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１９１４年１２月２５日、第１次世界大戦が始まって初めてのクリスマス。国境を守るスイス兵の士気は低かった。兵士たちは平和と、特に家族の愛情を求めていた。
欧州諸国は戦争の真っただ中にあった。スイスは中立を保っていたが、外国軍に侵攻され、他の国へ行くための通路として使われるのではないかと恐れていた。そのため、砦（とりで）や道路の建設、そしてドイツ、オーストリア、フランス、イタリアとの国境の警備が必要だった。
「そのせいでスイスの兵士はすぐに影響を受けた。冬が近づくにつれて、彼らの士気はひどく低下した」
兵士はしばしば劣悪な環境で生活することを余儀なくされた。事実、ドイツ占領下のアルザス地方と国境を接するジュラ山脈の村々に到着した兵士たちは、泥をのけたり害虫を駆除したりしてからでなければ寝泊まりできなかったという。
兵士たちは気を紛らせるため、特製の絵はがきを書き送った。典型的な一枚がこの展覧会で展示されている。服務中の勇敢な兵士が遠くを見つめていて、雲の間には、クリスマスツリーの前で自分を思っている家族の姿があるというものだ。
戦時中の「携帯メール」
「第１次世界大戦のはがきは、いわば当時の携帯メールだった。はがきには余白があまりなかったので、たくさんは書けなかった。よくあったのは『手紙を送ったよ』というメッセージ。はがきは生きていることを伝える印だった」とヴンデルリンさん。
「どのようにクリスマスを祝ったかを描いたはがきもある。特に写真を使った絵はがきでは、兵士たちがポーズをとったものなどがあった」
このように、「軍隊のクリスマス」の絵はがき（ギャラリー参照）には、野営地でスイス軍がふるまったごちそうを楽しんでいる兵士たちの姿が見える。明かりをともしたクリスマスツリーを眺める男性たちや、乾杯のグラスを掲げる男性の姿もある。
士気を高めるためにクリスマスを祝う慣習は、兵士たちが再びスイス国境に配備された、第２次世界大戦にも続いた。展覧会で上映されるスイスのテレビ映像（第１次世界大戦時の映像は珍しい）では、戦時中、家を離れてクリスマスを祝う様子を見ることができる。
平和と穏やかさは「兵士の居酒屋」にもあった。これは１９１４年の秋に辣腕のジャーナリストで禁酒運動の推進者だったエルゼ・チュブリン・シュピラー他のサイトへが設立した飲み屋で、安価で健康的な食事を提供し、ゲームや本や便せんなどもあった。軍隊で問題となっていたアルコールは禁止されていた。このような居酒屋は、終戦時に１千軒あった。
スイス兵の生活はもちろん、英国、フランス、ドイツの兵士のそれとは大違いだった。後者の兵士たちの中には、展示されているベルギー戦線から送られた手紙に書かれているように、「負傷者の悲鳴、弾丸が風を切る音、手榴弾の爆発といった悲惨なクリスマス音楽」を聞きながら、塹壕でクリスマスを過ごさねばならない人もいた。
３カ国間のクリスマス停戦
ただ、時には兵士が率先してクリスマスを祝うこともあった。ドイツと英国の兵士が塹壕からはい出して、「聖しこの夜」などの聖歌を歌い、無人地帯でサッカーをした１９１４年のクリスマス休戦他のサイトへはよく知られている。
それほど有名ではないが、１９１６年のクリスマスイブにも、スイスとドイツとフランスの兵士が、ジュラ山脈のスイス国境にある前哨基地に集まった。この場所には、各国兵士は有刺鉄線の向こう側で咳をする音が聞こえるほど近くに駐屯していた。
当時の記録によると、テーブルには「特別な食べ物」が並び、ろうそくが飾られたという。
「２０〜３０人ほどの男性が、彼らの国の政治家たちが数年後にようやくできたことをやってのけた。それは同じテーブルを平和に囲むことだ」とその記録には書かれている。
しかし、上官たちはこのパーティが気に入らなかった。ドイツとフランスの兵士たちは間もなく別の任地に送られた。「目を見つめ合った相手を撃つことはできなくなるからだ」（ヴンデルリンさん）
銃後の守り
故郷に残った兵士の家族も、その状況でできる限りのことをした。食べ物やきれいに洗った衣類を詰めた箱が愛する人へ送られた。
しかし、戦争が続くにつれて送れるものが少なくなった。１９１５年になるとドイツでは配給が始まり、１年後には状況はより厳しくなった。スイスも１９１７年３月以降、肉などの物資の不足に苦しんだ。
それでも民間人はそれでも断固としてクリスマスを祝い続けた。保存しておいた果物や野菜が取り出され、家は飾りつけられた。クリスマスの飾りには戦争のモチーフを用いたものまであった。展覧会では、ドイツの作り物のクリスマスツリーに飾られた、ツェッペリンの飾りを見ることができる。
戦争は子どもたちのおもちゃ箱にも広がっていった。例えば、ドイツ製の子ども用ピストルや銃は、１９１４年のクリスマス当時、スイスのおもちゃカタログにも載っていた。
おもちゃには、今も昔もずっと変わらないものもあるとヴンデルリンさんは言う。「今おもちゃ屋に行っても、暴力的なものや戦争ゲームなども売られている。別の呼び方をされているかもしれないが」
展覧会では、あるフランスの負傷兵が、「ベッドで過ごす『悲しいクリスマス』でなく『戦前の楽しいクリスマス』が恋しい」と書き送った悲痛な手紙から、スイス国境を守る兵士たちに家族が愛を込めて送った手編みの靴下や小物など、心を打つ展示品が多い。
戦時中、人々は忍耐強く、また創意工夫を凝らしてきたとヴンデルリンさんは言う。「しかし（展示品から）何よりも伝わってくるのは、あの危機的な時代に、人々がいかに温かさや人間らしいふれあいを求めていたかということだ」
野戦郵便局
はがきや手紙だけでなく、洗濯した衣類や食べ物が入った小包なども配達する軍事郵便は、兵士の士気を大いに高めた。１９１４〜１８年にスイスで野戦郵便局を通じて配達された郵便物は１億９２００万件以上。一方、ドイツで同じ時期に配達された郵便物は、全種類合わせて２８７億件だった。すべて検閲の対象となった。 （出典 「悲しいクリスマス」展）
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（英語からの翻訳・西田英恵 編集・スイスインフォ）, swissinfo.ch