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2010年6月29日火曜日
オイルランプ
１９７９年、カンボジアでは、ヴェトナム軍の後押しで、フンセンがポルポト派を制圧して、政権を樹立しました。その直後から、カンボジア難民が堰を切ったように、タイ国内に流出しました。
ポルポトの、厳しい監視のもと、食うや食わずで重労働をさせられていた人々は、一目散に国境へと逃れましたが、たくさんの人々が、地雷を踏んで亡くなりました。タイにたどり着いた人も、瀕死状態だったり、手足をなくしていたり、幸い地雷を踏まなかった人々も、栄養失調でやせ細っていました。
まだ、国境近くのカンボジアの山の中には、幾つものポルポト勢力が残っていて、政府軍との戦闘が続いていました。
ヴェトナム戦争に敗北したアメリカが、ヴェトナム軍の力を借りて樹立したフンセン（ヘンサムリン）政権を、ヴェトナムの傀儡と位置づけ、国としての実態のない、ポルポト派を含む三派を、国連の正式代表国としたことで、問題はいっそう複雑になりました。
というわけで、タイのカンボジア難民問題は、解決までに、長い年月を費やさなくてはなりませんでした。
カオイダン難民キャンプや、国境線上に開設されたいくつもの難民村の、竹でつくった家族用仮設小屋には、電気は引かれていませんでした。
緊急状態を脱したころから、キャンプ内で雑貨屋を開く人もあらわれ、配給のいわしのトマト煮缶の空き缶を利用してつくった、オイルランプなどの日常品や、木彫り、籠などのお土産物を店先に並べていました。
才覚のある難民は、いろいろなことをして、小銭を稼いでいたのです。
明かりの後ろに、別の缶詰の蓋を立てて、前をより明るく照らす、よくできたオイルランプもありました。
綿紐を、口からちょっとのぞくように入れて、油の染みた灯心に火をつけると、オイルランプの完成です。
日本は、周囲を海に囲まれた島国なので、国境線の存在の実感が薄いのですが、世界で見ると、隣国と国境を接してない国の方が珍しいもの です。
タイは、４カ国と国境を接していますが、第二次大戦終結に続いて、独立戦争や、東西対立の中での代理戦争を戦ってきた、ビルマ、ラオス、カンボジアとの国境では鎖国状態が続き、緊張が続いてきました。
タイ政府は、国境線上の秩序と発展に力を入れていましたから、戦略的な意味の薄い、国境から遠い村々は忘れられていて、そんな村に電気がやっと引かれたのは、１９９０年代も半ばのことでした。
タイの村で使われていたオイルランプは、空き缶利用の手づくりランプより、ちょっとましな工場製品でしたが、原理は同じでした。
油は、伝統的には、樹脂を使っていました。フタバガキ科の大木に切込みを入れて、そこで火を燃やすと、樹脂が採れました。しかし、大規模な伐採や密伐採などで森は消えてしまい、私の知っているころは、樹脂油は灯油に取って代わられていました。
そんな村々では、電気が引かれる前の方が、濃密な時間が流れていたような気がします。オイルランプの明かりで食事をし、話し込み、みんなで歌ったり、踊ったりしていました。
電気が引かれるの と前後して、たくさんの行商人が村にやってきました。無理やり月賦・後払いのテレビや電気炊飯器を置いていきましたので、村人たちは、電気が来たと同時に、電気製品の月賦の支払いと、テレビ漬けの生活 をはじめてしまいました。
かつて、オイルランプは生活に欠かせないものでしたが、地球上から、もうすっかり姿を消したでしょうか。