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1916年にロシアバレエ団のスターとなってアメリカでもてはやされ、ゴシップ紙が指の爪とヘアスタイルにただならぬ関心を寄せ、チャーリー・チャップリンまでもが壁にポスターを貼っていたという女性、フロール・ルヴァル。しかし、生誕と死没の地であるスイスではすっかり忘れ去られた存在だ。フロール・ルヴァルとは、いったい誰だったのか。このコンテンツは 2021/10/06 08:30
- Deutsch Flore Revalles – der arabische Vamp vom Genfersee (原文)
- Español Flore Revalles - la seductora bailarina suiza olvidada
- Português Flore Révallès – a "vampira" árabe do lago de Genebra
- 中文 Flore Revalles-来自日内瓦湖的阿拉伯女郎
- Français Flore Revalles, la femme fatale du lac Léman
- عربي فلور ريفاليه .. المرأة الغاوية القادمة من ضواحي بحيرة ليمان
- Pусский Флор Реваллес: восточная звезда русского балета с Женевского озера
- English Flore Révallès – the vamp from Lake Geneva
エミリー・フローラ・セール・トレイシュラーは1950年代、ジュネーブのスタジオを借りていた。「パラディソ」と名付けたそのスタジオの壁には、彼女の昔日を物語る数々の品が掛けられていた。アメリカでお供をしてくれたワニのはく製、北アフリカのサーベル、エジプトのタペストリー、蛇の抜け殻、その横には本譜と、世界中の舞台やアマゾンで撮影された数多くの写真。その間に置かれた鳥かごの中では2匹のカナリアがさえずっている。ここパラディソでは、自分で伴奏のピアノを弾き、過去の舞台で歌ったオペラを歌い、フロール・ルヴァルとして世界を周っていた栄光の日々の思い出に浸った。
この頃には、スイスでは彼女の名前はすでに忘れ去られていた。今では彼女の情報を見つけることさえ難しい。彼女の言行を知っていたのは、彼女の甥で代子でもあったギー・トレジャン（1921～2001）のみだった。俳優だった彼は自伝の中で叔母について数ページを記している。その記述は慈愛に満ちているものの、愛する叔母の晩年を映画「サンセット大通り」に登場するサイレント映画時代の歌姫、時代が移り変わってすっかり落ちぶれてしまったノーマ・デズモンドの姿に重ね、繰り返し「私を誰だと思ってるの！？」と誰彼構わず迫る叔母の様子を記述したくだりには羞恥すら感じられる。果たしてフロール・ルヴァルは何者だったのだろうか？
ロールのエミリー・フローラ・トレイシュラーからフロール・ルヴァルへ
フロール・ルヴァルは1889年1月25日、エミリー・フローラ・トレイシュラーとして、レマン湖畔の小さな町ロールに生まれた。兄弟が2人いたが、1人は結核で幼くして死亡した。彼女の幼少期についてはあまり知られていない。米映画雑誌「モーション・ピクチャー・クラシック他のサイトへ」のインタビューでは、子供のころからいつも歌を歌っていたと語っている。「And I would want people to listen, that is much, thee audience.（そして、人々に聞いていただきたい。大いな、観客に）」と、ジャーナリストはルヴァルのフランス語訛りの英語をそのまま文章にした。
16歳になると、母親の反対を背にパリへ行き、音楽学校で声楽を学んだ。父ギュスターヴ・トレイシュラーは娘の決心に対して何もできなかった。1903年にアビシニア（エチオピア）帝国へ渡り、メネリク二世の命で全国に鉄道を敷設していたからだ。集落をハイエナがうろついている話や全長10メートルにもなるボアの話など、彼が見たアフリカの様子を家族への手紙にしたためた。ヨーロッパに戻ったのは14年になってからだったが、マルセイユで高熱を発して死亡した。
そのころ、娘はフロール・ルヴァルという名のもと、ジュネーブのオペラ座で歌うようになっていた。しかし、まもなく娘も世界へと押し流されることになる。しかも、父親よりはるか遠くへ。15年、「タイス」の舞台が終わった後、ルヴァルの控室のドアをたたく者がいた。そこに立っていたのはレオン・バクスト。セルゲイ・パブロヴィッチ・ディアギレフが世界ツアーを興行している有名なバレエ・リュスの舞台・衣装デザイナーだった。
ダンサーとして雇いたいというバクストに、ルヴァルはびっくり仰天した。彼は、クラシックなダンスの教育は受けていなくてもいい、あなたの容姿や動き、肉体美が素晴らしいのだと言って、彼女を落ち着かせた。ディアギレフはジュネーブのオペラ座に金を払ってルヴァルを自由の身にし、そのままツアーに連れて行った。16年1月、一団は米国へと旅立つ。まずはニューヨークへ、そしてその後、西海岸までツアーは続いた。
破滅的な官能
ロール出身のエミリー・フローラ・トレイシュラーは、米国で何よりエキゾチックな美人としてもてはやされ、人々は「浅黒の美しさ」や「エキゾチックな趣」を称賛した。バレエ・リュスは、彼女に主役を演じさせた「シェヘラザード」とそれに続く「クレオパトラ」で、オリエントの描出を求める西洋の観客の飽くなき渇望に応えた。バレエ・リュスはもはやチュチュや白い衣装とは無縁となり、女性たちはレオン・バクストの手によるオリエントの空想世界を表現したカラフルな薄手の衣装に身を包んで裸足で踊った。このスタイルは、20年ごろ米国のスターの間で流行した。
「シェヘラザード」の中心人物は、自分のハーレムの忠誠心を試したシャイフだ。第一夫人のゾベイダは彼が留守にするや否や、ニジンスキー扮するハーレムの奴隷と関係を持ち、不貞を始める。シャイフはその後、不貞を働いた者たち全員の首をはねさせた。粗暴と野放図な性の巣くつなるオリエントだった。バレエ・リュスはまた、のちにルヴァルがハリウッドで大成功を収める妖女、男たちを虜にする破滅的な官能を宿す女性という役を試す場でもあった。
フロール・ルヴァルの姿は間もなく雑誌バニティフェアやヴォーグ他のサイトへでも見られるようになり、米国の新聞はこぞって彼女の舞台をほめそやした。彼女の名をますます高めたのは、広報の父エドワード・バーネイズが企画したキャンペーンだった。名テノール歌手エンリコ・カルーソーを始め、バーネイズは歌い手を徹底的にプロデュースした。彼は後に、自由のシンボルとしてタバコを女性に売り、健康な朝食としてトーストやベーコン、オレンジジュースをアメリカ人に売るようになる。彼のモットーは「良いストーリーがあればどんな商品でも売れる」だった。
フロール・ルヴァルのストーリーは、美貌で蛇を手なずけ、その蛇の助けを借りてクレオパトラとしての踊りを完璧にしたというものだった。彼女はクレオパトラとしての踊りに「蛇の冷たくヒタヒタとした動きを取り入れて、これまでになく危険で冷酷な艶やかさを醸し出したい」と音楽誌ビルボードに語っている。ブロンクスの動物園でルヴァルが1匹の蛇と戯れている写真は米国中に広まり、彼女を一夜にしてスターにした。そして、その後の数年間は何度となく蛇と一緒に姿を現し、のちにはファンから贈られたワニの子供もそれに加わった。
ルヴァルはその突飛なファッションスタイルと自信に満ちた振る舞いで知られていた。ゴシップ紙は、彼女が余暇に身に着けているスモック他のサイトへや指の爪が語る力について報じたりした。
幽霊になる
ブロードウェイでいくつかの作品に出演し、マスコミの称賛を受けた後、ルヴァルはアメリカのサイレント映画2本に出演して、不貞を働く妻の役を演じた。1つは（人類最初の女性である）イヴの話を現在にまでつなげて描こうとした、当時としては大胆な試みの映画「Woman（仮題：女）」。もう1つの大ヒット作「Earthbound（仮題：地縛）」は、浮気相手の男性が彼女の夫を殺害し、夫が幽霊になって、あの世にいながらにして一種の夫婦療法としてルヴァルと対話するという話だ。この2本目の映画は米国での最後の映画作品ともなった。
甥のギー・トレジャンは、ルヴァルは欧州と声楽を懐かしんでいたと記している。ルヴァルはその後イタリアへと渡り、再び歌い始めた。甥は回想記の中の数行を使って、ルヴァルがムッソリーニのパーティーで歌い、イタリアのファシズムを支持していたことを示しているが、深く語るつもりはないようだった。ルヴァルの世界ツアーは続き、「元クレオパトラ」はカイロの舞台にも立った。そして36年、スイスに戻ると、舞台の回数も減っていった。それに加え、精神的な病に侵されていた兄の看護をし、1年後に兄が死亡した後はその息子の世話もしなくてはならなくなった。それでも時折、パリの舞台に立つことがあった。
第二次世界大戦後、ルヴァルはジュネーブの工業家と結婚したが、夫が営む工場は閉鎖間際に追い込まれていた。58年に夫が亡くなると、ルヴァルは経済的にひっ迫した。受け取る年金は少なかった。何かせねばと絵を描いたり、モルモン教徒やバラ十字団に人生の意味を求めたり、夫の工場を「盗んだ」者たちと闘ったりした。そして66年にヴォー州レザンの病院で死亡。墓石にはフロール・セール・トレイシュラーの名が刻まれている。
出典
Guy Tréjan: Ma vie est mon plus beau rôle. Paris 1993.
Jean-Pierre Pastoris: Soleil de nuit. La Renaissance des Ballets Russes. Lausanne 1993
Artem Lozynsky: Orientalism and the Ballets Russes. In: Situations 1/2007.
Larry Tye: The father of spin: Edward L. Bernays & the birth of public relations. New York 1998.End of insertion
（独語からの翻訳・小山千早）
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