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スイススポーツ界の英雄、ロジャー・フェデラー。しかし、彼の故郷では、元デパートや公園の方が幅を利かせている。これはいったいどういうわけか。
その答えはなかなか複雑だ。だが、地元の人のほとんどは、ロジャー・フェデラーが育ったバーゼル近郊の町ミュンヒェンシュタイン ( Münchenstein ) といえば、アートギャラリーに衣替えされたデパートや大きな公園を連想する。
ひょっとしたら、スイス人はあまり人目を引きたくない人たちなのかもしれない。戦争には参加せず、銀行口座は秘密にし、国際連合（UN）に自分たちの声を届けることすら避けてきた。数年前にやっとのことで加盟の申請、承認が行われるまでは。
フェデラーの軌跡はどこに？
特に目立つわけではない、だが、スイス人にしか発音できそうにない名前を持ったこの近郊住宅地が、もっとも有名なゆかりの人をあまり表に出そうとしないわけは、もしかしたらこんなところにあるのかもしれない。
この町へ続く道路には、フェデラーの銅像も彼を讃える記念碑も見当たらない。彼が住んだテラスハウスの壁に記念銘板はなく、道路の向かい側にある彼が通った小学校にも彼にまつわる記念の品は影も形も見当たらない。
おまけに、彼が育った街区の方向を尋ねても、道行く人々は首を横に振り肩をすくめるばかり。
ところが、「シャウラーガー」（Schaulager）となると話は別だ。元デパートだったこの建物は、バーゼルで、そしてスイスでも一番有名な建築事務所「ヘルツォーク&ド・ムーロン」がアートギャラリーに変身させたとき、きちんと地図に載せられている。「緑中公園」（Park im Grünen）もまたしかり。もしミュンヒェンシュタインにセンターコートが作られるとしたら、それはきっと牧歌的な池と巨大な立体芸術と遊び場がそろった、この人気のレクリエーションエリアの中だろう。
ロジャーのようなプレーを
「テニスを始めさえすればロジャーのようにプレーできると思っている子どもたちも中にはいます」と言うのは、フェデラーが入会したときにクラブのジュニアプログラムを率いていたマドレーヌ・ベアロッハーさん。彼女は今でも最年少組を担当している。
このクラブの次の「期待の星」は男の子ではなく、6歳の少女、ヴィヴィアン・ハントシンちゃんだ。彼女はトレーニング仲間の中でもかなり年上の最強の少年たちを相手にボレーやスマッシュを打ち、週に4日も練習試合を行っている。
しかし、彼女の父親は、娘のテニス熱とフェデラーは無関係だと言う。ラケットを手にしていないときは何をしているかという問いかけに、彼女は「サッカー」と答えた。
フェデラーの影響力を活用したら、このクラブの評判はより高まり、才能あるコーチの魅力的な職場として人気の的となるに違いない。現在、クラブで有望視されている青少年のコーチに当たっているのは、フランス人のセバスティアン・ヌドゥンベさんだ。
彼はこれまでさまざまなクラブで働いてきた。バーゼルに来る前は、有名なフロリダの「ニック・ボロテリー・テニスアカデミー」にいた。故国のフランスでは技術に焦点が当てられているが、スイスではゲームを「感じ取ること」がだんだん重要視されるようになってきている、とヌドゥンベさんは話す。
よく考えてみると、フェデラーがまだ刻々と変化を遂げていた場所で、「今の彼」を感じ取るのはただ単に難し過ぎるのかもしれない。
swissinfo、ダール・ベヒテル バーゼルとミュンヒェンシュタインにて 小山千早（こやま ちはや）訳
キーワード
バーゼル近郊でよく見られるように、ミュンヒェンシュタインの町も自治体である。
町の人口は1万2000人。この地域の重要な産業中心地の1つで、約8000人を雇用している。
スイスでのロジャー・フェデラーの住まいは、この近くのオーバーヴィル（Oberwil）。
フェデラーのアマチュア時代
ロジャー・フェデラーは、1981年にテニス好きの家庭に生まれた。両親はともに「テニスクラブ・オールドボーイズ・バーゼル」のメンバーで、かなりのレベルでプレーをしていた。フェデラーがテニスポールを打ち始めたのは3歳のとき。同クラブには8歳で入会した。
その後5年間クラブでトレーニングを受け、12歳のとき、テニスに集中するためにサッカーを止めた。クラブのコーチだったセップリ・カコフスキー氏のほかに、1991年から1995年までオーストラリア人のピーター・カーター氏からも個人レッスンを受けた。
1995年、フェデラーは14歳でスイスのジュニアテニスチャンピオンとなり、フランス語圏のキュブラン（Ecublens）にある「スイス・ナショナル・テニスセンター」でトレーニングを受けることになった。同センターには高校を卒業する1997年までとどまり、その後、国際ジュニアトーナメントへの参加を徐々に増やし始めた。
フェデラーがプロに転向したのは1998年7月。
フェデラーのコーチたち
1989〜1994年：セップリ・カコフスキー。チェコ生まれのカコフスキー氏は「テニスクラブ・オールドボーイズ・バーゼル」のヘッドコーチだった。
1991〜1995年、1997〜1998年：ピーター・カーター。オーストラリア人のカーター氏は、フェデラーが10歳から14歳までの間、週に1度個人レッスンをした。1997年、2人はビール/ビエンヌ ( Biel･Bienne ) に新しくできたトレーニング設備で再会。カーター氏はフェデラーがプロに転向するまで断続的にコーチをした。
1999〜2003年：ピーター・ラングレン。プロの巡回トーナメントに参加するようになったとき、フェデラーはトップ25入りを果たしたスウェーデン人の元テニスプレーヤーでビール時代のコーチだったラングレン氏をコーチに選んだ。このころは、カーター氏からもまだ手ほどきを受けていた。
2005〜2007年5月：トニー・ロッチ。1966年にフレンチ・オープンで優勝したオーストラリア人のロッチ氏は、グランドスラムやATPマスターズ・トーナメントの数週間前にフェデラーのコーチに当たった。