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レマン湖とエンガディン
秋の探まるとともに、私はグリンデルヴァルトを去ってジュネーヴやモントロウのレマソ湖畔に暫く住んだ。ジュネーヴの国際連盟には新渡戸稲造先生がおられ、尊敬と衆望とを集めておられた。新渡戸先生の『武土道』と岡倉天心先生の『茶の本』と、小泉八雲先生の著書はこの時代、欧米人に広く読まれた日本の書物であった。
レマン湖東岸のシヨン城の思い出は先に語ったが、その後方に連なるダン・デュ・ミディの山々は、詩人エミール・ジャヴェルが生涯その熱情を捧げた山であったし、ジェネーヴはルソーに縁り深く、また短い生涯を終えた哲学者A・F・アミエルは、澄み切った空と、輝かしい太陽と、夜の星と山々とを讃えて余すところがなかった。私はレマン湖畔を去って、東部のエンガディンに行った。此処はウィンタースポーツで有名なサンモリッツのあるところである。サンモリッツの冬は華やかなものであった。町にセガンティニの美術館があり、また個人の蒐集家があった。ロマンティックな彼の絵画は、またエンガディン高原の風物詩でもある。サンモリッツから谷一つを越えたムライという山を彼は愛したが、そこからは、この地方最高のピッツ・ベルニナ（四〇五五メートル）を主峰として、高原を取り巻く山々を一望の下に眺めることができる。この高原の最も勝れた区域は、西に拡がるオーバーエンガディンである。鋭い峰々に囲まれた高原もシルヴァ・プラナの小湖も一望の広い、雪原となって冬の空は高く晴れ渡り、私は馬橇に乗って走った。その雪原に小さな村が雪に埋もれて眠っていた。それはシルスマリアの村で、ニイチェが愛し長く留っていた寂れた宿がある。孤独な漂泊老ニイチェが、超人の理想へと歩んだ土地である。
一九二一年(大正十年)、エンガディン高原も春めいて来た頃、私はサンモリッツ近くのポントレシナから小さな電車に乗って、南のイタリアに出た。電車はベルニナ峠(二九三〇メートル)を越えると道は真南に開けた谷を一散に下る。谷は峠から遥か遠方まで見通しが利いて明るく、空は浅黄色に霞んでいた。シンプロンにしても、ゴットハルトにしても、みなトンネルで過ぎるのであるが、このベルニナ峠は、偏僻の取り残されたものだけに趣は深い。
私はイタリアに出てロンバルディアの野を歩き廻った。イタリアのアルプス山麓にも美しい湖水が数多くある。またトリノは古典的な美しい町であるが、丘の上にイタリア山岳会の建物があり、この丘から西北に見るアルプスの眺望は素晴らしいものであった。