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チューリヒで始まったダダイズム（ダダ）が２月５日に１００周年を迎える。ダダイズムは、スイスから世界に広がった唯一の芸術運動。ダダイズム発祥の地であるキャバレー・ヴォルテールを始め、さまざまな文化芸術機関が、今年１年間にわたってその誕生を大々的に祝う予定だ。しかし、ダダイズムはもう随分前に廃れたのではなかったのか。
最も売れたダダイズムの作品といえば、現在の５０フラン（約５９００円）紙幣だ。この紙幣にはスイスの芸術家ゾフィー・トイバー・アルプの肖像と彼女の作品が印刷されている。
ダダイズムといえば、主導者フーゴ・バルの音響詩「Gadji Beri Bimba」が有名だが、何もそれが全てではない。ナンセンスで、偶然やハプニングの原理を好み、コラージュ、タイポグラフィなどの手法を特徴とするダダイズム芸術運動の核心は、既存の枠にとらわれないことだ。
全てはチューリヒ旧市街ニーダードルフ区のシュピーゲルガッセ１番地にあるキャバレーから始まった。戦後、長い間眠り続けていたキャバレー・ヴォルテール他のサイトへが、今再び目を覚ました。キャバレーのメインサロンは、「ダダハウス」と呼ばれるこの空間ができた１００年前から変わっていないかのようだ。壁には絵、コラージュ、著名なダダイストの経歴などがいたるところに飾られ、無造作に置かれたピアノの横には古びたマネキンのパーツが転がっている。
フーゴ・バルとエミー・ヘンニングスは、第１次世界大戦の真っただ中、１９１６年２月５日にこの乱雑多彩なキャバレー・ヴォルテールをオープンした。ダダイズム運動の始まりだ。「ダダ」と呼ばれるようになったのは、そのおよそ２カ月後だった。
「２人は数カ月間、おそらく６月２３日まで、プログラム作りをしていた。そしてこの日、フーゴ・バルは初めて司教の格好をして、まるで牧師のように音響詩を歌ったのだ」と話すのはキャバレー・ヴォルテールのディレクター、アドリアン・ノッツさんだ。
しかしダダイズムの芸術家には移民が多く、後にはまた他の地へ移っていってしまう。こうしてキャバレー・ヴォルテールは、以前の酒場「マイヤーライ」に戻った。ノッツさんによると、戦後はほとんどのダダイストが故郷に戻ってしまい、この建物は１９９０年代の間ずっと空き家状態だったという。
実りある不法占拠
そのことを聞きつけたコンセプチュアル・アーティストのマーク・ディーヴォ他のサイトへさん（５０）は、２００２年２月２日に大勢の人を集めてその建物を不法占拠した。「スタイリッシュなやり方で、皆もきちんとした服装をしていた」とディーヴォさんはその時の様子を話す。ギターを持っていた人も何人かおり、占拠の当日には、ギターの演奏会も行われた。
「気づいたら警察が来ていたが、『この家は相続した』と話すと、彼らはそれを信じて嬉しそうにつまみを食べて帰っていった。その時は、不法占拠していることに誰も気づいていなかった。次の日になってようやく皆、事態を把握した」とディーヴォさんは愉快そうに当時のエピソードを語る。
「絵画、絵葉書、テキストなどがぐるりと壁全体に貼られていて、立体的な内装だった。別世界にいるみたいだった」と話すのは、チューリヒの芸術家アジャーナ・カルガー（３６）さん。彼女もこの建物を不法占拠した一人だ。これがこのサブカルチャーに触れるきっかけとなった。「（ダダイズムは）後々まで私の人生に影響を与えた」と彼女は言う。それから２年後、ディーヴォさんとカルガーさんはドキュメンタリー番組「Dada Changed My Life（ダダが私の人生を変えた）」に主要人物として出演した。
皆のダダイズム
ダダイズム運動のいいところは、その集団性だとディーヴォさんは話す。「芸術家による芸術運動だった」。ダダイズム１００周年に際しディーヴォさんは、現在住んでいるプラハでダダイズムについてのゼミを開催する予定だ。そこでは、チューリヒで始まった破壊的な運動にダダイズムが与えた影響を問うつもりだ。
他方でカルガーさんは、２月６日にキャバレー・ヴォルテールでイベント「Chaostage他のサイトへ（カオステージ）」を開催する。イベントのタイトルは、ドイツ語の「カオスの日」と英語の「カオスなステージ」を引っ掛けたもの。音楽から映画、パフォーマンスまでさまざまな催し物が行われる予定だ。ここでは「決まり事はない」。彼女にとってダダイズムとは「慣例的とされるもの全てからのたわむれの断絶」だ。
そもそもダダイズムを正確に理解することは難しい。「ダダが何かはダダイストたちですらわかっていない。それを知っているのが唯一『ダダの長』だが、彼はそれを誰にも言わない」とすでに１９１９年にヨハネス・バーダーが書いている。
彼にとってダダイズムとは、「自分を発見するために、究極の形で気まずさを経験することだ。そこにある拒絶という恐怖の背後に、新しい創造的な自由が隠れている。こうした自由からダダイストの見事な作品が出来上がったのだ」
解き放たれた芸術
ダダイズム１００周年
２０１６年には１年間にわたり、劇場、美術館、ライブハウス、フェスティバル、インターネット上などでさまざまな催しが計画されている（一覧）。
キャバレー・ヴォルテールは、展覧会「Obsession Dada（オブセッション・ダダ）」を１６５日に分けて催す予定。他にも、チューリヒ美術館の「Dadaglobe Reconstructed（ダダの世界再構築）」や、チューリヒ国立博物館の「Dada Universal（ダダの普遍性）」などの催し物が開催される。
チューリヒの他にもダダイズムが展開されたベルリン、パリ、ニューヨーク、モスクワなどの都市を始めとする、計４０の国内外の文化芸術機関がダダイズム１００周年を祝う。
「爆発的なダダの影響は、芸術を通じて今日に至るまで感じることができる」と、ベルンのパウル・クレー・センターの館長を務めた経験も持つ、キャバレー・ヴォルテールのディレクター、アドリアン・ノッツさんは語る。ダダイズムは後発の芸術を完全に変えたと言い、キャバレー・ヴォルテールを「アヴァンギャルドのモニュメント」と表現する。
「ダダは分野の枠を越えた最初の芸術。ダダイズムの継承者はシュールレアリズム、レトリスム、シチュエーショニズム、フルクサス、パンク、ビート・ジェネレーション、そして今日のパフォーマンスアートだ」
「きっと、受け身の鑑賞側と働きかける芸術家側との境界線が消える瞬間を作り出す、そんな時が、キャバレー・ヴォルテールで特に興奮が高まる時だっただろう」と話すシュタイナーさんは、ダダイズムの精神は今日においても「伝染力」があると信じている。
デジタルの次元
この「Dada Digital」の責任者を務めるのは、チューリヒ美術館のキュレーターであるカテリーヌ・フークさん。「ダダイズムの魅力は、万人にアピールしているところだ。皆を包み込んでしまう」
チューリヒ美術館のダダイズム作品のコレクションは国内最大級だ。主要作品は訪問者の間ですでにおなじみとなっているが、「所蔵庫にはまだ無数の文書や雑誌が眠っている。これらもダダイズムの定義となる一部だ」。同美術館は、約５４０品を数えるこれらの芸術作品をインターネット上で閲覧できるように、ダダイズムの専門家ライムンド・マイヤーさんの積極的な協力を得ながらデジタル化作業を進めている。
「遺産の相続」
他方で、催し物そのものが型にはまっているとの批判が上がっている。政治学者のレグラ・シュテンプフリーさんは日刊紙バーズラー・ツァイトゥングでダダイズム１００周年のコンセプトについて、「当時のダダイストがこれを見たら死ぬほど笑い転げるだろう」とコメントしている。
一方、ユーリ・シュタイナーさんは「さまざまな事象をつなげて体裁を整えていく（交流の場としての）プラットフォーム自体は、ダダイズム的でなくてもよい」と言う。もっと重要なのは、１００周年の催しを通じて「再び歴史的にダダイズムと向き合い考えること、そしてダダイズムという遺産を相続し、それが私たちのものになっていると示すことだ。たとえダダイストが必ずしもスイス人でなかったとしても」
（独語からの翻訳・編集 説田英香）, swissinfo.ch