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片づけをしていたら、モンの袋が出てきました。
糊で模様を描き、藍で染めてつくったもので、タイのバンコク郊外のパナッニコム難民キャンプにいた、モン人の難民が売っていたものです。
ラオスに住んでいたモン人の一部は、アメリカに利用されて、ヴェトナム戦争に巻き込まれました。ヴェトナム戦争でラオス民族戦線が勝利したのち、アメリカに加担したモンたちはラオスに留まるのが難しくなり、メコン川を渡ってタイに出てきました。１９７９年からのことです。
難民となった人々は、タイ北部の国境沿いの、バン・ビナイ、バン・ナムヤオ、ソプトゥアンなどの難民キャンプで、気の遠くなるような長い年月をすごしたのち、アメリカ、オーストラリア、フランスなどへの定住が決まった人たちは、バンコクに近いパナッニコムの「出国準備キャンプ」に移され、そこで、出国手続きや健康診断をするとともに、語学、職業訓練など、定住に必要な最小限を学んだ後、第三国へと旅立っていきました。
パナッニコム・キャンプは、忙しいキャンプですし、通常数か月しか滞在しないので、これは、国境添いのキャンプでつくって持ってきたか、染めていた布を運んできて、仕立てたものでしょう。
袋にするために染めた布で、肩紐にも動物が染めてあります。
この形の袋は、タイやラオスでは、定番中の定番です。
お坊さまは、袈裟と同じ山吹色や暗黄茶色の、この形の袋しか持っていません。ラオスでは、子どもたちの学校鞄として、この袋が使われています。
タイに住んでいた時は、私も使っていたし、息子たちも使っていました。
肩紐布と袋布の二枚の布だけ組み合わせてつくる、シンプルな袋ですが、大きいのでも小さいのでも、自在につくれます。
タイ北部の村では、幅が６０センチもあるような大きな袋を、山地に住む人たちが、額に紐をかけて、背中に背負い、物資の輸送に使っていました。
山から、ミェンという、お茶の葉を発酵させた嗜好品などを運んできて、米や魚などと交換して山に戻るのです。
その袋は、ふもとの村に住むおばあちゃんが織って、縫って、つくっていました。
シンプルな袋だからこそ、意匠にこだわることもできて、こんな、絹の紋織の袋まであります。
もっとも、絹紐だと肩からすべって、とっても使いにくいので、お金持ちだからと贅を尽くせばそれなりの見返りがあるのではないところが、面白いところです。