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主イエスは私たちのために全てを与えてくださいました。
その主イエスを心から求めて生きることが、いのちと祝福の道へとつながります。
◆ヨハネの福音書６章２２節～２７節
6:22 その翌日、湖の向こう岸にいた群衆は、そこには小舟が一隻あっただけで、ほかにはなかったこと、また、その舟にイエスは弟子たちといっしょに乗られないで、弟子たちだけが行ったということに気づいた。
6:23 しかし、主が感謝をささげられてから、人々がパンを食べた場所の近くに、テベリヤから数隻の小舟が来た。
6:24 群衆は、イエスがそこにおられず、弟子たちもいないことを知ると、自分たちもその小舟に乗り込んで、イエスを捜してカペナウムに来た。
6:25 そして湖の向こう側でイエスを見つけたとき、彼らはイエスに言った。「先生。いつここにおいでになりましたか。」
6:26 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。
6:27 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」
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6:35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」
◎メッセージのポイント
神様が子どもである私たちの必要を満たし、さまざまな面で祝福してくださる方であることを聖書は教えています。お父さんと呼ぶことのできる神様に率直に必要を訴えてよいのです。ただ、時々立ち止まって、私たちが神様の与えてくださる祝福以上に、神様ご自身を求めているかどうかを自分自身に問いかけてみる必要があると思います。
Ⅰ. なくなる食物
なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。（６：２７）
五つのパンと二匹の魚の奇跡によって空腹が満たされた人々は主イエスの後を追ってカペナウムまでやって来ました。しかし、それはメシアであるイエスを知りたいという純粋な動機からではなく、また同じような奇跡が見られるのではないか、またご利益にあずかれるのではないかという期待からであったようです。
自分たちの生活のために、将来のために、仕事のために、結婚のために、子供たちの教育のために、レジャーのために、趣味のために、老後のために・・・・・、私たちは忙しく働いています。それらは良いことかもしれませんが、永遠に続くものではありません。主イエスが語られている「なくなる」とは、やがて朽ちてしまうという意味です。人間は食べなければやせ衰えて死んでしまいます。キリストは私たちの霊が生かされるためには霊的な食べ物であるいのちのパンを食べなければならないと教えているのです。
主イエスは自分を王に祭り上げようとした群集の要求を拒否され、離れていかれました。ご自身に与えられている神の力と権威を用いれば、一瞬にしてローマを滅ぼし王としてイスラエルを治めることもできたのですが、主イエスはそのような手段を拒まれ、最も困難なの道を選ばれたのです。十字架の上でご自身の体を犠牲のいけにえとして捧げるという道です。
神様は子どもである私たちの必要を満たし、祝福を与えてくださる方です。親であるならば自分の子どもに良いものを与えたいと願うのは当然です。普通の親であるならば、子どもたちが良い仕事を得、家庭に恵まれ、健康で、良い友人に囲まれて祝福された人生を送ってほしいと願うと思います。でも「神様が祝福を与えてくださる」というだけであるならば、“ご利益宗教”となんら変わりありません。実際、“ご利益”を期待できなくなったときに弟子たちの多くが離れ去ったと書いてあります。（参照 ヨハネ６：６０）
父なる神が私たちに心から願っていることは、私たちが神ご自身を心から求める者となることです。父なる神が全ての人の救いのためにお与えになったひとり子イエス・キリストを心から求める者となることです。神を心から求めて生きる人たちを主イエスは真の礼拝者と呼んでいます。永遠のいのちにいたる食物とはイエス・キリストご自身のことなのです。
Ⅱ. いのちのパン
わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。 （６：３５）
◇エレーナ牧師
以前サハリンの教会のエレーナ牧師をお迎えしてお話ししていただいたことがあります。その時「皆さんは（物質的に）ほんとうに恵まれています。でもそこには（霊的な）危険性もあると思います。」とおっしゃったのを覚えています。彼女の言っていた危険性とは、「恵みを感謝しなくなること」「イエス様に対する渇きを失ってしまうこと」を言っていたのだと思います。
◎与えられているものを一つ一つ感謝して受け取ること、そして、何よりも主イエスを求めて生きていくことが大切です。
ここで主イエスは、「いのちのパンを与える」とは言っていません。「わたしがいのちパンである」と宣言しているのです。主イエスの語ったこの言葉には「わたしこそが」「わたしだけが」という意味合いがあります。このいのちのパンを食べるならば、死んでいた私たちの魂が生き返るのです。赦しのなかったところに赦しが生まれ、束縛されていたものが自由にされ、飢え渇いていた魂が満たされるのです。そして、今度はその満たされたあなたを通して、あなたの周囲にいる飢え渇いた人々が満たされるようになるのです。
イエス様、私は「いのちのパン」であるあなたを求めます。
私の魂を生かし、満たし、
あなたの祝福と恵みを流す者としてください。