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2023.10.22. 主日礼拝
イザヤ５８：９-１１、Ⅰコリント９：１９-２３
「福音のためなら」 （浅原一泰）
その時、あなたが呼べば主は応え、あなたが助けを求めて叫べば『私はここにいる』と言われる。もしあなたの中から軛を負わせることや指をさすこと、悪事を語ることを取り去るなら、飢えている人に心を配り、苦しむ者の願いを満たすなら、闇の中にあなたの光が昇り、あなたの暗闇は真昼のようになる。主は常にあなたを導き、干上がった地でもあなたの渇きを癒し、骨を強くされる。あなたは潤された園のように、水の涸れない泉のようになる。「私の目にあなたは値高い」
私は誰に対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷となりました。より多くの人を得るためです。ユダヤ人には、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法の下にある人には、私自身はそうではありませんが、律法の下にある人のようになりました。律法の下にある人を得るためです。私は神の律法を持たないのではなく、キリストの律法の内にあるのですが、律法を持たない人には、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人には、弱い人になりました。弱い人を得るためです。すべての人に、すべてのものとなりました。ともかく、何人かでも救うためです。福音のために、私はすべてのことをしています。福音に共にあずかる者となるためです。
今年の８月２８日。アフガニスタンの首都カブールで、日本のアフガニスタン大使とFAO（国連食糧農業機関）のアフガニスタン代表とによる、ある署名式が行われた。何のための署名かというと、アフガニスタンではアメリカ軍が撤退したおととしからは、イスラム原理主義組織タリバンが再び政権を握っているが、長引く干ばつの対策まで手が回らず、それによって農作物の収穫に影響が出て、現地では今なお深刻な食糧不足が続いている。そこで、日本政府が無償の資金協力を申し出て、医師の中村哲さんが考案した灌漑事業のノウハウを現地に広めることとなり、JICA（国際協力事業団）とFAOが手を組んでアフガンの農業を復活させ、困難な危機の克服を目指す、その為の署名式だった。
中村哲さん。残念ながら４年前の１２月に何者かに銃撃されて帰らぬ人となったけれども、彼の死がどれほどアフガニスタンの人々に衝撃と悲しみを与えたか。彼の似顔絵が旅客機に描かれたことからも察することができるが、なぜそこまで彼はアフガニスタンの人々に慕われたのだろう。中村さんは40年前、パキスタンのペシャワールに赴任し、ハンセン病を中心とした貧民層の治療に携わり、その2年後にはアフガニスタンからの難民のための医療事業を始めた。その後は、度重なる干ばつによって多くの人が餓死する事態を目の当たりにし、「命を救うためには100の療養所よりも一本の水路だ」と確信して土木工学を独学で学び、自らトラクターを運転して運河を切り開いて水源を確保する人道支援活動に取り組まれた。
あのニューヨーク同時多発テロ以降、イスラム過激派組織アルカイダの首謀者がアフガニスタンにいたことからアメリカはアフガニスタンへの攻撃を開始し、二年前までの二十年間、米軍をそのまま駐留させて実質的に支配してきた。アメリカ軍と、それに逆らう現地の武装勢力との間で戦闘が活発となって極めて治安が悪化すると、日本政府は現地の日本人にアフガニスタンからの退避勧告を出したが、その時中村さんはこう語っていたと言う。
「僕一人の命より、何十万のアフガニスタン人の命の方が大事だ。だから、いくら日本から帰国命令が来ても、ここアフガニスタンからは動かない」。
４年前に銃撃された直後も中村さんは運ばれた病院の医師に、「ザイヌラたちは大丈夫か？」と現地のスタッフを心配したという。自分を省みず、彼らのことをなぜそこまで思えるのか？イエス・キリストも2000年前、十字架の上でこう祈っていた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです」。「彼ら」とは、イエスを憎み、恨み、殺そうとした者たちのことである。中村さんがアフガニスタンの仲間を心配せずにはいられなかったのは、彼がこのイエスを救い主と信じるクリスチャンであったからであろう。では、なぜイエスは自分を殺そうとする者たちのために祈れたのか。彼らを赦したまえと、なぜそこまで神に訴えることができたのか。人間なら絶対に無理なことである。しかし二千年前、あり得ないことが人間イエスにおいて現実となって起こっていた。しかもそれはイエスだけで終わることなく、イエスに従った者たちにおいても同じことが起ころうとしていた。
コリントの信徒への手紙の著者パウロは、元々は律法を重んじるファリサイ派というグループの一員であり、「神は唯一なる神であって、他のいかなるものをも神としてはならない」、との聖書の教えを厳格に守っていた。十字架につけられたイエスなんぞを神として崇めているユダヤ人のクリスチャンなど存在してはならないと決めつけ、パウロは教会を迫害し、クリスチャンを縛り上げて次から次へと牢獄に送り込んでいた。「自分が信じているものだけが正しく、それ以外は邪道だ」と見下す価値観。「世の全ての者が自分と同じ考え方を持つべきだ」と決めつける傲慢さ。これは何時の世も、教会や神学校においても、常に人間の心に漂いかねない。誰かが反抗して来ようものなら、有無を言わせず力でねじ伏せる。昨年二月からのロシアによるウクライナ侵攻、ハマスとイスラエルの全面戦争。それを仕掛けた権力者たちは「我こそが正しい」と自己正当化にうつつを抜かしているが、実際に攻撃を受け、体に傷を負い、命さえもが奪われ犠牲となっているのは一般市民、特に子供たちである。しかしイエス・キリストはこう言っていた。
「子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」（マルコ10：14）。
幼気な子供は、害をくわえられたら泣きじゃくりはするがまだ復讐心は芽生えない。やられたらやり返す、目には目を、という思いには至らないのではないだろうか。憎しみと復讐の連鎖を誰かが止めなければ争いはなくならない。しかし攻撃してくる相手に憎しみを抱かずにいることなど我々大人には出来ない。だからこそ、神の国は幼子たちのものだ、と言われたイエス自身、自分を憎む者たちから罵られ、嘲笑われ、鞭うたれ、唾吐きかけられても無言を貫き、一切抵抗しなかったと聖書は伝えている。イエスを捕えに来た兵士に剣を抜いて立ち向かいイエスを守ろうとした弟子に対しては、「剣を鞘に納めよ。剣を取る者は剣で滅びる」(マタイ26：52)とイエスは語った。最も自分の近くにいた信頼すべき弟子たちから裏切られ、十字架の上で息を引き取ることになっても、イエスは逆上することもなく、そのすべてを黙って受け入れ、「成し遂げられた」(ヨハネ19：30)との言葉を残して息を引き取った。まことの命は自分で掴むものでも奪い取るものでもなく、敵を滅ぼして守り抜かなければならないものでもない。神から恵みとして与えられるもの、それを幼子のように受け止めるべきものであることを、イエスは自らの命に代えてでも示したのだと思う。そのイエスを神はよみがえらせ、神が与える命は、死に打ち勝つ永遠の命であることを鮮やかに示されたのである。
クリスチャンを迫害することで自己正当化していたパウロの前にも復活のイエスは現れ、「あなたはなぜ私を迫害するのか。私はあなたが十字架につけたイエスである」と語りかけた。自分が一番正しいと思い込んでしていたことが、実はもっとも深く神を悲しませている！力づくで敵をも従わせることが正義の勝利だ、と思い込んでいた彼にとってこれは、自分の立っていた地盤が音を立てて崩れ落ちるほどの衝撃であった。復活のイエスとの出会いによって彼の生き方は１８０度変えられる。そのように変えられた彼がこう記していた。
「私は誰に対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷となりました。より多くの人を得るためです。ユダヤ人には、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法の下にある人には、私自身はそうではありませんが、律法の下にある人のようになりました。律法の下にある人を得るためです。私は神の律法を持たないのではなく、キリストの律法の内にあるのですが、律法を持たない人には、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人には、弱い人になりました。弱い人を得るためです。すべての人に、すべてのものとなりました。ともかく、何人かでも救うためです。福音のために、私はすべてのことをしています。福音に共にあずかる者となるためです。」
教会の迫害者パウロは生き方を変えられ、異邦人に福音を宣べ伝える使徒となった。神はユダヤ人だけのものではなく、世にあるすべての者たちを愛しておられる神であり、それに気づかない者たちを振り向かせるために御自分の独り子をその者たちの身代わりとして十字架にかけることによってその者たちを赦し、そこまでして彼らを御自分へと振り向かせようとする神であり、その為に独り子イエスは右の頬を打ち叩かれたら左の頬を差し出し、上着を奪われたら下着まで差し出し、敵対する者、攻撃してくる者に力ではなく愛と赦しをもって向き合ったのであると。これこそがまさしく福音であり、パウロはこれを別の手紙の中で、ユダヤ人であろうと異邦人であろうと「信じる者すべてに永遠の命を得させる神の力だ」(ローマ1：16)としたためている。
彼はまずこれを異邦の地にちらばっていたユダヤ人たちに伝えた。その地で神を礼拝するために彼らが集まるシナゴーグに出向いて福音を宣べ伝えた。キリストなど神ではないと決めつけるユダヤ人から激しく迫害されても、彼はイエスの十字架の苦しみを思い起こして苦しみを受け止めた。ユダヤ人以外の律法を知らない者、弱い者、小さい者を始め、すべての者にキリストの福音を伝えるために耐え忍んだ。彼を生き返らせたキリストが、迷わないでいる99匹を後に残してでも迷い出た1匹の羊をどこまでも捜し求める方だったからである。どんなに弱く小さな者をも、決して諦めずに見つけ出す方だったからである。
別の手紙の中で彼は、「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度、鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度、一昼夜海上を漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。誰かが弱っているなら、わたしは（共に）弱らないでいられるでしょうか。誰かが躓くなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか」（Ⅱコリ11：24-29）と記している。かつての迫害者は死からよみがえったイエス・キリストに出会ったことによって、自分を裏切者と罵り迫害するユダヤ人にも無抵抗のまま、弱い人には自らが共に弱さを担い、躓く者には不退転の決意を持って熱く、温かく、諦めることなく福音を宣べ伝え続けた。敵のためにも身代わりの死を遂げ、もはや死はなく、悲しみも嘆きも労苦もない神の国へ、永遠の命へと全ての者を導くキリストの福音が彼をそのように用いた。
「私は誰に対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷となりました。より多くの人を得るためです。」「ユダヤ人には、ユダヤ人のように、律法の下にある人には、律法の下にある人のように、律法を持たない人には、律法を持たない人のように、弱い人には、弱い人に」。
中村哲さんもこのパウロの言葉を一字一句、記憶していたに違いない。アフガニスタン人にはアフガニスタン人のように。徹底してアフガニスタンの人々に寄り添った中村さんは生前、こんな言葉を残している。
「その地域の慣習や文化について、一切これを良い悪い、劣っている優れている、という目で見ない。我々の目から見ていかに不合理なことがあっても、その土地のしきたりであれば、それに従わなければならない。」
既にその頃、讃美歌で「キリストは神の形でありながら、神と等しくあることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして僕の形をとり、人間と同じものになられた。へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順であった」と歌われていたように、敵をも含め、全ての人間の疚しさ、後ろめたさという罪を背負って十字架にかかることでキリストは全ての者を赦し、よみがえったご自分と出会った者たちを生まれ変わらせた。実際にキリストによって変えられたパウロのこの言葉がこれまで好き勝手に生きていた多くの人間を立ち止まらせ、自らの生き方について見つめ直させ、悔い改めさせ、ついには十字架のイエス、復活のイエスを通して真の神との出会いへと導き、生き方を変えられてきた。その一人が中村さんであり、世の牧師たち、クリスチャンもそうである。私もそうであるし、皆さんもそうだろう。生き方を変えられた時から中村さんにおいても、皆さんやこの私においても、隣人は勿論、自分を憎む者たちの為にも祈る、というあのあり得ないことが既に起こっている。「もしあなたの中から軛を負わせることや指をさすこと、悪事を語ることを取り去るなら、飢えている人に心を配り、苦しむ者の願いを満たすなら、闇の中にあなたの光が昇り、あなたの暗闇は真昼のようになる」とイザヤが告げた神の業が他ならぬこの自分においても現実となって始まっている。そうではないだろうか。福音のためなら、どんなことでもする、というパウロの生き方は彼の為にも十字架にかかって、死からよみがえられたキリストによってもたらされ、中村さん始め、名もなき多くの信仰の先達たちに受け継がれ、そして今、その生き方はここにいる我々もその生き方へと導かれている。その生き方は朽ちる命が最後ではない。「死者は朽ちない者に復活し、死ぬべきものは死なないものを必ず着ることになる」(Ⅰコリント15：52‐53)とパウロははっきりと記している。この世は朽ちる命のことで思い煩い、殺し合いまで起こっているが私たちの国籍はこの世ではなく天にある。ならば我らも、パウロや中村さんを生まれ変わらせた復活のキリストによって、自分だけではなくすべての者を神の国へと招く福音のために生かされている命とされていることを御一緒に覚えたい。