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1919年、ルツェルン近郊のヴェッギスにスイス初の男女共用ビーチが開かれた。当局はアマチュアカメラマンの写真撮影を禁止しなければならなかった。このコンテンツは 2008/05/08 15:25
湖のほとりでくつろいでいる人たちにとって、カメラマンの存在は不愉快だったことだろう。しかし、今では残された写真が当時の様子を窺い知るための貴重な資料になっている。
スイス中央部に位置する都市ルツェルン ( Luzern ) の歴史博物館で現在公開中の特別展「湖を求めて - ルツェルンの湖畔ビーチ」に、当時ヴェッギス ( Weggis ) で撮影された写真が展示されている。
大胆なヴェッギスのビーチ
ヴェッギスのビーチは開かれた当初から大人気だったと、館長のハインツ・ホラート氏は言う。
「1919年の7月から9月にかけて約3万3000人が訪れました。そのうち約1万8000人が遊泳客で、残りの約1万5000人は見物客でした」
公開中の写真の中には、洋服を着て座っている見物客を背後に、水着姿でビーチに立つ遊泳客を写したものもある。
「ビーチにいる女性や男性を眺めに来た人たちももちろんいますが、問題は写真撮影をする人たちでした」
と、ホラート氏は説明する。
「今では貴重な写真となっていますが、当時の遊泳客にとっては問題でした。当局は写真撮影を禁止し、プライバシーを保護しました」
男女共用のヴェッギスのビーチは当時としては非常に大胆な試みだった。第1次世界大戦直後の時代のことで、観光業も盛んではなかった。しかし、時代は変わろうとしていた。ヴェッギスのビーチについて不道徳だという批判の声が聞かれたが、警察の報告によると問題はまったくなかったという。遊泳客は湖畔での新しい自由を楽しんでいるようだった。
男女別々の遊泳場
19世紀には、ほとんどの家庭に風呂がなく、湖で水浴びをして体を洗った。健康促進運動が起こると、水の中に積極的に入っていくようになったが、男女は厳しく分けられた。水泳も流行したが、男性のみが行った。
今回展示されている当時の水着からもわかるように、女性用の水着はウール製のパンツと膝丈まであるワンピースから成り、水に濡れると重さ5キロにもなったため、女性たちは思うように動けなかったようだ。
一方、当時の下着をもとに作られた男性用の水着はかなり合理的なものだった。その後、露出度が高くなり、男性はトランクス型の水着を着用した。
「ところが、男女が一緒のヴェッギスのビーチがオープンすると、当局は男性にも体の上部が隠れる水着の着用を義務づけました」
と、ホラート氏は言う。
1920年代までには、湖での遊泳は一般的なレジャーになった。今回展示されているポスターにも、湖畔のビーチを宣伝したものがある。ビーチは社交の場となり、当然のことながら水辺のファッションにも目が向けられた。
水辺のファッション
「普通、この時代の写真は白黒なので、水着はすべて落ち着いた色だったという印象を受けがちです。しかし、今回の展示からも分かるように、赤と白のストライプやピンクやグリーンなど、カラフルだったのです」
と、ホラート氏は語る。水着に合わせた小さな帽子は必需品で、ファッションに敏感な女性たちは「ビーチ・パジャマ」と呼ばれた浜辺用のゆったりとした衣服も身にまとった。
1940年代には、女性の水着は体のラインを強調するスタイルへと変わり、アメリカからはトップとボトムが分かれたセパレーツ式の水着も出回った。しかし、一大センセーションを巻き起こしたのは、40年代後半にフランスに登場したビキニスタイルの水着だった。「ビキニ」という名前は当時行われたビキニ環礁での核実験に由来している。
ビキニ人気の火付け役はフランス人女優ブリジット・バルドーだった。その後、映画007シリーズの「ドクター・ノウ」 ( 1962年 ) の中で、スイス人女優ウルスラ・アンドレスがクリーム色のビキニ姿で海からあがってくるシーンが公開された頃には、ビキニはすっかり定着していた。
ラーコ ( Lahco ) など、スイスの会社が事業に乗り出した。1950～70年代はラーコの全盛期で、ヨーロッパ随一の水着ブランドだった。今回展示されている水着コレクションを見てみると、レトロなデザインが今年の流行だ。
時代と共にビーチも様変わりした。初期の遊泳場は木の柵で仕切られ、男性用プールは女性用プールよりも大きく、男性は湖への飛び込みを許された。また、体を洗うスペースも遊泳場の端に仕切られて設けられた。
「ミシシッピの蒸気船」
地元では有名だった「ミシシッピの蒸気船」は物珍しい存在だ。1868年に建造されたこの巨大な船では湯が出て、体を洗ったりや洗濯ができた。
「この蒸気船は1971年まで使われ、その後解体されました。100年もの間多くの人に利用されたのです」
と、ホラート氏は語る。
ヴェッギスのビーチに続き、ベニスの有名なビーチの名前からとった「ルツェルン・リド」が話題となった。写真が証明するように水質汚染の問題が生じたが、20世紀を通じてルツェルン湖での遊泳を多くの人が楽しんだ。1970年代の中ごろに湖の浄化が行われた。
かつて利用されていた遊泳場の中にはなくなってしまったものもあるが、ヴェッギスも含め、ルツェルン湖にはまだ数多くの遊泳場がある。今でも夏になると何千人という人たちが湖にやって来る。
「スイスには湖がたくさんあります。ビーチまでたったの数百メートルの所に住む人たちも多いのです。スイスには公共のプールだけでなく、誰もが利用できる湖畔のビーチが多くあるというのはいいことです」
と、ホラート氏は語った。
swissinfo、イゾベル・レイボルド・ジョンソン ルツェルンにて 中村友紀 ( なかむら ゆき ) 訳
特別展「湖を求めて - ルツェルンの湖畔ビーチ」
2008年8月31日までルツェルン歴史博物館にて公開中。
昔の湖畔ビーチを彷彿 ( ほうふつ ) とさせる展示会場には、約50戸のカーテンで仕切られた展示用キャビンが設置され、ルツェルン湖での遊泳の歴史を垣間見られる。当時使われていた物やビーチ用の花嫁衣裳などの衣類のほか、写真や映像が展示されている。
開館時間：火 – 日曜日 ( 10:00 – 17:00 )
月曜日休館
ビキニスタイル ( 水着 )
フランス人のルイ・レアールが考案し、1946年に最初のビキニが登場。「ビキニ」の名前は、同年に南太平洋のビキニ環礁で行われた第2次大戦後初めてのアメリカの核実験に由来する。
当初は「上品な」女性たちが身に着けるには大胆すぎ、すぐには受け入れられなかった。しかし、女優ブリジット・バルドーがフランスのビキニブームの火付け役となり、1960年代までにはビキニの人気は世界に広まった。
1962年、スイス人女優ウルスラ・アンドレスは映画007シリーズの第1作目「ドクター・ノウ」でボンドガールを演じ、クリーム色のビキニ姿で波間から登場した。2001年、彼女が着用したビキニが3万5000ポンド ( 約727万円 ) で落札された。
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