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アルプスの氷河に保存されてミイラになったアイスマンの「エッツィ」 の展覧会がスイスで開催中だ。エッツィは、相変わらずチロル地方でガラス張りの冷蔵ケースに収まっているが、ショー形式の展覧会は、興味深い情報が満載だ。
1991年秋、オーストリアとイタリアの国境にあるエッツ渓谷 ( Ötztal ) で、ドイツ人の夫妻によってエッツィは発見された。調査により間もなく、世界最古のミイラでであることが判明した。
カステルグランで地方
約5300年前からエッツィは氷河に横たわっていた。低温で自然乾燥による保存が効いたエッツィは、集中的に調査されその年齢や生活状況まで解明されている。アルプス地方に生活していたエッツィはスイスにとっても重要な意味を持つミイラだ。
「エッツィは、世界でも最も多く調査されたミイラになった」
とルガーノ市自然科学博物館のフィリッポ・ランパッツィ館長は言う。同博物館が、今開催されているエッツィの巡回展覧会「エッツィ・氷からの男展」をベリンツォーナ ( Bellinzona ) に持ち込んだ仕掛け人である。
チロル地方ボーゼン市にある南チロル考古学博物館 ( エッツィ博物館 ) が演出したエッツィのヨーロッパツアーは、まずストックホルムで始まった。スイスではベリンツォーナ市でしか見られない。ベリンツォーナ市はエッツィがチロル地方のアルプスで生活していたことを考えると、展覧会の開催地としては最適だ。エッツィの仲間にとっては、ベリンツォーナの現在のカステルグランデの丘もその生活圏だった。カステルグランデではスイス最古の石器時代の発掘も行われている。
エッツィはウェブカムで
主人公のエッツィは相変わらずボーゼン市の冷蔵ケースに横たわり、一定温度と湿度に保たれ、二酸化炭素ガスで保存されている。見学者はウェブカムでエッツィに面会できるが、残念ながら映像が悪くエッツィかどうかよく分からない。
英語では「凍ったフリッツ ( Frozen Fritz ) 」と呼ばれるエッツィだが、専門家の調査により、およそ45歳で、身長約160センチメートル、がっしりした体格だったことが分かっている。しかも、山で長い間自活できるように、効率的でありながら、あらゆることができる道具を所持していた。
殺人事件だった？
エッツィがなぜ死んだのか。同展覧会はこの点についての説明に詳しい。アイスマンのエッツィは、弓矢に撃たれて死んだとされている。矢の先は火打石に隠れていたが、2001年になってレントゲン画像で分析し判明した。弓矢は遠距離からエッツィの背後を狙ったものだった。2007年になって、エッツィはこの一撃で重傷を負い倒れたことも分かった。
直接の死因は倒れた際に脳に受けた衝撃で、倒れたままの状態で死に至り、5300年後に発見されたというわけである。誰に撃たれたのだろうか。事件の真相は永遠に解明できないであろう。
swissinfo、ゲーハルト・ロブ、ベリンツォーナにて 佐藤夕美 ( さとう ゆうみ ) 訳
エッツィ
紀元前3350年から3100年に生存していた。例えばイギリスのストーンヘンジは作られていなかった時代で、エジプトのギゼーの最初のピラミッドの建築は600年後になる。
ヨーロッパでは青銅器時代が始まっていた。居住者は少なく沼地が多かった。居住区は線で結ばれた孤島のように散在していた。1つの居住区の人口は30人から60人で、家畜を育てて農業を営んでいた。
エッツィの住まい
南アルプスに住んでいたと見られる。同時に発見された花の花粉、歯、木や火打石などはガルダ湖付近のものであることが分かっている。また、持っていた鉈 ( なた )の形はイタリアのポー平野のレメデッロ文化に多く見られるものである。
エッツィはフィンシュガウ ( Vinschgau ) 地方の「タミス・カラッソ・イセラ5」と呼ばれるアルプス文明の一族に属していた可能性があるが、確かなことは判明していない。エッツィが例えば陶器を持っていたならば、陶器の形などから正確な出身地を解明できた可能性がある。