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◆ヨハネの福音書１章１２節～１３節
1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
Ⅰ．神の子どもとされる特権
ここで語られている特権は別訳では力、資格、権利と訳されています。創造主である父から離れた人間は孤児のような存在であると聖書は教えています。 以前の私たちもそのように見捨てられたような存在でした。しかし、キリストを信じて受け入れた時に、神の恵みと憐みによって神の子どもとしての立場が与え られたのです。この特権（力、資格、権利）は私たちが自分の努力で得たものではありません。一方的に与えられたものなのです。
私たちが神の子どもとして生きていく上でまず大切なことは、私たちの罪が赦されて尊い価値ある存在とされていることを知ることです。そして、次に、父なる神の召しの中に生きることです。そうする時に、私たちに与えられた神の賜物が引き出され生かされ用いられていくのです。
Ⅱ．神の子どもとしての価値
聖書は神の子どもとされた私たちが尊い存在であると教えています。創造者である父なる神の目には、その一人子であるキリストを犠牲にするほどの価値 が私たちにあるのです。キリストが自分のいのちを投げ出すほどの価値があなたにはあるのです。バプテスマのヨハネはイエスを指して「見よ。世の罪を取り除 く神の小羊。」と言いました。ヨハネは救い主であるキリストがご自身のいのちを私たちの罪の代価として捧げるために来られたことを知っていたのです。
私たちが自分の価値を知るためには、いつも私たちを愛してくださる方のそばにいることが大切です。父なる神が私たちのことをどのようにご覧になっているのか、どのように扱われるか、それを知る必要があるのです。
私たちの友人であるロイ牧師は、孤児院を運営しながら自分の自宅でも何人もの子供たちを引き取って育ててきました。カースト制度や貧困の中にあっ て、虐待を受け、見捨てられているような状況の中に置かれている子供たちを彼はそのまま通り過ぎることができなかったのです。ロイ牧師のもとに引き取られ た子どもたちは、愛され、尊く扱われることによって自分の価値を見出し、内側から変わっていきます。それはクリスチャンを通して働く聖霊の力の現れだと思 うのです
Ⅲ．神の子どもに与えられた召し
神の子どもには神のご計画が与えられています。その中に生きるようにと召されているのです。創造主であり私たちのお父さんである神さまの計画は、私 たちにとって最善の計画です。その中に生きたいと私たちは願っているでしょうか。もし、そうであるならば、自分自身を神さまの手の中に明け渡して行くこと が大切です。
自分の目に良く見えるもの手放して、神さまが与えようとしている最善のものを受け取って行きたいと願う時に、神さまは私たちが何に召されているのかを示してくださるのです。
◇サムエル君
ロイ牧師の家でお世話になっている間に、そこで３か月前ほどからロイ牧師夫婦といっしょに位している１５才の男の子サムエルと仲良くなりました。お 父さんはギャングの親分のような人でしたが、最近イエスさまを受け入れて悪の道を離れ、まじめに働くようになったとのことでした。自分では十分に息子の世 話をすることができないので、立派なクリスチャンに育ててほしいとロイ夫妻のもとにサムエルを預けたのでした。お父さんと義理のお母さんから虐待を受け、 １０才で家を飛び出し、３年間ストリートチャイルドとして暮らし、何度も警察の御厄介になり、その後、ビーチの露店などで仕事を探して食いつないでいたと のことです。生き延びるすべを身に着けているので、ある意味でのたくましさを持っています。私の会ったサムエル君は笑顔のかわいい、人懐こい男の子で、そ んな過去があるとは想像できませんでした。一緒に暮らすようになってまだ日も浅いのにサムエルはロイ夫婦にとても懐いていましたし、ロイ夫妻もサムエルを とてもかわいがっていました。ロイ牧師は私に向かって、「今はまだ、時々嘘ついたり、悪さをしたりしているけれど、この子は少しずつ変わっているし、将来 は伝道者になるんだよ。」と話すのです。その言葉を聞いたときに、「あっ、きっと神さまも、僕たちをこういう風にみているんだな・・・。」と思ったのです。
Ⅳ．神の子どもに与えられた賜物
神の子どもには一人ひとりユニークな賜物（タラント）が与えられています。でも、この賜物は神の手の中にあって初めて用いられるものです。自分に与 えられた賜物を知り、用いられたいのであれば、あなたのお父さんである神さまの願っておられるところに行くことです。そこに行くのであれば、何をすべきか を教えてくださいます。それに従う時に、主があなたを通して、あなたの賜物を用いて働かれるのです。そして、大切なことは、何かの能力も賜物であるかもし れませんが、神さまがあなたに与える人々に対する特別な愛もまた賜物であるということです。ほんのわずかしかできないと思っていても、ひとりの人にあなた の持っているそのわずかなものを分かち合えるのであるならば、神さまの目には大きな働きなのです。
◇ラディカちゃん
ロイ牧師のもとでラディカという１９才の女の子がいっしょに暮らしているのですが、奥さんのケジヤさんを本当に良く助けています。夫を亡くした貧し い部落の女性から幼い時に引き取られた娘さんです。ある時、ロイ牧師夫婦が大学の寮から久しぶりに帰ってきた息子に何かおいしいものを食べさせたいと思っ たのですが、お金がまったくないことに気づきました。がっかりしているロイ牧師とケジヤさんの姿を見て、ラディカがそっと貯めていたお金を差し出してくれ たそうです。二人は本当に驚きました。ラディカは自分のためにではなく、自分を実の娘のように育ててくれている夫婦の緊急の時のためにと、ロイ先生の書斎 の気づかないところに少しずつ小銭を貯めていたのでした。その話を聞いて、もしかしたら愛の動機に裏打ちされたこのような行為が本当の賜物ではないだろう かと思ったのです。