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⚫️海べの知覚
2016年2月24日・九十九里浜海岸で撮る-
まだ風は冷たかった。が、サファーガ何人かいた。
砂浜には、枯れた草や小枝などが打ち寄せられていた。
亀を一匹目にした。その場所は亀の産卵場所だった。小さい亀だった。産卵のためなのか、波に打ち寄せらてたのか、誰かが捨てたのか、不思議な出会いだった。
魚の死骸を二匹見た。鳥がつついていた。
テニスボウル、ペットボトル、ビニールの切れ端などを目撃する。
＜フィードバック＞
＜痕跡＞
その場にいた。というありばい証明をしたかった。モニター(2台)、変換器(2個)、カメラ(1台)、DVD(1台)を空間に設置し、その前にA版の白い用紙を何枚も配置した。そして、その全体の構成が解るようにビデオカメラを設置し録画した。
営為一回目：赤い絵具を白い用紙にてんてんと塗り、その色を踏みつけるように歩いた。
営為二回目：青い絵具を白い用紙にてんてんと塗り、その色を踏みつけるように歩いた。
営為三回目：ビデオカメラで赤い色と青い色を踏みつけるいとなみを撮った。
こんな営為を行うことで目的のありばい証明は確保できた。
赤と青の足あとのついた用紙をこのままにして置くか、配置換えするか、何枚かを壁面に配置するかなど考えていた。
＜赤と青の足あとを撮る＞
用紙の上に幾つかの鏡をのせてみた。それぞれの角度を変えてみた。鏡の前を歩くことによって、切り取られた背景が鏡に写り込む。連続写真のようである。
しかし、こんな構成では満足できなかった。
＜鏡を乗せる＞
一旦用紙の上から鏡をはずし、足あとのついた用紙をかたずけた。鏡とモニターとカメラだけになり空間はすっきりした。
痕跡、ありばい証明、足あと、こんな言葉が何度も頭のなかを過る。映像表現でこのことを表すことはできないのか、三日前に行ったパフォーマンスの記録もある。
⚫️「映像パラダイムシフト」は、映像とはいったい何だろう、映像が関わるとどんなことが可能になるのだろうか、といったようなことを追究しています。
＜ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.70 9月30日（水）パフォーマンスより＞
＜ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.70 9月30日（水）パフォーマンスより＞
⚫️映像インスタレーション「ビデオトーテム」
ビデオプロジェクターやスライドプロジェクターを使って映しだす「映像インスタレーション」は、光の明暗によって効果が異なる。暗いところでは鮮明に映しだされるが、明るいところではほとんど見えていない。ということもあって、昼間の野外では映像インスタレーションは実現しにくい。なのだがあえて野外で24時間の映像インスタレーションを試みたことがある。「昼と夜の狭間にはカミが宿る」ということばが気になっていたからかもしれない。昼とも夜とも境目のない境界の話はよく聞いていた。この時間帯に交通事故が多いとか、この時間帯に撮影した写真は謎めいているとかである。この不思議な時間帯は出会えそうでであえていない。
場所は千葉県の鴨川だった。海の見える高台に何台かのモニターを積み重ねビデオトーテムを組織した。ゼネレータで電気を送り、ビデオデッキからの映像とビデオカメラからのリアルタイムの映像を、それぞれのモニターに映しだした。ビデオトーテムを中心に、その周辺にある植物や小石などを使ってインスタレーションを作った。その様はビデオカメラで録画し、順次モニターに映しだしている。なのだが昼間は何が映っているかほとんどみえない。夕方になり少し暗くなってきたころで少し見えるようになった。逆に植物などでできたインスタレーションは段々見えにくくなっている。ふと気が付いたとき、周りの音が変わっていた。確か昼間は鳥の鳴き声がしていた。が、気がついたときは虫の鳴き声に変わっていた。「昼と夜の狭間にはカミが宿る」という不思議な空間はこの一瞬の出来事だったのか、精神を集中していないと感じることはできない。そして真夜中になったころ周りは静まりかえっていた。映像はくっきりと見えビデオトーテムは浮かび上がって不思議感を漂わせていた。カミとの出会いはともかくとして、映像と自然との狭間には根源的な不思議感があった。
今回はビデオトーテムを中心とした、インスタレーションの制作が主だったが、野外での映像インスタレーションは、周辺の環境までも自然にまきこんむ構図になっていることから、人の五感を揺り動かす総合的なインスタレーションがいいのかもしれない。残念だったのは曇りの日で夜空との交信ができていなかったことだった。
映像を使ったインスタレーションでは、いろんなことが考えられる。例えば、映像と抽象絵画で構成するインスタレーションの場合は、コンピュータを使ってPC上で絵を描くことから始まる。コンピュータには描き終わるまでの経過を微細に記憶しておくシステムがある。このシステムを利用して、記憶の瞬間をチョイスし、一枚一枚の画像としてデータ化することができる。データ化した画像は加工することも可能なのだが、ここでは、生の画像として使うことにした。データ化した画像をプリントアウトすると一枚の写真になる。写真に筆を加えるとオリジナル絵画になる。この状態を絵画として認識すればのはなしではあるが・・・。ここで初めてコンピュータのデータを外化し、触れられる物質になるのである。プリントする素材の種類によって、一枚の画像はイメージを変容する。キャンバス地、紙、金属板、ビニール等々、素材を変えるだけでさまざまなイメージのオリジナル絵画が生みだされる。そしてこの絵画は、大きさを自由に変えることもできる。こうして出来あがった絵画と、PC内の描写過程の映像を使って構成した空間を「ディファレンス」という映像インスタレーションにした。
チョイスしたデータが、一枚の場合、二枚の場合、複数枚の場合とデータの枚数によって微妙に違うオリジナル絵画が複数枚できるし、ある意味では無限の可能性がある。
プリントアウトした写真の展開は他にもあって、写真だけのインスタレーションも考えれれる。微妙に違う一枚一枚の写真は何の変化も感じられないが、写真を一列に並べると微妙な違いがわかる。この違いは確かに経過していった時間のながれである。写真の並べ方によっては、時空間を感じさせるインスタレーションにもなる。
時間の経過、時間の流れは、もっとアナログ的な方法で創りだすことができる。それにはコピー機がいいかもしれない。古い機械のほうがいい。
＜柔らかい皮膜体＞
6月8日野川公園で撮影。フイルドワーク＆フィードバックの試み。
⚫️舞踏家の岡佐和香を除いては、アート活動に40年以上の時間をついやしてきた5人が、「今わたしたちは何に向かって進もうとしているのか？」と問う。こういった問いに意味深いものを感じる。この問いは、アーティストにとって永遠の課題かもしれない。「何故」わたしたちは創るのか？会場でお待ちしています。
4月25日（土）ヒグマ春夫（映像）＋小松睦（ダンス）19:30スタート