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人形町二丁目三之部町会、蛎一共和会、浜町三丁目東部町会、浜町二丁目西部町会、蛎一町会自衛会、人形町一丁目町会、浜町一丁目町会
の神輿が7基で宮入しました。
この一帯は「元吉原」の遊郭のあったところである。 かって江戸の遊里は各所に分散していたが、この地は 元和三年(一六一七)庄司甚衛門が幕府の公許を得て 開いた遊郭のあった所であり、明暦の大火(一六五七) で類焼し、浅草日本堤に移転するまでの三九年間、こ の地に江戸一番の歓楽街「元吉原」が存在していた。
現二丁目-五番地にある松島神社は、昔この辺りが 海であった頃、松の生い茂った小島の中にお祀りして あったので人々が松島稲荷大明神と唱え、正徳三年 (一七一三)新町が開設される時に、社号に因んで町 名を「松下町」にしたという。
また当町会北側の通りを「甘酒横丁」というが、明 治の頃からこの横丁の入り口に尾張屋という甘酒屋が あり、甘酒の煮えている釜を腰高の台にのせ、炭火で 保温しながら売っていたという。これが「甘酒屋横丁」 といわれるようになり、後に変化して「甘酒横丁」に なったという。
参考：
江都天下祭研究会神田倶楽部
「明神様の氏子とお神輿」
武蔵野書院 2001年4月1日初版
明治初年に、それらの町を併せて「神田富山町」となりました。
町会の該当区域は、富山町全域となっています。
参考：
江都天下祭研究会神田倶楽部
「明神様の氏子とお神輿」
武蔵野書院 2001年4月1日初版
着輦祭
鳳輦・神輿を前に、行列が無事氏子町々への巡行を果たした奉告と感謝の神事。
神幸祭が無事厳かに執り行われました。
明日は、大小200の神輿が練り歩き粋でいなせな江戸っ子たちの掛け声が響き渡る「神輿宮入」です。
ライブ配信も、８時半から神輿宮入終了まで、すべてお送りいたします。
１部（８時半〜）
https://youtu.be/PSHKKMcbfdA
２部（１４時〜）
https://youtu.be/VMMwlVRQnS0
３部（１７時半〜終了まで）
https://youtu.be/F_kZ_UrTjbU
神田祭を見に来る方も、参加される方も、明日の神輿宮入をお楽しみください。
午前8時過ぎに発輦した神幸祭の行列は、約30キロの巡行を終え、神田明神境内へと戻ってきました。
夕闇の境内では、鳳輦・神輿を前に、神幸祭行列が無事に氏子の町々へ巡行してきたことの報告と感謝の神事「着輦祭」が行われています。
これで東京都108の町を巡る長い長い巡行を終え、木遣りによって「神幸祭」が締められました。
アーツ千代田3331前では、巫女舞が行われています。
アーツ千代田3331では、特別展として明日の12日（日）まで、「神田祭の元年〜変幻自在の江戸の華〜」が開催されています。
本展では、平成最後、新元号の節目の年にちなんで「神田祭」を軸に、近代・現代と氏子地域が移り変わるなか、人々が江戸の文化を受け継ぎながら工夫し創作してきたものに注目し、豊かで人情味あふれる魅力的な町の様子をお伝えしています。
平成１１年１１月１２日、天皇陛下御即位十年奉祝祭典で、皇居外苑広場において初の奉舁。
１２年５月７日、水天宮より氏子各区域を巡って神田明神へ渡御。
１３年１０月１３日、静岡県・浅間神社鎮座千百年奉祝大祭に天下祭の御縁で静岡市内を渡御。
１４年５月１２日、蔭祭の年、愛子内親王御生誕記念奉祝として、日本橋〜神社間を渡御。
さらに１６年より３回にわたって蔭祭の年に渡御。
その後も、２１年１１月に天皇陛下ご即位２０年を奉祝し皇居外苑を渡御。
さらに２３年１０月、東日本大震災復興鎮災祈願神輿渡御祭、２７年の遷座４００年記念奉祝・神田祭の時にも渡御した。
江戸時代の神田祭では2基の神輿が出され、神田・日本橋さらには江戸城内を渡御し、祓い清めた。
神輿行列は江戸幕府から費用が出され、新調と修復が行われたと伝わり、また神輿を担ぐ人々も、伝馬役という国役を担った、大伝馬町・南伝馬町の人々に限定されていたという。
現在の神田祭では神社から鳳輦2基と神輿1基が出され、氏子108町会では多くの町神輿が担がれている。