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山で受ける気象の変化
いったい、私たちが山に登るときには気象上二つの変化を受ける。その一つは気温の逓減であって、他の一つは気圧の逓減である。もちろんこの二つだけではなく、季節、天候、位置等影響する要因は多いが、高山に登る過程で、いかなる場合にもこの二つの影響を忘れることはできない。登山常識の話であるが一〇〇メートルを登るごとに○・五度乃至○・六度気温は逓減する。高所に登れば太陽にそれだけ近くなるから、気温も昇るだろうと考えられそうであるが、太陽輻射熱を吸収する空気が、高所では次第に稀薄になるため気温は逓減する。ただ紫外線だけは返って強くなる。高山植物の花の色の濃いのはこのためと聞いている。この気温の逓減は、私たちが登山するときの装備食糧に大きな考慮を払わなければならない要因の一つである。防寒具、保温器、飲料水、食物のカロリーに至るまで高度に伴う準備が必要である。
他の気圧の逓減は、気温の逓減と同様にそのときの天候によって、一律に言うわけにはいかないが、おおよそ高度三〇〇〇メートルでは海上面に比べて約三〇%、六〇〇〇メートルでは約五〇%、七〇〇〇乃至八〇〇〇メートルでは約七〇%は逓減する。このことは、とりもなおさず、空気中二一%含まれる酸素の減少を意味するもので、この困難にいかに耐えて登るかが問題となる。その一つは高度馴化である。およそ人間ほど順応性に富んでいるものはないであろう。高度馴化というのは、身体を高所の環境に次第に馴らしてゆくことである。
私たちが、ヒマラヤのマナスル登山のときにとった方法は、荷揚げをしながら、次第に高所の低圧に馴れてゆくものであって、これは成功した。しかしこれにも自ら限度がある。そのために酸素を補給する。私たち第三次マナスル登山隊の使用した酸素補給器は、ジュラルミン製、二リットル容器に温度二〇度、一七〇気圧で一〇二〇リットルの圧縮酸素を携行、一分問に一乃至三リットルの酸素を調整によって供給し、一人当り三本を一組とし、毎分三リットル使用のときは、約五時間四十分、一リットルのときは約十七時間有効使用ができるものであった。私たちは、これを七〇〇〇メートルから上部で使った。睡眠時のためには、別に酸素発生器を使った。このように気圧逓減に対処しても、高所で時日を経過するにつれて、体位の低下することは防ぎようもない。四〇〇〇カロリー以上栄養食を摂っても、摂取力の元となる酸素の不足ではこのような結果となる。私の経験では高度馴化された強健な登山者でも、酸素補給器なくして耐えられる限度は、六〇〇〇メートルの高所で精々十日乃至二週問位のものであろう。酸素不足の影響の現われるのは、頭痛、食欲不振、不眠、注意力減退などいわゆる高山病の症状であるが、これには個人差がある。
人間以外の生物で、動物は移動が可能なため雪線以上の高所に常に棲むものは食餌の関係上まずない。動物はそれ以下の高度に応じて棲息するものもいるが高所では種類が少ない。動物に比べて、気温に固く縛られているものは植物である。植物の低緯度から高緯度までの分布を垂直的に示しているのが高山である。ヒマラヤでは、亜熱帯、暖帯、温帯、亜寒帯、寒帯の各植物相を登るに従って経験した。高山のお花畑として、人の愛好する高山植物は北半球では嘗ての氷期に南下したものが、気侯の温暖化のため高所の適地に残存するものとのことである。高山の厳しく長い冬に耐え、慌しく過ぎる短い夏に、一斉に咲き誇る花の姿は類なく可憐で美しい。スイスの高峰の花では、エーデルヴァイスとアルペンローゼが有名である。切手の図案にもなれぱ、土産物の彫刻にもなっている。エーデルヴァイスはミヤマウスユキソウであり、アルペンローゼはシャクナゲの一種である。
ロンドンのキュウ植物園内には高山植物を集めた立派な一隅があって、アルプス、コーカサス、ヒマラヤの各エーデルヴァイスも集めてあり、またシャクナゲは、アルプスはもとより、ヒマラヤ、雲南辺りのものまで栽培してあった。わが国では、気候のためもあろうか、キュウほどのものはなく、東京大学の日光植物園とか北海道大学の植物園などが主たるもののようである。私たちの持ち帰ったヒマラヤユキノシタは福島県ぬる湯温泉で見事に育っている。
高所で受ける気象上の気温と気圧の逓減について、当然登山者の適性の間題が起る。一般陸上競技のように、体力の全部を短時間に出しつくすのとは違って持久力を要し、しかも荷を担ってする登山は体力の約八〇%で行動するといわれる。ヒマラヤの高峰を目的とするときなどは、装備、食料、休養、医療等の周到な考慮の他に登山者の性格的および生理学的適性の調査と、これに伴うトレーニングの方法を必要とするものである。
日本アルプス級の登山でも規模の大小はあっても以上のような考慮は大切である。戦後、わが国民の登山は飛躍的に増大し一般化してきたが、山岳愛好の国民であることはもとより、休暇（レジァー）の利用・交通機関の発達、山小屋の整備、用具の発達などによって、季節の区別を越えて登山するようになった。冬の登山はわが国気象の特性のため、他の季節のように登山は容易でなく、また特に注意を必要とするが、登山は急速に一般化している。しかし一般化が必ずしも登山が安全になったことを意味するものでなく、依然として山岳の持つ困難や危険も在在するのである。
この点についてスイス・アルプスは地形上から登山者に一応の限界を与えている。おおまかに言って、アルプスをフォルアルペン（前山）とホツホアルペン（高山）に分けることができる。前山は雪線以下の高さの山を、高山は雪線以上の山を指すものと思えばよい。前山は主脈から離れて標高二五〇〇〜二六〇〇メートル前後の山で、その山腹はアルプという草原である。冬は広々としたスキーの好適地となり、夏は放牧と散策の場所である。高山は、雪と氷と岩だけの地帯で、氷河をまといアルプスの巨峰を含んでいる。
このような地形と高度の相違から、前山は最も広く人に愛され、高山の眺望を縦にしながら旅行者は一日の散歩を、あるいは小屋から小屋へと歩いて楽しむ。このため、村の宿には散策用の地図も備えてあるし、老若男女を問わず大小の遠足ができる。この地域はすべて乗り物の通る道を造らず、歩行者のみの遊楽地としてある。夏の季節に集る人たちの多くは、この壮大な景観と、豊かな太陽の光をここに求めるのである。どの峰に登るといった目的などはなく、平安な閑暇の楽しみ方である。いわば自分の時聞を、適宜な行楽のため十二分に豊かに使っている。このレジァーの使い方は、アルプスの与える恩恵を心身に受けて、生活に活力をよみがえらせることになろう。現代のレジァーを専らスピード化のみに考えている人たちは、閑暇の使い方の大切な面を忘れているように思う。他の一つの高山に登ることは、前山の散策とは趣を異にする。岩と氷との険しい山に登るための装備も技術も仲問も必要であり、またトレーニングもしなければならない。普通アルプス登山といっているのは、この登山を意味しているが、登る人数は、そう多くない。しかし、もし健康と境涯が許すならば、この登山は最も男性的で爽快なスポーツといえよう。近代的登山発祥の地とて、山の高さや地形の変化に不足はなく、氷に岩に雪に、岩壁に、氷壁に、あらゆる技術を駆使することができる。そのうえに、勝れた案内人が練達の技能を示してくれる。アルプスは、登山のメッカである。