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1日に赤い魚の形をしたボートで、バルセローナ港を発った中島正晃（せいこう）さんは、航海1日目にしてスペイン沿岸警備隊に強制的に送還され、現在グリンデルワルトの自宅で休養中である。
このため、アルプスの山に囲まれたスイスのグリンデルワルトから愛知万博を目指しての一人ぼっちの航海は、ひとまず中断された。
10年前、中島さんはスイスからニューヨークまでの単独航海に成功。1回目に使ったボートはルツェルンの交通博物館に常時展示されている。今回は70歳で二度目の挑戦。しかも、4月15日の愛知万博におけるスイスデーに間に合わせ、万博会場に赤い魚の形をしたボート、「Why not？」号で乗りつけることを目指していた。単なる冒険家としてだけではなく、高齢者にも力を与えてくれる存在として、スイスでも日本でも注目されていた。
365日の努力が一日で消え去った
「365日、寝食を忘れて努力した計画だったが、1日で駄目になってしまった。悔しい」と現在グリンデルワルトで休養をしている中島さんは7日夜、弱々しく言葉少なに電話で語った。
前回ニューヨークまで黄色いボートで航海した際にも、最初の数日間は船酔いに悩まされたことから、今回の船酔いも覚悟はしていたという。
バルセローナ港を出航した12月1日の海はかなり荒れていたため、以前にも増してのひどい船酔いになった。それに加え、気管支の調子が悪くなり、微熱もあった。そこで、ひとまず船酔いをやり過ごそうと、その晩はボートの中で横になって休んでいたという。しかし、その彼の様子を見て航海続行は無理と判断したスペインの沿岸警備隊により、バルセローナ港へ引き戻されてしまった。
ハプニングだった
これまで中島さんをサポートしつづけてきた「中島正晃を支援する会」の船田宗康（むねやす）さんは「事故ではなくハプニングだった」と思っている。なぜなら、誤解が重なったことが招いた「不運」だったからだ。
沿岸警備隊に通報した通りすがりの漁船の乗組員は、スペイン語しか話せなかった。中島さんは英語、ドイツ語、イタリア語を使って航海の意志を伝えたが、うまく伝わらなかった。警備隊員にも同じようにその強い意志を伝えた。しかし、小さいボートで、しかも日本までの航海は無理だという判断があったようである。
さらに、人命救助が使命の警備隊員は中島さんのボートまで気が回らなかったようだ。魚の形のボートの尾ひれの部分にロープをつなげ、猛スピードで港に向かった。この2時間ほどの護送中、護送艇から出る波をボートが腹面に受けたため、ハッチが開いて艇内に浸水した。このためボートに乗せていた器財は一切使い物にならなくなったという。無事だったのは、救助艇に乗り移った時に持ち込んだ旅行かばんとビデオ、そして衛星携帯電話のみだった。幸いボートは無傷だが、器財がすべて使えなくなった今、ひとまず中島さんの夢は断念しなければならない結果となった。
「今回のことを足場にし、彼の体と精神の回復を待ってから、彼なりの素晴らしい生き方をしてもらうために、再び何かにチャレンジすることを支援していきたい」と前出の船田さんは語っている。
スイス国際放送 佐藤夕美 （さとうゆうみ）
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中島正晃を支援する会
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