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２０１８年の欧州文化遺産年を記念し、スイス・フリブール市を外敵から守るため中世時代に作られた要塞の大部分が一般公開されている。欧州で最も保存状態が良く、極めて価値が高い文化遺産という。
フリブール市観光局によると、フリブールの東側は崖とサリーヌ川が「自然の城壁」の役割を果たしていたため、要塞は都市の西側に作られた。現存するのはその一部だ。
観光客はこの要塞の壁の上を歩いたり、塔に上ったりできる。これらの軍事施設へは通常、立ち入りが禁じられているが、欧州文化遺産年を記念し一般公開されることになった。
中世時代の考古学の専門家、ジル・ボルガレル氏は「特筆すべきは、この防衛施設の大きさだ。保存状態は極めて良く、現存する遺物からかつての壁の全体像が容易に想像できる。これは非常に珍しいケースだ。保存状態が劣る場所であっても、中世の都市の境界線を知るには十分貴重といえる」と指摘する。
全長８００メートルに及ぶ要塞の壁の上を歩けば、その大きさをいやがおうにも感じるだろう。要塞の壁としてはスイスで最も長い。
守り、威信、そして警察
フリブールの要塞は１４世紀後半から１５世紀初頭に建設された。もともとは都市の防御が目的で、特に近隣の都市ベルンからの攻撃を想定して作られた。同時にこれは威信の問題でもあった。
ボルガレル氏は「北側奥にある計８カ所の塔は、必要以上に高く建てられている。弓やクロスボウの射程距離を考えれば、こんなに多くの塔を建てなくても防衛できただろう。これだけたくさんの塔を建てることによって、フリブールは繁栄と力を印象付けたかったのだと考えられる」と分析する。
塔と壁には警察機能も備わっていた。同氏は「浮浪者や、招かれざる客の立ち入りを禁じるため、門は夜になると閉じられた」と話す。
大砲に備えて
このフリブールの歴史遺産が興味深いのは、この軍事施設が１５世紀以降、大砲からの攻撃にどのように対処したのかを知ることができるからだ。高く傾斜が急な塔と壁は、砲撃の標的にならないよう後になって低く修正され、厚さを増した。その痕跡は残存する壁から見ることができる。
ボルガレル氏は「中世の高い塔は標的としては理想的だった。砲撃が当たれば塹壕の上に落ち、塹壕が埋まる。本来防衛目的で作られたものが脅威と化してしまった」と説明する。
しかし、大砲を擁するのは攻撃する側だけではない。防衛する側もまた、大砲で対抗した。フリブールには、スイスで最も保存状態の良い珍しい軍事用のとりでがある。半円形で塔や要塞の壁に組み込まれ、そこに大砲が設置された。
破壊するには高すぎる
１９世紀後半、スイスや欧州各地で都市要塞の解体が行われた。大砲の技術的進歩によって要塞そのものが時代遅れになったことに加え、ボルガレル氏は「城壁として機能するためには、市全体を囲まなければいけない。それは不可能だった」と話す。つまり都市の拡大に伴い、要塞が合わなくなったのだという。
フリブールもその影響を逃れられなかった。塔と壁が交通を妨げていた地区で解体工事が始まり、新たな区画ができた。１９世紀、鉄道駅周辺でこの近代化の動きがまず起こった。近代都市の中心に残ったのはたった一つの塔。これは墓地のそばにあったという理由で残されたとみられる。
ボルガレル氏は「城壁の残った部分は非常に急なところ、もしくはアクセスが難しい場所だ。取り壊しが材料コストを考えても採算の取れるものではなかったために残ったのだろう」と話す。また「１９世紀終盤から２０世紀初頭にかけ、この歴史遺産の価値がようやく認識されるようになった」が、「その頃には塔と壁の半分以上が取り壊されていた」と嘆く。
ただ、たとえ一部とはいえ、中世が残したそのすばらしい遺産を見るチャンスでもある。一般公開は１０月３１日まで行われている。
欧州連合（EU）の欧州議会と欧州理事会は２０１７年５月１７日、１８年を欧州文化遺産年とすることを決定他のサイトへした。
同日の決定によれば、１８年は文化遺産を文化的多様性と異文化交流の中心的要素と位置づけて促進するほか、遺産の保全、啓発活動に力を入れるとした。インフォボックス終わり
（独語からの翻訳・宇田薫）