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スイスの建国にまつわるウィリアム・テルの伝説は、フランス革命をはじめ、圧政から立ち上がる国民の英雄として語り継がれている。
一方で、悪代官を倒したテル伝説は国家の土台を揺るがす危険な思想を育むとして、これまでに独裁者に利用されてきた歴史も持つ。テルは正義の味方なのか、それとも社会を脅かすテロリストなのだろうか？
ドイツ文学の専門家カタリナ・モンセンさんは、「ウィリアム・テルの定義は英雄と殺人者の間を常に行き来する」と話す。自由と独立を求める戦士か、テロリストとみなされるかは、支配者の立場や政治的背景で解釈がいくらでも変わる、とモンセンさんは指摘する。
翻弄続けるテル伝説
スイス連邦の発祥は1291年に、ウーリ、シュヴィーツ、ウンテルヴァルテンの３州が同地を領有していたオーストリアのハプスブルク家に対抗して誓約を結んだことが契機となっている。このころの建国の歴史を物語るものとして、ウィリアム・テルが登場する。
テル伝説が世界的に有名になったのは、ドイツ人作家フリードリヒ・シラーが戯曲「ウィリアム テル」（1804年）を書いてからである。今からちょうど200年前にあたる。その後、この戯曲は各国の独裁者や活動家に都合のいいように利用されていく。
例えば、1922年にベルギーとフランスがドイツの一部領土を占領したとき、フランス政府は、占領下の地域で「ウィリアム テル」の上演を禁じた。戯曲の中の民衆蜂起が占領下のドイツ人を刺激すると怖れたためだ。
独裁者アドルフ・ヒットラーの場合は、テル伝説がドイツ人の民族運動や統一にふさわしいとの理由から、ドイツを掌握した当初は、「ウィリアム テル」を国家的戯曲として位置付けた。当時イギリスやフランスに遅れていると感じていたドイツ人に誇りを取り戻すのが狙いと言われる。
ヒットラーの暗殺計画が何度も企てられるにつれ、ヒットラーはシラーの戯曲に対する見方を変えていく。1941年6月には戯曲上演が禁止された。
大戦後もウィリアム・テルは登場する。1969年にパレスチナの過激派グループがチューリヒ空港でイスラエルのエルアル航空機の乗客に向かって銃撃した事件が起きた。同グループは「ウィリアム・テルと同じ精神で」犯行を行ったと主張している。
スイス国際放送 エティエン・シュトレーベル 安達聡子（あだちさとこ）意訳
補足情報
ウィリアム・テル：
オーストリアの悪代官が自分の帽子に敬礼をしなかった弓の名手テルに、息子の頭の上にのせたりんごを射るように命じたというお話。
ドイツ人作家フリードリヒ・シラーの戯曲「ウィリアム テル」（1804年）を契機に、テル伝説は世界的に有名になる。