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オーストリアの詩人ライナー・マリア・リルケ（１８７５～１９２６年）は生前とても筆まめで、頻繁に書簡をやり取りしていた。死んだら公開してほしい、それがリルケの遺言だった。スイス連邦文学資料館他のサイトへがこのほど、リルケが晩年、パトロンの女性に宛てた書簡の一部をデジタル化し、公開した。
公開されたのは計１３５３通。実際にリルケが書いた書簡はこれよりはるかに多く、作品の礎にもなった。リルケは晩年、スイス南部ヴァレー州シエール郊外のミュゾに住み、執筆活動に打ち込んだ。
リルケが書簡を送ったナニー・ブンダーリー・フォルカートさんは７年間、パトロンとしてリルケの芸術活動を支えた人物。二人は１９１９年からリルケがこの世を去った１９２６年まで、頻繁に手紙をやり取りしていた。
（独語からの翻訳・宇田薫）