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Saturday, November 09, 2013
国際宗教改革博物館散歩
ジュネーヴの旧市街の中心、小さな丘の上にサン・ピエール寺院があり、その隣が国際宗教改革博物館だ。かつてジャン・カルヴァンが活躍したサン・ピエール寺院だけあって、ルターが活躍した南ドイツとともに、宗教改革のセンターがここである。サン・ピエール寺院の鐘楼に登ると、レマン湖、そこから流れ出すローヌ川、そしてその周辺に広がるジュネーヴの街並みを見下ろすことができる。国際宗教改革博物館も１０年以上前に一度見たきりだった。いまは常設展に加えて、企画展「天国か地獄か」をやっている（１４年２月まで）。展示を見て、絵葉書、ＣＤ（後述）、そして小さなパンフレットを購入した。宗教改革や改革者の伝記など分厚い本をたくさん置いてあったが、とてもそこまでは読めない。基礎知識は日本でも手に入るので、オリヴィエ・ファティオ『ジャン・カルヴァンとジュネーヴの宗教改革』（宗教改革博物館、２００９年）という４４頁のパンフレットだけ買った。著者はジュネーヴ大学名誉教授で、まさに宗教改革とカルヴァンの研究者だ。カルヴァンが生まれたのが１５０９年、他界したのが１５６４年。先輩のルターがドイツのヴィテンベルクでカトリック教会批判の第一弾を放ったのが１５１７年、ローマ教皇から破門されたのが１５２１年。パリで勉強中のカルヴァンが宗教改革の思想を持つようになったのは１５２９年頃で、３２年には「釈義」を出版している。３４年にカトリックと決別し、バーゼルその他を回りつつ、ジュネーヴの宗教改革に関わっていったのは４０年代。４２年に「ジュネーヴ教会のカテキズム」を書き、その後、次々と論争の書を送り出した。４６年にルターが亡くなったが、カルヴァンは５０～６０年代、ジュネーヴをはじめスイス西部の町で改革の炎を燃やし続けた。カルヴァンの肖像画は、多くは痩せた顎鬚の初老の男性だが、実際には５５歳で亡くなっている。３０代から活躍しているが、肖像画は年配に描かれていると思ったら、４０くらいの精悍な顔つきの肖像画（作者不明だが、なかなかのでき。本人を見た作者だろう）もある。モーリス・レイモンドの彫刻「ジャン・カルヴァン」もあるが、こちらは想像の産物。ジュネーヴの宗教改革者や、世界の宗教改革者などの肖像画もあった（スコットランドのジョン・ノックスも）。サン・ピエール寺院の裏手のバスティヨン公園には「四大宗教改革者の像」がある。誰を「四大」にするかは難しい。ルター、カルヴァン、ツビングリ、フュスリ、メランヒトン、ノックス、ヒエロニムスなど、多数いる。ジュネーヴにとっての四大という解釈だろうか。ＣＤは、サン・ピエール寺院つきミュージシャンによる『宗教改革の歌』で、日本語の解説もついている。この宗教改革の音楽は、初期の基礎が１６世紀のストラスブールとジュネーヴでつくられたという。ともにカルヴァン所縁の地。ラテン語ではなく、地元の人々の言葉であるフランス語を用いたので、フランス語統一運動と密接に関連する。もちろん、ドイツにはドイツの宗教改革の音楽が膨大にある。ＣＤにはジュネーヴ宗教改革音楽３８曲収録。１曲目はクロード・ル・ジューヌの「ヴィオラ・ダ・ガンバのソロ」。２５～２９はパイプオルガン曲、３０以下は讃美歌。３６～３８は「マダガスカルの歌曲」で、なぜマダガスカルなのか謎だ。