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◆ヨハネの福音書１章１６節～１８節
1：16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
1：17 というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
1：18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふと ころにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
1：17 というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
1：18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふと ころにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
◎豊かに生きるために
先週は３章から神のいのち（ゾーエー）について学びました。今日は１章に戻って、いっしょに「神のいのちの中に豊かに生きる」その秘訣について学びましょう。
◇デボラのケース
デボラは、不機嫌で怒りっぽい子どもたちと批判的な夫との 生活に疲れていました。夫婦関係も親子関係もうまくいっていなかったのです。しかし、まじめな彼女は大半の責任が自分にあると考え、自分のことを責めても いました。そんな日々が続く中で、疲労と落ち込みのために、しだいに無気力になっていきました。助けを求めて、デボラは教会の長老婦人、シャロンに自分の 問題を打ち明けたのです。年上のシャロンは、彼女に対して次のように助言しました。「あなたの否定的な感情は、思いやりのある行動が欠けているところから 来ているのよ。順番を変えてごらんなさい。愛に満ちた行動をとれば、愛情も湧いてくるわよ。愛情に満ちたクリスチャンらしく行動すれば、本当に愛情に満ち たクリスチャンにみたいな気がしてくるわよ」家に戻ったデボラは、シャロンのアドバイスに従って、夫と子供のために好きな料理を作るなどして明るく愛情深く振舞ったのですが、心の中は落ち込んだままでした。いったい何が問題だったのでしょう。 （バウンダリーより）
Ⅰ．行いによって心を変えることはできない
私たちは何かによって支配されて生きています。神から離れた人間は自分の欲求や願望を満たすために生きています。律法は行いによって神に仕えるように要求するのですが、罪を持った私たち人間はその要求を満たすことができません。私たちの霊が罪の支配下に置かれているからです。一方、キリストにある恵 みは、私たちの霊を罪の支配から解放し自由にします。自由にされた私たちの霊は、神様の愛を知って、神さまに仕えたいと願うようになるのです。イエス様 が、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と言われたのはこのためです。
Ⅱ．自分の実状（罪）を認める
イエス様は「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」（マタイ９：１２）と言われました。たとえ病人であっても、病気の自覚がなけれ ば、病院に行って診察を受けようとは思いません。自分の中にある否定的なものを認めることはなかなか勇気のいることですが、それをしない限りは、解放のス テップに入って行くことができません。罪責感、劣等感、被害者意識、恨み、プライド、責任転嫁・・・・。挙げたらきりがありませんが、私たちを束縛してい る罪に光を当てていただくことがどうしても必要なのです。
Ⅲ．手放す
私たちは自分の所有権や主導権を失うことを本能的に恐れます。ある場合にはそれはあなたの心を縛ってきた否定的な感情であるかもしれません。なんで あれ自分がずっと守ってきたものを手放すのには痛みが伴うのです。自分の持っているものを誰かにゆだねると言うことはその人に対する信頼がなければできま せん。そのような私たちにイエス様は手放しなさいと語っておられるのです。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたが たを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安ら ぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」（マタイ１１：２８～３０）
Ⅲ．恵みの中に生きる
確かに神さまの恵みによって、私たちは罪赦され、救われて神の子とされています。しかし、「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。」と書かれているように、私たちは恵みの中に生きているでしょうか。
◇デボラのその後
「善い行ない」によって自分の問題（苛立ち怒り）が解決しない ことを知ったデボラは、別な方法を模索しました。教会のリカバリーグループに入って、自分の否定的な感情を無視する代わりに理解することを教わりました。 やがて、その交わりを通して、否定的な感情を解決するための恵みを見出すようになったのです。今度は、違いました。彼女は、「そうしなければならないか ら」ではなく、「そうしたいので」夫と子供に愛を示すことができるようになったのです。
自分の否定的な感情、実状を認め（罪を認め）、それを一つひとつ手放し（告白し）、恵みの中に生きることを学んだ時に私たちは解放され、神のいのちを豊かに受けて生きることができるようになるのです。