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1961年
チューリッヒ日本人会創立
チューリッヒ日本人会は、１９６１年に設立されました。ベルリンの壁が造られた年です。第二次大戦後のアメリカを中心とする資本主義陣営の西側と、ソ連を中心とする共産主義陣営の東側との対立が高まり、ヨーロッパは戦場になるかもしれないとの危機感が持たれた時期でした。中立国スイスといっても安泰とは考えられておらず、万一戦争になればオーストリアはソ連に蹂躙されるかもしれないと、リヒテンシュタインに接する防衛線の対策や、ゴットハルト地下施設の強化が行われていました。
当時、在スイス日本国大使の奥村勝蔵氏などは情勢を憂慮され、チューリッヒでも日本人自身による連帯組織を作ってはと、日本人留学生たちに話されたのがきっかけで、在留日本人会が発足しました。文：室井明（ＪＡＬおおぞら誌・１９９５年春号より転載）
注釈：ＪＡＬおおぞら誌は、日本航空チューリッヒ支店で発行していたミニコミ誌です。室井明氏は、会設立当時よりチューリッヒに在住されておられ、40年以上にわたり事務局長の立場で会の運営を支えてくださった方で2006年に逝去されました。
1972年
チューリッヒ日本婦人会創立
在チューリッヒ駐在の家族が日本人女性同士の横のつながりと相互扶助が必要と感じて、数名の婦人たちが集まり、チューリッヒ日本婦人会が始まりました。その当時はスイスに暮らす日本人が非常に少なく、生活の仕方も言葉も違う異国でお互いに支えあう必要は現在では考えられないほど求められていたことと思われます。
1984年
「チューリッヒ生活のしおり」初版販売開始
スイス第一の都市チューリッヒに住む日本人の数も年々増えてまいりました。10年余り前に数名で発足した婦人会も今では100余名の会員を持つまでになりました。2年ほど前、会員の中から当地に暮らす方たちのためにガイドブックを作りたいというアイディアが出されました。自分たちがチューリッヒに来た当時を振り返り、困ったこと・そこから手探りで得た知識・小さな経験などを出し合い、また、足で調べて出来上がったのがこの「しおり」です。チューリッヒ生活のスタートに当たって少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。American Women’s Clubの多くの資料を参考にさせていただきました。
注釈：「チューリッヒ生活のしおり」初版より転載。初版は手書きのコピーを綴じたものでした。第二版はワープロで、それ以降はコンピューターでの編集となり、2017年現在、第八版を発売中です。
2008年
「チューリッヒ日本婦人会」と「チューリッヒ日本人会」は合併して、その名称を「JCZジャパンクラブ・チューリッヒ」とする。同時に新たな会報誌が発刊される。
「チューリッヒ日本婦人会」は文字通りスイスに住む女性たちのボランティアグループとして、チャリティーバザーや日本人のためのイベントなどを長年活発に開催してきましたが、2008年「チューリッヒ日本人会」との合併に踏み切りました。
その背景には日本経済の状態に伴う企業駐在員の激減と、国際結婚によるスイス在住日本人の増加があります。それまでは「チューリッヒ日本人会」は日本企業のスイス支店長などの代表者が代々会長を担い、企業間の情報交換と相互扶助を中心目的とし、それを補う形で「チューリッヒ日本婦人会」がスイスの生活を中心に置いての活動をしていました。しかし上記の理由により、二つのグループともにその存在の目的と意義を再確認する必要に迫られました。 結果的にすべての背景を持つ日本人とその関係者のより緊密な活動を展開していく必要が求められていました。それは経済・産業界の情報交換と相互援助にとどまらず、スイスに暮らす日本人がどのようにしたらその暮らしを充実させていけるか、相互に助け合っていけるか、さらに緊急時の相互連絡が可能な会を一つにすること、その目的が一致したことから合併という選択をとることになりました。この二つの大きな会が一つになることは、時代の変化と共に自然な流れであったとも言えます。
合併した2008年からは、それぞれが発行していた会報誌「チューリッヒ日本人会便り」と「チューリッヒ日本婦人会便り」を一つにし「EDELWEISS」と改称し、年間10回会員のもとに郵送される会報誌として生まれ変わりました。