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今年は、ジュネーヴ生まれの哲学者で思想家、作家かつ作曲家ジャン・ジャック・ルソーの生誕300周年ということで、数多くのイベントがスイス各地で行われている。18世紀半ば、当時としては斬新な思想や活動、生活スタイルを貫き、後にフランス革命や世界の民主主義運動に大きな影響を与えたルソーの足跡をたどり、見直す年とも言える。
普段から私がお世話になっているポラントリュイガイド協会は、毎年、スイスやフランスに研修旅行をしているが、今年はビエンヌ（Bienne・フランス語表記／ドイツ語表記ではビールBiel）湖に浮かぶサン・ピエール島（L’île de St-Pierre・フランス語表記／ドイツ語表記ではSt. Petersinsel）を訪れることにした。ご存知の方も多いと思うが、この島にはルソーが一時的に滞在していた。
フランスで著述・発刊した著書が反体制・反宗教的と見なされ、逮捕状が出たため、ルソーは1762年から1765年までスイスで亡命生活を送った。彼は生まれ故郷のジュネーヴには戻らず、他の土地を転々とした。1765年7月3日から約10日間、そして同年9月9日からベルンより退去命令が出る10月26日まで、二度に渡り、サン・ピエール島で束の間の休息期間を過ごし、「……（滞在は）わずか二ヶ月しか許されなかったが、二年、二世紀、そして永遠にいたとしても少しも退屈しないだろう……この二ヶ月は生涯で最も幸せな時期であった……」と、遺作となった「孤独な散歩者の夢想」の中で述懐している。傷心のルソーは、この後、ビエンヌ市内で二日間過ごした後、バーゼル、フランスのストラスブールを経てパリに戻り、年が明けてからイギリスに渡った。
私達ガイド一行は車でビエンヌ湖畔の静かな村ドゥアンヌ（Douanne・フランス語表記／ドイツ語表記ではTwann）に行き、そこから定期船に乗った。その日はあいにくの天気で、小雨が降ったり止んだりだったが、島の船着場からルソーゆかりの地への行程では、深い森が雨を阻んでくれた。先ほど「ビエンヌ湖に浮かぶサン・ピエール島」と書いたが、正しくは「ビエンヌ湖の中に突き出した半島」である。元々は島だったが、1873年にジュラ三湖（ビエンヌ、ヌーシャテル、モラ : Morat ・フランス語表記／ドイツ語表記でムルテン / Murten）にて大規模な水路補修が行われると、ビエンヌ湖の水位は約2,5m下がり、島はセルリエ（Cerlier・フランス語表記／ドイツ語表記ではErlach）村にて陸地と繋がった。セルリエからサン・ピエール島中心部までの道はフランス語で「異教徒（もしくは不信心者）の道」（Chemin des Païens）と呼ばれる徒歩一時間ほどの遊歩道で、車両の通行は禁止、散歩やサイクリングを楽しめるように整備されている。途中、「ウサギの島」という場所がある。島という名の通り、元々、水路補正前はやはり小さな島だった。それが、補正後に陸続きになり、隣のサン・ピエール島とも繋がった。驚いたことに、ルソーが連れて来たウサギがこの一帯で繁殖し、野生化しているそうである。ヌーシャテル自然史博物館によると、スイスで初めてのペット野生化成功例ということだ。ルソーはこの当時の島のことを「ウサギにとってとても衛生的で、何の心配も害もなく、安心して繁殖させることができた」と回想している。私達は残念ながらウサギには出会わなかったが、サン・ピエール島をゆっくり散策する機会があったら、是非ルソーが可愛がったウサギ達の末裔を探してみて欲しい。
また、水没していた部分が現れたことで、青銅器時代からの地層が露出して様々な遺跡が発見され、結果として豊かな考古学研究の場を生み出した。昼食を取ったホテル・レストランの入口には、ローマ時代の支柱、7世紀末の石棺など、様々な時代の発掘物が並べられ、ミニ歴史博物館といった趣であった。ここは9～10世紀にクリュニー会の修道院として建てられた建物で、サン・ピエールという島の名は、クリュニー修道会の守護聖人の一人、ペテロから来ている。2010年度「歴史的ホテル」賞を受賞したこのホテル・レストランは、中庭を囲んで数多くの小部屋があり、中世のワイン倉など、様々な時代様式の雰囲気を楽しみながら食事ができる。湖で獲れた魚、島の農家より買い入れた牛肉、地ワイン（葡萄畑は島の約三分の一を占める）など、土地の食材を使用した自然志向の料理が美味しい。
1528年、クリュニー会修道院が廃院になった後、この歴史的建築物は俗用され、ベルン有産階級者病院の所有となった。ルソーが滞在した当時は会計係が家族や使用人達と住んでいた。現在、ルソーの部屋をそっくり再現しており、建物の他の部分も含めて無料で見学ができる。部屋は明るく広く、暖房設備もあり、快適であっただろうと想像する。また、水路補正前は窓のすぐ近くまで湖岸が迫っていたから、ルソーは部屋に居ながらにして、美しい水辺の景色を眺められたわけだ。穏やかな日には、一人ボートを漕ぎ出し、湖の真ん中で手を休めて空を見上げ、何時間もそのまま漂っていた。夕暮れが近づき夢想から覚めたが、ボートが島から遠く離れていることに気づいたため、全力でボートを漕いでようやく日没前に島に着くことができた、ということもあったそうだ。（以上、回想部分は著書「孤独な散歩者の夢想」中、「第五の散歩」の章より意訳）
薄幸の少年時代を経た後、男爵夫人の庇護のもと高い教養を身につけ、恋愛小説やエッセイ、教育から政治思想まで、幅広い分野の著作を残した。作曲者としても才能を発揮（日本では「むすんでひらいて」が有名である）、今で言う「マルチ」な知識人として名声を極めながら、政教権力者の怒りに触れたことで亡命に次ぐ亡命。文字通り波乱万丈の生涯を送り、頂点からどん底まで味わった男がこれまでにないほどの癒しを感じた島、サン・ピエール。静かな波がひたひた打ち寄せる湖のほとりを離れると、島の三分の一を占めるという、うっそうと茂る森林に入る。そこを抜け出るとにわかに明るく開け、牧場や農地、小高い丘を埋めつくす葡萄畑が広がる。さらなる静寂が支配していたであろう250年前、絶妙なコントラストを描く大自然と牧歌的風景は、老境に差し掛かり、亡命生活に疲弊し切ったルソーにとって、最初で最後の理想郷だったのではないだろうか。
マルキ明子
プロフィール：マルキ明子
大阪生まれ。イギリス語学留学を経て1993年よりスイス・ジュラ州ポラントリュイ市に在住。スイス人の夫と二人の娘の、四人家族。ポラントリュイガイド協会所属。2003年以降、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」など、ジュラを舞台にした小説三作を発表し、執筆活動を始める。趣味は読書、音楽鑑賞。インフォボックス終わり