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1992年、スイスドイツ語圏の有権者はフランス語圏の有権者を組み伏せ、国民投票で欧州経済領域加盟を否決した。それから約20年、両言語圏はスイスの東西を分ける架空の「レシュティの溝」を乗り越えて歩み寄った。
だが、ジュネーブの政治学者パスカル・スチアリーニ氏によると、フランス語圏の人々は依然としてドイツ語圏の人々より親欧的だ。
EEA加盟をめぐる意見の大きな食い違い
スイスドイツ語圏の郷土料理レシュティの名前から取られたこの「レシュティの溝 ( Röstigraben ) 」の亀裂は、1992年当時ほど深かったことはない。フランス語圏では欧州経済領域 ( EEA ) への加盟に有権者の7割以上が賛成したが、ドイツ語圏では過半数が反対票を入れ、最終的にこの案件は反対票50.3%という僅差で否決された。
フランス語圏の落胆は大きく、その分批判も激しかった。「EEAの裂け目」と題したのはフランス語圏の日刊新聞「ヴァントキャトラー ( 24 heures ) 」だ。週刊新聞の「レブド ( l’Hebdo ) 」は「ブラックサンデー」と謳 ( うた ) い、フリブールの日刊新聞「ラ・リベルテ ( La Liberté ) 」は「フランス語圏の住民はドイツ語圏の住民が作ったゲットーに押し戻される」と書き立てた。
「ドイツ語圏とは異なり、フランス語圏では政界の指導的立場にいる人々もEEA加入に賛同していた」
と、スチアリーニ氏はこの投票結果の東西の差異を説明する。
「フランス語圏の少数派も大事な役割を果たした。ドイツ語圏では、EEA加盟によるコントロールの消失をフランス語圏よりももっと恐れなければならなくなった」
二者間協定で合意
だがその後、ドイツ語圏とフランス語圏では歩み寄りが見られた。これが顕著に現れたのは、2001年のイニシアチブ「ヨーロッパにイエス ( Ja zu Europa ) 」においてだった。欧州連合 ( EU ) 加盟派はこのイニシアチブでスイスのEU加盟を求めたが、この案件は26の州が一つ残らず否決するという、無残な結果となった。
反対票はスイス全体で約77%にも上ったが、フランス語圏の反対票の割合はドイツ語圏よりも少なかった。最も少なかったのはジュラ州やヌーシャテル州の55.8%だ。
スチアリーニ氏はフランス語圏でも反対が多数を占めた理由として、西側の州にも中道右派の国民党 ( SVP/UDC ) が浸透してきたことを挙げる。
「国民党は反ヨーロッパ派の動員に成功した。また、現在連邦政府がEUに対して批判的な姿勢を示していることにも一因がある。フランス語圏の人々は、ドイツ語圏の人々よりも連邦政府の意見に左右されやすい」
EEA加盟否決という「大乱」のあと、フランス語圏とドイツ語圏は二者間協定という道を選ぶことで合意に達した。1992年のEEA加盟をめぐる国民投票の際に見事に勝利を飾り、政治勢力を伸ばした反対派の国民党でさえ、この合意をさえぎることはできなかった。
連邦政府がEEA加盟の代替として選択した2者間協定の道は、2000年に最初の難関を突破した。「二者間協定I」に関する国民投票が行われたとき、フランス語圏とドイツ語圏の有権者は賛成票67.2%で明白にこれを可決した。これ以後、二者間協定の道を維持するためのEU関連の案件はすべて可決されている。そしてスチアリーニ氏は、今後も可決が続くと予想している。
swissinfo.ch、外電