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「春よ来い、早く来い、歩き始めたみいちゃんが、赤い鼻緒のじょじょはいて、おんもへ出たいと待っている」作詞、相馬御風(1883-1950)、作曲、弘田龍太郎(1892-1952)のこの童謡が最近頭の中を巡ります。「みいちゃん」の気持ちがとても良くわかります。私の住むレザン(Leysin)では本格的な春の訪れはまだ先のことです。春を探してレザン～エーグル(Aigle)～ブリーク(Brig)～クール(Chur)～チューリヒ(Zürich)～レザンの旅をしました。
この旅で通過した州は何と１２州。ヴォー州(Vaud)に始まり、ヴァレー州(Valais/Wallis)、ウリ州(Uri)、グラウビュンデン州(Graubunden)、ザンクト・ガレン州(St. Gallen)、グラールス州(Glarus)、シュヴィーツ州(Schwyz)、チューリヒ州(Zürich)、アールガウ州(Aargau)、ソロトゥルン州(Solothurn)、ベルン州(Bern)、そしてフリブール州(Fribourg)です。スイスの国土面積は日本の約１割で、九州よりも少し小さい国なのでこうなるのです。２０１３年１月の記事で紹介した旅の大先輩、岸井典子夫人との旅です。
まずは、スイス国鉄の長距離列車「インターレギオ(IR)」でブリーク(標高６７８ｍ)まで移動します。ブリーク駅からディゼンティス/ムステール(Disentis/Mustér、標高１１３０ｍ)まで「マッターホルン・ゴッタルド鉄道(MGB)」、そこからクール(Chur、標高５９３ｍ）までは「レーティッシュ鉄道(RhB)」、と路線長約１５５ｋｍ、４時間４０分に及ぶ山岳鉄道の旅の始まりです。曇りでアルプスの山々は見えませんが、それでも車窓から眺めを楽しめます。両鉄道とも乗客が少なく、まるで専用車です。列車はローヌ川沿いに平均時速３０ｋｍというゆっくりしたスピードで高度を上げながら狭い谷間を走行します。
ベッテン(Betten、標高８３３ｍ)からラックス(Lax、標高１０３９ｍ)にかけてはラック式の鉄道です。列車はグレンギオルス高架橋を渡りループトンネルに入ります。実際、あまりカーブは感じませんが、このループトンネルの通過により標高差１５０ｍを克服することになります。
その後、列車はゴムス地方をローヌ川に沿って走ります。ニーダーヴァルト(Niederwald、標高１２４３ｍ)からオーバーヴァルト(Oberwald、標高１３７７ｍ)までは、２５ｋｍのクロスカントリースキーコースがきちんと線路沿いに整備されています。スキーの途中で疲れた時には、最寄りの駅から列車で宿に戻れて便利なことや、ニーダーヴァルトの村はリッツ・カールトン・ホテルの創立者、セザール・リッツ(César Ritz、1850-1918)の生まれ故郷であることを典子さんが教えてくれました。
オーバーヴァルト～レアルプ(Realp、標高１５３８ｍ)間は、フルカ地底トンネル(全長１５.４ｋｍ)でフルカ峠(標高２４３１ｍ)を抜けます。所要時間は２０分程度で、雪の多い期間は、峠越えの自動車道路が通行不可能なためカートレインを運行しています。トンネルを抜けるとアンデルマット(Andermatt、標高１６０８ｍ)です。列車は７分の休憩後、オーバーアルプ峠(Oberalppass、標高２０４８ｍ)へ向かいます。ここから再度ラックレールの区間で、急勾配のスロープを列車は大きく蛇行しながら登ります。列車後方に小さくなっていくアンデルマットの町を車窓から左右交互に見ることができます。
アンデルマット駅からの車掌さんは、どういう訳か車内でサングラスをかけています。暫くして理由がわかりました。ネチェン(Nätschen、標高１８４３ｍ)を過ぎる頃から雪の反射で車内が大変眩しくなります。サングラスは目を守るための必需品なのでした。雪景色の峠は幻想的で、典子さんに説明してもらって初めて雪に覆われたオーバーアルプ湖(Oberalpsee)に気がつきました。峠越えの後、列車は前ライン川(Vorderrhein)に沿って高度を下げます。ディゼンティス駅からはレーティッシュ鉄道でクールまで旅を続けます。
景勝地ライン渓谷を通過する前に昼食です。やはり、旅にはおにぎりが一番のようで、二人ともおにぎり弁当です。お腹もちょうど満腹になった頃、ライン渓谷が現れます。「先史時代に大きな地すべりが起こり、幅広い谷間は高さ３００ｍまで埋めつくされ、その結果、現在のように湖と森の美しいフリムス(Flims)高原が創りだされました」(「スイス＜氷河急行＞の旅」からの抜粋)とあります。白い岩肌の渓谷に自然の驚異を感じます。
路線沿いを流れる前ライン川は、ライヒェナウ・タミンス(Reichenau-Tamins、標高６０５ｍ)で後ライン川(Hinterrhein)と合流してライン川(Rhein)となり、ボーデン湖(Bodensee)からバーゼルまではドイツとの国境を流れ、最終的に北海(Nordsee)へ注ぎます。スイスは、実に様々な景観を持つ奥の深い国です。これが世界中の人々から愛されるスイスの魅力なのかもしれません。クール駅で乗り換えです。国鉄の特急はクール～チューリヒ間を１時間１５分で結んでいて、ヴァーレン湖(Walensee)、オーバー湖(Obersee)、チューリヒ湖(Zürichsee)の湖畔沿いの美しい景色の中をチューリヒへ向け快走します。
チューリヒではマルク・シャガール(Marc Chagall、1887-1985)の作品を鑑賞します。ニューヨーク(New York)のメトロポリタン歌劇場、プラトー・ダッシー(Plateau d’Assy)の慈悲聖母教会、と彼の作品にいろいろな所で巡り合います。ここフラウ・ミュンスター内、東の聖歌隊席にある５枚のステンドグラス「エルサレムの窓」は、シャガールが８３歳で完成させた作品です。
中央のひときわ大きな「キリストの窓」に描かれているキリストが中心の構図になっています。聖書に登場する女性の役割に注目していたシャガールは、マリア(キリストの母)、エリザベト（洗礼者ヨハネの母）、バト・シェバ(ソロモン王の母)を窓に描いていて興味深いです。長い歳月をかけて聖書を追及したシャガール。このステンドグラスに彼の聖書に対するパッションを感じます。この教会には、１９７８年にシャガールが作った「天地創造」というバラ窓のステンドグラスもあります。
この日の旅の締めくくりは、チューリヒ美術館で開催中のシャガール展「シャガール、モダン・マスター」でした。１９１１年から１９２２年頃の作品を中心とした展覧会で、９０点以上のパリ、ベルリン、帝政ロシア領ヴィテブスクで過ごした時代の作品を鑑賞します。一番印象に残ったのは１９１６年の作品「苺」でした。妻ベラとまだ幼い娘イダがたくさんの苺を前にテーブルを囲んでいます。シャガールの家族への愛が感じられるこの作品に心が温まり帰途につきました。シャガール展は２０１３年５月１２日まで開催しています。
春を探して出た旅でしたが、全国的に低い気温が続いていたため、どこにも花は咲いていませんでした。旅をしてから３週間。レザンでは、このところ急激に雪解けが進んでいます。春の到来を知らせるクロッカスの花も咲き始めました。春よ来い。早く来い。
小西なづな
プロフィール：小西なづな
１９９６年よりイギリス人、アイリス・ブレザー（Iris Blaser）師のもとで絵付けを学ぶ。個展を目標に作品創りに励んでいる。レザンで偶然販売した肉まん・野菜まんが好評で、機会ある毎にマルシェに出店。収益の多くはネパールやインド、カシミア地方の恵まれない環境にある子供たちのために寄付している。家族は夫、１女１男。スイス滞在１６年。インフォボックス終わり