Document ID: /fineweb-2-swissfilter-quality_10-filterrobots/filtered/00465.jsonl.gz/17

◆エペソ人への手紙１章３節
1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
◎１章３節～１４節
１章３節から１４節は、日本語ではいくつもの文章で区切られているのですが、驚くことに原文では長～い一文になってつながっています。「ほめたたえ る」で始まり、「ほめたたえる」で締めくくられています。「ほ めたたえる」はこの一文の中で、全部で三回使われています。パウロは心から神の恵みを賛美しているのです。 全体の構成としては、まず私たち信じる者をそのご計画のうちに選んでくださった父なる神のご意志（３節～ ６節）について、次に、十字架の恵みによって罪の赦しを与えてくださった御子の贖いの業（７節～１２節） について、そして最後に、永遠のいのち保証として与えられた聖霊の証印（１３節～１４節）について、神を 賛美しています。父なる神の救いのご計画を、御子が実現し、聖霊がその保証となられたのです。何回かに分 けてここからいっしょに学んでいきたいと思います。
Ⅰ．パウロはなぜ神を賛美したのか？
３節から１４節を読むと、ある一つのことに気づかされます。ここに書かれてあることは、すべて神さまが私たちのためにしてくださったことであって、 どこにも私たちがしたこと、あるいは私たちがしなければならないことは書かれていません。書かれてあるのは、私たち信じる者に対する神の愛による一方的な 選びで あり、神の儀性によって与えられた無条件の恵みであり、将来に対する神の確かな保証です。それらを列挙して、パウロは神を賛美しているのです。
Ⅱ．キリストにある霊的祝福
１．キリストにある祝福 （キリストにおいて・・・祝福してくださいました。）
「キリストにあって救われた者は、キリストにあって勝利者であり、キリストにあって義とされた者であり、キリストにあって祝福された者である。」と聖書は教えています。そのような立場がすでに与えられているのです。
◎逆転満塁ホームラン
ちょうどキリストをキャプテンとした野球チームに所属しているようなものです。８回の裏まで私たちは三振の山を築き、相手にヒットを赦して次々と点 を入れられて、まったく勝つ見込みのないまま９回の裏を迎 えます。ツーアウト満塁となった最後の打席にキリストがバッターボックスに立たれ、逆転満塁ホームランを打たれたのです。キャプテン（頭）であるキリスト の勝利は、チーム（教会・キリストの体）の勝利であり、チームのメンバーである私たちひとりひとりの勝利なのです。
２．天にある祝福
私たちがやがて帰っていく天国も「天」ですが、キリストがご支配されている領土「神の国」も「天」の 一部分です。キリストの体である教会は「天」を治められている王なるキリストとつながれており、目に は見えませんが、そこにも「天」があるのです。教会は天国の大使館であり、私たちは天国の大使です。そういった意味で教会は地上と天国との接点なのです。
３．すべての霊的祝福
①祝福＝「良きことを語る」
ここで使われている「ほめたたえる」「霊的祝福」「祝福してくださる」はすべてギリシャ語で「ユーロゲートス」という同じことばが使われています。 この節の中で、三回繰り返して「祝福」が語られていることになります。この言葉のもともとの意味は「良いことを言う」「良い言葉を出す」です。ここで、 「ほめたたえる」とは私たち人間が神に向かって「良きことを語る」ことであり、「祝福する」とは神が私たちに人間に「良きことを語る」ということになりま す。
◇主語を理解できない『脳』
最近の脳科学の研究によると、脳の感情を司る部分は、主語を理解できないという弱点を持っているそうです。人に対して悪口を言うと、自分が悪口を言 われている時と同じように気分が悪くなるのはそのためです。脳は、区別することができないのです。しかし、反対に相手を褒めてあげると、自分が褒められた と思い、気分が良くなり自尊意識が高まります。否定的な生き方も、肯定的な生き方も私たちの語る言葉にかかっているのです。神様と隣人とに良きことを語 り、祝福された者、祝福する者として生きていきましょう。
②賛美と祝福
聖書の神は祝福の神です。聖書の教えている祝福は私たちが単に物質的に祝福されることだけを意味していませんし、また、それが目的でもありません。 聖書は神様が人間を祝福されるのは、私たちが神をほめたたえる（賛美する）者になるためであると教えています。神様は、祝福と賛美の交換（循環）の中に私 たちを招き入れ、真の礼拝者とされた私たちと親密な交わりと持ちたいと願っておられるのです。
悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。(Ⅰペテロ３：９)