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１８６３年アンリ・デュナンが創設した国際赤十字の本部があるジュネーブ。その赤十字博物館の、オスマン‐トルコ帝国のアルメニア人虐殺を扱った展示にクレームが付いた。
問題の展示は、１年で１万人以上の命を奪った紛争と１０００人以上の犠牲者を出した自然災害の全てを記録した「Wall of TIme」。地元報道機関は、このリストにあるオスマン‐トルコ帝国時代のトルコ人によるアルメニア人虐殺の項目に激怒している。壁の記載は「１９１５、１９１６そして１９１７、オスマン‐トルコ帝国：アルメニアでの虐殺。」とあるのみ。他の記載と同様極めて簡潔だが、アルメニアで殺戮を行ったのは誰なのか、また虐殺の犠牲者は誰かという記載が無いという事が問題となっている。
ジャン＝ピエール・ゴウム前学芸員は「赤十字博物館は、歴史上の事実を見せることと赤十字の中立性の綱渡りを余儀無くされている。両者のバランスを取ることは大変困難なことだ。」とswissinfoに語った。赤十字博物館は開館以来、どこかの政府を立腹させ市民や赤十字職員の命を危うくしてでも真実を見せるべきなのだろうかという問題と対峙してきた。１９８２年から９７年まで同博物館の学芸員だったゴウム氏は、歴史上の事実を受け入れることを拒否する政府の要請に屈服することは、歴史の真実か人道援助活動のどちらかを妥協することになると言う。
トルコのアルメニア人虐殺という表現は、トルコ政府からが赤十字国際委員会（ICRC）に表現に対する苦情と共にキプロスでの赤十字の活動が規制されることになるというトルコ政府からの示唆があったことからトーンダウンしたと言われている。が、現学芸員のロジャー・メイヨー氏は、この話を強く否定し次のように述べた。「我々は『Wall of Time』上の表現を変えたことは１９８８年の開館以来１度も無い。genoccide（ある人種・国民などに対する計画的な集団虐殺）という言葉を massacres（大虐殺）に変えた事も無い。今後も政治や報道の圧力により、１つの単語も変えることはない。」。
メイヨー氏は、壁に記された表現は冷戦最中の８０年代半ばに考案されたと指摘する。「我々の前任者達は、今日には考えられないような決断や妥協を余儀無くされたのだろう。トルコが虐殺という表現に不快感を抱いているのは衆知の事実だが、この単語は双方の妥協によって選択されたものだ。」と述べた。
また、メイヨー氏はこの壁自体が、歴史とは何かというジレンマを博物館に突き付けているという。「Wall of Timeは歴史を決定的なものとして表現している。石に刻まれた『永遠』の歴史と歴史上の事件を再考する必要性の間には矛盾がある。もしこの展示がコンピューター化された現在作られたのなら、歴史の知恵を直ちに反映することができただろう。我々は歴史を作っているのではない。我々は歴史を語り、歴史はその進行を進化させている。」。そして、技術的に壁の言葉を変えることは困難なのだと語った。