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フィヨルドは複雑に入り組んでいるので、跳ね橋わ渡ったり、たった五分のフェリーボートに乗ったりしながら北上します。
「僕たちも行ったことがないんだけど、このあたりのヴァイキングの要塞跡に行こうと思うんだ」
と、イエンス。
ヴァイキングのことは、「北欧の海賊」というくらいの知識しか持っていません。
「日本では、なぜかビュッフェスタイルの食事のことをヴァイキングと言うんだ」
と、夫が言うと、イエンスが眉をつり上げました。
さて、麦畑の真っただ中にヴァイキングの円形の要塞跡（＝住居跡）がありました。
大きな円の形に土手をつくり、それを四つに割り、それぞれの区画にヴァイキングの王や戦士たちの家を建てていた跡です。
石が置いてあるのが、円の中心です。
村の人が管理しているのか、刈り込んだまっすぐな道を歩くと、右手には村の教会が見えます。
そして左手には、その昔、ヴァイキングの人たちが入港したと見られるフィヨルドが見えます。
イエンスと夫が立っているところが、土手のくびれたところです。
私は、デンマークの草の管理のしやすさに驚きます。
刈らないところでさえ、篠竹もクズも生えず、丈の低いイネ科の草の間には、きれいな花々が咲いています。
でも、繁殖力旺盛な日本の雑草たちこそが土壌を豊かにしているのですから、そのことには我慢して、雑草に感謝しなければなりません。
土手は、四方の道の先で切れています。
海が見えています。
先を行ったイエンスと夫は、教会の方へと歩きます。
この日は快晴で風もありませんでしたが、いつも強い風が、一方方向から吹くことを、曲がった木たちが物語っています。
典型的なデンマークの教会です。
ただ、屋根材料が赤い瓦屋根ではなくトタンなのは、この村が貧しくて、瓦屋根にできなかったということです。
教会の周りには石垣が積んであり、囲まれた敷地の中には、村の人たちの墓地があります。
風で曲がった木。
教会の脇に、小さな小さな資料館がありました。
ヴァイキングの居留地には、こんなふうに家が建ち並んでいたのです。
ウィキペディアによると、ヴァイキングは、かつては、ヴァイキング時代（８００－１０５０年）と呼ばれる約２５０年間に、西ヨーロッパ沿海部を侵略した、スカンディナヴィア、バルト海沿岸地域の武装船団（海賊）を指す言葉でした。
ところが、後の研究の進展によって、ヴァイキングは、「その時代に、スカンディナヴィア半島と、バルト海沿岸に住んでいた人々全体」を指す言葉に変わりました。
ヴァイキングは、農民であり、漁民でありました。
手工業にはとくに秀でていて、職人としての技量は同時代においては世界最高のレベルだったそうです。
現在では、ヴァイキングは海賊と植民を繰り返す略奪行為を生業としていたのではなく、航海のおもな目的は交易であり、略奪はむしろ例外的なものだったと考えられるようになっています。
収益の９８％が交易によるものだったとも言われています。
まったく知りませんでした。
資料館に置いてあった、ヴァイキングが遊んでいた、トナカイの骨でつくったチェスの駒です。
これは釿（ちょうな）でしょうか。のこぎりなどもありました。
これらの道具で、３０００本もの太い樫の木を切り、家を建てたのです。
建設中の様子を描いた図もありました。
忙しく立ち働いていますが、ときにはけが人も出たようです。
そして、家の完成に近づいています。
材木を馬にひかせている手前の十字路が、現在石を置いているところでしょうか？
この絵を見ると、低い土手の上には、頑丈な塀が建てられていたことがわかります。
まわりの畑に植えてあるのは、今では品種改良されてすっかり丈の低くなっているライ麦でした。
「ここでは、あまり当時の様子がわからなかったね。前に行ったところの方が、ずっとわかりやすかったな」
と、イエンス。
というわけで、日を改めて、別の場所にある別の遺跡にも行きました。
デンマークには、今のところ四ヶ所のヴァイキングの遺跡が見つかっています。