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毎年１１月第４月曜日に開催されるベルン名物「玉ねぎ市」（Zibelemarit ツィベレマリト。zibele＝玉ねぎ、marit＝マーケット）が２５日、夜明けと共に始まり、国内外から大勢の観光客が訪れた。
連邦議事堂前広場には、写真のように三つ編み状に繋いだカラフルな玉ねぎやニンニク、食べ物やホットワインの屋台が軒を列ねた。
玉ねぎ市は公式には午前７時から午後７時までだが、実際には早朝４時頃から始まる。連邦議事堂前広場には、写真のように繋げた玉ねぎやニンニク、野菜、食べ物、玉ねぎ市の日限定販売の「玉ねぎパイ（Zibelechueche）」やホットワインの屋台が軒を列ねる。町のパン屋も、この日はほとんどの店が玉ねぎパイ一辺倒になってしまう。
この日一日のベルンでの玉ねぎ売上げ高は、平均約７０トン。ベルン警察によると、近年「玉ねぎ市」というものの多様化が進み工芸品などの出店が増え、玉ねぎの出荷量が減少傾向にあるという。
これまで玉ねぎ市の由来は、１５世紀初頭に遡るとされてきた。伝承によると、１４０５年５月１４日、ベルンの町が全焼した大火災が発生、その復旧作業を隣の姉妹都市フリブール（建設者が共にツェーリンゲン家ベルヒトルド公爵）の住民達が手伝った事から、毎年１１月の第４月曜日にはフリブールの農家はベルンで玉ねぎ市を開き農産物を売っても良いという権利を得たのがはじまりだ。再建後のベルン（旧市街）は以前にも増して美しい町並みになり、現在ユネスコ世界文化遺産に登録されている。
が、近年の研究で、玉ねぎ市は少なくとも１８世紀以後に始まったという、ベルン人には衝撃の事実が発覚した。歴史家のルドルフ・ラムセイヤー氏によると、玉ねぎ市の起源は１８５０年頃、フリブール州Mont Vullyの農民達が聖（サン）マルタン祭の日にベルンに作物を売りに来たのがはじまりだという。この説の支持者らは、１８６０年代まではベルンの玉ねぎ市に関する記述が無いことを根拠に上げている。
フリブール州は、独仏両言語圏の境界線にある州で、地域によって言葉が違う。したがって、玉ねぎ市では、フリブール州セーラント地方から来た農家の人々の仏語と地元ベルンの独語系方言（ベルン弁）が飛び交う。フリブールから玉ねぎを売りに来たロルフ・ヘディガーさんは、この日のために６００本の玉ねぎを編んだという。ヘディガー家は８０年程前から玉ねぎ市に毎年参加しているという。ヘディガーさんの説明によると、玉ねぎは毎春種を撒き８月初旬に手で収穫し、約３週間乾燥させる。そして、玉ねぎ市の一ヵ月前から玉ねぎを編む作業を始める。全て手作業で大変な労働だが、玉ねぎの内側のきれいな皮を見せるため外側の皮を剥く方法など、おばあさん直伝の伝統を守っていくのが楽しいと、ヘディガーさんは言う。
朝５時、各地からの始発電車がベルン中央駅に到着する。ヘディガーさんも、雇った二人の助っ人と自慢の玉ねぎを抱えてやってきた。夫人はホットワインとパンプキンスープを売る屋台の準備をする。ヘディガーさんは、子供達に是非、伝統を継承してもらいたいと思っている。が、若い世代にはこの重労働を嫌う者が多いと、玉ねぎ市の将来を憂慮する。
玉ねぎ市が終わると、寒くて暗いベルンの冬が来る。
玉ねぎ市キー
毎年１１月の第４月曜にベルンで開催される。
起源は長年の伝承よりも新しく、１８世紀から１９世紀。
隣のフリブール州から農家が玉ねぎ、ニンニクなど農産物を売りに来る。
名物は編んだ玉ねぎと玉ねぎパイ。それにホットワインが秋の終りと冬の訪れを告げる。