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アルベルト・アインシュタインは小さな国スイスを称讃し、模範的な国と見なしていた。これは、アインシュタインが１９１７年、後の独外相ヴァルター・ラーテナウに宛てた書簡の内容だ。
この手紙は今年７月、ルツェルンのオークションハウス「フィッシャー（Fischer）」で競りに出される。
アインシュタインはこの手紙の中で、ラーテナウ氏が執筆し、当時発売されたばかりの著作『来るべきことについて（von Kommenden Dingen）』について言及。この本に書かれていることは自分の人生観と「だいたい一致する」が、「あなた（ラーナウ）が国に与える」役割りには納得していないと述べている。
また、経済界を背負うものは武器を手に持つべきではないと主張。戦争以外で経済的目標が達成できない場合は、たとえ各国が新しく多額の借金をしたとしても「国が経済破綻する方が（戦争をするよりも）望ましい」と記した。
アインシュタインは基本的に、大国には反対だった。国家は病院や大学、警察など公共施設の運営だけに正当性があると考え、「なぜ一国が独ブランデンブルク州よりも大きい領土に拡大すべきなのか、理解できない」と訴えた。
アインシュタインは、民主的な統治は小さい地域でしか長続きしないと考えた。そういう意味でスイスは彼にとって模範的な国だった。スイスの州は、前述した州が負うべき役割も果たせないかのように思えるくらい小さいからだ。だが、世界は自分の理想通りには動かないだろうと、アインシュタインは付け加えている。
スイスの個人の所蔵品から
美術商フィッシャーによると、アインシュタインの手紙はスイスの個人所蔵品から出品された。もともと、ラーテナウの姪で作家のウルズラ・ルート・フォン・マンゴルト・ライボルト氏が手紙の現所有者の父親に贈ったものだ。
ヴァルター・ラーテナウ（１８６７～１９２２年）は大学で自然科学を勉強した後、経済分野でキャリアを築いた。その後、第１世界大戦で政治に転向し、１９２２年、ワイマール共和国の外務大臣に就任。自由主義派でユダヤ教徒だったラーテナウは同年７月、極右に殺害された。
美術商フィッシャーは２００９年、アインシュタインがチューリヒ大学で取得した博士号証明書（１９０６年）とジュネーブ大学の博士の学位記を競りにかけたことがある。博士号証明書は３０万９６０フラン（約２７００万円）、博士の学位記は１０万２０００フラン（約９００万円）で落札された。今回新しく発見されたラーテナウ宛ての手紙は、２万５０００（約２２５万円）から３万５０００フラン（約３１５万円）で落札されると推測されている。
swissinfo、外電