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ダニエル・ツァーノ
荻野静男 訳
『ヒソヒソ話』
もともと話すことは少ないのです、お嬢さん、とても少ないのです。わたしの父は肉屋でした。わたしたちはヴェディング通りで小さな肉屋を営んでいました。もしかするとそのお店をあなたは思い出せるかもしれませんね。わたしはそのころ九歳か十歳でした。その店の壁はすべて白いタイルで覆われていたのです。父の商品は他の肉屋の商品と比べ、良くも悪くもありませんでした。お店の奥の部屋には小さな屠殺台があって、いくつかの鉄製の鉤やそれにぶらさげられた動物の体、あらゆる大きさの斧や包丁があったのです。壁には血のついた二三枚の前掛けがかけてあり、ドアの横には父の大きな長靴が置いてありました。
そのお店はまあまあうまく行っていました。わたしの母が客の相手をしていましたが、たいてい彼らはその街区の平凡な人たちで、主婦や老人たち、労働者たちだったのです。彼らが買っていたのは特にソーセージ―で、それはブラッド・ソーセージ、レバー・ソーセージ、焼きソーセージでしたが、ときにはまたハム、ベーコン、すね肉あるいはむしろ稀にでしたがステーキでした。わたしたちはそのお店と同じ家の階上に住んでいました。それゆえ屠殺の際に起こるいろんな物音や肉と血との臭いが、とても幼いころからわたしに付きまとっていて、わたしの性質はそのような赤く重々しい雰囲気のなかに浸かっていたのです。子牛たちの鳴き声、ほとばしる血、刺殺法による動物の屠殺―こういったものにわたしは親しんでいたのです。それはわたしの子供時代の暗い響きとなっていました。なぜわたしが後に菜食主義者になったのかを、わたしは言うことはできません。こういう臭いやこういう物音に、もはやわたしは耐えられないからかもしれません。もしかするとわたしがもはや耐えられないのは、わたしの父だけであるのかもしれません。
あなたがわたしに尋ねている出来事はずっと昔のことです。わたしが今日あなたとわたしのオペルに乗って街中をまわり、あなたを駅からホテルへ、ホテルから駅へ、そこからどこかへ運んでいると、こういった過去のすべての事柄はわたしやわたしの生活とは何も関係のないように思えてきます。そのことを考えると、わたしは深い不快感に襲われるのです。あなたの質問はわたしを苦しめています、とわたしは告白せざるをえません。あなたの質問に対するわたしの答えもまたわたしを苦しめるとわかっていますから、あなたはわたしを苦しめるのです。それどころか根本的にわたしにはすべてが苦痛ですし、あなたとあるいはわたしの沈黙もまたわたしには苦痛となるでしょう。
でもあなたは今わたしの車の後部座席に、好奇心に満ちてすわり、あなたが出さなければならない質問をわたしにしてきます。あなたは正しい。あなたはきっともう長い間この瞬間を待ち続けてきたに違いありません。おそらくあなたはこれに対し、極度に綿密な準備をし、あらゆることに対し、最悪のことに対しても、覚悟ができているのでしょう。二枚の大枚をあなたはわたしに握らせ、タクシーセンターへの無線を切るように合図したのです。わたしが行きたいところに行くように指示しました―車を走らせ、物語るように指示したのです。よろしいです。わたしはゲームを台無しにするつもりはありません。それがあなたにとても重要だとすれば―あなたには重要なように思えますね。というのも、もしそうでなければ、あなたはこの長い旅に出ることはなかったでしょうから―わたしには困難に思えても、回想してみたいと思います。
すべてはあの暑い夏に始まりました。そのときラジオから突然こんな恐ろしい戦争の雄たけびが響き始め、全群衆の固まりが広場に集結したのでした。それから彼らは歓声をあげ大声で叫びながら通りを行進したのです。たとえ父がすでに早くから喘息のために徴兵検査で不合格にされていたとしても（このことは彼の心を苦しめたのです）、彼もまた時折こうした不穏な一団と通りを行進していました。そういうわけで彼はこのせかせかとした日々には、わたしにかまう時間が普段よりはるかに一層なかったわけです。いやそれどころか、本来彼にはわたしのための時間が決してなかったのです。彼はたいてい動物の屠殺や臓物抜き、豚の切り分けや細切れに携わっていました。あるいはその後でまさにかの群衆の集まりや政治集会に共に出席し、スローガンを叫び、ビールを飲み、豚とは違った自分を際立たせていました。そういうわけで彼は夕べにはたいてい家にいませんでしたが、もし彼が家にいる場合には、消耗しきってうつろな様子だったのです。そのタイプからして力強く、性格は粗野で物腰鋭く、その顔の黒い肌だけでもう彼は目立っていました。彼の全存在は肉屋としての存在でした―白い前掛けをし、義務を意識し、勤勉かつ真摯、黒い肌をし、太って力持ちで誇り高く、がっしりした体つき、背は高く肩幅がありました。そして周りの人がただ十分に細身で体をちぢめ、虚弱で背が低い場合には、彼のそばには広い空間ができ、常に広い空間が彼のそばにできたのです―でもお嬢さん、こんなことはほとんどあなたの興味をひかないでしょうね。しかしもしもわたしが、父の肉付きの良い両耳から強大な毛の束が生えていることを付け加えるとしたら、それはあなたに何事かを物語るかもしれません。この毛の束を彼はいかなる事情があれ、刈り取りませんでした。というのも彼は自分の毛の生えた指をこの毛の束に突っ込み、それをこねくり回すことが好きだったからです。そういう時、彼の指の毛と耳の毛とが一体となって一つの大きな毛の束と化したのです。この毛の束から引き出すのが常であった黄褐色の脂肪塊を、あらゆる側から詳細に眺めた後、きっちりと紐を締めた自分のズボンに入念にこすり付けて落としたのでした。特に好んだのは、食事の際に自分のきっちりと紐を締めたズボンの上をこすることでした。
わたしの父がわたしを憎んでいたとか好きでなかったとか、言うことはできません。わたしは彼にはどうでもよかったのです。おそらく彼の無関心はむしろ、みずからの血筋に対する回避心、接触無能力、奇妙な物怖じだったのでしょう。わたしが彼から何かを求めるとき、彼はたいてい厳格な肉屋のまなざしでわたしを寄せつけませんでした。時折彼は何かもやもやしたことを部屋の中にぶつぶつ言い散らすこともあり、それに添えてそわそわした身振りをしたり、まったくあっさりとわたしの質問を聞き流し、それから何か別のことについて話すのですが、それは彼にとって興味あることなのですが、わたしには興味のないことでした。そういうわけでわたしは早くから、自分を軽蔑するようになりました。今日なお、わたしは会話に際し単純に話を聞き流されたり、注意を払われていないか、それどころかわたしは自分で自分の話を聞き流したり、注意を払っていないような気さえするのです。わたしが朝早く仕事の後自分のタクシーで家路につくとき、車の向きを突然変更し、狂人のように反対方向に猛スピードで走ることもまったくありえるのです。
でもその頃わたしはまだハンドルを手にしておらず、身を縮め小さくなって机に座り、静かに押し黙って机に座り、無視されて机に座っていたので、泣いたり、叫んだり、殴ったりもできたでしょう。今日わたしは父を根本的には完全に理解できるのですよ。わたしが彼の息子、彼のそんなにも違った体質の息子であることに対し、彼はどうすることができたでしょうか。彼があんなにも大きく強く体格が良いのに、わたしがこんなに繊細で小さいのに対して、彼はどうすることができたでしょうか。
いいえ、わたしは彼を非難しているのではありません。一緒にとる昼食以外にわたしたちの道は、わたしたちの世界はほとんど相互接触がなかったのです。わたしがいつか彼の店の跡を取るだろうという彼のわずかな希望も、包丁や斧と接する際のわたしの異常な不器用さによって、そしてわたしみずからに流血を伴う深い傷を負わせるというわたしの離れ業によって、すでに早くから刈り取っていたのでした。そんなとき夢想にふけるようにわたしはこんこんと血の湧き出る自分の傷や、生き生きとした流血を凝視し、幸福を、めったにない幸福を感じていました。わたしが彼の跡取りになって彼の大きな黒い長靴を履く意志のないことを、彼は決して理解しなかったのです。ただ一度だけでも彼の強大な肉屋の手のぎごちないやさしさを感じること、ただ一度だけでも彼の毛深い指がわたしの髪の毛をやさしく触れ撫でてくれるのを一瞬感じること―このようなことがわたしの子供時代にはずっと拒絶されたままでした。そしてそれから後にわたしが大学の学業を中断しタクシー運転手になったとき、わたしの夢のまた夢は永遠に夢のままに終わったのです。そのことで彼はわたしを決して許さなかったからです。
でもお許しください、お嬢さん、わたしは本題から逸れています、あなたの質問は完全にではないにせよ、別の方向を目指していましたね。わたしはそこに戻りましょう。つまりあの騒々しい夏に母が、この国の最南端の突出部分にある遠くはなれた場所に住む彼女の姉妹を訪問するために、旅に出るということが起こったのです。そこで父とわたしとは、店と家との小間使いであるマリーとともに、単独で取り残されたわけでした。わたしはまだ母の別れ際を、わたしのひそやかな悲しみを、わたしの涙を、母のハンカチと父のはしゃいだ気分を―いったい二週間が何なのだい―よく思い出すことができます。わたしはこの二週間ができるだけすみやかに経過することを希望していましたし、父とわたしとがどうにかして折り合いをつけることを希望していました。彼が少なくとも母の不在の間はその冷淡さをいくぶん払い落とし、わたしたちが少なくとも当座の間は一種の共同体を―まさに結託して作ったものではないかもしれないけれども、やはりある程度は耐えられるものを―形成することを、希望していたのです。
最初の間は母の旅立ちは事実、わたしたちの関係をまったく驚くべき仕方で、呼び起こしたのでした。父は尋常ならざるおしゃべり屋になり、ほとんど付き合いやすい性格に変わり、上機嫌でお店に立ち、指の丸い先端のすぐ近くで包丁をすばやく動かしながら、ソーセージをスライスしていたのですが、そういう時わたしに再三再四ひと切れまた一切れと薄い輪となったソーセージを投げてくれるのでした。それから彼は物思いに満ちた表情で自分の軍隊奉公時代のことを物語り、自分の過去のものとなった兵隊気質の描写をつかみどころのないような仕方で行い、勇敢さと冒険とに満ちた話をでっち上げたのです。他方彼は小さな斧をすばやく巧みに骨や生温かい肉に打ち下ろしていたので、ときどき肉の細切れが飛び散り、パシャンという小さな音とともに白い平らな壁にぶつかってそのままぶら下がったままになることもありました。父の眼と唇とがわたしを解放してくれたとき、わたしもまた飛び上がってその場から立ち去りました。というのもわたしは彼の軍隊奉公の話の中に、じっとしたままいたくはなかったからです。だってわたしはすでに子供の頃に灰色で騒々しいあらゆるものに対し、深い嫌悪感を持っていたからです。今日なおどこかでわたしがこちらに眼をじっと注ぐ兵隊たちに出会うとか、誰かが鋭い口調でわたしを叱責すると、わたしはぎくっとするのです。自分のずいぶんな感じやすさのために、時折わたしは静けさの中ですら、突然縮みあがるのです。けれどもお嬢さん、わたしはまた脱線していますね、わたしのおしゃべりをお許しください。
つまり日々はすばやく過ぎ去っていきました。そこにブレーツェルがあって、あそこにお話があって、わたしはすべてがそれほど悪くはないということで、うれしかったのです。それからわたしの忘れることのできないあの夜がやってきたのです。わたしは眠れませんでした。どうしてかはわかりません。わたしは一日中歩き回っていました。港やぼくたちの住む市区をうろついていたのです。わたしは疲れくたばっていましたが、眠りにつくことはできなかったのです。わたしはベッドの中でころげまわり、あちらへこちらへと身体を捻ったり捩ったりし、高速道路―猛スピードで走り去る車―を思い浮かべようとしましたが、ふだんは短時間のうちに夢の国にわたしを運んでくれるものが、この夜は何の効果も、まったく何の効果ももたらさなかったのです。それは深夜を過ぎた頃でした。わたしは比較的長い間天井を―水のしみをにらみつつ―凝視していたのです。突然起き上がり、窓をあけ、まん丸で白い月の光がわたしに向かって輝いていたときでした。雲がそれを覆うように移動していき、それからふたたび月が露になったのです。中庭は青白い光のなかにひたされていました。突然わたしはヒソヒソ声を聞いたのです。奇妙ですが、なんとなく慣れ親しんでいるが、同時にまた未知でもあるヒソヒソ声を。それはわたしの心に独特な仕方で触れるものでした。わたしは身をすくめました。それから窓から身を乗り出し、耳を傾けました―そうです、するとまたそれを耳にしました。このささやき声を―それは一階下の屠殺室から来ていたのです。真夜中少し過ぎのささやき声です。不安がわたしをとらえました―混乱と興奮とが。静けさ、それはほとんど感知できない静けさでした。それからまた、それはやってきました―このヒソヒソ話が。そして耳をそばだて、そばだて、そばだて、そばだて、ついにそれを、このヒソヒソ話が誰のものであるかを認めたのです―それはわたしの父のヒソヒソ話でした。まだ決して聞いたことのない、決して聞いたことのなかった、彼のヒソヒソ話を聞いたのです。でもその時彼は、ヒソヒソ話をしていたのです。わたしにはこのヒソヒソ話が異様なもので、とても異様なものだったので、彼がいったいなぜそんなふうにヒソヒソ声で話をするのかと自問していました。夜中すぎに屠殺室でなぜヒソヒソ声で話をするのか、そこにヒソヒソ話をするような何かがあるのかと。けれども父のヒソヒソ話の後で二つめの、別のヒソヒソ話―父のヒソヒソ話に対して答えるもの―が聞こえました。それは女性のヒソヒソ話のように思えたので、何千という考えがわたしの脳裏をよぎり、それから明白になりました、お嬢さん、おわかりですね、明白になったのです。マリーのことが思い浮かびました。もちろんですとも、マリーでした、あの女の子、あの女の子の豊満な唇です、それはあの女の子の豊満な唇から来るヒソヒソ話でした、マリーのヒソヒソ話です。それは父のヒソヒソ話をしばらく黙らせた後にみずからも沈黙した、あの女の子の豊満な唇から来るヒソヒソ話でしたが、屠殺室にはふたたび静寂が戻ってきました。しかしわたしの頭の中ではその部屋の白い壁がぐるぐると旋回し、鉄製の鉤が回るのが見え、静寂が渦をまき、あちこちに渦をまき、動物の頭部や豚の心臓が渦をまいていました。そのとき突然また始まったのです、ヒソヒソ話が、父のヒソヒソ話が。それに対して応えるマリーのヒソヒソ話もふたたび始まり、父のヒソヒソ話とマリーのヒソヒソ話とが混じりあい、入り混じって一つの大きなヒソヒソ話になったのですが、それはわたしが少し理解できるほどの大きさにはなりませんでした。お嬢さん、それほど大きくはなりませんでしたが、ともかくこの一つの大きなヒソヒソ話を、この父‐マリーのヒソヒソ話、このマリー‐父のヒソヒソ話を聞き取ったので、奇妙な感情を抱きました。おわかりですね、お嬢さん、奇妙な感情です。それから突然より大きくなりました、このヒソヒソ話はより大きくなったのです。いやそれはほとんどあえぎ声、うめき声となったので、もうわたしの部屋でじっとしていることに耐えられなくなり、外壁の蛇腹部分に上り、窓の右側の雨どいをつかみ、ゆっくりと下へ、中庭へとすべりおりました―そこで、この屠殺室で夜半すぎに何が起きているのか、これが、このヒソヒソ話がいったい何なのか、このあえぎ声は、これはいったい何なのか、見るために。下の中庭に立ったとき、脈拍は何と猛烈に速くなったことでしょう、不安、興奮、好奇心のために。慎重に半分開いていた屠殺室の窓の下に忍んで行き、身をかがめましたが、自分自身に、自分の怖いものしらずに、自分の好奇心に、自分の激情にびっくりしました―わたしは身動きしませんでした。それから勇気をふりしぼり、思い切って中をのぞきました。淡い光の中に屠られた豚の幻のごとき影が（それは後ろ足をひろげた格好でするどい鉤に引っ掛けられていました）、のこぎりで切り取られた動物の頭部の影が、はらわたが、肺翼が、腎臓が見え、ずっと奥には二三枚のはがれた皮が、わたしにもっと近いところには骨でいっぱいの大樽が見えたのです。それからわたしは部屋の中央にある大きな屠殺用の台の上に父の身体の輪郭を認め、この輪郭が奇妙にいったりきたりする影のように見えたのでした。彼の肉体の下には何かが横たわっていました、何かしら肉のかたまりが彼の下にあり、それはある一塊のもので、その上で彼は行ったり来たりのころげ運動をし、喘いでいました。わたしは度を失ってその場面を凝視していました。驚愕のあまり思いました、マリー、マリー、なんてこった、その屠殺台で二人はなんと喘いでいることか、二人はなんとまあたがいに絡み合っていることか、なんという息づかい、なんという突き、なんてこった、殺しあい、首の絞めあい、殴りあい、殺しあい。たがいに殺しあうつもりだぞ。わたしは叫びました、お嬢さん、これはなにをやっているのだと驚いて、わたしは叫んだのです、「た、た、た、た、たすけてー！」と叫び、もう一度「た、た、た、た、たすけてー！」するとうめき声は突然収まり、罵りの声が屠殺室から聞こえてきました、まだ一度も聞いたことのないような罵り声が。それはわたしに向けられたものでした、わたしの名前が中庭に向けて怒鳴りあげられたのです。わたしは身をかがめ、そして立ち上がり、走って桶の背後に隠れました。空にはまん丸い月がありましたが、父はもうその背の高くて恰幅のいい姿を中庭に現し激怒し、わたしの名前を夜のなかに怒鳴っていました。わたしはぎくっとしました―雷電にうたれたようにぎくっとし、桶の背後から這うように出て行くと、彼はその真摯で暗い両眼でわたしを見つめました。彼のまゆ毛はふだんよりはるかに太くてごわごわしているようでしたが、わたしを見つめまったく平然と部屋の中に上がるようにと、部屋の中にあがるようにと命じたのですが、その調子はわたしの骨の髄まで通り入るような調子でした。その調子はとても落ち着いていて、とても不気味な、そんな調子だったのです。そしてなぜだかわかりませんが、やはりなぜだかわかりませんが、お嬢さん、おわかりですね、でも身を震わせながらわたしはそれに従ったのです。わたしたちは黙りこくって住まいの中へと上がると、父はソファーの上に腰を下ろし、自分の前にひざまずくように、自分の前にあるじゅうたんの上にひざまずくように命じ、わたしの両腕をのばすように、前方にのばすように命じたのでした。わたしはひざまずき、両腕をのばし、ひざまずきましたが、彼は殴りませんでした。父は沈黙し、凝視し、わたしを凝視していたのです。それからわたしは泣きだしました。非常にみじめに泣きだしました。しかし父は沈黙し、凝視していたのです。永遠に、凝視していたのです。わたしはひざまずき、両腕をのばし、泣いていましたが、涙を拭い去る勇気はありませんでした。そうする勇気はなかったのです。おわかりですね、お嬢さん。それから痛みがわたしの両腕に入りこんできました―それは激しい痛みでした。わたしは泣き、嗚咽していましたが、父は沈黙し、凝視し、沈黙していたのです。彼は動かず、憐れむこともなく、何もすることなくただ沈黙していたのでした。わたしは泣き、両腕をのばしていました。しかしすべては静かでした。父は静かで、万物は静かでした。そして父は沈黙していました。神は沈黙し、沈黙し、沈黙し、沈黙していたのです。わたしがもはや泣くことができなくなるまで。単純にもはやそうすることができなくなるまで。それからわたしは自分の部屋に駆けていき、ベッドの中にもぐりこみましたが、苦しみのあまりもはや泣くことはできなかったのです。おわかりですね、お嬢さん、もう泣くことはできなかったのです。そしてあの夜以来わたしは放蕩息子となったのです。わたしは放蕩息子でわたしの神を失い、神を失い、もはやそれを見つけることはできないのです。どの場所にも、どこにも見つけられないのです。それは消え去り、失われ、沈黙によってこなごなに砕け散ったのです。おわかりですね、お嬢さん。わたしは探し、運転し、探していますが、もはやそれを見つけることはできないのです。わたしはそれを決して見つけることはできないのです。彼はいなくなり、わたしもいなくなりました。そしてどんなに探しても、無駄なのです。おわかりですね、お嬢さん、どんなに探しても、無駄なのですよ。
後に母が旅から帰ってきたとき、わたしは黙っていました。墓のように黙り、黙りこくっていました。父も黙り、マリーも黙っていたように。わたしたち皆が黙りこくっていたのです。それですべてがよかったのです、お嬢さん、すべてがよかったのです。それからすぐに、マリーが出ていかなければなりませんでした。彼女がどこに行ったのか、わたしは知りません。しかし沈黙は残りました。後に母がわたしに、彼女はパリで女の子を産んだのだよと語ってくれたのですが、それ以上は語ってくれませんでしたし、わたしもまたもう語ることはありませんでした。わたしは父の眼に対し、父のこわばった眼差しに対し、恐れを抱いていたので、黙っていたのです。彼女は知っていたかどうか、わたしは知りません―わたしがぜひ知りたかった多くのことを、知らなかったように。しかしわたしはあまりに臆病だったのです、お嬢さん、あまりに臆病だったので知るために質問することはできなかったのです。しかし今となっては遅すぎます。
母が死んだとき、その死は長くはかかりませんでしたが、父も彼女の後を追うように死んでいきました―苦痛に身を屈めて。彼はバルセロナに知人を訪問するために、二十年来で初めて休暇旅行をしたのです。一度も旅をしたことのなかった彼が、その人生はただ義務と仕事だけであった彼が。実は彼は遠方の地で死ぬために、旅に出たのでした。彼の死はわたしにとってただ単にものすごい安堵を意味しただけではなく、またものすごい苦痛、ほとんど耐えることのできない重荷をも意味していました。スペインでわたしの父の遺灰が詰まった壺が手渡されたとき、わたしは茫然自失の状態でした。すべてのものの輪郭がぼやけていました。現実の生と夢とは、愛と死とは、ドアと通路とはもはや判別できなくなっていましたの。わたしの人生のいわば正面玄関に鎮座する像が、両手のなかの壺に納まっていたからです。わたしはその黒い壺をたずさえて、通行人たちのかたわらをすり抜けバルセロナの商店街を通って行きました。カタルーニャ広場、ラス・ランブラス、カレ・ド・ボケリアを通って歩いたのです。これらのせかせかした通りをうろついたのです。そこは人々が行きかい何台ものバスが走るビジネスとショッピングの街でしたが、わたしは父を小脇にかかえてそこを彷徨っていました。わたしはとても奇妙な気分に襲われました、お嬢さん、とても奇妙な気分に。遺灰入りの壺をプラスチック製の買物袋につっこむなんてことは、本来わたしには思いもよらないことだったでしょうが、わたしの精神状態はそんなことを思いつくほどに混乱していたのです。泊まっているホテルの門番のかたわらをこそこそとすり抜け、自分の部屋に入りました。わたしはそこで父を机の上の花瓶の横に置いたのですが、どうすればよいのかわかりません。興奮、悲しみ、恥じらいのあまり、わたしはほとんど息もできないほどだったのです。それから父を窓の下枠の上に置きましたが、それはまだ如何ほどかを、つまり生のいかほどかを彼に見えるようにするためでした。それからわたしは父を床…