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エルドアン政権の下、死刑の是非を国民投票で決める案が浮上している。ドイツのメルケル首相は、もしトルコで死刑の是非について国民投票が行われるとしても、ドイツ在住のトルコ人がこの案件について在外投票することはできないとの立場を表明した。スイスも同様の対応を取るだろうと、元駐ドイツ・スイス大使のティム・グルディマン下院議員は考える。
スイスに暮らすトルコの有権者は９万５千人おり、この問題はスイスも無関係ではない。元駐ドイツ・スイス大使のティム・グルディマン下院議員（社会民主党）はドイツの決定を歓迎している。
スイスインフォ： メルケル首相は、トルコの死刑導入を巡る国民投票をドイツで実施することは認められないとの立場を示しました。メルケル氏の姿勢は正しいと思いますか？
ティム・グルディマン： そう思う。なぜなら欧州人権条約はこの件に関し国民投票の実施を禁じているからだ。欧州評議会も死刑禁止で合意している。ドイツ、スイス、トルコは欧州評議会の加盟国であり、欧州人権条約を遵守しなければならない。もしトルコが欧州評議会から脱退したとしても、ドイツやスイスでこの件に関する国民投票を実施してはならないことに変わりはない。
スイスインフォ： メルケル氏がこの発表をしたのは、トルコが国民投票の実施を最終決定する前のことでした。
グルディマン： 基本的に、問題が浮上する前に独自の立場を明らかにする方が良いだろう。
スイスインフォ： 仮の話ではあっても、スイスもこの問題に無関係ではありません。スイスもこの問題に今から取り組むべきでしょうか。
グルディマン： 嵐が来ないのをただ期待するのは間違っている。ここで問われるのは我々の基本姿勢だ。基本姿勢は、問題が浮上するかどうかによって左右されるものではない。
スイスインフォ： 外国で死刑制度が導入されることの是非に関し、スイスで投票を行うべきではないと考えますか？
グルディマン： 民意と法治国家が対立した場合、法治国家の方が優先される。我が国では、それがスイスに関することであっても、人権の是非について国民投票を実施してはならない。外国人がスイスで在外投票をする場合であってもだ。
スイスインフォ： スイスの中立の原則はどう関わってくるでしょうか？
グルディマン： スイスはいつも「中立」を盾に、外国に対して意見を述べるのを控えようとするが、それは根本的に間違っている。中立とは、スイスが国家間の武力衝突に関わらないことだ。これを将来的にも保障するために、スイスは中立政策を取っている。この政策の下では、加盟国が戦争中であるか否かに関わらず、北大西洋条約機構（NATO）への加盟が禁じられている。死刑の是非は中立とは全く関係がなく、むしろ人権、法治国家、国際法に関わっている。また、全てを国民投票で決めることはできない。死刑の是非もその一つだ。
スイスインフォ： あなたはスイス人として、直接民主制を強く支持しようとは思いませんか？
グルディマン： 直接民主制も法治国家も心から支持している。だが民意を悪用して法治国家を崩してはならない。例えば、奴隷制度の再導入は基本的人権に関わるものであり、多数派がそれを決定してはならない。
スイスインフォ： スイスでは誰が、どの案件が国民投票の対象から外れると判断するのでしょうか？
グルディマン： 死刑の再導入を求め、提案に必要となる１０万人分の署名が集められた場合、政府が連邦議会に対し、そのような国民投票の実施を禁じるよう勧めるかどうかを判断しなければならない。
スイスインフォ： あなたは死刑に断固として反対しています。駐イラン・スイス大使を務めていましたが、死刑執行数が世界で２番目に多いイランで暮らし、働いていた当時の気持ちをお聞きかせください。
グルディマン： 欧州評議会とは反対に、国連人権条約では死刑が禁じられていない。そのため、全世界で適用されるルールや、イランに課せられている義務に基づいて、イランの死刑制度を批判することはできない。それはロシア、中国、米国に関しても同じだ。問題は、どういう政治的観点から他国の政府を批判するかだ。イランなどの国とは違い、トルコは欧州評議会の加盟国だ。そのため、トルコは欧州人権条約を遵守しなければならない。さもなければ、ヨーロッパから去るしかないだろう。
ティム・グルディマン氏（Tim Guldimann）略歴
１９５０年チューリヒ生まれ。チリのサンティアゴ、メキシコ、ストックホルムで国民経済を研究。
１９７６～７９年、哲学者ユルゲン・ハーバマスが共同設立したドイツ・シュタルンベルクのマックス・プランク研究所勤務。７６年に著書「Die Grenzen des Wohlfahrtsstaates（仮訳・福祉国家の限界）」出版。７９年、ドイツ・ドルトムント大学でスウェーデンの労働市場政策に関する博士論文で博士号取得。
７９～８１年、研究目的でソ連（モスクワ、旧レニングラード、ノボシビルスク）やロンドン、ニューヨークに数度滞在。
８２年、スイスの外交業務に着手。９１～９５年、欧州連合（EU）との研究に関する協議を主に担当。同時期にベルン大学、チューリヒ大学、フリブール大学で講師を務める。
９６～９７年、チェチェン共和国で欧州安全保障協力機構（OSCE）の支援グループを率い、休戦の交渉に携わる。その後２年間、クロアチアでOSCEの使節団を率いる。
９９～２００４年、駐イラン・スイス大使を務める傍ら、イランにおける米国の利益も代表する。米国とイランの国交回復を提案するも、実現しなかった。
０４～０７年、ヨーロッパの様々な大学で教鞭を執る。０７年から再びOSCEに勤務。OSCE使節団を１年間率い、国連事務総長のコソボ特使代理を務める。
１０年５月～１５年５月、駐ドイツ・スイス大使を務める。
１４年、当時OSCEの議長でスイスの連邦大統領だったディディエ・ブルカルテール氏から、OSCEのウクライナ特使に任命される。
１５年、在外スイス人として初めてスイスの連邦議会議員に当選。社会民主党所属で下院議員に選ばれた。
（独語からの翻訳・鹿島田芙美）