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欧州国連本部前広場の改装が約3年間の年月を経て完了し、ジュネーブ市は3月29日、スイス大統領ミシュリン・カルミ・レ氏を来賓として招き開幕式を行った。
ハイテクでシンプルなデザインに生まれ変わった広場に、1本足の欠けた彫刻作品「壊れた椅子 ( Broken Chair ) 」も戻ってきた。
国連広場の敷石には虹の色に近い8色の石が選ばれ、コンクリートの間にはめ込まれている。これは多様な国の多様な文化の豊かさを象徴しているという。その間には7列に並んだ計84個の噴口から垂直に噴き出す水が、コンピュータによって操作され様々な形を作り出している。周囲には異なる角度から見た地球の形が浮き彫りにされたコンクリートのパネルが並んでいる。広場はこうしたシンプルな要素で構成されすっきりと広がりのある空間になった。
椅子の新しい意味
工事前にすでにあった巨大な12メートルもある「壊れた椅子」もこの広場に戻ってきた。国連の建物と向き合うように設置されている。「国連をにらんでいるのではありません。国連と対話しているのです」と作者のダニエル・ベルセ氏。
長年椅子を作品のテーマにしてきたベルセ氏にとって、椅子とは「対話し、時に力を誇示する人間そのもの」を意味する。1本足のない椅子は片足を失った人間、特に地雷の犠牲者を表している。対人地雷の禁止を支持するNGO「「ハンディキャップ・インターナショナル ( Handicap International ) 」のスイス支部の事務局長ポール・ベルムロン氏はベルセ氏に椅子の制作を依頼し、1997年8月に国連広場に設置された。
122カ国が「対人地雷全面禁止条約」に調印したのはその年の12月であった。「壊れた椅子は禁止条約に至る過程を見つめ、支持してくれたのです」とベルムロン氏。
2004年6月以来、取り外されていた「壊れた椅子」が広場に戻ってきたのは工事終了直前の2月26日。「クラスター爆弾禁止条約」に向けて46カ国が「オスロ宣言」を採択した3日後であった。
「クラスター爆弾が炸裂した後に残った不発弾は地雷と同じ脅威をもつ」と考えるベルムロン氏は再設置をジュネーブ市に願い出た。2008年の禁止条約成立まで、再びこの椅子が勇気を与えてくれたらと願う。
人権の街、ジュネーブ
広場にはもう1つ人目を引くものがある。フランスの外交官で1948年に採択された「世界人権宣言」の草稿者の1人といわれるレネ・カッサン氏の肖像写真が地球の形を浮き彫りにした１つのパネルの裏に取り付けられている。
ジュネーブ市は昨年「国連人権理事会」誘致に成功した。それに奔走したカルミ・レ大統領も、開幕式で「国連人権理事会が有効に機能することを願う」と語ったように、ジュネーブ市は人権擁護の街としてカッサン氏の写真を象徴的に広場に設置した。
しかし、当時この「世界人権宣言」の草稿委員会と人権委員会の会長を務めていたのは実は故ルーズベルト大統領の妻であるエレナ・ルーズベルト氏であった。このためカッサン氏の写真のみを飾るのは不公平で事実を捻じまげていると批判が起こっている。
ジュネーブ市はこれに対しルーズベルト氏の肖像写真を国連広場か少なくともジュネーブ市のどこかに飾る計画を余儀なくされているという。国連広場の改装はまだ完全には終了していないようである。
swissinfo、 里信邦子 ( さとのぶ くにこ )