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古い貴重な映画や書籍、ポスターなど映画関連の「宝物」を保存するため、スイス西部・ローザンヌ近郊に資料館が登場した。世界の映画界にとっても貴重な資料の宝庫だ。
国立映画資料財団、通称「シネマテーク・スイス他のサイトへ」は6日、スイス西部ヴォー州のパンタに設立した研究所を兼ねた資料館を披露した。完成までに12年を要した。
「長年待ちわびた、非常に重要な瞬間だ」。シネマテークのフレデリック・メール理事長はスイスインフォの取材に感慨を語った。
建設費用は5千万フラン（約54億円）。映画8万5千本分のフィルム70万缶のほか、写真250万枚、ポスター50万枚、書籍2万6千冊、希少な映画の撮影カメラ2千台、その他貴重な映画の撮影道具が、サッカー競技場3コートに相当する広さの地下シェルターに所蔵される。40席の映画館や展示室、会議場も併設。映画保存の専門家やIT技術者など50人が勤務する。
アラン・ベルセ連邦内務相は開館式で、「世界で最も重要な映画関連コレクションの一つだ。スイス映画の記憶の構成要素になることも特筆すべき点だ」と語った。
国際フィルム・アーカイブ連盟（FIAF）他のサイトへも、シネマテークは世界の十大映画資料館になると評価した。
シネマテーク・スイスは1948年、戦後スイスで盛り上がった映画・映画館への関心を受けて立ち上がった財団だ。早くから人気を集め、スイス市場が世界でも重要な地位を占めていたことから、大きなコレクションを集めることができた。5万本以上の外国長編映画もある。
スイス映画や関連資料も数千点にのぼる。専門家から一般人まで様々な所有者が保存していたもので、歴史的な価値が高い。
長い道のり
これだけの資料を一つの施設に収める計画は、長く複雑な過程をたどった。1950年代、ナイトレートセルロース（硝酸）を使用したフィルム缶やその他の資料が、ローザンヌの複数個所に保管された。その後ルツェルンの古い原子力発電所に移転。著名映画評論家のフレディ・ビュアシュ氏（今年5月に死去）がパンタにあった旧製本所を買い取り、コレクションの新しい保管場所を作る計画が始まった。
スイス政府は当初、資料館の建設を財政支援することに消極的だった。だが1998年、シネマテーク・スイスの50周年記念の年にとうとう方針を転換し、パンタの土地と施設を買い上げた。モダンな新施設の建設計画が打ち出されたのは2000年代初めだったが、着工は2011年まで遅れた。
遅延の原因は、政府に資料のデジタル化戦略を説得するのに時間がかかったことだ。
「もしそうしていなかったら、これは20世紀型の資料館にとどまっていただろう」（メール館長）
デジタル化
黙々と古い映画フィルムの保存に当たる専門家の作業部屋の隣では、コンピュータやスキャナがデジタル化作業を淡々とこなす。フィルムを使った映画が減っていくなか、デジタル化によって資料館が伝統的な映画作りのショーケースとしての役割を果たす、とメール館長は話す。
保存、復元やデジタル化に関して、シネマテークは「ヘルヴェティカ」性、つまりスイス映画遺産の構成要素になるものを優先する。
毎年約40本の短編映画と6～7本の長編映画が復元される。15日には、ベルリン映画祭でアベル・ガンス監督の「鉄路の白薔薇」（1923年）が復元後初めて上映される。復元はパンタ資料館にあった貴重な複製によって実現した。
メール氏は「これらの資料全てを保存できるのは素晴らしいことだが、それを公開しなければ無意味だ。保存・復元したうえで、デジタル化によって誰でも見られるようにするのが我々の使命であり課題だ」と意気込む。
「そしていつの日か、商業目的ではなく国が運営するオンラインプラットフォーム上で、誰でもスイス映画を観賞できるようになることが重要だ」
（英語からの翻訳・ムートゥ朋子）