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スターシェフやレストランの世界ランキングがもてはやされる時代に、チューリヒのレストラン「クローネンハレ」は一筋別の道を突き進んでいる。これほど見事に食と美術を組み合わせたレストランは世界のどこにもない。壁に飾られた近代名画の数々は、ついに1冊の写真集にまとまった。
「Pays de Rêve（仮訳：夢の国）他のサイトへ」はレストランが数十年に渡り食事を提供してきた芸術家とのつながりを忠実に描こうとしている。レストランに関連する作品の写真や資料画像であふれる大判の写真集には、編集者がチューリヒの若い作家に本文の執筆を依頼。今も昔も変わらないクローネンハレの雰囲気が情緒たっぷりにつづられる。
写真集は大都市の文化的生活におけるクローネンハレの位置づけを完璧にまとめている。だが編集・執筆陣の多くは若く、クローネンハレの全盛期にスイス人作家マックス・フリッシュとフリードリヒ・デュレンマットが知的闘争を繰り広げたことを知らない。あるいはジェームス・ジョイスなど中立国スイスに亡命してきた貧しい芸術家や作家に、伝説の女将フルダ・ツムシュテークが温かく値ごろなスープを振舞ったことも知らない。フルダは法外な値段で芸術家たちが食事にありつけないことがないよう徹底した。
「第二次世界大戦中は、ビールは大量に飲むが食べ物は少ししか要らない学生向けのテーブルがあった。若者の胃袋には良くないことなのに！私は厨房に行って鍋いっぱいの肉入りスープを作らせ、刻んだソーセージを加えて若い人たちに食べさせた。彼らの多くはいつか地位や権威ある男性に成長したことだろう」―フルダ・ツムシュテークは後にこう回想した。
芸術品への投資
哀しいかな、こうした日々はもはや過去の遺物となった。クローネンハレはチューリヒの近代芸術家にはいささか高すぎて、かつてのように芸術家のたまり場ではなくなったかもしれない。だが壁に飾られた作品は、グスタフ・ツムシュテークがメニューとコレクションの両方にお金をかけてきた事実を如実に物語る。
グスタフが母親と共同でレストラン・バーの経営を始めたのは1975年。元々は絹製品に強い関心があり、絹貿易を通じてファッションや美術の世界にものめり込んでいった。
レストランの常連客は、同じ建物内にあるグスタフの住まいには作品が収まりきらないだろうと冗談を飛ばした。だが実は、グスタフは大戦中や戦後にフランスで培った人脈を大切に引き継いでいるだけに過ぎなかった。レストランを飾る作品を制作する多くの芸術家と友達になり、援助していたのだ。
独特の風景
数十年後、これらの作品が数百万ドルはいかないにしても、数十万ドルの価値を持つことになるとは誰も予想していなかった。当時は、芸術品の収集は今日ほど博打的な投資ではなかった。
レストラン自体はチューリヒのなかでも芸術的で自由奔放な雰囲気の一帯の中心に位置する。カフェ・オデオンやレストラン「テラス」が並び、チューリヒ美術館や当時反共産主義で悪名高かった「クジャク劇場」（現チューリヒ劇場）にも近い。こうした文化的なシンボルが多く残るなかで、クローネンハレは街のさらに華美な側面を映し出す。文化の世界で働く人々より、チューリヒの金融エリートに食を提供している。
美術館のキュレーターや芸術保護論者は、湿気や日光、温度が管理されず子供や酔っ払いも往来するレストランで貴重な作品を保管することに牙をむくかもしれない。だが2005年に89歳で亡くなったグスタフの遺言通り、作品はレストランが存続する限りその壁を飾り続ける。
コレクションはフルダの死後グスタフが1985年に創設した「フルダ・グスタフ・ツムシュテーク財団」によって管理されている。ミシュランやトリップアドバイザーがいくつ星を与えるかに関係なく、クローネンハレは世界のグルメ界で独特の地位を築いている。