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いまもっとも脂の乗っているスイスの俳優ブルノー・ガンツが、ドイツ映画「没落」(仮題）（原題「デル・ウンターガング」）でヒトラーを演じた。監督はオリバー・ヒルシビーゲル。ヒトラーの最後の数日を、彼の最後の秘書だったトラウデル・ユンゲの視点から描いた。このコンテンツは 2004/09/17 10:10
終戦間近の1945年5月、ベルリンの地下にあるヒトラーの防空壕の中が舞台となる。ブルノー・ガンツは、ヨアヒム・フェストによるノンフィクションとドキュメンタリー「ヒトラー・ひとつの生涯」（仮訳 原題ヒトラー・アイネ・ビオグラフィー）を主に参考にし演技に臨んだという。
1945年5月、ドイツ「第三帝国」首都ベルリンの地下に作られた総督の防空壕の上に、ソ連軍の爆弾が容赦なく落とされる。ベルリンはすでに廃墟と化していた。誰も死体の数を数えようとしない。野戦病院では包帯も薬もすでに尽きている。ドイツ帝国は戦争に敗れ、総指揮官であるヒトラー総督は指揮する対象を失った。しかし、最終勝利を妄想し、ぼろぼろになっているドイツ軍に対し、非現実的な攻撃を立て続けに命令し続ける。パーキンソン病で健康を害し、心身ともに病む独裁者と絶対服従の司令官達にとって、防空壕の世界からの出口は閉ざされてしまった。
狂気、自己憐憫そして残虐さ
ヒトラーは結婚式を挙げたばかりのエバ・ブラウンと防空壕内で心中を図る。ゲベルス宣伝相の妻マグダは「総督亡き後の世界に価値を見出せない」という信念から、幼い子供達をだましてシアン化合物を飲ませ殺したあと、夫婦ともに自殺。
「ドイツ国民はわたしの国家社会主義運動に値しないということだ。弱いものは負け消滅する。それが自然の摂理だ。この戦争に負けるのなら、国民が死に絶えようとわたしには関係ない。それがドイツ国民の運命なら、わたしは涙しない」と自国民に絶望したヒトラーは、自分が死ぬことばかりを考える。一方、実質的に指導者を失った司令官達が次々と死んでゆく。
ブルノー・ガンツが演じるヒトラーは、敗戦を察して激怒し続けながら、しゃべるのももどかしそうで、せりふは時々意味をなさない。離反者を処刑する一方で、子供には微笑み、女性には優しく手のひらに口付け、秘書達と食べる料理を美味しいと誉める。「彼は（国民性がチャーミングなことで知られる）オーストリア人だった」とブルノー・ガンツはヒトラーの二面性を語った（ドイツ語圏の週刊誌「ヴェルトヴォッヘ」9月9日号）。
ヒトラーそのもののブルノー・ガンツ
プロデューサーのベルント・アイヒンガーにとって、ヒトラーを演じるのはブルノー・ガンツ以外になかったという。ガンツならヒトラーの多面性を演じながら、彼の横暴を描けると思ったからだ。「ブルノーがヒトラーのメイクをして出てきた時、まさしくヒトラーだとスタッフ全員鳥肌が立つくらい驚いた」
撮影はナチスに対する憎悪が特に深い、サンクトペテルスブルクだった。ヒトラーに扮したガンツが、更衣室から撮影所までの2分間外を歩いた時、「嫌悪と呪縛されたような驚きの目で見られた。『今後はボディーガードをつけなければ』とも言われた」というエピソードが、前出のヴェルトヴォッヘ誌のインタビューで紹介されている。
ヒトラーはヒトラー以外何者でもなく、独裁者とか狂人といった単語で締めくくることはできない。一方で、彼はやはり人間なのだといった映画を作ると、大きな反感をかう懸念がある。人間の理解を超えた狂気に浸り最後には翻弄される人々と、自分を理解しないのなら国も国民も価値がないと見切りをつけて死を選ぶヒトラーを、ドイツ人の手で真正面から描いたのが「没落」である。
戦後ほぼ60年経ったいま、ナチズムの歴史を背負ったドイツとその犠牲者が、少しずつでも距離をおいて当時を見るようになり、この映画の意図が理解されるだろうとの判断があったからこそ、この映画は実現したのではなかろうか。
スイス国際放送 佐藤夕美 （さとうゆうみ）
キーワード
監督 オリバー・ヒルシュピーゲル
配役 ヒトラー ブルノー・ガンツ
トラウドゥル・ユンゲ（秘書） アレクサンドラ・マリア・ララ
ゲペルス婦人 コリナ・ハルフォウフ
ゲペルス ウリヒ・マッテス
エバ・ブラウン（ヒトラーの愛人）ユリアネ・ケーラー
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