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1650年前に慌てて埋められて以来、忘れ去られたローマ時代の秘宝がバーゼル近郊のカイゼルアウグスト要塞の近くで発見されたのは1962年、小学校の改装工事の際だった。このコンテンツは 2003/12/30 16:14
秘宝はアレマンニ族の侵入でローマ兵が逃げる直前､へそくりを隠したものとみられ3世紀前後の銀食器が約270点も発見された。現在､バーゼル近郊のローマ遺跡のあるアウグスタ・ラウリカ博物館で初めて最大のローマ後期銀食器コレクションとして展示されている。
発見に纏わるゴタゴタ劇
バーゼルの起源となったアウグスタ･ラウリカはガリアを平定したローマが初めてライン河沿いに進出した植民都市で、ジュリアス・シーザー暗殺の翌年、紀元前43年に建設された。
秘宝はこのアウグスタ・ラウリカを守る要塞が建造されたカイゼルアウグスト（アーガウ州）にある小学校の校庭工事の際、ブルドーザーが宝物をすくい泥山に移したため、銀食器の多くが破壊された。
近くのレストランの店主が泥山の中から銀の大きな皿をみつけ、専門家に鑑定したのが始まりで、この大発見が考古学者に報告された。この店主は泥山近くで徘徊していたある家族が有名な“アキレスの水差し”を持ち去ったのではないかと通報した。また、ある男子生徒が四角い皿を発見し、先生に報告したが「ガラクタ」と笑われたため、捨てた。その後、学校のゴミ箱から拾われた。
1995年に匿名の寄贈者が18点の銀食器を州政府に寄付し、1962年に発見された同一グループのものと確認された。しかし、“アキレスの水差し”は未だに行方不明だ。
持ち主は誰？
これらの食器は西ゴート族やゲルマン族侵入の時代で、紀元294年〜350年前後のものと鑑定された。ローマ帝国が東西に分裂する紀元395年の前の混乱の時代だ。
銀食器のうち、13点に 「マルチェリアヌス」との記名があり、宝物の持ち主の1人に間違いない。皿への記入によるとマルチェリアヌスはローマの護民官であり、共に包まれた蜀台は彼が頻繁に旅行したことを物語っている。マルチェリアヌスはローマ皇帝のバルカン半島やガリア遠征に仕えた者と思われる。テサロニケの大杯は皇帝が忠義な臣下に与える典型的な贈り物だ。
食器ではなく銀行預金
290点にも及ぶ銀食器の重さは全部でなんと58キロ。展示会の企画者、キャシー・アイトケン氏は「銀の重さがそれぞれのお皿に記入されていたことは貯金用として贈呈されたもので、実際に使うためではないことを物語っている」と説明する。
皿の装飾の多くはギリシャ神話を物語る場面が描かれ､その時代の教養と文化を反映した。しかし、ローマ時代後期になってくると高い階級にも他所からきた野蛮人が増えてきたため、幾何学的なモチーフに変っていくという。
スイス最大のローマ遺跡であるアウグスタ・ラウリカは2世紀には東街道と西街道の交差する重要な商業都市として栄え、人口2万人にまで達した。しかし、3世紀後半のアレマンニ族の侵入により破壊された。現在でも、神殿跡、貴族の住居跡や8000人を収容した野外劇場跡が見学できる。
スイス国際放送、 ジュリー・ハント、（要訳、屋山明乃）
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博物館の会館時間：月曜は13時〜17時、火から日は10時〜17時まで。11月から2月までは昼の１２時〜13時半まで休館。
バーゼル近郊、カイゼルアウグスト鉄道駅から徒歩15分。
補足情報
- ローマ時代後期に作られた銀食器は1962年に工事の際に発見され、270点にも及ぶ。
- 1995年に同じコレクションから出たと思われる18点が匿名で寄付された。
- これらの銀食器コレクションは紀元後294年から352年のものと想定される。
- ランクの高いローマ人兵士が財産として相続したものと皇帝からの報償品と見られ、銀の重さから貯金の役割を果たしたようだ。
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