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第2次世界大戦中、スイスに求めた亡命は認められず、アウシュヴィッツ行きとなった若きユダヤ人の物語がドイツ語で11月に出版された。このコンテンツは 2003/12/04 15:37
二人のいこととスイスへ亡命を希望したにもかかわらず、国境で拒否されること2度。3人はゲシュタポの手を経て、アウシュヴィッツへ送られた。いとこはすぐに殺され、生き残ったシュプリング氏は現在、メルボルンで生活している。スイス政府を訴えるが、最高裁判所で敗訴した。
著者のシュテファン･ケラー氏は第2次世界大戦中、中立国はドイツにも優遇し、亡命を希望して逃げてきたユダヤ人を「船（スイス）は満員」であると、ドイツへ追い返した歴史について、長年取り組んできた歴史家である。
このほど出版された「舞い戻る／ヨゼフ・シュプリングの物語」は1943年11月、16歳で2人のいとこと共にスイスに亡命したシュプリングの生涯が綴られている。
「３人は農家から漏れる灯火を見て、ノックする。家から出てきた人にシュプリングは、知り合いに連絡を取るため、電話ボックスの場所を尋ねた。しかし３人は、国境警察に突き出されたのだった」
ケラー氏は当時の様子を語る。
３人ともどもナチスが支配する隣国ドイツへ送り返されたが、２日後には再びスイスへ舞い戻ってきた。しかし、2度の願いもかなわず、スイス国境警察は3人を直にゲシュタポへ引き渡し、2度と彼らの手を煩わせないようにしたのだった。こうして14歳と21歳の従兄弟たちはアウシュヴィッツについたその日にガス室で殺され、ヨセフだけが生き残った。
国境警察を調査中に出会った人物
同書は永世中立国のスイスが第2次世界大戦中、自国を守ることに徹したため、運命に翻弄されたシュプリングの生涯が描かれている。
スイスの暗い過去の調査研究は２年前、チューリヒ工科大学の歴史教授のベルジエー氏とそのグループによってまとめられた。ケラー氏は別途政府の依頼を受け、亡命を希望した人々を法を破ってまで救済したスイス人、グリューニンガー国境警察官について調査中、シュプリング氏の存在を知った。
ケラー氏によると、
「単なる歴史調査は抽象的になりがち。スイスが亡命を拒否した人の数が2万人か3万人かで問題になる。今回出版した本は、亡命を拒否された1人の人間にとって、スイスの歴史が意味することを浮き彫りにした」
現在は歴史の延長線にある
スプリング氏は政府を訴え、10万フラン（およそ850万円）の損害賠償を要求していたが、連邦最高裁判所はこれを却下した。
著者のケラー氏はスプリング氏がスイス政府に公式の謝罪を求め、オーストラリアからスイスを訪れたときに会った。
「人なつこくユーモラスのある人という印象を受けたが、スイス政府に対する謝罪の要求は頑固として譲らなかった」
スプリング氏と会話を交わすうちにケラー氏は、彼の思いが、当時のスイスを許すか許さないかということではないことが分かってきたという。
「彼を追い返したスイスの役人さえ許すことができるようだ。しかし、スイスの過去をいまになっても認めないスイス政府は許しがたいということだ」
同書はスイスの暗い歴史を暴くだけ。ベルジエー教授のリポートで過去のことには終止符を打ったと考えるスイス人は多い。こうした非難に対してケラー氏は、
「ヨゼフ･スプリング氏のようなまったく個人的な歴史が、現在の読者にさえ反響を及ぼすことを考えて欲しい」
と歴史は現在に続き、本のように終章があるわけではなく、区切りをつけることは不可能だと反論している。
スイス国際放送 ラムセイ・ツァリフェ （佐藤夕美 （さとうゆうみ）意訳）
Key Facts
「帰郷／ヨゼフ･シュプリングの物語」
スイスに亡命を希望したが、２度にわたり拒否されたユダヤ人の生涯を綴る。
著者が現在76歳のシュプリング氏をメルボルンの住居に訪れてインタビュー。
ロートプンクト出版 34フラン
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