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震災からちょうど１年がたった３月１１日、大勢の人が３回目を迎える「原子力に逆らう人流（Menschenstrom gegen Atom）」のデモに参加した。ベルン州ミューレベルク（Mühleberg）原発前で、老朽原発ミューレベルクとベツナウ（Beznau）の即時廃炉を要求した。
主催者側はこのデモにおよそ８０００人が集まったとみている。デモや集会は平和裏に終わった。
この日のデモは、スイス全国１８１の組織が共同して呼びかけたもの。参加者は日曜日の朝、ベルン州ギュメネン（Gümmenen）駅に集まり、ミューレベルク原発を目指して歩いた。
ルートは往き６．５キロメートル、帰り７．５キロメートル。ミューレベルクの村をぐるりと囲む形だ。農家がまばらに建つ、のどかな農村地域を歩く。自転車やシャトルバスで原発前の集会場に集まった人もいる。
自分で動く
日本人もおよそ３０人が参加した。チューリヒ州タールヴィル（Thalwil）に住む村岡なつみさん（３５）が呼びかけたほか、独自で参加した家族などもいた。
村岡さんは昨年１１月に「子どもたちを放射能から守る会（ツーク）」を立ち上げた。「反原発のために何かしたくて、メールで署名を呼び掛けていたが限りがあった。自分で動かないと意味がないと思った」と話す。
３・１１に際し、どんなイベントがスイスであるのか調べているうちに、このデモに突き当たった。デモに参加したのは初めてだが「楽しかった」と振り返る。この日「さようなら原発１０００万人アクション」のための署名もおよそ６００人分が集まった。
平川郁世さん（４３）は村岡さんの呼びかけに応えた１人。７歳の子どもを連れてバーゼルから駆けつけた。平川さんもデモに参加したのは初めてだ。「何をどうしたらいいのか分からなかったが、これまでのチャリティなどに使った日の丸を持って行った。真ん中にあるのは丸ではなくてハート。日本人がいる、とみんなが見てくれた」
署名集めのテントの中では、多くの人から「私たちの気持ちも同じ。がんばって」と声をかけられた。「３・１１から１年が過ぎるまで何かやり続けたいと思っていた。日本政府にも影響を与えられたらいい」とデモや署名集めに参加した動機を語る。
会場では、東北の震災の犠牲者のために１分間の黙とうがささげられた。ウーリ州アルトドルフ（Altdorf）から参加した野嶋篤さん（５９）は壇上に上ってドイツ語のスピーチを行い、「福島第一原発では依然として汚染水が増え続け、海に流され続けている」と原発の現状を説明。また「住民は、家族と離れ離れになりながら生まれ故郷を後にするか、健康に甚大な影響を与えるリスクを負いながら生活するかという、選択肢無き選択を迫られている」と被災者の様子も伝えた。
老朽原発の即時廃炉を求めて
連邦行政裁判所は先週、ミューレベルク原発の無期稼働許可を取り消した。壇上では、多くの演説者が「これは喜ばしいことだ」と語った。「だが、運営会社のBKWには２０１３年６月を過ぎても稼働を続けられる逃げ道がまだ残されている」と付け加える。
「そのため、私たちは注意を怠ってはならず、これからも圧力をかけ続けていかなければならない」と「原子力に逆らう人流」のクリスタ・アマン氏は壇上から呼びかけた。「脱原発と再生可能エネルギーへの移行に向けて、今後は利用可能なものをすべて投資すべきだ」
反原発団体「フォークス・アンティ・アトム（Fokus Anti Atom）」のユルク・ヨス氏は、「ミューレベルクとベツナウは、全世界に４３６基ある原発の老朽２０基に数えられる」と強調。
そして、「『老衰』した原子炉を即廃炉にするのは目下の急務だ。放射性廃棄物の問題をどう解決するか、まだまったく見当がついていないにしても」と続けた。
ミューレベルク原発の運営会社BKWもこのデモを観察した。広報担当のアントニオ・ソマヴィラ氏はスイス通信社（SDA/ATS）に対し、BKWは現在もミュールベルク原発の安全性に確信を持っていると述べた。「何か疑いが浮上すれば、すぐに対処する。これは法律でもはっきりと定められていることだ」
スイスの３・１１
震災後１年を迎え、スイス各地でチャリティコンサートやバザーなど、さまざまな催しが行われた。
ウォール街占拠に始まったオキュパイ運動も復活。3月１０日、チューリヒのパラーデ広場（Paradeplatz）で集会が行われ、世界の金融システムを批判するとともに「ノーモア・フクシマ」を呼び掛けた。集まったのは約１００人。
村岡なつみさんはこの集会に１人で出かけ、脱原発の署名７２人分を集めた。
swissinfo.ch