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スイス国防省は段階的に要塞などの軍事施設の公開を始めた。アルプス地方の散策や都市でのショッピングとは趣向の異なった観光地として人気がある。外国人も訪問できる。このコンテンツは 2004/05/17 15:22
公開されているのは要塞、防空壕など現在は使用されていないものだが、歴史、文化、環境の観点から保存される必要があると判断されたもの。将来、戦略的に使えるような場所は公開されない。
連邦政府はここ数年、現在使われていない軍事施設を調査しリストアップしている。長年放置され、植物などが生え尽くし「自然のオアシス」と化しているところもあるという。これまでに全国14州にある施設の調査が終わり、今後、チューリヒ、ベルンなどが続く予定である。チューリヒ州では「もっと以前にこうした要塞も保護すべきだった。いまになってやっと、保護する動きとなった」とチューリヒ州建築課のドロテー・フィルツ氏は語る。
要塞と化したスイス
山国のスイスは谷と谷を結ぶ手段として紀元前から、高い岩壁で囲まれトンネルのようになった通路があった。ヴィルヘルム・テル戯曲の中でテルが、「この峡谷から敵のゲスラーが来るはずだ」と言う場面は有名である。地形的にスイスを縦断するために通る道は、ほとんど決まっていた。渓谷には視界を遮る場所も多く、敵から身を守るには適している。古代ローマ時代において既に、スイス東部に多くの要塞が建設された。その後、スイスの北部にあたるライン川を超えてローマの領土が拡大するにつれ、要塞の建設は北に移って行く。
スイスは欧州の中心に位置するという地理的な要素も要塞を建設する理由となった。スイスには東西南北、どこからでも敵が押し寄せてくる可能性があった。近代になると、イタリアの独裁者、ムッソリーニがスイス南部へ進出する危険があったため、ここにも要塞が作られた。第二次世界大戦後、スイスは旧ソ連を「仮想敵国」とみなし、スイス東部における要塞建設が盛んになってゆく。 1939年当時のスイスには時代遅れの歩兵隊があり戦車は少なく戦闘機はほとんどなく、国防には不十分。「これを補うために、山岳地方まで要塞が作られた」と旧軍人のロルフ・ビンダー氏は、スイスがハリネズミのように要塞化した背景を説明する。
観光資源としての要塞と国防
ベルリンの壁が崩れ防衛政策も大きく変化すると、スイスの多くの要塞は不要となる。要塞の場所はうまく隠されており、そこを訪れた人は他言を一切禁止とされてきたが、近年になって次々と公開されるようになる。スイスの人口をすっぽり収容できるような規模の地下要塞があるとか、スイスは地下ですべてつながっているといった「神話」も語られ、実際はどうなっているのかという関心はスイス国民の中でも高く、観光名所として人気を得るようになった。観光向けの要塞は展示場を併設しており、訪れた観光客は外国人を含めこれまでに100万人と見られている。
もっとも、現在使用されていなくとも、国防の観点から重要な軍事要塞は公開されていない。こうした場所は全国に23ヶ所ある。すべて1890年から1939年に建設されたもので、必要に応じて改築が施されてきた。これらは、たとえば砲撃用の設備として将来利用されることも考えられ、当然のことながら公開はされていない。
スイス国際放送 ウルス・マイラー （佐藤夕美 （さとうゆうみ）意訳）
補足情報
要塞など軍事施設の調査は連邦国防省の指令の下1993年から始まった。
対象となっているのは、いまは使われず不必要となった施設。
チチーノ州、ヌシャテル州、ジュラ州など14州での調査は完了。
今後チューリヒ州、ベルン州、ヴォー州などが続く。
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