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あなたがたは、罪深くはない
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、
人間は罪深いと教えているようです。
これは、旧約聖書創世記の中のアダムとエバが罪を犯したことに、
由来しております。
そして、人間は罪深いというのは、ほとんどの人間に当てはまる事実でもあります。
しかし、私は、あえてこの「人間は罪深い」という教えを否定させて頂きます。
私達人間は、とても暗示にかかりやすいのです。
ですから、自分達が頭の中で考えている通りの人間、
自分達が言葉に出して言っている通りの人間、
になってしまうのです。
つまり、自分で自分のことを罪深いと考えている人間、
自分で自分のことを罪深いと言う人間、
は、一生、罪からは抜け出せないということです。
これは、真実です。
それにキリスト教の人達は、過去において罪深かった人間であったとしても、
イエス様の十字架における身代わりの死によって、
それまでの罪が許されて、新しく生まれ変わったにもかかわらず、
洗礼を受けて何年も経つのに、未だに、自分のことを罪深いと言う人達が、
数多く存在しております。
イエス様を信じて、罪を贖ってもらった人達は、
自分は、神聖だと思いなさい。
自分は、正しいと思いなさい。
自分は、美しいと思いなさい。
自分は、清らかだと思いなさい。
それから、イエス様のことを、信じてはいない人達も、
自分は、神聖だと思いなさい。
自分は、正しいと思いなさい。
自分は、美しいと思いなさい。
自分は、清らかだと思いなさい。
これが、アイアラシの法則です。
イエス様を信じて洗礼を受けたにも関わらず、
未だに、自分のことを罪深いという人達は、
イエス様の死を無駄にしてしまっているということに、
早く気が付かなければいけません。
罪深いという意識を捨て去って、
罪深いという言葉を捨て去らなければ、
あなたがたは、永遠に、神のところへ行くことはできないのです。
あなたがたは、罪深くはないのですから。
あなたがたは、神聖なのですから。
あなたがたは、正しいのですから。
あなたがたは、美しいのですから。
あなたがたは、清らかなのですから。
それから、「自分は罪深い」と言うことが、
謙譲の美徳であると考えている人達がおりますが、
これは、全くの誤りです。
本当の謙譲の美徳の言葉は、
「私は、無知で愚かな神の下僕（召し使い）です。」
という言葉です。
「自分は罪深い」という言葉は、
謙虚さから出る言葉ではなくて、
事実、あるいは、自分を卑下するところから出る言葉です。
本当の謙虚さの言葉は、
「私は、無知で愚かな神の下僕（召し使い）です。」
という言葉なのです。
合 掌