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スリランカ政府との内戦中、反政府勢力タミル・イーラム解放のトラ は数年間にわたり子どもたちを徴兵していた。スイスインフォはスリランカ政府が設置した少年兵の更生施設を訪ねた。このコンテンツは 2009/07/19 15:30
2003年からのユニセフの調査によると、スリランカの内戦では6000人を超える少年兵（少女兵含む）の存在が指摘されている。徴兵された少年兵のほとんどが戦死している現状から、当初の少年兵の数は6000人をはるかに上回るとみなされている。
証言
「上官の命令が絶対だったんだ。上官が『撃て』と言えば、引き金を引いた。そうしたら、僕の目の前で、僕の銃弾で10人が倒れたのを見たんだ」
と、4年の間「タミル・イーラム解放のトラ ( LTTE ) 」の最前線に配備されていた17歳のビノダン君は今、屈託なくこう話す。しかし、「撃った後、人を殺したという罪の意識を持ちました」とも告白した。
わたしたちスイスインフォのスタッフ一行は今、首都コロンボから車で2時間あまり走ったジャングルにある、スリランカ政府による少年兵の3つの更生施設のうちの1つ、 アンベプス ( Ambepusse ) キャンプを訪れている。
キャンプといっても、バカンスのための保養施設ではない。指導する監督者は主に軍人で、哨舎 ( しょうしゃ ) の兵士が周辺の警戒に当たり、キャンプ地3ヘクタールを鉄条網が取り囲む。100人あまりの少年少女たちが、現在アンベプスで共同生活を送っている。
わたしたちの取材は、緊張の糸がほぐれた雰囲気が漂う土曜の朝に行われた。若者たちは、クリケットやバレーボールに興じている。兵士がその輪の中に加わる。このルポルタージュの間、キャンプの責任者は、子どもたちへの自由なインタビューを許してくれた。子どもたちの証言は、スリランカ政府の訴えを裏付けるものだからだ。内戦中にタミルのトラが犯した数々の残虐な行為が、子どもたちの証言から明らかになる。
子どもたちの澄んだ心
ビノダン君はわたしたちを宿舎の共同部屋に案内する。トタン板の屋根、所狭しと並ぶ数十床のベッド。この若者は13歳の時に無理矢理家族から引き離され、唯一の望みは家族の元に帰ることだ。彼は、
「タミルのトラにいた時にはいつも、逃げ出す機会を探していたんだ」
と、話す。
ある襲撃が失敗に終わった時をチャンスに、彼は部隊から逃げ出し、政府軍に自首し、1年前からこのキャンプに入所している。ここでは1カ月に1度、家族との通信が認められている。ほかの元少年兵同様に、赤十字国際委員会 ( ICRC ) がスリランカ北部の難民キャンプからビノダン君の家族を探し出した。
スリランカの法律によると、ビノダン君のような未成年は犯罪者ではなく、犠牲者として扱われる。
更生施設の責任者であるフェルナンド将校は、
「このキャンプの目的は、社会復帰のための支援なのです。午前中には英語、数学、スリランカの主な言語であるシンハラ語の授業があります。午後には服の仕立て、左官工、電気技師などの職業訓練が行われます」
と、語る。
更生のための訓練期間は、修得レベルや家庭環境などケース・バイ・ケースであるが、一般的に子どもたちは、1年間ないし2年間で退所している。
上官からの洗脳
若者たちの中に、ほかの子どもたちよりも年上の2人の青年がいることに気付いた。彼らの兵隊での呼び名は、セイコとカレンといい、マレーシアかアラブ首長国連邦での就労ビザが下りるのを待っているという。共に13歳の時に自ら志願し、ゲリラとして訓練された。
「数カ月前に徴兵されたクラスメートたちがある日、軍服を着、銃をかついで学校にやって来ました。そんな彼らを見て、僕は志願したのです」
と、23歳のカレン君は話す。
「僕の場合も同じです。指揮官がクラスで、シンハラ人によって行われた犯罪を記録した映画を上映しました。そしてその指揮官は、自分達の文化を守るためには志願せよ、と言ったのです」
と、仲間である27歳のセイコ君がこう語る。2人の青年は逃亡前、同じ部隊の最前線に配備されていた。セイコ君はこう言葉を続ける。
「タミルのトラによって支配されていた地域には、テレビも新聞もありませんでした。僕達は上官の言葉に洗脳されていたのです。幹部になるための訓練を受け始めた時に、テレビを観る許可を得ました。そこに映し出されたシンハラ人とタミル人が共存する地域の映像を見た時に、ここから抜け出さなければと気付いたのです」
家族ごとに1人の兵士
タミルのトラは、少年少女を兵士として徴兵することを憚 ( はばか ) らなかった。アヌシバさんという少女が、おどおどしながらこう話す。
「家族ごとに1人、兵士を出さなくてはなりませんでした。私は16歳で入隊しましたが、それで妹が家に帰れたのです」
しかし、アヌシバさんの証言によると、内戦終結の数カ月前には、規則が変わったようだ。
「内戦の終わり頃になると、あらゆる子どもたちが手当たり次第にさらわれていきました。たとえその家族からほかの子どもがすでに兵士として連れて行かれていてもです」
アンベプスのキャンプに入所している40人あまりの少女たちのうちの何人かは、戦闘の最後の最後まで戦っている。17歳のプビタさんは、3月に家族から引き離された。
「戦闘に駆り出される前の3週間、兵士としての訓練を受けました。950人の若者が出陣して、生きて戻れたのは150人だけでした」
危険すぎる
ここで今こう微笑 ( ほほえ ) んでいるこの少女は、強運の持ち主だ。スリランカの内戦の終結時は、すさまじい惨劇が繰り広げられた。人道的活動機関は、反逆者、一般市民、少年兵が身を隠した数平方キロの地域を根こそぎ壊滅させるような爆撃を行ったとして、スリランカ政府を非難している。
最も穏健派である赤十字国際委員会の、コロンボでの任務の責任者でさえ、終結前の数日間、職員は職務が遂行できなかったことを認めている。
「戦闘が激しすぎて、食料を運んだりけが人を運び出したりすることができないどころか、職員が避難所から出ることさえもできない状態でした」
現在、スリランカ政府によるタミルのトラへの勝利宣言が公的に出されている。アンベプスの子どもたちは、通常の生活に戻ることを望んでいる。
* 人権保護のため、子どもたちの名前は仮名となっています。
swissinfo.ch、クレモンティンヌ・メルシエ
( 仏語からの翻訳 魵澤利美 )
背景
少年兵
反政府勢力タミル・イーラム解放のトラ ( LTTE ) によって子どもたちは徴兵され、前線に立つことを余儀なくされた。25年間の内戦でどれほどの子どもたちが犠牲となったかは計り知れない。2003年からのユニセフの調査によると少年兵は6000人とされているが、この中に戦闘によって命を奪われた少年兵の数は含まれていない。
現在の状況
内戦の終結以降、スリランカは史上最悪の人道的危機に陥っている。政府軍はスリランカ北部に内戦による25万人の避難民収容のための巨大な難民キャンプを設置した。
論争
タミル人の難民は、キャンプを自由に出入りすることはできない。政府軍はテロリストの潜入を警戒し、各難民キャンプで身元調査を実施。人道的支援のための職員、オブザーバーやジャーナリストさえも、訪問に際しては軍の監視下に置かれる。
戦争犯罪
政府軍は国際機関より、内戦終結間際での数千人の市民を巻き込んだ砲射撃の嫌疑をかけられている。爆撃による死者は2万人に達する。スリランカ政府は調査結果の公開を拒否。
赤十字国際委員会 ( ICRC ) の活動の縮小
公式声明によると、スリランカ政府は赤十字国際委員会に支援の縮小を要請している。
南アジア地域救護活動責任者のジャック・ド・マイヨ氏は、活動縮小の第一段階として東部事務所の閉鎖と職員の帰国を挙げる。
公式声明は、スリランカ政府と反政府勢力LTTEとの内戦終結を宣言した。
しかし、5月末、人道的機関は停戦後も人的援助の緊急保護措置を取る必要があることを強調。
赤十字国際委員会 ( ICRC ) は特に、30万人が詰め込まれた全ての難民キャンプへの立ち入りを要請。
スリランカ援助のための昨年度赤十字国際委員会の支出は3000万フラン ( 25億8000万円 ) に達する。
1989年からスリランカで活動する人道的機関は、「政府と人権問題についての対話を続ける」ことを宣言。
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