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シリア人シェフのナディーム・カデム・アル・ジャミーさんは、暴力と紛争に縛られた母国を離れジュネーブにたどり着くまでの長旅で、何万という道の上を歩いた。新しい我が家となったスイスの生活に慣れるための旅は、まだ始まったばかりだ。そして再び、その道のりは長い。
ジャミーさんの願いは、自分の料理の腕を手助けに、スイス社会により早く溶け込み、家族により明るい将来への道を切り開くことだ。
「料理はスイスの文化に溶け込むための橋になる」。ジャミーさんはこう言い、数年のうちにスイス料理の十分な知識を得て、母国シリアの風味豊かな料理と組み合わせた料理を作りたいと話す。
スイスまでの道のり
ジャミーさんがジュネーブに着いたのは２０１５年８月８日。レマン湖畔の夏祭りをにぎやかに楽しむ人々の群れが、明るい人生の幕開けを暗示しているようだった。ここに来るまでの道のりは過酷だった。トルコの沿岸都市イズミルとギリシャのヒオス島の間で、定員オーバーの難民ボートが転覆して溺れかけたことさえあった。
ジャミーさんは兄弟２人と共に、ギリシャ、マケドニア、セルビア、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、そしてスイスの国境を歩いて越えた。それぞれの国では、限られた公共交通機関を使って旅を続けた。
その年の夏、このシリア人兄弟のように欧州に流れ込んだ難民の数は、過去最高を記録した。その多くが戦火を逃れて国を後にした人たちだ。
妹夫婦が保護を求めて３年前から住んでいるスイスに着いたという喜びは、祖国に残してきた家族の心配ですぐにかき消された。妻のファイゼさんはジャミーさんの出発１０日前に次女のヤスミンちゃんを出産したばかりで、今は３歳になる長女のヒンドちゃんは、当時わずか１歳だった。
家族が再び一緒に暮らすことが最優先事項だった。それが実現したのは、ジャミーさんの難民認定申請が無事に終わった後の１７年２月１７日で、スイスの手続きでは早いほうだった。先にスイスに来て、いまだに難民認定が下りるのを待つ人たちが何人もいることをジャミーさんは知っている。認定が比較的早かったことを幸運に思う一方で、妻と２人の娘に会えない１９カ月間を永遠のように感じたという。
「他の人に比べると短かったが、私にとっては時間が止まったかのようだった」。ジャミーさんは家族がようやくスイスの地を踏んだとき、言葉が見つからず体の震えが止まらなかったことを思い出しながら語った。
シリア人シェフのジャミーさんは、スイスに着くまでにマケドニアを含む数カ国を歩いて渡った
記憶、それから恩師
ジャミーさん一家はまず、ジュネーブ空港に近いグランサコネの難民申請者センターで暮らした後、今年初めにプチランシー地区の小さなアパートに移った。
家族が再会してからの新たなスタートは、自分たちの力ではどうにもならない、トラウマになるような出来事の連続だった。だがその経験は同時に、ジャミーさんをレストランの厨房へと後押しし、シェフになるための道を開いた。
シリアで１１年に始まった社会的混乱とその後の内戦のため、ジャミーさんはビジネスと経済を学んでいた大学を辞めざるを得なかった。父親は仕立て屋を引退して、母親は主婦だった。ジャミーさんは首都ダマスカスの旧市街にある七つの城門の一つバーブ・スリジェのストリートマーケットで野菜のピクルスを作り、わずかな収入を得ていた。
アサド大統領に改革を要求する街頭デモに参加するうちに、多くの友人や親せきと同様、ジャミーさんは地元で最も恐れられていたシリア政府軍の一部隊から指名手配された。
改革の要求は次第にアサド政権の追放を求める声に変わり、政府軍は反体制派の国内拠点を次から次に破壊する残酷な軍事弾圧を始めた。兵役を逃れていたジャミーさんは治安部隊からも追われた。
「この二つの理由で、私はシリアから逃れてスイスに来た」（ジャミーさん）
当初、軍はジャミーさんの自宅を集中的に捜索したが、すぐに仕事場にも手が回った。ニンジン、カリフラワー、キュウリ、パプリカを顔の高さまで積み上げた、ピクルスの屋台に身を隠すことはもはやできなくなった。裏道を使って軍の検問所を避けても、仕事に行くのは危険すぎた。
逃亡者になったジャミーさんは、ダマスカスのレストラン「アブール・ジェディ」の厨房スタッフに加わった。調理アシスタントから始めて、苦労してシェフになった。厨房で指導してくれた義父の下で、多様なダマスカス料理やデザートの作り方を学び、努力が実って目標を達成した。
だがシリア政府の治安部隊は、良き指導者だった義父をダマスカスの抗議活動に参加したという名目で１カ月近くにわたり拘束した。あまりにも過酷な体験だったため、義父は解放されて１週間後に亡くなった。ジャミーさんと妻はその他にもシリアの内戦で多くの近親者を失った。
ジャミーさんは、「全てを言い尽くせないほど、義父からはあまりにも多くのことを学んだ」と厨房の恩師をしのぶ。
料理をするとあふれる記憶がよみがえることもあるが、言い換えれば、そのおかげで記憶をとどめておくことができる。そして自分の意識を目の前のやるべきことに集中できる。シリア人は、料理は「魂」のようなものだと言うそうだ。ジャミーさんは茶色の巻き毛に冬のフェルトの帽子をかぶり、切ったり混ぜたり、味付けをしたり皿を洗ったり、台所で一つひとつの作業に全力を傾ける。
スイス人に料理を作る
料理の才能に恵まれたジャミーさんは、スイスでシェフとして定職に就いてはいないが、ある程度名が知れている。１７年に開催されたジュネーブの難民フードフェスティバル（主催：Food Sweet Food、協力：United Nations Refugee Agency/ UNHCR ）では、注目を集めたシェフ５人の中に選ばれた。このイベントは市民の働きかけで実現したもので、他の欧州都市でも開催されている。個人の才能に注目して就職を促進することで、市民の難民申請者に対する考え方を変えようというのが目的だ。
このイベントでの経験は、ジャミーさんに大きな希望を与えた。フェスティバル期間中に厨房を提供した高級ホテル「ホテル・ダングレテール」のシェフからは、胸元にジャミーさんの名前を上品な刺繍で施した、真っ白なシェフコートが贈られた。
１００人以上の客に料理をふるまったこの特別な経験は、ジャミーさんの大切な思い出になった。ジャミーさんが一つまみの塩とコショウで味付けをしただけの、シンプルな茹で野菜がスイス人に好評だったことも意外で、スイス人の新たな内面を見出すこともできたという。
「料理は、仕事を見つけて安定し、社会に溶け込むための入口だ」。手の込んだ料理を作りながらジャミーさんはそう強調する。アパートの中は一気にダマスカス旧市街の中庭付きレストランを彷彿とさせる香りで包まれた。
その日のメニューのメインである「フェテー・マクドゥス（fetteh makdous）」を作るには４時間以上かかる。アラビア語の話し言葉で「fetteh」は「ちぎったパン」を意味し、細く切ったピタパンの上に様々な食材を重ねて作るレバント（地中海の東部沿岸地方）料理やその調理法を指す。
一方「makdous」はフェテー料理の中心となる食材で、炒めた松の実とひき肉を詰めたナスのことだ。くり抜いたナスとトマトの果肉、ザクロを煮詰めて作った繊細なソースが、ベースとなる食材のうまみを引き立てる。パンのカリッとした食感と香り豊かなこの料理の仕上げには、ヨーグルトをベースにした白いソースがかけられる。
「これはダマスカス生まれの、ダマスカスの代表的な料理。ダマスカスでこの料理を食べない家庭はないと言っていいほどだ。前菜として食べることが多い」（ジャミーさん）
料理する場所
ジャミーさんは、レバノンから８０年にスイスに来たサミア・ハムダンさんの台所を借りて料理を作る。スイス国籍を取得したハムダンさんは慈善団体RCMA（Association Rencontres et Cultures du Monde Arabe）の代表を務めており、難民申請者がスイス社会に溶け込む手助けをするために食や文化イベントを開催している。こうやって料理を通した交流の場を提供できるのをとても喜んでいる。
ジャミーさんがスイスに入国した時に住んでいた難民センターでは、調理に必要な器具を確保することは不可能だった。家族４人には寝室が二つあてがわれていたが、台所やトイレを含むその他のスペースは、２００人以上の難民や難民申請者と共有しなければならなかったためだ。
今は自分たちのアパートに住み、自分の台所を持てたことに感謝しているが、リビングルームにつながったオープンキッチンが、手が込んだ香りの強いアラビア料理に適しているかは疑問だ。
ジャミーさんがこれまでに試したスイス料理は、チーズフォンデュやラクレットといった代表的な料理のみ。特にチーズが大好きというわけではないらしい。
「シリアではチーズはせいぜい１０種類くらいしかない」と笑って話す。「スイスのスーパーに行くと、シリアでは見たこともないチーズが並んでいる」
食のつながりを求めて
探し続けてもジャミーさんが未だに見つけられないのは、シリアとスイスの食文化の共通点だ。反対に、異なる点はたくさんある。スイス人は時間のかからない料理や調理済みのもの、簡単な料理を好み、１人で食べることもある。一方でシリア人は日々の食事で手の込んだ料理を作り、余れば友人や隣人に届けるという。
冷たいヨーグルトを好むスイスに対し、シリアでは温かくして食べることが多い。代理表的な料理では大量に使ったり肉に混ぜたりする。
シリア料理に欠かせない食材や香辛料には、スイスで入手が困難だったり不可能なものもある。ジャミーさんはジュネーブのコルナバン駅近くのパキスタン人の店や、国境を超えたフランス側のアラビア食材を取り扱うモロッコ人の店で、代わりになるものを探してまとめ買いをしている。
「もしレストランを開くなら、名前は『ダマスカス』にしたい。ダマスカスに居るような気分になりたいから」（ジャミーさん）
だがメニューは、レバント料理と西洋料理を見事に組み合わせたものにしたいと考えている。まだどんな形になるのかを言うには早すぎる。ジャミーさんはスイス人が家庭でどんな風に料理しているのか見たことがないからだ。
スイスに来て、ジュネーブに住むスイス人や外国人にシリア料理を味わってもらえる機会が多くなったことを嬉しく感じている。だが、ジャミーさんが今一番やりたいのは、スイス料理の世界に飛び込んでその「謎を解き」、「西洋とレバントの懸け橋になって、両方の人に楽しんでもらえる新しい料理を創作すること」だと言う。
ナスを使った料理
材料：
ひき肉 ５００ｇ
小ぶりのナス １キロ
炒めたタマネギ（ソース用）１個分
ゴマペースト １カップ
トマトペースト 大さじ３
ザクロ
ニンニク（みじん切り、ソース用） 大さじ１
塩 大さじ１
黒コショウ 大さじ１
香辛料入りブイヨン（ソース用） 大さじ１/２
ヨーグルト ２．５カップ
レモン汁 １/４カップ
ピタパン 適量
パセリ（飾り用） 適量
松の実、アーモンド（飾り用） 適量
作り方：
１．タマネギ、炒った松の実とともにひき肉を炒め、塩コショウで味を調えてフィリングを作る
２．ナスの中身をくりぬき、１．のフィリングを詰める
３．トマトソースを作る。トマトペーストとザクロをブイヨンを溶かしたお湯に入れ、塩コショウで味を調える。タマネギを入れて煮詰める。ひき肉を詰めたナスを入れ、５分煮て取り出す
４．ヨーグルト、レモン汁、ニンニク、塩、ゴマペーストを混ぜてヨーグルトソースを作る
５．細切りにしたピタパンをバターで炒め、ボールに取る
６．炒めたピタパンを皿に盛り、その上にトマトソース、ナスの肉詰め、ヨーグルトソースの順に盛り付ける