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イザヤ46：3～4、フィリピ4：4～7「祈りの交わり」
2023年11月12日（永眠者記念礼拝、左近深恵子）
美竹教会が伝道を開始してから92年となりました。この間教会の歴史に貴い軌跡を刻まれた信仰の先達を記念する礼拝を捧げています。特に、この一年、召された方々の生涯に刻まれた主の恵みを共に覚えたいと思います。昨年の永眠者記念礼拝から今日までの間に、Tさん、Wさん、Sさん、三名の教会員の方が召されました。
Tさんは、昨年の永眠者記念礼拝の直ぐ後、11月14日に、102歳で召されました。1938年、17歳の時に美竹教会で浅野順一牧師によって洗礼を受けられ、以後84年に渡る信仰の旅路を歩み通されました。婚約式、結婚式は、戦後、教会が焼けてしまい会堂の無い時であったので会堂ではできませんでしたが、教会員の方のお宅で、浅野先生の司式で挙げられ、その後夫であるMさんも洗礼を受けられました。お父様、弟さん、Tさんご夫妻、家族４人そろって教会の礼拝に出席され、やがてお子さん方も行かれるようになりました。長女・Yさんが幼かった頃は、雨の日や風の強い日にはTさんがYさんを背負って教会に通われたことを、Yさんが『美竹教会70周年記念誌』に書いておられます。晩年はホームで、静かな日々を送っておられました。Yさんは、ご自身の体調のこともありながら、可能な時には週に一回と、足繫く訪ねておられました。
Wさんは、昨年12月16日、104歳で召されました。1963年、45歳の時に美竹教会で洗礼を受けられ、以後58年に渡る信仰の旅路を歩まれました。障害をもっておられる長男の方のことで知り合うことのできたご友人に、ふとしたことで美竹教会を教えてもらい、浅野先生にも紹介していただいたことから美竹教会につながるようになったと、洗礼を受けられた後の信音に書いておられました。1998年の信音では、ご家庭や外で様々な務めを担っておられ、ご自分も80歳になり、いつまでこのような責任を担い続けられるのでしょうかと書かれた後に、こう続けておられます、「聖書を読むことは、このような日常生活の中で、なかなかむつかしくなりました。それだけに、一度でも多く礼拝を守りたいという思いでいっぱいです。聖壇から、みことばの説き明かしをいただきますと、肩の荷が軽くなるように感じます。そして、背中をそっと押し出されるように感じて、家路につきます」。それから9年後の2007年、まだ会堂で礼拝を共にすることが出来ておられた頃の信音には、「私の信仰生活」という題でWさんが語られたことを、信音編集委員の方がまとめられた言葉が載っています。一部を読ませていただきます。「皆さまとご一緒の聖日礼拝には必ず出席し、よく言葉を交わしてくださる方のお隣に座ります。お説教を記録して期待してから、礼拝ノートに清書を致します。これをずっと続けておりますのは、よく理解して覚えているためでしたが、最近はノートに写しますと直ぐ内容を忘れるので困ります。教会では、何のお役にもついてはおりませんが、ワークショップには喜んで参加しております。皆さまとご一緒に楽しい一時を有意義に過ごさせていただいております。家庭では、賛美歌をオルガンで弾き、歌うこともございます。主を賛美いたします言葉は美しく至福の時を味わうことができまして、穏やかな毎日を教会生活の延長として過ごすことが許され、心から有難く存じております」。ご生涯の歩みの中、日々担っておられるものの重さに押し潰されそうな時も、穏やかな時も、礼拝と、礼拝で説き明かされるみ言葉によって慰めや力を受け留めておられ、共に重荷を担ってくださる主と歩み続けられたのだと思います。晩年はホームで、代わる代わる訪問されるご家族の方々に支えられながら過ごしておられました。ホームでもご家族と讃美歌を歌うことを楽しみにしておられたそうです。文を読むことが難しくなってからも、教会から送られてくる誕生日カードや、教会を訪ねてくださったご家族が撮られた礼拝堂の写真を、ご覧になっていたと伺いました。
Sさんは、今年の2月3日に95歳で召されました。1945年、17歳の時に、美竹教会で村田四郎牧師によって洗礼を受けられました。その時のことを、「主は私の魂にクリスチャンとみ名を記してくださいました」と、書いておられます。晩年はホームで過ごされました。外出しやすいからと、駅まで歩いて数分の施設をご自分で選ばれて、入所されたそうです。ホームにお訪ねすると、部屋の中には手作りの十字架が飾られていました。教会での礼拝には行けないけれど、その十字架の前で一人で礼拝を捧げていると言われていました。ご自分の生涯の終わりに向けて以前から備えておられ、葬りのことも牧師に依頼しておられました。美竹教会が教会員の方々に記入を勧めています「牧会メモ」に、愛唱聖句や愛唱讃美歌を沢山書いてくださり、また葬りのために、ご自分のこれまでの信仰の歩みについて書かれた手作りの冊子を用意しておられました。冊子には「旅立ちのために。」とタイトルがつけられていました。その中には、いつどこでお生まれになったのか、ということ以外、所謂略歴で書かれるようなものは何もなく、ただひたすら信仰の歩みと聖書の言葉、讃美と感謝の言葉が綴られていました。筆まめな方で、手紙も牧師宛てに折々送ってくださいましたが、その手紙にも、感謝と主への賛美の言葉が溢れていました。ご自分の生涯を振り返った文書の中でこのようなことを書いておられます、「空虚な世界を思いのままに生きるこの私に、主の恵みといつくしみは絶えることがございませんでした。みことばはしみじみとあたたかく私の魂を包んでくださいました。生くるときも死ぬる時も、主イエスさまが私をみ心の中において、み心をなしてくださいますようにとお祈りしつつ生かされております。とは申しましても、私の内に思い煩いの満ちる時があります。私が暗闇の中に座るとも、私の灯を灯し、私の闇を照らされる主に信頼し、み言葉に慰められ、癒されて、終わりの日を待ち望み、ひたすらに主の十字架とよみがえりの命におあずかりして、この世の旅路を終わらせていただければ、私にとって無上の喜びと賛美と感謝です。ひたすら主に信頼して祈ります」。召される前の週にホームにお訪ねしました時、苦しい息の中で、「人とキリストのことを死ぬまで考えます」と言われました。宣言をされるように、強い口調の言葉でした。愛唱讃美歌のうちの一つをヒムプレーヤーをかけて歌いましたら、続かない息の中でも一緒に歌ってくださいました。祈りと賛美に満ちた文章や手紙を書いてこられたSさんは、最後まで祈りながら格闘し、讃美を捧げる生涯を歩み通されました。
Tさん、Wさん、Sさん、三人の方が旅立ちの日を迎えられたのは、この会堂で礼拝を捧げることが叶わなくなってから随分年月が経ってからのことでした。けれど直接会うことが叶わなくても、私たちはキリストによって一つとされていることに信頼し、祈り合ってきました。礼拝の度にこの会堂での礼拝を思っておられる方々を覚えてきました。感染症も病も死も、この繋がりを終わりにすることはできません。願いながらここに集うことのできない方たちとも、私たちは祈りの交わりにあることに信頼しています。そして、お一人お一人が主に導かれて辿った信仰の生涯も、その地上の歩みの間、主から賜ってきた恵みも、その主にお応えし、捧げてこられた感謝と賛美も、主の元では消えることが無いことに信頼します。
先ほど、フィリピの信徒への手紙から聞きました。この手紙を記したパウロは今日の箇所で、「主にあっていつも喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」と、繰り返しています。喜びは手紙の冒頭から述べられていました。パウロは二度目の伝道の旅でフィリピを訪れ、活動しました。この町で紫布を扱う商人であったリディアという婦人の心を主が開いてくださり、パウロの話に耳を傾け、家族と共に洗礼を受けたことからフィリピ教会の基礎ができました。この教会の人々のことを思い起こす度に神さまに感謝し、フィリピの教会の人々一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っていると記しています。喜びは、3章の初めでも、「主にあって喜びなさい」と、今日の箇所と同じ文で記されています。続けて「同じことをもう一度書きますが、これは私には煩わしいことではなく、あなたがたにとって安全なことなのです」と述べます。1章でも書いたけれどまた「喜びなさい」と同じことを書くのだと言うのです。パウロが何度も「喜びなさい」と呼び掛けることに対して、誰かがそれは煩わしいことだと言ったのかもしれません。パウロは、自分にとって何度繰り返しても、それは煩わしいことでは無いのだと、それはあなた方にとって安全なことだからだと述べます。安全なことだから、という理由は、今日の箇所で「そうすれば、あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう」と述べていることと、響き合っているようです。
この手紙は、パウロが記した手紙の中でも後の方に書かれたものだと考えられています。これを書いた時パウロは、獄中にあったと言われます。パウロの福音を宣べ伝える働きを潰したい人々によって捕らえられ、投獄されたパウロです。牢獄の中からフィリピの教会に宛てたのだろうと考えられています。投獄された事情は明かではありませんが、何であっても逮捕され、投獄されるということは非常に辛いことであるはずです。けれどパウロはフィリピのキリスト者たちのことを思い起こす度に胸が熱くなり、感謝が溢れ、喜んでおり、獄中にあるパウロを案じて援助を申し出てくれているフィリピの教会に対しても、いつも喜びなさいと言うのです。
パウロは喜び祈ることを、ここに来て呼びかけ始めたわけではありません。パウロが記した手紙の中で最も初期のものと考えられているテサロニケの信徒への第一の手紙でも、パウロは「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」（5：16～18）と呼びかけています。まだ苦労がよく分からなかったから、非現実的な理想の目標を掲げていたのではありません。それから苦労多い宣教の旅を重ねてきて、投獄されてしまったけれど、耐え難い試練の中で模範的な信仰者の姿を示そうとやせ我慢をしたのでもありません。机上のこうあるべきと言う主張を押し通しているのでもありません。パウロ自身が喜びと祈りをキリスト者として、使徒としての自分の日々の、初めからこの時に至るまで基礎としてきました。自分の中に無い喜びを作り出すのではなく、「主にあって」喜んできました。喜ぶことのできる材料が自分の状況に今あるかないかではなく、主が喜びをもたらしてくださっていて、その喜びは何によってもかき消されないから、「主にあっていつも喜びなさい」とパウロは呼び掛けるのです。
パウロは「主は近い」と言います。やがて主が再び来られ、主が為してこられた私たちを救うためのみ業が完成する終わりの時のことを、パウロは指しています。1章で喜びの祈りを述べた後にもパウロはこう述べています、「あなたがたの間で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までにその業を完成してくださると、私は確信しています。」（1：6）。救いを完成してくださる主のみ前に私たちが皆立つ時が来る、このことを見据えながら、今のことを考えるのです。
人と人との間だけが私たちの関心事ならば、争いは止むことがありません。誰かのために何かを為すことが、自分の損失、不利益になるのではないかと、いつも計算をしていなければなりません。しかし神さまのみ前にそれぞれが立つ時、全ての者は神さまによって救われなければ自分を救うことのできない者であります。その私たち一人一人をどんな罪の中からも神さまはみ子の命をもって救ってくださっている、そのことを思い起こす者には、寛容な心も与えられます。フィリピの教会は敵対する人々に外から脅かされていました。その影響を受けて、内側で一つとなることを妨げる動きが生じていました。その外の人々、内側の人々、すべての人に、あなたたちが主から与えられている他者に対する温和な心、忍耐深さを示しなさいと呼び掛けます。
主が私たちと共におられなかったら、私たちは自分の力量と知恵と正しさを絞り出そうとして、そうできないことを恐れ続けることになるでしょう。主が再び来られる終わりの時に、救いのみ業が完成されることに望みを与えられていなかったら、主が推し進めてこられた救いのみ業が、形となって現れきれていない現実に、人間の罪が生み出す悲惨さに、心乱れ続け、何事も思い煩うことでしょう。Sさんが書いておられたように、世界が空虚に思える時、私たちの内に思い煩いが満ちる時、暗闇の中に座する時があります。主が共におられ、導いてくださることに信頼が揺らぐと、一切を神さまに委ねることができなくなり、自分が自分の神になろうとします。私たちの内側の心とそこから生み出される考えは、いとも簡単に心配、不安、恐れ、闇で満ち、腐敗し、主から離れてしまいます。私たちの心と考えには、神さまの守りが必要です。あらゆる人間の理解力を遥かに超えた神さまの平和が私たちの内側を平安で満たしてくださいます。私たちは自分の視野の中で神さまに守りを求めがちです。しかし神さまが罪を赦してくださり、私たちを怒りで滅ぼすのではなく、キリストによって私たちを神の子らとしてくださった、これが、主が私たちに与えてくださる守りです。主の守りの内に安心して、どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを主に捧げ、求めているものを主に打ち明ける私たちの心にも考えにもその基礎の所にいつも、主にある喜びと平安があるのです。
自分たちの罪の結果、バビロンの捕囚となっている人々に、神さまは預言者を通して「聞け」と呼びかけました。神さまの言葉に耳を傾けて、神さまから命と存在を与えられ、この地上に生まれ出て来た時から老いる時まで、神さまが人を担い、背負い、救い出しておられるのだと、呼び掛けます。生涯を通していつも神さまに伴われ、いつも守られてきたことを、神さまの言葉に耳を傾けて知る私たちです。神の民、キリストの体なる教会と、そこにキリストによってつなげていただいている私たちの存在は、人知を超えた状況でも、絶えず神さまの守りの内に養われ、支えられています。主にある喜びと平安は地上の生涯で幕を閉じません。主の守りの内に、私たちも主と共にある足跡を残しつつ進むのです。