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スイスの首都ベルンの旧市街には、さまざまな石像をあしらった噴水がある。駅から町の真ん中を走るシュピタル通りを進むと、牢獄塔の先に立つアンナ・ザイラーの噴水が現れる。噴水のモチーフになったこの女性をご存知だろうか。このコンテンツは 2004/06/16 15:48
ザイラーはかつて、ベルン一金持ちの未亡人だったが、全財産を投じて、ベルンで病院を建てるための基金を設立するよう1354年に遺言状を書いた。噴水は、この女性の功績を称えて造られている。
今年で基金設立６５０周年を迎えるベルン大学病院のインセルホスピタルは現在、約4万人の患者が入院している。外来患者の数は年間20万人余りに上る。同病院は、これまで歩んできた軌跡や健康にまつわるさまざまなイベントを催す予定だ。
遺言で公益に
ザイラーが遺言状のペンを執ったのは亡くなる6年前の1354年のこと。ベルンのある病院で経営に携わっていた夫はすでに病で他界し、財産は全て彼女が相続していた。
「死は誰にでも訪れるものであり、いつやってくるか誰にもわからないもの・・・、残された財産で病院を建ててほしい。そこで治療を必要とする貧しい１３人の患者に、彼らを看る人を3人付けてほしい」。自分の遺志をそう文面に書いた。
ここに出てくる１３人の患者は、特定の人たちを指しているのではないという。キリストと１２人の弟子を合わせた数から出てきたといわれる。ザイラーが投じた私財の総額は明らかになっていない。
ザイラーの財産遺贈は疾病が流行った当時、特別に珍しいことではなかった、とスイス連邦記録保管局のニコラス・バラスさんは指摘する。「未亡人たちは当時、自分達の財産を教会に寄付していたもの。ザイラーが他の人と違ったのは、基金を設けて自治体に管理や運用を任せた点だ」と話す。
ザイラーが亡くなった1360年に建てられた最初の病院には、彼女の名前が付けられていた。しかし、100年も経つと、「貧しい者を救ってほしい」という彼女の遺志は忘れ去られ、金持ちのための老人ホームになっていた。
やがて、１６世紀の宗教改革の時代がやってくると、彼女が望んだ遺志を尊重しようという機運が当局で生まれ、治療を受けるお金が払えない人にも再び門戸が開かれた。
1884年にベルン市内の現在の敷地に病院を移して、現在に至る。
スイス国際放送 ファイアル・ミルファ 安達聡子（あだちさとこ）意訳
補足情報
ベルン大学病院のインセルホスピタルは現在、年間で約20万人の外来患者が訪れる。End of insertion
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