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スイス連邦工科大学附属図書館に保存されている写真コレクションの中でも、ヴァルター・ミッテルホルツァー（１８９４～１９３７年）による写真は最も有名なコレクションの一つに数えられる。しかし、彼がスイスの航空パイオニアの一人に数えられ、スイス航空（現在のスイス・インターナショナル・エアラインズ）の創立者であることを知る人は今や多くない。
スイス東部の町、ザンクト・ガレンのパン屋の息子として生まれたミッテルホルツァーは、ギムナジウム（中等教育）を終えた後チューリヒに引っ越し、そこで写真の技術を学んだ。早くから野望を抱いていた彼は、実家のパン屋を継ぐ気はなかった。
実業家としての才能があったミッテルホルツァーは、スイスの初期のプロペラ機に乗り込み、国内の村や町、工場の写真を撮影して、それを住民、行政機関、工場主などに販売した。やがて彼は国境を越え、ノルウェー領スピッツベルゲン島で調査を行っていた極地探検家ロアール・アムンセンの元へ飛ぶことになる。それから１年後、今度はペルシアに向けてプロペラ機を飛ばし、その際に新たな飛行ルートを開拓。そして、「スイス号」でのケープタウンへの飛行で一躍有名になる。
このプロペラ機には、現地の熱帯気候にも耐えうる特別なカメラと小型カメラがそれぞれ２台積まれていただけでなく、現像室までもが作り付けられていた。まさに「空飛ぶ暗室」だ。ミッテルホルツァーの撮影隊が描く被写体のイメージははっきりしていた。野生動物、踊る人々、上空からの景色だ。
しかし、彼らは上空からだけでなく地上でも撮影を行った。チャド湖への飛行の際、当時英国の植民地だったナイジェリアのカノに立ち寄ったミッテルホルツァーは、次のようにメモしている。「滞在中、仕事の合間にはいつもカメラを携えてシャッターチャンスを探した。生き生きとした瞬間を捕らえるために、職人が集まる路地や市場を歩き回った」。撮影隊は古典的な民族誌的視点だけに留まらず、日常のワンシーンを捉える、当時台頭し出したフォトジャーナリズム的な視点も備えている。
（独語からの翻訳・説田英香）