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２月末のスイスは寒さの厳しい日がまだまだ続きますが、日没時間も毎日１～２分延びていて、午後６時を過ぎても明るいことに春の兆しを感じる季節となりました。この前のブログで紹介した「オリンピックの父」と呼ばれるクーベルタン男爵のお墓の近くに、没後４３年の今日でも多くのファンを持っている一人の女性のお墓があります。フランスのファッションデザイナー、ココ・シャネル(本名：ガブリエル・ボヌール・シャネル、Gabrielle Bonheur Chanel、1883-1971)です。
ココ・シャネルのお墓はローザンヌのボア・ドゥ・ヴォー墓地(Cimetière du Bois-de-Vaux)、第９地区１３０号にあります。１８万平方メートルという広大な敷地に造られた庭園のように美しい墓地は、ローザンヌの中心地に近くて便利な場所にあります。墓地内の東西２箇所に花屋があって、お墓に供える花束や花輪を買い求める訪問者のために早朝から開店しています。
１９０９年、パリで帽子のアトリエを開店したのをきっかけにココ・シャネルのビジネスは発展し、１９３９年には従業員４０００人を抱える大企業にまで成長していました。しかし、労働者側と労働条件に関して対立が起こり、同年シャネルはビジネスを閉鎖します。その後、第２次世界大戦中の１９４４年からパリに戻る１９５４年までの１０年間を、ココ・シャネルはスイスのローザンヌで暮らしました。この背景には、その頃彼女がナチスの協力者としてフランス中から非難を浴びたという事情がありました。パリで死去したシャネルがスイスで埋葬されたのも、この事に深く関わっているようです。
ボア・ドゥ・ヴォー墓地にあるココ・シャネルのお墓は、樹木に囲まれた静かな一角にあります。獅子の頭が彫刻された大理石の墓石には、十字架とともにガブリエル・シャネル、１８８３－１９７１と刻まれています。本人の遺言により、冬期を除いて、墓石の周囲は白い花がいつも美しく咲いています。彼女のお墓を訪問して花束やロウソクを残すファンもいます。
２０１４年の「ローザンヌ国際バレエコンクール」は、日本人高校生の優勝や入賞で話題になりました。バレリーナとしてのキャリアは築かなかったものの、若い頃はバレリーナの道を歩み、のちに映画界で活躍した一人の女性のお墓が、ヴォー州モルジュ（Morges）に近い小さな村トロシュナ（Tolochenaz）にあるのです。女優のオードリー・ヘプバーン（Audrey Hepburn、1929-1993）です。
１９５４年から１０年間にわたるルツェルンに近いビュルゲンシュトック（Bürgenstock）での俳優メル・ファーラーとの結婚生活、１９６５年のトロシュナの自宅購入、１９６９年の精神科医アンドレア・ドッティとのモルジュでの再婚、と彼女の人生はスイスと深く関わっています。普段のオードリー・ヘプバーンはモルジュの町で買い物を楽しんだり、近所を犬と散歩したりと「謙虚でとても良い人」と見られていたようです。オードリー・ヘプバーンが大女優という肩書にとらわれずに、レマン湖畔にある小さな村で心地よく暮らせたのは、スイスの人たちが「そっと」しておいてくれたからでしょう。
オードリー・ヘプバーンは女優業だけではなく、晩年１９８９年にはユニセフ親善大使に任命され、たくさんの国を訪問して活躍しました。１９９２年９月にソマリアを訪問したのがユニセフ大使としての最後の仕事でした。翌年１月２０日、６３歳の若さで亡くなった彼女はトロシュナの墓地に埋葬されました。十字架の形をした墓石にはオードリー・ヘプバーン、１９２９－１９９３とだけ刻まれています。
さて、スイスでの一般のお墓事情はどうなっているのでしょう。ジュネーブ州在住のジョゼット・シャテラナ夫人(Josette Chatelanat)の自宅に管轄の役所よりある日１通の手紙が届きました。２７歳という若さで亡くなった息子さんのお墓の取り扱いに関する通達でした。「あなたのご子息が埋葬されて２０年になります。ご子息のお墓について、“継続”または“放棄”を選択してご連絡ください」という内容でした。ジョゼットさんはその手紙を読み終え、あの日からもう２０年という歳月が過ぎたのだという思いとともに、どうしようか迷いました。
ジョゼットさんから聞いたこの話は、私にとっても大変な驚きであったと同時に、７３５年の長い歴史を持つ私の住むレザンの墓地が、歴史の長さに比較して小さい理由が理解できました。ジュネーブ州やヴォー州では、遺体を墓地に埋葬して２０年経つと、管轄区の役所より“継続”または“放棄”を問い合わせる書類が届きます。お墓はスイスの住民であれば、最初の２０年間は費用がかかりませんが、“継続”してお墓を保つには、次の２０年間の継続代金を支払うことになります。“放棄”する場合は、ジャルダン・ド・スーヴニールと呼ばれる小さな庭園にある特別な容器(写真右一番下参照)に遺灰、遺骨を納めるのが一般的です。“放棄”するお墓の墓石は、家族の希望に沿って保存またはリサイクルします。こうして掘り起こしたお墓は工事によって、また新しいお墓となるのです。
ジョゼットさんの場合は、ご子息のお墓を“放棄”することにしました。ジョゼットさんは７０歳。この年齢で次の２０年間、お墓を“継続”しても自分に何かあった時にはお墓の世話をする者がいないのと、ジャルダン・ド・スーヴニールは市が管理していていつも手入れが行き届いていて安心だからと言います。アイール・ル・リニョン（Aïre-le-Lignon）の墓地で２０年ぶりに遺灰と対面したジョゼットさんは複雑な気持ちだった言います。市役所の職員によるセレモニーの後、遺灰はジャルダン・ド・スーヴニール内に設置された小さなメモリアルに納められました。
国土の狭いスイスでは、「この方法はごく自然なことで別に違和感はないし、私は直接、ジャルダン・ド・スーヴニールでも構わないわ」と言うジョゼットさん。このスイスのお墓事情は私にとって最初はラディカルに感じられましたが、キリスト教を信仰する者として、私もジャルダン・ド・スーヴニールでもよいかもしれないと思う今日この頃です。
この記事を書くにあたり、ジョゼット・シャテラナ夫人にご協力をいただきました。
小西なづな
プロフィール：小西なづな
１９９６年よりイギリス人、アイリス・ブレザー（Iris Blaser）師のもとで絵付けを学ぶ。個展を目標に作品創りに励んでいる。レザンで偶然販売した肉まん・野菜まんが好評で、機会ある毎にマルシェに出店。収益の多くはネパールやインド、カシミア地方の恵まれない環境にある子供たちのために寄付している。家族は夫、１女１男。スイス滞在１６年。インフォボックス終わり