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2003年8月19日、イラク・バクダッドの国連現地本部が国際テロ組織アルカイダによって爆破された。スイスのジュネーブには、爆弾テロの犠牲となったセルジオ・デメロ国連事務総長特別代表らの慰霊碑や同氏の名を冠した財団がある。今年、デメロ氏を主人公にした映画「セルジオ」が公開された。swissinfo.chは、デメロ氏の妻カロリーナ・ラリエラさんにスカイプ上で独占インタビューを行い、事件の後日談やスイスへの思い入れを聞いた。
ブラジル出身で国連人権高等弁務官だったセルジオ・ヴィエイラ・デメロ氏がバグダッド国連現地本部爆破事件で亡くなってから17年。今年公開された映画「セルジオ：世界を救うために戦った男」によって、デメロ氏の半生に再び注目が集まっている。本作は、米動画配信大手のネットフリックスが製作し、ブラジル人俳優のワグネル・モウラが主演を務めた。作中では、デメロ氏とアルゼンチン出身のエコノミスト、カロリーナ・ラリエラさんとのラブストーリーも描かれる。ラリエラさんは、バグダッド国連現地本部で勤務中にテロに遭ったが生き残った。
デメロ氏とラリエラさんの関係は、10年にわたり裁判で争われていたが、ブラジル・リオデジャネイロの裁判所が2017年、両氏の間にシビル・ユニオン（結婚に準じた共同生活者）としての安定した関係があったことを認めた。
swissinfo.chは、ブラジルのサンパウロに住むカロリーナ・ラリエラさんにインタビューした。
ラリエラさんは全体としては映画を評価するが、好ましくない点もあると指摘する。映画の中で描かれているほど2人の物語は簡潔なものではなく、2人の関係はもっと正式なものだった。
もう1つの重大な問題は警備にまつわる場面だ。作中で、デメロ氏がバクダッドの国連現地本部から戦車をどけるよう要請したと描かれている。しかし、ラリエラさんによると、実際には戦車の撤去を決めたのは国連の上層部だった。「国連の独立性を保障するため」の決定だったという。デメロ氏のチームが担当していたのは政権移行であって、警備を担当する監督する装備部ではなかったとラリエラさんは説明した。
死後に起こった悲劇
デメロ氏の遺体はスイス・ジュネーブのプランパレ墓地に埋葬された。プランパレ墓地には、スイスの名士やアルゼンチン出身の作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスといった外国の著名人が葬られている。しかし、ジュネーブでの埋葬式にも、リオデジャネイロでの前夜式（通夜）にも、ラリエラさんの姿は無かった。しかし、ラリエラさんが出席しようとしなかったわけではない。
「私がセルジオを最後に見たのはイラクの遺体安置所でした。身元を確認するために行きました。私が呼び出されたのは、セルジオが私の名前が入った結婚指輪をはめていたからです。私達は2年以上前から結婚指輪をはめていました」とラリエラさんは当時を振り返る。
ラリエラさんによると、その時から実に多くのことが起き、ラリエラさんは夫のデメロ氏と引き離されることになった。
「私達は一緒にイラクに赴任し、一緒に出る約束をしていましたので、私はセルジオの遺体に付き添いたいと頼んでいました。それにもかかわらず、私は別の便で連れ出されました。たくさんの嘘が重ねられ、私物が取り上げられました。セルジオが同じ飛行機に乗せられると聞いたからこそ、私はその飛行機に乗ったのです。このような悲劇の中で私に嘘をつく人などいないと思っていました。しかし実際には騙されました。私が乗せられた飛行機は世界を一周しました。到着するまで3日もかかりました。さらに驚いたことに、到着した場所はセルジオのいる場所ではなく、私が15年以上も離れていた母国アルゼンチンでした」とラリエラさんは当時を思い出して感情的になった。
ラリエラさんはアルゼンチンに到着するとすぐに、ブラジル行きの航空券を買ったという。リオデジャネイロに着くと、デメロ氏の母のジルダさんが待っていたが、デメロ氏の遺体はもう無かった。
「私にわかっていることは、セルジオは母国ブラジルと故郷のリオデジャネイロを深く愛していたということです。しかるべき方法で行われなかったことがあったと思います。セルジオの遺志が尊重されなかったことが残念です」とラリエラさんは話す。
ラリエラさんの戦い
03年8月19日の爆弾テロ以降にラリエラさんの身に起きたことは、映画に出てきた以上に悪いことだった。「むしろそれからが本当の悲劇でした」とラリエラさんは言う。
「事件以降の年月は私にとって本当に辛いものでした。爆弾テロの生存者リストから外されたことから私の戦いは始まりました。事件の現場にいた私のあの日の目撃証言は捜査から除外されました。セルジオの前夜式に行くことも妨害されました。実際、リオデジャネイロで執り行われた前夜式に私は間に合いませんでした。所持品は、私達のアパートの鍵ともども取り上げられ、私は全ての私物を失いました」。爆弾テロによるPTSD（心的外傷後ストレス障害）を患ったラリエラさんを励ましたのは、ブラジルに住むジルダさんだった。
悲劇の発端
「当時の私達には婚姻関係を証明する書類が無かったため、私は何者でもないと国連は解釈したと聞かされました。セルジオの妻としてだけではなく、7年以上も国連に勤務し、労働契約に基づいてイラクに赴いた職員としてさえも、国連は私の立場を認めませんでした。私にはそのことが理解できませんでした。テロに遭い、セルジオを失い、ただの同僚ではない21人もの友人を失い、私は途方に暮れました」
国連に対する非難
ラリエラさんは、爆弾テロ後の彼女の扱いについて国連を非難する。
「国連は、女性の立場や国連職員の安全と福祉、そして何より勤務中に傷つけられた職員に対する配慮を公に掲げています。しかし、国連の実際の行動は、この宣言ほどのものではないということを私は身をもって知りました」
ラリエラさんによると、デメロ氏との間に安定した関係があったことを国連は今でも認めようとはしないという。
「全ての当事者が集まってブラジルで行われた裁判について、国連は知ることができたはずです。裁判所はセルジオと私との間にシビル・ユニオンを認定しました。それにもかかわらず、国連は20年5月まで、説明のつかない理由で、シビル・ユニオンを認めることに異議を唱えました。国連事務局の法務部を含む全ての内部手続きを調べましたが、ブラジルの裁判所の判決が認められない理由を見つけることはできませんでした。私には理解できませんし、答えも持ち合わせていません。分からないのです」
事件後、「正式な契約書類が紛失したという理由で」ラリエラさんの名前は「全てのリストから削除」されたとラリエラさんは話す。
「それは言い訳だったと今は分かります。事件を生き延びた同僚や私がなぜあのような扱いを受けたのでしょう。私達のシビル・ユニオンが国連加盟国であるブラジルによって法的に認められた今でも、国連はなぜ女性の権利やテロの犠牲者への共感に関する宣言と矛盾する行動を取り続けるのでしょう」
2人にとってのスイス
デメロ氏もラリエラさんもスイスに対して深い尊敬の念を抱いていたとラリエラさんは話す。
「スイスの生活水準は非常に高いとセルジオは常々思っていました。彼が仕事で行った国の人々が負っている苦しみとは全く対照的でした。スイスに戻るたび、任地を離れ、苦しむ人々を紛争後の場所に置き去りにしなければならなかったことにセルジオは苦悩していました。ですから、スイスは実現できたかもしれない理想の象徴だと私は思います」
セルジオへの最高のオマージュ
ジュネーブの国連人権高等弁務官事務所本部の前にデメロ氏の栄誉を称える彫像がある。しかし、ラリエラさんにとっては、デメロ氏がした個人的な選択を尊重することが何よりもの称賛だろう。そして、「（国連の）公式見解と内部の政治的立場との矛盾に終止符を打つことこそが、セルジオが抱いた理想を真に称賛する最善の方法」だろう。