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◆ヨハネの福音書１４章１５節～２１節
14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
14:19 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。
14:20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。
14:21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」
◎もうひとりの助け主
ここで使われている「もうひとり」という言葉は、「まったく同じもうひとりの」という意味です。ギリシャ語では、「もうひとつの」を表すときに、二つの言葉を用います。「性質の異なるもうひとつのもの」を表すヘテロスと、「性質の同じもうひとつのもの」を表すアロスです。助け主はギリシャ語でパラクレートスですが、主イエスが約束された「もうひとりの助け主」はアロス・パラクレートスと書かれています。すなわち、「キリストと同じ性質を持ったもうひとりの助け主」という意味です。もう一つのマグカップであってもデザインも大きさも色も同じならばアロス、異なるならばヘテロスということになります。すなわち、聖霊（真理の御霊）は最初の助け主であるイエス様と同じ力、同じご性質を持った方であるということです。
イエス様が父の御心に従って超自然的な力を現されたとのと同様に、もうひとりの助け主である聖霊も、人間の理解を超えた神の力を現される方なのです。イエス様が、愛と恵に満ちた義なる方であると同様に、聖霊も愛と恵に満ちた義なる方なのです。
１．ともにいてくださる方
「助け主」という言葉が使われていますが、文字通りの意味は、「傍らに呼ぶ」という意味です。聖霊は私たちの傍らにいて親しく呼びかけ、引き寄せてくださるお方です。問題の中にいる私たちを引き上げてくださる方でもありますが、それ以上に、私たちに寄り添って試練の中をともに歩んでくださる方なのです。
「いつまでもあなたがたとともにおられる」（ヨハネ１４：１６）
「その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」（ヨハネ１４：１７）
１６節の「ともに」は「間に」とも訳すことができる言葉です。１７節の「ともに」は「そばに、傍らに、近くに」と訳すことのできる言葉で、それといっしょに「うちに」という言葉も使われています。聖霊は、私たちの関係（交わり）の間にいてくださる方であり、また一人ひとりと供にいて寄り添い、その一人ひとりのうちに住んでくださる方なのです。
２．真理を教えてくださる方
聖霊は真理の御霊と呼ばれていますが、その真理はキリストご自身を指しています。聖霊はキリストのことばを私たちに思い起こさせ、キリストについてすべてのことを教えてくださる方です。
その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。（ヨハネ１４：２０）
ここにある「わかる」あるいは「知る」とは、体験的に人格的に、生活の中で理解する、知るということです。一番大切なことは、キリストが私たちにとってどのような方であるのか知ることです。日々の生活の中で、今、あなたに目を向け、あなたに対して何かを願い、何かを語りかけておられるのです。私たちが目を向け、耳を傾けるならば、聖霊はそれを教えてくださる方なのです。
３．平安を与えてくださる方
聖書の語る「平安」についてたびたびメッセージしてきました。日本語では平和（平安）と訳されていますが、新約聖書の原語であるギリシャ語ではエイレーネー、旧約聖書の原語であるヘブル語のシャロームという言葉が使われています。シャロームは単に争いのない状態のことではありません。平和、平安、繁栄、健康、充足、救い、勝利・・・豊かな意味を持ったことばなのです。シャロームは創造主である神さまだけが人間に与えることのできる祝福です。それをイエス様はご自身が天に変えられた後に、聖霊を通して私たちに与えると約束されているのです。
わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。（ヨハネ１４：２７）
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。（ピリピ４：６～７）
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。（コロサイ３：１５）
聖書は、私たちの心をキリストの平和によって支配されるように勧めて（命じて）います。支配されるということは屈服する、負けるということです。私たちの心が、自分の考えや思い、願望や感情によって支配されているときには、なかなかそれができないのです。聖霊は独裁者ではないので、力ずくで私たちを従わせることはなさいません。私たちが自ら求めて、ご自身の愛による支配の中に生きるようにと望んでおられるのです。従うことは選択することでもあります。聖霊は、私たちがキリストの思いと願いを自分の思いまた願いとして選び取るのを助けてくださるのです。また、私たちがキリストの与えてくださったことばを語れるように、みことばに生きることができるように助けてくださる方なのです。私たちの日々の生活は小さな選択の連続です。何を思い、何を願うか、何を語り、何をするか・・・。そのすべての領域を聖霊の助けによって、キリストの平和によって支配していただくことを願うときに、私たちはキリストをもっと深く知るようになるのです。