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ヴェッターホルン登攀
八月十二日、殿下には前田事務官、中村御用掛と共にグリンデルヴァルトにお着きになった。
翌十三日、早速弁当持参で一行はファウルホルンに登った。頂上の小屋からはベルナーオーバーランドの諸峰が一望の裡に眺められる。帰途シンメルホルン、レーチホルンなどの小岩場を経て帰った。翌十四日、チュッケン (二五二三メートル) に登る。一行は殿下、渡辺、松方、松本三君と私、案内はブラヴァンドとエミール両君、ウェストン師と中村氏は途中まで同行したが別れて帰途再びメンリッヘンにて出迎えられる。
十五日、松方、松本両君は所用でロンドンへ去り、殿下と渡辺氏、槇の三名にて、ブラヴァンドとエミール両君を案内に、ビーホルンに岩登り練習に行く。約五〇メートルほどのカミン (チムニー) 登りに殿下は興ぜられた。
十六日、アマター、フーレル、フリッツ・ストイリ、エミール、ブラヴァンドの諸君を案内にヴェッターホルン（三七〇八メートル) に向う。この日は山腹のグレックシェタイン・ヒュッテ（二三二〇メートル）に一泊した。殿下にとって、山小屋は初めてのご経験であった。この小屋は割合に大きく、小屋番がいるが、簡素なもので、ベッドも乾し草が敷いてある程度だが、清潔である。
翌十七日快晴、午前二時に起床し、軽い朝食の後三時出発。山ランプに足下を照らしながら登り、七時四十分には、頂上に立つた。一行を二組に分けた。一つはアマター、殿下、フーレル、槇、フリッツ。他はブラヴァンド、渡辺、エミールであった。このような組の編成は私として万全を考えたためであった。この一行は力量も充分なので、途中些かの渋滞もなく午前十時には小屋に帰着した。
この小屋で前夜アメリカ人の登山隊と同宿した。同じ山に登ったのであるが、私たちより遅れて小屋に下りて来た。小屋前で氷河や山々を前に日向ぼっこをしながら談笑しあった。カルフォルニアの山岳会長とかでユーモラスて元気な人であった。この人は雪眼鏡を忘れたため眼の縁を炭で黒く隈取りをしていた。バターを燻した炭で眼を隈取りすると雪盲を防げるとは聞いたが初めて見たのであった。私はたいへん似合うからお国まで消さずに帰ったらなどと言うと、女房が喧ましいから駄目だなどと互いに一山登って来た満足で冗談を交わし合った。この眼の隈取りがどれほど雪盲を防げるか怪しいものであるが、太陽の強い光線から目を守るため古代のエジプト人も行なったとか。幾千年後の今日でも、人間の初歩的に思い付くことは同じらしい。登山用雪眼鏡は色ガラスを使うが、中にはガラスの代りに薄い金属板に細い切れ目を入れたものもあった、しかしこれは吹雪に会うと役に立たない。
この会長とはツェルマットで再び出会った。ハーバード大学生という凛々しい二人の青年を連れて来て、私にこの仲間とマッターホルンに登りたいが何う思うかと聞かれ、申分ないと思うと答えた。二、三日の後、山から下りて来た会長を出迎えると、手を振ってもうあんな山には二度と登らないという。初老の人には岩登りがくど過ぎたのであった。殿下がアメリカ経由で御帰国のときこの会長はランチを仕立てて日の丸を振って見送ったとのことである。
その後、観光団に加わって来日したので、私は直ちに秩父宮邸に案内した。殿下には思い出も楽しく何彼とご歓待されたのであった。