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◆コロサイ人への手紙２章６節～７節
2：6 あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。
2：7キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。
2：7キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。
Ⅰ．キリストにあって歩みなさい
キリストにあって歩むとは、どういうことでしょうか。日曜日に教会に来て、礼拝に参加し、お祈りし、献金し、奉仕することでしょうか。それも一部分含まれているでしょう。でも、パウロが訴えているのは、もっと日常的なことだと思うのです。
キリストにあって歩むとは、イエス様を受け入れた私たちが、「日々キリストとともに生活する」ということに他なりません。
私たちは毎日の生活の中で、いろいろなものに心を奪われたり、簡単に心をかき乱されたりしてしまいます。でも、そういう私たちに対して、イエス様は「大切なもの（どうしても必要なこと）は一つだけです。」（ルカ１０：４２）と語っています。その大切なものとは、キリストに目を向けて、そのことばに耳 を傾け、語りかけ、共に過ごすことです。神様との関係も、人々との関係も、時間を共に過ごすことなしに関係を築くことはできません。
また、キリストにあって歩むとは、私たちの人生のゴールである天を見上げて歩むことでもあります。
キリストはそこから私たちを迎えに来てくださるからです。聖書は「イエスから目を離さないでいなさい、忍耐をもって走り続けよう」（ヘブル１２：１～２）と語っています。
Ⅱ．キリストの中に根ざしなさい
イエス様が語られた種まきのたとえ（マタイ１３：３～２３）を覚えていますか。実を結んだのは、手入れをされた良い地にまかれ、そこに根を張った種だけでした。
キリストの中に根差すとは、「みことば（キリストが語られているように）に生きること」です。
みことばが私たちの心に根差すことであり、私たちがみことばに根差して生きることです。人間や人間の創りだしたもの、何か別の教えではなく、初めに 聞いた単純な福音の真理に根差して生きていくこと、キリストご自身に結び付けられて生きていくことこそが大切です。木はその成長に合わせて根を伸ばしてい きます。大木は何百年もかけて地中に深く広く伸ばした根によって自分を支えています。目に見える働きよりも、見えない関係（根）の方が大切です。根が浅け れば、どんなに大きく見える働きも簡単に倒れてしまうからです。北海道に行くと、広い草原や畑の中ところどころ一列に木が植えられ防風林が作られていま す。いろいろな木が植えられていますが、種類は違っても植えられているのはどれも深く根を張る木ばかりです。トドマツも良く植えられているそうですが、や はり根を深く張る木です。同じ松でもエゾマツは使われません。根を浅く張るので、風が吹き付けるとすぐ倒れてしまうからです。私たちが人生の暴風雨に晒さ れる時に、キリストに根を張っているかどうかが問われるのです。
Ⅲ．キリストの中に建てられなさい
聖書が語っている「建てられる」とは、キリストにあって救われた者が「神様と人々との関係の中で成長させられるということです。
私たちは一人で成長することはできません。神様との関係、教会との関係、親子関係、夫婦関係、友人との関係、隣人との関係の中で成長させられるので す。聖書は私たちが成長してどのようになると言っているのでしょうか。キリストのあって歩み、キリストの中に根差し、キリストの中に建てあげられる人は、 キリストの姿に造り変えられていくのです。
Ⅳ．信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい
ある時、離婚危機から救われご主人との関係が回復し始めた一人のクリスチャンの御婦人が印象深いことばで神さまの恵みを証ししてくださいました。 「長い時間がかかったけれども、この主人と結婚したことで、自分の傷に気づかされたのだと思います。今までは主人の問題だと思って苦しみ相手を責めていた のですが、やっと自分の問題であったことが分かったのです。その時、初めて心が楽になり、神さまにこの結婚を感謝できるようになったのです。そして不思議 なことにその気づきがあってから主人が変わり始めたのです。」
信仰を堅くするとは、「キリストとの関係（神の家族との関係）がますます親密なものに変えられて行く」ということです。
◇コンクリート
リフォームをした時に、一階の吹き抜け部分をコンクリートのスラブ（床）でふさいで天井を作り２階部分を広くしました。型枠に生コンを流し込んだ 後、下からたくさんの突っ張り棒で支えて養生しました。固まったように見えても強度が十分でなかったからです。一週間ほど型枠を外しましたが、１００％の 強度がでるのは流し込んでから１ヶ月ほどかかるそうです。固まってしまえば、子どもたちが飛び跳ねてもビクともしません。もともとあった壁と新しく作った 天井が完全に一体になったからです。それが、神さまとの関係であっても、人々との関係であっても、私たちが関心を払わずに放って置くならば強度のない生コ ンと同じように崩れてしまいます。手をかけて壊そうとしなくても、無関心であるならば、どんな関係も時間と共に形を失ってしまうのです。しかし、私たちの 関係が神さまの御計画という型枠の中に流し込まれ、祈りによって支えられているのであるならば、信仰によってキリストと一つにされるのです。信仰とは、良 きお父さんである神さまに信頼することです。
聖書は、私たちにただ感謝するのではなく、あふれるばかりに感謝しなさいと命じています。
自分の名前が天に記されていることを知っているならば、本当はそれだけでも、あふれるばかりに感謝できるはずだと思うのです。試練の中にあって神さ まに感謝することは確かに難しいことです。でも、試練は神さまが与えてくださったチャンスでもあるのです。試練を通して、私たちは自分の弱さを知り、神さ まに頼る者とされるからです。そして、その時には、神さまは私たちを通してご自身のすぐれた力（エペソ１：１９）を現してくださるのです。
・・・神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。 （エペソ１：１９）