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モントルー・ジャズフェスティバルの創始者、クロード・ノブスさんが１月１０日、死去した。７６歳だった。ノブスさんは昨年の１２月２４日、ヴォー州コー（Caux）でクロスカントリーのツアー中に転倒し、ローザンヌ大学病院に入院していた。
病院に運ばれた後、ノブスさんは手術を受けたが、その際に昏睡状態に陥った。モントルー・ジャズフェスティバルの主催者側の発表によると、ノブスさんは家族や友人に見守られる中、安らかに眠りについた。埋葬はごく内輪だけで行われる予定。モントルーのほかニューヨークとロンドンでも追悼コンサートが計画されている。
賛辞
モントルー・ジャズフェスティバルの関係者は直ちに、長年フェスティバルを率いたノブスさんに対する賛辞をウェブサイトに掲載。「想像していた以上に私たちを成長させてくれたことに心から感謝します。思いもよらない、あなたらしい逝き方でした。音楽でもどのジャズセッションが最後となるかわからないように、人生も同じだということを思い出させてくれました」と故人を偲んだ。
モントルーのローラン・ヴェールリ市長はスイス通信社（SDA/ATS）に対し、次のように述べた。「ノブスさんの死はモントルー市と音楽界にとって非常に大きな損失だ。ノブスさんは、不可能を可能にするためにあらゆる手を尽くす人だった」
また、ヴォー州ニヨンで開催されるパレオフェスティバル（Paléo Festival）の創始者でありニヨン市長でもあるダニエル・ロセラ氏は、「ショービジネスの師」とノブスさんを評価する。「ノブスさんは、ジャズフェスティバでモントルーを世界地図上にくっきりと浮き上がらせた」
世界から集まるアーティスト
観光業が衰え、さびれていくモントルーの町を救おうと、ノブスさんがピアニストのジオ・ヴマールさん、ジャーナリストのルネ・ランゲルさんとともにモントルー・ジャズフェスティバルを創設したのは１９６７年。それ以後ノブスさんは、ほぼ半世紀にわたって指揮を執り、国際的なジャズフェスティバルに発展させた。
その間、モントルーの舞台には音楽界の名だたる人物が次々と登場した。中でもカウント・ベイシー、マイルス・デイヴィス、ジェームス・ブラウン、クインシー・ジョーンズ、レイ・チャールズ、エリック・クラプトン、プリンス、デヴィッド・ボウイ、ボブ・ディラン、ジルベルト・ジル、B.B.キング、オスカー・ピーターソン、ニーナ・シモン、レナード・コーエン、サンタナ、キース・ジャレットなどはよくフェスティバルに出演し、ノブスさんのシャレー（山荘）に滞在した。
また、ディープ・パープルは１９７２年の作品「スモーク・オン・ザ・ウォーター（Smoke on the water）」の中で、ノブスさんを「ファンキー・クロード」と歌った。この曲はモントルーのカジノの出火騒ぎを題材にしたもの。その際ノブスさんも避難を手助けした。
モントルー・ジャズフェスティバルのコンサートは早くから収録されており、今日４０００のバンドの演奏を収めたテープは１万本、５０００時間に及ぶ。この唯一無二の記録は現在、連邦工科大学ローザンヌ校（ETHL/EPFL）がデジタル化しているところだ。
フェスティバルは続く
２０１０年、ノブスさんは健康上の理由からディレクターを退任。運営を彼のチームと後任のマシュー・ジャトンさんに任せた。しかし、戦略の決定権は自身の手に残した。
ノブスさんの事故後、モントルー・ジャズフェスティバルは「２０１３年のフェスティバル開催に向け、万全を期すための対策はすでに長期計画の中で取られている」と発表。ノブスさんが負っていた任務は今後、ジャトン事務総長が引き継ぐ予定だ。
swissinfo.ch、外電