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ストレス、複雑な恋愛問題、尊大な上司。これらは「グレイズ・アナトミー 」や「ハウス 」のようなアメリカの医療テレビドラマシリーズの筋書きのように聞こえるかもしれない。このコンテンツは 2008/05/19 15:25
しかし、創立175周年のチューリヒ大学で開催中の医学部歴史展では、それらが黎明 ( れいめい ) 期の医師、そして後には女医の生活の一部だったことを示している。
何年も勉学に打ち込み、病を治し、時には死を回避するための医学知識を習得した医師ほど一般人の想像力をかきたてる存在はあまりない。そのような崇高な医師像はかなり古いイメージかもしれないが、確かに今日に至るまで大学医学部の発展に寄与してきた。アーカイブの資料に基づいた、現在開催中のチューリヒ大学医学部の歴史展「新人から白衣の医師へ ( Rookies to White Coats ) 」でもそのイメージがはっきりと感じられる。
テレビドラマの医師
チューリヒ大学の医学部は、論争を引き起こしたインクブロット・テストの生みの親、精神科医のヘルマン・ロールシャッハほか著名な医師を数多く輩出した。しかし、この展示会が紹介するのはそれらの医師についてだけではない。
「この医学部歴史展は、著名な医師を称えるだけではありません。私たちは、その当時の学生の毎日の生活と勉強がどのようなものであったかを紹介したかったのです」
とキュレーターのイリス・リッツマン氏は述べた。
その当時も現代のテレビドラマとそう変わりがなかったことを、19世紀の問題集とともに展示されているラブレター、新聞の切り抜き、学生の雑誌などが教えてくれる。
「自分の周りにいる誰よりも強く優秀な医者が、個人的な問題で人間的に成長する。しかしその他大勢の中に埋もれることは決してない、という現在のテレビドラマに登場する医師像は、実際のところ時代遅れと言えるかもしれません。昔は、医学を学ぶことはエリートになることを意味していたので、このような見方が好まれたのです」
とリッツマン氏は語った。
女性の影響
今日の医学生は昔ほど名声を重視しない。リッツマン氏は、これは医師になる女性が増えたことが一因だと指摘する。2002年にはチューリヒ大学の医学生の52.3%が女性で占められた。同大学の医学部は女子学生を受け入れた西ヨーロッパ初の大学で、1868年に受け入れを開始した。同大学のリベラルなアプローチの結果、祖国では医学を学ぶことが許されていなかったロシアの女学生が押し寄せた。
当時の女子医学生には最初から困難が付きまとった。ヨーロッパのほかの大学の多くと異なり、一般的に教授陣は女子医学生を受け入れた。しかし、学生雑誌に掲載された露骨な風刺漫画に見られるように、男子学生にとって女子医学生は受け入れ難い存在だった。
「それらのロシア人女子学生は、スイス人とは全く異なる国から来たのです。彼女たちは流血革命を経験し、タバコを吸い、髪を短くしていました。この2つの全く異なる世界観を持つグループが衝突し、両者は互いに理解不能に陥っていました」
とリッツマン氏は語った。
一方、いくつかのロマンスも誕生した。しかし、永遠の幸福な結婚生活を保障するには両者の違いはあまりにも大きかった。1909年に結婚したロールシャッハとオルガ・ステムペリンのカップルは珍しい例外の1つだろう。
チューリヒ大学医学部におけるロシア人女子学生第1号のナズデダ・ススロヴァとフリードリヒ・エリスマンの結びつきもまたそう幸運とはいえなかった。しかしこの2人の結びつきが、間接的にではあるが、1874年にスイス人初の女医マリー・フェクトリンを誕生させることになる。
エリスマンと婚約していたスイス人女性フェクトリンは、良妻賢母になることを夢見ていたが、彼はススロヴァのもとに去って行った。大きなショックを受けたフェクトリンは、伝統的な女性らしい生き方のために自分が払ってきた努力に疑問を抱き、医学を学ぶことを決心した。
写真とモデル
ボール紙に描かれた初の人体解剖図や1930年代初期の教材用映画から、現代のインターネットによる授業まで、展示会は教材の進化にも光を当てる。強い印象を与える展示物の1つに、2000枚以上に及ぶ小児科病院の写真コレクションがある。
それらの写真は、特定の身体的な特徴に表れる「変質的人格気質」や精神病を学生に教えるための教材として19世紀後半から20世紀中ごろにかけて使用された。
当時の医学では、ひとふさの毛髪や耳の形などのようなものがそうした病の存在を表わすと考えられていた。例えば大きな笑顔を見せる人は、将来犯罪者になる傾向を持っている可能性があると考えられていた。しかし、今日このようなアプローチは完全に否定されている。
「こうした優生学の例は、当時教えられていた医学的知識が、遺伝の法則を全く無視しており、その当時という時代が生み出した解釈にすぎなかったことを明確に示しています」
とリッツマン氏は語った。
しかし、人体解剖用の模型はほとんど変わっていない。
「科学的な見地から言えば、まだ使うことができるでしょう。しかし模型のヘアスタイルや材料を見れば、これらが作られた時代が非常に古いことが分かります」
とリッツマン氏は述べた。また、それらの人体模型が、通常若く健康な男性の体であることも変わっていない。しかし実際の切開解剖で通常医学生が遭遇するのは完全とは言えない体ばかりだ。
「おそらく今後100年のうちに人体模型はもっとリアルになるでしょう」
とリッツマン氏は語った。
swissinfo、ドリス・ルチーニ 笠原浩美 ( かさはら ひろみ ) 訳
チューリヒ大学の175年
チューリヒ大学は創立175周年を記念し、「知識の共有」をモットーに、一般人に開放した展示会や会議を開催している。
1833年に設立された「ウニヴェルシタス・トゥリケンシス ( The Universitas Turicensis チューリヒ大学のラテン語名 )」 は、権力者や教会の力によってではなく、民主的に設立されたヨーロッパ初の大学。設立初年度には神学、法律、医学、哲学の4つの学部に161人の学生が入学登録し、55人の教員が在籍した。
今日では、神学、法律、医学、経済、獣医学、科学、芸術の7学部を持ち、約2万4000人の学生が在籍するスイス最大の大学となった。
新人から白衣の医師へ ( Rookies to White Coats )
展示会は5月末まで、大学のメインビルディングで行われる。入場無料。( 土曜午後、日曜、祝日は閉館 )。
展示会では、医学部のアーカイブから175点の展示品が出展されている。それらの中には初めて一般に公開されるものもある。大学が設立された1833年から1970年代までの医学部の歴史が、さまざまな資料を通して解説されている。
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