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スイス・ジュラ州の自治体ボンフォルには、１９６１年から１５年間にわたり何トンもの有害な化学系廃棄物が捨てられ、国内で最も土壌汚染が進んだ埋立処分場がある。廃棄物が捨てられ始めてから約５０年が経った今年、産業廃棄物の除去・土壌浄化作業が完了した。有害廃棄物の処理をめぐり、大手化学メーカーと対峙することになったジュラ州のこの小さな自治体の歴史を振り返った。
「ヒョウは子牛のようなものだ。ヒョウも子牛も肉がとても美味しい！」。腕にタトゥーを入れた７８才のロジャー・ブルグナールさんは、自宅の居間にかけられたヒョウの毛皮を見ながら誇らしげに言う。「アフリカのガボンから持ってきた。木箱に入れて運んだが、誰も気づかなかった。別の時代だった…」
「別の時代」。確かにそうだ。当時ブルグナールさんは大型トラックの運転手で、１９６０年代初めの２年間、バーゼルの化学メーカーの化学廃棄物をボンフォルの処分場まで運んでいた。
「ドラム缶の中に何が入っているのかは知らなかった。ドラム缶をトラックに積んで運搬し、処分場に捨てるのが僕の仕事だった。一度、ドラム缶が地面に当たって破裂したことがある。小さな火事が起こり消防車が来たそうだが、僕はもう現場から立ち去った後だった」
粘土鉱物の採掘あとに捨てられた廃棄物
ボンフォルはスイス北西部アジョワにある住民７００人程度の自治体だ。仏・アルザスまではわずか数キロメートルのところに位置する。
駅の正面に建つ、外壁の傷んだ２件のホテルが昔を物語っている。当時、村の経済の原動力となっていたのは食器の製造業だった。ボンフォルには食器に適した質の良い粘土層があった。だが皮肉なことにこの粘土の採掘が、村が化学系廃棄物の埋立処分場になるきっかけだった。
時は５０年代。村の中心地から数キロしか離れていない粘土の採掘場には、巨大な穴がぽっかりと開いていた。問題は、その穴をどうやって埋めるかだった。
答えが出るまでに時間はかからなかった。当時、バーゼルの化学メーカーが化学系廃棄物の廃棄場を探しており、それには底が不浸透性になったボンフォルの採掘場跡地は最適だった。その場所は、南はローヌ川、北はライン川へと水流が分岐する線上にあったが、あまり問題視されなかったようだ。
染料、電池、動物性廃棄物
こうしてボンフォルの廃棄場には、１９６１～７６年まで、製薬大手ロシュやチバガイギーを含む化学、製薬メーカー８社の化学系廃棄物が捨てられ、その量は合計１１万４千トンに上った。主に分解蒸留の残留物や、染料を作る際に使用されたフィルター、そして研究所などから出る廃棄物だったが、それが実際に何だったのかは誰も知らなかった。
ボンフォルに関する著書を出したジャーナリストのジョゼ・リボーさんは仏語圏の日刊紙ヴァントキャトラーに対して、「廃棄物に含まれる物質の調査リストなどは一切存在しなかった」と話した。国際環境NGOのグリーンピースは、重金属や殺虫剤、有機溶剤などを含んだ「有害物質の恐ろしい混合物」が捨てられていたとしている。
さらには、地元の時計メーカーの廃棄物や、スイス軍が使用した古い電池や弾薬までもが捨てられたという。
「いろんな人がいろんなものを捨てていた」と、村のある住人は話す。「村の肉屋は内臓や古くなった肉を捨てていたし、一方で若い女の子はマニキュアや香水を拾いに埋立処分場に足を運んでいた」
最先端を行く埋立処分場
ボンフォルの埋立処分場は、誰にとっても好都合だった。化学メーカーは、ライン川に廃棄物が投棄されていた当時には珍しく「近代的で安全な」ボンフォルの処分場を使用することができ、採掘場を所有する食器メーカーは大金をはたいて穴を埋める必要もない。廃棄所の所有者である村は、化学メーカーから税金を徴収できる。２０００年代に村長を務めたドゥニ・ヘンツェリンさんは、当時、村には総額１７０万フラン（約１億７７００万円）の収入があったと推計する。
地元住民たちが不安がる様子もなかった。前出のブルグナールさんは「村人にとって、処分場は地面に開いたただの穴に過ぎなかった」と言う。「風向きによっては、嫌な臭いがしたこともあったが、誰も気にとめていなかった。あの頃は誰もエコ感覚なんて持っていなかったし、反対する人がいたとしても、飲み屋での話し程度で終わっていた」
そうして穴が化学系廃棄物で満杯になり、土がかけられ埋め立てられた。その上にはもみの木が植えられ、廃棄所は跡形もなく姿を消したかのように見えた。
黄色に染まる水
だがある日、変化が起こった。「養殖業をしている義父が、水が黄色に染まっていることに気がついた。鯉が全滅していた。そこで義父は長靴をはいて、養殖場の水を引いている小川の川上まで歩いて行った。そこで見たのは、作業員が川に流れ出た溶脱液をポンプで吸い上げている姿だった」。ドキュメンタリー映画の中で、ボンフォルと国境を挟んだフランスの小さな自治体フェターフーズの自治体長ジャン・ロドルフ・フリッシュさんはそう語った。
底が不透水性の処分場には雨水がたまり、有害な液体の混ざった水が流れ出していた。化学メーカーはその対策として、雨水を排水して浄化装置を設置し、処分場の覆いを強化した。これで全てが解決したかに見えたが、そうではなかった。
「彼らは鼻で笑った」
９８年に入り、ジュラ州の環境相ピエール・コーラー氏（当時）、連邦環境省のピエール・ロシュ局長を中心に、今度は行政当局が行動を起こした。スイスで初めて当局が、バーゼルの大手化学メーカー数社に対し、埋立処分場の土壌の完全浄化を厳命したのだ。
コーラー氏は、メーカーの幹部と初めて面会した時を振り返る。「私が、ボンフォルの浄化を要求すると、責任者は笑い出した。彼は、自分たちは絶対に何があっても浄化などしないと言い切った」
だがその笑いもすぐに消えた。コーラー氏とロシュ局長には、法律という強い味方があった。より正確には、汚染土壌の浄化を定める新たな行政命令だ。「汚した者が償いをする」。その原則は明確だ。「法的に、ついに化学メーカーに対して『時限爆弾』の浄化を強いることができたのだ」とコーラー氏は振り返る。
そこから当局と化学メーカーの対立が始まった。２０００年５月にはグリーンピースが仲裁に入る。「化学メーカーは、その責任を認めていないわけではなかったが、自分たちだけが責任を追及されることを嫌い、浄化作業に踏み切れないでいた。それで私たちが間に入ることにした」と、グリーンピースの広報担当者（当時）のクレモン・トルッソさんは説明する。
そして２０００年１０月、化学メーカー側と当局はボンフォルの埋立処分場の廃棄物除去・浄化に関して最終的な合意に至った。地元紙は「ジュラ州の小さな村がバーゼルの大手化学メーカーをねじ伏せた」と報道した。
だが、実際に作業が開始されるまでに１０年の月日が経過した。２０１０年、高さ４０メートルのアーケードに補強された密閉格納庫が建設された。当時としては画期的な設備だったが、それでも問題が全て解決したわけではなかった。
長さにすると電車１００キロメートル
除去作業が開始されてまもなく、作業が中断された。格納庫内で爆発が起き、作業員が軽傷を負ったからだ。
「警察の科学捜査班が微量の塩素酸塩を検出したが、とても奇妙なことだ。バーゼルの化学メーカーは６０年代にこの物質を使用していなかった」と話すのは、廃棄物除去と浄化を命じられた化学メーカーのコンソーシアム「bci Betriebs 」の広報担当者ベルンハルト・シャーヴォガーさんだ。「当時は、ジュラ州でダイナマイトによる襲撃などが起こった時期でもある。誰かが、爆薬を投棄した可能性もないわけではない」
事故の再発を防ぎ、作業員の安全性を高めるため、格納庫の外からリモコン操作できる掘削機が導入され、地中１０メートルの深さまで汚染土を掘り返した。掘削された土や廃棄物はその場で浄化されるのではなく、特別なコンテナに入れてドイツやベルギーの特殊焼却場へ運ばれ、１２００度の高温で焼却された。焼却後には、不活性物質だけが残り最終処理場に貯蔵された。
「合計で２０万トンの汚染土や資材が搬出された。その量は、ローザンヌからベルンまでの長さ約１００キロメートルの電車に匹敵する」（シャーヴォガーさん）
オブザーバーによると、ボンフォルのような廃棄物の除去・浄化作業は「前例がなく模範的」だという。総額３億８千万フラン（約３９６億１千万円）に上る費用は、化学メーカー側が全額負担した。
「産業廃棄物の村」というレッテルはうんざり
１６年９月２日、化学系廃棄物の入った最初のドラム缶がボンフォルに捨てられてから実に５５年後、bciから「ボンフォルの廃棄物除去が完了」という歴史的な発表がなされた。ジュラ州の文書には「政治的、法的、技術的、金銭的に大きな挑戦だった」と記される浄化プロジェクトには、計画の５年を大きく上回る１６年が費やされた。
「産業廃棄物の村」だったボンフォルの長い歴史に新たなページが加わる、と喜ぶのはフェルナンド・ガッサー現・自治体長だ。「ボンフォルの話をするときは必ず、『産業廃棄物の村』というイメージが付きまとっていた。だが、今後はそのイメージを変えていきたい」
３万８千カ所の汚染スポット
だが、ボンフォルの旧埋立処分場が「自然な状態」を取り戻すためには、あと数年はかかる。とりわけ、さらに深い地中の土壌や周辺地域に汚染が広がっていないかを調査する必要がある。グリーンピースは、ボンフォルがこういった唯一の例ではないと念を押す。同団体の広報を担当するフランソワーズ・ドゥボン・ミナーロさんは「スイス国内には、他にも有害物質の捨てられた廃棄場が数多く存在する」と言う。
スイスには土壌汚染の進んだスポットが約３万８千カ所存在する。連邦環境省によると、主に産業廃棄物が捨てられた場所や、工業地帯、射撃演習場などだという。そのうち４千カ所が人体や環境に対して害を及ぼしかねない状態にあり、浄化される必要がある。
ボンフォルに化学系廃棄物を運んでいたトラック運転手のベルグナールさんは、その仕事のせいで健康に問題があったことはないと話す。ボンフォルの埋立処分場で管理人をしていた友人も、よく敷地内でソーセージを焼いて食べていたが健康に問題はなかった。「彼は９０歳のときに老衰で亡くなった。もしかしたら、ボンフォルに捨てられていたものは危険ではなかったのかもしれない。それとも、僕や友人の皮膚が丈夫過ぎたのか…」
「記憶の場所」
自治体ボンフォルを再興し地元住民の生活の質を改善する目的で、バーゼルの化学メーカーの出資（約３００万フラン）により、団体「エスカル・ボンフォル」が設立された。同団体は、芸術や観光、社会的な文化プロジェクトを企画している。
ボンフォルの旧埋立処分場には、スイス・ティチーノ州出身の著名な建築家マリオ・ボッタによる作品が設置される予定。ボンフォルに「記憶の場所」を作るのが目的だ。
プロジェクトの責任者ヤニス・クエノさんは、「ボンフォルの５０年にわたる暗い歴史を消し去ることはできない。人間はさらに危険なことだってやりかねない。だが今日、修復することだって可能だ」と話す。インフォボックス終わり
（仏語からの翻訳＆編集・由比かおり）, swissinfo.ch