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少数派であるアナーキストは懐疑的な目で見られがちだ。実現不可能なユートピアの夢をしばしば育んできたアナーキストたちの歴史は、敗北の色で塗られている。しかし、今日多くの社会的運動がアナーキズムの持つ自由思想を反映している。
「今のアナーキズムは、マルクス主義が大きく影響を与えた６０年代の社会主義運動に取って代わるものになっている。自分をアナーキストだと思わない人でさえ、アナーキストの考えを参考にし、その考えに対する自分の立場を表明しようとしている」と、アメリカの人類学者デビッド・グレーバー氏はその著書の中で書く。グレーバー氏は「オキュパイ・ウォールストリート（Occupy Wall Street、ウォール街を占拠せよ）運動」を分析する際には必ず引用される人物だ。
アナーキズムは現在、ベルリンの壁崩壊を何年か遅れで感じとっているように思われる。「ここ１５年の間でアナーキズムは再来した」と、オーストリア出身のアナーキストで哲学者のガブリエル・クーン氏は指摘する。共産主義体制の瓦解（がかい）は、ある意味でアナーキストの再評価を引き起こした。資本主義に反対する左翼にとって、伝統的なマルクス主義はもはや輝きを失ったのだ。
スイスのジュラ地方に起源
「９０年代、多くの人が権威主義的な社会主義に批判的になっていた。だが、アナーキズムには少し距離を置いた。なぜならアナーキズムはユートピア的でロマン主義、その上分裂を起こす混沌とした状態をしばしば内包していたからだ。しかし、アナーキズムがこうした性格を持っているにもかかわらず、９０年代の人々はそこから、基本的な民主主義、横に繋がる組織制、階級制や政治に対する懐疑、さらに直接行動の原理を借り出した」とクーン氏は言う。
筆者はクーン氏には、ベルン州ジュラ地方にある小さな工業の町サン・ティミエ（Saint-Imier）で１４０年前に開催された「国際アナーキスト大会」を記念する講演会（今年８月初めに開催）で会った。この１８７２年に行われた大会は、当時の幾つかの国で誕生した労働者たちのアナーキズム運動、１８７１年のパリ・コミューン、ソビエト・ウクライナの紛争、スペイン革命などの影響を色濃く反映したものだった。
アナーキズムの思想は、６０年代の自由思想に基礎を置く抗議運動で再び浮上している。「１９６８年の世界的な学生運動（５月革命）の波から誕生した新左翼の動きの中で、アナーキズムは性格を変えて行った。文化的側面を重視したものになり、反ブルジョア的な姿勢が伝統的な階級闘争より優位に立つことになった」とクーン氏は説明する。
その後、アナーキズムと新左翼は相互に影響を与え合い、やがてその動きは新しい方向を切り開くものになる。「伝統的な経済の中央集権化は、より批判的に捉えられ、さらにほかの権威主義、家父長制、人種差別、性差別、自然環境破壊などにも批判の目が向けられた」
階級闘争から社会革命まで
１９６８年の学生運動以降アナーキズムの思想は多様化し、人々はそれまでアナーキズムの背景としてあった自由思想の多側面を再発見することになる。それはエコロジーの運動や性欲に対する新しい考え方などを生み出した。「これらは、いわば各世代の変化として出現する。１９６８年（の学生運動）は確かに重要な出来事だった。しかし、それに８０年代のパンク運動、９０年代メキシコのサパティスタ（Zapatista）国民解放軍による武装蜂起が続く。このサパティスタは、その後反グロバリゼーションを生み出す。そして、インターネットの到来がある」と、ローザンヌにある「国際アナーキズム研究センター（CIRA）」の記録保管人マリアン・エンケル氏は指摘する。
アナーキズムは完全に消滅してはいないのだが、一方でこの１９世紀に生まれた思想は、日常生活の中で可能な限り自主管理を行う思考へと、いわば「格下げ」されていく。「変化の時にはアナーキズムにはあまり頼らないようにするが、日々の生活の中では、絶えずアナーキズムが内包する考えを応用しようとしている」と、今年８月のサン・ティミエの国際アナーキスト会議に、ティチーノ州から参加したアナーキズム関連の出版社ラ・バロナータ（La Baronata）のエディさんは要約する。彼の話のキーワードは「自主管理」だ。
日常のアナーキー
過去１０年間自由主義の運動は、イタリアやスペインなどさまざまな国での自主管理の経験を経て、その考察や実験がかなり進んでいる。更に、この自由主義運動は（人間の関係が）横に繋がる構造で柔軟だということもあり、ほかの社会運動からの刺激を瞬時に摘み取りそれを吸収することができた。「例えば、イル・モリーノ（Il Molino・１９９６年にティチーノ州に誕生した自主的に管理を行う社会福祉センター）がそうだ。メキシコのサパティスタ運動から強い影響を受け、センターの人間が遠くメキシコのチアパス州（Chiapas）まで出向いた。そこで実際に実践や理論から得たことをスイスに持ち帰り、センターで今でも役立てている」と、センターの活動家パオロ・カッセリーニさんは話す。
「アナーキスト、または自由主義者であるわれわれにとって面白いことは、コンセンサスでの意思決定や（代表者のいない）自主管理を取り入れるやり方だ。わざわざ遠くメキシコまで出向く必要はない。イタリアのヴァル・ディ・スーザ（スーザ渓谷、Val di Susa）での、フランスとイタリアを結ぶ高速鉄道への抗議活動であるノータヴ（NoTav）運動を見れば一目瞭然だ」と、ティチーノ州で発行されているアナーキズム関連定期刊行誌、ボーチェ・リベルタリア（Voce Libertaria）の編集者は言う。
急進プラグマティズム
「アナーキストは実に少数派のため、ほかのメンバーとの協力がなければ大きなことはできない。それに、革命を起こすのはアナーキストだけではない｡人々なのだ。我々（アナーキスト）は革新的なアバンギャルドとは違うのだ。人々の代わりに事を起こすことはしたくないのだ」と、サン・ティミエ国際アナーキスト会議の主催者の一つ、独立文化センター「エスパス・ノワール（Espace Noir）」のマイケル・ネミッツ氏は言う。
アナーキズムは今日、自由主義的方法論からインスピレーションを得た具体的行動や実践を優先しているように思える。これは、アナーキズム運動の歴史の中にその根源があるからだ。それを前出の人類学者グレーバー氏はこう言う。「アナーキズムは革命の実践にあたり、倫理的な言説を追求した」。一つの倫理的言説とは次のような仮説に基づいている。「自由とは、権威的な方法では達成し得ない。社会の変化は、日々の関係の変化によって起こる」
もちろん、アナーキズムには巧妙さやドグマ的側面、さらに曖昧さがあることは否めない。しかしそれは、フランス革命の原則「自由、平等、友愛」の最もラジカルな解釈としてある。「私は、私の回りにいる、男も女も含めた全ての人々が自由であるときにのみ、自由である。他者の自由は、私の自由を否定するどころか、私の自由にとってなくてはならないものである」と、アナーキズムの創始者ミハエル・バクーニンは書いた。今日、アナーキーなエコロジストは、この自由の概念をそのまま動物や木々、山々に対し適用しているのではないだろうか。
黒い伝説
１８７２年のサン・ティミエの国際アナーキスト大会では「国際労働者協会（第１インターナショナル）」から除名されたイタリア、スペイン、アメリカ、スイスフランス語圏の労働組合がアナーキストと共に権力を潰す目的で反権威的組織を設立。この組織設立の原則は、各加入グループの自律と連邦主義だ。
アナーキズムは、ロマンス語圏ラテン系の国々（イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、ルーマニア語など）の労働者に受け入れられたが、反権威主義的な第１インターナショナルはあまり長続きしなかった。設立以来アナーキストは、国家権力の代表者に対する反逆的行為によって、自分たちの主張を行った。
フランス革命の後に起こったほとんどの政治運動のように、多くのアナーキストは 、政治的な戦いにおいては暴力行為は合法だという意見を持っている。それは、レフ・トルストイがその代表の１人であるように、平和主義の流れが内部にあったにもかかわらず、そうだった。
攻撃的なアナーキストの人物像によって作り上げられた「黒い伝説」（それは時折アナーキストたち自身によっても紡ぎ上げられた）や、政治的弾圧、マルクス主義に対する反感などが自由主義の運動に長い間重くのしかかった。
それでもまれなケースもある。例えば１８７１年に蜂起したパリ民衆の革命パリ・コミューン（Commune de Paris）、１９１７年のロシア革命後に起こったソビエト・ウクライナによる紛争、１９３６年のスペイン革命などは、アナーキズムが求めるユートピアを現実可能なものに近づける実り多きものとなった。ユートピアとは、自由人または同類の人間で構成された連帯社会、支配なき社会の形などだ。これらを実現させるには常に高い代償を払うことになる。インフォボックス終わり
（伊語からの翻訳･編集、リッソーネ光子）, swissinfo.ch