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原爆投下直後、初めて広島を訪れ救助活動を行った外国人、赤十字のマルセル・ジュノー博士は「広島の恩人」として知られる。
広島では毎年、6月に行われるジュノー記念祭でその功績が祝われ、平和公園には記念碑が建立されている。博士の長男ブノワ氏（ジュネーブ在住）にヒーローだった父親について語ってもらった。
当時、赤十字国際委員会（ICRC）駐日主席代表だったジュノー博士は原爆投下から１カ月後の1945年9月8日に現場を訪れた。広島の惨状を前にして、連合軍司令部から15�dもの医療品を送らせ、自らも医療救援活動に当たることができたのは彼の過去の功績のお陰だったとも言える。
マルセル・ジュノー博士については詳しくは「ヒロシマの恩人 ジュノー博士の功績」をご覧下さい。
swissinfo: 昨年は「ジュノー生誕100周年祭」で日本を訪れたと聞きましたがどうでしたか？
ブノワ氏: やはり、大変感動的でした。実は昨年で3回目の訪日でした。1回目は1979年、父の記念碑が建立されたときに招待されました。2回目は1991年、日本テレビが父に関するドキュメンタリーを作った時に訪れました。それ以来、常に日本に魅了されてきました。
日本人の過去の記憶を忘れない能力は凄いと思います。それを現在の糧にしているのが特徴ではないでしょうか。そこが、西欧とは違うと思います。
swissinfo: 日本ではジュノー氏はどのように受け止められているのですか？
ブノワ氏: 英雄として受け止められているようです。もちろん、僕にとっては父親ですから永遠のヒーローですけれど（笑）。
日本では、父が「異例なことをした」と認めてくれているようです。自ら原爆を投下した米国から日本宛に医療品を送らせることができたのは、彼の過去の功績のお陰でした。父は旧満州で日本軍の捕虜だった英雄ウェンライト中将の安否を確認したため、交渉を受けあったマッカーサー総司令官（将軍）は、父に借りを感じていたのです。
スイスでは始めは「彼は自分の仕事を遂行しただけ」と言われていました。しかし、その仕事を当時の状況と照らしてみると、決して簡単なことではありませんでした。60年たって、やっとそれが認められたようです。
今、考えてみると父は赤十字の中立性を象徴する仕事を見事にこなしたと言えます。何故なら、戦争が終わった1946年、米国は父が米国人の戦争捕虜に施した仕事に敬意を表して、自由記章を与えようとしました。これを当時、スイス外務省は「将来、スイス軍人になる者に対する外国からの勲章は認められない」（注：スイスは国民皆兵）として断っています。もう一方、敵国だった日本からは記念碑が建てられたわけです。これは、赤十字の中立な立場を守り続けたという証明ではないでしょうか。
swissinfo: お父さんから広島での辛い体験を聞かされましたか？子供時代にはどのような思い出がありますか？
ブノワ氏: もちろん、沢山聞きました。そのうえ、直接聞かなくても、父が友人と話しているところ、書斎の机の上にあった長崎の被爆者の写真などが常に身の回りにありました。
5歳の時、肺の病気で山小屋に療養に行っていた時のことです。庭で遊んでいた時、そこを通りかかった英国人夫妻が「何をしているの？」と聞きました。私は「雪で小屋を作っているんだけど、頭では広島、長崎の原爆にあった被害者のことを考えている」と答えたのだそうです。驚いた夫妻はドアをノックして母親に報告したと語り継がれています。
swissinfo: 広島での体験はお父さんにとってどういったものだったのでしょう？
ブノワ氏： 人生の中で最も辛い体験だったでしょう。生涯で最も、激しい感情を受けた５日間だったようです。もちろん、医師として訓練されているため人間が苦しむ姿を見るのに慣れていたのでしょうが、広島で見た惨劇は頭に焼きつき、一生忘れることはなかったようです。
その後も核兵器に関する嫌悪感が焼きつき、米ソで核実験が行われた1950年代にはテレビインタビューなどで激しく糾弾していました。これは、彼の人生の中でも中心的なものとして残りました。残念ながら、それ以降、核兵器に関する問題は前進が見られませんがね。
swissinfo: お父さんはどういう方でしたか？
ブノワ氏： とても優しい、良い父親でしたよ（笑）。今でも病院の匂いがすると父を思い出します。父は独学でピアノを習い、病院から帰ってくると長いこと弾いていました。
人との意思疎通に長けている人で動物にもその魅力が通じたようです。いい例として、よく野生動物を手なずけたりしていました。今でも父と野生のカササギがソファに座って話し合っている写真が残っています。
swissinfo、 聞き手 屋山明乃(ややまあけの)
補足情報
マルセル・ジュノー博士（1904年〜1960年）
＜ジュノー博士に関する日本での文献＞
- マルセル・ジュノー著『ドクター・ジュノーの戦い』丸山幹正訳、1981年勁草書房出版、1991年再版。
- マルセル・ジュノー著『広島の残虐』丸山幹正訳、1974年国際平和研究所出版
- ドキュメンタリー映画『第三の兵士』田辺昭太郎監督、1995年
- 大佐古一郎著『ドクター・ジュノー 武器なき勇者』
- マルセル・ジュノー著『ドクター・ジュノーの戦い』1991年再版、丸山幹正訳、勁草書房。
- 今年の9月には日本で先に1974年に国際平和研究所から翻訳出版された、ジュノー博士の手記『ヒロシマの残虐』が赤十字国際委員会から再出版される。この際、日本赤十字社の名誉副総裁である、皇太子殿下が序文を書かれる。
- ジュノー氏については日本テレビ「知っているつもり」で1991年に全国放映された。