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日本でも絶大な人気を博するスイス生まれの画家パウル・クレーの晩年にバーゼルのバイエラー財団美術館が焦点を当てる。
難病に冒されたクレーは最期の2年間、精力的に絵画に取り組んだ。展覧会は「パウル・クレー 晩年の熟成」と題し、画家クレーの病苦がどのように作風に影響したかを見せてくれる。
1930年から1940年まで
クレーの晩年、二つの劇的な事件が起こった。まずは1933年にナチス政権からデュッセルドルフ芸術アカデミーで教鞭をとっていたクレーに解雇通知が届いた。そのため、ドイツを去り､故郷のベルンに帰郷した後、皮膚硬化症という難病に冒され､1935年には末期だと告知される。
クレーの病状は一時、キャンバスに向かうの難しいほどだったが、症状が安定した時は人生で最も多作な時期でもあった（1939年だけでも1253点）。財団の創立者である、エルンスト・バイエラー氏はクレーの長年のコレクターであるが、画家の末期こそ、最も素晴らしい作品を生んだという。「量だけでなく形に関しても一番豊かな時期である。病苦にもかかわらず、彼は新しい境地へと拓いたことに感服する」と同氏は語る。
晩年
クレーが死に近づくと霊妙なテーマと今までとは違ったスタイルが作風に表れる。1937年から亡くなる1940年の間は特に天使のデッサンが多く描かれたことについて、バイエラー氏は死についての考察と考える。「クレーが死に近づくにつれ、作品に多大な影響が現れた。絵画に新たな境地が加わり素晴らしい」と語る。展覧会は「死の天使」と題する1940年、亡くなる直前に描かれた作品で幕を閉じる。クレーは1940年6月にスイスの療養所で息を引き取った。享年60歳だった。
スイス国際放送、ジョアンヌ・シールド 意訳 屋山明乃（ややまあけの）
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バイエラー財団美術館：開館時間は毎日10時から18時（水は20時まで）まで。市電6番、Riehen Dorfで下車。展覧会は11月9日まで。インフォボックス終わり