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チューリヒの町からうちまではたいていバスで帰る。週一回のドイツ語コースを終えて帰宅するときのバスに、いつも知的障害者が4～5人乗っている。ちょう どうちへの道のりの半分くらいのところに施設があるようで、彼らはどうやらそこの住人たちらしい。みんなばらばらに前方に座っていて、前とそのすぐ後ろの 座席でなにやら真剣に大声でディスカッションしている。運転手の後ろに陣取って、運転手さんと話をしている女性もいる。バスを降りるときには運転手さんに 挨拶をして、降りてからも必ず「ばいばい」と手を振っていく。バスを降りるときに挨拶をしたり、手を振る乗客はほかにもいないことはないが、これだけ親し く運転手さんと接する人たちはやっぱりいないんじゃないかな。
昨日、ドイツ語コースへ行くときのバスの中。街中に入ると帰宅途中の勤め人がたくさん乗ってくる。私はいつもどおり本を読んでいた。そこに通路を挟んで隣に座っていた男性が「座りませんか？」と誰かに声をかけた。その女性は「いいんですよ、大丈夫です」と答える。顔を上げて見ると、それほどのお年寄りではない。スーツケースを引っ張っていたのだが、その端がきちんと閉まっていなかった。隣の男性はそれを閉めるのを手伝うと同時に、やっぱり席を譲ってあげ た。その女性はどこかよその州から来た人で、これから家に帰るところのよう。チューリヒにはあまり詳しくなさそうなので、その男性がどこで降りて乗り換え るのが一番楽かを説明してあげていた。そこに、連れの女性なのか、彼と同じくハイジャーマンを話す人も参加して、「ああ、ここで降りなきゃね」などと言っている。すると、混雑しているバスの中、彼らのすぐ後ろに立っているスイス人女性も「あなたたち、降りんですか？」と道を開ける準備。
スイスにいて、スイス人女性をドイツ人たちが助けているという構図に私はなにやら面白みを感じつつ、誰かが一言声をかけるだけで、みんながやさしくなることに心が和んだ。
その女性と同じバス停でバスを降りると、ドイツ人の男性がこれから彼女を誘導しようとしている。ほかに連れはいなさそう。ということは、一緒になって話していたあのドイツ人の女性も他人だったのだ。
誰かを助けるって勇気がいる。その勇気がやさしさというものなのだろうか。
そういえば以前、あるデパートの脇入口で女性に「あの…」と声をかけられたことがある。「はい？」と足を止めると、「ちょっと助けてもらいたんです」「は い、何でしょう」入口の前には段差の低い階段が3段ほどある。「この階段を上るのを助けて欲しいんです」こんな段差の低い階段も一人で上れないなんて…と 私は半信半疑だったが、彼女の頼みは本当にこれだけだった。なんとなく、この助けを得るために彼女はずいぶん長い間待たなければならなかったような気がし た。デパートの入口に立っていること自体がなにやら怪しげに思える。私も少し疑った。もしも、本当にこの頼みのために彼女が何十分も待たなければならな かったのだとしたら…私はそのあと、少し考え込んでしまった。