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レマン湖畔の小さな町ヴヴェイで数十年に1度開催される「フェット・デ・ヴィニュロン（ワイン生産者の祭り）」。その歴史を写真ともに振り返る。
華やかな野外フェスティバル「フェット・デ・ヴィニュロン他のサイトへ」は、レマン湖のほとりにあるラヴォー地区・シャブレ地区のブドウ栽培とワイン造りの伝統を称える祭典。2016年、長年熱望していたユネスコ（国連教育科学文化機関）の無形文化遺産に登録された。
祭典の起源は17世紀に遡る。ヴヴェイのワイン生産者組合他のサイトへが年次総会の後に地元でパレードを催し、ワイン文化と最も功績のあったワイン生産者を称えたのが始まりだ。
プロテスタントの質素倹約の思想が色濃い1536～1798年の間、現在ヴォー州のある地域ベルン州の支配下にあり、大衆的な祭りはほとんど行われなかった。そのため、地元の参加者によるパレードは珍しく、レマン湖畔の地方や遠方からも注目されるようになった。
1770年頃、啓蒙思想の影響を受けた組合は、最も功績のあった地元のワイン生産者に冠を授けることにした。1797年には、パレードの規模を拡大し、ヴヴェイのマルシェ広場に2千人の観客を収容できるステージを設け、「フェット・デ・ヴィニュロン」と称することが決まった。四季を表現する衣装に身を包んだ人々のパレードと戴冠式を、観客はチケットを購入して観るようになった。
それ以来、約20年毎に祭典は開催され、その重要性は高まる。また、国や伝統を称える新しい要素や、ローマ神話のワインの神バッカスのようなキリスト教のではない神々を取り入れながら、祭りは進化してきた。ミュージシャンやダンサーと牛飼いが肩を並べるのは、湖畔のワイン醸造の町と周囲の山岳地帯との繋がりを象徴している。有名な牛追い歌「ラン・デ・ヴァシュ」は祭典最大の見所だ。
1889年には、1万2千人を収容するステージのある祭典に拡大された。ソチやトリノの冬季オリンピックで閉会式のディレクターを務めたダニエル・フィンジ・パスカ氏が演出する2時間のショーのために、今年は2万席ある最新のアリーナが建設中だ。予算1億フラン（約108億円）、100万人の来場者を見込む民間のイベントを運営するためには、膨大な事業計画と専門技術が必要とされるが、ほとんどのスタッフは地元のボランティアだ。そして、ショーのテーマの多くは200年以上前の初演のものと同じだ。
そうしている間にもワイン生産者組合の仕事は続く。年3回、約100の選ばれたブドウ畑を、組合が任命するワイン生産の専門家らが訪れ、仕事の質を評価する。組合はその結果を3年毎に発表し、同業者たちの出席する祝賀会で最良のワイン生産者を称える。