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2008年のグラールス州に続き、2009年フリブール州は1731年に火刑に処された魔女の名誉を回復させ、メディアを賑 ( にぎ ) わせている。スイスは魔女狩りのヨーロッパ記録を保持する。
中世のヨーロッパでは、天災や疫病が発生するとその被害の責任を無理やり誰かに押し付けるため、その人は魔法使いであるとか、キリスト教を否定する者だとか、悪魔と契約を結んでいるといった理由をつけて処刑した。こうして魔女が仕立て上げられるためには、その人が反抗的で奇妙な行動をするという噂 ( うわさ ) が魔女狩りの当局の耳に入るまでに拡がるだけでよかったのだ。
魔女とテロリストは、同様に権力の幻想
逮捕され、有罪を宣告された魔女たちは足を砕かれ、爪をはがされ、水責めなどの拷問にかけられた。今ミュルテン博物館 ( フリブール州 ) で展示されている洗練されたこれらの技術を見た途端、どんなことでも自白してしまったことが頷 ( うなず ) ける。
つまり、狂信的行為や拷問が、囚 ( とら ) われの身となった彼女らを魔女へと仕立て上げていった。
「こうして権力によって作り上げられた架空の魔女説は、近年におけるアメリカの対テロ戦争路線によく類似しています。テロ事件は認めますが、ジョージ・W・ブッシュ前米大統領は拷問を正当化するために、テロ事件を神話化しました」
と、ローザンヌ大学中世史教授のカトリン・ウッツ・トレンプ氏は語る。
そのうえ、水責めの拷問は幾時代をも越えて行われ続け、現代のCIAの収容所でも行われた。15世紀から18世紀において、ヨーロッパ中で3万人から6万人が火あぶりの刑にされ、スイスで6000人、フリブール州で300人とトレンプ氏は見ている。
フリブール州は次に説明するように、処刑開始の地、さらに裁判のあり方という2つの面での記録を保持している。
「フリブール州は1429年に魔女の処刑を開始したヨーロッパで3カ所目の処刑地となり、異端審問官が裁くという制度を待たずに当時の州議会が魔女を処刑する権利を持つ、ヨーロッパ初の州政府でもありました」
とトレンプ氏は強調する。
悪魔の西洋思想
世俗権力に支持される教条主義者たちの教会が、まずは異端視されたもの、その次には異端を作り上げるに至った妖術を追い詰めた。
「異端審問は、現実に全く根拠がなくとも、悪魔が導く『反世界』を必要としました」
とトレンプ氏は言う。16世紀、とりわけ17世紀に入ると、政治権力が教会の後に続き、魔女狩りを推し進める。
それまで一般的に良いものと見なされていた白魔術 ( 害を得る者がなく術者・願者に益をもたらすものとされる ) さえも、黒魔術 ( 呪術で悪霊の力を借りるなどして相手を呪う術は全てこれにあたるとされる ) 同様に悪魔との契約に基づくと決めつけられ、迫害の対象とされた。トレンプ氏によると、この概念は「悪魔や宗教に基づかない」現在における妖術とは意を異にするとされる。
教会と国家との駆け引き
教会による異端審問、続いて世俗国家によって行われた魔女狩りによって、特に地方における権限の絶対化を確立した。15世紀になると、教会や権力者に服従しない男性を対象とした裁判が行われ、政治的な反逆者が処刑された。
16世紀、とりわけ17世紀に入ると、当局は権力を牛耳った上で、さらなる治安維持という絶対服従のために、魔女狩りを取締りとして利用し始めた。
「その時まさに魔女狩りは最盛期に入ったのです」とトレンプ氏はつけ加えた。
「迫害された犠牲者の7割から8割が女性であり、そのほとんどが未婚で貧しい、1731年にフリブール州で処刑されたカティヨンのような女性です」
とトレンプ氏は指摘する。
国境の歴史
歴史家はさらに、迫害がスイスのフランス語圏でより激しかったことを指摘する。 「カトリック教会は、ワルドー派という政教分離を謳 ( うた ) った異端集団に直面します。しかしスイス東部は白魔術信仰が広まっており、異端審問という制度が普及してはいませんでした」
ヴァレー州、そして特にフリブール州においては宗教が常に優位を占めていた。
「その地ではしばしば、歴史の流れに逆らおうとする反動的な『反歴史』の動きが存在しました。16世紀末の対抗改革、その後の厳格な正統派の発生をうけ、民衆を支配するための迫害はさらに激化していったのです」
「だが政治的な側面もある」とこの中世史専門家は明言する。ルイ14世統治下のフランスのように国家が中央集権化すればするほど、権力の絶対化が容易となり、迫害への拍車はさほどかからなかった。しかし、ドイツ帝国と同じく、スイスは現在もそうであるが、非常に細分化された国である。
「迫害は、カトリック、プロテスタント、ドイツ語圏、フランス語圏など、小さな自治体内で多様な要因がぶつかり合うフリブール州のブロア地方で特に激化しました。区別があればあるほど、ますます魔女を燃やしたのです」
火炙りにかけられる童話
メディアによって盛んに取り上げられた、魔女とされ処刑されたカティヨンをめぐるフリブール州の名誉回復の決議は、この女性の処刑への多大なる関心を呼び起こした。カティヨンは背中にこぶがあり、貧しく、年老いており、その上アウトサイダーで、孤独だった。19世紀に広まったグリム兄弟の童話に描かれる魔女像に酷似していた。
「幸いにも、現在の魔女は、誰にも関心を持たれないので安心して眠りにつくことができます」
とトレンプ氏は微笑 ( ほほえ ) みながら語る。
「もしこれが現在だったら、カティヨンの裁判はあっという間に判決が下され、むしろカティヨンの死刑執行を行った側が裁かれることでしょう。とにかく、幸いにも箒 ( ほうき ) で飛ぶことを禁止する法律はありません。もしあなたが箒で飛べるのであればですが」
イザベル・アイヒェンベルガー、スイスインフォ
( 仏語からの翻訳 魵澤利美 )
背景
1500年以降、妖術を扱うものは異端として捕らえられ、処罰された。しかし、裁判の大半は、17世紀の世俗国家によって行われた。
キャトリーヌ・レポンことカティヨンは、1731年に火刑に処されたフリブール州最後の犠牲者だ。州政府は2009年5月、カティヨンの名誉を回復したが、歴史的な調査の開始に対しては否決した。
スイス、そしてヨーロッパの最後の魔女は、1782年にグラールスで処刑されたアンナ・ゲルディで、2008年に名誉が回復された。
統計
1429年から1731年にかけて、フリブール州では500人、スイスでは1万人、スイスのフランス語圏では6000人の魔女 ( 男性も含む) が裁かれた。
7割から8割が女性であり、そのうちの6割が火刑に処された。
ヨーロッパでは、3万人から6万人が、うちドイツでは2万5000人が火刑に処せられた。
しかし、3500人が処刑されたスイスのフランス語圏は、人口に対する処刑者数でヨーロッパ一を誇る。
展覧会
「フリブール州における想像上の魔女と弾圧 ( Sorcières imaginées et persécutées dans le canton de Fribourg ) 」
魔術を使う魔女の存在と、宗教と迷信
2009年8月16日まで ミュルテン博物館にて