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栗原俊雄『戦後補償裁判――民間人たちの終わらない「戦争」』（ＮＨＫ出版新書）
国家は国民を守るという妄想に捕らわれている人間がいまだに多いが、歴史的にも、現在的にも、多くの国家は国民を守らないし、とりわけ日本国家は国民を守らない。と言うよりも、国家は国民を殺す、と言うのが歴史の真実だが、それはここではおいておこう（前田朗『国民を殺す国家』耕文社）。
著者は毎日新聞記者で、『戦艦大和』『シベリア抑留』『遺骨』『特攻』などの著書がある。１９６７年生まれと言うことだが、この分野では大ベテランと言ってよいだろう。
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第一章 「一億総懺悔論」の誕生と拡大
第二章 大空襲被害者への戦後「未」補償
第三章 シベリア抑留と「受忍論」
第四章 「元日本人兵士」たちの闘い
第五章 置き去りにされた戦没者遺骨
第六章 立法府の「不作為」
第七章 終わらない戦後補償問題
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いくつもの戦後補償裁判の経過を追いかけながら、戦後日本という国家の無責任を明るみに出し、批判する好著である。非常によく取材、調査しているし、まとまっていて読みやすい。
さまざまな戦後補償要求に対して、日本政府（行政も国会も）は被害民間人の要求をはねつけ、裁判所もこれを正当化してきた。軍人・軍属については政府と本人の間に特別の関係があったとして目が飛び出るような巨額の補償をしてきたが、民間人に対しては、ほとんどの要求を退けてきた。ごく一部、被爆者や沖縄などを除いては。
その理論が、戦争に際しては国民すべてが被害を受忍しなければならなかった、という受忍論である。日本政府も最高裁も受忍論を盾に、補償要求を否定してきた。原告及び弁護士たちは懸命になって受忍論を突き崩す努力をしてきたが、壁はとてつもなく厚く高い。
実のところ、受忍論は「法理」ではない。憲法にも法律にも書いていないし、諸外国ではこのような暴論は認められない。戦争を起こした国家の責任において、巻き込まれた被害者の苦痛に一定の補償を行うのが常識だ。著者は本書で、受忍論を「冗談のような法理」「破たんしている」と何度も何度も、いやというほど何度も強調している。その通りである。
それではなぜ、破たんした、冗談のような受忍論がまかり通るのか。著者は、そこにはあまり踏み込まない。
理由の第１は、法理ではないからだ。法理ならば、弁護団の懸命の努力によって乗り越えてきた。乗り越えても、批判しつくしても、崩れ去っても、なお高々と聳えているのは、受忍論が法理ではないからだ。これは明治憲法以来の棄民思想、愚民思想の表現であって、日本国憲法とは何の関係もない。政府にとっても裁判所にとっても、つまり日本の政策決定エリートにとっては、一般庶民が死のうと苦しもうとどうでもいいことである。ただそれだけのことだ。
第２は、補償を受け取れるのはお仲間だけと言うことだ。法理ではなく、彼らの掟なのだ。戦争を起こした天皇制国家の政治家、軍人、官僚の掟なのだ。軍人・軍属に巨額の補償がなされているのは、日本の国家犯罪の尖兵だったからだ。国と軍人・軍属が特別な関係にあったというのは、雇用関係のことではなく、「共犯関係」のことだ。侵略戦争の共犯者たちが国家財政をむさぼり、食い荒らしているのだ。軍人恩給・補償とは人類史上最大の犯罪ビジネスであって、ビジネスだからライバルを蹴落とすのは当たり前。空襲被害者には一円たりともわけてやらない。
著者はこうは書いていないが、こう判断ができるだけの材料を丁寧に紹介している。