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「オルセー美術館展――印象派の誕生――描くことの自由」（国立新美術館）は盛況だった。宣伝ポスターを飾ったマネ『笛を吹く少年』をはじめ、モネ『かささぎ』、カバネル『ヴィーナスの誕生』、ミレー『晩鐘』、セザンヌ『草上の昼食』・・・有名作の前には人だかりができて、絵画を見ると言うよりも、並んだ人の頭を見るような展覧会である。これだから、日本の展覧会は、といつも思うが、やむをえない。
何しろオルセーだ。何といっても印象派だ。西欧近代絵画の最初にして最大のムーブメントであり、マネ、モネ、セザンヌ、ルノワール、シスラー、シニャック、クールベ、ミレー、コロー、ピサロ、ドガ、ドローネーである。印象派はずいぶん観た。パリでもバーゼルでもヴィンタトールでも、膨大な印象派を観た。サロンという権威への挑戦、古典古代の教養絵画（宗教画、歴史物語画）からのテイクオッフ、あらゆる技法を駆使しうる自由な絵画、そして英雄ではなく庶民や労働者の登場。それが１９世紀後半のフランスだ。労働者や農民や踊り子。つまり、第三階級としての市民や、下層とされた人々の世界が描かれる。何の変哲もない光景が主題となる。人民の平等と風景の平等が主題を変える。それが人々の喝さいを浴びることになる。世界の印象派だが、日本では特に人気とも言われる。企画展なら印象派。印象派さえ集めれば成功間違いなし。実に印象派だ。
印象派において絵画は女性の裸体に特化していく。古典古代はもとよりルネサンスにおいて裸体画は多しい若き男性像が主流であったが、印象派にあっては、身を売らざるを得ない娼婦や、カフェの女給や踊り子たちが「脱がされていく」。近代市民社会の視線は、見る者と見られる者の位相を変えたが、ジェンダー観点で言えば、近代における女性の対象化、客体化、が印象派の美しきキャンバスに固定させられていった面がある。人民の平等と風景の平等の中で、性の不平等が巧みに進行する。そこから数々の「傑作」が生まれていく。カバネルのヴィーナスはその極北だろう。
受け取ったチラシによると、２０１５年、三菱一号館美術館では「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展――私の印象派。」だそうだ。印象派が「モーニング娘。」並みにポピュラーなったわけだ。