Document ID: /fineweb-2-swissfilter-quality_10-filterrobots/filtered/00246.jsonl.gz/13

ペストの犠牲者のため1482年に作られた「王の墓地（Cimetière des Rois）」は、ジュネーブに現存する最も古い墓地だ。ここには、スイスの近代化に貢献した多くの偉人が眠っている。このコンテンツは 2020/09/08 08:30
正式には「プランパレ墓地（Cimbière Plainpalais）」。だが昔から「王の墓地」と呼ばれている。王族が埋葬されているからではなく、「ロワ（王）通り」に面しているからだ。ジュネーブのジャンクション地区にあるこの小さな墓地には、スイスや世界の著名人が眠っている。「ジュネーブのパンテオン」とも呼ばれる所以（ゆえん）だ。
最初に埋葬されたのは、ジュネーブ市近郊のペスト病院の患者だった。その名残も病院もずっと昔に姿を消してしまい、今では当時この場所がどれほど悲惨な場だったかを想像するのは難しい。
今では緑豊かな小さな公園（2.8ヘクタール）だ。手入れの行き届いた墓がずらりと並んでいるわけではなく、低木の木陰の下に白い小石の歩道が交差する芝生が広がる。草丈は長めで、低木はあまり剪定されていない。ベンチに腰掛けてゆっくり考え事をすることもできる。クエスチョンマークの形をした「謎のベンチ」もある。母親と小さな男の子がそこに座ってプレッツェルを食べていた。毎週ここに男の子を連れてくるのだという。「ここは静かで、木々は美しいし、居心地のいいベンチもある。それに犬のフンも落ちていないしね」と母親はフランス語で話してくれた。ここから10分ほど離れたところに住んでいるらしい。
この墓地はまるで田舎の公園のような感じがする。地面の上は美しく、地面の下には多くの偉大な精神と心が宿る、肥沃な土壌があるように－。
ここに埋葬されている人物で最も有名なのはおそらく、宗教改革の父、ジャン・カルヴァン（1509～1564）だろう。だが墓地のどこに埋葬されているか、正確な場所は秘密にされている。カルヴァンは、彼やほかの著名人を崇拝する狂信者がスコップを持って好ましくない意図とともに訪れることを恐れていたからだ。だが1999年、多くの人の願いに反し、地元の政治家がプレートを掲げたカルヴァンの墓を作った。ではカルヴァンが実際にその下に眠っているのか？それは誰にも分らないらしい。
この清教徒の神学者が、スイスで最も名の知られた売春婦、グリゼリディス・レアル（1929～2005）の近くに埋葬されている可能性だってある。扇動的な話し手であり作家、そして誇り高き売春婦だったレアルは、売春婦と女性の権利のために雄弁に戦った。その墓石はひときわ目を引く。光沢ある灰色の1メートルほどの円形の石に、女性の臍（へそ）と下半身のラインを表す独特の線が彫り込まれている。
ここに埋葬されている他の作家には、文学の巨匠、ホルヘ・ルイス・ボルヘス（1899～1986）もいる。このアルゼンチンの作家の荒削りの墓石は、ヴァイキングの戦士のものかもしれない。石の正面に彫られた戦士たちの絵の下には、ボルヘスが翻訳した古英語詩「モルドンの戦い（The Battle of Maldon）」の一節、「And ne forhtedon na（Be not afraid 恐れるな）」が刻まれている。
コロンバリウム（地下の納骨堂）にある300以上の墓には、スイスの芸術家たちの名前が並ぶ。
役者のフランソワ・シモン（1917～1982）、画家で印刷家のアレクサンドル・カラメ（1810～1864）、作曲家フランク・マルタン（1890～1974）、詩人シモーヌ・ラパン（1901～1988）、出版者で外交官だったフランソワ・ラシュナル（1918～1997）など、芸術分野で際立った人物たちだ。
政治、外交、ジャーナリズム、科学、文化の分野で活躍したスイスの著名人も埋葬されている。児童心理学者で認識論者のジャン・ピアジェ（1896～1980）、赤十字の共同創設者ギュスターブ・モワニエ（1826～1910）、赤十字の共同創設者でありスイス国旗のデザインの提唱者でもあるギョーム・アンリ・デュフール将軍（1787～1875）、ジュネーブで最初の植物園を創設したオーギュスタン・ピラミュス・ドゥ・カンドール（1778～1841）、現在はジュネーブ最大の公園であるラ・グランジュ公園になった土地を市に寄贈した陸軍将校で冒険家、市議会議員でもあったウィリアム・ファーブル（1843～1918）などだ。
このような著名人たちの魂が、毎晩真夜中になると目を覚まし、自分たちの考えや理想を互いに漂わせるような、そんな夢のような会話を想像してみて欲しい。
将来はあなたもここで一緒に眠りたい？市の規則では、残念ながらおそらく無理だ。あなたが「判事」だったりジュネーブに多大な貢献をもたらした特筆すべき「著名人」であることを証明したりできない限りは。この墓地に埋葬された最後の人物は、ジュネーブにコンテンポラリーダンス協会を設立した振付家のノエミ・ラプツェソンだ。2018年1月に埋葬された。
墓地には驚くほど多種多様な墓碑があり、まるで彫刻の庭園のようだ。高さ3メートルはあろうかという石の山はスイスの元大統領、ジョルジュ・ファヴォン（1843～1902）のもの、驚くほど詳細に作られた二つの手が地上の石から立ち上がるフランソワ・シモンの墓、シモーヌ・ラパンのほっそりとした高さ1.6メートルのブロンズ製の「楽園の鳥」、ポール・ファビアン・ペレ・ジャンティ（1895～1973）の本の形をした巨大な赤い大理石、彫刻家ペドロ・メラン（1890～1954）の強烈な顔。ちなみにメラン自身は社会主義政治家のレオン・ニコル（1887~1965）の墓碑の胸像を作成している。
もう一つ興味をそそられる墓碑は、目立たず、慎ましい。シンプルなセメントでできた、上部がアーチ形になった等身大の枠に、丸みを帯びた川の石が敷き詰められている。墓石も日付もなく、ここに眠る人物を語るものは何もない。あるのは「609」という番号だけ。事務所の外の墓のリストを見ると誰かを知ることができる。「アドルフ・ターナー」とある。誰でもターナーさんの墓から石を拾ってポケットに入れることだってできる。そんな人はいる？管理人が時々石を補充したりする？アドルフ・ターナーは誰？匿名でいることを好んだ人？墓地の小道を物思いにふけりながら散策しているうちに、そんなことを考えるかもしれない。
墓のそばに小さな贈り物を置いていく人もいる。ボルヘスの墓石には数編の詩が寄りかけられていた。レアルの墓には、貝殻、ビーズ、空っぽのワインボトル、小冊子、ペンが飾られていた。冊子には何が書かれているのだろう？あなただったら何を書く？
墓地は木や植え込みで木陰になっている。形も大きさも異なる、とても多くの種類の木が、木漏れ日を通しながら成長し、彩（いろどり）を与え、小鳥がさえずり歌を歌うための心地良い場所を提供している。ここではより一層季節を感じることができる。この冬、ジュネーブでは数回しか雪が降らなかった。だがそれは街の音を和らげ、小さな公園にまるでレースのような繊細さを加えてくれた。夏の今は、暖かな風と雨が、墓のそばの草木や花たちを華やかにしてくれる。
そしてまた秋がやってくる。ここを訪れるには最も心にしみる季節かもしれない。豊かに揺らめく葉の色は深みを増して黄色くなり、墓石や草の上にはらりと落ち、茶色くなって壊れやすくなる。風に吹かれて吹きだまり、足元で崩れながら、静かに土に戻っていく…。
王の墓地（Cimetière des Rois）は毎日午前7時半から午後7時まで開園している。
※訂正 埋葬されている著名人の中で、赤十字を創設したアンリ・デュナン（とありましたが、赤十字の共同創設者ギュスターブ・モワニエの間違いでした。訂正しておわびします。