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ベルン美術館で4月9日から8月10日まで「ホドラー 象徴主義のヴィジョン ( Hodler Eine symbolistische Vision )」が開催される。スイス人に愛され、国民的画家と位置づけられるホドラーの作品をまとめて観賞できる展示会として注目されている。
ハンガリー国立ブダペスト美術館とパリのオルセー美術館の協力を得て実現した。秋にはブダペストでも展示される。
フェルディナンド･ホドラー ( Ferdinand Hodler ) の作品162点が一堂に会する今回のベルン展は、過去40年間実現されなかった。理由は絵の保存状態が非常に悪く、貸し出しが懸念される作品が多かったためだ。今回の展示を機に修復され、「感情 ( Empfindung / L’Emotion ) 」の3点や、1900年のパリ万博に出展した「昼 ( Der Tag /Le Jour) 」の3点など同じテーマの絵が比較して展示されているのが、特徴だ。フォト･ギャラリーもあわせてご覧下さい。
象徴主義のホドラー
スイスアルプスの風景と大きな人物像が特徴のホドラーを同展示会では、「象徴主義の画家」としてとらえた。
「絵の中に描かれる人物を通し、画家として象徴したいものを表現した。背景にある風景もその目的のための手段。人物も風景もリアリティーを持った手法で描いたのが特徴」
今回の展示の企画をしたカタリナ・シュミット氏はその例として、広がる岩を背景に横たわる7人を描いた「夜 ( Die Nacht/ La Nuit ) 」を挙げる。ホドラーが最初に手がけた大作で、すべての人に訪れる死を象徴した。ジュネーブの展覧会に応募するために描いた。審査員は展示を認めたものの、ジュネーブ市がこれを拒否したというスキャンダルを起こした作品だ。
「ホドラーの人物画は複数の人物を1枚の絵に繰り返し描くことで、象徴するテーマを強調すると共に、すべての人間は同じ運命にあることを表した」
また、「絶望せし魂 ( Die Enttäuschten Seelen/Les âmes déçus )」や「感情 ( Empfindung / L’Emotion ) 」も、忍び寄る老いや死を象徴したもので、ホドラーは非常にユニバーサルな画家だとシュミット氏は評する。
訪れる人の心を最も打つのは、地階に展示されているヴァレンティーン・ゴデ・ダレの肖像画の一連であろう。いずれも大作ではない。1908年にモデルとして知り合った20歳年下のヴァレンティーンとの間にはパウリンという娘をもうけた。しかし、1914年、ヴァレンティーンはがんに侵され翌年に亡くなる。病床にあってもモデルとしての役割を忘れないヴァレンティーンを描き続けたホドラーの脳裏には、子どもの頃家族全員を亡くした思いが蘇( よみがえ ) ったはずだ。
軽く口を開け、目をまだ半分開けたまま死んだヴァレンティーンは最期に何かを伝えたかったのだろうか。愛する人の頬に画家は、どうにかして精気を見出そうとするかのように、赤い絵の具で筆を走らせている。一方、その後に描かれたヴァレンティーンは、すでに衣服を整えられベッドに横たわっている。ハンス･ホルバインなどキリストの横たわる亡骸ように静かで、やせ細った体は限りなく中性的だ。
国民的と崇められたデメリット
ホドラーは1853年にベルンで生まれるが、1860年には結核で父が死んでしまう。引き続き母を失い、1885年までにすべての兄弟を亡くしてしまう。親族全員を結核で失ったことは、ホドラーの人生に大きく影を落とした。1871年、無一文でジュネーブに移住し、スケッチの教師として生活しながら生計を立てていく。
ベルン市民はホドラーを好きではなかった ( マティアス･フレーナー、ベルン美術館館長 ) といわれるが、1895年にジュネーブで開催されたスイス博覧会で22点の人物絵の大作を仕上げ、1900年のパリ万博にも出展するなど次第にスイスを代表する画家としての地位を確立した。1910年にはスイスフラン紙幣のデザインを連邦政府から依頼され「きこり ( Der Holzfäller/ Le bûcheron ) 」を描くまで広く親しまれ、同世代のウィーンの画家クリムトよりヨーロッパでは有名で評価も高かったという。
1918年に65歳で亡くなったホドラーの20周年記念展では、第2次世界大戦にあり、ドイツに囲まれてしまい孤立したスイスで愛国精神が高まり、ホドラーを国民的画家として取り上げる気運があった。それ以来、スイス国外にあったホドラーが次々と買い取られ、スイスの美術館や個人収集家が所有するようになり、スイス国外でのホドラーの知名度は逆に下がってしまった。このため、今回のホドラー展では「第1回ホドラー・シンポジウム」を開催し、アメリカやドイツからのパネラーを招き、国際的な知名度を上げようという試みもある。
「昨年、( スイスを代表するもう1人の画家 ) アンカー ( Albert Anker) 展を開催した際、東京の国立西洋美術館の関係者にホドラー展を予告した。東京でホドラー展ができないかとも考えている」
とフレーナー館長は明かす。パリの印象派たちが日本の浮世絵に影響されたような要素はホドラーには無いものの、風景画の雲などに見られる対象の単純化は日本人の心をつかむだろうという。
swissinfo、ベルンにて 佐藤夕美 ( さとう ゆうみ )
キーワード
「ホドラー 象徴主義のビジョン ( Hodler Eine symbolistische Vision )」
4月9日～8月10日
ベルン美術館
Hodlerstrasse 8-12, 3000 Bern 7
Tel.+41 31 328 09 44
Fax +41 31 328 09 55
火～日曜日 10～17時
火曜日は特別展に限り21時まで
ホドラー・シンポジウム
4月17日と18日
Aula PROGR
Waisenhausplatz 30, 3001 Bern
フェルディナンド･ホドラー ( Ferdinand Hodler ) 略歴
1853年 ベルンに生まれる。6人兄弟の長男
1860年 結核で父を亡くす
1861年 母が装飾画家と再婚
1867年 母死亡
1871年 ジュネーブに移住
1884年 人生の伴侶でモデルとなるオーギュスト・ドュパンに出会う
1885年 ジュネーブの象徴主義作家ルイ・ドゥショサルと交友関係に
1891年 初の大作「夜」製作
1894年 バルテ・ジャックと結婚
1895年 ジュネーブで開催されたスイス博覧会に22枚点の絵画を出展
1900年 パリ万博に「昼」を出展
1908年 パリのヴァレンティーン・ゴデ・ドレに出会う
1915年 ヴァレンティーン・ゴデ・ダレ死去
1918年5月19日 65歳でジュネーブで死去