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故国の山に帰る
私は故国の山で育ち、いろいろの登山を経て、また故国の山に帰って来た。ヒマラヤを除いて、概ね戦前の登山であった。その時代は今に比べて、何処の国の人ももっと時問を多く持っていた。スピードが人々を追い捲くることなく、多くは自分のぺースを持っていた。たしかに時勢は激しく変って、世界は狭くなった。私の友人は朝食をスイスの山村にとって、夕飯はニューヨークであったと語った。人々は山に登るにもスピードに付き纏われる。そして騒音は山の奥にまで谺することが多くなった。川や谷や森をおおっていた沈黙は深く沈潜して、私たちから遠ざかってしまった。私の山旅の日は去ろうとしている。
このようなときに、私はさらに何を希望することが許されるであろうか。せめて私は、一歩退いてこの圏外に立って、去り行く山のしじまにいきづきたい。
一昨年（昭和四十一年）の秋、劒岳山麓の馬場島を訪ねた。紅葉の谷は暮れて宵闇が迫る頃、劔の頂はまだ夕陽に輝いていた。それは今日の終焉と明日への希望を繋ぐ寂光であった。