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Thursday, November 07, 2013
平和への権利国連宣言のために
７日は在ジュネーヴのコスタリカ代表部に招かれて平和への権利国連宣言づくりのための戦略について大使と協議してきた。コスタリカ代表部の各部屋の壁にはたくさん絵画がかけられていた。大使の父親の作品だそうだ。油彩と、綿糸織物。父親がアーティスト。その絵画に描かれた鳥、ケツァールの話や、軍隊のない国家２７か国調査のためにコスタリカを訪れた時の話、サンホセやプンタレナスの話をひとしきり。平和への権利宣言作りの件は、国連人権理事会の作業部会長としてこれまで重ねてきた外交交渉を踏まえて、現状とこれからを伺った。２つの意味でブロック作りを考えてきたと言う。一つは、宣言草案への賛成国をブロックごとに増やす。例えばアセアン宣言にright to peaceが盛り込まれたので、アセアン諸国にアプローチした。ところが、アセアン宣言にright to peaceを入れることに賛成しても、それぞれの自国内ではそのつもりがなく、国連宣言にも積極的でない国もあるという。もう一つは、時期をまとまりで考えることで、２０１２～１４で、まずは考えてきた。その次は２０１８まで、という形。日本からの情報として、１９４６年憲法、１９６２年星野安三郎「平和的生存権論」、１９７３年札幌地裁長沼訴訟判決（その時札幌の高校生だったこと）、１９９０年代の市民平和訴訟における連戦連敗、２００８年名古屋高裁判決といった流れを説明した。「コンセンサスか投票か」について、やはりまだまだ悩んでいるようで、詳しく聞いた。国内では民主的とはいいがたく、right to peaceを認めない国でも国連宣言に賛成の国もたくさんあるので、どこまで押せるか、どこまで妥協するかの読みはまだまだ難しいと言う。１９８９年の死刑廃止条約（自由権規約第二選択議定書）のときは投票で押し切ったが、とにかく死刑廃止条約が出来たことで、その後、多くの国が死刑廃止を実現した例や、２００７年の先住民族権利宣言の時は４か国の反対があったが、圧倒的な多数の流れを作ることが出来たことなどを参考に、あれこれ話した。拘束力のある条約と、宣言とでは違うので、宣言はやはりコンセンサス、あるいは先住民族権利宣言のように１９２のうち１８０以上の圧倒的賛成という形にしたいという。そうでないと、１２０対６０で採択しても、後々、反対国のアメリカやＥＵは「これは国際社会でコンセンサスができていない」と言い続けるからだ。このあたりは本当に難しい。１９８４年のごく簡潔な宣言、そして２０１４年の一歩前進の宣言を残しておけば、これをもとに２０４４年の世代が次のより豊かな内容の宣言をつくる手掛かりになる、と言うと、法律アシスタントのダヴィドも「将来の世代の取り組みになれば」と。一番若いダヴィドに、私と大使が、「あなたが将来世代を引っ張るんだよ」（笑）。ともあれ、この１２月にコスタリカ作業部会長作成の宣言草案が公表され、１４年２月の作業部会で逐条審議、６月の人権理事会で採択、そして冬の国連総会だ。