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「殺人未遂の罪で、7年半の刑を言い渡す」。12月中旬、チューリヒ州高等裁判所 ( Obergericht ) で約1週間にわたって行なわれた裁判を忍耐強く取り仕切っていた裁判長は、よどみない声で被告人に有罪判決を言い渡した。このコンテンツは 2008/12/15 15:26
着古したダークグレーのジャンバーを羽織った被告人 ( 43歳 ) は、無表情で判決を聞いていた。その横顔には、有罪判決を下した9人の裁判員の目が注がれていた。
徹底的に洗い出す
2004年9月11日午前5時45分、チューリヒ市内の繁華街にあるレストランでトルコ人のタクシー運転手が、バーで働く同朋の男性の胸など3カ所をピストルで撃ち、重傷を負わせた。犯人はその後、自首。正当防衛だったと主張したため2006年5月、チューリヒ州の高等裁判所で裁判員裁判が行なわれた。
その際に下されたのは、8年半の実刑判決だった。しかし、「通訳などに不都合があった」という被告の申し出が認められ、再度裁判になった。
12月3日、裁判員たちが説明を受けた後の午前9時15分から、被告人のトルコの生い立ち、スイスに移民として生活し始めたころのこと、そしてピストルで5回発砲した犯行の詳細について、裁判長が被告人に質問する。ギャンブル中毒になったり、一時カルト信仰に傾倒したりといった、被告人のこれまでの人生が裁判官や裁判員の前にさらされることになる。昼食時間などの休憩を含めて終了したのは午後8時過ぎだった。
翌日から、かろうじて命を取り留めた被害者、被害者を手術した法医学者、事件直後に現場に駆けつけたチューリヒ市警察官、犯行現場にいた人など証人喚問が3日間にわたり続き、事件当時のもようがいろいろな人の証言や物証で浮き彫りにされていく。裁判員があらかじめ読める資料は、6ページの起訴状のみ。検察が法廷に持ち込んだ高さ30センチメートルの書類の2つの山を精読しているのは、裁判長、裁判官、検察官、弁護士だけだ。
12月9日午前8時、原告であるチューリヒ州検察官の論告と被告の弁護人の最終弁論がそれぞれ1時間半あった後、比較的短い被告人自身の発言を聞いた9人の裁判員は、法廷を出て、裁判官とともに有罪、無罪の判断と有罪の場合の刑罰について話し合う評議場に移動した。
12年前からチューリヒ州高等裁判所の裁判官を務め、今回の裁判長でもあるピエール・マルタン氏は
「有罪か、無罪かは法学を勉強しなくとも分かります。そもそも、大学ではそういったことは教えません」
と、法律の知識が無い裁判員でも十分判断できると断言する。
「ただ、一旦有罪と決まると、刑罰については、厳しくなる傾向にある」
そこで裁判官の経験が必要なのだ。
11日午前11時、裁判員と裁判官は「被害者を殺すことも念頭に入れた殺人未遂である」と断言。有罪判決を下した。
人間としての興味と責任
以前はスイス全国にあった裁判員制度 が、連邦裁判法によって全国で統一されるため、2011年1月1日で廃止となる。もっとも、裁判員制度は20年ほど前から各地で廃止となり、チューリヒ州とフランス語圏のいくつかの州を残すだけとなった。
チューリヒ州では、政党が推薦した裁判員が各自治体の市民の投票によって選ばれる。ほとんど落選することはなく、2008年から4年間の任期で2007年末には1274人の裁判員候補が選ばれた。これはチューリヒ州の有権者の約630人に1人の割合だ。
12月の裁判の裁判員となったペーター・コサルターさん ( 65歳 ) は、車椅子で参加している。2度目の任期で、今回の裁判は2度目という。
「裁判をより分かりたいと思い裁判員になった。傍聴人などより被告の有罪、無罪を決定するのだから、よりよく分かる。こうした個人的な興味と、判決を下す責任の重大さとは、わたしの心の中でバランスは取れている」
と言いながら、横に立つほかの裁判員の同意を促した。また、カタリン・ヴェヒターさん ( 58歳 ) は、一度候補者に選ばれたが、仕事の事情で断った。仕事は休んで裁判員になったのは、前回に断ったことが理由だという。
「審理を聞きながら、自分の負う責任の重要さを身にしみて感じます。集中して被告や証人の話を聞かなければならないのは大変ですね」
と感想を述べた。
徹底的な審理は有効
裁判員裁判の対象となるのは、殺人、強盗、誘拐犯行など重大事件で、事実関係を否定し有罪だと認めない場合に限る。被告人が有罪と認めると、裁判官による裁判が行なわれ「刑も軽くなる」と連邦最高裁判所の元裁判官ゲロルト・ベチャルト氏は説明する。裁判員裁判に持ち込まれる事件は、スイスでは裁判の専門家たちによる裁判と比較し、より複雑で時間も長引くという。チューリヒでは年に10回ほど裁判員裁判が開かれる。
ベチャルト氏はチューリヒ高等裁判所で裁判官を務めていた際、裁判員裁判を経験した。スイスではほとんどが書類だけの裁判になってしまったが、裁判員裁判は証人などを喚問し、より直接的に事件を理解できることが長所だと言う。チューリヒ州検察官のマルクス・エルトレ氏も同意見だ。
「被害者に対する精神的負担も大きいが、被害者自身が証人台に立てることは良いことだ。ほかの裁判ではそういうチャンスも無い」
と言う。ただし、その経済的、時間的負担も相当なものだ。例えば裁判員には1日の報酬として約500フラン ( 約3万7700円 ) が支払われるほか
「わたしの場合、準備は裁判員裁判でなければ2日か1日半。その裁判自体は1日で終わる。裁判員裁判なら20日費やし、裁判も1週間以上続く。非常に厳密に審理することは良いが、コストとのバランスが難しい」
とエルトレ氏。経費や時間の節約が裁判員裁判がスイスで消滅していった大きな理由のようだ。
今回も裁判長を務めたピエール・マルタン氏は、日本で来年裁判員制度が導入されることについて
「日本の事情は知らない。しかし、スイスのような形であれば、裁判員制度は良い制度だと思う。時間をかけて細部にわたって審理があり、有罪判決を言い渡す際も、その理由を徹底的に説明する。スイスで2年後に廃止になるのは残念だ」
と語った。
swissinfo、佐藤夕美 ( さとう ゆうみ )
チューリヒ州における裁判員裁判
殺人、殺害、重大な傷害、強盗、脅迫、誘拐、放火、爆弾や有害ガスを使った犯行など重大事件で、事実関係を否定し有罪だと認めない場合に限る。
裁判が始まる3週間前に裁判長は28人の裁判員候補者を抽選で選出する。裁判員候補が発表されて1週間以内に、被告、原告とも裁判員を拒否することができる。理由は必要ない。また、裁判員候補となった人は、事情があればこれを辞退できる。
最終的に12人の裁判員が選出されるが、実際に審理に当るのは9人。
裁判員は常に守秘義務を負い、評議の内容を漏らすことはできない。これを破ると最高3年間の禁固に処される。理由なしに裁判に出頭しない場合は罰金が科せられる。審理中、裁判員は、証人の証言が終わった、証人に質問ができる。
評議の場では、裁判長が指揮を取り専門家の立場からアドバイスをしながら評議を進める。有罪か無罪かの判決には最低8人が投票し過半数が必要。量刑などについては投票者の過半数が必要となる。賛成、反対が同数もしくは、過半数を得られなかった場合は被告人に有利な判決となる。「チューリヒ州刑事訴訟法 ( Strafprozessordnung /StPO ) 」1919年5月4日より
JTI基準に準拠