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スイス人が1956年に、世界で最初にローツェ（Lohotse、8501メートル）登頂に成功した。
同時にエベレストの登頂にも英国に続いて世界で２番目に到達した。この偉業の50周年を記念して、首都ベルンで特別展が開かれている。
ローツェはエベレストの南、ヒマラヤ山脈に連なる。フリッツ・ルフジンガーとエルンスト・ライスが世界で初めてローツェの山頂に到達したのは５月18日。エルンスト・シュミットとユルク・マルメット率いる11人の登山隊が世界で２番目にエベレスト登頂(8848メートル)に成功したのは５月23日だ。５月24日にはシュミットらに１日遅れてハンス・ルドルフ・フォン・グンデンとデルフ・ライストもエベレストの登頂に成功した。50年前の５月、スイスは冒険家たちの偉業に湧きかえった。
周到な準備と友情
1956年７月８日、彼らがチューリヒの空港に着いて飛行機を１歩出ると、そこは国のヒーローを迎える歓喜で包まれていた。スイス国内のみならず、彼らが相次いで成し遂げた業績は、世界中のメディアの一面を飾った。
スイスアルプス博物館では、50周年を記念して、保管してあった沢山の写真や当時使われた道具を一般公開している。スイスアルプス研究基金によるエベレスト及びローツェ登山隊は、非常に入念に行われた準備によってこの成功を勝ち取った。
当時、登頂のための道具の重さはなんと10トン以上。これらが細心の注意を払って組み立てられ、厳しい条件に対応できるかどうか、食肉保存用の冷凍庫の中などで入念にテストが行われた。
登山隊は過去のヒマラヤ登頂者の経験についても研究を重ねた。スイスアルプス研究基金は、「周到な準備と、登山隊の一人ひとりをつなぐ友情が登頂の成功を可能にした」と述べている。
登山とサイエンス
登山隊は、インド経由でネパールに入り、ヒマラヤ山脈のネパール側から山頂を目指した。1956年３月３日のことだった。当時の様子をいくつかの写真で見ると、現地の人々が牛車を引いて、彼らの荷物を運んでいる。チサパニ(Chisapani)から3860メートルのスヤングボチェ(Thyangboche)寺院までは、350人の荷物運搬人が雇われ、25キログラムの荷物を背負い、20日の行程を酸素の薄い標高で苦労しながら進んでいった。
この大規模な登山隊がベース・キャンプにやっとたどりついたのは、標高5450メートルのクンブ(Khumbu)氷河だ。４月７日のことだった。登山隊の目的は登頂だけではない。もう１つ、科学的調査を持ち帰るということも重要な任務だった。このため、登山隊には雪氷学者のフリッツ・ミューラー、化学者であり酸素の専門家でもあるユルク・マルメット、医者のエドアルト・ロイトルトらも参加していた。
メディアとビジネス
ベース・キャンプに一旦、落ち着くと、登山隊はいよいよ世界の屋根の登頂の準備に取り掛かかり、氷河の割れ目を渡るための金属のはしごを用意した。このベース・キャンプからはローツェの素晴らしい眺めを堪能できる。
7000メートルを超えると酸素ボンベが必要だ。エベレストの山頂では、酸素は平地の４分の１しかなくなってしまう。
このレベルの登頂になると、軽くて性能のよい酸素マスクとタンクが不可欠だ。それでも天候が悪ければ登頂は諦めなければいけない。
展示されている写真の中には、ローツェ登頂を成し遂げた瞬間のエルンスト・ライスの勇敢な角ばった顔を見ることができる。彼は厚い毛皮の帽子をかぶっている。気温は零下30度だ。
また他の写真では、アヒルの羽のダウンジャケットを着ているフリッツ・ルフジンガーの姿もある。彼の右側にはためくのは、アイスピックで留められたネパールとスイスの旗だ。
このスイス登山隊の登頂成功は、登山以外の意味でも新時代の幕開けとなった。エベレスト登頂はメディアとビジネスの格好の材料となったのだ。スイスの靴の代表メーカー、バリーは「世界を制した毛皮ブーツ」を新聞の一面を使って大々的に宣伝した。ヴァンダー(Wander)社が売り込むのは、蒸留モルトの粉末飲料、オフォマルティン(Ovomaltine)だ。この製品は登山家のお供をした。同社は、この製品と共に登頂をイメージした合成写真が取れるサービスまで始めた。
swissinfo、ウルス・マウラー 遊佐弘美（ゆさひろみ）意訳
キーワード
ローツェは世界で４番目に高い山。
世界最高のエベレストに最初に成功した英国に続いて、スイスは第２回、第３回の登頂に成功した。
補足情報
スイスアルプス博物館での特別展は８月13日まで。インフォボックス終わり