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愛の福音書
『初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。
この言葉は、初めに神と共にあった。万物は言葉によって成った。
成ったもので、言葉によらずに成ったものは何一つなかった。』
ヨハネによる福音書第１章１節〜３節
これは、有名なヨハネによる福音書の冒頭部分です。
ヨハネは、確信を持ってこのように語っておりますが、
でも、この言葉は真理ではありません。
けれども、新約聖書の中のこのヨハネの言葉は真理であると捉えられて、
今まで、おもに西洋に、大きな誤解をもたらしてきたのです。
初めに、言葉があったわけではありません。
そして、言葉によらずに成ったものは、たくさんございます。
例えば、音や音楽は、言葉でどのように表現することができるのでしょうか？
音楽を言葉で言い表せたとしたならば、
それは、全く音楽ではないことになってしまうのです。
それから、この地球や宇宙の大自然も、とても言葉で言い表すことなど不可能です。
例えば、空の美しさを言葉で、どのように表現することができるでしょうか？
私達は、ただ空、雲、太陽、月、星、などという言葉を付けましたが、
でも、それらの言葉で言い表すことのできるものは、
あまりにも実体とはかけ離れたごくごく僅かな一部分でしかないのです。
結論を言えば、万物は言葉によって成ったものではない、となります。
もちろん、言葉は、神（至高のお方）を表す、最も重要なものの１つではあります。
私も、大量の言葉を用いて、神を、何とか表現しようと、
毎日、アイアラシの法則を書いておりますが、
でも、私の究極の教えは、そこにはないのです。
どうして、私が、毎日、大量の言葉を用いて、アイアラシの法則を書くのか？
と言ったならば、それは、あなたがたを沈黙へと導くためです。
あなたがたの荒れ狂っているマインドを静めさせて、
沈黙、瞑想、祈りへと導くことが、
私が、アイアラシの法則を、大量の言葉を用いて、書く理由です。
私の本当の教えは、沈黙の教えです。
私の究極の教えは、無言の眼差しです。
それでは、言葉によって成ったのではなかったならば、
一体、何によって成ったのでしょうか？
私は、ヨハネによる福音書の、「言葉」という部分に、
「愛」という言葉を当てはめてみました。
愛という言葉を当てはめてみたところ、
以前よりも、より一層美しい文章になったと思います。
まさに、「愛の福音書」です。
『初めに愛があった。愛は神と共にあった。愛は神であった。
この愛は、はじめに神と共にあった。万物は愛によって成った。
成ったもので、愛によらずに成ったものは何一つなかった。』
そして、この愛の福音書こそが、宇宙の絶対真理と呼べるものなのです。
愛の福音書 全文
初めに愛があった。愛は神と共にあった。愛は神であった。
この愛は、初めに神と共にあった。万物は愛によって成った。
成ったもので、愛によらずに成ったものは何一つなかった。
愛の内に命があった。愛は、人間の命を照らす光であった。
愛は、無知の闇の中で輝いている。
無知の闇は、愛を理解しなかった。
神（至高のお方）から遣わされた一人の人がいた。
その名はイエス・キリストである。
彼は証しをするために来た。
愛について証しをするために、
また、すべての人が彼によって信じるようにするためである。
彼は愛ではなく、愛について証しをするために来た。
その愛は、まことの愛で、世に来てすべての人を抱擁するのである。
愛は世にあった。
世は愛によって成ったが、世は愛を認めなかった。
愛は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
しかし、愛は、自分を受け入れた人、
その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
この人々は、血によってではなく、
肉の欲によってではなく、
人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
愛は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
わたしたちはその栄光を見た。
それは父の聖霊としての栄光であって、愛と知恵と真理とに満ちていた。
愛は知恵であり、知恵は愛である。
知恵は真理であり、真理は知恵である。
イエス・キリストは、この方について証しをし、こう言った。
「この方は、真理の霊である。」
わたしたちは皆、この方の満ちあふれる知恵の中から、
知恵の上に、更に知恵を受けた。
律法はモーセを通して与えられ、恵みはイエス・キリストを通して与えられ、
知恵と真理はジョージ・アーナンダ・クリシュナを通して現れたからである。
父なる神、
子なるイエス・キリスト、
聖霊なるクリシュナ、
これを三位一体の神と言う。
※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。
合 掌