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人種差別主義者だった科学者の名をつけられていた公共空間に対し、スイスの2つの都市がそれぞれ異なる対応をとった。それは人種・性差別の歴史との向き合い方や、差別のないまちづくりのあり方について再考するきっかけをもたらした。
ルイ・アガシーは主に氷河の研究で知られる19世紀の著名な科学者だが、人種差別的理論を展開していたことでも有名だ。スイス西部の町ヌーシャテルでは最近、アガシーの名前がつけられていた大学の広場が改名され、混血女性の名前になった。一方、ヌーシャテルに近いローザンヌでは、「アガシー通り」という地名を変えず、背景に関する説明板を設置した。
「公共空間は住民の受容に非常に重要な役割を果たす。そして今日のローザンヌの住民は非常に多様だ」と、ローザンヌ市会議員のヴァンサン・ブライエール氏（社会民主党）は話す。ブライエール氏は緑の党のアリス・ジュヌー議員とともに、ローザンヌのアガシー通りの改名を求める質問趣意書を提出した。「自分の住んでいる場所で居心地の悪い思いを誰もしなくて良いようにするための行動だった」
人権・人道を専門とするジャーナリスト・作家で、ヌーシャテル大学の教授でもあるピエール・アザン氏は、「今日多くの国でポピュリズムが幅を利かせて世界が分極化し、また人の移動がますます盛んになっている中、これは特に重要な議論だ」と話す。「ローザンヌの通りの名前についての議論自体は比較的小さな問題だが、それは『私たちが住みたいのはどのような社会か？』というはるかに大きな問題を反映している」
3つの選択肢
アザン氏によると、対応の選択肢は3つある。1つ目は改名し、「私たちの歴史の暗部に関連する人物の記憶をある意味で消し去ること」。2つ目は特に何もせず、「過去は過去であり、修正したり否定したりはしない」という姿勢をとること。3つ目は妥協案として状況の説明を加えることだ。ローザンヌの場合は、アガシーの名前は維持しつつ、奴隷制支持者であったことや黒人が劣っているという信念の持ち主だったことを明記することになったとアザン氏は話す。
ブライエール氏によると、ローザンヌ市議会に質問趣意書を提出した当初はアガシー通りの改名を支持していたが、その後考えを変えたという。ブライエール氏と社会民主党の他のメンバーたちは最終的に、通りの名を変えることは「公然と人種差別思想を信奉していた人物の名前を通りにつけることがかつては許容されていたという記憶を消し去る」ことになると考えた。
「通りの名前を変えればこの過去を否定することになるが、説明板を設置すればこの矛盾を強調し、この名前を新しい歴史理解と共存させることができる」という。
スイスインフォがインタビューしたローザンヌの人々の多くはルイ・アガシーが何者なのか知らなかった。説明を受けると、ややこしい議論だと考える人もいた。「過去を解体することに意味はない。完璧な人間などいない。チャーチルやマンデラでさえもだ。それに人間は時代の産物だ。何でもかんでも改名し続ける訳にはいかない」
アザン氏は、改名や名前の消去のインパクトはそれでも大きいと言う。ヌーシャテルはルイ・アガシー広場をアフリカ出身のスイス国民議会議員の名前に変えた。これは「強力なメッセージ」を送ることになるとアザン氏は話す。
「スペイン政府が数年前にフランコ像をすべて撤去することを決定した時、スペインの社会全体に対し、フランコ時代は終わったというメッセージを発信した」と指摘する。
公共空間における女性
ブライエール氏は、説明板を設置するというローザンヌの決定には教育的価値があると考える。「しかも、公共空間に誰の名を付けるかは重要な問題だということを思い出すきっかけにもなる。都市計画の際、出身地との関連にせよジェンダーとの関連にせよ、この点も議論されるべきだ」
私たちの都市は私たちの過去の産物であり、時には見直しも必要だとブライエール氏は言う。公共空間の象徴体系において、ジェンダー間には「甚だしい」不平等が認められるからだ。
「ローザンヌの公共空間の大半は1960年代以前に建設されたため、主に男性のために男性によって、また白人のために白人によって設計されていることが明らかに見て取れる」という。
一部の女性団体がスイスにおけるこの問題を取り上げた。今年の国際女性デーにあたる3月8日の朝、チューリヒでは「男性の」通りの名が「女性の」名前に変えられていた。またジュネーブでは、100ヶ所の「男性の」通りに「女性の」名前の別名を与える運動他のサイトへが始まった。
ローザンヌはまた、現在開発中の新しい「プレーン・デュ・ルー」地区のすべての通りに女性の名前をつけることを決定した。またブライエール氏は市に対し、公共のエリアにある男女すべての像の一覧表を作成するよう求めた。数少ない女性の像については、裸婦や母親といった紋切り型の像であるかどうかも明記してほしいとした。
いまだに調査が不足？
スイスには植民地支配や奴隷制の過去はない。しかし、物議を醸す過去を持つ人物はルイ・アガシーだけではなく、歴史が「見直された」のもこれが初めてではない。例えばスイス・フランス国籍の建築家ル・コルビュジエはファシズムとフランスのヴィシー政権と繋がりがあったとされ、2017年に10フラン札の顔から外された。スイス東部の町ザンクト・ガレンは、やはり物議を醸す南アフリカのポール・クルーガー元大統領を記念したクルーガー通りを、スイスの作家フリードリヒ・デュレンマットにちなんだ名前に変更した。
スイスは小さな中立国かもしれないが、重要な金融センターであり、アパルトヘイトの南アフリカやナチス・ドイツとの特に金融上の関係はいまだにきちんと調査されていない、とアザン氏もブライエール氏も指摘する。ブライエール氏は、「記憶の作業を行うことは重要」であり、スイスはナチス・ドイツとの金融上の関係について「それをきちんと果たしていない」と考えている。
「今生きている人々と未来の世代のためだ」とブライエール氏は言う。「批判することが目的なのではない。誰が何をなぜしたのかを知り、それを教訓として、今後もっと賢くなるためだ」
ルイ・アガシーとティロ・フレイ
1807年にフリブール州で生まれたアガシーはチューリヒとドイツで医学と自然科学を学び、ヌーシャテル大学と米国のハーバード大学で教鞭を執った。ルイ・アガシーは魚類、化石、氷河の研究で最もよく知られている。
1846年に米国に移住してまもなく、アガシーは人種差別的意見を明らかにした。ダーウィンの進化論の主要な反対者の一人となり、黒人と白人は別々に創られたという考えに基づいた人種階層理論を展開した。アガシーは黒人が劣っていると考え、人種隔離を熱烈に支持した。彼の理論は米国で人種隔離制度の設立を正当化するために利用された。
自然科学分野での素晴らしい業績を残したルイ・アガシーの名に由来する地名は世界中に約80ヶ所ある。アガシーの人種差別主義は長らく無視されていたが、この暗部を指摘した歴史学者も数人いた。スイスの歴史学者ハンス・フェスラーは2007年、アガシーにちなんだ地名を改名するための国際委員会を発足させた。
スイスで最初にこれを実行したのがヌーシャテルだ。ヌーシャテル大学の評判に傷がつく危険を回避するための決断だった。ルイ・アガシー広場はティロ・フレイ広場と呼ばれることになった。ティロ・フレイは黒人女性として、またヌーシャテル州からの女性として初めて連邦議会議員となった人物である。1923年にカメルーンで生まれ、ヌーシャテルで教育を受けて教師となり、その後女子学校の校長を務めた。急進民主党員として、議会での女性の権利と開発途上国との協力を擁護した。インフォボックス終わり
（英語からの翻訳・西田英恵）