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シュールレアリスム運動の徽章、毛皮で覆われたコーヒーカップ「朝食」を作ったアーティスト、メレット・オッペンハイム。２０１３年は、オッペンハイム生誕１００年にあたる。ベルン美術館では、オッペンハイムの現代性を、彼女の影響を受け継ぐ若いスイス人アーティストとオッペンハイムの作品を並べることで、明らかにしようとしている（２０１３年２月１０日まで開催）。
シュールレアリスムの写真家マン・レイの撮った美しい横顔や、裸体の女性のモデルが、実はこのオッペンハイムだ。スイスとドイツの国籍を持ち、バーゼルで育った後、１９歳で画家になるためパリに行った。そこでシュールレアリスムの運動に出会っている。
だが、「朝食」制作後の１９３７年ごろから長いスランプに陥る。１９５４年創作を再開した後の作品は、それ以前に比べ素材も題材も驚くほど多彩で自由だ。「それは、オッペンハイムがシュールレアリスムに関わりながら、いつも自分に忠実で、自分の表現したいものを表現したからだ」とベルン美術館の、ブリジット・ビュハー広報担当は言う。
オッペンハイムは、デッサンや油絵、ブロンズなどの彫刻はもちろん、劇の台本、本のイラスト、面や劇の衣装を制作し、椅子、箱、靴、手袋、ナイフなど日常のものをオブジェに変えたりする（乾燥したマカロニさえ、箱の中に並べられ虫のイメージを喚起する）。
テーマや手法も多岐にわたる。テーマでは、雲、夢、エロチシズムなど。手法では、二つの異なるものを並べる、ものの変遷・変化を使う、また木や石など既存のものを組み合わせ新しい存在（人間など）にしている。
こうした「多彩さ」故に、オッペンハイムはいつまでも現代的で、若いアーティストに与える影響は多大だ。「今回、オッペンハイムの影響を受けている５人のアーティストを先ず選び、彼らにオッペンハイムの作品の中から自分の作品にマッチするものを選んでもらい、さらに、それに合うように新しく制作してもらった」とビュハーさんは説明する。
橋の上の六つの雲
一つの展示場の入口には、オッペンハイムの彫刻「橋の上の六つの雲」が置かれている。あまり雲らしくないユーモラスな形が、まるで6本の木が並んでいるように、支えを付けられしっかりと台座に固定されている。これらは金色に輝くブロンズだ。
雲という題名を見て「ああ、雲なのだ」と微笑みたくなるほど、現実の雲とはかけ離れている。そもそも雲は、軽くて形も場所も変わる不安定なもの。ところがこの作品の雲は、重い金属のブロンズででき、形も場所も固定されている。
これは、「あるもの（現実の雲）を、性格の違うもの（ブロンズの彫刻）に変貌（メタモルフォーゼ）させ、新しい存在にさせた」と解釈できる。
ないしは、同展のカタログに引用されている、シュールレアリスム運動の騎手アンドレ・ブルトンの言葉「二つの違うものを組み合わせる、または並べることで新しいイメージが生まれる。二つが違えば違うほど効果は大きい」という手法をオッペンハイムが使ったとも考えられる。
これをスイスの若いアーティスト、マヤ・ブリンゴルフさんは、自分の創作に利用する。教会のバロック風のパイプオルガンの写真を切り取って、海に浮かぶコンクリートの油田の建造物の写真に取り付けている。いわゆるコラージュだ。すると「海に浮かぶバロックのパイプオルガン」が出来上がり、同時にバロック時代と油田という「現代」が重なり、音楽と石油という異質のものが重なる。
ただし、共通項はパイプ。一つは中を空気が通り、もう一つは石油が通る。ブリンゴルフさんは、この２種類の用途の違うパイプを自分で制作し、実際に接続し、巨大なインスタレーションとして、コラージュ作品の横に設置してもいる。
変貌（メタモルフォーゼ）
ところで、展覧会からは離れるが、「橋の上の六つの雲」の作品を前述のように「雲という軽いものが金属に変貌（メタモルフォーゼ）した」と見る場合、ベルン美術館から数十メートル先の広場に設置された、オッペンハイムの噴水が頭に浮かぶ（ビデオを参照）。
亡くなる２年前に作られたこのコンクリートの円柱の噴水は、幾何学的な建造物だった。チューブを横に切った形の水路が、円柱の周りをらせん状に取り囲む。水はこの水路をゆっくりと伝って降りてくる。
ところが、このゆっくりした流れのせいで、土がたまり石灰分が固まりとなって突出し、そこへ植物の種が飛んできて根を下ろし、今では苔や藻なども含む１００種類の植物が生きている。そのため原型のコンクリートの形ほとんど見えなくなり、春夏はこぶ状の塊と植物の造形物に、冬は氷とつららのオブジェへと変貌する。
オッペンハイムが生前にすでにこの変貌を予想していたかは、定かではない。しかし、この噴水は確実に変貌の手法を体現し、今もなお変貌し続ける。
手袋
さて、もう一人の若いアーティスト、タチアナ・ゲルハルトさんの作品が展示されている部屋には、オッペンハイムの作品「手袋」が置かれている。
灰色のヤギ皮でできた手袋の上に、手の血管が細かくピンク色で描かれている。太い血管は、皮をつまんで盛り上げた部分に着色され、細い血管は、皮の表面に直接シルクスクリーンで着色されている。
一見気味が悪いのだが、よく見ると血管の形が繊細で美しく全体的にエレガントな作品だ。人はこの前で、人間の手の皮膚を連想し、単純に言えば「隠されている現実（血液が流れているという）」を意識することになる。
また一方で、血管もあり皮膚（ヤギ皮だが）もある人間の手が、体から切り離され一人歩きする独立した存在であるかのような錯覚にも囚われる。そうして手とは何なのだろうかと、自問する。
こうした連想や問いかけを使おうと、ゲルハルトさんは彫刻のような二つの白い手が、それぞれ金属の支え棒で台の上に固定されている様子を油絵で表現している。左の手は、ペニスを意味して中指が立ち、西洋人が人を侮辱する際に行う形をしている。
この二つの手は、人をさまざまな連想へと駆り立てる。自動仕掛けの手の機械のようでもあり、手がいかに多くのことを表現するかといったことを考えさせたりもする。潜んだ暴力性も感じる。
作品を見る者の連想について、同展のカタログのインタビューでゲルハルトさんは次のように言う。「私の絵は、文学的世界（想像の世界）と同時に、現実の形を表現している。これは現実というものの両面性だ。絵は、見る者の想像力を刺激して思考を少し前に進ませるが、また（形のせいで）再び現実に引き戻すという風に、往復運動を繰り返し起こさせ、人間の本質的存在の意味を問いかける」
この意識による、現実と非現実の往復運動によって、さらに本質的な現実を見出すことこそ、シュールレアリスム運動の一つの基本的概念であり、オッペンハイムにも受け継がれ、そしてそれは現代の作家ゲルハルトさんに受け継がれている。
以上の２人の現代アーティスト以外にも、オッペンハイムのエロチシズムのテーマに刺激を受け、油絵を制作したフランシスコ・シエラさんなど、５人はそれぞれの創作方向に沿って、オッペンハイムの手法やテーマを切り取る。
そうすることで、５人の作品はオッペンハイムの作品の意味をさらに増幅させ、また反対にオッペンハイムの作品によって５人の作品の意味が増幅するという往復運動が、この展覧会の魅力になっている。この点において、確かに小規模なのだが生誕１００年にふさわしいものと感じられる。
メレット・オッペンハイム（Meret Oppenheim）略歴
１９１３年、ベルリンに生まれる。
１９１４年、家族でスイスに移住。バーゼルなどで幼少期を過ごす。
１９３２年、画家になるためにパリに行く。そこで、１９２４年に「シュールレアリスム宣言」を出したシュールレアリスムの運動に関わる。最初の展覧会をおこなう。写真家・画家のマン・レイの写真のモデルにもなる。
１９３６年、毛皮で覆われたコーヒーカップ「朝食」を制作。シュールレアリスムを代表する作品となる。
１９３７年、創作におけるスランプ状態が始まる。
１９３８年、バーゼルの応用美術学校に通い絵の修復の勉強を行う。
１９３９年、パリを最終的に去りバーゼルに移る。
１９４５年、ヴォルフガング・ラロッシュ氏と出会い、結婚。ベルンに移り住む。
１９５４年、スランプから抜け出て、再び創作を始める。
１９６７年、ストットクホルムで大個展が開催され、脚光を浴びる。夫ラロッシュ氏死去。
１９８２年、ベルルン市の芸術大賞受賞。ドイツのカッセルでの「ドキュメンタ７」に参加。
１９８３年、ベルンの中心地ヴァイゼンハウスプラッツに噴水を建造。
１９８５年、心臓麻痺で死去。インフォボックス終わり
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