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スイス西部ジュラ地方の時計工場で働くアナーキストの労働者を描いたシリル・ショーブリン監督の映画「Unrueh（仮訳：調速）」が5月4日、全州（チョンジュ）国際映画祭で最優秀作品賞を受賞した。受賞に先立ち、英国の映画評論家、クリストファー・スモール氏が同監督に制作の背景を聞いた。
今年2月、スイスのシリル・ショーブリン監督は、映画「Unrueh」でベルリン国際映画祭エンカウンターズ部門の最優秀監督賞を受賞した。19世紀 にジュラ州の山間部、サン・ティミエの時計職人の間で急激にアナーキズムが広がっていく様子を描いた異色の長編映画だ。
ベルリンでの快挙の直後、韓国の全州国際映画祭にも出品された。これを皮切りに様々な主要映画祭に出品されるのは間違いない。
全州映画祭は寛大なスポンサー制度に加え、先鋭的な実験映画を重点に置くというリスクを取る姿勢によって、国際的なインディペンデント映画を支援する映画祭として広く知られ、高く評価されている。ショーブリン氏は5月4日に国際映画部門で最優秀作品賞を獲得し、全州で一躍有名人になった。
歩きながらのインタビュー
ショーブリン氏とは、韓国滞在中にホテルのロビーで会った。私たちは全州の町の中心を流れる全州川沿いに散策に出かけた。数々のショーウィンドウが向かい合って並ぶ全州の低地に広がる市街地に差す夕暮れの光は驚くほど美しい。
歩きながら話している時、同氏は自身の映画について熱く議論した。だがスイレンのような形をした淡い太陽の光が、私たちの周りの灰色の壁に格子状に広がるのに目を奪われ、半分上の空のようだった。
同氏の滑稽でありながら辛辣な「Unrueh」は、シェークスピアの名言を借りれば、奇妙であるほど豊かな映画だ。1876年の欧州は資本主義が急速に発達し、自由主義的共産主義が社会の中で不安視されていた時代だった。スイスほど真剣、かつ包括的に急進的な民主化と工業化を試みた国家は当時、欧州にはほとんどなかった。映画ではスイスを政治的大動乱の場であると同時に、感情は落ち着いた場として描いた。少なくとも穏やかな登場人物からはそう取れる。
「Unrueh」というタイトルはこの魅惑的な作品の中で様々な意味を持つが、テンプとも呼ばれる時計製造に不可欠な調速部品を意味する。
主人公（クララ・ゴスティンスキ）は出来立ての時計装置1つ1つに小さなピンセットで着実にこの部品を取り付けながら日々を過ごしている。テンプがなければ機械時計の秩序だったシステムが機能しなくなり、時間を計ることができなくなる。
映画では、2つの変容が同時進行で時計職人の世界を形作っていく。1つは、自治体の穏やかな抵抗を受けながら4つのタイムゾーンを標準時に統一していく変容。もう1つは地図製作者でありアナーキストであるピョートル・クロポトキンがこの地域にやって来たことに象徴されるようなアナーキズムという変容だ（この映画はクロポトキンの回顧録に着想を得ている）。
アナーキストの視点
ショーブリン氏のクロポトキン評は好意的だ。クロポトキンは何よりも他の思想の伝道者で、アナーキズムや時計製造、またはこの地域の歴史を深く調べ始めると、「すぐに彼に行き当たる」と言う。
「クロポトキンは回顧録でスイスや時計製造工場について、またスイスで確立した政治的、哲学的思想について非常に多くを語っている」
しかし「Unrueh」に登場するクロポトキンはヒーローではない。根気強く地図を製作し、町の住民や、不明確な理由で町の至る所で彼の行く手をたびたび物腰柔らかに遮る地元警察とも戸惑いながら交流する温厚な観察者だ。
ショーブリン氏は「バクーニン、クロポトキン、エマ・ゴールドマンといった有名なアナーキストについて多くを語るというアイデアはアナーキスト的な視点から考えて疑問があったのは確かだ」と話し、次のように続ける。「全体的な運動や、それを実現しようとする普通の人々ではなく、特定の人物を中心に映画を作るという欲望に抗わなければならないと分かっていた」
話の途中でショーブリン氏は前に進み出て、また彼の35ミリのライカで2つのビルの間の空き地に転がるガラクタを照らす、四角い形をした埃っぽい太陽の光の写真を撮った。戻って来ると失礼を詫び、近くの鉄製の灯篭をぼそぼそと称賛し、話に戻った。「そう。サン・ティミエでの運動誕生150周年の今年、私たちの映画が初めて上映される。奇妙で幸せな偶然だ」
スイスに広がった革命運動
ショーブリン氏の調査は徹底的だ。人類学者の実兄やスイス全土の一流の学術文献を数多く読み込んだ。
「例えば、バクーニン他のサイトへはベルンで死去した。ロシア人学生はチューリヒにやって来た。スイスは女子教育を行っている数少ない国の1つだった。1870年代に人々はスイスにやって来て革命文学を入手したが、それは欧州のほとんど、特に君主制のドイツやイタリアでは禁止されていた」と同氏は話し、こう続けた。「スイスでアナーキストは新聞を発行し、それをヨーロッパ中に密輸出していた。なんと」、彼は私の方を真っすぐ向いてほほ笑み「英国にもだ」と言い、また離れて行った。
私たちの会話は終始あちこちに飛ぶ。世界には気をそらせるものが無数にあり、ショーブリン氏はそういったものに特に敏感で、話は前後する。小さなカオスを維持することで労働生活に再び調和がもたらされる、または隠された道はいかなる方法であれ再現された時にのみ明らかになる、といったテーマの映画の制作者に、この穏やかなカオスは合っているように思われる。
また、「Unrueh 」では普通の対話シーンが非凡な性格を帯びている。同氏はありがちな舞台装置を避け、役者が話している時には画面に現れず、話し終わった後でやっと登場するように編集している。
私たちは今、熱気に満ちた町の中心街を通り過ぎ、映画の冒頭シーンでアナーキズム論について淡々と議論するいかめしい貴族2人のように歩きながら川に近づいている。
今まで歴史映画で人々がこんな風に話す、というよりもぶつぶつとつぶやいているのを見たことがない、と指摘すると、ショーブリン氏はうれしそうに言った。「ほとんどの歴史映画で、言葉1つ1つが大切であるかのように、みんなが大事そうに重々しく話しているのには驚く。19世紀も現代と同じように言葉はもっといい加減だったのではないかと想像するようにした」
ピョートル・アレクセイヴィチ・クロポトキン（1842-1921）はロシアの地理学者、アナーキスト。王子の称号を持つ。キエフ大公国（キーウ・ルーシ）を支配するリューリク朝創始者の子孫だが、12歳の時に称号を使うのをやめた。1870年代に革命政党に参加し、投獄されるが76年に脱獄。その後、スイス、フランス、イギリスに亡命。晩年は1917年の2月革命後に成立したソビエト連邦で過ごした。End of insertion
SFのような歴史映画
ショーブリン氏は最も大事なことをポルトガルの有名な撮影監督、ルイ・ポッサス氏から学んだ。すなわち、歴史フィクション映画をサイエンスフィクションのように扱うということだ。「彼が言いたいのは、同じくらい自由に、ということだ。どちらのジャンルでも映画を作ることは建造物全てを作るようなものだ。歴史映画を作るとなると、何かを公平に評価しなければならないと自然に思い込んでしまうかもしれない。でもそれは違う。これも自由な実験だと断言しなければならない」
鶴が川面まで舞い降りて川岸近くで短く水浴びをし、また飛んで行った。友人やサン・ティミエの本物の時計職人から成る素人のキャストについて尋ねた。
「カメラの前に立ったことがないのに突然、周りにスタッフ25人がいて、更に5人に囲まれて衣装を着させられるのは怖かったに違いない。しかし、このキャストの中には、生涯の友であるのに顔しか知らない人もいる」
会話中いつもショーブリン氏は出演者について、明確に深い愛情と尊敬を持って話していた。「何度も夕食を共にし、幾晩も共に過ごした後では、彼らの何が素晴らしいのかが分かる。映画を作るということは、友人としての生活の中で見えてくるこういったささいな事を探し求めることだ」
クリストファー・スモール（Christoper Small）氏は英国生まれのライター、キュレーター、映画制作者。チェコ共和国のプラハ在住。ロカルノ国際映画祭で評論家アカデミーを主催している。End of insertion
（英語からの翻訳・谷川絵理花）
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