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近代スイス外交文書第１８巻（１９４９年から５２年までのスイス外交文書）が刊行された。冷戦初期、スイス外交が心血注いだのは、自由・共産両陣営のはざまで中立を保つことだった。このコンテンツは 2001/07/09 09:53
編纂責任者のアントワーヌ・フロイリー氏によると、この３年間スイス外交が直面していた最大の試練は、モスクワとワシントンの双方にスイスは冷戦に関わらないと確信させることだった。「米ソ２つのスーパーパワーによる二極化の中で、スイス外交はひたすら戦争にならないことを望んだ。戦争になれば、スイスがどちらの陣営につくか決断せざるを得なくなるからだ。したがって、ある意味で冷戦がスイスの中立政策を強化したといえる。」とフロイリー氏は語る。が、中立を保持することは、いつも容易なわけではなかった。米国は同盟国全てにロシア封じを支援するよう働きかけたが、全ての国に対し中立の立場を保とうとするスイスは同調できなかった。当時米国はスイスにとって最も重要な貿易相手国だったが、このスイス政府の態度がベルンとワシントンの関係をこじれさせた。スイスはロシアとも貿易を続け、両陣営の仲介者としての役割を果たし、米国にスイス制裁をしないよう常に働きかけた。また、当時共産革命の真っ最中だった中国ともスイスは接触した。スイスは中国共産政権と国交を樹立した数少ない西側諸国の１つだった。
また、この頃第二次大戦中のスイスの中立政策が問題となり、ナチス・ドイツ政権下でのスイス企業のユダヤ人強制労働とホロコースト犠牲者のスイス銀行休眠口座の問題が持ち上がる。ベルンとワシントンでスイス政府とユダヤ人組織の和解交渉が始まったのも、この時代だった。
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