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スイス生まれのウジェーヌ・グラッセは、１９世紀末からパリを中心に流行し日本にも波及した装飾的芸術、アール・ヌーボーに決定的な影響を与えたと言われる。後にフランス国籍を取得した彼は、今からちょうど１００年前に亡くなった。
ウジェーヌ・グラッセは１８４５年にローザンヌで生まれた。建築を学ぶためにチューリヒへ赴いたが中断し、エジプトを訪問した後に画家、そして彫刻家として働いた。２６歳のときにパリに移り住む。
キャバレー「ル・シャ・ノワール」に集まる芸術家や、印刷業者のシャルル・ジローらと接点があったおかげで、グラッセは家具、イラスト、ポスターデザインなどを産業的、美的に革新する動きに携わった。
１８９４年にサロン・デ・サンで展示会を開いた後、グラッセは当時芽生え始めていた革新的な装飾芸術様式で、フランス語で新しい芸術を意味する「アール・ヌーボー」の先駆的存在となった。スイス人画家アウグスト・ジャコメッティ（１８７７～１９４７年）もその一人に数えられる。
フランスの出版社ラルースの看板となった有名な作品「Semeuse à tout vent（仮訳・タンポポの種を飛ばす女）」の他にも、グラッセは自分のオリジナルの書体「グラッセ」をデザインした。１９００年のパリ万国博覧会ではアクセサリーのデザインで大成功を収めた。
１９１７年１０月２３日、グラッセは７２歳のときにフランスのソーで他界した。
（独語からの翻訳・シュミット一恵）