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「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」（訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。）
◎インマヌエル
先週はエリスさんがルカの福音書から「クリスマスの喜び」について語ってくださいました。今週はマタイの福音書から、この「喜びの知らせ」に私たちがどう応答すべきかいっしょに考えたいと思います。「良き知らせ」は英語ではGood news すなわち福音です。ここで引用されている預言「その名はインマヌエルと呼ばれる。」はイザヤ書の預言です。神の御子、救い主イエス・キリストがこの地上に来られ、十字架の犠牲の死によって私たちのために罪の代価を払い、神の力によって復活し、今、聖霊によって私たちと共に生きてくださることが福音です。救い主キリスト（私たちとともにいてくださる方、インマヌエル）は①私たちを罪の束縛から自由にし、②私たちを内側から作り変え、③私たちを神のいのちによって豊かに生かしてくださるお方です。
Ⅰ．福音は私たちを自由にする
キリストは、十字架の上で「完了した」と叫ばれました。支払うべきすべての代価を支払ったという意味です。キリストがいのちを捧げられたことは、悪魔の決定的な敗北を意味しています。信じる者はキリストの流された血に免じて、罪赦され、義とされ、神の子として神の国に生きる権利が与えられると聖書は教えています。神様に対する負債はすべて支払い終えているのです。キリストは、私たちをすべての罪の束縛から、すべての負債から自由にするために、来られたのです。
クリスチャンにとっては、すでに支払いは終わっているのです。キリストが私たちの大きな負債、自分の力では到底返済することのできない負債を全て肩代わりしてくださったからです。マイホームローンの返済が終わった方は、負債から解放されることの意味が少しお分かりになるかと思います。イエス様のたとえ話の中に、王様に１万タラントの借金がある人物が登場します。人間の罪の負債がどれほど大きいのかを教えているたとえです。さて、１万タラントを、当時の日当をもとに、今のお金に換算すると６０００億円くらいになります。マイクロソフトのビル・ゲイツかソフトバンクの孫正義さんでもなければ返済できない天文学的な額です。主イエスはそのような途方もない負債を私たちのために支払って、帳消しにしてくださったのです。
どうでしょう、クリスチャンである皆さんは自由を味わって生きているでしょうか、それとも、いまだに何かに束縛されて、大きな負債を負っているかのように汲々とした気持ちで生きているでしょうか。あがなわれた私たちが、本当の意味で自由に生きるためには、ただ一つ神のご支配の中に生きる決意が必要です。
Ⅱ．福音は私たちを豊かに生かす
主イエスは「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」（ヨハネ１０：１０）と語られました。豊かないのちが与えられるとは必ずしも物質的な豊かさを約束しているわけではありませんが、神様は子供である私たちに必要なものは与えてくださいます。主イエスは、わずかなものしか持っていませんでしたが、人として誰よりも豊かに生きたお方です。聖書が約束している豊かないのち（人生）とは、父なる神との豊かな交わりから得られるものです。インマヌエル「神が私たちとともにおられる」これにまさる豊かさはありません。私たちの状況がどんなに揺れ動いても、創造主である父なる神が私たちとともにおられるのです。
神の子とされたクリスチャンである私たちは、この豊かさをすでに与えられているのです。しかし、「私にはわずかなものしか与えられていない」とつぶやいていないでしょうか。そうつぶやくのは、神の子とされた自分の立場を良く理解していないからです。主イエスがヨルダン川でバプテスマを受けた時、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」と天の父の声がしました。キリストの血によってあがなわれ、神の子とされた私たちにも、天の父は同じように語りかけてくださっているのです。
Ⅲ．福音は私たちを創り変える
もう一つ、福音が約束しているものがあります。それは罪によって損なわれてしまった私たち人間の回復です。キリストは私たちをあがない、それだけではなく本来あるべき神の形に回復するために来られたのです。クリスチャンになったとしても古い性質を引きずっている私たちは相変わらず失敗するかもしれません。しかし大切なのは、インマヌエルなる方が私たちの内に住まわれ、私たちを創り変えようと働きかけておられることです。忘れてはいけないことがあります。私たちは自分で自分を変えることも、人を変えることもできないということです。人間を根本的に変えることのできるお方は聖霊様だけです。その聖霊様の働きに協力しているでしょうか。
ある教会で、５０代の宣教師が英語でメッセージすることになっていました。集会が始まって賛美を導いている通訳者の若い日本人牧師に、この宣教師が近づいてきてこう耳打ちしました。「すみません。急に家に帰らなければならない用ができたので、私が帰るまで、賛美を続けていてください。」びっくりした牧師でしたが、先輩を信頼して彼が戻ってくるまで、集会を導いていました。しばらくたって戻ってきた宣教師は、いつものように落ち着いた声で聖書からみことばを語りました。集会が終わって人々が家路についた後で、牧師は友人の宣教師になぜ急に家に戻ったのか理由を尋ねたのですが、こういう答えが返ってきました。「実は教会に来る前に、珍しく家内と喧嘩をして、言ってはいけない言葉で彼女を傷つけてしまったんだよ。あのままではとてもメッセージを語る気持ちになれなかったので、急いで家に戻って彼女に謝って赦してもらったんだ。」この青年牧師は、今は七十代になっていますが、当時のことを懐かしく語っていました。
私たち、クリスチャンは完全にあがなわれて、疑いなく神の子とされています。しかし、リフォーム中の家のような存在なのです。宣教師の心に語り掛けたように、私たちの回復と成長を願う聖霊は私たちの心にも日々語りかけておられます。私たちが回復されるかどうかは、助け主である聖霊の促しに私たちが素直に応答するかどうかにかかっています。インマヌエルなる方は、私たちを自由にし、豊かに生かし、回復するために来られ、今、私たちとともに生きてくださるのです。