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アダムとエバの話は、神の作り話
旧約聖書の最初に掲載されている創世記の中の
アダムとエバの話は、実話ではなくて、
私は、神様（至高のお方）がお作りになられた作り話だと思っています。
でも、もちろん、アダムとエバという男女の人間は、
実在したのでしょう。
しかし、神が、最初に創った人類が、アダムとエバだという話は、
完全に、作り話だと思います。
それでは、その理由について、説明していきたいと思います。
まず、最初に創った人類がアダム（男）で、２番目に創った人類がエバ（女）で、
そして、２人の男女が結ばれてできた子供が、長男のカインと次男のアベルだということですが、
カインはアベルを殺してしまった時に、（人類史上最初の殺人？？）
『カインは主に言った。
「わたしの罪は重すぎて負いきれません。
今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、
わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、
わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」』（創世記４章１３−１４）
と言っているということは、
アダム、エバ、カインの他にも、既に、多くの人類が生きて、
生活をしていたということを意味するのです。
それでも、どうしても、アダムが１番最初の人類だということにするためには、
１番最初に創った人類はアダムとエバなのだけれども、
それから、時間を置かないで、
第３の人類、第４の人類、第５の人類、第６の人類、第７の人類・・・・・等々を、
方々に、あっちこっちに、お創りになられたと言う以外にはないのです。
しかし、この弁明は、あまりにも苦し過ぎると思います。
（但し、創世記の記述には、アダムが初の人類であるという記述は一切ありません。
人間を創ったのは、天地創造の６日目の出来事であるという記述があって、
その後に、アダム、そして、エバの記述があるのです。
ですから、アダムの創造は、最初の人類の創造ではなくて、
数多く創った人類の内の１つのケースであるといった解釈もできるとは思います。）
でも、とにかく、全ての人類の祖先がアダムとエバだなどといった盲説は、
この創世記の記述だけで、完全に否定されることになるのです。
大体、白人も、黒人も、黄色人種も、全て、
アダムとエバの末裔、子孫であるなどといったことが、ある訳がないのです。
（最も古いと思われる人類の化石が発見されたのは、アフリカです。
現代の考古学においては、人類のルーツはアフリカ大陸にあると言われています。）
それから、神が、最初の人類アダムを創った時、
２番目の人類のエバを創った時、
アダムもエバも、すぐさま、神の話す言葉の意味を理解することができたのです。
これは、普通では、全くありません。
なぜならば、普通は、言語の意味を正しく理解して、
話ができるようになるためには、
何年という長い時間が、絶対に、必要なのです。
そういったプロセスが、絶対に、必要なのです。
しかし、このアダムとエバの話は、そういったプロセスを、
全て飛び越えて、いきなり、言葉を理解して、
言葉を話せるようになっているわけですから、
やはり、実話ではないということになるのです。
そして、それよりも何よりも、
この中に出てくる「蛇」が話をしているではありませんか？
日本中に、世界中に、様々な昔話が存在していますが、
動物が話をするという話は皆、
作り話だと相場が決まっているのです。
犬が喋ったり、猫が喋ったり、猿が喋ったりするような話は、
基本的に、ウソの作り話なのです。
この私の説に反対だという人にお聞きしますが、
あなたが今まで生きてきて、人間以外の動物が、
言葉を話すのを１度でも聞いたことがありますか？
（但し、人間の声を真似るだけのオウム、インコ等は除く。）
多分、１度もないと思います。
（もし、あったとしたならば、本当に凄いことだと思いますが）
神は、『この話は、私が創った作り話だよ。』ということを、
人々に示すために、
わざわざ、蛇を登場させたのだと思います。
（実際、この蛇以降の旧約聖書の記述には、
動物が言葉を喋るという話は一切出てきません。）
それから、蛇は、エバを騙した罪によって、
地を這い回るようにさせられたと書かれていますが、
でも、元から蛇という生き物は、
地を這い回るように、神様に、創られていたのです。
別に、罰として、そうなったわけではなくて、
元々、そうだったのです。
それから、エバも罰によって、
妊娠、出産の苦しみが大きくなったと書かれていますが、
これも、元から、人間の女性の妊娠、出産の苦しみは、
非常に大きかったのです。
別に、罰として、より苦しくなったわけではなくて、
元々、そうだったのです。
それから、大の大人の人間がまるで幼い子供のように、
善悪について判断ができないということであれば、
神も、人間を創造された意味がないと、
私は、思います。
神は、ご自分に似せて、人間を創られたわけですから、
やはり頭の中身も、それにふさわしい思考力、判断力等々を
元々、持って生まれてきているはずですから、
善悪の知識の木の実を食べたから、善悪の判断ができるようになったというのは、
やはり、ウソの作り話だと思います。
しかし、毎度のことながら、
神（至高のお方）は、無意味にウソをつくということはしないお方です。
だから、このアダムとエバの話のウソにも、
色々と深い意味、意義があるのです。
１つ目の意義は、人間は神様の言うこと、神の御意志に対して、
従順ではない性質を持っているということを示すためです。
このアダムとエバの寓話は、人間が持っているこの大きな特徴を、
如実に表している好例だと、私は、思います。
２つ目の意義は、鶏が先か？卵が先か？
という論争の答えを見つけ出すことができることです。
神は、まず、アダム（男）を創り、そして、エバ（女）を創ったわけですから、
卵は、女性を示すものです。
卵は、男性を表すものではありません。
でも、「そんなことぐらい、アダムとエバの話をわざわざ作らなくても、
天地創造の５日目の記述を読めば、
神は、まず卵を創ったとは一言も言っていない。
神は、翼ある鳥を創造されたと言っているのだから、わかる！」
はい。
もちろん、それはその通りなのですが、
しかし、動物にはたいてい、必ず、オスとメスがあって、
神は、まず最初にオスを創り、そして、そのオスを元にして、
メスを作ったということがわかるのは、
このアダムとエバの話のみなのです。
ちなみに、最近の科学では、
卵よりも鶏が先だと、結論付けたようです。
「鶏が先か、卵が先か」問題が解決された！？
そして、３つ目の意義（これが最も重要な意義）は、
人は、神（至高のお方）に、完全に従順であったとしたならば、
永遠の生命を与えられて、
永遠に生き続けることができるようになるということを示すためです。
『主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。
主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を生えいでさせ、
また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。』（創世記２章８−９）
『主なる神は人を連れてきて、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。
ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまう。」』（創世記２章１５−１７）
『主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。
今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、
自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、
エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。』（創世記３章２２−２４）
最初に、神は、善悪の知識の木以外の全ての木から取って、
食べてかまわないと言っておきながら、
（つまりは、命の木の実も食べていいということ。）
人が、善悪の知識の木の実を食べた途端、
急に、命の木の実を食べられることを恐れて、
命の木を守り始めたのです。
要するに、人間が神に対して従順であったならば、
命の木の実を食べて、永遠に生きてもいいよということです。
けれども、人間が神に対して従順でなかったならば、
永遠に生き続けることは、許さないということです。
昔、オウム真理教の麻原彰晃が、
「人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。」
と説教していましたが、私は、全くそうは思いません。
（麻原彰晃は、ごく当たり前の常識的なことを、独特のリズムで印象的に言っているだけで、
何も悟っているわけではないのです。
本当に悟った人間というのは、人が言わないこと、常識を超えたことを言うのです。）
もちろん、人類の歴史上、死を避けることができた人間というのは、
未だに、１人も存在しておりません。
しかし、だからと言って、それは不可能なことなのでしょうか？
私は、全くそうは思いません。
死を避けることができた人間は、１人もいない。
イコール
神に対して、１００％完全に従順だった人間は、１人もいない。
というだけのことなのです。
（例えば、インドの聖者のババジは、１、０００年以上生きたと言われていますが、
しかし、ここ数年は消息不明になっていて、既に亡くなったのではないかと言われております。）
例えば、アブラハムという人は、
神に対して、物凄く従順な人間だったのですが、
しかし、神から直接言われたことに対しては、
１００％従順でしたが、
神が直接は言わない、神の御意志に対しては、
逆らうようなことも、少しはあったはずです。
つまり、ただ単に、素直で、従順であるだけでは、
人間は、永遠に生き続けることはできないということ。
神の御意志に１００％従順であるためには、
神の御意志が手に取るようにわかる必要があるということ、
要するに、かなりの霊能力が必要であるということ。
何年か前に、私は、
「神の意志の通りに生きる」という教えを書いて、
一般の人々にも、神の御意志がわかるようにしてあげたのですが、
しかし、私の知る限りにおいては、
未だに、神の御意志を正確に理解できている人間は、１人も存在しません。
神の御意志を正確に理解できていないということは、
神の御意志に１００％忠実に生きることはできないということ。
もちろん、この私にとっても、
神の御意志を正しく理解するということは、
物凄く、大変に、難しいことです。
でも、私は、いつでも、神の御意志を正確に理解しようと試みて、
そして、その御意志が明らかになったことについては、
それがどんなに理不尽なことであったとしても、
素直に、１００％従うように、努めているのです。
私は、神（至高のお方）のお許しを得て、
命の木の実を食べて、
そして、永遠に生き続けることを、
目指したいと思っています。
※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主、Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。
合 掌