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スン・ミ・ユ監督の「北からの歌」が第６７回ロカルノ国際映画祭で８日から３日間、上映された。これは、韓国の女性監督が米国のパスポートで北朝鮮に入り、そこで撮影したわずかな映像と北朝鮮が発表したニュースや歴史的な映像などをつないで制作したものだ。重い歴史を背負う朝鮮半島。監督は優しいまなざしで、かつての同国人とその国を深く理解しようと試みる。作品は映画祭の「新鋭監督コンペティション部門」にノミネートされた。
映画は、真っ黒な画面に浮かび上がる豆粒ほどの円形の中で演じられる、空中ブランコのシーンを映し出す。やがて平壌（ピョンヤン）空港に到着するアナウンスがバックに流れる。すると、手をしっかりとつないでいたはずの曲芸師の１人が落下する。それは、監督の脳裏に浮かぶイメージであり、朝鮮半島の南北の分断を象徴的に表現しているかのようだ。そして、分断によって生まれた北朝鮮を訪問することが監督の創作の核になっているのだと言いたいかのようだ。
「朝鮮半島の悲劇は幼い頃から何度も聞かされて育った。しかし、今の北朝鮮については西欧人と同じぐらいの知識しかない。北朝鮮に行ってみたいとずっと思っていた」とスン・ミ・ユ監督は言う。米国に留学し米国のパスポートを入手した目的の一つは北朝鮮に行くためだった。「ところが、当時のブッシュ大統領が米国人の北朝鮮への入国を禁止した。本当にがっかりした」
北と南の違い
その後、２０１０年１２月と１１年７月に北朝鮮行きを果たしている。「映画をこう作ろうといった構想は一切なかった。そもそも何が撮れるかさえ未知数だったから」。実は正式な撮影許可を申請していない。申請すると撮影がもっと制限されるので、一旅行者としてビデオ撮影も可能な小さな写真用のカメラを持って行ったのだという。それは、一つの場所の訪問が終わるやすぐにバスに乗るようガイドにせかされる旅だった。
よって、映画の中には監督が実際に撮影した北朝鮮の映像は極端に少ない。ホテルの窓越しに、冬景色の町を行き交う人影（これは印象派の絵のように美しい）を固定したカメラで数分間撮影したり、ある建物の前でカメラに向かって手を振る小学生たちや森の小道を歩く兵士たちをバスから数十秒撮影したりといった具合だ。
では、この訪問で韓国人として何が違い、何が同じだと感じたのだろう？スン・ミ・ユ監督は言う。「自然の風景も同じ。言葉も同じ。会話では何の問題もなかった。ただ共産主義だけが不可解なものに思えた」。しかし、「北朝鮮と韓国は双子のようなもの。韓国にはこんな話がある。キツネが男の子に化けてその子の家にいる。そこへ本物の男の子が戻ってきて、さてどちらがうちの子かと両親が迷うもの。この話に似て、どちらが『本来あるべき朝鮮半島の国』なのか？資本主義の韓国か共産主義の北朝鮮かといった問いを改めて問う旅になった」。
フェイクなのか？
実際に撮影された映像と映像の間に、北朝鮮が制作した歴史的な映像が次々に挿入される。ロケットの発射や地下の核実験、さらに故金日成（キムイルソン）主席の葬儀で人々が嘆き悲しむ映像などだ。監督はこうしたフィルムをリサーチして貯め込み、４年かけて「Songs from the North (北からの歌）」を製作している。
「西欧の人は、北朝鮮のこうした映像、中でも指導者の死を嘆き悲しむような映像はプロパガンダに満ちたフェイクだと言う。しかし、果たしてそうだろうか？」と監督は問う。韓国人として朝鮮半島の歴史を知っている限りにおいて、金日成主席は日本軍に対するレジスタンスで国民を守った父であり、彼のお陰で今があると北朝鮮の人々が考えるのは理解できるし、決して誇張されたものではない気がすると監督は言う。
それに、日本軍と戦った時の壁画やスローガンなどが街の至る所にあるが、初めは不自然に思えたこれらも、よく考えると米国で目にする資本主義による巨大広告とあまり変わりはないのではないかと続ける。
こうした問いも含め、かつての同国人の視点から北朝鮮を淡々とあるがままに見せることがこの映画の目的だったと監督は言う。
父親
映画には以上の映像以外に、監督からの質問に答える父親の顔がクローズアップで何度か挿入される。
「多くの友人が北の共産主義の思想に共鳴して北に行ったんでしょ？お父さんも共鳴していたのになぜ行かなかったの？」と問う娘。「母親が、お前のおばあちゃんが悲しむからさ。一人息子の私が北に行ったり、死んだりしたら、母親も生きてはいなかっただろうからね」と答える年老いた父親。
北朝鮮の旅行中に突如ガイドから「なぜ年を取った父親を残して米国に住んでいるのか？韓国に帰るべきだろう」と言われ衝撃を受けたと監督。儒教の国の、先祖や親を大切にする伝統を北の人から聞かされたからだ。そしてこう言う。
「もしかしたら、外国（特に米国）からの脅威にさらされながらも、伝統を守り資本主義に汚されていない最後の小国なのかもしれないと思ったりもする」
しかし、父親は映画の中でこう言う。「南北統一には、北朝鮮が資本主義になってもう少し豊かになり韓国に近くならないと…」
こうした父親と監督との対話は、韓国人という、朝鮮半島の共通の文化・歴史を持った人からの北朝鮮に対する見方の挿入であり、それが西欧人の北朝鮮という国への理解に厚みを与える。
そしてこうした重層する要素を入れていく映画の作り方は、この作品を高く評価するロカルノのアーティスティック・ディレクター、カルロ・シャトリアン氏の次のようなコメントにつながっていく。
「この作品は、北朝鮮の政治やシステムに反対する映画ではない。この国のシステムが歌や映像を通して一つのイメージ世界を構築することを描いている。しかも、こうして構築された世界や実際の北朝鮮の社会は、日ごろ我々西欧人がわずかに得る情報によって作り上げるこの国のイメージよりはるかに複雑なものだと、この映画は訴えている」
スン・ミ・ユ（Soon-mi Yoo）監督略歴
韓国に生まれ、大学でドイツ文学を学ぶ。米国に留学し、マサチューセッツ芸術大学の写真学科で美術修士号（MFA）を取得。現在同大学の映像学科で教べんを執る。前衛的、かつエッセイ風の短編映画を多く制作。監督のこうした作品はロッテルダム映画祭やパリのポンピドゥーセンターなどでも上映されている。「Songs from the North（北からの歌）」は、監督の初めての長編。インフォボックス終わり
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