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ネヘミヤ記8：9～12、交読詩編19：8～15「力の源」
2023年1月15日（左近深恵子）
聖書は、神さまのご意志を伝える言葉です。神さまのご意志、神さまのみ心を示します。人のこころも、言葉によって示します。誰かのこころの中は他の人には見えず、掴みがたく、理解し難いものです。言葉によって人は自分のこころを少しずつ他者に伝えることができ、言葉が互いのこころを知る助けとなります。神さまのご意志は、聖書の言葉によって私たちに示されます。神さまからの言葉を大切にする思いから、教会は聖書の言葉を「み言葉」と呼んできました。礼拝においてその日与えられた聖書の箇所の言葉を説き明かす説教も、「み言葉」と呼ばれてきました。聖書の言葉が、教会の礼拝の中心にあります。聖書の言葉と、その言葉を説き明かす説教を通して、神さまがその礼拝ごとに、私たちに語り掛けてくださることに信頼してきました。教会が宣べ伝える聖書の言葉に深いところで耳を傾ける一人一人の心も魂も、み言葉に照らされることに、信頼してきました。
み言葉は、礼拝の中心であるだけでなく、私たちの日々の歩みを照らす道標です。私たちの周りには、道標になりそうに見えるものが他にも色々あります。最近多くの人が選び取っているものに、安心感を覚えることがあります。長く続いてきたものや、他のものよりリスクが少なそうに見えるものも、私たちを惹きつけます。しかし、私たち自身の状態や感覚が変わろうとも、私たちを取り巻く状況が変わろうとも、週ごとに、礼拝の度ごとに教会を通して宣べ伝えられるみ言葉は、私たちの土台となり続け、私たちを照らし続けます。先ほど旧約聖書のネヘミヤ記から、礼拝において民が進む道を示された出来事を聞きました。生きることに奮闘し、もがきながらみ言葉を求め、新たなスタートを切った信仰の先輩たちの姿が語られていました。
この民は、60年に及ぶバビロン捕囚から解放されたイスラエルの人々でした。イスラエルの民は本来、祝福の基とするために神さまが選び立てた民でした。小さな民が神さまから祝福され、神の民とされ、神の民としてどのように生きてゆくのか生き方を指し示す十戒を中心とした律法を与えられ、住まいとしてカナンの地を、祝福として多くの子孫を与えられました。しかしイスラエルの民の歴史は、その神さまのみ心から離れ出てしまうことの繰り返しでもありました。神さまを神としない道に迷い込む民に神さまは裁きをくだされ、そして赦し、恵みの中へと再び招かれる、しかしまた民は神さまから離れ出てしまうということが幾度も起きてきました。自分たちで人間の王を望んで、人間の王に支配される一つの国となったイスラエルでしたが、やがて国は南北に分裂し、北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされました。その後、残った南ユダ王国も紀元前6世紀にバビロニア帝国に滅ぼされました。都エルサレムも、神殿も、徹底的に壊され、城壁も打ち破られ、ダビデ王朝は滅亡に至りました。バビロニア帝国はエルサレムで指導的な立場にあった住民を強制的にバビロンに移住させ、こうして終わりの見えない異国での捕囚生活が始まりました。それまで、自分たちが神の民である以上奪われることなど無いと思い込んでいた、あることが当たり前だと思っていた都も神殿もダビデ王朝も失ったユダヤの民は、捕囚という苦しみを、預言者たちの度重なる警告にもかかわらず、神さまでは無く大国の力を礎に危機を乗り越えようとした自分たちに対する神さまの裁きと受け止めました。
やがてペルシャ帝国と言う大国が台頭し、539年にペルシャがバビロニアを征服したことで、状況が変わります。ペルシャ帝国の王キュロスは、ユダヤの民がペルシャの覇権に服従し、ペルシャに税を納めることを条件に、エルサレムに帰り、神殿を再建することを許可しました。ユダヤの民はこのことを、神のご意志に即した、神のみ業と受け止めました。祖国への帰還を許された民の中に既に、エルサレムから連行されてきた世代はほとんどなく、大半はバビロンで生まれ育った人々であったと考えられます。紀元前538年、捕囚の民の故郷への帰還が始まりました。ユダヤの民は、数多くの集団をなしながら、継続的にエルサレムに向かって移動し続けました。他方で、自らの意志でバビロンに留まることを選んだ人々も少なくありませんでした。
エルサレムに戻った民は早速神殿の再建に着手し、基礎が造られます。けれど共同体の再建は、決して容易いことではありませんでした。その地域を厳しい飢饉が襲い、人々はその日の生活を営むことで精いっぱいになります。祖国の地には既に多くの他の民が暮らすようになっていましたが、それらの民によって再建事業が妨害されたことも伝えられています。神殿の再建工事は中断を余儀なくされました。
神殿は廃墟の姿のまま20年近くの時が経ち、ようやく新たに預言者ハガイとゼカリヤが指導者として与えられます。彼らは諦めの思いに呑み込まれていた人々を励まし、神殿の再建事業は再開され、5年に渡る工事の末、とうとう神殿が再建されました。ユダヤの民は念願の神殿において、祭司が執り行う礼拝を中心に、一つの神の民として自分たちの共同体を再建していこうと願ったのではないでしょうか。
しかしさほど時を経ないうちに、神殿での礼拝は形骸化していったと考えられています。共同体に腐敗が広がり、格差が増大していきました。神殿は建ったものの都を囲む城壁は打ち破られたまま、城門は焼け落ちたまま（ネヘミヤ1：3）、それらによって防御されるはずの町には廃墟が広がり、畑は荒れたままでした。人々の信仰も大きく揺らいでいました。マラキ書によると、人々は汚れた祭壇への捧げもの（マラキ1：6～14）や、捧げることにおいて（マラキ3：13～15）、神さまを軽んじ、神さまに偽ったとあります。ネヘミヤ記にも、安息日が守られなくなり、聖職者たちは堕落していたことが述べられています。支配者層の人々の中には、城壁の再建はどうせ不可能だと、それよりも今のうちにできるだけ多くのものを手に入れておこうと、自分の利益ばかりを追い求める腐敗が広がっていました。こうして富裕層は一層多くのものを手に入れ、貧しい者は更に失い、奴隷となる者も少なくありませんでした。このような状況が何十年と続いた末に、エルサレムの再建を先導したのが、ネヘミヤとエズラでありました。
ネヘミヤは、かつてエルサレムから連れて来られた捕囚の民の子孫でしたが、キュロス王がユダヤの民にエルサレム帰還と神殿建設を許可する勅令を出した後も、ペルシャの首都に留まっていました。王から能力を買われ、信頼され、王の側近として政権の重要な地位についていました。しかし祖国の悲惨な状況を聞き、ペルシャ王の許可を得て、ユダヤの再建のために総督となり、エルサレムに帰還しました。ネヘミヤは城壁の再建工事を再開し、城壁と数か所に設けられた城門を再建しました。それによって、その内側にある町の安全を取り戻し、町の仕組みも整えました。有能な行政官として都の再建に大きな働きを為したネヘミヤですが、聖書はネヘミヤが器や仕組みを整えたことだけを伝えているのではありません。祈りの人とも呼ばれるネヘミヤは、祖国の荒廃と民の苦悩を初めて耳にした時、座り込んで泣き、幾日も嘆き、神さまに昼も夜も祈りをささげたと記されています（ネヘミヤ1：4）。その祈りは、祖国の民に代わって「わたしたちはあなたに罪を犯しました」と、「あなたの僕モーセに命じられた戒めと掟と法を守りませんでした」と罪を告白し、憐れみをお与えくださいと願うものでした。この祈りを経てエルサレムの再建へと踏み出したネヘミヤは、その後もたびたび祈りを捧げます。都の城壁や城門の再建も、町の仕組みの整備も、行政官として都の復興のために為した働きはどれも、祈りを土台にした、神さまのみ前に為されたことであったのです。
エズラは、ネヘミヤによって城壁が再建された後にエルサレムに帰還したようです。それまでは、今のこの時、どう自分の生活を守ってゆくのかと、足元ばかり見ていたようなユダヤの民でしたが、この先をどう歩んでゆこうかと顔を上げ、道を求めるようになります。民は、神さまのみ言葉に道を示されることを願い、神殿の水の門の前にある広場に集まってきました。
都も神殿も町も再建されましたが、器があれば神の民が再建されたとは言えません。かつて、城壁も町も神殿もあったのに、神の民は神さまのみ心から離れ出ました。石を積み上げた立派な神殿が崩れ落ちた時、民は拠り所を奪われ、信仰生活も崩壊するような思いをしました。ようやく祖国の地で礼拝のための場所を再建することができたと思ったら、人々は礼拝をただ形式的に繰り返すものとしてしまい、互いが何によって結び付けられているのか見失い、神さまのことも、互いのことも軽んじるようになってしまいました。神の民にとって、神さまを礼拝するための場所や建物は、当然重要です。しかし建物が信仰の礎とはなりません。たとえ建物が崩れても、崩れ去ることの無い信仰の礎は聖書であり、聖書が証しする信仰の中身です。神殿や都も、信仰を土台に建てられ、信仰を土台にして整えられ続けるべきものです。真の礎を求めて神さまのみ前に集った人々は、年齢も性別も社会的な立場も、経験してきたものも、様々であります。一人一人が、神さまのみ前へと集まってきました。神さまのみ前に自分自身を置かなければバラバラになっていく人々が、礼拝において一人の人のように一つとなって、神さまを仰ぎました。
この礼拝を司ったのが、祭司であり、書記官であるエズラです。モーセの律法は、神さまがモーセを通して与えてくださったので、「主の律法」とも「神の律法」とも呼ばれます。エズラは、この「主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念し」（エズラ7：1～11）た人でした。神殿に集まった民は、この律法の書に精通した祭司エズラに、礼拝で律法の書を朗読することを求めます。今日の箇所で私たちは、エズラによって律法の書が朗読されたことに加えて、律法の書をエズラに求めたのは民であったことも心に留めたいと思います。神さまからいただいているみ言葉を、今日、新たに聞きたいと願う民に、エズラは心を込めて朗読したのではないでしょうか。
今のように1冊の本の形にまとめられた聖書をそれぞれが所有したり、持ち運んだりすることできない時代です。聖書は幾つもの大きな巻物に記されています。エズラは巻物を会衆の前に持ってくると、そこから朗読します。律法の書には天地創造、アブラハムの選び、出エジプト、荒れ野の旅、約束の地への導きと、イスラエルの民を中心に紡がれてきた神さまの救いの歴史、神さまが告げられた言葉、神さまが為さったみ業が記されています。朗読は夜明けから正午まで続きます。朗読に続いて、エズラの両側に立つ13人のレビ人が、エズラによってヘブライ語で朗読された文を翻訳します。おそらく当時人々が用いていたアラム語に翻訳したのでしょう。翻訳した聖書の言葉を語った上で、その言葉について、説き明かしがなされます。聖書に聴くと言うことは、朗読される言葉を機械的に聞くことではありません。分かる言葉で語られ、説き明かされて、聞いたことへの理解が深められます。そのために朗読する人、翻訳し説き明かす人々と、複数の人々がみ言葉を伝えることに携わり、そこにいるあらゆる人が、分かり、理解することができるように、心を砕き、礼拝をリードしています。それは美竹教会の礼拝が目指していることでもあります。私たちの礼拝の原型となる礼拝がここにささげられています。
聖書の言葉とその説き明かしを聞いた人々は、聖書が告げるイスラエルの民の歩みに、自分たちのこれまでを重ね見たのでしょう。神さまではなく大国の力に拠り頼み、大国同士の覇権争いの中でうまく立ち回る才覚によって生き抜こうとし、その結果神さまから離れてしまい、捕囚と言う裁きを神さまから下されました。神さまの導きによってようやく祖国に戻ったのに、自分たちの礼拝も社会も再建することができず、諦めや貪欲さに引きずられています。律法の書が伝える、神さまに背を向け、道を見失って彷徨う人々は自分たちでもあると気づいた人々は、罪に呑み込まれた自分たちの悲惨さに目を開かれ、嘆き、悲しみます。神さまのみ前に居る彼らは、他者の目を気にすることも、罪人である自分を偽りで飾ることも、気負うことも必要ありません。自分たちの罪を悔い、ぼろぼろと涙を流します。み言葉が誠実に求められ、み言葉が聖書に忠実に語られる礼拝において、心からの悔い改めが起きています。
この民にエズラは、「嘆いたり、泣いたりしてはならない」「悲しんではならない」と、「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」と呼び掛けます。神さまのみ前ですべてをさらけ出して悲しみ、嘆く者は、人の罪深さにもかかわらず人を見捨てず、悔い改める者を赦される神さまの慈しみによって、喜ぶことへと押し出されます。人の側には、罪の嘆きから喜びへと自分自身を変えることのできる根拠などありません。自分のことも、他者のことも、罪から救うことのできない自分ではなく、神さまが喜ぶ道を私たちに与えてくださいます。美味しいものを食べたり飲んだりすること、その備えが無い人とは分かち合うことによって、その喜びを味わう道を示します。今はコロナ対策のためになかなかかつてのように行うことができずにいますが、教会で愛餐会と呼ばれる、特別な礼拝の後に行われる食事とお祝いの会が、ここで告げられている食事の風景と重なります。
この食卓は、自分のことを喜ばせるためでも、隣人を喜ばせるためでもありません。主を喜び祝うためです。主を喜びとするためです。私たちにそれぞれ命と存在を与えてくださり、他者とのつながりを与えてくださり、神さまに背き続ける者でありながら罪の闇から私たちを、ただご自分の慈しみによって救い出してくださる神さまを喜ぶためです。神さまを喜び、神さまを自分の喜びとすることが、私たちの新しい一歩の力となります。礼拝において語られるみ言葉によって神さまがどのような方であるのか知り、悔い改める者は、神さまから私たちが与えられている糧を感謝し、分かち合うことを通して、神さまを喜び祝うことこそ私たちの進む道なのだと知り、共に神さまから与えられている喜びを形に表していくことへと押し出されていきます。それがこの時代も、今のこの時も、礼拝の本質であるのです。
「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ」と、今日の箇所で繰り返されています。振り返れば私たちは日々を、自分の目的のため、自分にとって重要な誰かのためにどう用いるか、そのことばかりになってしまいがちです。けれど礼拝の日は、わたしたちのための時間ではなく、主に捧げられている日、聖なる日であります。七日毎に主に一日を捧げ、新たに主の赦しを受け止め、主の祝福に満たされ、主を喜び祝う、これが私たちの力の源です。コロナによって、礼拝を継続することの重みを、この3年間、私たちは実感してきました。礼拝の場に集まること、複数の人々が担うみ言葉のための働きによって、み言葉が朗読され、説き明かしがなされ、多くの人と共にみ言葉が証しする主を喜び賛美できること、主をお祝いして共に食卓を囲めることは、当たり前のことではないのだと、知りました。形式的に繰り返される儀式でも、義務感だけでこなす務めでもなく、神さまからいただいている恵みに感謝できる時、誠に私たちの日々の歩みを支える力をいただく時なのだと、困難の中で味わってきました。礼拝を捧げられるということに、私たちはその度に感謝を覚えます。そして礼拝の度に私たちは新しく、力強く、神さまによって再建され、神さまを喜び祝う生活へと踏み出すのです。