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ナチスに略奪された美術品の出所確認を美術館に求める「ワシントン原則」。スイスも署名しているが、国内での作業の進み具合はまちまちだ。
今から２０年前、スイスを含む４４の政府・組織は「ワシントン原則」に合意した。この原則の目的は、所蔵品の出所を確認してナチスに略奪された美術品を見つけ出し、ユダヤ人である元所有者の相続人と協議して「公正で公平な解決」を見出すことだ。
アラン・モンティーグル氏は、フランス国境に近いスイス・ジュラ山脈の小さな町ラ・ショー・ド・フォンの美術館から、家族が所有していた英国人画家ジョン・コンスタブルの絵画を取り戻そうと１０年以上も戦った。
「ランガムから見たデダム（Dedham from Langham）」と題されたこの絵画は、モンティーグル氏のユダヤ人の曽祖伯母アナ・ジャフェさんが１９４２年に死去した後、ニースの自宅から他の所有品もろとも略奪された。ラ・ショー・ド・フォン美術館はこの作品を遺贈という形で受け取った。
モンティーグル氏が初めて市に連絡を取った時、市側は絵画が盗まれたものであることを認めつつも、手放すことを拒否した。世界ユダヤ人会議のロナルド・ローダー議長は２０１６年、この対応が「不穏な恥意識の欠如」の表れだと語った。
モンティーグル氏は、町の市場で署名を集め、訴訟を起こすと脅し、ようやく今年３月に絵画を取り戻したという。「こちらの訴えには全く耳を貸してもらえなかった」
モンティーグル氏はフランス在住だが、はるばる米テキサスからも家族の所蔵していた美術品を取り戻している。「相手側の弁護士は、私たちと直接連絡を取らないように指示していた。非常に不愉快な経験だった」
スイスが１９９８年に署名した拘束力を持たないワシントン原則は、まさにこのような展開を防ぐために策定された。今月２６日から２８日までベルリンで開かれる会議では２０周年を記念し、これまでの国際的な成果と今後の課題が検討される。スイス政府関係者も参加する。
スイスでは姿勢が変わりつつあると、ベルン美術館のニナ・ツィマー館長は話す。ナチスの略奪美術品は何度もニュースになり、メディアに大きく取り上げられてきた。最近ではドイツ人美術商コーネリウス・グルリット氏がベルン美術館に所蔵品を遺贈し、ベルン側はこの賛否両論ある贈り物の受け取りを躊躇したという事例があった。この件でベルンに注目が集まり、問題意識も高まったとツィマー館長は言う。「雰囲気が一変した。今では関係者の多くがこの問題に取り組んでいる」
館長によると、これまでの問題には資金不足や専門知識の不足があったそうだ。また、美術商が調査のために保存記録を公開したがらないという、美術市場の難関もあった。そう話すのは、ナチスの美術品略奪とスイスについての著書がある美術史家トーマス・ブオムベルガー氏だ。
スイスの美術館は現在、最初の２つの問題に少なくともある程度は対処している。ベルン美術館はベルン大学と協力して美術品の出所を調査する若手研究者を育成。スイス政府は２０１６年に初めて、出所調査のための資金を美術館に提供した。
「これらの取り組みは心強い第一歩だが、永続的な資金が必要だ。今のところ、すべて特別な助成金や一度限りの資金提供に頼っている」（ツィマー館長）
連邦内務省文化局は、１６年から２０年までに美術館の所蔵品出所調査のために２００万フラン（約２億２７００万円）を計上している。各美術館はプロジェクトごとに申請を行い、受け取る額と同額を独自の資金源から出さなければならない。
連邦内務省文化局によると、１６年から１８年までの最初の１２件のプロジェクトはほぼ完了し、結果が公表されたという。同局の美術館・コレクション部門のベンノ・ヴィトマー部長は、資金の申請件数が多く、これは各美術館が責任を果たす一層の努力をしていることを示すと話す。
マルク・アンドレ・レノルド氏はジュネーブ大学の芸術法教授で、ラ・ショー・ド・フォンを相手取ったコンスタブル作品に関する訴訟でモンティーグル氏の代理人となった弁護士でもある。レノルド氏は、過去１０年間での態度の変化の例として、スイス仏語圏の別のある自治体を挙げる。
ジュラ州は１５年に、価値約３０万フランと見積もられているギュスターヴ・クールベによるジュラの風景画を遺贈された。この絵画はクールベの公式作品目録には載っておらず、遺贈者の父親によって１９３９年にデュッセルドルフで購入されていたことを発見した州当局は警戒した。州政府は、作品の出所と真贋の調査を専門家に依頼した。絵画が略奪された証拠が見つからなかったため、州政府は絵画を、もしも略奪の事実が後に判明した場合には返還するという条件で、ドゥレモンにあるジュラ美術歴史博物館に渡した。この報告書はオンラインで公開された。
「ジュラ州の対応は全てにおいて正しかった」とレノルド教授。ただ、スイスはワシントン原則の実施にもっと力を入れることもできるはずだと言う。「スイスはそれほど積極的に取り組んでいるとは言えない」。例えばワシントン原則の最終項である第１１項には、「これらの原則を実施するための国レベルのプロセス」が求められると述べられている。「特に、それらは所有権問題を解決する別の紛争解決機構と関連するため」だ。
フランス、ドイツ、オーストリア、オランダ、英国は全て、所有権が争われる美術品について提言を行う、政府が任命する委員会を設置している。スウェーデンの美術館も今年、同様の委員会の設置を政府に求めた。しかしスイスはそうしていない。連邦内務省文化局のヴィトマー氏によると、議会でこの問題が提議されたことはあるが、政府は、そのような委員会の設置に値するだけの事例がないと回答したという。
しかし、モンティーグル氏のコンスタブル作品のような例ではこのような委員会が役に立つだろうとレノルド教授は言う。
「政治的意思が欠けていて、政府はこの問題にお金を出したくない。コンスタブルの件で膠着状態に陥っていた時、私たちは政府に支援を求めた。すると『いいですよ。では会議室を提供しましょう』という返事だった。訴訟になっても、自力で何とかしろということだ」
そしてモンティーグル氏と同様、返還要求をして何年も待たされている人たちもいる。１０年前、バーゼル美術館は、所蔵品の中のアンリ・マティス、マルク・シャガール、エドヴァルド・ムンクを含む１００点以上の作品の返還を求めるクルト・グラザー氏の相続人たちの要求を却下した。バーゼル市の美術委員会は昨年、この決定を再検討することで合意した。この見直しの結果はまだ発表されていない。
スイスでワシントン原則の実施が遅れている理由の一つは、第二次世界大戦の参戦国ではなかったことかもしれないと話すのは、スイスに拠点を置き略奪美術品の訴訟を扱う弁護士のオラフ・オスマン氏だ。「スイスから見ると、自分たちは戦争に関わってもいないのに、なぜドイツの問題を解決しなければならないのか？ということだ」
オスマン氏は、ベルン美術館が物議を醸すグルリット氏の遺贈品を受け取ったことを一部の美術商や収集家は喜ばなかったと話す。グルリット氏の収集品の出所調査は最初ドイツで行われた。そのため「ドイツの出所調査と返還に関する基準がスイスにも適用されることになるのではと懸念した」のだという。
ナチスの略奪美術品に対するドイツとスイスの対応の違いは、言葉のせいでもある。スイスでは、ナチス支配下のドイツから脱出したり、所持品や家や生計手段を失った後、新天地で生活を始めたりするためにユダヤ人が売却した美術品を指す言葉として、スイスでは長らく「Fluchtgut（逃亡資産）」が使われてきた。ドイツでは、こういった美術品およびその他の強制、強要のもとで売却された品を指して「迫害で失われた美術品」という用語が使われる。
スイスの美術館は従来、「逃亡資産」に対する返還要求を拒んできた。しかし４月、連邦内務省文化局は用語集を発行し、「逃亡資産」は国際的に認識された概念ではなく、「さまざまな解釈の可能性がある」ことを美術館や収集家たちに再認識させた。
ワシントン原則は当初より個人収集家を対象としていない。そして返還を請求する側がナチスによって略奪された美術品を取り戻すために取れる手段は今も限られている。訴訟になれば、出訴期限法のために申し立ては通常退けられる。しかし世界中の個人収集家は、出所の不確かな作品を売却したり展示したりすることの難しさを意識するようになっている。そして豊かな国スイスには、収集家がたくさんいる。
オスマン氏は、スイスの個人収集家から助言を求められたことがあると話す。「個人収集家は、特に相続の後、収集品について調査するようになってきている。通常は自分の情報のためだが、良い第一歩だ」
そしてもしも不正に入手した品を保持したければ、収集家はスイスの「自由港」に隠しておくことができる。オスマン氏はそれを「全体的に透明性の向上が見られる世界の中に存在する巨大なブラックホール」と形容する。
（英語からの翻訳・西田英恵）