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2000年のシドニーオリンピックで、フェンシングの団体戦で準優勝を果たしたソフィー・ラモンは、8月に中国で新たな栄誉の達成を望んでいる。4年前にヴァレー ( Valais ) 州からパリへ移住したラモンは、北京のトーナメントで待ち受ける剣を思い描く。このコンテンツは 2008/07/29 11:07
「1つ確かなことは、オリンピック行きのチケットを手に入れるためにどれだけのことをしてきたか分かっているので、微笑みながら北京へ行けることです。そして私は競争が好きです。しかし私には第1回戦での敗退、またはメダル獲得とすべてがあり得るでしょう」とエネルギッシュな性格のソフィー・ラモンは熱心に語った。
タッチの差
ラモンは4年近くパリに住んでいる。今年4月末にプラハで、ヨーロッパゾーンからのオリンピック出場者を決定するトーナメントが開催された。ラモンはぎりぎりのところで3位に入賞し、オリンピック出場が確定した。
「最後は小さな突きで決まりました。オリンピックの出場権を賭けた試合で、スウェーデンのエマ・サミュエルソンに15対14で勝ちました！」
とラモンは感情を表した。
1年半のブランク
ソフィー・ラモンにとって、際どい勝利で獲得した北京オリンピックの出場権は過去8年間の努力に対する素晴らしい褒美 ( ほうび ) のようなものだった。2000年のシドニーオリンピック開催当時わずか15歳だった ラモンは、団体戦でメダルを獲得したが、2004年のアテネオリンピックでは出場権を逃した。その後、腰の手術でフェンシングから1年半以上も遠ざかり ( 2005年10月から ) 、以前のレベルを取り戻すために厳しい訓練に耐えなければならなかった。
「手術とリハビリで、休憩せざるを得ませんでしたが、そのおかげでフェンシングの練習とパリでの新しい生活から距離を置くことができました。しかし私は苦しい時でも、途中で辞めたり、逃げたりすることは決して考えませんでした。この試練が私を鍛え、2004年から生活を始めたフランスの首都で自立し、コーチのダニエル・レヴァヴァスールの指導のもとで訓練するという良い選択肢を与えてくれたのです」
とラモンは語った。
レヴァヴァスール氏は剣術の大家、そしてフランスチームのコーチとして長年知られている。ラモンは彼の研修に何回か参加したことがあったため、以前から彼をよく知っていた。大学入学試験にパスし、父親のアーンストを唯一のコーチ兼アドバイザーとしてヴァレーで15年間仰ぎ続けた後、ラモンには変化、何か別なものが必要だった。そしてラモンは花の都パリで大きな飛躍を遂げた。
バランスを取るために
スポーツのキャリアと並行して、ラモンはソルボンヌ大学に入学したが、その後高等商業学校に進路を変更した。高等商業学校の学士号を取得するためには、今年の9月から始まる9カ月間の研修期間を終えなければならない。しかしラモンはすでに、修士号を取得して学業を修了することを考えている。
学業とハイレベルのスポーツキャリアを両立していくことはストレスがたまる。しかし、
「ソフィーは生まれつき計画を立てるのが上手でした」
と母親は述べる。ラモンにとっては、スポーツだけではなく学業を同時進行することによって人生のバランスをとることが必要だった。
「フェンシングのほかに集中するものが必要です。これはバランスの問題です。フェンシングの練習だけでは生活はしていけません。まだ早すぎるかもしれませんが、選手生命の終わった後のことを考えなければなりません」
パリでさらに数年
ラモンはまだ23歳だ。あと数年はフェンシングで活躍できる。離れて暮らしている両親、姉妹のセヴリン、兄弟のセバスチャンと同じく、このスポーツはラモンの血の中に流れている。
「パリはそう遠くありませんが、ヴァレーにしょっちゅう帰れるほど近くはありません。土曜の午前中は練習していますし、勉強で非常にエネルギーを使います。クリスマスの休暇以外は1年に3回か4回帰るだけです。でも家族に会って元気になるためにヴァレーに帰る必要があります」
ヴァレーを時折訪れるほかはパリで過ごすか、試合のために世界のあちこちへ出かけている。スペインでのトレーニングに発つ前の過去数カ月間だけでも、次々と試合に出場した ( モントリオールとハバナでのグランプリ、キエフでのヨーロッパ選手権、フランス選手権の決勝 )。
ラモンは7月29日に北京へ出発する。8年前の感動をよみがえらせる「魔法の剣」を再現する時だ。
swissinfo、マチアス・フロワドヴォー 笠原浩美 ( かさはら ひろみ ) 訳
ソフィー・ラモン
1985年2月8日、シオン ( Sion ) で生まれる。
すべての年齢別カテゴリーでスイスチャンピオンになる。
2000年アメリカ世界セミジュニア選手権優勝
2000年マデラ島 ( Madère ) 欧州選手権団体戦優勝
2000年シドニーオリンピック団体戦準優勝
2001年ニーム ( Nîme ) 世界選手権団体戦準優勝
2005年リンツ ( Linz ) ジュニア世界選手権個人戦および団体戦優勝
世界ランキング20位
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