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◆ヨハネの福音書１７章11節～１９節
17:11 わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。
17:12 わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためです。
17:13 わたしは今みもとにまいります。わたしは彼らの中でわたしの喜びが全うされるために、世にあってこれらのことを話しているのです。
17:14 わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。
17:15 彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。
17:16 わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。
17:17 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。
17:18 あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。
17:19 わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。
◎弟子たちのための祈り
主イエスは、ご自身のために祈られた後で、これから地上に残していかれる弟子たちのために祈られました。主イエスは三つのポイントで弟子たちのために執り成されました。弟子たちが一つとなるように、悪い者から守られるように、そして真理（神の真実）によって聖め分かたれるようにと祈られたのです。
Ⅰ．一つになるように
主イエスは、世から取り出された弟子たちが、父と御子との交わりの中に招き入れられて一つとなるようにと祈られています。それはまた弟子たちがキリストのからだとして一つにされることも意味しています。一つとされた弟子たちが父のものであり、キリストのものであると聖書は教えています。父なる神が、キリストを通して、私たちをご自身のもの（神の子）としてくださったのです。そこに私たちの平安が置かれています。
Ⅱ．悪い者から守られるように
キリストとともに神の国は到来しているのですが、この世はいまだに悪い者（サタン）の支配下にあると聖書は教えています。主イエスが「弟子たちをこの世から取り去ってください。」と祈られなかったのは、世（この世に住む全ての人）を神が愛されているからです。（ヨハネ３：１６）地上に残される弟子たち、やがて建て上げられる教会を通して神の国を広げようと計画されて折られたからです。「悪い者から守られるように」祈られた祈りは決して消極的な祈りでありません。悪い者が支配するこの世界に、神の国を広げるため、弟子たちを遣わすという戦いの予告でもあります。
Ⅲ．神の真実によって聖め別かたれるように
新改訳、口語訳、新共同訳、どれも「真理」ということばが使われていますが、あるギリシャ語の権威者は「真実」と訳した方が適切だと語っています。日本語で真理と言うと、あまりにも哲学的に聞えてしまいます。英語では「truth」ですが、真実とも真理とも訳せる言葉です。ギリシャ語のアレーテイアの本来の意味は「隠されていないこと」です。すなわち、今まで「隠されていた神の本当の姿が明らかにされる」という意味でアレーテイアは使われています。主イエスは「わたしを見た者は、父を見たのです。」（ヨハネ１４：９）とピリポに語られました。キリストを通して父なる神の真実な姿が現されたのです。父なる神は真実な方（偽りのない）方です。父なる神は私たちを真実な（無条件の）愛をもって愛してくださる方です。父なる神は私たちに対して真実な（希望に満ちた）ご計画を持っておられます。
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。（ヨハネ１：１４）
ヨハネ１章１４節でもアレーテイアという言葉が使われていますが、ここでは「まこと」（真実）と訳されています。「栄光」については前回お話しましたが、本来「重い」という意味です。神が神であられることは、他のどんなことよりも私たちにとって「重い」ことなのです。御子が「恵とまことに満ちておられた」とは私たちに対する神の真実な姿がキリストの内に十二分に現されたということです。
１７節で、主イエスは「聖め別ってください」（口語訳では「聖別」、新共同訳では「聖なる者とする」）と祈られていますが、これは、「一つの目的にためにささげること」を意味しています。聖書の教える「聖さ」とは、「他のものから取り別けて神の目的、ご計画のためだけに用いてください」という味で語られています。天の父は、地上に神の国をもたらし、救いの道を開くという一つの目的のために、御子を世に遣わされました。ここでは、主イエスが、救いの道を伝え、神の国を広げるという目的のために十一人の弟子を世に遣わすと折られているのです。
主イエスは、神の真実によって、弟子たち（私たち）が聖め別たれるようにと祈られました。この主の祈りに応えて、「真実な主よ。私を捧げます。私を遣わしてください。」と祈ることができるならば幸いです。