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世界最高のヨットレース、アメリカズ杯のスイスの挑戦艇が銀杯をニュージーランドからアルプスの国へ持ち帰り、スイス国民歓喜に沸く。このコンテンツは 2003/03/09 20:27
ジュネーブ市民がスイスの新しいヒーローとなった富豪として知られるベルタレッリ氏と “世界一”の船乗りラッセル・クーツ艇長を始め「アリンギチャレンジ」チームをジュネーブのレマン湖畔で迎え、歓迎式が行われた。4万人もの人々が集まった。
アメリカズ杯優勝の経過
世界最高峰のヨットレース、アメリカズカップ（ア杯）は1851年の万国博覧会開催（ロンドン）を記念して行われた英ワイト島沖でのヨットレースで米国のアメリカ号が英国艇を破り優勝した。水差しの形をした銀製の優勝杯を受けたのがきっかけとなった。ニューヨーク・ヨットクラブがこの「アメリカズカップ」と呼ばれる優勝杯に挑戦するレースを企画したのが始まり。前年の勝者である防衛艇が挑戦者の挑戦艇と対決するという方式で3から5年に一度開催。また、アメリカズカップに挑戦する艇は「ルイヴィトンカップ」で選ばれる。
2003年の2月1５日から始まった第31回ア杯は3月2日に5-0の圧勝で「アリンギチャレンジ」（スイス）が防衛艇「チームニュージーランド」を破り、152年のア杯の歴史で初めて欧州にカップが戻った。
国賓並みの歓迎
3月8日にジュネーブ空港に到着したアリンギチームはスイスのクシュパン大統領とジュネーブ市長に迎えられ、記者会見を行った。レースに参加もし、スイスのマスコミから「新しいヒーロー」と騒がれているオーナーのエルネスト・ベルタレッリ氏は「スイスに銀杯を持ち帰るのが夢だったが今日それが現実となり、世界一の幸な男です」と語った。2000年にチーム･ニュージーランドを優勝を導いて、引き抜かれたクーツ艇長は「2007年の次期ア杯の準備のため、スイスに引っ越す予定だ」と述べた。また、戦略担当のブラット・バターワース氏（ニュージーランド）によるとチームはジュネーブ周辺のレマン湖畔をベースにする予定だという。
アリンギの次期アメリカズ杯への提案
ア杯のレース委員会は優勝チームが運営するという不思議なルールがある。当然、委員会は自分のチームに有利な運営を行うので、挑戦者に不利で防衛艇に有利な戦いが行われやすい。
今回も、風が強すぎたり、弱すぎたりと何度もレースが延期になり、この決定が防衛艇に有利だとアリンギチームは強い不満を示していた。そこで、次回ア杯を運営することになったアリンギは、3月4日に次期レースのルール変更を提案した。これは、挑戦者に不利なルールを改善しようというもので、まずは独立した中立なレース委員会を作ること、また挑戦艇を決める「ルイヴィトンカップ」とア杯を同じ団体がオルガナイズすることなどを規定している。その他、挑戦者の国でヨットの船体は製造されなければならないがマスト、帆やその他の装備は国外で製造されてもいいという新ルールにより、テクノロジーの移転を可能にし、多くの国がチャレンジできるようにという考慮がされている。
スイス人の反応
山の国スイスでの海上での快勝にスイス中が沸き立っているが、「スイス人よりニュージーランド人が多くて本当に勝利か？」と疑問を投げかける声も出ている。しかし、このアリンギチームの構成が14カ国からの寄り集めということ事態がスイスらしいとの意見もある。ともあれ、海洋であることが原則であるア杯の次の開催地をめぐっては欧州各地の港町が候補に挙がっている。記者会見でクーツ艇長は「風の強さや観客が観戦できる沿岸があることなどに重点を置いて選ぶ」と述べたが3月中に候補地を４ヶ所に絞って、遅くとも２００３年の１２月１５日には発表される。次期、ア杯は２００７年に開催されるが、選抜レースは来年の夏から始まる予定だ。
キーワード
日本からの初参加は1992年。続く、95年、99年と準決勝まで進んだが今回は資金難で日本艇は挑戦断念。1851年以来、ア杯は83年のオーストラリア、95年と2000年のニュージーランド以外の27回はずっとアメリカに留まっていたEnd of insertion
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