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Sunday, December 29, 2013
平井玄『彗星的思考――アンダーグラウンド群衆史』（平凡社）――――『愛と憎しみの新宿』『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』の著者による、現代日本における群衆運動の現状と思想を探る快著である。３．１１以後、高円寺、渋谷、新宿に湧いて出た脱原発を求める群衆の抗いの渦中において、著者は、路上の思索者としてデモ、占拠、蜂起の意味を再考し、近代日本における群衆の可能性とその抑圧の歴史を反芻し、次へ向けての模索を続ける。「半径一キロ」からの「惑星蜂起」に始まり、「宇宙の憲法」「敵対線を引き直す」「彗星になること」に終わる本書は、群衆科学、野次馬と「ええじゃないか」を潜り抜け、オーギュスト・ブランキ、竹内好、谷川雁、平岡正明を召喚する。忘れられた思想家と言っては言い過ぎかもしれないが、いま、なぜ平岡正明なのかは、なお不分明ではある。著者の視線は、福島や新宿や日比谷公園だけではなく、ニューヨークや、タハリール広場など、この惑星の群衆の闘いにも向けられる。国民、人民、平民、大衆、民衆、マルチチュードではなく、群衆である（著者は民衆という語も用いるが、基本的に群衆を採用している）。ジャズ・ファンであり音楽評論家でもある著者は、キップ・ハンラハン、オーネット・コールマンを論じつつ、スーダラ節とは何だったかも明かす。私ならこの１０月に他界したルー・リード率いたベルベット・アンダーグラウンドから始めたいところだ。「ベンヤミンの天使」は「ブランキの彗星」から生まれたのではないか？との問いは新鮮だ。パウル・クレーの天使のベンヤミンによる再解釈に対して、私はクレーの指人形たちをもとに「振り向く天使」の視点を強調してきた。歴史的現在を生きる思索者にとって、ベンヤミンの天使を吹き飛ばす彗星の可能性は重要である。近代日本における非国民の系譜を模索してきた私にとって、彗星のごとく飛翔する群衆の思想にいかなる現実的可能性があるのか、とても気になるところだ。著者の思索がどこへ向けて放たれ、何と衝突してどのようにスパークするのか、次の著書が楽しみだ。
木村三浩『お手軽愛国主義を斬る』（彩流社）――――右翼を代表する一水会代表の著書で、副題が「新右翼の論理と行動」だ。新右翼というのは、新左翼運動の高揚に危機感を感じて行われた三島由紀夫事件を契機に、それまでの右翼とは違って、左翼と新左翼の全体に対して批判し、特に民族派として、対米自立を唱えた運動だ。かつての右翼が対米従属路線を歩んでいたことへの批判もあった。その中心の一水会の代表に２０００年からついている著者は、前著『憂国論』（彩流社）でもブッシュのイラク戦争を厳しく批判し、イラクに２０回以上訪問し、フセイン大統領にエールを送っていた。沖縄へのオスプレイ配備に反対し、在特会などの排外主義を徹底批判してきたこともよく知られる。私の授業にお招きして３週連続対談した記録を木村三浩・前田朗『領土とナショナリズム――民族派と非国民派の対話』（三一書房）として出版した。北方領土、竹島、尖閣諸島をめぐる議論で、著者はすべて日本の領土と主張している。私は、北方領土はもとは日本領だが、政府のでたらめ外交によって返還可能性を喪失してきたと考えている。私見では、竹島は日本領土ではない。尖閣諸島は琉球人民の生活圏だったので、いちおう日本領と言えるが、現在の紛糾・混乱をつくりだしたのは日本側の責任と考える。このように対立するが、相互批判しながらの対話である。私の元には「なんで右翼と一緒に本を出すのか」という非難が何件も届いたが、内容に対する批判は一つもない。こういう非難をするのは「中身のない崩壊左翼」「理論のない気分だけサヨク」ばかりだ。まともな左翼ならこんな低レベルの非難をしないだろう。さて、著者は、本書で、お手軽愛国主義の安倍政権が「わが国を売り渡す」、「日本の溶解」をもたらす、「中国、韓国などを刺激する言動を繰り返し、『お手軽愛国主義』の空気に点火させ、心をくすぐり、増長させている」と的確に批判し、これに民族派の論理を対置する。朝鮮、インド、「アブハジア共和国」への訪問記録も掲載している。朝鮮訪問は日本人遺骨問題の解決のためで、交渉進展のきっかけを作った。おかげで国交がないにもかかわらず、人道的配慮として、朝鮮半島北部への日本からの遺族訪問・墓参が実現した。民族派だから、当然、他の民族を尊重するという姿勢である。他民族を誹謗中傷して自分のアイデンティティにしがみつくザイトクとは決定的に違う。ただし、ヘイト・スピーチの法規制には反対しているところが、私と対立する。東アジアの歴史認識についても、意見は異なるが、著者のような見方があることを知ることは役に立つ。イノセ５０００万円事件で「時の人」になってしまったが、そのさなかに本書が出たことは、著者の思想と立場を世間に明らかにするためによかったと思う。イノセ事件は年明けには刑事事件の立件となりそうだから、著者も大変な立場だろうが、すべて話すべきだろう。* * ＜＜＜追記＞＞＞ 一水会の機関誌『レコンキスタ』４１６号（２０１４年１月）一面に、著者の報告「猪瀬都知事が辞任 残念無念！ 米軍横田基地返還（軍民共用）がこれで遠のく――必ず捲土重来を期する――木村代表」が掲載され、徳田虎雄、猪瀬直樹両者をつないだ経緯や理由を説明している。猪瀬辞任は、民族派としては「政策の一端が潰えた」と位置付けるとともに、「ポスト猪瀬」として名前の挙がっている人物は「どの人を見ても都民の目線に立つ人ではないと思います。都庁役人の言いなりになってしまうだけの人物では確実に都政は現在より悪くなるでしょう」と述べている。
Saturday, December 28, 2013
進藤栄一『アジア力の世紀――どう生き抜くのか』（岩波新書）――――国際アジア共同体学会会長、東アジア共同体評議会副議長による東アジア共同体再論である。ガラパゴス化した日本外交の失敗を厳しく批判し、ＴＰＰや中国脅威論を抜け出て、東アジア共同体への道を探るための１冊。随所に学ぶべきことがあるが、わかりやすいところでは、ギリシアやスペインの金融危機に際して、無責任なメディアや評論家がＥＵの失敗を唱え、ギリシアやスペインのＥＵ離脱と大騒ぎしていた。著者はこれが全く見当違いであることを指摘する。ＥＵの限界が明らかになったことは事実だが、ＥＵの失敗ではなく、逆にＥＵがあったからこそ持ちこたえることが出来たし、現にギリシアやスペインのＥＵ離脱など起きていないし、ＥＵ域内経済は復調している。デマを並べた評論家たちはもう忘れて次のデマに取り掛かっている。この種のことが多すぎる。外交官の無能ぶりはいまさら指摘するまでもない。それは、一つには日本の政治経済外交の将来構想がないこと、二つにはアメリカ追随、である。著者の分析は信頼できる。ただ、日本の生きる道として東アジア共同体を構想しているが、実際には日本こそが東アジア共同体の最大の阻害要因となっている現実をどうするのか。その具体的な展望はない。特に日本軍慰安婦や靖国をめぐる歴史認識がますます重要となってきている。日本の転落を救い出そうとする著者の願いは、残念ながら困難に出くわしてばかりだ。
『K-magazine』３０号（２０１３年、在日コリアン青年連合） 在日コリアン青年連合http://www.key-j.org/ 特集１ 「石原『三国人』発言から１３年、いまヘイトスピーチとどう戦うか？」辛淑玉 特集２ 「日本のレイシズム・ヘイトクライム」ＫＥＹ座談会 三世世代以降の在日コリアンに求められていること ＊ 文字通り体を張って差別と闘う最前線を生きてきた辛淑玉さんインタヴューの小見出しより 「差別の政治家による後押し」「『殺せ』まできた２０１３年」「後輩に一番言いたい言葉――『死ぬな！』」「１勝９敗で闘い続ける意味」「ヘイトスピーチでやられているところと 声をあげられるところと」「今が最初だったら壊れていたと思う」「実は、声を上げるほど叩かれない」「気づいた差別煽動の意味」「民族団体と孤立した在日コリアン」「新しい在日論、生き方をいま」「安全で安心できる空間はマイノリティの権利」「のりこえねっとに込めた覚悟」
Friday, December 27, 2013
Thursday, December 26, 2013
壱花花『でじゃぶーな人たち 風刺漫画２００６～２０１３』（三一書房）――２００６年の第１次安倍政権の暴走に危機を感じて政治風刺漫画を描き始めた壱花花の作品に解説を付して、第２次安倍政権を撃つべく出版された１冊。デジャブをひらかなにしたタイトルも微妙なバランス。ざっと見ると、半分くらいは前に見たような記憶がある。最初期の「お前ら、俺のオモチャ使うんじゃねえ」（１０頁）から、最近の「状況は完全にコントロールされてます」（２１２頁）まで、時代を切り抜き、挑み、透視し、ちょっと捻る風刺の連続。「壱花花ＷＥＢＳＩＴＥ」で見ることが出来る。三一書房http://31shobo.com/
師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』（岩波新書）――――ヘイト・スピーチを流行語にした仕掛け人によるコンパクトな概説書である。ヘイト・スピーチに関する数々の誤解に的確に応答し、正しい理解をしたうえで、いかなる対処が必要かを論じている。「ヘイト・スピーチは汚い言葉である」などと素朴な誤解を平気で並べ立てる評論家がいるが、著者は、マイノリティに対する人種的動機、人種差別による表現行為であることを明確に指摘して、「ヘイト・スピーチとは、広義では、人種、民族、国籍、性などの属性を有するマイノリティの集団もしくは個人に対し、その属性を理由とする差別的表現であり、その中核にある本質的な部分は、マイノリティに対する『差別、敵意又は暴力の煽動』、『差別のあらゆる煽動』であり、表現による暴力、攻撃、迫害である」とまとめている。著者はヘイト・スピーチの本質、被害の深刻さをきちんと論じたうえで、イギリス、ドイツ、カナダ、オーストラリアの法状況を紹介し、国連人権高等弁務官事務所主導によるラバト行動計画や、人種差別撤廃委員会の一般的勧告３５など国際人権法の水準も確認し、法規制慎重論に一つひとつ反論し、最後に「規制か表現の自由かではなく」として包括的な制度構築（調査、差別禁止法、救済制度）を提言している。ヘイト・スピーチと闘うための必読書である。著者は、2003～07年日本弁護士連合会人権擁護委員会委嘱委員、東京弁護士会外国人の人権に関する委員会委員、枝川朝鮮学校取壊し裁判弁護団。07年ニューヨーク大学ロースクール、08年英キール大学大学院、10年キングズカレッジ・ロースクール留学。大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員研究員、国際人権法学会所属。外国人人権法連絡会運営委員。共著書に『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』（前田朗編著、三一書房）、『今、問われる日本の人種差別撤廃 国連審査とＮＧＯの取り組み』（反差別国際運動日本委員会編集・発行）、『外国人･民族的マイノリティ人権白書2010』（外国人人権法連絡会編、明石書店）ほか。
桜井誠『在特会とは「在日特権を許さない市民の会」の略称です！』（青林堂）――在特会会長へのインタヴュー本だ。周知の内容だが、在特会の形成過程や基本的立場がわかりやすく述べられている。笑えるのは、冒頭で「日本のメディアは異常だということですね。今回の件でも、メディアはミスリードをしたんです。朝鮮学校に対して我々が行った抗議が『人種差別にあたった』から、賠償を命じられたと、そう報道されていたんですよ。」（１２頁）、「そんな報道をすること自体、判決文を読んでいない証拠なんです。判決文では、名誉毀損にあたるという理由で、賠償金を命じているんですよね。『抗議活動が人種差別にあたるから賠償を命じる』など、どこにも書いてない。」（１３頁）と主張している。一般の読者は判決文を入手することが出来ないから、平気でこんな話をする。それでは、判決文にはどう書いてあるか。２０１３年１０月７日の「平成２２年（ワ）第２６５５号 街頭宣伝差止め等請求事件」についての京都地裁第２民事部判決（橋詰均裁判長）からいくつか引用しておこう。 判決は人種差別撤廃条約の内容に踏み込んで、次のように述べる。「人種差別撤廃条約は、『人種差別』について『人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有する者』と定義し（１条１項）、締結国に『人種差別を非難し・・・あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策・・・をすべての適当な方法により遅滞なくとる』ことを求め、『すべての適当な方法（状況により必要とされるときは、立法を含む。）により、いかなる個人、集団又は団体による人種差別も禁止し、終了させる』ことを求めている（２条１項柱書き及びｄ）。さらに、人種差別撤廃条約の締約国は、その『管轄の下にあるすべての者に対し、裁判所・・・を通じて・・・あらゆる人種差別の行為に対する効果的な保護及び救済措置を確保し、並びにその差別の結果として被ったあらゆる損害に対し、公正かつ適正な賠償又は救済を・・・求める権利を確保する』ことをも求められる（６条）」。そして、判決は、「このように、人種差別撤廃条約２条１項は、締結国に対し、人種差別を禁止し終了させる措置を求めているし、人種差別撤廃条約６条は、締結国に対し、裁判所を通じて、人種差別に対する効果的な救済措置を確保するよう求めている。これらは、締結国に対し、国家として国際法上の義務を負わせるというにとどまらず、締結国の裁判所に対し、その名宛人として直接に義務を負わせる規定であると解される。このことから、わが国の裁判所は、人種差別撤廃条約上、法律を同条約の定めに適合するように解釈する責務を負うものというべきである」とする。「人種差別となる行為が無形損害（無形損害も具体的な損害である。）を発生させており、法７０９条に基づき、行為者に対し、被害者への損害賠償を命ずることが出来る場合には、わが国の裁判所は、人種差別撤廃条約上の責務に基づき、同条約の定めに適合するよう無形損害に対する賠償額の認定を行うべきものと解される」。「無形損害に対する賠償額は、行為の違法性の程度や被害の深刻さを考慮して、裁判所がその裁量によって定めるべきものであるが、人種差別行為による無形損害が発生した場合、人種差別撤廃条約２条１項及び６条により、加害者に対し支払いを命ずる賠償額は、人種差別行為に対する効果的な保護及び救済措置となるような額を定めなければならないと解されるのである」。判決は「本件活動による業務妨害及び名誉毀損が人種差別撤廃条約上の人種差別に該当すること」において、被告人らが差別意識を有していたこと、自分たちの考えを表明するために示威活動を行ったことから「本件活動が、全体として在日朝鮮人に対する差別意識を世間に訴える意図の下に行われた」とした。その上で、判決は被告らによる数々の差別的発言を確認し、「以上でみたように、本件活動に伴う業務妨害と名誉毀損は、いずれも、在日朝鮮人に対する差別意識を世間に訴える意図の下、在日朝鮮人に対する差別的発言を織り交ぜてされたものであり、在日朝鮮人という民族的出身に基づく排除であって、在日朝鮮人の平等の立場での人権及び基本的自由の享有を妨げる目的を有するものといえるから、全体として人種差別撤廃条約１条１項所定の人種差別に該当する」と判断し、「民法７０９条所定の不法行為に該当すると同時に、人種差別に該当する違法性を帯びている」とした。
Monday, December 23, 2013
『無実で３９年 獄壁をこえた愛と革命 星野文昭・暁子の闘い』（星野さんをとり戻そう！全国再審連絡会議）――１９７２年の「沖縄返還」を前に、１９７１年１１月、学生運動が取り組んだ沖縄返還協定批准阻止闘争（米軍基地を温存した核つき返還、ベトナム戦争協力への反対闘争）の渋谷デモにおける混乱のさなか、一人の警察官が亡くなった。その「犯人」とされたのが高崎経済大学生の星野文昭さん（１９４６年、札幌生れ）。７５年に不当逮捕され、７９年一審で懲役２０年、８３年二審で無期懲役となり、８７年最高裁で確定、現在、第二次再審請求中。冤罪ストーリーは、他の冤罪事件と非常によく似ている。共犯者の巻き込み証言、少年に対する強引な自白強要の取調べ、物的証拠なしに供述で有罪認定、被告人に有利な証拠の無視と歪んだ解釈、検察官手持ち証拠の隠匿等々。２００９年１１月に提出した第二次再審請求は１２年３月に東京高裁が規約決定をだし、異議申し立てにより異議審が進行する中、弁護団と支援者は全証拠開示請求運動を展開している。被告人の無実の証拠を持っていてもかくしておきながら有罪判決をかすめ取るのは日本検察の常とう手段である。松川事件の諏訪メモがとくに有名だが、どの冤罪事件でも後になって証拠隠しや証拠隠滅が明らかになる。大阪地検特捜部によるフロッピディスク改ざん事件は、よくある事態の一つに過ぎない。そもそも捜査機関が収集した証拠を検察官がかくして、弁護人にも裁判所にもみせず、都合のよい証拠だけを使って裁判を進める日本の異常さが問題である。星野裁判のその典型だ。本書は、１９８６年９月１７日に、星野さんと獄中結婚し、手を握ることすらできないまま、面会に通い続け、星野さんの獄中闘争を支え続けてきた暁子さん、この２人の愛と革命の結晶だ。前半は、星野文昭さんの優しく美しい絵画作品（主に、生まれ育った北海道の風景画、静物画、妻の暁子さんの肖像画など）と、暁子さんの詩作品とをセットにしている。暁子さんの手記「生命の輝き――星野文昭とともに生きて」がこれに続く。２人の愛は文字通り奇跡の愛である。１９８４年、秋田大学の聴講生だった暁子は、「傷だらけの孤立した文昭の姿をじっと見続けた」。まもなく文通を始め、東京拘置所に面会に通うようになった。両親の反対を押し切って獄中者との結婚に踏み切った暁子を待っていたのは、決して手を触れることのできない夫との３０年にも及ぼうという愛と共闘の日々であった。獄中で体調を崩し、病気に苦しむ文昭、獄外でやはり心身の負担から体調を崩す暁子。その苦しみを乗り越えて、想像を絶する闘いを続ける２人である。文昭と暁子の愛はそれ自体が闘いである。生きることが闘いであり、生きぬくことが革命である。本書後半は、文昭さんの陳述書「私は無実だ。私はやっていない」、再審弁護団（私が尊敬する岩井信、鈴木達夫、西村正治など）の訴え、歴史的背景と、事件の全貌の解明である。さらに、元・在日韓国政治犯で再審無罪を勝ち取った金元重、刑事法学者の宮本弘典などの講演などが収録されている。１８００円。発行：星野さんをとり戻そう！全国再審連絡会議 http://fhoshino.u.cnet-ta.ne.jp/
Sunday, December 22, 2013
竹信三恵子『家事労働ハラスメント』（岩波新書）――炊事、洗濯、掃除、育児、介護など、人間生活に不可欠の暮らしの営みが「労働」としては正当に評価されず、無償労働とされる。外部化した場合も女性労働とされ、低賃金であり、昇進・昇格もなく、使い捨て労働とされる。長らく議論されてきたこの問題を「家事労働ハラスメント」と呼んで、さまざまな観点から光を当てて検証した本である。著者本人の体験もあれば、取材して聞いた体験談も多い。統計資料も豊富であり、実証的かつ総合的な検討がなされている。働いても働いても生活難の「元祖ワーキングプア」、「専業主婦回帰」と「貧困主婦」、「男性はなぜ家事をしないのか」、家事労働ビジネスのブラック化など多面的に考察することで、「単なる家事労働」が、一つの国家・社会における政治、経済の全体を貫く基本思想を体現していることが明らかになる。「私たちの社会には、家事労働を見えなくし、なかったものとして排除する装置が、いたるところに張りめぐらされている。これまで、その装置がどのように設置されているか、その装置によって家事労働が見えなくさせられていることが、いかに私たちの社会を貧しくさせ、危うくさせ、生きづらくさせているか」。著者は朝日新聞記者、編集委員を経たジャーナリストで、現在は和光大学教授。著書に『日本株式会社の女たち』『女の人生選び』『「家事の値段」とは何か』『ルポ雇用劣化不況』『ルポ賃金差別』など。
Saturday, December 21, 2013
京都の若手演劇集団「笑の内閣」の東京公演「ツレがウヨになりまして」（こまばアゴラ劇場）を観た。作・演出・キャストの高間響は３０歳だという。アフタートークの時に北海道岩見沢出身だと言っていた。札幌出身の私としては、単に北海道というだけで「評価が甘くなる」（苦笑）。ツレウヨは、女子大学生と同棲しているカレが在日特権を非難するウヨクになり、「日本を守る」と叫んで、韓流で儲ける商店に「抗議」に押しかけては警察沙汰になり、恋人関係が破たんしていくが、ついには店舗に押し入り、切腹騒動を引き起こすというギャグ演劇だ。次々とギャグ、叫び、人間模様が盛り込まれ、ストーリーが煮詰まっていき、後半は若さでどっと突撃のドタバタ劇となる。ネット右翼、ザイトク、ヘイトスピーチという最近の社会現象を鮮やかに切り取って描いた演劇で、なかなかよくできている。京都の劇団だが、東京公演、連日好評ということで、今夜も満席だった。劇団名に打ち出しているくらい、笑いを取ることに力を注いでいるので、決して思想劇ではないが、単に軽いノリのお笑い劇というだけでもない。切腹騒動では三島由紀夫事件までパロっているし、高間響が天皇になり替わるシーンも始終笑いのただ中である。井上ひさしの東京裁判３部作における天皇への変身のような劇的必然性はないが、高間陛下もなかなかのものだ。社会派コント集団ザ・ニュースペーパーＴＮＰの「演劇バージョン」というと、本人たちはどう受け止めるだろうか。嫌がるだろうか、それとも、ＴＮＰほどではと謙遜するだろうか。芝居としては真っ向ストレートのお笑い勝負なので、他面では、もう少しひねりが欲しい印象もある。また、歌を随所に挟んで巧みに進行しているが、歌唱力はやや物足りない。歌についても、オリジナル曲に挑戦してほしい。今回は１８次という笑の内閣を観たのは初めてなので、これまでの作品を知らないまま注文を付けても的外れかもしれないが、ノリとスピードとお笑いに磨きをかけるために、作品における言葉遊びももっと積極的になるとよいのではないだろうか。社会的テーマを取り上げていくのなら坂手洋二にまなびつつ、独自の演劇世界を構築すれば大化けするかも。今後の高間響と笑の内閣に注目！ なお、１４年２月には札幌公演だ。
Sunday, December 15, 2013
ジョン・トーピー『歴史的賠償と「記憶」の解剖』（法政大学出版局）――ホロコースト、日系人強制収容、奴隷制、アペルトヘイトをめぐる歴史的責任、歴史的賠償の世界的動向を取り上げた比較歴史社会学的分析の書である。著者はニューヨーク市立大学大学院教授。日本軍「慰安婦」問題にも随所で言及がある。日本では戦争責任、戦後責任、戦後補償、植民地責任と呼ばれてきたテーマを、記憶をめぐる抗争、人権回復を求める運動、そして歴史的賠償の問題としてとらえ返し、それを「賠償政治」と呼んでいる。中心的に取り上げているのは、日系アメリカ人、日系カナダ人の強制収容、アメリカの黒人奴隷の賠償要求運動、アパルトヘイト後のナミビアと南アフリカにおける賠償政治である。記念的賠償要求、象徴的賠償要求、反制度的賠償要求といったカテゴリーが、わかるようでわかりにくいところもあるが、日本軍「慰安婦」問題など、日本の歴史を見る場合にも使えるかどうか、一度検討してみてもいいかもしれない。移行期正義については国連人権機関でも議論が続いてきたが、本書でもそれを取り入れている。他方、アメリカにおける移行期正義には独自の研究史があるようだ。このあたり、私が無知なため、十分に理解できていない。もう少し勉強が必要だ。
Saturday, December 14, 2013
大木英治『逆襲弁護士河合弘之』（さくら舎）――「勝つまでやる。だから負けない。おれは逆襲弁護士だ」――本書最後の１行は脱原発弁護団全国連絡会共同代表の脱原発の闘う志を示すとともに、ビジネス弁護士として数々のバブル経済事件を担当してきた“法の凄腕用心棒”の生きざまを示す。今では脱原発弁護士としても知られ、中国残留孤児の支援なども続けている河合弁護士だが、いわゆる人権弁護士ではなく、ビジネス弁護士である。というよりも、企業乗っ取り、企業再建、Ｍ＆Ａなど「巨悪たちの奪うか奪われるかの舞台」で踊る弁護士であった。平和相互銀行事件、ダグラス・グラマアン事件、リッカー再建、つぼ八事件、秀和・忠実屋事件、イトマン事件、福岡ドーム事件、国際航業事件、蛇の目ミシン事件など、カネと欲望の渦巻く世界を法と才能と機略で渡り歩いた個性派弁護士として有名だ。時に悪徳弁護士と批判されたこともある。その舞台裏を明かした本であり、読み物としておもしろい。他方、最終章で、東電相手の脱原発訴訟、株主訴訟や刑事告発の取り組みも紹介される。河合弁護士は、原発民衆法廷にも協力してくれた。
１４日、明治大学で開催された「国連・人権勧告の実現を！～すべての人に尊厳と人権を」（主催・同実行委員会）に参加した。実行委員会は、国内でさまざまな人権獲得の活動をしてきた諸団体、国連人権機関に情報提供などロビー活動を展開してきたＮＧＯなどから成る。例えば、日本軍「慰安婦」問題に取り組んできた団体として、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動、「慰安婦」問題解決オール連帯ネットワーク、女たちの戦争と平和資料館。人種、民族、部落、性的アイデンティティによる差別に反対してきた団体として、アイヌ・ラマット実行委員会、レインボー・アクション、朝鮮学校生徒を守るリボンの会、在日本朝鮮人人権協会、チマ・チョゴリ友の会、部落解放同盟東京都連合会、差別・排外主義に反対する連絡会。国際的なレベルで人権擁護運動を展開してきたアムネスティ日本、反差別国際運動、ヒューマン・ライツ・ナウ、ピースボートなど四九団体六一個人参加者は二五〇名を超えた。集会準備段階では三回の学習会を開催し、朝鮮学校差別、「慰安婦」問題、アイヌ、沖縄・琉球問題を取り上げてきた。１４日の集会では、荒牧重人（山梨学院大学教授）が基調報告「国連人権勧告と日本」において、人権メカニズムの概略とこれまでの経過をわかりやすく報告した。続いてアメリカからのゲストとして、戦争と差別に反対するＡＮＳＷＥＲ事務局長のブライアン・ベッカーと弁護士のマラ・バーヘイデン・ヒリアードが連帯のメッセージで、日本における朝鮮人差別に抗する運動の意義を南アフリカにおけるアパルトヘイト反対運動や、アメリカにおける黒人差別に対する公民権運動に類比するおのと位置付けた。その後、朝鮮学校無償化排除問題について宋恵淑（在日本朝鮮人人権協会）、沖縄・アイヌ問題について上村英明（恵泉女学園大学教授／市民外交センター）、国際社会から見た日本の人権状況について寺中誠（国内人権機関と選択議定書の実現を求める共同行動）、福島原発事故と健康の権利について伊藤和子（ヒューマン・ライツ・ナウ）、「慰安婦」問題について渡辺美奈（女たちの戦争と平和資料館）が報告した。いずれも要点を絞ったコンパクトな報告で、国際人権と日本の関係や、今後の課題が浮き彫りにされた。最後に行動提起として野平晋作（ピースボート）が、今後の集会・デモなどの告知を行った。全体を通じて、国際人権法や国際人権活動と言った場合に、国連憲章レベルの国連人権理事会、そのテーマ別特別報告者（人種差別問題特別報告者、健康の権利特別報告者）、人権条約に基づく委員会（自由権委員会、社会権委員会、女性差別撤廃委員会、人種差別撤廃委員会、子どもの権利委員会、拷問禁止委員会）など、さまざまな機関があり、それらから日本に対して多数の勧告が出されてきたことがよくわかる。国際人権法入門講座の意味もある。自由権規約委員会の次の日本政府報告書審査は１４年７月、人種差別撤廃委員会は８月の見込みである。
Thursday, December 12, 2013
今夜は銀座博品館劇場で、ザ・ニュースペーパーPart84 ＴＮＰ結成２５周年記念１２月公演だった。ニュースをお笑いにするコント集団はいまでは複数あるが、ＴＮＰが元祖であり、今も先頭を走っている。今夜の「登場人物」はアベ、イシバ、コイズミ親子、イシハラ、シイ、レンホウ、イノセ、タワラソウイチロウ。ネタは特定秘密保護法、ＴＰＰ、食品偽装、東京五輪。五輪関連では体操のウチムラ、シライ、野球のマー君、五輪と言えばキタムラと称して実は演歌の親分のキタムラ。もちろん定番の「さる高貴なご一家」のご主人様、奥様、長男ご夫妻など。年末公演定番の「ＴＮＰのラスト・ニュース」では、２０２０年のニュースで、東京五輪成功、時の知事は８７歳のイシハラと復活した副知事イノセ。今夜の特徴はアドリブが目立ったことか。しかもアドリブがかなり受けていた。他方、ジンバブエを笑いにしたところは、残念ながら笑えなかった。ＴＮＰは発足直後から見てきた。昭和天皇危篤で「自粛」となり、日本からお笑いが消え、お笑い芸人の仕事が激減したため、やむなくＴＮＰを結成し、天皇ネタをコントにして一部で話題になった時期から、年に２～４回、ずっと見てきた。２５年、その時その時のニュースを、よくぞこれだけの間、お笑いにしてきたと感心する。最初期メンバーが抜けて行った後、わりとエンバー交代を繰り返していたが、このところ９人が固定している。渡部又兵衛はよく頑張っている。そろそろ若手メンバーが入ってもいい頃かもしれないとも感じるが。ＣＤ『ドキドキ！』（「ドキドキ！」「Change」の２曲）を購入。
Wednesday, December 11, 2013
立野正裕『日本文学の扉をひらく 第一の扉 五里霧中をゆく人たちの物語』（スペース伽耶）――本郷文化フォーラム・ワーカーズ・スクールの講座をもとに執筆された本で、同じ著者による『世界文学の扉をひらく』（現在３巻出版）の兄弟姉妹編ということになる。対話形式で、作品に様々な観点から光を当て、理解を深めていく弁証法的な文芸批評と言ってよいだろう。本書で取り上げられたのは、宮沢賢治『注文の多い料理店』、夏目漱石『夢十夜』、泉鏡花『高野聖』、大西巨人『五里霧』、幸田露伴『雪たたき』の５作。これらを「五里霧中をゆく人たち」の登場する作品としてとらえ、作品に内在する出会い、疑念、疑惑、衝突、不安、なぞに着目し、作品の構造と問いかけを浮き彫りにする。また、文学史における位置や同時代の影を考察に入れ、外在的な理解も並行して進めようとする。個人的には、冒頭の宮沢賢治をあまり評価していないので、読み始めは違和感を持ちながら読み進めたが、著者の視点の確かさもあって、最後まで楽しく読めた。著者には名著『精神のたたかい』があり、かつてこれを読んだ私は、一面識もないのに、「非国民入門講座」のインタヴューを申し入れた。その記録「精神のたたかい――不服従の可能性」は、前田朗編『平和力養成講座』（現代人文社）に収録。学ばされることのとりわけ多い著者である。著者は明治大学教授（英米文学、文学評論）で、非暴力主義の思想的可能性を追求。
Tuesday, December 10, 2013
黒木亮『法服の王国 小説裁判官（上・下）』（産経新聞出版）――「人権の守護神か？非常の判決マシンか？ これが裁判官の実態だ！」「最高裁判例を打ち破れ！ 原発に下された『世紀の判決』とは！？」。地裁所長による裁判干渉、司法修習生の任官拒否、現職裁判官の再任拒否など、騒然とした７０年代の司法反動に始まり、その後の司法統制、司法の官僚化、そして国民無視判決の続出に至る司法の病理はなぜ帰結したのか。民主的司法を求める法律家の間では常識だが、一般には知られざる司法の腐敗を、本書は小説という形で見事に描いている。腐敗司法を批判する側を描くのではなく、腐敗のただ中で暗躍し、格闘する司法官僚の世界を舞台に、人間模様を描き出している。最高裁長官、最高裁判事、最高裁調査官、事務総局の官僚を中心に、裁判所内における思想差別も抉り出す。差別された裁判官の不安や、闘いもしっかり取り上げている。そして、司法反動の時期に、まさに全国に広がり始めた原発、そして原発反対運動、原発訴訟も並行して描く。司法反動と原発とは、結びつかないように見えて、実に直結していた。そして、最高裁判例を打ち破ったのは、差別された裁判官であり、司法反動に挑んだ弁護士たちの努力であった。最高裁の闇を、原発訴訟でいえば、伊方や志賀の闘いが突き破る。史上初の原発停止命令はこうして実現した。そこまで射程に入れた構想が素晴らしい。――再任拒否や任官拒否問題では、知り合いの弁護士たちが続々と実名で出て来るので、本人の顔を思い出しながら、実に楽しく読むことができた。元青年法律家協会東京支部長で、今もいちおう青年法律家協会会員の私としては、いろんな愉しみ方のできる本である。
Sunday, December 08, 2013
映画『ハンナ・アーレント』（２０１２年、監督マルガレーテ・フォン・トロッタ）を観た。一方の主人公は哲学者ハンナ・アーレント。２０世紀最大の哲学者ハイデガーとフッサールに学び、ナチスドイツから逃れてニューヨークに渡ったプリンストン大学教授で、すでに『全体主義の起源』と著者だった。そして、夫のハインリヒ・ブリュッヒャー、盟友メアリー・マッカーシー、ハンス・ヨナス、クルト・ブルーメンフェルトら。もう一人の「主人公」はアドルフ・アイヒマン。ナチスのユダヤ人移送係で、終戦後アルゼンチンに逃亡していたが、イスラエルのモサドに「逮捕」され、イェルサレムで裁判にかけられる。裁判を傍聴したアーレントが何を感じ、受け止め、思索し、そして何を書いたか。後に『イェルサレムのアイヒマン』として出版される裁判傍聴記がどのような反響を呼んだかが中軸となる。アイヒマンが人間離れした悪魔や巨怪ではなく、どこにでもいる「官僚」であって、命令を忠実に実行した役人に過ぎず、その「悪の陳腐さ」こそが問題だとするアーレントの主張は当時はなかなか受け入れられなかった。ニューヨークのユダヤ人コミュニティでは、アーレントがアイヒマンを、従ってナチスドイツを擁護したと誤解され、糾弾されることになる。その過程を追いかけた映画である。映画『ローザ・ルクセンブルク』（１９８６年）でもフォン・トロッタ監督とチームを組んだ女優バルバラ・スコヴァがアーレントを演じ、アクセル・ミルベルク、ジャネット・マクティア、ユリア・イェンチ、ウルリッヒ・ノイテンなど、脇を固める俳優たちの演技も素晴らしい。冒頭のアイヒマン逮捕のシーンは、もう少し何とかならないものかと思わないではないが、ニューヨークとイェルサレムを舞台とした作品は良質である。ハイデガーとアーレントのエピソード（スキャンダル）も取り上げているのはストーリー上の必然性がないが、あまりに有名なエピソードなのでパスするわけにはいかなかったのかもしれない。一番ひっかかったのは、映画『スペシャリスト――自覚なき殺戮者』（監督エイアル・シヴァン）への言及がないことだ。同じアイヒマン裁判を主題とし、アーレントの「悪の陳腐さ」を導きの意図とし、しかもアイヒマン裁判の記録映像は同じものを使っている。アイヒマンを主役としつつ「市民的不服従」を問う作品は、日本上映時に、ブローマン『不服従を讃えて』（産業図書、２０００年、翻訳：高橋哲哉他）も出版された。岩波ホールが用意したパンフレット（プログラム）は１か所「スペシャリスト」という言葉を用いているが、映画『スペシャリスト』に言及しない。なぜか、映画『ニュールンベルク裁判』（監督スタンンリー・クレマー）を引き合いに出して、「本作とは性質を異にする」と解説している。監督インタビューでも言及がない。オリジナリティを主張したかったのかもしれないが、むしろ、両作品を並べて、そこから議論を始める方が健全というものだ。
中山康樹『ブリティッシュ・ロックの真実』（河出書房新社）――ビートルズの登場から始まり、レッド・ツェッペリンによって開花した７０年代ブリティッシュ・ロックとは何だったのか。著者は、６０年代イギリスのミュージシャンが何を聞き、どのような音楽環境に育ち、何を目指したのかを追跡する。一方でビートルズを生んだリバプール、他方でそれとは一線を画したロンドン。そこに鳴り響いていたアメリカン・ブルースがどんなものだったのか。チャールズ・ミンガス、チャーリー・パーカー、バド・パウエルを、ジンジャー・ベイカーやエリック・クラプトンはどのように聞いたのか。ジミ・ヘンドリクスやミック・ジャガーはどこからやってきたのか。謎は、黒人によるブルースと白人ミュージシャンがいかに格闘したか、その帰結である。そこにポップスでも、ロックン・ロールでもない、ロックが立ち現れることになる。おもしろいのは、日本とイギリスが類比的に語られることだ。イギリスの若者にとってアメリカン・ミュージックが圧倒的影響を与えたように、戦後日本でも一時はジャズがもてはやされた。ところが、イギリスは影響を受け続けたのに対して、日本では影響が消え去って行った。その分岐も少しだけ論じられている。また、逆にビートルズによって、アメリカ人にとっては初めて外国音楽が流行し、ブリティッシュの侵略が語られたという。さまざまなエピソード、音源から成る７０年代ロック史への導入は、おもしろいが、始まるところでお終わってしまうのは不満が残る。続きが読みたい。また、ハード・ロックよりもプログレ・ファンだった私としては、そちらの話題がないのが残念。
Sunday, December 01, 2013
宮崎学・小林健治『橋下徹現象と部落差別』（モナド新書、にんげん出版）――１年前に出た本だが、見落としていた。『週刊朝日』と佐野眞一による部落差別は、橋下徹大阪市長による抗議の結果、『週刊朝日』側の謝罪によって決着がついた形になっている。しかし、本書が取り上げているように、『週刊朝日』以外に、『新潮４５』『週刊新潮』『週刊文春』などが橋下徹に対するネガティヴ・キャンペーンを展開して、部落の出自を取り上げていた。『週刊朝日』事件が浮上した際には、少なからざる知識人・文化人が『週刊朝日』擁護の発言をしていた。何が問題なのかを理解していない。部落差別であること、そして差別による具体的な被害が出ていることを無視した議論をする例が見られた。本書はそうした事例も取り上げて、「橋下徹の政治手法は厳しく批判するが、部落差別は許さない、従って部落差別問題については橋下徹と連帯して『週刊朝日』を徹底批判する」という姿勢に貫かれている。『週刊朝日』の記事「ハシシタ 奴の本性」が２０１２年１０月２６日号で、本書は２か月後の１２月２５日出版なので、緊急出版であるが、新書２６８頁の内容は充実している。私は雑誌『マスコミ市民』２０１３年１月号に「差別を反省することとは」を書いて、佐野眞一を批判し、次のように書いた。「部落差別や人種・民族差別をめぐる意識のありようを見ると、この国では何も変わらない。決して変わろうとしない鈍感な精神が蔓延しているように思えてならない。問題記事の筆者・佐野眞一は『週刊朝日』の連載中止と謝罪の後に反省の弁を語っていたが、果たして問題の所在をきちんと理解しているのかどうか、残念ながらあやしいと言わざるを得ない。」今も同じだと思う。佐野だけでなく、メディアも相変わらずという印象だ。その後、ザイトクによるヘイト・デモが大きな話題になったが、そこでも差別と暴力による被害を矮小化している。差別がなぜ許されないのか、なぜ問題なのか、本書をしっかり読むべきだろう。なお、差別と剽窃の佐野眞一については、次の本も重要。溝口敦他『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム 大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相』 (宝島NonfictionBooks)。