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今日のスイスで、イタリア人は移民のなかで最も大きな割合を占めている。第２次世界大戦後から２０００年までに何十万人ものイタリア人が季節労働者としてやって来たが、スイスでの就労条件は必ずしも人道的とはいえなかった。ザンクト・ガレンで開催中の写真展は、そんな当時の季節労働者の日常を写し出す。
第２次世界大戦後の経済成長期に労働力不足に悩んだスイスは、１９４８年にイタリアと二国間協定を締結した。スイスの目的は二つ。不足する労働力を補うためにイタリア人を雇用すると同時に、彼らの定住を防ぐことだった。
季節労働者に対する規定は厳しかった。定められた就労滞在期間は最長で９カ月。その期間中、季節労働者にはスイスの社会保障制度が適用されず、イタリアから家族を呼び寄せることも認められていなかった。また、「ゲストワーカー」として仮設バラックでの暮らしを強いられ、スイス社会の片隅で生活していた。後にはイタリアの他に、スペインやポルトガルからも季節労働者がスイスに来るようになる。
当時のスイス経済にとって外国人の雇用は必要不可欠とみなされていたが、外国人労働者が増加するにつれ、スイス国民の間で不満は高まり、外国人労働者に対する寛容さは徐々に失われていった。こうした不満は、６０年代と７０年代にいくつかの反外国人的なイニシアチブへと発展。それらの矛先が向かったのは、人数が最も多かったイタリア人だった。５０年は１４万人だったのが、２０年後には６０万人へと急増した。
増加につれてイタリア人学校や数々の団体、クラブなどが作られていった。毎年、多くの季節労働者が帰国したものの、大半はスイスに残り、今日では３０万人のイタリア人がスイスで暮らしている。当初は、見習いの労働者が多かったが、今日では大学を卒業後により良い将来を求めて多くのイタリア人がスイスへやって来ている。
団体「Ricordi e Stima（思い出と価値）」が企画する、ザンクト・ガレン歴史民族博物館他のサイトへで開催中の写真展は、当時のイタリア人労働者の日常を回顧。展示作品は、イタリア語圏のスイス公共放送（RSI）のジャーナリスト、ラニエロ・フラティーニさんによって７０年代と８０年代にザンクト・ガレン州にて撮影された。写真展は、今月の２９日までの開催されている。
（写真・Raniero Fratini 文・Stefania Summermatter 翻訳・説田英香）