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エミール・ビュールレには二つの顔があった。第2次世界大戦中に製造した武器をナチスに売りさばく兵器商人としての顔と、ドイツ・ナチスが「非芸術」とスタンプを押した印象派に魅せられ、絵画を買い続けた収集家としての顔だ。
モネ、セザンヌなど印象派中心とした「ビュールレ・コレクション展」が、チューリヒ市立の「クンストハウス」で2月12日から開催される。
個人コレクションと公共美術館
エミール・ビュールレは、スイスの機械工業エリコン・ビュールレの伝説的社長( Oerlikon Bührle / 現OC Oerlikon ) で、激動の20世紀前半を生きたドイツ人の実業家である。ビュールレの生涯を描いた映画「灼熱 ( Glut ) 」( スイス、1983年、トマス・ケルファー監督 ) や著書も多く、その生涯は波乱に富んでいた。世界中に武器を売りさばき儲けた巨額の資金を背景に、美術品を集めたビュールレコレクションはスイスにある数多くの個人コレクションの中でも、最高の質を誇る。スイス近代史の一コマを担った興味深い歴史背景を見つめる機会を与え、2年前に盗難にあった2点が花を添える、興味深い企画となっている。
クンストハウスと彼の死後設立された美術館「E.G.ビュールレコレクション」の関係は深い。ビュールレは生前自分の美術館を建てることより、現在のクンストハウス建設に巨額の寄付をし、美術の擁護者としての名声を得ることを選んだ。クンストハウスの役員だった彼の意見は、当時の美術館増設に大きく反映されている。クンストハウスの入口右側にあるロダンの「地獄の門」などを寄贈したのもビュールレだ。
今回、ビュールレコレクション展を開催するにあたってクンストハウス・チューリヒ ( Kunsthaus Zürich/ 以下クンストハウス ) のクリストフ・ベッカー館長は「スイスには野心的な個人のアートコレクターが多くいて、美術館との関係も深い。中でもビュールレコレクションは、現代風に言えば当館の重要な資産になる」と語る。
「これらの絵画は美術館にあるべきもの」とベッカー氏が語る通り、2015年からクンストハウスの拡張に伴い、常設展示とする計画がある。これには市民投票での承認が必要で、今回の展覧会はその導入的意味合いもある。
「教科書でしか見たことがない絵」
アルルの農民を描いた「種を撒く人」 ( 1888年/ゴッホ ) 、キャンバスを前にするセザンヌの自画像 ( 1890年 ) 、モネの大作「睡蓮」( 1920/26年 ) のほか、ゴーギャン、ロートレック、ルノアールなど印象派とその前後、19世紀、20世紀を代表する画家の作品が並ぶ。クンストハウスに将来、これらの作品が最終的に移管されることになれば「( パリに次ぐ ) ヨーロッパ第2のコレクションを誇ることになる」とベッカー氏は期待に胸を膨らませる。
「( 盗難事件後の) 精神衛生に大いに役立った」
と美術館E.G.ビュールレコレクションのルカス・グロール館長は、記者会見で語った。現在市内にあるE.G.コレクションの展示場より、約4倍の広い場所に展示され
「素晴らしい気持ちでいっぱいだ。( 展覧会では ) 絵画に十分なスペースが与えられ、アクセントのある展示となっている」
E.G. コレクションは彼の死後建てられた。ビュールレの収集の意図を示す展示がこれまでなかったことも、今回の展覧会は意味があったという。
東京からスイスに出張中の渕田大樹さん ( 40歳 / 製薬会社勤務 ) は記者会見の日、偶然クンストハウスを訪れ、一般公開に先駆けて鑑賞することができた。ルノアールの「イレイーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」やゴッホの自画像を指し
「これまで、教科書でしか見たことがない絵がたくさん。汗をかくほど感動しています」と語った。
絵の履歴
1890年ドイツ、ポルトハイムに生まれたエミール・ビュールレは、大学では哲学と美術史を学んだ。第1次世界大戦に兵士として出征後、銀行家の娘との結婚を通し産業界で財をなす道を歩むことになる。第2次世界大戦前からビュールレは敵味方の区別なく世界各国と取り引を行い、まさしく当時の永世中立国スイスと同じ道をたどった商人でもあった。
一方、青年時代に傾けた美術に対する情熱が再び燃え上がり、1934年頃から印象派を中心にその前後の絵画の収集を始め、晩年には自宅の部屋に置かれた絵画を訪れた人に見せたりしていたという。
文化の後援者になろうと巨額の寄付を申し出ても、断られることも多くチューリヒの上流階級からは完全に無視された。アレックス・カプス著、btb出版『家父 ( Patriarchen Zehn Portraits ) によると、後にビュールレは「戦争で戦った兵士には敬意が払われるが、兵器を製造する者は差別される」と語っている。
血で塗られた資金で購入した絵画という非難、彼のコレクション中にナチスがユダヤ人から略奪した13点の絵画が見つかり返却した後、9点は買い戻したという経緯から
「絵画の履歴、資金の性格などについては、見学者が非常に興味を持っていることだ。今回の展覧会で、再びエミール・ビュールレについての議論が湧くことになることは念頭にあり、美術館側の対応も万端だ。論議となることはコレクションにとって良いこと」とベッカー氏。関連情報は展覧会の中でも見学者に伝わる工夫がされている。3月にはこうした歴史を取り上げたシンポジュウムも企画されている。
佐藤夕美 ( さとうゆうみ ) 、swissinfo.ch
「ファン・ゴッホ、セザンヌ、モネ、ビュールレコレクション展 ( Van Gogh, Cézanne, Monet Die Sammlung Bührle zu Gast im Kunsthaus Zürich ) 」
2010年2月12日～5月16日
クンストハウス・チューリヒ ( Kunsthaus Zürich )
Heimplatz 1, CH-8001 Zürich
開館時間 土/日/火曜日10～18時、水/木/金曜日10～20時。月曜休館。
入館料大人18フラン ( 約1500円 ) 無料オーディオガイド付き。
定期的なガイドによる説明コースもあるが、個人ガイドもあり。電話で予約のこと。
3月6日には討論会が予定されている。
エミール・ビュールレ ( Emil Georg Bühlre ) 略歴
1890年独ポルツハイム生まれ。
1909年から、フライブルク ( Freiburg ) 大学で哲学と美術史を学ぶ。
1914年から1919年まで旧ドイツ帝国軍入隊。第1次世界大戦出征後、騎馬連隊副官としてさらに1年在籍。
1920年、銀行家の娘シャルロットと結婚。義父の支配下にあったマグデブルク機械社 ( Maschinenbfabrik Magdeburg ) に入社。
1923年、マグデブルク機械社が、チューリヒのエリコン工作機械社 ( Werkzeugmaschinenfabrik Oerlikon ) を買収。
1924年、エリコン工作機械社の最高経営責任者に就任。その後、同社の最大株主となる。
1934年ころから絵画、美術品の収集を始める。
1936年、スイス国籍取得。第2次世界大戦前後、冷戦中も世界各国を相手に兵器の取引を行った。
1943年以降、文化活動にも積極的になる。
1956年、チューリヒで死去。
( アレックス・カプス著、btb出版『家父 ( Patriarchen Zehn Portraits )』を参照 )
1960年、E.G. ビュールレコレクションが遺族によって設立される。
強盗事件
2008年2月10日日曜日午後4時半、美術館E.G.ビュールレ・コレクションは一般客が訪れる中3人の強盗に襲われ、モネの「アルジャンテュイユのひなげし」、ゴッホの「花咲く栗の枝」、セザンヌの「赤いジャケットの少年 」、ドガの「ルドヴィック・レピックとその娘」の4点、金額にしておよそ150億円相当が盗まれた。高額の被害から「世紀の絵画盗難事件」とチューリヒ警察は発表した。強盗は「ほかにも高価な絵画はあったにもかかわらず」並んでいる4点を次々と引き下ろした。「これ以上持って行けなかったからだろう」とグロー館長は当時マスコミに語っている。
約1週間後にはモネとゴッホの作品が市内に駐車していた自動車の中から発見されたが、残りの2点はいまだ行方知らずのままだ。美術品の保険料の値上がりの懸念を誘発する事件となった。