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2:1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。
2:2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。
2:3 神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。
「初めに、神が天と地を創造した。」（創世記１：１）「見よ。それは非常によかった。」（創世記１：３１）
前回、神様が天地盤物すべてを無から創造されたこと。そして、その世界と被造物が人間を含めて神様との関係の中で調和のとれたうるわしい世界であったことを学びました。本題に入る前に、現代の科学者たちがどのような宗教観をもっているか、少しお分かちしたいと思います。
２００９年に、全米科学振興協会（ＡＡＡＳ：世界的にも最大級の学術団体で、有名な科学雑誌『サイエンス』の出版元)のメンバーの科学者に対して、次のような質問を用いて調査をおこなったところ次のような結果が得られた。１．神を信じる ３３％ ２．神を信じないが、宇宙的な霊的存在、超越的な力を信じる １８％ ３．どちらも信じない ４１％ ４．分からない／無回答 ７％ この調査結果から、調査対象となった科学者の半数ほど（５１％）が神あるいは何かの超越的な力を信じていることが分かった。
「宇宙の起源に、また生命の起源に、人間の理解を超えた神秘的な力の介入があったのではないか、偉大な設計者がいたのではないか。」と考える科学者たちが多くいるのです。科学には宇宙や生命の起源を解き明かすことはできませんが、人間は被造物の中にある神秘的な力を感じ取ることはできます。そして、創造主との出会いがあるならば、そこにある目的をも知ることができるのです。
◎安息：創造の目的
創世記１章の区切りを人間が創造された第六日で終わるのでなく、第七日が記述されている２章の３節までを含むべきだと考える聖書の研究者たちがいます。彼らは、２章の初めに記されている「安息」に創造のクライマックスが置かれていると考えるからです。この個所（２章１節～３節）からいっしょに学んでいきましょう。
Ⅰ. 完成し、休まれた
「こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。」（創世記２：１）第六日に創造の全ての仕事は終わり、完成した世界、ご自身の造られた作品を見て、神は「非常によい！」と感嘆されました。第七日、神様が「なさっていたすべてのわざを休まれた。」とありますが、もちろん疲れて休んだわけではありません。文字通りには「休止した」という意味ですが、もうなにもやり残したことがなかったということです。ちなみに「休んだ」と訳されている言葉がユダヤ人の「安息日」（シャバット）の由来となっています。
私はたまに日曜大工をすることがあります。先日も、既製品を探してもぴったり収まるサイズの収納棚がなかったので、何日かかけてぴったりサイズの棚を作りました。完成してから物を入れる前に、「おーよくできたな！」と自画自賛しながらしばらく眺めていました。
「完成し、休まれた。」とは何もしなかったということではありません。神様は創造のわざを終えて単に休まれているのではなく、感激に浸っておられたと思うのです。創造主は、すべての被造物を愛情に満ちたまなざしで、大きな満足をもってながめておられたのです。
Ⅱ. 祝福し、聖別した
「神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。」神様は被造物の完成を記念する日として七日目を祝福し、特別な日とされました。神様はご自身がお造りになった調和のとれた被造物との関係、愛すべきパートナーである人間との関係を喜んでおられたからです。創造主はその関係の中に「安息」を見出したのです。満足し心から喜ばれたのです。神様が第七日目を祝福し聖別されたのは、その「安息」を人間と共有したいと願っておられたからです。
今年はクリスマスのイルミネーションを飾ろうと思って、クリスマスツリーの形にアレンジしたイルミネーションを外壁に取り付けました。暗くなってから電気を通して、クリスマスツリーがきれいに点滅している様子を外に出て眺めていましたが、範子や帆南にも見てもらいたいと思って、外に呼び出しました。二人が「きれいだね～！」と言う言葉を聞きたいからです。私たちはだれでも、自分の喜びを共感してもらいたいという自然な願いを持っています。「すごいね～！」「おいしいね～！」「うれしね～！」と言ってもらいたいのです。
神様も同じです。確かに「第七日が特別に祝福され聖なる日とされた。」と言うこともできますが、聖書のフォーカスは第七日目そのものよりも、創造主と被造物との関係に置かれていると思います。神様が被造物を祝福され、被造物との特別な（聖別された）関係を喜ばれているからです。その被造物の頂点にいるのが人間です。
Ⅲ.安息に招かれるキリスト
創造主との関係を壊してしまった時に、人間は創造の目的を失ってしまいました。それと同時に創造主と共有していた「安息」をも失ってしまいました。その結果人間は、さまざまな重荷を負って「安息」のない人生を生きるようになりました。「安息」を求めさまよい疲れ果てている人々にキリストは呼びかけておられます。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
（マタイ１１：２８～３０）
私たちは、キリストを通して、神様の用意された「安息」の中に生きるようにと招かれているのです。