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１年前の１０月２日、燃料費を払う現金もなくなったスイス航空は、世界の空港で全便が離陸不可能となった。７０年の歴史を誇ったナショナル・キャリアーの崩壊は、スイスの誇りを深く傷つけスイス企業の信頼をも損なった。
スイス国民にとって、赤地に白十字のスイス航空機の尾翼は、国旗と国歌に続く国家の象徴だった。そのスイス航空は２００１年１０月２日と３日、燃料費を払う現金もなくなり、チューリッヒ空港で世界の空港で離陸不可能となり旅客数千人を立ち往生させた。モーリッツ・ロイエンベルガー大統領（当時）は、事態を「国家の危機」と表現し、銀行救済プランの資金振り込みが遅れスイスエア・グループを見捨てた形となったメインバンクのUBSとクレディ・スイスを激しく非難した。一方、スイスの大衆紙は連邦政府が救済に失敗したと、政府に怒りの鉾先を向けた。
が、事後調査の結果、スイス航空の破たんは、スイスエア・グループの展望のない拡大政策の失敗によるものであった事が明らかになった。９０年代、欧州の航空業界における主導的地位を狙ったSエア・グループ（当時）は、地域航空会社の買収を重ね、ストライキで有名なベルギー・サベナ航空の株４９％も買収したが利益を上げた事は一度もなかった。同グループのハイリスクな拡大戦略は、停滞期に入った世界経済と航空業会の熾烈な過当競争と相まって、２０００年末までに収益の激減という結果を出し始めた。Sエア・グループの２００１年は、役員会の人事をめぐる大騒動で幕を明けた。４月２日、２０００年度の損失２９億スイスフランが発表されるに先立ち、３月に役員会１０人中９人が辞任した。Sエア・グループは社名をスイスエア・グループに変更、スイス銀行から１０億スイスフランを借り入れたが、それは破たんの先送りに過ぎなかった。
２００１年8月３０日、同グループは上半期２億３４００万スイスフランの赤字を発表、同時に大規模な人員整理が発表された。この時期、スイスエアは生き残りを賭け、最後の調整を試みていた。が、９月１１日の米同時多発テロによる航空機離れがとどめの一撃となった。旅客のキャンセルが相次ぎ、テロ１０日後までの損失額は６５００万スイスフランにのぼった。スイス航空の破たんにより、世界で３０００人（うち国内１７５０人）の従業員が失職した。
政府の公的資金注入により、スイス航空の最期は、系列の地域航空会社クロス航空（現スイス）がスイス航空の３分の２の路線（５９ヶ国１２６路線と航空機１３０）を引き継ぎ新生ナショナル・キャリアーとして３月３１日発進するまで引き延ばされた。４月１日午前7時１５分、ブエノスアイレス発SR１４５便がチューリッヒ・クローテン空港に到着し、１９３１年に創設されたスイス航空の歴史は幕を閉じた。
スイス航空運航不能から１年、スイス企業全般の地に墜ちた評判は今だ完全に回復されてはいない。ABB、チューリッヒ・ファイナンシャル、クレディ・スイスなどブルーチップ企業も、社のリーダーシップに対する株主らの不満にさらされている。
スイス航空運航不能キー
昨年１０月２日、世界の空港でスイス航空機が運航不能に。
同１０月３日、政府４億５０００万スイスフランの公的資金注入。
新ナショナル・キャリアー、スイス（旧クロス航空）は今年３月３１日発進。
スイス航空は今年４月１日最後のフライトを終える。