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ヌシャテルから電車で３０分ほどのラ・ショー・ド・フォンは時計の町であり、時計産業のための街並み、町づくりゆえに世界遺産となっている。建築家ル・コルビュジェの生地としても知られる。
駅から５分ほどの所にある時計博物館は壮観だ。歴史的な時計の数々が展示されている。１５～１６世紀の大掛かりな時計から、現代の精密な時計まで、古いもの、新しいもの、大きなもの、小さなもの、中には日時計、砂時計、装飾時計など多種多様である。１６５０年頃のジャン・ボンブリュイ、１８世紀の陶器の花時計、フィリプ・デファルガの装飾時計、17世紀のチューリップ時計、バベルの塔絵柄の時計など、どれも楽しい。入り口に「人間と時間」と書いてあるが、人々の暮らしの中での時間、人生における時間、都市生活における時間など、展示はやがて太陽系に発展する。当然、ケプラー、ガリレオ、ハッブルといった天文学になり、さらにはアインシュタイン、パウリ、プランクなど宇宙論に至る。アインシュタイン、パウリ、プランク、マリー・キュリーが一緒に映った集合写真も展示されている。
隣の歴史博物館に行くと、町の歴史がわかる。５００年前には数十件の小さな村だった。つまり、スイスの中でも新しい町だ。何しろ標高１０００メートルだ。そう古くから人が住んでいたわけではない。ところが、北も南もずっと高い山なので、標高の割に気候が温暖で暮らしやすく、農業も可能だった。村が出来て、プロテスタント教会が建設された。フランス革命時には熱狂に包まれた（このあたりはフランス語圏）。ところが、間もなく大火事で街が消失する。ここが転機だったが、災い転じて・・・の物語が始まる。メインストリートを挟む両側の計画的な町づくり、東の丘の上に教誨を作るというスタイルが後につながる。１８３０年頃から時計産業が始まり、やがて大盛況になる。標高１０００メートル、温暖で安定した気候が幸いして、ジュラ地方は時計やオルゴールの世界的中心地となる。町はどんどん拡張されるが、その際、以前の計画を延長して整然とした街並みがつくられる。２０世紀初頭にはほぼ現在の街並みのようだ。住人は１万になり、２万になり、最盛期には４万に達する。１００年ほど前の写真は、発展した町のにぎやかさを示すものがある。
町の歴史の映像を見ていると、１９７０年代から日本の時計の隆盛のため、時計産業が斜陽になったと出てきた。なるほど。その後、ラ・ショー・ド・フォンは産業の多角化を図るとともに、周辺地域と結ぶ交通網（鉄道、高速道路）によって新たな活況を呈するようになる。
町には建築家ル・コルビュジェが設計した建築物がいくつも残っている。白い邸宅、シネマ・スカラ、図書館、ファブル・ジャコット邸など。