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アートバーゼルが3年ぶりに（ほぼ）完全な形で開催された。出展ギャラリー数も訪問者数も回復し、盛況を博したが、ロシア人の姿は見えなかった。
世界最大のアートフェアにロシアのギャラリーがいないのは驚くことではないが、非常に目を引いた。国際的な制裁によって実質的に欧州とロシアを自由に移動できなくなり、ロシアのアートディーラーとアート作品は、アートバーゼルと同時期に開催されたサンクトペテルブルクの代替的なアートフェアにしか出展できなかった。
ロシア帝国の首都建設の年にちなんで名付けられた「1703コンテンポラリー・アートフェア他のサイトへ」にはロシア国営エネルギー大手ガスプロムが出資し、合計17のギャラリーが出展した。
アートバーゼルの参加ギャラリーが289と正常化を印象付ける数に達したのに比べるとわずかな出展数だ。ちなみに、新型コロナウイルスのパンデミック（世界的大流行）収束前の昨年のアートバーゼルは参加者数272、そして2019年は290だった。20年は開催が中止された。
ロシアのギャラリーは参加を禁じられたわけではない。多くはアート作品販売で流行のオンラインビューイングで出展した。
今年のオープニングでアートバーゼルのグローバルディレクター、マーク・シュピーグラー氏は、このフェアが米国、欧州、日本の常連以外、特にアフリカや中東のギャラリーに対して更にオープンになったと強調した。しかし、ロシア人の参加者を規制するガイドラインは特に設けなかった。
ロシアの存在感
ロシアのギャラリーは不参加だが、ロシア人バイヤーとコレクター、そして彼らの資金力は存在感を発揮した。本人はいなくても、主に入札や購入を仲介する英米のアートコンサルタントを通して参加している。
プレビュー期間、通路やブースではまだロシア語が聞こえてきた。アンドレイ・マラーホフ氏（ロシアの主要テレビ局「ロシア1」の司会者）とテレビのニュースキャスターであり、社交界の名士であり、女優でもあるクセニヤ・サプチャーク氏という2人の著名なロシア人ジャーナリストがアートフェアで目撃されたという（swissinfo.comは裏付けが取れなかった）。
渡航制限のため、今年バーゼルを歩き回っていたロシア人バイヤーのほとんどはロシア国外に住んでいる。swissinfo.comは偶然、そのうちの1人に出会った。彼はデニス・セルという仮名を名乗った。
16年前からドイツのケルンに居住し、美術品トレーダーとして活動するセル氏は、「ロシアでのこの（独裁的な）一連の出来事は驚くことではない。私たちは皆ずっと長い間こうなるとを見ていた」と話す。セル氏によると、ロシアのエリートである美術業界関係者は、何が起こっているのか正確に知りながらプーチン氏に同調したのだ。
セル氏はと言えば、ロシアのアートシーンとは無縁だ。「ケルンではもっと興味深いアート作品がたくさん取引されている。例えば、ヨーゼフ・ボイス、ゲルハルト・リヒター、シグマー・ポルケなどだ。なぜロシアに関わる必要がある？」
ウクライナの存在感
ロシア不在の空白はウクライナのギャラリーが埋めた。アートバーゼル開幕の数週間前、フラグメントとオスノヴァというロシアのギャラリーが、バーゼルで並行開催されるセカンド・フェア、リスト（LISTE）のブースをウクライナの2つのギャラリーに譲ったというニュースが流れてきた。キーウのネイキッド・ルーム・ギャラリー他のサイトへの共同創業者兼オーナー、マリア・ランコ氏は「それは私たちに連絡があった事実とはことなる」とswissinfo.chに話した。「リストから直接招待された。ロシアのギャラリーには絶対に招待されたくない」
想像される筋書きとしては、ウクライナ戦争のため直前にロシアからキャンセルをくらったリスト主催者が、ランコ氏ともう1つのウクライナのギャラリー、ヴォロシン他のサイトへに無料でブースを提供したといったところだろう。リストの新出展者のブース料は7600ドル（約1030万円）だ。
ヴォロシン・ギャラリーもネイキッド・ルーム・ギャラリーも以前からアートバーゼルに出展申請をしていたが、許可されたことはなかった。戦争のさなかにバーゼルに来られたのはラッキーだったといえるかもしれない。
リスト他のサイトへや、同じく並行開催されるセカンド・フェアのヴォルタ（VOLTA）他のサイトへは若いギャラリスト向けのインディペンデントなフェアとしてスタート。長年にわたり、有力美術商が何百万ドルもの高額取引を行うアートバーゼルの高級ホールに代わる若手の受け皿として機能してきた。両セカンド・フェアはすでにアートバーゼルの一部となっており、アートバーゼルの仲間入りを目指すギャラリーの足掛かりとなる「代替組織」のような役割を果たしている。End of insertion
戦禍のアート
ウクライナのギャラリストの状況は悲惨だ。マキシムとジュリア・ヴォロシン夫妻は昨年秋から祖国を離れたきり帰国のメドがつかない。ジュリア氏は「メキシコの展示会に向けて出発し、その後、ダラスでも展示会があった。戦争が勃発すると、マイアミで身動きが取れなくなった」と語る。キーウにある彼らのギャラリーはシェルターとなった）
マキシム氏は「私たちのギャラリーが入っているビルが、第二次世界大戦中すでに防空壕（ごう）として使われていたというのは悲しい皮肉だ」と話す。寒い2月末にロシアの爆弾がキーウにも落ち始めた時、ヴォロシン氏が抱えるアーティストと家族、ペットは数人の隣人と共に、まだヒートポンプが動いているギャラリーに避難した。
2歳の娘を連れて各地を転々とするヴォロシン夫妻は、決して戦争から現実逃避しているわけではない。「できるだけ多くのアートフェアに参加しなければならない。それがウクライナにいるアーティスト、ギャラリー、そして家族の支援として私たちができることだから」（マキシム氏）
ウクライナのアーティストの現実はさらに悲惨だ。マリア・ランコ氏は「今、芸術活動はしていない。彼らは皆、兵士やボランティアなどとして戦争に協力している」と話す。しかし、ヴォロシン氏のカタログに載っている主要アーティストの1人、レシア・コメンコ氏は現在開催中のベネチア・ビエンナーレへの輸送に間に合うように「Max is in the Army（マックスは軍隊にいる）」というシリーズ作品を何とか完成させた。同じくアーティストの夫、マックス氏が軍隊の敬礼をしている姿のドローイングで、普通の人間が日常生活から切り離され、兵士になっていく様子を描いている。コメンコ氏は夫が現在どこにいるのか全く知らない。
ロシア人の話はしない
バーゼルのウクライナ人はロシア人同業者と関わるのを一切拒否している。これは2月の戦争から始まったわけではなく、長く続いている問題だ。
ヴォロシン夫妻は、ウクライナのアートシーンは、ソビエト連邦崩壊後、ロシアとは全く別の力学で発展したと話す。マリア・ランコ氏はこれとは少し異なる見方で、2014年のドンバスの紛争やクリミア半島の併合で本当の亀裂が入ったと考えている。
「2014年以前も全く同じシーンではなかったかもしれないが、両者は強い結びつきがあった。同じような文化的精神的土壌の一部だった。それから、私たちは遠く離れてしまった。ロシアのアートシーンで何が起きているかもう知らないし、どんな新しいアーティストがいるのかすら知らない」。
もちろん個人的な友人関係は続いているが、組織レベルではすべてのつながりが断ち切られた。それでもバーゼルではロシア人がランコ氏のギャラリーに所属するアーティストの画集を買った。「彼らはとても控えめで、私と英語で話し始めた。恥じているのだと思うし、当然恥じるべきだと思う」（ランコ氏）
ヴォロシン夫妻とランコ氏がバーゼルに招かれることになった経緯がどうであれ、売名行為であったとしても、その努力は報われた。ランコ氏によると、プレビュー開幕10分で最初の実質的な売却が成立し、フェアが一般公開される時にはほとんどの作品がすでに売却済みか予約済みだった。ヴォロシン夫妻もバーゼルでのビジネスが行われるスピードに感銘を受けていた。
しかし、アート作品の運搬はまだ厄介だ。戦争開始後数週間でランコ氏は作品をキーウから西側の国境に近いリビウの美術館の保管庫に何とか移動できた。ヴォロシン夫妻はまだほとんどの作品をキーウに所蔵しているが、ウクライナの首都から動かすのは実質的に不可能だ。
マキシム・ヴォロシン氏は「どのヨーロッパの都市からも最短でも3日かかるということを想像してほしい。キーウからの航空便がないからだ。アート作品は特別な梱包だけでなく、許可と税関書類と様々な役所手続きも必要だ」と話す。終わりの見えない戦争が収束しない限り、ランコ氏もヴォロシン夫妻も祖国には戻らない決意を固めている。
英語からの翻訳：谷川絵理花
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