとりと思うともなく事務長の事を思っていた。
その時突然ノックをしてボーイがコーヒーを持ってはいって来た。葉子は何か悪い所でも見つけられたようにちょっとぎょっとして、延ばしていた足の膝を立てた。ボーイはいつものように薄笑いをしてちょっと頭を下げて銀色の盆を畳椅子の上においた。そしてきょうも食事はやはり船室に運ぼうかと尋ねた。
「今晩からは食堂にしてください」
葉子はうれしい事でもいって聞かせるようにこういった。ボーイはまじめくさって「はい」といったが、ちらりと葉子を上目で見て、急ぐように部屋を出た。葉子はボーイが部屋を出てどんなふうをしているかがはっきり見えるようだった。ボーイはすぐににこにこと不思議な笑いをもらしながらケーク・ウォークの足つきで食堂のほうに帰って行ったに違いない。ほどもなく、
「え、いよいよ御来迎?」
「来たね」
というような野卑な言葉が、ボーイらしい軽薄な調子で声高に取りかわされるのを葉子は聞いた。
葉子はそんな事を耳にしながらやはり事務長の事を思っていた。「三日も食堂に出ないで閉じこもっているのに、なんという事務長だろう、一ぺんも見舞いに来ないとはあんまりひどい」こんな事を思っていた。そしてその一方では縁もゆかりもない馬のようにただ頑丈な一人の男がなんでこう思い出されるのだろうと思っていた。
葉子は軽いため息をついて何げなく立ち上がった。そしてまた長椅子に腰かける時には棚の上から事務長の名刺を持って来てながめていた。「日本郵船会社絵島丸事務長勲六等倉地三吉」と明朝ではっきり書いてある。葉子は片手でコーヒーをすすりながら、名刺を裏返してその裏をながめた。そしてまっ白なその裏に何か長い文句でも書いであるかのように、二重になる豊かな顎を襟の間に落として、少し眉をひそめながら、長い間まじろぎもせず見つめていた。
一二
その日の夕方、葉子は船に来てから始めて食堂に出た。着物は思いきって地味なくすんだのを選んだけれども、顔だけは存分に若くつくっていた。二十を越すや越さずに見える、目の大きな、沈んだ表情の彼女の襟の藍鼠は、なんとなく見る人の心を痛くさせた。細長い食卓の一端に、カップ・ボードを後ろにして座を占めた事務長の右手には田川夫人がいて、その向かいが田川博士、葉子の席は博士のすぐ隣に取ってあった。そのほかの船客も大概はすでに卓に向かっていた。葉子の足音が聞こえると、いち早く目くばせをし合ったのはボーイ仲間で、その次にひどく落ち付かぬ様子をし出したのは事務長と向かい合って食卓の他の一端にいた鬚の白いアメリカ人の船長であった。あわてて席を立って、右手にナプキンを下げながら、自分の前を葉子に通らせて、顔をまっ赤にして座に返った。葉子はしとやかに人々の物数奇らしい視線を受け流しながら、ぐるっと食卓を回って自分の席まで行くと、田川博士はぬすむように夫人の顔をちょっとうかがっておいて、肥ったからだをよけるようにして葉子を自分の隣にすわらせた。
すわりずまいをただしている間、たくさんの注視の中にも、葉子は田川夫人の冷たいひとみの光を浴びているのを心地悪いほどに感じた。やがてきちんとつつましく正面を向いて腰かけて、ナプキンを取り上げながら、まず第一に田川夫人のほうに目をやってそっと挨拶すると、今までの角々しい目にもさすがに申しわけほどの笑みを見せて、夫人が何かいおうとした瞬間、その時までぎごちなく話を途切らしていた田川博士も事務長のほうを向いて何かいおうとしたところであったので、両方の言葉が気まずくぶつかりあって、夫婦は思わず同時に顔を見合わせた。一座の人々も、日本人といわず外国人といわず、葉子に集めていたひとみを田川夫妻のほうに向けた。「失礼」といってひかえた博士に夫人はちょっと頭を下げておいて、みんなに聞こえるほどはっきり澄んだ声で、
「とんと食堂においでがなかったので、お案じ申しましたの、船にはお困りですか」
といった。さすがに世慣れて才走ったその言葉は、人の上に立ちつけた重みを見せた。葉子はにこやかに黙ってうなずきながら、位を一段落として会釈するのをそう不快には思わぬくらいだった。二人の間の挨拶はそれなりで途切れてしまったので、田川博士はおもむろに事務長に向かってし続けていた話の糸目をつなごうとした。
「それから……その……」
しかし話の糸口は思うように出て来なかった。事もなげに落ち付いた様子に見える博士の心の中に、軽い混乱が起こっているのを、葉子はすぐ見て取った。思いどおりに一座の気分を動揺させる事ができるという自信が裏書きされたように葉子は思ってそっと満足を感じていた。そしてボーイ長のさしずでボーイらが手器用に運んで来たポタージュをすすりながら、田川博士のほうの話に耳を立てた。
葉子が食堂に現われて自分の視界にはいってくると、臆面もなくじっと目を定めてその顔を見やった後に、無頓着にスプーンを動かしながら、時々食卓の客を見回して気を配っていた事務長は、下くちびるを返して鬚の先を吸いながら、塩さびのした太い声で、
「それからモンロー主義の本体は」
と話の糸目を引っぱり出しておいて、まともに博士を打ち見やった。博士は少し面伏せな様子で、
「そう、その話でしたな。モンロー主義もその主張は初めのうちは、北米の独立諸州に対してヨーロッパの干渉を拒むというだけのものであったのです。ところがその政策の内容は年と共にだんだん変わっている。モンローの宣言は立派に文字になって残っているけれども、法律というわけではなし、文章も融通がきくようにできているので、取りようによっては、どうにでも伸縮する事ができるのです。マッキンレー氏などはずいぶん極端にその意味を拡張しているらしい。もっともこれにはクリーブランドという人の先例もあるし、マッキンレー氏の下にはもう一人有力な黒幕があるはずだ。どうです斎藤君」
と二三人おいた斜向いの若い男を顧みた。斎藤と呼ばれた、ワシントン公使館赴任の外交官補は、まっ赤になって、今まで葉子に向けていた目を大急ぎで博士のほうにそらして見たが、質問の要領をはっきり捕えそこねて、さらに赤くなって術ない身ぶりをした。これほどな席にさえかつて臨んだ習慣のないらしいその人の素性がそのあわてかたに充分に見えすいていた。博士は見下したような態度で暫時その青年のどぎまぎした様子を見ていたが、返事を待ちかねて、事務長のほうを向こうとした時、突然はるか遠い食卓の一端から、船長が顔をまっ赤にして、
「You mean Teddy the roughrider?」
といいながら子供のような笑顔を人々に見せた。船長の日本語の理解力をそれほどに思い設けていなかったらしい博士は、この不意打ちに今度は自分がまごついて、ちょっと返事をしかねていると、田川夫人がさそくにそれを引き取って、
「Good hit for you,Mr. Captain !」
と癖のない発音でいってのけた。これを聞いた一座は、ことに外国人たちは、椅子から乗り出すようにして夫人を見た。夫人はその時人の目にはつきかねるほどの敏捷さで葉子のほうをうかがった。葉子は眉一つ動かさずに、下を向いたままでスープをすすっていた。
慎み深く大さじを持ちあつかいながら、葉子は自分に何かきわ立った印象を与えようとして、いろいろなまねを競い合っているような人々のさまを心の中で笑っていた。実際葉子が姿を見せてから、食堂の空気は調子を変えていた。ことに若い人たちの間には一種の重苦しい波動が伝わったらしく、物をいう時、彼らは知らず知らず激昂したような高い調子になっていた。ことにいちばん年若く見える一人の上品な青年――船長の隣座にいるので葉子は家柄の高い生まれに違いないと思った――などは、葉子と一目顔を見合わしたが最後、震えんばかりに興奮して、顔を得上げないでいた。それだのに事務長だけは、いっこう動かされた様子が見えぬばかりか、どうかした拍子に顔を合わせた時でも、その臆面のない、人を人とも思わぬような熟視は、かえって葉子の視線をたじろがした。人間をながめあきたような気倦るげなその目は、濃いまつ毛の間から insolent な光を放って人を射た。葉子はこうして思わずひとみをたじろがすたびごとに事務長に対して不思議な憎しみを覚えるとともに、もう一度その憎むべき目を見すえてその中に潜む不思議を存分に見窮めてやりたい心になった。葉子はそうした気分に促されて時々事務長のほうにひきつけられるように視線を送ったが、そのたびごとに葉子のひとみはもろくも手きびしく追い退けられた。
こうして妙な気分が食卓の上に織りなされながらやがて食事は終わった。一同が座を立つ時、物慣らされた物腰で、椅子を引いてくれた田川博士にやさしく微笑を見せて礼をしながらも、葉子はやはり事務長の挙動を仔細に見る事に半ば気を奪われていた。
「少し甲板に出てごらんになりましな。寒くとも気分は晴れ晴れしますから。わたしもちょと部屋に帰ってショールを取って出て見ます」
こう葉子にいって田川夫人は良人と共に自分の部屋のほうに去って行った。
葉子も部屋に帰って見たが、今まで閉じこもってばかりいるとさほどにも思わなかったけれども、食堂ほどの広さの所からでもそこに来て見ると、息気づまりがしそうに狭苦しかった。で、葉子は長椅子の下から、木村の父が使い慣れた古トランク――その上に古藤が油絵の具でY・Kと書いてくれた古トランクを引き出して、その中から黒い駝鳥の羽のボアを取り出して、西洋臭いそのにおいを快く鼻に感じながら、深々と首を巻いて、甲板に出て行って見た。窮屈な階子段をややよろよろしながらのぼって、重い戸をあけようとすると外気の抵抗がなかなか激しくって押しもどされようとした。きりっと搾り上げたような寒さが、戸のすきから縦に細長く葉子を襲った。
甲板には外国人が五六人厚い外套にくるまって、堅いティークの床をかつかつと踏みならしながら、押し黙って勢いよく右往左往に散歩していた。田川夫人の姿はそのへんにはまだ見いだされなかった。塩気を含んだ冷たい空気は、室内にのみ閉じこもっていた葉子の肺を押し広げて、頬には血液がちくちくと軽く針をさすように皮膚に近く突き進んで来るのが感ぜられた。葉子は散歩客には構わずに甲板を横ぎって船べりの手欄によりかかりながら、波また波と果てしもなく連なる水の堆積をはるばるとながめやった。折り重なった鈍色の雲のかなたに夕日の影は跡形もなく消えうせて、闇は重い不思議な瓦斯のように力強くすべての物を押しひしゃげていた。雪をたっぷり含んだ空だけが、その間とわずかに争って、南方には見られぬ暗い、燐のような、さびしい光を残していた。一種のテンポを取って高くなり低くなりする黒い波濤のかなたには、さらに黒ずんだ波の穂が果てしもなく連なっていた。船は思ったより激しく動揺していた。赤いガラスをはめた檣燈が空高く、右から左、左から右へと広い角度を取ってひらめいた。ひらめくたびに船が横かしぎになって、重い水の抵抗を受けながら進んで行くのが、葉子の足からからだに伝わって感ぜられた。
葉子はふらふらと船にゆり上げゆり下げられながら、まんじりともせずに、黒い波の峰と波の谷とがかわるがわる目の前に現われるのを見つめていた。豊かな髪の毛をとおして寒さがしんしんと頭の中にしみこむのが、初めのうちは珍しくいい気持ちだったが、やがてしびれるような頭痛に変わって行った。……と急に、どこをどう潜んで来たとも知れない、いやなさびしさが盗風のように葉子を襲った。船に乗ってから春の草のように萌え出した元気はぽっきりと心を留められてしまった。こめかみがじんじんと痛み出して、泣きつかれのあとに似た不愉快な睡気の中に、胸をついて嘔き気さえ催して来た。葉子はあわててあたりを見回したが、もうそこいらには散歩の人足も絶えていた。けれども葉子は船室に帰る気力もなく、右手でしっかりと額を押えて、手欄に顔を伏せながら念じるように目をつぶって見たが、いいようのないさびしさはいや増すばかりだった。葉子はふと定子を懐妊していた時のはげしい悪阻の苦痛を思い出した。それはおりから痛ましい回想だった。……定子……葉子はもうその笞には堪えないというように頭を振って、気を紛らすために目を開いて、とめどなく動く波の戯れを見ようとしたが、一目見るやぐらぐらと眩暈を感じて一たまりもなくまた突っ伏してしまった。深い悲しいため息が思わず出るのを留めようとしてもかいがなかった。「船に酔ったのだ」と思った時には、もうからだじゅうは不快な嘔感のためにわなわなと震えていた。
「嘔けばいい」
そう思って手欄から身を乗り出す瞬間、からだじゅうの力は腹から胸もとに集まって、背は思わずも激しく波打った。そのあとはもう夢のようだった。
しばらくしてから葉子は力が抜けたようになって、ハンカチで口もとをぬぐいながら、たよりなくあたりを見回した。甲板の上も波の上のように荒涼として人気がなかった。明るく灯の光のもれていた眼窓は残らずカーテンでおおわれて暗くなっていた。右にも左にも人はいない。そう思った心のゆるみにつけ込んだのか、胸の苦しみはまた急によせ返して来た。葉子はもう一度手欄に乗り出してほろほろと熱い涙をこぼした。たとえば高くつるした大石を切って落としたように、過去というものが大きな一つの暗い悲しみとなって胸を打った。物心を覚えてから二十五の今日まで、張りつめ通した心の糸が、今こそ思い存分ゆるんだかと思われるその悲しい快さ。葉子はそのむなしい哀感にひたりながら、重ねた両手の上に額を乗せて手欄によりかかったまま重い呼吸をしながらほろほろと泣き続けた。一時性貧血を起こした額は死人のように冷えきって、泣きながらも葉子はどうかするとふっと引き入れられるように、仮睡に陥ろうとした。そうしてははっと何かに驚かされたように目を開くと、また底の知れぬ哀感がどこからともなく襲い入った。悲しい快さ。葉子は小学校に通っている時分でも、泣きたい時には、人前では歯をくいしばっていて、人のいない所まで行って隠れて泣いた。涙を人に見せるというのは卑しい事にしか思えなかった。乞食が哀れみを求めたり、老人が愚痴をいうのと同様に、葉子にはけがらわしく思えていた。しかしその夜に限っては、葉子はだれの前でも素直な心で泣けるような気がした。だれかの前でさめざめと泣いてみたいような気分にさえなっていた。しみじみとあわれんでくれる人もありそうに思えた。そうした気持ちで葉子は小娘のようにたわいもなく泣きつづけていた。
その時甲板のかなたから靴の音が聞こえて来た。二人らしい足音だった。その瞬間まではだれの胸にでも抱きついてしみじみ泣けると思っていた葉子は、その音を聞きつけるとはっというまもなく、張りつめたいつものような心になってしまって、大急ぎで涙を押しぬぐいながら、踵を返して自分の部屋に戻ろうとした。が、その時はもうおそかった。洋服姿の田川夫妻がはっきりと見分けがつくほどの距離に進みよっていたので、さすがに葉子もそれを見て見ぬふりでやり過ごす事は得しなかった。涙をぬぐいきると、左手をあげて髪のほつれをしなをしながらかき上げた時、二人はもうすぐそばに近寄っていた。
「あらあなたでしたの。わたしどもは少し用事ができておくれましたが、こんなにおそくまで室外にいらしってお寒くはありませんでしたか。気分はいかがです」
田川夫人は例の目下の者にいい慣れた言葉を器用に使いながら、はっきりとこういってのぞき込むようにした。夫妻はすぐ葉子が何をしていたかを感づいたらしい。葉子はそれをひどく不快に思った。
「急に寒い所に出ましたせいですかしら、なんだか頭がぐらぐらいたしまして」
「お嘔しなさった……それはいけない」
田川博士は夫人の言葉を聞くともっともというふうに、二三度こっくりとうなずいた。厚外套にくるまった肥った博士と、暖かそうなスコッチの裾長の服に、ロシア帽を眉ぎわまでかぶった夫人との前に立つと、やさ形の葉子は背たけこそ高いが、二人の娘ほどにながめられた。
「どうだ一緒に少し歩いてみちゃ」
と田川博士がいうと、夫人は、
「ようございましょうよ、血液がよく循環して」と応じて葉子に散歩を促した。葉子はやむを得ず、かつかつと鳴る二人の靴の音と、自分の上草履の音とをさびしく聞きながら、夫人のそばにひき添って甲板の上を歩き始めた。ギーイときしみながら船が大きくかしぐのにうまく中心を取りながら歩こうとすると、また不快な気持ちが胸先にこみ上げて来るのを葉子は強く押し静めて事もなげに振る舞おうとした。
博士は夫人との会話の途切れ目を捕えては、話を葉子に向けて慰め顔にあしらおうとしたが、いつでも夫人が葉子のすべき返事をひったくって物をいうので、せっかくの話は腰を折られた。葉子はしかし結句それをいい事にして、自分の思いにふけりながら二人に続いた。しばらく歩きなれてみると、運動ができたためか、だんだん嘔き気は感ぜぬようになった。田川夫妻は自然に葉子を会話からのけものにして、二人の間で四方山のうわさ話を取りかわし始めた。不思議なほどに緊張した葉子の心は、それらの世間話にはいささかの興味も持ち得ないで、むしろその無意味に近い言葉の数々を、自分の瞑想を妨げる騒音のようにうるさく思っていた。と、ふと田川夫人が事務長と言ったのを小耳にはさんで、思わず針でも踏みつけたようにぎょっとして、黙想から取って返して聞き耳を立てた。自分でも驚くほど神経が騒ぎ立つのをどうする事もできなかった。
「ずいぶんしたたか者らしゅうございますわね」
そう夫人のいう声がした。
「そうらしいね」
博士の声には笑いがまじっていた。
「賭博が大の上手ですって」
「そうかねえ」
事務長の話はそれぎりで絶えてしまった。葉子はなんとなく物足らなくなって、また何かいい出すだろうと心待ちにしていたが、その先を続ける様子がないので、心残りを覚えながら、また自分の心に帰って行った。
しばらくすると夫人がまた事務長のうわさをし始めた。
「事務長のそばにすわって食事をするのはどうもいやでなりませんの」
「そんなら早月さんに席を代わってもらったらいいでしょう」
葉子は闇の中で鋭く目をかがやかしながら夫人の様子をうかがった。
「でも夫婦がテーブルにならぶって法はありませんわ……ねえ早月さん」
こう戯談らしく夫人はいって、ちょっと葉子のほうを振り向いて笑ったが、べつにその返事を待つというでもなく、始めて葉子の存在に気づきでもしたように、いろいろと身の上などを探りを入れるらしく聞き始めた。田川博士も時々親切らしい言葉を添えた。葉子は始めのうちこそつつましやかに事実にさほど遠くない返事をしていたものの、話がだんだん深入りして行くにつれて、田川夫人という人は上流の貴夫人だと自分でも思っているらしいに似合わない思いやりのない人だと思い出した。それはあり内の質問だったかもしれない。けれども葉子にはそう思えた。縁もゆかりもない人の前で思うままな侮辱を加えられるとむっとせずにはいられなかった。知った所がなんにもならない話を、木村の事まで根はり葉はり問いただしていったいどうしようという気なのだろう。老人でもあるならば、過ぎ去った昔を他人にくどくどと話して聞かせて、せめて慰むという事もあろう。「老人には過去を、若い人には未来を」という交際術の初歩すら心得ないがさつな人だ。自分ですらそっと手もつけないで済ませたい血なまぐさい身の上を……自分は老人ではない。葉子は田川夫人が意地にかかってこんな悪戯をするのだと思うと激しい敵意から口びるをかんだ。
しかしその時田川博士が、サルンからもれて来る灯の光で時計を見て、八時十分前だから部屋に帰ろうといい出したので、葉子はべつに何もいわずにしまった。三人が階子段を降りかけた時、夫人は、葉子の気分にはいっこう気づかぬらしく、――もしそうでなければ気づきながらわざと気づかぬらしく振る舞って、
「事務長はあなたのお部屋にも遊びに見えますか」
と突拍子もなくいきなり問いかけた。それを聞くと葉子の心は何という事なしに理不尽な怒りに捕えられた。得意な皮肉でも思い存分に浴びせかけてやろうかと思ったが、胸をさすりおろしてわざと落ち付いた調子で、
「いゝえちっともお見えになりませんが……」
と空々しく聞こえるように答えた。夫人はまだ葉子の心持ちには少しも気づかぬふうで、
「おやそう。わたしのほうへはたびたびいらして困りますのよ」
と小声でささやいた。「何を生意気な」葉子は前後なしにこう心のうちに叫んだが一言も口には出さなかった。敵意――嫉妬ともいい代えられそうな――敵意がその瞬間からすっかり根を張った。その時夫人が振り返って葉子の顔を見たならば、思わず博士を楯に取って恐れながら身をかわさずにはいられなかったろう、――そんな場合には葉子はもとよりその瞬間に稲妻のようにすばしこく隔意のない顔を見せたには違いなかろうけれども。葉子は一言もいわずに黙礼したまま二人に別れて部屋に帰った。
室内はむっとするほど暑かった。葉子は嘔き気はもう感じてはいなかったが、胸もとが妙にしめつけられるように苦しいので、急いでボアをかいやって床の上に捨てたまま、投げるように長椅子に倒れかかった。
それは不思議だった。葉子の神経は時には自分でも持て余すほど鋭く働いて、だれも気のつかないにおいがたまらないほど気になったり、人の着ている着物の色合いが見ていられないほど不調和で不愉快であったり、周囲の人が腑抜けな木偶のように甲斐なく思われたり、静かに空を渡って行く雲の脚が瞑眩がするほどめまぐるしく見えたりして、我慢にもじっとしていられない事は絶えずあったけれども、その夜のように鋭く神経のとがって来た事は覚えがなかった。神経の末梢が、まるで大風にあったこずえのようにざわざわと音がするかとさえ思われた。葉子は足と足とをぎゅっとからみ合わせてそれに力をこめながら、右手の指先を四本そろえてその爪先を、水晶のように固い美しい歯で一思いに激しくかんで見たりした。悪寒のような小刻みな身ぶるいが絶えず足のほうから頭へと波動のように伝わった。寒いためにそうなるのか、暑いためにそうなるのかよくわからなかった。そうしていらいらしながらトランクを開いたままで取り散らした部屋の中をぼんやり見やっていた。目はうるさくかすんでいた。ふと落ち散ったものの中に葉子は事務長の名刺があるのに目をつけて、身をかがめてそれを拾い上げた。それを拾い上げるとま二つに引き裂いてまた床になげた。それはあまりに手答えなく裂けてしまった。葉子はまた何かもっとうんと手答えのあるものを尋ねるように熱して輝く目でまじまじとあたりを見回していた。と、カーテンを引き忘れていた。恥ずかしい様子を見られはしなかったかと思うと胸がどきんとしていきなり立ち上がろうとした拍子に、葉子は窓の外に人の顔を認めたように思った。田川博士のようでもあった。田川夫人のようでもあった。しかしそんなはずはない、二人はもう部屋に帰っている。事務長……
葉子は思わず裸体を見られた女のように固くなって立ちすくんだ。激しいおののきが襲って来た。そして何の思慮もなく床の上のボアを取って胸にあてがったが、次の瞬間にはトランクの中からショールを取り出してボアと一緒にそれをかかえて、逃げる人のように、あたふたと部屋を出た。
船のゆらぐごとに木と木とのすれあう不快な音は、おおかた船客の寝しずまった夜の寂寞の中にきわ立って響いた。自動平衡器の中にともされた蝋燭は壁板に奇怪な角度を取って、ゆるぎもせずにぼんやりと光っていた。
戸をあけて甲板に出ると、甲板のあなたはさっきのままの波また波の堆積だった。大煙筒から吐き出される煤煙はまっ黒い天の川のように無月の空を立ち割って水に近く斜めに流れていた。
一三
そこだけは星が光っていないので、雲のある所がようやく知れるぐらい思いきって暗い夜だった。おっかぶさって来るかと見上くれば、目のまわるほど遠のいて見え、遠いと思って見れば、今にも頭を包みそうに近く逼ってる鋼色の沈黙した大空が、際限もない羽をたれたように、同じ暗色の海原に続く所から波がわいて、闇の中をのたうちまろびながら、見渡す限りわめき騒いでいる。耳を澄まして聞いていると、水と水とが激しくぶつかり合う底のほうに、
「おーい、おい、おい、おーい」
というかと思われる声ともつかない一種の奇怪な響きが、舷をめぐって叫ばれていた。葉子は前後左右に大きく傾く甲板の上を、傾くままに身を斜めにしてからく重心を取りながら、よろけよろけブリッジに近いハッチの物陰までたどりついて、ショールで深々と首から下を巻いて、白ペンキで塗った板囲いに身を寄せかけて立った、たたずんだ所は風下になっているが、頭の上では、檣からたれ下がった索綱の類が風にしなってうなりを立て、アリュウシャン群島近い高緯度の空気は、九月の末とは思われぬほど寒く霜を含んでいた。気負いに気負った葉子の肉体はしかしさして寒いとは思わなかった。寒いとしてもむしろ快い寒さだった。もうどんどんと冷えて行く着物の裏に、心臓のはげしい鼓動につれて、乳房が冷たく触れたり離れたりするのが、なやましい気分を誘い出したりした。それにたたずんでいるのに足が爪先からだんだんに冷えて行って、やがて膝から下は知覚を失い始めたので、気分は妙に上ずって来て、葉子の幼い時からの癖である夢ともうつつとも知れない音楽的な錯覚に陥って行った。五体も心も不思議な熱を覚えながら、一種のリズムの中に揺り動かされるようになって行った。何を見るともなく凝然と見定めた目の前に、無数の星が船の動揺につれて光のまたたきをしながら、ゆるいテンポをととのえてゆらりゆらりと静かにおどると、帆綱のうなりが張り切ったバスの声となり、その間を「おーい、おい、おい、おーい……」と心の声とも波のうめきともわからぬトレモロが流れ、盛り上がり、くずれこむ波また波がテノルの役目を勤めた。声が形となり、形が声となり、それから一緒にもつれ合う姿を葉子は目で聞いたり耳で見たりしていた。なんのために夜寒を甲板に出て来たか葉子は忘れていた。夢遊病者のように葉子はまっしぐらにこの不思議な世界に落ちこんで行った。それでいて、葉子の心の一部分はいたましいほど醒めきっていた。葉子は燕のようにその音楽的な夢幻界を翔け上がりくぐりぬけてさまざまな事を考えていた。
屈辱、屈辱……屈辱――思索の壁は屈辱というちかちかと寒く光る色で、いちめんに塗りつぶされていた。その表面に田川夫人や事務長や田川博士の姿が目まぐるしく音律に乗って動いた。葉子はうるさそうに頭の中にある手のようなもので無性に払いのけようと試みたがむだだった。皮肉な横目をつかって青味を帯びた田川夫人の顔が、かき乱された水の中を、小さな泡が逃げてでも行くように、ふらふらとゆらめきながら上のほうに遠ざかって行った。まずよかったと思うと、事務長の insolent な目つきが低い調子の伴音となって、じっと動かない中にも力ある震動をしながら、葉子の眼睛の奥を網膜まで見とおすほどぎゅっと見すえていた。「なんで事務長や田川夫人なんぞがこんなに自分をわずらわすだろう。憎らしい。なんの因縁で……」葉子は自分をこう卑しみながらも、男の目を迎え慣れた媚びの色を知らず知らず上まぶたに集めて、それに応じようとする途端、日に向かって目を閉じた時に綾をなして乱れ飛ぶあの不思議な種々な色の光体、それに似たものが繚乱として心を取り囲んだ。星はゆるいテンポでゆらりゆらりと静かにおどっている。「おーい、おい、おい、おーい」……葉子は思わずかっと腹を立てた。その憤りの膜の中にすべての幻影はすーっと吸い取られてしまった。と思うとその憤りすらが見る見るぼやけて、あとには感激のさらにない死のような世界が果てしもなくどんよりとよどんだ。葉子はしばらくは気が遠くなって何事もわきまえないでいた。
やがて葉子はまたおもむろに意識の閾に近づいて来ていた。
煙突の中の黒い煤の間を、横すじかいに休らいながら飛びながら、上って行く火の子のように、葉子の幻想は暗い記憶の洞穴の中を右左によろめきながら奥深くたどって行くのだった。自分でさえ驚くばかり底の底にまた底のある迷路を恐る恐る伝って行くと、果てしもなく現われ出る人の顔のいちばん奥に、赤い着物を裾長に着て、まばゆいほどに輝き渡った男の姿が見え出した。葉子の心の周囲にそれまで響いていた音楽は、その瞬間ぱったり静まってしまって、耳の底がかーんとするほど空恐ろしい寂莫の中に、船の舳のほうで氷をたたき破るような寒い時鐘の音が聞こえた。「カンカン、カンカン、カーン」……。葉子は何時の鐘だと考えてみる事もしないで、そこに現われた男の顔を見分けようとしたが、木村に似た容貌がおぼろに浮かんで来るだけで、どう見直して見てもはっきりした事はもどかしいほどわからなかった。木村であるはずはないんだがと葉子はいらいらしながら思った。「木村はわたしの良人ではないか。その木村が赤い着物を着ているという法があるものか。……かわいそうに、木村はサン・フランシスコから今ごろはシヤトルのほうに来て、私の着くのを一日千秋の思いで待っているだろうに、わたしはこんな事をしてここで赤い着物を着た男なんぞを見つめている。千秋の思いで待つ? それはそうだろう。けれどもわたしが木村の妻になってしまったが最後、千秋の思いでわたしを待ったりした木村がどんな良人に変わるかは知れきっている。憎いのは男だ……木村でも倉地でも……また事務長なんぞを思い出している。そうだ、米国に着いたらもう少し落ち着いて考えた生きかたをしよう。木村だって打てば響くくらいはする男だ。……あっちに行ってまとまった金ができたら、なんといってもかまわない、定子を呼び寄せてやる。あ、定子の事なら木村は承知の上だったのに。それにしても木村が赤い着物などを着ているのはあんまりおかしい……」ふと葉子はもう一度赤い着物の男を見た。事務長の顔が赤い着物の上に似合わしく乗っていた。葉子はぎょっとした。そしてその顔をもっとはっきり見つめたいために重い重いまぶたをしいて押し開く努力をした。
見ると葉子の前にはまさしく、角燈を持って焦茶色のマントを着た事務長が立っていた。そして、
「どうなさったんだ今ごろこんな所に、……今夜はどうかしている……岡さん、あなたの仲間がもう一人ここにいますよ」
といいながら事務長は魂を得たように動き始めて、後ろのほうを振り返った。事務長の後ろには、食堂で葉子と一目顔を見合わすと、震えんばかりに興奮して顔を得上げないでいた上品なかの青年が、まっさおな顔をして物におじたようにつつましく立っていた。
目はまざまざと開いていたけれども葉子はまだ夢心地だった。事務長のいるのに気づいた瞬間からまた聞こえ出した波濤の音は、前のように音楽的な所は少しもなく、ただ物狂おしい騒音となって船に迫っていた。しかし葉子は今の境界がほんとうに現実の境界なのか、さっき不思議な音楽的の錯覚にひたっていた境界が夢幻の中の境界なのか、自分ながら少しも見さかいがつかないくらいぼんやりしていた。そしてあの荒唐な奇怪な心の adventure をかえってまざまざとした現実の出来事でもあるかのように思いなして、目の前に見る酒に赤らんだ事務長の顔は妙に蠱惑的な気味の悪い幻像となって、葉子を脅かそうとした。
「少し飲み過ぎたところにためといた仕事を詰めてやったんで眠れん。で散歩のつもりで甲板の見回りに出ると岡さん」
といいながらもう一度後ろに振り返って、
「この岡さんがこの寒いに手欄からからだを乗り出してぽかんと海を見とるんです。取り押えてケビンに連れて行こうと思うとると、今度はあなたに出っくわす。物好きもあったもんですねえ。海をながめて何がおもしろいかな。お寒かありませんか、ショールなんぞも落ちてしまった」
どこの国なまりともわからぬ一種の調子が塩さびた声であやつられるのが、事務長の人となりによくそぐって聞こえる。葉子はそんな事を思いながら事務長の言葉を聞き終わると、始めてはっきり目がさめたように思った。そして簡単に、
「いゝえ」
と答えながら上目づかいに、夢の中からでも人を見るようにうっとりと事務長のしぶとそうな顔を見やった。そしてそのまま黙っていた。
事務長は例の insolent な目つきで葉子を一目に見くるめながら、
「若い方は世話が焼ける……さあ行きましょう」
と強い語調でいって、からからと傍若無人に笑いながら葉子をせき立てた。海の波の荒涼たるおめきの中に聞くこの笑い声は diabolic なものだった。「若い方」……老成ぶった事をいうと葉子は思ったけれども、しかし事務長にはそんな事をいう権利でもあるかのように葉子は皮肉な竹篦返しもせずに、おとなしくショールを拾い上げて事務長のいうままにそのあとに続こうとして驚いた。ところが長い間そこにたたずんでいたものと見えて、磁石で吸い付けられたように、両足は固く重くなって一寸も動きそうにはなかった。寒気のために感覚の痲痺しかかった膝の関節はしいて曲げようとすると、筋を絶つほどの痛みを覚えた。不用意に歩き出そうとした葉子は、思わずのめり出さした上体をからく後ろにささえて、情けなげに立ちすくみながら、
「ま、ちょっと」
と呼びかけた。事務長の後ろに続こうとした岡と呼ばれた青年はこれを聞くといち早く足を止めて葉子のほうを振り向いた。
「始めてお知り合いになったばかりですのに、すぐお心安だてをしてほんとうになんでございますが、ちょっとお肩を貸していただけませんでしょうか。なんですか足の先が凍ったようになってしまって……」
と葉子は美しく顔をしかめて見せた。岡はそれらの言葉が拳となって続けさまに胸を打つとでもいったように、しばらくの間どぎまぎ躊躇していたが、やがて思い切ったふうで、黙ったまま引き返して来た。身のたけも肩幅も葉子とそう違わないほどな華車なからだをわなわなと震わせているのが、肩に手をかけないうちからよく知れた。事務長は振り向きもしないで、靴のかかとをこつこつと鳴らしながら早二三間のかなたに遠ざかっていた。
鋭敏な馬の皮膚のようにだちだちと震える青年の肩におぶいかかりながら、葉子は黒い大きな事務長の後ろ姿を仇かたきでもあるかのように鋭く見つめてそろそろと歩いた。西洋酒の芳醇な甘い酒の香が、まだ酔いからさめきらない事務長の身のまわりを毒々しい靄となって取り巻いていた。放縦という事務長の心の臓は、今不用心に開かれている。あの無頓着そうな肩のゆすりの陰にすさまじい desire の火が激しく燃えているはずである。葉子は禁断の木の実を始めてくいかいだ原人のような渇欲をわれにもなくあおりたてて、事務長の心の裏をひっくり返して縫い目を見窮めようとばかりしていた。おまけに青年の肩に置いた葉子の手は、華車とはいいながら、男性的な強い弾力を持つ筋肉の震えをまざまざと感ずるので、これらの二人の男が与える奇怪な刺激はほしいままにからまりあって、恐ろしい心を葉子に起こさせた。木村……何をうるさい、よけいな事はいわずと黙って見ているがいい。心の中をひらめき過ぎる断片的な影を葉子は枯れ葉のように払いのけながら、目の前に見る蠱惑におぼれて行こうとのみした。口から喉はあえぎたいほどにひからびて、岡の肩に乗せた手は、生理的な作用から冷たく堅くなっていた。そして熱をこめてうるんだ目を見張って、事務長の後ろ姿ばかりを見つめながら、五体はふらふらとたわいもなく岡のほうによりそった。吐き出す気息は燃え立って岡の横顔をなでた。事務長は油断なく角燈で左右を照らしながら甲板の整頓に気を配って歩いている。
葉子はいたわるように岡の耳に口をよせて、
「あなたはどちらまで」
と聞いてみた。その声はいつものように澄んではいなかった。そして気を許した女からばかり聞かれるような甘たるい親しさがこもっていた。岡の肩は感激のために一入震えた。頓には返事もし得ないでいたようだったが、やがて臆病そうに、
「あなたは」
とだけ聞き返して、熱心に葉子の返事を待つらしかった。
「シカゴまで参るつもりですの」
「僕も……わたしもそうです」
岡は待ち設けたように声を震わしながらきっぱりと答えた。
「シカゴの大学にでもいらっしゃいますの」
岡は非常にあわてたようだった。なんと返事をしたものか恐ろしくためらうふうだったが、やがてあいまいに口の中で、
「えゝ」
とだけつぶやいて黙ってしまった。そのおぼこさ……葉子は闇の中で目をかがやかしてほほえんだ。そして岡をあわれんだ。
しかし青年をあわれむと同時に葉子の目は稲妻のように事務長の後ろ姿を斜めにかすめた。青年をあわれむ自分は事務長にあわれまれているのではないか。始終一歩ずつ上手を行くような事務長が一種の憎しみをもってながめやられた。かつて味わった事のないこの憎しみの心を葉子はどうする事もできなかった。
二人に別れて自分の船室に帰った葉子はほとんど delirium の状態にあった。眼睛は大きく開いたままで、盲目同様に部屋の中の物を見る事をしなかった。冷えきった手先はおどおどと両の袂をつかんだり離したりしていた。葉子は夢中でショールとボアとをかなぐり捨て、もどかしげに帯だけほどくと、髪も解かずに寝台の上に倒れかかって、横になったまま羽根枕を両手でひしと抱いて顔を伏せた。なぜと知らぬ涙がその時堰を切ったように流れ出した。そして涙はあとからあとからみなぎるようにシーツを湿しながら、充血した口びるは恐ろしい笑いをたたえてわなわなと震えていた。
一時間ほどそうしているうちに泣き疲れに疲れて、葉子はかけるものもかけずにそのまま深い眠りに陥って行った。けばけばしい電燈の光はその翌日の朝までこのなまめかしくもふしだらな葉子の丸寝姿を画いたように照らしていた。
一四
なんといっても船旅は単調だった。たとい日々夜々に一瞬もやむ事なく姿を変える海の波と空の雲とはあっても、詩人でもないなべての船客は、それらに対して途方に暮れた倦怠の視線を投げるばかりだった。地上の生活からすっかり遮断された船の中には、ごく小さな事でも目新しい事件の起こる事のみが待ち設けられていた。そうした生活では葉子が自然に船客の注意の焦点となり、話題の提供者となったのは不思議もない。毎日毎日凍りつくような濃霧の間を、東へ東へと心細く走り続ける小さな汽船の中の社会は、あらわには知れないながら、何かさびしい過去を持つらしい、妖艶な、若い葉子の一挙一動を、絶えず興味深くじっと見守るように見えた。
かの奇怪な心の動乱の一夜を過ごすと、その翌日から葉子はまたふだんのとおりに、いかにも足もとがあやうく見えながら少しも破綻を示さず、ややもすれば他人の勝手になりそうでいて、よそからは決して動かされない女になっていた。始めて食堂に出た時のつつましやかさに引きかえて、時には快活な少女のように晴れやかな顔つきをして、船客らと言葉をかわしたりした。食堂に現われる時の葉子の服装だけでも、退屈に倦じ果てた人々には、物好きな期待を与えた。ある時は葉子は慎み深い深窓の婦人らしく上品に、ある時は素養の深い若いディレッタントのように高尚に、またある時は習俗から解放された adventuress とも思われる放胆を示した。その極端な変化が一日の中に起こって来ても、人々はさして怪しく思わなかった。それほど葉子の性格には複雑なものが潜んでいるのを感じさせた。絵島丸が横浜の桟橋につながれている間から、人々の注意の中心となっていた田川夫人を、海気にあって息気をふき返した人魚のような葉子のかたわらにおいて見ると、身分、閲歴、学殖、年齢などといういかめしい資格が、かえって夫人を固い古ぼけた輪郭にはめこんで見せる結果になって、ただ神体のない空虚な宮殿のような空いかめしい興なさを感じさせるばかりだった。女の本能の鋭さから田川夫人はすぐそれを感づいたらしかった。夫人の耳もとに響いて来るのは葉子のうわさばかりで、夫人自身の評判は見る見る薄れて行った。ともすると田川博士までが、夫人の存在を忘れたような振る舞いをする、そう夫人を思わせる事があるらしかった。食堂の卓をはさんで向かい合う夫妻が他人同士のような顔をして互い互いにぬすみ見をするのを葉子がすばやく見て取った事などもあった。といって今まで自分の子供でもあしらうように振る舞っていた葉子に対して、今さら夫人は改まった態度も取りかねていた。よくも仮面をかぶって人を陥れたという女らしいひねくれた妬みひがみが、明らかに夫人の表情に読まれ出した。しかし実際の処置としては、くやしくても虫を殺して、自分を葉子まで引き下げるか、葉子を自分まで引き上げるよりしかたがなかった。夫人の葉子に対する仕打ちは戸板をかえすように違って来た。葉子は知らん顔をして夫人のするがままに任せていた。葉子はもとより夫人のあわてたこの処置が夫人には致命的な不利益であり、自分には都合のいい仕合わせであるのを知っていたからだ。案のじょう、田川夫人のこの譲歩は、夫人に何らかの同情なり尊敬なりが加えられる結果とならなかったばかりでなく、その勢力はますます下り坂になって、葉子はいつのまにか田川夫人と対等で物をいい合っても少しも不思議とは思わせないほどの高みに自分を持ち上げてしまっていた。落ち目になった夫人は年がいもなくしどろもどろになっていた。恐ろしいほどやさしく親切に葉子をあしらうかと思えば、皮肉らしくばか丁寧に物をいいかけたり、あるいは突然路傍の人に対するようなよそよそしさを装って見せたりした。死にかけた蛇ののたうち回るのを見やる蛇使いのように、葉子は冷ややかにあざ笑いながら、夫人の心の葛藤を見やっていた。
単調な船旅にあき果てて、したたか刺激に飢えた男の群れは、この二人の女性を中心にして知らず知らず渦巻きのようにめぐっていた。田川夫人と葉子との暗闘は表面には少しも目に立たないで戦われていたのだけれども、それが男たちに自然に刺激を与えないではおかなかった。平らな水に偶然落ちて来た微風のひき起こす小さな波紋ほどの変化でも、船の中では一かどの事件だった。男たちはなぜともなく一種の緊張と興味とを感ずるように見えた。
田川夫人は微妙な女の本能と直覚とで、じりじりと葉子の心のすみずみを探り回しているようだったが、ついにここぞという急所をつかんだらしく見えた。それまで事務長に対して見下したような丁寧さを見せていた夫人は、見る見る態度を変えて、食卓でも二人は、席が隣り合っているからという以上な親しげな会話を取りかわすようになった。田川博士までが夫人の意を迎えて、何かにつけて事務長の室に繁く出入りするばかりか、事務長はたいていの夜は田川夫妻の部屋に呼び迎えられた。田川博士はもとより船の正客である。それをそらすような事務長ではない。倉地は船医の興録までを手伝わせて、田川夫妻の旅情を慰めるように振る舞った。田川博士の船室には夜おそくまで灯がかがやいて、夫人の興ありげに高く笑う声が室外まで聞こえる事が珍しくなかった。
葉子は田川夫人のこんな仕打ちを受けても、心の中で冷笑っているのみだった。すでに自分が勝ち味になっているという自覚は、葉子に反動的な寛大な心を与えて、夫人が事務長を擄にしようとしている事などはてんで問題にはしまいとした。夫人はよけいな見当違いをして、痛くもない腹を探っている、事務長がどうしたというのだ。母の胎を出るとそのままなんの訓練も受けずに育ち上がったようなぶしつけな、動物性の勝った、どんな事をして来たのか、どんな事をするのかわからないようなたかが事務長になんの興味があるものか。あんな人間に気を引かれるくらいなら、自分はとうに喜んで木村の愛になずいているのだ。見当違いもいいかげんにするがいい。そう歯がみをしたいくらいな気分で思った。
ある夕方葉子はいつものとおり散歩しようと甲板に出て見ると、はるか遠い手欄の所に岡がたった一人しょんぼりとよりかかって、海を見入っていた。葉子はいたずら者らしくそっと足音を盗んで、忍び忍び近づいて、いきなり岡と肩をすり合わせるようにして立った。岡は不意に人が現われたので非常に驚いたふうで、顔をそむけてその場を立ち去ろうとするのを、葉子は否応なしに手を握って引き留めた。岡が逃げ隠れようとするのも道理、その顔には涙のあとがまざまざと残っていた。少年から青年になったばかりのような、内気らしい、小柄な岡の姿は、何もかも荒々しい船の中ではことさらデリケートな可憐なものに見えた。葉子はいたずらばかりでなく、この青年に一種の淡々しい愛を覚えた。
「何を泣いてらしったの」
小首を存分傾けて、少女が少女に物を尋ねるように、肩に手を置きそえながら聞いてみた。
「僕……泣いていやしません」
岡は両方の頬を紅く彩って、こういいながらくるりとからだをそっぽうに向け換えようとした。それがどうしても少女のようなしぐさだった。抱きしめてやりたいようなその肉体と、肉体につつまれた心。葉子はさらにすり寄った。
「いゝえいゝえ泣いてらっしゃいましたわ」
岡は途方に暮れたように目の下の海をながめていたが、のがれる術のないのを覚って、大っぴらにハンケチをズボンのポケットから出して目をぬぐった。そして少し恨むような目つきをして、始めてまともに葉子を見た。口びるまでが苺のように紅くなっていた。青白い皮膚に嵌め込まれたその紅さを、色彩に敏感な葉子は見のがす事ができなかった。岡は何かしら非常に興奮していた。その興奮してぶるぶる震えるしなやかな手を葉子は手欄ごとじっと押えた。
「さ、これでおふき遊ばせ」
葉子の袂からは美しい香りのこもった小さなリンネルのハンケチが取り出された。
「持ってるんですから」
岡は恐縮したように自分のハンケチを顧みた。
「何をお泣きになって……まあわたしったらよけいな事まで伺って」
「何いいんです……ただ海を見たらなんとなく涙ぐんでしまったんです。からだが弱いもんですからくだらない事にまで感傷的になって困ります。……なんでもない……」
葉子はいかにも同情するように合点合点した。岡が葉子とこうして一緒にいるのをひどくうれしがっているのが葉子にはよく知れた。葉子はやがて自分のハンケチを手欄の上においたまま、
「わたしの部屋へもよろしかったらいらっしゃいまし。またゆっくりお話ししましょうね」
となつこくいってそこを去った。
岡は決して葉子の部屋を訪れる事はしなかったけれども、この事のあって後は、二人はよく親しく話し合った。岡は人なじみの悪い、話の種のない、ごく初心な世慣れない青年だったけれども、葉子はわずかなタクトですぐ隔てを取り去ってしまった。そして打ち解けて見ると彼は上品な、どこまでも純粋な、そして慧かしい青年だった。若い女性にはそのはにかみやな所から今まで絶えて接していなかったので、葉子にはすがり付くように親しんで来た。葉子も同性の恋をするような気持ちで岡をかわいがった。
そのころからだ、事務長が岡に近づくようになったのは。岡は葉子と話をしない時はいつでも事務長と散歩などをしていた。しかし事務長の親友とも思われる二三の船客に対しては口もきこうとはしなかった。岡は時々葉子に事務長のうわさをして聞かした。そして表面はあれほど粗暴のように見えながら、考えの変わった、年齢や位置などに隔てをおかない、親切な人だといったりした。もっと交際してみるといいともいった。そのたびごとに葉子は激しく反対した。あんな人間を岡が話し相手にするのは実際不思議なくらいだ。あの人のどこに岡と共通するような優れた所があろうなどとからかった。
葉子に引き付けられたのは岡ばかりではなかった。午餐が済んで人々がサルンに集まる時などは団欒がたいてい三つくらいに分かれてできた。田川夫妻の周囲にはいちばん多数の人が集まった。外国人だけの団体から田川のほうに来る人もあり、日本の政治家実業家連はもちろんわれ先にそこに馳せ参じた。そこからだんだん細く糸のようにつながれて若い留学生とか学者とかいう連中が陣を取り、それからまただんだん太くつながれて、葉子と少年少女らの群れがいた。食堂で不意の質問に辟易した外交官補などは第一の連絡の綱となった。衆人の前では岡は遠慮するようにあまり葉子に親しむ様子は見せずに不即不離の態度を保っていた。遠慮会釈なくそんな所で葉子になれ親しむのは子供たちだった。まっ白なモスリンの着物を着て赤い大きなリボンを装った少女たちや、水兵服で身軽に装った少年たちは葉子の周囲に花輪のように集まった。葉子がそういう人たちをかたみがわりに抱いたりかかえたりして、お伽話などして聞かせている様子は、船中の見ものだった。どうかするとサルンの人たちは自分らの間の話題などは捨てておいてこの可憐な光景をうっとり見やっているような事もあった。
ただ一つこれらの群れからは全く没交渉な一団があった。それは事務長を中心にした三四人の群れだった。いつでも部屋の一隅の小さな卓を囲んで、その卓の上にはウイスキー用の小さなコップと水とが備えられていた。いちばんいい香いの煙草の煙もそこから漂って来た。彼らは何かひそひそと語り合っては、時々傍若無人な高い笑い声を立てた。そうかと思うとじっと田川の群れの会話に耳を傾けていて、遠くのほうから突然皮肉の茶々を入れる事もあった。だれいうとなく人々はその一団を犬儒派と呼びなした。彼らがどんな種類の人でどんな職業に従事しているかを知る者はなかった。岡などは本能的にその人たちを忌みきらっていた。葉子も何かしら気のおける連中だと思った。そして表面はいっこう無頓着に見えながら、自分に対して充分の観察と注意とを怠っていないのを感じていた。
どうしてもしかし葉子には、船にいるすべての人の中で事務長がいちばん気になった。そんなはず、理由のあるはずはないと自分をたしなめてみてもなんのかいもなかった。サルンで子供たちと戯れている時でも、葉子は自分のして見せる蠱惑的な姿態がいつでも暗々裡に事務長のためにされているのを意識しないわけには行かなかった。事務長がその場にいない時は、子供たちをあやし楽しませる熱意さえ薄らぐのを覚えた。そんな時に小さい人たちはきまってつまらなそうな顔をしたりあくびをしたりした。葉子はそうした様子を見るとさらに興味を失った。そしてそのまま立って自分の部屋に帰ってしまうような事をした。それにも係わらず事務長はかつて葉子に特別な注意を払うような事はないらしく見えた。それが葉子をますます不快にした。夜など甲板の上をそぞろ歩きしている葉子が、田川博士の部屋の中から例の無遠慮な事務長の高笑いの声をもれ聞いたりなぞすると、思わずかっとなって、鉄の壁すら射通しそうな鋭いひとみを声のするほうに送らずにはいられなかった。
ある日の午後、それは雲行きの荒い寒い日だった。船客たちは船の動揺に辟易して自分の船室に閉じこもるのが多かったので、サルンががら明きになっているのを幸い、葉子は岡を誘い出して、部屋のかどになった所に折れ曲がって据えてあるモロッコ皮のディワンに膝と膝を触れ合わさんばかり寄り添って腰をかけて、トランプをいじって遊んだ。岡は日ごろそういう遊戯には少しも興味を持っていなかったが、葉子と二人きりでいられるのを非常に幸福に思うらしく、いつになく快活に札をひねくった。その細いしなやかな手からぶきっちょうに札が捨てられたり取られたりするのを葉子はおもしろいものに見やりながら、断続的に言葉を取りかわした。
「あなたもシカゴにいらっしゃるとおっしゃってね、あの晩」
「えゝいいました。……これで切ってもいいでしょう」
「あらそんなものでもったいない……もっと低いものはおありなさらない?……シカゴではシカゴ大学にいらっしゃるの?」
「これでいいでしょうか……よくわからないんです」
「よくわからないって、そりゃおかしゅうござんすわね、そんな事お決めなさらずに米国にいらっしゃるって」
「僕は……」
「これでいただきますよ……僕は……何」
「僕はねえ」
「えゝ」
葉子はトランプをいじるのをやめて顔を上げた。岡は懺悔でもする人のように、面を伏せて紅くなりながら札をいじくっていた。
「僕のほんとうに行く所はボストンだったのです。そこに僕の家で学資をやってる書生がいて僕の監督をしてくれる事になっていたんですけれど……」
葉子は珍しい事を聞くように岡に目をすえた。岡はますますいい憎そうに、
「あなたにおあい申してから僕もシカゴに行きたくなってしまったんです」
とだんだん語尾を消してしまった。なんという可憐さ……葉子はさらに岡にすり寄った。岡は真剣になって顔まで青ざめて来た。
「お気にさわったら許してください……僕はただ……あなたのいらっしゃる所にいたいんです、どういうわけだか……」
もう岡は涙ぐんでいた。葉子は思わず岡の手を取ってやろうとした。
その瞬間にいきなり事務長が激しい勢いでそこにはいって来た。そして葉子には目もくれずに激しく岡を引っ立てるようにして散歩に連れ出してしまった。岡は唯々としてそのあとにしたがった。
葉子はかっとなって思わず座から立ち上がった。そして思い存分事務長の無礼を責めようと身構えした。その時不意に一つの考えが葉子の頭をひらめき通った。「事務長はどこかで自分たちを見守っていたに違いない」
突っ立ったままの葉子の顔に、乳房を見せつけられた子供のようなほほえみがほのかに浮かび上がった。
一五
葉子はある朝思いがけなく早起きをした。米国に近づくにつれて緯度はだんだん下がって行ったので、寒気も薄らいでいたけれども、なんといっても秋立った空気は朝ごとに冷え冷えと引きしまっていた。葉子は温室のような船室からこのきりっとした空気に触れようとして甲板に出てみた。右舷を回って左舷に出ると計らずも目の前に陸影を見つけ出して、思わず足を止めた。そこには十日ほど念頭から絶え果てていたようなものが海面から浅くもれ上がって続いていた。葉子は好奇な目をかがやかしながら、思わず一たんとめた足を動かして手欄に近づいてそれを見渡した。オレゴン松がすくすくと白波の激しくかみよせる岸べまで密生したバンクーバー島の低い山なみがそこにあった。物すごく底光りのするまっさおな遠洋の色は、いつのまにか乱れた波の物狂わしく立ち騒ぐ沿海の青灰色に変わって、その先に見える暗緑の樹林はどんよりとした雨空の下に荒涼として横たわっていた。それはみじめな姿だった。距りの遠いせいか船がいくら進んでも景色にはいささかの変化も起こらないで、荒涼たるその景色はいつまでも目の前に立ち続いていた。古綿に似た薄雲をもれる朝日の光が力弱くそれを照らすたびごとに、煮え切らない影と光の変化がかすかに山と海とをなでて通るばかりだ。長い長い海洋の生活に慣れた葉子の目には陸地の印象はむしろきたないものでも見るように不愉快だった。もう三日ほどすると船はいやでもシヤトルの桟橋につながれるのだ。向こうに見えるあの陸地の続きにシヤトルはある。あの松の林が切り倒されて少しばかりの平地となった所に、ここに一つかしこに一つというように小屋が建ててあるが、その小屋の数が東に行くにつれてだんだん多くなって、しまいには一かたまりの家屋ができる。それがシヤトルであるに違いない。うらさびしく秋風の吹きわたるその小さな港町の桟橋に、野獣のような諸国の労働者が群がる所に、この小さな絵島丸が疲れきった船体を横たえる時、あの木村が例のめまぐるしい機敏さで、アメリカ風になり済ましたらしい物腰で、まわりの景色に釣り合わない景気のいい顔をして、船梯子を上って来る様子までが、葉子には見るように想像された。
「いやだいやだ。どうしても木村と一緒になるのはいやだ。私は東京に帰ってしまおう」
葉子はだだっ子らしく今さらそんな事を本気に考えてみたりしていた。
水夫長と一人のボーイとが押し並んで、靴と草履との音をたてながらやって来た。そして葉子のそばまで来ると、葉子が振り返ったので二人ながら慇懃に、
「お早うございます」
と挨拶した。その様子がいかにも親しい目上に対するような態度で、ことに水夫長は、
「御退屈でございましたろう。それでもこれであと三日になりました。今度の航海にはしかしお陰様で大助かりをしまして、ゆうべからきわだってよくなりましてね」
と付け加えた。
葉子は一等船客の間の話題の的であったばかりでなく、上級船員の間のうわさの種であったばかりでなく、この長い航海中に、いつのまにか下級船員の間にも不思議な勢力になっていた。航海の八日目かに、ある老年の水夫がフォクスルで仕事をしていた時、錨の鎖に足先をはさまれて骨をくじいた。プロメネード・デッキで偶然それを見つけた葉子は、船医より早くその場に駆けつけた。結びっこぶのように丸まって、痛みのためにもがき苦しむその老人のあとに引きそって、水夫部屋の入り口まではたくさんの船員や船客が物珍しそうについて来たが、そこまで行くと船員ですらが中にはいるのを躊躇した。どんな秘密が潜んでいるかだれも知る人のないその内部は、船中では機関室よりも危険な一区域と見なされていただけに、その入り口さえが一種人を脅かすような薄気味わるさを持っていた。葉子はしかしその老人の苦しみもがく姿を見るとそんな事は手もなく忘れてしまっていた。ひょっとすると邪魔物扱いにされてあの老人は殺されてしまうかもしれない。あんな齢までこの海上の荒々しい労働に縛られているこの人にはたよりになる縁者もいないのだろう。こんな思いやりがとめどもなく葉子の心を襲い立てるので、葉子はその老人に引きずられてでも行くようにどんどん水夫部屋の中に降りて行った。薄暗い腐敗した空気は蒸れ上がるように人を襲って、陰の中にうようよとうごめく群れの中からは太く錆びた声が投げかわされた。闇に慣れた水夫たちの目はやにわに葉子の姿を引っ捕えたらしい。見る見る一種の興奮が部屋のすみずみにまでみちあふれて、それが奇怪なののしり声となって物すごく葉子に逼った。だぶだぶのズボン一つで、節くれ立った厚みのある毛胸に一糸もつけない大男は、やおら人中から立ち上がると、ずかずか葉子に突きあたらんばかりにすれ違って、すれ違いざまに葉子の顔を孔のあくほどにらみつけて、聞くにたえない雑言を高々とののしって、自分の群れを笑わした。しかし葉子は死にかけた子にかしずく母のように、そんな事には目もくれずに老人のそばに引き添って、臥安いように寝床を取りなおしてやったり、枕をあてがってやったりして、なおもその場を去らなかった。そんなむさ苦しいきたない所にいて老人がほったらかしておかれるのを見ると、葉子はなんという事なしに涙があとからあとから流れてたまらなかった。葉子はそこを出て無理に船医の興録をそこに引っぱって来た。そして権威を持った人のように水夫長にはっきりしたさしずをして、始めて安心して悠々とその部屋を出た。葉子の顔には自分のした事に対して子供のような喜びの色が浮かんでいた。水夫たちは暗い中にもそれを見のがさなかったと見える。葉子が出て行く時には一人として葉子に雑言をなげつけるものがいなかった。それから水夫らはだれいうとなしに葉子の事を「姉御姉御」と呼んでうわさするようになった。その時の事を水夫長は葉子に感謝したのだ。
葉子はしんみにいろいろと病人の事を水夫長に聞きただした。実際水夫長に話しかけられるまでは、葉子はそんな事は思い出しもしていなかったのだ。そして水夫長に思い出させられて見ると、急にその老水夫の事が心配になり出したのだった。足はとうとう不具になったらしいが痛みはたいていなくなったと水夫長がいうと葉子は始めて安心して、また陸のほうに目をやった。水夫長とボーイとの足音は廊下のかなたに遠ざかって消えてしまった。葉子の足もとにはただかすかなエンジンの音と波が舷を打つ音とが聞こえるばかりだった。
葉子はまた自分一人の心に帰ろうとしてしばらくじっと単調な陸地に目をやっていた。その時突然岡が立派な西洋絹の寝衣の上に厚い外套を着て葉子のほうに近づいて来たのを、葉子は視角の一端にちらりと捕えた。夜でも朝でも葉子がひとりでいると、どこでどうしてそれを知るのか、いつのまにか岡がきっと身近に現われるのが常なので、葉子は待ち設けていたように振り返って、朝の新しいやさしい微笑を与えてやった。
「朝はまだずいぶん冷えますね」
といいながら、岡は少し人になれた少女のように顔を赤くしながら葉子のそばに身を寄せた。葉子は黙ってほほえみながらその手を取って引き寄せて、互いに小さな声で軽い親しい会話を取りかわし始めた。
と、突然岡は大きな事でも思い出した様子で、葉子の手をふりほどきながら、
「倉地さんがね、きょうあなたにぜひ願いたい用があるっていってましたよ」
といった。葉子は、
「そう……」
とごく軽く受けるつもりだったが、それが思わず息気苦しいほどの調子になっているのに気がついた。
「なんでしょう、わたしになんぞ用って」
「なんだかわたしちっとも知りませんが、話をしてごらんなさい。あんなに見えているけれども親切な人ですよ」
「まだあなただまされていらっしやるのね。あんな高慢ちきな乱暴な人わたしきらいですわ。……でも先方で会いたいというのなら会ってあげてもいいから、ここにいらっしゃいって、あなた今すぐいらしって呼んで来てくださいましな。会いたいなら会いたいようにするがようござんすわ」
葉子は実際激しい言葉になっていた。
「まだ寝ていますよ」
「いいから構わないから起こしておやりになればよござんすわ」
岡は自分に親しい人を親しい人に近づける機会が到来したのを誇り喜ぶ様子を見せて、いそいそと駆けて行った。その後ろ姿を見ると葉子は胸に時ならぬときめきを覚えて、眉の上の所にさっと熱い血の寄って来るのを感じた。それがまた憤ろしかった。
見上げると朝の空を今まで蔽うていた綿のような初秋の雲は所々ほころびて、洗いすました青空がまばゆく切れ目切れ目に輝き出していた。青灰色によごれていた雲そのものすらが見違えるように白く軽くなって美しい笹縁をつけていた。海は目も綾な明暗をなして、単調な島影もさすがに頑固な沈黙ばかりを守りつづけてはいなかった。葉子の心は抑えよう抑えようとしても軽くはなやかにばかりなって行った。決戦……と葉子はその勇み立つ心の底で叫んだ。木村の事などはとうの昔に頭の中からこそぎ取るように消えてしまって、そのあとにはただ何とはなしに、子供らしい浮き浮きした冒険の念ばかりが働いていた。自分でも知らずにいたような weird な激しい力が、想像も及ばぬ所にぐんぐんと葉子を引きずって行くのを、葉子は恐れながらもどこまでもついて行こうとした。どんな事があっても自分がその中心になっていて、先方をひき付けてやろう。自分をはぐらかすような事はしまいと始終張り切ってばかりいたこれまでの心持ちと、この時わくがごとく持ち上がって来た心持ちとは比べものにならなかった。あらん限りの重荷を洗いざらい思いきりよく投げすててしまって、身も心も何か大きな力に任しきるその快さ心安さは葉子をすっかり夢心地にした。そんな心持ちの相違を比べて見る事さえできないくらいだった。葉子は子供らしい期待に目を輝かして岡の帰って来るのを待っていた。
「だめですよ。床の中にいて戸も明けてくれずに、寝言みたいな事をいってるんですもの」
といいながら岡は当惑顔で葉子のそばに現われた。
「あなたこそだめね。ようござんすわ、わたしが自分で行って見てやるから」
葉子にはそこにいる岡さえなかった。少し怪訝そうに葉子のいつになくそわそわした様子を見守る青年をそこに捨ておいたまま葉子は険しく細い階子段を降りた。
事務長の部屋は機関室と狭い暗い廊下一つを隔てた所にあって、日の目を見ていた葉子には手さぐりをして歩かねばならぬほど勝手がちがっていた。地震のように機械の震動が廊下の鉄壁に伝わって来て、むせ返りそうな生暖かい蒸気のにおいと共に人を不愉快にした。葉子は鋸屑を塗りこめてざらざらと手ざわりのいやな壁をなでて進みながらようやく事務室の戸の前に来て、あたりを見回して見て、ノックもせずにいきなりハンドルをひねった。ノックをするひまもないようなせかせかした気分になっていた。戸は音も立てずにやすやすとあいた。「戸もあけてくれずに……」との岡の言葉から、てっきり鍵がかかっていると思っていた葉子にはそれが意外でもあり、あたりまえにも思えた。しかしその瞬間には葉子はわれ知らずはっとなった。ただ通りすがりの人にでも見付けられまいとする心が先に立って、葉子は前後のわきまえもなく、ほとんど無意識に部屋にはいると、同時にぱたんと音をさせて戸をしめてしまった。
もうすべては後悔にはおそすぎた。岡の声で今寝床から起き上がったらしい事務長は、荒い棒縞のネルの筒袖一枚を着たままで、目のはれぼったい顔をして、小山のような大きな五体を寝床にくねらして、突然はいって来た葉子をぎっと見守っていた。とうの昔に心の中は見とおしきっているような、それでいて言葉もろくろくかわさないほどに無頓着に見える男の前に立って、葉子はさすがにしばらくはいい出づべき言葉もなかった。あせる気を押し鎮め押ししずめ、顔色を動かさないだけの沈着を持ち続けようとつとめたが、今までに覚えない惑乱のために、頭はぐらぐらとなって、無意味だと自分でさえ思われるような微笑をもらす愚かさをどうする事もできなかった。倉地は葉子がその朝その部屋に来るのを前からちゃんと知り抜いてでもいたように落ち付き払って、朝の挨拶もせずに、
「さ、おかけなさい。ここが楽だ」
といつものとおりな少し見おろした親しみのある言葉をかけて、昼間は長椅子がわりに使う寝台の座を少し譲って待っている。葉子は敵意を含んでさえ見える様子で立ったまま、
「何か御用がおありになるそうでございますが……」
固くなりながらいって、あゝまた見えすく事をいってしまったとすぐ後悔した。事務長は葉子の言葉を追いかけるように、
「用はあとでいいます。まあおかけなさい」
といってすましていた。その言葉を聞くと、葉子はそのいいなり放題になるよりしかたがなかった。「お前は結局はここにすわるようになるんだよ」と事務長は言葉の裏に未来を予知しきっているのが葉子の心を一種捨てばちなものにした。「すわってやるものか」という習慣的な男に対する反抗心はただわけもなくひしがれていた。葉子はつかつかと進みよって事務長と押し並んで寝台に腰かけてしまった。
この一つの挙動が――このなんでもない一つの挙動が急に葉子の心を軽くしてくれた。葉子はその瞬間に大急ぎで今まで失いかけていたものを自分のほうにたぐり戻した。そして事務長を流し目に見やって、ちょっとほほえんだその微笑には、さっきの微笑の愚かしさが潜んでいないのを信ずる事ができた。葉子の性格の深みからわき出るおそろしい自然さがまとまった姿を現わし始めた。
「何御用でいらっしゃいます」
そのわざとらしい造り声の中にかすかな親しみをこめて見せた言葉も、肉感的に厚みを帯びた、それでいて賢しげに締まりのいい二つの口びるにふさわしいものとなっていた。
「きょう船が検疫所に着くんです、きょうの午後に。ところが検疫医がこれなんだ」
事務長は朋輩にでも打ち明けるように、大きな食指を鍵形にまげて、たぐるような格好をして見せた。葉子がちょっと判じかねた顔つきをしていると、
「だから飲ましてやらんならんのですよ。それからポーカーにも負けてやらんならん。美人がいれば拝ましてもやらんならん」
となお手まねを続けながら、事務長は枕もとにおいてある頑固なパイプを取り上げて、指の先で灰を押しつけて、吸い残りの煙草に火をつけた。
「船をさえ見ればそうした悪戯をしおるんだから、海坊主を見るようなやつです。そういうと頭のつるりとした水母じみた入道らしいが、実際は元気のいい意気な若い医者でね。おもしろいやつだ。一つ会ってごらん。わたしでからがあんな所に年じゅう置かれればああなるわさ」
といって、右手に持ったパイプを膝がしらに置き添えて、向き直ってまともに葉子を見た。しかしその時葉子は倉地の言葉にはそれほど注意を払ってはいない様子を見せていた。ちょうど葉子の向こう側にある事務テーブルの上に飾られた何枚かの写真を物珍しそうにながめやって、右手の指先を軽く器用に動かしながら、煙草の煙が紫色に顔をかすめるのを払っていた。自分を囮にまで使おうとする無礼もあなたなればこそなんともいわずにいるのだという心を事務長もさすがに推したらしい。しかしそれにも係わらず事務長は言いわけ一ついわず、いっこう平気なもので、きれいな飾り紙のついた金口煙草の小箱を手を延ばして棚から取り上げながら、
「どうです一本」
と葉子の前にさし出した。葉子は自分が煙草をのむかのまぬかの問題をはじき飛ばすように、
「あれはどなた?」と写真の一つに目を定めた。
「どれ」
「あれ」葉子はそういったままで指さしはしない。
「どれ」と事務長はもう一度いって、葉子の大きな目をまじまじと見入ってからその視線をたどって、しばらく写真を見分けていたが、
「はああれか。あれはねわたしの妻子ですんだ。荊妻と豚児どもですよ」
といって高々と笑いかけたが、ふと笑いやんで、険しい目で葉子をちらっと見た。
「まあそう。ちゃんとお写真をお飾りなすって、おやさしゅうござんすわね」
葉子はしんなりと立ち上がってその写真の前に行った。物珍しいものを見るという様子をしてはいたけれども、心の中には自分の敵がどんな獣物であるかを見きわめてやるぞという激しい敵愾心が急に燃えあがっていた。前には芸者ででもあったのか、それとも良人の心を迎えるためにそう造ったのか、どこか玄人じみたきれいな丸髷の女が着飾って、三人の少女を膝に抱いたりそばに立たせたりして写っていた。葉子はそれを取り上げて孔のあくほどじっと見やりながらテーブルの前に立っていた。ぎこちない沈黙がしばらくそこに続いた。
「お葉さん」(事務長は始めて葉子をその姓で呼ばずにこう呼びかけた)突然震えを帯びた、低い、重い声が焼きつくように耳近く聞こえたと思うと、葉子は倉地の大きな胸と太い腕とで身動きもできないように抱きすくめられていた。もとより葉子はその朝倉地が野獣のような assault に出る事を直覚的に覚悟して、むしろそれを期待して、その assault を、心ばかりでなく、肉体的な好奇心をもって待ち受けていたのだったが、かくまで突然、なんの前ぶれもなく起こって来ようとは思いも設けなかったので、女の本然の羞恥から起こる貞操の防衛に駆られて、熱しきったような冷えきったような血を一時に体内に感じながら、かかえられたまま、侮蔑をきわめた表情を二つの目に集めて、倉地の顔を斜めに見返した。その冷ややかな目の光は仮初めの男の心をたじろがすはずだった。事務長の顔は振り返った葉子の顔に息気のかかるほどの近さで、葉子を見入っていたが、葉子が与えた冷酷なひとみには目もくれぬまで狂わしく熱していた。(葉子の感情を最も強くあおり立てるものは寝床を離れた朝の男の顔だった。一夜の休息にすべての精気を充分回復した健康な男の容貌の中には、女の持つすべてのものを投げ入れても惜しくないと思うほどの力がこもっていると葉子は始終感ずるのだった)葉子は倉地に存分な軽侮の心持ちを見せつけながらも、その顔を鼻の先に見ると、男性というものの強烈な牽引の力を打ち込まれるように感ぜずにはいられなかった。息気せわしく吐く男のため息は霰のように葉子の顔を打った。火と燃え上がらんばかりに男のからだからは desire の焔がぐんぐん葉子の血脈にまで広がって行った。葉子はわれにもなく異常な興奮にがたがた震え始めた。
× × ×
ふと倉地の手がゆるんだので葉子は切って落とされたようにふらふらとよろけながら、危うく踏みとどまって目を開くと、倉地が部屋の戸に鍵をかけようとしているところだった。鍵が合わないので、
「糞っ」
と後ろ向きになってつぶやく倉地の声が最後の宣告のように絶望的に低く部屋の中に響いた。
倉地から離れた葉子はさながら母から離れた赤子のように、すべての力が急にどこかに消えてしまうのを感じた。あとに残るものとては底のない、たよりない悲哀ばかりだった。今まで味わって来たすべての悲哀よりもさらに残酷な悲哀が、葉子の胸をかきむしって襲って来た。それは倉地のそこにいるのすら忘れさすくらいだった。葉子はいきなり寝床の上に丸まって倒れた。そしてうつぶしになったまま痙攣的に激しく泣き出した。倉地がその泣き声にちょっとためらって立ったまま見ている間に、葉子は心の中で叫びに叫んだ。
「殺すなら殺すがいい。殺されたっていい。殺されたって憎みつづけてやるからいい。わたしは勝った。なんといっても勝った。こんなに悲しいのをなぜ早く殺してはくれないのだ。この哀しみにいつまでもひたっていたい。早く死んでしまいたい。……」
一六
葉子はほんとうに死の間をさまよい歩いたような不思議な、混乱した感情の狂いに泥酔して、事務長の部屋から足もとも定まらずに自分の船室に戻って来たが、精も根も尽き果ててそのままソファの上にぶっ倒れた。目のまわりに薄黒い暈のできたその顔は鈍い鉛色をして、瞳孔は光に対して調節の力を失っていた。軽く開いたままの口びるからもれる歯並みまでが、光なく、ただ白く見やられて、死を連想させるような醜い美しさが耳の付け根までみなぎっていた。雪解時の泉のように、あらん限りの感情が目まぐるしくわき上がっていたその胸には、底のほうに暗い悲哀がこちんとよどんでいるばかりだった。
葉子はこんな不思議な心の状態からのがれ出ようと、思い出したように頭を働かして見たが、その努力は心にもなくかすかなはかないものだった。そしてその不思議に混乱した心の状態もいわばたえきれぬほどの切なさは持っていなかった。葉子はそんなにしてぼんやりと目をさましそうになったり、意識の仮睡に陥ったりした。猛烈な胃痙攣を起こした患者が、モルヒネの注射を受けて、間歇的に起こる痛みのために無意識に顔をしかめながら、麻薬の恐ろしい力の下に、ただ昏々と奇怪な仮睡に陥り込むように、葉子の心は無理無体な努力で時々驚いたように乱れさわぎながら、たちまち物すごい沈滞の淵深く落ちて行くのだった。葉子の意志はいかに手を延ばしても、もう心の落ち行く深みには届きかねた。頭の中は熱を持って、ただぼーと黄色く煙っていた。その黄色い煙の中を時々紅い火や青い火がちかちかと神経をうずかして駆け通った。息気づまるようなけさの光景や、過去のあらゆる回想が、入り乱れて現われて来ても、葉子はそれに対して毛の末ほども心を動かされはしなかった。それは遠い遠い木魂のようにうつろにかすかに響いては消えて行くばかりだった。過去の自分と今の自分とのこれほどな恐ろしい距りを、葉子は恐れげもなく、成るがままに任せて置いて、重くよどんだ絶望的な悲哀にただわけもなくどこまでも引っぱられて行った。その先には暗い忘却が待ち設けていた。涙で重ったまぶたはだんだん打ち開いたままのひとみを蔽って行った。少し開いた口びるの間からは、うめくような軽い鼾がもれ始めた。それを葉子はかすかに意識しながら、ソファの上にうつむきになったまま、いつとはなしに夢もない深い眠りに陥っていた。
どのくらい眠っていたかわからない。突然葉子は心臓でも破裂しそうな驚きに打たれて、はっと目を開いて頭をもたげた。ずき〳〵〳〵と頭の心が痛んで、部屋の中は火のように輝いて面も向けられなかった。もう昼ごろだなと気が付く中にも、雷とも思われる叫喚が船を震わして響き渡っていた。葉子はこの瞬間の不思議に胸をどきつかせながら聞き耳を立てた。船のおののきとも自分のおののきとも知れぬ震動が葉子の五体を木の葉のようにもてあそんだ。しばらくしてその叫喚がややしずまったので、葉子はようやく、横浜を出て以来絶えて用いられなかった汽笛の声である事を悟った。検疫所が近づいたのだなと思って、襟もとをかき合わせながら、静かにソファの上に膝を立てて、眼窓から外面をのぞいて見た。けさまでは雨雲に閉じられていた空も見違えるようにからっと晴れ渡って、紺青の色の日の光のために奥深く輝いていた。松が自然に美しく配置されて生え茂った岩がかった岸がすぐ目の先に見えて、海はいかにも入り江らしく可憐なさざ波をつらね、その上を絵島丸は機関の動悸を打ちながら徐かに走っていた。幾日の荒々しい海路からここに来て見ると、さすがにそこには人間の隠れ場らしい静かさがあった。
岸の奥まった所に白い壁の小さな家屋が見られた。そのかたわらには英国の国旗が微風にあおられて青空の中に動いていた。「あれが検疫官のいる所なのだ」そう思った意識の活動が始まるや否や、葉子の頭は始めて生まれ代わったようにはっきりとなって行った。そして頭がはっきりして来るとともに、今まで切り放されていたすべての過去があるべき姿を取って、明瞭に現在の葉子と結び付いた。葉子は過去の回想が今見たばかりの景色からでも来たように驚いて、急いで眼窓から顔を引っ込めて、強敵に襲いかかられた孤軍のように、たじろぎながらまたソファの上に臥倒れた。頭の中は急に叢がり集まる考えを整理するために激しく働き出した。葉子はひとりでに両手で髪の毛の上からこめかみの所を押えた。そして少し上目をつかって鏡のほうを見やりながら、今まで閉止していた乱想の寄せ来るままに機敏にそれを送り迎えようと身構えた。
葉子はとにかく恐ろしい崕のきわまで来てしまった事を、そしてほとんど無反省で、本能に引きずられるようにして、その中に飛び込んだ事を思わないわけには行かなかった。親類縁者に促されて、心にもない渡米を余儀なくされた時に自分で選んだ道――ともかく木村と一緒になろう。そして生まれ代わったつもりで米国の社会にはいりこんで、自分が見つけあぐねていた自分というものを、探り出してみよう。女というものが日本とは違って考えられているらしい米国で、女としての自分がどんな位置にすわる事ができるか試してみよう。自分はどうしても生まるべきでない時代に、生まるべきでない所に生まれて来たのだ。自分の生まるべき時代と所とはどこか別にある。そこでは自分は女王の座になおっても恥ずかしくないほどの力を持つ事ができるはずなのだ。生きているうちにそこをさがし出したい。自分の周囲にまつわって来ながらいつのまにか自分を裏切って、いつどんな所にでも平気で生きていられるようになり果てた女たちの鼻をあかさしてやろう。若い命を持ったうちにそれだけの事をぜひしてやろう。木村は自分のこの心の企みを助ける事のできる男ではないが、自分のあとについて来られないほどの男でもあるまい。葉子はそんな事も思っていた。日清戦争が起こったころから葉子ぐらいの年配の女が等しく感じ出した一種の不安、一種の幻滅――それを激しく感じた葉子は、謀叛人のように知らず知らず自分のまわりの少女たちにある感情的な教唆を与えていたのだが、自分自身ですらがどうしてこの大事な瀬戸ぎわを乗り抜けるのかは、少しもわからなかった。そのころの葉子は事ごとに自分の境遇が気にくわないでただいらいらしていた。その結果はただ思うままを振る舞って行くよりしかたがなかった。自分はどんな物からもほんとうに訓練されてはいないんだ。そして自分にはどうにでも働く鋭い才能と、女の強味(弱味ともいわばいえ)になるべき優れた肉体と激しい情緒とがあるのだ。そう葉子は知らず知らず自分を見ていた。そこから盲滅法に動いて行った。ことに時代の不思議な目ざめを経験した葉子に取っては恐ろしい敵は男だった。葉子はそのためになんどつまずいたかしれない。しかし、世の中にはほんとうに葉子を扶け起こしてくれる人がなかった。「わたしが悪ければ直すだけの事をして見せてごらん」葉子は世の中に向いてこういい放ってやりたかった。女を全く奴隷の境界に沈め果てた男はもう昔のアダムのように正直ではないんだ。女がじっとしている間は慇懃にして見せるが、女が少しでも自分で立ち上がろうとすると、打って変わって恐ろしい暴王になり上がるのだ。女までがおめおめと男の手伝いをしている。葉子は女学校時代にしたたかその苦い杯をなめさせられた。そして十八の時木部孤笻に対して、最初の恋愛らしい恋愛の情を傾けた時、葉子の心はもう処女の心ではなくなっていた。外界の圧迫に反抗するばかりに、一時火のように何物をも焼き尽くして燃え上がった仮初めの熱情は、圧迫のゆるむとともにもろくも萎えてしまって、葉子は冷静な批評家らしく自分の恋と恋の相手とを見た。どうして失望しないでいられよう。自分の一生がこの人に縛りつけられてしなびて行くのかと思う時、またいろいろな男にもてあそばれかけて、かえって男の心というものを裏返してとっくりと見きわめたその心が、木部という、空想の上でこそ勇気も生彩もあれ、実生活においては見下げ果てたほど貧弱で簡単な一書生の心としいて結びつかねばならぬと思った時、葉子は身ぶるいするほど失望して木部と別れてしまったのだ。
葉子のなめたすべての経験は、男に束縛を受ける危険を思わせるものばかりだった。しかしなんという自然のいたずらだろう。それとともに葉子は、男というものなしには一刻も過ごされないものとなっていた。砒石の用法を謬った患者が、その毒の恐ろしさを知りぬきながら、その力を借りなければ生きて行けないように、葉子は生の喜びの源を、まかり違えば、生そのものを虫ばむべき男というものに、求めずにはいられないディレンマに陥ってしまったのだ。
肉欲の牙を鳴らして集まって来る男たちに対して、(そういう男たちが集まって来るのはほんとうは葉子自身がふりまく香いのためだとは気づいていて)葉子は冷笑しながら蜘蛛のように網を張った。近づくものは一人残らずその美しい四つ手網にからめ取った。葉子の心は知らず知らず残忍になっていた。ただあの妖力ある女郎蜘蛛のように、生きていたい要求から毎日その美しい網を四つ手に張った。そしてそれに近づきもし得ないでののしり騒ぐ人たちを、自分の生活とは関係のない木か石ででもあるように冷然と尻目にかけた。
葉子はほんとうをいうと、必要に従うというほかに何をすればいいのかわからなかった。
葉子に取っては、葉子の心持ちを少しも理解していない社会ほど愚かしげな醜いものはなかった。葉子の目から見た親類という一群れはただ貪欲な賤民としか思えなかった。父はあわれむべく影の薄い一人の男性に過ぎなかった。母は――母はいちばん葉子の身近にいたといっていい。それだけ葉子は母と両立し得ない仇敵のような感じを持った。母は新しい型にわが子を取り入れることを心得てはいたが、それを取り扱う術は知らなかった。葉子の性格が母の備えた型の中で驚くほどするすると生長した時に、母は自分以上の法力を憎む魔女のように葉子の行く道に立ちはだかった。その結果二人の間には第三者から想像もできないような反目と衝突とが続いたのだった。葉子の性格はこの暗闘のお陰で曲折のおもしろさと醜さとを加えた。しかしなんといっても母は母だった。正面からは葉子のする事なす事に批点を打ちながらも、心の底でいちばんよく葉子を理解してくれたに違いないと思うと、葉子は母に対して不思議ななつかしみを覚えるのだった。
母が死んでからは、葉子は全く孤独である事を深く感じた。そして始終張りつめた心持ちと、失望からわき出る快活さとで、鳥が木から木に果実を探るように、人から人に歓楽を求めて歩いたが、どこからともなく不意に襲って来る不安は葉子を底知れぬ悒鬱の沼に蹴落とした。自分は荒磯に一本流れよった流れ木ではない。しかしその流れ木よりも自分は孤独だ。自分は一ひら風に散ってゆく枯れ葉ではない。しかしその枯れ葉より自分はうらさびしい。こんな生活よりほかにする生活はないのかしらん。いったいどこに自分の生活をじっと見ていてくれる人があるのだろう。そう葉子はしみじみ思う事がないでもなかった。けれどもその結果はいつでも失敗だった。葉子はこうしたさびしさに促されて、乳母の家を尋ねたり、突然大塚の内田にあいに行ったりして見るが、そこを出て来る時にはただ一入の心のむなしさが残るばかりだった。葉子は思い余ってまた淫らな満足を求めるために男の中に割ってはいるのだった。しかし男が葉子の目の前で弱味を見せた瞬間に、葉子は驕慢な女王のように、その捕虜から面をそむけて、その出来事を悪夢のように忌みきらった。冒険の獲物はきまりきって取るにも足らないやくざものである事を葉子はしみじみ思わされた。
こんな絶望的な不安に攻めさいなめられながらも、その不安に駆り立てられて葉子は木村という降参人をともかくその良人に選んでみた。葉子は自分がなんとかして木村にそりを合わせる努力をしたならば、一生涯木村と連れ添って、普通の夫婦のような生活ができないものでもないと一時思うまでになっていた。しかしそんなつぎはぎな考えかたが、どうしていつまでも葉子の心の底を虫ばむ不安をいやす事ができよう。葉子が気を落ち付けて、米国に着いてからの生活を考えてみると、こうあってこそと思い込むような生活には、木村はのけ物になるか、邪魔者になるほかはないようにも思えた。木村と暮らそう、そう決心して船に乗ったのではあったけれども、葉子の気分は始終ぐらつき通しにぐらついていたのだ。手足のちぎれた人形をおもちゃ箱にしまったものか、いっそ捨ててしまったものかと躊躇する少女の心に似たぞんざいなためらいを葉子はいつまでも持ち続けていた。
そういう時突然葉子の前に現われたのが倉地事務長だった。横浜の桟橋につながれた絵島丸の甲板の上で、始めて猛獣のようなこの男を見た時から、稲妻のように鋭く葉子はこの男の優越を感受した。世が世ならば、倉地は小さな汽船の事務長なんぞをしている男ではない。自分と同様に間違って境遇づけられて生まれて来た人間なのだ。葉子は自分の身につまされて倉地をあわれみもし畏れもした。今までだれの前に出ても平気で自分の思う存分を振る舞っていた葉子は、この男の前では思わず知らず心にもない矯飾を自分の性格の上にまで加えた。事務長の前では、葉子は不思議にも自分の思っているのとちょうど反対の動作をしていた。無条件的な服従という事も事務長に対してだけはただ望ましい事にばかり思えた。この人に思う存分打ちのめされたら、自分の命は始めてほんとうに燃え上がるのだ。こんな不思議な、葉子にはあり得ない欲望すらが少しも不思議でなく受け入れられた。そのくせ表面では事務長の存在をすら気が付かないように振る舞った。ことに葉子の心を深く傷つけたのは、事務長の物懶げな無関心な態度だった。葉子がどれほど人の心をひきつける事をいった時でも、した時でも、事務長は冷然として見向こうともしなかった事だ。そういう態度に出られると、葉子は、自分の事は棚に上げておいて、激しく事務長を憎んだ。この憎しみの心が日一日と募って行くのを非常に恐れたけれども、どうしようもなかったのだ。
しかし葉子はとうとうけさの出来事にぶっ突かってしまった。葉子は恐ろしい崕のきわからめちゃくちゃに飛び込んでしまった。葉子の目の前で今まで住んでいた世界はがらっと変わってしまった。木村がどうした。米国がどうした。養って行かなければならない妹や定子がどうした。今まで葉子を襲い続けていた不安はどうした。人に犯されまいと身構えていたその自尊心はどうした。そんなものは木っ葉みじんに無くなってしまっていた。倉地を得たらばどんな事でもする。どんな屈辱でも蜜と思おう。倉地を自分ひとりに得さえすれば……。今まで知らなかった、捕虜の受くる蜜より甘い屈辱!
葉子の心はこんなに順序立っていたわけではない。しかし葉子は両手で頭を押えて鏡を見入りながらこんな心持ちを果てしもなくかみしめた。そして追想は多くの迷路をたどりぬいた末に、不思議な仮睡状態に陥る前まで進んで来た。葉子はソファを牝鹿のように立ち上がって、過去と未来とを断ち切った現在刹那のくらむばかりな変身に打ちふるいながらほほえんだ。
その時ろくろくノックもせずに事務長がはいって来た。葉子のただならぬ姿には頓着なく、
「もうすぐ検疫官がやって来るから、さっきの約束を頼みますよ。資本入らずで大役が勤まるんだ。女というものはいいものだな。や、しかしあなたのはだいぶ資本がかかっとるでしょうね。……頼みますよ」と戯談らしくいった。
「はあ」葉子はなんの苦もなく親しみの限りをこめた返事をした。その一声の中には、自分でも驚くほどな蠱惑の力がこめられていた。
事務長が出て行くと、葉子は子供のように足なみ軽く小さな船室の中を小跳りして飛び回った。そして飛び回りながら、髪をほごしにかかって、時々鏡に映る自分の顔を見やりながら、こらえきれないようにぬすみ笑いをした。
一七
事務長のさしがねはうまい坪にはまった。検疫官は絵島丸の検疫事務をすっかり年とった次位の医官に任せてしまって、自分は船長室で船長、事務長、葉子を相手に、話に花を咲かせながらトランプをいじり通した。あたりまえならば、なんとかかとか必ず苦情の持ち上がるべき英国風の小やかましい検疫もあっさり済んで放蕩者らしい血気盛りな検疫官は、船に来てから二時間そこそこできげんよく帰って行く事になった。
停まるともなく進行を止めていた絵島丸は風のまにまに少しずつ方向を変えながら、二人の医官を乗せて行くモーター・ボートが舷側を離れるのを待っていた。折り目正しい長めな紺の背広を着た検疫官はボートの舵座に立ち上がって、手欄から葉子と一緒に胸から上を乗り出した船長となお戯談を取りかわした。船梯子の下まで医官を見送った事務長は、物慣れた様子でポッケットからいくらかを水夫の手につかませておいて、上を向いて相図をすると、船梯子はきりきりと水平に巻き上げられて行く、それを事もなげに身軽く駆け上って来た。検疫官の目は事務長への挨拶もそこそこに、思いきり派手な装いを凝らした葉子のほうに吸い付けられるらしかった。葉子はその目を迎えて情をこめた流眄を送り返した。検疫官がその忙しい間にも何かしきりに物をいおうとした時、けたたましい汽笛が一抹の白煙を青空に揚げて鳴りはためき、船尾からはすさまじい推進機の震動が起こり始めた。このあわただしい船の別れを惜しむように、検疫官は帽子を取って振り動かしながら、噪音にもみ消される言葉を続けていたが、もとより葉子にはそれは聞こえなかった。葉子はただにこにことほほえみながらうなずいて見せた。そしてただ一時のいたずらごころから髪にさしていた小さな造花を投げてやると、それがあわよく検疫官の肩にあたって足もとにすべり落ちた。検疫官が片手に舵綱をあやつりながら、有頂点になってそれを拾おうとするのを見ると、船舷に立ちならんで物珍しげに陸地を見物していたステヤレージの男女の客は一斉に手をたたいてどよめいた。葉子はあたりを見回した。西洋の婦人たちは等しく葉子を見やって、その花々しい服装から軽率らしい挙動を苦々しく思うらしい顔つきをしていた。それらの外国人の中には田川夫人もまじっていた。
検疫官は絵島丸が残して行った白沫の中で、腰をふらつかせながら、笑い興ずる群集にまで幾度も頭を下げた。群集はまた思い出したように漫罵を放って笑いどよめいた。それを聞くと日本語のよくわかる白髪の船長は、いつものように顔を赤くして、気の毒そうに恥ずかしげな目を葉子に送ったが、葉子がはしたない群集の言葉にも、苦々しげな船客の顔色にも、少しも頓着しないふうで、ほほえみ続けながらモーター・ボートのほうを見守っているのを見ると、未通女らしくさらにまっ赤になってその場をはずしてしまった。
葉子は何事も屈託なくただおもしろかった。からだじゅうをくすぐるような生の歓びから、ややもするとなんでもなく微笑が自然に浮かび出ようとした。「けさから私はこんなに生まれ代わりました御覧なさい」といってだれにでも自分の喜びを披露したいような気分になっていた。検疫官の官舎の白い壁も、そのほうに向かって走って行くモーター・ボートも見る見る遠ざかって小さな箱庭のようになった時、葉子は船長室でのきょうの思い出し笑いをしながら、手欄を離れて心あてに事務長を目で尋ねた。と、事務長は、はるか離れた船艙の出口に田川夫妻と鼎になって、何かむずかしい顔をしながら立ち話をしていた。いつもの葉子ならば三人の様子で何事が語られているかぐらいはすぐ見て取るのだが、その日はただ浮き浮きした無邪気な心ばかりが先に立って、だれにでも好意のある言葉をかけて、同じ言葉で酬いられたい衝動に駆られながら、なんの気なしにそっちに足を向けようとして、ふと気がつくと、事務長が「来てはいけない」と激しく目に物を言わせているのが覚れた。気が付いてよく見ると田川夫人の顔にはまごうかたなき悪意がひらめいていた。
「またおせっかいだな」
一秒の躊躇もなく男のような口調で葉子はこう小さくつぶやいた。「構うものか」そう思いながら葉子は事務長の目使いにも無頓着に、快活な足どりでいそいそと田川夫妻のほうに近づいて行った。それを事務長もどうすることもできなかった。葉子は三人の前に来ると軽く腰をまげて後れ毛をかき上げながら顔じゅうを蠱惑的なほほえみにして挨拶した。田川博士の頬にはいち早くそれに応ずる物やさしい表情が浮かぼうとしていた。
「あなたはずいぶんな乱暴をなさる方ですのね」
いきなり震えを帯びた冷ややかな言葉が田川夫人から葉子に容赦もなく投げつけられた。それは底意地の悪い挑戦的な調子で震えていた。田川博士はこのとっさの気まずい場面を繕うため何か言葉を入れてその不愉快な緊張をゆるめようとするらしかったが、夫人の悪意はせき立って募るばかりだった。しかし夫人は口に出してはもうなんにもいわなかった。
女の間に起こる不思議な心と心との交渉から、葉子はなんという事なく、事務長と自分との間にけさ起こったばかりの出来事を、輪郭だけではあるとしても田川夫人が感づいているなと直覚した。ただ一言ではあったけれども、それは検疫官とトランプをいじった事を責めるだけにしては、激し過ぎ、悪意がこめられ過ぎていることを直覚した。今の激しい言葉は、その事を深く根に持ちながら、検疫医に対する不謹慎な態度をたしなめる言葉のようにして使われているのを直覚した。葉子の心のすみからすみまでを、溜飲の下がるような小気味よさが小おどりしつつ走せめぐった。葉子は何をそんなに事々しくたしなめられる事があるのだろうというような少ししゃあしゃあした無邪気な顔つきで、首をかしげながら夫人を見守った。
「航海中はとにかくわたし葉子さんのお世話をお頼まれ申しているんですからね」
初めはしとやかに落ち付いていうつもりらしかったが、それがだんだん激して途切れがちな言葉になって、夫人はしまいには激動から息気をさえはずましていた。その瞬間に火のような夫人のひとみと、皮肉に落ち付き払った葉子のひとみとが、ぱったり出っくわして小ぜり合いをしたが、また同時に蹴返すように離れて事務長のほうに振り向けられた。
「ごもっともです」
事務長は虻に当惑した熊のような顔つきで、柄にもない謹慎を装いながらこう受け答えた。それから突然本気な表情に返って、
「わたしも事務長であって見れば、どのお客様に対しても責任があるのだで、御迷惑になるような事はせんつもりですが」
ここで彼は急に仮面を取り去ったようににこにこし出した。
「そうむきになるほどの事でもないじゃありませんか。たかが早月さんに一度か二度愛嬌をいうていただいて、それで検疫の時間が二時間から違うのですもの。いつでもここで四時間の以上もむだにせにゃならんのですて」
田川夫人がますますせき込んで、矢継ぎ早にまくしかけようとするのを、事務長は事もなげに軽々とおっかぶせて、
「それにしてからがお話はいかがです、部屋で伺いましょうか。ほかのお客様の手前もいかがです。博士、例のとおり狭っこい所ですが、甲板ではゆっくりもできませんで、あそこでお茶でも入れましょう。早月さんあなたもいかがです」
と笑い笑い言ってからくるりッと葉子のほうに向き直って、田川夫妻には気が付かないように頓狂な顔をちょっとして見せた。
横浜で倉地のあとに続いて船室への階子段を下る時始めて嗅ぎ覚えたウイスキーと葉巻とのまじり合ったような甘たるい一種の香いが、この時かすかに葉子の鼻をかすめたと思った。それをかぐと葉子の情熱のほむらが一時にあおり立てられて、人前では考えられもせぬような思いが、旋風のごとく頭の中をこそいで通るのを覚えた。男にはそれがどんな印象を与えたかを顧みる暇もなく、田川夫妻の前ということもはばからずに、自分では醜いに違いないと思うような微笑が、覚えず葉子の眉の間に浮かび上がった。事務長は小むずかしい顔になって振り返りながら、
「いかがです」ともう一度田川夫妻を促した。しかし田川博士は自分の妻のおとなげないのをあわれむ物わかりのいい紳士という態度を見せて、態よく事務長にことわりをいって、夫人と一緒にそこを立ち去った。
「ちょっといらっしゃい」
田川夫妻の姿が見えなくなると、事務長はろくろく葉子を見むきもしないでこういいながら先に立った。葉子は小娘のようにいそいそとそのあとについて、薄暗い階子段にかかると男におぶいかかるようにしてこぜわしく降りて行った。そして機関室と船員室との間にある例の暗い廊下を通って、事務長が自分の部屋の戸をあけた時、ぱっと明るくなった白い光の中に、nonchalant な diabolic な男の姿を今さらのように一種の畏れとなつかしさとをこめて打ちながめた。
部屋にはいると事務長は、田川夫人の言葉でも思い出したらしくめんどうくさそうに吐息一つして、帳簿を事務テーブルの上にほうりなげておいて、また戸から頭だけつき出して、「ボーイ」と大きな声で呼び立てた。そして戸をしめきると、始めてまともに葉子に向きなおった。そして腹をゆすり上げて続けさまに思い存分笑ってから、
「え」と大きな声で、半分は物でも尋ねるように、半分は「どうだい」といったような調子でいって、足を開いて akimbo をして突っ立ちながら、ちょいと無邪気に首をかしげて見せた。
そこにボーイが戸の後ろから顔だけ出した。
「シャンペンだ。船長の所にバーから持って来さしたのが、二三本残ってるよ。十の字三つぞ(大至急という軍隊用語)。……何がおかしいかい」
事務長は葉子のほうを向いたままこういったのであるが、実際その時ボーイは意味ありげににやにや薄笑いをしていた。
あまりに事もなげな倉地の様子を見ていると葉子は自分の心の切なさに比べて、男の心を恨めしいものに思わずにいられなくなった。けさの記憶のまだ生々しい部屋の中を見るにつけても、激しく嵩ぶって来る情熱が妙にこじれて、いても立ってもいられないもどかしさが苦しく胸に逼るのだった。今まではまるきり眼中になかった田川夫人も、三等の女客の中で、処女とも妻ともつかぬ二人の二十女も、果ては事務長にまつわりつくあの小娘のような岡までが、写真で見た事務長の細君と一緒になって、苦しい敵意を葉子の心にあおり立てた。ボーイにまで笑いものにされて、男の皮を着たこの好色の野獣のなぶりものにされているのではないか。自分の身も心もただ一息にひしぎつぶすかと見えるあの恐ろしい力は、自分を征服すると共にすべての女に対しても同じ力で働くのではないか。そのたくさんの女の中の影の薄い一人の女として彼は自分を扱っているのではないか。自分には何物にも代え難く思われるけさの出来事があったあとでも、ああ平気でいられるそののんきさはどうしたものだろう。葉子は物心がついてから始終自分でも言い現わす事のできない何物かを逐い求めていた。その何物かは葉子のすぐ手近にありながら、しっかりとつかむ事はどうしてもできず、そのくせいつでもその力の下に傀儡のようにあてもなく動かされていた。葉子はけさの出来事以来なんとなく思いあがっていたのだ。それはその何物かがおぼろげながら形を取って手に触れたように思ったからだ。しかしそれも今から思えば幻影に過ぎないらしくもある。自分に特別な注意も払っていなかったこの男の出来心に対して、こっちから進んで情をそそるような事をした自分はなんという事をしたのだろう。どうしたらこの取り返しのつかない自分の破滅を救う事ができるのだろうと思って来ると、一秒でもこのいまわしい記憶のさまよう部屋の中にはいたたまれないように思え出した。しかし同時に事務長は断ちがたい執着となって葉子の胸の底にこびりついていた。この部屋をこのままで出て行くのは死ぬよりもつらい事だった。どうしてもはっきりと事務長の心を握るまでは……葉子は自分の心の矛盾に業を煮やしながら、自分をさげすみ果てたような絶望的な怒りの色を口びるのあたりに宿して、黙ったまま陰鬱に立っていた。今までそわそわと小魔のように葉子の心をめぐりおどっていたはなやかな喜び――それはどこに行ってしまったのだろう。
事務長はそれに気づいたのか気がつかないのか、やがてよりかかりのないまるい事務いすに尻をすえて、子供のような罪のない顔をしながら、葉子を見て軽く笑っていた。葉子はその顔を見て、恐ろしい大胆な悪事を赤児同様の無邪気さで犯しうる質の男だと思った。葉子はこんな無自覚な状態にはとてもなっていられなかった。一足ずつ先を越されているのかしらんという不安までが心の平衡をさらに狂わした。
「田川博士は馬鹿ばかで、田川の奥さんは利口ばかというんだ。はゝゝゝゝ」
そういって笑って、事務長は膝がしらをはっしと打った手をかえして、机の上にある葉巻をつまんだ。
葉子は笑うよりも腹だたしく、腹だたしいよりも泣きたいくらいになっていた。口びるをぶるぶると震わしながら涙でもたまったように輝く目は剣を持って、恨みをこめて事務長を見入ったが、事務長は無頓着に下を向いたまま、一心に葉巻に火をつけている。葉子は胸に抑えあまる恨みつらみをいい出すには、心があまりに震えて喉がかわききっているので、下くちびるをかみしめたまま黙っていた。
倉地はそれを感づいているのだのにと葉子は置きざりにされたようなやり所のないさびしさを感じていた。
ボーイがシャンペンとコップとを持ってはいって来た。そして丁寧にそれを事務テーブルの上に置いて、さっきのように意味ありげな微笑をもらしながら、そっと葉子をぬすみ見た。待ち構えていた葉子の目はしかしボーイを笑わしてはおかなかった。ボーイはぎょっとして飛んでもない事をしたというふうに、すぐ慎み深い給仕らしく、そこそこに部屋を出て行った。
事務長は葉巻の煙に顔をしかめながら、シャンペンをついで盆を葉子のほうにさし出した。葉子は黙って立ったまま手を延ばした。何をするにも心にもない作り事をしているようだった。この短い瞬間に、今までの出来事でいいかげん乱れていた心は、身の破滅がとうとう来てしまったのだというおそろしい予想に押しひしがれて、頭は氷で巻かれたように冷たく気うとくなった。胸から喉もとにつきあげて来る冷たいそして熱い球のようなものを雄々しく飲み込んでも飲み込んでも涙がややともすると目がしらを熱くうるおして来た。薄手のコップに泡を立てて盛られた黄金色の酒は葉子の手の中で細かいさざ波を立てた。葉子はそれを気取られまいと、しいて左の手を軽くあげて鬢の毛をかき上げながら、コップを事務長のと打ち合わせたが、それをきっかけに願でもほどけたように今までからく持ちこたえていた自制は根こそぎくずされてしまった。
事務長がコップを器用に口びるにあてて、仰向きかげんに飲みほす間、葉子は杯を手にもったまま、ぐびりぐびりと動く男の喉を見つめていたが、いきなり自分の杯を飲まないまま盆の上にかえして、
「よくもあなたはそんなに平気でいらっしゃるのね」
と力をこめるつもりでいったその声はいくじなくも泣かんばかりに震えていた。そして堰を切ったように涙が流れ出ようとするのを糸切り歯でかみきるばかりにしいてくいとめた。
事務長は驚いたらしかった。目を大きくして何かいおうとするうちに、葉子の舌は自分でも思い設けなかった情熱を帯びて震えながら動いていた。
「知っています。知っていますとも……。あなたはほんとに……ひどい方ですのね。わたしなんにも知らないと思ってらっしゃるのね。えゝ、わたしは存じません、存じません、ほんとに……」
何をいうつもりなのか自分でもわからなかった。ただ激しい嫉妬が頭をぐらぐらさせるばかりに嵩じて来るのを知っていた。男がある機会には手傷も負わないで自分から離れて行く……そういういまいましい予想で取り乱されていた。葉子は生来こんなみじめなまっ暗な思いに捕えられた事がなかった。それは生命が見す見す自分から離れて行くのを見守るほどみじめでまっ暗だった。この人を自分から離れさすくらいなら殺してみせる、そう葉子はとっさに思いつめてみたりした。
葉子はもう我慢にもそこに立っていられなくなった。事務長に倒れかかりたい衝動をしいてじっとこらえながら、きれいに整えられた寝台にようやく腰をおろした。美妙な曲線を長く描いてのどかに開いた眉根は痛ましく眉間に集まって、急にやせたかと思うほど細った鼻筋は恐ろしく感傷的な痛々しさをその顔に与えた。いつになく若々しく装った服装までが、皮肉な反語のように小股の切れあがったやせ形なその肉を痛ましく虐げた。長い袖の下で両手の指を折れよとばかり組み合わせて、何もかも裂いて捨てたいヒステリックな衝動を懸命に抑えながら、葉子は唾も飲みこめないほど狂おしくなってしまっていた。
事務長は偶然に不思議を見つけた子供のような好奇なあきれた顔つきをして、葉子の姿を見やっていたが、片方のスリッパを脱ぎ落としたその白足袋の足もとから、やや乱れた束髪までをしげしげと見上げながら、
「どうしたんです」
といぶかるごとく聞いた。葉子はひったくるようにさそくに返事をしようとしたけれども、どうしてもそれができなかった。倉地はその様子を見ると今度はまじめになった。そして口の端まで持って行った葉巻をそのままトレイの上に置いて立ち上がりながら、
「どうしたんです」
ともう一度聞きなおした。それと同時に、葉子も思いきり冷酷に、
「どうもしやしません」
という事ができた。二人の言葉がもつれ返ったように、二人の不思議な感情ももつれ合った。もうこんな所にはいない、葉子はこの上の圧迫には堪えられなくなって、はなやかな裾を蹴乱しながらまっしぐらに戸口のほうに走り出ようとした。事務長はその瞬間に葉子のなよやかな肩をさえぎりとめた。葉子はさえぎられて是非なく事務テーブルのそばに立ちすくんだが、誇りも恥も弱さも忘れてしまっていた。どうにでもなれ、殺すか死ぬかするのだ、そんな事を思うばかりだった。こらえにこらえていた涙を流れるに任せながら、事務長の大きな手を肩に感じたままで、しゃくり上げて恨めしそうに立っていたが、手近に飾ってある事務長の家族の写真を見ると、かっと気がのぼせて前後のわきまえもなく、それを引ったくるとともに両手にあらん限りの力をこめて、人殺しでもするような気負いでずたずたに引き裂いた。そしてもみくたになった写真の屑を男の胸も透れと投げつけると、写真のあたったその所にかみつきもしかねまじき狂乱の姿となって、捨て身に武者ぶりついた。事務長は思わず身を退いて両手を伸ばして走りよる葉子をせき止めようとしたが、葉子はわれにもなく我武者にすり入って、男の胸に顔を伏せた。そして両手で肩の服地を爪も立てよとつかみながら、しばらく歯をくいしばって震えているうちに、それがだんだんすすり泣きに変わって行って、しまいににはさめざめと声を立てて泣きはじめた。そしてしばらくは葉子の絶望的な泣き声ばかりが部屋の中の静かさをかき乱して響いていた。
突然葉子は倉地の手を自分の背中に感じて、電気にでも触れたように驚いて飛びのいた。倉地に泣きながらすがりついた葉子が倉地からどんなものを受け取らねばならぬかは知れきっていたのに、優しい言葉でもかけてもらえるかのごとく振る舞った自分の矛盾にあきれて、恐ろしさに両手で顔をおおいながら部屋のすみに退って行った。倉地はすぐ近寄って来た。葉子は猫に見込まれたカナリヤのように身もだえしながら部屋の中を逃げにかかったが、事務長は手もなく追いすがって、葉子の二の腕を捕えて力まかせに引き寄せた。葉子も本気にあらん限りの力を出してさからった。しかしその時の倉地はもうふだんの倉地ではなくなっていた。けさ写真を見ていた時、後ろから葉子を抱きしめたその倉地が目ざめていた。怒った野獣に見る狂暴な、防ぎようのない力があらしのように男の五体をさいなむらしく、倉地はその力の下にうめきもがきながら、葉子にまっしぐらにつかみかかった。
「またおれをばかにしやがるな」
という言葉がくいしばった歯の間から雷のように葉子の耳を打った。
あゝこの言葉――このむき出しな有頂点な興奮した言葉こそ葉子が男の口から確かに聞こうと待ち設けた言葉だったのだ。葉子は乱暴な抱擁の中にそれを聞くとともに、心のすみに軽い余裕のできたのを感じて自分というものがどこかのすみに頭をもたげかけたのを覚えた。倉地の取った態度に対して作為のある応対ができそうにさえなった。葉子は前どおりすすり泣きを続けてはいたが、その涙の中にはもう偽りのしずくすらまじっていた。
「いやです放して」
こういった言葉も葉子にはどこか戯曲的な不自然な言葉だった。しかし倉地は反対に葉子の一語一語に酔いしれて見えた。
「だれが離すか」
事務長の言葉はみじめにもかすれおののいていた。葉子はどんどん失った所を取り返して行くように思った。そのくせその態度は反対にますますたよりなげなやる瀬ないものになっていた。倉地の広い胸と太い腕との間に羽がいに抱きしめられながら、小鳥のようにぶるぶると震えて、
「ほんとうに離してくださいまし」
「いやだよ」
葉子は倉地の接吻を右に左によけながら、さらに激しくすすり泣いた。倉地は致命傷を受けた獣のようにうめいた。その腕には悪魔のような血の流れるのが葉子にも感ぜられた。葉子は程を見計らっていた。そして男の張りつめた情欲の糸が絶ち切れんばかりに緊張した時、葉子はふと泣きやんできっと倉地の顔を振り仰いだ。その目からは倉地が思いもかけなかった鋭い強い光が放たれていた。
「ほんとうに放していただきます」
ときっぱりいって、葉子は機敏にちょっとゆるんだ倉地の手をすりぬけた。そしていち早く部屋を横筋かいに戸口まで逃げのびて、ハンドルに手をかけながら、
「あなたはけさこの戸に鍵をおかけになって、……それは手籠めです……わたし……」
といって少し情に激してうつむいてまた何かいい続けようとするらしかったが、突然戸をあけて出て行ってしまった。
取り残された倉地はあきれてしばらく立っているようだったが、やがて英語で乱暴な呪詛を口走りながら、いきなり部屋を出て葉子のあとを追って来た。そしてまもなく葉子の部屋の所に来てノックした。葉子は鍵をかけたまま黙って答えないでいた。事務長はなお二三度ノックを続けていたが、いきなり何か大声で物をいいながら船医の興録の部屋にはいるのが聞こえた。
葉子は興録が事務長のさしがねでなんとかいいに来るだろうとひそかに心待ちにしていた。ところがなんともいって来ないばかりか、船医室からは時々あたりをはばからない高笑いさえ聞こえて、事務長は容易にその部屋を出て行きそうな気配もなかった。葉子は興奮に燃え立ついらいらした心でそこにいる事務長の姿をいろいろ想像していた。ほかの事は一つも頭の中にははいって来なかった。そしてつくづく自分の心の変わりかたの激しさに驚かずにはいられなかった。「定子! 定子!」葉子は隣にいる人を呼び出すような気で小さな声を出してみた。その最愛の名を声にまで出してみても、その響きの中には忘れていた夢を思い出したほどの反応もなかった。どうすれば人の心というものはこんなにまで変わり果てるものだろう。葉子は定子をあわれむよりも、自分の心をあわれむために涙ぐんでしまった。そしてなんの気なしに小卓の前に腰をかけて、大切なものの中にしまっておいた、そのころ日本では珍しいファウンテン・ペンを取り出して、筆の動くままにそこにあった紙きれに字を書いてみた。
「女の弱き心につけ入りたもうはあまりに酷きお心とただ恨めしく存じ参らせ候妾の運命はこの船に結ばれたる奇しきえにしや候いけん心がらとは申せ今は過去のすべて未来のすべてを打ち捨ててただ目の前の恥ずかしき思いに漂うばかりなる根なし草の身となり果て参らせ候を事もなげに見やりたもうが恨めしく恨めしく死」
となんのくふうもなく、よく意味もわからないで一瀉千里に書き流して来たが、「死」という字に来ると、葉子はペンも折れよといらいらしくその上を塗り消した。思いのままを事務長にいってやるのは、思い存分自分をもてあそべといってやるのと同じ事だった。葉子は怒りに任せて余白を乱暴にいたずら書きでよごしていた。
と、突然船医の部屋から高々と倉地の笑い声が聞こえて来た。葉子はわれにもなく頭を上げて、しばらく聞き耳を立ててから、そっと戸口に歩み寄ったが、あとはそれなりまた静かになった。
葉子は恥ずかしげに座に戻った。そして紙の上に思い出すままに勝手な字を書いたり、形の知れない形を書いてみたりしながら、ずきんずきんと痛む頭をぎゅっと肘をついた片手で押えてなんという事もなく考えつづけた。
念が届けば木村にも定子にもなんの用があろう。倉地の心さえつかめばあとは自分の意地一つだ。そうだ。念が届かなければ……念が届かなければ……届かなければあらゆるものに用がなくなるのだ。そうしたら美しく死のうねえ。……どうして……私はどうして……けれども……葉子はいつのまにか純粋に感傷的になっていた。自分にもこんなおぼこな思いが潜んでいたかと思うと、抱いてなでさすってやりたいほど自分がかわゆくもあった。そして木部と別れて以来絶えて味わわなかったこの甘い情緒に自分からほだされおぼれて、心中でもする人のような、恋に身をまかせる心安さにひたりながら小机に突っ伏してしまった。
やがて酔いつぶれた人のように頭をもたげた時は、とうに日がかげって部屋の中にははなやかに電燈がともっていた。
いきなり船医の部屋の戸が乱暴に開かれる音がした。葉子ははっと思った。その時葉子の部屋の戸にどたりと突きあたった人の気配がして、「早月さん」と濁って塩がれた事務長の声がした。葉子は身のすくむような衝動を受けて、思わず立ち上がってたじろぎながら部屋のすみに逃げかくれた。そしてからだじゅうを耳のようにしていた。
「早月さんお願いだ。ちょっとあけてください」
葉子は手早く小机の上の紙を屑かごになげすてて、ファウンテン・ペンを物陰にほうりこんだ。そしてせかせかとあたりを見回したが、あわてながら眼窓のカーテンをしめきった。そしてまた立ちすくんだ、自分の心の恐ろしさにまどいながら。
外部では握り拳で続けさまに戸をたたいている。葉子はそわそわと裾前をかき合わせて、肩越しに鏡を見やりながら涙をふいて眉をなでつけた。
「早月さん‼」
葉子はややしばしとつおいつ躊躇していたが、とうとう決心して、何かあわてくさって、鍵をがちがちやりながら戸をあけた。
事務長はひどく酔ってはいって来た。どんなに飲んでも顔色もかえないほどの強酒な倉地が、こんなに酔うのは珍しい事だった。締めきった戸に仁王立ちによりかかって、冷然とした様子で離れて立つ葉子をまじまじと見すえながら、
「葉子さん、葉子さんが悪ければ早月さんだ。早月さん……僕のする事はするだけの覚悟があってするんですよ。僕はね、横浜以来あなたに惚れていたんだ。それがわからないあなたじゃないでしょう。暴力? 暴力がなんだ。暴力は愚かなこった。殺したくなれば殺しても進んぜるよ」
葉子はその最後の言葉を聞くと瞑眩を感ずるほど有頂天になった。
「あなたに木村さんというのが付いてるくらいは、横浜の支店長から聞かされとるんだが、どんな人だか僕はもちろん知りませんさ。知らんが僕のほうがあなたに深惚れしとる事だけは、この胸三寸でちゃんと知っとるんだ。それ、それがわからん? 僕は恥も何もさらけ出していっとるんですよ。これでもわからんですか」
葉子は目をかがやかしながら、その言葉をむさぼった。かみしめた。そしてのみ込んだ。
こうして葉子に取って運命的な一日は過ぎた。
一八
その夜船はビクトリヤに着いた。倉庫の立ちならんだ長い桟橋に“Car to the Town.Fare 15¢”と大きな白い看板に書いてあるのが夜目にもしるく葉子の眼窓から見やられた。米国への上陸が禁ぜられているシナの苦力がここから上陸するのと、相当の荷役とで、船の内外は急に騒々しくなった。事務長は忙しいと見えてその夜はついに葉子の部屋に顔を見せなかった。そこいらが騒々しくなればなるほど葉子はたとえようのない平和を感じた。生まれて以来、葉子は生に固着した不安からこれほどまできれいに遠ざかりうるものとは思いも設けていなかった。しかもそれが空疎な平和ではない。飛び立っておどりたいほどの ecstasy を苦もなく押えうる強い力の潜んだ平和だった。すべての事に飽き足った人のように、また二十五年にわたる長い苦しい戦いに始めて勝って兜を脱いだ人のように、心にも肉にも快い疲労を覚えて、いわばその疲れを夢のように味わいながら、なよなよとソファに身を寄せて灯火を見つめていた。倉地がそこにいないのが浅い心残りだった。けれどもなんといっても心安かった。ともすれば微笑が口びるの上をさざ波のようにひらめき過ぎた。
けれどもその翌日から一等船客の葉子に対する態度は手のひらを返したように変わってしまった。一夜の間にこれほどの変化をひき起こす事のできる力を、葉子は田川夫人のほかに想像し得なかった。田川夫人が世に時めく良人を持って、人の目に立つ交際をして、女盛りといい条、もういくらか下り坂であるのに引きかえて、どんな人の配偶にしてみても恥ずかしくない才能と容貌とを持った若々しい葉子のたよりなげな身の上とが、二人に近づく男たちに同情の軽重を起こさせるのはもちろんだった。しかし道徳はいつでも田川夫人のような立場にある人の利器で、夫人はまたそれを有利に使う事を忘れない種類の人であった。そして船客たちの葉子に対する同情の底に潜む野心――はかない、野心ともいえないほどの野心――もう一ついい換ゆれば、葉子の記憶に親切な男として、勇悍な男として、美貌な男として残りたいというほどな野心――に絶望の断定を与える事によって、その同情を引っ込めさせる事のできるのも夫人は心得ていた。事務長が自己の勢力範囲から離れてしまった事も不快の一つだった。こんな事から事務長と葉子との関係は巧妙な手段でいち早く船中に伝えられたに違いない。その結果として葉子はたちまち船中の社交から葬られてしまった。少なくとも田川夫人の前では、船客の大部分は葉子に対して疎々しい態度をして見せるようになった。中にもいちばんあわれなのは岡だった。だれがなんと告げ口したのか知らないが、葉子が朝おそく目をさまして甲板に出て見ると、いつものように手欄によりかかって、もう内海になった波の色をながめていた彼は、葉子の姿を認めるや否や、ふいとその場をはずして、どこへか影を隠してしまった。それからというもの、岡はまるで幽霊のようだった。船の中にいる事だけは確かだが、葉子がどうかしてその姿を見つけたと思うと、次の瞬間にはもう見えなくなっていた。そのくせ葉子は思わぬ時に、岡がどこかで自分を見守っているのを確かに感ずる事がたびたびだった。葉子はその岡をあわれむ事すらもう忘れていた。
結句船の中の人たちから度外視されるのを気安い事とまでは思わないでも、葉子はかかる結果にはいっこう無頓着だった。もう船はきょうシヤトルに着くのだ。田川夫人やそのほかの船客たちのいわゆる「監視」の下に苦々しい思いをするのもきょう限りだ。そう葉子は平気で考えていた。
しかし船がシヤトルに着くという事は、葉子にほかの不安を持ちきたさずにはおかなかった。シカゴに行って半年か一年木村と連れ添うほかはあるまいとも思った。しかし木部の時でも二か月とは同棲していなかったとも思った。倉地と離れては一日でもいられそうにはなかった。しかしこんな事を考えるには船がシヤトルに着いてからでも三日や四日の余裕はある。倉地はその事は第一に考えてくれているに違いない。葉子は今の平和をしいてこんな問題でかき乱す事を欲しなかったばかりでなくとてもできなかった。
葉子はそのくせ、船客と顔を見合わせるのが不快でならなかったので、事務長に頼んで船橋に上げてもらった。船は今瀬戸内のような狭い内海を動揺もなく進んでいた。船長はビクトリアで傭い入れた水先案内と二人ならんで立っていたが、葉子を見るといつものとおり顔をまっ赤にしながら帽子を取って挨拶した。ビスマークのような顔をして、船長より一がけも二がけも大きい白髪の水先案内はふと振り返ってじっと葉子を見たが、そのまま向き直って、
「Charmin' little lassie ! wha' is that ?」
とスコットランド風な強い発音で船長に尋ねた。葉子にはわからないつもりでいったのだ。船長があわてて何かささやくと、老人はからからと笑ってちょっと首を引っ込ませながら、もう一度振り返って葉子を見た。
その毒気なくからからと笑う声が、恐ろしく気に入ったばかりでなく、かわいて晴れ渡った秋の朝の空となんともいえない調和をしていると思いながら葉子は聞いた。そしてその老人の背中でもなでてやりたいような気になった。船は小動ぎもせずにアメリカ松の生え茂った大島小島の間を縫って、舷側に来てぶつかるさざ波の音ものどかだった。そして昼近くなってちょっとした岬をくるりと船がかわすと、やがてポート・タウンセンドに着いた。そこでは米国官憲の検査が型ばかりあるのだ。くずした崕の土で埋め立てをして造った、桟橋まで小さな漁村で、四角な箱に窓を明けたような、生々しい一色のペンキで塗り立てた二三階建ての家並みが、けわしい斜面に沿うて、高く低く立ち連なって、岡の上には水上げの風車が、青空に白い羽根をゆるゆる動かしながら、かったんこっとんとのんきらしく音を立てて回っていた。鴎が群れをなして猫に似た声でなきながら、船のまわりを水に近くのどかに飛び回るのを見るのも、葉子には絶えて久しい物珍しさだった。飴屋の呼び売りのような声さえ町のほうから聞こえて来た。葉子はチャート・ルームの壁にもたれかかって、ぽかぽかとさす秋の日の光を頭から浴びながら、静かな恵み深い心で、この小さな町の小さな生活の姿をながめやった。そして十四日の航海の間に、いつのまにか海の心を心としていたのに気がついた。放埒な、移り気な、想像も及ばぬパッションにのたうち回ってうめき悩むあの大海原――葉子は失われた楽園を慕い望むイヴのように、静かに小さくうねる水の皺を見やりながら、はるかな海の上の旅路を思いやった。
「早月さん、ちょっとそこからでいい、顔を貸してください」
すぐ下で事務長のこういう声が聞こえた。葉子は母に呼び立てられた少女のように、うれしさに心をときめかせながら、船橋の手欄から下を見おろした。そこに事務長が立っていた。
「One more over there,look!」
こういいながら、米国の税関吏らしい人に葉子を指さして見せた。官吏はうなずきながら手帳に何か書き入れた。
船はまもなくこの漁村を出発したが、出発するとまもなく事務長は船橋にのぼって来た。
「Here we are! Seatle is as good as reached now.」
船長にともなく葉子にともなくいって置いて、水先案内と握手しながら、
「Thanks to you.」
と付け足した。そして三人でしばらく快活に四方山の話をしていたが、ふと思い出したように葉子を顧みて、
「これからまた当分は目が回るほど忙しくなるで、その前にちょっと御相談があるんだが、下に来てくれませんか」
といった。葉子は船長にちょっと挨拶を残して、すぐ事務長のあとに続いた。階子段を降りる時でも、目の先に見える頑丈な広い肩から一種の不安が抜け出て来て葉子に逼る事はもうなかった。自分の部屋の前まで来ると、事務長は葉子の肩に手をかけて戸をあけた。部屋の中には三四人の男が濃く立ちこめた煙草の煙の中に所狭く立ったり腰をかけたりしていた。そこには興録の顔も見えた。事務長は平気で葉子の肩に手をかけたままはいって行った。
それは始終事務長や船医と一かたまりのグループを作って、サルンの小さなテーブルを囲んでウイスキーを傾けながら、時々他の船客の会話に無遠慮な皮肉や茶々を入れたりする連中だった。日本人が着るといかにもいや味に見えるアメリカ風の背広も、さして取ってつけたようには見えないほど、太平洋を幾度も往来したらしい人たちで、どんな職業に従事しているのか、そういう見分けには人一倍鋭敏な観察力を持っている葉子にすら見当がつかなかった。葉子がはいって行っても、彼らは格別自分たちの名前を名乗るでもなく、いちばん安楽な椅子に腰かけていた男が、それを葉子に譲って、自分は二つに折れるように小さくなって、すでに一人腰かけている寝台に曲がりこむと、一同はその様子に声を立てて笑ったが、すぐまた前どおり平気な顔をして勝手な口をきき始めた。それでも一座は事務長には一目置いているらしく、また事務長と葉子との関係も、事務長から残らず聞かされている様子だった。葉子はそういう人たちの間にあるのを結句気安く思った。彼らは葉子を下級船員のいわゆる「姉御」扱いにしていた。
「向こうに着いたらこれで悶着ものだぜ。田川の嚊め、あいつ、一味噌すらずにおくまいて」
「因業な生まれだなあ」
「なんでも正面からぶっ突かって、いさくさいわせず決めてしまうほかはないよ」
などと彼らは戯談ぶった口調で親身な心持ちをいい現わした。事務長は眉も動かさずに、机によりかかって黙っていた。葉子はこれらの言葉からそこに居合わす人々の性質や傾向を読み取ろうとしていた。興録のほかに三人いた。その中の一人は甲斐絹のどてらを着ていた。
「このままこの船でお帰りなさるがいいね」
とそのどてらを着た中年の世渡り巧者らしいのが葉子の顔を窺い窺いいうと、事務長は少し屈託らしい顔をして物懶げに葉子を見やりながら、
「わたしもそう思うんだがどうだ」
とたずねた。葉子は、
「さあ……」
と生返事をするほかなかった。始めて口をきく幾人もの男の前で、とっかは物をいうのがさすがに億劫だった。興録は事務長の意向を読んで取ると、分別ぶった顔をさし出して、
「それに限りますよ。あなた一つ病気におなりなさりゃ世話なしですさ。上陸したところが急に動くようにはなれない。またそういうからだでは検疫がとやかくやかましいに違いないし、この間のように検疫所でまっ裸にされるような事でも起これば、国際問題だのなんだのって始末におえなくなる。それよりは出帆まで船に寝ていらっしゃるほうがいいと、そこは私が大丈夫やりますよ。そしておいて船の出ぎわになってやはりどうしてもいけないといえばそれっきりのもんでさあ」
「なに、田川の奥さんが、木村っていうのに、味噌さえしこたますってくれればいちばんええのだが」
と事務長は船医の言葉を無視した様子で、自分の思うとおりをぶっきらぼうにいってのけた。
木村はそのくらいな事で葉子から手を引くようなはきはきした気象の男ではない。これまでもずいぶんいろいろなうわさが耳にはいったはずなのに「僕はあの女の欠陥も弱点もみんな承知している。私生児のあるのももとより知っている。ただ僕はクリスチャンである以上、なんとでもして葉子を救い上げる。救われた葉子を想像してみたまえ。僕はその時いちばん理想的な better half を持ちうると信じている」といった事を聞いている。東北人のねんじりむっつりしたその気象が、葉子には第一我慢のしきれない嫌悪の種だったのだ。
葉子は黙ってみんなのいう事を聞いているうちに、興録の軍略がいちばん実際的だと考えた。そしてなれなれしい調子で興録を見やりながら、
「興録さん、そうおっしゃればわたし仮病じゃないんですの。この間じゅうから診ていただこうかしらと幾度か思ったんですけれども、あんまり大げさらしいんで我慢していたんですが、どういうもんでしょう……少しは船に乗る前からでしたけれども……お腹のここが妙に時々痛むんですのよ」
というと、寝台に曲がりこんだ男はそれを聞きながらにやりにやり笑い始めた。葉子はちょっとその男をにらむようにして一緒に笑った。
「まあ機の悪い時にこんな事をいうもんですから、痛い腹まで探られますわね……じゃ興録さん後ほど診ていただけて?」
事務長の相談というのはこんなたわいもない事で済んでしまった。
二人きりになってから、
「ではわたしこれからほんとうの病人になりますからね」
葉子はちょっと倉地の顔をつついて、その口びるに触れた。そしてシヤトルの市街から起こる煤煙が遠くにぼんやり望まれるようになったので、葉子は自分の部屋に帰った。そして洋風の白い寝衣に着かえて、髪を長い編み下げにして寝床にはいった。戯談のようにして興録に病気の話をしたものの、葉子は実際かなり長い以前から子宮を害しているらしかった。腰を冷やしたり、感情が激昂したりしたあとでは、きっと収縮するような痛みを下腹部に感じていた。船に乗った当座は、しばらくの間は忘れるようにこの不快な痛みから遠ざかる事ができて、幾年ぶりかで申し所のない健康のよろこびを味わったのだったが、近ごろはまただんだん痛みが激しくなるようになって来ていた。半身が痲痺したり、頭が急にぼーっと遠くなる事も珍しくなかった。葉子は寝床にはいってから、軽い疼みのある所をそっと平手でさすりながら、船がシヤトルの波止場に着く時のありさまを想像してみた。しておかなければならない事が数かぎりなくあるらしかったけれども、何をしておくという事もなかった。ただなんでもいいせっせと手当たり次第したくをしておかなければ、それだけの心尽くしを見せて置かなければ、目論見どおり首尾が運ばないように思ったので、一ぺん横になったものをまたむくむくと起き上がった。
まずきのう着た派手な衣類がそのまま散らかっているのを畳んでトランクの中にしまいこんだ。臥る時まで着ていた着物は、わざとはなやかな長襦袢や裏地が見えるように衣紋竹に通して壁にかけた。事務長の置き忘れて行ったパイプや帳簿のようなものは丁寧に抽き出しに隠した。古藤が木村と自分とにあてて書いた二通の手紙を取り出して、古藤がしておいたように、枕の下に差しこんだ。鏡の前には二人の妹と木村との写真を飾った。それから大事な事を忘れていたのに気がついて、廊下越しに興録を呼び出して薬びんや病床日記を調えるように頼んだ。興録の持って来た薬びんから薬を半分がた痰壺に捨てた。日本から木村に持って行くように託された品々をトランクから取り分けた。その中からは故郷を思い出させるようないろいろな物が出て来た。香いまでが日本というものをほのかに心に触れさせた。
葉子は忙しく働かしていた手を休めて、部屋のまん中に立ってあたりを見回して見た。しぼんだ花束が取りのけられてなくなっているばかりで、あとは横浜を出た時のとおりの部屋の姿になっていた。旧い記憶が香のようにしみこんだそれらの物を見ると、葉子の心はわれにもなくふとぐらつきかけたが、涙もさそわずに淡く消えて行った。
フォクスルで起重機の音がかすかに響いて来るだけで、葉子の部屋は妙に静かだった。葉子の心は風のない池か沼の面のようにただどんよりとよどんでいた。からだはなんのわけもなくだるく物懶かった。
食堂の時計が引きしまった音で三時を打った。それを相図のように汽笛がすさまじく鳴り響いた。港にはいった相図をしているのだなと思った。と思うと今まで鈍く脈打つように見えていた胸が急に激しく騒ぎ動き出した。それが葉子の思いも設けぬ方向に動き出した。もうこの長い船旅も終わったのだ。十四五の時から新聞記者になる修業のために来たい来たいと思っていた米国に着いたのだ。来たいとは思いながらほんとうに来ようとは夢にも思わなかった米国に着いたのだ。それだけの事で葉子の心はもうしみじみとしたものになっていた。木村は狂うような心をしいて押ししずめながら、船の着くのを埠頭に立って涙ぐみつつ待っているだろう。そう思いながら葉子の目は木村や二人の妹の写真のほうにさまよって行った。それとならべて写真を飾っておく事もできない定子の事までが、哀れ深く思いやられた。生活の保障をしてくれる父親もなく、膝に抱き上げて愛撫してやる母親にもはぐれたあの子は今あの池の端のさびしい小家で何をしているのだろう。笑っているかと想像してみるのも悲しかった。泣いているかと想像してみるのもあわれだった。そして胸の中が急にわくわくとふさがって来て、せきとめる暇もなく涙がはらはらと流れ出た。葉子は大急ぎで寝台のそばに駆けよって、枕もとにおいといたハンケチを拾い上げて目がしらに押しあてた。素直な感傷的な涙がただわけもなくあとからあとから流れた。この不意の感情の裏切りにはしかし引き入れられるような誘惑があった。だんだん底深く沈んで哀しくなって行くその思い、なんの思いとも定めかねた深い、わびしい、悲しい思い。恨みや怒りをきれいにぬぐい去って、あきらめきったようにすべてのものをただしみじみとなつかしく見せるその思い。いとしい定子、いとしい妹、いとしい父母、……なぜこんななつかしい世に自分の心だけがこう哀しく一人ぼっちなのだろう。なぜ世の中は自分のようなものをあわれむしかたを知らないのだろう。そんな感じの零細な断片がつぎつぎに涙にぬれて胸を引きしめながら通り過ぎた。葉子は知らず知らずそれらの感じにしっかりすがり付こうとしたけれども無益だった。感じと感じとの間には、星のない夜のような、波のない海のような、暗い深い際涯のない悲哀が、愛憎のすべてをただ一色に染めなして、どんよりと広がっていた。生を呪うよりも死が願われるような思いが、逼るでもなく離れるでもなく、葉子の心にまつわり付いた。葉子は果ては枕に顔を伏せて、ほんとうに自分のためにさめざめと泣き続けた。
こうして小半時もたった時、船は桟橋につながれたと見えて、二度目の汽笛が鳴りはためいた。葉子は物懶げに頭をもたげて見た。ハンケチは涙のためにしぼるほどぬれて丸まっていた。水夫らが繋ぎ綱を受けたりやったりする音と、鋲釘を打ちつけた靴で甲板を歩き回る音とが入り乱れて、頭の上はさながら火事場のような騒ぎだった。泣いて泣いて泣き尽くした子供のようなぼんやりした取りとめのない心持ちで、葉子は何を思うともなくそれを聞いていた。
と突然戸外で事務長の、
「ここがお部屋です」
という声がした。それがまるで雷か何かのように恐ろしく聞こえた。葉子は思わずぎょっとなった。準備をしておくつもりでいながらなんの準備もできていない事も思った。今の心持ちは平気で木村に会える心持ちではなかった。おろおろしながら立ちは上がったが、立ち上がってもどうする事もできないのだと思うと、追いつめられた罪人のように、頭の毛を両手で押えて、髪の毛をむしりながら、寝台の上にがばと伏さってしまった。
戸があいた。
「戸があいた」、葉子は自分自身に救いを求めるように、こう心の中でうめいた。そして息気もとまるほど身内がしゃちこばってしまっていた。
「早月さん、木村さんが見えましたよ」
事務長の声だ。あゝ事務長の声だ。事務長の声だ。葉子は身を震わせて壁のほうに顔を向けた。……事務長の声だ……。
「葉子さん」
木村の声だ。今度は感情に震えた木村の声が聞こえて来た。葉子は気が狂いそうだった。とにかく二人の顔を見る事はどうしてもできない。葉子は二人に背ろを向けますます壁のほうにもがきよりながら、涙の暇から狂人のように叫んだ。たちまち高くたちまち低いその震え声は笑っているようにさえ聞こえた。
「出て……お二人ともどうか出て……この部屋を……後生ですから今この部屋を……出てくださいまし……」
木村はひどく不安げに葉子によりそってその肩に手をかけた。木村の手を感ずると恐怖と嫌悪とのために身をちぢめて壁にしがみついた。
「痛い……いけません……お腹が……早く出て……早く……」
事務長は木村を呼び寄せて何かしばらくひそひそ話し合っているようだったが、二人ながら足音を盗んでそっと部屋を出て行った。葉子はなおも息気も絶え絶えに、
「どうぞ出て……あっちに行って……」
といいながら、いつまでも泣き続けた。
一九
しばらくの間食堂で事務長と通り一ぺんの話でもしているらしい木村が、ころを見計らって再度葉子の部屋の戸をたたいた時にも、葉子はまだ枕に顔を伏せて、不思議な感情の渦巻きの中に心を浸していたが、木村が一人ではいって来たのに気づくと、始めて弱々しく横向きに寝なおって、二の腕まで袖口のまくれたまっ白な手をさし延べて、黙ったまま木村と握手した。木村は葉子の激しく泣いたのを見てから、こらえこらえていた感情がさらに嵩じたものか、涙をあふれんばかり目がしらにためて、厚ぼったい口びるを震わせながら、痛々しげに葉子の顔つきを見入って突っ立った。
葉子は、今まで続けていた沈黙の惰性で第一口をきくのが物懶かったし、木村はなんといい出したものか迷う様子で、二人の間には握手のまま意味深げな沈黙が取りかわされた。その沈黙はしかし感傷的という程度であるにはあまりに長く続き過ぎたので、外界の刺激に応じて過敏なまでに満干のできる葉子の感情は今まで浸っていた痛烈な動乱から一皮一皮平調に還って、果てはその底に、こう嵩じてはいとわしいと自分ですらが思うような冷ややかな皮肉が、そろそろ頭を持ち上げるのを感じた。握り合わせたむずかゆいような手を引っ込めて、目もとまでふとんをかぶって、そこから自分の前に立つ若い男の心の乱れを嘲笑ってみたいような心にすらなっていた。長く続く沈黙が当然ひき起こす一種の圧迫を木村も感じてうろたえたらしく、なんとかして二人の間の気まずさを引き裂くような、心の切なさを表わす適当の言葉を案じ求めているらしかったが、とうとう涙に潤った低い声で、もう一度、
「葉子さん」
と愛するものの名を呼んだ。それは先ほど呼ばれた時のそれに比べると、聞き違えるほど美しい声だった。葉子は、今まで、これほど切な情をこめて自分の名を呼ばれた事はないようにさえ思った。「葉子」という名にきわ立って伝奇的な色彩が添えられたようにも聞こえた。で、葉子はわざと木村と握り合わせた手に力をこめて、さらになんとか言葉をつがせてみたくなった。その目も木村の口びるに励ましを与えていた。木村は急に弁力を回復して、
「一日千秋の思いとはこの事です」
とすらすらとなめらかにいってのけた。それを聞くと葉子はみごと期待に背負投げをくわされて、その場の滑稽に思わずふき出そうとしたが、いかに事務長に対する恋におぼれきった女心の残虐さからも、さすがに木村の他意ない誠実を笑いきる事は得しないで、葉子はただ心の中で失望したように「あれだからいやになっちまう」とくさくさしながら喞った。
しかしこの場合、木村と同様、葉子も格好な空気を部屋の中に作る事に当惑せずにはいられなかった。事務長と別れて自分の部屋に閉じこもってから、心静かに考えて置こうとした木村に対する善後策も、思いよらぬ感情の狂いからそのままになってしまって、今になってみると、葉子はどう木村をもてあつかっていいのか、はっきりした目論見はできていなかった。しかし考えてみると、木部孤笻と別れた時でも、葉子には格別これという謀略があったわけではなく、ただその時々にわがままを振る舞ったに過ぎなかったのだけれども、その結果は葉子が何か恐ろしく深い企みと手練を示したかのように人に取られていた事も思った。なんとかして漕ぎ抜けられない事はあるまい。そう思って、まず落ち付き払って木村に椅子をすすめた。木村が手近にある畳み椅子を取り上げて寝台のそばに来てすわると、葉子はまたしなやかな手を木村の膝の上において、男の顔をしげしげと見やりながら、
「ほんとうにしばらくでしたわね。少しおやつれになったようですわ」
といってみた。木村は自分の感情に打ち負かされて身を震わしていた。そしてわくわくと流れ出る涙が見る見る目からあふれて、顔を伝って幾筋となく流れ落ちた。葉子は、その涙の一しずくが気まぐれにも、うつむいた男の鼻の先に宿って、落ちそうで落ちないのを見やっていた。
「ずいぶんいろいろと苦労なすったろうと思って、気が気ではなかったんですけれども、わたしのほうも御承知のとおりでしょう。今度こっちに来るにつけても、それは困って、ありったけのものを払ったりして、ようやく間に合わせたくらいだったもんですから……」
なおいおうとするのを木村は忙しく打ち消すようにさえぎって、
「それは充分わかっています」
と顔を上げた拍子に涙のしずくがぽたりと鼻の先からズボンの上に落ちたのを見た。葉子は、泣いたために妙に脹れぼったく赤くなって、てらてらと光る木村の鼻の先が急に気になり出して、悪いとは知りながらも、ともするとそこへばかり目が行った。
木村は何からどう話し出していいかわからない様子だった。
「わたしの電報をビクトリヤで受け取ったでしょうね」
などともてれ隠しのようにいった。葉子は受け取った覚えもないくせにいいかげんに、
「えゝ、ありがとうございました」
と答えておいた。そして一時も早くこんな息気づまるように圧迫して来る二人の間の心のもつれからのがれる術はないかと思案していた。
「今始めて事務長から聞いたんですが、あなたが病気だったといってましたが、いったいどこが悪かったんです。さぞ困ったでしょうね。そんな事とはちっとも知らずに、今が今まで、祝福された、輝くようなあなたを迎えられるとばかり思っていたんです。あなたはほんとうに試練の受けつづけというもんですね。どこでした悪いのは」
葉子は、不用意にも女を捕えてじかづけに病気の種類を聞きただす男の心の粗雑さを忌みながら、当たらずさわらず、前からあった胃病が、船の中で食物と気候との変わったために、だんだん嵩じて来て起きられなくなったようにいい繕った。木村は痛ましそうに眉を寄せながら聞いていた。
葉子はもうこんな程々な会話には堪えきれなくなって来た。木村の顔を見るにつけて思い出される仙台時代や、母の死というような事にもかなり悩まされるのをつらく思った。で、話の調子を変えるためにしいていくらか快活を装って、
「それはそうとこちらの御事業はいかが」
と仕事とか様子とかいう代わりに、わざと事業という言葉をつかってこう尋ねた。
木村の顔つきは見る見る変わった。そして胸のポッケットにのぞかせてあった大きなリンネルのハンケチを取り出して、器用に片手でそれをふわりと丸めておいて、ちんと鼻をかんでから、また器用にそれをポケットに戻すと、
「だめです」
といかにも絶望的な調子でいったが、その目はすでに笑っていた。サンフランシスコの領事が在留日本人の企業に対して全然冷淡で盲目であるという事、日本人間に嫉視が激しいので、サンフランシスコでの事業の目論見は予期以上の故障にあって大体失敗に終わった事、思いきった発展はやはり想像どおりの米国の西部よりも中央、ことにシカゴを中心として計画されなければならぬという事、幸いに、サンフランシスコで自分の話に乗ってくれるある手堅いドイツ人に取り次ぎを頼んだという事、シヤトルでも相当の店を見いだしかけているという事、シカゴに行ったら、そこで日本の名誉領事をしているかなりの鉄物商の店にまず住み込んで米国における取り引きの手心をのみ込むと同時に、その人の資本の一部を動かして、日本との直取り引きを始める算段であるという事、シカゴの住まいはもう決まって、借りるべきフラットの図面まで取り寄せてあるという事、フラットは不経済のようだけれども部屋の明いた部分を又貸しをすれば、たいして高いものにもつかず、住まい便利は非常にいいという事……そういう点にかけては、なかなか綿密に行き届いたもので、それをいかにも企業家らしい説服的な口調で順序よく述べて行った。会話の流れがこう変わって来ると、葉子は始めて泥の中から足を抜き上げたような気軽な心持ちになって、ずっと木村を見つめながら、聞くともなしにその話に聞き耳を立てていた。木村の容貌はしばらくの間に見違えるほど refine されて、元から白かったその皮膚は何か特殊な洗料で底光りのするほどみがきがかけられて、日本人とは思えぬまでなめらかなのに、油できれいに分けた濃い黒髪は、西洋人の金髪にはまた見られぬような趣のある対照をその白皙の皮膚に与えて、カラーとネクタイの関係にも人に気のつかぬ凝りかたを見せていた。
「会いたてからこんな事をいうのは恥ずかしいですけれども、実際今度という今度は苦闘しました。ここまで迎いに来るにもろくろく旅費がない騒ぎでしょう」
といってさすがに苦しげに笑いにまぎらそうとした。そのくせ木村の胸にはどっしりと重そうな金鎖がかかって、両手の指には四つまで宝石入りの指輪がきらめいていた。葉子は木村のいう事を聞きながらその指に目をつけていたが、四つの指輪の中に婚約の時取りかわした純金の指輪もまじっているのに気がつくと、自分の指にはそれをはめていなかったのを思い出して、何くわぬ様子で木村の膝の上から手を引っ込めて顎までふとんをかぶってしまった。木村は引っ込められた手に追いすがるように椅子を乗り出して、葉子の顔に近く自分の顔をさし出した。
「葉子さん」
「何?」
また Love-scene か。そう思って葉子はうんざりしたけれども、すげなく顔をそむけるわけにも行かず、やや当惑していると、おりよく事務長が型ばかりのノックをしてはいって来た。葉子は寝たまま、目でいそいそと事務長を迎えながら、
「まあようこそ……先ほどは失礼。なんだかくだらない事を考え出していたもんですから、ついわがままをしてしまってすみません……お忙しいでしょう」
というと、事務長はからかい半分の冗談をきっかけに、
「木村さんの顔を見るとえらい事を忘れていたのに気がついたで。木村さんからあなたに電報が来とったのを、わたしゃビクトリヤのどさくさでころり忘れとったんだ。すまん事でした。こんな皺になりくさった」
といいながら、左のポッケットから折り目に煙草の粉がはさまってもみくちゃになった電報紙を取り出した。木村はさっき葉子がそれを見たと確かにいったその言葉に対して、怪訝な顔つきをしながら葉子を見た。些細な事ではあるが、それが事務長にも関係を持つ事だと思うと、葉子もちょっとどぎまぎせずにはいられなかった。しかしそれはただ一瞬間だった。
「倉地さん、あなたはきょう少しどうかなすっていらっしゃるわ。それはその時ちゃんと拝見したじゃありませんか」
といいながらすばやく目くばせすると、事務長はすぐ何かわけがあるのを気取ったらしく、巧みに葉子にばつを合わせた。
「何? あなた見た?……おゝそうそう……これは寝ぼけ返っとるぞ、はゝゝゝ」
そして互いに顔を見合わせながら二人はしたたか笑った。木村はしばらく二人をかたみがわりに見くらべていたが、これもやがて声を立てて笑い出した。木村の笑い出すのを見た二人は無性におかしくなってもう一度新しく笑いこけた。木村という大きな邪魔者を目の前に据えておきながら、互いの感情が水のように苦もなく流れ通うのを二人は子供らしく楽しんだ。
しかしこんないたずらめいた事のために話はちょっと途切れてしまった。くだらない事に二人からわき出た少し仰山すぎた笑いは、かすかながら木村の感情をそこねたらしかった。葉子は、この場合、なお居残ろうとする事務長を遠ざけて、木村とさし向かいになるのが得策だと思ったので、程もなくきまじめな顔つきに返って、枕の下を探って、そこに入れて置いた古藤の手紙を取り出して木村に渡しながら、
「これをあなたに古藤さんから。古藤さんにはずいぶんお世話になりましてよ。でもあの方のぶまさかげんったら、それはじれったいほどね。愛や貞の学校の事もお頼みして来たんですけれども心もとないもんよ。きっと今ごろはけんか腰になってみんなと談判でもしていらっしゃるでしょうよ。見えるようですわね」
と水を向けると、木村は始めて話の領分が自分のほうに移って来たように、顔色をなおしながら、事務長をそっちのけにした態度で、葉子に対しては自分が第一の発言権を持っているといわんばかりに、いろいろと話し出した。事務長はしばらく風向きを見計らって立っていたが突然部屋を出て行った。葉子はすばやくその顔色をうかがうと妙にけわしくなっていた。
「ちょっと失礼」
木村の癖で、こんな時まで妙によそよそしく断わって、古藤の手紙の封を切った。西洋罫紙にペンで細かく書いた幾枚かのかなり厚いもので、それを木村が読み終わるまでには暇がかかった。その間、葉子は仰向けになって、甲板で盛んに荷揚げしている人足らの騒ぎを聞きながら、やや暗くなりかけた光で木村の顔を見やっていた。少し眉根を寄せながら、手紙に読みふける木村の表情には、時々苦痛や疑惑やの色が往ったり来たりした。読み終わってからほっとしたため息とともに木村は手紙を葉子に渡して、
「こんな事をいってよこしているんです。あなたに見せても構わないとあるから御覧なさい」
といった。葉子はべつに読みたくもなかったが、多少の好奇心も手伝うのでとにかく目を通して見た。
「僕は今度ぐらい不思議な経験をなめた事はない。兄が去って後の葉子さんの一身に関して、責任を持つ事なんか、僕はしたいと思ってもできはしないが、もし明白にいわせてくれるなら、兄はまだ葉子さんの心を全然占領したものとは思われない」
「僕は女の心には全く触れた事がないといっていいほどの人間だが、もし僕の事実だと思う事が不幸にして事実だとすると、葉子さんの恋には――もしそんなのが恋といえるなら――だいぶ余裕があると思うね」
「これが女の tact というものかと思ったような事があった。しかし僕にはわからん」
「僕は若い女の前に行くと変にどぎまぎしてしまってろくろく物もいえなくなる。ところが葉子さんの前では全く異った感じで物がいえる。これは考えものだ」
「葉子さんという人は兄がいうとおりに優れた天賦を持った人のようにも実際思える。しかしあの人はどこか片輪じゃないかい」
「明白にいうと僕はああいう人はいちばんきらいだけれども、同時にまたいちばんひきつけられる、僕はこの矛盾を解きほごしてみたくってたまらない。僕の単純を許してくれたまえ。葉子さんは今までのどこかで道を間違えたのじゃないかしらん。けれどもそれにしてはあまり平気だね」
「神は悪魔に何一つ与えなかったが Attraction だけは与えたのだ。こんな事も思う。……葉子さんの Attraction はどこから来るんだろう。失敬失敬。僕は乱暴をいいすぎてるようだ」
「時々は憎むべき人間だと思うが、時々はなんだかかわいそうでたまらなくなる時がある。葉子さんがここを読んだら、おそらく唾でも吐きかけたくなるだろう。あの人はかわいそうな人のくせに、かわいそうがられるのがきらいらしいから」
「僕には結局葉子さんが何がなんだかちっともわからない。僕は兄が彼女を選んだ自信に驚く。しかしこうなった以上は、兄は全力を尽くして彼女を理解してやらなければいけないと思う。どうか兄らの生活が最後の栄冠に至らん事を神に祈る」
こんな文句が断片的に葉子の心にしみて行った。葉子は激しい侮蔑を小鼻に見せて、手紙を木村に戻した。木村の顔にはその手紙を読み終えた葉子の心の中を見とおそうとあせるような表情が現われていた。
「こんな事を書かれてあなたどう思います」
葉子は事もなげにせせら笑った。
「どうも思いはしませんわ。でも古藤さんも手紙の上では一枚がた男を上げていますわね」
木村の意気込みはしかしそんな事ではごまかされそうにはなかったので、葉子はめんどうくさくなって少し険しい顔になった。
「古藤さんのおっしゃる事は古藤さんのおっしゃる事。あなたはわたしと約束なさった時からわたしを信じわたしを理解してくださっていらっしゃるんでしょうね」
木村は恐ろしい力をこめて、
「それはそうですとも」
と答えた。
「そんならそれで何もいう事はないじゃありませんか。古藤さんなどのいう事――古藤さんなんぞにわかられたら人間も末ですわ――でもあなたはやっぱりどこかわたしを疑っていらっしゃるのね」
「そうじゃない……」
「そうじゃない事があるもんですか。わたしは一たんこうと決めたらどこまでもそれで通すのが好き。それは生きてる人間ですもの、こっちのすみあっちのすみと小さな事を捕えてとがめだてを始めたら際限はありませんさ。そんなばかな事ったらありませんわ。わたしみたいな気随なわがまま者はそんなふうにされたら窮屈で窮屈で死んでしまうでしょうよ。わたしがこんなになったのも、つまり、みんなで寄ってたかってわたしを疑い抜いたからです。あなただってやっぱりその一人かと思うと心細いもんですのね」
木村の目は輝いた。
「葉子さん、それは疑い過ぎというもんです」
そして自分が米国に来てからなめ尽くした奮闘生活もつまりは葉子というものがあればこそできたので、もし葉子がそれに同情と鼓舞とを与えてくれなかったら、その瞬間に精も根も枯れ果ててしまうに違いないという事を繰り返し繰り返し熱心に説いた。葉子はよそよそしく聞いていたが、
「うまくおっしゃるわ」
と留めをさしておいて、しばらくしてから思い出したように、
「あなた田川の奥さんにおあいなさって」
と尋ねた。木村はまだあわなかったと答えた。葉子は皮肉な表情をして、
「いまにきっとおあいになってよ。一緒にこの船でいらしったんですもの。そして五十川のおばさんがわたしの監督をお頼みになったんですもの。一度おあいになったらあなたはきっとわたしなんぞ見向きもなさらなくなりますわ」
「どうしてです」
「まあおあいなさってごらんなさいまし」
「何かあなた批難を受けるような事でもしたんですか」
「えゝえゝたくさんしましたとも」
「田川夫人に? あの賢夫人の批難を受けるとは、いったいどんな事をしたんです」
葉子はさも愛想が尽きたというふうに、
「あの賢夫人!」
といいながら高々と笑った。二人の感情の糸はまたももつれてしまった。
「そんなにあの奥さんにあなたの御信用があるのなら、わたしから申しておくほうが早手回しですわね」
と葉子は半分皮肉な半分まじめな態度で、横浜出航以来夫人から葉子が受けた暗々裡の圧迫に尾鰭をつけて語って来て、事務長と自分との間に何かあたりまえでない関係でもあるような疑いを持っているらしいという事を、他人事でも話すように冷静に述べて行った。その言葉の裏には、しかし葉子に特有な火のような情熱がひらめいて、その目は鋭く輝いたり涙ぐんだりしていた。木村は電火にでも打たれたように判断力を失って、一部始終をぼんやりと聞いていた。言葉だけにもどこまでも冷静な調子を持たせ続けて葉子はすべてを語り終わってから、
「同じ親切にも真底からのと、通り一ぺんのと二つありますわね。その二つがどうかしてぶつかり合うと、いつでもほんとうの親切のほうが悪者扱いにされたり、邪魔者に見られるんだからおもしろうござんすわ。横浜を出てから三日ばかり船に酔ってしまって、どうしましょうと思った時にも、御親切な奥さんは、わざと御遠慮なさってでしょうね、三度三度食堂にはお出になるのに、一度もわたしのほうへはいらしってくださらないのに、事務長ったら幾度もお医者さんを連れて来るんですもの、奥さんのお疑いももっともといえばもっともですの。それにわたしが胃病で寝込むようになってからは、船中のお客様がそれは同情してくださって、いろいろとしてくださるのが、奥さんには大のお気に入らなかったんですの。奥さんだけがわたしを親切にしてくださって、ほかの方はみんな寄ってたかって、奥さんを親切にして上げてくださる段取りにさえなれば、何もかも無事だったんですけれどもね、中でも事務長の親切にして上げかたがいちばん足りなかったんでしょうよ」
と言葉を結んだ。木村は口びるをかむように聞いていたが、いまいましげに、
「わかりましたわかりました」
合点しながらつぶやいた。
葉子は額の生えぎわの短い毛を引っぱっては指に巻いて上目でながめながら、皮肉な微笑を口びるのあたりに浮かばして、
「おわかりになった? ふん、どうですかね」
と空うそぶいた。
木村は何を思ったかひどく感傷的な態度になっていた。
「わたしが悪かった。わたしはどこまでもあなたを信ずるつもりでいながら、他人の言葉に多少とも信用をかけようとしていたのが悪かったのです。……考えてください、わたしは親類や友人のすべての反対を犯してここまで来ているのです。もうあなたなしにはわたしの生涯は無意味です。わたしを信じてください。きっと十年を期して男になって見せますから……もしあなたの愛からわたしが離れなければならんような事があったら……わたしはそんな事を思うに堪えない……葉子さん」
木村はこういいながら目を輝かしてすり寄って来た。葉子はその思いつめたらしい態度に一種の恐怖を感ずるほどだった。男の誇りも何も忘れ果て、捨て果てて、葉子の前に誓いを立てている木村を、うまうま偽っているのだと思うと、葉子はさすがに針で突くような痛みを鋭く深く良心の一隅に感ぜずにはいられなかった。しかしそれよりもその瞬間に葉子の胸を押しひしぐように狭めたものは、底のない物すごい不安だった。木村とはどうしても連れ添う心はない。その木村に……葉子はおぼれた人が岸べを望むように事務長を思い浮かべた。男というものの女に与える力を今さらに強く感じた。ここに事務長がいてくれたらどんなに自分の勇気は加わったろう。しかし……どうにでもなれ。どうかしてこの大事な瀬戸を漕ぎぬけなければ浮かぶ瀬はない。葉子は大それた謀反人の心で木村の caress を受くべき身構え心構えを案じていた。
二〇
船の着いたその晩、田川夫妻は見舞いの言葉も別れの言葉も残さずに、おおぜいの出迎え人に囲まれて堂々と威儀を整えて上陸してしまった。その余の人々の中にはわざわざ葉子の部屋を訪れて来たものが数人はあったけれども、葉子はいかにも親しみをこめた別れの言葉を与えはしたが、あとまで心に残る人とては一人もいなかった。その晩事務長が来て、狭っこい boudoir のような船室でおそくまでしめじめと打ち語った間に、葉子はふと二度ほど岡の事を思っていた。あんなに自分を慕っていはしたが岡も上陸してしまえば、詮方なくボストンのほうに旅立つ用意をするだろう。そしてやがて自分の事もいつとはなしに忘れてしまうだろう。それにしてもなんという上品な美しい青年だったろう。こんな事をふと思ったのもしかし束の間で、その追憶は心の戸をたたいたと思うとはかなくもどこかに消えてしまった。今はただ木村という邪魔な考えが、もやもやと胸の中に立ち迷うばかりで、その奥には事務長の打ち勝ちがたい暗い力が、魔王のように小動ぎもせずうずくまっているのみだった。
荷役の目まぐるしい騒ぎが二日続いたあとの絵島丸は、泣きわめく遺族に取り囲まれたうつろな死骸のように、がらんと静まり返って、騒々しい桟橋の雑鬧の間にさびしく横たわっている。
水夫が、輪切りにした椰子の実でよごれた甲板を単調にごし〳〵ごし〳〵とこする音が、時というものをゆるゆるすり減らすやすりのように日がな日ねもす聞こえていた。
葉子は早く早くここを切り上げて日本に帰りたいという子供じみた考えのほかには、おかしいほどそのほかの興味を失ってしまって、他郷の風景に一瞥を与える事もいとわしく、自分の部屋の中にこもりきって、ひたすら発船の日を待ちわびた。もっとも木村が毎日米国という香いを鼻をつくばかり身の回りに漂わせて、葉子を訪れて来るので、葉子はうっかり寝床を離れる事もできなかった。
木村は来るたびごとにぜひ米国の医者に健康診断を頼んで、大事なければ思いきって検疫官の検疫を受けて、ともかくも上陸するようにと勧めてみたが、葉子はどこまでもいやをいいとおすので、二人の間には時々危険な沈黙が続く事も珍しくなかった。葉子はしかし、いつでも手ぎわよくその場合場合をあやつって、それから甘い歓語を引き出すだけの機才を持ち合わしていたので、この一か月ほど見知らぬ人の間に立ちまじって、貧乏の屈辱を存分になめ尽くした木村は、見る見る温柔な葉子の言葉や表情に酔いしれるのだった。カリフォルニヤから来る水々しい葡萄やバナナを器用な経木の小籃に盛ったり、美しい花束を携えたりして、葉子の朝化粧がしまったかと思うころには木村が欠かさず尋ねて来た。そして毎日くどくどと興録に葉子の容態を聞きただした。興録はいいかげんな事をいって一日延ばしに延ばしているのでたまらなくなって木村が事務長に相談すると、事務長は興録よりもさらに要領を得ない受け答えをした、しかたなしに木村は途方に暮れて、また葉子に帰って来て泣きつくように上陸を迫るのであった。その毎日のいきさつを夜になると葉子は事務長と話しあって笑いの種にした。
葉子はなんという事なしに、木村を困らしてみたい、いじめてみたいというような不思議な残酷な心を、木村に対して感ずるようになって行った。事務長と木村とを目の前に置いて、何も知らない木村を、事務長が一流のきびきびした悪辣な手で思うさま翻弄して見せるのをながめて楽しむのが一種の痼疾のようになった。そして葉子は木村を通して自分の過去のすべてに血のしたたる復讐をあえてしようとするのだった。そんな場合に、葉子はよくどこかでうろ覚えにしたクレオパトラの插話を思い出していた。クレオパトラが自分の運命の窮迫したのを知って自殺を思い立った時、幾人も奴隷を目の前に引き出さして、それを毒蛇の餌食にして、その幾人もの無辜の人々がもだえながら絶命するのを、眉も動かさずに見ていたという插話を思い出していた。葉子には過去のすべての呪詛が木村の一身に集まっているようにも思いなされた。母の虐げ、五十川女史の術数、近親の圧迫、社会の環視、女に対する男の覬覦、女の苟合などという葉子の敵を木村の一身におっかぶせて、それに女の心が企み出す残虐な仕打ちのあらん限りをそそぎかけようとするのであった。
「あなたは丑の刻参りの藁人形よ」
こんな事をどうかした拍子に面と向かって木村にいって、木村が怪訝な顔でその意味をくみかねているのを見ると、葉子は自分にもわけのわからない涙を目にいっぱいためながらヒステリカルに笑い出すような事もあった。
木村を払い捨てる事によって、蛇が殻を抜け出ると同じに、自分のすべての過去を葬ってしまうことができるようにも思いなしてみた。
葉子はまた事務長に、どれほど木村が自分の思うままになっているかを見せつけようとする誘惑も感じていた。事務長の目の前ではずいぶん乱暴な事を木村にいったりさせたりした。時には事務長のほうが見兼ねて二人の間をなだめにかかる事さえあるくらいだった。
ある時木村の来ている葉子の部屋に事務長が来合わせた事があった。葉子は枕もとの椅子に木村を腰かけさせて、東京を発った時の様子をくわしく話して聞かせている所だったが、事務長を見るといきなり様子をかえて、さもさも木村を疎んじたふうで、
「あなたは向こうにいらしってちょうだい」
と木村を向こうのソファに行くように目でさしずして、事務長をその跡にすわらせた。
「さ、あなたこちらへ」
といって仰向けに寝たまま上目をつかって見やりながら、
「いいお天気のようですことね。……あの時々ごーっと雷のような音のするのは何?……わたしうるさい」
「トロですよ」
「そう……お客様がたんとおありですってね」
「さあ少しは知っとるものがあるもんだで」
「ゆうべもその美しいお客がいらしったの? とうとうお話にお見えにならなかったのね」
木村を前に置きながら、この無謀とさえ見える言葉を遠慮会釈もなくいい出すのには、さすがの事務長もぎょっとしたらしく、返事もろくろくしないで木村のほうに向いて、
「どうですマッキンレーは。驚いた事が持ち上がりおったもんですね」
と話題を転じようとした。この船の航海中シヤトルに近くなったある日、当時の大統領マッキンレーは凶徒の短銃に斃れたので、この事件は米国でのうわさの中心になっているのだった。木村はその当時の模様をくわしく新聞紙や人のうわさで知り合わせていたので、乗り気になってその話に身を入れようとするのを、葉子はにべもなくさえぎって、
「なんですねあなたは、貴夫人の話の腰を折ったりして、そんなごまかしくらいではだまされてはいませんよ。倉地さん、どんな美しい方です。アメリカ生粋の人ってどんななんでしょうね。わたし、見たい。あわしてくださいましな今度来たら。ここに連れて来てくださるんですよ。ほかのものなんぞなんにも見たくはないけれど、こればかりはぜひ見とうござんすわ。そこに行くとね、木村なんぞはそりゃあやぼなもんですことよ」
といって、木村のいるほうをはるかに下目で見やりながら、
「木村さんどう? こっちにいらしってからちっとは女のお友だちがおできになって? Lady Friend というのが?」
「それができんでたまるか」
と事務長は木村の内行を見抜いて裏書きするように大きな声でいった。
「ところができていたらお慰み、そうでしょう? 倉地さんまあこうなの。木村がわたしをもらいに来た時にはね。石のように堅くすわりこんでしまって、まるで命の取りやりでもしかねない談判のしかたですのよ。そのころ母は大病で臥せっていましたの。なんとか母におっしゃってね、母に。わたし、忘れちゃならない言葉がありましたわ。えゝと……そうそう(木村の口調を上手にまねながら)『わたし、もしほかの人に心を動かすような事がありましたら神様の前に罪人です』ですって……そういう調子ですもの」
木村は少し怒気をほのめかす顔つきをして、遠くから葉子を見つめたまま口もきかないでいた。事務長はからからと笑いながら、
「それじゃ木村さん今ごろは神様の前にいいくらかげん罪人になっとるでしょう」
と木村を見返したので、木村もやむなく苦りきった笑いを浮かべながら、
「おのれをもって人を計る筆法ですね」
と答えはしたが、葉子の言葉を皮肉と解して、人前でたしなめるにしてはやや軽すぎるし、冗談と見て笑ってしまうにしては確かに強すぎるので、木村の顔色は妙にぎこちなくこだわってしまっていつまでも晴れなかった。葉子は口びるだけに軽い笑いを浮かべながら、胆汁のみなぎったようなその顔を下目で快げにまじまじとながめやった。そして苦い清涼剤でも飲んだように胸のつかえを透かしていた。
やがて事務長が座を立つと、葉子は、眉をひそめて快からぬ顔をした木村を、しいてまたもとのように自分のそば近くすわらせた。
「いやなやつっちゃないの。あんな話でもしていないと、ほかになんにも話の種のない人ですの……あなたさぞ御迷惑でしたろうね」
といいながら、事務長にしたように上目に媚びを集めてじっと木村を見た。しかし木村の感情はひどくほつれて、容易に解ける様子はなかった。葉子を故意に威圧しようとたくらむわざとな改まりかたも見えた。葉子はいたずら者らしく腹の中でくすくす笑いながら、木村の顔を好意をこめた目つきでながめ続けた。木村の心の奥には何かいい出してみたいくせに、なんとなく腹の中が見すかされそうで、いい出しかねている物があるらしかったが、途切れがちながら話が小半時も進んだ時、とてつもなく、
「事務長は、なんですか、夜になってまであなたの部屋に話しに来る事があるんですか」
とさりげなく尋ねようとするらしかったが、その語尾はわれにもなく震えていた。葉子は陥穽にかかった無知な獣を憫み笑うような微笑を口びるに浮かべながら、
「そんな事がされますものかこの小さな船の中で。考えてもごらんなさいまし。さきほどわたしがいったのは、このごろは毎晩夜になると暇なので、あの人たちが食堂に集まって来て、酒を飲みながら大きな声でいろんなくだらない話をするんですの。それがよくここまで聞こえるんです。それにゆうべあの人が来なかったからからかってやっただけなんですのよ。このごろは質の悪い女までが隊を組むようにしてどっさり船に来て、それは騒々しいんですの。……ほゝゝゝあなたの苦労性ったらない」
木村は取りつく島を見失って、二の句がつげないでいた。それを葉子はかわいい目を上げて、無邪気な顔をして見やりながら笑っていた。そして事務長がはいって来た時途切らした話の糸口をみごとに忘れずに拾い上げて、東京を発った時の模様をまた仔細に話しつづけた。
こうしたふうで葛藤は葉子の手一つで勝手に紛らされたりほごされたりした。
葉子は一人の男をしっかりと自分の把持の中に置いて、それが猫が鼠でも弄ぶるように、勝手に弄ぶって楽しむのをやめる事ができなかったと同時に、時々は木村の顔を一目見たばかりで、虫唾が走るほど厭悪の情に駆り立てられて、われながらどうしていいかわからない事もあった。そんな時にはただいちずに腹痛を口実にして、一人になって、腹立ち紛れにあり合わせたものを取って床の上にほうったりした。もう何もかもいってしまおう。弄ぶにも足らない木村を近づけておくには当たらない事だ。何もかも明らかにして気分だけでもさっぱりしたいとそう思う事もあった。しかし同時に葉子は戦術家の冷静さをもって、実際問題を勘定に入れる事も忘れはしなかった。事務長をしっかり自分の手の中に握るまでは、早計に木村を逃がしてはならない。「宿屋きめずに草鞋を脱ぐ」……母がこんな事を葉子の小さい時に教えてくれたのを思い出したりして、葉子は一人で苦笑いもした。
そうだ、まだ木村を逃がしてはならぬ。葉子は心の中に書き記してでも置くように、上目を使いながらこんな事を思った。
またある時葉子の手もとに米国の切手のはられた手紙が届いた事があった。葉子は船へなぞあてて手紙をよこす人はないはずだがと思って開いて見ようとしたが、また例のいたずらな心が動いて、わざと木村に開封させた。その内容がどんなものであるかの想像もつかないので、それを木村に読ませるのは、武器を相手に渡して置いて、自分は素手で格闘するようなものだった。葉子はそこに興味を持った。そしてどんな不意な難題が持ち上がるだろうかと、心をときめかせながら結果を待った。その手紙は葉子に簡単な挨拶を残したまま上陸した岡から来たものだった。いかにも人柄に不似合いな下手な字体で、葉子がひょっとすると上陸を見合わせてそのまま帰るという事を聞いたが、もしそうなったら自分も断然帰朝する。気違いじみたしわざとお笑いになるかもしれないが、自分にはどう考えてみてもそれよりほかに道はない。葉子に離れて路傍の人の間に伍したらそれこそ狂気になるばかりだろう。今まで打ち明けなかったが、自分は日本でも屈指な豪商の身内に一人子と生まれながら、からだが弱いのと母が継母であるために、父の慈悲から洋行する事になったが、自分には故国が慕われるばかりでなく、葉子のように親しみを覚えさしてくれた人はないので、葉子なしには一刻も外国の土に足を止めている事はできぬ。兄弟のない自分には葉子が前世からの姉とより思われぬ。自分をあわれんで弟と思ってくれ。せめては葉子の声の聞こえる所顔の見える所にいるのを許してくれ。自分はそれだけのあわれみを得たいばかりに、家族や後見人のそしりもなんとも思わずに帰国するのだ。事務長にもそれを許してくれるように頼んでもらいたい。という事が、少し甘い、しかし真率な熱情をこめた文体で長々と書いてあったのだった。
葉子は木村が問うままに包まず岡との関係を話して聞かせた。木村は考え深く、それを聞いていたが、そんな人ならぜひあって話をしてみたいといい出した。自分より一段若いと見ると、かくばかり寛大になる木村を見て葉子は不快に思った。よし、それでは岡を通して倉地との関係を木村に知らせてやろう。そして木村が嫉妬と憤怒とでまっ黒になって帰って来た時、それを思うままあやつってまた元の鞘に納めて見せよう。そう思って葉子は木村のいうままに任せて置いた。
次の朝、木村は深い感激の色をたたえて船に来た。そして岡と会見した時の様子をくわしく物語った。岡はオリエンタル・ホテルの立派な一室にたった一人でいたが、そのホテルには田川夫妻も同宿なので、日本人の出入りがうるさいといって困っていた。木村の訪問したというのを聞いて、ひどくなつかしそうな様子で出迎えて、兄でも敬うようにもてなして、やや落ち付いてから隠し立てなく真率に葉子に対する自分の憧憬のほどを打ち明けたので、木村は自分のいおうとする告白を、他人の口からまざまざと聞くような切な情にほだされて、もらい泣きまでしてしまった。二人は互いに相あわれむというようななつかしみを感じた。これを縁に木村はどこまでも岡を弟とも思って親しむつもりだ。が、日本に帰る決心だけは思いとどまるように勧めて置いたといった。岡はさすがに育ちだけに事務長と葉子との間のいきさつを想像に任せて、はしたなく木村に語る事はしなかったらしい。木村はその事についてはなんともいわなかった。葉子の期待は全くはずれてしまった。役者下手なために、せっかくの芝居が芝居にならずにしまった事を物足らなく思った。しかしこの事があってから岡の事が時々葉子の頭に浮かぶようになった。女にしてもみまほしいかの華車な青春の姿がどうかするといとしい思い出となって、葉子の心のすみに潜むようになった。
船がシヤトルに着いてから五六日たって、木村は田川夫妻にも面会する機会を造ったらしかった。そのころから木村は突然わき目にもそれと気が付くほど考え深くなって、ともすると葉子の言葉すら聞き落としてあわてたりする事があった。そしてある時とうとう一人胸の中には納めていられなくなったと見えて、
「わたしにゃあなたがなぜあんな人と近しくするかわかりませんがね」
と事務長の事をうわさのようにいった。葉子は少し腹部に痛みを覚えるのをことさら誇張してわき腹を左手で押えて、眉をひそめながら聞いていたが、もっともらしく幾度もうなずいて、
「それはほんとうにおっしゃるとおりですから何も好んで近づきたいとは思わないんですけれども、これまでずいぶん世話になっていますしね、それにああ見えていて思いのほか親切気のある人ですから、ボーイでも水夫でもこわがりながらなついていますわ。おまけにわたしお金まで借りていますもの」
とさも当惑したらしくいうと、
「あなたお金は無しですか」
木村は葉子の当惑さを自分の顔にも現わしていた。
「それはお話ししたじゃありませんか」
「困ったなあ」
木村はよほど困りきったらしく握った手を鼻の下にあてがって、下を向いたまましばらく思案に暮れていたが、
「いくらほど借りになっているんです」
「さあ診察料や滋養品で百円近くにもなっていますかしらん」
「あなたは金は全く無しですね」
木村はさらに繰り返していってため息をついた。
葉子は物慣れぬ弟を教えいたわるように、
「それに万一わたしの病気がよくならないで、ひとまず日本へでも帰るようになれば、なおなお帰りの船の中では世話にならなければならないでしょう。……でも大丈夫そんな事はないとは思いますけれども、さきざきまでの考えをつけておくのが旅にあればいちばん大事ですもの」
木村はなおも握った手を鼻の下に置いたなり、なんにもいわず、身動きもせず考え込んでいた。
葉子は術なさそうに木村のその顔をおもしろく思いながらまじまじと見やっていた。
木村はふと顔を上げてしげしげと葉子を見た。何かそこに字でも書いてありはしないかとそれを読むように。そして黙ったまま深々と嘆息した。
「葉子さん。わたしは何から何まであなたを信じているのがいい事なのでしょうか。あなたの身のためばかり思ってもいうほうがいいかとも思うんですが……」
「ではおっしゃってくださいましななんでも」
葉子の口は少し親しみをこめて冗談らしく答えていたが、その目からは木村を黙らせるだけの光が射られていた。軽はずみな事をいやしくもいってみるがいい、頭を下げさせないでは置かないから。そうその目はたしかにいっていた。
木村は思わず自分の目をたじろがして黙ってしまった。葉子は片意地にも目で続けさまに木村の顔をむちうった。木村はその笞の一つ一つを感ずるようにどぎまぎした。
「さ、おっしゃってくださいまし……さ」
葉子はその言葉にはどこまでも好意と信頼とをこめて見せた。木村はやはり躊躇していた。葉子はいきなり手を延ばして木村を寝台に引きよせた。そして半分起き上がってその耳に近く口を寄せながら、
「あなたみたいに水臭い物のおっしゃりかたをなさる方もないもんね。なんとでも思っていらっしゃる事をおっしゃってくださればいいじゃありませんか。……あ、痛い……いゝえさして痛くもないの。何を思っていらっしゃるんだかおっしゃってくださいまし、ね、さ。なんでしょうねえ。伺いたい事ね。そんな他人行儀は……あ、あ、痛い、おゝ痛い……ちょっとここのところを押えてくださいまし。……さし込んで来たようで……あ、あ」
といいながら、目をつぶって、床の上に寝倒れると、木村の手を持ち添えて自分の脾腹を押えさして、つらそうに歯をくいしばってシーツに顔を埋めた。肩でつく息気がかすかに雪白のシーツを震わした。
木村はあたふたしながら、今までの言葉などはそっちのけにして介抱にかかった。
二一
絵島丸はシヤトルに着いてから十二日目に纜を解いて帰航するはずになっていた。その出発があと三日になった十月十五日に、木村は、船医の興録から、葉子はどうしてもひとまず帰国させるほうが安全だという最後の宣告を下されてしまった。木村はその時にはもう大体覚悟を決めていた。帰ろうと思っている葉子の下心をおぼろげながら見て取って、それを翻す事はできないとあきらめていた。運命に従順な羊のように、しかし執念く将来の希望を命にして、現在の不満に服従しようとしていた。
緯度の高いシヤトルに冬の襲いかかって来るさまはすさまじいものだった。海岸線に沿うてはるか遠くまで連続して見渡されるロッキーの山々はもうたっぷりと雪がかかって、穏やかな夕空に現われ慣れた雲の峰も、古綿のように形のくずれた色の寒い霰雲に変わって、人をおびやかす白いものが、今にも地を払って降りおろして来るかと思われた。海ぞいに生えそろったアメリカ松の翠ばかりが毒々しいほど黒ずんで、目に立つばかりで、濶葉樹の類は、いつのまにか、葉を払い落とした枝先を針のように鋭く空に向けていた。シヤトルの町並みがあると思われるあたりからは――船のつながれている所から市街は見えなかった――急に煤煙が立ち増さって、せわしく冬じたくを整えながら、やがて北半球を包んで攻め寄せて来るまっ白な寒気に対しておぼつかない抵抗を用意するように見えた。ポッケットに両手をさし入れて、頭を縮め気味に、波止場の石畳を歩き回る人々の姿にも、不安と焦躁とのうかがわれるせわしい自然の移り変わりの中に、絵島丸はあわただしい発航の準備をし始めた。絞盤の歯車のきしむ音が船首と船尾とからやかましく冴え返って聞こえ始めた。
木村はその日も朝から葉子を訪れて来た。ことに青白く見える顔つきは、何かわくわくと胸の中に煮え返る想いをまざまざと裏切って、見る人のあわれを誘うほどだった。背水の陣と自分でもいっているように、亡父の財産をありったけ金に代えて、手っ払いに日本の雑貨を買い入れて、こちらから通知書一つ出せば、いつでも日本から送ってよこすばかりにしてあるものの、手もとにはいささかの銭も残ってはいなかった。葉子が来たならばと金の上にも心の上にもあてにしていたのがみごとにはずれてしまって、葉子が帰るにつけては、なけなしの所からまたまたなんとかしなければならないはめに立った木村は、二三日のうちに、ぬか喜びも一時の間で、孤独と冬とに囲まれなければならなかったのだ。
葉子は木村が結局事務長にすがり寄って来るほかに道のない事を察していた。
木村ははたして事務長を葉子の部屋に呼び寄せてもらった。事務長はすぐやって来たが、服なども仕事着のままで何かよほどせわしそうに見えた。木村はまあといって倉地に椅子を与えて、きょうはいつものすげない態度に似ず、折り入っていろいろと葉子の身の上を頼んだ。事務長は始めの忙しそうだった様子に引きかえて、どっしりと腰を据えて正面から例の大きく木村を見やりながら、親身に耳を傾けた。木村の様子のほうがかえってそわそわしくながめられた。
木村は大きな紙入れを取り出して、五十ドルの切手を葉子に手渡しした。
「何もかも御承知だから倉地さんの前でいうほうが世話なしだと思いますが、なんといってもこれだけしかできないんです。こ、これです」
といってさびしく笑いながら、両手を出して広げて見せてから、チョッキをたたいた。胸にかかっていた重そうな金鎖も、四つまではめられていた指輪の三つまでもなくなっていて、たった、一つ婚約の指輪だけが貧乏臭く左の指にはまっているばかりだった。葉子はさすがに「まあ」といった。
「葉子さん、わたしはどうにでもします。男一匹なりゃどこにころがり込んだからって、――そんな経験もおもしろいくらいのものですが、これんばかりじゃあなたが足りなかろうと思うと、面目もないんです。倉地さん、あなたにはこれまででさえいいかげん世話をしていただいてなんともすみませんですが、わたしども二人はお打ち明け申したところ、こういうていたらくなんです。横浜へさえおとどけくださればその先はまたどうにでもしますから、もし旅費にでも不足しますようでしたら、御迷惑ついでになんとかしてやっていただく事はできないでしょうか」
事務長は腕組みをしたまままじまじと木村の顔を見やりながら聞いていたが、
「あなたはちっとも持っとらんのですか」
と聞いた。木村はわざと快活にしいて声高く笑いながら、
「きれいなもんです」
とまたチョッキをたたくと、
「そりゃいかん。何、船賃なんぞいりますものか。東京で本店にお払いになればいいんじゃし、横浜の支店長も万事心得とられるんだで、御心配いりませんわ。そりゃあなたお持ちになるがいい。外国にいて文なしでは心細いもんですよ」
と例の塩辛声でややふきげんらしくいった。その言葉には不思議に重々しい力がこもっていて、木村はしばらくかれこれと押し問答をしていたが、結局事務長の親切を無にする事の気の毒さに、直な心からなおいろいろと旅中の世話を頼みながら、また大きな紙入れを取り出して切手をたたみ込んでしまった。
「よしよしそれで何もいう事はなし。早月さんはわしが引き受けた」
と不敵な微笑を浮かべながら、事務長は始めて葉子のほうを見返った。
葉子は二人を目の前に置いて、いつものように見比べながら二人の会話を聞いていた。あたりまえなら、葉子はたいていの場合、弱いものの味方をして見るのが常だった。どんな時でも、強いものがその強味を振りかざして弱い者を圧迫するのを見ると、葉子はかっとなって、理が非でも弱いものを勝たしてやりたかった。今の場合木村は単に弱者であるばかりでなく、その境遇もみじめなほどたよりない苦しいものである事は存分に知り抜いていながら、木村に対しての同情は不思議にもわいて来なかった。齢の若さ、姿のしなやかさ、境遇のゆたかさ、才能のはなやかさというようなものをたよりにする男たちの蠱惑の力は、事務長の前では吹けば飛ぶ塵のごとく対照された。この男の前には、弱いものの哀れよりも醜さがさらけ出された。
なんという不幸な青年だろう。若い時に父親に死に別れてから、万事思いのままだった生活からいきなり不自由な浮世のどん底にほうり出されながら、めげもせずにせっせと働いて、後ろ指をさされないだけの世渡りをして、だれからも働きのある行く末たのもしい人と思われながら、それでも心の中のさびしさを打ち消すために思い入った恋人は仇し男にそむいてしまっている。それをまたそうとも知らずに、その男の情けにすがって、消えるに決まった約束をのがすまいとしている。……葉子はしいて自分を説服するようにこう考えてみたが、少しも身にしみた感じは起こって来ないで、ややもすると笑い出したいような気にすらなっていた。
「よしよしそれで何もいう事はなし。早月さんはわしが引き受けた」
という声と不敵な微笑とがどやすように葉子の心の戸を打った時、葉子も思わず微笑を浮かべてそれに応じようとした。が、その瞬間、目ざとく木村の見ているのに気がついて、顔には笑いの影はみじんも現わさなかった。
「わしへの用はそれだけでしょう。じゃ忙しいで行きますよ」
とぶっきらぼうにいって事務長が部屋を出て行ってしまうと、残った二人は妙にてれて、しばらくは互いに顔を見合わすのもはばかって黙ったままでいた。
事務長が行ってしまうと葉子は急に力が落ちたように思った。今までの事がまるで芝居でも見て楽しんでいたようだった。木村のやる瀬ない心の中が急に葉子に逼って来た。葉子の目には木村をあわれむとも自分をあわれむとも知れない涙がいつのまにか宿っていた。
木村は痛ましげに黙ったままでしばらく葉子を見やっていたが、
「葉子さん今になってそう泣いてもらっちゃわたしがたまりませんよ。きげんを直してください。またいい日も回って来るでしょうから。神を信ずるもの――そういう信仰が今あなたにあるかどうか知らないが――おかあさんがああいう堅い信者でありなさったし、あなたも仙台時分には確かに信仰を持っていられたと思いますが、こんな場合にはなおさら同じ神様から来る信仰と希望とを持って進んで行きたいものだと思いますよ。何事も神様は知っていられる……そこにわたしはたゆまない希望をつないで行きます」
決心した所があるらしく力強い言葉でこういった。何の希望! 葉子は木村の事については、木村のいわゆる神様以上に木村の未来を知りぬいているのだ。木村の希望というのはやがて失望にそうして絶望に終わるだけのものだ。何の信仰! 何の希望! 木村は葉子が据えた道を――行きどまりの袋小路を――天使の昇り降りする雲の梯のように思っている。あゝ何の信仰!
葉子はふと同じ目を自分に向けて見た。木村を勝手気ままにこづき回す威力を備えた自分はまただれに何者に勝手にされるのだろう。どこかで大きな手が情けもなく容赦もなく冷然と自分の運命をあやつっている。木村の希望がはかなく断ち切れる前、自分の希望がいち早く断たれてしまわないとどうして保障する事ができよう。木村は善人だ。自分は悪人だ。葉子はいつのまにか純な感情に捕えられていた。
「木村さん。あなたはきっと、しまいにはきっと祝福をお受けになります……どんな事があっても失望なさっちゃいやですよ。あなたのような善い方が不幸にばかりおあいになるわけがありませんわ。……わたしは生まれるときから呪われた女なんですもの。神、ほんとうは神様を信ずるより……信ずるより憎むほうが似合っているんです……ま、聞いて……でも、わたし卑怯はいやだから信じます……神様はわたしみたいなものをどうなさるか、しっかり目を明いて最後まで見ています」
といっているうちにだれにともなくくやしさが胸いっぱいにこみ上げて来るのだった。
「あなたはそんな信仰はないとおっしゃるでしょうけれども……でもわたしにはこれが信仰です。立派な信仰ですもの」
といってきっぱり思いきったように、火のように熱く目にたまったままで流れずにいる涙を、ハンケチでぎゅっと押しぬぐいながら、黯然と頭をたれた木村に、
「もうやめましょうこんなお話。こんな事をいってると、いえばいうほど先が暗くなるばかりです。ほんとに思いきって不仕合わせな人はこんな事をつべこべと口になんぞ出しはしませんわ。ね、いや、あなたは自分のほうからめいってしまって、わたしのいった事ぐらいでなんですねえ、男のくせに」
木村は返事もせずにまっさおになってうつむいていた。
そこに「御免なさい」というかと思うと、いきなり戸をあけてはいって来たものがあった。木村も葉子も不意を打たれて気先をくじかれながら、見ると、いつぞや錨綱で足をけがした時、葉子の世話になった老水夫だった。彼はとうとう跛脚になっていた。そして水夫のような仕事にはとても役に立たないから、幸いオークランドに小農地を持ってとにかく暮らしを立てている甥を尋ねて厄介になる事になったので、礼かたがた暇乞いに来たというのだった。葉子は紅くなった目を少し恥ずかしげにまたたかせながら、いろいろと慰めた。
「何ねこう老いぼれちゃ、こんな稼業をやってるがてんでうそなれど、事務長さんとボンスン(水夫長)とがかわいそうだといって使ってくれるで、いい気になったが罰あたったんだね」
といって臆病に笑った。葉子がこの老人をあわれみいたわるさまはわき目もいじらしかった。日本には伝言を頼むような近親さえない身だというような事を聞くたびに、葉子は泣き出しそうな顔をして合点合点していたが、しまいには木村の止めるのも聞かず寝床から起き上がって、木村の持って来た果物をありったけ籃につめて、
「陸に上がればいくらもあるんだろうけれども、これを持っておいで。そしてその中に果物でなくはいっているものがあったら、それもお前さんに上げたんだからね、人に取られたりしちゃいけませんよ」
といってそれを渡してやった。
老人が来てから葉子は夜が明けたように始めて晴れやかなふだんの気分になった。そして例のいたずららしいにこにこした愛嬌を顔いちめんにたたえて、
「なんという気さくなんでしょう。わたし、 あんなおじいさんのお内儀さんになってみたい……だからね、いいものをやっちまった」
きょとりとしてまじまじ木村のむっつりとした顔を見やる様子は大きな子供とより思えなかった。
「あなたからいただいたエンゲージ・リングね、あれをやりましてよ。だってなんにもないんですもの」
なんともいえない媚びをつつむおとがいが二重になって、きれいな歯並みが笑いのさざ波のように口びるの汀に寄せたり返したりした。
木村は、葉子という女はどうしてこうむら気で上すべりがしてしまうのだろう、情けないというような表情を顔いちめんにみなぎらして、何かいうべき言葉を胸の中で整えているようだったが、急に思い捨てたというふうで、黙ったままでほっと深いため息をついた。
それを見ると今まで珍しく押えつけられていた反抗心が、またもや旋風のように葉子の心に起こった。「ねちねちさったらない」と胸の中をいらいらさせながら、ついでの事に少しいじめてやろうというたくらみが頭をもたげた。しかし顔はどこまでも前のままの無邪気さで、
「木村さんお土産を買ってちょうだいな。愛も貞もですけれども、親類たちや古藤さんなんぞにも何かしないじゃ顔が向けられませんもの。今ごろは田川の奥さんの手紙が五十川のおばさんの所に着いて、東京ではきっと大騒ぎをしているに違いありませんわ。発つ時には世話を焼かせ、留守は留守で心配させ、ぽかんとしてお土産一つ持たずに帰って来るなんて、木村もいったい木村じゃないかといわれるのが、わたし、死ぬよりつらいから、少しは驚くほどのものを買ってちょうだい。先ほどのお金で相当のものが買れるでしょう」
木村は駄々児をなだめるようにわざとおとなしく、
「それはよろしい、買えとなら買いもしますが、わたしはあなたがあれをまとまったまま持って帰ったらと思っているんです。たいていの人は横浜に着いてから土産を買うんですよ。そのほうが実際格好ですからね。持ち合わせもなしに東京に着きなさる事を思えば、土産なんかどうでもいいと思うんですがね」
「東京に着きさえすればお金はどうにでもしますけれども、お土産は……あなた横浜の仕入れものはすぐ知れますわ……御覧なさいあれを」
といって棚の上にある帽子入れのボール箱に目をやった。
「古藤さんに連れて行っていただいてあれを買った時は、ずいぶん吟味したつもりでしたけれども、船に来てから見ているうちにすぐあきてしまいましたの。それに田川の奥さんの洋服姿を見たら、我慢にも日本で買ったものをかぶったり着たりする気にはなれませんわ」
そういってるうちに木村は棚から箱をおろして中をのぞいていたが、
「なるほど型はちっと古いようですね。だが品はこれならこっちでも上の部ですぜ」
「だからいやですわ。流行おくれとなると値段の張ったものほどみっともないんですもの」
しばらくしてから、
「でもあのお金はあなた御入用ですわね」
木村はあわてて弁解的に、
「いゝえ、あれはどの道あなたに上げるつもりでいたんですから……」
というのを葉子は耳にも入れないふうで、
「ほんとにばかねわたしは……思いやりもなんにもない事を申し上げてしまって、どうしましょうねえ。……もうわたしどんな事があってもそのお金だけはいただきません事よ。こういったらだれがなんといったってだめよ」
ときっぱりいい切ってしまった。木村はもとより一度いい出したらあとへは引かない葉子の日ごろの性分を知り抜いていた。で、言わず語らずのうちに、その金は品物にして持って帰らすよりほかに道のない事を観念したらしかった。
* * *
その晩、事務長が仕事を終えてから葉子の部屋に来ると、葉子は何か気に障えたふうをしてろくろくもてなしもしなかった。
「とうとう形がついた。十九日の朝の十時だよ出航は」
という事務長の快活な言葉に返事もしなかった。男は怪訝な顔つきで見やっている。
「悪党」
としばらくしてから、葉子は一言これだけいって事務長をにらめた。
「なんだ?」
と尻上がりにいって事務長は笑っていた。
「あなたみたいな残酷な人間はわたし始めて見た。木村を御覧なさいかわいそうに。あんなに手ひどくしなくったって……恐ろしい人ってあなたの事ね」
「何?」
とまた事務長は尻上がりに大きな声でいって寝床に近づいて来た。
「知りません」
と葉子はなお怒って見せようとしたが、いかにも刻みの荒い、単純な、他意のない男の顔を見ると、からだのどこかが揺られる気がして来て、わざと引き締めて見せた口びるのへんから思わずも笑いの影が潜み出た。
それを見ると事務長は苦い顔と笑った顔とを一緒にして、
「なんだいくだらん」
といって、電燈の近所に椅子をよせて、大きな長い足を投げ出して、夕刊新聞を大きく開いて目を通し始めた。
木村とは引きかえて事務長がこの部屋に来ると、部屋が小さく見えるほどだった。上向けた靴の大きさには葉子は吹き出したいくらいだった。葉子は目でなでたりさすったりするようにして、この大きな子供みたような暴君の頭から足の先までを見やっていた。ごわっごわっと時々新聞を折り返す音だけが聞こえて、積み荷があらかた片付いた船室の夜は静かにふけて行った。
葉子はそうしたままでふと木村を思いやった。
木村は銀行に寄って切手を現金に換えて、店の締まらないうちにいくらか買い物をして、それを小わきにかかえながら、夕食もしたためずに、ジャクソン街にあるという日本人の旅店に帰り着くころには、町々に灯がともって、寒い靄と煙との間を労働者たちが疲れた五体を引きずりながら歩いて行くのにたくさん出あっているだろう。小さなストーブに煙の多い石炭がぶしぶし燃えて、けばけばしい電灯の光だけが、むちうつようにがらんとした部屋の薄ぎたなさを煌々と照らしているだろう。その光の下で、ぐらぐらする椅子に腰かけて、ストーブの火を見つめながら木村が考えている。しばらく考えてからさびしそうに見るともなく部屋の中を見回して、またストーブの火にながめ入るだろう。そのうちにあの涙の出やすい目からは涙がほろほろととめどもなく流れ出るに違いない。
事務長が音をたてて新聞を折り返した。
木村は膝頭に手を置いて、その手の中に顔を埋めて泣いている。祈っている。葉子は倉地から目を放して、上目を使いながら木村の祈りの声に耳を傾けようとした。途切れ途切れな切ない祈りの声が涙にしめって確かに……確かに聞こえて来る。葉子は眉を寄せて注意力を集注しながら、木村がほんとうにどう葉子を思っているかをはっきり見窮めようとしたが、どうしても思い浮かべてみる事ができなかった。
事務長がまた新聞を折り返す音を立てた。
葉子ははっとして淀みにささえられた木の葉がまた流れ始めたように、すらすらと木村の所作を想像した。それがだんだん岡の上に移って行った。哀れな岡! 岡もまだ寝ないでいるだろう。木村なのか岡なのかいつまでもいつまでも寝ないで火の消えかかったストーブの前にうずくまっているのは……ふけるままにしみ込む寒さはそっと床を伝わって足の先からはい上がって来る。男はそれにも気が付かぬふうで椅子の上にうなだれている。すべての人は眠っている時に、木村の葉子も事務長に抱かれて安々と眠っている時に……。
ここまで想像して来ると小説に読みふけっていた人が、ほっとため息をしてばたんと書物をふせるように、葉子も何とはなく深いため息をしてはっきりと事務長を見た。葉子の心は小説を読んだ時のとおり無関心の Pathos をかすかに感じているばかりだった。
「おやすみにならないの?」
と葉子は鈴のように涼しい小さい声で倉地にいってみた。大きな声をするのもはばかられるほどあたりはしんと静まっていた。
「う」
と返事はしたが事務長は煙草をくゆらしたまま新聞を見続けていた。葉子も黙ってしまった。
ややしばらくしてから事務長もほっとため息をして、
「どれ寝るかな」
といいながら椅子から立って寝床にはいった。葉子は事務長の広い胸に巣食うように丸まって少し震えていた。
やがて子供のようにすやすやと安らかないびきが葉子の口びるからもれて来た。
倉地は暗闇の中で長い間まんじりともせず大きな目を開いていたが、やがて、
「おい悪党」
と小さな声で呼びかけてみた。
しかし葉子の規則正しく楽しげな寝息は露ほども乱れなかった。
真夜中に、恐ろしい夢を葉子は見た。よくは覚えていないが、葉子は殺してはいけないいけないと思いながら人殺しをしたのだった。一方の目は尋常に眉の下にあるが、一方のは不思議にも眉の上にある、その男の額から黒血がどくどくと流れた。男は死んでも物すごくにやりにやりと笑い続けていた。その笑い声が木村木村と聞こえた。始めのうちは声が小さかったがだんだん大きくなって数もふえて来た。その「木村木村」という数限りもない声がうざうざと葉子を取り巻き始めた。葉子は一心に手を振ってそこからのがれようとしたが手も足も動かなかった。
木村……
木村
木村 木村……
木村 木村
木村 木村 木村……
木村 木村
木村 木村……
木村
木村……
ぞっとして寒気を覚えながら、葉子は闇の中に目をさました。恐ろしい凶夢のなごりは、ど、ど、ど……と激しく高くうつ心臓に残っていた。葉子は恐怖におびえながら一心に暗い中をおどおどと手探りに探ると事務長の胸に触れた。
「あなた」
と小さい震え声で呼んでみたが男は深い眠りの中にあった。なんともいえない気味わるさがこみ上げて来て、葉子は思いきり男の胸をゆすぶってみた。
しかし男は材木のように感じなく熟睡していた。
(前編 了) | 底本:「或る女 前編」岩波文庫、岩波書店
1950(昭和25)年5月5日第1刷発行
1968(昭和43)年6月16日第27刷改版発行
1998(平成10)年11月16日第42刷発行
入力:真先芳秋
校正:渥美浩子
1999年10月17日公開
2013年1月8日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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二二
どこかから菊の香がかすかに通って来たように思って葉子は快い眠りから目をさました。自分のそばには、倉地が頭からすっぽりとふとんをかぶって、いびきも立てずに熟睡していた。料理屋を兼ねた旅館のに似合わしい華手な縮緬の夜具の上にはもうだいぶ高くなったらしい秋の日の光が障子越しにさしていた。葉子は往復一か月の余を船に乗り続けていたので、船脚の揺らめきのなごりが残っていて、からだがふらりふらりと揺れるような感じを失ってはいなかったが、広い畳の間に大きな軟らかい夜具をのべて、五体を思うまま延ばして、一晩ゆっくりと眠り通したその心地よさは格別だった。仰向けになって、寒からぬ程度に暖まった空気の中に両手を二の腕までむき出しにして、軟らかい髪の毛に快い触覚を感じながら、何を思うともなく天井の木目を見やっているのも、珍しい事のように快かった。
やや小半時もそうしたままでいると、帳場でぼんぼん時計が九時を打った。三階にいるのだけれどもその音はほがらかにかわいた空気を伝って葉子の部屋まで響いて来た。と、倉地がいきなり夜具をはねのけて床の上に上体を立てて目をこすった。
「九時だな今打ったのは」
と陸で聞くとおかしいほど大きな塩がれ声でいった。どれほど熟睡していても、時間には鋭敏な船員らしい倉地の様子がなんの事はなく葉子をほほえました。
倉地が立つと、葉子も床を出た。そしてそのへんを片づけたり、煙草を吸ったりしている間に(葉子は船の中で煙草を吸う事を覚えてしまったのだった)倉地は手早く顔を洗って部屋に帰って来た。そして制服に着かえ始めた。葉子はいそいそとそれを手伝った。倉地特有な西洋風に甘ったるいような一種のにおいがそのからだにも服にもまつわっていた。それが不思議にいつでも葉子の心をときめかした。
「もう飯を食っとる暇はない。またしばらく忙しいで木っ葉みじんだ。今夜はおそいかもしれんよ。おれたちには天長節も何もあったもんじゃない」
そういわれてみると葉子はきょうが天長節なのを思い出した。葉子の心はなおなお寛濶になった。
倉地が部屋を出ると葉子は縁側に出て手欄から下をのぞいて見た。両側に桜並み木のずっとならんだ紅葉坂は急勾配をなして海岸のほうに傾いている、そこを倉地の紺羅紗の姿が勢いよく歩いて行くのが見えた。半分がた散り尽くした桜の葉は真紅に紅葉して、軒並みに掲げられた日章旗が、風のない空気の中にあざやかにならんでいた。その間に英国の国旗が一本まじってながめられるのも開港場らしい風情を添えていた。
遠く海のほうを見ると税関の桟橋に繋われた四艘ほどの汽船の中に、葉子が乗って帰った絵島丸もまじっていた。まっさおに澄みわたった海に対してきょうの祭日を祝賀するために檣から檣にかけわたされた小旌がおもちゃのようにながめられた。
葉子は長い航海の始終を一場の夢のように思いやった。その長旅の間に、自分の一身に起こった大きな変化も自分の事のようではなかった。葉子は何がなしに希望に燃えた活々した心で手欄を離れた。部屋には小ざっぱりと身じたくをした女中が来て寝床をあげていた。一間半の大床の間に飾られた大花活けには、菊の花が一抱え分もいけられていて、空気が動くたびごとに仙人じみた香を漂わした。その香をかぐと、ともするとまだ外国にいるのではないかと思われるような旅心が一気にくだけて、自分はもう確かに日本の土の上にいるのだという事がしっかり思わされた。
「いいお日和ね。今夜あたりは忙しんでしょう」
と葉子は朝飯の膳に向かいながら女中にいってみた。
「はい今夜は御宴会が二つばかりございましてね。でも浜の方でも外務省の夜会にいらっしゃる方もございますから、たんと込み合いはいたしますまいけれども」
そう応えながら女中は、昨晩おそく着いて来た、ちょっと得体の知れないこの美しい婦人の素性を探ろうとするように注意深い目をやった。葉子は葉子で「浜」という言葉などから、横浜という土地を形にして見るような気持ちがした。
短くなってはいても、なんにもする事なしに一日を暮らすかと思えば、その秋の一日の長さが葉子にはひどく気になり出した。明後日東京に帰るまでの間に、買い物でも見て歩きたいのだけれども、土産物は木村が例の銀行切手をくずしてあり余るほど買って持たしてよこしたし、手もとには哀れなほどより金は残っていなかった。ちょっとでもじっとしていられない葉子は、日本で着ようとは思わなかったので、西洋向きに注文した華手すぎるような綿入れに手を通しながら、とつ追いつ考えた。
「そうだ古藤に電話でもかけてみてやろう」
葉子はこれはいい思案だと思った。東京のほうで親類たちがどんな心持ちで自分を迎えようとしているか、古藤のような男に今度の事がどう響いているだろうか、これは単に慰みばかりではない、知っておかなければならない大事な事だった。そう葉子は思った。そして女中を呼んで東京に電話をつなぐように頼んだ。
祭日であったせいか電話は思いのほか早くつながった。葉子は少しいたずららしい微笑を笑窪のはいるその美しい顔に軽く浮かべながら、階段を足早に降りて行った。今ごろになってようやく床を離れたらしい男女の客がしどけないふうをして廊下のここかしこで葉子とすれ違った。葉子はそれらの人々には目もくれずに帳場に行って電話室に飛び込むとぴっしりと戸をしめてしまった。そして受話器を手に取るが早いか、電話に口を寄せて、
「あなた義一さん? あゝそう。義一さんそれは滑稽なのよ」
とひとりでにすらすらといってしまってわれながら葉子ははっと思った。その時の浮き浮きした軽い心持ちからいうと、葉子にはそういうより以上に自然な言葉はなかったのだけれども、それではあまりに自分というものを明白にさらけ出していたのに気が付いたのだ。古藤は案のじょう答え渋っているらしかった。とみには返事もしないで、ちゃんと聞こえているらしいのに、ただ「なんです?」と聞き返して来た。葉子にはすぐ東京の様子を飲み込んだように思った。
「そんな事どうでもよござんすわ。あなたお丈夫でしたの」
といってみると「えゝ」とだけすげない返事が、機械を通してであるだけにことさらすげなく響いて来た。そして今度は古藤のほうから、
「木村……木村君はどうしています。あなた会ったんですか」
とはっきり聞こえて来た。葉子はすかさず、
「はあ会いましてよ。相変わらず丈夫でいます。ありがとう。けれどもほんとうにかわいそうでしたの。義一さん……聞こえますか。明後日私東京に帰りますわ。もう叔母の所には行けませんからね、あすこには行きたくありませんから……あのね、透矢町のね、双鶴館……つがいの鶴……そう、おわかりになって?……双鶴館に行きますから……あなた来てくだされる?……でもぜひ聞いていただかなければならない事があるんですから……よくって?……そうぜひどうぞ。明々後日の朝? ありがとうきっとお待ち申していますからぜひですのよ」
葉子がそういっている間、古藤の言葉はしまいまで奥歯に物のはさまったように重かった。そしてややともすると葉子との会見を拒もうとする様子が見えた。もし葉子の銀のように澄んだ涼しい声が、古藤を選んで哀訴するらしく響かなかったら、古藤は葉子のいう事を聞いてはいなかったかもしれないと思われるほどだった。
朝から何事も忘れたように快かった葉子の気持ちはこの電話一つのために妙にこじれてしまった。東京に帰れば今度こそはなかなか容易ならざる反抗が待ちうけているとは十二分に覚悟して、その備えをしておいたつもりではいたけれども、古藤の口うらから考えてみると面とぶつかった実際は空想していたよりも重大であるのを思わずにはいられなかった。葉子は電話室を出るとけさ始めて顔を合わした内儀に帳場格子の中から挨拶されて、部屋にも伺いに来ないでなれなれしく言葉をかけるその仕打ちにまで不快を感じながら、匆々三階に引き上げた。
それからはもうほんとうになんにもする事がなかった。ただ倉地の帰って来るのばかりがいらいらするほど待ちに待たれた。品川台場沖あたりで打ち出す祝砲がかすかに腹にこたえるように響いて、子供らは往来でそのころしきりにはやった南京花火をぱちぱちと鳴らしていた。天気がいいので女中たちははしゃぎきった冗談などを言い言いあらゆる部屋を明け放して、仰山らしくはたきや箒の音を立てた。そしてただ一人この旅館では居残っているらしい葉子の部屋を掃除せずに、いきなり縁側にぞうきんをかけたりした。それが出て行けがしの仕打ちのように葉子には思えば思われた。
「どこか掃除の済んだ部屋があるんでしょう。しばらくそこを貸してくださいな。そしてここもきれいにしてちょうだい。部屋の掃除もしないでぞうきんがけなぞしたってなんにもなりはしないわ」
と少し剣を持たせていってやると、けさ来たのとは違う、横浜生まれらしい、悪ずれのした中年の女中は、始めて縁側から立ち上がって小めんどうそうに葉子を畳廊下一つを隔てた隣の部屋に案内した。
けさまで客がいたらしく、掃除は済んでいたけれども、火鉢だの、炭取りだの、古い新聞だのが、部屋のすみにはまだ置いたままになっていた。あけ放した障子からかわいた暖かい光線が畳の表三分ほどまでさしこんでいる、そこに膝を横くずしにすわりながら、葉子は目を細めてまぶしい光線を避けつつ、自分の部屋を片づけている女中の気配に用心の気を配った。どんな所にいても大事な金目なものをくだらないものと一緒にほうり出しておくのが葉子の癖だった。葉子はそこにいかにも伊達で寛濶な心を見せているようだったが、同時に下らない女中ずれが出来心でも起こしはしないかと思うと、細心に監視するのも忘れはしなかった。こうして隣の部屋に気を配っていながらも、葉子は部屋のすみにきちょうめんに折りたたんである新聞を見ると、日本に帰ってからまだ新聞というものに目を通さなかったのを思い出して、手に取り上げて見た。テレビン油のような香いがぷんぷんするのでそれがきょうの新聞である事がすぐ察せられた。はたして第一面には「聖寿万歳」と肉太に書かれた見出しの下に貴顕の肖像が掲げられてあった。葉子は一か月の余も遠のいていた新聞紙を物珍しいものに思ってざっと目をとおし始めた。
一面にはその年の六月に伊藤内閣と交迭してできた桂内閣に対していろいろな注文を提出した論文が掲げられて、海外通信にはシナ領土内における日露の経済的関係を説いたチリコフ伯の演説の梗概などが見えていた。二面には富口という文学博士が「最近日本におけるいわゆる婦人の覚醒」という続き物の論文を載せていた。福田という女の社会主義者の事や、歌人として知られた与謝野晶子女史の事などの名が現われているのを葉子は注意した。しかし今の葉子にはそれが不思議に自分とはかけ離れた事のように見えた。
三面に来ると四号活字で書かれた木部孤笻という字が目に着いたので思わずそこを読んで見る葉子はあっと驚かされてしまった。
○某大汽船会社船中の大怪事
事務長と婦人船客との道ならぬ恋――
船客は木部孤笻の先妻
こういう大業な標題がまず葉子の目を小痛く射つけた。
「本邦にて最も重要なる位置にある某汽船会社の所有船○○丸の事務長は、先ごろ米国航路に勤務中、かつて木部孤笻に嫁してほどもなく姿を晦ましたる莫連女某が一等船客として乗り込みいたるをそそのかし、その女を米国に上陸せしめずひそかに連れ帰りたる怪事実あり。しかも某女といえるは米国に先行せる婚約の夫まである身分のものなり。船客に対して最も重き責任を担うべき事務長にかかる不埒の挙動ありしは、事務長一個の失態のみならず、その汽船会社の体面にも影響する由々しき大事なり。事の仔細はもれなく本紙の探知したる所なれども、改悛の余地を与えんため、しばらく発表を見合わせおくべし。もしある期間を過ぎても、両人の醜行改まる模様なき時は、本紙は容赦なく詳細の記事を掲げて畜生道に陥りたる二人を懲戒し、併せて汽船会社の責任を問う事とすべし。読者請う刮目してその時を待て」
葉子は下くちびるをかみしめながらこの記事を読んだ。いったい何新聞だろうと、その時まで気にも留めないでいた第一面を繰り戻して見ると、麗々と「報正新報」と書してあった。それを知ると葉子の全身は怒りのために爪の先まで青白くなって、抑えつけても抑えつけてもぶるぶると震え出した。「報正新報」といえば田川法学博士の機関新聞だ。その新聞にこんな記事が現われるのは意外でもあり当然でもあった。田川夫人という女はどこまで執念く卑しい女なのだろう。田川夫人からの通信に違いないのだ。「報正新報」はこの通信を受けると、報道の先鞭をつけておくためと、読者の好奇心をあおるためとに、いち早くあれだけの記事を載せて、田川夫人からさらにくわしい消息の来るのを待っているのだろう。葉子は鋭くもこう推した。もしこれがほかの新聞であったら、倉地の一身上の危機でもあるのだから、葉子はどんな秘密な運動をしても、この上の記事の発表はもみ消さなければならないと胸を定めたに相違なかったけれども、田川夫人が悪意をこめてさせている仕事だとして見ると、どの道書かずにはおくまいと思われた。郵船会社のほうで高圧的な交渉でもすればとにかく、そのほかには道がない。くれぐれも憎い女は田川夫人だ……こういちずに思いめぐらすと葉子は船の中での屈辱を今さらにまざまざと心に浮かべた。
「お掃除ができました」
そう襖越しにいいながらさっきの女中は顔も見せずにさっさと階下に降りて行ってしまった。葉子は結局それを気安い事にして、その新聞を持ったまま、自分の部屋に帰った。どこを掃除したのだと思われるような掃除のしかたで、はたきまでが違い棚の下におき忘られていた。過敏にきちょうめんできれい好きな葉子はもうたまらなかった。自分でてきぱきとそこいらを片づけて置いて、パラソルと手携げを取り上げるが否やその宿を出た。
往来に出るとその旅館の女中が四五人早じまいをして昼間の中を野毛山の大神宮のほうにでも散歩に行くらしい後ろ姿を見た。そそくさと朝の掃除を急いだ女中たちの心も葉子には読めた。葉子はその女たちを見送るとなんという事なしにさびしく思った。
帯の間にはさんだままにしておいた新聞の切り抜きが胸を焼くようだった。葉子は歩き歩きそれを引き出して手携げにしまいかえた。旅館は出たがどこに行こうというあてもなかった葉子はうつむいて紅葉坂をおりながら、さしもしないパラソルの石突きで霜解けになった土を一足一足突きさして歩いて行った。いつのまにかじめじめした薄ぎたない狭い通りに来たと思うと、はしなくもいつか古藤と一緒に上がった相模屋の前を通っているのだった。「相模屋」と古めかしい字体で書いた置き行燈の紙までがその時のままですすけていた。葉子は見覚えられているのを恐れるように足早にその前を通りぬけた。
停車場前はすぐそこだった。もう十二時近い秋の日ははなやかに照り満ちて、思ったより数多い群衆が運河にかけ渡したいくつかの橋をにぎやかに往来していた。葉子は自分一人がみんなから振り向いて見られるように思いなした。それがあたりまえの時ならば、どれほど多くの人にじろじろと見られようとも度を失うような葉子ではなかったけれども、たった今いまいましい新聞の記事を見た葉子ではあり、いかにも西洋じみた野暮くさい綿入れを着ている葉子であった。服装に塵ほどでも批点の打ちどころがあると気がひけてならない葉子としては、旅館を出て来たのが悲しいほど後悔された。
葉子はとうとう税関波止場の入り口まで来てしまった。その入り口の小さな煉瓦造りの事務所には、年の若い監視補たちが二重金ぼたんの背広に、海軍帽をかぶって事務を取っていたが、そこに近づく葉子の様子を見ると、きのう上陸した時から葉子を見知っているかのように、その飛び放れて華手造りな姿に目を定めるらしかった。物好きなその人たちは早くも新聞の記事を見て問題となっている女が自分に違いないと目星をつけているのではあるまいかと葉子は何事につけても愚痴っぽくひけ目になる自分を見いだした。葉子はしかしそうしたふうに見つめられながらもそこを立ち去る事ができなかった。もしや倉地が昼飯でも食べにあの大きな五体を重々しく動かしながら船のほうから出て来はしないかと心待ちがされたからだ。
葉子はそろそろと海洋通りをグランド・ホテルのほうに歩いてみた。倉地が出て来れば、倉地のほうでも自分を見つけるだろうし、自分のほうでも後ろに目はないながら、出て来たのを感づいてみせるという自信を持ちながら、後ろも振り向かずにだんだん波止場から遠ざかった。海ぞいに立て連ねた石杭をつなぐ頑丈な鉄鎖には、西洋人の子供たちが犢ほどな洋犬やあまに付き添われて事もなげに遊び戯れていた。そして葉子を見ると心安立てに無邪気にほほえんで見せたりした。小さなかわいい子供を見るとどんな時どんな場合でも、葉子は定子を思い出して、胸がしめつけられるようになって、すぐ涙ぐむのだった。この場合はことさらそうだった。見ていられないほどそれらの子供たちは悲しい姿に葉子の目に映った。葉子はそこから避けるように足を返してまた税関のほうに歩み近づいた。監視課の事務所の前を来たり往ったりする人数は絡繹として絶えなかったが、その中に事務長らしい姿はさらに見えなかった。葉子は絵島丸まで行って見る勇気もなく、そこを幾度もあちこちして監視補たちの目にかかるのもうるさかったので、すごすごと税関の表門を県庁のほうに引き返した。
二三
その夕方倉地がほこりにまぶれ汗にまぶれて紅葉坂をすたすたと登って帰って来るまでも葉子は旅館の閾をまたがずに桜の並み木の下などを徘徊して待っていた。さすがに十一月となると夕暮れを催した空は見る見る薄寒くなって風さえ吹き出している。一日の行楽に遊び疲れたらしい人の群れにまじってふきげんそうに顔をしかめた倉地は真向に坂の頂上を見つめながら近づいて来た。それを見やると葉子は一時に力を回復したようになって、すぐ跳り出して来るいたずら心のままに、一本の桜の木を楯に倉地をやり過ごしておいて、後ろから静かに近づいて手と手とが触れ合わんばかりに押しならんだ。倉地はさすがに不意をくってまじまじと寒さのために少し涙ぐんで見える大きな涼しい葉子の目を見やりながら、「どこからわいて出たんだ」といわんばかりの顔つきをした。一つ船の中に朝となく夜となく一緒になって寝起きしていたものを、きょう始めて半日の余も顔を見合わさずに過ごして来たのが思った以上に物さびしく、同時にこんな所で思いもかけず出あったが予想のほかに満足であったらしい倉地の顔つきを見て取ると、葉子は何もかも忘れてただうれしかった。そのまっ黒によごれた手をいきなり引っつかんで熱い口びるでかみしめて労ってやりたいほどだった。しかし思いのままに寄り添う事すらできない大道であるのをどうしよう。葉子はその切ない心を拗ねて見せるよりほかなかった。
「わたしもうあの宿屋には泊まりませんわ。人をばかにしているんですもの。あなたお帰りになるなら勝手にひとりでいらっしゃい」
「どうして……」
といいながら倉地は当惑したように往来に立ち止まってしげしげと葉子を見なおすようにした。
「これじゃ(といってほこりにまみれた両手をひろげ襟頸を抜き出すように延ばして見せて渋い顔をしながら)どこにも行けやせんわな」
「だからあなたはお帰りなさいましといってるじゃありませんか」
そう冒頭をして葉子は倉地と押し並んでそろそろ歩きながら、女将の仕打ちから、女中のふしだらまで尾鰭をつけて讒訴けて、早く双鶴館に移って行きたいとせがみにせがんだ。倉地は何か思案するらしくそっぽを見い見い耳を傾けていたが、やがて旅館に近くなったころもう一度立ち止まって、
「きょう双鶴館から電話で部屋の都合を知らしてよこす事になっていたがお前聞いたか……(葉子はそういいつけられながら今まですっかり忘れていたのを思い出して、少しくてれたように首を振った)……ええわ、じゃ電報を打ってから先に行くがいい。わしは荷物をして今夜あとから行くで」
そういわれてみると葉子はまた一人だけ先に行くのがいやでもあった。といって荷物の始末には二人のうちどちらか一人居残らねばならない。
「どうせ二人一緒に汽車に乗るわけにも行くまい」
倉地がこういい足した時葉子は危うく、ではきょうの「報正新報」を見たかといおうとするところだったが、はっと思い返して喉の所で抑えてしまった。
「なんだ」
倉地は見かけのわりに恐ろしいほど敏捷に働く心で、顔にも現わさない葉子の躊躇を見て取ったらしくこうなじるように尋ねたが、葉子がなんでもないと応えると、少しも拘泥せずに、それ以上問い詰めようとはしなかった。
どうしても旅館に帰るのがいやだったので、非常な物足らなさを感じながら、葉子はそのままそこから倉地に別れる事にした。倉地は力のこもった目で葉子をじっと見てちょっとうなずくとあとをも見ないでどんどんと旅館のほうに濶歩して行った。葉子は残り惜しくその後ろ姿を見送っていたが、それになんという事もない軽い誇りを感じてかすかにほほえみながら、倉地が登って来た坂道を一人で降りて行った。
停車場に着いたころにはもう瓦斯の灯がそこらにともっていた。葉子は知った人にあうのを極端に恐れ避けながら、汽車の出るすぐ前まで停車場前の茶店の一間に隠れていて一等室に飛び乗った。だだっ広いその客車には外務省の夜会に行くらしい三人の外国人が銘々、デコルテーを着飾った婦人を介抱して乗っているだけだった。いつものとおりその人たちは不思議に人をひきつける葉子の姿に目をそばだてた。けれども葉子はもう左手の小指を器用に折り曲げて、左の鬢のほつれ毛を美しくかき上げるあの嬌態をして見せる気はなくなっていた。室のすみに腰かけて、手携げとパラソルとを膝に引きつけながら、たった一人その部屋の中にいるもののように鷹揚に構えていた。偶然顔を見合わせても、葉子は張りのあるその目を無邪気に(ほんとうにそれは罪を知らない十六七の乙女の目のように無邪気だった)大きく見開いて相手の視線をはにかみもせず迎えるばかりだった。先方の人たちの年齢がどのくらいで容貌がどんなふうだなどという事も葉子は少しも注意してはいなかった。その心の中にはただ倉地の姿ばかりがいろいろに描かれたり消されたりしていた。
列車が新橋に着くと葉子はしとやかに車を出たが、ちょうどそこに、唐桟に角帯を締めた、箱丁とでもいえばいえそうな、気のきいた若い者が電報を片手に持って、目ざとく葉子に近づいた。それが双鶴館からの出迎えだった。
横浜にも増して見るものにつけて連想の群がり起こる光景、それから来る強い刺激……葉子は宿から回された人力車の上から銀座通りの夜のありさまを見やりながら、危うく幾度も泣き出そうとした。定子の住む同じ土地に帰って来たと思うだけでももう胸はわくわくした。愛子も貞世もどんな恐ろしい期待に震えながら自分の帰るのを待ちわびているだろう。あの叔父叔母がどんな激しい言葉で自分をこの二人の妹に描いて見せているか。構うものか。なんとでもいうがいい。自分はどうあっても二人を自分の手に取り戻してみせる。こうと思い定めた上は指もささせはしないから見ているがいい。……ふと人力車が尾張町のかどを左に曲がると暗い細い通りになった。葉子は目ざす旅館が近づいたのを知った。その旅館というのは、倉地が色ざたでなくひいきにしていた芸者がある財産家に落籍されて開いた店だというので、倉地からあらかじめかけ合っておいたのだった。人力車がその店に近づくに従って葉子はその女将というのにふとした懸念を持ち始めた。未知の女同志が出あう前に感ずる一種の軽い敵愾心が葉子の心をしばらくは余の事柄から切り放した。葉子は車の中で衣紋を気にしたり、束髪の形を直したりした。
昔の煉瓦建てをそのまま改造したと思われる漆喰塗りの頑丈な、角地面の一構えに来て、煌々と明るい入り口の前に車夫が梶棒を降ろすと、そこにはもう二三人の女の人たちが走り出て待ち構えていた。葉子は裾前をかばいながら車から降りて、そこに立ちならんだ人たちの中からすぐ女将を見分ける事ができた。背たけが思いきって低く、顔形も整ってはいないが、三十女らしく分別の備わった、きかん気らしい、垢ぬけのした人がそれに違いないと思った。葉子は思い設けた以上の好意をすぐその人に対して持つ事ができたので、ことさら快い親しみを持ち前の愛嬌に添えながら、挨拶をしようとすると、その人は事もなげにそれをさえぎって、
「いずれ御挨拶は後ほど、さぞお寒うございましてしょう。お二階へどうぞ」
といって自分から先に立った。居合わせた女中たちは目はしをきかしていろいろと世話に立った。入り口の突き当たりの壁には大きなぼんぼん時計が一つかかっているだけでなんにもなかった。その右手の頑丈な踏み心地のいい階子段をのぼりつめると、他の部屋から廊下で切り放されて、十六畳と八畳と六畳との部屋が鍵形に続いていた。塵一つすえずにきちんと掃除が届いていて、三か所に置かれた鉄びんから立つ湯気で部屋の中は軟らかく暖まっていた。
「お座敷へと申すところですが、御気さくにこちらでおくつろぎくださいまし……三間ともとってはございますが」
そういいながら女将は長火鉢の置いてある六畳の間へと案内した。
そこにすわってひととおりの挨拶を言葉少なに済ますと、女将は葉子の心を知り抜いているように、女中を連れて階下に降りて行ってしまった。葉子はほんとうにしばらくなりとも一人になってみたかったのだった。軽い暖かさを感ずるままに重い縮緬の羽織を脱ぎ捨てて、ありたけの懐中物を帯の間から取り出して見ると、凝りがちな肩も、重苦しく感じた胸もすがすがしくなって、かなり強い疲れを一時に感じながら、猫板の上に肘を持たせて居ずまいをくずしてもたれかかった。古びを帯びた蘆屋釜から鳴りを立てて白く湯気の立つのも、きれいにかきならされた灰の中に、堅そうな桜炭の火が白い被衣の下でほんのりと赤らんでいるのも、精巧な用箪笥のはめ込まれた一間の壁に続いた器用な三尺床に、白菊をさした唐津焼きの釣り花活けがあるのも、かすかにたきこめられた沈香のにおいも、目のつんだ杉柾の天井板も、細っそりと磨きのかかった皮付きの柱も、葉子に取っては――重い、硬い、堅い船室からようやく解放されて来た葉子に取ってはなつかしくばかりながめられた。こここそは屈強の避難所だというように葉子はつくづくあたりを見回した。そして部屋のすみにある生漆を塗った桑の広蓋を引き寄せて、それに手携げや懐中物を入れ終わると、飽く事もなくその縁から底にかけての円味を持った微妙な手ざわりを愛で慈しんだ。
場所がらとてそこここからこの界隈に特有な楽器の声が聞こえて来た。天長節であるだけにきょうはことさらそれがにぎやかなのかもしれない。戸外にはぽくりやあずま下駄の音が少し冴えて絶えずしていた。着飾った芸者たちがみがき上げた顔をびりびりするような夜寒に惜しげもなく伝法にさらして、さすがに寒気に足を早めながら、招ばれた所に繰り出して行くその様子が、まざまざと履き物の音を聞いたばかりで葉子の想像には描かれるのだった。合い乗りらしい人力車のわだちの音も威勢よく響いて来た。葉子はもう一度これは屈強な避難所に来たものだと思った。この界隈では葉子は眦を反して人から見られる事はあるまい。
珍しくあっさりした、魚の鮮しい夕食を済ますと葉子は風呂をつかって、思い存分髪を洗った。足しない船の中の淡水では洗っても洗ってもねちねちと垢の取り切れなかったものが、さわれば手が切れるほどさばさばと油が抜けて、葉子は頭の中まで軽くなるように思った。そこに女将も食事を終えて話相手になりに来た。
「たいへんお遅うございますこと、今夜のうちにお帰りになるでしょうか」
そう女将は葉子の思っている事を魁けにいった。「さあ」と葉子もはっきりしない返事をしたが、小寒くなって来たので浴衣を着かえようとすると、そこに袖だたみにしてある自分の着物につくづく愛想が尽きてしまった。このへんの女中に対してもそんなしつっこいけばけばしい柄の着物は二度と着る気にはなれなかった。そうなると葉子はしゃにむにそれがたまらなくなって来るのだ。葉子はうんざりした様子をして自分の着物から女将に目をやりながら、
「見てくださいこれを。この冬は米国にいるのだとばかり決めていたので、あんなものを作ってみたんですけれども、我慢にももう着ていられなくなりましたわ。後生。あなたの所に何かふだん着のあいたのでもないでしょうか」
「どうしてあなた。わたしはこれでござんすもの」
と女将は剽軽にも気軽くちゃんと立ち上がって自分の背たけの低さを見せた。そうして立ったままでしばらく考えていたが、踊りで仕込み抜いたような手つきではたと膝の上をたたいて、
「ようございます。わたし一つ倉地さんをびっくらさして上げますわ。わたしの妹分に当たるのに柄といい年格好といい、失礼ながらあなた様とそっくりなのがいますから、それのを取り寄せてみましょう。あなた様は洗い髪でいらっしゃるなり……いかが、わたしがすっかり仕立てて差し上げますわ」
この思い付きは葉子には強い誘惑だった。葉子は一も二もなく勇み立って承知した。
その晩十一時を過ぎたころに、まとめた荷物を人力車四台に積み乗せて、倉地が双鶴館に着いて来た。葉子は女将の入れ知恵でわざと玄関には出迎えなかった。葉子はいたずら者らしくひとり笑いをしながら立て膝をしてみたが、それには自分ながら気がひけたので、右足を左の腿の上に積み乗せるようにしてその足先をとんびにしてすわってみた。ちょうどそこにかなり酔ったらしい様子で、倉地が女将の案内も待たずにずしんずしんという足どりではいって来た。葉子と顔を見合わした瞬間には部屋を間違えたと思ったらしく、少しあわてて身を引こうとしたが、すぐ櫛巻きにして黒襟をかけたその女が葉子だったのに気が付くと、いつもの渋いように顔をくずして笑いながら、
「なんだばかをしくさって」
とほざくようにいって、長火鉢の向かい座にどっかとあぐらをかいた。ついて来た女将は立ったまましばらく二人を見くらべていたが、
「ようよう……変てこなお内裏雛様」
と陽気にかけ声をして笑いこけるようにぺちゃんとそこにすわり込んだ。三人は声を立てて笑った。
と、女将は急にまじめに返って倉地に向かい、
「こちらはきょうの報正新報を……」
といいかけるのを、葉子はすばやく目でさえぎった。女将はあぶない土端場で踏みとどまった。倉地は酔眼を女将に向けながら、
「何」
と尻上がりに問い返した。
「そう早耳を走らすとつんぼと間違えられますとさ」
と女将は事もなげに受け流した。三人はまた声を立てて笑った。
倉地と女将との間に一別以来のうわさ話がしばらくの間取りかわされてから、今度は倉地がまじめになった。そして葉子に向かってぶっきらぼうに、
「お前もう寝ろ」
といった。葉子は倉地と女将とをならべて一目見たばかりで、二人の間の潔白なのを見て取っていたし、自分が寝てあとの相談というても、今度の事件を上手にまとめようというについての相談だという事がのみ込めていたので、素直に立って座をはずした。
中の十畳を隔てた十六畳に二人の寝床は取ってあったが、二人の会話はおりおりかなりはっきりもれて来た。葉子は別に疑いをかけるというのではなかったが、やはりじっと耳を傾けないではいられなかった。
何かの話のついでに入用な事が起こったのだろう、倉地はしきりに身のまわりを探って、何かを取り出そうとしている様子だったが、「あいつの手携げに入れたかしらん」という声がしたので葉子ははっと思った。あれには「報正新報」の切り抜きが入れてあるのだ。もう飛び出して行ってもおそいと思って葉子は断念していた。やがてはたして二人は切り抜きを見つけ出した様子だった。
「なんだあいつも知っとったのか」
思わず少し高くなった倉地の声がこう聞こえた。
「道理でさっき私がこの事をいいかけるとあの方が目で留めたんですよ。やはり先方でもあなたに知らせまいとして。いじらしいじゃありませんか」
そういう女将の声もした。そして二人はしばらく黙っていた。
葉子は寝床を出てその場に行こうかとも思った。しかし今夜は二人に任せておくほうがいいと思い返してふとんを耳までかぶった。そしてだいぶ夜がふけてから倉地が寝に来るまで快い安眠に前後を忘れていた。
二四
その次の朝女将と話をしたり、呉服屋を呼んだりしたので、日がかなり高くなるまで宿にいた葉子は、いやいやながら例のけばけばしい綿入れを着て、羽織だけは女将が借りてくれた、妹分という人の烏羽黒の縮緬の紋付きにして旅館を出た。倉地は昨夜の夜ふかしにも係わらずその朝早く横浜のほうに出かけたあとだった。きょうも空は菊日和とでもいう美しい晴れかたをしていた。
葉子はわざと宿で車を頼んでもらわずに、煉瓦通りに出てからきれいそうな辻待ちを傭ってそれに乗った。そして池の端のほうに車を急がせた。定子を目の前に置いて、その小さな手をなでたり、絹糸のような髪の毛をもてあそぶ事を思うと葉子の胸はわれにもなくただわくわくとせき込んで来た。眼鏡橋を渡ってから突き当たりの大時計は見えながらなかなかそこまで車が行かないのをもどかしく思った。膝の上に乗せた土産のおもちゃや小さな帽子などをやきもきしながらひねり回したり、膝掛けの厚い地をぎゅっと握り締めたりして、はやる心を押ししずめようとしてみるけれどもそれをどうする事もできなかった。車がようやく池の端に出ると葉子は右、左、と細い道筋の角々でさしずした。そして岩崎の屋敷裏にあたる小さな横町の曲がりかどで車を乗り捨てた。
一か月の間来ないだけなのだけれども、葉子にはそれが一年にも二年にも思われたので、その界隈が少しも変化しないで元のとおりなのがかえって不思議なようだった。じめじめした小溝に沿うて根ぎわの腐れた黒板塀の立ってる小さな寺の境内を突っ切って裏に回ると、寺の貸し地面にぽっつり立った一戸建ての小家が乳母の住む所だ。没義道に頭を切り取られた高野槇が二本旧の姿で台所前に立っている、その二本に干し竿を渡して小さな襦袢や、まる洗いにした胴着が暖かい日の光を受けてぶら下がっているのを見ると葉子はもうたまらなくなった。涙がぽろぽろとたわいもなく流れ落ちた。家の中では定子の声がしなかった。葉子は気を落ち着けるために案内を求めずに入り口に立ったまま、そっと垣根から庭をのぞいて見ると、日あたりのいい縁側に定子がたった一人、葉子にはしごき帯を長く結んだ後ろ姿を見せて、一心不乱にせっせと少しばかりのこわれおもちゃをいじくり回していた。何事にまれ真剣な様子を見せつけられると、――わき目もふらず畑を耕す農夫、踏み切りに立って子を背負ったまま旗をかざす女房、汗をしとどにたらしながら坂道に荷車を押す出稼ぎの夫婦――わけもなく涙につまされる葉子は、定子のそうした姿を一目見たばかりで、人間力ではどうする事もできない悲しい出来事にでも出あったように、しみじみとさびしい心持ちになってしまった。
「定ちゃん」
涙を声にしたように葉子は思わず呼んだ。定子がびっくりして後ろを振り向いた時には、葉子は戸をあけて入り口を駆け上がって定子のそばにすり寄っていた。父に似たのだろう痛々しいほど華車作りな定子は、どこにどうしてしまったのか、声も姿も消え果てた自分の母が突然そば近くに現われたのに気を奪われた様子で、とみには声も出さずに驚いて葉子を見守った。
「定ちゃんママだよ。よく丈夫でしたね。そしてよく一人でおとなにして……」
もう声が続かなかった。
「ママちゃん」
そう突然大きな声でいって定子は立ち上がりざま台所のほうに駆けて行った。
「婆やママちゃんが来たのよ」
という声がした。
「え!」
と驚くらしい婆やの声が裏庭から聞こえた。と、あわてたように台所を上がって、定子を横抱きにした婆やが、かぶっていた手ぬぐいを頭からはずしながらころがり込むようにして座敷にはいって来た。二人は向き合ってすわると両方とも涙ぐみながら無言で頭を下げた。
「ちょっと定ちゃんをこっちにお貸し」
しばらくしてから葉子は定子を婆やの膝から受け取って自分のふところに抱きしめた。
「お嬢さま……私にはもう何がなんだかちっともわかりませんが、私はただもうくやしゅうございます。……どうしてこう早くお帰りになったんでございますか……皆様のおっしゃる事を伺っているとあんまり業腹でございますから……もう私は耳をふさいでおります。あなたから伺ったところがどうせこう年を取りますと腑に落ちる気づかいはございません。でもまあおからだがどうかと思ってお案じ申しておりましたが、御丈夫で何よりでございました……何しろ定子様がおかわいそうで……」
葉子におぼれきった婆やの口からさもくやしそうにこうした言葉がつぶやかれるのを、葉子はさびしい心持ちで聞かねばならなかった。耄碌したと自分ではいいながら、若い時に亭主に死に別れて立派に後家を通して後ろ指一本さされなかった昔気質のしっかり者だけに、親類たちの陰口やうわさで聞いた葉子の乱行にはあきれ果てていながら、この世でのただ一人の秘蔵物として葉子の頭から足の先までも自分の誇りにしている婆やの切ない心持ちは、ひしひしと葉子にも通じるのだった。婆やと定子……こんな純粋な愛情の中に取り囲まれて、落ち着いた、しとやかな、そして安穏な一生を過ごすのも、葉子は望ましいと思わないではなかった。ことに婆やと定子とを目の前に置いて、つつましやかな過不足のない生活をながめると、葉子の心は知らず知らずなじんで行くのを覚えた。
しかし同時に倉地の事をちょっとでも思うと葉子の血は一時にわき立った。平穏な、その代わり死んだも同然な一生がなんだ。純粋な、その代わり冷えもせず熱しもしない愛情がなんだ。生きる以上は生きてるらしく生きないでどうしよう。愛する以上は命と取りかえっこをするくらいに愛せずにはいられない。そうした衝動が自分でもどうする事もできない強い感情になって、葉子の心を本能的に煽ぎ立てるのだった。この奇怪な二つの矛盾が葉子の心の中には平気で両立しようとしていた。葉子は眼前の境界でその二つの矛盾を割合に困難もなく使い分ける不思議な心の広さを持っていた。ある時には極端に涙もろく、ある時には極端に残虐だった。まるで二人の人が一つの肉体に宿っているかと自分ながら疑うような事もあった。それが時にはいまいましかった、時には誇らしくもあった。
「定ちゃま。ようこざいましたね、ママちゃんが早くお帰りになって。お立ちになってからでもお聞き分けよくママのマの字もおっしゃらなかったんですけれども、どうかするとこうぼんやり考えてでもいらっしゃるようなのがおかわいそうで、一時はおからだでも悪くなりはしないかと思うほどでした。こんなでもなかなか心は働いていらっしゃるんですからねえ」
と婆やは、葉子の膝の上に巣食うように抱かれて、黙ったまま、澄んだひとみで母の顔を下からのぞくようにしている定子と葉子とを見くらべながら、述懐めいた事をいった。葉子は自分の頬を、暖かい桃の膚のように生毛の生えた定子の頬にすりつけながら、それを聞いた。
「お前のその気象でわからないとおいいなら、くどくどいったところがむだかもしれないから、今度の事については私なんにも話すまいが、家の親類たちのいう事なんぞはきっと気にしないでおくれよ。今度の船には飛んでもない一人の奥さんが乗り合わしていてね、その人がちょっとした気まぐれからある事ない事取りまぜてこっちにいってよこしたので、事あれかしと待ち構えていた人たちの耳にはいったんだから、これから先だってどんなひどい事をいわれるかしれたもんじゃないんだよ。お前も知ってのとおり私は生まれ落ちるとからつむじ曲がりじゃあったけれども、あんなに周囲からこづき回されさえしなければこんなになりはしなかったのだよ。それはだれよりもお前が知ってておくれだわね。これからだって私は私なりに押し通すよ。だれがなんといったって構うもんですか。そのつもりでお前も私を見ていておくれ。広い世の中に私がどんな失策をしでかしても、心から思いやってくれるのはほんとうにお前だけだわ。……今度からは私もちょいちょい来るだろうけれども、この上ともこの子を頼みますよ。ね、定ちゃん。よく婆やのいう事を聞いていい子になってちょうだいよ。ママちゃんはここにいる時でもいない時でも、いつでもあなたを大事に大事に思ってるんだからね。……さ、もうこんなむずかしいお話はよしてお昼のおしたくでもしましょうね。きょうはママちゃんがおいしいごちそうをこしらえて上げるから定ちゃんも手伝いしてちょうだいね」
そういって葉子は気軽そうに立ち上がって台所のほうに定子と連れだった。婆やも立ち上がりはしたがその顔は妙に冴えなかった。そして台所で働きながらややともすると内所で鼻をすすっていた。
そこには葉山で木部孤笻と同棲していた時に使った調度が今だに古びを帯びて保存されたりしていた。定子をそばにおいてそんなものを見るにつけ、少し感傷的になった葉子の心は涙に動こうとした。けれどもその日はなんといっても近ごろ覚えないほどしみじみとした楽しさだった。何事にでも器用な葉子は不足がちな台所道具を巧みに利用して、西洋風な料理と菓子とを三品ほど作った。定子はすっかり喜んでしまって、小さな手足をまめまめしく働かしながら、「はいはい」といって庖丁をあっちに運んだり、皿をこっちに運んだりした。三人は楽しく昼飯の卓についた。そして夕方まで水入らずにゆっくり暮らした。
その夜は妹たちが学校から来るはずになっていたので葉子は婆やの勧める晩飯も断わって夕方その家を出た。入り口の所につくねんと立って姿やに両肩をささえられながら姿の消えるまで葉子を見送った定子の姿がいつまでもいつまでも葉子の心から離れなかった。夕闇にまぎれた幌の中で葉子は幾度かハンケチを目にあてた。
宿に着くころには葉子の心持ちは変わっていた。玄関にはいって見ると、女学校でなければ履かれないような安下駄のきたなくなったのが、お客や女中たちの気取った履き物の中にまじって脱いであるのを見て、もう妹たちが来て待っているのを知った。さっそくに出迎えに出た女将に、今夜は倉地が帰って来たら他所の部屋で寝るように用意をしておいてもらいたいと頼んで、静々と二階へ上がって行った。
襖をあけて見ると二人の姉妹はぴったりとくっつき合って泣いていた。人の足音を姉のそれだとは充分に知りながら、愛子のほうは泣き顔を見せるのが気まりが悪いふうで、振り向きもせずに一入うなだれてしまったが、貞世のほうは葉子の姿を一目見るなり、はねるように立ち上がって激しく泣きながら葉子のふところに飛びこんで来た。葉子も思わず飛び立つように貞世を迎えて、長火鉢のかたわらの自分の座にすわると、貞世はその膝に突っ伏してすすり上げすすり上げ可憐な背中に波を打たした。これほどまでに自分の帰りを待ちわびてもい、喜んでもくれるのかと思うと、骨肉の愛着からも、妹だけは少なくとも自分の掌握の中にあるとの満足からも、葉子はこの上なくうれしかった。しかし火鉢からはるか離れた向こう側に、うやうやしく居ずまいを正して、愛子がひそひそと泣きながら、規則正しくおじぎをするのを見ると葉子はすぐ癪にさわった。どうして自分はこの妹に対して優しくする事ができないのだろうとは思いつつも、葉子は愛子の所作を見ると一々気にさわらないではいられないのだ。葉子の目は意地わるく剣を持って冷ややかに小柄で堅肥りな愛子を激しく見すえた。
「会いたてからつけつけいうのもなんだけれども、なんですねえそのおじぎのしかたは、他人行儀らしい。もっと打ち解けてくれたっていいじゃないの」
というと愛子は当惑したように黙ったまま目を上げて葉子を見た。その目はしかし恐れても恨んでもいるらしくはなかった。小羊のような、まつ毛の長い、形のいい大きな目が、涙に美しくぬれて夕月のようにぽっかりとならんでいた。悲しい目つきのようだけれども、悲しいというのでもない。多恨な目だ。多情な目でさえあるかもしれない。そう皮肉な批評家らしく葉子は愛子の目を見て不快に思った。大多数の男はあんな目で見られると、この上なく詩的な霊的な一瞥を受け取ったようにも思うのだろう。そんな事さえ素早く考えの中につけ加えた。貞世が広い帯をして来ているのに、愛子が少し古びた袴をはいているのさえさげすまれた。
「そんな事はどうでもようござんすわ。さ、お夕飯にしましょうね」
葉子はやがて自分の妄念をかき払うようにこういって、女中を呼んだ。
貞世は寵児らしくすっかりはしゃぎきっていた。二人が古藤につれられて始めて田島の塾に行った時の様子から、田島先生が非常に二人をかわいがってくれる事から、部屋の事、食物の事、さすがに女の子らしく細かい事まで自分一人の興に乗じて談り続けた。愛子も言葉少なに要領を得た口をきいた。
「古藤さんが時々来てくださるの?」
と聞いてみると、貞世は不平らしく、
「いゝえ、ちっとも」
「ではお手紙は?」
「来てよ、ねえ愛ねえさま。二人の所に同じくらいずつ来ますわ」
と、愛子は控え目らしくほほえみながら上目越しに貞世を見て、
「貞ちゃんのほうに余計来るくせに」
となんでもない事で争ったりした。愛子は姉に向かって、
「塾に入れてくださると古藤さんが私たちに、もうこれ以上私のして上げる事はないと思うから、用がなければ来ません。その代わり用があったらいつでもそういっておよこしなさいとおっしゃったきりいらっしゃいませんのよ。そうしてこちらでも古藤さんにお願いするような用はなんにもないんですもの」
といった。葉子はそれを聞いてほほえみながら古藤が二人を塾につれて行った時の様子を想像してみた。例のようにどこの玄関番かと思われる風体をして、髪を刈る時のほか剃らない顎ひげを一二分ほども延ばして、頑丈な容貌や体格に不似合いなはにかんだ口つきで、田島という、男のような女学者と話をしている様子が見えるようだった。
しばらくそんな表面的なうわさ話などに時を過ごしていたが、いつまでもそうはしていられない事を葉子は知っていた。この年齢の違った二人の妹に、どっちにも堪念の行くように今の自分の立場を話して聞かせて、悪い結果をその幼い心に残さないようにしむけるのはさすがに容易な事ではなかった。葉子は先刻からしきりにそれを案じていたのだ。
「これでも召し上がれ」
食事が済んでから葉子は米国から持って来たキャンディーを二人の前に置いて、自分は煙草を吸った。貞世は目を丸くして姉のする事を見やっていた。
「ねえさまそんなもの吸っていいの?」
と会釈なく尋ねた。愛子も不思議そうな顔をしていた。
「えゝこんな悪い癖がついてしまったの。けれどもねえさんにはあなた方の考えてもみられないような心配な事や困る事があるものだから、つい憂さ晴らしにこんな事も覚えてしまったの。今夜はあなた方にわかるようにねえさんが話して上げてみるから、よく聞いてちょうだいよ」
倉地の胸に抱かれながら、酔いしれたようにその頑丈な、日に焼けた、男性的な顔を見やる葉子の、乙女というよりももっと子供らしい様子は、二人の妹を前に置いてきちんと居ずまいを正した葉子のどこにも見いだされなかった。その姿は三十前後の、充分分別のある、しっかりした一人の女性を思わせた。貞世もそういう時の姉に対する手心を心得ていて、葉子から離れてまじめにすわり直した。こんな時うっかりその威厳を冒すような事でもすると、貞世にでもだれにでも葉子は少しの容赦もしなかった。しかし見た所はいかにも慇懃に口を開いた。
「わたしが木村さんの所にお嫁に行くようになったのはよく知ってますね。米国に出かけるようになったのもそのためだったのだけれどもね、もともと木村さんは私のように一度先にお嫁入りした人をもらうような方ではなかったんだしするから、ほんとうはわたしどうしても心は進まなかったんですよ。でも約束だからちゃんと守って行くには行ったの。けれどもね先方に着いてみるとわたしのからだの具合がどうもよくなくって上陸はとてもできなかったからしかたなしにまた同じ船で帰るようになったの。木村さんはどこまでもわたしをお嫁にしてくださるつもりだから、わたしもその気ではいるのだけれども、病気ではしかたがないでしょう。それに恥ずかしい事を打ち明けるようだけれども、木村さんにもわたしにも有り余るようなお金がないものだから、行きも帰りもその船の事務長という大切な役目の方にお世話にならなければならなかったのよ。その方が御親切にもわたしをここまで連れて帰ってくださったばかりで、もう一度あなた方にもあう事ができたんだから、わたしはその倉地という方――倉はお倉の倉で、地は地球の地と書くの。三吉というお名前は貞ちゃんにもわかるでしょう――その倉地さんにはほんとうにお礼の申しようもないくらいなんですよ。愛さんなんかはその方の事で叔母さんなんぞからいろいろな事を聞かされて、ねえさんを疑っていやしないかと思うけれども、それにはまたそれでめんどうなわけのある事なのだから、夢にも人のいう事なんぞをそのまま受け取ってもらっちゃ困りますよ。ねえさんを信じておくれ、ね、よござんすか。わたしはお嫁なんぞに行かないでもいい、あなた方とこうしているほどうれしい事はないと思いますよ。木村さんのほうにお金でもできて、わたしの病気がなおりさえすれば結婚するようになるかもしれないけれども、それはいつの事ともわからないし、それまではわたしはこうしたままで、あなた方と一緒にどこかにお家を持って楽しく暮らしましょうね。いいだろう貞ちゃん。もう寄宿なんぞにいなくってもようござんすよ」
「おねえさまわたし寄宿では夜になるとほんとうは泣いてばかりいたのよ。愛ねえさんはよくお寝になってもわたしは小さいから悲しかったんですもの」
そう貞世は白状するようにいった。さっきまではいかにも楽しそうにいっていたその可憐な同じ口びるから、こんな哀れな告白を聞くと葉子は一入しんみりした心持ちになった。
「わたしだってもよ。貞ちゃんは宵の口だけくすくす泣いてもあとはよく寝ていたわ。ねえ様、私は今まで貞ちゃんにもいわないでいましたけれども……みんなが聞こえよがしにねえ様の事をかれこれいいますのに、たまに悪いと思って貞ちゃんと叔母さんの所に行ったりなんぞすると、それはほんとうにひどい……ひどい事をおっしゃるので、どっちに行ってもくやしゅうございましたわ。古藤さんだってこのごろはお手紙さえくださらないし……田島先生だけはわたしたち二人をかわいそうがってくださいましたけれども……」
葉子の思いは胸の中で煮え返るようだった。
「もういい堪忍してくださいよ。ねえさんがやはり至らなかったんだから。おとうさんがいらっしゃればお互いにこんないやな目にはあわないんだろうけれども(こういう場合葉子はおくびにも母の名は出さなかった)親のないわたしたちは肩身が狭いわね。まああなた方はそんなに泣いちゃだめ。愛さんなんですねあなたから先に立って。ねえさんが帰った以上はねえさんになんでも任して安心して勉強してくださいよ。そして世間の人を見返しておやり」
葉子は自分の心持ちを憤ろしくいい張っているのに気がついた。いつのまにか自分までが激しく興奮していた。
火鉢の火はいつか灰になって、夜寒がひそやかに三人の姉妹にはいよっていた。もう少し睡気を催して来た貞世は、泣いたあとの渋い目を手の甲でこすりながら、不思議そうに興奮した青白い姉の顔を見やっていた。愛子は瓦斯の灯に顔をそむけながらしくしくと泣き始めた。
葉子はもうそれを止めようとはしなかった。自分ですら声を出して泣いてみたいような衝動をつき返しつき返し水落の所に感じながら、火鉢の中を見入ったまま細かく震えていた。
生まれかわらなければ回復しようのないような自分の越し方行く末が絶望的にはっきりと葉子の心を寒く引き締めていた。
それでも三人が十六畳に床を敷いて寝てだいぶたってから、横浜から帰って来た倉地が廊下を隔てた隣の部屋に行くのを聞き知ると、葉子はすぐ起きかえってしばらく妹たちの寝息気をうかがっていたが、二人がいかにも無心に赤々とした頬をしてよく寝入っているのを見窮めると、そっとどてらを引っかけながらその部屋を脱け出した。
二五
それから一日置いて次の日に古藤から九時ごろに来るがいいかと電話がかかって来た。葉子は十時すぎにしてくれと返事をさせた。古藤に会うには倉地が横浜に行ったあとがいいと思ったからだ。
東京に帰ってから叔母と五十川女史の所へは帰った事だけを知らせては置いたが、どっちからも訪問は元よりの事一言半句の挨拶もなかった。責めて来るなり慰めて来るなり、なんとかしそうなものだ。あまりといえば人を踏みつけにしたしわざだとは思ったけれども、葉子としては結句それがめんどうがなくっていいとも思った。そんな人たちに会っていさくさ口をきくよりも、古藤と話しさえすればその口裏から東京の人たちの心持ちも大体はわかる。積極的な自分の態度はその上で決めてもおそくはないと思案した。
双鶴館の女将はほんとうに目から鼻に抜けるように落ち度なく、葉子の影身になって葉子のために尽くしてくれた。その後ろには倉地がいて、あのいかにも疎大らしく見えながら、人の気もつかないような綿密な所にまで気を配って、采配を振っているのはわかっていた。新聞記者などがどこをどうして探り出したか、始めのうちは押し強く葉子に面会を求めて来たのを、女将が手ぎわよく追い払ったので、近づきこそはしなかったが遠巻きにして葉子の挙動に注意している事などを、女将は眉をひそめながら話して聞かせたりした。木部の恋人であったという事がひどく記者たちの興味をひいたように見えた。葉子は新聞記者と聞くと、震え上がるほどいやな感じを受けた。小さい時分に女記者になろうなどと人にも口外した覚えがあるくせに、探訪などに来る人たちの事を考えるといちばん賤しい種類の人間のように思わないではいられなかった。仙台で、新聞社の社長と親佐と葉子との間に起こった事として不倫な捏造記事(葉子はその記事のうち、母に関してはどのへんまでが捏造であるか知らなかった。少なくとも葉子に関しては捏造だった)が掲載されたばかりでなく、母のいわゆる寃罪は堂々と新聞紙上で雪がれたが、自分のはとうとうそのままになってしまった、あの苦い経験などがますます葉子の考えを頑なにした。葉子が「報正新報」の記事を見た時も、それほど田川夫人が自分を迫害しようとするなら、こちらもどこかの新聞を手に入れて田川夫人に致命傷を与えてやろうかという(道徳を米の飯と同様に見て生きているような田川夫人に、その点に傷を与えて顔出しができないようにするのは容易な事だと葉子は思った)企みを自分ひとりで考えた時でも、あの記者というものを手なずけるまでに自分を堕落させたくないばかりにその目論見を思いとどまったほどだった。
その朝も倉地と葉子とは女将を話相手に朝飯を食いながら新聞に出たあの奇怪な記事の話をして、葉子がとうにそれをちゃんと知っていた事などを談り合いながら笑ったりした。
「忙しいにかまけて、あれはあのままにしておったが……一つはあまり短兵急にこっちから出しゃばると足もとを見やがるで、……あれはなんとかせんとめんどうだて」
と倉地はがらっと箸を膳に捨てながら、葉子から女将に目をやった。
「そうですともさ。下らない、あなた、あれであなたのお職掌にでもけちが付いたらほんとうにばかばかしゅうござんすわ。報正新報社にならわたし御懇意の方も二人や三人はいらっしゃるから、なんならわたしからそれとなくお話ししてみてもようございますわ。わたしはまたお二人とも今まであんまり平気でいらっしゃるんで、もうなんとかお話がついたのだとばかり思ってましたの」
と女将は怜しそうな目に真味な色を見せてこういった。倉地は無頓着に「そうさな」といったきりだったが、葉子は二人の意見がほぼ一致したらしいのを見ると、いくら女将が巧みに立ち回ってもそれをもみ消す事はできないといい出した。なぜといえばそれは田川夫人が何か葉子を深く意趣に思ってさせた事で、「報正新報」にそれが現われたわけは、その新聞が田川博士の機関新聞だからだと説明した。倉地は田川と新聞との関係を始めて知ったらしい様子で意外な顔つきをした。
「おれはまた興録のやつ……あいつはべらべらしたやつで、右左のはっきりしない油断のならぬ男だから、あいつの仕事かとも思ってみたが、なるほどそれにしては記事の出かたが少し早すぎるて」
そういってやおら立ち上がりながら次の間に着かえに行った。
女中が膳部を片づけ終わらぬうちに古藤が来たという案内があった。
葉子はちょっと当惑した。あつらえておいた衣類がまだできないのと、着具合がよくって、倉地からもしっくり似合うとほめられるので、その朝も芸者のちょいちょい着らしい、黒繻子の襟の着いた、伝法な棒縞の身幅の狭い着物に、黒繻子と水色匹田の昼夜帯をしめて、どてらを引っかけていたばかりでなく、髪までやはり櫛巻きにしていたのだった。えゝ、いい構うものか、どうせ鼻をあかさせるならのっけからあかさせてやろう、そう思って葉子はそのままの姿で古藤を待ち構えた。
昔のままの姿で、古藤は旅館というよりも料理屋といったふうの家の様子に少し鼻じろみながらはいって来た。そうして飛び離れて風体の変わった葉子を見ると、なおさら勝手が違って、これがあの葉子なのかというように、驚きの色を隠し立てもせずに顔に現わしながら、じっとその姿を見た。
「まあ義一さんしばらく。お寒いのね。どうぞ火鉢によってくださいましな。ちょっと御免くださいよ」そういって、葉子はあでやかに上体だけを後ろにひねって、広蓋から紋付きの羽織を引き出して、すわったままどてらと着直した。なまめかしいにおいがその動作につれてひそやかに部屋の中に動いた。葉子は自分の服装がどう古藤に印象しているかなどを考えてもみないようだった。十年も着慣れたふだん着できのうも会ったばかりの弟のように親しい人に向かうようなとりなしをした。古藤はとみには口もきけないように思い惑っているらしかった。多少垢になった薩摩絣の着物を着て、観世撚の羽織紐にも、きちんとはいた袴にも、その人の気質が明らかに書き記してあるようだった。
「こんなでたいへん変な所ですけれどもどうか気楽になさってくださいまし。それでないとなんだか改まってしまってお話がしにくくっていけませんから」
心置きない、そして古藤を信頼している様子を巧みにもそれとなく気取らせるような葉子の態度はだんだん古藤の心を静めて行くらしかった。古藤は自分の長所も短所も無自覚でいるような、そのくせどこかに鋭い光のある目をあげてまじまじと葉子を見始めた。
「何より先にお礼。ありがとうございました妹たちを。おととい二人でここに来てたいへん喜んでいましたわ」
「なんにもしやしない、ただ塾に連れて行って上げただけです。お丈夫ですか」
古藤はありのままをありのままにいった。そんな序曲的な会話を少し続けてから葉子はおもむろに探り知っておかなければならないような事柄に話題を向けて行った。
「今度こんなひょんな事でわたしアメリカに上陸もせず帰って来る事になったんですが、ほんとうをおっしゃってくださいよ、あなたはいったいわたしをどうお思いになって」
葉子は火鉢の縁に両肘をついて、両手の指先を鼻の先に集めて組んだりほどいたりしながら、古藤の顔に浮かび出るすべての意味を読もうとした。
「えゝ、ほんとうをいいましょう」
そう決心するもののように古藤はいってからひと膝乗り出した。
「この十二月に兵隊に行かなければならないものだから、それまでに研究室の仕事を片づくものだけは片づけて置こうと思ったので、何もかも打ち捨てていましたから、このあいだ横浜からあなたの電話を受けるまでは、あなたの帰って来られたのを知らないでいたんです。もっとも帰って来られるような話はどこかで聞いたようでしたが。そして何かそれには重大なわけがあるに違いないとは思っていましたが。ところがあなたの電話を切るとまもなく木村君の手紙が届いて来たんです。それはたぶん絵島丸より一日か二日早く大北汽船会社の船が着いたはずだから、それが持って来たんでしょう。ここに持って来ましたが、それを見て僕は驚いてしまったんです。ずいぶん長い手紙だからあとで御覧になるなら置いて行きましょう。簡単にいうと(そういって古藤はその手紙の必要な要点を心の中で整頓するらしくしばらく黙っていたが)木村君はあなたが帰るようになったのを非常に悲しんでいるようです。そしてあなたほど不幸な運命にもてあそばれる人はない。またあなたほど誤解を受ける人はない。だれもあなたの複雑な性格を見窮めて、その底にある尊い点を拾い上げる人がないから、いろいろなふうにあなたは誤解されている。あなたが帰るについては日本でも種々さまざまな風説が起こる事だろうけれども、君だけはそれを信じてくれちゃ困る。それから……あなたは今でも僕の妻だ……病気に苦しめられながら、世の中の迫害を存分に受けなければならないあわれむべき女だ。他人がなんといおうと君だけは僕を信じて……もしあなたを信ずることができなければ僕を信じて、あなたを妹だと思ってあなたのために戦ってくれ……ほんとうはもっと最大級の言葉が使ってあるのだけれども大体そんな事が書いてあったんです。それで……」
「それで?」
葉子は目の前で、こんがらがった糸が静かにほごれて行くのを見つめるように、不思議な興味を感じながら、顔だけは打ち沈んでこう促した。
「それでですね。僕はその手紙に書いてある事とあなたの電話の『滑稽だった』という言葉とをどう結び付けてみたらいいかわからなくなってしまったんです。木村の手紙を見ない前でもあなたのあの電話の口調には……電話だったせいかまるでのんきな冗談口のようにしか聞こえなかったものだから……ほんとうをいうとかなり不快を感じていた所だったのです。思ったとおりをいいますから怒らないで聞いてください」
「何を怒りましょう。ようこそはっきりおっしゃってくださるわね。あれはわたしもあとでほんとうにすまなかったと思いましたのよ。木村が思うようにわたしは他人の誤解なんぞそんなに気にしてはいないの。小さい時から慣れっこになってるんですもの。だから皆さんが勝手なあて推量なぞをしているのが少しは癪にさわったけれども、滑稽に見えてしかたがなかったんですのよ。そこにもって来て電話であなたのお声が聞こえたもんだから、飛び立つようにうれしくって思わずしらずあんな軽はずみな事をいってしまいましたの。木村から頼まれて私の世話を見てくださった倉地という事務長の方もそれはきさくな親切な人じゃありますけれども、船で始めて知り合いになった方だから、お心安立てなんぞはできないでしょう。あなたのお声がした時にはほんとうに敵の中から救い出されたように思ったんですもの……まあしかしそんな事は弁解するにも及びませんわ。それからどうなさって?」
古藤は例の厚い理想の被の下から、深く隠された感情が時々きらきらとひらめくような目を、少し物惰げに大きく見開いて葉子の顔をつれづれと見やった。初対面の時には人並みはずれて遠慮がちだったくせに、少し慣れて来ると人を見徹そうとするように凝視するその目は、いつでも葉子に一種の不安を与えた。古藤の凝視にはずうずうしいという所は少しもなかった。また故意にそうするらしい様子も見えなかった。少し鈍と思われるほど世事にうとく、事物のほんとうの姿を見て取る方法に暗いながら、まっ正直に悪意なくそれをなし遂げようとするらしい目つきだった。古藤なんぞに自分の秘密がなんであばかれてたまるものかと多寡をくくりつつも、その物軟らかながらどんどん人の心の中にはいり込もうとするような目つきにあうと、いつか秘密のどん底を誤たずつかまれそうな気がしてならなかった。そうなるにしてもしかしそれまでには古藤は長い間忍耐して待たなければならないだろう、そう思って葉子は一面小気味よくも思った。
こんな目で古藤は、明らかな疑いを示しつつ葉子を見ながら、さらに語り続けた所によれば、古藤は木村の手紙を読んでから思案に余って、その足ですぐ、まだ釘店の家の留守番をしていた葉子の叔母の所を尋ねてその考えを尋ねてみようとしたところが、叔母は古藤の立場がどちらに同情を持っているか知れないので、うっかりした事はいわれないと思ったか、何事も打ち明けずに、五十川女史に尋ねてもらいたいと逃げを張ったらしい。古藤はやむなくまた五十川女史を訪問した。女史とは築地のある教会堂の執事の部屋で会った。女史のいう所によると、十日ほど前に田川夫人の所から船中における葉子の不埒を詳細に知らしてよこした手紙が来て、自分としては葉子のひとり旅を保護し監督する事はとても力に及ばないから、船から上陸する時もなんの挨拶もせずに別れてしまった。なんでもうわさで聞くと病気だといってまだ船に残っているそうだが、万一そのまま帰国するようにでもなったら、葉子と事務長との関係は自分たちが想像する以上に深くなっていると断定してもさしつかえない。せっかく依頼を受けてその責めを果たさなかったのは誠にすまないが、自分たちの力では手に余るのだから推恕していただきたいと書いてあった。で、五十川女史は田川夫人がいいかげんな捏造などする人でないのをよく知っているから、その手紙を重だった親類たちに示して相談した結果、もし葉子が絵島丸で帰って来たら、回復のできない罪を犯したものとして、木村に手紙をやって破約を断行させ、一面には葉子に対して親類一同は絶縁する申し合わせをしたという事を聞かされた。そう古藤は語った。
「僕はこんな事を聞かされて途方に暮れてしまいました。あなたはさっきから倉地というその事務長の事を平気で口にしているが、こっちではその人が問題になっているんです。きょうでも僕はあなたにお会いするのがいいのか悪いのかさんざん迷いました。しかし約束ではあるし、あなたから聞いたらもっと事柄もはっきりするかと思って、思いきって伺う事にしたんです。……あっちにたった一人いて五十川さんから恐ろしい手紙を受け取らなければならない木村君を僕は心から気の毒に思うんです。もしあなたが誤解の中にいるんなら聞かせてください。僕はこんな重大な事を一方口で判断したくはありませんから」
と話を結んで古藤は悲しいような表情をして葉子を見つめた。小癪な事をいうもんだと葉子は心の中で思ったけれども、指先でもてあそびながら少し振り仰いだ顔はそのままに、あわれむような、からかうような色をかすかに浮かべて、
「えゝ、それはお聞きくださればどんなにでもお話はしましょうとも。けれども天からわたしを信じてくださらないんならどれほど口をすっぱくしてお話をしたってむだね」
「お話を伺ってから信じられるものなら信じようとしているのです僕は」
「それはあなた方のなさる学問ならそれでようござんしょうよ。けれども人情ずくの事はそんなものじゃありませんわ。木村に対してやましいことはいたしませんといったってあなたがわたしを信じていてくださらなければ、それまでのものですし、倉地さんとはお友だちというだけですと誓った所が、あなたが疑っていらっしゃればなんの役にも立ちはしませんからね。……そうしたもんじゃなくって?」
「それじゃ五十川さんの言葉だけで僕にあなたを判断しろとおっしゃるんですか」
「そうね。……それでもようございましょうよ。とにかくそれはわたしが御相談を受ける事柄じゃありませんわ」
そういってる葉子の顔は、言葉に似合わずどこまでも優しく親しげだった。古藤はさすがに怜しく、こうもつれて来た言葉をどこまでも追おうとせずに黙ってしまった。そして「何事も明らさまにしてしまうほうがほんとうはいいのだがな」といいたげな目つきで、格別虐げようとするでもなく、葉子が鼻の先で組んだりほどいたりする手先を見入った。そうしたままでややしばらくの時が過ぎた。
十一時近いこのへんの町並みはいちばん静かだった。葉子はふと雨樋を伝う雨だれの音を聞いた。日本に帰ってから始めて空はしぐれていたのだ。部屋の中は盛んな鉄びんの湯気でそう寒くはないけれども、戸外は薄ら寒い日和になっているらしかった。葉子はぎごちない二人の間の沈黙を破りたいばかりに、ひょっと首をもたげて腰窓のほうを見やりながら、
「おやいつのまにか雨になりましたのね」
といってみた。古藤はそれには答えもせずに、五分刈りの地蔵頭をうなだれて深々とため息をした。
「僕はあなたを信じきる事ができればどれほど幸いだか知れないと思うんです。五十川さんなぞより僕はあなたと話しているほうがずっと気持ちがいいんです。それはあなたが同じ年ごろで、――たいへん美しいというためばかりじゃないと(その時古藤はおぼこらしく顔を赤らめていた)思っています。五十川さんなぞはなんでも物を僻目で見るから僕はいやなんです。けれどもあなたは……どうしてあなたはそんな気象でいながらもっと大胆に物を打ち明けてくださらないんです。僕はなんといってもあなたを信ずる事ができません。こんな冷淡な事をいうのを許してください。しかしこれにはあなたにも責めがあると僕は思いますよ。……しかたがない僕は木村君にきょうあなたと会ったこのままをいってやります。僕にはどう判断のしようもありませんもの……しかしお願いしますがねえ。木村君があなたから離れなければならないものなら、一刻でも早くそれを知るようにしてやってください。僕は木村君の心持ちを思うと苦しくなります」
「でも木村は、あなたに来たお手紙によるとわたしを信じきってくれているのではないんですか」
そう葉子にいわれて、古藤はまた返す言葉もなく黙ってしまった。葉子は見る見る非常に興奮して来たようだった。抑え抑えている葉子の気持ちが抑えきれなくなって激しく働き出して来ると、それはいつでも惻々として人に迫り人を圧した。顔色一つ変えないで元のままに親しみを込めて相手を見やりながら、胸の奥底の心持ちを伝えて来るその声は、不思議な力を電気のように感じて震えていた。
「それで結構。五十川のおばさんは始めからいやだいやだというわたしを無理に木村に添わせようとして置きながら、今になってわたしの口から一言の弁解も聞かずに、木村に離縁を勧めようという人なんですから、そりゃわたし恨みもします。腹も立てます。えゝ、わたしはそんな事をされて黙って引っ込んでいるような女じゃないつもりですわ。けれどもあなたは初手からわたしに疑いをお持ちになって、木村にもいろいろ御忠告なさった方ですもの、木村にどんな事をいっておやりになろうともわたしにはねっから不服はありませんことよ。……けれどもね、あなたが木村のいちばん大切な親友でいらっしゃると思えばこそ、わたしは人一倍あなたをたよりにしてきょうもわざわざこんな所まで御迷惑を願ったりして、……でもおかしいものね、木村はあなたも信じわたしも信じ、わたしは木村も信じあなたも信じ、あなたは木村は信ずるけれどもわたしを疑って……そ、まあ待って……疑ってはいらっしゃりません。そうです。けれども信ずる事ができないでいらっしゃるんですわね……こうなるとわたしは倉地さんにでもおすがりして相談相手になっていただくほかしようがありません。いくらわたし娘の時から周囲から責められ通しに責められていても、今だに女手一つで二人の妹まで背負って立つ事はできませんからね。……」
古藤は二重に折っていたような腰を立てて、少しせきこんで、
「それはあなたに不似合いな言葉だと僕は思いますよ。もし倉地という人のためにあなたが誤解を受けているのなら……」
そういってまだ言葉を切らないうちに、もうとうに横浜に行ったと思われていた倉地が、和服のままで突然六畳の間にはいって来た。これは葉子にも意外だったので、葉子は鋭く倉地に目くばせしたが、倉地は無頓着だった。そして古藤のいるのなどは度外視した傍若無人さで、火鉢の向こう座にどっかとあぐらをかいた。
古藤は倉地を一目見るとすぐ倉地と悟ったらしかった。いつもの癖で古藤はすぐ極度に固くなった。中断された話の続きを持ち出しもしないで、黙ったまま少し伏し目になってひかえていた。倉地は古藤から顔の見えないのをいい事に、早く古藤を返してしまえというような顔つきを葉子にして見せた。葉子はわけはわからないままにその注意に従おうとした。で、古藤の黙ってしまったのをいい事に、倉地と古藤とを引き合わせる事もせずに自分も黙ったまま静かに鉄びんの湯を土びんに移して、茶を二人に勧めて自分も悠々と飲んだりしていた。
突然古藤は居ずまいをなおして、
「もう僕は帰ります。お話は中途ですけれどもなんだか僕はきょうはこれでおいとまがしたくなりました。あとは必要があったら手紙を書きます」
そういって葉子にだけ挨拶して座を立った。葉子は例の芸者のような姿のままで古藤を玄関まで送り出した。
「失礼しましてね、ほんとうにきょうは。もう一度でようございますからぜひお会いになってくださいましな。一生のお願いですから、ね」
と耳打ちするようにささやいたが古藤はなんとも答えず、雨の降り出したのに傘も借りずに出て行った。
「あなたったらまずいじゃありませんか、なんだってあんな幕に顔をお出しなさるの」
こうなじるようにいって葉子が座につくと、倉地は飲み終わった茶わんを猫板の上にとんと音をたてて伏せながら、
「あの男はお前、ばかにしてかかっているが、話を聞いていると妙に粘り強い所があるぞ。ばかもあのくらいまっすぐにばかだと油断のできないものなのだ。も少し話を続けていてみろ、お前のやり繰りでは間に合わなくなるから。いったいなんでお前はあんな男をかまいつける必要があるんか、わからないじゃないか。木村にでも未練があれば知らない事」
こういって不敵に笑いながら押し付けるように葉子を見た。葉子はぎくりと釘を打たれたように思った。倉地をしっかり握るまでは木村を離してはいけないと思っている胸算用を倉地に偶然にいい当てられたように思ったからだ。しかし倉地がほんとうに葉子を安心させるためには、しなければならない大事な事が少なくとも一つ残っている。それは倉地が葉子と表向き結婚のできるだけの始末をして見せる事だ。手っ取り早くいえばその妻を離縁する事だ。それまではどうしても木村をのがしてはならない。そればかりではない、もし新聞の記事などが問題になって、倉地が事務長の位置を失うような事にでもなれば、少し気の毒だけれども木村を自分の鎖から解き放さずにおくのが何かにつけて便宜でもある。葉子はしかし前の理由はおくびにも出さずにあとの理由を巧みに倉地に告げようと思った。
「きょうは雨になったで出かけるのが大儀だ。昼には湯豆腐でもやって寝てくれようか」
そういって早くも倉地がそこに横になろうとするのを葉子はしいて起き返らした。
二六
「水戸とかでお座敷に出ていた人だそうですが、倉地さんに落籍されてからもう七八年にもなりましょうか、それは穏当ないい奥さんで、とても商売をしていた人のようではありません。もっとも水戸の士族のお娘御で出るが早いか倉地さんの所にいらっしゃるようになったんだそうですからそのはずでもありますが、ちっともすれていらっしゃらないでいて、気もおつきにはなるし、しとやかでもあり、……」
ある晩双鶴館の女将が話に来て四方山のうわさのついでに倉地の妻の様子を語ったその言葉は、はっきりと葉子の心に焼きついていた。葉子はそれが優れた人であると聞かされれば聞かされるほど妬ましさを増すのだった。自分の目の前には大きな障害物がまっ暗に立ちふさがっているのを感じた。嫌悪の情にかきむしられて前後の事も考えずに別れてしまったのではあったけれども、仮にも恋らしいものを感じた木部に対して葉子がいだく不思議な情緒、――ふだんは何事もなかったように忘れ果ててはいるものの、思いも寄らないきっかけにふと胸を引き締めて巻き起こって来る不思議な情緒、――一種の絶望的なノスタルジア――それを葉子は倉地にも倉地の妻にも寄せて考えてみる事のできる不幸を持っていた。また自分の生んだ子供に対する執着。それを男も女も同じ程度にきびしく感ずるものかどうかは知らない。しかしながら葉子自身の実感からいうと、なんといってもたとえようもなくその愛着は深かった。葉子は定子を見ると知らぬ間に木部に対して恋に等しいような強い感情を動かしているのに気がつく事がしばしばだった。木部との愛着の結果定子が生まれるようになったのではなく、定子というものがこの世に生まれ出るために、木部と葉子とは愛着のきずなにつながれたのだとさえ考えられもした。葉子はまた自分の父がどれほど葉子を溺愛してくれたかをも思ってみた。葉子の経験からいうと、両親共いなくなってしまった今、慕わしさなつかしさを余計感じさせるものは、格別これといって情愛の徴を見せはしなかったが、始終軟らかい目色で自分たちを見守ってくれていた父のほうだった。それから思うと男というものも自分の生ませた子供に対しては女に譲らぬ執着を持ちうるものに相違ない。こんな過去の甘い回想までが今は葉子の心をむちうつ笞となった。しかも倉地の妻と子とはこの東京にちゃんと住んでいる。倉地は毎日のようにその人たちにあっているのに相違ないのだ。
思う男をどこからどこまで自分のものにして、自分のものにしたという証拠を握るまでは、心が責めて責めて責めぬかれるような恋愛の残虐な力に葉子は昼となく夜となく打ちのめされた。船の中での何事も打ち任せきったような心やすい気分は他人事のように、遠い昔の事のように悲しく思いやられるばかりだった。どうしてこれほどまでに自分というものの落ちつき所を見失ってしまったのだろう。そう思う下から、こうしては一刻もいられない。早く早くする事だけをしてしまわなければ、取り返しがつかなくなる。どこからどう手をつければいいのだ。敵を斃さなければ、敵は自分を斃すのだ。なんの躊躇。なんの思案。倉地が去った人たちに未練を残すようならば自分の恋は石や瓦と同様だ。自分の心で何もかも過去はいっさい焼き尽くして見せる。木部もない、定子もない。まして木村もない。みんな捨てる、みんな忘れる。その代わり倉地にも過去という過去をすっかり忘れさせずにおくものか。それほどの蠱惑の力と情熱の炎とが自分にあるかないか見ているがいい。そうしたいちずの熱意が身をこがすように燃え立った。葉子は新聞記者の来襲を恐れて宿にとじこもったまま、火鉢の前にすわって、倉地の不在の時はこんな妄想に身も心もかきむしられていた。だんだん募って来るような腰の痛み、肩の凝り。そんなものさえ葉子の心をますますいらだたせた。
ことに倉地の帰りのおそい晩などは、葉子は座にも居たたまれなかった。倉地の居間になっている十畳の間に行って、そこに倉地の面影を少しでも忍ぼうとした。船の中での倉地との楽しい思い出は少しも浮かんで来ずに、どんな構えとも想像はできないが、とにかく倉地の住居のある部屋に、三人の娘たちに取り巻かれて、美しい妻にかしずかれて杯を干している倉地ばかりが想像に浮かんだ。そこに脱ぎ捨ててある倉地のふだん着はますます葉子の想像をほしいままにさせた。いつでも葉子の情熱を引っつかんでゆすぶり立てるような倉地特有の膚の香い、芳醇な酒や、煙草からにおい出るようなその香いを葉子は衣類をかき寄せて、それに顔を埋めながら、痲痺して行くような気持ちでかぎにかいだ。その香いのいちばん奥に、中年の男に特有なふけのような不快な香い、他人ののであったなら葉子はひとたまりもなく鼻をおおうような不快な香いをかぎつけると、葉子は肉体的にも一種の陶酔を感じて来るのだった。その倉地が妻や娘たちに取り巻かれて楽しく一夕を過ごしている。そう思うとあり合わせるものを取って打ちこわすか、つかんで引き裂きたいような衝動がわけもなく嵩じて来るのだった。
それでも倉地が帰って来ると、それは夜おそくなってからであっても葉子はただ子供のように幸福だった。それまでの不安や焦躁はどこにか行ってしまって、悪夢から幸福な世界に目ざめたように幸福だった。葉子はすぐ走って行って倉地の胸にたわいなく抱かれた。倉地も葉子を自分の胸に引き締めた。葉子は広い厚い胸に抱かれながら、単調な宿屋の生活の一日中に起こった些細な事までを、その表情のゆたかな、鈴のような涼しい声で、自分を楽しませているもののごとく語った。倉地は倉地でその声に酔いしれて見えた。二人の幸福はどこに絶頂があるのかわからなかった。二人だけで世界は完全だった。葉子のする事は一つ一つ倉地の心がするように見えた。倉地のこうありたいと思う事は葉子があらかじめそうあらせていた。倉地のしたいと思う事は、葉子がちゃんとし遂げていた。茶わんの置き場所まで、着物のしまい所まで、倉地は自分の手でしたとおりを葉子がしているのを見いだしているようだった。
「しかし倉地は妻や娘たちをどうするのだろう」
こんな事をそんな幸福の最中にも葉子は考えない事もなかった。しかし倉地の顔を見ると、そんな事は思うも恥ずかしいような些細な事に思われた。葉子は倉地の中にすっかりとけ込んだ自分を見いだすのみだった。定子までも犠牲にして倉地をその妻子から切り放そうなどいうたくらみはあまりにばからしい取り越し苦労であるのを思わせられた。
「そうだ生まれてからこのかたわたしが求めていたものはとうとう来ようとしている。しかしこんな事がこう手近にあろうとはほんとうに思いもよらなかった。わたしみたいなばかはない。この幸福の頂上が今だとだれか教えてくれる人があったら、わたしはその瞬間に喜んで死ぬ。こんな幸福を見てから下り坂にまで生きているのはいやだ。それにしてもこんな幸福でさえがいつかは下り坂になる時があるのだろうか」
そんな事を葉子は幸福に浸りきった夢心地の中に考えた。
葉子が東京に着いてから一週間目に、宿の女将の周旋で、芝の紅葉館と道一つ隔てた苔香園という薔薇専門の植木屋の裏にあたる二階建ての家を借りる事になった。それは元紅葉館の女中だった人がある豪商の妾になったについて、その豪商という人が建ててあてがった一構えだった。双鶴館の女将はその女と懇意の間だったが、女に子供が幾人かできて少し手ぜま過ぎるので他所に移転しようかといっていたのを聞き知っていたので、女将のほうで適当な家をさがし出してその女を移らせ、そのあとを葉子が借りる事に取り計らってくれたのだった。倉地が先に行って中の様子を見て来て、杉林のために少し日当たりはよくないが、当分の隠れ家としては屈強だといったので、すぐさまそこに移る事に決めたのだった。だれにも知れないように引っ越さねばならぬというので、荷物を小わけして持ち出すのにも、女将は自分の女中たちにまで、それが倉地の本宅に運ばれるものだといって知らせた。運搬人はすべて芝のほうから頼んで来た。そして荷物があらかた片づいた所で、ある夜おそく、しかもびしょびしょと吹き降りのする寒い雨風のおりを選んで葉子は幌車に乗った。葉子としてはそれほどの警戒をするには当たらないと思ったけれども、女将がどうしてもきかなかった。安全な所に送り込むまではいったんお引き受けした手まえ、気がすまないといい張った。
葉子があつらえておいた仕立ておろしの衣類を着かえているとそこに女将も来合わせて脱ぎ返しの世話を見た。襟の合わせ目をピンで留めながら葉子が着がえを終えて座につくのを見て、女将はうれしそうにもみ手をしながら、
「これであすこに大丈夫着いてくださりさえすればわたしは重荷が一つ降りると申すものです。しかしこれからがあなたは御大抵じゃこざいませんね。あちらの奥様の事など思いますと、どちらにどうお仕向けをしていいやらわたしにはわからなくなります。あなたのお心持ちもわたしは身にしみてお察し申しますが、どこから見ても批点の打ちどころのない奥様のお身の上もわたしには御不憫で涙がこぼれてしまうんでございますよ。でね、これからの事についちゃわたしはこう決めました。なんでもできます事ならと申し上げたいんでございますけれども、わたしには心底をお打ち明け申しました所、どちら様にも義理が立ちませんから、薄情でもきょうかぎりこのお話には手をひかせていただきます。……どうか悪くお取りになりませんようにね……どうもわたしはこんなでいながら甲斐性がございませんで……」
そういいながら女将は口をきった時のうれしげな様子にも似ず、襦袢の袖を引き出すひまもなく目に涙をいっぱいためてしまっていた。葉子にはそれが恨めしくも憎くもなかった。ただ何となく親身な切なさが自分の胸にもこみ上げて来た。
「悪く取るどころですか。世の中の人が一人でもあなたのような心持ちで見てくれたら、わたしはその前に泣きながら頭を下げてありがとうございますという事でしょうよ。これまでのあなたのお心尽くしでわたしはもう充分。またいつか御恩返しのできる事もありましょう。……それではこれで御免くださいまし。お妹御にもどうか着物のお礼をくれぐれもよろしく」
少し泣き声になってそういいながら、葉子は女将とその妹分にあたるという人に礼心に置いて行こうとする米国製の二つの手携げをしまいこんだ違い棚をちょっと見やってそのまま座を立った。
雨風のために夜はにぎやかな往来もさすがに人通りが絶え絶えだった。車に乗ろうとして空を見上げると、雲はそう濃くはかかっていないと見えて、新月の光がおぼろに空を明るくしている中をあらし模様の雲が恐ろしい勢いで走っていた。部屋の中の暖かさに引きかえて、湿気を充分に含んだ風は裾前をあおってぞくぞくと膚に逼った。ばたばたと風になぶられる前幌を車夫がかけようとしているすきから、女将がみずみずしい丸髷を雨にも風にも思うまま打たせながら、女中のさしかざそうとする雨傘の陰に隠れようともせず、何か車夫にいい聞かせているのが大事らしく見やられた。車夫が梶棒をあげようとする時女将が祝儀袋をその手に渡すのが見えた。
「さようなら」
「お大事に」
はばかるように車の内外から声がかわされた。幌にのしかかって来る風に抵抗しながら車は闇の中を動き出した。
向かい風がうなりを立てて吹きつけて来ると、車夫は思わず車をあおらせて足を止めるほどだった。この四五日火鉢の前ばかりにいた葉子に取っては身を切るかと思われるような寒さが、厚い膝かけの目まで通して襲って来た。葉子は先ほど女将の言葉を聞いた時にはさほどとも思っていなかったが、少しほどたった今になってみると、それがひしひしと身にこたえるのを感じ出した。自分はひょっとするとあざむかれている、もてあそびものにされている。倉地はやはりどこまでもあの妻子と別れる気はないのだ。ただ長い航海中の気まぐれから、出来心に自分を征服してみようと企てたばかりなのだ。この恋のいきさつが葉子から持ち出されたものであるだけに、こんな心持ちになって来ると、葉子は矢もたてもたまらず自分にひけ目を覚えた。幸福――自分が夢想していた幸福がとうとう来たと誇りがに喜んだその喜びはさもしいぬか喜びに過ぎなかったらしい。倉地は船の中でと同様の喜びでまだ葉子を喜んではいる。それに疑いを入れよう余地はない。けれども美しい貞節な妻と可憐な娘を三人まで持っている倉地の心がいつまで葉子にひかされているか、それをだれが語り得よう、葉子の心は幌の中に吹きこむ風の寒さと共に冷えて行った。世の中からきれいに離れてしまった孤独な魂がたった一つそこには見いだされるようにも思えた。どこにうれしさがある、楽しさがある。自分はまた一つの今までに味わわなかったような苦悩の中に身を投げ込もうとしているのだ。またうまうまといたずら者の運命にしてやられたのだ。それにしてももうこの瀬戸ぎわから引く事はできない。死ぬまで……そうだ死んでもこの苦しみに浸りきらずに置くものか。葉子には楽しさが苦しさなのか、苦しさが楽しさなのか、全く見さかいがつかなくなってしまっていた。魂を締め木にかけてその油でもしぼりあげるようなもだえの中にやむにやまれぬ執着を見いだしてわれながら驚くばかりだった。
ふと車が停まって梶棒がおろされたので葉子ははっと夢心地からわれに返った。恐ろしい吹き降りになっていた。車夫が片足で梶棒を踏まえて、風で車のよろめくのを防ぎながら、前幌をはずしにかかると、まっ暗だった前方からかすかに光がもれて来た。頭の上ではざあざあと降りしきる雨の中に、荒海の潮騒のような物すごい響きが何か変事でもわいて起こりそうに聞こえていた。葉子は車を出ると風に吹き飛ばされそうになりながら、髪や新調の着物のぬれるのもかまわず空を仰いで見た。漆を流したような雲で固くとざされた雲の中に、漆よりも色濃くむらむらと立ち騒いでいるのは古い杉の木立ちだった。花壇らしい竹垣の中の灌木の類は枝先を地につけんばかりに吹きなびいて、枯れ葉が渦のようにばらばらと飛び回っていた。葉子はわれにもなくそこにべったりすわり込んでしまいたくなった。
「おい早くはいらんかよ、ぬれてしまうじゃないか」
倉地がランプの灯をかばいつつ家の中からどなるのが風に吹きちぎられながら聞こえて来た。倉地がそこにいるという事さえ葉子には意外のようだった。だいぶ離れた所でどたんと戸か何かはずれたような音がしたと思うと、風はまた一しきりうなりを立てて杉叢をこそいで通りぬけた。車夫は葉子を助けようにも梶棒を離れれば車をけし飛ばされるので、提灯の尻を風上のほうに斜に向けて目八分に上げながら何か大声に後ろから声をかけていた。葉子はすごすごとして玄関口に近づいた。一杯きげんで待ちあぐんだらしい倉地の顔の酒ほてりに似ず、葉子の顔は透き通るほど青ざめていた。なよなよとまず敷き台に腰をおろして、十歩ばかり歩くだけで泥になってしまった下駄を、足先で手伝いながら脱ぎ捨てて、ようやく板の間に立ち上がってから、うつろな目で倉地の顔をじっと見入った。
「どうだった寒かったろう。まあこっちにお上がり」
そう倉地はいって、そこに出合わしていた女中らしい人に手ランプを渡すと華車な少し急な階子段をのぼって行った。葉子は吾妻コートも脱がずにいいかげんぬれたままで黙ってそのあとからついて行った。
二階の間は電燈で昼間より明るく葉子には思われた。戸という戸ががたぴしと鳴りはためいていた。板葺きらしい屋根に一寸釘でもたたきつけるように雨が降りつけていた。座敷の中は暖かくいきれて、飲み食いする物が散らかっているようだった。葉子の注意の中にはそれだけの事がかろうじてはいって来た。そこに立ったままの倉地に葉子は吸いつけられるように身を投げかけて行った。倉地も迎え取るように葉子を抱いたと思うとそのままそこにどっかとあぐらをかいた。そして自分のほてった頬を葉子のにすり付けるとさすがに驚いたように、
「こりゃどうだ冷えたにも氷のようだ」
といいながらその顔を見入ろうとした。しかし葉子は無性に自分の顔を倉地の広い暖かい胸に埋めてしまった。なつかしみと憎しみとのもつれ合った、かつて経験しない激しい情緒がすぐに葉子の涙を誘い出した。ヒステリーのように間歇的にひき起こるすすり泣きの声をかみしめてもかみしめてもとめる事ができなかった。葉子はそうしたまま倉地の胸で息気を引き取る事ができたらと思った。それとも自分のなめているような魂のもだえの中に倉地を巻き込む事ができたらばとも思った。
いそいそと世話女房らしく喜び勇んで二階に上がって来る葉子を見いだすだろうとばかり思っていたらしい倉地は、この理由も知れぬ葉子の狂体に驚いたらしかった。
「どうしたというんだな、え」
と低く力をこめていいながら、葉子を自分の胸から引き離そうとするけれども、葉子はただ無性にかぶりを振るばかりで、駄々児のように、倉地の胸にしがみついた。できるならその肉の厚い男らしい胸をかみ破って、血みどろになりながらその胸の中に顔を埋めこみたい――そういうように葉子は倉地の着物をかんだ。
徐かにではあるけれども倉地の心はだんだん葉子の心持ちに染められて行くようだった。葉子をかき抱く倉地の腕の力は静かに加わって行った。その息気づかいは荒くなって来た。葉子は気が遠くなるように思いながら、締め殺すほど引きしめてくれと念じていた。そして顔を伏せたまま涙のひまから切れ切れに叫ぶように声を放った。
「捨てないでちょうだいとはいいません……捨てるなら捨ててくださってもようござんす……その代わり……その代わり……はっきりおっしゃってください、ね……わたしはただ引きずられて行くのがいやなんです……」
「何をいってるんだお前は……」
倉地のかんでふくめるような声が耳もと近く葉子にこうささやいた。
「それだけは……それだけは誓ってください……ごまかすのはわたしはいや……いやです」
「何を……何をごまかすかい」
「そんな言葉がわたしはきらいです」
「葉子!」
倉地はもう熱情に燃えていた。しかしそれはいつでも葉子を抱いた時に倉地に起こる野獣のような熱情とは少し違っていた。そこにはやさしく女の心をいたわるような影が見えた。葉子はそれをうれしくも思い、物足らなくも思った。
葉子の心の中は倉地の妻の事をいい出そうとする熱意でいっぱいになっていた。その妻が貞淑な美しい女であると思えば思うほど、その人が二人の間にはさまっているのが呪わしかった。たとい捨てられるまでも一度は倉地の心をその女から根こそぎ奪い取らなければ堪念ができないようなひたむきに狂暴な欲念が胸の中でははち切れそうに煮えくり返っていた。けれども葉子はどうしてもそれを口の端に上せる事はできなかった。その瞬間に自分に対する誇りが塵芥のように踏みにじられるのを感じたからだ。葉子は自分ながら自分の心がじれったかった。倉地のほうから一言もそれをいわないのが恨めしかった。倉地はそんな事はいうにも足らないと思っているのかもしれないが……いゝえそんな事はない、そんな事のあろうはずはない。倉地はやはり二股かけて自分を愛しているのだ。男の心にはそんなみだらな未練があるはずだ。男の心とはいうまい、自分も倉地に出あうまでは、異性に対する自分の愛を勝手に三つにも四つにも裂いてみる事ができたのだ。……葉子はここにも自分の暗い過去の経験のために責めさいなまれた。進んで恋のとりことなったものが当然陥らなければならないたとえようのないほど暗く深い疑惑はあとからあとから口実を作って葉子を襲うのだった。葉子の胸は言葉どおりに張り裂けようとしていた。
しかし葉子の心が傷めば傷むほど倉地の心は熱して見えた。倉地はどうして葉子がこんなにきげんを悪くしているのかを思い迷っている様子だった。倉地はやがてしいて葉子を自分の胸から引き放してその顔を強く見守った。
「何をそう理屈もなく泣いているのだ……お前はおれを疑っているな」
葉子は「疑わないでいられますか」と答えようとしたが、どうしてもそれは自分の面目にかけて口には出せなかった。葉子は涙に解けて漂うような目を恨めしげに大きく開いて黙って倉地を見返した。
「きょうおれはとうとう本店から呼び出されたんだった。船の中での事をそれとなく聞きただそうとしおったから、おれは残らずいってのけたよ。新聞におれたちの事が出た時でもが、あわてるがものはないと思っとったんだ。どうせいつかは知れる事だ。知れるほどなら、大っぴらで早いがいいくらいのものだ。近いうちに会社のほうは首になろうが、おれは、葉子、それが満足なんだぞ。自分で自分の面に泥を塗って喜んでるおれがばかに見えような」
そういってから倉地は激しい力で再び葉子を自分の胸に引き寄せようとした。
葉子はしかしそうはさせなかった。素早く倉地の膝から飛びのいて畳の上に頬を伏せた。倉地の言葉をそのまま信じて、素直にうれしがって、心を涙に溶いて泣きたかった。しかし万一倉地の言葉がその場のがれの勝手な造り事だったら……なぜ倉地は自分の妻や子供たちの事をいっては聞かせてくれないのだ。葉子はわけのわからない涙を泣くより術がなかった。葉子は突っ伏したままでさめざめと泣き出した。
戸外のあらしは気勢を加えて、物すさまじくふけて行く夜を荒れ狂った。
「おれのいうた事がわからんならまあ見とるがいいさ。おれはくどい事は好かんからな」
そういいながら倉地は自分を抑制しようとするようにしいて落ち着いて、葉巻を取り上げて煙草盆を引き寄せた。
葉子は心の中で自分の態度が倉地の気をまずくしているのをはらはらしながら思いやった。気をまずくするだけでもそれだけ倉地から離れそうなのがこの上なくつらかった。しかし自分で自分をどうする事もできなかった。
葉子はあらしの中にわれとわが身をさいなみながらさめざめと泣き続けた。
二七
「何をわたしは考えていたんだろう。どうかして心が狂ってしまったんだ。こんな事はついぞない事だのに」
葉子はその夜倉地と部屋を別にして床についた。倉地は階上に、葉子は階下に。絵島丸以来二人が離れて寝たのはその夜が始めてだった。倉地が真心をこめた様子でかれこれいうのを、葉子はすげなくはねつけて、せっかくとってあった二階の寝床を、女中に下に運ばしてしまった。横になりはしたがいつまでも寝つかれないで二時近くまで言葉どおりに輾転反側しつつ、繰り返し繰り返し倉地の夫婦関係を種々に妄想したり、自分にまくしかかって来る将来の運命をひたすらに黒く塗ってみたりしていた。それでも果ては頭もからだも疲れ果てて夢ばかりな眠りに陥ってしまった。
うつらうつらとした眠りから、突然たとえようのないさびしさにひしひしと襲われて、――それはその時見た夢がそんな暗示になったのか、それとも感覚的な不満が目をさましたのかわからなかった――葉子は暗闇の中に目を開いた。あらしのために電線に故障ができたと見えて、眠る時にはつけ放しにしておいた灯がどこもここも消えているらしかった。あらしはしかしいつのまにか凪ぎてしまって、あらしのあとの晩秋の夜はことさら静かだった。山内いちめんの杉森からは深山のような鬼気がしんしんと吐き出されるように思えた。こおろぎが隣の部屋のすみでかすれがすれに声を立てていた。わずかなしかも浅い睡眠には過ぎなかったけれども葉子の頭は暁前の冷えを感じて冴え冴えと澄んでいた。葉子はまず自分がたった一人で寝ていた事を思った。倉地と関係がなかったころはいつでも一人で寝ていたのだが、よくもそんな事が長年にわたってできたものだったと自分ながら不思議に思われるくらい、それは今の葉子を物足らなく心さびしくさせていた。こうして静かな心になって考えると倉地の葉子に対する愛情が誠実であるのを疑うべき余地はさらになかった。日本に帰ってから幾日にもならないけれども、今まではとにかく倉地の熱意に少しも変わりが起こった所は見えなかった。いかに恋に目がふさがっても、葉子はそれを見きわめるくらいの冷静な眼力は持っていた。そんな事は充分に知り抜いているくせに、おぞましくも昨夜のようなばかなまねをしてしまった自分が自分ながら不思議なくらいだった。どんなに情に激した時でもたいていは自分を見失うような事はしないで通して来た葉子にはそれがひどく恥ずかしかった。船の中にいる時にヒステリーになったのではないかと疑った事が二三度ある――それがほんとうだったのではないかしらんとも思われた。そして夜着にかけた洗い立てのキャリコの裏の冷え冷えするのをふくよかな頤に感じながら心の中で独語ちた。
「何をわたしは考えていたんだろう。どうかして心が狂ってしまったんだ。こんな事はついぞない事だのに」
そういいながら葉子は肩だけ起き直って、枕もとの水を手さぐりでしたたか飲みほした。氷のように冷えきった水が喉もとを静かに流れ下って胃の腑に広がるまではっきりと感じられた。酒も飲まないのだけれども、酔後の水と同様に、胃の腑に味覚ができて舌の知らない味を味わい得たと思うほど快く感じた。それほど胸の中は熱を持っていたに違いない。けれども足のほうは反対に恐ろしく冷えを感じた。少しその位置を動かすと白さをそのままな寒い感じがシーツから逼って来るのだった。葉子はまたきびしく倉地の胸を思った。それは寒さと愛着とから葉子を追い立てて二階に走らせようとするほどだった。しかし葉子はすでにそれをじっとこらえるだけの冷静さを回復していた。倉地の妻に対する処置は昨夜のようであっては手ぎわよくは成し遂げられぬ。もっと冷たい知恵に力を借りなければならぬ――こう思い定めながら暁の白むのを知らずにまた眠りに誘われて行った。
翌日葉子はそれでも倉地より先に目をさまして手早く着がえをした。自分で板戸を繰りあけて見ると、縁先には、枯れた花壇の草や灌木が風のために吹き乱された小庭があって、その先は、杉、松、その他の喬木の茂みを隔てて苔香園の手広い庭が見やられていた。きのうまでいた双鶴館の周囲とは全く違った、同じ東京の内とは思われないような静かな鄙びた自然の姿が葉子の目の前には見渡された。まだ晴れきらない狭霧をこめた空気を通して、杉の葉越しにさしこむ朝の日の光が、雨にしっとりと潤った庭の黒土の上に、まっすぐな杉の幹を棒縞のような影にして落としていた。色さまざまな桜の落ち葉が、日向では黄に紅に、日影では樺に紫に庭をいろどっていた。いろどっているといえば菊の花もあちこちにしつけられていた。しかし一帯の趣味は葉子の喜ぶようなものではなかった。塵一つさえないほど、貧しく見える瀟洒な趣味か、どこにでも金銀がそのまま捨ててあるような驕奢な趣味でなければ満足ができなかった。残ったのを捨てるのが惜しいとかもったいないとかいうような心持ちで、余計な石や植木などを入れ込んだらしい庭の造りかたを見たりすると、すぐさまむしり取って目にかからない所に投げ捨てたく思うのだった。その小庭を見ると葉子の心の中にはそれを自分の思うように造り変える計画がうずうずするほどわき上がって来た。
それから葉子は家の中をすみからすみまで見て回った。きのう玄関口に葉子を出迎えた女中が、戸を繰る音を聞きつけて、いち早く葉子の所に飛んで来たのを案内に立てた。十八九の小ぎれいな娘で、きびきびした気象らしいのに、いかにも蓮っ葉でない、主人を持てば主人思いに違いないのを葉子は一目で見ぬいて、これはいい人だと思った。それはやはり双鶴館の女将が周旋してよこした、宿に出入りの豆腐屋の娘だった。つや(彼女の名はつやといった)は階子段下の玄関に続く六畳の茶の間から始めて、その隣の床の間付きの十二畳、それから十二畳と廊下を隔てて玄関とならぶ茶席風の六畳を案内し、廊下を通った突き当たりにある思いのほか手広い台所、風呂場を経て張り出しになっている六畳と四畳半(そこがこの家を建てた主人の居間となっていたらしく、すべての造作に特別な数寄が凝らしてあった)に行って、その雨戸を繰り明けて庭を見せた。そこの前栽は割合に荒れずにいて、ながめが美しかったが、葉子は垣根越しに苔香園の母屋の下の便所らしいきたない建て物の屋根を見つけて困ったものがあると思った。そのほかには台所のそばにつやの四畳半の部屋が西向きについていた。女中部屋を除いた五つの部屋はいずれもなげし付きになって、三つまでは床の間さえあるのに、どうして集めたものかとにかく掛け物なり置き物なりがちゃんと飾られていた。家の造りや庭の様子などにはかなりの注文も相当の眼識も持ってはいたが、絵画や書の事になると葉子はおぞましくも鑑識の力がなかった。生まれつき機敏に働く才気のお陰で、見たり聞いたりした所から、美術を愛好する人々と膝をならべても、とにかくあまりぼろらしいぼろは出さなかったが、若い美術家などがほめる作品を見てもどこが優れてどこに美しさがあるのか葉子には少しも見当のつかない事があった。絵といわず字といわず、文学的の作物などに対しても葉子の頭はあわれなほど通俗的であるのを葉子は自分で知っていた。しかし葉子は自分の負けじ魂から自分の見方が凡俗だとは思いたくなかった。芸術家などいう連中には、骨董などをいじくって古味というようなものをありがたがる風流人と共通したような気取りがある。その似而非気取りを葉子は幸いにも持ち合わしていないのだと決めていた。葉子はこの家に持ち込まれている幅物を見て回っても、ほんとうの値打ちがどれほどのものだかさらに見当がつかなかった。ただあるべき所にそういう物のあることを満足に思った。
つやの部屋のきちんと手ぎわよく片づいているのや、二三日空家になっていたのにも係わらず、台所がきれいにふき掃除がされていて、布巾などが清々しくからからにかわかしてかけてあったりするのは一々葉子の目を快く刺激した。思ったより住まい勝手のいい家と、はきはきした清潔ずきな女中とを得た事がまず葉子の寝起きの心持ちをすがすがしくさせた。
葉子はつやのくんで出したちょうどいいかげんの湯で顔を洗って、軽く化粧をした。昨夜の事などは気にもかからないほど心は軽かった。葉子はその軽い心を抱きながら静かに二階に上がって行った。何とはなしに倉地に甘えたいような、わびたいような気持ちでそっと襖を明けて見ると、あの強烈な倉地の膚の香いが暖かい空気に満たされて鼻をかすめて来た。葉子はわれにもなく駆けよって、仰向けに熟睡している倉地の上に羽がいにのしかかった。
暗い中で倉地は目ざめたらしかった。そして黙ったまま葉子の髪や着物から花べんのようにこぼれ落ちるなまめかしい香りを夢心地でかいでいるようだったが、やがて物たるげに、
「もう起きたんか。何時だな」
といった。まるで大きな子供のようなその無邪気さ。葉子は思わず自分の頬を倉地のにすりつけると、寝起きの倉地の頬は火のように熱く感ぜられた。
「もう八時。……お起きにならないと横浜のほうがおそくなるわ」
倉地はやはり物たるげに、袖口からにょきんと現われ出た太い腕を延べて、短い散切り頭をごしごしとかき回しながら、
「横浜?……横浜にはもう用はないわい。いつ首になるか知れないおれがこの上の御奉公をしてたまるか。これもみんなお前のお陰だぞ。業つくばりめ」
といっていきなり葉子の首筋を腕にまいて自分の胸に押しつけた。
しばらくして倉地は寝床を出たが、昨夜の事などはけろりと忘れてしまったように平気でいた。二人が始めて離れ離れに寝たのにも一言もいわないのがかすかに葉子を物足らなく思わせたけれども、葉子は胸が広々としてなんという事もなく喜ばしくってたまらなかった。で、倉地を残して台所におりた。自分で自分の食べるものを料理するという事にもかつてない物珍しさとうれしさとを感じた。
畳一畳がた日のさしこむ茶の間の六畳で二人は朝餉の膳に向かった。かつては葉山で木部と二人でこうした楽しい膳に向かった事もあったが、その時の心持ちと今の心持ちとを比較する事もできないと葉子は思った。木部は自分でのこのこと台所まで出かけて来て、長い自炊の経験などを得意げに話して聞かせながら、自分で米をといだり、火をたきつけたりした。その当座は葉子もそれを楽しいと思わないではなかった。しかししばらくのうちにそんな事をする木部の心持ちがさもしくも思われて来た。おまけに木部は一日一日とものぐさになって、自分では手を下しもせずに、邪魔になる所に突っ立ったままさしずがましい事をいったり、葉子には何らの感興も起こさせない長詩を例の御自慢の美しい声で朗々と吟じたりした。葉子はそんな目にあうと軽蔑しきった冷ややかなひとみでじろりと見返してやりたいような気になった。倉地は始めからそんな事はてんでしなかった。大きな駄々児のように、顔を洗うといきなり膳の前にあぐらをかいて、葉子が作って出したものを片端からむしゃむしゃときれいに片づけて行った。これが木部だったら、出す物の一つ一つに知ったかぶりの講釈をつけて、葉子の腕まえを感傷的にほめちぎって、かなりたくさんを食わずに残してしまうだろう。そう思いながら葉子は目でなでさするようにして倉地が一心に箸を動かすのを見守らずにはいられなかった。
やがて箸と茶わんとをからりとなげ捨てると、倉地は所在なさそうに葉巻をふかしてしばらくそこらをながめ回していたが、いきなり立ち上がって尻っぱしょりをしながら裸足のまま庭に飛んで降りた。そしてハーキュリーズが針仕事でもするようなぶきっちょうな様子で、狭い庭を歩き回りながら片すみから片づけ出した。まだびしゃびしゃするような土の上に大きな足跡が縦横にしるされた。まだ枯れ果てない菊や萩などが雑草と一緒くたに情けも容赦もなく根こぎにされるのを見るとさすがの葉子もはらはらした。そして縁ぎわにしゃがんで柱にもたれながら、時にはあまりのおかしさに高く声をあげて笑いこけずにはいられなかった。
倉地は少し働き疲れると苔香園のほうをうかがったり、台所のほうに気を配ったりしておいて、大急ぎで葉子のいる所に寄って来た。そして泥になった手を後ろに回して、上体を前に折り曲げて、葉子の鼻の先に自分の顔を突き出してお壺口をした。葉子もいたずららしく周囲に目を配ってその顔を両手にはさみながら自分の口びるを与えてやった。倉地は勇み立つようにしてまた土の上にしゃがみこんだ。
倉地はこうして一日働き続けた。日がかげるころになって葉子も一緒に庭に出てみた。ただ乱暴な、しょう事なしのいたずら仕事とのみ思われたものが、片づいてみるとどこからどこまで要領を得ているのを発見するのだった。葉子が気にしていた便所の屋根の前には、庭のすみにあった椎の木が移してあったりした。玄関前の両側の花壇の牡丹には、藁で器用に霜がこいさえしつらえてあった。
こんなさびしい杉森の中の家にも、時々紅葉館のほうから音曲の音がくぐもるように聞こえて来たり、苔香園から薔薇の香りが風の具合でほんのりとにおって来たりした。ここにこうして倉地と住み続ける喜ばしい期待はひと向きに葉子の心を奪ってしまった。
平凡な人妻となり、子を生み、葉子の姿を魔物か何かのように冷笑おうとする、葉子の旧友たちに対して、かつて葉子がいだいていた火のような憤りの心、腐っても死んでもあんなまねはして見せるものかと誓うように心であざけったその葉子は、洋行前の自分というものをどこかに置き忘れたように、そんな事は思いも出さないで、旧友たちの通って来た道筋にひた走りに走り込もうとしていた。
二八
こんな夢のような楽しさがたわいもなく一週間ほどはなんの故障もひき起こさずに続いた。歓楽に耽溺しやすい、従っていつでも現在をいちばん楽しく過ごすのを生まれながら本能としている葉子は、こんな有頂天な境界から一歩でも踏み出す事を極端に憎んだ。葉子が帰ってから一度しか会う事のできない妹たちが、休日にかけてしきりに遊びに来たいと訴え来るのを、病気だとか、家の中が片づかないとか、口実を設けて拒んでしまった。木村からも古藤の所か五十川女史の所かにあててたよりが来ているには相違ないと思ったけれども、五十川女史はもとより古藤の所にさえ住所が知らしてないので、それを回送してよこす事もできないのを葉子は知っていた。定子――この名は時々葉子の心を未練がましくさせないではなかった。しかし葉子はいつでも思い捨てるようにその名を心の中から振り落とそうと努めた。倉地の妻の事は何かの拍子につけて心を打った。この瞬間だけは葉子の胸は呼吸もできないくらい引き締められた。それでも葉子は現在目前の歓楽をそんな心痛で破らせまいとした。そしてそのためには倉地にあらん限りの媚びと親切とをささげて、倉地から同じ程度の愛撫をむさぼろうとした。そうする事が自然にこの難題に解決をつける導火線にもなると思った。
倉地も葉子に譲らないほどの執着をもって葉子がささげる杯から歓楽を飲み飽きようとするらしかった。不休の活動を命としているような倉地ではあったけれども、この家に移って来てから、家を明けるような事は一度もなかった。それは倉地自身が告白するように破天荒な事だったらしい。二人は、初めて恋を知った少年少女が世間も義理も忘れ果てて、生命さえ忘れ果てて肉体を破ってまでも魂を一つに溶かしたいとあせる、それと同じ熱情をささげ合って互い互いを楽しんだ。楽しんだというよりも苦しんだ。その苦しみを楽しんだ。倉地はこの家に移って以来新聞も配達させなかった。郵便だけは移転通知をして置いたので倉地の手もとに届いたけれども、倉地はその表書きさえ目を通そうとはしなかった。毎日の郵便はつやの手によって束にされて、葉子が自分の部屋に定めた玄関わきの六畳の違い棚にむなしく積み重ねられた。葉子の手もとには妹たちからのほかには一枚のはがきさえ来なかった。それほど世間から自分たちを切り放しているのを二人とも苦痛とは思わなかった。苦痛どころではない、それが幸いであり誇りであった。門には「木村」とだけ書いた小さい門札が出してあった。木村という平凡な姓は二人の楽しい巣を世間にあばくような事はないと倉地がいい出したのだった。
しかしこんな生活を倉地に長い間要求するのは無理だということを葉子はついに感づかねばならなかった。ある夕食の後倉地は二階の一間で葉子を力強く膝の上に抱き取って、甘い私語を取りかわしていた時、葉子が情に激して倉地に与えた熱い接吻の後にすぐ、倉地が思わず出たあくびをじっとかみ殺したのをいち早く見て取ると、葉子はこの種の歓楽がすでに峠を越した事を知った。その夜は葉子には不幸な一夜だった。かろうじて築き上げた永遠の城塞が、はかなくも瞬時の蜃気楼のように見る見るくずれて行くのを感じて、倉地の胸に抱かれながらほとんど一夜を眠らずに通してしまった。
それでも翌日になると葉子は快活になっていた。ことさら快活に振る舞おうとしていたには違いないけれども、葉子の倉地に対する溺愛は葉子をしてほとんど自然に近い容易さをもってそれをさせるに充分だった。
「きょうはわたしの部屋でおもしろい事して遊びましょう。いらっしゃいな」
そういって少女が少女を誘うように牡牛のように大きな倉地を誘った。倉地は煙ったい顔をしながら、それでもそのあとからついて来た。
部屋はさすがに葉子のものであるだけ、どことなく女性的な軟らか味を持っていた。東向きの腰高窓には、もう冬といっていい十一月末の日が熱のない強い光を射つけて、アメリカから買って帰った上等の香水をふりかけた匂い玉からかすかながらきわめて上品な芳芬を静かに部屋の中にまき散らしていた。葉子はその匂い玉の下がっている壁ぎわの柱の下に、自分にあてがわれたきらびやかな縮緬の座ぶとんを移して、それに倉地をすわらせておいて、違い棚から郵便の束をいくつとなく取りおろして来た。
「さあけさは岩戸のすきから世の中をのぞいて見るのよ。それもおもしろいでしょう」
といいながら倉地に寄り添った。倉地は幾十通とある郵便物を見たばかりでいいかげんげんなりした様子だったが、だんだんと興味を催して来たらしく、日の順に一つの束からほどき始めた。
いかにつまらない事務用の通信でも、交通遮断の孤島か、障壁で高く囲まれた美しい牢獄に閉じこもっていたような二人に取っては予想以上の気散じだった。倉地も葉子もありふれた文句にまで思い存分の批評を加えた。こういう時の葉子はそのほとばしるような暖かい才気のために世にすぐれておもしろ味の多い女になった。口をついて出る言葉言葉がどれもこれも絢爛な色彩に包まれていた。二日目の所には岡から来た手紙が現われ出た。船の中での礼を述べて、とうとう葉子と同じ船で帰って来てしまったために、家元では相変わらずの薄志弱行と人毎に思われるのが彼を深く責める事や、葉子に手紙を出したいと思ってあらゆる手がかりを尋ねたけれども、どうしてもわからないので会社で聞き合わせて事務長の住所を知り得たからこの手紙を出すという事や、自分はただただ葉子を姉と思って尊敬もし慕いもしているのだから、せめてその心を通わすだけの自由が与えてもらいたいという事だのが、思い入った調子で、下手な字体で書いてあった。葉子は忘却の廃址の中から、生々とした少年の大理石像を掘りあてた人のようにおもしろがった。
「わたしが愛子の年ごろだったらこの人と心中ぐらいしているかもしれませんね。あんな心を持った人でも少し齢を取ると男はあなたみたいになっちまうのね」
「あなたとはなんだ」
「あなたみたいな悪党に」
「それはお門が違うだろう」
「違いませんとも……御同様にというほうがいいわ。私は心だけあなたに来て、からだはあの人にやるとほんとはよかったんだが……」
「ばか! おれは心なんぞに用はないわい」
「じゃ心のほうをあの人にやろうかしらん」
「そうしてくれ。お前にはいくつも心があるはずだから、ありったけくれてしまえ」
「でもかわいそうだからいちばん小さそうなのを一つだけあなたの分に残して置きましょうよ」
そういって二人は笑った。倉地は返事を出すほうに岡のその手紙を仕分けた。葉子はそれを見て軽い好奇心がわくのを覚えた。
たくさんの中からは古藤のも出て来た。あて名は倉地だったけれども、その中からは木村から葉子に送られた分厚な手紙だけが封じられていた。それと同時な木村の手紙があとから二本まで現われ出た。葉子は倉地の見ている前で、そのすべてを読まないうちにずたずたに引き裂いてしまった。
「ばかな事をするじゃない。読んで見るとおもしろかったに」
葉子を占領しきった自信を誇りがな微笑に見せながら倉地はこういった。
「読むとせっかくの昼御飯がおいしくなくなりますもの」
そういって葉子は胸くその悪いような顔つきをして見せた。二人はまたたわいなく笑った。
報正新報社からのもあった。それを見ると倉地は、一時はもみ消しをしようと思ってわたりをつけたりしたのでこんなものが来ているのだがもう用はなくなったので見るには及ばないといって、今度は倉地が封のままに引き裂いてしまった。葉子はふと自分が木村の手紙を裂いた心持ちを倉地のそれにあてはめてみたりした。しかしその疑問もすぐ過ぎ去ってしまった。
やがて郵船会社からあてられた江戸川紙の大きな封書が現われ出た。倉地はちょっと眉に皺をよせて少し躊躇したふうだったが、それを葉子の手に渡して葉子に開封させようとした。何の気なしにそれを受け取った葉子は魔がさしたようにはっと思った。とうとう倉地は自分のために……葉子は少し顔色を変えながら封を切って中から卒業証書のような紙を二枚と、書記が丁寧に書いたらしい書簡一封とを探り出した。
はたしてそれは免職と、退職慰労との会社の辞令だった。手紙には退職慰労金の受け取り方に関する注意が事々しい行書で書いてあるのだった。葉子はなんといっていいかわからなかった。こんな恋の戯れの中からかほどな打撃を受けようとは夢にも思ってはいなかったのだ。倉地がここに着いた翌日葉子にいって聞かせた言葉はほんとうの事だったのか。これほどまでに倉地は真身になってくれていたのか。葉子は辞令を膝の上に置いたまま下を向いて黙ってしまった。目がしらの所が非常に熱い感じを得たと思った、鼻の奥が暖かくふさがって来た。泣いている場合ではないと思いながらも、葉子は泣かずにはいられないのを知り抜いていた。
「ほんとうに私がわるうございました……許してくださいまし……(そういううちに葉子はもう泣き始めていた)……私はもう日陰の妾としてでも囲い者としてでもそれで充分に満足します。えゝ、それでほんとうにようござんす。わたしはうれしい……」
倉地は今さら何をいうというような平気な顔で葉子の泣くのを見守っていたが、
「妾も囲い者もあるかな、おれには女はお前一人よりないんだからな。離縁状は横浜の土を踏むと一緒に嬶に向けてぶっ飛ばしてあるんだ」
といってあぐらの膝で貧乏ゆすりをし始めた。さすがの葉子も息気をつめて、泣きやんで、あきれて倉地の顔を見た。
「葉子、おれが木村以上にお前に深惚れしているといつか船の中でいって聞かせた事があったな。おれはこれでいざとなると心にもない事はいわないつもりだよ。双鶴館にいる間もおれは幾日も浜には行きはしなんだのだ。たいていは家内の親類たちとの談判で頭を悩ませられていたんだ。だがたいていけりがついたから、おれは少しばかり手回りの荷物だけ持って一足先にここに越して来たのだ。……もうこれでええや。気がすっぱりしたわ。これには双鶴館のお内儀も驚きくさるだろうて……」
会社の辞令ですっかり倉地の心持ちをどん底から感じ得た葉子は、この上倉地の妻の事を疑うべき力は消え果てていた。葉子の顔は涙にぬれひたりながらそれをふき取りもせず、倉地にすり寄って、その両肩に手をかけて、ぴったりと横顔を胸にあてた。夜となく昼となく思い悩みぬいた事がすでに解決されたので、葉子は喜んでも喜んでも喜び足りないように思った。自分も倉地と同様に胸の中がすっきりすべきはずだった。けれどもそうは行かなかった。葉子はいつのまにか去られた倉地の妻その人のようなさびしい悲しい自分になっているのを発見した。
倉地はいとしくってならぬようにエボニー色の雲のようにまっ黒にふっくりと乱れた葉子の髪の毛をやさしくなで回した。そしていつもに似ずしんみりした調子になって、
「とうとうおれも埋れ木になってしまった。これから地面の下で湿気を食いながら生きて行くよりほかにはない。――おれは負け惜しみをいうはきらいだ。こうしている今でもおれは家内や娘たちの事を思うと不憫に思うさ。それがない事ならおれは人間じゃないからな。……だがおれはこれでいい。満足この上なしだ。……自分ながらおれはばかになり腐ったらしいて」
そういって葉子の首を固くかきいだいた。葉子は倉地の言葉を酒のように酔い心地にのみ込みながら「あなただけにそうはさせておきませんよ。わたしだって定子をみごとに捨てて見せますからね」と心の中で頭を下げつつ幾度もわびるように繰り返していた。それがまた自分で自分を泣かせる暗示となった。倉地の胸に横たえられた葉子の顔は、綿入れと襦袢とを通して倉地の胸を暖かく侵すほど熱していた。倉地の目も珍しく曇っていた。そうして泣き入る葉子を大事そうにかかえたまま、倉地は上体を前後に揺すぶって、赤子でも寝かしつけるようにした。戸外ではまた東京の初冬に特有な風が吹き出たらしく、杉森がごうごうと鳴りを立てて、枯れ葉が明るい障子に飛鳥のような影を見せながら、からからと音を立ててかわいた紙にぶつかった。それは埃立った、寒い東京の街路を思わせた。けれども部屋の中は暖かだった。葉子は部屋の中が暖かなのか寒いのかさえわからなかった。ただ自分の心が幸福にさびしさに燃えただれているのを知っていた。ただこのままで永遠は過ぎよかし。ただこのままで眠りのような死の淵に陥れよかし。とうとう倉地の心と全く融け合った自分の心を見いだした時、葉子の魂の願いは生きようという事よりも死のうという事だった。葉子はその悲しい願いの中に勇み甘んじておぼれて行った。
二九
この事があってからまたしばらくの間、倉地は葉子とただ二人の孤独に没頭する興味を新しくしたように見えた。そして葉子が家の中をいやが上にも整頓して、倉地のために住み心地のいい巣を造る間に、倉地は天気さえよければ庭に出て、葉子の逍遙を楽しませるために精魂を尽くした。いつ苔香園との話をつけたものか、庭のすみに小さな木戸を作って、その花園の母屋からずっと離れた小逕に通いうる仕掛けをしたりした。二人は時々その木戸をぬけて目立たないように、広々とした苔香園の庭の中をさまよった。店の人たちは二人の心を察するように、なるべく二人から遠ざかるようにつとめてくれた。十二月の薔薇の花園はさびしい廃園の姿を目の前に広げていた。可憐な花を開いて可憐な匂いを放つくせにこの灌木はどこか強い執着を持つ植木だった。寒さにも霜にもめげず、その枝の先にはまだ裏咲きの小さな花を咲かせようともがいているらしかった。種々な色のつぼみがおおかた葉の散り尽くしたこずえにまで残っていた。しかしその花べんは存分に霜にしいたげられて、黄色に変色して互いに膠着して、恵み深い日の目にあっても開きようがなくなっていた。そんな間を二人は静かな豊かな心でさまよった。風のない夕暮れなどには苔香園の表門を抜けて、紅葉館前のだらだら坂を東照宮のほうまで散歩するような事もあった。冬の夕方の事とて人通りはまれで二人がさまよう道としてはこの上もなかった。葉子はたまたま行きあう女の人たちの衣装を物珍しくながめやった。それがどんなに粗末な不格好な、いでたちであろうとも、女は自分以外の女の服装をながめなければ満足できないものだと葉子は思いながらそれを倉地にいってみたりした。つやの髪から衣服までを毎日のように変えて装わしていた自分の心持ちにも葉子は新しい発見をしたように思った。ほんとうは二人だけの孤独に苦しみ始めたのは倉地だけではなかったのか。ある時にはそのさびしい坂道の上下から、立派な馬車や抱え車が続々坂の中段を目ざして集まるのにあう事があった。坂の中段から紅葉館の下に当たる辺に導かれた広い道の奥からは、能楽のはやしの音がゆかしげにもれて来た。二人は能楽堂での能の催しが終わりに近づいているのを知った。同時にそんな事を見たのでその日が日曜日である事にも気がついたくらい二人の生活は世間からかけ離れていた。
こうした楽しい孤独もしかしながら永遠には続き得ない事を、続かしていてはならない事を鋭い葉子の神経は目ざとくさとって行った。ある日倉地が例のように庭に出て土いじりに精を出している間に、葉子は悪事でも働くような心持ちで、つやにいいつけて反古紙を集めた箱を自分の部屋に持って来さして、いつか読みもしないで破ってしまった木村からの手紙を選り出そうとする自分を見いだしていた。いろいろな形に寸断された厚い西洋紙の断片が木村の書いた文句の断片をいくつもいくつも葉子の目にさらし出した。しばらくの間葉子は引きつけられるようにそういう紙片を手当たり次第に手に取り上げて読みふけった。半成の画が美しいように断簡にはいい知れぬ情緒が見いだされた。その中に正しく織り込まれた葉子の過去が多少の力を集めて葉子に逼って来るようにさえ思え出した。葉子はわれにもなくその思い出に浸って行った。しかしそれは長い時が過ぎる前にくずれてしまった。葉子はすぐ現実に取って返していた。そしてすべての過去に嘔き気のような不快を感じて箱ごと台所に持って行くとつやに命じて裏庭でその全部を焼き捨てさせてしまった。
しかしこの時も葉子は自分の心で倉地の心を思いやった。そしてそれがどうしてもいい徴候でない事を知った。そればかりではない。二人は霞を食って生きる仙人のようにしては生きていられないのだ。職業を失った倉地には、口にこそ出さないが、この問題は遠からず大きな問題として胸に忍ばせてあるのに違いない。事務長ぐらいの給料で余財ができているとは考えられない。まして倉地のように身分不相応な金づかいをしていた男にはなおの事だ。その点だけから見てもこの孤独は破られなければならぬ。そしてそれは結局二人のためにいい事であるに相違ない。葉子はそう思った。
ある晩それは倉地のほうから切り出された。長い夜を所在なさそうに読みもしない書物などをいじくっていたが、ふと思い出したように、
「葉子。一つお前の妹たちを家に呼ぼうじゃないか……それからお前の子供っていうのもぜひここで育てたいもんだな。おれも急に三人まで子を失くしたらさびしくってならんから……」
飛び立つような思いを葉子はいち早くもみごとに胸の中で押ししずめてしまった。そうして、
「そうですね」
といかにも興味なげにいってゆっくりと倉地の顔を見た。
「それよりあなたのお子さんを一人なり二人なり来てもらったらいかが。……わたし奥さんの事を思うといつでも泣きます(葉子はそういいながらもう涙をいっぱいに目にためていた)。けれどわたしは生きてる間は奥さんを呼び戻して上げてくださいなんて……そんな偽善者じみた事はいいません。わたしにはそんな心持ちはみじんもありませんもの。お気の毒なという事と、二人がこうなってしまったという事とは別物ですものねえ。せめては奥さんがわたしを詛い殺そうとでもしてくだされば少しは気持ちがいいんだけれども、しとやかにしてお里に帰っていらっしゃると思うとつい身につまされてしまいます。だからといってわたしは自分が命をなげ出して築き上げた幸福を人に上げる気にはなれません。あなたがわたしをお捨てになるまではね、喜んでわたしはわたしを通すんです。……けれどもお子さんならわたしほんとうにちっとも構いはしない事よ。どうお呼び寄せになっては?」
「ばかな。今さらそんな事ができてたまるか」倉地はかんで捨てるようにそういって横を向いてしまった。ほんとうをいうと倉地の妻の事をいった時には葉子は心の中をそのままいっていたのだ。その娘たちの事をいった時にはまざまざとした虚言をついていたのだ。葉子の熱意は倉地の妻をにおわせるものはすべて憎かった。倉地の家のほうから持ち運ばれた調度すら憎かった。ましてその子が呪わしくなくってどうしよう。葉子は単に倉地の心を引いてみたいばかりに怖々ながら心にもない事をいってみたのだった。倉地のかんで捨てるような言葉は葉子を満足させた。同時に少し強すぎるような語調が懸念でもあった。倉地の心底をすっかり見て取ったという自信を得たつもりでいながら、葉子の心は何か機につけてこうぐらついた。
「わたしがぜひというんだから構わないじゃありませんか」
「そんな負け惜しみをいわんで、妹たちなり定子なりを呼び寄せようや」
そういって倉地は葉子の心をすみずみまで見抜いてるように、大きく葉子を包みこむように見やりながら、いつもの少し渋いような顔をしてほほえんだ。
葉子はいい潮時を見計らって巧みにも不承不承そうに倉地の言葉に折れた。そして田島の塾からいよいよ妹たち二人を呼び寄せる事にした。同時に倉地はその近所に下宿するのを余儀なくされた。それは葉子が倉地との関係をまだ妹たちに打ち明けてなかったからだ。それはもう少し先に適当な時機を見計らって知らせるほうがいいという葉子の意見だった。倉地にもそれに不服はなかった。そして朝から晩まで一緒に寝起きをするよりは、離れた所に住んでいて、気の向いた時にあうほうがどれほど二人の間の戯れの心を満足させるかしれないのを、二人はしばらくの間の言葉どおりの同棲の結果として認めていた。倉地は生活をささえて行く上にも必要であるし、不休の活動力を放射するにも必要なので解職になって以来何か事業の事を時々思いふけっているようだったが、いよいよ計画が立ったのでそれに着手するためには、当座の所、人々の出入りに葉子の顔を見られない所で事務を取るのを便宜としたらしかった。そのためにも倉地がしばらくなりとも別居する必要があった。
葉子の立場はだんだんと固まって来た。十二月の末に試験が済むと、妹たちは田島の塾から少しばかりの荷物を持って帰って来た。ことに貞世の喜びといってはなかった。二人は葉子の部屋だった六畳の腰窓の前に小さな二つの机を並べた。今までなんとなく遠慮がちだったつやも生まれ代わったように快活なはきはきした少女になった。ただ愛子だけは少しもうれしさを見せないで、ただ慎み深く素直だった。
「愛ねえさんうれしいわねえ」
貞世は勝ち誇るもののごとく、縁側の柱によりかかってじっと冬枯れの庭を見つめている姉の肩に手をかけながらより添った。愛子は一所をまたたきもしないで見つめながら、
「えゝ」
と歯切れ悪く答えるのだった。貞世はじれったそうに愛子の肩をゆすりながら、
「でもちっともうれしそうじゃないわ」
と責めるようにいった。
「でもうれしいんですもの」
愛子の答えは冷然としていた。十畳の座敷に持ち込まれた行李を明けて、よごれ物などを選り分けていた葉子はその様子をちらと見たばかりで腹が立った。しかし来たばかりのものをたしなめるでもないと思って虫を殺した。
「なんて静かな所でしょう。塾よりもきっと静かよ。でもこんなに森があっちゃ夜になったらさびしいわねえ。わたしひとりでお便所に行けるかしらん。……愛ねえさん、そら、あすこに木戸があるわ。きっと隣のお庭に行けるのよ。あの庭に行ってもいいのおねえ様。だれのお家むこうは?……」
貞世は目にはいるものはどれも珍しいというようにひとりでしゃべっては、葉子にとも愛子にともなく質問を連発した。そこが薔薇の花園であるのを葉子から聞かされると、貞世は愛子を誘って庭下駄をつっかけた。愛子も貞世に続いてそっちのほうに出かける様子だった。
その物音を聞くと葉子はもう我慢ができなかった。
「愛さんお待ち。お前さん方のものがまだ片づいてはいませんよ。遊び回るのは始末をしてからになさいな」
愛子は従順に姉の言葉に従って、その美しい目を伏せながら座敷の中にはいって来た。
それでもその夜の夕食は珍しくにぎやかだった。貞世がはしゃぎきって、胸いっぱいのものを前後も連絡もなくしゃべり立てるので愛子さえも思わずにやりと笑ったり、自分の事を容赦なくいわれたりすると恥ずかしそうに顔を赤らめたりした。
貞世はうれしさに疲れ果てて夜の浅いうちに寝床にはいった。明るい電燈の下に葉子と愛子と向かい合うと、久しくあわないでいた骨肉の人々の間にのみ感ぜられる淡い心置きを感じた。葉子は愛子にだけは倉地の事を少し具体的に知らしておくほうがいいと思って、話のきっかけに少し言葉を改めた。
「まだあなた方にお引き合わせがしてないけれども倉地っていう方ね、絵島丸の事務長の……(愛子は従順に落ち着いてうなずいて見せた)……あの方が今木村さんに成りかわってわたしの世話を見ていてくださるのよ。木村さんからお頼まれになったものだから、迷惑そうにもなく、こんないい家まで見つけてくださったの。木村さんは米国でいろいろ事業を企てていらっしゃるんだけれども、どうもお仕事がうまく行かないで、お金が注ぎ込みにばかりなっていて、とてもこっちには送ってくだされないの、わたしの家はあなたも知ってのとおりでしょう。どうしてもしばらくの間は御迷惑でも倉地さんに万事を見ていただかなければならないのだから、あなたもそのつもりでいてちょうだいよ。ちょくちょくここにも来てくださるからね。それにつけて世間では何かくだらないうわさをしているに違いないが、愛さんの塾なんかではなんにもお聞きではなかったかい」
「いゝえ、わたしたちに面と向かって何かおっしゃる方は一人もありませんわ。でも」
と愛子は例の多恨らしい美しい目を上目に使って葉子をぬすみ見るようにしながら、
「でも何しろあんな新聞が出たもんですから」
「どんな新聞?」
「あらおねえ様御存じなしなの。報正新報に続き物でおねえ様とその倉地という方の事が長く出ていましたのよ」
「へーえ」
葉子は自分の無知にあきれるような声を出してしまった。それは実際思いもかけぬというよりは、ありそうな事ではあるが今の今まで知らずにいた、それに葉子はあきれたのだった。しかしそれは愛子の目に自分を非常に無辜らしく見せただけの利益はあった。さすがの愛子も驚いたらしい目をして姉の驚いた顔を見やった。
「いつ?」
「今月の始めごろでしたかしらん。だもんですから皆さん方の間ではたいへんな評判らしいんですの。今度も塾を出て来年から姉の所から通いますと田島先生に申し上げたら、先生も家の親類たちに手紙やなんかでだいぶお聞き合わせになったようですのよ。そしてきょうわたしたちを自分のお部屋にお呼びになって『わたしはお前さん方を塾から出したくはないけれども、塾に居続ける気はないか』とおっしゃるのよ。でもわたしたちはなんだか塾にいるのが肩身が……どうしてもいやになったもんですから、無理にお願いして帰って来てしまいましたの」
愛子はふだんの無口に似ずこういう事を話す時にはちゃんと筋目が立っていた。葉子には愛子の沈んだような態度がすっかり読めた。葉子の憤怒は見る見るその血相を変えさせた。田川夫人という人はどこまで自分に対して執念を寄せようとするのだろう。それにしても夫人の友だちには五十川という人もあるはずだ。もし五十川のおばさんがほんとうに自分の改悛を望んでいてくれるなら、その記事の中止なり訂正なりを、夫田川の手を経てさせる事はできるはずなのだ。田島さんもなんとかしてくれようがありそうなものだ。そんな事を妹たちにいうくらいならなぜ自分に一言忠告でもしてはくれないのだ(ここで葉子は帰朝以来妹たちを預かってもらった礼をしに行っていなかった自分を顧みた。しかし事情がそれを許さないのだろうぐらいは察してくれてもよさそうなものだと思った)それほど自分はもう世間から見くびられ除け者にされているのだ。葉子は何かたたきつけるものでもあれば、そして世間というものが何か形を備えたものであれば、力の限り得物をたたきつけてやりたかった。葉子は小刻みに震えながら、言葉だけはしとやかに、
「古藤さんは」
「たまにおたよりをくださいます」
「あなた方も上げるの」
「えゝたまに」
「新聞の事を何かいって来たかい」
「なんにも」
「ここの番地は知らせて上げて」
「いゝえ」
「なぜ」
「おねえ様の御迷惑になりはしないかと思って」
この小娘はもうみんな知っている、と葉子は一種のおそれと警戒とをもって考えた。何事も心得ながら白々しく無邪気を装っているらしいこの妹が敵の間諜のようにも思えた。
「今夜はもうお休み。疲れたでしょう」
葉子は冷然として、灯の下にうつむいてきちんとすわっている妹を尻目にかけた。愛子はしとやかに頭を下げて従順に座を立って行った。
その夜十一時ごろ倉地が下宿のほうから通って来た。裏庭をぐるっと回って、毎夜戸じまりをせずにおく張り出しの六畳の間から上がって来る音が、じれながら鉄びんの湯気を見ている葉子の神経にすぐ通じた。葉子はすぐ立ち上がって猫のように足音を盗みながら急いでそっちに行った。ちょうど敷居を上がろうとしていた倉地は暗い中に葉子の近づく気配を知って、いつものとおり、立ち上がりざまに葉子を抱擁しようとした。しかし葉子はそうはさせなかった。そして急いで戸を締めきってから、電灯のスイッチをひねった。火の気のない部屋の中は急に明るくなったけれども身を刺すように寒かった。倉地の顔は酒に酔っているように赤かった。
「どうした顔色がよくないぞ」
倉地はいぶかるように葉子の顔をまじまじと見やりながらそういった。
「待ってください、今わたしここに火鉢を持って来ますから。妹たちが寝ばなだからあすこでは起こすといけませんから」
そういいながら葉子は手あぶりに火をついで持って来た。そして酒肴もそこにととのえた。
「色が悪いはず……今夜はまたすっかり向かっ腹が立ったんですもの。わたしたちの事が報正新報にみんな出てしまったのを御存じ?」
「知っとるとも」
倉地は不思議でもないという顔をして目をしばだたいた。
「田川の奥さんという人はほんとうにひどい人ね」
葉子は歯をかみくだくように鳴らしながらいった。
「全くあれは方図のない利口ばかだ」
そう吐き捨てるようにいいながら倉地の語る所によると、倉地は葉子に、きっとそのうち掲載される「報正新報」の記事を見せまいために引っ越して来た当座わざと新聞はどれも購読しなかったが、倉地だけの耳へはある男(それは絵島丸の中で葉子の身を上を相談した時、甲斐絹のどてらを着て寝床の中に二つに折れ込んでいたその男であるのがあとで知れた。その男は名を正井といった)からつやの取り次ぎで内秘に知らされていたのだそうだ。郵船会社はこの記事が出る前から倉地のためにまた会社自身のために、極力もみ消しをしたのだけれども、新聞社ではいっこう応ずる色がなかった。それから考えるとそれは当時新聞社の慣用手段のふところ金をむさぼろうという目論見ばかりから来たのでない事だけは明らかになった。あんな記事が現われてはもう会社としても黙ってはいられなくなって、大急ぎで詮議をした結果、倉地と船医の興録とが処分される事になったというのだ。
「田川の嬶のいたずらに決まっとる。ばかにくやしかったと見えるて。……が、こうなりゃ結局パッとなったほうがいいわい。みんな知っとるだけ一々申し訳をいわずと済む。お前はまたまだそれしきの事にくよくよしとるんか。ばかな。……それより妹たちは来とるんか。寝顔にでもお目にかかっておこうよ。写真――船の中にあったね――で見てもかわいらしい子たちだったが……」
二人はやおらその部屋を出た。そして十畳と茶の間との隔ての襖をそっと明けると、二人の姉妹は向かい合って別々の寝床にすやすやと眠っていた。緑色の笠のかかった、電灯の光は海の底のように部屋の中を思わせた。
「あっちは」
「愛子」
「こっちは」
「貞世」
葉子は心ひそかに、世にも艶やかなこの少女二人を妹に持つ事に誇りを感じて暖かい心になっていた。そして静かに膝をついて、切り下げにした貞世の前髪をそっとなであげて倉地に見せた。倉地は声を殺すのに少なからず難儀なふうで、
「そうやるとこっちは、貞世は、お前によく似とるわい。……愛子は、ふむ、これはまたすてきな美人じゃないか。おれはこんなのは見た事がない……お前の二の舞いでもせにゃ結構だが……」
そういいながら倉地は愛子の顔ほどもあるような大きな手をさし出して、そうしたい誘惑を退けかねるように、紅椿のような紅いその口びるに触れてみた。
その瞬間に葉子はぎょっとした。倉地の手が愛子の口びるに触れた時の様子から、葉子は明らかに愛子がまだ目ざめていて、寝たふりをしているのを感づいたと思ったからだ。葉子は大急ぎで倉地に目くばせしてそっとその部屋を出た。
三〇
「僕が毎日――毎日とはいわず毎時間あなたに筆を執らないのは執りたくないから執らないのではありません。僕は一日あなたに書き続けていてもなお飽き足らないのです。それは今の僕の境界では許されない事です。僕は朝から晩まで機械のごとく働かねばなりませんから。
あなたが米国を離れてからこの手紙はたぶん七回目の手紙としてあなたに受け取られると思います。しかし僕の手紙はいつまでも暇をぬすんで少しずつ書いているのですから、僕からいうと日に二度も三度もあなたにあてて書いてるわけになるのです。しかしあなたはあの後一回の音信も恵んではくださらない。
僕は繰り返し繰り返しいいます。たといあなたにどんな過失どんな誤謬があろうとも、それを耐え忍び、それを許す事においては主キリスト以上の忍耐力を持っているのを僕は自ら信じています。誤解しては困ります。僕がいかなる人に対してもかかる力を持っているというのではないのです。ただあなたに対してです。あなたはいつでも僕の品性を尊く導いてくれます。僕はあなたによって人がどれほど愛しうるかを学びました。あなたによって世間でいう堕落とか罪悪とかいう者がどれほどまで寛容の余裕があるかを学びました。そうしてその寛容によって、寛容する人自身がどれほど品性を陶冶されるかを学びました。僕はまた自分の愛を成就するためにはどれほどの勇者になりうるかを学びました。これほどまでに僕を神の目に高めてくださったあなたが、僕から万一にも失われるというのは想像ができません。神がそんな試練を人の子に下される残虐はなさらないのを僕は信じています。そんな試練に堪えるのは人力以上ですから。今の僕からあなたが奪われるというのは神が奪われるのと同じ事です。あなたは神だとはいいますまい。しかしあなたを通してのみ僕は神を拝む事ができるのです。
時々僕は自分で自分をあわれんでしまう事があります。自分自身だけの力と信仰とですべてのものを見る事ができたらどれほど幸福で自由だろうと考えると、あなたをわずらわさなければ一歩を踏み出す力をも感じ得ない自分の束縛を呪いたくもなります。同時にそれほど慕わしい束縛は他にない事を知るのです。束縛のない所に自由はないといった意味であなたの束縛は僕の自由です。
あなたは――いったん僕に手を与えてくださると約束なさったあなたは、ついに僕を見捨てようとしておられるのですか。どうして一回の音信も恵んではくださらないのです。しかし僕は信じて疑いません。世にもし真理があるならば、そして真理が最後の勝利者ならばあなたは必ず僕に還ってくださるに違いないと。なぜなれば、僕は誓います。――主よこの僕を見守りたまえ――僕はあなたを愛して以来断じて他の異性に心を動かさなかった事を。この誠意があなたによって認められないわけはないと思います。
あなたは従来暗いいくつかの過去を持っています。それが知らず知らずあなたの向上心を躊躇させ、あなたをやや絶望的にしているのではないのですか。もしそうならあなたは全然誤謬に陥っていると思います。すべての救いは思いきってその中から飛び出すほかにはないのでしょう。そこに停滞しているのはそれだけあなたの暗い過去を暗くするばかりです。あなたは僕に信頼を置いてくださる事はできないのでしょうか。人類の中に少なくも一人、あなたのすべての罪を喜んで忘れようと両手を広げて待ち設けているもののあるのを信じてくださる事はできないでしょうか。
こんな下らない理屈はもうやめましょう。
昨夜書いた手紙に続けて書きます。けさハミルトン氏の所から至急に来いという電話がかかりました。シカゴの冬は予期以上に寒いのです。仙台どころの比ではありません。雪は少しもないけれども、イリー湖を多湖地方から渡って来る風は身を切るようでした。僕は外套の上にまた大外套を重ね着していながら、風に向いた皮膚にしみとおる風の寒さを感じました。ハミルトン氏の用というのは来年セントルイスに開催される大規模な博覧会の協議のため急にそこに赴くようになったから同行しろというのでした。僕は旅行の用意はなんらしていなかったが、ここにアメリカニズムがあるのだと思ってそのまま同行する事にしました。自分の部屋の戸に鍵もかけずに飛び出したのですからバビコック博士の奥さんは驚いているでしょう。しかしさすがに米国です。着のみ着のままでここまで来ても何一つ不自由を感じません。鎌倉あたりまで行くのにも膝かけから旅カバンまで用意しなければならないのですから、日本の文明はまだなかなかのものです。僕たちはこの地に着くと、停車場内の化粧室で髭をそり、靴をみがかせ、夜会に出ても恥ずかしくないしたくができてしまいました。そしてすぐ協議会に出席しました。あなたも知っておらるるとおりドイツ人のあのへんにおける勢力は偉いものです。博覧会が開けたら、われわれは米国に対してよりもむしろこれらのドイツ人に対して褌裸一番する必要があります。ランチの時僕はハミルトン氏に例の日本に買い占めてあるキモノその他の話をもう一度しました。博覧会を前に控えているのでハミルトン氏も今度は乗り気になってくれまして、高島屋と連絡をつけておくためにとにかく品物を取り寄せて自分の店でさばかしてみようといってくれました。これで僕の財政は非常に余裕ができるわけです。今まで店がなかったばかりに、取り寄せても荷厄介だったものですが、ハミルトン氏の店で取り扱ってくれれば相当に売れるのはわかっています。そうなったら今までと違ってあなたのほうにも足りないながら仕送りをして上げる事ができましょう。さっそく電報を打っていちばん早い船便で取り寄せる事ににしましたから不日着荷する事と思っています。
今は夜もだいぶふけました。ハミルトン氏は今夜も饗応に呼ばれて出かけました。大きらいなテーブル・スピーチになやまされているのでしょう。ハミルトン氏は実にシャープなビジネスマンライキな人です。そして熱心な正統派の信仰を持った慈善家です。僕はことのほか信頼され重宝がられています。そこから僕のライフ・キャリヤアを踏み出すのは大なる利益です。僕の前途には確かに光明が見え出して来ました。
あなたに書く事は底止なく書く事です。しかしあすの奮闘的生活(これは大統領ルーズベルトの著書の“Strenuous Life”を訳してみた言葉です。今この言葉は当地の流行語になっています)に備えるために筆を止めねばなりません。この手紙はあなたにも喜びを分けていただく事ができるかと思います。
きのうセントルイスから帰って来たら、手紙がかなり多数届いていました。郵便局の前を通るにつけ、郵便箱を見るにつけ、脚夫に行きあうにつけ、僕はあなたを連想しない事はありません。自分の机の上に来信を見いだした時はなおさらの事です。僕は手紙の束の間をかき分けてあなたの手跡を見いだそうとつとめました。しかし僕はまた絶望に近い失望に打たれなければなりませんでした。僕は失望はしましょう。しかし絶望はしません。できません葉子さん、信じてください。僕はロングフェローのエヴァンジェリンの忍耐と謙遜とをもってあなたが僕の心をほんとうに汲み取ってくださる時を待っています。しかし手紙の束の中からはわずかに僕を失望から救うために古藤君と岡君との手紙が見いだされました。古藤君の手紙は兵営に行く五日前に書かれたものでした。いまだにあなたの居所を知る事ができないので、僕の手紙はやはり倉地氏にあてて回送していると書いてあります。古藤君はそうした手続きを取るのをはなはだしく不快に思っているようです。岡君は人にもらし得ない家庭内の紛擾や周囲から受ける誤解を、岡君らしく過敏に考え過ぎて弱い体質をますます弱くしているようです。書いてある事にはところどころ僕の持つ常識では判断しかねるような所があります。あなたからいつか必ず消息が来るのを信じきって、その時をただ一つの救いとして待っています。その時の感謝と喜悦とを想像で描き出して、小説でも読むように書いてあります。僕は岡君の手紙を読むと、いつでも僕自身の心がそのまま書き現わされているように思って涙を感じます。
なぜあなたは自分をそれほどまで韜晦しておられるのか、それには深いわけがある事と思いますけれども、僕にはどちらの方面から考えても想像がつきません。
日本からの消息はどんな消息も待ち遠しい。しかしそれを見終わった僕はきっと憂鬱に襲われます。僕にもし信仰が与えられていなかったら、僕は今どうなっていたかを知りません。
前の手紙との間に三日がたちました。僕はバビコック博士夫婦と今夜ライシアム座にウェルシ嬢の演じたトルストイの「復活」を見物しました。そこにはキリスト教徒として目をそむけなければならないような場面がないではなかったけれども、終わりのほうに近づいて行っての荘厳さは見物人のすべてを捕捉してしまいました。ウェルシ嬢の演じた女主人公は真に迫りすぎているくらいでした。あなたがもしまだ「復活」を読んでいられないのなら僕はぜひそれをお勧めします。僕はトルストイの「懺悔」をK氏の邦文訳で日本にいる時読んだだけですが、あの芝居を見てから、暇があったらもっと深くいろいろ研究したいと思うようになりました。日本ではトルストイの著書はまだ多くの人に知られていないと思いますが、少なくとも「復活」だけは丸善からでも取り寄せて読んでいただきたい、あなたを啓発する事が必ず多いのは請け合いますから。僕らは等しく神の前に罪人です。しかしその罪を悔い改める事によって等しく選ばれた神の僕となりうるのです。この道のほかには人の子の生活を天国に結び付ける道は考えられません。神を敬い人を愛する心の萎えてしまわないうちにお互いに光を仰ごうではありませんか。
葉子さん、あなたの心に空虚なり汚点なりがあっても万望絶望しないでくださいよ。あなたをそのままに喜んで受け入れて、――苦しみがあればあなたと共に苦しみ、あなたに悲しみがあればあなたと共に悲しむものがここに一人いる事を忘れないでください。僕は戦って見せます。どんなにあなたが傷ついていても、僕はあなたをかばって勇ましくこの人生を戦って見せます。僕の前に事業が、そして後ろにあなたがあれば、僕は神の最も小さい僕として人類の祝福のために一生をささげます。
あゝ、筆も言語もついに無益です。火と熱する誠意と祈りとをこめて僕はここにこの手紙を封じます。この手紙が倉地氏の手からあなたに届いたら、倉地氏にもよろしく伝えてください。倉地氏に迷惑をおかけした金銭上の事については前便に書いておきましたから見てくださったと思います。願わくは神われらと共に在したまわん事を。
明治三十四年十二月十三日」
倉地は事業のために奔走しているのでその夜は年越しに来ないと下宿から知らせて来た。妹たちは除夜の鐘を聞くまでは寝ないなどといっていたがいつのまにかねむくなったと見えて、あまり静かなので二階に行って見ると、二人とも寝床にはいっていた。つやには暇が出してあった。葉子に内所で「報正新報」を倉地に取り次いだのは、たとい葉子に無益な心配をさせないためだという倉地の注意があったためであるにもせよ、葉子の心持ちを損じもし不安にもした。つやが葉子に対しても素直な敬愛の情をいだいていたのは葉子もよく心得ていた。前にも書いたように葉子は一目見た時からつやが好きだった。台所などをさせずに、小間使いとして手回りの用事でもさせたら顔かたちといい、性質といい、取り回しといいこれほど理想的な少女はないと思うほどだった。つやにも葉子の心持ちはすぐ通じたらしく、つやはこの家のために陰日向なくせっせと働いたのだった。けれども新聞の小さな出来事一つが葉子を不安にしてしまった。倉地が双鶴館の女将に対しても気の毒がるのを構わず、妹たちに働かせるのがかえっていいからとの口実のもとに暇をやってしまったのだった。で勝手のほうにも人気はなかった。
葉子は何を原因ともなくそのころ気分がいらいらしがちで寝付きも悪かったので、ぞくぞくしみ込んで来るような寒さにも係わらず、火鉢のそばにいた。そして所在ないままにその日倉地の下宿から届けて来た木村の手紙を読んで見る気になったのだ。
葉子は猫板に片肘を持たせながら、必要もないほど高価だと思われる厚い書牋紙に大きな字で書きつづってある木村の手紙を一枚一枚読み進んだ。おとなびたようで子供っぽい、そうかと思うと感情の高潮を示したと思われる所も妙に打算的な所が離れ切らないと葉子に思わせるような内容だった。葉子は一々精読するのがめんどうなので行から行に飛び越えながら読んで行った。そして日付けの所まで来ても格別な情緒を誘われはしなかった。しかし葉子はこの以前倉地の見ている前でしたようにずたずたに引き裂いて捨ててしまう事はしなかった。しなかったどころではない、その中には葉子を考えさせるものが含まれていた。木村は遠からずハミルトンとかいう日本の名誉領事をしている人の手から、日本を去る前に思いきってして行った放資の回収をしてもらえるのだ。不即不離の関係を破らずに別れた自分のやりかたはやはり図にあたっていたと思った。「宿屋きめずに草鞋を脱」ぐばかをしない必要はもうない、倉地の愛は確かに自分の手に握り得たから。しかし口にこそ出しはしないが、倉地は金の上ではかなりに苦しんでいるに違いない。倉地の事業というのは日本じゅうの開港場にいる水先案内業者の組合を作って、その実権を自分の手に握ろうとするのらしかったが、それが仕上がるのは短い日月にはできる事ではなさそうだった。ことに時節が時節がら正月にかかっているから、そういうものの設立にはいちばん不便な時らしくも思われた。木村を利用してやろう。
しかし葉子の心の底にはどこかに痛みを覚えた。さんざん木村を苦しめ抜いたあげくに、なおあの根の正直な人間をたぶらかしてなけなしの金をしぼり取るのは俗にいう「つつもたせ」の所業と違ってはいない。そう思うと葉子は自分の堕落を痛く感ぜずにはいられなかった。けれども現在の葉子にいちばん大事なものは倉地という情人のほかにはなかった。心の痛みを感じながらも倉地の事を思うとなお心が痛かった。彼は妻子を犠牲に供し、自分の職業を犠牲に供し、社会上の名誉を犠牲に供してまで葉子の愛におぼれ、葉子の存在に生きようとしてくれているのだ。それを思うと葉子は倉地のためになんでもして見せてやりたかった。時によるとわれにもなく侵して来る涙ぐましい感じをじっとこらえて、定子に会いに行かずにいるのも、そうする事が何か宗教上の願がけで、倉地の愛をつなぎとめる禁厭のように思えるからしている事だった。木村にだっていつかは物質上の償い目に対して物質上の返礼だけはする事ができるだろう。自分のする事は「つつもたせ」とは形が似ているだけだ。やってやれ。そう葉子は決心した。読むでもなく読まぬでもなく手に持ってながめていた手紙の最後の一枚を葉子は無意識のようにぽたりと膝の上に落とした。そしてそのままじっと鉄びんから立つ湯気が電燈の光の中に多様な渦紋を描いては消え描いては消えするのを見つめていた。
しばらくしてから葉子は物うげに深い吐息を一つして、上体をひねって棚の上から手文庫を取りおろした。そして筆をかみながらまた上目でじっと何か考えるらしかった。と、急に生きかえったようにはきはきなって、上等のシナ墨を眼の三つまではいったまんまるい硯にすりおろした。そして軽く麝香の漂うなかで男の字のような健筆で、精巧な雁皮紙の巻紙に、一気に、次のようにしたためた。
「書けばきりがございません。伺えばきりがございません。だから書きもいたしませんでした。あなたのお手紙もきょういただいたものまでは拝見せずにずたずたに破って捨ててしまいました。その心をお察しくださいまし。
うわさにもお聞きとは存じますが、わたしはみごとに社会的に殺されてしまいました。どうしてわたしがこの上あなたの妻と名乗れましょう。自業自得と世の中では申します。わたしも確かにそう存じています。けれども親類、縁者、友だちにまで突き放されて、二人の妹をかかえてみますと、わたしは目もくらんでしまいます。倉地さんだけがどういう御縁かお見捨てなくわたしども三人をお世話くださっています。こうしてわたしはどこまで沈んで行く事でございましょう。ほんとうに自業自得でございます。
きょう拝見したお手紙もほんとうは読まずに裂いてしまうのでございましたけれども……わたしの居所をどなたにもお知らせしないわけなどは申し上げるまでもございますまい。
この手紙はあなたに差し上げる最後のものかと思われます。お大事にお過ごし遊ばしませ。陰ながら御成功を祈り上げます。
ただいま除夜の鐘が鳴ります。
大晦日の夜
木村様
葉より」
葉子はそれを日本風の状袋に収めて、毛筆で器用に表記を書いた。書き終わると急にいらいらし出して、いきなり両手に握ってひと思いに引き裂こうとしたが、思い返して捨てるようにそれを畳の上になげ出すと、われにもなく冷ややかな微笑が口じりをかすかに引きつらした。
葉子の胸をどきんとさせるほど高く、すぐ最寄りにある増上寺の除夜の鐘が鳴り出した。遠くからどこの寺のともしれない鐘の声がそれに応ずるように聞こえて来た。その音に引き入れられて耳を澄ますと夜の沈黙の中にも声はあった。十二時を打つぼんぼん時計、「かるた」を読み上げるらしいはしゃいだ声、何に驚いてか夜なきをする鶏……葉子はそんな響きを探り出すと、人の生きているというのが恐ろしいほど不思議に思われ出した。
急に寒さを覚えて葉子は寝じたくに立ち上がった。
三一
寒い明治三十五年の正月が来て、愛子たちの冬期休暇も終わりに近づいた。葉子は妹たちを再び田島塾のほうに帰してやる気にはなれなかった。田島という人に対して反感をいだいたばかりではない。妹たちを再び預かってもらう事になれば葉子は当然挨拶に行って来べき義務を感じたけれども、どういうものかそれがはばかられてできなかった。横浜の支店長の永井とか、この田島とか、葉子には自分ながらわけのわからない苦手の人があった。その人たちが格別偉い人だとも、恐ろしい人だとも思うのではなかったけれども、どういうものかその前に出る事に気が引けた。葉子はまた妹たちが言わず語らずのうちに生徒たちから受けねばならぬ迫害を思うと不憫でもあった。で、毎日通学するには遠すぎるという理由のもとにそこをやめて、飯倉にある幽蘭女学校というのに通わせる事にした。
二人が学校に通い出すようになると、倉地は朝から葉子の所で退校時間まで過ごすようになった。倉地の腹心の仲間たちもちょいちょい出入りした。ことに正井という男は倉地の影のように倉地のいる所には必ずいた。例の水先案内業者組合の設立について正井がいちばん働いているらしかった。正井という男は、一見放漫なように見えていて、剃刀のように目はしのきく人だった。その人が玄関からはいったら、そのあとに行って見ると履き物は一つ残らずそろえてあって、傘は傘で一隅にちゃんと集めてあった。葉子も及ばない素早さで花びんの花のしおれかけたのや、茶や菓子の足しなくなったのを見て取って、翌日は忘れずにそれを買いととのえて来た。無口のくせにどこかに愛嬌があるかと思うと、ばか笑いをしている最中に不思議に陰険な目つきをちらつかせたりした。葉子はその人を観察すればするほどその正体がわからないように思った。それは葉子をもどかしくさせるほどだった。時々葉子は倉地がこの男と組合設立の相談以外の秘密らしい話合いをしているのに感づいたが、それはどうしても明確に知る事ができなかった。倉地に聞いてみても、倉地は例ののんきな態度で事もなげに話題をそらしてしまった。
葉子はしかしなんといっても自分が望みうる幸福の絶頂に近い所にいた。倉地を喜ばせる事が自分を喜ばせる事であり、自分を喜ばせる事が倉地を喜ばせる事である、そうした作為のない調和は葉子の心をしとやかに快活にした。何にでも自分がしようとさえ思えば適応しうる葉子に取っては、抜け目のない世話女房になるくらいの事はなんでもなかった。妹たちもこの姉を無二のものとして、姉のしてくれる事は一も二もなく正しいものと思うらしかった。始終葉子から継子あつかいにされている愛子さえ、葉子の前にはただ従順なしとやかな少女だった。愛子としても少なくとも一つはどうしてもその姉に感謝しなければならない事があった。それは年齢のお陰もある。愛子はことしで十六になっていた。しかし葉子がいなかったら、愛子はこれほど美しくはなれなかったに違いない。二三週間のうちに愛子は山から掘り出されたばかりのルビーと磨きをかけ上げたルビーとほどに変わっていた。小肥りで背たけは姉よりもはるかに低いが、ぴちぴちと締まった肉づきと、抜け上がるほど白い艶のある皮膚とはいい均整を保って、短くはあるが類のないほど肉感的な手足の指の先細な所に利点を見せていた。むっくりと牛乳色の皮膚に包まれた地蔵肩の上に据えられたその顔はまた葉子の苦心に十二分に酬いるものだった。葉子がえりぎわを剃ってやるとそこに新しい美が生まれ出た。髪を自分の意匠どおりに束ねてやるとそこに新しい蠱惑がわき上がった。葉子は愛子を美しくする事に、成功した作品に対する芸術家と同様の誇りと喜びとを感じた。暗い所にいて明るいほうに振り向いた時などの愛子の卵形の顔形は美の神ビーナスをさえ妬ます事ができたろう。顔の輪郭と、やや額ぎわを狭くするまでに厚く生えそろった黒漆の髪とは闇の中に溶けこむようにぼかされて、前からのみ来る光線のために鼻筋は、ギリシャ人のそれに見るような、規則正しく細長い前面の平面をきわ立たせ、潤いきった大きな二つのひとみと、締まって厚い上下の口びるとは、皮膚を切り破って現われ出た二対の魂のようになまなましい感じで見る人を打った。愛子はそうした時にいちばん美しいように、闇の中にさびしくひとりでいて、その多恨な目でじっと明るみを見つめているような少女だった。
葉子は倉地が葉子のためにして見せた大きな英断に酬いるために、定子を自分の愛撫の胸から裂いて捨てようと思いきわめながらも、どうしてもそれができないでいた。あれから一度も訪れこそしないが、時おり金を送ってやる事と、乳母から安否を知らさせる事だけは続けていた。乳母の手紙はいつでも恨みつらみで満たされていた。日本に帰って来てくださったかいがどこにある。親がなくて子が子らしく育つものか育たぬものかちょっとでも考えてみてもらいたい。乳母もだんだん年を取って行く身だ。麻疹にかかって定子は毎日毎日ママの名を呼び続けている、その声が葉子の耳に聞こえないのが不思議だ。こんな事が消息のたびごとにたどたどしく書き連ねてあった。葉子はいても立ってもたまらないような事があった。けれどもそんな時には倉地の事を思った。ちょっと倉地の事を思っただけで、歯をくいしばりながらも、苔香園の表門からそっと家を抜け出る誘惑に打ち勝った。
倉地のほうから手紙を出すのは忘れたと見えて、岡はまだ訪れては来なかった。木村にあれほど切な心持ちを書き送ったくらいだから、葉子の住所さえわかれば尋ねて来ないはずはないのだが、倉地にはそんな事はもう念頭になくなってしまったらしい。だれも来るなと願っていた葉子もこのごろになってみると、ふと岡の事などを思い出す事があった。横浜を立つ時に葉子にかじり付いて離れなかった青年を思い出す事などもあった。しかしこういう事があるたびごとに倉地の心の動きかたをもきっと推察した。そしてはいつでも願をかけるようにそんな事は夢にも思い出すまいと心に誓った。
倉地がいっこうに無頓着なので、葉子はまだ籍を移してはいなかった。もっとも倉地の先妻がはたして籍を抜いているかどうかも知らなかった。それを知ろうと求めるのは葉子の誇りが許さなかった。すべてそういう習慣を天から考えの中に入れていない倉地に対して今さらそんな形式事を迫るのは、自分の度胸を見すかされるという上からもつらかった。その誇りという心持ちも、度胸を見すかされるという恐れも、ほんとうをいうと葉子がどこまでも倉地に対してひけ目になっているのを語るに過ぎないとは葉子自身存分に知りきっているくせに、それを勝手に踏みにじって、自分の思うとおりを倉地にしてのけさす不敵さを持つ事はどうしてもできなかった。それなのに葉子はややともすると倉地の先妻の事が気になった。倉地の下宿のほうに遊びに行く時でも、その近所で人妻らしい人の往来するのを見かけると葉子の目は知らず知らず熟視のためにかがやいた。一度も顔を合わせないが、わずかな時間の写真の記憶から、きっとその人を見分けてみせると葉子は自信していた。葉子はどこを歩いてもかつてそんな人を見かけた事はなかった。それがまた妙に裏切られているような感じを与える事もあった。
航海の初期における批点の打ちどころのないような健康の意識はその後葉子にはもう帰って来なかった。寒気が募るにつれて下腹部が鈍痛を覚えるばかりでなく、腰の後ろのほうに冷たい石でも釣り下げてあるような、重苦しい気分を感ずるようになった。日本に帰ってから足の冷え出すのも知った。血管の中には血の代わりに文火でも流れているのではないかと思うくらい寒気に対して平気だった葉子が、床の中で倉地に足のひどく冷えるのを注意されたりすると不思議に思った。肩の凝るのは幼少の時からの痼疾だったがそれが近ごろになってことさら激しくなった。葉子はちょいちょい按摩を呼んだりした。腹部の痛みが月経と関係があるのを気づいて、葉子は婦人病であるに相違ないとは思った。しかしそうでもないと思うような事が葉子の胸の中にはあった。もしや懐妊では……葉子は喜びに胸をおどらせてそう思ってもみた。牝豚のように幾人も子を生むのはとても耐えられない。しかし一人はどうあっても生みたいものだと葉子は祈るように願っていたのだ。定子の事から考えると自分には案外子運があるのかもしれないとも思った。しかし前の懐妊の経験と今度の徴候とはいろいろな点で全く違ったものだった。
一月の末になって木村からははたして金を送って来た。葉子は倉地が潤沢につけ届けする金よりもこの金を使う事にむしろ心安さを覚えた。葉子はすぐ思いきった散財をしてみたい誘惑に駆り立てられた。
ある日当たりのいい日に倉地とさし向かいで酒を飲んでいると苔香園のほうから藪うぐいすのなく声が聞こえた。葉子は軽く酒ほてりのした顔をあげて倉地を見やりながら、耳ではうぐいすのなき続けるのを注意した。
「春が来ますわ」
「早いもんだな」
「どこかへ行きましょうか」
「まだ寒いよ」
「そうねえ……組合のほうは」
「うむあれが片づいたら出かけようわい。いいかげんくさくさしおった」
そういって倉地はさもめんどうそうに杯の酒を一煽りにあおりつけた。
葉子はすぐその仕事がうまく運んでいないのを感づいた。それにしてもあの毎月の多額な金はどこから来るのだろう。そうちらっと思いながら素早く話を他にそらした。
三二
それは二月初旬のある日の昼ごろだった。からっと晴れた朝の天気に引きかえて、朝日がしばらく東向きの窓にさす間もなく、空は薄曇りに曇って西風がゴウゴウと杉森にあたって物すごい音を立て始めた。どこにか春をほのめかすような日が来たりしたあとなので、ことさら世の中が暗澹と見えた。雪でもまくしかけて来そうに底冷えがするので、葉子は茶の間に置きごたつを持ち出して、倉地の着がえをそれにかけたりした。土曜だから妹たちは早びけだと知りつつも倉地はものぐさそうに外出のしたくにかからないで、どてらを引っかけたまま火鉢のそばにうずくまっていた。葉子は食器を台所のほうに運びながら、来たり行ったりするついでに倉地と物をいった。台所に行った葉子に茶の間から大きな声で倉地がいいかけた。
「おいお葉(倉地はいつのまにか葉子をこう呼ぶようになっていた)おれはきょうは二人に対面して、これから勝手に出はいりのできるようにするぞ」
葉子は布巾を持って台所のほうからいそいそと茶の間に帰って来た。
「なんだってまたきょう……」
そういってつき膝をしながらちゃぶ台をぬぐった。
「いつまでもこうしているが気づまりでようないからよ」
「そうねえ」
葉子はそのままそこにすわり込んで布巾をちゃぶ台にあてがったまま考えた。ほんとうはこれはとうに葉子のほうからいい出すべき事だったのだ。妹たちのいないすきか、寝てからの暇をうかがって、倉地と会うのは、始めのうちこそあいびきのような興味を起こさせないでもないと思ったのと、葉子は自分の通って来たような道はどうしても妹たちには通らせたくないところから、自分の裏面をうかがわせまいという心持ちとで、今までついずるずるに妹たちを倉地に近づかせないで置いたのだったが、倉地の言葉を聞いてみると、そうしておくのが少し延び過ぎたと気がついた。また新しい局面を二人の間に開いて行くにもこれは悪い事ではない。葉子は決心した。
「じゃきょうにしましょう。……それにしても着物だけは着かえていてくださいましな」
「よし来た」
と倉地はにこにこしながらすぐ立ち上がった。葉子は倉地の後ろから着物を羽織っておいて羽がいに抱きながら、今さらに倉地の頑丈な雄々しい体格を自分の胸に感じつつ、
「それは二人ともいい子よ。かわいがってやってくださいましよ。……けれどもね、木村とのあの事だけはまだ内証よ。いいおりを見つけて、わたしから上手にいって聞かせるまでは知らんふりをしてね……よくって……あなたはうっかりするとあけすけに物をいったりなさるから……今度だけは用心してちょうだい」
「ばかだなどうせ知れる事を」
「でもそれはいけません……ぜひ」
葉子は後ろから背延びをしてそっと倉地の後ろ首を吸った。そして二人は顔を見合わせてほほえみかわした。
その瞬間に勢いよく玄関の格子戸ががらっとあいて「おゝ寒い」という貞世の声が疳高く聞こえた。時間でもないので葉子は思わずぎょっとして倉地から飛び離れた。次いで玄関口の障子があいた。貞世は茶の間に駆け込んで来るらしかった。
「おねえ様雪が降って来てよ」
そういっていきなり茶の間の襖をあけたのは貞世だった。
「おやそう……寒かったでしょう」
とでもいって迎えてくれる姉を期待していたらしい貞世は、置きごたつにはいってあぐらをかいている途方もなく大きな男を姉のほかに見つけたので、驚いたように大きな目を見張ったが、そのまますぐに玄関に取って返した。
「愛ねえさんお客様よ」
と声をつぶすようにいうのが聞こえた。倉地と葉子とは顔を見合わしてまたほほえみかわした。
「ここにお下駄があるじゃありませんか」
そう落ち付いていう愛子の声が聞こえて、やがて二人は静かにはいって来た。そして愛子はしとやかに貞世はぺちゃんとすわって、声をそろえて「ただいま」といいながら辞儀をした。愛子の年ごろの時、厳格な宗教学校で無理じいに男の子のような無趣味な服装をさせられた、それに復讐するような気で葉子の装わした愛子の身なりはすぐ人の目をひいた。お下げをやめさせて、束髪にさせた項とたぼの所には、そのころ米国での流行そのままに、蝶結びの大きな黒いリボンがとめられていた。古代紫の紬地の着物に、カシミヤの袴を裾みじかにはいて、その袴は以前葉子が発明した例の尾錠どめになっていた。貞世の髪はまた思いきって短くおかっぱに切りつめて、横のほうに深紅のリボンが結んであった。それがこの才はじけた童女を、膝までぐらいな、わざと短く仕立てた袴と共に可憐にもいたずらいたずらしく見せた。二人は寒さのために頬をまっ紅にして、目を少し涙ぐましていた。それがことさら二人に別々な可憐な趣を添えていた。
葉子は少し改まって二人を火鉢の座から見やりながら、
「お帰りなさい。きょうはいつもより早かったのね。……お部屋に行ってお包みをおいて袴を取っていらっしゃい、その上でゆっくりお話しする事があるから……」
二人の部屋からは貞世がひとりではしゃいでいる声がしばらくしていたが、やがて愛子は広い帯をふだん着と着かえた上にしめて、貞世は袴をぬいだだけで帰って来た。
「さあここにいらっしゃい。(そういって葉子は妹たちを自分の身近にすわらせた)このお方がいつか双鶴館でおうわさした倉地さんなのよ。今まででも時々いらしったんだけれどもついにお目にかかるおりがなかったわね。これが愛子これが貞世です」
そういいながら葉子は倉地のほうを向くともうくすぐったいような顔つきをせずにはいられなかった。倉地は渋い笑いを笑いながら案外まじめに、
「お初に(といってちょっと頭を下げた)二人とも美しいねえ」
そういって貞世の顔をちょっと見てからじっと目を愛子にさだめた。愛子は格別恥じる様子もなくその柔和な多恨な目を大きく見開いてまんじりと倉地を見やっていた。それは男女の区別を知らぬ無邪気な目とも見えた。先天的に男というものを知りぬいてその心を試みようとする淫婦の目とも見られない事はなかった。それほどその目は奇怪な無表情の表情を持っていた。
「始めてお目にかかるが、愛子さんおいくつ」
倉地はなお愛子を見やりながらこう尋ねた。
「わたし始めてではございません。……いつぞやお目にかかりました」
愛子は静かに目を伏せてはっきりと無表情な声でこういった。愛子があの年ごろで男の前にはっきりああ受け答えができるのは葉子にも意外だった。葉子は思わず愛子を見た。
「はて、どこでね」
倉地もいぶかしげにこう問い返した。愛子は下を向いたまま口をつぐんでしまった。そこにはかすかながら憎悪の影がひらめいて過ぎたようだった。葉子はそれを見のがさなかった。
「寝顔を見せた時にやはり彼女は目をさましていたのだな。それをいうのかしらん」
とも思った。倉地の顔にも思いかけずちょっとどぎまぎしたらしい表情が浮かんだのを葉子は見た。
「なあに……」激しく葉子は自分で自分を打ち消した。
貞世は無邪気にも、この熊のような大きな男が親しみやすい遊び相手と見て取ったらしい。貞世がその日学校で見聞きして来た事などを例のとおり残らず姉に報告しようと、なんでも構わず、なんでも隠さず、いってのけるのに倉地が興に入って合槌を打つので、ここに移って来てから客の味を全く忘れていた貞世はうれしがって倉地を相手にしようとした。倉地はさんざん貞世と戯れて、昼近く立って行った。
葉子は朝食がおそかったからといって、妹たちだけが昼食の膳についた。
「倉地さんは今、ある会社をお立てになるのでいろいろ御相談事があるのだけれども、下宿ではまわりがやかましくって困るとおっしゃるから、これからいつでもここで御用をなさるようにいったから、きっとこれからもちょくちょくいらっしゃるだろうが、貞ちゃん、きょうのように遊びのお相手にばかりしていてはだめよ。その代わり英語なんぞでわからない事があったらなんでもお聞きするといい、ねえさんよりいろいろの事をよく知っていらっしゃるから……それから愛さんは、これから倉地さんのお客様も見えるだろうから、そんな時には一々ねえさんのさしずを待たないではきはきお世話をして上げるのよ」
と葉子はあらかじめ二人に釘をさした。
妹たちが食事を終わって二人であと始末をしているとまた玄関の格子が静かにあく音がした。
貞世は葉子の所に飛んで来た。
「おねえ様またお客様よ。きょうはずいぶんたくさんいらっしゃるわね。だれでしょう」
と物珍しそうに玄関のほうに注意の耳をそばだてた。葉子もだれだろうといぶかった。ややしばらくして静かに案内を求める男の声がした。それを聞くと貞世は姉から離れて駆け出して行った。愛子が襷をはずしながら台所から出て来た時分には、貞世はもう一枚の名刺を持って葉子の所に取って返していた。金縁のついた高価らしい名刺の表には岡一と記してあった。
「まあ珍しい」
葉子は思わず声を立てて貞世と共に玄関に走り出た。そこには処女のように美しく小柄な岡が雪のかかった傘をつぼめて、外套のしたたりを紅をさしたように赤らんだ指の先ではじきながら、女のようにはにかんで立っていた。
「いい所でしょう。おいでには少しお寒かったかもしれないけれども、きょうはほんとにいいおりからでしたわ。隣に見えるのが有名な苔香園、あすこの森の中が紅葉館、この杉の森がわたし大好きですの。きょうは雪が積もってなおさらきれいですわ」
葉子は岡を二階に案内して、そこのガラス戸越しにあちこちの雪景色を誇りがに指呼して見せた。岡は言葉少なながら、ちかちかとまぶしい印象を目に残して、降り下り降りあおる雪の向こうに隠見する山内の木立ちの姿を嘆賞した。
「それにしてもどうしてあなたはここを……倉地から手紙でも行きましたか」
岡は神秘的にほほえんで葉子を顧みながら「いゝえ」といった。
「そりゃおかしい事……それではどうして」
縁側から座敷へ戻りながらおもむろに、
「お知らせがないもので上がってはきっといけないとは思いましたけれども、こんな雪の日ならお客もなかろうからひょっとかすると会ってくださるかとも思って……」
そういういい出しで岡が語るところによれば、岡の従妹に当たる人が幽蘭女学校に通学していて、正月の学期から早月という姉妹の美しい生徒が来て、それは芝山内の裏坂に美人屋敷といって界隈で有名な家の三人姉妹の中の二人であるという事や、一番の姉に当たる人が「報正新報」でうわさを立てられた優れた美貌の持ち主だという事やが、早くも口さがない生徒間の評判になっているのを何かのおりに話したのですぐ思い当たったけれども、一日一日と訪問を躊躇していたのだとの事だった。葉子は今さらに世間の案外に狭いのを思った。愛子といわず貞世の上にも、自分の行跡がどんな影響を与えるかも考えずにはいられなかった。そこに貞世が、愛子がととのえた茶器をあぶなっかしい手つきで、目八分に持って来た。貞世はこの日さびしい家の内に幾人も客を迎える物珍しさに有頂天になっていたようだった。満面に偽りのない愛嬌を見せながら、丁寧にぺっちゃんとおじぎをした。そして顔にたれかかる黒髪を振り仰いで頭を振って後ろにさばきながら、岡を無邪気に見やって、姉のほうに寄り添うと大きな声で「どなた」と聞いた。
「一緒にお引き合わせしますからね、愛さんにもおいでなさいといっていらっしゃい」
二人だけが座に落ち付くと岡は涙ぐましいような顔をしてじっと手あぶりの中を見込んでいた。葉子の思いなしかその顔にも少しやつれが見えるようだった。普通の男ならばたぶんさほどにも思わないに違いない家の中のいさくさなどに繊細すぎる神経をなやまして、それにつけても葉子の慰撫をことさらにあこがれていたらしい様子は、そんな事については一言もいわないが、岡の顔にははっきりと描かれているようだった。
「そんなにせいたっていやよ貞ちゃんは。せっかちな人ねえ」
そう穏かにたしなめるらしい愛子の声が階下でした。
「でもそんなにおしゃれしなくったっていいわ。おねえ様が早くっておっしゃってよ」
無遠慮にこういう貞世の声もはっきり聞こえた。葉子はほほえみながら岡を暖かく見やった。岡もさすがに笑いを宿した顔を上げたが、葉子と見かわすと急に頬をぽっと赤くして目を障子のほうにそらしてしまった。手あぶりの縁に置かれた手の先がかすかに震うのを葉子は見のがさなかった。
やがて妹たち二人が葉子の後ろに現われた。葉子はすわったまま手を後ろに回して、
「そんな人のお尻の所にすわって、もっとこっちにお出なさいな。……これが妹たちですの。どうかお友だちにしてくださいまし。お船で御一緒だった岡一様。……愛さんあなたお知り申していないの……あの失礼ですがなんとおっしゃいますの、お従妹御さんのお名前は」
と岡に尋ねた。岡は言葉どおりに神経を転倒させていた。それはこの青年を非常に醜くかつ美しくして見せた。急いですわり直した居ずまいをすぐ意味もなくくずして、それをまた非常に後悔したらしい顔つきを見せたりした。
「は?」
「あのわたしどものうわさをなさったそのお嬢様のお名前は」
「あのやはり岡といいます」
「岡さんならお顔は存じ上げておりますわ。一つ上の級にいらっしゃいます」
愛子は少しも騒がずに、倉地に対した時と同じ調子でじっと岡を見やりながら即座にこう答えた。その目は相変わらず淫蕩と見えるほど極端に純潔だった。純潔と見えるほど極端に淫蕩だった。岡は怖じながらもその目から自分の目をそらす事ができないようにまともに愛子を見て見る見る耳たぶまでをまっ赤にしていた。葉子はそれを気取ると愛子に対していちだんの憎しみを感ぜずにはいられなかった。
「倉地さんは……」
岡は一路の逃げ道をようやく求め出したように葉子に目を転じた。
「倉地さん? たった今お帰りになったばかり惜しい事をしましてねえ。でもあなたこれからはちょくちょくいらしってくださいますわね。倉地さんもすぐお近所にお住まいですからいつかごいっしょに御飯でもいただきましょう。わたし日本に帰ってからこの家にお客様をお上げするのはきょうが始めてですのよ。ねえ貞ちゃん。……ほんとうによく来てくださいました事。わたしとうから来ていただきたくってしようがなかったんですけれども、倉地さんからなんとかいって上げてくださるだろうと、そればかりを待っていたのですよ。わたしからお手紙を上げるのはいけませんもの(そこで葉子はわかってくださるでしょうというような優しい目つきを強い表情を添えて岡に送った)。木村からの手紙であなたの事はくわしく伺っていましたわ。いろいろお苦しい事がおありになるんですってね」
岡はそのころになってようやく自分を回復したようだった。しどろもどろになった考えや言葉もやや整って見えた。愛子は一度しげしげと岡を見てしまってからは、決して二度とはそのほうを向かずに、目を畳の上に伏せてじっと千里も離れた事でも考えている様子だった。
「わたしの意気地のないのが何よりもいけないんです。親類の者たちはなんといってもわたしを実業の方面に入れて父の事業を嗣がせようとするんです。それはたぶんほんとうにいい事なんでしょう。けれどもわたしにはどうしてもそういう事がわからないから困ります。少しでもわかれば、どうせこんなに病身で何もできませんから、母はじめみんなのいうことをききたいんですけれども……わたしは時々乞食にでもなってしまいたいような気がします。みんなの主人思いな目で見つめられていると、わたしはみんなに済まなくなって、なぜ自分みたいな屑な人間を惜しんでいてくれるのだろうとよくそう思います……こんな事今までだれにもいいはしませんけれども。突然日本に帰って来たりなぞしてからわたしは内々監視までされるようになりました。……わたしのような家に生まれると友だちというものは一人もできませんし、みんなとは表面だけで物をいっていなければならないんですから……心がさびしくってしかたがありません」
そういって岡はすがるように葉子を見やった。岡が少し震えを帯びた、よごれっ気の塵ほどもない声の調子を落としてしんみりと物をいう様子にはおのずからな気高いさびしみがあった。戸障子をきしませながら雪を吹きまく戸外の荒々しい自然の姿に比べてはことさらそれが目立った。葉子には岡のような消極的な心持ちは少しもわからなかった。しかしあれでいて、米国くんだりから乗って行った船で帰って来る所なぞには、粘り強い意力が潜んでいるようにも思えた。平凡な青年ならできてもできなくとも周囲のものにおだてあげられれば疑いもせずに父の遺業を嗣ぐまねをして喜んでいるだろう。それがどうしてもできないという所にもどこか違った所があるのではないか。葉子はそう思うと何の理解もなくこの青年を取り巻いてただわいわい騒ぎ立てている人たちがばかばかしくも見えた。それにしてもなぜもっとはきはきとそんな下らない障害ぐらい打ち破ってしまわないのだろう。自分ならその財産を使ってから、「こうすればいいのかい」とでもいって、まわりで世話を焼いた人間たちを胸のすき切るまで思い存分笑ってやるのに。そう思うと岡の煮え切らないような態度が歯がゆくもあった。しかしなんといっても抱きしめたいほど可憐なのは岡の繊美なさびしそうな姿だった。岡は上手に入れられた甘露をすすり終わった茶わんを手の先に据えて綿密にその作りを賞翫していた。
「お覚えになるようなものじゃございません事よ」
岡は悪い事でもしていたように顔を赤くしてそれを下においた。彼はいいかげんな世辞はいえないらしかった。
岡は始めて来た家に長居するのは失礼だと来た時から思っていて、機会あるごとに座を立とうとするらしかったが、葉子はそういう岡の遠慮に感づけば感づくほど巧みにもすべての機会を岡に与えなかった。
「もう少しお待ちになると雪が小降りになりますわ。今、こないだインドから来た紅茶を入れてみますから召し上がってみてちょうだい。ふだんいいものを召し上がりつけていらっしゃるんだから、鑑定をしていただきますわ。ちょっと、……ほんのちょっと待っていらしってちょうだいよ」
そういうふうにいって岡を引き止めた。始めの間こそ倉地に対してのようにはなつかなかった貞世もだんだんと岡と口をきくようになって、しまいには岡の穏やかな問いに対して思いのままをかわいらしく語って聞かせたり、話題に窮して岡が黙ってしまうと貞世のほうから無邪気な事を聞きただして、岡をほほえましたりした。なんといっても岡は美しい三人の姉妹が(そのうち愛子だけは他の二人とは全く違った態度で)心をこめて親しんで来るその好意には敵し兼ねて見えた。盛んに火を起こした暖かい部屋の中の空気にこもる若い女たちの髪からとも、ふところからとも、膚からとも知れぬ柔軟な香りだけでも去りがたい思いをさせたに違いなかった。いつのまにか岡はすっかり腰を落ち着けて、いいようなく快く胸の中のわだかまりを一掃したように見えた。
それからというもの、岡は美人屋敷とうわさされる葉子の隠れ家におりおり出入りするようになった。倉地とも顔を合わせて、互いに快く船の中での思い出し話などをした。岡の目の上には葉子の目が義眼されていた。葉子のよしと見るものは岡もよしと見た。葉子の憎むものは岡も無条件で憎んだ。ただ一つその例外となっているのは愛子というものらしかった。もちろん葉子とて性格的にはどうしても愛子といれ合わなかったが、骨肉の情としてやはり互いにいいようのない執着を感じあっていた。しかし岡は愛子に対しては心からの愛着を持ち出すようになっている事が知れた。
とにかく岡の加わった事が美人屋敷のいろどりを多様にした。三人の姉妹は時おり倉地、岡に伴われて苔香園の表門のほうから三田の通りなどに散歩に出た。人々はそのきらびやかな群れに物好きな目をかがやかした。
三三
岡に住所を知らせてから、すぐそれが古藤に通じたと見えて、二月にはいってからの木村の消息は、倉地の手を経ずに直接葉子にあてて古藤から回送されるようになった。古藤はしかし頑固にもその中に一言も自分の消息を封じ込んでよこすような事はしなかった。古藤を近づかせる事は一面木村と葉子との関係を断絶さす機会を早める恐れがないでもなかったが、あの古藤の単純な心をうまくあやつりさえすれば、古藤を自分のほうになずけてしまい、従って木村に不安を起こさせない方便になると思った。葉子は例のいたずら心から古藤を手なずける興味をそそられないでもなかった。しかしそれを実行に移すまでにその興味は嵩じては来なかったのでそのままにしておいた。
木村の仕事は思いのほか都合よく運んで行くらしかった。「日本における未来のピーボデー」という標題に木村の肖像まで入れて、ハミルトン氏配下の敏腕家の一人として、また品性の高潔な公共心の厚い好個の青年実業家として、やがては日本において、米国におけるピーボデーと同様の名声をかちうべき約束にあるものと賞賛したシカゴ・トリビューンの「青年実業家評判記」の切り抜きなどを封入して来た。思いのほか巨額の為替をちょいちょい送ってよこして、倉地氏に支払うべき金額の全体を知らせてくれたら、どう工面しても必ず送付するから、一日も早く倉地氏の保護から独立して世評の誤謬を実行的に訂正し、あわせて自分に対する葉子の真情を証明してほしいなどといってよこした。葉子は――倉地におぼれきっている葉子は鼻の先でせせら笑った。
それに反して倉地の仕事のほうはいつまでも目鼻がつかないらしかった。倉地のいう所によれば日本だけの水先案内業者の組合といっても、東洋の諸港や西部米国の沿岸にあるそれらの組合とも交渉をつけて連絡を取る必要があるのに、日本の移民問題が米国の西部諸州でやかましくなり、排日熱が過度に煽動され出したので、何事も米国人との交渉は思うように行かずにその点で行きなやんでいるとの事だった。そういえば米国人らしい外国人がしばしば倉地の下宿に出入りするのを葉子は気がついていた。ある時はそれが公使館の館員ででもあるかと思うような、礼装をしてみごとな馬車に乗った紳士である事もあり、ある時はズボンの折り目もつけないほどだらしのないふうをした人相のよくない男でもあった。
とにかく二月にはいってから倉地の様子が少しずつすさんで来たらしいのが目立つようになった。酒の量も著しく増して来た。正井がかみつくようにどなられている事もあった。しかし葉子に対しては倉地は前にもまさって溺愛の度を加え、あらゆる愛情の証拠をつかむまでは執拗に葉子をしいたげるようになった。葉子は目もくらむ火酒をあおりつけるようにそのしいたげを喜んで迎えた。
ある夜葉子は妹たちが就寝してから倉地の下宿を訪れた。倉地はたった一人でさびしそうにソウダ・ビスケットを肴にウィスキーを飲んでいた。チャブ台の周囲には書類や港湾の地図やが乱暴に散らけてあって、台の上のからのコップから察すると正井かだれか、今客が帰った所らしかった。襖を明けて葉子のはいって来たのを見ると倉地はいつもになくちょっとけわしい目つきをして書類に目をやったが、そこにあるものを猿臂を延ばして引き寄せてせわしく一まとめにして床の間に移すと、自分の隣に座ぶとんを敷いて、それにすわれと顎を突き出して相図した。そして激しく手を鳴らした。
「コップと炭酸水を持って来い」
用を聞きに来た女中にこういいつけておいて、激しく葉子をまともに見た。
「葉ちゃん(これはそのころ倉地が葉子を呼ぶ名前だった。妹たちの前で葉子と呼び捨てにもできないので倉地はしばらくの間お葉さんお葉さんと呼んでいたが、葉子が貞世を貞ちゃんと呼ぶのから思いついたと見えて、三人を葉ちゃん、愛ちゃん、貞ちゃんと呼ぶようになった。そして差し向かいの時にも葉子をそう呼ぶのだった)は木村に貢がれているな。白状しっちまえ」
「それがどうして?」
葉子は左の片肘をちゃぶ台について、その指先で鬢のほつれをかき上げながら、平気な顔で正面から倉地を見返した。
「どうしてがあるか。おれは赤の他人におれの女を養わすほど腑抜けではないんだ」
「まあ気の小さい」
葉子はなおも動じなかった。そこに婢がはいって来たので話の腰が折られた。二人はしばらく黙っていた。
「おれはこれから竹柴へ行く。な、行こう」
「だって明朝困りますわ。わたしが留守だと妹たちが学校に行けないもの」
「一筆書いて学校なんざあ休んで留守をしろといってやれい」
葉子はもちろんちょっとそんな事をいって見ただけだった。妹たちの学校に行ったあとでも、苔香園の婆さんに言葉をかけておいて家を明ける事は常始終だった。ことにその夜は木村の事について倉地に合点させておくのが必要だと思ったのでいい出された時から一緒する下心ではあったのだ。葉子はそこにあったペンを取り上げて紙切れに走り書きをした。倉地が急病になったので介抱のために今夜はここで泊まる。あすの朝学校の時刻までに帰って来なかったら、戸締まりをして出かけていい。そういう意味を書いた。その間に倉地は手早く着がえをして、書類を大きなシナ鞄に突っ込んで錠をおろしてから、綿密にあくかあかないかを調べた。そして考えこむようにうつむいて上目をしながら、両手をふところにさし込んで鍵を腹帯らしい所にしまい込んだ。
九時すぎ十時近くなってから二人は連れ立って下宿を出た。増上寺前に来てから車を傭った。満月に近い月がもうだいぶ寒空高くこうこうとかかっていた。
二人を迎えた竹柴館の女中は倉地を心得ていて、すぐ庭先に離れになっている二間ばかりの一軒に案内した。風はないけれども月の白さでひどく冷え込んだような晩だった。葉子は足の先が氷で包まれたほど感覚を失っているのを覚えた。倉地の浴したあとで、熱めな塩湯にゆっくり浸ったのでようやく人心地がついて戻って来た時には、素早い女中の働きで酒肴がととのえられていた。葉子が倉地と遠出らしい事をしたのはこれが始めてなので、旅先にいるような気分が妙に二人を親しみ合わせた。ましてや座敷に続く芝生のはずれの石垣には海の波が来て静かに音を立てていた。空には月がさえていた。妹たちに取り巻かれたり、下宿人の目をかねたりしていなければならなかった二人はくつろいだ姿と心とで火鉢により添った。世の中は二人きりのようだった。いつのまにか良人とばかり倉地を考え慣れてしまった葉子は、ここに再び情人を見いだしたように思った。そして何とはなく倉地をじらしてじらしてじらし抜いたあげくに、その反動から来る蜜のような歓語を思いきり味わいたい衝動に駆られていた。そしてそれがまた倉地の要求でもある事を本能的に感じていた。
「いいわねえ。なぜもっと早くこんな所に来なかったでしょう。すっかり苦労も何も忘れてしまいましたわ」
葉子はすべすべとほてって少しこわばるような頬をなでながら、とろけるように倉地を見た。もうだいぶ酒の気のまわった倉地は、女の肉感をそそり立てるようなにおいを部屋じゅうにまき散らす葉巻をふかしながら、葉子を尻目にかけた。
「それは結構。だがおれにはさっきの話が喉につかえて残っとるて。胸くそが悪いぞ」
葉子はあきれたように倉地を見た。
「木村の事?」
「お前はおれの金を心まかせに使う気にはなれないんか」
「足りませんもの」
「足りなきゃなぜいわん」
「いわなくったって木村がよこすんだからいいじゃありませんか」
「ばか!」
倉地は右の肩を小山のようにそびやかして、上体を斜に構えながら葉子をにらみつけた。葉子はその目の前で海から出る夏の月のようにほほえんで見せた。
「木村は葉ちゃんに惚れとるんだよ」
「そして葉ちゃんはきらってるんですわね」
「冗談は措いてくれ。……おりゃ真剣でいっとるんだ。おれたちは木村に用はないはずだ。おれは用のないものは片っ端から捨てるのが立てまえだ。嬶だろうが子だろうが……見ろおれを……よく見ろ。お前はまだこのおれを疑っとるんだな。あとがまには木村をいつでもなおせるように食い残しをしとるんだな」
「そんな事はありませんわ」
「ではなんで手紙のやり取りなどしおるんだ」
「お金がほしいからなの」
葉子は平気な顔をしてまた話をあとに戻した。そして独酌で杯を傾けた。倉地は少しどもるほど怒りが募っていた。
「それが悪いといっとるのがわからないか……おれの面に泥を塗りこくっとる……こっちに来い(そういいながら倉地は葉子の手を取って自分の膝の上に葉子の上体をたくし込んだ)。いえ、隠さずに。今になって木村に未練が出て来おったんだろう。女というはそうしたもんだ。木村に行きたくば行け、今行け。おれのようなやくざを構っとると芽は出やせんから。……お前にはふて腐れがいっちよく似合っとるよ……ただしおれをだましにかかると見当違いだぞ」
そういいながら倉地は葉子を突き放すようにした。葉子はそれでも少しも平静を失ってはいなかった。あでやかにほほえみながら、
「あなたもあんまりわからない……」
といいながら今度は葉子のほうから倉地の膝に後ろ向きにもたれかかった。倉地はそれを退けようとはしなかった。
「何がわからんかい」
しばらくしてから、倉地は葉子の肩越しに杯を取り上げながらこう尋ねた。葉子には返事がなかった。またしばらくの沈黙の時間が過ぎた。倉地がもう一度何かいおうとした時、葉子はいつのまにかしくしくと泣いていた。倉地はこの不意打ちに思わずはっとしたようだった。
「なぜ木村から送らせるのが悪いんです」
葉子は涙を気取らせまいとするように、しかし打ち沈んだ調子でこういい出した。
「あなたの御様子でお心持ちが読めないわたしだとお思いになって? わたしゆえに会社をお引きになってから、どれほど暮らし向きに苦しんでいらっしゃるか……そのくらいはばかでもわたしにはちゃんと響いています。それでもしみったれた事をするのはあなたもおきらい、わたしもきらい……わたしは思うようにお金をつかってはいました。いましたけれども……心では泣いてたんです。あなたのためならどんな事でも喜んでしよう……そうこのごろ思ったんです。それから木村にとうとう手紙を書きました。わたしが木村をなんと思ってるか、今さらそんな事をお疑いになるのあなたは。そんな水臭い回し気をなさるからついくやしくなっちまいます。……そんなわたしだかわたしではないか……(そこで葉子は倉地から離れてきちんとすわり直して袂で顔をおおうてしまった)泥棒をしろとおっしゃるほうがまだ増しです……あなたお一人でくよくよなさって……お金の出所を……暮らし向きが張り過ぎるなら張り過ぎると……なぜ相談に乗らせてはくださらないの……やはりあなたはわたしを真身には思っていらっしゃらないのね……」
倉地は一度は目を張って驚いたようだったが、やがて事もなげに笑い出した。
「そんな事を思っとったのか。ばかだなあお前は。御好意は感謝します……全く。しかしなんぼやせても枯れても、おれは女の子の二人や三人養うに事は欠かんよ。月に三百や四百の金が手回らんようなら首をくくって死んで見せる。お前をまで相談に乗せるような事はいらんのだよ。そんな陰にまわった心配事はせん事にしようや。こののんき坊のおれまでがいらん気をもませられるで……」
「そりゃうそです」
葉子は顔をおおうたままきっぱりと矢継ぎ早にいい放った。倉地は黙ってしまった。葉子もそのまましばらくはなんとも言い出でなかった。
母屋のほうで十二を打つ柱時計の声がかすかに聞こえて来た。寒さもしんしんと募っていたには相違なかった。しかし葉子はそのいずれをも心の戸の中までは感じなかった。始めは一種のたくらみから狂言でもするような気でかかったのだったけれども、こうなると葉子はいつのまにか自分で自分の情におぼれてしまっていた。木村を犠牲にしてまでも倉地におぼれ込んで行く自分があわれまれもした。倉地が費用の出所をついぞ打ち明けて相談してくれないのが恨みがましく思われもした。知らず知らずのうちにどれほど葉子は倉地に食い込み、倉地に食い込まれていたかをしみじみと今さらに思い知った。どうなろうとどうあろうと倉地から離れる事はもうできない。倉地から離れるくらいなら自分はきっと死んで見せる。倉地の胸に歯を立ててその心臓をかみ破ってしまいたいような狂暴な執念が葉子を底知れぬ悲しみへ誘い込んだ。
心の不思議な作用として倉地も葉子の心持ちは刺青をされるように自分の胸に感じて行くらしかった。やや程経ってから倉地は無感情のような鈍い声でいい出した。
「全くはおれが悪かったのかもしれない。一時は全く金には弱り込んだ。しかしおれは早や世の中の底潮にもぐり込んだ人間だと思うと度胸がすわってしまいおった。毒も皿も食ってくれよう、そう思って(倉地はあたりをはばかるようにさらに声を落とした)やり出した仕事があの組合の事よ。水先案内のやつらはくわしい海図を自分で作って持っとる。要塞地の様子も玄人以上ださ。それを集めにかかってみた。思うようには行かんが、食うだけの金は余るほど出る」
葉子は思わずぎょっとして息気がつまった。近ごろ怪しげな外国人が倉地の所に出入りするのも心当たりになった。倉地は葉子が倉地の言葉を理解して驚いた様子を見ると、ほとほと悪魔のような顔をしてにやりと笑った。捨てばちな不敵さと力とがみなぎって見えた。
「愛想が尽きたか……」
愛想が尽きた。葉子は自分自身に愛想が尽きようとしていた。葉子は自分の乗った船はいつでも相客もろともに転覆して沈んで底知れぬ泥土の中に深々ともぐり込んで行く事を知った。売国奴、国賊、――あるいはそういう名が倉地の名に加えられるかもしれない……と思っただけで葉子は怖毛をふるって、倉地から飛びのこうとする衝動を感じた。ぎょっとした瞬間にただ瞬間だけ感じた。次にどうかしてそんな恐ろしいはめから倉地を救い出さなければならないという殊勝な心にもなった。しかし最後に落ち着いたのは、その深みに倉地をことさら突き落としてみたい悪魔的な誘惑だった。それほどまでの葉子に対する倉地の心尽くしを、臆病な驚きと躊躇とで迎える事によって、倉地に自分の心持ちの不徹底なのを見下げられはしないかという危惧よりも、倉地が自分のためにどれほどの堕落でも汚辱でも甘んじて犯すか、それをさせてみて、満足しても満足しても満足しきらない自分の心の不足を満たしたかった。そこまで倉地を突き落とすことは、それだけ二人の執着を強める事だとも思った。葉子は何事を犠牲に供しても灼熱した二人の間の執着を続けるばかりでなくさらに強める術を見いだそうとした。倉地の告白を聞いて驚いた次の瞬間には、葉子は意識こそせねこれだけの心持ちに働かれていた。「そんな事で愛想が尽きてたまるものか」と鼻であしらうような心持ちに素早くも自分を落ち着けてしまった。驚きの表情はすぐ葉子の顔から消えて、妖婦にのみ見る極端に肉的な蠱惑の微笑がそれに代わって浮かみ出した。
「ちょっと驚かされはしましたわ。……いいわ、わたしだってなんでもしますわ」
倉地は葉子が言わず語らずのうちに感激しているのを感得していた。
「よしそれで話はわかった。木村……木村からもしぼり上げろ、構うものかい。人間並みに見られないおれたちが人間並みに振る舞っていてたまるかい。葉ちゃん……命」
「命!……命‼ 命※(感嘆符三つ)」
葉子は自分の激しい言葉に目もくるめくような酔いを覚えながら、あらん限りの力をこめて倉地を引き寄せた。膳の上のものが音を立ててくつがえるのを聞いたようだったが、そのあとは色も音もない焔の天地だった。すさまじく焼けただれた肉の欲念が葉子の心を全く暗ましてしまった。天国か地獄かそれは知らない。しかも何もかもみじんにつきくだいて、びりびりと震動する炎々たる焔に燃やし上げたこの有頂天の歓楽のほかに世に何者があろう。葉子は倉地を引き寄せた。倉地において今まで自分から離れていた葉子自身を引き寄せた。そして切るような痛みと、痛みからのみ来る奇怪な快感とを自分自身に感じて陶然と酔いしれながら、倉地の二の腕に歯を立てて、思いきり弾力性に富んだ熱したその肉をかんだ。
その翌日十一時すぎに葉子は地の底から掘り起こされたように地球の上に目を開いた。倉地はまだ死んだもの同然にいぎたなく眠っていた。戸板の杉の赤みが鰹節の心のように半透明にまっ赤に光っているので、日が高いのも天気が美しく晴れているのも察せられた。甘ずっぱく立てこもった酒と煙草の余燻の中に、すき間もる光線が、透明に輝く飴色の板となって縦に薄暗さの中を区切っていた。いつもならばまっ赤に充血して、精力に充ち満ちて眠りながら働いているように見える倉地も、その朝は目の周囲に死色をさえ注していた。むき出しにした腕には青筋が病的に思われるほど高く飛び出てはいずっていた。泳ぎ回る者でもいるように頭の中がぐらぐらする葉子には、殺人者が凶行から目ざめて行った時のような底の知れない気味わるさが感ぜられた。葉子は密やかにその部屋を抜け出して戸外に出た。
降るような真昼の光線にあうと、両眼は脳心のほうにしゃにむに引きつけられてたまらない痛さを感じた。かわいた空気は息気をとめるほど喉を干からばした。葉子は思わずよろけて入り口の下見板に寄りかかって、打撲を避けるように両手で顔を隠してうつむいてしまった。
やがて葉子は人を避けながら芝生の先の海ぎわに出てみた。満月に近いころの事とて潮は遠くひいていた。蘆の枯れ葉が日を浴びて立つ沮洳地のような平地が目の前に広がっていた。しかし自然は少しも昔の姿を変えてはいなかった。自然も人もきのうのままの営みをしていた。葉子は不思議なものを見せつけられたように茫然として潮干潟の泥を見、うろこ雲で飾られた青空を仰いだ。ゆうべの事が真実ならこの景色は夢であらねばならぬ。この景色が真実ならゆうべの事は夢であらねばならぬ。二つが両立しようはずはない。……葉子は茫然としてなお目にはいって来るものをながめ続けた。
痲痺しきったような葉子の感覚はだんだん回復して来た。それと共に瞑眩を感ずるほどの頭痛をまず覚えた。次いで後腰部に鈍重な疼みがむくむくと頭をもたげるのを覚えた。肩は石のように凝っていた。足は氷のように冷えていた。
ゆうべの事は夢ではなかったのだ……そして今見るこの景色も夢ではあり得ない……それはあまりに残酷だ、残酷だ。なぜゆうべをさかいにして、世の中はかるたを裏返したように変わっていてはくれなかったのだ。
この景色のどこに自分は身をおく事ができよう。葉子は痛切に自分が落ち込んで行った深淵の深みを知った。そしてそこにしゃがんでしまって、苦い涙を泣き始めた。
懺悔の門の堅く閉ざされた暗い道がただ一筋、葉子の心の目には行く手に見やられるばかりだった。
三四
ともかくも一家の主となり、妹たちを呼び迎えて、その教育に興味と責任とを持ち始めた葉子は、自然自然に妻らしくまた母らしい本能に立ち帰って、倉地に対する情念にもどこか肉から精神に移ろうとする傾きができて来るのを感じた。それは楽しい無事とも考えれば考えられぬ事はなかった。しかし葉子は明らかに倉地の心がそういう状態の下には少しずつ硬ばって行き冷えて行くのを感ぜずにはいられなかった。それが葉子には何よりも不満だった。倉地を選んだ葉子であってみれば、日がたつに従って葉子にも倉地が感じ始めたと同様な物足らなさが感ぜられて行った。落ち着くのか冷えるのか、とにかく倉地の感情が白熱して働かないのを見せつけられる瞬間は深いさびしみを誘い起こした。こんな事で自分の全我を投げ入れた恋の花を散ってしまわせてなるものか。自分の恋には絶頂があってはならない。自分にはまだどんな難路でも舞い狂いながら登って行く熱と力とがある。その熱と力とが続く限り、ぼんやり腰を据えて周囲の平凡な景色などをながめて満足してはいられない。自分の目には絶巓のない絶巓ばかりが見えていたい。そうした衝動は小休みなく葉子の胸にわだかまっていた。絵島丸の船室で倉地が見せてくれたような、何もかも無視した、神のように狂暴な熱心――それを繰り返して行きたかった。
竹柴館の一夜はまさしくそれだった。その夜葉子は、次の朝になって自分が死んで見いだされようとも満足だと思った。しかし次の朝生きたままで目を開くと、その場で死ぬ心持ちにはもうなれなかった。もっと嵩じた歓楽を追い試みようという欲念、そしてそれができそうな期待が葉子を未練にした。それからというもの葉子は忘我渾沌の歓喜に浸るためには、すべてを犠牲としても惜しまない心になっていた。そして倉地と葉子とは互い互いを楽しませそしてひき寄せるためにあらん限りの手段を試みた。葉子は自分の不可犯性(女が男に対して持ついちばん強大な蠱惑物)のすべてまで惜しみなく投げ出して、自分を倉地の目に娼婦以下のものに見せるとも悔いようとはしなくなった。二人は、はた目には酸鼻だとさえ思わせるような肉欲の腐敗の末遠く、互いに淫楽の実を互い互いから奪い合いながらずるずると壊れこんで行くのだった。
しかし倉地は知らず、葉子に取ってはこのいまわしい腐敗の中にも一縷の期待が潜んでいた。一度ぎゅっとつかみ得たらもう動かないある物がその中に横たわっているに違いない、そういう期待を心のすみからぬぐい去る事ができなかったのだった。それは倉地が葉子の蠱惑に全く迷わされてしまって再び自分を回復し得ない時期があるだろうというそれだった。恋をしかけたもののひけめとして葉子は今まで、自分が倉地を愛するほど倉地が自分を愛してはいないとばかり思った。それがいつでも葉子の心を不安にし、自分というものの居すわり所までぐらつかせた。どうかして倉地を痴呆のようにしてしまいたい。葉子はそれがためにはある限りの手段を取って悔いなかったのだ。妻子を離縁させても、社会的に死なしてしまっても、まだまだ物足らなかった。竹柴館の夜に葉子は倉地を極印付きの凶状持ちにまでした事を知った。外界から切り離されるだけそれだけ倉地が自分の手に落ちるように思っていた葉子はそれを知って有頂天になった。そして倉地が忍ばねばならぬ屈辱を埋め合わせるために葉子は倉地が欲すると思わしい激しい情欲を提供しようとしたのだ。そしてそうする事によって、葉子自身が結局自己を銷尽して倉地の興味から離れつつある事には気づかなかったのだ。
とにもかくにも二人の関係は竹柴館の一夜から面目を改めた。葉子は再び妻から情熱の若々しい情人になって見えた。そういう心の変化が葉子の肉体に及ぼす変化は驚くばかりだった。葉子は急に三つも四つも若やいだ。二十六の春を迎えた葉子はそのころの女としてはそろそろ老いの徴候をも見せるはずなのに、葉子は一つだけ年を若く取ったようだった。
ある天気のいい午後――それは梅のつぼみがもう少しずつふくらみかかった午後の事だったが――葉子が縁側に倉地の肩に手をかけて立ち並びながら、うっとりと上気して雀の交わるのを見ていた時、玄関に訪れた人の気配がした。
「だれでしょう」
倉地は物惰さそうに、
「岡だろう」
といった。
「いゝえきっと正井さんよ」
「なあに岡だ」
「じゃ賭けよ」
葉子はまるで少女のように甘ったれた口調でいって玄関に出て見た。倉地がいったように岡だった。葉子は挨拶もろくろくしないでいきなり岡の手をしっかりと取った。そして小さな声で、
「よくいらしってね。その間着のよくお似合いになる事。春らしいいい色地ですわ。今倉地と賭けをしていた所。早くお上がり遊ばせ」
葉子は倉地にしていたように岡のやさ肩に手を回してならびながら座敷にはいって来た。
「やはりあなたの勝ちよ。あなたはあて事がお上手だから岡さんを譲って上げたらうまくあたったわ。今御褒美を上げるからそこで見ていらっしゃいよ」
そう倉地にいうかと思うと、いきなり岡を抱きすくめてその頬に強い接吻を与えた。岡は少女のように恥じらってしいて葉子から離れようともがいた。倉地は例の渋いように口もとをねじってほほえみながら、
「ばか!……このごろこの女は少しどうかしとりますよ。岡さん、あなた一つ背中でもどやしてやってください。……まだ勉強か」
といいながら葉子に天井を指さして見せた。葉子は岡に背中を向けて「さあどやしてちょうだい」といいながら、今度は天井を向いて、
「愛さん、貞ちゃん、岡さんがいらしってよ。お勉強が済んだら早くおりておいで」
と澄んだ美しい声で蓮葉に叫んだ。
「そうお」
という声がしてすぐ貞世が飛んでおりて来た。
「貞ちゃんは今勉強が済んだのか」
と倉地が聞くと貞世は平気な顔で、
「ええ今済んでよ」
といった。そこにはすぐはなやかな笑いが破裂した。愛子はなかなか下に降りて来ようとはしなかった。それでも三人は親しくチャブ台を囲んで茶を飲んだ。その日岡は特別に何かいい出したそうにしている様子だったが。やがて、
「きょうはわたし少しお願いがあるんですが皆様きいてくださるでしょうか」
重苦しくいい出した。
「えゝえゝあなたのおっしゃる事ならなんでも……ねえ貞ちゃん(とここまでは冗談らしくいったが急にまじめになって)……なんでもおっしゃってくださいましな、そんな他人行儀をしてくださると変ですわ」
と葉子がいった。
「倉地さんもいてくださるのでかえっていいよいと思いますが古藤さんをここにお連れしちゃいけないでしょうか。……木村さんから古藤さんの事は前から伺っていたんですが、わたしは初めてのお方にお会いするのがなんだか億劫な質なもので二つ前の日曜日までとうとうお手紙も上げないでいたら、その日突然古藤さんのほうから尋ねて来てくださったんです。古藤さんも一度お尋ねしなければいけないんだがといっていなさいました。でわたし、きょうは水曜日だから、用便外出の日だから、これから迎えに行って来たいと思うんです。いけないでしょうか」
葉子は倉地だけに顔が見えるように向き直って「自分に任せろ」という目つきをしながら、
「いいわね」
と念を押した。倉地は秘密を伝える人のように顔色だけで「よし」と答えた。葉子はくるりと岡のほうに向き直った。
「ようございますとも(葉子はそのようにアクセントを付けた)あなたにお迎いに行っていただいてはほんとにすみませんけれども、そうしてくださるとほんとうに結構。貞ちゃんもいいでしょう。またもう一人お友だちがふえて……しかも珍しい兵隊さんのお友だち……」
「愛ねえさんが岡さんに連れていらっしゃいってこの間そういったのよ」
と貞世は遠慮なくいった。
「そうそう愛子さんもそうおっしゃってでしたね」
と岡はどこまでも上品な丁寧な言葉で事のついでのようにいった。
岡が家を出るとしばらくして倉地も座を立った。
「いいでしょう。うまくやって見せるわ。かえって出入りさせるほうがいいわ」
玄関に送り出してそう葉子はいった。
「どうかなあいつ、古藤のやつは少し骨張り過ぎてる……が悪かったら元々だ……とにかくきょうおれのいないほうがよかろう」
そういって倉地は出て行った。葉子は張り出しになっている六畳の部屋をきれいに片づけて、火鉢の中に香をたきこめて、心静かに目論見をめぐらしながら古藤の来るのを待った。しばらく会わないうちに古藤はだいぶ手ごわくなっているようにも思えた。そこを自分の才力で丸めるのが時に取っての興味のようにも思えた。もし古藤を軟化すれば、木村との関係は今よりもつなぎがよくなる……。
三十分ほどたったころ一つ木の兵営から古藤は岡に伴われてやって来た。葉子は六畳にいて、貞世を取り次ぎに出した。
「貞世さんだね。大きくなったね」
まるで前の古藤の声とは思われぬようなおとなびた黒ずんだ声がして、がちゃがちゃと佩剣を取るらしい音も聞こえた。やがて岡の先に立って格好の悪いきたない黒の軍服を着た古藤が、皮類の腐ったような香いをぷんぷんさせながら葉子のいる所にはいって来た。
葉子は他意なく好意をこめた目つきで、少女のように晴れやかに驚きながら古藤を見た。
「まあこれが古藤さん? なんてこわい方になっておしまいなすったんでしょう。元の古藤さんはお額のお白い所だけにしか残っちゃいませんわ。がみがみとしかったりなすっちゃいやです事よ。ほんとうにしばらく。もう金輪際来てはくださらないものとあきらめていましたのに、よく……よくいらしってくださいました。岡さんのお手柄ですわ……ありがとうございました」
といって葉子はそこにならんですわった二人の青年をかたみがわりに見やりながら軽く挨拶した。
「さぞおつらいでしょうねえ。お湯は? お召しにならない? ちょうど沸いていますわ」
「だいぶ臭くってお気の毒ですが、一度や二度湯につかったってなおりはしませんから……まあはいりません」
古藤ははいって来た時のしかつめらしい様子に引きかえて顔色を軟らがせられていた。葉子は心の中で相変わらずの simpleton だと思った。
「そうねえ何時まで門限は?……え、六時? それじゃもういくらもありませんわね。じゃお湯はよしていただいてお話のほうをたんとしましょうねえ。いかが軍隊生活は、お気に入って?」
「はいらなかった前以上にきらいになりました」
「岡さんはどうなさったの」
「わたしまだ猶予中ですが検査を受けたってきっとだめです。不合格のような健康を持つと、わたし軍隊生活のできるような人がうらやましくってなりません。……からだでも強くなったらわたし、もう少し心も強くなるんでしょうけれども……」
「そんな事はありませんねえ」
古藤は自分の経験から岡を説伏するようにそういった。
「僕もその一人だが、鬼のような体格を持っていて、女のような弱虫が隊にいて見るとたくさんいますよ。僕はこんな心でこんな体格を持っているのが先天的の二重生活をしいられるようで苦しいんです。これからも僕はこの矛盾のためにきっと苦しむに違いない」
「なんですねお二人とも、妙な所で謙遜のしっこをなさるのね。岡さんだってそうお弱くはないし、古藤さんときたらそれは意志堅固……」
「そうなら僕はきょうもここなんかには来やしません。木村君にもとうに決心をさせているはずなんです」
葉子の言葉を中途から奪って、古藤はしたたか自分自身をむちうつように激しくこういった。葉子は何もかもわかっているくせにしらを切って不思議そうな目つきをして見せた。
「そうだ、思いきっていうだけの事はいってしまいましょう。……岡君立たないでください。君がいてくださるとかえっていいんです」
そういって古藤は葉子をしばらく熟視してからいい出す事をまとめようとするように下を向いた。岡もちょっと形を改めて葉子のほうをぬすみ見るようにした。葉子は眉一つ動かさなかった。そしてそばにいる貞世に耳うちして、愛子を手伝って五時に夕食の食べられる用意をするように、そして三縁亭から三皿ほどの料理を取り寄せるようにいいつけて座をはずさした。古藤はおどるようにして部屋を出て行く貞世をそっと目のはずれで見送っていたが、やがておもむろに顔をあげた。日に焼けた顔がさらに赤くなっていた。
「僕はね……(そういっておいて古藤はまた考えた)……あなたが、そんな事はないとあなたはいうでしょうが、あなたが倉地というその事務長の人の奥さんになられるというのなら、それが悪いって思ってるわけじゃないんです。そんな事があるとすりゃそりゃしかたのない事なんだ。……そしてですね、僕にもそりゃわかるようです。……わかるっていうのは、あなたがそうなればなりそうな事だと、それがわかるっていうんです。しかしそれならそれでいいから、それを木村にはっきりといってやってください。そこなんだ僕のいわんとするのは。あなたは怒るかもしれませんが、僕は木村に幾度も葉子さんとはもう縁を切れって勧告しました。これまで僕があなたに黙ってそんな事をしていたのはわるかったからお断わりをします(そういって古藤はちょっと誠実に頭を下げた。葉子も黙ったまままじめにうなずいて見せた)。けれども木村からの返事は、それに対する返事はいつでも同一なんです。葉子から破約の事を申し出て来るか、倉地という人との結婚を申し出て来るまでは、自分はだれの言葉よりも葉子の言葉と心とに信用をおく。親友であってもこの問題については、君の勧告だけでは心は動かない。こうなんです。木村ってのはそんな男なんですよ(古藤の言葉はちょっと曇ったがすぐ元のようになった)。それをあなたは黙っておくのは少し変だと思います」
「それで……」
葉子は少し座を乗り出して古藤を励ますように言葉を続けさせた。
「木村からは前からあなたの所に行ってよく事情を見てやってくれ、病気の事も心配でならないからといって来てはいるんですが、僕は自分ながらどうしようもない妙な潔癖があるもんだからつい伺いおくれてしまったのです。なるほどあなたは先よりはやせましたね。そうして顔の色もよくありませんね」
そういいながら古藤はじっと葉子の顔を見やった。葉子は姉のように一段の高みから古藤の目を迎えて鷹揚にほほえんでいた。いうだけいわせてみよう、そう思って今度は岡のほうに目をやった。
「岡さん。あなた今古藤さんのおっしゃる事をすっかりお聞きになっていてくださいましたわね。あなたはこのごろ失礼ながら家族の一人のようにこちらに遊びにおいでくださるんですが、わたしをどうお思いになっていらっしゃるか、御遠慮なく古藤さんにお話しなすってくださいましな。決して御遠慮なく……わたしどんな事を伺っても決して決してなんとも思いはいたしませんから」
それを聞くと岡はひどく当惑して顔をまっ赤にして処女のように羞恥かんだ。古藤のそばに岡を置いて見るのは、青銅の花びんのそばに咲きかけの桜を置いて見るようだった。葉子はふと心に浮かんだその対比を自分ながらおもしろいと思った。そんな余裕を葉子は失わないでいた。
「わたしこういう事柄には物をいう力はないように思いますから……」
「そういわないでほんとうに思った事をいってみてください。僕は一徹ですからひどい思い間違いをしていないとも限りませんから。どうか聞かしてください」
そういって古藤も肩章越しに岡を顧みた。
「ほんとうに何もいう事はないんですけれども……木村さんにはわたし口にいえないほど御同情しています。木村さんのようないい方が今ごろどんなにひとりでさびしく思っていられるかと思いやっただけでわたしさびしくなってしまいます。けれども世の中にはいろいろな運命があるのではないでしょうか。そうして銘々は黙ってそれを耐えて行くよりしかたがないようにわたし思います。そこで無理をしようとするとすべての事が悪くなるばかり……それはわたしだけの考えですけれども。わたしそう考えないと一刻も生きていられないような気がしてなりません。葉子さんと木村さんと倉地さんとの関係はわたし少しは知ってるようにも思いますけれども、よく考えてみるとかえってちっとも知らないのかもしれませんねえ。わたしは自分自身が少しもわからないんですからお三人の事なども、わからない自分の、わからない想像だけの事だと思いたいんです。……古藤さんにはそこまではお話ししませんでしたけれども、わたし自分の家の事情がたいへん苦しいので心を打ちあけるような人を持っていませんでしたが……、ことに母とか姉妹とかいう女の人に……葉子さんにお目にかかったら、なんでもなくそれができたんです。それでわたしはうれしかったんです。そうして葉子さんが木村さんとどうしても気がお合いにならない、その事も失礼ですけれども今の所ではわたし想像が違っていないようにも思います。けれどもそのほかの事はわたしなんとも自信をもっていう事ができません。そんな所まで他人が想像をしたり口を出したりしていいものかどうかもわたしわかりません。たいへん独善的に聞こえるかもしれませんが、そんな気はなく、運命にできるだけ従順にしていたいと思うと、わたし進んで物をいったりしたりするのが恐ろしいと思います。……なんだか少しも役に立たない事をいってしまいまして……わたしやはり力がありませんから、何もいわなかったほうがよかったんですけれども……」
そう絶え入るように声を細めて岡は言葉を結ばぬうちに口をつぐんでしまった。そのあとには沈黙だけがふさわしいように口をつぐんでしまった。
実際そのあとには不思議なほどしめやかな沈黙が続いた。たき込めた香のにおいがかすかに動くだけだった。
「あんなに謙遜な岡君も(岡はあわててその賛辞らしい古藤の言葉を打ち消そうとしそうにしたが、古藤がどんどん言葉を続けるのでそのまま顔を赤くして黙ってしまった)あなたと木村とがどうしても折り合わない事だけは少なくとも認めているんです。そうでしょう」
葉子は美しい沈黙をがさつな手でかき乱された不快をかすかに物足らなく思うらしい表情をして、
「それは洋行する前、いつぞや横浜に一緒に行っていただいた時くわしくお話ししたじゃありませんか。それはわたしどなたにでも申し上げていた事ですわ」
「そんならなぜ……その時は木村のほかには保護者はいなかったから、あなたとしてはお妹さんたちを育てて行く上にも自分を犠牲にして木村に行く気でおいでだったかもしれませんがなぜ……なぜ今になっても木村との関係をそのままにしておく必要があるんです」
岡は激しい言葉で自分が責められるかのようにはらはらしながら首を下げたり、葉子と古藤の顔とをかたみがわりに見やったりしていたが、とうとう居たたまれなくなったと見えて、静かに座を立って人のいない二階のほうに行ってしまった。葉子は岡の心持ちを思いやって引き止めなかったし、古藤は、いてもらった所がなんの役にも立たないと思ったらしくこれも引き止めはしなかった。さす花もない青銅の花びん一つ……葉子は心の中で皮肉にほほえんだ。
「それより先に伺わしてちょうだいな、倉地さんはどのくらいの程度でわたしたちを保護していらっしゃるか御存じ?」
古藤はすぐぐっと詰まってしまった。しかしすぐ盛り返して来た。
「僕は岡君と違ってブルジョアの家に生まれなかったものですからデリカシーというような美徳をあまりたくさん持っていないようだから、失礼な事をいったら許してください。倉地って人は妻子まで離縁した……しかも非常に貞節らしい奥さんまで離縁したと新聞に出ていました」
「そうね新聞には出ていましたわね。……ようございますわ、仮にそうだとしたらそれが何かわたしと関係のある事だとでもおっしゃるの」
そういいながら葉子は少し気に障えたらしく、炭取りを引き寄せて火鉢に火をつぎ足した。桜炭の火花が激しく飛んで二人の間にはじけた。
「まあひどいこの炭は、水をかけずに持って来たと見えるのね。女ばかりの世帯だと思って出入りの御用聞きまで人をばかにするんですのよ」
葉子はそう言い言い眉をひそめた。古藤は胸をつかれたようだった。
「僕は乱暴なもんだから……いい過ぎがあったらほんとうに許してください。僕は実際いかに親友だからといって木村ばかりをいいようにと思ってるわけじゃないんですけれども、全くあの境遇には同情してしまうもんだから……僕はあなたも自分の立場さえはっきりいってくださればあなたの立場も理解ができると思うんだけれどもなあ。……僕はあまり直線的すぎるんでしょうか。僕は世の中を sun-clear に見たいと思いますよ。できないもんでしょうか」
葉子はなでるような好意のほほえみを見せた。
「あなたがわたしほんとうにうらやましゅうござんすわ。平和な家庭にお育ちになって素直になんでも御覧になれるのはありがたい事なんですわ。そんな方ばかりが世の中にいらっしゃるとめんどうがなくなってそれはいいんですけれども、岡さんなんかはそれから見るとほんとうにお気の毒なんですの。わたしみたいなものをさえああしてたよりにしていらっしゃるのを見るといじらしくってきょうは倉地さんの見ている前でキスして上げっちまったの。……他人事じゃありませんわね(葉子の顔はすぐ曇った)。あなたと同様はきはきした事の好きなわたしがこんなに意地をこじらしたり、人の気をかねたり、好んで誤解を買って出たりするようになってしまった、それを考えてごらんになってちょうだい。あなたには今はおわかりにならないかもしれませんけれども……それにしてももう五時。愛子に手料理を作らせておきましたから久しぶりで妹たちにも会ってやってくださいまし、ね、いいでしょう」
古藤は急に固くなった。
「僕は帰ります。僕は木村にはっきりした報告もできないうちに、こちらで御飯をいただいたりするのはなんだか気がとがめます。葉子さん頼みます、木村を救ってください。そしてあなた自身を救ってください。僕はほんとうをいうと遠くに離れてあなたを見ているとどうしてもきらいになっちまうんですが、こうやってお話ししていると失礼な事をいったり自分で怒ったりしながらも、あなたは自分でもあざむけないようなものを持っておられるのを感ずるように思うんです。境遇が悪いんだきっと。僕は一生が大事だと思いますよ。来世があろうが過去世があろうがこの一生が大事だと思いますよ。生きがいがあったと思うように生きて行きたいと思いますよ。ころんだって倒れたってそんな事を世間のようにかれこれくよくよせずに、ころんだら立って、倒れたら起き上がって行きたいと思います。僕は少し人並みはずれてばかのようだけれども、ばか者でさえがそうして行きたいと思ってるんです」
古藤は目に涙をためて痛ましげに葉子を見やった。その時電灯が急に部屋を明るくした。
「あなたはほんとうにどこか悪いようですね。早くなおってください。それじゃ僕はこれできょうは御免をこうむります。さようなら」
牝鹿のように敏感な岡さえがいっこう注意しない葉子の健康状態を、鈍重らしい古藤がいち早く見て取って案じてくれるのを見ると、葉子はこの素朴な青年になつかし味を感ずるのだった。葉子は立って行く古藤の後ろから、
「愛さん貞ちゃん古藤さんがお帰りになるといけないから早く来ておとめ申しておくれ」
と叫んだ。玄関に出た古藤の所に台所口から貞世が飛んで来た。飛んで来はしたが、倉地に対してのようにすぐおどりかかる事は得しないで、口もきかずに、少し恥ずかしげにそこに立ちすくんだ。そのあとから愛子が手ぬぐいを頭から取りながら急ぎ足で現われた。玄関のなげしの所に照り返しをつけて置いてあるランプの光をまともに受けた愛子の顔を見ると、古藤は魅いられたようにその美に打たれたらしく、目礼もせずにその立ち姿にながめ入った。愛子はにこりと左の口じりに笑くぼの出る微笑を見せて、右手の指先が廊下の板にやっとさわるほど膝を折って軽く頭を下げた。愛子の顔には羞恥らしいものは少しも現われなかった。
「いけません、古藤さん。妹たちが御恩返しのつもりで一生懸命にしたんですから、おいしくはありませんが、ぜひ、ね。貞ちゃんお前さんその帽子と剣とを持ってお逃げ」
葉子にそういわれて貞世はすばしこく帽子だけ取り上げてしまった。古藤はおめおめと居残る事になった。
葉子は倉地をも呼び迎えさせた。
十二畳の座敷にはこの家に珍しくにぎやかな食卓がしつらえられた。五人がおのおの座について箸を取ろうとする所に倉地がはいって来た。
「さあいらっしゃいまし、今夜はにぎやかですのよ。ここへどうぞ(そう云って古藤の隣の座を目で示した)。倉地さん、この方がいつもおうわさをする木村の親友の古藤義一さんです。きょう珍しくいらしってくださいましたの。これが事務長をしていらしった倉地三吉さんです」
紹介された倉地は心置きない態度で古藤のそばにすわりながら、
「わたしはたしか双鶴館でちょっとお目にかかったように思うが御挨拶もせず失敬しました。こちらには始終お世話になっとります。以後よろしく」
といった。古藤は正面から倉地をじっと見やりながらちょっと頭を下げたきり物もいわなかった。倉地は軽々しく出した自分の今の言葉を不快に思ったらしく、苦りきって顔を正面に直したが、しいて努力するように笑顔を作ってもう一度古藤を顧みた。
「あの時からすると見違えるように変わられましたな。わたしも日清戦争の時は半分軍人のような生活をしたが、なかなかおもしろかったですよ。しかし苦しい事もたまにはおありだろうな」
古藤は食卓を見やったまま、
「えゝ」
とだけ答えた。倉地の我慢はそれまでだった。一座はその気分を感じてなんとなく白け渡った。葉子の手慣れた tact でもそれはなかなか一掃されなかった。岡はその気まずさを強烈な電気のように感じているらしかった。ひとり貞世だけはしゃぎ返った。
「このサラダは愛ねえさんがお醋とオリーブ油を間違って油をたくさんかけたからきっと油っこくってよ」
愛子はおだやかに貞世をにらむようにして、
「貞ちゃんはひどい」
といった。貞世は平気だった。
「その代わりわたしがまたお醋をあとから入れたからすっぱすぎる所があるかもしれなくってよ。も少しついでにお葉も入れればよかってねえ、愛ねえさん」
みんなは思わず笑った。古藤も笑うには笑った。しかしその笑い声はすぐしずまってしまった。
やがて古藤が突然箸をおいた。
「僕が悪いためにせっかくの食卓をたいへん不愉快にしたようです。すみませんでした。僕はこれで失礼します」
葉子はあわてて、
「まあそんな事はちっともありません事よ。古藤さんそんな事をおっしゃらずにしまいまでいらしってちょうだいどうぞ。みんなで途中までお送りしますから」
ととめたが古藤はどうしてもきかなかった。人々は食事なかばで立ち上がらねばならなかった。古藤は靴をはいてから、帯皮を取り上げて剣をつると、洋服のしわを延ばしながら、ちらっと愛子に鋭く目をやった。始めからほとんど物をいわなかった愛子は、この時も黙ったまま、多恨な柔和な目を大きく見開いて、中座をして行く古藤を美しくたしなめるようにじっと見返していた、それを葉子の鋭い視覚は見のがさなかった。
「古藤さん、あなたこれからきっとたびたびいらしってくださいましよ。まだまだ申し上げる事がたくさん残っていますし、妹たちもお待ち申していますから、きっとですことよ」
そういって葉子も親しみを込めたひとみを送った。古藤はしゃちこ張った軍隊式の立礼をして、さくさくと砂利の上に靴の音を立てながら、夕闇の催した杉森の下道のほうへと消えて行った。
見送りに立たなかった倉地が座敷のほうでひとり言のようにだれに向かってともなく「ばか!」というのが聞こえた。
三五
葉子と倉地とは竹柴館以来たびたび家を明けて小さな恋の冒険を楽しみ合うようになった。そういう時に倉地の家に出入りする外国人や正井などが同伴する事もあった。外国人はおもに米国の人だったが、葉子は倉地がそういう人たちを同座させる意味を知って、そのなめらかな英語と、だれでも――ことに顔や手の表情に本能的な興味を持つ外国人を――蠱惑しないでは置かないはなやかな応接ぶりとで、彼らをとりこにする事に成功した。それは倉地の仕事を少なからず助けたに違いなかった。倉地の金まわりはますます潤沢になって行くらしかった。葉子一家は倉地と木村とから貢がれる金で中流階級にはあり得ないほど余裕のある生活ができたのみならず、葉子は充分の仕送りを定子にして、なお余る金を女らしく毎月銀行に預け入れるまでになった。
しかしそれとともに倉地はますますすさんで行った。目の光にさえもとのように大海にのみ見る寛濶な無頓着なそして恐ろしく力強い表情はなくなって、いらいらとあてもなく燃えさかる石炭の火のような熱と不安とが見られるようになった。ややともすると倉地は突然わけもない事にきびしく腹を立てた。正井などは木っ葉みじんにしかり飛ばされたりした。そういう時の倉地はあらしのような狂暴な威力を示した。
葉子も自分の健康がだんだん悪いほうに向いて行くのを意識しないではいられなくなった。倉地の心がすさめばすさむほど葉子に対して要求するものは燃えただれる情熱の肉体だったが、葉子もまた知らず知らず自分をそれに適応させ、かつは自分が倉地から同様な狂暴な愛撫を受けたい欲念から、先の事もあとの事も考えずに、現在の可能のすべてを尽くして倉地の要求に応じて行った。脳も心臓も振り回して、ゆすぶって、たたきつけて、一気に猛火であぶり立てるような激情、魂ばかりになったような、肉ばかりになったような極端な神経の混乱、そしてそのあとに続く死滅と同然の倦怠疲労。人間が有する生命力をどん底からためし試みるそういう虐待が日に二度も三度も繰り返された。そうしてそのあとでは倉地の心はきっと野獣のようにさらにすさんでいた。葉子は不快きわまる病理的の憂鬱に襲われた。静かに鈍く生命を脅かす腰部の痛み、二匹の小魔が肉と骨との間にはいり込んで、肉を肩にあてて骨を踏んばって、うんと力任せに反り上がるかと思われるほどの肩の凝り、だんだん鼓動を低めて行って、呼吸を苦しくして、今働きを止めるかとあやぶむと、一時に耳にまで音が聞こえるくらい激しく動き出す不規則な心臓の動作、もやもやと火の霧で包まれたり、透明な氷の水で満たされるような頭脳の狂い、……こういう現象は日一日と生命に対する、そして人生に対する葉子の猜疑を激しくした。
有頂天の溺楽のあとに襲って来るさびしいとも、悲しいとも、はかないとも形容のできないその空虚さは何よりも葉子につらかった。たといその場で命を絶ってもその空虚さは永遠に葉子を襲うもののようにも思われた。ただこれからのがれるただ一つの道は捨てばちになって、一時的のものだとは知り抜きながら、そしてそのあとにはさらに苦しい空虚さが待ち伏せしているとは覚悟しながら、次の溺楽を逐うほかはなかった。気分のすさんだ倉地も同じ葉子と同じ心で同じ事を求めていた。こうして二人は底止する所のないいずこかへ手をつないで迷い込んで行った。
ある朝葉子は朝湯を使ってから、例の六畳で鏡台に向かったが一日一日に変わって行くような自分の顔にはただ驚くばかりだった。少し縦に長く見える鏡ではあるけれども、そこに映る姿はあまりに細っていた。その代わり目は前にも増して大きく鈴を張って、化粧焼けとも思われぬ薄い紫色の色素がそのまわりに現われて来ていた。それが葉子の目にたとえば森林に囲まれた澄んだ湖のような深みと神秘とを添えるようにも見えた。鼻筋はやせ細って精神的な敏感さをきわ立たしていた。頬の傷々しくこけたために、葉子の顔にいうべからざる暖かみを与える笑くぼを失おうとしてはいたが、その代わりにそこには悩ましく物思わしい張りを加えていた。ただ葉子がどうしても弁護のできないのはますます目立って来た固い下顎の輪郭だった。しかしとにもかくにも肉情の興奮の結果が顔に妖凄な精神美を付け加えているのは不思議だった。葉子はこれまでの化粧法を全然改める必要をその朝になってしみじみと感じた。そして今まで着ていた衣類までが残らず気に食わなくなった。そうなると葉子は矢もたてもたまらなかった。
葉子は紅のまじった紅粉をほとんど使わずに化粧をした。顎の両側と目のまわりとの紅粉をわざと薄くふき取った。枕を入れずに前髪を取って、束髪の髷を思いきり下げて結ってみた。鬢だけを少しふくらましたので顎の張ったのも目立たず、顔の細くなったのもいくらか調節されて、そこには葉子自身が期待もしなかったような廃頽的な同時に神経質的なすごくも美しい一つの顔面が創造されていた。有り合わせのものの中からできるだけ地味な一そろいを選んでそれを着ると葉子はすぐ越後屋に車を走らせた。
昼すぎまで葉子は越後屋にいて注文や買い物に時を過ごした。衣服や身のまわりのものの見立てについては葉子は天才といってよかった。自分でもその才能には自信を持っていた。従って思い存分の金をふところに入れていて買い物をするくらい興の多いものは葉子に取っては他になかった。越後屋を出る時には、感興と興奮とに自分を傷めちぎった芸術家のようにへとへとに疲れきっていた。
帰りついた玄関の靴脱ぎ石の上には岡の細長い華車な半靴が脱ぎ捨てられていた。葉子は自分の部屋に行って懐中物などをしまって、湯飲みでなみなみと一杯の白湯を飲むと、すぐ二階に上がって行った。自分の新しい化粧法がどんなふうに岡の目を刺激するか、葉子は子供らしくそれを試みてみたかったのだ。彼女は不意に岡の前に現われようために裏階子からそっと登って行った。そして襖をあけるとそこに岡と愛子だけがいた。貞世は苔香園にでも行って遊んでいるのかそこには姿を見せなかった。
岡は詩集らしいものを開いて見ていた。そこにはなお二三冊の書物が散らばっていた。愛子は縁側に出て手欄から庭を見おろしていた。しかし葉子は不思議な本能から、階子段に足をかけたころには、二人は決して今のような位置に、今のような態度でいたのではないという事を直覚していた。二人が一人は本を読み、一人が縁に出ているのは、いかにも自然でありながら非常に不自然だった。
突然――それはほんとうに突然どこから飛び込んで来たのか知れない不快の念のために葉子の胸はかきむしられた。岡は葉子の姿を見ると、わざっと寛がせていたような姿勢を急に正して、読みふけっていたらしく見せた詩集をあまりに惜しげもなく閉じてしまった。そしていつもより少しなれなれしく挨拶した。愛子は縁側から静かにこっちを振り向いて平生と少しも変わらない態度で、柔順に無表情に縁板の上にちょっと膝をついて挨拶した。しかしその沈着にも係わらず、葉子は愛子が今まで涙を目にためていたのをつきとめた。岡も愛子も明らかに葉子の顔や髪の様子の変わったのに気づいていないくらい心に余裕のないのが明らかだった。
「貞ちゃんは」
と葉子は立ったままで尋ねてみた。二人は思わずあわてて答えようとしたが、岡は愛子をぬすみ見るようにして控えた。
「隣の庭に花を買いに行ってもらいましたの」
そう愛子が少し下を向いて髷だけを葉子に見えるようにして素直に答えた。「ふゝん」と葉子は腹の中でせせら笑った。そして始めてそこにすわって、じっと岡の目を見つめながら、
「何? 読んでいらしったのは」
といって、そこにある四六細型の美しい表装の書物を取り上げて見た。黒髪を乱した妖艶な女の頭、矢で貫かれた心臓、その心臓からぽたぽた落ちる血のしたたりがおのずから字になったように図案された「乱れ髪」という標題――文字に親しむ事の大きらいな葉子もうわさで聞いていた有名な鳳晶子の詩集だった。そこには「明星」という文芸雑誌だの、春雨の「無花果」だの、兆民居士の「一年有半」だのという新刊の書物も散らばっていた。
「まあ岡さんもなかなかのロマンティストね、こんなものを愛読なさるの」
と葉子は少し皮肉なものを口じりに見せながら尋ねてみた。岡は静かな調子で訂正するように、
「それは愛子さんのです。わたし今ちょっと拝見しただけです」
「これは」
といって葉子は今度は「一年有半」を取り上げた。
「それは岡さんがきょう貸してくださいましたの。わたしわかりそうもありませんわ」
愛子は姉の毒舌をあらかじめ防ごうとするように。
「へえ、それじゃ岡さん、あなたはまたたいしたリアリストね」
葉子は愛子を眼中にもおかないふうでこういった。去年の下半期の思想界を震憾したようなこの書物と続編とは倉地の貧しい書架の中にもあったのだ。そして葉子はおもしろく思いながらその中を時々拾い読みしていたのだった。
「なんだかわたしとはすっかり違った世界を見るようでいながら、自分の心持ちが残らずいってあるようでもあるんで……わたしそれが好きなんです。リアリストというわけではありませんけれども……」
「でもこの本の皮肉は少しやせ我慢ね。あなたのような方にはちょっと不似合いですわ」
「そうでしょうか」
岡は何とはなく今にでも腫れ物にさわられるかのようにそわそわしていた。会話は少しもいつものようにははずまなかった。葉子はいらいらしながらもそれを顔には見せないで今度は愛子のほうに槍先を向けた。
「愛さんお前こんな本をいつお買いだったの」
といってみると、愛子は少しためらっている様子だったが、すぐに素直な落ち着きを見せて、
「買ったんじゃないんですの。古藤さんが送ってくださいましたの」
といった。葉子はさすがに驚いた。古藤はあの会食の晩、中座したっきり、この家には足踏みもしなかったのに……。葉子は少し激しい言葉になった。
「なんだってまたこんな本を送っておよこしなさったんだろう。あなたお手紙でも上げたのね」
「えゝ、……くださいましたから」
「どんなお手紙を」
愛子は少しうつむきかげんに黙ってしまった、こういう態度を取った時の愛子のしぶとさを葉子はよく知っていた。葉子の神経はびりびりと緊張して来た。
「持って来てお見せ」
そう厳格にいいながら、葉子はそこに岡のいる事も意識の中に加えていた。愛子は執拗に黙ったまますわっていた。しかし葉子がもう一度催促の言葉を出そうとすると、その瞬間に愛子はつと立ち上がって部屋を出て行った。
葉子はそのすきに岡の顔を見た。それはまた無垢童貞の青年が不思議な戦慄を胸の中に感じて、反感を催すか、ひき付けられるかしないではいられないような目で岡を見た。岡は少女のように顔を赤めて、葉子の視線を受けきれないでひとみをたじろがしつつ目を伏せてしまった。葉子はいつまでもそのデリケートな横顔を注視つづけた。岡は唾を飲みこむのもはばかるような様子をしていた。
「岡さん」
そう葉子に呼ばれて、岡はやむを得ずおずおず頭を上げた。葉子は今度はなじるようにその若々しい上品な岡を見つめていた。
そこに愛子が白い西洋封筒を持って帰って来た。葉子は岡にそれを見せつけるように取り上げて、取るにも足らぬ軽いものでも扱うように飛び飛びに読んでみた。それにはただあたりまえな事だけが書いてあった。しばらく目で見た二人の大きくなって変わったのには驚いたとか、せっかく寄って作ってくれたごちそうをすっかり賞味しないうちに帰ったのは残念だが、自分の性分としてはあの上我慢ができなかったのだから許してくれとか、人間は他人の見よう見まねで育って行ったのではだめだから、たといどんな境遇にいても自分の見識を失ってはいけないとか、二人には倉地という人間だけはどうかして近づけさせたくないと思うとか、そして最後に、愛子さんは詠歌がなかなか上手だったがこのごろできるか、できるならそれを見せてほしい、軍隊生活の乾燥無味なのには堪えられないからとしてあった。そしてあて名は愛子、貞世の二人になっていた。
「ばかじゃないの愛さん、あなたこのお手紙でいい気になって、下手くそなぬたでもお見せ申したんでしょう……いい気なものね……この御本と一緒にもお手紙が来たはずね」
愛子はすぐまた立とうとした。しかし葉子はそうはさせなかった。
「一本一本お手紙を取りに行ったり帰ったりしたんじゃ日が暮れますわ。……日が暮れるといえばもう暗くなったわ。貞ちゃんはまた何をしているだろう……あなた早く呼びに行って一緒にお夕飯のしたくをしてちょうだい」
愛子はそこにある書物をひとかかえに胸に抱いて、うつむくと愛らしく二重になる頤で押えて座を立って行った。それがいかにもしおしおと、細かい挙動の一つ一つで岡に哀訴するように見れば見なされた。「互いに見かわすような事をしてみるがいい」そう葉子は心の中で二人をたしなめながら、二人に気を配った。岡も愛子も申し合わしたように瞥視もし合わなかった。けれども葉子は二人がせめては目だけでも慰め合いたい願いに胸を震わしているのをはっきりと感ずるように思った。葉子の心はおぞましくも苦々しい猜疑のために苦しんだ。若さと若さとが互いにきびしく求め合って、葉子などをやすやすと袖にするまでにその情炎は嵩じていると思うと耐えられなかった。葉子はしいて自分を押ししずめるために、帯の間から煙草入れを取り出してゆっくり煙を吹いた。煙管の先が端なく火鉢にかざした岡の指先に触れると電気のようなものが葉子に伝わるのを覚えた。若さ……若さ……。
そこには二人の間にしばらくぎごちない沈黙が続いた。岡が何をいえば愛子は泣いたんだろう。愛子は何を泣いて岡に訴えていたのだろう。葉子が数えきれぬほど経験した幾多の恋の場面の中から、激情的ないろいろの光景がつぎつぎに頭の中に描かれるのだった。もうそうした年齢が岡にも愛子にも来ているのだ。それに不思議はない。しかしあれほど葉子にあこがれおぼれて、いわば恋以上の恋ともいうべきものを崇拝的にささげていた岡が、あの純直な上品なそしてきわめて内気な岡が、見る見る葉子の把持から離れて、人もあろうに愛子――妹の愛子のほうに移って行こうとしているらしいのを見なければならないのはなんという事だろう。愛子の涙――それは察する事ができる。愛子はきっと涙ながらに葉子と倉地との間にこのごろ募って行く奔放な放埒な醜行を訴えたに違いない。葉子の愛子と貞世とに対する偏頗な愛憎と、愛子の上に加えられる御殿女中風な圧迫とを嘆いたに違いない。しかもそれをあの女に特有な多恨らしい、冷ややかな、さびしい表現法で、そして息気づまるような若さと若さとの共鳴の中に……。
勃然として焼くような嫉妬が葉子の胸の中に堅く凝りついて来た。葉子はすり寄っておどおどしている岡の手を力強く握りしめた。葉子の手は氷のように冷たかった。岡の手は火鉢にかざしてあったせいか、珍しくほてって臆病らしい油汗が手のひらにしとどににじみ出ていた。
「あなたはわたしがおこわいの」
葉子はさりげなく岡の顔をのぞき込むようにしてこういった。
「そんな事……」
岡はしょう事なしに腹を据えたように割合にしゃんとした声でこういいながら、葉子の目をゆっくり見やって、握られた手には少しも力をこめようとはしなかった。葉子は裏切られたと思う不満のためにもうそれ以上冷静を装ってはいられなかった。昔のようにどこまでも自分を失わない、粘り気の強い、鋭い神経はもう葉子にはなかった。
「あなたは愛子を愛していてくださるのね。そうでしょう。わたしがここに来る前愛子はあんなに泣いて何を申し上げていたの?……おっしゃってくださいな。愛子があなたのような方に愛していただけるのはもったいないくらいですから、わたし喜ぶともとがめ立てなどはしません、きっと。だからおっしゃってちょうだい。……いゝえ、そんな事をおっしゃってそりゃだめ、わたしの目はまだこれでも黒うござんすから。……あなたそんな水臭いお仕向けをわたしになさろうというの? まさかとは思いますがあなたわたしにおっしゃった事を忘れなさっちゃ困りますよ。わたしはこれでも真剣な事には真剣になるくらいの誠実はあるつもりです事よ。わたしあなたのお言葉は忘れてはおりませんわ。姉だと今でも思っていてくださるならほんとうの事をおっしゃってください。愛子に対してはわたしはわたしだけの事をして御覧に入れますから……さ」
そう疳走った声でいいながら葉子は時々握っている岡の手をヒステリックに激しく振り動かした。泣いてはならぬと思えば思うほど葉子の目からは涙が流れた。さながら恋人に不実を責めるような熱意が思うざまわき立って来た。しまいには岡にもその心持ちが移って行ったようだった。そして右手を握った葉子の手の上に左の手を添えながら、上下からはさむように押えて、岡は震え声で静かにいい出した。
「御存じじゃありませんか、わたし、恋のできるような人間ではないのを。年こそ若うございますけれども心は妙にいじけて老いてしまっているんです。どうしても恋の遂げられないような女の方にでなければわたしの恋は動きません。わたしを恋してくれる人があるとしたら、わたし、心が即座に冷えてしまうのです。一度自分の手に入れたら、どれほど尊いものでも大事なものでも、もうわたしには尊くも大事でもなくなってしまうんです。だからわたし、さびしいんです。なんにも持っていない、なんにもむなしい……そのくせそう知り抜きながらわたし、何かどこかにあるように思ってつかむ事のできないものにあこがれます。この心さえなくなればさびしくってもそれでいいのだがなと思うほど苦しくもあります。何にでも自分の理想をすぐあてはめて熱するような、そんな若い心がほしくもありますけれども、そんなものはわたしには来はしません……春にでもなって来るとよけい世の中はむなしく見えてたまりません。それをさっきふと愛子さんに申し上げたんです。そうしたら愛子さんがお泣きになったんです。わたし、あとですぐ悪いと思いました、人にいうような事じゃなかったのを……」
こういう事をいう時の岡はいう言葉にも似ず冷酷とも思われるほどたださびしい顔になった。葉子には岡の言葉がわかるようでもあり、妙にからんでも聞こえた。そしてちょっとすかされたように気勢をそがれたが、どんどんわき上がるように内部から襲い立てる力はすぐ葉子を理不尽にした。
「愛子がそんなお言葉で泣きましたって? 不思議ですわねえ。……それならそれでようござんす。……(ここで葉子は自分にも堪え切れずにさめざめと泣き出した)岡さんわたしもさびしい……さびしくって、さびしくって……」
「お察し申します」
岡は案外しんみりした言葉でそういった。
「おわかりになって?」
と葉子は泣きながら取りすがるようにした。
「わかります。……あなたは堕落した天使のような方です。御免ください。船の中で始めてお目にかかってからわたし、ちっとも心持ちが変わってはいないんです。あなたがいらっしゃるんでわたし、ようやくさびしさからのがれます」
「うそ!……あなたはもうわたしに愛想をおつかしなのよ。わたしのように堕落したものは……」
葉子は岡の手を放して、とうとうハンケチを顔にあてた。
「そういう意味でいったわけじゃないんですけれども……」
ややしばらく沈黙した後に、当惑しきったようにさびしく岡は独語ちてまた黙ってしまった。岡はどんなにさびしそうな時でもなかなか泣かなかった。それが彼をいっそうさびしく見せた。
三月末の夕方の空はなごやかだった。庭先の一重桜のこずえには南に向いたほうに白い花べんがどこからか飛んで来てくっついたようにちらほら見え出していた、その先には赤く霜枯れた杉森がゆるやかに暮れ初めて、光を含んだ青空が静かに流れるように漂っていた。苔香園のほうから園丁が間遠に鋏をならす音が聞こえるばかりだった。
若さから置いて行かれる……そうしたさびしみが嫉妬にかわってひしひしと葉子を襲って来た。葉子はふと母の親佐を思った。葉子が木部との恋に深入りして行った時、それを見守っていた時の親佐を思った。親佐のその心を思った。自分の番が来た……その心持ちはたまらないものだった。と、突然定子の姿が何よりもなつかしいものとなって胸に逼って来た。葉子は自分にもその突然の連想の経路はわからなかった。突然もあまりに突然――しかし葉子に逼るその心持ちは、さらに葉子を畳に突っ伏して泣かせるほど強いものだった。
玄関から人のはいって来る気配がした。葉子はすぐそれが倉地である事を感じた。葉子は倉地と思っただけで、不思議な憎悪を感じながらその動静に耳をすました。倉地は台所のほうに行って愛子を呼んだようだった。二人の足音が玄関の隣の六畳のほうに行った。そしてしばらく静かだった。と思うと、
「いや」
と小さく退けるようにいう愛子の声が確かに聞こえた。抱きすくめられて、もがきながら放たれた声らしかったが、その声の中には憎悪の影は明らかに薄かった。
葉子は雷に撃たれたように突然泣きやんで頭をあげた。
すぐ倉地が階子段をのぼって来る音が聞こえた。
「わたし台所に参りますからね」
何も知らなかったらしい岡に、葉子はわずかにそれだけをいって、突然座を立って裏階子に急いだ。と、かけ違いに倉地は座敷にはいって来た。強い酒の香がすぐ部屋の空気をよごした。
「やあ春になりおった。桜が咲いたぜ。おい葉子」
いかにも気さくらしく塩がれた声でこう叫んだ倉地に対して、葉子は返事もできないほど興奮していた。葉子は手に持ったハンケチを口に押し込むようにくわえて、震える手で壁を細かくたたくようにしながら階子段を降りた。
葉子は頭の中に天地の壊れ落ちるような音を聞きながら、そのまま縁に出て庭下駄をはこうとあせったけれどもどうしてもはけないので、はだしのまま庭に出た。そして次の瞬間に自分を見いだした時にはいつ戸をあけたとも知らず物置き小屋の中にはいっていた。
三六
底のない悒鬱がともするとはげしく葉子を襲うようになった。いわれのない激怒がつまらない事にもふと頭をもたげて、葉子はそれを押ししずめる事ができなくなった。春が来て、木の芽から畳の床に至るまですべてのものが膨らんで来た。愛子も貞世も見違えるように美しくなった。その肉体は細胞の一つ一つまで素早く春をかぎつけ、吸収し、飽満するように見えた。愛子はその圧迫に堪えないで春の来たのを恨むようなけだるさとさびしさとを見せた。貞世は生命そのものだった。秋から冬にかけてにょきにょきと延び上がった細々したからだには、春の精のような豊麗な脂肪がしめやかにしみわたって行くのが目に見えた。葉子だけは春が来てもやせた。来るにつけてやせた。ゴム毬の弧線のような肩は骨ばった輪郭を、薄着になった着物の下からのぞかせて、潤沢な髪の毛の重みに堪えないように首筋も細々となった。やせて悒鬱になった事から生じた別種の美――そう思って葉子がたよりにしていた美もそれはだんだん冴え増さって行く種類の美ではない事を気づかねばならなくなった。その美はその行く手には夏がなかった。寒い冬のみが待ち構えていた。
歓楽ももう歓楽自身の歓楽は持たなくなった。歓楽の後には必ず病理的な苦痛が伴うようになった。ある時にはそれを思う事すらが失望だった。それでも葉子はすべての不自然な方法によって、今は振り返って見る過去にばかりながめられる歓楽の絶頂を幻影としてでも現在に描こうとした。そして倉地を自分の力の支配の下につなごうとした。健康が衰えて行けば行くほどこの焦躁のために葉子の心は休まなかった。全盛期を過ぎた伎芸の女にのみ見られるような、いたましく廃頽した、腐菌の燐光を思わせる凄惨な蠱惑力をわずかな力として葉子はどこまでも倉地をとりこにしようとあせりにあせった。
しかしそれは葉子のいたましい自覚だった。美と健康とのすべてを備えていた葉子には今の自分がそう自覚されたのだけれども、始めて葉子を見る第三者は、物すごいほど冴えきって見える女盛りの葉子の惑力に、日本には見られないようなコケットの典型を見いだしたろう。おまけに葉子は肉体の不足を極端に人目をひく衣服で補うようになっていた。その当時は日露の関係も日米の関係もあらしの前のような暗い徴候を現わし出して、国人全体は一種の圧迫を感じ出していた。臥薪嘗胆というような合い言葉がしきりと言論界には説かれていた。しかしそれと同時に日清戦争を相当に遠い過去としてながめうるまでに、その戦役の重い負担から気のゆるんだ人々は、ようやく調整され始めた経済状態の下で、生活の美装という事に傾いていた。自然主義は思想生活の根底となり、当時病天才の名をほしいままにした高山樗牛らの一団はニイチェの思想を標榜して「美的生活」とか「清盛論」というような大胆奔放な言説をもって思想の維新を叫んでいた。風俗問題とか女子の服装問題とかいう議論が守旧派の人々の間にはかまびすしく持ち出されている間に、その反対の傾向は、殻を破った芥子の種のように四方八方に飛び散った。こうして何か今までの日本にはなかったようなものの出現を待ち設け見守っていた若い人々の目には、葉子の姿は一つの天啓のように映ったに違いない。女優らしい女優を持たず、カフェーらしいカフェーを持たない当時の路上に葉子の姿はまぶしいものの一つだ。葉子を見た人は男女を問わず目をそばだてた。
ある朝葉子は装いを凝らして倉地の下宿に出かけた。倉地は寝ごみを襲われて目をさました。座敷のすみには夜をふかして楽しんだらしい酒肴の残りが敗えたようにかためて置いてあった。例のシナ鞄だけはちゃんと錠がおりて床の間のすみに片づけられていた。葉子はいつものとおり知らんふりをしながら、そこらに散らばっている手紙の差し出し人の名前に鋭い観察を与えるのだった。倉地は宿酔を不快がって頭をたたきながら寝床から半身を起こすと、
「なんでけさはまたそんなにしゃれ込んで早くからやって来おったんだ」
とそっぽに向いて、あくびでもしながらのようにいった。これが一か月前だったら、少なくとも三か月前だったら、一夜の安眠に、あのたくましい精力の全部を回復した倉地は、いきなり寝床の中から飛び出して来て、そうはさせまいとする葉子を否応なしに床の上にねじ伏せていたに違いないのだ。葉子はわき目にもこせこせとうるさく見えるような敏捷さでそのへんに散らばっている物を、手紙は手紙、懐中物は懐中物、茶道具は茶道具とどんどん片づけながら、倉地のほうも見ずに、
「きのうの約束じゃありませんか」
と無愛想につぶやいた。倉地はその言葉で始めて何かいったのをかすかに思い出したふうで、
「何しろおれはきょうは忙しいでだめだよ」
といって、ようやく伸びをしながら立ち上がった。葉子はもう腹に据えかねるほど怒りを発していた。
「怒ってしまってはいけない。これが倉地を冷淡にさせるのだ」――そう心の中には思いながらも、葉子の心にはどうしてもそのいう事を聞かぬいたずら好きな小悪魔がいるようだった。即座にその場を一人だけで飛び出してしまいたい衝動と、もっと巧みな手練でどうしても倉地をおびき出さなければいけないという冷静な思慮とが激しく戦い合った。葉子はしばらくの後にかろうじてその二つの心持ちをまぜ合わせる事ができた。
「それではだめね……またにしましょうか。でもくやしいわ、このいいお天気に……いけない、あなたの忙しいはうそですわ。忙しい忙しいっていっときながらお酒ばかり飲んでいらっしゃるんだもの。ね、行きましょうよ。こら見てちょうだい」
そういいながら葉子は立ち上がって、両手を左右に広く開いて、袂が延びたまま両腕からすらりとたれるようにして、やや剣を持った笑いを笑いながら倉地のほうに近寄って行った。倉地もさすがに、今さらその美しさに見惚れるように葉子を見やった。天才が持つと称せられるあの青色をさえ帯びた乳白色の皮膚、それがやや浅黒くなって、目の縁に憂いの雲をかけたような薄紫の暈、霞んで見えるだけにそっと刷いた白粉、きわ立って赤くいろどられた口びる、黒い焔を上げて燃えるようなひとみ、後ろにさばいて束ねられた黒漆の髪、大きなスペイン風の玳瑁の飾り櫛、くっきりと白く細い喉を攻めるようにきりっと重ね合わされた藤色の襟、胸のくぼみにちょっとのぞかせた、燃えるような緋の帯上げのほかは、ぬれたかとばかりからだにそぐって底光りのする紫紺色の袷、その下につつましく潜んで消えるほど薄い紫色の足袋(こういう色足袋は葉子がくふうし出した新しい試みの一つだった)そういうものが互い互いに溶け合って、のどやかな朝の空気の中にぽっかりと、葉子という世にもまれなほど悽艶な一つの存在を浮き出さしていた。その存在の中から黒い焔を上げて燃えるような二つのひとみが生きて動いて倉地をじっと見やっていた。
倉地が物をいうか、身を動かすか、とにかく次の動作に移ろうとするその前に、葉子は気味の悪いほどなめらかな足どりで、倉地の目の先に立ってその胸の所に、両手をかけていた。
「もうわたしに愛想が尽きたら尽きたとはっきりいってください、ね。あなたは確かに冷淡におなりね。わたしは自分が憎うござんす、自分に愛想を尽かしています。さあいってください、……今……この場で、はっきり……でも死ねとおっしゃい、殺すとおっしゃい。わたしは喜んで……わたしはどんなにうれしいかしれないのに。……ようござんすわ、なんでもわたしほんとうが知りたいんですから。さ、いってください。わたしどんなきつい言葉でも覚悟していますから。悪びれなんかしはしませんから……あなたはほんとうにひどい……」
葉子はそのまま倉地の胸に顔をあてた。そして始めのうちはしめやかにしめやかに泣いていたが、急に激しいヒステリー風なすすり泣きに変わって、きたないものにでも触れていたように倉地の熱気の強い胸もとから飛びしざると、寝床の上にがばと突っ伏して激しく声を立てて泣き出した。
このとっさの激しい威脅に、近ごろそういう動作には慣れていた倉地だったけれども、あわてて葉子に近づいてその肩に手をかけた。葉子はおびえるようにその手から飛びのいた。そこには獣に見るような野性のままの取り乱しかたが美しい衣装にまとわれて演ぜられた。葉子の歯も爪もとがって見えた。からだは激しい痙攣に襲われたように痛ましく震えおののいていた。憤怒と恐怖と嫌悪とがもつれ合いいがみ合ってのた打ち回るようだった。葉子は自分の五体が青空遠くかきさらわれて行くのを懸命に食い止めるためにふとんでも畳でも爪の立ち歯の立つものにしがみついた。倉地は何よりもその激しい泣き声が隣近所の耳にはいるのを恥じるように背に手をやってなだめようとしてみたけれども、そのたびごとに葉子はさらに泣き募ってのがれようとばかりあせった。
「何を思い違いをしとる、これ」
倉地は喉笛をあけっ放した低い声で葉子の耳もとにこういってみたが、葉子は理不尽にも激しく頭を振るばかりだった。倉地は決心したように力任せにあらがう葉子を抱きすくめて、その口に手をあてた。
「えゝ、殺すなら殺してください……くださいとも」
という狂気じみた声をしっと制しながら、その耳もとにささやこうとすると、葉子はわれながら夢中であてがった倉地の手を骨もくだけよとかんだ。
「痛い……何しやがる」
倉地はいきなり一方の手で葉子の細首を取って自分の膝の上に乗せて締めつけた。葉子は呼吸がだんだん苦しくなって行くのをこの狂乱の中にも意識して快く思った。倉地の手で死んで行くのだなと思うとそれがなんともいえず美しく心安かった。葉子の五体からはひとりでに力が抜けて行って、震えを立ててかみ合っていた歯がゆるんだ。その瞬間をすかさず倉地はかまれていた手を振りほどくと、いきなり葉子の頬げたをひしひしと五六度続けさまに平手で打った。葉子はそれがまた快かった。そのびりびりと神経の末梢に答えて来る感覚のためにからだじゅうに一種の陶酔を感ずるようにさえ思った。「もっとお打ちなさい」といってやりたかったけれども声は出なかった。そのくせ葉子の手は本能的に自分の頬をかばうように倉地の手の下るのをささえようとしていた。倉地は両肘まで使って、ばたばたと裾を蹴乱してあばれる両足のほかには葉子を身動きもできないようにしてしまった。酒で心臓の興奮しやすくなった倉地の呼吸は霰のようにせわしく葉子の顔にかかった。
「ばかが……静かに物をいえばわかる事だに……おれがお前を見捨てるか見捨てないか……静かに考えてもみろ、ばかが……恥さらしなまねをしやがって……顔を洗って出直して来い」
そういって倉地は捨てるように葉子を寝床の上にどんとほうり投げた。
葉子の力は使い尽くされて泣き続ける気力さえないようだった。そしてそのまま昏々として眠るように仰向いたまま目を閉じていた。倉地は肩で激しく息気をつきながらいたましく取り乱した葉子の姿をまんじりとながめていた。
一時間ほどの後には葉子はしかしたった今ひき起こされた乱脈騒ぎをけろりと忘れたもののように快活で無邪気になっていた。そして二人は楽しげに下宿から新橋駅に車を走らした。葉子が薄暗い婦人待合室の色のはげたモロッコ皮のディバンに腰かけて、倉地が切符を買って来るのを待ってる間、そこに居合わせた貴婦人というような四五人の人たちは、すぐ今までの話を捨ててしまって、こそこそと葉子について私語きかわすらしかった。高慢というのでもなく謙遜というのでもなく、きわめて自然に落ち着いてまっすぐに腰かけたまま、柄の長い白の琥珀のパラソルの握りに手を乗せていながら、葉子にはその貴婦人たちの中の一人がどうも見知り越しの人らしく感ぜられた。あるいは女学校にいた時に葉子を崇拝してその風俗をすらまねた連中の一人であるかとも思われた。葉子がどんな事をうわさされているかは、その婦人に耳打ちされて、見るように見ないように葉子をぬすみ見る他の婦人たちの目色で想像された。
「お前たちはあきれ返りながら心の中のどこかでわたしをうらやんでいるのだろう。お前たちの、その物おじしながらも金目をかけた派手作りな衣装や化粧は、社会上の位置に恥じないだけの作りなのか、良人の目に快く見えようためなのか。そればかりなのか。お前たちを見る路傍の男たちの目は勘定に入れていないのか。……臆病卑怯な偽善者どもめ!」
葉子はそんな人間からは一段も二段も高い所にいるような気位を感じた。自分の扮粧がその人たちのどれよりも立ちまさっている自信を十二分に持っていた。葉子は女王のように誇りの必要もないという自らの鷹揚を見せてすわっていた。
そこに一人の夫人がはいって来た。田川夫人――葉子はその影を見るか見ないかに見て取った。しかし顔色一つ動かさなかった(倉地以外の人に対しては葉子はその時でもかなりすぐれた自制力の持ち主だった)田川夫人は元よりそこに葉子がいようなどとは思いもかけないので、葉子のほうにちょっと目をやりながらもいっこうに気づかずに、
「お待たせいたしましてすみません」
といいながら貴婦人らのほうに近寄って行った。互いの挨拶が済むか済まないうちに、一同は田川夫人によりそってひそひそと私語いた。葉子は静かに機会を待っていた。ぎょっとしたふうで、葉子に後ろを向けていた田川夫人は、肩越しに葉子のほうを振り返った。待ち設けていた葉子は今まで正面に向けていた顔をしとやかに向けかえて田川夫人と目を見合わした。葉子の目は憎むように笑っていた。田川夫人の目は笑うように憎んでいた。「生意気な」……葉子は田川夫人が目をそらさないうちに、すっくと立って田川夫人のほうに寄って行った。この不意打ちに度を失った夫人は(明らかに葉子がまっ紅になって顔を伏せるとばかり思っていたらしく、居合わせた婦人たちもそのさまを見て、容貌でも服装でも自分らを蹴落とそうとする葉子に対して溜飲をおろそうとしているらしかった)少し色を失って、そっぽを向こうとしたけれどももうおそかった。葉子は夫人の前に軽く頭を下げていた。夫人もやむを得ず挨拶のまねをして、高飛車に出るつもりらしく、
「あなたはどなた?」
いかにも横柄にさきがけて口をきった。
「早月葉でございます」
葉子は対等の態度で悪びれもせずこう受けた。
「絵島丸ではいろいろお世話様になってありがとう存じました。あのう……報正新報も拝見させていただきました。(夫人の顔色が葉子の言葉一つごとに変わるのを葉子は珍しいものでも見るようにまじまじとながめながら)たいそうおもしろうございました事。よくあんなにくわしく御通信になりましてねえ、お忙しくいらっしゃいましたろうに。……倉地さんもおりよくここに来合わせていらっしゃいますから……今ちょっと切符を買いに……お連れ申しましょうか」
田川夫人は見る見るまっさおになってしまっていた。折り返していうべき言葉に窮してしまって、拙くも、
「わたしはこんな所であなたとお話しするのは存じがけません。御用でしたら宅へおいでを願いましょう」
といいつつ今にも倉地がそこに現われて来るかとひたすらそれを怖れるふうだった。葉子はわざと夫人の言葉を取り違えたように、
「いゝえどういたしましてわたしこそ……ちょっとお待ちくださいすぐ倉地さんをお呼び申して参りますから」
そういってどんどん待合所を出てしまった。あとに残った田川夫人がその貴婦人たちの前でどんな顔をして当惑したか、それを葉子は目に見るように想像しながらいたずら者らしくほくそ笑んだ。ちょうどそこに倉地が切符を買って来かかっていた。
一等の客室には他に二三人の客がいるばかりだった。田川夫人以下の人たちはだれかの見送りか出迎えにでも来たのだと見えて、汽車が出るまで影も見せなかった。葉子はさっそく倉地に事の始終を話して聞かせた。そして二人は思い存分胸をすかして笑った。
「田川の奥さんかわいそうにまだあすこで今にもあなたが来るかともじもじしているでしょうよ、ほかの人たちの手前ああいわれてこそこそと逃げ出すわけにも行かないし」
「おれが一つ顔を出して見せればまたおもしろかったにな」
「きょうは妙な人にあってしまったからまたきっとだれかにあいますよ。奇妙ねえ、お客様が来たとなると不思議にたて続くし……」
「不仕合わせなんぞも来出すと束になって来くさるて」
倉地は何か心ありげにこういって渋い顔をしながらこの笑い話を結んだ。
葉子はけさの発作の反動のように、田川夫人の事があってからただ何となく心が浮き浮きしてしようがなかった。もしそこに客がいなかったら、葉子は子供のように単純な愛嬌者になって、倉地に渋い顔ばかりはさせておかなかったろう。「どうして世の中にはどこにでも他人の邪魔に来ましたといわんばかりにこうたくさん人がいるんだろう」と思ったりした。それすらが葉子には笑いの種となった。自分たちの向こう座にしかつめらしい顔をして老年の夫婦者がすわっているのを、葉子はしばらくまじまじと見やっていたが、その人たちのしかつめらしいのが無性にグロテスクな不思議なものに見え出して、とうとう我慢がしきれずに、ハンケチを口にあててきゅっきゅっとふき出してしまった。
三七
天心に近くぽつりと一つ白くわき出た雲の色にも形にもそれと知られるようなたけなわな春が、ところどころの別荘の建て物のほかには見渡すかぎり古く寂びれた鎌倉の谷々にまであふれていた。重い砂土の白ばんだ道の上には落ち椿が一重桜の花とまじって無残に落ち散っていた。桜のこずえには紅味を持った若葉がきらきらと日に輝いて、浅い影を地に落とした。名もない雑木までが美しかった。蛙の声が眠く田圃のほうから聞こえて来た。休暇でないせいか、思いのほかに人の雑鬧もなく、時おり、同じ花かんざしを、女は髪に男は襟にさして先達らしいのが紫の小旗を持った、遠い所から春を逐って経めぐって来たらしい田舎の人たちの群れが、酒の気も借らずにしめやかに話し合いながら通るのに行きあうくらいのものだった。
倉地も汽車の中から自然に気分が晴れたと見えて、いかにも屈託なくなって見えた。二人は停車場の付近にある或る小ぎれいな旅館を兼ねた料理屋で中食をしたためた。日朝様ともどんぶく様ともいう寺の屋根が庭先に見えて、そこから眼病の祈祷だという団扇太鼓の音がどんぶくどんぶくと単調に聞こえるような所だった。東のほうはその名さながらの屏風山が若葉で花よりも美しく装われて霞んでいた。短く美しく刈り込まれた芝生の芝はまだ萌えていなかったが、所まばらに立ち連なった小松は緑をふきかけて、八重桜はのぼせたように花でうなだれていた。もう袷一枚になって、そこに食べ物を運んで来る女中は襟前をくつろげながら夏が来たようだといって笑ったりした。
「ここはいいわ。きょうはここで宿りましょう」
葉子は計画から計画で頭をいっぱいにしていた。そしてそこに用らないものを預けて、江の島のほうまで車を走らした。
帰りには極楽寺坂の下で二人とも車を捨てて海岸に出た。もう日は稲村が崎のほうに傾いて砂浜はやや暮れ初めていた。小坪の鼻の崕の上に若葉に包まれてたった一軒建てられた西洋人の白ペンキ塗りの別荘が、夕日を受けて緑色に染めたコケットの、髪の中のダイヤモンドのように輝いていた。その崕下の民家からは炊煙が夕靄と一緒になって海のほうにたなびいていた。波打ちぎわの砂はいいほどに湿って葉子の吾妻下駄の歯を吸った。二人は別荘から散歩に出て来たらしい幾組かの上品な男女の群れと出あったが、葉子は自分の容貌なり服装なりが、そのどの群れのどの人にも立ちまさっているのを意識して、軽い誇りと落ち付きを感じていた。倉地もそういう女を自分の伴侶とするのをあながち無頓着には思わぬらしかった。
「だれかひょんな人にあうだろうと思っていましたがうまくだれにもあわなかってね。向こうの小坪の人家の見える所まで行きましょうね。そうして光明寺の桜を見て帰りましょう。そうするとちょうどお腹がいい空き具合になるわ」
倉地はなんとも答えなかったが、無論承知でいるらしかった。葉子はふと海のほうを見て倉地にまた口をきった。
「あれは海ね」
「仰せのとおり」
倉地は葉子が時々途轍もなくわかりきった事を少女みたいな無邪気さでいう、またそれが始まったというように渋そうな笑いを片頬に浮かべて見せた。
「わたしもう一度あのまっただなかに乗り出してみたい」
「してどうするのだい」
倉地もさすが長かった海の上の生活を遠く思いやるような顔をしながらいった。
「ただ乗り出してみたいの。どーっと見さかいもなく吹きまく風の中を、大波に思い存分揺られながら、ひっくりかえりそうになっては立て直って切り抜けて行くあの船の上の事を思うと、胸がどきどきするほどもう一度乗ってみたくなりますわ。こんな所いやねえ、住んでみると」
そういって葉子はパラソルを開いたまま柄の先で白い砂をざくざくと刺し通した。
「あの寒い晩の事、わたしが甲板の上で考え込んでいた時、あなたが灯をぶら下げて岡さんを連れて、やっていらしったあの時の事などをわたしはわけもなく思い出しますわ。あの時わたしは海でなければ聞けないような音楽を聞いていましたわ。陸の上にはあんな音楽は聞こうといったってありゃしない。おーい、おーい、おい、おい、おい、おーい……あれは何?」
「なんだそれは」
倉地は怪訝な顔をして葉子を振り返った。
「あの声」
「どの」
「海の声……人を呼ぶような……お互いで呼び合うような」
「なんにも聞こえやせんじゃないか」
「その時聞いたのよ……こんな浅い所では何が聞こえますものか」
「おれは長年海の上で暮らしたが、そんな声は一度だって聞いた事はないわ」
「そうお。不思議ね。音楽の耳のない人には聞こえないのかしら。……確かに聞こえましたよ、あの晩に……それは気味の悪いような物すごいような……いわばね、一緒になるべきはずなのに一緒になれなかった……その人たちが幾億万と海の底に集まっていて、銘々死にかけたような低い音で、おーい、おーいと呼び立てる、それが一緒になってあんなぼんやりした大きな声になるかと思うようなそんな気味の悪い声なの……どこかで今でもその声が聞こえるようよ」
「木村がやっているのだろう」
そういって倉地は高々と笑った。葉子は妙に笑えなかった。そしてもう一度海のほうをながめやった。目も届かないような遠くのほうに、大島が山の腰から下は夕靄にぼかされてなくなって、上のほうだけがへの字を描いてぼんやりと空に浮かんでいた。
二人はいつか滑川の川口の所まで来着いていた。稲瀬川を渡る時、倉地は、横浜埠頭で葉子にまつわる若者にしたように、葉子の上体を右手に軽々とかかえて、苦もなく細い流れを跳り越してしまったが、滑川のほうはそうは行かなかった。二人は川幅の狭そうな所を尋ねてだんだん上流のほうに流れに沿うてのぼって行ったが、川幅は広くなって行くばかりだった。
「めんどうくさい、帰りましょうか」
大きな事をいいながら、光明寺までには半分道も来ないうちに、下駄全体がめいりこむような砂道で疲れ果ててしまった葉子はこういい出した。
「あすこに橋が見える。とにかくあすこまで行ってみようや」
倉地はそういって海岸線に沿うてむっくり盛れ上がった砂丘のほうに続く砂道をのぼり始めた。葉子は倉地に手を引かれて息気をせいせいいわせながら、筋肉が強直するように疲れた足を運んだ。自分の健康の衰退が今さらにはっきり思わせられるようなそれは疲れかただった。今にも破裂するように心臓が鼓動した。
「ちょっと待って弁慶蟹を踏みつけそうで歩けやしませんわ」
そう葉子は申しわけらしくいって幾度か足をとめた。実際そのへんには紅い甲良を背負った小さな蟹がいかめしい鋏を上げて、ざわざわと音を立てるほどおびただしく横行していた。それがいかにも晩春の夕暮れらしかった。
砂丘をのぼりきると材木座のほうに続く道路に出た。葉子はどうも不思議な心持ちで、浜から見えていた乱橋のほうに行く気になれなかった。しかし倉地がどんどんそっちに向いて歩き出すので、少しすねたようにその手に取りすがりながらもつれ合って人気のないその橋の上まで来てしまった。
橋の手前の小さな掛け茶屋には主人の婆さんが葭で囲った薄暗い小部屋の中で、こそこそと店をたたむしたくでもしているだけだった。
橋の上から見ると、滑川の水は軽く薄濁って、まだ芽を吹かない両岸の枯れ葦の根を静かに洗いながら音も立てずに流れていた。それが向こうに行くと吸い込まれたように砂の盛れ上がった後ろに隠れて、またその先に光って現われて、穏やかなリズムを立てて寄せ返す海べの波の中に溶けこむように注いでいた。
ふと葉子は目の下の枯れ葦の中に動くものがあるのに気が付いて見ると、大きな麦桿の海水帽をかぶって、杭に腰かけて、釣り竿を握った男が、帽子の庇の下から目を光らして葉子をじっと見つめているのだった。葉子は何の気なしにその男の顔をながめた。
木部孤笻だった。
帽子の下に隠れているせいか、その顔はちょっと見忘れるくらい年がいっていた。そして服装からも、様子からも、落魄というような一種の気分が漂っていた。木部の顔は仮面のように冷然としていたが、釣り竿の先は不注意にも水に浸って、釣り糸が女の髪の毛を流したように水に浮いて軽く震えていた。
さすがの葉子も胸をどきんとさせて思わず身を退らせた。「おーい、おい、おい、おい、おーい」……それがその瞬間に耳の底をすーっと通ってすーっと行くえも知らず過ぎ去った。怯ず怯ずと倉地をうかがうと、倉地は何事も知らぬげに、暖かに暮れて行く青空を振り仰いで目いっぱいにながめていた。
「帰りましょう」
葉子の声は震えていた。倉地はなんの気なしに葉子を顧みたが、
「寒くでもなったか、口びるが白いぞ」
といいながら欄干を離れた。二人がその男に後ろを見せて五六歩歩み出すと、
「ちょっとお待ちください」
という声が橋の下から聞こえた。倉地は始めてそこに人のいたのに気が付いて、眉をひそめながら振り返った。ざわざわと葦を分けながら小道を登って来る足音がして、ひょっこり目の前に木部の姿が現われ出た。葉子はその時はしかしすべてに対する身構えを充分にしてしまっていた。
木部は少しばか丁寧なくらいに倉地に対して帽子を取ると、すぐ葉子に向いて、
「不思議な所でお目にかかりましたね、しばらく」
といった。一年前の木部から想像してどんな激情的な口調で呼びかけられるかもしれないとあやぶんでいた葉子は、案外冷淡な木部の態度に安心もし、不安も感じた。木部はどうかすると居直るような事をしかねない男だと葉子は兼ねて思っていたからだ。しかし木部という事を先方からいい出すまでは包めるだけ倉地には事実を包んでみようと思って、ただにこやかに、
「こんな所でお目にかかろうとは……わたしもほんとうに驚いてしまいました。でもまあほんとうにお珍しい……ただいまこちらのほうにお住まいでございますの?」
「住まうというほどもない……くすぶりこんでいますよハヽヽヽ」
と木部はうつろに笑って、鍔の広い帽子を書生っぽらしく阿弥陀にかぶった。と思うとまた急いで取って、
「あんな所からいきなり飛び出して来てこうなれなれしく早月さんにお話をしかけて変にお思いでしょうが、僕は下らんやくざ者で、それでも元は早月家にはいろいろ御厄介になった男です。申し上げるほどの名もありませんから、まあ御覧のとおりのやつです。……どちらにおいでです」
と倉地に向いていった。その小さな目には勝れた才気と、敗けぎらいらしい気象とがほとばしってはいたけれども、じじむさい顎ひげと、伸びるままに伸ばした髪の毛とで、葉子でなければその特長は見えないらしかった。倉地はどこの馬の骨かと思うような調子で、自分の名を名乗る事はもとよりせずに、軽く帽子を取って見せただけだった。そして、
「光明寺のほうへでも行ってみようかと思ったのだが、川が渡れんで……この橋を行っても行かれますだろう」
三人は橋のほうを振り返った。まっすぐな土堤道が白く山のきわまで続いていた。
「行けますがね、それは浜伝いのほうが趣がありますよ。防風草でも摘みながらいらっしゃい。川も渡れます、御案内しましょう」
といった。葉子は一時も早く木部からのがれたくもあったが、同時にしんみりと一別以来の事などを語り合ってみたい気もした。いつか汽車の中であってこれが最後の対面だろうと思った、あの時からすると木部はずっとさばけた男らしくなっていた。その服装がいかにも生活の不規則なのと窮迫しているのを思わせると、葉子は親身な同情にそそられるのを拒む事ができなかった。
倉地は四五歩先立って、そのあとから葉子と木部とは間を隔てて並びながら、また弁慶蟹のうざうざいる砂道を浜のほうに降りて行った。
「あなたの事はたいていうわさや新聞で知っていましたよ……人間てものはおかしなもんですね。……わたしはあれから落伍者です。何をしてみても成り立った事はありません。妻も子供も里に返してしまって今は一人でここに放浪しています。毎日釣りをやってね……ああやって水の流れを見ていると、それでも晩飯の酒の肴ぐらいなものは釣れて来ますよハヽヽヽヽ」
木部はまたうつろに笑ったが、その笑いの響きが傷口にでも答えたように急に黙ってしまった。砂に食い込む二人の下駄の音だけが聞こえた。
「しかしこれでいて全くの孤独でもありませんよ。ついこの間から知り合いになった男だが、砂山の砂の中に酒を埋めておいて、ぶらりとやって来てそれを飲んで酔うのを楽しみにしているのと知り合いになりましてね……そいつの人生観がばかにおもしろいんです。徹底した運命論者ですよ。酒をのんで運命論を吐くんです。まるで仙人ですよ」
倉地はどんどん歩いて二人の話し声が耳に入らぬくらい遠ざかった。葉子は木部の口から例の感傷的な言葉が今出るか今出るかと思って待っていたけれども、木部にはいささかもそんなふうはなかった。笑いばかりでなく、すべてにうつろな感じがするほど無感情に見えた。
「あなたはほんとうに今何をなさっていらっしゃいますの」
と葉子は少し木部に近よって尋ねた。木部は近寄られただけ葉子から遠のいてまたうつろに笑った。
「何をするもんですか。人間に何ができるもんですか。……もう春も末になりましたね」
途轍もない言葉をしいてくっ付けて木部はそのよく光る目で葉子を見た。そしてすぐその目を返して、遠ざかった倉地をこめて遠く海と空との境目にながめ入った。
「わたしあなたとゆっくりお話がしてみたいと思いますが……」
こう葉子はしんみりぬすむようにいってみた。木部は少しもそれに心を動かされないように見えた。
「そう……それもおもしろいかな。……わたしはこれでも時おりはあなたの幸福を祈ったりしていますよ、おかしなもんですね、ハヽヽヽ(葉子がその言葉につけ入って何かいおうとするのを木部は悠々とおっかぶせて)あれが、あすこに見えるのが大島です。ぽつんと一つ雲か何かのように見えるでしょう空に浮いて……大島って伊豆の先の離れ島です、あれがわたしの釣りをする所から正面に見えるんです。あれでいて、日によって色がさまざまに変わります。どうかすると噴煙がぽーっと見える事もありますよ」
また言葉がぽつんと切れて沈黙が続いた。下駄の音のほかに波の音もだんだんと近く聞こえ出した。葉子はただただ胸が切なくなるのを覚えた。もう一度どうしてもゆっくり木部にあいたい気になっていた。
「木部さん……あなたさぞわたしを恨んでいらっしゃいましょうね。……けれどもわたしあなたにどうしても申し上げておきたい事がありますの。なんとかして一度わたしに会ってくださいません? そのうちに。わたしの番地は……」
「お会いしましょう『そのうちに』……そのうちにはいい言葉ですね……そのうちに……。話があるからと女にいわれた時には、話を期待しないで抱擁か虚無かを覚悟しろって名言がありますぜ、ハヽヽヽヽ」
「それはあんまりなおっしゃりかたですわ」
葉子はきわめて冗談のようにまたきわめてまじめのようにこういってみた。
「あんまりかあんまりでないか……とにかく名言には相違ありますまい、ハヽヽヽヽ」
木部はまたうつろに笑ったが、また痛い所にでも触れたように突然笑いやんだ。
倉地は波打ちぎわ近くまで来ても渡れそうもないので遠くからこっちを振り向いて、むずかしい顔をして立っていた。
「どれお二人に橋渡しをして上げましょうかな」
そういって木部は川べの葦を分けてしばらく姿を隠していたが、やがて小さな田舟に乗って竿をさして現われて来た。その時葉子は木部が釣り道具を持っていないのに気がついた。
「あなた釣り竿は」
「釣り竿ですか……釣り竿は水の上に浮いてるでしょう。いまにここまで流れて来るか……来ないか……」
そう応えて案外上手に舟を漕いだ。倉地は行き過ぎただけを忙いで取って返して来た。そして三人はあぶなかしく立ったまま舟に乗った。倉地は木部の前も構わずわきの下に手を入れて葉子をかかえた。木部は冷然として竿を取った。三突きほどでたわいなく舟は向こう岸に着いた。倉地がいちはやく岸に飛び上がって、手を延ばして葉子を助けようとした時、木部が葉子に手を貸していたので、葉子はすぐにそれをつかんだ。思いきり力をこめたためか、木部の手が舟を漕いだためだったか、とにかく二人の手は握り合わされたまま小刻みにはげしく震えた。
「やっ、どうもありがとう」
倉地は葉子の上陸を助けてくれた木部にこう礼をいった。
木部は舟からは上がらなかった。そして鍔広の帽子を取って、
「それじゃこれでお別れします」
といった。
「暗くなりましたから、お二人とも足もとに気をおつけなさい。さようなら」
と付け加えた。
三人は相当の挨拶を取りかわして別れた。一町ほど来てから急に行く手が明るくなったので、見ると光明寺裏の山の端に、夕月が濃い雲の切れ目から姿を見せたのだった。葉子は後ろを振り返って見た。紫色に暮れた砂の上に木部が舟を葦間に漕ぎ返して行く姿が影絵のように黒くながめられた。葉子は白琥珀のパラソルをぱっと開いて、倉地にはいたずらに見えるように振り動かした。
三四町来てから倉地が今度は後ろを振り返った。もうそこには木部の姿はなかった。葉子はパラソルを畳もうとして思わず涙ぐんでしまっていた。
「あれはいったいだれだ」
「だれだっていいじゃありませんか」
暗さにまぎれて倉地に涙は見せなかったが、葉子の言葉は痛ましく疳走っていた。
「ローマンスのたくさんある女はちがったものだな」
「えゝ、そのとおり……あんな乞食みたいな見っともない恋人を持った事があるのよ」
「さすがはお前だよ」
「だから愛想が尽きたでしょう」
突如としてまたいいようのないさびしさ、哀しさ、くやしさが暴風のように襲って来た。また来たと思ってもそれはもうおそかった。砂の上に突っ伏して、今にも絶え入りそうに身もだえする葉子を、倉地は聞こえぬ程度に舌打ちしながら介抱せねばならなかった。
その夜旅館に帰ってからも葉子はいつまでも眠らなかった。そこに来て働く女中たちを一人一人突慳貪にきびしくたしなめた。しまいには一人として寄りつくものがなくなってしまうくらい。倉地も始めのうちはしぶしぶつき合っていたが、ついには勝手にするがいいといわんばかりに座敷を代えてひとりで寝てしまった。
春の夜はただ、事もなくしめやかにふけて行った。遠くから聞こえて来る蛙の鳴き声のほかには、日勝様の森あたりでなくらしい梟の声がするばかりだった。葉子とはなんの関係もない夜鳥でありながら、その声には人をばかにしきったような、それでいて聞くに堪えないほどさびしい響きが潜んでいた。ほう、ほう……ほう、ほうほうと間遠に単調に同じ木の枝と思わしい所から聞こえていた。人々が寝しずまってみると、憤怒の情はいつか消え果てて、いいようのない寂寞がそのあとに残った。
葉子のする事いう事は一つ一つ葉子を倉地から引き離そうとするばかりだった。今夜も倉地が葉子から待ち望んでいたものを葉子は明らかに知っていた。しかも葉子はわけのわからない怒りに任せて自分の思うままに振る舞った結果、倉地には不快きわまる失望を与えたに違いない。こうしたままで日がたつに従って、倉地は否応なしにさらに新しい性的興味の対象を求めるようになるのは目前の事だ。現に愛子はその候補者の一人として倉地の目には映り始めているのではないか。葉子は倉地との関係を始めから考えたどってみるにつれて、どうしても間違った方向に深入りしたのを悔いないではいられなかった。しかし倉地を手なずけるためにはあの道をえらぶよりしかたがなかったようにも思える。倉地の性格に欠点があるのだ。そうではない。倉地に愛を求めて行った自分の性格に欠点があるのだ。……そこまで理屈らしく理屈をたどって来てみると、葉子は自分というものが踏みにじっても飽き足りないほどいやな者に見えた。
「なぜわたしは木部を捨て木村を苦しめなければならないのだろう。なぜ木部を捨てた時にわたしは心に望んでいるような道をまっしぐらに進んで行く事ができなかったのだろう。わたしを木村にしいて押し付けた五十川のおばさんは悪い……わたしの恨みはどうしても消えるものか。……といっておめおめとその策略に乗ってしまったわたしはなんというふがいない女だったのだろう。倉地にだけはわたしは失望したくないと思った。今までのすべての失望をあの人で全部取り返してまだ余りきるような喜びを持とうとしたのだった。わたしは倉地とは離れてはいられない人間だと確かに信じていた。そしてわたしの持ってるすべてを……醜いもののすべてをも倉地に与えて悲しいとも思わなかったのだ。わたしは自分の命を倉地の胸にたたきつけた。それだのに今は何が残っている……何が残っている……。今夜かぎりわたしは倉地に見放されるのだ。この部屋を出て行ってしまった時の冷淡な倉地の顔!……わたしは行こう。これから行って倉地にわびよう、奴隷のように畳に頭をこすり付けてわびよう……そうだ。……しかし倉地が冷刻な顔をしてわたしの心を見も返らなかったら……わたしは生きてる間にそんな倉地の顔を見る勇気はない。……木部にわびようか……木部は居所さえ知らそうとはしないのだもの……」
葉子はやせた肩を痛ましく震わして、倉地から絶縁されてしまったもののように、さびしく哀しく涙の枯れるかと思うまで泣くのだった。静まりきった夜の空気の中に、時々鼻をかみながらすすり上げすすり上げ泣き伏す痛ましい声だけが聞こえた。葉子は自分の声につまされてなおさら悲哀から悲哀のどん底に沈んで行った。
ややしばらくしてから葉子は決心するように、手近にあった硯箱と料紙とを引き寄せた。そして震える手先をしいて繰りながら簡単な手紙を乳母にあてて書いた。それには乳母とも定子とも断然縁を切るから以後他人と思ってくれ。もし自分が死んだらここに同封する手紙を木部の所に持って行くがいい。木部はきっとどうしてでも定子を養ってくれるだろうからという意味だけを書いた。そして木部あての手紙には、
「定子はあなたの子です。その顔を一目御覧になったらすぐおわかりになります。わたしは今まで意地からも定子はわたし一人の子でわたし一人のものとするつもりでいました。けれどもわたしが世にないものとなった今は、あなたはもうわたしの罪を許してくださるかとも思います。せめては定子を受け入れてくださいましょう。
葉子の死んだ後
あわれなる定子のママより
定子のおとう様へ」
と書いた。涙は巻紙の上にとめどなく落ちて字をにじました。東京に帰ったらためて置いた預金の全部を引き出してそれを為替にして同封するために封を閉じなかった。
最後の犠牲……今までとつおいつ捨て兼ねていた最愛のものを最後の犠牲にしてみたら、たぶんは倉地の心がもう一度自分に戻って来るかもしれない。葉子は荒神に最愛のものを生牲として願いをきいてもらおうとする太古の人のような必死な心になっていた。それは胸を張り裂くような犠牲だった。葉子は自分の目からも英雄的に見えるこの決心に感激してまた新しく泣きくずれた。
「どうか、どうか、……どうーか」
葉子はだれにともなく手を合わして、一心に念じておいて、雄々しく涙を押しぬぐうと、そっと座を立って、倉地の寝ているほうへと忍びよった。廊下の明りは大半消されているので、ガラス窓からおぼろにさし込む月の光がたよりになった。廊下の半分がた燐の燃えたようなその光の中を、やせ細っていっそう背たけの伸びて見える葉子は、影が歩むように音もなく静かに歩みながら、そっと倉地の部屋の襖を開いて中にはいった。薄暗くともった有明けの下に倉地は何事も知らぬげに快く眠っていた。葉子はそっとその枕もとに座を占めた。そして倉地の寝顔を見守った。
葉子の目にはひとりでに涙がわくようにあふれ出て、厚ぼったいような感じになった口びるはわれにもなくわなわなと震えて来た。葉子はそうしたままで黙ってなおも倉地を見続けていた。葉子の目にたまった涙のために倉地の姿は見る見るにじんだように輪郭がぼやけてしまった。葉子は今さら人が違ったように心が弱って、受け身にばかりならずにはいられなくなった自分が悲しかった。なんという情けないかわいそうな事だろう。そう葉子はしみじみと思った。
だんだん葉子の涙はすすり泣きにかわって行った。倉地が眠りの中でそれを感じたらしく、うるさそうにうめき声を小さく立てて寝返りを打った。葉子はぎょっとして息気をつめた。
しかしすぐすすり泣きはまた帰って来た。葉子は何事も忘れ果てて、倉地の床のそばにきちんとすわったままいつまでもいつまでも泣き続けていた。
三八
「何をそう怯ず怯ずしているのかい。そのボタンを後ろにはめてくれさえすればそれでいいのだに」
倉地は倉地にしては特にやさしい声でこういった、ワイシャツを着ようとしたまま葉子に背を向けて立ちながら。葉子は飛んでもない失策でもしたように、シャツの背部につけるカラーボタンを手に持ったままおろおろしていた。
「ついシャツを仕替える時それだけ忘れてしまって……」
「いいわけなんぞはいいわい。早く頼む」
「はい」
葉子はしとやかにそういって寄り添うように倉地に近寄ってそのボタンをボタン孔に入れようとしたが、糊が硬いのと、気おくれがしているのでちょっとははいりそうになかった。
「すみませんがちょっと脱いでくださいましな」
「めんどうだな、このままでできようが」
葉子はもう一度試みた。しかし思うようには行かなかった。倉地はもう明らかにいらいらし出していた。
「だめか」
「まあちょっと」
「出せ、貸せおれに。なんでもない事だに」
そういってくるりと振り返ってちょっと葉子をにらみつけながら、ひったくるようにボタンを受け取った。そしてまた葉子に後ろを向けて自分でそれをはめようとかかった。しかしなかなかうまく行かなかった。見る見る倉地の手ははげしく震え出した。
「おい、手伝ってくれてもよかろうが」
葉子があわてて手を出すとはずみにボタンは畳の上に落ちてしまった。葉子がそれを拾おうとする間もなく、頭の上から倉地の声が雷のように鳴り響いた。
「ばか! 邪魔をしろといいやせんぞ」
葉子はそれでもどこまでも優しく出ようとした。
「御免くださいね、わたしお邪魔なんぞ……」
「邪魔よ。これで邪魔でなくてなんだ……えゝ、そこじゃありゃせんよ。そこに見えとるじゃないか」
倉地は口をとがらして顎を突き出しながら、どしんと足をあげて畳を踏み鳴らした。
葉子はそれでも我慢した。そしてボタンを拾って立ち上がると倉地はもうワイシャツを脱ぎ捨てている所だった。
「胸くその悪い……おい日本服を出せ」
「襦袢の襟がかけずにありますから……洋服で我慢してくださいましね」
葉子は自分が持っていると思うほどの媚びをある限り目に集めて嘆願するようにこういった。
「お前には頼まんまでよ……愛ちゃん」
倉地は大きな声で愛子を呼びながら階下のほうに耳を澄ました。葉子はそれでも根かぎり我慢しようとした。階子段をしとやかにのぼって愛子がいつものように柔順に部屋にはいって来た。倉地は急に相好をくずしてにこやかになっていた。
「愛ちゃん頼む、シャツにそのボタンをつけておくれ」
愛子は何事の起こったかを露知らぬような顔をして、男の肉感をそそるような堅肉の肉体を美しく折り曲げて、雪白のシャツを手に取り上げるのだった。葉子がちゃんと倉地にかしずいてそこにいるのを全く無視したようなずうずうしい態度が、ひがんでしまった葉子の目には憎々しく映った。
「よけいな事をおしでない」
葉子はとうとうかっとなって愛子をたしなめながらいきなり手にあるシャツをひったくってしまった。
「きさまは……おれが愛ちゃんに頼んだになぜよけいな事をしくさるんだ」
とそういって威丈高になった倉地には葉子はもう目もくれなかった。愛子ばかりが葉子の目には見えていた。
「お前は下にいればそれでいい人間なんだよ。おさんどんの仕事もろくろくできはしないくせによけいな所に出しゃばるもんじゃない事よ。……下に行っておいで」
愛子はこうまで姉にたしなめられても、さからうでもなく怒るでもなく、黙ったまま柔順に、多恨な目で姉をじっと見て静々とその座をはずしてしまった。
こんなもつれ合ったいさかいがともすると葉子の家で繰り返されるようになった。ひとりになって気がしずまると葉子は心の底から自分の狂暴な振る舞いを悔いた。そして気を取り直したつもりでどこまでも愛子をいたわってやろうとした。愛子に愛情を見せるためには義理にも貞世につらく当たるのが当然だと思った。そして愛子の見ている前で、愛するものが愛する者を憎んだ時ばかりに見せる残虐な呵責を貞世に与えたりした。葉子はそれが理不尽きわまる事だとは知っていながら、そう偏頗に傾いて来る自分の心持ちをどうする事もできなかった。それのみならず葉子には自分の鬱憤をもらすための対象がぜひ一つ必要になって来た。人でなければ動物、動物でなければ草木、草木でなければ自分自身に何かなしに傷害を与えていなければ気が休まなくなった。庭の草などをつかんでいる時でも、ふと気が付くと葉子はしゃがんだまま一茎の名もない草をたった一本摘みとって、目に涙をいっぱいためながら爪の先で寸々に切りさいなんでいる自分を見いだしたりした。
同じ衝動は葉子を駆って倉地の抱擁に自分自身を思う存分しいたげようとした。そこには倉地の愛を少しでも多く自分につなぎたい欲求も手伝ってはいたけれども、倉地の手で極度の苦痛を感ずる事に不満足きわまる満足を見いだそうとしていたのだ。精神も肉体もはなはだしく病に虫ばまれた葉子は抱擁によっての有頂天な歓楽を味わう資格を失ってからかなり久しかった。そこにはただ地獄のような呵責があるばかりだった。すべてが終わってから葉子に残るものは、嘔吐を催すような肉体の苦痛と、しいて自分を忘我に誘おうともがきながら、それが裏切られて無益に終わった、その後に襲って来る唾棄すべき倦怠ばかりだった。倉地が葉子のその悲惨な無感覚を分け前してたとえようもない憎悪を感ずるのはもちろんだった。葉子はそれを知るとさらにいい知れないたよりなさを感じてまたはげしく倉地にいどみかかるのだった。倉地は見る見る一歩一歩葉子から離れて行った。そしてますますその気分はすさんで行った。
「きさまはおれに厭きたな。男でも作りおったんだろう」
そう唾でも吐き捨てるようにいまいましげに倉地があらわにいうような日も来た。
「どうすればいいんだろう」
そういって額の所に手をやって頭痛を忍びながら葉子はひとり苦しまねばならなかった。
ある日葉子は思いきってひそかに医師を訪れた。医師は手もなく、葉子のすべての悩みの原因は子宮後屈症と子宮内膜炎とを併発しているからだといって聞かせた。葉子はあまりにわかりきった事を医師がさも知ったかぶりにいって聞かせるようにも、またそののっぺりした白い顔が、恐ろしい運命が葉子に対して装うた仮面で、葉子はその言葉によってまっ暗な行く手を明らかに示されたようにも思った。そして怒りと失望とをいだきながらその家を出た。帰途葉子は本屋に立ち寄って婦人病に関する大部な医書を買い求めた。それは自分の病症に関する徹底的な知識を得ようためだった。家に帰ると自分の部屋に閉じこもってすぐ大体を読んで見た。後屈症は外科手術を施して位置矯正をする事によって、内膜炎は内膜炎を抉掻する事によって、それが器械的の発病である限り全治の見込みはあるが、位置矯正の場合などに施術者の不注意から子宮底に穿孔を生じた時などには、往々にして激烈な腹膜炎を結果する危険が伴わないでもないなどと書いてあった。葉子は倉地に事情を打ち明けて手術を受けようかとも思った。ふだんならば常識がすぐそれを葉子にさせたに違いない。しかし今はもう葉子の神経は極度に脆弱になって、あらぬ方向にばかりわれにもなく鋭く働くようになっていた。倉地は疑いもなく自分の病気に愛想を尽かすだろう。たといそんな事はないとしても入院の期間に倉地の肉の要求が倉地を思わぬほうに連れて行かないとはだれが保証できよう。それは葉子の僻見であるかもしれない、しかしもし愛子が倉地の注意をひいているとすれば、自分の留守の間に倉地が彼女に近づくのはただ一歩の事だ。愛子があの年であの無経験で、倉地のような野性と暴力とに興味を持たぬのはもちろん、一種の厭悪をさえ感じているのは察せられないではない。愛子はきっと倉地を退けるだろう。しかし倉地には恐ろしい無恥がある。そして一度倉地が女をおのれの力の下に取りひしいだら、いかなる女も二度と倉地からのがれる事のできないような奇怪の麻酔の力を持っている。思想とか礼儀とかにわずらわされない、無尽蔵に強烈で征服的な生のままな男性の力はいかな女をもその本能に立ち帰らせる魔術を持っている。しかもあの柔順らしく見える愛子は葉子に対して生まれるとからの敵意を挟んでいるのだ。どんな可能でも描いて見る事ができる。そう思うと葉子はわが身でわが身を焼くような未練と嫉妬のために前後も忘れてしまった。なんとかして倉地を縛り上げるまでは葉子は甘んじて今の苦痛に堪え忍ぼうとした。
そのころからあの正井という男が倉地の留守をうかがっては葉子に会いに来るようになった。
「あいつは犬だった。危うく手をかませる所だった。どんな事があっても寄せ付けるではないぞ」
と倉地が葉子にいい聞かせてから一週間もたたない後に、ひょっこり正井が顔を見せた。なかなかのしゃれ者で、寸分のすきもない身なりをしていた男が、どこかに貧窮をにおわすようになっていた。カラーにはうっすり汗じみができて、ズボンの膝には焼けこげの小さな孔が明いたりしていた。葉子が上げる上げないもいわないうちに、懇意ずくらしくどんどん玄関から上がりこんで座敷に通った。そして高価らしい西洋菓子の美しい箱を葉子の目の前に風呂敷から取り出した。
「せっかくおいでくださいましたのに倉地さんは留守ですから、はばかりですが出直してお遊びにいらしってくださいまし。これはそれまでお預かりおきを願いますわ」
そういって葉子は顔にはいかにも懇意を見せながら、言葉には二の句がつげないほどの冷淡さと強さとを示してやった。しかし正井はしゃあしゃあとして平気なものだった。ゆっくり内衣嚢から巻煙草入れを取り出して、金口を一本つまみ取ると、炭の上にたまった灰を静かにかきのけるようにして火をつけて、のどかに香りのいい煙を座敷に漂わした。
「お留守ですか……それはかえって好都合でした……もう夏らしくなって来ましたね、隣の薔薇も咲き出すでしょう……遠いようだがまだ去年の事ですねえ、お互い様に太平洋を往ったり来たりしたのは……あのころがおもしろい盛りでしたよ。わたしたちの仕事もまだにらまれずにいたんでしたから……時に奥さん」
そういって折り入って相談でもするように正井は煙草盆を押しのけて膝を乗り出すのだった。人を侮ってかかって来ると思うと葉子はぐっと癪にさわった。しかし以前のような葉子はそこにはいなかった。もしそれが以前であったら、自分の才気と力量と美貌とに充分の自信を持つ葉子であったら、毛の末ほども自分を失う事なく、優婉に円滑に男を自分のかけた陥穽の中におとしいれて、自縄自縛の苦い目にあわせているに違いない。しかし現在の葉子はたわいもなく敵を手もとまでもぐりこませてしまってただいらいらとあせるだけだった。そういう破目になると葉子は存外力のない自分であるのを知らねばならなかった。
正井は膝を乗り出してから、しばらく黙って敏捷に葉子の顔色をうかがっていたが、これなら大丈夫と見きわめをつけたらしく、
「少しばかりでいいんです、一つ融通してください」
と切り出した。
「そんな事をおっしゃったって、わたしにどうしようもないくらいは御存じじゃありませんか。そりゃ余人じゃなし、できるのならなんとかいたしますけれども、姉妹三人がどうかこうかして倉地に養われている今日のような境界では、わたしに何ができましょう。正井さんにも似合わない的違いをおっしゃるのね。倉地なら御相談にもなるでしょうから面と向かってお話しくださいまし。中にはいるとわたしが困りますから」
葉子は取りつく島もないようにといや味な調子でずけずけとこういった。正井はせせら笑うようにほほえんで金口の灰を静かに灰吹きに落とした。
「もう少しざっくばらんにいってくださいよきのうきょうのお交際じゃなし。倉地さんとまずくなったくらいは御承知じゃありませんか。……知っていらっしってそういう口のききかたは少しひど過ぎますぜ、(ここで仮面を取ったように正井はふてくされた態度になった。しかし言葉はどこまでも穏当だった。)きらわれたってわたしは何も倉地さんをどうしようのこうしようのと、そんな薄情な事はしないつもりです。倉地さんにけががあればわたしだって同罪以上ですからね。……しかし……一つなんとかならないもんでしょうか」
葉子の怒りに興奮した神経は正井のこの一言にすぐおびえてしまった。何もかも倉地の裏面を知り抜いてるはずの正井が、捨てばちになったら倉地の身の上にどんな災難が降りかからぬとも限らぬ。そんな事をさせては飛んだ事になるだろう。そんな事をさせては飛んだ事になる。葉子はますます弱身になった自分を救い出す術に困じ果てていた。
「それを御承知でわたしの所にいらしったって……たといわたしに都合がついたとしたところで、どうしようもありませんじゃないの。なんぼわたしだっても、倉地と仲たがえをなさったあなたに倉地の金を何する……」
「だから倉地さんのものをおねだりはしませんさ。木村さんからもたんまり来ているはずじゃありませんか。その中から……たんとたあいいませんから、窮境を助けると思ってどうか」
正井は葉子を男たらしと見くびった態度で、情夫を持ってる妾にでも逼るようなずうずうしい顔色を見せた。こんな押し問答の結果葉子はとうとう正井に三百円ほどの金をむざむざとせびり取られてしまった。葉子はその晩倉地が帰って来た時もそれをいい出す気力はなかった。貯金は全部定子のほうに送ってしまって、葉子の手もとにはいくらも残ってはいなかった。
それからというもの正井は一週間とおかずに葉子の所に来ては金をせびった。正井はそのおりおりに、絵島丸のサルンの一隅に陣取って酒と煙草とにひたりながら、何か知らんひそひそ話をしていた数人の人たち――人を見ぬく目の鋭い葉子にもどうしてもその人たちの職業を推察し得なかった数人の人たちの仲間に倉地がはいって始め出した秘密な仕事の巨細をもらした。正井が葉子を脅かすために、その話には誇張が加えられている、そう思って聞いてみても、葉子の胸をひやっとさせる事ばかりだった。倉地が日清戦争にも参加した事務長で、海軍の人たちにも航海業者にも割合に広い交際がある所から、材料の蒐集者としてその仲間の牛耳を取るようになり、露国や米国に向かってもらした祖国の軍事上の秘密はなかなか容易ならざるものらしかった。倉地の気分がすさんで行くのももっともだと思われるような事柄を数々葉子は聞かされた。葉子はしまいには自分自身を護るためにも正井のきげんを取りはずしてはならないと思うようになった。そして正井の言葉が一語一語思い出されて、夜なぞになると眠らせぬほどに葉子を苦しめた。葉子はまた一つの重い秘密を背負わなければならぬ自分を見いだした。このつらい意識はすぐにまた倉地に響くようだった。倉地はともすると敵の間諜ではないかと疑うような険しい目で葉子をにらむようになった。そして二人の間にはまた一つの溝がふえた。
そればかりではなかった。正井に秘密な金を融通するためには倉地からのあてがいだけではとても足りなかった。葉子はありもしない事を誠しやかに書き連ねて木村のほうから送金させねばならなかった。倉地のためならとにもかくにも、倉地と自分の妹たちとが豊かな生活を導くためにならとにもかくにも、葉子に一種の獰悪な誇りをもってそれをして、男のためになら何事でもという捨てばちな満足を買い得ないではなかったが、その金がたいてい正井のふところに吸収されてしまうのだと思うと、いくら間接には倉地のためだとはいえ葉子の胸は痛かった。木村からは送金のたびごとに相変わらず長い消息が添えられて来た。木村の葉子に対する愛着は日を追うてまさるとも衰える様子は見えなかった。仕事のほうにも手違いや誤算があって始めの見込みどおりには成功とはいえないが、葉子のほうに送るくらいの金はどうしてでも都合がつくくらいの信用は得ているから構わずいってよこせとも書いてあった。こんな信実な愛情と熱意を絶えず示されるこのごろは葉子もさすがに自分のしている事が苦しくなって、思いきって木村にすべてを打ちあけて、関係を絶とうかと思い悩むような事が時々あった。その矢先なので、葉子は胸にことさら痛みを覚えた。それがますます葉子の神経をいらだたせて、その病気にも影響した。そして花の五月が過ぎて、青葉の六月になろうとするころには、葉子は痛ましくやせ細った、目ばかりどぎつい純然たるヒステリー症の女になっていた。
三九
巡査の制服は一気に夏服になったけれども、その年の気候はひどく不順で、その白服がうらやましいほど暑い時と、気の毒なほど悪冷えのする日が入れ代わり立ち代わり続いた。したがって晴雨も定めがたかった。それがどれほど葉子の健康にさし響いたかしれなかった。葉子は絶えず腰部の不愉快な鈍痛を覚ゆるにつけ、暑くて苦しい頭痛に悩まされるにつけ、何一つからだに申し分のなかった十代の昔を思い忍んだ。晴雨寒暑というようなものがこれほど気分に影響するものとは思いもよらなかった葉子は、寝起きの天気を何よりも気にするようになった。きょうこそは一日気がはればれするだろうと思うような日は一日もなかった。きょうもまたつらい一日を過ごさねばならぬというそのいまわしい予想だけでも葉子の気分をそこなうには充分すぎた。
五月の始めごろから葉子の家に通う倉地の足はだんだん遠のいて、時々どこへとも知れぬ旅に出るようになった。それは倉地が葉子のしつっこい挑みと、激しい嫉妬と、理不尽な疳癖の発作とを避けるばかりだとは葉子自身にさえ思えない節があった。倉地のいわゆる事業には何かかなり致命的な内場破れが起こって、倉地の力でそれをどうする事もできないらしい事はおぼろげながらも葉子にもわかっていた。債権者であるか、商売仲間であるか、とにかくそういう者を避けるために不意に倉地が姿を隠さねばならぬらしい事は確かだった。それにしても倉地の疎遠は一向に葉子には憎かった。
ある時葉子は激しく倉地に迫ってその仕事の内容をすっかり打ち明けさせようとした。倉地の情人である葉子が倉地の身に大事が降りかかろうとしているのを知りながら、それに助力もし得ないという法はない、そういって葉子はせがみにせがんだ。
「こればかりは女の知った事じゃないわい。おれが喰い込んでもお前にはとばっちりが行くようにはしたくないで、打ち明けないのだ。どこに行っても知らない知らないで一点張りに通すがいいぜ。……二度と聞きたいとせがんでみろ、おれはうそほんなしにお前とは手を切って見せるから」
その最後の言葉は倉地の平生に似合わない重苦しい響きを持っていた。葉子が息気をつめてそれ以上をどうしても迫る事ができないと断念するほど重苦しいものだった。正井の言葉から判じても、それは女手などでは実際どうする事もできないものらしいので葉子はこれだけは断念して口をつぐむよりしかたがなかった。
堕落といわれようと、不貞といわれようと、他人手を待っていてはとても自分の思うような道は開けないと見切りをつけた本能的の衝動から、知らず知らず自分で選び取った道の行く手に目もくらむような未来が見えたと有頂天になった絵島丸の上の出来事以来一年もたたないうちに、葉子が命も名もささげてかかった新しい生活は見る見る土台から腐り出して、もう今は一陣の風さえ吹けば、さしもの高楼ももんどり打って地上にくずれてしまうと思いやると、葉子はしばしば真剣に自殺を考えた。倉地が旅に出た留守に倉地の下宿に行って「急用ありすぐ帰れ」という電報をその行く先に打ってやる。そして自分は心静かに倉地の寝床の上で刃に伏していよう。それは自分の一生の幕切れとしては、いちばんふさわしい行為らしい。倉地の心にもまだ自分に対する愛情は燃えかすれながらも残っている。それがこの最後によって一時なりとも美しく燃え上がるだろう。それでいい、それで自分は満足だ。そう心から涙ぐみながら思う事もあった。
実際倉地が留守のはずのある夜、葉子はふらふらとふだん空想していたその心持ちにきびしく捕えられて前後も知らず家を飛び出した事があった。葉子の心は緊張しきって天気なのやら曇っているのやら、暑いのやら寒いのやらさらに差別がつかなかった。盛んに羽虫が飛びかわして往来の邪魔になるのをかすかに意識しながら、家を出てから小半町裏坂をおりて行ったが、ふと自分のからだがよごれていて、この三四日湯にはいらない事を思い出すと、死んだあとの醜さを恐れてそのまま家に取って返した。そして妹たちだけがはいったままになっている湯殿に忍んで行って、さめかけた風呂につかった。妹たちはとうに寝入っていた。手ぬぐい掛けの竹竿にぬれた手ぬぐいが二筋だけかかっているのを見ると、寝入っている二人の妹の事がひしひしと心に逼るようだった。葉子の決心はしかしそのくらいの事では動かなかった。簡単に身じまいをしてまた家を出た。
倉地の下宿近くなった時、その下宿から急ぎ足で出て来る背たけの低い丸髷の女がいた。夜の事ではあり、そのへんは街灯の光も暗いので、葉子にはさだかにそれとわからなかったが、どうも双鶴館の女将らしくもあった。葉子はかっとなって足早にそのあとをつけた。二人の間は半町とは離れていなかった。だんだん二人の間に距離がちぢまって行って、その女が街灯の下を通る時などに気を付けて見るとどうしても思ったとおりの女らしかった。さては今まであの女を真正直に信じていた自分はまんまと詐られていたのだったか。倉地の妻に対しても義理が立たないから、今夜以後葉子とも倉地の妻とも関係を絶つ。悪く思わないでくれと確かにそういった、その義侠らしい口車にまんまと乗せられて、今まで殊勝な女だとばかり思っていた自分の愚かさはどうだ。葉子はそう思うと目が回ってその場に倒れてしまいそうなくやしさ恐ろしさを感じた。そして女の形を目がけてよろよろとなりながら駆け出した。その時女はそのへんに辻待ちをしている車に乗ろうとする所だった。取りにがしてなるものかと、葉子はひた走りに走ろうとした。しかし足は思うようにはかどらなかった。さすがにその静けさを破って声を立てる事もはばかられた。もう十間というくらいの所まで来た時車はがらがらと音を立てて砂利道を動きはじめた。葉子は息気せき切ってそれに追いつこうとあせったが、見る見るその距離は遠ざかって、葉子は杉森で囲まれたさびしい暗闇の中にただ一人取り残されていた。葉子はなんという事なくその辻車のいた所まで行って見た。一台よりいなかったので飛び乗ってあとを追うべき車もなかった。葉子はぼんやりそこに立って、そこに字でも書き残してあるかのように、暗い地面をじっと見つめていた。確かにあの女に違いなかった。背格好といい、髷の形といい、小刻みな歩きぶりといい、……あの女に違いなかった。旅行に出るといった倉地は疑いもなくうそを使って下宿にくすぶっているに違いない。そしてあの女を仲人に立てて先妻とのよりを戻そうとしているに決まっている。それに何の不思議があろう。長年連れ添った妻ではないか。かわいい三人の娘の母ではないか。葉子というものに一日一日疎くなろうとする倉地ではないか。それに何の不思議があろう。……それにしてもあまりといえばあまりな仕打ちだ。なぜそれならそうと明らかにいってはくれないのだ。いってさえくれれば自分にだって恋する男に対しての女らしい覚悟はある。別れろとならばきれいさっぱりと別れても見せる。……なんという踏みつけかただ。なんという恥さらしだ。倉地の妻はおおそれた貞女ぶった顔を震わして、涙を流しながら、「それではお葉さんという方にお気の毒だから、わたしはもう亡いものと思ってくださいまし……」……見ていられぬ、聞いていられぬ。……葉子という女はどんな女だか、今夜こそは倉地にしっかり思い知らせてやる……。
葉子は酔ったもののようにふらふらした足どりでそこから引き返した。そして下宿屋に来着いた時には、息気苦しさのために声も出ないくらいになっていた。下宿の女たちは葉子を見ると「またあの気狂いが来た」といわんばかりの顔をして、その夜の葉子のことさらに取りつめた顔色には注意を払う暇もなく、その場をはずして姿を隠した。葉子はそんな事には気もかけずに物すごい笑顔でことさららしく帳場にいる男にちょっと頭を下げて見せて、そのままふらふらと階子段をのぼって行った。ここが倉地の部屋だというその襖の前に立った時には、葉子は泣き声に気がついて驚いたほど、われ知らずすすり上げて泣いていた。身の破滅、恋の破滅は今夜の今、そう思って荒々しく襖を開いた。
部屋の中には案外にも倉地はいなかった。すみからすみまで片づいていて、倉地のあの強烈な膚の香いもさらに残ってはいなかった。葉子は思わずふらふらとよろけて、泣きやんで、部屋の中に倒れこみながらあたりを見回した。いるに違いないとひとり決めをした自分の妄想が破れたという気は少しも起こらないで、確かにいたものが突然溶けてしまうかどうかしたような気味の悪い不思議さに襲われた。葉子はすっかり気抜けがして、髪も衣紋も取り乱したまま横ずわりにすわったきりでぼんやりしていた。
あたりは深山のようにしーんとしていた。ただ葉子の目の前をうるさく行ったり来たりする黒い影のようなものがあった。葉子は何物という分別もなく始めはただうるさいとのみ思っていたが、しまいにはこらえかねて手をあげてしきりにそれを追い払ってみた。追い払っても追い払ってもそのうるさい黒い影は目の前を立ち去ろうとはしなかった。……しばらくそうしているうちに葉子は寒気がするほどぞっとおそろしくなって気がはっきりした。
急に周囲には騒がしい下宿屋らしい雑音が聞こえ出した。葉子をうるさがらしたその黒い影は見る見る小さく遠ざかって、電燈の周囲をきりきりと舞い始めた。よく見るとそれは大きな黒い夜蛾だった。葉子は神がかりが離れたようにきょとんとなって、不思議そうに居ずまいを正してみた。
どこまでが真実で、どこまでが夢なんだろう……。
自分の家を出た、それに間違いはない。途中から取って返して風呂をつかった、……なんのために? そんなばかな事をするはずがない。でも妹たちの手ぬぐいが二筋ぬれて手ぬぐいかけの竹竿にかかっていた、(葉子はそう思いながら自分の顔をなでたり、手の甲を調べて見たりした。そして確かに湯にはいった事を知った。)それならそれでいい。それから双鶴館の女将のあとをつけたのだったが、……あのへんから夢になったのかしらん。あすこにいる蛾をもやもやした黒い影のように思ったりしていた事から考えてみると、いまいましさから自分は思わず背たけの低い女の幻影を見ていたのかもしれない。それにしてもいるはずの倉地がいないという法はないが……葉子はどうしても自分のして来た事にはっきり連絡をつけて考える事ができなかった。
葉子は……自分の頭ではどう考えてみようもなくなって、ベルを押して番頭に来てもらった。
「あのう、あとでこの蛾を追い出しておいてくださいな……それからね、さっき……といったところがどれほど前だかわたしにもはっきりしませんがね、ここに三十格好の丸髷を結った女の人が見えましたか」
「こちら様にはどなたもお見えにはなりませんが……」
番頭は怪訝な顔をしてこう答えた。
「こちら様だろうがなんだろうが、そんな事を聞くんじゃないの。この下宿屋からそんな女の人が出て行きましたか」
「さよう……へ、一時間ばかり前ならお一人お帰りになりました」
「双鶴館のお内儀さんでしょう」
図星をさされたろうといわんばかりに葉子はわざと鷹揚な態度を見せてこう聞いてみた。
「いゝえそうじゃございません」
番頭は案外にもそうきっぱりといい切ってしまった。
「それじゃだれ」
「とにかく他のお部屋においでなさったお客様で、手前どもの商売上お名前までは申し上げ兼ねますが」
葉子もこの上の問答の無益なのを知ってそのまま番頭を返してしまった。
葉子はもう何者も信用する事ができなかった。ほんとうに双鶴館の女将が来たのではないらしくもあり、番頭までが倉地とぐるになっていてしらじらしい虚言をついたようにもあった。
何事も当てにはならない。何事もうそから出た誠だ。……葉子はほんとうに生きている事がいやになった。
……そこまで来て葉子は始めて自分が家を出て来たほんとうの目的がなんであるかに気づいた。すべてにつまずいて、すべてに見限られて、すべてを見限ろうとする、苦しみぬいた一つの魂が、虚無の世界の幻の中から消えて行くのだ。そこには何の未練も執着もない。うれしかった事も、悲しかった事も、悲しんだ事も、苦しんだ事も、畢竟は水の上に浮いた泡がまたはじけて水に帰るようなものだ。倉地が、死骸になった葉子を見て嘆こうが嘆くまいが、その倉地さえ幻の影ではないか。双鶴館の女将だと思った人が、他人であったように、他人だと思ったその人が、案外双鶴館の女将であるかもしれないように、生きるという事がそれ自身幻影でなくってなんであろう。葉子は覚めきったような、眠りほうけているような意識の中でこう思った。しんしんと底も知らず澄み透った心がただ一つぎりぎりと死のほうに働いて行った。葉子の目には一しずくの涙も宿ってはいなかった。妙にさえて落ち付き払ったひとみを静かに働かして、部屋の中を静かに見回していたが、やがて夢遊病者のように立ち上がって、戸棚の中から倉地の寝具を引き出して来て、それを部屋のまん中に敷いた。そうしてしばらくの間その上に静かにすわって目をつぶってみた。それからまた立ち上がって全く無感情な顔つきをしながら、もう一度戸棚に行って、倉地が始終身近に備えているピストルをあちこちと尋ね求めた。しまいにそれが本箱の引き出しの中の幾通かの手紙と、書きそこねの書類と、四五枚の写真とがごっちゃにしまい込んであるその中から現われ出た。葉子は妙に無関心な心持ちでそれを手に取った。そして恐ろしいものを取り扱うようにそれをからだから離して右手にぶら下げて寝床に帰った。そのくせ葉子は露ほどもその凶器におそれをいだいているわけではなかった。寝床のまん中にすわってからピストルを膝の上に置いて手をかけたまましばらくながめていたが、やがてそれを取り上げると胸の所に持って来て鶏頭を引き上げた。
きりっ
と歯切れのいい音を立てて弾筒が少し回転した。同時に葉子の全身は電気を感じたようにびりっとおののいた。しかし葉子の心は水が澄んだように揺がなかった。葉子はそうしたまま短銃をまた膝の上に置いてじっとながめていた。
ふと葉子はただ一つし残した事のあるのに気が付いた。それがなんであるかを自分でもはっきりとは知らずに、いわば何物かの余儀ない命令に服従するように、また寝床から立ち上がって戸棚の中の本箱の前に行って引き出しをあけた。そしてそこにあった写真を丁寧に一枚ずつ取り上げて静かにながめるのだった。葉子は心ひそかに何をしているんだろうと自分の動作を怪しんでいた。
葉子はやがて一人の女の写真を見つめている自分を見いだした。長く長く見つめていた。……そのうちに、白痴がどうかしてだんだん真人間にかえる時はそうもあろうかと思われるように、葉子の心は静かに静かに自分で働くようになって行った。女の写真を見てどうするのだろうと思った。早く死ななければいけないのだがと思った。いったいその女はだれだろうと思った。……それは倉地の妻の写真だった。そうだ倉地の妻の若い時の写真だ。なるほど美しい女だ。倉地は今でもこの女に未練を持っているだろうか。この妻には三人のかわいい娘があるのだ。「今でも時々思い出す」そう倉地のいった事がある。こんな写真がいったいこの部屋なんぞにあってはならないのだが。それはほんとうにならないのだ。倉地はまだこんなものを大事にしている。この女はいつまでも倉地に帰って来ようと待ち構えているのだ。そしてまだこの女は生きているのだ。それが幻なものか。生きているのだ、生きているのだ。……死なれるか、それで死なれるか。何が幻だ、何が虚無だ。このとおりこの女は生きているではないか……危うく……危うく自分は倉地を安堵させる所だった。そしてこの女を……このまだ生のあるこの女を喜ばせるところだった。
葉子は一刹那の違いで死の界から救い出された人のように、驚喜に近い表情を顔いちめんにみなぎらして裂けるほど目を見張って、写真を持ったまま飛び上がらんばかりに突っ立ったが、急に襲いかかるやるせない嫉妬の情と憤怒とにおそろしい形相になって、歯がみをしながら、写真の一端をくわえて、「いゝ……」といいながら、総身の力をこめてまっ二つに裂くと、いきなり寝床の上にどうと倒れて、物すごい叫び声を立てながら、涙も流さずに叫びに叫んだ。
店のものがあわてて部屋にはいって来た時には、葉子はしおらしい様子をして、短銃を床の下に隠してしまって、しくしくとほんとうに泣いていた。
番頭はやむを得ず、てれ隠しに、
「夢でも御覧になりましたか、たいそうなお声だったものですから、つい御案内もいたさず飛び込んでしまいまして」
といった。葉子は、
「えゝ夢を見ました。あの黒い蛾が悪いんです。早く追い出してください」
そんなわけのわからない事をいって、ようやく涙を押しぬぐった。
こういう発作を繰り返すたびごとに、葉子の顔は暗くばかりなって行った。葉子には、今まで自分が考えていた生活のほかに、もう一つ不可思議な世界があるように思われて来た。そうしてややともすればその両方の世界に出たりはいったりする自分を見いだすのだった。二人の妹たちはただはらはらして姉の狂暴な振る舞いを見守るほかはなかった。倉地は愛子に刃物などに注意しろといったりした。
岡の来た時だけは、葉子のきげんは沈むような事はあっても狂暴になる事は絶えてなかったので、岡は妹たちの言葉にさして重きを置いていないように見えた。
四〇
六月のある夕方だった。もうたそがれ時で、電灯がともって、その周囲におびただしく杉森の中から小さな羽虫が集まってうるさく飛び回り、やぶ蚊がすさまじく鳴きたてて軒先に蚊柱を立てているころだった。しばらく目で来た倉地が、張り出しの葉子の部屋で酒を飲んでいた。葉子はやせ細った肩を単衣物の下にとがらして、神経的に襟をぐっとかき合わせて、きちんと膳のそばにすわって、華車な団扇で酒の香に寄りたかって来る蚊を追い払っていた。二人の間にはもう元のように滾々と泉のごとくわき出る話題はなかった。たまに話が少しはずんだと思うと、どちらかに差しさわるような言葉が飛び出して、ぷつんと会話を杜絶やしてしまった。
「貞ちゃんやっぱり駄々をこねるか」
一口酒を飲んで、ため息をつくように庭のほうに向いて気を吐いた倉地は、自分で気分を引き立てながら思い出したように葉子のほうを向いてこう尋ねた。
「えゝ、しようがなくなっちまいました。この四五日ったらことさらひどいんですから」
「そうした時期もあるんだろう。まあたんといびらないで置くがいいよ」
「わたし時々ほんとうに死にたくなっちまいます」
葉子は途轍もなく貞世のうわさとは縁もゆかりもないこんなひょんな事をいった。
「そうだおれもそう思う事があるて……。落ち目になったら最後、人間は浮き上がるがめんどうになる。船でもが浸水し始めたら埒はあかんからな。……したが、おれはまだもう一反り反ってみてくれる。死んだ気になって、やれん事は一つもないからな」
「ほんとうですわ」
そういった葉子の目はいらいらと輝いて、にらむように倉地を見た。
「正井のやつが来るそうじゃないか」
倉地はまた話題を転ずるようにこういった。葉子がそうだとさえいえば、倉地は割合に平気で受けて「困ったやつに見込まれたものだが、見込まれた以上はしかたがないから、空腹がらないだけの仕向けをしてやるがいい」というに違いない事は、葉子によくわかってはいたけれども、今まで秘密にしていた事をなんとかいわれやしないかとの気づかいのためか、それとも倉地が秘密を持つのならこっちも秘密を持って見せるぞという腹になりたいためか、自分にもはっきりとはわからない衝動に駆られて、何という事なしに、
「いゝえ」
と答えてしまった。
「来ない?……そりゃお前いいかげんじゃろう」
と倉地はたしなめるような調子になった。
「いゝえ」
葉子は頑固にいい張ってそっぽを向いてしまった。
「おいその団扇を貸してくれ、あおがずにいては蚊でたまらん……来ない事があるものか」
「だれからそんなばかな事お聞きになって?」
「だれからでもいいわさ」
葉子は倉地がまた歯に衣着せた物の言いかたをすると思うとかっと腹が立って返辞もしなかった。
「葉ちゃん。おれは女のきげんを取るために生まれて来はせんぞ。いいかげんをいって甘く見くびるとよくはないぜ」
葉子はそれでも返事をしなかった。倉地は葉子の拗ねかたに不快を催したらしかった。
「おい葉子! 正井は来るのか来んのか」
正井の来る来ないは大事ではないが、葉子の虚言を訂正させずには置かないというように、倉地は詰め寄せてきびしく問い迫った。葉子は庭のほうにやっていた目を返して不思議そうに倉地を見た。
「いゝえといったらいゝえとよりいいようはありませんわ。あなたの『いゝえ』とわたしの『いゝえ』は『いゝえ』が違いでもしますかしら」
「酒も何も飲めるか……おれが暇を無理に作ってゆっくりくつろごうと思うて来れば、いらん事に角を立てて……何の薬になるかいそれが」
葉子はもう胸いっぱい悲しくなっていた。ほんとうは倉地の前に突っ伏して、自分は病気で始終からだが自由にならないのが倉地に気の毒だ。けれどもどうか捨てないで愛し続けてくれ。からだがだめになっても心の続く限りは自分は倉地の情人でいたい。そうよりできない。そこをあわれんでせめては心の誠をささげさしてくれ。もし倉地が明々地にいってくれさえすれば、元の細君を呼び迎えてくれても構わない。そしてせめては自分をあわれんでなり愛してくれ。そう嘆願がしたかったのだ。倉地はそれに感激してくれるかもしれない。おれはお前も愛するが去った妻も捨てるには忍びない。よくいってくれた。それならお前の言葉に甘えて哀れな妻を呼び迎えよう。妻もさぞお前の黄金のような心には感ずるだろう。おれは妻とは家庭を持とう。しかしお前とは恋を持とう。そういって涙ぐんでくれるかもしれない。もしそんな場面が起こり得たら葉子はどれほどうれしいだろう。葉子はその瞬間に、生まれ代わって、正しい生活が開けてくるのにと思った。それを考えただけで胸の中からは美しい涙がにじみ出すのだった。けれども、そんなばかをいうものではない、おれの愛しているのはお前一人だ。元の妻などにおれが未練を持っていると思うのが間違いだ。病気があるのならさっそく病院にはいるがいい、費用はいくらでも出してやるから。こう倉地がいわないとも限らない。それはありそうな事だ。その時葉子は自分の心を立ち割って誠を見せた言葉が、情けも容赦も思いやりもなく、踏みにじられけがされてしまうのを見なければならないのだ。それは地獄の苛責よりも葉子には堪えがたい事だ。たとい倉地が前の態度に出てくれる可能性が九十九あって、あとの態度を採りそうな可能性が一つしかないとしても、葉子には思いきって嘆願をしてみる勇気が出ないのだ。倉地も倉地で同じような事を思って苦しんでいるらしい。なんとかして元のようなかけ隔てのない葉子を見いだして、だんだんと陥って行く生活の窮境の中にも、せめてはしばらくなりとも人間らしい心になりたいと思って、葉子に近づいて来ているのだ。それをどこまでも知り抜きながら、そして身につまされて深い同情を感じながら、どうしても面と向かうと殺したいほど憎まないではいられない葉子の心は自分ながら悲しかった。
葉子は倉地の最後の一言でその急所に触れられたのだった。葉子は倉地の目の前で見る見るしおれてしまった。泣くまいと気張りながら幾度も雄々しく涙を飲んだ。倉地は明らかに葉子の心を感じたらしく見えた。
「葉子! お前はなんでこのごろそう他所他所しくしていなければならんのだ。え?」
といいながら葉子の手を取ろうとした。その瞬間に葉子の心は火のように怒っていた。
「他所他所しいのはあなたじゃありませんか」
そう知らず知らずいってしまって、葉子は没義道に手を引っ込めた。倉地をにらみつける目からは熱い大粒の涙がぼろぼろとこぼれた。そして、
「あゝ……あ、地獄だ地獄だ」
と心の中で絶望的に切なく叫んだ。
二人の間にはまたもやいまわしい沈黙が繰り返された。
その時玄関に案内の声が聞こえた。葉子はその声を聞いて古藤が来たのを知った。そして大急ぎで涙を押しぬぐった。二階から降りて来て取り次ぎに立った愛子がやがて六畳の間にはいって来て、古藤が来たと告げた。
「二階にお通ししてお茶でも上げてお置き、なんだって今ごろ……御飯時も構わないで……」
とめんどうくさそうにいったが、あれ以来来た事のない古藤にあうのは、今のこの苦しい圧迫からのがれるだけでも都合がよかった。このまま続いたらまた例の発作で倉地に愛想を尽かさせるような事をしでかすにきまっていたから。
「わたしちょっと会ってみますからね、あなた構わないでいらっしゃい。木村の事も探っておきたいから」
そういって葉子はその座をはずした。倉地は返事一つせずに杯を取り上げていた。
二階に行って見ると、古藤は例の軍服に上等兵の肩章を付けて、あぐらをかきながら貞世と何か話をしていた。葉子は今まで泣き苦しんでいたとは思えぬほど美しいきげんになっていた。簡単な挨拶を済ますと古藤は例のいうべき事から先にいい始めた。
「ごめんどうですがね、あす定期検閲な所が今度は室内の整頓なんです。ところが僕は整頓風呂敷を洗濯しておくのをすっかり忘れてしまってね。今特別に外出を伍長にそっと頼んで許してもらって、これだけ布を買って来たんですが、縁を縫ってくれる人がないんで弱って駆けつけたんです。大急ぎでやっていただけないでしょうか」
「おやすい御用ですともね。愛さん!」
大きく呼ぶと階下にいた愛子が平生に似合わず、あたふたと階子段をのぼって来た。葉子はふとまた倉地を念頭に浮かべていやな気持ちになった。しかしそのころ貞世から愛子に愛が移ったかと思われるほど葉子は愛子を大事に取り扱っていた。それは前にも書いたとおり、しいても他人に対する愛情を殺す事によって、倉地との愛がより緊く結ばれるという迷信のような心の働きから起こった事だった。愛しても愛し足りないような貞世につらく当たって、どうしても気の合わない愛子を虫を殺して大事にしてみたら、あるいは倉地の心が変わって来るかもしれないとそう葉子は何がなしに思うのだった。で、倉地と愛子との間にどんな奇怪な徴候を見つけ出そうとも、念にかけても葉子は愛子を責めまいと覚悟をしていた。
「愛さん古藤さんがね、大急ぎでこの縁を縫ってもらいたいとおっしゃるんだから、あなたして上げてちょうだいな。古藤さん、今下には倉地さんが来ていらっしゃるんですが、あなたはおきらいねおあいなさるのは……そう、じゃこちらでお話でもしますからどうぞ」
そういって古藤を妹たちの部屋の隣に案内した。古藤は時計を見い見いせわしそうにしていた。
「木村からたよりがありますか」
木村は葉子の良人ではなく自分の親友だといったようなふうで、古藤はもう木村君とはいわなかった。葉子はこの前古藤が来た時からそれと気づいていたが、きょうはことさらその心持ちが目立って聞こえた。葉子はたびたび来ると答えた。
「困っているようですね」
「えゝ、少しはね」
「少しどころじゃないようですよ僕の所に来る手紙によると。なんでも来年に開かれるはずだった博覧会が来々年に延びたので、木村はまたこの前以上の窮境に陥ったらしいのです。若いうちだからいいようなもののあんな不運な男もすくない。金も送っては来ないでしょう」
なんというぶしつけな事をいう男だろうと葉子は思ったが、あまりいう事にわだかまりがないので皮肉でもいってやる気にはなれなかった。
「いゝえ相変わらず送ってくれますことよ」
「木村っていうのはそうした男なんだ」
古藤は半ばは自分にいうように感激した調子でこういったが、平気で仕送りを受けているらしく物をいう葉子にはひどく反感を催したらしく、
「木村からの送金を受け取った時、その金があなたの手を焼きただらかすようには思いませんか」
と激しく葉子をまともに見つめながらいった。そして油でよごれたような赤い手で、せわしなく胸の真鍮ぼたんをはめたりはずしたりした。
「なぜですの」
「木村は困りきってるんですよ。……ほんとうにあなた考えてごらんなさい……」
勢い込んでなおいい募ろうとした古藤は、襖を明け開いたままの隣の部屋に愛子たちがいるのに気づいたらしく、
「あなたはこの前お目にかかった時からすると、またひどくやせましたねえ」
と言葉をそらした。
「愛さんもうできて?」
と葉子も調子をかえて愛子に遠くからこう尋ね「いゝえまだ少し」と愛子がいうのをしおに葉子はそちらに立った。貞世はひどくつまらなそうな顔をして、机に両肘を持たせたまま、ぼんやりと庭のほうを見やって、三人の挙動などには目もくれないふうだった。垣根添いの木の間からは、種々な色の薔薇の花が夕闇の中にもちらほらと見えていた。葉子はこのごろの貞世はほんとうに変だと思いながら、愛子の縫いかけの布を取り上げて見た。それはまだ半分も縫い上げられてはいなかった。葉子の疳癪はぎりぎり募って来たけれども、しいて心を押ししずめながら、
「これっぽっち……愛子さんどうしたというんだろう。どれねえさんにお貸し、そしてあなたは……貞ちゃんも古藤さんの所に行ってお相手をしておいで……」
「僕は倉地さんにあって来ます」
突然後ろ向きの古藤は畳に片手をついて肩越しに向き返りながらこういった。そして葉子が返事をする暇もなく立ち上がって階子段を降りて行こうとした。葉子はすばやく愛子に目くばせして、下に案内して二人の用を足してやるようにといった。愛子は急いで立って行った。
葉子は縫い物をしながら多少の不安を感じた。あのなんの技巧もない古藤と、疳癖が募り出して自分ながら始末をしあぐねているような倉地とがまともにぶつかり合ったら、どんな事をしでかすかもしれない。木村を手の中に丸めておく事もきょう二人の会見の結果でだめになるかもわからないと思った。しかし木村といえば、古藤のいう事などを聞いていると葉子もさすがにその心根を思いやらずにはいられなかった。葉子がこのごろ倉地に対して持っているような気持ちからは、木村の立場や心持ちがあからさま過ぎるくらい想像ができた。木村は恋するものの本能からとうに倉地と葉子との関係は了解しているに違いないのだ。了解して一人ぽっちで苦しめるだけ苦しんでいるに違いないのだ。それにも係わらずその善良な心からどこまでも葉子の言葉に信用を置いて、いつかは自分の誠意が葉子の心に徹するのを、ありうべき事のように思って、苦しい一日一日を暮らしているに違いない。そしてまた落ち込もうとする窮境の中から血の出るような金を欠かさずに送ってよこす。それを思うと、古藤がいうようにその金が葉子の手を焼かないのは不思議といっていいほどだった。もっとも葉子であってみれば、木村に醜いエゴイズムを見いださないほどのんきではなかった。木村がどこまでも葉子の言葉を信用してかかっている点にも、血の出るような金を送ってよこす点にも、葉子が倉地に対して持っているよりはもっと冷静な功利的な打算が行なわれていると決める事ができるほど木村の心の裏を察していないではなかった。葉子の倉地に対する心持ちから考えると木村の葉子に対する心持ちにはまだすきがあると葉子は思った。葉子がもし木村であったら、どうしておめおめ米国三界にい続けて、遠くから葉子の心を翻す手段を講ずるようなのんきなまねがして済ましていられよう。葉子が木村の立場にいたら、事業を捨てても、乞食になっても、すぐ米国から帰って来ないじゃいられないはずだ。米国から葉子と一緒に日本に引き返した岡の心のほうがどれだけ素直で誠しやかだかしれやしない。そこには生活という問題もある。事業という事もある。岡は生活に対して懸念などする必要はないし、事業というようなものはてんで持ってはいない。木村とはなんといっても立場が違ってはいる。といったところで、木村の持つ生活問題なり事業なりが、葉子と一緒になってから後の事を顧慮してされている事だとしてみても、そんな気持ちでいる木村には、なんといっても余裕があり過ぎると思わないではいられない物足りなさがあった。よし真裸になるほど、職業から放れて無一文になっていてもいい、葉子の乗って帰って来た船に木村も乗って一緒に帰って来たら、葉子はあるいは木村を船の中で人知れず殺して海の中に投げ込んでいようとも、木村の記憶は哀しくなつかしいものとして死ぬまで葉子の胸に刻みつけられていたろうものを。……それはそうに相違ない。それにしても木村は気の毒な男だ。自分の愛しようとする人が他人に心をひかれている……それを発見する事だけで悲惨は充分だ。葉子はほんとうは、倉地は葉子以外の人に心をひかれているとは思ってはいないのだ。ただ少し葉子から離れて来たらしいと疑い始めただけだ。それだけでも葉子はすでに熱鉄をのまされたような焦躁と嫉妬とを感ずるのだから、木村の立場はさぞ苦しいだろう。……そう推察すると葉子は自分のあまりといえばあまりに残虐な心に胸の中がちくちくと刺されるようになった。「金が手を焼くように思いはしませんか」との古藤のいった言葉が妙に耳に残った。
そう思い思い布の一方を手早く縫い終わって、縫い目を器用にしごきながら目をあげると、そこには貞世がさっきのまま机に両肘をついて、たかって来る蚊も追わずにぼんやりと庭の向こうを見続けていた。切り下げにした厚い黒漆の髪の毛の下にのぞき出した耳たぶは霜焼けでもしたように赤くなって、それを見ただけでも、貞世は何か興奮して向こうを向きながら泣いているに違いなく思われた。覚えがないではない。葉子も貞世ほどの齢の時には何か知らず急に世の中が悲しく見える事があった。何事もただ明るく快く頼もしくのみ見えるその底からふっと悲しいものが胸をえぐってわき出る事があった。取り分けて快活ではあったが、葉子は幼い時から妙な事に臆病がる子だった。ある時家族じゅうで北国のさびしい田舎のほうに避暑に出かけた事があったが、ある晩がらんと客の空いた大きな旅籠屋に宿った時、枕を並べて寝た人たちの中で葉子は床の間に近いいちばん端に寝かされたが、どうしたかげんでか気味が悪くてたまらなくなり出した。暗い床の間の軸物の中からか、置き物の陰からか、得体のわからないものが現われ出て来そうなような気がして、そう思い出すとぞくぞくと総身に震えが来て、とても頭を枕につけてはいられなかった。で、眠りかかった父や母にせがんで、その二人の中に割りこましてもらおうと思ったけれども、父や母もそんなに大きくなって何をばかをいうのだといって少しも葉子のいう事を取り上げてはくれなかった。葉子はしばらく両親と争っているうちにいつのまにか寝入ったと見えて、翌日目をさまして見ると、やはり自分が気味の悪いと思った所に寝ていた自分を見いだした。その夕方、同じ旅籠屋の二階の手摺から少し荒れたような庭を何の気なしにじっと見入っていると、急に昨夜の事を思い出して葉子は悲しくなり出した。父にも母にも世の中のすべてのものにも自分はどうかして見放されてしまったのだ。親切らしくいってくれる人はみんな自分に虚事をしているのだ。いいかげんの所で自分はどんとみんなから突き放されるような悲しい事になるに違いない。どうしてそれを今まで気づかずにいたのだろう。そうなった暁に一人でこの庭をこうして見守ったらどんなに悲しいだろう。小さいながらにそんな事を一人で思いふけっているともうとめどなく悲しくなって来て父がなんといっても母がなんといっても、自分の心を自分の涙にひたしきって泣いた事を覚えている。
葉子は貞世の後ろ姿を見るにつけてふとその時の自分を思い出した。妙な心の働きから、その時の葉子が貞世になってそこに幻のように現われたのではないかとさえ疑った。これは葉子には始終ある癖だった。始めて起こった事が、どうしてもいつかの過去にそのまま起こった事のように思われてならない事がよくあった。貞世の姿は貞世ではなかった。苔香園は苔香園ではなかった。美人屋敷は美人屋敷ではなかった。周囲だけが妙にもやもやして心のほうだけが澄みきった水のようにはっきりしたその頭の中には、貞世のとも、幼い時の自分のとも区別のつかないはかなさ悲しさがこみ上げるようにわいていた。葉子はしばらくは針の運びも忘れてしまって、電灯の光を背に負って夕闇に埋もれて行く木立ちにながめ入った貞世の姿を、恐ろしさを感ずるまでになりながら見続けた。
「貞ちゃん」
とうとう黙っているのが無気味になって葉子は沈黙を破りたいばかりにこう呼んでみた。貞世は返事一つしなかった。……葉子はぞっとした。貞世はああしたままで通り魔にでも魅いられて死んでいるのではないか。それとももう一度名前を呼んだら、線香の上にたまった灰が少しの風でくずれ落ちるように、声の響きでほろほろとかき消すようにあのいたいけな姿はなくなってしまうのではないだろうか。そしてそのあとには夕闇に包まれた苔香園の木立ちと、二階の縁側と、小さな机だけが残るのではないだろうか。……ふだんの葉子ならばなんというばかだろうと思うような事をおどおどしながらまじめに考えていた。
その時階下で倉地のひどく激昂した声が聞こえた。葉子ははっとして長い悪夢からでもさめたようにわれに帰った。そこにいるのは姿は元のままだが、やはりまごうかたなき貞世だった。葉子はあわてていつのまにか膝からずり落としてあった白布を取り上げて、階下のほうにきっと聞き耳を立てた。事態はだいぶ大事らしかった。
「貞ちゃん。……貞ちゃん……」
葉子はそういいながら立ち上がって行って、貞世を後ろから羽がいに抱きしめてやろうとした。しかしその瞬間に自分の胸の中に自然に出来上がらしていた結願を思い出して、心を鬼にしながら、
「貞ちゃんといったらお返事をなさいな。なんの事です拗ねたまねをして。台所に行ってあとのすすぎ返しでもしておいで、勉強もしないでぼんやりしていると毒ですよ」
「だっておねえ様わたし苦しいんですもの」
「うそをお言い。このごろはあなたほんとうにいけなくなった事。わがままばかししているとねえさんはききませんよ」
貞世はさびしそうな恨めしそうな顔をまっ赤にして葉子のほうを振り向いた。それを見ただけで葉子はすっかり打ちくだかれていた。水落のあたりをすっと氷の棒でも通るような心持ちがすると、喉の所はもう泣きかけていた。なんという心に自分はなってしまったのだろう……葉子はその上その場にはいたたまれないで、急いで階下のほうへ降りて行った。
倉地の声にまじって古藤の声も激して聞こえた。
四一
階子段の上がり口には愛子が姉を呼びに行こうか行くまいかと思案するらしく立っていた。そこを通り抜けて自分の部屋に来て見ると、胸毛をあらわに襟をひろげて、セルの両袖を高々とまくり上げた倉地が、あぐらをかいたまま、電灯の灯の下に熟柿のように赤くなってこっちを向いて威丈高になっていた。古藤は軍服の膝をきちんと折ってまっすぐに固くすわって、葉子には後ろを向けていた。それを見るともう葉子の神経はびりびりと逆立って自分ながらどうしようもないほど荒れすさんで来ていた。「何もかもいやだ、どうでも勝手になるがいい。」するとすぐ頭が重くかぶさって来て、腹部の鈍痛が鉛の大きな球のように腰をしいたげた。それは二重に葉子をいらいらさせた。
「あなた方はいったい何をそんなにいい合っていらっしゃるの」
もうそこには葉子はタクトを用いる余裕さえ持っていなかった。始終腹の底に冷静さを失わないで、あらん限りの表情を勝手に操縦してどんな難関でも、葉子に特有なしかたで切り開いて行くそんな余裕はその場にはとても出て来なかった。
「何をといってこの古藤という青年はあまり礼儀をわきまえんからよ。木村さんの親友親友と二言目には鼻にかけたような事をいわるるが、わしもわしで木村さんから頼まれとるんだから、一人よがりの事はいうてもらわんでもがいいのだ。それをつべこべろくろくあなたの世話も見ずにおきながら、いい立てなさるので、筋が違っていようといって聞かせて上げたところだ。古藤さん、あなた失礼だがいったいいくつです」
葉子にいって聞かせるでもなくそういって、倉地はまた古藤のほうに向き直った。古藤はこの侮辱に対して口答えの言葉も出ないように激昂して黙っていた。
「答えるが恥ずかしければしいても聞くまい。が、いずれ二十は過ぎていられるのだろう。二十過ぎた男があなたのように礼儀をわきまえずに他人の生活の内輪にまで立ち入って物をいうはばかの証拠ですよ。男が物をいうなら考えてからいうがいい」
そういって倉地は言葉の激昂している割合に、また見かけのいかにも威丈高な割合に、充分の余裕を見せて、空うそぶくように打ち水をした庭のほうを見ながら団扇をつかった。
古藤はしばらく黙っていてから後ろを振り仰いで葉子を見やりつつ、
「葉子さん……まあ、す、すわってください」
と少しどもるようにしいて穏やかにいった。葉子はその時始めて、われにもなくそれまでそこに突っ立ったままぼんやりしていたのを知って、自分にかつてないようなとんきょな事をしていたのに気が付いた。そして自分ながらこのごろはほんとうに変だと思いながら二人の間に、できるだけ気を落ち着けて座についた。古藤の顔を見るとやや青ざめて、こめかみの所に太い筋を立てていた。葉子はその時分になって始めて少しずつ自分を回復していた。
「古藤さん、倉地さんは少しお酒を召し上がった所だからこんな時むずかしいお話をなさるのはよくありませんでしたわ。なんですか知りませんけれども今夜はもうそのお話はきれいにやめましょう。いかが?……またゆっくりね……あ、愛さん、あなたお二階に行って縫いかけを大急ぎで仕上げて置いてちょうだい、ねえさんがあらかたしてしまってあるけれども……」
そういって先刻から逐一二人の争論をきいていたらしい愛子を階上に追い上げた。しばらくして古藤はようやく落ち着いて自分の言葉を見いだしたように、
「倉地さんに物をいったのは僕が間違っていたかもしれません。じゃ倉地さんを前に置いてあなたにいわしてください。お世辞でもなんでもなく、僕は始めからあなたには倉地さんなんかにはない誠実な所が、どこかに隠れているように思っていたんです。僕のいう事をその誠実な所で判断してください」
「まあきょうはもういいじゃありませんか、ね。わたし、あなたのおっしゃろうとする事はよっくわかっていますわ。わたし決して仇やおろそかには思っていませんほんとうに。わたしだって考えてはいますわ。そのうちとっくりわたしのほうから伺っていただきたいと思っていたくらいですからそれまで……」
「きょう聞いてください。軍隊生活をしていると三人でこうしてお話しする機会はそうありそうにはありません。もう帰営の時間が逼っていますから、長くお話はできないけれども……それだから我慢して聞いてください」
それならなんでも勝手にいってみるがいい、仕儀によっては黙ってはいないからという腹を、かすかに皮肉に開いた口びるに見せて葉子は古藤に耳をかす態度を見せた。倉地は知らんふりをして庭のほうを見続けていた。古藤は倉地を全く度外視したように葉子のほうに向き直って、葉子の目に自分の目を定めた。卒直な明らさまなその目にはその場合にすら子供じみた羞恥の色をたたえていた。例のごとく古藤は胸の金ぼたんをはめたりはずしたりしながら、
「僕は今まで自分の因循からあなたに対しても木村に対してもほんとうに友情らしい友情を現わさなかったのを恥ずかしく思います。僕はとうにもっとどうかしなければいけなかったんですけれども……木村、木村って木村の事ばかりいうようですけれども、木村の事をいうのはあなたの事をいうのも同じだと僕は思うんですが、あなたは今でも木村と結婚する気が確かにあるんですかないんですか、倉地さんの前でそれをはっきり僕に聞かせてください。何事もそこから出発して行かなければこの話は畢寛まわりばかり回る事になりますから。僕はあなたが木村と結婚する気はないといわれても決してそれをどうというんじゃありません。木村は気の毒です。あの男は表面はあんなに楽天的に見えていて、意志が強そうだけれども、ずいぶん涙っぽいほうだから、その失望は思いやられます。けれどもそれだってしかたがない。第一始めから無理だったから……あなたのお話のようなら……。しかし事情が事情だったとはいえ、あなたはなぜいやならいやと……そんな過去をいったところが始まらないからやめましょう。……葉子さん、あなたはほんとうに自分を考えてみて、どこか間違っていると思った事はありませんか。誤解しては困りますよ、僕はあなたが間違っているというつもりじゃないんですから。他人の事を他人が判断する事なんかはできない事だけれども、僕はあなたがどこか不自然に見えていけないんです。よく世の中では人生の事はそう単純に行くもんじゃないといいますが、そうしてあなたの生活なんぞを見ていると、それはごく外面的に見ているからそう見えるのかもしれないけれども、実際ずいぶん複雑らしく思われますが、そうあるべき事なんでしょうか。もっともっと clear に sun-clear に自分の力だけの事、徳だけの事をして暮らせそうなものだと僕自身は思うんですがね……僕にもそうでなくなる時代が来るかもしらないけれども、今の僕としてはそうより考えられないんです。一時は混雑も来、不和も来、けんかも来るかは知れないが、結局はそうするよりしかたがないと思いますよ。あなたの事についても僕は前からそういうふうにはっきり片づけてしまいたいと思っていたんですけれど、姑息な心からそれまでに行かずともいい結果が生まれて来はしないかと思ったりしてきょうまでどっちつかずで過ごして来たんです。しかしもうこの以上僕には我慢ができなくなりました。
倉地さんとあなたと結婚なさるならなさるで木村もあきらめるよりほかに道はありません。木村に取っては苦しい事だろうが、僕から考えるとどっちつかずで煩悶しているのよりどれだけいいかわかりません。だから倉地さんに意向を伺おうとすれば、倉地さんは頭から僕をばかにして話を真身に受けてはくださらないんです」
「ばかにされるほうが悪いのよ」
倉地は庭のほうから顔を返して、「どこまでばかに出来上がった男だろう」というように苦笑いをしながら古藤を見やって、また知らぬ顔に庭のほうを向いてしまった。
「そりゃそうだ。ばかにされる僕はばかだろう。しかしあなたには……あなたには僕らが持ってる良心というものがないんだ。それだけはばかでも僕にはわかる。あなたがばかといわれるのと、僕が自分をばかと思っているそれとは、意味が違いますよ」
「そのとおり、あなたはばかだと思いながら、どこか心のすみで『何ばかなものか』と思いよるし、わたしはあなたを嘘本なしにばかというだけの相違があるよ」
「あなたは気の毒な人です」
古藤の目には怒りというよりも、ある激しい感情の涙が薄く宿っていた。古藤の心の中のいちばん奥深い所が汚されないままで、ふと目からのぞき出したかと思われるほど、その涙をためた目は一種の力と清さとを持っていた。さすがの倉地もその一言には言葉を返す事なく、不思議そうに古藤の顔を見た。葉子も思わず一種改まった気分になった。そこにはこれまで見慣れていた古藤はいなくなって、その代わりにごまかしのきかない強い力を持った一人の純潔な青年がひょっこり現われ出たように見えた。何をいうか、またいつものようなありきたりの道徳論を振り回すと思いながら、一種の軽侮をもって黙って聞いていた葉子は、この一言で、いわば古藤を壁ぎわに思い存分押し付けていた倉地が手もなくはじき返されたのを見た。言葉の上や仕打ちの上やでいかに高圧的に出てみても、どうする事もできないような真実さが古藤からあふれ出ていた。それに歯向かうには真実で歯向かうほかはない。倉地はそれを持ち合わしているかどうか葉子には想像がつかなかった。その場合倉地はしばらく古藤の顔を不思議そうに見やった後、平気な顔をして膳から杯を取り上げて、飲み残して冷えた酒をてれかくしのようにあおりつけた。葉子はこの時古藤とこんな調子で向かい合っているのが恐ろしくってならなくなった。古藤の目の前でひょっとすると今まで築いて来た生活がくずれてしまいそうな危惧をさえ感じた。で、そのまま黙って倉地のまねをするようだが、平気を装いつつ煙管を取り上げた。その場の仕打ちとしては拙いやりかたであるのを歯がゆくは思いながら。
古藤はしばらく言葉を途切らしていたが、また改まって葉子のほうに話しかけた。
「そう改まらないでください。その代わり思っただけの事をいいかげんにしておかずに話し合わせてみてください。いいですか。あなたと倉地さんとのこれまでの生活は、僕みたいな無経験なものにも、疑問として片づけておく事のできないような事実を感じさせるんです。それに対するあなたの弁解は詭弁とより僕には響かなくなりました。僕の鈍い直覚ですらがそう考えるのです。だからこの際あなたと倉地さんとの関係を明らかにして、あなたから木村に偽りのない告白をしていただきたいんです。木村が一人で生活に苦しみながらたとえようのない疑惑の中にもがいているのを少しでも想像してみたら……今のあなたにはそれを要求するのは無理かもしれないけれども……。第一こんな不安定な状態からあなたは愛子さんや貞世さんを救う義務があると思いますよ僕は。あなただけに限られずに、四方八方の人の心に響くというのは恐ろしい事だとはほんとうにあなたには思えませんかねえ。僕にはそばで見ているだけでも恐ろしいがなあ。人にはいつか総勘定をしなければならない時が来るんだ。いくら借りになっていてもびくともしないという自信もなくって、ずるずるべったりに無反省に借りばかり作っているのは考えてみると不安じゃないでしょうか。葉子さん、あなたには美しい誠実があるんだ。僕はそれを知っています。木村にだけはどうしたわけか別だけれども、あなたはびた一文でも借りをしていると思うと寝心地が悪いというような気象を持っているじゃありませんか。それに心の借金ならいくら借金をしていても平気でいられるわけはないと思いますよ。なぜあなたは好んでそれを踏みにじろうとばかりしているんです。そんな情けない事ばかりしていてはだめじゃありませんか。……僕ははっきり思うとおりをいい現わし得ないけれども……いおうとしている事はわかってくださるでしょう」
古藤は思い入ったふうで、油でよごれた手を幾度もまっ黒に日に焼けた目がしらの所に持って行った。蚊がぶんぶんと攻めかけて来るのも忘れたようだった。葉子は古藤の言葉をもうそれ以上は聞いていられなかった。せっかくそっとして置いた心のよどみがかきまわされて、見まいとしていたきたないものがぬらぬらと目の前に浮き出て来るようでもあった。塗りつぶし塗りつぶししていた心の壁にひびが入って、そこから面も向けられない白い光がちらとさすようにも思った。もうしかしそれはすべてあまりおそい。葉子はそんな物を無視してかかるほかに道がないと思った。ごまかしてはいけないと古藤のいった言葉はその瞬間にもすぐ葉子にきびしく答えたけれども、葉子は押し切ってそんな言葉をかなぐり捨てないではいられないと自分からあきらめた。
「よくわかりました。あなたのおっしゃる事はいつでもわたしにはよくわかりますわ。そのうちわたしきっと木村のほうに手紙を出すから安心してくださいまし。このごろはあなたのほうが木村以上に神経質になっていらっしゃるようだけれども、御親切はよくわたしにもわかりますわ。倉地さんだってあなたのお心持ちは通じているに違いないんですけれども、あなたが……なんといったらいいでしょうねえ……あなたがあんまり真正面からおっしゃるもんだから、つい向っ腹をお立てなすったんでしょう。そうでしょう、ね、倉地さん。……こんないやなお話はこれだけにして妹たちでも呼んでおもしろいお話でもしましょう」
「僕がもっと偉いと、いう事がもっと深く皆さんの心にはいるんですが、僕のいう事はほんとうの事だと思うんだけれどもしかたがありません。それじゃきっと木村に書いてやってください。僕自身は何も物数寄らしくその内容を知りたいとは思ってるわけじゃないんですから……」
古藤がまだ何かいおうとしている時に愛子が整頓風呂敷の出来上がったのを持って、二階から降りて来た。古藤は愛子からそれを受け取ると思い出したようにあわてて時計を見た。葉子はそれには頓着しないように、
「愛さんあれを古藤さんにお目にかけよう。古藤さんちょっと待っていらしってね。今おもしろいものをお目にかけるから。貞ちゃんは二階? いないの? どこに行ったんだろう……貞ちゃん!」
こういって葉子が呼ぶと台所のほうから貞世が打ち沈んだ顔をして泣いたあとのように頬を赤くしてはいって来た。やはり自分のいった言葉に従って一人ぽっちで台所に行ってすすぎ物をしていたのかと思うと、葉子はもう胸が逼って目の中が熱くなるのだった。
「さあ二人でこの間学校で習って来たダンスをして古藤さんと倉地さんとにお目におかけ。ちょっとコティロンのようでまた変わっていますの。さ」
二人は十畳の座敷のほうに立って行った。倉地はこれをきっかけにからっと快活になって、今までの事は忘れたように、古藤にも微笑を与えながら「それはおもしろかろう」といいつつあとに続いた。愛子の姿を見ると古藤も釣り込まれるふうに見えた。葉子は決してそれを見のがさなかった。
可憐な姿をした姉と妹とは十畳の電燈の下に向かい合って立った。愛子はいつでもそうなようにこんな場合でもいかにも冷静だった。普通ならばその年ごろの少女としては、やり所もない羞恥を感ずるはずであるのに、愛子は少し目を伏せているほかにはしらじらとしていた。きゃっきゃっとうれしがったり恥ずかしがったりする貞世はその夜はどうしたものかただ物憂げにそこにしょんぼりと立った。その夜の二人は妙に無感情な一対の美しい踊り手だった。葉子が「一二三」と相図をすると、二人は両手を腰骨の所に置き添えて静かに回旋しながら舞い始めた。兵営の中ばかりにいて美しいものを全く見なかったらしい古藤は、しばらくは何事も忘れたように恍惚として二人の描く曲線のさまざまに見とれていた。
と突然貞世が両袖を顔にあてたと思うと、急に舞いの輸からそれて、一散に玄関わきの六畳に駆け込んだ。六畳に達しないうちに痛ましくすすり泣く声が聞こえ出した。古藤ははっとあわててそっちに行こうとしたが、愛子が一人になっても、顔色も動かさずに踊り続けているのを見るとそのまままた立ち止まった。愛子は自分のし遂すべき務めをし遂せる事に心を集める様子で舞いつづけた。
「愛さんちょっとお待ち」
といった葉子の声は低いながら帛を裂くように疳癖らしい調子になっていた。別室に妹の駆け込んだのを見向きもしない愛子の不人情さを憤る怒りと、命ぜられた事を中途半端でやめてしまった貞世を憤る怒りとで葉子は自制ができないほどふるえていた。愛子は静かにそこに両手を腰からおろして立ち止まった。
「貞ちゃんなんですその失礼は。出ておいでなさい」
葉子は激しく隣室に向かってこう叫んだ。隣室から貞世のすすり泣く声が哀れにもまざまざと聞こえて来るだけだった。抱きしめても抱きしめても飽き足らないほどの愛着をそのまま裏返したような憎しみが、葉子の心を火のようにした。葉子は愛子にきびしくいいつけて貞世を六畳から呼び返さした。
やがてその六畳から出て来た愛子は、さすがに不安な面持ちをしていた。苦しくってたまらないというから額に手をあてて見たら火のように熱いというのだ。
葉子は思わずぎょっとした。生まれ落ちるとから病気一つせずに育って来た貞世は前から発熱していたのを自分で知らずにいたに違いない。気むずかしくなってから一週間ぐらいになるから、何かの熱病にかかったとすれば病気はかなり進んでいたはずだ。ひょっとすると貞世はもう死ぬ……それを葉子は直覚したように思った。目の前で世界が急に暗くなった。電灯の光も見えないほどに頭の中が暗い渦巻きでいっぱいになった。えゝ、いっその事死んでくれ。この血祭りで倉地が自分にはっきりつながれてしまわないとだれがいえよう。人身御供にしてしまおう。そう葉子は恐怖の絶頂にありながら妙にしんとした心持ちで思いめぐらした。そしてそこにぼんやりしたまま突っ立っていた。
いつのまに行ったのか、倉地と古藤とが六畳の間から首を出した。
「お葉さん……ありゃ泣いたためばかりの熱じゃない。早く来てごらん」
倉地のあわてるような声が聞こえた。
それを聞くと葉子は始めて事の真相がわかったように、夢から目ざめたように、急に頭がはっきりして六畳の間に走り込んだ。貞世はひときわ背たけが縮まったように小さく丸まって、座ぶとんに顔を埋めていた。膝をついてそばによって後頸の所にさわってみると、気味の悪いほどの熱が葉子の手に伝わって来た。
その瞬間に葉子の心はでんぐり返しを打った。いとしい貞世につらく当たったら、そしてもし貞世がそのために命を落とすような事でもあったら、倉地を大丈夫つかむ事ができると何がなしに思い込んで、しかもそれを実行した迷信とも妄想ともたとえようのない、狂気じみた結願がなんの苦もなくばらばらにくずれてしまって、その跡にはどうかして貞世を活かしたいという素直な涙ぐましい願いばかりがしみじみと働いていた。自分の愛するものが死ぬか活きるかの境目に来たと思うと、生への執着と死への恐怖とが、今まで想像も及ばなかった強さでひしひしと感ぜられた。自分を八つ裂きにしても貞世の命は取りとめなくてはならぬ。もし貞世が死ねばそれは自分が殺したんだ。何も知らない、神のような少女を……葉子はあらぬことまで勝手に想像して勝手に苦しむ自分をたしなめるつもりでいても、それ以上に種々な予想が激しく頭の中で働いた。
葉子は貞世の背をさすりながら、嘆願するように哀恕を乞うように古藤や倉地や愛子までを見まわした。それらの人々はいずれも心痛げな顔色を見せていないではなかった。しかし葉子から見るとそれはみんな贋物だった。
やがて古藤は兵営への帰途医者を頼むといって帰って行った。葉子は、一人でも、どんな人でも貞世の身ぢかから離れて行くのをつらく思った。そんな人たちは多少でも貞世の生命を一緒に持って行ってしまうように思われてならなかった。
日はとっぷり暮れてしまったけれどもどこの戸締まりもしないこの家に、古藤がいってよこした医者がやって来た。そして貞世は明らかに腸チブスにかかっていると診断されてしまった。
四二
「おねえ様……行っちゃいやあ……」
まるで四つか五つの幼児のように頑是なくわがままになってしまった貞世の声を聞き残しながら葉子は病室を出た。おりからじめじめと降りつづいている五月雨に、廊下には夜明けからの薄暗さがそのまま残っていた。白衣を着た看護婦が暗いだだっ広い廊下を、上草履の大きな音をさせながら案内に立った。十日の余も、夜昼の見さかいもなく、帯も解かずに看護の手を尽くした葉子は、どうかするとふらふらとなって、頭だけが五体から離れてどこともなく漂って行くかとも思うような不思議な錯覚を感じながら、それでも緊張しきった心持ちになっていた。すべての音響、すべての色彩が極度に誇張されてその感覚に触れて来た。貞世が腸チブスと診断されたその晩、葉子は担架に乗せられたそのあわれな小さな妹に付き添ってこの大学病院の隔離室に来てしまったのであるが、その時別れたなりで、倉地は一度も病院を尋ねては来なかったのだ。葉子は愛子一人が留守する山内の家のほうに、少し不安心ではあるけれどもいつか暇をやったつやを呼び寄せておこうと思って、宿もとにいってやると、つやはあれから看護婦を志願して京橋のほうのある病院にいるという事が知れたので、やむを得ず倉地の下宿から年を取った女中を一人頼んでいてもらう事にした。病院に来てからの十日――それはきのうからきょうにかけての事のように短く思われもし、一日が一年に相当するかと疑われるほど長くも感じられた。
その長く感じられるほうの期間には、倉地と愛子との姿が不安と嫉妬との対照となって葉子の心の目に立ち現われた。葉子の家を預かっているものは倉地の下宿から来た女だとすると、それは倉地の犬といってもよかった。そこに一人残された愛子……長い時間の間にどんな事でも起こり得ずにいるものか。そう気を回し出すと葉子は貞世の寝台のかたわらにいて、熱のために口びるがかさかさになって、半分目をあけたまま昏睡しているその小さな顔を見つめている時でも、思わずかっとなってそこを飛び出そうとするような衝動に駆り立てられるのだった。
しかしまた短く感じられるほうの期間にはただ貞世ばかりがいた。末子として両親からなめるほど溺愛もされ、葉子の唯一の寵児ともされ、健康で、快活で、無邪気で、わがままで、病気という事などはついぞ知らなかったその子は、引き続いて父を失い、母を失い、葉子の病的な呪詛の犠牲となり、突然死病に取りつかれて、夢にもうつつにも思いもかけなかった死と向かい合って、ひたすらに恐れおののいている、その姿は、千丈の谷底に続く崕のきわに両手だけでぶら下がった人が、そこの土がぼろぼろとくずれ落ちるたびごとに、懸命になって助けを求めて泣き叫びながら、少しでも手がかりのある物にしがみつこうとするのを見るのと異ならなかった。しかもそんなはめに貞世をおとしいれてしまったのは結局自分に責任の大部分があると思うと、葉子はいとしさ悲しさで胸も腸も裂けるようになった。貞世が死ぬにしても、せめては自分だけは貞世を愛し抜いて死なせたかった。貞世をかりにもいじめるとは……まるで天使のような心で自分を信じきり愛し抜いてくれた貞世をかりにも没義道に取り扱ったとは……葉子は自分ながら葉子の心の埒なさ恐ろしさに悔いても悔いても及ばない悔いを感じた。そこまで詮じつめて来ると、葉子には倉地もなかった。ただ命にかけても貞世を病気から救って、貞世が元通りにつやつやしい健康に帰った時、貞世を大事に大事に自分の胸にかき抱いてやって、
「貞ちゃんお前はよくこそなおってくれたね。ねえさんを恨まないでおくれ。ねえさんはもう今までの事をみんな後悔して、これからはあなたをいつまでもいつまでも後生大事にしてあげますからね」
としみじみと泣きながらいってやりたかった。ただそれだけの願いに固まってしまった。そうした心持ちになっていると、時間はただ矢のように飛んで過ぎた。死のほうへ貞世を連れて行く時間はただ矢のように飛んで過ぎると思えた。
この奇怪な心の葛藤に加えて、葉子の健康はこの十日ほどの激しい興奮と活動とでみじめにもそこない傷つけられているらしかった。緊張の極点にいるような今の葉子にはさほどと思われないようにもあったが、貞世が死ぬかなおるかして一息つく時が来たら、どうして肉体をささえる事ができようかと危ぶまないではいられない予感がきびしく葉子を襲う瞬間は幾度もあった。
そうした苦しみの最中に珍しく倉地が尋ねて来たのだった。ちょうど何もかも忘れて貞世の事ばかり気にしていた葉子は、この案内を聞くと、まるで生まれかわったようにその心は倉地でいっぱいになってしまった。
病室の中から叫びに叫ぶ貞世の声が廊下まで響いて聞こえたけれども、葉子はそれには頓着していられないほどむきになって看護婦のあとを追った。歩きながら衣紋を整えて、例の左手をあげて鬢の毛を器用にかき上げながら、応接室の所まで来ると、そこはさすがにいくぶんか明るくなっていて、開き戸のそばのガラス窓の向こうに頑丈な倉地と、思いもかけず岡の華車な姿とがながめられた。
葉子は看護婦のいるのも岡のいるのも忘れたようにいきなり倉地に近づいて、その胸に自分の顔を埋めてしまった。何よりもかによりも長い長い間あい得ずにいた倉地の胸は、数限りもない連想に飾られて、すべての疑惑や不快を一掃するに足るほどなつかしかった。倉地の胸から触れ慣れた衣ざわりと、強烈な膚のにおいとが、葉子の病的に嵩じた感覚を乱酔さすほどに伝わって来た。
「どうだ、ちっとはいいか」
「おゝこの声だ、この声だ」……葉子はかく思いながら悲しくなった。それは長い間闇の中に閉じこめられていたものが偶然灯の光を見た時に胸を突いてわき出て来るような悲しさだった。葉子は自分の立場をことさらあわれに描いてみたい衝動を感じた。
「だめです。貞世は、かわいそうに死にます」
「ばかな……あなたにも似合わん、そう早う落胆する法があるものかい。どれ一つ見舞ってやろう」
そういいながら倉地は先刻からそこにいた看護婦のほうに振り向いた様子だった。そこに看護婦も岡もいるという事はちゃんと知っていながら、葉子はだれもいないもののような心持ちで振る舞っていたのを思うと、自分ながらこのごろは心が狂っているのではないかとさえ疑った。看護婦は倉地と葉子との対話ぶりで、この美しい婦人の素性をのみ込んだというような顔をしていた。岡はさすがにつつましやかに心痛の色を顔に現わして椅子の背に手をかけたまま立っていた。
「あゝ、岡さんあなたもわざわざお見舞いくださってありがとうございました」
葉子は少し挨拶の機会をおくらしたと思いながらもやさしくこういった。岡は頬を紅らめたまま黙ってうなずいた。
「ちょうど今見えたもんだで御一緒したが、岡さんはここでお帰りを願ったがいいと思うが……(そういって倉地は岡のほうを見た)何しろ病気が病気ですから……」
「わたし、貞世さんにぜひお会いしたいと思いますからどうかお許しください」
岡は思い入ったようにこういって、ちょうどそこに看護婦が持って来た二枚の白い上っ張りのうち少し古く見える一枚を取って倉地よりも先に着始めた。葉子は岡を見るともう一つのたくらみを心の中で案じ出していた。岡をできるだけたびたび山内の家のほうに遊びに行かせてやろう。それは倉地と愛子とが接触する機会をいくらかでも妨げる結果になるに違いない。岡と愛子とが互いに愛し合うようになったら……なったとしてもそれは悪い結果という事はできない。岡は病身ではあるけれども地位もあれば金もある。それは愛子のみならず、自分の将来に取っても役に立つに相違ない。……とそう思うすぐその下から、どうしても虫の好かない愛子が、葉子の意志の下にすっかりつなぎつけられているような岡をぬすんで行くのを見なければならないのが面憎くも妬ましくもあった。
葉子は二人の男を案内しながら先に立った。暗い長い廊下の両側に立ちならんだ病室の中からは、呼吸困難の中からかすれたような声でディフテリヤらしい幼児の泣き叫ぶのが聞こえたりした。貞世の病室からは一人の看護婦が半ば身を乗り出して、部屋の中に向いて何かいいながら、しきりとこっちをながめていた。貞世の何かいい募る言葉さえが葉子の耳に届いて来た。その瞬間にもう葉子はそこに倉地のいる事なども忘れて、急ぎ足でそのほうに走り近づいた。
「そらもう帰っていらっしゃいましたよ」
といいながら顔を引っ込めた看護婦に続いて、飛び込むように病室にはいって見ると、貞世は乱暴にも寝台の上に起き上がって、膝小僧もあらわになるほど取り乱した姿で、手を顔にあてたままおいおいと泣いていた。葉子は驚いて寝台に近寄った。
「なんというあなたは聞きわけのない……貞ちゃんその病気で、あなた、寝台から起き上がったりするといつまでもなおりはしませんよ。あなたの好きな倉地のおじさんと岡さんがお見舞いに来てくださったのですよ。はっきりわかりますか、そら、そこを御覧、横になってから」
そう言い言い葉子はいかにも愛情に満ちた器用な手つきで軽く貞世をかかえて床の上に臥かしつけた。貞世の顔は今まで盛んな運動でもしていたように美しく活々と紅味がさして、ふさふさした髪の毛は少しもつれて汗ばんで額ぎわに粘りついていた。それは病気を思わせるよりも過剰の健康とでもいうべきものを思わせた。ただその両眼と口びるだけは明らかに尋常でなかった。すっかり充血したその目はふだんよりも大きくなって、二重まぶたになっていた。そのひとみは熱のために燃えて、おどおどと何者かを見つめているようにも、何かを見いだそうとして尋ねあぐんでいるようにも見えた。その様子はたとえば葉子を見入っている時でも、葉子を貫いて葉子の後ろの方はるかの所にある或る者を見きわめようとあらん限りの力を尽くしているようだった。口びるは上下ともからからになって内紫という柑類の実をむいて天日に干したようにかわいていた。それは見るもいたいたしかった。その口びるの中から高熱のために一種の臭気が呼吸のたびごとに吐き出される、その臭気が口びるの著しいゆがめかたのために、目に見えるようだった。貞世は葉子に注意されて物惰げに少し目をそらして倉地と岡とのいるほうを見たが、それがどうしたんだというように、少しの興味も見せずにまた葉子を見入りながらせっせと肩をゆすって苦しげな呼吸をつづけた。
「おねえさま……水……氷……もういっちゃいや……」
これだけかすかにいうともう苦しそうに目をつぶってほろほろと大粒の涙をこぼすのだった。
倉地は陰鬱な雨脚で灰色になったガラス窓を背景にして突っ立ちながら、黙ったまま不安らしく首をかしげた。岡は日ごろのめったに泣かない性質に似ず、倉地の後ろにそっと引きそって涙ぐんでいた。葉子には後ろを振り向いて見ないでもそれが目に見るようにはっきりわかった。貞世の事は自分一人で背負って立つ。よけいなあわれみはかけてもらいたくない。そんないらいらしい反抗的な心持ちさえその場合起こらずにはいなかった。過ぐる十日というもの一度も見舞う事をせずにいて、今さらその由々しげな顔つきはなんだ。そう倉地にでも岡にでもいってやりたいほど葉子の心はとげとげしくなっていた。で、葉子は後ろを振り向きもせずに、箸の先につけた脱脂綿を氷水の中に浸しては、貞世の口をぬぐっていた。
こうやってもののやや二十分が過ぎた。飾りけも何もない板張りの病室にはだんだん夕暮れの色が催して来た。五月雨はじめじめと小休みなく戸外では降りつづいていた。「おねえ様なおしてちょうだいよう」とか「苦しい……苦しいからお薬をください」とか「もう熱を計るのはいや」とか時々囈言のように言っては、葉子の手にかじりつく貞世の姿はいつ息気を引き取るかもしれないと葉子に思わせた。
「ではもう帰りましょうか」
倉地が岡を促すようにこういった。岡は倉地に対し葉子に対して少しの間返事をあえてするのをはばかっている様子だったが、とうとう思いきって、倉地に向かって言っていながら少し葉子に対して嘆願するような調子で、
「わたし、きょうはなんにも用がありませんから、こちらに残らしていただいて、葉子さんのお手伝いをしたいと思いますから、お先にお帰りください」
といった。岡はひどく意志が弱そうに見えながら一度思い入っていい出した事は、とうとう仕畢せずにはおかない事を、葉子も倉地も今までの経験から知っていた。葉子は結局それを許すほかはないと思った。
「じゃわしはお先するがお葉さんちょっと……」
といって倉地は入り口のほうにしざって行った。おりから貞世はすやすやと昏睡に陥っていたので、葉子はそっと自分の袖を捕えている貞世の手をほどいて、倉地のあとから病室を出た。病室を出るとすぐ葉子はもう貞世を看護している葉子ではなかった。
葉子はすぐに倉地に引き添って肩をならべながら廊下を応接室のほうに伝って行った。
「お前はずいぶんと疲れとるよ。用心せんといかんぜ」
「大丈夫……こっちは大丈夫です。それにしてもあなたは……お忙しかったんでしょうね」
たとえば自分の言葉は稜針で、それを倉地の心臓に揉み込むというような鋭い語気になってそういった。
「全く忙しかった。あれからわしはお前の家には一度もよう行かずにいるんだ」
そういった倉地の返事にはいかにもわだかまりがなかった。葉子の鋭い言葉にも少しも引けめを感じているふうは見えなかった。葉子でさえが危うくそれを信じようとするほどだった。しかしその瞬間に葉子は燕返しに自分に帰った。何をいいかげんな……それは白々しさが少し過ぎている。この十日の間に、倉地にとってはこの上もない機会の与えられた十日の間に、杉森の中のさびしい家にその足跡の印されなかったわけがあるものか。……さらぬだに、病み果て疲れ果てた頭脳に、極度の緊張を加えた葉子は、ぐらぐらとよろけた足もとが廊下の板に着いていないような憤怒に襲われた。
応接室まで来て上っ張りを脱ぐと、看護婦が噴霧器を持って来て倉地の身のまわりに消毒薬を振りかけた。そのかすかなにおいがようやく葉子をはっきりした意識に返らした。葉子の健康が一日一日といわず、一時間ごとにもどんどん弱って行くのが身にしみて知れるにつけて、倉地のどこにも批点のないような頑丈な五体にも心にも、葉子はやりどころのないひがみと憎しみを感じた。倉地にとっては葉子はだんだんと用のないものになって行きつつある。絶えず何か目新しい冒険を求めているような倉地にとっては、葉子はもう散りぎわの花に過ぎない。
看護婦がその室を出ると、倉地は窓の所に寄って行って、衣嚢の中から大きな鰐皮のポケットブックを取り出して、拾円札のかなりの束を引き出した。葉子はそのポケットブックにもいろいろの記憶を持っていた。竹柴館で一夜を過ごしたその朝にも、その後のたびたびのあいびきのあとの支払いにも、葉子は倉地からそのポケットブックを受け取って、ぜいたくな支払いを心持ちよくしたのだった。そしてそんな記憶はもう二度とは繰り返せそうもなく、なんとなく葉子には思えた。そんな事をさせてなるものかと思いながらも、葉子の心は妙に弱くなっていた。
「また足らなくなったらいつでもいってよこすがいいから……おれのほうの仕事はどうもおもしろくなくなって来おった。正井のやつ何か容易ならぬ悪戯をしおった様子もあるし、油断がならん。たびたびおれがここに来るのも考え物だて」
紙幣を渡しながらこういって倉地は応接室を出た。かなりぬれているらしい靴をはいて、雨水で重そうになった洋傘をばさばさいわせながら開いて、倉地は軽い挨拶を残したまま夕闇の中に消えて行こうとした。間を置いて道わきにともされた電灯の灯が、ぬれた青葉をすべり落ちてぬかるみの中に燐のような光を漂わしていた。その中をだんだん南門のほうに遠ざかって行く倉地を見送っていると葉子はとてもそのままそこに居残ってはいられなくなった。
だれの履き物とも知らずそこにあった吾妻下駄をつっかけて葉子は雨の中を玄関から走り出て倉地のあとを追った。そこにある広場には欅や桜の木がまばらに立っていて、大規模な増築のための材料が、煉瓦や石や、ところどころに積み上げてあった。東京の中央にこんな所があるかと思われるほど物さびしく静かで、街灯の光の届く所だけに白く光って斜めに雨のそそぐのがほのかに見えるばかりだった。寒いとも暑いともさらに感じなく過ごして来た葉子は、雨が襟脚に落ちたので初めて寒いと思った。関東に時々襲って来る時ならぬ冷え日でその日もあったらしい。葉子は軽く身ぶるいしながら、いちずに倉地のあとを追った。やや十四五間も先にいた倉地は足音を聞きつけたと見えて立ちどまって振り返った。葉子が追いついた時には、肩はいいかげんぬれて、雨のしずくが前髪を伝って額に流れかかるまでになっていた。葉子はかすかな光にすかして、倉地が迷惑そうな顔つきで立っているのを知った。葉子はわれにもなく倉地が傘を持つために水平に曲げたその腕にすがり付いた。
「さっきのお金はお返しします。義理ずくで他人からしていただくんでは胸がつかえますから……」
倉地の腕の所で葉子のすがり付いた手はぶるぶると震えた。傘からはしたたりがことさら繁く落ちて、単衣をぬけて葉子の肌ににじみ通った。葉子は、熱病患者が冷たいものに触れた時のような不快な悪寒を感じた。
「お前の神経は全く少しどうかしとるぜ。おれの事を少しは思ってみてくれてもよかろうが……疑うにもひがむにもほどがあっていいはずだ。おれはこれまでにどんな不貞腐れをした。いえるならいってみろ」
さすがに倉地も気にさえているらしく見えた。
「いえないように上手に不貞腐れをなさるのじゃ、いおうったっていえやしませんわね。なぜあなたははっきり葉子にはあきた、もう用がないとおいいになれないの。男らしくもない。さ、取ってくださいましこれを」
葉子は紙幣の束をわなわなする手先で倉地の胸の所に押しつけた。
「そしてちゃんと奥さんをお呼び戻しなさいまし。それで何もかも元通りになるんだから。はばかりながら……」
「愛子は」と口もとまでいいかけて、葉子は恐ろしさに息気を引いてしまった。倉地の細君の事までいったのはその夜が始めてだった。これほど露骨な嫉妬の言葉は、男の心を葉子から遠ざからすばかりだと知り抜いて慎んでいたくせに、葉子はわれにもなく、がみがみと妹の事までいってのけようとする自分にあきれてしまった。
葉子がそこまで走り出て来たのは、別れる前にもう一度倉地の強い腕でその暖かく広い胸に抱かれたいためだったのだ。倉地に悪たれ口をきいた瞬間でも葉子の願いはそこにあった。それにもかかわらず口の上では全く反対に、倉地を自分からどんどん離れさすような事をいってのけているのだ。
葉子の言葉が募るにつれて、倉地は人目をはばかるようにあたりを見回した。互い互いに殺し合いたいほどの執着を感じながら、それを言い現わす事も信ずる事もできず、要もない猜疑と不満とにさえぎられて、見る見る路傍の人のように遠ざかって行かねばならぬ、――そのおそろしい運命を葉子はことさら痛切に感じた。倉地があたりを見回した――それだけの挙動が、機を見計らっていきなりそこを逃げ出そうとするもののようにも思いなされた。葉子は倉地に対する憎悪の心を切ないまでに募らしながら、ますます相手の腕に堅く寄り添った。
しばらくの沈黙の後、倉地はいきなり洋傘をそこにかなぐり捨てて、葉子の頭を右腕で巻きすくめようとした。葉子は本能的に激しくそれにさからった。そして紙幣の束をぬかるみの中にたたきつけた。そして二人は野獣のように争った。
「勝手にせい……ばかっ」
やがてそう激しくいい捨てると思うと、倉地は腕の力を急にゆるめて、洋傘を拾い上げるなり、あとをも向かずに南門のほうに向いてずんずんと歩き出した。憤怒と嫉妬とに興奮しきった葉子は躍起となってそのあとを追おうとしたが、足はしびれたように動かなかった。ただだんだん遠ざかって行く後ろ姿に対して、熱い涙がとめどなく流れ落ちるばかりだった。
しめやかな音を立てて雨は降りつづけていた。隔離病室のある限りの窓にはかんかんと灯がともって、白いカーテンが引いてあった。陰惨な病室にそう赤々と灯のともっているのはかえってあたりを物すさまじくして見せた。
葉子は紙幣の束を拾い上げるほか、術のないのを知って、しおしおとそれを拾い上げた。貞世の入院料はなんといってもそれで仕払うよりしようがなかったから。いいようのないくやし涙がさらにわき返った。
四三
その夜おそくまで岡はほんとうに忠実やかに貞世の病床に付き添って世話をしてくれた。口少なにしとやかによく気をつけて、貞世の欲する事をあらかじめ知り抜いているような岡の看護ぶりは、通り一ぺんな看護婦の働きぶりとはまるでくらべものにならなかった。葉子は看護婦を早く寝かしてしまって、岡と二人だけで夜のふけるまで氷嚢を取りかえたり、熱を計ったりした。
高熱のために貞世の意識はだんだん不明瞭になって来ていた。退院して家に帰りたいとせがんでしようのない時は、そっと向きをかえて臥かしてから、「さあもうお家ですよ」というと、うれしそうに笑顔をもらしたりした。それを見なければならぬ葉子はたまらなかった。どうかした拍子に、葉子は飛び上がりそうに心が責められた。これで貞世が死んでしまったなら、どうして生き永らえていられよう。貞世をこんな苦しみにおとしいれたものはみんな自分だ。自分が前どおりに貞世に優しくさえしていたら、こんな死病は夢にも貞世を襲って来はしなかったのだ。人の心の報いは恐ろしい……そう思って来ると葉子はだれにわびようもない苦悩に息気づまった。
緑色の風呂敷で包んだ電燈の下に、氷嚢を幾つも頭と腹部とにあてがわれた貞世は、今にも絶え入るかと危ぶまれるような荒い息気づかいで夢現の間をさまようらしく、聞きとれない囈言を時々口走りながら、眠っていた。岡は部屋のすみのほうにつつましく突っ立ったまま、緑色をすかして来る電燈の光でことさら青白い顔色をして、じっと貞世を見守っていた。葉子は寝台に近く椅子を寄せて、貞世の顔をのぞき込むようにしながら、貞世のために何かし続けていなければ、貞世の病気がますます重るという迷信のような心づかいから、要もないのに絶えず氷嚢の位置を取りかえてやったりなどしていた。
そして短い夜はだんだんにふけて行った。葉子の目からは絶えず涙がはふり落ちた。倉地と思いもかけない別れかたをしたその記憶が、ただわけもなく葉子を涙ぐました。
と、ふっと葉子は山内の家のありさまを想像に浮かべた。玄関わきの六畳ででもあろうか、二階の子供の勉強部屋ででもあろうか、この夜ふけを下宿から送られた老女が寝入ったあと、倉地と愛子とが話し続けているような事はないか。あの不思議に心の裏を決して他人に見せた事のない愛子が、倉地をどう思っているかそれはわからない。おそらくは倉地に対しては何の誘惑も感じてはいないだろう。しかし倉地はああいうしたたか者だ。愛子は骨に徹する怨恨を葉子に対していだいている。その愛子が葉子に対して復讐の機会を見いだしたとこの晩思い定めなかったとだれが保証し得よう。そんな事はとうの昔に行なわれてしまっているのかもしれない。もしそうなら、今ごろは、このしめやかな夜を……太陽が消えてなくなったような寒さと闇とが葉子の心におおいかぶさって来た。愛子一人ぐらいを指の間に握りつぶす事ができないと思っているのか……見ているがいい。葉子はいらだちきって毒蛇のような殺気だった心になった。そして静かに岡のほうを顧みた。
何か遠いほうの物でも見つめているように少しぼんやりした目つきで貞世を見守っていた岡は、葉子に振り向かれると、そのほうに素早く目を転じたが、その物すごい不気味さに脊髄まで襲われたふうで、顔色をかえて目をたじろがした。
「岡さん。わたし一生のお頼み……これからすぐ山内の家まで行ってください。そして不用な荷物は今夜のうちにみんな倉地さんの下宿に送り返してしまって、わたしと愛子のふだん使いの着物と道具とを持って、すぐここに引っ越して来るように愛子にいいつけてください。もし倉地さんが家に来ていたら、わたしから確かに返したといってこれを渡してください(そういって葉子は懐紙に拾円紙幣の束を包んで渡した)。いつまでかかっても構わないから今夜のうちにね。お頼みを聞いてくださって?」
なんでも葉子のいう事なら口返答をしない岡だけれどもこの常識をはずれた葉子の言葉には当惑して見えた。岡は窓ぎわに行ってカーテンの陰から戸外をすかして見て、ポケットから巧緻な浮き彫りを施した金時計を取り出して時間を読んだりした。そして少し躊躇するように、
「それは少し無理だとわたし、思いますが……あれだけの荷物を片づけるのは……」
「無理だからこそあなたを見込んでお願いするんですわ。そうねえ、入り用のない荷物を倉地さんの下宿に届けるのは何かもしれませんわね。じゃ構わないから置き手紙を婆やというのに渡しておいてくださいまし。そして婆やにいいつけてあすでも倉地さんの所に運ばしてくださいまし。それなら何もいさくさはないでしょう。それでもおいや? いかが?……ようございます。それじゃもうようございます。あなたをこんなにおそくまでお引きとめしておいて、又候めんどうなお願いをしようとするなんてわたしもどうかしていましたわ。……貞ちゃんなんでもないのよ。わたし今岡さんとお話ししていたんですよ。汽車の音でもなんでもないんだから、心配せずにお休み……どうして貞世はこんなに怖い事ばかりいうようになってしまったんでしょう。夜中などに一人で起きていて囈言を聞くとぞーっとするほど気味が悪くなりますのよ。あなたはどうぞもうお引き取りくださいまし。わたし車屋をやりますから……」
「車屋をおやりになるくらいならわたし行きます」
「でもあなたが倉地さんに何とか思われなさるようじゃお気の毒ですもの」
「わたし、倉地さんなんぞをはばかっていっているのではありません」
「それはよくわかっていますわ。でもわたしとしてはそんな結果も考えてみてからお頼みするんでしたのに……」
こういう押し問答の末に岡はとうとう愛子の迎えに行く事になってしまった。倉地がその夜はきっと愛子の所にいるに違いないと思った葉子は、病院に泊まるものと高をくくっていた岡が突然真夜中に訪れて来たので倉地もさすがにあわてずにはいられまい。それだけの狼狽をさせるにしても快い事だと思っていた。葉子は宿直部屋に行って、しだらなく睡入った当番の看護婦を呼び起こして人力車を頼ました。
岡は思い入った様子でそっと貞世の病室を出た。出る時に岡は持って来たパラフィン紙に包んである包みを開くと美しい花束だった。岡はそれをそっと貞世の枕もとにおいて出て行った。
しばらくすると、しとしとと降る雨の中を、岡を乗せた人力車が走り去る音がかすかに聞こえて、やがて遠くに消えてしまった。看護婦が激しく玄関の戸締まりする音が響いて、そのあとはひっそりと夜がふけた。遠くの部屋でディフテリヤにかかっている子供の泣く声が間遠に聞こえるほかには、音という音は絶え果てていた。
葉子はただ一人いたずらに興奮して狂うような自分を見いだした。不眠で過ごした夜が三日も四日も続いているのにかかわらず、睡気というものは少しも襲って来なかった。重石をつり下げたような腰部の鈍痛ばかりでなく、脚部は抜けるようにだるく冷え、肩は動かすたびごとにめりめり音がするかと思うほど固く凝り、頭の心は絶え間なくぎりぎりと痛んで、そこからやりどころのない悲哀と疳癪とがこんこんとわいて出た。もう鏡は見まいと思うほど顔はげっそりと肉がこけて、目のまわりの青黒い暈は、さらぬだに大きい目をことさらにぎらぎらと大きく見せた。鏡を見まいと思いながら、葉子はおりあるごとに帯の間から懐中鏡を出して自分の顔を見つめないではいられなかった。
葉子は貞世の寝息をうかがっていつものように鏡を取り出した。そして顔を少し電灯のほうに振り向けてじっと自分を映して見た。おびただしい毎日の抜け毛で額ぎわの著しく透いてしまったのが第一に気になった。少し振り仰いで顔を映すと頬のこけたのがさほどに目立たないけれども、顎を引いて下俯きになると、口と耳との間には縦に大きな溝のような凹みができて、下顎骨が目立っていかめしく現われ出ていた。長く見つめているうちにはだんだん慣れて来て、自分の意識でしいて矯正するために、やせた顔もさほどとは思われなくなり出すが、ふと鏡に向かった瞬間には、これが葉子葉子と人々の目をそばだたした自分かと思うほど醜かった。そうして鏡に向かっているうちに、葉子はその投影を自分以外のある他人の顔ではないかと疑い出した。自分の顔より映るはずがない。それだのにそこに映っているのは確かにだれか見も知らぬ人の顔だ。苦痛にしいたげられ、悪意にゆがめられ、煩悩のために支離滅裂になった亡者の顔……葉子は背筋に一時に氷をあてられたようになって、身ぶるいしながら思わず鏡を手から落とした。
金属の床に触れる音が雷のように響いた。葉子はあわてて貞世を見やった。貞世はまっ赤に充血して熱のこもった目をまんじりと開いて、さも不思議そうに中有を見やっていた。
「愛ねえさん……遠くでピストルの音がしたようよ」
はっきりした声でこういったので、葉子が顔を近寄せて何かいおうとすると昏々としてたわいもなくまた眠りにおちいるのだった。貞世の眠るのと共に、なんともいえない無気味な死の脅かしが卒然として葉子を襲った。部屋の中にはそこらじゅうに死の影が満ち満ちていた。目の前の氷水を入れたコップ一つも次の瞬間にはひとりでに倒れてこわれてしまいそうに見えた。物の影になって薄暗い部分は見る見る部屋じゅうに広がって、すべてを冷たく暗く包み終わるかとも疑われた。死の影は最も濃く貞世の目と口のまわりに集まっていた。そこには死が蛆のようににょろにょろとうごめいているのが見えた。それよりも……それよりもその影はそろそろと葉子を目がけて四方の壁から集まり近づこうとひしめいているのだ。葉子はほとんどその死の姿を見るように思った。頭の中がシーンと冷え通って冴えきった寒さがぞくぞくと四肢を震わした。
その時宿直室の掛け時計が遠くのほうで一時を打った。
もしこの音を聞かなかったら、葉子は恐ろしさのあまり自分のほうから宿直室へ駆け込んで行ったかもしれなかった。葉子はおびえながら耳をそばだてた。宿直室のほうから看護婦が草履をばたばたと引きずって来る音が聞こえた。葉子はほっと息気をついた。そしてあわてるように身を動かして、貞世の頭の氷嚢の溶け具合をしらべて見たり、掻巻を整えてやったりした。海の底に一つ沈んでぎらっと光る貝殻のように、床の上で影の中に物すごく横たわっている鏡を取り上げてふところに入れた。そうして一室一室と近づいて来る看護婦の足音に耳を澄ましながらまた考え続けた。
今度は山内の家のありさまがさながらまざまざと目に見るように想像された。岡が夜ふけにそこを訪れた時には倉地が確かにいたに違いない。そしていつものとおり一種の粘り強さをもって葉子の言伝てを取り次ぐ岡に対して、激しい言葉でその理不尽な狂気じみた葉子の出来心をののしったに違いない。倉地と岡との間には暗々裡に愛子に対する心の争闘が行なわれたろう。岡の差し出す紙幣の束を怒りに任せて畳の上にたたきつける倉地の威丈高な様子、少女にはあり得ないほどの冷静さで他人事のように二人の間のいきさつを伏し目ながらに見守る愛子の一種の毒々しい妖艶さ。そういう姿がさながら目の前に浮かんで見えた。ふだんの葉子だったらその想像は葉子をその場にいるように興奮させていたであろう。けれども死の恐怖に激しく襲われた葉子はなんともいえない嫌悪の情をもってのほかにはその場面を想像する事ができなかった。なんというあさましい人の心だろう。結局は何もかも滅びて行くのに、永遠な灰色の沈黙の中にくずれ込んでしまうのに、目前の貪婪に心火の限りを燃やして、餓鬼同様に命をかみ合うとはなんというあさましい心だろう。しかもその醜い争いの種子をまいたのは葉子自身なのだ。そう思うと葉子は自分の心と肉体とがさながら蛆虫のようにきたなく見えた。……何のために今まであってないような妄執に苦しみ抜いてそれを生命そのもののように大事に考え抜いていた事か。それはまるで貞世が始終見ているらしい悪夢の一つよりもさらにはかないものではないか。……こうなると倉地さえが縁もゆかりもないもののように遠く考えられ出した。葉子はすべてのもののむなしさにあきれたような目をあげて今さららしく部屋の中をながめ回した。なんの飾りもない、修道院の内部のような裸な室内がかえってすがすがしく見えた。岡の残した貞世の枕もとの花束だけが、そしておそらくは(自分では見えないけれども)これほどの忙しさの間にも自分を粉飾するのを忘れずにいる葉子自身がいかにも浮薄なたよりないものだった。葉子はこうした心になると、熱に浮かされながら一歩一歩なんの心のわだかまりもなく死に近づいて行く貞世の顔が神々しいものにさえ見えた。葉子は祈るようなわびるような心でしみじみと貞世を見入った。
やがて看護婦が貞世の部屋にはいって来た。形式一ぺんのお辞儀を睡そうにして、寝台のそばに近寄ると、無頓着なふうに葉子が入れておいた検温器を出して灯にすかして見てから、胸の氷嚢を取りかえにかかった。葉子は自分一人の手でそんな事をしてやりたいような愛着と神聖さとを貞世に感じながら看護婦を手伝った。
「貞ちゃん……さ、氷嚢を取りかえますからね……」
とやさしくいうと、囈言をいい続けていながらやはり貞世はそれまで眠っていたらしく、痛々しいまで大きくなった目を開いて、まじまじと意外な人でも見るように葉子を見るのだった。
「おねえ様なの……いつ帰って来たの。おかあ様がさっきいらしってよ……いやおねえ様、病院いや帰る帰る……おかあ様おかあ様(そういってきょろきょろとあたりを見回しながら)帰らしてちょうだいよう。お家に早く、おかあ様のいるお家に早く……」
葉子は思わず毛孔が一本一本逆立つほどの寒気を感じた。かつて母という言葉もいわなかった貞世の口から思いもかけずこんな事を聞くと、その部屋のどこかにぼんやり立っている母が感ぜられるように思えた。その母の所に貞世は行きたがってあせっている。なんという深いあさましい骨肉の執着だろう。
看護婦が行ってしまうとまた病室の中はしんとなってしまった。なんともいえず可憐な澄んだ音を立てて水たまりに落ちる雨だれの音はなお絶え間なく聞こえ続けていた。葉子は泣くにも泣かれないような心になって、苦しい呼吸をしながらもうつらうつらと生死の間を知らぬげに眠る貞世の顔をのぞき込んでいた。
と、雨だれの音にまじって遠くのほうに車の轍の音を聞いたように思った。もう目をさまして用事をする人もあるかと、なんだか違った世界の出来事のようにそれを聞いていると、その音はだんだん病室のほうに近寄って来た。……愛子ではないか……葉子は愕然として夢からさめた人のようにきっとなってさらに耳をそばだてた。
もうそこには死生を瞑想して自分の妄執のはかなさをしみじみと思いやった葉子はいなかった。我執のために緊張しきったその目は怪しく輝いた。そして大急ぎで髪のほつれをかき上げて、鏡に顔を映しながら、あちこちと指先で容子を整えた。衣紋もなおした。そしてまたじっと玄関のほうに聞き耳を立てた。
はたして玄関の戸のあく音が聞こえた。しばらく廊下がごたごたする様子だったが、やがて二三人の足音が聞こえて、貞世の病室の戸がしめやかに開かれた。葉子はそのしめやかさでそれは岡が開いたに違いない事を知った。やがて開かれた戸口から岡にちょっと挨拶しながら愛子の顔が静かに現われた。葉子の目は知らず知らずそのどこまでも従順らしく伏し目になった愛子の面に激しく注がれて、そこに書かれたすべてを一時に読み取ろうとした。小羊のようにまつ毛の長いやさしい愛子の目はしかし不思議にも葉子の鋭い眼光にさえ何物をも見せようとはしなかった。葉子はすぐいらいらして、何事もあばかないではおくものかと心の中で自分自身に誓言を立てながら、
「倉地さんは」
と突然真正面から愛子にこう尋ねた。愛子は多恨な目をはじめてまともに葉子のほうに向けて、貞世のほうにそれをそらしながら、また葉子をぬすみ見るようにした。そして倉地さんがどうしたというのか意味が読み取れないというふうを見せながら返事をしなかった。生意気をしてみるがいい……葉子はいらだっていた。
「おじさんも一緒にいらしったかいというんだよ」
「いゝえ」
愛子は無愛想なほど無表情に一言そう答えた。二人の間にはむずかしい沈黙が続いた。葉子はすわれとさえいってやらなかった。一日一日と美しくなって行くような愛子は小肥りなからだをつつましく整えて静かに立っていた。
そこに岡が小道具を両手に下げて玄関のほうから帰って来た。外套をびっしょり雨にぬらしているのから見ても、この真夜中に岡がどれほど働いてくれたかがわかっていた。葉子はしかしそれには一言の挨拶もせずに、岡が道具を部屋のすみにおくや否や、
「倉地さんは何かいっていまして?」
と剣を言葉に持たせながら尋ねた。
「倉地さんはおいでがありませんでした。で婆やに言伝てをしておいて、お入り用の荷物だけ造って持って来ました。これはお返ししておきます」
そういって衣嚢の中から例の紙幣の束を取り出して葉子に渡そうとした。
愛子だけならまだしも、岡までがとうとう自分を裏切ってしまった。二人が二人ながら見えすいた虚言をよくもああしらじらしくいえたものだ。おおそれた弱虫どもめ。葉子は世の中が手ぐすね引いて自分一人を敵に回しているように思った。
「へえ、そうですか。どうも御苦労さま。……愛さんお前はそこにそうぼんやり立ってるためにここに呼ばれたと思っているの? 岡さんのそのぬれた外套でも取ってお上げなさいな。そして宿直室に行って看護婦にそういってお茶でも持っておいで。あなたの大事な岡さんがこんなにおそくまで働いてくださったのに……さあ岡さんどうぞこの椅子に(といって自分は立ち上がった)……わたしが行って来るわ、愛さんも働いてさぞ疲れたろうから……よござんす、よござんすったら愛さん……」
自分のあとを追おうとする愛子を刺し貫くほど睨めつけておいて葉子は部屋を出た。そうして火をかけられたようにかっと逆上しながら、ほろほろとくやし涙を流して暗い廊下を夢中で宿直室のほうへ急いで行った。
四四
たたきつけるようにして倉地に返してしまおうとした金は、やはり手に持っているうちに使い始めてしまった。葉子の性癖としていつでもできるだけ豊かな快い夜昼を送るようにのみ傾いていたので、貞世の病院生活にも、だれに見せてもひけを取らないだけの事を上べばかりでもしていたかった。夜具でも調度でも家にあるものの中でいちばん優れたものを選んで来てみると、すべての事までそれにふさわしいものを使わなければならなかった。葉子が専用の看護婦を二人も頼まなかったのは不思議なようだが、どういうものか貞世の看護をどこまでも自分一人でしてのけたかったのだ。その代わり年とった女を二人傭って交代に病院に来さして、洗い物から食事の事までを賄わした。葉子はとても病院の食事では済ましていられなかった。材料のいい悪いはとにかく、味はとにかく、何よりもきたならしい感じがして箸もつける気になれなかったので、本郷通りにある或る料理屋から日々入れさせる事にした。こんなあんばいで、費用は知れない所に思いのほかかかった。葉子が倉地が持って来てくれた紙幣の束から仕払おうとした時は、いずれそのうち木村から送金があるだろうから、あり次第それから埋め合わせをして、すぐそのまま返そうと思っていたのだった。しかし木村からは、六月になって以来一度も送金の通知は来なかった。葉子はそれだからなおさらの事もう来そうなものだと心待ちをしたのだった。それがいくら待っても来ないとなるとやむを得ず持ち合わせた分から使って行かなければならなかった。まだまだと思っているうちに束の厚みはどんどん減って行った。それが半分ほど減ると、葉子は全く返済の事などは忘れてしまったようになって、あるに任せて惜しげもなく仕払いをした。
七月にはいってから気候はめっきり暑くなった。椎の木の古葉もすっかり散り尽くして、松も新しい緑にかわって、草も木も青い焔のようになった。長く寒く続いた五月雨のなごりで、水蒸気が空気中に気味わるく飽和されて、さらぬだに急に堪え難く暑くなった気候をますます堪え難いものにした。葉子は自身の五体が、貞世の回復をも待たずにずんずんくずれて行くのを感じないわけには行かなかった。それと共に勃発的に起こって来るヒステリーはいよいよ募るばかりで、その発作に襲われたが最後、自分ながら気が違ったと思うような事がたびたびになった。葉子は心ひそかに自分を恐れながら、日々の自分を見守る事を余儀なくされた。
葉子のヒステリーはだれかれの見さかいなく破裂するようになったがことに愛子に屈強の逃げ場を見いだした。なんといわれてもののしられても、打ち据えられさえしても、屠所の羊のように柔順に黙ったまま、葉子にはまどろしく見えるくらいゆっくり落ち着いて働く愛子を見せつけられると、葉子の疳癪は嵩じるばかりだった。あんな素直な殊勝げなふうをしていながらしらじらしくも姉を欺いている。それが倉地との関係においてであれ、岡との関係においてであれ、ひょっとすると古藤との関係においてであれ、愛子は葉子に打ち明けない秘密を持ち始めているはずだ。そう思うと葉子は無理にも平地に波瀾が起こしてみたかった。ほとんど毎日――それは愛子が病院に寝泊まりするようになったためだと葉子は自分決めに決めていた――幾時間かの間、見舞いに来てくれる岡に対しても、葉子はもう元のような葉子ではなかった。どうかすると思いもかけない時に明白な皮肉が矢のように葉子の口びるから岡に向かって飛ばされた。岡は自分が恥じるように顔を紅らめながらも、上品な態度でそれをこらえた。それがまたなおさら葉子をいらつかす種になった。
もう来られそうもないといいながら倉地も三日に一度ぐらいは病院を見舞うようになった。葉子はそれをも愛子ゆえと考えずにはいられなかった。そう激しい妄想に駆り立てられて来ると、どういう関係で倉地と自分とをつないでおけばいいのか、どうした態度で倉地をもちあつかえばいいのか、葉子にはほとほと見当がつかなくなってしまった。親身に持ちかけてみたり、よそよそしく取りなしてみたり、その時の気分気分で勝手な無技巧な事をしていながらも、どうしてものがれ出る事のできないのは倉地に対するこちんと固まった深い執着だった。それは情けなくも激しく強くなり増さるばかりだった。もう自分で自分の心根を憫然に思ってそぞろに涙を流して、自らを慰めるという余裕すらなくなってしまった。かわききった火のようなものが息気苦しいまでに胸の中にぎっしりつまっているだけだった。
ただ一人貞世だけは……死ぬか生きるかわからない貞世だけは、この姉を信じきってくれている……そう思うと葉子は前にも増した愛着をこの病児にだけは感じないでいられなかった。「貞世がいるばかりで自分は人殺しもしないでこうしていられるのだ」と葉子は心の中で独語ちた。
けれどもある朝そのかすかな希望さえ破れねばならぬような事件がまくし上がった。
その朝は暁から水がしたたりそうに空が晴れて、珍しくすがすがしい涼風が木の間から来て窓の白いカーテンをそっとなでて通るさわやかな天気だったので、夜通し貞世の寝台のわきに付き添って、睡くなるとそうしたままでうとうとと居睡りしながら過ごして来た葉子も、思いのほか頭の中が軽くなっていた。貞世もその晩はひどく熱に浮かされもせずに寝続けて、四時ごろの体温は七度八分まで下がっていた。緑色の風呂敷を通して来る光でそれを発見した葉子は飛び立つような喜びを感じた。入院してから七度台に熱の下がったのはこの朝が始めてだったので、もう熱の剥離期が来たのかと思うと、とうとう貞世の命は取り留めたという喜悦の情で涙ぐましいまでに胸はいっぱいになった。ようやく一心が届いた。自分のために病気になった貞世は、自分の力でなおった。そこから自分の運命はまた新しく開けて行くかもしれない。きっと開けて行く。もう一度心置きなくこの世に生きる時が来たら、それはどのくらいいい事だろう。今度こそは考え直して生きてみよう。もう自分も二十六だ。今までのような態度で暮らしてはいられない。倉地にもすまなかった。倉地があれほどある限りのものを犠牲にして、しかもその事業といっている仕事はどう考えてみても思わしく行っていないらしいのに、自分たちの暮らし向きはまるでそんな事も考えないような寛濶なものだった。自分は決心さえすればどんな境遇にでも自分をはめ込む事ぐらいできる女だ。もし今度家を持つようになったらすべてを妹たちにいって聞かして、倉地と一緒になろう。そして木村とははっきり縁を切ろう。木村といえば……そうして葉子は倉地と古藤とがいい合いをしたその晩の事を考え出した。古藤にあんな約束をしながら、貞世の病気に紛れていたというほかに、てんで真相を告白する気がなかったので今まではなんの消息もしないでいた自分がとがめられた。ほんとうに木村にもすまなかった。今になってようやく長い間の木村の心の苦しさが想像される。もし貞世が退院するようになったら――そして退院するに決まっているが――自分は何をおいても木村に手紙を書く。そうしたらどれほど心が安くそして軽くなるかしれない。……葉子はもうそんな境界が来てしまったように考えて、だれとでもその喜びをわかちたく思った。で、椅子にかけたまま右後ろを向いて見ると、床板の上に三畳畳を敷いた部屋の一隅に愛子がたわいもなくすやすやと眠っていた。うるさがるので貞世には蚊帳をつってなかったが、愛子の所には小さな白い西洋蚊帳がつってあった。その細かい目を通して見る愛子の顔は人形のように整って美しかった。その愛子をこれまで憎み通しに憎み、疑い通しに疑っていたのが、不思議を通り越して、奇怪な事にさえ思われた。葉子はにこにこしながら立って行って蚊帳のそばによって、
「愛さん……愛さん」
そうかなり大きな声で呼びかけた。ゆうべおそく枕についた愛子はやがてようやく睡そうに大きな目を静かに開いて、姉が枕もとにいるのに気がつくと、寝すごしでもしたと思ったのか、あわてるように半身を起こして、そっと葉子をぬすみ見るようにした。日ごろならばそんな挙動をすぐ疳癪の種にする葉子も、その朝ばかりはかわいそうなくらいに思っていた。
「愛さんお喜び、貞ちゃんの熱がとうとう七度台に下がってよ。ちょっと起きて来てごらん、それはいい顔をして寝ているから……静かにね」
「静かにね」といいながら葉子の声は妙にはずんで高かった。愛子は柔順に起き上がってそっと蚊帳をくぐって出て、前を合わせながら寝台のそばに来た。
「ね?」
葉子は笑みかまけて愛子にこう呼びかけた。
「でもなんだか、だいぶに蒼白く見えますわね」
と愛子が静かにいうのを葉子はせわしく引ったくって、
「それは電燈の風呂敷のせいだわ……それに熱が取れれば病人はみんな一度はかえって悪くなったように見えるものなのよ。ほんとうによかった。あなたも親身に世話してやったからよ」
そういって葉子は右手で愛子の肩をやさしく抱いた。そんな事を愛子にしたのは葉子としては始めてだった。愛子は恐れをなしたように身をすぼめた。
葉子はなんとなくじっとしてはいられなかった。子供らしく、早く貞世が目をさませばいいと思った。そうしたら熱の下がったのを知らせて喜ばせてやるのにと思った。しかしさすがにその小さな眠りを揺りさます事はし得ないで、しきりと部屋の中を片づけ始めた。愛子が注意の上に注意をしてこそとの音もさせまいと気をつかっているのに、葉子がわざとするかとも思われるほど騒々しく働くさまは、日ごろとはまるで反対だった。愛子は時々不思議そうな目つきをしてそっと葉子の挙動を注意した。
そのうちに夜がどんどん明け離れて、電灯の消えた瞬間はちょっと部屋の中が暗くなったが、夏の朝らしく見る見るうちに白い光が窓から容赦なく流れ込んだ。昼になってからの暑さを予想させるような涼しさが青葉の軽いにおいと共に部屋の中にみちあふれた。愛子の着かえた大柄な白の飛白も、赤いメリンスの帯も、葉子の目を清々しく刺激した。
葉子は自分で貞世の食事を作ってやるために宿直室のそばにある小さな庖厨に行って、洋食店から届けて来たソップを温めて塩で味をつけている間も、だんだん起き出て来る看護婦たちに貞世の昨夜の経過を誇りがに話して聞かせた。病室に帰って見ると、愛子がすでに目ざめた貞世に朝じまいをさせていた。熱が下がったのできげんのよかるべき貞世はいっそうふきげんになって見えた。愛子のする事一つ一つに故障をいい立てて、なかなかいう事を聞こうとはしなかった。熱の下がったのに連れて始めて貞世の意志が人間らしく働き出したのだと葉子は気がついて、それも許さなければならない事だと、自分の事のように心で弁疏した。ようやく洗面が済んで、それから寝台の周囲を整頓するともう全く朝になっていた。けさこそは貞世がきっと賞美しながら食事を取るだろうと葉子はいそいそとたけの高い食卓を寝台の所に持って行った。
その時思いがけなくも朝がけに倉地が見舞いに来た。倉地も涼しげな単衣に絽の羽織を羽織ったままだった。その強健な、物を物ともしない姿は夏の朝の気分としっくりそぐって見えたばかりでなく、その日に限って葉子は絵島丸の中で語り合った倉地を見いだしたように思って、その寛濶な様子がなつかしくのみながめられた。倉地もつとめて葉子の立ち直った気分に同じているらしかった。それが葉子をいっそう快活にした。葉子は久しぶりでその銀の鈴のような澄みとおった声で高調子に物をいいながら二言目には涼しく笑った。
「さ、貞ちゃん、ねえさんが上手に味をつけて来て上げたからソップを召し上がれ。けさはきっとおいしく食べられますよ。今までは熱で味も何もなかったわね、かわいそうに」
そういって貞世の身ぢかに椅子を占めながら、糊の強いナフキンを枕から喉にかけてあてがってやると、貞世の顔は愛子のいうようにひどく青味がかって見えた。小さな不安が葉子の頭をつきぬけた。葉子は清潔な銀の匙に少しばかりソップをしゃくい上げて貞世の口もとにあてがった。
「まずい」
貞世はちらっと姉をにらむように盗み見て、口にあるだけのソップをしいて飲みこんだ。
「おやどうして」
「甘ったらしくって」
「そんなはずはないがねえ。どれそれじゃも少し塩を入れてあげますわ」
葉子は塩をたしてみた。けれども貞世はうまいとはいわなかった。また一口飲み込むともういやだといった。
「そういわずとも少し召し上がれ、ね、せっかくねえさんが加減したんだから。第一食べないでいては弱ってしまいますよ」
そう促してみても貞世は金輪際あとを食べようとはしなかった。
突然自分でも思いもよらない憤怒が葉子に襲いかかった。自分がこれほど骨を折ってしてやったのに、義理にももう少しは食べてよさそうなものだ。なんというわがままな子だろう(葉子は貞世が味覚を回復していて、流動食では満足しなくなったのを少しも考えに入れなかった)。
そうなるともう葉子は自分を統御する力を失ってしまっていた。血管の中の血が一時にかっと燃え立って、それが心臓に、そして心臓から頭に衝き進んで、頭蓋骨はばりばりと音を立てて破れそうだった。日ごろあれほどかわいがってやっているのに、……憎さは一倍だった。貞世を見つめているうちに、そのやせきった細首に鍬形にした両手をかけて、一思いにしめつけて、苦しみもがく様子を見て、「そら見るがいい」といい捨ててやりたい衝動がむずむずとわいて来た。その頭のまわりにあてがわるべき両手の指は思わず知らず熊手のように折れ曲がって、はげしい力のために細かく震えた。葉子は凶器に変わったようなその手を人に見られるのが恐ろしかったので、茶わんと匙とを食卓にかえして、前だれの下に隠してしまった。上まぶたの一文字になった目をきりっと据えてはたと貞世をにらみつけた。葉子の目には貞世のほかにその部屋のものは倉地から愛子に至るまですっかり見えなくなってしまっていた。
「食べないかい」
「食べないかい。食べなければ云々」と小言をいって貞世を責めるはずだったが、初句を出しただけで、自分の声のあまりに激しい震えように言葉を切ってしまった。
「食べない……食べない……御飯でなくってはいやあだあ」
葉子の声の下からすぐこうしたわがままな貞世のすねにすねた声が聞こえたと葉子は思った。まっ黒な血潮がどっと心臓を破って脳天に衝き進んだと思った。目の前で貞世の顔が三つにも四つにもなって泳いだ。そのあとには色も声もしびれ果ててしまったような暗黒の忘我が来た。
「おねえ様……おねえ様ひどい……いやあ……」
「葉ちゃん……あぶない……」
貞世と倉地の声とがもつれ合って、遠い所からのように聞こえて来るのを、葉子はだれかが何か貞世に乱暴をしているのだなと思ったり、この勢いで行かなければ貞世は殺せやしないと思ったりしていた。いつのまにか葉子はただ一筋に貞世を殺そうとばかりあせっていたのだ。葉子は闇黒の中で何か自分に逆らう力と根限りあらそいながら、物すごいほどの力をふりしぼってたたかっているらしかった。何がなんだかわからなかった。その混乱の中に、あるいは今自分は倉地の喉笛に針のようになった自分の十本の爪を立てて、ねじりもがきながら争っているのではないかとも思った。それもやがて夢のようだった。遠ざかりながら人の声とも獣の声とも知れぬ音響がかすかに耳に残って、胸の所にさし込んで来る痛みを吐き気のように感じた次の瞬間には、葉子は昏々として熱も光も声もない物すさまじい暗黒の中にまっさかさまに浸って行った。
ふと葉子は擽むるようなものを耳の所に感じた。それが音響だとわかるまでにはどのくらいの時間が経過したかしれない。とにかく葉子はがやがやという声をだんだんとはっきり聞くようになった。そしてぽっかり視力を回復した。見ると葉子は依然として貞世の病室にいるのだった。愛子が後ろ向きになって寝台の上にいる貞世を介抱していた。自分は……自分はと葉子は始めて自分を見回そうとしたが、からだは自由を失っていた。そこには倉地がいて葉子の首根っこに腕を回して、膝の上に一方の足を乗せて、しっかりと抱きすくめていた。その足の重さが痛いほど感じられ出した。やっぱり自分は倉地を死に神のもとへ追いこくろうとしていたのだなと思った。そこには白衣を着た医者も看護婦も見え出した。
葉子はそれだけの事を見ると急に気のゆるむのを覚えた。そして涙がぼろぼろと出てしかたがなくなった。おかしな……どうしてこう涙が出るのだろうと怪しむうちに、やる瀬ない悲哀がどっとこみ上げて来た。底のないようなさびしい悲哀……そのうちに葉子は悲哀とも睡さとも区別のできない重い力に圧せられてまた知覚から物のない世界に落ち込んで行った。
ほんとうに葉子が目をさました時には、まっさおに晴天の後の夕暮れが催しているころだった。葉子は部屋のすみの三畳に蚊帳の中に横になって寝ていたのだった。そこには愛子のほかに岡も来合わせて貞世の世話をしていた。倉地はもういなかった。
愛子のいう所によると、葉子は貞世にソップを飲まそうとしていろいろにいったが、熱が下がって急に食欲のついた貞世は飯でなければどうしても食べないといってきかなかったのを、葉子は涙を流さんばかりになって執念くソップを飲ませようとした結果、貞世はそこにあったソップ皿を臥ていながらひっくり返してしまったのだった。そうすると葉子はいきなり立ち上がって貞世の胸もとをつかむなり寝台から引きずりおろしてこづき回した。幸いにい合わした倉地が大事にならないうちに葉子から貞世を取り放しはしたが、今度は葉子は倉地に死に物狂いに食ってかかって、そのうちに激しい癪を起こしてしまったのだとの事だった。
葉子の心はむなしく痛んだ。どこにとて取りつくものもないようなむなしさが心には残っているばかりだった。貞世の熱はすっかり元通りにのぼってしまって、ひどくおびえるらしい囈言を絶え間なしに口走った。節々はひどく痛みを覚えながら、発作の過ぎ去った葉子は、ふだんどおりになって起き上がる事もできるのだった。しかし葉子は愛子や岡への手前すぐ起き上がるのも変だったのでその日はそのまま寝続けた。
貞世は今度こそは死ぬ。とうとう自分の末路も来てしまった。そう思うと葉子はやるかたなく悲しかった。たとい貞世と自分とが幸いに生き残ったとしても、貞世はきっと永劫自分を命の敵と怨むに違いない。
「死ぬに限る」
葉子は窓を通して青から藍に変わって行きつつある初夏の夜の景色をながめた。神秘的な穏やかさと深さとは脳心にしみ通るようだった。貞世の枕もとには若い岡と愛子とがむつまじげに居たり立ったりして貞世の看護に余念なく見えた。その時の葉子にはそれは美しくさえ見えた。親切な岡、柔順な愛子……二人が愛し合うのは当然でいい事らしい。
「どうせすべては過ぎ去るのだ」
葉子は美しい不思議な幻影でも見るように、電気灯の緑の光の中に立つ二人の姿を、無常を見ぬいた隠者のような心になって打ちながめた。
四五
この事があった日から五日たったけれども倉地はぱったり来なくなった。たよりもよこさなかった。金も送っては来なかった。あまりに変なので岡に頼んで下宿のほうを調べてもらうと三日前に荷物の大部分を持って旅行に出るといって姿を隠してしまったのだそうだ。倉地がいなくなると刑事だという男が二度か三度いろいろな事を尋ねに来たともいっているそうだ。岡は倉地からの一通の手紙を持って帰って来た。葉子はすぐに封を開いて見た。
「事重大となり姿を隠す。郵便では累を及ぼさん事を恐れ、これを主人に託しおく。金も当分は送れぬ。困ったら家財道具を売れ。そのうちにはなんとかする。読後火中」
とだけしたためて葉子へのあて名も自分の名も書いてはなかった。倉地の手跡には間違いない。しかしあの発作以後ますますヒステリックに根性のひねくれてしまった葉子は、手紙を読んだ瞬間にこれは造り事だと思い込まないではいられなかった。とうとう倉地も自分の手からのがれてしまった。やる瀬ない恨みと憤りが目もくらむほどに頭の中を攪き乱した。
岡と愛子とがすっかり打ち解けたようになって、岡がほとんど入りびたりに病院に来て貞世の介抱をするのが葉子には見ていられなくなって来た。
「岡さん、もうあなたこれからここにはいらっしゃらないでくださいまし。こんな事になると御迷惑があなたにかからないとも限りませんから。わたしたちの事はわたしたちがしますから。わたしはもう他人にたよりたくはなくなりました」
「そうおっしゃらずにどうかわたしをあなたのおそばに置かしてください。わたし、決して伝染なぞを恐れはしません」
岡は倉地の手紙を読んではいないのに葉子は気がついた。迷惑といったのを病気の伝染と思い込んでいるらしい。そうじゃない。岡が倉地の犬でないとどうしていえよう。倉地が岡を通して愛子と慇懃を通わし合っていないとだれが断言できる。愛子は岡をたらし込むぐらいは平気でする娘だ。葉子は自分の愛子ぐらいの年ごろの時の自分の経験の一々が生き返ってその猜疑心をあおり立てるのに自分から苦しまねばならなかった。あの年ごろの時、思いさえすれば自分にはそれほどの事は手もなくしてのける事ができた。そして自分は愛子よりももっと無邪気な、おまけに快活な少女であり得た。寄ってたかって自分をだましにかかるのなら、自分にだってして見せる事がある。
「そんなにお考えならおいでくださるのはお勝手ですが、愛子をあなたにさし上げる事はできないんですからそれは御承知くださいましよ。ちゃんと申し上げておかないとあとになっていさくさが起こるのはいやですから……愛さんお前も聞いているだろうね」
そういって葉子は畳の上で貞世の胸にあてる湿布を縫っている愛子のほうにも振り向いた。うなだれた愛子は顔も上げず返事もしなかったから、どんな様子を顔に見せたかを知る由はなかったが、岡は羞恥のために葉子を見かえる事もできないくらいになっていた。それはしかし岡が葉子のあまりといえば露骨な言葉を恥じたのか、自分の心持ちをあばかれたのを恥じたのか葉子の迷いやすくなった心にはしっかりと見窮められなかった。
これにつけかれにつけもどかしい事ばかりだった。葉子は自分の目で二人を看視して同時に倉地を間接に看視するよりほかはないと思った。こんな事を思うすぐそばから葉子は倉地の細君の事も思った。今ごろは彼らはのうのうとして邪魔者がいなくなったのを喜びながら一つ家に住んでいないとも限らないのだ。それとも倉地の事だ、第二第三の葉子が葉子の不幸をいい事にして倉地のそばに現われているのかもしれない。……しかし今の場合倉地の行くえを尋ねあてる事はちょっとむずかしい。
それからというもの葉子の心は一秒の間も休まらなかった。もちろん今まででも葉子は人一倍心の働く女だったけれども、そのころのような激しさはかつてなかった。しかもそれがいつも表から裏を行く働きかただった。それは自分ながら全く地獄の苛責だった。
そのころから葉子はしばしば自殺という事を深く考えるようになった。それは自分でも恐ろしいほどだった。肉体の生命を絶つ事のできるような物さえ目に触れれば、葉子の心はおびえながらもはっと高鳴った。薬局の前を通るとずらっとならんだ薬びんが誘惑のように目を射た。看護婦が帽子を髪にとめるための長い帽子ピン、天井の張ってない湯殿の梁、看護婦室に薄赤い色をして金だらいにたたえられた昇汞水、腐敗した牛乳、剃刀、鋏、夜ふけなどに上野のほうから聞こえて来る汽車の音、病室からながめられる生理学教室の三階の窓、密閉された部屋、しごき帯、……なんでもかでもが自分の肉を喰む毒蛇のごとく鎌首を立てて自分を待ち伏せしているように思えた。ある時はそれらをこの上なく恐ろしく、ある時はまたこの上なく親しみ深くながめやった。一匹の蚊にさされた時さえそれがマラリヤを伝える種類であるかないかを疑ったりした。
「もう自分はこの世の中に何の用があろう。死にさえすればそれで事は済むのだ。この上自身も苦しみたくない。他人も苦しめたくない。いやだいやだと思いながら自分と他人とを苦しめているのが堪えられない。眠りだ。長い眠りだ。それだけのものだ」
と貞世の寝息をうかがいながらしっかり思い込むような時もあったが、同時に倉地がどこかで生きているのを考えると、たちまち燕返しに死から生のほうへ、苦しい煩悩の生のほうへ激しく執着して行った。倉地の生きてる間に死んでなるものか……それは死よりも強い誘惑だった。意地にかけても、肉体のすべての機関がめちゃめちゃになっても、それでも生きていて見せる。……葉子はそしてそのどちらにもほんとうの決心のつかない自分にまた苦しまねばならなかった。
すべてのものを愛しているのか憎んでいるのかわからなかった。貞世に対してですらそうだった。葉子はどうかすると、熱に浮かされて見さかいのなくなっている貞世を、継母がまま子をいびり抜くように没義道に取り扱った。そして次の瞬間には後悔しきって、愛子の前でも看護婦の前でも構わずにおいおいと泣きくずおれた。
貞世の病状は悪くなるばかりだった。
ある時伝染病室の医長が来て、葉子が今のままでいてはとても健康が続かないから、思いきって手術をしたらどうだと勧告した。黙って聞いていた葉子は、すぐ岡の差し入れ口だと邪推して取った。その後ろには愛子がいるに違いない。葉子が付いていたのでは貞世の病気はなおるどころか悪くなるばかりだ(それは葉子もそう思っていた。葉子は貞世を全快させてやりたいのだ。けれどもどうしてもいびらなければいられないのだ。それはよく葉子自身が知っていると思っていた)。それには葉子をなんとかして貞世から離しておくのが第一だ。そんな相談を医長としたものがいないはずがない。ふむ、……うまい事を考えたものだ。その復讐はきっとしてやる。根本的に病気をなおしてからしてやるから見ているがいい。葉子は医長との対話の中に早くもこう決心した。そうして思いのほか手っ取り早く手術を受けようと進んで返答した。
婦人科の室は伝染病室とはずっと離れた所に近ごろ新築された建て物の中にあった。七月のなかばに葉子はそこに入院する事になったが、その前に岡と古藤とに依頼して、自分の身ぢかにある貴重品から、倉地の下宿に運んである衣類までを処分してもらわなければならなかった。金の出所は全くとだえてしまっていたから。岡がしきりと融通しようと申し出たのもすげなく断わった。弟同様の少年から金まで融通してもらうのはどうしても葉子のプライドが承知しなかった。
葉子は特等を選んで日当たりのいい広々とした部屋にはいった。そこは伝染病室とは比べものにもならないくらい新式の設備の整った居心地のいい所だった。窓の前の庭はまだ掘りくり返したままで赤土の上に草も生えていなかったけれども、広い廊下の冷ややかな空気は涼しく病室に通りぬけた。葉子は六月の末以来始めて寝床の上に安々とからだを横たえた。疲労が回復するまでしばらくの間手術は見合わせるというので葉子は毎日一度ずつ内診をしてもらうだけでする事もなく日を過ごした。
しかし葉子の精神は興奮するばかりだった。一人になって暇になってみると、自分の心身がどれほど破壊されているかが自分ながら恐ろしいくらい感ぜられた。よくこんなありさまで今まで通して来たと驚くばかりだった。寝台の上に臥てみると二度と起きて歩く勇気もなく、また実際できもしなかった。ただ鈍痛とのみ思っていた痛みは、どっちに臥返ってみても我慢のできないほどな激痛になっていて、気が狂うように頭は重くうずいた。我慢にも貞世を見舞うなどという事はできなかった。
こうして臥ながらにも葉子は断片的にいろいろな事を考えた。自分の手もとにある金の事をまず思案してみた。倉地から受け取った金の残りと、調度類を売り払ってもらってできたまとまった金とが何もかにもこれから姉妹三人を養って行くただ一つの資本だった。その金が使い尽くされた後には今のところ、何をどうするという目途は露ほどもなかった。葉子はふだんの葉子に似合わずそれが気になり出してしかたがなかった。特等室なぞにはいり込んだ事が後悔されるばかりだった。といって今になって等級の下がった病室に移してもらうなどとは葉子としては思いもよらなかった。
葉子はぜいたくな寝台の上に横になって、羽根枕に深々と頭を沈めて、氷嚢を額にあてがいながら、かんかんと赤土にさしている真夏の日の光を、広々と取った窓を通してながめやった。そうして物心ついてからの自分の過去を針で揉み込むような頭の中でずっと見渡すように考えたどってみた。そんな過去が自分のものなのか、そう疑って見ねばならぬほどにそれははるかにもかけ隔たった事だった。父母――ことに父のなめるような寵愛の下に何一つ苦労を知らずに清い美しい童女としてすらすらと育ったあの時分がやはり自分の過去なのだろうか。木部との恋に酔いふけって、国分寺の櫟の林の中で、その胸に自分の頭を託して、木部のいう一語一語を美酒のように飲みほしたあの少女はやはり自分なのだろうか。女の誇りという誇りを一身に集めたような美貌と才能の持ち主として、女たちからは羨望の的となり、男たちからは嘆美の祭壇とされたあの青春の女性はやはりこの自分なのだろうか。誤解の中にも攻撃の中にも昂然と首をもたげて、自分は今の日本に生まれて来べき女ではなかったのだ。不幸にも時と所とを間違えて天上から送られた王女であるとまで自分に対する矜誇に満ちていた、あの妖婉な女性はまごうかたなく自分なのだろうか。絵島丸の中で味わい尽くしなめ尽くした歓楽と陶酔との限りは、始めて世に生まれ出た生きがいをしみじみと感じた誇りがなしばらくは今の自分と結びつけていい過去の一つなのだろうか……日はかんかんと赤土の上に照りつけていた。油蝉の声は御殿の池をめぐる鬱蒼たる木立ちのほうからしみ入るように聞こえていた。近い病室では軽病の患者が集まって、何かみだららしい雑談に笑い興じている声が聞こえて来た。それは実際なのか夢なのか。それらのすべては腹立たしい事なのか、哀しい事なのか、笑い捨つべき事なのか、嘆き恨まねばならぬ事なのか。……喜怒哀楽のどれか一つだけでは表わし得ない、不思議に交錯した感情が、葉子の目からとめどなく涙を誘い出した。あんな世界がこんな世界に変わってしまった。そうだ貞世が生死の境にさまよっているのはまちがいようのない事実だ。自分の健康が衰え果てたのも間違いのない出来事だ。もし毎日貞世を見舞う事ができるのならばこのままここにいるのもいい。しかし自分のからだの自由さえ今はきかなくなった。手術を受ければどうせ当分は身動きもできないのだ。岡や愛子……そこまで来ると葉子は夢の中にいる女ではなかった。まざまざとした煩悩が勃然としてその歯がみした物すごい鎌首をきっともたげるのだった。それもよし。近くいても看視のきかないのを利用したくば思うさま利用するがいい。倉地と三人で勝手な陰謀を企てるがいい。どうせ看視のきかないものなら、自分は貞世のためにどこか第二流か第三流の病院に移ろう。そしていくらでも貞世のほうを安楽にしてやろう。葉子は貞世から離れるといちずにそのあわれさが身にしみてこう思った。
葉子はふとつやの事を思い出した。つやは看護婦になって京橋あたりの病院にいると双鶴館からいって来たのを思い出した。愛子を呼び寄せて電話でさがさせようと決心した。
四六
まっ暗な廊下が古ぼけた縁側になったり、縁側の突き当たりに階子段があったり、日当たりのいい中二階のような部屋があったり、納戸と思われる暗い部屋に屋根を打ち抜いてガラスをはめて光線が引いてあったりするような、いわばその界隈にたくさんある待合の建て物に手を入れて使っているような病院だった。つやは加治木病院というその病院の看護婦になっていた。
長く天気が続いて、そのあとに激しい南風が吹いて、東京の市街はほこりまぶれになって、空も、家屋も、樹木も、黄粉でまぶしたようになったあげく、気持ち悪く蒸し蒸しと膚を汗ばませるような雨に変わったある日の朝、葉子はわずかばかりな荷物を持って人力車で加治木病院に送られた。後ろの車には愛子が荷物の一部分を持って乗っていた。須田町に出た時、愛子の車は日本橋の通りをまっすぐに一足先に病院に行かして、葉子は外濠に沿うた道を日本銀行からしばらく行く釘店の横丁に曲がらせた。自分の住んでいた家を他所ながら見て通りたい心持ちになっていたからだった。前幌のすきまからのぞくのだったけれども、一年の後にもそこにはさして変わった様子は見えなかった。自分のいた家の前でちょっと車を止まらして中をのぞいて見た。門札には叔父の名はなくなって、知らない他人の姓名が掲げられていた。それでもその人は医者だと見えて、父の時分からの永寿堂病院という看板は相変わらず玄関の楣に見えていた。長三洲と署名してあるその字も葉子には親しみの深いものだった。葉子がアメリカに出発した朝も九月ではあったがやはりその日のようにじめじめと雨の降る日だったのを思い出した。愛子が櫛を折って急に泣き出したのも、貞世が怒ったような顔をして目に涙をいっぱいためたまま見送っていたのもその玄関を見ると描くように思い出された。
「もういい早くやっておくれ」
そう葉子は車の上から涙声でいった。車は梶棒を向け換えられて、また雨の中を小さく揺れながら日本橋のほうに走り出した。葉子は不思議にそこに一緒に住んでいた叔父叔母の事を泣きながら思いやった。あの人たちは今どこにどうしているだろう。あの白痴の子ももうずいぶん大きくなったろう。でも渡米を企ててからまだ一年とはたっていないんだ。へえ、そんな短い間にこれほどの変化が……葉子は自分で自分にあきれるようにそれを思いやった。それではあの白痴の子も思ったほど大きくなっているわけではあるまい。葉子はその子の事を思うとどうしたわけか定子の事を胸が痛むほどきびしくおもい出してしまった。鎌倉に行った時以来、自分のふところからもぎ放してしまって、金輪際忘れてしまおうと堅く心に契っていたその定子が……それはその場合葉子を全く惨めにしてしまった。
病院に着いた時も葉子は泣き続けていた。そしてその病院のすぐ手前まで来て、そこに入院しようとした事を心から後悔してしまった。こんな落魄したような姿をつやに見せるのが堪えがたい事のように思われ出したのだ。
暗い二階の部屋に案内されて、愛子が準備しておいた床に横になると葉子はだれに挨拶もせずにただ泣き続けた。そこは運河の水のにおいが泥臭く通って来るような所だった。愛子は煤けた障子の陰で手回りの荷物を取り出して案配した。口少なの愛子は姉を慰めるような言葉も出さなかった。外部が騒々しいだけに部屋の中はなおさらひっそりと思われた。
葉子はやがて静かに顔をあげて部屋の中を見た。愛子の顔色が黄色く見えるほどその日の空も部屋の中も寂れていた。少し黴を持ったようにほこりっぽくぶくぶくする畳の上には丸盆の上に大学病院から持って来た薬びんが乗せてあった。障子ぎわには小さな鏡台が、違い棚には手文庫と硯箱が飾られたけれども、床の間には幅物一つ、花活け一つ置いてなかった。その代わりに草色の風呂敷に包み込んだ衣類と黒い柄のパラソルとが置いてあった。薬びんの乗せてある丸盆が、出入りの商人から到来のもので、縁の所に剥げた所ができて、表には赤い短冊のついた矢が的に命中している画が安っぽい金で描いてあった。葉子はそれを見ると盆もあろうにと思った。それだけでもう葉子は腹が立ったり情けなくなったりした。
「愛さんあなた御苦労でも毎日ちょっとずつは来てくれないじゃ困りますよ。貞ちゃんの様子も聞きたいしね。……貞ちゃんも頼んだよ。熱が下がって物事がわかるようになる時にはわたしもなおって帰るだろうから……愛さん」
いつものとおりはきはきとした手答えがないので、もうぎりぎりして来た葉子は剣を持った声で、「愛さん」と語気強く呼びかけた。言葉をかけるとそれでも片づけものの手を置いて葉子のほうに向き直った愛子は、この時ようやく顔を上げておとなしく「はい」と返事をした。葉子の目はすかさずその顔を発矢とむちうった。そして寝床の上に半身を肘にささえて起き上がった。車で揺られたために腹部は痛みを増して声をあげたいほどうずいていた。
「あなたにきょうははっきり聞いておきたい事があるの……あなたはよもや岡さんとひょんな約束なんぞしてはいますまいね」
「いゝえ」
愛子は手もなく素直にこう答えて目を伏せてしまった。
「古藤さんとも?」
「いゝえ」
今度は顔を上げて不思議な事を問いただすというようにじっと葉子を見つめながらこう答えた。そのタクトがあるような、ないような愛子の態度が葉子をいやが上にいらだたした。岡の場合にはどこか後ろめたくて首をたれたとも見える。古藤の場合にはわざとしらを切るために大胆に顔を上げたとも取れる。またそんな意味ではなく、あまり不思議な詰問が二度まで続いたので、二度目には怪訝に思って顔を上げたのかとも考えられる。葉子は畳みかけて倉地の事まで問い正そうとしたが、その気分はくだかれてしまった。そんな事を聞いたのが第一愚かだった。隠し立てをしようと決心した以上は、女は男よりもはるかに巧妙で大胆なのを葉子は自分で存分に知り抜いているのだ。自分から進んで内兜を見透かされたようなもどかしさはいっそう葉子の心を憤らした。
「あなたは二人から何かそんな事をいわれた覚えがあるでしょう。その時あなたはなんと御返事したの」
愛子は下を向いたまま黙っていた。葉子は図星をさしたと思って嵩にかかって行った。
「わたしは考えがあるからあなたの口からもその事を聞いておきたいんだよ。おっしゃいな」
「お二人ともなんにもそんな事はおっしゃりはしませんわ」
「おっしゃらない事があるもんかね」
憤怒に伴ってさしこんで来る痛みを憤怒と共にぐっと押えつけながら葉子はわざと声を和らげた。そうして愛子の挙動を爪の先ほども見のがすまいとした。愛子は黙ってしまった。この沈黙は愛子の隠れ家だった。そうなるとさすがの葉子もこの妹をどう取り扱う術もなかった。岡なり古藤なりが告白をしているのなら、葉子がこの次にいい出す言葉で様子は知れる。この場合うっかり葉子の口車には乗られないと愛子は思って沈黙を守っているのかもしれない。岡なり古藤なりから何か聞いているのなら、葉子はそれを十倍も二十倍もの強さにして使いこなす術を知っているのだけれども、あいにくその備えはしていなかった。愛子は確かに自分をあなどり出していると葉子は思わないではいられなかった。寄ってたかって大きな詐偽の網を造って、その中に自分を押しこめて、周囲からながめながらおもしろそうに笑っている。岡だろうが古藤だろうが何があてになるものか。……葉子は手傷を負った猪のように一直線に荒れて行くよりしかたがなくなった。
「さあお言い愛さん、お前さんが黙ってしまうのは悪い癖ですよ。ねえさんを甘くお見でないよ。……お前さんほんとうに黙ってるつもりかい……そうじゃないでしょう、あればあるなければないで、はっきりわかるように話をしてくれるんだろうね……愛さん……あなたは心からわたしを見くびってかかるんだね」
「そうじゃありません」
あまり葉子の言葉が激して来るので、愛子は少しおそれを感じたらしくあわててこういって言葉でささえようとした。
「もっとこっちにおいで」
愛子は動かなかった。葉子の愛子に対する憎悪は極点に達した。葉子は腹部の痛みも忘れて、寝床から跳り上がった。そうしていきなり愛子のたぶさをつかもうとした。
愛子はふだんの冷静に似ず、葉子の発作を見て取ると、敏捷に葉子の手もとをすり抜けて身をかわした。葉子はふらふらとよろけて一方の手を障子紙に突っ込みながら、それでも倒れるはずみに愛子の袖先をつかんだ。葉子は倒れながらそれをたぐり寄せた。醜い姉妹の争闘が、泣き、わめき、叫び立てる声の中に演ぜられた。愛子は顔や手に掻き傷を受け、髪をおどろに乱しながらも、ようやく葉子の手を振り放して廊下に飛び出した。葉子はよろよろとした足取りでそのあとを追ったが、とても愛子の敏捷さにはかなわなかった。そして階子段の降り口の所でつやに食い止められてしまった。葉子はつやの肩に身を投げかけながらおいおいと声を立てて子供のように泣き沈んでしまった。
幾時間かの人事不省の後に意識がはっきりしてみると、葉子は愛子とのいきさつをただ悪夢のように思い出すばかりだった。しかもそれは事実に違いない。枕もとの障子には葉子の手のさし込まれた孔が、大きく破れたまま残っている。入院のその日から、葉子の名は口さがない婦人患者の口の端にうるさくのぼっているに違いない。それを思うと一時でもそこにじっとしているのが、堪えられない事だった。葉子はすぐほかの病院に移ろうと思ってつやにいいつけた。しかしつやはどうしてもそれを承知しなかった。自分が身に引き受けて看護するから、ぜひともこの病院で手術を受けてもらいたいとつやはいい張った。葉子から暇を出されながら、妙に葉子に心を引きつけられているらしい姿を見ると、この場合葉子はつやにしみじみとした愛を感じた。清潔な血が細いしなやかな血管を滞りなく流れ回っているような、すべすべと健康らしい、浅黒いつやの皮膚は何よりも葉子には愛らしかった。始終吹き出物でもしそうな、膿っぽい女を葉子は何よりも呪わしいものに思っていた。葉子はつやのまめやかな心と言葉に引かされてそこにい残る事にした。
これだけ貞世から隔たると葉子は始めて少し気のゆるむのを覚えて、腹部の痛みで突然目をさますほかにはたわいなく眠るような事もあった。しかしなんといってもいちばん心にかかるものは貞世だった。ささくれて、赤くかわいた口びるからもれ出るあの囈言……それがどうかすると近々と耳に聞こえたり、ぼんやりと目を開いたりするその顔が浮き出して見えたりした。そればかりではない、葉子の五官は非常に敏捷になって、おまけにイリュウジョンやハルシネーションを絶えず見たり聞いたりするようになってしまった。倉地なんぞはすぐそばにすわっているなと思って、苦しさに目をつぶりながら手を延ばして畳の上を探ってみる事などもあった。そんなにはっきり見えたり聞こえたりするものが、すべて虚構であるのを見いだすさびしさはたとえようがなかった。
愛子は葉子が入院の日以来感心に毎日訪れて貞世の容体を話して行った。もう始めの日のような狼藉はしなかったけれども、その顔を見たばかりで、葉子は病気が重るように思った。ことに貞世の病状が軽くなって行くという報告は激しく葉子を怒らした。自分があれほどの愛着をこめて看護してもよくならなかったものが、愛子なんぞの通り一ぺんの世話でなおるはずがない。また愛子はいいかげんな気休めに虚言をついているのだ。貞世はもうひょっとすると死んでいるかもしれない。そう思って岡が尋ねて来た時に根掘り葉掘り聞いてみるが、二人の言葉があまりに符合するので、貞世のだんだんよくなって行きつつあるのを疑う余地はなかった。葉子には運命が狂い出したようにしか思われなかった。愛情というものなしに病気がなおせるなら、人の生命は機械でも造り上げる事ができるわけだ。そんなはずはない。それだのに貞世はだんだんよくなって行っている。人ばかりではない、神までが、自分を自然法の他の法則でもてあそぼうとしているのだ。
葉子は歯がみをしながら貞世が死ねかしと祈るような瞬間を持った。
日はたつけれども倉地からはほんとうになんの消息もなかった。病的に感覚の興奮した葉子は、時々肉体的に倉地を慕う衝動に駆り立てられた。葉子の心の目には、倉地の肉体のすべての部分は触れる事ができると思うほど具体的に想像された。葉子は自分で造り出した不思議な迷宮の中にあって、意識のしびれきるような陶酔にひたった。しかしその酔いがさめたあとの苦痛は、精神の疲弊と一緒に働いて、葉子を半死半生の堺に打ちのめした。葉子は自分の妄想に嘔吐を催しながら、倉地といわずすべての男を呪いに呪った。
いよいよ葉子が手術を受けるべき前の日が来た。葉子はそれをさほど恐ろしい事とは思わなかった。子宮後屈症と診断された時、買って帰って読んだ浩澣な医書によって見ても、その手術は割合に簡単なものであるのを知り抜いていたから、その事については割合に安々とした心持ちでいる事ができた。ただ名状し難い焦躁と悲哀とはどう片づけようもなかった。毎日来ていた愛子の足は二日おきになり三日おきになりだんだん遠ざかった。岡などは全く姿を見せなくなってしまった。葉子は今さらに自分のまわりをさびしく見回してみた。出あうかぎりの男と女とが何がなしにひき着けられて、離れる事ができなくなる、そんな磁力のような力を持っているという自負に気負って、自分の周囲には知ると知らざるとを問わず、いつでも無数の人々の心が待っているように思っていた葉子は、今はすべての人から忘られ果てて、大事な定子からも倉地からも見放し見放されて、荷物のない物置き部屋のような貧しい一室のすみっこに、夜具にくるまって暑気に蒸されながらくずれかけた五体をたよりなく横たえねばならぬのだ。それは葉子に取ってはあるべき事とは思われぬまでだった。しかしそれが確かな事実であるのをどうしよう。
それでも葉子はまだ立ち上がろうとした。自分の病気が癒えきったその時を見ているがいい。どうして倉地をもう一度自分のものに仕遂せるか、それを見ているがいい。
葉子は脳心にたぐり込まれるような痛みを感ずる両眼から熱い涙を流しながら、徒然なままに火のような一心を倉地の身の上に集めた。葉子の顔にはいつでもハンケチがあてがわれていた。それが十分もたたないうちに熱くぬれ通って、つやに新しいのと代えさせねばならなかった。
四七
その夜六時すぎ、つやが来て障子を開いてだんだん満ちて行こうとする月が瓦屋根の重なりの上にぽっかりのぼったのをのぞかせてくれている時、見知らぬ看護婦が美しい花束と大きな西洋封筒に入れた手紙とを持ってはいって来てつやに渡した。つやはそれを葉子の枕もとに持って来た。葉子はもう花も何も見る気にはなれなかった。電気もまだ来ていないのでつやにその手紙を読ませてみた。つやは薄明りにすかしすかし読みにくそうに文字を拾った。
「あなたが手術のために入院なさった事を岡君から聞かされて驚きました。で、きょうが外出日であるのを幸いにお見舞いします。
「僕はあなたにお目にかかる気にはなりません。僕はそれほど偏狭に出来上がった人間です。けれども僕はほんとうにあなたをお気の毒に思います。倉地という人間が日本の軍事上の秘密を外国にもらす商売に関係した事が知れるとともに、姿を隠したという報道を新聞で見た時、僕はそんなに驚きませんでした。しかし倉地には二人ほどの外妾があると付け加えて書いてあるのを見て、ほんとうにあなたをお気の毒に思いました。この手紙を皮肉に取らないでください。僕には皮肉はいえません。
「僕はあなたが失望なさらないように祈ります。僕は来週の月曜日から習志野のほうに演習に行きます。木村からのたよりでは、彼は窮迫の絶頂にいるようです。けれども木村はそこを突き抜けるでしょう。
「花を持って来てみました。お大事に。
古藤生」
つやはつかえつかえそれだけを読み終わった。始終古藤をはるか年下な子供のように思っている葉子は、一種侮蔑するような無感情をもってそれを聞いた。倉地が外妾を二人持ってるといううわさは初耳ではあるけれども、それは新聞の記事であってみればあてにはならない。その外妾二人というのが、美人屋敷と評判のあったそこに住む自分と愛子ぐらいの事を想像して、記者ならばいいそうな事だ。ただそう軽くばかり思ってしまった。
つやがその花束をガラスびんにいけて、なんにも飾ってない床の上に置いて行ったあと、葉子は前同様にハンケチを顔にあてて、機械的に働く心の影と戦おうとしていた。
その時突然死が――死の問題ではなく――死がはっきりと葉子の心に立ち現われた。もし手術の結果、子宮底に穿孔ができるようになって腹膜炎を起こしたら、命の助かるべき見込みはないのだ。そんな事をふと思い起こした。部屋の姿も自分の心もどこといって特別に変わったわけではなかったけれども、どことなく葉子の周囲には確かに死の影がさまよっているのをしっかりと感じないではいられなくなった。それは葉子が生まれてから夢にも経験しない事だった。これまで葉子が死の問題を考えた時には、どうして死を招き寄せようかという事ばかりだった。しかし今は死のほうがそろそろと近寄って来ているのだ。
月はだんだん光を増して行って、電灯に灯もともっていた。目の先に見える屋根の間からは、炊煙だか、蚊遣り火だかがうっすらと水のように澄みわたった空に消えて行く。履き物、車馬の類、汽笛の音、うるさいほどの人々の話し声、そういうものは葉子の部屋をいつものとおり取り巻きながら、そして部屋の中はとにかく整頓して灯がともっていて、少しの不思議もないのに、どことも知れずそこには死がはい寄って来ていた。
葉子はぎょっとして、血の代わりに心臓の中に氷の水を瀉ぎこまれたように思った。死のうとする時はとうとう葉子には来ないで、思いもかけず死ぬ時が来たんだ。今までとめどなく流していた涙は、近づくあらしの前のそよ風のようにどこともなく姿をひそめてしまっていた。葉子はあわてふためいて、大きく目を見開き、鋭く耳をそびやかして、そこにある物、そこにある響きを捕えて、それにすがり付きたいと思ったが、目にも耳にも何か感ぜられながら、何が何やら少しもわからなかった。ただ感ぜられるのは、心の中がわけもなくただわくわくとして、すがりつくものがあれば何にでもすがりつきたいと無性にあせっている、その目まぐるしい欲求だけだった。葉子は震える手で枕をなで回したり、シーツをつまみ上げてじっと握り締めてみたりした。冷たい油汗が手のひらににじみ出るばかりで、握ったものは何の力にもならない事を知った。その失望は形容のできないほど大きなものだった。葉子は一つの努力ごとにがっかりして、また懸命にたよりになるもの、根のあるようなものを追い求めてみた。しかしどこをさがしてみてもすべての努力が全くむだなのを心では本能的に知っていた。
周囲の世界は少しのこだわりもなくずるずると平気で日常の営みをしていた。看護婦が草履で廊下を歩いて行く、その音一つを考えてみても、そこには明らかに生命が見いだされた。その足は確かに廊下を踏み、廊下は礎に続き、礎は大地に据えられていた。患者と看護婦との間に取りかわされる言葉一つにも、それを与える人と受ける人とがちゃんと大地の上に存在していた。しかしそれらは奇妙にも葉子とは全く無関係で没交渉だった。葉子のいる所にはどこにも底がない事を知らねばならなかった。深い谷に誤って落ち込んだ人が落ちた瞬間に感ずるあの焦躁……それが連続してやむ時なく葉子を襲うのだった。深さのわからないような暗い闇が、葉子をただ一人まん中に据えておいて、果てしなくそのまわりを包もうと静かに静かに近づきつつある。葉子は少しもそんな事を欲しないのに、葉子の心持ちには頓着なく、休む事なくとどまる事なく、悠々閑々として近づいて来る。葉子は恐ろしさにおびえて声も得上げなかった。そしてただそこからのがれ出たい一心に心ばかりがあせりにあせった。
もうだめだ、力が尽き切ったと、観念しようとした時、しかし、その奇怪な死は、すうっと朝霧が晴れるように、葉子の周囲から消えうせてしまった。見た所、そこには何一つ変わった事もなければ変わった物もない。ただ夏の夕が涼しく夜につながろうとしているばかりだった。葉子はきょとんとして庇の下に水々しく漂う月を見やった。
ただ不思議な変化の起こったのは心ばかりだった。荒磯に波また波が千変万化して追いかぶさって来ては激しく打ちくだけて、まっ白な飛沫を空高く突き上げるように、これといって取り留めのない執着や、憤りや、悲しみや、恨みやが蛛手によれ合って、それが自分の周囲の人たちと結び付いて、わけもなく葉子の心をかきむしっていたのに、その夕方の不思議な経験のあとでは、一筋の透明なさびしさだけが秋の水のように果てしもなく流れているばかりだった。不思議な事には寝入っても忘れきれないほどな頭脳の激痛も痕なくなっていた。
神がかりにあった人が神から見放された時のように、葉子は深い肉体の疲労を感じて、寝床の上に打ち伏さってしまった。そうやっていると自分の過去や現在が手に取るようにはっきり考えられ出した。そして冷ややかな悔恨が泉のようにわき出した。
「間違っていた……こう世の中を歩いて来るんじゃなかった。しかしそれはだれの罪だ。わからない。しかしとにかく自分には後悔がある。できるだけ、生きてるうちにそれを償っておかなければならない」
内田の顔がふと葉子には思い出された。あの厳格なキリストの教師ははたして葉子の所に尋ねて来てくれるかどうかわからない。そう思いながらも葉子はもう一度内田にあって話をしたい心持ちを止める事ができなかった。
葉子は枕もとのベルを押してつやを呼び寄せた。そして手文庫の中から洋紙でとじた手帳を取り出さして、それに毛筆で葉子のいう事を書き取らした。
「木村さんに。
「わたしはあなたを詐っておりました。わたしはこれから他の男に嫁入ります。あなたはわたしを忘れてくださいまし。わたしはあなたの所に行ける女ではないのです。あなたのお思い違いを充分御自分で調べてみてくださいまし。
「倉地さんに。
「わたしはあなたを死ぬまで。けれども二人とも間違っていた事を今はっきり知りました。死を見てから知りました。あなたにはおわかりになりますまい。わたしは何もかも恨みはしません。あなたの奥さんはどうなさっておいでです。……わたしは一緒に泣く事ができる。
「内田のおじさんに。
「わたしは今夜になっておじさんを思い出しました。おば様によろしく。
「木部さんに。
「一人の老女があなたの所に女の子を連れて参るでしょう。その子の顔を見てやってくださいまし。
「愛子と貞世に。
「愛さん、貞ちゃん、もう一度そう呼ばしておくれ。それでたくさん。
「岡さんに。
「わたしはあなたをも怒ってはいません。
「古藤さんに。
「お花とお手紙とをありがとう。あれからわたしは死を見ました。
七月二十一日 葉子」
つやはこんなぽつりぽつりと短い葉子の言葉を書き取りながら、時々怪訝な顔をして葉子を見た。葉子の口びるはさびしく震えて、目にはこぼれない程度に涙がにじみ出していた。
「もうそれでいいありがとうよ。あなただけね、こんなになってしまったわたしのそばにいてくれるのは。……それだのに、わたしはこんなに零落した姿をあなたに見られるのがつらくって、来た日は途中からほかの病院に行ってしまおうかと思ったのよ。ばかだったわね」
葉子は口ではなつかしそうに笑いながら、ほろほろと涙をこぼしてしまった。
「それをこの枕の下に入れておいておくれ。今夜こそはわたし久しぶりで安々とした心持ちで寝られるだろうよ、あすの手術に疲れないようによく寝ておかないといけないわね。でもこんなに弱っていても手術はできるのかしらん……もう蚊帳をつっておくれ。そしてついでに寝床をもっとそっちに引っぱって行って、月の光が顔にあたるようにしてちょうだいな。戸は寝入ったら引いておくれ。……それからちょっとあなたの手をお貸し。……あなたの手は温かい手ね。この手はいい手だわ」
葉子は人の手というものをこんなになつかしいものに思った事はなかった。力をこめた手でそっと抱いて、いつまでもやさしくそれをなでていたかった。つやもいつか葉子の気分に引き入れられて、鼻をすするまでに涙ぐんでいた。
葉子はやがて打ち開いた障子から蚊帳越しにうっとりと月をながめながら考えていた。葉子の心は月の光で清められたかと見えた。倉地が自分を捨てて逃げ出すために書いた狂言が計らずその筋の嫌疑を受けたのか、それとも恐ろしい売国の罪で金をすら葉子に送れぬようになったのか、それはどうでもよかった。よしんば妾が幾人あってもそれもどうでもよかった。ただすべてがむなしく見える中に倉地だけがただ一人ほんとうに生きた人のように葉子の心に住んでいた。互いを堕落させ合うような愛しかたをした、それも今はなつかしい思い出だった。木村は思えば思うほど涙ぐましい不幸な男だった。その思い入った心持ちは何事もわだかまりのなくなった葉子の胸の中を清水のように流れて通った。多年の迫害に復讐する時機が来たというように、岡までをそそのかして、葉子を見捨ててしまったと思われる愛子の心持ちにも葉子は同情ができた。愛子の情けに引かされて葉子を裏切った岡の気持ちはなおさらよくわかった。泣いても泣いても泣き足りないようにかわいそうなのは貞世だった。愛子はいまにきっと自分以上に恐ろしい道に踏み迷う女だと葉子は思った。その愛子のただ一人の妹として……もしも自分の命がなくなってしまった後は……そう思うにつけて葉子は内田を考えた。すべての人は何かの力で流れて行くべき先に流れて行くだろう。そしてしまいにはだれでも自分と同様に一人ぼっちになってしまうんだ。……どの人を見てもあわれまれる……葉子はそう思いふけりながら静かに静かに西に回って行く月を見入っていた。その月の輪郭がだんだんぼやけて来て、空の中に浮き漂うようになると、葉子のまつ毛の一つ一つにも月の光が宿った。涙が目じりからあふれて両方のこめかみの所をくすぐるようにするすると流れ下った。口の中は粘液で粘った。許すべき何人もない。許さるべき何事もない。ただあるがまま……ただ一抹の清い悲しい静けさ。葉子の目はひとりでに閉じて行った。整った呼吸が軽く小鼻を震わして流れた。
つやが戸をたてにそーっとその部屋にはいった時には、葉子は病気を忘れ果てたもののように、がたぴしと戸を締める音にも目ざめずに安らけく寝入っていた。
四八
その翌朝手術台にのぼろうとした葉子は昨夜の葉子とは別人のようだった。激しい呼鈴の音で呼ばれてつやが病室に来た時には、葉子は寝床から起き上がって、したため終わった手紙の状袋を封じている所だったが、それをつやに渡そうとする瞬間にいきなりいやになって、口びるをぶるぶる震わせながらつやの見ている前でそれをずたずたに裂いてしまった。それは愛子にあてた手紙だったのだ。きょうは手術を受けるから九時までにぜひとも立ち会いに来るようにとしたためたのだった。いくら気丈夫でも腹を立ち割る恐ろしい手術を年若い少女が見ていられないくらいは知っていながら、葉子は何がなしに愛子にそれを見せつけてやりたくなったのだ。自分の美しい肉体がむごたらしく傷つけられて、そこから静脈を流れているどす黒い血が流れ出る、それを愛子が見ているうちに気が遠くなって、そのままそこに打ち倒れる、そんな事になったらどれほど快いだろうと葉子は思った。幾度来てくれろと電話をかけても、なんとか口実をつけてこのごろ見も返らなくなった愛子に、これだけの復讐をしてやるのでも少しは胸がすく、そう葉子は思ったのだ。しかしその手紙をつやに渡そうとする段になると、葉子には思いもかけぬ躊躇が来た。もし手術中にはしたない囈言でもいってそれを愛子に聞かれたら。あの冷刻な愛子が面もそむけずにじっと姉の肉体が切りさいなまれるのを見続けながら、心の中で存分に復讐心を満足するような事があったら。こんな手紙を受け取ってもてんで相手にしないで愛子が来なかったら……そんな事を予想すると葉子は手紙を書いた自分に愛想が尽きてしまった。
つやは恐ろしいまでに激昂した葉子の顔を見やりもし得ないで、おずおずと立ちもやらずにそこにかしこまっていた。葉子はそれがたまらないほど癪にさわった。自分に対してすべての人が普通の人間として交わろうとはしない。狂人にでも接するような仕打ちを見せる。だれも彼もそうだ。医者までがそうだ。
「もう用はないのよ。早くあっちにおいで。お前はわたしを気狂いとでも思っているんだろうね。……早く手術をしてくださいってそういっておいで。わたしはちゃんと死ぬ覚悟をしていますからってね」
ゆうべなつかしく握ってやったつやの手の事を思い出すと、葉子は嘔吐を催すような不快を感じてこういった。きたないきたない何もかもきたない。つやは所在なげにそっとそこを立って行った。葉子は目でかみつくようにその後ろ姿を見送った。
その日天気は上々で東向きの壁はさわってみたら内部からでもほんのりと暖かみを感ずるだろうと思われるほど暑くなっていた。葉子はきのうまでの疲労と衰弱とに似ず、その日は起きるとから黙って臥てはいられないくらい、からだが動かしたかった。動かすたびごとに襲って来る腹部の鈍痛や頭の混乱をいやが上にも募らして、思い存分の苦痛を味わってみたいような捨てばちな気分になっていた。そしてふらふらと少しよろけながら、衣紋も乱したまま部屋の中を片づけようとして床の間の所に行った。懸け軸もない床の間の片すみにはきのう古藤が持って来た花が、暑さのために蒸れたようにしぼみかけて、甘ったるい香を放ってうなだれていた。葉子はガラスびんごとそれを持って縁側の所に出た。そしてその花のかたまりの中にむずと熱した手を突っ込んだ。死屍から来るような冷たさが葉子の手に伝わった。葉子の指先は知らず知らず縮まって没義道にそれを爪も立たんばかり握りつぶした。握りつぶしてはびんから引き抜いて手欄から戸外に投げ出した。薔薇、ダリア、小田巻、などの色とりどりの花がばらばらに乱れて二階から部屋の下に当たるきたない路頭に落ちて行った。葉子はほとんど無意識に一つかみずつそうやって投げ捨てた。そして最後にガラスびんを力任せにたたきつけた。びんは目の下で激しくこわれた。そこからあふれ出た水がかわききった縁側板に丸い斑紋をいくつとなく散らかして。
ふと見ると向こうの屋根の物干し台に浴衣の類を持って干しに上がって来たらしい女中風の女が、じっと不思議そうにこっちを見つめているのに気がついた。葉子とは何の関係もないその女までが、葉子のする事を怪しむらしい様子をしているのを見ると、葉子の狂暴な気分はますます募った。葉子は手欄に両手をついてぶるぶると震えながら、その女をいつまでもいつまでもにらみつけた。女のほうでも葉子の仕打ちに気づいて、しばらくは意趣に見返すふうだったが、やがて一種の恐怖に襲われたらしく、干し物を竿に通しもせずにあたふたとあわてて干し物台の急な階子を駆けおりてしまった。あとには燃えるような青空の中に不規則な屋根の波ばかりが目をちかちかさせて残っていた。葉子はなぜにとも知れぬため息を深くついてまんじりとそのあからさまな景色を夢かなぞのようにながめ続けていた。
やがて葉子はまたわれに返って、ふくよかな髪の中に指を突っ込んで激しく頭の地をかきながら部屋に戻った。
そこには寝床のそばに洋服を着た一人の男が立っていた。激しい外光から暗い部屋のほうに目を向けた葉子には、ただまっ黒な立ち姿が見えるばかりでだれとも見分けがつかなかった。しかし手術のために医員の一人が迎えに来たのだと思われた。それにしても障子のあく音さえしなかったのは不思議な事だ。はいって来ながら声一つかけないのも不思議だ。と、思うと得体のわからないその姿は、そのまわりの物がだんだん明らかになって行く間に、たった一つだけまっ黒なままでいつまでも輪郭を見せないようだった。いわば人の形をしたまっ暗な洞穴が空気の中に出来上がったようだった。始めの間好奇心をもってそれをながめていた葉子は見つめれば見つめるほど、その形に実質がなくって、まっ暗な空虚ばかりであるように思い出すと、ぞーっと水を浴びせられたように怖毛をふるった。「木村が来た」……何という事なしに葉子はそう思い込んでしまった。爪の一枚一枚までが肉に吸い寄せられて、毛という毛が強直して逆立つような薄気味わるさが総身に伝わって、思わず声を立てようとしながら、声は出ずに、口びるばかりがかすかに開いてぶるぶると震えた。そして胸の所に何か突きのけるような具合に手をあげたまま、ぴったりと立ち止まってしまった。
その時その黒い人の影のようなものが始めて動き出した。動いてみるとなんでもない、それはやはり人間だった。見る見るその姿の輪郭がはっきりわかって来て、暗さに慣れて来た葉子の目にはそれが岡である事が知れた。
「まあ岡さん」
葉子はその瞬間のなつかしさに引き入れられて、今まで出なかった声をどもるような調子で出した。岡はかすかに頬を紅らめたようだった。そしていつものとおり上品に、ちょっと畳の上に膝をついて挨拶した。まるで一年も牢獄にいて、人間らしい人間にあわないでいた人のように葉子には岡がなつかしかった。葉子とはなんの関係もない広い世間から、一人の人が好意をこめて葉子を見舞うためにそこに天降ったとも思われた。走り寄ってしっかりとその手を取りたい衝動を抑える事ができないほどに葉子の心は感激していた。葉子は目に涙をためながら思うままの振る舞いをした。自分でも知らぬ間に、葉子は、岡のそば近くすわって、右手をその肩に、左手を畳に突いて、しげしげと相手の顔を見やる自分を見いだした。
「ごぶさたしていました」
「よくいらしってくださってね」
どっちからいい出すともなく二人の言葉は親しげにからみ合った。葉子は岡の声を聞くと、急に今まで自分から逃げていた力が回復して来たのを感じた。逆境にいる女に対して、どんな男であれ、男の力がどれほど強いものであるかを思い知った。男性の頼もしさがしみじみと胸に逼った。葉子はわれ知らずすがり付くように、岡の肩にかけていた右手をすべらして、膝の上に乗せている岡の右手の甲の上からしっかりと捕えた。岡の手は葉子の触覚に妙に冷たく響いて来た。
「長く長くおあいしませんでしたわね。わたしあなたを幽霊じゃないかと思いましてよ。変な顔つきをしたでしょう。貞世は……あなたけさ病院のほうからいらしったの?」
岡はちょっと返事をためらったようだった。
「いゝえ家から来ました。ですからわたし、きょうの御様子は知りませんが、きのうまでのところではだんだんおよろしいようです。目さえさめていらっしゃると『おねえ様おねえ様』とお泣きなさるのがほんとうにおかわいそうです」
葉子はそれだけ聞くともう感情がもろくなっていて胸が張り裂けるようだった。岡は目ざとくもそれを見て取って、悪い事をいったと思ったらしかった。そして少しあわてたように笑い足しながら、
「そうかと思うと、たいへんお元気な事もあります。熱の下がっていらっしゃる時なんかは、愛子さんにおもしろい本を読んでおもらいになって、喜んで聞いておいでです」
と付け足した。葉子は直覚的に岡がその場の間に合わせをいっているのだと知った。それは葉子を安心させるための好意であるとはいえ、岡の言葉は決して信用する事ができない。毎日一度ずつ大学病院まで見舞いに行ってもらうつやの言葉に安心ができないでいて、だれか目に見たとおりを知らせてくれる人はないかとあせっていた矢先、この人ならばと思った岡も、つや以上にいいかげんをいおうとしているのだ。この調子では、とうに貞世が死んでしまっていても、人たちは岡がいって聞かせるような事をいつまでも自分にいうのだろう。自分にはだれ一人として胸を開いて交際しようという人はいなくなってしまったのだ。そう思うとさびしいよりも、苦しいよりも、かっと取りのぼせるほど貞世の身の上が気づかわれてならなくなった。
「かわいそうに貞世は……さぞやせてしまったでしょうね?」
葉子は口裏をひくようにこう尋ねてみた。
「始終見つけているせいですか、そんなにも見えません」
岡はハンカチで首のまわりをぬぐって、ダブル・カラーの合わせを左の手でくつろげながら少し息気苦しそうにこう答えた。
「なんにもいただけないんでしょうね」
「ソップと重湯だけですが両方ともよく食べなさいます」
「ひもじがっておりますか」
「いゝえそんなでも」
もう許せないと葉子は思い入って腹を立てた。腸チブスの予後にあるものが、食欲がない……そんなしらじらしい虚構があるものか。みんな虚構だ。岡のいう事もみんな虚構だ。昨夜は病院に泊まらなかったという、それも虚構でなくてなんだろう。愛子の熱情に燃えた手を握り慣れた岡の手が、葉子に握られて冷えるのももっともだ。昨夜はこの手は……葉子はひとみを定めて自分の美しい指にからまれた岡の美しい右手を見た。それは女の手のように白くなめらかだった。しかしこの手が昨夜は、……葉子は顔をあげて岡を見た。ことさらにあざやかに紅いその口びる……この口びるが昨夜は……眩暈がするほど一度に押し寄せて来た憤怒と嫉妬とのために、葉子は危うくその場にあり合わせたものにかみつこうとしたが、からくそれをささえると、もう熱い涙が目をこがすように痛めて流れ出した。
「あなたはよくうそをおつきなさるのね」
葉子はもう肩で息気をしていた。頭が激しい動悸のたびごとに震えるので、髪の毛は小刻みに生き物のようにおののいた。そして岡の手から自分の手を離して、袂から取り出したハンケチでそれを押しぬぐった。目に入る限りのもの、手に触れる限りのものがまたけがらわしく見え始めたのだ。岡の返事も待たずに葉子は畳みかけて吐き出すようにいった。
「貞世はもう死んでいるんです。それを知らないとでもあなたは思っていらっしゃるの。あなたや愛子に看護してもらえばだれでもありがたい往生ができましょうよ。ほんとうに貞世は仕合わせな子でした。……おゝおゝ貞世! お前はほんとに仕合わせな子だねえ。……岡さんいって聞かせてください、貞世はどんな死にかたをしたか。飲みたい死に水も飲まずに死にましたか。あなたと愛子がお庭を歩き回っているうちに死んでいましたか。それとも……それとも愛子の目が憎々しく笑っているその前で眠るように息気を引き取りましたか。どんなお葬式が出たんです。早桶はどこで注文なさったんです。わたしの早桶のより少し大きくしないとはいりませんよ。……わたしはなんというばかだろう早く丈夫になって思いきり貞世を介抱してやりたいと思ったのに……もう死んでしまったのですものねえ。うそです……それからなぜあなたも愛子ももっとしげしげわたしの見舞いには来てくださらないの。あなたはきょうわたしを苦しめに……なぶりにいらしったのね……」
「そんな飛んでもない!」
岡がせきこんで葉子の言葉の切れ目にいい出そうとするのを、葉子は激しい笑いでさえぎった。
「飛んでもない……そのとおり。あゝ頭が痛い。わたしは存分に呪いを受けました。御安心なさいましとも。決してお邪魔はしませんから。わたしはさんざん踊りました。今度はあなた方が踊っていい番ですものね。……ふむ、踊れるものならみごとに踊ってごらんなさいまし。……踊れるものなら、はゝゝ」
葉子は狂女のように高々と笑った。岡は葉子の物狂おしく笑うのを見ると、それを恥じるようにまっ紅になって下を向いてしまった。
「聞いてください」
やがて岡はこういってきっとなった。
「伺いましょう」
葉子もきっとなって岡を見やったが、すぐ口じりにむごたらしい皮肉な微笑をたたえた。それは岡の気先をさえ折るに充分なほどの皮肉さだった。
「お疑いなさってもしかたがありません。わたし、愛子さんには深い親しみを感じております……」
「そんな事なら伺うまでもありませんわ。わたしをどんな女だと思っていらっしゃるの。愛子さんに深い親しみを感じていらっしゃればこそ、けさはわざわざ何日ごろ死ぬだろうと見に来てくださったのね。なんとお礼を申していいか、そこはお察しくださいまし。きょうは手術を受けますから、死骸になって手術室から出て来る所をよっく御覧なさってあなたの愛子に知らせて喜ばしてやってくださいましよ。死にに行く前に篤とお礼を申します。絵島丸ではいろいろ御親切をありがとうございました。お陰様でわたしはさびしい世の中から救い出されました。あなたをおにいさんともお慕いしていましたが、愛子に対しても気恥ずかしくなりましたから、もうあなたとは御縁を断ちます。というまでもない事ですわね。もう時間が来ますからお立ちくださいまし」
「わたし、ちっとも知りませんでした。ほんとうにそのおからだで手術をお受けになるのですか」
岡はあきれたような顔をした。
「毎日大学に行くつやはばかですから何も申し上げなかったんでしょうよ。申し上げてもお聞こえにならなかったかもしれませんわね」
と葉子はほほえんで、まっさおになった顔にふりかかる髪の毛を左の手で器用にかき上げた。その小指はやせ細って骨ばかりのようになりながらも、美しい線を描いて折れ曲がっていた。
「それはぜひお延ばしくださいお願いしますから……お医者さんもお医者さんだと思います」
「わたしがわたしだもんですからね」
葉子はしげしげと岡を見やった。その目からは涙がすっかりかわいて、額の所には油汗がにじみ出ていた。触れてみたら氷のようだろうと思われるような青白い冷たさが生えぎわかけて漂っていた。
「ではせめてわたしに立ち会わしてください」
「それほどまでにあなたはわたしがお憎いの?……麻酔中にわたしのいう囈口でも聞いておいて笑い話の種になさろうというのね。えゝ、ようごさいますいらっしゃいまし、御覧に入れますから。呪いのためにやせ細ってお婆さんのようになってしまったこのからだを頭から足の爪先まで御覧に入れますから……今さらおあきれになる余地もありますまいけれど」
そういって葉子はやせ細った顔にあらん限りの媚びを集めて、流眄に岡を見やった。岡は思わず顔をそむけた。
そこに若い医員がつやをつれてはいって来た。葉子は手術のしたくができた事を見て取った。葉子は黙って医員にちょっと挨拶したまま衣紋をつくろってすぐ座を立った。それに続いて部屋を出て来た岡などは全く無視した態度で、怪しげな薄暗い階子段を降りて、これも暗い廊下を四五間たどって手術室の前まで来た。つやが戸のハンドルを回してそれをあけると、手術室からはさすがにまぶしい豊かな光線が廊下のほうに流れて来た。そこで葉子は岡のほうに始めて振り返った。
「遠方をわざわざ御苦労さま。わたしはまだあなたに肌を御覧に入れるほどの莫連者にはなっていませんから……」
そう小さな声でいって悠々と手術室にはいって行った。岡はもちろん押し切ってあとについては来なかった。
着物を脱ぐ間に、世話に立ったつやに葉子はこうようやくにしていった。
「岡さんがはいりたいとおっしゃっても入れてはいけないよ。それから……それから(ここで葉子は何がなしに涙ぐましくなった)もしわたしが囈言のような事でもいいかけたら、お前に一生のお願いだからね、わたしの口を……口を抑えて殺してしまっておくれ。頼むよ。きっと!」
婦人科病院の事とて女の裸体は毎日幾人となく扱いつけているくせに、やはり好奇な目を向けて葉子を見守っているらしい助手たちに、葉子はやせさらばえた自分をさらけ出して見せるのが死ぬよりつらかった。ふとした出来心から岡に対していった言葉が、葉子の頭にはいつまでもこびり付いて、貞世はもうほんとうに死んでしまったもののように思えてしかたがなかった。貞世が死んでしまったのに何を苦しんで手術を受ける事があろう。そう思わないでもなかった。しかし場合が場合でこうなるよりしかたがなかった。
まっ白な手術衣を着た医員や看護婦に囲まれて、やはりまっ白な手術台は墓場のように葉子を待っていた。そこに近づくと葉子はわれにもなく急におびえが出た。思いきり鋭利なメスで手ぎわよく切り取ってしまったらさぞさっぱりするだろうと思っていた腰部の鈍痛も、急に痛みが止まってしまって、からだ全体がしびれるようにしゃちこばって冷や汗が額にも手にもしとどに流れた。葉子はただ一つの慰藉のようにつやを顧みた。そのつやの励ますような顔をただ一つのたよりにして、細かく震えながら仰向けに冷やっとする手術台に横たわった。
医員の一人が白布の口あてを口から鼻の上にあてがった。それだけで葉子はもう息気がつまるほどの思いをした。そのくせ目は妙にさえて目の前に見る天井板の細かい木理までが動いて走るようにながめられた。神経の末梢が大風にあったようにざわざわと小気味わるく騒ぎ立った。心臓が息気苦しいほど時々働きを止めた。
やがて芳芬の激しい薬滴が布の上にたらされた。葉子は両手の脈所を医員に取られながら、その香いを薄気味わるくかいだ。
「ひとーつ」
執刀者が鈍い声でこういった。
「ひとーつ」
葉子のそれに応ずる声は激しく震えていた。
「ふたーつ」
葉子は生命の尊さをしみじみと思い知った。死もしくは死の隣へまでの不思議な冒険……そう思うと血は凍るかと疑われた。
「ふたーつ」
葉子の声はますます震えた。こうして数を読んで行くうちに、頭の中がしんしんと冴えるようになって行ったと思うと、世の中がひとりでに遠のくように思えた。葉子は我慢ができなかった。いきなり右手を振りほどいて力任せに口の所を掻い払った。しかし医員の力はすぐ葉子の自由を奪ってしまった。葉子は確かにそれにあらがっているつもりだった。
「倉地が生きている間――死ぬものか、……どうしてももう一度その胸に……やめてください。狂気で死ぬとも殺されたくはない。やめて……人殺し」
そう思ったのかいったのか、自分ながらどっちとも定めかねながら葉子はもだえた。
「生きる生きる……死ぬのはいやだ……人殺し!……」
葉子は力のあらん限り戦った、医者とも薬とも……運命とも……葉子は永久に戦った。しかし葉子は二十も数を読まないうちに、死んだ者同様に意識なく医員らの目の前に横たわっていたのだ。
四九
手術を受けてから三日を過ぎていた。その間非常に望ましい経過を取っているらしく見えた容態は三日目の夕方から突然激変した。突然の高熱、突然の腹痛、突然の煩悶、それは激しい驟雨が西風に伴われてあらしがかった天気模様になったその夕方の事だった。
その日の朝からなんとなく頭の重かった葉子は、それが天候のためだとばかり思って、しいてそういうふうに自分を説服して、憂慮を抑えつけていると、三時ごろからどんどん熱が上がり出して、それと共に下腹部の疼痛が襲って来た。子宮底穿孔⁈ なまじっか医書を読みかじった葉子はすぐそっちに気を回した。気を回してはしいてそれを否定して、一時延ばしに容態の回復を待ちこがれた。それはしかしむだだった。つやがあわてて当直医を呼んで来た時には、葉子はもう生死を忘れて床の上に身を縮み上がらしておいおいと泣いていた。
医員の報告で院長も時を移さずそこに駆けつけた。応急の手あてとして四個の氷嚢が下腹部にあてがわれた。葉子は寝衣がちょっと肌にさわるだけの事にも、生命をひっぱたかれるような痛みを覚えて思わずきゃっと絹を裂くような叫び声をたてた。見る見る葉子は一寸の身動きもできないくらい疼痛に痛めつけられていた。
激しい音を立てて戸外では雨の脚が瓦屋根をたたいた。むしむしする昼間の暑さは急に冷え冷えとなって、にわかに暗くなった部屋の中に、雨から逃げ延びて来たらしい蚊がぶーんと長く引いた声を立てて飛び回った。青白い薄闇に包まれて葉子の顔は見る見るくずれて行った。やせ細っていた頬はことさらげっそりとこけて、高々とそびえた鼻筋の両側には、落ちくぼんだ両眼が、中有の中を所きらわずおどおどと何物かをさがし求めるように輝いた。美しい弧を描いて延びていた眉は、めちゃくちゃにゆがんで、眉間の八の字の所に近々と寄り集まった。かさかさにかわききった口びるからは吐く息気ばかりが強く押し出された。そこにはもう女の姿はなかった。得体のわからない動物がもだえもがいているだけだった。
間を置いてはさし込んで来る痛み……鉄の棒をまっ赤に焼いて、それで下腹の中を所きらわずえぐり回すような痛みが来ると、葉子は目も口もできるだけ堅く結んで、息気もつけなくなってしまった。何人そこに人がいるのか、それを見回すだけの気力もなかった。天気なのかあらしなのか、それもわからなかった。稲妻が空を縫って走る時には、それが自分の痛みが形になって現われたように見えた。少し痛みが退くとほっと吐息をして、助けを求めるようにそこに付いている医員に目ですがった。痛みさえなおしてくれれば殺されてもいいという心と、とうとう自分に致命的な傷を負わしたと恨む心とが入り乱れて、旋風のようにからだじゅうを通り抜けた。倉地がいてくれたら……木村がいてくれたら……あの親切な木村がいてくれたら……そりゃだめだ。もうだめだ。……だめだ。貞世だって苦しんでいるんだ、こんな事で……痛い痛い痛い……つやはいるのか(葉子は思いきって目を開いた。目の中が痛かった)いる。心配そうな顔をして、……うそだあの顔が何が心配そうな顔なものか……みんな他人だ……なんの縁故もない人たちだ……みんなのんきな顔をして何事もせずにただ見ているんだ……この悩みの百分の一でも知ったら……あ、痛い痛い痛い! 定子……お前はまだどこかに生きているのか、貞世は死んでしまったのだよ、定子……わたしも死ぬんだ死ぬよりも苦しい、この苦しみは……ひどい、これで死なれるものか……こんなにされて死なれるものか……何か……どこか……だれか……助けてくれそうなものだのに……神様! あんまりです……
葉子は身もだえもできない激痛の中で、シーツまでぬれとおるほどな油汗をからだじゅうにかきながら、こんな事をつぎつぎに口走るのだったが、それはもとより言葉にはならなかった。ただ時々痛いというのがむごたらしく聞こえるばかりで、傷ついた牛のように叫ぶほかはなかった。
ひどい吹き降りの中に夜が来た。しかし葉子の容態は険悪になって行くばかりだった。電灯が故障のために来ないので、室内には二本の蝋燭が風にあおられながら、薄暗くともっていた。熱度を計った医員は一度一度そのそばまで行って、目をそばめながら度盛りを見た。
その夜苦しみ通した葉子は明けがた近く少し痛みからのがれる事ができた。シーツを思いきりつかんでいた手を放して、弱々と額の所をなでると、たびたび看護婦がぬぐってくれたのにも係わらず、ぬるぬるするほど手も額も油汗でしとどになっていた。「とても助からない」と葉子は他人事のように思った。そうなってみると、いちばん強い望みはもう一度倉地に会ってただ一目その顔を見たいという事だった。それはしかし望んでもかなえられる事でないのに気づいた。葉子の前には暗いものがあるばかりだった。葉子はほっとため息をついた。二十六年間の胸の中の思いを一時に吐き出してしまおうとするように。
やがて葉子はふと思い付いて目でつやを求めた。夜通し看護に余念のなかったつやは目ざとくそれを見て寝床に近づいた。葉子は半分目つきに物をいわせながら、
「枕の下枕の下」
といった。つやが枕の下をさがすとそこから、手術の前の晩につやが書き取った書き物が出て来た。葉子は一生懸命な努力でつやにそれを焼いて捨てろ、今見ている前で焼いて捨てろと命じた。葉子の命令はわかっていながら、つやが躊躇しているのを見ると、葉子はかっと腹が立って、その怒りに前後を忘れて起き上がろうとした。そのために少しなごんでいた下腹部の痛みが一時に押し寄せて来た。葉子は思わず気を失いそうになって声をあげながら、足を縮めてしまった。けれども一生懸命だった。もう死んだあとにはなんにも残しておきたくない。なんにもいわないで死のう。そういう気持ちばかりが激しく働いていた。
「焼いて」
悶絶するような苦しみの中から、葉子はただ一言これだけを夢中になって叫んだ。つやは医員に促されているらしかったが、やがて一台の蝋燭を葉子の身近に運んで来て、葉子の見ている前でそれを焼き始めた。めらめらと紫色の焔が立ち上がるのを葉子は確かに見た。
それを見ると葉子は心からがっかりしてしまった。これで自分の一生はなんにもなくなったと思った。もういい……誤解されたままで、女王は今死んで行く……そう思うとさすがに一抹の哀愁がしみじみと胸をこそいで通った。葉子は涙を感じた。しかし涙は流れて出ないで、目の中が火のように熱くなったばかりだった。
またもひどい疼痛が襲い始めた、葉子は神の締め木にかけられて、自分のからだが見る見るやせて行くのを自分ながら感じた。人々が薄気味わるげに見守っているのにも気がついた。
それでもとうとうその夜も明け離れた。
葉子は精も根も尽き果てようとしているのを感じた。身を切るような痛みさえが時々は遠い事のように感じられ出したのを知った。もう仕残していた事はなかったかと働きの鈍った頭を懸命に働かして考えてみた。その時ふと定子の事が頭に浮かんだ。あの紙を焼いてしまっては木部と定子とがあう機会はないかもしれない。だれかに定子を頼んで……葉子はあわてふためきながらその人を考えた。
内田……そうだ内田に頼もう。葉子はその時不思議ななつかしさをもって内田の生涯を思いやった。あの偏頗で頑固で意地っぱりな内田の心の奥の奥に小さく潜んでいる澄みとおった魂が始めて見えるような心持ちがした。
葉子はつやに古藤を呼び寄せるように命じた。古藤の兵営にいるのはつやも知っているはずだ。古藤から内田にいってもらったら内田が来てくれないはずはあるまい、内田は古藤を愛しているから。
それから一時間苦しみ続けた後に、古藤の例の軍服姿は葉子の病室に現われた。葉子の依頼をようやく飲みこむと、古藤はいちずな顔に思い入った表情をたたえて、急いで座を立った。
葉子はだれにとも何にともなく息気を引き取る前に内田の来るのを祈った。
しかし小石川に住んでいる内田はなかなかやって来る様子も見せなかった。
「痛い痛い痛い……痛い」
葉子が前後を忘れわれを忘れて、魂をしぼり出すようにこううめく悲しげな叫び声は、大雨のあとの晴れやかな夏の朝の空気をかき乱して、惨ましく聞こえ続けた。
(後編 了) | 底本:「或る女 後編」岩波文庫、岩波書店
1950(昭和25)年9月5日第1刷発行
1968(昭和43)年8月16日第23刷改版発行
1998(平成10)年11月16日第37刷発行
入力:真先芳秋
校正:地田尚
2000年3月1日公開
2013年1月8日修正
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一
私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた。ねじ曲がろうとする自分の心をひっぱたいて、できるだけ伸び伸びしたまっすぐな明るい世界に出て、そこに自分の芸術の宮殿を築き上げようともがいていた。それは私にとってどれほど喜ばしい事だったろう。と同時にどれほど苦しい事だったろう。私の心の奥底には確かに――すべての人の心の奥底にあるのと同様な――火が燃えてはいたけれども、その火を燻らそうとする塵芥の堆積はまたひどいものだった。かきのけてもかきのけても容易に火の燃え立って来ないような瞬間には私はみじめだった。私は、机の向こうに開かれた窓から、冬が来て雪にうずもれて行く一面の畑を見渡しながら、滞りがちな筆をしかりつけしかりつけ運ばそうとしていた。
寒い。原稿紙の手ざわりは氷のようだった。
陽はずんずん暮れて行くのだった。灰色からねずみ色に、ねずみ色から墨色にぼかされた大きな紙を目の前にかけて、上から下へと一気に視線を落として行く時に感ずるような速さで、昼の光は夜の闇に変わって行こうとしていた。午後になったと思うまもなく、どんどん暮れかかる北海道の冬を知らないものには、日がいち早く蝕まれるこの気味悪いさびしさは想像がつくまい。ニセコアンの丘陵の裂け目からまっしぐらにこの高原の畑地を目がけて吹きおろして来る風は、割合に粒の大きい軽やかな初冬の雪片をあおり立てあおり立て横ざまに舞い飛ばした。雪片は暮れ残った光の迷子のように、ちかちかした印象を見る人の目に与えながら、いたずら者らしくさんざん飛び回った元気にも似ず、降りたまった積雪の上に落ちるや否や、寒い薄紫の死を死んでしまう。ただ窓に来てあたる雪片だけがさらさらさらさらとささやかに音を立てるばかりで、他のすべてのやつらは残らず唖だ。快活らしい白い唖の群れの舞踏――それは見る人を涙ぐませる。
私はさびしさのあまり筆をとめて窓の外をながめてみた。そして君の事を思った。
二
私が君に始めて会ったのは、私がまだ札幌に住んでいるころだった。私の借りた家は札幌の町はずれを流れる豊平川という川の右岸にあった。その家は堤の下の一町歩ほどもある大きなりんご園の中に建ててあった。
そこにある日の午後君は尋ねて来たのだった。君は少しふきげんそうな、口の重い、癇で背たけが伸び切らないといったような少年だった。きたない中学校の制服の立て襟のホックをうるさそうにはずしたままにしていた、それが妙な事にはことにはっきりと私の記憶に残っている。
君は座につくとぶっきらぼうに自分のかいた絵を見てもらいたいと言い出した。君は片手ではかかえ切れないほど油絵や水彩画を持ちこんで来ていた。君は自分自身を平気で虐げる人のように、ふろしき包みの中から乱暴に幾枚かの絵を引き抜いて私の前に置いた。そしてじっと探るように私の顔を見つめた。明らさまに言うと、その時私は君をいやに高慢ちきな若者だと思った。そして君のほうには顔も向けないで、よんどころなくさし出された絵を取り上げて見た。
私は一目見て驚かずにはいられなかった。少しの修練も経てはいないし幼稚な技巧ではあったけれども、その中には不思議に力がこもっていてそれがすぐ私を襲ったからだ。私は画面から目を放してもう一度君を見直さないではいられなくなった。で、そうした。その時、君は不安らしいそのくせ意地っぱりな目つきをして、やはり私を見続けていた。
「どうでしょう。それなんかはくだらない出来だけれども」
そう君はいかにも自分の仕事を軽蔑するように言った。もう一度明らさまに言うが、私は一方で君の絵に喜ばしい驚きを感じながらも、いかにも思いあがったような君の物腰には一種の反感を覚えて、ちょっと皮肉でも言ってみたくなった。「くだらない出来がこれほどなら、会心の作というのはたいしたものでしょうね」とかなんとか。
しかし私は幸いにもとっさにそんな言葉で自分を穢すことをのがれたのだった。それは私の心が美しかったからではない。君の絵がなんといっても君自身に対する私の反感に打ち勝って私に迫っていたからだ。
君がその時持って来た絵の中で今でも私の心の底にまざまざと残っている一枚がある。それは八号の風景にかかれたもので、軽川あたりの泥炭地を写したと覚しい晩秋の風景画だった。荒涼と見渡す限りに連なった地平線の低い葦原を一面におおうた霙雲のすきまから午後の日がかすかに漏れて、それが、草の中からたった二本ひょろひょろと生い伸びた白樺の白い樹皮を力弱く照らしていた。単色を含んで来た筆の穂が不器用に画布にたたきつけられて、そのままけし飛んだような手荒な筆触で、自然の中には決して存在しないと言われる純白の色さえ他の色と練り合わされずに、そのままべとりとなすり付けてあったりしたが、それでもじっと見ていると、そこには作者の鋭敏な色感が存分にうかがわれた。そればかりか、その絵が与える全体の効果にもしっかりとまとまった気分が行き渡っていた。悒鬱――十六七の少年には哺めそうもない重い悒鬱を、見る者はすぐ感ずる事ができた。
「たいへんいいじゃありませんか」
絵に対して素直になった私の心は、私にこう言わさないではおかなかった。
それを聞くと君は心持ち顔を赤くした――と私は思った。すぐ次の瞬間に来ると、君はしかし私を疑うような、自分を冷笑うような冷ややかな表情をして、しばらくの間私と絵とを等分に見くらべていたが、ふいと庭のほうへ顔をそむけてしまった。それは人をばかにした仕打ちとも思えば思われない事はなかった。二人は気まずく黙りこくってしまった。私は所在なさに黙ったまま絵をながめつづけていた。
「そいつはどこん所が悪いんです」
突然また君の無愛想な声がした。私は今までの妙にちぐはぐになった気分から、ちょっと自分の意見をずばずばと言い出す気にはなれないでいた。しかし改めて君の顔を見ると、言わさないじゃおかないぞといったような真剣さが現われていた。少しでもまに合わせを言おうものなら軽蔑してやるぞといったような鋭さが見えた。よし、それじゃ存分に言ってやろうと私もとうとうほんとうに腰をすえてかかるようにされていた。
その時私が口に任せてどんな生意気を言ったかは幸いな事に今はおおかた忘れてしまっている。しかしとにかく悪口としては技巧が非常にあぶなっかしい事、自然の見方が不親切な事、モティヴが耽情的過ぎる事などをならべたに違いない。君は黙ったまままじまじと目を光らせながら、私の言う事を聞いていた。私が言いたい事だけをあけすけに言ってしまうと、君はしばらく黙りつづけていたが、やがて口のすみだけに始めて笑いらしいものを漏らした。それがまた普通の微笑とも皮肉な痙攣とも思いなされた。
それから二人はまた二十分ほど黙ったままで向かい合ってすわりつづけた。
「じゃまた持って来ますから見てください。今度はもっといいものをかいて来ます」
その沈黙のあとで、君が腰を浮かせながら言ったこれだけの言葉はまた僕を驚かせた。まるで別な、初な、素直な子供でもいったような無邪気な明るい声だったから。
不思議なものは人の心の働きだ。この声一つだった。この声一つが君と私とを堅く結びつけてしまったのだった。私は結局君をいろいろに邪推した事を悔いながらやさしく尋ねた。
「君は学校はどこです」
「東京です」
「東京? それじゃもう始まっているんじゃないか」
「ええ」
「なぜ帰らないんです」
「どうしても落第点しか取れない学科があるんでいやになったんです。‥‥それから少し都合もあって」
「君は絵をやる気なんですか」
「やれるでしょうか」
そう言った時、君はまた前と同様な強情らしい、人に迫るような顔つきになった。
私もそれに対してなんと答えようもなかった。専門家でもない私が、五六枚の絵を見ただけで、その少年の未来の運命全体をどうして大胆にも決定的に言い切る事ができよう。少年の思い入ったような態度を見るにつけ、私にはすべてが恐ろしかった。私は黙っていた。
「僕はそのうち郷里に――郷里は岩内です――帰ります。岩内のそばに硫黄を掘り出している所があるんです。その景色を僕は夢にまで見ます。その絵を作り上げて送りますから見てください。……絵が好きなんだけれども、下手だからだめです」
私の答えないのを見て、君は自分をたしなめるように堅いさびしい調子でこう言った。そして私の目の前に取り出した何枚かの作品をめちゃくちゃにふろしきに包みこんで帰って行ってしまった。
君を木戸の所まで送り出してから、私はひとりで手広いりんご畑の中を歩きまわった。りんごの枝は熟した果実でたわわになっていた。ある木などは葉がすっかり散り尽くして、赤々とした果実だけが真裸で累々と日にさらされていた。それは快く空の晴れ渡った小春びよりの一日だった。私の庭下駄に踏まれた落ち葉はかわいた音をたてて微塵に押しひしゃがれた。豊満のさびしさというようなものが空気の中にしんみりと漂っていた。ちょうどそのころは、私も生活のある一つの岐路に立って疑い迷っていた時だった。私は冬を目の前に控えた自然の前に幾度も知らず知らず棒立ちになって、君の事と自分の事とをまぜこぜに考えた。
とにかく君は妙に力強い印象を私に残して、私から姿を消してしまったのだ。
その後君からは一度か二度問い合わせか何かの手紙が来たきりでぱったり消息が途絶えてしまった。岩内から来たという人などに邂うと、私はよくその港にこういう名前の青年はいないか、その人を知らないかなぞと尋ねてみたが、さらに手がかりは得られなかった。硫黄採掘場の風景画もとうとう私の手もとには届いて来なかった。
こうして二年三年と月日がたった。そしてどうかした拍子に君の事を思い出すと、私は人生の旅路のさびしさを味わった。一度とにかく顔を合わせて、ある程度まで心を触れ合ったどうしが、いったん別れたが最後、同じこの地球の上に呼吸しながら、未来永劫またと邂逅わない……それはなんという不思議な、さびしい、恐ろしい事だ。人とは言うまい、犬とでも、花とでも、塵とでもだ。孤独に親しみやすいくせにどこか殉情的で人なつっこい私の心は、どうかした拍子に、このやむを得ない人間の運命をしみじみと感じて深い悒鬱に襲われる。君も多くの人の中で私にそんな心持ちを起こさせる一人だった。
しかも浅はかな私ら人間は猿と同様に物忘れする。四年五年という歳月は君の記憶を私の心からきれいにぬぐい取ってしまおうとしていたのだ。君はだんだん私の意識の閾を踏み越えて、潜在意識の奥底に隠れてしまおうとしていたのだ。
この短からぬ時間は私の身の上にも私相当の変化をひき起こしていた。私は足かけ八年住み慣れた札幌――ごく手短に言っても、そこで私の上にもいろいろな出来事がわき上がった。妻も迎えた。三人の子の父ともなった。長い間の信仰から離れて教会とも縁を切った。それまでやっていた仕事にだんだん失望を感じ始めた。新しい生活の芽が周囲の拒絶をも無みして、そろそろと芽ぐみかけていた。私の目の前の生活の道にはおぼろげながら気味悪い不幸の雲がおおいかかろうとしていた。私は始終私自身の力を信じていいのか疑わねばならぬかの二筋道に迷いぬいた――を去って、私には物足らない都会生活が始まった。そして、目にあまる不幸がつぎつぎに足もとからまくし上がるのを手をこまねいてじっとながめねばならなかった。心の中に起こったそんな危機の中で、私は捨て身になって、見も知らぬ新しい世界に乗り出す事を余儀なくされた。それは文学者としての生活だった。私は今度こそは全くひとりで歩かねばならぬと決心の臍を堅めた。またこの道に踏み込んだ以上は、できてもできなくても人類の意志と取り組む覚悟をしなければならなかった。私は始終自分の力量に疑いを感じ通しながら原稿紙に臨んだ。人々が寝入って後、草も木も寝入って後、ひとり目ざめてしんとした夜の寂寞の中に、万年筆のペン先が紙にきしり込む音だけを聞きながら、私は神がかりのように夢中になって筆を運ばしている事もあった。私の周囲には亡霊のような魂がひしめいて、紙の中に生まれ出ようと苦しみあせっているのをはっきりと感じた事もあった。そんな時気がついてみると、私の目は感激の涙に漂っていた。芸術におぼれたものでなくって、そういう時のエクスタシーをだれが味わい得よう。しかし私の心が痛ましく裂け乱れて、純一な気持ちがどこのすみにも見つけられない時のさびしさはまたなんと喩えようもない。その時私は全く一塊の物質に過ぎない。私にはなんにも残されない。私は自分の文学者である事を疑ってしまう。文学者が文学者である事を疑うほど、世に空虚なたよりないものがまたとあろうか。そういう時に彼は明らかに生命から見放されてしまっているのだ。こんな瞬間に限っていつでもきまったように私の念頭に浮かぶのは君のあの時の面影だった。自分を信じていいのか悪いのかを決しかねて、たくましい意志と冷刻な批評とが互いに衷に戦って、思わず知らずすべてのものに向かって敵意を含んだ君のあの面影だった。私は筆を捨てて椅子から立ち上がり、部屋の中を歩き回りながら、自分につぶやくように言った。
「あの少年はどうなったろう。道を踏み迷わないでいてくれ。自分を誇大して取り返しのつかない死出の旅をしないでいてくれ。もし彼に独自の道を切り開いて行く天稟がないのなら、どうか正直な勤勉な凡人として一生を終わってくれ。もうこの苦しみはおれ一人だけでたくさんだ」
ところが去年の十月――と言えば、川岸の家で偶然君というものを知ってからちょうど十年目だ――のある日雨のしょぼしょぼと降っている午後に一封の小包が私の手もとに届いた。女中がそれを持って来た時、私は干し魚が送られたと思ったほど部屋の中が生臭くなった。包みの油紙は雨水と泥とでひどくよごれていて、差出人の名前がようやくの事で読めるくらいだったが、そこにしるされた姓名を私はだれともはっきり思い出すことができなかった。ともかくもと思って私はナイフでがんじょうな渋びきの麻糸を切りほごしにかかった。油紙を一皮めくるとその中にまた麻糸で堅く結わえた油紙の包みがあった。それをほごすとまた油紙で包んであった。ちょっと腹の立つほど念の入った包み方で、百合の根をはがすように一枚一枚むいて行くと、ようやく幾枚もの新聞紙の中から、手あかでよごれ切った手製のスケッチ帳が三冊、きりきりと棒のように巻き上げられたのが出て来た。私は小気味悪い魚のにおいを始終気にしながらその手帳を広げて見た。
それはどれも鉛筆で描かれたスケッチ帳だった。そしてどれにも山と樹木ばかりが描かれてあった。私は一目見ると、それが明らかに北海道の風景である事を知った。のみならず、それは明らかにほんとうの芸術家のみが見うる、そして描きうる深刻な自然の肖像画だった。
「やっつけたな!」咄嗟に私は少年のままの君の面影を心いっぱいに描きながら下くちびるをかみしめた。そして思わずほほえんだ。白状するが、それがもし小説か戯曲であったら、その時の私の顔には微笑の代わりに苦い嫉妬の色が濃くみなぎっていたかもしれない。
その晩になって一封の手紙が君から届いて来た。やはり厚い画学紙にすり切れた筆で乱雑にこう走り書きがしてあった。
「北海道ハ秋モ晩クナリマシタ。野原ハ、毎日ノヨウニツメタイ風ガ吹イテイマス。
日ゴロ愛惜シタ樹木ヤ草花ナドガ、イツトハナク落葉シテシマッテイル。秋ハ人ノ心ニイイロナ事ヲ思ワセマス。
日ニヨリマストアタリノ山々ガ浮キアガッタカト思ワレルクライ空ガ美シイ時ガアリマス。シカシタイテイハ風トイッショニ雨ガバラバラヤッテ来テ道ヲ悪クシテイルノデス。
昨日スケッチ帳ヲ三冊送リマシタ。イツカあなたニ絵ヲ見テモライマシテカラ故郷デ貧乏漁夫デアル私ハ、毎日忙シイ仕事ト激シイ労働ニ追ワレテイルノデ、ツイコトシマデ絵ヲカイテミタカッタノデスガ、ツイカケナカッタノデス。
コトシノ七月カラ始メテ画用紙ヲトジテ画帖ヲ作リ、鉛筆デ(モノ)ニ向カッテミマシタ。シカシ労働ニ害サレタ手ハ思ウヨウニ自分ノ感力ヲ現ワス事ガデキナイデ困リマス。
コンナツマラナイ素描帳ヲ見テクダサイト言ウノハタイヘンツライノデス。シカシ私ハイツワラナイデ始メタ時カラノヲ全部送リマシタ。(中略)
私ノ町ノ知的素養ノイクブンナリトモアル青年デモ、自分トイウモノニツイテ思イヲメグラス人ハ少ナイヨウデス。青年ノ多クハ小サクサカシクオサマッテイルモノカ、ツマラナク時ヲ無為ニ送ッテイマス。デスガ私ハ私ノ故郷ダカラ好キデス。
イロイロナモノガ私ノ心ヲオドラセマス。私ノスケッチニ取ルベキトコロノアルモノガアルデショウカ。
私ハナントナクコンナツマラヌモノヲあなたニ見テモラウノガハズカシイノデス。
山ハ絵ノ具ヲドッシリ付ケテ、山ガ地上カラ空ヘモレアガッテイルヨウニカイテミタイモノダト思ッテイマス。私ノスケッチデハ私ノ感ジガドウモ出ナイデコマリマス。私ノ山ハ私ガ実際ニ感ジルヨリモアマリ平面ノヨウデス。樹木モドウモ物体感ニトボシク思ワレマス。
色ヲツケテミタラヨカロウト考エテイマスガ、時間ト金ガナイノデ、コンナモノデ腹イセヲシテイルノデス。
私ハイロイロナ構図デ頭ガイッパイニナッテイルノデスガ、ナニシロマダカクダケノ腕ガナイヨウデス。オ忙シイあなたニコンナ無遠リョヲカケテタイヘンスマナク思ッテイマス。イツカオヒマガアッタラ御教示ヲ願イマス。
十月末」
こう思ったままを書きなぐった手紙がどれほど私を動かしたか。君にはちょっと想像がつくまい。自分が文学者であるだけに、私は他人の書いた文字の中にも真実と虚偽とを直感するかなり鋭い能力が発達している。私は君の手紙を読んでいるうちに涙ぐんでしまった。魚臭い油紙と、立派な芸術品であるスケッチ帳と、君の文字との間には一分のすきもなかった。「感力」という君の造語は立派な内容を持つ言葉として私の胸に響いた。「山ハ絵ノ具ヲドッシリ付ケテ、山ガ地上カラ空ヘモレアガッテイルヨウニカイテミタイ」‥‥山が地上から空にもれあがる‥‥それはすばらしい自然への肉迫を表現した言葉だ。言葉の中にしみ渡ったこの力は、軽く対象を見て過ごす微温な心の、まねにも生み出し得ない調子を持った言葉だ。
「だれも気もつかず注意も払わない地球のすみっこで、尊い一つの魂が母胎を破り出ようとして苦しんでいる」
私はそう思ったのだ。そう思うとこの地球というものが急により美しいものに感じられたのだ。そう感ずるとなんとなく涙ぐんでしまったのだ。
そのころ私は北海道行きを計画していたが、雑用に紛れて躊躇するうちに寒くなりかけたので、もういっそやめようかと思っていたところだった。しかし君のスケッチ帳と手紙とを見ると、ぜひ君に会ってみたくなって、一徹にすぐ旅行の準備にかかった。その日から一週間とたたない十一月の五日には、もう上野駅から青森への直行列車に乗っている私自身を見いだした。
札幌での用事を済まして農場に行く前に、私は岩内にあてて君に手紙を出しておいた。農場からはそう遠くもないから、来られるなら来ないか、なるべくならお目にかかりたいからと言って。
農場に着いた日には君は見えなかった。その翌日は朝から雪が降りだした。私は窓の所へ机を持って行って、原稿紙に向かって呻吟しながら心待ちに君を待つのだった。そして渋りがちな筆を休ませる間に、今まで書き連ねて来たような過去の回想やら当面の期待やらをつぎつぎに脳裏に浮かばしていたのだった。
三
夕やみはだんだん深まって行った。事務所をあずかる男が、ランプを持って来たついでに、夜食の膳を運ぼうかと尋ねたが、私はひょっとすると君が来はしないかという心づかいから、わざとそのままにしておいてもらって、またかじりつくように原稿紙に向かった。大きな男の姿が部屋からのっそりと消えて行くのを、視覚のはずれに感じて、都会から久しぶりで来て見ると、物でも人でも大きくゆったりしているのに今さらながら一種の圧迫をさえ感ずるのだった。
渋りがちな筆がいくらもはかどらないうちに、夕やみはどんどん夜の暗さに代わって、窓ガラスのむこうは雪と闇とのぼんやりした明暗になってしまった。自然は何かに気を障えだしたように、夜とともに荒れ始めていた。底力のこもった鈍い空気が、音もなく重苦しく家の外壁に肩をあてがってうんともたれかかるのが、畳の上にすわっていてもなんとなく感じられた。自然が粉雪をあおりたてて、所きらわずたたきつけながら、のたうち回ってうめき叫ぶその物すごい気配はもう迫っていた。私は窓ガラスに白もめんのカーテンを引いた。自然の暴威をせき止めるために人間が苦心して創り上げたこのみじめな家屋という領土がもろく小さく私の周囲にながめやられた。
突然、ど、ど、ど‥‥という音が――運動が(そういう場合、音と運動との区別はない)天地に起こった。さあ始まったと私は二つに折った背中を思わず立て直した。同時に自然は上歯を下くちびるにあてがって思いきり長く息を吹いた。家がぐらぐらと揺れた。地面からおどり上がった雪が二三度はずみを取っておいて、どっと一気に天に向かって、謀反でもするように、降りかかって行くあの悲壮な光景が、まざまざと部屋の中にすくんでいる私の想像に浮かべられた。だめだ。待ったところがもう君は来やしない。停車場からの雪道はもうとうに埋まってしまったに違いないから。私は吹雪の底にひたりながら、物さびしくそう思って、また机の上に目を落とした。
筆はますます渋るばかりだった。軽い陣痛のようなものは時々起こりはしたが、大切な文字は生まれ出てくれなかった。こうして私にとって情けないもどかしい時間が三十分も過ぎたころだったろう。農場の男がまたのそりと部屋にはいって来て客来を知らせたのは。私の喜びを君は想像する事ができる。やはり来てくれたのだ。私はすぐに立って事務室のほうへかけつけた。事務室の障子をあけて、二畳敷きほどもある大囲炉裏の切られた台所に出て見ると、そこの土間に、一人の男がまだ靴も脱がずに突っ立っていた。農場の男も、その男にふさわしく肥って大きな内儀さんも、普通な背たけにしか見えないほどその客という男は大きかった。言葉どおりの巨人だ。頭からすっぽりと頭巾のついた黒っぽい外套を着て、雪まみれになって、口から白い息をむらむらと吐き出すその姿は、実際人間という感じを起こさせないほどだった。子供までがおびえた目つきをして内儀さんのひざの上に丸まりながら、その男をうろんらしく見詰めていた。
君ではなかったなと思うと僕は期待に裏切られた失望のために、いらいらしかけていた神経のもどかしい感じがさらにつのるのを覚えた。
「さ、ま、ずっとこっちにお上がりなすって」
農場の男は僕の客だというのでできるだけ丁寧にこういって、囲炉裏のそばの煎餅蒲団を裏返した。
その男はちょっと頭で挨拶して囲炉裏の座にはいって来たが、天井の高いだだっ広い台所にともされた五分心のランプと、ちょろちょろと燃える木節の囲炉裏火とは、黒い大きな塊的とよりこの男を照らさなかった。男がぐっしょり湿った兵隊の古長靴を脱ぐのを待って、私は黙ったまま案内に立った。今はもう、この男によって、むだな時間がつぶされないように、いやな気分にさせられないようにと心ひそかに願いながら。
部屋にはいって二人が座についてから、私は始めてほんとうにその男を見た。男はぶきっちょうに、それでも四角に下座にすわって、丁寧に頭を下げた。
「しばらく」
八畳の座敷に余るような鏽を帯びた太い声がした。
「あなたはどなたですか」
大きな男はちょっときまりが悪そうに汗でしとどになったまっかな額をなでた。
「木本です」
「え、木本君⁉」
これが君なのか。私は驚きながら改めてその男をしげしげと見直さなければならなかった。疳のために背たけも伸び切らない、どこか病質にさえ見えた悒鬱な少年時代の君の面影はどこにあるのだろう。また落葉松の幹の表皮からあすこここにのぞき出している針葉の一本をも見のがさずに、愛撫し理解しようとする、スケッチ帳で想像されるような鋭敏な神経の所有者らしい姿はどこにあるのだろう。地をつぶしてさしこをした厚衣を二枚重ね着して、どっしりと落ち付いた君のすわり形は、私より五寸も高く見えた。筋肉で盛り上がった肩の上に、正しくはめ込まれた、牡牛のように太い首に、やや長めな赤銅色の君の顔は、健康そのもののようにしっかりと乗っていた。筋肉質な君の顔は、どこからどこまで引き締まっていたが、輪郭の正しい目鼻立ちの隈々には、心の中からわいて出る寛大な微笑の影が、自然に漂っていて、脂肪気のない君の容貌をも暖かく見せていた。「なんという無類な完全な若者だろう。」私は心の中でこう感嘆した。恋人を紹介する男は、深い猜疑の目で恋人の心を見守らずにはいられまい。君の与えるすばらしい男らしい印象はそんな事まで私に思わせた。
「吹雪いてひどかったろう」
「なんの。……温くって温くって汗がはあえらく出ました。けんど道がわかんねえで困ってると、しあわせよく水車番に会ったからすぐ知れました。あれは親身な人だっけ」
君の素直な心はすぐ人の心に触れると見える。あの水車番というのは実際このへんで珍しく心持ちのいい男だ。君は手ぬぐいを腰から抜いて湯げが立たんばかりに汗になった顔を幾度も押しぬぐった。
夜食の膳が運ばれた。「もう我慢がなんねえ」と言って、君は今まで堅くしていたひざをくずしてあぐらをかいた。「きちょうめんにすわることなんぞははあねえもんだから。」二人は子供どうしのような楽しい心で膳に向かった。君の大食は愉快に私を驚かした。食後の茶を飯茶わんに三杯続けさまに飲む人を私は始めて見た。
夜食をすましてから、夜中まで二人の間に取りかわされた楽しい会話を私は今だに同じ楽しさをもって思い出す。戸外ではここを先途とあらしが荒れまくっていた。部屋の中ではストーブの向かい座にあぐらをかいて、癖のように時おり五分刈りの濃い頭の毛を逆さになで上げる男ぼれのする君の顔が部屋を明るくしていた。君はがんじょうな文鎮になって小さな部屋を吹雪から守るように見えた。温まるにつれて、君の周囲から蒸れ立つ生臭い魚の香は強く部屋じゅうにこもったけれども、それは荒い大海を生々しく連想させるだけで、なんの不愉快な感じも起こさせなかった。人の感覚というものも気ままなものだ。
楽しい会話と言った。しかしそれはおもしろいという意味ではもちろんない。なぜなれば君はしばしば不器用な言葉の尻を消して、曇った顔をしなければならなかったから。そして私も苦しい立場や、自分自身の迷いがちな生活を痛感して、暗い心に捕えられねばならなかったから。
その晩君が私に話して聞かしてくれた君のあれからの生活の輪郭を私はここにざっと書き連ねずにはおけない。
札幌で君が私を訪れてくれた時、君には東京に遊学すべき道が絶たれていたのだった。一時北海道の西海岸で、小樽をすら凌駕してにぎやかになりそうな気勢を見せた岩内港は、さしたる理由もなく、少しも発展しないばかりか、だんだんさびれて行くばかりだったので、それにつれて君の一家にも生活の苦しさが加えられて来た。君の父上と兄上と妹とが気をそろえて水入らずにせっせと働くにも係わらず、そろそろと泥沼の中にめいり込むような家運の衰勢をどうする事もできなかった。学問というものに興味がなく、従って成績のおもしろくなかった君が、芸術に捧誓したい熱意をいだきながら、そのさびしくなりまさる古い港に帰る心持ちになったのはそのためだった。そういう事を考え合わすと、あの時君がなんとなく暗い顔つきをして、いらいらしく見えたのがはっきりわかるようだ。君は故郷に帰っても、仕事の暇々には、心あてにしている景色でもかく事を、せめてもの頼みにして札幌を立ち去って行ったのだろう。
しかし君の家庭が君に待ち設けていたものは、そんな余裕の有る生活ではなかった。年のいった父上と、どっちかと言えば漁夫としての健康は持ち合わせていない兄上とが、普通の漁夫と少しも変わりのない服装で網をすきながら君の帰りを迎えた時、大きい漁場の持ち主という風が家の中から根こそぎ無くなっているのをまのあたりに見やった時、君はそれまでの考えののんき過ぎたのに気がついたに違いない。充分の思慮もせずにこんな生活の渦巻の中に我れから飛び込んだのを、君の芸術的欲求はどこかで悔やんでいた。その晩、磯臭い空気のこもった部屋の中で、枕につきながら、陥穽にかかった獣のようないらだたしさを感じて、まぶたを合わす事ができなかったと君は私に告白した。そうだったろう。その晩一晩だけの君の心持ちをくわしく考えただけで、私は一つの力強い小品を作り上げる事ができると思う。
しかし親思いで素直な心を持って生まれた君は、君を迎え入れようとする生活からのがれ出る事をしなかったのだ。詰め襟のホックをかけずに着慣れた学校服を脱ぎ捨てて、君は厚衣を羽織る身になった。明鯛から鱈、鱈から鰊、鰊から烏賊というように、四季絶える事のない忙しい漁撈の仕事にたずさわりながら、君は一年じゅうかの北海の荒波や激しい気候と戦って、さびしい漁夫の生活に没頭しなければならなかった。しかも港内に築かれた防波堤が、技師の飛んでもない計算違いから、波を防ぐ代わりに、砂をどんどん港内に流し入れるはめになってから、船がかりのよかった海岸は見る見る浅瀬に変わって、出漁には都合のいい目ぬきの位置にあった君の漁場はすたれ物同様になってしまい、やむなく高い駄賃を出して他人の漁場を使わなければならなくなったのと、北海道第一と言われた鰊の群来が年々減って行くために、さらぬだに生活の圧迫を感じて来ていた君の家は、親子が気心をそろえ力を合わして、命がけに働いても年々貧窮に追い迫られ勝ちになって行った。
親身な、やさしい、そして男らしい心に生まれた君は、黙ってこのありさまを見て過ごす事はできなくなった。君は君に近いものの生活のために、正しい汗を額に流すのを悔いたり恥じたりしてはいられなくなった。そして君はまっしぐらに労働生活のまっただ中に乗り出した。寒暑と波濤と力わざと荒くれ男らとの交わりは君の筋骨と度胸とを鉄のように鍛え上げた。君はすくすくと大木のようにたくましくなった。
「岩内にも漁夫は多いども腕力にかけておらにかなうものは一人だっていねえ」
君はあたりまえの事を言って聞かせるようにこう言った。私の前にすわった君の姿は私にそれを信ぜしめる。
パンのために生活のどん底まで沈み切った十年の月日――それは短いものではない。たいていの人はおそらくその年月の間にそういう生活からはね返る力を失ってしまうだろう。世の中を見渡すと、何百万、何千万の人々が、こんな生活にその天授の特異な力を踏みしだかれて、むなしく墳墓の草となってしまったろう。それは全く悲しい事だ。そして不条理な事だ。しかしだれがこの不条理な世相に非難の石をなげうつ事ができるだろう。これは悲しくも私たちの一人一人が肩の上に背負わなければならない不条理だ。特異な力を埋め尽くしてまでも、当面の生活に没頭しなければならない人々に対して、私たちは尊敬に近い同情をすらささげねばならぬ悲しい人生の事実だ。あるがままの実相だ。
パンのために精力のあらん限りを用い尽くさねばならぬ十年――それは短いものではない。それにもかかわらず、君は性格の中に植え込まれた憧憬を一刻も捨てなかったのだ。捨てる事ができなかったのだ。
雨のためとか、風のためとか、一日も安閑としてはいられない漁夫の生活にも、なす事なく日を過ごさねばならぬ幾日かが、一年の間にはたまに来る。そういう時に、君は一冊のスケッチ帳(小学校用の粗雑な画学紙を不器用に網糸でつづったそれ)と一本の鉛筆とを、魚の鱗や肉片がこびりついたまま、ごわごわにかわいた仕事着のふところにねじ込んで、ぶらりと朝から家を出るのだ。
「会う人はおら事気違いだというんです。けんどおら山をじっとこう見ていると、何もかも忘れてしまうです。だれだったか何かの雑誌で『愛は奪う』というものを書いて、人間が物を愛するのはその物を強奪るだと言っていたようだが、おら山を見ていると、そんな気は起こしたくも起こらないね。山がしっくりおら事引きずり込んでしまって、おらただあきれて見ているだけです。その心持ちがかいてみたくって、あんな下手なものをやってみるが、からだめです。あんな山の心持ちをかいた絵があらば、見るだけでも見たいもんだが、ありませんね。天気のいい気持ちのいい日にうんと力こぶを入れてやってみたらと思うけんど、暮らしも忙しいし、やってもおらにはやっぱり手に余るだろう。色もつけてみたいが、絵の具は国に引っ込む時、絵の好きな友だちにくれてしまったから、おらのような絵にはまた買うのも惜しいし。海を見れば海でいいが、山を見れば山でいい。もったいないくらいそこいらにすばらしいいいものがあるんだが、力が足んねえです」
と言ったりする君の言葉も様子も私には忘れる事のできないものになった。その時はあぐらにした両脛を手でつぶれそうに堅く握って、胸に余る興奮を静かな太い声でおとなしく言い現わそうとしていた。
私どもが一時過ぎまで語り合って寝床にはいって後も、吹きまく吹雪は露ほども力をゆるめなかった。君は君で、私は私で、妙に寝つかれない一夜だった。踏まれても踏まれても、自然が与えた美妙な優しい心を失わない、失い得ない君の事を思った。仁王のようなたくましい君の肉体に、少女のように敏感な魂を見いだすのは、この上なく美しい事に私には思えた。君一人が人生の生活というものを明るくしているようにさえ思えた。そして私はだんだん私の仕事の事を考えた。どんなにもがいてみてもまだまだほんとうに自分の所有を見いだす事ができないで、ややもするとこじれた反抗や敵愾心から一時的な満足を求めたり、生活をゆがんで見る事に興味を得ようとしたりする心の貧しさ――それが私を無念がらせた。そしてその夜は、君のいかにも自然な大きな生長と、その生長に対して君が持つ無意識な謙譲と執着とが私の心に強い感激を起こさせた。
次の日の朝、こうしてはいられないと言って、君はあらしの中に帰りじたくをした。農場の男たちすらもう少し空模様を見てからにしろとしいて止めるのも聞かず、君は素足にかちんかちんに凍った兵隊長靴をはいて、黒い外套をしっかり着こんで土間に立った。北国の冬の日暮らしにはことさら客がなつかしまれるものだ。なごりを心から惜しんでだろう、農場の人たちも親身にかれこれと君をいたわった。すっかり頭巾をかぶって、十二分に身じたくをしてから出かけたらいいだろうとみんなが寄って勧めたけれども、君は素朴なはばかりから帽子もかぶらずに、重々しい口調で別れの挨拶をすますと、ガラス戸を引きあけて戸外に出た。
私はガラス窓をこずいて外面に降り積んだ雪を落としながら、吹きたまったまっ白な雪の中をこいで行く君を見送った。君の黒い姿は――やはり頭巾をかぶらないままで、頭をむき出しにして雪になぶらせた――君の黒い姿は、白い地面に腰まで埋まって、あるいは濃く、あるいは薄く、縞になって横降りに降りしきる雪の中を、ただ一人だんだん遠ざかって、とうとうかすんで見えなくなってしまった。
そして君に取り残された事務所は、君の来る前のような単調なさびしさと降りつむ雪とに閉じこめられてしまった。
私がそこを発って東京に帰ったのは、それから三四日後の事だった。
四
今は東京の冬も過ぎて、梅が咲き椿が咲くようになった。太陽の生み出す慈愛の光を、地面は胸を張り広げて吸い込んでいる。君の住む岩内の港の水は、まだ流れこむ雪解の水に薄濁るほどにもなってはいまい。鋼鉄を水で溶かしたような海面が、ややもすると角立った波をあげて、岸を目がけて終日攻めよせているだろう。それにしてももう老いさらぼえた雪道を器用に拾いながら、金魚売りが天秤棒をになって、無理にも春をよび覚ますような売り声を立てる季節にはなったろう。浜には津軽や秋田へんから集まって来た旅雁のような漁夫たちが、鰊の建網の修繕をしたり、大釜の据え付けをしたりして、黒ずんだ自然の中に、毛布の甲がけや外套のけばけばしい赤色をまき散らす季節にはなったろう。このころ私はまた妙に君を思い出す。君の張り切った生活のありさまを頭に描く。君はまざまざと私の想像の視野に現われ出て来て、見るように君の生活とその周囲とを私に見せてくれる。芸術家にとっては夢と現との閾はないと言っていい。彼は現実を見ながら眠っている事がある。夢を見ながら目を見開いている事がある。私が私の想像にまかせて、ここに君の姿を写し出してみる事を君は拒むだろうか。私の鈍い頭にも同感というものの力がどのくらい働きうるかを私は自分でためしてみたいのだ。君の寛大はそれを許してくれる事と私はきめてかかろう。
君を思い出すにつけて、私の頭にすぐ浮かび出て来るのは、なんと言ってもさびしく物すさまじい北海道の冬の光景だ。
五
長い冬の夜はまだ明けない。雷電峠と反対の湾の一角から長く突き出た造りぞこねの防波堤は大蛇の亡骸のようなまっ黒い姿を遠く海の面に横たえて、夜目にも白く見える波濤の牙が、小休みもなくその胴腹に噛いかかっている。砂浜に繁われた百艘近い大和船は、舳を沖のほうへ向けて、互いにしがみつきながら、長い帆柱を左右前後に振り立てている。そのそばに、さまざまの漁具と弁当のお櫃とを持って集まって来た漁夫たちは、言葉少なに物を言いかわしながら、防波堤の上に建てられた組合の天気予報の信号灯を見やっている。暗い闇の中に、白と赤との二つの火が、夜鳥の目のようにぎらりと光っている。赤と白との二つの球は、危険警戒を標示する信号だ。船を出すには一番鳥が鳴きわたる時刻まで待ってからにしなければならぬ。町のほうは寝しずまって灯一つ見えない。それらのすべてをおおいくるめて凍った雲は幕のように空低くかかっている。音を立てないばかりに雲は山のほうから沖のほうへと絶え間なく走り続ける。汀まで雪に埋まった海岸には、見渡せる限り、白波がざぶんざぶん砕けて、風が――空気そのものをかっさらってしまいそうな激しい寒い風が雪に閉ざされた山を吹き、漁夫を吹き、海を吹きまくって、まっしぐらに水と空との閉じ目をめがけて突きぬけて行く。
漁夫たちの群れから少し離れて、一団になったお内儀さんたちの背中から赤子の激しい泣き声が起こる。しばらくしてそれがしずまると、風の生み出す音の高い不思議な沈黙がまた天と地とにみなぎり満ちる。
やや二時間もたったと思うころ、あや目も知れない闇の中から、硫黄が丘の山頂――右肩をそびやかして、左をなで肩にした――が雲の産んだ鬼子のように、空中に現われ出る。鈍い土がまだ振り向きもしないうちに、空はいち早くも暁の光を吸い初めたのだ。
模範船(港内に四五艘あるのだが、船も大きいし、それに老練な漁夫が乗り込んでいて、他の船にかけ引き進退の合図をする)の船頭が頭をあつめて相談をし始める。どことも知れず、あの昼にはけうとい羽色を持った烏の声が勇ましく聞こえだす。漁夫たちの群れもお内儀さんたちのかたまりも、石のような不動の沈黙から急に生き返って来る。
「出すべ」
そのさざめきの間に、潮で鏽び切った老船頭の幅の広い塩辛声が高くこう響く。
漁夫たちは力強い鈍さをもって、互いに今まで立ち尽くしていた所を歩み離れてめいめいの持ち場につく。お内儀さんたちは右に左に夫や兄や情人やを介抱して駆け歩く。今まで陶酔したようにたわいもなく波に揺られていた船の艫には漁夫たちが膝頭まで水に浸って、わめき始める。ののしり騒ぐ声がひとしきり聞こえたと思うと、船はよんどころなさそうに、右に左に揺らぎながら、船首を高くもたげて波頭を切り開き切り開き、狂いあばれる波打ちぎわから離れて行く。最後の高いののしりの声とともに、今までの鈍さに似ず、あらゆる漁夫は、猿のように船の上に飛び乗っている。ややともすると、舳を岸に向けようとする船の中からは、長い竿が水の中に幾本も突き込まれる。船はやむを得ずまた立ち直って沖を目ざす。
この出船の時の人々の気組み働きは、だれにでも激烈なアレッグロで終わる音楽の一片を思い起こさすだろう。がやがやと騒ぐ聴衆のような雲や波の擾乱の中から、漁夫たちの鈍い Largo pianissimo とも言うべき運動が起こって、それが始めのうちは周囲の騒音の中に消されているけれども、だんだんとその運動は熱情的となり力づいて行って、霊を得たように、漁夫の乗り込んだ舟が波を切り波を切り、だんだんと早くなる一定のテンポを取って沖に乗り出して行くさまは、力強い楽手の手で思い存分大胆にかなでられる Allegro Molto を思い出させずにはおかぬだろう。すべてのものの緊張したそこには、いつでも音楽が生まれるものと見える。
船はもう一個の敏活な生き物だ。船べりからは百足虫のように艪の足を出し、艫からは鯨のように舵の尾を出して、あの物悲しい北国特有な漁夫のかけ声に励まされながら、まっ暗に襲いかかる波のしぶきをしのぎ分けて、沖へ沖へと岸を遠ざかって行く。海岸にひとかたまりになって船を見送る女たちの群れはもう命のない黒い石ころのようにしか見えない。漁夫たちは艪をこぎながら、帆綱を整えながら、浸水をくみ出しながら、その黒い石ころと、模範船の艫から一字を引いて怪火のように流れる炭火の火の子とをながめやる。長い鉄の火箸に火の起こった炭をはさんで高くあげると、それが風を食って盛んに火の子を飛ばすのだ。すべての船は始終それを目あてにして進退をしなければならない。炭火が一つあげられた時には、天候の悪くなる印と見て船を停め、二つあげられた時には安全になった印として再び進まねばならぬのだ。暁闇を、物々しく立ち騒ぐ風と波との中に、海面低く火花を散らしながら青い炎を放って、燃え上がり燃えかすれるその光は、幾百人の漁夫たちの命を勝手に支配する運命の手だ。その光が運命の物すごさをもって海上に長く尾を引きながら消えて行く。
どこからともなく海鳥の群れが、白く長い翼に羽音を立てて風を切りながら、船の上に現われて来る。猫のような声で小さく呼びかわすこの海の砂漠の漂浪者は、さっと落として来て波に腹をなでさすかと思うと、翼を返して高く舞い上がり、ややしばらく風に逆らってじっとこたえてから、思い直したように打ち連れて、小気味よく風に流されて行く。その白い羽根がある瞬間には明るく、ある瞬間には暗く見えだすと、長い北国の夜もようやく明け離れて行こうとするのだ。夜の闇は暗く濃く沖のほうに追いつめられて、東の空には黎明の新しい光が雲を破り始める。物すさまじい朝焼けだ。あやまって海に落ち込んだ悪魔が、肉付きのいい右の肩だけを波の上に現わしている、その肩のような雷電峠の絶巓をなでたりたたいたりして叢立ち急ぐ嵐雲は、炉に投げ入れられた紫のような光に燃えて、山ふところの雪までも透明な藤色に染めてしまう。それにしても明け方のこの暖かい光の色に比べて、なんという寒い空の風だ。長い夜のために冷え切った地球は、今そのいちばん冷たい呼吸を呼吸しているのだ。
私は君を忘れてはならない。もう港を出離れて木の葉のように小さくなった船の中で、君は配縄の用意をしながら、恐ろしいまでに荘厳なこの日の序幕をながめているのだ。君の父上は舵座にあぐらをかいて、時々晴雨計を見やりながら、変化のはげしいそのころの天気模様を考えている。海の中から生まれて来たような老漁夫の、皺にたたまれた鋭い眼は、雲一片の徴をさえ見落とすまいと注意しながら、顔には木彫のような深い落ち付きを見せている。君の兄上は、凍って自由にならない手のひらを腰のあたりの荒布にこすりつけて熱を呼び起こしながら、帆綱を握って、風の向きと早さに応じて帆を立て直している。雇われた二人の漁夫は二人の漁夫で、二尋置きに本縄から下がった針に餌をつけるのに忙しい。海の上を見渡すと、港を出てからてんでんばらばらに散らばって、朝の光に白い帆をかがやかした船という船は、等しく沖を目がけて波を切り開いて走りながら、君の船と同様な仕事にいそしんでいるのだ。
夜が明け離れると海風と陸風との変わり目が来て、さすがに荒れがちな北国の冬の海の上もしばらくは穏やかになる。やがて瀬は達せられる。君らは水の色を一目見たばかりで、海中に突き入った陸地と海そのものの界とも言うべき瀬がどう走っているかをすぐ見て取る事ができる。
帆がおろされる。勢いで走りつづける船足は、舵のために右なり左なりに向け直される。同時に浮標の付いた配縄の一端が氷のような波の中にざぶんざぶんと投げこまれる。二十五町から三十町に余る長さをもった縄全体が、海上に長々と横たえられるまでには、朝早くから始めても、日が子午線近く来るまでかからねばならないのだ。君らの船は艪にあやつられて、横波を食いながらしぶしぶ進んで行く。ざぶり‥‥ざぶり‥‥寒気のために比重の高くなった海の水は、凍りかかった油のような重さで、物すごいインド藍の底のほうに、雲間を漏れる日光で鈍く光る配縄の餌をのみ込んで行く。
今まで花のような模様を描いて、海面のところどころに日光を恵んでいた空が、急にさっと薄曇ると、どこからともなく時雨のような霰が降って来て海面を泡立たす。船と船とは、見る見る薄い糊のような青白い膜に隔てられる。君の周囲には小さな白い粒がかわき切った音を立てて、あわただしく船板を打つ。君は小ざかしい邪魔者から毛糸の襟巻で包んだ顔をそむけながら、配縄を丹念におろし続ける。
すっと空が明るくなる。霰はどこかへ行ってしまった。そしてまっさおな海面に、漁船は陰になりひなたになり、堅い輪郭を描いて、波にもまれながらさびしく漂っている。
きげん買いな天気は、一日のうちに幾度となくこうした顔のしかめ方をする。そして日が西に回るに従ってこのふきげんは募って行くばかりだ。
寒暑をかまっていられない漁夫たちも吹きざらしの寒さにはひるまずにはいられない。配縄を投げ終わると、身ぶるいしながら五人の男は、舵座におこされた焜炉の火のまわりに慕い寄って、大きなお櫃から握り飯をわしづかみにつかみ出して食いむさぼる。港を出る時には一かたまりになっていた友船も、今は木の葉のように小さく互い互いからかけ隔たって、心細い弱々しそうな姿を、涯もなく露領に続く海原のここかしこに漂わせている。三里の余も離れた陸地は高い山々の半腹から上だけを水の上に見せて、降り積んだ雪が、日を受けた所は銀のように、雲の陰になった所は鉛のように、妙に険しい輪郭を描いている。
漁夫たちは口を食物で頬張らせながら、きのうの漁のありさまや、きょうの予想やらをいかにも地味な口調で語り合っている。そういう時に君だけは自分が彼らの間に不思議な異邦人である事に気づく。同じ艪をあやつり、同じ帆綱をあつかいながら、なんという悲しい心の距りだろう。押しつぶしてしまおうと幾度試みても、すぐあとからまくしかかって来る芸術に対する執着をどうすることもできなかった。
とはいえ、飛行機の将校にすらなろうという人の少ない世の中に、生きては人の冒険心をそそっていかにも雄々しい頼みがいある男と見え、死んでは万人にその英雄的な最後を惜しみ仰がれ、遺族まで生活の保障を与えられる飛行将校にすらなろうという人の少ない世の中に、荒れても晴れても毎日毎日、一命を投げてかかって、緊張し切った終日の労働に、玉の緒で炊き上げたような飯を食って一生を過ごして行かねばならぬ漁夫の生活、それにはいささかも遊戯的な余裕がないだけに、命とかけがえの真実な仕事であるだけに、言葉には現わし得ないほど尊さと厳粛さとを持っている。ましてや彼らがこの目ざましいけなげな生活を、やむを得ぬ、苦しい、しかし当然な正しい生活として、誇りもなく、矯飾もなく、不平もなく、素直に受け取り、軛にかかった輓牛のような柔順な忍耐と覚悟とをもって、勇ましく迎え入れている、その姿を見ると、君は人間の運命のはかなさと美しさとに同時に胸をしめ上げられる。
こんな事を思うにつけて、君の心の目にはまざまざと難破船の痛ましい光景が浮かび出る。君はやはり舵座にすわって他の漁夫と同様に握り飯を食ってはいるが、いつのまにか人々の会話からは遠のいて、物思わしげに黙りこくってしまう。そして果てしもなく回想の迷路をたどって歩く。
六
それはある年の三月に、君が遭遇した苦い経験の一つだ。模範船からすぐ引き上げろという信号がかかったので、今までも気づかいながら仕事を続けていた漁船は、打ち込み打ち込む波濤と戦いながら配縄をたくし上げにかかったけれども、吹き始めた暴風は一秒ごとに募るばかりで、船頭はやむなく配縄を切って捨てさせなければならなくなった。
「またはあ銭こ海さ捨てるだ」
と君の父上は心から嘆息してつぶやきながら君に命じて配縄を切ってしまった。
海の上はただ狂い暴れる風と雪と波ばかりだ。縦横に吹きまく風が、思いのままに海をひっぱたくので、つるし上げられるように高まった三角波が互いに競って取っ組み合うと、取っ組み合っただけの波はたちまちまっ白な泡の山に変じて、その巓が風にちぎられながら、すさまじい勢いで目あてもなく倒れかかる。目も向けられないような濃い雪の群れは、波を追ったり波からのがれたり、さながら風の怒りをいどむ小悪魔のように、面憎く舞いながら右往左往に飛びはねる。吹き落として来た雪のちぎれは、大きな霧のかたまりになって、海とすれすれに波の上を矢よりも早く飛び過ぎて行く。
雪と浸水とで糊よりもすべる船板の上を君ははうようにして舳のほうへにじり寄り、左の手に友綱の鉄環をしっかりと握って腰を据えながら、右手に磁石をかまえて、大声で船の進路を後ろに伝える。二人の漁夫は大竿を風上になった舷から二本突き出して、動かないように結びつける。船の顛覆を少しなりとも防ごうためだ。君の兄上は帆綱を握って、舵座にいる父上の合図どおりに帆の上げ下げを誤るまいと一心になっている。そしてその間にもしっきりなしに打ち込む浸水を急がしく汲んでは舷から捨てている。命がけに呼びかわす互い互いの声は妙に上ずって、風に半分がた消されながら、それでも五人の耳には物すごくも心強くも響いて来る。
「おも舵っ」
「右にかわすだってえば」
「右だ‥‥右だぞっ」
「帆綱をしめろやっ」
「友船は見えねえかよう、いたらくっつけやーい」
どう吹こうとためらっていたような疾風がやがてしっかり方向を定めると、これまでただあてもなく立ち騒いでいたらしく見える三角波は、だんだんと丘陵のような紆濤に変わって行った。言葉どおりに水平に吹雪く雪の中を、後ろのほうから、見上げるような大きな水の堆積が、想像も及ばない早さでひた押しに押して来る。
「来たぞーっ」
緊張し切った五人の心はまたさらに恐ろしい緊張を加えた。まぶしいほど早かった船足が急によどんで、後ろに吸い寄せられて、艫が薄気味悪く持ち上がって、船中に置かれた品物ががらがらと音をたてて前にのめり、人々も何かに取りついて腰のすわりを定めなおさなければならなくなった瞬間に、船はひとあおりあおって、物すごい不動から、奈落の底までもとすさまじい勢いで波の背をすべり下った。同時に耳に余る大きな音を立てて、紆濤は屏風倒しに倒れかえる。わきかえるような泡の混乱の中に船をもまれながら行く手を見ると、いったんこわれた波はすぐまた物すごい丘陵に立ちかえって、目の前の空を高くしきりながら、見る見る悪夢のように遠ざかって行く。
ほっと安堵の息をつく隙も与えず、後ろを見ればまた紆濤だ。水の山だ。その時、
「あぶねえ」
「ぽきりっ」
というけたたましい声を同時に君は聞いた。そして同時に野獣の敏感さをもって身構えしながら後ろを振り向いた。根もとから折れて横倒しに倒れかかる帆柱と、急に命を失ったようにしわになってたたまる帆布と、その陰から、飛び出しそうに目をむいて、大きく口をあけた君の兄上の顔とが映った。
君は咄嗟に身をかわして、頭から打ってかかろうとする帆柱から身をかばった。人々は騒ぎ立って艪を構えようとひしめいた。けれども無二無三な船足の動揺には打ち勝てなかった。帆の自由である限りは金輪際船を顛覆させないだけの自信を持った人たちも、帆を奪い取られては途方に暮れないではいられなかった。船足のとまった船ではもう舵もきかない。船は波の動揺のまにまに勝手放題に荒れ狂った。
第一の紆濤、第二の紆濤、第三の紆濤には天運が船を顛覆からかばってくれた。しかし特別に大きな第四の紆濤を見た時、船中の人々は観念しなければならなかった。
雪のために薄くぼかされたまっ黒な大きな山、その頂からは、火が燃え立つように、ちらりちらり白い波頭が立っては消え、消えては立ちして、瞬間ごとに高さを増して行った。吹き荒れる風すらがそのためにさえぎりとめられて、船の周囲には気味の悪い静かさが満ち広がった。それを見るにつけても波の反対の側をひた押しに押す風の激しさ強さが思いやられた。艫を波のほうへ向ける事も得しないで、力なく漂う船の前まで来ると、波の山は、いきなり、獲物に襲いかかる猛獣のように思いきり背延びをした。と思うと、波頭は吹きつける風にそりを打って鞺とくずれこんだ。
はっと思ったその時おそく、君らはもうまっ白な泡に五体を引きちぎられるほどもまれながら、船底を上にして顛覆した船体にしがみつこうともがいていた。見ると君の目の届く所には、君の兄上が頭からずぶぬれになって、ぬるぬると手がかりのない舷に手をあてがってはすべり、手をあてがってはすべりしていた。君は大声を揚げて何か言った。兄上も大声を揚げて何か言ってるらしかった。しかしお互いに大きな口をあくのが見えるだけで、声は少しも聞こえて来ない。
割合に小さな波があとからあとから押し寄せて来て、船を揺り上げたり押しおろしたりした。そのたびごとに君たちは船との縁を絶たれて、水の中に漂わねばならなかった。そして君は、着込んだ厚衣の芯まで水が透って鉄のように重いのにもかかわらず、一心不乱に動かす手足と同じほどの忙しさで、目と鼻ぐらいの近さに押し迫った死からのがれ出る道を考えた。心の上澄みは妙におどおどとあわてている割合に、心の底は不思議に気味悪く落ちついていた。それは君自身にすら物すごいほどだった。空といい、海といい、船といい、君の思案といい、一つとして目あてなく動揺しないものはない中に、君の心の底だけが悪落ち付きに落ち付いて、「死にはしないぞ」とちゃんときめ込んでいるのがかえって薄気味悪かった。それは「死ぬのがいやだ」「生きていたい」「生きる余席の有る限りはどうあっても生きなければならぬ」「死にはしないぞ」という本能の論理的結論であったのだ。この恐ろしい盲目な生の事実が、そしてその結論だけが、目を見すえたように、君の心の底に落ち付き払っていたのだった。
君はこの物すごい無気味な衝動に駆り立てられながら、水船なりにも顛覆した船を裏返す努力に力を尽くした。残る四人の心も君と変わりはないと見えて、険しい困苦と戦いながら、四人とも君のいる舷のほうへ集まって来た。そして申し合わしたように、いっしょに力を合わせて、船の胴腹にはい上がるようにしたので、船は一方にかしぎ始めた。
「それ今ひと息だぞっ」
君の父上がしぼり切った生命を声にしたように叫んだ。一同はまた懸命な力をこめた。
おりよく――全くおりよく、天運だ――その時船の横面に大きな波が浴びせこんで来たので、片方だけに人の重りの加わった船はくるりと裏返った。舷までひたひたと水に埋もれながらもとにかく船は真向きになって水の面に浮かび出た。船が裏返る拍子に五人は五人ながら、すっぽりと氷のような海の中にもぐり込みながら、急に勢いづいて船の上に飛び上がろうとした。しかししこたま着込んだ衣服は思うざまぬれ透っていて、ややともすれば人々を波の中に吸い込もうとした。それが一方の舷に取りついて力をこめればまた顛覆するにきまっている。生死の瀬戸ぎわにはまり込んでいる人々の本能は恐ろしいほど敏捷な働きをする。五人の中の二人は咄嗟に反対の舷に回った。そして互いに顔を見合わせながら、一度にやっと声をかけ合わせて半身を舷に乗り上げた。足のほうを船底に吸い寄せられながらも、半身を水から救い出した人々の顔に現われたなんとも言えない緊張した表情――それを君は忘れる事ができない。次の瞬間にはわっと声をあげて男泣きに泣くか、それとも我れを忘れて狂うように笑うか、どちらかをしそうな表情――それを君は忘れる事ができない。
すべてこうした懸命な努力は、降りしきる雪と、荒れ狂う水と、海面をこすって飛ぶ雲とで表わされる自然の憤怒の中で行なわれたのだ。怒った自然の前には、人間は塵ひとひらにも及ばない。人間などという存在は全く無視されている。それにも係わらず君たちは頑固に自分たちの存在を主張した。雪も風も波も君たちを考えにいれてはいないのに、君たちはしいてもそれらに君たちを考えさせようとした。
舷を乗り越して奔馬のような波頭がつぎつぎにすり抜けて行く。それに腰まで浸しながら、君たちは船の中に取り残された得物をなんでもかまわず取り上げて、それを働かしながら、死からのがるべき一路を切り開こうとした。ある者は艪を拾いあてた。あるものは船板を、あるものは水柄杓を、あるものは長いたわしの柄を、何ものにも換えがたい武器のようにしっかり握っていた。そして舷から身を乗り出して、子供がするように、水を漕いだり、浸水をかき出したりした。
吹き落ちる気配も見えないあらしは、果てもなく海上を吹きまくる。目に見える限りはただ波頭ばかりだ。犬のような敏捷さで方角を嗅ぎ慣れている漁夫たちも、今は東西の定めようがない。東西南北は一つの鉢の中ですりまぜたように渾沌としてしまった。
薄い暗黒。天からともなく地からともなくわき起こる大叫喚。ほかにはなんにもない。
「死にはしないぞ」――そんなはめになってからも、君の心の底は妙に落ち着いて、薄気味悪くこの一事を思いつづけた。
君のそばには一人の若い漁夫がいたが、その右の顳顬のへんから生々しい色の血が幾条にもなって流れていた。それだけがはっきり君の目に映った。「死にはしないぞ」――それを見るにつけても、君はまたしみじみとそう思った。
こういう必死な努力が何分続いたのか、何時間続いたのか、時間というもののすっかり無くなってしまったこの世界では少しもわからない。しかしながらとにかく君が何ものも納れ得ない心の中に、疲労という感じを覚えだして、これは困った事になったと思ったころだった、突然一人の漁夫が意味のわからない言葉を大きな声で叫んだのは。今まででも五人が五人ながら始終何か互いに叫び続けていたのだったが、この叫び声は不思議にきわ立ってみんなの耳に響いた。
残る四人は思わず言い合わせたようにその漁夫のほうを向いて、その漁夫が目をつけているほうへ視線をたどって行った。
船! ‥‥船!
濃い吹雪の幕のあなたに、さだかには見えないが、波の背に乗って四十五度くらいの角度に船首を下に向けながら、帆をいっぱいに開いて、矢よりも早く走って行く一艘の船!
それを見ると何かが君の胸をどきんと下からつき上げて来た。君は思わずすすり泣きでもしたいような心持ちになった。何はさておいても君たちはその船を目がけて助けを求めながら近寄って行かねばならぬはずだった。余の人たちも君と同様、確かに何物かを目の前に認めたらしく、奇怪な叫び声を立てた漁夫が、目を大きく開いて見つめているあたりを等しく見つめていた。そのくせ一人として自分らの船をそっちのほうへ向けようとしているらしい者はなかった。それをいぶかる君自身すら、心がただわくわくと感傷的になりまさるばかりで、急いで働かすべき手はかえって萎えてしまっていた。
白い帆をいっぱいに開いたその船は、依然として船首を下に向けたまま、矢のように走って行く。降りしきる吹雪を隔てた事だから、乗り組みの人の数もはっきりとは見えないし、水の上に割合に高く現われている船の胴も、木の色というよりは白堊のような生白さに見えていた。そして不思議な事には、波の腹に乗っても波の背に乗っても、舳は依然として下に向いたままである。風の強弱に応じて帆を上げ下げする様子もない。いつまでも目の前に見えながら、四十五度くらいに船首を下向きにしたまま、矢よりも早く走って行く。
ぎょっとして気がつくと、その船はいつのまにか水から離れていた。波頭から三段も上と思われるあたりを船は傾いだまま矢よりも早く走っている。君の頭はかあんとしてすくみ上がってしまった。同時に船はだんだん大きくぼやけて行った。いつのまにかその胴体は消えてなくなって、ただまっ白い帆だけが矢よりも早く動いて行くのが見やられるばかりだ。と思うまもなくその白い大きな帆さえが、降りしきる雪の中に薄れて行って、やがてはかき消すように見えなくなってしまった。
怒濤。白沫。さっさっと降りしきる雪。目をかすめて飛びかわす雲の霧。自然の大叫喚‥‥そのまっただ中にたよりなくもみさいなまれる君たちの小さな水船‥‥やっぱりそれだけだった。
生死の間にさまよって、疲れながらも緊張し切った神経に起こる幻覚だったのだと気がつくと、君は急に一種の薄気味悪さを感じて、力を一度にもぎ取られるように思った。
さきほど奇怪な叫び声を立てたその若い漁夫は、やがて眠るようにおとなしく気を失って、ひょろひょろとよろめくと見る間に、くずれるように胴の間にぶっ倒れてしまった。
漁夫たちは何か魔でもさしたように思わず極度の不安を目に現わして互いに顔を見合わせた。
「死にはしないぞ」
不思議な事にはそのぶっ倒れた男を見るにつけて、また漁夫たちの不安げな様子を見るにつけて、君は懲りずまに薄気味悪くそう思いつづけた。
君たちがほんとうに一艘の友船と出くわしたまでには、どれほどの時間がたっていたろう。しかしとにかく運命は君たちには無関心ではなかったと見える。急に十倍も力を回復したように見えた漁夫たちが、必死になって君たちの船とその船とをつなぎ合わせ、半分がた凍ってしまった帆を形ばかりに張り上げて、風の追うままに船を走らせた時には、なんとも言えない幸福な感謝の心が、おさえてもおさえてもむらむらと胸の先にこみ上げて来た。
着く所に着いてから思い存分の手当をするからしばらく我慢してくれと心の中にわびるように言いながら、君は若い漁夫を卒倒したまま胴の間の片すみに抱きよせて、すぐ自分の仕事にかかった。
やがて行く手の波の上にぼんやりと雷電峠の突角が現われ出した。山脚は海の中に、山頂は雲の中に、山腹は雪の中にもみにもまれながら、決して動かないものが始めて君たちの前に現われたのだ。それを見つけた時の漁夫たちの心の勇み‥‥魚が水にあったような、野獣が山に放たれたような、太陽が西を見つけ出したようなその喜び‥‥船の中の人たちは思わず足爪立てんばかりに総立ちになった。人々の心までが総立ちになった。
「峠が見えたぞ‥‥北に取れや舵を‥‥隠れ岩さ乗り上げんな‥‥雪崩にも打たせんなよう‥‥」
そう言う声がてんでんに人々の口からわめかれた。それにしても船はひどく流されていたものだ。雷電峠から五里も離れた瀬にいたものが、いつのまにかこんな所に来ているのだ。見る見る風と波とに押しやられて船は吸い付けられるように、吹雪の間からまっ黒に天までそそり立つ断崕に近寄って行くのを、漁夫たちはそうはさせまいと、帆をたて直し、艪を押して、横波を食わせながら船を北へと向けて行った。
陸地に近づくと波はなお怒る。鬣を風になびかして暴れる野馬のように、波頭は波の穂になり、波の穂は飛沫になり、飛沫はしぶきになり、しぶきは霧になり、霧はまたまっ白い波になって、息もつかせずあとからあとからと山すそに襲いかかって行く。山すその岩壁に打ちつけた波は、煮えくりかえった熱湯をぶちつけたように、湯げのような白沫を五丈も六丈も高く飛ばして、反りを打ちながら海の中にどっとくずれ込む。
その猛烈な力を感じてか、断崕の出鼻に降り積もって、徐々に斜面をすべり下って来ていた積雪が、地面との縁から離れて、すさまじい地響きとともに、何百丈の高さから一気になだれ落ちる。巓を離れた時には一握りの銀末に過ぎない。それが見る見る大きさを増して、隕星のように白い尾を長く引きながら、音も立てずにまっしぐらに落として来る。あなやと思う間にそれは何十里にもわたる水晶の大簾だ。ど、ど、どどどしーん‥‥さあーっ‥‥。広い海面が目の前でまっ白な平野になる。山のような五百重の大波はたちまちおい退けられて漣一つ立たない。どっとそこを目がけて狂風が四方から吹き起こる‥‥その物すさまじさ。
君たちの船は悪鬼におい迫られたようにおびえながら、懸命に東北へと舵を取る。磁石のような陸地の吸引力からようよう自由になる事のできた船は、また揺れ動く波の山と戦わねばならぬ。
それでも岩内の港が波の間に隠れたり見えたりし始めると、漁夫たちの力は急に五倍にも十倍にもなった。今までの人数の二倍も乗っているように船は動いた。岸から打ち上げる目標の烽火が紫だって暗黒な空の中でぱっとはじけると、鬖々として火花を散らしながら闇の中に消えて行く。それを目がけて漁夫たちは有る限りの艪を黙ったままでひた漕ぎに漕いだ。その不思議な沈黙が、互いに呼びかわす惨らしい叫び声よりもかえって力強く人々の胸に響いた。
船が波の上に乗った時には、波打ちぎわに集まって何か騒ぎ立てている群衆が見やられるまでになった。やがてあらしの間にも大砲のような音が船まで聞こえて来た。と思うと救助縄が空をかける蛇のように曲がりくねりながら、船から二三段隔たった水の中にざぶりと落ちた。漁夫たちはそのほうへ船を向けようとひしめいた。第二の爆声が聞こえた。縄はあやまたず船に届いた。
二三人の漁夫がよろけころびながらその縄のほうへ駆け寄った。
音は聞こえずに烽火の火花は間を置いて怪火のようにはるかの空にぱっと咲いてはすぐ散って行く。
船は縄に引かれてぐんぐん陸のほうへ近寄って行く。水底が浅くなったために無二無三に乱れ立ち騒ぐ波濤の中を、互いにしっかりしがみ合った二艘の船は、半分がた水の中をくぐりながら、半死のありさまで進んで行った。
君は始めて気がついたように年老いた君の父上のほうを振り返って見た。父上はひざから下を水に浸して舵座にすわったまま、じっと君を見つめていた。今まで絶えず君と君の兄上とを見つめていたのだ。そう思うと君はなんとも言えない骨肉の愛着にきびしく捕えられてしまった。君の目には不覚にも熱い涙が浮かんで来た。君の父上はそれを見た。
「あなたが助かってよござんした」
「お前が助かってよかった」
両人の目には咄嗟の間にも互いに親しみをこめてこう言い合った。そしてこのうれしい言葉を語る目から互い互いの目は離れようとしなかった。そうしたままでしばらく過ぎた。
君は満足しきってまた働き始めた。もう目の前には岩内の町が、きたなく貧しいながらに、君にとってはなつかしい岩内の町が、新しく生まれ出たままのように立ち列なっていた。水難救済会の制服を着た人たちが、右往左往に駆け回るありさまもまざまざと目に映った。
なんとも言えない勇ましい新しい力――上げ潮のように、腹のどん底からむらむらとわき出して来る新しい力を感じて、君は「さあ来い」と言わんばかりに、艪をひしげるほど押しつかんだ。そして矢声をかけながら漕ぎ始めた。涙があとからあとからと君の頬を伝って流れた。
唖のように今まで黙っていたほかの漁夫たちの口からも、やにわに勇ましいかけ声があふれ出て、君の声に応じた。艪は梭のように波を切り破って激しく働いた。
岸の人たちが呼びおこす声が君たちの耳にもはいるまでになった。と思うと君はだんだん夢の中に引き込まれるようなぼんやりした感じに襲われて来た。
君はもう一度君の父上のほうを見た。父上は舵座にすわっている。しかしその姿は前のように君になんらの迫った感じをひき起こさせなかった。
やがて船底にじゃりじゃりと砂の触れる音が伝わった。船は滞りなく君が生まれ君が育てられたその土の上に引き上げられた。
「死にはしなかったぞ」
と君は思った。同時に君の目の前は見る見るまっ暗になった。‥‥君はそのあとを知らない。
七
君は漁夫たちとひざをならべて、同じ握り飯を口に運びながら、心だけはまるで異邦人のように隔たってこんなことを思い出す。なんという真剣なそして険しい漁夫の生活だろう。人間というものは、生きるためには、いやでも死のそば近くまで行かなければならないのだ。いわば捨て身になって、こっちから死に近づいて、死の油断を見すまして、かっぱらいのように生の一片をひったくって逃げて来なければならないのだ。死は知らんふりをしてそれを見やっている。人間は奪い取って来た生をたしなみながらしゃぶるけれども、ほどなくその生はまた尽きて行く。そうするとまた死の目の色を見すまして、死のほうにぬすみ足で近寄って行く。ある者は死があまり無頓着そうに見えるので、つい気を許して少し大胆に高慢にふるまおうとする。と鬼一口だ。もうその人は地の上にはいない。ある者は年とともにいくじがなくなって行って、死の姿がいよいよ恐ろしく目に映り始める。そしてそれに近寄る冒険を躊躇する。そうすると死はやおら物憂げな腰を上げて、そろそろとその人に近寄って来る。ガラガラ蛇に見こまれた小鳥のように、その人は逃げも得しないですくんでしまう。次の瞬間にその人はもう地の上にはいない。人の生きて行く姿はそんなふうにも思いなされる。実にはかないともなんとも言いようがない。その中にも漁夫の生活の激しさは格別だ。彼らは死に対してけんかをしかけんばかりの切羽つまった心持ちで出かけて行く。陸の上ではなんと言っても偽善も弥縫もある程度までは通用する。ある意味では必要であるとさえも考えられる。海の上ではそんな事は薬の足しにしたくもない。真裸な実力と天運ばかりがすべての漁夫の頼みどころだ。その生活はほんとに悲壮だ。彼らがそれを意識せず、生きるという事はすべてこうしたものだとあきらめをつけて、疑いもせず、不平も言わず、自分のために、自分の養わなければならない親や妻や子のために、毎日毎日板子一枚の下は地獄のような境界に身を放げ出して、せっせと骨身を惜しまず働く姿はほんとうに悲壮だ。そして惨めだ。なんだって人間というものはこんなしがない苦労をして生きて行かなければならないのだろう。
世の中には、ことに君が少年時代を過ごした都会という所には、毎日毎日安逸な生を食傷するほどむさぼって一生夢のように送っている人もある。都会とは言うまい。だんだんとさびれて行くこの岩内の小さな町にも、二三百万円の富を祖先から受け嗣いで、小樽には立派な別宅を構えてそこに妾を住まわせ、自分は東京のある高等な学校をともかくも卒業して、話でもさせればそんなに愚鈍にも見えないくせに、一年じゅうこれと言ってする仕事もなく、退屈をまぎらすための行楽に身を任せて、それでも使い切れない精力の余剰を、富者の贅沢の一つである癇癪に漏らしているのがある。君はその男をよく知っている。小学校時代には教室まで一つだったのだ。それが十年かそこらの年月の間に、二人の生活は恐ろしくかけ隔たってしまったのだ。君はそんな人たちを一度でもうらやましいと思った事はない。その人たちの生活の内容のむなしさを想像する充分の力を君は持っている。そして彼らが彼らの導くような生活をするのは道理があると合点がゆく。金があって才能が平凡だったら勢いああしてわずかに生の倦怠からのがれるほかはあるまいとひそかに同情さえされぬではない。その人たちが生に飽満して暮らすのはそれでいい。しかし君の周囲にいる人たちがなぜあんな恐ろしい生死の境の中に生きる事を僥倖しなければならない運命にあるのだろう。なぜ彼らはそんな境遇――死ぬ瞬間まで一分の隙を見せずに身構えていなければならないような境遇にいながら、なぜ生きようとしなければならないのだろう。これは君に不思議ななぞのようなここちを起こさせる。ほんとうに生は死よりも不思議だ。
その人たちは他人眼にはどうしても不幸な人たちと言わなければならない。しかし君自身の不幸に比べてみると、はるかに幸福だと君は思い入るのだ。彼らにはとにかくそういう生活をする事がそのまま生きる事なのだ。彼らはきれいさっぱりとあきらめをつけて、そういう生活の中に頭からはまり込んでいる。少しも疑ってはいない。それなのに君は絶えずいらいらして、目前の生活を疑い、それに安住する事ができないでいる。君は喜んで君の両親のために、君の家の苦しい生活のために、君のがんじょうな力強い肉体と精力とを提供している。君の父上のかりそめの風邪がなおって、しばらくぶりでいっしょに漁に出て、夕方になって家に帰って来てから、一家がむつまじくちゃぶ台のまわりを囲んで、暗い五燭の電燈の下で箸を取り上げる時、父上が珍しく木彫のような固い顔に微笑をたたえて、
「今夜ははあおまんまがうめえぞ」
と言って、飯茶わんをちょっと押しいただくように目八分に持ち上げるのを見る時なぞは、君はなんと言っても心から幸福を感ぜずにはいられない。君は目前の生活を決して悔やんでいるわけではないのだ。それにも係わらず、君は何かにつけてすぐ暗い心になってしまう。
「絵がかきたい」
君は寝ても起きても祈りのようにこの一つの望みを胸の奥深く大事にかきいだいているのだ。その望みをふり捨ててしまえる事なら世の中は簡単なのだ。
恋――互いに思い合った恋と言ってもこれほどの執着はあり得まいと君自身の心を憐れみ悲しみながらつくづくと思う事がある。君の厚い胸の奥からは深いため息が漏れる。
雨の日などに土間にすわりこんで、兄上や妹さんなぞといっしょに、配縄の繕いをしたりしていると、どうかした拍子にみんなが仕事に夢中になって、むつまじくかわしていた世間話すら途絶えさして、黙りこんで手先ばかりを忙しく働かすような時がある。こういう瞬間に、君は我れにもなく手を休めて、茫然と夢でも見るように、君の見ておいた山の景色を思い出している事がある。この山とあの山との距りの感じは、界の線をこういう曲線で力強くかきさえすれば、きっといいに違いない、そんな事を一心に思い込んでしまう。そして鋏を持った手の先で、ひとりでに、想像した曲線をひざの上に幾度もかいては消し、かいては消ししている。
またある時は沖に出て配縄をたぐり上げるだいじな忙しい時に、君は板子の上にすわって、二本ならべて立てられたビールびんの間から縄をたぐり込んで、釣りあげられた明鯛がびんにせかれるために、針の縁を離れて胴の間にぴちぴちはねながら落ちて行くのをじっと見やっている。そしてクリムソンレーキを水に薄く溶かしたよりもっと鮮明な光を持った鱗の色に吸いつけられて、思わずぼんやりと手の働きをやめてしまう。
これらの場合はっと我れに返った瞬間ほど君を惨めにするものはない。居眠りしたのを見つけられでもしたように、君はきょとんと恥ずかしそうにあたりを見回して見る。ある時は兄上や妹さんが、暗まって行く夕方の光に、なお気ぜわしく目を縄によせて、せっせとほつれを解いたり、切れ目をつないだりしている。ある時は漁夫たちが、寒さに手を海老のように赤くへし曲げながら、息せき切って配縄をたくし上げている。君は子供のように思わず耳もとまで赤面する。
「なんというだらしのない二重生活だ。おれはいったいおれに与えられた運命の生活に男らしく服従する覚悟でいるんじゃないか。それだのにまだちっぽけな才能に未練を残して、柄にもない野心を捨てかねていると見える。おれはどっちの生活にも真剣にはなれないのだ。おれの絵に対する熱心だけから言うと、絵かきになるためには充分すぎるほどなのだが、それだけの才能があるかどうかという事になると判断のしようが無くなる。もちろんおれに絵のかき方を教えてくれた人もなければ、おれの絵を見てくれる人もない。岩内の町でのたった一人の話し相手のKは、おれの絵を見るたびごとに感心してくれる。そしてどんな苦しみを経ても絵かきになれと勧めてくれる。しかしKは第一おれの友だちだし、第二に絵がおれ以上にわかるとは思われぬ。Kの言葉はいつでもおれを励まし鞭うってくれる。しかしおれはいつでもそのあとに、うぬぼれさせられているのではないかという疑いを持たずにはいない。どうすればこの二重生活を突き抜ける事ができるのだろう。生まれから言っても、今までの運命から言っても、おれは漁夫で一生を終えるのが相当しているらしい。Kもあの気むずかしい父のもとで調剤師で一生を送る決心を悲しくもしてしまったらしい。おれから見るとKこそは立派な文学者になれそうな男だけれども、Kは誇張なく自分の運命をあきらめている。悲しくもあきらめている。待てよ、悲しいというのはほんとうはKの事ではない。そう思っているおれ自身の事だ。おれはほんとうに悲しい男だ。親父にも済まない。兄や妹にも済まない。この一生をどんなふうに過ごしたらおれはほんとうにおれらしい生き方ができるのだろう」
そこに居ならんだ漁夫たちの間に、どっしりと男らしいがんじょうなあぐらを組みながら、君は彼らとは全く異邦の人のようなさびしい心持ちになって、こんなことを思いつづける。
やがて漁夫たちはそこらを片付けてやおら立ち上がると、胴の間に降り積んだ雪を摘まんで、手のひらで擦り合わせて、指に粘りついた飯粒を落とした。そして配縄の引き上げにかかった。
西に舂きだすと日あしはどんどん歩みを早める。おまけに上のほうからたるみなく吹き落として来る風に、海面は妙に弾力を持った凪ぎ方をして、その上を霰まじりの粉雪がさーっと来ては過ぎ、過ぎては来る。君たちは手袋を脱ぎ去った手をまっかにしながら、氷点以下の水でぐっしょりぬれた配縄をその一端からたぐり上げ始める。三間四間置きぐらいに、目の下二尺もあるような鱈がぴちぴちはねながら引き上げられて来る。
三十町に余るくらいな配縄をすっかりたくしこんでしまうころには、海の上は少し墨汁を加えた牛乳のようにぼんやり暮れ残って、そこらにながめやられる漁船のあるものは、帆を張り上げて港を目ざしていたり、あるものはさびしい掛け声をなお海の上に響かせて、忙しく配縄を上げているのもある。夕暮れに海上に点々と浮かんだ小船を見渡すのは悲しいものだ。そこには人間の生活がそのはかない末梢をさびしくさらしているのだ。
君たちの船は、海風が凪ぎて陸風に変わらないうちにと帆を立て、艪を押して陸地を目がける。晴れては曇る雪時雨の間に、岩内の後ろにそびえる山々が、高いのから先に、水平線上に現われ出る。船歌をうたいつれながら、漁夫たちは見慣れた山々の頂をつなぎ合わせて、港のありかをそれとおぼろげながら見定める。そこには妻や母や娘らが、寒い浜風に吹きさらされながら、うわさとりどりに汀に立って君たちの帰りを待ちわびているのだ。
これも牛乳のような色の寒い夕靄に包まれた雷電峠の突角がいかつく大きく見えだすと、防波堤の突先にある灯台の灯が明滅して船路を照らし始める。毎日の事ではあるけれども、それを見ると、君と言わず人々の胸の中には、きょうもまず命は無事だったという底深い喜びがひとりでにわき出して来て、陸に対する不思議なノスタルジヤが感ぜられる。漁夫たちの船歌は一段と勇ましくなって、君の父上は船の艫に漁獲を知らせる旗を揚げる。その旗がばたばたと風にあおられて音を立てる――その音がいい。
だんだん間近になった岩内の町は、黄色い街灯の灯のほかには、まだ灯火もともさずに黒くさびしく横たわっている。雪のむら消えた砂浜には、けさと同様に女たちがかしこここにいくつかの固い群れになって、石ころのようにこちんと立っている。白波がかすかな潮の香と音とをたてて、その足もとに行っては消え、行っては消えするのが見え渡る。
帆がおろされた。船は海岸近くの波に激しく動揺しながら、艫を海岸のほうに向けかえてだんだんと汀に近寄って行く。海産物会社の印袢天を着たり、犬の皮か何かを裏につけた外套を深々と羽織ったりした男たちが、右往左往に走りまわるそのあたりを目がけて、君の兄上が手慣れたさばきでさっと艫綱を投げると、それがすぐ幾十人もの男女の手で引っぱられる。船はしきりと上下する舳に波のしぶきを食いながら、どんどん砂浜に近寄って、やがて疲れ切った魚のように黒く横たわって動かなくなる。
漁夫たちは艪や舵や帆の始末を簡単にしてしまうと、舷を伝わって陸におどり上がる。海産物製造会社の人夫たちは、漁夫たちと入れ替わって、船の中に猿のように飛び込んで行く。そしてまだ死に切らない鱈の尾をつかんで、礫のように砂の上にほうり出す。浜に待ち構えている男たちは、目にもとまらない早わざで数を数えながら、魚を畚の中にたたき込む。漁夫たちは吉例のように会社の数取り人に対して何かと故障を言いたててわめく。一日ひっそりかんとしていた浜も、このしばらくの間だけは、さすがににぎやかな気分になる。景気にまき込まれて、女たちの或る者まで男といっしょになってけんか腰に物を言いつのる。
しかしこのはなばなしいにぎわいも長い間ではない。命をなげ出さんばかりの険しい一日の労働の結果は、わずか十数分の間でたわいもなく会社の人たちに処分されてしまうのだ。君が君の妹を女たちの群れの中から見つけ出して、忙しく目を見かわし、言葉をかわす暇もなく、浜の上には乱暴に踏み荒された砂と、海藻と小魚とが砂まみれになって残っているばかりだ。そして会社の人夫たちはあとをも見ずにまた他の漁船のほうへ走って行く。
こうして岩内じゅうの漁夫たちが一生懸命に捕獲して来た魚はまたたくうちにさらわれてしまって、墨のように煙突から煙を吐く怪物のような会社の製造所へと運ばれて行く。
夕焼けもなく日はとっぷりと暮れて、雪は紫に、灯は光なくただ赤くばかり見える初夜になる。君たちはけさのとおりに幾かたまりの黒い影になって、疲れ切った五体をめいめいの家路に運んで行く。寒気のために五臓まで締めつけられたような君たちは口をきくのさえ物惰くてできない。女たちがはしゃいだ調子で、その日のうちに陸の上で起こったいろいろな出来事――いろいろな出来事と言っても、きわだって珍しい事やおもしろい事は一つもない――を話し立てるのを、ぶっつり押し黙ったままで聞きながら歩く。しかしそれがなんという快さだろう。
しかし君の家が近くなるにつれて妙に君の心を脅かし始めるものがある。それは近年引き続いて君の家に起こった種々な不幸がさせるわざだ。長わずらいの後に夫に先立った君の母上に始まって、君の家族の周囲には妙に死というものが執念くつきまつわっているように見えた。君の兄上の初生児も取られていた。汗水が凝り固まってできたような銀行の貯金は、その銀行が不景気のあおりを食って破産したために、水の泡になってしまった。命とかけがえの漁場が、間違った防波堤の設計のために、全然役に立たなくなったのは前にも言ったとおりだ。こらえ性のない人々の寄り集まりなら、身代が朽ち木のようにがっくりと折れ倒れるのはありがちと言わなければならない。ただ君の家では父上といい、兄上といい、根性っ骨の強い正直な人たちだったので、すべての激しい運命を真正面から受け取って、骨身を惜しまず働いていたから、曲がったなりにも今日今日を事欠かずに過ごしているのだ。しかし君の家を襲ったような運命の圧迫はそこいらじゅうに起こっていた。軒を並べて住みなしていると、どこの家にもそれ相当な生計が立てられているようだけれども、一軒一軒に立ち入ってみると、このごろの岩内の町には鼻を酸くしなければならないような事がそこいらじゅうにまくしあがっていた。ある家は目に立って零落していた。あらしに吹きちぎられた屋根板が、いつまでもそのままで雨の漏れるに任せた所も少なくない。目鼻立ちのそろった年ごろの娘が、嫁入ったといううわさもなく姿を消してしまう家もあった。立派に家框が立ち直ったと思うとその家は代が替わったりしていた。そろそろと地の中に引きこまれて行くような薄気味の悪い零落の兆候が町全体にどことなく漂っているのだ。
人々は暗々裏にそれに脅かされている。いつどんな事がまくし上がるかもしれない――そういう不安は絶えず君たちの心を重苦しく押しつけた。家から火事を出すとか、家から出さないまでも類焼の災難にあうとか、持ち船が沈んでしまうとか、働き盛りの兄上が死病に取りつかれるとか、鰊の群来がすっかりはずれるとか、ワク船が流されるとか、いろいろに想像されるこれらの不幸の一つだけに出くわしても、君の家にとっては、足腰の立たない打撃となるのだ。疲れた五体を家路に運びながら、そしてばかに建物の大きな割合に、それにふさわない暗い灯でそこと知られる柾葺きの君の生まれた家屋を目の前に見やりながら、君の心は運命に対する疑いのために妙におくれがちになる。
それでも敷居をまたぐと土間のすみの竈には火が暖かい光を放って水飴のようにやわらかく撓いながら燃えている。どこからどこまでまっ黒にすすけながら、だだっ広い囲炉裏の間はきちんと片付けてあって、居心よさそうにしつらえてある。嫂や妹の心づくしを君はすぐ感じてうれしく思いながら、持って帰った漁具――寒さのために凍り果てて、触れ合えば石のように音を立てる――をそれぞれの所に始末すると、これもからからと音を立てるほど凍り果てた仕事着を一枚一枚脱いで、竈のあたりに掛けつらねて、ふだん着に着かえる。一日の寒気に凍え切った肉体はすぐ熱を吹き出して、顔などはのぼせ上がるほどぽかぽかして来る。ふだん着の軽い暖かさ、一椀の熱湯の味のよさ。
小気味のよいほどしたたか夕餉を食った漁夫たちが、
「親方さんお休み」
と挨拶してぞろぞろ出て行ったあとには、水入らずの家族五人が、囲炉裏の火にまっかに顔を照らし合いながらさし向かいになる。戸外ではさらさらと音を立てて霰まじりの雪が降りつづけている。七時というのにもうその界隈は夜ふけ同様だ。どこの家もしんとして赤子の泣く声が時おり聞こえるばかりだ。ただ遠くの遊郭のほうから、朝寝のできる人たちが寄り集まっているらしい酔狂のさざめきだけがとぎれとぎれに風に送られて伝わって来る。
「おらはあ寝まるぞ」
わずかな晩酌に昼間の疲労を存分に発して、目をとろんこにした君の父上が、まず囲炉裏のそばに床をとらして横になる。やがて兄上と嫂とが次の部屋に退くと、囲炉裏のそばには、君と君の妹だけが残るのだ。
時が静かにさびしく、しかしむつまじくじりじりと過ぎて行く。
「寝ずに」
針の手をやめて、君の妹はおとなしく顔を上げながら君に言う。
「先に寝れ、いいから」
あぐらのひざの上にスケッチ帳を広げて、と見こう見している君は、振り向きもせずに、ぶっきらぼうにそう答える。
「朝げにまた眠いとってこづき起こされべえに」にっと片頬に笑みをたたえて妹は君にいたずららしい目を向ける。
「なんの」
「なんのでねえよ、そんだもの見こくってなんのたしになるべえさ。みんなよって笑っとるでねえか、※(「仝」の「工」に代えて「サ」、屋号を示す記号)の兄さんこと暇さえあれば見ったくもない絵べえかいて、なんするだべって」
君は思わず顔をあげる。
「だれが言った」
「だれって‥‥みんな言ってるだよ」
「お前もか」
「私は言わねえ」
「そうだべさ。それならそれでいいでねえか。わけのわかんねえやつさなんとでも言わせておけばいいだ。これを見たか」
「見たよ。‥‥荘園の裏から見た所だなあそれは。山はわし気に入ったども、雲が黒すぎるでねえか」
「さし出口はおけやい」
そして君たち二人は顔を見合って溶けるように笑みかわす。寒さはしんしんと背骨まで徹って、戸外には風の落ちた空を黙って雪が降り積んでいるらしい。
今度は君が発意する。
「おい寝べえ」
「兄さん先に寝なよ」
「お前寝べし‥‥あしたまた一番に起きるだから‥‥戸締まりはおらがするに」
二人はわざと意趣に争ってから、妹はとうとう先に寝る事にする。君はなお半時間ほどスケッチに見入っていたが、寒さにこらえ切れなくなってやがて身を起こすと、藁草履を引っかけて土間に降り立ち、竈の火もとを充分に見届け、漁具の整頓を一わたり注意し、入り口の戸に錠前をおろし、雪の吹きこまぬよう窓のすきまをしっかりと閉じ、そしてまた囲炉裏座に帰って見ると、ちょろちょろと燃えかすれた根粗朶の火におぼろに照らされて、君の父上と妹とが炉縁の二方に寝くるまっているのが物さびしくながめられる。一日一日生命の力から遠ざかって行く老人と、若々しい生命の力に悩まされているとさえ見える妹の寝顔は、明滅する炎の前に幻のような不思議な姿を描き出す。この老人の老い先をどんな運命が待っているのだろう。この処女の行く末をどんな運命が待っているのだろう。未来はすべて暗い。そこではどんな事でも起こりうる。君は二人の寝顔を見つめながらつくづくとそう思った。そう思うにつけて、その人たちの行く末については、素直な心で幸あれかしと祈るほかはなかった。人の力というものがこんな厳粛な瞬間にはいちばんたよりなく思われる。
君はスケッチ帳を枕もとに引きよせて、垢じみた床の中にそのままもぐり込みながら、氷のような布団の冷たさがからだの温みで暖まるまで、まじまじと目を見開いて、君の妹の寝顔を、憐れみとも愛ともつかぬ涙ぐましい心持ちでながめつづける。それは君が妹に対して幼少の時から何かのおりに必ずいだくなつかしい感情だった。
それもやがて疲労の夢が押し包む。
今岩内の町に目ざめているものは、おそらく朝寝坊のできる富んだ惰け者と、灯台守りと犬ぐらいのものだろう。夜は寒くさびしくふけて行く。
八
君、君はこんな私の自分勝手な想像を、私が文学者であるという事から許してくれるだろうか。私の想像はあとからあとからと引き続いてわいて来る。それがあたっていようがあたっていまいが、君は私がこうして筆取るそのもくろみに悪意のない事だけは信じてくれるだろう。そして無邪気な微笑をもって、私の唯一の生命である空想が勝手次第に育って行くのを見守っていてくれるだろう。私はそれをたよってさらに書き続けて行く。
鰊の漁期――それは北方に住む人の胸にのみしみじみと感ぜられるなつかしい季節の一つだ。この季節になると長く地の上を領していた冬が老いる。――北風も、雪も、囲炉裏も、綿入れも、雪鞋も、等しく老いる。一片の雲のたたずまいにも、自然のもくろみと予言とを人一倍鋭敏に見て取る漁夫たちの目には、朝夕の空の模様が春めいて来た事をまざまざと思わせる。北西の風が東に回るにつれて、単色に堅く凍りついていた雲が、蒸されるようにもやもやとくずれ出して、淡いながら暖かい色の晴れ雲に変わって行く。朝から風もなく晴れ渡った午後なぞに波打ちぎわに出て見ると、やや緑色を帯びた青空のはるか遠くの地平線高く、幔幕を真一文字に張ったような雪雲の堆積に日がさして、まんべんなくばら色に輝いている。なんという美妙な美しい色だ。冬はあすこまで遠のいて行ったのだ。そう思うと、不幸を突き抜けて幸福に出あった人のみが感ずる、あの過去に対する寛大な思い出が、ゆるやかに浜に立つ人の胸に流れこむ。五か月の長い厳冬を牛のように忍耐強く辛抱しぬいた北人の心に、もう少しでひねくれた根性にさえなり兼ねた北人の心に、春の約束がほのぼのと恵み深く響き始める。
朝晩の凍み方はたいして冬と変わりはない。ぬれた金物がべたべたと糊のように指先に粘りつく事は珍しくない。けれども日が高くなると、さすがにどこか寒さにひびがいる。浜べは急に景気づいて、納屋の中からは大釜や締框がかつぎ出され、ホック船やワク船をつとのようにおおうていた蓆が取りのけられ、旅烏といっしょに集まって来た漁夫たちが、綾を織るように雪の解けた砂浜を行き違って目まぐるしい活気を見せ始める。
鱈の漁獲がひとまず終わって、鰊の先駆もまだ群来て来ない。海に出て働く人たちはこの間に少しの間息をつく暇を見いだすのだ。冬の間から一心にねらっていたこの暇に、君はある日朝からふいと家を出る。もちろんふところの中には手慣れたスケッチ帳と一本の鉛筆とを潜まして。
家を出ると往来には漁夫たちや、女でめん(女労働者)や、海産物の仲買いといったような人々がにぎやかに浮き浮きして行ったり来たりしている。根雪が氷のように磐になって、その上を雪解けの水が、一冬の塵埃に染まって、泥炭地のわき水のような色でどぶどぶと漂っている。馬橇に材木のように大きな生々しい薪をしこたま積み載せて、その悪路を引っぱって来た一人の年配な内儀さんは、君を認めると、引き綱をゆるめて腰を延ばしながら、戯れた調子で大きな声をかける。
「はれ兄さんもう浜さいくだね」
「うんにゃ」
「浜でねえ? たらまた山かい。魚を商売にする人が暇さえあれば山さ突っぱしるだから怪体だあてばさ。いい人でもいるだんべさ。は、は、は、‥‥。うんすら妬いてこすに、一押し手を貸すもんだよ」
「口はばったい事べ言うと鰊様が群来てはくんねえぞ。おかしな婆様よなあお前も」
「婆様だ⁉ 人聞きの悪い事べ言わねえもんだ。人様が笑うでねえか」
実際この内儀さんの噪いだ雑言には往来の人たちがおもしろがって笑っている。君は当惑して、橇の後ろに回って三四間ぐんぐん押してやらなければならなかった。
「そだ。そだ。兄さんいい力だ。浜まで押してくれたらおらお前に惚れこすに」
君はあきれて橇から離れて逃げるように行く手を急ぐ。おもしろがって二人の問答を聞いていた群集は思わず一度にどっと笑いくずれる。人々のその高笑いの声にまじって、内儀さんがまただれかに話しかける大声がのびやかに聞こえて来る。
「春が来るのだ」
君は何につけても好意に満ちた心持ちでこの人たちを思いやる。
やがて漁師町をつきぬけて、この市街では目ぬきな町筋に出ると、冬じゅうあき屋になっていた西洋風の二階建ての雨戸が繰りあけられて、札幌のある大きなデパートメント・ストアの臨時出店が開かれようとしている。藁屑や新聞紙のはみ出た大きな木箱が幾個か店先にほうり出されて、広告のけばけばしい色旗が、活動小屋の前のように立てならべてある。そして気のきいた手代が十人近くも忙しそうに働いている。君はこの大きな臨時の店が、岩内じゅうの小売り商人にどれほどの打撃であるかを考えながら、自分たちの漁獲が、資本のないために、ほかの土地から投資された海産物製造会社によって捨て値で買い取られる無念さをも思わないではいられなかった。「大きな手にはつかまれる」‥‥そう思いながら君はその店の角を曲がって割合にさびれた横町にそれた。
その横町を一町も行かない所に一軒の薬種店があって、それにつづいて小さな調剤所がしつらえてあった。君はそこのガラス窓から中をのぞいて見る。ずらっとならべた薬種びんの下の調剤卓の前に、もたれのない抉り抜きの事務椅子に腰かけて、黒い事務マントを羽織った悒鬱そうな小柄な若い男が、一心に小形の書物に読みふけっている。それはKと言って、君が岩内の町に持っているただ一人の心の友だ。君はくすんだガラス板に指先を持って行ってほとほととたたく。Kは機敏に書物から目をあげてこちらを振りかえる。そして驚いたように座を立って来てガラス障子をあける。
「どこに」
君は黙ったまま懐中からスケッチ帳を取り出して見せる。そして二人は互いに理解するようにほほえみかわす。
「君はきょうは出られまい」
君は東京の遊学時代を記念するために、だいじにとっておいた書生の言葉を使えるのが、この友だちに会う時の一つの楽しみだった。
「だめだ。このごろは漁夫で岩内の人数が急にふえたせいか忙しい。しかし今はまだ寒いだろう。手が自由に動くまい」
「なに、絵はかけずとも山を見ていればそれでいいだ。久しく出て見ないから」
「僕は今これを読んでいたが(と言ってKはミケランジェロの書簡集を君の目の前にさし出して見せた)すばらしいもんだ。こうしていてはいけないような気がするよ。だけどもとても及びもつかない。いいかげんな芸術家というものになって納まっているより、この薄暗い薬局で、黙りこくって一生を送るほうがやはり僕には似合わしいようだ」
そう言って君の友は、悒鬱な小柄な顔をひときわ悒鬱にした。君は励ます言葉も慰める言葉も知らなかった。そして心とがめするもののようにスケッチ帳をふところに納めてしまった。
「じゃ行って来るよ」
「そうかい。そんなら帰りには寄って話して行きたまえ」
この言葉を取りかわして、君はその薄よごれたガラス窓から離れる。
南へ南へと道を取って行くと、節婦橋という小さな木橋があって、そこから先にはもう家並みは続いていない。溝泥をこね返したような雪道はだんだんきれいになって行って、地面に近い所が水になってしまった積雪の中に、君の古い兵隊長靴はややともするとすぽりすぽりと踏み込んだ。
雪におおわれた野は雷電峠のふもとのほうへ爪先上がりに広がって、おりから晴れ気味になった雲間を漏れる日の光が、地面の陰ひなたを銀と藍とでくっきりといろどっている。寒い空気の中に、雪の照り返しがかっかっと顔をほてらせるほど強くさして来る。君の顔は見る見る雪焼けがしてまっかに汗ばんで来た。今までがんじょうにかぶっていた頭巾をはねのけると、眼界は急にはるばると広がって見える。
なんという広大なおごそかな景色だ。胆振の分水嶺から分かれて西南をさす一連の山波が、地平から力強く伸び上がってだんだん高くなりながら、岩内の南方へ走って来ると、そこに図らずも陸の果てがあったので、突然水ぎわに走りよった奔馬が、そろえた前脚を踏み立てて、思わず平頸を高くそびやかしたように、山は急にそそり立って、沸騰せんばかりに天を摩している。今にもすさまじい響きを立ててくずれ落ちそうに見えながら、何百万年か何千万年か、昔のままの姿でそそり立っている。そして今はただ一色の白さに雪でおおわれている。そして雲が空を動くたびごとに、山は居住まいを直したかのように姿を変える。君は久しぶりで近々とその山をながめるともう有頂天になった。そして余の事はきれいに忘れてしまう。
君はただいちずにがむしゃらに本道から道のない積雪の中に足を踏み入れる。行く手に黒ずんで見える楡の切り株の所まで腰から下まで雪にまみれてたどり着くと、君はそれに兵隊長靴を打ちつけて足の雪を払い落としながらたたずむ。そして目を据えてもう一度雪野の果てにそびえ立つ雷電峠を物珍しくながめて魅入られたように茫然となってしまう。幾度見てもあきる事のない山のたたずまいが、この前見た時と相違のあるはずはないのに、全くちがった表情をもって君の目に映って来る。この前見に来た時は、それは厳冬の一日のことだった。やはりきょうと同じ所に立って、凍える手に鉛筆を運ぶ事もできず、黙ったまま立って見ていたのだったが、その時の山は地面から静々と盛り上がって、雪雲に閉ざされた空を確かとつかんでいるように見えた。その感じは恐ろしく執念深く力強いものだった。君はその前に立って押しひしゃげられるような威圧を感じた。きょう見る山はもっと素直な大きさと豊かさとをもって静かに君をかきいだくように見えた。ふだん自分の心持ちがだれからも理解されないで、一種の変屈人のように人々から取り扱われていた君には、この自然が君に対して求めて来る親しみはしみじみとしたものだった。君はまたさらに目をあげて、なつかしい友に向かうようにしみじみと山の姿をながめやった。
ちょうど親しい心と心とが出あった時に、互いに感ぜられるような温かい涙ぐましさが、君の雄々しい胸の中にわき上がって来た。自然は生きている。そして人間以上に強く高い感情を持っている。君には同じ人間の語る言葉だが英語はわからない。自然の語る言葉は英語よりもはるかに君にはわかりいい。ある時には君が使っている日本語そのものよりももっと感情の表現の豊かな平明な言葉で自然が君に話しかける。君はこの涙ぐましい心持ちを描いてみようとした。
そして懐中からいつものスケッチ帳を取り出して切り株の上に置いた。開かれた手帖と山とをかたみがわりに見やりながら、君は丹念に鉛筆を削り上げた。そして粗末な画学紙の上には、たくましく荒くれた君の手に似合わない繊細な線が描かれ始めた。
ちょうど人の肖像をかこうとする画家が、その人の耳目鼻口をそれぞれ綿密に観察するように、君は山の一つの皺一つの襞にも君だけが理解すると思える意味を見いだそうと努めた。実際君の目には山のすべての面は、そのまますべての表情だった。日光と雲との明暗にいろどられた雪の重なりには、熱愛をもって見きわめようと努める人々にのみ説き明かされる貴いなぞが潜めてあった。君は一つのなぞを解き得たと思うごとに、小おどりしたいほどの喜びを感じた。君の周囲には今はもう生活の苦情もなかった。世間に対する不安も不幸もなかった。自分自身に対するおくれがちな疑いもなかった。子供のような快活な無邪気な一本気な心‥‥君のくちびるからは知らず知らず軽い口笛が漏れて、君の手はおどるように調子を取って、紙の上を走ったり、山の大きさや角度を計ったりした。
そうして幾時間が過ぎたろう。君の前には「時」というものさえなかった。やがて一つのスケッチができあがって、軽い満足のため息とともに、働かし続けていた手をとめて、片手にスケッチ帳を取り上げて目の前に据えた時、君は軽い疲労――軽いと言っても、君が船の中で働く時の半日分の労働の結果よりは軽くない――を感じながら、きょうが仕事のよい収穫であれかしと祈った。画学紙の上には、吹き変わる風のために乱れがちな雲の間に、その頂を見せたり隠したりしながら、まっ白にそそり立つ峠の姿と、その手前の広い雪の野のここかしこにむら立つ針葉樹の木立ちや、薄く炊煙を地になびかしてところどころに立つ惨めな農家、これらの間を鋭い刃物で断ち割ったような深い峡間、それらが特種な深い感じをもって特種な筆触で描かれている。君はややしばらくそれを見やってほほえましく思う。久しぶりで自分の隠れた力が、哀れな道具立てによってではあるが、とにかく形を取って生まれ出たと思うとうれしいのだ。
しかしながら狐疑は待ちかまえていたように、君が満足の心を充分味わう暇もなく、足もとから押し寄せて来て君を不安にする。君は自分にへつらうものに対して警戒の眼を向ける人のように、自分の満足の心持ちをきびしく調べてかかろうとする。そして今かき上げた絵を容赦なく山の姿とくらべ始める。
自分が満足だと思ったところはどこにあるのだろう。それはいわば自然の影絵に過ぎないではないか。向こうに見える山はそのまま寛大と希望とを象徴するような一つの生きた塊的であるのに、君のスケッチ帳に縮め込まれた同じものの姿は、なんの表情も持たない線と面との集まりとより君の目には見えない。
この悲しい事実を発見すると君は躍起となって次のページをまくる。そして自分の心持ちをひときわ謙遜な、そして執着の強いものにし、粘り強い根気でどうかして山をそのまま君の画帖の中に生かし込もうとする、新たな努力が始まると、君はまたすべての事を忘れ果てて一心不乱に仕事の中に魂を打ち込んで行く。そして君が昼弁当を食う事も忘れて、四枚も五枚ものスケッチを作った時には、もうだいぶ日は傾いている。
しかしとてもそこを立ち去る事はできないほど、自然は絶えず美しくよみがえって行く。朝の山には朝の命が、昼の山には昼の命があった。夕方の山にはまたしめやかな夕方の山の命がある。山の姿は、その線と陰日向とばかりでなく、色彩にかけても、日が西に回るとすばらしい魔術のような不思議を現わした。峠のある部分は鋼鉄のように寒くかたく、また他の部分は気化した色素のように透明で消えうせそうだ。夕方に近づくにつれて、やや煙り始めた空気の中に、声も立てずに粛然とそびえているその姿には、くんでもくんでも尽きない平明な神秘が宿っている。見ると山の八合目と覚しい空高く、小さな黒い点が静かに動いて輪を描いている。それは一羽の大鷲に違いない。目を定めてよく見ると、長く伸ばした両の翼を微塵も動かさずに、からだ全体をやや斜めにして、大きな水の渦に乗った枯れ葉のように、その鷲は静かに伸びやかに輪を造っている。山が物言わんばかりに生きてると見える君の目には、この生物はかえって死物のように思いなされる。ましてや平原のところどころに散在する百姓家などは、山が人に与える生命の感じにくらべれば、惨めな幾個かの無機物に過ぎない。
昼は真冬からは著しく延びてはいるけれども、もう夕暮れの色はどんどん催して来た。それとともに肌身に寒さも加わって来た。落日にいろどられて光を呼吸するように見えた雲も、煙のような白と淡藍との陰日向を見せて、雲とともに大空の半分を領していた山も、見る見る寒い色に堅くあせて行った。そして靄とも言うべき薄い膜が君と自然との間を隔てはじめた。
君は思わずため息をついた。言い解きがたい暗愁――それは若い人が恋人を思う時に、その恋が幸福であるにもかかわらず、胸の奥に感ぜられるような――が不思議に君を涙ぐましくした。君は鼻をすすりながら、ばたんと音を立ててスケッチ帳を閉じて、鉛筆といっしょにそれをふところに納めた。凍てた手はふところの中の温みをなつかしく感じた。弁当は食う気がしないで、切り株の上からそのまま取って腰にぶらさげた。半日立ち尽くした足は、動かそうとすると電気をかけられたようにしびれていた。ようようの事で君は雪の中から爪先をぬいて一歩一歩本道のほうへ帰って行った。はるか向こうを見ると山から木材や薪炭を積みおろして来た馬橇がちらほらと動いていて、馬の首につけられた鈴の音がさえた響きをたててかすかに聞こえて来る。それは漂浪の人がはるかに故郷の空を望んだ時のようななつかしい感じを与える。その消え入るような、さびしい、さえた音がことになつかしい。不思議な誘惑の世界から突然現世に帰った人のように、君の心はまだ夢ごこちで、芸術の世界と現実の世界との淡々しい境界線をたどっているのだ。そして君は歩きつづける。
いつのまにか君は町に帰って例の調剤所の小さな部屋で、友だちのKと向き合っている。Kは君のスケッチ帳を興奮した目つきでかしこここ見返している。
「寒かったろう」
とKが言う。君はまだほんとうに自分に帰り切らないような顔つきで、
「うむ。‥‥寒くはなかった。‥‥その線の鈍っているのは寒かったからではないんだ」
と答える。
「鈍っていはしない。君がすっかり何もかも忘れてしまって、駆けまわるように鉛筆をつかった様子がよく見えるよ。きょうのはみんな非常に僕の気に入ったよ。君も少しは満足したろう」
「実際の山の形にくらべて見たまえ。‥‥僕は親父にも兄貴にもすまない」
と君は急いで言いわけをする。
「なんで?」
Kはけげんそうにスケッチ帳から目を上げて君の顔をしげしげと見守る。
君の心の中には苦い灰汁のようなものがわき出て来るのだ。漁にこそ出ないが、ほんとうを言うと、漁夫の家には一日として安閑としていい日とてはないのだ。きょうも、君が一日を絵に暮らしていた間に、君の家では家じゅうで忙しく働いていたのに違いないのだ。建網に損じの有る無し、網をおろす場所の海底の模様、大釜を据えるべき位置、桟橋の改造、薪炭の買い入れ、米塩の運搬、仲買い人との契約、肥料会社との交渉‥‥そのほか鰊漁の始まる前に漁場の持ち主がしておかなければならない事は有り余るほどあるのだ。
君は自分が絵に親しむ事を道楽だとは思っていない。いないどころか、君にとってはそれは、生活よりもさらに厳粛な仕事であるのだ。しかし自然と抱き合い、自然を絵の上に生かすという事は、君の住む所では君一人だけが知っている喜びであり悲しみであるのだ。ほかの人たちは――君の父上でも、兄妹でも、隣近所の人でも――ただ不思議な子供じみた戯れとよりそれを見ていないのだ。君の考えどおりをその人たちの頭の中にたんのうができるように打ちこむというのは思いも及ばぬ事だ。
君は理屈ではなんら恥ずべき事がないと思っている。しかし実際では決してそうは行かない。芸術の神聖を信じ、芸術が実生活の上に玉座を占むべきものであるのを疑わない君も、その事がらが君自身に関係して来ると、思わず知らず足もとがぐらついて来るのだ。
「おれが芸術家でありうる自信さえできれば、おれは一刻の躊躇もなく実生活を踏みにじっても、親しいものを犠牲にしても、歩み出す方向に歩み出すのだが‥‥家の者どもの実生活の真剣さを見ると、おれは自分の天才をそうやすやすと信ずる事ができなくなってしまうんだ。おれのようなものをかいていながら彼らに芸術家顔をする事が恐ろしいばかりでなく、僭越な事に考えられる。おれはこんな自分が恨めしい、そして恐ろしい。みんなはあれほど心から満足して今日今日を暮らしているのに、おれだけはまるで陰謀でもたくらんでいるように始終暗い心をしていなければならないのだ。どうすればこの苦しさこのさびしさから救われるのだろう」
平常のこの考えがKと向かい合っても頭から離れないので、君は思わず「親父にも兄貴にもすまない」と言ってしまったのだ。
「どうして?」と言ったKも、君もそのまま黙ってしまった。Kには、物を言われないでも、君の心はよくわかっていたし、君はまた君で、自分はきれいにあきらめながらどこまでも君を芸術の捧誓者たらしめたいと熱望する、Kのさびしい、自己を滅した、温かい心の働きをしっくりと感じていたからだ。
君ら二人の目は悒鬱な熱に輝きながら、互いに瞳を合わすのをはばかるように、やや燃えかすれたストーブの火をながめ入る。
そうやって黙っているうちに君はたまらないほどさびしくなって来る。自分を憐れむともKを憐れむとも知れない哀情がこみ上げて、Kの手を取り上げてなでてみたい衝動を幾度も感じながら、女々しさを退けるようにむずかゆい手を腕の所で堅く組む。
ふとすすけた天井からたれ下がった電球が光を放った。驚いて窓から見るともう往来はまっ暗になっている。冬の日の舂き隠れる早さを今さらに君はしみじみと思った。掃除の行き届かない電球はごみと手あかとでことさら暗かった。それが部屋の中をなお悒鬱にして見せる。
「飯だぞ」
Kの父の荒々しいかん走った声が店のほうからいかにもつっけんどんに聞こえて来る。ふだんから自分の一人むすこの悪友でもあるかのごとく思いなして、君が行くとかつてきげんのいい顔を見せた事のないその父らしい声だった。Kはちょっと反抗するような顔つきをしたが、陰性なその表情をますます陰性にしただけで、きぱきぱと盾をつく様子もなく、父の心と君の心とをうかがうように声のするほうと君のほうとを等分に見る。
君は長座をしたのがKの父の気にさわったのだと推すると座を立とうとした。しかしKはそういう心持ちに君をしたのを非常に物足らなく思ったらしく、君にもぜひ夕食をいっしょにしろと勧めてやまなかった。
「じゃ僕は昼の弁当を食わずにここに持ってるからここで食おうよ。遠慮なく済まして来たまえ」
と君は言わなければならなかった。
Kは夕食を君に勧めながら、ほんとうはそれを両親に打ち出して言う事を非常に苦にしていたらしく、さればとてまずい心持ちで君をかえすのも堪えられないと思いなやんでいたらしかったので、君の言葉を聞くと活路を見いだしたように少し顔を晴れ晴れさせて調剤室を立って行った。それも思えば一家の貧窮がKの心に染み渡ったしるしだった。君はひとりになると、だんだん暗い心になりまさるばかりだった。
それでも夕飯という声を聞き、戸のすきから漏れる焼きざかなのにおいをかぐと、君は急に空腹を感じだした。そして腰に結び下げた弁当包みを解いてストーブに寄り添いながら、椅子に腰かけたままのひざの上でそれを開いた。
北海道には竹がないので、竹の皮の代わりにへぎで包んだ大きな握り飯はすっかり凍ててしまっている。春立った時節とは言いながら一日寒空に、切り株の上にさらされていたので、飯粒は一粒一粒ぼろぼろに固くなって、持った手の中からこぼれ落ちる。試みに口に持って行ってみると米の持つうまみはすっかり奪われていて、無味な繊維のかたまりのような触覚だけが冷たく舌に伝わって来る。
君の目からは突然、君自身にも思いもかけなかった熱い涙がほろほろとあふれ出た。じっとすわったままではいられないような寂寥の念がまっ暗に胸中に広がった。
君はそっと座を立った。そして弁当を元どおりに包んで腰にさげ、スケッチ帳をふところにねじこむと、こそこそと入り口に行って長靴をはいた。靴の皮は夕方の寒さに凍って、鉄板のように堅く冷たかった。
雪は燐のようなかすかな光を放って、まっ黒に暮れ果てた家々の屋根をおおうていた。さびしいこの横町は人の影も見せなかった。しばらく歩いて例のデパートメント・ストアの出店の角近くに来ると、一人の男の子がスケート下駄(下駄の底にスケートの歯をすげたもの)をはいて、でこぼこに凍った道の上をがりがりと音をさせながら走って来た。その子はスケートに夢中になって、君のそばをすりぬけても君には気がついていないらしい。
「氷の上がすべれだした時はほんとに夢中になるものだ」
君は自分の遠い過去をのぞき込むようにさびしい心の中にもこう思う。何事を見るにつけても君の心は痛んだ。
デパートメント・ストアのある本通りに出ると打って変わってにぎやかだった。電灯も急に明るくなったように両側の家を照らして、そこには店の者と購買者との影が綾を織った。それは君にとっては、その場合の君にとっては、一つ一つ見知らぬものばかりのようだった。そこいらから起こる人声や荷橇の雑音などがぴんぴんと君の頭を針のように刺激する。見物の前に引き出された見世物小屋の野獣のようないらだたしさを感じて、君は眉根の所に電光のように起こる痙攣を小うるさく思いながら、むずかしい顔をしてさっさとにぎやかな往来を突きぬけて漁師町のほうへ急ぐ。
しかし君の家が見えだすと君の足はひとりでにゆるみがちになって、君の頭は知らず知らず、なお低くうなだれてしまった。そして君は疑わしそうな目を時々上げて、見知り越しの顔にでもあいはしないかと気づかった。しかしこの界隈はもう静まり返っていた。
「だめだ」
突然君はこう小さく言って往来のまん中に立ちどまってしまった。そうして立ちすくんだその姿の首から肩、肩から背中に流れる線は、もしそこに見守る人がいたならば、思わずぞっとして異常な憂愁と力とを感ずるに違いない不思議に強い表現を持っていた。
しばらく釘づけにされたように立ちすくんでいた君は、やがて自分自身をもぎ取るように決然と肩をそびやかして歩きだす。
君は自分でもどこをどう歩いたかしらない。やがて君が自分に気がついて君自身を見いだした所は海産物製造会社の裏の険しい崕を登りつめた小山の上の平地だった。
全く夜になってしまっていた。冬は老いて春は来ない――その壊れ果てたような荒涼たる地の上高く、寒さをかすかな光にしたような雲のない空が、息もつかずに、凝然として延び広がっていた。いろいろな光度といろいろな光彩でちりばめられた無数の星々の間に、冬の空の誇りなる参宿が、微妙な傾斜をもって三つならんで、何かの凶徴のようにひときわぎらぎらと光っていた。星は語らない。ただはるかな山すそから、干潮になった無月の潮騒が、海妖の単調な誘惑の歌のように、なまめかしくなでるように聞こえて来るばかりだ。風が落ちたので、凍りついたように寒く沈み切った空気は、この海のささやきのために鈍く震えている。
君はその平地の上に立ってぼんやりあたりを見回していた。君の心の中にはさきほどから恐ろしい企図が目ざめていたのだ。それはきょうに始まった事ではない。ともすれば君の油断を見すまして、泥沼の中からぬるりと頭を出す水の精のように、その企図は心の底から現われ出るのだ。君はそれを極端に恐れもし、憎みもし、卑しみもした。男と生まれながら、そんな誘惑を感ずる事さえやくざな事だと思った。しかしいったんその企図が頭をもたげたが最後、君は魅入られた者のように、もがき苦しみながらも、じりじりとそれを成就するためには、すべてを犠牲にしても悔いないような心になって行くのだ、その恐ろしい企図とは自殺する事なのだ。
君の心は妙にしんと底冷えがしたようにとげとげしく澄み切って、君の目に映る外界の姿は突然全く表情を失ってしまって、固い、冷たい、無慈悲な物の積み重なりに過ぎなかった。無際限なただ一つの荒廃――その中に君だけが呼吸を続けている、それがたまらぬほどさびしく恐ろしい事に思いなされる荒廃が君の上下四方に広がっている。波の音も星のまたたきも、夢の中の出来事のように、君の知覚の遠い遠い末梢に、感ぜられるともなく感ぜられるばかりだった。すべての現象がてんでんばらばらに互いの連絡なく散らばってしまった。その中で君の心だけが張りつめて死のほうへとじりじり深まって行こうとした。重錘をかけて深い井戸に投げ込まれた灯明のように、深みに行くほど、君の心は光を増しながら、感じを強めながら、最後には死というその冷たい水の表面に消えてしまおうとしているのだ。
君の頭がしびれて行くのか、世界がしびれて行くのか、ほんとうにわからなかった。恐ろしい境界に臨んでいるのだと幾度も自分を警めながら、君は平気な気持ちでとてつもないのんきな事を考えたりしていた。そして君は夜のふけて行くのも、寒さの募るのも忘れてしまって、そろそろと山鼻のほうへ歩いて行った。
足の下遠く黒い岩浜が見えて波の遠音が響いて来る。
ただ一飛びだ。それで煩悶も疑惑もきれいさっぱり帳消しになるのだ。
「家の者たちはほんとうに気が違ってしまったとでも思うだろう。‥‥頭が先にくだけるかしらん。足が先に折れるかしらん」
君はまたたきもせずにぼんやり崖の下をのぞきこみながら、他人の事でも考えるように、そう心の中でつぶやく。
不思議なしびれはどんどん深まって行く。波の音なども少しずつかすかになって、耳にはいったりはいらなかったりする。君の心はただいちずに、眠り足りない人が思わず瞼をふさぐように、崖の底を目がけてまろび落ちようとする。あぶない‥‥あぶない‥‥他人の事のように思いながら、君の心は君の肉体を崖のきわからまっさかさまに突き落とそうとする。
突然君ははね返されたように正気に帰って後ろに飛びすざった。耳をつんざくような鋭い音響が君の神経をわななかしたからだ。
ぎょっと驚いて今さらのように大きく目を見張った君の前には平地から突然下方に折れ曲がった崖の縁が、地球の傷口のように底深い口をあけている。そこに知らず知らず近づいて行きつつあった自分を省みて、君は本能的に身の毛をよだてながら正気になった。
鋭い音響は目の下の海産物製造会社の汽笛だった。十二時の交代時間になっていたのだ。遠い山のほうからその汽笛の音はかすかに反響になって、二重にも三重にも聞こえて来た。
もう自然はもとの自然だった。いつのまにか元どおりな崩壊したようなさびしい表情に満たされて涯もなく君の周囲に広がっていた。君はそれを感ずると、ひたと底のない寂寥の念に襲われだした。男らしい君の胸をぎゅっと引きしめるようにして、熱い涙がとめどなく流れ始めた。君はただひとり真夜中の暗やみの中にすすり上げながら、まっ白に積んだ雪の上にうずくまってしまった、立ち続ける力さえ失ってしまって。
九
君よ‼
この上君の内部生活を忖度したり揣摩したりするのは僕のなしうるところではない。それは不可能であるばかりでなく、君を涜すと同時に僕自身を涜す事だ。君の談話や手紙を総合した僕のこれまでの想像は謬っていない事を僕に信ぜしめる。しかし僕はこの上の想像を避けよう。ともかく君はかかる内部の葛藤の激しさに堪えかねて、去年の十月にあのスケッチ帳と真率な手紙とを僕に送ってよこしたのだ。
君よ。しかし僕は君のために何をなす事ができようぞ。君とお会いした時も、君のような人が――全然都会の臭味から免疫されて、過敏な神経や過量な人為的知見にわずらわされず、強健な意力と、強靱な感情と、自然に哺まれた叡智とをもって自然を端的に見る事のできる君のような土の子が――芸術の捧誓者となってくれるのをどれほど望んだろう。けれども僕の喉まで出そうになる言葉をしいておさえて、すべてをなげうって芸術家になったらいいだろうとは君に勧めなかった。
それを君に勧めるものは君自身ばかりだ。君がただひとりで忍ばなければならない煩悶――それは痛ましい陣痛の苦しみであるとは言え、それは君自身の苦しみ、君自身で癒さなければならぬ苦しみだ。
地球の北端――そこでは人の生活が、荒くれた自然の威力に圧倒されて、痩地におとされた雑草の種のように弱々しく頭をもたげてい、人類の活動の中心からは見のがされるほど隔たった地球の北端の一つの地角に、今、一つのすぐれた魂は悩んでいるのだ。もし僕がこの小さな記録を公にしなかったならばだれもこのすぐれた魂の悩みを知るものはないだろう。それを思うとすべての現象は恐ろしい神秘に包まれて見える。いかなる結果をもたらすかもしれない恐ろしい原因は地球のどのすみっこにも隠されているのだ。人はおそれないではいられない。
君が一人の漁夫として一生をすごすのがいいのか、一人の芸術家として終身働くのがいいのか、僕は知らない。それを軽々しく言うのはあまりに恐ろしい事だ。それは神から直接君に示されなければならない。僕はその時が君の上に一刻も早く来るのを祈るばかりだ。
そして僕は、同時に、この地球の上のそこここに君と同じい疑いと悩みとを持って苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ。このせつなる祈りの心は君の身の上を知るようになってから僕の心の中にことに激しく強まった。
ほんとうに地球は生きている。生きて呼吸している。この地球の生まんとする悩み、この地球の胸の中に隠れて生まれ出ようとするものの悩み――それを僕はしみじみと君によって感ずる事ができる。それはわきいで跳り上がる強い力の感じをもって僕を涙ぐませる。
君よ! 今は東京の冬も過ぎて、梅が咲き椿が咲くようになった。太陽の生み出す慈愛の光を、地面は胸を張り広げて吸い込んでいる。春が来るのだ。
君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし‥‥僕はただそう心から祈る。
(一九一八年四月、大阪毎日新聞に一部所載) | 底本:「小さき者へ・生まれいずる悩み」岩波文庫、岩波書店
1940(昭和15)年3月26日第1刷発行
1962(昭和37)年10月16日第26刷改版発行
1998(平成10)年4月6日第71刷改版発行
底本の親本:「生れ出る悩み」叢文閣
1918(大正7)年9月初版発行
入力:土田一柄
校正:丹羽倫子
2000年10月10日公開
2012年8月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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Sometimes with one I love, I fill myself with rage, for fear I effuse unreturn'd love;
But now I think there is no unreturn'd love―the pay is certain, one way or another;
(I loved a certain person ardently, and my love was not return'd;
Yet out of that, I have written these songs.)
-- Walt Whitman --
I exist as I am―that is enough;
If no other in the world be aware, I sit content,
And if each and all be aware, I sit content.
One world is aware, and by far the largest to me, and that is myself;
And whether I come to my own to-day, or in ten thousand or ten million years,
I can cheerfully take it now, or with equal cheerfulness I can wait.
-- Walt Whitman --
一
太初に道があったか行があったか、私はそれを知らない。然し誰がそれを知っていよう、私はそれを知りたいと希う。そして誰がそれを知りたいと希わぬだろう。けれども私はそれを考えたいとは思わない。知る事と考える事との間には埋め得ない大きな溝がある。人はよくこの溝を無視して、考えることによって知ることに達しようとはしないだろうか。私はその幻覚にはもう迷うまいと思う。知ることは出来ない。が、知ろうとは欲する。人は生れると直ちにこの「不可能」と「欲求」との間にさいなまれる。不可能であるという理由で私は欲求を抛つことが出来ない。それは私として何という我儘であろう。そして自分ながら何という可憐さであろう。
太初の事は私の欲求をもってそれに私を結び付けることによって満足しよう。私にはとても目あてがないが、知る日の来らんことを欲求して満足しよう。
私がこの奇異な世界に生れ出たことについては、そしてこの世界の中にあって今日まで生命を続けて来たことについては、私は明かに知っている。この認識を誇るべきにせよ、恥ずべきにせよ、私はごまかしておくことが出来ない。私は私の生命を考えてばかりはいない。確かに知っている。哲学者が知っているように知っているのではないかも知れない。又深い生活の冒険者が知っているように知っているのではないかも知れない。然し私は知っている。この私の所有を他のいかなるものもくらますことは出来ない。又他のいかなる威力も私からそれを奪い取ることは出来ない。これこそは私の存在が所有する唯一つの所有だ。
恐るべき永劫が私の周囲にはある。永劫は恐ろしい。或る時には氷のように冷やかな、凝然としてよどみわたった或るものとして私にせまる。又或る時は眼もくらむばかりかがやかしい、瞬間も動揺流転をやめぬ或るものとして私にせまる。私はそのものの隅か、中央かに落された点に過ぎない。広さと幅と高さとを点は持たぬと幾何学は私に教える。私は永劫に対して私自身を点に等しいと思う。永劫の前に立つ私は何ものでもないだろう。それでも点が存在する如く私もまた永劫の中に存在する。私は点となって生れ出た。そして瞬く中に跡形もなく永劫の中に溶け込んでしまって、私はいなくなるのだ。それも私は知っている。そして私はいなくなるのを恐ろしく思うよりも、点となってここに私が私として生れ出たことを恐ろしく思う。
然し私は生れ出た。私はそれを知る。私自身がこの事実を知る主体である以上、この私の生命は何といっても私のものだ。私はこの生命を私の思うように生きることが出来るのだ。私の唯一の所有よ。私は凡ての懐疑にかかわらず、結局それを尊重愛撫しないでいられようか。涙にまで私は自身を痛感する。
一人の旅客が永劫の道を行く。彼を彼自身のように知っているものは何処にもいない。陽の照る時には、彼の忠実な伴侶はその影であるだろう。空が曇り果てる時には、そして夜には、伴侶たるべき彼の影もない。その時彼は独り彼の衷にのみ忠実な伴侶を見出さねばならぬ。拙くとも、醜くとも、彼にとっては、彼以上のものを何処に求め得よう。こう私は自分を一人の旅客にして見る時もある。
私はかくの如くにして私自身である。けれども私の周囲に在る人や物やは明かに私ではない。私が一つの言葉を申し出る時、私以外の誰が、そして何が、私がその言葉をあらしめるようにあらしめ得るか。私は周囲の人と物とにどう繋がれたら正しい関係におかれるのであろう。如何なる関係も可能ではあり得ないのか。可能ならばそれを私はどうして見出せばいいのか。誰がそれを私に教えてくれるのだろう。……結局それは私自身ではないか。
思えばそれは寂しい道である。最も無力なる私は私自身にたよる外の何物をも持っていない。自己に矛盾し、自己に蹉跌し、自己に困迷する、それに何の不思議があろうぞ。私は時々私自身に対して神のように寛大になる。それは時々私の姿が、母を失った嬰児の如く私の眼に映るからだ。嬰児は何処をあてどもなく匍匐する。その姿は既に十分憐れまれるに足る。嬰児は屡〻過って火に陥る、若しくは水に溺れる。そして僅かにそこから這い出ると、べそをかきながら又匍匐を続けて行く。このいたいけな姿を憐れむのを自己に阿るものとのみ云い退けられるものであろうか。縦令道徳がそれを自己耽溺と罵らば罵れ、私は自己に対するこの哀憐の情を失うに忍びない。孤独な者は自分の掌を見つめることにすら、熱い涙をさそわれるのではないか。
思えばそれは嶮しい道でもある。私の主体とは私自身だと知るのは、私を極度に厳粛にする。他人に対しては与え得ないきびしい鞭打を与えざるを得ないものは畢竟自身に対してだ。誘惑にかかったように私はそこに導かれる。笞にはげまされて振い立つ私を見るのも、打撲に抵抗し切れなくなって倒れ伏す私を見るのも、共に私が生きて行く上に、無くてはならぬものであるのを知る。その時に私は勇ましい。私の前には力一杯に生活する私の外には何物をも見ない。私は乗り越え乗り越え、自分の力に押され押されて未見の境界へと険難を侵して進む。そして如何なる生命の威脅にもおびえまいとする。その時傷の痛みは私に或る甘さを味わせる。然しこの自己緊張の極点には往々にして恐ろしい自己疑惑が私を待ち設けている。遂に私は疲れ果てようとする。私の力がもうこの上には私を動かし得ないと思われるような瞬間が来る。私の唯一つの城廓なる私自身が見る見る廃墟の姿を現わすのを見なければならないのは、私の眼前を暗黒にする。
けれどもそれらの不安や失望が常に私を脅かすにもかかわらず、太初の何であるかを知らない私には、自身を措いてたよるべき何物もない。凡ての矛盾と渾沌との中にあって私は私自身であろう。私を実価以上に値ぶみすることをしまい。私を実価以下に虐待することもしまい。私は私の正しい価の中にあることを勉めよう。私の価値がいかに低いものであろうとも、私の正しい価値の中にあろうとするそのこと自身は何物かであらねばならぬ。縦しそれが何物でもないにしろ、その外に私の採るべき態度はないではないか。一個の金剛石を持つものは、その宝玉の正しい価値に於てそれを持とうと願うのだろう。私の私自身は宝玉のように尊いものではないかも知れない。然し心持に於ては宝玉を持つ人の心持と少しも変るところがない。
私は私のもの、私のただ一つのもの。私は私自身を何物にも代え難く愛することから始めねばならない。
若し私のこの貧しい感想を読む人があった時、この出発点を首肯することが出来ないならば、私はその人に更にいい進むべき何物をも持ち得ない。太初が道であるか行であるかを(考えるのではなく)知り切っている人に取っては、この感想は無視さるべき無益なものであろう。私は自分が極めて低い生活途上に立っているものであることをよく知りぬいている。ただ、今の私はそこに一番堅固な立場を持っているが故に、そこに立つことを恥じまいとするものだ。前にもいったように、私はより高い大きなものに対する欲求を以て、知り得たる現在に安住し得るのを自己に感謝する。
二
私の言おうとする事が読者に十分の理解を与え得なくはないかと恐れる。人が人自身を言い現わすのは一番容易なことであらねばならぬ。何となれば、それはその人自身が最もよく知り抜いている筈の事柄だから。
実際は然しそうではない。私達の用いている言葉は謂わば狼穽のようなものだ。それは獲物を取るには役立つけれども、私達自身に向っては妨げにこそなれ、役には立たない。或は拡大鏡のようなものだ。私達はそれによって身外を見得るけれども、私達自身の顔を見ることは出来ない。或は又精巧な機械といってもよい。私達はそれによって有らゆるものを造り出し得るとしても、遂に私達自身を造り出すことは出来ない。
言葉は意味を表わす為めに案じ出された。然しそれは当初の目的から段々に堕落した。心の要求が言葉を創った。然し今は物がそれを占有する。吃る事なしには私達は自分の心を語る事が出来ない。恋人の耳にささやかれる言葉はいつでも流暢であるためしがない。心から心に通う為めには、何んという不完全な乗り物に私達は乗らねばならぬのだろう。
のみならず言葉は不従順な僕である。私達は屡〻言葉の為めに裏切られる。私達の発した言葉は私達が針ほどの誤謬を犯すや否や、すぐに刃を反えして私達に切ってかかる。私達は自分の言葉故に人の前に高慢となり、卑屈となり、狡智となり、魯鈍となる。
かかる言葉に依頼して私はどうして私自身を誤りなく云い現わすことが出来よう。私は已むを得ず言葉に潜む暗示により多くの頼みをかけなければならない。言葉は私を言い現わしてくれないとしても、その後につつましやかに隠れているあの睿智の独子なる暗示こそは、裏切る事なく私を求める者に伝えてくれるだろう。
暗示こそは人に与えられた子等の中、最も優れた娘の一人だ。然し彼女が慎み深く、穏かで、かつ容易にその面紗を顔からかきのけない為めに、人は屡〻この気高く美しい娘の存在を忘れようとする。殊に近代の科学は何の容赦もなく、如何なる場合にも抵抗しない彼女を、幽閉の憂目にさえ遇わせようとした。抵抗しないという美徳を逆用して人は彼女を無視しようとする。
人間がどうしてか程優れた娘を生み出したかと私は驚くばかりだ。彼女は自分の美徳を認めるものが現われ出るまで、それを沽ろうと企てたことが嘗てない。沽ろうとした瞬間に美徳が美徳でなくなるという第一義的な真理を本能の如く知っているのは彼女だ。又正しく彼女を取り扱うことの出来ないものが、仮初にも彼女に近づけば、彼女は見る見るそのやさしい存在から萎れて行く。そんな人が彼女を捕え得たと思った時には、必ず美しい死を遂げたその亡骸を抱くのみだ。粘土から創り上げられた人間が、どうしてかかる気高い娘を生み得たろう。
私は私自身を言い現わす為めに彼女に優しい助力を乞おう。私は自分の生長が彼女の柔らかな胸の中に抱かれることによって成就したのを経験しているから。しかし人間そのものの向上がどれ程彼女――人間の不断の無視にかかわらず――によって運ばれたかを知っているから。
けれども私は暗示に私を託するに当って私自身を恥じねばならぬ。私を最もよく知るものは私自身であるとは思うけれども、私の知りかたは余りに乱雑で不秩序だ。そして私は言葉の正当な使い道すらも十分には心得ていない。その言葉の後ろに安んじて巣喰うべき暗示の座が成り立つだろうかとそれを私は恐れる。
然し私は行こう。私に取って已み難き要求なる個性の表現の為めに、あらゆる有縁の個性と私のそれとを結び付けようとする厳しい欲求の為めに、私は敢えて私から出発して歩み出して行こう。
私が餓えているように、或る人々は餓えている。それらの人々に私は私を与えよう。そしてそれらの人々から私も受取ろう。その為めには仮りに自分の引込思案を捨ててかかろう。許されるかぎりに於て大胆になろう。
私が知り得る可能性を存分に申し出して見よう。唯この貧しい言葉の中から暗示が姿を隠してしまわない事を私は祈る。
三
神を知ったと思っていた私は、神を知ったと思っていたことを知った。私の動乱はそこから芽生えはじめた。
或る人は私を偽善者ではないかと疑った。どうしてそこに疑いの余地などがあろう。私は明かに偽善者だ。明かに私は偽善者である。そう言明するのが、どれ程偽善的な行為であるぞとの非難が、当然喚び起されるのを知らない私ではない。それにもかかわらず私は明かに偽善者であると言明せねばならぬ。私は屡〻私自身に顧慮する以上に外界に顧慮しているからだ。それは悲しい事には私が弱いからだ。私は弱い者の有らゆる窮策によく通じている。僅かな原因ですぐ陥った一つの小さな虚偽の為めに、二つ三つ四つ五つと虚偽を重ねて行かねばならぬ、その苦痛をも知っている。弱いが故に強いて自分を強く見せようとして、いつでも胸の中を戦慄させていねばならぬ不安も知っている。苦肉の策から、自分の弱味を殊更に捨て鉢に人の前にあらわに取り出して、不意に乗じて一種の尊敬を、そうでなければ一種の憐憫を、搾り取ろうとする自涜も知っている。弱さは真に醜さだ。それを私はよく知っている。
然し偽善者とは弱いということばかりがその本質ではない。本当に弱いものは、その弱さから来る自分の醜さをも悲惨さをも意識しないが故に、その人はそのままの境地に満足することが出来よう。偽善者は不幸にしてただ弱いばかりでなく、その反面に多少の強さを持っている。彼は自分の弱味によって惹き起した醜さ悲惨さを意識し得る強さをも持っているのだ。そしてその弱さを強さによって弥縫しようとするのだ。
強者がその強味を知らず、弱味を知らない間に、偽善者はよくその強味と弱味とを知っている。人はいうだろう、偽善者の本質は、強味を以て弱味を弥縫するばかりでなく、その弥縫に無恥な安住を敢てする点にあると。だから偽善者は救わるることが出来ないのだと。こう云って聞かされると私は偽善者の為めに弁解をしないではいられない心持になる。私自身が偽善者であるが故に自分自身の為めに弁解しようとするだけではない。偽善者そのものになり代って、偽善者の一人なる私が、義人に申し出たいと思わずにはいられないのだ。
何事にも例外はある。その例外を殊更に色濃く描くのをひかえて見て貰ったら、偽善者というものが、強味を以て弱味を弥縫するところに無恥な安住をしているというのは、少しさばけ過ぎた見方だとは云われまいか。私は義人が次の点に於て偽善者を信じていただきたいと思う。それは偽善者もまた心窃かに苦しんでいるという一事だ。考えて見てもほしい。多少の強さと弱さとを同時に持ち合わしているものが、二つの力の矛盾を感じないでいられようか。矛盾を感じながら平然としてそこに無恥の安住をのみ続けていることが出来ようか。
偽善者よ、お前は全くひどい目に遇わされた。それは当然な事だ。お前は本当に不愉快な人間だから。お前はいつでも然り然り否々といい切ることが出来ないから。毎時でもお前には陰険なわけへだてが附きまつわっているから。お前は憎まれていい。辱しめられていい。悪魔視されていい。然しお前の心の隅の人知れぬ苦痛をそっと眺めてやる人はないのか。お前が人並に見られたい為めに、お前自身にさえ隠そうと企てているその人知れぬ苦痛を一寸でも暖かく触ろうという人はないのか。偽善者よ、私は自身偽善者であるが故によくそれを知っている。義人のすぐ隣に住むと考えられている罪人(己れの罪を知ってそれを悲しむ人)は自分の強味と弱味との矛盾を声高く叫び得る幸福な人達なのだ。罪人の持つものも偽善者の持つものも畢竟は同じなのだ。ただ罪人は叫ぶ。それを神が聞く。偽善者は叫ぼうとする程に強さを持ち合わしていない。故に神は聞かない。それだけの差だと私には思える。よきサマリヤ人と悪しきサドカイ人とは、隣り合せに住んでいるのではないか。偽善者なる私は屡〻他人を偽善者と呼んだ。今にして私はそれを悲しく思う。何故に私は人と人との距てをこんなに大きくしようとはしたろう。
こう云ったとて私は、世の義人に偽善者を裁く手心をゆるめて貰いたいと歎願するのではない。偽善者は何といっても義人からきびしく裁かれるふしだらさを持っている。私はただ偽善者もその心の片隅には人に示すのを敢てしない苦痛を持っているという事を知って貰えばいいのだ。それが私の弁解なのだ。
私もその苦痛は持っていた。人の前に私を私以上に立派に見せようとする虚妄な心は有り余るほど持っていたけれども、そこに埋めることの出来ない苦痛をも全く失ってはいなかった。そして或る時には、烏が鵜の真似をするように、罪人らしく自分の罪を上辷りに人と神との前に披露もした。私は私らしく神を求めた。どれ程完全な罪人の形に於て私はそれをなしたろう。恐らく私は誰の眼からも立派な罪人のように見えたに違いない。私は断食もした、不眠にも陥った、痩せもした。一人の女の肉をも犯さなかった。或る時は神を見出だし得んためには、自分の生命を好んで断つのを意としなかった。
他人眼から見て相当の精進と思われるべき私の生活が幾百日か続いた後、私は或る決心を以て神の懐に飛び入ったと実感のように空想した。弱さの醜さよ。私はこの大事を見事に空想的に実行していた。
そして私は完全にせよ、不完全にせよ、甦生していたろうか。復活していたろうか。神によって罪の根から切り放された約束を与えられたろうか。
神の懐に飛び入ったと空想した瞬間から、私が格段に瑕瑾の少い生活に入ったことはそれは確かだ。私が隣人から模範的の青年として取り扱われたことは、私の誇りとしてではなく、私のみじめな懺悔としていうことが出来る。
けれども私は本当は神を知ってはいなかったのだ。神を知り神によりすがると宣言した手前、強いて私の言行をその宣言にあてはめていたに過ぎなかったのだ。それらが如何に弱さの生み出す空想によって色濃く彩られていたかは、私が見事に人の眼をくらましていたのでも察することが出来る。
この時若し私に人の眼の前に罪を犯すだけの強さがあったなら、即ち私の顧慮の対象なる外界と私とを絶縁すべき事件が起ったら、私は偽善者から一躍して正しき意味の罪人になっていたかも知れない。私は自分の罪を真剣に叫び出したかも知れない。そしてそれが恐らくは神に聞かれたろう。然し私はそうなるには余りに弱かった。人はこの場合の私を余り強過ぎたからだといおうとするかも知れない。若しそういう人があるなら、私は明かにそれが誤謬であるのを自分の経験から断言することが出来る。本当に罪人となり切る為めには、自分の凡てを捧げ果てる為めには、私の想像し得られないような強さが必要とせられるのだ。このパラドックスとも見れば見える申し出では決して虚妄でない。罪人のあの柔和なレシグネーションの中に、昂然として何物にも屈しまいとする強さを私は明かに見て取ることが出来る。神の信仰とは強者のみが与かり得る貴族の団欒だ。私は羨しくそれを眺めやる。然し私には、その入場券は与えられていない。私は単にその埓外にいて貴族の物真似をしていたに過ぎないのだ。
基督の教会に於て、私は明かに偽善者の一群に属すべきものであるのを見出してしまった。
砂礫のみが砂礫を知る。金のみが金を知る。これは悲しい事実だ。偽善者なる私の眼には、自ら教会の中の偽善の分子が見え透いてしまった。こんな事を書き進むのは、殆ど私の堪え得ないところだ。私は余りに自分を裸にし過ぎる。然しこれを書き抜かないと、私のこの拙い感想の筆は放げ棄てられなければならない。本当は私も強い人になりたい。そして教会の中に強さが生み出した真の生命の多くを尊く拾い上げたい。私は近頃或る尊敬すべき老学者の感想を読んだが、その中に宗教に身をおいたものが、それを捨てるというようなことをするのは、如何にその人の性格の高貴さが足らないかを現わすに過ぎないということが強い語調で書かれているのを見た。私はその老学者に深い尊敬を払っているが故に、そして氏の生得の高貴な性格を知っているが故に、その言葉の空しい罵詈でないのを感じて私自身の卑陋を悲しまねばならなかった。氏が凡ての虚偽と堕落とに飽満した基督旧教の中にありながら、根ざし深く潜在する尊い要素に自分のけだかさを化合させて、巌のように堅く立つその態度は、私を驚かせ羨ませる。私は全くそれと反対なことをしていたようだ。私は自分が卑陋であるが故に、多くの卑陋なものを見てしまった。私はそれを悲しまねばならない。
然し私は自分の卑陋から、周囲に卑陋なものを見出しておきながら、高貴な性格の人があるように、それを見ないでいることはさすがに出来なかった。卑陋なものを見出しながら、しらじらしく見ない振りをして、寛大にかまえていることは出来なかった。その程度までの偽善者になるには、私の強味が弱味より多過ぎたのかも知れない。そして私は、自分の偽善が私の属する団体を汚さんことを恐れて、そして団体の悪い方の分子が私の心を苦しめるのを厭って、その団体から逃げ出してしまった。私の卑陋はここでも私に卑陋な行いをさせた。私の属していた団体の言葉を借りていえば、私の行の根柢には大それた高慢が働いていたと云える。
けれども私は小さな声で私にだけ囁きたい。心の奥底では、私はどうかして私を偽善者から更に偽善者に導こうとする誘因を避けたい気持がないではなかったということを。それを突き破るだけの強さを持たない私はせめてはそれを避けたいと念じていたのだ。前にもいったように外界に支配され易い私は、手厳しい外界に囲まれていればいる程、自分すら思いもかけぬ偽善を重ねて行くのに気づき、そしてそれを心から恐れるようになってはいたのだ。だから私は私の属していた団体を退くと共に、それまで指導を受けていた先輩達との直接の接触からも遠ざかり始めた。
偽善者であらぬようになりたい。これは私として過分な欲求であると見られるかも知れないけれども、偽善者は凡て、偽善者でなかったらよかろうという心持を何処かの隅に隠しながら持っているのだ。私も少しそれを持っていたばかりだ。
義人、偽善者、罪人、そうした名称が可なり判然区別されて、それがびしびしと人にあてはめられる社会から私が離れて行ったのは、結局悪いことではなかったと私は今でも思っている。
神を知ったと思っていた私は、神を知ったと思っていたことを知った。私の動乱はそこから芽生えはじめた。その動乱の中を私はそろそろと自分の方へと帰って行った。目指す故郷はいつの間にか遙に距ってしまい、そして私は屡〻蹉いたけれども、それでも動乱に動乱を重ねながらそろそろと故郷の方へと帰って行った。
四
長い廻り道。
その長い廻り道を短くするには、自分の生活に対する不満を本当に感ずる外にはない。生老病死の諸苦、性格の欠陥、あらゆる失敗、それを十分に噛みしめて見ればそれでいいのだ。それは然し如何に言説するに易く実現するに難き事柄であろうぞ。私は幾度かかかる悟性の幻覚に迷わされはしなかったか。そしてかかる悟性と見ゆるものが、実際は既定の概念を尺度として測定されたものではなかったか。私は稀にはポーロのようには藻掻いた。然し私のようには藻掻かなかった。親鸞のようには悟った。然し私のようには悟らなかった。それが一体何になろう。これほど体裁のいい外貌と、内容の空虚な実質とを併合した心の状態が外にあろうか。この近道らしい迷路を避けなければならないと知ったのは、長い彷徨を続けた後のことだった。それを知った後でも、私はややもすればこの忌わしい袋小路につきあたって、すごすごと引き返さねばならなかった。
私は自分の個性がどんなものであるかを知りたいために、他人の個性に触れて見ようとした。歴史の中にそれを見出そうと勉めたり、芸術の中にそれを見出そうと試みたり、隣人の中にそれを見出そうと求めたりした。私は多少の知識は得たに違いなかった。私の個性の輪廓は、おぼろげながら私の眼に映るように思えぬではなかった。然しそれは結局私ではなかった。
物を見る事、物をそれ自身の生命に於てあやまたず捕捉する事、それは私が考えていたように容易なことではない。それを成就し得た人こそは世に類なく幸福な人だ。私は見ようと欲しないではなかった。然し見るということの本当の意味を弁えていたといえようか。掴み得たと思うものが暫くするといつの間にか影法師に過ぎぬのを発見するのは苦い味だ。私は自分の心を沙漠の砂の中に眼だけを埋めて、猟人から己れの姿を隠し終せたと信ずる駝鳥のようにも思う。駝鳥が一つの機能の働きだけを隠すことによって、全体を隠し得たと思いこむのと反対に、私は一つの機能だけを働かすことによって、私の全体を働かしていると信ずることが屡〻ある。こうして眺められた私の個性は、整った矛盾のない姿を私に描いて見せてくれるようだけれども、見ている中にそこには何等の生命もないことが明かになって来る。それは感激なくして書かれた詩のようだ。又着る人もなく裁たれた錦繍のようだ。美しくとも、価高くあがなわれても、有りながら有る甲斐のない塵芥に過ぎない。
私が私自身に帰ろうとして、外界を機縁にして私の当体を築き上げようとした試みは、空しい失敗に終らねばならなかった。
聡明にして上品な人は屡〻仮象に満足する。満足するというよりは、人の現象と称えるものも、人の実在と称えるものも、畢竟は意識の――それ自身が仮象であるところの――仮初めな遊戯に過ぎないと傍観する。そこに何等かの執着をつなぎ、葛藤を加えるのは、要するに下根粗笨な外面的見断に支配されての迷妄に過ぎない。それらの境を静かに超越して、嬰児の戯れを見る老翁のように凡ての努力と蹉跌との上に、淋しい微笑を送ろうとする。そこには冷やかな、然し皮相でない上品さが漂っている。或は又凡てを容れ凡てを抱いて、飽くまで外界の跳梁に身を任かす。昼には歓楽、夜には遊興、身を凡俗非議の外に置いて、死にまでその恣まな姿を変えない人もある。そこには皮肉な、然し熱烈な聡明が窺われないではない。私はどうしてそれらの人を弾劾することが出来よう。果てしのない迷執にさまよわねばならぬ人の宿命であって見れば、各〻の瞬間をただ楽しんで生きる外に残される何事があろうぞとその人達はいう。その心持に対して私は白眼を向けることが出来るか。私には出来ない。人は或はかくの如き人々を酔生夢死の徒と呼んで唾棄するかも知れない。然し私にはその人々の何処かに私を牽き付ける或るものが感ぜられる。私には生来持ち合わしていない或る上品さ、或る聡明さが窺われるからだ。
何という多趣多様な生活の相だろう。それはそのままで尊いではないか。そのままで完全な自然な姿を見せているではないか。若し自然にあの絢爛な多種多様があり、独り人間界にそれがなかったならば、宇宙の美と真とはその時に崩れるといってもいいだろう。主義者といわれる人の心を私はこの点に於てさびしく物足らなく思う。彼は自分が授かっただけの天分を提げて人間全体をただ一つの色に塗りつぶそうとする人ではないか。その意気の尊さはいうまでもない。然しその尊さの蔭には尊さそのものをも冰らせるような淋しさが潜んでいる。
ただ私は私自身を私に恰好なように守って行きたい。それだけは私に許される事だと思うのだ。そしてその立場からいうと私はかの聡明にして上品な人々と同情の人であることが出来ない。私にはまださもしい未練が残っていて、凡てを仮象の戯れだと見て心を安んじていることが出来ない。そこには上品とか聡明とかいうことから遙かに遠ざかった多くの vulgarity が残っているのを私自身よく承知している。私は全く凡下な執着に駆られて齷齪する衆生の一人に過ぎない。ただ私はまだその境界を捨て切ることが出来ない。そして捨て切ることの出来ないのを悪いことだとさえ思わない。漫然と私自身を他の境界に移したら、即ち私の個性を本当に知ろうとの要求を擲ったならば、私は今あるよりもなお多くの不安に責められるに違いないのだ。だから私は依然として私自身であろうとする衝動から離れ去ることが出来ない。
外界の機縁で私を創り上げる試みに失敗した私は、更に立ちなおって、私と外界とを等分に向い合って立たせようとした。
私がある。そして私がある以上は私に対立して外界がある。外界は私の内部に明かにその影を投げている。従って私の心の働きは二つの極の間を往来しなければならない。そしてそれが何故悪いのだ。私はまだどんな言葉で、この二つの極の名称をいい現わしていいか知らない。然しこの二つの極は昔から色々な名によって呼ばれている。希臘神話ではディオニソスとアポロの名で、又欧洲の思潮ではヘブライズムとヘレニズムの名で、仏典では色相と空相の名で、或は唯物唯心、或は個人社会、或は主義趣味、……凡て世にありとあらゆる名詞に対を成さぬ名詞はないと謂ってもいいだろう。私もまたこのアンティセシスの下にある。自分が思い切って一方を取れば、是非退けねばならない他の一方がある。ジェーナスの顔のようにこの二つの極は渾融を許さず相反いている。然し私としてはその二つの何れをも潔く捨てるに忍びない。私の生の欲求は思いの外に強く深く、何者をも失わないで、凡てを味い尽して墓場に行こうとする。縦令私が純一無垢の生活を成就しようとも、この存在に属するものの中から何かを捨ててしまわねばならぬとなら、それは私には堪え得ぬまでに淋しいことだ。よし私は矛盾の中に住み通そうとも、人生の味いの凡てを味い尽さなければならぬ。相反して見ゆる二つの極の間に彷徨うために、内部に必然的に起る不安を得ようとも、それに忍んで両極を恐れることなく掴まねばならぬ。若しそれらを掴むのが不可能のことならば、公平な観察者鑑賞者となって、両極の持味を髣髴して死のう。
人間として持ち得る最大な特権はこの外にはない。この特権を捨てて、そのあとに残されるものは、捨てるにさえ値しない枯れさびれた残り滓のみではないか。
五
けれども私はそこにも満足を得ることが出来なかった。私は思いもよらぬ物足らぬ発見をせねばならなかった。両極の観察者になろうとした時、私の力はどんどん私から遁れ去ってしまったのだ。実験のみをしていて、経験をしない私を見出した時、私は何ともいえない空虚を感じ始めた。私が触れ得たと思う何れの極も、共に私の命の糧にはならないで、何処にまれ動き進もうとする力は姿を隠した。私はいつまでも一箇所に立っている。
これは私として極端に堪えがたい事だ。かのハムレットが感じたと思われる空虚や頼りなさはまた私にも存分にしみ通って、私は始めて主義の人の心持を察することが出来た。あの人々は生命の空虚から救い出されたい為めに、他人の自由にまで踏み込んでも、力の限りを一つの極に向って用いつつあるのだ。それは或る場合には他人にとって迷惑なことであろうとも、その人々に取っては致命的に必要なことなのだ。主義の為めには生命を捨ててもその生命の緊張を保とうとするその心持はよく解る。
然しながら私には生命を賭しても主張すべき主義がない。主義というべきものはあるとしても、それが為めに私自身を見失うまでにその為めに没頭することが出来ない。
やはり私はその長い廻り道の後に私に帰って来た。然し何というみじめな情ない私の姿だろう。私は凡てを捨ててこの私に頼らねばならぬだろうか。私の過去には何十年の遠きにわたる歴史がある。又私の身辺には有らゆる社会の活動と優れた人間とがある。大きな力強い自然が私の周囲を十重二十重に取り巻いている。これらのものの絶大な重圧は、この憐れな私をおびえさすのに十分過ぎる。私が今まで自分自身に帰り得ないで、有らん限りの躊躇をしていたのも、思えばこの外界の威力の前に私自身の無為を感じていたからなのだ。そして何等かの手段を運らしてこの絶大の威力と調和し若しくは妥協しようとさえ試みていたのだった。しかもそれは私の場合に於ては凡て失敗に終った。そういう試みは一時的に多少私の不安を撫でさすってくれたとしても、更に深い不安に導く媒になるに過ぎなかった。私はかかる試みをする始めから、何かどうしてもその境遇では満足し得ない予感を持ち、そしてそれがいつでも事実になって現われた。私はどうしてもそれらのものの前に at home に自分自身を感ずることが出来なかった。
それは私が大胆でかつ誠実であったからではない。偽善者なる私にも少しばかりの誠実はあったと云えるかも知れない。けれど少くとも大胆ではなかった。私は弱かったのだ。
誰でも弱い人がいかなる心の状態にあるかを知っている。何物にも信頼する事の出来ないのが弱い人の特長だ。しかも何物にか信頼しないではいられないのが他の特長だ。兎は弱い動物だ。その耳はやむ時なき猜疑に震えている。彼は頑丈な石窟に身を託する事も、幽邃な深林にその住居を構えることも出来ない。彼は小さな藪の中に彼らしい穴を掘る。そして雷が鳴っても、雨が来ても、風が吹いても、犬に追われても、猟夫に迫られても、逃げ廻った後にはそのみじめな、壊れ易い土の穴に最後の隠れ家を求めるのだ。私の心もまた兎のようだ。大きな威力は無尽蔵に周囲にある。然し私の怯えた心はその何れにも無条件的な信頼を持つことが出来ないで、危懼と躊躇とに満ちた彷徨の果てには、我ながら憐れと思う自分自身に帰って行くのだ。
然し私はこれを弱いものの強味と呼ぶ。何故といえば私の生命の一路はこの極度の弱味から徐ろに育って行ったからだ。
ここまで来て私は自ら任じて強しとする人々と袖を別たねばならぬ。その人々はもう私に呆れねばならぬ時が来た。私はしょうことなしに弱さに純一になりつつ、益〻強い人々との交渉から身を退けて行くからだ。ニイチェは弱い人だった。彼もまた弱い人の通性として頑固に自分に執着した。そこから彼の超人の哲学は生れ出たが、そしてそれは強い人に恰好な背景を与える結果にはなったが、それを解して彼が強かったからだと思うのは大きな錯誤といわねばならぬ。ルッソーでもショーペンハウエルでも等しくそうではなかったか。強い人は幸にして偉人となり、義人となり、君子となり、節婦となり、忠臣となる。弱い人はまた幸にして一個の尋常な人間となる。それは人々の好き好きだ。私は弱いが故に後者を選ぶ外に途が残されていなかったのだ。
運命は畢竟不公平であることがない。彼等には彼等のものを与え、私には私のものを与えてくれる。しかも両者は一度は相失う程に分れ別れても、何時かは何処かで十字路頭にふと出遇うのではないだろうか。それは然し私が顧慮するには及ばないことだ。私は私の道を驀地に走って行く外はない。で、私は更にこの筆を続けて行く。
六
私の個性は私に告げてこう云う。
私はお前だ。私はお前の精髄だ。私は肉を離れた一つの概念の幽霊ではない。また霊を離れた一つの肉の盲動でもない。お前の外部と内部との溶け合った一つの全体の中に、お前がお前の存在を有っているように、私もまたその全体の中で厳しく働く力の総和なのだ。お前は地球の地殻のようなものだ。千態万様の相に分れて、地殻は目まぐるしい変化を現じてはいるが、畢竟そこに見出されるものは、静止であり、結果であり、死に近づきつつあるものであり、奥行のない現象である。私は謂わば地球の外部だ。単純に見るとそこには渾沌と単一とがあるばかりとも思われよう。けれどもその実質をよく考えてみると、それは他の星の世界と同じ実質であり、その中に潜む力は一瞬時にして、地殻を思いのままに破壊することも出来、新たに地表を生み出すことも出来るのだ。私とお前とは或る意味に於て同じものだ。然し他の意味に於て較べものにならない程違ったものだ。地球の内部は外部からは見られない。外部から見て、一番よく気のつく所は何といっても表面だ。だから人は私に注意せずに、お前ばかりを見て、お前の全体だと窺っているし、お前もまたお前だけの姿を見て、私を顧みず、恐れたり、迷ったり、臆したり、外界を見るにもその表面だけを伺って満足している。私に帰って来ない前にお前が見た外界の姿は誠の姿ではない。お前は私が如何なるものであるかを本当に知らない間は、お前の外界を見る眼はその正しい機能を失っているのだ。それではいけない。そんなことでは縦令お前がどれ程齷齪して進んで行こうとも、急流を遡ろうとする下手な泳手のように、無益に藻掻いてしかも一歩も進んではいないのだ。地球の内部が残っていさえすれば、縦令地殻が跡形なく壊れてしまっても、一つの遊星としての存在を続ける事が出来るのだ。然し内部のない地球というものは想像して見ることも出来ないだろう。それと同じに私のないお前は想像することが出来ないのだ。
お前に取って私以上に完全なものはない。そういったとて、その意味は、世の中の人が概念的に案出する神や仏のように、完全であろうというのではない。お前が今まで、宗教や、倫理や、哲学や、文芸などから提供せられた想像で測れば、勿論不完全だということが出来るだろう。成程私は悪魔のように恥知らずではないが、又天使のように清浄でもない。私は人間のように人間的だ。私の今のこの瞬間の誇りは、全力を挙げて何の躊躇もなく人間的であるということに帰する。私の所に悪魔だとか天使だとか、お前の頭の中で、こね上げた偶像を持って来てくれるな。お前が生きなければならないこの現在にとって、それらのものとお前との間には無益有害な広い距離が挾まっている。
お前が私の極印を押された許可状を持たずに、霊から引放した肉だけにお前の身売りをすると、そこに実質のない悪魔というものが、さも厳めしい実質を備えたらしく立ち現われるのだ。又お前が肉から強いて引き離した霊だけに身売りをすると、そこに実質のない天使というものが、さも厳めしい実質を備えたらしく立ち現われるのだ。そんな事をしてる中に、お前は段々私から離れて行って、実質のない幻影に捕えられ、そこに、奇怪な空中楼閣を描き出すようになる。そして、お前の衷には苦しい二元が建立される。霊と肉、天国と地獄、天使と悪魔、それから何、それから何……対立した観念を持ち出さなければ何んだか安心が出来ない、そのくせ観念が対立していると何んだか安心が出来ない、両天秤にかけられたような、底のない空虚に浮んでいるような不安がお前を襲って来るのだ。そうなればなる程お前は私から遠ざかって、お前のいうことなり、思うことなり、実行することなりが、一つ残らず外部の力によって支配されるようになる。お前には及びもつかぬ理想が出来、良心が出来、道徳が出来、神が出来る。そしてそれは、皆私がお前に命じたものではなくて、外部から借りて来たものばかりなのだ。そういうものを振り廻して、お前はお前の寄木細工を造り始めるのだ。そしてお前は一面に、悪魔でさえが眼を塞ぐような醜い賤しい思いをいだきながら、人の眼につく所では、しらじらしくも自分でさえ恥かしい程立派なことをいったり、立派なことを行ったりするのだ。しかもお前はそんな蔑むべきことをするのに、尤もらしい理由をこしらえ上げている。聖人や英雄の真似をするのは――も少し聞こえのいい言葉遣いをすれば――聖人や英雄の言行を学ぶのは、やがて聖人でもあり英雄でもある素地を造る第一歩をなすものだ。我れ、舜の言を言い、舜の行を行わば、即ち舜のみというそれである。かくして、お前は心の隅に容易ならぬ矛盾と、不安と、情なさとを感じながら、益〻高く虚妄なバベルの塔を登りつめて行こうとするのだ。
悪いことには、お前のそうした態度は、社会の習俗には都合よくあてはまって行く態度なのだ。人間の生活はその欲求の奥底には必ず生長という大事な因子を持っているのだけれども、社会の習俗は平和――平和というよりも単なる無事に執着しようとしている。何事もなく昨日の生活を今日に繋ぎ、今日の生活を明日に延ばすような生活を最も面倒のない生活と思い、そういう無事の日暮しの中に、一日でも安きを偸もうとしているのだ。これが社会生活に強い惰性となって膠着している。そういう生活態度に適応する為めには、お前のような行き方は大変に都合がいい。お前の内部にどれ程の矛盾があり表裏があっても、それは習俗的な社会の頓着するところではない。単にお前が殊勝な言行さえしていれば、社会は無事に治まって泰平なのだ。社会はお前を褒めあげて、お前に、お前が心窃かに恥じねばならぬような過大な報償を贈ってよこす。お前は腹の中で心苦しい苦笑いをしながらも、その過分な報償に報ゆるべく益〻私から遠ざかって、心にもない犬馬の労を尽しつつ身を終ろうとするのだ。
そんなことをして、お前が外部の圧迫の下に、虚偽な生活を続けている間に、何時しかお前は私をだしぬいて、思いもよらぬ聖人となり英雄となりおおせてしまうだろう。その時お前はもうお前自身ではなくなって、即ち一個の人間ではなくなって、人間の皮を被った専門家になってしまうのだ。仕事の上の専門家を私達は尊敬せねばならぬ。然し生活の習俗性の要求にのみ耳を傾けて、自分を置きざりにして、外部にのみ身売りをする専門家は、既に人間ではなくして、いかに立派でも、立派な一つの機械にしか過ぎない。
いかにさもしくとも力なくとも人間は人間であることによってのみ尊い。人間の有する尊さの中、この尊さに優る尊さを何処に求め得よう。この尊さから退くことは、お前を死滅に導くのみならず、お前の奉仕しようとしている社会そのものを死滅に導く。何故ならば人間の社会は生きた人間に依ってのみ造り上げられ、維持され、存続され、発達させられるからだ。
お前は機械になることを恥じねばならぬ。若し聊かでもそれを恥とするなら、そう軽はずみな先き走りばかりはしていられない筈だ。外部ばかりに気を取られていずに、少しは此方を向いて見るがいい。そして本当のお前自身なるお前の個性がここにいるのを思い出せ。
私を見出したお前は先ず失望するに違いない、私はお前が夢想していたような立派な姿の持主ではないから。お前が外部的に教え込まれている理想の物指にあてはめて見ると、私はいかにも物足らない存在として映るだろう。私はキャリバンではない代りにエーリヤルでもない。悪魔ではない代りに天使でもない。私にあっては霊肉というような区別は全く無益である。また善悪というような差別は全く不可能である。私は凡ての活動に於て、全体として生長するばかりだ。花屋は花を珍重するだろう。果物屋は果実を珍重するだろう。建築家はその幹を珍重するだろう。然し桜の木自身にあっては、かかる善悪差別を絶したところにただ生長があるばかりだ。然し私の生長は、お前が思う程迅速なものではない。私はお前のように頭だけ大きくしたり、手脚だけ延ばしたりしただけでは満足せず、その全体に於て動き進まねばならぬからだ。理想という疫病に犯されているお前は、私の歩き方をもどかしがって、生意気にも私をさしおいて、外部の要求にのみ応じて、先き走りをしようとするのだ。お前は私より早く走るようだが、畢竟は遅く走っているのだ。何故といえば、お前が私を出し抜いて、外部の刺戟ばかりに身を任せて走り出して、何処かに行き着くことが出来たとしても、その時お前は既に人間ではなくなって、一個の専門家即ち非情の機械になっているからだ。お前自身の面影は段々淡くなって、その淡くなったところが、聖人や英雄の襤褸布で、つぎはぎになっているからだ。その醜い姿をお前はいつしか発見して後悔せねばならなくなる。後悔したお前はまたすごすごと私の所まで後戻りするより外に道がないのだ。
だからお前は私の全支配の下にいなければならない。お前は私に抱擁せられて歩いて行かなければならない。
個性に立ち帰れ。今までのお前の名誉と、功績と、誇りとの凡てを捨てて私に立ち帰れ。お前は生れるとから外界と接触し、外界の要求によって育て上げられて来た。外界は謂わばお前の皮膚を包む皮膚のようになっている。お前の個性は分化拡張して、しかも稀薄な内容になって、中心から外部へ散漫に流出してしまった。だからお前が、私を出し抜いて先き走りをするのも一面からいえば無理のないことだ。そしてお前は私に相談もせずに、愛のない時に、愛の籠ったような行いをしたり、憎しみを心の中に燃やしながら、寛大らしい振舞いをしたりしたろう。そしてそんな浮薄なことをする結果として、不可避的に心の中に惹き起される不愉快な感じを、お前は努力に伴う自らの感じと強いて思いこんだ。お前の感情を訓練するのだと思った。そんな風にお前が私と没交渉な愚かなことをしている間は、縦令山程の仕事をし遂げようとも、お前自身は寸分の生長をもなし得てはいないのだ。そしてこの浅ましい行為によってお前は本当の人間の生活を阻害し、生命のない生活の残り滓を、いやが上に人生の路上に塵芥として積み上げるのだ。花屋の為めに一本の桜の樹は花ばかりの生存をしていてもいいかも知れない。その結果それが枯れ果てたら、花屋は遠慮なくその幹を切り倒して他の苗木を植えるだろうから。然し人間の生活の中に在る一人の人間はかくあってはならない。その人間が個性を失うのは、取りもなおさず社会そのものの生命を弱めることだ。
お前も一度は信仰の門をくぐったことがあろう。人のすることを自分もして見なければ、何か物足りないような淋しさから、お前は宗教というものにも指を染めて見たのだ。お前が知るであろう通りに、お前の個性なる私は、渇仰的という点、即ち生長の欲求を烈しく抱いている点では、宗教的ということが出来る。然し私はお前のような浮薄な歩き方はしない。
お前は私のここにいるのを碌々顧みもせずに、習慣とか軽い誘惑とかに引きずられて、直ぐに友達と、聖書と、教会とに走って行った。私は深い危懼を以てお前の例の先き走りを見守っていた。お前は例の如く努力を始めた。お前の努力から受ける感じというのは、柄にもない飛び上りな行いをした後に毎時でも残される苦しい後味なのだ。お前は一方に崇高な告白をしながら、基督のいう意味に於て、正しく盗みをなし、姦淫をなし、人殺しをなし、偽りの祈祷をなしていたではないか。お前の行いが疚ましくなると「人の義とせらるるは信仰によりて、律法の行いに依らず」といって、乞食のように、神なるものに情けを乞うたではないか。又お前の信仰の虚偽を発かれようとすると「主よ主よというもの悉く天国に入るにあらず、吾が天に在す神の旨に遵るもののみなり」といってお前を弁護したではないか。お前の神と称していたものは、畢竟するに極く幽かな私の影に過ぎなかった。お前は私を出し抜いて宗教生活に奔っておきながら、お前の信仰の対象なる神を、私の姿になぞらえて造っていたのだ。そしてお前の生活には本質的に何等の変化も来さなかった。若し変化があったとしても、それは表面的なことであって、お前以外の力を天啓としてお前が感じたことなどはなかった。お前は強いて頭を働かして神を想像していたに過ぎないのだ。即ちお前の最も表面的な理智と感情との作用で、かすかな私の姿を神にまで捏ねあげていたのだ。お前にはお前以外の力がお前に加わって、お前がそれを避けるにもかかわらず、その力によって奮い起たなければならなかったような経験は一度もなかったのだ。それだからお前の祈りは、空に向って投げられた石のように、冷たく、力なく、再びお前の上に落ちて来る外はなかったのだ。それらの苦々しい経験に苦しんだにもかかわらず、お前は頑固にもお前自身を欺いて、それを精進と思っていた。そしてお前自身を欺くことによって他人をまで欺いていた。
お前はいつでも心にもない言行に、美しい名を与える詐術を用いていた。然しそれに飽き足らず思う時が遂に来ようとしている。まだいくらか誠実が残っていたのはお前に取って何たる幸だったろう。お前は絶えて久しく捨ておいた私の方へ顔を向けはじめた。今、お前は、お前の行為の大部分が虚偽であったのを認め、またお前は真の意味で、一度も祈祷をしたことのない人間であるのを知った。これからお前は前後もふらず、お前の個性と合一する為めにいそしまねばならない。お前の個性に生命の泉を見出し、個性を礎としてその上にありのままのお前を築き上げなければならない。
七
私の個性は更に私に告げてこう云う。
お前の個性なる私は、私に即して行くべき道のいかなるものであるかを説こうか。
先ず何よりも先に、私がお前に要求することは、お前が凡ての外界の標準から眼をそむけて、私に帰って来なければならぬという一事だ。恐らくはそれがお前には頼りなげに思われるだろう。外界の標準というものは、古い人類の歴史――その中には凡ての偉人と凡ての聖人とを含み、凡ての哲学と科学、凡ての文化と進歩とを蓄えた宏大もない貯蔵場だ――と、現代の人類活動の諸相との集成から成り立っている。それからお前が全く眼を退けて、私だけに注意するというのは、便りなくも心細くも思われることに違いない。然し私はお前に云う。躊躇するな。お前が外界に向けて拡げていた鬚根の凡てを抜き取って、先を揃えて私の中に揷し入れるがいい。お前の個性なる私は、多くの人の個性に比べて見たら、卑しく劣ったものであろうけれども、お前にとっては、私の外により完全なものはないのだ。
かくてようやく私に帰って来たお前は、これまでお前が外界に対してし慣れていたように、私を勝手次第に切りこまざいてはならぬ。お前が外界と交渉していた時のように、善悪美醜というような見方で、強いて私を理解しようとしてはならぬ。私の要求をその統合のままに受け入れねばならぬ。お前が私の全要求に応じた時に於てのみ私は生長を遂げるであろう。私はお前が従う為めに結果される思想なり言説なり行為なりが、仮りに外界の伝説、習慣、教訓と衝突矛盾を惹き起すことがあろうとも、お前は決して心を乱して、私を疑うようなことをしてはならぬ。急がず、躊らわず、お前の個性の生長と完成とを心がけるがいい。然しここにくれぐれもお前に注意しておかねばならぬのは、今までお前が外面的の、約束された、習俗的な考え方で、個性の働きを解釈したり、助成したりしてはならぬという事だ。例えば個性の要求の結果が一見肉に属する慾の遂行のように思われる時があっても、それをお前が今まで考えていたように、簡単に肉慾の遂行とのみ見てはならぬ。同様に、その要求が一見霊に属するもののように思われても、それを全然肉から離して考えるということは、個性の本然性に背いた考え方だ。私達の肉と霊とは哲学者や宗教家が概念的に考えているように、ものの二極端を現わしているものでないのは勿論、それは差別の出来ない一体となってのみ個性の中には生きているのだ。水を考えようとする場合に、それを水素と酸素とに分解して、どれ程綿密に二つの元素を研究したところが、何の役にも立たないだろう。水は水そのものを考えることによってのみ理解される。だから私がお前に望むところは、私の要求を、お前が外界の標準によって、支離滅裂にすることなく、その全体をそのまま摂受して、そこにお前の満足を見出す外にない。これだけの用意が出来上ったら、もう何の躊躇もなく驀進すべき準備が整ったのだ。私の誇りかなる時は誇りかとなり、私の謙遜な時は謙遜となり、私の愛する時愛し、私の憎む時憎み、私の欲するところを欲し、私の厭うところを厭えばいいのである。
かくしてお前は、始めてお前自身に立ち帰ることが出来るだろう。この世に生れ出て、産衣を着せられると同時に、今日までにわたって加えられた外界の圧迫から、お前は今始めて自由になることが出来る。これまでお前が、自分を或る外界の型に篏める必要から、強いて不用のものと見て、切り捨ててしまったお前の部分は、今は本当の価値を回復して、お前に取ってはやはり必要欠くべからざる要素となった。お前の凡ての枝は、等しく日光に向って、喜んで若芽を吹くべき運命に逢い得たのだ。その時お前は永遠の否定を後ろにし、無関心の谷間を通り越して、初めて永遠の肯定の門口に立つことが出来るようになった。
お前の実生活にもその影響がない訳ではない。これからのお前は必然によって動いて、無理算段をして動くことはない。お前の個性が生長して今までのお前を打ち破って、更に新しいお前を造り出すまで、お前は外界の圧迫に余儀なくされて、無理算段をしてまでもお前が動く必然を見なくなる。例えばお前が外界に即した生活を営んでいた時、お前は控え目という道徳を実行していたろう。お前は心にもなく善行をし過すことを恐れて、控目に善行をしていたろう。然しお前は自分の欠点を隠すことに於ては、中々控目には隠していなかった。寧ろ恐ろしい大胆さを以て、お前の心の醜い秘密を人に知られまいとしたではないか。お前は人の前では、秘かに自任しているよりも、低く自分の徳を披露して、控目という徳性を満足させておきながら、欲念というような実際の弱点は、一寸見には見つからない程、綿密に上手に隠しおおせていたではないか。そういう態度を私は無理算段と呼ぶのだ。然し私に即した生活にあっては、そんな無理算段はいらないことだ。いかなる欲念も、畢竟お前の個性の生長の糧となるのであるが故に、お前はそれに対して臆病であるべき必要がなくなるだろう。即ち、お前は、私の生長の必然性のためにのみ変化して、外界に対しての顧慮から伸び縮みする必要は絶対になくなるべき筈だ。何事もそれからのことだ。
お前はまた私に帰って来る前に、お前が全く外界の標準から眼を退けて、私を唯一無二の力と頼む前に、人類に対するお前の立場の調和について迷ったかも知れない。驀地にお前が私と一緒になって進んで行くことが、人類に対して迷惑となり、その為めに人間の進歩を妨げ、従って生活の秩序を破り、節度を壊すような結果を多少なりとも惹き起しはしまいか。そうお前は迷ったろう。
それは外界にのみ執着しなれたお前に取っては考えられそうなことだ。然しお前がこの問題に対して真剣になればなる程、そうした外部的な顧慮は、お前には考えようとしても考えられなくなって来るだろう。水に溺れて死のうとする人が、世界の何処かの隅で、小さな幸福を得た人のあるのを想像して、それに祝福を送るというようなことがとてもあり得ないと同様に、お前がまことに緊張して私に来る時には、それから結果される影響などは考えてはいられない筈だ。自分の罪に苦しんで、荊棘の中に身をころがして、悶えなやんだ聖者フランシスが、その悔悟の結果が、人類にどういう影響を及ぼすだろうかと考えていたかなどと想像するようなものは、人の心の正しい尊さを、露程も味ったことのない憐れな人といわなければならないだろう。
お前にいって聞かす。そういう問いを発し、そういう疑いになやむ間は、お前は本当に私の所に帰って来る資格は持ってはいないのだ。お前はまだ徹底的に体裁ばかりで動いている人間だ。それを捨てろ。それを捨てなければならぬ程に今までの誤謬に眼を開け。私は前後を顧慮しないではいられない程、緩慢な歩き方はしていない。自分の生命が脅かされているくせに、外界に対してなお閑葛藤を繋いでいるようなお前に対しては、恐らく私は無慈悲な傍観者であるに過ぎまい。私は冷然としてお前の惨死を見守ってこそいるだろうが、一臂の力にも恐らくなってはやらないだろう。
又お前は、前にもいったことだが、単に専門家になったことだけでは満足が出来なくなる。一体人は自分の到る処に自分の主でなければならぬ。然るに専門家となるということは、自分を人間生活の或る一部門に売り渡すことでもある。多かれ少かれ外界の要求の犠牲となることである。完全な人間――個性の輪廓のはっきりまとまった人間となりたいと思わないものが何処にあろう。然るにお前はよくこの第一義の要求を忘れてしまって、外聞という誘惑や、もう少し進んだところで、社会一般の進歩を促し進めるというような、柄にもない非望に駆られて、お前は甘んじて一つしかないお前の全生命を片輪にしてしまいたがるのだ。然しながら私の所に帰って来たお前は、そんな危険な火山頂上の舞踏はしていない。お前の手は、お前の頭は、お前の職業は、いかに分業的な事柄にわたって行こうとも、お前は常にそれをお前の個性なる私に繋いでいるからだ。お前は大抵の分業にたずさわっても自分自身であることが出来る。しかのみならず、若しお前のしている仕事が、到底お前の個性を満足し得ない時には、お前は個性の満足の為めに仕事を投げ捨てることを意としないであろう。少くともかかる理不尽な生活を無くなすように、お前の個性の要求を申出すだろう。お前のかくすることは、無事ということにのみ執着したがる人間の生活には、不都合を来す結果になるかも知れない。又表面的な進歩ばかりをめやすにしている社会には不便を起すことがあるかも知れない。然しお前はそれを気にするには及ばない。私は明かに知っている。人間生活の本当の要求は無事ということでもなく、表面だけの進歩ということでもないことを。その本当の要求は、一箇の人間の要求と同じく生長であることを。だからお前は安んじて、確信をもって、お前の道を選べばいいのだ。精神と物質とを、個性と仕事とを互に切り放した文明がどれ程進歩しようとも、それは無限の沙漠に流れこむ一条の河に過ぎない。それはいつか細って枯れはててしまう。
私はこれ以上をもうお前にいうまい。私は老婆親切の饒舌の為めに既に余りに疲れた。然しお前は少し動かされたようだな。選ぶべき道に迷い果てたお前の眼には、故郷を望み得たような光が私に対して浮んでいる。憐れな偽善者よ。強さとの平均から常に破れて、或る時は稍〻強く、或る時は強さを羨む外にない弱さに陥る偽善者よ。お前の強さと弱さとが平均していないのはまだしもの幸だった。お前は多分そこから救い出されるだろう。その不平均の撞着の間から僅かばかりなりともお前の誠実を拾い出すだろう。その誠実を取り逃すな。若しそれが純であるならば、誠実は微量であっても事足りる。本当をいうと不純な誠実というものはない。又量定さるべき誠実というものはない。誠実がある。そこには純粋と凡てとがあるのだ。だからお前は誠実を見出したところに勇み立つがいい、恐れることはない。
起て。そこにお前の眼の前には新たな視野が開けるだろう。それをお前は私に代って言い現わすがいい。
お前は私にこの長い言葉を無駄に云わせてはならない。私は暖かい手を拡げて、お前の来るのを待っているぞよ。
私の個性は私にかく告げてしずかに口をつぐんだ。
八
私の個性は少しばかりではあるが、私に誠実を許してくれた。然し誠実とはそんなものでいいのだろうか。私は八方摸索の結果、すがり附くべき一茎の藁をも見出し得ないで、已むことなく覚束ない私の個性――それは私自身にすら他の人のそれに比して、少しも優れたところのない――に最後の隠家を求めたに過ぎない。それを誠実といっていいのだろうか。けれども名前はどうでもいい。或る人は私の最後の到達を私の卑屈がさせた業だというだろう。或る人は又私の勇気がさせた業だというかも知れない。ただ私自身にいわせるなら、それは必至な或る力が私をそこまで連れて来たという外はない。誰でもが、この同じ必至の力に促されていつか一度はその人自身に帰って行くのだ。少くとも死が間近かに彼に近づく時には必ずその力が来るに相違ない。一人として早晩個性との遭遇を避け得るものはない。私もまた人間の一人として、人間並みにこの時個性と顔を見合わしたに過ぎない。或る人よりは少し早く、そして或る人よりは甚だおそく。
これは少くとも私に取っては何よりもいいことだった。私は長い間の無益な動乱の後に始めて些かの安定を自分の衷に見出した。ここは居心がいい。仕事を始めるに当って、先ず坐り心地のいい一脚の椅子を得たように思う。私の仕事はこの椅子に倚ることによって最もよく取り運ばれるにちがいないのを得心する。私はこれからでも無数の煩悶と失敗とを繰り返すではあろうけれども、それらのものはもう無益に繰り返される筈がない。煩悶も必ず滋養ある食物として私に役立つだろう。私のこの椅子に身を託して、私の知り得たところを主に私自身のために書き誌しておこうと思う。私はこれを宣伝の為めに書くのではない。私の経験は狭く貧しくして、とてもそんな普遍的な訴えをなし得ないことを私はよく知っている。ただ私に似たような心の過程に在る少数の人がこれを読んで僅かにでも会心の微笑を酬ゆる事があったら、私自身を表現する喜びの上に更に大きな喜びが加えられることになる。
秩序もなく系統もなく、ただ喜びをもって私は書きつづける。
九
センティメンタリズム、リアリズム、ロマンティシズム――この三つのイズムは、その何れかを抱く人の資質によって決定せられる。或る人は過去に現われたもの、若しくは現わるべかりしものに対して愛着を繋ぐ。そして現在をも未来をも能うべくんば過去という基調によって導こうとする。凡ての美しい夢は、経験の結果から生れ出る。経験そのものからではない。そういう見方によって生きる人はセンティメンタリストだ。
また或る人は未来に現われるもの、若しくは現わるべきものに対して憧憬を繋ぐ。既に現われ出たもの、今現われつつあるものは、凡て醜く歪んでいる。やむ時なき人の欲求を満たし得るものは現われ出ないものの中にのみ潜んでいなければならない。そういう見方によって生きる人はロマンティシストだ。
更に又或る人は現在に最上の価値をおく。既に現われ終ったものはどれほど優れたものであろうとも、それを現在にも未来にも再現することは出来ない。未来にいかなるよいものが隠されてあろうとも、それは今私達の手の中にはない。現在には過去に在るような美しいものはないかも知れない。又未来に夢見られるような輝かしいものはないかも知れない。然しここには具体的に把持さるべき私達自身の生活がある。全力を尽してそれを活きよう。そういう見方によって生きる人はリアリストだ。
第一の人は伝説に、第二の人は理想に、第三の人は人間に。
この私の三つのイズムに対する見方は誤っていないだろうか。若し誤っていないなら、私はリアリストの群れに属する者だといわなければならぬ。何故といえば、私は今私自身の外に依頼すべき何者をも持たないから。そしてこの私なるものは現在にその存在を持っているのだから。
私にも私の過去と未来とはある。然し私が一番頼らねばならぬ私は、過去と未来とに挾まれたこの私だ。現在のこの瞬間の私だ。私は私の過去や未来を蔑ろにするものではない。縦令蔑ろにしたところが、実際に於て過去は私の中に滲み透り、未来は私の現在を未知の世界に導いて行く。それをどうすることも出来ない。唯私は、過去未来によって私の現在を見ようとはせずに、現在の私の中に過去と未来とを摂取しようとするものだ。私の現在が、私の過去であり、同時に未来であらせようとするものだ。即ち過去に対しては感情の自由を獲得し、未来に対しては意志の自由を主張し、現在の中にのみ必然の規範を立しようとするものだ。
何故お前はその立場に立つのだと問われるなら、そうするのが私の資質に適するからだという外には何等の理由もない。
私には生命に対する生命自身の把握という事が一番尊く思われる。即ち生命の緊張が一番好ましいものに思われる。そして生命の緊張はいつでも過去と未来とを現在に引きよせるではないか。その時伝説によって私は判断されずに、私が伝説を判断する。又私の理想は近々と現在の私に這入りこんで来て、このままの私の中にそれを実現しようとする。かくて私は現在の中に三つのイズムを統合する。委しくいうと、そこにはもう、三つのイズムはなくして私のみがある。こうした個性の状態を私は一番私に親しいものと思わずにいられないのだ。
私の現在はそれがある如くある外はない。それは他の人の眼から見ていかに不完全な、そして汚点だらけのものであろうとも、又私が時間的に一歩その境から踏み出して、過去として反省する時、それがいかに物足らないものであろうとも、現在に生きる私に取っては、その現在の私は、それがあるようにしかあり得ない。善くとも悪くともその外にはあり得ないのだ。私に取っては、私の現在はいつでも最大無限の価値を持っている。私にはそれに代うべき他の何物もない。私の存在の確実な承認は各〻の現在に於てのみ与えられる。
だから私に取っては現在を唯一の宝玉として尊重し、それを最上に生き行く外に残された道はない。私はそこに背水の陣を布いてしまったのだ。
といって、私は如何にして過去の凡てを蔑視し、未来の凡てを無視することが出来よう。私の現在は私の魂にまつわりついた過去の凡てではないか。そこには私の親もいる。私の祖先もいる。その人達の仕事の全量がある。その人々や仕事を取り囲んでいた大きな世界もある。或る時にはその上を日も照し雨も潤した。或る時は天界を果から果まで遊行する彗星が、その稀れなる光を投げた。或る時は地球の地軸が角度を変えた。それらの有らゆる力はその力の凡てを集めて私の中に積み重っているのではないか。私はどうしてそれを蔑視することが出来よう。私は仮りにその力を忘れていようとも、その力は瞬転の間も私を忘れることはない。ただ私はそれらのものを私の現在から遊離して考えるのを全く無益徒労のことと思うだけだ。それらのものは厳密に私の現在に織りこまれることによってのみその価値を有し得るということに気が付いたのだ。畢竟現在の中に摂取し尽された過去は、人が仮りにそれを過去という言葉で呼ぼうとも、私にとっては現在の外の何物でもない。現在というものの本体をここまで持って来なければ、その内容は全く成り立たない。
私は遊離した状態に在る過去を現在と対立させて、その比較の上に個性の座位を造ろうとする虚ろな企てには厭き果てたのだ。それは科学者がその経験物を取り扱う態度を直ちに生命にあてはめようとする愚かな無駄な企てではないか。科学者と実験との間には明かに主客の関係がある。然し私と私の個性との間には寸分の間隙も上下もあってはならぬ。凡ての対立は私にあって消え去らなければならぬ。
未来についても私は同じ事が言い得ると思う。私を除いて私の未来(といわず未来の全体)を完成し得るものはない。未来の成行きを考える場合、私という一人の人間を度外視しては、未来の相は成り立たない。これは少しも高慢な言葉ではない。その未来を築き上げるものは私の現在だ。私の現在が失われているならば、私の未来は生れ出て来ない。私の現在が最上に生きられるなら、私の未来は最上に成り立つ。眼前の緊張からゆるんで、単に未来を空想することが何で未来の創造に塵ほどの益にもなり得よう。未来を考えないまでに現在に力を集めた時、よき未来は刻々にして創り出されているのではないか。
センティメンタリストの痛ましくも甘い涙は私にはない。ロマンティシストの快く華やかな想像も私にはない。凡ての欠陥と凡ての醜さとを持ちながらも、この現在は私に取っていかに親しみ深くいかに尊いものだろう。そこにある強い充実の味と人間らしさとは私を牽きつけるに十分である。この饗応は私を存分に飽き足らせる。
一〇
然しながら個性の完全な飽満と緊張とは如何に得がたきものであるよ。燃焼の生活とか白熱の生命とかいう言葉は紙と筆とをもってこそ表わし得ようけれども、私の実際の生活の上には容易に来てくれることがない。然し私にも全くないことではなかった。私はその境界がいかに尊く難有きものであるかを幽かながらも窺うことが出来た。そしてその醍醐味の前後にはその境に到り得ない生活の連続がある。その関係を私はこれから朧ろげにでも書き留めておこう。
外界との接触から自由であることの出来ない私の個性は、縦令自主的な生活を導きつつあっても、常に外界に対し何等かの角度を保ってその存在を持続しなければならない。或る時は私は外界の刺戟をそのままに受け入れて、反省もなく生活している。或る時は外界の刺戟に対して反射的に意識を動かして生活している。又或る時は外界の刺戟を待たずに、私の生命が或る已むなき内的の力に動かされて外界に働きかける。かかる変化はただ私の生命の緊張度の強弱によって結果される。これは智的活動、情的活動、意志的活動というように、生命を分解して生活の状態を現わしたものではない。人間の個性の働きを言い現わす場合にかかる分解法によるのは私の最も忌むところである。人間の生命的過程に智情意というような区別は実は存在していないのだ。生命が或る対象に対して変化なく働き続ける場合を意志と呼び、対象を変じ、若しくは力の量を変化して生命が働きかける場合を情といい、生命が二つ以上の対象について選択をなす場合を智と名づけたに過ぎないのだ。人の心的活動は三頭政治の支配を受けているのではない。もっと純一な統合的な力によって総轄されているのだ。だから少し綿密な観察者は、智と情との間に、情と意志との間に、又意志と智との間に、判然とはその何れにも従わせることの出来ない幾多の心的活動を発見するだろう。虹彩を検する時、赤と青と黄との間に無限数の間色を発見するのと同一だ。赤青黄は元来白によって統一さるべき仮象であるからである。かくて私達が太陽の光線そのものを見窮めようとする時、分解された諸色をいかに研究しても、それから光線そのものの特質の全体を知悉することが出来ぬと同様に、智情意の現象を如何に科学的に探究しても、心的活動そのものを掴むことは思いもよらない。帰納法は記述にのみ役立つ。然し本体の表現には役立たない。この簡単な原理は屡〻閑却される。科学に、従って科学的研究に絶大の価値をおこうとする現代にあっては、帰納法の根本的欠陥は往々無反省に閑却される。
さて私は岐路に迷い込もうとしたようだ。私は再び私の当面の問題に帰って行こう。
外界の刺戟をそのまま受け入れる生活を仮りに習性的生活(habitual life)と呼ぶ。それは石の生活と同様の生活だ。石は外界の刺戟なしには永久に一所にあって、永い間の中にただ滅して行く。石の方から外界に対して働きかける場合は絶無だ。私には下等動物といわれるものに通有な性質が残っているように、無機物の生活さえが膠着していると見える。それは人の生活が最も緩慢となるところには何時でも現われる現象だ。私達の祖先が経験し尽した事柄が、更に繰り返されるに当っては、私達はもう自分の能力を意識的に働かす必要はなくなる。かかる物事に対する生活活動は単に習性という形でのみ私達に残される。
チェスタートンが、「いかなる革命家でも家常茶飯事については、少しも革命家らしくなく、尋常人と異らない尋常なことをしている」といったのはまことだ。革命家でもない私にはかかる生活の態度が私の活動の大きな部分を占めている。毎朝私は顔を洗う。そして顔を洗う器具に変化がなければ、何等の反省もなく同じ方法で顔を洗う。若し不注意の為めにその方法を誤るようなことでもあれば、却ってそれを不愉快の種にする位だ。この生活に於ては全く過去の支配の下にある。私の個性の意識は少しもそこに働いていない。
私はかかる生活を無益だというのではない。かかる生活を有するが為めに私の日常生活はどれ程煩雑な葛藤から救われているか知れない。この緩慢な生活が一面に成り立つことによって、私達は他面に、必要な方面、緊張した生活の欲求を感じ、それを達成することが出来る。
然しかかる生活は私の個性からいうと、個性の中に属させたらいいものかわるいものかが疑われる。何故ならば、私の個性は厳密に現在に執着しようとし、かかる生活は過去の集積が私の個性とは連絡なく私にあって働いているというに過ぎないから。その上かかる生活の内容は甚だ不安定な状態にある。外界の事情が聊かでも変れば、もうそこにはこの生活は成り立たない。そして私がこれからいおうとする智的生活の圏内に這入ってしまう。私は安んじてこの生活に倚りかかっていることが出来ない。
又本能として自己の表現を欲求する個性は、習性的生活にのみ依頼して生存するに堪えない。単なる過去の繰り返しによって満足していることが出来ない。何故なら、そこには自己がなくしてただ習性があるばかりだから、外界と自己との間には無機的な因縁があるばかりだから。私は石から、せめては草木なり鳥獣になり進んで行きたいと希う。この欲求の緊張は私を駆って更に異った生活の相を選ばしめる。
一一
それを名づけて私は智的生活(intellectual life)とする。
この種の生活に於て、私の個性は始めて独立の存在を明かにし、外界との対立を成就する。それは反射の生活である。外界が個性に対して働きかけた時、個性はこれに対して意識的の反応をする。即ち経験と反省とが、私の生活の上に表われて来る。これまで外界に征服されて甘んじていた個性はその独自性を発揮して、外界を相手取って挑戦する。習性的生活に於て私は無元の世界にいた。智的生活に於て私は始めて二元の生活に入る。ここには私がいる。かしこには外界がある。外界は私に攻め寄せて来る。私は経験という形式によって外界と衝突する。そしてこの経験の戦場から反省という結果が生れ出て来る。それは或る時には勝利で、或る時には敗北であるであろう。
その何れにせよ、反省は経験の結果を似寄りの部門に選び分ける。かく類別せられた経験の堆積を人々は知識と名づける。知識を整理する為めに私は信憑すべき一定の法則を造る。かく知識の堆積の上に建て上げられた法則を人々は道徳と名づける。
道徳は対人的なものだという見解は一応道理ではあるけれども、私はそうは思わない。孤島に上陸したばかりの孤独なロビンソン・クルーソーにも自己に対しての道徳はあったと思う。何等の意味に於てであれ、外界の刺戟に対して自己をよりよくして行こうという動向は道徳とはいえないだろうか。クルーソーが彼の為めに難破船まで什器食料を求めに行ったのは、彼自身に取っての道徳ではなかったろうか。然しクルーソーはやがてフライデーを殺人者から救い出した。クルーソーとフライデーとは最上の関係に於て生きることを互に要求した。クルーソーは自己に対する道徳とフライデーに対する道徳との間に分譲点を見出さねばならなかった。フライデーも同じ努力をクルーソーに対してなした。この二人の努力は幸に一致点を見出した。かくて二人は孤島にあって、美しい間柄で日を過したのみならず、遂に船に救われて英国の土を踏むことが出来た。フライデーが来てからは、その孤島には対人的道徳即ち社会道徳が出来たけれども、クルーソー一人の時には、そこに一の道徳も存在しなかったと云おうとするのは、思い誤りでありはしまいか。道徳とは自己と外界(それが自然であろうと人間であろうと)との知識に基する正しい自己の立場の決定である。だから、道徳は一人の人の上にも、二人以上の人々の間にも当然成り立たねばならぬものだ。但し両方の場合に於て道徳の内容は知識の変化と共に変化する。知識の内容は外界の変化と共に変化する。それ故道徳は外界の変化につれてまた変化せざるを得ぬ。
世には道徳の変易性を物足らなく思う人が少くないようだ。自分を律して行くべき唯一の規準が絶えず変化せねばならぬという事は、直ちに人間生活の不安定そのものを予想させる。人間の持っている道徳の後には何か不変な或るものがあって、変化し易い末流の道徳も、謂わばそこに仮りの根ざしを持つものに相違ない。不完全な人間は一気にその普遍不易の道徳の根元を把握しがたい為めに、模索の結果として誤ってその一部を彼等の規準とするに過ぎぬ。一部分であるが故に、それは外界の事情によっては修正の必要を生ずるだろうけれども、それは直ちに徹底的に道徳そのものの変易性を証拠立てるものにはならない。そう或る人々は考えるかも知れない。
それでも私は道徳の内容は絶えず変易するものだと言い張りたい。私に普遍不易に感ぜられるものは、私に内在する道徳性である。即ち知識の集成の中から必ず自己を外界に対して律すべき規準を造り出そうとする動向は、その内容(緊張度の増減は論じないで)に於て変化することなく自存するのを知っている。然し道徳性と道徳とが全く異った観念であるのは、誰でも容易に判る筈だ。私に取っては、道徳の内容の変化するのは少しも不思議ではない。又困ることでもない。ただ変えようと思っても変えることの出来ないのは、道徳を生み出そうとする動向だ。そしてその内容が変化すると仮定するのは私に取って淋しいことだ。然し幸に私はそれを不安に思う必要はない。私は自分の経験によってその不易を十分に知っているから。
知識も道徳も変化する。然しそれが或る期間固定していて、私の生活の努力がその内容を充実し得ない間は、それはどこまでも、知識として又道徳として厳存する。然し私の生活がそれらを乗り越してしまうと、知識も道徳も習性の閾の中に退き去って、知識若しくは道徳としての価値が失われてしまう。私が無意識に、ただ外界の刺戟にのみ順応して行っている生活の中にも、或は他の或る人が見て道徳的行為とするものがあるかも知れない。然しその場合私に取っては決して道徳的行為ではない。何故ならば、道徳的である為めには私は努力をしていなければならないからだ。
智的生活は反省の生活であるばかりでなく努力の生活だ。人類はここに長い経験の結果を綜合して、相共に依拠すべき範律を作り、その範律に則って自己を生活しなければならぬ。努力は実に人を石から篩い分ける大事な試金石だ。動植物にあってはこの努力という生活活動は無意識的に、若しくは苦痛なる生活の条件として履行されるだろう。然し人類は努力を単なる苦痛とのみは見ない。人類に特に発達した意識的動向なる道徳性の要求を充たすものとして感ぜられる。その動向を満足する為めに人類は道徳的努力を伴う苦痛を侵すことを意としない。この現われは人類の歴史を荘厳なものにする。
誰か智的生活の所産なる知識と道徳とを讃美しないものがあろう。それは真理に対する人類の倦むことなき精進の一路を示唆する現象だ。凡ての懐疑と凡ての破壊との間にあって、この大きな力は嘗て磨滅したことがない。かのフェニックスが火に焼かれても、再び若々しい存在に甦って、絶えず両翼を大空に向って張るように、この精進努力の生活は人類がなお地上の王なる左券として、長くこの世に栄えるだろう。
然し私はこの生活に無上の安立を得て、更に心の空しさを感ずることがないか。私は否と答えなければならない。私は長い廻り道の末に、尋ねあぐねた故郷を私の個性に見出した。この個性は外界によって十重二十重に囲まれているにもかかわらず、個性自身に於て満ち足らねばならぬ。その要求が成就されるまでは絶対に飽きることがない。智的生活はそれを私に満たしてくれたか。満たしてはくれなかった。何故ならば智的生活は何といっても二元の生活であるからだ。そこにはいつでも個性と外界との対立が必要とせられる。私は自然若しくは人に対して或る身構えをせねばならぬ。経験する私と経験を強いる外界とがあって知識は生れ出る。努力せんとする私とその対象たる外界があって道徳は発生する。私が知識そのものではなく道徳そのものではない。それらは私と外界とを合理的に繋ぐ橋梁に過ぎない。私はこの橋梁即ち手段を実在そのものと混同することが出来ないのだ。私はまた平安を欲すると共に進歩を欲する。潤色(elaboration)を欲すると共に創造を欲する。平安は既存の事体の調節的持続であり、進歩は既存の事体の建設的破棄である。潤色は在るものをよりよくすることであり、創造は在らざりしものをあらしめることである。私はその一方にのみ安住しているに堪えない。私は絶えず個性の再造から再造に飛躍しようとする。然るに智的生活は私のこの飛躍的な内部要求を充足しているか。
智的生活の出発点は経験である。経験とは要するに私の生活の残滓である。それは反省――意識のふりかえり――によってのみ認識せられる。一つの事象が知識になるためにはその事象が一たび生活によって濾過されたということを必要な条件とする。ここに一つの知識があるとする。私がそれを或る事象の認識に役立つものとして承認するためには、縦令その知識が他人の経験の結果によって出来上ったものであれ、私の経験もまたそれを裏書したものでなければならぬ。私の経験が若しその知識の基本となった経験と全然没交渉であったなら、私は到底それを自分の用い得る知識として承認することは出来ない筈だ。だから私の有する知識とは、要するに私の過去を整理し、未来に起り来るべき事件を取り扱う上の参考となるべき用具である。私と道徳とに於ける関係もまた全く同様な考え方によって定めることが出来る。即ち知識も道徳も既存の経験に基いて組み立てられたもので、それがそのまま役立つためには、私の生活が同一軌道を繰り返し繰り返し往来するのを一番便利とする。そしてそこには進歩とか創造とかいう動向の活躍がおのずから忌み避けられなければならない。
私の生活が平安であること、そしてその内容が潤色されることを私は喜ばないとはいわない。私の内部にはいうまでもなくかかる要求が大きな力を以て働いている。私はその要求の達成を智的生活に向って感謝せねばならぬ。けれども私は永久にこの保守的な動向にばかり膠着して満足するだろうか。
一個人よりも活動の遅鈍になり勝ちな社会的生活にあっては、この保守的な智的生活の要求は自然に一個人のそれよりも強い。平安無事ということは、社会生活の基調となりたがる。だから今の程度の人類生活の様式下にあっては、個人的の飛躍的動向を無視圧迫しても、智的生活の確立を希望する。現代の政治も、教育も、学術も、産業も、大体に於てはこの智的生活の強調と実践とにその目標をおいている。だから若し私がこの種の生活にのみ安住して、社会が規定した知識と道徳とに依拠していたならば、恐らく社会から最上の報酬を与えられるだろう。そして私の外面的な生存権は最も確実に保障されるだろう。そして社会の内容は益〻平安となり、潤色され、整然たる形式の下に統合されるだろう。
然し――社会にもその動向は朧ろげに看取される如く――私には智的生活よりも更に緊張した生活動向の厳存するのをどうしよう。私はそれを社会生活の為めに犠牲とすべきであるか。社会の最大の要求なる平安の為めに、進歩と創造の衝動を抑制すべきであるか。私の不満は謂れのない不満であらねばならぬだろうか。
社会的生活は往々にして一個人のそれより遅鈍であるとはいえ、私の持っているものを社会が全然欠いているとは思われない。何故ならば、私自身が社会を組立てている一分子であるのは間違いのないことだから。私の欲するところは社会の欲するところであるに相違ない。そして私は平安と共に進歩を欲する。潤色と共に創造を欲する。その衝動を社会は今継子扱いにはしているけれども――そして社会なるものは性質上多分永久にそうであろうけれども――その何処かの一隅には必ず潜勢力としてそれが伏在していなければならぬ。社会は社会自身の意志に反して絶えず進歩し創造しつつあるから。
私が私自身になり切る一元の生活、それを私は久しく憧れていた。私は今その神殿に徐ろに進みよったように思う。
一二
ここまでは縦令たどたどしいにせよ、私の言葉は私の意味しようとするところに忠実であってくれた。然しこれから私が書き連ねる言葉は、恐らく私の使役に反抗するだろう。然し縦令反抗するとも私はこれで筆を擱くことは出来ない。私は言葉を鞭つことによって自分自身を鞭って見る。私も私の言葉もこの個性表現の困難な仕事に対して蹉くかも知れない。ここまで私の伴侶であった(恐らくは少数の)読者も、絶望して私から離れてしまうかも知れない。私はその時読者の忍耐の弱さを不満に思うよりも私自身の体験の不十分さを悲しむ外はない。私は言葉の堕落をも尤めまい。かすかな暗示的表出をたよりにしてとにかく私は私自身を言い現わして見よう。
無元から二元に、二元から一元に。保存から整理に、整理から創造に。無努力から努力に、努力から超努力に。これらの各〻の過程の最後のものが今表現せらるべく私の前にある。
個性の緊張は私を拉して外界に突貫せしめる。外界が個性に向って働きかけない中に、個性が進んで外界に働きかける。即ち個性は外界の刺戟によらず、自己必然の衝動によって自分の生活を開始する。私はこれを本能的生活(impulsive life)と仮称しよう。
何が私をしてこの衝動に燃え立たせるか。私は知らない。然し人は自然界の中にこの衝動の仮りの姿を認めることが出来ないだろうか。
地球が造られた始めにはそこに痕跡すら有機物は存在しなかった。そこに、或る時期に至って有機物が現われ出た。それは或る科学者が想像するように他の星体から隕石に混入して地表に齎されたとしても、少くとも有機物の存在に不適当だった地球は、いつの間にかその発達にすら適合するように変化していたのだ。有機物の発生に次いで単細胞の生物が現われ出た。そして生長と分化とが始まった。その姿は無機物の結晶に起る成長らしい現象とは多くの点に於て相違していた。単細胞生物はやがて複細胞生物となり、一は地上に固着して植物となり、一は移動性を利用して動物となった。そして動物の中から人類が発生するまでに、その進化の過程には屡〻創造と称せらるべき現象が続出した。続出したというよりも凡ての過程は創造から創造への連続といっていい。習性及び形態の保存に固着してカリバンのように固有の生活にしがみ附こうとする生物を或る神秘な力が鞭ちつつ、分化から分化へと飛躍させて来た。誰がこの否む可らざる目前の事実に驚異せずにはいられよう。地上の存在をかく導き来った大きな力はまた私の個性の核心を造り上げている。私の個性は或る已みがたい力に促されて、新たなる存在へ躍進しようとする。その力の本源はいつでも内在的である。内発的である。一つの花から採取した月見草の種子が、同一の土壌に埋められ、同一の環境の下に生い出ても、多様多趣の形態を取って萠え出ずるというドフリスの実験報告は、私の個性の欲求をさながらに翻訳して見せてくれる。若しドフリスの Mutation Theory が実験的に否認される時が来たとしても、私の個性は、それは単にドフリスの実験の誤謬であって、自然界の誤謬ではないと主張しよう。少くとも地球の上には、意識的であると然らざるとに係わらず、個性認識、個性創造の不思議な力が働いているのだ。ベルグソンのいう純粋持続に於ける認識と体験は正しく私の個性が承認するところのものだ。個性の中には物理的の時間を超越した経験がある。意識のふりかえりなる所謂反省によっては掴めない経験そのものが認識となって現われ出る。そこにはもう自他の区別はない。二元的な対立はない。これこそは本当の生命の赤裸々な表現ではないか。私の個性は永くこの境地への帰還にあこがれていたのだ。
例えば大きな水流を私は心に描く。私はその流れが何処に源を発し、何処に流れ去るのかを知らない。然しその河は漾々として無辺際から無辺際へと流れて行く。私は又その河の両岸をなす土壌の何物であるかをも知らない。然しそれはこの河が億劫の年所をかけて自己の中から築き上げたものではなかろうか。私の個性もまたその河の水の一滴だ。その水の押し流れる力は私を拉して何処かに押し流して行く。或る時には私は岸辺近く流れて行く。そして岸辺との摩擦によって私を囲む水も私自身も、中流の水にはおくれがちに流れ下る。更に或る時は、人がよく実際の河流で観察し得るように、中流に近い水の速力の為めに蹴押されて逆流することさえある。かかる時に私は不幸だ。私は新たなる展望から展望へと進み行くことが出来ない。然し私が一たび河の中流に持ち来されるなら、もう私は極めて安全でかつ自由だ。私は河自身の速力で流れる。河水の凡てを押し流すその力によって私は走っているのだけれども、私はこの事実をすら感じない。私は自分の欲求の凡てに於て流れ下る。何故ならば、河の有する最大の流速は私の欲求そのものに外ならないから。だから私は絶対に自由なのだ。そして両岸の摩擦の影響を受けねばならぬ流域に近づくに従って、私は自分の自由が制限せられて来るのを苦々しく感じなければならない。そこに始めて私自身の外に厳存する運命の手が現われ出る。私はそこでは否むべからざる宿命の感じにおびえねばならぬ。河の水は自らの位置を選択すべき道を知らぬ。然し人間はそれを知っている。そしてその選択を実行することが出来る。それは人間の有する自覚がさせる業である。
人は運命の主であるか奴隷であるか。この問題は屡〻私達を悒鬱にする。この問題の決定的批判なしには、神に対する悟りも、道徳律の確定も、科学の基礎も、人間の立場も凡て不安定となるだろう。私もまたこの問題には永く苦しんだ。然し今はかすかながらもその解決に対する曙光を認め得た心持がする。
若し本能的生活が体験せられたなら、それを体験した人は必ず人間の意志の絶対自由を経験したに違いない。本能の生活は一元的であってそれを牽制すべき何等の対象もない。それはそれ自身の必然な意志によって、必然の道を踏み進んで行く。意志の自由とは結局意志そのものの必然性をいうのではないか。意志の欲求を認めなければ、その自由不自由の問題は起らない。意志の欲求を認め、その意志の欲求が必然的であるのを認め、本能的境地に置かれた意志は本能そのものであって、それを遮る何者もないことを知ったなら、私達のいう意志の自由はそのまま肯定せられなければならぬ。
智的生活以下に於てはそういう訳には行かない。智的生活は常に外界との調節によってのみ成り立つ。外界の存在なくしてはこの生活は働くことが出来ない。外界は常に智的生活とは対立の関係にあって、しかも智的生活の所縁になっている。かくしてその生活は自由であることが出来ない。のみならず智的生活の様式は必ず過去の反省によって成り立つという事を私は前に申し出した。既になし遂げられた生活は――縦令それが本能的生活であっても――なし遂げられた生活である。その形は復と変易することがない。智的生活は実にこの種の固定し終った生活の認識と省察によって成り立つのである。その省察の持ち来たす概念がどうして宿命的な色彩を以て色づけられないでいよう。だから人の生活は或は宿命的であり或は自由であり得るといおう。その宿命的である場合は、その生活が正しき緊張から退縮した時である。正しい緊張に於て生活される間は個性は必ず絶対的な自由の意識の中にある。だから一層正しくいえば、根柢的な人間の生活は自由なる意志によって導かれ得るのだ。
同時に本能の生活には道徳はない。従って努力はない。この生活は必至的に自由な生活である。必至には二つの道はない。二つの道のない所には善悪の選択はない。故にそれは道徳を超越する。自由は sein であって sollen ではない。二つの道の間に選ぶためにこそ努力は必要とせられるけれども、唯一筋道を自由に押し進むところに何の努力の助力が要求されよう。
私は創造の為めに遊戯する。私は努力しない。従って努力に成功することも、失敗することもない。成功するにつけて、運命に対して謙遜である必要はない。又失敗するにつけて運命を顧みて弁疏させる必要もない。凡ての責任は――若しそれを強いて言うならば――私の中にある。凡ての報償は私の中にある。
例えばここに或る田園がある。その中には田疇と、山林と、道路と、家屋とが散在して、人々は各〻その或る部分を私有し、田園の整理と平安とに勤んでいる。他人の畑を収穫するものは罪に問われる。道路を歩まないで山林を徘徊するものは警戒される。それはそうあるべきことだ。何故といえば、畑はその所有者の生計のために存在し、道路は旅人の交通のために設けられているのだから。それは私に智的生活の鳥瞰図を開展する。ここに人がある。彼はその田園の外に拡がる未踏の地を探険すべき衝動を感じた。彼は田園を踏み出して、その荒原に足を入れた。そこには彼の踏み進むべき道路はない。又掠奪すべき作物はない。誰がその時彼の踏み出した脚の一歩について尤めだてをする事が出来るか。彼が自ら奮って一歩を未知の世界に踏み出した事それ自身が善といえば善だ。彼の脚は道徳の世界ならざる世界を踏んでいるのだ。それは私に本能的生活の面影を微かながら髣髴させる。
黒雲を劈いて天の一角から一角に流れて行く電光の姿はまた私に本能の奔流の力強さと鋭さを考えさせる。力ある弧状を描いて走るその電光のここかしこに本流から分岐して大樹の枝のように目的点に星馳する支流を見ることがあるだろう。あの支流の末は往々にして、黒雲に呑まれて消え失せてしまう。人間の本能的生活の中にも屡〻かかる現象は起らないだろうか。或る人が純粋に本能的の動向によって動く時、誤って本能そのものの歩みよりも更に急ごうとする。そして遂に本能の主潮から逸して、自滅に導く迷路の上を驀地に馳せ進む。そして遂に何者でもあらぬべく消え去ってしまう。それは悲壮な自己矛盾である。彼の創造的動向が彼を空しく自滅せしめる。智的生活の世界からこれを眺めると、一つの愚かな蹉跌として眼に映ずるかも知れない。たしかに合理的ではない。又かかる現象が智的生活の渦中に発見された場合には道徳的ではない。然しその生活を生活した当体なる一つの個性に取っては、善悪、合理非合理の閑葛藤を揷むべき余地はない。かくばかり緊張した生活が、自己満足を以て生活された、それがあるばかりだ。智的生活を基調として生活し、その生活の基準に慣らされた私達は動〻もするとこの基準のみを以て凡ての現象を理智的に眺めていはしないか。そして智的生活を一歩踏み出したところに、更に緊張した純真な生活が伏在するのを見落すようなことはないか。若しそうした態度にあるならば、それはゆゆしき誤謬といわねばならぬ。人間の創造的生活はその瞬間に停止してしまうからだ。この本能的に対しておぼろげながらも推察の出来ない社会は、豚の如く健全な社会だといい得る外の何物でもあり得ない。
自由なる創造の世界は遊戯の世界であり、趣味の世界であり、無目的の世界である。努力を必要としないが故に遊戯と云ったのである。義務を必要としないが故に趣味といったのである。生活そのものが目的に達する手段ではないが故に無目的といったのである。緩慢な、回顧的な生活にのみ囲繞されている地上の生活に於て、私はその最も純粋に近い現われを、相愛の極、健全な愛人の間に結ばれる抱擁に於て見出だすことが出来ると思う。彼等の床に近づく前に道徳知識の世界は影を隠してしまう。二人の男女は全く愛の本能の化身となる。その時彼等は彼等の隣人を顧みない、彼等の生死を慮らない。二人は単に愛のしるしを与えることと受け取ることとにのみ燃える。そして忘我的な、苦痛にまでの有頂天、それは極度に緊張された愛の遊戯である。その外に何物でもない。しかもその間に、人間のなし得る創造としては神秘な絶大な創造が成就されているのだ。ホイットマンが「アダムの子等」に於て、性慾を歌い、大自然の雄々しい裸かな姿を髣髴させるような瞬間を讃美したことに何んの不思議があろう。そしてエマアソンがその撤回を強要した時、敢然として耳を傾けなかった理由が如何に明白であるよ。肉にまで押し進んでも更に悔いと憎しみとを醸さない恋こそは真の恋である。その恋の姿は比べるものなく美しい。私は又本能的生活の素朴に近い現われを、無邪気な小児の熱中した遊戯の中に見出すことが出来ると思う。彼は正しく時間からも外聞からも超越する。彼には遊戯そのものの外に何等の目的もない。彼の表面的な目的は縦令一個の紙箱を造ることにありとするも、その製作に熱中している瞬間には、紙箱を造る手段そのものの中に目的は吸い込まれてしまう。そこには何等の努力も義務も附帯してはいない。あの純一無雑な生命の流露を見守っていると私は涙がにじみ出るほど羨ましい。私の生活がああいう態度によって導かれる瞬間が偶にあったならば私は甫めて真の創造を成就することが出来るであろうものを。
私は本能的生活の記述を蔑ろにして、あまり多くをその讃美の為めに空費したろうか。私は仮りにそれを許してもらいたい。何故なら、私は本能的生活を智的生活の上位に置こうと思うからだ。誰でも私のいう智的生活を習性的生活の上におかぬものはなかろう。然し本能的生活を智的生活の上におこうとする場合になると、多くの人々はそこに躊躇を感じはしないだろうか。現在人類の生活が智的生活をその基調としているという点に於て、その躊躇は無理のないことだともいえる。単に功利的な立場からのみ考えれば、その躊躇は正当なことだとさえいえる。然し凡ての生存は、それが本能の及ぶだけ純粋なる表現である場合に最も真であるという大事な要件が許されるならば、本能的生活は私にとって智的生活よりもより価値ある生活である。若し価値をもってそれを定めるのが不当ならば、より尊い生活である。しかも私はこの生活の内容を的確に発想することが出来ない(それはこの生活が理智的表現を超越しているが故でもある)。その場合私は、比喩と讃美とによってわずかにこの尊い生活を偲ぶより外に道がないだろう。
一三
一四
本能という言葉を用いるに当って私は多少の誤解を恐れないではない。この言葉は殊に科学によってその正しい意味から堕落させられている。というよりは、科学が素朴的に用いたこの言葉を俗衆が徹底的に歪め穢してしまった。然し今はそれが固有の意味にまで引き上げられなければならない。ベルグソンはこの言葉をその正しき意味に於て用い始めた。ラッセル(私は氏の文章を一度も読んだことがないけれども)もまたベルグソンを継承して、この言葉の正当な使用を心懸けているように見える。
本能とは大自然の持っている意志を指すものと考えることが出来る。野獣にはこの力が野獣なりに赤裸々に現われている。自然科学はその現われを観察して、詳細にそれを記述した。そしてそれが人類の活動の中にも看取せられるのを附け加えた。この記述はいうまでもなく明かな事実である。然しその事実から、人類の活動の全部が野獣に現われた本能だけから成り立つとは、科学は結論していないのだ。然るに人は往々にして科学の記述を逆用しようとする。これは単なる誤解とのみ見て過すことが出来ないと私は思う。
人間は人間である。野獣ではない。野獣が無自覚に近い心でなすところを人は十分なる自覚をもってなしているのである。若し人がその自覚を逆用して、肉にまで至る愛の要求のない場合に、単に外観的に観察された野獣の本能に走ったならば、それは明かに人間の有する本能の全体的な活動ということが出来ない。同時に、人間の本能の中から野獣と共通な部分を理智的に引き離して、純霊というような境地を捏造しようとするのは、明かに本能に対する謂れのない迫害である。本能は分解とは両立することが出来ない。本能はいつでもその全体に於て働かねばならぬ。人間の本能――野獣の本能でもなく又天使の本能でもない――もその本能の全体に於て働かねばならぬ。そこからのみ、若し生れるならば、人間以上の新しい存在への本能は生れ出るだろう。本能を現実のきびしさに於て受取らないで、ロマンティックに考えるところに、純霊の世界という空虚な空中楼閣が築き上げられる。肉と霊とを峻別し得るものの如く考えて、その一方に偏倚するのを最上の生活と決めこむような禁慾主義の義務律法はそこに胚胎されるのではないか。又本能を現実のきびしさに於て受取らないで、センティメンタルに考えるところに肉慾の世界という堕落した人生観が仮想される。この野獣の過去にまでの帰還は、また本能の分裂が結果するところのもので、人間を人間としての荘厳の座から引きおろすものではないか。私の生活が何等かの意味に於てその緊張度を失い、現実への安立から知らず知らず未来か過去かへ遠ざかる時、必ずかかる本能の分裂がその結果として現われ出るのを私はよく知っている。私はその境地にあって必ず何等かの不満を感ずる。そして一歩を誤れば、その不満を医さんが為めに、益〻本能の分裂に向って猪突する。それは危い。その時私は明かに自己を葬るべき墓穴を掘っているのだ。それを何人も救ってくれることは出来ない。本当にそれを救い得るのは私自身のみだ。
私の意味する本能を逆用して、自滅の方に進むものがあるならば、私はこの上更にいうべき何物をも持たぬだろう。本当をいえば、誤解を恐れるなら、私は始めから何事をもいわぬがいいのだ。私は私の柄にもない不遜な老婆親切をもうやめねばならぬ。
一五
人間は人間だ。野獣ではない。天使でもない。人間には人間が大自然から分与された本能があると私はいった。それならその本能とはどんなものであるかと反問されるだろう。私は当然それに答えるべき責任を持っている。私は貧しいなりにその責任を果そう。私の小さな体験が私に書き取らせるものをここに披瀝して見よう。
人間によって切り取られた本能の流れを私は今まで漫然とただ本能と呼んでいた。それは一面に許さるべきことである。人間の有する本能もまた大自然の本能の一部なのだから。然しここまで私の考察を書き進めて来ると、私はそれを特殊な名によって呼ぶのを便利とする。
人間によって切り取られた本能――それを人は一般に愛と呼ばないだろうか。老子が道の道とすべきは常の道にあらずといったその道も或はこの本能を意味するのかも知れない。孔子が忠信のみといったその忠信も或はこれを意味するのかも知れない。釈尊の菩提心、ヨハネのロゴス、その他無数の名称はこの本能を意味すべく構出されたものであるかも知れない。然し私は自分の便宜の為めに仮りにそれを愛と名づける。愛には、本能と同じように既に種々な不純な属性的意味が膠着しているけれども、多くの名称の中で最も専門的でなく、かつ比較的に普遍的な内容をその言葉は含んでいるようだ。愛といえば人は常識的にそれが何を現わすかを朧ろげながらに知っている。
愛は人間に現われた純粋な本能の働きである。然し概念的に物事を考える習慣に縛られている私達は、愛という重大な問題を考察する時にも、極めて習慣的な外面的な概念に捕えられて、その真相とは往々にして対角線的にかけへだたった結論に達していることはないだろうか。
人は愛を考察する場合、他の場合と同じく、愛の外面的表現を観察することから出発して、その本質を見窮めようと試みないだろうか。ポーロはその書翰の中に愛は「惜みなく与え」云々といった、それは愛の外面的表現を遺憾なくいい現わした言葉だ。愛する者とは与える者の事である。彼は自己の所有から与え得る限りを与えんとする。彼からは今まであったものが失われて、見たところ貧しくはなるけれども、その為めには彼は憂えないのみか、却って欣喜し雀躍する。これは疑いもなく愛の存するところには何処にも観察される現象である。実際愛するものの心理と行為との特徴は放射することであり与えることだ。人はこの現象の観察から出発して、愛の本質を帰納しようとする。そして直ちに、愛とは与える本能であり放射するエネルギーであるとする。多くの人は省察をここに限り、愛の体験を十分に噛みしめて見ることをせずに、逸早くこの観念を受け入れ、その上に各自の人生観を築く。この観念は私達の道徳の大黒柱として認められる。愛他主義の倫理観が構成される。そして人間生活に於ける最も崇高な行為として犠牲とか献身とかいう徳行が高調される。そして更にこの観念が、利己主義の急所を衝くべき最も鋭利な武器として考えられる。
そう思われることを私は一概に排斥するものではない。愛が智的生活に持ち来たされた場合には、そう結論されるのは自然なことだ。智的生活にあっては愛は理智的にのみ考察されるが故に、それは決して生活の内部にあって働くままの姿では認められない。愛は生活から仮りに切り放されて、一つの固定的な現象としてのみ観察される。謂わば理智が愛の周囲――それはいかに綿密であろうとも――のみを廻転し囲繞している。理智的にその結論が如何に周匝で正確であろうとも、それが果して本能なる愛の本体を把握し得た結論ということが出来るだろうか。
本能を把握するためには、本能をその純粋な形に於て理解するためには、本能的生活中に把握される外に道はない。体験のみがそれを可能にする。私の体験は、縦しそれが貧弱なものであろうとも――愛の本質を、与える本能として感ずることが出来ない。私の経験が私に告げるところによれば、愛は与える本能である代りに奪う本能であり、放射するエネルギーである代りに吸引するエネルギーである。
他のためにする行為を利他主義といい、己れのためにする行為を利己主義というのなら、その用語は正当である。何故ならば利するという言葉は行為を表現すべき言葉だからである。然し倫理学が定義するように、他のためにせんとする衝動若しくは本能を認めて、これを利他主義といい、己れのためにせんとする衝動若しくは本能を主張してこれを利己主義というのなら、その用語は正鵠を失している。それは当然愛他主義愛己主義という言葉で書き改められなければならないものだ。利と愛との両語が自明的に示すが如く、利は行為或は結果を現わす言葉で、愛は動機或は原因を現わす言葉であるからだ。この用語の錯誤が偶〻愛の本質と作用とに対する混同を暴露してはいないだろうか。即ち人は愛の作用を見て直ちにその本質を揣摩し、これに対して本質にのみ名づくべき名称を与えているのではないか。又人は愛が他に働く動向を愛他主義と呼び、己れに働く動向を利己主義と呼ぶならわしを持っている。これも偶〻人が一種の先入僻見を以て愛の働き方を見ている証拠にはならないだろうか。二つの言葉の中、物質的な聯想の附帯する言葉を己れへの場合に用い、精神的な聯想を起す言葉を他への場合に用いているのは、恐らく愛が他を益する時その作用を完うし得るという既定の観念に制せられているのを現わしているようだ。この愛の本質と現象との混淆から、私達の理解は思いもよらぬ迷宮に迷い込むだろう。
一六
愛を傍観していずに、実感から潜りこんで、これまで認められていた観念が正しいか否かを検証して見よう。
私は私自身を愛しているか。私は躊躇することなく愛していると答えることが出来る。私は他を愛しているか。これに肯定的な答えを送るためには、私は或る条件と限度とを附することを必要としなければならぬ。他が私と何等かの点で交渉を持つにあらざれば、私は他を愛することが出来ない。切実にいうと、私は己れに対してこの愛を感ずるが故にのみ、己れに交渉を持つ他を愛することが出来るのだ。私が愛すべき己れの存在を見失った時、どうして他との交渉を持ち得よう。そして交渉なき他にどうして私の愛が働き得よう。だから更に切実にいうと、他が何等かの状態に於て私の中に摂取された時にのみ、私は他を愛しているのだ。然し己れの中に摂取された他は、本当をいうともう他ではない。明かに己の一部分だ。だから私が他を愛している場合も、本質的にいえば他を愛することに於て己れを愛しているのだ。そして己れをのみだ。
但し己を愛するとは何事を示すのであろう。私は己れを愛している。そこには聊かの虚飾もなく誇張もない。又それを傲慢な云い分ともすることは出来ない。唯あるがままをあるがままに申し出たに過ぎない。然し私が私自身をいかに深くいかによく愛しているかを省察すると問題はおのずから別になる。若し私の考えるところが謬っていないなら、これまで一般に認められていた利己主義なるものは、極めて功利的な、物質的な、外面的な立場からのみ考察されてはいなかったろうか。即ち生物学の自己保存の原則を極めて安価に査定して、それを愛己の本能と結び付けたものではなかったろうか。「生物発達の状態を研究して見ると、利己主義は常に利他主義以上の力を以て働いている。それを認めない訳には行かない」といったスペンサーの生物一般に対しての漫然たる主張が、何といっても利己主義の理解に対する基調になっていはしないだろうか。その主張が全事実の一部をなすものだということを私も認めない訳ではない。然しそれだけで満足し切ることを、私の本能の要求は明かに拒んでいる。私の生活動向の中には、もっと深くもっとよく己れを愛したい欲求が十二分に潜んでいることに気づくのだ。私は明かに自己の保存が保障されただけでは飽き足らない。進んで自己を押し拡げ、自己を充実しようとし、そして意識的にせよ、無意識的にせよ、休む時なくその願望に駆り立てられている。この切実な欲求が、かの功利的な利己主義と同一水準におかれることを私は退けなければならない。それは愛己主義の意味を根本的に破壊しようとする恐るべき傾向であるからである。私の愛己的本能が若し自己保存にのみあるならば、それは自己の平安を希求することで、智的生活に於ける欲求の一形式にしか過ぎない。愛は本能である。かくの如き境地に満足する訳がない。私の愛は私の中にあって最上の生長と完成とを欲する。私の愛は私自身の外に他の対象を求めはしない。私の個性はかくして生長と完成との道程に急ぐ。然らば私はどうしてその生長と完成とを成就するか。それは奪うことによってである。愛の表現は惜みなく与えるだろう。然し愛の本体は惜みなく奪うものだ。
アミイバが触指を出して身外の食餌を抱えこみ、やがてそれを自己の蛋白素中に同化し終るように、私の個性は絶えず外界を愛で同化することによってのみ生長し完成してゆく。外界に個性の貯蔵物を投げ与えることによって完成するものではない。例えば私が一羽のカナリヤを愛するとしよう。私はその愛の故に、美しい籠と、新鮮な食餌と、やむ時なき愛撫とを与えるだろう。人は、私のこの愛の外面の現象を見て、私の愛の本質は与えることに於てのみ成り立つと速断することはないだろうか。然しその推定は根柢的に的をはずれた悲しむべき誤謬なのだ。私がその小鳥を愛すれば愛する程、小鳥はより多く私に摂取されて、私の生活と不可避的に同化してしまうのだ。唯いつまでも分離して見えるのは、その外面的な形態の関係だけである。小鳥のしば鳴きに、私は小鳥と共に或は喜び或は悲しむ。その時喜びなり悲しみなりは小鳥のものであると共に、私にとっては私自身のものだ。私が小鳥を愛すれば愛するほど、小鳥はより多く私そのものである。私にとっては小鳥はもう私以外の存在ではない。小鳥ではない。小鳥は私だ。私が小鳥を活きるのだ。(The little bird is myself, and I live a bird)“I live a bird”……英語にはこの適切な愛の発想法がある。若しこの表現をうなずく人があったら、その人は確かに私の意味しようとするところをうなずいてくれるだろう。私は小鳥を生きるのだ。だから私は美しい籠と、新鮮な食餌と、やむ時なき愛撫とを外物に恵み与えた覚えはない。私は明かにそれらのものを私自身に与えているのだ。私は小鳥とその所有物の凡てを残すところなく外界から私の個性へ奪い取っているのだ。見よ愛は放射するエネルギーでもなければ与える本能でもない。愛は掠奪する烈しい力だ。与えると見るのは、愛者被愛者に直接の交渉のない第三者が、愛するものの愛の表現を極めて外面的に観察した時の結論に過ぎないのを知るだろう。
かくて愛の本能に従って、私は他を私の中に同化し、他に愛せらるることによって、私は他の中に投入し、私と他とは巻絹の経緯の如く、そこにおのずから美しい生活の紋様を織りなして行くのだ。私の個性がよりよく、より深くなり行くに従って、よりよき外界はより深く私の個性の中に取り込まれる。生活全体の実績はかくの如くして始めて成就する。そこには犠牲もない。又義務もない。唯感謝すべき特権と、ほほ笑ましい飽満とがあるばかりだ。
一七
目を挙げて見るもの、それは凡てが神秘である。私の心が平生の立場からふと視角をかえている時、私の目前に開かれるものはただ驚異すべき神秘があるばかりだ。然しながら現実の世界に執着を置き切った私には、かかる神秘は神秘でありながらあたり前の事実だ。私は小児のように常に驚異の眼を見張っていることは出来なくなった。その現実的な、散文的な私にも、愛の働きのみは近づきがたき神秘な現われとして感ぜられる。
愛は私の個性を哺くむために外界から奪い取って来る。けれどもその為めに外界は寸毫も失われることがない。例えば私は愛によってカナリヤを私の衷に奪い取る。けれどもカナリヤは奪わるることによって幸福にはなるとも不幸福にはならない。かの小鳥は少くとも物質的に美しい籠(それは醜い籠にあるよりも確かにいいことだろう)と新鮮な食餌とを以て富ませられる。物質の法則を超越したこの神秘は私を存分に驚かせ感傷的にさえする。愛という世界は何といういい世界だろう。そこでは白昼に不思議な魔術が絶えず行われている。それを見守ることによって私は凡ての他の神秘を忘れようとさえする。私はこの賜物一つを持ち得ることによって、凡ての存在にしみじみとした感謝の念を持たざるを得ない。
愛は与える本能をいうのだと主張する人は、恐らく私のこの揚言を聞いて哂い出すだろう。お前のいうことは夙の昔に私が言い張ったところだ。愛は与えることによって二倍する、その不思議を知らないのか。愛を与えるものは与えるが故に富み、愛を受けるものは受けるが故に富む。地球が古いほど古いこの真理をお前は今まで知らないでいたのか、と。
私はそれを知らないではない。然し私はその提言には一つの条件を置く必要を感ずる。愛が与えることによって二倍するという現象は、愛するものと愛せられたるものとの間に愛が相互的に成り立った場合に限るのだ。若しその愛が完全に受け取られた場合には、その愛の恵みは確かに二倍するだろう。然し愛せられるものが愛するもののあることを知らなかった時はどうだ。或はそれを斥けた時はどうだ。それでも愛は二倍されている事と感ずることが出来るか。それは一種感情的な自観の仮想に過ぎないのではないか。或は人工的な神秘主義に強いて一般的な考えを結び付けて考える結果に過ぎないのではないか。
若し愛が片務的に動いた場合に、愛するということを恩恵を施すという如く考えている人には、愛するという行為に一種の自己満足を感ずるが故に、愛する人の受ける心の豊かさは二倍になると主張するなら、それは愛の作用を没我的でなければならぬと強言する愛他主義者としてはあるまじきことだといわねばならぬ。その時その人は愛することによって明かに報酬を得ているからである。報酬を得て(それが人からであろうと、神からであろうと)、若しくは報酬を得ることを期待し得てする仕事が何で愛他主義であろうぞ。何で他に殉ずる心であろうぞ。愛するのは自分のためではなく、他人のためだと主張する人は、先ずこの辺の心持を僻見なく省察して見る必要があると思う。彼等はよく功利主義々々々々といって報酬を目あてにする行為を蛇蝎の如く忌み悪んでいる。然るに彼等自身の行為や心持にもそうした傾向は見られないだろうか。その報酬に対する心持が違う。それは比べものにならぬ程凡下の功利主義より高尚だといおうか。私にはそんな心持は通じない。高尚だといえばいう程それがうそに見える。非常に巧みな、そして狡猾な仮面の下に隠れた功利主義としか思われない。物質的でないにせよ、純粋に精神的であるにせよ(そんな表面的な区別は私には本当は通用しないが、仮りにある人々の主張するような言葉遣いにならって)、何等かの報酬が想像されている行為に何の献身ぞ、何の犠牲ぞ。若し偽善といい得べくんば、これこそ大それた忌わしい偽善ではないか。何故なら当然期待さるべき功利的な結果を、彼等は知らぬ顔に少しも功利的でないものの如くに主張するからだ。
或はいうかも知れない。愛するということは人間内部の至上命令だ。愛する時人は水が低きに流れるが如く愛する。そこには何等報酬の予想などはない。その結果がどうであろうとも愛する者は愛するのだ。これを以てかの報酬を目的にして行為を起す功利主義者と同一視するのは、人の心の絶妙の働きを知らぬものだと。私はそれを詭弁だと思う。一度愛した経験を有するものは、愛した結果が何んであるかを知っている、それは不可避的に何等かの意味の獲得だ。一度この経験を有ったものは、再び自分の心の働きを利他主義などとは呼ばない筈だ。他に殉ずる心などとはいわない筈だ。そういうことはあまり勿体ないことである。
愛は自己への獲得である。愛は惜みなく奪うものだ。愛せられるものは奪われてはいるが、不思議なことには何物も奪われてはいない。然し愛するものは必ず奪っている。ダンテが少年の時ビヤトリスを見て、世の常ならぬ愛を経験した。その後彼は長くビヤトリスを見ることがなかった。そしてただ一度あった。それはフロレンスの街上に於てだった。ビヤトリスは一人の女伴れと共に紅い花をもっていた。そしてダンテの挨拶に対してしとやかな会釈を返してくれた。その後ビヤトリスは他に嫁いだ。ダンテはその婚姻の席に列って激情のあまり卒倒した。ダンテはその時以後彼の心の奥の愛人を見ることがなかった。そしてビヤトリスは凡ての美しいものの運命に似合わしく、若くしてこの世を去った。文献によればビヤトリスは切なるダンテの熱愛に触れることなくして世を終ったらしい。ダンテの愛はビヤトリスと相互的に通い合わなかった(愛は相互的にのみ成り立つとのみ考える人はここに注意してほしい)。ダンテだけが、秘めた心の中に彼女を愛した。しかも彼は空しかったか。ダンテはいかにビヤトリスから奪ったことぞ。彼は一生の間ビヤトリスを浪費してなお余る程この愛人から奪っていたではないか。彼の生活は寂しかった。骯髒であった。然しながら強く愛したことのない人々の淋しさと比べて見たならばそれは何という相違だろう。ダンテはその愛の獲得の飽満さを自分一人では抱えきれずに、「新生」として「神曲」として心外に吐き出した。私達はダンテのこの飽満からの余剰にいかに多くの価値を置くことぞ。ホイットマンも嘗てその可憐な即興詩の中に「自分は嘗て愛した。その愛は酬いられなかった。私の愛は無益に終ったろうか。否。私はそれによって詩を生んだ」と歌っている。
見よ、愛がいかに奪うかを。愛は個性の飽満と自由とを成就することにのみ全力を尽しているのだ。愛は嘗て義務を知らない。犠牲を知らない。献身を知らない。奪われるものが奪われることをゆるしつつあろうともあるまいとも、それらに煩わされることなく愛は奪う。若し愛が相互的に働く場合には、私達は争って互に互を奪い合う。決して与え合うのではない。その結果、私達は互に何物をも失うことがなく互に獲得する。人が通常いう愛するものは二倍の恵みを得るとはこれをいうのだ。私は予期するとおりの獲得に対して歓喜し、有頂天になる。そして明かにその獲得に対して感激し感謝する。その感激と感謝とは偽善でも何でもない。あるべかりしものがあったについての人の有し得るおのずからの情である。愛の感激……正しくいうとこの外に私の生命はない。私は明かに他を愛することによって、凡てを自己に取り入れているのを承認する。若し人が私を利己主義者と呼ぼうとならば、私はそう呼ばれるのを妨げない。若し必要ならば愛他的利己主義者と呼んでもかまわない。苟も私が自発的に愛した場合なら、私は必ず自分に奪っているのを知っているからだ。
この求心的な容赦なき愛の作用こそは、凡ての生物を互に結び付けさせた因子ではないか。野獣を見よ、如何に彼等の愛の作用(相奪う状)が端的に現われているかを。それが人間に至って、全く反対の方向を取るというのか。そんな事があり得べきではない。ただ人間は nicety の仮面の下に自分自らを瞞着しようとしているのだ。そして人間はたしかにこの偽瞞の天罰を被っている。それは野獣にはない、人間にのみ見る偽善の出現だ。何故愛をその根柢的な本質に於てのみ考えることが悪いのだ。それをその本質に於て考えることなしには人間の生活には遂に本当の進歩創作は持ち来されないであろう。
智的生活の動向はいつでも本能を堕落させ、それを第二義的な状態に於てのみ利用する。智的生活の要求するものは平安無事である。この生活にあっては、愛の本質よりもその現われが必要である。内部の要求はさもあらばあれ、互に与え合う事さえやれば、それで平安は保たれてゆく。それ故に倫理道徳は義務と献身との徳を高調する。人は遂にこの固定的な概念にあざむかれる。そして愛のないところに、愛が行うのと同じ行いをする。即ち愛の極印なき所有物を外界に向って恥じることもなく放射する。けれども愛の極印のない所有物は、一度外界に放射されると、またとはその人に返って来ない。その時彼にとっては行為の結果に対する苦い後味が残る。その後味をごまかすために、彼は人の為めに社会の為めに義務を果し、献身の行いをしたという諦めの心になる。そしてそこに誇るべからざる誇りを感じようとする。社会はかくの如き人の動機の如何は顧慮することなく、直ちに彼に与えるのに社会人類の恩人の名を以てする。それには智的生活にあっては奨励的にそうするのが便利だからだ。そんな人はそんな事は歯牙にかけるに足らないことのように云いもし思いもしながら、衷心の満ち足らなさから、知らず知らずそれを歯牙にかけている。かくてその人は愛の逆用から来る冥罰を表面的な概念と社会の賞讃によって塗抹し、社会はその人の表面的な行為によって平安をつないで行く。かくてその結果は生命と関係のない物質的な塵芥となって、生活の路上に醜く堆積する。その堆積の余弊は何んであろう。それは誰でも察し得る如く人間そのものの死ではないか。
一八
愛は個性の生長と自由とである。そうお前はいい張ろうとするが、と又或る人は私にいうだろう。この世の中には他の為めに自滅を敢えてする例がいくらでもあるがそれをどう見ようとするのか。人間までに発達しない動物の中にも相互扶助の現象は見られるではないか。お前の愛己主義はそれをどう解釈する積りなのか。その場合にもお前は絶対愛他の現象のあることを否定しようとするのか。自己を滅してお前は何ものを自己に獲得しようとするのだ。と或る人は私に問い詰めるかも知れない。科学的な立場から愛を説こうとする愛己主義者は、自己保存の一変態と見るべき種族保存の本能なるものによってこの難題に当ろうとしている。然しそれは愛他主義者を存分に満足させないように、又私をも満足させる解釈ではない。私はもっと違った視角からこの現象を見なければならぬ。
愛がその飽くことなき掠奪の手を拡げる烈しさは、習慣的に、なまやさしいものとのみ愛を考え馴れている人の想像し得るところではない。本能という言葉が誤解をまねき易い属性によって煩わされているように、愛という言葉にも多くの歪んだ意味が与えられている。通常愛といえば、すぐれて優しい女性的な感情として見られていはしないか。好んで愛を語る人は、頭の軟かなセンティメンタリストと取られるおそれがありはしまいか。それは然し愛の本質とは極めてかけ離れた考え方から起った危険な誤解だといわなければならぬ。愛は優しい心に宿り易くはある。然し愛そのものは優しいものではない。それは烈しい容赦のない力だ。それが人間の生活に赤裸のまま現われては、却って生活の調子を崩してしまいはしないかと思われるほど容赦のない烈しい力だ。思え、ただ仮初めの恋にも愛人の頬はこけるではないか。ただいささかの子の病にも、その母の眼はくぼむではないか。
個性はその生長と自由とのために、愛によって外界から奪い得るものの凡てを奪い取ろうとする。愛は手近い所からその事業を始めて、右往左往に戦利品を運び帰る。個性が強烈であればある程、愛の活動もまた目ざましい。若し私が愛するものを凡て奪い取り、愛せられるものが私を凡て奪い取るに至れば、その時に二人は一人だ。そこにはもう奪うべき何物もなく、奪わるべき何者もない。
だからその場合彼が死ぬことは私が死ぬことだ。殉死とか情死とかはかくの如くして極めて自然であり得ることだ。然し二人の愛が互に完全に奪い合わないでいる場合でも、若し私の愛が強烈に働くことが出来れば、私の生長は益〻拡張する。そして或る世界が――時間と空間をさえ撥無するほどの拡がりを持った或る世界が――個性の中にしっかりと建立される。そしてその世界の持つ飽くことなき拡充性が、これまでの私の習慣を破り、生活を変え、遂には弱い、はかない私の肉体を打壊するのだ。破裂させてしまうのだ。
難者のいう自滅とは畢竟何をさすのだろう。それは単に肉体の亡滅を指すに過ぎないではないか。私達は人間である。人間は必ずいつか死ぬ。何時か肉体が亡びてしまう。それを避けることはどうしても出来ない。然し難者が、私が愛したが故に死なねばならぬ場合、私の個性の生長と自由とが失われていると考えるのは間違っている。それは個性の亡失ではない。肉体の破滅を伴うまで生長し自由になった個性の拡充を指しているのだ。愛なきが故に、個性の充実を得切らずに定命なるものを繋いで死なねばならぬ人がある。愛あるが故に、個性の充実を完うして時ならざるに死ぬ人がある。然しながら所謂定命の死、不時の死とは誰が完全に決めることが出来るのだ。愛が完うせられた時に死ぬ、即ち個性がその拡充性をなし遂げてなお余りある時に肉体を破る、それを定命の死といわないで何処に正しい定命の死があろう。愛したものの死ほど心安い潔い死はない。その他の死は凡て苦痛だ。それは他の為めに自滅するのではない。自滅するものの個性は死の瞬間に最上の生長に達しているのだ。即ち人間として奪い得る凡てのものを奪い取っているのだ。個性が充実して他に何の望むものなき境地を人は仮りに没我というに過ぎぬ。
この事実を思うにつけて、いつでも私に深い感銘を与えるものは、基督の短い地上生活とその死である。無学な漁夫と税吏と娼婦とに囲繞された、人眼に遠いその三十三年の生涯にあって、彼は比類なく深く善い愛の所有者であり使役者であった。四十日を荒野に断食して過した時、彼は貧民救済と、地上王国の建設と、奇蹟的能力の修得を以ていざなわれた。然し彼は純粋な愛の事業の外には何物をも択ばなかった。彼は智的生活の為めには、即ち地上の平安の為めには何事をも敢えてなさなかった。彼はその母や弟とは不和になった。多くの子をその父から反かせた。ユダヤ国を攪乱するおそれによってその愛国者を怒らせた。では彼は何をしたか。彼はその無上愛によって三世にわたっての人類を自己の内に摂取してしまった。それだけが彼の已むに已まれぬ事業だったのだ。彼が与えて与えてやまなかった事実は、彼が如何に個性の拡充に満足し、自己に与えることを喜びとしたかを証拠立てるものである。「汝自身の如く隣人を愛せよ」といったのは彼ではなかったか。彼は確かに自己を愛するその法悦をしみじみと知っていた最上一人ということが出来る。彼に若し、その愛によって衆生を摂取し尽したという意識がなかったなら、どうしてあの目前の生活の破壊にのみ囲まれて晏如たることが出来よう。そして彼は「汝等もまた我にならえ」といっている。それはこの境界が基督自身のものではなく、私達凡下の衆もまた同じ道を歩み得ることを、彼自身が証言してくれたのだ。
やがて基督が肉体的に滅びねばならぬ時が来た。彼は苦しんだ。それに何の不思議があろう。彼は自分の愛の対象を、眼もて見、耳もて聞き、手もて触れ得なくなるのを苦しんだに違いない。又彼の愛の対象が、彼ほどに愛の力を理解し得ないのを苦しんだに違いない。然し最も彼を苦しめたものは、彼の愛がその掠奪の事業を完全に成就したか否かを迷った瞬間にあったであろう。然し遂に最後の安心は来た「父よ(父よは愛よである)我れわが身を汝に委ぬ」。そして本当に神々しく、その辛酸に痩せた肉体を、最上の満足の為めに脚の下に踏み躙った。
基督の生涯の何処に義務があり、犠牲があるのだろう。人は屡〻いう、基督は有らゆるものを犠牲に供し、救世主たるの義務の故に、凡ての迫害と窮乏とを甘受し、十字架の死をさえ敢えて堪え忍んだ。だからお前達は基督の受難によって罪からあがなわれたのだ。お前達もまた彼にならって、犠牲献身の生活を送らなければならないと。私は私一個として基督が私達に遺して行った生活をかく考えることはどうしても出来ない。基督は与えることを苦痛とするような愛の貧乏人では決してなかったのだ。基督は私達を既に彼の中に奪ってしまったのだ。彼は私の耳に囁いていう、「基督の愛は世の凡ての高きもの、清きもの、美しきものを摂取し尽した。悪しきもの、醜きものも又私に摂取されて浄化した。眼を開いて基督の所有の如何に豊富であるかを見るがいい。基督が与えかつ施したと見えるもの凡ては、実は凡て基督自身に与え施していたのだ。基督は与えざる一つのものもない。しかも何物をも失わず、凡てのものを得た。この大歓喜にお前もまた与かるがいい。基督のお前に要求するところはただこの一つの大事のみだ。お前が縦令凡てを施し与えようとも永遠の生命を失っていたらそれが何になる。お前は偽善者を知っているか。それは犠牲献身という美名をむさぼって、自己に同化し切らない外物に対して浪費する人をいうのだ。自己に同化し切ったものに施すのは即ち自己に施すのだという、世にも感謝すべき事実を認め得ない程に、愛の隠れ家を見失ってしまった人のことだ。浪費の後の苦々しい後味を、強いて笑いにまぎらすその歪んだ顔付を見るがいい。それは悲しい錯誤だ。お前が愛の極印のないものを施すのは一番大きな罪だと知らねばならぬ。そして愛の極印のあるものは、仮令お前がそれを地獄の底に擲とうとも、忠実な犬のように逸早くお前の膝許に帰って来るだろう。恐れる事はない。事実は遂に伝説に打勝たねばならぬのだ」と。
本当にそうだ。私は愛を犠牲献身の徳を以て律し縛めていてはならぬ。愛は智的生活の世界から自由に解放されなければならぬ。この発見は私にとっては小さな発見ではなかった。小さな弱い経験ではあるが、私の見たところも存分にこれを裏書きする。私が創作の衝動に駆られて容赦なく自己を検察した時、見よ、そこには生気に充ち満ちた新しい世界が開展されたではないか。実生活の波瀾に乏しい、孤独な道を踏んで来た私の衷に、思いもかけず、多数の個性を発見した時、私は眼を見張って驚かずにはいられなかったではないか。私が眼を据えて憚りなく自己を見つめれば見つめるほど、大きな真実な人間生活の諸相が明瞭に現われ出た。私の内部に充満して私の表現を待ち望んでいるこの不思議な世界、何だそれは。私は今にしてそれが何であるかを知る。それは私の祖先と私とが、愛によって外界から私の衷に連れ込んで来た、謂わば愛の捕虜の大きな群れなのだ。彼らは各〻自身の言葉を以て自身の一生を訴えている。そして私の心にさえよき準備ができているならば、それを聞き分け、見分け、その真の生命に於て再現するのは可能なことであるのを私は知る。私は既に十分に持っている。芸術制作の素材には一生かかって表現してもなおあり余るものを持っている。外界から奪い取る愛の働きを無視しては、どうしてこの明らさまな事実を説明することが出来ようぞ。しかも私の愛はなお足ることを知らずに奪おうとしている。何んという飽くことを知らぬ烈しいそれは力だろう。
私達を貫く本能の力強さ。人間に表われただけでもそれはかくまでに力強い。その力の総和を考えることは、私達の思考力のはかなさを暴露するようなものであろうけれども、その限られた思考力にさえ、それは限りなく偉大な、熱烈なものとして現われるではないか。
一九
私は他を愛する形に於て凡てを私の個性の中に奪っている。私はより正しきものを奪い取らんが為めに、より善く、より深く愛せねばならぬ。自己を愛することがかつ深くかつ善いに従って、私は他から何を摂取しなければならぬかをより明瞭にし得るだろう。
愛する以上は、憎まねばならぬ一面のあるのを忘れることが出来ない、愛憎のかなたにある愛、そういうものがあるだろうか。憎愛の二極を撥無して、陰陽を統合した太極というような形の愛、それは理論的に考えて見られぬでもないことではあるが、かくの如きものが果して私達人間の生活を築き上げてゆく上になくてはならぬ重大問題だろうか。少くとも私には、それは欲求であり得る外価値を持っていない。神の世界に於ては、或は超越的形而上学の世界に於ては、かかることは捨ておかれぬ喫緊事として考えられねばならぬだろう。然しながら一箇の人間としての私に取っては、それよりも大切な事は私が愛しかつ憎むという動かすことの出来ない厳然たる事実があるばかりだ。この一見矛盾した二つの心的傾向の共存は、私をいらだたせかつ不幸にする。何故ならば、私の個性はいかなる場合にも純一無雑な一路へとのみ志しているからである。
然しながらよく考えて見ると、愛と憎みとは、相反馳する心的作用の両極を意味するものではない。憎みとは人間の愛の変じた一つの形式である。愛の反対は憎みではない。愛の反対は愛しないことだ。だから、愛しない場合にのみ、私は何ものをも個性の中に奪い取ることが出来ないのだ。憎む場合にも私は奪い取る。それは私が憎んだところの外界と、そして私がそれに対して擲ったおくりものとである。愛する場合に於ては、例えば私が飢えた人を愛して、これに一飯を遣ったとすれば、その愛された人と一飯とは共に還って来て私自身の骨肉となるだろう。憎しみの場合に於ても、例えば私が私を陥れたものを憎んで、これに罵詈を加えたとすれば、憎まれた人も、その醜い私の罵詈も共に還って来て私の衷に巣喰うのだ。それには愛によっての獲得と同じように永く私の衷にあって消え去ることがない。愛はそれによって、不消化な石ころを受け入れた胃腑のような思いをさせられる。私の愛の本能が正しく働いている限りは、それは愛の衷に溶けこまずに、いつまでも私の本質の異分子の如くに存続する。私は常住それによって不快な思いをしなければならぬ。誰か憎まない人があろう。それだから人間として誰か悒鬱な眉をひそめない人があろう。人間が現わす表情の中、見る人を不快にさせる悒鬱な表情は、実に憎みによって奪い取って来た愛の鬼子が、彼の衷にあって彼を刺戟するのに因るのではないか。私はよくこの苦々しい悒鬱を知っている。それは人間が辛うじて到達し得た境界から私が一歩を退転した、その意識によって引き起されるのだろう。多少でも愛することの楽しさを知った私は、憎むことの苦しさを痛感する。それはいずれも本能のさせる業ではあるけれども、愛するより憎むことが如何に楽しからぬものであるかを知って苦しまねばならぬ。恐らくはよく愛するものほど、強く憎むことを知っているだろう。同時に又憎むことの如何に苦しいものであるかを痛感するだろう。そしてどうかして憎まずにあり得ることに対して骨を折るだろう。
憎まない、それは不可能のことだろうか。人間としては或は不可能であるかも知れない。然し少くとも憎悪の対象を減ずることは出来る。出来る筈であるのみならず、私達は始終それを勉めているではないか。愛と憎みとが若し同じ本能から生れたものであるとすれば、それは必ず成就さるべきものだ。如何なるものも、或る視角から憎むべきものならば、他の視角から必ず愛すべきものであることに私達は気附くだろう。ここに一つの器がある。若しも私がその器を愛さなかったならば、私に取ってそれは無いに等しい。然し私がそれを憎みはじめたならば、もうその器は私と厳密に交渉をもって来る。愛へはもう一歩に過ぎない。私はその用途を私が考えていたよりは他の方面に用いることによって、その器を私に役立てることが出来るだろう。その時には私の憎みは、もう愛に変ってしまうだろう。若し憎みの故にその器を取って直ちに粉砕してしまう人があったとすれば、その人は愛することに於てもまた同様に浅くしか愛し得ない人だ。愛の強い人とは執着の強い人だ。憎みの場合に於いても、かかる人の憎みは深刻な苦痛によって裏付けられる。従って容易にその憎しみの対象を捨ててはしまわない。そしてその執着の間に、ふとしたきっかけにそれを愛の対象に代えてしまうだろう。
かくして私の愛が深く善くなるに従って、私はより多くを愛によって摂取し、摂取された凡てのものは、あるべき排列をなして私の衷に同化されるだろう。かくて私の衷にある完き世界が新たに生れ出るだろう。この大歓喜に対して私は何物をも惜みなく投げ与えるだろう。然しその投げ与えたものが如何に高価なものであろうとも、その歓喜に比しては比較にもならぬほど些少なものであるのを知った時、況してや投げ与えたと思ったその贈品すら、畢竟は復た自己に還って来るものであるのを発見した時、第三者にはたとい私の生活が犠牲と見え、献身と見えようとも、私自身に取っては、それが獲得であり生長であるのを感じた時、その時、私が徹底した人生の肯定者ならざる何人であり得よう。凡ての人がかくの如く本能の要求によって生活し、相交渉した時、そこに本当の健全な社会が生れ出ないで何が生れ出よう。凡ての行為が義務でなく遊戯であらねばならぬとの要求が真に感ぜられた時、人間の生活がこれから如何に進展せねばならぬかの示唆は適確に与えられるのだ。この本能を抑圧する必要のある、若しくは抑圧すべき道徳の上に成り立たねばならぬとの主張の上に据えられた人類の集団生活には見遁すことの出来ないうそがある。このうそを、あらねばならぬことのように力説し、人間の本能をその従属者たらしめることに心血を瀉いで得たりとしている道学者は災いである。即ち智的生活に人間活動の外囲を限って、それを以て無上最勝の一路となす道学者は災いである。その人はいつか、本能的体験の不足から人間生活の足手まといとなっていた事を発見する悲しみに遇わねばならぬだろうから。
二〇
愛せざるところに愛する真似をしてはならぬ。憎まざるところに憎む真似をしてはならぬ。若し人間が守るべき至上命令があるとすればこの外にはないだろう。愛は烈しい働きの力であるが故に、これを逆用するものはその場に傷けられなければならぬ。その人は癒すべからざる諦めか不平かを以てその傷を繃帯する外道はあるまい。
×
愛は自足してなお余りがある。愛は嘗て物ほしげなる容貌をしたことがない。物ほしげなる顔を慎めよ。
×
基督は「汝等互にさばくなかれ」といった。その言葉は普通受け取られている以上の意味を持っている。何故なら愛の生活は愛するもの一人にかかわることだ。その結果がどうであったとしたところが、他人は絶対にそれを判断すべき尺度を持っていない。然るに智的生活に於ては心外に規定された尺度がある。人は誰でもその尺度にあてはめて、或る人の行為を測定することが出来る。だから基督の言葉は智的生活にあてはむべきものではない。基督は愛の生活の如何なるものであるかを知っておられたのだ。ただその現われに於ては愛から生れた行為と、愛の真似から生れた行為とを区別することが人間に取っては殆んど不可能だ。だから人は人をさばいてはならぬのだ。しかも今の世に、人はいかに易々とさばかれつつあることよ。
×
犠牲とか、献身とか、義務とか、奉仕とか、服従の徳の説かれるところには、私達は警戒の眼を見張らねばならぬ。かくて神学者は専制政治の型に則って神人の関係を案出した。かくて政治家は神人の例に則って君臣の関係を案出した。社会道徳と産業組織とはそのあとに続いた。それらは皆同じ法則の上に組立てられている。そこには必ず治者と被治者とがあらねばならぬ。そして治者に特権であるところのものは被治者には義務だ。被治者の所有するところのものは治者の所有せざるものだ。治者と被治者とは異った原素から成り立っている。かしこには治者の生活があり、ここには被治者の生活がある。生活そのものにかかる二元的分離はあるべき事なのか。とにもかくにも本能の生活にはかかる分離はない。石の有する本能の方向に有機物は生じた。有機物の有する本能の方向に諸生物は生じた。諸生物の本能の有する方向に人間は生じた。人間の有する本能の方向に本能そのものは動いて行く。凡てが自己への獲得だ。その間に一つの断層もない。百八十度角の方向転換はない。
×
今のような人間の進化の程度にあっては、智的生活の棄却は恐らく人間生活そのものの崩壊であるであろう。然しながら、その故を以て本能的生活の危険を説き、圧抑を主張するものがあるとすれば、それは又自己と人類とを自滅に導こうとするものだといわれなければならぬ。この問題を私がこのように抽象的に申し出ると異存のある人はないようだ。けれども仮りにニイチェ一人を持ち出して来ると、その超人の哲学は忽ち四方からの非難攻撃に遭わねばならぬのだ。
×
権力と輿論とは智的生活の所産である。権威と独創とは本能的生活の所産である。そして現世では、いつでも前者が後者を圧倒する。
釈迦は竜樹によって、基督は保羅によって、孔子は朱子によって、凡てその愛の宝座から智慧と聖徳との座にまで引きずりおろされた。
×
愛を優しい力と見くびったところから生活の誤謬は始まる。
×
女は持つ愛はあらわだけれども小さい。男の持つ愛は大きいけれども遮られている。そして大きい愛は屡〻あらわな愛に打負かされる。
×
ダヴィンチは「知ることが愛することだ」といった。愛することが知ることだ。
×
人の生活の必至最極の要求は自己の完成である。社会を完成することが自己の完成であり、自己の完成がやがて社会の完成となるという如きは、現象の輪廻相を説明したにとどまって、要求そのものをいい現わした言葉ではない。
自己完成の要求が誤って自己の一局部のそれに向けられた瞬間に、自己完成の道は跡方もなく崩れ終る。
×
一人の人の個性はその人の持つ過去全体の総和に過ぎないとある人はいうだろう。否、凡ての個性はそれが持つ過去全体の総和に「今」が加わったものだ。そして「今」は過去と未来とを支配し得る。
×
ラッセルは本能を区別して創造本能と所有本能の二つにしたと私は聞かされている。私はそうは思わない。本能の本質は所有的動向である。そしてその作用の結果が創造である。
×
何故に恋愛が屡〻芸術の主題となるか。芸術は愛の可及的純粋な表現である。そして恋愛は人間の他の行為に勝って愛の集約的な、そして全体的な作用であるからだ。
×
試みに没我的愛他主義者に問いたい。あなたがその主義を主張するようになってから、あなたはあなた自身に何物をも与えなかったのですか。縦令何ものかを与えたとしても、それは全然他を愛する為めの生存に必要なために与えたのですか。然し与えられない為めに悶死する人がこの世の中には絶えずいるのですね。それでもあなたはその人達を助ける為めに先ず自分に必要なものを与えているのですか。そこに何等かの矛盾を感ずることはありませんか。
×
私は自分自身を有機的に生活しなければならない。そのためには行為が内部からのみ現われ出なければならない。石の生長のようにではなく、植物の萠芽のように。
×
一艘の船が海賊船の重囲に陥った。若し敗れたら、海の藻屑とならなければならない。若し降ったら、賊の刀の錆とならなければならない。この危機にあって、船員は銘々が最も端的にその生命を死の脅威から救い出そうとするだろう。そしてその必死の努力が同時に、その船の安全を希わせ、船中にあって彼と協力すべき人々の安全を希わせるだろう。各員の間には言わず語らずの中に、完全な共同作業が行われるだろう、この同じ心持で人類が常に生きていたら。少くとも事なき時に、私達がこの心持を蔑ろにすることがなかったならば。
×
習性的生活はその所産を自己の上に積み上げる。智的生活はその所産を自己の中に貯える。本能的生活は常にその所産を捨てて飛躍する。
二一
私は澱みに来た、そして暫く渦紋を描いた。
私は再び流れ出よう。
私はまず愛を出発点として芸術を考えて見る。
凡ての思想凡ての行為は表象である。
表象とは愛が己れ自ら表現するための煩悶である。その煩悶の結果が即ち創造である。芸術は創造だ。故に凡ての人は多少の意味に於て芸術家であらねばならぬ。若し謂うところの芸術家のみが創造を司り、他はこれに与らないものだとするなら、どうして芸術品が一般の人に訴えることが出来よう。芸術家と然らざる人との間に愛の断層があるならば、芸術家の表現的努力は畢竟無益ではないか。
一人の水夫があって檣の上から落日の大観を擅まにし得た時、この感激を人に伝え得るよう表現する能力がなかったならば、その人は詩人とはいえない、とある技巧派の文学者はいった。然し私はそうは思わない。その荘厳な光景に対して水夫が感激を感じた以上は、その瞬間に於て彼は詩人だ。何故ならば、彼は彼自身に対して思想的にその感激を表現しているからだ。
世には多くの唖の芸術家がいる。彼等は人に伝うべき表現の手段を持ってはいないが、その感激は往々にして所謂芸術家なるものを遙かに凌ぎ越えている。小児――彼は何という驚くべき芸術家だろう。彼の心には習慣の痂が固着していない。その心は痛々しい程にむき出しで鋭敏だ。私達は物を見るところに物に捕われる。彼は物を見るところに物を捕える。物そのものの本質に於てこれを捕える。そして睿智の始めなる神々しい驚異の念にひたる。そこには何等の先入的僻見がない。これこそは純真な芸術的態度だ。愛はかくの如き階級を経て最も明かに自己を表現する。
けれども私達の多くはこの大事な一点を屡〻顧みないような生活をしてはいないか。ジェームスは古来色々に分派した凡ての哲学の色合は、結局それをその構成者の稟資(temperament)に帰することが出来るといっている。これは至言だといわなければならぬ。私達の生活の様式にもまた同様のことがいわれるであろう。或る人は前人が残し置いた材料を利用して、愛の(即ち個性の)表現を試みようとする。又或る人は愛の純粋なる表現を欲するが故に前人の糟粕を嘗めず、彼自らの表現手段に依ろうとする。前者はより多く智的生活に依拠し、後者はより多く本能的生活に依拠せんとするものである。若し更にジェームスの言葉を借りていえば、前者を strong-minded と呼び、後者を tender-hearted と呼ぶことが出来ようか。
智的生活に依拠して個性を表現しようとする人は、表現の材料を多く身外に求める。例えば石、例えば衣裳、例えば軍隊、例えば権力。そして表現の量に重きをおいて、深くその質を省みない。表現材料の精選よりもその排列に重きをおく。「始めて美人を花に譬えた人は天才であるが、二番目に同じことをいった人は馬鹿だ」とヴォルテールがいった。少くとも智的生活に固執する人は美人を花に譬える創意的なことはしない。然しそれを百合の花若しくは薔薇の花に譬えることはしない限りでない。その点に於て彼は明かに馬鹿でないことが出来る。十分に智者でさえあり得る。然しその人は個性の表現に於て delicacy の尊さを多く認めないで、乱雑な成行きに委せやすい。所謂事業家とか、政治家とか、煽動家とかいうような典型の人には、かかる傾向が極めて多くあり易い。
全く実用のためにのみ造られた真四角な建築物一つにもそこに個性の表現が全然ないということは出来ない。然しながらその中から個性を、即ち愛を捜し出すということは極めて困難なことだ。個性は無意味な用材の為めに遺憾なく押しひしがれて、おまけに用材との有機的な関係から危く断たれようとしている。然し個性が全く押しひしがれ、関係が全く断たれてしまったなら、その醜い建築物といえどもそこに存在することは出来ないだろう。それは何といっても、かすかにもせよ、個性の働きによってのみその存在をつなぎ得るのだ。けれども若し私達の生活がかくの如きもののみによって囲繞されることを想像するのは寂しいことではないか。この時私達の個性は必ずかかる物質的な材料に対して反逆を企てるだろう。
かかる建築物の如きものが然しもっと見えのいい形で私達の生活をきびしく取り囲んでいることはないだろうか。一人の野心的政治家があるとする。彼は自己の野心を満足せんが為めに、即ち彼の衷にあって表現を求めている愛に、粗雑な、見当違いな満足を与えんが為めに、愛国とか、自由とか、国威の宣揚とかいう心にもない旗印をかかげ、彼の奇妙な牽引力と、物質的報酬とを以て、彼には無縁な民衆を煽動する。民衆はその好餌に引き寄せられ、自分等の真の要求とは全く関係もない要求に屈服し、過去に起った或る同じような立派な事件に、自分達の無価値な行動を強いて結び付けて、そこに申訳と希望とを築き上げ、そしてその大それた指導者の命令のまにまに、身命をさえ賭してその事業の成就を心がける。そして、若し運命がその政治家に苛酷でなかったならば、彼は尨然たる国家的若しくは世界的大事業なるものを完成する。然しそこに出来上った結果はその政治家の肖像でもなく、民衆の投影でもなく、粗雑な不明瞭な重ね写真に過ぎない。そしてそれは当事者なる政治家その人の一生を無価値にし、民衆全体の進歩を阻止し、事業そのものは、段々人間の生活から分離して、遂には生活途上の用もない瓦礫となって、徒らに人類進歩の妨げになるだろう。このような事象は、その大小広狭の差こそあれ、私達が幾度も繰り返して遭遇せねばならぬことなのだ。しかも私達は往々その悲しい結果を暁らないのみか、かくの如きはあらねばならぬ須要のことのように思いなし易い。
けれども幸いにして人類はかくの如き稟資の人ばかりからは成り立っていない。そこにはもっと愛の純真な表現を可能ならしめようとする人がある。そうしないではいられない人がある。そのためには彼は一見彼に利益らしく見える結果にも惑わされない。彼には専念すべきただ一事がある。それは彼の力の及ぶかぎり、愛の純粋な表現を成就しようということだ。縦令その人が政治にかかわっていようが、生産に従事していようが、税吏であろうが、娼婦であろうが、その粗雑な生活材料のゆるす限りに於て最上の生活を目指しているのである。それらの人々の生活はそのままよき芸術だ。彼等が表現に役立てた材料は粗雑なものであるが故に、やがては古い皮袋のように崩れ去るだろうけれども、そのあとには必ず不思議な愛の作用が残る。粗雑な材料はその中に力強く籠められる愛の力によって破れ果て、それが人類進歩の妨げになるようなことはない。けれども愛の要求以上に外界の要求に従った人たちの建て上げたものは、愛がそれを破壊し終る力を持たない故に、いつまでもその醜い残骸をとどめて、それを打ち壊す愛のあらわれる時に及ぶ。
愛の純粋なる表現を更に切実に要求する人は、地上の職業にまで狭い制限を加えて、思想家若しくは普通意味せられるところの芸術家とならずにはいられないだろう。その人々は愛が汚されざらんが為めに、先ず愛の表現に役立たしむべき材料の厳選を行う。思想に増して純粋な材料を、私達人間は考えつくことが出来ない。哲人又は信仰の人などといわれる人は――若しそれがまがいものでなかったなら――ここにその出発点を持っているに違いない。普通意味せられるところの芸術家、即ち芸術を仕事としている人々は思想を具象化するについて、思想家のように抽象的な手段によらず、具体的な形に於てせんとするものだ。然しながらその具体的な形の中、及ぶだけ純粋に近い形に依ろうとする。その為めに彼等は洗練された感覚を以て洗練された感覚に訴えようとする。感覚の世界は割合に人々の間に共通であり、愛にまで直接に飜訳され易いからである。感覚の中でも、実生活に縁の近い触覚若しくは味覚などに依るよりも、非功利的な機能を多量に有する視覚聴覚の如きに依ろうとする。それらの感覚に訴える手段にもまた等差が生ずる。
同じ言葉である。然しその言葉の用い方がいかに芸術家の稟資を的確に表わし出すだろう。或る人は言葉をその素朴な用途に於て使用する。或る人は一つの言葉にも或る特殊な意味を盛り、雑多な意味を除去することなしには用いることを肯んじない。散文を綴る人は前者であり、詩に行く人は後者である。詩人とは、その表現の材料を、即ち言葉を智的生活の桎梏から極度にまで解放し、それによって内部生命の発現を端的にしようとする人である。だからその所産なる詩は常に散文よりも芸術的に高い位置にある。私は僅かばかりの小説と戯曲とを書いたものであるが、そのささやかなる経験からいっても、表現手段として散文がいかに幼稚なものであるかを感じないではいられない。私の個性が表現せられるために、私は自分ながらもどかしい程の廻り道をしなければならぬ。数限りもない捨石が積まれた後でなければ、そこには私は現われ出て来ない。何故そんなことをしていねばならぬかと、私は時々自分を歯がゆく思う。それは明かに愛の要求に対する私の感受性が不十分であるからである。私にもっと鋭敏な感受性があったなら、私は凡てを捨てて詩に走ったであろう。そこには詩人の世界が截然として創り上げられている。私達は殆んど言葉を飛躍してその後ろの実質に這入りこむことが出来る。そしてその実質は驚くべく純粋だ。
或はいう人があるかも知れない。私達の生活は昔のような素朴な単純な生活ではない。それは見透しのつかぬほど複雑になり難解になっている。それが言葉によって現わされる為めには、勢い周到な表現を必要とする。詩は昔の人の為めにだ。そして小説と戯曲とは今の人の為めにだ、と。
私はそうは思わない。表現さるべき最後のものは昔も今も異ることがないのだ。縦令外面的な生活が複雑になろうとも、言葉の持つ意味の長い伝統によって蕪雑になっていようとも、一人の詩人の徹視はよく乱れた糸のような生活の混乱をうち貫き、言葉をその純粋な形に立ち帰らせ、その手によって書き下された十行の詩はよく、生の統流を眼前に展くに足るべきである。然しそれをなし得るためには、詩人は必ず深い愛の体験者でなければならぬ。出でよ詩人よ。そして私達が直下に愛と相対し得べき一路を開け。
私は又詩にも勝った表現の楔子を音楽に於て見出そうとするものだ。かの単独にしては何等の意味もなき音声、それを組合せてその中に愛を宿らせる仕事はいかに楽しくも快いことであろうぞ。それは人間の愛をまじり気なく表現し得る楽園といわなければならない。ハアモニーとメロディーとは真に智的生活の何事にも役立たないであろう。これこそは愛が直接に人間に与えた愛子だといっていい。立派な音楽は聴く人を凡ての地上の羈絆から切り放す。人はその前に気化して直ちに運命の本流に流れ込む。人間にとっては意味の分らない、余りに意味深い、感激が熱い涙を誘い出す。そして人は強い衝動によって推進の力を与えられる。それが何処へであるかは知られない。ただ望ましい方向にであるのは明かに感知される。その時人は愛に乗り移られているのだ。
美術の世界に於て、未来派の人々が企図するところも、またこの音楽の聖境に対する一路の憧憬でないといえようか。色もまた色そのものには音の如く意味がない。面もまた面そのものには色の如く意味がない。然しながら形象の模倣再現から這入ったこの芸術は永くその伝統から遁れ出ることが出来ないで、その色その面を形の奴婢にのみ充てていた。色は物象の面と空間とを埋めるために、面は物象の量と積とを表わすためにのみ用いられた。そして印象派の勃興はこの固定概念に幽かなゆるぎを与えた。即ち絵画の方向に於て、色と色との関係に価値をおくことが考えつけられた。色が何を表わすかということより、色と色との関係の中に何が現われねばならぬかと云うことが注意され出した。これは物質から色の解放への第一歩であらねばならぬ。しかしこの傾向は未来派に至って極度に高調された。色は全く物質から救い出された。色は遂に独立するに至った。
然し音楽が成就しただけのことを未来派は絵画に於て成就し得ているだろうかという問題はおのずから別に考えられなければならぬ。私はこれらの芸術に対して何等具体的の知識を持っているものでない。だから私はかかる比較論に来ると口をつぐむ外はない。けれども未来派の傾向を全然斥けらるべきものだと主張する人に対しては、私は以上の見地からこの派の傾向の可能性を申し出ることが出来はしないかと思っている。若し物象が具象化されなければ満足が出来ないと人がいうならば、その人の為めには、文学の領内に詩と小説とが併存するように、これまでのような絵画を存続させておくのもまた妨げないだろう。然しながら美術家の個性が益〻高調せられねばならぬ時はやがて来るだろう。その時になって未来派のような傾向が起るのは、私の立場からいうと、極めて自然なことであるといわねばならぬのだ。
人間は十分に恵まれている。私達は愛の自己表現の動向を満足すべき有らゆる手段を持っている。厘毛の利を争うことから神を創ることに至るまで、偽らずに内部の要求に耳を傾ける人ほど、彼は裕かに恵まれるであろう。凡ての人は芸術家だ。そこに十二分な個性の自由が許されている。私は何よりもそれを重んじなければならない。
二二
私はまた愛を出発点として社会生活を考えて見よう。
社会生活は個人生活の延長であらねばならぬ。個人的欲求と社会的欲求とが軒輊するという考えは根柢的に間違っている。若しそこに越えることの出来ない溝渠があるというならば、私は寧ろ社会生活を破壊して、かの孤棲生活を営む獅子や禿鷹の習性に依ろう。
然しかかる必要のないことを私の愛は知っている。社会生活に対する概念の中に誤った所があるか、個人生活の概念の中に誤った所があるかによって、この不合理な結論が引き出されると私は知っている。
先ず個人の生活はその最も正しい内容によって導かれなければならぬ。正しき内容とは何をいうのか。智的生活が習性的生活を是正する時には、私は智的生活に従って習性的生活を導かねばならぬ。本能的生活が智的生活を是正する時には、私は本能的生活に従って智的生活を導かねばならぬ。即ち常に習性的生活の上に智的生活を、智的生活の上に本能的生活を置くことを第一の仕事と心懸けねばならぬ。正しき内容とはそれだけのことだ。
習性的生活と智的生活との関係についてはいうまでもあるまい。習性的生活が智的生活の指導によって適合を得なければならないというのは自明のことであるから。
然しながら智的生活が本能的生活によって指導されねばならぬということについては不服を有つ人がないとはいえない。智的生活は多くの人々の経験の総和が生み出した結果であり約束であるが、本能的生活は純粋個性内部の衝動であるが故に、必ずしも社会生活と順応することが出来ないだろうとの杞憂は起りがちに見えるからである。
けれども私は私の意味する本能的生活の意味が正しく理解されることを希う。本能の欲求はいつでも各人の個性全体の上に働くところのものだ。その衝動は常に個性全体の飽満を伴って起る。この例は卑陋であるかも知れないが、理解を容易ならしむる為めにいって見ると、ここに一人の男がいて、肉慾の衝動に駆られて一人の少女を辱かしめたとしよう。肉慾も一つの本能である。その衝動の満足を求めたことは、そのまま許されることではないか。そう或る人は私に詰問するかも知れない。私はその人に問い返して見よう。あなたが考える前に先ずあなたをその男の位置におけ。あなたが肉慾的にのみその少女を欲しているのに、あなたはその少女に近づく時(全く固定的な道徳観念を度外視しても)、何等の不満をもあなたの個性に感じなかったか。あなたはまたあなたと見知らない少女の姿全体に、極度の恐怖と憎悪とを見出したろう。あなたはそれに少しでも打たれなかったか。そしてそこに苦い味を感じなかったか。若しあなたに人並みの心があるなら、私のこの問に応じて否と答えるの外はあるまい。だから私はいう。その場合あなたが本能の衝動らしく思ったものは、精神から切り放された肉慾の衝動にしか過ぎなかったのだ。だからあなたはその衝動を行為に移す第一の瞬間に既に見事に罰せられてしまったのだ。若しあなたが本当に本能の(個性全体の)衝動によってその少女を欲するなら、あなたは先ずその少女にあなたの切ない愛を打ち明けるだろう。そして少女が若しあなたの愛に酬いるならば、その時あなたはその少女をあなたの衷に奪い取り、少女はまたあなたを彼女の衷に奪い取るだろう。その時あなたと少女とは二人にして一人だ(前にもいった如く)。そしてあなたは十分な飽満な感じを以て心と肉とにおいて彼女と一体となることが出来る。その時、その事の前に何等の不満もなく、その事の後には美しい飽満があるばかりだろう。(これは余事にわたるが好奇な人のために附け加えておく。若し少女がその人の愛に酬いることを拒まねばならなかった場合はどうだ。その場合でも彼の個性は愛したことによって生長する。悲しみも痛みもまた本能の糧だ。少女は永久に彼の衷に生きるだろう。そして更に附け加えることが許されるなら、彼の肉慾は著しくその働きを減ずるだろう。そこには事件の精神化がおのずから行われるのだ。若し然しその人の個性がその事があったために分散し、精神が糜爛し、肉慾が昂進したとするならば、もうその人に於て本能の統合は破れてしまったのだ。本能的生活はもうその人とは係わりはない。然しそんな人を智的生活が救うことが出来るか。彼は道徳的に強いて自分の行為を律して、他の女に対してその肉慾を試みるようなことはしないかも知れない。然しその瞬間に彼は偽善者になり了せてしまっているのだ。彼はその心に姦淫しつづけなければならないのだ。それでもそれは智的生活の平安の為めには役立つかも知れない。けれどもかくの如き平安によって保たれる人も社会も災いである。若し彼が或る動機から、猛然としてもとの自己に眼覚める程緊張したならばその時彼は本能的生活の圏内に帰還しているのだ。だから智的生活の圏内に於ける生活にあってこそ、知識も道徳もなくて叶わぬものであるが、本能的生活の葛藤にあっては、智的生活の生んだ規範は、単にその傷を醜く蔽う繃帯にすらあたらぬことを知るだろう)。その時精神は精神ではなく、肉慾は肉慾ではない。両者は全くその区別を没して、愛の統流の中に溶けこんでしまう。単なる形の似よりから凡ての現われと同じものと見るのは、甚しき愚昧な見断である。
この一つの例は私の本能に対する見解を朧ろげながらも現わし得たではなかろうか。かくの如く本能は、全体的なそして内部的な個性の要求だ。然るに智的生活はこれとは趣きを異にしている。縦令智的生活は、長い間かかった、多くの人の経験の集成から成り立つものだとはいえ、その個性に働く作用はいつでも外部からであって、しかも部分的である。その外部的である訳は、それが誰の内部生活からも離れて組み立てられたものであるからだ。それは生活の全部を統率するために、人間によって約束された規範であるからだ。それなら何故部分的であるか。智的生活にあっては義務と努力とが必要な条件として申し出られているからだ。義務にも努力にも、人間の欲求の或る部分の棄捨が予想されている。或る欲求を圧抑するという意識なしには、義務も努力も実行されはしない。即ち個性の全要求の満足という事は行われ得ない約束にある。若しかかる約束にある智的生活が生活の基調をなし、指導者とならなければならぬとしたら、人間は果して晏如としていることが出来るだろうか。私としてはそれを最上のものとして安んじていることが出来ない。私はその上に、私の個性の全要求を満足し、しかもその満足が同時によいことであるべき生活を追い求めるだろう。そしてそれは本能的生活に於て与えられるのだ。本能的生活によって智的生活は内面化されなければならぬ。本能的生活によって智的生活は統合化されなければならぬ。かくいえば、私が、本能的生活は智的生活を指導せねばならぬと主張した理由が明かになると思う。
然らば社会生活は私がいった個人の生活過程を逆にでも行かねばならぬというのか。社会生活にあっては、智的生活をもって本能的生活の指導者たらしめ、若しくは習性的生活をもって智的生活の是正者たらしめねばならぬとでもいうのか。若し果してそうならば、社会生活と個人生活とはたしかに軒輊するであろう。私にはそうは思われない。社会の欲求もまたその終極はその生活内部の全体的飽満にあらねばならぬ。縦令現在、その生活の基調は智的生活におかれてあるとも、その欲求としては本能的生活が目指されていねばならぬ。社会がその社会的本能によって動く時こそ、その生活は純一無雑な境地に達するだろう。
ここで或る人は多分いうだろう。お前の言葉は明かにその通りだ。進化の過程としては、社会もまた本能的生活に這入ることを、その理想とせねばならぬ。けれども現在にあっては、個人には本能的生活の消息を解し、それを実行し得る人があるとしても、社会はまだかかる境地に達せんには遠い距離がある。かかる状態にあって、個人生活と社会生活とが軒輊するのは当然なことではないかと。
私はこの抗議を肯じよう。然しこの場合、改めねばならぬのは個人の生活であるか、社会の生活であるか、どちらだ。両者の間に完全な調和を持ち来すために進歩させねばならぬ生活は、どちらの生活だ。社会生活の現状を維持する為めに、私達はここまで進んで来た個人生活を停止し若しくは退歩させて、社会生活との適合に持ち来さねばならぬというのか。多くの人はそうあるべき事のように考えているように見える。私は断じてこれを不可とする。
変らねばならぬものは社会の生活様式である。それが変って個人の生活様式にまで追い付かねばならぬ。
国家も産業も社会生活の一様式である。近代に至って、この二つの様式に対する根本的な批判を敢えてする二つの見方が現われ出た。それは個性の要求が必至的に創り出した見方であって、徒らなる権力が如何ともすべからざる一個の権威である。一時は権力を以て圧倒することも出来よう。然しながら結局は、現存の国家なり産業組織なりが、合理的な批判を以てそれを打壊し得るにあらずんば、決して根絶することの出来ない見方である。私のいう二つの見方とは、社会主義であり、無政府主義である。
この二つの主義のかくまでの力強さは何処にあるか。それは、縦令不完全であろうとも、個性の全的要求が生み出した主義だからである。社会主義者は自ら人間の社会的本能が生み出した見方であると主張するけれども、その主義の根柢をなすものは生存競争なる自然現象である。生存競争は個性から始まって始めて階級争闘に移るのだ。だからその点に於て社会主義者の主張は裏切られている。無政府主義に至っては固より始めから個性生活の絶対自由をその標幟としている。
社会主義はダーウィンの進化論から生存競争の原理を抜いてその主張の出発点としたことは前に述べた通りだ。クロポトキンはこれに対立して無政府主義を宣言するに当り、進化論の一原理なる相互扶助の動向を取ってその論陣を堅めた。両者共に、個性から発して動植物両界の致命的要素たる本能であるとせられている。一方の主義者は生存競争の為めの相互扶助だと主張し、一方の主義者は相互扶助の為めの生存競争だと主張する。私はここで敢えて主義者の見地を裁断しようとも思わないし、又私の自然科学に対する空疎な知識はそれをすることも許しはしない。
然し私はこういうことを申し出して見たい。ケーベル博士がそのカント論に於て「生物学に於て取り扱われる動物本能は、畢竟人間にある本能の投影に過ぎない。認識作用が事物に遵合するのではなく、却って事物(現象としての)が認識作用に遵合するのである」といった言葉は、単に唯心論者の常套語とばかりはいい退けてしまうことが出来ない。そこには動かすことの出来ない実際的睿智が動いているのを私は感ずることが出来る。惟うに動物には、ダーウィンが発見した以外に幾多の本能が潜んでいるに相違ない。そしてそれがより以上の本能の力によって統合されているに相違ない。然しながら十九世紀の生物学者は、眼覚めかけて来た個性の要求(それは十八世紀の仏国の哲学者等に負うところが多いだろう)と社会の要求との間に或る広い距離を感じたのではなかったろうか。そして動物中に行われる現状打破の本能を際立って著しいものと認めたのではなかったろうか。然しその時学者達の頭の中には、個性は社会を組織する或る小さな因子としてのみ映っていたろう。しかのみならず科学的研究法の必然的な条件として、凡てのものを二元的に見ることに慣らされていた。彼等はひとりでに個性と社会とを対立させた。従ってその結論も個性と社会との中、個性に重きを置いた場合には生存競争として現われ、社会に重きを置いた場合には相互扶助として現われたのだ。然し前者には社会が、後者には個性が、少しも度外視されていはしない。
私達はこの時代的着色から躍進しなければならぬと私は思う。私は個性の尊厳を体験した。個性の要求の前には、社会の要求は無条件的に変らねばならぬことを知った。そして人間の個性に宿った本能即ち愛が如何なる要求を持つかを肯んじた。そして更に又動物に現われる本能が無自覚的で、人間に現われる本能が自覚的であるのを区別した。自覚とは普遍智の要求を意味する。個性はもはや個性の社会に対する本能的要求を以て満足せず、個性自身、その全体の満足の中にのみ満足する。そこには競争すべき外界もなく、扶助すべき外界もない。人間は愛の抱擁にまで急ぐ。彼の愛の動くところ、凡ての外界は即ち彼だ。我の正しい生長と完成、この外に結局何があろうぞ。
(以下十余行内務省の注意により抹殺)
私はこの本質から出発した社会生活改造の法式を説くことはしまいと思う。それはおのずからその人がある。私は単にここに一個の示唆を提供することによって満足する。私が持って生れた役目はそれを成就すれば足りるのだから。
宗教もまた社会生活の一つの様式である。信仰は固より人々のことであるが、宗教といえばそれは既に社会にまで拡大された意味をもっている。そして何故に現在の宗教がその権威を失墜してしまったか。昔は一国の帝王が法王の寛恕を請うために、乞食の如くその膝下に伏拝した。又或る仏僧は皇帝の愚昧なる一言を聞くと、一拶を残したまま飄然として竹林に去ってしまった。昔にあっては何が宗教にかくの如き権威を附与し、今にあっては、何が私達の見るが如き退縮を招致したか。それは宗教が全く智的生活の羈絆に自己を委ね終ったからである。宗教はその生命を自分自身の中に見出すことを忘れて、社会的生活に全然遵合することによって、その存在を僥倖しようとしたからだ。国家には治者と被治者とがあって、その間には動向の根柢的な衝突が行われる。宗教は無反省にもこの概念を取って、自分に適用した。神(つまり私はここで信仰の対象を指しているのだ。その名は何んでもいい)は宗教界にあって、国家に於ける主権者の位置にある。彼は人からあらゆる捧げものを要求する。人の生活は畢竟神の前にあっては無に等しい。神は凡ての権能の主体である。人は神の前にあって無であることを栄誉としなければならない。神に対し自己を犠牲にすることが彼の有する唯一の権利(若しそういう言葉が使えるなら)である。神の欲するところと人の欲するところとの間には、渡らるべき橋も綱もない。神と人とは全く本質を異にした二元として対立している。
国家の組織が無反省にそのまま人民によって肯定せられていた時代には、この神人関係の概念もまた無反省に受取られることが出来たろう。然し個性の欲求が、愛の動向が、体達せられた今にあっては、この神人関係の矛盾は直ちに苦痛となって、個性によって感ぜられる。生活根源の動向は凡て同じ方向に向上しなければならぬ。私達は既に石から人間に至るまでの過程に於て、同じ方向に向上して来た本能の流れを見た。私達の内部生命は獲得によってのみ向上飛躍するのを見た。然るに現存の宗教は、神にのみその動向を認めて、人間にはそれを拒もうとしているではないか。
或る人は私に告げるであろう。時勢に取り残されたるものよ。お前は神人合一の教理が夙の昔から叫ばれているのを知らないのか。神は人間と対立しているようなものではない。実に人間の衷にあって働くべきものだ。人間は又神の衷にあって働くべきものだ。神と自己とを対立させるが故に、人間は堕落するのだ。神の要求はそのまま人間の要求でなければならぬのだ。お前はそれをすら知らないで、一体何んの囈言をいおうとするのだと。然らば私はその人に向って問いたい。それなら何故今でも教壇の上からやむことなく犠牲の義務と献身の徳とが高調して説かれなければならないのだろう。神は嘗て犠牲を払い献身を敢えてしたか(基督教徒はここで基督の生涯を引照するだろう。然し基督の生涯が犠牲でも献身でもないことは前に説いた)。然るに現在教壇からは、神にないものが人間にあらねばならぬとして要求されているのはどうしたことなのか。私はそれが人間性の根本に対する理解の不十分から来ているのではないかと疑う。そしてその疑いに全く理由がないではあるまいと思う。神人合一という概念だけは自然の必要から建て上げられた。それは政治に於て、専制政体が立憲政体に変更されたのとよく似ている。その形に於ては或る改造が成就されたように見える。立法の主体は稍〻移動したかも知れない。しかも治者と被治者とが全く相反した要求によって律せられている点に於ては寸毫も是正されてはいないのだ。神と人とは合一する。その言葉は如何に美しいだろう。然しその合一の実が挙がっていなかったら、その美しい空論が畢竟何の益になるか。
私はかくの如き妥協的な改良説を一番恐れなければならない。それはその外貌の美しさが私をあざむきやすいからである。
宗教が国家の機械、即ち美しい言葉でいえば政務の要具たることから自分を救い出さねばならぬことは勿論であるが、現存の国家がその拠りどころとする智的生活、その智的生活から当然抽出される二元的見断から自分自身を救い出して、愛の世界にまで高まらなかったら、それは永久にその権威を回復することが出来ないだろう。
私は神を知らない。神を知らないものが神と人との関係などに対して意見を申し出るのは出過ぎたことだといわれるかも知れない。然し宗教が社会生活の一様式として考え得られる時、その様式に対して私が思うところを述べるのは許されることだと思う。私の態度を憎むものは、私の意見を無視すればそれで足りる。けれども私は私自身を無視しはしない。
教育というものに就いても、私はここでいうべき多くを持っている。然し聡明な読者は、私が社会生活の部門について述べて来たところから、私が教育に対して何をいおうとするかを十分に見抜いていられると思う。私は徒らな重複を避けなければならない。然しここにも数言を費すことを許されたい。
子供は子供自身の為めに教育されなければならない。この一事が見過されていたなら教育の本義はその瞬間に滅びるのみならず、それは却って有害になる。社会の為めに子供を教育する――それは驚くべく悲しむべき錯誤である。
仕事に勤勉なれと教える。何故正しき仕事を選べと教えないのか。正しい仕事を選び得たものは懶惰であることが出来ないのだ。私は嘗て或る卒業式に列した。そこの校長は自分が一度も少年の時期を潜りぬけた経験を持たぬような鹿爪らしい顔をして、君主の恩、父母の恩、先生の恩、境遇の恩、この四恩の尊さ難有さを繰返し繰返し説いて聞かせた。かのいたいけな少年少女たちは、この四つの重荷の下にうめくように見やられた。彼等は十分に義務を教えられた。然し彼等の最上の宝なる個性の権威は全く顧みられなかった。美しく磨き上げられた個性は、恩を知ることが出来ないとでもいうのか。余りなる無理解。不必要な老婆親切。私は父である。そして父である体験から明かにいおう。私は子供に感謝すべきものをこそ持っておれ、子供から感謝さるべき何物をも持ってはいない。私が子供に対して払った犠牲らしく見えるものは、子供の愛によって酬いられてなお余りがある。それが何故分らないのだろう。正しき仕事を選べと教えるように、私は、私の子供に子供自身の価値が何であるかを教えてもらいたい。彼はその余の凡てを彼自身で処理して行くだろう。私は今仮りに少年少女を私の意見の対象に用いた。然し私はこれを中等教育にも高等教育にも延長して考えることが出来ると思う。学問の内容よりも学問そのものを重んじさせるということ、知識よりも暗示を与えるということ、人間を私の所謂専門家に仕立て上げないことなど。
二三
私は更に愛を出発点として男女の関係と家族生活とを考えて見たい。
今男女の関係は或る狂いを持っている。男女は往々にして争闘の状態におかれている。かかる僻事はあるべからざることだ。
どれ程長い時間の間に馴致されたことであるか分らない。然しながら人間の生活途上に於て女性は男性の奴隷となった。それは確かに筋肉労働の世界に奴隷が生じた時よりも古いことに相違ない。
性の殊別は生殖の結果を健全にし確固たらしめんがために自然が案出した妙算であるのは疑うべき余地のないことだ。その変体が色々な形を取って起り、或る時はその本務的な目的から全く切り放されたプラトニック・ラヴともなり、又かかる関係の中に、人類が思いもかけぬよき収得をする場合もないではない。私はかかる現象の出現をも十分に許すことが出来る。然しそれは決して性的任務の常道ではない。だから私が男女関係の或る狂いといったのは、男女が分担すべき生殖現象の狂いを指すことになる。男女のその他の関係がいかに都合よく運ばれていても、若しこの点が狂っているなら、結局男女の関係は狂っているのである。
既に業に多くの科学者や思想家が申し出たように、女性は産児と哺育との負担からして、実生活の活動を男性に依託せねばならなかった。男性は野の獣があるように、始めは甘んじて、勇んでこの分業に従事した。けれども長い歳月の間に、男性はその活動によって益〻その心身の能力を発達せしめ、女性の能力は或る退縮を結果すると共に、益〻活動の範囲を狭めて行って、遂にはその活動を全く稼穡の事にのみ限るようになった。こうなると男性は女性の分をも負担して活動せねばならぬ故に、生活の荷は苦痛として男性の肩上にかかって来た。男性はかくてこの苦痛の不満を癒すべき報償を女性に要求するに至った。女性は然しこの時に於ては、実生活の仕事の上で男性に何物をか提供すべき能力を失い果てていた。女性には単に彼女の肉体があるばかりだった。そしてその点から prostitution は始まったのだ。女性は忍んで彼女の肉体を男性に提供することを余儀なくされたのだ。かくて女性は遂に男性の奴隷となり終った。そして女性は自らが在る以上に自分を肉慾的にする必要を感じた。女性に殊に著しい美的扮装(これは極めて外面的の。女性は屡〻練絹の外衣の下に襤褸の肉衣を着る)、本能の如き嬌態、女性間の嫉視反目(姑と嫁、妻と小姑の関係はいうまでもあるまい。私はよく婦人から同性中に心を許し合うことの出来る友人のないことを聞かされる)はそこから生れ出る。男性は女性からのこの提供物を受取ったことによって、又自分自らを罰せなければならなかった。彼は先ず自分の家の中に暴虐性を植えつけた。専制政治の濫觴をここに造り上げた。そして更に悪いことには、その生んだ子に於て、彼等以上の肉慾性を発揮するものを見出さねばならなかった。
これは私がいわないでも多くの読者は知ってそして肯んずる事実であろうと思う。私はここでこの男女関係の狂いが何故最も悪い狂いであるかをいいたい。この堕落の過程に於て最も悪いことは、人間がその本能的要求を智的要求にまで引き下げたという点にあるのだ。男女の愛は本能の表現として純粋に近くかつ全体的なものである。同性間の愛にあっては本能は分裂して、精神的(若し同性間に異性関係の仮想が成立しなければ)という一方面にのみ表現される。親子の愛にしても、兄弟の愛にしても皆等しい。然し男女の愛に於て、本能は甫めてその全体的な面目を現わして来る。愛する男女のみが真実なる生命を創造する。だから生殖の事は全然本能の全要求によってのみ遂げられなければならぬのだ。これが男女関係の純一無上の要件である。然るに女性は必要に逼れるままに、誤ってこの本能的欲求を智的生活の要求に妥協させてしまった。即ち本能の欲求以外の欲求、即ち単なる生活慾の道具に使った。そして男性は卑しくもそれをそのまま使用した。これが最も悪いことだったと私は云うのだ。これより悪いことが多く他にあろうか。
楽園は既に失われた。男女はその腰に木の葉をまとわねばならなくなった。女性は男性を恨み、男性は女性を侮りはじめた。恋愛の領土には数限りもなく仮想的恋愛が出現するので、真の恋愛をたずねあてるためには、女性は極度の警戒を、男性は極度の冒険をなさねばならなくなった。野の獣にも生殖を営むべき時期は一年の中に定まって来るのに、人間ばかりは已む時なく肉慾の為めにさいなまれなければならぬ。しかも更に悪いことには、人間はこの運命の狂いを悔いることなく、殆んど捨鉢な態度で、この狂いを潤色し、美化し、享楽しようとさえしているのだ。
私達は幸いにして肉体の力のみが主として生活の手段である時期を通過した。頭脳もまた生活の大きな原動力となり得べき時代に到達した。女性は多くを失ったとしても、体力に失ったほどには脳力に失っていない。これが女性のその故郷への帰還の第一程となることを私は祈る。この男女関係の堕落はどれ程の長い時間の間に馴致されたか、それは殆んど計ることが出来ない。然しそれが堕落である以上は、それに気がついた時から、私達は楽園への帰還を企図せねばならぬ。一人でも二人でも、そこに気付いた人は一人でも二人でも忍耐によってのみ成就される長い旅に上らなければならない。
私はよくそれが如何に不可能事に近いとさえ思われる困難な道であるかを知る。私もまたその狂いの中に生れて育って来た憐れな一人の男性に過ぎない。私は跌きどおしに跌いている。然し私の本能のかすかな声は私をそこから立ち上らせるに十分だ。私はその声に推し進められて行く。その旅路は長い耽溺の過去を持った私を寂しく思わせないではない。然しそれにもかかわらず私は行かざるを得ない。
この男女関係の狂いから当然帰納されることは、現在の文化が男女両性の協力によって成り立つものではないという事だ。現時の文化は大は政治の大から小は手桶の小に至るまで悉く男子の天才によって作り上げられたものだといっていい。男性はその凡ての機関の恰好な使用者であるけれども、女性がそれに与かるためには、或る程度まで男性化するにあらざれば与かることが出来ない。男性は巧みにも女性を家族生活の片隅に祭りこんでしまった。しかも家族生活にあっても、その大権は確実に男性に握られている。家族に供する日常の食膳と、衣服とは女性が作り出すことが出来よう。然しながら饗応の塩梅と、晴れの場の衣裳とは、遂に男性の手によってのみ巧みに作られ得る。それは女性に能力がないというよりは、それらのものが凡てその根柢に於て男性の嗜好を満足するように作られているが故に、それを産出するのもまたおのずから男性の手によってなされるのを適当とするだけのことだ。
地球の表面には殆んど同数の男女が生きている。そしてその文化が男性の欲求にのみ適合して成り立つとしたら、それが如何に不完全な内容を持ったものであるかが直ちに看取されるだろう。
女性が今の文化生活に与ろうとする要求を私は無下に斥けようとする者ではない。それは然しその成就が完全な女性の独立とはなり得ないということを私は申し出したい。若し女性が今の文化の制度を肯定して、全然それに順応することが出来たとしても、それは女性が男性の嗜好に降伏して自分達自らを男性化し得たという結果になるに過ぎない。それは女性の独立ではなく、女性の降伏だ。
唯外面的にでも女性が自ら動くことの出来る余地を造っておいて、その上で女性の真要求を尋ね出す手段としてならば、私は女権運動を承認する。
それにも増して私が女性に望むところは、女性が力を合せて女性の中から女性的天才を生み出さんことだ。男性から真に解放された女性の眼を以て、現在の文化を見直してくれる女性の出現を祈らんことだ。女性の要求から創り出された文化が、これまでの文化と同一内容を持つだろうか、持たぬだろうか、それは男性たる私が如何に努力しても、臆測することが出来ない。そして恐らくは誰も出来ないだろう。その異同を見極めるだけにでも女性の中から天才の出現するのは最も望まるべきことだ。同じであったならそれでよし、若し異っていたら、男性の創り上げた文化と、女性のそれとの正しき抱擁によって、それによってのみ、私達凡ての翹望する文化は成り立つであろう。
更に私は家族生活について申し出しておく。家族とは愛によって結び付いた神聖な生活の単位である。これ以外の意味をそれに附け加えることは、その内容を混乱することである。法定の手続と結婚の儀式とによって家族は本当の意味に於て成り立つと考えられているが、愛する男女に取っては、本質的にいうと、それは少しも必要な条件ではない。又離婚即ち家族の分散が法の認許によって成り立つということも必要な条件ではない。凡てかかる条件は、社会がその平安を保持するために案出して、これを凡ての男女に強制しているところのものだ。国家が今あるがままの状態で、民衆の生活を整理して行くためには、家族が小国家の状態で強国に維持されることを極めて便利とする。又財産の私有を制度となさんためには、家族制度の存立と財産継承の習慣とが欠くべからざる必要事である。これらの外面的な情実から、家族は国家の柱石、資本主義の根拠地となっている。その為めには、縦令愛の失われた男女の間にも、家族たる形体を固守せしめる必要がある。それ故に家族の分散は社会が最も忌み嫌うところのものである。
おしなべての男女もまた、社会のこの不言不語の強圧に対して柔順である。彼等の多数は愛のない所にその形骸だけを続ける。男性はこの習慣に依頼して自己の強権を保護され、女性はまたこの制度の庇護によってその生存を保障される。そしてかくの如き空虚な集団生活の必然的な結果として、愛なき所に多数の子女が生産される。そして彼等は親の保護を必要とする現在の社会にあって(私は親の保護を必要としない社会を予想しているが故にかくいうのだ)親の愛なくして育たねばならぬ。そして又一方には、縦令愛する男女でも、家族を形造るべき財産がないために、結婚の形式を取らずに結婚すれば、その子は私生児として生涯隣保の擯斥を受けねばならぬ。
社会からいったならば、かかる欠陥は縦令必然的に起って来るとしても、なお家族制度を固執することに多分の便利が認められよう。然し個性の要求及びその完成から考える時、それはいかに不自然な結果を生ずるであろうよ。第一この制度の強制的存在のために、家族生活の神聖は、似而非なる家族の交雑によって著しく汚される。愛なき男女の結合を強制することは、そのまま生活の堕落である。愛によらざる産子は、産者にとって罪悪であり、子女にとって救われざる不幸である。愛によって生れ出た子女が、侮辱を蒙らねばならぬのは、この上なき曲事である。私達はこれを救わなければならない。それが第一の喫緊事だ。それらのことについて私達はいかなるものの犠牲となっていることも出来ない。若しこの欲求の遂行によって外界に不便を来すなら、その外界がこの欲求に適応するように改造されなければならぬ筈だ。
愛のある所には常に家族を成立せしめよ。愛のない所には必ず家族を分散せしめよ。この自由が許されることによってのみ、男女の生活はその忌むべき虚偽から解放され得る。自由恋愛から自由結婚へ。
更に又、私は恋愛そのものについて一言を附け加える。恋愛の前に個性の自己に対する深き要求があることを思え。正しくいうと個性の全的要求によってのみ、人は愛人を見出すことに誤謬なきことが出来る。そして個性の全的要求は容易に愛を異性に対して動かさせないだろう。その代り一度見出した愛人に対しては、愛はその根柢から揺ぎ動くだろう。かくてこそその愛は強い。そして尊い。愛に対する本能の覚醒なしには、縦令男女交際にいかなる制限を加うるとも、いかなる修正を施すとも、その努力は徒労に終るばかりであろう。
二四
もう私は私の饒舌から沈黙すべき時が来た。若し私のこの感想が読者によって考えられるならば、部分的に於てでなく、全体に於て考えられんことを望む。殊に本能的生活の要求を現実の生活にあてはめて私が申出た言葉に於てそうだ。社会生活はその総量に於て常に顧慮されなければならぬ。その一部門だけに対する凝視は、往々にして人を迷路に導き込むだろう。
私もまた部分的考察に走り過ぎた嫌いがないとはいえない。私は人間に現われた本能即ち愛の本能をもっと委しく語ってやむべきであったかも知れない。然しもう云われたことは云われてしまったのだ。
願わくは一人の人をもあやまることなくこの感想は行け。
二五
あまりに明かであって、しかも往々顧みられない事実は、一つの思想が体験的の検察なしに受取られるということだ。それは思想の提供者を空しく働かせ、享受者を空しく苦しめる。
二六
ニイチェが「私は自分が主張を固執するために焼き殺される場合があったら、それを避けよう。主張の固執は私の生命に値いするほど重大なものではない。然し主張を変じたが故に焼き殺されねばならぬというのなら、私は甘んじて焼かれよう。それは死に値いする」という意味のことをいったそうだ。この逆説は正しいと私は思う。生命の向上は思想の変化を結果する。思想の変化は主張の変化を予想する。生きんとするものは、既成の主張を以て自己を金縛りにしてはなるまい。
二七
思想は一つの実行である。私はそれを忘れてはいない。
二八
私の発表したこの思想に、最も直接な示唆を与えてくれたのは阪田泰雄氏である。この機会を以て私は君に感謝する。その他、内面的経験に関りを持った人と物との凡てに対して私は深い感謝の意を捧げる。
二九
これは哲学の素養もなく、社会学の造詣もなく、科学に暗く宗教を知らない一人の平凡な偽善者の僅かばかりな誠実が叫び出した訴えに過ぎない。この訴えから些かでもよいものを聴き分けるよい耳の持主があったならば、そしてその人が彼の為めによき環境を準備してくれたならば、彼もまた偽善者たるの苦しみから救われることが出来るであろう。
凡てのよきものの上に饒かなる幸あれ。 | 底本:「惜みなく愛は奪う」新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年1月25日発行
1968(昭和43)年12月20日25刷改版
1974(昭和49)年8月30日34刷
初出:「有島武郎著作集 第一輯」叢文閣
1920(大正9)年6月
入力:村田拓哉
校正:土屋隆、染川隆俊
2003年7月28日作成
2012年8月8日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001144",
"作品名": "惜みなく愛は奪う",
"作品名読み": "おしみなくあいはうばう",
"ソート用読み": "おしみなくあいはうはう",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「有島武郎著作集 第一輯」叢文閣、1920(大正9)年6月",
"分類番号": "NDC 914",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2003-08-30T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card1144.html",
"人物ID": "000025",
"姓": "有島",
"名": "武郎",
"姓読み": "ありしま",
"名読み": "たけお",
"姓読みソート用": "ありしま",
"名読みソート用": "たけお",
"姓ローマ字": "Arishima",
"名ローマ字": "Takeo",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1878-03-04",
"没年月日": "1923-06-09",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "惜みなく愛は奪う",
"底本出版社名1": "新潮文庫、新潮社",
"底本初版発行年1": "1955(昭和30)年1月25日、1968(昭和43)年12月20日25刷改版",
"入力に使用した版1": "1974(昭和49)年8月30日34刷",
"校正に使用した版1": "1987(昭和62)年10月5日58刷",
"底本の親本名1": "",
"底本の親本出版社名1": "",
"底本の親本初版発行年1": "",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "村田拓哉",
"校正者": "染川隆俊、土屋隆",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/1144_ruby_12163.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2012-08-08T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "2",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/1144_11850.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-08-08T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "1"
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