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10月も終わりが近づくと、松ぼっくり、木の実、ドライフラワーなどでできたリースがスイスの、特にカトリック信者が多い州の花屋の店頭に並ぶ。11月1日にお墓に供えるための飾りである。このコンテンツは 2007/10/31 15:25
11月1日は「諸聖人の日」。聖人たちをたたえるため教会にでかける。2日は「死者の日」といい、近親者の死を悼み、墓参りをする。
今日スイスでは、11月1日の「諸聖人の日」前後に多くの人が家族で墓参りをする。日本のお盆などとの違いは？スイスでの死の意味は？現代社会で死が意味するものは？など、フリブール大学の民族学者アンドレ・デムビンスキー氏に聞いてみた。
swissinfo ： 11月1日にちなんで、スイス人は死者をどのようにしのぶのでしょうか？
デムビンスキー ： 11月1日はフリブール、ヴァレー州などカトリックの州は休みになります。そして家族で墓地に行き、墓の周囲を掃除し、リースや、生の花を供え、ろうそくをともし、近親者や祖先の死を悼み、かつ死者の魂が天国に行けるよう、そこで安らかであるよう祈ります。伝統的には、その後家族で食事を一緒にします。
swissinfo ： 日本では、お盆に近親者や祖先の魂が現世に戻って来ると考えられていますが、キリスト教でも同じように考えているのでしょうか？
デムビンスキー ： キリスト教では死後、魂は善行を尽くしていれば天国に、何らかの罪を犯していれば、煉獄 ( れんごく ) にとどまり魂を清めなければなりません。罪が深ければ、煉獄にとどまる期間が長いわけで、家族はこの日に「煉獄に長くとどまることなく、早く天国に行けるように」と祈るのです。キリスト教では、魂は存在していますが、現世に戻ってくるという考えはありません。現世と天上界は完全に2つに分離しています。
ただ、この日だけは、魂は限りなく親族に近くあって、魂と親族が対話できる「特別な日」だということが言えます。宗教的儀式が根強く残るポーランドなどでは、お墓参りが終わって、家族が一緒に食事する時、空の皿をテーブルに置いて死者のことを考えたりします。
先ほど、魂は現世に戻っては来ないと言いましたが、祈りの後に聖母マリアや聖人が現れたという神秘的な話はキリスト教にもあります。もともとケルト族の伝統で、アメリカから逆輸入された10月31日のハロウィーンも、怖い仮面などをかぶって悪い霊を追い払うということですから、ヨーロッパ文化という観点からは、魂が現世に戻ることはまったく否定できないところがあります。
swissinfo ： ところで、なぜこのような墓参りをする日というものが必要なのでしょうか？
デムビンスキー ： すべての儀式は、集団的な信心、つまりみんなが同じ価値を信じ、同じように生きているという証としてあります。みんなが同じように死者のために、墓の掃除、祈りを行うことで、集団に属しているという安心感を得ます。
一方、死とは、突然その人物が欠けることで、残った者は動揺し、社会に混乱が起きる。その混乱を儀式を通して繕います。いわば「集団的セラピー」をやるのです。特に、死んだ直後、世界のほとんどの文化で、死者の体を洗うことを行います。これは違う次元で生きるための清めの儀式なのです。そうすることで、死に価値を与えるのです。生きている者が一緒に食事するというのも多くの文化で共通しています。これらすべてが「集団的セラピー」なのです。
時期に関しては、ヨーロッパでは11月の1日ごろは、収穫が終わり、木が葉を落とし、自然も冬を迎え、再生の春を待つ。この時期に、死者の祭りがあるのは偶然ではなく、死者も自然と同じように、現世での生を終え、天国での再生を準備するわけですから。
swissinfo ： スイスではこの日、多くの人が墓参りをしますか？
デムビンスキー ： 墓参りをする人は少なくなってきています。もともとカトリックの伝統では、「現世での生は苦しみが多いが天国では安らぎがあり、ある意味で本当の生は天国にある」と考えてきましたが、現代は「天国は今ここにある。死後の世界は分からないから今を楽しむ」と考える人が多くなっています。
天国のような、青い海とやしの木が生える海岸は、現世で手に入るし、つらいことがあっても欲しい車は手に入る。本当の天国ではない擬似天国のようなもの、天国の破片のようなものが手に入り、それらを限られた人生で実現しようとし、「死は触れたくないもの」となってきています。
昔は死後、喪中を示すため家族は長い間黒い服を身につけていました。しかし今は葬式の1日だけです。死はなるべく触れたくないものなのです。ある哲学者が「現代人は瞬間を生きている」と言っていますが、まさにその通りです。
swissinfo ： しかし、死は現実にあるし、死に直面すると動揺するでしょう。したがって、集団的セラピーに代わるものがないと精神的におかしくなるのではないでしょうか？
デムビンスキー ： その通りです。死に対しては何らかのセラピーが必要です。しかし人間はいつも解決策を見つける生き物です。家族の死を目の前にし、精神的に不安定になったら、何らかの方法で、個々人が自分にあったセラピーを見つけるようです。
また、自分はジュネーブに住み、両親の墓はチューリヒにあるといった現代性が集団での儀式を崩していくという側面もあり、親族での墓参りの代わりに、一人でこっそりと窓辺にろうそくと石を置き死者を想う人など、個人のセレモニーをする人が増えているようです。
個人的解決法が新しい伝統になるかもしれません。私は今までの伝統が消えると悲しむペシミストではありません。儀式、伝統というものは、変わっていくというダイナミックな側面を持っているのです。ですから人類の歴史が今まで続いて来たのだと思います。
swissinfo、聞き手 里信邦子 ( さとのぶ くにこ ) 、フリブールにて
アンドレ・デムビンスキー氏
1970年、ポーランドに生まれる。フランスで学士号修得後、2006年にフリブール大学で、社会民族学と考古学の修士号取得。現在、同大学で社会民族学の博士論文執筆中。
同時に、無形文化財の保護、継承を積極的に行う機関「語り部館 ( Story Teller Museum )」 と「スイス無形文化遺産基金 ( Swiss Institute of intangible Heritage )」の所長を務める。
マーケティングとコミュニケーションのコンサルタントも行っている。
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