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スイスでは１９８０年代まで、両親が離婚していたり家が貧しかったりした子どもたちは、行政側に保護措置として家族から引き離され、農家に奉公に出されてきた。今も生存する被害者は約１万人。その中には行政側に慰謝料を求める人もいるが、大半は暗い過去を心に封印している。
「生まれたときに父はいなかった。母は私を祖母に預けた。祖母が亡くなると、まずは姉のところに預けられ、その後、とある農家に奉公に出された。毎日、学校が始まる前に牛の乳しぼりをさせられた。ひどい扱いだった。私は名無しの人間だった」。フリブール出身のパウル・シュトゥッツマンさんはそう語る。
現在７２歳のシュトゥッツマンさんは、１９世紀から２０世紀まで安い労働力として農家に奉公に出された子どもの１人。こうした子どもたちは奉公先から殴られ、十分な食事を与えられず、性的暴行を受けることもあった。当時、未成年の母親や「社会の端」にいる人たちは「行政保護措置」として刑務所や精神病院に収容された。行政側が市民に対し去勢や避妊を命令したり、子どもを強制的に養子に出すこともあった。
２１世紀に入ると、こうした子どもたちの実態がメディアに大々的に取り上げられるようになった。こうした流れを受け、連邦議会ではさまざまな発議が提出された。しかし、教会や州、基礎自治体は長い間、互いに責任を押し付け合い、虐待を軽視することもあった。この暗い歴史の見直しが本格的に始まったのは、国とベルン州が２０１０年、ベルンの女子刑務所に行政保護措置で収容された人に対し、初めて謝罪を行ったことがきっかけだった。
今月１１日には、被害者のための公式式典がベルンで開かれる。すべての「保護を理由に強制措置を受けた被害者」が招待されるほか、シモネッタ・ソマルガ司法警察相や官公庁、教会、州、基礎自治体、スイス農業・酪業家協会（SBV/USP）の代表者が参加を予定している。
スイスにおける強制奉公の歴史
子どもを強制的に親から引き離し、奉公に出すという歴史的事実は、まだ学術的に研究されていない。しかし行政側は、１９８１年まで「保護措置」として青少年を強制的に施設に収容したり、農家に奉公に出したりしてきたことを認めている。
１９４４年、ルツェルン州にある少年養護施設ゾンネンベルク（Sonnenberg）についてのルポが週刊紙ナツィオン（Die Nation）に掲載される。掲載後、施設は閉鎖され、施設長は虐待の罪に問われた。
１９７４年、ジャーナリスト兼政治家アーサー・ホーネッガーが、奉公に出された自身の子ども時代を振り返った著書『Fertigmacher（打ちのめすもの）』を出版。１０万部以上のベストセラーに。
１９８１年、つまりスイスが欧州人権条約を批准した７年後、保護措置を目的とした自由の剥奪に関する国内法が改正される。
１９９１年、子ども時代に奉公に出された父を持つ歴史家マルコ・ロイエンベルガーが、ベルン州の事例を初めて包括的に研究。
１９９９年、強制避妊させられた被害者への賠償を求めた発議が連邦議会に提出されるが、現在まで効果はみられない。
２００９～２０１３年、「奉公に出された子どもが語る」という展示会が国内１０数カ所で行われ、８万５０００人の来場者を記録。
２０１０年、当時の司法相エヴェリン・ヴィトマー・シュルンプフ氏（現財務相）が被害者に謝罪。
２０１１年、連邦議会に二つの発議が提出される。一つは、「行政保護」を受けた人たちへのメンタルケアを要求、もう一つは過去を見直し、国から被害者への謝罪を要求するもの。
現時点では、ベルン州、ルツェルン州、フリブール州、トゥールガウ州が被害者に対し公式謝罪をしている。インフォボックス終わり
恥と心の傷
「あの時代、子どもを虐待するのは普通だった。貧乏は労働で矯正できる悪徳だと考えられていた。一度、被害者の集まりに招待された。そこで聞いた彼らの経験談に、私は言葉を失うほどショックを受けた」と、２００８年に立ち上げられた被害者団体「奉公に出された子どものネットワーク（Netzwerk Verdingt）」の共同設立者であるヴァルター・ツヴァーレン会長は話す。
子どものときに強制的に奉公に出された人で、今も生存している人は推計約１万人。しかし、この協会の会員はたった４０人しかいない。ツヴァーレンさんは言う。「大半の人は、自分がその被害者だと公言することを恥じているか、古傷をえぐられるのに耐えられないのだろう」
この暗い過去はまだ全国的に調査されていない。自治体や協会などが保存する記録文書が散在しており、一部は破棄されているためだ。唯一信頼できる資料は、被害者の口から話されることだけだ。
こうした中、ツヴァーレンさんは証言者の話をまとめた書籍６２０冊を保有する図書館を設立。書籍は主に、スイスと同様の過去を持つ西欧数カ国の被害者の経験談をつづったものだ。「他の国でも、スイスと同じく記録文書がほとんど残っていない。しかし、ドイツでも、旧チェコスロバキアでも、ノルウェーやポーランドでも、被害者が話すことは同じだ」
公式謝罪
ヴォー州立福祉大学元教授のピエール・アヴァンチーノさんは「これは、なかったこととは言えない。『保護措置を受けた』親戚がいる家族は多いのだ」と話す。両親から引き離されたジプシーの子どもたちは１９８７年、支援団体の援助でメンタルケアを受け、賠償金を受け取ったという。
しかし、それ以外の被害者が政府や行政側に謝罪させるのは容易ではなかった。奉公に出された子どもや「行政保護措置」を受けた人たちは、これまでハンガーストライキや展示を行い、欧州人権裁判所にも訴えるなどして謝罪を求めてきた。世論を味方につけた結果、ベルン州、ルツェルン州、トゥールガウ州、フリブール州はついに被害者に謝罪した。
連邦議会でも、被害者の救済および被害実態の全国調査を求める発議が提出されている。しかし、国民議会（下院）法律委員会の過半数と右派政党は、金銭的な損害賠償に否定的だ。
数百億フラン分の強制労働
強制労働の対価はいくらになるのだろうか。大衆紙ブリック（Blick）が大手銀行のチーフエコノミストに計算させたところ、子どもが無料の労働力だった農業分野では２００億～６５０億フラン（約２兆～７兆円）との試算結果が出た。今も生存する１万人の被害者は１２億フラン分の労働をしたことになる。
スイス農業・酪業家協会はこれを「スイス史における暗黒の章」だとしつつも、謝罪や賠償は拒否している。同協会のジャック・ブルジョワ会長は「不可能ではないにしても、何十年も経過した後に賠償額を定めるのは困難。また、奉公に出された子どもが置かれた環境はさまざまであるため、包括的な損害賠償はふさわしくない」と説明する。
これに対し、アヴァンチーノさんは懐疑的だ。「これまでにないような強い政治的圧力が必要だ。今もなお、過去の事実が強く否定されている。被害者の子どもたちは政治家にとって何の意味もないのだろう。しかし、対策を講じるのなら迅速に行わなければならない。もたもたしていれば、生存する被害者はいなくなってしまうからだ」
被害者の公式式典が間もなく開催されるが、前出のシュトゥッツマンさんは参加するのだろうか？ためらいがちに、シュトゥッツマンさんはこう答えた。「（参加する）勇気はない。それに、私は良い人生を送った。これは過ぎたこと、終わったことだ」
（独語からの翻訳・編集 鹿島田芙美）, swissinfo.ch