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季節が秋から冬へ移る頃、ヴォー州レザン(Leysin, Vaud)では雲海が見えます。レザンは標高1,263mに位置しているため、麓に横たわるローヌ谷の放射冷却によって起った雲海を見下ろすことができます。レザンからは、この幻想的で美しい景色を楽しむことができても、このような日、下のローヌ谷では、霧が立ち込めて視界が悪く、寒く暗い日を過ごすことになります。
雲海は秋の訪れを教えてくれる自然現象ですが、この他にも秋が来たことを知らせてくれるイベントがあります。１０月初旬から１１月初旬にかけ、フリブール州、ジュラ州、ヌーシャテル州、ジュネーブ州、ヴォー州、ヴァレー州/ヴァリス州(Fribourg, Jura, Neuchâtel, Genève, Vaud, Valais/Wallis)の教育機関では、日程は異なりますが、１週間から２週間の秋休みがあります。そして毎年、この時期にヴォー州、ヴァレー/ヴァリス州の町々にやって来るのがサーカスです。今回は、長い歴史と伝統を持つこのサーカスを紹介します。
１８０３年、フレドリック・ク二―(Frédéric Knie、1784-1850)によって創業されたクニー・サーカス団(CIRQUE KNIE)はヨーロッパ最古のサーカス団であるだけではなく、スイス国内外から高い評価を受けているサーカス団です。オーストリア人医師を父親に持つフレドリックは、自分も医者になることを目指していましたが、サーカスの女性騎手に魅了されてしまい、医者になることをきっぱりとあきらめます。１９歳の彼は、小さな旅芸人グループと一緒に興行の旅に出るのですが、これが、このサーカス団のルーツとなります。創業当時はオーストリアとドイツのみで巡業していたものの、１８１４年以降は、スイスでの興行も開始します。普仏戦争(1870-1871)の際、経営状況が悪化して倒産しますが、数年後、再びサーカス団として返り咲きます。長い間、建物内にある演技場を会場に、サーカスを開演していきましたが、１９１９年、ベルン州シュッツェンマッテ(Schützenmatte, Bern)での公演を皮切りに２，５００人を収容できる大型テントでのサーカス公演が定着します。当時、テントでの興行は目新しく新鮮でした。第１次世界大戦、第２次世界大戦と、厳しい状況の中でも興行を続けていたものの、第２次世界大戦中、サーカス会場を飾る万国旗の中に、ナチスのハーケンクロイツ旗を掲げることをクニー・サーカス団が嫌ったため、ナチスはサーカス団のドイツでの興行を禁止します。そのため、クニー・サーカスは本拠地をスイスへ移します。スイスでの移動興行のみに専念することは、これまでサーカスが訪れることのなかった多くの町を訪問して、公演することを可能にしました。また、移動興行というアプローチは、余興の少なかった時代であったこともあり、戦前からこのサーカス団に好意を寄せていたスイスの人たちを喜ばせることになりました。基盤をスイスに置いたクニー・サーカス団は、以後、発展を遂げ、今日の名声を築き上げるに至ります。
遠くからでも目立つ、巨大な紅白の丸テントが、クニー・サーカス団の到着を知らせてくれます。２０１２年度の興行は、３月２２日から１１月１８日まで、スイス国内４３カ所の市町村を訪問しての公演でした。社会福祉施設での無料公演を含めると、公演回数は、３４８回に及びます。レザンの麓、エーグル(Aigle)での公演は３回。２０１２年は、「パッション・サーカス(Passion Cirque)」という主題のショーでした。道化芸、空中曲芸、ダブル・ハンガリー・ポストと呼ばれる迫力のある馬の曲芸、クニー家８世代目（６歳）が両親と共演した象の曲芸、アクロバティックなバランス・ショー、中国からのパフォーマーによる自転車曲乗り、トランポリン、リング・ショーやジャグラーと２時間半にわたる盛り沢山の演目でした。また、テント内の高い位置にはオーケストラの席が設けられていて、楽団の生演奏がサーカスの雰囲気を更に盛り上げました。伝統芸、近代芸に動物芸を調和させ、海外から優秀なアーティストを招いて構成した舞台は、子供からお年寄りまで、年齢に関係なく楽しむことができ、満席の観客は、皆、笑顔とともに、熱心に見入っていました。
規模の大きい、このサーカス団は、各地へ巡業する際の移動方法を、昔から工夫しています。１９２６年までに、サーカス機材、宿舎、事務所や動物たちを移動するための８０台を超えるワゴン車を使用していて、そのワゴン車を４２両の特別貨物車に積んで、次の興行地へ鉄道輸送していました。現在でも、巡業期間中は、１６ヶ国の国籍を数える２００名以上のスタッフが就業しているので、大移動に違いはありません。現在の移動方法は、特別仕様の貨物車（写真参照）、動物飼養施設としてデザインされたロード・トラック、そしてキャラバン、という風に昔とは少々異なっています。サーカスを観に行った日、テントに到着するまでに、サーカス団の生活の場となっている駐車場を通り過ぎました。大きな赤いトラック、サーカス団専用の赤いごみコンテナ、台所キャラバン、食堂キャラバン、そして宿舎キャラバンと、小さな生活共同体が出来ていました。サーカス公演のみではなく、巡業先の地域生活を乱さないよう日常生活面においても、細かい配慮が見受けられました。
今年も、ローヌ谷をクニー・サーカスが駆け抜けていきました。同時に、季節も急速に冬へと変化しています。長く厳しい冬は、もうそこまで来ています。
小西なづな
プロフィール：小西なづな
１９９６年よりイギリス人、アイリス・ブレザー（Iris Blaser）師のもとで絵付けを学ぶ。個展を目標に作品創りに励んでいる。レザンで偶然販売した肉まん・野菜まんが好評で、機会ある毎にマルシェに出店。収益の多くはネパールやインド、カシミア地方の恵まれない環境にある子供たちのために寄付している。家族は夫、１女１男。スイス滞在１６年。インフォボックス終わり