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世界第３位の経済大国が今、試練を迎えている。歴史上最悪の二つの人災を経て、日本はいまだに政治エリートのコントロール下に置かれ、消極的な民主主義国家に甘んじている。
この記事は、スイスインフォの直接民主制に関する特設ページ#DearDemocracy他のサイトへの一部です。ここでは国内外の著者が独自の見解を述べますが、スイスインフォの見解を表しているわけではありません。
太平洋の海岸線沿いにある福島県双葉郡大熊町。私たちが福島第一原発周辺の「デス・ゾーン」と呼ばれるエリアに向かう途中、同席していた地元のジャーナリスト、サラム・ニシダさんは「私はこのツアーが嫌いだ」と言った。
午後３時前、私たちは倒壊した原発３基のすぐ外に車を停めた。ちょうど７年前、この時間に、マグニチュード９．０の東日本大震災が東京から約２５０キロメートル離れたこの場所を襲った。
地震発生後、高さ１５メートルの津波が５００平方キロメートル超のエリアに押し寄せ、約１万９千人が犠牲になった。倒壊した建物は１００万棟を超える。大熊町に位置する４基の原発のうち３基が冷却機能を失いメルトダウンした。これにより長い期間、周辺エリアが広く放射線に汚染されることになった。
「ここは温泉と土に恵まれた農村部で、日本で最も人気のある観光地の一つだった」。ニシダさんはそう話す。汚染地域で車を走らせる間、彼はひっきりなしに放射線レベルを計測する。多くの地点で、放射線量はX線被ばく量の３倍に上った。
まるで世紀末映画の撮影セットに来たかのようだ。道すがら、私たちは打ち捨てられた建物や子供たちの自転車がそのままになった学校、商品が陳列されたままのショッピングセンター、半分空になったプール、７年前の選挙公告が張られた掲示板を目にした。
海岸線の鉄道は安全上の理由から閉鎖されたままだが、国道６号線は４年前、再び開通した。このルートに沿って、汚染土を覆った緑色のビニールシートが延々と続いている。
震災前の状態に少しでも戻そうと、自治体は立ち入り禁止区域のすぐ外側にあるいくつかのショッピングセンターを改装し、オープンした。買い物客のほとんどが高齢者だが、スタッフの数の方が多いくらい、客の入りが少ない。
ニシダさんは「若い人たち、とりわけ子供がいる家族は当分ここには戻ってこないでしょう」。そう話すニシダさんも震災後、東京都に避難したが、「ここの現状を世界に伝えるため」福島に戻ってきたという。
チャンスを失った「フクシマ」後
午後遅く、私たちは福島県の主要都市、郡山市に到着した。数千人の人たちが、安倍晋三首相率いる日本政府がこれまで行ってきた、彼らによれば「無責任な政治」に抗議するため集まっていた。
安倍首相と自民党（この党は１９５５年以来、わずかの期間を除き、政権与党の座にある）が「震災から何の教訓も学んでいない」と批判する。
日本各地の地元コミュニティーは、再生可能エネルギーへの投資を始めた。他の国でも同様の動きが起こったが、安倍政権は依然、脱原発へ舵を切っていない。
その代わり、政府は東京電力の地域独占を維持し、稼動停止中の原発５４基のほとんどを２０２５年までに再稼動させる方針を示した。
そのうち１１基がすでに再稼動済み。今後１０年で４０の石炭火力発電所を建設する計画もある。
それとは対照的に、再生可能エネルギーの生産者たちは最大５０キロワットしか許されていない。
これについては軌道修正を求める声があちこちから挙がっている。自民党も例外ではない。
河野太郎外相はアラブ首長国連邦で行われたエネルギー会議で「現在の日本の状況を非常に危惧している」と述べた。安倍首相と多くの閣僚たちはいま、他の政治スキャンダルに見舞われ、毎晩、官邸前で何千人もの市民がデモ活動を繰り広げている。
私のデモクラシー・ワールドツアーの一環、１０日間の日本滞在中に出会ったベテランジャーナリストのヤマダ・アツシさんは「この国では、草の根運動で何かを変えるというのはすごく難しい」と語る。
「私たちの民主主義の歴史には、強い市民運動は存在しない。市民革命すらない」
実際、第二次世界大戦末期の二つ目の人災は、この国の行く末を変えた。１９４５年８月、米国が広島市と長崎市に原爆を投下し、少なくとも１３万人が犠牲になり、これにより日本は連合国に降伏した。１９４７年に施行されたこの国の新しい憲法は軍隊の存在を強く制限し、基本的な民主主義の権利を保障するものだった。
広島の国民投票のインパクト
しかし、枢軸国に属したイタリアとは異なり、日本人は新しい政治制度を国民投票で決めるという機会が与えられなかった。これが今でもしこりとなっている。
ヤマダさんは「この民主主義が本当に民主主義なのか、私たちには実感が沸かない」と漏らす。
広島では、原爆が地元市民に新たな力の根源をもたらした。１９４５年の原爆投下の４年後に行われた住民投票で、市民は「広島市を平和記念都市にする」ための特別法を、７万１８５２人の賛成で可決。反対の７１１０人をはるかに上回った。
地元に住むハツヤ・レイコさん（７１）は、「それ以来、私たちの社会における核兵器、核エネルギーの使用に反対し、闘ってきた」と話す。
ハツヤさんは原爆投下の１年後、汚染がれきの残る街で生まれた。「私の両親のほか、たくさんの家族は、この非人道的な行為の犠牲者になった。私もその一人」と話す。
ハツヤさんと一緒に原爆ドーム、犠牲者の衣服や写真など、大惨事の様々な遺物を見てまわると、核兵器の破壊力がありありと見て取れた。
東京の広告会社を定年退職したハツヤさんは、地方型、参加型の民主主義を推進しようと奮闘する若者たちを支援している。
その一つが「ソーシャル・ブック・カフェ」。メディアをにぎわす様々な問題について、地元住民が政治的議論を交わす場所で、毎日開かれる。月に数回、ハツヤさんのような原爆の時代を生き延びた人たちが語り部になり、経験を後世に伝えている。
どちらの民主主義に？
ハツヤさんのような地元の努力にも関わらず、日本全体にはこの春、無力感が漂う。極めて現代的で、革新的で、アジアのけん引役だったはずのこの国が、平凡で、不安定な国に変ぼうしてしまった。
与党を覆う反民主主義の流れは最近の米国、トルコ、ポーランド、ハンガリーで起こった動きとは全く異なる。その力はどんどん大きくなり、メディアを弱体化させ、大企業は自分たちの強い立ち位置を守るため必死だ。
２００９～２０１２年のわずかな期間、政権を握り、なおかつ惨憺（さんたん）たる結果に終わった野党は今や散り散りになった。これからの日本の進むべき道について、社会の中でコンセンサスがほとんど取れていない。
もし日本が韓国や台湾の民主制促進政策に歩調を合わせるとしても、日本の民主主義に信頼と活気を取り戻すには長い時間がかかるだろう。しかも、それには草の根の民主主義が不可欠だ。真に国民が運営する国家、そして魅力的でよく整備された地元コミュニティーや都市が主要な推進力となる。それをボトムアップで行って初めて、日本の民主主義に信頼と活気が戻るのだ。
#ddworldtour（直接民主制のワールドツアー）
スイスとスウェーデンの国籍を持つ作家でジャーナリストのブルーノ・カウフマン氏は、民主主義の現状を探索する世界ツアーで各国を回る。今年５月までに４大陸２０カ国に足を運ぶ。
スイスインフォはこれまで、カウフマン氏による現地レポートを配信してきた。
（英語からの翻訳・宇田薫）
swissinfo.ch/P2P