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スイスのドイツ語圏で初めて「バルテュス展」が２日から開催され、バルテュスの自画像「猫たちの王」やわいせつな絵画だとして米国で論議を呼んだ「夢見るテレーズ」が展示される。また、現在建設中の新ローザンヌ州立美術館では、スイスのアトリエに保存されてきたバルテュスの未完成作品が初公開される予定だ。
バーゼル郊外のバイエラー財団美術館で９月２日から始まる回顧展では、バルテュスが美の象徴と捉えた「少女」や「猫」をモチーフとし、瞑想と現実、エロティシズムとイノセンス、日常と神秘といった、対称的な概念を共存させた独特な具象画家バルテュスの傑作が展示される。出展されるのはアメリカ、フランス、そしてスイス国内から集められたバルテュスの作品４０点。
その中には、昨年１２月、わいせつな絵画だとして論争を巻き起こした作品「夢見るテレーズ」（１９３８年）も含まれる。椅子に座った少女がリラックスした様子で片足を上げ、下着が見えている絵がいかがわしいとし、米国の女性が中心となってオンラインで１万２千人が署名をし、作品を保有する米ニューヨークのメトロポリタン美術館に対して撤去を求めた。しかし、同美術館は芸術だとして撤去要請を拒否した。
また、バーゼルの回顧展では、バルテュスが少年時代にベルン州インターラーケンのベアテンブルクの山で生活したとき、バルテュスの後にくっついて散歩をしていたオス猫フライトナーとの思い出をもとに描かれたバルテュスの自画像「猫たちの王」（１９３５年、ローザンヌ州立美術館所蔵）のほか、スイスの個人蔵７点も展示される。
来年１９年にオープン予定のローザンヌの州立美術館では、工事中の建物の一角で、バルテュスが晩年に制作し、没後ヴォー州ロシニエールのアトリエに保管されていた素書きや下絵、未完成作品が初めて公開される。バルテュス・アトリエ協会（Association atelier de Balthus）が企画し、アメリカの演出家のボブ・ウィルソンが、作品「コメルス・サンタンドレ小路（ Le Passage du Commerce-Saint-André) 」（１９５２～５４年）の演出をする。
神秘的な絵の制作でのこだわり
バルテュスの妻でバルテュス・アトリエ協会を設立した節子・クロソフスカ・ド・ローラさんは、画家が電気の光のもとで描くことは決してなく、「自分の『仕事』はすべて自然光のみだと言って一番大切にし、彼が絵を展示する際も一番気にしていたのは自然光だった」と振り返る。回顧展に向けバイエラー財団から節子さんにバルテュス展への出品を依頼された際、「自然光が十分にある美術館で展覧会が出来るのは本人の遺志にかなっている」と画家のこだわりを損傷していると判断し、遺品の貸し出しに協力した。
そして、バルテュスは絵の構図を重んじ、「モーツァルトの音楽のようにしたいと言い、（絵画の一部に焦点を当てたものではなく）全体の絵に対するすべての均等、つまり画面の中で『張りのある均等な音律』をすごく大切にしていた」と節子さんは言う。
節子さん以外の人が足を踏み入れることを禁じていたバルテュスのアトリエに保存されていた素描や未完成画を展示し、バルテュスの構図の下書きを初めて一般公開することは、「最初の下絵にそれ以上の価値観を与えることができる。ボブ・ウィルソンが言うようにストラクチャーからすべてのものは生まれるから」（節子さん）
節子さんは「バルテュスは、絵画に対する先入観や、説明も何もなしに絵を見て欲しい。そして絵から直接受けるものを大切にして欲しいと言っていました」と話す。バルテュスと出会い「画家としての夫から、１人の女性の美を追求されるようになった」ときから、日本人女性の美を表す着物を着るようになったという節子さん。スイスインフォの取材にも和服姿で応じた。
バルテュス
（本名バルタザール・クロソフスキー・ド･ローラ）
ポーランド貴族の画家の息子で、１９０８年にパリで生まれた。１６歳から画家として活動し、ピエロ・デラ・フランチェスカやマサッチョの古典絵画などを模倣した。しかし、２７歳のころからパリで独自の具象絵画を確立し、新古典主義の「完璧な美」を築いていった。
スイスでは、第一次世界大戦中の青少年期をベルンやジュネーブで過ごしたほか、第二次世界大戦中には戦火を逃れてベルンへ行き、フリブールやジュネーブに一時的に移住した。７７年からヴォー州ロシニエールに家族で住み、山荘「グラン・シャレ」のアトリエで作品を描き続けた。２４年間のスイス生活の末、２００１年に９３歳で死去した。寡作な画家として知られる。インフォボックス終わり