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スイスの環境保護活動家フランツ・ヴェーバーさんが2日、91歳で死去した。フランツ・ヴェーバー財団が発表した。スイスでは、別荘の建設に上限を設けるイニシアチブ（国民発議）を成功させた人物として知られるヴェーバーさん。環境保護活動に尽力した軌跡をたどった。
（以下はスイスインフォで2012年3月13日に配信された記事です）
ヴォー州在住のヴェーバーさんが事実上一人で立ち上げた、別荘の建設に上限を設けるイニシアチブ他のサイトへ（国民発議）について、日曜日（2012年3月11日）に国民投票が行われた。若々しい精神と類いまれなビジョンが勝ち取った、驚くべき勝利だった。
84歳になっても、彼は人々に驚きをもたらした―彼のアイデアを行き過ぎだと批判し、「別荘イニシアチブ」の法適用が難しすぎると批判した仲間や環境団体も例外ではなかった。
社会民主党の連邦議会議員で自然保護団体プロ・ナチュラ他のサイトへ代表のシルバ・セマディニさんは「投票結果を見たときは信じられなかった」と語る。
国民投票で可決されるには、有権者の過半数と、26州の過半数の賛成がそれぞれ必要だ。セマディニさんは「通常、イニシアチブで有権者と州の過半数両方を取ることは非常に難しい。だから余計驚きだった」と話す。
環境団体がヴェーバーさんのイニシアチブに「出し抜かれて」しまうのは、今回が初めてではない。環境団体も同じことを考えていたのに、ヴェーバーさんがいつもいち早く行動に移してしまうからだ。
「孤高の戦士」だったヴェーバーさんは何度も侮辱され、攻撃され、刑務所に送られたりもした。彼は半世紀の間、誰かに意見を求めることなく、一人で道を切り開いてきた。目標が最初から設定されているわけでもない。打算もない。このいばらの道を突き進んだ原動力は、ほかでもない自身の情熱だった。
環境保護運動の先駆者
彼の情熱の原点は子供時代にさかのぼる。 「私はバーゼル市郊外で育った。だから子供の頃はいつも、原っぱか森の中にいた」。ヴェーバーさんはスイスインフォのインタビューでそう語った。
「よく鉄道駅に行って、列車の運転士に、車窓から見えるスイスの景色はどんなかって尋ねたよ。彼らも喜んで話をしてくれた」
ヴェーバーさんの未来を決定づけるような思い出がある。エコロジーとジャーナリズムだ。7人きょうだいの3番目として生まれた活発なバーゼルっ子は、初めての職にジャーナリストを選んだ。 商業の職業訓練を受けた後、1949年にパリに移って詩人・作家を目指したが鳴かず飛ばず。結局、文化界の著名人をインタビューして記事を出すことで、次第に名前が売れていった。
環境保護活動に身を投じたのは1965年。シルヴァプラーナ湖他のサイトへ岸の人口約30人の村スールレイで、過剰な別荘建設から山の景観を守ろうと大がかりな投機プロジェクトに対する反対運動を始めた。2012年3月11日に可決された自身の「別荘イニシアチブ」の原点ともいえる出来事だった。
この運動をきっかけに、彼の名前は国外にも広がった。欧州で人口が増え、都市開発が活発になった時期とちょうど重なり、ヴェーバーさんの活動は開発から景観を守る初めての大規模な戦いだった。ヴェーバーさんは「ドイツとフランスのテレビ局など、あらゆるメディアが来た」と振り返る。
ブリジット・バルドーとアザラシ
1974年、ヴェーバーさんはジュネーブ湖畔の町モントルー（ヴォ―州）に移り住み、そこを拠点に自然保護財団を作った。
そこからわずか数キロメートル離れたラヴォー地区他のサイトへに、美しいブドウの段々畑が広がっていた。その畑がまさに開発によって脅かされていた。
ヴェーバーさんは再び保護活動に身を投じ、最初のイニシアチブ 「ラヴォーを救え他のサイトへ」を立ち上げた。ラヴォー地区住民は開発に賛成していたが、1977年のヴォー州の州民投票でイニシアチブが可決され、開発計画は白紙になった。
同じ年、ヴェーバーさんはアザラシの赤ちゃんの虐殺に反対する華々しいキャンペーンを行い、国際的に注目を浴びた。ジャーナリストとしての経験上、メディアコントロールはお手の物。世界的に名の知れた女優ブリジット・バルドーさんをキャンペーンに引き入れ、70人のジャーナリストを連れてカナダ北部へ赴いた。
それ以来、ヴェーバーさんは世界中で有名人になった。 1978年、欧州評議会がギリシャの古代都市デルフィを救うため、頼りにしたのもほかならぬヴェーバーさんだった。その後の数年間、彼はオーストリアでドナウ川の自然保護区を守る活動を行い、アフリカではカバの保護、オーストラリアでは野生の馬の保護に奔走した。
人気と憎しみ
ヴェーバーさんは、デルフィの名誉市民権を得るなど海外で様々な賞賛を受けたが、自国スイスで行った空港・高速道路建設、軍用機の騒音、あるいはスイスの湖を水上飛行機から守るキャンペーンはあまり人気がない。
ジュネーブの社会学者ジャン・ツィーグラーさんと同様、ヴェーバーさんはスイスで最も嫌われる人物の一人になった。ツィーグラーさんは、メディアでナルシスト的な態度が批判を浴び、よく思われていなかった人物だ。
だが、ヴェーバーさんの努力は多くの人が認めている。フランツ・ヴェーバー財団には世界中から寄付が集まり、その資金をもとに国内外で150のキャンペーン、連邦・州レベルで 30件のイニシアチブを立ち上げた。30件という数字は国内最多だ。
彼は2012年3月11日の投票日まで、州レベルのイニシアチブでしか勝ち星を挙げていなかった。ただ政府が、ヴェーバーさんのイニシアチブの要求を全面的にのむのを避けるため、結果的に譲歩を強いられることもよくあった。ウェーバーさんと妻、娘、そして少数のスタッフは、政府に発言力を持つ強力な「ロビー勢力」となった。
彼が1980年代、ブリエンツ湖にある老舗グランドホテル・ギースバッハ他のサイトへの取り壊し反対運に向けて動き始めたとき、多くの人が彼を無謀だと感じた。しかし、長い歴史を持つホテルとその地域は、100年もの間、多くの芸術家や哲学者を魅了し、唯一無二のロマンチックな場所だった。そしてヴェーバーさんはこの反対運動を成功裏に終わらせた。
引退には若すぎる
ヴェーバーさんは、自然が織りなす詩と美の保護のために戦い続けたロマンチストだった。その点では、原子力と気候変動をターゲットにした他の環境保護論者と、明らかに一線を画していた。
ロマンチックで夢想家―。ヴェーバーさんのキャンペーンは、これまで自然保護に関心のなかった人たちをも巻き込んだ。2007年、ラヴォーのブドウ畑がユネスコの世界遺産に登録されたときのように。
2012年3月11日、ヴェーバーさんは連邦レベルの国民投票で初の勝利を手にした。でもまだ満足していない。投開票の当日、彼はすでに別のイニシアチブを発表した。また、南米アルゼンチンで、劣悪な環境で働かされる馬を保護するキャンペーン他のサイトへをしたいと考えている。
彼のやってきた活動をいま、娘ヴェラさんが少しずつ引き継いでいる。ヴェラさんは、すでにいくつかのキャンペーンを立ち上げ、頭角を現している。その最たるものが「別荘イニシアチブ」だ。
ヴェーバーさんの辞書に引退の文字はない。「キャンペーンの推進に私が必要なら、私はいつでも出動する。私はまだ若いし、少なくともあと10年は働ける」。彼の視点はあくまでも一つの視点であり、全員に支持されなくても良い。特にヴァレー（ヴァリス）州で大きな批判を浴びたように。
（編集部注：別荘の建設に上限を設ける「別荘イニシアチブ」は、観光業の盛んなヴァレー州で「経済振興の妨げになる」と大きな反発が起こった）
フランツ・ヴェーバーさん略歴
1927年：バーゼルに生まれる。のちに地元で商業の資格を取得
1949年：パリに引っ越す。ソルボンヌ大学で文学を学び、ジャーナリストになる
1965年：スイス・エンガディン地方の村スールレイの景観を開発から守るため、初めて環境保護活動を立ち上げる
1972年：ゼンパハー湖畔の高速道路建設反対キャンペーンを行う
1974年：ヴォー州モントルーに引っ越し、仕事と生活の拠点とする
1977年：イニシアチブ 「ラヴォーを救え」がヴォー州の住民投票で可決される。女優ブリジット・バルドーとカナダのラブラドール地区へ行き、アザラシの赤ちゃん虐殺に反対する運動を行う
1983年：オーストリアのドナウ川にある巨大な発電所の反対運動を行う
1987年：アルミニウム精錬所の建設により、取り壊しの危機に陥っていたギリシャ・デルフィの古代遺跡を救う
1989年：オーストラリアに野生馬の保護区を設立
1990年：フランツ・ヴェーバー財団がトーゴの国立公園の管理を引き継ぐ
2008年： 「戦闘機の騒音に反対」というイニシアチブを立ち上げたが、国民投票では68.1％の反対で否決される
2012年：過去に出した12件の連邦イニシアチブはいずれも否決・棄却された。その後に出した「別荘の無限建設に終わりを」イニシアチブは、50.6％の賛成票で可決された。その年、ヴォー州では3回目のイニシアチブ「ラヴォーを救え」の住民投票が行われるインフォボックス終わり
「別荘の無限建設に終わりを」イニシアチブ
2012年3月11日、フランツ・ヴェーバーさんによるイニシアチブ「別荘の無限建設に終わりを」が、50.6％の賛成で可決された。
このイニシアチブ他のサイトへは、各自治体の住宅戸数、住宅用地に占める別荘の割合が20％を超えてはならないとするもの。また各自治体には住居を記載した都市計画書の公開、その進捗状況をまとめた年次報告書の提出を義務付けた。
可決された2012年時点で、別荘の新規建設計画は、スイスの自治体の約5分の1で許可が下りなくなると見込まれた。
観光地では、別荘が既存住宅の80％以上を占めるところもある。インフォボックス終わり
（独語からの翻訳・宇田薫）, swissinfo.ch