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２０年前の１９９７年９月１日、チューリヒ中心部にあるフラウミュンスター郵便局に強盗が入り、５３００万フラン（約６１億円）を奪って逃走した。おもちゃのピストルを使い、一人のけが人も出さずにこれだけの現金をわずか数分の間に奪った「世紀の郵便局強盗」は、スイスの犯罪史の中でも最も注目を浴びた事件の一つで、映画にもなった。
「良い計画だ」。世紀の強盗劇について描かれた一冊の本は、こんな書き出しで始まる。書いたのは強盗団の一人ドメニコ・シラーノ。「役割分担はそれぞれ分かっているな。もうすぐ億万長者になれるぞ」。９７年９月１日朝、シラーノと仲間４人は、盗んだトラックに乗ってフラウミュンスター郵便局に向かった。車は偽装し、Telecomの社用車に仕立ててあった。守衛は疑いもせずゲートを開けた。
その後の出来事はまるで犯罪小説のワンシーンのようだ。午前１０時３７分、強盗団は車から飛び降り、現金を輸送車に積み込もうとしていた郵便局職員を持っていたピストルで脅した。５人は現金が入った箱を目にも止まらぬ速さで車へ積み込んだ。２つの現金入りの箱は、トランクにスペースがなかったため、その場に残していった。そして現場から逃走した。
ほんの数分の出来事だった。すぐに大掛かりな捜査が繰り広げられたが何の成果も挙げられなかった。逃走車両と奪われた５３００万フランの現金は跡形もなく消えてしまった。これが歴史上最大の郵便局強盗事件だ。
強盗団に舞い込んだ幸運
翌日の国内各紙の一面は、数日前に悲劇の事故死を遂げた英国のダイアナ妃よりも、郵便局強盗の話題で持ちきりだった。警察は、郵便局内部に情報提供者がいることを明かした。１７００万フラン入りの箱をあきらめて逃走したとはいえ、犯行計画がよく練られたものだったからだ。
郵便通信事業の国営PTT（当時）の担当者は「悪魔の所一撃」と批判したが、この会社が損害保険に入っていなかったことも認めた。盗まれたのは、前年度の全利益に相当する額だった。翌日、同社のトップが防犯体制に明らかな不備があったと認めた。防犯カメラはあったものの、強盗団が常にカメラに背を向けていたため、個人の特定には至らなかった。盗まれた現金は未使用で、登録もされていなかったことも強盗団に有利に働いた。
フィアット・デュカートではなく間違ってフィアット・フィオリーノを追跡するなど、警察の捜査も失態続きだった。逃走車両は確かに監視カメラに映ってはいたものの、識別できた時は手遅れだった。メディアは「失敗、不運」とこぞって書きたてた。
国民も警察の失態を笑った。郵便局窓口の職員に「何なら残った１７００万フランの一部を私が引き取っても良いですよ」とからかう人もいた。
ドイツ語圏の日刊紙ターゲス・アンツァイガーは「ついに国民に理解される犯罪者が現れた」と報道。「５３００万フランという金額はスイスのみならず、おそらく世界最高額だ。しかも一滴の血も流れていない。これだけで５人の強盗犯は、紳士的な犯罪者ランキングの上位に入る」と書きたてた。１９６３年に郵便列車から２６０万ポンドを強奪し、伝説の強盗と呼ばれた英国人ロナルド“ロニー”ビッグズは、当時滞在していた晴天のブラジルから、強盗団を「心から尊敬する」と称賛。「私ならもっと大きな車を用意するけれどね」と皮肉も添えて。
さらに、これに便乗した広告を出す会社も出た。自動車メーカーのマツダは「郵便局強盗様、マツダE２０００なら現金７０００万フランを収容できる十分な荷物スペースがありますよ」という広告を出しした。
警察の反撃
ところが事件から１０日後、状況は一変。警察は実行犯３人のほか、犯行を手助けした人間と、内通者の郵便局職員の居所を突き止めた。警察は計１８人を逮捕し、２０００万フランを押収した。捜査を率いた検事は「失われた宝のありかを突き止めるハンター」ともてはやされ、警察幹部は地元の大衆紙ブリックに「我々には得点のチャンスがあって、実際にそれをものにした」と語った。残る逃走犯はレバノン人のハッサン・Bと冒頭の本の著者シラーノの２人。そして３３００万フランの現金だった。
「何と間抜けな強盗犯」
警察が１４人を逮捕したと発表後、ブリック紙は「何と間抜けな強盗犯」と報じた。事件後、強盗団らの「素人ぶり」が徐々に明らかになった。例えば内部情報を流した郵便局職員は、犯行後に現場の写真を撮っている姿を監視カメラがとらえていた。実行犯の２人は犯行直前に現場そばの店でエスプレッソを飲んでおり、店の従業員がまだ洗っていない２人のコップを警察に提供。警察はそこからDNAを採取した。さらに別の実行犯は自分の指紋が付いた写真を現場に残していた。
強盗団は逃走に使った車両を燃やして証拠隠滅を図ったが、燃やした場所は消防局のすぐ近くで、火が出て何分もしないうちに消し止められた。この車にも事件解決の手がかりが多く残っていた。
ごみ袋に４００万フラン
強盗団は奪った現金の使い道や隠し場所について何も考えていなかった。現金は仲間うちで山分けし、その後姿をくらました。
シラーノは、バス停で３０分もの間、友人が迎えに来るのを待っていた。かばんを持っていなかったため、代わりに１枚のごみ袋に取り分の４００万フランを入れて運んだ。別の強盗団のメンバーは、１８００万フランを友人宅の寝室の棚にいったん隠し、その後恋人の女性とミラノに逃亡。そこで目いっぱいショッピングを楽しみ、一人１泊５００フランもするホテルに宿泊。代金は現金でぽんと支払った。別の二人はスペインに逃げ、高価なオープンカーを乗り回し、カジノでギャンブルを楽しみ、現金で邸宅を購入。さらに１００万フランを銀行口座に入金しようとした。
「インド人女性のような」変装
４人目の実行犯もまた、現場に置いてきた現金入りの箱に指紋を残すというミスを犯していた。９７年１０月１６日、ドイツ・ベルリンの警察がこの男の乗ったBMWのオープンカーを止めた際、男は長い黒髪の女性用のかつらをかぶっていた。車の中にあった複数の身分証明書はすべてこの男の写真なのに、名前がばらばらだった。警察は男を逮捕した際、外見が「インド人女性のようだった」と発表した。
この事件は、強盗団のメンバーがいかに素人だったかというだけでなく、外国人が多かったという点でも特徴的だ。出身地もイタリア、スペイン、セルビア、チュニジア、レバノンとばらばら。スイス人もいたが、いずれもスイスの国籍を後に取得した外国人か、２つの国籍を持つ家族の出身のどちらかだ。
５人目の実行犯、シラーノはベネズエラから米国フロリダ州マイアミへ逃亡。ホテル経営者の息子で英語を勉強しに来たとうそをついた。シラーノは高級アパートを借り、高級レストランやクラブに出入りする生活を送っていたが、スイスに残してきた恋人の女性を思うと寂しくなった。結局、シラーノはこの女性に電話をかけ、その電話をチューリヒ警察が傍受。９８年１２月３日、武装した警察官がシラーノの自宅に踏み込み、シラーノを逮捕した。地元紙NZZはこの逮捕劇を「愛が呼んだ逮捕」と報じた。
９９年秋、「世紀の郵便局強盗」を働いた５人が司法の場に立った。メディアは、犯行時の自身の役割について異論を述べた人間は一人もおらず、むしろ間抜けな犯罪者を演じたと報じた。
「あれはゲームのようなものだった。あんなにうまく行くなんて、誰も予想していなかった」とそのうちの一人は語った。
強盗団の「凶器」はおもちゃのピストルと弾の入っていないカラシニコフ銃だったが、裁判所はいずれも４年９カ月～５年６カ月の懲役刑、最年少の当時１９歳の少年には、矯正施設での不定期刑を言い渡した。
残りの２７００万フランの行方は、まだ分かっていない。
（独語からの翻訳・宇田薫）