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私の牧師ピーターは、一日かけて裏庭に石段を積むという重労働にあたった。彼。はそれぞれ５０キロから１００キロの重さがある石を、いくつかの道具を使いながら、力を振り絞って置いていった。五歳になる彼の娘が「お手伝いをさせて」と言ってきた。「おまえは歌ってくれれがいいよ。そうやって、仕事をしているパパを力づけてね。」父親のことばに、娘は嫌だと言う。彼女は「お手伝い」がしたいのだった。彼は、安全な作業のときに注意深く娘の手を石の上にのせ、その手を押してやりながら自分で石を動かした。
実際は、ベッキーのお手伝いのおかげで、作業が大変になった。彼女の「お手伝い」がなければ、もっと短時間で階段を積むことができただろう。だがその日の終わりに彼が見たのは、新しい階段だけでなく、誇りと達成感ではち切れんばかりになっている娘の姿だった。「私とパパで階段を作ったのよ。」彼女は夕食のときに言った。彼はすぐにそのとおりだね。と言った。
（フィリップ・ヤンシー著 「祈り どんな意味があるのか」より）