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世界でもっとも古く、もっとも小さいといわれるスイス衛兵軍がローマ法王の護衛に当たって今年で500年になる。
これを記念し数多くの催し物が予定されている中で、創立日にあたる1月22日にはすでに、バチカンとフリブール／フリブルクでミサが行われた。毎年新兵の誓いの儀式がある5月6日を前後して、バチカンやスイスで記念式典などが数多く催される。
バチカンのサンピエトロ広場を訪れる多くの観光客は、カラフルな制服を着た兵士と一緒に写真を撮れば満足そうにその場を立ち去る。時間に追われる観光客は、スイスの衛兵がなぜローマ法王の護衛に当たっているのかということに考えを馳せる余裕はないのかもしれない。広場に不動で立つ衛兵が、バチカン宮殿の奥深くで見張りだけではなく、ほかの実務にも携わっている姿を想像する人は、さらに少ないのではないか。
フランス王の衛兵の２倍のスイス兵が欲しい
中世の昔から、スイス人は勇猛で、傭兵であるにもかかわらず忠誠心もあると人気が高く、諸国の王や領主から引っ張りだこだった。スイスの傭兵の歴史は長く、同じスイス人同士で敵と味方に分かれて戦ったこともあった。1250〜1850年の間に外国に傭兵として仕えたスイス人の数は200万人に上るという。
15世紀にローマ法王となったユリウス2世（1443-1513）は、ルネサンスの芸術家、ミケランジェロやラファエロのパトロンであったと同時に、ローマの権力の拡大に努め、バチカン軍の先頭に立って戦いの指揮をしたという「恐るべき法王」だった。法王は自分の身辺を警護する兵士をローマに送るようチューリヒとルツェルンに要請した。フランス国王が抱える傭兵の倍の200人を望んだ法王だったが、1506年1月22日にローマに到着したスイス兵の数は150人だった。ローマでの兵役は給料も魅力的ではなく、高価な戦利品の分け前に預かることも期待できなかったから（ドイツ語週刊紙ファクツ2005年12月15日号）といわれる。
しかし、スイス衛兵の勇敢さは1527年5月6日に起こったローマ略奪（Sacco di Roma）で証明された。神聖ローマ帝国のカール５世が率いる軍がローマで殺戮、破壊などを行った事件である。この際、142人のスイス衛兵が戦死し、法王クレメンス７世は、危機一髪で42人の衛兵と共に秘密の地下道を通ってサンタンジェロ城に逃げ込んだが結局、法王軍は敗北した。
ローマ略奪の5カ月前、チューリヒ評議会はチューリヒ出身の衛兵43人に対し、帰国命令を出したばかりだった。市長の息子も衛兵として出兵していたが、祖国の命令を無視し、バチカンに残った。ローマ略奪で彼も同士と共に戦死した。現在、毎年ローマ略奪が起こった5月6日には、入隊したばかりの新兵の誓いの儀式が行われる。
魅力のある国外生活を求めて
現在、衛兵に応募するスイス人は毎年300人ほどあり、その中から110人が選ばれるという。不景気で失業率が高いことも一つの理由に挙げられるが、衛兵になるとイタリア語、英語など語学が学べるほか、ＩＴ教育、ボディーガードなどセキュリティー専門家としての職業教育が受けられることも魅力になっている。
衛兵になり、一度はスイス国外で生活してみたいと思う人のほうが、敬虔なカトリック信者として法王にお仕えしたいという思う人を上回るようだ。25年前に衛兵としてバチカンで生活したオトマール・ズーターさん（48歳）は「文化や芸術に興味があったので、衛兵に応募しました。休日に、バチカン宮殿やローマ市内の教会、遺跡を見て歩くだけでも楽しかった」という。
50年前に3年間バチカンで衛兵として過ごしたヴィリィ・クヴェルダーさん（74歳）も「ローマ、バチカン、そんな外国への憧れがあった」と明かす。スイスで兵学校を終え、衛兵としての条件が備わった後、肉屋で働きながら募集を待ったという。「一度も危険な目には会いませんでした。かといって、緊張感がなかったわけではありません。衛兵の生活は規律があり、変化のある毎日でした。休暇にはアルバイトで観光ガイドなどもしましたが、いろいろな人に出会うことができて、人生の中で、もっとも素晴らしい日々だったと思います」と語る。
危機感は増している
カラフルな制服を着る衛兵を見ると、彼らは法王の「おもちゃの兵隊」（ブリック紙）という印象を与えるが、法王を護衛するのが使命だ。ズーターさんも「何かあったら、自分の命を懸けても法王を守っただろう」と言う。1981年、ヨハネスパウロ2世が狙撃された日は非番で、ローマ市内に出かけようとしていた。ズーターさんは心配になって、すぐバチカンに戻ったという。
2001年9月11日の米同時多発テロ以降、ローマ法王の近辺はテロの可能性に緊張感が増しているという。スイス衛兵の役割はあくまでも法王を守ることにあり、たとえばテロの犯人を捕まえることではない。法王の護衛で難しいといわれるのは「法王とは相談できないこと」。もっと信者と密接に接したい、護衛に当たる人の数を減らしたいと法王が望めば、スイス衛兵はそれに従うしかない。
永世中立国であり、カルヴァンやツィングリなどの宗教改革者を出したスイスから、バチカンに衛兵を派遣していることに矛盾はないのか。連邦政府は衛兵を警察官としてみなし、個人として法王に仕えているとみなしている。一方で、スイス衛兵はローマに留まらず、世界に向けてスイスをアピールする「素晴らしい大使である」と位置づけている。
クヴェルダーさんは「スイスの山奥、ムゥアタタル(Mouetatal)から大都会のローマに出て行き、自分の世界が広がった」という。未知の文化を積極的に吸収しようとイタリア語のレッスンは自腹を切って受けた。ズーターさんにとってバチカンは「人生学校」だった。機会があれば、若い人に是非、勧めたいという。スイス国外の文化に触れ、視野の広いスイス人が育つことは、スイスにとって大きなメリットに違いない。
swissinfo、佐藤夕美（さとうゆうみ）
キーワード
予定されている催し物
4月7日〜5月3日 150人の兵士がベリンゾーナからローマまで「出兵」の行進に参加。
5月3〜6日 バチカンで記念式典
6月24日 スイス衛兵展開幕（ペンテ城、ジュネーブ）
補足情報
＜スイス傭兵の条件＞
- 19歳から30歳までのスイス男子。
- 身長1.74センチメートル以上。
- カトリック信者。
- 職業教育学校卒業、または大学入学試験合格者。
- 兵学校卒業者。
- 衛兵として2年以上ローマ法王に仕えることができる人。