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ダライ･ラマ14世がチューリヒで行った法話には、毎日9000人が集まり、真剣に耳を傾けた。一方、キリスト教会のミサにはあまり人が訪れず、閑散としている状況が続いている。
にわかに仏教が注目される中スイスでは、宗教全体に対する興味も高まり、従来の宗教観に疑問を投げかける討論が、テレビなどメディアを中心にして盛んに行われている。
連邦憲法15条で宗教の自由は保証されている一方、キリスト教の中のカトリック教会、プロテスタント教会、キリスト･カトリック教会の3つの教会は国が認めると定められ、これらの教会税は国が代行して徴収している。2000年の連邦統計局の統計によるとスイスのカトリック教徒は41.8％、プロテスタント教徒は33％、キリスト･カトリック教徒は0.2％で、無宗教は11.1％だった。無宗教と答えた人は10年前より3.7ポイント増加した。
スイステレビの宗教番組のプロデューサーで、宗教や哲学に通じたジャーナリストとしても有名なクララ・オーバーミューラ氏に、スイスにおける宗教について聞いた。
swissinfo : 個人的に仏教に影響されたということはありますか。
クララ･オーバーミューラー氏 ： 私自身は非常に西洋的で、キリスト教とユダヤ教に深く根付いています。東洋の精神界にはほとんど係わりがありません。しかし、数年前、チューリヒであった仏像展に行く機会がありました。仏像の中には微笑んでいるものや、真剣な顔をして静寂の中にいるものなどがありました。このとき考えさせられたのです。このような仏像に囲まれて生活する人たちには、キリストの磔刑図に慣れ親しんでいるわたしたち西洋人とは、違う生き方があり世界観があるのだと。
宗教は昨今、大イベントを催すのが流行のようです。ダライ･ラマ14世や先ごろ亡くなったローマ法王などを一種のスターにすることで、宗教を民衆に伝えるということは可能なのでしょうか。
もちろん、そのようなことはできません。メディアは宗教を一種のイベントとして報道しています。しかし、これはメディアの問題です。メディアは、カリスマ的存在を中心にして人々が一体感を得るという体験を報道することで、メディアの存在を世の中に示すようになってきました。これはヨハネス･パウロ２世やダライ･ラマ14世の報道でもいえることです。
ダライ･ラマ14世はチューリヒに滞在中、毎日法話をしましたが、そこには連日9000人の人たちが集まりました。チベット仏教の何が魅力なのでしょう。
意地悪い見方をすれば、聴衆はチベット仏教をあまり知らないがため集まったのだともいえます。しかし、これも真理で、知らないということは、知りたいということの裏側でもあり、人を惹き付ける力があります。
いずれにせよ、仏教がわたしたちにとってエキゾチックであることは魅力の一つだと思います。そのほか重要な理由として、共通する価値観があるのでしょう。
仏教は平和的な宗教と見られ、同情、慈悲、思いやりなど通して、人、動物、自然など創造物全体を理解することが重要だと説きます。こうした価値観は、わたしたち全員が共通して持っているもので、このような価値観を持ちたいと切望します。もちろん、このような価値観はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などでも重要なものとして共通にあります。共通したものだからこそ、人々の心を打つのでしょう。
伝統的なキリスト教から人々の心が離れていっています。信者を引き止めるために、対策はありますか。
多くの人がダライ･ラマ14世の下に集まったという事実は、キリスト教会にとっても、自分の身を振り返る良い機会となったでしょう。というのも、キリスト教の今の魅力のなさが、ダライ･ラマ14世に対する人気で、対照的に浮かび上がったからです。
いまでもキリスト教信者は何かに対する郷愁があり、その渇望は渇くことがないのに、教会はそうした郷愁さえ抱いていません。つまり、たとえば、いまのプロテスタント教会は「ことば」に重きを置きすぎています。プロテスタント教会のミサは、賛美歌を数曲ほど歌い、説教と聖書が読まれるだけです。一方、カトリック教会のミサは精神的な部分がまだ残っており、感情も重要な役割を果たしています。しかし、最近のカトリック教会も味気ないものになりました。人の心の奥深いところで感動させるには、不十分なようです。
もちろん、わたしはキリスト教会が仏教の要素を取り入れるべきである、といっているわけではありません。感情面でいかに人の心をつかむかが問題なのです。そのためには説教の仕方も重要な役割を果たすでしょう。ダライ･ラマ14世は、チューリヒで宗教学が分からない人にもわかるような簡単な言葉でメッセージを伝えました。特別なことを言ったわけではないのですが、人の心を直接動かしました。
歴史的背景もスイスの現状に影響しているのでしょうか。
もちろんです。キリスト教会は何世紀にもわたって、脅迫と強制で人を信じさせ、宗教を人に押し付けてきました。キリスト教は、規則と禁止事項だけだと思っている人が多いのもそのためです。規則を破ると罰則があり、地獄へ落ちるといった考え方です。
キリスト教会が以前行ってきたように、人々の心に感情で訴え、頭でっかちにならないだけでも、人々は再び教会に戻ってくるのではないでしょうか。たとえば、カトリック教会の神秘主義、プロテスタント教会の心情と愛の活動運動、カリスマ的共同体などを通して、人の心を惹き付けることです
仏教は一見、入って行きやすいという印象を与えます。しかし、安易に新しいものに目を向けるのではなく、まず、自分が持っているものを最大限に使おうとすることは大事だと思います。
宗教間の交流の重要性が説かれますが、異なる宗教がどこまで交流できると考えますか。
まず交流することが大切です。過去長い間、宗教は対立し続け、それぞれ特化したり、他の宗教を悪者にさえしたりしました。いまは、宗教を越えて対話があり、祝ったり歌ったり、さらには一緒に祈ることさえしています。
こうした共同活動を通し、お互いの共通点が見出されていきます。特に倫理の面の共通項は見出しやすく、世界の宗教のほとんどが、平和と人類愛を説いています。こうした共通点の上に、私たち全員が立っています。
しかし、教義に目を向けたとき、共通項を探すことは難しくなります。わたしは、それぞれの教義の違いを修正するべきではないと思います。世界のすべての宗教を一つの鍋に入れて料理するべきではありません。それぞれの宗教の違いは、尊重されるべきだと思うからです。装い、言葉、儀式の違いもそうですが、信仰内容の違いも尊重されるべきです。違いを認め、違いの中に共通点を見出す。これがわたしの考える宗教間の対話です。
swissinfo、聞き手 レナート・ケンツィ 佐藤夕美（さとうゆうみ）意訳