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戦争は人類の未来なのか－？国際連合（UN）と赤十字国際委員会（ICRC）の共催でマルタン・ボドメール財団が企画する特別展、「戦争と平和」が投げかける問いの一つだ。2020年3月1日まで開催される展覧会では、国連の前身である国際連盟が設立された100年前と変わらず均衡と方向性を模索し続ける世界を、歴史的、政治的、そして芸術的な側面から見ることができる。
「もしこの特別展が30年前に企画されていたなら、そこには途方もないオプティミズム（楽観主義）が表れていたことだろう」。本展を企画したピエール・アザン氏は、図録の前書きにこう記している。対話と調停で武力紛争の解決に取り組むジュネーブのNGO、「人道対話センター」の顧問を務めるアザン氏は、「だがその30年の間に物事のとらえ方は劇的に変化した」と続ける。
日々のニュースを見ればそれが明らかだろう。平和構築を使命とする国連の安全保障理事会は、列強国と中近東、ペルシャ湾諸国の対立を前に、身動きが取れないでいる。核保有国のインドとパキスタンがカシミール地方の領有権をめぐって再び緊張を高める南アジアでも、国連は蚊帳の外に置かれている。このような状況下でアザン氏は、「戦争か平和を選択する人類の責任は、これまでになく高まっている」と強調する。
その責任はまた、国家元首だけではなく彼らを選出、または彼らに従う民衆にもある。独裁的な政権でさえ、軍事行動を発動する前には民衆の同調を得ようとするものだ。展覧会は、ラジオを始めとしたマスメディア発展とともに、前世紀から特に力を増した様々なプロパガンダの手法にも焦点を当てている。
他者への憎悪をかき立てる思想操作や人間性を奪うプロパガンダに直面し、国際連盟は応酬しようとした。1936年、ラジオ放送の平和利用に関する国際協定が結ばれた。国内から放送されるラジオ番組が、「戦争への扇動」をしたり「それを招く恐れのある行為」を促したりしないよう各国に注意を呼び掛けるものだ。その協定も今回の展示で閲覧できる。調印した約20カ国は、「放送責任者の誤った主張により国際調和を乱す可能性のある」番組を直ちに終了することも誓った。今日、国連もインターネット上でのヘイトスピーチや偽情報の拡散防止に取り組んでいるが、国連の前身である当時の国際連盟の対応は手遅れだった。
前世紀の思想操作の最も過激な例も見ることができる。1925年に初版が発行された、アドルフ・ヒトラー執筆のユダヤ人排斥宣言書ともいえる「Mein Kampf（我が闘争）」だ。独ソ不可侵条約に添えられたポーランドを無造作な手書きの線で分割した秘密地図の複製もまた、ヒトラーの決意を表している。第1次世界大戦の戦勝国が1919年に独立を承認したポーランドにドイツ軍が侵攻した1939年9月が、ジェノサイド（集団殺戮）の幕開けだった。
それが人々にもたらした影響を物語っているのは、別のケースに展示されたアンネ・フランクの日記の初版だ。このユダヤ人少女はチフスにかかり、1945年にベルゲン・ベルゼン強制収容所で亡くなった。日記の隣には、亡命中のポーランド政府が1942年12月に同盟26カ国に宛てた16ページの外交文書、「ナチス・ドイツ占領下のポーランドにおけるユダヤ人大虐殺」が並べられている。
つまり、連合国は大量虐殺の事実を把握しながらも、終戦まで何も手を打たなかったのだ。スイス政府のドイツに対する妥協政策にならい、ICRCはホロコーストに対する行動を起こさなかった。もっとも、内部では市民への暴挙を告発する時機をめぐり議論が交わされ、曖昧で慎重な声明が作成された。だがICRCは最終的にそれを放棄した。展覧会は、その時のICRC総裁だったスイス連邦大統領フィリップ・エッターの役割も想起している。
アザン氏とマルタン・ボドメール財団のジャック・ベルヒトルト会長によって企画された展覧会は、ドイツを含め再び反ユダヤ主義が現れつつある今、私たちの意識の覚醒を招く。だが企画者たちは活動を呼びかけるのではなく、長い歴史の時間を呼び集めようとしている。そして訪問者は、人類が歴史から得るはずの教訓が、昔と変わらず現在も軽んじられていることに気づくことだろう。
「歴史は繰り返すのか？」。入り口に掲げられている問いだ。そうかもしれない。だが同時に、この果てしない繰り返しには、和解への渇望も含まれている。シュメール文字で平和と友情の約束が刻まれた、4400年前の粘土製の杭（くい）が、それを証言している。これまでに知られている中で、最も古い外交文献だ。
スイス盟約者団が、マリニャーノの戦いに敗れた翌年の1516年にフランスとの間で締結した「永久和平協定」も展示されている。大判の羊皮紙の下方には、フランソワ1世の印章の他に、その当時の同盟州13州とその属州の印がそれぞれ連なっている。これらの州は外交手続きのために代表者を1人だけ選んだりはしなかったためだ。
戦争と同じほど古くから存在するのは、争いの連鎖を抑える試みとしての宗教だった。預言者アブラハムの宗教的伝統を受け継ぐユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3宗教はそれぞれ、何が道徳で不道徳かを定義した。アザン氏が指摘するように、そこには、1990年代の旧ユーゴスラビア紛争や最初の湾岸戦争中に再び現れてきた曖昧な概念である「正しい戦争」の起源がある。
ICRCによって作成されたジュネーブ諸条約は、その点において、決定的な性質の飛躍を見せる。争いの陣営に関わりなく、あらゆる負傷者を救助し、戦争捕虜や民間人の保護を可能にするということだ。だが当初は限界も見られた。
この人道機関の設立者の一人、ギュスターヴ・モイニエは、1880年にICRC会報で、アフリカ諸国が条約に加盟することは望ましくないと述べている。「アフリカの黒人は、その大半が、この条約を生み出すに至った人道的思想を理解し、それを実践するにはまだ粗野すぎる」というのが理由だった。唯一の例外は、ベルギー国王レオポルド2世が私的植民地にした「コンゴ自由国」。モイニエは植民地の誕生に寄与していた。コンゴでは暴力的な支配が横行し、多くの人々が命を落とし、国際的に非難の声が上がっていった。
このような果てしない対立と和親の連鎖の中で、戦争の虚構を見抜き、私たちの神髄である「人間の条件」に立ち返らせることができたのは、もしかしたら一部の作家たちなのかもしれない。展覧会と同タイトルの小説、「戦争と平和」を執筆したロシア人作家、レフ・トルストイがそうだ。同作品の手書きの原稿の一部が、モスクワのトルストイ博物館外で展示されるのは今回が初めてだ。スイス政府が保証人になり、高度な警備の中で輸送されて実現した。トルストイは作中で、主要登場人物の一人アンドレイに、ナポレオン軍とロシア軍の戦いの前夜に「戦争はチェスゲームではない、忌まわしい行為だ」と言わせている、とアザン氏は指摘した。
トルストイの貴重な原稿から少し離れたところには、プロイセン王国の軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツの執筆した軍事書物「戦争論」（1833年）、中国の武将、孫武（そんぶ）による紀元前6世紀ごろの兵法書「孫子（そんし）」などの偉大な古典が展示されている。
また、フランスの小説家アルベール・カミュが社説を書いた、第2次世界大戦中のレジスタンス組織発行の非合法紙「コンバ」の紙面もある。のちにノーベル文学賞を受賞したカミュは、広島に落とされた原爆への驚きと茫然自失ぶりをつづっている。その時の彼の言葉は、悲しいことに、今でも心に響くものだ。「機械文明はその最後の野蛮の域に達した。近い将来、私たちは科学の成果を集団自殺に利用するのか、または賢く利用するのか、選択しなければならないだろう」
特別展「戦争と平和他のサイトへ」
マルタン・ボドメール財団博物館にて2020年3月1日まで開催。
国際連合（UN）の前身である国際連盟が100年前に設立されたことを記念して、国連欧州本部がジュネーブで企画したプログラム「マルチラテラリズム（多国間主義）の100年他のサイトへ」の一環。
国連と赤十字国際委員会（ICRC）とともに、スイスはこのイベントに積極的に参加している他のサイトへ。インフォボックス終わり
（仏語からの翻訳・由比かおり）