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◆エペソ人への手紙１章２２節～２３節
1:22 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。
1:23 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。
◎エペソ人への手紙
コロサイ人への手紙の主題は「教会のかしらなるキリスト」でした。それに対して今回から学ぶエペソ人への 手紙の主題は「キリストのからだなる教会」です。エペソ人への手紙の中で「からだ」という言葉が９回使わ れています。今回から、エペソ人への手紙を通して、「キリストのからだ」という視点から、聖書の教える「教 会」、「教会とキリストの関係」について学んでいきたいと思います。「教会」とは「キリストのからだ」な のです。
Ⅰ．かしらなるキリスト
かしらであるキリストにすべての権威に優る権威が与えられているとこの箇所は教えています。教会はそのキリストと一体にされているのです。キリスト は教会のかしらであると同時に全ての権威、すべての被造物の主（かしら）でもあります。しかしその中にあって、キリストと一つ体として結ばれているものは 教会以外にはありません。キリストと教会は、社長と部下のような関係ではなく、花婿と花嫁（夫と妻）のような関係であると聖書は教えています。
それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたこと を、世が信じるためなのです。 （ヨハネ１７：２１）
Ⅱ．からだなる教会
かしらであるキリストの内に、神の完全なみこころとご計画があり、キリストは地上に置かれている教会を通してそれを実現しようとされているのです。 また、キリストは祝福と恵みに満ちたすべての良きものの根源なるお方です。私たちをいやし、私たちの欠乏を満たし、私たちの渇きを満たしてくださる方が教 会の内に満ちておられると聖書は語っています。そして、主は教会の中を満たすだけではなく、私たちを通してこの世に救いをもたしたいと願っておられるので す。
◎手のないキリスト像
第二次大戦が終わって、敗戦国のドイツ人の学生たちがかつての敵国であったイギリスのある町を訪れ、ボランティアとして教会の再建を手伝うことにな りました。その教会はドイツの空爆によってひどく壊れていましたが、彼らの努力によって修復されていきました。ところが、教会の庭に立っていた大きなキリ スト像の修復 作業に取りかかってから彼らの間で議論が起こったのです。手を広げた姿で立っていたこのキリスト像もやは り爆撃で壊されていましたが、「わたしのもとに来なさい」という聖書のことばが刻まれた台座は無傷で残っ ていました。注意深い復元作業によって壊れたキリスト像はずいぶん元通りになったのですが、粉々になった 両手だけは復元することができませんでした。石工に頼んで新しい手を作ってもらうか、それともそのままに しておくか学生たちの間で議論になったのですが、結局、手を加えずにそのままにしておくことにしたのです。 ただし、台座には新しい文字を刻んだプレートをはめ込むことにしました。そこには今でもこう書いてあるの です。「あなたの手が、私の手なのです。」
※上の話しにはＷＥＢ上にいくつかの類似した話しが掲載されています。一つの寓話として捕えた方が良いようです。
イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わた しもあなたがたを遣わします。」（ヨハネ２０：２１）