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「ここでは、放射能で死ぬ人よりドラッグやアルコールで死ぬ人のほうが多いよ」。あるパーティーで泥酔し、ベランダから転落して亡くなった親友の墓を指差しながらキリルは私にそう言った。
事故から３０年を迎える４月２６日。この日は世界中で追悼の意が表されることだろう。私はこれまでに何度も報道されてきた惨状を振り返りたくはなかった。その代わりに将来に目を向けたくて、ウクライナのスラブチッチの若者たちを３年間取材した。スラブチッチは原発事故後に作られた計画都市だ。取材では、カメラの前で思春期の少女から大人の女性に成長していったユリアを追った。
数カ月の間にユリアは、パーティーや夜遊び、アルコールと引き換えに仕事を見つけ、結婚し、責任ある女性としての生活を選んだ。自分の人生をどこで、誰と、どのように生きるかを決めるその重要な時期に、ユリアとその友達は私を受け入れてくれた。ユリアの成長は、隣国ロシアから自由になったウクライナの移り変わりにも似ている。ウクライナの若者がそうであるようにスラブチッチの若者もまた、親世代の過ちの代償を払い、穏やかで有望な未来を築いていかなければならないのだ。
チェルノブイリ原発から４０キロ離れた森に作られたニュータウンは、旧ソビエト連邦の偉大さを象徴する新しい都市になるはずだった。だが２０００年に発電所の稼動が止められたスラブチッチの将来は、今では、事故を起こした原子炉を封じ込める石棺の建設工事（１７年完成予定）から来る収入と、市が受け取る助成金に頼るのみになってしまった。
（写真と文・Niels Ackermann他のサイトへ）