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4年前、有名なフランス人銀行家エドアルド・スターン氏がジュネーブの自宅で銃殺された。容疑者の女性の裁判がジュネーブで始まった。
銀行界の著名人と、衝動殺人を自白した愛人セシルBの異常な物語は、ベストセラー級の材料が満載だ。
肌色のSM衣装
実際この事件が起きて以来、捜査内容についての本2冊、小説1冊、演劇1本、映画1本がすでに生まれている。2005年3月1日に、当時50歳のスターン氏がジュネーブにある最上階の自宅マンションで死亡しているのを従業員が発見した。肌色のSM衣装を身につけたスターン氏は縛られており、頭部を2発、体も2発ピストルで撃たれていた。
スターン氏は、殺害される前に東ヨーロッパとのビジネス上の取引で、やり手のビジネスマンとの評判があったことから、警察は捜査の初期段階でロシアン・マフィアの関与を疑っていた。
しかしほどなく警察はスターン氏の愛人だったセシルBを容疑者と見なし、事件の2週間後に逮捕した。セシルBは取り調べ中にスターン氏の殺害を認め、その後モントルー ( Montreux ) 近くのレマン湖からピストル3丁が引き上げられた。
強力なコネを持つ銀行家
スターン氏は、ニコラ・サルコジ仏大統領を含むフランスの政治・ビジネス界のエリートと親しい付き合いがあり、一連の大きな取引で約6億ユーロ ( 約827億 円 ) もの財産を築きあげた。
スターン氏は、1977年にパリにある家業の「スターン銀行 ( Bank Stern ) 」の管理職に22歳で就任した。その後直ちにビジネスの支配権を握り、1985年に同行を売却した。その後個人投資銀行の「ラザール ( Lazard ) 」に入社し、義理の父ミッシェル・ダヴィド・ウェイルから会長後継者として抜擢された。
しかし、ほかの共同経営者や義理の父との衝突が報じられ、1997年にラザールを退社した後、非公開投資企業「インベストメント・リアル・リターン・キャピタル社 ( Investment Real Returns ( IRR ) Capital ) 」をジュネーブに設立した。
14歳年下のアーティスト、セシルBとは、共通の友人が2001年にパリで開いたディナーパーティーで知り合った。彼女は彫刻、絵画、詩などの創作活動を行っており、スイスに住む療法士と結婚していたが、2人は恋愛関係を結んだ。
弁護士によると、スターン氏は自分のプライベートジェット機で、アフリカでの狩猟など異国の休暇地へセシルBと旅行していた。
「2人は情熱的で、派手な関係を結んでいました」
とスターン家の弁護士マルク・ボナン氏は語った。
限界まで追い詰められて
この殺人事件の内容は明らかになったようだが、動機は釈然としないままだ。弁護側は、2001年から2004年の間に起きたスターン氏の「モラル・ハラスメント」が原因でセシルBが衝動殺人を犯したと主張している。
セシルBの弁護士パスカル・マウラー氏は、この殺人は、「深刻な苦痛と鬱 ( うつ ) へ徐々に彼女を追い込んでいった難しい恋愛関係、精神の支配とハラスメント」の結末だと述べる。
事件が起きる数カ月前から2人は、結婚の約束、彼が彼女の銀行口座に振り込んだ100万ドル ( 約9800万円 ) 、そしてその後の口座の凍結について争っていた。
「スターン氏は彼女を限界まで追い詰めたのです。彼女に結婚と独立を約束した後、何も説明せずお金を取り上げたのです」
とマウラー氏は言う。
セシルBの弁護団は、スターン氏は文化的に洗練され、非常に魅力的で知的な、そしてユーモアのある男性だったが、支配、権力、お金に基づいた不幸な子ども時代の影響のせいで、複雑な人間関係を築いていったのではないかと言う。
｢何年間も自分をただ弄 ( もてあそ ) んでいただけで、彼には全く結婚の意思が無かったということに彼女は気付いたのです｣
とマーラー氏は説明する。
セシルBの供述によると、運命の2005年2月28日、スターン氏はセックスの最中に「娼婦に100万ドルは高すぎる」と言い放ち、彼女はその直後に彼を撃ち殺した。
誰が誰を操っていたのか？
しかしスターン家の弁護士ボナン氏は、セシルBがスターン氏の財産に興味を持ち、同氏を操ろうとしていたと言う。今年の初め、ボナン氏はセシルBを、50歳の男性の幻想を誘惑した金に飢えた40歳の「ふしだらな女」と法廷で表現した。さらに、スターン氏は「性の常軌を逸した彼方からやってきた小柄なブロンド女」に依存するようになったと発言した。
100万ドルをめぐる争いで、最終的にスターン氏はセシルBに全額を支払っている。これは彼女が、2人はいずれ結婚するのだから、100万ドルは純粋に象徴的なもので2人の愛の証しである、お金は後で返却する、と説得したためだ。しかし彼女が100万ドルを返さなかったため、怒ったスターン氏は彼女の口座を凍結したとボナン氏は解説した。
「2月28日に銀行から口座凍結の確認を受け、彼女はジュネーブへ行って彼を殺したのです。もしこれが衝動殺人だというのならば、法律がある意味がありません」
とボナン氏は言う。今後、約40人の証人と双方の弁護士が法廷で陳述を行い、この複雑な激情の関係の中で誰が誰を操っていたのかが見極められる。
スイスの法律では、衝動殺人は、暴力的な感情または激しい苦悩による犯罪を意味するが、その犯罪が発生した状況が情状酌量可能なものでなければならない。
「従って裁判員は、もしあなたやわたしが同様の状況にあったならば、殺人を犯してしまうほど同様の精神状態に至るか否かを考慮しなければなりません」
とボナン氏は説明した。
サイモン・ブラッドレー、swissinfo.ch
( 英語からの翻訳、 笠原浩美 )
エドアルド・スターン氏略歴 ( 1954年10月18日～2005年3月1日 )
パリ生まれのフランス人銀行家。
パリの「科学・経済・商業高等学校 ( Ecole Supérieure des Sciences Economique et Commerciales ) 」を卒業後、1997年に22歳で家業の個人投資銀行「バンク・スターン ( Banque Stern ) 」に入行。その後すぐに家業の支配権を握る。
1983年にベアトリス・ダヴィド・ウェイル氏と結婚するが、後に別居。2人の間には3人の子どもがいる。
フランスの個人投資銀行「ラザール ( Lazard ) 」の共同経営者として、専務理事を務めていたときに義父のミシェル・ダヴィド・ウェイル氏から会長職を継承するよう言われたが、後にほかの共同経営者や義父との対立を報じられ、1997年に同行を退職し、投資顧問会社「インベストメント・リアル・リターン・キャピタル ( IRR Capital ) 」を設立。
2003年にフランスの企業「ローディア社 ( Rhodia ) 」とその取締役に対して刑事告発を行い、犯罪捜査を引き起こすきっかけとなった。2004年に同社の取締役に対し再度2件の訴訟を起こした。
2005年3月1日、ジュネーブの自宅で遺体が発見されたとき、ゴム製の服を着用しており、4発撃たれていた。
推定約6億ユーロ ( 約827億円 ) の資産を有し、富裕なフランス市民の第38位にランクされていた。
報じられたところによると、黒帯の空手家で、銃猟と現代美術に情熱を持っていた。
セシルB略歴
1969年3月20日、パリ北西の町コンフラン・サントノリン ( Conflans-Sainte-Honorine ) 生まれ。
1998年スイス在住の療法士と結婚した。
父親は広告業に従事し、母親は障害のある生徒の教師していた。本人は絵画や彫刻を独学で学んだアーティスト。
2001年に共通の友人がパリで催したディナーパーティーでスターン氏と知り合い、恋人になった。
2005年3月15日、夫の自宅があるスイスのクラレン ( Clarens ) で逮捕され、スターン氏殺害を認めた後、殺人罪で起訴された。
過去4年間、ジュネーブのシャン・ドロン刑務所に収容されている。2008年4月、深刻なうつ病により手首をカミソリで切って自殺を図るが、未遂に終わった。ベル・イデー精神科診療所にも収容されていた。