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アフガニスタン戦争に関する機密文書約9万点を公開した内部告発サイト「ウィキリークス」で、スイス兵士がアフガニスタンで2004年に軽傷を負った事件が掲載されていた。
これは、北大西洋条約機構 ( NATO ) の加盟国主導で派遣された国際治安部隊 ( ISAF ) の建物が攻撃された際、ドイツ兵1人が重傷、スイス兵2人が軽傷を負ったというものだ。いったいこの事実は何を意味するのだろうか。
一般には知られず
問題の文書は「クンドゥズ南部。2004年9月29日16時。敵の攻撃が国際治安部隊が駐屯する建物内であった。ドイツ兵1人が重傷、スイス兵2人が軽傷」といった速報の形のものだ。
連邦国防・国民保護・スポーツ省は直ちにこの事実を報道したが、急性難聴を患った2人の兵士は、現地で治療を受けた後再び任務に戻った。そのためか、この事件はほとんど一般には知られることがなかった。
また、連邦議会の開催中でもあったが、スイスに帰国するようにとの要請も、任務を廃止するという提案も議員からは出されなかった。
緑の党議員で、スイス安全政策委員会のメンバーでもあったジョゼフ・ラング氏は、アフガニスタンへのスイス兵派遣に当初反対していたにもかかわらず、この事件についての記憶がないと言う。
「2004年、世界はイラク戦争に注目していた。これは国連の承認もなくアメリカが開始した汚い戦争だった。一方アフガニスタンでのオペレーションはテロに対する闘いで、『不朽の自由作戦（ OEF）』という『やわらかい表現』が与えられていた」
と当時の状況を話す。
スイス兵、国際治安部隊から去る
2003年3月から2008年2月にかけ、31人のスイス人士官がアフガニスタンに派遣された。2から4人のグループで、首都カブールかクンドゥズに送られたスイス兵の初期の目的は、地雷撤廃だった。しかし2003年6月、スイス連邦議会は北大西洋条約機構 ( NATO ) が派遣する、「平和の促進」を目的にした国際治安部隊 ( ISAF ) への派遣に切り替えることを承認した。
しかし、今回の「ウィキリークス ( WikiLeaks ) 」の公開文書は、この「平和の促進」が単なるうわべだけの言葉に過ぎないことを示している。2004年においてさえ、1日平均165件の爆破事件などが起きており、その数はその後毎年増加しているからだ。
スイス政府は2006年までは、国際治安部隊への派遣兵の数を増やすことを考えていた。
「わずか2人の兵士派遣では、国際的な平和促進の努力という観点であまり意味を成さなかったからだ」
とラング氏は、当時の雰囲気を語る。
しかし、徐々にアフガニスタンでの安全性が脅かされて行き、
「アフガニスタンに関する政治的意見も変わっていった。派遣を問題視する意見も高まり、議論は白熱していった」
やがて2007年11月、サミュエル・シュミット国防相は、アフガニスタンからのスイス兵撤退を宣言した。理由に、安全性の問題以上に、国際治安部隊の在り方が4年の間に変化し、平和促進を目的にしていたオペレーションが、反政府武装勢力タリバンなどを攻撃する方向に移って行ったことを挙げた。
現在16カ国に271人の派遣
国際治安部隊への派遣は、ある意味で北大西洋条約機構 ( NATO ) が組織する部隊へスイスも再度参加することで、NATOとの関係を修復する機会になり得た。しかし、スイスが撤退を宣言したことで、関係は再び崩れた。ただ、スイスはNATOにひざまずいて、従う必要はない。
ただ、たとえ今の国防相ウエリ・マウラー氏が、右派の国民党( SVP/UDC )を敵に回すことになる、海外への派遣者数増加をしたくないと考えているとしても、統計は必ずしも、その意向を示してはいない。2004年には10カ国に250人の派遣を行っていたスイスは、現在16カ国に271人を送っている。
マガリ・グマズ、La liberté / swissinfo.ch
( 仏語からの翻訳、里信邦子 )
ウィキリークスには間違いもある
ウィキリークスの9万に及ぶ機密ファイルの公開は、驚くべきことだが、決して誤りがないわけではない。
その例として、アフガニスタンにおけるスイスの存在に言及したもう一つのレポートがある。
それは「2004年5月23日、スイスのNGO『マデラ ( Madera ) 』に手榴弾が投げ込まれたが、怪我人はなかった」というものだ。
しかし、まずマデラはスイスのNGOではなくフランスのNGOだ。アフガニスタンへのソビエト軍侵入に対するレジスタント運動を支援し、その後農村の経済を助けるため1988年に創設された。
このレポートが記載する事件が起きたとき、350人のメンバーが働いていたが、マデラの代表クリスティアン・ブランシャー氏は、このできごとを覚えていないという。
「2004年当時、アフガニスタンはまだ静かだった。国の再建に努力し、未来を信じていた」とブランシャー氏は語り、確かに幾つかの事件はあったがそれも何かの報復行為か、盗難事件といったものだったという。
「とにかく、活動が阻止されるほどのものでない限り、攻撃の意味をそれ以上追及しなかった」と話す。