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スイスのウンテルベッヒ村で1957年、国内で初めて女性が投票に参加した。男性たちの抗議を受けながら「違法」に1票を投じたが、その票が集計されることはなかった。このコンテンツは 2021/02/19 06:00
編集部注：この記事は2009年8月10日、ドイツ語版で配信されたルポルタージュ記事です。今年、スイスの女性参政権導入から50年を迎えたのに合わせ、内容を一部更新し、日本語で配信します。End of insertion
「私はあの投票には行かなかったが、女きょうだいは行った」。村の通りで年配の女性が語る。「至るところにカメラを持った記者が立っていた。私は出産を控えていたので、騒動にはうんざりしていた」
歴史的投票が行われた小さな建物は村の中心部にある。現在は乳製品製造所「ミルヒヒッテ」が入っている。「あそこの上の階で投票が行われた」と語るのは、ローザ・ヴァイセンさんだ。
女性参政権導入50年
スイスの男性は1971年2月7日の国民投票で、連邦レベルの女性参政権の導入を決定した。スイス建国から123年後のことだった。直接民主制のモデルとして世界に名を馳せたいスイスだが、この国民投票でようやく世界で最も遅く普通選挙を導入した国の1つとなり、若いリベラルな民主国家となった。
swissinfo.chは、女性参政権導入50年という不名誉な節目の今年、記事、動画、写真ギャラリーを通してスイスの女性参政権を特集していく。
swissinfo.chは3月4日、「女性参政権導入50年：古い権力問題、新しい人たちの新たな戦い」と題したパネルディスカッションをオンラインで開催する。参加予定者は、気候活動家で国連気候変動大使のマリー・クレア・グラフ氏、多様性と人権の専門家エステファニア・クエロ氏、権力に詳しい政治学者レグラ・シュテンプフリ氏。End of insertion
ヴァイセンさんはウンテルベッヒ初の女性村長だ。オーバーヴァリス地方（ヴァレー州高地）にある人口440人のこの村は、64年前にスイスで騒動を巻き起こし、世界のメディアを賑わせた。当時の出来事は米紙ニューヨーク・タイムズにも取り上げられた。
夕闇の中、投票所へ
スイスでは57年、女性に民間役務を義務づけることの是非が国民投票で問われることになった。ただしこれに関して女性は意見を述べることができなかった。スイスで女性に参政権が導入されたのは、それから14年も後のことだったからだ。
ウンテルベッヒ村のパウル・ツェンホイゼルン村長（当時）は、女性に直接影響する案件に女性の意見が反映されないのは問題だと考えた。そこで連邦政府の意向に逆らって、女性に1度限りの投票権を即座に付与することを村参事会で決定した。
村の女性86人中33人がこの国民投票に参加した。保守的な隣人から文句を言われないよう、女性たちは日が暮れてから、意を決して投票所へと足を運んだ。女性たちの投票用紙は1度も集計されなかった。この投票がメディアの注目を浴びてからというもの、ウンテルベッヒはスイス建国の地リュトリにちなみ「スイス人女性のリュトリ」を自負する。
旧村役場の前には当時の出来事を記念した像が立つ。雪に半分埋もれていたため、「…ウンテルベッヒ女性」という文字しか読めなかった。
刻まれた記憶
ウンテルベッヒの子供なら誰でも、57年3月3日の出来事には歴史的な意味があることを知っていると、ウンテルベッヒ進歩党所属のヴァイセンさんは言う。「村人は今でも、どの女性があの投票に行ったのかを覚えている」。自身の母親も含め、投票に参加した女性全員がキリスト教社会党（CSP）の党員だった。
スイス初の女性投票者は、当時の村長の妻で、ヴァイセンさんの半いとこに当たるカタリーナ・ツェンホイゼルンさん（90）だ。上品な雰囲気を持つこの女性は、当時の出来事を今も鮮明に記憶している。
「そんなにすぐに忘れられるものではない」。自分は政治家でもフェミニストでもないが、当時の女性たちがあそこまで出来たことを誇りに思うという。
村は大騒ぎ
当時、村は大騒ぎだったとカタリーナさんは回顧する。「（投票が）あれほど関心を呼ぶものとは思わなかった。まったく新しいことが起きた。家事以外のことをする女性など今まで見たことがなかったから。あの投票に失望した男性はいたし、投票を拒否する女性もいた」
カタリーナさんは「女性擁護者」だった亡き夫を誇りに思う。他の男性たちは当時のスキャンダルに「がくぜんとしていた」という。権力の喪失を恐れていたからだろうか？そうかもしれないと、カタリーナさんはいたずらっぽく微笑んだ。
村長の決断に影響を与えた女性
女性初の抗議票が投じられたのがヴァレー（ヴァリス）州だったことは偶然ではない。パウル・ツェンホイゼルン村長に当時の行動に出るきっかけを与えたのが、村参事会メンバーの妻イリス・フォン・ローテンさんだった。フォン・ローテンさんはあの国民投票から1年後の58年、著書「Frauen im Laufitter（仮訳：ベビーサークルの中の女性たち）」で全国に名を轟かせた。しかしそれが彼女のメリットになったわけではなかった。フォン・ローテンさんは女性の抑圧に関して厳しい分析を行ったが、メディアはそれを激しく拒絶した。そして出版社だけでなく、女性団体からも距離を置かれた。End of insertion
「ウンテルベッヒの女傑」であるカタリーナさんの長女、ゲルマニー・ツェンホイゼルンさんは57年当時、6歳だった。路上での騒ぎをまだよく覚えている。
「重大なことが起き、母が特別な存在になっていたことは分かった。だけど辺りはあまりにも騒々しくて、私はとにかく怖かった」。しかし母のせいでからかわれたことは1度もなかった。「ヴァレー州ではいつもそうなのだが、まず激しく怒り、すぐに冷める。あの時も同じだった」
ようやく意見が言えるように
ゲルマニーさんは「違法」投票からしばらくして、女性には男性と同じ権利がないことに気づいた。女性参政権を巡る国民投票が否決された当時の様子は今でも覚えている。
スイスに女性参政権が導入された71年に20歳になった。「やっと意見が言えるようになった」。政治の世界に足を踏み入れることはしなかったが、女性問題には以前から取り組み、女性団体で活動してきた。母親のカタリーナさんは思わず「パパと同じね」と、とても誇らしげに言った。
カタリーナさんには嬉しいことがあった。ヴァレー州で最近、女性が初めて州政府の閣僚になったのだ。そしてもっと嬉しいのは、親族の女性が村長を務めていることだ。
だがその村長であるヴァイセンさんはいたって冷静だ。「（当選したことは）もちろん誇りに思うが、女性が初めて村参事会に選ばれたのは16年も前のことだ。あのときは特別だったが、今では当たり前のことだ」。男性か女性かはもう重要ではなく、職務を全うすることが大事だと考える。
この50年で女性の立場が大きく向上し、57年の歴史的投票は影響を残したと、元教師のヴァイセンさんは言う。「この村には昔から強い女性たちがいた。レストラン、村の小売店、郵便局などを経営してきたのは、そうした女性たちだった」
（独語からの翻訳・鹿島田芙美）