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今から40年前、第1回目のアートバーゼルが開催された。当時、メッセ会場の美術品が冷蔵庫のように販売されたことで批判があがったが、その後アートバーゼルは成功への道を一気に駆け上がり、瞬く間に世界最大規模を誇るアートフェアの地位に上り詰めた。
アートバーゼルの会場に一歩足を踏み入れると、最初にスイス人アーティスト、ヴァレンティン・キャロンの作品が目に入る。
アートブームは終焉を迎えたのか
巨大な木製の十字架は、高さ12メートルに上る。十字架は、黒く、アスファルトから空に向かって突き出ていて、経済危機によるアートブームの終焉を暗喩しているかのようだ。またこれはアートのメッカ、バーゼルにはるばる詣でた6万1000人の来場者のための記念碑でもある。
アメリカの画家、アンディ・ウォーホールはかつて「最高の芸術というのは、芸術を扱う商売のことだ」と語ったが、かの有名なチューリヒのギャラリー「ブルーノ・ビショーフベルガー ( Bruno Bischoffberger )」が今年のアートバーゼルで紹介した、8000万フラン ( 約80億円 ) の値がついた彼の作品は売れ残ったままだ。これもまた、アートマーケットに転換期が訪れた兆しなのだろうか？
経済危機が訪れ、ほかのアートフェアが一部催しを取りやめなければならなかったり、ロンドンとニューヨークのギャラリーが空の状態になったりしている一方で、アートバーゼルは多くの作品を抱え、今日も以前と変わらず盛況ぶりを見せている。
「もし一つだけアートフェアが残り続けるとすれば、アートバーゼルになる」
とスイスで評判の高いギャラリー「ハウザー＆ヴィルス ( Hauser & Wirth )」のアンナ・ヘルヴィング氏は確信している。彼女は、バーゼルのアートフェアの将来に不安を抱いていない。アートバーゼルは全てのアートフェアの源のような存在なのだ。
誰もが参加できるアートフェア
コレクターや美術愛好家にとって、世界最大規模を誇り、名声が高いアートフェアを訪れることは必然的なことで、ギャラリーにとって、アートバーゼルに参加することは勲章をもらうようなものだ。今年のアートフェアには、おそらくこれまでで最高記録になるであろう1100のギャラリーが出展を希望したが、出展できたのは308社だった。
最初のアートバーゼルは1970年に、画廊商人トゥルードル・ブルークナーやバルツ・ヒルト、エルンスト・バイラーによって開催され、当初のメッセは今日とはまったく異なり、誰もが出展できた。
「バーゼルのアートフェアは、ケルン美術市に対抗する形で創設されました。当時のバーゼルの人々は、誰もが参加できる開かれたアートフェアを望んでいたのです」
とアートバーゼルのディレクター、シェーンホルツァー氏は語る。
1967年より始まったケルン美術市 ( 今日の「アートケルン」 ) はそもそも最初の美術メッセであったが、ほぼドイツのギャラリーだけの出展を許可していた。それに対し、アートバーゼルは当初から国際的な見本市として開催された。地元ドイツ紙「ディ・ツァイト ( Die Zeit )」 が「ケルン芸術カルテル」とさえ呼んだケルン美術市は、外国からの参加希望者に対して閉鎖的だった一方で、アートバーゼルは民主的でケルンの対極のモデルとして定着していった。しかしライバル、バーゼル美術見本市の成功を目前にして、ケルン美術市の開催組織はバーゼル美術見本市開催ボイコットを呼びかけた。
このような逆風を受けながらも、アートバーゼルは既に1973年にケルン美術市以上の実績を挙げ、世界最大規模のアートフェアとなった。
消費と投機
開催当初は、美術館や画廊にディスプレイされることが常識となっている美術品がメッセ会場に持ち込まれ、ミシンや家具やワインのように売られたことで激しい議論が巻き起こった。
「画廊商人たちは初めて、センチメンタルなイメージや、芸術において理想家であるというイメージを払拭し、公然と美術品で商売をする野心があることを認めるようになりました。芸術が商品であり、消費財であるということが今日ほど明らかになったことはありません。芸術作品は止むことなく大量生産されるようになったのです」
とアートフェアの成立ちをレポートしたドイツテレビ局のレポーターは語る。
アートフェアを美術との出会いの場所にし、販売場所にするという考えは、ここ最近で定着した。今日世界では、ギャラリーと収集家たちを惹きつけようとおよそ600のアートフェアが開催されている。
即席アートフェアがイベントに
最初のアートフェアはまだ混沌とし、即席で作られているような印象があった。例えば噴水機能を持ったオブジェで有名になったティンゲリーの作品は、辺り一面を水浸しにし、沼地と化してしまった。誰も排水のことなど考えていなかったのだ。また、開催初日を迎えた後もまだ梱包されたままの絵がブースに置かれている光景も見られた。それから時は過ぎ、アートバーゼルは完璧に機械的に機能するメッセ組織に発展した。
回を重ねるごとに、アートバーゼルは美術品の販売以外の催し物を企画するようになった。1991年から2000年までアートバーゼルの統括部長を務めてきたロレンツォ・ルドルフ氏は、アートフェアをさまざまな催しが行われるイベント会場として設立したのだ。また2009年からはアートフェア「アートパリス ( Artparis )」と「アートパリス－アブダビ ( Artparis - Abu Dhabi )」の管理も手がけている。ルドルフ氏は、ギャラリーの選別基準を高く設定することでアートフェアに参加することに価値を持たせている。
このコンセプトは彼の後継者、サム・ケラー氏によって受け継がれ、非営利的で、ジャンルが混合した催しも同時に行われ、より管理された高水準のアートフェアへと規模が拡張された。彼はアートバーゼルの姉妹イベント「マイアミビーチ ( Art Basel Miami Beach )」の創設も手がけた。
アートフェアは庶民の劇場
アートバーゼルは時代の流行を反映している。それは、アーティストの流行だけでなく、買い手の流行も反映している。金融危機以前に現代美術が投機目的で売買されていた時はこの傾向が顕著に現れていた。主催者によると2008年は、彫刻や大きなオブジェが流行っていたようだ。現代美術作品は新しい収集家の階層に適応していった。これをアートバーゼル開催責任者、マルク・シュピーグラー氏は「ロフトジェネレーション」と呼んでいる。
「実際、アートフェアは庶民が気軽に行く劇場のように捉えられていますが、そこでは、時代を直に反映した芸術が繰り広げられるようになり、瞬く間に世間に広まりました。アートフェアが成功するか否かは専門家の腕にかかっているのではなく、新しいタイプの来場者がどのように反応するかにかかっているのです。彼らは無秩序でカラフルな芸術が好きなのです」
と美術批評家のハンス・ヨアヒン・ミュラー氏は先に刊行されたスイス人写真家クルト・ヴィース氏の写真集「アートバーゼルの回想録 ( Looking back at Art Basel )」で語っている。
開催地スイスの理由
なぜ、そもそも世界最大規模の美術展がスイスで開催されるのだろうか。
「バーゼルは、3カ国を結ぶ国境地帯にあり、交通の便が良い場所に位置しています。また、多彩な文化イベントに触れる機会があり、コレクター同士のネットワークも充実しています」
とシェーンホルツァー氏は語る。
税金や法律上のメリットも開催地を選ぶ条件として挙げられる。EUとは対照的に、スイスでは今日まで芸術家の作品が競売やメッセでさらに転売された際に、芸術家が利益の一部を受け取る法的権利がないのだ。
アートバーゼルがさらに飛躍するためには、メインスポンサーの存在が不可欠だ。シュピーグラー氏によると、大手銀行のUBSは金融危機の影響を受け資本が縮小したにもかかわらず、これから数年間はメインスポンサーになることを確約したという。
コリン・ブークサー、バーゼルにて、swissinfo.ch
( 独語からの翻訳、白崎泰子 )
芸術とビジネス
世界最大規模のアートフェア、アートバーゼルは今年2009年で40周年記念を迎えた。
芸術愛好家、ギャラリー、美術取引人、コレクター、芸術家が世界最大のアートフェアに集まった。世界29カ国から300以上のギャラリーが参加し、5日間の開催期間中に20～21世紀の2500人以上のアーティストの作品が展示された。
第40回アートバーゼル
2009年6月16～20日まで開催された第40回アートバーゼルには6万1000人のアーティスト、コレクター、キュレーター、芸術愛好家が訪れ、2008年の来場者6万人よりもさらなる盛況ぶりだった。
今回は、世界29カ国から300以上のギャラリーが参加し、2500人以上の芸術家が作品を出展した。
開催者によると、ギャラリー、来場者共に今年は良い年で、納得の行く内容だったようだ。
また、経済危機にもかかわらず高品質の作品は頻繁に売買され、アートマーケットにおいて健全ぶりをアピールした。
開催期間中、ギャラリーが提供する作品に対して収集家の反応はよく、美術品の売買は絶え間なく続いた。
アートバーゼルの開催期間中「リステ08 ヤングアートフェア ( Liste08 – The Young Art Fair )」や「デザインマイアミ－バーゼル ( Design Miami/Basel )」また、バーゼルにある美術館の特別展示会などが平行して開催された。