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チューリヒ、高級ブティックが並ぶバーンホフ通りにあるスーパーマーケットの魚介コーナーで、日本人客に「こんにちは」と声を掛ける店員がいる。クロアチアからスイスに移住してきたトニ・パヴィチチさんだ。
「これはタイ、こちらはサバ」と日本名で魚を指し「新鮮だから、刺身にできるはず。でも今日のムール貝はあまりお勧めしないなあ」。静かな声で、しかしてきぱきとアドバイスしながら、徐々に客の心をつかむ。親しくなると、水に濡れないプラスチックの名刺を渡すこともある。そこには、パヴィチチさんの泳ぐ姿が印刷されている。
魚の忍耐
パヴィチチさんは毎日、電車で1時間以上かけてアーブルク ( Aaburg ) からチューリヒまで通勤する。早番で7時の開店から働く日は、朝5時半起きだ。12時に仕事が終わると、職場に近い市営プールで7キロメートルほど泳ぎこむ。遅番の日は、午前中にトレーニング。ベルンの陶器店で働く夫人と過ごす日曜日以外、毎日泳ぎ、30分間のジョギングも欠かさない。厳格なスケジュールに従った毎日を送れるようになったのは、今の職場で働けるようになってから。1997年、同じくクロアチア人の女性と結婚するためにスイスに移住してからだ。
クロアチアのスプリト市南にあるクワル島出身の41歳。誕生日は2月27日で魚座だ。国際的な水泳競技も開催されるこの島で、14歳のときに初めて16キロメートルの遠泳競技に参加した。その後、50以上の国際大会で優勝する「魚」になった。
しかし、1991年6月、ユーゴスラビア連邦内の共和国だったクロアチアが独立を宣言したため、独立に反対するセルビア人勢力とクロアチアの治安部隊の衝突が始まった。ユーゴスラビア連邦軍はセルビア人保護を名目に、クロアチアに軍事介入し、以後、クロアチア警察軍とユーゴスラビア連邦軍の戦争に発展した。パヴィチチさんが体育学を学んでいたスプリトに住むセルビア人を狙って、クロアチア軍が進軍してきた。11月のある朝、軍艦から砲弾が撃ち込まれ戦闘が始まる。パヴィチチさんは当時のガールフレンドと住んでいた古い家の地下に逃げ込んだ。撃ち合いは2時間ほど続いて終わったが、セルビア人が外部と行き交うこと防ぐため、スプリトの住民は3カ月間、街に監禁された。パヴィチチさんもクワール島に住む両親と電話以外連絡が取れない状態に。ある日、窓を閉めようとして外に顔を出した途端、流れ弾が頭をかするという経験もした。
差別は瑣末的
「戦争のことは一生忘れられない。だから、スイスの職場で共産圏のユーゴスラビアから来たと蔑視の意味を込めて『ユーゴ』と呼ばれると心が痛むし、受け入れられない。今の職場には、祖国で敵だったセルビア人にスイスで出会い、彼の推薦があったからこそ就職できた」
と今まで歩んできた歴史の複雑さを語る。チトー政権時代は季節労働者として、また、ユーゴスラビア戦争以降は戦争難民としてスイスに来た人々をスイス人の一部がいまでも差別している。それでも、パヴィチチさんは自分が受けた
「差別は瑣末的。水泳競技で成績を上げているスポーツマンとして、周囲は認めてくれている」
と言う。
スイスのスイミングクラブに所属し、2008年にはオーストラリアのパースの世界選手権のシニア部門で400メートル自由形と3キロメートルオープン水泳で4位。今年のカディス ( スペイン ) ヨーロッパ選手権のシニア部門の800メートル自由形で銅メダルを獲得した。スイス人であるか否かは聞かれたことはない。クロアチア国籍のまま、国籍を問われることもなくスイスのクラブの代表として泳いでいる。
「スイスに来て、一旗上げて金持ちになろうとか、スイスの福祉を利用しようとか思わないことも大切。職場では意欲を見せること。客と親しくなれるにも時間がかかるように、周囲に認められるには時間がかかる」
と、淡々と語る。ドーバー海峡を単独横断した記録がスイミングプールの入口に飾られて以来、トレーニング中に声をかけられることも多くなったという。
オーシャン7
『水平のエベレスト ドーバーからカレーまで』パヴィチチさんが今年10月に出版した本の題名だ。これによると、ドーバー海峡の単独横断は世界のスイマーにとって最大の目標だ。パヴィチチさんもその1人。2006年8月7日、ドーバー海峡を9時間45分で横断した。海峡横断の平均時間は13時間。これまで記録に残る横断者1253人の中で119位という好成績だった。天候条件が比較的良い年だったが、パヴィチチさんの泳いだ次の日は嵐になったという。
3年前からドーバーを目指し準備を始めた。7カ月前から、計画通りの生活が始まった。趣味の油絵を止め、仕事もほとんど義務的にこなし、泳ぎに集中した。1875年、初めて横断したイギリス人のマシュー・ウェブが水泳パンツだけで泳いだことから、16度の平均水温に体を保護するようなスイミングスーツを着て泳げば、証明書は出ない。
パヴィチチさんはドーバー海峡の冷水に耐えられるよう、水温の低い湖を探してトレーニングした。5月には158キロメートル。6月、242.4キロメートル、7月には258.2キロメートルと1か月ごとに泳ぐ距離を長くし、ドーバーを往復するつもりでトレーニングをこなした。横断中、停止できるのは1分だけ。パヴィチチさんは1時間毎に、アイソニックドリンクやエネルギーフード、バナナでエネルギーを補給することにした。補給エネルギーはせいぜい300カロリー。泳ぐことで1時間に600カロリーから700カロリー失っていく。つまり、補給しても、300カロリーから400カロリーが体力から削ぎ取られて行き、6時間から7時間で「アウト」だ。
2001年、スイス人の挑戦者がドーバー海峡水泳中に死亡したというニュースを聞き「6人に1人しか成功しないという統計を思い出した」と言う。成功できたのは、周到に計画した肉体トレーニングのほか
「それなりにお金も投資したので、何回もできるわけではない。絶対に成功するという強い精神力が必要。泳いでいるときには、目的地のことしか考えない。あと何回クロールすればいいのだろうとか、いつエネルギー補給しようかといったことを考えるとだめだ。自分はここまでやったぞ。目標はカレーだということしか考えないのが良かった」
と言う。
遠泳者が難関だと挙げる7つの海峡「オーシャン７」の5つはこなした。残っているのはアイルランドのセントジョージ海峡と津軽海峡のみ。津軽海峡はドーバー海峡と同じく、フェリーや漁船などが多く通る上、海底トンネルが通っている分浅く、波が荒い。向こう岸が見えず、波だけを見ながら泳ぐことになる。サメの危険が言われるが「センサーで追っ払うことができるから問題ないだろう」とパヴィチチさん。組織によって完全にサポートされているドーバー海峡とは違い、随行してくれる船など探すのが一番難しいだろうと言う。
「若い人はスピードを競い合う。私ぐらいの年になっても、それなりの喜びはある。何かをやることが重要だ」
戦争前、ユネスコ世界遺産に指定された当時のスピリトの美しい街を油絵に描きながら、パヴィチチさんは次の目標に精神を集中させ、黙々とトレーニングに通う。
佐藤夕美 ( さとうゆうみ ) 、swissinfo.ch
キーワード
＜オーシャン7＞ドーバー海峡、ジブラルタル海峡、カタリーナ海峡 ( アメリカ ) 、マゼラン海峡 ( 南アフリカ ) 、クック海峡 ( ニュージーランド) 、セントジョージ海峡 ( アイルランド )、津軽海峡インフォボックス終わり
ドーバー海峡横断
平均水温16度。
ドーバーからカレーまで32.6キロメートルだが泳いで渡る場合は波に流され40キロメートル以上になる。
平均所要時間は13時間。これまで、約1250人以上が横断したが、挑戦者の6人に1人しか横断できないほど難易度が高い海峡だ。
フェリーや貨物船が行き交うため、波が荒く、海の藻がスイマーの腕にまとわりつく。横断中には1分間以上停止できない規定がある。
1875年、イギリス人のマシュー・ウェブが初めて横断。ブランデーを飲みながら21時間45分かかった。この際、海水パンツだけで泳いだ彼に倣 ( なら ) い、それ以降も海水パンツ以外で泳ぐことは認められていない。
トニ・パヴィチチさんは2006年8月7日朝から、9時間45分で渡りきった。ドーバー沖水温16度。カレー沖水温18度。平均時速約4.1キロ。クロールで腕を動かした回数3万2200回。約96.5トンの水を掻いた。パヴィチチさんによると海水は藻があって重いという。1時間ごとにエネルギー補給したが、泳ぎ切った後、3キログラム減量していた。