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東日本大震災と福島第一原発事故から５年 フクシマ、その後 Dominic Nahr 経済 人道 環境 ... この記事を印刷する コメントする シェアする: google +でシェアする ツイッターでシェアする フェイスブックでシェアする Eメールで送信 全文 他言語で配信中：9 他言語で配信中：9 (ar) الحياة بعد كارثة فوكوشيما (de) Das Leben nach Fukushima (en) Life after Fukushima (es) La vida después de Fukushima (fr) La vie après Fukushima (it) La vita dopo Fukushima (pt) Vida depois de Fukushima (ru) Фукусима: жизнь после трагедии (zh) 福岛今安在？ 福島県南相馬市、津波の被害を受けた地域。福島第一原発からは４０キロ。２０１１年の事故1週間後に撮影 福島県いわき市、２０１１年。仮設住宅地の敷地内を歩く子ども 東京、２０１１年。マツヤマ・サチコさん（３０）は、東日本大震災の２日前に妊娠を知った。現在は東雲（しののめ）の公務員宿舎で暮らしている 福島県南相馬市、２０１１年。福島第一原発から半径３０キロ圏内の原町区にある常福寺で合同葬儀が行われた 山形県米沢市、２０１１年。公衆電話を使う男性。地震後、国の東部では携帯電話がつながらなくなった 福島県浪江町、２０１２年。被災から１年後も行方不明者の捜索を続ける警察 福島県浪江町、２０１４年。震災から３年目の３月１１日、福島第一原発の周辺では依然として高い放射線量が測定される 福島県大熊町、２０１４年。１１年の爆発でメルトダウンを起こした福島原発１号機、２号機の中央制御室で働く職員 福島県富岡町、２０１４年。原発から１０キロ離れた富岡町に放置された車。内部には人形がある。住民が再びこの地に戻れる日は誰にも分からない 福島県会津若松市、２０１４年。震災前に住んでいた自宅の写真を持つイドガワ・イクコさん。夫のツグオさんとともに仮設住宅に暮らす 福島県浪江町、２０１４年。赤いライトに照らされたトンネル内。原発から半径２０キロ圏内の、放射線の高い区域にある 福島県川内村、２０１４年。家族写真。父親はがんで亡くなった。防護服を着用せずに作業をして高い放射線にさらされたことが原因と見られる。母親は１年後に死亡。現在子どもたちは祖母のもとに身を寄せている 福島県浪江町、２０１４年。大きな穴に投げ込まれる、放射能汚染の分かった牛 福島県福島市、２０１４年。除染作業員が練炭自殺を図ったアパート 福島県福島市、２０１４年。市内のバーにて。各地で高い放射線量が測定され続けるが夜の娯楽はなくならない 福島県南相馬市、２０１５年。原発から半径２０キロ圏内の南相馬市で除染作業に使用されるプラスチック製シート 福島県大熊町、２０１６年。うつ病を発症したムラカミ・テルミさん（４３）。以前子どもたちが遊んでいた校庭を訪れた。１５年に自殺未遂を起こしたが、子どもたちが救急車を呼んで一命を取り留めた。一番下の子が小学校に入学する日だった スイス人写真家、ドミニック・ナール（Dominic Nahr）さんは東日本大震災と福島第一原発事故の現実を「現場」に近く、彼の対象に対する距離感で撮影する。風の音や波の音、人の泣き声などが聞こえるような気がする。スイスインフォは、ナールさんが５年の間に撮影したさまざまな「現場」をギャラリーにした。