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カトリックのスイス人、プロテスタントの独少年合唱団で指導者に
スイス人で、しかもカトリック教徒が、バッハが残した「遺産」を引き継ぐことなど可能だろうか？スイス・ソロトゥルン出身のアンドレアス・ライゼさん（46）が独ライプチヒの聖トーマス教会の音楽指導者であるトーマスカントルに就任したことは物議を醸した。就任から2カ月経って分かってきたのは、この重要な任務にはそうした背景を持つライゼさんこそが最適だということだ。
「シレンティウム」。静粛を求めるようカントルが発したその言葉が効果を発揮する。午後3時、広くて明るいリハーサル室に聖トーマス少年合唱団の少年たちが毎日のリハーサルのために集まってきた。ドアの外には急いで放り投げられた通学用かばんやジャケットが積み重なっている。何人かはぎりぎりになって自分の定位置に駆けつけた。カントルのアンドレアス・ライゼさんが手を挙げて合図を出す。今日練習するのは、バッハのカンタータ「昇天祭オラトリオ」からコラール「Nicht nach Welt, nach Himmel nicht（仮訳：世界へ向かうのではなく、天へ向かうのでもなく）」。週末に聖トーマス教会で歌う予定の曲だ。800年以上の歴史を持つ同合唱団はバッハの時代と同じように毎週、新しいカンタータを練習している。
スイス人のライゼさんは昨年9月、世界で最も有名なこの少年合唱団の指導者に就任した。このことは専門家の間では小さな驚きとして受け止められ、ライゼさんにとっては夢の実現となった。このポジションに応募した理由は、母国にキャリアの展望が望めなかったからだったという。ライプチヒにある自身の事務室で取材に応じたライゼさんは「スイスにはそのような役職はない」と説明する。
トーマスカントルはプロテスタントの教会音楽で最重要ポジションだと考える人は多い。ライゼさんはこのポジションに就いた初のカトリック教徒であり、初のスイス人でもある。前任者はすべてプロテスタントのドイツ人だった。その中で最も著名なのがヨハン・セバスチャン・バッハだ。バッハはトーマスカントルとして、1212年に設立された合唱団を1722年から死去する1750年まで率いた。ライゼさんは2021年9月11日からバッハの18人目の後継者を務める。以前はスイス・ソロトゥルンの聖ウルス聖堂少年合唱団を指導し、バロック様式のヴァルデック城で行われるオペラ公演の音楽監督として名を馳せた。
「これ以上素晴らしい役職は考えられない」
スイスにも優れた少年合唱団はある。少年たちの声もソロトゥルンとライプチヒで違いがあるわけではないが、ライゼさんはドイツの少年合唱団における専門的な構造に魅力を感じている。「ここのテンポは違う」。ソロトゥルンではリハーサルは週2回行っていたが、ライプチヒではほぼ毎日ある。団員たちは共同生活をし、毎日数時間の練習をこなし、個別にボイストレーニングを受け、楽器を習う。そして公演を毎週行う。
ライゼさんは少年たちと日々を過ごし、共に食事をし、彼らの食事メニューに目を配る。助手がいるほか、潤沢な予算を持つ経営部の後ろ盾がある。彼らは合唱のために生きる共同体であり、ライゼさんは少年たちの能力を最大限に引き出すことを任務とする。「これ以上素晴らしい役職は考えられない」
ライゼさんはカントルでありながらも親しみやすく、少年たちから尊敬を集めている。リハーサルの格好は黒のスニーカー、ジーンズ、Tシャツ。すぐに倒れる譜面台を右手で支えながら、左手でリズムを刻む。「信じられないほど素晴らしい音色だ」。ライゼさんは顔を輝かせながら、少年たちをそう励ます。半円状のひな壇の下段にいる下級生たちは、しばらくするとじっとしていられなくなる。そわそわしたり、ひそひそ話をしたり、ボトルを倒したり、鉛筆を床に落としたり…。だがライゼさんは動じない。「では、立ち上がろう」と呼びかける。体を動かせば、新たに集中できるからだ。
ライゼさんはスポーツに熱心であり、トライアスリートでもある。ランニングシューズは楽譜の前にあるスーツケースの中に入れたままだと、スイス・ドイツ語圏の日刊紙NZZに打ち明けたこともある。体を動かしたい欲求が解消できるよう、合唱団の練習には運動を取り入れている。少年たちには歌う前にまず体を動かすよう言い、時にはホール内を走るよう指導する。
ライゼさんは「彼らは普通の少年だ」と言う。午前中に学校へ行った後で、少年たちが銅像のように90分間じっと座っていることはない。だがライゼさんは厳しい指導方針は掲げていない。聖トーマス少年合唱団では子供たち同士で規律を高めているため、時折「シー」と後列の上級生たちが声を出し、注意を促す。これもライゼさんの方針の1つだ。
現在、7～20歳までの少年106人が、「共同個室（Stuben）」と呼ばれるシェアルームに年齢で隔てられることなく暮らしている。そのシェアルームがあるのは、彼らが軽蔑的に「ボロ寮（Kasten）」と呼ぶ寄宿舎だ。道を挟んで反対側には彼らが通う市立学校がある。リハーサル室と食堂は寄宿舎のモダンな増築部分にあるため、移動距離は短い。
聖トーマス少年合唱団の音楽拠点は聖トーマス教会だが、合唱団は市の機関として位置づけられている。寄宿舎と合唱団の運営を賄うのはライプチヒ市文化局だ。ライゼさんは合唱団の他の人と同様にライプチヒ市の職員であり、教会の職員ではない。そのため、彼の仕事を監督するのは市であり、教会ではない。とはいえ、教会関連の虐待に対する世間の警戒心の高まりを受け、聖トーマス少年合唱団や寄宿舎の内部でもこの問題への意識は高まった。統括者のエマニュエル・スコベル氏は既に2年前に児童保護担当者をチームに加えた。児童保護担当者は外部の世話役として合唱団に助言し、子どもたちの相談役となるほか、内部で教育者向けに継続教育の場も設ける。スコベル氏は「近さと距離のバランスは重要な課題だ。生活を共にし、人生を共にする合唱団であればなおさら重要だ」と語る。特に歌い手たち同士の仲を念頭に「お互いの関係を慎重に築いていくことはとても大事。私たちは日々のやり取りの中でその点を意識している」と言う。
「個人的につながることが大切」
こうした構造の中ではカントルは合唱団の指導者以上の存在であり、ある意味で父親的なリーダーと言える。カントルの役割が世代を超えて変化していったのと同様、ライゼさんも前任者たちとは違うスタイルを取る。そして寄宿舎の内部にも、少年たちとの接し方においても、新鮮な風を吹き込む。「個人的につながることが絶対に大切」と考え、スポーツを重視するライゼさんは、取材前日にサッカーをしたときに突き指をした指を自慢気に見せてくれた。相手を怖気させるような威圧的な態度では、子供たちから最高のパフォーマンスは引き出せるわけがないと言う。権威主義的なスタイルで有名だったオーストリアの指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンを引き合いに出し、「カラヤンみたいな人物は今の時代には受け入れられないだろう」と話す。
少年たちはライゼさんの指導スタイルに好意的だ。リハーサル後に取材に応じた17歳のナタナエル・フォルベルクさんは、カントルとは音楽だけでつながっているわけではないと強調する。合唱団は家族の代わりだ。上級生3人のうちの1人で、合唱団の中ではカントルの右腕のような存在のフォルベルクさんの意見には重みがある。就任を巡る騒動後の夏、ライゼさんからスイスに招かれ、数週間にわたるオペラのプロジェクトに参加した。カントルの慣れ親しんだ環境で、カントルのことを一層よく知ることができ、カントルをますます評価するようになったという。カントルの好きなところは？「合唱団との接し方とオープンな態度。スイス人だからでしょうか」
「カトリックのスイス人が適切かどうかを議論した」
ただ、まさにその点がカントルの選考でネックになっていた可能性はある。統括者のスコベル氏は「カトリックのスイス人が聖トーマス少年合唱団に適切かどうかについては、もちろん議論した」と認める。「しかし、私たちは自問した。（ライゼさんを指導者に迎えることに）反対する理由はあるだろうかと」。それに対する答えは、何もなかった。いくつもの強みを独自に持ち合わせるライゼさんには、選考員たちを納得させるだけの力があった。典礼や教会暦の問題に精通し、少年合唱団の指導者やオーケストラの指揮者としての幅広い経験を持っていたからだ。そして教育者としての手腕が格段に優れていた。カントルの選考委員会に参加したクリストフリート・ブレーデル氏によれば、特に年少者はライゼさんの声に熱心に耳を傾けているという。
しかし、ライゼさんが選ばれたことに誰もが納得したわけではなかった。合唱団の上級生数人は3月、激しい批判を公の場で繰り広げ、ライゼさんの適性を否定した。だが控訴委員会はライゼさんの任命に明確に同意した。今日では誰もがこの任命を巡る争いは解決済みと考える。それにはライゼさんが積極的に合唱団や批判者に向き合ってきたことが大きく関わっている。今では傍から見ても、ライゼさんは合唱団と素晴らしい関係を築いており、厚い信頼で結ばれていることが分かる。
「10分後には彼が適任だと分かった」
「採用面接を開始して10分後には彼がまさしく適任者だと分かった」と聖トーマス教会の牧師、ブリッタ・タディケンさんは言う。タディケンさんはその日の朝、話し合いのために寄宿舎にいた。タディケンさんも同僚のマルティン・フンデルマルクさんと同様にライゼさんの任命に関与し、ライゼさんに対する批判をはねつけてきた。この2人の牧師はライゼさんの音楽的な専門知識だけでなく、典礼への造詣の深さを高く評価している。2人はライゼさんと密接に協力して教会暦を形成しているため、2人の声には重みがある。プロテスタントの真髄であるこの立場にカトリック教徒が適しているのかと多くの人が疑問を抱いたが、2人はそれを払しょくしてきた。
合唱団はライプチヒの音楽界でトップの歌い手やカントルが大半を占めるが、ライゼさんが加わったことで合唱団は再び若干の国際色を帯びた。地域の枠を超えて団員を募ることに問題はないはずだと、統括者のスコベル氏は考える。寄宿舎と合唱団の定員数は100人超で、まだ余裕がある。しかし、優れた応募者が大勢いるわけではない。聖トーマス少年合唱団も他の少年合唱団と同じ状況にあるのだ。そこでライゼさんはソロトゥルンで指導していた少年1人をライプチヒに連れてきた。その少年は入団試験を経て合唱団ファミリーの一員となった。合唱団で外国出身なのは、この少年とベルギー人の少年の2人だけだ。
ライゼさんは「子供たちは鍛えられたい思っている」と確信を持って話す。合唱は高度なスポーツと似ているという。団員たちが練習の成果を誇りに思っていることは、17歳のフォルベルクさんがリハーサル後に語った言葉からも分かる。団員生活の中で最高の瞬間を聞かれたフォルベルクさんは、合唱団が大聖堂の素晴らしい音響の中で完璧に歌い上げ、観客に感動を与えたときの感触が最高の瞬間だと笑顔で答えた。「あれは最高です。鳥肌が立つぐらいです」
アンドレアス・ライゼ（Andreas Reise）経歴
1975年、ソロトゥルン生まれ。ベルン、チューリヒ、ルツェルン、バーゼル、オーストリア・グラーツの音楽学校で教会音楽、オルガン、ピアノ、チェンバロ、合唱、指揮を学ぶ。2001年、Reizeは歴史的な楽器を用いたカントゥス・フィルムス合唱団＆コンソートを設立。また、「バロック様式のヴァルデック城でのオペラ」を立ち上げ、音楽監督を務める。07年から20年までソロトゥルン・聖ウルス聖堂少年合唱団の指導者を務め、11年からベルン・ガブリエリ合唱団とチューリヒ・バッハ合唱団を指導。ドイツでカントルに就任後もスイスとの音楽的なつながりが切れたわけではない。今後も自身が立ち上げたヴァルデック城のオペラ公演を隔年の夏に監督し、カントゥス・フィルムスを指導していく。End of insertion
（独語からの翻訳・鹿島田芙美）
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