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「レマン湖畔にある古城」と聞くと、レマン湖の東端、ヴォー州モントルー（Montreux）郊外にあるシヨン城を一番に思い浮かべる方がほとんどかと思います。同じヴォー州でもレマン湖の西端に近いニヨン（Nyon）の町には、最近７年の歳月を費やして修復工事をした後、２００６年５月から再び公開されたニヨン城があります。
スイス連邦鉄道のジュネーブ駅からローザンヌ方面へ向かって列車で約１５分、レマン湖畔の町ニヨンは、ガリア戦争（紀元前５８～５１年）でガリア（現在のフランス、ベルギー、スイスのあたり）を征服したガイウス・ユリウス・カエサル（Gaius Julius Caesar、紀元前１００年-紀元前４４年）が紀元前４５年頃に古代ローマの植民地として建設した町（当時の名前はノヴィオデゥヌム）です。このため、ニヨンでは過去に建設工事中に円形闘技場や神殿跡など貴重な遺跡が発見されたケースがありました。発掘された出土品は城の直ぐそばにあるローマ博物館で見学することができます。
レマン湖を見渡す丘の上に建つ古城は、元々は１２世紀半ばこの地方の領主だったプランジャン候が建てたもので、１２９３年以降になってサヴォワ候の支配下に置かれました。城が現在の姿になったのは１６世紀から１８世紀にベルン（Bern）が支配していた期間であったとされています。１７９８年にベルンからの独立を求めてヴォー革命が起こり、１８０４年、ニヨン市が城を購入して市議会、市庁舎、裁判所（１９９９年まで使用）、刑務所（１９７９年まで使用）、博物館（１８８８年に開館され現存）などを城内に置きました。現在では歴史・陶磁器博物館、特別展覧会場、民事婚の式場となっている他、地下のワイン倉庫はワイン試飲会やコンサートの会場となっています。
城の２階は１８世紀～１９世紀にニヨンの名をヨーロッパに広く知らしめたニヨン窯の優れた作品が展示されています。ニヨン窯を当地にもたらしたのはヤーコブ・ドルトゥ（Jacob[Jacques] Dortu、1749-1819）で１８世紀のことでした。それまでスイスにおける磁器生産はチューリヒ近郊の窯元でのみ行われていたので、ドルトゥのニヨン進出は画期的なことだったと言えます。ベルンの支配下にあったヴォー地方をドルトゥが選んだ理由は、彼のプロテスタント信仰にあったとする説もあります。ドルトゥの祖父は宗教上の理由でフランスからドイツ（ベルリン）へ移住しており、ドルトゥ自身、ベルリンで生まれました。ドルトゥはニヨンで暮らした３０年間、フランスからの難民を多く自分の窯元で雇用したのでした。
１７８１年にドルトゥが開始したニヨン窯は、もっぱら地元の名士や貴族からの支持を受けて製造されましたが、フランス革命やナポレオンの影響で経営が次第に悪化し１８１３年に磁器の製造を取り止めます。その後は陶器製造を中心としたビジネスを展開しますが、他のメーカーとの競争に勝てず、１９７９年、ニヨン窯は１９８年の歴史を閉じました。
セーブル窯の第１ロココ時代第２期の装飾スタイル、パリの窯業者が好んだ人物画スタイル、チューリヒ窯の風景画スタイルなどがニヨン窯の作風でありニヨン焼として親しまれています。小花散らしや花綱など可憐なデザインの多いニヨン焼は今日でも大変人気があります。ル・ブルエ（矢車菊）とニヨン・ローズ（薔薇）と呼ばれる２つのパターンは、ニヨン焼の絵付けを習う人が最初に取り組む絵柄です。特に矢車菊はルイ１６世王妃が好んだデザインで、ニヨン焼の場合、赤紫色の矢車菊と青色の矢車菊の２種類の絵付け方法があります。１枚の花弁を描くのに細い筆で３ストロークの筆さばきを必要とする細かい作業ですが、矢車菊の花をよく観察すると花弁の先が３つに分かれていてニヨン焼の描写が正しいことがわかります。今ではニオン窯は存在しませんが、その可憐で愛らしいニヨン焼のデザインはこれからも多くの人を魅了していくことでしょう。
驚いたことにニヨン城の主塔の４階は、１８３０年代から１９７９年１２月末まで刑務所として使われていて、昔の刑務所の様子を垣間見ることができます。ショーケースの中の古い酒瓶、厚目のグラス、そのグラスの上に風変わりなスプーン。そして「アブサンによる犯罪」という解説が添えてあります。１９０５年８月２５日、ニヨンに近いコミュニィ（Commugny）という町で大酒飲みの男が妻と子ども２人を銃殺、その後逃走中に逮捕されました。事件の当日、この男が飲んでいたお酒の中にアブサンがありました。ヴォー州ではこの事件をきっかけにアブサンの法的禁止を求める請願運動が起こり、３か月間で８万人もの署名が集まったそうです。
アブサンは、ヌーシャテル州のヴァル・ド・トラヴェ－ル（Val-de-Travers）に住んでいたフランス人医師ピエール・オルディネール（Pierre Ordinaire）が発案したアルコール度数の非常に高い（７０％前後）薬草系のリキュールです。二ガヨモギ、アニス、ウイキョウなどのハーブやスパイスが主成分で、ニガヨモギの香味成分であるツヨンが幻覚などの症状を引き起こすとされています。安価なアルコールだったのでアブサンによる中毒者や犯罪者は多かったのです。スイスは１９１０年にアブサンの禁止国となりましたが、その後、１９８１年に世界保健機関（WHO）がツヨンの残存許容量を１０ｐｐｍ以下と定めた上でニガヨモギの使用を承認したため、アブサンを禁止していた国々での製造が再開されました。その結果、スイスでも２００５年３月１日にアブサンは解禁されました。
殺人事件を起こした犯人の男も、年代からするとニヨン城主塔４階の刑務所で服役したはずです。この元刑務所内の廊下で見た窓は鍵穴のように小さく、その窓から僅かにレマン湖やアルプスの山々の美しい景色が見えます。プランジャン候が建てた後、複数の人手に渡ったニヨン城は貴族、芸術家や音楽家たちの華やかな社交の場所であっただけではなく、１９世紀から２０世紀にかけては司法や公共の場所であったり、と長い歴史の中で様々な人々が往来した城だったのでした。
小西なづな
プロフィール：小西なづな
１９９６年よりイギリス人、アイリス・ブレザー（Iris Blaser）師のもとで絵付けを学ぶ。個展を目標に作品創りに励んでいる。レザンで偶然販売した肉まん・野菜まんが好評で、機会ある毎にマルシェに出店。収益の多くはネパールやインド、カシミア地方の恵まれない環境にある子供たちのために寄付している。家族は夫、１女１男。スイス滞在１６年。インフォボックス終わり