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1920年代から60年代にかけて家族と別れ別れになり｢奉公に出された子どもたち｣がいる。しかしかれらについては何十年の間、人々は口を閉ざしていた。スイス史の闇に埋もれたこの1章に光を当てる展覧会が開催中だ。
何千人もの子どもたちが家族と離れ離れになり、強制的に教育院や別の家族に引き取られて行った。子どもたちの多くは強制労働を強いられ虐待されていた。
奉公は安上がり
別の家族に子どもたちを引き渡したのはその土地の官僚で、両親の一方が死亡したり、まったくの孤児であるといったケースのほかに、親が正式に結婚していない、家が貧しいといった子どもたちがターゲットになった。両親が道徳的に見て、社会にそぐわないといった理由もあった。こうしたスイスの暗い歴史について語ることは長い間タブーだったが、1990年代になって、子ども時代に犠牲となった人たちが沈黙を破り、具体的な事例を挙げるようになった。「沈黙を破ることは非常に難しかった」と展覧会で見ることができるビデオの中で、ミヒャエル氏は言う。
話し始めたのは「世代の違いではないか」と「奉公に出された子どもたちが話す展 ( Verdingkinder reden ) 」を企画し、自ら「子供のころを盗まれた人たちの協会 「( Verein Geraubte Kindheit ) 」に属するジャックリン・ホイズラー氏は言う。
「こうした人たちの多くは子供のころのことを隠していました。話すことで損をすると思っていたからです。年金生活を始め、自分たちの子どもたちも巣立ってしまってから、話すようになるというケースは多くあります」
展覧会は、奉公に出された最初の日、証言、悪夢の解消方法、ビデオなど7つのテーマを通し奉公に出された子どもをフォーカスする。これらは、1920年から1960年まで、子どものころに奉公に出された300人を取材して作られた。
「もちろん主観的な思い出です。楽しい思い出を持っている人もいます」
とホイズラー氏。とはいえ、ヨハン、シモン、ジャン・ルイ、バルバラといった人たちの話を聴くと、楽しい思い出はあまりないようだ。
「父が病気になって、母が生活保護の手当てをあてにしたのですが。当局は母親に金をやるより、子どもたちを育てる能力のある家庭にもらい子として出すよう仕向けたのです。9人兄弟でしたが、全員、奉公に出されました」
実際、生活保護手当てを支払うより、子どもを奉公に出して働かせる方が自治体の負担は軽かったのだ。
伝染病患者のように扱われる
奉公に出された子どもたちの日常生活は、おいそれとは忘れることのできない苦しい毎日だった。
「牛小屋の隣にある、窓の無い部屋で食事を取った。テーブルに着いて食事をするといったことは絶対にできなかった」
とヨハンは思い出を語る。
会場の壁一面が子供たちの思い出の品々で飾られている。例えば名づけ親の叔父さんから贈られた人形。ただし、すぐに受け入れ家族に取られてしまった人形だ。また、伝染病を病んでいるかのような扱いを受けたという証言もある。シモンは、兄弟2人と奉公に出されたが
「他の家族は誕生パーティーに呼ばれているのに、私たちは誰も呼んでくれなかったことが一番悲しかった」
と語る。
正式な謝罪は今も無い
こうした経験を持つ人たちの中には、当局に対しての恨みを抱く人も多い。
「生活保護を受けた者として、怖いことは何も無い。特に国家権力に対しては」
とアンドレーは書き残す。受け入れ先の家族は、子どもたちを徹底的に利用したという例も少なくない。フランソワは20歳になると、受け入れ家族から20フラン ( 現在のレートで換算すると約1780円 ) をもらったという。しかし、両親の家が16万フラン ( 同約1600万円 ) で売却されたにもかかわらず、その売却代金を見ることはなかったという。
「スイス政府は一度も謝らなかった。一度もです」
とミヒャエルは怒りをぶつける。「奉公人の子どもネットワーク ( network verdingt ) 」のヴァルター・ツヴァーレン氏は
「2003年、連邦議会は奉公に出された子どもたちの歴史をより深く調査するための予算を認めなかった。謝ったのはルツェルン州のカトリック教会だけだ」
と言う。
間違いから学べること
こうした人たちは大人になってから、いろいろな形で子どものころの悪夢から脱出しようと努力した。多くの人たちは、子どものころのことを隠し、普通に家族を持ち、仕事に従事している。創造的な活動を通し辛かった日々を消化しようとしている人もいる一方、投獄されたり、精神病院に入れられた人もいる。
「過去のことを思い出すだけではなく、現在でも別の家族に養育される子どもはいる。こういったケースでの家庭教育の形も考えてほしい。子どものころを盗まれたという人が将来いなくなるように」
とホイズラー氏は語る。
swissinfo、ダニエレ・マリアニ 佐藤夕美 ( さとう ゆうみ ) 訳
キーワード
「奉公に出された子どもたちが話す展 ( Verdingkinder reden ) 」
3月26日から6月27日までケーフィクトゥルム ( Käfigturm ) 、ベルンで開催中。
その後、4年間に渡りバーゼル、ルツェルン、フリブール／フリブルクなど全国を巡回。
奉公に出された子どもたち
中世以来、貧しい家庭や婚外関係により生まれた子どもを奉公に出すということがあった。こうした子どもたちの多くは農家に奉公に出された。自治体は受け入れ家庭に経費を支払い、そこで子どもたちは重労働を強いられた。
19世紀までスイスでは、子どもの人身売買が行われていた。ルツェルン州では1856年に禁止された。
自治体は生活保護の費用を節約する目的もあったが、当時は「立派な家族」に子どもたちが育てられることは良いことだという道徳観念があった。
しかし奉公制度が道徳的に疑問視されるようになったことと、農家が安い労働力を必要としなくなったため、1960年代以降この制度は廃れていった。
公にはこうした子どもたちの存在は記録されていないが、1920年から1960年までおよそ10万人が奉公に出されたと推測される。