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アルプスの中でもイタリアとスイスをつなぐ重要な峠、グラン・サン・ベルナール。ここには、遭難者や、疲労困憊した旅人のための宿が、900年経った今でも暖かくその灯をともしている。
「私たちは今だに山で遭難した人々がいると言って呼び出されます」と語るのは、サン・オーギュスタン会のメンバーであるフレデリック・ガヤール神父。「まあ、昔と違ってあまり頻繁に起きることではありませんがね」
ベルナール・ド・マントン神父がアルプスで遭難した人々の救助のために修道院を開いたのは、11世紀のことだった。
セント・バーナード犬の名前の由来
今ではこの峠も、修道院も彼にちなんでグラン・サン・ベルナール( 偉大な聖ベルナール ) と呼ばれる。フランス語読みのサン・ベルナールを英語で読むとセント・バーナード ( Saint Bernard )。
この修道院で、人命救助のために飼われていた犬が世界的に広まって今ではこちらの方が有名になってしまったが、元々は人物の名前だった。当時、スイスとイタリアを結ぶ険しい峠を越えるのは命がけだった。
「私たちは、旅人が峠を越えるのを思いとどまらせるために、ここにいるのです。彼らは言ってみれば、精神的に人生の中で迷子になってしまったようなものですから」とガヤール神父は語る。
見回すと、辺りにはベルナールの面影があちこちに見られる。峠に入る道には、ベルナールの巨大な像が建っていて通る人々を見守っているし、修道院の窓には彼の姿をかたどったステンドグラスがきらきらと光っている。
彼が生きていた当時から、何人もの修道僧がこの峠に住んでいた。彼らは遭難したり疲れ切って動けなくなった旅人の世話をしていたが、現在の修道僧の主な仕事は、この峠と修道院の貴重な伝統をしっかり守っていくことだ。今でもこれは「道を外れてしまった魂の救済」と呼ばれている。
ローマ時代とナポレオン
ローマ時代、グラン・サン・ベルナール峠は、アルプス山脈の要所だった。見上げると、切り立つ峰々が秋のたそがれに美しく照らされている。ジャン・マリー・ロヴィ神父が、ローマ軍が作った道の横にある、小さな湖を指さした。
水中からローマ時代のコインが沢山見つかるのだという。ロヴィ神父によると、これは当時、この峠がどれだけ重要だったかを示す証拠だ。
「多くの兵士たち、官僚たち、そして巡礼者たちなどがこの峠を越えて行き交いました。彼らは旅の安全を願って神に祈りました」とロヴィ神父は語る。多くの場合、彼らは献金も行った。
1816年には、ナポレオンが4万人の兵を引き連れてこの細くて急な道を進んでい行った。ロヴィ神父によると、ナポレオンはローマ時代の道を修復したが、これは現代の道路の横に今でも残っており、岩壁に沿って吸い込まれるようにイタリアのアオスタ渓谷まで続いていく。
当時、修道僧たちがナポレオン軍を出迎えたであろうことは、想像に難くない。
危険な旅路
しかし20世紀に入るまで、よっぽどのことでなければこの峠を越したいと思う人はいなかった。いかにその旅路が厳しいものであったかは、グラン・サン・ベルナール修道院の博物館で実感することができる。
「その日の朝、出発が間近に迫る山岳キャラバンのメンバーたちは皆、恐怖の表情で震えていた。鬼気迫る祈りの間、彼らはまるで差し迫る死に対して、心の準備をしているかのようだった・・・」と1129年にベルギー人の修道僧が書いている。
「教会の中で、人々がこんな風に息を詰めて祈っている時、まさに悲惨な報告がもたらされた。彼らより早く村を出た10人のガイドが、雪崩に飲み込まれて底の見えない谷底に消えていったというのだ・・・・」
この峠は、多くの遭難者を救ったセント・バーナード犬と関係づけて語られることが多いが、グラン・サン・ベルナール修道院も数多くの物語を残している。
ミイラ化した冷たい死体
博物館には「納骨堂」に関する記述も見られる。峠を越えることができずに見つかった死体は、寒さでミイラ化していた。納骨堂となっていた建物とミイラは今でも残っているが、十数年前に建物の窓と扉はふさがれた。
近年になるにつれ、グラン・サン・ベルナール峠は悲惨さの度合いが薄くなっていく。商業主義の色が濃くなり、アメリカ人の小説家が冗談半分に象に乗って冒険してみる、ということまであった。かわいそうな象は、高山病にかかって非常に苦しんだ。
40年前にトンネルが開通したことで、人々は命をかけて峠を越える必要はなくなり、それと共に修道院の役目も少なくなった。スイスとイタリアを結ぶ物資や人の移送は、今ではトンネルを使って行われる。
それでも、壮大な景色を背景に、曲がりくねった山道が続くこの峠を登る人々は多い。理由は様々だ。
夏には、修道院の博物館を訪問したり、古代ローマの道をハイキングしたり、セント・バーナード犬の繁殖場で子犬を抱きしめたりする観光客でにぎわう ( もうずっと前から雪崩救助犬として訓練されることはなくなっているが )。
また、ローマ時代にこの峠を越えて盛んに行われた貿易について調査するために、考古学者のチームによってローマやケルト時代のコインの採掘が続けられている。
スキーをはいた修道僧
冬になると、グラン・サン・ベルナール峠の山道は閉鎖される。しかし修道院では、冒険好きなクロスカントリーのスキーヤーたちや雪専用靴をはいた観光客を歓待する。つまり、ガヤール神父もロヴィ神父も、スキーの上級者でなければならないということだ。今でも雪崩の遭難者の救助に向かうことがある。
「こんな山の上にキリスト教のコミュニティがあると知って、多くの人が結構驚くようです。犬については有名なんですがね」とガヤール神父は笑う。「ここにやってきて初めて、1000年近くもこんな高い所に人が住んでいて、旅人を迎えてきたという事実を知るのです」
「人々は、ここで多くの事を学んでいきます」とガヤール神父は続ける。「否定する人もいるかもしれませんが、私が信じるのは、特に冬にやってきた人については、ここで見たものに対して驚きの念を抱きます。そして何か絶対的なものを胸に抱いて帰って行くのです」
「それが一体何であるか、言葉で説明することは難しいのですが。神を信じていない、と言っている人でさえも、何か非常にスピリチュアルなものを感じるようです」
swissinfo、デイル・ベヒテル 遊佐弘美 ( ゆさ ひろみ ) 意訳