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ブラヴァンド君
私はドイツ語の会話を習うため、宿のボス氏に適当な先生を依頼した。そして紹介されたのがサミュエル・フラヴァンド君であった。私より一つ年下の村の小学校の先生であった。長身の凛々しい村でも有名な美青年で、二人はゴットフリード・ケラーの『村のロメオとジュリエット』という本をもって会話を始めた。ケラーはスイスのゲーテといわれる文学者であった。しかしこの勉強は少しも進展しなかった。読書も作文も止めて、専ら山の話ばかりになっていた。その頃ブラヴァンド君は一級の山案内人の資格を取ったということであった。スイスの山案内人の資格は、国家試験を経て得るのであるが、一級の資格をとるのは名誉でもあり難かしいものであった。例えば会話にしてもドイツ、フランス、イギリス、イタリア各国語などに自由でなければならないのであった。山案内人には公の案内人手帳が渡され、それに記入された実績を期末に官庁が調べることになっていた。ブラヴァンド君との交際は、これが切っ掛けでその後、山々を一緒に登ったり第二次大戦後はスイス航空の日本空路開始のとき、役員として来日し、また私は招かれてスイスに行ったりして、今日でも変りなく交際は続いている。来日したとき京都や奈良を案内したが日本式の宿を好んだ。奈良で唐招提寺辺を歩くとき町の狭い道をバスや乗用車が塞いで歩行者が軒下に避けているのを見て、驚いて声を発した。同君は建設大臣をしていたので君ならどうするかと問うと、言下に自動車を通さぬ、町の後の畑を通すといった。