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大江健三郎『鎖国してはならない』（講談社文庫）
『言い難き嘆きもて』とともに、２００１年１１月に出版され、２００４年に文庫化された。今回初めて読んだ。
９０年代後半に激しくなったナショナリズムの逆流現象を前にした大江の危機意識が鮮明に表現されたエッセイ・評論である。ほとんどが講演記録を基にしたものだ。大江作品は小説でもエッセイでも同じ主題を何度も何度も書き直し、語り直し、議論を深めていくので、かなりの文章に既視感があるが、初めての話題や、初めての表現ももちろんある。
ナショナリズム、歴史認識、歴史教科書、戦後民主主義とそれへの批判、日本国憲法への攻撃と言った事態を前に、戦後民主主義と戦後文学の担い手としての大江の思考を対置していく。「南京虐殺や朝鮮人慰安婦という歴史的な事実の矮小化、否定を企て」る歴史修正主義者たちは「アジアからの抗議の声を聴こうとしません」と述べ、「新しい鎖国の思想」と呼ぶ。
かつての江戸幕府による海禁政策とは違って、軍事外交的にはアメリカに対して極端に開かれ、経済的には世界に向けて開かれているにもかかわらず、政治意識においてアジアや所の他の世界に対して閉ざされた鎖国の思想である。対等の立場で他者と向き合うことのできない日本のことだ。アメリカにこびへつらうか、アジアを見下すか、これしかできない日本ナショナリズム。その悪弊を大江はじゅんじゅんと説く。
自己に都合の良い過去に拘泥するナショナリズムと異なった、「新しい人」はいかにして生まれるのか。「新しい日本人の文化」はどうすれば創り出せるのか。それが全篇の課題である。そのために福沢諭吉、丸山真男、ハーバート・ノーマン、渡辺一夫、アマーティア・セン、テツオ・ナジタ、中野重治、エドオワード・サイード、おなじみの名前が呼び出され、これらの思索に学ぶ。ヒロシマとオキナワを文学的課題の大きな核として生涯を送ってきた大江らしく、随所で、この課題に立ち返る。この課題の２００１年の大江の表現、である。