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競馬界の伝説名馬-オルフェーヴルとは-
オルフェーヴルはステイゴールドとオリエンタルアートの子供で、2010年の新馬戦デビューから2013年の有馬記念まで競走を続けていました。引退レースである有馬記念でも優勝を果たしています。
オルフェーヴルの馬主はサンデーレーシングで、池江泰寿調教師が管理していました。
競馬界の伝説名馬-オルフェーヴルの活躍-
オルフェーヴルの通算成績は21戦12勝です。3歳クラシックの3冠馬であり、歴代の競走馬の中でも高い成績を残した名馬として有名です。
クラシック競走が始まるまでは、強い馬の1頭として名前はあがっていたものの京王杯2歳ステークスなどの大敗のイメージもあり、シンザン記念やきさらぎ賞でも勝利を得ることはできていませんでした。
そのため、最強馬としての印象はまだありませんでした。クラシック競走が始まると一転して強さを見せ、全てのクラシック競走を危なげなく勝利しています。古馬との初対戦となる同年の有馬記念でも強さを見せ、優勝しています。
オルフェーヴルはその後も戦歴を重ね、有馬記念や宝塚記念を制覇するなどの経歴も残しています。
騎乗しているジョッキーを振り落としたり、レース中に逸走するなど破天荒な一面も見せ競馬予想の上では難しい存在でもあります。思わぬ大敗もありますが、まともに走った場合には他を寄せ付けない強いレースをすることで多くのファンを獲得している馬でもあります。
主戦は池添謙一騎手で、海外のレース以外は全て彼が騎乗しています。
オルフェーヴルの競走成績は、新馬戦の勝利を初めとしてG1競走も6勝と言う成績です。また2年続けて凱旋門賞に挑戦したことも有名であり、どちらもフォワ賞を前哨戦として勝利し、凱旋門賞は2戦とも2着と好成績を残しています。
競馬界の伝説名馬-ディープインパクトとは-
今や種牡馬として毎年のようにG1馬を輩出するディープインパクトは、競馬ファン以外でもその名を知られているほどの名馬です。武豊騎手を相棒として史上６頭目の３歳クラシック３冠はもとより、古馬中距離G1を圧倒的人気で勝ちづけた内容は名馬にふさわしい戦歴です。また、名馬につきものの故障とは無縁だったことは、改めてこの馬の強さを印象づけます。
一方、あの名手武豊騎手をして一歩間違えれば持っていかれてしまうという激しい気性は、父サンデーサイレンス譲りであり、それが追い込み一手となったという逸話にもなっています。これほどの強さがありながら通算成績で２度敗戦しています。
一つは３歳有馬記念で、あっと驚く先行策を取ったルメール騎手鞍上のハーツクライにそのまま押し切られ２着に惨敗したレースです。これには後日談で体調がよくなかったということが囁かれています。というのも、この時点でスターホースだったディープインパクトは、有馬記念の人気投票で１位となっており、レース回避は興行上無理な話だったからだということです。
それほど影響力があり競馬人気を支えた存在だったのです。もう一つは凱旋門賞で失格（３着入線）です。現地フランスのメディアやファンからも勝たれても仕方なしというあきらめムードが漂っていたほどです。
競馬界の伝説名馬-ディープインパクトとは-
競馬予想において毎度単勝1.1倍台前半が多い馬でしたが、このレースでも日本人が大量に購入したこともあり1.5倍という断然の人気となったのです。レースは、好スタート後いつもの競馬と違い３番手でレースを進め、残り300mで先頭に立つも２頭に交わされ３着という結果に対し、日本中を落胆させたことは記憶に新しいところです。今後は自らの産駒や孫に夢をつなぎます。
ディープインパクトの経歴は、馬主金子正人氏、調教師池江泰郎氏、競走成績１４戦１２勝です。
競馬界の伝説名馬-テイエムオペラオーとは-
テイエムオペラオーは、日本競馬界で最多となる7つG1競走に優勝し、かつ、獲得賞金の世界記録を持つ競走馬です。
テイエムオペラオーの調教師である岩元市三の経歴には日本ダービーの優勝があり、その時の姿を見て馬主になろうと決意したのが幼なじみでオペラオーの馬主でもある竹園正繼でした。馬主となった竹園は、その後、北海道と鹿児島に牧場を持つ日本有数のオーナーブリーダーとなりました。
テイエムオペラオーは、日本競馬界においては良血とは言いがたい血統であり、デビュー前の評価は決して高くありませんでしたが、馬主の竹園には輝いて見えたと言い1000万円で取引されました。
競馬界の伝説名馬-テイエムオペラオーの活躍-
テイエムオペラオーの通算成績は26戦14勝で、敗れたレースでも2着と3着が合計9回、掲示板に乗る5着以内が3回と非常に安定した成績である事が特徴です。
特に2000年は8戦8勝の年間無敗で、天皇賞の春秋連覇、宝塚記念と有馬記念の夏と冬グランプリ連覇、秋のG1競走で史上初となる秋の天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念の三連勝で特別褒賞金を獲得するなど、数々の記録とともに5つのG1を制覇するパーフェクトな戦歴でした。
ただし、翌年の2001年は、春の天皇賞を制覇し史上初となる8つ目のG1制覇に王手をかけるものの、宝塚記念、秋の天皇賞、ジャパンカップで、それぞれ2着に惜敗し、ラストランとなった有馬記念では5着となり新記録とはなりませんでした。
しかし、18億円を超える収得賞金やGIにおける勝利、連対、連勝、連続連対、年間勝利で最多記録を持つなど、1000万円のセリ値からは予想し得ない日本競馬史上最強の名馬の一頭となりました。
ただし、皐月賞や春の天皇賞など幅広い距離で結果を残した競走成績と比べると、種牡馬成績は日本競馬界とは不向きな欧州向きの血統であったため芳しくなく、平地の重賞レースで勝利した産駒は誕生していません。
競馬界の伝説名馬-エルコンドルパサーとは-
エルコンドルパサー日本国内外で活躍した馬であり、1999年には国内で出走をしていないにも関わらず、年度代表馬に選ばれるほどの影響力があった馬です。
その競走成績は非常に優れたものとなっていて、生涯を通じて連対を外すことがなく通算成績は11戦8勝敗れたレースに関しても全て2着と完璧な戦歴の持ち主となっています。
エルコンドルパサーは初戦はダートのレースが選ばれ7馬身差の圧勝劇を見せ続く二戦目もダートのレースが選ばれ9馬身差の圧勝をして、次に初芝となる共同通信杯が選ばれることになりました。
ところがここでアクシデントが発生し、降雪によりダートへの変更となってしまったのです。
元々ダートでの実績は十分であったため、ここでも余裕の勝利をすることとなりましたが芝の適性を見ることはできませんでした。
競馬界の伝説名馬-エルコンドルパサーの活躍-
そして、ようやく初めての芝のレースとなるニュージーランドトロフィーでは初芝ということもあり、1番人気ではありますが単勝オッズは2.0倍とそれまでの実績を考えると芝に対する走りに疑問を持たれていたということになりますがここでも勝利をすることになり芝でも能力が通用するということを示しました。
その後GIのNHKマイルカップも勝利をすることになり、名馬としての経歴を積んでいくことになったのです。
初の古馬との対戦の毎日王冠では2着に敗れるものの、ジャパンカップでは手薄なメンツということもあり4歳馬にして勝利を収め国内には敵なしということで馬主と調教師は海外に遠征をすることを決めました。
海外でもエルコンドルパサーは優秀な成績を収め、凱旋門賞では日本競馬の中で最も優勝に迫った2着となりこれを最後に引退をすることになったのです。
その後は種牡馬としての活躍を予想されるも早逝をしてしまい、残された世代は数世代となってしまったのが惜しまれます。
競馬界の伝説名馬-タイキシャトルとは-
タイキシャトルは日本国内外で活躍をして、通算成績13戦11勝をあげた名馬であり最強スプリンターの候補として常に名前があがる馬となっています。
その優れた競走成績から外国産馬として初めて年度代表馬に選ばれ、また短距離馬として年度代表馬に選ばれるというのは非常に珍しいそれほどまでに優れた経歴を持つ名馬でした。
競馬界の伝説名馬-タイキシャトルの活躍-
タイキシャトルの戦歴のスタートは目立ったものではなく、ゲート試験に三回落ちたことでデビューが遅れダートの未勝利戦からスタートとなりましたが危なげない勝利を飾り次戦も余裕の勝利を飾りました。
三戦目は初の芝のレースということで2番人気となりましたがここでも勝利をし、タイキシャトルの評価は徐々に高まってきました。
ところが四戦目では不覚を取って2着に破れますが、再度ダートのユニコーンステークスを勝利してからは圧倒的な強さを見せつけ引退レースまで負け知らずとなったのです。
国内のマイルのレースまででは相手知らずであり、馬主と調教師も国内のみならず海外に遠征をすることを考え、フランスのマイルGIであるジャック・ルマロワ賞に出走、初の海外レースであったもののここでも勝利をしてタイキシャトルの実力は国内のみならず海外でも通用するものだと世に知らしめました。
海外から帰国後初戦となるマイルチャンピオンシップでも余裕の勝利を飾り、引退レースであるスプリンターズステークスも余裕の勝利を飾るかと思われましたが、なんとここで誰にも予想がつかないことがおこり3着に敗れてしまったのです。
このレースは元々出走をする意思がなかったということで、調整もしっかりつけることができなかった側面がありますが、それでも競馬に絶対はないということを改めて認識させられる出来事でした。
競馬界の伝説名馬-ナリタブライアンとは-
ナリタブライアンは1991年に生産され、生涯通算成績は21戦12勝、中央競馬史上では５頭目となる三冠馬になった伝説の名馬です。
馬主は当時数々の名馬を所有していた山路秀則氏。調教師は、競馬一家に生まれ育ち、現役時は常に挑戦することを忘れなかった関西の雄・大久保正陽氏。
気性面にやや難があるところも見られる馬でしたが、後にトレードマークとなったシャドウロールを装着してレースに臨むようになってからは生来のポテンシャルを発揮するようになり、その優れた集中力の高さは『精神力のサラブレッド』と評されるまでになりました。
競馬界の伝説名馬-ナリタブライアンの活躍-
三冠をはじめとして、Ｇ１レース5連勝や10連続連対など数々の記録を打ち立て、1993年にはＪＲＡ賞最優秀3歳牡馬、1994年にはＪＲＡ賞年度代表馬及び最優秀4歳牡馬に選出されるなど華々しい経歴を持つ同馬ですが、引退後に種牡馬となってからは、たった２年で世を去ることになった悲劇の名馬としても知られています。
鼻の上にちょこんとのせられた白いシャドウロールがよく目立ち、三冠を達成したクラシックでは走るごとにその強さを増すなど圧倒的な強さを見せ続けたナリタブライアン。特に三冠最後のレースとなった菊花賞では２着に７馬身差をつけて圧勝するなど、その強さは競走成績を重ねるほどに伝説となってゆきました。全盛期のナリタブライアンの卓越した強さは、馬券や予想の面から見ればあまり面白みが感じられないほどのものだったかも知れませんが、他を寄せ付けないほどの孤高の王者のような絶対的貫録は、今でも多くのファンの脳裏に刻まれると共に、若い競馬ファンの間にも末永く語り継がれています。
戦歴もさることながら、辛抱強く集中力の高いその気性にまつわるエピソードや、同馬を取り巻く人々の間にもたくさんのドラマを生んだ稀代の名馬・ナリタブライアン。その墓所には手を合わせに訪れる競馬ファンが今でも後を絶ちません。
競馬界の伝説名馬-トウカイテイオーとは-
トウカイテイオーは、中央競馬で最も権威のあるクラシックの皐月賞と日本ダービーを無敗で制し、国際G1競走のジャパンカップ、八大競走の有馬記念にも優勝した競走馬です。
トウカイテイオーの馬主は牝馬で日本ダービーを制したヒサトモの牝系を復興させた経歴を持つ内村正則であり、調教師はのちにスティルインラブで牝馬三冠を達成する松本省一で、クラシックに縁のある関係者に育てられました。
そんなトウカイテイオーの父は日本競馬史上最高の名馬と言われる七冠馬シンボリルドルフであり、親子二代でクラシック二冠を制覇した例は、六冠馬シンザン、ミホシンザン（皐月賞、菊花賞の二冠）、七冠馬ディープインパクト、ジェンティルドンナ（牝馬三冠など）のみです。
なお、シンボリルドルフ、トウカイテイオーの親子は、皐月賞と日本ダービーの無敗での制覇が史上唯一、親子でジャパンカップおよび有馬記念制覇が史上初という記録を保持しています。
競馬界の伝説名馬-トウカイテイオーの活躍-
トウカイテイオーの通算成績は12戦9勝と、3年間の競走成績から見ると戦歴が極端に少ないと言えます。その主な要因は4度の骨折であり、4歳時（馬齢は旧表記で、以下同じ）の日本ダービー後に10ヶ月、5歳時の春の天皇賞後に6ヶ月、5歳の有馬記念後には1年間を休養に充てています。
しかし、いずれの骨折も軽微なものであったため、復帰後にジャパンカップや有馬記念を制する活躍を見せます。5歳のジャパンカップは当年から国際G1競走となったため、日本競馬史上初の国際G1馬となりましたし、6歳の有馬記念では、戦前の予想を覆し、前年の有馬記念から史上初となる中363日ぶりのレースで優勝しており、父に負けず劣らず記録と記憶に残る競走馬であることは間違いありません。
競馬界の伝説名馬-メジロマックイーンとは-
メジロマックイーンは1990年にデビューし、通算成績で12勝をあげる活躍をした日本中央競馬会の名馬です。メジロマックイーンの馬主は株式会社メジロ商事で、調教師は池江泰郎氏です。この馬のデビューは4歳の2月でした（ちなみにこの当時の4歳は現在の馬の年齢の数え方の3歳に相当します）。従って春のクラシック戦線には間に合わず、皐月賞、ダービーには出走していません。
競馬界の伝説名馬-メジロマックイーンの活躍-
メジロマックイーンが注目され始めたのは夏競馬の函館での好走と、菊花賞の前に走った古馬混合の嵐山ステークスでの好走です。
ただし、重賞経験のない経歴での菊花賞出走だったため、菊花賞の予想の段階では春のクラシックを賑わせたメジロライアンやホワイトストーンに1歩譲って4番人気でした。これはそれまでの戦歴を比較すれば当然の評価とも言えたのですが、その菊花賞で内田浩一騎手を鞍上に見事に勝利したのです。これがこの馬が超一流の名馬に育っていくきっかけになりました。年が明けた5歳には春の天皇賞を制し、宝塚記念と有馬記念を2着するなどの活躍をしました。
また、この年には大差をつけてゴール板を1位で通過したにもかかわらず、進路妨害で18着になった秋の天皇賞もありました。その後、6歳と7歳の際にも1勝ずつG1レースを勝利するという輝かしい競走成績で7歳の10月の京都大賞典出走を最後に引退しました。メジロマックイーンに騎乗したジョッキーは合計で3人しかいません。
デビューからの3戦は村本善之騎手、4戦目から菊花賞を制するまでは内田浩一騎手、そしてその後は引退まで武豊騎手が騎乗しました。武豊騎手でＧ１レースを3つ勝っているため、ファンの間ではこの馬を思い出すと武豊騎手の姿も思い浮かぶ人が多いです。
競馬界の伝説名馬-ウオッカとは-
ウオッカは、６４年ぶりに牝馬として日本ダービーを勝った名馬です。通算成績は２６戦１０勝でうちＧⅠを６勝もしています。調教師の角居勝彦で、２歳時の入厩の際にも厩舎スタッフの中でウオッカは、「シーザリオ級が入ってくる」と評判になっていました。クラシック登録の際にも馬主の谷水雄三は５冠全てのクラシックレースに登録しました。
ライバルにはダイワスカーレットがいて、クラシック１冠目の桜花賞では負けたものの、次走の日本ダービーでは牡馬相手に完勝し、この世代の牝馬のレベルの高さを知らしめました。続く、宝塚記念にも出走し、３歳牝馬が宝塚記念に出走するのはヒシナタリー以来で、１１年ぶりでした。レースでは折りを合いを欠き、８着に敗れてしまいした。
その後、右後肢の蹄球炎を発症してしまったこともあり、ステップレースを使わずにぶっつけ本番で秋華賞に挑んで３着に敗れたりと思うような結果が出ない日々が続きましたが、２００８年の安田記念を制し見事復活を遂げました。
競馬界の伝説名馬-ウオッカの活躍-
天皇賞秋では、ライバルのダイワスカーレットとの大接戦を制し、牝馬でのワンツーフィニッシュとなりました。２ｃｍという僅差での勝利で、タイムはレコードタイムでした。ライバルのダイワスカーレットはその後、有馬記念を制しているため、牝馬のレベルの高さが伺えました。
ウオッカは、後方から競馬をすることが多く、最後の直線で一気にごぼう抜きをすることが多かったです。競馬ファンの予想通りに勝利をおさめ、ファンからとても愛されている馬でした。競走成績はとても優秀で牝馬とは思えない戦歴になっています。これほどの経歴をもった牝馬は、しばらくは現れないと思うほど、輝かしい成績を収めています。
競馬予想において重要な馬
競馬予想において馬の存在は非常に重要な存在であり。避けて通ることはできません。馬を知ることで競馬予想の精度は高くなっていきます。そんな馬の情報を持っている競馬予想サイトのなかでも特に評価が高いサイトを紹介しているランキングサイトがあったので紹介します。競馬予想サイトの評価がみれるサイト。
競馬界の伝説名馬-オグリキャップとは-
昭和の終わりから平成の最初にかけて多くの競馬ファンを沸かせた名馬がオグリキャップです。
競馬界の伝説名馬-オグリキャップの生い立ち-
オグリキャップは地方の笠松競馬から中央に移籍してきたという経歴のある馬で、中央競馬に移籍後の通算の競走成績は12勝をあげるという華々しいものでした。オグリキャップの馬主は、小栗孝一氏から佐橋五十雄氏、さらには近藤俊典氏へと変わっています。中央競馬時代の調教師は瀬戸口勉氏です。
競馬界の伝説名馬-オグリキャップの活躍-
オグリキャップが勝ったレースでは様々な伝説がありますが、その中の1つがバンブーメモリーとの接戦を制した1989年のマイルチャンピオンシップです。このレースでは2強と言われたオグリキャップとバンブーメモリーがともに単枠指定され、レースでも最終的にはこの2頭が抜け出すわけですが、天才武豊騎乗のバンブーが直線に入ってスムーズに先頭に躍り出るのに対し、オグリは一瞬前が壁になって抜け出せないシーンがあったのです。
それでも最後に凄い脚を繰り出して内目からわずかにバンブーを交わして勝利しました。勝利ジョッキーの診ない騎手が勝利インタビューの際に涙を流していたのが印象的なレースでした。また、このレースの翌週にＧ１レースでは異例の連闘策でジャパンカップに出走したことも当時のファンは驚きました。
しかもマイルチャンピオンシップから距離が伸びるジャパンカップということで、馬券の予想を離れてオグリを応援するというファンも多かったのです。しかしそのジャパンカップでもオグリは2着に好走しました。素晴らしい通算成績を残しているオグリキャップですが、その戦歴の中にはこのような今の時代では考えられないローテーションで出走して好走した成績も含まれているのです。