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動用字
動用字とは、漢字の要素を入れ替えた一種の異体字である。 例:秋-秌 岸-㟁 鑑-鑒 勇-勈 呪-咒 等々... ※パーツが少なく(多く)なっているものも存在する。棋-棊 島-嶋 等々...
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動用字とは、漢字の要素を入れ替えた一種の異体字である。 例:秋-秌 岸-㟁 鑑-鑒 勇-勈 呪-咒 等々… ※パーツが少なく(多く)なっているものも存在する。棋-棊 島-嶋 等々…
'''動用字'''(どうようじ)とは、漢字の要素を入れ替えた一種の異体字である。<ref>{{Cite web|和書|url=https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000271565|title=「秋」と「秌」はどちらも「あき」と読む。このように漢字の偏と旁(つくり)が入れ替わっても同じ読み方をする漢字を何と呼ぶのか?|publisher=レファレンス協同データベース|date=2020-03-26|accessdate=2023-12-24}}</ref> 例:秋-秌 岸-㟁 鑑-鑒 勇-勈 呪-咒 等々… ※パーツが少なく(多く)なっているものも存在する。棋-棊 島-嶋 等々… ==脚注== {{Reflist}} ==参考文献== *笹原 宏之『現代日本の異体字』三省堂、2003年、p.33 {{DEFAULTSORT:とうようし}} [[Category:漢字]]
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クチューカイ
クチューカイ(リトアニア語: Kūčiukai)は、リトアニアの菓子。リトアニアのクリスマスシーズンには欠かせない菓子とされる。日本語のカタカナ表記ではクーチュカイもある。 ポピーシード(英語版)(ケシの実)入りの一口サイズのクッキーであり、そのまま食べたり、ポピーシードを磨り潰して作るポピーミルク(英語版)と共に食する習慣がリトアニアにはある。 名称は「クリスマス・イブのクッキー」の意味である。
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クチューカイは、リトアニアの菓子。リトアニアのクリスマスシーズンには欠かせない菓子とされる。日本語のカタカナ表記ではクーチュカイもある。 ポピーシード(ケシの実)入りの一口サイズのクッキーであり、そのまま食べたり、ポピーシードを磨り潰して作るポピーミルクと共に食する習慣がリトアニアにはある。 名称は「クリスマス・イブのクッキー」の意味である。
[[File:Kūčiukai - iš arti.jpg|thumb|right|250px|クチューカイの例]] [[File:Aguonpienis ir kūčiukai.JPG|thumb|right|250px|グラスのポピーミルクに浸しても食される]] '''クチューカイ'''({{lang-lt|Kūčiukai}})は、[[リトアニア]]の[[菓子]]。リトアニアの[[クリスマス]]シーズンには欠かせない菓子とされる{{R|W25|茶|神田}}。日本語のカタカナ表記では'''クーチュカイ'''もある{{R|X}}。 {{仮リンク|ポピーシード|en|Poppy seed|preserve=1}}([[ケシの実]])入りの一口サイズの[[クッキー]]であり、そのまま食べたり、ポピーシードを磨り潰して作る{{仮リンク|ポピーミルク|en|Poppy milk}}と共に食する習慣がリトアニアにはある{{R|W25|茶|神田|X}}。 名称は「クリスマス・イブのクッキー」の意味である{{R|X}}。 == 出典 == {{Reflist|refs= <ref name="W25">{{Cite book|和書|page=71|chapter=リトアニア|title=W25 世界のお菓子図鑑|year=2022|publisher=[[地球の歩き方]]|isbn=978-4059207184}}</ref> <ref name="茶">{{Cite web|和書|website=[[お茶の水女子大学]]|url=https://www.cf.ocha.ac.jp/flec/j/menu/cafe/d008113.html|title=リトアニア語カフェ「リトアニアのクリスマス」|date=2020-01-06|accessdate=2023-12-24}}</ref> <ref name="神田">{{Cite web|和書|website=[[神田外語大学]]|url=https://world.kuis.ac.jp/public/reports/11384|title=月次報告書 2022-12|accessdate=2023-12-24}}</ref> <ref name="X">{{Cite tweet|user=Lithuaniajp|author=リトアニア政府観光局|number=1738035651856269737 |title=リトアニアで人気のクリスマス料理といえば「クリスマス・イブのクッキー」という意味のクーチュカイ(Kūčiukai)もその一つ。|date=2023-12-22 |access-date=2023-12-24}}</ref> }} == 外部リンク == {{commonscat|Kūčiukai}} {{Food-stub}} {{Lithuania-stub}} {{DEFAULTSORT:くちゆかい}} [[Category:リトアニアの食文化]] [[Category:クリスマス料理]] [[Category:ポピーシードを使ったペイストリー]]
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マリアンナ・トリアンタフィリドゥ
マリアンナ・トリアンタフィリドゥ(ギリシャ語: Μαριάννα Τριανταφυλλίδου, ラテン文字転写: Marianna Triantafyllidou, 1955年7月1日 -) は、ギリシャ人 元女優、元女性声優。 彼女の特徴は、ギリシャ語の吹き替えでの子供のような声です。
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マリアンナ・トリアンタフィリドゥ(ギリシャ語: Μαριάννα Τριανταφυλλίδου, ラテン文字転写: Marianna Triantafyllidou, 1955年7月1日 -) は、ギリシャ人 元女優、元女性声優。
{{複数の問題 | 特筆性 = 2023-12 | 存命人物の出典皆無 = 2023-12 }} {{声優 | 名前 = マリアンナ・トリアンタフィリドゥ | ふりがな = | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = | 愛称 = | 性別 = 女性 | 出生地 = {{Flagicon|GRE}} [[ギリシャ]]、[[アテネ]] | 死没地 = | 生年 = 1955 | 生月 = 7 | 生日 = 1 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 血液型 = | 身長 = | 職業 = | 事務所 = | 配偶者 = | 著名な家族 = | 公式サイト = | 活動時期 = 1976年 - 2011年 | デビュー作 = | 活動 = }} '''マリアンナ・トリアンタフィリドゥ'''({{翻字併記|el|Μαριάννα Τριανταφυλλίδου|Marianna Triantafyllidou}}, [[1955年]][[7月1日]] -) は、[[ギリシャ人]] 元[[俳優|女優]]、元女性[[声優]]。 == テレビアニメ == * [[魔法少女ララベル]] (ララベル) == アニメ映画 == * [[バーンヤード]] (エッタ) == 外部リンク == * [[imdbname:2500306|マリアンナ・トリアンタフィリドゥ]] - [[IMDb]] {{Greece-stub}} {{voice-stub}} [[Category:ギリシャの女優]] [[Category:ギリシャの声優]] [[Category:1955年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:アテネ出身の人物]]
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正月テレビは人間テレビ
『正月テレビは人間テレビ』(しょうがつテレビはにんげんテレビ)は、1989年の正月三が日を使って、毎日17時30分から翌日3時まで生放送されたNHK総合テレビジョン(NHK衛星第2テレビジョン同時放送)の特別番組である。 同番組は、1月1日「日本」、1月2日「地球」、1月3日「人間」を中核のテーマとして、そのテーマに沿った特別番組(ドラマ、教養ドキュメンタリー、トークバラエティーなど)を連日9時間半集中編成、特に午前0時30分から3時まではNHK衛星第1テレビジョン『ワールドニュース』とのコラボレーションによる同時生放送も行われたほか、『春日局』が、1967年の『三姉妹』以来22年ぶりとなる大河ドラマ元日生放送からのスタートとなった。
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『正月テレビは人間テレビ』(しょうがつテレビはにんげんテレビ)は、1989年の正月三が日を使って、毎日17時30分から翌日3時まで生放送されたNHK総合テレビジョン(NHK衛星第2テレビジョン同時放送)の特別番組である。 同番組は、1月1日「日本」、1月2日「地球」、1月3日「人間」を中核のテーマとして、そのテーマに沿った特別番組(ドラマ、教養ドキュメンタリー、トークバラエティーなど)を連日9時間半集中編成、特に午前0時30分から3時まではNHK衛星第1テレビジョン『ワールドニュース』とのコラボレーションによる同時生放送も行われたほか、『春日局』が、1967年の『三姉妹』以来22年ぶりとなる大河ドラマ元日生放送からのスタートとなった。
『'''正月テレビは人間テレビ'''』(しょうがつテレビはにんげんテレビ)は、[[1989年]]の[[正月]]三が日を使って、毎日17時30分から翌日3時まで生放送された[[NHK総合テレビジョン]]([[NHK衛星第2テレビジョン]]同時放送)の特別番組である。 同番組は、[[1月1日]]「[[日本]]」、[[1月2日]]「[[地球]]」、[[1月3日]]「[[人間]]」を中核のテーマとして、そのテーマに沿った特別番組(ドラマ、教養ドキュメンタリー、トークバラエティーなど)を連日9時間半集中編成、特に午前0時30分から3時までは[[NHK衛星第1テレビジョン]]『[[ワールドニュースアワー|ワールドニュース]]』とのコラボレーションによる同時生放送も行われたほか、『[[春日局]]』が、[[1967年]]の『[[三姉妹]]』以来22年ぶりとなる[[大河ドラマ]]元日生放送からのスタートとなった。 ==総合司会== ;いづれも当時NHK正職員アナウンサー *[[桜井洋子]] *[[古屋和雄]] *[[中村克洋]] ==放送内容== ===1月1日(第1日)「日本」=== *17:30-17:40 グランドオープニング *17:40-17:50 世界は今~新年の表情 *17:50-18:50 あなたの不思議に答えます「Qボックスだ!日本だ!」(以上2番組 コーナー司会・[[春風亭小朝]]、[[渡邊あゆみ|黒田あゆみ]]、ゲスト・[[岡本太郎]]) *18:50-19:00 [[NHKニュース|ローカルニュース]]・[[天気予報]] *19:00-19:15 [[NHKニュース7|7時のニュース]]・全国の天気予報(コーナー司会・[[松平定知]]) *19:15-19:30 動乱時代を語る(ゲスト・[[橋田寿賀子]]) *19:30-20:54 [[大河ドラマ]]・[[春日局]]第1話「父の出陣」(脚本・橋田寿賀子、出演・[[大原麗子]]、[[佐久間良子]]ら) *20:54-21:10 ビッグトーク「外から見た日本」(ゲスト・[[オノ・ヨーコ]]、[[山田太一]]、[[岩城宏之]]) *21:10-22:00 バラエティー1億2000万人の知恵(ゲスト・[[山田久志]]、[[森川由加里]]、[[つみきみほ]]、[[兵藤ゆき]]、[[大島渚]]、[[村崎芙蓉子]]) *22:00-22:30 ワールドニューススペシャル *22:30-23:50 太郎の国を物語る(ゲスト・[[司馬遼太郎]]) *23:50-24:00 人間テレビ *(以下2日)0:00-0:15 NHKニュース・全国の天気予報 *0:15-0:30 第1日のまとめ *0:30-3:00 ワールドニューススペシャル(BS1同時。BS2は[[昭和天皇]]の病状を伝える有事対応のための[[フィラー]]として「都心カメラの映像と音楽」に差し替え〈実質放送終了〉) ===1月2日(第2日)「地球」=== *17:30-17:45 第2日のオープニング *17:45-18:50 あなたの不思議に答えます「Qボックスだ!地球だ!」(コーナー司会・春風亭小朝、黒田あゆみ、ゲスト・[[和泉雅子]]) *18:50-19:00 ローカルニュース・天気予報 *19:00-19:15 7時のニュース・全国の天気予報(コーナー司会・松平定知) *19:15-19:20 素晴らしい地球-壮大な[[北極圏]]- *19:20-20:20 北極圏スペシャル(コーナー司会・中村克洋、[[目加田賴子]]、ゲスト・[[赤澤威]]、[[秦正純]]) *20:20-20:30 素晴らしい地球-[[南半球]]・[[シドニー]]生中継- *20:30-21:05 ワールドニューススペシャル *21:05-22:00 ミュージックワールドTOKYO'89(コーナー司会・[[道傳愛子]]、出演・[[アダモ]]、[[ペギー・マーチ]]、[[ネリダ&ネルソン]]、[[尹福姫]]、[[谷村新司]]、[[服部克久]]) *22:00-23:30 討論会・’89世界と日本「ゆらぐ自由貿易・どうなる地球経済」(コーナー司会・[[磯村尚徳]]、ゲスト・[[チャールズ・キンドルバーガー]]、[[ドナルド・M・フレイザー]]、[[リー・クァン・ユー]]) *23:30-23:35 人間テレビ *23:35-23:50 NHKニュース・全国の天気予報 *23:50-(3日)0:25 [[宇宙]]からズームイン(出演・[[坂田俊文]]、[[樋口敬二]]) *(以下3日)0:25-0:30 第2日のまとめ *0:30-3:00 ワールドニューススペシャル(BS1同時。BS2は「都心カメラの映像と音楽」に差し替え〈実質放送終了〉) ===1月3日(第3日)「人間」=== *17:30-17:40 第3日のオープニング *17:40-18:50 あなたの不思議に答えます「Qボックスだ!人間だ!」(コーナー司会・春風亭小朝、黒田あゆみ、ゲスト・[[川上麻衣子]]、[[養老孟司]]、[[江川悦子]] *18:50-19:00 ローカルニュース・天気予報 *19:00-19:15 7時のニュース・全国の天気予報(コーナー司会・松平定知) *19:15-19:30 [[鯨]]をめぐる情報生理学 *19:30-21:30 ドラマスペシャル「私が愛した鯨」(原作・[[ジェームス三木]]、出演・[[津川雅彦]]、[[三木のり平]]、[[水島かおり]]、[[木の実ナナ]]ら) *21:30-21:40 海洋はロマンの母(出演・[[C・W・ニコル]]) *21:40-22:25 [[驚異の小宇宙・人体]](コーナー司会・[[小出五郎]]、[[タモリ]]) *22:25-22:30 中継・人間賛歌 *22:30-23:30 ワールドニューススペシャル&アジア国境を行く(コーナー司会・[[国谷裕子]]) *23:30-24:00 グランドフィナーレパート1 *(以下4日)0:00-0:15 NHKニュース・全国の天気予報 *0:15-0:30 グランドフィナーレパート2「テレビの過去・現在・未来」 *0:30-3:00 ワールドニューススペシャル(BS1同時。BS2は「都心カメラの映像と音楽」に差し替え〈実質放送終了〉) ==出典== *[https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/search/?keyword=%E6%AD%A3%E6%9C%88%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%81%AF%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93&page=1&rec_count=100 正月テレビは人間テレビ](NHKクロニクル) {{tv-stub}} {{DEFAULTSORT:しようかつてれひはにんけんてれひ}} [[Category:1989年のテレビ番組 (日本)]] [[Category:NHKのテレビ教養番組]] [[Category:かつて存在したNHKのテレビ年末年始特番]]
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甘露寺圭郁
甘露寺 圭郁(かんろじ たまか)、旧名高木 圭郁(たかぎ たまか)は、日本の元女子プロテニス選手。現在はプライベートテニスコーチや子供向け英会話レッスンを行っている。 春日市立春日西中学校在学中の昭和55年(1980年)、第7回全国中学生テニス選手権大会に出場し、女子シングルスで準優勝した。 同じくテニス選手であった甘露寺重房と結婚し、平成7年(1995年)2月20日に息子仁房を出産した。 2000年代から、葉祥明の絵本の英訳を手掛けるようになった。
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甘露寺 圭郁、旧名高木 圭郁は、日本の元女子プロテニス選手。現在はプライベートテニスコーチや子供向け英会話レッスンを行っている。
'''甘露寺 圭郁'''(かんろじ たまか)、旧名'''高木 圭郁'''(たかぎ たまか)は、[[日本]]の元女子プロ[[テニス]]選手。現在はプライベートテニスコーチや子供向け英会話レッスンを行っている{{Refnest|group="*"|{{Cite web|和書|url=https://www.kateigaho.com/article/detail/104676|title=トップスタイリストが提案。軽やかな毛先と髪色で、少しモードな「外ハネスタイル」|website=家庭画報.com|publisher=[[世界文化社]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20231224080501/https://www.kateigaho.com/article/detail/104676|archivedate=2023-12-24|date=2021-04-20|accessdate=2023-12-24}}}}。 == 経歴 == [[春日市立春日西中学校]]在学中の[[1980年]]([[昭和]]55年)、第7回全国中学生テニス選手権大会に出場し、女子シングルスで準優勝した{{Refnest|group="*"|{{Cite web|和書|url=https://tennismagazine.jp/article/detail/3411|title=全国中学生テニス選手権大会|女子シングルス歴代優勝者|website=テニスマガジンONLINE|publisher=[[ベースボール・マガジン社]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20231224074551/https://tennismagazine.jp/article/detail/3411|archivedate=2023-12-24|date=2019-08-24|accessdate=2023-12-24}}}}。 同じくテニス選手であった[[甘露寺重房]]と結婚し、[[1995年]]([[平成]]7年)[[2月20日]]に息子[[甘露寺仁房|仁房]]を出産した{{Refnest|group="+"|name="朝日DG20210326"|{{Cite news|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASP3T75HMP2TPXLB009.html|title=和歌山FB「鬼滅の強打者」 甘露寺選手、目指す柱|newspaper=[[朝日新聞デジタル|朝日新聞DEGITAL]]|publisher=[[朝日新聞社]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210326012000/https://www.asahi.com/articles/ASP3T75HMP2TPXLB009.html|archivedate=2021-03-26|date=2021-03-26|accessdate=2023-12-24}}}}。 [[2000年代]]から、[[葉祥明]]の絵本の英訳を手掛けるようになった{{要出典|date=2023-12}}。 == 著作 == === 単著 === * {{Cite book|和書|title=伊達公子 自分のための生き方:この考え方が「伊達」を強くした!|publisher=[[三笠書房]]|series=[[知的生きかた文庫]]|year=1996|isbn=978-4-8379-0848-7}} === 英訳書 === * {{Cite book|和書|author=葉祥明|authorlink=葉祥明|title=奇跡の贈り物:本当の自分に会える|publisher=[[愛育社]]|date=2001-12|isbn=978-4-7500-0115-9}} * {{Cite book|和書|author=葉祥明|title=神の子たち:パヤタスに吹く風|publisher=[[中央法規]]|date=2002-03|isbn=978-4-8058-2182-4}} * {{Cite book|和書|author=葉祥明|title=ことばの花束|publisher=[[日本標準]]|date=2003-10|isbn=978-4-8208-0063-7}} * {{Cite book|和書|author=葉祥明|title=ことばの花束Ⅱ:幸せになるために|publisher=日本標準|date=2003-12|isbn=978-4-8208-0064-4}} * {{Cite book|和書|author=葉祥明|title=ことばの花束Ⅲ:この気持ち、なんだろう…|publisher=日本標準|date=2003-12|isbn=978-4-8208-0065-1}} * {{Cite book|和書|author=葉祥明|title=ヒーリング・キャット|publisher=[[晶文社]]|date=2004-02|isbn=978-4-7949-6607-0}} * {{Cite book|和書|author=葉祥明|title=リトル・ツリー|publisher=晶文社|date=2005-04|isbn=978-4-7949-6657-5}} * {{Cite book|和書|author=葉祥明|title=しあわせことばのレシピ|publisher=日本標準|date=2005-12|isbn=978-4-8208-0259-4}} * {{Cite book|和書|author=葉祥明|title=海からの風|publisher=晶文社|date=2011-08|isbn=978-4-7949-6767-1}} * {{Cite book|和書|author=葉山祥鼎|authorlink=葉山祥鼎|title=くまモンとグルービーの大冒険|others=[[ハヤマテイジ]]絵、[[熊本県くまもとブランド推進課]]監修|publisher=中央法規|date=2017-03|isbn=978-4-8058-5481-5}} * {{Cite book|和書|author=葉祥明|title=ヒーリング・キャットⅡ:オープン・ユア・ハート|publisher=晶文社|date=2019-08|isbn=978-4-7949-7153-1}} == 系譜 == * 夫:[[甘露寺重房]] ** 息子:[[甘露寺仁房]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === ウェブサイト出典 === {{Reflist|group="*"}} === ニュースサイト出典 === {{Reflist|group="+"}} {{Tennis-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:かんろし たまか}} [[Category:甘露寺家|゠かんろし たまか]] [[Category:日本の女子テニス選手]] [[Category:春日市立春日西中学校出身の人物]] [[Category:存命人物]]
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川津尚彦
川津 尚彦(かわづ なおひこ、1907年5月11日 - 1962年11月10日)は、日本のラグビー選手・功労者。福岡県のラグビー先駆者の一人。 東京都に生まれる。1925年福岡県中学修猷館、1927年旧制福岡高等学校文科甲類を経て、慶應義塾大学へ進学し、ラグビー部において全日本東西対抗選手として活躍した。 1930年慶應義塾大学を卒業し、東邦電力福岡支店に入社。東邦電力ラグビーチームの主力として、福岡県ラグビーの普及とレベルアップに貢献した。 戦後は、山本太郎、松隈保、安武一道、速見伝吉らと共に、九州ラグビーフットボール協会設立に尽力し、九州ラグビーフットボール協会の理事長から会長、日本ラグビーフットボール協会専務理事を務めた。1948年の福岡国体に際しては、葛西泰二郎、山本太郎らと協力して、福岡市にラグビー専用グラウンドを作る運動を展開し、平和台陸上競技場の建設にこぎつけた。
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川津 尚彦(かわづ なおひこ、1907年5月11日 - 1962年11月10日)は、日本のラグビー選手・功労者。福岡県のラグビー先駆者の一人。
'''川津 尚彦'''(かわづ なおひこ、[[1907年]][[5月11日]] - [[1962年]][[11月10日]]<ref name=fukuoka>『福岡県百科事典 上巻』([[西日本新聞社]]、1982年)425頁</ref>)は、[[日本]]の[[ラグビーユニオン|ラグビー]]選手・功労者。[[福岡県]]のラグビー先駆者の一人。 == 経歴 == [[東京都]]に生まれる<ref name=fukuoka/>。1925年[[福岡県立修猷館高等学校|福岡県中学修猷館]]<ref>『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員18頁</ref>、1927年[[福岡高等学校 (旧制)|旧制福岡高等学校]]文科甲類を経て、[[慶應義塾大学]][[慶應義塾大学大学院法学研究科・法学部|法学部]]へ進学し<ref>『福岡高等学校一覧 第19年度(自昭和15年4月至昭和16年3月)』(福岡高等学校、1941年)153頁</ref>、[[慶應義塾體育會蹴球部|ラグビー部]]において[[東西大学対抗ラグビー|全日本東西対抗]]選手として活躍した<ref name=fukuoka/>。 1930年慶應義塾大学を卒業し、[[東邦電力]]福岡支店に入社。東邦電力ラグビーチームの主力として、福岡県ラグビーの普及とレベルアップに貢献した<ref name=fukuoka/>。 戦後は、[[山本太郎 (ラグビー選手)|山本太郎]]、松隈保、安武一道、速見伝吉らと共に、[[九州ラグビーフットボール協会]]設立に尽力し<ref>[https://adeac.jp/jrfu/texthtml/d100000/mp000010-100000/ht000510 日本ラグビーフットボール協会デジタルミュージアム 日本ラグビーフットボール史]</ref>、九州ラグビーフットボール協会の理事長から会長、[[日本ラグビーフットボール協会]]専務理事を務めた。1948年の[[第3回国民体育大会|福岡国体]]に際しては、[[葛西泰二郎]]、山本太郎らと協力して、[[福岡市]]にラグビー専用グラウンドを作る運動を展開し、[[平和台陸上競技場]]の建設にこぎつけた<ref name=fukuoka/>。 == 出典 == {{Reflist}} {{デフォルトソート:かわつ なおひこ}} [[Category:日本のラグビーユニオン選手]] [[Category:東邦電力の人物]] [[Category:慶應義塾體育會蹴球部の選手]] [[Category:慶應義塾大学出身の人物]] [[Category:福岡県立修猷館高等学校出身の人物]] [[Category:1907年生]] [[Category:1962年没]]
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レファアト・アラリール
レファアト・アラリール(アラビア語: رفعت العرعير、転写: Rifaʿat al-ʿAriʿīr、一般的英字表記: Refaat Alareer、1979年9月23日 - 2023年12月6日)は、パレスチナの作家、詩人、教授、活動家。 アラリールは、イスラエルによるガザ地区占領下の1979年にガザ市で生まれた。2001 年にガザ・イスラーム大学で英語・英文学の学士号、2007年にユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで比較文学の修士号、2017年にマレーシアプトラ大学より英文学の博士号を取得した。 パレスチナの短編集「Gaza Writes Back」 (2014) 、「Gaza Unsilenced」 (2015)を編集した。インタビューで、「Gaza Writes Backは、将来の世代に証言を残す試みだ」と述べている。 2007年、ガザ・イスラーム大学の教授となり、世界文学と文芸創作を教えた。ガザや難民キャンプに生きるパレスチナの若者の声を拡張することを目的として、「We Are Not Numbers」を共同設立。経験豊富な作家とガザの若い作家をつなげ、抵抗手段としての語る力、書く力の醸成に尽くした。 2023年12月6日、兄と兄の子供1人、妹と妹の3人の子供とともにイスラエル軍の空爆で死亡した。ユーロ地中海人権モニター(Euro-Med Human Rights Monitor)は、爆破の様子から意図的に標的にされたとの声明を発表した。また、爆破前に数週間にわたって、イスラエル側からオンラインや電話で殺害の脅迫を受けた模様であると述べている。 アラリールの詩「If I must die」(もし私が死なねばならないなら)は、殺害後に拡散され、40以上の言語に翻訳されている。「If I must die」は2011年に書かれた。殺害の1カ月前である2023年11月に、本人がSNSのプロフィール欄に載せ広く知られるようになった。
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レファアト・アラリールは、パレスチナの作家、詩人、教授、活動家。
'''レファアト・アラリール'''もしくは'''レファアト・アル=アリイール'''({{lang-ar|رفعت العرعير}}、転写: Rifaʿat al-ʿAriʿīr、一般的英字表記: Refaat Alareer、[[1979年]][[9月23日]] - [[2023年]][[12月6日]])は、[[パレスチナ]]の[[作家]]、[[詩人]]、[[教授]]、[[活動家]]。 == 略歴 == アラリールは、[[イスラエル]]による[[ガザ地区]]占領下の1979年に[[ガザ|ガザ市]]で生まれた。2001年に[[ガザ・イスラーム大学]]で英語・英文学の学士号、2007年に[[ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン|ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン]]で比較文学の修士号、2017年に[[マレーシアプトラ大学]]より英文学の博士号を取得した。<ref>{{Cite web |url=https://afsc.org/author/refaat-alareer |title=Refaat Alareer |access-date=2023-12-24}}</ref> == 業績 == パレスチナの短編集「Gaza Writes Back」 (2014) <ref>{{Cite web |url=https://justworldbooks.com/books-by-title/gaza-writes-back/ |title=Gaza Writes Back |access-date=2023-12-24}}</ref>、「Gaza Unsilenced」 (2015)<ref>{{Cite web |url=https://justworldbooks.com/books-by-title/gaza-unsilenced/ |title=Gaza unsilenced |access-date=2023-12-24}}</ref>を編集した。インタビューで、「Gaza Writes Backは、将来の世代に証言を残す試みだ」と述べている<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20221209122348/https:/www.palestinechronicle.com/story-behind-gaza-writes-back-video/ |title=The Story Behind ‘Gaza Writes Back’ |access-date=2023-12-24}}</ref>。 2007年<ref>{{Cite web |url=https://lithub.com/poet-and-scholar-refaat-alareer-has-been-killed-by-an-israeli-airstrike/ |title=Poet and scholar Refaat Alareer has been killed by an Israeli airstrike. |access-date=2023-12-24}}</ref>、[[ガザ・イスラーム大学]]の教授となり、世界文学と文芸創作を教えた<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20221130075624/https:/www.palestinebookawards.com/authors/item/refaat-alareer |title=Rafaat Alareer |access-date=2023-12-24}}</ref>。ガザや難民キャンプに生きるパレスチナの若者の声を拡張することを目的として、「We Are Not Numbers」を共同設立<ref>{{Cite web |url=https://edition.cnn.com/2023/12/11/middleeast/refaat-alareer-gaza-professor-killed-in-airstrike-intl/index.html |title=Prominent Gaza professor and writer killed in airstrike, weeks after telling CNN he and his family had ‘nowhere else to go’ |access-date=2023-12-24}}</ref>。経験豊富な作家とガザの若い作家をつなげ、抵抗手段としての語る力、書く力の醸成に尽くした<ref>{{Cite web |url=https://wearenotnumbers.org/tributes-to-refaat-alareer-killed-dec-9-2023/ |title=Tributes to Refaat Alareer, killed Dec. 9, 2023 |access-date=2023-12-24}}</ref>。 == 殺害 == 2023年12月6日、兄と兄の子供1人、妹と妹の3人の子供とともにイスラエル軍の空爆で死亡した。ユーロ地中海人権モニター(Euro-Med Human Rights Monitor)は、爆破の様子から意図的に標的にされたとの声明を発表した。また、爆破前に数週間にわたって、イスラエル側からオンラインや電話で殺害の脅迫を受けた模様であると述べている<ref>{{Cite web |url=https://euromedmonitor.org/en/article/6014 |title=Israeli Strike on Refaat al-Areer Apparently Deliberate |access-date=2023-12-24}}</ref>。 === If I must die === アラリールの詩「If I must die」(もし私が死なねばならないなら)は、殺害後に拡散され、40以上の言語に翻訳されている<ref>{{Cite web |url=https://lithub.com/watch-brian-cox-read-if-i-must-die-by-murdered-palestinian-poet-refaat-alareer/ |title=Watch Brian Cox read “If I Must Die” by murdered Palestinian poet Refaat Alareer. |access-date=2023-12-24}}</ref>。「[https://thisisgaza.wordpress.com/2011/11/27/if-i-must-die/ If I must die]」は2011年に書かれた<ref>{{Cite web |url=https://thisisgaza.wordpress.com/2011/11/27/if-i-must-die/ |title=If I must die |access-date=2023-12-24}}</ref>。殺害の1カ月前である2023年11月に、本人がSNSのプロフィール欄に載せ広く知られるようになった<ref>{{Cite web |url=https://beirut-today.com/2023/12/09/israel-targets-and-kills-beloved-poet-refaat-alareer/ |title=“If I must die, you must live to tell my story…”: Israel targets and kills beloved poet Refaat Alareer |access-date=2023-12-24}}</ref>。 == 出典 == <references /> {{DEFAULTSORT:あらりいる れふああと}} [[Category:パレスチナの著作家]] [[Category:パレスチナの詩人‎‎]] [[Category:ガザ地区出身の人物]] [[Category:21世紀の詩人]] [[Category:2023年パレスチナ・イスラエル戦争]] [[Category:戦争・戦闘で死亡した人物]] [[Category:国際人権法]] [[Category:1979年生]] [[Category:2023年没]]
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エルピニキ・ゼルヴォウ
エルピニキ・ゼルヴォウ(ギリシャ語: Ελπινίκη Ζερβού, ラテン文字転写: Elpiniki Zervou, 1973年12月19日 -) は、ギリシャ人 元女優、元女性声優。
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エルピニキ・ゼルヴォウ(ギリシャ語: Ελπινίκη Ζερβού, ラテン文字転写: Elpiniki Zervou, 1973年12月19日 -) は、ギリシャ人 元女優、元女性声優。
{{複数の問題 | 特筆性 = 2023-12 | 存命人物の出典皆無 = 2023-12 }} {{声優 | 名前 = エルピニキ・ゼルヴォウ | ふりがな = | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = | 愛称 = | 性別 = 女性 | 出生地 = {{Flagicon|GRE}} [[ギリシャ]]、[[ルートラキ]] | 死没地 = | 生年 = 1973 | 生月 = 12 | 生日 = 19 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 血液型 = | 身長 = | 職業 = | 事務所 = | 配偶者 = | 著名な家族 = | 公式サイト = | 活動時期 = 1993年 - | デビュー作 = | 活動 = }} '''エルピニキ・ゼルヴォウ'''({{翻字併記|el|Ελπινίκη Ζερβού|Elpiniki Zervou}}, [[1973年]][[12月19日]] -) は、[[ギリシャ人]] 元[[俳優|女優]]、元女性[[声優]]。 == アニメ映画 == * [[シュレック3]] (白雪姫) == 外部リンク == * [[imdbname:7595797|エルピニキ・ゼルヴォウ]] - [[IMDb]] [[Category:ギリシャの女優]] [[Category:ギリシャの声優]] [[Category:ソプラノ歌手]] [[Category:1973年生]] [[Category:存命人物]]
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富岡八幡神社 (阿南市)
富岡八幡神社(とみおかはちまんじんじゃ)は、徳島県阿南市富岡町の正福寺山に鎮座する神社。 創建年は不詳。主祭神に誉田別命を祀っている。吾富岡町を始め近郷11ヶ町村の産土神として信仰されており、境内には慰霊碑と富岡英霊奉賛館がある。 富岡八幡神社の周辺は阿南公園として整備されており、正福寺山から鍛治ヶ峰へと続く道に鎮座している。
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富岡八幡神社(とみおかはちまんじんじゃ)は、徳島県阿南市富岡町の正福寺山に鎮座する神社。
{{神社 |名称 = 富岡八幡神社 |所在地 = [[徳島県]][[阿南市]][[富岡町 (阿南市)|富岡町]]滝の下29−48 |画像 = {{画像募集中|cat=阿南市}} |位置 = |祭神 = [[誉田別命]]<br />[[足仲彦命]]<br />[[大鷦鷯命]] |社格 = |創建 = 不詳 |本殿 = |例祭 = |}} '''富岡八幡神社'''(とみおかはちまんじんじゃ)は、[[徳島県]][[阿南市]][[富岡町 (阿南市)|富岡町]]の[[正福寺山 (徳島県)|正福寺山]]に鎮座する[[神社]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://yaokami.jp/1360400/|title=富岡八幡神社|publisher=八百万の神|accessdate=2023-12-24}}</ref>。 == 歴史 == 創建年は不詳。主祭神に[[誉田別命]]を祀っている。吾富岡町を始め近郷11ヶ町村の産土神として信仰されており、境内には慰霊碑と富岡英霊奉賛館がある<ref>『[[角川日本地名大辞典]] 36 徳島県』([[1986年]] ISBN 4040013603)</ref>。 富岡八幡神社の周辺は[[阿南公園]]として整備されており、正福寺山から[[鍛治ヶ峰]]へと続く道に鎮座している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hou-smile.com/54714.html|title=阿南公園|publisher=ハウスマイル|accessdate=2023-12-24}}</ref>。 == 祭神 == * [[誉田別命]] * [[足仲彦命]] * [[大鷦鷯命]] == 交通 == * [[四国旅客鉄道|JR]][[牟岐線]]「[[阿南駅]]」より徒歩で約10分。 == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * [https://yaokami.jp/1360400/ 富岡八幡神社] - 八百万の神 {{DEFAULTSORT:とみおかはちまんしんしや}} [[category:徳島県の神社]] [[Category:阿南市の歴史]] [[Category:阿南市の建築物]] [[Category:八幡宮]] {{shinto-stub}}
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富岡八幡神社
富岡八幡神社(とみおかはちまんじんじゃ)は、日本の神社の名。以下のものがある。
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富岡八幡神社(とみおかはちまんじんじゃ)は、日本の神社の名。以下のものがある。 富岡八幡神社 (日高町) - 北海道沙流郡日高町富岡にある神社。 富岡八幡神社 (阿南市) - 徳島県阿南市富岡町にある神社。
'''富岡八幡神社'''(とみおかはちまんじんじゃ)は、日本の神社の名。以下のものがある。 * [[富岡八幡神社 (日高町)]] - [[北海道]][[沙流郡]][[日高町 (北海道)|日高町]]富岡にある神社。 * [[富岡八幡神社 (阿南市)]] - [[徳島県]][[阿南市]][[富岡町 (阿南市)|富岡町]]にある神社。 ==関連項目== *[[富岡八幡宮]] *[[富岡八幡宮 (横浜市)]] {{aimai}} {{DEFAULTSORT:とみおかはちまんしんしや}} [[Category:同名の神社]]
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メン・デ・サ
メン・デ・サ(Mem de Sá,1500頃−1572)は、ポルトガルの政治家。第3代ブラジル総督(在任1556−72)。 前述の通り第3代ブラジル総督を死ぬまで続け、66−67年、フランス人植民者を追放してリオデジャネイロ市を建設した。 また黒人奴隷導入による農業生産振興政策をとるなど、初期ブラジル植民地の開発に貢献した。 72年、バイアで死去した。約72歳。
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メン・デ・サ(Mem de Sá,1500頃−1572)は、ポルトガルの政治家。第3代ブラジル総督(在任1556−72)。
{{出典の明記|date=2023年12月25日 (月) 05:25 (UTC)}} '''メン・デ・サ'''(Mem de Sá、[[1500年]]頃 − [[1572年]][[3月2日]])は、[[ポルトガル]]の政治家。第3代[[ブラジル]]総督(在任1556−72)。 ==概要== 前述の通り第3代ブラジル総督を死ぬまで続け、66−67年、フランス人植民者を追放してリオデジャネイロ市を建設した。 また黒人奴隷導入による農業生産振興政策をとるなど、初期ブラジル植民地の開発に貢献した。 1572年、バイアで死去した。約72歳。 {{DEFAULTSORT:めん て さ}} [[Category:16世紀ポルトガルの人物]] [[Category:コインブラ出身の人物]] [[Category:1500年生]] [[Category:1572年没]]
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除括性
除括性(じょかつせい、英語: clusivity)または包括性とは、一部の言語における人称の包括範囲の区別を指す。除括性のある言語では、包括形(英: inclusive form)と除外形(英: exclusive form)の対立が存在し、異なる人称を表示している。この区別は原則一人称複数にしか存在しない。具体的に、そのような言語で多く存在するのが、包括的(英: inclusive)一人称複数を示す代名詞や形態変化は、例えば話し手の「私」、聞き手の「あなた」と第三者「彼」を含めて指すことができるのに対し、除外的(英: exclusive)一人称複数では、話し手の「私」及び第三者の「彼」を指せるが、二人称の「あなた」を含まない。 除括性の区別が存在する言語には、例えば中国語、アイヌ語、ウガンダのソ語、ナバホ語、タミル語、オーストロアジア諸語などである。一方、印欧語の殆どや朝鮮語、日本語など、除括性を区別しない言語も多い。存在しない言語では、文脈などによって包括範囲が判断される。 日本語には除外的・包括的な区別が認められないのに対し、同じく日琉語族の琉球語において、沖縄本島北部の諸方言には、ワッター系とアガ系の二系列の一人称複数代名詞が存在し、前者を除外形、後者を包括形と分析されることが多いが、用法に例外が有り、人称対立性による区別も提唱されている。 アイヌ語では、人称接辞ci=や=asに代表される(除外的)一人称複数に対する、包括的な一人称複数を含むを多様な人称を指すことができるa=や=anが存在する。 中国語の一部の方言では包括的一人称複数「我們」及び除外的一人称複数「咱們」があり、また時には「我們」が除外的一人称を含む場合もある インドネシア語やフィジー語などのオーストロアジア語族の言語では、包括的なkita系と除外的なkitaの対立がある。 除括性の区別は一人称に限ることも、人称の有生性の階層性の裏付けとされている。
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除括性または包括性とは、一部の言語における人称の包括範囲の区別を指す。除括性のある言語では、包括形と除外形の対立が存在し、異なる人称を表示している。この区別は原則一人称複数にしか存在しない。具体的に、そのような言語で多く存在するのが、包括的一人称複数を示す代名詞や形態変化は、例えば話し手の「私」、聞き手の「あなた」と第三者「彼」を含めて指すことができるのに対し、除外的一人称複数では、話し手の「私」及び第三者の「彼」を指せるが、二人称の「あなた」を含まない。 除括性の区別が存在する言語には、例えば中国語、アイヌ語、ウガンダのソ語、ナバホ語、タミル語、オーストロアジア諸語などである。一方、印欧語の殆どや朝鮮語、日本語など、除括性を区別しない言語も多い。存在しない言語では、文脈などによって包括範囲が判断される。
{{混同|包括性({{lang|en|inclusivity|links=no}})|link1=社会的包摂|x1=社会的な}} '''除括性'''(じょかつせい、{{lang-en|clusivity|links=no}})または'''包括性'''とは、一部の言語における[[人称]]の包括範囲の区別を指す。言語によっては、[[一人称]]の[[複数]]や[[双数]]などにおいて、聞き手を含むか否かを区別することがある。具体的に、話し手「私」や第三者「彼」を含むが、聞き手「君」を含まない'''除外形'''({{lang-en-short|inclusive form|links=no}}、'''排除形'''・'''排他形'''とも)と、話し手「私」や第三者「彼」も含むが、聞き手「君」も含まれる'''包括形'''({{lang-en-short|exclusive form|links=no}})という[[形態論|形態]]上の対立が存在する言語がある。 具体例として、[[ベトナム語]]では'''除外的'''({{lang-en-short|exclusive|links=no}})[[一人称]][[複数]][[代名詞]]の''{{lang|vi|chúng tôi}}''及び'''包括的'''({{lang-en-short|inclusive|links=no}})[[一人称]][[複数]][[代名詞]]の''{{lang|vi|chúng ta}}''がある<ref>{{Cite web|title=ベトナム語 文法 01.08.03 人称代名詞(2) ― 複数:解説|website=東京外国語大学言語モジュール|url= https://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/vi/gmod/courses/c01/lesson08/step03/explanation/016.html|accessdate=2023-12-24}}</ref>。例えば、言語学者と数学者が参加する会議で、言語学者の一人が''{{lang|vi|chúng tôi}}''と言うと、その言語学者と他の言語学者全体を指すが、数学者は含まれない。一方、''{{lang|vi|chúng ta}}''と言うと、その言語学者も他の言語学者も数学者も会議に参加した全員が含まれる。 このような区別は、[[代名詞]]に限らず、[[語形変化]]や人称[[接辞]]など他の人称表現においても現れる。また、除括性のある言語では、この区別は原則[[一人称]]にしか存在しない<ref name="mkgg2015">{{Cite book|和書|editor1=斎藤純男|editor2=田口善久|editor3=西村義樹|title=明解言語学辞典|publisher=三省堂|year=2015|month=8|isbn=9784385135786}}</ref>。一部の言語では、完全に二分されず、一方が曖昧になる場合もあり、例えば、[[中国語]][[普通話]]では、「{{Lang|zh|我们(我們)}}」は包括・除外どちらも指すが、「{{Lang|zh|咱们(咱們)}}」は包括のみである。 除括性の区別が存在する言語には、以上のような[[ベトナム語]]や[[中国語]]以外にも、[[琉球語]]、[[アイヌ語]]<ref name="tmr1971"/>、[[ウガンダ]]の[[ソ語]]<ref name="mkgg2015"/>、[[ナバホ語]]、[[タミル語]]、[[トク・ピシン]]、[[オーストロアジア語族|オーストロアジア諸語]]、[[オーストロネシア語族|オーストロネシア諸語]]全般([[インドネシア語]]など)、北部[[ビルマ諸語]]などがある。一方、[[印欧語]]の殆どや[[朝鮮語]]、[[日本語]]など、除括性を区別しない言語も多い。存在しない言語では、文脈などによって包括範囲が判断される。 == 概念図 == [[File:Inclusive-exclusive.jpg|thumb|300px|参照の集合:包括形式(左)と除括性(右)]] 除括性のパラダイムは以下のような表や図で表すことができる。 {|class="wikitable" style="text-align:center" |- ! rowspan="2" colspan="2"| !colspan="2" scope="col"| 聞き手を含むか |- !scope="col"| はい !scope="col"| いいえ |- !scope="row" rowspan="2"| 話者を含むか !scope="row"| はい | 包括的な「私たち」:<br />私とあなた(そして場合によっては彼ら) || 排他的な「私たち」:<br />私と彼ら、でもあなたは除く |- !scope="row"| いいえ | あなた / あなた方 / みんな || 彼ら |} == 形態 == 一部の言語では、一人称代名詞の単数・除外複数・包括複数がそれぞれ別語根のように見える。例えば、[[チェチェン語]]では、単数''{{lang|ce|со}}''、除外複数''{{lang|ce|тхо}}''、包括複数''{{lang|ce|вай}}''である。 一方、三つ全てが明確な単純な複合語の言語もある。例えば、[[パプアニューギニア]]で話される英語などの[[クレオール言語]]である[[トク・ピシン]]では、単数''{{lang|tpi|mi}}''、除外複数''{{lang|tpi|mipela}}''、包括複数''{{lang|tpi|yumi}}''は、それぞれ''{{lang|tpi|mi}}''(英語の''{{lang|en|me}}''由来)単体、''{{lang|tpi|mi}}''と複数接辞''{{lang|tpi|pela}}''(英語の''{{lang|en|fellow}}''由来)の複合、''{{lang|tpi|yu}}''(英語の''{{lang|en|you}}''由来)と''{{lang|tpi|mi}}''の複合のように、いずれも''{{lang|tpi|mi}}''の派生語である。 また、複数形の代名詞のどれかが単数形と同根であり、もう一方の複数が異根である場合もある。例えば、[[中国語]][[普通話]]などの一部の[[北京語]]の方言では、包括的または除外的複数の「{{lang|zh|我們/我们}}」が単数形「{{lang|zh|我}}」の複数形であり、包括的な「{{lang|zh|咱們/咱们}}」とは異根である。 同じく一人称単数を意味していた別々の単語が、それぞれ除外的複数と包括的複数に派生することもある。例えば、[[ベトナム語]]では、くだけた一人称''{{lang|vi|ta}}''が複数包括形''{{lang|vi|chúng ta}}''に派生し、丁寧な一人称''{{lang|vi|tôi}}''が除外形''{{lang|vi|chúng tôi}}''に派生している。 == 具体例 == === 琉球語 === [[日本語]]には除外的・包括的な区別が認められないのに対し、同じく日琉語族の[[琉球語]]において、沖縄本島北部の諸方言には、ワッター系とアガ系の二系列の一人称複数代名詞が存在し、前者を除外形、後者を包括形と分析されることが多いが、用法に例外が有り、人称対立性による区別も提唱されている<ref name="sjmn2021">{{Citation|和書|author=下地理則|year=2021|title=北琉球沖縄語{{ruby| 今帰仁|なきじん}}{{ruby|謝名|じゃな}}方言における除括性 (clusivity)|journal=日本言語学会第163回大会発表原稿集}}</ref>。 === アイヌ語 === [[アイヌ語]]では、人称接辞''{{lang|ain|ci{{=}}}}''や''{{lang|ain|{{=}}as}}''に代表される(除外的)一人称複数に対する、包括的な一人称複数を含むを多様な人称を指すことができる''{{lang|ain|a{{=}}}}''や''{{lang|ain|{{=}}an}}''が存在する<ref name="tmr1971">{{Cite journal|和書|author=田村 すヾ子|journal=言語研究|title=アイヌ語沙流方言の人称代名詞|volume=1971| issue=59|pages=1–14|date= 1971|doi=10.11435/gengo1939.1971.59_1}}</ref>。 === 中国語 === 中国語の一部の[[官話方言]]では包括的一人称複数「{{lang|zh-HanT|我們}}」及び除外的一人称複数「{{lang|zh-HanT|咱們}}」があり、また時には「我們」が除外的一人称を含む場合もある<ref name="zhpx1996">{{Cite journal|和書|author=張佩霞|year=1996|journal=語文論叢|title=中国語、日本語における人称代名詞の使用とそこに窺われる文化の違い}}</ref>。また、南方でも閩南語など一部の限られた方言で区別がある<ref>{{Cite journal | author = 松本, 一男 | title = 南方方言の人称代名詞について | trans-title = On the personal pronouns in Southern dialects | journal = 中国語学 | volume = 1958 | issue = 76 | pages = 5–11 | year = 1958 | doi = 10.7131/chuugokugogaku.1958.76_5 | language = ja }}</ref>。 === オーストロネシア語族 === [[インドネシア語]]や[[フィジー語]]などの[[オーストロアジア語族]]の言語では、包括的な''{{lang|id|kita}}''系と除外的な''{{lang|id|kita}}''の対立がある<ref name="mykr2016">{{Cite journal|和書|title=インドネシア語における人称指示と定性|author=三宅良美|year=2016|journal=秋田大学教育文化学部研究紀要 人文科学・社会科学部門|pages=9-13|issue=71}}</ref>。 == 文法的示唆 == 除括性の区別は一人称に限ることも、人称の[[有生性]]の階層性の裏付けとされている<ref name="mkgg2015"/>。 == 出典 == {{Reflist}} [[カテゴリ:言語学]] [[カテゴリ:文法]] [[カテゴリ:文法範疇]] [[カテゴリ:人称]] {{Language-stub}}
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飯塚彦四郎
飯塚 彦四郎 (いいつか ひこしろう、1873年 - 没年不明)は明治時代の実業家。 元雄勝鐵道取締役社長、雄勝銀行取締役、羽後銀行西馬音内支店長。 秋田県に、先代飯塚彦四郎の長男として生まれる。 大正6年に家督を相続し、前名 彌一郎を改め彦四郎を襲名する。 明治31年東京高等工業学校染織科を卒業し、盛岡染織講習所橫手機業所各所長に就任する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "飯塚 彦四郎 (いいつか ひこしろう、1873年 - 没年不明)は明治時代の実業家。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "元雄勝鐵道取締役社長、雄勝銀行取締役、羽後銀行西馬音内支店長。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "秋田県に、先代飯塚彦四郎の長男として生まれる。 大正6年に家督を相続し、前名 彌一郎を改め彦四郎を襲名する。 明治31年東京高等工業学校染織科を卒業し、盛岡染織講習所橫手機業所各所長に就任する。", "title": "経歴" } ]
飯塚 彦四郎は明治時代の実業家。 元雄勝鐵道取締役社長、雄勝銀行取締役、羽後銀行西馬音内支店長。
{{Uncategorized|date=2023年12月}} '''飯塚 彦四郎''' (いいつか ひこしろう、[[1873年]] - 没年不明)<ref>人事興信録 8版 イ87</ref>は[[明治]]時代の実業家。 元雄勝鐵道取締役社長、[[雄勝銀行]]取締役、[[羽後銀行]]西馬音内支店長<ref>人事興信録 8版 イ87</ref>。 == 経歴 == [[秋田県]]に、先代飯塚彦四郎の長男として生まれる<ref>人事興信録 第8版 イ87</ref>。 大正6年に家督を相続し、前名 彌一郎を改め彦四郎を襲名する<ref>人事興信録 第8版 イ87</ref>。 明治31年[[東京高等工業学校]]染織科を卒業し、盛岡染織講習所橫手機業所各所長に就任する<ref>人事興信録 第8版 イ87</ref>。 == 家族・親族 == * 弟・ 飯塚直彦 ( [[1887年]]生まれ)  * 義妹・飯塚喜代 ( [[1893年]]生まれ、直彦妻、 間杢右衞門長女、義姉妹は[[貴族院多額納税者議員]] [[小林暢]]娘 、伯叔父は[[衆議院議員]] [[塩川幸太]]) == 出典 == <references /> [[Category:明治時代の人物]]
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モムチロ・ガヴリッチ
モムチロ・ガヴリッチ(Momčilo Gavrić、セルビア語キリル文字: Момчило Гаврић、1906年5月1日 - 1993年4月28日)は第一次世界大戦の戦闘に従軍した最年少の兵士である。彼は8歳という若さでセルビア軍の兵士になった。 モムチロ・ガヴリッチは1906年5月1日、セルビア王国のトルブシュニツァで生まれた。 第一次世界大戦が始まった直後の1914年8月初旬、第42クロアチア国内警備歩兵師団のオーストリア=ハンガリー軍兵士が、彼の父、母、祖母、3人の姉妹、4人の兄弟を負傷させ、捕らえて絞首刑にし、家に放火した。モムチロはこの事件が起きたときは叔父の家におり実家にいなかったため生き残った。 家族も家も失ったモムチロは、当時グチェヴォの近くにあったセルビア王国軍の第6砲兵師団の元へ行きそこで部隊のステヴァン・トゥコヴィッチ少佐は、モムチロの身に何が起こったのかを聞いた後、モムチロを部隊に受け入れ、部隊の兵士であるミロシュ・ミショヴィッチをモムチロの世話係に任命した。同じ日の夜、彼はオーストリア=ハンガリー軍兵士に対する砲撃に参加した。 8歳のとき、セルの戦いの後、部隊の指揮官によって伍長に昇進し、軍服を与えられた。 部隊にいた間に規律を教えられ、負傷したこともあった。モムチロはその後は曹長に昇進した。その後は第一次世界大戦を連合軍の勝利と共に終戦を迎える。 終戦後は戦争体験を語るドキュメンタリーなどに参加する。 モムチロ・ガブリッチは1993年にベオグラードで死去する。2014年、ロズニツァの通りに彼の名前が付けられた記念碑が建った。
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モムチロ・ガヴリッチは第一次世界大戦の戦闘に従軍した最年少の兵士である。彼は8歳という若さでセルビア軍の兵士になった。
モムチロ・ガヴリッチ(Momčilo Gavrić、セルビア語キリル文字: Момчило Гаврић、1906年5月1日 - 1993年4月28日)は第一次世界大戦の戦闘に従軍した最年少の兵士である。彼は8歳という若さでセルビア軍の兵士になった。 {{基礎情報 軍人 | image = Момчило Гаврић.JPG | caption = 1914年撮影 | 氏名 = モムチロ・ガヴリッチ | 生年月日 = 1906年5月1日 | 没年月日 = 1993年4月28日(86歳没) | 軍歴 = 第一次世界大戦 }} {{TOC limit}} == 経歴 == モムチロ・ガヴリッチは1906年5月1日、セルビア王国のトルブシュニツァで生まれた。<ref name="ZaboravljenKaplar2">{{cite web |url=http://www.politika.rs/rubrike/Srbija/Zaboravljen-najmladji-kaplar-Momchilo-Gavric.sr.html |title=Zaboravljen najmlađi kaplar Momčilo Gavrić |authorlink= |vauthors= |date= |publisher= |pages= |language= |archiveurl= |archivedate= |quote= |accessdate=19 August 2011}}</ref><ref name="BiografskiRecnik2">{{cite book |title=Srpski biografski rečnik, vol II |year=2004 |publisher=Budućnost |page=601}}</ref> 第一次世界大戦が始まった直後の1914年8月初旬、第42クロアチア国内警備歩兵師団のオーストリア=ハンガリー軍兵士が、彼の父、母、祖母、3人の姉妹、4人の兄弟を負傷させ、捕らえて絞首刑にし、家に放火した。モムチロはこの事件が起きたときは叔父の家におり実家にいなかったため生き残った。<ref name="novosti">[http://www.novosti.rs/vesti/naslovna/drustvo/aktuelno.290.html:451827-Momcilo-Gavric---najmladji-vojnik-Prvog-svetskog-rata Momčilo Gavrić - najmlađi vojnik Prvog svetskog rata] ("Večernje novosti", 31 August 2013)</ref> 家族も家も失ったモムチロは、当時グチェヴォの近くにあったセルビア王国軍の第6砲兵師団の元へ行きそこで部隊のステヴァン・トゥコヴィッチ少佐は、モムチロの身に何が起こったのかを聞いた後、モムチロを部隊に受け入れ、部隊の兵士であるミロシュ・ミショヴィッチをモムチロの世話係に任命した。同じ日の夜、彼はオーストリア=ハンガリー軍兵士に対する砲撃に参加した。<ref name="novosti2">[http://www.novosti.rs/vesti/naslovna/drustvo/aktuelno.290.html:451827-Momcilo-Gavric---najmladji-vojnik-Prvog-svetskog-rata Momčilo Gavrić - najmlađi vojnik Prvog svetskog rata] ("Večernje novosti", 31 August 2013)</ref> 8歳のとき、セルの戦いの後、部隊の指揮官によって伍長に昇進し、軍服を与えられた。<ref name="1987doc2">{{cite AV media|title=Momčilo Gavrić, najmlađi podnarednik u istoriji ratova|people=|url=https://www.youtube.com/watch?v=glc3y7QxZWU|accessdate=|format=|time=|location=SFR Yugoslavia|publisher=RTB (RTS)|isbn=|oclc=|id=|language=Serbian|quote=|archiveurl=|archivedate=|year=1987|trans-title=Momčilo Gavrić, youngest Lance Sergeant in the history of warfare|medium=}}</ref> 部隊にいた間に規律を教えられ、負傷したこともあった。モムチロはその後は曹長に昇進した。その後は第一次世界大戦を連合軍の勝利と共に終戦を迎える。 === 終戦後 === 終戦後は戦争体験を語るドキュメンタリーなどに参加する。 モムチロ・ガブリッチは1993年にベオグラードで死去する。2014年、ロズニツァの通りに彼の名前が付けられた記念碑が建った。 [[Category:セルビアの軍人]] [[Category:ロズニツァ出身の人物]] [[Category:1993年没]] [[Category:1906年生]]
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ステラスター
ステラスター
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ステラスター Stela Star アイルランド生産の競走馬。ステラスター (競走馬) を参照。 Stellastarr アメリカ合衆国のロックバンド。ステラスター (バンド) を参照。 上記ステラスターが2003年に発表したアルバム。ステラスター (アルバム) を参照。
'''ステラスター''' * '''{{lang|en|Stela Star}}''' ** アイルランド生産の競走馬。'''[[ステラスター (競走馬)]]''' を参照。 * '''{{lang|en|Stellastarr}}''' ** アメリカ合衆国のロックバンド。'''{{ill|ステラスター (バンド)|en|Stellastarr}}''' を参照。 ** 上記ステラスターが2003年に発表したアルバム。'''{{ill|ステラスター (アルバム)|en|Stellastarr (album)}}''' を参照。 {{DEFAULTSORT:すてらすたあ}} {{aimai}}
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竜田博之
竜田博之(たつた ひろゆき、1968年11月9日 - )は日本の中央銀行家。 東京都杉並区。慶應義塾大学法学部卒業。在学中は憲法の小林節ゼミに所属していた。1991年 日本銀行入行。 2003年4月 経営企画室調査役。2017年5月 検査室参事役。2018年6月4日 下関支店長。2020年4月13日 発券局参事役。2022年7月25日 神戸支店長。 キャリアの約半分で災害時における日銀の業務継続計画に携わった。 趣味はマラソンと映画・演劇鑑賞。
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竜田博之は日本の中央銀行家。
'''竜田博之'''(たつた ひろゆき、[[1968年]][[11月9日]] - )は[[日本]]の[[中央銀行|中央銀行家]]。 == 来歴 == [[東京都]][[杉並区]]<ref name="Kōbe Club(No. 2023-1)">{{Cite news|title=2023年1月号掲載|newspaper=神戸慶應倶楽部|url=http://www.kobekeio.org/guide/newsletter/|accessdate=2023-12-24}}</ref>。[[慶應義塾大学大学院法学研究科・法学部|慶應義塾大学法学部]]卒業。在学中は[[憲法学|憲法]]の[[小林節]]ゼミに所属していた<ref name="Kōbe Club(No. 2023-1)"/>。[[1991年]] [[日本銀行]]入行。 [[2003年]]4月 経営企画室調査役。[[2017年]]5月 検査室参事役。[[2018年]][[6月4日]] [[下関市|下関]]支店長。[[2020年]][[4月13日]] 発券局参事役<ref name="Nikkei(2020-4-14)">{{Cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO57991100T10C20A4LCC000/|title=日銀下関支店長に峯岸氏|publisher=[[日本経済新聞]]|date=2020-4-14|accessdate=2023-12-24}}</ref>。[[2022年]][[7月25日]] [[神戸市|神戸]]支店長。 キャリアの約半分で[[災害]]時における日銀の業務継続計画に携わった<ref name="Kōbe News(2022-8-1)">{{Cite web|url=https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202208/sp/0015519860.shtml#google_vignette|title=<人>日銀神戸支店長に就いた竜田博之さん|publisher=[[神戸新聞]]|date=2022-8-1|accessdate=2023-12-24}}</ref>。 趣味はマラソンと[[映画]]・[[演劇]]鑑賞<ref name="Kōbe Club(No. 2023-1)"/>。 == 略歴 == * [[1991年]]4月:[[日本銀行]]入行。 * [[2003年]]4月:経営企画室調査役。 * [[2004年]]7月:総務人事局企画役。 * [[2005年]]7月:決済機構局企画役。 * [[2007年]]7月:[[日本銀行政策委員会|政策委員会]]室企画役。 * [[2009年]]7月:システム情報局企画役。 * [[2011年]]7月:決済機構局業務継続企画課長。 * [[2013年]][[9月24日]]:発券局戸田発券課長。 * [[2015年]]6月:発券局日本橋発券課長。 * [[2017年]]5月:検査室参事役。 * [[2018年]][[6月4日]]:[[下関市|下関]]支店長。 * [[2020年]][[4月13日]]:発券局参事役<ref name="Nikkei(2020-4-14)"/>。 * [[2022年]][[7月25日]]:[[神戸市|神戸]]支店長。 == 脚注 == {{Reflist}} {{デフォルトソート:たつた ひろゆき}} [[Category:日本銀行の人物]] [[Category:学士(法学)取得者]] [[Category:慶應義塾大学出身の人物]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:1968年生]] [[Category:存命人物]] {{People-stub}}
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ロス・セタスによるガルフ・カルテルのメンバー4人の殺害
ロス・セタスによるガルフ・カルテル構成員4人の殺害(スペイン語:Asesinato de cuatro miembros del Cártel del Golfo por Los Zetas)は、2014年7月にメキシコに拠点を置く麻薬カルテルであるロス・セタスが敵対しているガルフ・カルテルのイェセニア・パチェコ(通称:ラ・グエラ・ロカ)とその仲間である女性3人の計4人の女性を殺害した事件。 この事件はロス・セタスの構成員によって撮影されており、動画が全世界のウェブサイト上に投稿され、多くの視聴者にロス・セタスの残虐性が知れ渡ることになった。 2007年に始まったメキシコ戦争以来、麻薬カルテル同士の抗争事件が多発し、多くの都市や街で抗争事件が発生し麻薬カルテルのメンバーや民間人が死亡した。1999年に本事件の被害者が所属していたガルフ・カルテルから分裂したロス・セタスはガルフ・カルテルと抗争事件を複数起こしている。 イェセニア・パチェコは[ラ・グエラ・ロカ]の通称名を持つ麻薬犯罪組織ガルフ・カルテルのメンバーとして知られている。2009年にガルフ・カルテルに加入したパチェコは加入から数か月後にはすでに頭角を表しており、ロス・セタスとの抗争事件では最前線で戦っていた。 敵を排除したことによってガルフ・カルテルの指導部から認められパチェコは[ラ グエラ ロカ]のボスに就任した。 ガルフ・カルテルのメンバーであるイェセニア・パチェコは一番右側に、右から2番目には若い女性Aがおり、左から2番目には白髪が目立った高齢の女性Bがおり、一番左側には10代の少女Cがいる。パチェコと3人の被害者の後ろにはメキシコで最も危険な麻薬カルテルと言われているロス・セタスのメンバーが最低でも14人立っている。メンバーは全員が防弾チョッキと銃を身につけている。被害者4人は高齢の女性B以外は上半身裸姿で、乳房が露出しており、ロス・セタスのメンバーから強姦された可能性も指摘されている。 動画が開始されると、ロス・セタスのリーダが10代の少女Cから順番に尋問をした。10代の少女Cは自身がラ・グエラ・ロカに所属していることを認め、隣にいる高齢の女性Bの孫娘であると語った。高齢な女性Bと若い女性Aも同様にラ・グエラ・ロカのメンバーであることを自白した。最後に尋問されたのはイェセニア・パチェコで、パチェコはガルフ・カルテルの傘下で犯罪活動をしていた事を認めた。 ロス・セタスのメンバーは、イェセニア・パチェコとガルフ・カルテルの構成員の女性3人を尋問を加えた上に斬首して殺害し、その様子をインターネット上に投稿した。
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ロス・セタスによるガルフ・カルテル構成員4人の殺害(スペイン語:Asesinato de cuatro miembros del Cártel del Golfo por Los Zetas)は、2014年7月にメキシコに拠点を置く麻薬カルテルであるロス・セタスが敵対しているガルフ・カルテルのイェセニア・パチェコ(通称:ラ・グエラ・ロカ)とその仲間である女性3人の計4人の女性を殺害した事件。 この事件はロス・セタスの構成員によって撮影されており、動画が全世界のウェブサイト上に投稿され、多くの視聴者にロス・セタスの残虐性が知れ渡ることになった。
{{暴力的}} '''ロス・セタスによるガルフ・カルテル構成員4人の殺害'''([[スペイン語]]:Asesinato de cuatro miembros del Cártel del Golfo por Los Zetas)は、[[2014年]][[7月]]に[[メキシコ]]に拠点を置く[[麻薬カルテル]]である[[ロス・セタス]]が敵対している[[ガルフ・カルテル]]の'''イェセニア・パチェコ'''(通称:ラ・グエラ・ロカ)とその仲間である女性3人の計4人の[[女性]]を殺害した事件<ref name=":0">{{Cite web |title=La cruel muerte de la sicaria que fue decapitada por enfrentar a un cártel rival |url=https://www.infobae.com/america/mexico/2019/09/25/la-cruel-muerte-de-la-sicaria-que-fue-decapitada-por-enfrentar-a-un-cartel-rival/ |website=infobae |date=2019-09-25 |access-date=2023-12-24 |language=es-ES}}</ref><ref>{{Cite web |title=TU NOTA |url=https://www.tunota.com/404 |website=TuNota |access-date=2023-12-24 |language=es |last=TuNota}}</ref><ref name=":1">{{Cite web |title=La güera loca: La sanguinaria sicaria que torturaba y ejecutaba a miembros de Los Zetas |url=https://mvsnoticias.com/nacional/policiaca/2022/5/25/la-gera-loca-la-sanguinaria-sicaria-que-torturaba-ejecutaba-miembros-de-los-zetas-553522.html |website=MVS Noticias |date=2022-05-25 |access-date=2023-12-24 |language=es}}</ref>。 この事件はロス・セタスの構成員によって撮影されており、動画が全世界のウェブサイト上に投稿され、多くの視聴者にロス・セタスの残虐性が知れ渡ることになった<ref name=":6">{{Cite web |title=La cruel muerte de la sicaria que fue decapitada por enfrentar a un cártel rival |url=https://www.infobae.com/america/mexico/2019/09/25/la-cruel-muerte-de-la-sicaria-que-fue-decapitada-por-enfrentar-a-un-cartel-rival/ |website=infobae |date=2019-09-25 |access-date=2023-12-24 |language=es-ES}}</ref>。 {{Infobox 事件・事故 | 名称 = ロス・セタスによるガルフ・カルテル構成員4人の殺害 | 正式名称 = | 画像 = | 脚注 = | 地図 = | 地図の説明 = | 場所 = | 緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 = | 経度度 = |経度分 = |経度秒 = | 標的 = [[ガルフ・カルテル]]の構成員 | 日付 = [[2014年]][[7月]] | 時間 = 昼頃 | 開始時刻 = | 終了時刻 = | 時間帯 = | 概要 = | 懸賞金 = | 原因 = [[ロス・セタス]]と[[ガルフ・カルテル]]の抗争 | 手段 = [[銃器]]、鋭利な[[刃物]] | 攻撃側人数 = | 武器 = | 死亡 = [[ガルフ・カルテル]]に所属している女性構成員4人<br/>イェセニア・パチェコ<br/>若い女性A<br/>高齢な女性B<br/>10代の少女(Bの孫) | 負傷 =なし | 行方不明 = | 被害者 =[[ガルフ・カルテル]]に所属している女性構成員4人 | 損害 = | 犯人 =[[ロス・セタス]] | 容疑 =[[殺人]]、[[遺体損壊]]、[[遺体遺棄]] | 動機 =敵対している[[ガルフ・カルテル]]への見せしめ | 関与 = | 防御 = | 対処 =未解決 | 謝罪 =なし | 補償 =なし | 賠償 =なし | 刑事訴訟 =未解決 | 少年審判 = | 海難審判 = | 民事訴訟 = | 影響 = | 遺族会 = | 被害者の会 = | 管轄 =[[メキシコの警察]] }} ==事件の概要== 2007年に始まったメキシコ戦争以来、麻薬カルテル同士の抗争事件が多発し、多くの都市や街で抗争事件が発生し麻薬カルテルのメンバーや民間人が死亡した<ref>{{Cite web |url=https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Reports/InterimReport/2016/pdf/C05_ch06.pdf |title=メキシコの麻薬紛争に関する予備的考察 |access-date=2023-12-24}}</ref>。1999年に本事件の被害者が所属していた[[ガルフ・カルテル]]から分裂した[[ロス・セタス]]はガルフ・カルテルと抗争事件を複数起こしている<ref>{{Cite web |title=Qué fue La Compañía, estructura que sumaba al Cártel del Golfo y Los Zetas |url=https://www.infobae.com/mexico/2023/11/13/que-fue-la-compania-estructura-que-sumaba-al-cartel-del-golfo-y-los-zetas/ |website=infobae |date=2023-11-13 |access-date=2023-12-24 |language=es-ES |first=Por Luis |last=Contreras}}</ref>。 ==被害者== ===イェセニア・パチェコ=== イェセニア・パチェコは[ラ・グエラ・ロカ]の通称名を持つ麻薬犯罪組織[[ガルフ・カルテル]]のメンバーとして知られている<ref name=":0" />。2009年にガルフ・カルテルに加入したパチェコは加入から数か月後にはすでに頭角を表しており、ロス・セタスとの抗争事件では最前線で戦っていた<ref name=":0" /><ref name=":1" />。 敵を排除したことによってガルフ・カルテルの指導部から認められパチェコは[ラ グエラ ロカ]のボスに就任した。 ==バイラル・ビデオ== ===尋問=== ===被害者の位置=== ガルフ・カルテルのメンバーであるイェセニア・パチェコは画面一番右側に膝を土の地面につけた状態で座らされており、[[ピンク|ピンク色]]の[[タンクトップ]]を[[乳房]]の下まで脱がされており乳房が露出している。また、黒色のズボンを履いているのが確認できる他に両腕は後ろにして[[ロープ]]で手首を縛られている<ref name=":3" />。 右から2番目には中年の女性Aが膝を地面につけた状態で座らされている。Aは茶色の髪に[[メキシコ|メキシコ人]]特有の[[茶色|褐色]]の肌をしている。Aはピンク色のタンクトップを腰あたりまで脱がされており、Aの臍が見て取れる他に、乳房が露出しており乳房の下には銀色の紙のようなものが巻きつけられている。また、Aは[[デニム]]の[[ショートパンツ]]を履いている。Aは他の3人同様に腕を背中側にしてロープで手首を縛られている<ref name=":2" /><ref name=":4" />。 左から2番目には白髪が目立った高齢の女性Bが他の3人同様に膝を土の地面に付けた状態で座らされている。Bは白色の髪に[[茶色|褐色]]の肌をしている。Bは高齢のために[[強姦|レイプ]]されていないのか、拉致当時に着ていた[[青|青色]]の[[トレーナー]]を脱がされることもなく着ている他に[[アクセサリー]]も首周りに身につけている。そのため他の3人と違って乳房や臍などは露出していない。また、Bは白色のクロップドパンツを着ている他に両腕を背中側にして手首をロープで縛られている<ref name=":2" /><ref name=":4" />。 画面から見て一番左側には10代の少女Cが膝を地面に付けながら座らされている。Cは[[マッシュルームカット|マッシュルームヘア]]に[[茶色|褐色]]の肌をしている。[[水色]]のトップレスを臍の下あたりまで脱がされている他に、赤色と白色の横縞模様の[[ワンピース]]を履いている。CはBの右肩にもたれかかるように座っており、乳房と臍が露出している他に、両腕を背中側にして手首をロープで縛られている<ref name=":2" />。 ===ロス・セタスのメンバー=== [[ロス・セタス]]を名乗るメンバーは被害者4人の後ろ側に少なくとも13人確認できる<ref name=":0" />。メンバーの大半は黒色のヘルメットまたは帽子を被り、黒色の布またはマフラーで口元を隠し、目元のみを露出させている。メンバーの大半は防弾チョッキを見つけており、重装備の機関銃や処刑の際に使用する斧を持っているメンバーも確認できる<ref name=":1" />。Bの後ろにはリーダー格と思われる音が立っている他に、被害者に近い場所に立っているメンバーは持っている機関銃を被害者4人の頭部に銃口を向けている<ref name=":1" /><ref name=":6" />。 ===被害者4人に対する尋問=== 動画が開始されると、Bの後ろに立っているロス・セタスのリーダーと思われる男が右手で10代の少女Cの後頭部を叩いた。Cは叩かれると顔が前に出たものの視線はカメラ側を向いており、直ぐに顔の態勢を持ち直し、叩かれる前の位置まで戻った。ロス・セタスの尋問担当はCの所属先を聞いた。Cはあっさりと自信がガルフ・カルテルの傘下組織である「ラ・グエラ・ロカ」に所属していること認めた上で、Cの隣に座っているBの孫娘であることを自供した。尋問が終わるとCは顔を下に向き、最後の時を過ごした<ref name=":7">{{Cite web |title=Comandante Guera A.k.a. La Guera Loca of the gulf cartel is the only high ranking member I’ve seen participate in beheadings and executions of Zeta rivals on video only to be beheaded and Dismembered herself by Los Zetas on video. |url=http://www.reddit.com/r/NarcoFootage/comments/14847i9/comandante_guera_aka_la_guera_loca_of_the_gulf/ |website=r/NarcoFootage |date=2023-06-13 |access-date=2023-12-24 |last=Puzzleheaded-Bug1226}}</ref>。 Cに対する尋問を行い納得のいく答えを得たロス・セタスの尋問担当は次にCの横に座っているBに対する尋問を始めた。尋問担当はBの後頭部を左側から左手で叩いた。Bは叩かれると首を右側に傾けて避けるような動作をしたが、すぐに首を戻した。尋問担当はCの祖母であるかと質問するとBはCの祖母であると認めた。また、所属先を聞かれると隠そうとしたのか違う発言をしたためBの後ろにいたメンバーから銃口で頭部を叩かれた。Cは直ぐに自信が「ラ・グエラ・ロカ」に所属していることを認めた<ref name=":4" />。 次にロス・セタスの尋問を受けたのはBの隣に座っていたAである。尋問担当のメンバーは左手でAの後頭部を叩いた。Aは叩かれると一瞬顔を下に向けたが、すぐに頭を上げてカメラの方に目線を向けた。尋問担当のメンバーはAに対して所属先を聞いた。Aはすぐに「ラ・グエラ・ロカ」に所属していることを認めた<ref name=":7" />。 最後に尋問されたのはイェセニア・パチェコで、パチェコはガルフ・カルテルの傘下で犯罪活動をしていた事を認めた<ref name=":4" /><ref name=":5">{{Cite web |title=La trágica historia de la narco que era tan bella como peligrosa y se dedicaba a cazar sicarios I VIDEO |url=https://heraldodemexico.com.mx/nacional/2022/5/19/la-tragica-historia-de-la-narco-que-era-tan-bella-como-peligrosa-se-dedicaba-cazar-sicarios-video-405648.html |website=El Heraldo de México |date=2022-05-19 |access-date=2023-12-24 |language=es}}</ref>。 ロス・セタスのメンバーは、イェセニア・パチェコとガルフ・カルテルの構成員の女性3人を尋問を加えた上に斬首して殺害し、その様子をインターネット上に投稿した<ref name=":2">{{Cite web |title=La güera loca: La sanguinaria sicaria que torturaba y ejecutaba a miembros de Los Zetas |url=https://mvsnoticias.com/nacional/policiaca/2022/5/25/la-gera-loca-la-sanguinaria-sicaria-que-torturaba-ejecutaba-miembros-de-los-zetas-553522.html |website=MVS Noticias |date=2022-05-25 |access-date=2023-12-24 |language=es}}</ref><ref name=":3">{{Cite web |title=La trágica historia de la narco que era tan bella como peligrosa y se dedicaba a cazar sicarios I VIDEO |url=https://heraldodemexico.com.mx/nacional/2022/5/19/la-tragica-historia-de-la-narco-que-era-tan-bella-como-peligrosa-se-dedicaba-cazar-sicarios-video-405648.html |website=El Heraldo de México |date=2022-05-19 |access-date=2023-12-24 |language=es}}</ref><ref name=":4">{{Cite web |title=La Güera Loca: la historia de la narcosicaria que secuestraba y asesinaba a integrantes de Los Zetas |url=https://www.guatevision.com/internacionales/la-guera-loca-la-historia-de-la-narcosicaria-que-secuestraba-y-asesinaba-a-integrantes-de-los-zetas |website=Guatevision |date=2022-05-19 |access-date=2023-12-24 |language=es-GT |first=Juan Carlos |last=Ortega}}</ref>。 ==脚注== ===出典=== <references /> ==関連項目== *[[メキシコ麻薬戦争]] *[[ロス・セタス]] *[[ガルフ・カルテル]] {{Mexico-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ろすせたすによるかるふかるてるのめんはあ4にんのさつかい}} [[Category:メキシコの犯罪]] [[Category:メキシコの事件]] [[Category:2014年の殺人]] [[Category:2014年のメキシコ]] [[Category:2014年7月]]
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女の戦い (リベーラ)
『女の戦い』、または『女剣闘士』は、スペインのバロック絵画の巨匠ホセ・デ・リベーラが1636年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。制昨年と署名のあるこの絵画は、リベーラの作品中でも極めて特異な作品で、競技場で、2人の若い女性が剣と盾を持って戦っている姿が描かれている。マドリードのプラド美術館に所蔵されている。 オレンジ色の胴着を着た茶髪の女性が、地面に倒れた青い胴着と金髪の女性の頭をめがけて剣を高く振りかざし、とどめの一撃を与えようとしている。背後にある柵の手前に剣を持った男性が1人おり、柵の背後からは男性ばかりの観客が緊張の瞬間を見つめている。 この作品については、委嘱の経緯やスペインに持ち込まれた初期の歴史に関する資料が欠けていることから、解釈をめぐって様々な説が展開されてきた。場面は、1552年にナポリで起きた伝説的な逸話を描いていると考えられていた。イザベラ・ディ・カラッツィ (Isabella di Carazzi) とディアンブラ・ディ・ポッティネッラ (Diambra di Pottinella) の2人の女性がナポリ総督ヴァスト侯爵 (Marquis of the Vast) の面前でファビオ・ゼレソーラ (Fabio Zeresola) という男性の愛を得るために決闘をして争ったというものである。絵画の主題はまた、「悪徳」と「徳」の間の戦いの寓意としても捉えられてきた。 しかし、本作は、マドリードのブエン・レティーロ宮殿のためにローマとナポリで制作された古代ローマ史連作のうちの1点であることが論証づけられた。フェリペ4世 (スペイン王) のブエン・レティーロ宮殿が競技や演劇などの様々な娯楽、接客のために造営された宮殿であったことを考えれば、そこを飾る絵画がそうした宮殿の用途を古代世界の慣習と結びつけて権威づけるために構想されたと想定できる。この連作をなす作品として、見世物やパレード、娯楽競技を主題とした14点の作品群が存在している。それらの作品は、リベーラ以外にもジョヴァンニ・フランチェスコ・ロマネッリらの画家たちに委嘱された。
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『女の戦い』、または『女剣闘士』は、スペインのバロック絵画の巨匠ホセ・デ・リベーラが1636年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。制昨年と署名のあるこの絵画は、リベーラの作品中でも極めて特異な作品で、競技場で、2人の若い女性が剣と盾を持って戦っている姿が描かれている。マドリードのプラド美術館に所蔵されている。
{{Infobox artwork |title=女の戦い |painting_alignment= |other_language_1=[[スペイン語]] |other_title_1=Combate de Mujeres |other_language_2=[[英語]] |other_title_2=Women Gladiators |image=José_de_Ribera_026.jpg |image_size=350px |artist=[[ホセ・デ・リベーラ]] |year=1636年 |type=[[キャンバス]]上に[[油彩]] |width_metric=235 |length_metric=212 |metric_unit=cm |city=[[マドリード]] |museum=[[プラド美術館]] }} 『'''女の戦い'''』(おんなのたたかい、{{Lang-en-short|Combate de Mujeres}})、または『'''女剣闘士'''』(おんなけんとうし、{{Lang-en-short|Women Gladiators}})は、[[スペイン]]の[[バロック]]絵画の巨匠[[ホセ・デ・リベーラ]]が1636年に[[キャンバス]]上に[[油彩]]で制作した絵画である。制昨年と署名のあるこの絵画はリベーラの作品中でも極めて特異な作品であり、競技場で2人の若い女性が剣と盾を持って戦っている姿が描かれている<ref name="MP">{{Cite web |url=https://www.museodelprado.es/en/the-collection/art-work/women-gladiators/ee076233-5858-4a35-a5c0-9ce631cd5382 |title=Women Gladiators|publisher=プラド美術館公式サイト (英語)|access-date=2023/12/24}}</ref><ref name="ReferencePT">プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光 2018年、158項。</ref>。[[マドリード]]の[[プラド美術館]]に所蔵されている<ref name="MP" /><ref name="ReferencePT" />。 == 作品 == オレンジ色の胴着を着た茶髪の女性が、地面に倒れた青い胴着と金髪の女性の頭をめがけて剣を高く振りかざし、とどめの一撃を与えようとしている。背後にある柵の手前に剣を持った男性が1人おり、柵の背後からは男性ばかりの観客が緊張の瞬間を見つめている<ref name="MP" /><ref name="ReferencePT" />。構図は斜めに配置された槍により枠取りされ、それが場面の戦闘的特質を強調している<ref name="MP" />。 この作品については、委嘱の経緯やスペインに持ち込まれた初期の歴史に関する資料が欠けていることから、解釈をめぐって様々な説が展開されてきた<ref name="ReferencePT" />。プラド美術館の初期の目録によれば、場面は、1552年に[[ナポリ]]で起きた伝説的な逸話を描いているとしていた。イザベラ・ディ・カラッツィ (Isabella de Carazzi) とディアンブラ・ディ・ポッティネッラ (Diambra de Pottinella) の2人の女性がナポリ[[総督]]{{仮リンク|ヴァスト侯爵|en|Marquis of the Vast}}の面前でファビオ・ゼレソーラ (Fabio Zeresola) という男性の愛を得るために決闘をして争ったというものである<ref name="MP" /><ref name="ReferencePT" />。絵画の主題はまた、「悪徳」と「徳」の間の戦いの[[寓意]]としても捉えられてきた。 しかし、本作は、マドリードの{{仮リンク|ブエン・レティーロ宮殿|en|Buen Retiro Palace}}のために[[ローマ]]とナポリで制作された[[古代ローマ]]史連作のうちの1点であることが論証づけられた<ref name="MP" /><ref name="ReferencePT" />。ローマの歴史家[[カッシウス・ディオ]]と[[スエトニウス]]は、[[ローマ皇帝]][[ネロ]]と[[ドミティアヌス]]に敬意を表して女性同士が格闘した試合について記述している<ref name="MP" />。 [[フェリペ4世 (スペイン王)]] のブエン・レティーロ宮殿が競技や演劇などの様々な娯楽、接客のために造営された宮殿であったことを考えれば、そこを飾る絵画がそうした宮殿の用途を古代世界の慣習と結びつけて権威づけるために構想されたと想定できる。この連作をなす作品として、見世物やパレード、娯楽競技を主題とした14点の作品群が存在している<ref name="ReferencePT" />。それらの作品は、リベーラ以外にも[[ジョヴァンニ・ランフランコ]]、{{仮リンク|アンドレア・ディ・リオーネ|en|Andrea di Leone}}、{{仮リンク|ジョヴァンニ・フランチェスコ・ロマネッリ|en|Giovanni Francesco Romanelli}}らの画家たちに委嘱された<ref name="MP" /><ref name="ReferencePT" />。 1991-1992年に行われた修復作業の結果、素晴らしい色彩的豊かさが明らかとなった。とりわけ、女性の衣服の明るいオレンジ色と藤色は、リベーラが1630年代半ば以降に16世紀[[ヴェネツィア派]]絵画に示した関心を反映している<ref name="MP" />。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光、[[国立西洋美術館]]、プラド美術館、[[読売新聞社]]、[[日本テレビ放送網]]、BS日本テレ、2018年刊行 ISBN 978-4-907442-21-7 * {{Cite book |last=Ernesto Ballesteros Arranz |title=32.- Ribera |url=https://books.google.com/books?id=CF8SCAAAQBAJ&pg=PA4 |date=2 February 2015 |publisher=Hiares Multimedia |isbn=978-84-15855-91-0 |pages=4–}} * {{Cite book |last=Miranda Aldhouse-Green |title=Boudica Britannia |url=https://books.google.com/books?id=dox9AwAAQBAJ&pg=PA114 |date=1 May 2014 |publisher=Routledge |isbn=978-1-317-86630-5 |pages=114–}} == 外部リンク == [https://www.museodelprado.es/en/the-collection/art-work/women-gladiators/ee076233-5858-4a35-a5c0-9ce631cd5382 プラド美術館公式サイト、ホセ・デ・リベーラ『女の戦い』 (英語)] {{ホセ・デ・リベーラ}} {{DEFAULTSORT:おんなのたたかいりへえら}} [[Category:バロック絵画作品]] [[Category:ホセ・デ・リベーラの作品]] [[Category:アレゴリー]] [[Category:プラド美術館の所蔵品]] [[Category:1630年代の絵画]] [[Category:女性を題材とした絵画]]
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加賀谷富三郎
加賀谷 富太郎(かがや とみたろう、1872年 - 没年不明)は明治時代の銀行家。第四十八国立銀行などを歴任した。 秋田県に福田甚助の二男として、明治五年八月に生まれる。加賀谷富太郞の養子となる。明治三十八年家督を相続する。前名農之助を改め、富太郎を襲名する。第四十八国立銀行取締役となる。
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加賀谷 富太郎は明治時代の銀行家。第四十八国立銀行などを歴任した。
'''加賀谷 富太郎'''(かがや とみたろう、[[1872年]] - 没年不明<ref name="人事カ">人事興信録 第8版 カ2</ref>)は明治時代の[[銀行家]]。[[第四十八国立銀行]]などを歴任した<ref name="人事カ" />。 == 経歴 == [[秋田県]]に福田甚助の二男として、明治五年八月に生まれる<ref name="人事カ" />。加賀谷富太郞の養子となる<ref name="人事カ" />。明治三十八年家督を相続する<ref name="人事カ" />。前名農之助を改め、富太郎を襲名する<ref name="人事カ" />。[[第四十八国立銀行]]取締役となる。 == 家族・親族 == * 長女 ツネ ( 夫 勝治の弟 恒七の義姉妹は[[衆議院議員]] [[阿由葉鎗三郎]]娘かつ[[貴族院議員]] [[阿由葉吟次郎]]養孫)<ref name="人事カ" /><ref>人事興信録 第8版 ワ53</ref> * 遠縁・[[片野重脩]] ([[衆議院議員]]) == 出典 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:かかや とみたろう}} [[Category:日本の銀行家]] [[Category:明治時代の人物]] [[Category:秋田県出身の人物]] [[Category:1872年生]] [[Category:没年不明]]
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はるき
はるきは、ミカン科の常緑樹で柑橘類であり、タンゴール類の一種である。栽培は和歌山県内に限定されている。 2002年に和歌山県果樹試験場において、清見を種子親に、「中野3号ポンカン」を花粉親として交配し育成された晩生のタンゴールであり、2021年10月に品種登録された。 不知火やはるみとは同じ交配組み合わせであり、兄弟品種にあたる。 果実はさじょう(果肉の粒)が大きく、サクサクとした食感が特徴。果実重は約180グラム程度。糖度は13-14度前後で良食味。果皮は手で剥きやすく、じょうのう膜は薄くて食べやすい。浮皮などの果皮障害は少ない。種子数はかなり少なくあまり入らない。収穫期は露地栽培の場合3月。 樹姿は直立性でポンカンに似る。樹勢は強く樹冠拡大が早い。隔年結果性は中程度で、枝のトゲは少なく、かいよう病の発生も少ないので栽培は中晩柑の中では容易な方である。 栽培および苗木の供給は和歌山県内に限定されているため、育成者権の存続期間中は他都道府県での栽培はできない。
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はるきは、ミカン科の常緑樹で柑橘類であり、タンゴール類の一種である。栽培は和歌山県内に限定されている。
{{生物分類表 | 色 = lightgreen |画像 = | 画像キャプション = | 名称 = ハルキ | 界 = [[植物界]] {{sname||Plantae}} | 門 = [[被子植物門]] {{sname||Magnoliophyta}} | 綱 = [[双子葉植物綱]] {{sname||Magnoliopsida}} | 亜綱 = [[バラ亜綱]] {{sname||Rosidae}} | 目 = [[ムクロジ目]] {{sname||Sapindales}} | 科 = [[ミカン科]] {{sname||Rutaceae}} | 属 = [[ミカン属]] {{snamei||Citrus}} | 種 = (交雑種) | 学名=''(Citrus unshiu × C. sinensis)''<br />× ''C. reticulata'' | 和名 = ハルキ(はるき) }} '''はるき'''は、[[ミカン科]]の常緑樹で[[柑橘類]]であり、[[タンゴール]]類の一種である。栽培は[[和歌山県]]内に限定されている。 == 概要 == 2002年に[[和歌山県]]果樹試験場において、[[清見]]を種子親に、「中野3号[[ポンカン]]」を花粉親として[[交配]]し[[育成]]された[[晩生]]のタンゴールであり、2021年10月に品種登録された<ref name=no1>{{Cite web|和書|url=https://www.hinshu2.maff.go.jp/vips/cmm/apCMM112.aspx?TOUROKU_NO=28677 |title=農林水産省品種登録データベース|accessdate=2023-12-24}}</ref>。 [[シラヌヒ|不知火]]や[[はるみ]]とは同じ交配組み合わせであり、兄弟品種にあたる。 == 特徴 == 果実はさじょう(果肉の粒)が大きく、サクサクとした食感が特徴。果実重は約180グラム程度。糖度は13-14度前後で良食味。果皮は手で剥きやすく、じょうのう膜は薄くて食べやすい。浮皮などの果皮障害は少ない。種子数はかなり少なくあまり入らない。収穫期は露地栽培の場合3月。 樹姿は直立性でポンカンに似る。樹勢は強く樹冠拡大が早い。隔年結果性は中程度で、枝のトゲは少なく、かいよう病の発生も少ないので栽培は中晩柑の中では容易な方である。 栽培および苗木の供給は和歌山県内に限定されているため、[[育成者権]]の存続期間中は他都道府県での栽培はできない。 == 脚注 == {{reflist}} == 外部リンク == *[https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/070100/070109/haruki.html カンキツ新品種『はるき』] {{柑橘類}} {{DEFAULTSORT:はるき}} [[Category:ミカン属]]
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菊地広人
菊地 広人(きくち ひろと、2001年10月5日 - )は、日本の男子バスケットボール選手である。ポジションはガード。 北海道出身。 だいがくさいご 北見市立小泉中学校卒業後、藤枝明誠学校、大東文化大に進み、大学では、高いハンドリング能力と得点力でチームをけん引し、大学最後の大会となった2023年インカレはベスト8で締めた。 2023年12月、レバンガ北海道に特別指定選手登録される。
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菊地 広人は、日本の男子バスケットボール選手である。ポジションはガード。
{{バスケットボール選手 |名前=菊地 広人 |英語名=Hiroto Kikuchi | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = |所属チーム名=レバンガ北海道 |背番号=6 |ポジション=[[ポイントガード|PG]] / [[シューティングガード|SG]] |リーグ=[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|B.LEAGUE]] | 愛称 = |国={{JPN}} |出身地={{Flag|北海道}} |誕生日={{生年月日と年齢|2001|10|05}} | 血液型 = | 血液型備考 = |身長=178cm | 身長備考 = |体重=79kg | 体重備考 = | ウィングスパン = | ウィングスパン備考 = | シューズ = | シューズ備考 = |高校=[[藤枝明誠中学校・高等学校|藤枝明誠高等学校]] |大学=[[大東文化大学ベアーズ|大東文化大学]] |プロ開始年= | プロ引退年 = |所属年1=2023- |所属1=[[レバンガ北海道]]※ |特別指定選手 = yes | 賞歴 = }} '''菊地 広人'''(きくち ひろと、[[2001年]][[10月5日]] - )は、[[日本]]の男子[[バスケットボール]]選手である。ポジションはガード。 == 来歴 == [[北海道]]出身。 北見市立小泉中学校卒業後、[[藤枝明誠中学校・高等学校|藤枝明誠高校]]、[[大東文化大学ベアーズ|大東文化大]]に進み、大学では、高いハンドリング能力と得点力でチームをけん引し、大学最後の大会となった[[第75回全日本大学バスケットボール選手権大会|2023年インカレ]]はベスト8で締めた<ref>{{Cite news |title=レバンガ北海道、大東文化大学の菊地広人が特別指定選手として加入「先輩方から沢山学びたい」 |url=https://basketballking.jp/news/japan/b1/20231222/465918.html |newspaper=バスケットボールキング |date=2023-12-22 |accessdate=2023-12-24 }}</ref>。 2023年12月、[[レバンガ北海道]]に[[特別指定選手]]登録される<ref>{{Cite press release |和書 |title=菊地広人選手 特別指定選手として加入決定のお知らせ |url=https://www.levanga.com/news/detail/id=17230 |publisher=株式会社レバンガ北海道 |date=2023-12-22 |accessdate=2023-12-24 }}</ref>。 == 所属歴 == * 藤枝明成高校 * 大東文化大 ** レバンガ北海道(特別指定選手:2023年) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[日本のバスケットボール選手一覧]] * [[レバンガ北海道の選手一覧]] * [[北海道出身の人物一覧]] == 外部リンク == * {{Twitter|kikuchiroto_046}} * {{Instagram|kikuchiroto046}} {{レバンガ北海道}} {{デフォルトソート:きくち ひろと}} [[Category:日本の男子バスケットボール選手]] [[Category:特別指定選手としてレバンガ北海道に登録された選手]] [[Category:大東文化大学の人物]] [[Category:藤枝明誠高等学校出身の人物]] [[Category:北海道出身のスポーツ選手]] [[Category:2001年生]] [[Category:存命人物]]
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2021 FIFAアラブカップ (予選)
本項では2021 FIFAアラブカップの予選について述べる。 アラブ地域の23チームが参加。本戦の出場枠は16チームで、2021年4月時点のFIFAランキングに基づく上位9チームが予選を免除され、残りの14チームで予選を行い、上位7チームが本戦に出場する。 ()内は2021年4月時点のFIFAランキング。
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本項では2021 FIFAアラブカップの予選について述べる。 アラブ地域の23チームが参加。本戦の出場枠は16チームで、2021年4月時点のFIFAランキングに基づく上位9チームが予選を免除され、残りの14チームで予選を行い、上位7チームが本戦に出場する。
本項では[[2021 FIFAアラブカップ]]の'''予選'''について述べる。全試合が本戦の開催国である[[カタール]]で開催された。 {{Pathnav|2021 FIFAアラブカップ|frame=1}}{{国際サッカー大会情報ボックス|大会名= 2021 FIFAアラブカップ (予選)|開催国=|日程=[[2021年]][[6月19日]] − [[6月25日]]|出場チーム数=14|連盟数=|試合数=|ゴール数=|総入場者数=|得点王=|得点=|前回年度=|前回大会=|次回年度=|次回大会=}} [[ファイル:2021_Arab_Cup_map.svg|サムネイル|273x273ピクセル|{{legend|#0000ff|予選免除国}}{{legend|#ffbf00|予選突破国}}{{legend|#000000|予選敗退国}}{{legend|#cccccc|[[アラブサッカー連盟]]未加盟国}}]] アラブ地域の23チームが参加<ref>{{Cite web |title=Qatar to host FIFA Arab Cup 2021™ draw on 27 April |url=https://www.fifa.com/tournaments/mens/worldcup/qatar2022/media-releases/origin1904-p.cxm.fifa.com/qatar-to-host-fifa-arab-cup-2021tm-draw-on-27-april |website=www.fifa.com |access-date=2023-12-24 |language=en}}</ref>。本戦の出場枠は16チームで、2021年4月時点の[[FIFAランキング]]に基づく上位9チームが予選を免除され、残りの14チームで予選を行い、上位7チームが本戦に出場する。 == 出場国 == ()内は2021年4月時点のFIFAランキング。 ==== 予選免除(上位9カ国) ==== # {{fb|QAT}} (58) ''(開催国)'' # {{fb|TUN}} (26) # {{fb|ALG}} (33) # {{fb|MAR}} (34) # {{fb|EGY}} (46) # {{fb|KSA}} (65) # {{fb|IRQ}} (68) # {{fb|UAE}} (73) # {{fb|SYR}} (79) ==== 予選から参加(下位14国) ==== {{ordered list|{{fb|OMA}} (80)|{{fb|LBN}} (93)|{{fb|JOR}} (95)|{{fb|BHR}} (99)|{{fb|MRT}} (101)|{{fb|PLE}} (104)|{{fb|LBY}} (116)|{{fb|SUD}} (124)|{{fb|COM}} (132)|{{fb|YEM}} (145)|{{fb|KUW}} (148)|{{fb|SSD}} (167)|{{fb|DJI}} (192)|{{fb|SOM}} (195)|start=10}} == 形式 == 1試合行い、勝ったチームが本大会出場権を獲得する。組み合わせはFIFAランキングに基づいて決定され、予選出場国の中で最上位のチームと最下位のチーム、2位のチームと13位のチームといったように行われた。 == 試合結果 == {{OneLegStart}} {{OneLegResult|{{fb-rt|LBY}}||[[#Q7|0–1]]|'''{{fb|SDN}}'''}} {{OneLegResult|'''{{fb-rt|OMA}}'''||[[#Q1|2–1]]|{{fb|SOM}}}} {{OneLegResult|'''{{fb-rt|JOR}}'''||[[#Q3|3–0]] <br/>(不戦勝)|{{fb|SSD}}}} {{OneLegResult|'''{{fb-rt|MTN}}'''||[[#Q5|2–0]]|{{fb|YEM}}}} {{OneLegResult|'''{{fb-rt|LBN}}'''||[[#Q2|1–0]]|{{fb|DJI}}}} {{OneLegResult|'''{{fb-rt|PLE}}'''||[[#Q6|5–1]]|{{fb|COM}}}} {{OneLegResult|'''{{fb-rt|BHR}}'''||[[#Q4|2–0]]|{{fb|KUW}}}} |}{{Football box | id = Q7 | date = {{Start date|2021|6|19|df=y}} | time = 20:00 | event = | round = | team1 = {{fb-rt|LBY}} | score1 = | score = 0–1 | team2 = {{fb|SDN}} | score2 = | report = https://www.fifa.com/tournaments/mens/arabcup/arabcup2021/qualifiers/afc/match-center/400178774 | goals1 = | goals2 = *[[モハメド・アブデルラフマン]] {{goal|15|pen.}} | stadium = [[ハリーファ国際スタジアム]], [[ライヤーン]] | attendance = 3,523 | referee = サウド・アリ・アル=アドバ ([[カタールサッカー協会|カタール]]) }} ----{{Football box | id = Q1 | date = {{Start date|2021|6|20|df=y}} | time = 20:00 | event = | round = | team1 = {{fb-rt|OMA}} | score1 = | score = 2–1 | team2 = {{fb|SOM}} | score2 = | report = https://www.fifa.com/tournaments/mens/arabcup/arabcup2021/qualifiers/afc/match-center/400178773 | goals1 = *[[ムフセン・アル・ガサニ]] {{goal|12}} *[[サラー・アル・ヤハイエイ]] {{goal|36|pen.}} | goals2 = *[[アベル・ジグリ]] {{goal|54}} | stadium = [[ジャシム・ビン・ハマド・スタジアム]], [[ライヤーン]] | attendance = 551 | referee = [[ブノワ・バスティアン]] ([[フランスサッカー協会|フランス]]) }} ----{{Football box | id = Q3 | date = {{Start date|2021|6|21|df=y}} | time = 20:00 | event = | round = | team1 = {{fb-rt|JOR}} | score1 = | score = 3–0<br />(不戦勝){{NoteTag|南スーダンの多数の選手、コーチに[[新型コロナウイルス感染症]]への感染が確認されたため、ヨルダンの不戦勝となった。<ref>{{Cite web |title=Jordan advances to 2021 FIFA Arab Cup after qualifier against COVID-19-hit South Sudan abandoned |url=https://arab.news/rzqej |website=Arab News |date=2021-06-22 |access-date=2023-12-24 |language=en}}</ref>}} | team2 = {{fb|SSD}} | score2 = | report = https://www.fifa.com/tournaments/mens/arabcup/arabcup2021/qualifiers/afc/match-center/400178771 | goals1 = | goals2 = | stadium = [[ハリーファ国際スタジアム]], [[ライヤーン]] | attendance = | referee = ダニエレ・ドベーリ ([[イタリアサッカー協会|イタリア]]) }} ----{{Football box | id = Q5 | date = {{Start date|2021|6|22|df=y}} | time = 20:00 | event = | round = | team1 = {{fb-rt|MTN}} | score1 = | score = 2–0 | team2 = {{fb|YEM}} | score2 = | report = https://www.fifa.com/tournaments/mens/arabcup/arabcup2021/qualifiers/afc/match-center/400178775 | goals1 = *[[イスマイル・ディアキテ]] {{goal|18}} *[[ヘメヤ・タンジ]] {{goal|85}} | goals2 = | stadium = [[ジャシム・ビン・ハマド・スタジアム]], [[ライヤーン]] | attendance = 187 | referee = マウリツィオ・マリアーニ ([[イタリアサッカー協会|イタリア]]) }} ----{{Football box | id = Q2 | date = {{Start date|2021|6|23|df=y}} | time = 20:00 | event = | round = | team1 = {{fb-rt|LBN}} | score1 = | score = 1–0 | team2 = {{fb|DJI}} | score2 = | report = https://www.fifa.com/tournaments/mens/arabcup/arabcup2021/qualifiers/afc/match-center/400178772 | goals1 = *[[ヒラル・エル=ヘルウェ]] {{goal|46}} | goals2 = | stadium = [[ハリーファ国際スタジアム]], [[ライヤーン]] | attendance = 739 | referee = [[ブノワ・バスティアン]] ([[フランスサッカー協会|フランス]]) }} ----{{Football box | id = Q6 | date = {{Start date|2021|6|24|df=y}} | time = 20:00 | event = | round = | team1 = {{fb-rt|PLE}} | score1 = | score = 5–1 | team2 = {{fb|COM}} | score2 = | report = https://www.fifa.com/tournaments/mens/arabcup/arabcup2021/qualifiers/afc/match-center/400178776 | goals1 = *[[レイス・カルーブ]] {{goal|35}} *[[オデイ・ダバーグ]] {{goal|42}} *[[ターメル・スィヤーム]] {{goal|56||72}} *[[イスラム・バトラン]] {{goal|81}} | goals2 = *[[ムサ・ジュモイ]] {{goal|5}} | stadium = [[ジャシム・ビン・ハマド・スタジアム]], [[ライヤーン]] | attendance = 451 | referee = ダニエレ・ドベーリ ([[イタリアサッカー協会|イタリア]]) }} ----{{Football box | id = Q4 | date = {{Start date|2021|6|25|df=y}} | time = 20:00 | event = | round = | team1 = {{fb-rt|BHR}} | score1 = | score = 2–0 | team2 = {{fb|KUW}} | score2 = | report = https://www.fifa.com/tournaments/mens/arabcup/arabcup2021/qualifiers/afc/match-center/400178770 | goals1 = *[[アリ・ハラム]] {{goal|74}} *[[ハシム・サイード・イサ]] {{goal|90+4}} | goals2 = | stadium = [[ハリーファ国際スタジアム]], [[ライヤーン]] | attendance = 354 | referee = [[ムスタファ・ゴルバル]] ([[アルジェリアサッカー連盟|アルジェリア]]) }} == 脚注 == <references group="注"/> == 出典 == {{Reflist}} {{FIFAアラブカップ}} {{DEFAULTSORT:FIFAあらふかつふ2021よせん}} [[Category:アラブカップ|2021よせん]] [[Category:2021年のサッカー]] [[Category:カタール開催の国際サッカー大会]] [[Category:2021年のカタール]] [[Category:2021年6月]]
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恋は盲目
恋は盲目(こいはもうもく)は、ウィリアム・シェイクスピアの著作からのことわざ。 人間というのは恋に落ちてしまうと夢中になり、常識や理性を失ってしまうということを意味する。盲目とは目が見えないことの他に、他のものが見えなくなるほど理性的な判断ができなくなるという意味でもある。恋は盲目という状態になったならば、恋をしている相手以外が視野に入らなくなってしまう。こうなれば相手ファーストになり、相手が酷いことを言ったり暴力を振るうために周りの人があの人はやめた方が良いとアドバイスをしても、それを受け入れ難くなる。 ウィリアム・シェイクスピアのヴェニスの商人という作品からの言葉。金融業を営むユダヤ教徒の娘がキリスト教徒と恋仲になり駆け落ちを決意する。この時に少年の服を着た娘が自身を恥ずかしながら呟いた言葉が、恋は盲目で自分たちがいかに愚かなことをしているのか分からないものねであった。
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恋は盲目(こいはもうもく)は、ウィリアム・シェイクスピアの著作からのことわざ。
'''恋は盲目'''(こいはもうもく)は、[[ウィリアム・シェイクスピア]]の[[著作]]からの[[ことわざ]]。 == 概要 == [[人間]]というのは[[恋]]に落ちてしまうと夢中になり、[[常識]]や[[理性]]を失ってしまうということを意味する。[[盲目]]とは目が見えないことの他に、他のものが見えなくなるほど理性的な[[判断]]ができなくなるという[[意味]]でもある。恋は盲目という状態になったならば、恋をしている相手以外が視野に入らなくなってしまう。こうなれば相手ファーストになり、相手が酷いことを言ったり[[暴力]]を振るうために周りの人があの人はやめた方が良いと[[アドバイス]]をしても、それを受け入れ難くなる<ref>{{Cite web |title=「恋は盲目」とは? 意味や「恋は盲目」になりやすい人の特徴について紹介 |url=https://domani.shogakukan.co.jp/897151 |website=Domani |date=2023-09-02 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref>。 === 歴史 === ウィリアム・シェイクスピアの[[ヴェニスの商人]]という作品からの言葉。[[金融業]]を営む[[ユダヤ教]]徒の娘が[[キリスト教]]徒と恋仲になり駆け落ちを決意する。この時に少年の[[服]]を着た娘が自身を恥ずかしながら呟いた言葉が、恋は盲目で自分たちがいかに愚かなことをしているのか分からないものねであった<ref>{{Cite web |title=恋は盲目(こいはもうもく)とは? 意味や使い方 |url=https://kotobank.jp/word/%E6%81%8B%E3%81%AF%E7%9B%B2%E7%9B%AE-493536 |website=コトバンク |access-date=2023-12-24 |language=ja |first=精選版 |last=日本国語大辞典,デジタル大辞泉,故事成語を知る辞典}}</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}}{{デフォルトソート:こいはもうもく}} [[Category:ことわざ]]
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日本テレビ系ドラマ 同窓会 オリジナルサウンドトラック
『日本テレビ系ドラマ 同窓会 オリジナルサウンドトラック』(にほんテレビけいドラマ どうそうかい オリジナルサウンドトラック)は、渡辺俊幸による日本テレビ系ドラマ『同窓会』のサウンドトラック。1993年12月21日にバップより発売された。 通常盤のみの1形態で発売。渡辺俊幸が音楽を担当する日本テレビ系ドラマ『同窓会』のサウンドトラックで、主題歌であるMr.Childrenの「CROSS ROAD」や挿入歌である米川英之の「同窓会」のほか、両曲のアレンジ・バージョンを含むドラマの劇伴を全22曲収録している。
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『日本テレビ系ドラマ 同窓会 オリジナルサウンドトラック』は、渡辺俊幸による日本テレビ系ドラマ『同窓会』のサウンドトラック。1993年12月21日にバップより発売された。
{{Pathnav|水曜ドラマ (日本テレビ)|同窓会 (テレビドラマ)|frame=2}} {{Infobox Album | Name = 日本テレビ系ドラマ 同窓会 オリジナルサウンドトラック | Type = soundtrack | Artist = [[渡辺俊幸]] | Released = 1993年12月21日 | Recorded = {{Plainlist| * [[サウンドインスタジオ|Sound Inn Studios]] * Music Inn }} | Genre = [[サウンドトラック]] | Length = 48分18秒 | Label = [[バップ]] | Producer = {{Plainlist| * 松根丈 * [[吉田政美]] }} | Chart position = | Certification = | Last album = ふぁんたじあ マロンは今日も元気なのね<br />(1993年) | This album = '''日本テレビ系ドラマ 同窓会<br />オリジナルサウンドトラック'''<br />(1993年) | Next album = NHK連続テレビ小説「かりん」<br />オリジナル・サウンドトラック<br />(1994年) | EAN = {{EAN|4988021810388}}<br />(VPCD-81038) | Misc = }} 『'''日本テレビ系ドラマ 同窓会 オリジナルサウンドトラック'''』(にほんテレビけいドラマ どうそうかい オリジナルサウンドトラック)は、[[渡辺俊幸]]による[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系ドラマ『[[同窓会 (テレビドラマ)|同窓会]]』の[[サウンドトラック]]。1993年12月21日に[[バップ]]より発売された<ref name="CDジャーナル">{{Cite web |和書 |url=https://www.cdjournal.com/i/disc/-/1194020376 |title=「同窓会」オリジナルサウンドトラック / 渡辺俊幸 [廃盤<nowiki>]</nowiki> |publisher=[[音楽出版社 (企業)|CDJournal]] |accessdate=2023-12-24}}</ref>。 == リリース・音楽性 == 通常盤のみの1形態で発売。[[渡辺俊幸]]が音楽を担当する[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系ドラマ『[[同窓会 (テレビドラマ)|同窓会]]』の[[サウンドトラック]]で、主題歌である[[Mr.Children]]の「[[CROSS ROAD (Mr.Childrenの曲)|CROSS ROAD]]」や挿入歌である[[米川英之]]の「[[同窓会 (米川英之の曲)|同窓会]]」のほか、両曲のアレンジ・バージョンを含むドラマの[[劇伴]]を全22曲収録している<ref name="CDジャーナル" />。 == 収録曲 == * 全作曲・編曲:[[渡辺俊幸]](#7, #13, #14, #21, #22除く) / プロデュース:松根丈・[[吉田政美]] # '''The Springtime of Life''' [2:35] # '''Vally View''' [1:52] # '''Memory of Pain''' [2:02] # '''Splash (Theme)''' [1:46] # '''Good Fellows''' [2:00] # '''Smiling Faces''' [2:10] # '''[[同窓会 (米川英之の曲)|同窓会]]''' [5:00] #* 作詞:[[井沢満]] / 作曲:[[米川英之]] / 編曲:[[難波弘之]]・米川英之 #: 米川英之の2ndシングル。 # '''Mistral''' [1:59] # '''Peace of Mind''' [2:19] # '''Splash (Love)''' [1:53] # '''Stormy Night''' [1:30] # '''Shadow of Darkness''' [1:19] # '''[[CROSS ROAD (Mr.Childrenの曲)|CROSS ROAD]] (Ballad)''' [1:43] #* 作曲:[[桜井和寿]] / 編曲:渡辺俊幸 #: [[Mr.Children]]の4thシングルのインストゥルメンタル・アレンジ・バージョン。 # '''同窓会 (Medium)''' [2:01] #* 作曲:米川英之 / 編曲:渡辺俊幸 #: 米川英之の2ndシングルのインストゥルメンタル・アレンジ・バージョン。 # '''Moody Clouds''' [1:16] # '''Beyond the Wave''' [2:00] # '''Splash (Suffering)''' [1:36] # '''No Way Out''' [1:17] # '''Wandering Soul''' [2:19] # '''Mind Winter''' [1:39] # '''同窓会 (Ballad)''' [2:17] #* 作曲:米川英之 / 編曲:渡辺俊幸 #: 米川英之の2ndシングルのインストゥルメンタル・アレンジ・バージョン。 # '''CROSS ROAD''' [4:33] #* 作詞・作曲:桜井和寿 / 編曲:[[小林武史]] & Mr.Children #: Mr.Childrenの4thシングル。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * 歌詞 ** {{歌ネット|id=3209|song=「同窓会」}} ** {{歌ネット|id=1725|song=「CROSS ROAD」}} {{DEFAULTSORT:にほんてれひけいとらまとうそうかいおりしなるさうんととらつく}} [[Category:1993年のサウンドトラック]] [[Category:バップのアルバム]] [[Category:テレビドラマのサウンドトラック]]
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RIZIN LANDMARK 8
RIZIN LANDMARK 8 in SAGA(ライジン・ランドマーク・エイト・イン・サガ)は、日本の総合格闘技団体「RIZIN」の大会の一つ。 2024年2月24日に佐賀県佐賀市SAGAアリーナで開催予定。 2024年の開幕戦。RIZIN LANDMARKとして8回目の大会で、RIZIN初の佐賀県での開催となる。 第1試合 MMAルール 57.0kg契約ワンマッチ ジャスティン・スコッギンス vs. ホジェリオ・ボントリン
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RIZIN LANDMARK 8 in SAGA(ライジン・ランドマーク・エイト・イン・サガ)は、日本の総合格闘技団体「RIZIN」の大会の一つ。 2024年2月24日に佐賀県佐賀市SAGAアリーナで開催予定。
{{出典の明記|date=2023年12月}} {{予定されているスポーツイベント|event=RIZIN|date=2023年10月26日 (木) 08:57 (UTC)}} {{Infobox MMA event | 大会名 = RIZIN LANDMARK 8 | 画像 = | シリーズ = [[RIZIN FIGHTING FEDERATION|RIZIN]] | 主催 = RIZIN FF事務局 | 開催年月日 = [[2024年]][[2月24日]] | 開催地 = {{JPN}}<BR />{{Flagicon|佐賀県}}[[佐賀県]][[佐賀市]] | 会場 = [[SAGAアリーナ]] | 開始時刻 = 午後2時 | 試合数 = 未定 | 放送局 = | 入場者数 = | 入場収益 = | PPV購入数 = | PPV収益 = | 報酬総額 = | 備考 = | 前大会 = [[RIZIN.45]] | 次大会 = [[RIZIN.46]] }} '''RIZIN LANDMARK 8 in SAGA'''(ライジン・ランドマーク・エイト・イン・サガ)は、[[日本]]の[[総合格闘技]]団体「[[RIZIN FIGHTING FEDERATION|RIZIN]]」の大会の一つ。 [[2024年]][[2月24日]]に[[佐賀県]][[佐賀市]][[SAGAアリーナ]]で開催予定。 == 概要 == 2024年の開幕戦。RIZIN LANDMARKとして8回目の大会で、RIZIN初の佐賀県での開催となる。 == 対戦カード == ;MMAルール 71.0kg契約ワンマッチ 5分3R : {{Flagicon|BRA}} [[ルイス・グスタボ]] vs. {{Flagicon|JPN}} [[堀江圭功]] ;MMAルール 66.0kg契約ワンマッチ 5分3R : {{Flagicon|AZE}} [[ヴガール・ケラモフ]] vs. {{Flagicon|JPN}} [[摩嶋一整]] == 外部リンク == * [https://jp.rizinff.com/_ct/17673870 RIZIN公式サイト] {{RIZINの大会}} {{DEFAULTSORT:Rizin Landmark 8}} [[Category:RIZINの大会|Landmark 8]] [[Category:2024年の日本のスポーツ]] [[Category:2024年の総合格闘技]] [[Category:佐賀県のスポーツ史]] [[Category:佐賀市のスポーツ]] [[Category:佐賀市の歴史]] [[Category:2024年2月]]
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パウリ反応
パウリ反応(パウリはんのう、ポーリー反応、英: Pauly reaction)は、タンパク質中のチロシンおよびヒスチジンを検出するために用いられる反応である。 ドイツの化学者 ヘルマン・パウリ(Hermann Pauly)によって初めて報告された。 本反応では、チロシンもしくはヒスチジンを含有するタンパク質に対してアルカリ性条件下でジアゾ化されたスルファニル酸を作用させると、 ジアゾカップリング反応により赤色を呈する。 対照染色として、硫酸亜鉛水溶液によって前処理した試料に対してパウリ反応を行うことがある。この前処理によりヒスチジンは非特異的な黄色を示すようになる一方で、チロシンやウロカニン酸は前処理の影響を受けない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "パウリ反応(パウリはんのう、ポーリー反応、英: Pauly reaction)は、タンパク質中のチロシンおよびヒスチジンを検出するために用いられる反応である。 ドイツの化学者 ヘルマン・パウリ(Hermann Pauly)によって初めて報告された。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "本反応では、チロシンもしくはヒスチジンを含有するタンパク質に対してアルカリ性条件下でジアゾ化されたスルファニル酸を作用させると、 ジアゾカップリング反応により赤色を呈する。 対照染色として、硫酸亜鉛水溶液によって前処理した試料に対してパウリ反応を行うことがある。この前処理によりヒスチジンは非特異的な黄色を示すようになる一方で、チロシンやウロカニン酸は前処理の影響を受けない。", "title": "概要" } ]
パウリ反応は、タンパク質中のチロシンおよびヒスチジンを検出するために用いられる反応である。 ドイツの化学者 ヘルマン・パウリによって初めて報告された。
'''パウリ反応'''(パウリはんのう、ポーリー反応、{{lang-en-short|Pauly reaction}})は、タンパク質中の[[チロシン]]および[[ヒスチジン]]を検出するために用いられる反応である。 ドイツの化学者 [[ヘルマン・パウリ]](''Hermann Pauly'')によって初めて報告された。<ref>{{Citation|title=Über die Konstitution des Histidins. I. Mitteilung|last=Pauly|first=H|year=1904|url=https://zenodo.org/record/1448768|journal=Z. Physiol. Chem.|volume=42|issue=5–6|pages=508–518|doi=10.1515/bchm2.1904.42.5-6.508}}</ref> == 概要 == 本反応では、チロシンもしくはヒスチジンを含有するタンパク質に対してアルカリ性条件下でジアゾ化された[[スルファニル酸]]を作用させると、 [[アゾカップリング|ジアゾカップリング反応]]により赤色を呈する。<ref>{{Cite book |last=Debajyoti Das |title=Biochemistry |url=https://books.google.com/books?id=QqXpWJHICUYC&pg=PA56 |year=1980 |publisher=Academic Publishers |isbn=978-93-80599-17-5 |page=56}}</ref><ref>{{Cite book |last=John Henry Gaddum |title=Vasodilator Substances of the Tissues |url=https://books.google.com/books?id=czQ9AAAAIAAJ&pg=PA41 |year=1986 |publisher=CUP Archive |isbn=978-0-521-30860-1 |page=41}}</ref><ref>{{Cite book |last=P. M. Swamy |title=Laboratory Manual on Biotechnology |url=https://books.google.com/books?id=_oFtJObOYTIC&pg=PA90 |year=2008 |publisher=Rastogi Publications |isbn=978-81-7133-918-1 |page=90}}</ref><ref>{{Cite book |last=Joe Regenstein |title=Food Protein Chemistry: An Introduction for Food Scientists |url=https://books.google.com/books?id=OzL_W89s0qcC&pg=PA35 |date=28 August 1984 |publisher=Elsevier |isbn=978-0-323-15386-7 |page=35}}</ref> 対照染色として、硫酸亜鉛水溶液によって前処理した試料に対してパウリ反応を行うことがある。この前処理によりヒスチジンは非特異的な黄色を示すようになる一方で、チロシンや[[ウロカニン酸]]は前処理の影響を受けない。<ref>{{Cite journal|last=Reaven|first=E. P.|last2=Cox|first2=A. J.|date=1965-12|title=Histidine and keratinization|url=https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/5846997|journal=The Journal of Investigative Dermatology|volume=45|issue=6|pages=422–431|issn=0022-202X|pmid=5846997}}</ref> == 引用文献 == {{Reflist}} [[Category:人名反応]] {{DEFAULTSORT:ぱうりはんのう}}
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岸本義広選挙違反事件
岸本義広選挙違反事件(きしもとよしひろせんきょいはんじけん)とは1960年の第29回衆議院議員総選挙において起きた岸本義広陣営による公職選挙法違反事件である。 元検察幹部の岸本は1960年11月20日に投票日が設定された第29回衆議院議員総選挙で大阪5区から自民党公認候補として立候補して当選した。 大阪地検は9カ月にもわたって岸本陣営を捜査し、運動員ら約200人を被疑者として取調べた。岸本の家族にも捜査は及び、岸本の妻は起訴猶予となるが、岸本の実兄と次男は起訴された。岸本本人も出納責任者と共謀して17人の運動員に場一周資金や運動報酬として約433万円の現金を渡した買収の罪で在宅起訴された。最終的に訴追された者は144人(公判請求が58人・略式請求が86人)にのぼり、当時としては選挙史上最大の違反事件であった。 岸本は1963年暮れの大阪地裁の求刑公判で大阪地検から「選挙史上まれにみる悪質な事件である。候補者自身が裏金の責任者を決めて買収した計画的犯行であり、法廷でも嘘の供述を重ねたりして反省の色は全くない」として禁錮2年6ヵ月が求刑され、1964年3月9日に大阪地裁から322万円の現金を渡した買収の罪を認定して禁錮1年執行猶予3年公民権停止3年の有罪判決が言い渡された。この判決までに1963年11月の衆院選で落選していた。控訴中の1965年9月に静養先である山梨県の増富温泉で死去して公訴棄却となった。
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岸本義広選挙違反事件(きしもとよしひろせんきょいはんじけん)とは1960年の第29回衆議院議員総選挙において起きた岸本義広陣営による公職選挙法違反事件である。
'''岸本義広選挙違反事件'''(きしもとよしひろせんきょいはんじけん)とは[[1960年]]の[[第29回衆議院議員総選挙]]において起きた[[岸本義広]]陣営による[[公職選挙法]]違反事件である。 == 経緯 == 元・検察幹部の岸本は1960年[[11月20日]]に投票日が設定された第29回衆議院議員総選挙で[[大阪府第5区 (中選挙区)|大阪5区]]から[[自由民主党 (日本)|自民党]]公認候補として立候補して当選した{{Sfnp|野村二郎|1991|p=53}}{{Sfnp|渡邊文幸|2009|p=126}}{{Sfnp|澤田東洋男|1984|pp=188-193}}。 [[大阪地方検察庁|大阪地検]]は9か月にもわたって岸本陣営を捜査し、運動員ら約200人を被疑者として取調べた{{Sfnp|渡邊文幸|2009|p=126}}。岸本の家族にも捜査は及び、岸本の妻は[[起訴猶予処分|起訴猶予]]となるが、岸本の実兄と次男は[[起訴]]された{{Sfnp|渡邊文幸|2009|p=126}}。岸本本人も[[連座制#連座制に関する判例|出納責任者]]と共謀して17人の運動員に買収資金や運動報酬として約433万円の現金を渡した買収の罪で[[起訴#刑事訴訟|在宅起訴]]された{{Sfnp|渡邊文幸|2009|pp=126-127}}。最終的に訴追された者は144人(公判請求が58人・略式請求が86人)にのぼり、当時としては選挙史上最大の違反事件であった{{Sfnp|渡邊文幸|2009|p=126}}{{Sfnp|山本祐司|2002|p=209}}。 岸本は[[1963年]]暮れの[[大阪地方裁判所|大阪地裁]]の求刑公判で大阪地検から「選挙史上まれにみる悪質な事件である。候補者自身が裏金の責任者を決めて買収した計画的犯行であり、法廷でも嘘の供述を重ねたりして反省の色は全くない。」として禁錮2年6ヵ月を求刑され、[[1964年]][[3月9日]]に大阪地裁から322万円の現金を渡した買収の罪を認定して[[禁錮#日本の禁錮|禁錮]]1年[[執行猶予#日本法における執行猶予|執行猶予]]3年[[公民権#公職選挙法等(公民権の停止)|公民権停止]]3年の有罪判決を言い渡された{{Sfnp|山本祐司|2002|p=211}}{{Sfnp|野村二郎|1984|p=116}}{{Sfnp|倉山満|2018|p=211}}。なお、岸本はこの判決までに1963年11月の[[第30回衆議院議員総選挙|衆院選]]で落選している。また、岸本が控訴中の[[1965年]]9月に静養先である[[山梨県]]の[[増富温泉]]で死去したため[[公訴棄却]]となった{{Sfnp|倉山満|2018|p=211}}{{Sfnp|渡邊文幸|2009|p=127}}<ref>{{Cite news|和書|title=岸本前代議士に有罪判決 買収の共謀認む 禁固一年三月執行猶予三年 大阪地裁支部|newspaper=[[朝日新聞]]|publisher=[[朝日新聞社]]|date=1961-10-25}}</ref>。 == その他 == *検察が先輩である岸本を[[選挙違反]]で訴追したことについて捜査を担当した検察幹部は「違反があれば捜査をするのが当たり前」としていた{{Sfnp|野村二郎|1991|p=54}}。しかし、この事件には検察内部に長らく存在した岸本がトップの岸本派と[[馬場義続]][[検事総長]]がトップの馬場義続派との派閥抗争としての側面があると語る者もいる。法務・検察で主要ポストを務めていた岸本は検事総長を目指しながら、検事総長を断念せざるを得なくなって1960年4月に[[東京高等検察庁#歴代検事長|東京高検検事長]]を最後に定年退官で検察を去ったが、[[大野伴睦]][[自民党副総裁]]等の有力政治家の支援を受けて衆院選で当選し衆議院議員となった後に[[法務大臣]]になって、馬場義続派が多い検察幹部の総入れ替えをはじめとして法務・検察の人事を支配しようとしていたという{{Sfnp|野村二郎|1991|p=54}}{{Sfnp|倉山満|2018|p=210}}。派閥抗争の経緯もあり、馬場によって岸本の選挙違反を追及することが岸本義広派の復活を阻止する最も効果的な方法であったことで岸本の選挙違反摘発は「馬場の追撃戦」と呼ばれ、岸本が刑事被告人になって法務大臣就任が難しくなったことは派閥抗争で馬場が完勝したことを意味した{{Sfnp|野村二郎|1984|p=116}}。なお、岸本の選挙違反の捜査を大阪地検検事正として担当した[[橋本乾三]]は岸本義広派とされた人物であり、これは岸本派の壊滅を意味した{{Sfnp|渡邊文幸|2009|p=126}}{{Sfnp|渡邊文幸|2005|p=209}}。 *大阪地裁での第2回公判は[[1961年]][[10月10日]]に指定されていたが、岸本が前日の10月9日に[[衆議院]][[災害対策特別委員会]]委員として台風被害の災害対策に当たる必要があったため、当日は法廷に出頭できないことにより公判延期願が出されたことで同年10月10日の指定は取り消されて第2回公判は同年[[10月16日]]に指定されたものの、それも衆議院災害対策特別委員会が開かれるとして公判延期願が出されたことで同年10月16日の指定も取り消され、最終的に第2回公判は[[10月30日]]となった<ref name="asahi197611017">{{Cite news|和書|title=延期策に地検怒る 岸本公判、またお流れ|newspaper=朝日新聞|publisher=朝日新聞社|date=1961-10-17}}</ref><ref>{{Cite news|和書|title=岸本代議士が出廷 公選法違反第二回公判|newspaper=朝日新聞|publisher=朝日新聞社|date=1961-10-31}}</ref>。2回にわたる公判延期について大阪地検が「次回公判は被告欠席のまま開廷し、不出廷の理由をただしたい」とする開廷要望書を裁判長あてに提出した他、[[横田喜三郎]][[最高裁判所長官|最高裁長官]]が遺憾の談話を発表する事態になった{{R|asahi197611017}}<ref>{{Cite news|和書|title=岸本代議士の不出廷は遺憾 横田最高裁長官語る|newspaper=朝日新聞|publisher=朝日新聞社|date=1961-10-25}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 参考文献 == {{脚注の不足|section=1|date=2023年12月29日 (金) 18:28 (UTC)}} *{{Cite book|和書|author=野村二郎|authorlink=野村二郎 (ジャーナリスト)|edition=新版|title=日本の検察|publisher=[[日本評論社]]|date=1991-04|id={{全国書誌番号|91050630}}|isbn=4-535-57935-0|doi=10.11501/12726010|ncid=BN06231817|oclc=673986750|asin=4535579350|ref=harv}} *{{Cite book|和書|author=野村二郎|title=検事総長の戦後史|publisher=[[ビジネス社]]|series=権力者の人物昭和史シリーズ|date=1984-11|id={{全国書誌番号|85014255}}|isbn=4-8284-0211-X|doi=10.11501/12016179|ncid=BN03097332|oclc=15425395|asin=482840211X|ref=harv}} *{{Cite book|和書|author=倉山満|authorlink=倉山満|title=検証 検察庁の近現代史|publisher=[[光文社]]|series=[[光文社新書]]|date=2018-03-20|id={{全国書誌番号|23035993}}|isbn=978-4-334-04341-4|ncid=BB25752200|oclc=1030532025|asin=4334043410|ref=harv}} *{{Cite book|和書|author=山本祐司|authorlink=山本祐司|title=特捜検察|volume=上|volume-title=巨悪・地下水脈との闘い|publisher=[[講談社]]|series=[[講談社+α文庫]]|date=2002-08|id={{全国書誌番号|20304443}}|isbn=4-06-256649-4|ncid=BA62272524|oclc=675776996|asin=4062566494|ref=harv}} *{{Cite book|和書|author=渡邊文幸|title=検事総長 : 政治と検察のあいだで|publisher=[[中央公論新社]]|series=[[中公新書#姉妹シリーズ|中公新書ラクレ]]|date=2009-10-11|id={{全国書誌番号|21694614}}|isbn=978-4-12-150331-2|ncid=BA91572000|oclc=675596700|asin=4121503317|ref=harv}} *{{Cite book|和書|author=渡邊文幸|title=指揮権発動 : 造船疑獄と戦後検察の確立|publisher=[[信山社出版|信山社]]|date=2005-07|id={{全国書誌番号|20859118}}|isbn=4-7972-2434-7|ncid=BA73060641|oclc=676173754|asin=4797224347|ref=harv}} *{{Cite book|和書|author=澤田東洋男|title=汚れた法衣 : ドキュメント・司法記者|publisher=[[現代評論社]]|date=1984-07|id={{全国書誌番号|85021908}}|doi=10.11501/12015065|ncid=BN01765552|oclc=673028456|asin=B000J70O1Y|ref=harv}} *{{Cite book|和書|author=澤田東洋男|title=検察を斬る|publisher=[[図書出版社]]|date=1988-12|id={{全国書誌番号|89010710}}|isbn=9784809901300|doi=10.11501/12722092|ncid=BN0288431X|oclc=674422522|asin=4809901300|ref=harv}} *{{Cite book|和書|author=小林修|title=年表 昭和の事故・事件史|publisher= [[東方出版]]|date=1989-09|id={{全国書誌番号|90022132}}|isbn=4-88591-220-2|ncid=BN03772118|oclc=674077075|asin=4885912202|ref=harv}} {{デフォルトソート:きしもとよしひろせんきよいはんしけん}} [[Category:日本の不正選挙]] [[Category:1960年日本の選挙]] [[Category:1960年の日本の事件]] [[Category:自由民主党の事件]] [[Category:大阪府の選挙]]
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植谷久三
植谷 久三(うえたに ひさみつ、1911年9月10日 - 2004年11月26日)は、日本の経営者。山一證券社長、会長を務めた。三重県出身。 1935年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に山一證券に入社。 1954年に取締役に就任し、1958年に常務、1966年9月に専務を経て、1968年11月に副社長に就任し、1972年5月には社長に昇格。1980年12月に会長に就任し、1987年4月に取締役相談役に就任。 1977年10月に藍綬褒章を受章し、1984年11月に勲一等瑞宝章を受章。 2004年11月26日老衰のために死去。93歳没。
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植谷 久三は、日本の経営者。山一證券社長、会長を務めた。三重県出身。
'''植谷 久三'''(うえたに ひさみつ、[[1911年]][[9月10日]] - [[2004年]][[11月26日]])は、日本の[[経営者]]。[[山一證券]]社長、会長を務めた。[[三重県]]出身{{sfn|人事興信所|1991|loc=う61頁|ref=jinji-36-jo}}。 == 経歴 == [[1935年]]に[[東京大学|東京帝国大学]]経済学部を卒業し、同年に[[山一證券]]に入社{{sfn|人事興信所|1991|loc=う61頁|ref=jinji-36-jo}}。 [[1954年]]に取締役に就任し、[[1958年]]に常務、[[1966年]]9月に専務を経て、[[1968年]]11月に副社長に就任し、[[1972年]]5月には社長に昇格{{sfn|人事興信所|1991|loc=う61頁|ref=jinji-36-jo}}。[[1980年]]12月に会長に就任し、[[1987年]]4月に取締役相談役に就任{{sfn|人事興信所|1991|loc=う61頁|ref=jinji-36-jo}}。 [[1977年]]10月に[[褒章|藍綬褒章]]を受章し、[[1984年]]11月に[[瑞宝大綬章|勲一等瑞宝章]]を受章{{sfn|人事興信所|1991|loc=う61頁|ref=jinji-36-jo}}。 [[2004年]][[11月26日]][[老衰]]のために死去<ref>2004年 12月4日 日本経済新聞 朝刊 p39</ref>。{{没年齢|1911|9|10|2004|11|26}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|author = 人事興信所 編|title = 人事興信録 第36版 上|publisher = 人事興信所|series = |volume = |edition = |date = 1991|pages = |url = |ref = jinji-36-jo}} {{先代次代|山一證券社長|第9代:1972年 - 1980年|[[日高輝]]|[[横田良男]]}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:うえたに ひさみつ}} [[Category:20世紀日本の実業家]] [[Category:山一證券の人物]] [[Category:藍綬褒章受章者]] [[Category:勲一等瑞宝章受章者]] [[Category:東京大学出身の人物]] [[Category:三重県出身の人物]] [[Category:1911年生]] [[Category:2004年没]]
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宇野亨選挙違反事件
宇野亨選挙違反事件(うのとおるせんきょいはんじけん)は1979年の第35回衆議院議員総選挙において起きた宇野亨陣営による公職選挙法違反事件である。 1979年10月7日に投票日が設定された第35回衆議院議員総選挙で千葉2区から立候補していた宇野亨前衆議院議員は前月の9月から10月にかけて3億2000万円の選挙運動を用意し、うち2億5000万円が買収資金として選挙運動員である義弟や実弟や私設秘書に対して交付された。 選挙終了後に捜査機関によって捜査が行われ、1200人を超える人間が取り調べを受けた。その結果、宇野亨陣営が全有権者約49万人を対象に後援会に入るように工作し、署名した11人の有権者に対して有権者1人につき2000円で票買いをし、金を受け取った有権者は2万人以上にものぼった。この買収計画には宇野亨を頂点に総括主宰者と検察に判断された実弟、私設秘書、市町村責任者、地区責任者、下部運動員、有権者と繋がる巨大なピラミッド型の買収組織が構築されていたことが明らかになった。 宇野や義弟や実弟や私設秘書や選挙運動員等について逮捕者約281人を含めて1695人が検挙され、計133人が正式裁判として起訴された。宇野は事件発覚直後に病気入院したこともあり逮捕がされないまま12月19日に在宅起訴となった。宇野は衆議院議員辞職を拒否したが1980年5月の衆議院解散による衆議院議員失職後した後に行われた同年6月の第36回衆議院議員総選挙に立候補をせずに政界を引退した。 刑事訴訟において1984年1月までに起訴された全員の有罪が確定し、主だった被告人に以下の判決が確定した。
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宇野亨選挙違反事件(うのとおるせんきょいはんじけん)は1979年の第35回衆議院議員総選挙において起きた宇野亨陣営による公職選挙法違反事件である。
'''宇野亨選挙違反事件'''(うのとおるせんきょいはんじけん)は[[1979年]]の[[第35回衆議院議員総選挙]]において起きた[[宇野亨]]陣営による[[公職選挙法]]違反事件である。 == 概要 == 1979年[[10月7日]]に投票日が設定された第35回衆議院議員総選挙で[[千葉県第2区 (中選挙区)|千葉2区]]から立候補していた[[宇野亨]]前衆議院議員は前月の9月から10月にかけて3億2000万円の選挙資金を用意し、うち2億5000万円が買収資金として選挙運動員である義弟や実弟、私設秘書に対して交付された<ref name="asahi19791219">{{Cite news|和書|title=宇野代議士を起訴 一億百六十万円の買収資金交付で 千葉地検|newspaper=[[朝日新聞]]|publisher=[[朝日新聞社]]|date=1979-12-19}}</ref>。 選挙終了後に捜査機関によって捜査が行われ、1200人を超える人間が取り調べを受けた{{R|asahi19791219}}。その結果、宇野亨陣営が全[[有権者]]約49万人を対象に後援会に入るように工作し、署名した11人の有権者に対して有権者1人につき2000円で票買いをし、金銭を受け取った有権者は2万人以上にものぼった{{R|asahi19791219}}<ref name="nikkei19820723">{{Cite news|和書|title=千葉地裁、公選法違反の宇野亨に実刑4年――金権選挙に断。|newspaper=[[日本経済新聞]]|publisher=[[日本経済新聞社]]|date=1982-07-23}}</ref>。この買収計画には宇野亨を頂点に総括主宰者と検察に判断された実弟、私設秘書、市町村責任者、地区責任者、下部運動員、有権者と繋がる巨大なピラミッド型の買収組織が構築されていたことが明らかになった{{R|asahi19791219}}。 宇野と義弟や実弟、私設秘書や選挙運動員等について逮捕者約281人を含む1695人が検挙され、計133人が正式裁判として起訴された{{R|asahi19791219}}<ref name="nikkei19820512">{{Cite news|和書|title=千葉地裁、金権選挙で宇野被告に5年求刑――54年衆院選で2億5000万円の買収|newspaper=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|date=1982-05-12}}</ref><ref>{{Cite news|和書|title=宇野前代議士に懲役4年 「二億余円の買収指導」 公選法違反で最重刑 千葉地裁判決|newspaper=朝日新聞|publisher=朝日新聞社|date=1982-07-23}}</ref>。宇野は事件発覚直後に病気入院したこともあり逮捕されないまま[[12月19日]]に在宅起訴となった{{R|asahi19791219}}。宇野は衆議院議員の辞職を拒否したが[[1980年]]5月の[[ハプニング解散|衆議院解散]]による衆議院議員の失職後に行われた同年6月の[[第36回衆議院議員総選挙]]に立候補せずに政界を引退した<ref name="nikkei19840131">{{Cite news|和書|title=金権選挙の宇野亨元代議士の実刑確定――最高裁が上告棄却|newspaper=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|date=1984-01-31}}</ref>。 刑事訴訟において[[1984年]]1月までに起訴された全員の有罪が確定し、主だった被告人について以下の判決が確定した{{R|nikkei19820723|nikkei19840131}}。 *宇野亨 - 懲役4年 *宇野亨の実弟 - 懲役3年 *宇野亨の義弟 - 懲役2年6月 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} ==参考文献== {{参照方法|section=1|date=2023年12月29日 (金) 18:47 (UTC)}} *{{Cite book|和書|author=小林修|title=年表 昭和の事故・事件史|publisher=[[東方出版]]|date=1989-09|id={{全国書誌番号|90022132}}|isbn=4-88591-220-2|ncid=BN03772118|oclc=674077075|asin=4885912202|ref=harv}} {{デフォルトソート:うのとおるせんきよいはんしけん}} [[Category:日本の不正選挙]] [[Category:1979年日本の選挙]] [[Category:1979年の日本の事件]] [[Category:1979年9月]] [[Category:1979年10月]] [[Category:自由民主党の事件]] [[Category:千葉県の選挙]]
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横田良男
横田 良男(よこた よしお、1924年3月13日 - )は、日本の経営者。山一證券社長、会長を務めた。岐阜県出身。 1948年に東京大学法学部を卒業し、同年に山一證券に入社。1969年11月に常務に就任し、1973年1月に専務、1975年11月に副社長を経て、1980年12月に社長に就任。1988年9月に会長に就任し、1992年6月に取締役相談役に就任。 1986年11月に藍綬褒章を受章。
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'''横田 良男'''(よこた よしお、[[1924年]][[3月13日]] - )は、日本の[[経営者]]。[[山一證券]]社長、会長を務めた。[[岐阜県]]出身{{sfn|人事興信所|1991|loc=よ16、よ17頁|ref=jinji-36-ge}}。 ==経歴・人物== [[1948年]]に[[東京大学]]法学部を卒業し、同年に[[山一證券]]に入社{{sfn|人事興信所|1991|loc=よ16、よ17頁|ref=jinji-36-ge}}。[[1969年]]11月に常務に就任し、[[1973年]]1月に専務、[[1975年]]11月に副社長を経て、[[1980年]]12月に社長に就任{{sfn|人事興信所|1991|loc=よ16、よ17頁|ref=jinji-36-ge}}。[[1988年]]9月に会長に就任し、[[1992年]]6月に取締役相談役に就任{{sfn|人事興信所|1991|loc=よ16、よ17頁|ref=jinji-36-ge}}<ref>1992年 4月15日 日本経済新聞 朝刊 p14</ref>。 [[1986年]]11月に[[褒章|藍綬褒章]]を受章{{sfn|人事興信所|1991|loc=よ16、よ17頁|ref=jinji-36-ge}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|author = 人事興信所 編|title = 人事興信録 第36版 下|publisher = 人事興信所|series = |volume = |edition = |date = 1991|pages = |url = |ref = jinji-36-ge}} {{先代次代|山一證券社長|第10代:1980年 - 1988年|[[植谷久三]]|[[行平次雄]]}} {{デフォルトソート:よこた よしお}} [[Category:20世紀日本の実業家]] [[Category:山一證券の人物]] [[Category:藍綬褒章受章者]] [[Category:東京大学出身の人物]] [[Category:岐阜県出身の人物]] [[Category:1924年生]] [[Category:存命人物]]
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言語図書局
言語図書局 (げんごとしょきょく、マレー語: Dewan Bahasa dan Pustaka、DBP) とは、マレーシアの国語・公用語であるマレー語の普及と地位向上を目的とする、マレーシアの政府機関である。 1956年、国語としてのマレー語の地位向上、マレー語文学の発展、マレー語の綴りの標準化などを担う国立の機関として設置される。2006年には、マハラジャレラ駅付近にDBPタワーが建設された。 言語図書局は、マレー語の正書法を整備した。また、近代的な事柄を語るための語彙がマレー語で発達していなかったことを受け、様々な分野の専門家たちとともに用語を整備した。 また、言語図書局は辞典の編纂にも取り組んでいる。1970年にはマレー語辞典『カモス・デワヌ (Kamus Dewan)』の初版を刊行し、2005年には第4版を刊行した。さらに、2020年には新しいマレー語辞典『カモス・デワヌ・プータナ (Kamus Dewan Perdana)』を刊行した。 言語図書局は出版社として、学習書、教養雑誌、文学作品、辞書、専門書などを出版しているが、そのほとんどはマレー語で書かれたものである。また、他言語で書かれた文学のマレー語への翻訳も行っている。他にも、マレー語の魅力をアピールしたり、マレー語で創作活動を行う人材を育成したりするために、言語・文学関連の講座や各種コンテストを開催している。 なお、マレーシアでは、教育省の管轄下で言語図書局が作成する教科書しか使用が認められていない。そのため、野元裕樹は言語図書局について「マレーシア人なら誰でもその名を聞いたことがあるし、何をやっているか具体的なイメージがわく」と述べている。 2023年に、野元裕樹は言語図書局 (DBP) について「マレー語が近代言語として発達し、広く用いられるようになった現在、設立当初の規範の提示者としての役割は終わりつつあると思われる。だが、その認識は当のDBPにはないようだ。最近のDBPは誤用やことばの乱れを取り締まる『ことばポリス』的なことをしたり、語彙や文法に対して人為的な規則を提案したりして、規範の提示者であり続けようとしている」と評している。 戸加里康子は、言語図書局の誕生によりマレー語書籍の出版が活発化し、若い文学者グループが活躍するようになったと指摘するが、一方で「街中の本屋の棚に並んでいるのは、こうした純文学系の小説ではなく、表紙にハートマークが飛んでいるような恋愛小説が多い」とも指摘している。
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言語図書局 とは、マレーシアの国語・公用語であるマレー語の普及と地位向上を目的とする、マレーシアの政府機関である。
[[File:Kuala Lumpur Malaysia-Dewan-Bahasa-Dan-Pustaka-11.jpg|thumb|言語図書局 (2013年)]] '''言語図書局'''(げんごとしょきょく、{{lang-ms|Dewan Bahasa dan Pustaka}}、'''DBP''')とは、[[マレーシア]]の国語・公用語である[[マレー語]]の普及と地位向上を目的とする、マレーシアの政府機関である{{Sfn|野元|2023|p=146}}。 ==沿革== [[1956年]]、国語としてのマレー語の地位向上、マレー語文学の発展、マレー語の綴りの標準化などを担う国立の機関として設置される{{Sfn|戸加里|2023|p=207}}。2006年には、[[マハラジャレラ駅]]付近にDBPタワーが建設された{{Sfn|野元|2023|p=146}}。 ==活動== ===マレー語の整備=== 言語図書局は、マレー語の[[正書法]]を整備した{{Sfn|野元|2023|p=147}}。また、近代的な事柄を語るための語彙がマレー語で発達していなかったことを受け、様々な分野の専門家たちとともに用語を整備した{{Sfn|野元|2023|p=147}}。 また、言語図書局は[[辞典]]の編纂にも取り組んでいる{{Sfn|野元|2023|p=147}}。1970年にはマレー語辞典『カモス・デワヌ (Kamus Dewan)』の初版を刊行し、2005年には第4版を刊行した{{Sfn|野元|2023|p=147}}{{Sfn|野元|2023|p=148}}。さらに、2020年には新しいマレー語辞典『カモス・デワヌ・プータナ (Kamus Dewan Perdana)』を刊行した{{Sfn|野元|2023|p=147}}{{Sfn|野元|2023|p=148}}。 ===出版事業=== 言語図書局は出版社として、学習書、教養雑誌、文学作品、辞書、専門書などを出版しているが、そのほとんどはマレー語で書かれたものである{{Sfn|野元|2023|p=146}}。また、他言語で書かれた文学のマレー語への翻訳も行っている{{Sfn|Haroon & Majid|2015|p=127}}。他にも、マレー語の魅力をアピールしたり、マレー語で創作活動を行う人材を育成したりするために、言語・文学関連の講座や各種コンテストを開催している{{Sfn|野元|2023|p=148}}。 なお、マレーシアでは、教育省の管轄下で言語図書局が作成する[[教科書]]しか使用が認められていない{{Sfn|野元|2023|p=146}}。そのため、野元裕樹は言語図書局について「マレーシア人なら誰でもその名を聞いたことがあるし、何をやっているか具体的なイメージがわく」と述べている{{Sfn|野元|2023|p=146}}。 ==評価== ===マレー語の整備について=== 2023年に、野元裕樹は言語図書局 (DBP) について「マレー語が近代言語として発達し、広く用いられるようになった現在、設立当初の規範の提示者としての役割は終わりつつあると思われる。だが、その認識は当のDBPにはないようだ。最近のDBPは誤用やことばの乱れを取り締まる『ことばポリス』的なことをしたり、語彙や文法に対して人為的な規則を提案したりして、規範の提示者であり続けようとしている」と評している{{Sfn|野元|2023|p=148}}。 ===出版事業について=== 戸加里康子は、言語図書局の誕生によりマレー語書籍の出版が活発化し、若い文学者グループが活躍するようになったと指摘するが{{Sfn|戸加里|2023|p=207}}、一方で「街中の本屋の棚に並んでいるのは、こうした純文学系の小説ではなく、表紙にハートマークが飛んでいるような恋愛小説が多い」とも指摘している{{Sfn|戸加里|2023|p=208}}。 ==脚注== {{reflist|2}} ==参考文献== ===英語文献=== *{{Cite journal |author1=Haslina Haroon |author2=Melati Abdul Majid |title=The translation of foreign novels into Malay by Dewan Bahasa dan Pustaka |journal=Malay Literature |volume=28 |issue=1 |year=2015 |pages=126-156 |doi=10.37052/ml.28(1)no6 }} ===日本語文献=== *{{Cite journal|和書 |author=戸加里康子 |title=マレー人は何を読んでいるか? ヒカヤッから社会的文学へ |journal=マレーシアを知るための58章 |publisher=明石書房 |year=2023 |pages=203-209 |ISBN=978-4-7503-5639-6 }} *{{Cite journal|和書 |author=野元裕樹 |title=DBP (言語図書局) |journal=マレーシアを知るための58章 |publisher=明石書房 |year=2023 |pages=146-149 |ISBN=978-4-7503-5639-6 }} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:けんことしよきよく}} [[Category:マレーシアの文化機関]] [[Category:辞書学]] [[Category:正書法]]
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大神一
大神 一(おおがみ はじめ、1897年2月15日 - 1970年10月12日)は、日本の経営者。 長崎県長崎市出身。1921年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に山一合資(のちの山一證券)に入社。1935年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1954年11月に社長に就任。1964年から1965年までに会長を務めた。 1963年に藍綬褒章を受章。 1970年10月12日慢性腎炎と腸狭窄で死去。73歳没。
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大神 一は、日本の経営者。
'''大神 一'''(おおがみ はじめ、[[1897年]][[2月15日]] - [[1970年]][[10月12日]])は、日本の経営者。 == 経歴・人物 == [[長崎県]][[長崎市]]出身{{sfn|興信データ株式會社|1968|loc=お116頁|ref=jinji-24-jo}}。[[1921年]]に[[東京大学|東京帝国大学]]経済学部を卒業し、同年に山一合資(のちの[[山一證券]])に入社{{sfn|興信データ株式會社|1968|loc=お116頁|ref=jinji-24-jo}}。1935年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、[[1954年]]11月に社長に就任{{sfn|興信データ株式會社|1968|loc=お116頁|ref=jinji-24-jo}}。[[1964年]]から[[1965年]]までに会長を務めた<ref name="yomiuri19701013">1970年 10月13日 読売新聞 朝刊 p16</ref>。 [[1963年]]に[[褒章|藍綬褒章]]を受章{{sfn|興信データ株式會社|1968|loc=お116頁|ref=jinji-24-jo}}。 [[1970年]][[10月12日]]慢性腎炎と腸狭窄で死去<ref name="yomiuri19701013"/>。{{没年齢|1897|2|15|1970|10|12}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|author = 興信データ株式會社| title = 人事興信録 第24版 上| publisher = 興信データ| series = | volume = | edition = | date = 1968| pages = | url = |ref = jinji-24-jo}} {{先代次代|山一證券社長|第7代:1954年 - 1964年|[[小池厚之助]]|[[日高輝]]}} {{デフォルトソート:おおかみ はしめ}} [[Category:20世紀日本の実業家]] [[Category:山一證券の人物]] [[Category:藍綬褒章受章者]] [[Category:東京大学出身の人物]] [[Category:長崎県出身の人物]] [[Category:1897年生]] [[Category:1970年没]]
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創価学会
創価学会(そうかがっかい、英語: Soka Gakkai)は、日本の宗教団体(宗教法人)。日蓮大聖人の仏法を信仰する法華経系の在家仏教団体。 1930年(昭和5年)11月18日、創価教育学会として創立。国内に公称827万世帯の会員(信者)を擁する。創価学会では、信者を「学会員」と称する。 「創価」とは、「価値創造」の意。「生命の尊厳に基づく人類の幸福と世界平和の実現を中心とした価値の創造」を意味する。 『聖教新聞』(日刊紙)、『創価新報』(月刊紙)、『大白蓮華』(月刊誌)などの機関紙誌を発行。 1964年(昭和39年)に結党された日本初の宗教政党である公明党の支持母体である。 1930年(昭和5年)、尋常小学校の校長であった牧口常三郎と、戸田城聖ら当時の教育者などが集い、日蓮の仏法精神に基づく教育者の育成と、雑誌の発行を目的とする「創価教育学会」(初代会長:牧口常三郎、理事長:戸田城聖)を創立した。同年11月18日、『創価教育学体系』第1巻が発刊される。 1937年(昭和12年)に、創価教育学会は日蓮正宗の法華講(信徒組織)の1つとして位置付けられた。この組織が創価学会の前身となる。 第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)6月に牧口、戸田を含む幹部が治安維持法違反並びに伊勢神宮に対する不敬罪で特別高等警察に逮捕され、牧口は1944年(昭和19年)11月18日に獄死。1945年(昭和20年)7月3日、出獄した戸田は、組織名を「創価学会」に改称し組織を再建、1952年(昭和27年)、宗教法人の認証を得る。 1951年(昭和26年)5月3日に第2代会長に就任した戸田城聖の下で、75万世帯を目標にした「折伏大行進」という名の大規模な布教活動が行われ、日本国内での創価学会の勢力は急拡大した。しかし、強引な勧誘手法は批判を呼び、社会問題にまで発展した。1958年(昭和33年)4月2日に戸田第2代会長が死去した後、1960年(昭和35年)5月3日に池田大作が第3代会長に就任した(現・名誉会長)。その後、次第に日蓮正宗宗門と軋轢が生じ、1991年(平成3年)11月、「教義の逸脱」などを理由に破門される(後述)。 教義的には日蓮を末法時代の本仏と定め、法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊を認定して掲げ、「南無妙法蓮華経」の唱題を実践し、「法華経」思想の布教を宣言(広宣流布)し、平和な世界の実現を目標とするとしている。 1962年(昭和37年)には「公明政治連盟」を創設し、2年後の1964年(昭和39年)には日本の政党の要件を満たしている唯一の宗教政党として「公明党」を結成し、日本の政治にも関わっている。 日本における創価学会公称の会員世帯数は約827万世帯、日本国外では280万人、教学部員数が260万人となっている。 推定の会員数は、資料によって差異がある。 1960年(昭和35年)、創価学会として日本国外初となる「アメリカ総支部」が結成された。『アメリカ創価学会〈SGI=USA〉の55年』では、当時はその構成員の多くが、アメリカ軍兵士と結婚して米国に移住した日系アメリカ人女性の「戦争花嫁」だったと指摘されている。1960年代以降、日本からの移民(日系人)が中心となって、各国の支部が結成されていく。1975年(昭和50年)1月26日にアメリカ合衆国グアム島に51か国の代表が集って創価学会インタナショナル(SGI)が結成された。 1975年(昭和50年)のSGI設立時には日本国外全体で会員数は150万人であったが、2021年11月現在は、宗教の布教活動が厳しく規制されている社会主義国の中国、北朝鮮や中東諸国のイスラム教圏を除いた、日本を含む世界192カ国・地域に広がり、日本国外全体で約280万人のSGIメンバー(ヨーロッパ:16.2万人、中近東・アフリカ:5.1万人、アジア・オセアニア:191万人、北アメリカ:35.2万人、ラテンアメリカ:32.5万人)を擁している。 法華経を最高の経典とした天台智顗の五時八教説と、日蓮が説いた寿量文底下種仏法・三大秘法を基礎としている。 朝晩、御本尊に向かい、法華経の「方便品第二」と「如来寿量品第十六」を読経する事を「勤行」という。 「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」(※「なむみょうほうれんげきょう」ではない)という題目を唱える行為。「勤行」のあと、随時「題目」を唱える。これを、「唱題(しょうだい)」という。 時間が取れない場合などには「勤行」を行わずに、「題目」のみでもよいとされる。「南無妙法蓮華経」とは「法華経に帰依する」の意であり、「題目」は経典の表題を唱えることに由来する。 2023年(令和5年)時点の年間主要行事は、以下の通りである。 創価学会公式サイトによると、創価学会が信奉する日蓮大聖人の仏法では、基本の修行として「信」「行」「学」(しん、ぎょう、がく)の三つが説かれている。 座談会は、「三代の会長が最も大切にしてきた伝統行事であり活動である」とされている。寺田喜朗は、1950年代~1960年代(昭和30年代~昭和40年代)の高度経済成長期、農村から都市へと多くの労働者が移住し、生活と将来への不安を抱えた人々が、座談会に参加する中で、悩みを分かち合い、「コミュニティー」を築いたと指摘する。そして、学会が、この座談会などの活動を通して会員を教育し、社会のさまざまな分野に人材を輩出する「総体革命」を目指していた、としている。また、央忠邦によると、座談会は班や地区の単位で行われ、1968年時点で、座談会の拠点は日本に二十万か所以上あった、とされる。 アメリカ・モアハウス大学のローレンス・カーター教授は、創価学会・SGIの特徴として、「座談会」を挙げており、そうした集まりが、寺院や教会ではなく、会員宅で開催されているのは、「SGIが在家運動であることが関係している」と指摘する。加えて、寺院などの場で行えば、聖職者の権威に特別な力が宿る一方で、庶民の自宅で集えば、「自然と皆が普段着で来られるような大衆的、民主的な場になる」ため、その点が「SGIの基底部に埋め込まれた平等主義の表れ」であるとしている。 創価学会では年1回、広布部員を希望した会員にのみ、「財務」と呼ばれる献金の申込み用紙が会員宅に届けられる。1970年代中頃以前は財務部員と呼ばれ、現在は広布部員。以前は年間3,000円程度であったが、現在は1口1万円からとなっている。生活保護受給者などは対象となっていない。 ジャーナリストの田原総一朗は2023年に池田が死去した際に毎日新聞の取材に応じ、「池田は『生活を犠牲にするような(多額の)献金は認めない』と語っていた」と証言している。 創価学会が編さんし聖教新聞社が出版している『新編 日蓮大聖人御書全集』(2021年まで刊行。現在は新版に切り替え)、『日蓮大聖人御書全集 新版』(2021年発刊)を基にして、会員は教学の研鑽を行う。その学習資料・テキストとして月刊機関誌『大白蓮華』が用いられ、会員には「教学試験」の受験が奨励されている。 日蓮の生涯、御書、教学の基礎学習を目的とした試験として、「教学部任用試験(仏法入門)」が存在する。受験資格は中学生以上となっており、会友(非会員)も対象となっている。同試験に合格すれば、さらに3級・2級・1級の教学試験を受験することが奨励されている。 社会学者の玉野和志は、創価学会の「幸せにするシステム」の一つとして「教学の習得」を挙げている。 創価学会における葬儀は、一般の仏教式葬儀とは異なり、在家信者である地域の儀典長を中心とする「友人葬(ゆうじんそう)」の形式で執り行われていることが多い。 原則として、友人葬への参列では香典は必要ないとされているが、参列者が香典を持参する事、遺族が参列者が持参した香典を受け取る事は各位の自由である。また「読経料」「戒名料」などが必要な他宗派と異なり、友人葬の中心者の儀典長は、謝礼を一切受け取らないものと定められている。 宗教学者の山折哲雄は、「日本の旧来の仏教集団が単なる葬式仏教になっている」と批判されている中にあって、創価学会の友人葬の取り組みは、「在家仏教として正当な姿」であるとしている。 友人葬を取り扱っている葬儀社や在住している地域によって若干の差は存在する。一例として東京都の場合では、友人葬の基本料金は概ね35万円位から50万円位である。 友人葬を取り扱う葬儀社によっては、一式で基本料金に含まれているケースとオプション料金として別料金になる場合がある。 詳細は、葬儀社への確認が必要である。 無宗教あるいは創価学会以外の宗教を信仰する者に創価学会へ改宗・入信させる事を、「折伏」(しゃくぶく、しゃくふく)という。 1951年(昭和26年)に戸田会長が「青年訓」を発表し、青年部を中心に「折伏大行進」と呼ばれる大々的な布教が行われた。布教活動は会員を増加させ勢力が拡大することになった反面、その強引な手法から社会問題にまで発展した。 現在の創価学会では、「仏法の人間主義に基づき、自他共の幸福を目指して、自身の信仰体験や仏法の哲理を友人や知人に語っていくこと」を「折伏・弘教」と定義している。 また、「信仰者としての自身の振る舞い、生き方を通して、地域や職場で友情と信頼を深め、創価学会の理念や活動への理解を広げていくこと」も「折伏・弘教」にあたるとされている。 創価学会では、個々の会員および団体レベルの双方で、近隣友好や地域貢献を推奨している。 具体的には、地域の祭りなどの行事への協力がある。創価学会総本部および聖教新聞社本社がある新宿区信濃町では、町内会の盆踊り大会や防災イベントに会場を提供するなどしている。 また、音楽隊が地域行事に際し演奏を行うケースもある。地域貢献の体験談集が過去に発刊されている。 「THE STRAIT TIMES」によると、シンガポール創価学会は長年、シンガポールの国家行事「チンゲイ(粧芸)パレード」に参加・出演している。2022年2月のパレードは、通算38回目の参加となった。このパレードはシンガポールにおいて、旧正月を祝う最も重要な行事の一つと言われている。シンガポール創価学会は、こうした国家行事への出演のほか、医療施設への物資支援や障がい者のサポートなど多様なボランティア活動を進めているとされている。 イタリア創価学会は、1980年代から環境問題の解決や、核兵器廃絶を目指す展示活動(反核運動)、教育・文化運動を通して、地域や社会の繁栄と平和のために尽力してきたとされる。2015年6月には、イタリア共和国憲法第8条に基づく特別合意によりイタリア政府に承認され、イタリアの公式宗教であるとする「インテーサ」の承認を受けた。これにより、学校と教育機関を設立する権利などが保障された。 マレーシア創価学会は、青年スポーツ省やマレーシア赤新月社などと協力して、2005年から平和への思いを共有しながらランニングするイベント「ラン・フォー・ピース(Run for Peace)」を行っている。2年に1度、開催しており、これまでに36万人以上が参加している。2023年に実施したイベントは全国23ヶ所で行われ、約5万5000人が参加。マレーシアの青年・スポーツ大臣も出席した。 大規模自然災害の発生時には、地域の会館で会員・非会員を問わず被災者を受け入れ、救援活動に従事している。 宗教専門紙の中外日報は、「阪神・淡路大震災では、創価学会の迅速な救援活動に対し兵庫県などから感謝状が贈られ、フランス・オーストラリア・香港・シンガポールなど海外の新聞でも活動が報じられた」ことを報道した。東日本大震災に際しては、42の会館で約5千人を一時避難所として受け入れたほか、義捐金を拠出した。避難所はおおむね、地元会員組織の責任者と、他地域から派遣された専従職員を中心に運営され、医師や看護師が健康相談を実施した。発災翌日には山形県・新潟県などから支援物資が到着している。一部の会館は行政の指定避難所となっている。また、創価学会による東北被災地への救援活動は、アメリカのCNNのブログにも取り上げられた。そして、東日本大震災からの復興にあたっては、「心の福光(復興)プロジェクト」を展開。その中で音楽隊(創価グロリア吹奏楽団、しなの合唱団、創価ルネサンスバンガード等)は「希望の絆」コンサートを開催し、仮設住宅の集会場などで合唱や吹奏楽、マーチングなどの演奏会を開催している。なお、のちに「希望の絆」コンサートは、熊本地震 や西日本豪雨などの被災地でも開催されるようになった。 2015年(平成27年)3月に宮城県仙台市で開幕された国連防災世界会議と、2016年(平成28年)5月にトルコ・イスタンブールで開催された世界人道サミット(en)では、一連の復興支援活動を報告している。 宗教学者の寺田喜朗は、東日本大震災における、福島県浜通りの創価学会がどのようなサポートを提供してきたのかを検証した。「創価学会の支援活動のもっとも大きな特質は経済的・物質的な支援以上に、被災者へ積極的に生きる意味を提供し続けている点にあると考えている。」とした。また、「不条理な現実を受け止め、苦難・困難を試練と捉え返し、「人生に勝利する」ことを鼓舞するコミュニティとして創価学会は機能している。」とした。 諸外国での大規模災害や紛争の発生時に、各国大使館や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)への寄付を行っている。また、創価学会平和委員会主催で、難民映画上映会や講演会などの啓発活動も定期的に実施している。 国連UNHCR協会特別顧問の滝澤三郎は、こうした長期的な創価学会の支援に対し「創価学会会員の世界平和にかける熱意と国連への関心や支援意欲の高さが、印象的だった」としている。 創価学会は、国際連合広報局登録NGO(非政府組織)である。SGI(創価学会インタナショナル)は1983年(昭和58年)に、国際連合経済社会理事会との諮問資格を持つNGOとして登録された。 1992年(平成4年)には、創価学会青年部は国際連合支援活動の一環として、国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)に協力し、カンボジア・ラジオ支援キャンペーン「ボイス・エイド」を展開した。内戦後初の総選挙を翌春に控えていたカンボジアでは、識字率が低く母国語の読み書きができない国民が多いため、「政見放送を聴くために中古のラジオを贈って欲しい」との、明石康UNTAC事務総長特別代表(当時、元国連事務次長)の訴えに応える形となった。創価学会は全国から集めた約28万台の中古ラジオを寄贈した。贈られたラジオが投票率の向上につながり、総選挙の投票率は約90%に及んだ。この取り組みに対して、明石は「カンボジアの民主主義の達成に、大きく寄与した」、「国連の歴史の中でも特筆すべきもの」と述べている。 SGIニューヨーク国連連絡所は、2009年(平成21年)に、国連の「軍縮・平和・安全保障NGO委員会」において議長を務めた。SGIジュネーブ国連連絡所は、特に人権教育のテーマで活動を展開。2005年(平成17年)からスタートした国連の「人権教育のための世界プログラム」は、コスタリカ政府とSGIが中核となって実現している。 核兵器廃絶を目指す取り組みは、戸田第2代会長の原水爆禁止宣言以来、創価学会における平和運動の主軸とされている。これまで、広島県や長崎県での意識調査や、被爆者や専門家の講演会などが定期的に行われている。 核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の国際運営委員でNGOピースボート共同代表の川崎哲は、SGIがICANにとって創設時からの「中心的なパートナー」であり「核兵器廃絶に向けて大きな貢献をしている」と述べている。 SGIは、キリスト教、イスラム教、仏教など189の団体からなる「核兵器を憂慮する信仰者のコミュニティー」に参加しており、核兵器廃絶に関する共同声明を発表している。2022年6月の核兵器禁止条約・第1回締約国会議や2022年8月のNPT再検討会議にもSGIの代表団が出席し、関連行事を開催。共同声明を発表した。 創価学会青年部は、半世紀前から、第二次世界大戦体験者への聞き取り調査を行い、証言集などを定期的に出版している。沖縄国際大学の石原昌家名誉教授は、こうした取り組みについて、「ひたすら『戦争の悲惨さ』を追求しつつ、着実に『平和運動』を展開している」としている。 特に、被爆地である広島・長崎では、「被爆体験を聞く会」を開催し、「学生平和意識調査」も定期的に実施している。広島平和記念資料館の滝川卓男館長は「確実に核兵器のない世界の実現に向けた大きな推進力」と述べている。 創価学会の図書贈呈運動は、へき地や離島をはじめ教育環境に恵まれていない地域や、震災や台風など自然災害の被害を受けた地域の子どもたちに書籍を贈呈するものである。1974年(昭和49年)にスタートした。2011年(平成23年)発生の東日本大震災以降は特に、被災地の学校への寄贈が重点的に行われている。 法華経の原典研究に寄与する「法華経写本シリーズ」の出版活動を、公益財団法人・東洋哲学研究所と協力して推進している。各国に保存されてきた貴重な法華経写本を鮮明なカラー写真で撮影した「写真版」と、写本の“読み”をローマ字化した「ローマ字版」を公刊し、世界の研究者に広く提供して『法華経』を中心とした初期大乗仏教の研究に貢献するためのもの。2016年(平成28年)頭時点で16点が刊行され、「インド国立公文書館所蔵ギルギット法華経写本:写真版」「ロシア科学アカデミー東洋古文書研究所所蔵梵文法華経写本:写真版」などが含まれる。 創価学会教育本部(教育関係の職業に従事する創価学会員)では、1984年から教育技術の向上を目的として、それぞれの教育現場での挑戦を記録する「教育実践記録運動」を実施。また、その共有の場として「人間教育実践報告大会」が開催されている。 創価学会では、諸団体と連携しての展示会が定期的に開催されている。「希望と行動の種子―SDGs(持続可能な開発目標)の実現のために」展 、「核兵器なき世界への連帯――勇気と希望の選択」展、「わたしと宇宙展 ―奇跡の地球に生きる―」 、「勇気の証言―ホロコースト展 アンネ・フランクと杉原千畝の選択」などが挙げられる。日本国内だけでなく、海外各地で開催されるケースもある。2022年には、身近な食をテーマに命のつながりを考える「ごはんといのちのストーリー展」を企画・作成した。3月に鳥取で開催され、国内を巡回している。 創価学会およびSGIは、SDGs(持続可能な開発目標)の普及や目標達成に向けて取り組みも行い、SDGs市民社会ネットワークの参加団体として登録されている。 例えば、展示活動においては、2021年のCOP26(第26回気候変動枠組条約締約国会議)に合わせ、会議の開催地であるイギリス・グラスゴー市内で、環境展示「希望と行動の種子」展(地球憲章インタナショナルと共同)を開催した。2023年6月には、ブラジル・アマゾン創価研究所は、地球憲章インタナショナルと提携協定を結んでいる。 また、ITTO(国際熱帯木材機関)と連携して、アフリカ・トーゴの森林再生にも携わっている。また、創価学会平和委員会では「SDGsオンラインシネマシリーズ」と題した連続映画上映会を開催している。参加者の意識啓発とともに、持続可能な社会を目指してアクションを起こせるよう継続的に実施している。上映会に加えて、関連団体の代表や学識者とのトークセッションが行われる場合もある。これまでに、「多文化共生」「AI」「難民」「核兵器」をテーマにした映画を取り上げている。 (2023年11月18日時点) (2023年1月1日時点) 2017年(平成29年)11月18日施行の創価学会会憲第3条で、歴代会長の中でも初代・牧口常三郎、第2代・戸田城聖、第3代・池田大作のいわゆる「三代会長」は「広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の広宣流布の永遠の師匠である。」と定められ、同条2項で「『三代会長』の敬称は、『先生』とする。」と定められている。ただし、個人崇拝のようにして三代の会長個人を本仏である日蓮と同等またはそれ以上に崇め奉ることは認められていない。 池田は、戸田城聖の二十三回忌にあたる1980年4月2日付聖教新聞の紙上で、昭和52年(1977年)の一連の指導の中には「たしかに創価学会中心主義的な独善性」があり、広宣流布のためとはいえ、「宗門に対し、主客転倒の風潮を生んだ」などと反省を示した。その上で、会合等で常日頃より自身を「凡夫」と述べていた通り、組織の指導者たる歴代の会長と本仏は別であり、よって神格化してはならず、池田個人に対する絶対視もあってはならないと語っている。 また、会長の任期は創立以来終身制とする慣例だったが、池田の会長辞任に合わせて制定された創価学会会則で「1期5年で再任を妨げず、会長が任期途中で辞任、または死亡によって欠けた場合、後任者は前任者の残存任期を引き継がない」と規定された。 なお、会長任期は2015年(平成27年)の会則改正(2021年11月18日再改正)で「1期4年」に変更された。 歴代会長の中で名誉会長に在任したのは池田のみであり、任期は定められていなかった。なお、2023年11月15日に池田が死去したため、名誉会長は現在空席となっている。 創価学会では年齢や居住地、職業分野などで会員管理を行っている。 各世帯ごとに作成された「会員カード」によって会員や家族の移動などを把握する。 上から、中央(学会本部) - 方面 - (小)総県 - (分)県 - 圏(地域によっては無し) - 本部 - 支部- 地区 - ブロック となる。 「方面」は以下の14に区分されているが、一般的な地方の区分けと一部異なる。このうち、東京、第2総東京、関東、東海道は同会における「首都圏」とされる(法律上の首都圏に静岡県が加わる)。 芸術部、文芸部、ドクター部、白樺グループ、教育部・学校教育部、幼児・家庭教育部、社会教育・教育相談部、国際本部 通訳・翻訳部、国際ボランティア部、国際交流部、在日外国人部、社会本部、社会部専門部、地域本部、農漁光部、勝利島部・桂冠会・華冠会・星辰会・幸福城部(旧・団地部)など。 創価学会の施設は全国に約1,200箇所存在する。宗教学者島田裕巳は「本部がある新宿区信濃町の施設の不動産合計は地価約479億2412万9千円」と試算している。 かつて創価学会は日蓮正宗の在家の信徒団体であったが、戸田が布教の利便と宗門である日蓮正宗を外護するため、宗門に宗教法人格の取得の許可を願い出た。そこで日蓮正宗は「新規に入会した会員は信徒として末寺に所属させること」、「(日蓮正宗の)教義を守ること」、「仏・法・僧の三宝を守ること」を条件に承諾した。 1977年(昭和52年)1月の第9回教学部大会において、池田は寺院の意義について、修行者が集い、仏法を研鑽し、布教へ向かうための道場・拠点と位置付け、その本義からして、「創価学会の本部・会館、また研修所もまた「近代における寺院」というべき」と語った。 これに対し、宗門=日蓮正宗側は「池田の主張は教義からの逸脱である」と批判し、批判を受けて創価学会は謝罪した。さらに、山崎正友が独自に宗門若手僧侶を扇動し、批判活動を行わせた。山崎は創価学会への恐喝罪により懲役3年の実刑判決を受けている。 日本基督教団所属のキリスト教徒として創価学会の立場を支持する元外交官・作家の佐藤優によれば、創価学会と日蓮正宗の対立の「背景には、僧侶が『上』、一般信徒は『下』とする宗門の宗教観と、そのようなヒエラルキーを認めない民衆宗教である創価学会の基本的価値観の対立があった。」とする。 学会幹部が日蓮正宗総本山大石寺に登山を行う事で一応は収まったものの、その後も日蓮正宗(宗門)僧侶や檀徒による批判は続いた。 1979年(昭和54年)7月22日に管長細井日達が遷化(死去)。日達は生前、後継者を指名していなかった。67世法主として阿部日顕が登座すると学会を含めた日蓮正宗内は混乱に陥る。 学会に批判的な僧侶が「正信会」を結成、山崎正友も学会を退会して正信会に参加した。これに対し日顕は学会に友好的に接し、学会も日達から日顕に血脈相承が行われたと指導、池田も宗門を擁護する立場を取った。その結果、宗務院は正信会僧侶の大量処分に踏み切り、ついには批判派僧侶のほとんどが日蓮正宗から追放された。 後述する宗門との対立後は、池田や学会は日顕が受けたのはあくまでも内証(内定)であって、正式な儀式は行われておらず、後継指名は成り立たないと解釈を変更している。 正信会問題では共闘した日顕との関係は悪化に向かう。1990年(平成2年)7月17日、日蓮正宗との連絡会議の席上、学会側が宗門や法主を批判して席を立つ。同年11月16日、第35回本部幹部会における池田のスピーチに対し、日蓮正宗側は法主や僧侶を軽視するものだとして学会に説明を求める「第三五回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね」文書を送る。 「お尋ね」文章の内容は、池田が僧侶を批判した、四箇格言を否定した、親鸞を好意的に評価した、外道(仏教以外)の歌である『歓喜の歌』を評価した、などとして批判する内容で、これに対し、学会側は「お尋ね」文書に対する「お伺い」文書を送付し、日蓮正宗側が自分たちを誹謗・中傷しているとして回答を拒否した。 これを受け、日蓮正宗は規約を改正し、1984年1月に再任されていた池田の法華講総講頭の役職を解くことにした。1991年、創価学会は『聖教新聞』紙上等において日蓮正宗へ反論を行う。同年11月、日蓮正宗は「創価学会」と「創価学会インタナショナル」(SGI)を破門。創価学会側はこの破門以降、日蓮正宗を「日顕宗」(「日顕宗(日蓮正宗)」の表記もあり)と呼称し、批判している。 一方で、田原総一郎は、この対立の背景として、日蓮正宗の法主である日顕が先祖の墓を他宗の禅寺に建立していたことが判明したり、異性やカネにまつわる僧侶の醜聞が伝えられたりするなど、多くの学会員が宗門に対して不満を持つようになったのではないか、と言及している。 創価学会と日蓮正宗の決別について、佐藤優は、世界広宣流布の観点から、創価学会がこれ以上、「宗門のくびきの下に置かれることは非現実的」とし、聖ウルスラ学院(カトリック系ミッションスクール)理事長の梶田叡一は、日蓮正宗による破門の内実は、「権威的で形骸化した宗門によってそれまで散々蔑まれてきた学会員の魂が、ようやく解放された」としている。 1992年(平成4年)6月、『創価新報』・『聖教新聞』に「日顕が1963年(昭和38年)に法務で米国ワシントン州・シアトルに出張した際に、現地の売春婦と料金トラブルを起こして警察に通報され、身柄を拘束された」、「現地在住の学会員、ヒロエ・クロウが保釈手続きを行った」として、日顕を痛烈に批判する記事が掲載された。日蓮正宗側はそのような事実はまったく存在しないと否定し、日米両国で訴訟が行われた。また、この報道は創価学会や日顕と敵対する正信会・顕正会の機関紙でも報じられた。 破門後の1992年(平成4年)11月、学会は機関紙『創価新報』に、日顕が芸者と戯れる写真を掲載。日蓮正宗との訴訟に発展した。地裁の判決では、学会側が編集過程において写真をトリミングカット等したことを偽造と認定し、賠償請求を命じた。しかし、学会側が控訴した高裁では、学会側による写真偽造を改めて認定したものの、原告に日顕の氏名が無い事を理由に原告が求めた損害賠償は認められなかった。日蓮正宗側は上告するも、最高裁で棄却された。 1992年(平成4年)、神奈川県川崎市中原区にある日蓮正宗持経寺に息子の遺骨を預けていた創価学会員夫婦が、同伴した数人の学会幹部とともに息子の遺骨を受け取りに訪れた際、本堂で夫が遺骨を受け取り退出。しかし、5分後に再び本堂を訪れ遺骨が骨壷ではなくコーヒーカップに入っていたと主張した。その後の裁判では、数々の証言から創価学会員は敗訴し主張は退けられた。 1994年(平成6年)7月、北海道内で日蓮正宗住職の運転する自動車と学会員の運転する自動車が正面衝突する交通事故が起き、住職が死亡、学会員が重傷を負った。現場検証で住職の全面過失と認定されたが、週刊新潮など一部週刊誌が交通事故は創価学会によって仕組まれたものとする内容を掲載。後に事故の当事者である学会員が週刊新潮を提訴、最高裁は週刊新潮の敗訴を言い渡した。 1996年(平成8年)、自らの金銭借款が原因で北海道創価学会の幹部を解任された女性が、池田大作を相手取って起こした訴訟。その後、裁判所は女性側の主張が悉く信用できないとした上で、「訴権の濫用」として訴えを却下した。 同年3月、池田大作にレイプされたとの告発手記を『週刊新潮』に掲載し、女性とその夫が池田を相手取り損害賠償請求の訴えを起こした。裁判所は女性とその夫が創価学会に「恐喝まがいの電話」をかけていた時のテープに注目し、判決文の中で「有無を言わせない強硬なものであり、その個性、人柄をうかがわせるに足るものあるばかりか、まさに恐喝まがいと評されてもやむをえない」と断じた。判決では「なにゆえにそこまでするのかについては、健全な社会常識からすると若干の疑問が残らないわけではないが、原告らの個性、人柄に由来するところが大きいとみるほかはない」と述べ、「訴権の濫用による却下」として訴えそのものが退けられた。裁判所が「訴権の濫用」という明確な用語を使用して訴えを不適法とした例は、当時までの1000万件近い訴訟の中で10件余りであり、割合として「100万件に1件」という極めてまれな判決となった。 訴えを起こした女性は「訴訟は夫婦と弁護士だけで決めた」と述べたが、作家の山本栄一は、手記発表・記者会見・民事訴訟の流れは、夫妻と『週刊新潮』記者・門脇護(現・門田隆将)、「創価学会による被害者の会」の幹部である日蓮正宗妙観講員との打ち合わせで立てられたシナリオに基づくものであった、と述べている。 『週刊新潮』誌上において、山田直樹は「およそ5年に及んだ裁判は、なんと実質審理に入らないまま終結」と訴訟を振り返り、「裁判を傍聴し続けた」という乙骨正生も「女性の訴えは時効であるとし、女性の夫の損害部分についても実質的な事実審理に入ることなく訴えを退けた」と記述しているが、一連の事件について当時の新潮社・佐藤隆信社長は作家・宮本輝を通じて「あのいかがわしい夫婦の訴えを、結果としてキャンペーン的に報道を続け、はからずも当時の宗門の反学会勢力の後押しとなってしまったことを遺憾に思う」「真実かどうかわからない段階で、あのような広告を何度も打ったことは、行き過ぎだったと思う」「あの夫婦のいかがわしさは、『週刊新潮』の編集部でも話題になり、果たして二人の言い分を記事にしていいものかどうかを懸念する声もあった」と述べた。 破門から7年後の1998年(平成10年)、かつて創価学会が寄進した大石寺正本堂が解体される。日蓮正宗と創価学会の分裂を象徴する出来事であった。 歴代会長の中でも、初代・牧口、第2代・戸田、第3代・池田の「三代会長」は、「広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である」と2002年(平成14年)の会則変更の際に定められた。さらに、2016年(平成28年)11月7日に施行された改正会則の第1章第3条2項として、「『三代会長』の敬称は、『先生』とする。」と加筆明記された。ただし、三代の会長個人を本仏である日蓮と同等またはそれ以上に崇め奉ることは認められていない。池田は過去に聖教新聞紙上で「私などを絶対視してはいけない。」と明言している。一方、日蓮正宗側は「池田本仏論」として批判している。 創価学会と、顕正会の前身である妙信講は共に日蓮正宗内の一法華講という立場であったが、1970年代に学会が主導した大石寺正本堂の建立をめぐり、正本堂が日蓮の遺言(御遺命)にある「本門の戒壇」にあたるか否かの解釈で対立したのを皮切りに関係が悪化した。 妙信講は「非国立」の戒壇を認めない、と言うよりは「国家権力立」ないし「皇室立」でなければならない とする解釈を顕正会に改名した現在も崩していないのに対し、学会と当時の宗門管長細井日達は「戦後民主主義体制の根幹たる主権在民の下では日蓮の指す国の概念は権力ではなく民衆である」 という解釈のもと、正本堂落慶をもって御遺命は達成されたと宣言する。 その後日達の仲介で両団体が協議し「正本堂は御遺命の戒壇にはあたらない」とする学会理事長・和泉覚(当時)の談話を聖教新聞に掲載することで一応和解。この談話は落慶法要直前の1972年(昭和47年)10月3日付紙面に掲載され、法要には妙信講関係者も出席した。しかし、和解した後も妙信講は国家権力ないし皇室による「狭義の」国立戒壇建立という思想を放棄せず、学会中央本部に対するデモなどの実力行使に踏み切る。これを受け日達は1974年(昭和49年)8月12日付で妙信講を講中解散処分に付した。 創価学会を含む日蓮正宗系教団では日蓮宗を「身延派」と呼び、距離を置いている。 1955年(昭和30年)、日蓮正宗妙照寺所属の創価学会小樽班の会員と日蓮宗妙龍寺との間で論争が起こった。日蓮正宗及び創価学会と日蓮宗は幹部を派遣し、小樽市公会堂で公開法論に臨んだ。法論では日蓮宗側がスピーチするたびに激しいヤジが飛び大荒れとなった。 戸田城聖が存命だった1950年代から、日蓮正宗以外のすべての他宗教・他宗派を一切認めず「邪宗・邪教」として批判してきた。その攻撃の矛先は折伏大行進期には立正佼成会や天理教など日蓮・法華系あるいは神道系の新宗教団体、正本堂建立以降は妙信講(現・冨士大石寺顕正会)や正信会といった日蓮正宗系新宗教団体、そして破門後は日蓮正宗宗門へと向けられた。立正佼成会等が新日本宗教団体連合会や日本宗教連盟などを通じて他教派との交流を取っているのと異なり、2017年(平成29年)現在でも学会本体・公明党共に日本国内の他の新宗教教団とは協調するまでには至っていない。 一方、日蓮正宗からの干渉により進捗に支障があったキリスト教やイスラム教など仏教以外の既存世界宗教との対話は、同宗からの破門と前後して徐々に軟化。その傾向が顕著になったのは「SGI憲章」が制定された1995年(平成7年)11月23日以降で、憲章の7番目の項目として「仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。」と記述され、方針転換を正式に表明した。現在、創価学会インタナショナルは(日本を含む)世界192の国と地域に組織を持ち、特定の宗教以外が厳しく制限されているイスラム圏、社会主義国など一部地域を除いて全世界に活動の幅を広げるまでに至っている。 さらに、SGIは世界宗教議会の定期的な参加団体であり、また、欧州科学芸術アカデミーと一連の宗教間シンポジウムを開くなど、さまざまな宗教の人々との間の理解を形成することを目的とした宗教間対話や取り組みに積極的に参加している。 島田裕巳によると初代会長の牧口常三郎は皇太神宮の神札である神宮大麻を拝むことを拒否し焼却させたが、国家神道の全てを否定していたわけではないという。第5回総会での全員座談会において牧口は靖国神社に参拝する意義を説き、靖国神社への参拝はご利益を得るためのものではなく感謝の心を表すものである点を強調した。さらに牧口は、天照大神や代々の天皇に対して「感謝し奉る」と言い、昭和天皇を現人神と認め、「吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが純忠だと信ずる」と述べている。 また、現代ビジネス(Web版週刊現代)によると、当初、創価学会の前身である戦前の創価教育学会は治安当局と左翼運動取締りにおいて協力的な関係にあった。創価教育学会は「赤化青年の完全転向は如何にして可能なるか」とうたったパンフレットを発行し、治安当局との蜜月ぶりを会員獲得に向けた宣伝材料にもしていた。牧口らは警視庁特高課やその元締めである内務省警保局、思想検事ら治安当局と緊密に連絡を取り合っていた。しかし、日本共産党を壊滅させた後、治安当局が次に取り締まり対象としたのは宗教団体であった。一転して、創価教育学会は特別高等警察の弾圧を受けることになった。ただし、それは創価教育学会が反戦・平和を訴えたからではない。神宮大麻を拝むことを拒否し焼却させるなどしたからである。 当時、大方の宗教団体がそうだったように、日蓮正宗も戦争には協力的な立場だった。それは日蓮正宗の在家信徒団体である創価教育学会も同じであった。例えば、創価教育学会の機関紙「価値創造」の第6号には、日蓮正宗宗務院が1942年1月21日付で出した布告を転載していた。その布告の内容は、日蓮正宗が2月8日午後、大石寺において全国から僧侶や檀信徒を集め「大東亜戦争戦勝祈願大法要」を開催し、日蓮正宗にとって信仰の根本である「戒壇の大御本尊」の御開扉に続き、「戦争完遂宣誓式」を行うというものであった。さらに、1941年10月の「価値創造」第3号では、当時、日本の同盟国の指導者で「現代の転輪聖王」といわれていたナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラー総統の著書『我が闘争』について紹介した。 1942年になると、第二次世界大戦で日本軍が南方で緒戦の勝利を重ねていたためか創価教育学会の幹部達から勇ましい発言が相次ぐようになる。『価値創造』の後継誌として出された小冊子「大善生活実証録」(国立国会図書館に覆刻版が所蔵されている)によると、総会の開会にあたり幹部の一人が「陛下の御稜威の下、我が陸海軍将兵が緒戦以来、赫々たる戦果を挙げている事は、吾等の衷心より感激に堪えない次第である......我国としても、もう寸毫の妥協も許されず、勝つか負けるかの一時のみ、否、断じて勝つの一手あるのみである」と挨拶。閉会では別の幹部が「いまや、皇国日本か北はアリューシャン群島方面より遥かに太平洋の真中を貫き、南はソロモン群島付近にまで及び、更に南洋諸島を経て、西は印度洋からビルマ支那大陸に、将又蒙彊満州に至るの広大なる戦域に亘り、赫々たる戦果を挙げ、真に聖戦の目的を完遂せんとして老若男女を問わず、第一線に立つ者も、銃後に在る者も、いまは恐くが戦場精神によって一丸となり、ひたすらに目的達成に邁進しつつあることは、すでに皆様熟知されるところである」と締めくくった。また、総会はいつも皇居に向かっての遥拝で始まり、会の終わりには軍歌が歌われた。 一方、創価学会は「学会が軍部政府におもねっていたとすれば、牧口会長も戸田会長も、逮捕されることなど全くなかった」とする見解を取っている。その見解によると、1943年6月、牧口は戸田とともに日蓮正宗総本山・大石寺に召喚され、当局による弾圧を懸念した宗門側から「神札を受けるように」と勧められるも、日興の残した遺戒にある「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」 の精神を貫き通し、「承服いたしかねます。神札は、絶対に受けません」と言って拒否した。それから1か月後、神札の受け入れを拒否した行為が不敬罪と治安維持法違反にあたるとして、牧口や戸田、他の幹部ら21人は逮捕・投獄された。幹部たちは退転していったが、牧口・戸田の2名だけが最後まで信仰を貫き通した。牧口は1944年11月18日、現在の創価学会創立記念日にあたるこの日に東京拘置所で「殉教(=獄死)」し、1人生き残った戸田は終戦(日本の降伏)の約1か月前の1945年7月3日に豊多摩刑務所から出獄し、弾圧によって壊滅状態だった学会の再建に挑んだ というものである。 政治学者の薬師寺克行によれば、1954年、創価学会は、政治部門として文化部を設立し、1955年4月の統一地方選挙に54名の候補者を擁立した。翌1956年に行われた参議院選挙には、6名の候補者を立てた。その後、1961年に「公明政治連盟」が成立し、1964年に「公明党」が結党された。1999年1月以来、公明党は自民党と連立を組み、2009年から2012年の民主党政権時代を除いて、政権与党として活動を続けている。 宗教社会学者の中野毅によれば、創価学会の政治参加の動機は、中小企業労働者を中心とする民衆の代弁、政治の監視、信教の自由の確保の三点に集約されるという。会長秋谷の日本外国特派員協会での1995年(平成7年)の会見でもこの3点が強調された。 創価学会インタナショナルの Rie Tsumura によれば、創価学会の政治への関与は第二次世界大戦時に弾圧された経験をもとにした「主に防御的」("largely defensive")なものであった。 政治学者の中北浩爾は、「公明党は、宗教団体の創価学会を支持母体として、一九六四年に結成された。自民党が財界をスポンサーとしつつ農村部に主な支持基盤を築いたのに対し、公明党は高度経済成長に伴って都市部に流入した比較的貧しい人々を組織化した。日本政治の中枢に位置した自民党とは違い、公明党は周辺から生まれ、成長していったのである。」とした 宗教社会学者の塚田穂高によれば、第二代会長戸田城聖は「国立戒壇」の建立を訴え、「王法と仏法が冥合すべきである」(「王仏冥合」)として政教一致的な理念を論じた。中野毅によれば、戸田の展開した王仏冥合論・国立戒壇論は政教分離原則に反するとの疑念を受けやすかったが、戸田に日蓮正宗国教化を目指す意図はなかったという。国立戒壇の建立は創価学会の政治進出における宗教的目的であり、世俗的な目的はあくまで「社会の繁栄と個人の幸福」を一致させることにあったと中野は指摘した。中野によれば、「国立戒壇」建立は戸田時代初期の創価学会の政治参加の目標の一つだったが、早い段階でそれは放棄された。島田裕巳は、創価学会の政治への関心について戸田が1956年(昭和31年)に記した中での「本門の戒壇」への言及、池田の1959年(昭和34年)の「国立戒壇の建立と学会員の前途」という講演における「政治上に、本宗の正義を用いる」という発言に注目し、これらの表現は「実質的には日蓮正宗の国教化を意味」していたのではないかと論じた。 戸田の下、創価学会は1956年(昭和31年)の第4回参議院議員通常選挙での白木義一郎・北条雋八擁立などを通して政治に進出した。第三代会長池田大作の時代に「国立戒壇」という言葉は「本門の戒壇」「民衆の戒壇」などに言い換えられ、「仏法民主主義」「世界民族主義」など普遍性のある用語が目立つようになり、「国立戒壇」は1964年(昭和39年)の公明党結党宣言にも盛り込まれなかった。創価学会批判の妨害や政教分離を巡る言論出版問題を受けて1970年(昭和45年)に創価学会は「国立戒壇論」放棄・「政教分離」を宣言し、公明党綱領から「王仏冥合」などの宗教用語を削除して公明党の宗教色を薄めた。 創価学会・公明党は、公明党結成後の1960年代靖国神社国家護持法案反対・日米安保条約改定反対など革新政党の立場にあった。中野毅によれば、このことが理由で創価学会は保守陣営から危険視された。島田裕巳は創価学会は「下層階級を組織化」する点で左翼陣営と競合していたと指摘し、創価学会が政界進出を始めた時点で創価学会は左翼陣営に批判されることはあったが保守陣営に批判されることはなかったと主張する。初期の創価学会は大都市に流入した下層民を中心にしており、学会員の圧倒的多数が社会階層の下層から中間層の下に位置することは2010年(平成22年)に至るまで変わりがない。 寺田喜朗によれば「創価学会の中央―地方組織(中央本部・方面本部・都道府県本部―総合本部・圏ゾーン・本部・支部・地区・ブロック)は、選挙の区割りに対応する形で編成されて」おり、「選挙は、会員間の結合を強化し、組織を引き締め、会員を切磋し、達成感・充実感を与え、創価学会への帰属意識を高める重要なモメント」であるという。島田裕巳は、創価学会では選挙活動が一種のイベントとしての性格を持っており、選挙活動を共にしたことで親密になり、結婚にいたる創価学会員のカップルも少なくないとしている。 宗教団体の政治活動の自由を制限したり禁止したりすることは、憲法に定められた表現の自由や結社の自由を侵害するものであり、宗教を理由にした差別になる。よって、憲法20条に反しないと解釈される。 1970年(昭和45年)4月24日、民社党中央執行委員長春日一幸が「宗教団体が、議会政治機構を利用して政権を獲得することは、憲法の政教分離原則に反するのでは」と質した質問主意書を送付。政府は「宗教団体が推薦や支持をした者が公職に就任し、国政を担当しても、その宗教団体と国政を担当することとなった者とは法律的には別個の存在であり、(憲法20条が禁じている)宗教団体が政治上の権力を行使することには当たらない」旨の答弁書を出した。 政府の見解は となっている。 その他、一部議員により「政教一致」であるとの批判はたびたびなされている。 また内閣官房参与の飯島勲は2014年(平成26年)6月、「公明党と創価学会の関係は政教一致と騒がれてきたが,内閣法制局の発言の積み重ねで政教分離ということになっている。」と政府見解を説明したうえで、仮定の話として「法制局の発言,答弁が一気に変われば,『政教一致』が出てきてもおかしくない。」と発言した。しかし、直後に政府・与党は飯島の発言を否定。自民党の石破茂幹事長は「内閣を代表した形ではない。」と語り、菅義偉官房長官は政教分離についての政府見解を維持するかと問われ、「まったくその通りだ。」と回答している。宗教社会学者の弓山達也は、著書のなかで創価学会を例にあげながら「日本においては政教分離の原則があるが、宗教教団の政治への関与を禁じているわけではない。 むしろ、宗教教団が現世での幸福を願う限り、政治への関与は不可欠となり、特定の政治家を応援したり、宗教政党を結成して積極的に政界に進出したりすることは自然なことともいえよう。」と述べている。 日本共産党と創価学会は支持層ないし支援対象が重なることなどから、1950年代以降、選挙活動において互いを非難しあうなど対立関係にあった。 1969年(昭和44年)12月2日には日本共産党機関紙の『しんぶん赤旗』が藤原弘達の『創価学会を斬る』の出版を創価学会・公明党が妨害したと報じ言論出版妨害事件が表面化した。『創価学会を斬る』は同年11月10日に発刊された。約1カ月後の12月27日に衆議院議員総選挙を控えていたため、大宅壮一は「選挙戦における秘密兵器の効果を狙ったと思われてもしかたのない時点で刊行されている。これは重大な問題である」と指摘。また、佐藤優は「共産党は『創価学会を斬る』を扇動の道具として最大限に活用」したと言及している。 1970年(昭和45年)には日本共産党委員長宮本顕治の自宅の電話回線を創価学会の学生部幹部数名が盗聴し、逮捕者も出た。 その後1974年(昭和49年)12月、向こう10年間の「相互不干渉」と「共存」をうたう「創共協定」を両者で締結した が、自公連立政権の誕生後は対立が再燃し、しんぶん赤旗が「公明党と創価学会 『政教一体』で『悪政戦犯』の役割」と題した記事で、創価学会首脳が選挙戦で陣頭指揮を執り聖教新聞に会員を鼓舞する記事が掲載されるなどと批判したり、入信強要問題を取り上げる などしている。 自民党とは自民党結党以降2代会長戸田城聖と自民党で総裁を務めた岸信介が友好関係にあり、岸の娘婿安倍晋太郎が岸の名代として大石寺の大講堂の完成式典に列席し祝辞を述べた。また創価学会が起こした言論出版妨害事件では公明党中央執行委員長・竹入義勝が自民党幹事長・田中角栄に事態の収拾を依頼、その後自民党田中派・竹下派と公明党創価学会は親密、親交を深めていき田中の愛弟子小沢一郎が1993年に自民党を離党すると公明党幹部の市川雄一が小沢に接触、後に「ワン・ワン・ライス」となぞらえられた連携を見せ公明党が非自民党政権の細川連立政権に参加、創価学会も全面的に協力した。この動きを見た自民党は、1993年(平成5年)に同党所属の有志議員が憲法20条を考える会を結成(会長は亀井静香)、「公明党と創価学会の政教分離問題を追及する」を旗頭に創価学会・公明党・細川連立政権に攻勢をかけた。 1994年(平成6年)5月には公明党および創価学会に批判的な宗教団体や有識者からなる四月会の結成に同党所属の河野洋平が参加、自民党は長年の宿敵であった社会党と手を組み、政権を奪取すると、同年10月、同党の川崎二郎が衆議院予算委員会で日蓮正宗住職交通事故死事件を取り上げた。 1995年(平成7年)11月の衆議院宗教法人に関する特別委員会では同党所属の衆議院議員熊代昭彦が創価学会について「我々が内々にいろいろ聞いたところでは、不動産資産9兆円、流動資産1兆円というような堂々たるお力を持っておられるようなことでございますが......」と発言したほか、穂積良行が朝木明代市議転落死事件と創価学会の関係について質問した。 1996年(平成8年)には党の運動方針に「いま、わが国の政治にとって最も憂うべきは、宗教団体・創価学会が新進党という政党の皮をかぶって国民を欺き、政治の権力を握ろうと画策していること」というスローガンが存在したがこれは前年に行われた参議院選挙で自民党が新進党に敗北したことから来る衆議院選挙で勝利し政権維持を目的としたものである。同年週刊誌に掲載された「池田大作レイプ事件」の内容を党の機関紙『自由新報』へ引用、内藤国夫、俵孝太郎が「シリーズ新進党=創価学会ウオッチング」と題し「池田大作と金の問題」や「池田大作レイプ問題」を数回掲載した一方、衆議院選挙で勝利し政権維持を目的を達成した後は自由民主党竹下派を中心に公明党との連立を模索する動きも出ていた。1998年(平成10年)4月、自民党総裁で首相の橋本龍太郎が(創価学会の抗議に応じて)『自由新報』の「池田大作レイプ問題」について事実ではなかったと謝罪した。自由新報は現在廃刊されている。これら一連の動きは自民党による反創価学会キャンペーンとして大々的に行われた。 1957年(昭和32年)9月8日、第2代会長戸田城聖が創価学会第4回東日本青年部体育大会「若人の祭典」で核兵器の使用禁止を訴える宣言、いわゆる「原水爆禁止宣言」を行った。 戸田はこの宣言を遺訓として会員たちに託し、以後、創価学会が行っている、戦争体験者の証言を集めて出版する「反戦出版」や、反核・平和運動活動の淵源となったとされている。 1968年(昭和43年)9月8日、池田大作は東京・両国の日大講堂で行われた学生部幹部会の席上、「日中国交正常化提言」を発表した。 創価学会の出版機関第三文明社は日中が国交正常化にこぎつけることができたのは、日本では、通産大臣や初代経済企画庁長官などを歴任した高碕達之助、厚生、農林、文部の各大臣を歴任した松村謙三、首相を務めた田中角栄と大平正芳、創価学会会長(現名誉会長)の池田大作、中国側では、最高指導者(中国共産党主席)の毛沢東、日本留学の経験をもつ首相の周恩来、早稲田大学で学んだ政治家の廖承志、中日友好協会会長を務めた孫平化ら、日中双方の政治家や各界指導者たち、そしてさまざまな民間人や諸団体の忍耐強い努力があったからにほかならないとまとめている。 1975年1月26日にSGI(創価学会インタナショナル)が創設されたことにちなんで創価学会が定めた、毎年1月26日の「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、池田がSGI会長の名義で発表してきた平和提言が、1983年以来毎年聖教新聞上で発表されており、2022年の提言で40回目となっている。2022年の提言では、2023年に日本で開催される主要7カ国首脳会議(G7サミット)に合わせ「核兵器の役割低減に関する首脳級会合」を広島で催すよう提案した。また、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、感染症対策を巡る国際協力を強化する国際ルールの早期制定を呼びかけた。 なお、2023年はSGIの日記念提言は発表されず、後述の緊急提言2本がこれに代わって発表された。 2023年1月11日、池田はロシアによるウクライナ侵攻の早期終結に向けた緊急提言を発表し、国連の仲介によって主要国の外相会合を早急に開催し、停戦合意を図るよう呼びかけた。また、核兵器で攻撃されない限り自国は核兵器を使わない「核兵器の先制不使用」について、核保有国に誓約を求めた。 2023年4月27日、池田は5月に開催予定のG7広島サミットに向けた提言を発表し、核兵器の使用や威嚇は許されないというメッセージを力強く発信するよう求めた。また、ウクライナ侵攻の早期終結を目指し、重要インフラや民間施設への攻撃の即時停止を実現したうえで、戦闘の全面停止に向けた交渉を、医師や教育者など市民の代表がオブザーバー参加する形で行うことを提案した。同提言はNHKでも報道された。 創価学会アニュアルレポートによれば、創価学会は1994年11月10日の第35回総務会で政治に対する基本的見解を発表しており、そこには「学会員個人個人の政党支持は、自由であることを再確認しておきたい」と記されている。 2015年以降には、自民党が進めた平和安全法制(安保法案)に賛成した与党の公明党の動きは反戦平和を掲げる創価学会の本来の教義に反するとして、一部の学会員らは抗議運動を行っている。 2015年には与党側の安保法案に反対する創価大学と創価女子短期大学の関係者が「安全保障関連法案に反対する創価大学・創価女子短期大学関係者 有志の会」を立ち上げて、署名活動などを行った。呼びかけ人の一人は創価大学通信教育部非常勤講師(当時、現在は退職)の佐野潤一郎。2016年5月のTwitter(当時)の投稿を最後に現在は活動を行っていない。政府与党の進める安保法案の廃止を求めるデモには、創価学会の三色旗がはためく姿も見られた。沖縄では辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議が推薦する玉城デニーの支援を行い、三色旗を掲げる一部の学会員の姿も見られた。 なお、安保法案について、作家の佐藤優氏は、集団的自衛権行使を容認したことで「海外の戦争に日本(自衛隊)が参加できる契機になった」との受け止めがあるようだが、これは、むしろ「集団的自衛権行使による自衛隊の海外派兵は遠のいた」ということであるとの見解を述べている。 機関紙である聖教新聞などは、「無冠の友」と呼ばれる会員の有志 による全国的な宅配網が整備されており、一般紙と同じく日刊で全国に配達されている。聖教新聞社は自前の印刷所を持たず、全国紙の系列の印刷会社や複数の地方紙に聖教新聞の印刷を委託している。 地方紙としては印刷所の輪転機を遊ばせておく時間を減らせる上に、印刷代金を確保できる貴重な収入源として、聖教新聞社(=学会)としては自社で全国に高速輪転印刷機の設備を維持せずに全国津々浦々に日刊で新聞を届ける事ができるという風に、両者の利害が一致している。また、全国紙でも毎日新聞社や読売新聞社は聖教新聞の印刷を傘下の印刷会社で受託しており、読売新聞社は2020年(令和2年)5月1日から茨城県での聖教新聞などの配達業務を受託するまでになった。聖教新聞社(=学会)側には「無冠の友」の人手不足や学会員の高齢化が、読売新聞社には部数減に歯止めがかからない中、全国に整備した販売店の存続という課題が背景にあるといわれている。また、毎日新聞では池田の寄稿を掲載したり、系列の出版社からは池田の著作が出版されたりしている。このことについて、週刊誌「デイリー新潮」では、「ある全国紙記者」の発言として、「いまや毎日にとって学会は、ぞんざいに扱うことができない大口顧客であり、学会に関する批判的な記事など書けるはずもありません」「550万部という大口顧客に読売が牙を剥くことは、不可能に等しい」と記している。 創価学会には聖教新聞社(『グラフSGI』)を始め、潮出版社(『潮』、『pumpkin』)・第三文明社(『第三文明』、『灯台』)などの系列出版社がある。 また、全国・地方を問わずラジオ局への番組提供は複数ある(下記参照)。テレビ局では地方局や独立局を中心に池田原作のアニメや広報番組が放映されているほか、在京キー局などで聖教新聞のCMが放送されている。ただ、J-WAVE、関西テレビ、テレビ熊本のように、公明党のCMおよび政見放送と当学会系列の学校教育機関(創価大学、創価学園)のCMを除き、創価学会関連組織(聖教新聞を含む)のCMの出稿(放送)の一切を受け入れない放送事業者もある。 1960年代末から1970年代にかけて、創価学会と公明党が会長の池田大作や自らに批判的な書籍の出版、流通を阻止するため、学会員や公明党党員が著者・流通業者・取次店・書店に、脅迫や圧力をかけて出版を妨害したり、出版前の原稿に自らの主張を織り込むよう要求した問題。 公明党が結成され衆議院で議席を獲得しはじめると、創価学会批判の書物が発表されることが増えた。1969年(昭和44年)の藤原弘達の『創価学会を斬る』をはじめとする様々な批判本に対して創価学会から圧力がかけられていることが明らかとなり、池田は1970年(昭和45年)5月に一連の妨害行為に対し謝罪した。この件は日本共産党の不破哲三も1970年国会での質問で取り上げた。 『創価学会を斬る』の出版については、評論家の大宅壮一は「『創価学会を斬る』という表現を用いていることは、明らかに初めから創価学会への挑戦」「奥付の発行日が昭和四十四年十一月十日ということは、衆議員総選挙まであと一ケ月と十八日、選挙戦における秘密兵器の効果を狙ったと思われてもしかたのない時点で刊行されている。これは重大な問題である」と指摘している。 これらの行為が、日本国憲法に保障された、言論の自由および出版の自由を侵害するものだとして、国会で取り上げられたが、当初、公明党はNHKの公開討論で「これらは全て嘘、デタラメである」と主張した。しかし、国会に招致された出版社や取次店などの証言により、創価学会・公明党が事件に関与していたことが明らかになるとマスメディアから激しい社会的批判にさらされると共に、創価学会・公明党の密接な関係や当時、公明党が創価学会の内部局として存在し、国会や地方議員を務めた人間が再び学会幹部として組織に戻るなど公明党が組織として独立していなかったことが、政教分離の観点から問題視された。 1970年(昭和45年)、池田大作が「言論妨害の意図はなかった」としながらも、妨害行為に対し公式に謝罪、公明党を創価学会から切り離し組織として完全に独立させるなど、創価学会・公明党の問題点を改善することを公約した。しかし後年、池田の著書「新・人間革命」では「衆院選前に、藤沢達造(藤原弘達の仮名)の本とともに、学会の批判本が次々と出されたのだ。暗黒の嵐が吹き荒れ、伸一(池田の仮名)を倒さんとする、攻撃の毒矢が放たれたのであった。」と掲載。「週刊新潮」と不破哲三は、年月が経ったことに乗じて、歴史を改竄するものだと批判した。 学会員が起こした犯罪や社会問題で裁判所が創価学会の組織的関与認めた事案として大阪事件 といった選挙違反、コーヒーカップ裁判宮本顕治宅盗聴事件 といった反目する団体への誹謗中傷行動、手帳強奪事件 のように学会と袂を分かった元学会幹部への違法行為が挙げられる。かつて犯罪を起こし逮捕された学会幹部を除名せず、その幹部が数年後再び刑事事件を起こし学会幹部として逮捕されたこともあり組織として学会の体質が批判されたケースも存在した。 1995年12月にフランスの下院(フランス国民議会)で採択された報告書には、「セクト(カルト)の行動の特徴」を判定する指針が載せられている。この報告書は、報告者の名前を取って『ギュイヤール報告書』と呼ばれる。 「1精神の不安定化2法外な金銭的要求3住み慣れた生活環境からの断絶4肉体的保全の損傷5子供の囲い込み6反社会的な言説7公秩序の攪乱8裁判沙汰の多さ9従来の経済回路からの逸脱10公権力への浸透の試み」を「セクト構成要件の10項目」として列挙し、このうち1項目でも該当するものがあればその団体をフランス政府はセクトとみなしている。 リストアップされたのは創価学会を含む全部で174の宗教、宗教団体であった。 WEB第三文明によれば、2011年9月、フランスの新聞『ル・モンド』の月刊誌「Le Monde DES RELIGIONS」に『創価学会、自己の内なるブッダ』と題するルポルタージュが掲載され、創価学会の歴史や活動が詳しく報じられた。ここでは、創価学会が日蓮正宗と絶縁した理由について「創価学会のプラグマティズム、およびその在家による現代世界を中心に捉える方向性は、日蓮正宗の聖職者集団による教条主義的宗教観とはもはやできなくなったからである。」と解説した。また、1983年にフランス国会に提出された「アラン・ヴィヴィアン報告書」を挙げ、創価学会をセクト扱いしていた背景についても解説し、首長直属機関であるセクト逸脱行為監視取締り関係省庁委員長ジョルジュ・フネックによる「ここ5年以上に渡りSGIフランスに関して、我々はセクト逸脱行為の通報を一切受けてない。運動体(SGIフランス)は礼拝、文化、商業活動を区別し、フランスにおいてはまったく問題を提起しない。」とのコメントを紹介している。 なお、2020年、セクト的逸脱行為関係省庁警戒対策本部 (MIVILUDES)が3008件の通報を受けたうち、創価学会に関するものが10件あった。これらの「通報」というのは、特定の不正行為に関する「報告」ではなく、フランスの行政機関の他の省庁や一般市民からの簡単なコメントや質問も含まれているという。また、MIVILUDESに「通報」を送る人たちが実在する人物か、真実を語っているかどうかは確認されておらず、「通報」の数は、何か好ましくない事柄で誰かが「カルト」を訴えた件数とは一致しないことをMIVILUDES自体が認めている。 国会の調査委員会は証人喚問ができ、証人は宣誓をし、偽証罪も適用される。「セクトと子供」調査時のMIVILUDEルレ本部長は次の証言をしている。 「セクト的組織は多くの分野にいます。最近私達は創価学会の雑誌の中で小学校の教員が『師』からうけた教えを子供たちとのコミュニケーションの中で実践していると自画自賛するのを読みました。唖然としてしまいました」(報告書付録証言集)在仏ジャーナリストの広岡裕児はMIVILUDESルレ本部長の当証言について「子供の囲い込みに通じ、創価学会が常に警戒の対象となっているという何よりの証拠である」と論評している。 ベルギーでは、創価学会(SGI)が複数の未成年者を勧誘したことが発覚し社会問題となる、1997年、ベルギー連邦議会調査委員会は未成年者保護のため創価学会(SGI)をセクト的な活動を行う団体にリストアップし未成年者への勧誘、入会を禁止した。 1980年代から90年代にかけて、日本に留学していた複数のドイツ人が創価学会の総会で池田大作が右手(実際は右の拳)を高くつきだし、それに呼応して参加者たちが一斉に右手を突きだした光景を目撃したことから「創価学会はナチス式敬礼を行う危険な団体」 などといった誤った風潮がドイツ国内に伝わる。その後1996年、創価学会インタナショナル(SGI)等を新宗教と精神世界グループの一団体としてリストアップした。 イギリスの経済紙『エコノミスト』1999年7月3日号で「創価学会は(日蓮正宗[大石寺]が創価学会との結び付きを断ち池田氏を破門したことによって)主な目的を失った現在、世界中で行っているよい仕事の成果を強調するようになった。さらに創価学会は富裕になって以降初期の目標を失ったその他多くの組織と同様に、批判者を脅迫、主流マスコミを脅して黙らせるという容赦なさでその利害を守っている。」と批判した。 2015年6月27日、イタリア共和国政府とイタリアSGI(イタリア創価学会仏教協会)との間に、インテーサ(宗教協約)が調印され、調印式がフィレンツェのイタリア文化会館で厳粛に執り行われた。しかし、式典に池田大作が出席せず代理人をたてたことからイタリアの大衆紙「Corriere della Sera」は「Nessuna cerimonia di vincitori(受賞者なき授賞式)」、「Governo ha dato lui la medaglia di fantasmi(幽霊に勲章を授けた)」などの批判記事を掲載した。 韓国SGIに関連した批判が下記のようにある。 「創価学会には、P献金と呼ばれる献金が存在している」という疑惑。P献金のPとは「プレジデント(英:President)」の略で公明党の支持母体、創価学会の池田大作名誉会長を指しているというもの。公明党出身の国会議員福本潤一が2007年(平成19年)6月、外国人記者クラブで外国人記者を前にし、「公明党の議員は選挙で当選した際に衆議院議員は300万円、参議院議員は600万円の献金を行うよう要請されている」と記者会見した。福本の記者会見の内容を民主党の石井一が2007年(平成19年)10月16日、参議院予算委員会で「P献金」を追及した。 後藤組元組長の後藤忠政の著書『憚りながら』では、元公明党最高顧問の藤井富雄が、後藤(元組長)のもとを訪れ、「反学会運動をしている亀井さんら四人の名前を挙げ『この人たちはためにならない』という意味のことを言った」とされている。著書に登場する編集者は、そのやりとりを、「受け取りようでは後藤組長に四人への襲撃を依頼したという意味にもとれる」と表現した。また、共同通信社記者の魚住昭は『月刊・現代』の中で、藤井が後藤に、創価学会に対して批判的な亀井静香(元・衆議院議員)を黙らせて欲しいと依頼する場面が収録されたビデオテープがあることを記している。リストに名前があった亀井は警察関係者、弁護士などと創価学会対策会議を行うこととなる。後藤は著書の中で「池田大作が裏で何をしていたかといったら、山崎や藤井をパイプ役にして俺達ヤクザを散々利用し、仕事が終われば知らんぷりだ。それで俺達がちょっとでももの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。で、それがマスコミにバレそうになったら、頬かむりだ。」と記している。 「大鳳会(おおとりかい)」という組織の存在について以下で取り上げられた。 下記のような例がある。 茨城新聞は創価学会信者宅からの取材をもとに1962年(昭和37年)4月1日号において「創価学会は信徒の家に葬式があると、親戚、知己から集まる香典はすべて創価学会支部が持ち去ることになっている」と報道した。創価学会側は記事の内容は事実無根と茨城新聞社へ抗議した。その後、確証が取れないと判断した同社は4月17日、茨城新聞に訂正記事を掲載した。 雑誌『月刊ペン』が掲載した「四重五重の大罪犯す創価学会」や「極悪の大罪犯す創価学会の実相」という記事が名誉毀損罪にあたるとして、編集長の隈部大蔵が告訴され隈部が有罪となった。 1995年(平成7年)9月、東京都・東村山市議会議員朝木明代がマンションから転落死し、後に警察が自殺と断定。朝木が創価学会と公明党の批判活動をしていたことから、他殺説や学会の陰謀説が浮上した。『週刊現代』・『週刊新潮』・『東村山市民新聞』の記事に対して、創価学会は名誉毀損で提訴し、3つとも学会側が勝訴した。 1997年(平成9年)に自殺(転落死)した伊丹十三の死が自殺ではなく他殺であるとした説(創価学会が関与したと断定する内容)が2ちゃんねるに掲載された。創価学会は2ちゃんねるの運営者を相手取り、訴訟を起こした。東京地方裁判所は2009年(平成21年)2月、証拠もないのに断定的な内容を掲載し続けたとして、被告に損害賠償金80万円の支払いを命じる判決を言い渡した。 『週刊文春』が2011年(平成23年)10月27日号(176ページから179ページ)で池田大作の看護師からの情報をもとに『衝撃スクープ 池田大作「創価学会」名誉会長 担当していた元看護師が語る「厳戒病室」本当の病状』と池田大作名誉会長の重病説を掲載した。週刊文春の記事を受け創価学会は週刊文春や発行元の文藝春秋社に「該当する看護師は存在せず、証言は事実無根である」と抗議。週刊文春は2カ月後の12月29日号で当時の編集長が「小誌は再取材を行いましたが、証言者が看護師であるとの確証を得るに至りませんでした。病状についての記述を取り消し、ご迷惑をおかけした関係者にお詫びいたします。」と謝罪した。 2018年2月27日付けの聖教新聞の報道記事によると、テレビ東京系列で放送されている『ワールドビジネスサテライト』が2017年(平成29年)11月24日の放送で創価学会についての特集を組んだものの、テレビ東京側の不手際で創価学会への取材依頼などがなされないまま取材が行われた上、学会から除名された人物らの主張や言動を一方的に取り上げ、視聴者に学会に対する偏見を植え付けるものとなっていることなどを問題視した創価学会が抗議。テレビ東京は2018年(平成30年)2月22日までに報道内容の誤りを認めて謝罪した。 キリスト教徒(日本基督教団)の元外交官で作家の佐藤優は「池田氏の平和への思いは本物だ。加えて、池田氏は創価学会の理念を体現した存在だ。」「初代、二代、三代会長が投獄された創価学会の国家に対する距離感。SGIという国際組織。そして鎌倉時代、国家に弾圧された日蓮の縁起観。すべて具体性を伴っている。こうした一つひとつの「経験」が流れ込んで、創価学会の平和主義を形成しているのだ。」とした。また「SGIという国際組織によって、ナショナリズムや排外主義を超克しつつある創価学会が、このような局面でどのような役割を果たせるかが問われるだろう。」と述べている。 第二次宗創戦争については、「歓喜の歌」事件に関して創価学会側の立場を擁護し、「ここで宗門が問題としたのは、キリスト教だ。ベートーベンの『歓喜の歌』を歌うことが邪教礼賛になると宗門は考えた。ヨーロッパの文化はキリスト教と深く有機的に結びついている。ヨーロッパ文化から、キリスト教を抜き去って理解することは不可能だ。科学的無神論を国是としたソ連や東ドイツでも、『歓喜の歌』が、無神論の否定する神を礼賛するといった理由で禁止することはなかった。宗門はソ連共産党やドイツ社会主義統一党よりも偏狭なキリスト教観を持っていることが露呈した」と記している。さらに「各国の文化から、宗門以外の宗教的要素を除去しようという発想は、絵に描いたような排外主義だ」「ある文化と根底から結びついた宗教を完全に否定するならば、宗教間対話は成り立たない。宗門の頑なな姿勢が、創価学会の世界宗教化の深刻な障害になっていることがもはや明白になった」と述べている。 2014年7月の集団的自衛権行使容認の与党協議に関して「公明党がブレーキ役として与党にいなければ、憲法に制約されない集団的自衛権の行使を容認することが閣議決定されていたと思う。」「閣議決定に賛成したために、公明党は『平和の党の看板に傷がついた』『平和主義の看板を下ろした』などと批判された。連立政権を離脱して、きれいな平和論を主張するという選択肢もあったはずだ。もし、公明党がその選択を行っていたならば、私は、公明党の平和主義は本物ではないと批判したと思う。平和の党の看板に傷がついても、現実に戦争を阻止し、平和を維持することが重要なのである。少なくとも現時点では公明党はその機能を果たしている。」としている。 「『国立戒壇の問題』と言っても、現在、創価学会は宗門(日蓮正宗)と訣別しているわけだから、宗門の教義である『国立戒壇の問題』が、もはや存在しないことになる。すなわち、公明党と創価学会には日蓮正宗を国教化する狙いがあるという、批判者たちの論理の前提が崩れているのだ」としている。 田原総一朗(ジャーナリスト)は「度重なる試練に直面し、創価学会は間違いなく衰退するであろうという世論の推測を見事に裏切り、その都度、ピンチをチャンスに変えるという驚くべきエネルギーをもって、逆境を乗り越えてきたのである。どうやら、創価学会の強さは我々には想像も及ばないほど堅固なものらしい。」と示唆した。池田大作の人物像について、「おそらく近寄りがたい雰囲気を持っているに違いないというこちらの予想は見事に外れ、偉ぶったところを一切感じさせない人だった。しかも、人の話を聞くのが非常にうまい。これには、びっくりした。」と述べた。また、「私が池田に感じたのは、自分をよく見せようという下心がまったくなく、誠実で相手のことを気遣うことのできる、きめ細やかな神経の持ち主だということだ。」「喜怒哀楽もあり、とても人間臭い面も持ち合わせている。」とした。 創価学会は「創立当初から、従来の日蓮正宗の枠組みを超えた、独自の在家信徒団体」であったと述べている。また第二次宗創戦争については、「第九を歌うことのどこが問題なのか。しかも、当時の聖教新聞に掲載されたスピーチを何度も読んでも、日顕への批判や侮辱はどこにも見当たらない。私からしても、宗門側がどこに激しい怒りを感じているのか、さっぱりわからない」としている。 (宗門との決別以降)創価学会の活動領域が広がったことは間違いないようだ。学会員に話を聞くと、宗門と決別して以降、地域のためのさまざまな活動に参加するようになったという。例えば、地域のお祭りでお神輿も担ぎ、町会役員や学校のPTA役員も引き受ける。さらに、交通安全週間の行事にも参加するなど、ありとあらゆる地域活動に参加しているというのだ。言論・出版問題後、池田が目指した地域との融和が、ここにきてようやく根付いたということだろう」と述べている。 学会の草創期において排他的な態度が見受けられたことについて、「信仰を広めるために他宗教を否定する、これは草創期の新宗教においてやむを得ないことだ。おそらくどこの宗教団体も同様の活動をしていただろう」と述べている。 田原はまた、学会が日蓮正宗(宗門)と決別してからは、地域活動が活発になった点を指摘する。「例えば、地域のお祭りでお神輿も担ぎ、町会役員や学校のPTA役員も引き受ける。さらに、交通安全週間の行事にも参加するなど、ありとあらゆる地域活動に参加している」「宗門と別れたことで、世界広布、地域との融合など、新たな布教の形を見出した」と述べている。 宗教学者の島田裕巳は、「創価学会員が『広布即地域貢献』として団地自治会長や学校PTA、商店街役員などに積極的に就任し、それらの組織を『折伏の足場』にしようとしていると述べている。一般の人は仕事などに追われてそれらの役員には就きたがらないが、創価学会はそうした状況を利用して地域で主導権を握ろうとしている」と、分析している。島田によれば、1950年代~1960年代(昭和30年代から40年代)の高度経済成長期には、仕事を求めて故郷を離れて都会を目指し多数の青年たちが、大企業中心の総評などにすいあげられることもなく、未組織労働者・中小零細業者として孤立無援の生活を送らざるを得なかった人たちが、組織化されて、「民族」とも形容できる濃い人間関係ができあがっていった。この組織化が画期的であり、そこに創価学会の社会的な意義があったと主張する。 一方、「かつては他の宗教や宗派を一切認めない姿勢を持っており、創価学会員の子弟は、修学旅行などで神社仏閣を訪れた場合には、神社の鳥居や寺院の山門はくぐろうとしない」、財務の一か月程前には決起大会が開かれ、「100万円出したら息子がいい企業に就職できた。」「保険を解約して学会のために捧げたら幸せになりました。」などの発言が相次ぎ、他の会員にプレッシャーをかけると指摘。また創価学会には多額の寄進をした人間たちが少なくなく、島田の知人にも、創価学会に数千万円を寄進した例があるとした。 「謗法払い」といって以前信仰していた時の仏壇や神棚を焼却させていた事例があったことや、モアハウス大学キング国際チャペルの主催により世界各地で「ガンジー・キング・イケダ展」が開かれていることに関し「世界的に高く評価されているガンジー、キング牧師に対してイケダに二人に匹敵するだけの功績があるか疑問に思う人は少なくないであろう」と批判した。 公明党については「公明党は自民党と連立与党を組んでから政策面で必ずしも独自性を打ち出すことができず、結局、自民党の政策を追認しているだけに終わっていることが少なくなく、特に安全保障政策で公明党が党是とする平和主義の貫徹が妨げられていることから、創価学会内部で公明党に対する批判が潜在化している」としている。 「自民党内にも創価学会=公明党の発言力が強まることを警戒する人間はいることから、自民党内部において創価学会=公明党への批判が高まれば創価学会=公明党としては民主党と連立を組む可能性が出てくる。そうなれば創価学会=公明党は動物と鳥の両方に取り入ろうとして結局はどちらからも嫌われ、暗い洞窟に追いやられたイソップ物語のコウモリになる危険がある」とも発言している。 創価学会は、元副会長福島源次郎、元公明党書記長矢野絢也、元公明党委員長竹入義勝、元公明党都議会議員団長龍年光、元都議会公明党幹事長藤原行正、元公明党議員大橋敏雄、同石田次男、元教学部長原島嵩、元顧問弁護士山崎正友などの幹部クラスの離反者や、長井秀和、杉田かおる等の有名人の離反者を出している。離反者は日蓮正宗に移ったり、マスコミを通じて創価批判・暴露を行うケースが多い。 政界進出を始めた時期に創価学会は、日蓮宗系他教団、浄土真宗系教団のほか、革新陣営からの批判を受けることが増えた。島田裕巳によれば、1957年(昭和32年)の北海道での創価学会青年部隊と日本炭鉱労働組合と間の戦いを一つのきっかけとして、1960年代の公明党結成に応じて、革新陣営からの批判が刊行されるようになった。島田はこれらの教団・陣営は「民衆をターゲットとし」、「下層階級を組織化」する点で創価学会と競合していたと指摘し、一方の保守陣営はこの段階では創価学会批判を展開していなかったとする。1990年代に公明党も合流した新進党が参議院選挙で議席が増加すると、新進党の台頭に危機感を抱いた自民党は反創価学会キャンペーンを展開していた時期があった。 内藤国夫や七里和乗(日隈威徳)などの著書に見られるように、かねてより創価学会は実質的には「池田教」ではないかとの批判があった。そのような批判を伴う呼称をめぐっては各方面から以下のようなことが言われている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "創価学会(そうかがっかい、英語: Soka Gakkai)は、日本の宗教団体(宗教法人)。日蓮大聖人の仏法を信仰する法華経系の在家仏教団体。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1930年(昭和5年)11月18日、創価教育学会として創立。国内に公称827万世帯の会員(信者)を擁する。創価学会では、信者を「学会員」と称する。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "「創価」とは、「価値創造」の意。「生命の尊厳に基づく人類の幸福と世界平和の実現を中心とした価値の創造」を意味する。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "『聖教新聞』(日刊紙)、『創価新報』(月刊紙)、『大白蓮華』(月刊誌)などの機関紙誌を発行。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1964年(昭和39年)に結党された日本初の宗教政党である公明党の支持母体である。", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1930年(昭和5年)、尋常小学校の校長であった牧口常三郎と、戸田城聖ら当時の教育者などが集い、日蓮の仏法精神に基づく教育者の育成と、雑誌の発行を目的とする「創価教育学会」(初代会長:牧口常三郎、理事長:戸田城聖)を創立した。同年11月18日、『創価教育学体系』第1巻が発刊される。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1937年(昭和12年)に、創価教育学会は日蓮正宗の法華講(信徒組織)の1つとして位置付けられた。この組織が創価学会の前身となる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)6月に牧口、戸田を含む幹部が治安維持法違反並びに伊勢神宮に対する不敬罪で特別高等警察に逮捕され、牧口は1944年(昭和19年)11月18日に獄死。1945年(昭和20年)7月3日、出獄した戸田は、組織名を「創価学会」に改称し組織を再建、1952年(昭和27年)、宗教法人の認証を得る。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1951年(昭和26年)5月3日に第2代会長に就任した戸田城聖の下で、75万世帯を目標にした「折伏大行進」という名の大規模な布教活動が行われ、日本国内での創価学会の勢力は急拡大した。しかし、強引な勧誘手法は批判を呼び、社会問題にまで発展した。1958年(昭和33年)4月2日に戸田第2代会長が死去した後、1960年(昭和35年)5月3日に池田大作が第3代会長に就任した(現・名誉会長)。その後、次第に日蓮正宗宗門と軋轢が生じ、1991年(平成3年)11月、「教義の逸脱」などを理由に破門される(後述)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "教義的には日蓮を末法時代の本仏と定め、法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊を認定して掲げ、「南無妙法蓮華経」の唱題を実践し、「法華経」思想の布教を宣言(広宣流布)し、平和な世界の実現を目標とするとしている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1962年(昭和37年)には「公明政治連盟」を創設し、2年後の1964年(昭和39年)には日本の政党の要件を満たしている唯一の宗教政党として「公明党」を結成し、日本の政治にも関わっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "日本における創価学会公称の会員世帯数は約827万世帯、日本国外では280万人、教学部員数が260万人となっている。", "title": "教勢" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "推定の会員数は、資料によって差異がある。", "title": "教勢" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1960年(昭和35年)、創価学会として日本国外初となる「アメリカ総支部」が結成された。『アメリカ創価学会〈SGI=USA〉の55年』では、当時はその構成員の多くが、アメリカ軍兵士と結婚して米国に移住した日系アメリカ人女性の「戦争花嫁」だったと指摘されている。1960年代以降、日本からの移民(日系人)が中心となって、各国の支部が結成されていく。1975年(昭和50年)1月26日にアメリカ合衆国グアム島に51か国の代表が集って創価学会インタナショナル(SGI)が結成された。", "title": "教勢" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1975年(昭和50年)のSGI設立時には日本国外全体で会員数は150万人であったが、2021年11月現在は、宗教の布教活動が厳しく規制されている社会主義国の中国、北朝鮮や中東諸国のイスラム教圏を除いた、日本を含む世界192カ国・地域に広がり、日本国外全体で約280万人のSGIメンバー(ヨーロッパ:16.2万人、中近東・アフリカ:5.1万人、アジア・オセアニア:191万人、北アメリカ:35.2万人、ラテンアメリカ:32.5万人)を擁している。", "title": "教勢" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "法華経を最高の経典とした天台智顗の五時八教説と、日蓮が説いた寿量文底下種仏法・三大秘法を基礎としている。", "title": "教義関連" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "朝晩、御本尊に向かい、法華経の「方便品第二」と「如来寿量品第十六」を読経する事を「勤行」という。", "title": "教義関連" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」(※「なむみょうほうれんげきょう」ではない)という題目を唱える行為。「勤行」のあと、随時「題目」を唱える。これを、「唱題(しょうだい)」という。", "title": "教義関連" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "時間が取れない場合などには「勤行」を行わずに、「題目」のみでもよいとされる。「南無妙法蓮華経」とは「法華経に帰依する」の意であり、「題目」は経典の表題を唱えることに由来する。", "title": "教義関連" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2023年(令和5年)時点の年間主要行事は、以下の通りである。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "創価学会公式サイトによると、創価学会が信奉する日蓮大聖人の仏法では、基本の修行として「信」「行」「学」(しん、ぎょう、がく)の三つが説かれている。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "座談会は、「三代の会長が最も大切にしてきた伝統行事であり活動である」とされている。寺田喜朗は、1950年代~1960年代(昭和30年代~昭和40年代)の高度経済成長期、農村から都市へと多くの労働者が移住し、生活と将来への不安を抱えた人々が、座談会に参加する中で、悩みを分かち合い、「コミュニティー」を築いたと指摘する。そして、学会が、この座談会などの活動を通して会員を教育し、社会のさまざまな分野に人材を輩出する「総体革命」を目指していた、としている。また、央忠邦によると、座談会は班や地区の単位で行われ、1968年時点で、座談会の拠点は日本に二十万か所以上あった、とされる。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "アメリカ・モアハウス大学のローレンス・カーター教授は、創価学会・SGIの特徴として、「座談会」を挙げており、そうした集まりが、寺院や教会ではなく、会員宅で開催されているのは、「SGIが在家運動であることが関係している」と指摘する。加えて、寺院などの場で行えば、聖職者の権威に特別な力が宿る一方で、庶民の自宅で集えば、「自然と皆が普段着で来られるような大衆的、民主的な場になる」ため、その点が「SGIの基底部に埋め込まれた平等主義の表れ」であるとしている。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "創価学会では年1回、広布部員を希望した会員にのみ、「財務」と呼ばれる献金の申込み用紙が会員宅に届けられる。1970年代中頃以前は財務部員と呼ばれ、現在は広布部員。以前は年間3,000円程度であったが、現在は1口1万円からとなっている。生活保護受給者などは対象となっていない。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ジャーナリストの田原総一朗は2023年に池田が死去した際に毎日新聞の取材に応じ、「池田は『生活を犠牲にするような(多額の)献金は認めない』と語っていた」と証言している。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "創価学会が編さんし聖教新聞社が出版している『新編 日蓮大聖人御書全集』(2021年まで刊行。現在は新版に切り替え)、『日蓮大聖人御書全集 新版』(2021年発刊)を基にして、会員は教学の研鑽を行う。その学習資料・テキストとして月刊機関誌『大白蓮華』が用いられ、会員には「教学試験」の受験が奨励されている。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "日蓮の生涯、御書、教学の基礎学習を目的とした試験として、「教学部任用試験(仏法入門)」が存在する。受験資格は中学生以上となっており、会友(非会員)も対象となっている。同試験に合格すれば、さらに3級・2級・1級の教学試験を受験することが奨励されている。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "社会学者の玉野和志は、創価学会の「幸せにするシステム」の一つとして「教学の習得」を挙げている。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "創価学会における葬儀は、一般の仏教式葬儀とは異なり、在家信者である地域の儀典長を中心とする「友人葬(ゆうじんそう)」の形式で執り行われていることが多い。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "原則として、友人葬への参列では香典は必要ないとされているが、参列者が香典を持参する事、遺族が参列者が持参した香典を受け取る事は各位の自由である。また「読経料」「戒名料」などが必要な他宗派と異なり、友人葬の中心者の儀典長は、謝礼を一切受け取らないものと定められている。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "宗教学者の山折哲雄は、「日本の旧来の仏教集団が単なる葬式仏教になっている」と批判されている中にあって、創価学会の友人葬の取り組みは、「在家仏教として正当な姿」であるとしている。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "友人葬を取り扱っている葬儀社や在住している地域によって若干の差は存在する。一例として東京都の場合では、友人葬の基本料金は概ね35万円位から50万円位である。 友人葬を取り扱う葬儀社によっては、一式で基本料金に含まれているケースとオプション料金として別料金になる場合がある。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "詳細は、葬儀社への確認が必要である。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "無宗教あるいは創価学会以外の宗教を信仰する者に創価学会へ改宗・入信させる事を、「折伏」(しゃくぶく、しゃくふく)という。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "1951年(昭和26年)に戸田会長が「青年訓」を発表し、青年部を中心に「折伏大行進」と呼ばれる大々的な布教が行われた。布教活動は会員を増加させ勢力が拡大することになった反面、その強引な手法から社会問題にまで発展した。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "現在の創価学会では、「仏法の人間主義に基づき、自他共の幸福を目指して、自身の信仰体験や仏法の哲理を友人や知人に語っていくこと」を「折伏・弘教」と定義している。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "また、「信仰者としての自身の振る舞い、生き方を通して、地域や職場で友情と信頼を深め、創価学会の理念や活動への理解を広げていくこと」も「折伏・弘教」にあたるとされている。", "title": "活動" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "創価学会では、個々の会員および団体レベルの双方で、近隣友好や地域貢献を推奨している。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "具体的には、地域の祭りなどの行事への協力がある。創価学会総本部および聖教新聞社本社がある新宿区信濃町では、町内会の盆踊り大会や防災イベントに会場を提供するなどしている。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "また、音楽隊が地域行事に際し演奏を行うケースもある。地域貢献の体験談集が過去に発刊されている。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "「THE STRAIT TIMES」によると、シンガポール創価学会は長年、シンガポールの国家行事「チンゲイ(粧芸)パレード」に参加・出演している。2022年2月のパレードは、通算38回目の参加となった。このパレードはシンガポールにおいて、旧正月を祝う最も重要な行事の一つと言われている。シンガポール創価学会は、こうした国家行事への出演のほか、医療施設への物資支援や障がい者のサポートなど多様なボランティア活動を進めているとされている。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "イタリア創価学会は、1980年代から環境問題の解決や、核兵器廃絶を目指す展示活動(反核運動)、教育・文化運動を通して、地域や社会の繁栄と平和のために尽力してきたとされる。2015年6月には、イタリア共和国憲法第8条に基づく特別合意によりイタリア政府に承認され、イタリアの公式宗教であるとする「インテーサ」の承認を受けた。これにより、学校と教育機関を設立する権利などが保障された。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "マレーシア創価学会は、青年スポーツ省やマレーシア赤新月社などと協力して、2005年から平和への思いを共有しながらランニングするイベント「ラン・フォー・ピース(Run for Peace)」を行っている。2年に1度、開催しており、これまでに36万人以上が参加している。2023年に実施したイベントは全国23ヶ所で行われ、約5万5000人が参加。マレーシアの青年・スポーツ大臣も出席した。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "大規模自然災害の発生時には、地域の会館で会員・非会員を問わず被災者を受け入れ、救援活動に従事している。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "宗教専門紙の中外日報は、「阪神・淡路大震災では、創価学会の迅速な救援活動に対し兵庫県などから感謝状が贈られ、フランス・オーストラリア・香港・シンガポールなど海外の新聞でも活動が報じられた」ことを報道した。東日本大震災に際しては、42の会館で約5千人を一時避難所として受け入れたほか、義捐金を拠出した。避難所はおおむね、地元会員組織の責任者と、他地域から派遣された専従職員を中心に運営され、医師や看護師が健康相談を実施した。発災翌日には山形県・新潟県などから支援物資が到着している。一部の会館は行政の指定避難所となっている。また、創価学会による東北被災地への救援活動は、アメリカのCNNのブログにも取り上げられた。そして、東日本大震災からの復興にあたっては、「心の福光(復興)プロジェクト」を展開。その中で音楽隊(創価グロリア吹奏楽団、しなの合唱団、創価ルネサンスバンガード等)は「希望の絆」コンサートを開催し、仮設住宅の集会場などで合唱や吹奏楽、マーチングなどの演奏会を開催している。なお、のちに「希望の絆」コンサートは、熊本地震 や西日本豪雨などの被災地でも開催されるようになった。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "2015年(平成27年)3月に宮城県仙台市で開幕された国連防災世界会議と、2016年(平成28年)5月にトルコ・イスタンブールで開催された世界人道サミット(en)では、一連の復興支援活動を報告している。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "宗教学者の寺田喜朗は、東日本大震災における、福島県浜通りの創価学会がどのようなサポートを提供してきたのかを検証した。「創価学会の支援活動のもっとも大きな特質は経済的・物質的な支援以上に、被災者へ積極的に生きる意味を提供し続けている点にあると考えている。」とした。また、「不条理な現実を受け止め、苦難・困難を試練と捉え返し、「人生に勝利する」ことを鼓舞するコミュニティとして創価学会は機能している。」とした。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "諸外国での大規模災害や紛争の発生時に、各国大使館や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)への寄付を行っている。また、創価学会平和委員会主催で、難民映画上映会や講演会などの啓発活動も定期的に実施している。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "国連UNHCR協会特別顧問の滝澤三郎は、こうした長期的な創価学会の支援に対し「創価学会会員の世界平和にかける熱意と国連への関心や支援意欲の高さが、印象的だった」としている。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "創価学会は、国際連合広報局登録NGO(非政府組織)である。SGI(創価学会インタナショナル)は1983年(昭和58年)に、国際連合経済社会理事会との諮問資格を持つNGOとして登録された。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "1992年(平成4年)には、創価学会青年部は国際連合支援活動の一環として、国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)に協力し、カンボジア・ラジオ支援キャンペーン「ボイス・エイド」を展開した。内戦後初の総選挙を翌春に控えていたカンボジアでは、識字率が低く母国語の読み書きができない国民が多いため、「政見放送を聴くために中古のラジオを贈って欲しい」との、明石康UNTAC事務総長特別代表(当時、元国連事務次長)の訴えに応える形となった。創価学会は全国から集めた約28万台の中古ラジオを寄贈した。贈られたラジオが投票率の向上につながり、総選挙の投票率は約90%に及んだ。この取り組みに対して、明石は「カンボジアの民主主義の達成に、大きく寄与した」、「国連の歴史の中でも特筆すべきもの」と述べている。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "SGIニューヨーク国連連絡所は、2009年(平成21年)に、国連の「軍縮・平和・安全保障NGO委員会」において議長を務めた。SGIジュネーブ国連連絡所は、特に人権教育のテーマで活動を展開。2005年(平成17年)からスタートした国連の「人権教育のための世界プログラム」は、コスタリカ政府とSGIが中核となって実現している。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "核兵器廃絶を目指す取り組みは、戸田第2代会長の原水爆禁止宣言以来、創価学会における平和運動の主軸とされている。これまで、広島県や長崎県での意識調査や、被爆者や専門家の講演会などが定期的に行われている。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の国際運営委員でNGOピースボート共同代表の川崎哲は、SGIがICANにとって創設時からの「中心的なパートナー」であり「核兵器廃絶に向けて大きな貢献をしている」と述べている。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "SGIは、キリスト教、イスラム教、仏教など189の団体からなる「核兵器を憂慮する信仰者のコミュニティー」に参加しており、核兵器廃絶に関する共同声明を発表している。2022年6月の核兵器禁止条約・第1回締約国会議や2022年8月のNPT再検討会議にもSGIの代表団が出席し、関連行事を開催。共同声明を発表した。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "創価学会青年部は、半世紀前から、第二次世界大戦体験者への聞き取り調査を行い、証言集などを定期的に出版している。沖縄国際大学の石原昌家名誉教授は、こうした取り組みについて、「ひたすら『戦争の悲惨さ』を追求しつつ、着実に『平和運動』を展開している」としている。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "特に、被爆地である広島・長崎では、「被爆体験を聞く会」を開催し、「学生平和意識調査」も定期的に実施している。広島平和記念資料館の滝川卓男館長は「確実に核兵器のない世界の実現に向けた大きな推進力」と述べている。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "創価学会の図書贈呈運動は、へき地や離島をはじめ教育環境に恵まれていない地域や、震災や台風など自然災害の被害を受けた地域の子どもたちに書籍を贈呈するものである。1974年(昭和49年)にスタートした。2011年(平成23年)発生の東日本大震災以降は特に、被災地の学校への寄贈が重点的に行われている。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "法華経の原典研究に寄与する「法華経写本シリーズ」の出版活動を、公益財団法人・東洋哲学研究所と協力して推進している。各国に保存されてきた貴重な法華経写本を鮮明なカラー写真で撮影した「写真版」と、写本の“読み”をローマ字化した「ローマ字版」を公刊し、世界の研究者に広く提供して『法華経』を中心とした初期大乗仏教の研究に貢献するためのもの。2016年(平成28年)頭時点で16点が刊行され、「インド国立公文書館所蔵ギルギット法華経写本:写真版」「ロシア科学アカデミー東洋古文書研究所所蔵梵文法華経写本:写真版」などが含まれる。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "創価学会教育本部(教育関係の職業に従事する創価学会員)では、1984年から教育技術の向上を目的として、それぞれの教育現場での挑戦を記録する「教育実践記録運動」を実施。また、その共有の場として「人間教育実践報告大会」が開催されている。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "創価学会では、諸団体と連携しての展示会が定期的に開催されている。「希望と行動の種子―SDGs(持続可能な開発目標)の実現のために」展 、「核兵器なき世界への連帯――勇気と希望の選択」展、「わたしと宇宙展 ―奇跡の地球に生きる―」 、「勇気の証言―ホロコースト展 アンネ・フランクと杉原千畝の選択」などが挙げられる。日本国内だけでなく、海外各地で開催されるケースもある。2022年には、身近な食をテーマに命のつながりを考える「ごはんといのちのストーリー展」を企画・作成した。3月に鳥取で開催され、国内を巡回している。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "創価学会およびSGIは、SDGs(持続可能な開発目標)の普及や目標達成に向けて取り組みも行い、SDGs市民社会ネットワークの参加団体として登録されている。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "例えば、展示活動においては、2021年のCOP26(第26回気候変動枠組条約締約国会議)に合わせ、会議の開催地であるイギリス・グラスゴー市内で、環境展示「希望と行動の種子」展(地球憲章インタナショナルと共同)を開催した。2023年6月には、ブラジル・アマゾン創価研究所は、地球憲章インタナショナルと提携協定を結んでいる。 また、ITTO(国際熱帯木材機関)と連携して、アフリカ・トーゴの森林再生にも携わっている。また、創価学会平和委員会では「SDGsオンラインシネマシリーズ」と題した連続映画上映会を開催している。参加者の意識啓発とともに、持続可能な社会を目指してアクションを起こせるよう継続的に実施している。上映会に加えて、関連団体の代表や学識者とのトークセッションが行われる場合もある。これまでに、「多文化共生」「AI」「難民」「核兵器」をテーマにした映画を取り上げている。", "title": "社会貢献活動" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "(2023年11月18日時点)", "title": "最高幹部" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "(2023年1月1日時点)", "title": "最高幹部" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "2017年(平成29年)11月18日施行の創価学会会憲第3条で、歴代会長の中でも初代・牧口常三郎、第2代・戸田城聖、第3代・池田大作のいわゆる「三代会長」は「広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の広宣流布の永遠の師匠である。」と定められ、同条2項で「『三代会長』の敬称は、『先生』とする。」と定められている。ただし、個人崇拝のようにして三代の会長個人を本仏である日蓮と同等またはそれ以上に崇め奉ることは認められていない。", "title": "最高幹部" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "池田は、戸田城聖の二十三回忌にあたる1980年4月2日付聖教新聞の紙上で、昭和52年(1977年)の一連の指導の中には「たしかに創価学会中心主義的な独善性」があり、広宣流布のためとはいえ、「宗門に対し、主客転倒の風潮を生んだ」などと反省を示した。その上で、会合等で常日頃より自身を「凡夫」と述べていた通り、組織の指導者たる歴代の会長と本仏は別であり、よって神格化してはならず、池田個人に対する絶対視もあってはならないと語っている。", "title": "最高幹部" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "また、会長の任期は創立以来終身制とする慣例だったが、池田の会長辞任に合わせて制定された創価学会会則で「1期5年で再任を妨げず、会長が任期途中で辞任、または死亡によって欠けた場合、後任者は前任者の残存任期を引き継がない」と規定された。", "title": "最高幹部" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "なお、会長任期は2015年(平成27年)の会則改正(2021年11月18日再改正)で「1期4年」に変更された。", "title": "最高幹部" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "歴代会長の中で名誉会長に在任したのは池田のみであり、任期は定められていなかった。なお、2023年11月15日に池田が死去したため、名誉会長は現在空席となっている。", "title": "最高幹部" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "創価学会では年齢や居住地、職業分野などで会員管理を行っている。", "title": "組織" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "各世帯ごとに作成された「会員カード」によって会員や家族の移動などを把握する。", "title": "組織" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "上から、中央(学会本部) - 方面 - (小)総県 - (分)県 - 圏(地域によっては無し) - 本部 - 支部- 地区 - ブロック となる。", "title": "組織" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "「方面」は以下の14に区分されているが、一般的な地方の区分けと一部異なる。このうち、東京、第2総東京、関東、東海道は同会における「首都圏」とされる(法律上の首都圏に静岡県が加わる)。", "title": "組織" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "芸術部、文芸部、ドクター部、白樺グループ、教育部・学校教育部、幼児・家庭教育部、社会教育・教育相談部、国際本部 通訳・翻訳部、国際ボランティア部、国際交流部、在日外国人部、社会本部、社会部専門部、地域本部、農漁光部、勝利島部・桂冠会・華冠会・星辰会・幸福城部(旧・団地部)など。", "title": "組織" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "創価学会の施設は全国に約1,200箇所存在する。宗教学者島田裕巳は「本部がある新宿区信濃町の施設の不動産合計は地価約479億2412万9千円」と試算している。", "title": "所有する施設" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "かつて創価学会は日蓮正宗の在家の信徒団体であったが、戸田が布教の利便と宗門である日蓮正宗を外護するため、宗門に宗教法人格の取得の許可を願い出た。そこで日蓮正宗は「新規に入会した会員は信徒として末寺に所属させること」、「(日蓮正宗の)教義を守ること」、「仏・法・僧の三宝を守ること」を条件に承諾した。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "1977年(昭和52年)1月の第9回教学部大会において、池田は寺院の意義について、修行者が集い、仏法を研鑽し、布教へ向かうための道場・拠点と位置付け、その本義からして、「創価学会の本部・会館、また研修所もまた「近代における寺院」というべき」と語った。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "これに対し、宗門=日蓮正宗側は「池田の主張は教義からの逸脱である」と批判し、批判を受けて創価学会は謝罪した。さらに、山崎正友が独自に宗門若手僧侶を扇動し、批判活動を行わせた。山崎は創価学会への恐喝罪により懲役3年の実刑判決を受けている。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "日本基督教団所属のキリスト教徒として創価学会の立場を支持する元外交官・作家の佐藤優によれば、創価学会と日蓮正宗の対立の「背景には、僧侶が『上』、一般信徒は『下』とする宗門の宗教観と、そのようなヒエラルキーを認めない民衆宗教である創価学会の基本的価値観の対立があった。」とする。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "学会幹部が日蓮正宗総本山大石寺に登山を行う事で一応は収まったものの、その後も日蓮正宗(宗門)僧侶や檀徒による批判は続いた。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "1979年(昭和54年)7月22日に管長細井日達が遷化(死去)。日達は生前、後継者を指名していなかった。67世法主として阿部日顕が登座すると学会を含めた日蓮正宗内は混乱に陥る。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "学会に批判的な僧侶が「正信会」を結成、山崎正友も学会を退会して正信会に参加した。これに対し日顕は学会に友好的に接し、学会も日達から日顕に血脈相承が行われたと指導、池田も宗門を擁護する立場を取った。その結果、宗務院は正信会僧侶の大量処分に踏み切り、ついには批判派僧侶のほとんどが日蓮正宗から追放された。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "後述する宗門との対立後は、池田や学会は日顕が受けたのはあくまでも内証(内定)であって、正式な儀式は行われておらず、後継指名は成り立たないと解釈を変更している。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "正信会問題では共闘した日顕との関係は悪化に向かう。1990年(平成2年)7月17日、日蓮正宗との連絡会議の席上、学会側が宗門や法主を批判して席を立つ。同年11月16日、第35回本部幹部会における池田のスピーチに対し、日蓮正宗側は法主や僧侶を軽視するものだとして学会に説明を求める「第三五回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね」文書を送る。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "「お尋ね」文章の内容は、池田が僧侶を批判した、四箇格言を否定した、親鸞を好意的に評価した、外道(仏教以外)の歌である『歓喜の歌』を評価した、などとして批判する内容で、これに対し、学会側は「お尋ね」文書に対する「お伺い」文書を送付し、日蓮正宗側が自分たちを誹謗・中傷しているとして回答を拒否した。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "これを受け、日蓮正宗は規約を改正し、1984年1月に再任されていた池田の法華講総講頭の役職を解くことにした。1991年、創価学会は『聖教新聞』紙上等において日蓮正宗へ反論を行う。同年11月、日蓮正宗は「創価学会」と「創価学会インタナショナル」(SGI)を破門。創価学会側はこの破門以降、日蓮正宗を「日顕宗」(「日顕宗(日蓮正宗)」の表記もあり)と呼称し、批判している。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "一方で、田原総一郎は、この対立の背景として、日蓮正宗の法主である日顕が先祖の墓を他宗の禅寺に建立していたことが判明したり、異性やカネにまつわる僧侶の醜聞が伝えられたりするなど、多くの学会員が宗門に対して不満を持つようになったのではないか、と言及している。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "創価学会と日蓮正宗の決別について、佐藤優は、世界広宣流布の観点から、創価学会がこれ以上、「宗門のくびきの下に置かれることは非現実的」とし、聖ウルスラ学院(カトリック系ミッションスクール)理事長の梶田叡一は、日蓮正宗による破門の内実は、「権威的で形骸化した宗門によってそれまで散々蔑まれてきた学会員の魂が、ようやく解放された」としている。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "1992年(平成4年)6月、『創価新報』・『聖教新聞』に「日顕が1963年(昭和38年)に法務で米国ワシントン州・シアトルに出張した際に、現地の売春婦と料金トラブルを起こして警察に通報され、身柄を拘束された」、「現地在住の学会員、ヒロエ・クロウが保釈手続きを行った」として、日顕を痛烈に批判する記事が掲載された。日蓮正宗側はそのような事実はまったく存在しないと否定し、日米両国で訴訟が行われた。また、この報道は創価学会や日顕と敵対する正信会・顕正会の機関紙でも報じられた。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "破門後の1992年(平成4年)11月、学会は機関紙『創価新報』に、日顕が芸者と戯れる写真を掲載。日蓮正宗との訴訟に発展した。地裁の判決では、学会側が編集過程において写真をトリミングカット等したことを偽造と認定し、賠償請求を命じた。しかし、学会側が控訴した高裁では、学会側による写真偽造を改めて認定したものの、原告に日顕の氏名が無い事を理由に原告が求めた損害賠償は認められなかった。日蓮正宗側は上告するも、最高裁で棄却された。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "1992年(平成4年)、神奈川県川崎市中原区にある日蓮正宗持経寺に息子の遺骨を預けていた創価学会員夫婦が、同伴した数人の学会幹部とともに息子の遺骨を受け取りに訪れた際、本堂で夫が遺骨を受け取り退出。しかし、5分後に再び本堂を訪れ遺骨が骨壷ではなくコーヒーカップに入っていたと主張した。その後の裁判では、数々の証言から創価学会員は敗訴し主張は退けられた。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "1994年(平成6年)7月、北海道内で日蓮正宗住職の運転する自動車と学会員の運転する自動車が正面衝突する交通事故が起き、住職が死亡、学会員が重傷を負った。現場検証で住職の全面過失と認定されたが、週刊新潮など一部週刊誌が交通事故は創価学会によって仕組まれたものとする内容を掲載。後に事故の当事者である学会員が週刊新潮を提訴、最高裁は週刊新潮の敗訴を言い渡した。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "1996年(平成8年)、自らの金銭借款が原因で北海道創価学会の幹部を解任された女性が、池田大作を相手取って起こした訴訟。その後、裁判所は女性側の主張が悉く信用できないとした上で、「訴権の濫用」として訴えを却下した。 同年3月、池田大作にレイプされたとの告発手記を『週刊新潮』に掲載し、女性とその夫が池田を相手取り損害賠償請求の訴えを起こした。裁判所は女性とその夫が創価学会に「恐喝まがいの電話」をかけていた時のテープに注目し、判決文の中で「有無を言わせない強硬なものであり、その個性、人柄をうかがわせるに足るものあるばかりか、まさに恐喝まがいと評されてもやむをえない」と断じた。判決では「なにゆえにそこまでするのかについては、健全な社会常識からすると若干の疑問が残らないわけではないが、原告らの個性、人柄に由来するところが大きいとみるほかはない」と述べ、「訴権の濫用による却下」として訴えそのものが退けられた。裁判所が「訴権の濫用」という明確な用語を使用して訴えを不適法とした例は、当時までの1000万件近い訴訟の中で10件余りであり、割合として「100万件に1件」という極めてまれな判決となった。 訴えを起こした女性は「訴訟は夫婦と弁護士だけで決めた」と述べたが、作家の山本栄一は、手記発表・記者会見・民事訴訟の流れは、夫妻と『週刊新潮』記者・門脇護(現・門田隆将)、「創価学会による被害者の会」の幹部である日蓮正宗妙観講員との打ち合わせで立てられたシナリオに基づくものであった、と述べている。 『週刊新潮』誌上において、山田直樹は「およそ5年に及んだ裁判は、なんと実質審理に入らないまま終結」と訴訟を振り返り、「裁判を傍聴し続けた」という乙骨正生も「女性の訴えは時効であるとし、女性の夫の損害部分についても実質的な事実審理に入ることなく訴えを退けた」と記述しているが、一連の事件について当時の新潮社・佐藤隆信社長は作家・宮本輝を通じて「あのいかがわしい夫婦の訴えを、結果としてキャンペーン的に報道を続け、はからずも当時の宗門の反学会勢力の後押しとなってしまったことを遺憾に思う」「真実かどうかわからない段階で、あのような広告を何度も打ったことは、行き過ぎだったと思う」「あの夫婦のいかがわしさは、『週刊新潮』の編集部でも話題になり、果たして二人の言い分を記事にしていいものかどうかを懸念する声もあった」と述べた。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "破門から7年後の1998年(平成10年)、かつて創価学会が寄進した大石寺正本堂が解体される。日蓮正宗と創価学会の分裂を象徴する出来事であった。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "歴代会長の中でも、初代・牧口、第2代・戸田、第3代・池田の「三代会長」は、「広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である」と2002年(平成14年)の会則変更の際に定められた。さらに、2016年(平成28年)11月7日に施行された改正会則の第1章第3条2項として、「『三代会長』の敬称は、『先生』とする。」と加筆明記された。ただし、三代の会長個人を本仏である日蓮と同等またはそれ以上に崇め奉ることは認められていない。池田は過去に聖教新聞紙上で「私などを絶対視してはいけない。」と明言している。一方、日蓮正宗側は「池田本仏論」として批判している。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "創価学会と、顕正会の前身である妙信講は共に日蓮正宗内の一法華講という立場であったが、1970年代に学会が主導した大石寺正本堂の建立をめぐり、正本堂が日蓮の遺言(御遺命)にある「本門の戒壇」にあたるか否かの解釈で対立したのを皮切りに関係が悪化した。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "妙信講は「非国立」の戒壇を認めない、と言うよりは「国家権力立」ないし「皇室立」でなければならない とする解釈を顕正会に改名した現在も崩していないのに対し、学会と当時の宗門管長細井日達は「戦後民主主義体制の根幹たる主権在民の下では日蓮の指す国の概念は権力ではなく民衆である」 という解釈のもと、正本堂落慶をもって御遺命は達成されたと宣言する。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "その後日達の仲介で両団体が協議し「正本堂は御遺命の戒壇にはあたらない」とする学会理事長・和泉覚(当時)の談話を聖教新聞に掲載することで一応和解。この談話は落慶法要直前の1972年(昭和47年)10月3日付紙面に掲載され、法要には妙信講関係者も出席した。しかし、和解した後も妙信講は国家権力ないし皇室による「狭義の」国立戒壇建立という思想を放棄せず、学会中央本部に対するデモなどの実力行使に踏み切る。これを受け日達は1974年(昭和49年)8月12日付で妙信講を講中解散処分に付した。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "創価学会を含む日蓮正宗系教団では日蓮宗を「身延派」と呼び、距離を置いている。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "1955年(昭和30年)、日蓮正宗妙照寺所属の創価学会小樽班の会員と日蓮宗妙龍寺との間で論争が起こった。日蓮正宗及び創価学会と日蓮宗は幹部を派遣し、小樽市公会堂で公開法論に臨んだ。法論では日蓮宗側がスピーチするたびに激しいヤジが飛び大荒れとなった。", "title": "日蓮系教団との関係" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "戸田城聖が存命だった1950年代から、日蓮正宗以外のすべての他宗教・他宗派を一切認めず「邪宗・邪教」として批判してきた。その攻撃の矛先は折伏大行進期には立正佼成会や天理教など日蓮・法華系あるいは神道系の新宗教団体、正本堂建立以降は妙信講(現・冨士大石寺顕正会)や正信会といった日蓮正宗系新宗教団体、そして破門後は日蓮正宗宗門へと向けられた。立正佼成会等が新日本宗教団体連合会や日本宗教連盟などを通じて他教派との交流を取っているのと異なり、2017年(平成29年)現在でも学会本体・公明党共に日本国内の他の新宗教教団とは協調するまでには至っていない。", "title": "他の宗教との関係" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "一方、日蓮正宗からの干渉により進捗に支障があったキリスト教やイスラム教など仏教以外の既存世界宗教との対話は、同宗からの破門と前後して徐々に軟化。その傾向が顕著になったのは「SGI憲章」が制定された1995年(平成7年)11月23日以降で、憲章の7番目の項目として「仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。」と記述され、方針転換を正式に表明した。現在、創価学会インタナショナルは(日本を含む)世界192の国と地域に組織を持ち、特定の宗教以外が厳しく制限されているイスラム圏、社会主義国など一部地域を除いて全世界に活動の幅を広げるまでに至っている。", "title": "他の宗教との関係" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "さらに、SGIは世界宗教議会の定期的な参加団体であり、また、欧州科学芸術アカデミーと一連の宗教間シンポジウムを開くなど、さまざまな宗教の人々との間の理解を形成することを目的とした宗教間対話や取り組みに積極的に参加している。", "title": "他の宗教との関係" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "島田裕巳によると初代会長の牧口常三郎は皇太神宮の神札である神宮大麻を拝むことを拒否し焼却させたが、国家神道の全てを否定していたわけではないという。第5回総会での全員座談会において牧口は靖国神社に参拝する意義を説き、靖国神社への参拝はご利益を得るためのものではなく感謝の心を表すものである点を強調した。さらに牧口は、天照大神や代々の天皇に対して「感謝し奉る」と言い、昭和天皇を現人神と認め、「吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが純忠だと信ずる」と述べている。", "title": "他の宗教との関係" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "また、現代ビジネス(Web版週刊現代)によると、当初、創価学会の前身である戦前の創価教育学会は治安当局と左翼運動取締りにおいて協力的な関係にあった。創価教育学会は「赤化青年の完全転向は如何にして可能なるか」とうたったパンフレットを発行し、治安当局との蜜月ぶりを会員獲得に向けた宣伝材料にもしていた。牧口らは警視庁特高課やその元締めである内務省警保局、思想検事ら治安当局と緊密に連絡を取り合っていた。しかし、日本共産党を壊滅させた後、治安当局が次に取り締まり対象としたのは宗教団体であった。一転して、創価教育学会は特別高等警察の弾圧を受けることになった。ただし、それは創価教育学会が反戦・平和を訴えたからではない。神宮大麻を拝むことを拒否し焼却させるなどしたからである。", "title": "他の宗教との関係" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "当時、大方の宗教団体がそうだったように、日蓮正宗も戦争には協力的な立場だった。それは日蓮正宗の在家信徒団体である創価教育学会も同じであった。例えば、創価教育学会の機関紙「価値創造」の第6号には、日蓮正宗宗務院が1942年1月21日付で出した布告を転載していた。その布告の内容は、日蓮正宗が2月8日午後、大石寺において全国から僧侶や檀信徒を集め「大東亜戦争戦勝祈願大法要」を開催し、日蓮正宗にとって信仰の根本である「戒壇の大御本尊」の御開扉に続き、「戦争完遂宣誓式」を行うというものであった。さらに、1941年10月の「価値創造」第3号では、当時、日本の同盟国の指導者で「現代の転輪聖王」といわれていたナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラー総統の著書『我が闘争』について紹介した。", "title": "他の宗教との関係" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "1942年になると、第二次世界大戦で日本軍が南方で緒戦の勝利を重ねていたためか創価教育学会の幹部達から勇ましい発言が相次ぐようになる。『価値創造』の後継誌として出された小冊子「大善生活実証録」(国立国会図書館に覆刻版が所蔵されている)によると、総会の開会にあたり幹部の一人が「陛下の御稜威の下、我が陸海軍将兵が緒戦以来、赫々たる戦果を挙げている事は、吾等の衷心より感激に堪えない次第である......我国としても、もう寸毫の妥協も許されず、勝つか負けるかの一時のみ、否、断じて勝つの一手あるのみである」と挨拶。閉会では別の幹部が「いまや、皇国日本か北はアリューシャン群島方面より遥かに太平洋の真中を貫き、南はソロモン群島付近にまで及び、更に南洋諸島を経て、西は印度洋からビルマ支那大陸に、将又蒙彊満州に至るの広大なる戦域に亘り、赫々たる戦果を挙げ、真に聖戦の目的を完遂せんとして老若男女を問わず、第一線に立つ者も、銃後に在る者も、いまは恐くが戦場精神によって一丸となり、ひたすらに目的達成に邁進しつつあることは、すでに皆様熟知されるところである」と締めくくった。また、総会はいつも皇居に向かっての遥拝で始まり、会の終わりには軍歌が歌われた。", "title": "他の宗教との関係" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "一方、創価学会は「学会が軍部政府におもねっていたとすれば、牧口会長も戸田会長も、逮捕されることなど全くなかった」とする見解を取っている。その見解によると、1943年6月、牧口は戸田とともに日蓮正宗総本山・大石寺に召喚され、当局による弾圧を懸念した宗門側から「神札を受けるように」と勧められるも、日興の残した遺戒にある「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」 の精神を貫き通し、「承服いたしかねます。神札は、絶対に受けません」と言って拒否した。それから1か月後、神札の受け入れを拒否した行為が不敬罪と治安維持法違反にあたるとして、牧口や戸田、他の幹部ら21人は逮捕・投獄された。幹部たちは退転していったが、牧口・戸田の2名だけが最後まで信仰を貫き通した。牧口は1944年11月18日、現在の創価学会創立記念日にあたるこの日に東京拘置所で「殉教(=獄死)」し、1人生き残った戸田は終戦(日本の降伏)の約1か月前の1945年7月3日に豊多摩刑務所から出獄し、弾圧によって壊滅状態だった学会の再建に挑んだ というものである。", "title": "他の宗教との関係" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "政治学者の薬師寺克行によれば、1954年、創価学会は、政治部門として文化部を設立し、1955年4月の統一地方選挙に54名の候補者を擁立した。翌1956年に行われた参議院選挙には、6名の候補者を立てた。その後、1961年に「公明政治連盟」が成立し、1964年に「公明党」が結党された。1999年1月以来、公明党は自民党と連立を組み、2009年から2012年の民主党政権時代を除いて、政権与党として活動を続けている。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "宗教社会学者の中野毅によれば、創価学会の政治参加の動機は、中小企業労働者を中心とする民衆の代弁、政治の監視、信教の自由の確保の三点に集約されるという。会長秋谷の日本外国特派員協会での1995年(平成7年)の会見でもこの3点が強調された。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "創価学会インタナショナルの Rie Tsumura によれば、創価学会の政治への関与は第二次世界大戦時に弾圧された経験をもとにした「主に防御的」(\"largely defensive\")なものであった。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "政治学者の中北浩爾は、「公明党は、宗教団体の創価学会を支持母体として、一九六四年に結成された。自民党が財界をスポンサーとしつつ農村部に主な支持基盤を築いたのに対し、公明党は高度経済成長に伴って都市部に流入した比較的貧しい人々を組織化した。日本政治の中枢に位置した自民党とは違い、公明党は周辺から生まれ、成長していったのである。」とした", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "宗教社会学者の塚田穂高によれば、第二代会長戸田城聖は「国立戒壇」の建立を訴え、「王法と仏法が冥合すべきである」(「王仏冥合」)として政教一致的な理念を論じた。中野毅によれば、戸田の展開した王仏冥合論・国立戒壇論は政教分離原則に反するとの疑念を受けやすかったが、戸田に日蓮正宗国教化を目指す意図はなかったという。国立戒壇の建立は創価学会の政治進出における宗教的目的であり、世俗的な目的はあくまで「社会の繁栄と個人の幸福」を一致させることにあったと中野は指摘した。中野によれば、「国立戒壇」建立は戸田時代初期の創価学会の政治参加の目標の一つだったが、早い段階でそれは放棄された。島田裕巳は、創価学会の政治への関心について戸田が1956年(昭和31年)に記した中での「本門の戒壇」への言及、池田の1959年(昭和34年)の「国立戒壇の建立と学会員の前途」という講演における「政治上に、本宗の正義を用いる」という発言に注目し、これらの表現は「実質的には日蓮正宗の国教化を意味」していたのではないかと論じた。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "戸田の下、創価学会は1956年(昭和31年)の第4回参議院議員通常選挙での白木義一郎・北条雋八擁立などを通して政治に進出した。第三代会長池田大作の時代に「国立戒壇」という言葉は「本門の戒壇」「民衆の戒壇」などに言い換えられ、「仏法民主主義」「世界民族主義」など普遍性のある用語が目立つようになり、「国立戒壇」は1964年(昭和39年)の公明党結党宣言にも盛り込まれなかった。創価学会批判の妨害や政教分離を巡る言論出版問題を受けて1970年(昭和45年)に創価学会は「国立戒壇論」放棄・「政教分離」を宣言し、公明党綱領から「王仏冥合」などの宗教用語を削除して公明党の宗教色を薄めた。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "創価学会・公明党は、公明党結成後の1960年代靖国神社国家護持法案反対・日米安保条約改定反対など革新政党の立場にあった。中野毅によれば、このことが理由で創価学会は保守陣営から危険視された。島田裕巳は創価学会は「下層階級を組織化」する点で左翼陣営と競合していたと指摘し、創価学会が政界進出を始めた時点で創価学会は左翼陣営に批判されることはあったが保守陣営に批判されることはなかったと主張する。初期の創価学会は大都市に流入した下層民を中心にしており、学会員の圧倒的多数が社会階層の下層から中間層の下に位置することは2010年(平成22年)に至るまで変わりがない。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "寺田喜朗によれば「創価学会の中央―地方組織(中央本部・方面本部・都道府県本部―総合本部・圏ゾーン・本部・支部・地区・ブロック)は、選挙の区割りに対応する形で編成されて」おり、「選挙は、会員間の結合を強化し、組織を引き締め、会員を切磋し、達成感・充実感を与え、創価学会への帰属意識を高める重要なモメント」であるという。島田裕巳は、創価学会では選挙活動が一種のイベントとしての性格を持っており、選挙活動を共にしたことで親密になり、結婚にいたる創価学会員のカップルも少なくないとしている。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "宗教団体の政治活動の自由を制限したり禁止したりすることは、憲法に定められた表現の自由や結社の自由を侵害するものであり、宗教を理由にした差別になる。よって、憲法20条に反しないと解釈される。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "1970年(昭和45年)4月24日、民社党中央執行委員長春日一幸が「宗教団体が、議会政治機構を利用して政権を獲得することは、憲法の政教分離原則に反するのでは」と質した質問主意書を送付。政府は「宗教団体が推薦や支持をした者が公職に就任し、国政を担当しても、その宗教団体と国政を担当することとなった者とは法律的には別個の存在であり、(憲法20条が禁じている)宗教団体が政治上の権力を行使することには当たらない」旨の答弁書を出した。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "政府の見解は", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "となっている。 その他、一部議員により「政教一致」であるとの批判はたびたびなされている。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "また内閣官房参与の飯島勲は2014年(平成26年)6月、「公明党と創価学会の関係は政教一致と騒がれてきたが,内閣法制局の発言の積み重ねで政教分離ということになっている。」と政府見解を説明したうえで、仮定の話として「法制局の発言,答弁が一気に変われば,『政教一致』が出てきてもおかしくない。」と発言した。しかし、直後に政府・与党は飯島の発言を否定。自民党の石破茂幹事長は「内閣を代表した形ではない。」と語り、菅義偉官房長官は政教分離についての政府見解を維持するかと問われ、「まったくその通りだ。」と回答している。宗教社会学者の弓山達也は、著書のなかで創価学会を例にあげながら「日本においては政教分離の原則があるが、宗教教団の政治への関与を禁じているわけではない。 むしろ、宗教教団が現世での幸福を願う限り、政治への関与は不可欠となり、特定の政治家を応援したり、宗教政党を結成して積極的に政界に進出したりすることは自然なことともいえよう。」と述べている。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "日本共産党と創価学会は支持層ないし支援対象が重なることなどから、1950年代以降、選挙活動において互いを非難しあうなど対立関係にあった。 1969年(昭和44年)12月2日には日本共産党機関紙の『しんぶん赤旗』が藤原弘達の『創価学会を斬る』の出版を創価学会・公明党が妨害したと報じ言論出版妨害事件が表面化した。『創価学会を斬る』は同年11月10日に発刊された。約1カ月後の12月27日に衆議院議員総選挙を控えていたため、大宅壮一は「選挙戦における秘密兵器の効果を狙ったと思われてもしかたのない時点で刊行されている。これは重大な問題である」と指摘。また、佐藤優は「共産党は『創価学会を斬る』を扇動の道具として最大限に活用」したと言及している。 1970年(昭和45年)には日本共産党委員長宮本顕治の自宅の電話回線を創価学会の学生部幹部数名が盗聴し、逮捕者も出た。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "その後1974年(昭和49年)12月、向こう10年間の「相互不干渉」と「共存」をうたう「創共協定」を両者で締結した が、自公連立政権の誕生後は対立が再燃し、しんぶん赤旗が「公明党と創価学会 『政教一体』で『悪政戦犯』の役割」と題した記事で、創価学会首脳が選挙戦で陣頭指揮を執り聖教新聞に会員を鼓舞する記事が掲載されるなどと批判したり、入信強要問題を取り上げる などしている。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "自民党とは自民党結党以降2代会長戸田城聖と自民党で総裁を務めた岸信介が友好関係にあり、岸の娘婿安倍晋太郎が岸の名代として大石寺の大講堂の完成式典に列席し祝辞を述べた。また創価学会が起こした言論出版妨害事件では公明党中央執行委員長・竹入義勝が自民党幹事長・田中角栄に事態の収拾を依頼、その後自民党田中派・竹下派と公明党創価学会は親密、親交を深めていき田中の愛弟子小沢一郎が1993年に自民党を離党すると公明党幹部の市川雄一が小沢に接触、後に「ワン・ワン・ライス」となぞらえられた連携を見せ公明党が非自民党政権の細川連立政権に参加、創価学会も全面的に協力した。この動きを見た自民党は、1993年(平成5年)に同党所属の有志議員が憲法20条を考える会を結成(会長は亀井静香)、「公明党と創価学会の政教分離問題を追及する」を旗頭に創価学会・公明党・細川連立政権に攻勢をかけた。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "1994年(平成6年)5月には公明党および創価学会に批判的な宗教団体や有識者からなる四月会の結成に同党所属の河野洋平が参加、自民党は長年の宿敵であった社会党と手を組み、政権を奪取すると、同年10月、同党の川崎二郎が衆議院予算委員会で日蓮正宗住職交通事故死事件を取り上げた。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "1995年(平成7年)11月の衆議院宗教法人に関する特別委員会では同党所属の衆議院議員熊代昭彦が創価学会について「我々が内々にいろいろ聞いたところでは、不動産資産9兆円、流動資産1兆円というような堂々たるお力を持っておられるようなことでございますが......」と発言したほか、穂積良行が朝木明代市議転落死事件と創価学会の関係について質問した。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "1996年(平成8年)には党の運動方針に「いま、わが国の政治にとって最も憂うべきは、宗教団体・創価学会が新進党という政党の皮をかぶって国民を欺き、政治の権力を握ろうと画策していること」というスローガンが存在したがこれは前年に行われた参議院選挙で自民党が新進党に敗北したことから来る衆議院選挙で勝利し政権維持を目的としたものである。同年週刊誌に掲載された「池田大作レイプ事件」の内容を党の機関紙『自由新報』へ引用、内藤国夫、俵孝太郎が「シリーズ新進党=創価学会ウオッチング」と題し「池田大作と金の問題」や「池田大作レイプ問題」を数回掲載した一方、衆議院選挙で勝利し政権維持を目的を達成した後は自由民主党竹下派を中心に公明党との連立を模索する動きも出ていた。1998年(平成10年)4月、自民党総裁で首相の橋本龍太郎が(創価学会の抗議に応じて)『自由新報』の「池田大作レイプ問題」について事実ではなかったと謝罪した。自由新報は現在廃刊されている。これら一連の動きは自民党による反創価学会キャンペーンとして大々的に行われた。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "1957年(昭和32年)9月8日、第2代会長戸田城聖が創価学会第4回東日本青年部体育大会「若人の祭典」で核兵器の使用禁止を訴える宣言、いわゆる「原水爆禁止宣言」を行った。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "戸田はこの宣言を遺訓として会員たちに託し、以後、創価学会が行っている、戦争体験者の証言を集めて出版する「反戦出版」や、反核・平和運動活動の淵源となったとされている。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "1968年(昭和43年)9月8日、池田大作は東京・両国の日大講堂で行われた学生部幹部会の席上、「日中国交正常化提言」を発表した。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "創価学会の出版機関第三文明社は日中が国交正常化にこぎつけることができたのは、日本では、通産大臣や初代経済企画庁長官などを歴任した高碕達之助、厚生、農林、文部の各大臣を歴任した松村謙三、首相を務めた田中角栄と大平正芳、創価学会会長(現名誉会長)の池田大作、中国側では、最高指導者(中国共産党主席)の毛沢東、日本留学の経験をもつ首相の周恩来、早稲田大学で学んだ政治家の廖承志、中日友好協会会長を務めた孫平化ら、日中双方の政治家や各界指導者たち、そしてさまざまな民間人や諸団体の忍耐強い努力があったからにほかならないとまとめている。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "1975年1月26日にSGI(創価学会インタナショナル)が創設されたことにちなんで創価学会が定めた、毎年1月26日の「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、池田がSGI会長の名義で発表してきた平和提言が、1983年以来毎年聖教新聞上で発表されており、2022年の提言で40回目となっている。2022年の提言では、2023年に日本で開催される主要7カ国首脳会議(G7サミット)に合わせ「核兵器の役割低減に関する首脳級会合」を広島で催すよう提案した。また、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、感染症対策を巡る国際協力を強化する国際ルールの早期制定を呼びかけた。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "なお、2023年はSGIの日記念提言は発表されず、後述の緊急提言2本がこれに代わって発表された。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "2023年1月11日、池田はロシアによるウクライナ侵攻の早期終結に向けた緊急提言を発表し、国連の仲介によって主要国の外相会合を早急に開催し、停戦合意を図るよう呼びかけた。また、核兵器で攻撃されない限り自国は核兵器を使わない「核兵器の先制不使用」について、核保有国に誓約を求めた。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "2023年4月27日、池田は5月に開催予定のG7広島サミットに向けた提言を発表し、核兵器の使用や威嚇は許されないというメッセージを力強く発信するよう求めた。また、ウクライナ侵攻の早期終結を目指し、重要インフラや民間施設への攻撃の即時停止を実現したうえで、戦闘の全面停止に向けた交渉を、医師や教育者など市民の代表がオブザーバー参加する形で行うことを提案した。同提言はNHKでも報道された。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "創価学会アニュアルレポートによれば、創価学会は1994年11月10日の第35回総務会で政治に対する基本的見解を発表しており、そこには「学会員個人個人の政党支持は、自由であることを再確認しておきたい」と記されている。 2015年以降には、自民党が進めた平和安全法制(安保法案)に賛成した与党の公明党の動きは反戦平和を掲げる創価学会の本来の教義に反するとして、一部の学会員らは抗議運動を行っている。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "2015年には与党側の安保法案に反対する創価大学と創価女子短期大学の関係者が「安全保障関連法案に反対する創価大学・創価女子短期大学関係者 有志の会」を立ち上げて、署名活動などを行った。呼びかけ人の一人は創価大学通信教育部非常勤講師(当時、現在は退職)の佐野潤一郎。2016年5月のTwitter(当時)の投稿を最後に現在は活動を行っていない。政府与党の進める安保法案の廃止を求めるデモには、創価学会の三色旗がはためく姿も見られた。沖縄では辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議が推薦する玉城デニーの支援を行い、三色旗を掲げる一部の学会員の姿も見られた。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "なお、安保法案について、作家の佐藤優氏は、集団的自衛権行使を容認したことで「海外の戦争に日本(自衛隊)が参加できる契機になった」との受け止めがあるようだが、これは、むしろ「集団的自衛権行使による自衛隊の海外派兵は遠のいた」ということであるとの見解を述べている。", "title": "政治との関係" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "機関紙である聖教新聞などは、「無冠の友」と呼ばれる会員の有志 による全国的な宅配網が整備されており、一般紙と同じく日刊で全国に配達されている。聖教新聞社は自前の印刷所を持たず、全国紙の系列の印刷会社や複数の地方紙に聖教新聞の印刷を委託している。", "title": "マスメディアとの関係" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "地方紙としては印刷所の輪転機を遊ばせておく時間を減らせる上に、印刷代金を確保できる貴重な収入源として、聖教新聞社(=学会)としては自社で全国に高速輪転印刷機の設備を維持せずに全国津々浦々に日刊で新聞を届ける事ができるという風に、両者の利害が一致している。また、全国紙でも毎日新聞社や読売新聞社は聖教新聞の印刷を傘下の印刷会社で受託しており、読売新聞社は2020年(令和2年)5月1日から茨城県での聖教新聞などの配達業務を受託するまでになった。聖教新聞社(=学会)側には「無冠の友」の人手不足や学会員の高齢化が、読売新聞社には部数減に歯止めがかからない中、全国に整備した販売店の存続という課題が背景にあるといわれている。また、毎日新聞では池田の寄稿を掲載したり、系列の出版社からは池田の著作が出版されたりしている。このことについて、週刊誌「デイリー新潮」では、「ある全国紙記者」の発言として、「いまや毎日にとって学会は、ぞんざいに扱うことができない大口顧客であり、学会に関する批判的な記事など書けるはずもありません」「550万部という大口顧客に読売が牙を剥くことは、不可能に等しい」と記している。", "title": "マスメディアとの関係" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "創価学会には聖教新聞社(『グラフSGI』)を始め、潮出版社(『潮』、『pumpkin』)・第三文明社(『第三文明』、『灯台』)などの系列出版社がある。", "title": "マスメディアとの関係" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "また、全国・地方を問わずラジオ局への番組提供は複数ある(下記参照)。テレビ局では地方局や独立局を中心に池田原作のアニメや広報番組が放映されているほか、在京キー局などで聖教新聞のCMが放送されている。ただ、J-WAVE、関西テレビ、テレビ熊本のように、公明党のCMおよび政見放送と当学会系列の学校教育機関(創価大学、創価学園)のCMを除き、創価学会関連組織(聖教新聞を含む)のCMの出稿(放送)の一切を受け入れない放送事業者もある。", "title": "マスメディアとの関係" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "1960年代末から1970年代にかけて、創価学会と公明党が会長の池田大作や自らに批判的な書籍の出版、流通を阻止するため、学会員や公明党党員が著者・流通業者・取次店・書店に、脅迫や圧力をかけて出版を妨害したり、出版前の原稿に自らの主張を織り込むよう要求した問題。", "title": "創価学会が起こした社会問題" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "公明党が結成され衆議院で議席を獲得しはじめると、創価学会批判の書物が発表されることが増えた。1969年(昭和44年)の藤原弘達の『創価学会を斬る』をはじめとする様々な批判本に対して創価学会から圧力がかけられていることが明らかとなり、池田は1970年(昭和45年)5月に一連の妨害行為に対し謝罪した。この件は日本共産党の不破哲三も1970年国会での質問で取り上げた。", "title": "創価学会が起こした社会問題" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "『創価学会を斬る』の出版については、評論家の大宅壮一は「『創価学会を斬る』という表現を用いていることは、明らかに初めから創価学会への挑戦」「奥付の発行日が昭和四十四年十一月十日ということは、衆議員総選挙まであと一ケ月と十八日、選挙戦における秘密兵器の効果を狙ったと思われてもしかたのない時点で刊行されている。これは重大な問題である」と指摘している。", "title": "創価学会が起こした社会問題" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "これらの行為が、日本国憲法に保障された、言論の自由および出版の自由を侵害するものだとして、国会で取り上げられたが、当初、公明党はNHKの公開討論で「これらは全て嘘、デタラメである」と主張した。しかし、国会に招致された出版社や取次店などの証言により、創価学会・公明党が事件に関与していたことが明らかになるとマスメディアから激しい社会的批判にさらされると共に、創価学会・公明党の密接な関係や当時、公明党が創価学会の内部局として存在し、国会や地方議員を務めた人間が再び学会幹部として組織に戻るなど公明党が組織として独立していなかったことが、政教分離の観点から問題視された。", "title": "創価学会が起こした社会問題" }, { "paragraph_id": 147, "tag": "p", "text": "1970年(昭和45年)、池田大作が「言論妨害の意図はなかった」としながらも、妨害行為に対し公式に謝罪、公明党を創価学会から切り離し組織として完全に独立させるなど、創価学会・公明党の問題点を改善することを公約した。しかし後年、池田の著書「新・人間革命」では「衆院選前に、藤沢達造(藤原弘達の仮名)の本とともに、学会の批判本が次々と出されたのだ。暗黒の嵐が吹き荒れ、伸一(池田の仮名)を倒さんとする、攻撃の毒矢が放たれたのであった。」と掲載。「週刊新潮」と不破哲三は、年月が経ったことに乗じて、歴史を改竄するものだと批判した。", "title": "創価学会が起こした社会問題" }, { "paragraph_id": 148, "tag": "p", "text": "学会員が起こした犯罪や社会問題で裁判所が創価学会の組織的関与認めた事案として大阪事件 といった選挙違反、コーヒーカップ裁判宮本顕治宅盗聴事件 といった反目する団体への誹謗中傷行動、手帳強奪事件 のように学会と袂を分かった元学会幹部への違法行為が挙げられる。かつて犯罪を起こし逮捕された学会幹部を除名せず、その幹部が数年後再び刑事事件を起こし学会幹部として逮捕されたこともあり組織として学会の体質が批判されたケースも存在した。", "title": "創価学会が起こした社会問題" }, { "paragraph_id": 149, "tag": "p", "text": "1995年12月にフランスの下院(フランス国民議会)で採択された報告書には、「セクト(カルト)の行動の特徴」を判定する指針が載せられている。この報告書は、報告者の名前を取って『ギュイヤール報告書』と呼ばれる。 「1精神の不安定化2法外な金銭的要求3住み慣れた生活環境からの断絶4肉体的保全の損傷5子供の囲い込み6反社会的な言説7公秩序の攪乱8裁判沙汰の多さ9従来の経済回路からの逸脱10公権力への浸透の試み」を「セクト構成要件の10項目」として列挙し、このうち1項目でも該当するものがあればその団体をフランス政府はセクトとみなしている。 リストアップされたのは創価学会を含む全部で174の宗教、宗教団体であった。", "title": "創価学会が起こした社会問題" }, { "paragraph_id": 150, "tag": "p", "text": "WEB第三文明によれば、2011年9月、フランスの新聞『ル・モンド』の月刊誌「Le Monde DES RELIGIONS」に『創価学会、自己の内なるブッダ』と題するルポルタージュが掲載され、創価学会の歴史や活動が詳しく報じられた。ここでは、創価学会が日蓮正宗と絶縁した理由について「創価学会のプラグマティズム、およびその在家による現代世界を中心に捉える方向性は、日蓮正宗の聖職者集団による教条主義的宗教観とはもはやできなくなったからである。」と解説した。また、1983年にフランス国会に提出された「アラン・ヴィヴィアン報告書」を挙げ、創価学会をセクト扱いしていた背景についても解説し、首長直属機関であるセクト逸脱行為監視取締り関係省庁委員長ジョルジュ・フネックによる「ここ5年以上に渡りSGIフランスに関して、我々はセクト逸脱行為の通報を一切受けてない。運動体(SGIフランス)は礼拝、文化、商業活動を区別し、フランスにおいてはまったく問題を提起しない。」とのコメントを紹介している。 なお、2020年、セクト的逸脱行為関係省庁警戒対策本部 (MIVILUDES)が3008件の通報を受けたうち、創価学会に関するものが10件あった。これらの「通報」というのは、特定の不正行為に関する「報告」ではなく、フランスの行政機関の他の省庁や一般市民からの簡単なコメントや質問も含まれているという。また、MIVILUDESに「通報」を送る人たちが実在する人物か、真実を語っているかどうかは確認されておらず、「通報」の数は、何か好ましくない事柄で誰かが「カルト」を訴えた件数とは一致しないことをMIVILUDES自体が認めている。 国会の調査委員会は証人喚問ができ、証人は宣誓をし、偽証罪も適用される。「セクトと子供」調査時のMIVILUDEルレ本部長は次の証言をしている。 「セクト的組織は多くの分野にいます。最近私達は創価学会の雑誌の中で小学校の教員が『師』からうけた教えを子供たちとのコミュニケーションの中で実践していると自画自賛するのを読みました。唖然としてしまいました」(報告書付録証言集)在仏ジャーナリストの広岡裕児はMIVILUDESルレ本部長の当証言について「子供の囲い込みに通じ、創価学会が常に警戒の対象となっているという何よりの証拠である」と論評している。", "title": "創価学会が起こした社会問題" }, { "paragraph_id": 151, "tag": "p", "text": "ベルギーでは、創価学会(SGI)が複数の未成年者を勧誘したことが発覚し社会問題となる、1997年、ベルギー連邦議会調査委員会は未成年者保護のため創価学会(SGI)をセクト的な活動を行う団体にリストアップし未成年者への勧誘、入会を禁止した。", "title": "創価学会が起こした社会問題" }, { "paragraph_id": 152, "tag": "p", "text": "1980年代から90年代にかけて、日本に留学していた複数のドイツ人が創価学会の総会で池田大作が右手(実際は右の拳)を高くつきだし、それに呼応して参加者たちが一斉に右手を突きだした光景を目撃したことから「創価学会はナチス式敬礼を行う危険な団体」 などといった誤った風潮がドイツ国内に伝わる。その後1996年、創価学会インタナショナル(SGI)等を新宗教と精神世界グループの一団体としてリストアップした。", "title": "創価学会が起こした社会問題" }, { "paragraph_id": 153, "tag": "p", "text": "イギリスの経済紙『エコノミスト』1999年7月3日号で「創価学会は(日蓮正宗[大石寺]が創価学会との結び付きを断ち池田氏を破門したことによって)主な目的を失った現在、世界中で行っているよい仕事の成果を強調するようになった。さらに創価学会は富裕になって以降初期の目標を失ったその他多くの組織と同様に、批判者を脅迫、主流マスコミを脅して黙らせるという容赦なさでその利害を守っている。」と批判した。", "title": "創価学会が起こした社会問題" }, { "paragraph_id": 154, "tag": "p", "text": "2015年6月27日、イタリア共和国政府とイタリアSGI(イタリア創価学会仏教協会)との間に、インテーサ(宗教協約)が調印され、調印式がフィレンツェのイタリア文化会館で厳粛に執り行われた。しかし、式典に池田大作が出席せず代理人をたてたことからイタリアの大衆紙「Corriere della Sera」は「Nessuna cerimonia di vincitori(受賞者なき授賞式)」、「Governo ha dato lui la medaglia di fantasmi(幽霊に勲章を授けた)」などの批判記事を掲載した。", "title": "創価学会が起こした社会問題" }, { "paragraph_id": 155, "tag": "p", "text": "韓国SGIに関連した批判が下記のようにある。", "title": "創価学会が起こした社会問題" }, { "paragraph_id": 156, "tag": "p", "text": "「創価学会には、P献金と呼ばれる献金が存在している」という疑惑。P献金のPとは「プレジデント(英:President)」の略で公明党の支持母体、創価学会の池田大作名誉会長を指しているというもの。公明党出身の国会議員福本潤一が2007年(平成19年)6月、外国人記者クラブで外国人記者を前にし、「公明党の議員は選挙で当選した際に衆議院議員は300万円、参議院議員は600万円の献金を行うよう要請されている」と記者会見した。福本の記者会見の内容を民主党の石井一が2007年(平成19年)10月16日、参議院予算委員会で「P献金」を追及した。", "title": "創価学会に関する疑惑" }, { "paragraph_id": 157, "tag": "p", "text": "後藤組元組長の後藤忠政の著書『憚りながら』では、元公明党最高顧問の藤井富雄が、後藤(元組長)のもとを訪れ、「反学会運動をしている亀井さんら四人の名前を挙げ『この人たちはためにならない』という意味のことを言った」とされている。著書に登場する編集者は、そのやりとりを、「受け取りようでは後藤組長に四人への襲撃を依頼したという意味にもとれる」と表現した。また、共同通信社記者の魚住昭は『月刊・現代』の中で、藤井が後藤に、創価学会に対して批判的な亀井静香(元・衆議院議員)を黙らせて欲しいと依頼する場面が収録されたビデオテープがあることを記している。リストに名前があった亀井は警察関係者、弁護士などと創価学会対策会議を行うこととなる。後藤は著書の中で「池田大作が裏で何をしていたかといったら、山崎や藤井をパイプ役にして俺達ヤクザを散々利用し、仕事が終われば知らんぷりだ。それで俺達がちょっとでももの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。で、それがマスコミにバレそうになったら、頬かむりだ。」と記している。", "title": "創価学会に関する疑惑" }, { "paragraph_id": 158, "tag": "p", "text": "「大鳳会(おおとりかい)」という組織の存在について以下で取り上げられた。", "title": "創価学会に関する疑惑" }, { "paragraph_id": 159, "tag": "p", "text": "下記のような例がある。", "title": "創価学会に関する疑惑" }, { "paragraph_id": 160, "tag": "p", "text": "茨城新聞は創価学会信者宅からの取材をもとに1962年(昭和37年)4月1日号において「創価学会は信徒の家に葬式があると、親戚、知己から集まる香典はすべて創価学会支部が持ち去ることになっている」と報道した。創価学会側は記事の内容は事実無根と茨城新聞社へ抗議した。その後、確証が取れないと判断した同社は4月17日、茨城新聞に訂正記事を掲載した。", "title": "創価学会へのデマ" }, { "paragraph_id": 161, "tag": "p", "text": "雑誌『月刊ペン』が掲載した「四重五重の大罪犯す創価学会」や「極悪の大罪犯す創価学会の実相」という記事が名誉毀損罪にあたるとして、編集長の隈部大蔵が告訴され隈部が有罪となった。", "title": "創価学会へのデマ" }, { "paragraph_id": 162, "tag": "p", "text": "1995年(平成7年)9月、東京都・東村山市議会議員朝木明代がマンションから転落死し、後に警察が自殺と断定。朝木が創価学会と公明党の批判活動をしていたことから、他殺説や学会の陰謀説が浮上した。『週刊現代』・『週刊新潮』・『東村山市民新聞』の記事に対して、創価学会は名誉毀損で提訴し、3つとも学会側が勝訴した。", "title": "創価学会へのデマ" }, { "paragraph_id": 163, "tag": "p", "text": "1997年(平成9年)に自殺(転落死)した伊丹十三の死が自殺ではなく他殺であるとした説(創価学会が関与したと断定する内容)が2ちゃんねるに掲載された。創価学会は2ちゃんねるの運営者を相手取り、訴訟を起こした。東京地方裁判所は2009年(平成21年)2月、証拠もないのに断定的な内容を掲載し続けたとして、被告に損害賠償金80万円の支払いを命じる判決を言い渡した。", "title": "創価学会へのデマ" }, { "paragraph_id": 164, "tag": "p", "text": "『週刊文春』が2011年(平成23年)10月27日号(176ページから179ページ)で池田大作の看護師からの情報をもとに『衝撃スクープ 池田大作「創価学会」名誉会長 担当していた元看護師が語る「厳戒病室」本当の病状』と池田大作名誉会長の重病説を掲載した。週刊文春の記事を受け創価学会は週刊文春や発行元の文藝春秋社に「該当する看護師は存在せず、証言は事実無根である」と抗議。週刊文春は2カ月後の12月29日号で当時の編集長が「小誌は再取材を行いましたが、証言者が看護師であるとの確証を得るに至りませんでした。病状についての記述を取り消し、ご迷惑をおかけした関係者にお詫びいたします。」と謝罪した。", "title": "創価学会へのデマ" }, { "paragraph_id": 165, "tag": "p", "text": "2018年2月27日付けの聖教新聞の報道記事によると、テレビ東京系列で放送されている『ワールドビジネスサテライト』が2017年(平成29年)11月24日の放送で創価学会についての特集を組んだものの、テレビ東京側の不手際で創価学会への取材依頼などがなされないまま取材が行われた上、学会から除名された人物らの主張や言動を一方的に取り上げ、視聴者に学会に対する偏見を植え付けるものとなっていることなどを問題視した創価学会が抗議。テレビ東京は2018年(平成30年)2月22日までに報道内容の誤りを認めて謝罪した。", "title": "創価学会へのデマ" }, { "paragraph_id": 166, "tag": "p", "text": "キリスト教徒(日本基督教団)の元外交官で作家の佐藤優は「池田氏の平和への思いは本物だ。加えて、池田氏は創価学会の理念を体現した存在だ。」「初代、二代、三代会長が投獄された創価学会の国家に対する距離感。SGIという国際組織。そして鎌倉時代、国家に弾圧された日蓮の縁起観。すべて具体性を伴っている。こうした一つひとつの「経験」が流れ込んで、創価学会の平和主義を形成しているのだ。」とした。また「SGIという国際組織によって、ナショナリズムや排外主義を超克しつつある創価学会が、このような局面でどのような役割を果たせるかが問われるだろう。」と述べている。", "title": "創価学会に対する肯定的評価" }, { "paragraph_id": 167, "tag": "p", "text": "第二次宗創戦争については、「歓喜の歌」事件に関して創価学会側の立場を擁護し、「ここで宗門が問題としたのは、キリスト教だ。ベートーベンの『歓喜の歌』を歌うことが邪教礼賛になると宗門は考えた。ヨーロッパの文化はキリスト教と深く有機的に結びついている。ヨーロッパ文化から、キリスト教を抜き去って理解することは不可能だ。科学的無神論を国是としたソ連や東ドイツでも、『歓喜の歌』が、無神論の否定する神を礼賛するといった理由で禁止することはなかった。宗門はソ連共産党やドイツ社会主義統一党よりも偏狭なキリスト教観を持っていることが露呈した」と記している。さらに「各国の文化から、宗門以外の宗教的要素を除去しようという発想は、絵に描いたような排外主義だ」「ある文化と根底から結びついた宗教を完全に否定するならば、宗教間対話は成り立たない。宗門の頑なな姿勢が、創価学会の世界宗教化の深刻な障害になっていることがもはや明白になった」と述べている。", "title": "創価学会に対する肯定的評価" }, { "paragraph_id": 168, "tag": "p", "text": "2014年7月の集団的自衛権行使容認の与党協議に関して「公明党がブレーキ役として与党にいなければ、憲法に制約されない集団的自衛権の行使を容認することが閣議決定されていたと思う。」「閣議決定に賛成したために、公明党は『平和の党の看板に傷がついた』『平和主義の看板を下ろした』などと批判された。連立政権を離脱して、きれいな平和論を主張するという選択肢もあったはずだ。もし、公明党がその選択を行っていたならば、私は、公明党の平和主義は本物ではないと批判したと思う。平和の党の看板に傷がついても、現実に戦争を阻止し、平和を維持することが重要なのである。少なくとも現時点では公明党はその機能を果たしている。」としている。", "title": "創価学会に対する肯定的評価" }, { "paragraph_id": 169, "tag": "p", "text": "「『国立戒壇の問題』と言っても、現在、創価学会は宗門(日蓮正宗)と訣別しているわけだから、宗門の教義である『国立戒壇の問題』が、もはや存在しないことになる。すなわち、公明党と創価学会には日蓮正宗を国教化する狙いがあるという、批判者たちの論理の前提が崩れているのだ」としている。", "title": "創価学会に対する肯定的評価" }, { "paragraph_id": 170, "tag": "p", "text": "田原総一朗(ジャーナリスト)は「度重なる試練に直面し、創価学会は間違いなく衰退するであろうという世論の推測を見事に裏切り、その都度、ピンチをチャンスに変えるという驚くべきエネルギーをもって、逆境を乗り越えてきたのである。どうやら、創価学会の強さは我々には想像も及ばないほど堅固なものらしい。」と示唆した。池田大作の人物像について、「おそらく近寄りがたい雰囲気を持っているに違いないというこちらの予想は見事に外れ、偉ぶったところを一切感じさせない人だった。しかも、人の話を聞くのが非常にうまい。これには、びっくりした。」と述べた。また、「私が池田に感じたのは、自分をよく見せようという下心がまったくなく、誠実で相手のことを気遣うことのできる、きめ細やかな神経の持ち主だということだ。」「喜怒哀楽もあり、とても人間臭い面も持ち合わせている。」とした。", "title": "創価学会に対する肯定的評価" }, { "paragraph_id": 171, "tag": "p", "text": "創価学会は「創立当初から、従来の日蓮正宗の枠組みを超えた、独自の在家信徒団体」であったと述べている。また第二次宗創戦争については、「第九を歌うことのどこが問題なのか。しかも、当時の聖教新聞に掲載されたスピーチを何度も読んでも、日顕への批判や侮辱はどこにも見当たらない。私からしても、宗門側がどこに激しい怒りを感じているのか、さっぱりわからない」としている。", "title": "創価学会に対する肯定的評価" }, { "paragraph_id": 172, "tag": "p", "text": "(宗門との決別以降)創価学会の活動領域が広がったことは間違いないようだ。学会員に話を聞くと、宗門と決別して以降、地域のためのさまざまな活動に参加するようになったという。例えば、地域のお祭りでお神輿も担ぎ、町会役員や学校のPTA役員も引き受ける。さらに、交通安全週間の行事にも参加するなど、ありとあらゆる地域活動に参加しているというのだ。言論・出版問題後、池田が目指した地域との融和が、ここにきてようやく根付いたということだろう」と述べている。", "title": "創価学会に対する肯定的評価" }, { "paragraph_id": 173, "tag": "p", "text": "学会の草創期において排他的な態度が見受けられたことについて、「信仰を広めるために他宗教を否定する、これは草創期の新宗教においてやむを得ないことだ。おそらくどこの宗教団体も同様の活動をしていただろう」と述べている。 田原はまた、学会が日蓮正宗(宗門)と決別してからは、地域活動が活発になった点を指摘する。「例えば、地域のお祭りでお神輿も担ぎ、町会役員や学校のPTA役員も引き受ける。さらに、交通安全週間の行事にも参加するなど、ありとあらゆる地域活動に参加している」「宗門と別れたことで、世界広布、地域との融合など、新たな布教の形を見出した」と述べている。", "title": "創価学会に対する肯定的評価" }, { "paragraph_id": 174, "tag": "p", "text": "宗教学者の島田裕巳は、「創価学会員が『広布即地域貢献』として団地自治会長や学校PTA、商店街役員などに積極的に就任し、それらの組織を『折伏の足場』にしようとしていると述べている。一般の人は仕事などに追われてそれらの役員には就きたがらないが、創価学会はそうした状況を利用して地域で主導権を握ろうとしている」と、分析している。島田によれば、1950年代~1960年代(昭和30年代から40年代)の高度経済成長期には、仕事を求めて故郷を離れて都会を目指し多数の青年たちが、大企業中心の総評などにすいあげられることもなく、未組織労働者・中小零細業者として孤立無援の生活を送らざるを得なかった人たちが、組織化されて、「民族」とも形容できる濃い人間関係ができあがっていった。この組織化が画期的であり、そこに創価学会の社会的な意義があったと主張する。", "title": "中立的な立場" }, { "paragraph_id": 175, "tag": "p", "text": "一方、「かつては他の宗教や宗派を一切認めない姿勢を持っており、創価学会員の子弟は、修学旅行などで神社仏閣を訪れた場合には、神社の鳥居や寺院の山門はくぐろうとしない」、財務の一か月程前には決起大会が開かれ、「100万円出したら息子がいい企業に就職できた。」「保険を解約して学会のために捧げたら幸せになりました。」などの発言が相次ぎ、他の会員にプレッシャーをかけると指摘。また創価学会には多額の寄進をした人間たちが少なくなく、島田の知人にも、創価学会に数千万円を寄進した例があるとした。", "title": "中立的な立場" }, { "paragraph_id": 176, "tag": "p", "text": "「謗法払い」といって以前信仰していた時の仏壇や神棚を焼却させていた事例があったことや、モアハウス大学キング国際チャペルの主催により世界各地で「ガンジー・キング・イケダ展」が開かれていることに関し「世界的に高く評価されているガンジー、キング牧師に対してイケダに二人に匹敵するだけの功績があるか疑問に思う人は少なくないであろう」と批判した。", "title": "中立的な立場" }, { "paragraph_id": 177, "tag": "p", "text": "公明党については「公明党は自民党と連立与党を組んでから政策面で必ずしも独自性を打ち出すことができず、結局、自民党の政策を追認しているだけに終わっていることが少なくなく、特に安全保障政策で公明党が党是とする平和主義の貫徹が妨げられていることから、創価学会内部で公明党に対する批判が潜在化している」としている。", "title": "中立的な立場" }, { "paragraph_id": 178, "tag": "p", "text": "「自民党内にも創価学会=公明党の発言力が強まることを警戒する人間はいることから、自民党内部において創価学会=公明党への批判が高まれば創価学会=公明党としては民主党と連立を組む可能性が出てくる。そうなれば創価学会=公明党は動物と鳥の両方に取り入ろうとして結局はどちらからも嫌われ、暗い洞窟に追いやられたイソップ物語のコウモリになる危険がある」とも発言している。", "title": "中立的な立場" }, { "paragraph_id": 179, "tag": "p", "text": "創価学会は、元副会長福島源次郎、元公明党書記長矢野絢也、元公明党委員長竹入義勝、元公明党都議会議員団長龍年光、元都議会公明党幹事長藤原行正、元公明党議員大橋敏雄、同石田次男、元教学部長原島嵩、元顧問弁護士山崎正友などの幹部クラスの離反者や、長井秀和、杉田かおる等の有名人の離反者を出している。離反者は日蓮正宗に移ったり、マスコミを通じて創価批判・暴露を行うケースが多い。", "title": "創価学会に対する批判" }, { "paragraph_id": 180, "tag": "p", "text": "政界進出を始めた時期に創価学会は、日蓮宗系他教団、浄土真宗系教団のほか、革新陣営からの批判を受けることが増えた。島田裕巳によれば、1957年(昭和32年)の北海道での創価学会青年部隊と日本炭鉱労働組合と間の戦いを一つのきっかけとして、1960年代の公明党結成に応じて、革新陣営からの批判が刊行されるようになった。島田はこれらの教団・陣営は「民衆をターゲットとし」、「下層階級を組織化」する点で創価学会と競合していたと指摘し、一方の保守陣営はこの段階では創価学会批判を展開していなかったとする。1990年代に公明党も合流した新進党が参議院選挙で議席が増加すると、新進党の台頭に危機感を抱いた自民党は反創価学会キャンペーンを展開していた時期があった。", "title": "創価学会に対する批判" }, { "paragraph_id": 181, "tag": "p", "text": "内藤国夫や七里和乗(日隈威徳)などの著書に見られるように、かねてより創価学会は実質的には「池田教」ではないかとの批判があった。そのような批判を伴う呼称をめぐっては各方面から以下のようなことが言われている。", "title": "創価学会に対する批判" } ]
創価学会は、日本の宗教団体(宗教法人)。日蓮大聖人の仏法を信仰する法華経系の在家仏教団体。 1930年(昭和5年)11月18日、創価教育学会として創立。国内に公称827万世帯の会員(信者)を擁する。創価学会では、信者を「学会員」と称する。 「創価」とは、「価値創造」の意。「生命の尊厳に基づく人類の幸福と世界平和の実現を中心とした価値の創造」を意味する。 『聖教新聞』(日刊紙)、『創価新報』(月刊紙)、『大白蓮華』(月刊誌)などの機関紙誌を発行。 1964年(昭和39年)に結党された日本初の宗教政党である公明党の支持母体である。
{{Infobox 組織 | 名称 = 創価学会 | 画像 = Hachiyourenge.svg | 画像サイズ = 100px | 画像説明 = 八葉蓮華 | 画像2 = 創価学会広宣流布大誓堂.jpg | 画像サイズ2 = 260px | 画像説明2 = 東京都新宿区信濃町にある「創価学会総本部」の構成施設の一つで創価学会常住御本尊を安置する「広宣流布大誓堂」。<br>創立83周年にあたる[[2013年]][[11月18日]]竣工。 |地図2 = {{maplink2|frame=yes|type=point|zoom=12|frame-align=center|frame-width=270|text=総本部([[東京都]][[新宿区]][[信濃町 (新宿区)|信濃町]])|coord={{coord|35|40|52.85|N|139|43|14.47|E}}}} | 設立 = [[1930年]]([[昭和]]5年)[[11月18日]] | 解散 = | 種類 = [[宗教法人]] | 地位 = | 目的 = [[日蓮|日蓮大聖人]]の仏法の本義に基づき、弘教および儀式行事を行ない、会員の信心の深化、確立をはかることにより、各人が[[人間革命]]を成就するとともに、日蓮大聖人の仏法を世界に[[広宣流布]]し、もってそれを基調とする世界平和の実現および人類文化の向上に貢献すること<ref group="SG">[https://www.sokagakkai.jp/about-us/rules-and-regulations.html 創価学会会則 第1章 総則]</ref> | 本部 = {{JPN}}<br/>{{color|red|〒}}160-8583<br/>[[東京都]][[新宿区]][[信濃町 (新宿区)|信濃町]]32-4<br>広宣流布大誓堂<br/><small>{{coord|35|40|52.85|N|139|43|14.47|E|region:JP|display=inline,title}}</small> | 位置 = | area_served = {{JPN}} | 名の由来 = 価値創造 | 標語 = | 前身 = [[創価教育学会]] | 会員数 = 827万世帯(公称) | 言語 = [[日本語]] | 設立者 = [[牧口常三郎]](初代会長)<br>[[戸田城聖]](初代理事長、戦後に2代会長) | 人物 = [[池田大作]](3代会長・名誉会長)<br>[[池田博正]](主任副会長、大作の子息)<br>[[谷川佳樹]](主任副会長・壮年部長) | 関連組織 = [[#関連する企業、団体]]を参照 | 機関 = | 会長 = 会長:[[原田稔]]<br/>理事長・宗教法人創価学会代表役員:[[長谷川重夫]] | スタッフ = | ボランティア = | 予算 = | ウェブサイト = [https://www.sokagakkai.jp/ 創価学会公式サイト] {{ja icon}} }} [[ファイル:Sanshokuki.svg|280px|thumb|創価学会の三色旗<br>青は「平和」、黄は「栄光」、赤は「勝利」を表すとされる。]] '''創価学会'''(そうかがっかい、{{Lang-en|Soka Gakkai}})は、[[日本]]の[[宗教団体]]([[宗教法人]])。[[日蓮|日蓮大聖人]]の[[仏教|仏法]]を[[信仰]]する[[法華経]]系の[[在家仏教]]団体<ref name="watanabe"/>。 [[1930年]]([[昭和]]5年)[[11月18日]]、[[創価教育学会]]として創立。国内に公称827万世帯の会員([[信者]])を擁する。創価学会では、信者を「学会員」と称する。 「創価」とは、「価値創造」の意。「生命の尊厳に基づく人類の幸福と世界平和の実現を中心とした'''価'''値の'''創'''造」を意味する<ref group="SG">{{Cite web|和書|url=https://www.sokanet.jp/blog/106.html|title=「創価」ってどういう意味?|publisher=SOKAnet|accessdate=2021-05-14}}</ref>。 『[[聖教新聞]]』(日刊紙)、『[[創価新報]]』(月刊紙)、『[[大白蓮華]]』(月刊誌)などの[[機関紙|機関紙誌]]を発行<ref group="SG">[http://www.seikyoonline.com/intro/seikyo/publication.html 聖教電子版 定期刊行物]</ref>。 [[1964年]](昭和39年)に結党された日本初の[[宗教政党]]である[[公明党]]の支持母体である<ref name="watanabe">渡辺和子『オールカラーでわかりやすい! 世界の宗教: 信仰の歴史といまがわかる!』西東社、2015年7月10日 ISBN 9784791623143、242ページ、「創価学会: わが国ではじめて宗教政党を結成 三代会長のもとで大教団に発展した法華経系の在家仏教」</ref>。 == 概要 == [[1930年]](昭和5年)、[[尋常小学校]]の[[校長]]であった[[牧口常三郎]]と、[[戸田城聖]]ら当時の教育者などが集い、[[日蓮]]の[[法 (仏教)|仏法精神]]に基づく教育者の育成と、[[雑誌]]の発行を目的とする「'''[[創価教育学会]]'''」(初代会長:牧口常三郎、理事長:戸田城聖)を創立した。同年[[11月18日]]、『創価教育学体系』第1巻が発刊される。 [[1937年]](昭和12年)に、創価教育学会は[[日蓮正宗]]の[[法華講]](信徒組織)の1つとして位置付けられた{{sfn|塚田穂高|2015|pp=114-117}}。この組織が創価学会の前身となる。 [[第二次世界大戦]]中の[[1943年]](昭和18年)6月に牧口、戸田を含む幹部が[[治安維持法]]違反並びに[[伊勢神宮]]に対する[[不敬罪]]で[[特別高等警察]]に[[逮捕]]され、牧口は[[1944年]](昭和19年)[[11月18日]]に獄死。[[1945年]](昭和20年)[[7月3日]]、出獄した戸田は、組織名を「創価学会」に改称し組織を再建、[[1952年]](昭和27年)、[[宗教法人]]の認証を得る。 [[1951年]](昭和26年)[[5月3日]]に第2代会長に就任した戸田城聖の下で、75万世帯を目標にした「[[折伏大行進]]」という名の大規模な[[布教]]活動が行われ、日本国内での創価学会の勢力は急拡大した。しかし、強引な勧誘手法は批判を呼び、[[社会問題]]にまで発展した{{sfn|塚田穂高|2015|pp=117-120}}<ref>[[しまね・きよし]]『社会学大事典14巻』p.86-「とだじょうせい 戸田城聖」1970年</ref>。[[1958年]](昭和33年)4月2日に戸田第2代会長が死去した後、[[1960年]](昭和35年)5月3日に[[池田大作]]が第3代会長に就任した(現・名誉会長)。その後、次第に[[日蓮正宗]]宗門と軋轢が生じ、[[1991年]](平成3年)11月、「教義の逸脱」などを理由に[[破門]]される([[#日蓮正宗との関係|後述]])。 教義的には[[日蓮]]を[[末法]]時代の[[本仏]]と定め、法華経の肝心・南無妙法蓮華経の[[本尊|御本尊]]を認定して掲げ、「[[南無妙法蓮華経]]」の[[題目|唱題]]を実践し、「[[法華経]]」思想の布教を宣言([[広宣流布]])し、[[平和]]な[[世界]]の実現を目標とするとしている<ref name="daihyakka">[https://kotobank.jp/word/%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A-89159 『日本大百科全書(ニッポニカ)』【創価学会】(読み) そうかがっかい - コトバンク]</ref>。 [[1962年]](昭和37年)には「公明政治連盟」を創設し、2年後の[[1964年]](昭和39年)には[[日本の政党]]の要件を満たしている唯一の[[宗教政党]]として「[[公明党]]」を結成し、[[日本の政治]]にも関わっている<ref name="sg">島田裕巳 『創価学会』([[新潮社]]、2004年6月20日) ISBN 978-4106100727 {{要ページ番号|date=2016年11月}}</ref>。 <gallery widths="140" heights="180" style="font-size:smaller"> Tsunesaburo Makiguchi.jpg|初代会長の[[牧口常三郎]] Former President Toda.jpg|2代会長の[[戸田城聖]] Daisaku-Ikeda-5.png|3代会長の[[池田大作]] Hiroshi-Hojo-1.png|4代会長の[[北条浩]] </gallery> == 教勢 == 日本における創価学会公称の会員世帯数は約827万世帯、日本国外では280万人、教学部員数が260万人となっている<ref>[https://www.sokagakkai.jp/about-us/ 基本情報 - 創価学会公式サイト]</ref>。 推定の会員数は、資料によって差異がある。 * 約250万人(1980年・[[村上重良]])<ref>[[村上重良]] 『新宗教その行動と思想』 ([[岩波書店]] 1980年、岩波現代文庫 2007年2月) ISBN 978-4006001704</ref> * 約500万人前後(1988年・[[沼田健哉]])<ref name="numata">沼田健哉 『現代日本の新宗教 - 情報化社会における神々の再生』p.170 [[創元社]]、1988年1月</ref> * 約1,200万人(1995年・[[米本和広]])<ref name="tonarino">[[米本和広]]『となりの創価学会 - 内側から見た学会員という幸せ』 [[宝島社]]、1995年7月12日</ref> * 約542万人(1995年・文化庁統計より推定) * 約576万人(2000年・文化庁統計より推定)<ref name="bunka2" group="他">{{Cite web|和書|url=http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r3-01.htm|title=わが国における主な宗教団体名|publisher=株式会社レルネット|date=1995-12-31|accessdate=2013-11-01}}</ref> * 約2,000万人(2006年・[[島田裕巳]])<ref name="jitsuryoku">島田裕巳『創価学会の実力』([[朝日新聞社]]、2006年8月30日) ISBN 978-4023303720</ref> * 約250万世帯(2007年・島田裕巳)<ref>島田裕巳『日本の10大新宗教』[[幻冬舎]]、2007年11月 ISBN 978-4344980600</ref> * 約280万人(2017年・島田裕巳が[[大阪商業大学]]調査より推定)<ref>[http://www.ohtabooks.com/collective/sekai-wa-kounaru/14267/ 【中田考の近未来、世界はこうなる!講座 第2回】【対談】中田考×島田裕巳 未来の宗教はどうなるのか? これから世界はどうなるのか? - Ohta Collective ]</ref> * 約380万人、日本国民の約3%(2019年・[[島園進]] )<ref>[[島園進]] 『大学4年間の宗教学が10時間でざっと学べる』p.172([[KADOKAWA]]、2019年3月)</ref><ref>ジャーナリストの[[田原総一朗]]は、「創価学会の〝強さ〟の秘密」について、3点、指摘している。 *1点目は「池田大作が持つ魅力と、彼と学会員との強い絆」である。 **「池田を学会員一人ひとりが敬愛し、絶対的に信頼している。そして、自分たちが彼と身近な次元でつながっているという実感を抱いているのだ。この一体感が学会員と創価学会を強く結びつけている。それは日本を超えて世界にも広がっている」としている。 *2点目は「座談会など、一人ひとりの学会員が尊重される活動システム」である。 **「創価学会には『一人を大切にする』という言葉があると聞く。こうした一人ひとりを尊重する座談会という運動を、創価学会は世界中で地道に展開している」と述べている。 *3点目は「宿命転換」という仏法の教義である。 **「学会員はみな、宿命転換を目指して日々、勤行を続けている。たとえ信仰を深めても、病気や家庭不和、仕事上のトラブル、子育ての苦労など、日々の悩みや苦しみは尽きることがない。学会員はその苦悩の原因を自分の『宿命』にあると受け止め、自己の内面を変革することによって苦悩が解決でき、幸福になれると考えている」と指摘している。(出典:田原総一朗『創価学会』毎日新聞出版、2018年、pp.354-356)</ref><ref>宗教学者の[[島田裕巳]]は、創価学会がこのような大勢力となった要因について、2つの点を指摘している。 *1点目は、「[[霊]]に対する信仰の有無」である。 **創価学会以外の[[新宗教]]は「不幸の原因は十分に供養されていない先祖の霊である」とする所が多いが、創価学会は「[[霊魂]]は存在しない」と断言している。戦後、新宗教に入信した人々は農村部から都市部に就労移住してきた農家の次男、三男などが多かったが、彼らは都市部に就職・移住していく時に[[仏壇]]を持参することもなく、先祖の供養に対する意識が希薄であったため、先祖供養信仰の新宗教には無関心であったとしている。 *2点目は、「[[葬儀]]」である。 **「創価学会は教勢を伸ばしていた頃は出家した[[僧侶]]集団である[[日蓮正宗]]と密接な関係を持っており、創価学会の会員になることは同時に日蓮正宗の信徒にもなったため、葬儀も日蓮正宗の形式で行われていた。しかし、他の新宗教は会員やその家族が死去した場合の葬儀という儀式がある所はほとんど無く、実家の仏教宗派の形式で葬儀が行われた為、その際、入会した新宗教の信仰を脱退して実家で信仰していた既成の宗教に逆戻りするきっかけとなっていた」と指摘している(島田裕巳 同上、64-67)。</ref>。 === 日本国外への布教活動 === [[1960年]](昭和35年)、創価学会として日本国外初となる「[[アメリカ合衆国|アメリカ]]総支部」が結成された。『アメリカ創価学会〈SGI=USA〉の55年』では、当時はその構成員の多くが、[[アメリカ軍]]兵士と結婚して米国に移住した[[日系アメリカ人]]女性の「[[戦争花嫁]]」だったと指摘されている<ref>秋庭裕『アメリカ創価学会〈SGI=USA〉の55年』新曜社、2017年 pp.13</ref>。[[1960年代]]以降、日本からの[[移民]]([[日系人]])が中心となって、各国の支部が結成されていく。[[1975年]](昭和50年)[[1月26日]]に[[アメリカ合衆国]][[グアム|グアム島]]に51か国の代表が集って[[創価学会インタナショナル]](SGI)が結成された。 1975年(昭和50年)のSGI設立時には日本国外全体で会員数は150万人であったが、2021年11月現在は、宗教の布教活動が厳しく規制されている[[社会主義国]]の[[中華人民共和国|中国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]や[[中東]]諸国の[[イスラム世界|イスラム教圏]]を除いた、日本を含む世界192カ国・地域に広がり、日本国外全体で約280万人のSGIメンバー([[ヨーロッパ]]:16.2万人、[[中近東]]・[[アフリカ]]:5.1万人、[[アジア]]・[[オセアニア]]:191万人、[[北アメリカ]]:35.2万人、[[ラテンアメリカ]]:32.5万人)を擁している<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/sgi/gaiyo.html 世界の創価学会|創価学会公式サイト]</ref><ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/sgi/link.html SGI(創価学会インタナショナル)リンク集|創価学会公式サイト]</ref>。 == 教義関連 == === 教義・目的 === [[File:Soka-Gakkai-2.png|thumb|200px|本部2階の大広間で[[題目]]を唱える信者たち(1957年)]] * [[日蓮]]大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である[[南無妙法蓮華経]]を具現された三大秘法を信じ、[[本尊|御本尊]]に自行化他にわたる[[題目]]を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界[[広宣流布]]を実現することを大願とする。(創価学会 会憲第2条<ref name="sgkaiken">[https://www.sokagakkai.jp/about-us/constitution.html 創価学会 会憲 (2017年11月18日施行) - 創価学会公式サイト]</ref>・会則第2条より<ref name="sgkaisoku">[https://www.sokagakkai.jp/about-us/rules-and-regulations.html 創価学会 会則 (令和3年11月18日施行) - 創価学会公式サイト]</ref>) {{main|広宣流布#創価学会}} * 初代会長[[牧口常三郎]]、第二代会長[[戸田城聖]]、第三代会長[[池田大作]]の「三代会長」は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の広宣流布の永遠の師匠である。「三代会長」の敬称は、「先生」とする。(創価学会 会憲第3条2項<ref name="sgkaiken"/>・会則第3条2項より<ref name="sgkaisoku"/>) * 日蓮大聖人の仏法の本義に基づき、弘教および儀式行事を行ない、会員の信心の深化、確立をはかることにより、各人が人間革命を成就するとともに、日蓮大聖人の仏法を世界に広宣流布し、もってそれを基調とする世界平和の実現および人類文化の向上に貢献することを目的とする。(創価学会 会憲第4条<ref name="sgkaiken"/>・会則第4条より<ref name="sgkaisoku"/>) === 経典 === [[法華経]]を最高の経典とした[[天台宗|天台]][[智顗]]の[[教相判釈|五時八教説]]と、日蓮が説いた寿量文底下種仏法・三大秘法を基礎としている。 *『法華経』(方便品第二・如来寿量品第十六) *『[[御書 (日蓮)|新編日蓮大聖人御書全集]] 創価学会版』(聖教新聞社、1952年 - 2021年) - ※2021年の「新版」発刊に伴い廃刊。 *『日蓮大聖人御書全集 新版 創価学会版』(聖教新聞社、2021年) === 勤行・唱題 === {{main|勤行 (日蓮正宗)#創価学会の勤行}} 朝晩、[[本尊|御本尊]]に向かい、[[法華経]]の「方便品第二」と「如来寿量品第十六」を読経する事<ref name="#1">『新会員の友のために――創価学会入門』p29(聖教新聞社編集局編纂、聖教新聞社出版局、2016年)</ref>を「'''勤行'''」という。 「[[南無妙法蓮華経]](な'''ん'''みょうほうれんげきょう)」(※「なむみょうほうれんげきょう」ではない)という[[題目]]を唱える行為。「勤行」のあと、随時「題目」を唱える。これを、「'''唱題'''(しょうだい)」という。 時間が取れない場合などには「勤行」を行わずに、「題目」のみでもよいとされる<ref name="「創価学会の研究」玉野和志著、講談社現代新書">「創価学会の研究」[[玉野和志]]著、講談社現代新書、2008年</ref>。「南無妙法蓮華経」とは「法華経に帰依する」の意であり、「題目」は[[経典]]の表題を唱えることに由来する。 === 本尊・本仏 === {{see also|大曼荼羅}} * 信仰の対象である[[本尊]]は、日蓮が顕した法華経の肝心である「[[南無妙法蓮華経]]」の文字曼荼羅である。 **本尊に関する事項は、会長が司る。(創価学会 会憲第9条4項<ref name="sgkaiken"/>・会則第12条1項<ref name="sgkaisoku"/>より) *[[日蓮正宗]]からの破門に伴って宗門より御形木本尊の下付が停止されたため、[[1993年]](平成5年)以降は日蓮正宗第26世法主・[[日寛]]が[[1720年]]([[享保]]5年)に書写した本尊([[浄圓寺 (小山市)|淨圓寺]]蔵)を複写印刷し、「御形木御本尊」として授与している<ref name="日蓮正宗青年僧侶改革同盟" group="SG"/>。 ** 諸事情で自宅に[[仏壇]]を安置できない場合は、「お守り御本尊」と呼ばれる小型の御本尊を授与する。日寛書写の本尊を複写印刷したものである。 **「本門戒壇の大御本尊」については[[2002年]](平成14年)の会則改正により表記が変更された。さらに、[[2014年]](平成26年)の会則改正により、「[[弘安]]2年([[1279年]])の本門戒壇の大御本尊は受持の対象とはしない」と[[聖教新聞]]上で公式発表された。なお「弘安2年の本門戒壇の大御本尊」は[[日蓮正宗]]総本山[[大石寺]]に安置されているが、近年、この本尊は日蓮が直接造立したものではなく、日蓮が弘安3年(1280年)に日興の弟子・日禅に授与した本尊を模写したものであるとの説が出されている<ref>金原明彦『日蓮と本尊伝承』水声社 2007年</ref>。日蓮正宗は、歴代法主による書写本尊は「戒壇の大御本尊」を書写したものと主張しているが、大御本尊が後世に建立されたものである場合にはその主張は成立しない<ref>須田晴夫『日興門流と創価学会』鳥影社 2018年 244頁 </ref>。 *「謗法払い」については、創価学会は新入会希望者に対して、 *# 入会希望者自身が、かつての信仰対象の処分・返却を行うこと。 *# 本人が承諾しても、他人が手伝ったり預かって持ち帰ったりしないこと。 *# 謗法払いは入会する会員自身が、自ら自分自身で行う。 *# 同居家族や所有関係者の事前了解を得ること。 :を指導として徹底している<ref group="SG">1994年8月24日付「聖教新聞」4面</ref>。{{main|信者#創価学会}}{{see also|折伏大行進#歴史|}} * [[日蓮]]を[[末法]]の[[本仏]]と仰ぐ。これは[[日蓮正宗]]系の教義であり、[[釈迦]]本仏論を採用する[[日蓮宗]]系と異なる点である。{{main|本仏#日蓮本仏論}} == 活動 == === 年間主要行事 === [[2023年]]([[令和]]5年)時点の年間主要行事は、以下の通りである<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/info/nenkan_event.html 年間の活動 2023年の活動について - 創価学会公式サイト]</ref>。 * 1月1日、2日 新年勤行会 * [[成人の日]] 「成人の日」記念勤行会 * 2月16日 「日蓮大聖人御聖誕の日」記念勤行会 * 3月    春季彼岸勤行法要 * 4月2日  第2代会長・戸田城聖追善勤行会 * 4月28日 「立宗の日」記念勤行会 * 5月3日  「創価学会の日」記念勤行会 * 5月19日 「創価学会常住御本尊記念日」記念勤行会 * 7月15日  諸精霊追善勤行法要(8月15日に行われる地域もある) * 8月15日  世界平和祈念戦没者追善勤行法要 * 9月12日  「[[龍ノ口法難|竜の口の法難]]の日」の意義をとどめた勤行会 * [[敬老の日]] 「敬老の日」の記念勤行会 * 9月    秋季彼岸勤行法要 * 10月13日 「日蓮大聖人御入滅の日」の意義をとどめた勤行会 * 11月15日 「[[七五三]]」の記念勤行会 * 11月18日 創価学会創立記念日記念・初代会長・牧口常三郎追善勤行会 === 信行学の実践 === 創価学会公式サイトによると、創価学会が信奉する日蓮大聖人の仏法では、基本の修行として「信」「行」「学」(しん、ぎょう、がく)の三つが説かれている。 *「信」- [[法華経]]の肝心・[[南無妙法蓮華経]]の御本尊を信じ抜く心のこと。信受ともいい、仏の教えを信じて受け入れることを指す。「信」こそ、仏道修行の出発点であり、帰着点とされる。 *「行」- 仏道修行の実践のことで、「自行 (じぎょう)」と「化他 (けた)」の二つの面があるとされる。具体的には、自行とは[[勤行]](法華経の読経・唱題)であり、化他とは折伏・弘教すなわち布教活動のことをいう。 *「学」- 教学の研鑽であり、日蓮大聖人の「御書」を拝読することを根本にして、正しい仏法の法理を学ぶことを指している<ref>https://www.sokanet.jp/kyougakunyuumon/singyougaku/</ref><ref>https://www.sokanet.jp/recommend/new-member/devotion/page102.html</ref>。 === 組織の地域活動 === [[座談会]]は、「三代の会長が最も大切にしてきた伝統行事であり活動である」とされている<ref group="SG">[http://www2.sokanet.jp/html/yujinsou/index_s.html/ 創価学会公式サイト]</ref>。寺田喜朗は、[[1950年代の日本|1950年代]]~[[1960年代の日本|1960年代]](昭和30年代~昭和40年代)の[[高度経済成長]]期、農村から都市へと多くの労働者が移住し、生活と将来への不安を抱えた人々が、座談会に参加する中で、悩みを分かち合い、「コミュニティー」を築いたと指摘する。そして、学会が、この座談会などの活動を通して会員を教育し、社会のさまざまな分野に人材を輩出する「総体革命」を目指していた、としている<ref name=terada2017/>。また、央忠邦によると、座談会は班や地区の単位で行われ、1968年時点で、座談会の拠点は日本に二十万か所以上あった、とされる{{sfn|央忠邦|1968|pp=216-219}}。 [[モアハウス大学|アメリカ・モアハウス大学]]のローレンス・カーター教授は、創価学会・SGIの特徴として、「座談会」を挙げており、そうした集まりが、[[寺院]]や[[教会 (キリスト教)|教会]]ではなく、会員宅で開催されているのは、「SGIが在家運動であることが関係している」と指摘する。加えて、寺院などの場で行えば、聖職者の権威に特別な力が宿る一方で、庶民の自宅で集えば、「自然と皆が普段着で来られるような大衆的、民主的な場になる」ため、その点が「SGIの基底部に埋め込まれた平等主義の表れ」であるとしている<ref>{{Cite book|和書|title=牧師が語る仏法の師|publisher=第三文明社}}</ref>。 === 『聖教新聞』の購読者の開拓 === {{Main|聖教新聞#購読について}} === 財務(献金) === 創価学会では年1回、広布部員を希望した会員にのみ、「財務」と呼ばれる献金の申込み用紙が会員宅に届けられる。[[1970年代]]中頃以前は財務部員と呼ばれ、現在は広布部員。以前は年間3,000円程度であったが、現在は1口1万円からとなっている。[[生活保護]]受給者などは対象となっていない<ref>https://www.sokayouth-media.jp/answer/2225671.html</ref><ref>https://www.sokayouth-media.jp/answer/2225668.html</ref>。 ジャーナリストの[[田原総一朗]]は2023年に池田が死去した際に毎日新聞の取材に応じ、「池田は『生活を犠牲にするような(多額の)献金は認めない<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20231118/k00/00m/040/252000c|title=田原総一朗氏「あまりにも大きな存在だった」 池田大作氏死去|publisher=[[毎日新聞]]|date=2023-11-18|accessdate=2023-11-18}}</ref>』と語っていた」と証言している。 === 教学研鑽 === 創価学会が編さんし[[聖教新聞社]]が出版している『[[御書 (日蓮)|新編 日蓮大聖人御書全集]]』(2021年まで刊行。現在は新版に切り替え)、『日蓮大聖人御書全集 新版』(2021年発刊)を基にして、会員は教学の研鑽を行う。その学習資料・テキストとして月刊機関誌『[[大白蓮華]]』が用いられ、会員には「教学試験」の受験が奨励されている。 日蓮の生涯、御書、教学の基礎学習を目的とした試験として、「教学部任用試験(仏法入門)」が存在する。受験資格は中学生以上となっており、会友(非会員)も対象となっている。同試験に合格すれば、さらに3級・2級・1級の教学試験を受験することが奨励されている。 社会学者の玉野和志は、創価学会の「幸せにするシステム」の一つとして「教学の習得」を挙げている<ref>玉野和志『創価学会の研究』p50 (2008年、講談社)</ref>。 {{Main|大白蓮華#教学試験|御書 (日蓮)}} === 葬儀 === 創価学会における[[葬儀]]は、一般の仏教式葬儀とは異なり、在家信者である地域の儀典長を中心とする「[[友人葬]](ゆうじんそう)」の形式で執り行われていることが多い。 原則として、友人葬への参列では[[香典]]は必要ないとされているが、参列者が香典を持参する事、遺族が参列者が持参した香典を受け取る事は各位の自由である。また「読経料」「戒名料」などが必要な他宗派と異なり、友人葬の中心者の儀典長は、謝礼を一切受け取らないものと定められている<ref group="SG">[http://www2.sokanet.jp/html/yujinsou/index_s.html/ 創価学会公式サイト]</ref>。 宗教学者の山折哲雄は、「日本の旧来の仏教集団が単なる葬式仏教になっている」と批判されている中にあって、創価学会の友人葬の取り組みは、「在家仏教として正当な姿」であるとしている<ref>第三文明編集部『インタビュー 外から見た創価学会Ⅱ』(第三文明社、2007年)</ref>。 ==== 友人葬の料金 ==== 友人葬を取り扱っている葬儀社や在住している地域によって若干の差は存在する。一例として[[東京都]]の場合では、友人葬の基本料金は概ね35万円位から50万円位である<ref group="他">{{Cite web|和書|url=http://www.11ban.jp/plan_gakkaisou_a.html|title=学会友人葬プラン/有限会社十一番・メモリーズ/秦野市の葬儀社|accessdate=2013-11-01}}</ref><ref group="他">{{Cite web|和書|url=http://t-ceremony.com/friend.html|title=友人葬 - 大真葬祭セレモニー|accessdate=2013-11-01}}</ref>。 友人葬を取り扱う葬儀社によっては、一式で基本料金に含まれているケースとオプション料金として別料金になる場合がある。 詳細は、葬儀社への確認が必要である。 *[[納骨]]は、地区部長を通じて申し込むと、全国にある創価学会[[墓園|墓地公園]]が利用することが出来る。 *[[儀典長]]を中心に、生前の名前で葬儀を行うため、戒名料・読経料は、かからない。 === 布教活動 === [[無宗教]]あるいは創価学会以外の[[宗教]]を信仰する者に創価学会へ[[改宗]]・入信させる事を、「[[折伏]]」(しゃくぶく、しゃくふく)という。 [[1951年]](昭和26年)に戸田会長が「青年訓」を発表し、青年部を中心に「[[折伏大行進]]」と呼ばれる大々的な布教が行われた。布教活動は会員を増加させ勢力が拡大することになった反面、その強引な手法から[[社会問題]]にまで発展した。{{main|折伏大行進#歴史}} 現在の創価学会では、「仏法の人間主義に基づき、自他共の幸福を目指して、自身の信仰体験や仏法の哲理を友人や知人に語っていくこと」を「折伏・弘教」と定義している。 また、「信仰者としての自身の振る舞い、生き方を通して、地域や職場で友情と信頼を深め、創価学会の理念や活動への理解を広げていくこと」も「折伏・弘教」にあたるとされている<ref>[https://www.sokagakkai.jp/practice/introduce-buddhism.html 仏法を語る] 創価学会公式サイト</ref>。 ==== 入会・退会の手続き ==== {{main|信者#創価学会}} == 社会貢献活動 == === 地域貢献活動 === 創価学会では、個々の会員および団体レベルの双方で、近隣友好や地域貢献を推奨している。 具体的には、地域の祭りなどの行事への協力がある<ref group="SG">『新会員の友のために 創価学会入門』(聖教新聞社 ISBN 978-4-412-01610-1)p129-130</ref>。創価学会総本部および聖教新聞社本社がある新宿区信濃町では、町内会の[[盆踊り]]大会や[[防災]]イベントに会場を提供するなどしている。 また、音楽隊が地域行事に際し演奏を行うケースもある。地域貢献の体験談集が過去に発刊されている<ref>[http://www.u-bunkyo.ac.jp/center/library/hum2012_227-244.pdf/ 小堀真、文京学院大学人間学部研究紀要 Vol.14]</ref>。 「THE STRAIT TIMES」によると、[[シンガポール]]創価学会は長年、シンガポールの国家行事「チンゲイ(粧芸)パレード」に参加・出演している<ref>{{Cite web |url=https://www.straitstimes.com/singapore/community/jewel-sparkles-in-chingay-colours |title=Jewel sparkles in Chingay colours |access-date=2022-05-22}}</ref>。2022年2月のパレードは、通算38回目の参加となった。このパレードはシンガポールにおいて、旧正月を祝う最も重要な行事の一つと言われている<ref>{{Cite web |url=https://www.straitstimes.com/multimedia/graphics/2022/02/what-floats-the-boat/index.html?shell |title=What floats the boat |access-date=2022-05-22}}</ref>。シンガポール創価学会は、こうした国家行事への出演のほか、医療施設への物資支援や[[障害者|障がい者]]のサポートなど多様なボランティア活動を進めているとされている<ref>{{Cite web |url=https://www.straitstimes.com/singapore/giving-back-to-society-in-more-ways-than-one |title=Giving back to society in more ways than one |access-date=2022-05-22}}</ref>。 [[イタリア]]創価学会は、[[1980年代]]から[[環境問題]]の解決や、[[核兵器]]廃絶を目指す展示活動([[反核運動]])、教育・文化運動を通して、地域や社会の繁栄と平和のために尽力してきたとされる。2015年6月には、[[イタリア共和国憲法]]第8条に基づく特別合意によりイタリア政府に承認され、イタリアの公式宗教であるとする「インテーサ」の承認を受けた。これにより、学校と教育機関を設立する権利などが保障された<ref>{{Cite web |title=Governo Italiano - Le intese con le confessioni religiose |url=https://presidenza.governo.it/USRI/confessioni/intese_indice.html |website=presidenza.governo.it |access-date=2022-07-23}}</ref><ref>{{Cite web |title=La Soka Gakkai entra nell'8x1000, Renzi a Firenze firma l'intesa con l'istituto buddista |url=https://firenze.repubblica.it/cronaca/2015/06/27/news/firenze_renzi_firma_l_intesta_tra_lo_stato_e_l_istituto_buddista_d_italia-117841335/ |website=la Repubblica |date=2015-06-27 |access-date=2022-07-23 |language=it}}</ref>。 マレーシア創価学会は、青年スポーツ省やマレーシア赤新月社などと協力して<ref>{{Cite web |url=https://runforpeace.com.my/ |title=Run For Peace 2023 | Sustainable Development Goals |accessdate=2023-11-30}}</ref>、2005年から平和への思いを共有しながらランニングするイベント「ラン・フォー・ピース(Run for Peace)」を行っている。2年に1度、開催しており、これまでに36万人以上が参加している。<ref>{{Cite news | title = Soka Gakkai promotes goodwill, harmony through Run for Peace in three Sarawak locations | newspaper = THE BORNEO POST | date = 2023-05-26 | url =https://www.theborneopost.com/2023/05/26/soka-gakkai-msia-promotes-goodwill-harmony-through-run-for-peace-in-kuching-this-july/|accessdate=2023-11-30}}</ref>2023年に実施したイベントは全国23ヶ所で行われ、約5万5000人が参加。<ref>{{Cite news | title = 8,000 sertai larian keamanan MPK, Soka Gakkai Malaysia | newspaper = selangorkini | date = 2023-07-02 | url =https://selangorkini.my/2023/07/8000-sertai-larian-keamanan-mpk-soka-gakkai-malaysia/ |accessdate=2023-11-30}}</ref>マレーシアの青年・スポーツ大臣も出席した。<ref>{{Cite news | title = Run for peace draws thousands across country | newspaper = The Star | date = 2023-07-18 | url =https://www.thestar.com.my/metro/metro-news/2023/07/18/run-for-peace-draws-thousands-across-country |accessdate=2023-11-30}}</ref> ===災害時の救援・復興活動=== 大規模[[自然災害]]の発生時には、地域の会館で会員・非会員を問わず被災者を受け入れ、救援活動に従事している。 宗教専門紙の[[中外日報]]は、「[[阪神・淡路大震災]]では、創価学会の迅速な救援活動に対し[[兵庫県]]などから感謝状が贈られ、[[フランス]]・[[オーストラリア]]・[[香港]]・[[シンガポール]]など海外の[[新聞]]でも活動が報じられた」ことを報道した<ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/serial/chugai/html/0801/0120/08-01-20_02_06.html 『中外日報』平成8年1月20日付(25410号)6面 - 中外日報社(デジタル化:神戸大学附属図書館)]</ref>。[[東日本大震災]]に際しては、42の会館で約5千人を一時[[避難所]]として受け入れたほか、義捐金を拠出した<ref>稲場圭信 『利他主義と宗教』 弘文堂、2011年、12 - 13頁。</ref>。避難所はおおむね、地元会員組織の責任者と、他地域から派遣された専従職員を中心に運営され、[[医師]]や[[看護師]]が健康相談を実施した。発災翌日には[[山形県]]・[[新潟県]]などから支援物資が到着している<ref group="他">[http://www.iisr.jp/publish/tatiyomi/2013/yamane.pdf 公益財団法人国際宗教研究所]</ref>。一部の会館は[[行政]]の指定避難所となっている<ref group="他">[http://www.city.uto.kumamoto.jp/q/aview/64/4871.html 熊本県宇土市]</ref>。また、創価学会による東北被災地への救援活動は、アメリカの[[CNN]]のブログにも取り上げられた<ref>[http://religion.blogs.cnn.com/2011/03/22/my-take-japanese-new-religions-big-role-in-disaster-response/ My Take: Japanese new religions' big role in disaster response - CNN Belief Blog - CNN.com Blogs March 22nd, 2011]</ref>。そして、[[東日本大震災]]からの[[復興]]にあたっては、「心の福光(復興)プロジェクト」を展開。その中で音楽隊(創価グロリア吹奏楽団、しなの合唱団、創価ルネサンスバンガード等)は「希望の絆」コンサートを開催し、仮設住宅の集会場などで[[合唱]]や[[吹奏楽]]、[[マーチング]]などの演奏会を開催している<ref>石巻日日新聞2015年3月5日付4面</ref>。なお、のちに「希望の絆」コンサートは、[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]<ref>http://kyushu-soka.jp/2018/04/two-years-from-the-kumamoto-earthquake-gloria-wind-symphonic-band-hope-of-bond-concert/</ref> や[[平成30年7月豪雨|西日本豪雨]]などの被災地でも開催されるようになった<ref>https://www.sokanet.jp/touhokufukkou/hope.html</ref>。 2015年(平成27年)3月に[[宮城県]][[仙台市]]で開幕された[[国連防災世界会議]]と、2016年(平成28年)5月に[[トルコ]]・[[イスタンブール]]で開催された世界人道サミット([[:en:World Humanitarian Summit|en]])では、一連の復興支援活動を報告している<ref group="他">[http://www.city.sendai.jp/soumu/bosai-kankyou/report_09.pdf 国連防災世界会議] - 仙台市</ref><ref group="他">[https://consultations2.worldhumanitariansummit.org/bitcache/8ff0c0a06ce6c811821338bebbbb38c53ebafa74?vid=578019&disposition=inline&op=view 世界人道サミットのサイドイベントリスト]</ref>。 宗教学者の寺田喜朗は、[[東日本大震災]]における、[[福島県]]浜通りの創価学会がどのようなサポートを提供してきたのかを検証した。「創価学会の支援活動のもっとも大きな特質は経済的・物質的な支援以上に、被災者へ積極的に生きる意味を提供し続けている点にあると考えている。」とした。また、「不条理な現実を受け止め、苦難・困難を試練と捉え返し、「人生に勝利する」ことを鼓舞する[[コミュニティ]]として創価学会は機能している。」とした<ref>編者:星野英紀、弓山達也 執筆者:川副早央里、星野壮、齋藤知明、小川有閑、髙瀨顕功、小林惇道、魚尾和瑛、藤井麻央、寺田喜朗、君島彩子、黒崎浩行『東日本大震災後の宗教とコミュニティ』pp.167-196(ハーベスト社、2019年)</ref>。 === 難民支援活動 === 諸外国での大規模災害や[[紛争]]の発生時に、各国大使館や[[国連難民高等弁務官事務所]](UNHCR)への寄付を行っている。また、創価学会平和委員会主催で、難民映画上映会や講演会などの啓発活動も定期的に実施している。 [[国連UNHCR協会]]特別顧問の滝澤三郎は、こうした長期的な創価学会の支援に対し「創価学会会員の世界平和にかける熱意と[[国際連合|国連]]への関心や支援意欲の高さが、印象的だった」としている<ref>『第三文明』 2021年11月号P22</ref>。 === 国際連合NGO(非政府組織)としての活動 === 創価学会は、[[国際連合広報局]]登録NGO([[非政府組織]])である<ref name="unic" group="他">[http://www.unic.or.jp/links/ngo/ 国際連合広報センター]</ref>。SGI(創価学会インタナショナル)は1983年(昭和58年)に、[[国際連合経済社会理事会]]との諮問資格を持つNGOとして登録された<ref name="unic" group="他" /><ref group="他">[http://www.un.org/disarmament/update/20140321/ UNODA公式サイト]</ref>。 1992年(平成4年)には、創価学会青年部は[[国際連合]]支援活動の一環として、[[国際連合カンボジア暫定統治機構]](UNTAC)に協力し、[[カンボジア]]・ラジオ支援キャンペーン「ボイス・エイド」を展開した。内戦後初の総選挙を翌春に控えていたカンボジアでは、[[識字|識字率]]が低く母国語の読み書きができない国民が多いため、「政見放送を聴くために中古のラジオを贈って欲しい」との、[[明石康]]UNTAC事務総長特別代表(当時、元国連事務次長)の訴えに応える形となった<ref>朝日新聞1992年6月23日付</ref>。創価学会は全国から集めた約28万台の中古[[ラジオ]]を寄贈した<ref>第三文明2016年11月号</ref>。贈られたラジオが投票率の向上につながり、総選挙の投票率は約90%に及んだ<ref>第三文明2021年12月号</ref>。この取り組みに対して、明石は「カンボジアの民主主義の達成に、大きく寄与した」<ref>聖教新聞1993年7月31日付</ref>、「国連の歴史の中でも特筆すべきもの」<ref>聖教新聞2019年1月1日付</ref>と述べている。 SGI[[ニューヨーク]]国連連絡所は、2009年(平成21年)に、国連の「[[軍縮]]・[[平和]]・[[安全保障]]NGO委員会」において議長を務めた。SGI[[ジュネーヴ|ジュネーブ]]国連連絡所は、特に[[人権教育]]のテーマで活動を展開。2005年(平成17年)からスタートした[[国際連合|国連]]の「人権教育のための世界プログラム」は、[[コスタリカ]]政府とSGIが中核となって実現している<ref name="unic" group="他" /><ref group="他">[http://www.ohchr.org/EN/PublicationsResources/Pages/TrainingEducation.aspx UNHR公式サイト]</ref>。 [[核兵器]]廃絶を目指す取り組みは、戸田第2代会長の[[原水爆禁止宣言]]以来、創価学会における平和運動の主軸とされている。これまで、[[広島県]]や[[長崎県]]での意識調査や、[[被爆者]]や専門家の講演会などが定期的に行われている。 [[核兵器廃絶国際キャンペーン]](ICAN)の国際運営委員でNGOピースボート共同代表の川崎哲は、SGIがICANにとって創設時からの「中心的なパートナー」であり「核兵器廃絶に向けて大きな貢献をしている」と述べている<ref>『第三文明』 2020年11月号P26</ref>。 SGIは、[[キリスト教]]、[[イスラム教]]、[[仏教]]など189の団体からなる「核兵器を憂慮する信仰者のコミュニティー」に参加しており、核兵器廃絶に関する共同声明を発表している<ref>{{Cite web|和書|title=FBOなどNGO諸団体が、核兵器禁止条約の発効を待ち望む |url=https://inpsjapan.com/news/faith-based-other-ngos-look-forward-to-entry-into-force-of-the-nuclear-ban-treaty/ |website=INPS Japan |date=2020-11-21 |access-date=2022-09-12 |language=ja |last=editor}}</ref>。2022年6月の[[核兵器禁止条約]]・第1回締約国会議や2022年8月のNPT再検討会議にもSGIの代表団が出席し、関連行事を開催。共同声明を発表した<ref>{{Cite web|和書|title=宗教コミュニティーが「核兵器禁止条約第1回締約国会議」を歓迎 |url=https://inpsjapan.com/news/faith-communities-greet-first-nuclear-weapons-ban-conference/ |website=INPS Japan |date=2022-06-26 |access-date=2022-09-12 |language=ja |last=editor}}</ref><ref>{{Cite web |title=Faith Communities Concerned about Nuclear Weapons - IDN-InDepthNews {{!}} Analysis That Matters |url=https://www.indepthnews.net/index.php/opinion/5534-faith-communities-concerned-about-nuclear-weapons |website=www.indepthnews.net |access-date=2022-09-12}}</ref>。 創価学会青年部は、半世紀前から、[[第二次世界大戦]]体験者への聞き取り調査を行い、証言集などを定期的に出版している。[[沖縄国際大学]]の石原昌家名誉教授は、こうした取り組みについて、「ひたすら『[[戦争]]の悲惨さ』を追求しつつ、着実に『[[平和運動]]』を展開している」としている。<ref>『第三文明』 2021年8月号P31</ref> 特に、[[日本への原子爆弾投下|被爆地である広島・長崎]]では、「被爆体験を聞く会」を開催し、「学生平和意識調査」も定期的に実施している。[[広島平和記念資料館]]の滝川卓男館長は「確実に核兵器のない世界の実現に向けた大きな推進力」と述べている<ref>『第三文明』 2021年9月号 pp.20</ref>。 ===図書贈呈運動=== 創価学会の図書贈呈運動は、へき地や[[離島]]をはじめ[[教育]]環境に恵まれていない地域や、[[震災]]や[[台風]]など[[自然災害]]の被害を受けた地域の子どもたちに[[本|書籍]]を贈呈するものである。[[1974年]](昭和49年)にスタートした。[[2011年]](平成23年)発生の[[東日本大震災]]以降は特に、被災地の[[日本における学校|学校]]への寄贈が重点的に行われている<ref>[http://www.miyakomainichi.com/2014/02/59585/ 宮古毎日新聞2014年2月5日]</ref><ref group="他">[http://namiejhs.seesaa.net/article/431309191.html 福島県浪江町立浪江中学校公式HP]</ref>。 ===法華経の原典資料保全・研究活動=== [[法華経]]の原典研究に寄与する「法華経写本シリーズ」の出版活動を、公益財団法人・[[東洋哲学研究所]]と協力して推進している。各国に保存されてきた貴重な法華経写本を鮮明なカラー写真で撮影した「写真版」と、写本の“読み”を[[ローマ字]]化した「ローマ字版」を公刊し、世界の研究者に広く提供して『法華経』を中心とした初期[[大乗仏教]]の研究に貢献するためのもの<ref group="他">[http://www.totetu.org/lotus-sutra/1/9.html 東洋哲学研究所「写本の目的」]</ref>。2016年(平成28年)頭時点で16点が刊行され、「[[インド国立公文書館]]所蔵ギルギット法華経写本:写真版」「[[ロシア科学アカデミー東洋学研究所|ロシア科学アカデミー東洋古文書研究所]]所蔵梵文法華経写本:写真版」などが含まれる<ref group="他">[http://www.totetu.org/lotus-sutra/1/4.html 創価学会「法華経写本シリーズ」一覧]</ref>。 === 教育関連の活動 === 創価学会教育本部([[教育]]関係の職業に従事する創価学会員)では、1984年から教育技術の向上を目的として、それぞれの教育現場での挑戦を記録する「教育実践記録運動」を実施。また、その共有の場として「人間教育実践報告大会」が開催されている。 === 展示活動 === 創価学会では、諸団体と連携しての展示会が定期的に開催されている。「希望と行動の種子―SDGs([[持続可能な開発目標]])の実現のために」展<ref>[https://www.sokanet.jp/tenji/?_ga=2.127477709.13058222.1643250374-1541536069.1638924296 希望と行動の種子展(創価ネット)]</ref> 、「核兵器なき世界への連帯――勇気と希望の選択」展<ref>聖教新聞2012年8月26日付</ref>、「わたしと宇宙展 ―奇跡の地球に生きる―」<ref>[https://space.tenji-kai.jp/ わたしと宇宙展]</ref> 、「勇気の証言―ホロコースト展 アンネ・フランクと杉原千畝の選択」<ref>[https://www.soka.ac.jp/assets/static/special/holocaust/ 勇気の証言-ホロコースト展(創価大学サイト)]</ref>などが挙げられる。日本国内だけでなく、海外各地で開催されるケースもある。2022年には、身近な食をテーマに命のつながりを考える「ごはんといのちのストーリー展」を企画・作成した<ref>https://gohan.tenji-kai.jp/</ref>。3月に鳥取で開催され、国内を巡回している<ref>https://www.fuse-sportspark.com/event/%E3%81%94%E3%81%AF%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%B1%95/ </ref>。 === SDGsのための活動 === 創価学会およびSGIは、SDGs([[持続可能な開発目標]])の普及や目標達成に向けて取り組みも行い、SDGs市民社会ネットワークの参加団体として登録されている<ref>{{Cite web|和書|title=複製 - 団体概要 |url=https://www.sdgs-japan.net/blank-7 |website=sdgsjapan |accessdate=2022-04-05 |language=ja}}</ref>。 例えば、展示活動においては、2021年のCOP26([[第26回気候変動枠組条約締約国会議]])に合わせ、会議の開催地である[[イギリス]]・[[グラスゴー]]市内で、環境展示「希望と行動の種子」展(地球憲章インタナショナルと共同)を開催した<ref>{{Cite web |title=Online Launch of “Seeds of Hope & Action” exhibition |url=https://earthcharter.org/online-launch-of-seeds-of-hope-action-exhibition/ |website=Earth Charter |date=2021-02-08 |accessdate=2022-04-05 |language=en-US}}</ref>。2023年6月には、ブラジル・アマゾン創価研究所は、地球憲章インタナショナルと提携協定を結んでいる。 <ref>https://earthcharter.org/soka-amazon-institute-affiliates-with-earth-charter-international-in-inspiring-ceremony-on-world-environment-day/</ref>また、ITTO(国際熱帯木材機関)と連携して、アフリカ・トーゴの森林再生にも携わっている<ref>{{Cite web|和書|title=ITTOは創価学会との協力で森林再生を通じたトーゴの女性のエンパワメントに貢献 |url=https://www.itto.int/ja/news/2020/07/01/itto_and_soka_gakkai_to_help_empower_women_in_togo_through_forest_restoration/ |website=ITTO International Tropical Timber Organization |accessdate=2022-04-05 |language=ja}}</ref>。また、創価学会平和委員会では「SDGsオンラインシネマシリーズ」と題した連続映画上映会を開催している<ref>{{Cite web|和書|title=SDGsオンラインシネマシリーズ|url=https://www.cinemo.info/4090tn|website=cinemo |accessdate=2022-11-22}}</ref>。参加者の意識啓発とともに、持続可能な社会を目指してアクションを起こせるよう継続的に実施している。上映会に加えて、関連団体の代表や学識者とのトークセッションが行われる場合もある。これまでに、「[[多文化主義|多文化共生]]」「[[人工知能|AI]]」「[[難民]]」「[[核兵器]]」をテーマにした映画を取り上げている。 == 最高幹部 == === 主要役員 === (2023年11月18日時点) * 名誉会長:空席 * 会長:[[原田稔]]([[創価学会インタナショナル|創価学会インタナショナル(SGI)]]会長代行兼任) * 理事長(宗教法人代表役員):[[長谷川重夫]] * 主任副会長:[[池田博正]](SGI副会長兼任)、石嶋謙二、大場好孝(SGI理事長兼任)、金沢敏雄、[[谷川佳樹]](壮年部長・[[学校法人創価学園|創価学園]]理事長兼任)<ref name=Yakuin group="SG">{{Cite web|和書|title=会長・理事長・各部長紹介|publisher=SOKAnet|date=2022年9月13日|url=https://www.sokanet.jp/info/yakuin.html|accessdate=2022年9月13日|archiveurl=|archivedate=|language=日本語}}</ref>、萩本直樹(総東京長・[[聖教新聞社]]代表理事兼任)、[[原田光治]]、山本武(総務会議長兼任) **歴代の会長、主任副会長、副会長、理事長、副理事長の職に女性が就任した事は無いが、最高指導会議の議員に就任した[[柏原ヤス]]の例がある。 === 各部部長 === (2023年1月1日時点)<ref name=Yakuin group="SG" /> * 壮年部長:[[谷川佳樹]](主任副会長・創価学園理事長兼任)<ref name=Yakuin group="SG" /><ref group="SG">谷川壮年部長が誕生 小島文化本部長 山口未来本部長 総東京 第2総東京 関東 九州が新布陣 - 2018年1月7日付け[[聖教新聞]]2面</ref> * 女性部(旧・婦人部)長:永石貴美子 ** 池田華陽会委員長∶林玲子 * 青年部長:西方光雄 * 男子部長:梁島英明 === 名誉会長・歴代会長 === [[2017年]](平成29年)[[11月18日]]施行の創価学会会憲第3条で、歴代会長の中でも初代・'''[[牧口常三郎]]'''、第2代・'''[[戸田城聖]]'''、第3代・'''[[池田大作]]'''のいわゆる「'''三代会長'''」は「広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の広宣流布の永遠の師匠である。」と定められ、同条2項で「『三代会長』の敬称は、『先生』とする。」と定められている<ref>{{cite web|url=https://www.sokagakkai.jp/about-us/constitution.html|title=創価学会 会憲|publisher=創価学会|date=2017-11-18|accessdate=2023-11-20}}</ref>。ただし、[[個人崇拝]]のようにして三代の会長個人を本仏である日蓮と同等またはそれ以上に崇め奉ることは認められていない。 池田は、戸田城聖の二十三回忌にあたる[[1980年]][[4月2日]]付聖教新聞の紙上で、昭和52年(1977年)の一連の指導の中には「たしかに創価学会中心主義的な独善性」があり、広宣流布のためとはいえ、「宗門に対し、主客転倒の風潮を生んだ」などと反省を示した。その上で、会合等で常日頃より自身を「凡夫」と述べていた通り、組織の指導者たる歴代の会長と本仏は別であり、よって神格化してはならず、池田個人に対する絶対視もあってはならないと語っている<ref name="sky800402" group="SG">「所感恩師の二十三回忌に思う」(『聖教新聞』昭和55年(1980年)4月2日付)</ref>。 {{main|昭和52年路線|池田大作本仏論}} また、会長の任期は創立以来終身制とする慣例だったが、池田の会長辞任に合わせて制定された創価学会会則で「1期5年で再任を妨げず、会長が任期途中で辞任、または死亡によって欠けた場合、後任者は前任者の残存任期を引き継がない」と規定された。 なお、会長任期は[[2015年]](平成27年)の会則改正(2021年11月18日再改正<ref>{{cite web|url=https://www.sokagakkai.jp/about-us/rules-and-regulations.html|title=創価学会 会則|publisher=創価学会|date=2021-11-18|accessdate=2023-11-20}}</ref>)で「1期4年」に変更された。 === 歴代会長・名誉会長の一覧 === {| class="wikitable" |- style="background:#cccccc" ! No. !! colspan=2|指導者 !! 就任日 !! 退任日 !! 備考 |- !colspan="6" align="center" |会長(1930年 - ) |- ! 1 | [[ファイル:Tsunesaburo Makiguchi.jpg|75px]] | {{nowrap|'''[[牧口常三郎]]'''}}<br>{{small|(1871年 – 1944年)}} | {{nowrap|[[1930年]][[11月18日]]}} | {{nowrap|[[1944年]][[11月18日]]}} | 創立時の団体名称は「[[創価教育学会]]」。<br>在任中に死去。 |- ! - | colspan=2 | (空席) | [[1944年]][[11月18日]] | [[1951年]][[5月3日]] | [[1946年]][[3月]]に戸田城聖によって現在の「創価学会」に改称。 |- ! 2 | [[ファイル:Josei Toda.jpg|75px]] | '''[[戸田城聖]]'''<br>{{small|(1900年 – 1958年)}} | [[1951年]][[5月3日]] | [[1958年]][[4月2日]] | 在任中に死去。 |- ! - | colspan=2 | (空席) | [[1958年]][[4月2日]] | [[1960年]][[5月3日]] | 理事長の[[小泉隆]]が会長職務を代行<br>[[1958年]][[6月30日]]に「総務」に池田大作が任命され、これ以降は実質的に池田が全権を掌握 |- ! 3 | [[ファイル:DaisakuIkedaTokyoMay2010.jpg|75px]] | '''[[池田大作]]'''<br>{{small|(1928年 – 2023年)}} | [[1960年]][[5月3日]] | [[1979年]][[4月24日]] | 在任中に辞任、名誉会長に昇格。 |- ! 4 | [[ファイル:Hiroshi-Hojo-1.png|75px]] | [[北条浩]]<br>{{small|(1923年 – 1981年)}} | [[1979年]][[4月24日]] | [[1981年]][[7月18日]] | 池田会長の辞任に伴い、昇格。<br>在任中に死去 |- ! 5 | [[ファイル:Replace this image JA.svg|75px]] | [[秋谷栄之助]]<br>{{small|(1930年 – )}} | [[1981年]][[7月18日]] | [[2006年]][[11月9日]] | 北条会長の死去に伴い、昇格。<br>任期途中で辞任。 |- ! 6 | [[ファイル:Replace this image JA.svg|75px]] | [[原田稔]]<br>{{small|(1941年 – )}} | [[2006年]][[11月9日]] | (現職) | 秋谷会長の辞任に伴い、昇格。<br> |- |- !colspan="6" align="center" |名誉会長(1979年 - 2023年) |- ! 1 | [[ファイル:DaisakuIkedaTokyoMay2010.jpg|75px]] | '''[[池田大作]]'''<br>{{small|(1928年 – 2023年)}} | [[1979年]][[4月24日]] | [[2023年]][[11月15日]] | 会長辞任に伴い、昇格。<br>在任中に死去。 |} 歴代会長の中で名誉会長に在任したのは池田のみであり、任期は定められていなかった。なお、[[2023年]][[11月15日]]に池田が死去したため、名誉会長は現在空席となっている。 == 組織 == === 組織体制 === 創価学会では年齢や居住地、職業分野などで会員管理を行っている。 各世帯ごとに作成された「会員カード」によって会員や家族の移動などを把握する。 ==== 年齢別組織(2023年1月1日現在) ==== [[File:Daisaku-Ikeda-3.png|thumb|220px|婦人部(現・女性部)と池田大作。岐阜市にて。]] [[File:Daisaku-Ikeda-2.png|thumb|220px|学生部と池田大作。群馬県高崎市にて。]] * {{読み仮名|多宝会|たほうかい}} - 65歳以上の男女が所属。東京では「宝寿会」、関西では「錦宝会」と呼ばれる。 * {{読み仮名|壮年部|そうねんぶ}} - 基本は40歳以上の男性が所属。[[王城会]]というボランティアで会館警備を行う人材グループがある。 * {{読み仮名|男子部|だんしぶ}} - 未来部・学生部以外の18歳以上から40歳未満の男性が所属。人材育成グループとして[[創価班]]、[[金城会]]、[[牙城会]]、文化班、サテライトグループ、設営グループ、鉄人会(関西のみ)、栄光会、創翔会、音楽隊などがある。 * {{読み仮名|女性部|じょせいぶ}} - 未来部・学生部以外の18歳以上の女性が所属。2021年5月3日付けで婦人部の名称を変更し、同年11月18日の創立記念日に合わせて女子部と統合した<ref group="注" name="「女性部」" /><ref name=":18" group="SG">{{Cite web|和書|title=創立100周年へ 第3回本部幹部会 婦人部希望総会|url=https://www.seikyoonline.com/article/94098C7AE3FD99893A8BA6418463C09D|website=聖教電子版|accessdate=2021-4-19|last=聖教新聞|publisher=|date=2021-4-19}}</ref>。人材グループとして香城会、[[白蓮グループ]]、白樺会・白樺グループ(看護師のグループ)などがある。 * {{読み仮名|学生部|がくせいぶ}} - 男子の大学(院)生・専門学校生で構成。人材グループ「21世紀伸一会」もこの中のひとつ。 * {{読み仮名|女子学生部|じょしがくせいぶ}} - 女子の大学(院)生・短大生・専門学生で構成。ただし学生結婚した場合は女性部員となる(女子高等部も同様)。 * {{読み仮名|[[未来部]]|みらいぶ}} - 高校生以下を対象とした組織。少年少女部(小学生)、中等部(男子・女子)、高等部(男子・女子)がある。 ==== 地域別 ==== 上から、中央(学会本部) - 方面 - (小)総県 - (分)県 - 圏(地域によっては無し) - 本部 - 支部- 地区 - ブロック となる。 「方面」は以下の14に区分されているが、一般的な[[日本の地域|地方の区分け]]と一部異なる。このうち、東京、第2総東京、関東、東海道は同会における「首都圏」とされる([[首都圏整備法|法律]]上の[[首都圏 (日本)|首都圏]]に静岡県が加わる)。 {{see also|東京を中心とする地域の定義一覧#1都6県以上を含む定義|聖教新聞#配達}} *[[北海道]] *[[東北地方|東北]]([[青森県]]・[[岩手県]]・[[秋田県]]・[[山形県]]・[[宮城県]]・[[福島県]]) *[[東京]]([[東京都]][[東京都区部|23区]]、[[東京都島嶼部|島しょ部]]) *第2総東京(東京都[[多摩地域]]・[[山梨県]]) *[[関東地方|関東]]([[千葉県]]・[[埼玉県]]・[[茨城県]]・[[栃木県]]・[[群馬県]]) *[[東海道]]([[神奈川県]]・[[静岡県]]) *[[信越地方|信越]]([[新潟県]]・[[長野県]]) *[[中部地方|中部]]([[愛知県]]・[[岐阜県]]・[[三重県]]) *[[北陸地方|北陸]]([[富山県]]・[[石川県]]) *[[近畿地方|関西]]([[福井県]]・[[滋賀県]]・[[京都府]]・[[大阪府]]・[[兵庫県]]・[[奈良県]]・[[和歌山県]]) *[[中国地方|中国]]([[広島県]]・[[岡山県]]・[[山口県]]・[[島根県]]・[[鳥取県]]) *[[四国]]([[香川県]]・[[高知県]]・[[愛媛県]]・[[徳島県]]) *[[九州]]([[福岡県]]・[[佐賀県]]・[[長崎県]]・[[大分県]]・[[熊本県]]・[[宮崎県]]・[[鹿児島県]]) *[[沖縄県|沖縄]]([[沖縄県]]) ==== 分野別組織 ==== 芸術部、文芸部、ドクター部、白樺グループ、教育部・学校教育部、幼児・家庭教育部、社会教育・教育相談部、国際本部 通訳・翻訳部、国際ボランティア部、国際交流部、[[日本の外国人|在日外国人]]部、社会本部、社会部専門部、地域本部、農漁光部、勝利島部・桂冠会・華冠会・星辰会・幸福城部(旧・団地部)など。 == 所有する施設 == [[ファイル:Kosenrufu-daiseido.jpeg|サムネイル|広宣流布大誓堂]] === 保有する不動産資産 === 創価学会の施設は全国に約1,200箇所存在する。[[宗教学|宗教学者]][[島田裕巳]]は「本部がある[[新宿区]][[信濃町 (新宿区)|信濃町]]の施設の[[不動産]]合計は[[地価]]約479億2412万9千円」と試算している<ref name="shimada">島田裕巳著「新宗教ビジネスモデル」pp.70-80</ref>。 === 創価学会総本部 === *広宣流布大誓堂 *創価文化センター *本部別館 *本部第2別館 *創価世界女性会館 *戸田記念国際会館 *創価池田華陽会館(旧・創価女子会館){{Refnest|group="注"|完成は2009年。2021年に女子部が女性部(旧・婦人部)と統合した際にそれまでの「創価女子会館」から改称された<ref name=":27" group="SG">{{Cite news|url=https://www.seikyoonline.com/article/E8DD14136347611D5B31E3AF85C980A7|title=新女性部が始動 池田華陽会に林委員長|publisher=聖教新聞|date=2021-11-18|accessdate=2021-11-18|archiveurl=https://archive.ph/nLnoV|archivedate=2021-11-18}}</ref><ref name=":28" group="SG">{{Cite news|url=https://www.seikyoonline.com/article/0E2F57AF4AC25C660E117313EF0B4BE7|title=県長・県女性部長会での原田会長の指導(要旨)|publisher=聖教新聞|date=2021-11-18|accessdate=2021-11-18|archiveurl=https://archive.ph/WU8H9|archivedate=2021-11-18}}</ref>。}} *信濃平和会館 *世界青年会館 *信濃文化会館 *創価学会総合案内センター *創価学会世界聖教会館([[聖教新聞社]]本社屋)<ref name=SGHQ-WSC group="SG">{{Cite web|和書|title=創価学会 世界聖教会館|publisher=創価学会総本部|date=2019年11月19日|url=https://www.sokanet.jp/html/sekaiseikyokaikan/index.html|accessdate=2019年11月19日|archiveurl=|archivedate=|language=日本語}}</ref><ref name=Seikyo20191118-1 group="SG">{{Cite web|和書|title=きょう11月18日 栄光燦たる学会創立記念日 「創価学会 世界聖教会館」が開館|publisher=聖教電子版|date=2019年11月18日|url=https://www.seikyoonline.com/article/E0788325821DA7CD8D56B9D875992D27|accessdate=2019年11月19日|archiveurl=|archivedate=|language=日本語}}</ref><ref name=Seikyo20191118-2 group="SG">{{Cite web|和書|title=「創価学会 世界聖教会館」が開館 池田先生が全同志に和歌贈る|publisher=聖教電子版|date=2019年11月18日|url=https://www.seikyoonline.com/article/95D9211EBF500052F5CD8C5F55D9BA0D|accessdate=2019年11月19日|archiveurl=|archivedate=|language=日本語}}</ref><ref name=SGHQ group="SG">{{Cite web|和書|title=創価学会総本部|publisher=創価学会総本部|date=2019年11月19日|url=https://sghq.sokanet.jp/|accessdate=2019年11月19日|archiveurl=|archivedate=|language=日本語}}</ref> *創価宝光会館<ref name =":2" group="SG"/> === 日本の方面中心会館 === *[[北海道]] 北海道文化会館([[北海道]][[札幌市]][[厚別区]]) *[[東北地方|東北]]  東北文化会館([[宮城県]][[仙台市]][[宮城野区]]) *[[関東]] 埼玉文化会館([[埼玉県]][[さいたま市]][[桜区]]) *[[東海道]] 神奈川文化会館([[神奈川県]][[横浜市]][[中区 (横浜市)|中区]]) *[[中部地方|中部]]  中部池田記念会館([[愛知県]][[名古屋市]][[西区 (名古屋市)|西区]]) *[[信越地方|信越]]  新潟池田文化会館([[新潟県]][[新潟市]]) *[[北陸地方|北陸]]  石川文化会館([[石川県]][[金沢市]]) *[[近畿地方|関西]]  関西池田記念会館([[大阪府]][[大阪市]][[天王寺区]]) *[[中国地方|中国]]  広島池田平和記念会館([[広島県]][[広島市]][[東区 (広島市)|東区]]) *[[四国]]  四国池田文化会館([[香川県]][[高松市]]) *[[九州]]  九州池田講堂([[福岡県]][[福岡市]][[東区 (福岡市)|東区]]) *[[沖縄県|沖縄]]  沖縄国際平和会館([[沖縄県]][[那覇市]])<ref group="SG">{{Cite web|和書|title=道府県中心会館のご案内|publisher=SOKANet|date=2019年11月19日|url=http://www.sokanet.jp/info/kaikan.html|accessdate=2019年11月19日|archiveurl=|archivedate=|language=日本語}}</ref> === 関連する企業、団体 === ==== 企業 ==== *[[潮出版社]] *[[第三文明社]] *[[シナノ企画]] *[[聖教新聞社]] *[[公明新聞]] *鳳書院(書店) *東西哲学書院(書店、飲食、グッズ販売) *東弘([[広告代理店]]) *さくらサービス([[ダイレクトメール|DM]]、[[包装]]) *日本図書輸送(輸送) *ニット保険([[保険代理店]]) *富士白蓮社([[葬儀]])https://byakurensya.jp/ *信濃建物総合管理(施設管理) *日光警備保障([[警備]]) *創造社(建築設計) ==== 団体 ==== * 宗教 ** [[創価学会インタナショナル]](SGI) * 政党 ** [[公明党]] [[ファイル:Komeito Logo (Japan).svg|200px|thumb|宗教政党として結成された「公明党」のロゴ]] [[Image:Sanshokuki_sokagakuen.svg|thumb|学園旗]] * 教育機関:[[幼稚園]]から[[大学院]]までの一貫教育システムがある。また、日本国外にも関連の教育機関がある。 **ただし、創価学会の非会員でも入学・在籍・卒業が可能で、児童・生徒・学生への待遇面などでも創価学会会員・非会員の区別は一切ない。 ** [[学校法人創価学園]] *** [[創価中学校・高等学校]] *** [[関西創価中学校・高等学校]] *** [[東京創価小学校]] *** [[関西創価小学校]] *** [[札幌創価幼稚園]] ** [[学校法人創価大学]] *** [[創価大学]] *** [[創価女子短期大学]] *** [[アメリカ創価大学]](Soka University of America) * 芸能、芸術 ** [[民主音楽協会]]:世界各国の音楽をはじめとする舞台芸術の公演の紹介や音楽文化交流を行う。 ** [[富士美術館]](2008年閉館) ** [[東京富士美術館]] * 研究機関 ** [[東洋哲学研究所]]:東洋思想、仏教の学問的研究を行う。 == 沿革 == {{see also|創価教育学会#沿革}} === 前史 === * [[1928年]]([[昭和]]3年) **東京市立白金尋常小学校(現・[[港区立白金小学校]])校長だった[[牧口常三郎]]が「[[日蓮正宗]]」に入信<ref group="SG">{{Cite web|和書|title=初代会長 牧口常三郎先生 創価教育学会の創立——『創価教育学体系』の発刊|publisher=SOKAnet|date=|url=https://www.sokanet.jp/info/president/makiguchi.html#no05|accessdate=2020年4月4日|archiveurl=|archivedate=|language=日本語}}</ref>。ほぼ同時期に戸田甚一(後の[[戸田城聖]])も入信<ref group="SG">{{Cite web|和書|title=第二代会長 戸田城聖先生 人生の師との出会い|publisher=SOKAnet|date=|url=https://www.sokanet.jp/info/president/toda.html#no03|accessdate=2020年4月4日|archiveurl=|archivedate=|language=日本語}}</ref>。 === 1930年代 === * [[1930年]](昭和5年) ** 11月18日 - 牧口の『創価教育学体系』第1巻が発行される。戸田は「戸田城外」を名乗る。創価学会ではこの日を創立記念日としている。また、「創価教育学支援会」も結成された<ref>美坂房洋 編集兼発行者『牧口常三郎』 聖教新聞社 1972年11月18日刊</ref>。 * [[1937年]](昭和12年) ** 12月 - 「[[創価教育学会]]」発会式<ref name="genseisyukyo">大島宏之 『日本の現世宗教』([[自由国民社]] 2002年1月10日)ISBN 978-4426619008</ref>。 * [[1939年]](昭和14年) ** 12月 - 「創価教育学会」第1回総会。 === 1940年代 === * [[1940年]](昭和15年) ** 5月 - 金融業「日本商手」を設立、創価教育学会事務所を現在の[[東京都]][[千代田区]][[神田錦町]]に置かれた同社内に移転。 ** 10月 - 東京・[[九段下]]の軍人会館(現・「[[九段会館]]」)において「創価教育学会」第2回総会。 * [[1941年]](昭和16年) ** 7月 - 機関紙「価値創造」創刊 ** 11月 - 創価教育学会第3回総会。 * [[1942年]](昭和17年) ** 11月 - 東京・[[一ツ橋]]の[[日本教育会館]]において「創価教育学会」第5回総会。支部の数が東京に16、地方に12となる<ref name="sg"/>。 * [[1943年]](昭和18年) ** 5月 - 創価教育学会第6回総会。直後に[[国家神道|神社神道]]を批判したことで機関誌『新教』が廃刊命令を受ける。 ** 7月 - 「[[治安維持法]]」違反並びに「[[不敬罪]]」の容疑で牧口、戸田の他、21名の幹部が[[逮捕]]される。 * [[1944年]](昭和19年) ** 11月18日 - 牧口が[[巣鴨拘置所|東京拘置所]]内で死去。 * [[1945年]](昭和20年) ** 7月 - 戸田、東京都[[中野区]]にあった[[豊多摩刑務所]](現・[[月形刑務所]])から出獄。 ** 9月 - 東京都千代田区[[西神田]]にビルを取得。創価教育学会本部を再建。 * [[1946年]](昭和21年) ** 3月 - 「創価教育学会」を「創価学会」に改称し、布教活動を進める。 ** 11月17日 - 牧口の三[[命日|回忌]][[法要]]および「創価学会」第1回総会を開催。戸田が理事長に就任。 * [[1947年]](昭和22年) ** 8月14日 – 戸田が出席した座談会に池田大作が参加<ref name =":22" group="SG">{{Cite web|和書|title=第三代会長 池田大作先生 苦闘の青春——生涯の師との出会い|publisher=Sokanet|date=|url= https://www.sokanet.jp/info/president/ikeda.html#no02|accessdate=2021年4月22日|archiveurl=|archivedate=|language=}}</ref>。 ** 8月24日 – 池田が創価学会に入会<ref name =":22" group="SG"/>。 * [[1949年]](昭和24年) ** 7月 - 機関誌『[[大白蓮華]]』創刊。 === 1950年代 === [[File:Soka-Gakkai-1.png|thumb|200px|信濃町の本部(1957年)]] * [[1951年]](昭和26年) ** 4月20日 - 機関紙『聖教新聞』創刊<ref group="注">当時は1か月に3回の「旬刊」からスタートした。</ref>。 ** 5月3日 - 戸田が「創価学会」会長に就任。小泉隆が理事長に就任。戸田は就任演説において、自らが生きている間に75万世帯を折伏することを目標に掲げる<ref name="systemtositeno">古川利明 『システムとしての創価学会=公明党』(第三書館 1999年10月25日) ISBN 978-4807499229</ref>。 ** 7月11日 - 男子部結成。 ** 7月19日 - 女子部(現・女性部)結成<ref>[https://www.sokanet.jp/download/kofushi/chronicle07_02_2018.pdf 7月の広布史 男子部・女子部結成記念日] - SOKAnet 2022年8月8日閲覧。</ref>。 ** 11月 *** 4日 - 第6回総会にて戸田は「学会精神と目的」について「弘安2年10月12日図顕の一閻浮提総与御本尊の日本流布、東洋広布、日蓮正宗宗門の顕揚」の3ヶ条遂行を大誓願とする旨発表<ref group="SG">『聖教新聞』第21号「学会精神と大誓願」</ref>。 *** 18日 - 『折伏教典』を発刊<ref name="genseisyukyo"/>。 ** 12月18日 - 戸田が宗務院の命により登山し、「宗教法人創価学会」設立に際して、宗門から要望のあった3ヶ条の遵守を約束<ref group="SG">『聖教新聞』第26号</ref><ref group="SG">民衆勝利の凱歌II破邪顕正の広布史p125</ref><ref group="注">3ヶ条とは、 #折伏した人は信徒として各寺院に所属させること #当山の教義を守ること #[[三宝]](仏・法・僧)を守ること である。</ref>。 {{main|#日蓮正宗との関係}} * [[1952年]](昭和27年) ** 4月 - 「[[狸祭り事件]]」<ref name="sg"/>。 ** 4月28日 - 『新編日蓮大聖人御書全集』(通称・御書全集、[[御書 (日蓮)|御書]])を発刊<ref name="gosyo65" group="SG">[http://www.sokanet.jp/pr/recommend/about-gosho/ 勇気と希望の源泉 御書 御書発刊65周年企画] - 創価学会公式ホームページ 2017年5月14日閲覧。</ref>。 ** 8月27日 - [[東京都知事]]より[[宗教法人]]の認証を取得。 ** 11月 - 『御書十大部講義』を発刊<ref name="genseisyukyo"/>。 ** 12月 - 教学部の任用試験を開始<ref name="sg"/>。 ** 12月20日 - 東京都[[新宿区]][[信濃町 (新宿区)|信濃町]]25番地に新本部を建設する計画を聖教新聞紙上で発表するも後に建設用地を売却{{Refnest|group="注"|当時使用していた西神田の本部ビルが手狭になっていたため、信濃町25番地にあった425坪の敷地を購入し、一旦は本部建設用地としていた。しかし、戸田が総本山五重塔の修復を優先する意向を示したために信濃町25番地の用地を売却した<ref name =":1" group="SG">{{Cite web|和書|title=〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く〉第4回 正義と励ましの言論闘争㊥|publisher=聖教電子版|date=2020年4月2日|url=https://www.seikyoonline.com/article/66C84C010D75E582A633CAE6423DD0AE|accessdate=2020年4月4日|archiveurl=|archivedate=|language=日本語}}</ref>。}}。 ** 年末 - 男子部の人材育成グループ「水滸会」を発足{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|pp=114-115}}。 * [[1953年]](昭和28年) ** 9月20日 - 東京都新宿区信濃町32番地にあった洋館を改築して新本部とする計画を聖教新聞紙上で発表する<ref name =":1" group="SG"/>。 ** 10月 - 東京都新宿区信濃町に本部が完成<ref name="sgkaibou">[[朝日新聞]][[AERA|アエラ]]編集部 『創価学会解剖』([[朝日新聞社]] 2000年1月1日) ISBN 978-4022612861 {{要ページ番号|date=2016年6月}}</ref>。 ** 11月 - 本部を信濃町に移転<ref name="sg"/>。 * [[1954年]](昭和29年) ** 3月 - 参謀室設置 ** 10月 - 大石寺に青年部1万人が登山し、出陣式<ref name="sg"/>。 ** 11月 - 文化部設置 ** 12月 - 渉外部設置。部長には池田が任命。 * [[1955年]](昭和30年) ** 3月 - [[北海道]][[小樽市]]において、[[日蓮宗]]と創価学会との[[法論]]が行われる。{{see also|#小樽問答}} ** 4月 - 政界進出を目指し、第3回[[統一地方選挙]]に文化部員を出馬<ref name="systemtositeno"/>。当時はまだ政党組織がなかったため、無所属で創価学会が推薦するという形を取った。 * [[1956年]](昭和31年) ** 1月 - 戸田が宗門64世法主[[日昇|水谷日昇]]の隠退表明を拝して「先代牧口先生当時から学会は猊座の事には一切関知せぬ大精神で通して来たし、今後もこの精神で一貫する。これを破る者はたとえ大幹部といえども即座に[[除名]]する」との談話を発表<ref group="SG">1956年1月29日付聖教新聞</ref>。同日の寸鉄では「(創価学会は日蓮正宗の)法主を宗祖大聖人としておつかえ申上げる、どなたが法主様でも一貫不変、これ信者の大精神。」と評した<ref group="SG">1956年1月29日付聖教新聞</ref>。{{see also|日昇#略歴}} ** 7月 - [[第4回参議院議員通常選挙]]に6名の候補者を擁立。大阪支部長の[[白木義一郎]]ら3名が当選。 ** 12月 - 法務省刑事局は「その信条に基づく行動に暴力的な動向が顕著」「多数の青年行動隊を軍隊の組織区分に準じて編成し、この折伏の実践に当たらせている」として創価学会を新興右翼団体と認定した<ref>「高等検察庁32.2.-8、公第61號」</ref>(後に認定解除) * [[1957年]](昭和32年) ** 4月 - 参議院[[大阪府選挙区]]の[[補欠選挙]]で一部の会員が[[選挙違反]]を起こす。会員の供述から小泉理事長、池田渉外部長ら合わせて47人が逮捕される。裁判で実行犯とされた末端会員らが有罪判決を受ける中、首謀者とされた池田・小泉は無罪判決を受ける。{{main|大阪事件 (創価学会)}} ** 6月30日 - 学生部結成<ref>大白蓮華2022年6月号P6「あの日の出会い いつも心に先生を "先駆"の誇り高く前進」</ref>。 ** 9月 - 横浜市・三ツ沢グラウンドで戸田が「[[原水爆禁止宣言]]」を発表。 ** 12月 - 本部幹部会で75万世帯の折伏達成を発表。また、戸田会長は欠席したものの、「永遠の三指針」を発表<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/shinkaiin/keyword.html 新入会員のために:キーワード(語句の説明集) 永遠の5指針] - 創価学会公式ホームページ 2017年5月14日閲覧。</ref><ref group="注">当時は #一家和楽の信心 #各人が幸福をつかむ信心 #難を乗り越える信心 の3つからなる「永遠の三指針」として発表。2003年には「各人が幸福をつかむ信心」が「幸福をつかむ信心」に変わり、名誉会長の池田が新たに2項目を追加し、 #一家和楽の信心 #幸福をつかむ信心 #難を乗り越える信心 #健康長寿の信心 #絶対勝利の信心 からなる「永遠の五指針」となった。</ref>。 * [[1958年]](昭和33年) ** 3月 - 日蓮正宗の総本山[[大講堂 (大石寺)|大石寺の大講堂]]が完成。学会では「大講堂落慶記念総登山」と呼んだ。延べ20万人余の会員が参加。{{main|戸田城聖#大講堂竣工と突然の死}} ** 3月16日 - 「広宣流布の模擬試験」が大石寺大講堂で行われ、青年部員6,000人が参加、戸田が広宣流布の一切の後事を青年部全体に託した<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/kaiin/kofushi/03.html#no01 会員サポート:3月の広布史 広宣流布記念の日] - 創価学会公式ホームページ 2017年5月14日閲覧。</ref>。{{see also|大講堂 (大石寺)#概要}} ** 4月 - 1日に戸田が体調を崩し[[駿河台日本大学病院]]に緊急入院<ref group="SG">大白蓮華2010年4月号P21「会長就任50周年記念企画 永遠に師と勝利を共に」</ref>。2日に死去<ref group="SG">大白蓮華2010年4月号P28「会長就任50周年記念企画 永遠に師と勝利を共に」</ref>。 ** 5月 - 戸田の四十九日法要を機に開かれた臨時幹部会において戸田の七回忌まで後継者となる新会長を立てないことを決定、戸田幾、細井日達立会いの下、池田、石田、和泉、柏原らが誓約書に署名<ref group="SG">『大日蓮 1958年6月 臨時発行号』</ref>。 ** 6月30日 – 本部幹部会で「総務」ポストの新設が発表され、池田が就任。 * [[1959年]](昭和34年) ** 6月 - 池田が青年部参謀室長を辞任し、総務職に専念。 === 1960年代 === * [[1960年]](昭和35年) ** 5月3日 - 戸田の没後2年(三回忌)を経て、池田大作が創価学会第3代会長に就任。[[原島宏治]]が理事長に就任。 ** 7月 - 創価学会海外本部を設置<ref group="SG">大白蓮華2010年8月号P19「世界広布50周年記念企画 師恩の地から世界へ」</ref>。 * [[1961年]](昭和36年) ** 11月27日 - 「公明政治連盟」(後の公明党)を発足。 ** [[大石寺]]大客殿の[[寄付|寄進]]として32億円を集める{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=215}}。 * [[1962年]](昭和37年) ** 1月25日 - 大阪事件で起訴されていた小泉と池田が[[無罪]][[判決 (日本法)|判決]]を受ける。 * [[1963年]](昭和38年) ** 10月 - 「[[民主音楽協会]]」を設立。 * [[1964年]](昭和39年) ** 5月3日 - 池田が[[政党]]の創設と[[衆議院]]への進出を表明{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|pp=180-190}}。 ** 6月30日 - 第7回学生部総会にて、池田が「創価大学設立構想」を発表<ref group="SG">[[池田大作]] 『新・人間革命 第15巻』([[聖教新聞社]] [[2006年]][[2月11日]]) ISBN 4-412-01326-X</ref>。 ** 11月17日 - 「公明政治連盟」を改組して政党、「[[公明党]]」を結成。結党宣言で、日蓮の『[[立正安国論]]』を引用し、「『王仏冥合』・『仏法民主主義』を基本理念とする」旨を謳う。 ** 12月9日 - 理事長の原島宏治が死去。[[和泉覚]]が後任理事長に就任。 * [[1965年]](昭和40年) ** 7月 - 『聖教新聞』が日刊化。 ** 10月9日〜12日 - 正本堂建立のため4日間の供養が行われ355億円が集まる。{{main|正本堂 (大石寺)#概要}} * [[1968年]](昭和43年) **年間行事として本部総会(5月)、男子部総会(11月)、女子部総会(11月)、学生部総会(7月)、夏期講習会(8月)などが開催{{sfn|央忠邦|1968|p=223}} ** 4月1日 -「[[学校法人創価学園|創価学園]]」設立。{{main|[[学校法人創価学園]]}} ** 7月 - 参議院選挙で不正投票を行ったとして学会員34人が検挙される<ref>毎日新聞 1968年8月1日付15面</ref>。{{main|新宿替え玉事件}} * [[1969年]](昭和44年) ** 12月2日 - [[言論出版妨害事件]]が表面化。 === 1970年代 === * [[1970年]](昭和45年) ** 1月 - 総務会の決定で副会長職を設置。[[秋谷栄之助]]、[[北条浩]]、[[森田一哉]]の3人が就任{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|pp=67-68}}。同時に[[公明党代表|公明党中央執行委員長]]、書記長が学会職務を離れることも決定。 ** 5月3日 - 池田が「言論出版妨害事件」について公式に謝罪。創価学会と公明党を組織的に分離することなど組織改革を表明し、即日実行。{{main|言論出版妨害事件#池田会長の公式謝罪|公明党#創価学会との関係、政教分離問題}} *: [[日本共産党中央委員会幹部会委員長|日本共産党委員長]][[宮本顕治]]の自宅の[[電話]]に[[盗聴]]器を仕掛ける。{{main|宮本顕治宅盗聴事件}} * [[1971年]](昭和46年) ** 4月2日 - 「[[創価大学]]」開学(学部・学科の沿革は創価大学を参照)。 * [[1972年]](昭和47年) ** 5月5日 - 池田、[[アーノルド・J・トインビー]]と最初の対談を行う<ref>大白蓮華2022年5月号P8「トインビー対談50周年記念特集 未来を開く対話への道」</ref>。 ** 10月 - [[正本堂 (大石寺)|正本堂]]完成。[[ファイル:Syohondo.jpg|right|thumb|250px|大石寺 正本堂]] * [[1973年]](昭和48年) ** 5月3日 - [[静岡県]][[富士宮市]]・大石寺境内地に[[富士美術館]]が開館。 * [[1974年]](昭和49年) ** 10月 - 妙信講(現在の[[冨士大石寺顕正会]])男子部約70名が創価学会本部(創価文化会館)を襲撃し、創価学会の会館警備をしていた牙城会メンバーと乱闘騒ぎを起こす。{{main|和泉覚#創価学会本部襲撃事件}} ** 12月 - [[日本共産党]]との間で、向こう10年間の「相互不干渉」、「共存」をうたった「創共協定」を締結<ref name="syndicatetositeno">古川利明『シンジケートとしての創価学会=公明党』([[第三書館]] 1999年11月20日) ISBN 978-4807499243</ref>。{{main|日本共産党と創価学会との合意についての協定}} * [[1975年]](昭和50年) ** 1月 - [[グアム]]島において、創価学会の海外組織である「[[創価学会インタナショナル]]」(SGI)が設立される。池田が会長に就任。 * [[1976年]](昭和51年) *: [[月刊誌]]『月刊ペン』(1976年3月号・4月号)に中傷記事を掲載した同紙編集長隈部大蔵を[[名誉毀損罪]]容疑で[[告訴・告発|刑事告訴]]。{{main|月刊ペン事件}} * [[1977年]](昭和52年) ** 1月 - 池田が第9回教学部大会における「仏教史観を語る」と題する講演で「[[出家]]も[[在家]]も同格」と発言。反学会派僧侶からの批判が強まる{{main|#昭和52年路線}} ** 5月 - [[民社党#歴代の中央執行委員長(党首)|民社党中央執行委員長]][[春日一幸]]から公明党中央執行委員長[[竹入義勝]]宛に国会で池田の豪華専用施設等について調査し、質問する旨を知らせる手紙が届く<ref name="sgkaibou"/>。 ** 7月 - 池田が大石寺への参詣を一時的に禁止される<ref>[[梁取三義]] 「創価学会」 (1977年) 115ページ 『その事実については、「週刊新潮」がすでに七月に、「メッカ大石寺が、創価学会と喧嘩して参詣者ただ今ゼロ」という記事を掲げている。』 120ページ『「二年前にも、池田会長と日達猊下(と呼ぶそうだ)の仲がおかしくなって、登山禁止令が出た」(学会青年部幹部)』</ref>。 * [[1978年]](昭和53年) ** 6月 - 『聖教新聞』紙上で「教学上の基本問題について」と題し、教義逸脱を是正することを表明。 ** 11月 - 創立48周年記念登山代表幹部会に幹部、全国の教師2,000人らが[[大石寺]]に出向く。創価学会が宗門の許可を得ないまま、本部常住御本尊など8体を模刻して会員に礼拝させていたとされる件について、学会側は「不用意に御本尊8体を模刻してしまい、行き過ぎの点があった」として謝罪。本部常住御本尊以外の御本尊7体を大石寺に納めることで事態の解決を図った<ref group="SG">聖教新聞 1978年11月8日付・要旨</ref>。 * [[1979年]](昭和54年) ** 4月24日 - 池田が会長職を辞任し、名誉会長に就任。理事長だった北条が第4代会長に就任。理事長には森田が就いた。創価学会会則の制定により会長の任期を終身から5年に変更。{{see also|#名誉会長と歴代会長}} ** 4月26日 - 池田が法華講総講頭を辞任。他の法華講と同様に日蓮正宗の監督を受けることを約束する。日達は池田を法華講名誉総講頭に任ずる。 ** 5月3日 - 日達が創価学会第40回本部総会において問題の収束を宣言。ここに第一次宗創問題が終結する。 ** 7月22日 - 日達が遷化(死去)({{没年齢|1902|4|15|1979|7|22}})。 ** 8月6日 - [[日顕 (日蓮正宗)|阿部日顕]]が宗門第67世法主に登座し、御座替りの儀式、および御盃の儀を行う<ref group="SG">大日蓮1979年9月号P20</ref>。 === 1980年代 === * [[1980年]](昭和55年) ** 7月4日 - 反学会急進派の僧侶、当時は学会に融和的とされた日顕を批判し独立、[[正信会]]を結成。 ** 10月 - [[静岡県]][[富士宮市]]に「[[富士桜自然墓地公園]]」が完成<ref name="syndicatetositeno"/>。 * [[1981年]](昭和56年) ** 7月18日 - 北条が死去。副会長だった秋谷が第5代会長に就任。以後、2006年(平成18年)に辞任するまで秋谷は6選を果たす。 * [[1983年]](昭和58年) ** 1月 - 『[[創価新報]]』創刊。 ** 11月 - [[東京富士美術館]](東京都八王子市)が開館。[[file:Tokyofujibijutukan.jpg|right|thumb|250px|東京富士美術館]] * [[1984年]](昭和59年) ** 1月 - 池田が「法華講総講頭」に再任{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=202}}。 * [[1985年]](昭和60年) ** 4月2日 - 「[[創価女子短期大学]]」開学。{{main|創価女子短期大学}} * [[1989年]](昭和64年/[[平成]]元年) ** 7月16日 - 横浜市旭区の産業廃棄物処分場に現金約1億7000万円の入った金庫が捨てられていたが、これが創価学会幹部によるものと判明。批判を受ける<ref>[[矢野絢也]]『乱脈経理 創価学会VS.国税庁の暗闘ドキュメント』[[講談社]]pp.17-25</ref>。 === 1990年代 === * [[1990年]](平成2年) ** 7月16日 - 日顕ら日蓮正宗上層部が創価学会破門に向けた「C作戦(創価学会分離作戦)」を計画{{Refnest|group="注"|学会側の主張<ref name="C-1" group="SG">日蓮正宗青年僧侶改革同盟 「[https://nichiren.com/index.php/index.php/ps0101/ 日蓮正宗問題研究 第1号:法主の謀略『C作戦』‐『C作戦』とは何か]」</ref>。日蓮正宗を離脱した僧侶からなる青年僧侶改革同盟は、日蓮正宗上層部がC作戦の計画を行っていたと主張している<ref group="SG" name="c20th">[https://nichiren.com/wp-content/uploads/2020/01/c20th.pdf 「日顕の完全敗北宣言」] - 青年僧侶改革同盟</ref><ref group="SG" name="nenpyo">[https://nichiren.com/wp-content/uploads/2020/01/nenpyo.pdf 「C作戦」関連年表] - 青年僧侶改革同盟</ref>。}} ** 11月16日 - 本部幹部会で池田が[[日蓮正宗]]宗門並びに日顕を批判する発言を行う{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=202}}。学会側は「名誉会長(池田)は(後述の)「お尋ね」文書にあるような発言を全くしていない」として反論{{Refnest|group="注"|学会側の主張<ref name="C-2" group="SG">日蓮正宗青年僧侶改革同盟 「[https://nichiren.com/index.php/ps0202/ 日蓮正宗問題研究2 – 『C作戦』の真相・底流 (2)それは「お尋ね」文書から始まった]」</ref>。学会側は「名誉会長は「お尋ね」文書にあるような発言を全くしていない」として、本部幹部会で池田が日蓮正宗宗門や日顕を批判した事実はないと反論。後に送付された「お尋ね」文書で引用された池田発言のテープの反訳を意図的に改悪したり、根拠のない伝聞による誹謗中傷の類いが含まれていると指摘したところ、宗門側が謝罪と撤回を余儀なくされたと主張している。}}。 ** 12月16日 - 日蓮正宗宗門が前月の池田の発言内容について「第三五回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね」とする文書で質問{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=202}}。「お尋ね」文書の内容は、池田が僧侶を批判した、[[四箇格言]]を否定し、[[親鸞]]を好意的に評価した、[[外道]](仏教以外)の歌である『[[歓喜の歌]]』を評価した、などとして批判する内容。学会側は反論<ref name = monnbutuji>[http://monnbutuji.la.coocan.jp/dainitirenn/gougai.html 学会問題の経過と往復文書(大日蓮号外、平成3年1月25日発行)] 日蓮正宗 真光山聞仏寺</ref><ref name="C-2" group="SG"/>。 ** 12月27日 - C作戦発動。日蓮正宗宗門は法華講総講頭に任期制を導入、これにより1990年(平成2年)末の任期終了と共に池田は法華講総講頭の資格を自動的に失い、第二次宗門問題が勃発する。 * [[1991年]](平成3年) ** 5月 - [[国税局]]から一部事業における税金の申告漏れを指摘され、修正申告及び不足分の納税を行う<ref>朝日新聞1991年5月8日号31面</ref> ** 11月7日 - 日蓮正宗宗門から創価学会に対し『解散勧告』がなされる<ref name="nichiren_shoshu">[https://www.nichirenshoshu.or.jp/jpn/soka-j.html 日蓮正宗公式サイト|創価学会との関係について](2021年2月22日閲覧)</ref>{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=202}}。学会はこれに対し1624万余の署名とともに<ref>読売新聞1991年12月28日付3面</ref>「日顕の退座」を要求する文書を郵送して反論{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=202}}。 ** 11月28日 - 日蓮正宗宗門が創価学会および創価学会インタナショナル(SGI)を『破門』する<ref name="nichiren_shoshu"/>{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=202}}。これにより日蓮正宗と創価学会・SGIの関係が消滅。 * [[1992年]](平成4年) ** 7月 - 全国の地区幹部の中から「[[友人葬]]」などの冠婚葬祭を執り行う導師を任命{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=204}}。 ** 8月 - 池田が日蓮正宗から信徒除名処分にされる。{{see also|除名#宗教の除名}} ** 11月 - 青年部機関紙『[[創価新報]]』が捏造した宴席写真を掲載し日顕を批判、日蓮正宗との訴訟に発展。地裁判決では学会側が写真の捏造を行ったことを認定し、学会側が敗訴、原告が求めた賠償請求も認められた<ref>平成五年(ワ)第七九七七号 99年12月6日、東京地裁判決</ref>。その後学会が控訴した高裁において名誉毀損は認定したが損害賠償は認められなかった。日蓮正宗側は損害賠償を求め上告するも棄却された。 {{main|偽造写真事件#訴訟へ}} [[file:Tokyo-Makiguchi-Memorial-Hall.jpg|right|thumb|250px|東京牧口記念会館(八王子市)]] * [[1993年]](平成5年) **8月6日 - 池田、『新・人間革命』執筆に着手<ref name="大白蓮華202108">大白蓮華2021年8月号p10「師弟不二の共戦譜 第29回・広島 起稿・脱稿の日」</ref>。 ** 9月7日 - [[栃木県]][[小山市]]・[[浄圓寺 (小山市)|淨圓寺]]所蔵の享保5年([[1720年]])の[[日寛]]書写の[[曼荼羅]]御本尊を御形木御本尊として、日本全国および世界の会員に授与することを総務会・参議会・教学部最高会議・県長会議および責任役員会の決議で決定し、同日開催の第70回本部幹部会で「御本尊授与に関する制定」を発表<ref name="地涌" group="SG">{{Cite web|和書|url=http://www.houonsha.co.jp/jiyu/19/697.html|title=地涌 第697巻 十九章 菩薩涌出|publisher=日蓮正宗自由通信同盟|author=不破優|date=1993-9-8|accessdate=2021-8-7}}</ref>。 ** 10月12日 - 日寛書写の曼荼羅御本尊の授与を開始<ref name="日蓮正宗青年僧侶改革同盟" group="SG">日蓮正宗青年僧侶改革同盟 「[http://www.nichiren.com/nkt/p01.pdf 創価学会の御本尊授与の正当性について]」</ref>。 ** 10月 - [[東京都]][[八王子市]]に[[創価学会東京牧口記念会館|東京牧口記念会館]]が開館。 ** 11月 - 第一次[[池田大作サリン襲撃未遂事件]]。[[オウム真理教]]が[[サリン]]による池田の暗殺を計画。東京都八王子市の東京牧口記念会館周辺でサリンを噴霧。 ** 12月18日 - 第二次池田大作サリン襲撃未遂事件。オウム真理教が東京都八王子市の東京牧口記念会館周辺でサリンを噴霧し、[[牙城会|牙城会員]]数人が被害を受け、実行犯の[[新実智光]]が自らが撒いたサリンにより重体。この後、信濃町の本部、全国各地の会館、創価大学、創価学園など学会関連施設での[[警備]]が厳重になる。 * [[1995年]](平成7年) ** 9月 - 東京都・[[東村山市議会]]議員[[朝木明代]]の死に関連して市議が自殺前に創価学会を批判していたことから、創価学会が謀殺したとのデマが広まる。{{main|朝木明代市議転落死事件}} * [[1996年]](平成8年) ** 2月 - 「戸田記念国際平和研究所」を創設<ref name="sgkaibou"/>。 ** 6月 - 元女性会員が池田から過去数回にわたり[[強姦|レイプ]]されたと虚偽の主張をし、[[裁判]]を起こす。{{main|池田大作に対する訴権の濫用}} ** 9月 - [[宗教法人法]]の改正が施行され、所轄省庁が[[東京都]]から[[文部省]](現:[[文部科学省]])に変わる。 * [[1997年]](平成9年) ** 1月 - [[ウェブサイト|公式サイト]]「SOKAnet」を開設。 ** 11月30日 - 同日をもって[[日蓮正宗]]の信徒資格を喪失。 === 2000年代 === * [[2002年]](平成14年) ** 3月 - 創価学会会則を改正。初代牧口、第2代戸田、第3代池田の「三代会長」を、「永遠の指導者」とする規定を入れる<ref name=":1" group="批">{{Cite news|date = 2002-03-30|newspaper = [[しんぶん赤旗]]|title = 池田氏は「永遠の指導者」 創価学会が「会則」を改定|url = http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-03-30/11_0403.html|accessdate = 2016-01-31}}</ref>。 * [[2003年]](平成15年) ** 9月 - 教学部員の任用試験が全国一斉に開始される<ref name="sg"/>。 ** 11月 - 創価学会現役会員ら数名が池田大作の秘書を騙り、みずほ銀行から巨額の融資[[詐欺罪|詐欺]]事件を起こす。 {{main|創価学会を騙った巨額融資詐欺事件}} * [[2004年]](平成16年) **9月10日- 勤行様式を改定。 * [[2006年]](平成18年) ** 11月9日 - 秋谷が会長を辞任し、最高指導会議議長に就任。新会長には副理事長の[[原田稔]]が就任。同月、原田の会長就任披露を兼ねた、新時代第1回本部幹部会開催。本部幹部会の回数がリセットされ「学会新時代」の開始が宣言される。 * [[2007年]](平成19年) ** 9月22日 - 「広布第二幕」第1回青年部幹部会。以後、各部幹部会会合の回数がすべてリセットされる。 * [[2008年]](平成20年) ** 5月 - [[富士美術館]](静岡県富士宮市)閉館。収蔵品は[[東京富士美術館]](東京都八王子市)に移動。 === 2010年代 === * [[2010年]](平成22年) ** 6月3日 - 「新時代第41回本部幹部会」で名誉会長の池田大作が第一線から退くことが発表された<ref group="SG">聖教新聞2010年6月4日付</ref><ref group="SG">[[大白蓮華]]2018年2月号p20</ref>。 ** 11月18日 - 創立80周年。老朽化した本部ビルと創価文化会館を建て替え「創価学会総本部」を建設すると発表<ref group="SG">[http://www.seikyoonline.jp/news/headline/2010/11/1193258_2459.html 全世界の同志と創立80周年を祝賀 広宣勝利の本陣・総本部を建設 2013年秋に完成] - 聖教新聞 2010年11月19日付</ref>。 * [[2011年]](平成23年) ** 11月4日 - 会長選出委員会が開催され、任期満了となった原田会長が再任された(2期目)<ref group="SG">2011年11月5日付け聖教新聞掲載。</ref>。 * [[2012年]](平成24年) ** 12月19日 - 創価文化センター開館<ref group="SG">2012年12月20日付け聖教新聞掲載。</ref>。 * [[2013年]](平成25年) ** 11月5日 - 創価学会総本部会館(仮称)の大礼拝室で名誉会長の池田を導師として落慶入仏式が執り行われた。8日に行われた落成記念勤行会の席上、総本部会館は広宣流布の大願を誓う殿堂であるとして「'''広宣流布大誓堂'''(こうせんるふだいせいどう)」と命名すると発表、信濃町に所在する学会関連施設全体の呼称が「'''創価学会総本部'''(そうかがっかいそうほんぶ)」となる<ref group="SG">[https://www.sokanet.jp/topics/jakhcj000000asat.html 創価学会総本部「広宣流布大誓堂」落慶記念勤行会] - SOKANet 2013年11月9日</ref>。 * [[2014年]](平成26年) ** 11月7日 - 総務会で創価学会会則第2条・教義条項の改正を決議。「一閻浮提総与」や「一閻浮提広宣流布」など、日蓮正宗由来の用語を一掃し、「[[人間革命]]」や「世界広宣流布」などといった、創価学会色の強い表現に変更。[[本尊 (日蓮正宗)|弘安2年の御本尊]]を受持の対象としないことを表明し、教義条項における「御本尊」の位置付けも変更。「御本尊」は「創価学会が受持の対象として認定した御本尊」とした<ref group="SG">[[大白蓮華]]2015年4月号「創価学会会則 教義条項」の改正について 世界宗教の基盤を確立 p84-97</ref>。同日開催の全国総県長会議で教義条項の改正を発表<ref group="SG">「創価学会会則 教義条項」の改正について - 聖教新聞 2014年11月8日付3面</ref>。 * [[2015年]](平成27年) ** [[11月16日]] - 勤行要典の祈念内容の一部改正が発表され、名称を「創価学会 勤行要典」に改めて翌[[2016年]](平成28年)に発売すると発表される<ref group="SG">[http://www.seikyoonline.jp/news/headline/2015/11/1220488_5065.html 世界の平和と人類の幸福を192カ国・地域の友と誓願 創価学会「勤行要典」を新たに制定] - 聖教新聞 2015年11月17日付</ref>。 ** [[11月17日]] - 総務会で会則改正を決議。会長任期を5年から4年(再任は妨げない)に変更した。また、会長選出委員会が開催され、会則改正によって任期満了となった原田会長が再任された(3期目)。幹部人事では会則改正によって新設された主任副会長若干名の任命、[[正木正明]]理事長の退任と副理事長の[[長谷川重夫]]が理事長に昇格する人事を発表した<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/topics/kmav7s0000003rgc.html 会則を整備、新理事長が誕生] - SOKANet 2015年11月18日</ref>。 * [[2016年]](平成28年) ** 11月4日 - オンライン[[動画共有サービス|動画共有サイト]]「[[YouTube]]」で「[https://www.youtube.com/channel/UC1GsBI4yJhQmW-Zp-NuXDNg SOKAnetチャンネル 創価学会公式]」を開設し、動画掲載を開始。 ** 11月7日 - 創価学会会則の一部改正を決議。第2代会長・[[戸田城聖]]の指導を引用し、前文に「創価学会仏」の文言を追加。「三代会長」の条文(会則第3条)に、「『三代会長』の敬称は、『先生』とする。」という文言を追加<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/topics/sr1s9k00000028k0.html 会則を改正 総務会で議決] - SOKANet 2016年11月5日</ref>。 * [[2017年]](平成29年) ** 7月18日 - オンライン[[動画共有サービス|動画共有サイト]]「[[YouTube]]」で機関紙「[[聖教新聞]]」の公式チャンネル「[https://www.youtube.com/channel/UC137dAgXEQc0QfRqBoDPNng seikyoshimbun]」を開設し、動画掲載を開始。 ** 9月1日 - 総務会およびSGI常任理事会・SGI理事会で「創価学会会憲」の制定を決議。会則の上位に位置づけられ、最高法規と規定される<ref>{{Cite news|url=https://www.jiji.com/sp/article?k=2017090100950&g=soc|title=「創価学会会憲」を制定=全団体・会員の最高法規|newspaper=時事通信|date=2017-09-01|accessdate=2023-11-18|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170901195736/https://www.jiji.com/sp/article?k=2017090100950&g=soc|archivedate=2017-09-01}}</ref>。 ** 11月10日 - 創価学会会憲署名式が行われ<ref group="SG">[https://www.sokanet.jp/topics/sr1s9k0000006l3c.html 70ヵ国・地域の代表が「創価学会会憲」署名式] - SOKANet 2017年11月13日</ref>、会憲制定に合わせて改正された会則とともに11月18日(創立記念日)に施行された<ref group="SG">[https://www.sokanet.jp/info/kaiken.html 会憲] - SOKANet 2017年9月1日</ref>。 *[[2018年]](平成30年) ** 3月11日 - 同年3月16日に「広宣流布記念の日」から60周年を迎えることを記念した「世界青年部総会」が[[創価大学]]池田記念講堂を主会場に開催され、名誉会長・SGI会長である池田大作からのメッセージを発表した(長男の池田博正主任副会長が代読する形式)<ref name=Sokanet20180312 group="SG">[https://www.sokanet.jp/topics/sr1s9k0000008ab4.html 3・16「広宣流布記念の日」60周年 世界青年部総会] - SOKANet 創価学会公式サイト、2018年3月12日配信</ref>。 **8月6日 - 『新・人間革命』全執筆が完了<ref name="大白蓮華202108"/>。 **9月8日 - 『新・人間革命』最終回が聖教新聞紙上に掲載され、完結。 *[[2019年]](平成31年/[[令和]]元年) ** 5月1日 - [[明仁から徳仁への皇位継承|皇位継承]]にあたっての会長謹話を発表<ref group="SG">2019年5月2日付け聖教新聞掲載「原田会長の謹話」</ref>。 ** 11月5日 - 総本部構成施設として建設された「創価学会総合案内センター」がオープン<ref group="SG">{{Cite web|和書|title=総本部で総合案内センターが開館式|publisher=SOKAnet|date=2019年11月6日|url=https://www.sokanet.jp/topics/2019-11-06-15854.html|accessdate=2019年11月19日|archiveurl=|archivedate=|language=日本語}}</ref>。 ** 11月16日 - [[聖教新聞社]]の新社屋として建設された「創価学会世界聖教会館」<ref name=SGHQ-WSC group="SG"/> が落成<ref name=Seikyo20191118-1 group="SG"/><ref name=Seikyo20191118-2 group="SG"/>。 ** 11月17日 - 会長選出委員会が開催され、任期満了となった原田会長が再任された(4期目)<ref group="SG">{{Cite web|和書|title=会長選出委員会で原田会長が再任|publisher=SOKAnet|date=2019年11月18日|url=https://www.sokanet.jp/topics/2019-11-18-15884.html|accessdate=2019年11月19日|archiveurl=|archivedate=|language=日本語}}</ref>。 === 2020年代 === * [[2020年]](令和2年) ** 1月11日 - 世界広布新時代第45回本部幹部会で[[御書 (日蓮)|御書全集]]の新版を2021年(令和3年)11月18日に発刊する計画を発表<ref group="SG">{{Cite web|和書|title=世界広布新時代第45回本部幹部会が開催|publisher=SOKAnet|date=2020年1月12日|url=https://www.sokanet.jp/topics/2020-01-12-16062.html|accessdate=2020年2月8日|archiveurl=|archivedate=|language=日本語}}</ref>。 ** 4月3日 - 総本部構成施設として建設された「創価宝光会館」の竣工引き渡し式を実施<ref group="SG">{{Cite web|和書|title=創価宝光会館の竣工引渡式行う|publisher=SOKAnet|date=2020年4月4日|url=https://www.seikyoonline.com/article/3802CB7B3801B5DDC2399D37E97AFFC3|accessdate=2020年4月4日|archiveurl=|archivedate=|language=日本語}}</ref>。 ** 8月26日 - 世界広布新時代第46回本部幹部会を広宣流布大誓堂で開催<ref name =":5" group="SG">{{Cite web|和書|title=【速報】広宣流布大誓堂で勇躍の世界広布新時代第46回本部幹部会 「世界青年部歌」が発表|url=https://www.seikyoonline.com/article/F006382282035E94831CDA5D3C4336B2|website=聖教電子版|accessdate=2020-8-26|last=聖教新聞|publisher=|date=2020-8-26}}</ref>。 ** 9月15日 - 総本部構成施設として建設された「創価宝光会館」がオープン<ref name =":2" group="SG">{{Cite web|和書|title=総本部の3施設が開館|url=https://www.seikyoonline.com/article/006DB20B33AD0C1FF6E46CDD3DF44960|website=聖教電子版|accessdate=2020-9-15|last=聖教新聞|publisher=|date=2020-9-15}}</ref><ref name =":3" group="SG">{{Cite web|和書|title=総本部に創価宝光会館がオープン!|url=https://sghq.sokanet.jp/news/2020091601/|website=創価学会総本部公式サイト|accessdate=2020-9-27|last=創価学会総本部|publisher=|date=2020-9-16}}</ref><ref name =":4" group="SG">{{Cite web|和書|title=総本部「創価宝光会館」がオープン|url=https://www.seikyoonline.com/article/68353BFB7BEACC9D82A1F72B44E34096?cf=1|website=聖教電子版|accessdate=2020-9-27|last=聖教新聞|publisher=|date=2020-9-16}}</ref>。 ** 9月27日 - 同年10月2日に「世界平和の日」から60周年を迎えることを記念した「世界青年部総会」が総本部の創価文化センターを主会場に[[オンライン|オンライン形式]]で開催され<ref group="SG">{{Cite web|和書|url=https://wygm2020.sokayouth.jp/|title=創価学会世界青年部総会特設サイト|accessdate=2020-11-2|last=創価学会青年部|publisher=|date=2020-9-28}}</ref>、名誉会長・SGI会長である池田大作からのメッセージを発表した(長男の池田博正主任副会長が代読する形式)<ref name=Sokanet20200927 group="SG">{{Cite web|和書|title=10・2「世界平和の日」60周年記念「世界青年部総会」を開催|url=https://www.seikyoonline.com/article/B20A102728EC95CC0F33A12BADAEADA2?cf=1|website=聖教電子版|accessdate=2020-9-27|last=聖教新聞|publisher=|date=2020-9-27}}</ref><ref name=Sokanet20200928-1 group="SG">{{Cite web|和書|title=学会創立100周年の2030年へ出発 「世界青年部総会」を盛大に|url=https://www.seikyoonline.com/article/89F249ACDCBDC355D3B66407ABC208FC|website=聖教電子版|accessdate=2020-9-28|last=聖教新聞|publisher=|date=2020-9-28}}</ref><ref name=Sokanet20200928-2 group="SG">{{Cite web|和書|title=世界青年部総会への池田先生のメッセージ|url=https://www.seikyoonline.com/article/19D426B606F222FDB970C2358D49E4DD?cf=1|website=聖教電子版|accessdate=2020-9-28|last=聖教新聞|publisher=|date=2020-9-28}}</ref>。 ** 11月1日 - 世界広布新時代第47回本部幹部会を広宣流布大誓堂で開催<ref name =":8" group="SG">{{Cite web|和書|title=創立100周年へ「創価の大心」で進め--広宣流布大誓堂で創立90周年記念の本部幹部会|url=https://www.seikyoonline.com/article/D1E1D9AC0BCF1D7BC0B0C85DFCA3F7EF|website=聖教電子版|accessdate=2020-11-2|last=聖教新聞|publisher=|date=2020-11-2}}</ref>、2021年の年間テーマを「希望・勝利の年」に設定した旨を発表した。 * [[2021年]](令和3年) ** [[1月7日]] - 本部幹部会の回数をリセットした第1回本部幹部会を広宣流布大誓堂で開催<ref name =":9" group="SG">{{Cite web|和書|title=創立100周年へ第1回本部幹部会 広宣流布大誓堂で開催|url=https://www.seikyoonline.com/article/BF23BE05C4D898DB877C79E6B4BB27A2|website=聖教電子版|accessdate=2021-1-8|last=聖教新聞|publisher=|date=2021-1-8}}</ref>。 ** [[1月31日]] - 回数をリセットした第1回青年部幹部会を東京戸田記念講堂(東京都[[豊島区]][[巣鴨]])を主会場に[[オンライン|オンライン形式]]・無観客で開催され<ref name =":12" group="SG">{{Cite web|和書|title=「第1回青年部幹部会」が開催 池田先生がメッセージ|url=https://www.seikyoonline.com/article/090C94E7D5D273E94754A489B2357C2B|website=聖教電子版|accessdate=2021-2-1|last=聖教新聞|publisher=|date=2021-2-1}}</ref>、名誉会長・SGI会長である池田大作からのメッセージを発表した(長男の池田博正主任副会長が代読する形式)<ref name=":13" group="SG">{{Cite web|和書|title=〈第1回青年部幹部会〉 池田先生のメッセージ|url=https://www.seikyoonline.com/article/9001CA94D8AC811D092A47247B5E7C39?cf=1|website=聖教電子版|accessdate=2021-2-1|last=聖教新聞|publisher=|date=2021-2-1}}</ref>。 ** [[3月22日]] - [[藤田観光]]から2月に売却された[[太閤園]]の所有権移転が完了<ref>{{Cite web|和書|title=大阪・太閤園の買い手は創価学会 藤田観光から3月に|url=https://www.asahi.com/articles/ASP42438GP42ULFA00K.html|website=朝日新聞デジタル|date=2021-4-2|accessdate=2021-4-2|language=ja}}</ref><ref>{{cite news|url=https://www.sankei.com/article/20210402-6RAL2L5QNZNRJEYQY2JGXMBFUM/|title=創価学会が太閤園取得 コロナで業績悪化の藤田観光から|publisher=産経新聞|date=2021-4-2|accessdate=2021-4-2}}</ref>。 ** [[4月18日]] - 第3回本部幹部会を東京戸田記念講堂(東京・巣鴨)で開催し、婦人部・女子部を統合した「'''女性部'''」発足<ref group="注" name="「女性部」">2021年5月3日付けで婦人部の名称を「女性部」に変更し、11月18日の創立記念日に統合を完了する。</ref>{{Refnest|group="注"|「女性部」発足とこれに伴う会則改正(5月3日施行)は本部幹部会での発表に先立ってテレビ会議方式で開催された第79回総務会(4月17日開催)・参議会(4月17日開催)・中央会議(4月18日開催)で承認されている<ref name=":15" group="SG">{{Cite web|和書|title=第79回総務会|url=https://www.seikyoonline.com/article/270D6C5852225044FE495C4E6E2F2A99|website=聖教電子版|accessdate=2021-4-19|last=聖教新聞|publisher=|date=2021-4-19}}</ref><ref name=":16" group="SG">{{Cite web|和書|title=参議会も開催|url=https://www.seikyoonline.com/article/C4C0DA97FD5DBDF7848CE0966C7151C8|website=聖教電子版|accessdate=2021-4-19|last=聖教新聞|publisher=|date=2021-4-19}}</ref><ref name=":17" group="SG">{{Cite web|和書|title=中央会議行う|url=https://www.seikyoonline.com/article/6EF5B2E00657ECCE6C8A8DC6752578CA|website=聖教電子版|accessdate=2021-4-19|last=聖教新聞|publisher=|date=2021-4-19}}</ref>。}}の発表、新版御書全集の概要説明<ref name=":20" group="SG">{{Cite web|和書|title=「日蓮大聖人御書全集 新版」 池田先生が監修、11月に発刊|url=https://www.sokanet.jp/topics/2021-04-21-17005.html|website=Sokanet|accessdate=2021-4-22|last=Sokanet|publisher=創価学会公式サイト「Sokanet」|date=2021-4-21|archiveurl=https://archive.ph/gspJm|archivedate=2021-5-3}}</ref><ref name=":21" group="SG">{{Cite news|title=「日蓮大聖人御書全集 新版」 池田先生が監修、11月に発刊|url=https://www.seikyoonline.com/article/CD13A6598135503C7C835F788912436E?cf=1|website=聖教電子版|accessdate=2021-4-22|publisher=聖教新聞|date=2021-4-20|archiveurl=https://archive.ph/P74lT|archivedate=2021-4-22}}</ref>、学会創立100周年記念事業である「関西池田記念大講堂」の建設計画を発表した<ref name=":18" group="SG"/>。 ** [[4月21日]] - 聖教新聞紙上で「関西池田記念大講堂」の建設計画を公表<ref name=":19" group="SG">{{cite news|url=https://www.seikyoonline.com/article/17FFBEC37E862D569BDE172A1D9AD625|title=創立100周年の記念事業として関西池田記念大講堂を建設|publisher=[[聖教新聞]]|date=2021-4-21|accessdate=2021-4-21|archiveurl=https://archive.ph/4KuMr|archivedate=2021-4-21}}</ref>。 ** [[5月3日]] - 婦人部の名称を「'''女性部'''」に変更する改正会則を施行<ref name=":23" group="SG">{{Cite news|title=女性部が新出発|url=https://www.seikyoonline.com/article/7F4BCF44A05E03761046A29B6C2506FC|website=聖教電子版|accessdate=2021-5-3|publisher=聖教新聞|date=2021-5-3|archiveurl=https://archive.ph/JZqAe|archivedate=2021-5-3}}</ref><ref name=":24" group="SG">{{Cite web|和書|title=戸田先生会長就任70周年 池田先生会長就任61周年 ーー女性部が新出発|url=https://www.sokanet.jp/topics/2021-05-03-17048.html|website=Sokanet|accessdate=2021-5-3|last=Sokanet|publisher=創価学会公式サイト「Sokanet」|date=2021-5-3|archiveurl=https://archive.ph/3cxEH|archivedate=2021-5-3}}</ref><ref group="注" name="「女性部」"/>。 ** [[11月17日]] - 第80回総務会で女子部を女性部に統合する会則改正と「'''創価学会社会憲章'''」制定{{Refnest|group="注"|1995年制定の「SGI憲章」を全面改定したもの。}}を承認<ref name=":25" group="SG">{{Cite news|url=https://www.seikyoonline.com/article/E0C6B2F01688641C413ADF369EB7B7DC|title=「創価学会社会憲章」を制定 第80回総務会で議決 会則改正と新総務・総務補の選出も|publisher=聖教新聞|date=2021-11-18|accessdate=2021-11-18|archiveurl=https://archive.ph/HkKtW|archivedate=2021-11-18}}</ref><ref name=":26" group="SG">{{Cite news|url=https://www.seikyoonline.com/article/079CF399F7A27B1B834D91CA62E716B4|title=「創価学会社会憲章」全文と解説|publisher=聖教新聞|date=2021-11-18|accessdate=2021-11-18|archiveurl=https://archive.ph/1TfDs|archivedate=2021-11-18}}</ref>。 ** [[11月18日]] - 改正会則と「創価学会社会憲章」を施行。『日蓮大聖人御書全集 新版』を発刊<ref name=":29" group="SG">{{Cite web|和書|url=https://www.sokagakkai.jp/info/1944694.html|title=「日蓮大聖人御書全集 新版」が発刊 原田会長が談話|publisher=創価学会公式サイト|date=2021-11-17|accessdate=2022-2-2}}</ref>。 *[[2022年]](令和4年) **[[1月27日]] - 中央社会協議会で[[第26回参議院議員通常選挙]][[参議院比例区|比例区]]で公明党を支持することを決定。同時に1994年に決定した各種選挙における支援の基本原則について「人物本位」であることを再確認した<ref name=":30" group="SG">{{Cite web|和書|url=https://www.sokagakkai.jp/info/2001324.html|title=総本部で中央社会協議会 選挙支援の原則を確認 参院選比例区の公明党支持を決定|publisher=創価学会公式サイト|date=2022-1-28|accessdate=2022-2-2}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=創価学会、異例の発表 参院選支援「人物本位で」 自公、相互推薦で亀裂深まる|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQODE273HD0X20C22A1000000/?unlock=1|publisher=日本経済新聞|date=2022-1-27|accessdate=2022-2-2|language=ja}}</ref>。 *[[2023年]](令和5年) ** 2月1日 - 年次活動報告書にあたるアニュアルレポートを刊行。公式サイト「Sokanet」での掲載を開始<ref name=":31" group="SG">{{Cite web|和書|url=https://www.sokagakkai.jp/assets/pdf/annual_report2022.pdf|title=2022年アニュアルレポート|publisher=Sokanet|date=2023-2-1|accessdate=2023-12-8}}</ref>。 ** 7月4日 - [[コロナ禍]]によって2020年2月から中断していた広宣流布大誓堂での「広宣流布誓願勤行会」を再開<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sokagakkai.jp/news/2421642.html|title=広宣流布大誓堂で誓願勤行会|date=2023.07.05|accessdate=2023-11-1|publisher=SOKAnet}}</ref><ref>{{cite news|url=https://www.seikyoonline.com/article/7C055EA79DB3FAE4E24A20B9D26610FD?cf=1|title=大誓堂完成10周年の「11・18」へ新たな前進 広宣流布誓願勤行会|date=2023.07.05|accessdate=2023-11-1|publisher=聖教電子版}}</ref>。 ** 10月26日 - 会長選出委員会が開催され、任期満了となった原田会長が再任された(5期目)<ref name=":32" group="SG">{{Cite web|和書|url=https://www.seikyoonline.com/article/52FC80C1990A7FC4224630F83C338351?cf=1|title=会長選出委員会行う 原田会長を再任|publisher=聖教電子版|date=2023-10-27|accessdate=2023-11-1}}</ref>、任期満了は2027年11月17日の予定。 ** 11月15日 - 名誉会長・SGI会長である池田大作が老衰のため、95歳で死去<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20231118-OYT1T50127/|title=創価学会名誉会長の池田大作氏が死去、95歳…日本最大規模の宗教団体に育て上げる|publisher=読売新聞|date=2023年11月18日|accessdate=2023年11月18日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231118/k10014262141000.html|title=池田大作氏が死去 創価学会名誉会長 老衰のため 95歳|publisher=NHKNEWSWEB|date=2023年11月18日|accessdate=2023年11月18日}}</ref>{{Refnest|group="注"|公表されたのは創立記念日にあたる11月18日。公表が遅れた経緯について、長男の池田博正主任副会長は「(家族の意向もあり、)創立記念日(と[[学校法人創価学園|創価学園]])の行事を予定通り行うため」と説明した<ref>{{cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20231118-G3PYDSQDE5OIRNIIP5OZBSGMZY/|title=「深い悲しみ」創価学会会長 動画サイトで追悼、涙ぐむ人も|publisher=[[産経新聞]]|date=2023-11-18|accessdate=2023-11-18}}</ref>。}}。 == 日蓮系教団との関係 == === 日蓮正宗との関係 === ==== 日蓮正宗傘下の時代 ==== かつて創価学会は[[日蓮正宗]]の在家の信徒団体であったが、戸田が布教の利便と宗門である日蓮正宗を外護するため、宗門に宗教法人格の取得の許可を願い出た。そこで日蓮正宗は「新規に入会した会員は信徒として末寺に所属させること」、「(日蓮正宗の)教義を守ること」、「仏・法・僧の[[三宝]]を守ること」を条件に承諾した<ref name="sgkaibou"/>。 ==== 昭和52年路線 ==== [[1977年]](昭和52年)1月の第9回教学部大会において、池田は寺院の意義について、修行者が集い、仏法を研鑽し、布教へ向かうための道場・拠点と位置付け、その本義からして、「創価学会の本部・会館、また研修所もまた「近代における寺院」というべき」と語った<ref>聖教新聞1977年1月17日付</ref>。 これに対し、宗門=日蓮正宗側は「池田の主張は教義からの逸脱である」と批判し、批判を受けて創価学会は謝罪した{{sfn|島田裕巳|2004|pp=105-106}}。さらに、[[山崎正友]]が独自に宗門若手僧侶を扇動し、批判活動を行わせた。山崎は創価学会への恐喝罪により懲役3年の実刑判決を受けている<ref>[https://web.archive.org/web/20210608134301/https://daihanrei.com/l/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%20%E6%98%AD%E5%92%8C%EF%BC%95%EF%BC%96%E5%B9%B4%EF%BC%88%E5%88%91%E3%82%8F%EF%BC%89%EF%BC%92%EF%BC%98%EF%BC%98%E5%8F%B7%20%E5%88%A4%E6%B1%BA 大判例、東京地方裁判所 昭和56年(刑わ)288号 判決]</ref>。 [[日本基督教団]]所属の[[キリスト教徒]]として創価学会の立場を支持する元[[外交官]]・[[作家]]の[[佐藤優 (作家)|佐藤優]]によれば、創価学会と日蓮正宗の対立の「背景には、僧侶が『上』、一般信徒は『下』とする宗門の宗教観と、そのようなヒエラルキーを認めない民衆宗教である創価学会の基本的価値観の対立があった。」とする<ref>佐藤優『池田大作研究』朝日新聞出版、2020年、p.506</ref>。 学会幹部が日蓮正宗総本山[[大石寺]]に登山を行う事で一応は収まったものの、その後も日蓮正宗(宗門)僧侶や檀徒による批判は続いた。 ==== 正信会との対立、日顕との同盟関係 ==== [[1979年]](昭和54年)[[7月22日]]に管長[[日達|細井日達]]が遷化(死去)。日達は生前、後継者を指名していなかった。67世法主として[[日顕 (日蓮正宗)|阿部日顕]]が登座すると学会を含めた日蓮正宗内は混乱に陥る。 学会に批判的な僧侶が「[[正信会]]」を結成、山崎正友も学会を退会して正信会に参加した。これに対し日顕は学会に友好的に接し、学会も日達から日顕に血脈相承が行われたと指導、池田も宗門を擁護する立場を取った。その結果、宗務院は正信会僧侶の大量処分に踏み切り、ついには批判派僧侶のほとんどが日蓮正宗から追放された。 後述する宗門との対立後は、池田や学会は日顕が受けたのはあくまでも内証(内定)であって、正式な儀式は行われておらず、後継指名は成り立たないと解釈を変更している。 {{main|正信会#歴史|日顕 (日蓮正宗)#生涯|血脈相承_(日蓮正宗)#位置付け}} ==== 日蓮正宗との対立・決別 ==== 正信会問題では共闘した日顕との関係は悪化に向かう。[[1990年]]([[平成]]2年)7月17日、[[日蓮正宗]]との連絡会議の席上、学会側が宗門や法主を批判して席を立つ{{sfn|島田裕巳|2004|pp=112-113}}{{Refnest|group="注"|創価学会の見解によると、連絡会議で学会側は、綱紀粛正を要請した、としている<ref group="SG" name="nenpyo"/>。}}。同年11月16日、第35回本部幹部会における池田のスピーチに対し、日蓮正宗側は法主や僧侶を軽視するものだとして学会に説明を求める「第三五回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね」文書を送る{{sfn|島田裕巳|2004|pp=112-113}}。 「お尋ね」文章の内容は、池田が僧侶を批判した、[[四箇格言]]を否定した、[[親鸞]]を好意的に評価した、[[外道]](仏教以外)の歌である『[[歓喜の歌]]』を評価した、などとして批判する内容で<ref name = monnbutuji/>、これに対し、学会側は「お尋ね」文書に対する「お伺い」文書を送付し、日蓮正宗側が自分たちを誹謗・中傷しているとして回答を拒否した{{sfn|島田裕巳|2004|pp=112-113}}<ref name="C-2" group="SG"/>{{Refnest|group="注"|創価学会の見解によると、学会側は対話による問題解決を図ったとしている<ref group="SG" name="nenpyo"/>。}}。 これを受け、[[日蓮正宗]]は規約を改正し、1984年1月に再任されていた池田の法華講総講頭の役職を解くことにした{{sfn|島田裕巳|2004|pp=112-113}}。1991年、創価学会は『聖教新聞』紙上等において日蓮正宗へ反論を行う{{sfn|島田裕巳|2004|pp=112-113}}。同年11月、[[日蓮正宗]]は「創価学会」と「[[創価学会インタナショナル]]」(SGI)を破門{{sfn|島田裕巳|2004|pp=112-113}}{{Refnest|group="注"|創価学会の見解によると、この破門事件は後になって、日顕の側近・[[河辺慈篤]]のメモ(河辺メモ)の記述や宗門海外部主任・福田毅道が作成した作戦計画書の記述などから、「創価学会分離作戦(C作戦)」の名の下に、「日蓮正宗が一方的に創価学会を切り捨てることを目的としていた」ことが発覚したとしている<ref group="SG" name="c20th" /><ref group="SG" name="nenpyo" />。}}。創価学会側はこの破門以降、日蓮正宗を「'''日顕宗'''」(「日顕宗(日蓮正宗)」の表記もあり)と呼称し、批判している。 一方で、田原総一郎は、この対立の背景として、日蓮正宗の法主である日顕が先祖の墓を他宗の禅寺に建立していたことが判明したり、異性やカネにまつわる僧侶の醜聞が伝えられたりするなど、多くの学会員が宗門に対して不満を持つようになったのではないか、と言及している。<ref name="#2">田原総一朗『創価学会』毎日新聞出版、2018年</ref> 創価学会と日蓮正宗の決別について、佐藤優は、世界広宣流布の観点から、創価学会がこれ以上、「宗門のくびきの下に置かれることは非現実的」<ref>佐藤優『池田大作研究』朝日新聞出版、2018年</ref>とし、聖ウルスラ学院([[カトリック教会|カトリック]]系[[キリスト教主義学校|ミッションスクール]])理事長の梶田叡一は、日蓮正宗による破門の内実は、「権威的で形骸化した宗門によってそれまで散々蔑まれてきた学会員の魂が、ようやく解放された{{Refnest|group="注"|創価学会側ではこの破門を「'''魂の独立'''」と呼んでいる。}}」としている<ref>『第三文明』2021年11月号</ref>。 ==== シアトル事件 ==== 1992年(平成4年)6月、『[[創価新報]]』・『聖教新聞』に「[[日顕 (日蓮正宗)|日顕]]が1963年(昭和38年)に法務で[[アメリカ合衆国|米国]][[ワシントン州]]・[[シアトル]]に出張した際に、現地の[[娼婦|売春婦]]と料金トラブルを起こして警察に通報され、身柄を拘束された」、「現地在住の学会員、ヒロエ・クロウが保釈手続きを行った」として、日顕を痛烈に批判する記事が掲載された。日蓮正宗側はそのような事実はまったく存在しないと否定し{{Refnest|group="注"|後に日顕は宿泊先のホテルから外出したことは認めたが、売春婦との料金トラブルなどについては否定している<ref group="SG" name="c20th"/>。}}、日米両国で訴訟が行われた。また、この報道は創価学会や日顕と敵対する正信会・顕正会の機関紙でも報じられた。 ==== 偽造写真事件 ==== 破門後の[[1992年]](平成4年)11月、学会は機関紙『創価新報』に、日顕が芸者と戯れる写真を掲載。日蓮正宗との訴訟に発展した。地裁の判決では、学会側が編集過程において写真をトリミングカット等したことを偽造と認定し、賠償請求を命じた。<ref>平成五年(ワ)第七九七七号 謝罪広告等請求事件 99年12月6日、東京地裁判決</ref>しかし、学会側が控訴した高裁では、学会側による写真偽造を改めて認定したものの、原告に日顕の氏名が無い事を理由に原告が求めた損害賠償は認められなかった。<ref>平成十一年(ネ)第六四〇八号 謝罪広告等請求控訴、平成一二年(ネ)第三三九四号同附帯控訴事件 2000年12月25日、東京高裁判決</ref>日蓮正宗側は上告するも、最高裁で棄却された。 {{main|偽造写真事件#訴訟へ}} ==== コーヒーカップ裁判 ==== 1992年(平成4年)、[[神奈川県]][[川崎市]][[中原区]]にある日蓮正宗持経寺に息子の遺骨を預けていた創価学会員夫婦が、同伴した数人の学会幹部とともに息子の遺骨を受け取りに訪れた際、本堂で夫が遺骨を受け取り退出。しかし、5分後に再び本堂を訪れ[[遺骨]]が[[骨壷]]ではなく[[コーヒーカップ]]に入っていたと主張した。その後の裁判では、数々の証言から創価学会員は敗訴し主張は退けられた。 {{main|コーヒーカップ裁判}} ==== 日蓮正宗住職交通事故死 ==== 1994年(平成6年)7月、北海道内で日蓮正宗住職の運転する自動車と学会員の運転する自動車が正面衝突する[[交通事故]]が起き、住職が死亡、学会員が重傷を負った。現場検証で住職の全面過失と認定されたが、週刊新潮など一部週刊誌が交通事故は創価学会によって仕組まれたものとする内容を掲載。後に事故の当事者である学会員が週刊新潮を提訴、最高裁は週刊新潮の敗訴を言い渡した。 {{main|日蓮正宗住職交通事故死事件}} ==== 池田大作に対する民事訴訟 ==== 1996年(平成8年)、自らの金銭借款が原因で北海道創価学会の幹部を解任された女性が、池田大作を相手取って起こした訴訟。その後、裁判所は女性側の主張が悉く信用できないとした上で、「訴権の濫用」として訴えを却下した<ref group="他">平成12年(ネ)第3364号 損害賠償請求控訴事件 東京高裁判決(2001年1月31日)</ref>。 同年3月、池田大作に[[強姦|レイプ]]されたとの告発手記を『週刊新潮』に掲載し、女性とその夫が池田を相手取り損害賠償請求の訴えを起こした。裁判所は女性とその夫が創価学会に「恐喝まがいの電話」をかけていた時のテープに注目し、判決文の中で「有無を言わせない強硬なものであり、その個性、人柄をうかがわせるに足るものあるばかりか、まさに恐喝まがいと評されてもやむをえない」と断じた。判決では「なにゆえにそこまでするのかについては、健全な社会常識からすると若干の疑問が残らないわけではないが、原告らの個性、人柄に由来するところが大きいとみるほかはない」と述べ、「訴権の濫用による却下」として訴えそのものが退けられた<ref name="名前なし-20230316113228-2">『スキャンダル大戦争』2004年12月1日号</ref>。裁判所が「訴権の濫用」という明確な用語を使用して訴えを不適法とした例は、当時までの1000万件近い訴訟の中で10件余りであり、割合として「100万件に1件」という極めてまれな判決となった<ref>[https://web.archive.org/web/20020225070141/www.usio.co.jp/magagine/usio0011/us001101.html 裁判所から「訴権濫用」と弾劾された事件(月刊潮 2000年11月号)]</ref>。 訴えを起こした女性は「訴訟は夫婦と弁護士だけで決めた」と述べたが、作家の山本栄一は、手記発表・記者会見・民事訴訟の流れは、夫妻と『週刊新潮』記者・門脇護(現・[[門田隆将]])、「創価学会による被害者の会」の幹部である[[日蓮正宗]][[妙観講]]員との打ち合わせで立てられたシナリオに基づくものであった、と述べている<ref name="yamamoto">山本栄一 『言論のテロリズム 週刊新潮「捏造報道事件」の顛末』 鳳書院、2001年。ISBN 4871221245 ([http://tidesk.web.fc2.com/genron-tero/menu.html 全文])</ref>。 『週刊新潮』誌上において、[[山田直樹 (ジャーナリスト)|山田直樹]]は「およそ5年に及んだ裁判は、なんと実質審理に入らないまま終結」と訴訟を振り返り<ref>『週刊新潮』2002年11月27日号 新・創価学会を斬る 第4回</ref>、「裁判を傍聴し続けた」という[[乙骨正生]]も「女性の訴えは時効であるとし、女性の夫の損害部分についても実質的な事実審理に入ることなく訴えを退けた」と記述している<ref>『週刊新潮』2005年12月1日号</ref>が、一連の事件について当時の新潮社・[[佐藤隆信]]社長は作家・[[宮本輝]]を通じて「あのいかがわしい夫婦の訴えを、結果としてキャンペーン的に報道を続け、はからずも当時の宗門の反学会勢力の後押しとなってしまったことを遺憾に思う」「真実かどうかわからない段階で、あのような広告を何度も打ったことは、行き過ぎだったと思う」「あの夫婦のいかがわしさは、『週刊新潮』の編集部でも話題になり、果たして二人の言い分を記事にしていいものかどうかを懸念する声もあった」と述べた<ref name="名前なし-20230316113228-2"/>。 {{main|池田大作に対する訴権の濫用}} ==== 正本堂解体 ==== 破門から7年後の1998年(平成10年)、かつて創価学会が寄進した大石寺[[正本堂 (大石寺)|正本堂]]が解体される。日蓮正宗と創価学会の分裂を象徴する出来事であった。 ==== 池田大作本仏論論争 ==== 歴代会長の中でも、初代・牧口、第2代・戸田、第3代・池田の「三代会長」は、「広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である」と2002年(平成14年)の会則変更の際に定められた<ref name=":1" group="批" />。さらに、2016年(平成28年)11月7日に施行された改正会則の第1章第3条2項として、「『三代会長』の敬称は、『先生』とする。」と加筆明記された<ref name="Constitution_of_SGI-JAPAN" group="SG">{{Cite web|和書|url=https://www.sokanet.jp/info/kaisoku.html|title=会則|創価学会公式サイト|date=2021年5月3日|accessdate=2021年5月3日}}</ref>。ただし、三代の会長個人を本仏である日蓮と同等またはそれ以上に崇め奉ることは認められていない。池田は過去に聖教新聞紙上で「私などを絶対視してはいけない。」と明言している<ref group="SG">「所感恩師の二十三回忌に思う」(『聖教新聞』昭和55年(1980年)4月2日付)</ref>。一方、日蓮正宗側は「池田本仏論」として批判している。 {{main|池田大作本仏論}} === 冨士大石寺顕正会との関係 === 創価学会と、顕正会の前身である妙信講は共に日蓮正宗内の一法華講という立場であったが、1970年代に学会が主導した[[大石寺]][[正本堂 (大石寺)|正本堂]]の建立をめぐり、正本堂が日蓮の遺言(御遺命)にある「本門の[[戒壇]]」にあたるか否かの解釈で対立したのを皮切りに関係が悪化した。 妙信講は「非国立」の戒壇を認めない、と言うよりは「国家権力立」ないし「皇室立」でなければならない<ref group="批">「第二章 三、「国主立戒壇」の誑惑」 - 浅井昭衛『対決を逃避した阿部日顕管長に「最後に申すべき事」』(冨士大石寺顕正会)P44-53</ref> とする解釈を顕正会に改名した現在も崩していないのに対し、学会と当時の宗門管長細井日達は「[[戦後民主主義]]体制の根幹たる[[主権在民]]の下では日蓮の指す国の概念は権力ではなく民衆である」<ref group="SG">「本抄の背景・大意 立正安国について」 - 創価学会教学部編『世界広布の翼を広げて 教学研鑽のために「立正安国論」』(聖教新聞社 ISBN 978-4412016194)P15-16</ref><ref>「第4章 うさんくささと政教分離を巡る攻防 戒壇の建立も自由」 - [[佐藤優 (作家)|佐藤優]]『創価学会と平和主義』(朝日新書 ISBN 978-4022735829)p131-132</ref> という解釈のもと、正本堂落慶をもって御遺命は達成されたと宣言する。{{main|国立戒壇#創価学会}} その後日達の仲介で両団体が協議し「正本堂は御遺命の戒壇にはあたらない」とする学会理事長・[[和泉覚]](当時)の談話を聖教新聞に掲載することで一応和解。この談話は落慶法要直前の1972年(昭和47年)10月3日付紙面に掲載され、法要には妙信講関係者も出席した。しかし、和解した後も妙信講は[[国家権力]]ないし[[皇室]]による「狭義の」国立戒壇建立という思想を放棄せず、学会中央本部に対するデモなどの実力行使に踏み切る。これを受け日達は1974年(昭和49年)8月12日付で妙信講を講中解散処分に付した。{{main|除名#日蓮正宗の除名}} === 日蓮宗との関係 === 創価学会を含む日蓮正宗系教団では[[日蓮宗]]を「身延派」と呼び、距離を置いている。 ==== 小樽問答 ==== [[1955年]](昭和30年)、[[日蓮正宗]][[妙照寺]]所属の創価学会小樽班の会員と[[日蓮宗]][[妙龍寺]]との間で論争が起こった。日蓮正宗及び創価学会と日蓮宗は幹部を派遣し、小樽市公会堂で公開[[法論]]に臨んだ<ref name="sg"/>。法論では日蓮宗側がスピーチするたびに激しいヤジが飛び大荒れとなった<ref name="otaru">[https://genshu.nichiren.or.jp/genshu-web-tools/media.php?file=/media/shoho40-47.pdf&type=G&prt=1378 創価学会と日蓮宗の「小樽問答」再現記録](日蓮宗現代宗教研究所主任)伊藤立教</ref>。 == 他の宗教との関係 == 戸田城聖が存命だった1950年代から、日蓮正宗以外のすべての他宗教・他宗派を一切認めず「邪宗・[[邪教]]」として批判してきた<ref name="gendai shimada"/>。その攻撃の矛先は折伏大行進期には[[立正佼成会]]や[[天理教]]など日蓮・法華系あるいは神道系の新宗教団体、正本堂建立以降は妙信講(現・[[冨士大石寺顕正会]])や[[正信会]]といった日蓮正宗系新宗教団体、そして破門後は日蓮正宗宗門へと向けられた。立正佼成会等が[[新日本宗教団体連合会]]や[[日本宗教連盟]]などを通じて他教派との交流を取っているのと異なり、2017年(平成29年)現在でも学会本体・公明党共に日本国内の他の[[新宗教]]教団とは協調するまでには至っていない<ref>島田裕巳『日本の10大新宗教』 幻冬舎(2007/11) P26</ref>。{{see also|四箇格言|立正佼成会#活動・動向}} 一方、日蓮正宗からの干渉により進捗に支障があった[[キリスト教]]や[[イスラム教]]など仏教以外の既存世界宗教との対話は、同宗からの破門と前後して徐々に軟化。その傾向が顕著になったのは「SGI憲章」が制定された[[1995年]](平成7年)[[11月23日]]以降で、憲章の7番目の項目として「仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。」と記述され、方針転換を正式に表明した。現在、[[創価学会インタナショナル]]は(日本を含む)世界192の国と地域に組織を持ち、特定の宗教以外が厳しく制限されている[[イスラム世界|イスラム圏]]、[[社会主義国]]など一部地域を除いて全世界に活動の幅を広げるまでに至っている。 さらに、SGIは世界宗教議会の定期的な参加団体であり、また、欧州科学芸術アカデミーと一連の宗教間[[シンポジウム]]を開くなど、さまざまな宗教の人々との間の理解を形成することを目的とした宗教間対話や取り組みに積極的に参加している<ref>{{Cite web|和書|title=宗教は山を動かし、そして憎しみを取り除く |url=https://inpsjapan.com/news/faith-can-move-mountains-and-remove-hatred/ |website=INPS Japan |date=2014-07-10 |access-date=2022-08-31 |language=ja |last=editor}}</ref>。 === 戦前・戦中の国家、神道との関係 === 島田裕巳によると初代会長の[[牧口常三郎]]は[[皇太神宮]]の神札である[[神宮大麻]]を拝むことを拒否し焼却させたが、[[国家神道]]の全てを否定していたわけではないという{{sfn|島田裕巳|2004|pp=37-38}}。第5回総会での全員座談会において牧口は[[靖国神社]]に参拝する意義を説き、靖国神社への参拝はご利益を得るためのものではなく感謝の心を表すものである点を強調した{{sfn|島田裕巳|2004|pp=37-38}}。さらに牧口は、[[天照大神]]や代々の[[天皇]]に対して「感謝し奉る」と言い、[[昭和天皇]]を[[現人神]]と認め、「吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが純忠だと信ずる」と述べている{{sfn|島田裕巳|2004|pp=37-38}}。 また、[[現代ビジネス]](Web版[[週刊現代]])によると、当初、創価学会の前身である戦前の創価教育学会は治安当局と左翼運動取締りにおいて協力的な関係にあった<ref name=gb20180309>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/54715 |title=世界的イベントを3月11日に控えた創価学会の「秘史」を明かそう |publisher=[[講談社]] |work=[[現代ビジネス]]|date=2018-03-09 |accessdate=2019-02-10 }}</ref>。創価教育学会は「[[赤化]]青年の完全転向は如何にして可能なるか」とうたったパンフレットを発行し、治安当局との蜜月ぶりを会員獲得に向けた宣伝材料にもしていた<ref name=gb20180309/>。牧口らは警視庁特高課やその元締めである[[内務省 (日本)|内務省]][[警保局]]、[[思想検事]]ら治安当局と緊密に連絡を取り合っていた<ref name=gb20180309/>。しかし、[[日本共産党]]を壊滅させた後、治安当局が次に取り締まり対象としたのは宗教団体であった<ref name=gb20180309/>。一転して、創価教育学会は[[特別高等警察]]の弾圧を受けることになった<ref name=gb20180309/>。ただし、それは創価教育学会が反戦・平和を訴えたからではない<ref name=gb20180309/>。神宮大麻を拝むことを拒否し焼却させるなどしたからである<ref name=gb20180309/>。 当時、大方の宗教団体がそうだったように、[[日蓮正宗]]も戦争には協力的な立場だった<ref name=gb20180312>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/54727 |title=誰も知らなかった「昭和初期」創価学会の本当の姿 |publisher=講談社 |work=現代ビジネス|date=2018-03-12 |accessdate=2019-02-10 }}</ref>。それは日蓮正宗の在家信徒団体である創価教育学会も同じであった<ref name=gb20180312/>。例えば、創価教育学会の機関紙「価値創造」の第6号には、日蓮正宗宗務院が1942年1月21日付で出した布告を転載していた<ref name=gb20180312/>。その布告の内容は、日蓮正宗が2月8日午後、[[大石寺]]において全国から僧侶や檀信徒を集め「[[大東亜戦争]]戦勝祈願大法要」を開催し、日蓮正宗にとって信仰の根本である「戒壇の大御本尊」の御開扉に続き、「戦争完遂宣誓式」を行うというものであった<ref name=gb20180312/>。さらに、1941年10月の「価値創造」第3号では、当時、[[日独伊三国同盟|日本の同盟国]]の指導者で「現代の[[転輪聖王]]」といわれていた[[ナチス・ドイツ]]の[[アドルフ・ヒトラー]]総統の著書『[[我が闘争]]』について紹介した<ref>「価値創造」第3号</ref><ref name=gb20180312/>。 1942年になると、[[第二次世界大戦]]で[[日本軍]]が南方で緒戦の勝利を重ねていたためか創価教育学会の幹部達から勇ましい発言が相次ぐようになる<ref name=gb20180312/>。『価値創造』の後継誌として出された小冊子「大善生活実証録」([[国立国会図書館]]に覆刻版が所蔵されている)によると、総会の開会にあたり幹部の一人が「陛下の御稜威の下、我が陸海軍将兵が緒戦以来、赫々たる戦果を挙げている事は、吾等の衷心より感激に堪えない次第である……我国としても、もう寸毫の妥協も許されず、勝つか負けるかの一時のみ、否、断じて勝つの一手あるのみである」と挨拶<ref name=gb20180312/>。閉会では別の幹部が「いまや、皇国日本か北は[[アリューシャン列島|アリューシャン群島]]方面より遥かに太平洋の真中を貫き、南は[[ソロモン諸島|ソロモン群島]]付近にまで及び、更に南洋諸島を経て、西は印度洋からビルマ支那大陸に、将又蒙彊[[満州]]に至るの広大なる戦域に亘り、赫々たる戦果を挙げ、真に[[聖戦]]の目的を完遂せんとして老若男女を問わず、第一線に立つ者も、[[銃後]]に在る者も、いまは恐くが戦場精神によって一丸となり、ひたすらに目的達成に邁進しつつあることは、すでに皆様熟知されるところである」と締めくくった<ref name=gb20180312/>。また、総会はいつも[[皇居]]に向かっての[[遥拝]]で始まり、会の終わりには[[軍歌]]が歌われた<ref name=gb20180312/>。 一方、創価学会は「学会が軍部政府におもねっていたとすれば、牧口会長も戸田会長も、逮捕されることなど全くなかった」とする見解を取っている<ref group="SG">民衆勝利の凱歌II 破邪顕正の広布史p104</ref>{{Refnest|group="注"|宗門側は戸田が作成したとする「通牒」文書を持ち出し、「学会も戦争に加担し、神札を容認していた」とする反論を行ったが、学会側はこの「通牒」文書を「怪文書」と見なした上で、「筆跡が戸田のものとは異なり、書かれた年代も不明。また、牧口の尋問調書や戸田の取り調べ記録にも登場しない全くの偽造文書」であるとして、「通牒」文書の存在そのものを否定した<ref group="SG">民衆勝利の凱歌II 破邪顕正の広布史p103-104</ref>。}}。その見解によると、1943年6月、牧口は戸田とともに日蓮正宗総本山・[[大石寺]]に召喚され、当局による弾圧を懸念した宗門側から「神札を受けるように」と勧められるも、[[日興]]の残した遺戒にある「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」<ref group="SG">新編 日蓮大聖人御書全集p1618</ref> の精神を貫き通し、「承服いたしかねます。神札は、絶対に受けません」と言って拒否した<ref group="SG">民衆勝利の凱歌II 破邪顕正の広布史p90-92</ref>。それから1か月後、神札の受け入れを拒否した行為が[[不敬罪]]と[[治安維持法]]違反にあたるとして、牧口や戸田、他の幹部ら21人は逮捕・投獄された<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/info/president/makiguchi.html#no06 初代会長 牧口常三郎 宗教改革と国家権力の弾圧] - SOKAnet</ref>。幹部たちは退転していったが、牧口・戸田の2名だけが最後まで信仰を貫き通した。牧口は[[1944年]][[11月18日]]、現在の創価学会創立記念日にあたるこの日に[[巣鴨拘置所|東京拘置所]]で「[[殉教]](=獄死)」し、1人生き残った戸田は終戦([[日本の降伏]])の約1か月前の[[1945年]][[7月3日]]に[[豊多摩刑務所]]から出獄{{Refnest|group="注"|創価学会公式ホームページ「SOKAnet」や小説「[[人間革命]]」では、戸田は逮捕当初、巣鴨の東京拘置所に収監され<ref group="SG">[https://www.sokanet.jp/info/president/toda.html#no04 第2代会長 戸田城聖 国家による弾圧と覚醒] - SOKAnet</ref>、出獄直前になって豊多摩刑務所に移送されたとしている<ref group="SG">「人間革命」第1巻「黎明」の章</ref><ref group="SG">[https://www.sokanet.jp/kaiin/hr/summary.html 小説『人間革命』要旨] - SOKAnet</ref>。}}し、弾圧によって壊滅状態だった学会の再建に挑んだ<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/info/president/toda.html#no05 第2代会長 戸田城聖 学会の再建へ 会長に就任] - SOKAnet</ref> というものである。 == 政治との関係 == 政治学者の薬師寺克行によれば、1954年、創価学会は、政治部門として文化部を設立し、1955年4月の統一地方選挙に54名の候補者を擁立した。翌1956年に行われた参議院選挙には、6名の候補者を立てた。その後、1961年に「公明政治連盟」が成立し、1964年に「[[公明党]]」が結党された。1999年1月以来、公明党は自民党と連立を組み、2009年から2012年の民主党政権時代を除いて、政権与党として活動を続けている。<ref>薬師寺克行『公明党』</ref> 宗教社会学者の[[中野毅]]によれば、創価学会の政治参加の動機は、[[中小企業]][[労働者]]を中心とする[[民衆]]の代弁、[[政治]]の監視、[[信教の自由]]の確保の三点に集約されるという<ref name="nakano">[[中野毅]]「戦後の政教問題と宗教の政治活動」『日本の宗教と政治 近現代130年の視座から』2001年、pp.171-184 ISBN 4-7923-3162-5</ref>。会長[[秋谷栄之助|秋谷]]の[[日本外国特派員協会]]での1995年(平成7年)の会見でもこの3点が強調された{{sfn|中野毅|2004|pp=185-187}}。 創価学会インタナショナルの Rie Tsumura によれば、創価学会の政治への関与は[[第二次世界大戦]]時に弾圧された経験をもとにした「主に防御的」("largely defensive")なものであった<ref name="scanlon">Charles Scanlon, [http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/797754.stm Risky alliance for Japan's ruling party]{{En icon}} BBC Thursday, 22 June, 2000, 11:37 GMT 12:37 UK</ref>。 政治学者の[[中北浩爾]]は、「公明党は、宗教団体の創価学会を支持母体として、一九六四年に結成された。[[自由民主党 (日本)|自民党]]が[[財界]]をスポンサーとしつつ[[村落|農村部]]に主な支持基盤を築いたのに対し、公明党は[[高度経済成長]]に伴って[[都市的地域|都市部]]に流入した比較的貧しい人々を組織化した。日本政治の中枢に位置した自民党とは違い、公明党は周辺から生まれ、成長していったのである。」とした<ref>中北浩爾「自公政権とは何か」ちくま新書、2019年</ref> 宗教社会学者の[[塚田穂高]]によれば、第二代会長[[戸田城聖]]は「[[国立戒壇]]」の建立を訴え、「[[王法]]と[[仏法]]が冥合すべきである」(「王仏冥合」)として政教一致的な理念を論じた{{sfn|塚田穂高|2015|pp=121-132}}。中野毅によれば、戸田の展開した王仏冥合論・国立戒壇論は[[政教分離原則]]に反するとの疑念を受けやすかったが、戸田に日蓮正宗[[国教]]化を目指す意図はなかったという{{sfn|中野毅|2004|pp=176-179}}{{sfn|中野毅|2004|pp=146-150}}。国立戒壇の建立は創価学会の政治進出における宗教的目的であり、世俗的な目的はあくまで「社会の繁栄と個人の幸福」を一致させることにあったと中野は指摘した{{sfn|中野毅|2004|pp=176-179}}。中野によれば、「国立戒壇」建立は戸田時代初期の創価学会の政治参加の目標の一つだったが、早い段階でそれは放棄された<ref name="nakano"/>。[[島田裕巳]]は、創価学会の政治への関心について戸田が1956年(昭和31年)に記した中での「本門の戒壇」への言及、池田の1959年(昭和34年)の「国立戒壇の建立と学会員の前途」という講演における「政治上に、本宗の正義を用いる」という発言に注目し{{sfn|島田裕巳|2004|pp=78-81}}、これらの表現は「実質的には日蓮正宗の国教化を意味」{{sfn|島田裕巳|2004|p=80}}{{sfn|島田裕巳|2004|pp=80-81}}していたのではないかと論じた。 戸田の下、創価学会は1956年(昭和31年)の[[第4回参議院議員通常選挙]]での[[白木義一郎]]・[[北条雋八]]擁立などを通して政治に進出した{{sfn|塚田穂高|2015|pp=121-132}}。第三代会長[[池田大作]]の時代に「国立戒壇」という言葉は「本門の戒壇」「民衆の戒壇」などに言い換えられ{{sfn|塚田穂高|2015|pp=135-141}}、「仏法民主主義」「世界民族主義」など普遍性のある用語が目立つようになり{{sfn|塚田穂高|2015|pp=135-141}}、「国立戒壇」は1964年(昭和39年)の公明党結党宣言にも盛り込まれなかった{{sfn|塚田穂高|2015|pp=135-141}}。創価学会批判の妨害や政教分離を巡る[[言論出版妨害事件|言論出版問題]]を受けて1970年(昭和45年)に創価学会は「国立戒壇論」放棄・「政教分離」を宣言し{{sfn|塚田穂高|2015|pp=141-145}}{{sfn|中野毅|2004|pp=150-154}}<ref name=terada2017/>、公明党綱領から「王仏冥合」などの宗教用語を削除して公明党の宗教色を薄めた{{sfn|塚田穂高|2015|pp=141-145}}{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|pp=180-190}}<ref name="terada2017">寺田喜朗 「[http://www.iisr.jp/P101-P125.pdf 日本会議と創価学会]」『現代宗教2017』2017年、p.101-125 ISSN 2188-4471</ref>。 創価学会・公明党は、公明党結成後の1960年代[[靖国神社国家護持法案]]反対・[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米安保条約]]改定反対など[[革新政党]]の立場にあった{{sfn|中野毅|2004|pp=150-154}}。中野毅によれば、このことが理由で創価学会は[[保守]]陣営から危険視された{{sfn|中野毅|2004|pp=150-154}}。島田裕巳は創価学会は「下層階級を組織化」{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}する点で左翼陣営と競合していたと指摘し{{sfn|島田裕巳|2004|pp=18-19}}{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}、創価学会が政界進出を始めた時点で創価学会は[[左翼]]陣営に批判されることはあったが保守陣営に批判されることはなかったと主張する{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}。初期の創価学会は大都市に流入した下層民を中心にしており<ref name="nakano2010"/>、学会員の圧倒的多数が[[社会階層]]の下層から[[中流階級|中間層]]の下に位置することは2010年(平成22年)に至るまで変わりがない<ref name="nakano2010">中野毅「[https://ci.nii.ac.jp/naid/110009490298 民衆宗教としての創価学会 社会層と国家との関係から]」[[「宗教と社会」学会]] 宗教と社会 (16), 111-142, 2010-06-05</ref>。 寺田喜朗によれば「創価学会の中央―地方組織(中央本部・方面本部・都道府県本部―総合本部・圏ゾーン・本部・支部・地区・ブロック)は、選挙の区割りに対応する形で編成されて」おり、「選挙は、会員間の結合を強化し、組織を引き締め、会員を切磋し、達成感・充実感を与え、創価学会への帰属意識を高める重要なモメント」であるという<ref name=terada2017/>。島田裕巳は、創価学会では選挙活動が一種のイベントとしての性格を持っており、選挙活動を共にしたことで親密になり、結婚にいたる創価学会員のカップルも少なくないとしている{{sfn|島田裕巳|2004|p=159}}。 === 政教分離の問題 === {{main|政教分離原則|公明党#創価学会との関係、政教分離問題}} [[宗教団体]]の[[政治]]活動の自由を制限したり禁止したりすることは、[[日本国憲法|憲法]]に定められた[[表現の自由]]や[[結社の自由]]を侵害するものであり、[[宗教]]を理由にした差別になる。よって、[[日本国憲法第20条|憲法20条]]に反しないと解釈される<ref>橋本公亘著『日本国憲法』改訂版、有斐閣</ref><ref>芦部信喜著『憲法学』、有斐閣</ref><ref>大阪日日新聞2008年7月8日付「コラム一刀両断 創価学会・公明党問題の真の論点」</ref>。 1970年(昭和45年)4月24日、[[民社党]]中央執行委員長[[春日一幸]]が「宗教団体が、議会政治機構を利用して政権を獲得することは、憲法の政教分離原則に反するのでは」と質した[[質問主意書]]を送付。政府は「宗教団体が推薦や支持をした者が公職に就任し、国政を担当しても、その宗教団体と国政を担当することとなった者とは法律的には別個の存在であり、([[日本国憲法第20条|憲法20条]]が禁じている)宗教団体が政治上の権力を行使することには当たらない」旨の答弁書を出した。 [[日本国政府|政府]]の見解は *「宗教団体が政治的活動をすることまで排除するという趣旨ではない。」[[大出峻郎]]・元[[最高裁判所裁判官|最高裁判所判事]]<ref>https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=113414446X00719951201&spkNum=96&current=7</ref> *「宗教団体と非常に密接な関係にある政党に属する公職の候補者が、その宗教団体の推薦、支持を受けて公職に就任し、国政を担当するに至る場合でも、その宗教団体と国政を担当する者とは法律的には別個の存在であります。(中略)宗教団体が政治上の権力を行使しているということにはならない。」[[大森政輔]]・[[裁判官]]、元[[内閣法制局長官]]<ref>https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=114505261X02119990715&spkNum=275&current=1</ref> *「宗教団体又は宗教団体が事実上支配する団体が政治的活動をすることをも排除する趣旨ではない。」[[宮崎礼壹]]・[[検察官]]、元内閣法制局長官<ref>https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=116815261X00220071016&spkNum=396&current=1</ref> *「宗教団体又は宗教団体が事実上支配する団体が、政治的活動をすることをも排除している趣旨であるとは考えていない。」[[佐藤栄作]]・元[[内閣総理大臣|総理大臣]]、[[日本の国会議員|衆議院議員]]<ref>https://kokkai.ndl.go.jp/#/detailPDF?minId=106305254X01519700402&page=26&spkNum=59&current=3 </ref> *「憲法の定める政教分離の原則は、信教の自由の保障を実質的なものにするため、国及びその機関が国権行使の場面において宗教に介入し、又は関与することを排除する趣旨であります。宗教法人の政治的活動を排除する趣旨でないと考えております。」[[麻生太郎]]・元総理、衆議院議員<ref>https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=117015254X00320081002&spkNum=3&current=1</ref> となっている。 その他、一部議員{{誰|date=2018-04}}により「[[政教一致]]」であるとの批判はたびたびなされている<ref name="san20071016" group="他">第168回国会 参議院 予算委員会 第2号』[[参議院]]、2007年(平成19年)10月16日([https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=116815261X00220071016 議事録])</ref>。 また内閣官房参与の飯島勲は2014年(平成26年)6月、「公明党と創価学会の関係は政教一致と騒がれてきたが,内閣法制局の発言の積み重ねで政教分離ということになっている。」と政府見解を説明したうえで、仮定の話として「法制局の発言,答弁が一気に変われば,『政教一致』が出てきてもおかしくない。」と発言した<ref>[http://news.yahoo.co.jp/pickup/6119401 公明・学会の「政教分離」見直しも=集団的自衛権でけん制―飯島内閣官房参与]</ref><ref name="『朝日新聞』2014年6月12日朝刊">『朝日新聞』2014年6月12日朝刊</ref>。しかし、直後に政府・与党は飯島の発言を否定。自民党の[[石破茂]][[自由民主党幹事長|幹事長]]は「[[内閣 (日本)|内閣]]を代表した形ではない。」と語り、[[菅義偉]][[内閣官房長官|官房長官]]は政教分離についての政府見解を維持するかと問われ、「まったくその通りだ。」と回答している<ref name="『朝日新聞』2014年6月12日朝刊"/>。宗教社会学者の弓山達也は、著書のなかで創価学会を例にあげながら「日本においては政教分離の原則があるが、宗教教団の政治への関与を禁じているわけではない。 むしろ、宗教教団が現世での幸福を願う限り、政治への関与は不可欠となり、特定の政治家を応援したり、宗教政党を結成して積極的に政界に進出したりすることは自然なことともいえよう。」と述べている<ref>『宗教社会学を学ぶ人のために』編著 井上順孝、世界思想社。該当箇所は弓山達也 [[東京工業大学]]リベラルアーツ研究教育院教授の執筆。187頁</ref>。 === 日本共産党との関係 === {{See also|宮本顕治宅盗聴事件|日本共産党と創価学会との合意についての協定}} 日本共産党と創価学会は支持層ないし支援対象が重なることなどから、1950年代以降、選挙活動において互いを非難しあうなど対立関係にあった{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000}}。 [[1969年]](昭和44年)12月2日には日本共産党機関紙の『[[しんぶん赤旗]]』が[[藤原弘達]]の『創価学会を斬る』の出版を創価学会・公明党が妨害したと報じ[[言論出版妨害事件]]が表面化した。『創価学会を斬る』は同年11月10日に発刊された。約1カ月後の12月27日に衆議院議員総選挙を控えていたため、大宅壮一は「選挙戦における秘密兵器の効果を狙ったと思われてもしかたのない時点で刊行されている。これは重大な問題である」<ref name="名前なし-20230316113228-3">『現代』1970年3月号、p.88</ref>と指摘。また、佐藤優は「共産党は『創価学会を斬る』を扇動の道具として最大限に活用」<ref>佐藤優『池田大作研究』朝日新聞出版、2020年、p.457</ref>したと言及している。 1970年(昭和45年)には[[日本共産党中央委員会幹部会委員長|日本共産党委員長]][[宮本顕治]]の自宅の[[電話回線]]を創価学会の学生部幹部数名が盗聴し、逮捕者も出た。 その後1974年(昭和49年)12月、向こう10年間の「相互不干渉」と「共存」をうたう「創共協定」を両者で締結した<ref name="syndicatetositeno" /> が、[[自公連立政権]]の誕生後は対立が再燃し、しんぶん赤旗が「公明党と創価学会 『政教一体』で『悪政戦犯』の役割」と題した記事で、創価学会首脳が選挙戦で陣頭指揮を執り[[聖教新聞]]に会員を鼓舞する記事が掲載されるなどと批判したり<ref group="批" name="akahata20070604">{{Cite news|date = 2007-06-04|newspaper = しんぶん赤旗|title = 公明党と創価学会 「政教一体」で「悪政戦犯」の役割|url = http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-06-04/2007060425_01_0.html|accessdate = 2016-01-31}}</ref>、入信強要問題を取り上げる<ref group="批" name="akahata20070823">[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-23/2007082315_01_0.html 『しんぶん赤旗』創価学会入らぬなら昇給差別朝礼で聖教新聞読み合わせ40人突然解雇の内装会社]</ref> などしている。 === 自由民主党との関係 === {{main|憲法20条を考える会|政教分離を貫く会|反創価学会キャンペーン|}} [[自由民主党 (日本)|自民党]]とは自民党結党以降2代会長戸田城聖と自民党で総裁を務めた[[岸信介]]が友好関係にあり、岸の娘婿[[安倍晋太郎]]が岸の名代として大石寺の大講堂の完成式典に列席し祝辞を述べた。また創価学会が起こした[[言論出版妨害事件]]では公明党中央執行委員長・竹入義勝が自民党幹事長・田中角栄に事態の収拾を依頼、その後自民党[[木曜クラブ|田中派]]・[[平成研究会|竹下派]]と公明党創価学会は親密、親交を深めていき田中の愛弟子[[小沢一郎]]が1993年に自民党を離党すると公明党幹部の[[市川雄一]]が小沢に接触、後に「[[ワン・ワン・ライス]]」となぞらえられた連携を見せ公明党が[[非自民|非自民党政権]]の[[細川連立政権]]に参加、創価学会も全面的に協力した。この動きを見た自民党は、1993年(平成5年)に同党所属の有志議員が[[憲法20条を考える会]]を結成(会長は[[亀井静香]])、「公明党と創価学会の政教分離問題を追及する」を旗頭に創価学会・公明党・[[細川内閣|細川連立政権]]に攻勢をかけた。 1994年(平成6年)5月には公明党および創価学会に批判的な[[宗教団体]]や有識者からなる[[四月会]]の結成に同党所属の[[河野洋平]]が参加{{Refnest|group="注"|自民党以外に[[村山富市]]([[日本社会党|社会党]])・[[武村正義]]([[新党さきがけ]])らも参加している。}}、自民党は長年の宿敵であった社会党と手を組み、政権を奪取すると、同年10月、同党の[[川崎二郎]]が[[衆議院]][[予算委員会]]で[[日蓮正宗住職交通事故死事件]]を取り上げた<ref>{{Cite web|和書|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=113105261X00119941011|title=第131回国会 予算委員会 第1号|accessdate=2016-10-01}}</ref>。 1995年(平成7年)11月の衆議院宗教法人に関する特別委員会では同党所属の衆議院議員[[熊代昭彦]]が創価学会について「我々が内々にいろいろ聞いたところでは、不動産資産9兆円、流動資産1兆円というような堂々たるお力を持っておられるようなことでございますが……」と発言したほか、[[穂積良行]]が[[朝木明代市議転落死事件]]と創価学会の関係について質問した<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=113404445X00519951107 衆議院会議録情報 第134回国会 宗教法人に関する特別委員会 第5号]</ref>。 1996年(平成8年)には党の運動方針に「いま、わが国の政治にとって最も憂うべきは、宗教団体・創価学会が新進党という政党の皮をかぶって国民を欺き、政治の権力を握ろうと画策していること」というスローガンが存在したがこれは前年に行われた参議院選挙で自民党が新進党に敗北したことから来る衆議院選挙で勝利し政権維持を目的としたものである。同年週刊誌に掲載された「池田大作レイプ事件」の内容を党の機関紙『自由新報』へ引用、[[内藤国夫]]、[[俵孝太郎]]が「シリーズ新進党=創価学会ウオッチング」と題し「池田大作と金の問題」や「池田大作レイプ問題」を数回掲載した一方、衆議院選挙で勝利し政権維持を目的を達成した後は自由民主党竹下派を中心に公明党との連立を模索する動きも出ていた。1998年(平成10年)4月、[[自由民主党総裁|自民党総裁]]で[[内閣総理大臣|首相]]の[[橋本龍太郎]]が(創価学会の抗議に応じて)『自由新報』の「池田大作レイプ問題」について事実ではなかったと謝罪した。自由新報は現在廃刊されている。これら一連の動きは自民党による[[反創価学会キャンペーン]]として大々的に行われた。 === 提言 === ==== 原水爆禁止宣言 ==== {{see also|原水爆禁止宣言}} 1957年(昭和32年)9月8日、第2代会長[[戸田城聖]]が創価学会第4回東日本青年部体育大会「若人の祭典」で核兵器の使用禁止を訴える宣言、いわゆる「原水爆禁止宣言」を行った。 戸田はこの宣言を遺訓として会員たちに託し、以後、創価学会が行っている、戦争体験者の証言を集めて出版する「反戦出版」や、[[反核運動|反核]]・平和運動活動の淵源となったとされている<ref group="他">[https://www.sokanet.jp/recommend/201708-gensuikin60/ 核兵器なき世界への挑戦|創価学会公式サイト]</ref>。 ==== 日中国交正常化 ==== {{see also|日中国交正常化}} 1968年(昭和43年)9月8日、池田大作は東京・[[両国 (東京都)|両国]]の[[両国国技館#日本大学講堂|日大講堂]]で行われた学生部幹部会の席上、「日中国交正常化提言」を発表した<ref>『扉はふたたび開かれる 検証 日中友好と創価学会』p28(時事通信出版局編 監修・編著 信太謙三 時事通信社刊)</ref>。 創価学会の出版機関[[第三文明社]]は日中が国交正常化にこぎつけることができたのは、日本では、通産大臣や初代経済企画庁長官などを歴任した[[高碕達之助]]、厚生、農林、文部の各大臣を歴任した[[松村謙三]]、首相を務めた[[田中角栄]]と[[大平正芳]]、創価学会会長(現名誉会長)の池田大作、中国側では、最高指導者(中国共産党主席)の[[毛沢東]]、日本留学の経験をもつ首相の[[周恩来]]、[[早稲田大学]]で学んだ政治家の[[廖承志]]、中日友好協会会長を務めた[[孫平化]]ら、日中双方の政治家や各界指導者たち、そしてさまざまな民間人や諸団体の忍耐強い努力があったからにほかならないとまとめている<ref>[http://www.d3b.jp/npcolumn/5542 国交正常化の原点を丹念に見直す―書評『扉はふたたび開かれる 検証日中友好と創価学会』第三文明社WEBサイトより]</ref>。 ==== 「SGIの日」記念提言 ==== 1975年1月26日に[[創価学会インタナショナル|SGI(創価学会インタナショナル)]]が創設されたことにちなんで創価学会が定めた、毎年1月26日の「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、池田がSGI会長の名義で発表してきた平和提言が、1983年以来毎年[[聖教新聞]]上で発表されており、2022年の提言で40回目となっている<ref>{{Cite web|和書|title=記念提言を発表 創価学会池田名誉会長(十勝毎日新聞) |url=https://kachimai.jp/article/index.php?no=552738 |website=十勝毎日新聞電子版 |access-date=2022-07-28}}</ref>。2022年の提言では、2023年に日本で開催される[[先進国首脳会議|主要7カ国首脳会議]]([[G7]]サミット)に合わせ「核兵器の役割低減に関する首脳級会合」を広島で催すよう提案した。また、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス]]の感染拡大を受け、感染症対策を巡る国際協力を強化する国際ルールの早期制定を呼びかけた<ref>{{Cite web|和書|title=「広島サミット」、核の協議を 創価学会名誉会長が提言 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA25BQR0V20C22A1000000/ |website=日本経済新聞 |date=2022-01-25 |access-date=2022-07-28 |language=ja}}</ref>。 なお、2023年はSGIの日記念提言は発表されず、後述の緊急提言2本がこれに代わって発表された。 ===== ウクライナ危機と核問題に関する緊急提言 ===== 2023年1月11日、池田は[[2022年ロシアによるウクライナ侵攻|ロシアによるウクライナ侵攻]]の早期終結に向けた緊急提言を発表し、国連の仲介によって主要国の外相会合を早急に開催し、停戦合意を図るよう呼びかけた。また、[[核兵器]]で攻撃されない限り自国は核兵器を使わない「核兵器の先制不使用」について、核保有国に誓約を求めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230110-OYT1T50182/|title=創価学会の池田大作名誉会長、ウクライナ侵略の早期終結に向け緊急提言|publisher=読売新聞|date=2023-1-10|access-date=2023-04-25}}</ref>。 ===== G7広島サミットに向けての提言 ===== 2023年4月27日、池田は5月に開催予定の[[第49回先進国首脳会議|G7広島サミット]]に向けた提言を発表し、核兵器の使用や威嚇は許されないというメッセージを力強く発信するよう求めた。また、[[ウクライナ]]侵攻の早期終結を目指し、重要インフラや民間施設への攻撃の即時停止を実現したうえで、戦闘の全面停止に向けた交渉を、医師や教育者など市民の代表がオブザーバー参加する形で行うことを提案した。同提言はNHKでも報道された<ref>{{cite news|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230427/k10014050901000.html|title=創価学会 池田大作名誉会長 G7広島サミットに向け提言発表|publisher=NHKNEWSWEB|date=2023-4-27|accessdate=2023-4-28|archiveurl=https://archive.is/nNkjY|archivedate=2023-4-28}}</ref>。 === 一部の学会員の政府・与党への抗議運動 === 創価学会アニュアルレポートによれば、創価学会は1994年11月10日の第35回総務会で政治に対する基本的見解を発表しており、そこには「学会員個人個人の政党支持は、自由であることを再確認しておきたい」と記されている<ref>[https://www.sokagakkai.jp/assets/pdf/annual_report2022.pdf 創価学会アニュアルレポート]</ref>。 2015年以降には、自民党が進めた[[平和安全法制]](安保法案)に賛成した与党の公明党の動きは[[平和運動|反戦平和]]を掲げる創価学会の本来の教義に反するとして、一部の学会員らは抗議運動を行っている。 2015年には与党側の安保法案に反対する創価大学と創価女子短期大学の関係者が「安全保障関連法案に反対する創価大学・創価女子短期大学関係者 有志の会」を立ち上げて、署名活動などを行った。呼びかけ人の一人は創価大学通信教育部非常勤講師(当時、現在は退職)の佐野潤一郎<ref>[https://ideanews.jp/archives/7876 創価大学関係者が安保法案反対の署名活動をする理由、佐野潤一郎さんに聞く 2015年8月24日 ]アイディアニュース</ref><ref>[https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162742 安保法案反対で署名活動…創価大教員も「違憲の疑いがある」 2015/08/14 ](日刊ゲンダイデジタル)</ref>。2016年5月のTwitter(当時)の投稿を最後に現在は活動を行っていない<ref>https://twitter.com/sokauniv_nowar/status/732328279378558976</ref>。政府与党の進める安保法案の廃止を求めるデモには、創価学会の三色旗がはためく姿も見られた<ref>[[週刊朝日 2015年8月14日号]]</ref>。沖縄では[[辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議]]が推薦する[[玉城デニー]]の支援を行い、三色旗を掲げる一部の学会員の姿も見られた<ref>[https://ryukyushimpo.jp/news/entry-813136.html 玉城デニー陣営で創価学会の三色旗を振った男性、孫思う自民党支持者の思い 沖縄県知事選 2018年10月03日]([[琉球新報]])</ref>。 なお、安保法案について、作家の佐藤優氏は、集団的自衛権行使を容認したことで「海外の戦争に日本(自衛隊)が参加できる契機になった」との受け止めがあるようだが、これは、むしろ「集団的自衛権行使による自衛隊の海外派兵は遠のいた」ということである<ref>佐藤優『創価学会と平和主義』(朝日新聞出版2014年10月)ISBN 978-4022735829 </ref>との見解を述べている。 == マスメディアとの関係 == [[機関紙#組織の種類|機関紙]]である[[聖教新聞]]などは、「無冠の友」と呼ばれる会員の有志<ref group="注">「無冠の友」への参加は任意。販売店から委託を受けて聖教新聞などの配達を行い、配達実績に応じた手数料が販売店から支払われる。</ref> による全国的な宅配網が整備されており、一般紙と同じく日刊で全国に配達されている。[[聖教新聞社]]は自前の印刷所を持たず、全国紙の系列の印刷会社や複数の[[地方紙]]に聖教新聞の印刷を委託している。 地方紙としては印刷所の輪転機を遊ばせておく時間を減らせる上に、印刷代金を確保できる貴重な収入源として、聖教新聞社(=学会)としては自社で全国に高速輪転印刷機の設備を維持せずに全国津々浦々に日刊で新聞を届ける事ができるという風に、両者の利害が一致している。また、全国紙でも[[毎日新聞社]]や[[読売新聞社]]は聖教新聞の印刷を傘下の印刷会社で受託しており<ref>『[[週刊ダイヤモンド]]』2004年8月9日号</ref>、読売新聞社は[[2020年]](令和2年)[[5月1日]]から[[茨城県]]での聖教新聞などの配達業務を受託するまでになった<ref name = shincho20200428-1>{{Cite web|和書|url=https://www.dailyshincho.jp/article/2020/04280557/?all=1|title= 聖教新聞の配達を読売新聞が担当することになったワケ 学会と読売に聞くと…|author= |date=2020-4-28 |work= |publisher=デイリー新潮 |accessdate=2020-4-30}}</ref>。聖教新聞社(=学会)側には「無冠の友」の人手不足や学会員の高齢化が、読売新聞社には部数減に歯止めがかからない中、全国に整備した販売店の存続という課題が背景にあるといわれている。また、毎日新聞では池田の寄稿を掲載したり、系列の出版社からは池田の著作が出版されたりしている。このことについて、週刊誌「デイリー新潮」では、「ある全国紙記者」の発言として、「いまや毎日にとって学会は、ぞんざいに扱うことができない大口顧客であり、学会に関する批判的な記事など書けるはずもありません」「550万部という大口顧客に読売が牙を剥くことは、不可能に等しい」と記している<ref name = shincho20200428-1>{{Cite web|和書|url=https://www.dailyshincho.jp/article/2020/04280557/?all=1|title= 聖教新聞の配達を読売新聞が担当することになったワケ 学会と読売に聞くと…|author= |date=2020-4-28 |work= |publisher=デイリー新潮 |accessdate=2020-4-30}}</ref>。     {{see also|聖教新聞#印刷|聖教新聞#配達}} 創価学会には[[聖教新聞社]](『グラフSGI』)を始め、[[潮出版社]](『潮』、『pumpkin』)・[[第三文明社]](『[[第三文明]]』、『灯台』)などの系列出版社がある。 また、全国・地方を問わず[[ラジオ局]]への番組提供は複数ある(下記参照)。[[テレビジョン放送局|テレビ局]]では地方局や[[全国独立UHF放送協議会|独立局]]を中心に池田原作の[[アニメ]]や広報番組が放映されているほか、在京[[キー局]]などで[[聖教新聞#広告出稿|聖教新聞のCMが放送されている]]。ただ、[[ジェイウェーブ|J-WAVE]]、[[関西テレビ]]、[[テレビ熊本]]のように、[[公明党]]のCMおよび政見放送と[[#団体|当学会系列の]][[学校法人|学校教育機関]]([[学校法人創価大学|創価大学]]、[[学校法人創価学園|創価学園]])のCMを除き、創価学会関連組織([[聖教新聞社|聖教新聞]]を含む)のCMの出稿(放送)の一切を受け入れない放送事業者もある<ref>かつては、[[TBSテレビ]]、[[毎日放送]]([[毎日放送|同局]]は[[MBSラジオ|ラジオ]]、[[MBSテレビ|テレビ]]ともに)も、創価学会および聖教新聞からの出稿の受け付けを認めていなかった時期が存在したが、[[TBSテレビ|TBS]]、[[毎日放送]]([[毎日放送|同局]]は[[MBSラジオ|ラジオ]]、[[MBSテレビ|テレビ]]ともに)でも創価学会(聖教新聞を含む)からのCMの出稿(放送)受け入れの一切を解禁(毎日放送においては、[[河内一友#創価学会との取引再開|段階的な再開]]という形で)するようになった。また、国政選挙運動期間中の[[公明党]]のCMおよび政見放送に関しては法解釈上、選挙公報と同等の扱いを受けるため、放送局の都合で断ることができないため、かつて創価学会(聖教新聞を含む)のCMの出稿(放映)を受け入れていなかった放送事業者([[TBSテレビ#特色|TBSテレビ]]、[[毎日放送]])はもちろんのこと、現在も創価学会(聖教新聞を含む)のCMの出稿(放送)を受け入れない放送事業者([[J-WAVE#特徴|ジェイウェイブ]]、[[関西テレビ放送#ローカル編成|関西テレビ]]、[[テレビ熊本#補足|テレビ熊本]])でも、[[公明党|同党]]のCMおよび政見放送の出稿受け付けは認めている。</ref>。{{see also|聖教新聞#広告出稿|J-WAVE#特徴|関西テレビ放送#その他|テレビ熊本#補足|TBSテレビ#特色|毎日放送#その他|河内一友#創価学会との取引再開|}} === スポンサー提供番組 === * 知りたい!SDGs([[BSフジ]]) * [[明日へのエール〜ことばにのせて〜]]([[TBSラジオ]]) * [[ココロのオンガク 〜music for you〜]]([[文化放送]]) * [[スポーツ伝説]]([[ニッポン放送]]及びNRNネットワーク) * HOKKAIDO [[SDGs]] STATION([[HBCラジオ]]、「[[グッチーのGood Friday!]]」内16時台後半) * [[世界のあこがれ〜北海道ブランド〜]]([[エフエム北海道|AIR-G’]]) * ヒューマントーク〜あの日あの時([[アール・エフ・ラジオ日本]]) * [[徳川家のセーフティドライブ日記]]([[CBCラジオ]]) * ハートフルメッセージ([[エフエム長野]]、アール・エフ・ラジオ日本) * ほっとココロ765・ほっとココロSATURDAY・ほっとココロSUNDAY([[FM COCOLO]]) * 交通情報([[エフエム山口]])…ただし、半クールごとにスポンサーありとスポンサーなしを繰り返している * ヒューマン ストリート([[エフエム福岡]]・[[エフエム長崎]]・[[エフエム大分]]) * WITH~手をつなごう支えあおう~([[RNCラジオ]]) === 過去にスポンサーとして提供していた番組 === * [[あなたへモーニングコール]](TBSラジオ) * [[ミュージックギフト〜音楽・地球号]](文化放送) * [[世界名曲大全集]]([[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]) * [[ごきげんサンデー・ミュージック]]([[MBSラジオ]]) * [[ほっかいどう宝島 2013|ほっかいどう宝島]](AIR-G’) * ほっかいどう元気びと(HBCラジオ) * [[ほっかいどう百年物語]]([[STVラジオ]]) * [[RADIO BREAKERS]]<ref group="注">月曜 - 木曜の22時台は『[[SCHOOL OF LOCK!]]』([[エフエム東京|TOKYO FM]]をキーステーションに[[全国FM放送協議会|JFN]]系)内で放送していた。</ref>([[エフエム大阪]]) == 創価学会が起こした社会問題 == === 言論出版妨害事件 === {{main|言論出版妨害事件}} 1960年代末から1970年代にかけて、創価学会と公明党が会長の池田大作や自らに批判的な書籍の出版、流通を阻止するため、学会員や公明党党員が著者・流通業者・取次店・書店に、脅迫や圧力をかけて出版を妨害したり、出版前の原稿に自らの主張を織り込むよう要求した問題。 [[公明党]]が結成され衆議院で議席を獲得しはじめると、創価学会批判の書物が発表されることが増えた{{sfn|島田裕巳|2004|pp=95-96}}。1969年(昭和44年)の[[藤原弘達]]の『創価学会を斬る』をはじめとする様々な批判本に対して創価学会から圧力がかけられていることが明らかとなり、池田は1970年(昭和45年)5月に一連の妨害行為に対し謝罪した{{sfn|島田裕巳|2004|pp=95-96}}。この件は[[日本共産党]]の[[不破哲三]]も1970年国会での質問で取り上げた<ref>第63回国会[[衆議院]] [[予算委員会]] 第17号 [[1970年]](昭和45年)3月20日([https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=106305261X01719700320 議事録])不破委員「日本共産党を代表しまして、私は、出版妨害問題について」以下の発言</ref>。 『創価学会を斬る』の出版については、評論家の大宅壮一は「『創価学会を斬る』という表現を用いていることは、明らかに初めから創価学会への挑戦」「奥付の発行日が昭和四十四年十一月十日ということは、衆議員総選挙まであと一ケ月と十八日、選挙戦における秘密兵器の効果を狙ったと思われてもしかたのない時点で刊行されている。これは重大な問題である」<ref name="名前なし-20230316113228-3"/>と指摘している。 これらの行為が、[[日本国憲法]]に保障された、言論の自由および出版の自由を侵害するものだとして、国会で取り上げられたが、当初、公明党はNHKの公開討論で「これらは全て嘘、デタラメである」と主張した。しかし、国会に招致された出版社や取次店などの証言により、創価学会・公明党が事件に関与していたことが明らかになるとマスメディアから激しい社会的批判にさらされると共に、創価学会・公明党の密接な関係や当時、公明党が創価学会の内部局として存在し、国会や地方議員を務めた人間が再び学会幹部として組織に戻るなど公明党が組織として独立していなかったことが、政教分離の観点から問題視された。 1970年(昭和45年)、池田大作が「言論妨害の意図はなかった」としながらも、妨害行為に対し公式に謝罪、公明党を創価学会から切り離し組織として完全に独立させるなど、創価学会・公明党の問題点を改善することを公約した。しかし後年、池田の著書「[[人間革命|新・人間革命]]」では「衆院選前に、藤沢達造(藤原弘達の仮名)の本とともに、学会の批判本が次々と出されたのだ。暗黒の嵐が吹き荒れ、伸一(池田の仮名)を倒さんとする、攻撃の毒矢が放たれたのであった。」と掲載<ref group="SG">『新・人間革命』(第14巻「烈風」の章)</ref>。「週刊新潮」と不破哲三は、年月が経ったことに乗じて、歴史を改竄するものだと批判した<ref>「歴史改竄で故人藤原弘達まで鞭打つ創価学会」(『[[週刊新潮]]』 2006年4月13日号)</ref><ref name="red20010722" group="批">「[http://www.jcp.or.jp/tokusyu/enzetu-fuwa-shii/2001_7_22fuwa_souka_ikeda.html 創価学会・池田大作氏に問う31年前の「猛省」は世をあざむく虚言だったのか]」[[不破哲三]](『しんぶん赤旗』 2001年7月22日付)</ref>。 === 選挙における不正投票、不正行為、問題行動=== {{See also|大阪事件 (創価学会)|新宿替え玉事件|練馬区投票所襲撃事件}} * 1957年(昭和32年)4月に[[参議院]][[大阪府選挙区|大阪地方区]]の[[補欠選挙]]が施行された際、創価学会員が大阪[[あいりん地区]]に住む[[日雇い|日雇い労働者]]達に候補者名の氏名の入ったタバコや現金を渡したとして創価学会員ら47名が[[公職選挙法]]違反で逮捕された。[[裁判#日本における裁判|裁判]]では[[小泉隆]]、池田大作は無罪、45名に有罪判決が下され、有罪となった会員45名は戸田会長の名で会員除名処分を受けた。 * 1968年(昭和43年)に行われた[[第8回参議院議員通常選挙]]で不正行為([[投票所入場券]]の窃盗、替え玉投票など)を行い、創価学会員34名が[[逮捕|検挙]]された。 * 1969年(昭和44年)には投票受付時間終了後に投票所を訪れた学会員の対応を巡り暴徒と化した学会員が投票所を襲撃、投票所内にいた選挙立合人数名に暴行を加え逮捕者を出した。この襲撃事件は共産党選出の国会議員が公職選挙法改正に関する特別委員会の場で明らかにし、[[自治省]]に対処を求めている。 === 学会員が起こした犯罪、問題行動=== 学会員が起こした犯罪や社会問題で[[日本の裁判所|裁判所]]が創価学会の組織的関与認めた事案として[[大阪事件]]<ref>山崎正友著『懺悔の告発』より</ref> といった選挙違反、[[コーヒーカップ裁判]]<ref>1998年10月7日、最高裁第3小法廷判決文参照</ref>[[宮本顕治宅盗聴事件]]<ref>[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-03-11/0311faq.html 2004年3月11日(木)「しんぶん赤旗」]</ref> といった反目する団体への誹謗中傷行動、[[手帳強奪事件]]<ref>2009年3月27日東京高裁判決文参照</ref><ref>週刊現代 2009年4月18日号『特集・創価学会・公明党が指令した「手帳強奪」事件の真相』</ref> のように学会と袂を分かった元学会幹部への違法行為が挙げられる。かつて犯罪を起こし逮捕された学会幹部を除名せず、その幹部が数年後再び刑事事件を起こし学会幹部として逮捕されたこともあり組織として学会の体質が批判されたケースも存在した<ref>『日刊ゲンダイ』2004年2月27日付1面 - 2面</ref>。 === セクト問題、諸外国での騒動 === ==== フランス ==== 1995年12月に[[フランス]]の下院([[国民議会 (フランス)|フランス国民議会]])で採択された報告書には、「[[セクト]](カルト)の行動の特徴」を判定する指針が載せられている<ref name="date143">{{Cite book|和書|author=伊達聖伸|authorlink=伊達聖伸|chapter=フランスのライシテとセクト規制|editor=[[島薗進]]|title=政治と宗教―統一教会問題と危機に直面する公共空間―|publisher=[[岩波書店]]|series=[[岩波新書]]|isbn=978-4-00-431957-3|date=2023-01-20|page=143}}</ref><ref name="tanaka123">{{Cite journal|和書|author=田中浩喜|title=フランスのセクト論争―セクト論争への社会学的アプローチ―|url=https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/30383|year=2015|journal=東京大学宗教学年報ⅩⅩⅩⅢ|page=123}}</ref>。この報告書は、報告者の名前を取って『ギュイヤール報告書』と呼ばれる<ref name="date143"/><ref name="tanaka123"/>。 「①精神の不安定化②法外な金銭的要求③住み慣れた生活環境からの断絶④肉体的保全の損傷⑤子供の囲い込み⑥反社会的な言説⑦公秩序の攪乱⑧裁判沙汰の多さ⑨従来の経済回路からの逸脱⑩公権力への浸透の試み」を「セクト構成要件の10項目」として列挙し、このうち1項目でも該当するものがあればその団体をフランス政府はセクトとみなしている<ref>[[古川利明]] 『カルトとしての創価学会=[[池田大作]]』([[第三書館]] 2000年11月) ISBN 978-4807400171</ref>。 リストアップされたのは創価学会を含む全部で174の宗教、宗教団体であった。 * [[国民議会 (フランス)|フランス国民議会]]カルトに関する議会委員会(1995年)<ref group="他">[http://www.assemblee-nationale.fr/rap-enq/r2468.asp フランス語の報告1995年] ([http://cftf.com/french/Les_Sectes_en_France/cults.html 英語の翻訳]), [[国民議会 (フランス)|フランス国民議会]], 議会委員会報告</ref> :[[フランス国家警察]]の[[情報機関]]総合情報局が、UNADFI(カルトの被害者と家族を守る協会の全国連合)など、複数のカルト監視グループと編集 * [[国民議会 (フランス)|フランス国民議会]]カルトの財務、所有物、収益、同様にそれらの経済活動、経済・金融の関わりに関する公聴委員会報告(1999年)<ref name="france1999" group="他">{{cite web|url= http://www.assemblee-nationale.fr/dossiers/sectes/sommaire.asp|title= Les sectes et l'argent|accessdate= 2009-04-20|author= フランス国民議会|authorlink= フランス国民議会|coauthors= |date= 1999-06-10|publisher= フランス共和国|language= フランス語|quote= enquête sur la situation financière, patrimoniale et fiscale des sectes, ainsi que sur leurs activités économiques et leurs relations avec les milieux économiques et financiers[(和訳)カルトの財務、所有物、収益、同様にそれらの経済活動、経済・金融の関わりに関する公聴]}}</ref> :カルトと金銭に関するフランス議会報告、30数団体に注意を集中させ調査した。 {{main|反セクト法}} [[第三文明社|WEB第三文明]]によれば、[[2011年]]9月、[[フランス]]の新聞『[[ル・モンド]]』の月刊誌「Le Monde DES RELIGIONS」に『創価学会、自己の内なるブッダ』と題するルポルタージュが掲載され、創価学会の歴史や活動が詳しく報じられた。ここでは、創価学会が日蓮正宗と絶縁した理由について「創価学会の[[プラグマティズム]]、およびその在家による現代世界を中心に捉える方向性は、日蓮正宗の聖職者集団による[[教条主義]]的宗教観とはもはやできなくなったからである。」と解説した。また、[[1983年]]に[[国会 (フランス)|フランス国会]]に提出された「アラン・ヴィヴィアン報告書」を挙げ、創価学会を[[セクト]]扱いしていた背景についても解説し、首長直属機関であるセクト逸脱行為監視取締り関係省庁委員長ジョルジュ・フネックによる「ここ5年以上に渡りSGIフランスに関して、我々はセクト逸脱行為の通報を一切受けてない。運動体(SGIフランス)は[[礼拝]]、[[文化]]、[[商業|商業活動]]を区別し、フランスにおいてはまったく問題を提起しない。」とのコメントを紹介している<ref group="SG">[http://www.d3b.jp/media/296 WEB第三文明:仏『ル・モンド』の月刊誌がフランスの創価学会のルポを掲載――その意義と背景]</ref>。 なお、2020年、セクト的逸脱行為関係省庁警戒対策本部 (MIVILUDES)が3008件<ref> https://ksm.fr/archives/591413 </ref>の通報を受けたうち、創価学会に関するものが10件あった。<ref> FORUM21 通巻321号 2022年10月号8・9・11頁</ref>これらの「通報」というのは、特定の不正行為に関する「報告」ではなく、フランスの行政機関の他の省庁や一般市民からの簡単なコメントや質問も含まれているという。また、MIVILUDESに「通報」を送る人たちが実在する人物か、真実を語っているかどうかは確認されておらず、「通報」の数は、何か好ましくない事柄で誰かが「カルト」を訴えた件数とは一致しないことをMIVILUDES自体が認めている<ref> [https://bitterwinter.org/%E3%80%8Cmiviludes%E3%80%8D2022%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8-%E3%81%9A%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%95%E3%81%8B%E3%82%89%E8%AA%B9%E8%AC%97%E4%B8%AD%E5%82%B7%E3%81%B8/ BITTER WINTER 「MIVILUDES」2022年度報告書: ずさんさから誹謗中傷へ]</ref>。 国会の調査委員会は証人喚問ができ、証人は宣誓をし、偽証罪も適用される。「セクトと子供」調査時のMIVILUDEルレ本部長は次の証言をしている。 「セクト的組織は多くの分野にいます。最近私達は創価学会の雑誌の中で小学校の教員が『師』からうけた教えを子供たちとのコミュニケーションの中で実践していると自画自賛するのを読みました。唖然としてしまいました」(報告書付録証言集)在仏ジャーナリストの広岡裕児はMIVILUDESルレ本部長の当証言について「子供の囲い込みに通じ、創価学会が常に警戒の対象となっているという何よりの証拠である」と論評している。<ref> FORUM21 通巻321号 2022年10月号8・9・11頁</ref> ==== ベルギー ==== [[ベルギー]]では、創価学会(SGI)が複数の未成年者を勧誘したことが発覚し社会問題となる、1997年、[[連邦議会 (ベルギー)|ベルギー連邦議会]]調査委員会は未成年者保護のため創価学会(SGI)をセクト的な活動を行う団体にリストアップし未成年者への勧誘、入会を禁止した<ref name="belgium1997">''Enquête Parlementaire visant à élaborer une politique en vue de lutter contre les practiques illégales des sectes et le danger qu'elles représentent pour la société et pour les personnes, particulièrement les mineurs d'âge. Rapport fait au nom de la Commission d'enquête par MM. Duquesne et Willems. Partie II.''[(和訳)[[カルト]]の不法行為、社会や人々、特に未成年者にとっての危険と戦うことを目的とした政策を説明する議会公聴。ドゥケイン氏、ウィレム氏による委員会での公聴、の名称での報告 パート2] {{PDFlink|[http://www.dekamer.be/FLWB/pdf/49/0313/49K0313008.pdf 報告書]}} -- フランス語と[[フラマン語]]のニ言語報告, retrieved 2007-01-08.</ref>。 ==== ドイツ ==== 1980年代から90年代にかけて、日本に留学していた複数の[[ドイツ]]人が創価学会の総会で[[池田大作]]が右手(実際は右の拳)を高くつきだし、それに呼応して参加者たちが一斉に右手を突きだした光景を目撃したことから「創価学会は[[ナチス式敬礼]]を行う危険な団体」<ref>Frankfurter Allgemeine Zeitung 1992年7月16日号</ref> などといった誤った風潮がドイツ国内に伝わる。その後1996年、創価学会インタナショナル(SGI)等を新宗教と精神世界グループの一団体としてリストアップした<ref>[http://www.agpf.de/Bundestags-Drucksache-13-4132.htm Bundestags-Drucksache 13/4132: Antwort der Bundesregierung auf die Kleine Anfrage Drucksache 13/3712 (1.Welche Gruppierungen zählt die Bundesregierung zu den sog. Jugendsekten oder Psychogruppen, und welche dieser Gruppierungen treten z.Z. verstärkt in Deutschland in Erscheinung?)] AGPF(Aktion für Geistige und Psychische Freiheit; 精神的・心理的自由のためのアクション) 1996年3月15日 2009-9-19閲覧 "ドイツ連邦政府はすべての州と協力し、パンフレット"'''ドイツ連邦共和国のいわゆる若いカルトと精神異常グループ'''"を作成した。以下のグループ、団体を含む:"(''Die Bundesregierung hat in Kooperation mit allen Bundesländern den Entwurf einer Informationsbroschüre '''»Sogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschland«''' erarbeitet, in den u. a. die nachfolgenden Gruppierungen und Organisationen aufgenommen wurden:''" "...'''サイエントロジー団体'''(創設者ロン・ハバートが純粋な経済志向と共に精神カルト性を少なくした), '''創価学会''' (仏教 »改革運動«),'''[[セレマ]]団''' (新[[悪魔崇拝]]協会), ..."(''...'''Scientology-Organisation''' (auf ihren Gründer L. Ron Hubbard zurückgehender Psychokult mit ausschließlich wirtschaftlicher Orientierung), '''Soka Gakkai''' (Buddhistische »Reformbewegung«), '''Thelema-Orden''' (Neosatanistische Vereinigung),...'')</ref>。 ==== イギリス ==== [[イギリス]]の経済紙『[[エコノミスト]]』1999年7月3日号で「創価学会は(日蓮正宗[大石寺]が創価学会との結び付きを断ち池田氏を破門したことによって)主な目的を失った現在、世界中で行っているよい仕事の成果を強調するようになった。さらに創価学会は富裕になって以降初期の目標を失ったその他多くの組織と同様に、批判者を脅迫、主流[[マスメディア|マスコミ]]を脅して黙らせるという容赦なさでその利害を守っている。」と批判した。 ==== イタリア ==== 2015年6月27日、[[イタリア|イタリア共和国]]政府とイタリアSGI(イタリア創価学会仏教協会)との間に、インテーサ(宗教協約)が調印され、調印式が[[フィレンツェ]]のイタリア文化会館で厳粛に執り行われた。しかし、式典に池田大作が出席せず代理人をたてたことからイタリアの大衆紙「Corriere della Sera」は「Nessuna cerimonia di vincitori(受賞者なき授賞式)」、「Governo ha dato lui la medaglia di fantasmi(幽霊に勲章を授けた)」などの批判記事を掲載した。 ==== 韓国 ==== [[大韓民国|韓国]]SGIに関連した批判が下記のようにある。 *1997年(平成9年)に行われた[[1997年大韓民国大統領選挙|韓国大統領選挙]]で候補者の[[金大中]]が日本で秘密裏に公明党幹部と面会し、日本の公明党の影響下にある韓国SGIから支持を得られるように依頼し公明党幹部の[[藤井富雄]]が了承したとされる<ref>朝鮮日報社「月刊朝鮮」2002年5月号特集記事 「金大中〜藤井富雄ミステリー」</ref>。 *韓国SGIが平和をテーマに行なった集会で[[竹島]]の領有権主張や[[歴史教科書問題]]、日本の[[軍国主義]]批判が背景になっていたことを、[[週刊新潮]]が「反日集会」と報道する<ref>週刊新潮2005年5月19日号に掲載</ref>。 *2002年(平成14年)8月15日、韓国・SGIが池田大作の指示で韓国の政治家へ総額20億[[大韓民国ウォン|ウォン]]の裏金をばら撒いた不正疑惑が、SGIの内部告発という形で韓国の有力全国紙である『[[中央日報]]』『[[東亜日報]]』『[[朝鮮日報]]』の3紙に掲載され日本では[[週刊実話]]が『韓国 三大紙上で暴露 池田大作SGI会長が韓国の政治家にバラまいた20億ウォン裏金疑惑』として掲載されたこと<ref>週刊実話 2002年9月12日号</ref>。 == 創価学会に関する疑惑 == ===P献金=== 「創価学会には、[[P献金]]と呼ばれる献金が存在している」という疑惑。P献金のPとは「プレジデント(英:President)」の略で[[公明党]]の支持母体、創価学会の池田大作名誉会長を指しているというもの。公明党出身の国会議員[[福本潤一]]が2007年(平成19年)6月、外国人記者クラブで外国人記者を前にし、「公明党の議員は選挙で当選した際に[[衆議院議員一覧|衆議院議員]]は300万円、[[参議院議員一覧|参議院議員]]は600万円の献金を行うよう要請されている」と記者会見した。福本の記者会見の内容を民主党の[[石井一]]が2007年(平成19年)10月16日、参議院予算委員会で「P献金」を追及した<ref group="他">第168回国会 参議院予算委員会 第2号 参議院、2007年10月16日議事録、2012年11月7日閲覧</ref>。 {{see also|P献金#週刊新潮での掲載}} ===『憚りながら』で示された疑惑=== [[後藤組]]元組長の[[後藤忠政]]の著書『憚りながら』では、元公明党最高顧問の[[藤井富雄]]が、後藤(元組長)のもとを訪れ、「反学会運動をしている亀井さんら四人の名前を挙げ『この人たちはためにならない』という意味のことを言った」とされている。著書に登場する編集者は、そのやりとりを、「受け取りようでは後藤組長に四人への襲撃を依頼したという意味にもとれる」と表現した<ref>『憚りながら』P.107</ref>。また、[[共同通信社]]記者の魚住昭は『月刊・現代』の中で、藤井が後藤に、創価学会に対して批判的な[[亀井静香]](元・衆議院議員)を黙らせて欲しいと依頼する場面が収録されたビデオテープがあることを記している<ref>『月刊現代』2004年2月号</ref>。リストに名前があった亀井は警察関係者、弁護士などと創価学会対策会議を行うこととなる。後藤は著書の中で「池田大作が裏で何をしていたかといったら、山崎や藤井をパイプ役にして俺達ヤクザを散々利用し、仕事が終われば知らんぷりだ。それで俺達がちょっとでももの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。で、それがマスコミにバレそうになったら、頬かむりだ。」と記している<ref>『憚りながら』P.107 - p.108</ref>。 === 大鳳会という組織 === 「大鳳会(おおとりかい)」という組織の存在について以下で取り上げられた。 # [[週刊文春]]が『[[皇后雅子|皇太子妃雅子]]が[[外務省]]の創価学会シンパ「大鳳会」とディナーをした』という記事を掲載したこと<ref>週刊文春2005年2月10日号159ページ</ref>。 # 「創価学会が外務省幹部に『外遊特別待遇』要請書を送った」とされる問題<ref>『週刊新潮』1996年5月16日号45ページ</ref> # 「外務省が、池田大作の海外訪問に特別の便宜を図っている」とされる内容が国会で審議されたこと<ref group="他">参議院 宗教法人等に関する特別委員会 - 3号 平成7年11月27日</ref>。 === 財務私的流用疑惑 === 下記のような例がある。 * 1977年(昭和52年)に [[民社党]]の[[春日一幸]]が国会で池田専用の豪華施設等について調査したところ、会員の財務が私的流用されていたのではという疑惑を持ち、当時の公明党委員長委員長[[竹入義勝]]宛に質問する旨の手紙を送った<ref>『革新』1977年11月号</ref>。春日は1970年(昭和45年)12月の衆議院予算委員会で池田の証人喚問を求めたが、自民党、公明党の反対で証人喚問は見送られた。また春日は創価学会が起こした[[言論出版妨害事件]]でも、国会で池田大作の証人喚問を求めた。 * 1989年、[[神奈川県]][[横浜市]]のゴミ処理施設に廃棄された金庫から1億円もの現金が発見された。当初創価学会は、この問題を第三者の視点から批判したが、<ref>矢野絢也 『乱脈経理創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント』講談社刊</ref> 数日後、創価学会総務の中西治雄が持ち主と名乗り出て、「(金庫のお金は)20年以上前に、自分が学会内で不正に蓄財したもので、その存在を忘れているうちに誤って捨てられた」等と述べた。しかし、すべて[[聖徳太子]]像が印刷された旧紙幣(C号券)で、半分は真新しい状態であり、「1000万円」と印字された帯封で束ねられたものや、一度も市中に出回っていない新札もあった。さらには中西が自宅を担保に借金をしていたことから矛盾点をマスコミから追及された。当時の学会内部は中西に同情的であり大多数の幹部が「この事件は中西が池田と学会のために泥をかぶった。」との見方をしていた<ref name="gendai">[https://gendai.media/articles/-/20791 反学会に転じた池田名誉会長の「金庫番」] [[週刊現代]] 2011年9月27日</ref>。 == 創価学会へのデマ == {{出典の明記|date=2020年12月|section=1}} === 茨城新聞による「香典泥棒」報道 === [[茨城新聞]]は創価学会信者宅からの取材をもとに1962年(昭和37年)4月1日号において「創価学会は信徒の家に[[葬式]]があると、親戚、知己から集まる[[香典]]はすべて創価学会支部が持ち去ることになっている」と報道した。創価学会側は記事の内容は事実無根と茨城新聞社へ抗議した。その後、確証が取れないと判断した同社は4月17日、茨城新聞に訂正記事を掲載した。 === 月刊ペンに掲載された名誉毀損 === {{main|月刊ペン事件}} 雑誌『月刊ペン』が掲載した「四重五重の大罪犯す創価学会」や「極悪の大罪犯す創価学会の実相」という記事が名誉毀損罪にあたるとして、編集長の隈部大蔵が告訴され隈部が有罪となった。 === 朝木明代市議転落死 === {{main|朝木明代市議転落死事件}} 1995年(平成7年)9月、[[東京都]]・[[東村山市]]議会議員[[朝木明代]]が[[マンション]]から転落死し、後に警察が自殺と断定。朝木が創価学会と公明党の批判活動をしていたことから、他殺説や学会の陰謀説が浮上した。『[[週刊現代]]』・『[[週刊新潮]]』・『東村山市民新聞』の記事に対して、創価学会は名誉毀損で提訴し、3つとも学会側が勝訴した。 === 映画監督伊丹十三の転落死 === 1997年(平成9年)に自殺([[転落死]])した[[伊丹十三]]の死が自殺ではなく他殺であるとした説(創価学会が関与したと断定する内容)が[[2ちゃんねる]]に掲載された。創価学会は2ちゃんねるの運営者を相手取り、訴訟を起こした。[[東京地方裁判所]]は2009年(平成21年)2月、証拠もないのに断定的な内容を掲載し続けたとして、被告に損害賠償金80万円の支払いを命じる判決を言い渡した<ref group="他">東京地方裁判所判決<平成19年(ワ)第35314号>2009年2月5日</ref>。 === 週刊文春による「池田大作重病説」報道 === 『[[週刊文春]]』が2011年(平成23年)10月27日号(176ページから179ページ)で池田大作の[[看護師]]からの情報をもとに『衝撃スクープ 池田大作「創価学会」名誉会長 担当していた元看護師が語る「厳戒病室」本当の病状』と池田大作名誉会長の重病説を掲載した。週刊文春の記事を受け創価学会は週刊文春や発行元の文藝春秋社に「該当する看護師は存在せず、証言は事実無根である」と抗議。週刊文春は2カ月後の12月29日号で当時の編集長が「小誌は再取材を行いましたが、証言者が看護師であるとの確証を得るに至りませんでした。病状についての記述を取り消し、ご迷惑をおかけした関係者にお詫びいたします。」と謝罪した。 === ワールドビジネスサテライトによる報道 === {{main|ワールドビジネスサテライト#問題となった放送内容}} 2018年2月27日付けの[[聖教新聞]]の報道記事によると、[[TXNネットワーク|テレビ東京系列]]で放送されている『[[ワールドビジネスサテライト]]』が2017年(平成29年)11月24日の放送で創価学会についての特集を組んだものの、テレビ東京側の不手際で創価学会への取材依頼などがなされないまま取材が行われた上、学会から除名された人物ら{{Refnest|group="注"|「足軽会」と呼ばれる、創価学会本部の元職員3人組や元日蓮正宗僧侶ら、創価学会に批判的な人物}}の主張や言動を一方的に取り上げ、視聴者に学会に対する偏見を植え付けるものとなっていることなどを問題視した創価学会が抗議。テレビ東京は2018年(平成30年)2月22日までに報道内容の誤りを認めて謝罪した<ref group="SG">2018年2月27日付け聖教新聞2面</ref><ref group="SG">{{Cite web|和書|title=元職員らの中傷行動について 1.学会に関する偏向報道でテレビ東京が謝罪|url=http://www.sokayouth.jp/question-and-answer/category01/qa162/net1.html|website=創価学会青年部公式サイト|accessdate=2020-9-15|last=創価学会青年部|publisher=|date=}}</ref>。 == 創価学会に対する肯定的評価 == === 日本国内 === ==== 佐藤優 ==== [[キリスト教徒]]([[日本基督教団]])の元[[外交官]]で[[作家]]の[[佐藤優 (作家)|佐藤優]]は「池田氏の[[平和]]への思いは本物だ。加えて、池田氏は創価学会の理念を体現した存在だ。」「初代、二代、三代会長が投獄された創価学会の[[国家]]に対する距離感。SGIという国際組織。そして鎌倉時代、国家に弾圧された[[日蓮]]の縁起観。すべて具体性を伴っている。こうした一つひとつの「経験」が流れ込んで、創価学会の平和主義を形成しているのだ。」とした。また「SGIという国際組織によって、[[ナショナリズム]]や[[排外主義]]を超克しつつある創価学会が、このような局面でどのような役割を果たせるかが問われるだろう。」と述べている<ref>佐藤優『創価学会と平和主義』朝日新書、2014年</ref>。 第二次宗創戦争については、「歓喜の歌」事件に関して創価学会側の立場を擁護し、「ここで宗門が問題としたのは、キリスト教だ。ベートーベンの『歓喜の歌』を歌うことが邪教礼賛になると宗門は考えた。ヨーロッパの文化はキリスト教と深く有機的に結びついている。ヨーロッパ文化から、キリスト教を抜き去って理解することは不可能だ。科学的[[無神論]]を[[国是]]とした[[ソビエト連邦|ソ連]]や[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]でも、『歓喜の歌』が、無神論の否定する神を礼賛するといった理由で禁止することはなかった。宗門は[[ソビエト連邦共産党|ソ連共産党]]や[[ドイツ社会主義統一党]]よりも偏狭なキリスト教観を持っていることが露呈した」<ref>佐藤優『池田大作研究』朝日新聞出版、2020年、p.527</ref>と記している。さらに「各国の文化から、宗門以外の宗教的要素を除去しようという発想は、絵に描いたような排外主義だ」「ある文化と根底から結びついた宗教を完全に否定するならば、宗教間対話は成り立たない。宗門の頑なな姿勢が、創価学会の世界宗教化の深刻な障害になっていることがもはや明白になった」<ref>佐藤優『池田大作研究』朝日新聞出版、2020年、p.540</ref>と述べている。 2014年7月の[[日本の集団的自衛権|集団的自衛権行使容認]]の与党協議に関して「公明党がブレーキ役として与党にいなければ、憲法に制約されない集団的自衛権の行使を容認することが閣議決定されていたと思う。」<ref>佐藤優『創価学会と平和主義』朝日新聞出版、2018年、p.33</ref>「閣議決定に賛成したために、公明党は『平和の党の看板に傷がついた』『平和主義の看板を下ろした』などと批判された。連立政権を離脱して、きれいな平和論を主張するという選択肢もあったはずだ。もし、公明党がその選択を行っていたならば、私は、公明党の平和主義は本物ではないと批判したと思う。平和の党の看板に傷がついても、現実に戦争を阻止し、平和を維持することが重要なのである。少なくとも現時点では公明党はその機能を果たしている。」<ref>佐藤優『創価学会と平和主義』朝日新聞出版、2018年、p.41</ref>としている。 「『国立戒壇の問題』と言っても、現在、創価学会は宗門(日蓮正宗)と訣別しているわけだから、宗門の教義である『国立戒壇の問題』が、もはや存在しないことになる。すなわち、公明党と創価学会には日蓮正宗を国教化する狙いがあるという、批判者たちの論理の前提が崩れているのだ」としている<ref>佐藤優『創価学会と平和主義』朝日新聞出版、2018年、pp.133-134</ref>。 ==== 田原総一朗 ==== [[田原総一朗]](ジャーナリスト)は「度重なる試練に直面し、創価学会は間違いなく衰退するであろうという世論の推測を見事に裏切り、その都度、ピンチをチャンスに変えるという驚くべき[[エネルギー]]をもって、逆境を乗り越えてきたのである。どうやら、創価学会の強さは我々には想像も及ばないほど堅固なものらしい。」と示唆した<ref name="#2"/>。池田大作の人物像について、「おそらく近寄りがたい雰囲気を持っているに違いないというこちらの予想は見事に外れ、偉ぶったところを一切感じさせない人だった。しかも、人の話を聞くのが非常にうまい。これには、びっくりした。」と述べた。また、「私が池田に感じたのは、自分をよく見せようという下心がまったくなく、誠実で相手のことを気遣うことのできる、きめ細やかな神経の持ち主だということだ。」「喜怒哀楽もあり、とても人間臭い面も持ち合わせている。」とした<ref>田原総一郎『創価学会』毎日新聞出版</ref>。 創価学会は「創立当初から、従来の日蓮正宗の枠組みを超えた、独自の在家信徒団体」<ref>田原総一朗『創価学会』毎日新聞出版、2018年、p.35</ref>であったと述べている。また第二次宗創戦争については、「第九を歌うことのどこが問題なのか。しかも、当時の聖教新聞に掲載されたスピーチを何度も読んでも、日顕への批判や侮辱はどこにも見当たらない。私からしても、宗門側がどこに激しい怒りを感じているのか、さっぱりわからない」<ref>田原総一朗『創価学会』毎日新聞出版、2018年、p.233</ref>としている。 (宗門との決別以降)創価学会の活動領域が広がったことは間違いないようだ。学会員に話を聞くと、宗門と決別して以降、地域のためのさまざまな活動に参加するようになったという。例えば、地域のお祭りでお神輿も担ぎ、町会役員や学校のPTA役員も引き受ける。さらに、交通安全週間の行事にも参加するなど、ありとあらゆる地域活動に参加しているというのだ。言論・出版問題後、池田が目指した地域との融和が、ここにきてようやく根付いたということだろう」<ref>田原総一朗『創価学会』、毎日新聞出版、2018年</ref>と述べている。 学会の草創期において排他的な態度が見受けられたことについて、「信仰を広めるために他宗教を否定する、これは草創期の新宗教においてやむを得ないことだ。おそらくどこの宗教団体も同様の活動をしていただろう」と述べている<ref>田原総一朗『創価学会』毎日新聞出版、2018年、p.169</ref>。 田原はまた、学会が日蓮正宗(宗門)と決別してからは、地域活動が活発になった点を指摘する。「例えば、地域のお祭りでお神輿も担ぎ、町会役員や学校のPTA役員も引き受ける。さらに、交通安全週間の行事にも参加するなど、ありとあらゆる地域活動に参加している」「宗門と別れたことで、世界広布、地域との融合など、新たな布教の形を見出した」と述べている<ref>田原総一朗『創価学会』毎日新聞出版、2018年、p.254</ref>。 ==== その他 ==== *[[鶴見俊輔]](哲学者、評論家、政治運動家) - 創価学会の布教活動が、[[日本の宗教]]の浄化に役立っているとして、「この意味で創価学会は、日本に本当の宗教心をつくるために、その前ぶれとして働く[[バプテスマ]]の[[ヨハネ (使徒)|ヨハネ]]であるかもしれない。」と所感を述べている<ref>鶴見俊輔「創価学会の出現まで」『折伏〜創価学会の思想と行動』 産報ノンフィクション、1963年、267頁。</ref>。 *[[玉野和志]](社会学者) - 「創価学会は『幸せにするシステム』とでも呼ぶべき組織原理を生み出し、会員たちがあきらめることなく、地道に自らの生活を継続する手助けをしてきたといえる。」と述べている<ref>玉野和志『創価学会の研究』 講談社、2008年、46頁。</ref>。 *[[森秀人]](評論家) - 創価学会について「中世以来、日本人が喪失していた信仰主体が現出した」と位置づけており、「創価学会は、人間による人間の回復という課題に、限定付にせよ応えることができたことの意味のほうがはるかに巨きい。」と評論した<ref>森秀人「創価学会の機能について」『折伏〜創価学会の思想と行動』 産報ノンフィクション、1963年、115頁。</ref>。 *[[中江克己]](歴史作家) - 多くの創価学会員への取材を通して、「創価学会の10年 ドキュメント」を著した。その中で「生命尊厳の仏教哲学が不動であり、それを社会に生かしていこうという運動が継続されていく限り、やはり創価学会に対する期待は大きいといわなければならない。」と書を結んでいる<ref>中江克己「創価学会の10年」秋田書店、1971年、258頁。</ref>。 *[[佐木秋夫]](宗教学者)と[[小口偉一]](東京大学名誉教授) - 創価学会の教学運動について「教学の学習の盛んなことは、創価学会の重要な特色になっている。学習が行動の欠くことのできない源泉であることが、会員のあいだに広く理解されている。」と論及した上で「組織、動員、学習がいきいきと結びついていることが、創価学会を強大にしている」と評している<ref>佐木秋夫、小口偉一『創価学会: その思想と行動』青木書店1957年、178、179頁。</ref>。 === 日本以外 === *[[ブライアン・R・ウィルソン]](国際宗教社会学会初代会長)、カレル・ドベラーレ(ベルギー・ルーベン大学名誉教授)- 創価学会について社会的考察をし、「創価学会は哲学的には明らかに個人主義と平等主義に立っているにもかかわらず、信仰における古参原理が仲間意識と結びついており、その結合には神秘的な要素がある。」と評している<ref>ブライアン=ウィルソン・カレル=ドベラーレ 『タイム トゥ チャント』 紀伊國屋書店、1997年、61頁。</ref>。 *ダニエル・A・メトロ([https://marybaldwin.edu/ メアリー・ボールドウィン大学]教授) - 創価学会の平和運動を分析し、「創価学会が繰り広げている民衆レベルの平和運動は、もちろん、宗教的な使命感にもとづいたものにちがいない。しかし、必ずしも、全人類が創価学会に入会しなくとも仏法を基調にした〝平和のメッセージ〟を送り続けていくことによって、一人一人に〝精神の変革〟をおこさせていくことは可能である。また〝平和のメッセージ〟を全世界の人びとが共有することは、創価学会の使命を果たすことにも通じることだと思う。」と述べている<ref>ダニエル・A・メトロ『人間と平和の大河――創価学会の歴史と理念』泰流社、214頁。</ref>。また、「創価学会は、日本の近代史におけるユニークな現象である。仏法理念を基盤として、これほどまでに広範な社会的運動を成功裏に展開した宗教団体は、かつてなかった」とも述べている<ref>ダニエル・A・メトロ『人間と平和の大河――創価学会の歴史と理念』泰流社、1990年、11頁。</ref>。 *[[フィリップ・ハモンド|フィリップ・E・ハモンド]](アメリカの宗教社会学者)、デヴィッド・マハチェク(宗教社会学者) - 創価学会を社会学的に研究。学会の歴史と哲学への考察を著書に記し、「創価学会の活動の原動力は、日蓮仏教がそなえている禁欲的な特質であり、あるいは、宗教的信念に照らして社会状況を変革しようとの強い思いである。」と評価した<ref>フィリップ・E・ハモンドとデヴィッド・マハチェク『アメリカの創価学会』紀伊國屋書店2000年、31頁。</ref>。また同氏は「1991年(平成3年)に行われた日蓮正宗からの分離が、[[プロテスタント]]の[[宗教改革]]になぞらえられてきたのは当を得たことである」と評している。そして、「今回の一連の動きでもっとも印象的なことは、創価学会が[[塔婆]]――[[死者]]の代わりに[[供養]]される[[追悼]]のための[[銘板]]――を自分たちの金儲けのために売りつける強欲な[[僧|僧侶]]たちを非難したことと、プロテスタントの宗教改革者たちが、[[贖宥状]]を販売する[[聖職者]]たちに異議を唱えたこととが、酷似している点である。」と述べた<ref>『アメリカの創価学会 適応と転換をめぐる社会学的考察』(紀伊国屋書店)39頁、40頁</ref>。 == 中立的な立場 == === 島田裕巳 === 宗教学者の[[島田裕巳]]は、「創価学会員が『広布即地域貢献』として団地自治会長や学校PTA、商店街役員などに積極的に就任し、それらの組織を『折伏の足場』にしようとしていると述べている{{sfn|島田裕巳|2004|p=172}}。一般の人は仕事などに追われてそれらの役員には就きたがらないが{{sfn|島田裕巳|2004|p=172}}、創価学会はそうした状況を利用して地域で主導権を握ろうとしている」と、分析している{{sfn|島田裕巳|2004|p=172}}。島田によれば、[[1950年代の日本|1950年代]]~[[1960年代の日本|1960年代]](昭和30年代から40年代)の[[高度経済成長]]期には、仕事を求めて故郷を離れて都会を目指し多数の青年たちが、大企業中心の総評などにすいあげられることもなく、未組織労働者・中小零細業者として孤立無援の生活を送らざるを得なかった人たちが、組織化されて、「民族」とも形容できる濃い人間関係ができあがっていった。この組織化が画期的であり、そこに創価学会の社会的な意義があったと主張する<ref>矢野絢也・島田裕巳『創価学会・もうひとつの日本』、講談社、2010年、54-55ページ</ref>。 一方、「かつては他の宗教や宗派を一切認めない姿勢を持っており<ref name="gendai shimada">島田裕巳『現代にっぽん新宗教百科』 柏書房 (2011/09) P127</ref>、創価学会員の子弟は、[[修学旅行]]などで[[寺社|神社仏閣]]を訪れた場合には、[[神社]]の[[鳥居]]や[[寺院]]の[[三門|山門]]はくぐろうとしない」、財務の一か月程前には決起大会が開かれ、「100万円出したら息子がいい企業に就職できた。」「保険を解約して学会のために捧げたら幸せになりました。」などの発言が相次ぎ、他の会員にプレッシャーをかける{{sfn|島田裕巳|2004|p=163}}と指摘{{sfn|島田裕巳|2004|p=148}}。また創価学会には多額の寄進をした人間たちが少なくなく、島田の知人にも、創価学会に数千万円を寄進した例があるとした<ref>{{cite news|newspaper=[[東洋経済オンライン]]|publisher=[[東洋経済新報社]]|date=2016-04-12|url=https://toyokeizai.net/articles/-/111672?page=3|title=創価学会はなぜ社会から嫌われるのか |language=[[日本語]]|accessdate=2022-06-20}}</ref>。 「[[謗法]]払い」といって以前信仰していた時の仏壇や[[神棚]]を焼却させていた事例があったことや<ref name="sg"/>、[[モアハウス大学]]キング国際チャペルの主催により世界各地で「ガンジー・キング・イケダ展」が開かれていることに関し「世界的に高く評価されている[[マハトマ・ガンディー|ガンジー]]、[[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア|キング牧師]]に対して[[池田大作|イケダ]]に二人に匹敵するだけの功績があるか疑問に思う人は少なくないであろう」と批判した{{sfn|島田裕巳|2004|pp=118-119}}。 [[公明党]]については「[[自公連立政権|公明党は自民党と連立与党]]を組んでから政策面で必ずしも独自性を打ち出すことができず、結局、[[自由民主党 (日本)|自民党]]の政策を追認しているだけに終わっていることが少なくなく、特に[[安全保障]]政策で公明党が党是とする[[平和主義]]の貫徹が妨げられていることから、創価学会内部で公明党に対する批判が潜在化している」としている{{sfn|島田裕巳|2004|pp=182}}。 「自民党内にも創価学会=公明党の発言力が強まることを警戒する人間はいることから、自民党内部において創価学会=公明党への批判が高まれば創価学会=公明党としては民主党と連立を組む可能性が出てくる{{sfn|島田裕巳|2004|pp=176-177}}。そうなれば創価学会=公明党は動物と鳥の両方に取り入ろうとして結局はどちらからも嫌われ、暗い洞窟に追いやられた[[鳥と獣とコウモリ|イソップ物語のコウモリ]]になる危険がある」とも発言している{{sfn|島田裕巳|2004|pp=176-177}}。 === その他 === * [[西山茂]](宗教社会学者・東洋大学名誉教授) - 日蓮仏教にとっての創価学会の功罪について、第一の「功」は、相手が権力を持った官憲であれ、伝統的な宗教習俗を信じる庶民に対してであれ、「謗法」厳戒の姿勢を取った「伝統突破」(折伏というブレイク・スルー)の力にあるとする。第二の「功」は、「本門戒壇」の建立を、戦後日本社会の中で具体的に運動化したことだとする。一方で、「罪」は「功」の裏の部分に当たり、第一の「罪」として、他宗教への悪口雑言や暴力的な神棚撤去等の深刻的な人権問題を引き起こしたこと、第二の「罪」として、会則改正等の転進の際に過去を総括せず、過去と現在の教団の自語相違に一向に無頓着であり、信頼できない点を挙げている<ref>{{Cite web|和書|url=https://drive.google.com/file/d/1bi5pr55F5Yx9trCnvAVs0zJmocbjvD_t/view|title=法華コモンズ通信|publisher=法華コモンズ|accessdate=2019年8月14日}}</ref>。 * [[島薗進]](宗教学者・東京大学名誉教授) - 創価学会の特徴として「現世中心主義」を挙げており、「世界的に見ても、庶民がその実現に参与できる現世での幸せを焦点とした仏教として創価学会は目立った例」としている。<ref>{{Cite book|和書|title=新宗教を問う: 近代日本人と救いの信仰|date=1107|year=2020|publisher=筑摩書房}}</ref>一方、その排他主義的かつ自己完結的な教義体系のゆえに、強力な集団的統合が実現しており、指導者の指示のもと、一元的な意思の一致が前提とされ、自由な問いや討論が封じられる傾向があるとしている。また、上位者の権威への従順が宗教的指導の範囲を超えており、統制された集団生活の枠組みが日常生活のすみずみの領域にまで及んでいるため、個人の自由に任される領域が縮小する傾向があるとしている。とくに池田名誉会長崇拝にはそうした傾向が強く、このような個人の自立の抑制が「師弟不二」「異体同心」などの強調により正当化されている、と分析している<ref>島薗進「新宗教の大衆自立思想と権威主義─昭和期の教団を中心に」、島薗進編著『何のための〈宗教〉か? 現代宗教の抑圧と自由』青弓社(1994)、pp. 221-224)</ref>。<br>新宗教を「隔離型」「個人参加型」「中間型」の3つに類型化しており、創価学会を「中間型の中に含めて差し支えないだろう。」としている。<ref>島薗進『ポストモダンの新宗教』、[[東京堂出版]]、2001年、pp29-36</ref>。 *[[宮台真司]](社会学者) - ウェブマガジンのインタビューで、「[[東日本大震災]]([[東北地方太平洋沖地震]])の被災地における、個人で支え合う人間関係・つながりを持っている者と持たない者の格差を見せつけられた」と述べた上で、「創価学会の避難所は物も潤沢だし、[[配給 (物資)|配給物資]]も公平に、順当にシェアできるしくみがある。だから取り合いになったり、殺伐とした対立なども起こりえない。それは[[教会 (キリスト教)|教会]]などのコミュニティと同じで、たとえば欧米などは[[ハリケーン]]や[[津波]]で被災しても行政や自治体は動かない。救援物資のディストリビューション(配給)をやるのは、教会なんです。」と発言。教会的なコミュニティーが果たす役割に言及し、その例として創価学会をあげた<ref>ウェブマガジン「Salitoté」:[http://salitote.jp/people/interview009-1.html 社会学者 宮台真司さん スペシャルインタビュー (第1回目)]</ref>。一方で公明党・創価学会を「都市宗教的マッチポンプ」と呼び、[[新自由主義]]と貧困を増幅して疎外される人々を増やし、信者を増やしていると批判している<ref>[https://newspicks.com/news/5463386/body/ 【宮台真司】閉塞した社会で「幸福」を思考する(前編)]</ref>。 * [[八幡和郎]](評論家、歴史作家)-「もし創価学会が過度な負担を強いるような宗教なら、数百万世帯もの信者を獲得することも維持することもありえないということであろう。(中略)ここではさらに、商品販売にたとえて論じてみたい。宗教と商品の販売を一緒にするのもなんだが、似たところもある。つまり、創価学会はトヨタやパナソニックと同じように、顧客満足度が高いからこそ日本一の宗教団体なのである。」と述べている<ref>[https://agora-web.jp/archives/221202005614.html アゴラ【八幡和郎】創価学会が悪徳宗教なら数百万世帯の獲得も維持も無理]</ref>。 == 創価学会に対する批判 == === 離反者による批判 === 創価学会は、元副会長[[福島源次郎]]、元公明党書記長[[矢野絢也]]、元公明党委員長[[竹入義勝]]、元公明党都議会議員団長[[龍年光]]、元都議会公明党幹事長[[藤原行正]]、元公明党議員[[大橋敏雄]]、同[[石田次男]]、元教学部長[[原島嵩]]、元顧問弁護士[[山崎正友]]などの幹部クラスの離反者や、[[長井秀和]]、[[杉田かおる]]等の有名人の離反者を出している。離反者は[[日蓮正宗]]に移ったり、マスコミを通じて創価批判・暴露を行うケースが多い。 *[[矢野絢也]] - 「学会員二世、三世は幼い頃から、家庭において池田大作が著した絵本やアニメを見せられ、いかに池田と創価学会の教義が素晴らしいかを刷り込まれる。しかも、一貫教育システムにより、筋金入りの創価学会員として[[エリート]]教育される。一貫教育システムという醸成装置があればこそ、創価学会は次々と新たな学会員と「池田名誉会長」を信じて疑わない幹部を養成できる。」と指摘している<ref name="yano">矢野絢也 黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録第四章 カルト化する「池田教」</ref>。このほか、現在の学会の幹部は、こうした「池田チルドレン」たちによって固められ、[[公明党]]議員にも[[学校法人創価学園|創価学園]]・[[創価大学]]出身者がいる。このような教育によって、学会は強固な組織となり、池田の独裁体制も確立されたとしている<ref name="yano"/>。また、「100万円財務は、戸田第二代会長の表現を借りれば、学会が決して手を染めてはならない「邪宗教」への一歩を踏み出した瞬間だった」としている<ref name="yano"/>。 *[[杉田かおる]] - 自書『杉田』で創価学会を批判、主に池田大作や男性創価学会幹部の堕落ぶりを批判、また杉田自身が創価学会関係者から受けた[[セクシャルハラスメント|セクハラ]]についても触れている。 === 政治団体による批判 === 政界進出を始めた時期に創価学会は、[[日蓮宗]]系他教団、[[浄土真宗]]系教団のほか、[[革新]]陣営からの批判を受けることが増えた{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}。島田裕巳によれば、1957年(昭和32年)の[[北海道]]での創価学会青年部隊と[[日本炭鉱労働組合]]と間の戦いを一つのきっかけとして{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}、1960年代の[[公明党]]結成に応じて{{sfn|島田裕巳|2004|pp=18-19}}、革新陣営からの批判が刊行されるようになった{{sfn|島田裕巳|2004|pp=18-19}}。島田はこれらの教団・陣営は「民衆をターゲットとし」{{sfn|島田裕巳|2004|pp=18-19}}、「下層階級を組織化」{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}する点で創価学会と競合していたと指摘し{{sfn|島田裕巳|2004|pp=18-19}}{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}、一方の保守陣営はこの段階では創価学会批判を展開していなかったとする{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}。1990年代に公明党も合流した[[新進党]]が参議院選挙で議席が増加すると、新進党の台頭に危機感を抱いた自民党は[[反創価学会キャンペーン]]を展開していた時期があった。 === 他団体による批判 === * [[NAACP]](全米黒人地位向上協会)は創価学会が主催する「ガンジー・キング・池田平和建設の遺産展」について、「[[マハトマ・ガンディー|ガンジー]]や[[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア|キング]]は多大な功績を挙げたのを全世界の人が知っているが、池田はいったい何をやったのか」と批判、主催するなら「ガンジー・キング・[[ブルース・スプリングスティーン|ブルース・(スプリングスティーン)]]展」とするべきだと主張した<ref name="『The Star-Leader2001年5月2日』">『The Star-Leader2001年5月2日』</ref><ref>ブルース・スプリングスティーンは2000年にNAACPニュージャージ支部から栄誉を讃えられている https://www.barks.jp/news/?id=52215776</ref>。その矛先は創価学会だけでなく、[[モアハウス大学]]のローレンス・エドワード・カーターにまで向けられた<ref name="『The Star-Leader2001年5月2日』"/>。 * [[オウム真理教]]教祖[[麻原彰晃]]は、[[サンデー毎日]]から始まったオウムバッシングは[[聖教新聞]]を印刷している[[毎日新聞社]]グループと創価学会が結託して行っている、池田大作は[[日本]]を[[侵略]]する[[フリーメイソン]]の手先であり「仏法」を曲げている[[ニホンマムシ|蝮]]の一族などと批判<ref>[[江川紹子]] 『魂の虜囚』([[中央公論新社]] [[2000年]]8月)ISBN 978-4120030420</ref><ref>麻原彰晃 『亡国日本の悲しみ』(オウム [[1995年]]4月) ISBN 978-4871421140</ref>。[[池田大作サリン襲撃未遂事件]]をはじめ[[化学兵器]]や[[生物兵器]]を利用した学会に対するテロ攻撃を行った<ref name="wa894" group="他">[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/817/005817_hanrei.pdf 平成7年刑(わ)894号 平成14年7月29日 東京地方裁判所]</ref>。 * [[幸福の科学]]の総裁[[大川隆法]]は自著で「現代社会における二つの悪」として、一つは悪徳マスコミ、もう一つの悪が「邪教・創価学会」であると批判した<ref>著書『永遠の挑戦』</ref>。 === 著名人による批判 === * [[内藤国夫]] - 「政界に進出し、[[国家権力]]と結びつく、また結びつこうとする権力志向、権力依存の宗教団体は邪教の中の邪教ということだ。[[オウム真理教|オウム]]より、はるかに始末が悪い難問である」<ref>『[[諸君!]]』1995年8月号「月報『創価学会問題』第157部 敢えて天に向かってツバ?学会とオウムは違うか」</ref>。 * [[浅見定雄]](元東北学院大学教授) - 「メンバーが結果的に一つの政党しか選ばなかったり、その宗教団体の指示による以外は他の政党に投票することもない-創価学会の指示で信者が自民党に投票する場合のように-もしそういう宗教があれば、その宗教は必ず[[政教分離原則|政教分離の原則]]を破っているのであり、また恥ずかしいことだが、非常に未成熟で前近代的な宗教である」<ref>2001年2月10日発行「宗教と平和」389号より</ref> * [[石原慎太郎]](元東京都知事) - 池田名誉会長を「悪しき天才、巨大な俗物」と批判<ref>『週刊文春』 平成11年3月25日号</ref>。 * [[俵孝太郎]] - 創価学会と対抗していた組織[[四月会]]の代表幹事。2005年9月1日の『[[日刊ゲンダイ]]』でも創価学会を批判。 * [[徳川義寛]](元[[昭和天皇]][[侍従|侍従長]]) - [[徳仁|皇太子徳仁親王]](現在の今上天皇)の親王妃候補について「新宗教(=創価学会)を信仰する人間は親王妃、皇太子妃(未来の皇后)としていかがなものか」との考えを示した。一説では「先代の侍従長[[入江相政]]や、『2代続けて平民からの[https://kotobank.jp/word/%E5%85%A5%E5%86%85-77789 入内]は慎むべき([[上皇后]]:[[上皇后美智子|正田美智子]]、[[皇后]]:[[皇后雅子|小和田雅子]])』と発言し、[[旧皇族]]・[[旧華族]]が賛同したことを受けての発言」という説もある。しかし、[[昭和天皇]]は1988年(昭和63年)4月6日に「慎重にすぎて好きな人が居なくなったり、徒に時を過ごしてもよくない。難しいと思うがよろしく頼む」「私は本人同士が良いならそれで良い」、同5月26日に「浩宮(この時点では徳仁親王)のこと、その後は?」と当時の[[宮内庁]]長官[[富田朝彦]]に繰り返し伝えていたことが明らかとなっている<ref>“昭和天皇の言葉、富田メモから(4)「太く短くか、細く長くか」”. 日本経済新聞朝刊: p. 39. (2006年7月24日)</ref>。 * [[テリー伊藤]]、[[佐高信]] - 共同著書『お笑い創価学会』で創価学会を批判。 * [[大槻義彦]] - ブログ「[https://web.archive.org/web/20100417093710/http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-f3e7.html 大槻義彦のページ]」で池田大作・創価学会・公明党を政教分離の原則の観点から批判。 * [[いしいひさいち]] - 自書『大問題』で創価学会を批判。 * フロランス・ラクロワ - パリの国立研究院の博士。十数年にわたり創価学会を取材・研究を重ね、「創価学会、タブーの解剖」というフランス国家博士論文を発表。 * [[筒井康隆]] - 『[[SFマガジン]]』1965年8月増刊号で発表した短編小説『堕地獄仏法([[中公文庫]]『東海道戦争』収録)』で、創価学会・公明党を連想させる宗教団体・政党が『[[政教一致]]体制』で支配する恐怖の日本社会を描いた<ref group="注">なお、発表後作品を創価学会から猛烈に批判されたため、筒井は短編『末世法華経([[新潮文庫]]『笑うな』収録)』で応酬した。</ref>。また、[[朝日新聞]]で連載していた長編『[[朝のガスパール]]([[朝日新聞社]] のち新潮文庫)』では、信者らしき人物から筒井康隆に対する個人攻撃の投書があったため、筒井康隆は作中で実名を挙げて批判している{{Refnest|group="注"|筒井康隆は『[[噂の眞相]]』連載『笑犬樓よりの眺望』でこの連載を告知した際『レベルの低い意見に対しては登場人物が反撃する』と明言している<ref>筒井康隆『笑犬樓よりの眺望(1994年新潮社 のち文庫化)』収載『新聞小説ははたして必要か(初出:『噂の眞相』1991年11月号)』</ref>。}}。さらに『現代語裏辞典([[文藝春秋]]のち文庫)』では『創価学会。そうか。がっかり』と揶揄する記述が見られる。 * [[段勲]] - 自書『反人間革命』で創価学会を批判。 * [[韮沢忠雄]]([[日本共産党]]元[[しんぶん赤旗|赤旗]]編集局長) - 既存マスコミが創価学会批判をタブー視しているとして、赤旗で創価学会批判を展開。 * [[後藤忠政]](元[[山口組]]系後藤組組長) - 自書『憚りながら』で創価学会と後藤組(山口組)との関係を記載。 * [[蛭子能収]] - 公明党支持者から食事中に強引なサインを要求され、公明党への支援も頼まれたことに立腹。「公明党の信者って、なんでそう熱心なのか不思議だが、相手の気持ちを考えない我がままな人ばっかりの集まりなんだろうなーと思う」と批判<ref>『正直エビス』新宿書房、120-123ページ。公明党とその最大の支持母体創価学会を同一視しているとみられる</ref>。 * H・N・マックファーランド(アメリカの宗教学者) - 1963年から64年にかけて日本に滞在して日本の[[パーフェクト リバティー教団]](PL教団)、[[生長の家]]などの新宗教について調査し、「神々のラッシュアワー」という本にまとめた{{sfn|島田裕巳|2004|pp=21-22}}。その本の中で唯一、創価学会の調査の時だけは不快な思いをしたとして「創価学会の多くの信者の厚かましさや無作法によって何度も何度も気分を害される」と記している{{sfn|島田裕巳|2004|pp=21-22}}。 * ナヴィーン・パトナーヤク(インド地方政党[[ビジュ・ジャナタ・ダル]]党首、後のインドオリッサ州首相)、「ガンジー・キング・イケダ展」に対し、創価学会はガンジーだけではインド独立をなし得なかったことやインドの歴史認識を学ぶべきだと批判<ref>インドの独立は[[スバス・チャンドラ・ボース|ネタジ]][[ネルー]][[マハトマ・ガンディー|ガンジー]]の3人によって成し遂げられているとされインドの国会議事堂には3人の肖像が飾られている</ref>。 * [[猪口邦子]] - 2000年(平成12年)に創価学会の「宗教的団結心」("religious solidarity")を核とした「巨大な政治的力」("enormous political power")を警戒する人もいると述べた<ref name="scanlon"/>。 * [[石井一]] - 2007年[[10月16日]]の[[第168回国会]][[参議院]][[予算委員会]]で、[[公明党]]と創価学会の関係について質問した<ref>第168回国会 参議院 予算委員会 第2号 [[参議院]]、[[2007年]]10月16日([https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=116815261X00220071016 議事録])</ref> * [[藤倉善郎]] (やや日刊カルト新聞を主宰する宗教ジャーナリスト) - 創価学会について、現在でもしつこい「[[折伏]]」や、批判者や組織内の造反者に対する常軌を逸した攻撃が常に行われているとしている。また「安保法制」などをめぐる造反者側についても、「公明党はもともと平和の党」「池田大作先生は平和主義者」などの主張は、批判者への攻撃や言論妨害、しつこい折伏等の社会問題が、むしろ池田の会長在任期間中に起きていることから、池田を美化する「かつての創価学会」正当化は、歴史の歪曲だと強く批判している。むしろこれら社会的な批判を浴びた問題を池田信仰に基づき正当化してきたのが、カルト的側面を正当化する「かつての創価学会」であるとする<ref>{{Cite web|和書|url=http://dailycult.blogspot.com/2019/07/2019228.html|title=参院選2019総力特集!“カルト候補”228名ぜんぶ載せ!|publisher=やや日刊カルト新聞|accessdate=2019年7月18日}}</ref>。1960~70年代の言論出版妨害事件、70年の共産党・宮本顕治宅盗聴事件、強引な折伏(勧誘)や選挙における不正問題など、池田氏指導下の創価学会が批判されたり池田氏自身の関与が疑われたりした問題が多数あり、だからこそ、創価学会は池田大作ともども、これまで天下の嫌われ者だったのではないか、としている<ref>{{Cite web|和書|url=https://hbol.jp/213577/2|title=AERA連載「池田大作研究」に抱いた、拭い切れぬ違和感<藤倉善郎氏>|publisher=ハーバー・ビジネス・オンライン|accessdate=2020年10月16日}}</ref>。 * [[溝口敦]](ノンフィクション作家、ジャーナリスト) - 創価学会は宗教法人であることを徹底活用と悪用していると批判。70年の出版妨害事件により、著作者や出版社に恫喝を加え、[[報道におけるタブー#鶴タブー|鶴タブー]]を作り上げてきたという。また、選挙に際しては、80年代まで替え玉投票を事としていたとしたという。創価学会が、出版妨害や電話盗聴、替え玉投票、裁判工作などを過去に行っており、社会不正の塊であることは常識である、としている、信者会員からの財務集金法においても、幹部が会員に「出せ、出せ、出せ」と絶叫するほどの激しさで、生活保護世帯からも数口を引っ張るのが学会流であるとしている<ref>溝口敦『宗教の火遊び』小学館(1996)、pp. 128-132,157-158)</ref>。 === 創価学会は「池田教」であるという批判 === {{See also|池田大作本仏論}} [[内藤国夫]]や七里和乗([[日隈威徳]])などの著書に見られるように、かねてより創価学会は実質的には「池田教」ではないかとの批判があった<ref group="批">{{Cite web|和書|url=https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN10616065|title=創価学会池田大作のあくなき野望 : いまや、"池田教"に変質した泥沼組織のゆくえ |publisher=[[CiNii]] 図書|accessdate=2021-09-17}}</ref><ref group="批">{{Cite web|和書|url=https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN10437237|title=池田大作・幻想の野望 : 小説『人間革命』批判|publisher=CiNii 図書|accessdate=2021-09-17}}</ref>。そのような批判を伴う呼称をめぐっては各方面から以下のようなことが言われている。 * [[日本共産党]]の機関紙『[[しんぶん赤旗]]』は、「池田大作本仏論」の存在および初代・牧口、第2代・戸田、第3代・池田を「三代会長」「創価学会永遠の指導者」とすることを決めた会則の存在などに触れ、日蓮正宗との関係を断った「池田教」設立の宣言であると批判している<ref group="批">{{Cite news|url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-06-03/11_0402.html|title=創価学会の「池田教」設立宣言/会則と宗教法人規則を変更|newspaper=しんぶん赤旗|date=2002-06-03|accessdate=2021-09-17}}</ref>。その後2016年(平成28年)11月7日に施行された改正会則の第1章総則第3条2項に『「三代会長」の敬称は、「先生」とする。』と加筆明記される<ref name="Constitution_of_SGI-JAPAN" group="SG" />。 * 日蓮正宗宗務院教学部による出版物では、日蓮正宗が池田大作を破門するに至った1991年頃には、経本や[[過去帳]]、[[数珠]]を創価学会独自のものに変化させる動きが見られたのを「池田教独立路線を露わにした」とする見方を示している<ref group="批">{{Cite web|和書|url=https://www.nichirenshoshu.or.jp/jpn/pdf/kaisoku-henko.pdf#page=14|title=-新興宗教「創価学会」- 「会則」改変の欺瞞を糾す|format=PDF|publisher=[[日蓮正宗]] 宗務院 教学部|page=14|accessdate=2021-10-02}}</ref>。 * 元公明党委員長の矢野絢也は、著書の中で「池田教」への変容が起きているとし<ref>{{Cite web|和書|url=https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000185050|title=『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』(矢野 絢也)|publisher=[[講談社]]BOOK倶楽部|accessdate=2021-10-02}}</ref>、指導者としての池田大作名誉会長への[[個人崇拝]]が顕著であるとの主張をしている<ref>{{Citation|和書|author=矢野絢也|title=黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録|publisher=講談社|year=2009|page=159|isbn=9784062152723}}</ref>。 * [[キリスト教徒]]([[日本基督教団]])で元[[外交官]]・[[作家]]の[[佐藤優 (作家)|佐藤優]]は、[[松岡幹夫]]との共著における対談において、あえて「池田教」などと批判する勢力があるのを互いに認めた上で、そういった勢力が注視している教義の中での池田の位置づけに難しい課題があるとした松岡の思いに応じ、その背景に批判する側から[[個人崇拝]]と見られているのがあるものの、「気にすることなく、堂々と池田会長(原文ママ)の重要性を打ち出すべきだと思います。」と意見している<ref name="kataru" group="SG">{{Cite book|author=佐藤優, 松岡幹夫|date=2015-11-28|title=創価学会を語る|url=https://books.google.co.jp/books?id=oTWBDwAAQBAJ&pg=PA53#v=onepage&q&f=false|publisher=[[第三文明社]]|page=53|isbn=9784476033526|accessdate=2021-09-17}}</ref>。 {{Main2|創価学会側の弁明|#名誉会長と歴代会長}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"|2}} === 出典 === {{Reflist|2}} ==== 一次資料 ==== ===== 創価学会・関連団体資料 ===== {{Reflist|group="SG"|2}} ===== 批判側資料 ===== {{Reflist|group="批"|2}} ===== その他一次資料 ===== {{Reflist|group="他"|2}} == 参考文献 == {{参照方法|date=2017年8月|section=1}} * [[人間革命]]([[戸田城聖]]著、[[精文館書店]]、1957年) * [[人間革命]](全12巻)([[池田大作]]著、[[聖教新聞社]]) * [[人間革命|新・人間革命]](全30巻)(池田大作著、聖教新聞社) * 外から見た創価学会(村尾行一著 [[第三文明社]]、2003年) * 憚りながら([[後藤忠政]]著、[[宝島社]]、2010年) * {{Citation|和書|title=創価学会解剖|author=朝日新聞アエラ編集部|publisher=[[朝日新聞社]]|series=朝日文庫|date=2000-01-01|isbn=4-02-261286-X}} * {{Citation|和書|author=中野毅|author-link=中野毅|date=2004-02-25|title=戦後日本の宗教と政治|publisher=原書房|isbn=4562090103}} * {{Citation|和書|author=塚田穂高|author-link=塚田穂高|title=宗教と政治の転轍点 保守合同と政教一致の宗教社会学|chapter=第4章創価学会=公明党|publisher=[[花伝社]]|ISBN=978-4763407313|year=2015|date=2015-03-25}} * {{Citation|和書|author=島田裕巳|author-link=島田裕巳|title=創価学会|publisher=[[新潮社]]|ISBN=4-10-610072-X|year=2004|date=2004-06-20}} *{{citation|和書|author=央忠邦|title=日本の潮流 創価学会発展の歩み|date=1968-01-31}} *須田晴夫『日興門流と創価学会』鳥影社、2018年9月5日。ISBN 978-4-86265-687-2  *{{Citation|和書|author=田原総一朗|author-link=田原総一朗|title=創価学会|publisher=[[毎日新聞出版]]|ISBN=978-4620324074|year=2018|date=2018-9-14}} *[https://www.sokanet.jp/recommend/yujinsou/ 創価学会のお葬式 友人葬]  == 関連項目 == * [[日本の宗教]] * [[日本の仏教]] * [[国立戒壇]] == 外部リンク == {{Commonscat|Soka Gakkai}} * [https://www.sokagakkai.jp/ 創価学会公式サイト | SOKAnet] * [https://www.seikyoonline.com/ 聖教新聞] * [https://www.sokaglobal.org/ Soka Gakkai (global)]{{En icon}}{{Es icon}}{{Zh icon}} * {{Facebook|sokagakkai.official}} * {{Instagram|sokagakkai_official}} * {{YouTube|c=UC1GsBI4yJhQmW-Zp-NuXDNg}} {{公明党}} {{創価学会}} {{聖教新聞社}} {{新宗教}} {{戦前までに日本で発祥した新宗教}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:そうかかつかい}} [[Category:創価学会|*]] [[Category:日本の宗教団体]] [[Category:日本の新宗教]] [[Category:仏教系新宗教]] [[Category:政府文書によりセクトと分類された団体]] [[Category:仏教に関する論争]] [[Category:新宿区の組織]] [[Category:1930年設立の組織]] [[Category:池田大作]]
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3,5-ジメチル-1,2-シクロペンタンジオン
3,5-ジメチル-1,2-シクロペンタンジオンは、化学式C7H10O2で表される環状ケトンの一種である。 シクロテン(2-ヒドロキシ-3-メチル-2-シクロペンテン-1-オン)と同様に、ケト型、エノール型(ケト-エノール互変異性)が存在する。 食品に甘いカラメルやロースト調の香りを付与する目的で、最終製品ベースで2.4~6.0ppmほど使用される。天然にはコーヒーから発見されている。水1リットルに対し1.000マイクログラムを溶かしただけで匂いを感じ取ることができるほど嗅覚閾値が低い、すなわち匂いを強く感じる物質である。
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3,4-ジメチル-1,2-シクロペンタンジオン
3,4-ジメチル-1,2-シクロペンタンジオンは、化学式C7H10O2で表される環状ケトンの一種である。 ケト型、エノール型(ケト-エノール互変異性)が存在する。 たばこやコーヒー、ロースト製品の香料に、最終製品ベースで0.3~4.0ppmほど使用される。天然にはコーヒーやたばこ、木材の煙から発見されている。
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クレヨンしんちゃんの登場人物一覧
クレヨンしんちゃんの登場人物一覧(クレヨンしんちゃんのとうじょうじんぶついちらん)では、臼井儀人原作の漫画『クレヨンしんちゃん』およびそのアニメ作品『クレヨンしんちゃん』に登場する架空の人物を列挙する。 ※下記の人物の詳細は個別記事を参照。 しんのすけ達5人が結成した組織。「春日部の愛と平和を守る」がモットー。秘密基地はよしなが先生やまつざか先生の自宅。 下記4人の詳細は これ以外にも、大会などの際に1回限りの園児(とくにソフトボール大会やサッカー大会など、特定のイベントに特化した能力を持つ園児)が登場する事が多い。 。 。 1980年代のようなレトロなスケバングループ(3人なのでトリオ)で女子高生。原作では4巻、アニメでは「スケバンと対決だゾ」(1993年9月6日放送)から登場。2014年10月31日放送「女子校の学園祭にいくゾ」で、女子校に通っていることが明らかになった。 以上の3人は移動用に90 ccのスクーターを所有している。また3人とも高校3年生であるが、「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」では3人とも懐かしい匂いに取り憑かれ、大人たちに混じって公園のブランコで遊んでおり、オート三輪の列が春日部に来たシーンでもそれに乗り込み20世紀博へ向かっている。 霞が関に本社を置く企業。ひろしが自宅最寄りの春日部駅から東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)から直通する東京メトロ日比谷線を利用し通勤している。映画『ヘンダーランドの大冒険』ではひろしの名刺に所在地が書かれており「東京都中央区日本橋猫町12番1号」(実在しない)となっていた。具体的な事業内容などは作中で語られていないが、大阪にも支店がある。なお、原作・アニメ共に開始当初は単に「会社」としか表記されなかった。 野原家の行きつけのお店。 野原家の行きつけのデパート。しんのすけやひまわりの行動でトラブルを起こしている。酒井しのぶがこのデパートでアルバイトをした事もあったが、しんのすけのせいで解雇されている。 しんのすけたちの行きつけの書店。チェーン店であるらしく、年に一度「本部からの視察」が行われる。むさえがアルバイトを始めたが、一日で辞めてしまった店でもある。しかし、重い本の束をいくつも持ったり、立ち読みをしていたしんのすけを追い払った(実際には、カンタムロボの放送時間が近い事を伝えただけ)ことから、働き振りはなかなかのものと店長も絶賛していた。また、みさえもアルバイトをしていた。初期はしんのすけの悪戯に巻き込まれてトラブルに遭う場面があった。 アニメ第1話Aパートの「おつかいに行くゾ」(1992年4月13日放送)から登場している肉屋。銭湯「春我部湯」の中に仁久矢の広告看板がある。 少女向けの魔法少女作品。基本的にはアニメではなく特撮であり、劇中で撮影されているという設定(春日部でのロケが描かれるエピソードもあった。ただしアニメ版も存在)。男性のファンも少なからず存在し、風間は隠れファンで、しんのすけ・マサオはファンを公言している。アニメ版では2000年頃から姿を消してしまい、2003年から現在に至るまで下記の魔法少女もえPが代わりを担っている。一方、原作では話題のみであるが『新クレヨンしんちゃん』になって以降も時折登場している。アニメ「オオクワガタを捕るゾ1」(2005年8月19日放送)では風間の部屋に飾られているフィギュアとして再登場、「ネネちゃんのモウソウだゾ」(2008年3月14日放送)ではネネが妄想する風間の背景にグッズが登場、「レンタルショップのソムリエだゾ」(2014年4月25日放送)ではレンタルショップの準新作の棚にDVDが並んでいる。また、2003年公開の映画「嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード」の中では、風間の自転車のキーホルダーとして登場している。 アニメオリジナルの劇中劇。いわゆる萌えアニメで、魔法少女アニメにもかかわらず、一度も魔法が使われることなく終了する放送回が数回あり、ネネちゃんからは「ヲタ向け」と酷評されている。特撮版もある。アニメ版では2003年から登場。風間トオルや鳩ヶ谷ヨシりんが溺愛し、桜田ネネは好意を持っている描写も、嫌悪している描写もありあやふや。しんのすけも観ていることがあるが風間ほどの熱意はなく、特別好んでいるわけではない。靴や下着などのキャラクターグッズやお菓子付きフィギュアやトレーディングカード、カツラやコスチュームでもえPにメイクアップするセットなどが発売されており、風間トオルはもえPグッズ全てを所有する。また、映画も作中で登場しており、タイトルは、「練馬区一のギョーザを作るわ!」で、その宣伝カーも走っていた。その後作中で映画の内容が公開された。なお映画館では、濃いファンが多い模様。また、もえPの歌を作詞したのはムトウユージさんである。 「エンピツしんちゃん」は「もしもしんのすけが小学校に進学したら?」という設定の物語。原作では第29巻に初めて掲載。アニメでは2001年4月20日に初めて放送。この物語中では風間くんだけ私立小学校に進学。しんのすけ、ネネ、マサオ、ボーちゃんは公立のアクション小学校に進学している。なお、しんのすけ、マサオ、ボーちゃんは1年1組、ネネは1年3組に在籍。一部のエピソードは幼稚園の話として放送されたこともある。 なお、『クレヨンしんちゃん』内で見受けることのできる「エンピツしんちゃん」(1994年1月31日放送)とは無関係で、こちらの「エンピツしんちゃん」は「クレヨンしんちゃん」自身のパロディアニメである。 2010年11月26日から2012年9月14日までアニメ『クレヨンしんちゃん』内で不定期に放送されていた『SHIN-MEN』のキャラクター。漫画版は原作と別シリーズで連載。 本作のアニメ版には原則としてナレーションが入らないが、以下のナレーションが使用される場合もある。
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クレヨンしんちゃんの登場人物一覧(クレヨンしんちゃんのとうじょうじんぶついちらん)では、臼井儀人原作の漫画『クレヨンしんちゃん』およびそのアニメ作品『クレヨンしんちゃん』に登場する架空の人物を列挙する。 ※下記の人物の詳細は個別記事を参照。 野原しんのすけ 野原みさえ 野原ひろし 野原ひまわり シロ かすかべ防衛隊(風間トオル、桜田ネネ、佐藤マサオ、ボーちゃん、酢乙女あい) ぶりぶりざえもん アクション仮面
{{Pathnav|クレヨンしんちゃん|frame=1}} {{複数の問題 |出典の明記=2016年1月 |内容過剰=2018年1月 |独自研究=2019年10月 }} {{ファンサイト的|date=2019-10}} '''クレヨンしんちゃんの登場人物一覧'''(クレヨンしんちゃんのとうじょうじんぶついちらん)では、[[臼井儀人]]原作の漫画『[[クレヨンしんちゃん]]』およびそのアニメ作品『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』に登場する架空の人物を列挙する。 ※下記の人物の詳細は個別記事を参照。 * [[野原しんのすけ]] * [[野原みさえ]] * [[野原ひろし]] * [[野原ひまわり]] * [[シロ (クレヨンしんちゃん)|シロ]] * [[かすかべ防衛隊]](風間トオル、桜田ネネ、佐藤マサオ、ボーちゃん、酢乙女あい) * [[ぶりぶりざえもん]] * [[アクション仮面]] [[ファイル:Nohara family.PNG|thumb|300px|野原家・小山家の家系図]] [[ファイル:Kasukabe Plat-Kasukabe Crayon Shin-chan Panel 1.JPG|thumb|right|300px|春日部情報発信館に設置されているパネル。<br/> 野原家一家とかすかべ防衛隊が描かれている。]] == 野原家 == ; [[野原しんのすけ]] : [[声優|声]] - [[矢島晶子]](第1話Aパート~第969話Cパート)(1992年4月13日~2018年6月29日<ref group="注">2020年の傑作選スペシャルでは差し替えられずに矢島の声で放送された。</ref><ref name="yajima_kouban">[https://www.tv-asahi.co.jp/shinchan/contents/news/0092/ アニメ「クレヨンしんちゃん」野原しんのすけ役・矢島晶子さんの降板について]</ref>)→[[小林由美子]](第970話Aパート - )(2018年7月6日 - ) : 本作の[[主人公]]。アクション幼稚園(アニメではふたば幼稚園)に通う幼稚園児。 ; [[野原みさえ]] : 声 - [[ならはしみき]](第1話Aパート~)(1992年4月13日~) : ひろしの妻で、しんのすけ・ひまわりの母。29歳の専業主婦。 ; [[野原ひろし]] : 声 - [[藤原啓治]](第1話Aパート~第904話Aパート)(1992年4月13日~2016年8月12日<ref group="注">2020年の傑作選スペシャルでは差し替えられずに藤原の声で放送された。</ref><ref>{{Cite web|url=https://news.livedoor.com/article/detail/12681278/|title=「クレしん」ひろし役の藤原啓治が久々ツイート 病気療養で16年に降板|publisher=Livedoor NEWS|date=2017-02-16|accessdate=2019-08-31 }}</ref>))→[[森川智之]](第906話Aパート~)(2016年8月26日~) : みさえの夫で、しんのすけ・ひまわりの父。双葉商事(漫画ではアクション商事)に勤務する35歳のサラリーマン。役職は営業部(営業2課)の係長(一部原作の設定では課長の時もあった)。大型2輪免許を持っており、1994年9月24日放送回の「男の旅はロマンだゾ」では、息子のしんのすけと2人で秋田のひろしの実家までサイドカー付きのバイクで旅をしたことがあった。 ; [[野原ひまわり]] : 声 - [[こおろぎさとみ]](SPECIAL 14~)(1996年9月27日~) : しんのすけの妹。原作16巻(アニメでは[[1996年]][[9月27日]]放送の「赤ちゃんが生まれたゾ」)で誕生した乳児。0歳。 ; [[シロ (クレヨンしんちゃん)|シロ]] : 声 - [[真柴摩利]](第7話Bパート~)(1992年5月25日~) : 野原家の飼い犬。捨てられていたところをしんのすけが連れて帰り、「シロ」と名づけた。特技はわたあめとちんちんカイカイ。 == ひろしの親族 == ;<span id="野原銀の介">野原 銀の介(のはら ぎんのすけ)</span> : 声 - [[松尾銀三]](第18話Cパート~第332話Cパート)(1992年8月31日~1999年9月10日)→[[チョー (俳優)|チョー]](旧名:長島雄一)(第429話Bパート以降)(2002年3月1日〜) : せまし・ひろし<ref group="注">アニメ版では後述する桜チル子がいるため、桜家に嫁いだ娘(桜チル子の母親にあたる人物)もいるが、作中には登場しない。</ref>の父で、野原兄妹の父方の祖父。[[秋田県]][[大曲市]]<ref name=jiichantachigakita>アニメ「じいちゃん達が来たゾ」(1994年1月10日放送)</ref>(現:[[大仙市]])在住の[[農家]]。しんのすけ・ひまわり兄妹の輪郭は銀の介にそっくりで、いたずらや下品なギャグ(「白髪マンモス」や「秋田名物腹踊り」等)を好み、綺麗な女性を見ると見境無くナンパする等(この2つの点はしんのすけに影響している)かなり厄介な老人である<ref group="注">アニメ「じいちゃん達が来たゾ」(1994年1月10日放送)では、死体ごっこをしてみさえに「どこが無邪気ですか!お義父さんがやるとシャレにならないでしょう!」と怒られた。</ref>。なお、しんのすけの「ぞうさん踊り」は、銀の介から伝授されたものである。一人称は「オラ」で、しんのすけの一人称が「オラ」なのも銀の介の影響である<ref>アニメ「オラがオラになった日だゾ」(2007年6月8日放送)</ref>。野原家に来る時は連絡もせずに突然現れたり、電話や手紙より早く来たりする事が多く<ref group="注">野原家の玄関前にて[[携帯電話]]で連絡し、直後に突然登場してみさえを驚かせた事もある。</ref>、逆に野原一家が秋田へ来る際には、派手な電飾で装飾された自家用車で[[大曲駅 (秋田県)|大曲駅]]まで迎えに来たり<ref name="ginchan1">アニメ「じいちゃんの家で遊ぶゾ」(1997年8月15日放送)</ref>、地元の青年団員達を引き連れてアクション映画さながらの[[寸劇]]を行う<ref name="ginchan2">アニメ「秋田に里帰りだゾ」(2008年1月11日放送)</ref>等の派手な歓迎パフォーマンスで出迎える。原作・アニメ共に登場当初はデリカシーのない一面を除き比較的まともな性格だったが、現在はひろしとみさえに迷惑をかける描写が増えた : 趣味は[[グラビアアイドル]]の写真集を見ることと夜7時からの『[[アイドル水泳大会|女だらけの水中大運動会]]』{{refnest|group=注|妻のつるによると「うちのじい様は水着運動会を欠かしたことはない」とのこと<ref>アニメ「九州のじいちゃん達が来たゾ」(1996年11月22日放送)</ref>。}}、『[[トゥナイト2]]』などのお色気番組を見ること。そのため厳格なよし治とは犬猿の仲で野原夫妻の悩みの種。一方で、よし治を「骨のある良いオヤジ」と評価したり「よっちゃん」とあだ名をつけるなど、喧嘩するほど仲がいいとされる描写もある。また、よし治が銀の介に嫉妬する描写が多いのに対し、銀の介がよし治に嫉妬するような描写は比較的少ない。しんのすけとひまわりを溺愛し、良き祖父として振る舞う共通点もある。 : 高齢に見合わず世間の流行には敏感で、初登場時([[1990年代]]初頭)にはまだ普及率が低かった[[携帯電話]]を所持していたり、銀の介が運転する車の中で[[Mr.Children]]のCDを見つけたしんのすけに「じいちゃん、ミスチル聞くの?」と尋ねられて「[[桜井和寿|桜井君]]最高!」と答えたことがある。また原作では、幼稚園バスに勝手に乗り込み、バスの中に設置されたカラオケで「[[TRF]]いってみるべ」とも言っている。アニメでは[[デジタルオーディオプレーヤー|MP3プレーヤー]]も愛用しており、[[秋葉原]]の[[コスプレ系飲食店|メイドカフェ]]に通ったり<ref>アニメ「むさえちゃんVS秋田のじいちゃんだゾ」(2006年9月8日放送)</ref>もしている模様。更に、[[年金]]をつぎ込んでまで前述の自家用車に電飾や放送機能を搭載したり<ref name="ginchan1"></ref>、家にホームシアターの設置や、囲炉裏を[[誘導加熱|IH]]式に改造<ref name="ginchan2"></ref><ref group="注">田舎の雰囲気に合わせて普段は隠されている。</ref>する等の金遣いが荒い一面も見られる。 : [[かくれんぼ]]で見つけることが得意らしく、少年時代は「めっけの銀ちゃん」と呼ばれていたらしいが、しんのすけを見つけることは出来なかった<ref>アニメ「じいちゃんと一緒だゾ」(2001年3月2日放送)</ref>。 : 車の運転はとても荒く、アニメでしんのすけとみさえが秋田へ行った際には、時速100kmで走っていた特急[[たざわ (列車)|たざわ]]号と並走して乗っていた2人を驚かせ、西大曲駅(架空)から家まではみさえが安全運転をお願いしたにもかかわらずに暴走した<ref group="注">みさえは気絶、しんのすけは運転に感心していた。</ref>。そのため妻のつる曰く、免停寸前らしい<ref>アニメ「母ちゃんと二人旅だゾ」(1993年4月5日放送)</ref>。愛車は[[ホンダ・ステップワゴン]](3代目 RG1・2・3・4型)<ref>アニメ「秋田に里帰りだゾ」(2008年1月11日放送)。</ref>。[[オートバイ|単車]]の運転もこなし、全国一周ツーリングをした際、滞在した熊本県の旅館の女将に一度だけの対面であるにもかかわらず顔を憶えられていた<ref>アニメ「九州のじいちゃん家は楽しいゾ」(2002年11月16日放送)より。なお、常連客であるよし治は忘れられていた。</ref>。 : 野原家に泊り込むことが多く、大半の理由は「ばあさんと喧嘩して秋田から逃げてきた」、「東京の秋葉原で遊び金を使い果たしてしまい、秋田へ帰る費用を失くした」等、自身が窮地に陥った際の逃げ場であるため、孫たちには喜ばれるものの、野原夫妻からは煙たがられている。むさえも初対面では困惑していたが、徐々に打ち解けて気が合う者同士となった。 : お調子者である一方、他人のダメな所を注意したり、ひろしが風邪をひいた時には野原家ならではの治療法で看病したり、ひまわりの名前の命名に非常に悩んでいた際には協力を買って出る等、人情味あふれる一面も持ち合わせている。また、ひまわりはしんのすけの勝利で決まった名前で、当初はひろしとみさえは不安がっていたものの「この子(ひまわり)が自分で選んだのだ」と宥めた。 : よくしんのすけたちに野菜や海産物を送っており、海産物を送る際は[[カニ]]や[[タコ]]等、特に生命力が強そうな物を選んでいる<ref>アニメ「タコさんはたくさんだゾ」(2010年8月6日放送)</ref>。 :「クレヨンウォーズ」では野原一家以外の親族として唯一登場。 : 映画『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード|嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード]]』では、スウィートボーイズの裏工作で犯罪者に仕立て上げられた野原一家に巻き込まれ、重要参考人として連行された<ref group="注">なお、熱海サイ子を装着したしんのすけによって一家が凶悪犯であった事実が抹消されたが、自身はどうなったかは不明。</ref>。 ; <span id="野原つる">野原 つる(のはら つる)</span> : 声 - [[北川智繪]](第18話Cパート~第715話Bパート)(1992年8月31日~2010年10月15日)→[[梅田貴公美]](第808話Bパート以降)(2013年7月12日〜) : せまし・ひろしの母で、野原兄妹の父方の祖母。銀の介ほどではないがいたずらや芸が好きで、またかなりの巨乳らしく、しんのすけと風呂に入った時は「スルメオッパイ踊り」なる一発芸を披露し、しんのすけに「蝶結び出来る?」と聞かれ「できっかもしんねぇよ」とノリノリで答えた<ref name=jiichantachigakita/><ref group="注">この時、普段とは逆に銀の介から「下品だぞばあさん!」と叱られた。</ref>。入れ歯をはめており、銀の介の悪ふざけのノリが過ぎた際にはお仕置きで銀の介の顔に命中させた<ref>アニメ「じいちゃんと東京見物だゾ」(1993年7月26日放送)</ref>。 : 犬猿の仲かつライバルである夫・銀の介とみさえの父・小山よし治とは対照的に、自身とみさえの母・ひさえとは非常に良好な関係を築いている。また、みさえとは嫁姑の関係に当たるが、お互いに本当の親子のように慕っている。 :歌謡コーラスグループ「NAGAREBOSHI☆流星群(流れ星流星群)」のファンであり、コンサートのためにはるばる上京した事もある<ref>新第6巻より</ref>。 ; <span id="野原せまし">野原 せまし(のはら せまし)</span> : 声 - [[細谷佳正]]<ref>{{Cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/487581|title=「クレヨンしんちゃん」アニメに野原ひろしの兄・せましが初登場、声優は細谷佳正|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-07-30|accessdate=2022-07-30}}</ref>(第1142話Cパート~)(2022年8月6日~)、[[田村睦心]](若い頃) : ひろしの兄で、野原兄妹の父方の伯父。40歳・独身→既婚(『新クレヨンしんちゃん』11巻)。ひろしからは原作では「兄ちゃん」→「アニキ」、アニメでは「あんちゃん」と呼ばれている。[[農家]]。原作第24巻で初登場。アニメでは長らく登場せず、原作でせましが登場する回がアニメで放送された時はせましの役割を銀の介が担ったりせましが登場する場面をカットして放送していた。[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲|オトナ帝国の逆襲]]でのひろしの回想シーンや野原家の家系図紹介でも除外されていた<ref>アニメ「オラんちの“ルーツ”だゾ(2017年6月2日放送)より。なお、この回では桜チル子の母(銀の介・つるの娘且つ、ひろし・せましの姉)に当たる人物も登場していない。</ref>が、「野原せまし登場!だゾ」(2022年8月6日放送)にてアニメに初登場。以降はアニメにも度々登場するようになりせましが登場するアニメオリジナルストーリーも制作されるようになった。 : 顔はひろしにそっくりだが、みさえに輪をかけてケチな性格で、名前通り心が狭く無表情であったが『新クレヨンしんちゃん』から表情豊かになる。しんのすけ曰く「秋田一のケチ」で、野原家に居着いた銀の介を連れて帰るために秋田から数週間かけてヒッチハイクで春日部に来た。その後酒の飲みすぎで二日酔いになり、野原家に2泊してから銀の介とともに帰宅。なお、アニメ版では銀の介は野原家にいないのでひろしが20代の頃書いた借用書のお金を返してもらう為に、ヒッチハイクで秋田から春日部へ来て1泊して帰った、というストーリーに変更されている。また、弟とは異なり足が臭くないという設定も追加されている。 : 弟との仲は良好だが、些細な事でしばしば衝突している。新しい物好きで金遣いの荒い銀の介を諌めることがあるが、自身もシアタールームでこっそり[[アダルトビデオ]]を鑑賞していたことを銀の介に暴露されたことがある<ref group="注">アニメ版ではせましの役割を銀の介に変更した上で放送された(「秋田に里帰りだゾ」〈2008年1月11日放送〉)</ref>。 : 喫茶店で働くこまちという女性に惚れ込み、気を引こうと[[田沢湖]]へのドライブデートを計画するも、こまちには別れた夫が居た。結局夫とよりを戻すことになり破談となった<ref group="注">このドライブデートにはしんのすけも同行していたが、夫がいる事実が発覚した段階で「ガソリン代もったいないから行かんべ」と取り止めている。</ref><ref group="注">アニメ版ではせましの役割を銀の介に変更した上で放送された(「秋田に里帰りだゾ」〈2008年1月11日放送〉)。</ref>。 : その後、『新クレヨンしんちゃん』第11巻で結婚が決まり、婚約者を紹介すべく野原家を電撃訪問。2人の連れ子がいることに関して弟・ひろしに難色を示されたが「子育ての手間が省ける」と述べている。一方で「本当の親子になるには時間も必要だ」とも吐露している。 : 『新クレヨンしんちゃん』第12巻で育菜がせましとの子どもを出産したことで3児の父親となる。また、銀の介・つるの家の敷地内に自分たちの家を建てた模様<ref group="注">なお、半分ほど銀の介が資金援助している。</ref>。 : なお、みさえが[[脚本家|シナリオライター]]を一時期目指していた時期に書いた小説にも「せまし」という人物が登場している。関連性は不明。 ; <span id="野原育菜">野原 育菜(のはら いくな)</span> :声 - (第1214話Cパート~)(2024年1月6日〜) : 『クレヨンしんちゃん』原作連載30周年を記念して『まんがタウン』2020年9月号(『新』11巻)アニメでは「婚約者がきたゾ」(2024年1月6日放送)から登場したせましの婚約者。27歳。ひろしの義理の姉。2人の子持ちの[[バツイチ]]であり、旧姓は「小鹿野(おがの)」。アニメでは「婚約者がきたゾ」(2024年1月6日放送)から登場。せまし同様ケチな性格で意気投合。平時は糸目で瞳が見えない。つると同様に悪戯好きな性格でもあり、元気のない子供達を元気づけようと鬼のお面を被り脅かしたこともある。前夫と離婚前は大宮に住んでいたが、離婚後は故郷の秋田に戻り、実家の畑を手伝っている。せましとは村の婚約パーティーで出会い、[[トランシーバー (無線機)|トランシーバー]]で連絡を取り合っていた。 : 『新クレヨンしんちゃん』11巻でせましとの子供を妊娠し正式に結婚して名字が「野原」になった。『新クレヨンしんちゃん』第12巻で男の子を出産したことで、3児の母となる。 ; <span id="野原樹">野原 樹(のはら いつき)</span> :声 - (第1214話Cパート~)(2024年1月6日〜) : 『クレヨンしんちゃん』原作連載30周年を記念して『まんがタウン』2020年9月号(『新クレヨンしんちゃん』第11巻)アニメでは「婚約者がきたゾ」(2024年1月6日放送)から登場した育菜の連れ子。3人兄妹の長男。菜摘と芽生の兄。小学生。ぶっきらぼうな性格だが、[[シスターコンプレックス|シスコン]]な面がある。[[ミミズ]]が苦手。実の両親の離婚前は大宮の小学校に通っており、友人のたけし達と[[サッカー]]の約束をしていたが、離婚した育菜に連れられ、たけし達に別れを言えないまま秋田に引っ越したことを根に持っていた。その後、育菜がせましと再婚する事になった際に野原家を訪れる。当初は育菜の再婚相手となるせましやしんのすけ達の事を快く思っておらず、冷たい態度を取っていたが、大宮を訪れてたけし達と再びサッカーに興じることができ、「春日部に従弟と従妹(しんのすけ達)がいるからまた会える」と約束を交わし、同時にしんのすけ達を従弟と従妹と認めた。せましに関しては「あいつのせいで友達と離れ離れになった」と考えていたようだが、少しずつ父親と認め始めている。 ; <span id="野原菜摘">野原 菜摘(のはら なつみ)</span> :声 - (第1214話Cパート~)(2024年1月6日〜) : 『クレヨンしんちゃん』原作連載30周年を記念して『まんがタウン』2020年9月号(『新クレヨンしんちゃん』第11巻)アニメでは「婚約者がきたゾ」(2024年1月6日放送)から登場した育菜の連れ子で樹の妹で芽生の異父姉。3人兄妹の長女で兄と弟がいる。5歳。マイペースな性格で、大量のミミズを手づかみするほどの怖いもの知らず。両親が離婚し、育菜がせましと再婚する事になった際に野原家を訪れた。野原家の人々とはすぐに打ち解けており、特に同い年で同じマイペースなしんのすけとは、(樹の尾行のためとはいえ)[[電車]]に乗って2人で出かけるほど馬が合う様子。 ; <span id="野原芽生">野原 芽生(のはら めぐむ)</span> : 新12巻で登場した、せましと育菜の子供。樹と菜摘の異父弟で3人兄妹の末っ子であり、ひろしの甥。 ; <span id="育菜の両親">育菜の両親</span> : 育菜の父と母。母はつる同様お茶目な性格。せましと育菜の結婚式では、母はつると一緒に[[ピンク・レディー]]の「[[UFO (ピンク・レディーの曲)|UFO]]」を、父は銀の介と一緒に[[かまいたち (お笑いコンビ)|かまいたち]]のコント「UFJ」をそれぞれ披露した。 ; <span id="桜チル子">桜 チル子(さくら チルこ)</span> : 声 - [[真山亜子|水原リン]] : アニメ133話Cパート「受験生に気をつかうゾ」<ref>1995年2月13日放送。</ref>のみ登場。アニメ版オリジナルキャラクター。 : ひろしの[[姪]]でしんのすけ・ひまわりの[[いとこ|従姉]]<ref group="注">ただし、チル子が春日部を訪れるのはひまわりが生まれる前であり、ひまわりとの面識はない。</ref>。年齢は19歳前後。ひろし・せましの姉の娘<ref group="注">ひろし・せましの姉は原作やアニメには未登場</ref>。[[過年度生#用語|浪人生]]であり、受験勉強のため野原家にやってきた。しんのすけのおかげでリラックスし、志望大学に合格。 : 普段は眼鏡を着用しているが、眼鏡を外すとしんのすけも見惚れるほどの美人である。 == みさえの親族 == ; <span id="小山よし治">小山 よし治(こやま よしじ)</span><ref group="注">「よし治」は「よし'''はる'''」とも読む。</ref> : 声 - [[坂口賢一]](第209話Aパート~第454話Cパート、SPECIAL 43<ref group="注" name=":0">第454話の再放送</ref>)(1996年11月22日~2002年11月16日、2004年10月16日<ref name=":0" group="注" />)→[[池田知聡]](第611話Aパート~)(2007年9月14日~) : みさえの父で、野原兄妹の母方の祖父。[[熊本県]]アソ市(現実の[[阿蘇市]]とは無関係)在住。大卒。元・中学教頭。 : 生まれは[[長崎市]]だが、[[長崎市への原子爆弾投下|原爆被害]]で熊本へ疎開し、現地でひさえに出会った。しかし、ひまわり誕生後は戦前生まれという設定が変更されて描かれている。疎開先で戦後の食糧難に見舞われたため、食べ物の大切さを3人の娘に口を酸っぱくして教えて育てた。みさえは父親の体験談に感銘を受け、しんのすけの[[ピーマン]]嫌いを直そうと必死だが、むさえの胸には響かず[[タマネギ]]が苦手である。 : 厳格で頑固、古典的な[[九州男児]]であるが<ref group="注">妻であるひさえいわく、その頑固さはケータイの着メロがベートーベンの[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|交響曲5番「運命」]]であることなどから伺え(第770話より)、常に背広にネクタイ着用という生真面目さも持ち合わせ「堅物」を通り越して「天然記念物」とまで評されるほど(第209話より)。</ref>美人に弱い一面も。果敢な性格であるが体力面では若者に簡単にねじ伏せられてしまう(しかし教頭時代に悪ガキを追いかけてきたため、足には自信があるらしい)。 : 対照的な性格である銀の介とは犬猿の仲=ライバル。銀の介からは「阿蘇山カルデラジジイ」呼ばわりされる(770話)、「よっちゃん」というあだ名をつけられる等、言い争いや意地の張り合いの度が過ぎて孫の取り合いまでに発展し、最終的に周囲に迷惑をかけ、みさえや双方の妻達から怒られる事もしばしばある(770話など)。しんのすけやひまわりにとっては祖父としてのウケや好評度が銀の介よりやや劣るためか、銀の介に嫉妬するような一面も多いが、根から嫌っているわけではなく、お互い仲良く接している描写もみられる。一度「お互いを見習う」ということから、「お互いがお互いになりきる」事があった。しかし、その一方で仲良くしていた所が、再び些細なことで言い争いを発展してしまうことも稀にある。 : 趣味は[[写経]]と[[囲碁]]、[[日本放送協会|NHK]]の朝のニュース、午後7時のニュースを見ること。みさえ曰くクジ運はとことん悪く、宝くじで一万円が当たった際は思わず春日部の野原家まで報告に駆けつけ、その後続々と押し寄せた訪問客全員に[[かき氷]]や[[ぜんざい]]、[[パフェ]]をご馳走した。銀の介と同じく、しんのすけとひまわりの写メを待受にしているほど溺愛しており、またしんのすけとひまわりからも大切にされている。時折、孫たちに会いたくなって野原家を訪れるが、銀の介と同様に連絡もせずに突然やって来ることが多い。いわゆる[[ツンデレ]](第770話より)。一人称は「わし」。 : 地元での交友関係は不明だが、第327話<ref>1999年8月6日放送「野原家の知り合い全員集合だゾ」「大家族はそうぞうしいゾ」「家族はやっぱりいいもんだゾ」</ref>で野原家を訪れた際は後から訪問客が大量に押し寄せた影響で、おケイや鳩ヶ谷夫妻(ミッチー&ヨシりん)、ひろしの部下の川口とも面識がある。 : 表向きには[[亭主関白]]であるが本性は愛妻家で、ひさえが入院した際(ひさえの項参照)には「あいつがいないとワシはもうダメだ」と、涙ぐむ描写も見られた。 ; <span id="小山ひさえ">小山 ひさえ(こやま ひさえ)</span> : 声 - [[上村典子]](第209話Aパート~)(1996年11月22日~) : みさえの母で、野原兄妹の母方の祖母。 : 小山家三姉妹の輪郭は、母・ひさえのものを受け継いでいる(特に現在のみさえは髪型も似ていて、ひさえをそのまま若返らせたようであり、そっくりである)。また、押し入れを開けると物が流れ出てくる乱雑な収納術は次女のみさえに受け継がれた<ref>原作16巻、アニメでは「二人のじいちゃんと出かけるゾ」(1996年11月22日放送)。</ref>。 : 普段はおとなしい性格で料理上手。よし治・銀の介が犬猿の仲=ライバルであるのに対し、こちらはひろしの母・つると普段から仲が良い。また、夫とは違い銀の介との関係も良好で、笑顔で談笑している<ref>原作16巻。</ref>。『新クレヨンしんちゃん』6巻では、検査と手術のため[[東京都]]内の病院に入院した。みさえやまさえに昔グリグリ攻撃をしていたこともある<ref>2022年6月11日放送「みさちゃんな母ちゃんだゾ」</ref>。 ; <span id="小山まさえ">小山 まさえ(こやま まさえ)</span> : 声 - [[宮寺智子]](第130話Aパート~)(1995年1月23日~) : 小山家3姉妹の長女。みさえの姉・むさえの長姉で、野原兄妹の母方の伯母。ひろしには「お義姉さん」と呼ばれる。35歳独身。熊本県在住。大卒。中学教師で、担当教科は国語<ref>原作では『月刊まんがタウン』2005年12月号(単行本44巻)、アニメでは2006年6月9日放送「女3人寄っちゃったゾ」で判明。</ref>。 : 登場当初はおっとりした明るい性格だった。普段から[[和服|着物]]を着用し、日常会話に[[熊本弁]]を用いる。イタズラ好きで、恐ろしい仮面などを被り急に現れて飛び上がらせることは趣味の域<ref group="注">ただし、しんのすけなど一部には効かないこともあり、やり返されて気絶しかけたこともある。</ref>。そのため、妹のみさえにはいつも怒られている。二回目に登場した時は、言葉遣いに厳しく細かいことにうるさいというキャラ付けがされていた。このためひろしはまさえを苦手としている。原作では10巻に1度だけ登場し、その後むさえが野原家に居候していることを知って押しかけてくるまで登場しなかったが、アニメではみさえの妊娠中などに何回か登場している<ref group="注">スパンが長いので毎回しんのすけに「おばさん誰だっけ?」と言われてしまう</ref>。三姉妹が勢ぞろいして喧嘩をする様はまさに“女三人姦し”く、誰も手が付けられない。酒を飲んで酔っ払った時はさらにひどくなり、その時はひろしがその犠牲者となっていた。みさえの必殺技「グリグリ攻撃」はまさえ譲りだと「女3人寄っちゃったゾ」で発言していたため思われるが、<ref>アニメ「女3人寄っちゃったゾ」(2006年6月9日放送)</ref>ひさえも「グリグリ攻撃」をみさえに幼い頃しているため、結局どっち譲りかは不明<ref>2022年6月11日放送「みさちゃんな母ちゃんだゾ」</ref>。 ; <span id="小山むさえ">小山 むさえ(こやま むさえ)</span> : 声 - [[根谷美智子]](第561話Aパート~)(2006年3月17日~)、[[樹元オリエ]](小学生時代)(第742話Aパート)(2011年8月5日) : 小山家3姉妹三女・末っ子。まさえ・みさえの妹で、野原兄妹の母方の叔母。26歳・独身。 : 幼少期に両親にかなり甘く育てられたこともあり、姉のみさえ以上に子供っぽい性格で、精神年齢もしんのすけ以上に幼い<ref>2022年6月11日放送「みさちゃんな母ちゃんだゾ」にてむさえは、壁に落書きしていたにもかかわらず、母のひさえは全く叱らなかった。</ref>。スタイルはみさえよりは良く、特にバストはみさえより大きく、かなり差があるらしい。水着は緑色の[[ハイレグ]]。幼いころから落ち込んだときには、近所(熊本の実家)の公園の木に登り[[熊本城]]を眺める。これは大人になった現在でも変わっていない。[[ドッジボール]]が得意で、幼い頃は「熊本の弾丸娘」と呼ばれていた。 : 数年前に[[OL]]をやめて以来消息不明だったが、その理由は世界中の子供の写真を撮る写真家「'''根画 ヒルム'''<ref group="注">アニメでは「'''根画 ヒロム'''」。</ref>」(声 - [[宝亀克寿]])の助手となり共に旅をしていたからだった。しかし根画が[[ヌード写真]]に転向したこと、「才能がない」と破門を言い渡されたことに絶望。社会逃避の果てに資金も尽き、アパートを追い出され、春日部の野原家に転がり込み、2階に住み着いた。しかしそれからの生活は怠け者そのもので、一日の大半を寝て過ごす、掃除もせず散らかしたままなど、だらしのない有様であった。そのため姉のみさえを始めとする野原家の面々からは邪魔者扱いされることも多かったが、全般的には仲良く暮らしていた。屁理屈をこねることが非常に多く、その度に野原家の家族(主にしんのすけ)に「何言ってんだこの人」と突っ込まれる<ref group="注">もっとも当の本人は大真面目で、屁理屈である事をまるで自覚していない。</ref>。「アルバイトしてみたゾ」<ref>原作44巻、2007年11月30日放送。</ref>において、かすかべ書店でアルバイトをしたが、根画の写真集を見つけたことで過去の忌まわしい思い出が蘇り、「過去を思い出したくない」と1日限りで辞めている<ref group="注">カメラマン時代の経験から、重いものを運ぶことには慣れている上、しんのすけへの対応も見事だった為、店長と中村からは「失うには惜しい人材」と評された。</ref>。 : 前述のアルバイトにおいて、師匠である根画の「才能がない」発言が、根画自身も自然写真だけでは食ってゆけず、酒びたりの生活をし、魂のこもっていないヌード写真ばかりしか撮らなくなってしまった点をむさえに諫められたことに対する反発に過ぎなかったことが判明。よし治が野原家を尋ねに来た際、自分には姉たちと違って、誇れるものが何もないことへのコンプレックスを吐き出し、よし治から「故郷に戻って見合いをすればいい」と連れ戻されそうになるが、その際幼い頃にいたずらで撮った父の笑顔の写真<ref group="注">よし治は滅多に笑顔を見せず、この時撮影した笑顔の写真は偶然の産物に過ぎないが、非常に希少な一枚となった。</ref>を今も持ち歩いていたことに感激。そして父から自分の想いを貫くことを諭され、写真家の夢を取り戻した。また、しんのすけを幼稚園へ送りに行った際に、幼稚園の写真をよく依頼される女性写真家「連図」に出会う。折しも撮影旅行の助手を探しているところだった彼女はむさえに助手の話を持ちかけ、むさえは女性写真家の信念に自らが求めていたものを見出し、快諾。荷物をまとめ、野原家に感謝しつつ旅立っていった。 : アニメ「九州のじいちゃんが来たゾ」<ref>2007年9月14日放送。</ref>において、よし治が野原家を訪れた時に「3ヵ月でカメラマンとして芽が出なかったら熊本に帰郷する」と猶予期間を与えられる。そしてアニメ「祝!!ナント!青春の旅立ちだゾ」<ref>2008年1月18日放送。</ref>でむさえの野原家からの旅立ちが描かれ(この展開は原作とは少々異なる<ref group="注">撮影旅行をする連図が助手を探していない、むさえ自身が連図への弟子入りを懇願する、など。</ref>)、野原家に感謝をしつつ旅立っていった。また、よし治の野原家訪問とむさえの過去が明かされる順番が、原作とアニメでは逆になっている。 : 以降は長らく登場していなかったが、原作では『新クレヨンしんちゃん』2巻vol.025、アニメ「おかえり、むさえちゃん!だゾ」<ref>2008年1月25日放送。</ref>で春日部に戻ってきており、現在は連図が営んでいる『バラクーダ写真スタジオ』で働きながら、かつて野原一家が仮住まいとして住んでいたまたずれ荘に住んでいる<ref group="注">野原一家入居期より「またずれ荘」の表記が朽ちて外れ、「また  荘」になっている。</ref>。入居している部屋は野原一家が以前住んでいた202号室であり、その後も原作と違い頻繁に登場している。まだ若く「おばさん」「おばちゃん」と呼ばれたくないという心境があるからか、しんのすけには「むさえちゃん」と呼ばれている。また、ひろしを「義兄さん(にいさん)・お義兄さん」、みさえを「姉ちゃん」もしくは「みさ姉」、まさえを「まさ姉」と呼ぶ。 : お仲間総選挙では、7位を獲得し出演した。 ; <span id="ふさえおばさん">ふさえおばさん</span> : 声 - [[有馬瑞香]](第655話Aパート)(2009年1月16日) : アニメオリジナルキャラクター。ひさえの妹で3姉妹の叔母、しんのすけ・ひまわり兄妹の大叔母。 : お見合い好きで熊本に帰省したむさえに見合い話を持ち込んだ(以前はまさえにも見合い話を持ち込んでいた)。 == 幼稚園関係 == === ひまわり組 === ==== かすかべ防衛隊 ==== しんのすけ達5人が結成した組織<ref>原作では11巻、アニメでは「かすかべ防衛隊だゾ」(1995年5月1日放送)で結成。</ref>。「春日部の愛と平和を守る」がモットー。秘密基地はよしなが先生やまつざか先生の自宅。 下記4人の詳細は{{see|かすかべ防衛隊}} ; [[かすかべ防衛隊#風間トオル|風間 トオル]](かざま トオル) : 声 - 真柴摩利(第1話Cパート~)(1992年4月13日~) : 幼稚園児ながら英語や様々な知識を持ち合わせている「エリート」的存在で、プライドが高いが、親には甘えん坊である。魔法少女もえP等の少女向けアニメのファンである。 ; [[かすかべ防衛隊#桜田ネネ|桜田 ネネ]](さくらだ ネネ) : 声 - [[林玉緒]](第1話Cパート~)(1992年4月13日~) : 5歳児とは思えないほどおませな女の子。自らがストーリー設定及び、脚本を手がける「リアルおままごと」が大好きである。 ; [[かすかべ防衛隊#佐藤マサオ|佐藤 マサオ]](さとう マサオ) : 声 - [[一龍斎貞友]](旧名:鈴木みえ)(第1話Cパート<ref group="注">他のかすかべ防衛隊のメンバー同様、第1話Cパートで既にマサオにもセリフがあったが、エンディングではクレジットされていない。クレジットされたのは第2話Bパート(1992年4月20日)から。</ref>〜)(1992年4月13日~) : 坊主頭とまるい顔から「おにぎり」というあだ名を付けられてしまった。臆病で泣き虫だが、漫画を描くのが得意といった一面も見られる。 ; [[かすかべ防衛隊#ボーちゃん|ボーちゃん]] : 声 - [[佐藤智恵]](第1話Cパート~)(1992年4月13日~) : 名前の通り「ボー」っとした男の子。相槌を打つ時や返事、感情を表すときなどに自ら「ボー」という。珍しい石などを多くコレクションしている。たまに冴えた一言を言う。トオルほど博識ではないが、雑学的な知識は豊富である。 ==== かすかべ防衛隊以外 ==== ; [[かすかべ防衛隊#酢乙女あい|酢乙女 あい]](すおとめ あい) : 声 - [[川澄綾子]](第339話Aパート~)(1999年11月12日~) : 原作では25巻、アニメでは「嵐を呼ぶ園児・酢乙女あい登場だゾ」から登場。 : 超お金持ちの親を持つ令嬢。生まれはニューヨーク。趣味はアンティークドールのコレクション。一般庶民の暮らしを経験したかったために世田谷から春日部に引っ越して来た。 : お仲間総選挙では、2位を獲得し出演。 ; 時川ショウ (ときかわ ショウ) : 声 - [[佐藤ゆうこ (声優)|佐藤ゆうこ]](第599話)(2007年5月25日) : 原作では45巻、アニメでは「幼稚園にニューフェースだゾ前編・後編」に登場。一週間だけふたば幼稚園へ転園して来た。転園初日からひまわり組に対して好戦的な態度で、ばら組のいじめっ子たちと喧嘩に勝ってたちまち番長になり、トイレの窓から抜け出し無断で帰宅するなど素行が悪く、ひまわり組の園児とは打ち解けようとしなかった。しんのすけに只ならぬ雰囲気を感じタイマンを挑もうとして彼の自由奔放さに惑わされるが転園最終日にしんのすけの提案でまつざか先生のつけ睫毛を奪う勝負することになり、まつざか先生を追いかけ(よしなが先生には仲良く遊んでると思われていた)しんのすけとショウは泥だらけになり笑い合っていたところへ父親が迎えに来て、「ショウが笑ってる」と感動していた。父親曰くショウは母親を1年前に亡くし(アニメでは言及されていない)、自身も転勤が激しく友達ができずに素行が悪くなっていたという。しんのすけと意気投合し喧嘩をやめると誓い幼稚園を後にした。 ; <span id="二子玉川タツヤ">二子玉川 タツヤ(ふたこたまがわ タツヤ)</span> : 声 - [[小林ゆう]](第862話Aパート)(2015年5月29日) : 『新クレヨンしんちゃん』vol.37、38に登場。アニメでは、「双子が来たゾ」に登場。二子玉川カズヤの双子の兄。頭の[[アホ毛]]が1本ある。 : いつも兄弟ケンカをしている。兄弟ともに1m以内だと凶暴かつ怖いもの知らずになり、口調も悪くなるが、1m以上離れていると異常なまでの泣き虫になる。原作では初登場以降出番はなかったが9巻で再登場した。アニメでは初登場の放送回以降ほとんど登場や存在について触れられていない。 ; <span id="二子玉川カズヤ">二子玉川 カズヤ(ふたこたまがわ カズヤ)</span> : 声 - [[寺崎裕香]](第862話Aパート)(2015年5月29日) : 『新クレヨンしんちゃん』vol.37、38に登場。アニメでは、「双子が来たゾ」に登場。二子玉川タツヤの双子の弟。頭のアホ毛が2本ある。 : 彼ら兄弟は東京から春日部に引っ越してきたばかりで家を探している途中にはぐれて迷子になっていたところ、かすかべ防衛隊に出会った。 : カズヤの方は最初ばら組に転入していたが、兄弟がお互い近くに居ないと泣きっぱなしになるという特性から、最終的にひまわり組に入ることになった(アニメでは最初から二人ともひまわり組に転入)。原作ではタツヤ同様初登場以降登場はしていなかったが、9巻で再登場した。アニメでは初登場の放送回以降ほとんど出番はない。 === ばら組 === これ以外にも、大会などの際に1回限りの園児(とくに[[ソフトボール]]大会や[[サッカー]]大会など、特定のイベントに特化した能力を持つ園児)が登場する事が多い。 ; <span id="河村やすお">河村 やすお(かわむら やすお)</span> : 声 - [[大塚智子]](第21話Cパート~)(1992年9月21日~) : 横暴な性格であだ名は「'''[[チーター]](河村)'''」。他の園児とは異なり青の[[スモック]]を着用せず、常に[[アニマル柄|ヒョウ柄]]の[[ランニングシャツ]]を着ている<ref group="注">一部の回では、青のスモックの上にヒョウ柄のランニングシャツを着ている場合がある。</ref>(運動会の騎馬戦では帽子までヒョウ柄であった)。 : サッカー<ref group="注">まつざか先生曰く「ふたば幼稚園の[[三浦知良|カズ]]」アニメ「サッカー大会だゾ」(1993年3月22日放送)。</ref>や[[マラソン]]等、全般的に運動能力に優れているが、しんのすけの強運には勝てず(大抵はしんのすけのマイペースに呑まれることがほとんどである)、ひまわり組との対決ではほとんど負けている。 : 自ら勝負を仕掛ける割には、結局散々な結末になることがほとんどである。まつざか先生の影響によりひまわり組を馬鹿にする発言が多いが、特段嫌っているというわけでもない為ひまわり組と一緒に行動することもある。体育祭の徒競走ではしんのすけに負けていたが、しんのすけが勝利を捨てて転んだマサオを助けに向かった時には、河村も逆転勝利を捨てて一緒に駆け寄り介抱して皆で一緒にゴール<ref>「友情のリレーだゾ」(835話)</ref>したり、ふたば幼稚園の園庭を独占しようとするサッカーチームと対戦する時はひまわり組のメンバーと協力して試合に臨むなど、雪合戦ではどうあがいても負けたときはバラ組とひまわり組の垣根を外して全員で雪合戦を楽しむ(勝ち負け関係なし)、等とひまわり組とは完全な不仲ではない。また、しんのすけの勝負強さも認めている。ひまわり組とバラ組とクラス単位の対戦となる際(コートの取り合い等)で、しんのすけがラスボス的存在となる際に「先生」<ref>バラ組でその分野に非常に長けている園児。主にしんのすけに向けてだが、スペシャル技を披露する。</ref>(例:形氷杉夫〈かたこりすぎお〉<ref>「テニスで対決だゾ」</ref>)に「こいつ(=しんのすけ)は要注意ですよ」(=侮らない方が良いを意味)と耳打ちするほどである。 : 当初の登場シーンではまつざかのテーマBGMと同じBGMが流れていた。当初しんのすけからは「チーターさん」と呼ばれていたが、現在は通称を間違えられたり(「ターキー井上」「セーター」「ヒーター」「モーター」「ヘリコプター」「バンカー」「シーサー」など)、存在そのものを忘れられたりしている。さらには、しんのすけと運動会の組対抗リレーで知り合った当初は「カバムラくん」と本名ですらも間違えられている。その他、ひまわり組の部屋に入った際にしんのすけに「新入生だ」と忘れられた存在として扱われた事も<ref>原作新9巻vol.178</ref>。 : 登場回数は多くないが、アニメ初期から登場しており劇場版にも登場した。家族は母親と[[イヌ|犬]]の「ジャクソン(アニメではクリントン)」が登場している。また原作初期(単行本未収録回)には「中学で陸上部に所属している兄がいる」という発言もあった。 : アニメではひとし、てるのぶと一緒に登場することが多い<ref name="Kwamura&Hitoshi&Terunobu">アニメ「夏といえば水泳大会だゾ」(2007年7月13日放送)、「犯人はダレだ!だゾ」(2009年7月10日放送)、「金魚すくいで勝負だゾ」(2010年8月6日放送)等。</ref>。同じ組のかなに惚れており、向こうも惚れていると思い込んでいたが、実は動物好きなだけでヒョウ柄のシャツに興味を示されていただけであり、後に[[ヒョウ]]のコスプレをさせられてマサオにまで笑われるという結果となった。 : お仲間総選挙では、10位を獲得し、出演。 ; <span id="ひとし">ひとし</span> : 声 - [[志乃宮風子]](第19話Bパート)(1992年9月7日)→[[横山智佐]](第65話Cパート〜不明)(1993年9月6日~不明)→[[天田有希子]](第599話Aパート、第605話Bパート)(2007年5月25日、2007年7月13日)→[[永澤菜教]](第671話Aパート~)(2009年7月10日~) : 原作では3巻、アニメでは「決闘しちゃうゾ」(1992年9月7日放送)から登場。刈り上げ([[ツーブロック]]気味)の髪型をした[[いじめ|いじめっ子]]で、よくコンビのてるのぶと共にマサオをいじめている。故意ではないものの頻繁にしんのすけに泣かされている。同じばら組の園児である河村と一緒に登場する時もある<ref name="Kwamura&Hitoshi&Terunobu" />。小学校時代を描いた『エンピツしんちゃん』でも登場するが、幼稚園時代とは変わって意地目鯛太郎にいじめられている。 ; <span id="てるのぶ">てるのぶ</span> : 声 - [[白石文子]](第19話Bパート)(1992年9月7日)→[[白鳥由里]](第65話Cパート〜不明)(1993年9月6日~不明)→[[山口眞弓]](第599話Aパート、第605話Bパート)(2007年5月25日、2007年7月13日)→[[瀧本富士子]](第671話Aパート~)(2009年7月10日~) : 原作では3巻、アニメでは「決闘しちゃうゾ」(1992年9月7日放送)から登場。太ったいじめっ子で、コンビのひとしと共にマサオをよくいじめていた。ひとし同様河村と一緒に登場する時もある<ref name="Kwamura&Hitoshi&Terunobu" />。限定販売されたもえPのハンカチを持っていたため、風間からとても興味を持たれた事がある<ref name="snowballfight2016129">アニメ「オラと雪の合戦だゾ」(2016年1月29日放送)</ref>。 ; <span id="メグミ">メグミ</span> : 声 - こおろぎさとみ(第82話Bパート~)(1994年1月24日~) : マサオが惚れているピンクのリボンをした女の子。5歳<ref name=Megumi>アニメ「マサオくんの恋だゾ」(1994年1月24日放送)</ref>。血液型はA型<ref name=Megumi/>。じゅんこ(声 - [[麻見順子]])という友達がいる<ref name=Megumi/>。 : 原作では7巻、アニメでは「マサオくんの恋だゾ」(1994年1月24日放送)で初登場。 : マサオが一目惚れし[[恋文|ラブレター]]を書いた相手。その際、恥ずかしさのあまり代わりにしんのすけに届けさせたが、しんのすけは名前が同一で別人の「メグミ」にラブレターを渡してしまい、恋は実らなかった。アニメ版ではラブレターに差出人の名前が書かれておらず、しんのすけもマサオからのラブレターである事を伝えなかったため、しんのすけが書いた物だと勘違いされ、しんのすけと一緒にシーソーに乗ってしまう。それを見ていたマサオは「お名前書いとけばよかった」と悔やんでいた。 : その後も「ナンパの道はきびしいゾ」<ref>1995年7月17日放送。</ref>など、初期のエピソードではたびたび登場している。 ; <span id="ミホ">ミホ</span> : 声 - [[阪口あや]] : 惚れやすい性格で、しんのすけにラブレターを渡しデートする(アニメでは最終的にしんのすけは好意を抱く節を見せていた)が、しんのすけのデリカシーのなさに呆れ振ってしまう。翌日にはボーちゃんにもラブレターを渡していた。別の話ではマサオや園長にも惚れていたが、その翌日にはしんのすけに惚れ、再びラブレターを渡そうとする。しかし風間にはラブレターが来ないため「なんで僕には来ないんだ」と嘆いていた。メグミ同様、初期のエピソードに度々登場している。 ; <span id="宇集院魔朱麿">宇集院 魔朱麿(うじゅういん ましゅまろ)</span> : 声 - [[森田チアキ]](現:[[森田樹優]]) : 宇集院家の[[御曹司#現代用語の「御曹司」|御曹司]]。大金持ちの温室育ちのため、非常に我儘でキザな性格。母親も高飛車であり、その影響を受けている様子。登場頻度は低いが、初期から現在の『新クレヨンしんちゃん』まで登場している。 : 初登場時にはネネに毛虫を突き付けて嫌がらせをし、しんのすけにも同じ行為をするも、逆に犬の糞を突き付けられた(アニメ版では突き付けた毛虫がしんのすけの頭に乗っかっても物怖じしなかったことに驚いて逃げ出した)際に転倒し、膝をすりむく。この後、野原親子は宇集院家に謝罪に赴くも、母の態度にみさえが激怒したことで母親同士のケンカに発展。一方で魔朱麿はしんのすけと仲直りしていた。アニメ版では魔朱麿がしんのすけに謝るシーンが追加され、2人が仲直りしたことで、みさえが宇集院に対し「子供のケンカに親が出る必要はありませんね」と嫌味を言う追加シーンも描かれている。 : 英会話教室の体験入学でしんのすけと再会したが忘れられており、名前を言うと「宇宙人アルマジロ」と呼ばれた。なお、それぞれの母親も同席していたが、しんのすけと魔朱麿は仲良しであるものの、魔朱麿の母親がみさえに嫌味を言ったことで舌戦となり、母親同士は不仲である様子(魔朱麿の母親がみさえに(しんのすけに英会話させるのは)「豚に真珠」としんのすけを暗に貶し、しんのすけが魔朱麿の母親に「おばさんにダイヤ」と言い返したことで舌戦は終息)。 :「野原刑事の事件簿」では、お小遣い欲しさにチンピラ風の男と組んで誘拐をでっちあげ、母親から身代金をせしめようとした(男からも「とんでもないガキ」と呼ばれた)。その際、犯罪者たちの取引現場に出くわしてしまい殺されそうになるが、しんのすけの登場によって救われる。その後、真実を知った母親からお仕置きを受けた。名前は宇集院魔朱麿だったが、顔は前述のひとしになっていた。 : 『新クレヨンしんちゃん』では、しんのすけに対抗意識を燃やすという面も見られた。 ; <span id="秋風舞">秋風 舞(あきかぜ まい)</span> : 声 - [[浦和めぐみ]](第115話Bパート~)(1994年9月19日~) : アニメ初期に登場。しんのすけ同様下膨れ気味の顔に太い眉毛が特徴。[[神経衰弱 (トランプゲーム)|神経衰弱]]が得意で「天才トランプ少女」としてテレビに出演しており、その翌日にばら組に転入してきた。品のある女性を意識して「〜とう存じます」と独特の口調で話す。ひまわり組と神経衰弱で対戦したが、しんのすけのマイペースに振り回された挙句、ボーちゃんに負け号泣した。以後も初期のエピソードではたびたび登場していた。 ; 図張 ゆう子(ずばり ゆうこ) : アニメ未登場。 : バラ組の占い娘と呼ばれている占い師。水晶玉を持っているが皿回しをして占いをする。梅と徳郎のことを占うと「この恋悲しい結末になるだろう」と言いネネには「インチキ占い師」と呼ばれたが、実際のところ徳郎が死んでいるため当たっている。 ; <span id="水戸アナ">水戸アナ(みとアナ)</span> : 『新クレヨンしんちゃん』vol.84にて登場。重い病気のお姉さんを元気付けようとしんのすけとお笑いをした。 ; <span id="高飛車ちさ子">高飛車 ちさ子(たかびしゃ ちさこ)</span> : 『新クレヨンしんちゃん』vol.178にて登場。児童部門最高峰の[[ヴァイオリニスト|バイオリニスト]]。[[高飛車]]な性格で、音楽会の演奏で[[ヴァイオリン|バイオリン]]がない事が分かった際はチーターの胸倉を掴んでいた。音楽会当日はバイオリンではなく[[トライアングル]]を演奏していた。 ==== チーターの先生たちやチーム ==== ; 南島 こうすけ : 声 - [[青山桐子]](第605話Bパート)(2007年7月13日) : 県内水泳大会幼児の部で優勝をした子で、ひまわり組との勝負の際にあいちゃんと勝負したが敗れ、「負けちゃったけどちょー楽しい」と言っており、チーターからは「ちょっとは悔しがれよ」と言われていた。 ; 根井 丸(ねい まる) : 声 - [[小林ゆう]](第835話)(2014年6月27日) : サッカー激ウマ先生。しんのすけたちと勝負したが偶然や運が重なり、敗北ししんのすけたちと仲直りした。その後、路今堂太郎(ロナウド たろう)(声 - [[渡辺久美子]])と古林(声 - [[皆川純子]])のチームのロナウドが根井を弱いと貶したため、しんちゃんたちと協力して勝負することになった。その結果、ロナウドチームは、敗北し仲直りした。 ; 穴雪 丈(あなゆき じょう) : 声 - [[福圓美里]](第884話Cパート)(2016年1月29日) : バラ組一の雪合戦名人。白い服を着ており冷え性で、チーターたちが雪合戦している間にトイレにいっていた。最後に戻ってきたがみんなが楽しそうだったため「僕の出番なさそう」と言ってまたお腹が冷えてきてトイレへ駆け込んでいった。 ; 阿地代 阿多太(あちよ あたた) : 声 - [[田村睦心]](第1054話Aパート)(2020年10月24日) : 中国で4000年修行を積んだ達人。ハンデなしで真っ向に勝負をする子で頭の上に水を乗せても溢さない。しんのすけにバケツリレーで負けてしまった。 ; 駒田 まわる(こまだ まわる) : 声 - [[泊明日菜]](第1210話Bパート)(2023年12月2日) : 春日部コマ回し選手権幼稚園部のチャンピオン。細かいことは気にしない性格だが、コマが回っている間は、繊細で細かいことを気にする性格に変わる。コマは、松ぼっくりでできた「アーノルドコマンドー」を使っている。また、必殺技として「くらえ!アーノルドコマンドー爆裂松風攻撃」がある。場所を争い、しんのすけたちと勝負することになるが敗北し、「修行する」といって逃げていった。 ;チーターラビッツ :新クレヨンしんちゃん7巻に登場。 :ひまわり組と[[バスケットボール]]を勝負する時に現れた人たちで連携技として「マグネット&ラン」がある。 :;弾駆巣 ラム(だんくす らむ) ::得意技は、ダンクシュートでゴールにいれようとしたがしんのすけがゴールに座っていたため失敗。ひまわり組に負けてしまい「あんなチームに負けるなんて変」と悔しがっていた。 :;良田 脚美(よしだ あしみ) ::素早さが自慢で[[フリースロー]]を2本決めた。 === さくら組 === ; <span id="きゃりー">きゃりー</span> : 『新クレヨンしんちゃん』vol.63にて登場した、転入生の女の子。少々派手な衣装を好む個性的な性格で、皆と早く打ち解けたいがために幼稚園で勝手にコンサートを開き、歌っていた。同じく奇抜なファッションを好むしんのすけと意気投合する。 : 彼女の登場したvol.63は[[アソビシステム]]とコラボした話である。 ; <span id="ザキヤマ">ザキヤマ</span> : 声 - [[山崎弘也]] : アニメ「ザキヤマさん来〜る〜だゾ」(2015年6月12日放送)で幼稚園児役で登場。しんのすけ達よりも1つ下の学年だった。 : しんのすけとは「ケツだけ星人」で意気投合。しんのすけが尻を使うのに対し、こちらは自身のアゴ<ref group="注">いわゆる「ケツアゴ」。</ref>を使っている。 : なお、彼のモデルであり声優を務める山崎弘也は本作の舞台である春日部市出身である。 === 幼稚園職員と関係者 === ; <span id="高倉文太">高倉 文太(たかくら ぶんた)</span> : 声 - [[納谷六朗]](第4話Aパート〜第841話Bパート)→[[森田順平]](第872話Aパート〜) : 48歳。アクション幼稚園(ふたば幼稚園)の園長。[[徳島県|四国]]出身。 : 色黒に加えてサングラスに天然パーマと派手なジャケットの容姿も相まってヤクザ顔負けの強面が特徴。初登場の原作1巻(アニメ1992年5月4日放送「任侠ひまわり組だゾ」)ではしんのすけに「[[地上げ屋]]さん」と言われ、よしなが先生からは「[[ソープランド|ソープ]]に売らないで」<ref group="注">電子書籍版ではこの台詞は「ごめんなさい! 許してください!」に修正されている。</ref>と懇願されるなど、園児はおろか職員たちとの対応にも苦慮することが多い。[[家庭訪問]]をした際には近所の住民に凶暴な借金取りの取り立てと誤解され、[[日本の警察|警察]]が出動する騒ぎになった<ref>アニメ「園長先生の家庭訪問だゾ」(1996年11月1日放送)</ref><ref group="注">もっともこの場合は、本人が幼稚園で時々やっている凶暴な借金取りの物真似を、野原家の前で披露してしまったという原因もあった。また、この騒動が決め手となり、本人が「もう来年から家庭訪問やめよう…」と涙ながらに言ったことで、家庭訪問に関連したエピソードはこれで最後となった。</ref>こともある。 : 厳つい顔に反して、普段は非常に温厚で園児たちにも敬語で接するなど、礼儀正しく紳士的。それゆえ園児たちからは非常に慕われており、職員や保護者たちからの信頼も厚い。本人曰く「喧嘩は弱い」とのこと<ref>原作6巻。</ref>。滅多に怒ることはないが、幼稚園やその園児達を侮辱したり、危害を加えようとする相手には激しく怒りを露にする。その際は持ち前の強面も相まって非常に迫力がある。好物はネギ入りの納豆やケーキ、パフェ等の甘いもの。酒には弱く、泣き上戸である。 : 「園長」と呼ばれることがほとんどであるため、めったに本名は出てこない。前述のような強面のため、しんのすけからは「'''[[組長]]'''」と呼ばれている。本人がそれに対して「園長です!」と突っ込むのが定番となっているが、その気になって[[任侠]]モードに入ってしまうこともあり、映画第1『[[クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王|アクション仮面VSハイグレ魔王]]』では、教卓に乗っかって「おい野郎ども!夏休みだからって抜かるんじゃねぇぞ!」と園児を一喝した。 : 趣味は[[カメラ]]だが、長年の経験にもかかわらずしんのすけの撮った「撮る人は撮られる人」と題された写真(カメラを構えている園長を隠し撮りした写真、タイトルはひろし命名)が雑誌の最優秀賞に選ばれたのに対し、自分の作品は落選だった<ref>アニメ「組長先生のカメラマンだゾ」(1995年9月25日放送〈スペシャル〉)</ref>。書道歴30年という腕前も持つ<ref>アニメ「お習字をするゾ」(1997年2月25日放送)</ref>。[[ボウリング]]も趣味としており、本格的な装備を用意し、一人でボウリング場へ練習に行くこともあるが出禁にされた<ref>『新クレヨンしんちゃん』Vol.17、アニメ「ボウリング対決だゾ」(2013年10月18日放送)</ref>。着ているジャケットにはこだわりがあり、同じものを7枚所有し、曜日ごとに変えている。遠足の下見を毎年楽しみにしている。また大原四十郎のファンである<ref>「豪快作家のお手伝いをするゾ」(2023年1月7日放送)</ref>。腹話術もできる<ref>2021年2月20日放送「園長先生の腹話術だゾ」</ref>。 : 上京したての頃、怖い顔のため周囲に避けられ落ち込んでいたとき、ただ一人「優しそうだから」と優しく接してくれたのが幼い子供だったことから、「子供たちの役に立ちたい」と幼稚園の設立を志し、現在に至る。幼稚園では自身の「上京記念日」を毎年休園日にしている。幼稚園設立以前は就職活動をしていたが、履歴書の写真が強面ということで不採用が続き、履歴書アレルギーとなってしまった。また、幼稚園教諭にならなかった場合に就きたかった職業には[[警察官]]を挙げている<ref name="将来に悩むマサオくんだゾ">アニメ「将来に悩むマサオくんだゾ」(1999年4月9日放送)</ref>。 : 『新クレヨンしんちゃん』7巻では、自身の幼少期~上京するまでのストーリーが描かれた。幼少期から顔が怖く、そのせいでいらぬ誤解を受け卑屈になっていたところ、幼馴染の少女に励まされ立ち直り、その付き合いは上京を決めた後も続いていた。ラストシーンでは、その幼馴染の正体は現在の妻である志麻(副園長)であることが示唆されている。 : 出身高校はさきがけおとめざ高校。母校が[[全国高等学校野球選手権大会]](甲子園)に初出場を果たした際には、初戦で2対3と惜敗した<ref>アニメ「甲子園にムチューだゾ」(2006年8月4日放送)</ref>。大学時代には編み物サークルに所属していた。高井夢男(声 - [[優希比呂]])という保育士志望の甥がおり、ふたば幼稚園で教育実習を行ったことがある<ref>アニメ「見習い先生が来たゾ」(1994年12月12日放送)</ref>。 : 納谷の死後、テレビアニメでは「若い二人はこうして家を買ったゾ」と「たけのこ大襲撃だゾ」に登場したがいずれも容姿のみの出演で、後者の放送翌日に公開された[[クレヨンしんちゃん オラの引越し物語 サボテン大襲撃|劇場版第23作]]では、過去の音源を用いてのライブラリ出演になった<ref>{{Cite web |url=http://www.asahi.com/articles/ASH4J74P0H4JUCVL028.html |title=「またね、しんのすけくん」(小原篤のアニマゲ丼)|publisher=朝日新聞デジタル|date=2015-04-20|accessdate=2015-04-20}}</ref>。その後、声優が森田に代わっての初登場回(2015年10月9日放送)では久々に台詞付きで登場した事をしんのすけにネタにされた<ref group="注">しんのすけに「組長も久しぶりのシャバ(出番)だから大人しくしててね」と発言し、それに対して園長がいつも通りに「園長です」と突っ込むというもの。このシーンはその後の地上波の再放送(2021年6月5日)でもカットされず、当時のまま放送されている。</ref>。 : お仲間総選挙では、9位を獲得し出演した。 ; <span id="高倉志麻">高倉 志麻(たかくら しま)</span> : 声 - [[滝沢ロコ]](第3話Bパート~)(1992年4月27日~) : 文太の妻で、アクション幼稚園(ふたば幼稚園)の副園長。通称「園長夫人」「副園長先生」(原作ではネネちゃんが「奥さん先生」と呼んでいた。1巻では「奥さん 保母<ref group="注">電子書籍版では「先生」。</ref>兼」と紹介されている)。下の名前は『新クレヨンしんちゃん』で判明した。 : 他の先生と比較すると出番は少なく、会話の中で名前のみ登場することが多い。 : 夫とは子供の頃から30年以上の付き合い。基本的に仲が良いが、たまに「[[納豆]]に[[ネギ]]を入れなかった」など、些細なことで喧嘩をする<ref>アニメ「ナットウでケンカだゾ」(1995年4月10日放送〈スペシャル〉)</ref>。 : しんのすけからは「[[極道の妻たち|極道の妻]]」呼ばわりされている。すぐ自信をなくして落ち込む夫を「[[木村拓哉|キムタク]]の顔は3日で飽きるけど、貴方の顔は30年以上経った今でも飽きないわ」と励ましている。 : ただし夫の顔については今でも慣れず、突然現れたり、笑顔でいるところを見て悲鳴をあげたことがある。 : 前述の通り、『新クレヨンしんちゃん』7巻にて園長の幼馴染であったことが示唆されている。 : アニメでは動物を飼うのは禁止と厳しく夫を叱ったことがある。理由は夫が次々と小動物を拾ってくるせいで暴れられたりけがを負うなど世話が大変なため(「組長のヒミツの愛だゾ」より)。ただし『新』7巻では園長がネコを飼うのを快く許している。 :一時期、さくら組の担任をしていた<ref>アニメ「運動会で活やくだゾ」(1995年10月9日放送)</ref>。 ;<span id="吉永みどり">吉永 みどり(よしなが みどり)[本名:石坂(いしざか) みどり]</span> : 声 - [[高田由美]](第1話Bパート〜第680話Aパート)→[[七緒はるひ]](第685話Aパート〜) : アクション幼稚園ひまわり組の先生で、しんのすけの担任教諭。24歳。血液型はO型<ref name="名前なし-20231105133359">アニメ「よしなが先生の恋の破局?だゾ」([[1997年]][[6月13日]]放送)</ref>。[[バスト]]は自称89cmだが、実際は79.8cm<ref>原作4巻で判明。サバを読んだようである。アニメ「身体測定の時間だゾ」では、自分で測定して79.8cmだった。</ref>。[[旧姓]]「吉永(よしなが)」。 : しんのすけが二歳の時にふたば幼稚園の面接をしているため、恐らくふたば幼稚園は、3年目である<ref name="名前なし_2-20231105133359">2015年3月6日放送「若い二人はこうして家を買ったゾ・後編」</ref>。 : 普段は優しい先生だが怒ると怖く、幼稚園教諭とは思えないほど乱暴な言葉遣いになる<ref group="注">初期の単行本未収録回でのしんのすけのボケに対するツッコミはみさえ並に容赦なく、度々[[武士]]や[[暴走族]]の衣装に扮してしんのすけを殴ったり投げ飛ばしたりしていた他、しんのすけをバスで轢こうとしたこともある。</ref>。園児達が唖然とするほどの気性の激しさが原因で、一時神経性[[胃炎]]と診断されたこともあった。また、些細なことで大喧嘩を始めたしんのすけと風間が中々喧嘩を止めないことに怒りを爆発させ、喧嘩をする二人の横で「ケツにダイナマイト突っ込むぞ!」と暴力的な発言をしながら教室で大暴れしたり(この時は園児達もよしながの豹変ぶりに唖然とし、怯えていた)<ref>原作9巻、「風間君とケンカだゾ」(1994年10月24日放送)。</ref>、しんのすけの妹の名前候補にマサオが自分と同じ「みどり」を提案したが、主に貧乳ということをマサオ以外の園児達からは散々否定され激怒し、黒板を引っ掻いてけたたましい音を立てた事がある。また、幼稚園に入園したひまわりを描いた番外編では、粘土細工の時間中に「チンコ」と発言してしまったため、教室の外から一部始終を見ていた園長から授業終了後に気まずい雰囲気で説教され、上尾先生から話を聞いたまつざか先生からは「んまぁ、お下品ね」と嫌味を言われた。また、酒癖が極めて悪く、[[アルコール]]類を飲むとすぐに暴れ出すほどで、野原家への家庭訪問でしんのすけが誤ってりんごサワーを出してしまった際には新聞紙と服を破いた挙げ句、ひろしを純一と勘違いして「顔面大根おろし」をするなど大暴れした<ref>原作10巻、アニメでは「よしなが先生は酒乱だゾ」(1995年5月8日放送)。</ref>。そして原作初期はアニメ初期と比較してかなり気性が荒く、特にふざけたり悪戯をしたしんのすけに対して怒鳴りつける、げんこつを食らわす、物できつく殴打するといった暴力的な描写が多かったが、これらの彼女の言動は、上尾先生の登場と結婚により徐々にマイルドになり現在ではほとんど見受けらず、3人の担任教諭の中では最も常識的な性格となっている。 : また盲腸になり入院した時は、まつざか先生と同じく「じゃがいも小僧(しんのすけ)だけは見舞いに来てほしくない」と願ったり、運動会のリレーで、ばら組に勝つためにアンカーのしんのすけをエロ雑誌で釣ったりと滑稽でさらに狡猾な面も見られた<ref>アニメ「よしなが先生が急病だゾ」(1993年5月24日放送)、「友情のリレーだゾ」(1997年10月10日放送)</ref>。 : 純一とは友達付き合いの頃から恋慕しており、自室や街中でいきなり妄想の一人芝居を始めて周囲を困惑させることもあった<ref>「デートについてくゾ」(1995年11月27日放送)など</ref>。 : 純一と結婚し石坂姓になったが、職場では引き続き「よしなが先生」と呼ばれており<ref>原作27巻、アニメでは「よしなが先生の新婚家庭だゾ」(2000年7月7日放送)。</ref>、本人もそう希望している。髪型は[[ポニーテール]]で原作では黒髪に赤いリボンをしているが、アニメでは栗色の髪に水色の[[リボン]]をしている。しんのすけ曰く、ひろしからは「美人じゃないけど可愛い先生」と言われているらしい<ref>アニメ「粘土で遊んじゃうゾ」(1992年6月8日放送)</ref>が、銀の介からは「美人な先生」とも呼ばれている。 : まつざか先生の露出的な服装をたびたび批判しているが、自身も露出度の高い水着を喜んで着用するなど、まつざか以上に大胆な面もある<ref>「よしなが先生の夏休みだゾ」(2003年8月26日放送)など</ref>。 : 結婚前は「荒間荘(あらまそう)」という[[アパート]]に居住していたが、結婚後は高級[[マンション]]「ハイムニクバナレ」に転居。住まいをアパート時代からかすかべ防衛隊の秘密基地にされている。学生時代は[[ワンダーフォーゲル]]部で<ref>原作9巻で判明。</ref>、しんのすけに見つからないようにという理由でベランダからロープで降りたこともあるが、近所の人に見られて気まずい雰囲気になっていた<ref>原作9巻、アニメでは「恋するよしなが先生だゾ」(1994年9月26日放送〈スペシャル〉)。</ref>。 : 演歌が大好きで、結婚前・本格交際前の石坂とのデートの際、流れてきた『北埼玉ブルース』を周囲が引くほど熱を入れて歌っている。幼稚園の教諭にならなかったら「みやこひばり」という芸名で「[[小林幸子]]のような衣装で[[NHK紅白歌合戦|紅白]]に出ること」が夢だったという<ref name="将来に悩むマサオくんだゾ"/>。なお、この件とこのときのデート現場での野原家との遭遇のドタバタとが、恋人関係へのステップアップのきっかけとなった。しんのすけにはいつも邪魔されるが、石坂との初キスなど、しんのすけが偶然にもキューピッドになることも少なくない<ref group="注">石坂とのデートのエピソードで流れた『北埼玉ブルース』は過去に野原ひろしが歌った挿入歌で、臼井自身が作詞し(原作3巻)アニメでは曲も付加された。</ref>。小学校時代は「[[缶けり]]姫」と呼ばれていた<ref>原作5巻、アニメでは「カンケリをするゾ」([[1993年]][[4月26日]]放送)。</ref>。運動音痴のまつざか先生とは対照的に水泳やスキーが得意<ref name=skibusryokou>アニメ「スキーバス旅行だゾ」(1994年1月17日放送)</ref>。お笑い好きでもあり、石坂と喧嘩して落ち込んでいる時にお笑い番組を見て一時元気になったが終わったらまた落胆していた。 : しょっちゅうまつざか先生と喧嘩をしているが、決して仲は悪くない([[2007年]][[5月18日]]放送分で「あなたがいなくなると寂しくなるわね〜」と泣きながら語っていたため、いなくなってほしいとは思っていない模様)。 : また盲腸で苦しんだ際、まつざか先生にひまわり組のことを頼んだりなど、親友と呼べる関係である<ref>アニメ「よしなが先生が急病だゾ」([[1993年]][[5月24日]]放送)</ref>。 : 園児達には非常に慕われており、石坂との結婚で幼稚園をやめることになると勘違いしたかすかべ防衛隊のメンバーが、それを阻止すべく直接石坂を説得しようと勤め先まで行ったことがある<ref>アニメ「よしなが先生辞めちゃダメだゾ」([[2000年]][[6月23日]]放送)</ref>。 ; <span id="石坂純一">石坂 純一(いしざか じゅんいち)</span> : 声 - [[坂東尚樹]](第17話Bパート~)(1992年8月24日~) : みどりの夫。24歳(原作では28歳とも)。血液型はB型<ref name="名前なし-20231105133359"/>。[[石田純一]]に似ていると常日頃から自慢されているが、しんのすけからはしょっちゅう[[石倉三郎]]似と言われている。友達程度の交際時代からのストーリーがある。心優しい性格がみどりに惚れられたようだが、裏を返せば気が弱く優柔不断なのが欠点であり、それが原因で一時は破局寸前まで進んだこともあった。しかし、幼稚園での野外結婚式の際、予想外の大雨で中止寸前の状況となり狼狽えているところをしんのすけの檄により発奮、雨の中に飛び出し凛々しい姿で結婚宣言をし、来客からの喝采を博した<ref>アニメ「今日は結婚式だゾ」(2000年7月14日放送)</ref>。[[飯田橋駅]]にある「ツーリーブス産業」という会社に勤務。原作では課長に昇進している。 ; <span id="石坂桃">石坂 桃(いしざか もも)</span> : 石坂夫妻の長女。みどりが野原みさえに借りた本を返しに野原家へ訪れた際、[[陣痛]]が始まり、たまたま居合わせた大屋主代の助産により誕生。桃のようにかわいい女の子になってほしいということで「桃」と命名<ref group="注">しんのすけに太ったら「太もも」と呼ぶと言われ、絶対に太らせんと誓いを立てた。</ref>。アニメでは妊娠すらしておらず、子供の設定そのものが存在しない。そのため前述の熱繰椎造のポジションも変更されている。 ; よしなが先生の両親 : よしなが家では、代々結婚式で、ふんどし姿につのかくしだけで踊ることになっているため、よしなが先生の父親が一生懸命練習していた。よしなが先生が結婚する前に心配で電話をかけた。母親<ref group="注">アニメのクレジットタイトルは「'''よしなが先生の母'''」名義</ref>(声 - [[峰あつ子]])はよしなが先生が盲腸で入院したときにお見舞いに訪れた<ref>原作5巻、アニメでは「よしなが先生のお見舞いだゾ」([[1993年]][[5月24日]]放送)</ref>。 ; <span id="まつざか梅">まつざか 梅(まつざか うめ)</span> : 声 - [[富沢美智恵]](第1話Cパート~)(1992年4月13日~) : アクション幼稚園ばら組の先生。24歳の独身。身長は157.5cm<ref>アニメ「先生たちの健康診断だゾ」(2005年3月5日放送)</ref>。苗字は基本的に平仮名で表記されるが、アニメのサブタイトルで二度漢字表記されたことがあったり、お話内に漢字で表記されていることもある<ref>「松坂先生の休日だゾ」(1994年11月28日放送)「松坂先生もついに結婚?だゾ」(2004年12月10日)では、タイトルで。「まつざか先生見ちゃいや~んだゾ」(2005年6月24日)では、生椎茸のパッケージに漢字で書かれている。</ref>。 : しんのすけが二歳の時にふたば幼稚園の面接をしているため、恐らくふたば幼稚園は、3年目である<ref name="名前なし_2-20231105133359"/>。 : プロポーションは良く、自称だが胸囲は84センチCカップ。厚[[化粧]]。ボディコンやハイレグ水着など露出度の高い衣装を好み、あえて高い物に身を包むことで高級な女を演じようとしている。初期の頃には本人曰く、普段ジュリアナ埼玉のお立ち台で踊っているらしい<ref>アニメ「アスレチックするゾ」(1993年10月4日放送)</ref>。合コンやお見合いなどに積極的に参加しているものの性格の悪さが露呈するため断られてばかりいる。 : 高飛車な性格で、ばら組の園児を鼻にかけており、ひまわり組を馬鹿にする発言が度々見られる。初登場は連載第7回のアクション幼稚園運動会で、この時点で自ら受け持つばら組を「優秀」と言い、よしなが先生の前で「おたく(ひまわり組)と比べちゃかわいそう」と言い放っている{{refnest|group="注"|ただし、この回は単行本未収緑となっている<ref>『[[漫画アクション|Weekly漫画アクション]]』1990年10月16日号、p.201</ref>。}}。そのために、よしなが先生との口ゲンカは絶えない。とはいえ、ひまわり組の園児たちのことを心底嫌っているわけでなく<ref group="注">劇場版『[[クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!|伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!]]』では、自らを犠牲にしてしんのすけたちを助けている。</ref>、よしなが先生にも友情を抱いている<ref group="注">アニメ「よしなが先生が急病だゾ」(1993年5月24日放送)では、「早く元気になってよね。ケンカ相手がいないとさびしいからさ」と言っている。</ref>。今の幼稚園で働いていることも誇りに思っており、私立で給料の高いエレガンス幼稚園のスカウトマンから、自分の職場を馬鹿にされた際は激怒し、「2度とそのツラさらすなよ」と撃退した<ref>アニメ「誘われたまつざか先生だゾ」(1995年12月18日放送)</ref>。子供の頃に「梅干し」と馬鹿にされたトラウマが原因で、周囲から下の名前やフルネームで呼ばれる事を嫌がっている<ref group="注">この為、しんのすけからは「梅」や「梅さん」と呼ばれる事があり、梅自身は「梅って呼ばないで!」や「梅って呼ぶな!」と返されている。</ref>。 : よしなが先生とは色んな面で正反対だが、酒癖の悪さは共通しており、しんのすけに出された酒に酔ってしんのすけに襲いかかったことがある<ref>アニメ「まつざか先生に送ってもらうゾ」(2006年2月10日放送)</ref>。 : 好きなものは、ブランド品や派手な服装で、給料の多くをこれらにつぎ込んでいるため、クレジットカードの債務に追われる倹しい生活を送っている<ref group="注">そのため、金欠の時にフリーマーケットで売る商品を法外な値段で周囲に売ろうするも売られずに終わったり(2008年12月19日放送「フリマで稼いじゃうゾ」)、リサイクルショップで不要品を売って現金を手に入れてもしんのすけにレストランの食事代を奢られてしまう(2013年2月15日放送「リサイクルショップについて行くゾ」)などで失敗している。これもしんのすけを始めとする周囲からこの事をイジられたり、言われると激怒したり落ち込んだりする事が多少である。</ref>。映画は夢に彼氏として出てくるほどの[[ドラキュラ伯爵]]好き<ref>「まつざか三姉妹のお正月だゾ」(1997年1月3日放送〈お正月スペシャル〉)</ref>。音楽は演歌を好むよしなが先生とは対照的にかなりの[[ヘヴィメタル]]好き<ref name=blues>アニメ「ブルースでおどるゾ」(1992年9月14日放送)</ref>。運動音痴で、学生時代は「鉄の人魚姫」と言われるくらいカナヅチだったり、スキーの大会でボーゲンの部でブービー賞を取ったことがある<ref name=skibusryokou />。 : 幼稚園の先生にならなかったら「[[オードリー・ヘプバーン]]みたいになりたかった」とのことで、園長先生とよしなが先生から「お姫様みたいな暮らしをしていい男に出会いたかったわけね」と解釈されていた<ref name="将来に悩むマサオくんだゾ"/>。 : 男運が全く皆無で<ref group="注">徳郎と出会うまでは「彼氏イナイ歴24年」としばしば紹介されていた。</ref>、お見合い・婚活・合コンをしても出かけた先のほとんどで遭遇するしんのすけ(時には野原夫妻までも)または上尾先生の妨害・自身の態度及び言動・相手の男性が婚約者がいるまたは既に結婚しているなどでなかなか上手く行かず<ref group="注">アニメ第364話Bパート「今日は結婚式だゾ」でもよしなが先生が投げたブーケトスの花束を取ろうしたが、転んで取る事は出来なかった。</ref>、最後は号泣したり、焼き酒や焼け食いする事<ref group="注">居酒屋などの店の場合は閉店寸前も焼き酒や焼け食いをしており、周囲の店員(ヨダも含む)から迷惑がられている。</ref>などがしばしばである<ref group="注">そのため、しんのすけからこの事を呆れられたりイジれられたりする事が多く、時には野原家・幼稚園の関係者(特によしなが先生と上尾先生)・梅の家族などの周囲からも呆れられたりイジれられたりする事があり、それを言われると激怒したり落ち込んだりする事が多少である。しかし、逆に梅自身が既婚のよしなが先生をイジる事もある。</ref>。自身の名のコンプレックスからお見合いや婚活では「さおり」を初めとした偽名を用いることが多い。基本的に失敗に終わるオチはコミカルに描かれているが、[[恋文|ラブレター]]を渡してきた男子高校生かずおの気持ちに応えようとするも、母子家庭の彼が自分のために受験勉強が手つかずになっていたのを知ると「しっかり勉強して早く親孝行しな」と、その高校生のためを思って、自ら身を退くと<ref group="注">園長としんのすけに協力してもらい、極道の一家を演じる。なお、アニメ版でのかずおは勉強絡みではなく、恋人未満の同級生の少女がいるという設定となり、まつざか先生は2人の恋愛のために身を退いた。</ref><ref>原作17巻、アニメでは「まつざか先生と年下の男の子だゾ」(1997年4月11日放送)。</ref>、シリアスに描かれたこともある。また、ボーちゃん<ref>原作11巻、アニメでは「ボーちゃんのプロポーズだゾ」(1995年4月10日放送)</ref>や記憶喪失中のしんのすけ<ref>原作28巻、アニメ「ちょー嵐を呼ばない園児だゾ(3)」(2008年4月18日放送)</ref>に惚れられたこともあった。 : まつざか三姉妹の末っ子の三女で、家族は両親と2人の姉がいる。2人の姉とは、会えば基本的にケンカになる(主に男のこと)が、3人で飲みに行ったりすることから仲は悪くない。長女は中学校教諭のまつざか松、次女は小学校教諭のまつざか竹。名前が三姉妹で[[松竹梅]]になっており、姉妹揃って男とは無縁。幼いころは長姉・松や次姉・竹のお古であるおさがりを着ていたらしい。 : 自称「[[六本木]]生まれの六本木育ち」<ref group="注">アニメでは「ギロッポン」になっている。</ref>だが、実際は田舎生まれの田舎育ち([[東北地方]]、作中では[[宮城県]])で、親に電話をする際はかなりの東北訛りが出ている<ref>「まつざか先生見ちゃいや〜んだゾ」(2005年6月24日放送)</ref>。だましだまし暮らしているためしょっちゅうボロを出しており、その度にかろうじてフォローしている。中学時代は「田植え娘」「田植え姫」の異名を持つほど田植えが上手で<ref>アニメ「田植えは楽しいゾ」(1996年5月24日放送)</ref>、幼稚園の実習で田植えや芋掘りなどがあると土に触れたいという衝動に駆られる。実家は椎茸を栽培しており、母親がスーパーに卸して販売する[[椎茸]]のパッケージに自分の顔写真を勝手に入れられている<ref>アニメ「まつざか先生見ちゃいや〜んだゾ」(2005年6月24日放送)</ref><ref group="注">母親曰く、お見合い写真もかねているらしい。</ref>。高級マンションの「マンションジュリアナ」<ref group="注">しんのすけに聞かれた際にでたらめに答えたのだが、このマンションは実際に存在し、しんのすけに突っ込まれた。</ref>居住と自称するが、実際は「瀬古井荘(せこいそう)」(原作第8巻)や「ウマレ荘」(原作第43巻)というアパートに居住。また、原作第43巻から住まいをかすかべ防衛隊の秘密基地にされた(アニメではされていない)。 : 徳郎との恋愛は彼女がいつものように泥酔して階段から転げ落ち負傷し、サンタバーバラ接骨院で診察を受けた時に出会う<ref>原作20巻、アニメでは「まつざか先生に春の予感だゾ」(1998年6月12日放送)</ref>。アニメではまだ徳郎が南米に就任中のままで再登場していないが、原作では彼が南米から帰国した後、あるアクシデントから彼と破局の危機に陥るが、かすかべ防衛隊の仲介で無事仲直りし、結婚の約束をした。しかし数日後、徳郎が現地で無差別爆弾テロに巻き込まれて死亡したことをニュースで知り、そのショックから徳郎の後を追って死のうとする。職務中に[[ウィスキー]]を煽るなど[[アルコール依存症|アルコール中毒]]にも近い状況にまで追い込まれ謹慎を言い渡されてしまい、死に場所を求めてガールズファイトに参加するなど自暴自棄になったが、徳郎が生前に書いた手紙がきっかけで立ち直った。その直後に職務中に飲酒していたことを保護者達から責められ、[[懲戒免職]]の危機に追い込まれたが、園児達の懇願により減俸3か月の処分で事無きを得た<ref group="注">アニメでは全てカットされたが、徳郎がいるにもかかわらず、他の男を探していることから「遠距離恋愛による自然消滅」ということになっている(ただ、徳郎がアニメでの現時点では再登場していないものの、まつざか先生との仲は継続している模様である)。</ref>。 : 現在はいつもの人物として吹っ切れており、新しい恋を見つけようと合コンや婚活イベントなどにも積極的に参加するようになった(ただ参加した合コンでは自前の王様ゲームセットを持っていくなどして参加者から引かれている模様<ref>「合コンデビューだゾ」(2005年12月2日放送)</ref>)また、恋愛系だとカスカベ防衛隊のことを今会うべきでない子供たちベスト5としている<ref>2023年4月8日放送「あこがれのタワマンだゾ」</ref>。 : アニメでは初期は黒髪であったが、途中から緑がかった黒へ変化している。また、髪型も初期は現在と異なっていた。初期から専用BGMがある。 : お仲間総選挙では、5位を獲得し出演した。 ; まつざか先生の母親 : 声 - [[麻生まどか]](第534話Bパート)(2005年6月24日) : 梅に六本木とお見合いさせた人。松、竹同様に梅の合鍵をもっており、勝手にはいってはビールを飲んだりしている模様。また、先祖代々伝わる結納の舞を梅に踊らせたり、徳郎と梅の結婚を反対していたが夫に一括されて黙った(六本木以外の男と結婚は認めなかった模様)。徳郎の死後、梅の携帯に電話をしてもでなかったため幼稚園の同僚から話を聞き、心配で寝込んでしまった。アニメでは、「まつざか先生見ちゃいや~んだゾ」(2005年6月24日放送)で初登場する。その際は、電話でのみの登場であって、生椎茸の写真に梅の写真を使っていたため怒られていた。 ; まつざか先生の父親 : アニメ未登場。梅と六本木の結婚しか認めない妻に「ロッキー・ザ・ファイナルにはガッカリだよ」と一括して黙らせた。徳郎の死後、畑で取れた野菜を梅のところに持ってきて励まして帰っていった。 ; <span id="まつざか松">まつざか 松(まつざか まつ)</span> : 声 - [[勝生真沙子]](第212話Cパート~) : まつざか三姉妹の長女で、梅の長姉でありまつざか竹の姉。28歳(徳郎には梅より二つ上と言っていた)。妹達と同じく独身。中学校教師(私立伝統校勤務)(原作20巻では高校教師と名乗っている)。和服と泣きボクロが特徴。小山まさえと同じく教師であり普段から和服で過ごしている。 : 竹とともにしんのすけを利用して幼稚園での醜態を行田先生に暴露させ、サンタバーバラ接骨院に入院中の梅を破局に追い込もうとしたが、失敗に終わったばかりか、幼稚園にとって梅がかけがえのない存在であることを思い知らされる。最終的には梅と徳郎の間柄を認めた。原作46巻に再登場するが、妹の竹と同じく原作20巻に比べて容姿がかなり変わっている。 : まつざか姉妹の長女だけあって、末女の梅も彼女には頭が上がらない様子。怒った顔をしなくても結構な迫力があるが、怒った時の顔や態度は梅そっくり。また、梅の家の合鍵を持っている。 ; <span id="まつざか竹">まつざか 竹(まつざか たけ)</span> : 声 - [[はやみけい|速見圭]](第210話Cパート~) : まつざか三姉妹の次女で、松の妹であり、梅の次姉。26歳。松と梅と同じく独身。小学校教師。あだ名は「'''チーママ'''」。梅よりも派手さを意識した格好となっており、金髪に真紅のロングコートが特徴。よく梅とは口げんかをする。 : 原作46巻に再登場するが、姉の松と同じく原作20巻に比べて容姿がかなり変わっている。また、梅の家の合鍵を持っている。 ; <span id="行田徳郎">行田 徳郎(ぎょうだ とくろう)</span> : 声 - [[井上和彦 (声優)|井上和彦]](第277話~) : サンタバーバラ接骨院に勤務する接骨医。26歳。ニックネームは「徳さん」。最初はしんのすけを手当てした医師として登場したが、ひょんなことからまつざか先生と知り合い、恋人同士となった。 : 極度の骨マニアで、魚の骨にすら興味を示す。シロが肉屋からもらった牛の骨を見るなり、譲って欲しいとシロにせがんでいたほど。背中が弱くしんのすけに背中をくすぐられた拍子にダイヤルをまわし間違え電気治療中の梅に高電圧を浴びせたことがある。 : 骨を見ると梅そっちのけで趣味の骨収集に熱中するため破局の危機にも瀕した。その際はかすかべ防衛隊の協力で和解したものの、南米の[[チリ]]で[[恐竜]]の[[骨]]を発掘するチームに参加し、任地へ発った<ref>原作24巻、アニメでは「まつざか先生の恋の決着だゾ」(1999年9月3日放送)。アニメ版では一緒にチリに行って欲しいとプロポーズしたが、梅は突然の話であったことに加え、幼稚園を辞めるわけにはいかないとしてこれを拒否している。</ref>。 : 原作では第45巻で帰国したが、ふとした誤解から梅と再び仲違いしてしまう。そんな仲違い中に、徳郎は[[アフリカ]]で恐竜の骨を発掘するチームに参加することになり、梅は新たな男性に婚約を申し込まれ困惑していた。かすかべ防衛隊に説得された徳郎は、婚約者から梅を取り戻し、帰国後にプロポーズすることを約束し任地であるアフリカ・南ボボサルマータへ発った。だが、現地のホテルで発生した爆弾テロに巻き込まれ死亡<ref group="注">徳郎はまつざか先生への手紙を書き終えた後、保根田教授に誘われてカフェで食事しようと外に出た。徳郎は帽子を部屋に忘れてしまい、帽子を取りにホテルに戻ったところで爆弾テロに巻き込まれた。なお、徳郎がホテルを出入りした際、爆弾を仕掛けたテロリストとすれ違っていた。</ref>。その後、梅は徳郎の死を乗り越え、徳郎の夢であったブタバナザウルスの化石も全て発掘され、徳郎の形見でもある恥骨の化石も組み込まれたことで完成するのだった。 : アニメでは南米に就任中のままで再登場していないが、まつざか先生との仲は継続している模様。 ; 保根田(ほねだ) : 声 - [[緒方賢一]](第331話Aパート) : 24巻から登場。徳郎に化石発掘の楽しみを教えた張本人。徳郎の幼い頃にブタバナザウルスという恐竜の恥骨の化石を与えている。初登場の際、徳郎と共に[[南アメリカ|南米]]に発掘調査に向かった。 : 原作では45巻で帰国直後、梅との失恋で浮かぬ気持ちの徳郎を[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]での発掘調査に誘う。その後六本木からまつざか梅の奪回に成功した徳郎と共に南アフリカへ渡ったが、その際に[[ホテル]]に残っていた徳郎を地元の爆破テロで死なせてしまう。帰国後、自分が発掘調査に誘わなければこんな事にはならなかったと自責に駆られ、涙を流して梅に詫びた。その後、[[治安]]が安定してきた南アフリカに再び発掘調査に向かおうとする際、徳郎の死から吹っ切れた梅から形見となった恥骨の化石を受け取り再び渡米、ブタバナザウルスの化石発掘に成功する。 ; 保根田 オリエ(ほねだ オリエ) : 46巻から登場。アニメ未登場。保根田教授の娘。徳郎を兄のように慕っていた。帰国した徳郎が彼女と一緒に歩いていた所を目撃したネネちゃんに「徳郎の恋人」と勘違いされ、これが梅と徳郎の亀裂の原因となってしまう。筋肉マニアで、六本木と通じ合うところがあり、後に交際、結婚につながる。 ; 六本木 比留人(ろっぽんぎ ひると) : 46巻で登場。アニメ未登場。有名新聞社メスアルマジロの御曹司。非常にせっかちで「せっかちメガネ」「せっかち星人」「セッカチーナ六本木」と呼ばれる。ふとしたきっかけから徳郎と軋轢状態の梅に惚れて本格的に交際を要求、ついには入籍まで果たそうとしたが、梅への思いが断ち切れずにいた徳郎と対峙。空手の有段者で徳郎を圧倒したが、徳郎の勢いある体当たりで自身の負けを認め、梅との入籍を諦める。後に保根田教授の娘であるオリエと筋肉について語り合ったことで仲良くなり、結婚に至った。 : その後もオリエと共に徳郎を喪った梅のことを気にかけており、辛い時はいつでも自分達を呼ぶように言っていた。 ; 三木(みき) : アニメ未登場。まつざかとメスカンガルー団の戦いを見て、まつざかをボクシングに誘った。アキナとの試合の際、まつざかの目が死んでいることに気がついており、その後生前の徳郎の手紙を読んだあと虎の目に戻っていることを瞬時に気づいていた。その後、メスカンガルー団を練習生として招き入れ、特訓をしている。 ; アキナ : アニメ未登場。下ネタが苦手。かつて三木の練習生だった。まつざかとの戦いで敗北し、三木の練習生として復帰した。 ; <span id="上尾ますみ">上尾 ますみ(あげお ますみ)</span> : 声 - [[三石琴乃]](第281話Aパート~)(1998年7月10日~) : アクション幼稚園(ふたば幼稚園)の先生。23歳の独身。原作では21巻、アニメでは「久しぶりの幼稚園だゾ」から登場。骨折して入院したまつざか先生の代理教員として幼稚園に来たが、まつざか先生が復帰した後も引き続き勤務している(アニメではさくら組を担任)。漫画では眼鏡をかけていると瞳が滅多に描かれないが、アニメでは初期の頃に度々瞳が描かれていた。 : 当初は極端なシャイで園児と接することもままならないほどだったが、現在はおおかた改善されている。普段はおとなしいが、[[眼鏡]]をはずすと性格が豹変し、思っていることを粗野な口調で言ってしまう。これに関しては「[[近視]]で眼鏡がないとほとんど何も見えず、何も見えないと怖さが軽減され何ごとに対しても強気になれるから」と本人が説明している。よしながからコンタクトレンズを勧められたこともあったが「目の中に入れるのが怖い」という理由で使用していない。また、メガネを外すと美人で、しんのすけや園長も認めており、合コンした際には男全員から惚れられてしまったこともある。[[高所恐怖症]]であり、[[梯子]]はおろか、[[踏み台]]も登れず泣き叫んでしまう。乗り物酔いをしやすく、バスに乗る時は歌を歌って気を紛らわす。「ジョージ」という名の[[藁人形]]を携帯しているが一度まつざかの怒りを買った際に燃やされそうになったことがある。「ケータイの番をするゾ」(2005年6月10日放送)では、[[携帯電話]]には興味がないといって持っていなかったが「合コンデビューだゾ」(2005年12月2日放送)では、自分の好きな藁人形の[[携帯ストラップ]]を貰えるために携帯電話を買った。あいの[[SP]]・黒磯に恋をしていて、両思いなのだがお互いの性格が災いして進展はない。何か起こると携帯電話の[[ムービー]]や[[カメラ]]を駆使して一人興じている。中でもまつざか先生のことは格好のネタとして、よく彼女の行動や顔を写真に収める。 : 吉永やまつざかに比べると存在感は若干薄いが、思わぬところで役にも立っている。また、園長や他の先生と同様に園児思いな先生であることに変わりはない。しんのすけ以上にマイペースな一面もある。 : 幼稚園の先生にならなかったらなりたかった職業は[[エレベーターガール]]で、理由は「大声を出さなくてよくて、壁に向かって話していればいいだけだから」<ref name="将来に悩むマサオくんだゾ"/>。 : 胸囲はまつざか先生より大きいようだが<ref group="注">原作第26巻にて、よしながとまつざかの喧嘩を止める際にまつざかの胸を触ってしまうが、その手の形を自分の胸に当てて(私のがでかい)と笑みを浮かべるシーンがある。</ref>、測り方としては正式ではない為真相は不明。 : 携帯カメラに限らず、写真機、ハンディー型ムービーなどを扱う場面も見られる。 : また、[[パソコン]]に関しては高い技術・知識をもっており、「上尾のお部屋」なる[[ウェブサイト]]を開設しているが、訪れる者は皆無。風間からアクセスカウンターが325人になっている事を指摘されると、自分で自分のサイトに訪れただけと釈明している<ref>アニメ「インターネットをのぞいちゃうゾ」(2000年1月21日放送)</ref>。 ; <span id="熱繰椎造">熱繰 椎造(あつくる しいぞう)</span> : 声 - [[田中一成]](第541話Aパート<ref>「あつくるしいゾ」</ref>~第556話Aパート<ref>「しいぞう先生と雪遊びだゾ」</ref>)(2005年8月26日~2006年2月3日)→声なし(第766話<ref>「花見で迷子だゾ」</ref>)(2012年3月30日)→[[檜山修之]](第1213話Cパート~)(2023年12月23日~)、佐藤ゆうこ(子供時代) : [[産前産後休業|出産休暇]]をとったみどりの代理(アニメでは幼稚園[[教育実習]]生)。22歳。初登場は原作39巻、アニメでは「あつくるしいゾ」(2005年[[8月26日]]放送)。その名の通り暑苦しい性格で、典型的な[[体育会系]]教師である。モデルは[[松岡修造]]で自身も彼を尊敬しており、自身の部屋にはポスターも貼られている。[[さいたま市]][[大宮区]]在住。 : はじめは園児や職員からも煙たがられていたが徐々に打ち解けていき、[[運動会]]後に退任する事が決まるもこれを撤回させようと、運動会の閉会式中にひまわり組の園児たち<ref group="注">アニメ版ではかすかべ防衛隊のみ。また、立てこもりを実行した日にちも運動会から数日後となっている。なお、原作、アニメ共にしんのすけは立てこもりに参加していない。</ref>が職員室に立てこもる事件が発生するほどまでに慕われた。この時幼稚園教諭は止めるどころか加勢していた。この話は原作42巻、アニメでは「しいぞう先生やめないで!だゾ」(2005年[[11月11日]]放送)。「立派な幼稚園の先生になって帰ってくる」と誓い、原作42巻、アニメでは「さよならファイヤー!だゾ」(2005年[[11月18日]]放送)で幼稚園を去った。 : 2006年[[2月3日]]放送「しいぞう先生と雪遊びだゾ」にて再登場し、園児たちと雪遊びに興じた。また、2012年3月30日放送「花見で迷子だゾ」では、声なしでモブキャラとして再登場し、その後『おひさしブリブリProject』で1位を獲得し2023年12月23日放送の「あっちこっちであつくるしいゾ」で11年ぶりに再登場し<ref group="注">ただし、声つきでは、17年ぶり。また公式サイト等では、「花見で迷子だゾ」を含めてない</ref>、社会経験を積むためパン屋やサウナ屋などいろいろなところでアルバイトをしていたが熱くなりすぎで失敗ばかりしていたがしんちゃんと一緒にいるうちやっぱり幼稚園の先生になりたいと思うようになった。 : そそっかしい所もあるが心優しく非常に頑張り屋。幼少時、[[ウサギ]]に手を咬まれて以来ウサギ恐怖症。それもオレンジ色好きな椎造がウサギの食べていた[[ニンジン]]を横取りして食べようとしたためで、椎造は今までウサギが故意に咬んできたと考えていたが、それが誤解だということを思い出しウサギ恐怖症を克服した<ref>アニメ「苦手をコクフクするゾ」(2005年11月4日放送)</ref>。 ; 小泉(こいずみ) : 第87話Aパートで初登場。上尾がやってくる以前にさくら組を担当していた先生。主に幼稚園で大会やイベントがある回に登場<ref>アニメ「ソフトボール大会だゾ その1」(1994年2月28日放送)や「水泳大会がんばるゾ」(1994年7月4日放送)など。</ref>するがモブキャラクターに近い扱いだった。黒髪のショートヘアーで眼鏡をかけた容姿である<ref group="注">アニメ「リレーで勝負だゾ」(1992年9月21日放送)にもさくら組の先生が少し登場するが、こいずみとは容姿が異なる。</ref>。アニメ「愛の七夕祭りだゾ」(1995年7月10日放送)で園長から結婚の餞として笹の葉飾りを燃やす係である「火の女神」を任された。それ以降は登場しなくなったが、アニメ「入園式の思い出だゾ」(2023年9月16日放送)の入園式のDVD内で再登場している。 : よしながによれば以前にも「こみや」や「こうの」という名前の先生がおり、いずれも七夕で「火の女神」を担当した年に嫁いでいったという。 ; 猿尻 赤男(さるじり あかお) : 声 - 田中一成(第491話)(2004年1月24日) : スキーのインストラクターで語尾に「~っしょ」をつけて話し、猿のような特徴的な顔をしている。梅のグループ(しんのすけ、ボー、マサオなど)に付いていた。 ; 青井 若造(あおい わかぞう) : 声 - [[鈴木千尋 (声優)|鈴木千尋]](第531話Bパート)(2005年6月3日) :研修生。特技はバク転。くじ引きで上尾先生があたり、上尾先生が指導することになるが、今朝ニンニクを食べたことにより息が臭いとメガネを外した上尾先生に言われ、泣いてしまった。その後子供たちの提案でサッカーをやることになり、しんのすけがメガネを外した上尾先生のお尻にボールを当て、上尾先生が振り向くと青井若造がおり、青山若造が蹴ったと上尾先生が勘違いし、罰として上尾先生が上にのった状態で腕立て100回やる予定だったがやりきったかは不明。 ; ユミ : 声 - [[真堂圭]](第797話Aパート、第1172話Aパート)(2013年3月1日、2023年3月11日) : 「中学生が来たゾ」に登場した職場体験に来た中学生。将来の夢は、幼稚園の先生で、幼稚園の職場体験に行ったがリアルおままごとに付き合ってしまって、大変そうだから幼稚園の先生をやめて、小学校の先生を目指すことにした。 ; エミ : 声 - [[青山桐子]](第797話Aパート、第1172話Aパート)(2013年3月1日、2023年3月11日) : 「中学生が来たゾ」に登場した職場体験に来た中学生。最初に来たとき園長先生の顔が怖かったことと上尾先生がメガネをしんのすけによって外されたため組事務所かと思っていた。将来の夢は、アクションバーガーで働くことで、職場体験もそこにしたかったがじゃんけんで負けてあまり子供がすきじゃないのに幼稚園の職場体験になってしまったが、上尾先生の話を聞いて幼稚園の先生も悪くないなと改めていた。 ; タク : 声 - [[代永翼]](第797話Aパート、第1172話Aパート)(2013年3月1日、2023年3月11日) : 「中学生が来たゾ」に登場した職場体験に来た中学生。ボーちゃんと息がピッタリで一緒に鼻水で遊んでいた中学生。帰る際もボーちゃんのことを考えていた。 ; <span id="イーグル">イーグル</span> : 幼稚園で飼われている凶暴なニワトリ。鋭い目つきの上すぐに襲い掛かってくるので園児たちから恐れられている。ひまわりが幼稚園に入園した番外編にも登場した。 === 幼稚園に訪問しにきた人たち === ; ○川 源造(○かわ げんぞう) : 声 - [[田口昂]](第74話Bパート)(1993年11月15日) : 原作6巻、アニメでは「お注射はキライだゾ」(1993年11月15日放送)のゲストキャラクターで、ふたば幼稚園へ予防注射に来た医者。看護婦(声 - [[川村万梨阿]])によると、好きな食べ物を聞く等、注意をそらしてその隙に注射を打つことから、医師会では「だまし打ちの源さん」と呼ばれているとされている。だが、しんのすけには通用せず、逆に酒の話題をふられ大酒飲みの性で熱く語りだしてしまい逃げられてしまった。 ; 白井 葉子(しらい はこ) : 声 - [[伊瀬茉莉也]](第990話Bパート)(2019年2月22日) : ふたば幼稚園に歯科検診にきた先生。仕事熱心でかっこいい羽賀に恋をしており、人形劇で「おまえなんて大好きです」と羽賀に言ってしまい、その後告白して成功した。 ; 羽賀 しみる(はが しみる) : 声 - [[遊佐浩二]](第990話Bパート)(2019年2月22日) : ふたば幼稚園に歯科検診にきた先生。まつざか先生曰く「虫歯顔」だがメガネを取るとイケメンなため驚いていた。子供の歯を何時間でも見ていたいらしく、笑いながらマサオの歯をみたり、しんのすけの歯を写真におさめたりしていた。 === 園児の保護者 === ; <span id="風間みね子">風間 みね子(かざま みねこ)</span><ref group="注">みね子という名前は原作45巻、アニメでは「思い出のパース旅行だゾ」(2010年1月29日放送)で判明した。</ref> : 声 - [[玉川砂記子]](第21話Bパート~)(1992年9月21日~) : トオルの母で息子を「トオルちゃん」と呼ぶ(アニメではしんのすけにこの声音をよく真似され、息子がからかわれている)。[[バブル景気|バブル]]時代を彷彿とさせる化粧<ref group="注">しんのすけに「化粧が濃いですね」と言われ、トオルは「素顔に近いナチュラルメイクなんだ」と反論したが、本人曰く「本当はメチャクチャ付けてる」(「風間くんちは楽しいゾ」1992年12月21日放送)。</ref>や髪型を好む、知的でスマートな美女。颯爽とした聡明な女性であり、基本的には万人に親切。見栄っ張り。裕福だが倹約家でもあり、スーパーの特売にはトオルや偶然居合わせたしんのすけに手伝ってもらい、お一人様一つの商品を買うなど節約もできる様子。 : トオルを溺愛しており、トオルがトイレで用を足した後には尻を拭いている。その一方で教育熱心な一面もあり、塾通いが嫌になったトオルに「塾に行かないといい小学校に行けない」と発言したことがある。しかしトオルが塾のテストで順位が上がらないことに焦りを感じていた時は無理をしないように優しく窘めている<ref>アニメ「風間くんと入れ替わっちゃったゾ」2019年3月1日放送</ref>。 :原作4巻でしんのすけが初めて遊びに来たときには「派手な下着を穿いてそう」と言われ、トオルは泣き叫びながら否定し、本人も赤面しながら否定していたが、実際にはそれ以上に大胆な下着を着用していた。しんのすけにしばしばその行動を真似られ、その度にトオルから「ママの真似はやめろ!」と嫌がられている。 :趣味は男装<ref group="注">トオルは魔女っ子のコスプレをすることが多く、血筋だといっている。</ref>。「やっぱりスキーは[[カナディアンロッキー]]ですわね」と高飛車な発言をしていたが、スキーは下手<ref name=skibusryokou />。トオルの伯父にあたる、[[イギリス]]在住の5つ上の兄<ref group="注">アニメのクレジットタイトルは「'''伯父さん'''」名義。</ref>がいる<ref>原作6巻、アニメでは「こまってる人を助けるゾ」([[1993年]][[6月7日]]放送)</ref>。 : しんのすけには振り回されることがあるものの、息子の友人として好意的に見ており、みさえとも仲がいい。 : 原作とアニメではデザインが異なり、原作では、30代後半から40代前半ながらも若々しく、アニメでは30代半ばぐらいだが、メイクが濃く少々老けているように描写されている。 ; <span id="風間くんの父">風間くんの父</span> : 声 - [[金丸淳一]] : 本名不明。仕事で[[オーストラリア|豪州]]の[[パース (西オーストラリア州)|パース]]に赴任。オーストラリアに住んでいるため、みね子や野原家の前でオーストラリアンジョークを披露して爆笑をさらっていた。息子思いの優しい父親。[[IT]]企業に勤めていてかなりエリートらしく、専務まで就任しているらしい。みね子と比べてかなり若く描写されている。妻のみね子よりも年下で、20代半ばから30代前半。トオル曰く、春我部交通安全運動協会の役員をやっている<ref>アニメ「婦警さんと一緒だゾ」(1992年12月7日放送)</ref>。 ; <span id="風間くんの伯父さん">風間くんの伯父</span> : 声 - [[笹岡繁蔵]] : 本名不明。アニメ「こまってる人を助けるゾ」(1993年6月7日放送)に登場した、みね子の5つ上の兄。イギリス在住。久しぶりに日本に遊びに来た際にしんのすけと遭遇し、しんのすけに風間家への道案内を頼んだが、ハンバーガーやジュースを奢らされるなど、終始しんのすけに翻弄されていた。 ; <span id="桜田もえ子">桜田 もえ子(さくらだ もえこ)</span><ref group="注">もえ子という名前は原作37巻、アニメでは「雨にも負けず風にも負けないゾ」(2005年12月16日放送)で判明した。</ref> : 声 - [[斉藤庄子]](第3話Aパート~第92話Aパート)(1992年4月27日~1994年4月11日)→[[萩森侚子]](第98話Bパート~)(1994年5月23日~) : ネネの母。28歳。茶髪の[[ロングヘア]]が特徴。連載初期はしんのすけからも「美人」と言われており、見た目は清楚。自身を「美人で優しいママ」と自負しており、人前では優しいがみさえやみね子やよしなが先生やまつざか先生以上の見栄っ張りで裏表が激しく陰湿で男勝りで気性が激しい上に計算高い性格。知り合いの主婦との会話でもイラ立つことがあり、自宅で「カマトトぶりやがってムカつく」と一人で激怒していた。大体怒った時や機嫌が悪い時は口調が荒くなる。 : みさえと同じく粗雑でガサツで短気でケチで見栄っ張りで酒癖が悪く、見た目は華奢だが隠れ肥満で体脂肪率が高めで、[[便秘]]気味。作る[[料理]]は常に「しつこいお味」でしんのすけから指摘されており、みさえ・ひろし・風間くん・風間くんのママ・マサオくん・ボーちゃん・苗木(夫)もこれを認めている。しかし、しんのすけは「この味がクセになっている」と食べることが多い(初期はあまり食べなかった)。また、「食リポに挑戦だゾ」<ref>第958話 2018/3/9放送</ref>では[[ちらし寿司|ちらしずし]]を作ってネネに食べさせたところ、そのネネ本人からも「し、しつこい…」と言われてしまい、かなりショックを受けていた。しつこい味の理由は、しつこい醤油、マヨネーズ極みのしつこさ、コクのありすぎるお味噌などを買い物で買っているためである<ref>「必ずひとつ忘れるゾ」2022年11月12日放送</ref>。 : 一方、[[裁縫]]の腕はネネの[[ドレス]]や[[ティッシュペーパー|ティッシュ]]カバーを手作りできるほどで、かすかべ防衛隊メンバーや風間やマサオの母たちからも好評価を受けている。 : しんのすけからは本性を見抜かれており、たびたび揶揄される。ストレスを解消するためにうさぎの[[ぬいぐるみ]]<ref group="注">アニメ「おひなまつりだゾ」(1993年3月1日放送)で初めてぬいぐるみを殴った時はうさぎのぬいぐるみではなく、くまのぬいぐるみだった。</ref>を殴ったり蹴ったりしている<ref group="注">うさぎのぬいぐるみは家中の各所に隠してあり、時には外出の際にも持参しており、空気を入れて膨らませる非常用のうさぎもある。このうさぎは殴られた時、冷や汗をかいている。</ref>。「アクション仮面の新必殺技だゾ」では、ストレス解消のために「ロータリーシューティングストーム」という技をうさぎにかけた際、その様子をしんのすけが驚愕しながらも影でビデオ撮影し、それをアクション仮面の新必殺技に採用されたことがある。 : しんのすけに対しては表面は優しいママを演じているが、本心は「鬱陶しいガキ」と敵視しており、その図々しさには嫌悪感や怒りを抱いている。その怒りはうさぎのぬいぐるみに向けられ、パンチやキックを食らわす。しんのすけに美味しい所をまんまと持って行かれることがしばしばあるが、ひまわりにも似た目に遭っている。その際もウサギのぬいぐるみにパンチを食らわせている(対象はひまわり)。 : 当初はもえ子が暴れるとネネが「いつものママじゃなーい」と泣き出すのが定番だったが、ひまわり及び酢乙女あい登場以降はネネも母と同じことを行うようになり、周囲から「いつものネネちゃんじゃなーい」と言われるようになった。その為、アニメではネネと共になぐられウサギから復讐を受けることもある(夢の中という設定で、演出としてはホラー調)。 : しんのすけ(時にはみさえも加わる)の図々しさにより、しょっちゅうお茶の時間を台無しにされる(しんのすけに「用意してくれた」と勘違いされて食べられる)、外食などで食事の時間を台無しにされる<ref group="注">気に入らないことがあるとトイレに行って非常用のなぐられウサギを度々殴っているため、ファミレス業界からは「ファミレスに現れるトイレの暴れん坊」の異名で密かに有名な存在となり、恐れられている。</ref>、花見の席にも割り込まれるなど散々な目に遭っている。これらのことから野原一家(特にしんのすけやみさえ)を嫌っているが、アニメ版では、みさえとは基本的に仲良くやっている。また、野原一家に振り回されがちがゆえに報復を行おうとするが、失敗に終わるケースが多い<ref group="注">アニメ版の「友情のリレーだゾ」(1997年10月10日放送)においては、運動会の応援において、隣の席の野原家のせいで、ネネをビデオに撮れずにいたが、ひまわりを睨みつけて泣かせたことで、野原夫妻の注意をひまわりのほうに向けている間に、ネネをビデオに撮ることに成功している。また、「赤ちゃんが生まれそうだゾ」(1996年9月27日放送)ではネネと一緒にカフェでお茶をしていた際、カフェの外にいたしんのすけを見つけ、いつものようにお茶の時間を邪魔されると思っていたが、この時のしんのすけはみさえがいる産婦人科へ急いで向かおうとしていたためにネネたちの存在に全く気づかず、自滅に終わっている。</ref>。 : 保護者の中ではみさえの次に登場数が多く、単独での登場やメインの回が多い。また、みさえたちの井戸端会議のメンバーの中で一番若い(22歳ぐらいで結婚し、23歳でネネを出産している)みさえと仲が良いのは年が近いことも関係している。 ; <span id="桜田苗木">桜田 苗木(さくらだ なえき)</span>{{要出典|date=2022年3月}} : 声 - [[大滝進矢]](第44話Bパート~第1140話Cパート)(1993年3月29日~2022年7月23日)→[[乃村健次]](第1175話Aパート)(2023年4月1日) : ネネの父。クールな性格で二枚目風の容姿をしており、近所で評判の男性。会社員であり、役職は課長である。野原一家とはお花見や花火大会などで会うことが多い。毛虫が嫌いであり、見ると錯乱してしまう<ref>アニメ「お花見は楽しいゾ」(1993年3月29日放送)</ref>。もえ子と比べて登場機会が少なく、みさえがもえ子と対立した際に「影が薄い人は黙ってて」と言われ、ショックを受けていた。 : 初登場はもえ子よりも早く連載第6回で、アクション幼稚園運動会にてネネをビデオ撮影していた{{refnest|group="注"|ただし、この回は単行本未収緑となっている(この時点では名前は出ていない)。しんのすけに「セクハラ亭主 ボッキー君」と書かれたプラカードを出されてノリでボケをかましてしまい、ネネに泣かれている<ref>『Weekly漫画アクション』1990年10月9日号、p.242</ref>。}}。 : アニメでは原作とデザインが異なり、眼鏡をかけたおっとりとした雰囲気の中年男性となっている。外出先で野原一家に鉢合わせても快く同行を受け入れたり歓迎するなど温厚な性格であるものの、それによってもえ子がストレスを溜める一因を担っている事には気づいていない。 ; <span id="ネネちゃんの祖母">ネネちゃんの祖母</span> : アニメオリジナルキャラクター。2005年6月24日放送の「もえPに大変身だゾ」でネネちゃんに、もえPなりきり変身セットを初めとした服を送ってきた。ネネちゃんのママ曰く「服の趣味は地味」とのことで変身セット以外の服はネネちゃんからもいまいちとされた。両親のどちらの母親であるかは語られず、本人も未登場。 ; <span id="マサオくんの母">マサオくんの母</span> : 声 - [[大塚智子]](第12話Bパート~)(1992年7月6日~) : 本名不明。 : 少し小太りで、顔はマサオくんにそっくり。 : 趣味はテニス。みさえとは仲が良いが、しんのすけの図々しさには少々困り気味。 : 原作の連載初期では姿形が違っている。またアニメでも初期は顔の形が異なっていた。 ; <span id="マサオくんの父">マサオくんの父</span> : 声 - [[松山鷹志]] : 後ろ姿のみの登場で、顔つきは一切不明。マサオ曰く「これといって趣味もなく冴えない感じ」の人物。また、彼が登場する以前にも存在が確認されているエピソードが存在するが、マサオママ曰く、みさえは一度も会ったことがないらしい。音楽関係が苦手(「お歌でお悩みだゾ」にて音痴であるところが判明。さらに「ロック魂だゾ」ではエレキギターも弾けないらしい)。 ; <span id="ボーちゃんの母">ボーちゃんの母</span> : 原作10巻のしんのすけたちかすかべ防衛隊がボーちゃんを探ろうとする話に、一度だけ影のみで登場し台詞も存在する。この時、しんのすけたちはちんどん屋に気をとられ詳細は掴めなかった。 : アニメでは姿は登場していないが、映画『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル|嵐を呼ぶジャングル]]』ではしんのすけたちの親はボーちゃんの母親のことを知っている旨の発言がある。しんのすけ、風間くん、ネネちゃん、マサオくんで顔を想像して描いたことがある<ref group="注">しんのすけ達はボーちゃんと瓜二つの母親、風間くんはしんのすけ好みの美人の母親。</ref>。新7巻にも登場したが影のみしか登場しなかった。 ; <span id="ボーちゃんの父">ボーちゃんの父</span> : 新7巻に登場したが影のみの登場。 ; ツム郎 : 新7巻に登場。ボーちゃんが飼っているカタツムリ。 ; <span id="ボーちゃんの祖母">ボーちゃんの祖母</span> : ボーちゃんの会話中にしばしば登場するが、容姿はおろか、どちらの祖母なのかすら判明していない。 ; あいちゃんの母 :声 - [[小林沙苗]](第1129話Cパート)(2022年5月7日) : 2003年11月8日放送の第484話「あいちゃんと駆け落ちだゾ」で、一瞬登場した。2022年5月7日放送の「カスカベの休日だゾ」では声付で登場した。茶髪でショートカットだったが、後ろ姿のみでの登場だったため顔は見ることができなかった。なお、黒磯によく花瓶を割られている。また、黒磯というSPをつけていることかもわかるように、会社をいくつも経営している実業家。 ;あいちゃんの父 :声 - 松山鷹志(第1129話Cパート)(2022年5月7日) :2022年5月7日放送の「カスカベの休日だゾ」に登場した。ペットのイグアナの結婚相手を探していたのを黒磯があいの結婚相手を探していると勘違いしてしまったことがある。 ; <span id="黒磯">黒磯(くろいそ)</span> : 声 - [[立木文彦]] : 酢乙女あいの[[ボディーガード]]兼[[執事]]、[[運転手]]。下の名は不明。サングラスをかけ、黒いスーツを着ている。あいを常にガードしている。 : 仕事柄、口数は少なく感情はあまり表に出さない。しかし、隠しごと(ゴルフクラブで盆栽やブロンズ像を壊した、豆大福や飼い犬の食事をつまみ食いしたなど)が多くあり、あいに弱みを握られている。 : 上尾に恋をしており、両想いなのだが、お互い恋愛に奥手なゆえ、進展は皆無。またネネちゃんが一時期黒磯に恋をし、しんのすけにラブレターを渡させたが、名前が書かれていなかったため、しんのすけがラブレターを書いたと誤解したことがある(原作30巻)。このときも、あいに悩みを持っていると指摘された。翌日しんのすけに「自分のことは忘れてくれ」と断ったが、当のネネ本人はすでに黒磯のことを忘れていた。また、その一方でネネがうさぎのぬいぐるみを殴ってストレス解消をする現場を物陰から目撃し、その原因のほとんどがあいにあることを認めている。そのためネネのことを人一倍気にかけており、あいに対する怒りが頂点に達したネネにストレス解消用のうさぎのぬいぐるみを差し出す等をして彼女をフォローしている。カラオケの十八番は『[[鉄道唱歌]]』。映画「バイオ・ハザードランプ」シリーズの女優、ミラジョボ・ビッチビチの大ファン<ref>『まんがタウン』2007年12月号。</ref>。 : あいの好物である酢こんぶをつまみ食い(実際は毒見をしていたのをあいがつまみ食いしたと勘違いした)したことが原因で一度はSPをクビにされたが、それでも彼女を心配してあとをつけつづけており、後にあいを助けたことやある気遣いを認められたことで彼女から復職を許される。 : お仲間総選挙では、11位を獲得し出演した。 ; <span id="ロッテン前田">ロッテン前田</span> : 声 - [[浅川悠]] : 新5巻に登場。クビにされた黒磯に変わって登場したあいの新しいSP。あいからは「ロッテン」と呼ばれている。厳格な性格で、あいを常に守る事や彼女のスケジュールの管理、怪しいと思った人物に容赦無く絡むなどの徹底した行動を見せているが、反面ではしんのすけの下品さに動揺する等のコミカルな一面やあいの命令に忠実になる余りに彼女が逃げ出す隙を作ってしまうなどの抜けた一面もある。また、女性でありながらも黒磯と同様にサングラスを掛けており、黒いスーツを着ている。逃げ出したあいを追いかけた際に泥の水溜りから彼女を助けようとしたが、身を挺した余りにあいを放り投げてしまい、直後に現れた黒磯からSPとしての行動力の無さを指摘されたことでそれを反省すると共に「SPの勉強を一からやり直す」と語り、あいの元を去った。 ; <span id="宇集院夫人">宇集院夫人</span> : 声 - [[川浪葉子]] : 魔朱麿の母。下の名前は不明。政治家の宇集院連太郎の妻である様子<ref name="oya" group="注">「子供のケンカに親が出るゾ」でみさえとしんのすけが宇集院家に謝罪に行く際、家の前の表札が「宇集院 連太郎」となっている。</ref>。金持ちであることを鼻にかけている嫌味で見栄っ張りな性格。酢乙女あいのほうが家柄が上である模様。しんのすけには「妖怪厚化粧おばば」、みさえには「豚に真珠」<ref group="注">英会話体験教室では、みさえにしんのすけに英会話をさせることの意味で使っている。しかし、しんのすけには「おばさんにダイヤと同じこと?」と言い返された(みさえも表向きではしんのすけを注意していたが、内心ガッツポーズをしていた)。</ref>「妖怪成り金ざまあすババァ」「厚化粧」と言われたので、彼らのことを毛嫌いしている。「[[山の手言葉|ざんす]]」「[[山の手言葉|ざます]]」が口癖。もえ子やまつざか先生やまつざか先生の姉達以上に性格が悪く歪んでおり、しんのすけとみさえはおろか使用人のたねからも内心で毛嫌いされている。 : 家の壁を落書きされた際にはしんのすけを追い回したが、結局捕まえることはできず、自身も何度か転倒し、無惨な姿を晒していた。 ; <span id="パトリシア">パトリシア</span> : 宇集院家の飼い犬。オスのプードルで、血統書付きの高級犬。宇集院夫人同様に嫌味な性格で、エサは霜降り牛肉しか食べず、みさえが出した牛肉(スーパーの安物<ref group="注">野原家からすれば、夕食にするほどの豪華なステーキ肉である。</ref>)を蹴飛ばすほどである<ref group="注">みさえの前で、牛肉が盛られた皿をひっくり返した。みさえは「勿体ない」と叱責する。</ref>。ケアもブラッシングが1日5回必要と手間がかかる。しんのすけ<ref group="注">しんのすけを「庶民のガキ」と思っている。</ref>には名前を忘れられており、「サブちゃん」と名前が付けられた。夫人がフランス旅行中に野原家に預けられた際、しんのすけには頭の毛を引っ張られる等で弄ばれた挙句、頭の毛をカットされそうになったことで家じゅうを逃げ回って隠れるもシロに発見され、最後には抵抗する<ref group="注">コミックでは「やめろ バカヤロ くそガキ」と心内文が書かれている。</ref>も、しんのすけは「嬉しい」と頓珍漢な解釈をして、しんのすけの趣向で[[北島三郎|サブちゃん]]ヘアー(=頭の毛をバッサリとカットされた)にされ、体には「サブちゃん<ref group="注">コミックでは、「サブちゃん号」と体に落書きされている。</ref>」とマジックで落書きされてしまう。その後、迎えにきた夫人に助けを求めて泣き叫んでいた<ref group="注">夫人がフランス旅行から帰ってきた時は流石に返却できる状態ではなかったため、みさえもパトリシアを迎えに来た夫人に対し、もうしばらく預かる等と青ざめた顔で必死に弁解していた。</ref>。このサブちゃんカット事件をきっかけにしんのすけは、顔も合わせたくないほどにトラウマ的な存在となっている<ref group="注">「子供のケンカに親が出るゾ」でみさえとしんのすけが宇集院家に謝罪に出向いた際、しんのすけがモニターにアップで映ったときは怯え、宇集院夫人が通した時は必死に逃げて隠れた。このときは、頭は既に元のプードルの毛並みとなっている。</ref>。後に尋ね犬として行方不明になり、10万円の賞金がかけられた為野原家に追い回され、その末に宇集院家に戻った。 ; <span id="宇集院連太郎">宇集院 連太郎(うじゅういん れんたろう)</span> : 声 - [[佐藤正治 (声優)|佐藤正治]](第52話Bパート~)(1993年5月31日~) : 初期によく登場した[[与党]]<ref name=skate>アニメ「スケートの天才だゾ」(1993年11月29日放送)</ref>の[[代議士]]。議員生活は35年<ref name=senkyo>アニメ「選挙って大変だゾ」(1993年12月6日放送)</ref>。春我部新聞には「嫌いな政党」と書かれている<ref name=skate/>。埼玉生まれの埼玉育ち<ref name=senkyo/>で、野原家の近所に在住<ref name=kaettekita>アニメ「帰って来た地獄のセールスレディだゾ」(1993年5月31日放送)</ref>。<ref name="oya" group="注" />。まゆつば社から5億円を受け取った疑惑があり、マスコミに追われていた<ref name=seijika>アニメ「政治家に質問だゾ」(1993年6月14日放送)</ref>。汚職で問題視されている中、[[埼玉県第4区|埼玉4区]]に無所属で立候補<ref name=senkyo/>。選挙ポスターのキャッチコピーは「正義と実行の人」 <ref name=senkyo/>。 : しんのすけを追って久里代が敷地内に侵入した際、「マスコミか?はたまた[[国税庁]]の回し者か?」と言い放つと、犬笛を使い[[ドーベルマン]]を2匹呼び出し久里代を追わせた。その後、秘書(声 - [[中博史]])に「何者でしょう?」と聞かれ「女の格好しとったが、ありゃ確かに男だった」と言い残す<ref name=kaettekita/>。老人ホーム「長寿園」に視察慰問した際には、マスコミ関係者を沢山呼んでイメージアップを図るつもりが、ふたば幼稚園のひまわり組も同じ老人ホーム「長寿園」に慰問に来ていてしんのすけに振り回され「札束が好き」「もらったのは5億円だけ」と墓穴を掘り、マスコミに厳しく追及されてしまう<ref name=seijika/>。商店街で街頭演説をした際には、しんのすけに振り回されながらも「わしはいつどんな場所でも土下座が出来る」と心の中で豪語しながら土下座してお願いしたが、しんのすけの一言で逆に商店街にいた人達から大笑いされる羽目になった。その後、投票日にはこれまでの努力が実って当選したと思われたが、実際は別の当選者と間違えて名前を呼ばれただけの誤報で、実際は落選しており、それを知らされるとテレビカメラの前で子供のような癇癪を起こしていた<ref name=senkyo/>。 : みさえからは「金の貯め方、ウソのつき方、賭け麻雀の先生」と散々な言われようで、「嘘つきは政治家の始まりです」とも揶揄されている <ref name=seijika/>。 : 「子供のケンカに親が出るゾ」でみさえとしんのすけが宇集院家に謝罪に行く際、家の前の表札が「宇集院 連太郎」となっていることからふたば幼稚園バラ組の園児魔朱麿の父である様子。 ; <span id="東松山たね">東松山 たね(ひがしまつやま たね)</span> : 声 - [[高乃麗]] : 宇集院家の使用人。76歳の独身。大抵は監視カメラのモニター室におり、壁に落書きする子供をマイクを通じて叱る。仕えている宇集院夫人からは(主にしんのすけの事で)叱責を受けることが多く、内心では不満や辟易している事も多く、ストレス解消のため夜中に夫人の悪口(「厚化粧」「イヤミ」「妖怪成金ざぁますババア」「ケチ」など)を屋敷の壁に落書きしたり、彼女を模した石像を踏みつけるなどしている。 == 春日部の住人 == ; <span id="北本れい子">北本れい子(きたもと れいこ)</span> : 声 - [[鈴木れい子]](第90話Aパート~)(1994年3月21日~) : 野原家の隣人。アニメのクレジットタイトルは「'''隣のおばさん'''」名義であり、名前が出てくることは少ない。 : [[アメリカ人]]と日本人の姉との間に生まれた甥のロベルト、[[フランス人]]と日本人の妹との間に生まれた姪のエマを持ち、[[英語]]と[[フランス語]]に堪能で、それ以外に[[スワヒリ語]]や[[中国語]]も話せる<ref name=":0">新10巻vol.199より</ref>。 : お喋り好きで、みさえとは夕暮れになるまで立ち話をすることもしばしば。鳩ヶ谷夫妻ほどではないものの少々厚かましい一面もあるが、野原家をよくよく気にかけるなど根は善良な人物で、野原家の建て替え中や旅行時等のシロの預け先にもなっている。 : 「歩くワイドショー」の異名を取るゴシップ好きでもあり、たまたま見かけた野原家の不審な行動や、しんのすけの与太話を真に受けた噂がたちまち町中に広がっていき、その結果、野原家が近所で笑い者にされてしまう原因となっている。 : 過去の経歴についてはほとんど明かされておらず、ロベルトやエマにも教えていないため、エマには元スパイではないかと憶測を立てられた<ref group="注">新10巻vol.199では35年前にコードネーム「ポラリス」としてスパイ活動をする夢を見ており、コードネーム「サザンクロス」という夫らしき人物も登場する。</ref>。夫(声 - [[星野充昭]])もいるが、原作、アニメともに明確な姿は描写がされていない。原作では右手甲に十字の傷がある以外に描写はされておらず、北本の夢の中ではコードネームサザンクロスとして登場したのみである<ref name=":0" />。アニメでは野原家は一度も見たことがなく、写真にも腕しか写っていなかった。他、既婚の娘もいる<ref>アニメ「トイレに閉じこめられたゾ」(1995年8月28日放送)</ref>。また、友達として本庄(声 - [[片岡富枝]])とバツイチで暗い性格の児玉(声 - 伊藤美紀)がいる<ref>「となりのおばさんちであそぶゾ」2017年6月2日放送</ref>。 ; <span id="ロベルト・マクガイヤー">ロベルト・マクガイヤー</span> : 声 - [[堀之紀]] : 北本のハーフの甥。北本の姉がアメリカ人と結婚したため、その息子である。時折、居候や旅行で春日部の北本の家に滞在する。 : 日本マニアで思い込みが激しく、しんのすけに変なこと(ケツだけ星人やケツだけ歩きなど)を教えられ、それを日本の文化、習慣、風習と勘違いする。ななこに一目惚れしたことがあったが、しんのすけがななこの彼氏だと知ると、「親友の彼女に手は出せない」と素直に身を退いた。 : 日本語はあまり話せず、しんのすけを「チンノスケ」、みさえを「ミサイルさん」と呼ぶ。原作では吹き出しの台詞を横書きにすることで英語を話していると想定し、アニメでは登場の際に「ロベルトさんは日本語を話しているようですが、これは吹き替えで、あくまでも英語を話しています」「日本語を英語だと思ってください」「クレヨンしんちゃんは分かりやすいアニメを目指します」という趣旨の[[スーパーインポーズ (映像編集)|テロップ]]が出る。 :「武蔵野剣太 ロベルトの剣道入門」を最後に登場していないかったが「あっちこっちであつくるしいゾ」(2023年12月23日放送)では声無しでモブとして登場した。 ; <span id="エマ">エマ</span> : 『新クレヨンしんちゃん』5巻のVol95にて初登場。 : 北本のハーフの姪。北本の妹がフランス人と結婚したため、その娘である。しんのすけを「チンチャン」、北本を「マダム北本」と呼ぶ。 : フランス語を話すため、英語を話すロベルトとは北本を通じてではないと会話が成立しない。 ; <span id="鳩ヶ谷ヨシりん">鳩ヶ谷 ヨシりん(はとがや ヨシりん)</span> : 声 - [[阪口大助]](第242話Bパート~)(1997年8月15日~) : 野原家の裏側の一軒家(アニメでは近所のアパート)に住む若い夫婦の夫。野原一家とはハワイ旅行(アニメでは遊園地)で知り合いその後野原家の隣に引っ越してきた。また、知り合いになるまえにも登場しており、その頃はまだ夫婦ではなく付き合っている時で野原家が秋田へ電車で行く際、鳩ヶ谷家が野原家の席を間違えて座っていた(「満員こまちで秋田へ行くゾ」より) : 容姿はそこそこの美形だが、とてつもなく非常識かつ自己中心的な性格で、妻のミッチーを溺愛している一方、ミッチー以外の人間に対する遠慮や気遣い等は皆無に等しい。夫妻はいわゆる[[バカップル]]で、プライベート時では大抵服装がペアルックである。その光景は近所はもとより、会社に行く途中の駅、発車寸前の電車内でも見ることができる。喧嘩をすると野原家に駆け込み、野原夫妻に仲裁を押しつけてはすぐ仲直りする。また、野原家の隣に転居してきたときはひろしに引っ越し作業を手伝わせたり、野原家の夕食を横取り<ref group="注">すき焼きや焼肉の時に勝手に家に来て、肉だけ全て食べてしまう、など。</ref>したり、家族イベントに無理矢理割り込んでくる<ref>アニメ「新そばをたべに行くゾ」(2017年9月8日放送)、「オラんちでグランピングだゾ」(2018年5月11日放送)など</ref>など、図々しい迷惑行為で野原夫妻にたびたび精神的、物理的苦痛を負わせているが、本人はそのことを全く自覚していない。ただ、希に野原夫妻を助けることもある<ref>「今夜は手巻き寿司だゾ」(2023年8月5日放送)</ref>。それらの自分勝手さや厚かましさは親族の遺伝であるようで、後述する親族も皆、基本的にヨシりんとよく似た性格をしている。 : 野原夫妻(特にひろし)にとっては体調不良を覚えるほどの[[ストレス (生体)|ストレス]]の種になっており、普段から何かと疎ましく思われている。一方でみさえに対しては、本気で叱責されると萎縮する<ref>アニメ「コツメカワウソのドーヤくんだゾ」(2019年3月8日放送)</ref>など、ひろしよりは礼儀を弁えた態度で接している。精神年齢が低いゆえかしんのすけとは良好な仲である。その性格のため、妻のミッチーともども友人は1人もいないというが、「なぜか自分たちから離れていく」と述べるなど、自らの性格や言動が原因であることは自覚していない。 : 基本的にはミッチー一筋であるものの、フィギュアや[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]グッズの収集を趣味としているほか、グラビアアイドル好きという一面もあり、[[インリン・オブ・ジョイトイ]]などのエッチなDVDを「仕事資料」と偽って隠していた<ref>原作43巻、アニメ「ひまわりをあずけるゾ」(2009年6月5日放送)</ref>、写真集も所有しており、時折、密かにしんのすけに見せていることもある。また、風間トオルと同様、魔法少女もえPの隠れ大ファンでもある。家事はミッチーに任せており、料理は苦手である模様。そして中島みゆきが好き<ref>「ビアガーデンで盛り上がるゾ」(1998年7月17日)</ref>。 : 原作では勤めていた会社をリストラされて自殺未遂に及んだが、その後ひろしの勤務する双葉商事に入社した。当初は経理部に所属していたが、ひろしの直属の上司に気に入られて営業部に転属し、ひろしの直属の部下になった。以降は仕事先でのミスを犯した際にひろしにアドバイスをもらって素直に礼を言ったり、一緒に飲みに行くなど、ひろしとは良き上司と部下として、それなりに信頼関係が芽生えつつある。 : アニメではおじのマシりん(声 - [[佐藤正治 (声優)|佐藤正治]])、いとこのユー(声 - [[山下大輝]])とその彼女のリー(声 - [[久野美咲]])が登場している。 : なお、「ヨシリン&ミッチー」という名前の人物は、原作初期からこの夫婦とは別人のモブキャラクターとして登場していたが、後にこの夫婦に統一されるようになった。 ; <span id="鳩ヶ谷ミッチー">鳩ヶ谷 ミッチー(はとがや ミッチー)</span> : 声 - [[草地章江]](第242話Bパート~第496話Aパート)(1997年8月15日~2004年3月13日)→[[大本眞基子]](503話Aパート~)(2004年6月12日~) : 鳩ヶ谷ヨシりんの妻。趣味はホラー映画鑑賞、恐竜のぬいぐるみ集め。栃木県出身。顔もスタイルも良いが、夫と同様に天然かつ利己的な性格やワガママを言う一面が目立ち、常識や礼儀が欠けている。図々しいヨシりんに乗って、野原夫妻を散々な目に遭わせたり、呆れさせる事が多く、さらには時折野原一家を見下すような発言をすることも多い。 : またヨシりんと趣味が合わないようで、ヨシりんの集めていた美少女やヒーロー物のフィギュアやグッズを処分するよう言った際にヨシりんに気味の悪いモンスターのフィギュアを集めていたことを咎められてケンカになったことがある。ミッチーの方も夫のスケベさには寛容になれないなど、妙なところで反りの合わない夫婦である。だが、基本的には相思相愛で、喧嘩してもすぐに仲直りする。 : 時偶に真っ当な意見でヨシりんの身勝手さを窘めるなど、彼に比べればまだ常識的な面もあり、みさえとは騒動や面倒事以外の時は、比較的良好な関係である<ref>「ビアガーデンで盛り上がるゾ」(1998年7月17日)、「今買うとおトクだゾ」(2004年6月12日放送)など</ref>。 ; 酒井 しのぶ(さかい しのぶ) : 声 - [[伊藤美紀 (声優)|伊藤美紀]](第10話のAパート)→[[西原久美子]](第24話のAパート~) : 野原家の近所のアパート「フタバコーポ」に住む女子大生。金欠で倹しい生活を送っていて、普段着はTシャツにパンツだけという格好である。しんのすけからは呼び捨てで呼んでいる。 : 初登場(原作では1巻、アニメでは「女子大生はお友達だゾ」〈1992年6月15日放送〉)で初めてしんのすけと出会って休みを邪魔された以降、しんのすけから迷惑がるようになり、その後のエピソードでアルバイト<ref>「女子大生バイトはつらいゾ」(1992年10月26日放送)、「たい焼きを買いに行くゾ」(1993年2月15日放送)、「ガソリンスタンドへ行くゾ」(1993年8月16日放送)、「お化粧は楽しいゾ」(1994年3月21日放送)、「忘年会で盛り上がるゾ」(1994年12月26日放送〈年末スペシャル〉)。</ref>の途中に現れたしんのすけのマイペースに振り回されたせいで濡れ衣を着せられる形で、最後は各アルバイトの店の店長からクビを言い渡されて失敗ばかりしている<ref group="注">例としてハンバーガーショップでのバイトではおもちゃのお金で払おうとするしんのすけの対応に時間がかかってしまい、店長から「君の知り合いなんだから君が立て替えておきなさい」「その分の代金は君のバイト代から引く」と言われ、その翌日にはしんのすけを含む十数人の子供達がおもちゃのお金で払おうとした為、店長からクビを言い渡された。ファーストフード店でのバイトではありもしないメニューを要求をしてばかりのしんのすけに殴りかかろうとした際、店長からクビを言い渡された上、バイト代が現物支給でたい焼き十数個になってしまった(その半分をしんのすけにあげた)。</ref>。また、男運も皆無で、周囲の男とは無縁である<ref group="注">ゲーム『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ園児|嵐を呼ぶ園児]]』の攻略本より。しんのすけからアルバイトをクビにされている事と金欠の事をイジられているだけではなく、この事までもイジられていた。</ref>。 : 「ガソリンスタンドへ行くゾ」の最後において、ガソリンスタンドのアルバイトを店長からクビにされた時に野原家で夕飯を食べさせてもらったが、しんのすけのせいでアルバイトをクビにされた事に号泣しながら焼け食いしていた<ref group="注">なお、しのぶを初めて見たみさえに「一体何なのよ、あの子は!?」と言われるが、「女子大生はお友達だゾ」ですでにしのぶと知り合っているひろしがみさえにしのぶの事を語っていた。その後、みさえは「お化粧は楽しいゾ」と「忘年会で盛り上がるゾ」でしのぶと再会している。</ref>。 : 「お化粧は楽しいゾ」ではアクションデパートの化粧品売り場のスタッフに就き、お客として来たみさえの付き添いのしんのすけに商品である化粧品を悪戯(体へのお絵かき)で使われるものの、みさえや先輩スタッフに見つかった事で、しんのすけはみさえからお尻叩き100回の体罰に処され、しのぶは先輩スタッフからこの騒動の責任をとってもらうと宣告され、またクビになると嘆いていた<ref group="注">のちの「忘年会で盛り上がるゾ」で別のアルバイトをしていた為、アクションデパートはクビにされている。</ref>。「忘年会で盛り上がるゾ」(1994年12月26日放送の年末スペシャル)ではまたしんのすけにアルバイトを邪魔されるも、しんのすけを探していたみさえのおかげでクビは逃れたが、「あの子(しんのすけ)のいない町へ引っ越したい」と発言していった。その後、「あっちこっちであつくるしいゾ」(2023年12月23日放送)でモブキャラとして、29年ぶりに再登場した。 : 原作では名前が出ておらず、アニメ初登場のクレジットでは「女子大生」と表記されていた。 ===原作のみのキャラクター=== ; <span id="門呂マリ">門呂 マリ(もんろ マリ)</span> : 野原家の近所に住んでいる女性。「んふ」が口癖で、色っぽい話し方をする。料理が非常に下手で、しんのすけ曰くひろしの足よりもひどい悪臭を放つ<ref group="注">息子のオサムはその悪臭に慣れているため、特に動じることはない。ただし、母の料理の腕が壊滅的であることは内心認めている。</ref>。夫が海外赴任中で男手がないため、困ったことがあると野原家を訪ねて助けを求める。その際、ひろしは色気につられてどんなことも引き受けて、最後はみさえにひどく怒られたり、呆れられたりするなど悲惨な目に遭っている。好物は[[よっちゃん食品工業|よっちゃん]]の酢漬けイカ。 : 海水浴場に創作おにぎりを作って持っていたことがありそれを食べたひろしがおにぎりを食べたことにより腹を壊してしまったことがある<ref group="注">アニメ版では門呂役割を別の女性2人に変更した上で製作された(「海はムフフ…だゾ」、2004年7月24日放送)。</ref>。 ; <span id="門呂オサム">門呂 オサム(もんろ オサム)</span> : 門呂マリの息子。小学2年生。クールで無表情かつ非常にこましゃくれた性格(ひろし曰く「憎たらしいガキ」)で、母の色香に釣られるひろしを内心馬鹿にしている。ひろしの行動に対する反応などでしんのすけとは気が合い、母親のアルバムを一緒に見たりおもちゃで遊んだりしている。 ; <span id="捨内>捨内(すてない)</span> : 野原家の近所に住んでいる、ゴミ集めを趣味とする変人。自宅には大量のゴミが溜め込まれており、一時それらのゴミが原因で異臭騒動が起きた事もある。既婚者で妻がいるが、異臭が原因で出ていってしまった。以前「女子七楽棒」([[女子十二楽坊]]のパロディ)のコンサート会場でひろしと会ったことがあり、ひろしもその事を何度か話しているが、捨内自身は覚えていない。「はふー」が口調。 : 不潔な一面とは裏腹に逆上がりを得意とするなど、運動神経は良い。ひろしは捨内から逆上がりを教わったことがある<ref group="注">アニメ版では捨内の役割を四郎に変更した上で製作された(「夜の鉄棒だゾ」、2009年8月28日放送)</ref>。 ; <span id="千住平八">千住 平八(せんじゅ へいはち)</span> : 野原家の近所に住んでいる独り暮らしの老人。70歳。6年前に妻に先立たれ、身寄りもなく寂しく生活していたが、しんのすけと喧嘩したシロと出会い仲良くなる。後日野原家を訪れシロを譲ってくれるよう頼み、一時期シロと暮らしていたが、シロにはしんのすけが必要だと悟り、しんのすけに返した。その後も彼らのもとに度々遊びに行っている。 : 二度目に登場したときは山で山菜採りをきていたところかすかべ防衛隊とも出会い、丸太でブランコを作るなどして打ち解けた。山火事に巻き込まれてしまうが、平八の判断で難を逃れる。 : 以前は消防士をしており、火事で助けた人数は1000人を越えるという「伝説の消防士」であった。しかし煙草の不始末が原因で自宅が火事に遭い、妻は無事だったものの一人娘を亡くしてしまい、その直後に退職した。 : 正義感が強く、煙草をポイ捨てした人を堂々と注意している。体力も健在であり、関節技で即の悪いサラリーマンを抑え込んだり、丸太に乗ってソリのように坂を滑るといった行動を取った事がある。普段は公園の清掃をしたり、山で山菜を採っている。近所の人から「変わり者のおじいさん」と呼ばれており、かすかべ防衛隊も当初は怪しんでいたが、平八と遊んだり、山火事から助けてくれた事で考えを改め、かすかべ防衛隊に入れようと考えていた。 == 友達関係 == === しんのすけの友達・知り合い === ==== 大原家と関係者 ==== ; <span id="大原ななこ">大原 ななこ(おおはら ななこ)</span> : 声 - [[紗ゆり]](第175話Aパート〜第766話)→[[伊藤静]](790話Bパート〜) : しんのすけが恋をしている女子大生。20歳。アパート「メゾン毒とかげ」(アニメでは「メゾン・ド・黒トカゲ」)で一人暮らしをしている。相撲が好きで、関取のようなコロコロした体型が好み。 : 穏やかで優しく、かつ真面目な性格で、料理も得意とするなど家庭的な人物。その一方、お茶目で積極的な一面もある。スキー場で若い男からナンパされた際はあまりのしつこさに「久しぶりにキレちゃおうかな」と苛立ったり、劇場版『[[クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦|温泉わくわく大決戦]]』では巨体の忍を引っ張るほどの怪力を発揮したこともある。 : しんのすけとの馴れ初めは、目のごみを取ってあげたことから<ref>原作13巻、アニメでは「オラの本気の恋だゾ」。</ref>。その恋心は両親も承知しており、しんのすけに家事などのやる気を出させる時に利用することがある。その美貌はしんのすけだけでなく、ひろしやロベルトと言った他の男性にも好意を寄せられたことがあるほど。一方、しんのすけに恋心を抱く酢乙女あいからは一方的にライバル視され、フェンシングでの勝負を挑まれたこともあった。 : 原作とアニメではキャラクターが異なる。原作では髪が茶髪でサバサバした性格であり、しんのすけを呼び捨てにすることが多い。その一方、アニメでは黒髪で容姿もかなり違っており、性格はおしとやかで、しんのすけを一貫して「しんちゃん」と呼んでいる。しんのすけからは「ななこおねいさん」と呼ばれているが、夢や妄想の中では「ななこ」と呼び捨てにしている。 : 映画『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード|嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード]]』において、スウィートボーイズの裏工作で野原一家が犯罪者に仕立て上げられた際には、しんのすけを嫌った事があった<ref group="注">その際、思い込みや両親の発言などでななこに嫌われる妄想をするしんのすけは、この映画で初めてななこから嫌われ、放心して卒倒してしまった。なお、ななこはどうなったか不明だが、熱海サイ子を装着したしんのすけの手で野原一家が凶悪犯であった事実が抹消された為、しんのすけを嫌った記憶は消された模様。</ref>。 : お仲間総選挙では、3位を獲得し出演した。 ; <span id="大原四十郎">大原 四十郎(おおはら しじゅうろう)</span> : 声 - [[塚田正昭]](第236話Cパート)→[[麦人]](273話Cパート以降) : ななこの父。主人公の豪快な生き方を描く「豪快」シリーズ小説<ref group="注">全作読んでいるほどのファンであるひろしの説明によると、四十郎はデビュー作『豪快くんが通る』からヒットし続けているとのこと。1作ごとに主人公や舞台設定は異なるが、「豪快な生き方」というコンセプトは共通しており、いわゆるオムニバス作品にあたる。『野生の豪快』は映画化、『明日の豪快』は漫画化されている(「ななこおねいさんのお父さんだゾ」1998年5月22日放送より)。</ref>を25年にわたり執筆し続けるベストセラー作家。 : 家族思いではあるが極度の心配性で、とりわけ娘のななこに対しては少しでも心配になると、原稿の締切が迫っていようと会いに行くほど。彼女が遠出する際も必ず同行しているが、ななこ本人からは迷惑がられている。また、ななこと親密なしんのすけに対してはかなりの敵愾心を燃やしており、彼から「お義父様」呼ばわりされることを極端に嫌っている<ref group="注">四十郎自身はしんのすけのことを「ジャガイモ小僧」「生意気な小僧」と呼んでいる。</ref>。しかし、ななこのことになると息の合ったコンビネーション<ref group="注">ななこが男とデートをすると思い込んで後を追いかける(「ななこおねいさんのお父さんだゾ」1998年5月22日)、猛スピードでななこの家に駆けつけ、彼女の家を訪れるあらゆる男性を捕まえて強引に事情聴取をする(「ななこお父さんと再会だゾ」1999年1月15日)、寿司屋でアルバイトをするななこに難癖をつけるチンピラの男性客に対し、鬼の形相で威圧する(「ななこおねいさんのアルバイトだゾ」2004年5月8日)など。</ref>を見せることもある。 : アニメではシナリオ教室の講師を兼任しており、本来は畑違いだが、担当の講師が来られなくなったために脚本の描き方を教えることになった。しかし、「私から教えることは何もない」「人に頼るな」「どんどん書くのが一番いい」と言い放ち、生徒たちにいきなり課題を出してすぐに帰ってしまうというやり方だった。その際、シナリオライターを目指して生徒になったみさえが書いたシナリオを読み、そのあまりに支離滅裂な内容にダメ出ししたことでケンカとなり、「豪快なんとかって言ってマンネリしてる」と吐き捨てられ口論に発展してしまった。 : アニメでの初登場時は容姿が大きく異なっていた<ref>アニメ「ストーカーは許さないゾ」(1997年7月4日放送)。</ref>。原作では娘を心配するあまり探偵に見張りを依頼していたが、アニメ版では「娘に男ができた」と思い、自分で見張りをしていた。 ; <span id="大原夫人">大原夫人</span> : 声 - [[巴菁子]] : ななこの母で、四十郎の妻。下の名前は不明。ななことは似ても似つかない肥満体型。原作では20巻、アニメでは「ななこおねいさんを看病するゾ」(1998年5月15日放送)・「ななこおねいさんのお父さんだゾ」(1998年5月22日放送)・「ななこお父さんと再会だゾ」(1999年1月15日放送)に登場。娘と同じく心配性の夫に呆れており、「こんな人がよく豪快サラリーマンなんて書けるわね」とコメントしている。しんのすけをはじめとした野原一家の面々とは一度も会っていない。 ; <span id="神田鳥忍">神田鳥 忍(かんだどり しのぶ)</span> : 声 - [[大塚みずえ]](旧芸名:大塚瑞恵、大塚海月)(第191話Bパート~) : ななこの親友で同じ大学に通っており、女子プロレス同好会在籍。{{要出典範囲|モデルは女子プロレスラーの [[神取忍]]|date=2023年7月}}。強靱な筋肉を持つ大柄な女性。ひろしがタイプらしく登場初期には何度か言い寄っている。 : しんのすけがななこと一緒に遊びに行く際には必ず同行しており、ななことの妄想に浸って有頂天になっているしんのすけを現実に引き戻し、時には絶望のどん底へ突き落とすこともある。加えて、しんのすけを困惑させるほどのマイペースぶりを発揮することもあり、そのため彼は忍を若干敬遠している節があるが、時には意気投合して一緒に遊ぶなど、決して仲は悪くない。また、ななこから自分以外の男を遠ざけるための盾代わりとしてしんのすけに利用されることもある<ref group="注">ななこに惚れた四郎がしんのすけを買収して彼らのデートに便乗しようとした際、四郎がななこと親しくなる事を阻止する為に、急遽四郎の相手役として忍に声をかける等。</ref>。 : 原作ではオマタと恋に落ち<ref group="注">アニメにオマタが登場しないため、オマタが恋に落ちる話は、オマタの役割を四郎に変更して制作された。</ref>、その後自分がモロダシ共和国の王子であることを明かしたオマタから求婚されたが、プロレスラーになる夢を捨てきれず結婚を断念した。なお、父であり国王のオオマタはオマタの結婚に反対していたが、忍を一目見て気に入り結婚を認めた<ref group="注">モロダシ共和国の美男美女の基準は日本と正反対である。</ref>。 ; <span id="鈴木けんすけ">鈴木 けんすけ(すずき けんすけ)</span> : 声 - [[成田剣]](第555話〜)(2006年1月17日~)、[[東龍一]](642話Aパートのみ) : 四十郎の担当編集者。32歳。出版社フタバ出版(アニメではミツバ出版)に勤務。しんのすけには「変態さん」と言い間違えられる。原作41巻・アニメ「オラをスキーに連れてってだゾ」(2006年1月27日放送)にて初登場。 : 元テニス[[インストラクター]]で、散らかったテニスボールを箱に戻す癖がある。好物は生ガキで、趣味はホームパーティー<ref>初登場の原作41巻・アニメ「オラをスキーに連れてってだゾ」(2006年1月27日放送)</ref>。しかし、四十郎が原稿を落としたせいで中止になったり、四十郎の元に来るために中断したりもしている。アニメでは四十郎の親バカに巻き込まれて愚痴を言うことが多く、原稿が遅れていることに対して怒りを見せるシーンも増えている。 : モデルとなった人物は、原作者臼井担当の元編集者で、新クレヨンしんちゃんの立ち上げにも携わった鈴木健介。2020年現在、双葉社ライツ事業部部長兼クレヨンしんちゃん編集室編集室長を務めている<ref>{{Cite book|和書|title=クレヨンしんちゃん大全 2020年増補版|date=2020年8月19日|year=|publisher=双葉社|pages=134|author=大山 くまお|author2=林 信行|author3=リベロスタイル}}</ref>。 ==== 埼玉紅さそり隊 ==== 1980年代のようなレトロなスケバングループ(3人なのでトリオ)で女子高生。原作では4巻、アニメでは「スケバンと対決だゾ」(1993年9月6日放送)から登場。2014年10月31日放送「女子校の学園祭にいくゾ」で、[[女子校]]に通っていることが明らかになった。 ; <span id="ふかづめ竜子">ふかづめ 竜子(ふかづめ りゅうこ)</span> : 声 - [[伊倉一恵]](第65話Bパート~)、[[高乃麗]](843話Aパートのみ<ref>伊倉の体調不良により一時的に交代 https://twitter.com/onkonkan/status/525968460182859776</ref><ref group="注">なお、2021年10月16日に本エピソードが再放送された時は伊倉でアフレコし直して放送された。</ref>) : 埼玉紅さそり隊のリーダーである高校3年生。本名は桶川 竜子(おけがわ りゅうこ)。髪は茶髪で、3人の中で唯一ロンタイではなく、逆に短めのスカートを着用している。スケバンをやっている一方家は厳しいらしく母親(声 - [[達依久子]])を「お母様」と呼んでおり、自身の部屋も非常に女の子らしい物である。不良少女としての素質はなく、むしろお笑い芸人の素質があり、お銀とマリー共々しんのすけから「お笑い芸人」扱いされ、その観点で「師匠」呼ばわりされている<ref group="注">それをしんのすけのペースに乗せられた紅さそり隊が通う高校の生徒や先生達からも「師匠」といじられる羽目になった。</ref>。事実大阪もとよし軍団とのお笑い勝負でお銀、マリー、しんのすけとステージに立った際には会場の観客を爆笑させていた。基本的に「あたいらはお笑い芸人じゃねぇ」や「あたいはお前の師匠じゃねぇ」と否定しているが、話の流れでそれを認める言動を取ることもある。しんのすけが剣道を始めた時、武蔵野剣太を師匠としんのすけが言ったことについて、「しんのすけの師匠は自分だ」と言い、道場に押し掛けたこともあったが、その後逆に剣太に惚れてしまう。しんのすけが言いふらしたせいでみさえや幼稚園の友達からもお笑い芸人だと思われている。しんのすけを突き放した言動を取るものの、しんのすけのペースに巻き込まれ最終的には絡むこととなる展開が多い。女子高生ながら携帯電話(実際は自身の機械オンチが原因)やルーズソックスを嫌っていたが、[[2009年]][[2月20日]](第658話Aパートの師匠のさがし物だゾ)の放送ではメンバーに内緒で変わった色の携帯電話を購入しており、ストラップを大量につけている。 : また女の子らしい一面も多く家では密かに[[美少女戦士セーラームーン|セーラームーン]]のコスプレをしたり、ウサギやイチゴ、クマ柄のパンツを穿いている。男子高校生<ref group="注">アニメ「スケバンの掟はきびしいゾ」「スケバンのラブレターだゾ」(両エピソード共に1994年6月13日放送)より。竜子の初恋相手だが大勢の女と付き合っており、老婆にぶつかっても謝罪すらしなかった態度に憤慨した竜子に殴られた。殴られた後に「痛いよママー」と母親を呼んでいた事から実際はマザコンである模様。</ref>の鞄が当たった老婆を助ける、決闘を申し込んだ女子高生の母親が[[交通事故]]に遭い、[[アルバイト]]をしてお見舞い金を贈る(アニメでは、怪我をした猫を助けるために金を集めた)<ref group="注">なお、アニメではアルバイトをするエピソードがあるが、しんのすけからの邪魔または自身のド忘れなどでクビにされることが度々ある。</ref>、母親と喧嘩し不良になろうとした風間を密かに諭すなど情に厚い一面もある。紅さそり隊では恋愛禁止であるが、彼女自身ひろしに好意を寄せ、お銀とマリーにバレてしまい罰を受けることになった。剣太に好意を寄せたこともあり、お銀とマリーからは「リーダーの悪いクセ」と惚れっぽいことを指摘されている。一時的ではあるが四十肩のお京に負けて、埼玉紅さそり隊を解散したことがある。また、女子高生から告白されてラブレターをもらったこともある(相手の視線に悪寒を抱き、自分の命を狙っている刺客だと勘違いして悪夢まで見た。オチで相手が同性愛者であることで悪寒を感じたのだと理解した)。シナリオによっては歌唱力に定評があるという設定だったり<ref>原作36巻の50ページのお銀の台詞「でも竜子 歌 うまいじゃん」より</ref>、音痴という設定だったり<ref>アニメ「フツーの女子高生タイムだゾ」(2011年6月24日放送)</ref>する。 : しんのすけのことは基本的に「ジャガイモ小僧」と呼ぶが、みさえの前では「しんのすけ」と名前で呼んでいる<ref group="注">この際じゃがいも小僧と言いかけている。</ref>。初期ではしんのすけの素行に業を煮やし、みさえに文句を言おうとしたが、しんのすけに怒る様子があまりにも怖かったので引き下がった。 : お仲間総選挙では、8位を獲得し出演した。 ; <span id="魚の目お銀">魚の目 お銀(うおのめ おぎん)</span> : 声 - [[中沢みどり]](第65話Bパート)→[[星野千寿子]](第83話Aパート~) : 埼玉紅さそり隊隊員の高校3年生。髪はオレンジ色で、×印のマスクとロンタイがトレードマーク。やせ気味で長身。 : 可愛い唇をしていて不良に似合わないため、マスクを着用している。母親との2人暮らしである。42巻では母親が病気で入院し、治療費を稼ぐために白ヘビ宅急便でアルバイトをしていた。そのため、紅さそり隊の集会にはたびたび遅れていたが、その後母親は退院し元気になった。竜子と違いしんのすけの言動にも積極的に対応し、仲は良い模様。 ; <span id="ふきでものマリー">ふきでもの マリー</span> : 声 - [[むたあきこ]](第65話Bパート - ) : 埼玉紅さそり隊隊員の高校3年生。眉を薄くしており、お銀と同じくロンタイを着用しているが、体形は対照的に太め。お銀の母親が入院していた時には、2人の気持ちを知っていて困った時期もあるが、とても友人思いな少女である。お銀同様、しんのすけとの関係は比較的良好。 以上の3人は移動用に[[小型自動二輪車|90 ccのスクーター]]を所有している<ref group="注">このスクーターは2人乗りが可能で、アニメ「赤ちゃんが生まれるゾ」(1996年9月27日スペシャル版で放送)ではしんのすけとひろしを後ろに乗せている。その際、紅さそり隊のスクーターは90 ccであり、2人乗りも合法である旨がテロップで表示された。</ref>。また3人とも高校3年生であるが、「[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲|嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲]]」では3人とも懐かしい匂いに取り憑かれ、大人たちに混じって公園のブランコで遊んでおり、[[オート三輪]]の列が春日部に来たシーンでもそれに乗り込み20世紀博へ向かっている。 ; <span id="四十肩のお京">四十肩のお京(しじゅうかたのおきょう)</span> : 声 - [[松井菜桜子]]、[[橘U子]]<ref>アニメ「カスカベ大連合だゾ」(2010年2月5日放送)</ref> : 埼玉紅さそり隊のリーダーの座を奪いに来た女子校生。通り名のように本当に四十肩で、肩から上が半分しか上がらない。一見真面目な人物だが、実際には鶏や鳩の真似をしたり、時代遅れの歌詞を用いた埼玉紅さそり隊のテーマソングを作ろうとするなど根は子どもっぽく、それを見ていたお銀やマリーからは軽蔑されていた。 : リーダーの座を巡って竜子と対決し、偶然が味方したことで勝利して埼玉紅さそり隊の新リーダーに着任。しかし、他の不良グループに果たし状を出した際にその翌日に夕食後の食べ過ぎによる下痢で参加できず、結局は竜子やしんのすけに助けられる始末となった。このため一旦はリーダーの座を竜子に返すこととし、いずれリーダーの座をまた奪ってみせると陰ながら囁いた。 ====その他の不良グループ==== ; <span id="長瀞川下り団">長瀞川下り団</span> : [[秩父地方]]の[[長瀞町|長瀞]]から船に乗って川を下ってくる、地味でダサくて真面目でドン臭いド田舎の不良グループトリオ。リーダーの'''川下理 船子'''(声 - [[永澤菜教]])をはじめ、団員2人(声 - [[佐藤ゆうこ (声優)|佐藤ゆうこ]]、[[足立友]])の「長瀞から〜、漕いで来たよ〜」「ローエンドロー、ローエンドロー」という掛け声とともに、川だけでなくアスファルトの上も船を漕いで移動する。紅さそり隊に勝負を挑んだことがある<ref>「メールは一日にしてならずだゾ」(2009年2月27日放送)</ref>。紅さそり隊が大阪もとよし軍団との勝負の際、横(川)を通りかかり、声をかけられたが無視して行ってしまった。 ; <span id="KSB48">KSB48</span> : '''三原山 ジュン子'''(声 - [[くじら (声優)|くじら]])をリーダーとする不良グループで、「[[エコロジー|エコ]]」をモットーとしている。春日部最強のレディースと言われており、グループの規模も大きく、竜子もその名を聞かされた際には驚き、ジュン子と電話越しで話す際には恐縮していたほど。 : コンビニで屯していたところ、終電を逃して帰れなくなったひろしを迎えに行く途中のみさえ、しんのすけと遭遇。その際「エコを気にしているならスクーターから[[自転車]]に変えてはどうか」とみさえに提案されたことに感銘を受けて仲良くなり、その後は携帯の番号まで交換している様子。紅さそり隊と大阪もとよし軍団の勝負の際、しんのすけに呼び出されたが、[[札幌市|札幌]]で開催される「レディースエコサミット」に向かっている途中だったため来られなかった。 ; <span id="大阪もとよし軍団">大阪もとよし軍団</span> : 大阪の不良グループ。不良グループの間では有名らしく、専用のワゴン車も所有している。喧嘩も強いらしいが、本人たちは「喧嘩に勝ってもお笑いで負けては意味がない」と語る。埼玉進出を賭けて紅さそり隊に勝負を挑むが、その内容は「お笑い」であり、紅さそり隊の漫才の方が自分たちよりも観客に受けていたため、埼玉進出を諦めた。 ; <span id="おランチアート隊">おランチアート隊</span> : '''ルネッサンスランチの桃子'''(声 - [[桑谷夏子]])をリーダーとする不良グループ。リーダーに加えて構成員が2人('''動物ランチの真希'''〈声 - [[青山桐子]]〉、'''ガーデニングランチの美樹'''〈声 - [[新井里美]]〉)の3人組であることや通り名がついていること、さらには名乗り方までが紅さそり隊と共通している。その名の通りお弁当のデコレーションにこだわりがあるようで、一人一人がお弁当を本当のアートのように再現できるという特技を持っている。埼玉紅さそり隊からシマを奪うべく来訪し、その時に紅さそり隊のお弁当を馬鹿にした上でシマを賭けてランチ対決を申し込むが、結果的には引き分けに終わる。それでも審判にしたしんのすけ達の行動もあって竜子から「お弁当は皆で食べた方が美味しい」と諭され、それに納得しながら再戦の約束を交わした。 ; <span id="太賀虎子">太賀虎子</span> : 声 - [[ささきのぞみ]] : スケバングループ青ムカデ隊の元メンバー。現在は警察官を務めている。竜子が警察官を目指すきっかけになった人物。 ; <span id="横浜中華隊">横浜中華隊</span> : '''肉まんの雅代'''(声 - [[水野麻里絵|水野まりえ]])、'''あんまんの光子'''(声 - [[花藤蓮]])、'''ピザまんの睦美'''(声 - [[池田果奈子]])からなる[[横浜市|横浜]]の不良グループ。 ; <span id="オシャレ番長">オシャレ番長</span> : '''ぐちょぱ'''(声 - [[Lynn]])、'''あきぽよ'''(声 - [[島袋美由利]])、'''ねこるん'''(声 - [[長縄まりあ]])からなる、東京で活躍する大人気モデルグループ。ファッションセンスに長けていることからその名がついた。竜子はケンカの強い不良だと勘違いしていた。 ; <span id="沖縄ハイサイジャンプ">沖縄ハイサイジャンプ</span> : '''貧乏ゆすりのイリオモテヤマネコ'''(声 - [[儀武ゆう子]])、'''歯ぎしりのハブ'''(声 - [[下地紫野]])、'''舌打ちのマングース'''(声 - [[紡木吏佐]])からなる、[[沖縄県|沖縄]]の不良グループ。 ; 茨城霞ヶ浦ビッグフィッシュ隊+ナンシー(留学生) : (第1188話Bパート)(2023年7月1日) : '''アケミ'''(声 - [[渕崎ゆり子]])、'''レイコ'''(声 - [[松田利冴]])、'''ナオミ''' (声 - [[杉本ゆう]])、'''ナンシー''' (声 - [[須藤沙織]])からなる不良グループ。期末テストの前日に水切りで勝負したため、留学生以外は、勉強しとけばよかったと後悔していた。 ==== 不良グループには含まれないグループ ==== ; 埼玉ビューティーカラーズ :(第1165話Cパート)(2023年1月21日) : 押尾希世(おしおきよ)(声 - [[佐倉綾音]])、武蔵登美代(むさしとみよ)(声 - [[大地葉]])、白子鳩子(しらいはとこ)(声 - [[小原好美]])からなる、ご当地ヒーロー。埼玉紅さそり隊からご当地グルメとくっつけたらと提案をされ、押尾希世は、『'''パリッと悪を叩き割るせんべい戦士押尾希世'''』、武蔵登美代は、『'''コシの強さは百人引きうどん戦士武蔵登美代'''』白子鳩子は、『'''繊維細かくやわらかいネギネギ戦士白子鳩子'''』となった。 ====埼玉紅さそり隊が通う高校の人たち==== ; 楽句院 蝶子(がっくいん ちょうこ) : 声 - [[新井里美]](第843話Aパート、第1102話Bパート)(2014年10月31日、2021年10月16日) : 「女子校の学園祭にいくゾ」に登場。竜子ら紅さそり隊のクラス学級委員。竜子とは幼馴染で、子供の頃から泣いている。 ; 担任 : 声 - [[堀越真己]](第1045話Bパート)(2020年8月15日) :「女子校を見学するゾ」に登場した紅さそり隊が通う高校の女先生。教科担当は英語。生徒達共々しんのすけのペースに乗せられ、竜子の事を「師匠」といじった。 ; 体育教師 : 声 - [[鶴田真希]](第1045話Bパート)(2020年8月15日) : 「女子校を見学するゾ」に登場した紅さそり隊が通う高校の女先生。漫画版では、担任が体育を教えている。 ;間地 佳代(まじ かよ) :声 - [[山崎和佳奈]](第1203話Bパート)(2023年10月14日) :「マジな先生が来たゾ」に登場した紅さそり隊が通う高校の教育実習の大学生。竜子が「まじかよ」というと自分の名前を言われたと思って「はい!まじかよです!」と答えている。また、マリーが「ツイアゲッター」で上げた画像で紅さそり隊を追跡していた。 === みさえの友人 === ; <span id="本田ケイ子">本田 ケイ子(ほんだ ケイこ)</span> : 声 - [[高山みなみ]](第28話Aパート~)(1992年11月23日~) : みさえと同郷の[[熊本県]]出身で、中学、高校時代の同級生。通称「'''おケイ'''」、旧姓「最上川」。結婚前は「PHOTOスタジオK」に勤める雑誌のカメラマンで、'''エミ'''(声 - [[大谷育江]])というアシスタントがいた<ref name=omimai>アニメ「病院へお見舞いだゾ」(1992年11月23日放送)</ref><ref>アニメ「オラが写真のモデルだゾ」(1993年1月25日放送)</ref>。クールでキビキビした性格。 : 登場初期は独身だったが、後に本田悟史と結婚し、息子のひとしが誕生。しんのすけからは「高望みして婚期を逃し、年下の男を巧く騙して結婚した」などと言われている。ケイ子の出産時にはしんのすけが一役買った。一軒家住まいだが、原作では[[戸田市]]の高級マンション「メスライオンズマンション」に転居している。みさえの長電話の相手は基本、ケイ子である。オートバイの運転免許を持っており、転倒事故を起こして足を骨折したことがある<ref name=omimai />。脂っこい料理が好きで、[[ベジタリアン]]の悟史と[[トンポーロー]]が原因で、喧嘩をして家出した事がある<ref name=shinkonsannokenka>アニメ「新婚さんのケンカだゾ」(1993年11月29日放送)</ref>。アニメでは親戚の撫子が登場している。 ; <span id="本田悟史">本田 悟史(ほんだ さとし)</span> : 声 - [[牧野良樹]](現:[[永野椎菜]])(第55話Cパート〜)(1993年6月21日〜)→[[鈴木琢磨]](第332話)→[[私市淳]] : ケイ子の夫。21〜22歳(ケイ子より7歳9か月年下)。愛称「トッシー」。イラストレーター。ケイ子との結婚披露宴でしんのすけのことを「かわいい子だね」と言ったが、ケイ子に「今『変わった』って言いそうになったでしょ」と指摘される<ref>アニメ「結婚パーティーだゾ」(1993年6月28日放送)</ref>。アニメ好きで、アクション仮面のビデオやフィギュアをたくさん持っている<ref>アニメ「新婚さんちへ行くゾ」(1993年10月25日放送)</ref>。ベジタリアンで、ケイ子が5時間かけて作ったトンポーローを「ギトギトの豚の脂身なんて体に悪い」と言って食べなかったことで家出された事がある。ケイ子曰く「普段おとなしいくせにいざとなると頑固で意固地」<ref name=shinkonsannokenka />で、「どっか、しんのすけに似てる」<ref>アニメ「結婚衣装を見に行くゾ」(1993年6月21日放送)</ref>という。 ; <span id="本田ひとし">本田 ひとし(ほんだ ひとし)</span> : 声 - [[天野由梨]]→[[南央美]](〈代役〉[[水田わさび]]) : 本田夫妻の息子。愛称「ひと君」。輪郭は野原兄妹と同一。アニメではまだ0歳の赤ちゃんだが、原作では成長して少し喋るようになり、スイミングスクールに通っている。アニメでは、おケイがひまわりのことを「ひまわりお姉ちゃん」と言っていたが、どちらが先に誕生したのかは不明。ひまわりと同じくまだ喋れないが、「ウー」という声でコミュニケーションがとれる。 ; <span id="最上川ふみえ">最上川 ふみえ(もがみがわ ふみえ)</span> : 声 - 小桜エツ子(現:小桜エツコ)(第54話Bパート~)(1993年6月14日~) : アニメオリジナルキャラクター。ケイ子の姪(ケイ子の兄の娘)で、ひとしの従姉。小学5年生<ref name=gakkougokko>アニメ「学校ごっこをするゾ」(1993年11月1日放送)</ref>。捻くれた性格で、しんのすけに対してつっけんどんな態度を取る。彼と初めて会ったときには「お姉様」と呼ばせ服従させたが、近所の散歩の際はしんのすけの普段の行動に対しあちこちで頭を下げるはめになった<ref name=oneesama>アニメ「おねえ様に服従だゾ」(1993年6月14日放送)</ref>。「嫌いなものを聞かれること」を嫌い、1番嫌いなことは「桜ミミ子に似ていると言われること」<ref group="注">2番目に嫌いなことは「[[細川ふみえ]]とは随分違うと言われること」。3番目に嫌いなことは「3番目に嫌いなことを聞かれること」。4番目に嫌いなことは「お嫁の貰い手がないと言われること」。5番目に嫌いなことは「背中に落書きされること」。</ref>だが、ふみえとミミ子は外見から声に至るまで酷似しており、担当声優も同一である。恋愛ドラマが好きで、しんのすけの子守りのために野原家を訪れた際には、彼のことをそっちのけで恋愛ドラマの再放送を見ていた<ref name=oneesama /><ref name=gakkougokko />。しんのすけには頬にキスをされた事がある<ref name=gakkougokko />。理科のテストでは30点をとるなど、あまり成績はよくない<ref name=gakkougokko />。ふたば幼稚園で人形劇を演じたこともある<ref>アニメ「小学生とクリスマス会だゾ」(1996年12月20日放送)</ref>。Amazonプライムビデオで配信されている『[[クレヨンしんちゃん外伝 お・お・お・のしんのすけ|お・お・お・のしんのすけ]]』では「'''桜ふみえ'''」という名前で、設定も番外編ゆえに大幅に変更されているが再登場した。 ; <span id="白井好子">白井好子(しらい よしこ)</span> : 声 - [[水谷優子]] : アニメオリジナルキャラクター。みさえの旧友で漫画家。屋内外問わず常にベレー帽を着用している。アクション仮面やカンタム・ロボなどのコレクターでもあり、しんのすけにまで指摘されるほどの生粋のオタク。アシスタントが病気でダウンした際、みさえにバイト代と高級料理を報酬に手伝わせたが、しんのすけの落書きで台無しになる。しかし自身はそれを怒りもせず、落書きをセンスがあると絶賛するなど、しんのすけに対して広い寛容と共感を示す。なお、このときの「高級料理」は、「バタフ社新人賞授賞式」のパーティであった。その後、みさえとしんのすけを同人誌即売イベントに連れ出し、同人誌やコスプレの魅力を伝える。 === ひろしの友人 === ; <span id="つっちゃん">つっちゃん</span> : ひろしの中学時代の同級生。本名は不明。髭を生やしている。ひろしの事を「ひろす」と呼んでいる。 ; <span id="パイ毛マン">パイ毛マン</span> : ひろしの中学時代の同級生。本名は不明。太った体格をしており、中学時代は坊主頭だったが、現在は天然パーマになっている。ひろしの事を「ひろす」と呼んでいる。 ; <span id="十和田湖">十和田湖(とわだ うみ)</span> : ひろしの中学・高校時代の同級生。中学3年の時にひろしに告白されるが、「来年は受験がある」という理由で振った。その後は別の男性と結婚して2人の子供(長男・しょうたと長女・しずか)を儲けるが、3年前に夫の借金と浮気が判明して離婚。現在は子供達と3人で暮らしており、スーパーで働いている。ひろしを振ったが、実際はひろしに好意を抱いており、告白された時は「嬉しかった」と述べており、同窓会ではひろしと会話が弾んでいた。なお、銀の介やつるは彼女や子供達と面識がある。しんのすけはしょうたとしずかとその友人のけんじと友達になっている。 ==== その他の知り合い ==== ; <span id="ヨダ">ヨダ</span> : 声 - [[永井一郎]](第632話2008年6月6日~第795話2013年2月15日) : 野原一家(主にひろし)がたびたび訪れる居酒屋「やきとりデスペラード」の店主。ヨダという苗字はアニメのみの設定で、原作では本名不明。野原一家や常連客からは「マスター」と呼ばれている。焼き鳥作りの腕前は超一流だが、焼き鳥と店名が付いている割に様々な料理がメニューにあり、上尾から「ポリシーの無い店」と言われている。顔が『[[スター・ウォーズ・シリーズ|スター・ウォーズ]]』の[[ヨーダ]]にそっくりであり、しんのすけからは初対面時にヨーダと間違われた。 :アニメではエンディングで各キャラクターの相談相手として登場しレギュラー化。その回に放送されたエピソードの後日談とされる事が多かった。 : 一流の料理人を目指して18歳で上京し、かつては高級ホテルのシェフとして働いていたが、天狗になって多くの飲食店を見下していた。しかし、ある時に偶然訪れた焼き鳥屋の焼き鳥を食したことから感動してホテルのシェフを辞め、すぐにそこの焼き鳥屋へ弟子入りし、そして自身の居酒屋を立ち上げたという。ボーちゃんと同じ審美眼を持っている節がある。 : アニメでは劇場版「[[クレヨンしんちゃん バカうまっ!B級グルメサバイバル!!|バカうまっ!B級グルメサバイバル!!]]」の宣伝の一環として2013年2月15日に放送されたミニコーナー「タレが命だゾ」が最後の登場となった。担当声優の永井は2014年に逝去しているが、原作では永井の逝去後も引き続き登場している。 : キャラクターのモデルは、作者の臼井が生前通っていた春日部市内の居酒屋の店主<ref name="kasukabe20190318">{{Cite web|title=春日部の居酒屋「江戸っ子長さん」閉店へ 店主はアニメキャラのモデルにも|url=https://kasukabe.keizai.biz/headline/83/|website=春日部経済新聞|accessdate=2020-07-12|date=2019-03-18}}</ref>。 : 2023年に行われた『おひさしブリブリProject』では第5位を獲得した。 == 双葉商事(アクション商事) == 霞が関に本社を置く企業<ref>アニメ「父ちゃんの忘れ物をお届けするゾ」(1997年3月7日放送)</ref>。ひろしが自宅最寄りの[[春日部駅]]から[[東武伊勢崎線]](東武スカイツリーライン)から直通する[[東京メトロ日比谷線]]を利用し通勤している。映画『[[クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険|ヘンダーランドの大冒険]]』ではひろしの名刺に所在地が書かれており「[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]猫町12番1号」(実在しない)となっていた。具体的な事業内容などは作中で語られていないが、大阪にも支店がある。なお、原作・アニメ共に開始当初は単に「会社」としか表記されなかった。 ; 川口(かわぐち) : 声 - [[中村大樹]](第74話Cパート〜)(1993年11月15日〜) : 春我部に越してきた双葉商事の社員でひろしの部下。24歳独身。しんのすけ曰く「老けて見える」<ref name="motenasuzo">「お客様をもてなすゾ」(1993年11月15日放送)</ref>。格闘技ファンでそれに関する雑誌も持っている。元々アニメオリジナルキャラクターだったが、後に原作にも逆輸入される形で登場した。その為、原作よりもアニメの方が登場頻度が高い。 : ひろしを「先輩」と呼び、ひろしの良き理解者でもある。ひろしが欲しがっているものを買ってきたりもするが、金銭感覚にだらしない面があり、時々給料日前の金欠状態のひろしから金を借りることもある。しんのすけからは当初、さん付けで呼ばれていたが、後にひろしの口癖の影響で「川口のやつ」と呼ばれている<ref group="注">それで呼んだ際、時々みさえやひろしに「川口さんでしょ/だろ」と注意されている。</ref>。 : ピーマンを好きと言ったが本当は嫌いで、子供好きと言ったがしんのすけと遊んでみて「やっぱり子供は苦手」とのこと<ref name=motenasuzo />。 : 恋愛面に関しては、ユミに恋をしているが進展は特になし。親は結婚しろと煩く<ref name=motenasuzo />、アニメ初期には野原夫妻が嫁の世話をしようとしてくれたが、紹介したまつざか先生との交際は、両者の勘違いが原因で自然破局。その後、夫妻が世話をしようとする様子も無く現在は女と無縁。 : 高校時代競技は不明だが[[全国高等学校総合体育大会|インターハイ]]で優勝したことがあり、優勝カップをスマホ入れとして活用している。 ; 草加 ユミ(くさか ユミ) : 声 - [[三浦雅子]] : 双葉商事の女性社員。少し天然ボケ。 : 入社前に死んだ「ゴンザレス(愛称:ゴン)」という幼い頃から飼っていたペットのゴリラがひろしと瓜二つであったため、ひろしに好意を抱いている。それが元でひろしに手紙とゴンザレスにプレゼントするはずだった手編みのベストを贈るが、ひろしには既に家族(妊娠中<ref group="注">原作・アニメ共に草加ユミの初登場はひまわり誕生直前だった。</ref>のみさえとしんのすけ)がいるのに迷惑をかけたと心配になって野原家を訪問した際にこの事実を打ち明けた。ひろしは彼女と仲良くしている夢を見ていると必ず、現実でのしんのすけ(稀にみさえやひまわりも加わって)の行いのせいで散々な終わり方をしている。 ; 朝霞 リエ(あさか リエ) : 声 - [[達依久子]](第2話Cパート)、[[小島悠理]](第8話Bパート~) : 双葉商事の女性社員。課内でのお茶汲みは積極的に行う。酔うと人に抱きつき、口から出まかせを言うなど酒癖が悪い。初期によく登場していた美人社員で、ひろしが鼻の下を伸ばしたり夢に登場したりした。 : 結婚退職するも相手の男性がマザコンであったことから3ヵ月で離婚する。その後、居酒屋ラ・セーヌで偶然にもみさえと喧嘩別れ<ref group="注">事の発端はみさえの口紅で悪戯をしていたしんのすけがひろしのワイシャツに口紅の跡をつけ、それを見つけたみさえはひろしが浮気をしたと誤解したことが原因(ひろしが出ていった直後に事の真相を知ったみさえは涙ながらにしんのすけを激しく責め立てた)。</ref>をしていたひろしと再会。酒癖の悪さが災いして、ひろしとみさえの仲を拗れさせてしまう。酔いが覚めた翌日、みさえから事情を聞かされ謝罪する。 ; 野田 香織(のだ かおり) : 声 - [[桑島法子]](第648話Aパート、第1210話Aパート)(2008年11月14日、2023年12月2日) : 元々双葉商事で働いていた人。送別会にてひろしに感謝の気持ちとして黄色のハンカチをプレゼントした。そこにお手紙(お礼状)が入っており、みさえに隠していたが、後にひまわりがイタズラで口紅で手紙にキスをしてしまい、ひろしは真っ二つに破って捨ててしまう。真っ二つに破られている片方の方を見て勘違いをみさえがしてしまい、ひろしはひどい目にあってしまった。 ; 受付嬢 : 声 - [[麻見順子]](第44話Cパート〜)(1993年3月29日〜) : 双葉商事の受付嬢。しんのすけとみさえが会議の書類を、届けに来た時に初登場<ref name="kaisyaeiku">原作4巻、アニメは「父ちゃんの会社へ行くゾ」(1993年3月29日放送)</ref>。カウンターの下にチョコビ等のお菓子や雑誌のアクションレディースを沢山入れている<ref name=kaisyaeiku /><ref name=kaisyadeasobu>「父ちゃんの会社で遊ぶゾ」(1993年12月13日放送)</ref>。 ; 課長 : 声 - [[大塚芳忠]](第85話Cパート)(1994年2月14日) : アニメのみ登場。双葉商事の課長。既婚。家のローンは30年。しんのすけが新居の中で騒動を引き起こしても「小さな豆台風くらいじゃこの家はビクともしない」と笑いながら許し、しんのすけと一緒に「アクション仮面の歌」を歌うなど非常に心の広くノリの良い性格<ref name=katyou>アニメ「課長の家は新築だゾ」(1994年2月14日放送)</ref>。 : 都心から離れた新築の注文住宅に住んでおり、野原一家が新築祝いに商品券を持って訪れた。青い屋根の家で玄関は奥さん<ref group="注">アニメのクレジットタイトルは「'''課長婦人'''」名義。</ref>(声 - [[高乃麗]])の強い意向で吹き抜けになっている。思い切ってマンションを売って一戸建てにしたそうで、本人曰く「小さくても城を持ったって気分になる」<ref name=katyou />。 ; 部長 : 声 - [[郷里大輔]](第44話Cパート~第672話Bパート<ref group="注">2020年の傑作選スペシャルにて差し替えられずに郷里さんの声で放送されていた。</ref>)(1993年3月29日~2009年7月17日<ref group="注">2020年の傑作選スペシャルにて差し替えられずに郷里さんの声で放送されていた。</ref>)→[[大友龍三郎]](第864話Aパート<ref group="注">映画を含めると映画・サボテン大襲撃から</ref>~)(2015年6月12日~) : 双葉商事の部長でひろしの上司。本名不明。部下思いの良き上司だが、職務に対しては厳しい性格でひろしは部長の夢をよく見ては魘されている。酒癖が悪く泣き上戸。ひろしとは飲み仲間でもあり、しんのすけの悪戯気質にも深い理解を寄せている<ref group="注">ひろしが、会議で自信満々に提出した企画書がグラビアのポスターにすり替わっていた際には、慌てふためくひろしの隣で、すぐにしんのすけのイタズラだと察していた。</ref>。 : 家族構成は原作では不明だが、第494話Cパートで妻がいることが、アニメ版第864話では小学生くらいの2人の息子がいることが判明。初期に登場した際は課長だったが、間もなく部長へ設定変更され、しんのすけ誕生前の過去のエピソードでは係長として登場したこともある。 : 映画『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード|嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード]]』では、社長と共にスウィートボーイズの裏工作で犯罪者に仕立て上げられたひろしを会社から[[懲戒解雇]]に追い込んだ事があった<ref group="注">なお、熱海サイ子を装着したしんのすけの手により、野原一家が凶悪犯であった事実が抹消されたと同時にひろしの解雇は帳消しにした模様(部長を始めとする双葉商事の関係者たちとの経緯は不明だが、ひろしを嫌った記憶は消された模様)。</ref>。 : 原作の番外編(刑事モノ)では刑事部長として登場。しんのすけ、ひろしと一緒に女子の着替えを覗きに行こうとするなど、意外な一面が垣間見られた。 ; 専務 : 声 - [[渡部猛]] : 双葉商事の専務。「鬼の専務」と呼ばれるほど厳格な人物である。 : アニメでは一人で会社の保養所に宿泊しに行ったところに偶然にも同じく保養所に宿泊する野原一家と偶然鉢合わせする<ref>アニメ「会社の保養所は楽しいゾ」(2000年4月14日放送)</ref>。野原一家によるイタズラや災難(夕食で相席になったときにひまわりが放り投げたエビの天ぷらが頭に乗っかってしまいエビの天ぷらを[[髷|ちょんまげ]]に見立てて「[[暴れん坊将軍]]」呼ばわりされるなど)に巻き込まれ気分を害するも、その後、偶然にも通りかかったしんのすけに一人で保養所に来たのは夫婦ゲンカでの家出だと見抜かれる<ref group="注">しんのすけ曰く「母ちゃんに怒られた時の父ちゃんの背中にそっくりだったから」</ref>。そして、しんのすけに「ケンカした後は謝るのが一番だゾ」と慰められた事で背中を押され、妻に電話をかけて無事に仲直りし、翌朝、しんのすけと野原一家に感謝と激励の言葉をかけて帰っていった。 ; 社長 : 声 - [[大山豊 (俳優)|大山豊]](第75話Bパート〜)(1993年11月22日〜)、[[宇垣秀成]]([[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード|劇場版第11作]]) : 双葉商事の社長。社長室にやって来たしんのすけと一緒にアクション仮面ごっこに楽しく付き合っていた<ref name=kaisyadeasobu />。しんのすけ曰く「顔は怖いけど、とっても面白かった」<ref name=kaisyadeasobu />。ひろしは息子が失礼な態度を取ったと思い嘆いたが、社長はしんのすけを大層気に入った様子。『新』8巻ではひろしの妄想の中に登場。 ; 社長秘書 : 声 - 真柴摩利(第78話Cパート)(1993年12月13日) : 双葉商事の社長秘書。ひろしと川口が社長に報告書を届けに来た時に登場<ref name=kaisyadeasobu />。 ; 会長 : 声 - [[西尾徳]] :双葉商事の会長。[[広尾駅]]のホームでしんのすけに落とした財布を拾って貰った事をきっかけにしんのすけを会社まで送った。 :会長という設定はアニメのみで、原作では他社の経営者かつ双葉商事とのライバル関係にある。原作では財布を拾ってもらったお礼にしんのすけをヘリコプターで送るとライバル会社だと気付いた。アニメでは双葉商事会長でそのまま会議に参加した<ref>アニメ「お届け途中で迷子になったゾ」(1997年3月7日放送)</ref><ref group="注">ひろし自身は、会長が会議室に入室しても唖然とした様子だった事から、それまで会長の存在を知らなかったとされる。</ref>。 === 取引先会社 === ;カワウソ建設 :;多礼賀 辛牟(たれが からむ) :: 声 - [[後藤光祐]](第943話Bパート、第1205話Aパート)(2017年10月13日、2023年10月28日) ::カワウソ建設業務部部長。歳をとり脂っこい肉や辛いタレが苦手になった。カワウソ建設と双葉商事と米月商事のタレをしんのすけが混ぜて美味しかったため、プロジェクトを両方に協力してもらうことにした。 ;(会社名不明) :; 畑楽木 杉夫(はたらき すぎお) :: 声 - [[長嶝高士]](第1007話Aパート)(2019年8月30日) :: 残業と徹夜を当たり前に部下にやらせていた部長。 :; 曽羽内 肇(そばうち はじめ) :: 声 - [[稲葉実]](第1049話Cパート)(2020年9月19日) :: 「セカンドライフはそば打ちだゾ」に登場する。 :: ひろしの取引先の元部長で定年退職後の今はそば屋さんをやっているが、開店以来お客がさっぱり来ておらず、辞めようかと思っているところをよし治に励まされ続けることにした。 :; 加木張 亜美(かぎばり あみ) :: 声 - [[篠原恵美]](第1207話Cパート)(2023年11月11日) :: 家具メーカーの社長で編みぐるみが好き。園長先生が先輩としている。ひろしが編みぐるみをプレゼントする際に、全体のライン、鼻のボタンから園長先生(本人は、「顔が怖い先輩」と言っている)と見抜きひろしに「顔が怖い人から教わりました?」と尋ねてひろしが返事をすると懐かしがっていた。 === ライバル会社 === ;米月商事 :;場津田 丸夫(ばつだ まるお) :: 声 - [[高戸靖広]](第943話Bパート、第1205話Aパート)(2017年10月13日、2023年10月28日) ::米月商事営業部係長。多礼賀が辛いタレが好きだと聞き、用意したが歳のせいか苦手になったと聞き驚いていた。 == 春日部の商業関係者 == === アクションデパート・サトーココノカドー === 野原家の行きつけのお店。 ====アクションデパート==== 野原家の行きつけのデパート。しんのすけやひまわりの行動でトラブルを起こしている。酒井しのぶがこのデパートでアルバイトをした事もあったが、しんのすけのせいで解雇されている<ref>「お化粧は楽しいゾ」(1994年3月21日放送)</ref>。 ; 越谷 順子[こしがや(初期は「こしたに」) じゅんこ] : 声 - [[小林優子]](第26話Aパート~)(1992年11月9日~) : アクションデパート迷子センターの係員。しんのすけと出会った以降、主任と共々彼に酷い目に遭わされている<ref group="注">なお、他の店員や係員たちにはしんのすけの事を「知らない子」と秘密にしているが、他の一部の店員や係員たちもしんのすけに酷い目に遭わされている。</ref>。後に「サトーココノカドー」へと転勤するが、こちらでもしんのすけに酷い目に遭わされているまま。 ; 主任 : 声 - [[真山亜子]](旧芸名:水原リン)(第26話Aパート~)(1992年11月9日~) : アクションデパート迷子センターの係員。本名不明。部下の順子共々しんのすけに酷い目に遭わされ、店長に怒られている。後に「サトーココノカドー」へと転勤するが、こちらでもしんのすけに酷い目に遭わされるまま。アニメのクレジットタイトルで「'''上司'''」名義の時もある。 ; 川村 はつ子(かわむら はつこ) : 声 - 水原リン(36話Bパート)(1993年2月1日) : アクションデパートのベテラン店員でチーフ。49歳<ref>原作5巻。</ref>。「女郎ぐものはつ子」と呼ばれている。みさえを煽てて服を買わせようとしたが、しんのすけに邪魔をされ買わせることは出来なかった。 ; 杉戸 リカ(すぎと リカ) : 声 - [[岡村明美]](47話Cパート)(1993年4月26日) : アクションデパートのエレベーターガール。青森出身<ref>原作5巻。</ref>。エレベーターが故障して閉じ込められた際、'''主任'''(声 - [[中田和宏]])にはベテランと信頼されていたが、真っ先に取り乱して泣きわめき始め、一緒に閉じ込められた子供の'''ヨシ彦'''(声 - [[篠原あけみ]])、'''母親'''(声 - [[達依久子]])、そしてしんのすけの3人に落ち着くよう諭されてしまう。しんのすけが暇で始めたお遊戯を「私達を元気づけようとわざと明るく振る舞っている」と勘違いし、ヨシ彦と母親も誘って一緒にお遊戯をするが、丁度その時にエレベーターが直り、外で待っていた人達に恥ずかしい所を見られてしまうが、最後にはしんのすけに感謝していた。 ==== サトーココノカドー ==== ; 大利根川 みね子(おおとねがわ みねこ) : 声 - [[高乃麗]](第102話Cパート)(1994年6月20日) : 原作8巻、アニメ「食品売り場は楽しいゾ」に登場する。 : ベテラン試食店員で47歳。通称「食わせのおみね」。みさえに目をつけ、「女子大生」と言いみさえは試食も食べる気も買う気もなかったが結局買わされてしまった。また、新クレヨンしんちゃんで再登場した際には、しんのすけを追い払おうとしたがしんのすけのおかげでマスカットが完売したため、お礼にしんのすけにマスカットをプレゼントしている。 ; 丸山 文男(まるやま ふみお) : 声 - [[梅津秀行]](第102話Cパート)(1994年6月20日) : 原作8巻、アニメ「食品売り場は楽しいゾ」に登場する。 : 閉店前七色の割引シールを自由に操る二枚目店員で31歳独身。トランクス派。通称「食品売場で6時半の男」。みさえは、「あの店員おだてればなんでも安くなる」と思っている。また、割引シールの束を落としてしまい、しんのすけが拾い、各地にシールを貼ってしまい、丸山がやったと勘違いされ、各地の店員がよってきて責められていた。 : また、臼井義人の別作品『[[だらくやストア物語]]』にも登場する。 ; ノリっぺ : 声 - [[柚木涼香]](第731話Bパート、第1171話Aパート)(2011年5月23日、2023年3月4日) : 「読み聞かせだゾ」に登場。'''チャッピー'''(声 - [[栗本浩行]])と別れてから暗く負のオーラが出ており、絵本の内容も王子さまとの妙にリアルなことが詰まった内容になっていくが、元彼がサトーココノカドーの読み聞かせスペースの所に来てもう一度ヨリを戻した。 === かすかべ書店 === しんのすけたちの行きつけの書店。チェーン店であるらしく、年に一度「本部からの視察」が行われる<ref name=kyomohonya>原作7巻、アニメでは「今日も本屋さんで遊ぶゾ」(1993年11月22日放送)</ref>。むさえがアルバイトを始めたが、一日で辞めてしまった店でもある。しかし、重い本の束をいくつも持ったり、立ち読みをしていたしんのすけを追い払った(実際には、カンタムロボの放送時間が近い事を伝えただけ)ことから、働き振りはなかなかのものと店長も絶賛していた。また、みさえもアルバイトをしていた。初期はしんのすけの悪戯に巻き込まれてトラブルに遭う場面があった。 ; かすかべ書店店長 : 声 - [[京田尚子]](第9話Cパート~)(1992年6月15日~)、[[愛河里花子]](ゲーム「かすかべ映画スターズ」) : かすかべ書店(原作ではかす'''が'''べ書店)の女性店主。本名不明。とがった眼鏡をかけている。しんのすけ曰く「カマキリみたいなおばさん」<ref>アニメ「またまた本屋さんだゾ」(1992年10月12日放送)</ref>、「カマキリ将軍ギリギリ」。店での立ち読みを無くす為にあらゆる作戦を立てて立ち読みする人に対抗しているが、しんのすけやみさえたちには通用せず、しんのすけはブラックリストワースト1で、データによるとしんのすけが来ると売り上げ80%ダウンらしい<ref>アニメ「オラの本はベストセラーだゾ」(1993年5月17日放送)</ref>。竜子と同様、しんのすけのことを「ジャガイモ小僧」と呼んでいる。立ち読みする人を目の敵にする理由は、父親が経営していた書店が客に好き放題立ち読みされた挙げ句に潰れた為である。この考えは今では古臭い物として認識されており、またその追い払う方法がかなり個性的で、ジェスチャー(書店連盟公認のブロックサインとのこと)での会話など、力を入れるところが微妙に間違っているのでバイトに来たむさえからは「この店長くねえな」と評された。漫画家のよしいが訪れた時には中村さんと一緒に「少年忍者吹雪丸」の単行本やポスターにうすとにサインしてもらう一面持っている。本屋さんとなじみ深い「はたき」の先にハエのレプリカを取り付けて、立ち読み客にハエを追いかけているように見せかけて帰らせる得意技「非情の舞い 偽りのハエ退治」を持つが、しんのすけにはレプリカのハエを叩き落とされてしまい失敗した(この後レプリカのハエははたきについていない)。店に愛着を持っている為後述の巨大ロボットが襲来する際は店と共に死のうとしていた。 ; 中村(なかむら) : 声 - [[稀代桜子]](第9話Cパート~)(1992年6月15日~) : かすかべ書店のベテラン女性店員。下の名前は不明。店長と共に立ち読み客を一掃するべく奮闘している。店長同様「書店協会公認のブロックサイン」のジェスチャーで会話をする。無駄に書物の並べ替えを行うことでなかなか立ち読み客の手に書物がわたらないようにする得意技「用もないのに、雑誌入れ替えディフェンス」を持つが、しんのすけには通用しなかった。チョコビが大好きなようで、しんのすけにチョコビ<ref group="注">原作ではロイヤルチョコビ。</ref>で買収された事がある<ref name=kyomohonya />。 : また、鳩ヶ谷夫妻が来店した際には立ち読みを妨害しつつも終始そのアツアツぶりを羨ましがっていた。この2人が来店した時には店長の指示でコードネーム「風と共に去りぬ」と呼ばれる立ち読み妨害作戦(冷房の設定温度を極限に下げて帰らせる撃退策。ただし店側にもダメージが来る)を実行したが、「アツアツ」の2人には通用しなかった。そこで今度は暖房に切り替えて店内室温を50度にまで上げても通用しなかった。後述の巨大ロボットが襲撃する事を恐れており、店長に避難しようとジェスチャーで会話するシーンもあるが、店長とは違い、店への愛着は薄く店と共に死のうとする店長を見捨てて逃げようとし、店長から「少しは説得しろ!」と突っ込まれた。 : 2代目オープニングテーマ『夢のENDはいつも目覚まし!』では主要なキャラクターの一人として、よしなが先生、まつざか先生の3人で登場して踊っている。 === セールス・営業 === ; 売間 久里代(うりま くりよ) : 声 - [[津野田なるみ]](第48話Bパート~)(1993年5月3日~) : まゆつば社の訪問販売員(アニメでは「まゆつば教育出版社」)。また、「ぶりぶりざえもんの冒険~閃光編~」でもまゆつば社が出てきている。社内業績トップで、通称「地獄のセールスレディ」。27歳の独身。星座は水瓶座。 : 登場する際はラジカセで映画『[[ターミネーター (映画)|ターミネーター]]』のBGMを流しながら姿を見せ、自分についての解説を独り言で言う。訪問販売<ref group="注">アニメ版では一度野原家にもセールスに訪れるもののしんのすけに阻止されて失敗している。</ref>をしており、一度狙いを定めたら買うまで話し込む。商品を売るために、さまざまな道具を使うことがあるなど少々手段を選ばない一面もある。正真正銘の女性だが、低声で化粧が濃く容姿が[[ニューハーフ]]っぽい為、しんのすけからは「おかまのおねえさん(2014年の再登場以降は「女装した人」<ref group="注">これは現在「[[おかま]]」という言葉が[[放送禁止用語]]に厳しく判定されているための変更{{要出典|date=2021年1月}}。</ref>)」と呼ばれ、近所の人に怪しいオカマとして[[日本の警察|警察]]に通報されたりした(そのたびに[[戸籍謄本]]のコピーをばらまき「忍法、戸籍舞うの術」と名乗り逃げている)。竜子、かすかべ書店店長同様にしんのすけのことを「ジャガイモ小僧」と呼ぶ。しんのすけと出会ってからは仕事の成功率が大幅に減ってしまい、業績もガタ落ちし、その月の営業成績が最下位となり、しんのすけの住む界隈には近づけなくなってしまう。このことからしんのすけをターゲットにするようになるが、毎回煙に巻かれてしまい、そうこうしているうちにまゆつば社は倒産してしまった。なお、アニメ版ではまゆつば社は倒産しておらず、彼女の登場する物語の冒頭で自らの業績について「まゆつば社業績一位」と述べている。売っている商品は、幼児教育セットや赤ちゃんの離乳食と幼児用商品が多い。 : 原作では、倒産後は頭を丸めて<ref group="注">下山後も頭髪はまだ生えておらず、[[かつら (装身具)|かつら]]をつけていた。</ref>山に篭り、熊などの動物相手に魚介類の叩き売りを行うなど修行に励み、修行を終えた後は新しい会社に転職。しんのすけへのリベンジのために再び春日部に姿を現すが、野原家に商品を売りつけようとするも失敗。落胆しつつ野原家を後にした直後、しんのすけが興味を示した自作のキーホルダーを無料で譲った。形はどうであれ、しんのすけに売りつけることが出来たことに満足する。以後も彼女は「地獄のセールスレディ」であったという。それ以降は35巻(2003年頃)で再登場後長らく登場しなかったが、[[2010年]]に連載スタートした『新クレヨンしんちゃん』の第2話でモブキャラクターとして登場している。 : アニメ版では1997年4月25日放送「ひまわりと地獄のセールスレディだゾ」以来登場していなかった<ref group="注">アニメスペシャルの「オールスター夢のコント祭り」でしんのすけは「オカマのセールスレディは最近見かけないし」と語っていた。</ref>が、2014年7月11日放送「地獄のセールスレディ・リターンズだゾ」で再登場し、それ以降は2022年時点で年に一度のペースで登場している<ref>{{Cite news|url=https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12271-322156/|title=売間久里代(うりま・くりよ)、令和初の『クレヨンしんちゃん』登場!プレゼントコーナーも復活|newspaper=@niftyニュース|date=2019-06-28|accessdate=2019-06-28}}</ref>。また久里代の決意と投げキッスを描いた直後にしんのすけが悪寒を感じるというエピローグがオチとして描かれ、2014年以降はしんのすけの他に、その時セールスを聞いていたしんのすけの家族を始めとする他の人物も悪寒を感じるようになる。そして2023年9月23日放送「むさえちゃんVSセールスレディだゾ」では、むさえが売間の写真を撮りたいがために、売間に付いていき売間が一般人に売っているところが見れる。そして今回は、一般人(むさえ、しんちゃん)のセールス方法によって、お客さんが買ったため、「一般人に負けるなんて」と悔しがって撤退していった。今回は、北本(隣のおばさん)に警察に呼ばれなかった珍しい回でもある。そして、イノシシやハゲワシバンドウイルカなどの師匠がいる。 : また、2014年の再登場以前にも[[2011年]][[12月1日]]発売の[[ニンテンドー3DS]]専用ソフト『[[クレヨンしんちゃん 宇宙DEアチョー!? 友情のおバカラテ!!]]』では、ボイス付きで登場をしており、[[2012年]][[3月30日]]放送の「花見で迷子だゾ」では一瞬ではあるがモブキャラとして再登場した。 : お仲間総選挙では、6位を獲得し出演した。 ; 林 マリ : 声 - [[平松晶子]](第217話Bパート~)(1997年1月31日~) : 通称「マリリン」。しんのすけ、園長先生、マサオ、風間が赤面するほど美人でのびのび館の出版の営業をしている。ハムスターとして「ネネ」がいる<ref>みんなの絵をみている時ネネちゃんの名前とうちのハムスターの名前が一緒と言っていた。「セクシーマリリン台風だゾ」より</ref>。ネネからは、嫌われている。 : 初登場時に、幼稚園バスに車をぶつけておりその後再登場した際にも花壇の花を轢きそうになったりしていた。また、ぶつかったりするのは慣れている模様。その後「マリリンが来たゾ」で再登場。その際は、自分が飼えないため<ref group="注">ハムスターも飼っており、そして大家が猫が嫌いで飼えないため</ref>捨て子猫の親を探しに幼稚園に来ており、みんなが理由があって断ったためまつざか先生のみとなるがまつざか先生も必死に断っていたが涙ながらに説得して子猫をまつざか先生に渡した。 ; 根苦羅田 ジュン子(ねくらだ じゅんこ) : 声 - 林玉緒(第249話Cパート~)(1997年10月17日~) : アクション[[生命保険]]ゆらめきのセールス。その名の通り根暗だが、しんのすけとは気が合う。自称「結構明るい性格」で、夢中に[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]をしていて食事を忘れフラフラになるなどの一面もある。既婚者だが登場時点では離婚している。 : 奥かすかべ渓谷のツアーで迷子になった際、同じく幼稚園の遠足で迷子になっていたしんのすけと知り合い<ref>アニメ「遠足でまたまた迷子になったゾ」(1997年10月17日放送)</ref>、野原家への訪問販売で再会する<ref>アニメ「保険のセールスも大変だゾ」(1998年2月20日放送)</ref>。最初はみさえに断られ、「あなたは暗いからセールスに向いていないのでは?」と言われたが、その時偶然帰宅したひろしとはずみでぶつかり、「このように、一寸先は闇ですから」と保険を勧めると、「入っておくか」と前向きな返事が返ってきた。 : 原作ではこれが最後の登場になったが、アニメではその後も登場。アニメ「幼稚園で保険のセールスだゾ」(1998年6月5日放送)では幼稚園へセールスに来た際にまつざか先生と同じ中学であることが判明する。最終的に会話が弾み同郷のよしみで契約することができた。中学時代は漫研に所属しており、先輩にうすとがいる。 ; 夢見 貘太郎(ゆめみ ばくたろう) : 声 - [[飛田展男]](第890話)(2016年4月15日) : 「父ちゃんが起きない!?だゾ(前後編)」に登場する。 : ドリーム・カンパニーのセールスマンで通称「もらい泣きセールスマン」。ひろしに「いい夢を見てぐっすり眠りたい人のための枕くん」をお試しであげて、お店の代金を払わずに帰っていった。その後野原家に来てひろしの状況を知り、みさえ、しんのすけと一緒にひろしの夢の中に入っていった。ひろしを目覚めさせた後「さて、また人生に疲れた人をさがしますか」といって消えていった。 === 車屋 === ;来間 宇理男(くるま うりお) : 声 - [[堀内賢雄]](第105話Cパート)(1994年7月11日) : 「新車を見に行くゾ」に登場する。 : 「ふたばCULUMA」の店員で「いいでしょいいでしょ」が口癖。野原家のペースに乗せられ最終的に疲れ果てていた。 ; 車 ウリ子(くるま ウリこ) : 声 - [[麻見順子]] : 車屋の販売員。馬鹿正直な性格で、何の躊躇もなくストレートすぎる発言をしては野原一家を困惑させるが、最終的に[[Cセグメント]]クラスの[[セダン]]である「アンジェリーナ」という新車を購入させた。納車後、みさえが車庫入れしたときに、後方の木にぶつけトランクをへこましたので、もう一台購入しないかと提案したこともある。物語中、しんのすけに何度も「お姉さん、車売る気ある?」と言われ、「もっちろん!」と返すのが定番だった。 ; 所長 : 車屋の所長でウリ子の上司。非常に小柄なおじさん。ケチな性格。 : ウリ子に接客のアドバイスとして「冷やかしは適当にあしらう」「買う気のない客にはなにもわたさない」などを言うも、まったく守られていないので頭を痛めている。 ; 瀬段 則康(せだん のりやす) : 声 - [[石井真]](第913話Bパート、第915話Bパート、傑作選SP)(2016年11月18日~2019年9月29日) : 車屋「春日部モータース」の新人営業部。同期の中で自分だけまだ一台も売れておらず、ひろしが「直すより新車買った方が安いかも」と言うと「新車は高いので断然直した方が安いです」と言ったためひろしからは「商売っ気がないやつ」と言われている。野原家が車を取りに行く際も「言いたくないですけど直すより安いので車買います?」といいまたもやひろしからは「商売っ気がないやつ」と言われた。その後「ステーションワゴン」を提案し、野原家の値引き交渉が続いたが、遂に初めて車が売れた。新車を運びにきた際には、しんのすけにアクション仮面のDVDをプレゼントしていた。 ; 端郎 アウトバーン(はしろう あうとばーん) : 声 - [[松山鷹志]](第914話Bパート、傑作選SP)(2016年11月25日、2019年9月29日) : 輸入自動車販売「MAYAKASHIモータース」の店長で36歳。奥さんもいる。野原家のこと最初は「外車とは縁がなさそうで冷やかし」と思っていたが、野原家が「外車を二台持っている(ミニカー)」といったところ掘り出し物の車に案内してくれた。 === 仁久矢 === アニメ第1話Aパートの「おつかいに行くゾ」(1992年4月13日放送)から登場している肉屋。銭湯「春我部湯」の中に仁久矢の広告看板がある<ref>アニメ「おとまり保育だゾ」(1993年2月15日放送)</ref>。 ; 女店員 : 声 - 麻見順子 : 第1話でしんのすけがお使いに来た時に応対した店員。原作でも1巻に登場。 ; 肉屋のおじさん : 声 - [[荒川太郎]] : 劇場版『[[クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王|アクション仮面VSハイグレ魔王]]』でみさえとしんのすけの買い物に応対した店員。 ; 肉屋のおばさん : 声 - [[亀井芳子]](第865話Aパート)→[[西宏子]](第885話Bパート、第1052話Bパート) : 「ドローンは見てたゾ」(2015年6月19日放送)でコロッケを買いに来たマサオのお使いに応対した店員。「えらいわね」と、コロッケを一つおまけしてくれた。 ; 肉のひらまさのお兄さん : 声 - [[こぶしのぶゆき]](第1196話Bパート) : 「恋するシロだゾ」(2023年8月26日放送)でシロにホネをくれた。 === 八百屋 === ; 八百長のおじさん : 声 - 荒川太郎(45話Bパート)(1993年4月12日)→[[長嶝高士]](2011年2月25日)<ref>『シロとおつかいだゾ』より</ref>→不明(2022年4月16日)→[[宮澤正]](2022年12月10日、2023年6月17日) : 原作、アニメ初期に登場した八百屋のおじさん。本名不明。客の人妻に山芋を勧めて「精がついて旦那、今夜燃えちゃうよ」と言うような人物で、しんのすけ曰く「おばさんの方がしっかりしてる」<ref name=yaoya>「八百屋さんへおつかいだゾ」(1993年4月12日放送)</ref>。 ; 八百長のおばさん : 声 - [[さとうあい]](45話Bパート)(1993年4月12日) : おじさんの妻。本名不明。しんのすけを見て「野原さんとこの坊や」と直ぐに分かり、状況を見てお金を忘れた事を察知し、みさえに電話、裸でいるしんのすけが風邪を引く事を心配しておじさんに服を着させるよう指示した<ref name=yaoya />。 ; 佐藤 靖(さとう やすし) : 声 - [[関智一]] : みさえが一時期本気で惚れ込んだ、八百屋でバイトをしていた青年。八百屋のおばさんの甥っ子。[[野口五郎]]の本名と同姓同名で、母親が野口五郎の大ファンであったためこの名前をつけられたという。しんのすけのせいでみさえがローン地獄で苦しんでいると勘違いし、みさえに「朝の来ない夜はありません」と励ましの手紙を出したのだが、みさえはこれをラブレターと誤解し恋におちてしまう。 ; 八百マサのおばさん : 声 - [[宮沢きよこ]] : 2016年から登場したマサオがよく行く八百屋。本名不明。マサオの事を「マーちゃん」と呼んでいる。 === スーパー獄門屋 === ; 胃屋良支 又吉(いやらし またきち) : 声 - [[亀井三郎]](第275話Cパート)(1998年5月29日) : スーパー獄門屋店長。話すごとに女性の尻を触るため嫌がられている。みさえが帰る時、二度目も尻を触ったため[[股間]]を強く膝蹴りされて悶絶し、その場でみさえからパートを辞める事を宣言された上、当日働いた報酬を銀行に振り込むよう要求された(その際、これまで尻を触られてきた女性店員達から静かに拍手をもらっている)。 ; 井夷理田 押子(いびりだ おしこ) : 声 - [[山本圭子]](第275話Cパート)(1998年5月29日) : スーパー獄門屋ベテランパート。人によって態度がころころ変わる。人使いが荒く、初心者パートをいびるため従業員にかなり嫌われており、彼女を嫌う従業員達の間では「イビリー」という蔑称で呼ばれている。 : 休憩中のみさえを無理矢理呼び出し、みさえの名字を「野島さん」「野本さん」とわざと間違えた上にひまわりの悪口を言ったことでみさえを激怒させ、これまでの意図返しを兼ねて「クソババア(アニメでは「イビリブタ」)」呼ばわりされながら、商品の練りわさびを顔面いっぱいに塗りたくられ、激痛のあまり子供のように泣き叫んだ(その際、みさえは従業員達から拍手をもらっている<ref group="注">アニメでは胃屋良支がみさえから金的を食らった際にこれまで尻を触られてきた女性店員達と井夷理田を嫌っていた従業員が揃って拍手を送るシーンに変更されている。</ref>。アニメでは練りわさびを塗りたくられた直後に顔面にその代金として100円玉を3枚投げつけられる)。 === 塾 === ;マックス赤石の英語塾 :風間くんが通っていた英語塾<ref>今も通っているかは不明。だが違うお話では、別の塾が登場している。</ref>。 :;マックス赤石 :: 声 - [[キートン山田]](第14話Bパート)(1992年7月20日) ::マックス赤石の英語塾の先生。風間くんに付いていって英語塾に来たしんのすけをおだてて、入会させようと思ったがしんのすけがふざけているため<ref>本人は、自覚なし</ref>苦労し、この教室に今後来てほしくないがためにカーくんを渡していた。 :;カーくん :: 声 - なし<ref group="注">持っている持ち主によって変わる。</ref>(第14話Bパート)(1992年7月20日) ::マペット人形でカエル。マックス赤石が持っていたが、しんのすけに譲った。 ;眉唾子供塾 :体験入学でスーパーダブルコロコロがもらえるときいてさえが体験入学に行かせた子供塾。 :;眉村燕九郎塾長(まゆむらつばくろうじゅくちょう) :: 声 - [[大川透]](第831話Aパート、第1176話Aパート)(2014年5月30日、2023年4月8日) ::眉唾子供塾の塾長。しんのすけのことを金づるとして我慢していたが、しんのすけのマイペースな性格により裏の顔がバレ、みさえたち親に呆れられて、みんなスーパーダブルコロコロを貰わずに帰っていった。 == またずれ荘の住人 == === またずれ荘の住人と関係者 === ; 大屋 主代(おおや ぬしよ) : 声 - [[佳川紘子]](第398話Bパート〜第436話)→[[真山亜子]](第915話Bパート) : アニメでは「'''大家 主代'''」(読みは同じ)。またずれ荘の[[不動産賃貸業|大家]](貸主)。訛り口調が特徴的で(「〜だに」「~チョ」など)、ガス爆発によって家を失った野原一家を一時的に入居させた。憂さ晴らしに部屋の抜き打ちチェックを行い住人いびりをしたり、雪かきを強制参加させたりなど意地悪な面があり住民たちからは嫌がられているが、原作ではペット持ち込み禁止のまたずれ荘にシロを連れてきたしんのすけを見逃したり(アニメではバレずに逃げ切った<ref>2001年8月31日放送『シロを連れてきちゃったゾ』より</ref>)、ひまわりと打ち解けて和気藹々と遊んだりする心優しい一面も見せている。アニメではすき焼きを野原一家やほかの住人たちと一緒に食べているシーンもある。子供嫌いを自称しているが、その理由は30年前に夫と3歳の娘を交通事故で亡くし、当時のことを思い出したくないからであった(アニメでは未亡人の設定はあるが、娘を失った過去は原作のみ)。趣味は入れ歯の形をしたパズルを高く積み上げる立体パズル「入れ歯タワー・中級者編」に挑戦すること(上階の野原家による振動でよく崩される)。元助産師で、原作では野原宅で産気づいたよしなが先生の助産を引き受け、その際によしなが先生を叱咤激励したり、共に頑張ったしんのすけを見直す一面もある。また、夫の遺産であるまたずれ荘をとても大切に思っており、原作で爆破された際には泣きながら生きていけないと嘆いていた。アニメではヒロポン本駄が201号室の壁を壊した濡れ衣を着せられて動揺している隙を突き、本駄から拳銃を奪い取っている(原作ではスーザンが奪い取った)<ref group="注">アニメでは野原一家が去った後、部屋に壁を壊した真相が書かれた手紙と修理費が入った封筒が置かれており、それを見た大屋は「黙っていたらよかったのに…」と寂しそうに呟いていた。</ref>。 ; 四郎(よんろう) : 声 - [[桜井敏治]](第398話Bパート〜)、[[岡野友佑]]〈代役〉(第1154話Cパート~第1161話Cパート) : 野原一家の隣人で、203号室(アニメでは201号室)の住人。外見はいわゆる[[ステレオタイプ]]の[[アキバ系]][[おたく|オタク]]である。大学受験で三浪しており<ref group="注">1年目は緊張のあまり寝不足になり試験中に居眠りし、2年目は試験会場と間違えて競馬場に来てしまい、3年目は緊張のあまり腹痛を起こして未受験に終わった。</ref>、4年目も名前の通り四浪になりそうだったが、無事に「東京カスカビアン産業大学」に合格した(「東大」と略して野原家に伝えたことで野原夫妻に[[東京大学]]と勘違いされ、出世した時のお礼を期待して手厚いもてなしを受けたが、真実が分かった途端手のひらを返され冷たい態度を取られた)。 : 引っ越してきたしんのすけといざこざを起こし部屋の壁に穴を開けてしまい、そこからしんのすけが乱入して勉強を邪魔される事がしばしばあったが、一方で野原一家との交流も深かった。なお、この穴はアニメでは野原家がまたずれ荘を去る際にみさえが大屋に修理費を渡していたが、原作ではオマタが崩壊したまたずれ荘を建て直す際にこの穴まで再現してしまい、残されている<ref group="注">原作・アニメ共に、野原夫妻と四郎は壁の穴が大屋に見つかった際は殺し屋のヒロポン本駄に壁を壊した責任をなすり付け、その後のいざこざで更に壁が壊れた時には「これで完璧に殺し屋のせいにできる」と内心喜んでいた。</ref>。かなり濃い顔であるが、オマタの結婚式でモロダシ共和国を訪れた際には現地の女性たちから「カッコいい」と好評だった<ref group="注">モロダシ共和国では園長や四郎のような男性が美男と認識され、神田鳥忍のような力強い女性ほど美女とされている。この事実を知った一同は呆れていたが、気を良くした四郎は移住まで考えていた。</ref>。そのため日本国内ではいわゆる「[[不細工|ブサメン]]」の部類に入り、しんのすけ等からそれを指摘されることもあるが、自覚の有無はどちらとも取れ、自分の顔に対する自己評価で「時代が自分に追いついてないだけだ」と述べたり、俗に「[[美女と野獣]]」と呼ばれるような夫婦を見て「あの人だってあんな可愛い人と結ばれたんだから、自分だっていつか」という旨を述べた事もある。 : アニメでは自動車の運転免許を持っているが、教習所以来一度も乗っておらず、野原家の車(オートマチック車)を急ブレーキでエンストさせてしまうなど、運転技術は極めて悪い。原作では「受験勉強で免許を取る暇がなかった」と言っている。 : またずれ荘編終了後も度々登場しており、特に原作では背景役、モブキャラなどでも頻繁に登場している。 : [[モーニング娘。]](当時のメンバー)では[[安倍なつみ]]が好き<ref>原作第30巻で、野原一家と『[[ミュージックステーション]]』を見ていた時に判明。アニメでは2001年6月29日放送「お隣とつつぬけだゾ」で判明。</ref>。[[新潟県]]出身。1度だけ腹筋が割れるほど痩せたことがあった。理由は失恋してショックで泳ぎまくっていたから。変わりすぎて野原家には誰も気づかれなかった。水を飲んだだけで太る体質なのですぐに戻っていた。 ; にがりや 京助(にがりや きょうすけ) : 声 - [[石森達幸]](第428話Bパート~第574話Aパート)(2002年2月22日~2006年7月21日)→なし(第766話)(2012年3月30日) : またずれ荘の定住者ではないが、張り込みのため205号室(アニメでは204号室)を借りたタウン警察署麻薬取り締まり課の刑事。汚田からは「京さん」と呼ばれている。身分を隠すため汚田とは親子関係で、汚田の思い付きで「顔が原因で妻に逃げられ、さらには腕を骨折した」という設定になってていた<ref group="注">その後、殺し屋からまたずれ荘の住人を守るために揉み合った際に腕をぶつけたことで本当に骨折した。</ref>。離婚しておらず自宅には愛妻がいる(本人の弁では最近太り気味)。原作ではさらに「覗き趣味のある親子」と誤解される。原作では『[[まんがタウン]]』6月号(単行本第45巻)、アニメでは「知らない人にはついていかないゾ」(2006年7月21日放送)で汚田と共に再登場を果たした。その後、「花見で迷子だゾ」(2012年3月30日放送)では、背景のモブキャラとして汚田と再登場した。 ; 汚田 急痔(おだ きゅうじ) : 声 - [[福山潤]](第428話Bパート~)(2002年2月22日~) : にがりやと共にまたずれ荘に張り込むタウン警察署麻薬取り締まり課の若手刑事。身分を隠すためにがりやとは親子関係で、にがりやの思い付きで「カードの使い過ぎで自己破産し、一発ギャグ発作病(5分に一度一発ギャグを発してしまうにがりやが創作した架空の病気)を持つ息子」という設定にしていた。実は金の遣い方が上手く、レンタルビデオでも延長料金を取られないほど几帳面な性格である。 ; 役津栗 優(やくづくり(アニメでは「やくつくり」) ゆう) : 声 - 大本眞基子(第399話Aパート~)(2001年6月8日~) : 役者志望の女性で201号室(アニメでは203号室)住人。普段から色々な役作りに徹しているため性格・容貌・服装がコロコロ変わる。素顔だとおとなしく内気だが、メイクをすることで性格を変幻自在に変えることが出来、脅威の変貌を遂げる。きれいなお姉さんに変化した時ひろしとしんのすけにいやらしい目で見られた。「劇団四毛」主宰者の演出家・しじみこう太を尊敬し、同劇団のオーディションをメイクをした姿で受けるも、しじみに「メイクをするな。本当の自分をさらけ出せ」と酷評される。そこでしんのすけに恥ずかしくならない心得を教わり(実際は「ケツだけ星人」や「コアラごっこ」など、しんのすけの持ち芸をやらされた)、内向的な性格は改善された。その甲斐あって素顔で受けた2度目のオーディションは上首尾に終わり、念願の劇団四毛入団を果たし、入団早々大役に抜擢される快挙を成し遂げる。原作第33巻・アニメ「さよなら優ちゃんだゾ」(2002年5月11日放送)で劇団の宿舎に引っ越し、またずれ荘を出た。また、「あっちこっちであつくるしいゾ」(2023年12月23日放送)では声無しで宣伝ポスターとして登場した。 : 運転免許は持っているが、教習所以来5年も運転しておらず、またずれ荘の住民(大屋、にがりや、汚田を除く)で海に行く際、ひろしと交代して運転するときはサングラスをかけた荒々しい風貌に変身し、ワゴン車をウイリーで運転した(その後はひろしと運転交代)。 ; スーザン小雪(スーザン こゆき) : 声 - [[杉田智和]](第1160話Cパート~)(2022年12月10日~) : [[ニューハーフ]]の204号室住人で、ニューハーフ喫茶「男たちの挽歌」に勤務<ref group="注">一時期は喫茶店「無乱ルーズ」で雇われママをしていた。</ref>。本名は「'''玄武 岩男'''」(げんぶ いわお)。アニメには長らく登場せず野原家がまたずれ荘に住んでいた頃も原作でのスーザンの登場回は放送されずにいたが「グチりたい母ちゃんだゾ」<ref group="注">新第8巻Vol.157のお話に若干のアニメオリジナルを入れている。</ref>(2022年12月10日放送)にてアニメ初登場した<ref group="注">映画『[[クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!|伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!]]』に登場するオカマバーのママに外見が酷似した人物がいる(声 - [[長州小力]])。</ref>。 : また、上記の通りアニメ版ではまたずれ荘編にスーザンが全く登場しないため、「グチりたい母ちゃんだゾ」でみさえと初対面ということになっている。また、原作と違い髪の毛の色が金髪となっている。また、アニメではまたずれ荘に住んでるかも不明なのとお店「男たちの挽歌」をやっている。 : 既婚者の妻子持ちである。国内シェアベスト3に入る下着会社「株式会社ゲンブ」元社長(現社長は息子の'''玄武 タツヤ'''。)<ref group="注">現在でも商才は衰えていないようで、息子から新しい下着のリストで相談を受けると的確な取捨選択で息子を感心させ、その様子を見ていたひろしと四郎も驚いていた。</ref>、[[アメリカ陸軍特殊部隊群|グリーンベレー]]元隊員、[[道路交通法|交通法規]]を守る優良暴走族「[[国道16号|16号]]の黒豹」初代総長と型破りな経歴の持ち主であるが、「過去は捨てた」として現在はニューハーフを生業としている。現在でも腕っぷしは強く、またずれ荘の住民を人質にとったヒロポン本駄から銃を取り上げたり、モロダシ共和国でオマタとしんのすけを拉致したテロリストグループのアジトにヘマタと共に銃を持って乗り込んでいくほどである。 : 野原一家がまたずれ荘を去ってからも度々登場し、南米から一時帰国した徳郎とまつざか先生を思いやって店を貸切にするなど、気の利く一面を見せている。 ; オマタ : モロダシ共和国(旧名モロダシ王国)の王子で206号室住人。原作のみ登場。[[モアイ]]のような顔が特徴。 : みさえに「母国の家族に貢ぎ、不景気で仕事が見つからず困っている」と思い込まれていたが、実はモロダシ共和国の王子で非常に裕福な生活を送っていた。父親オオマタに婚約者を勝手に決められたことを快く思わず、自分で婚約者を見つけ出すために無断で来日した。 : 日本とモロダシ共和国では美男・美女の基準が正反対(四郎の項参照)なために、神田鳥忍に一目惚れし一時期交際した。その後父オオマタも来日し、あっさり忍と結婚することを認めたため忍はモロダシ共和国女王になるところだったが、忍にはプロレスラーになる夢があったため結婚を拒否。そこでオマタは「1分で僕を倒せなかったら結婚する」との条件で忍と戦うが、58秒でダウンとなったため2人は別れた。しかしオオマタは自分で婚約者を捜し出すオマタに感心し、自分で花嫁を探すことを認める。その後は婚約者を探すために世界中を旅し、42巻で結婚している。相手は日本の基準からすれば美人であった(=モロダシ共和国ではブサイク扱い)。 : また、モロダシ共和国では[[ビートたけし]]の一発ギャグ「コマネチ」は相手に敬意を示す挨拶、相手の両鼻に指を入れる行為はキス、その際に指を第2関節まで入れる行為はディープキスに相当する愛情表現である。またずれ荘に入居したのも、「またずれ」がモロダシ共和国の言語マタワリ語で「愛」を意味するからだった。冗談好きのお茶目な性格は父親譲りで、冗談が受けなかったり先にオチを言われたりすると、その場で首吊り自殺に走ろうとする。気前がよく、人から親切にされたり感銘を受けたりすると金の勲章を授与する癖がある(その勲章は日本円にして時価数十万円もする本物の[[金]]。モロダシ共和国は金の産出が世界一である)。日本語は少し話せるが、マタワリ語を話す場合は吹き出しの台詞が横書きになり、ひらがながすべてカタカナに置き換わる。 : 結婚式の際、野原一家と四郎、スーザン、大屋<ref group="注">にがりや、汚田、優は仕事の都合で同行していない。</ref>をモロダシ共和国に招いたが、城の庭でしんのすけを車に乗せて自分の運転を披露していた際にテロリスト(実態はモロダシ共和国の副大統領が国王への[[クーデター]]を目論んで編成した部隊)に襲われ、しんのすけと共に拉致される。その後、隙を突いて拘束を抜け出し、オオマタやヘマタとコンタクトを取ることに成功。ヘマタたちに無事救出され、事件解決後に結婚式を挙げた。 ; 新しい住人(名前不明) : 『新クレヨンしんちゃん』第4巻(Vol.069 「またずれ荘の新しい住人だゾ」)から登場し、またずれ荘に入居を希望した青年。30代にして結婚もせずに自堕落な生活を送っていたため実家を追い出され、仕方なく一人暮らしをしようと入居希望者を募っていたまたずれ荘を訪れたところを大屋としんのすけに声をかけられる。即入居が決まるも、元々だらしない上に甘やかされて育ったため、僅か1日で部屋をゴミ屋敷の一歩手前状態にまで汚くしてしまう。大屋に言われて渋々掃除を始めるも、大屋はこれを期に彼をとことんこき使ってやろうと画策した。その後は真面目な好青年へと変貌したが、同時に超が付くほどの[[潔癖症]]になり、住人達の些細な行動<ref group="注">廊下を歩いていた四郎の髪の毛が落ちたことで口うるさく説教し、髪の毛が落ちないようにバリカンで刈り取ろうとするなど。</ref>にも口うるさくなってしまい、大屋にも「住人に甘すぎる」と説教する始末であった。 === 屈底一家 === : 原作・アニメ共に登場するキャラクターだが、またずれ荘在住という設定はアニメのみ。原作では住人ではないが、便宜上ここに記す<ref group="注">原作ではまたずれ荘ではないもののボロアパートに住んでいる。</ref>。 ; 屈底 厚子(くつぞこ あつこ) : 声 - [[石川寛美]] (第400話Cパート~) : 18歳のギャルママで、205号室住人。その名の通り常に厚底靴を履いており、娘のアツミにも履かせている。みさえの子供に対する躾に感銘を受けたことから(アニメでは娘・アツミを助けてもらったことから)、みさえを「先輩」と呼んで尊敬している。原作では笑った表情をみせない。口癖は「ていうか」。 : 極度のスピード狂で、自動車の運転はかなり荒く、同乗した者の気分を悪くさせてしまう。娘とともにかなり身体が柔らかく、完全に前屈ができる<ref name="#2">「屈底母娘の家出だゾ」より</ref>。鳥の目が怖いようで、実家ではインコを飼い始めたため帰るに帰れないようである<ref name="#2"/>。結婚前にはスナックでアルバイトをしており、お酌が上手く、ひろしからは気に入られている。新クレヨンしんちゃん7巻「Vol.133 ギャルママは卒業だゾ」では、厚底を卒業していた。 : アニメではまたずれ荘の住人であるため、原作より頻繁に登場している。 ; 屈底 アツミ(くつぞこ アツミ) : 声 - [[杉本沙織]](第400話Cパート~第1093話Cパート) : アツシと厚子の長女。2歳にして金髪にしていたり、「イケテル」が口癖であったりと、この年で既にコギャル化している。ひまわりと仲がいい。自分の言うことを聞いてくれないと[[鼻糞]]をつけてくる癖があるが、一度だけ寸前で厚子に見咎められ、慌てて口にした事もあった。 ; 屈底 アツシ(くつぞこ アツシ) : 厚子の夫でトラック運転手。名前のみの登場で姿を見せることはないが、たまにフルーツなどの特産品をまたずれ荘の自宅に送るらしい。[[中濃ソース]]が好物で、[[ウスターソース]]派の厚子と喧嘩になり家出されたが、謝罪メールを送って仲直りをした<ref name="#2"/>。 === 麻薬密売組織「モルヒーネ・ファミリー」と関係者 === ; ステロイド 麻酢尾(ステロイド ますお) : 声 - [[真殿光昭]] : にがりやと汚田が追っていた、[[麻薬カルテル|麻薬密売組織]]「モルヒーネ・ファミリー」の人間。「特徴だらけのくどい顔」をしている。恋人リサ・アスピリンに「ビッグになってくる」と言い残し旅に出たが、紆余曲折を経て麻薬組織に入り、麻薬の密売者となってしまった。 : リサに会うためまたずれ荘周辺に出没していたが、その際しんのすけ・汚田と知り合う(この時点では麻酢尾は汚田が[[刑事]]であることを知らず、汚田も麻酢尾が扮装していたため当人だとわからなかった)。後にしんのすけを利用しリサと再会。リサの気持ちを察して組織から足を洗おうとするも、にがりやたちに見つかり御用となる。しかしその直後、モルヒーネ・ファミリーから派遣された殺し屋に命を狙われ、彼はリサと共に逃れたものの、この時しんのすけが人質にされていたことがきっかけでまたずれ荘の住人全員が人質にされる大事件にまで発展してしまう。その後、人質に取られた住人達を助けるために自ら殺し屋の元に現れたが、その直後に殺し屋はにがりや達によって取り押さえられる。その後、麻酢尾と殺し屋もしんのすけの言葉により罪を償う決心をしたことで事件は一件落着、モルヒーネ・ファミリーも事件後に壊滅した。 : モデルは臼井の担当編集者であった増尾徹。原作ではこの他にも増尾をモデルにした「顔はくどいが性格はさっぱりしている」キャラクターが複数登場している。 ; リサ・アスピリン : 声 - [[小林沙苗]] : ステロイド麻酢尾の恋人でモデル。またずれ荘の向かいのマンションに住んでいる。 ; コカイン矢魔田(コカイン やまだ) : ステロイド麻酢尾に麻薬を渡していた男。麻酢尾が組織から足を洗おうとしていた事を知り、組織に報告した。 ; ヒロポン本駄(ヒロポン ほんだ)<ref group="注">アニメでのクレジットタイトルは「'''殺し屋'''」名義。</ref> : 声 - [[大川透]] : 殺し屋。普段は帽子をかぶっている。用心深い性格で、ピストルなどの武器を必ず2つ持つようにしている。しんのすけが被っていたアクション仮面のヘルメットの角が肛門に直撃し、最後は汚田とにがりやに[[逮捕]]された。殺し屋としての仕事は初めてで、それ以前は[[シロアリ]]・[[ネズミ]]・[[害虫]]駆除の仕事をしていたという。それほど根は悪くないようで、しんのすけの笑顔で改心し、「おかげで殺人を起こさずに済んだ」と話した。 === 鬼瓦リフォームと関係者 === ; 鬼瓦 築造(おにがわら ちくぞう) : 声 - [[辻親八]] : 建築会社「有限会社鬼瓦リフォーム」の社長で、娘のカンナ・工事とともに野原宅を建て直した。腕は一流だが典型的な[[職人]]気質で、気持ちから入らないといけないという理由から、少しでも気に入らないこと<ref group="注">納豆のタレ袋を開封するのに失敗してタレがこぼれる、卵かけご飯を作る時にお椀から白身がこぼれる、ティッシュを取ろうとしてティッシュが破ける、[[サザエさん]]の[[じゃんけん]]に負ける、天子と喧嘩したりそっぽを向かれるなど。</ref>があると仕事を投げ出してしまい、みさえから反感を買っていた。その影響で野原宅の建築に大幅に時間が掛かり、その次に依頼された邸宅の建設に至ってはそれ以上に進展がない。[[ペロペロキャンディ]]が好きで、酒には弱い。[[阪神タイガース]]ファンであり、「タイガース命」と書いてあるシャツを着ている。 : 原作ではまたずれ荘編終盤で起きた騒動でまたずれ荘が崩壊した際、再建を担当。その後50巻において、「カンナちゃんのためなら死ねる」と発した工事に「娘を愛してるなら絶対死ぬな」と厳しく諭し、娘との結婚を認めた。 : 娘のカンナに対しても癇癪を起こしたり喧嘩をする事も多いが、大の娘想いであり内心では感謝している。 : 天子とはぎっくり腰で入院した時に出会って以来の関係だが、性格ゆえに彼女との喧嘩は絶えず軽蔑される事も多く、お世辞にも順風満帆とは言い難い<ref group="注">『新クレヨンしんちゃん』においても相変わらず交際の進展は難儀している様子で、それが原因でカンナや工事に八つ当たりしたり、喧嘩してしまう事も健在である。</ref>。 ; 鬼瓦 キリ子(おにがわら キリこ) : 築造の妻で、カンナの母。名前のみ登場で、カンナが10歳の時に心臓病で亡くなっている。築造曰く芯が強く、笑顔の綺麗な人物だったらしい。また夫婦喧嘩でも強く、いつも築造が負けていたとのこと。 ; 鬼瓦 カンナ(おにがわら カンナ) : 声 - [[茂呂田かおる]] : 築造とキリ子の娘で、鬼瓦リフォームの社員。22歳。父とは大違いのしっかり者で、少しでも機嫌が悪くなると仕事しない父には手を焼いている。 : 工事と付き合っており、原作50巻において父に結婚を認められたが、父とは[[ウェディングドレス]]を着るかどうかで揉めていた(築造は[[和服]]を着せたいらしい)。 ; 八根浦 工事(やねうら こうじ) : 声 - [[檜山修之]] : 鬼瓦リフォームの社員。優しい一方で少し気が弱く、泣き虫な面がある。ひそかにカンナと交際するも築造に認められずにいたが、大工の腕比べで直向きさが認められ、交際を許してもらえた。交際を認められるまでは、カンナの半径3m以内に近づくことさえも厳禁とされた(3m以内に近づいている可能性があるときには、すぐさまメジャーで距離を測定されていた)。野原家の完成後、築造と喧嘩した際に大手リフォーム会社からスカウト<ref group="注">実際はその会社が規模を拡大するのに邪魔となる鬼瓦リフォームを潰すための策略。その会社も建物を図面とは違う建て方をする悪質な会社だった。</ref>されその会社に転職したが、手抜き工事をする彼らのやり方に反発してリンチを受けそうになったところを築造に助けられて和解し、鬼瓦リフォームに復帰。その後、50巻で「カンナちゃんのためなら死ねる」と築造に発したが、彼から諭されると同時に結婚を認められる。 ; 八根浦 住果(やねうら すみか) : アニメ未登場。『新クレヨンしんちゃん』で登場した、工事の妹。 ; 白猪 天子(はくいの てんこ) : アニメ未登場。タウンクリニックの婦長。独身。築造がぎっくり腰で入院した時に出会い、一目惚れした。後にある出来事がきっかけで築造と交際することになったが、気が強く曲がった事が嫌いな性格故に、築造の子供じみた振る舞いに呆れたり、喧嘩する事も多い。実はかなりの[[ケチャップ|ケチャラー]]。 ; 依頼主の男性 : アニメ未登場。名前は不明。眼鏡を掛けており、犬を飼っている。 : 野原家の完成後、鬼瓦リフォームのメインエピソードで毎回登場しており、いつも築造が自分の気に入らないこと・カンナとの親子ゲンカ・天子と喧嘩またはそっぽを向かれるなどして、落ち込んだり、気分が乗らないなどの原因で自身の新しい家の建設がまったく進まずに苦笑いしながら涙を流している。『新クレヨンしんちゃん』においても、相変わらず新自宅は完成していないまま。 === 劇団四毛 === ; しじみ こう太(しじみ こうた) : 声 - [[岸野幸正]] : 劇団四毛(げきだんしけ)を主宰する演出家で、日本演劇界の鬼才。水虫持ち。 : 性格は短気で感情的。オーディションの最中も含め、いつもラーメンをすすっている。優を見守る際に電柱の上に登るなどの独特な感性を持っていたり、またずれ荘を訪れた際に、アパートのくたびれ具合を褒めながら壁を叩いたばかりに壁の一部を壊してしまう<ref group="注">その光景をしんのすけに見られた結果、口止め料として肉まんとあんまん(アニメではカレーパンとメロンパン)を奢る羽目になってしまった。</ref>などの抜けた一面もあったりするが、才能を見抜く力は確か。 :オーディションにやってきた役津栗優を「30年に一人の逸材」と高く評価するも、メイクをしなければ演技ができないという彼女の欠点も見抜き、この欠点を克服させるべく、敢えて酷評の末に不合格にするが、その後も密かに優を偵察し、彼女が欠点を克服した上で望んだ2度目のオーディションで優の成長を認め、合格とした。その後も優の事は何かと気にかけている。 ;台本 読人(だいほん よむと) :『新クレヨンしんちゃん』4巻(Vol.066 「優ちゃんのスキャンダルだゾ」)に登場した人気俳優。優ちゃんが転んだところを受け止め、それをマスコミが恋愛報道として報道してしまい、その後、野原家に優ちゃんが逃げ込みそこで二人で誤解を解いた。 === スーザン小雪の関係者 === ; 玄武 タツヤ(げんぶ タツヤ) : スーザンの息子で、国内シェアベスト3に入る下着会社「株式会社ゲンブ」の社長。現在でも父親の事を尊敬しており、商品の販売に関する相談をしたこともある。 ; 玄武 ヨシノ(げんぶ ヨシノ) : スーザンの妻。ニューハーフになった夫を現在でも愛しており、家庭に戻ってきてほしいと懇願した。 ; ビックリー・シマッセー : グリーンベレー部隊に所属する大佐。スーザンの事を信頼しており、中佐のポストを用意してまで彼に部隊に戻って来てほしいと頼みに来たこともあった。 ; 総長 : 本名不明。交通法規を守る優良暴走族「16号の黒豹」10代目総長。スーザンの事は「センパイ」と呼んでいる。数千人の部下を統率する方法を聞くために、タツヤらと共にスーザンの元を訪れる。 === モロダシ共和国 === ; ヘマタ : オマタの付き人。国を飛び出したオマタを捜すため、モロダシ共和国のハイテク通信衛星を駆使して約1万人の王室親衛隊を各国に派遣し、日本にやってきた。みさえからは当初オマタの友人と思われていた。しんのすけ達と同様、オマタから金の勲章をもらったことがある。日本ではモロダシ共和国の言葉で話していたが、オマタの結婚式では日本語を流暢に話せるようになっていた。オマタとしんのすけが誘拐された際には、単独で救出に赴こうとする(実際には協力を申し出たひろしとスーザンの3人)など、非常事態に際しては[[エージェント]]としての役割も担っている模様。 ; オオマタ : オマタの父でモロダシ共和国の[[国王]]。オマタと同様モアイのような顔をしており、イタズラやジョークが好きで、よくネタの取り合いで喧嘩をする。鼻の下に髭が生えている。当初は息子を[[許嫁|自身が決めた相手と結婚]]させようとしており、神田鳥忍との交際にも反対していたが、忍を見た途端あっさりと交際を認める。やがて息子の恋が破れ、父の決めた相手と結婚することを決めると「私の息子なら自分の信念を貫き通せ」と彼が自分で選んだ婚約者と結婚することを認めた。オマタの結婚式で再登場し、その際は日本語が多少話せるようになっていたが、かなりおかしな話し方であった。 ; ウチマタ : オマタの母でモロダシ共和国の女王。夫同様に妙な日本語を話す。オマタが誘拐された時には、「ショックで高熱を出したりないように」と[[アイスクリーム]]をたらふく食べるという奇行を行うなど、ややずれた一面を持つ。 ; オマタの妻 : オマタがまたずれ荘を出た後に見つけた女性。かなりの美人であるが、モロダシ共和国では美男・美女の基準が日本と逆なため、ブサイクとみなされている。結婚式において、オマタは「人間顔じゃないよ」と慰めた<ref group="注">その際、四郎から「お前が言うな!」と悔し紛れにツッコまれていた。</ref>。 ; コツバーン : モロダシ共和国大統領。[[軍備拡張競争|軍拡]]を推し進めようとしているらしいが、真相は不明。当初は副大統領のヒップの証言で、国王からオマタ誘拐事件の首謀者と疑われていた(正確にはヒップの陰謀)が、実際には事件とは無関係であった。本来の彼はモロダシ共和国と国王に忠実な人間である。 ; ヒップ : モロダシ共和国副大統領。表向きは国王らに友好的に接しているが、その正体は国王へのクーデターを企てるテロリストグループのボス。オオマタらに好意的に接していることから、オマタも彼がリーダーだと知った時には取り乱していた。クーデターを起こすために自身が組織した軍隊を使い、オマタやしんのすけを拉致させる。部下との会話をみさえに聞かれたため本性をあらわにして殺害しようとしたが、アジトの部隊はしんのすけの妨害で壊滅状態になり、自身もみさえ達に捕らえられ、クーデターは失敗に終わった。 ; フクラ・ハギ大佐 : ヒップが率いる反乱軍の司令官。ヒップの指示でオマタとしんのすけを拉致するが、突拍子もない行動をするしんのすけに苛立った挙げ句、しんのすけがおもちゃと思って発射させたミサイルにより出撃直前だった反乱軍を壊滅させられる。作戦を台無しにされた怒りからしんのすけを銃殺しようとするが、改心したスーネに殴り倒され、他の反乱軍同様に逮捕された。 ; スーネ : フクラ・ハギ大佐の部下。大佐からは半人前と見下されているが、根は優しい性格。拉致したしんのすけの監視役を任され、そのマイペースぶりに振り回されるも、一方でしんのすけと接するうちに、幼い頃に病死した弟の姿を重ね合わせるようになる。最後はしんのすけを殺害しようとしていたフクラ・ハギをシャベルで殴り倒し、しんのすけに改心することを告げながら、逮捕されていった。 == アニメ、特撮関係 == === アクション仮面 === ; [[アクション仮面]](アクションかめん) : 声 - [[玄田哲章]](第1話Aパート~)(1992年4月13日~) : [[特撮]]番組「アクション仮面」の主人公。役名・本名共に'''郷 剛太郎'''(ごう ごうたろう)で、普段の職業はスタントも自分でこなすアクション俳優。武道の達人で、柔道三段、空手三段、剣道二段、ムエタイ、少林寺拳法、サンボ、[[骨法 (格闘技)|骨法]]、ブラジリアン柔術、[[カポエイラ]]などを修得・使用できる。しんのすけが特撮で1番尊敬する人物であり、彼自身もしんのすけを大切なファンと捉えており、信頼関係も厚い。アニメのみの設定だが、しんのすけとはアクション仮面ショーで知り合い、それ以降ミミ子共々友人になった<ref>『嵐を呼ぶジャングル』で郷がしんのすけと顔を合わせた際に「やぁ、しんのすけくん。しばらく」と挨拶している。</ref>。しんのすけは「アクション仮面は特撮、カンタム・ロボはアニメ」と判断しているため、どちらが1番好きか比べる事が出来ないらしい<ref name="Kantam">「カンタムロボも大好きだゾ」より。</ref>。 : 本編で一時期パワーアップし、'''アクション仮面Z'''(ゼット)→'''アクション仮面777'''(フィーバー)という名前となった。 : 主な必殺技は「アクションパンチ」「アクションキック」「アクションビーム」「アクションビームボール」「アクションスライサー」。また、しんのすけがアクション仮面の技を応募して採用された「アクション・ローリング・サンダー」という技もある。勝利した際に手を挙げ高らかに「ワッハハハハ」と哄笑するポーズはしんのすけがよく真似している。作品世界において、10年以上もの間子供達を虜にしている(実際作中で「10周年企画」をやっていた)。 : 「死にかけた郷剛太郎が特殊科学技術でアクション仮面として生まれ変わった」とアニメ内で語られたが、主題歌『アクション仮面の唄』では「地球の平和を守るためにアクション星から来た」と語られている(アニメ『アクション仮面が最終回!だゾ』で「アクション星に帰るの?」と聞かれている)。映画『[[クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王|アクション仮面VSハイグレ魔王]]』では、アクション仮面は別次元(並行世界)の地球から来た実在の超人が特撮番組を演じているという設定となっている。ただし、この事実はしんのすけやミミ子など、一部の人間にしか明かしていないが、映画『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル|嵐を呼ぶジャングル]]』では郷剛太郎が演じ超能力等はないという設定で異なっている。 : お仲間総選挙では、4位を獲得し出演した。 : 映画・アニメスペシャル等では何らかの形で登場し、しんのすけと共同することが多い。『おもちゃウォーズ』ではしんのすけのお気に入りのおもちゃの人形としんのすけがちんだらけで貰ったスパイであるアクション仮面GOLDの2種類が登場している。本来は長いことしんのすけに遊んでもらったため、完全に洗脳されず、カンダムやもえP達を説得したり、洗脳されてもしんのすけの呼びかけで動揺したりする。一方のアクション仮面GOLDは夜中にしんのすけのおもちゃを盗み、夜中に目を覚めたしんのすけに盗もうとしたことを誤魔化そうとする一方、しんのすけの家を出た際、どこか寂しそうな感じを出していた。 ; 桜 ミミ子(さくら ミミこ) : 声 - [[小桜エツコ]](旧芸名:小桜エツ子)(第1話Aパート~)(1992年4月13日~) : アクション仮面の良きパートナー役の少女でセーラー服姿が特徴。色々なアイテムを持っている。いつも怪人たちに襲われ人質にされているが、アクション仮面に救い出され勝利の際には共に「ワッハハハハ」と哄笑している。 : アニメ「正義のヒロインネネちゃんだゾ」(1997年11月14日放送)で一度だけ、「ミミ子インストール」の掛け声とともにアクション美少女仮面に変身したことがある。必殺技は、怪人の体を動かなくする「美少女ウインク」、武器を切り裂く「美少女仮面スカーフカッター」、「美少女仮面キック」。 ;桜 リリ子(さくら リリこ) : 声 - 小桜エツ子(現:小桜エツコ) : 映画『[[クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王|アクション仮面VSハイグレ魔王]]』のみ登場し、ミミ子の双子の姉である。しんのすけの暮らす地球とは違う別の次元に存在する地球に住み、アクション仮面の良きパートナーでかつ北春日部博士の助手である。ミミ子と同じくセーラー服姿が特徴であるが、襟のラインとスカート、スカーフの色が異なる。 ; 郷博士(ごうはかせ) : 声 - [[納谷六朗]](SPECIAL 1 ~)(1992年12月28日~) : アクション仮面を開発した博士。超科学研究所を設立している。パワーアップでアクション仮面Zとアクション仮面777(フィーバー)の次期作としてアクション仮面エクスタシーを考えていたらしい。 ; 北春日部博士(きたかすかべはかせ) : 声 - [[増岡弘]] : 映画に登場する博士。無類の[[小林幸子]]ファンで、彼女の紅白歌合戦の衣装をモチーフにした兵器「ペガサス」を造ってしまうほど。腹が弱いようで、いつも腹を抱えて「う〜、トイレ〜」と言っている。 ;アクションミラクルドッグ : 声 - 不明(第967話Bパート、第1200話Aパート)(2018年6月15日、2023年9月23日) :最新のテクノロジーを搭載した犬型ロボット。サーフボードに変身できる。そしてミサイルも搭載している。また、ミミ子が可愛がりすぎて戦闘力がなくなってしまった。 ;アクションミラクルキャット : 声 - [[内田秀]](第967話Bパート、第1200話Aパート)(2018年6月15日、2023年9月23日) :アクションミラクルドックに代わり誕生した近未来の猫型ロボット。最後に仲間として登場。 ; アクション仮面ムスメ(アクションかめんムスメ) : アクション仮面の後継者。19歳。本名は'''八潮 ミサト'''(やしお ミサト)。運動能力・頭脳共に優秀な、正義感の強い19歳・女。別名「最強のニート」。実母は幼い頃に亡くなり、現在は継母がいるが母親とは思えず心を閉ざしている。 : 単独で悪党と戦う等正義感と気の強い性格で、その素質をABKに見抜かれ、休養することになったアクション仮面の後継「アクション仮面ムスメ」に選出される。当初はアクション仮面の後継に選出された事を良く思っていなかったが、父親が怪人に襲われたことを機に気が変わり、ヒーローになる事を決意する。 : 当初はテレビアニメの設定だったが、後に現実世界の出来事という設定に代わり、作中にしんのすけも登場するようになった。しかし、研究所までストーカーされたり(これで正体がバレた)、家に転がり込まれたりと好き勝手されているので快く思っていない。 ; 飯能博士(はんのう) : アクション仮面バックアップ研究所・ABKの所長。本業はタタミ屋。自称「エロ博士」で変身の器具が[[ブラジャー]]だったり、乳首から放出される必殺技「ムスメチクビーム」等、スケベな面が多く見られる。ミサトから苦情が来たが「これが楽しみでやってるんだ」と完全に開き直っている。 : 発明品は「アクション仮面ムスメ変身ブラ」や、人体の自然治癒力を高める医療器具等。 ; 吹上助手(ふきあげ) : 飯能の助手。本業はフリーターで、コンビニのアルバイト。漫画家志望で4コマ漫画を描いているが、ミサトからコメントを濁されるほどの酷い出来栄え。 : しんのすけがABKを訪れた際には、口止め料として飯能博士の[[ゴディバ]]チョコを与えた。アニメには未登場。 ; 八潮シゲル(やしお シゲル) :ミサトの父。49歳。貧しい家庭で生まれ育ち、妻や娘に苦労を掛けさせまいと仕事に打ち込んできたが、妻の死を看取れなかったことでミサトからは避けられている。ミサトがアクション仮面ムスメとして活動していることは快く思っていない。 ; ミサトの継母 : シゲルの後妻でミサトの継母。ミサトのことは大切に想っているものの、ミサトからは「新しいママ」と呼ばれており、心を閉ざされている。 ==== ブラックメケメケ団 ==== :; メケメケZ :: 声 - [[青野武]](SPECIAL 1 ~)(1992年12月28日~) :: アクション仮面の悪役で悪の集団・ブラックメケメケ団の首領。体の左半身が紫で右半身が黄色の体をしている。初登場時、四天王にはブラック首領メケメケ様と呼ばれていた<ref>アニメ「アクション仮面スペシャルだゾ」(1992年12月28日放送)</ref>。アクション仮面と互角以上の力を持つ。部下に対しては厳格ながらも、部下達の数は戦闘員も含めて把握しており<ref group="注">幹部4人、怪人52人、戦闘員739人がこれまでアクション仮面によって倒されたらしい(アニメ「アクション仮面が最終回!だゾ」1993年4月5日放送)。</ref>、部下たちの無念を晴らそうとする等部下思いの人物でもある。アクション仮面と直接対峙した際に煙草のポイ捨てをアクション仮面に注意された。メケメケX、メケメケYという側近がおり、3人で技を繰り出すことができる。 :: 『アクション仮面が最終回!だゾ』では10分の1の性能を持つレプリカロボットが登場しており、その実力はアクション仮面を追い詰める等だったが、パワーアップしたアクション仮面のアクションビームボールを喰らい、腹に「A」のマークが出来て爆死した。しかしそれはレプリカロボットでありその事をアクション仮面等に幻影で告げ去っていった。四天王が全員倒されるまでアニメのクレジットタイトルは「'''メケメケ団首領'''」だった。 :; メケメケZ(強化形態) :: 声 - 青野武 ::: 『アクション仮面絶体絶命だゾ』においてアクション仮面用のパワーアップユニットを用いたメケメケZの強化形態。本来の体は左半身が紫で右半身が黄色だったが、アクション仮面のパワーアップユニットを用いてからは体の左半身が白で右半身が黒になった。アクション仮面を負かした後は都市を破壊し始め、かけつけたアクション仮面との戦いでも優位に立つが、アクションアタッチメントフォーメーションでミミ子と合体したアクション仮面のアクションウルトラハイパースペシャルビームと自身の最強攻撃(ビーム)の撃ち合いの末、「見事だよ、アクション仮面」とアクション仮面を賞賛しつつ消滅した。 :; メケメケX :: メケメケZの右腕と称される側近。『父ちゃんの禁煙だゾ』では、アクション仮面のアクションビーム」を浴びた直後に余裕ぶって煙草を吸うも、ビームの威力に耐え切れず爆発した。『アクション仮面に再会だゾ』にも登場し、三人で技を繰り出すことができる。 :; メケメケY :: 声 - [[石森達幸]] :: メケメケZの左腕と称される側近。『アクション仮面に再会だゾ』では、三人で技を繰り出すことができる。『アクション仮面絶体絶命だゾ』にも登場し、最期はアクション仮面に戦闘員もろとも呆気なく倒され「メケメケZは俺のようにはいかないぞ」と言い残して絶命した。 :: 戦闘員は、組織の頭文字でもあるBの字を顔に付けた格好をしており、「ビー」という言葉を発する(ただし、普通の言葉も話せる)。 :; うみうし長官ビジョー :: 声 - 玉川紗己子(現:[[玉川砂記子]])(第17話Aパート〜)(1992年8月24日〜) :: アクション仮面の悪役・ブラック四天王の一。しんのすけとアクション仮面が初めて出会ったヒーローショーにて悪役を務めていたが、ショーの段取りを無視したしんのすけの暴走に巻き込まれる<ref>アニメ「アクション仮面に会うゾ」(1992年8月24日放送)</ref>。後に、ウイルス爆弾を用いた作戦中にそれを阻止しに来たアクション仮面と交戦。激しい攻防の末敗れ、アクション仮面に好意を抱いていたとも取れる発言<ref group="注">「アクション仮面、次に会う時は敵ではなく、味方として会おう」</ref>を残し爆死した<ref>アニメ「カゼの予防はウガイだゾ」(1992年11月16日放送)</ref>。 :; チンパン総督モンキッキ :: 声 - [[龍田直樹]](第27話Aパート〜)(1992年11月16日〜) :: アクション仮面の悪役・ブラック四天王の二。劇中劇での初登場は1992年11月16日放送の「カゼの予防はウガイだゾ」だが、1992年10月12日放送の「またまた本屋さんだゾ」でアクション仮面の本の中に登場している。アクション仮面の悪役で最も彼を苦しめた悪役の一人で「モンキーバリア(初期はチンパンバリアだった)」でアクション仮面と渡り合う。失敗が続いて後がなくなり、アクション仮面と直接対決し一度はアクションビームを破り生還する。しかし作戦そのものは失敗に終わったため立場は悪化したままで、カマキリ将軍ギリギリとイグアナ大臣ズビズバの登場によりアクション仮面の打倒のみを目的とした最終作戦を実施することになる。最終決戦では直属の戦闘員に銅鑼やトライアングルを装備させ音波攻撃でアクション仮面を追い詰めるが、栄養ドリンクでパワーアップしたアクションビームに敗れる。この戦いでは軍服の下に[[胸甲|鎧]]を着用していた。アクションビームを完璧に防いだ最初の悪役でもある。息子にヤンキッキがいる。 :; 暴走リーダーヤンキッキ :: 声 - 龍田直樹 :: アクション仮面の悪役・モンキッキーの息子(声も同じ)。『アクション仮面の映画を見るゾ』(アクション仮面作中でのタイトルは、映画『アクション仮面VSアクション仮面』)に登場。父の仇を討つため、メケメケZの作戦に加担するが倒された。「ヨロシク!」が口癖。 :; カマキリ将軍ギリギリ :: 声 - 鈴木みえ(現:一龍斎貞友)(SPECIAL 1 〜)(1992年12月28日〜)、[[京田尚子]] :: アクション仮面の悪役・ブラック四天王の三。劇中劇での初登場は1992年12月28日放送の「アクション仮面スペシャルだゾ」だが、1992年10月12日放送の「またまた本屋さんだゾ」でアクション仮面の本の中に登場している。『アクション仮面が最終回!だゾ』の前の話で、ズビズバとともに、アクション仮面と戦い、スペルゲンバリアーでアクションビームを破るなどの活躍を見せるが、アクションビームボールで倒されてしまう。 :; イグアナ大臣ズビズバ :: 声 - [[坂東尚樹]](SPECIAL 1 ~)(1992年12月28日~) :: アクション仮面の悪役・ブラック四天王の四。劇中劇での初登場は1992年12月28日放送の「アクション仮面スペシャルだゾ」だが、1992年10月12日放送の「またまた本屋さんだゾ」でアクション仮面の本の中に登場している。剣を武器としており、「ズビズバビーム」という技を持つ。『アクション仮面が最終回!だゾ』で最終回かと思われた話の一つ前の話で、ギリギリとともにアクション仮面と戦う。ギリギリと戦闘員を盾にアクションビームボールを防ぎ、ミミ子を人質に取るという卑怯な行動を取るも、ミミ子とアクション仮面の連携により倒されてしまう。 ==== 秘密結社スズメノナミダ==== :: 漢字表記不明。戦闘員は、スズメのような格好をし、「チュンチュン」という声を出す(言葉の意味は、横などに字幕で書かれる)。 ;; イーグルヘッド :: 声 - [[小杉十郎太]] :: ブラックメケメケ団との戦いを終えたアクション仮面の前に、謎の怪人ランポポとして現れる。ランポポのときはアクション仮面を「アクション仮面ちゃん」と「ちゃん」付けで呼び、そのたびにアクション仮面に「私をちゃん付けで呼ぶな!」と言われている。『アクション仮面 恐怖の蜘蛛ロボット』や『アクション仮面 ビッグウェーブ作戦』(アクション仮面作中でのタイトルは『戦慄!ビッグウェーブ作戦』)等はに登場し、アクション仮面と激闘を繰り広げる。実は記憶を失い、行方不明になっていたミミ子の兄。最終的に記憶を取り戻して、アクション仮面と共闘する。生来は善良な人間であるらしく、自分を洗脳して悪事を働かせたことをツバインバッハに怒っていた。正気に返った後はアクション仮面と共にツバインバッハを撃破し、無事生還した。 ::; ランポポ ::: 声 - 小杉十郎太 ::: 白い帽子に白いマントを身に纏った姿。その正体は、上記の通りイーグルヘッド。 :; ツバインバッハ :: 声 - [[飯塚昭三]] :: フルネームはリヒャルト・フォン・ツバインバッハ。秘密結社スズメノナミダの首領。ミミ子の兄を捕縛・洗脳し、イーグルヘッドとして使っていた。すきっ歯が特徴。 :: 郷博士とは学生時代の友人であり、彼に再会した郷は「学問において良きライバルだった」と回想している。天才科学者の郷をして「ワシの気付いていないアクション仮面の弱点を発見するかもしれない」と言わしめるほどの優れた科学者。「人間が多すぎるから、科学を悪用する者も多く出てくる。自分の目の届く範囲に、雀の涙ほどの人間がいれば良い」と考えるようになったことが、秘密結社スズメノナミダを組織した理由であることが示唆されている。最期は自らを改造ロボットに換え、アクション仮面とイーグルヘッドの二人と戦うが連携攻撃の前に敗北した。 ==== その他の敵 ==== :: アクション仮面が過去に倒してきたブラックメケメケ団や秘密結社スズメノナミダほど、正式な組織名はない(もしくは不明)の敵が頻繁に登場する。 ;; フラワー男爵 :: 声 - [[優希比呂|結城比呂]] :: 黒いマントやタキシードを身に包んだ青年。アクション仮面の宿敵。イケメン俳優が起用されていて、みさえとひまわりはファンであった。最期はアクション仮面に倒され爆死した。その後、彼によく似た'''グルメ子爵'''・'''ブランド伯爵'''・'''ジュエル侯爵'''・'''マリッジ公爵'''という四天王がアクション仮面の前に現れるが、以降はアクション仮面と戦うことはなかった(ただしこれはシリーズ化されていたことがみさえの発言から示唆されている)。 ;;ダークシャドー :: 声 - 一龍斎貞友 :: マサオくんに瓜二つの悪役。シルクハットに漆黒のマントという格好で、蝶型のマスクをつけている。見た目どおり不可思議な力を扱う男で、ミミ子を球体の中に封じたり(別の場所から彼女の姿を投影しているようにも見えた)、短距離のテレポート、浮遊などを用いる。 :: 勝つためには手段を選ばない悪党で、ミミ子を人質にしてアクション仮面と対峙。「勝つことが重要なのだ」と語っていた。しんのすけによれば「新しい敵か」とのこと。部下を不思議なリングの力で復活させそのまま撤退する。 :: その後、ミミ子を助け出し再び対決。分身したダークシャドーは本体を見破られ、攻撃によってマントを引き裂かれてしまう。実はダークシャドーの正体は少年並みの等身で、竹馬を使って大人の体格に見せかけていた。再び逃げようとするが、浮遊も岩山に潜んでいた部下が釣り糸を使って引っ張り上げていただけに過ぎず、釣り糸を切られて墜落。身を起こした所をアクション仮面の「アクションデコピン」によってトドメをさされ、爆死した。 :: 自分を変えるためにダークシャドーになりきっていたマサオくんは、このことでショックを受け、防衛隊の面々からも「ダークシャドーカッコ悪い」と呆れられてしまった。 :;怪人マックロウ :: 声 - [[乃村健次]](第967話Bパート、第1200話Aパート)(2018年6月15日、2023年9月23日) :: アクションミラクルドッグに付いているミサイルによって倒された。モデルはカラス。 :;怪人ショーロン ポーク :: 声 - 不明(第1051話Bパート)(2020年10月3日) :: 爆裂小籠包をアクション仮面の口に入れた怪人で爆裂マシンガン小籠包という攻撃もある。アクション仮面のアツアツのアクションビームによってチャーシューになり、消えていった。 :;ラクガキ伯爵 :: 声 - [[間宮康弘]](第1163話Cパート)(2023年1月7日) ::お仲間総選挙で初登場なため0票なことをいじられていた。アクションビームによって須毛駒志郎と一緒にビームを浴び逃げていった。 :;怪人ヨナカーン :: 声 - [[木村雅史]](第1170話Bパート)(2023年2月25日) ::深夜に起きている人たちを朝起きたらどん底に落とさせる怪人でアクション早寝早起きビームによって倒された。 ;;マックラー :: 声 - [[松本健太]](第1178話Bパート)(2023年4月22日) :: しんのすけのオモチャとして登場したが、そのあとにしんのすけの夢の中に登場し、ひまわりとしんのすけのアクションダブルパンチによって倒された。 === 超電導カンタム・ロボ === ; カンタム・ロボ : 声 - [[大滝進矢]] : [[テレビアニメ]]「超電導カンタム・ロボ」に登場する巨大ロボット。必殺技はカンタムパンチ(ロケットパンチ)や指先から発射するカンタムビーム、分離した下半身で体当たりするカンタムゴットウィンド、背後のブースター付きウィングを投げるブーメラン等。基地は大仏内のカンタムロボ・シークレットベース。しんのすけがアニメで1番尊敬するロボット。しんのすけは「アクション仮面は特撮、カンタム・ロボはアニメ」と判断している為にどちらが1番好きか比べる事が出来ない<ref name="Kantam"/>。 : 最初はジョンがロボの頭の上に乗って指示を出していたが、第8話「立て!カンタムロボ」において、人間サイズのカンタムが操作していたことが発覚。カンタム本人の口からヒューマロボノイドは全員自分と同じ姿の巨大ロボの中で暮らしていることが語られ、以降はジョンも共に操縦している。カンタムは元々はミッドナイトの一員だったが、組織のやり方に疑問を持ったことから離反し、人類側に付いた。なお、カンタム本体には巨大カンタムの翼は備わっていない。 : アニメでは変型するシーンが存在しており、上半身と下半身に分離し上下が入れ替わる形で合体した赤色の「超カンタム・ロボ」(武器はカンタムハリセン、必殺技は必殺ハリセンアタック)、超カンタム・ロボの状態時に内部でジョンとカンタムがバーベルを持ち上げる事で超超化し、目に瞳が現れる超高速戦闘形態「超超カンタム・ロボ」になる(必殺技はカンタム超電導アンマ)。その強さはカイザム等ミッドナイト五人衆を一瞬で破壊するほどの威力であるが、その時に発生した膨大な熱を発熱するために全身のハッチが展開する為、長時間の戦闘が出来ない。 : アニメの番外編では等身大サイズながらも巨大カンタムの姿をした状態で登場し、しんのすけのお気に入りのヒーロー繋がりでアクション仮面との共演が多くしんのすけの味方に付く場合が多い。しかし、アクション仮面と小競り合いをする場面も描かれたことがあり、『おもちゃウォーズ』ではおもちゃとしてアクション仮面と共に登場し、オバーンの洗脳でしんのすけの敵になる(一度は完全に洗脳されていないアクション仮面から復讐をやめるよう説得されるも、スパイとして潜り込んだアクション仮面GOLDに夢中になるしんのすけの心無い一言で幻滅し、逆にアクション仮面を味方になるように言い寄る)。 :; 究極カンタム・ロボ :: カンタム・ロボとシーラ・ロボが究極極限正常合体した姿。ギルギロスとほぼ同サイズの巨躯と白色のボディカラーが特徴。ジョン少年にカンタム・Jrを託し、必殺技の「究極極限限界名物カンタムカニばさみ」でギルギロスと共に消滅した。 ; 山田 ジョン(やまだ ジョン) : 声 - [[松尾佳子]]、青年時代:[[山口勝平]](映画・雲黒斎の野望)→檜山修之(映画・ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん) : カンタム・ロボのパイロット。明るく正義感の強い少年。東京都[[東村山市]]出身。未来からやってきたカンタム・ロボと友達になり共に戦っている。初めのうちは「KR」と刻まれたバッヂでカンタムを呼んで頭の上に乗っていた。映画『[[クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望|雲黒斎の野望]]』と『[[クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん|ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん]]』では最終話の後の話に当たる劇中の映画でジョン青年として登場した。 ; ギルギロス大統領 : 声 - 青野武 : ロボット族の未来のために、過去の地球の侵略を目論む「秘密結社ミッドナイト」の最高指導者。その正体は実体を持たないエネルギー体であり、漆黒のローブを身に包んでいる。ギルギロスを称える掛け声は「ハイホー」。 : 最終話にて、超超カンタム・ロボに敗れたミッドナイト五人衆の残骸を合体させてカンタム・ロボの上を行く巨躯の超巨大ロボ「ウルトラトラトラカイザム」を生成、自らカンタムに最終決戦を挑んだ。超超カンタム・ロボを追い詰め戦局を有利に進めるも、究極カンタム・ロボの捨て身の攻撃によって次元の穴とともに完全消滅した。必殺技はギルギロスデスショック、ギルギロスデスサンダー、必殺ギルギロスギロチン。さらにギロチンにはミサイルが内蔵されている。 ; カイザム・ロボ : 声 - [[石井康嗣]] : カンタムの実兄で、秘密結社ミッドナイトが誇る強力ロボット軍団「ミッドナイト五人衆」の一人。全ての能力においてカンタムを上回っている。「人類は自然環境を破壊する」とカンタムを諭すも話は決裂。武装はカイザムミサイルやカイザムパンチ。カンタムと違って分離せずに「超カイザム」に変形できる。「超」の武器はカンタム同様カイザムハリセン。 : なお、ミッドナイト五人衆は全てカンタムの従兄弟兄弟や家族であり、残り4人は叔父のオータム(声 - [[郷里大輔]])、いとこのザンザム、叔母のキンタム(声 - 京田尚子)、祖父のジジザム。カイザム同様に「超」にハイパー化変形できる。最終話におけるカンタムの強さは五人衆ひとりひとりと互角で互いにハイパー化したが、即座に超超化したカンタムの超高速の必殺技の猛攻に敗れ去った。 ; シーラ・ロボ : 声 - [[萩森侚子]] : カンタム・ロボの婚約者。最終話でロボ社会を裏切り、カンタムを追って未来からやってきた。山田ジョン曰くカンタム・ロボとはやることはやっていて、一子を儲けている。 ; カンタム・Jr(カンタム・ジュニア) : 声 - [[戸谷公次]](映画・雲黒斎の野望)→大滝進矢(映画・ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん) : カンタム・ロボの遺児で、カンタム・ロボとシーラ・ロボの間に生まれた。映画『雲黒斎の野望』と『ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』では成長した姿で登場し、青年になったジョンと共にカンタム・ロボに搭乗して戦った。その際父とは違い山田ジョンの事を「ジョンさん」と呼んでいた。 === ふしぎ魔女っ子マリーちゃん === 少女向けの[[魔法少女]]作品。基本的にはアニメではなく特撮であり、劇中で撮影されているという設定(春日部でのロケが描かれるエピソードもあった。ただしアニメ版も存在)。男性のファンも少なからず存在し、風間は隠れファンで、しんのすけ・マサオはファンを公言している。アニメ版では[[2000年]]頃から姿を消してしまい、[[2003年]]から現在に至るまで下記の魔法少女もえPが代わりを担っている。一方、原作では話題のみであるが『新クレヨンしんちゃん』になって以降も時折登場している。アニメ「オオクワガタを捕るゾ1」(2005年8月19日放送)では風間の部屋に飾られているフィギュアとして再登場、「ネネちゃんのモウソウだゾ」(2008年3月14日放送)ではネネが妄想する風間の背景にグッズが登場、「レンタルショップのソムリエだゾ」(2014年4月25日放送)ではレンタルショップの準新作の棚にDVDが並んでいる。また、2003年公開の映画「嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード」の中では、風間の自転車のキーホルダーとして登場している。 ; 師走 マリー(しわす マリー) : 声 - [[國府田マリ子]](実写版)、[[田村ゆかり]](アニメ版)(294話Bパート)(1998年10月30日) : 主人公である[[魔法少女]]。魔法高校を落第され、それを阻止するために人間界の高校に転校してきた。魔法界の掟により魔法少女であることは隠しているが、シーラの策略により毎回クラスメイトらに正体を知られてしまい、そのたび皆の記憶を消し去り、同じ高校に転校しなおしてくる。アニメ版ではピンク色の髪の少女で、変身後は大人の女性になるなど特撮版とは設定が異なる模様<ref>「風間君の好きなアニメキャラだゾ」(1998年10月30日放送)</ref>。 ; セイン : 声 - [[大谷育江]] : 師走マリーの弟で、いつもマリーのそばにいる。呪いをかけられ、姿をラッコにさせられている。 ; 神無月 シーラ : 声 - [[川村万梨阿]] : 師走マリーのライバルである魔法少女。いつもマリーが正体を現すよう仕向ける。普段は正体を隠しマリーのクラスメイトとして同じ高校に通っている。セクシーな風貌のため、しんのすけとひろしは「シーラおねいさん」と呼び夢中になっていた。 ; ナオキ : 声 - [[鈴村健一]] : マリーの転校してきた高校のクラスメイト。クラスの中心的存在で、マリーが魔法少女であることがわかっても、素直に受け止めていたが、魔法界の掟に反するためすぐにマリーの魔法で忘れさせられてしまう。 ; 山岡先生 : 声 - 井上和彦 : マリーのクラスの担任。 === ま・ほー少女もえP === アニメオリジナルの劇中劇。いわゆる萌えアニメで、[[魔法少女アニメ]]にもかかわらず、一度も魔法が使われることなく終了する放送回が数回あり<ref group="注">2003年6月7日放送「殴られウサギの逆襲だゾ」では葉月ちゃんの家にもえPが泊まり、一緒に餃子作りをして完成した餃子を食べ、何の問題も無く二人一緒に寝るだけであった。これを観たネネちゃんが怒りのあまりエンディングに流れるスタッフのテロップに文句を言いながら(この時、食べていたリンゴを粉々に砕いた)離れた場所でウサギを殴り付けた。2006年8月11日放送「エアコンがこわれたゾ」ではネネちゃんが見た回と全く同じ展開(作った料理が餃子から鍋に変わっただけ)の内容に、放送を観ていたしんのすけが呆れている</ref>、ネネちゃんからは「[[オタク|ヲタ]]向け」と酷評されている。特撮版もある。アニメ版では[[2003年]]から登場。風間トオルや鳩ヶ谷ヨシりんが溺愛し、桜田ネネは好意を持っている描写も、嫌悪している描写もありあやふや。しんのすけも観ていることがあるが風間ほどの熱意はなく、特別好んでいるわけではない。靴や下着などのキャラクターグッズやお菓子付きフィギュアやトレーディングカード、カツラやコスチュームでもえPにメイクアップするセットなどが発売されており、風間トオルはもえPグッズ全てを所有する。また、映画も作中で登場しており、タイトルは、「練馬区一のギョーザを作るわ!」で、その宣伝カーも走っていた<ref name="名前なし_3-20231105133359">2022年7月9日放送「もえPのイベントだゾ」</ref>。その後作中で映画の内容が公開された<ref>内容は、ギョーザを作る予定が具を魔法で大きくしすぎてしまい(魔法が暴走した模様)、その後空に浮かび、魔法でなんとかしようとするがみんながみており、魔法を使うのを躊躇し、練馬区が真っ暗になりそうになるが、パパの応援でみんなが応援するようになり、もえPが魔法でギョーザの皮を大きくし、その中に具を入れて大気圏焼きをしそこから小さく切りみんなでギョーザを食べる映画で最後に「練馬区一美味しくできたね」といって終わった。(2023年9月2日放送「もえPの応援上映に行くゾ」)</ref><ref>2023年9月2日放送「もえPの応援上映に行くゾ」</ref>。なお映画館では、濃いファンが多い模様。また、もえPの歌を作詞したのはムトウユージさんである<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/yuji_ultimate/status/1697877092845904266 |url=https://twitter.com/yuji_ultimate/status/1697877092845904266 |website=Twitter |access-date=2023-09-2 |language=ja}}</ref>。 ; もえP(もえぴー) : 声 - [[野川さくら]] : [[少女向けアニメ]]「ま・ほー少女もえP」の主人公である魔法少女。初期は実家暮らしだったが、中盤から[[練馬区]]の葉月ちゃんの家にホームステイしている。アニメの主題歌では「ネリマクマヤコン星から練馬区へ、ホームステイでやって来た、プリンセス目指して」という歌詞があり、ネリマクマヤコン星からやって来たことを歌っている<ref name="名前なし_3-20231105133359"/>。 ; 葉月(はづき) : 声 - [[倖月美和]] : もえPの親友の少女。「はづはづ」という独特の一人称を使う。また、イクコママにハジュハジュと呼ばれている。 ; イクコママ : 声 - [[はやみけい]](第1197話Bパート)(2023年9月2日) : 葉月のママ。しんちゃんの推しでもある<ref name="名前なし_3-20231105133359"/>。 ==== ネリマクマヤコン星 ==== ; モエピーノパパ大王 : 声 - [[古谷徹]](第1197話Bパート)(2023年9月2日) : もえPのパパ。2022年7月9日放送「もえPのイベントだゾ」で初登場したがその頃は名前も不明で、ハリボテで登場している。 ; モエピーノママ王妃 : 声 - [[金月真美]](第1197話Bパート)(2023年9月2日) : もえPのママ。2022年7月9日放送「もえPのイベントだゾ」で初登場したがその頃は名前も不明で、ハリボテで登場している。 ====その他==== ; トオル : 声 - [[古谷徹]](第1197話Bパート)(2023年9月2日) : モエピーノパパ大王の声優で映画館では風間トオルの隣に座っており、「練馬区いや春日部一素晴らしい応援だったよ」と風間トオルに声をかけていた。 === アニメ関係者 === ; 角し なり夫(かくし なりお) : 新クレヨンしんちゃん7巻に登場。 : フリーアニメ製作プロデューサー。しんのすけのせいでかすかべ書店ブラックリストレベル4となってしまった。かすかべ書店でしんのすけが書いたぶりぶりざえもんを見つけアニメ化しようするが(しんのすけにも承諾を得て)、その日の夜にしんのすけが夢でぶりぶりざえもんの声のことでぶりぶりざえもんと喧嘩してしまったため、後日しんのすけが「やだ」といい立ち去っていった。(それを角しが追いかけていった。その後アニメ化されたかは不明) == エンピツしんちゃん == 「エンピツしんちゃん」は「もしもしんのすけが小学校に進学したら?」という設定の物語。原作では第29巻に初めて掲載。アニメでは2001年4月20日に初めて放送。この物語中では風間くんだけ私立小学校に進学。しんのすけ、ネネ、マサオ、ボーちゃんは公立のアクション小学校に進学している。なお、しんのすけ、マサオ、ボーちゃんは1年1組、ネネは1年3組に在籍<ref>ただし、ネネは原作では「マカロニえんぴつしんちゃん」で初登場したが、本編では歌唱シーンのみ、かつアニメ版には未登場。</ref>。一部のエピソードは幼稚園の話として放送されたこともある。 なお、『クレヨンしんちゃん』内で見受けることのできる「エンピツしんちゃん」(1994年1月31日放送)とは無関係で、こちらの「エンピツしんちゃん」は「クレヨンしんちゃん」自身の[[パロディ]]アニメである。 ; 鳩ヶ谷(はとがや)/ 持田(もちだ) : 声 - [[川上とも子]]→[[西村ちなみ]] : アクション小学校6年1組の女子。鳩ヶ谷は原作での名で、持田はアニメ版での名前。 : 地区別集団登校B町13地区班長。10年連続で1人も遅刻者を出していなかったがしんのすけが加わったことで10日連続(2021年4月に掲載された話では記録更新で30日連続)遅刻になってしまう。アニメ版「マカロニえんぴつしんちゃん」(2021年4月24日Cパート)では未登場。 ; 久喜(くき) : 声 - [[若菜よう子|若菜ようこ]] : しんのすけのクラスメイトで最初はしんのすけの左隣の席にいた。友人でもあるちほちゃんとは対照に勝ち気で気が強い性格。 : 鯛造がちほちゃんを好きであることを見抜いており、鯛造に「ブス」と言われた時は強烈な怒りを露にして鯛造を殴り飛ばした。また、クラスで捕まえたカエルが解剖されそうになった時、カエルがかわいそうと言って、クラスメイトと一緒にカエルたちを一斉に逃がしている。アニメ版「マカロニえんぴつしんちゃん」では未登場。 ; ちほ : しんのすけのクラスメイトで隣の席の女子。原作第35巻で初登場。アニメ未登場。 : 友人でもある久喜とは対照に内気で大人しい性格。同じクラスの鯛造にいじめられていたところをしんのすけに助けてもらったことがあり、それ以来しんのすけに恋心を寄せている。 ; 意地目 鯛造(いじめ たいぞう) : しんのすけのクラスメイト。原作第35巻で初登場。アニメ未登場。 : いじめっ子で口も態度も悪い。実はちほちゃんのことが好きで彼女から好かれるしんのすけに嫉妬することが多い。 ; 意地目 鯛太郎(いじめ たいだろう) : 鯛造の兄で5年生。アニメ未登場。 : 肥満体で大柄な体格。弟共にいじめっ子だが弟がいじめられたと聞いた時には「イジメは最低だ」と激怒する等、[[二重規範|ダブルスタンダード]]を見せる。さらに理不尽な一面もあり、弟を普通にいじめたり、弟から「こいつ」呼ばわりされた際は弟に対して「『こいつ』って言うな!」と怒りながらも「こいつ」呼ばわりして殴り返していた。同級生の2人のいじめ仲間がいる。 : しんのすけに因縁をつけて決闘しようとしたがしんのすけが鯛太郎から逃げている際に鉄棒を逆上がりしてとんぼを捕まえようとした姿を見て、逆上がりが得意な事を知り、体育のテストが逆上がりだったためにしんのすけに鉄棒の逆上がりを教えてもらった結果、体育のテストに合格。以降、しんのすけを「師匠」と呼び、すっかり平身低頭な態度になる。この姿に鯛太郎のいじめ仲間はしんのすけに対して戦慄し、弟の鯛造はすっかり腰の低くなった兄に呆れて泣き出し、兄からしんのすけのランドセルを持たされた。 ; 姫宮(ひめみや) : 声 - [[鷹森淑乃]] : しんのすけのクラスでもある1年1組の担任。原作第33巻で初登場。 : 31歳の独身。眼鏡をかけている。日々クラス内で問題行動を起こしているしんのすけに手を焼いている。 : 窓のサンに少しの埃がついているのを見て注意をしたり、勉強の覚えが悪いしんのすけを居残りさせる等、教育方針は厳格な一方で体育の授業の際に南桜井の姿に見とれて、自分の跳び箱の模範演技を見ていなかった上に南桜井を「学校一(の美人教師)」と褒めたしんのすけに対し、当てつけるかのように代わりに模範演技をさせたり、授業中に苦手な蛇が現れたために生徒の前でパニックを起こす等、やや大人げなく、教師としての自覚の足りなさも時折見受けられる。 : '''飽彦'''(あきひこ)という彼氏がいたが大便小僧の銅像前で別れを告げられた。現在も男とは無縁である。 ; 南桜井(みなみさくらい) : 声 - 川上とも子 : 1年2組の担任。自分を一番の美人と自負しており、姫宮が敵対心を抱いている。先生に釣られて、しんのすけが1年2組の教室に入ろうとしたことがある。アニメ版「マカロニえんぴつしんちゃん」では未登場。 == よしいうすととその関係者 == ; よしい うすと : 声 - [[土師孝也]] : 野原家の近所に住んでいる漫画家。37歳。作品は当初は「少年忍者[[クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望#登場人物|吹雪丸]]」だけだったが、原作45巻からは「バクハツ主婦みさぴょん」が登場している。趣味はウンコ観察。 : すぐ冷静さを失う大人げない性格であるため、妻のたえ子とうすとの編集者たちから見下される・周囲に性格が悪い事の嫌みを言われるなどしており、ファンのマサオにすら「人間性は最低」と評されるなど、人望は全く皆無である。いつも妻に原稿に勝手に手を加えられた挙げ句に、机の上の物を台無しにされ、その後はしんのすけと編集者たちに執筆を邪魔され、そして最後は大ケガや警察に[[誤認逮捕]]されるなどのハプニングが原因で、原稿を落として漫画の連載が休止となったりする<ref group="注">なお、アニメでは2度目は「また休止」、3度目は「またまた休止」、4度目は「またまたまた休止」、5度目は「またまたまたまた休止」になったりしていた。</ref>など散々な目に遭うのが定番のパターンである。 : トイレの時間が長く、排便後いつも便を観察しその度に「このまま流すには惜しい作品だ」などと流すのを惜しんでいる。また、単行本の発売日にはかすかべ書店へ偵察へ出ている。カラオケが得意。ネタに困るとすぐに主人公を絶体絶命にして次回へと続かせてしまうことが多く後に困ることが多い。血が苦手でカッターナイフを使うトンボ貼りはほとんど自分ではやっておらず編集者からもやらないと約束されている。 : アニメでは「有名マンガ家のサイナンだゾ」(1999年8月27日放送)以降でしばらく登場しなかったが、「オーラッ!スペイン旅行だゾ」(2004年5月29日放送)<ref group="注">この話は原作では19巻(1997年発売)が初出で、他の原作エピソードど比較して、アニメ化までのスパンが長かった。また、原作での同話での行き先は[[大韓民国|韓国]]だったり、しんのすけ以外の野原一家は登場せず、代わりにマサオが同伴するなど相違点が多い。</ref>で再登場。しんのすけに執筆を邪魔された挙句、最後は現地の警察に[[誤認逮捕]]された上に、原稿を落としたと同時に漫画の連載が休止になるオチは相変わらず。 : 番外編の「野原刑事の事件簿」では2度登場した事があり、1度目は殺人事件の被害者として登場。2度目は妻を刺して重傷を負わせた犯人と誤解されて[[日本の警察|警察]]に[[事情聴取]]を受けるが、しんのすけがドアを開けっぱなしにして逃げる経緯で脱走。最終的に自力で犯人の下へ辿り着き、説得して[[自首]]させた。命を狙われた理由は、吹雪丸の最終回が近いという噂を信じた熱狂的ファンの一人が「最終回を見たくない」という屈折した思いを抱き、よしいが死ねば最終回はなくなると思いよしいを殺そう家に行ったが、間違えて妻を刺してしまったというもの。最後にうすとは「吹雪丸はまだまだ終わらんよ」と告げている<ref group="注">しかしこの時は締め切り間際で、犯人の下へ向かおうとした際、後述の「原稿取りの鬼」の異名で恐れられる編集者の林と新人編集者の増尾から、[[鎖鎌]]を片手に追われる羽目になり、事件解決後も編集者から逃亡していた。</ref>。 : ジュン子とは中学時代の後輩に当たる。 : 『新クレヨンしんちゃん』では通行人役として何度か登場している。以前のようにしんのすけたちとの絡みはなく、主にしんのすけの奇行に対してツッコミを入れる役回り。 ; よしい たえ子(よしい たえこ) : 声 - [[勝生真沙子]] : うすとの妻。夫のアシスタントをしているが、かなりいい加減な性格で、自分で好き勝手に絵柄を変えてしまう<ref group="注">闇の軍団が水玉の服を着ている、戦国時代の姫の家がバルコニーやソーラシステムがついた現代的な家になっている、お城が時代劇には不釣り合いな西洋風の城(うすと曰く「[[シンデレラ城]]みたいな城」)になっている等。</ref>ため、いつも口汚く罵られている。うすとに怒られると性格が豹変し、うすとの作業机を激しく揺らしたり作業机に乗って[[ホパーク|コサックダンス]]をしたり回転したりして大暴れ<ref group="注">例で挙げると、「ブルドーザーの真似」と称して机の上の物を台無しにする、「人間ジョッキ」と称して机をひっくり返す、「[[ガメラ]]の物真似」と称して作業机の上で回転する等。</ref>し、机の上の物を台無しにした後<ref group="注">このため、うすとは原稿が間に合わず、最後は漫画の連載が休止になる原因となる。</ref>、外出をするだけで出番は終わるというパターンである。旅行の時も自分の荷物をうすとに持たせている。趣味はカタログショッピング。 : 原作では23巻まで、アニメでは「有名マンガ家のサイナンだゾ」(1999年8月27日放送)までに登場。アニメと原作では容姿と性格が違い、アニメはセミロングで笑顔の似合う女性、原作では長髪でやる気のない表情をした女性。 : うすと曰く「結婚した途端性格が変わった」とのこと。 : 番外編の「野原刑事の事件簿」では、うすとの命を狙ったファンに勘違いでナイフで刺されてしまうという不幸に見舞われた上、夫が犯人として疑われ警察に逮捕されてしまったが、一命は取り留めた。 ; 戸津加 源久(とつか もとひさ) : 声 - [[沼田祐介]] : うすとの担当編集者。双葉出版に勤務。菱形口が特徴。35歳。顔は怖いが根は善良でしんのすけに「人相の悪い優しいおじさん」と言われたが、本人は気にしなかった。うすとに対しては染谷ほど露骨に見下す事はないが、ぞんざいな態度を取っている。学生時代ラグビーをやっており、時々何かにタックルしないと落ち着かないらしい。酒を時々飲んでおり、妻に怒られている。勘が鋭い。 : 実在する人物で、現在[[双葉社]]の社長を務めている。 ; 戸津加 源基(とつか げんき) : 声 - [[原えりこ]] : 源久の息子。1996年誕生。託児所に預けられたとき、居合わせたひまわりに一目惚れした。目や鼻が父と瓜二つで父と同じ菱形口が特徴。 : ひまわりの幼稚園児時代を描く外伝では、ひまわりと同じアクション幼稚園に通っており、相変わらずひまわりには惚れているものの、当のひまわりには舎弟同然に扱われており、こき使われたり、汚れ役にされたりと、ひどい目に遭わされる事が多い。 :『新』では8巻に登場。しんのすけたちの未来を描いた物語に登場しており、「超大物漫画家・戸津加」としてマサオのアイデアを盗んで大成功し、マサオを見下すなど嫌みな性格になっていた。マサオは未来の技術で過去へ行くことで歴史改変を試みる。すると破滅の人生を歩んだ「更に未来の戸津加」が現れ言い争いとなる。最終的にはしんのすけの「二人で協力すれば」という案を飲み、互いに納得して引き下がった。 ; 染谷(そめたに) : 声 - [[岡野浩介]] : 双葉出版に勤務するうすとの担当編集者の一人。果物好き。うすとを「スケベヒゲオヤジ」と内心見下しており、電話口での態度にやる気がなかったり、うすとのオヤジギャグを聞いてかなりイラついていた。しかししんのすけとは気が合う方であり、彼がうすとに電話を掛けた際、うすとから電話に出るように頼まれたしんのすけが「うさぎとかめ」の歌を歌いながら、染谷の電話に出た際に染谷は間違い電話と誤解せず、しんのすけ共々その歌を歌った。アニメでは、トーン貼りに失敗した事で怪我をして失神したうすとを心配するなど、原作よりはうすとに対する気遣いを見せる一面もある。 ; 林(はやし) : 番外編の「野原刑事の事件簿」で登場した編集者。一見すると常に笑みを絶やさない温厚な人物に見えるが、その実態は「原稿取りの鬼」の異名を持つ恐ろしい人物であり、[[鎖鎌]]を片手に新人編集者の増尾と共にうすとから原稿を手に入れるべく追いかけ回していた。 : このストーリーでは、うすとは殺人未遂の容疑をかけられており、うすとの容疑が晴れたその後も鎖鎌を振り回してうすとを追いかけていた。 ; 竹内ひさぴょん(たけうち ひさぴょん) : 原作45巻に登場したフタバ出版の女性編集者。アニメ未登場。酒好きで本人曰く「酒を飲んでいるときが幸せ」。 == 剣道関係者 == ; 武蔵野 剣太(むさしの けんた) : 声 - [[野島健児 (声優)|野島健児]](第466話Cパート~) : 剣道教室の館長。剣道教室の名称は「自分流剣道場」。原作34巻・アニメ「オラは剣の達人だゾ」(2003年4月26日放送)で初登場。髭が濃くて髪が長いがアニメでの髭部分は無精髭の剃り跡のように描かれているという違いがある。普段は真面目でクールに振る舞っているが、根は相当な負けず嫌いで子供っぽい性格。また酒癖が悪く、酔っ払うと猫のモノマネをしだす癖がある。本人曰く「剣の道に女は不要」との事で、剣道歴と彼女いない歴が同じ。物心がついた時から竹刀を握っていた。公園で修行中しんのすけと出会い、才能を見込まれ無料で剣道を教えることになった。昔は「必殺ワザをつくる」と言っては変な特訓をしており、父と剣道に対する考え方の違いからしょっちゅう喧嘩していて、学校を卒業するや家を出て自分の剣の道を追求していった。現在は「剣道は基本が重要」という父の教えを受け入れており、弟子のしんのすけにも基本の重要性を教えた。チンピラ3人を容易く撃退するほどの実力がある。それ以外にも剣道と関係ない得意技を見せたり、「面を打つ時は『味噌ラーメン』ではなく『カントンメン』にしなさい」と発言するなど必殺技作り自体は諦めていない様子が分かり、その後しんのすけも自分なりの剣道技の変わった名称を受け継いだ。また、非道との初対面時に「[[イチジク浣腸|イチジク(館長)]]さんでしたっけ?」と尋ねるなど、しんのすけ同様にマイペースな一面もある。 : 原作36巻・アニメ「対決!剣道大会ヘンなわざ大集合」(2004年1月31日放送)で、しんのすけの行動を見て、もう一度初心に帰り今の己を超えるため、道場を父に預け己を磨く旅に出た。最後に弟子のしんのすけと剣道の勝負をして彼に勝利し、お互いにお礼を言い涙を流して別れた。しかし、彼の足元に犬の糞があることをしんのすけが忠告した直後に踏んでしまい、格好が付かない別れとなってしまった。その後、しんのすけの竹刀がかすった胴着に鋭い切れ目が入っていたことに驚き、しんのすけが剣の道に進まないことを惜しみながら町を去った。その後、「花見で迷子だゾ」(2012年3月30日放送)、「あっちこっちであつくるしいゾ」(2023年12月23日放送)で背景のモブキャラでは声無しで再登場した。 : アニメではふかづめ竜子に惚れられている。 ; 非道 外道(ひどう そとみち) : 声 - [[宝亀克寿]] : 剣道教室「極端流剣道場」の館長。原作34巻に初登場。名前通りの最低な性格の持ち主で、門下生に「負けるくらいなら反則をしてでも相手を痛めつけろ」と教え、勝つためなら手段を選ばず、自分の意向に従わない門下生には容赦なく制裁する。普段は威張っているが、実は相当の泣き虫で、剣道の実力に至っても剣太の足元に及ばない。しんのすけと自分の門下生のイザコザがきっかけで剣道大会で勝負をすることになる。準々決勝で自分の命令に従わず、しんのすけに敗れた名無に制裁を下そうとするが、剣太に諌められ逆上。剣太に八つ当たりしようとしたが軽くいなされてしまい、最後は「怒りのカントンめーん」で成敗され、大泣きしながら逃げていった。 : その後、彼と「極端剣道場」がどうなったかは明かされていないが、名無達は非道に見切りをつけ、代々木と共に「自分流剣道場」に移籍している。 ; 代々木 コージロー(よよぎ コージロー) : 声 - [[佐藤ゆうこ (声優)|佐藤ゆうこ]] : 「極端剣道場」の門下生。原作34巻に初登場。しんのすけと出会い、「刃くずし」でしんのすけに勝つが、竹刀を無くしてもなおも抗おうとするしんのすけの行動を見て、彼がただ者ではないことを見抜いていた。閉館したプールを貸し切り、「必刀・風車」を編み出す。剣道大会の準決勝でしんのすけと戦い、「必刀・風車」でしんのすけを追い詰めるが、しんのすけが編み出した「秘境・落下傘」により敗北した。その後「自分流剣道場」に移り、剣太の下で剣術を磨いている。アニメではブリーフパンツを前後ろ逆向きに穿くのが癖となっている。名無ら他の門下生からは「代々木さん」と呼ばれ、一目置かれている。 :; 技「刃くずし」 :: 上下左右小きざみに素早く相手の竹刀をたたき、それにより相手の竹刀を持つ手がくずされ弾き飛ばされる。かなりの手首の力がないとできない技。 :; 技「必刀・風車」 :: 竹刀を高速回転させることにより風を生じさせ相手の動きを鈍くする。さらにその回転から生まれる面打ちはスピード・パワー共に普通の面打ちを遥かに超えている。 :: しかも回転している竹刀が壁となり面・小手・胴への攻撃を遮断している完璧な技。 ; 名無(ななし) : 声 - [[竹村拓]] : 「極端剣道場」の門下生。原作34巻に初登場。彼と北大宮、もう一人の取り巻きの3人としんのすけが街中で鉢合わせした際に起きたイザコザが、しんのすけの「極端剣道場」との対立と、剣道大会への出場のきっかけとなる。いじめっ子気質ではあるものの、剣道に対する姿勢は真剣であり、剣道大会の準々決勝でしんのすけと当たる際には、非道から反則してしんのすけをつぶすように命令されたが、命令に逆らって正々堂々としんのすけと戦った。結果は面打ちと小手打ちされて敗退し、非道に制裁されかけたが、剣太に救われる。その後は代々木や北大宮と共に「自分流剣道場」に移る。 : 登場当初は名前が設定されておらず、しんのすけから「名も無き脇役くん」と呼ばれていたが、後にこの設定を逆手にとって名無という名前がつけられた(アニメでは観戦しているひろしとみさえ、ひまわりから名無という名前を呆れられる)。 ; 北大宮(きたおおみや) : 「極端剣道場」の門下生で、名無の取り巻きの一人。原作34巻に初登場。剣道大会の1回戦目でしんのすけと戦い、しんのすけの「カントンめーん」と「ドレミのドー」により敗北した。その後「自分流剣道場」に移る。 ; 大蛭田(だいひるた) : 「牛の首剣道場」の門下生。剣道大会の2回戦目でしんのすけと戦い「秘打・ナイアガラの滝」で一本取るが、しんのすけが即座に編み出した「秘湯・鯉の滝のぼり」で返り討ちにされ一本取られる。半年かけて編み出した必殺技を破られて茫然となってしまった隙に(本人曰く、この為だけに『[[名探偵コナン]]』や『[[ONE PIECE]]』を見るのを我慢したらしい。アニメでは、5度の食事を4度に減らし、テレビやゲームを我慢したと言っている)、小手打ちされて敗北する。 :; 技「秘打・ナイアガラの滝」 :: 絶え間なく打ち下ろされる面打ちは、まるで絶え間なく水が流れる[[ナイアガラの滝]]そのもの。そして滝の水圧に耐えきれず相手の防御に限界が来て面をくらわせる技。 ; 剣太の父(けんたのちち) : 声 - [[秋元羊介]] : 名前は不明。武蔵野家は代々「基本流剣道場」の道場をやっており、息子の剣太にも剣道は基本が重要だと徹底的に基本を教えたが、少年時代の剣太はそれに反発しており、喧嘩が絶えなかった。現在は剣太が「剣道は基本が重要」という自分の教えを受け入れてくれたことを嬉しく思っている。 : 剣太と一時仲違いし、独自で必殺技の修行をしていたしんのすけと出会う。その際、しんのすけから事情を聞いた事で、かつての自身と剣太の関係性と重ね合わせると同時にしんのすけが剣太の弟子であると知る。剣道大会ではしんのすけの試合を見るため変装していたが、しんのすけに派手な袴を貸した時に剣太に見破られた。変装時は、館内が飲食禁止であるにもかかわらずジュースを飲み、菓子を食べながら観戦していた(剣太は最初注意していたが、後に誘惑に負けて一緒に食べながら観戦した)。昔から派手な胴着を着ていた。また、話が長いタイプである。 : 旅に出た剣太の代わりに「自分流剣道場」を預かった。 == SHIN-MEN == [[2010年]][[11月26日]]から[[2012年]][[9月14日]]までアニメ『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』内で不定期に放送されていた『SHIN-MEN』のキャラクター。漫画版は原作と別シリーズで連載。 {{main|SHIN-MEN}} == その他 == ; [[ぶりぶりざえもん]] : 声 - [[塩沢兼人]](SPECIAL 6 - 第357話Bパート)→声なし(SPECIAL 27 - 第720話Bパート)→[[神谷浩史]](第894話Bパート以降) : 侍の姿をした豚。しんのすけが発案したキャラクターである。 : お仲間総選挙では、1位を獲得し出演した。 ; しんこちゃん : 声 - 不明(第651話Bパート~)(2008年12月5日~) : 2008年12月5日放送「謎のしんこちゃんだゾ」から登場。しんのすけと同じくらいの年齢の女児。毛先が巻いた茶髪で、水色の服を着ている。登場時にはソフトクリーム型の黒雲とともに突然現れ、姿を消す時にはソフトクリーム型の雲と共に消える(必ずトイレの水が流れる音がするが、回によってはトイレに入ってそのまま姿を消したことがある)。しんのすけのように言葉を言い間違えることが多く(バケツを「バツケ」など)、しんのすけ・ひまわり同様、(普段は)正面向きの笑顔を見せない。 : 家のローンや隣のおばさんのこと、シロの芸である「わたあめ」、寝室の押入れを開けると雪崩を起こすことを知っていたりと野原家の事情に詳しい。また、ひまわりと同じく宝石などの光りものを好んでいる。 : 最初はしんのすけとはすれ違いに登場していた為、なかなか対面する事が無かったが、2009年4月3日放送「さいごの?しんこちゃんだゾ」にて初めて対面した。その際、自分が「5年後のひまわりの友人」であること、「5年後のひまわりはいつもみさえに怒られてばかりいるので、みさえがひまわりの本当の母親なのかを確かめるためにひまわりの代わりにやってきた」としんのすけに対して語った。これに対し、しんのすけは「5歳児は母ちゃんに叱られる運命、そのうち叱られなくなる」と答える。それを聞いたしんこはトイレの中に消えていった。 : 毛虫に似た奇妙な人形を持っており、初登場の際にこの人形をひまわりの下に置いていく。その後、「さいごの?しんこちゃんだゾ」で姿を消す直前にひまわりに「その人形を持っていればまた私と会える」と告げたが、その直後にひまわりは人形をしんこが入っていったトイレに投げ込んでしまった。しかし、その夜帰宅してきたひろしが「帰りに買ってきた」といってしんこが持っていたのと同じ人形をひまわりに渡している。 : 2009年10月30日放送「しんこちゃんたびたびだゾ」にて再登場し、その後は'''ジュ'''(声 - [[足立友]]→[[内田秀]]<ref>2023年3月4日放送「帰ってきたしんこちゃんだゾ」</ref>)、'''ニア'''(声 - [[瀬那歩美]])というシロに似た二匹の小さい白い犬を連れており、ネネとあいを仲直りさせたり、しんのすけに妹を大切にするよう指導したりしている。「ラベンダー」という喫茶店にいる'''マスター'''(キャストクレジットより)と呼ばれるピアスを付けた男性(声 - [[掛川裕彦]])もしんこと何らかの関わりがあるようだが、彼らの正体もしんこ同様に謎に包まれている。2010年1月15日放送「しんこちゃんまたまた!だゾ」(7回目の登場)を最後に登場していなかったが、2023年3月4日放送「帰ってきたしんこちゃんだゾ」で13年ぶりに再登場し、むさえが写真にとっていたが、しんこちゃんが帰ったあとに写真を見るとしんこちゃんの写真は消えていた。 ; 団 羅座也(だん らざや) : 声 - [[巻島直樹]](第3話Aパート)→[[坂東尚樹]](第8話Cパート)→[[茶風林]](第19話Aパート〜) : アクションニュースステーションの[[ニュースキャスター]]<ref name=senkyo/>。将棋の[[角行]]の駒が描かれた蛍光ピンクの背広を着ている。愛称は「団さん」で、みさえがよく見る、ワイドショーや[[報道特別番組]]にも出演。リポーターも務める。2012年3月「お花見で迷子だゾ」でTVシリーズに再登場した。 : 劇場版第3作『[[クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望]]』の改変された現代に登場した際には「団羅左ヱ門」という名前になっていた。 ; ピカソ 小川(ぴかそ おがわ) : 声 - [[島香裕]](第89話Aパート~第118話Bパート)(1994年3月14日~1994年10月17日) : 原作8巻(アニメ「美術館でゲージツだゾ」)にて初登場。パリから帰宅してきた画家。美術館に飾ってある自分の絵のことを野原家に散々言われついに怒ってしまいかすかべ美術館から自分の飾ってあった絵を持ち去ってしまった。その後、原作9巻(アニメ「オラは天才画家だゾ」)にて再登場したが、しんのすけのペースに乗せられてしまい、「芸術は爆発なのよ~」と言い最終的にしんのすけと一緒に絵を描いていた。 ; 茂木 : 声 - [[飛田展男]](第118話Bパート)(1994年10月17日) : 原作9巻(アニメ「オラは天才画家だゾ」)に登場する。ピカソ小川の弟子でアシスタント。ピカソ小川からは、ちゃんづけで呼ばれている。 ; 須毛駒 志郎(すけこま しろう) : 声 - 森川智之(第206話Bパート~)(1996年11月1日~) : 22歳の大学生。顔は男前だが女好きのたらしで、性格はガサツかつ気障で大人げない。「母性本能をくすぐる眼差し」で多くの女をナンパをしているが、しんのすけのマイペースに振り回されたせいで振られたり、相手がオカマである事をオトしてしまうなどで失敗ばかりしている<ref group="注">このため、女運は皆無で、ほとんど周囲の女とは無縁。ななこもオトそうとしていたが、しんのすけに阻止されて、最後は結果的に振られている。</ref>。「親のすねかじり大学生」で本人もそのことを気にしており、そこを指摘されると激怒する。さらに人望は全く皆無で、振られた女やオカマを始めとする周囲からも言われている模様。しんのすけからもすねかじりであることを見破られてしまっているが、名前そのものが「すねかじり」だと誤解されてしまっている。免許を取っており、外国産のスポーツカーを持っている。 : 初登場では帰り際に車でななことようやく二人きりになれたと思って喜んでいたものの、しんのすけの残していったすかしっ屁を自分のものだと勘違いされ、その際「俺じゃないよ」と言ったことが原因でななこに「じゃあ私がしたっていうの!?」と機嫌を悪くし振られる。アニメでは「俺じゃない、あのクリクリぼうず何食べてんだよ」と言ったことで機嫌を悪くされ振られている。更にその直後、ピクニック場所で不慮の出来事でオトしてしまったオカマのコーちゃんに追い掛け回され、最終的には車の中で襲われる羽目になった。その後、別の女性をオトそうとしていたところ凧揚げをしていたしんのすけに邪魔され、その際にしんのすけに大人げない態度をとったところを相手の女性に見られたことで「あんな子供にムキになるなんて危ない人」と幻滅されてしまう<ref group="注">しんのすけは「振られましたな」と志郎に言った直後、彼から「お前のせいだろ」と返されたが、志郎の邪魔をした事の自覚はない。</ref>。原作では16巻(「おねいさんとピクニックだゾ」〈1996年11月1日放送〉)と17巻(「たこ上げはむずかしいゾ」〈1999年1月8日放送〉)のみの登場だったが、アニメでは「たこ上げはむずかしいゾ」の前のエピソードである「ひまわりを追跡するゾ」(1998年2月6日放送)にも登場を果たしている。そこでも後ろ姿を見てナンパしたがナンパした相手はここでもオカマだった。そのオカマに「ドライブに誘ってくれたんじゃないのと」言われている間にひまわりに気に入られ車に忍び込まれてしまい、そのオカマからは「子連れでナンパするなんて失礼しちゃうわ」と言われ、しんのすけに「誘拐犯」呼ばわりされ、彼を追ってきた高倉園長をヤクザだと思い込んで泣いて命乞いしたり、さらにその現場を警察官に目撃されたことで、園長共々[[職務質問]]される羽目になったりと災難に見舞われた。 : 2022年に実施されたサブキャラクター投票企画「クレヨンしんちゃん おなかま総選挙」で4票獲得し、「ぶりぶりざえもんの冒険 おなかま総選挙編」(2023年1月7日放送)で久々に登場。相変わらず周囲の女とは無縁と同時に女運と人望も皆無で、再びななこをオトそうと「母性本能をくすぐる眼差し」を向けたが、彼女から避けられたと同時にコーちゃんをまたオトしてしまい、彼から追いかけ回される羽目になった。その後も「あっちこっちであつくるしいゾ」でモブキャラとして登場。 ; 竿野 志成(さおの しなり) : 声 - [[戸谷公次]](SPECIAL 48 Cパート)(2004年10月16日)→[[谷昌樹]](第1195話Bパート)(2023年8月19日) : 釣りがうまい青年。釣り堀を荒らしている人と言われているがしんのすけに完敗してしまった。また、しんのすけのことを「師匠」と呼んでいる。新クレヨンしんちゃんで再登場した際には船でしんのすけと勝負した。 ; 下谷かな子 : 声 - [[新千恵子]](SPECIAL 51 Bパート~)(2005年12月16日~) : 「迷子になったゾ」で初登場。はこべ女子大学の生徒。後輩からは、下谷先輩と呼ばれている。クッキング同好会で自分が食べるはずだったビーフストロガノフバターライス添えをしんのすけに食べられ、「また女子大に行ったゾ」では、茶道にも負け、更に萩まんじゅうを食われてしまいしんのすけを追いかけ回した。また、しんのすけは、「迷子になったゾ」以降定期的に遊びに来ていたと思われる<ref>かな子の発言「最近近所の子がうちのキャンパスに遊びに来てるの」(「また女子大に行ったゾ」)より</ref>。 ; 三木 和目男(みき わめお) : 声 - [[田中康郎]] : みさえが入校した自動車学校のベテラン教官。縦長の楕円形の顔で典型的なバーコードハゲ。そのことを気にしている。ふた言目には「おバカですねー」といい、他にも「バカモン」「ジョーシキでしょうが」「バカですねぇ」が口癖で、みさえの怒りを買い暴行を受けたことがある。みさえからは「[[ラッキョウ]]おやじ」「すだれはげ」「バーコード」と揶揄されがち。みさえの最後の実技試験で担当になり、絶望的な状況に陥りながらもなんとか合格。その際、普段は見せない笑顔を見せたことで、しんのすけからは「バーコードが笑った」と言われた。 ; もとひさ : 声 - [[渡辺久美子]]→[[くまいもとこ]] : しんのすけをライバル視している少年。子供ながら映画『[[ロッキー (映画)|ロッキー]]』や[[アラン・ドロン]]に感化されており、登場当初は不良少年グループ「埼玉レッドサン」を結成していた。ネネに一目惚れして「ハニー」と呼び、無理やり遊びにつき合わせた。彼女を助けにきたしんのすけ・マサオの両名と鉄砲で対決したのが初めての勝負となった。 : 母親(声 - 麻見順子)には「今どき珍しいわよアラン・ドロンになりきってる子供なんて」と映画フリークぶりを呆れられている。ネネをめぐってしんのすけ・マサオ・ボーちゃん・風間と対決したことがある。のりやすい性格。1999年の放送を最後にしばらく登場しなかったが、2009年3月「さすらいのハスラーだゾ」で再登場。ネネを賭けてしんのすけに[[ビリヤード]]で勝負を挑む。一方的に有利になるも、しんのすけが打った球が額にぶつかってしまい、倒れまいと踏ん張ったことでビリヤード台が傾き、全部の球を穴に入れてしまった。このため負けとなり、「今度会う時は必ず白黒つけてやるからな」と捨て台詞を残して逃げていった。 : やすおとはまた違った思惑でしんのすけに勝負を挑み続けた。 ; 北与野博士(きたよのはかせ) : 原作のクレしん外伝「北与野博士の大発明」に登場。研究所で奇妙な発明品を開発しているが、その発明がきっかけでいつも野原一家がトラブルに巻き込まれている。原作では頻繁に登場している準レギュラーだが、アニメ未登場<ref group="注">ただし、北与野の発明品による話は形を変えて、アニメ化されている。例:「カスカベタイムパトロール隊 オラ誕生のヒミツだゾ」「風間くんと入れ替わっちゃったゾ」</ref>。 : 原作では手軽にクローンを生み出すことに成功するが一日も生きることができないという欠点があった。不慮の事故からしんのすけのクローンたちが生まれてしまい、悲しみながら消滅するしんのすけたちと、悲しみに暮れるしんのすけを目の当たりにしたことで「もうクローンなんて作るのはやめよう」と心から反省した。 ; 岩田 さなえ(いわた さなえ) : 声 - 岡村明美(第30話Bパート~)(1992年12月7日~) : 春日部警察署の交通係の婦人警官。巡査。独身。掲げる[[モットー]]は「飛び出すな車は急に止まれない」。花園巡査部長(声 - [[巴菁子]])と共にふたば幼稚園へ交通安全教室をしに来た時に初登場。車の格好をして本物の車に見立てて練習してもらおうとするが、しんのすけのマイペースに振り回されて台車に乗り上げてしまい暴走、そのまま幼稚園の外へ出ていってしまった<ref>「婦警さんと一緒だゾ」(1992年12月7日放送)</ref>。ひろしが免許証の更新で春日部警察署を訪れた際にも登場し、しんのすけから公然と「美人だけど愛想悪い」「首の所が赤い」とコキ下ろされていった<ref>「ケーサツへ行くゾ」(1993年8月30日放送)</ref>。 ; 一平(いっぺい) : 交番に勤務する警察官の青年。やや肥満気味だが、アニメでは細身。職務には常に誠実に取り組むが、しんのすけが持ち込むトラブルによく振り回されており、よく「誰か助けて」と嘆く。また、文太園長が野原家を訪れるたびに北本が警察に通報するため、野原家へ出動することもある。かすかべ防衛隊から一方的に「隊長」「刑事長」に任命された事もあり、この時は「子供の遊びに付き合うのも市民とのコミュニケーションだし、刑事長と呼ばれるのも悪くない」と快く引き受けているが、『[[太陽にほえろ!]]』の世界観に見立てて自己陶酔する姿を見た先輩から「何を[[石原裕次郎]]になりきってるんだ」と呆れられる。 ; たけし : 声 - [[片岡富枝]](第16話Bパート〜) : 初期に登場した不良小学生。アニメでは第16話のBパートから初登場。マサオはいじめの対象であり、ポケットに[[カエル|蛙]]の死体を入れたり[[菓子]]を奪い取ったりしている。短気で暴力的だが、しんのすけの石頭に敵わず、常にゲンコツで痛い目を見ている。また、乗せられやすい性格のため、しんのすけにからかわれる。弟をいじめることもあるが、すぐ母親<ref group="注">アニメのクレジットタイトルは「'''タケシのママ'''」名義。</ref>(声 - [[さとうあい]]→[[高乃麗]])に知られるため、母親が苦手。公式サイトによると、小学4年生<ref>{{Cite web | url = http://www.futabasha.com/sinchan/character-03.html| title = とうじょうじんぶつ| publisher = 「クレヨンしんちゃん」公式サイト| accessdate = 2017-12-09}}</ref>。 ; 雷意地悪じじい : 声 - [[渡部猛]] : しんのすけ達の近所に住む中年男性。本名は不明。子供と野球が大嫌いで、極端なまでに短気で大人気ない性格。庭に野球ボールが飛び込んだりなどした際、取りに来た子供に対して怒鳴ったり殴ったり追いかけたりする他、ペットである雌の猛犬「力王丸(りきおうまる)」をけしかけていじめることもある<ref group="注">力王丸にボールを投げた人物は原作では中高生ぐらいの少年だが、アニメでは空き地で野球をやっていたしんのすけ達を隅に追いやった小学生になっている。</ref>。基本、並大抵の悪人には物怖じしないしんのすけさえも恐れる数少ない人物だが、アニメではあまり物怖じしていない。 ; かすかべガーディアンキッズ : 私立クローバー幼稚園<ref group="注">風間はクローバー幼稚園の園長から転入を勧められるも、しんのすけ・ネネ・マサオ・ボーちゃんが園児たちを自分たちのペースに巻き込み、問題を起こしたため、転入の件は白紙に戻される羽目になった(1998年5月1日放送「ライバル幼稚園に行くゾ」)。</ref>に通う春日部の平和を守るために活動している組織で、かすかべ防衛隊のライバル的存在。男子4人と女子1人からなる5人組だが、後に男子2人と女子1人しか登場しなくなった。メンバーは男子の'''木村'''(きむら、声 - [[冬馬由美]])と'''マコト'''(声 - [[田野めぐみ|田野恵]])、女子の'''トモ'''(声 - [[嶋村カオル]])、名前不明の男子2人から成る。トモはしんのすけに惚れており、ネネとはしんのすけを巻き込んだ争いを展開した。 ; ローラーのコーちゃん : 声 - [[菅原正志]](第177話Bパート~)(1996年2月12日~) : ローラースケートの達人であるオカマで、しんのすけのスケートの師匠で、「北浦和のコーちゃん」の異名を持つほどのインラインスケートの名人。「キムタク」という名の強気なダックスフンドを飼っている。 : かつては高校球児だったらしく、シロとキムタクを襲う意地悪な犬に向かって剛速球を投げ、陰湿な飼い主を問い詰めるなど果敢な一面もある。一時はしんのすけだけでなく、ひろしにもオネエ言葉が感染してしまう。 : アニメではコーちゃんが登場するローラースケートの回<ref>「ローラー初すべりだゾ」、「ローラーで対決だゾ」(1996年2月12日放送)</ref>のラストでは、優雅な音楽に合わせてしんのすけと[[フィギュアスケート]]のような華麗なスケートテクニックを披露して締め括る。原作ではオチに少しだけ登場し、しんのすけが「おねいさん」だと思って飛びついた際、アップで顔を見てしまったため気絶する。「おねいさんとピクニックだゾ」(1996年11月1日放送)では須毛駒に惚れ、ローラースケートで須毛駒の車に追いついたり、数時間でかすかべまで到着するほどの体力と持久力を見せた。その後、「花見で迷子だゾ」(2012年3月30日放送)で背景のモブキャラとして再登場。その後も2022年に実施されたサブキャラクター投票企画「クレヨンしんちゃん おなかま総選挙」で107票獲得し、「ぶりぶりざえもんの冒険 おなかま総選挙編」(2023年1月7日放送)で久々の登場を果たす。志郎がななこをオトそうと向けた「母性本能をくすぐる眼差し」に惚れ、追いかけまわした。 ; アンジェラ小梅(アンジェラこうめ) : 声 - [[千葉一伸]] : すだれ頭の中年オカマタレント。俳優の藤原啓治と内密に交際しており、ロケ撮影の際に居合わせたしんのすけにお弁当の手渡しを頼んだことがある。しかし藤原が矢島から「オカマと付き合っている」と笑われたことで否定するためにお弁当を叩きつけてしまい、怒った小梅が飛び出してしまう。直後に「やめろ来るな! 俺のイメージが崩れる!」と言われたことから悲しみのオカマパンチで殴り飛ばした。後に藤原と婚約したことを発表した。婚約発表の際に結婚指輪を貰ったことも発表した(藤原はアンジェラが男だという事実を知らなかった)。1997年10月10日放送の「テレビドラマのロケ隊が来たゾ」では、しんのすけと対面している。 : 『アンジェラ小梅のお宅拝見』というタイトルの冠番組を持っている(2005年3月11日放送の「インタビューに答えるゾ」より)。 : 『[[クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦]]』には、アンジェラ青梅という彼と酷似したオカマが登場しているが、関係性は不明。 ; 連図(れんず) : 声 - [[橘U子]] : 「バラクーダ写真スタジオ」という写真屋でプロとして働いている写真家で、世界中の撮影旅行に行くほか、双葉幼稚園の行事にも写真家として同行するときがある。弟子を探していたところでむさえに会い、むさえを弟子にした<ref group="注">アニメでは弟子は探しておらず、むさえが弟子になりたいと志願していた。</ref>。社用車として[[スズキ・アルトラパン]](初代)を保有している<ref>アニメ「祝!!ナント!青春の旅立ちだゾ」より。</ref>原作では『新』2巻で、TVシリーズでは2017年3月「家族写真を撮ってもらうゾ」で再登場した(その前に2008年9月12日放送「母ちゃんが家出したゾ2」のむさえの部屋で写真として登場はしている。)。 ; 悪のエスパー : 「エスパー兄妹 今世紀最初の決戦!」に登場。元々はリストラされたごく普通の中年男性だったが、宇宙から飛来した暗黒の力を宿したことで豹変。邪悪な心を持ったエスパーとなり、一流企業から双葉商事をはじめとする三流企業まで破壊し見境なく「復讐」していた。最終的にみさえとひろしを傷つけたことでしんのすけとひまわりの怒りを買い、正義のエスパーに目覚めた兄妹の合体攻撃(お尻型のエネルギー波)によって敗北。暗黒の力は浄化され、やる気に満ちた善良な男性となり再起を志すようになった。 : アニメ版では青年という設定に変更され、更に終盤で怪獣に変身するという演出がされた。圧倒的な力と巨体でしんのすけたちを追い詰めるも、兄妹の力を合わせた一撃を股間に受け今度こそ浄化された。原作同様善良な青年となり、ひろしから励まされるというラストになっている。 ; 美憂(みう) :薄い眉とたらこ唇が特徴的なひまわりが託児所で出会った女の子。アニメ未登場。 : ひまわりの幼稚園児時代を描く外伝では、ひまわりと同じアクション幼稚園に通っている。 === オラは見た!カスカベ都市伝説 === ; 相武 ラン子(あいぶ ランこ) : 声 - [[千葉紗子]](第811話Bパート)(2013年8月23日) : 「ゆれるブランコ少女だゾ」で登場した少女。後ろと両側に束ねた髪型で、白いワンピースを着ている。 : 子供がブランコで遊ぶ姿を見るのが好きで、子供をブランコに乗せたがる。しかし異常なまでにブランコに拘っており、マサオがブランコ遊びに消極的になると涙目になったり、しんのすけ達にブランコ遊びをするように凄んだりする。 : ブランコが壊れると消滅する。また、公園の外側や中に入った者には普通の公園にしか見えない、公園に入った者が外に出ようとすると公園に逆戻りになる、公園内からは外の景色が入った時と変わらないように見えるなど、公園自体も不思議な力を発揮している。 : たまたま公園に来たしんのすけ達にブランコ遊びをさせ、帰ろうとしたのしんのすけ達が公園内から出られなくなったのをいいことにブランコ遊びをやるように勧め、更に帰る方法を探る風間、ネネ、ボーちゃんに恐ろしい形相でブランコ遊びをするように襲いかかる<ref group="注">なお、この時ブランコで遊んでいるしんのすけとマサオの目には、鬼ごっこをしているようにしか見えなかった。</ref>が、しんのすけが乗っていたブランコの鎖が千切れてしまうと元の表情に戻り、もっと子供達と遊びたかったことを寂しげに呟きながら消滅、同時に公園や外の景色も元に戻った。 ; 大回転マダム : 声 - [[一城みゆ希]](第812話Bパート)(2013年8月30日) : 「大回転マダムだゾ」で登場した、寿司職人の姿をした大きな図体の女性。人気の少ない場所で、回らない寿司屋を営んでいる。 : 「回転寿司」という言葉が嫌いで、目の前でそれを喋った者をコマのように回し、店の奥の牢屋に閉じ込めて一生回し続ける。自ら回転して追跡することも可能。 : 最初に店を訪れたまつざか先生が、「回転寿司じゃない」と言ったことで回転させ牢屋に閉じ込められてしまった。次に訪れた野原一家に対しては、しんのすけ達の「かい…」の言葉に度々反応したり「回転寿司」ではなかったため普通に対応をし、野原一家は何事も無くそのまま帰ろうとしたが、最後にしんのすけが「回転寿司が好き」と言ってしまったことに激怒して、裏口から逃げた野原一家を回転しながら追跡をしてみさえを回転させてしまう、残ったしんのすけ達も回そうとしたが、回転しながらコマのようにみさえにぶつかられ「自分も回転したい」としんのすけにくっつかれたことでバランスが崩れ、その隙にひろしに自靴の匂いを嗅がされたことで店もろとも消え去った。しかし消滅したわけではなく、その後は元の場所で寿司屋を営んでいる。しかしこれらの話は全てしんのすけの夢だったと思われる。その証拠にまつざか先生は幼稚園に居た。その後風間も同じ夢を見たのかは不明。 : ただし、寿司職人としての腕前は確かで、1皿80円にも関わらず食べた客が絶賛するほどのもの。また、あくまで回すのは「回転寿司」と言った者だけで、逆に「回転寿司」と言わなければ危害を加えない。 ; ガチャガチャ人間 : 声 - なし(第837話のBパート)(2014年8月8日) : 「ガチャガチャ人間だゾ」で登場。マサオやネネの姿で現れた。姿を借りた人間と同じ大きさで全体的に灰色がかっており、体の各所に模様がある。なお、人間の姿になる前にパーツを付け替えられた場合、人間の姿になった際に同じようにパーツを付け替えられた姿になる。 : その正体は、人間に捨てられたり持ち主の人間に不要品扱いされたガチャガチャのフィギュアが、その人間の姿になったもので、マサオがダブったためにゴミ箱へ捨てたイヌダーのフィギュアが、同じくダブっていたために不要品扱いされた大量のイヌダーと共にマサオの姿<ref group="注">声も同じとなり「~がダブってる(から捨てちゃお)」としか言わない。</ref>で現れしんのすけ達を襲撃し、カプセルにガチャガチャ人間を閉じ込めるなどの抵抗を受けるも無限に湧くためキリがなくしんのすけ、風間、ボーちゃんを次々とカプセルに閉じ込められてしまい、最後の一人のマサオに一斉に襲いかかり、最終的に、マサオが泣きながら二度と捨てたりしないと約束して謝ると、その謝罪を言った途端に元のフィギュアに戻り、しんのすけ、風間、ボーちゃんも解放された。その後、ダブっているからとネネにゴミ箱へ捨てられたガチャガチャのフィギュアが、ネネの姿でゴミ箱から現れた。 ; 呪いのあみだくじ : 声 - [[斉藤次郎]]<ref group="注">あみだくじの声と表記されている。</ref>(第876話のCパート)(2015年11月6日) : 「呪いのあみだくじだゾ」で登場。見た目は普通のあみだくじだが、名前が書かれた人物に不幸をもたらす。 : 線は5本で間を所々短い線で繋がっており、上側に書かれた名前が赤く染まると、そこから赤い線があみだのように下に下がっていき、下側にその名前の人物に起きる出来事が表示、赤い線が下側に辿り着くと、名前の人物が表示された出来事にあう。全て不幸な目にあうことばかりなものの極めて小規模な内容から、超常的な力も発揮することも可能。なお、途中で線を書き加えることで別の出来事に持っていくことも出来るが、更に線が書き加えられて本来の出来事に持っていこうとする(しんのすけはなんとか線を最後まで持っていき、大当たりまで持っていった。なお、大当たりとは物体が当たることである)。 : かなり頑丈で、風間とボーちゃんが二人がかりでも破れない。その後5人が名前を書き終わった後は風で飛んでいった。 ; 秘書アプリ : 声 - 川村万梨阿(第881話のBパート)(2015年12月11日) : 「恐怖のアプリだゾ」で登場したアプリ。様々な相談事をアプリ内の秘書が解決してくれる。 : 身の回りのあらゆる事を全て知っており<ref group="注">マサオの家にある残り物や泣き出したひまわりをあやす広告の種類、野原家にある賞味期限ギリギリのビスケットの存在など、本来知り得ないはずのことまで知っている。</ref>、それにあわせて的確に解決してくれるが、その実態はアプリ所有者にアプリを使わせ続けることでアプリ所有者を支配するという恐ろしいもので、使い続けるとアプリ所有者は目が虚ろになり、身の回りのあらゆることをアプリの指示通りにしか従わず、秘書アプリをインストールしたスマホを誰かに奪われると、凄まじい勢いで取り返そうとする。 : スマホに勝手にインストールされている、一瞬目が黄色く光って不気味に笑う、みさえからスマホを奪ったしんのすけにスマホを返すように言うなど、アプリでありながら意思を持っている。また、一方で、基本的には他のアプリと同じであり、消去されれば所有者は元に戻る(その際アプリを使っていた間の記憶は無くなる)。また、一つの秘書アプリが消去されると他の秘書アプリも全て消滅する。 : 最終的にみさえに追いかけられながらしんのすけがアプリを消去、直後しんのすけを支配出来なかったことへの無念の叫びを上げながら消滅した。 === カスカベ都市伝説ではない怖い話のキャラクター === ; ジャーク : 声 - [[田村ゆかり]](第328話Bパート)(1999年8月13日) : かつてヨーロッパに存在した呪いの人形。意思を持っており、人間の精神を病ませたり、催眠術を使って相手を操るほか、自力で動くことも出来る。モノローグは落ち着いた女性の感じだが、苛立ったり怒りを抱くと言葉使いが荒くなる。 : 元々は18世紀のヨーロッパのとある貴族が誕生祝いに作らせた人形だったが、人形が出来てからは、不幸が続くようになり、最終的に[[アルコール依存症]]の夫がうっかりランプを倒して家が全焼し、一家全員が焼死する。ところがジャーク人形だけが消失せず残り、以来持ち主を次々と不幸に陥れるという恐怖伝説がある。 : 経緯は不明だが、ヨーロッパから日本に渡り春日部のごみ捨て場に潜伏し、通りかかったひろしを催眠術で操って野原家に自身を持ち帰らせ、野原家を不幸に陥れて皆殺しにしようと画策するも、悉くしんのすけの妨害を受ける。さらに、彼のアクション仮面ごっこに巻き込まれた末、ひまわりの大便をしたオムツに落下したことで汚くなりみさえに捨てられる。その後、ごみ捨て場に通りかかった戸津加にひろしにしたように持ち帰らせようとしたが、その汚い外見故に拾ってもらえず、自身の恐怖伝説もその後すっかり消えてしまうという末路をたどった。 ; 鈴木 ビデ男(すずきびでお) / デーブ・イデ(アニメ版) : 声 - 不明(第745話Bパート)(2011年8月26日) : 「こわ~いDVDだゾ」で登場。ビデオ界の主。 : 原作では、現実世界の人々を「ビデオの中から出てきた虚構の人間たち」と入れ替え、地球の支配を目論んでいた。「侵略者」というシリーズのビデオを見た者は、テレビ画面から出てきた「虚構の自分」と入れ替わり、ビデオの中へと閉じ込められてしまう。 : 目元のビデオテープが弱点であり、当初は髪の長いカツラで目元を隠していた。レンタルビデオ屋の経営者として客たちをビデオの中へと閉じ込めていった。みさえとひろし夫妻も犠牲となるが、しんのすけがたまたまビデオテープを巻き戻してしまったため、偽物たちはビデオの中へ戻り二人は解放された。直後、皆を助け出そうとする野原一家の前に現れ、自身の目的を語るが生命線であるテープをしんのすけに引っ張り出された後、ひろしとみさえに切られ、ただのビデオテープになってしまった。 : アニメ版では「デーブ・イデ」という名前で登場。弱点がビデオテープからDVDに変更されている。 :また、デーブ・イデ星という星の宇宙人で、当初は髪が目を隠すほど長く口が裂けたレンタルショップの店員として登場。彼の作ったDVDを見ると黒い全身タイツの人間(以下虚像と記述)が現れ、その人が虚ろな目をした姿を真似して見ている本人と入れ替わる。そしてその虚像は他の人にそのDVDを見るように勧めてくる。ただし、巻き戻しボタンを押すと元のテレビに戻り中に入った人はテレビの外に出てくる。劇中では、ミッチー、ヨシリン、マサオ君、隣のおばさん、ひろし、みさえを虚像と入れ替える事に成功するが上述した方法をしんのすけに知られて、野原一家の前に突然出現し本来の姿であるスキンヘッドにDVDの目をした姿を見せ、自分の目的である世界征服を説明している最中にDVDの目に興味を持ったしんのすけに触られ、弱点が本物のDVDと同じディスク部分と知ってしまった事でひろしに落書きされ完全に消滅し、虚像と入れ替わった人も元に戻った。 ; 雪田 るま(ゆきだ るま) : 声 - [[家中宏]](第807話Bパート)(2013年7月5日) : 「真夏の雪だるまだゾ」に登場する、意思を持った雪だるま。小石と小枝で作った目と口の跡が付いた顔と小枝の腕一本のみの全体が不恰好な姿をしている。命名はしんのすけ<ref group="注">しんのすけ曰く、「名字が『雪田』で名前が『るま』」。みさえからは「(雪だるまの名前の)まんまじゃん」と突っ込まれた。</ref>。 : 雪で出来ているため、体を自由自在に変化させられる。また、体から氷柱を生やしたり、口から相手を凍らせる息を吐くことも出来る。 : 元々は春日部に雪が降った日にしんのすけによって作られた小さな雪だるまで、溶けないよう冷蔵庫の中に入れられ、しんのすけと明日遊ぶ約束をしたが、翌日そのことをすっかり忘れたしんのすけに自身のことも完全に忘れられたうえ、夏までの間みさえが大量に購入した冷凍食品に押し潰される苦しみを味わい続ける羽目になった事から、やがてしんのすけに対して強い怨念を持つようになってしまった。その後、みさえの入院中にひろしが冷凍食品を消費したことで自由に動けるようになり、自分のことを忘れたばかりか押し潰される苦しみを味わせたしんのすけへの復讐を果たそうとした。 : 一度目は天井からしんのすけへ氷柱を投げつけたが、しんのすけがアクション仮面のヘルメットを被っていたことで失敗、二度目はアクション仮面の番組に夢中になっているしんのすけを凍らせようと息を吹き掛けたが、番組を見て興奮したしんのすけが蹴り飛ばしたシリマルダシの人形が自分にぶつかり、その衝撃で吹き飛ばされたためにこれも失敗、その後はしんのすけが中々一人きりにならないことへの焦りとひろしが口にした大量の冷凍食品の購入でまた押し潰される恐怖に苛まれるなか、たまたま熱を出して寝込んだしんのすけが、ひろしがひまわりとアイスを買いに行っている間に一人で留守番することになり、その隙に自らの体を氷柱にして寝ているしんのすけに飛び掛かったが、命中する寸前にしんのすけに手で受け止められ、しかも熱で朦朧としていたためにアイスと勘違いしたしんのすけにひたすら舐め尽くされたことで完全に溶けてしまった。しかし、帰宅したひろしがびしょ濡れになった枕を拾いあげると、枕に雪田るまそっくりの顔が染み付いていた。 === フリースタイルしんちゃん カスカベのラッパー === ;DJぶりぶり : 声 - 神谷浩史(第1111話Cパート~)(2022年1月8日~) :ぶりぶりラジオをやっているぶりぶりざえもんでカスカベシティで生き残るには欠かせない情報源でこのシリーズのナレーターもやっている。 ;アイアム伝説 ロンパオ : 声 - [[天﨑滉平]](第1113話Cパート~)(2022年1月22日~) :チーターたちの先生。 :「フリースタイルしんちゃん カスカベのラッパー #3」から登場する。 ;バリバリガールズ :;カオル :: 声 - [[ファイルーズあい]](第1168話Cパート~)(2023年2月11日~) ::バリバリガールズのリーダー。 ::「フリースタイルしんちゃん カスカベのラッパー #4」から登場する。 :;アミ :: 声 - [[紡木吏佐]](第1168話Cパート~)(2023年2月11日~) ::バリバリガールズの一員。 ::「フリースタイルしんちゃん カスカベのラッパー #4」から登場する。 :;クミ :: 声 - [[山本希望]](第1168話Cパート~)(2023年2月11日~) ::バリバリガールズの一員。 ::「フリースタイルしんちゃん カスカベのラッパー #4」から登場する。 :;まんまB :: 声 - [[AquesTalk]](第1170話Cパート)(2023年2月11日) ::バリバリガールズの新メンバー。 ::「フリースタイルしんちゃん カスカベのラッパー #6」に登場する。 == 特別ゲスト == ; [[よゐこ]] : 声 - [[濱口優]]、[[有野晋哉]] : アニメ「オラがよゐこをプロデュースだゾ」(2006年4月14日放送)にて本人役で登場。 ; 又郎(またろう) : 声 - [[草彅剛]](当時SMAP) : [[2009年]][[9月4日]]、映画『[[BALLAD 名もなき恋のうた]]』とのコラボ企画としてアニメ「恋の戦国メモリーだゾ」に出演。 ; ワロタ星人 : 声 - [[渡り廊下走り隊7]] : アニメ「宇宙家族ノハラだゾ前編」(2012年3月9日)放送、「宇宙家族ノハラだゾ後編」(2012年3月16日)にて本人役で登場。 ; [[きゃりーぱみゅぱみゅ]] : 声 - きゃりーぱみゅぱみゅ : アニメ「きゃりー来航だゾ」(2013年1月25日放送)にて本人役で登場。江戸につけまつげを伝来するため、[[黒船]]に乗って来航した。 ; [[ゴーちゃん。]] : 声 - 不明 : アニメ「ゴーちゃん。が来たゾ」(2014年2月28日放送)にて登場。「キティちゃんVSブリィちゃんだゾ」(2019年5月10日放送)では冒頭の部分に登場した。 ; [[川平慈英]] : 声 - 川平慈英 : アニメ「絶対に負けられないサッカー対決だゾ」(2014年6月27日放送)にて本人役で登場。ふたば幼稚園チームとエスパーカスカベチームのサッカー対決で解説役を務めた。 ; [[木村拓哉]] : 声 - 木村拓哉(当時SMAP) : [[2015年]][[5月29日]]・[[6月5日]]の2週連続で、ドラマ『[[アイ'ム ホーム|アイムホーム]]』とのコラボ企画として出演。約1分間のショートアニメと、データ放送企画「東西南北あっちむいてホイ!」で野原家のキャラクターとコラボレーションした。 ; [[松岡修造]] : 声 - 松岡修造 : アニメ「熱血!修造先生とプールだゾ」(2015年7月31日放送)にて本人役で登場。非常に熱い性格。 ; 渡辺小五郎(わたなべ しょうごろう) : 声 - [[東山紀之]] : テレビ時代劇『[[必殺仕事人2007]]』以降のシリーズの主人公。2015年[[11月20日]]と[[11月27日]]の2週にかけ、エンディングのミニコーナーに『[[必殺仕事人2015]]』とのコラボとして出演した。 : 「仕事人に頼んだゾ」でみさえが勝手にチョコビを食べようとしていたしんのすけをグリグリ攻撃でお仕置きする迫力で見て、小五郎自身の姑であるこうと妻であるふくと同じように「どこも母上と女房は強えや…」とぼやいていた<ref group="注">小五郎自身も恐妻家で、婿養子でもある。</ref>。「おら仕事人だゾ」では仕事人役のかすかべ防衛隊と共に悪役の高倉園長を追い詰めて仕事をしようとするが、防衛隊に「危ないから」という形で刃が花束に変化させられ、「(花束に)変えたら仕事ができねぇだろうが!」と笑われた防衛隊と園長を怒った。 ; [[高田純次]] : 声 - 高田純次 : アニメ「じゅん散歩がやって来たゾ」(2017年7月7日放送)にて本人役で登場。 : 散歩のロケで春日部にやってきた。 ; 高円寺先生(こうえんじせんせい) : 声 - [[相葉雅紀]] : ショートアニメ「オラとシッポと神楽坂」(2018年11月23日放送)にて登場。 ; [[ハローキティ]] : 声 - [[林原めぐみ]]<ref group="注">第996話のオープニングクレジットでは「キティ ホワイト」と表示。</ref> : アニメ「キティちゃんVSブリィちゃんだゾ」(2019年5月10日放送)にて登場<ref>{{Cite web |date=2019-04-26 |url=https://www.sanrio.co.jp/news/kt-crayonshinchan-tvasahi-20190426/ |title=アニメ『クレヨンしんちゃん』にハローキティが登場! 5/10(金)放送 |website=サンリオ |accessdate=2019-05-01 }}</ref><ref>{{Cite web |date=2019-04-26 |url=https://www.tv-asahi.co.jp/shinchan/news/0030/ |title=5月10日(金)の放送に、ハローキティの登場が決定〜! |website=テレビ朝日 |accessdate=2019-05-01 }}</ref>。 : アニメ『クレヨンしんちゃん』におけるサンリオがデザインしたキャラクターとの共演は、2014年2月28日に放送された「ゴーちゃん。」に次いで2例目となる。 ; [[財前五郎|財前准教授]] : 声 - [[岡田准一]] : ショートアニメ「スゴい巨塔だゾ」(2019年5月11日放送)にて登場。 ; ゆずマン : 声 - [[潘めぐみ]] :「ゆずマンがきたゾ」(2019年6月7日放送)と「ゆずマンはヒーロだゾ」(2019年6月14日放送)にてショートアニメに登場。元はゆずのマスコットキャラクター。漫画にもなっている。 ; ゆーじんお兄さん、コージーお兄さん : 声 - [[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]([[北川悠仁]]、[[岩沢厚治]]) : アニメ「ゆずがやってきたゾ」(2019年6月14日放送)にて本人役で登場。 ; 榊マリコ(さかき マリコ) : 声 - [[沢口靖子]] : ショートアニメ「[[科捜研の女]]だゾ」(2019年10月19日放送)にて登場<ref group="注">当初は10月12日の放送を予定していたが、[[令和元年東日本台風|台風19号]](東日本台風)による[[報道特別番組]]のため延期となった。</ref>。 ; 宇佐見裕也(うさみ ゆうや) : 声 - [[風間トオル]] : ショートアニメ「科捜研の女だゾ」(2019年10月19日放送)にて登場。しんのすけに「なぜオラの友達の[[かすかべ防衛隊#風間トオル(かざま トオル)|風間トオル]]君が?」と触れられた際、「僕は風間トオルではなく、宇佐見裕也です」と挨拶した。 ; 大門未知子(だいもん みちこ) : 声 - [[米倉涼子]] : ショートアニメ「[[Doctor-X]]だゾ」(2019年11月9日放送)にて登場。 ; [[ケツメイシ]] : 声 - [[Ryo]]、大蔵 : ショートアニメ「オラたちケツメイシ(ン)だゾ」(2020年11月7日放送)にて本人役で登場。 ; 紅野真空(くれの まそら) : 声 - [[高畑充希]] : ショートアニメ「[[にじいろカルテ]]だゾ」(2021年2月13日放送)にて登場。 ; マカロニえんぴつ : 声 - [[マカロニえんぴつ]] : 『[[月刊まんがタウン]]』2021年5月号、2021年4月24日放送のアニメに本人役で登場。漫画では小学生として登場する。 ; 真壁有希子(まかべ ゆきこ) : 声 - [[天海祐希]] : ショートアニメ「キンキュウにとりしらべるゾ」(2021年12月25日放送)にて登場。 ; 雲オーグ : 声 - [[山本格]] : 「シン・仮面ライダーだゾ」(2023年3月18日放送)にて登場。 ; SHOCKER : 声 - [[拝真之介]] : 「シン・仮面ライダーだゾ」(2023年3月18日放送)にて登場。 ; 本郷猛 : 声 - [[池松壮亮]] : 「シン・仮面ライダーだゾ」(2023年3月18日放送)にて登場。 ; 緑川ルリ子 : 声 - [[浜辺美波]] : 「シン・仮面ライダーだゾ」(2023年3月18日放送)にて登場。 ; 一文字隼人 : 声 - [[柄本佑]] : 「シン・仮面ライダーだゾ」(2023年3月18日放送)にて登場。 ; TOMORROW X TOGETHER : 声 - [[TOMORROW X TOGETHER]] :「月刊まんがタウン」12月号、ショートアニメ「TOMORROW X TOGETHERがきたゾ」(2023年10月28日放送)にて登場。 ; 八村塁 : 声 - [[八村塁]] : 「ぶりぶりざえもんの冒険~宇宙ダンク編~」(2023年11月4日放送予定)にて登場<ref>{{Cite web|url=https://www.tv-asahi.co.jp/shinchan/news/0210/|title=11月4日(土)の放送は「ぶりぶりはちむらスペシャル」をお届け!“世界のスーパースター”八村塁×『クレヨンしんちゃん』夢のコラボが実現!!ぶりぶりざえもんと地球を救う!?|accessdate=2023-10-28}}</ref>。 == ナレーション == {{出典の明記|section=1|date=2023年2月}} 本作のアニメ版には原則としてナレーションが入らないが、以下のナレーションが使用される場合もある。 ; 番組ナレーション : 声 - 納谷六朗→森田順平 : 劇中劇である『アクション仮面』や『超電導カンタム・ロボ』、番外編等のナレーションを担当している。 ; 番組ナレーション代理 : 声 - 藤原啓治→森川智之 : 上記のナレーションが担当しない場合、ほぼ全てのナレーションを担当している。 ; 特別ナレーション : 声 - [[若本規夫]] : 2021年3月6日から4週連続で放送していた特別企画「おバカはじめて物語」のナレーションを担当していた。彼がナレーションをしたのはこの回のみであった。 : 声 - 神谷浩史 : 番外編の「フリースタイルしんちゃん カスカベのラッパー」シリーズのナレーションを担当。 : 声 - [[窪田等]] : 番外編の「接待のススメ~料亭編~だゾ」<ref>2023年1月28日放送</ref>では窪田等がナレーションを担当した。 == 外部リンク == * [http://www.futabasha.com/sinchan/character.html 「クレヨンしんちゃん」公式サイト-とうじょうじんぶつ] - [[双葉社]]。原作漫画の[[出版社]]。 * [https://www.tv-asahi.co.jp/shinchan/character/ しんちゃんと仲間たち(テレビ朝日)] - [[テレビ朝日]]。[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|テレビアニメ版]]の[[放送局]]。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{reflist|2}} {{クレヨンしんちゃん}} {{DEFAULTSORT:くれよんしんちやん}} [[Category:クレヨンしんちゃんの登場人物|*]] [[Category:漫画の登場人物の一覧]] [[Category:アニメの登場人物の一覧]]
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東京都出身の人物一覧
東京都出身の人物一覧(とうきょうとしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する東京都出身の人物(公人・文化人・芸能人・スポーツ選手など)の一覧表である。 東京府・東京市が廃止されて東京都になったのは1943年7月からであるが、ここでは便宜的に1943年7月以前に生まれた人物も含む。 (Pyxisほか) 女子プロレス 男性 女性 日本テレビ TBSテレビ TBSのアナウンサーは、分社化策などにより、出向という形で子会社のTBSテレビに所属する。 フジテレビ テレビ朝日 テレビ東京 TOKYO MX 毎日放送 朝日放送 関西テレビ 読売テレビ
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東京都出身の人物一覧(とうきょうとしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する東京都出身の人物(公人・文化人・芸能人・スポーツ選手など)の一覧表である。 東京府・東京市が廃止されて東京都になったのは1943年7月からであるが、ここでは便宜的に1943年7月以前に生まれた人物も含む。
{{TOC right}} '''東京都出身の人物一覧'''(とうきょうとしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する[[東京都]]出身の人物([[公人]]・[[文化人]]・[[芸能人]]・[[スポーツ選手一覧の一覧|スポーツ選手]]など)の一覧表である。 [[東京府]]・[[東京市]]が廃止されて東京都になったのは[[1943年]]7月からであるが、ここでは便宜的に1943年7月以前に生まれた人物も含む。 == 公人 == === 政治家 === ==== 首相経験者 ==== {{columns-list|2| * [[安倍晋三]](本籍地は山口県) * [[石橋湛山]] * [[近衛文麿]] * [[高橋是清]] * [[東條英機]](本籍地は岩手県) * [[羽田孜]](本籍地は長野県) * [[鳩山一郎]] * [[細川護熙]](本籍地は熊本県) * [[吉田茂]] * [[福田康夫]](本籍地は群馬県) * [[鳩山由紀夫]](本籍地は北海道) * [[宮澤喜一]](本籍地は広島県) * [[橋本龍太郎]](本籍地は岡山県) * [[岸田文雄]] }} ==== 議長経験者 ==== {{columns-list|2| * [[近衛文麿]] * [[桜内義雄]] * [[土屋義彦]]:豊島区 * [[中村梅吉]]<ref>{{Kotobank|中村梅吉}}</ref>:練馬区 * [[鳩山和夫]] * [[原文兵衛]] * [[山東昭子]] * [[星亨]] }} ==== 首長経験者 ==== {{columns-list|2| * [[橋本大二郎]] * [[橋下徹]] * [[美濃部亮吉]] * [[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]] * [[鳩山二郎]] * [[細川護煕]] * [[山梨崇仁]] * [[矢田美英]] * [[長谷部健]] * [[大木哲]] * [[青沼邦和]] * [[久保田后子]] * [[天野房三]] * [[山本泰人]] * [[石川良一]] * [[田中良 (政治家)|田中良]] * [[田中源]] * [[大橋清太郎]] * [[仁杉英]] * [[高橋勝浩]] * [[山田元 (稲城市長)|山田元]] * [[森直兄]] * [[石田益義]] * [[井西桑吉]] * [[榎本儀兵衛]] * [[森円蔵]] * [[原田所左衛門]] * [[長坂伊三郎]] * [[芦川貫一郎]] * [[保谷高範]] * [[丸山浩一]] * [[池澤隆史]] * [[石森孝志]] * [[黒須隆一]] * [[後藤聰一]] * [[植竹圓次]] * [[関谷源兵衛]] * [[杢代龍喜]] * [[柴田榮吉]] * [[山﨑泰大]] * [[藤野勝]] * [[志々田浩太郎]] * [[荒田重之]] * [[渡部尚]] * [[市川一男]] * [[石川雅己]] * [[木村茂 (政治家)|木村茂]] * [[遠山景光]] * [[武井雅昭]] * [[吉住健一]] * [[成澤廣修]] * [[山本亨 (政治家)|山本亨]] * [[山﨑孝明]] * [[青木英二]] * [[松原忠義]] * [[神山好市]] * [[山田宏]] * [[本橋保正]] * [[高野之夫]] * [[加藤一敏]] * [[北本正雄]] * [[西川太一郎]] * [[藤沢志光]] * [[町田健彦]] * [[坂本健]] * [[栗原敬三]] * [[志村豊志郎]] * [[岩波三郎]] * [[近藤弥生]] * [[吉田万三]] * [[古性直]] * [[出口晴三]] * [[斉藤猛]] * [[中里喜一]] * [[川島理史]] * [[櫻田昭正]] * [[平野祐康]] * [[山下奉也]] * [[奥山治]] * [[田村みさ子]] * [[師岡伸公]] * [[村木英幸]] * [[澤井敏和]] * [[臼井孝]] * [[橋本弘山]] * [[並木心]] * [[井上篤太郎 (羽村市長)|井上篤太郎]] * [[阿部裕行]] * [[鈴木邦彦 (政治家)|鈴木邦彦]] * [[臼井千秋]] * [[富澤政鑒]] * [[富田竜馬]] * [[並木克巳]] * [[馬場一彦]] * [[星野繁]] * [[渋谷邦蔵]] * [[松原俊雄]] * [[矢野裕]] * [[石井三雄]] * [[石川弥八郎 (17代)]] * [[佐藤一夫 (国立市長)|佐藤一夫]] * [[井澤邦夫]] * [[星野信夫]] * [[山崎真秀]] * [[大坪冬彦]] * [[馬場弘融]] * [[小林洋子]] * [[西岡真一郎]] * [[石阪丈一]] * [[寺田和雄]] * [[金子佐一郎]] * [[臼井伸介]] * [[高野律雄]] * [[野口忠直]] * [[吉野和男]] * [[浜中啓一]] * [[石川要三]] * [[清原慶子]] * [[鈴木平三郎]] * [[邑上守正]] * [[土屋正忠]] * [[後藤喜八郎]] * [[荒井源吉]] * [[清水庄平]] * [[青木久 (立川市長)|青木久]] * [[角田光五郎]] * [[栗山久次郎]] * [[本村賢太郎]] }} ==== その他の政治家 ==== {{columns-list|2| * [[愛知和男]] * [[秋葉忠利]]:荒川区 * [[浅沼稲次郎]]:三宅村 * [[阿部守一]]:国立市 * [[伊藤達也]] * [[犬養健]] * [[大西英男]]:江戸川区 * [[小渕優子]]:北区 * [[鴨下一郎]]:足立区 * [[河上丈太郎]]:港区 * [[木内孝胤]]:港区 * [[菊池大麓]] * [[木戸幸一]] * [[小林興起]]:練馬区 * [[齋藤健]] * [[佐藤謙一郎]] * [[椎名素夫]] * [[篠原陸朗]] * [[鈴木信行]] * [[須藤元気]]:江東区 * [[平将明]]:江戸川区 * [[田中真紀子]]:文京区 * [[中川昭一]]:渋谷区 * [[中川秀直]]:新宿区 * [[畑恵]] * [[林芳正]] * [[島村宜伸]]:江戸川区 * [[平沼赳夫]]:渋谷区 * [[福田篤泰]] * [[藤尾正行]] * [[藤山愛一郎]] * [[古屋圭司]] * [[不破哲三]]:中野区 * [[真山勇一]] * [[山本粂吉]] * [[与謝野馨]] * [[井坂信彦]] * [[トミオ・オカムラ]]:板橋区 * [[リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー]] * [[高木啓]]:北区 * [[三宅茂樹]] * [[羽田雄一郎]] * [[羽田次郎]] * [[上川あや]] * [[上田令子]] * [[本橋弘隆]] * [[神谷裕]] * [[石川大我]] * [[宮城そういち]] * [[音喜多駿]] * [[三次由梨香]] * [[山﨑一輝]] * [[山崎誠]] * [[石坂わたる]] * [[内田茂]] * [[瀬戸健一郎]] * [[木村勉 (政治家)|木村勉]] * [[木村弥生]] * [[川井重勇]] * [[山内晃]] * [[尾崎大介]] * [[高島直樹]] * [[吉野利明]] * [[中村明彦 (政治家)|中村明彦]] * [[和田宗春]] * [[比留間敏夫]] * [[川島忠一]] * [[三田敏哉]] * [[渋谷守生]] * [[小林莞爾]] * [[若松貞一]] * [[高橋一郎 (衆議院議員)|高橋一郎]] * [[河野一郎 (都議)|河野一郎]] * [[醍醐安之助]] * [[富田直之]] * [[小山貞雄]] * [[小山省二]] * [[建部順]] * [[内田道治]] * [[窪寺伝吉]] * [[菊池民一]] * [[内田秀五郎]] * [[大沢梅次郎]] * [[多ケ谷亮]] * [[沼間守一]] * [[芳野世経]] * [[堀江正三郎]] * [[遠藤千元]] * [[山田竹治]] * [[中沢彦吉]] * [[野上徹]] ※渋谷区 * [[山岸一生]] * [[松尾明弘]] * [[松岡篤]] * [[池畑浩太朗]] * [[渡辺福三郎]] * [[龍年光]] * [[朝木明代]] * [[朝木直子]] * [[野田数]] * [[小礒明]] * [[波多野健]] * [[山崎泰]] * [[手塚仁雄]] * [[沢田良]] * [[大泉博子]] * [[栗山長次郎]] * [[鈴木章浩]] * [[藤井裕久]] * [[阿部祐美子]] * [[渡辺照子]] }} === 官僚 === {{columns-list|3| * [[赤石浩一]] * [[秋山收]] * [[飯塚幸三]] * [[石井昌平]] * [[石井道遠]] * [[石坂匡身]] * [[入江俊郎]] * [[岩並秀一]] * [[内村良英]] * [[宇野善昌]] * [[浦部和好]] * [[漆間巌]] * [[海老原紳]] * [[太田信一郎]] * [[岡井朝子]] * [[小滝敏之]] * [[小田部陽一]] * [[小田村四郎]] * [[加藤雅]] * [[角野然生]]:板橋区 * [[鹿取克章]] * [[金子順一]] * [[河相周夫]] * [[川島裕]] * [[日下一正]] * [[小池欣一]] * [[小粥正巳]] * [[後藤康夫]] * [[近藤茂夫]] * [[斉藤実 (警察官僚)|斉藤実]] * [[榊原英資]] * [[阪田雅裕]] * [[四宮信隆]] * [[柴田雅人]] * [[清水洋文]] * [[清水康弘 (環境省)|清水康弘]] * [[杉浦喬也]] * [[鈴木英二郎]] * [[関口祐弘]] * [[高木文雄]] * [[髙橋一郎]] * [[高橋俊之]] * [[高橋洋一 (経済学者)|高橋洋一]] * [[瀧本寛]] * [[竹内洋]] * [[竹内道雄]] * [[武田博史]] * [[田中一穂]] * [[田波耕治]] * [[玉木林太郎]] * [[寺田達志]] * [[中村滋 (外交官)|中村滋]] * [[野田健]] * [[橋口収]] * [[橋本鋼太郎]] * [[平井富三郎]] * [[広瀬直]] * [[前田憲作]] * [[増田好平]] * [[松本貴久]] * [[水鳥真美]] * [[光吉一]] * [[宮嵜雅則]] * [[宮崎礼壹]] * [[宮本聡]] * [[宮本保孝]] * [[武藤正敏]] * [[村田茂樹 (国土交通官僚)|村田茂樹]] * [[村山一弥]] * [[八木一夫 (国土交通官僚)|八木一夫]] * [[柳俊夫]] * [[山口光秀]] * [[山崎隆一郎]] * [[山田英雄 (警察官僚)|山田英雄]] * [[山名規雄]] * [[吉田博史]]<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA20AF70Q2A620C2000000/|title=総務省、山下次官を発表 総務審議官は内藤・吉田両氏|date=2022-06-21|accessdate=2023-09-04|newspaper=[[日本経済新聞]]電子版|publisher=[[日本経済新聞社]]}}</ref> * [[吉永和生]] * [[渡邊毅 (農林水産官僚)|渡邊毅]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jfc.go.jp/n/findings/afc-month/pdf/AFC_Forum1209.pdf|title=AFC フォーラム 2012年9月号 人・農地プランを農地流動化の起爆剤に|date=2012-09|accessdate=2022-11-26|publisher=[[日本政策金融公庫]]}}</ref> * [[渡辺好明 (農林官僚)|渡辺好明]] }} === 軍人・自衛官 === {{columns-list|3| * [[中村龍平]] * [[福地誠夫]] * [[福地建夫]] * [[末延隆成]] * [[小野打泰子]] * [[吉田圭秀]] * [[片岡晴彦]] * [[大村平]] * [[森繁弘]] * [[白川元春]] * [[牟田弘國]] * [[鮒田英一]] * [[長島純]] * [[東山収一郎]] * [[山本安正]] * [[高品武彦]] * [[渡部敬太郎]] * [[冨澤暉]] * [[太田文雄]] * [[住山徳太郎]] * [[和田操]] * [[門司親徳]] * [[榊枝宗男]] }} === 法曹 === {{columns-list|3| * [[大谷剛彦]] * [[大野正男]] * [[大林宏 (検察官)|大林宏]] * [[大渕愛子]] * [[笠間治雄]] * [[梶谷玄]] * [[梶谷剛]] * [[北島敬介]] * [[佐藤文哉]] * [[島田仁郎]] * [[寺田逸郎]] * [[古田佑紀]] * [[堀籠幸男]] * [[松尾邦弘]] * [[味村治]] * [[金崎浩之]] * [[倉持麟太郎]] }} == 文化人 == === 学者 === ==== 数学者 ==== {{columns-list|3| * [[小平邦彦]] * [[秋葉忠利]] * [[秋山仁]] * [[浦太郎]] * [[安島直円]]:新庄藩士 * [[伊原康隆]] * [[弥永昌吉]] * [[小野友五郎]] * [[菊池大麓]] * [[栗原将人]] * [[小島定吉]] * [[齋藤恭司]] * [[鈴木久男]] * [[玉川安騎男]] * [[永田清]] * [[林知己夫]] * [[速水謙]] * [[藤原一宏]] * [[森毅]] * [[柳楢悦]] * [[柳谷晃]] }} ==== 物理学者 ==== {{columns-list|3| * [[三田一郎]](素粒子理論) * [[石原純]](理論物理学) * [[菊池正士]] * [[久保亮五]](統計力学・物性物理学) * [[坂田昌一]](素粒子理論) * [[嵯峨根遼吉]] * [[寺田寅彦]] * [[朝永振一郎]]:文京区 * [[湯川秀樹]](中間子論) }} ==== 天文学者 ==== {{columns-list|3| * [[石田五郎]]:台東区 * [[大沢清輝]](観測天体物理学) * [[岡崎彰]] * [[小川清彦 (天文学者)|小川清彦]](古天文学・暦学) * [[小尾信彌]](天体物理学) * [[加藤正二 (天文学者)|加藤正二]](理論天体物理学) * [[古在由秀]](天体力学):豊島区 * [[小平桂一]](恒星物理学) * [[阪本成一]](電波天文学) * [[冨田弘一郎]] * [[長沢工]]:練馬区(出生地) * [[野本憲一]](恒星進化論) * [[半田利弘]](電波天文学):大田区 * [[平山信]] * [[堀源一郎]](天体力学):荒川区 * [[村山定男]] * [[森本雅樹]](電波天文学) }} ==== 地球惑星科学者 ==== {{columns-list|2| * [[井田茂]](惑星科学) * [[上田誠也]](地球物理学) * [[三枝春生]](古生物学) * [[坪井誠太郎]](地質学・鉱物学・岩石学) * [[坪井忠二]](地球物理学・地震学) * [[松本達郎]](地質学・古生物学) * [[真鍋真]](古生物学) }} ==== 生物学者・農学者 ==== {{columns-list|2| * [[今関六也]](菌類学) * [[江上不二夫]](生化学) * [[木原均]](細胞遺伝学) * [[小宮輝之]]([[恩賜上野動物園]]園長):千代田区 * [[鈴木俊貴]](動物言語学・動物行動学):練馬区 * [[瀬戸口浩彰]](植物学) * [[坪井正五郎]](自然人類学) * [[日高敏隆]](動物行動学):渋谷区 * [[箕作佳吉]](動物学) * [[茂木健一郎]](脳科学) * [[勝川俊雄]](生物資源学) }} ==== 化学者 ==== {{columns-list|3| * [[宇井純]] * [[北野大]](環境化学):足立区 * [[柴田雄次]] * [[坪井正道]](物理化学) * [[中村正治]]:杉並区 * [[松本和子]] }} ==== 工学者 ==== {{columns-list|2| * [[池田敏雄]](電子工学) * [[石井裕 (コンピューター研究者)|石井裕]](情報工学) * [[糸川英夫]](宇宙工学) * [[榎本忠儀]]([[電子工学]]):新宿区生まれ、豊島区育ち * [[岡嶋裕史]]([[情報セキュリティ]]、[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]) * [[後藤英一]](計算機科学) * [[島秀雄]]:大阪生まれ東京育ち * [[武田展雄]]:(航空宇宙工学、材料力学) * [[田辺朔郎]](土木工学) * [[中田孝]](機械工学) * [[平賀譲]](造船学者):戦艦「長門」「陸奥」などの設計者 * [[真鍋龍太郎]]([[情報システム学]]、[[経営科学]]) * [[元良誠三]](船舶工学) * [[森健一 (エンジニア)|森健一]]:日本語ワードプロセッサ(ワープロ)の開発 }} ==== 医学者 ==== {{columns-list|2| * [[大友克之]](医学博士) * [[尾身茂]](自治医科大学教授) * [[呉建]](内科学) * [[呉秀三]](精神医学):港区 * [[白石安男]](医学・疫学・応用数学・古武術研究):荒川区 * [[松葉剛]](医学博士) * [[龍啓之助]](整形外科学、元ラグビー選手) * [[山本修一]](眼科学) }} ==== 法学者 ==== {{columns-list|2| * [[兼子一]] * [[中川善之助]] * [[福田平]](法学・刑法学):麹町区(現在の千代田区) * [[箕作麟祥]] * [[永井和之]](商法、中央大学学長) }} ==== 政治学者 ==== {{columns-list|2| * [[池井優]] * [[礒﨑敦仁]](北朝鮮政治) * [[入江昭]] * [[緒方貞子]](国際政治学) * [[岡義武]] * [[岡部達味]] * [[押村高]](国際政治学) * [[小野紀明]](政治思想史) * [[片田さおり]](国際政治経済学) * [[神島二郎]](政治思想史):新宿区 * [[鴨武彦]](国際政治学) * [[木坂順一郎]](日本現代政治史) * [[斎藤眞]] * [[田中愛治]]([[日本ニュース時事能力検定協会]]理事) * [[高畠通敏]] * [[永井陽之助]](国際政治学) * [[原武史]](政治思想史):渋谷区 * [[藤原帰一]](国際政治学) * [[細谷千博]](国際政治学) * [[本間長世]](政治思想史) * [[御厨貴]](日本政治史) * [[百瀬宏]](国際政治学) * [[渡辺暁]](ラテンアメリカ政治、政治学者としてだけではなくチェスプレーヤーとしても活動) }} ==== 経済学者・経営学者・統計学者 ==== {{columns-list|2| * [[伊藤誠 (経済学者)|伊藤誠]](マルクス経済学) * [[岩井克人]](理論経済学) * [[岩城秀樹]](金融論) * [[呉文聰]](統計学):港区 * [[呉文炳]](経済学) * [[小島寛之]](数理経済学) * [[榊原英資]](経済学) * [[桜井毅]](マルクス経済学・経済学史) * [[隅谷三喜男]](労働経済学):港区 * [[美濃部亮吉]](マルクス経済学) * [[村上泰亮]](理論経済学) * [[吉川智教]](経営学) }} ==== 社会学者 ==== {{columns-list|3| * [[鈴木涼美]] * [[芹沢一也]] * [[谷川建司]] * [[鶴見和子]] * [[内藤朝雄]] * [[山口智美 (文化人類学者)|山口智美]](文化人類学) * [[渡辺雅男]] }} ==== 歴史学者・考古学者 ==== {{columns-list|3| * [[石井進]](日本史学) * [[上野秀治]](日本史学) * [[内田銀蔵]](日本史学):足立区 * [[川勝守]](東洋史学) * [[神田千里]](日本史学) * [[紀平英作]](西洋史学) * [[功刀俊洋]](日本史学) * [[黒田日出男]](日本史学) * [[坂誥秀一]](考古学) * [[柴宜弘]](西洋史学) * [[鈴木公雄]](考古学) * [[藤原彰]](日本史学) * [[藤本正行]](日本史学) * [[二木謙一]](日本史学) * [[箕作元八]](西洋史学) * [[小山田和夫]](日本古代史) * [[坂巻清]](西洋史学) }} ==== 文学者・言語学者 ==== {{columns-list|2| * [[岩崎英二郎]](ドイツ語学):品川区 * [[上田敏]] * [[宇佐美毅 (日本文学者)|宇佐美毅]](日本文学) * [[景山正隆]](日本文学) * [[呉茂一]](西洋古典文学) * [[外山正一]] * [[中西進]](日本文学) * [[蓮實重彦]](フランス文学) * [[堀口大學]](フランス文学) }} ==== その他の学者 ==== {{columns-list|2| * [[石川泰弘]]([[博士|博士号・スポーツ健康科学]]、[[温泉]][[入浴]][[指導員]]、[[睡眠]][[改善]][[インストラクター]]、[[日本薬科大学]][[教授|特任教授]]) * [[おーくん・あきら]](デザイン学者) * [[鶴見俊輔]](哲学):港区 * [[池内恵]](アラブ研究) * [[木下千花]](映画学者) * [[水野敏雄]](教育学者) * [[三田育雄]](造園家、観光学者、観光研究者) * [[三宅幸夫 (音楽学者)|三宅幸夫]](音楽学者) * [[村上陽一郎]](科学史・科学哲学) * [[渡辺宝陽]](仏教学者) }} === 画家 === {{columns-list|3| * [[AKI (画家)]] * [[浅井忠]] * [[伊東深水]] * [[歌川広重]] * [[大竹伸朗]] * [[葛飾北斎]] * [[狩野永悳]] * [[狩野養信]] * [[狩野栄信]] * [[狩野典信]] * [[塚本やすし]] * [[鏑木清方]] * [[岸田劉生]] * [[木村荘八]] * [[酒井抱一]] * [[高橋由一]] * [[立川広己]]([[洋画家]]・専業画家) * [[谷文晁]] * [[月岡芳年]] * [[鳥居清長]] * [[鳥山石燕]] * [[中川一政]] * [[中村不折]] * [[橋本雅邦]] * [[長谷川雪旦]] * [[速水御舟]] * [[藤城清治]] * [[藤田嗣治]] * [[村上隆]] * [[渡辺崋山]] }} === 書家 === === 写真家 === {{columns-list|3| * [[荒木経惟]] * [[飯島幸永]] * 五影開(俳優・[[宍戸開]]):世田谷区 * [[大石芳野]] * [[尾形正茂]]:台東区 * [[岡部好]]:足立区 * [[田所美恵子]] * [[篠山紀信]]:新宿区 * 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=== アニメーション制作関係者 === {{columns-list|3| * [[相澤昌弘]] * [[石川光久]](アニメプロデューサー) * [[石黒昇]] * [[石山タカ明]] * [[石田卓也 (クレイアニメ作家)|石田卓也]](クレイアニメ作家) * [[出渕裕]] * [[今石洋之]] * [[梅澤淳稔]] * [[浦上靖夫]](音響監督) * [[えんどうてつや]] * [[大沼心]] * [[大藤信郎]](アニメーション作家) * [[大森貴弘]] * [[奥田誠治 (アニメーション演出家)|奥田誠治]] * [[小倉宏昌]](美術監督) * [[押井守]] * [[金山明博]] * [[川崎逸朗]] * [[川本喜八郎]](アニメーション作家) * [[北久保弘之]] * [[北爪宏幸]] * [[串田達也]](美術監督) * [[久保田誓]] * [[倉島亜由美]] * [[黒田昌郎]] * [[後藤圭二]] * [[小林治 (1945年生のアニメ演出家)]] * [[小林治 (1964年生のアニメ演出家)]] * [[小林利充]] * [[小林誠 (イラストレーター)|小林誠]] * [[紺野直幸]] * [[坂井和男]](製作担当) * [[澤井幸次]] * [[静野孔文]] * [[斯波重治]](音響監督) * [[芝山努]] * [[清水達正]](撮影監督) * [[清水としゆき]](美術監督) * [[白土武]] * [[鈴木俊二]] * [[関修一]] * [[瀬山武司]] * [[芹川有吾]] * [[高崎あゆみ]](美術監督) * [[高橋信也]] * [[高谷浩利]] * [[舘直樹]] * [[田中章喜]](音響監督) * [[田中英行]](音響監督) * [[田中良 (アニメーター)|田中良]] * [[出崎統]] * [[出崎哲]] * [[ときたひろこ]] * [[中島順三]](アニメプロデューサー) * [[中村英一]] * [[中村光毅]](美術監督) * [[西香代子]](色彩設定) * [[西崎義展]] * [[長谷川眞也]] * [[籏野義文]](アニメプロデューサー) * [[ひこねのりお]] * [[平井久司]] * [[平野俊貴]] * [[FROGMAN]] * [[本郷みつる]] * 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* [[内田有紀]]:中央区 * [[内山眞人]]:江戸川区 * [[宇津宮雅代]] * 宇乃徹([[HIROZ]]、[[HIROZ SEVEN+]]) * [[梅舟惟永]] * [[梅宮万紗子]] * [[兎本有紀]] * [[浦井健治]] * [[浦上晟周]] * [[瓜生美咲]] * [[永山瑛太]]:板橋区 * [[江木俊夫]]:武蔵野市 * [[江口洋介]] * [[江波杏子]] * [[江藤潤]]:調布市 * [[えなりかずき]]:世田谷区 * [[榎本加奈子]]:港区 * [[柄本明]]:中央区 * [[柄本佑]] * [[柄本時生]] * [[絵梨華]] * [[円城寺あや]] * [[遠藤久美子]] * [[延命杏咲実]] * [[及川光博]] * [[大内田悠平]] * [[大浦みずき]] * [[大江駿輔]] * [[大久保祥太郎]] * [[大熊杏優]] * [[大倉孝二]] * [[大森南朋]] * [[大崎望絵]] * [[大沢健]] * [[大沢さやか]] * [[大沢たかお]] * [[太田基裕]] * [[大西多摩恵]] * [[大野拓朗]] * [[大野百花]] * [[大村彩子]] * [[大河内奈々子]] * [[大滝秀治]]:文京区 * [[大竹一重]] * [[大竹しのぶ]] * [[大谷英子]] * [[大谷直子]] * [[大谷瑠奈]]:中野区 * [[大塚よしたか]] * [[大鶴義丹]] * [[大橋吾郎]] * [[大平峻也]] * [[大山貴華]] * [[大山真志]] * [[大山桃子]] * [[大塚寧々]] * [[大塚まえ|大塚麻恵]] * [[大石恵]] * [[大林勝]] * [[大原櫻子]] * [[大原ますみ]] * [[大和田美帆]] * [[丘みつ子]] * [[岡寛恵]] * [[岡江久美子]]:世田谷区 * [[岩田絵里奈|岡崎歩美]] * [[岡崎和寛]] * [[岡崎友紀]] * [[岡田秀樹 (俳優)|岡田秀樹]] * [[岡田将生]] * [[岡田亮輔]] * [[岡元あつこ]] * [[岡本杏理]] * [[岡本舞]] * [[岡安由美子]] * [[岡山天音]] * [[小笠原亜里沙]] * [[小川あん]] * [[小川光樹]] * [[小川範子]] * [[小川眞由美]] 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web|和書|url=https://artist.cdjournal.com/a/ito-miku/923653|title=伊藤美来|publisher=CDJournal|accessdate=2021-11-7}}</ref> ([[Pyxis]]ほか) * [[伊藤実華]] * [[稲田徹]]:八王子市<ref name="prof">{{Cite web|和書|url=https://www.aoni.co.jp/search/inada-tetsu.html|title=稲田 徹|株式会社青二プロダクション|accessdate=2020-11-6}}</ref> * [[稲村優奈]]:中野区 * [[井上瑤]]:品川区 * [[井上富美子]] * [[井上奈々子]] * [[井上麻里奈]] * [[今瀬未知]] * [[入野自由]] * [[岩田安宣]] * [[岩坪理江]] * [[岩永哲哉]]:武蔵野市 * [[宇栄健良]] * [[上田みゆき (声優)|上田みゆき]] * [[内田真礼]] * [[内田雄馬]] * [[内山夕実]] * [[初原千絵]] * [[江川央生]] * [[榎本温子]] * [[榎本智恵子]] * [[遠藤章史]] * [[遠藤ゆりか]] * [[大久保利洋]] * [[大沢千秋]]:千代田区 * [[太田悠介]] * [[大谷育江]] * [[大塚明夫]]:国立市 * [[大塚周夫]]:世田谷区 * [[大友龍三郎]]:西東京市 * [[大原めぐみ]] * [[大平透]]:大田区 * [[大山のぶ代]]:渋谷区 * [[大山昇]] * [[大橋彩香]](出生地は[[埼玉県]][[さいたま市]]旧[[浦和市]]域) * [[岡純子]] * [[緒方恵美]]:千代田区 * [[岡野浩介]] * [[岡村明美]] * [[岡本信彦]] * [[岡本麻弥]]:新宿区 * [[岡本嘉子]] * [[小川真司]]:世田谷区 * [[小倉結衣]] * [[荻原秀樹]] * [[尾崎由香]] * [[小澤亜李]] * [[小野健一 (声優)|小野健一]]:豊島区 * [[小野早稀]]:中野区 * [[小野英昭]] * [[小野塚貴志]] * [[小野寺瑠奈]] * [[小原乃梨子]] * [[折笠愛]]:足立区 * [[折笠富美子]]:江戸川区<ref>{{Cite web|和書|url=https://artist.cdjournal.com/a/orikasa-fumiko/803543|title=折笠 富美子 - CDJournal|work=CDジャーナル|publisher=[[音楽出版社 (企業)|音楽出版社]]|accessdate=2021-10-27}}</ref> * [[河合紗希子]] * [[甲斐田ゆき]]<ref>『声優名鑑 2013 女性編』、16頁、[[主婦の友社]]</ref> * [[楓みさと]] * [[佳川紘子]] * [[景山梨彩]] * [[風間勇刀]] * [[梶裕貴]] * [[粕谷雄太]]:東大和市 * [[勝杏里]]:大田区 * [[勝田久]]:台東区 * [[片山福十郎]] * [[加藤英美里]]:福生市 * [[加藤和夫]] * [[加藤精三 (声優)|加藤精三]]:港区 * [[門脇舞以]] * [[かないみか]]:世田谷区 * [[金子修 (声優)|金子修]] * [[金尾哲夫]] * [[蟹江栄司]]:江東区 * [[鹿野優以]]:墨田区 * [[狩野茉莉]] * [[鎌倉有那]] * [[茅野愛衣]] * [[河相智哉]] * [[川上とも子]] * [[川島千代子]] * [[川島得愛]] * [[川澄綾子]] * [[川瀬晶子 (声優)|川瀬晶子]] * [[川津泰彦]] * [[川村万梨阿]]:世田谷区 * [[河原木志穂]] * [[菅叶和]] * [[神奈延年]]:品川区 * [[菅野真衣]] * [[菊池こころ]] * [[菊池英博 (声優)|菊池英博]] * [[私市淳]]:港区 * [[岸野幸正]]:江戸川区 * [[喜多川拓郎]] * [[北川智絵]] * [[楠大典]]:町田市 * [[楠トシエ]]:東京市神田区(現・千代田区) * [[喜多村英梨]]:府中市 * [[橘田いずみ]](元[[ミルキィホームズ (声優ユニット)|ミルキィホームズ]]) * [[衣川里佳]] * [[木村良平]] * [[樹元オリエ]] * [[楠木ともり]] * [[久野美咲]] * [[久保田雅人]] * [[久保田恵]]:葛飾区 * [[くまいもとこ]]:昭島市 * [[桑谷夏子]]:青梅市 * [[幸田夢波]] * [[郷里大輔]]:江東区 * [[幸野善之]] * [[こおろぎさとみ]]:武蔵野市 * [[後藤友香里]] * [[小出悦子]] * [[小暮英麻]] * [[小桜エツコ]]:西多摩郡<ref>{{Cite book|和書|year=1997|title=声優ヒストリー 12人の声優が歩んだ軌跡|pages=88|publisher=[[徳間書店]]|ISBN=978-4-19-720015-3}}</ref> * [[小清水亜美]]:国分寺市<ref name="goo人名事典">{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/小清水亜美/|title=小清水 亜美(こしみず あみ)の解説 - goo人名事典|accessdate=2020-11-20}}</ref> * [[小菅真美]] * [[小平有希]]:三鷹市 * [[小林勝也]] * [[小林清志]] * [[小林修 (声優)|小林修]]:墨田区 * [[小林ゆう]] * [[小林優子]] * [[小林裕介]] * [[小堀幸]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://thetv.jp/person/1000093487/|title=小堀幸(こぼりみゆき)のプロフィール・画像・出演スケジュール|【スタスケ】(1000093487)|publisher=ザテレビジョン|accessdate=2021-1-5}}</ref> * [[小日向みわ]] * [[駒形友梨]] * [[小松由佳 (声優)|小松由佳]] * [[小森まなみ]]:渋谷区 * [[子安光樹]] * [[小谷津央典]] * [[小山真実]] * [[近藤佳奈子]] * [[近藤高子]] * [[槐柳二]] * [[齋藤彩夏]] * [[斉藤茂一]] * [[齋藤龍吾]] * [[坂本一]] * [[坂本千夏]]:大田区<ref>{{Cite journal|和書|date = 1983-08|title =声優クローズあっぷ|journal = ジ・アニメ|issue = 1983年9月号|page =162|publisher = [[近代映画社]]}}</ref> * [[坂本真綾]]:板橋区 * [[佐久間レイ]]:世田谷区 * [[佐倉綾音]]:渋谷区 * [[桜井敏治]] * [[櫻井浩美]] * [[佐々木智代]] * [[佐藤正治 (声優)|佐藤正治]]:大田区 * [[佐藤ユリ]] * [[紗ゆり]] * [[沢城みゆき]](出生地は[[長野県]]) * [[沢口千恵]] * [[沢りつお]] * [[三瓶由布子]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/prof/260240/|title=三瓶由布子(出典:VIPタイムズ社)|work=ORICON NEWS |publisher=オリコン |accessdate=2021-10-21}}</ref> * [[椎名へきる]]:東久留米市 * [[塩沢兼人]] * [[宍戸留美]] * [[芝崎典子]] * [[柴田秀勝]]:台東区 * [[嶋俊介]]:新宿区 * [[嶋村侑]] * [[清水愛]]:大田区<ref>{{Cite web|和書|date=2015-03-27|url=https://ddnavi.com/interview/232930/a/|title=異色過ぎる声優プロレスラー・清水愛、デビュー前から現在までを語る!【インタビュー前編】】|website=[[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチニュース]]|publisher=[[KADOKAWA]]|accessdate=2021-10-23}}</ref> * [[清水香里]] * [[下野紘]] * [[白石晴香]] * [[菅沼久義]] * [[菅谷勇]]:台東区 * [[杉山紀彰]] * [[鈴木智晴]] * [[鈴木麻里子]]:港区<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/鈴木麻里子/#person-110077006|title=鈴木麻里子(すずきまりこ)の解説|work=goo人名事典|accessdate=2021-1-5}}</ref> * [[鈴木れい子]] * [[涼本あきほ]] * [[須藤翔]] * [[角研一郎]] * [[住友優子]] * [[諏訪部順一]] * [[関智一]]<ref name="animatetimes">{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=315#02|title=関智一のアニメキャラ・最新情報まとめ|work=アニメイトタイムズ|accessdate=2020-11-03}}</ref>:江東区 * [[関根明子 (声優)|関根明子]]:中央区 * [[関根瞳]] * [[芹澤優]]([[i☆Ris]]) * [[仙台エリ]] * [[蒼谷和樹]]<ref name="アニメハック声優情報">{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/person/100948/|title=丸山 智行:声優情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-11-1}}</ref> * [[園崎未恵]] * [[園部好徳]] * [[高垣彩陽]]([[スフィア (声優ユニット)|スフィア]]) * [[高木均]] * [[髙階俊嗣]] * [[高島雅羅]]:台東区 * [[高月希海|髙月希海]] * [[高野直子 (声優)|高野直子]] * [[高野麻里佳]]([[イヤホンズ]]) * [[高橋あみか]] * [[高橋広樹]]:足立区 * [[高橋美紀]]:文京区 * [[高宮俊介]] * [[鷹村彩花]] * [[高山みなみ]]:足立区 * [[武内健]] * [[竹内美優]] * [[竹村拓]](元[[NG5]]):葛飾区 * [[橘U子]] * [[田中あいみ]] * [[田中和実]]:杉並区 * [[田中信夫]]:大田区 * [[田中秀幸 (声優)|田中秀幸]]:大田区<ref>[http://www.yakult-swallows.co.jp/news/detail/21118 8月26日(土)横浜DeNA戦で「新潟県燕市Day~北越工業Presents~」を開催いたします|東京ヤクルトスワローズ]、2021年11月4日閲覧。</ref> * [[田中真弓]]:杉並区 * [[田中美海]]:(育ちは[[神奈川県]]) * [[田中メイ]] * [[田中康郎]] * [[田中亮一]]:杉並区 * [[田中涼子 (声優)|田中涼子]] * [[田辺留依]] * [[谷育子]] * [[種田梨沙]] * [[田村睦心]](出生地は[[青森県]]) * [[近石真介]]:杉並区 * [[千々和竜策]] * [[千葉紗子]] * [[月本こうこ]] * [[辻治樹]] * [[津川祝子]] * [[津久井教生]]:新宿区 * [[辻谷耕史]]:小平市 * [[出村貴]] * [[寺瀬今日子]] * [[東地宏樹]] * [[東山奈央]]([[ワルキューレ (マクロスΔ)|ワルキューレ]]ほか) * [[遠野ひかる]] * [[戸田めぐみ]] * [[富本牧子]] * [[豊口めぐみ]]:町田市 * [[仲木隆司]] * [[中尾みち雄]] * [[中尾隆聖]]:中央区 * [[中嶋ヒロ]] * [[中田譲治]] * [[中谷ゆみ]]:千代田区 * [[中村徳也 (声優)|中村徳也]] * [[中村大樹]] * [[中村秀利]] * [[梨羽侑里]] * [[名塚佳織]] * [[夏樹リオ]]<ref >{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/夏樹リオ/|title=夏樹リオ(なつき りお)の解説 - goo人名事典|accessdate=2020-12-1}}</ref> * [[七瀬彩夏]] * [[七原帝子]] * [[波岡なみ]] * [[浪川大輔]]<ref name="stay">{{Cite web|和書|url=https://stay-luck.com/talent/namikawa-daisuke/|title=浪川 大輔|ステイラック|accessdate=2020-11-20}}</ref> * [[納谷六朗]] * [[ならはしみき]] * [[成瀬未亜]] * [[鳴海杏子]] * [[仁後真耶子]] * [[西川宏美]] * [[西崎果音]] * [[西本裕行]] * [[西原純]]:板橋区 * [[新田ひより]] * [[楡井希実]] * [[野沢那智]]:中央区 * [[野沢雅子]]:荒川区 * [[野島昭生]]:西東京市 * [[野島健児 (声優)|野島健児]]:杉並区 * [[野島裕史]]:西東京市 * [[野中秀哲]] * [[野々瀬ミオ]] * [[野村香菜子]] * [[野村真悠華]] * [[信澤三惠子]] * [[朴璐美]]:江戸川区 * 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[[本多知恵子]]:板橋区 * [[牧野天音]] * [[増山江威子]]:品川区 * [[益山武明]]:板橋区 * [[松尾佳子]] * [[松岡文雄]] * [[松岡洋子 (声優)|松岡洋子]]:東村山市 * [[松田辰也]] * [[松永真穂]] * [[松野太紀]]:品川区<ref name="goo">{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/松野太紀/|title=松野太紀(まつのたいき)の解説 - goo人名事典|accessdate=2020-11-15}}</ref> * [[松本大 (声優)|松本大]] * [[松本まりか]]:中野区 * [[松山鷹志]] * [[丸岡和佳奈]] * [[まるたまり]] * [[丸山詠二]] * [[丸山ゆう]] * [[丸山裕子]] * [[三浦博和]] * [[三浦七緒子]] * [[三木眞一郎]] * [[みきさちこ]] * [[水落幸子]] * [[水城蘭子]] * [[水霧けいと]] * [[水島裕 (声優)|水島裕]]:杉並区 * [[水谷ケイコ]] * [[水鳥鐵夫]] * [[水野マリコ]] * [[水瀬いのり]] * [[三石琴乃]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=434|title=三石琴乃のアニメキャラ・最新情報まとめ|publisher=アニメイトタイムズ|accessdate=2020-10-30}}</ref> * [[皆口裕子]]:文京区 * [[南央美]] * [[みなもりあすか]] * [[峰あつ子]] * [[嶺内ともみ]] * [[三森すずこ]]([[μ's]]、元ミルキィホームズ) * [[三宅淳一]] * [[宮島依里]] * [[宮島史年]] * [[宮崎羽衣]] * [[宮原永海]] * [[宮本崇弘]] * [[向井莉生]] * [[武藤正史]] * [[村上奈津実]] * [[村川梨衣]] * [[村越伊知郎]] * [[村瀬克輝]] * [[村山明 (声優)|村山明]]:台東区 * [[望月久代]]:八王子市 * [[森功至]]:文京区 * [[森川智之]]:品川区(育ちは[[神奈川県]]) * [[森田成一]]:墨田区 * [[森久保祥太郎]]:八王子市<ref>織田信雄編「森久保祥太郎」『ボイスクロニクル 声の年代記』[[学習研究社]]、2007年11月1日 {{ISBN2|978-4-05-604923-7}}、72-79頁。</ref> * [[桃井はるこ]] * [[森永理科]] * [[矢薙直樹]] * [[柳沢栄治]] * [[梁田清之]]:練馬区 * [[八奈見乗児]] * [[矢作紗友里]] * [[山内雅人]] * [[山川亜弥]] * [[山口智大]] * [[山崎たくみ]] * [[山下啓介]] * [[山下夏生]] * [[山田奈都美]] * [[山田康雄]]:大田区 * [[山野井仁]] * [[山本彩乃]] * [[山本麻里安]]:目黒区 * [[山本百合子]]:日野市 * [[屋良有作]]:足立区 * [[結名美月]] * [[優希比呂]]<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://www.kenproduction.co.jp/list/u-ki_2.html|title=結城 比呂|publisher=[[賢プロダクション]]|accessdate=2021-11-2|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070403014046/http://www.kenproduction.co.jp/list/u-ki_2.html|archivedate=2007-4-3}}</ref> * [[遊魚静]] * [[横尾まり]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/横尾まり/|title=横尾まり(よこおまり)の解説|work=goo人名事典|accessdate=2020-12-1}}</ref> * [[横山智佐]]:墨田区 * [[吉岡麻耶]] * [[吉田小南美]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pro-tanc.com/female/yoshidakonami/|title=吉田小南美|publisher=プロダクション・タンク|accessdate=2021-11-2 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160803104439/http://www.pro-tanc.com/female/yoshidakonami/|archivedate=2016-8-3}}</ref> * [[吉田裕秋]] * [[吉住梢]] * [[吉成由貴]] * [[力丸乃りこ]] * [[和氣あず未]] * [[渡辺和彦 (声優)|渡辺和彦]] * [[渡辺菜生子]]:杉並区 * [[渡辺克己]] * [[渡辺英雄]] * [[渡辺美佐 (声優)|渡辺美佐]] * [[渡邉佳美|渡辺佳美]] }} === パフォーマー === {{columns-list|2| * [[紅蘭]] * [[佐野玲於]] * [[夏野かをり]] * [[武藤千春]] }} == スポーツ選手 == === 野球 === * [[相川進]](元[[中日ドラゴンズ|中日]]-[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]) * [[青木勇人 (野球)|青木勇人]](元[[埼玉西武ライオンズ|西武]]-[[広島東洋カープ|広島]]、現[[埼玉西武ライオンズ]]三軍投手コーチ):江戸川区 * [[秋吉亮]]([[東京ヤクルトスワローズ]]-[[北海道日本ハムファイターズ]]-[[福井ネクサスエレファンツ]]-[[福岡ソフトバンクホークス]]):足立区 * [[阿久根鋼吉]](元[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]):足立区 * [[淺間大基]](北海道日本ハムファイターズ):新宿区 * [[荒川博]](元[[千葉ロッテマリーンズ|毎日]]) * [[荒川雄太]](元福岡ソフトバンク-[[埼玉西武ライオンズ|埼玉西武]]):大田区 * [[荒木大輔]](元[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]、現北海道日本ハムファイターズ投手コーチ):調布市 * [[荒木郁也]]([[阪神タイガース]]):江東区 * [[飯田哲也 (野球)|飯田哲也]](元ヤクルト-[[東北楽天ゴールデンイーグルス|東北楽天]]、元東京ヤクルト-福岡ソフトバンクコーチ):調布市 * 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[[北島康介]](アテネ五輪、北京五輪100m・200m平泳ぎ金メダリスト):荒川区 * [[池江璃花子]]:江東区 * [[渡部香生子]]:葛飾区 ==== シンクロナイズドスイミング ==== * [[川嶋奈緒子]] * [[小谷実可子]] * [[原田早穂]] * [[藤丸真世]]:調布市 ==== フリーダイビング ==== * [[岡本美鈴]] * [[HANAKO|廣瀬花子]] === 自転車競技 === <!--五十音順--> * [[市川雅敏]] * [[山宮正]]:目黒区 * [[杉原鏘一郎]]:八王子市 * [[高村直樹]]:練馬区 * [[竹谷賢二]] * [[平塚吉光]] * [[吉井功治]] ==== 競輪選手 ==== <!--五十音順--> * [[藍野美穂]]*:足立区 * [[飯島規之]]:出生地。埼玉県育ち。 * [[植村央]] * [[内田慶]]:中央区 * [[岡田征陽]]:青梅市 * [[尾崎雅彦]] * [[海法秀一]]:江東区 * [[梶田舞]]*:台東区 * [[加藤一 (画家)|加藤一]]:[[神田小川町]](千代田区) * [[工藤元司郎]]:港区 * [[小林莉子]]*:あきる野市(静岡県掛川市出生) * [[桜井久昭]] * [[高木隆弘]]:台東区 * [[高木真備]]*:町田市([[岡山県]][[真備町]](現 [[倉敷市]])にて生誕)。 * [[波潟和男]] * [[平林己佐男]] * [[増茂るるこ]]* * [[山口国男]]:荒川区 * [[山口健治]]:荒川区 ;東京都出身ではないが、登録地としている(いた)選手 * [[石井寛子 (競輪選手)|石井寛子]]*:[[埼玉県]][[春日部市]]出身。 * [[石井貴子 (1988年生の競輪選手)]]*:埼玉県春日部市出身。 * [[市村和昭]]:[[長野県]][[軽井沢町]]出身。後に長野県へ登録地を移籍。 * [[大宮政志]]:[[岩手県]][[滝沢市|滝沢村]]出身。 * [[奥井迪]]*:[[北海道]][[札幌市]]出身。 * [[清嶋彰一]]:[[熊本市]]出身。後に福井県へ登録地を移籍。 * [[後閑信一]]:[[群馬県]][[前橋市]]出身。群馬県から登録地を移籍。 * [[齊藤努]]:旧姓・横田、[[熊本市]]出身。[[熊本県]]から登録地を移籍。 * [[中村由香里 (競輪選手)|中村由香里]]*:[[大阪市]]出身 === モータースポーツ === ==== ドライバー(4輪レース) ==== * [[伊藤大輔 (レーサー)|伊藤大輔]]:北区 * [[神子島みか]] * [[木下隆之]] * [[佐藤琢磨]]([[F1ドライバー]]):新宿区 * [[周防彰悟]] * [[本山哲]] * [[柳田真孝]] ==== ライダー(オートバイレース) ==== * [[阿部典史]] * [[坂田和人]] * [[関口太郎 (レーサー)|関口太郎]]:府中市 * [[藤原儀彦]] * [[梁明]] * [[吉川和多留]]:八王子市 ==== オートレース ==== * [[森且行]](元[[SMAP]]メンバー):足立区 ==== 競艇選手 ==== * [[濱野谷憲吾]]:世田谷区 * [[阿波勝哉]]:練馬区 === 競馬 === ==== 騎手 ==== * [[石川駿介]]([[大井競馬場|大井競馬]]) * [[石川裕紀人]]([[美浦トレーニングセンター|美浦]]所属) * [[石橋脩]](美浦所属) * [[遠藤健太]](大井競馬) * [[大塚栄三郎]](元JRA騎手) * [[大西直宏]](元JRA騎手) * [[荻野極]]([[栗東トレーニングセンター|栗東]]所属):目黒区 * [[笠野雄大]]([[船橋競馬場|船橋競馬]]) * [[嘉藤貴行]](美浦所属):大田区 * [[川島信二]](栗東所属) * [[川又賢治]](栗東所属) * [[桑村真明]]([[ホッカイドウ競馬]]):千代田区 * [[坂井瑠星]](栗東所属) * [[佐藤祐樹]](元船橋競馬) * [[澤田龍哉]](船橋競馬) * [[関本淳]]([[盛岡競馬場|盛岡競馬]]):江戸川区 * [[高橋利幸 (競馬)|高橋利幸]](船橋競馬):八王子市 * [[田中剛]](美浦所属) * [[中谷雄太]](元JRA騎手):世田谷区 * [[仲野光馬]](船橋競馬) * [[早田功駿]](大井競馬) * [[半澤慶実]]([[浦和競馬場|浦和競馬]]) * [[古川奈穂]](栗東所属):千代田区 * [[本田正重]](船橋競馬):江東区 * [[増沢由貴子]](元JRA騎手) * [[松崎正泰]](大井競馬) * [[松戸政也]]([[金沢競馬場|金沢競馬]]) * [[三浦皇成]](美浦所属):練馬区 * [[山田敬士]](美浦所属) * [[横山典弘]](美浦所属):府中市 * [[吉井章]](大井競馬) ==== 調教師 ==== * [[岩城博俊]](美浦所属、現調教助手) * [[大久保洋吉]](美浦所属) * [[沖芳夫]](栗東所属) * [[奥平雅士]](美浦所属) * [[小野次郎 (競馬)|小野次郎]](美浦所属) * [[加藤征弘]](美浦所属) * [[菅原泰夫]](美浦所属) * [[勢司和浩]](美浦所属) * [[高橋裕 (競馬)|高橋裕]](美浦所属) * [[田島俊明]](美浦所属) * [[戸田博文]](美浦所属) * [[中野栄治]](美浦所属) * [[根本康広]](美浦所属) * [[浜田光正]](栗東所属) * [[本田優]](栗東所属) * [[松山康久]](美浦所属) * [[村山明 (競馬)|村山明]](元騎手、栗東所属) * [[保田一隆]](美浦所属) * [[矢作芳人]](栗東所属) === ラグビー === *[[相沢雅晴]]([[ラグビー日本代表|日本代表]]選手) *[[青木佑輔]](日本代表選手) *[[赤堀龍秀]]:西東京市 *[[アキラ・イオアネ]] *[[麻生典宏]]:町田市 *[[天野義久]] *[[飯島均]]([[パナソニック ワイルドナイツ]]監督) *[[生田久貴]](日本代表選手) *[[池村章宏]] *[[石井魁]] *[[石澤輝]] *[[石塚武生]](日本代表選手、伊勢丹監督、[[早稲田大学ラグビー蹴球部|早稲田大学]]監督、[[常総学院高校]]監督) *[[石塚弘章]] *[[石原慎太郎 (ラグビー選手)|石原慎太郎]]:三鷹市 *[[伊藤真 (ラグビー選手)|伊藤真]] *[[伊藤拓巳]] *[[伊藤剛臣]](日本代表選手):荒川区 *[[伊藤忠幸]](日本代表選手) *[[伊藤有司]]:足立区 *[[伊藤雄大]] *[[井上卓哉]]:練馬区 *[[猪口拓]](日本代表選手) *[[岩上龍]] *[[岩渕健輔]](日本代表選手、日本代表[[ゼネラルマネージャー]]) *[[上田昭夫]](日本代表選手、[[慶應義塾體育會蹴球部|慶應義塾大学]]監督):豊島区 *[[植村健太郎]] *[[上村康太]] *[[生沼知裕]]:江戸川区 *[[榎本淳平]] *[[大越元気]] *[[大貫慎二]](日本代表選手) *[[岡健二]] *[[小川仁士]]([[車いすラグビー日本代表]]選手):北区 *[[小木曽晃大]] *[[小倉順平]]:八王子市 *[[小山内健]] *[[小澤和人]] *[[香川メレ優愛ハヴィリ]]:立川市 *[[笠井建志]](日本代表選手) *[[葛西拓斗]] *[[金澤徹]]:世田谷区 *[[金子大介]] *[[加納遼大]]:葛飾区 *[[川合カイト]] *[[川合レオ]](日本代表選手) *[[川俣晃人]] *[[川俣直樹]](日本代表選手) *[[川村慎]] *[[北村彦樹]]:足立区 *[[小池善行]] *[[小池隆成]] *[[小泉将]]:多摩市 *[[古賀太貴]]:目黒区 *[[小島昂]] *[[小西想羅]] *[[小林深緑郎]](ラグビージャーナリスト) *[[小林航]]:杉並区 *[[小堀弘朝]] *[[斉藤祐也]](日本代表選手) *[[齋藤良明慈縁]] *[[酒井宏之]]:北区 *[[相良昌彦]] *[[坂和樹]] *[[坂本洋道]]:昭島市 *[[笹川大五]]:中野区 *[[佐藤一斗]] *[[佐藤真吾]] *[[佐藤大朗]] *[[佐藤耀]] *[[三宮累]] *[[塩崎優衣]]:中野区 *[[島崎文治]](日本代表選手、[[法政大学ラグビー部|法政大学]]監督) *[[島田悠平]] *[[清水新也]] *[[清水直志]] *[[白子未祐]] *[[信野将人]] *[[菅谷優]]:足立区 *[[杉浦拓実]] *[[杉本崇馬]] *[[杉本悠馬]] *[[杉山祐太]] *[[鈴木秀丸]](日本代表選手、法政大学監督) *[[鈴木美緒]] *[[須藤元樹]]:板橋区 *[[須藤拓輝]]:世田谷区 *[[小林日出夫|角日出夫]](旧姓:小林、日本代表選手):文京区 *[[関本圭汰]] *[[高田晋作]] *[[高橋寛 (ラグビー選手)|高橋寛]] *[[高橋真弓 (レフリー)|高橋真弓]](女子日本代表選手、レフリー):国立市 *[[高平祐輝]] *[[滝澤佳之]] *[[武見敬三]] *[[立花陽三]] *[[辰野新之介]] *[[田中真一]] *[[田邉篤]] *[[玉塚元一]] *[[丹治辰碩]] *[[千葉太一]] *[[束田涼太]] *[[辻雄康]]:港区 *[[土屋鷹一郎]] *[[土一海人]] *[[東郷太朗丸]] *[[徳田悠人]] *[[冨沢智也]] *[[豊島翔平]] *[[豊島直哉]] *[[中田英里]] *[[中村和史]] *[[中村公星]] *[[中村駿太 (ラグビー選手)|中村駿太]]:杉並区 *[[滑川剛人]] *[[西野綱三]](日本代表監督、早稲田大学監督) *[[野口宜裕]] *[[畠山和真]] *[[バティヴァカロロアテザ優海]] *[[バティヴァカロロ・ライチェル・海遥]] *[[濱田宇功]] *[[原島知行]] *[[日高健]] *[[平野優芽]] *[[日比野弘]](日本代表選手、日本代表監督、早稲田大学監督) *[[深津健吾]]:府中市 *[[福澤克雄]](旧姓:山越) *[[藤井貢]](日本代表選手) *[[藤原秀之]]([[桐蔭学園中学校・高等学校|桐蔭学園高校]]監督) *[[藤本健友]] *[[古川満]] *[[堀江恭佑]](日本代表選手) *[[堀越慈]](日本代表選手、慶應義塾大学監督) *[[本城和彦]](日本代表選手、[[7人制ラグビー男子日本代表|7人制ラグビー日本代表]]監督、[[サントリーサンゴリアス|サントリー]]ヘッドコーチ) *[[本領信治郎]](早稲田大学監督) *[[増田慶介]] *[[増保輝則]](日本代表選手、[[神戸製鋼コベルコスティーラーズ]]監督) *[[松尾雄治]](日本代表選手、[[釜石シーウェイブス|新日鐵釜石]][[選手兼任監督]]、[[成城大学ラグビー部|成城大学]]ヘッドコーチ):渋谷区 *[[松田凜日]]:国分寺市 *[[松村拓海]] *[[丸尾崇真]]:千代田区 *[[水谷眞]](日本代表選手) *[[三浦豪]] *[[三浦嶺]]:八王子市 *[[宮上廉]] *[[宮澤正利]]:八王子市 *[[武川正敏]] *[[村井大次郎]](日本代表選手) *[[村上愛梨]]([[ラグビー女子日本代表|女子日本代表]]選手) *[[目崎啓志]]:足立区 *[[持田昌典]]:千代田区 *[[森太志]] *[[八木鉄兵]] *[[八木下恵介]]:文京区 *[[安尾琴乃]] *[[八角浩司]](日本代表選手) *[[山内雅延]]:世田谷区 *[[山菅一史]] *[[山極大貴]] *[[山路泰生]](日本代表選手) *[[山本逸平]] *[[湯川正夫]]([[日本ラグビーフットボール協会]]第4代会長、[[九州ラグビーフットボール協会]]会長) *[[横尾千里]](女子日本代表選手) *[[横山大輔]] *[[吉岡肇]]([[國學院大學栃木中学校・高等学校|國學院栃木高校]]監督) *[[吉川遼]]:調布市 *[[吉永宏二郎]](日本代表選手) *[[吉廣広征]] *[[依田賢人]] *[[李聖彰]] *[[渡瀬裕司]] *[[渡邉泰憲]](日本代表選手):板橋区(北海道千歳市出生) === フリークライミング === *[[平山ユージ]] === スケートボード === *[[杉本瑛生]] *[[堀米雄斗]]:江東区 == アナウンサー・キャスター・ジャーナリスト == === [[日本放送協会|NHK]] === '''男性''' ; あ行 * [[青井実]] * [[青沼郁夫]] * [[秋田建三]] * [[新井隆太]] * [[飯島徹郎]] * [[飯塚洋介]] * [[池野健]] * [[石川光太郎]] * [[石平光男]] * [[石嶺誠一郎]] * [[泉浩司]] * [[市川泰]] * [[一橋忠之]] * [[伊奈正高]] * [[上野速人]] * [[内多勝康]] * [[梅津正樹]] * [[大湖弘之]] * [[太田雅英]] * [[大槻隆行]] * [[大橋信之]] * [[小野塚康之]] ; か行 * [[柿沼郭]] * [[葛西聖司]] * [[金子哲也]] * [[鹿野睦]] * [[川野一宇]] * [[栗田勇人]] * [[栗田晴行]] * [[黒沢保裕]] * [[厚井大樹]] * [[小松宏司]] * [[小宮山晃義]] ; さ行 * [[阪本篤志]] * [[里匠]] * [[三條雅幸]] * [[塩澤大輔]] * [[志摩悦二郎]] * [[杉原満]] * [[鈴木桂一郎]] ; た行 * [[高井正智]] * [[高木康博]] * [[高橋淳之]] * [[田中朋樹]] * [[田中寛人]] * [[田中浩史]] * [[伊達正隆]] * [[千野秀和]] * [[塚原泰介]] * [[土橋大記]] * [[坪倉善彦]] * [[登坂淳一]] * [[富田典保]] * [[鳥海貴樹]] ; な行 * [[中山庸介]] * [[根岸昌史]] * [[野口博康]] * [[野瀬正夫]] ; は行 * [[土方康]] * [[比留間亮司]] * [[昼間敬仁]] * [[広瀬靖浩]] * [[福井茂]] * [[福原健一]] * [[古谷敏郎]] * [[細田史雄]] ; ま行 * [[真下貴]] * [[町田右]] * [[町永俊雄]] * [[松平定知]](嘱託) * [[三上たつ次]]:大島町 * [[三上弥]]<ref>NHK全国アナウンサー名鑑『NHKウィークリーステラ』三上 弥</ref> * [[水谷彰宏]] * [[道谷眞平]] * [[本澤一郎]] * [[森田洋平 (アナウンサー)|森田洋平]] * [[森中直樹]] ; や行 * [[山岡裕明]] * [[横井健吉]] * [[横林良純]] * [[横山哲也]] * [[吉田一之]] ; ら行・わ行 * [[渡辺憲司]] * [[渡部英美]] * [[和田源二]] * [[和田光太郎]] * [[和田政宗]] '''女性''' * [[浅野里香]]:生まれは[[愛媛県]] * [[荒木美和]] * [[石井かおる]] * [[石井麻由子]] * [[石橋亜紗]] * [[出田奈々]]:江東区 * [[岩﨑果歩]] * [[川口由梨香]] * [[小郷知子]]:世田谷区 * [[兼清麻美]] * [[小林千恵]] * [[斎藤希実子]]:世田谷区 * [[塩﨑実央]] * [[柴田祐規子]] * [[高橋さとみ]] - 気象予報士 * [[塚原愛]] * [[道傳愛子]] - 現在は[[解説委員]] * [[内藤裕子]] * [[中村愛 (アナウンサー)|中村愛]] * [[橋詰彩季]]:大田区 * [[姫野美南]] * [[藤井彩子]]:[[大阪府]]育ち * [[藤原優紀]] * [[星麻琴]] * [[松村正代]] * [[宮本愛子 (アナウンサー)|宮本愛子]] - 現在はラジオセンターディレクター * [[迎康子]] - 現在はシニアスタッフ:[[埼玉県]]育ち * [[村上由利子]] - 記者から転身:府中市 * [[山本志保]] * [[與芝由三栄]] * [[渡邊佐和子]] === 在京民放局 === '''[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]''' ; 男性 * [[加藤聡 (報道記者)|加藤聡]] - 現在は報道局記者 * [[佐藤義朗]]:文京区 * [[鈴木崇司]]:杉並区 * [[高橋雄一 (日本テレビ)|高橋雄一]] - 現在は営業局に異動 * [[鳥羽博剛]] - 現在は報道局社会部に異動 * [[右松健太]]:町田市 * [[村山喜彦]] - 現在はアナウンス部長:世田谷区 ; 女性 * [[河出奈都美]]:品川区 * [[郡司恭子]] * [[杉上佐智枝]] * [[徳島えりか]] * [[角田久美子]] - 現在は編成局 * [[延友陽子]] - 一時[[アール・エフ・ラジオ日本|RFラジオ日本]]に出向 * [[馬場典子]] * [[山下美穂子]] - 一時RFラジオ日本に出向 '''[[TBSテレビ]]''' TBSのアナウンサーは、分社化策などにより、出向という形で子会社のTBSテレビに所属する。 ; 男性 * [[芥川隆行]]:港区 * [[池田裕行]](報道記者、現在[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]][[パリ]]支局長) * [[池谷三郎]]:中央区 * [[稲川英雄]]:中央区 * [[清水大輔 (アナウンサー)|清水大輔]](元[[札幌テレビ放送]]) * [[新堀俊明]]:新宿区 * [[鈴木順]] * [[土井敏之]](元NHK) * [[戸崎貴広]] * [[林正浩]] * [[藤森祥平]]:東久留米市 * [[松下賢次]] * [[宮澤隆]] * [[井上貴博 (アナウンサー)|井上貴博]] * [[山田修爾]]:渋谷区 * [[山本文郎]] * [[渡辺謙太郎]] ; 女性 * [[青木裕子 (1983年生)|青木裕子]] * [[出水麻衣]] * [[小川知子 (アナウンサー)|小川知子]] * [[小倉弘子]]:江東区 * [[木村郁美]] * [[外山惠理]] * [[高畑百合子]] * [[野村彩也子]] * [[日比麻音子]] * [[水野真裕美]] * [[皆川玲奈]] * [[山内あゆ]] '''[[フジテレビジョン|フジテレビ]]''' ; 男性 * [[榎並大二郎]]:[[杉並区]] * [[奥寺健]] * [[笠井信輔]]:[[世田谷区]] * [[軽部真一]] * [[川端健嗣]] * [[向坂樹興]] * [[鈴木芳彦]] * [[須田哲夫]] * [[竹下陽平]] * [[田淵裕章]] * [[長坂哲夫]] * [[中村光宏]] * [[福井慶仁]] * [[福原直英]] * [[森下知哉]] ; 女性 * [[秋元優里]] * [[内田嶺衣奈]] * [[梅津弥英子]] * [[木幡美子]] * [[高木広子]] * [[高島彩]]:江東区 * [[高橋真麻]] * [[田代優美]](元ニッポン放送) * [[原田葵]](元[[櫻坂46]]) * [[平井理央]](元アイドル) * [[藤村さおり]] * [[益田由美]] * [[松尾紀子]] * [[三上真奈]] * [[三田友梨佳]] * [[吉崎典子]] '''[[テレビ朝日]]''' ; 男性 * [[大熊英司]] * [[角澤照治]] * [[加藤泰平]] * [[川松真一朗]] * [[佐々木亮太]] * [[勝田和宏]] * [[田畑祐一 (アナウンサー)|田畑祐一]] * [[坪井直樹]] * [[寺崎貴司]] * [[中山貴雄]] * [[藤井暁]] * [[古澤琢]] * [[松苗慎一郎]] * [[真鍋由]] * [[吉野真治]] ; 女性 * [[安藤萌々]] * [[石井希和]] * [[上宮菜々子]] * [[大木優紀]] * [[岡田洋子]] * [[河野明子]] * [[久保田直子]] * [[下平さやか]] * [[高橋真紀子]] * [[武内絵美]] * [[堂真理子]] * [[萩野志保子]] '''[[テレビ東京]]''' ; 男性 * [[大岡優一郎]](元NHK) * [[久保田麻三留]](元NHK) * [[島田弘久]] * [[中川聡]] ; 女性 * [[植田萌子]] * [[角谷暁子]] * [[倉野麻里]] * [[佐々木明子]] * [[末武里佳子]] * [[滝井礼乃]] * [[田中瞳 (アナウンサー)|田中瞳]]:板橋区 * [[茅原ますみ]](フジテレビアナウンサー・笠井信輔の妻。現在は報道デスク) * [[繁田美貴]] * [[松丸友紀]]:[[江戸川区]] '''[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]''' * [[上田万由子]] * [[奥沢優美]](おくざわ・まさみ) * [[小泉恵未]] * [[坂本知子]] === 在京民放ラジオ局 === * [[伊藤佳子]] - [[文化放送]]、元[[宮崎放送]] * [[太田英明]] - 文化放送:葛飾区 * [[斉藤一美]] - 文化放送:渋谷区 * [[白井静雄]] - 文化放送 * [[寺島尚正]] - 文化放送:杉並区 * [[藤木千穂]] - 文化放送、現在は編成局:足立区 * [[水谷加奈]] - 文化放送 * [[吉田尚記]] - [[ニッポン放送]] * [[渡辺和昭]] - [[日経ラジオ社|ラジオNIKKEI]]:[[渋谷区]] === 在阪民放局 === '''[[毎日放送]]''' * [[伊藤広]](東京支社ラジオ部) * [[伊東正治]](現在ラジオ局編成部長) * [[馬野雅行]] * [[山中真]] * [[結城哲郎]](アナウンサー室長) '''[[朝日放送グループホールディングス|朝日放送]]'''<ref group="注">[[2018年]]4月、旧法人の[[放送持株会社|持株会社]]化に伴い、アナウンサー全員は[[朝日放送テレビ]]所属となった。</ref> * [[芦沢誠]]:大田区 * [[上田剛彦]]:大田区 * [[太田元治]](現在スポーツ局局次長兼業務担当部長):豊島区 * [[清水次郎]]:狛江市 * [[高野直子 (アナウンサー)|高野直子]]:葛飾区 * [[田中花子]]:墨田区 * [[保坂和拓]]:新宿区 * [[堀江政生]]:武蔵野市 * [[増田紗織]] '''[[関西テレビ放送|関西テレビ]]''' * [[大橋雄介]]:大田区 * [[馬場鉄志]]:西多摩郡日の出町 * [[毛利八郎]](アナウンス部長):目黒区 * [[吉原功兼]] '''[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]''' * [[植村なおみ]] * [[小林杏奈]] * [[森武史]] === その他の民放 === * [[藺草英己]] - [[福島テレビ]]:江戸川区 * [[大家彩香]] - 札幌テレビ放送:墨田区 * [[大島璃音]] - [[ウェザーニューズ]] * [[岡田浩一]] - 九州朝日放送(現在は営業部に異動)、元[[テレビ山梨]]:北区 * [[木村和也]] - [[熊本放送]]:国立市 * [[小磯誠]] - [[ラジオ沖縄]] * [[漣彰人]] - [[北海道テレビ放送]]:世田谷区 * [[鮫島大史]] - [[青森放送]]:日野市 * [[瀧口俊介]] - [[アール・エフ・ラジオ日本|RFラジオ日本]]、元[[石川テレビ放送]]→フリー * [[徳増ないる]] - [[静岡第一テレビ]]:品川区 * [[永井公彦]] - 札幌テレビ放送 * [[西尾優希]] - 札幌テレビ放送 * [[平沢幸子]] - [[長野朝日放送]]:武蔵野市 * [[深澤朝香]] - [[テレビ北海道]]、元[[山口放送]]:生まれは[[宮崎県]][[延岡市]] * [[藤井学]] - 長野朝日放送(現在は営業部に異動):江戸川区 * [[本仮屋リイナ]] - [[東海テレビ放送]] * [[吉田雅英]] - [[北海道文化放送]]、元[[群馬テレビ]]:北区 === フリー === * [[芦川愛子]] - 元[[茨城放送]]:武蔵野市 * [[雨宮塔子]] - 元TBS * [[井上光央]] - 元毎日放送 * [[石井しおり]] - 元[[九州朝日放送]]([[テレビ朝日アスク]]から派遣、「石井栞」で活動)→フリー→北海道文化放送:狛江市 * [[植草貞夫]] - 元朝日放送 * [[宇野和男]] - [[メディア・スタッフ]]所属、元[[テレビせとうち]]→元[[日経ラジオ社|ラジオたんぱ]] * [[大沢悠里]] - 元TBS:[[浅草区]] * [[大慈弥レイ]] - 元札幌テレビ放送 * [[小川友佳]] * [[小堺翔太]] * [[小野寺麻衣]] - 元日本テレビ * [[菊竹桃香]] - 元[[福島中央テレビ]]:足立区 * [[小林麻耶]] - 元TBS:荒川区、生まれは新潟県 * [[杉山一雄]](元関西テレビ、現在も同局専属):新宿区 * [[鈴木健 (アナウンサー)|鈴木健]](元日本テレビ):足立区 * [[鈴木美穂 (報道記者)|鈴木美穂]](元日本テレビ) * [[脊山麻理子]] - [[ホリプロ]]所属、元日本テレビ→フリー(元[[アーキテクト (企業)|アーキテクト]]所属) * [[千田正穂]](元NHK):文京区 * [[高柳謙一]](元朝日放送→[[WOWOW]]) * [[中田有紀 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毎日新聞特別編集委員、[[日本ニュース時事能力検定協会]]理事長 * [[後藤謙次]] - 共同通信社編集委員 * [[加藤千洋]] - 朝日新聞編集委員、『報道ステーション』レギュラーコメンテーター * [[山本泰夫]] - [[産経新聞出版]]代表取締役社長 * [[和田圭]] - フジテレビ報道局解説委員 == その他 == === 宗教家 === * [[内村鑑三]]([[キリスト教]][[思想家]]) * [[白柳誠一]]([[カトリック教会|カトリック]]の[[枢機卿]]):八王子市 * [[新島襄]](キリスト教布教家、[[同志社英学校]]の創立者) * [[濱尾文郎]](カトリックの枢機卿) * [[田中智學]]([[国柱会]]創始者) * [[岡田光玉]]([[世界真光文明教団]]の教祖) * [[岡田茂吉]]([[世界救世教]]の創始者) * [[秋谷栄之助]]([[創価学会]]最高指導会議議長) * [[池田大作]](創価学会名誉会長):大田区 * [[池田尊弘]](創価学会副会長、[[学校法人創価学園|創価学園]]主事) * [[池田博正]](創価学会副理事長) * [[原田稔]](創価学会第6代会長) * [[日如]]([[日蓮正宗]]第68世法主) * [[日顕 (日蓮正宗)|日顕]](日蓮正宗第67世法主):墨田区 * [[日達]](日蓮正宗第66世法主) * [[五井昌久]](白光真宏会創始者):台東区 * [[浅井昭衛]]([[冨士大石寺顕正会]]会長) === 実業家 === * [[青木廣彰]]([[ロッキー青木]]、[[アメリカ合衆国|米国]]ベニハナ[[オーナー]]、[[冒険家]]) * [[新居佳英]]([[アトラエ]]創業者・CEO、[[アルティーリ千葉]]創設者) * [[荒木浩 (東京電力)|荒木浩]](元[[東京電力]]社長) * [[安西孝之]]([[昭和電工]]元専務) * [[安徳孝平]]([[enish]]創業者・社長) * [[石坂泰三]]([[第一生命保険|第一生命]]・[[東芝]]元社長、[[日本経済団体連合会|経団連]]元会長) * [[石坂信也]]([[ゴルフダイジェスト・オンライン]]創業者・社長) * [[石田満 (実業家)|石田満]]([[銚子丸]]社長) * 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web|和書|url=https://www.nichiyaku.or.jp/about/summary/president.html|title=日本薬剤師会の歴代会長|accessdate=2023-09-22|publisher=日本薬剤師会}}</ref>):文京区<ref>{{Cite report|language=ja|author=日本漢方生薬製剤協会広報委員会|date=2020-05-19|title=日漢協ニューズレター 109号|url=https://www.nikkankyo.org/action/nl/nl_109/nl_109.pdf|publisher=日本漢方生薬製剤協会|format=PDF|chapter=私の健康法|section=日本薬剤師会会長 山本信夫さん 足がつった時に芍薬甘草湯|page=11|accessdate=2023-09-22}}</ref> * [[横田拓也]](社会運動家) * [[ワシノミカ]](ファッションデザイナー、ウェブデザイナー、イラストレーター):板橋区 * [[瀧島未香]]([[フィットネス]][[インストラクター]]):荏原郡(現・品川区) === 架空の人物 === * [[両津勘吉]](『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』):台東区千束 * [[本田速人]](『こちら葛飾区亀有公園前派出所』) * [[中川圭一]](『こちら葛飾区亀有公園前派出所』) * [[野比のび太]](『[[ドラえもん]]』):練馬区 * [[源静香]](『ドラえもん』):練馬区 * [[骨川スネ夫]](『ドラえもん』):練馬区月見台すすきが原 * [[剛田武]](『ドラえもん』):練馬区 ===東京都にゆかりのある人物=== * [[野上浩太郎]](政治家):自身は富山県富山市で生まれ育ったが父親の[[野上徹]]が東京都渋谷区で生まれ育った。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} {{都道府県別|[[:Category:日本の都道府県出身別の人名一覧|日本の都道府県出身別の人物一覧]]|出身の人物一覧|state = autocollapse}} 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ピアノ四重奏曲第1番 (ドヴォルザーク)
ピアノ四重奏曲第1番 ニ長調 作品23(B.53)は、アントニン・ドヴォルザークが作曲したピアノ四重奏曲。 ドヴォルザークは1870年代の前半には名声にも金銭的にも恵まれないままであったが、1875年2月に栄えあるオーストリア政府の賞を獲得することになる。この受賞は彼に資金面での余裕をもたらすことになり、ドヴォルザークはここから旺盛な創作意欲を発揮する。本作は1875年に5月24日から6月10日のわずか18日間で書き上げられ、若干の修正を経た後の1880年12月16日にプラハにおいて芸術愛好家グループが後援する演奏会で初演された。 この時期のドヴォルザークの楽曲は自然に湧き出たような旋律の横溢を特徴とし、本作の民謡調の素朴な旋律も心に残るものとなっている。弦楽器奏者であった作曲者の書いたピアノパートはぎこちなさの残るものであるが、楽曲には当時の彼が作曲家としての技術を極めつつあったことが示されている。 全3楽章で構成される。演奏時間は約35分。 譜例1のようにニ長調で開始するものの、10小節目には早くもロ長調への転調を果たし、以降はロ長調が曲を支配していく。 譜例1 第2主題はそれまでの曲中に現れていた2つの材料を組み合わせて生み出されている(譜例2)。 譜例2 提示部は反復記号の指示により繰り返される。展開部は主題全体を移調しただけの部分もあり、あまり手の込んだものとは言い難い。再現部はピアノのアルペッジョに乗って開始される。第2主題の再現はチェロが先導する。コーダでは両主題が壮大に奏されてクライマックスを築いた後、急速に静まって弱音で終わりを迎える。 主題に続く5つの変奏とコーダからなる変奏曲。ロ短調という調性の選択は、第1楽章がロ長調を中心としていたことに由来するものであるという見解もある。ヴァイオリンが奏でる譜例3の主題はまず弦楽器のみではじまり、チェロに歌い継がれる中でピアノが遅れて入ってくる。 譜例3 第1変奏はウン・ポコ・ピウ・モッソとなり、ピアノのスタッカートによる伴奏の上でヴァイオリンとチェロがまばらに変奏を行う。第2変奏はポコ・アンダンテで、主題はターン風の音型へと変化させられる。第3変奏では主題の逆行が用いられる(譜例4)。 譜例4 第4変奏では変ホ長調とロ短調の間を行きつ戻りつし、第5変奏では下降音型が奏される。コーダは主題を半音階的に色付けし、苦悶の表情をもって終わりを迎える。 終楽章はスケルツォとフィナーレを融合させた形を取っている。冒頭からの主題の提示はチェロが担う(譜例5)。この主題はワルツ調であるが、すぐ後に現れる急速な楽想はフリアントと思わせるところがある。 譜例5 アレグレットと急速なエピソードが交代しながら進行し、新たな主題にたどり着く(譜例6)。メンデルスゾーンを思わせる滑らかな表情を纏っており、アレグロ・アジタートという速度表示から受ける印象からはかけ離れている。 譜例6 頂点を築いた後に元のテンポとなってチェロから譜例5が再現される。やはり速い速度の楽想に交代するが、その速度のまま譜例5を奏するなど変化を見せる。譜例6の再現を経てコーダとなる。コーダでは譜例6をコミカルな調子に変奏して奏し、歯切れよく全曲に終止符を打つ。
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ピアノ四重奏曲第1番 ニ長調 作品23(B.53)は、アントニン・ドヴォルザークが作曲したピアノ四重奏曲。
{{Portal クラシック音楽}} '''ピアノ四重奏曲第1番''' ニ長調 [[作品番号|作品]]23([[ヤルミル・ブルクハウザー|B.]]53)は、[[アントニン・ドヴォルザーク]]が作曲した[[ピアノ四重奏曲]]<ref name="Honalka">{{cite book |last=Honolka |first=Kurt |author-link=クルト・ホノルカ |date=2004 |title=Dvořák |url=https://books.google.com/books?id=kAVSQlZr-i4C&pg=PA160 |publisher=Haus Publishing |page=35 |isbn=9781904341529 |via=Google Books}}</ref>。 == 概要 == ドヴォルザークは1870年代の前半には名声にも金銭的にも恵まれないままであったが、1875年2月に栄えあるオーストリア政府の賞を獲得することになる<ref name="hyperion" />。この受賞は彼に資金面での余裕をもたらすことになり、ドヴォルザークはここから旺盛な創作意欲を発揮する<ref name="hyperion" />。本作は1875年に5月24日から6月10日のわずか18日間で書き上げられ、若干の修正を経た後の1880年12月16日に[[プラハ]]において芸術愛好家グループが後援する演奏会で初演された<ref name="hyperion">{{Cite web|url=https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDA66287 |title=Dvořák: Piano Quartets |first=Richard |last=Wigmore |publisher=[[ハイペリオン・レコード|Hyperion records]] |accessdate=2023-09-21}}</ref><ref name="Dvorak">{{Cite web|title=Piano Quartet No. 1|url=http://www.antonin-dvorak.cz/en/piano-quartet1|access-date=2020-12-19|website=antonin-dvorak.cz}}</ref><ref name="allmusic">{{allmusic|class=composition |first=Brian |last=Wise |id=mc0002363343 |accessdate=2023-09-21}}</ref>。 この時期のドヴォルザークの楽曲は自然に湧き出たような旋律の横溢を特徴とし、本作の民謡調の素朴な旋律も心に残るものとなっている<ref name="hyperion" />。弦楽器奏者であった作曲者の書いたピアノパートはぎこちなさの残るものであるが、楽曲には当時の彼が作曲家としての技術を極めつつあったことが示されている<ref name="allmusic" />。 == 楽曲構成 == 全3楽章で構成される。演奏時間は約35分<ref name="Dvorak"/>。 === 第1楽章 === ; [[wikt:allegro|Allegro]] [[wikt:moderato|moderato]] 3/4[[拍子]] [[ニ長調]] 譜例1のようにニ長調で開始するものの、10[[小節]]目には早くも[[ロ長調]]への転調を果たし<ref name="allmusic" />、以降はロ長調が曲を支配していく<ref name="hyperion" />。 譜例1 <score> << \relative c'' \new Staff\with { instrumentName = "Vn" } { \set Score.tempoHideNote = ##t \key d \major \tempo "Allegro moderato." 4=120 \time 3/4 \override Score.NonMusicalPaperColumn #'line-break-permission = ##f R2. R R R d8\p ( fis4 fis8)~ ( \times 2/3 { fis e fis) } a4\< ( b cis) d8.( e16 fis4\f e) d( b\> fis8. ais16\! b8) } \relative c \new Staff\with { instrumentName = "Vc" } { \set Score.tempoHideNote = ##t \key d \major \time 3/4 \clef bass d8( fis4) fis8(~ \times 2/3 { fis e fis) } a8.->( fis16) fis4. r8 d8( fis4) fis8(~ \times 2/3 { fis e fis) } a8.->( fis16) fis4. r8 d4( d' cis) b\< ( a g) fis8( e d4\f e) fis2*1/2( s4\> fis,4) b8-.\! } >> </score> 第2主題はそれまでの曲中に現れていた2つの材料を組み合わせて生み出されている<ref name="hyperion" />(譜例2)。 譜例2 <score> \relative c'' { \new PianoStaff << \new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key d \major \time 3/4 \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 4=85 e4( cis fis e8. fis32 e cis4 a) cis( a d cis8. d32 cis a4 e) <a fis>_( ^\( e) <a fis>_( e) <a fis> <b gis>\) <cis a> a <fis' a,> << { dis2 e4 } \\ { a,4 b8 a gis4 } >> } \new Dynamics { s4-\markup { \dynamic p \italic dolce } s2 s2. s\< s4\> s\! s s\pp s2 s2. s\< s4\> s8 s\! } \new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key d \major \time 3/4 \clef bass <a, a,>2 q4 q2 r4 q2 q4 q2 r4 e2 e4~ e e2 a2 a4 b gis'8 fis e4 } >> } </score> 提示部は反復記号の指示により繰り返される。展開部は主題全体を移調しただけの部分もあり、あまり手の込んだものとは言い難い<ref name="allmusic" />。再現部はピアノの[[アルペッジョ]]に乗って開始される。第2主題の再現はチェロが先導する。[[コーダ (音楽)|コーダ]]では両主題が壮大に奏されてクライマックスを築いた後<ref name="hyperion" /><ref name="allmusic" />、急速に静まって弱音で終わりを迎える。 === 第2楽章 === ; [[wikt:andantino|Andantino]] con variazioni 2/4拍子 [[ロ短調]] 主題に続く5つの変奏とコーダからなる変奏曲。ロ短調という調性の選択は、第1楽章がロ長調を中心としていたことに由来するものであるという見解もある<ref name="hyperion" />。ヴァイオリンが奏でる譜例3の主題はまず弦楽器のみではじまり、チェロに歌い継がれる中でピアノが遅れて入ってくる。 譜例3 <score> \relative c'' { \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "Andantino." 4=76 \key b \minor \time 2/4 fis8_\markup { \dynamic p \italic cantabile } ( d16 fis d4) b( d) cis( b8 e16 d) cis4( b) fis'8( d16 fis d4) fis( b\< ) \times 2/3 { a8( b cis } d4\! ) cis\>( fis,\! ) } </score> 第1変奏は[[wikt:un poco|ウン・ポコ]]・[[wikt:più mosso|ピウ・モッソ]]となり、ピアノの[[スタッカート]]による伴奏の上でヴァイオリンとチェロがまばらに変奏を行う。第2変奏は[[wikt:poco|ポコ]]・[[wikt:andante|アンダンテ]]で、主題はターン風の音型へと変化させられる。第3変奏では主題の逆行が用いられる(譜例4)。 譜例4 <score> \relative c'' { \new PianoStaff << \new Staff { \key b \minor \time 2/4 \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "Poco piu mosso, quasi Andantino." 4=75 << { b4-- d8-- b16-- d-- } \\ { b2 } >> <fis' cis>4-- <d a>-- <e b>-- << { fis8-- cis16-- d-- <e b>4-- <fis cis>-- } \\ { a,8 a a g fis4 } >> } \new Dynamics { s2\p s s16 s\< s8 s4 s8 s16 s\! s4 } \new Staff { \key b \minor \time 2/4 b,16-. fis'-. d-. b-. b'-. fis-. d-. b-. a-. a'-. fis-. cis-. fis,-. fis'-. d-. a-. g-. g'-. e-. b-. fis-. fis'-. cis-. a-. \clef bass e_\markup { \italic { sempre stacc. } } e' b g a, cis' a fis } >> } </score> 第4変奏では[[変ホ長調]]とロ短調の間を行きつ戻りつし<ref name="allmusic" />、第5変奏では下降音型が奏される。コーダは主題を半音階的に色付けし<ref name="allmusic" />、苦悶の表情をもって終わりを迎える<ref name="hyperion" />。 === 第3楽章 === ; Finale. [[wikt:allegretto|Allegretto]] [[wikt:scherzando|scherzando]] 3/8拍子 ニ長調 終楽章は[[スケルツォ]]とフィナーレを融合させた形を取っている<ref name="hyperion" /><ref name="allmusic" />。冒頭からの主題の提示はチェロが担う(譜例5)。この主題はワルツ調であるが、すぐ後に現れる急速な楽想は[[フリアント]]と思わせるところがある<ref name="hyperion" />。 譜例5 <score> \relative c'' { \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "Allegretto scherzando." 4.=72 \key d \major \time 3/8 e8-. \slashedGrace fis e16( dis e fis) d4. e8^\prall ( dis16 e fis g) a4->( g16 fis e8) \slashedGrace fis e16( [ dis e fis] ) d!4( cis8) b16( [ cis d cis] \times 2/3 { e d b) } a4 r8 } </score> [[wikt:allegretto|アレグレット]]と急速なエピソードが交代しながら進行し、新たな主題にたどり着く<ref name="hyperion" />(譜例6)。[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]を思わせる滑らかな表情を纏っており、[[wikt:allegro|アレグロ]]・[[wikt:agitato|アジタート]]という速度表示から受ける印象からはかけ離れている<ref name="hyperion" />。 譜例6 <score> \relative c'' { \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "Allegro agitato." 4.=72 \key d \major \time 4/4 r4 cis( e a,)~ a( gis8 b d4 fis,)~ fis( eis gis cis8 gis) b4_( a8 gis fis4 e!) } </score> 頂点を築いた後に元のテンポとなってチェロから譜例5が再現される。やはり速い速度の楽想に交代するが、その速度のまま譜例5を奏するなど変化を見せる。譜例6の再現を経てコーダとなる。コーダでは譜例6をコミカルな調子に変奏して奏し<ref name="hyperion" />、歯切れよく全曲に終止符を打つ。 == 出典 == {{Reflist}} == 参考文献 == * CD解説 Wigmore, Richard (1988) Dvořák: Piano Quartets, [[ハイペリオン・レコード|Hyperion records]], CDA66287 * 楽譜 Dvořák: Piano Quartet No.1, SNKLHU, [[プラハ|Praque]], 1958 == 外部リンク == * {{IMSLP|work=Piano_Quartet_No.1%2C_Op.23_(Dvořák%2C_Antonín)}} * {{allmusic|class=composition |id=mc0002363343}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひあのししゆうそうきよく01 とうおるさあく}} [[Category:ドヴォルザークの室内楽曲|ひあのししゆうそうきよく01]] [[Category:ピアノ四重奏曲]] [[Category:1875年の楽曲]] [[Category:ニ長調]]
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2023年のATPツアー
2023年のATPツアーは、2022年12月から2023年12月まで行われたATPツアーのシーズンである。
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2023年のATPツアーは、2022年12月から2023年12月まで行われたATPツアーのシーズンである。
{{Infobox tennis circuit season <!-- Details --> | duration = 2022年12月29日 – 2023年12月2日 | edition = 54回目 | categories = [[グランドスラム (テニス)|グランドスラム]] (4)<br>[[ATPファイナルズ]]<br>[[ATPツアー・マスターズ1000]] (9)<br>[[ユナイテッド・カップ]]<br>[[ATPツアー500]] (13)<br>[[ATPツアー250]] (38)<br>[[Next Gen ATPファイナルズ]]<br>[[デビスカップ]]<br>[[レーバーカップ]] | most_tournament_titles = | most_tournament_finals = | prize_money_leader = | points_leader = <!-- Awards --> | player_of_the_year = | doubles_team_of_the_year = | most_improved_player_of_the_year = | newcomer_of_the_year = | comeback_player_of_the_year = | previous = [[2022年のATPツアー|2022年]] | next = [[2024年のATPツアー|2024年]] }} '''2023年のATPツアー'''は、[[2022年]][[12月]]から[[2023年]][[12月]]まで行われた[[ATPツアー]]のシーズンである。 <!-- == 日程 == --> <!-- == 中止された大会 == --> <!-- == 主な引退選手 == --> <!-- == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|30em}} --> == 外部リンク == * [https://www.atptour.com/en/scores/results-archive?year=2023 Results Archive] - ATPツアー{{en icon}}{{es icon}} * [https://www.protennislive.com/posting/ramr/finals_atp.pdf 2023 ATP/Grand Slam Finals] (PDF) {{Tennis-stub}} {{各年のATPツアー}} [[Category:2023年のATPツアー|*]]
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タケウチビユーテー株式会社
タケウチビユーテー株式会社 (TakeuchiBeauty Co., Ltd.) は、愛知県名古屋市港区木場町に本社を置く洗車機のメーカー。 2016年(平成28年)3月16日、門型洗車機の累計販売台数が世界一であることが認められ、ギネス世界記録に認定された。同年8月7日(機械の日)には、1962年(昭和37年)に開発した日本初の移動式ブラシ付門型自動洗車機が日本機械学会の機械遺産に認定された。
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タケウチビユーテー株式会社 は、愛知県名古屋市港区木場町に本社を置く洗車機のメーカー。 2016年(平成28年)3月16日、門型洗車機の累計販売台数が世界一であることが認められ、ギネス世界記録に認定された。同年8月7日(機械の日)には、1962年(昭和37年)に開発した日本初の移動式ブラシ付門型自動洗車機が日本機械学会の機械遺産に認定された。
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コージェネ大賞
コージェネ大賞はコージェネレーション(英:Cogeneration)の社会的認知や普及促進を図るために一般財団法人コージェネレーション・エネルギー高度利用センター(通称財団名:コージェネ財団)が2012年度から実施している新規性・先導性、新規技術、省エネルギー性などにおいて優れたコージェネレーションシステムを表彰する制度およびそれによって与えられる賞。民生用部門、産業用部門、技術開発部門の3部門からなり、各部門の受賞者は学識経験者から構成される選考会議での総合評価のうえ決定される。
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== 概要 == '''コージェネ大賞'''は[[コージェネレーション]]([[英語|英]]:[[:en:Cogeneration|Cogeneration]])の[[社会的認知]]や普及促進を図るために[[一般財団法人]][[コージェネレーション・エネルギー高度利用センター]]([[通称]][[財団]]名:コージェネ財団)が[[2012年]]度から実施している新規性・先導性、新規技術、[[省エネルギー]]性などにおいて優れたコージェネレーションシステムを[[表彰]]する制度およびそれによって与えられる賞<ref>{{Cite web |url=https://www.ace.or.jp/web/foundation/foundation_0020.html |title=事業概要 |access-date=2023-12-26 |publisher=一般財団法人コージェネレーション・エネルギー高度利用センター}}</ref><ref name=":1">{{Cite web |url=https://www.ace.or.jp/web/gp/gp_0024.html |title=コージェネ大賞2012 |access-date=2023-12-26 |publisher=一般財団法人コージェネレーション・エネルギー高度利用センター}}</ref>。民生用部門、産業用部門、[[技術開発]]部門の3部門からなり、各部門の受賞者は学識経験者から構成される選考会議での総合評価のうえ決定される<ref name=":1" />。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == <ul><li>[https://www.ace.or.jp 一般財団法人コージェネレーション・エネルギー高度利用センター]</ul> {{DEFAULTSORT::こおじえねたいしよう}} [[Category:賞]] __インデックス__ __新しい節リンク非表示__
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ジョン・リー・ニール
ジョン・リー・ニール(John Rea Neill、1877年11月27日 - 1943年9月13日)は、アメリカ合衆国のイラストレーター、児童文学者である。ライマン・フランク・ボームの児童文学作品の『オズの魔法使い』のシリーズの挿絵をボームと不仲になったウィリアム・ウォーレス・デンスロウの後を継いで描いた。ボームの没後、オズ・シリーズの執筆を引き継いだルース・プラムリー・トンプソンの作品の挿絵を描き、トンプソン引退後に3作のオズ・シリーズの作品を執筆した。 フィラデルフィアで生まれた。高校時代に校内の新聞にイラストを描いていた。フィラデルフィアのペンシルベニア美術アカデミーに入学するが、短期間で中退した。フィラデルフィアの百貨店「Wanamaker's store」で広告の仕事をし、フィラデルフィアの新聞に挿絵画家として雇われ、小説の挿絵を描いた。 1900年にウィリアム・ウォーレス・デンスロウ(1856-1915)が挿絵を描いたライマン・フランク・ボーム(1856-1919)の『オズの魔法使い』が商業的に大成功した後、ボームのオズのシリーズの2作目となる『オズの虹の国(The Marvelous Land of Oz)』の挿絵画家にデンスロウに代わって採用された。オズのシリーズはボームによる作品14点が1920年まで出版され、ボームによる2作目から14作目の作品と、ボームが亡くなった後、ルース・プラムリー・トンプソン(Ruth Plumly Thompson:1891–1976)が執筆した続編の15作目から33作目までの挿絵も描いた。 更に1939年の出版を最後にトンプソンが引退した後、1940年から亡くなる1943年までのオズシリーズの34作目から36作目までの3作の物語と挿絵を手掛けた。 オズ・シリーズ以外にも『コリアーズ・マガジン』や『ヴァニティ・フェア』、『サタデー・イブニング・ポスト』、『レディース・ホーム・ジャーナル』といった多くの雑誌に、作品が掲載された。
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ジョン・リー・ニールは、アメリカ合衆国のイラストレーター、児童文学者である。ライマン・フランク・ボームの児童文学作品の『オズの魔法使い』のシリーズの挿絵をボームと不仲になったウィリアム・ウォーレス・デンスロウの後を継いで描いた。ボームの没後、オズ・シリーズの執筆を引き継いだルース・プラムリー・トンプソンの作品の挿絵を描き、トンプソン引退後に3作のオズ・シリーズの作品を執筆した。
{{Infobox 芸術家 | bgcolour = #6495ED | name = ジョン・リー・ニール<br>John Rea Neill | image = File:John R. Neill+.jpg | imagesize = 180px | caption = ジョン・リー・ニールを描いたペン画 | birthdate = {{birth date|1877|11|27}} | location = [[フィラデルフィア]] | deathdate = {{death date and age|1943|9|13|1877|11|27}} | deathplace = | field = | training = | movement = | works = | patrons = | influenced by = | influenced = | awards = }} '''ジョン・リー・ニール'''(John Rea Neill、[[1877年]][[11月27日]] - [[1943年]][[9月13日]])は、[[アメリカ合衆国]]のイラストレーター、児童文学者である。[[ライマン・フランク・ボーム]]の児童文学作品の『[[オズの魔法使い]]』のシリーズの挿絵をボームと不仲になった[[ウィリアム・ウォーレス・デンスロウ]]の後を継いで描いた。ボームの没後、オズ・シリーズの執筆を引き継いだルース・プラムリー・トンプソンの作品の挿絵を描き、トンプソン引退後に3作のオズ・シリーズの作品を執筆した<ref>{{Cite web |url=http://www.harpercollins.com/authors/15288/John_R_Neill/index.aspx |title=John R. Neill |access-date=24 February 2010 |publisher=HarperCollins Publishers |archive-url=https://web.archive.org/web/20130524204552/http://www.harpercollins.com/authors/15288/John_R_Neill/index.aspx |archive-date=24 May 2013 |url-status=dead }}</ref>。 == 略歴 == [[フィラデルフィア]]で生まれた。高校時代に校内の新聞にイラストを描いていた。フィラデルフィアの[[ペンシルベニア美術アカデミー]]に入学するが、短期間で中退した<ref>{{cite web|url=http://www.johnrneill.net/Biography.html|title=John R Neill Gallery|work=johnrneill.net|access-date=20 January 2017}}</ref>。フィラデルフィアの百貨店「Wanamaker's store」で広告の仕事をし、フィラデルフィアの新聞に挿絵画家として雇われ、小説の挿絵を描いた。 1900年にウィリアム・ウォーレス・デンスロウ(1856-1915)が挿絵を描いたライマン・フランク・ボーム(1856-1919)の『[[オズの魔法使い]]』が商業的に大成功した後、ボームのオズのシリーズの2作目となる『オズの虹の国(The Marvelous Land of Oz)』の挿絵画家にデンスロウに代わって採用された。オズのシリーズはボームによる作品14点が1920年まで出版され、ボームによる2作目から14作目の作品と、ボームが亡くなった後、ルース・プラムリー・トンプソン(Ruth Plumly Thompson:1891–1976)が執筆した続編の15作目から33作目までの挿絵も描いた。 更に1939年の出版を最後にトンプソンが引退した後、1940年から亡くなる1943年までのオズシリーズの34作目から36作目までの3作の物語と挿絵を手掛けた。 オズ・シリーズ以外にも『コリアーズ・マガジン』や『[[ヴァニティ・フェア]]』、『[[サタデー・イブニング・ポスト]]』、『レディース・ホーム・ジャーナル』といった多くの雑誌に、作品が掲載された<ref>Robinson, Frank M. & Davidson, Lawrence. ''Pulp Culture - The Art of Fiction Magazines''. Collectors Press Inc 2007 (p.33-48).</ref>。 == 作品 == <gallery mode="nolines" widths="170" heights="190" style="font-size:smaller"> File:Marvelous land of oz.jpg|オズ・シリーズ2作目(Marvelous land of oz)表紙 (1904) File:Tik tok cover.jpg|オズ・シリーズ8作目(Tik-Tok of Oz)表紙 (1914) File:The Royal Book of Oz - p87.png|オズ・シリーズ15作目(The Royal Book of Oz)挿絵 (1921) File:Cowardly lion cover.jpg|オズ・シリーズ17作目(Cowardly Lion of Oz)表紙 (1923) </gallery> == 関連項目 == * [[オズ・シリーズの一覧]] == 参考文献 == {{Reflist}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:にいる しよんりい}} [[Category:アメリカ合衆国のイラストレーター]] [[Category:フィラデルフィア出身の人物]] [[Category:1877年生]] [[Category:1943年没]]
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川﨑鈴奈
川﨑 鈴奈(かわさき れいな、2001年10月25日 - )は、日本の女子バレーボール選手である。 神奈川県相模原市出身。 2017年、八王子実践高等学校に進学。3年時には主将を務め、全日本高等学校選手権大会(春高バレー)でベスト8の成績を残した。 2020年、国士舘大学に進学。2022年、第40回東日本大学選手権大会(東日本インカレ)でチームのベスト4に貢献し、スパイク賞を受賞した。2023-24シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN(V1女子)に所属するPFUブルーキャッツの内定選手となった。内定選手としてV1女子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。
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川﨑 鈴奈は、日本の女子バレーボール選手である。
{{バレーボール選手 | 本名 = 川﨑 鈴奈 | ラテン文字 = Reina Kawasaki | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 国籍 = {{JPN}} | 生年月日 = {{生年月日と年齢|2001|10|25}} | 出身地 = {{flagicon|JPN}} [[神奈川県]][[相模原市]] | 原語名 = | 原語表記 = | 身長 = 177cm | 体重 = 65kg | 血液型 = | 所属 = [[PFUブルーキャッツ]] | 背番号 = 4 | 愛称 = レナ | 役職 = | ポジション = [[アウトサイドヒッター|OH]] | 指高 = 229cm | 利き手 = | スパイク = 295cm | ブロック = | 獲得メダル = }} '''川﨑 鈴奈'''(かわさき れいな、[[2001年]][[10月25日]] - )は、[[日本]]の女子[[バレーボール]]選手である。 == 来歴 == [[神奈川県]][[相模原市]]出身。 2017年、[[八王子実践中学校・高等学校|八王子実践高等学校]]に進学。3年時には主将を務め、[[全日本バレーボール高等学校選手権大会|全日本高等学校選手権大会]](春高バレー)でベスト8の成績を残した<ref>{{Cite news |和書|title=八王子実践、力尽きる |newspaper=[[産経新聞]] |date=2020-01-08 |url=https://www.sankei.com/article/20200108-JTF5SO6FV5OTDAQNVG6MQY6K7Y/ |access-date=2023-12-24}}</ref>。 2020年、[[国士舘大学]]に進学。2022年、第40回[[東日本大学バレーボール選手権大会|東日本大学選手権大会]](東日本インカレ)でチームのベスト4に貢献し、スパイク賞を受賞した<ref>{{Cite news |和書|title=東海大、春季リーグに続きアベックVの快挙 第41回東日本インカレ |newspaper=バレーボールマガジン |date=2022-06-25 |url=https://vbm.link/633176/ |access-date=2023-12-24}}</ref>。2023-24シーズン、[[V.LEAGUE]] DIVISION1 WOMEN(V1女子)に所属する[[PFUブルーキャッツ]]の内定選手となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://pfu-bluecats.com/activity-topic-detail?id=iziwgdt-x |title=2024年度 内定選手、スタッフのお知らせ |access-date=2023-12-24 |publisher=[[PFUブルーキャッツ]] |date=2023-12-05}}</ref><ref>{{Cite news |和書|title=PFU 川﨑鈴奈(国士舘大)、奥村澪(桜美林大)、長友真由(東海大)、舩田璃々香(順天堂大)の内定を発表 V1女子 |newspaper=バレーボールマガジン |date=2023-12-06 |url=https://vbm.link/666540/ |access-date=2023-12-24}}</ref>。内定選手として[[2023-24 V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN|V1女子]]の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 == 所属チーム == * [[八王子実践中学校・高等学校|八王子実践高等学校]](2017-2020年) * [[国士舘大学]](2020-2024年) * [[PFUブルーキャッツ]](2024年-) == 受賞歴 == * 2022年 - 第40回[[東日本大学バレーボール選手権大会|東日本大学選手権大会]] スパイク賞 == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * {{Sports links}} {{PFUブルーキャッツ}} {{デフォルトソート:かわさき れいな}} [[Category:日本の女子バレーボール選手]] [[Category:PFUブルーキャッツの選手]] [[Category:国士舘大学の人物]] [[Category:八王子実践高等学校出身の人物]] [[Category:神奈川県出身のスポーツ選手]] [[Category:相模原市出身の人物]] [[Category:2001年生]] [[Category:存命人物]]
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ヴァラーハギリ・ヴェンカタ・ギリ
ヴァラハギリ・ヴェンカタ・ギリ(1894年8月10日 - 1980年6月24日)は、インドの政治家で、1969年8月24日から1974年8月24日まで第4代インド大統領を務めた。インドの第3代副大統領も務めた。 ヴァラーハギリ・ヴェンカタ・ギリは、マドラス大統領府(現在のオリッサ州)のベルハンプールに生まれました。彼の父親はインド国民会議の弁護士および政治活動家であった。ギリの母親であるスバドランマは、非協力運動および市民的不服従運動の期間中に国民運動に積極的に参加し不服従運動中に禁酒法を求めるストライキを主導したとして逮捕された。 第一次世界大戦中、ギリはダブリンからロンドンに旅行し、マハトマ・ガンジーと出会った。ガンジーはギリが赤十字志願兵として帝国軍の戦争活動に参加することを望んでいた。ギリは当初ガンジーの要請に応じたが、後に自分の決断を後悔した。 1969年8月16日に行われた選挙で大統領に当選後、有権者に影響を与えるために汚職行為を行ったとして、その正当性を争う選挙請願書がインド最高裁判所に提出された。ギリはインドの現職大統領としては異例として、証人尋問を受ける法廷に直接出廷することを選択した。裁判所は最終的に請願を却下し、ギリ氏の大統領選出を支持した。 ヴァラーハギリ・ヴェンカタ・ギリは1980年6月24日にマドラスの滞在先で心臓発作により死亡した。
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ヴァラハギリ・ヴェンカタ・ギリは、インドの政治家で、1969年8月24日から1974年8月24日まで第4代インド大統領を務めた。インドの第3代副大統領も務めた。
ヴァラハギリ・ヴェンカタ・ギリ(1894年8月10日 - 1980年6月24日)は、インドの政治家で、1969年8月24日から1974年8月24日まで第4代インド大統領を務めた。インドの第3代副大統領も務めた。 {{Infobox Officeholder|name=ヴァラーハギリ・ヴェンカタ・ギリ|image=File:President V. V. Giri.jpg}} == 経歴 == ヴァラーハギリ・ヴェンカタ・ギリは、マドラス大統領府(現在のオリッサ州)のベルハンプールに生まれました。彼の父親はインド国民会議の弁護士および政治活動家であった。ギリの母親であるスバドランマは、非協力運動および市民的不服従運動の期間中に国民運動に積極的に参加し不服従運動中に禁酒法を求めるストライキを主導したとして逮捕された。<ref>{{cite journal|author=Bina Kumari Sarma|date=August 2010|title=Women's Role in the Freedom Movement in South Orissa|url=http://orissa.gov.in/e-magazine/Orissareview/2010/August/engpdf/34-38.pdf|journal=Orissa Review|pages=34–35|access-date=8 February 2015}}</ref> 第一次世界大戦中、ギリはダブリンからロンドンに旅行し、マハトマ・ガンジーと出会った。ガンジーはギリが赤十字志願兵として帝国軍の戦争活動に参加することを望んでいた。ギリは当初ガンジーの要請に応じたが、後に自分の決断を後悔した。 1969年8月16日に行われた選挙で大統領に当選後、有権者に影響を与えるために汚職行為を行ったとして、その正当性を争う選挙請願書がインド最高裁判所に提出された。ギリはインドの現職大統領としては異例として、証人尋問を受ける法廷に直接出廷することを選択した。裁判所は最終的に請願を却下し、ギリ氏の大統領選出を支持した。 ヴァラーハギリ・ヴェンカタ・ギリは1980年6月24日にマドラスの滞在先で心臓発作により死亡した。 [[Category:インドのヒンドゥー教徒]] [[Category:インドの副大統領]] [[Category:バーラト・ラトナ賞受賞者]] [[Category:インドの大統領]] [[Category:ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン出身の人物]] [[Category:1980年没]] [[Category:1894年生]]
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タケウチビユーテー
タケウチビユーテー株式会社(英:TakeuchiBeauty Co., Ltd.)は、愛知県名古屋市港区木場町2番地に所在する洗車機やその付属機器を販売するメーカーである。日本で初めて門型の洗車機を開発したメーカーとして知られる。 2016年(平成28年)3月16日、門型洗車機の累計販売台数が世界一であることが認められ、ギネス世界記録に認定された。同年8月7日(機械の日)には、1962年(昭和37年)に開発した日本初の移動式ブラシ付門型自動洗車機が日本機械学会の機械遺産に認定された。
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タケウチビユーテー株式会社は、愛知県名古屋市港区木場町2番地に所在する洗車機やその付属機器を販売するメーカーである。日本で初めて門型の洗車機を開発したメーカーとして知られる。 2016年(平成28年)3月16日、門型洗車機の累計販売台数が世界一であることが認められ、ギネス世界記録に認定された。同年8月7日(機械の日)には、1962年(昭和37年)に開発した日本初の移動式ブラシ付門型自動洗車機が日本機械学会の機械遺産に認定された。
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操陽村
操陽村(そうようそん)は、岡山県上道郡にあった村。現在の岡山市中区の一部にあたる。 旭川の下流左岸に位置していた。 北に位置する操山にちなむ。
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操陽村(そうようそん)は、岡山県上道郡にあった村。現在の岡山市中区の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1952年4月1日 | 廃止理由 = 編入合併 | 廃止詳細 = 上道郡[[三蟠村]]・[[沖田村]]・'''操陽村'''・[[富山村 (岡山県上道郡)|富山村]]、[[御津郡]][[牧石村]]・[[大野村 (岡山県御津郡)|大野村]]・[[今村 (岡山県)|今村]]・[[芳田村 (岡山県)|芳田村]]・[[白石村 (岡山県)|白石村]]、[[児島郡]][[甲浦村]]、→ '''岡山市''' | 現在の自治体 = [[岡山市]] | よみがな = そうようそん | 自治体名 = 操陽村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 岡山県 | 郡 = [[上道郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 1483 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1950年 | 隣接自治体 = 富山村、沖田村、三蟠村、岡山市 | 所在地 = 上道郡操陽村大字倉富 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''操陽村'''(そうようそん{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[岡山県]][[上道郡]]にあった[[村]]。現在の[[岡山市]][[中区 (岡山市)|中区]]の一部にあたる。 == 地理 == [[旭川 (岡山県)|旭川]]の下流左岸に位置していた{{R|角川}}。 == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)6月1日、[[町村制]]の施行により、上道郡倉益村、倉富村、倉田村が合併して村制施行し、'''操陽村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』429頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 33 岡山県』643-644頁。</ref>。旧村名を継承した倉益、倉富、倉田の3大字を編成{{R|角川}}。 *[[1952年]](昭和27年)4月1日、'''[[岡山市]]'''に編入され廃止{{R|変遷}}{{R|角川}}。 === 地名の由来 === 北に位置する[[操山]]にちなむ{{R|角川}}。 == 産業 == *農業<ref>「倉富〈岡山市〉」「倉益〈岡山市〉」『角川日本地名大辞典 33 岡山県』429-430頁。</ref> == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 33 岡山県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[岡山県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:そうようそん}} [[Category:上道郡]] [[Category:岡山市域の廃止市町村]] [[Category:岡山市中区の歴史]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1952年廃止の日本の市町村]]
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小美濃安弘
小美濃 安弘(おみの やすひろ、1962年11月1日 - )は、日本の政治家。東京都武蔵野市長(1期)。 1962年11月1日、東京都武蔵野市吉祥寺東町で生まれる。樫の実幼稚園、市立本宿小学校、第三中学校、東京電機大学高等学校を経て、東京電機大学建築学科に入学。大学卒業後、積水ハウスに入社し、約9年間勤務した。 1995年、武蔵野市議会議員選挙に立候補し、初当選。 2001年、2期目の途中で市議会議員を辞職し、東京都議会議員選挙に無所属で武蔵野市選挙区から立候補し、初当選。その後、自由民主党に入党。 2005年、再選を目指して東京都議会議員選挙に自由民主党公認で武蔵野市選挙区から立候補するが、民主党新人の松下玲子(後に武蔵野市長に転身)に敗れて落選 。2009年の東京都議会議員選挙で返り咲きを賭けて立候補するも再び松下に敗れた。 2011年、武蔵野市議会議員選挙に立候補して市議会議員に返り咲き 、2015・2019・2023年の市議会議員選挙でも当選し、市議会議員を計6期務めた。 2023年12月、松下玲子の市長辞職(次期衆院選への立候補準備のため)の欠員補充に伴う、武蔵野市長選挙に同市議会議員を辞職し立候補した。自由民主党、公明党から推薦を受ける保守系候補として、邑上守正・松下両市長の革新市政を批判して保守系の武蔵野市政奪還を掲げ、立憲民主党、日本共産党、れいわ新選組、社会民主党、武蔵野・生活者ネットワークが支持する革新系候補で、小美濃と同じ元武蔵野市議会議員・笹岡裕子との一騎打ちになった 。12月24日、投開票の結果、339票差という接戦で笹岡を下し、当選。翌25日付で武蔵野市長に就任した。 ※当日有権者数:121,777人 最終投票率:44.77%(前回比: 2.69pts)
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小美濃 安弘は、日本の政治家。東京都武蔵野市長(1期)。
{{政治家 | 人名 = 小美濃 安弘 | 各国語表記 = おみの やすひろ | 画像 = | 画像説明 = | 国略称 = {{JPN}} | 生年月日 = {{生年月日と年齢|1962|11|1}} | 出生地 = {{JPN}} [[東京都]][[武蔵野市]][[吉祥寺東町]] | 没年月日 = | 死没地 = | 出身校 = [[東京電機大学]]卒業 | 前職 = [[積水ハウス]]従業員<ref name="profile">{{Cite news|url = https://ominoyasuhiro.net/#section-25 |title = オミノ安弘プロフィール |newspaper = オミノ安弘|date = 2013-06-23 |accessdate = 2017-10-14 }}</ref> | 所属政党 = ([[無所属]]→)<br/>([[自由民主党 (日本)|自由民主党]]→)<br >無所属 | 称号・勲章 = | 配偶者 = | ウェブサイト = https://ominoyasuhiro.net/ | サイトタイトル = オミノ 安弘 | 職名 = [[ファイル:Flag of Musashino, Tokyo.svg|25px|武蔵野市旗]] 第7代 [[武蔵野市#市長|武蔵野市長]] | 当選回数 = 1回 | 就任日 = [[2023年]][[12月25日]] | 退任日 = 現職 | 職名2 = [[ファイル:Flag of Musashino, Tokyo.svg|25px|武蔵野市旗]] [[武蔵野市#議会|武蔵野市議会議員]] | 当選回数2 = 6回 | 就任日2 = [[1995年]] - [[2001年]]<br/>[[2011年]] | 退任日2 = [[2023年]] | 国旗3 = 東京都 | 職名3 = [[東京都議会|東京都議会議員]] | 選挙区3 = 武蔵野市選挙区 | 当選回数3 = 1回 | 就任日3 = [[2001年]] | 退任日3 = [[2005年]] }} '''小美濃 安弘'''(おみの やすひろ、[[1962年]][[11月1日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[東京都]][[武蔵野市#市長|武蔵野市長]](1期)。 == 来歴 == 1962年11月1日、[[東京都]][[武蔵野市]]吉祥寺東町で生まれる<ref name="profile"/>。[[樫の実幼稚園]]、[[武蔵野市立本宿小学校|市立本宿小学校]]、[[武蔵野市立第三中学校|第三中学校]]、[[東京電機大学高等学校]]を経て、[[東京電機大学]]建築学科に入学。大学卒業後、[[積水ハウス]]に入社し、約9年間勤務した<ref name="profile" />。 1995年、[[武蔵野市議会|武蔵野市議会議員選挙]]に立候補し、初当選<ref name="profile"/>。 2001年、2期目の途中で市議会議員を辞職し、[[2001年東京都議会議員選挙|東京都議会議員選挙]]に[[無所属]]で武蔵野市選挙区から立候補し、初当選<ref name="profile"/><ref>{{Cite news|url =https://go2senkyo.com/local/senkyo/21828/42489|title = 2001年東京都議会議員選挙|newspaper = 選挙ドットコム|date = 2013-06-23 |accessdate = 2017-10-14 }}</ref>。その後、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]に入党。 2005年、再選を目指して[[2005年東京都議会議員選挙|東京都議会議員選挙]]に自由民主党公認で武蔵野市選挙区から立候補するが、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]新人の[[松下玲子]](後に武蔵野市長に転身)に敗れて落選<ref name="profile"/> <ref>{{Cite news|url = https://go2senkyo.com/local/senkyo/9864/14000|title = 2005年東京都議会議員選挙|newspaper = 選挙ドットコム|date = 2013-06-23 |accessdate = 2017-10-14 }}</ref>。2009年の[[2009年東京都議会議員選挙|東京都議会議員選挙]]で返り咲きを賭けて立候補するも再び松下に敗れた。 2011年、武蔵野市議会議員選挙に立候補して市議会議員に返り咲き<ref name="profile"/> <ref>{{Cite news|url = https://go2senkyo.com/local/senkyo/9992|title = 2011年武蔵野市議会議員選挙|newspaper = 選挙ドットコム|date = 2013-06-23 |accessdate = 2017-10-14 }}</ref>、2015・2019・2023年の市議会議員選挙でも当選し、市議会議員を計6期務めた。 2023年12月、松下玲子の市長辞職(次期衆院選への立候補準備のため)の欠員補充に伴う、武蔵野市長選挙に同市議会議員を辞職し立候補した。自由民主党、[[公明党]]から推薦を受ける保守系候補として、[[邑上守正]]・松下両市長の革新市政を批判して保守系の武蔵野市政奪還を掲げ、[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]、[[日本共産党]]、[[れいわ新選組]]、[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]、[[東京・生活者ネットワーク|武蔵野・生活者ネットワーク]]が支持する革新系候補で、小美濃と同じ元武蔵野市議会議員・笹岡裕子との一騎打ちになった<ref>{{Cite news|url = https://www.asahi.com/sp/articles/ASRDK6S6SRDKUTIL008.html |title = 武蔵野市長選告示、小美濃安弘氏と笹岡裕子氏が立候補 市議補選も |newspaper = 朝日新聞|date = 2013-06-23 |accessdate = 2017-10-14 }}</ref> <ref>{{Cite news|url = https://www.tokyo-np.co.jp/article/297005 |title = 武蔵野市長選 立候補している新人2人はどんな人? |newspaper = 東京新聞|date = 2013-06-23 |accessdate = 2017-10-14 }}</ref>。12月24日、投開票の結果、339票差という接戦で笹岡を下し、当選<ref>{{Cite news|url = https://www.tokyo-np.co.jp/article/297319 |title = 武蔵野市長選 自公推薦の小美濃さん、339票差で初当選 裏金事件の逆風跳ね返す |newspaper = 東京新聞|date = 2013-06-23 |accessdate = 2017-10-14 }}</ref><ref>{{Cite news|url =https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20231224/1000100362.html|title = 東京・武蔵野市長選 自民・公明推薦の小美濃氏が初当選 |newspaper = NHK|date = 2013-06-23 |accessdate = 2017-10-14 }}</ref>。翌25日付で武蔵野市長に就任した<ref>[https://www.city.musashino.lg.jp/shiseijoho/shicho/1045972.html 小美濃安弘市長の就任について] - 武蔵野市公式ホームページ 2023年12月25日</ref>。 {{選挙結果 (日本の首長) |当日有権者数= 121,777 |最終投票率= 44.77 |前回比={{↓}} 2.69 |当選者名='''小美濃安弘''' |当選者年齢=61 |当選者所属=無所属 |当選者新旧別=新 |当選者得票数= 27,024|当選者得票率=50.32 |当選者推薦・支持= (推薦)[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]、[[公明党]] |落選者名=笹岡裕子|落選者年齢=37 |落選者所属=無所属 |落選者新旧別=新 |落選者得票数= 26,685 |落選者得票率=49.68 |落選者推薦・支持=(支持)[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]、[[日本共産党]]、[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]、[[れいわ新選組]]、[[東京・生活者ネットワーク|武蔵野・生活者ネットワーク]] }} == 脚注 == {{Reflist|2}} == 外部リンク == * [https://ominoyasuhiro.net/ 公式サイト] {{武蔵野市長}} {{東京都の市区町村長}} {{DEFAULTSORT:おみの やすひろ}} [[Category:東京都議会議員]] [[Category:武蔵野市議会議員]] [[Category:武蔵野市長]] [[Category:自由民主党の人物]] [[Category:積水ハウスの人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:東京電機大学出身の人物]] [[Category:1962年生]] [[Category:存命人物]]
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ドリュー・ロム
ドリュー・マイケル・ロモ(Drew Michael Rom, 1999年12月15日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。MLBのセントルイス・カージナルス所属。 2018年のMLBドラフト4巡目(全体115位)でボルチモア・オリオールズから指名され、プロ入り。契約後、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・オリオールズでプロデビュー。10試合(先発9試合)に登板して0勝2敗、防御率1.76、28奪三振を記録した。 2019年はA級デルマーバ・ショアバーズ(英語版)でプレーし、21試合(先発15試合)に登板して6勝3敗1セーブ、防御率2.93、122奪三振を記録した。 2020年はCOVID-19の影響でマイナーリーグの試合が開催されなかったため、公式戦の登板は無かった。 2021年はA+級アバディーン・アイアンバーズ(英語版)とAA級ボウイ・ベイソックスでプレーし、2球団合計で23試合(先発20試合)に登板して11勝1敗、防御率3.18、120奪三振を記録した。 2022年はAA級ボウイとAAA級ノーフォーク・タイズでプレーし、2球団合計で26試合(先発25試合)に登板して8勝3敗、防御率4.43、144奪三振を記録した。オフの11月15日にルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠入りした。 2023年、オリオールズ傘下では開幕からAAA級ノーフォークでプレーした。なお、5月9日にはメジャー初昇格を果たしたが、登板機会が無いまま11日にAAA級ノーフォークへ降格した。 2023年8月1日にジャック・フラハーティとのトレードで、シーザー・プリエト、ザック・ショーウォルターと共にセントルイス・カージナルスへ移籍した。移籍後は傘下のAAA級メンフィス・レッドバーズへ配属された。8月21日にメジャー昇格すると、同日のピッツバーグ・パイレーツ戦にて先発してメジャーデビューしたが、3.2回を8失点で敗戦投手となった。この年メジャーでは8試合に先発登板して1勝4敗、防御率8.02、32奪三振を記録した。
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ドリュー・マイケル・ロモは、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。MLBのセントルイス・カージナルス所属。
{{Infobox baseball player |選手名 = ドリュー・ロム |英語表記 = Drew Rom |所属球団 = セントルイス・カージナルス |背番号 = 38 |選手写真ファイル名 = |写真サイズ = |写真のコメント = |国籍 = {{USA}} |出身地 = [[オハイオ州]][[シンシナティ]] |生年月日 = {{生年月日と年齢|1999|12|15}} |没年月日 = |身長 = {{フィートとcm (身長用変換)|6|2}} |体重 = {{ポンドとkg (体重用変換)|215}} |利き腕 = 左 |打席 = 左 |守備位置 = [[投手]] |プロ入り年度 = 2018年 |ドラフト順位 = MLBドラフト4巡目 |初出場 = 2023年8月21日 |最終出場 = |年俸 = |経歴 = * {{仮リンク|ハイランズ高等学校 (ケンタッキー州)|en|Highlands High School (Fort Thomas, Kentucky)|label=ハイランズ高等学校}} * [[セントルイス・カージナルス]] (2023 - ) |代表チーム = |五輪 = |WBC = |選出国 = |選出年 = |得票率 = |選出方法 = }} '''ドリュー・マイケル・ロム'''('''Drew Michael Rom''', [[1999年]][[12月15日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[オハイオ州]][[シンシナティ]]出身の[[プロ野球選手]]([[投手]])。左投左打。[[メジャーリーグベースボール|MLB]]の[[セントルイス・カージナルス]]所属。 == 経歴 == === プロ入りとオリオールズ傘下時代 === {{by|2018年}}の[[2018年のMLBドラフト|MLBドラフト]]4巡目(全体115位)で[[ボルチモア・オリオールズ]]から指名され、プロ入り。契約後、傘下のルーキー級[[フロリダ・コンプレックスリーグ|ガルフ・コーストリーグ・オリオールズ]]でプロデビュー。10試合(先発9試合)に登板して0勝2敗、防御率1.76、28奪三振を記録した。 {{by|2019年}}はA級{{仮リンク|デルマーバ・ショアバーズ|en|Delmarva Shorebirds}}でプレーし、21試合(先発15試合)に登板して6勝3敗1セーブ、防御率2.93、122奪三振を記録した。 {{by|2020年}}は[[2019年コロナウイルス感染症によるスポーツへの影響#野球|COVID-19の影響]]でマイナーリーグの試合が開催されなかったため、公式戦の登板は無かった。 {{by|2021年}}はA+級{{仮リンク|アバディーン・アイアンバーズ|en|Aberdeen IronBirds}}とAA級[[ボウイ・ベイソックス]]でプレーし、2球団合計で23試合(先発20試合)に登板して11勝1敗、防御率3.18、120奪三振を記録した。 {{by|2022年}}はAA級ボウイとAAA級[[ノーフォーク・タイズ]]でプレーし、2球団合計で26試合(先発25試合)に登板して8勝3敗、防御率4.43、144奪三振を記録した。オフの11月15日に[[ドラフト会議 (MLB)#ルール・ファイブ・ドラフト|ルール・ファイブ・ドラフト]]での流出を防ぐために[[ロースター (MLB)#26人枠と40人枠|40人枠]]入りした<ref>{{Cite web|url=https://www.mlb.com/news/orioles-add-grayson-rodriguez-to-40-man-roster |title=O's add No. 2 prospect Rodriguez, 4 others to 40-man|author=Jake Rill|website=MLB.com|language=英語|date=2022年11月15日|accessdate=2023年12月24日}}</ref>。 {{by|2023年}}、オリオールズ傘下では開幕からAAA級ノーフォークでプレーした。なお、5月9日にはメジャー初昇格を果たしたが<ref>{{Cite web|url=https://www.mlbtraderumors.com/2023/05/orioles-designate-luis-torrens-for-assignment.html |title=Orioles Designate Luis Torrens For Assignment, Recall Drew Rom|author=Darragh McDonald and Steve Adams|website=MLB Trade Rumors|language=英語|date=2023年5月9日|accessdate=2023年12月24日}}</ref>、登板機会が無いまま11日にAAA級ノーフォークへ降格した。 === カージナルス時代 === 2023年8月1日に[[ジャック・フラハーティ (野球)|ジャック・フラハーティ]]との[[トレード#メジャーリーグ|トレード]]で、[[シーザー・プリエト]]、[[ザック・ショーウォルター]]と共に[[セントルイス・カージナルス]]へ移籍した<ref>{{Cite web|url=https://www.mlbtraderumors.com/2023/08/orioles-close-to-acquiring-jack-flaherty-from-cardinals.html |title=Orioles Acquire Jack Flaherty From Cardinals|author=Darragh McDonald|website=MLB Trade Rumors|language=英語|date=2023年8月1日|accessdate=2023年12月24日}}</ref>。移籍後は傘下のAAA級[[メンフィス・レッドバーズ]]へ配属された。8月21日にメジャー昇格すると<ref>{{Cite web|url=https://www.mlbtraderumors.com/2023/08/cardinals-to-promote-drew-rom-for-monday-start.html |title=Cardinals Promote Drew Rom For MLB Debut|author=Mark Polishuk|website=MLB Trade Rumors|language=英語|date=2023年8月21日|accessdate=2023年12月24日}}</ref>、同日の[[ピッツバーグ・パイレーツ]]戦にて先発してメジャーデビューしたが、3.2回を8失点で敗戦投手となった<ref>{{Cite web|url=https://www.baseball-reference.com/boxes/PIT/PIT202308210.shtml |title=St. Louis Cardinals vs Pittsburgh Pirates Box Score: August 21, 2023|website=Baseball-Reference.com|language=英語|accessdate=2023年12月24日}}</ref>。この年メジャーでは8試合に先発登板して1勝4敗、防御率8.02、32奪三振を記録した。 == 詳細情報 == === 年度別投手成績 === {| {{投手成績|リーグ=メジャーリーグベースボール}} |- |style="text-align: center;"|{{mlby|2023}} |style="text-align: center; white-space:nowrap;"|[[セントルイス・カージナルス|STL]] |8||8||0||0||0||1||4||0||0||.200||170||33.2||51||7||19||0||0||19||0||0||34||30||8.02||2.07 |- !colspan="2"|[[メジャーリーグベースボール|MLB]]:1年 |8||8||0||0||0||1||4||0||0||.200||170||33.2||51||7||19||0||0||19||0||0||34||30||8.02||2.07 |} * 2023年度シーズン終了時 === 背番号 === * '''38'''(2023年 - ) == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[メジャーリーグベースボールの選手一覧 R]] == 外部リンク == {{MLBstats|mlb=680723|espn=42063|br=r/romdr01|fangraphs=24602|brm=rom---000dre}} * [https://www.milb.com/player/drew-rom-680723 Drew Rom stats] MiLB.com {{en icon}} *{{Twitter|Drew_Rom10|Drew Rom}} *{{Instagram|drew10rom|Drew Rom}} {{セントルイス・カージナルス}} {{Baseball-biography-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ろむ とりゆう}} [[Category:アメリカ合衆国の野球選手]] [[Category:ボルチモア・オリオールズのドラフト指名選手]] [[Category:セントルイス・カージナルスの選手]] [[Category:シンシナティ出身の人物]] [[Category:1999年生]] [[Category:存命人物]]
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岡野亜依
岡野 亜依(おかの あい、2000年4月17日 - )は、日本の女子バレーボール選手である。 岡山県倉敷市出身。ママさんバレーをする母の影響で小学2年生からバレーボールを始めた。 岡山理科大学附属高等学校を経て、2019年、中国学園大学に進学。2022年、中国大学春季1部リーグでサーブレシーブ賞とレシーブ賞、秋季リーグで敢闘賞を受賞した。2022-23シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN(V1女子)に所属する岡山シーガルズの内定選手となった。 2023年、大学卒業後に、岡山シーガルズに入団した。入団1シーズン目となる2023-24シーズンにV1女子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。
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岡野 亜依は、日本の女子バレーボール選手である。
{{バレーボール選手 | 本名 = 岡野 亜依 | ラテン文字 = Ai Okano | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 国籍 = {{JPN}} | 生年月日 = {{生年月日と年齢|2000|4|17}} | 出身地 = {{flagicon|JPN}} [[岡山県]][[倉敷市]] | 原語名 = | 原語表記 = | 身長 = 168cm | 体重 = 67kg | 血液型 = A型 | 所属 = [[岡山シーガルズ]] | 背番号 = 25 | 愛称 = アイ | 役職 = | ポジション = [[アウトサイドヒッター|OH]] | 指高 = 220cm | 利き手 = 右<ref name="チームの顔" /> | スパイク = 275cm | ブロック = 270cm<ref name="チームの顔" /> | 獲得メダル = }} '''岡野 亜依'''(おかの あい、[[2000年]][[4月17日]] - )は、[[日本]]の女子[[バレーボール]]選手である。 == 来歴 == [[岡山県]][[倉敷市]]出身。ママさんバレーをする母の影響で小学2年生からバレーボールを始めた<ref name="チームの顔">{{Cite journal |和書|year=2023 |month=11 |title=岡山シーガルズ |publisher=[[日本文化出版]] |journal=2023-24 V.LEAGUE公式プログラム チームの顔 |page=152 |asin=B0CK8R2P19}}</ref>。 [[岡山理科大学附属中学校・高等学校|岡山理科大学附属高等学校]]を経て、2019年、[[中国学園大学]]に進学。2022年、中国大学春季1部リーグでサーブレシーブ賞とレシーブ賞、秋季リーグで敢闘賞を受賞した<ref>{{Cite news |和書|title=岡山 岡野亜依ら3名の内定を発表 |newspaper=[[月刊バレーボール|月バレ.com]] |date=2023-01-17 |url=https://www.getsuvolley.com/230117_okayama |access-date=2023-12-24 |publisher=[[日本文化出版]]}}</ref>。2022-23シーズン、[[V.LEAGUE]] DIVISION1 WOMEN(V1女子)に所属する[[岡山シーガルズ]]の内定選手となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://okayama.v-seagulls.co.jp/seagullsnews/2023naitei/ |title=内定選手のお知らせ |access-date=2023-12-24 |publisher=[[岡山シーガルズ]] |date=2023-01-13}}</ref><ref>{{Cite news |和書|title=シーガルズ 岡野ら3人入団内定 今季リーグから出場可能 |newspaper=[[山陽新聞]] |date=2023-01-13 |url=https://www.sanyonews.jp/article/1351359 |access-date=2023-12-24}}</ref>。 2023年、大学卒業後に、岡山シーガルズに入団した。入団1シーズン目となる2023-24シーズンに[[2023-24 V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN|V1女子]]の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 == 所属チーム == * [[岡山理科大学附属中学校・高等学校|岡山理科大学附属高等学校]](2016-2019年) * [[中国学園大学]](2019-2023年) * [[岡山シーガルズ]](2023年-) == 受賞歴 == * 2022年 - 中国大学春季1部リーグ サーブレシーブ賞、レシーブ賞 * 2022年 - 中国大学秋季1部リーグ 敢闘賞 == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * {{Sports links}} * [https://okayama.v-seagulls.co.jp/seagullsplayers/25okano_ai/ 岡野亜依] - [[岡山シーガルズ]] {{岡山シーガルズ}} {{デフォルトソート:おかの あい}} [[Category:日本の女子バレーボール選手]] [[Category:岡山シーガルズの選手]] [[Category:岡山理科大学附属高等学校出身の人物]] [[Category:岡山県出身のスポーツ選手]] [[Category:2000年生]] [[Category:存命人物]]
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ファフルッディーン・アリー・アフマド
ファクルディン・アリ・アーメド(1905年5月13日 - 1977年2月11日)は、インドの弁護士、政治家であり、1974年から1977年までインドの第5代大統領を務めた。 デリーに生まれたアーメッドは、デリーとケンブリッジで学び、1928 年にロンドンのインナー・テンプルから法廷弁護士になりました。インドに戻ると、ラホールで弁護士を務め、その後グワーハーティーで弁護士を務めました。 1939年にゴピナート・ボルドロイ省でアッサム州財務大臣を務めた。1946年にアッサム州法務長官に就任し、1957年から1966年まで再び財務大臣を務めた。彼は 1966 年にインディラ ガンジー首相によって国家閣僚に任命され、電力、灌漑、工業、農業などのさまざまな省庁を担当した。彼は1974年にインド大統領に選出された。 1977年2月10日、マレーシア、フィリピン、ビルマの3カ国を訪問していたアーメッドはクアラルンプールからニューデリーに戻ったが健康不良のためマレーシアでの公務の縮小を余儀なくされた。アーメドは1966年と1970年に心臓発作を起こしており、健康状態が不安定だと言われており自宅浴場で意識を失って横たわっているのが発見された。彼は医師らの治療を受けたが心臓発作により1977年2月11日に死亡した。
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ファクルディン・アリ・アーメドは、インドの弁護士、政治家であり、1974年から1977年までインドの第5代大統領を務めた。
ファクルディン・アリ・アーメド(1905年5月13日 - 1977年2月11日)は、インドの弁護士、政治家であり、1974年から1977年までインドの第5代大統領を務めた。 {{Infobox Officeholder|name=ファフルッディーン・アリー・アフマド|image=President Fakhruddin Ali Ahmed.jpg}} == 経歴 == デリーに生まれたアーメッドは、デリーとケンブリッジで学び、1928 年にロンドンのインナー・テンプルから法廷弁護士になりました。インドに戻ると、ラホールで弁護士を務め、その後グワーハーティーで弁護士を務めました。 1939年にゴピナート・ボルドロイ省でアッサム州財務大臣を務めた。1946年にアッサム州法務長官に就任し、1957年から1966年まで再び財務大臣を務めた。彼は 1966 年にインディラ ガンジー首相によって国家閣僚に任命され、電力、灌漑、工業、農業などのさまざまな省庁を担当した。彼は1974年にインド大統領に選出された。<ref name=":02">{{cite book |last1=Jai |first1=Janak Raj |title=Presidents of India, 1950-2003 |date=2003 |publisher=Regency Publications |location=New Delhi |isbn=978-81-87498-65-0 |page=101 |url=https://books.google.com/books?id=r2C2InxI0xAC&q=janak+raj+rai+fakhruddin+ali+ahmed |access-date=2 July 2023 |language=en |archive-date=9 July 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230709141238/https://books.google.com/books?id=r2C2InxI0xAC&q=janak+raj+rai+fakhruddin+ali+ahmed |url-status=live}}</ref><ref>{{cite web |last1=Parveen |first1=Shabnam |title=Socio - Political Awakening of the Muslims of Assam -1871 TO 1980 |url=https://core.ac.uk/download/pdf/144526241.pdf |publisher=Aligarh Muslim University |access-date=2 September 2022 |archive-date=1 September 2022 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220901194130/https://core.ac.uk/download/pdf/144526241.pdf |url-status=live}}</ref><ref>{{cite news |last1=Saikia |first1=Arunabh |title=Humans of Assam: The nephew of India's fifth president is struggling to prove his Indian citizenship |url=https://scroll.in/article/931863/humans-of-assam-the-nephew-of-indias-fifth-president-is-struggling-to-prove-his-indian-citizenship |access-date=2 July 2023 |work=Scroll.in |date=28 July 2019 |archive-date=2 July 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230702061248/https://scroll.in/article/931863/humans-of-assam-the-nephew-of-indias-fifth-president-is-struggling-to-prove-his-indian-citizenship |url-status=live}}</ref> 1977年2月10日、マレーシア、フィリピン、ビルマの3カ国を訪問していたアーメッドはクアラルンプールからニューデリーに戻ったが健康不良のためマレーシアでの公務の縮小を余儀なくされた。アーメドは1966年と1970年に心臓発作を起こしており、健康状態が不安定だと言われており自宅浴場で意識を失って横たわっているのが発見された。彼は医師らの治療を受けたが心臓発作により1977年2月11日に死亡した。 [[Category:インナー・テンプル出身の人物]] [[Category:ケンブリッジ大学セント・キャサリンズ・カレッジ出身の人物]] [[Category:1977年没]] [[Category:1905年生]] [[Category:インドの大統領]]
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稲村徹元
稲村 徹元(いなむら てつげん(てつもと) 、1928年 - )は、日本の書誌学者。 宮城県仙台市で石川安吉の三男として生まれる。初名は清。1929年、叔父の稲村坦元の養子となり、埼玉県浦和市で育つ。駒澤大学高等師範史学科卒業。大学在学中の1946年から書物展望社に通い、斎藤昌三や「火金会」の人々と交流をもった。 1948年に国会図書館の司書となり、1990年まで勤務。国会図書館の最初の館員で、戦後の書誌学を推進した。その後、埼玉純真短期大学教授に就任。
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稲村 徹元は、日本の書誌学者。
'''稲村 徹元'''(いなむら てつげん(てつもと)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.komazawa-u.ac.jp/gakubu/bun/history/mokuji01-10.html |title=第3号(1953.11)稲村徹元(いなむらてつもと)「現代史の横顔──太平洋戦争第二次世界大戦をめぐる諸文献の紹介」 |website=駒澤大学 |accessdate=2023-12-16}}</ref> 、[[1928年]] - )は、[[日本]]の[[書誌学者]]。 == 来歴 == [[宮城県]][[仙台市]]で石川安吉の三男として生まれる。初名は清<ref>稲村徹元「稲村坦元 年譜および著作目録」『武蔵における社寺と古文化 稲村坦元論文集』、さきたま出版会、1999年</ref>。[[1929年]]、[[叔父]]の[[稲村坦元]]の養子となり、[[埼玉県]][[浦和市]]で育つ。[[駒澤大学]]高等師範[[史学科]]卒業。大学在学中の1946年から書物展望社に通い、[[斎藤昌三 (古書研究家)|斎藤昌三]]や「火金会」の人々と交流をもった。 1948年に[[国会図書館]]の司書となり、[[1990年]]まで勤務。国会図書館の最初の館員で、戦後の書誌学を推進した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bk-web.jp/post.php?id=526 |title=南陀楼綾繁 著「蒐める人 情熱と執着のゆくえ」皓星社 |website=ビジネス香川 |date=2018-09-06|accessdate=2023-12-16}}</ref>。その後、[[埼玉純真短期大学]]教授に就任<ref>{{Cite web|和書|url=https://honto.jp/netstore/search/au_1000012277.html |title=稲村徹元 |website=honto |accessdate=2023-12-16}}</ref>。 == 著書 == * 「国立国会図書館に関する文献目録.」[[国立国会図書館]]、1962 * 「稲村坦元略年譜及業績年表」稲村徹元、1964 * 「夏目漱石文献目録剳記 : [[書誌]]の評価・試論. 掲載誌 図書館研究シリーズ」国立国会図書館、1965 * 「漱石本の形成と橋口五葉」[[日本出版学会]]、1976.11 * 「[[索引]]の話」[[日本図書館協会]]、 1977.3 * 『石川県勧業博物館「勧業諸報標目」考』[[弥吉光長]]先生喜寿記念会, 1977 * 「国立国会図書館展示会目録集覧. 付上野図書館展覧会目録年表(稿)」国立国会図書館、1985 * 「書物の趣味 第4巻(書誌書目シリーズ 28)」(7巻)[[ゆまに書房]]、1990.2 * 「明治世相編年辞典 新装版」[[東京堂出版]]、1995.6.29<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyodoshuppan.com/author/a36127.html |title=稲村徹元 |website=東京堂出版|accessdate=2023-12-16}}</ref> * 「新出資料による『図書館管理法』原型の考察--「学校書籍館管理一班」未定稿の成立と東京図書館」1990 * 「武蔵における社寺と古文化 - 稲村坦元論文集」[[さきたま出版会]]、 1999.11. 冊子体407p * 「名族・土屋氏 その系譜と事績」ゆまに書房、1999.12 === 共著 === * 「明治世相編年辞典」[[朝倉治彦]]、[[東京堂出版]]、1965.6. * 「明治文學全集 42 [[徳富蘆花]]集」[[神崎清]]編、[[筑摩書房]]、1966<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chikumashobo.co.jp/author/004785/ |title=稲村徹元 |website=筑摩書房|accessdate=2023-12-16}}</ref> * 「大正過去帳: 物故人名辞典」井門寛、丸山信共編、[[東京美術]]、1973 * 「現代読書法」[[紀田順一郎]]、[[蟹江征治]]、[[講談社]]、1987.2.4<ref>{{Cite web|和書|url=https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000150376 |title=「現代読書法」 |website=講談社BOOK倶楽部 |accessdate=2023-12-16}}</ref> * 「明治・大正・昭和前期雑誌記事索引集成」[[石山洋]]、大久保久雄、宮地幹夫、[[皓星社]]、1994-95 === 編著 === * 「明治記録文学年表」森崎富美子、山口美代子編、1967 * 「辞典の辞典」[[佃実夫]] 共編 [[文和書房]]、1972 * 「斎藤昌三著編書年譜」[[八潮書店]]、1981 === 監修 === * 「[[図書館学]]関係文献目録集成 - 戦後編(1945~1969)」全4巻、[[金沢文圃閣]]、2002.2<ref>{{Cite web|和書|url=https://kanazawa-bumpo-kaku.jimdo.com/%E5%88%8A%E8%A1%8C%E4%B8%80%E8%A6%A7/%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E5%AD%A6%E9%96%A2%E4%BF%82%E6%96%87%E7%8C%AE%E7%9B%AE%E9%8C%B2%E9%9B%86%E6%88%90-%E6%88%A6%E5%BE%8C%E7%B7%A8/ |title=「図書館学関係文献目録集成 - 戦後編(1945~1969)」全4巻 |website=金沢文圃閣|accessdate=2023-12-16}}</ref> * 近代作家追悼文集成、ゆまに書房 ** 1「[[正岡子規]]・[[尾崎紅葉]]」1987 ** 2「[[原抱一庵]]・[[落合直文]]・[[斎藤緑雨]]・[[綱島梁川]]」1987 ** 3「[[三木竹二]] ; [[川上眉山]] ;[[ 国木田独歩]] ;[[ 二葉亭四迷]]」1987 ** 4「[[伊藤左千夫]] ; [[長塚節]]」1987 ** 5「[[夏目漱石]]」1987 ** 6「[[島村抱月]] ; [[大須賀乙字]]」1987 ** 7「[[森鴎外]]」1987 ** 8「[[有島武郎]]」1987 ** 9「[[厨川白村]] ; [[木下利玄]] ; [[山村暮鳥]]」1987 ** 10「[[島木赤彦]]」1987 ** 11「[[芥川龍之介]] ; [[徳富蘆花]] ; [[古泉千樫]]」1987 ** 12「[[若山牧水]]」1987 ** 13「[[小山内薫]]」1987 ** 14「[[内田魯庵]] ;[[ 内村鑑三]]」1987 ** 15「[[巌谷小波]] ; [[中村憲吉]]」1987 ** 16「[[竹久夢二]] ; [[坪内逍遥]]」1987 ** 17「[[鈴木三重吉]] ; [[河東碧梧桐]]」1987 ** 18「[[上田万年]] ; [[岡本かの子]] ; [[北原白秋]] ; [[島崎藤村]] ; [[泉鏡花]]」1987 ** 19「[[上田敏]] ; [[岩野泡鳴]]」1987 ** 20「[[滝田樗陰]] ; [[内藤鳴雪]]」1992 ** 21「[[芳賀矢一]]」1992 ** 22「[[葛西善蔵]] ; [[岸田劉生]] ; [[生田春月]] ; [[梶井基次郎]]」1992 ** 23「[[小林多喜二]] ; [[直木三十五]] ; [[土田杏村]]」1992 ** 24「[[与謝野鉄幹]]」1992 ** 25「[[寺田寅彦]]」1992 ** 26「[[牧野信一]] ; [[中原中也]] ; [[岡本綺堂]]」1992 ** 27「[[戸川秋骨]] ; [[水上滝太郎]]」1992 ** 28「[[吉江喬松]] ; [[馬場孤蝶]]」1992 ** 29「[[萩原朔太郎]] ; [[與謝野晶子]] ; [[徳田秋声]]」1992 === 論文・記事等 === * [https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E7%A8%B2%E6%9D%91%E5%BE%B9%E5%85%83&count=20&sortorder=0 CiNii>稲村徹元] === 関連書 === * [[南陀楼綾繁]] 著「蒐める人 情熱と執着のゆくえ」皓星社、2018.8(稲村徹元、[[串間努]]ら7人に行った2001~2004年のインタビューを収録)<ref>{{Cite web|和書|url=https://catalog.library.metro.tokyo.lg.jp/winj/opac/switch-detail-iccap.do?bibid=1153224480 |title=「蒐める人 情熱と執着のゆくえ」皓星社 |website=東京都立図書館|accessdate=2023-12-16}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00019237 稲村 徹元 - Web NDL Authorities] {{DEFAULTSORT:いなむら てつけん}} [[Category:日本の書誌学者]] [[Category:駒澤大学出身の人物]] [[Category:埼玉県出身の人物]] [[Category:1928年生]] [[Category:存命人物]]
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春 (政治用語)
政治用語また政治学の用語における春とは、ある地域に起こった政治的な自由化の時期、また、学生運動や、革命的な政治運動などを指し、20 世紀後半に普及した。この用語は、「Spring of Nations (諸国民の春)」「Springtime of the Peoples (諸民族の春)」と呼ばれた19世紀ヨーロッパで起こった1848年革命に由来する。政治的なメタファーとしての「春」は、より良い時代の始まり、抑圧的な政治体制からの解放を意味する。
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政治用語また政治学の用語における春とは、ある地域に起こった政治的な自由化の時期、また、学生運動や、革命的な政治運動などを指し、20 世紀後半に普及した。この用語は、「Spring of Nations (諸国民の春)」「Springtime of the Peoples (諸民族の春)」と呼ばれた19世紀ヨーロッパで起こった1848年革命に由来する。政治的なメタファーとしての「春」は、より良い時代の始まり、抑圧的な政治体制からの解放を意味する。
{{Otheruses|政治用語|その他の春|春 (曖昧さ回避)}} 政治用語また[[政治学]]の用語における「'''春'''」とは、ある地域に起こった政治的な[[自由化]]の時期<ref>{{Cite journal|和書|author=髙橋巖根(高橋巖根) |title=民主化の地政学 |year=2012 |month=3 |publisher=流通経済大学社会学部 |journal=流通経済大学流通情報学部紀要 |volume=16 |issue=2 |url=https://rku.repo.nii.ac.jp/records/6659 |format=PDF |accessdate=2023-12-25 |pages=59,66}}</ref>、また、[[学生運動]]や、[[革命]]的な政治運動などを指し、20世紀後半に普及した。 この用語は、「Spring of Nations」(諸国民の春)または「Springtime of the Peoples」(諸民族の春)と呼ばれた[[19世紀]][[ヨーロッパ]]で起こった[[1848年革命]]に由来する<ref>{{Cite book |last=Merriman |first=John M. |authorlink=:en:John M. Merriman |title=A History of Modern Europe: From the French Revolution to the Present |year=1996 |month=May |publisher=W.W. Norton & Co |edition=First |isbn=0-3939-6885-5 |page=715 |language=en}}</ref><ref>{{Cite Kotobank |word=諸国民の春 |encyclopedia=旺文社世界史事典 三訂版 |accessdate=2023-12-25}}</ref><ref>{{Cite Kotobank |word=1848年革命 |encyclopedia=百科事典マイペディア、世界大百科事典 第2版 |accessdate=2023-12-25}}</ref><ref name="teaandtoast20110511">{{Cite web2 |df=ja |author=Dan |url=http://www.teaandtoast.ie/?p=1041 |title=The Anatomy of a Spring |website=Tea and Toast |date=2011-05-12 |access-date=2011-05-25 |archive-date=2012-03-24 |archive-url=https://web.archive.org/web/20120324135455/http://www.teaandtoast.ie/?p=1041 |url-status=dead}}</ref>。政治的な[[メタファー]]としての「春」は、より良い時代の始まり、抑圧的な政治体制からの解放を意味する<ref name="koreatimes20110818">{{Cite web2 |df=ja |author=Shin Hyun-gook |url=https://www.koreatimes.co.kr/www/nation/2023/12/638_93031.html |title=When spring comes … |website=The Korea Times |date=2011-08-18 |accessdate=2023-12-25 |language=en-KR}}</ref>。 == 事例 == * [[プラハの春]] - [[1968年]]に[[チェコスロバキア]]で起こった自由化・民主化運動 * {{仮リンク|クロアチアの春|en|Croatian Spring}} - [[1971年]]に[[クロアチア]]で起こった[[自由主義]]の政治運動<ref name="teaandtoast20110511" /><ref>{{Cite book |others=Batović, Ante author, translator, editor / Bilski, Benjamin translator, editor |title=The Croatian Spring : nationalism, repression and foreign policy under Tito |year=2019 |publisher=I B Tauris & Co Ltd |series=International Library of Twentieth Century History, 99 |edition=Reprint |isbn=0-7556-0100-9 |page={{要ページ番号|date=2023年12月}} |language=en}}</ref><ref>{{Cite journal |editor1-first=Lenard J. |editor1-last=Cohen |editor2-first=Jasna |editor2-last=Dragović-Soso |first1=Jill |last1=Irvine |title=The Croatian Spring and the Dissolution of Yugoslavia |year=2007 |publisher=Purdue University Press |journal=State Collapse in South-Eastern Europe: New Perspectives on Yugoslavia's Disintegration - Central European Studies |doi=10.2307/j.ctt6wq21x.11 |accessdate=2023-12-25 |pages=149-178 |language=en}}</ref> * [[北京の春]] - 1970年代末の[[中国民主化運動]]<ref name="teaandtoast20110511" /><ref name="koreatimes20110818" /><ref>{{Cite journal|和書|author=赤倉泉 |title=放鳴運動から反右派闘争への政策転換の分析 : 上からの「自由化」の最初の挫折の政治的構図を求めて |date=1995-03-14 |publisher=筑波大学社会科学系(法学・政治学) |journal=筑波法政 |volume=18 |issue=その2 |id={{ncid|AN00149147}} |issn=03886220 |url=https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=custom_sort&search_type=2&q=6663 |format=PDF |accessdate=2023-12-25 |pages=205-228}}</ref> * [[ソウルの春]] - 1970年代から80年代にかけての韓国における民主化運動<ref name="teaandtoast20110511" /><ref name="koreatimes20110818" /><ref>{{Cite journal|和書|author=青木義幸 |title=1980年代韓国民主化運動の排除と包摂 : マルクス主義女性解放論と社会主義女性解放論の齟齬を通して |date=2013-03-31 |publisher=東京大学大学院総合文化研究科・教養学部アジア地域文化研究会 |journal=アジア地域文化研究 |volume=9 |doi=10.15083/00037337 |format=PDF |pages=27-45}}</ref> * [[ラングーンの春]] - [[8888民主化運動]]までの期間をこう呼ぶ<ref name="teaandtoast20110511" /><ref>{{Cite web2 |df=ja |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/special_report/1998/08/98/burma/145416.stm |title=Waiting for democracy |work=BBC News |date=1998-08-14 |accessdate=2023-12-25 |language=en-GB}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |first=Saurabh |last=Bhattacharya |url=http://www.mkgandhi.org/articles/other%20Gandhis.htm |title=Articles on & by Gandhi |access-date=2011-05-25 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20060218142541/http://www.mkgandhi.org/articles/other%20Gandhis.htm |archive-date=2006-02-18}}Source: LIFE POSITIVE PLUS , Oct-Dec 2002.</ref> * カトマンズの春(Kathmandu Spring) - [[ネパール]]における1990年の[[ジャナ・アンドラン]]、2006年の[[ロクタントラ・アンドラン]]などの民主化運動<ref>{{Cite book |last=Ogura |first=Kiyoko |authorlink=小倉清子 |title=Kathmandu Spring: The People’s Movement of 1990 |year=2001 |publisher=Himal Books |edition=First |isbn=978-9-9933-1309-0 |language=en}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |first=Kunda |last=Dixit |url=http://articles.timesofindia.indiatimes.com/2006-05-04/edit-page/27815082_1_king-gyanendra-kathmandu-civil-servants |archive-url=https://web.archive.org/web/20120612045951/http://articles.timesofindia.indiatimes.com/2006-05-04/edit-page/27815082_1_king-gyanendra-kathmandu-civil-servants |url-status=dead |archive-date=2012-06-12 |title=Kathmandu Spring |date=2006-05-04 |work=[[The Times of India]] |accessdate=2012-10-09 |language=en-IN}}</ref> * [[テヘランの春]](Tehran Spring) - [[イラン]]での1990年代末から2000年代初期にかけて(特に1997年から1999年)の[[モハンマド・ハータミー]]の時代を非公式にこう呼ぶことがある<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.library.manchester.ac.uk/services/digitisation-services/projects/nashriyah-digital-iranian-history/iran-during-the-late-1990s/ |title=Iran during the late 1990s/early 2000s Khatami 'reform' era |website=The Universuty of Manchester Library |publisher=The Universuty of Manchester |accessdate=2023-12-25 |language=en-GB}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |first=Muhammad |last=Sahimi |url=https://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/tehranbureau/2010/07/anniversary-of-a-turning-point.html |title=Anniversary of a Turning Point |website=PBS |publisher=Tehran Bureau |date=2010-07-10 |accessdate=2023-12-25 |location=Los Angeles |language=en-US}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |first=Morad |last=Saghafi |url=https://merip.org/2004/12/the-new-landscape-of-iranian-politics/ |title=The New Landscape of Iranian Politics |website=The New Landscape of Iranian Politics - MERIP |year=2004 |accessdate=2023-12-25 |language=en}}Middle East Report 233(Winter 2004).</ref><ref>{{Cite book |last=Hovsepian-Bearce |first=Yvette |authorlink= |title=The Political Ideology of Ayatollah Khamenei: Out of the Mouth of the Supreme Leader of Iran (UCLA Center for Middle East Development (CMED)) |date=2015-08-05 |publisher=Routledge |isbn=978-1-1388-1310-6 |chapter=CHAPTER 10: Tehran Spring and the Debate Over the Freedom of the Press: President Mohammad Khatami. |language=en}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |first=Ben |last=Barber |url=https://www.salon.com/2001/01/11/iran_38/ |title=Shutting down the Tehran Spring |work=Salon |date=2001-01-11 |accessdate=2023-12-24 |language=en}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |last=Gardner |first=David |url=https://www.ft.com/content/594504cc-39f7-11e0-82aa-00144feabdc0 |title=Tehran Spring haunts guardians of revolution |publisher=FT.com |date=2011-02-16 |accessdate=2012-10-09 |url-access=subscription}}</ref> * {{仮リンク|ダマスカスの春|en|Damascus Spring}} - [[シリア]]での[[ハーフィズ・アル=アサド]]大統領死後、[[バッシャール・アル=アサド]]大統領は、情報統制を緩めるなどの政策をとったため、2000年代初頭の開放的な機運を指すが、その後統制が強まった<ref name="teaandtoast20110511" /><ref>{{Cite journal |author=森山央朗 |title=中東政治変動の研究 「アラブの春」の現状と課題 |year=2012 |month=March |publisher=日本国際問題研究所 |journal=(研究報告) |url=https://www2.jiia.or.jp/pdf/resarch/H23_MiddleEast/H23_MiddleEast.php |format=PDF |accessdate=2023-12-25 |page=51 |chapter=第4章 シリアの 2011 年とアラウィー派とスンナ派 |chapter-url=https://www2.jiia.or.jp/pdf/resarch/H23_MiddleEast/04_Moriyama.pdf}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://carnegie-mec.org/diwan/48516 |title=The Damascus Spring |website=Carnegie Middle East Center |publisher=Carnegie Endowment for International Peace |date=2012-04-01 |accessdate=2023-12-25 |language=en}}</ref><ref>{{Cite journal |last=Ziadeh |first=Radwan |editor=Alsaleh, Asaad |title=From the Damascus Spring to the Arab Spring: A Nonpersonal Story |year=2015 |publisher=Columbia University Press |journal=Voices of the Arab Spring: Personal Stories from the Arab Revolutions |doi=10.7312/alsa16318 |format=PDF |accessdate=2023-12-25 |pages=230-233 |language=en}}</ref> * [[レバノンの春]](Lebanon Spring)、[[杉の春]](Cedar Spring) - [[レバノン]]で2005年に起きた[[ラフィーク・ハリーリー]]首相暗殺事件によって発生した市民運動「[[杉の革命]]」の別名<ref>{{Cite web2 |df=ja |first=Greg |last=Felton |url=http://world.mediamonitors.net/headlines/as_the_globe_spins_coverage_of_lebanons_demonstrations_doesnt_tell_whole_story |title=As the Globe spins: Coverage of Lebanon's demonstrations doesn't tell whole story |website=Media Monitors Network |publisher=MMN |date=2005-03-17 |accessdate=2012-05-25 |archiveurl=https://archive.md/20120525115809/http://world.mediamonitors.net/headlines/as_the_globe_spins_coverage_of_lebanons_demonstrations_doesnt_tell_whole_story |archivedate=2012-05-25 |language=en}}</ref> * [[ハラレの春]](Harare Spring) - [[ジンバブエ]]での2008年の[[ロバート・ムガベ]]と[[モーガン・ツァンギライ]]との連立政権時期をしばしば指す<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.thezimbabwemail.com/zimbabwe/8087-harare-spring-fizzles.html |title="Harare Spring" fizzles |publisher=Thezimbabwemail.com |date=2011-05-17 |accessdate=2012-10-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110522052454/http://www.thezimbabwemail.com/zimbabwe/8087-harare-spring-fizzles.html |archivedate=2011-05-22 |language=en}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/from_our_own_correspondent/7689217.stm |title=Hope fades under Zimbabwe facade |work=BBC News |date=2008-10-25 |accessdate=2023-12-25 |language=en-GB}}</ref> * [[アラブの春]] - 2010年から2011年にかけて中東と北アフリカで起きた民主化運動。([[チュニジア]]の[[ジャスミン革命]]、[[エジプト革命 (2011年)|2011年のエジプト革命]]など)<ref>{{Cite web2 |df=ja |others=Written and fact-checked by The Editors of Encyclopaedia Britannica |url=https://www.britannica.com/event/Arab-Spring |title=Arab Spring |website=Encyclopedia Britannica |publisher=Encyclopedia Britannica |accessdate=2023-12-25 |language=en}}</ref>。アラブの春は、プラハの春に因んで名づけられた<ref name="teaandtoast20110511" /><ref>{{Cite journal|和書|author=鹿島正裕 |authorlink=鹿島正裕 |title=「民主化の波」の成功と失敗──東欧諸国とアラブ諸国の比較試論 |year=2015 |publisher= 放送大学 |journal=放送大学研究年報 |volume=33 |url=https://ouj.repo.nii.ac.jp/records/8510 |format=PDF |accessdate=2023-12-25 |pages=125-139}}</ref>。 * メープルの春(Maple Spring) - アラブの春に因んだ{{仮リンク|2012年ケベック学生運動|fr|Grève étudiante québécoise de 2012|en|2012 Quebec student protests}}<ref>{{Cite web2 |df=ja |first=Maude-Emmanuelle |last=Lambert |url=https://www.thecanadianencyclopedia.ca/en/article/quebec-student-protest-of-2012 |title=2012 Québec Student Strike |website=The Canadian Encyclopedia |date=2014-03-04 |accessdate=2023-12-25 |language=en-CA}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |first=Michelle |last=Lalonde |url=https://montrealgazette.com/news/local-news/a-decade-later-mulling-the-legacy-of-quebecs-maple-spring |title=A decade later: Mulling the legacy of Quebec's Maple Spring |website=Montreal Gazette |publisher=Postmedia Network Inc. |date=2022-02-12 |accessdate=2023-12-25 |language=en-CA}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |author=大竹秀子 |url=https://democracynow.jp/video/20120525-3 |title=メープルの春:ケベックが連帯の赤であふれた大規模学生スト |website=Democracy Now Japan |date=2012-05-25 |accessdate=2023-12-25}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |first=Émile |last=Bérubé-Lupien |url=https://www.universityaffairs.ca/news/news-article/whats-left-10-years-after-quebecs-maple-spring/ |title=What’s left, 10 years after Quebec’s Maple Spring |website=University Affairs / Affaires universitaires |date=2022-06-20 |accessdate=2023-12-25 |language=en}}</ref> * {{仮リンク|バレンシアの春|es|Primavera valenciana}}(Valencian Spring, {{lang-es-short|Primavera Valenciana|links=no}}) - 2012年の学生運動<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.smh.com.au/business/spain-budget-cuts-spawn-valencian-spring-protests-20120222-1tme3.html |title=Spain budget cuts spawn 'Valencian Spring' protests |website=The Sydney Morning Herald |publisher=AFP |date=2012-02-22 |accessdate=2023-12-25 |language=en}}</ref> * ベネズエラの春(Venezuelan Spring) - {{仮リンク|ベネズエラにおける2014年の抗議運動|en|2014 Venezuelan protests}}<ref>{{Cite web2 |df=ja |first=Andrew |last=Cawthorne |url=https://jp.reuters.com/article/idUSBREA470HW/ |title=Maduro wards off 'Venezuela Spring' but troubles not over |website=Reuters |date=2014-05-08 |accessdate=2023-12-25 |language=en}}</ref> * ロシアの春(Russian Spring) - [[2014年ウクライナでの親ロシア派騒乱]]<ref>{{Cite journal |first1=Tomila |last1=Lankina |first2=Kohei |last2=Watanabe |title=‘Russian Spring’ or ‘Spring betrayal’? The media as a mirror of Putin’s evolving strategy in Ukraine |date=2017-12-19 |publisher=University of Glasgow |journal=Europe-Asia Studies |volume=69 |doi=10.1080/09668136.2017.1397603 |issn=0966-8136 |format=PDF |pages=1526-1556 |language=en}}{{subscription required}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |first=William Jay |last=Risch |url=https://www.opendemocracy.net/en/odr/remembering-ukraines-revolution-of-dignity/ |title=Remembering Ukraine’s Revolution of Dignity |website=Open Democracy |date=2020-02-18 |accessdate=2023-12-25 |language=en}}</ref> * {{仮リンク|ラテンアメリカの春|en|Latin American spring}}(Latin American spring, {{lang-es-short|Primavera Latinoamericana|links=no}}) - 2019年から2022年にかけての大衆運動<ref>{{Cite news2 |df=ja |first=Carmenza |last=Jimenez |url=https://www.sbs.com.au/language/english/the-latin-american-spring-why-south-america-is-protesting |title=The 'Latin-American Spring': Why South America is protesting |website=SBS Spanish |publisher=Spanish Broadcasting System |date=2019-12-17 |accessdate=2023-12-25 |language=en-AU}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |first=Felipe Sánchez |last=Posada |url=https://cienciassociales.uniandes.edu.co/ciencia-politica/sin-corbata/las-nuevas-primaveras-sociales/ |title=Las nuevas primaveras sociales |website=Universidad de los Andes, Colombia |accessdate=2023-12-25 |language=es-CO}}</ref><ref>{{Cite journal |first=Diego Durán |last=Toledo |title=La “primavera Latinoamericana” post pandemia y la democracia |date=2020-07-13 |publisher=Universidad Autónoma de Chile |journal=Grupo de investigación en Unidad de Análisis del Rol del Estado de Chile |doi=10.32457/20.500.12728/9043202022 |format=PDF |language=es-CL}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |author=José Ignacio Guédez Yépez |url=https://elpais.com/elpais/2018/06/06/opinion/1528309379_164994.html |title=La primavera latinoamericana |website=[[エル・パイス|EL PAÍS]] |date=2018-06-14 |accessdate=2023-12-25 |url-access=subscription |language=es-ES}}</ref> == 脚注 == {{Reflist|20em}} == 外部リンク == {{デフォルトソート:はる}} [[Category:政治用語]]
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松本舞佳
松本 舞佳(まつもと まいか、2003年1月15日 - )は、日本の女子バレーボール選手である。 静岡県藤枝市出身。友人に誘われて、小学5年生からバレーボールを始めた。 静岡県立島田商業高等学校を経て、2020-21シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN(V1女子)に所属する岡山シーガルズの内定選手となった。 2021年、高校卒業後に、岡山シーガルズに入団した。 2023-24シーズンにV1女子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。
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松本 舞佳は、日本の女子バレーボール選手である。
{{バレーボール選手 | 本名 = 松本 舞佳 | ラテン文字 = Maika Matsumoto | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 国籍 = {{JPN}} | 生年月日 = {{生年月日と年齢|2003|1|15}} | 出身地 = {{flagicon|JPN}} [[静岡県]][[藤枝市]] | 原語名 = | 原語表記 = | 身長 = 176cm | 体重 = 62kg | 血液型 = B型 | 所属 = [[岡山シーガルズ]] | 背番号 = 32 | 愛称 = トモ | 役職 = | ポジション = [[アウトサイドヒッター|OH]] | 指高 = 220cm | 利き手 = 右<ref name="チームの顔" /> | スパイク = 290cm | ブロック = 270cm<ref name="チームの顔" /> | 獲得メダル = }} '''松本 舞佳'''(まつもと まいか、[[2003年]][[1月15日]] - )は、[[日本]]の女子[[バレーボール]]選手である。 == 来歴 == [[静岡県]][[藤枝市]]出身。友人に誘われて、小学5年生からバレーボールを始めた<ref name="チームの顔">{{Cite journal |和書|year=2023 |month=11 |title=岡山シーガルズ |publisher=[[日本文化出版]] |journal=2023-24 V.LEAGUE公式プログラム チームの顔 |page=152 |asin=B0CK8R2P19}}</ref>。 [[静岡県立島田商業高等学校]]を経て、2020-21シーズン、[[V.LEAGUE]] DIVISION1 WOMEN(V1女子)に所属する[[岡山シーガルズ]]の内定選手となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://okayama.v-seagulls.co.jp/seagullsnews/%e5%86%85%e5%ae%9a%e9%81%b8%e6%89%8b%e3%81%ae%e3%81%8a%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9b/ |title=内定選手のお知らせ |access-date=2023-12-24 |publisher=[[岡山シーガルズ]] |date=2020-12-18}}</ref><ref>{{Cite news |和書|title=岡山 付 欣田(共栄学園高卒)が加入。中本 柚朱(大阪国際滝井高)、松本 舞佳(島田商業高)が内定 |newspaper=バレーボールマガジン |date=2020-12-18 |url=https://vbm.link/45612/ |access-date=2023-12-24}}</ref>。 2021年、高校卒業後に、岡山シーガルズに入団した。 2023-24シーズンに[[2023-24 V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN|V1女子]]の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 == 所属チーム == * [[静岡県立島田商業高等学校]](2018-2021年) * [[岡山シーガルズ]](2021年-) == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * {{Sports links}} * [https://okayama.v-seagulls.co.jp/seagullsplayers/32matsumoto_maika/ 松本舞佳] - [[岡山シーガルズ]] {{岡山シーガルズ}} {{デフォルトソート:まつもと まいか}} [[Category:日本の女子バレーボール選手]] [[Category:岡山シーガルズの選手]] [[Category:静岡県立島田商業高等学校出身の人物]] [[Category:静岡県出身のスポーツ選手]] [[Category:2003年生]] [[Category:存命人物]]
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晩餐歌
「晩餐歌」(ばんさんか)は、日本のシンガーソングライター・tuki.の楽曲。自身初のデジタルシングルとして2023年9月29日に各音楽配信サービスにてリリースされた。 tuki.は中学在学中にTikTokにカバー曲やオリジナル楽曲の弾き語り動画を投稿する活動を開始。当楽曲は2023年7月にTikTokに公開されたのち、9月13日に弾き語りバージョンの動画がYouTubeに投稿された。 ジャケットイラストは、イラストレーターのwatabokuが手掛けた。 同年11月にはシンガーソングライターの優里とコラボした歌唱動画が公開された。 2023年10月18日付のSpotify「Daily Viral Songs(Japan)」にて1位を獲得。。 2023年11月15日付のBillboard JAPANストリーミング・ソング・チャート“Streaming Songs”にて初のトップ10入り、12月13日付の同チャートではトップ5入りを記録した。 2023年9月、LINE MUSIC 10代トレンドランキングにて60位、10月度は3位を記録。 2023年12月現在TikTokの総動画再生回数は2億回以上。 2023年12月24日に公開。イラストを漫画家・イラストレーターの出水ぽすかが手掛けている。
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「晩餐歌」(ばんさんか)は、日本のシンガーソングライター・tuki.の楽曲。自身初のデジタルシングルとして2023年9月29日に各音楽配信サービスにてリリースされた。
{{Infobox Song | Name = 晩餐歌 | Artist = tuki. | Type = [[音楽配信|配信限定]][[シングル]] | from Album = | English_title = | Released = [[2023年]][[9月29日]] | Format = [[音楽配信|デジタル・ダウンロード]] | Recorded = | Genre = [[J-POP]] | Length = 3分35秒 | Label = | Writer = tuki. | Composer = tuki. | Producer = | from Album2 = | Chart position = *[[Billboard JAPAN]] **週間5位 {{small|([[Billboard Japan Hot 100|HOT 100]])}}<ref>{{Cite web |url= https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=hot100&year=2023&month=12&day=18|title= Hot 100|date= 2023/12/13|work= Billboard Japan|accessdate=2023/12/24}}</ref> | Misc = {{Extra chronology 2 | Artist = tuki. シングル | Type = single | Last single = | This single = '''晩餐歌'''<br />(2023年) | Next single = 一輪花<br />(2023年) }}{{external music video|{{YouTube|oZpYEEcvu5I|『晩餐歌』}}<br />{{YouTube|IxW-ok1ekSY|『晩餐歌』弾き語りver.}}|Type = song}} | Certification = }} 「'''晩餐歌'''」(ばんさんか)は、日本の[[シンガーソングライター]]・[[tuki.]]の楽曲。自身初の[[デジタルシングル]]として[[2023年]][[9月29日]]に各音楽配信サービスにてリリースされた。 == 概要 == tuki.は中学在学中に[[TikTok]]にカバー曲やオリジナル楽曲の弾き語り動画を投稿する活動を開始<ref>{{Cite web |url=https://music.tower.jp/artist/detail/2002869640 |title=「tuki.」の人気曲・アルバム一覧 {{!}} TOWER RECORDS MUSIC(音楽サブスクサービス) - 2002869640 |access-date=2023-12-24 |publisher=TOWER RECORDS MUSIC}}</ref>。当楽曲は2023年7月にTikTokに公開されたのち、9月13日に弾き語りバージョンの動画がYouTubeに投稿された<ref>{{Cite web |title=Adoと初音ミクの次元を越えた「カルチャ」コラボ / 女子中学生tuki.と優里の「晩餐歌」感動的コラボ {{!}} 再生数急上昇ソング定点観測 (2023年11月3週目) |url=https://natalie.mu/music/column/549511 |website=音楽ナタリー |access-date=2023-12-24 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>。 ジャケットイラストは、イラストレーターの[[wataboku]]が手掛けた<ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/tuki_music_/status/1707686489185038827 |title=Xユーザーのtuki.(15)さん: 「ずっと前からファンだったwatabokuさんにアイコンとジャケ写を描いていただきました!本当に素敵な世界観で絵を見る度に嬉しくなります!!ありがとうございます✨️」 / X |access-date=2023-12-25 |publisher=X}}</ref>。 同年11月にはシンガーソングライターの[[優里]]とコラボした歌唱動画が公開された<ref>{{Citation|title=『晩餐歌』 acoustic ver. tuki.×優里|url=https://www.youtube.com/watch?v=r93rVW--5ZU|language=ja-JP|access-date=2023-12-24}}</ref>。 == チャート成績 == 2023年10月18日付のSpotify「Daily Viral Songs(Japan)」にて1位を獲得。<ref>[https://realsound.jp/2023/10/post-1469195.html tuki.「晩餐歌」バイラル1位 15歳シンガーソングライターが放つ楽曲の特別な輝き - Real Sound|リアルサウンド]</ref>。 2023年11月15日付のBillboard JAPANストリーミング・ソング・チャート“Streaming Songs”にて初のトップ10入り<ref>[https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/131820/2 【ビルボード】Ado「唱」がストリーミング8連覇達成 藤井 風/tuki.が初のトップ10入り | Daily News | Billboard JAPAN]</ref>、12月13日付の同チャートではトップ5入りを記録した<ref>[https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/132733/2#:~:text=2023%2F12%2F13-,%E3%80%90%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%80%91Ado%E3%80%8C%E5%94%B1%E3%80%8D%E3%81%8C%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B012%E9%80%A3%E8%A6%87,4%E4%BD%8D%E3%81%A7%E8%A8%98%E9%8C%B2%E6%9B%B4%E6%96%B0&text=2023%E5%B9%B412%E6%9C%8813,%E9%80%A3%E7%B6%9A%E9%A6%96%E4%BD%8D%E3%82%92%E7%8D%B2%E5%BE%97%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82 【ビルボード】Ado「唱」がストリーミング12連覇達成 tuki.「晩餐歌」4位で記録更新 | Daily News | Billboard JAPAN]</ref>。 2023年9月、LINE MUSIC 10代トレンドランキングにて60位<ref>[https://www.thefirsttimes.jp/column/0000337185/ 【解説】BE:FIRSTの勢いとシンガーソングライターによるラブソング【10代トレンドランキング】 – THE FIRST TIMES]</ref>、10月度は3位を記録<ref>[https://www.thefirsttimes.jp/column/0000349708/ 【解説】SEKAI NO OWARI、King Gnu…ポップミュージック×アニメの蜜月と進化するシンガーソングライター【10代トレンドランキング】 – THE FIRST TIMES]</ref>。 2023年12月現在TikTokの総動画再生回数は2億回以上。 == ミュージック・ビデオ == 2023年12月24日に公開。イラストを漫画家・イラストレーターの[[出水ぽすか]]が手掛けている。 *Director: 佐伯雄一郎 *Designer: 小山唯香 *Movie: iga kitty *Movie Manager: 笹川侑悟 *Creative Director: 大澤創太 *Producer: Masaki Takahashi (NERD) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.tiktok.com/tag/晩餐歌?lang=ja-JP #晩餐歌 - TikTok] {{DEFAULTSORT:はんさんか}} [[Category:2023年のシングル]] [[Category:2023年の楽曲]] [[Category:楽曲 は|んさんか]]
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ファニーダイア
ファニーダイアは、元SKD(松竹歌劇団)メンバーの沢田みなみと夢乃真稀を中心に女性だけで構成されているレビューチーム。 2008年に沢田と夢乃が仲間を集めてレビューチームの活動を開始し、2010年にチーム名を「ファニーダイア」と名乗るようになった。SKD松竹歌劇団の伝統を受け継いで日舞や民踊などの和物とジャズ・シャンソン・ラテン・サンバやミュージカル曲など洋物のレビューがミックスされたショーを行っている。 元SKD松竹歌劇団メンバーのベテランから若手のダンサー・歌手・ミュージカル俳優など、幅広い分野のメンバーが参加している。単独公演ではOSK日本歌劇団や宝塚歌劇団の元メンバーがゲスト出演している。 竜小太郎とのコラボレーションが多い。 マネジメントは(株)ファミリーアーツに委託しており、沢田と夢乃が所属したSKDの本拠地・浅草での公演には、浅草おかみさん会が協力している。 花柳糸之社中の一員としてメンバーの姿をNHKうたコンなどで見かける事も多い。
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ファニーダイアは、元SKD(松竹歌劇団)メンバーの沢田みなみと夢乃真稀を中心に女性だけで構成されているレビューチーム。
{{出典の明記|date=2023年12月25日 (月) 05:22 (UTC)}} '''ファニーダイア'''は、元SKD([[松竹歌劇団]])メンバーの[https://x.com/12aTBLHBCJjv93D?t=6L2-1sPc81c6hnu9k5SM2A&s=09 沢田みなみ]と[https://x.com/XYqQ1l47wHxF7gh?t=fOq4XothTUoak9fusfKS-w&s=09 夢乃真稀]を中心に女性だけで構成されているレビューチーム。 == 概要 == 2008年に沢田と夢乃が仲間を集めてレビューチームの活動を開始し、2010年にチーム名を「ファニーダイア」と名乗るようになった。SKD[[松竹歌劇団]]の伝統を受け継いで日舞や民踊などの和物とジャズ・シャンソン・ラテン・サンバやミュージカル曲など洋物のレビューがミックスされたショーを行っている。 元SKD[[松竹歌劇団]]メンバーのベテランから若手のダンサー・歌手・ミュージカル俳優など、幅広い分野のメンバーが参加している。単独公演では[[OSK日本歌劇団]]や[[宝塚歌劇団]]の元メンバーがゲスト出演している。 [[竜小太郎]]とのコラボレーションが多い。 マネジメントは(株)ファミリーアーツに委託しており、沢田と夢乃が所属したSKDの本拠地・浅草での公演には、浅草おかみさん会が協力している。 [[花柳糸之社中]]の一員としてメンバーの姿をNHK[[うたコン]]などで見かける事も多い。 == これまでの主な公演 == * 2024年1月24日(水)、2月21日(水)、3月28日(木) : [[浅草ビューホテル]]の新館、浅草ビューホテルアネックス六区のレストランに設置された舞台「ブロードウェイ六区」で、浅草レビューライブを開催。16:00からと19:30からの2回公演の予定。 * 2023年12月22日 : 西日暮里アルハムブラで「クリスマスレビュー」を開催。昼・夜の2回公演。ゲストとして [[涼麻とも]](元[[宝塚歌劇団]])が出演した。 * 2023年10月31日、11月1日 : [[浅草公会堂]]で大型公演「浅草レビューVol.2」を単独で開催。ゲストとして[[高世麻央]](元[[OSK日本歌劇団]])と[[涼麻とも]](元[[宝塚歌劇団]])が出演した。 * 2023年9月4日 : 浅草ビューホテルアネックス六区のレストランに設置の舞台ブロードウェイ六区で、浅草レビューライブを開催。ゲストとして[[涼麻とも]](元[[宝塚歌劇団]])が出演した。[[浅草ビューホテル]]本館はSKDのホームグラウンドとした浅草[[国際劇場]]の跡地に建っており、沢田と夢乃がかつて所属したSKD[[松竹歌劇団]]ゆかりの地での公演となった。 * 2022年12月22日 : 西日暮里のアルハムブラで「クリスマスレビュー」を開催。昼・夜の2回公演。 * 2022年11月17日 : かつてのSKD本拠地・浅草の[[浅草公会堂]]でチーム結成以来、初の大型公演「浅草レビューVol.1」を単独で開催。昼・夜二回公演で、ゲストとして[[高世麻央]](元[[OSK日本歌劇団]])が出演した。 * 2022年5月27日、28日 : 豊島区の南大塚ホールで「ファニーダイアエキサイティングレビューショウ2022」を開催。27日昼、28日昼・夜の計三回公演で、特別ゲストとして[[竜小太郎]]、ゲストとしてSKD[[松竹歌劇団]]最後のトップスター甲斐希京子(甲斐京子から改名)が出演し、[[大輝ゆう]](元[[宝塚歌劇団]])が友情出演した。 *2021年12月23日、24日(木) : 西日暮里のアルハムブラで「[[竜小太郎]] & ファニーダイア クリスマスリビューショウ」を開催。23日は昼、24日は昼・夜の、計三回公演。 *2021年5月28日、29日 : 豊島区の南大塚ホールで「頑張れエンターテイメント ファニーダイアレビュー」を開催。28日は昼、24日は昼・夕の、計三回公演。特別ゲストとして[[竜小太郎]]、ゲストとしてSKD[[松竹歌劇団]]最後のトップスター甲斐希京子(甲斐京子から改名)が出演した。  * 2020年12月21日、22日 : 西日暮里のアルハムブラでクリスマスショウ「響ファミリー & ファニーダイア」を開催。響ファミリーとのコラボレーション。 * 2020年11月5日 : 豊島区の南大塚ホールで「ファニーダイアレビュー~再会に感謝を込めて~」を開催。昼・夜二回公演で、ゲストとして[[竜小太郎]]、[[蘭乃はな]]が出演した。 * 2020年8月10日 : 西日暮里のアルハムブラで「ファニーダイア レビューライブ 頑張れエンターテイメント」を開催。昼・夜二回公演。8月15日から9月15日の一ヶ月間、オンラインでライブのアーカイブ配信を行った。 *2019年12月3日、4日 : 西日暮里のアルハムブラで[[花園直道]]と「Dream Collabo Show」を開催。 * 2019年5月9日 :豊島区の南大塚ホールで「歌舞絢爛ファニーダイアレビュー」を開催。昼・夜二回公演。キャスト 沢田みなみ、夢乃真紀、本州里衣、大澤由理、直華れい、猪股すみれ、丸山美香、二ノ宮ゆう、槙世ようか、瑛莉花ゆう、大勝かおり、小川千尋。特別ゲスト [[竜小太郎]]、ゲスト 水咲まゆ花、歌のゲスト [[森田日記]]。 == 主な公演のキャスト == *2023年12月22日「クリスマスレビュー」[https://twitter.com/12aTBLHBCJjv93D 沢田みなみ]、[https://twitter.com/XYqQ1l47wHxF7gh 夢乃真稀]、明音、[[水野江莉花]]、美月せい、[https://www.instagram.com/usagi.takiyama/ 瀧山うさぎ]、[https://twitter.com/mai_juliet08 白稀舞]、[https://twitter.com/yukina_SR_ 千布ゆきな]、村田理、[https://twitter.com/ray_mitsuki8401 玲光希]、[https://twitter.com/mococo_23 音輝もも子]、[https://twitter.com/mao_morita 海空真桜]、ゲスト [[涼麻とも]](元[[宝塚歌劇団]]) *2023年「浅草レビュー Vol.2」[https://twitter.com/12aTBLHBCJjv93D 沢田みなみ]、[https://twitter.com/XYqQ1l47wHxF7gh 夢乃真稀]、[https://twitter.com/fuji_erina 藤えりな]、[https://www.instagram.com/motochu_pan/ 本州里衣]、[https://twitter.com/subaru_mirai すばる未来]、美月せい、[https://www.instagram.com/usagi.takiyama/ 瀧山うさぎ]、[[水野江莉花]]、[https://twitter.com/mai_juliet08 白稀舞]、[https://twitter.com/reiri_kanata 彼方怜璃]、明音、[https://twitter.com/MisAchtt 若林実沙]、[https://twitter.com/kihinasayu 妃雛さゆ]、[https://twitter.com/yukina_SR_ 千布ゆきな]、[https://twitter.com/Yuqui_Maya 真弥優希]、[https://twitter.com/ray_mitsuki8401 玲光希]、[https://twitter.com/shiho_dayo7 竹腰志帆]。[https://twitter.com/mapio_chan 朱璃まひろ]、[https://twitter.com/RunaNakaiwa 仲井和るな]、月稀乃美媛、[https://rosiernagoya.amebaownd.com/pages/3109304/STATIC 耀沙羅]、[https://rosiernagoya.amebaownd.com/pages/3109304/STATIC 玲遠まや]、[https://rosiernagoya.amebaownd.com/pages/3109304/STATIC 花城まゆ]、加藤くるみ、村田理、[https://twitter.com/mao_morita 海空真桜]、特別ゲスト:[[高世麻央]](元[[OSK日本歌劇団]]男役トップスター)、友情出演:[[涼麻とも]](元[[宝塚歌劇団]]) {{DEFAULTSORT:ふあにいたいあ}} [[Category:松竹の歴史]]
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「稲荷」の付く日本列島の古墳一覧
「稲荷」の付く日本列島の古墳一覧(いなりのつくにほんれっとうのこふんいちらん)とする本項では、名称に「稲荷」(いなり/とうか)が付く日本列島の古墳時代の古墳および古墳群について一覧化する。 日本列島には「稲荷塚」や「稲荷山」を冠する古墳が数多く存在し、これ以外にも「稲荷森」や「稲荷前」・「稲荷台」など「稲荷」以下が異なる様々なバリエーションが存在する。
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「稲荷」の付く日本列島の古墳一覧(いなりのつくにほんれっとうのこふんいちらん)とする本項では、名称に「稲荷」(いなり/とうか)が付く日本列島の古墳時代の古墳および古墳群について一覧化する。
'''「稲荷」の付く日本列島の古墳一覧'''(いなりのつくにほんれっとうのこふんいちらん)とする本項では、名称に「稲荷」(いなり/とうか)が付く[[日本列島]]の[[古墳時代]]の[[古墳]]および[[古墳群]]について一覧化する。 ==概要== [[日本列島]]には「稲荷塚」や「稲荷山」を冠する古墳が数多く存在し、これ以外にも「稲荷森」や「稲荷前」・「稲荷台」など「稲荷」以下が異なる様々な[[バリエーション]]が存在する。 ==稲荷山古墳== {{main|稲荷山古墳}} * [[白石稲荷山古墳]] - [[群馬県]][[藤岡市]]。[[白石古墳群]]の1基。 * [[稲荷山古墳 (太田市)]] - 群馬県[[太田市]]。 * 上小塙稲荷山古墳 - 群馬県[[高崎市]]。 * [[風返稲荷山古墳]] - [[茨城県]][[かすみがうら市]]。 * [[稲荷山古墳 (行田市)]] -[[埼玉県]][[行田市]]。[[埼玉古墳群]]の1基。 **[[稲荷山古墳出土鉄剣]] * [[稲荷山古墳 (富津市)]] - [[千葉県]][[富津市]]。[[内裏塚古墳群]]の1基。 * 稲荷山古墳 (牧之原市) - [[静岡県]][[牧之原市]]。 *[[御厨古墳群|稲荷山古墳]] - 静岡県[[磐田市]]。[[御厨古墳群]]の1基。 * [[三ツ井稲荷山古墳]] - [[愛知県]][[一宮市]]。 * [[鴨稲荷山古墳]] - [[滋賀県]][[高島市]]。 * [[稲荷山古墳 (丹波篠山市)]] - [[兵庫県]][[丹波篠山市]]。 ==稲荷塚古墳== *[[稲荷塚古墳群]] - [[埼玉県]][[比企郡]][[川島町]] *[[稲荷塚古墳 (嵐山町)]] - [[埼玉県]][[比企郡]][[嵐山町]] *[[樋遣川古墳群|稲荷塚古墳 (加須市)]] - 埼玉県[[加須市]]。[[樋遣川古墳群]]の1基。 *[[稲荷塚古墳|稲荷塚古墳 (多摩市)]] - [[東京都]][[多摩市]] *[[稲荷塚古墳 (甲府市)]] - [[山梨県]][[甲府市]] *[[古市古墳群|稲荷塚古墳 (羽曳野市)]] - [[大阪府]][[藤井寺市]]。[[古市古墳群]]の1基。 *[[井ノ内稲荷塚古墳]] - [[京都府]][[長岡京市]] ==その他== *[[稲荷森古墳]] - [[山形県]][[南陽市]] *[[稲荷古墳群]] - [[栃木県]][[宇都宮市]] *[[寅稲荷古墳]] - [[埼玉県]][[深谷市]]。[[四十塚古墳群]]の1基。 *[[大稲荷古墳群]](おおとうかこふんぐん) - 埼玉県[[行田市]] *[[三変稲荷神社古墳]] - 埼玉県[[川越市]]。[[仙波古墳群]]の1基。 *[[鶴ヶ丘稲荷神社古墳]] - 埼玉県[[鶴ヶ島市]] *[[稲荷山公園古墳群]] - 埼玉県[[狭山市]] *[[稲荷台古墳群]] - [[千葉県]][[市原市]] **[[稲荷台1号墳]] *[[祇園・長須賀古墳群|稲荷森古墳 (木更津市)]] - 千葉県[[木更津市]]。[[祇園・長須賀古墳群]]の1基。 *[[稲荷前古墳群]] - [[神奈川県]][[横浜市]] *[[元稲荷古墳]] - [[京都府]][[向日市]]。向日丘陵古墳群の1基。 ==関連項目== *[[日本の古墳一覧]] *[[「瓢」の付く日本列島の古墳一覧]] {{考古学}} {{DEFAULTSORT:いなりのつくにほんれつとうのこふんいちらん}} [[Category:日本の古墳一覧]] [[Category:日本史の一覧]]
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オーストラリアの河川の一覧
オーストラリアの河川の一覧(オーストラリアのかせんのいちらん)は、オーストラリアを流れる主要な河川を記載した一覧。 支流はいずれも下流から上流に向かって記載。掲載基準は脚注を参照。 マレー・ダーリング盆地に属する河川。 エア湖盆地(英語版)に属する河川。内陸流域。エア湖への河口位置を基準とし、クーパー・クリークを起点に反時計回りで記載。 南オーストラリア州とビクトリア州の州境を起点に、反時計回りで記載。続いて内陸流域とタスマニア島部を反時計回りで記載。 上位10河川を掲載。 出典: 州、準州、首都特別地域における最長河川を掲載。流路長は地域内での延長を示す。 出典:
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "オーストラリアの河川の一覧(オーストラリアのかせんのいちらん)は、オーストラリアを流れる主要な河川を記載した一覧。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "支流はいずれも下流から上流に向かって記載。掲載基準は脚注を参照。", "title": "水系別の一覧" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "マレー・ダーリング盆地に属する河川。", "title": "水系別の一覧" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "エア湖盆地(英語版)に属する河川。内陸流域。エア湖への河口位置を基準とし、クーパー・クリークを起点に反時計回りで記載。", "title": "水系別の一覧" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "南オーストラリア州とビクトリア州の州境を起点に、反時計回りで記載。続いて内陸流域とタスマニア島部を反時計回りで記載。", "title": "水系別の一覧" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "上位10河川を掲載。", "title": "長さ順の河川一覧" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "出典:", "title": "長さ順の河川一覧" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "州、準州、首都特別地域における最長河川を掲載。流路長は地域内での延長を示す。", "title": "地域別の最長河川一覧" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "出典:", "title": "地域別の最長河川一覧" } ]
オーストラリアの河川の一覧(オーストラリアのかせんのいちらん)は、オーストラリアを流れる主要な河川を記載した一覧。
[[File:Australia River systems Named.svg|thumb|390px|オーストラリアの主要河川図]] '''オーストラリアの河川の一覧'''(オーストラリアのかせんのいちらん)は、[[オーストラリア]]を流れる主要な[[河川]]を記載した一覧。 == 水系別の一覧 == 支流はいずれも下流から上流に向かって記載。掲載基準は脚注を参照{{refnest|掲載基準は、WorldAtlas-1(2019)<ref name="WA_long_AU"/>及びWorldAtlas-2(2019)<ref name="WA_long_AU_S-T"/>、UNWRAPPED<ref name="unwrap_top10"/>、『全世界の河川事典』(2013)のいずれかに単独立項されている、もしくはNative Fish Australia<ref name="nativefish"/>、『世界大地図館』(1996)、『新コンパクト地図帳』(2018)、『TVのそばに一冊 ワールドアトラス』(2003)のいずれかのオーストラリア地図に河川名が記載されている河川とし、これにWikipedia日本語版に記事立項済みの一部河川と、支流階層の記述上必要な河川を補った。}}。 === マレー・ダーリング水系 === [[マレー・ダーリング盆地]]に属する河川。 {| class="wikitable sortable" style="font-size:90%" |- ! style="width:1%" rowspan=2| # !! colspan=5|河川名〔別表記〕 !! rowspan=2| 英語表記 !! rowspan=2| 延長(km) !! rowspan=2| 流域面積(km{{sup|2}}) !! style="width:14%" rowspan=2| 所在地 !! rowspan=2| 河口/合流先 !! rowspan=2| 水系 !! rowspan=2| 備考 !! rowspan=2| 出典 |- ! width=2%|1 !! width=2%|2 !! width=2%|3 !! width=2%|4 !! width=9%|5 |- |1-1 || colspan=5| [[マレー川]] || Murray || 2508 || 1,060,000 || [[ニューサウスウェールズ州]]、[[ビクトリア州]]、[[南オーストラリア州]] || [[グレートオーストラリア湾]] || [[マレー川]]([[マレー・ダーリング盆地]]) || || <ref name="WA_long_AU">{{Cite web |url= https://www.worldatlas.com/articles/longest-rivers-in-australia.html |title= Longest Rivers In Australia |accessdate=2023-12-23 |author=Benjamin Elisha Sawe |date=2019-11-01 |website=WorldAtlas |language=en}}</ref><ref name="WA_long_AU_S-T">{{Cite web |url= https://www.worldatlas.com/articles/longest-rivers-by-australian-state-territory.html |title= Longest Rivers By Australian State/Territory |accessdate=2023-12-23 |author=Benjamin Elisha Sawe |date=2019-11-04 |website=WorldAtlas |language=en}}</ref><ref name="unwrap_top10">{{Cite web |url= https://www.australiaunwrapped.com/top-10-longest-rivers-in-australia/ |title= Top 10 Longest Rivers in Australia For You to Visit in 2023 |accessdate=2023-12-23 |author=Ocean Kai |date= |website=UNWRAPPED |language=en}}</ref><ref>[[横尾善之]]「マレー川」『全世界の河川事典』(2013)、848頁。</ref><ref name="nativefish">{{Cite web |url= https://www.nativefish.asn.au/home/page/Major-Australian-Rivers |title= Major Australia Rivers |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Native Fish Australia |language=en}}</ref><ref name="Shogaku">小学館『世界大地図館』(1996)</ref><ref name="Ninomiya">二宮書店『新コンパクト地図帳』(2018)</ref><ref name="Teikoku">帝国書院『TVのそばに一冊 ワールドアトラス』(2003)</ref><ref name="bonzle211119">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211119 |title=Map of River Murray |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle213514">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213514 |title=Map of Murray River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle213516">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213516 |title=Map of Murray River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-2 || - || colspan=4| [[マルヌ川 (オーストラリア)]]<br>〔マーン川〕 || Marne || 69.5 || || 南オーストラリア州 || マレー川 || マレー川 || || <ref name="bonzle204852">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=204852 |title=Map of Marne River, SA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-3 || - || colspan=4| [[ダーリング川]] || Darling || 1472 || 700,000 || ニューサウスウェールズ州 || マレー川 || マレー川 || || <ref name="WA_long_AU"/><ref name="unwrap_top10"/><ref>横尾善之「ダーリング川」『全世界の河川事典』(2013)、844頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="Ninomiya"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle212156">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212156 |title=Map of Darling River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-4 || colspan=2| - || colspan=3| {{仮リンク|パルー川|en|Paroo River}} || Paroo || 1210 || || [[クイーンズランド州]]、ニューサウスウェールズ州 || ダーリング川 || マレー川 || || <ref name="WA_long_AU"/><ref name="unwrap_top10"/><ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle214240">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=214240 |title=Map of Paroo River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle214242">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=214242 |title=Map of Paroo River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle214241">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=214241 |title=Map of Paroo River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-5 || colspan=2| - || colspan=3| {{仮リンク|ウォリゴ川|en|Warrego River}}<br>〔ワーレゴ川〕 || Warrego || 1380 || || クイーンズランド州、ニューサウスウェールズ州 || ダーリング川 || マレー川 || || <ref name="WA_long_AU"/><ref name="unwrap_top10"/><ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle214085">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=214085 |title=Map of Warrego River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-6 || colspan=2| - || colspan=3| {{仮リンク|ボーガン川|en|Bogan River}} || Bogan || 617 || || ニューサウスウェールズ州 || ダーリング川<ref>ダーリング川への合流直前で分流し、リトル・ボーガン川はダーリング川へ、ボーガン川はバーウォン川へ合流。</ref> || マレー川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle210025">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=210025 |title=Map of Bogan River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-7 || colspan=2| - || colspan=3| {{仮リンク|カルゴア川|en|Culgoa River}} || Culgoa || 489 || || クイーンズランド州、ニューサウスウェールズ州 || ダーリング川 || マレー川 || || <ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle211306">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211306 |title=Map of Culgoa River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-8 || colspan=3| - || colspan=2| {{仮リンク|バローン川|en|Balonne River}}<br>〔バロンネ川〕 || Balonne || 479 || || クイーンズランド州 || カルゴア川 || マレー川 || || <ref name="bonzle211761">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211761 |title=Map of Balonne River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-9 || colspan=4| - || colspan=1| {{仮リンク|マラノア川|en|Maranoa River}} || Maranoa || 519 || || クイーンズランド州 || バローン川 || マレー川 || || <ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle211118">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211118 |title=Map of Maranoa River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-10 || colspan=4| - || colspan=1| {{仮リンク|コンダマイン川|en|Condamine River}} || Condamine || 657 || || クイーンズランド州、ニューサウスウェールズ州 || バローン川 || マレー川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle211315">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211315 |title=Map of Condamine River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-11 || colspan=2| - || colspan=3| {{仮リンク|バーウォン川|en|Barwon River (New South Wales)}}<br>〔バーロン川〕 || Barwon || 889 || || クイーンズランド州、ニューサウスウェールズ州 || ダーリング川 || マレー川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="Ninomiya"/><ref name="bonzle212844">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212844 |title=Map of Barwon River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-12 || colspan=3| - || colspan=2| {{仮リンク|ボカラ川|en|Bokhara River}}<br>〔ボックハラ川〕 || Bokhara || 347 || || クイーンズランド州、ニューサウスウェールズ州 || バーウォン川 || マレー川 || || <ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle208604">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=208604 |title=Map of Bokhara River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-13 || colspan=3| - || colspan=2| {{仮リンク|マッコーリー川|en|Macquarie River}}<br>〔マクアリー川、マクォーリー川〕 || Macquarie || 793 || || ニューサウスウェールズ州 || バーウォン川 || マレー川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle212530">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212530 |title=Map of Macquarie River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle212531">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212531 |title=Map of Macquarie River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-14 || colspan=3| - || colspan=2| {{仮リンク|ナモイ川|en|Namoi River}} || Namoi || 708 || || ニューサウスウェールズ州 || バーウォン川 || マレー川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle212146">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212146 |title=Map of Namoi River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-15 || colspan=4| - || colspan=1| バラディン川 || Baradine Creek || 167 || || ニューサウスウェールズ州 || ナモイ川 || マレー川 || || <ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle207779">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=207779 |title=Map of Baradine Creek, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-16 || colspan=3| - || colspan=2| {{仮リンク|グワイダー川|en|Gwydir River}}<br>〔グイディル川〕 || Gwydir || 487.5<ref>bonzle_211120、bonzle_211121、bonzle_211122、bonzle_211123では各37.6、14.9、79、356kmで合算すると487.5kmになる。</ref> || || ニューサウスウェールズ州 || バーウォン川 || マレー川 || || <ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle211120">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211120 |title=Map of Gwydir River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle211121">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211121 |title=Map of Gwydir River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle211122">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211122 |title=Map of Gwydir River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle211123">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211123 |title=Map of Gwydir River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-17 || colspan=3| - || colspan=2| {{仮リンク|ムーニー川|en|Moonie River}}<br>〔ムーンイー川〕 || Moonie || 542 || || クイーンズランド州、ニューサウスウェールズ州 || バーウォン川 || マレー川 || || <ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle211501">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211501 |title=Map of Moonie River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-18 || - || colspan=4| [[マランビジー川]]<br>〔モラムビジー川〕 || Murrumbidgee || 1485 || || ニューサウスウェールズ州 || マレー川 || マレー川 || || <ref name="WA_long_AU"/><ref name="unwrap_top10"/><ref name="nativefish"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle213097">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213097 |title=Map of Murrumbidgee River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-19 || colspan=2| - || colspan=3| {{仮リンク|ラクラン川|en|Lachlan River}}<br>〔ラックラン川〕 || Lachlan || 1448 || || ニューサウスウェールズ州 || マランビジー川 || マレー川 || || <ref name="WA_long_AU"/><ref name="unwrap_top10"/><ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="Ninomiya"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle212643">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212643 |title=Map of Lachlan River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-20 || colspan=3| - || colspan=2| [[アバークロンビー川]]<br>〔アバクロンビー川〕 || Abercrombie || 186 || || ニューサウスウェールズ州 || ラクラン川 || マレー川 || || <ref name="bonzle209422">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=209422 |title=Map of Abercrombie River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-21 || colspan=2| - || colspan=3| {{仮リンク|モロングロ川|en|Molonglo River}} || Molonglo || 115 || || ニューサウスウェールズ州、[[オーストラリア首都特別地域]] || マランビジー川 || マレー川 || || <ref name="bonzle208110">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=208110 |title=Map of Molonglo River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-22 || colspan=3| - || colspan=2| [[サリバンス川]]<br>〔サリバンズ川〕 || Sullivans Creek || 13 || 53 || オーストラリア首都特別地域 || [[バーリー・グリフィン湖]](モロングロ川) || マレー川 || || <ref>[https://services.anu.edu.au/files/document-collection/site-sullivans-creek-final.pdf Australian National University Acton Campus — Site Inventory] - Australian National University, October 2011, p.4. 2023-12-25閲覧。</ref> |- |1-23 || - || colspan=4| {{仮リンク|ワコール川|en|Wakool River}} || Wakool || 363 || || ニューサウスウェールズ州 || マレー川 || マレー川 || || <ref name="bonzle209067">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=209067 |title=Map of Wakool River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-24 || colspan=2| - || colspan=3| [[エドワード川]] || Edward || 383 || || ニューサウスウェールズ州 || ワコール川 || マレー川 || || <ref name="bonzle210720">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=210720 |title=Map of Edward River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-25 || - || colspan=4| [[アヴォカ川 (オーストラリア)]]<br>〔アボカ川〕 || Avoca || 280 || || ビクトリア州 || バエル・バエル湖(Lake Bael Bael) || マレー川 || || <ref name="bonzle209593">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=209593 |title=Map of Avoca River, VIC |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-26 || - || colspan=4| {{仮リンク|カンパスプ川|en|Campaspe River}} || Campaspe || 232.3 || || ビクトリア州 || マレー川 || マレー川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle212349">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212349 |title=Map of Campaspe River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle212348">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212348 |title=Map of Campaspe River, VIC |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-27 || - || colspan=4| [[ゴールバーン川 (ビクトリア州)]]<br>〔グルバーン川〕 || Goulburn || 653 || || ビクトリア州 || マレー川 || マレー川 || || <ref name="WA_long_AU_S-T"/><ref name="nativefish"/><ref name="bonzle212118">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212118 |title=Map of Goulburn River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |1-28 || - || colspan=4| {{仮リンク|オーブンズ川|en|Ovens River}} || Ovens || 191 || || ビクトリア州 || マレー川 || マレー川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle209532">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=209532 |title=Map of Ovens River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |} [[File:Map of the Murray–Darling Basin.tif|thumb|left|300px|マレー・ダーリング水系流域図]] {{Clear}} === エア湖水系 === {{仮リンク|エア湖盆地|en|Lake Eyre basin}}に属する河川。[[内陸流域]]。エア湖への河口位置を基準とし、クーパー・クリークを起点に反時計回りで記載。 {| class="wikitable sortable" style="font-size:90%" |- ! style="width:1%" rowspan=2| # !! colspan=5|河川名〔別表記〕 !! rowspan=2| 英語表記 !! rowspan=2| 延長(km) !! rowspan=2| 流域面積(km{{sup|2}}) !! style="width:14%" rowspan=2| 所在地 !! rowspan=2| 河口/合流先 !! rowspan=2| 水系 !! rowspan=2| 備考 !! rowspan=2| 出典 |- ! width=2%|1 !! width=2%|2 !! width=2%|3 !! width=2%|4 !! width=9%|5 |- |2-1 || colspan=5| {{仮リンク|クーパー・クリーク|en|Cooper Creek}} || Cooper Creek || 1300<ref>『全世界の河川事典』には「14400km」との記載があり、bonzle_215063を引き写したと考えられるが、周辺地形と比較すると明らかに過大であるため、ここではUNWRAPPEDを採用する。</ref><ref>bonzle_215063には「14400km」との記載だが、周辺地形と比較すると明らかに過大であり、誤記あるいは途中の分流等を全て合算した値と考えられるため、ここでは採用しない。bonzle_215062区間は184kmとしている。</ref> || 244,125 || クイーンズランド州、南オーストラリア州 || [[エア湖]] || [[エア湖]] || || <ref name="WA_long_AU"/><ref name="unwrap_top10"/><ref>[[葛葉泰久]]「クーパー・クリーク」『全世界の河川事典』(2013)、843頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="Ninomiya"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle215062">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=215062 |title=Map of Cooper Creek, SA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle215063">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=215063 |title=Map of Cooper Creek |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |2-2 || - || colspan=4| {{仮リンク|バークー川|en|Barcoo River|de|Barcoo River}}<br>〔バルコー川〕 || Barcoo || 284<ref>bonzle_214747には「2840km」との記載だが、周辺地形と比較すると明らかに過大であり誤記と考えられるため、ここでは「284km」に訂正。</ref> || || クイーンズランド州 || クーパー・クリーク || エア湖 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle214747">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=214747 |title=Map of Barcoo River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |2-3 || - || colspan=4| [[トムソン川 (クイーンズランド州)]] || Thomson || 350<ref>bonzle_215021には「3500km」との記載だが、周辺地形と比較すると明らかに過大であり誤記と考えられるため、ここでは「350km」に訂正。</ref> || || クイーンズランド州 || クーパー・クリーク || エア湖 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle215021">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=215021 |title=Map of Thomson River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |2-4 || colspan=5| {{仮リンク|ウォーバートン川|en|Warburton River}}<br>〔ワーバートン川〕 || Warburton || 412 || || 南オーストラリア州 || エア湖 || エア湖 || || <ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle212243">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212243 |title=Map of Warburton River, SA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |2-5 || - || colspan=4| {{仮リンク|ディアマンティナ川|en|Diamantina River}} || Diamantina || 941<ref>『全世界の河川事典』には「12300km」との記載があり、bonzle_215029を引き写したと考えられるが、周辺地形と比較すると明らかに過大であるため、ここではUNWRAPPEDを採用する。</ref><ref>bonzle_215029には「12300km」との記載だが、周辺地形と比較すると明らかに過大であり誤記と考えられるため、ここでは採用しない。</ref> || 160,376 || クイーンズランド州、南オーストラリア州 || ウォーバートン川 || エア湖 || || <ref name="unwrap_top10"/><ref>葛葉泰久「ディアマンティナ川」『全世界の河川事典』(2013)、846頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle215029">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=215029 |title=Map of Diamantina River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |2-6 || - || colspan=4| {{仮リンク|エア・クリーク|en|Eyre Creek (Lake Eyre basin)}}<br>〔エーア・クリーク、エア川〕 || Eyre Creek || <ref>bonzle_213175及びbonzle_213176を合算すると「1142km」となるが、周辺地形と比較すると明らかに過大であり誤記あるいは途中の分流等を全て合算した値と考えられるため、ここでは採用せず未記載とする。</ref> || || クイーンズランド州、南オーストラリア州 || ウォーバートン川 || エア湖 || || <ref name="bonzle213175">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213175 |title=Map of Eyre Creek |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle213176">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213176 |title=Map of Eyre Creek, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |2-7 || colspan=2| - || colspan=3| {{仮リンク|ジョージナ川|en|Georgina River}} || Georgina || <ref>『全世界の河川事典』には「2210km」との記載があり、bonzle_214738を引き写したと考えられる(enwikiの参考値として1130kmを併記)。ここでは採用せず未記載とする。</ref><ref>bonzle_214740には「744km」、bonzle_214738には「2210km」との記載だが、周辺地形と比較すると明らかに過大であり、いずれかまたは両方が誤記あるいは途中の分流等を全て合算した値と考えられるため、ここでは採用せず未記載とする。</ref> || 247,629 || [[ノーザンテリトリー]]、クイーンズランド州、南オーストラリア州 || エア・クリーク || エア湖 || || <ref>葛葉泰久「ジョージナ川」『全世界の河川事典』(2013)、843頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle214740">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=214740 |title=Map of Georgina River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle214738">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=214738 |title=Map of Georgina River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |2-8 || colspan=3| - || colspan=2| {{仮リンク|サンドーヴァー川|en|Sandover River}}<br>〔サンドオーバー川〕 || Sandover || 369.4 || || ノーザンテリトリー || ジョージナ川 || エア湖 || || <ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle208555">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=208555 |title=Map of Sandover River, NT |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle208554">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=208554 |title=Map of Sandover River, NT |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle208553">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=208553 |title=Map of Sandover River, NT |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |2-9 || colspan=5| {{仮リンク|ヘイ川 (ノーザンテリトリー)|en|Hay River|de|Hay River (Eyre Creek)}} || Hay || 728 || || ノーザンテリトリー || [[シンプソン砂漠]] || エア湖<ref>通常は砂漠で流路が消失するが、降雨が多い場合にエア・クリークを介してエア湖水系と接続する。</ref> || || <ref name="Shogaku"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle212462">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212462 |title=Map of Hay River, NT |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |2-10 || colspan=5| {{仮リンク|トッド川|en|Todd River|de|Todd River}} || Todd || 315.9 || 59,890 || クイーンズランド州 || シンプソン砂漠 || エア湖<ref name="Eyre_temporary">通常は砂漠で流路が消失するが、水量によってごく稀にエア湖へ到達する場合がある。</ref> || || <ref>葛葉泰久「トッド川」『全世界の河川事典』(2013)、846頁。</ref><ref name="bonzle210330">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=210330 |title=Map of Todd River, NT |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle210329">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=210329 |title=Map of Todd River, NT |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |2-11 || colspan=5| {{仮リンク|フィンク川|en|Finke River}}<br>〔フィンケ川〕 || Finke || 1100 || || ノーザンテリトリー、南オーストラリア州 || シンプソン砂漠 || エア湖<ref name="Eyre_temporary"/> || || <ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle214009">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=214009 |title=Map of Finke River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |2-12 || - || colspan=4| {{仮リンク|パーマー川|en|Palmer River (Northern Territory)|de|Palmer River (Finke River)}} || Palmer || 246 || || ノーザンテリトリー || フィンク川 || エア湖 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle212722">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212722 |title=Map of Palmer River, NT |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |2-13 || colspan=5| {{仮リンク|マカンバ川|en|Macumba River}} || Macumba || <ref>bonzle_213936には「1360km」との記載だが、周辺地形と比較すると明らかに過大であり、誤記あるいは途中の分流等を全て合算した値と考えられるため、ここでは採用せず未記載とする。</ref> || || 南オーストラリア州 || エア湖 || エア湖 || || <ref name="bonzle213936">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213936 |title=Map of Macumba River, SA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |2-14 || - || colspan=4| {{仮リンク|アルバーガ川|en|Alberga River}} || Alberga || 690 || || 南オーストラリア州 || マカンバ川 || エア湖 || || <ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle212397">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212397 |title=Map of Alberga River, SA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |2-15 || colspan=5| {{仮リンク|リー・クリーク|en|Leigh Creek}} || Leigh Creek || 89.5<ref>途中に涸れ川区間があり不連続になっている。各区間を合算。</ref><ref>bonzle_206418、bonzle_206419、bonzle_206420では各40.8、23.6、25.1kmで合算すると89.5kmになる。</ref> || || 南オーストラリア州 || エア湖<ref>『全世界の河川事典』では「[[トレンズ湖]]に流入」と記載されているが、これは近接するアルランハ・クリーク(Arrunha Creek)、アルーナ・クリーク(Aroona Creek)、ウィンディ・クリーク(Windy Creek)との混同と推察される。GoogleMap等の衛星写真で流路を辿ると、実際の流路はエア湖のマディガン湾付近へ接続している。</ref> || エア湖 || || <ref>葛葉泰久「リー・クリーク」『全世界の河川事典』(2013)、849頁。</ref><ref name="bonzle206418">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=206418 |title=Map of Leigh Creek, SA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle206419">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=206419 |title=Map of Leigh Creek, SA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle206420">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=206420 |title=Map of Leigh Creek, SA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |} [[File:Lake eyre basin map.png|thumb|left|300px|エア湖水系流域図]] {{Clear}} === その他の河川 === 南オーストラリア州とビクトリア州の州境を起点に、反時計回りで記載。続いて内陸流域とタスマニア島部を反時計回りで記載。 {| class="wikitable sortable" style="font-size:90%" |- ! style="width:1%" rowspan=2| # !! colspan=5|河川名〔別表記〕 !! rowspan=2| 英語表記 !! rowspan=2| 延長(km) !! rowspan=2| 流域面積(km{{sup|2}}) !! style="width:14%" rowspan=2| 所在地 !! rowspan=2| 河口/合流先 !! rowspan=2| 水系 !! rowspan=2| 備考 !! rowspan=2| 出典 |- ! width=2%|1 !! width=2%|2 !! width=2%|3 !! width=2%|4 !! width=9%|5 |- |3 || colspan=5| [[ヤラ川]] || Yarra || 242 || 4,110 || ビクトリア州 || [[ポートフィリップ湾]] || ヤラ川 || || <ref>[[大森博雄]]「ヤラ川」『全世界の河川事典』(2013)、848頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="bonzle209423">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=209423 |title=Map of Yarra River, VIC |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle209424">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=209424 |title=Map of Yarra River, VIC |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |4 || colspan=5| {{仮リンク|ラトローブ川|en|Latrobe River}} || Latrobe || 271 || || ビクトリア州 || {{仮リンク|ギップスランド湖群|en|Gippsland Lakes}}を経て[[バス海峡]] || ラトローブ川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle209263">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=209263 |title=Map of La Trobe River, VIC |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |5 || colspan=5| {{仮リンク|スノーウィー川|en|Snowy River}} || Snowy || 403 || 15,796 || ニューサウスウェールズ州、ビクトリア州 || バス海峡 || スノーウィー川 || || <ref>葛葉泰久「スノーウィー川」『全世界の河川事典』(2013)、844頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="Ninomiya"/><ref name="bonzle211736">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211736 |title=Map of Snowy River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |6 || colspan=5| {{仮リンク|ショールヘヴン川|en|Shoalhaven River}} || Shoalhaven || 327 || 7,230 || ニューサウスウェールズ州 || [[タスマン海]] || ショールヘヴン川 || || <ref>葛葉泰久「ショールヘヴン川」『全世界の河川事典』(2013)、843頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="bonzle210648">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=210648 |title=Map of Shoalhaven River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |7 || colspan=5| [[ジョージズ川]] || Georges || 89.3 || || ニューサウスウェールズ州 || [[ボタニー湾]] || ジョージズ川 || || <ref name="bonzle205791">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=205791 |title=Map of Georges River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |8 || colspan=5| {{仮リンク|ホークスベリー川|en|Hawkesbury River}}<br>〔ハークスベリー川〕 || Hawkesbury || 126 || 21,810 || ニューサウスウェールズ州 || タスマン海 || ホークスベリー川 || || <ref>葛葉泰久「ホークスベリー川」『全世界の河川事典』(2013)、847頁。</ref><ref name="bonzle207159">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=207159 |title=Map of Hawkesbury River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |9-1 || colspan=5| {{仮リンク|ハンター川|en|Hunter River (New South Wales)}} || Hunter || 468 || || ニューサウスウェールズ州 || タスマン海 || ハンター川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle210950">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=210950 |title=Map of Hunter River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle210949">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=210949 |title=Map of Hunter River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |9-2 || - || colspan=4| [[ゴールバーン川 (ニューサウスウェールズ州)]]<br>〔グルバーン川〕 || Goulburn || 221 || || ニューサウスウェールズ州 || ハンター川 || ハンター川 || || <ref name="bonzle212119">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212119 |title=Map of Goulburn River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |10 || colspan=5| {{仮リンク|マクリー川|en|Macleay River}} || Macleay || 298 || || ニューサウスウェールズ州 || タスマン海 || マクリー川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle210521">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=210521 |title=Map of Macleay River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |11 || colspan=5| {{仮リンク|クラレンス川|en|Clarence River (New South Wales)}}<br>〔クラランス川〕 || Clarence || 343 || || ニューサウスウェールズ州 || タスマン海 || クラレンス川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle211955">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211955 |title=Map of Clarence River, NSW |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |12 || colspan=5| [[ブリスベン川]] || Brisbane || 344 || 13,600 || クイーンズランド州 || [[モートン湾]] || ブリスベン川 || || <ref>大森博雄「ブリスベン川」『全世界の河川事典』(2013)、847頁。</ref><ref name="bonzle210877">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=210877 |title=Map of Brisbane River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |13-1 || colspan=5| {{仮リンク|フィッツロイ川 (クイーンズランド州)|en|Fitzroy River (Queensland)}} || Fitzroy || 335 || 142,645 || クイーンズランド州 || [[珊瑚海]] || フィッツロイ川 || || <ref>葛葉泰久「フィッツロイ川」『全世界の河川事典』(2013)、847頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="bonzle213188">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213188 |title=Map of Fitzroy River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |13-2 || - || colspan=4| {{仮リンク|ドーソン川|en|Dawson River (Queensland)}} || Dawson || 735 || || クイーンズランド州 || フィッツロイ川 (クイーンズランド州) || フィッツロイ川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle212280">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212280 |title=Map of Dawson River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |13-3 || - || colspan=4| {{仮リンク|マッケンジー川 (クイーンズランド州)|en|Mackenzie River (Queensland)}} || Mackenzie || 477 || || クイーンズランド州 || フィッツロイ川 (クイーンズランド州) || フィッツロイ川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle211247">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211247 |title=Map of Mackenzie River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle211246">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211246 |title=Map of Mackenzie River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |13-4 || colspan=2| - || colspan=3| {{仮リンク|アイザック川|en|Isaac River}} || Isaac || 512.7 || || クイーンズランド州 || マッケンジー川 (クイーンズランド州) || フィッツロイ川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle211491">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211491 |title=Map of Isaac River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle211492">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211492 |title=Map of Isaac River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |13-5 || colspan=2| - || colspan=3| {{仮リンク|ノゴア川|en|Nogoa River}} || Nogoa || 569 || 27,676 || クイーンズランド州 || マッケンジー川 (クイーンズランド州) || フィッツロイ川 || || <ref>葛葉泰久「ノゴア川」『全世界の河川事典』(2013)、846頁。</ref><ref name="bonzle212838">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212838 |title=Map of Nogoa River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |14 || colspan=5| {{仮リンク|パイオニア川|en|Pioneer River}} || Pioneer || 60 || 1,490 || クイーンズランド州 || 珊瑚海 || パイオニア川 || || <ref>葛葉泰久「パイオニア川」『全世界の河川事典』(2013)、846頁。</ref><ref name="bonzle205444">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=205444 |title=Map of Pioneer River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |15-1 || colspan=5| {{仮リンク|バーデキン川|en|Burdekin River}} || Burdekin || 886 || 129,865 || クイーンズランド州 || 珊瑚海 || バーデキン川 || || <ref>葛葉泰久「バーデキン川」『全世界の河川事典』(2013)、847頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle213193">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213193 |title=Map of Burdekin River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |15-2 || - || colspan=4| {{仮リンク|サットー川|en|Suttor River|de|Suttor River}}<br>〔サター川〕 || Suttor || 739 || || クイーンズランド州 || バーデキン川 || バーデキン川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle212979">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212979 |title=Map of Suttor River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |16 || colspan=5| [[ブラック川 (クイーンズランド州)]] || Black || 32.6 || || クイーンズランド州 || 珊瑚海 || ブラック川 || || <ref name="bonzle207366">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=207366 |title=Map of Black River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |17 || colspan=5| {{仮リンク|トゥリー川|en|Tully River}}<br>〔タリー川〕 || Tully || 133 || 1,683 || クイーンズランド州 || 珊瑚海 || トゥリー川 || || <ref>葛葉泰久「トゥリー川」『全世界の河川事典』(2013)、846頁。</ref><ref name="bonzle208966">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=208966 |title=Map of Tully River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |18 || colspan=5| {{仮リンク|ジャーディン川|en|Jardine River}} || Jardine || 162 || || クイーンズランド州 || [[カーペンタリア湾]] || ジャーディン川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle208433">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=208433 |title=Map of Jardine River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |19-1 || colspan=5| {{仮リンク|ミッチェル川|en|Mitchell River (Queensland)}} || Mitchell || 734 || || クイーンズランド州 || カーペンタリア湾 || ミッチェル川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="Ninomiya"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle213423">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213423 |title=Map of Mitchell River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |19-2 || - || colspan=4| {{仮リンク|アリス川|en|Alice River (Far North Queensland)}} || Alice || 332 || || クイーンズランド州 || ミッチェル川 || ミッチェル川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle211988">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211988 |title=Map of Alice River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |20 || colspan=5| {{仮リンク|スターテン川|en|Staaten River}} || Staaten || 383 || || クイーンズランド州 || カーペンタリア湾 || スターテン川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle212197">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212197 |title=Map of Staaten River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |21 || colspan=5| {{仮リンク|ギルバート川|en|Gilbert River (Queensland)}} || Gilbert || 887 || || クイーンズランド州 || カーペンタリア湾 || ギルバート川 || || <ref name="Shogaku"/><ref name="Ninomiya"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle213509">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213509 |title=Map of Gilbert River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |22 || colspan=5| [[フリンダーズ川]] || Flinders || 1003<ref>『全世界の河川事典』では「2590km」と記載があり、bonzle_214737を引き写したと考えられるが、周辺地形と比較すると明らかに過大であるため、ここではWorldAtlasを採用する。</ref><ref>bonzle_214737には「2590km」との記載だが、周辺地形と比較すると明らかに過大であり、誤記あるいは途中の分流等を全て合算した値と考えられるため、ここでは採用しない。</ref> || 109,379 || クイーンズランド州 || カーペンタリア湾 || フリンダーズ川 || || <ref name="WA_long_AU_S-T"/><ref name="unwrap_top10"/><ref>葛葉泰久「フリンダーズ川」『全世界の河川事典』(2013)、847頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="Ninomiya"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle214737">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=214737 |title=Map of Flinders River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |23 || colspan=5| {{仮リンク|ライカート川|en|Leichhardt River}}<br>〔レイックハルト川〕 || Leichhardt || 631 || 32,878 || クイーンズランド州 || カーペンタリア湾 || ライカート川 || || <ref>葛葉泰久「ライトカート川」『全世界の河川事典』(2013)、849頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="bonzle212642">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212642 |title=Map of Leichhardt River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |24 || colspan=5| {{仮リンク|ニコルソン川|en|Nicholson River (Queensland)}} || Nicholson || 725 || || ノーザンテリトリー、クイーンズランド州 || カーペンタリア湾 || ニコルソン川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle214194">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=214194 |title=Map of Nicholson River |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |25 || colspan=5| {{仮リンク|マッカーサー川|en|McArthur River}} || McArthur || 521 || 19,220 || ノーザンテリトリー || カーペンタリア湾 || マッカーサー川 || || <ref>葛葉泰久「マッカーサー川」『全世界の河川事典』(2013)、848頁。</ref><ref name="bonzle212645">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212645 |title=Map of McArthur River, NT |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |26-1 || colspan=5| {{仮リンク|ローパー川|en|Roper River}} || Roper || 1010 || 79,130 || ノーザンテリトリー || カーペンタリア湾 || ローパー川 || || <ref>葛葉泰久「ローパー川」『全世界の河川事典』(2013)、849頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle213934">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213934 |title=Map of Roper River, NT |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |26-2 || - || colspan=4| {{仮リンク|ウィルトン川|en|Wilton River|de|Wilton River}} || Wilton || 512 || || ノーザンテリトリー || ローパー川 || ローパー川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle212845">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212845 |title=Map of Wilton River, NT |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |27-1 || colspan=5| {{仮リンク|デイリー川|en|Daly River (Northern Territory)}} || Daly || 351 || 52,940 || ノーザンテリトリー || [[ティモール海]] || デイリー川 || || <ref>葛葉泰久「デイリー川」『全世界の河川事典』(2013)、846頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle210555">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=210555 |title=Map of Daly River, NT |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |27-2 || - || colspan=4| [[キャサリン川]] || Katherine || 328 || || ノーザンテリトリー || デイリー川 || デイリー川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle211494">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211494 |title=Map of Katherine River, NT |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |28 || colspan=5| {{仮リンク|ヴィクトリア川|en|Victoria River (Northern Territory)}} || Victoria || 509 || 77,230 || ノーザンテリトリー || [[ジョセフ・ボナパルト湾]] || ヴィクトリア川 || || <ref name="WA_long_AU_S-T"/><ref>葛葉泰久「ヴィクトリア川」『全世界の河川事典』(2013)、843頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="Ninomiya"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle213189">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213189 |title=Map of Victoria River, NT |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |29 || colspan=5| {{仮リンク|オード川 (オーストラリア)|en|Ord River}} || Ord || 613 || 55,385 || [[西オーストラリア州]] || ジョセフ・ボナパルト湾 || オード川 || || <ref>葛葉泰久「オード川」『全世界の河川事典』(2013)、843頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="Ninomiya"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle212581">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212581 |title=Map of Ord River, WA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |30 || colspan=5| {{仮リンク|ドライスデール川|en|Drysdale River}}<br>〔ドライズデール川〕 || Drysdale || 437 || 25,980 || 西オーストラリア州 || ティモール海 || ドライスデール川 || || <ref>葛葉泰久「ドライスデール川」『全世界の河川事典』(2013)、846頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle212043">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212043 |title=Map of Drysdale River, WA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |31-1 || colspan=5| {{仮リンク|フィッツロイ川 (西オーストラリア州)|en|Fitzroy River (Western Australia)}} || Fitzroy || 656 || || 西オーストラリア州 || {{仮リンク|キング湾|en|King Sound}} || フィッツロイ川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="Ninomiya"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle213186">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213186 |title=Map of Fitzroy River, WA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |31-2 || - || colspan=4| クリスマス・クリーク || Christmas Creek || 292 || || 西オーストラリア州 || フィッツロイ川 (西オーストラリア州) || フィッツロイ川 || || <ref>葛葉泰久「クリスマス・クリーク」『全世界の河川事典』(2013)、843頁。</ref><ref name="bonzle212584">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212584 |title=Map of Christmas Creek, WA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |31-3 || - || colspan=4| {{仮リンク|マーガレット川|en|Margaret River (Kimberley, Western Australia)}} || Margaret || 399 || || 西オーストラリア州 || フィッツロイ川 (西オーストラリア州) || フィッツロイ川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle212393">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212393 |title=Map of Margaret River, WA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |32 || colspan=5| {{仮リンク|ディ・グレー川|en|De Grey River}}<br>〔デ・グレー川〕 || De Grey || 282 || || 西オーストラリア州 || [[インド洋]] || ディ・グレー川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle211611">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=211611 |title=Map of De Grey River, WA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |33 || colspan=5| {{仮リンク|フォーテスキュー川|en|Fortescue River}} || Fortescue || 1030 || || 西オーストラリア州 || インド洋 || フォーテスキュー川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle213510">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213510 |title=Map of Fortescue River, WA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |34 || colspan=5| {{仮リンク|アシュバートン川|en|Ashburton River (Western Australia)}}<br>〔アッシュバートン川〕 || Ashburton || 825 || || 西オーストラリア州 || インド洋 || アシュバートン川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle212724">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212724 |title=Map of Ashburton River, WA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |35 || colspan=5| {{仮リンク|ガスコイン川|en|Gascoyne River}} || Gascoyne || 834 || || 西オーストラリア州 || インド洋 || ガスコイン川 || || <ref name="WA_long_AU_S-T"/><ref name="unwrap_top10"/><ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle213511">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213511 |title=Map of Gascoyne River, WA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |36 || colspan=5| {{仮リンク|マーチソン川|en|Murchison River (Western Australia)}} || Murchison || 1100 || 91,253 || 西オーストラリア州 || インド洋 || マーチソン川 || || <ref>葛葉泰久「マーチソン川」『全世界の河川事典』(2013)、848頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="Shogaku"/><ref name="Teikoku"/><ref name="bonzle213504">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213504 |title=Map of Murchison River, WA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref><ref name="bonzle213505">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213505 |title=Map of Murchison River, WA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |37 || colspan=5| [[スワン川]] || Swan || 69.8 || 141,000 || 西オーストラリア州 || インド洋 || スワン川 || || <ref>葛葉泰久「スワン川」『全世界の河川事典』(2013)、844頁。</ref><ref name="nativefish"/><ref name="bonzle207251">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=207251 |title=Map of Swan River, WA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |38 || colspan=5| {{仮リンク|ブラックウッド川|en|Blackwood River}} || Blackwood || 383 || || 西オーストラリア州 || インド洋 || ブラックウッド川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle210013">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=210013 |title=Map of Blackwood River, WA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |39 || colspan=5| {{仮リンク|カルガン川|en|Kalgan River}} || Kalgan || 108 || || 西オーストラリア州 || インド洋 || カルガン川 || || <ref>葛葉泰久「カルガン川」『全世界の河川事典』(2013)、843頁。</ref><ref name="bonzle210877">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=210877 |title=Map of Brisbane River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |40 || colspan=5| [[トレンズ川]] || Torrens || 80 || 870 || 南オーストラリア州 || [[セントビンセント湾]] || トレンズ川 || || <ref>葛葉泰久「トレンス川」『全世界の河川事典』(2013)、846頁。</ref><ref name="bonzle206949">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=206949 |title=Map of River Torrens, SA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |41-1 || colspan=5| {{仮リンク|オンカパリンガ川|en|Onkaparinga River}} || Onkaparinga || 87.8 || || 南オーストラリア州 || セントビンセント湾 || オンカパリンガ川 || || <ref name="bonzle206979">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=206979 |title=Map of Onkaparinga River, SA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |41-2 || - || colspan=4| {{仮リンク|スコット・クリーク|en|Scott Creek}} || Scott Creek || 10.5 || 27 || 南オーストラリア州 || オンカパリンガ川 || オンカパリンガ川 || [[:en:Scott Creek Conservation Park]]も参照。 || <ref>葛葉泰久「スコット・クリーク」『全世界の河川事典』(2013)、843頁。</ref> |- |42 || colspan=5| {{仮リンク|バルー川|en|Bulloo River}} || Bulloo || <ref>『全世界の河川事典』には「1580km」との記載があり、bonzle_214734を引き写したと考えられるが、周辺地形と比較すると明らかに過大であるため、ここでは採用せず未記載とする。</ref><ref>bonzle_214734には「1580km」との記載だが、周辺地形と比較すると明らかに過大であり誤記あるいは途中の分流等を全て合算した値と考えられるため、ここでは採用せず未記載とする。</ref> || 91,962 || クイーンズランド州 || バルー湖(Bulloo Lake) || 内陸流域 || || <ref>葛葉泰久「バルー川」『全世界の河川事典』(2013)、847頁。</ref><ref name="bonzle214734">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=214734 |title=Map of Bulloo River, QLD |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |43 || colspan=5| スタート・クリーク川 || Sturt Creek || 883 || || 西オーストラリア州 || {{仮リンク|グレゴリー湖|en|Lake Gregory (Western Australia)}} || 内陸流域 || || <ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle213493">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=213493 |title=Map of Sturt Creek |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |44 || colspan=5| [[アロースミス川]] || Arrowsmith || 74.4 || || 西オーストラリア州 || アロースミス湖 || 内陸流域 || || <ref name="bonzle205231">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=205231 |title=Map of Arrowsmith River, WA |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |45 || colspan=5| {{仮リンク|ダーウェント川 (タスマニア州)|en|River Derwent (Tasmania)}} || Derwent || 203 || || [[タスマニア州]] || [[ストーム湾]] || ダーウェント川 || || <ref name="nativefish"/><ref name="bonzle209362">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=209362 |title=Map of River Derwent, TAS |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |46-1 || colspan=5| {{仮リンク|テイマー川|en|Tamar River}} || Tamar || 284 || 10,000 || タスマニア州 || バス海峡 || テイマー川 || || <ref>横尾善之「テイマー川」『全世界の河川事典』(2013)、846頁。</ref><ref name="bonzle203815">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=203815 |title=Map of River Tamar, TAS |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |46-2 || - || colspan=4| {{仮リンク|サウスエスク川|en|South Esk River}}<br>〔サウス・エスキモー川〕 || South Esk || 245 || || タスマニア州 || テイマー川 || テイマー川 || || <ref name="WA_long_AU_S-T"/><ref name="bonzle210187">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=210187 |title=Map of South Esk River, TAS |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |46-3 || - || colspan=4| {{仮リンク|マッコーリー川 (タスマニア州)|en|Macquarie River (Tasmania)}}<br>〔マクアリー川〕 || Macquarie || 189 || || タスマニア州 || サウスエスク川 || テイマー川 || || <ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle212529">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=212529 |title=Map of Macquarie River, TAS |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |47 || colspan=5| {{仮リンク|アーサー川|en|Arthur River (Tasmania)}} || Arthur || 172 || || タスマニア州 || インド洋 || アーサー川 || || <ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle209935">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=209935 |title=Map of Arthur River, TAS |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |48 || colspan=5| {{仮リンク|ピーマン川|en|Pieman River}}<br>〔ピマン川〕 || Pieman || 99.3 || || タスマニア州 || インド洋 || ピーマン川 || || <ref name="Shogaku"/><ref name="bonzle207734">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=207734 |title=Map of Pieman River, TAS |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |49-1 || colspan=5| [[ゴードン川]] || Gordon || 172 || || タスマニア州 || {{仮リンク|マッコーリー湾|en|Macquarie Harbour}} || ゴードン川 || || <ref>横尾善之「ゴードン川」『全世界の河川事典』(2013)、843頁。</ref><ref name="bonzle210598">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=210598 |title=Map of Gordon River, TAS |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |- |49-2 || - || colspan=4| {{仮リンク|サーペンタイン川|en|Serpentine River (Tasmania)}} || Serpentine || 26 || || タスマニア州 || ゴードン川 || ゴードン川 || || <ref>横尾善之「サーペンタイン川」『全世界の河川事典』(2013)、843頁。</ref><ref name="bonzle208622">{{Cite web |url=http://www.bonzle.com/c/a?a=p&p=208622 |title=Map of Serpentine River, TAS |accessdate=2023-12-23 |author= |date= |website=Bonzle.com |language=en}}</ref> |} == 長さ順の河川一覧 == 上位10河川を掲載。 {| class="wikitable sortable" ! # !! 河川名 !! 流路長 (km) |- | 1 || [[マレー川]] || 2375 |- | 2 || [[マランビジー川]] || 1485 |- | 3 || [[ダーリング川]] || 1472 |- | 4 || [[ラクラン川]] || 1448 |- | 5 || [[ウォリゴ川]] || 1380 |- | 6 || [[クーパー・クリーク]] || 1300 |- | 7 || [[パルー川]] || 1210 |- | 8 || [[フリンダーズ川]] || 1004 |- | 9 || [[ディアマンティナ川]] || 941 |- | 10 || [[ガスコイン川]] || 834 |} 出典:<ref name="unwrap_top10"/> == 地域別の最長河川一覧 == 州、準州、首都特別地域における最長河川を掲載。流路長は地域内での延長を示す。 {| class="wikitable sortable" ! 地域名 !! 河川名 !! 流路長 (ml) !! 流路長 (km)<ref>流路長(km)は出典のマイルを換算し小数点以下を四捨五入。</ref> |- | オーストラリア首都特別地域 || [[マランビジー川]] || 36 || 58 |- | ニューサウスウェールズ州 || [[マレー川]] || 1123 || 1807 |- | ノーザンテリトリー || [[ヴィクトリア川]] || 316 || 509 |- | クイーンズランド州 || [[フリンダーズ川]] || 623 || 1003 |- | 南オーストラリア州 || [[マレー川]] || 434 || 698 |- | タスマニア州 || [[サウスエスク川]] || 152 || 245 |- | ヴィクトリア州 || [[ゴールバーン川]] || 406 || 653 |- | 西オーストラリア州 || [[ガスコイン川]] || 518 || 834 |} 出典:<ref name="WA_long_AU_S-T"/> == 画像 == {{Gallery |height=130 |Murray River, downstream of Headings Cliffs, South Australia.JPG|マレー川 |Jugiong Murrumbidgee River 001.JPG|マランビジー川 |MenindeeDarlingRiver.JPG|ダーリング川 |Early morning Lachlan River (3379998546).jpg|ラクラン川 |Warrego River.JPG|ウォリゴ川 |Cooper Creek DSC03010 SA (38297474382).jpg|クーパー・クリーク |Paroo River at Eulo, Paroo Shire.jpg|パルー川 |Looking downstream along the Flinders River while crossing on the Burke Developmental Road, Normanton, June 2019 02.jpg|フリンダーズ川 |Diamantina.JPG|ディアマンティナ川 |Rocky Pool, Gascoyne River, July 2020 04.jpg|ガスコイン川 }} == 脚注 == {{reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |editor=[[高橋裕 (工学者)|高橋裕]]ほか |title=全世界の河川事典 |publisher=[[丸善出版]] |year=2013 |pages=843-851, 921 |isbn=978-4-621-08578-3}} * [[秋庭隆]]編著『世界大地図館』、[[小学館]]、1996年11月20日発行、204-205頁。 * 『新コンパクト地図帳 改訂版 2018-2019』、[[二宮書店]]、2018年3月1日発行、98-99頁。 * 帝国書院編集部『大きな文字のTVのそばに一冊 ワールドアトラス 初訂版』、[[帝国書院]]、2003年4月17日発行、55-56頁。 == 関連項目 == * [[オセアニアの水系一覧]] == 外部リンク == * [https://www.ga.gov.au/scientific-topics/national-location-information/landforms/longest-rivers Longest rivers] - Australian Government / Geoscience Australia. * [https://www.nativefish.asn.au/home/page/Major-Australian-Rivers Major Australia Rivers] - Native Fish Australia. * [http://www.bonzle.com/c/a bonzle.com] {{オセアニアの題材|河川の一覧|[[河川]]の一覧|河川|mode=3}} {{デフォルトソート:おおすとらりあのかせんのいちらん}} [[Category:オーストラリアの河川|*]] [[Category:各国の河川の一覧]] [[Category:オーストラリア関連一覧|かせん]]
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テクノコスモス
テクノコスモス(別名、テクノスター)は、茨城県つくば市にかつて存在した観覧車である。国際科学技術博覧会(通称・略称: つくば万博覧会) のために建設された。85メートルにもおよび、当時世界一の大きさであった。 1985年に茨城県筑波で開催された国際科学技術博覧会のテクノスコスモス館の一部として建設された。建設当時、観覧車としては世界最大であった。建設完了後1985年から1989年まで高さ現存で世界一であった。 博覧会閉幕後に大阪府吹田市にかつてあったエキスポランドへ移設された。移設時に名前がテクノコスモスからテクノスターに変更される。2009年にエキスポランドが閉園したことに伴いに解体された。
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テクノコスモス(別名、テクノスター)は、茨城県つくば市にかつて存在した観覧車である。国際科学技術博覧会 のために建設された。85メートルにもおよび、当時世界一の大きさであった。
{{Pathnav|国際科学技術博覧会|frame=1}} {{Infobox building |name = テクノコスモス |image = Expo85 tecno.jpg |image_size = 200px |location = [[茨城県]][[つくば市]] |latd = |longd = |iso_region = |coordinates_display= title |status = |start_date = |opening = |demolition_date = |building_type = |height = 85m |structural_engineer = |architect = |main_contractor = |developer = |owner = }} '''テクノコスモス'''(別名、テクノスター)は、[[茨城県]][[つくば市]]にかつて存在した観覧車である。[[国際科学技術博覧会]](通称・略称: つくば科学万博) のために建設された。85メートルにもおよび、当時世界一の大きさであった<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.city.ishioka.lg.jp/data/digital_archive/1581938592_doc_3_pdf|title=市報いしおか10月号|publisher=石岡市 |date=1984-10-15|accessdate=2023-12-25}}</ref>。 == 歴史 == === 国際科学技術博覧会 === [[1985年]]に茨城県筑波で開催された国際科学技術博覧会のテクノスコスモス館の一部として建設された<ref>[https://osaka1shop2channel.jp/blog-entry-469.html エキスポシティの観覧車は3代目だった!?知られざる観覧車の歴史]</ref>。建設当時、観覧車としては世界最大であった。建設完了後1985年から1989年まで高さ現存で世界一であった。 === 大阪へ移設 === 博覧会閉幕後に[[大阪府]][[吹田市]]にかつてあった[[エキスポランド]]へ移設された。移設時に名前がテクノコスモスからテクノスターに変更される。[[2009年]]にエキスポランドが閉園したことに伴いに解体された。 == 脚注 == {{Reflist}} {{デフォルトソート:てくのこすもす}} {{Normdaten}} [[Category:観覧車]] [[Category:つくば科学万博]] [[Category:現存しない茨城県の建築物]] [[Category:移築された建築物]] [[Category:現存しないアトラクション]]
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エクソシスト トゥルー・ストーリー
『エクソシスト トゥルー・ストーリー』(原題:Possessed)は、2000年に公開されたアメリカ合衆国のテレビ映画。出演はティモシー・ダルトン、ヘンリー・ツェニー、クリストファー・プラマーほか。 特殊効果はレイ・マクミラン。 日本では日本コロムビアが2001年5月19日にDVDを発売した。
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『エクソシスト トゥルー・ストーリー』は、2000年に公開されたアメリカ合衆国のテレビ映画。出演はティモシー・ダルトン、ヘンリー・ツェニー、クリストファー・プラマーほか。 特殊効果はレイ・マクミラン。 日本では日本コロムビアが2001年5月19日にDVDを発売した。
{{Infobox Film | 作品名 =エクソシスト トゥルー・ストーリー | 原題 =Possessed | 画像 = | 画像サイズ = | 画像解説 = | 監督 =[[スティーヴン・E・デ・スーザ]] | 脚本 =マイケル・ラザロー</br>スティーヴン・E・デ・スーザ | 原案 = | 原作 = | 製作 = | 製作総指揮 =バーバラ・ティトル | ナレーター = | 出演者 =[[ティモシー・ダルトン]]</br>[[ヘンリー・ツェニー]]</br> [[クリストファー・プラマー]] | 音楽 =[[ジョン・フリッゼル]] | 主題歌 = | 撮影 =エドワード・J・ベイ | 編集 =アンソニー・レッドマン | 制作会社 = | 製作会社 = | 配給 = | 公開 = | 上映時間 =110分 | 製作国 = {{USA}} | 言語 =[[英語]] | 製作費 = | 興行収入 = | 配給収入 = | 前作 = | 次作 = }} 『'''エクソシスト トゥルー・ストーリー'''』(原題:''Possessed'')は、[[2000年]]に公開された[[アメリカ合衆国]]の[[テレビ映画]]。出演は[[ティモシー・ダルトン]]、[[ヘンリー・ツェニー]]、[[クリストファー・プラマー]]ほか<ref>{{Cite web |url= https://www.imdb.com/title/tt0195165/ |title=Possessed (2000) - IMDb |access-date=2023-12-25}}</ref>。 特殊効果はレイ・マクミラン。 日本では[[日本コロムビア]]が2001年5月19日に[[DVD]]を発売した。 == あらすじ == == キャスト == * ボウダン神父:[[ティモシー・ダルトン]] * ロビー:[[ジョナサン・メイレン]] * マクブライト神父:[[ヘンリー・ツェニー]] * ヒューム大司教:[[クリストファー・プラマー]] * ハンナ:[[パイパー・ローリー]] * カール:マイケル・ローデス * フィリス:シャノン・ローソン == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * {{Allcinema title|233774}} * {{IMDb title|id=0195165|title=}} * {{rotten-tomatoes|1102044-possessed}} {{film-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:えくそしすととうるうすとおりい}} [[Category:2000年の映画]] [[Category:アメリカ合衆国のテレビ映画]]
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ハーバート・マリン
ハーバート・マリン (Herbert William Mullin 1947年4月18日 – 2022年8月18日) はアメリカ合衆国の連続殺人犯。1970年代の前半にカリフォルニア州で13人を殺害した。彼は大地震を防ぐために殺害を実行したと自供している。1973年、責任能力の有無に関する審理の後、2件の第一級殺人と9件の第二級殺人の罪で終身刑が言い渡された。 彼の8回の仮釈放申請は、すべて拒否された。 犯行のあった1972年から73年にかけて、同じ地域でエドモンド・ケンパーも犯行を重ねていたことから警察捜査に大きな混乱が生じた。 その結果、2人が逮捕される(1972年2月にマリン、ケンパーは4月)までの間に合わせて21人が犠牲になった。 ハーバート・マリンは1947年4月18日、カリフォルニア州サリナスに生まれる。 伝えられるところによると、彼の父は厳格ではあったものの虐待はしていなかったと言う。マリンが5歳になる頃には、一家はサンフランシスコに引っ越している。 学生時代のマリンは多くの友人を持ち、16歳にはクラスの"最も成功しそうな人物"に選ばれている。その一方で、妄想型統合失調症に悩まされている。 1965年、高校卒業から間もない頃に交通事故で友人を亡くすと、マリンは大きな衝撃を受け、彼は部屋に亡くなった友人の祭壇を作り、次第に転生思想に取り憑かれるようになった。 1969年に初めて精神病院に入院する。 その後、数年にわたり、複数の精神病院に入院する。最終的に5つの精神病院に強制入院させられたが、いずれも"自傷および他人を害する恐れはない"と診断され退院させられた。 、20代の半ばには、LSD (薬物)と大麻の使用も加わり彼の病状は悪化していた。 1972年、25歳の時にフェルトンの両親の元に戻っている。 マリンはサンフランシスコ地震と同じ4月18日に生まれたことに何か重要な意味があると信じて疑わなかった。 マリンは、ベトナム戦争は多くのアメリカ兵の命を生贄にして大地震を防ぐために始まった信じていた。しかし、(アメリカ側の見解では)戦争が終わりが近づいた1972年の終わりになると、悲惨な地震を防ぐために人を殺して生贄にするようになる。彼は後に、"地震を防ぐためのために命を奪えとテレパシーで父に命じられた"と語っている。 1972年10月13日、マリンは55歳のホームレス、ローレンス・ホワイトを野球のバットで撲殺する。 道端に停めた車のボンネットを開けてエンジントラブルで困っているように装ったマリンに、車を直すのと引き換えにちょっと乗せてくれないかと言ってきたのが被害者のホワイトだった。 マリンは死体を森に引きずり込み、その翌日にホワイトは発見された。 後のマリンの主張によれば、被害者がまるで聖書のヨナのように見え、彼に"俺を捕まえて、ボートから投げ捨ててみろ。俺を殺せば他の誰かが助かるぞ"とテレパシーを送ったと言っている。 マリンは、すぐに次の殺人に取り掛かる。第二の殺人は、環境が急激に汚染されているという仮説の検証と次の生贄へと導く父の幻聴に従って行動することが目的だった。 1972年10月24日、約束に遅れて急ぐカブリオカレッジの学生マーガレット・ギルフォイルと出くわす。 彼はギルフォイに車に乗るよう誘ったあと、運転中に彼女の胸を刺して殺した のち、彼女の体から取り出した臓器を調べ公害の証拠を探した。 ギルフォイルの遺体は事件から数ヶ月後の1973年2月まで発見されなかった その直後から、マリンは彼を導く幻聴が父の声かどうか疑うようになる。1972年11月2日、この気持ちの迷いをはらうために、サンタクララ郡ロスガトスのカトリック教会で告解した。 教会の保護下にあった1973年、マリンは彼の告解を聞いていた司祭のヘンリー・トメイが自発的に次の生贄に申し出てきたと陳述している。マリンは司祭を殴打し、刺し、逃げる間も与えずその場で殺害した。 1973年の1月ごろ、マリンは海兵隊の入隊を申請している。 合法的に彼の使命(生贄のための殺人)を遂行するためだったが、犯罪記録の照会に同意しなかったので入隊は拒否された。 1973年に入ると、ドラッグの使用を完全にやめたマリンは、それまでの失敗続きの人生をドラッグのせいにした。 彼はかつての友ジム・ジャネラを探すことにする。 ジャネラは彼に大麻を教え、彼を重度な薬物中毒に至らしめた張本人と考えたからである。 1月の初め、ジャネラが住んでいたサンタクルーズの外れを訪れる。最初に訪問した家にはジャネラ夫婦の友人キャスリーン・フランシスが住んでおり、ジャネラたちはそこからさらに行った先の山小屋にジャネラたちが住んでいると教えた。 彼はジャネラの家を突き止め、ジャネラが大麻の味を教えたせいで自分の人生が台無しになったこと、なぜそんなことを自分に教えたか問い詰めたが、納得のいく答えを得られずジャネラを撃った。 ジャネラは死に際にバスルームにいる妻に、鍵をかけて身を守れと伝えるも、マリンはドアを壊して押し入り彼の妻も射殺する。 それからマリンはキャスリーン・フランシスの家に戻り、彼女と2人の子供(4歳のデーモン、9歳のデービッド)も射殺した。両家とも大麻のディーラーとして目をつけられており、いずれの遺体も同様に何度も刺していたことから、警察は2つの家の殺人は麻薬取引に関連するものと考え、司祭やヒッチハイカーの事件との関連を捜査しなかった。 およそ1ヶ月後の2月10日、マリンがサンタクルーズの州立公園でハイキングをしていると、違法にキャンプをする4人の少年(ロバート・スペクター18歳、ブライアン・スコット19歳、デービッド・オライカー18歳、マーク・ドレイベルス15歳)を見つける。 彼は少年たちと軽く会話したあと自分はパークレンジャーだと伝えた。彼は「ここでキャンプをすると森が”(マリンの考えるところの)汚染”される」ので立ち去るよう伝えたが、少年たちは軽く追い払い、テントに籠もってしまった。 翌日、現場に戻ったマリンは彼の22口径の拳銃で4人の頭を撃ち、全員を殺害する。死後、マリンは少年たちのテントから22口径ライフルと20ドルを盗んでいる。 事件の起こった週の終わりには4人の遺体が発見されたが、それを待たずにマリンは次の事件を起こす。 2月13日、マリンが両親のもとに薪を運ぶ途中、サンタクルーズの自宅で庭いじりをする72歳の元鮮魚商フレッド・アビー・ペレス を見つけたマリンは、Uターンして車を停めると、少年たちから奪ったライフルでボンネット越しにペレスの胸を撃つ。 この犯行の一部始終を目撃した隣人の通報により、マリンの車のナンバーが手配されると、 数分後にマリンの車はパトロール警官によって発見される。マリンは車に4人の少年を殺したピストルとペレスの殺害に使ったライフルを持っていたが、抵抗することなく大人しく逮捕された。 いくつかの理由で、当初、警察は一連の犯行をマリンによるものだと認識していなかった。1つには、殺害に使われた凶器と手口に関連性が薄いこと。2つには、被害者の間に年齢、人種、性別の共通点が見当たらないこと。そして、同時期に同じエリアで殺人を繰り返すエドモンド・ケンパーの8番目の被害者が見つかったことも捜査を難しくさせた。 サンタクルーズ地区検察局はマリンを10件の殺人容疑で起訴し、1973年7月30日に裁判が始まった。 マリンはすべての犯行に関与したことを認めていたため、争点は審理は法的責任能力の有無に絞られた。 検察官のクリス・コトルはマリンが車を隠し、犯行に計画性があることを強調する 一方で、被告側の公選弁護人ジム・ジャクソンは彼の妄想が殺人を行わせたと反論した。 8月19日、14時間の審議を経て、陪審員は、ジム・ジャネラとキャスリーン・フランシスの殺害には計画性が認められるとして第一級殺人罪、残る8件については衝動的な犯行として第二級殺人罪で有罪の判決を出した。 26歳のマリンは10件の殺人で有罪判決を受ける。 サンタクララ郡検察局は、マリンをヘンリー・トメイ司祭の殺害容疑で起訴する。1973年12月11日に始まった裁判では、検察の主張する第一級殺人の罪について、当初は心神耗弱から無罪であると反論したが、最終的に第二級殺人の罪を認めた。 サンタクルーズ裁判所は終身刑の判決を言い渡す。 マリンの身柄はカリフォルニア州アイオンにあるミュールクリーク刑務所に収監されており、1980年から今まで8回の仮出獄申請が提出されているが、いずれも否決されている。 拘置後、マリンは自分の犯行は、環境保護のためにやったと述べている。 これについてカリフォルニア大学サンタクルーズ校のデービッド・マーロウ教授は、彼は妄想型の統合失調症と診断された。 マリンは、同時期に同エリアで犯行を重ね、同じころに逮捕されたエドモンド・ケンパーとの交流がある。 二人の房が隣り合う時期もあった。しかし、ケンパーはマリンを"彼は意味もなく人を殺した"と毛嫌いしている。 ケンパーは後に「あいつは歌い出すクセがあって、テレビを見たい連中が困ってたんだ。だから俺は水をぶっかけてあいつを黙らせる。それでいい子にしてるときにはピーナッツをやったんだよ。あいつはピーナッツが好きでな。これがよく効いて、じきに歌う前に許可を取るようになったよ。これぞ条件づけってやつだ」と語っている。 ケンパーはマリンについて「あいつは、たくさんの痛み、苦しみ、憎しみを胸の内に秘めていたんだ。だけど、あいつは知ってる相手に対して何かをする根性もないから、知らない相手を狙ったんだよ」と語っている。同じインタビューでは、収監されるまでの似たような過去を指して、マリンを「その点では同士だ」と言っている。また、ケンパーはマリンとの会話についても語っている。 「ハービー、俺は何があったかは知ってる。地震がどうのとか神が何を言ったかとか、俺に言うな。俺がプレッシャーをかけたことで神が何を言ってようと、俺に話しかけるな。おまえがやったような少しショッキングなことがバレると、すぐに神は語りだすんだよ。おまえはそういう病気なんだよ。俺はそんな連中を見て育ってきた」 2022年8月18日、カリフォルニアの療養施設で死亡。75歳。自然死だった。
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ハーバート・マリン はアメリカ合衆国の連続殺人犯。1970年代の前半にカリフォルニア州で13人を殺害した。彼は大地震を防ぐために殺害を実行したと自供している。1973年、責任能力の有無に関する審理の後、2件の第一級殺人と9件の第二級殺人の罪で終身刑が言い渡された。 彼の8回の仮釈放申請は、すべて拒否された。 犯行のあった1972年から73年にかけて、同じ地域でエドモンド・ケンパーも犯行を重ねていたことから警察捜査に大きな混乱が生じた。 その結果、2人が逮捕される(1972年2月にマリン、ケンパーは4月)までの間に合わせて21人が犠牲になった。
{{Infobox 犯罪者|name=ハーバート・マリン|image=Herbert-Mullin.jpg|caption=Mullin {{Circa|1973}}|birth_name=ハーバート・ウィリアム・マリン|alias=|birth_date={{Birth date|1947|04|18}}|birth_place=[[アメリカ合衆国]][[サリナス (カリフォルニア州)|カリフォルニア州サリナス]]|death_date={{Death date and age|2022|8|18|1947|04|18}}|death_place=[[ストックトン (カリフォルニア州)|カリフォルニア州ストックトン]][[:en:California Health Care Facility|California Health Care Facility]]|victims=13|country=[[アメリカ|アメリカ合衆国]]|states=[[カリフォルニア州]]|beginyear=1972年10月13日|endyear=1973年2月13日|apprehended=1973年2月13日|conviction=|sentence=[[終身刑]]|height=175cm|imprisoned=California Health Care Facility|website={{URL|http://herbertwilliammullin.org/}} {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20211026043151/http://herbertwilliammullin.org/ |date=October 26, 2021}}}}[[Category:Articles with hCards]] '''ハーバート・マリン''' ('''Herbert William Mullin''' [[1947年]][[4月18日]]<ref name=":0">{{Cite web |author=Mullin |first=Herbert |title=Herbert William Mullin, born 04/18/1947 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|archive-url=https://web.archive.org/web/20121210085548/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/index_1.html |archive-date=December 10, 2012 |title=Unnatural Disasters |website=truTV Crime Library |url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/index_1.html |publisher=crimelibrary.com |access-date=March 5, 2008}}</ref>。 犯行のあった1972年から73年にかけて、同じ地域で[[エドモンド・ケンパー]]も犯行を重ねていたことから警察捜査に大きな混乱が生じた。 その結果、2人が逮捕される(1972年2月にマリン、ケンパーは4月)までの間に合わせて21人が犠牲になった<ref>{{harvnb|Ressler|Shachtman|1992|p=129}}</ref>。 == 幼少期から学生時代、精神的な問題を抱えるまで == ハーバート・マリンは1947年4月18日、[[サリナス (カリフォルニア州)|カリフォルニア州サリナス]]に生まれる。{{Sfn|Lunde|1979|p=64}} 伝えられるところによると、彼の父は厳格ではあったものの虐待はしていなかったと言う。<ref>{{Cite web |author=Scott |first=Shirley Lynn |title=Herb Mullin — Normal Childhood, Abnormal Adult — Crime Library on truTV.com |url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/adult_2.html |publisher=Crime Library |access-date=February 2, 2022 |date=October 21, 2012 |archive-url=https://web.archive.org/web/20121021135449/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/adult_2.html |archive-date=October 21, 2012}}</ref>マリンが5歳になる頃には、一家はサンフランシスコに引っ越している。{{Sfn|Lunde|1979|p=138}} 学生時代のマリンは多くの友人を持ち、16歳にはクラスの"最も成功しそうな人物"に選ばれている。その一方で、[[統合失調症|妄想型統合失調症]]に悩まされている。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=127}} 1965年、高校卒業から間もない頃に交通事故で友人を亡くすと、マリンは大きな衝撃を受け、彼は部屋に亡くなった友人の祭壇を作り、次第に転生思想に取り憑かれるようになった。<ref>{{Cite web |author=Scott |first=Shirley Lynn |title=Unnatural Disasters |url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/adult_2.html |url-status=live |access-date=27 September 2012 |website=TruTV |archive-url=https://web.archive.org/web/20121021135449/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/adult_2.html |archive-date=October 21, 2012}}</ref> 1969年に初めて精神病院に入院する。{{Sfn|Lunde|1979|p=70}} その後、数年にわたり、複数の精神病院に入院する。最終的に5つの精神病院に強制入院させられたが、いずれも"自傷および他人を害する恐れはない"と診断され退院させられた。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=127}} <ref>{{Cite web |author=Scott |first=Shirley Lynn |title=Herb Mullin |url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/reagan_12.html |website=trutv.com |publisher=truTV |archive-url=https://web.archive.org/web/20121021135440/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/reagan_12.html |access-date=January 30, 2022 |archive-date=October 21, 2012}}</ref>、20代の半ばには、[[LSD (薬物)]]と[[大麻]]の使用も加わり彼の病状は悪化していた。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=127}} == 殺人 == 1972年、25歳の時に[[フェルトン(カリフォルニア州)|フェルトン]]の両親の元に戻っている。<ref name="trutv">{{Cite web |author=Scott |first=Shirley Lynn |archive-url=https://web.archive.org/web/20121210085548/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/index_1.html |archive-date=December 10, 2012 |title=Unnatural Disasters |website=truTV Crime Library |url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/index_1.html |publisher=crimelibrary.com |access-date=March 5, 2008}}</ref> マリンは[[サンフランシスコ地震]]と同じ4月18日に生まれたことに何か重要な意味があると信じて疑わなかった。{{Sfn|Torrey|2008|page=35}} マリンは、[[ベトナム戦争]]は多くのアメリカ兵の命を生贄にして大地震を防ぐために始まったと信じていた。しかし、(アメリカ側の見解では)戦争が終わりが近づいた1972年の終わりになると、悲惨な地震を防ぐために人を殺して生贄にするようになる。彼は後に、"地震を防ぐためのために命を奪えと[[テレパシー]]で父に命じられた"と語っている。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=128}} 1972年10月13日、マリンは55歳のホームレス、ローレンス・ホワイトを野球のバットで撲殺する。 道端に停めた車のボンネットを開けてエンジントラブルで困っているように装ったマリンに、車を直すのと引き換えにちょっと乗せてくれないかと言ってきたのが被害者のホワイトだった。<ref name="trutv2">{{Cite web |author=Scott |first=Shirley Lynn |title=Herb Mullin |url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/earthquakes_4.html |publisher=[[truTV]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120927182336/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/earthquakes_4.html |access-date=January 28, 2022 |archive-date=September 27, 2012 |ref=truTV}}</ref>{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=129}} マリンは死体を森に引きずり込み、その翌日にホワイトは発見された。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=129}} 後のマリンの主張によれば、被害者がまるで[[ヨナ|聖書のヨナ]]のように見え、彼に"俺を捕まえて、ボートから投げ捨ててみろ。俺を殺せば他の誰かが助かるぞ"とテレパシーを送ったと言っている。<ref name="trutv2" /> マリンは、すぐに次の殺人に取り掛かる。第二の殺人は、環境が急激に汚染されているという仮説の検証と次の生贄へと導く父の[[幻覚|幻聴]]に従って行動することが目的だった。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=129}} 1972年10月24日、約束に遅れて急ぐ[[カブリオカレッジ]]の学生マーガレット・ギルフォイルと出くわす。<ref name="West">{{Cite news |url=https://history.santacruzpl.org/omeka/files/original/a36db42d161c934bdd8fd46bb2891b89.PDF |first=Don |last=West |title=Mullin's 13 Dead Victims - Their Lives and Their Hopes |date=5 August 1973 |newspaper=S.F. Sunday Examiner & Chronicle |location=Santa Cruz Public Libraries}}</ref> 彼はギルフォイに車に乗るよう誘ったあと、運転中に彼女の胸を刺して殺した{{Sfn|Lunde|Morgan|1980|p=31}} のち、彼女の体から取り出した臓器を調べ公害の証拠を探した。<ref name="West" /> ギルフォイルの遺体は事件から数ヶ月後の1973年2月まで発見されなかった{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=129}} その直後から、マリンは彼を導く幻聴が父の声かどうか疑うようになる。1972年11月2日、この気持ちの迷いをはらうために、[[サンタクララ郡]][[ロスガトス (カリフォルニア州)|ロスガトス]]のカトリック教会で[[告解]]した。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=130}}{{Sfn|Lunde|1979|p=76}} 教会の保護下にあった1973年、マリンは彼の告解を聞いていた司祭のヘンリー・トメイが自発的に次の生贄に申し出てきたと陳述している。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=130}}{{Sfn|Lunde|Morgan|1980|p=42}}マリンは司祭を殴打し、刺し、逃げる間も与えずその場で殺害した。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=130}} 1973年の1月ごろ、マリンは海兵隊の入隊を申請している。 合法的に彼の使命(生贄のための殺人)を遂行するためだったが、犯罪記録の照会に同意しなかったので入隊は拒否された。{{Sfn|Torrey|2008|p=35}} 1973年に入ると、ドラッグの使用を完全にやめたマリンは、それまでの失敗続きの人生をドラッグのせいにした。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=130}} 彼はかつての友ジム・ジャネラを探すことにする。<ref>{{Cite news |url=https://history.santacruzpl.org/omeka/files/original/3876e545aa93251c01457da6e0cae4d5.PDF |first=Bruce |last=Anderson |title=Mullin apparently knew murder victims |date=1973 |newspaper=Valley Press |location=Santa Cruz Public Libraries}}</ref> ジャネラは彼に大麻を教え、彼を重度な薬物中毒に至らしめた張本人と考えたからである。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=130}}<ref name="truTV4">{{Cite web |author=Scott |first=Shirley Lynn |title=Herb Mullin — The Hippie Massacre — Crime Library on truTV.com |url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/massacre_5.html |publisher=[[Crime Library]] truTV |access-date=February 1, 2022 |date=October 21, 2012 |archive-url=https://web.archive.org/web/20121021135724/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/massacre_5.html |archive-date=October 21, 2012}}</ref> 1月の初め、ジャネラが住んでいた[[サンタクルーズ (カリフォルニア州)|サンタクルーズ]]の外れを訪れる。最初に訪問した家にはジャネラ夫婦の友人キャスリーン・フランシスが住んでおり、ジャネラたちはそこからさらに行った先の山小屋にジャネラたちが住んでいると教えた。<ref>{{Cite news |url=https://www.wpxi.com/news/trending/serial-killer-who-said-he-killed-ward-off-earthquakes-dies-75/KB66TIIJCJBG7NHKQLBE5T663I/ |first=Crystal |last=Bonvillian |title=Serial killer who said he killed to ward off earthquakes dies at 75 |date=23 August 2022 |publisher=WPXI |access-date=6 June 2023}}</ref><ref name="MediaNews Group">{{Cite news |last=Murray |first=Emerson |title=State denies parole to Santa Cruz serial killer |url=https://www.santacruzsentinel.com/2021/03/18/state-denies-parole-to-santa-cruz-serial-killer/ |access-date=January 31, 2022 |newspaper=Santa Cruz Sentinel |publisher=MediaNews Group |date=March 19, 2021}}</ref> 彼はジャネラの家を突き止め、ジャネラが大麻の味を教えたせいで自分の人生が台無しになったこと、なぜそんなことを自分に教えたか問い詰めたが、納得のいく答えを得られずジャネラを撃った。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=131}} ジャネラは死に際にバスルームにいる妻に、鍵をかけて身を守れと伝えるも、マリンはドアを壊して押し入り彼の妻も射殺する。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=131}} それからマリンはキャスリーン・フランシスの家に戻り、彼女と2人の子供(4歳のデーモン、9歳のデービッド)も射殺した。両家とも大麻のディーラーとして目をつけられており、いずれの遺体も同様に何度も刺していたことから、警察は2つの家の殺人は麻薬取引に関連するものと考え、司祭やヒッチハイカーの事件との関連を捜査しなかった。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=131}} およそ1ヶ月後の2月10日、マリンがサンタクルーズの州立公園でハイキングをしていると{{Sfn|Lunde|Morgan|1980|p=250}}、違法にキャンプをする4人の少年(ロバート・スペクター18歳、ブライアン・スコット19歳、デービッド・オライカー18歳、マーク・ドレイベルス15歳)を見つける。{{Sfn|Lunde|1979|p=79}}<ref>{{Cite web |author=Scott |first=Shirley Lynn |title=Herb Mullin — The Hippie Massacre — Crime Library on truTV.com |url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/massacre_5.html |date=October 21, 2012 |archive-url=https://web.archive.org/web/20121021135724/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/massacre_5.html |archive-date=October 21, 2012 |access-date=October 21,2012}}</ref> 彼は少年たちと軽く会話したあと自分はパークレンジャーだと伝えた。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=131}}彼は「ここでキャンプをすると森が”(マリンの考えるところの)汚染”される」ので立ち去るよう伝えたが、少年たちは軽く追い払い、テントに籠もってしまった。 翌日、現場に戻ったマリンは彼の22口径の拳銃で4人の頭を撃ち、全員を殺害する{{Sfn|Lunde|1979|p=79}}。死後、マリンは少年たちのテントから22口径ライフルと20ドルを盗んでいる。<ref name="trutv.com">{{Cite web |author=Scott |first=Shirley Lynn |title=Herb Mullin — The Hippie Massacre — Crime Library on truTV.com |url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/massacre_5.html |publisher=truTV |access-date=February 3, 2022 |date=October 21, 2012 |archive-url=https://web.archive.org/web/20121021135724/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/massacre_5.html |archive-date=October 21, 2012}}</ref> 事件の起こった週の終わりには4人の遺体が発見されたが、それを待たずにマリンは次の事件を起こす。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=131}}<ref name="trutv.com">{{Cite web |author=Scott |first=Shirley Lynn |title=Herb Mullin — The Hippie Massacre — Crime Library on truTV.com |url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/massacre_5.html |publisher=truTV |access-date=February 3, 2022 |date=October 21, 2012 |archive-url=https://web.archive.org/web/20121021135724/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/massacre_5.html |archive-date=October 21, 2012}}</ref> 2月13日、マリンが両親のもとに薪を運ぶ途中{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=131}}、サンタクルーズの自宅で庭いじりをする72歳の元鮮魚商フレッド・アビー・ペレス{{Sfn|Lunde|Morgan|1980|pp=102–103}}<ref name="MediaNews Group">{{Cite news |last=Murray |first=Emerson |title=State denies parole to Santa Cruz serial killer |url=https://www.santacruzsentinel.com/2021/03/18/state-denies-parole-to-santa-cruz-serial-killer/ |access-date=January 31, 2022 |newspaper=Santa Cruz Sentinel |publisher=MediaNews Group |date=March 19, 2021}}</ref> を見つけたマリンは、Uターンして車を停めると、少年たちから奪ったライフルでボンネット越しにペレスの胸を撃つ。<ref name="trutv">{{Cite web |author=Scott |first=Shirley Lynn |archive-url=https://web.archive.org/web/20121210085548/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/index_1.html |archive-date=December 10, 2012 |title=Unnatural Disasters |website=truTV Crime Library |url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/index_1.html |publisher=crimelibrary.com |access-date=March 5, 2008}}</ref> この犯行の一部始終を目撃した隣人の通報により、マリンの車のナンバーが手配されると、{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=131}} 数分後にマリンの車はパトロール警官によって発見される。マリンは車に4人の少年を殺したピストルとペレスの殺害に使ったライフルを持っていたが、抵抗することなく大人しく逮捕された。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|pp=131–132}} いくつかの理由で、当初、警察は一連の犯行をマリンによるものだと認識していなかった。1つには、殺害に使われた凶器と手口に関連性が薄いこと。2つには、被害者の間に年齢、人種、性別の共通点が見当たらないこと。そして、同時期に同じエリアで殺人を繰り返す[[エドモンド・ケンパー]]の8番目の被害者が見つかったことも捜査を難しくさせた。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=129}} == 裁判と収監 == サンタクルーズ地区検察局はマリンを10件の殺人容疑で起訴し、1973年7月30日に裁判が始まった。{{Sfn|Lunde|Morgan|1980|p=252}} マリンはすべての犯行に関与したことを認めていたため、争点は審理は法的責任能力の有無に絞られた。{{Sfn|Lunde|1979|p=80}} 検察官のクリス・コトルはマリンが車を隠し、犯行に計画性があることを強調する{{Sfn|Lunde|Morgan|1980|p=310}} 一方で、被告側の公選弁護人ジム・ジャクソンは彼の妄想が殺人を行わせたと反論した。<ref name="truTV3">{{Cite web |author=Scott |first=Shirley Lynn |title=Herb Mullin — Mentally Ill, but Sane? — Crime Library on truTV.com |url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/sane_11.html |publisher=truTV |access-date=February 1, 2022 |date=October 21, 2012 |archive-url=https://web.archive.org/web/20121021135717/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/sane_11.html |archive-date=October 21, 2012}}</ref> 8月19日、14時間の審議を経て、陪審員は、ジム・ジャネラとキャスリーン・フランシスの殺害には計画性が認められるとして第一級殺人罪、残る8件については衝動的な犯行として第二級殺人罪で有罪の判決を出した。{{Sfn|Lunde|Morgan|1980|p=311}}<ref>{{Cite web |author=Scott |first=Shirley Lynn |title=Herb Mullin — Mentally Ill, but Sane? — Crime Library on truTV.com |url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/sane_11.html |publisher=truTV |access-date=January 31, 2022 |date=October 21, 2012 |archive-url=https://web.archive.org/web/20121021135717/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/sane_11.html |archive-date=October 21, 2012}}</ref> 26歳のマリンは10件の殺人で有罪判決を受ける。<ref>{{Cite web |title=CALIFORNIAN GUILTY IN 10 MURDER CASES |url=https://www.nytimes.com/1973/08/20/archives/californian-guilty-in-10-murder-cases.html |website=The New York Times |access-date=January 31, 2022 |date=August 20, 1973}}</ref> サンタクララ郡検察局は、マリンをヘンリー・トメイ司祭の殺害容疑で起訴する。1973年12月11日に始まった裁判では、検察の主張する第一級殺人の罪について、当初は心神耗弱から無罪であると反論したが、最終的に第二級殺人の罪を認めた。 サンタクルーズ裁判所は終身刑の判決を言い渡す。 マリンの身柄はカリフォルニア州アイオンにある[[Mule Creek State Prison|ミュールクリーク刑務所]]に収監されており、1980年から今まで8回の仮出獄申請が提出されているが、いずれも否決されている。<ref name="locator">{{Cite web |title=California Inmate Locator |url=https://inmatelocator.cdcr.ca.gov/Details.aspx?ID=B51410 |website=cdcr.ca.gov |access-date=March 19, 2021}}</ref> 拘置後、マリンは自分の犯行は、環境保護のためにやったと述べている。{{Sfn|Ressler|Shachtman|1992|p=132}} これについて[[カリフォルニア大学サンタクルーズ校]]のデービッド・マーロウ教授は、彼は妄想型の[[統合失調症]]と診断された。{{Sfn|Lunde|Morgan|1980|p=192}} マリンは、同時期に同エリアで犯行を重ね、同じころに逮捕された[[エドモンド・ケンパー]]との交流がある。 二人の房が隣り合う時期もあった。しかし、ケンパーはマリンを"彼は意味もなく人を殺した"と毛嫌いしている。<ref name="Herb Mullin — Serial Killer Rivalry">{{Cite web |author=Scott |first=Shirley Lynn |title=Herb Mullin — Serial Killer Rivalry — Crime Library on truTV.com |url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/rivalry_8.html |publisher=truTV |access-date=January 30, 2022 |ref=serial killer rivalry truTV |date=October 21, 2012 |archive-url=https://web.archive.org/web/20121021135656/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/mullin/rivalry_8.html |archive-date=October 21, 2012}}</ref> ケンパーは後に「あいつは歌い出すクセがあって、テレビを見たい連中が困ってたんだ。だから俺は水をぶっかけてあいつを黙らせる。それでいい子にしてるときにはピーナッツをやったんだよ。あいつはピーナッツが好きでな。これがよく効いて、じきに歌う前に許可を取るようになったよ。これぞ[[オペラント条件づけ|条件づけ]]ってやつだ」と語っている。<ref name="Herb Mullin — Serial Killer Rivalry" /> ケンパーはマリンについて「あいつは、たくさんの痛み、苦しみ、憎しみを胸の内に秘めていたんだ。だけど、あいつは知ってる相手に対して何かをする根性もないから、知らない相手を狙ったんだよ」と語っている。同じインタビューでは、収監されるまでの似たような過去を指して、マリンを「その点では同士だ」と言っている。また、ケンパーはマリンとの会話についても語っている。 「ハービー、俺は何があったかは知ってる。地震がどうのとか神が何を言ったかとか、俺に言うな。俺がプレッシャーをかけたことで神が何を言ってようと、俺に話しかけるな。おまえがやったような少しショッキングなことがバレると、すぐに神は語りだすんだよ。おまえはそういう病気なんだよ。俺はそんな連中を見て育ってきた」<ref>{{Cite web |url=https://www.youtube.com/watch?v=rSFP_nXOwtE |title=Serial Killer ed Kemper talks about Serial Killer Herbert Mullin which he met in Prison &#91;Interview&#93; |website=[[YouTube]] |access-date=December 12, 2023}}</ref> == 死去 == [[ファイル:Herbert_Mullin_B51410-2022.jpg|サムネイル|238x238ピクセル|マリン(2022年撮影)]] 2022年8月18日、カリフォルニアの療養施設で死亡。75歳。自然死だった。<ref name=":1">{{Cite news |last=Thornton |first=Terry |date=2022-08-19 |title=Herbert Mullin Dies of Natural Causes |url=https://www.cdcr.ca.gov/news/2022/08/19/herbert-mullin-dies-of-natural-causes/ |access-date=2022-08-19 |newspaper=California Department of Corrections and Rehabilitation |language=en-US}}</ref> == 被害者 == {| class="wikitable sortable" !番号 !名前 !性別 !年齢 !殺害日時 !注釈 |- |1 |ローレンス・ホワイト |男 |55 |1972年10月13日 |野球のバットで頭を繰り返し殴られる |- |2 |メアリー・マーガレット・ギルフォイル |女 |24 |1972年10月24日 |刺殺され内臓を取り除かれた上に骨も抜かれた |- |3 |ヘンリー・トメイ神父 |男 |64 |1972年11月2日 |殴られ心臓を刺される |- |4 |ジム・ラルフ・ジャネラ |男 |25 |1973年1月25日 |背中を含む3か所を撃たれ、肺に穴が開く |- |5 |ジョアン・ジャネラ |女 |21 |1973年1月25日 |首と左目の上から頭を撃たれ、3度刺された |- |6 |キャスリーン・フランシス |女 |29 |1973年1月25日 |射殺された後、遺体を刺される |- |7 |デーモン・フランシス |男 |4 |1973年1月25日 |頭を撃たれて死んだ後、刺される |- |8 |デービッド・ヒューズ |男 |9 |1973年1月25日 |頭を撃たれて死んだ後、刺される |- |9 |デービッド・オライカー |男 |18 |1973年2月10日 |頭を撃たれる |- |10 |ロバート・スペクター |男 |18 |1973年2月10日 |頭を撃たれる |- |11 |ブライアン・スコット・カード |男 |19 |1973年2月10日 |頭を撃たれる |- |12 |マーク・ドレイベルビス |男 |15 |1973年2月10日 |頭を撃たれる |- |13 |フレッド・アビー・ペレス |男 |72 |1973年2月13日 |心臓を撃たれる |} == ハーバート・マリンを扱った作品 == * ドラマ"[[クリミナル・マインド FBI行動分析課|クリミナル・マインド]]"でマリンについて2回触れられる。 == 関連項目 == * [[:Category:アメリカ合衆国のシリアルキラー|アメリカ合衆国のシリアルキラー]] == 脚注 == <references group="" responsive="1"></references> === 関連書籍 === * {{Cite book |last=Lunde |first=Donald T. |title=Murder and Madness |date=1979 |publisher=Norton |location=New York |isbn=978-0393009545 |url=https://archive.org/details/murdermadness0000lund |oclc=258574271 |series=The Portable Stanford}} * {{Cite book |last=Lunde |first=Donald T. |last2=Morgan |first2=Jefferson |title=The Die Song: a Jurney Into the Mind of a Mass Murderer |date=1980 |publisher=Norton |location=New York |isbn=978-0-393-01315-3 |edition=1st |url=https://archive.org/details/diesongjourneyin00lund |oclc=1033636320}} * {{Cite book |last=Ressler |first=Robert K. |author-link=Robert Ressler |last2=Shachtman |first2=Tom |author2-link=Tom Shachtman |title=Whoever Fights Monsters |date=1992 |publisher=[[St. Martin's Press]] |location=New York |isbn=978-0312078836 |edition=1st |oclc=25245627}} * {{Cite book |last=Torrey |first=E. Fuller |author-link=E. Fuller Torrey |title=The Insanity Offense: How America's Failure to Treat the Seriously Mentally Ill Endangers Its Citizens |publisher=[[W. W. 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スザンナと長老たち (ヴェロネーゼ、美術史美術館)
『スザンナと長老たち』(スザンナとちょうろうたち、伊: Susanna e i vecchioni, 英: Susanna and the Elders)は、イタリアのルネサンス期のヴェネツィア派の画家パオロ・ヴェロネーゼが1585年頃に工房とともに制作した絵画である。油彩。『旧約聖書』の「ダニエル書」で語られているスザンナの物語を主題としている。ヴェロネーゼのいくつかある同主題の作例の1つで、『旧約聖書』および『新約聖書』を主題とする10点の宗教画連作の1点として制作された。第2代バッキンガム公爵ジョージ・ヴィリアーズのコレクションを経て、現在はウィーンの美術史美術館に所蔵されている。また異なるバージョンがジェノヴァのバンカ・カリジェ(英語版)、同じくジェノヴァの白の宮殿(英語版)、パリのルーヴル美術館、マドリードのプラド美術館に所蔵されている。 スザンナは裕福な夫ヨアキムの貞淑な妻であった。ところが2人の好色な長老が彼女の美しさに目を付け、スザンナに言い寄る機会を狙っていた。彼らはひそかにヨアキムの邸宅の庭に入り込み、スザンナが庭の泉で水浴をするのを隠れて待った。そしてスザンナが水浴を始めると、長老たちは姿を現わし、スザンナに関係を迫った。しかしスザンナが拒否したため、長老たちは彼女が若い男と関係を持っているのを目撃したとして、姦淫の罪を着せて処刑しようとした。これに対してダニエルは長老たちが相談できないよう引き離して別々に訊問した。すなわちダニエルがどの木の下でスザンナと若者との姦通を見たのか質問すると、2人の証言は食い違い、一方の長老はマスチック(英語版)(ウルシ科の常緑低木)と答え、もう一方の長老はホルム樫(大型に成長する常緑の樫)と答えた。これにより彼らが虚偽の証言でスザンナを陥れようとしていることが明らかとなり、長老たちは石打ちの刑で処刑された。 本作は10点の宗教画連作の一部で、うち5点は『旧約聖書』、残りの5点は『新約聖書』に取材している。各作品の品質は大きく異なっているため、どの作品がヴェロネーゼの真筆画であるかについては見解が分かれている。本作品に関してはヴェロネーゼと工房の画家、おそらく画家の弟ベネデット・カリアリと息子カルロ・カリアリ(英語版)によって制作された。 ヴェロネーゼは長老たちに脅迫されるスザンナを描いている。スザンナは背後から接近する長老たちに驚いて、ベンチに座ったまま身を守るように前かがみの姿勢をとり、身体を隠そうとしている。この姿勢はルーヴル美術館のバージョンと似ているが、位置関係が異なっているため、スザンナの身体は脅迫者から遠ざかり、長老たちの手はスザンナからわずかに離れている。画面右端には噴水があり、ライオンの頭部の装飾から水が流れ出ている。スザンナの足元には忠誠を象徴する小型犬がおり、長老たちに向かって吠えている。スザンナや長老たちの背後には古典的な石柱が立ち、欄干が泉を囲んでいる。さらにその外側には格子垣が設けられ、ブドウの蔓が絡みついている。ブドウは多くの房を実らせている。画面左端にはヨアキムの邸宅が建っている。邸宅の屋根の上に3体の女性の彫像が設置されているほか、柱廊式玄関上部のペディメントにも2体の女性の彫像が設置されている。 本作品とプラド美術館のバージョンはどちらも背景に白い建築物が描かれている。この建築物はアンドレーア・パッラーディオが建設し、ヴェロネーゼが1561年頃にフレスコ画を制作したバルバロ邸(英語版)と類似していることが指摘されており、ヴェロネーゼの作品においてこの建築物および後援者がいかに重要であったかを物語っている。 ヴェロネーゼは建築家パッラーディオがバルバロ邸建設後の1570年に出版した建築理論書『建築四書(英語版)』(I quattro libri dell'architettura)から影響を受けている。パッラーディオは同書の中で、バルバロ邸を建設する際に作成した準備習作の木版画を掲載し、バルバロ邸について解説した。この準備習作に描かれたファサードは実際に建築されたバルバロ邸のものとは多少異なっているが、この差分はヴェロネーゼの絵画でも確認できる。つまり、ヴェロネーゼは実際のバルバロ邸ではなく『建築四書』の木版画に基づいて、邸宅の屋根の上に3体の彫像を描いた。また『建築四書』の木版画では3体の彫像はいずれも立像となっているところを、ヴェロネーゼは左右の彫像を座像として描いた。美術史家セルジオ・マリネッリ(Sergio Marinelli)は、本作品とバルバロ邸のファサードとの類似性に注目し、パッラーディオの建築言語がヴェロネーゼの絵画言語に翻訳されていると指摘した。 現在知られているヴェロネーゼの同主題の有名な作例のうち、最後に制作された作品であり、最も優れたものと言われることがある。1580年代後半、ヴェロネーゼが1588年に死去する少し前に制作されたものと考えられている。おそらく、連作の中の1つ『姦淫の女』(La donna colta in adulterio)の対作品と思われる。 本作品を含む連作の元の所有者は不明である。したがって連作を用いた装飾プログラムも不明のままである。連作は17世紀に美術収集家として知られる第4代アールスコート公爵(英語版)シャルル3世・ド・クロイのコレクションに属していたことが知られている。連作はオランダ南部のエノー州のボーモン城(英語版)にあり、公爵が死去した翌年の1613年に作成された財産目録に初めて記録された。その後、ストランドのヨーク・ハウス(英語版)にある第2代バッキンガム公爵ジョージ・ヴィリアーズのコレクションに加わり、1635年にバッキンガム公爵の目録に記載された。1648年、公爵家の財産は議会によって押収されたが、公爵の忠臣が連作を含む絵画コレクションをアントウェルペンに移送することに成功した。これを入手したのは大公レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒであり、その後、1723年および1876年にプラハ城からウィーンに移された。 1952年、美術史美術館によって10点の連作のうち3点が売却された。現在、美術史美術館が所有している連作は7点で、2点がプラハ国立美術館に、1点がワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アートに所蔵されている。
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『スザンナと長老たち』は、イタリアのルネサンス期のヴェネツィア派の画家パオロ・ヴェロネーゼが1585年頃に工房とともに制作した絵画である。油彩。『旧約聖書』の「ダニエル書」で語られているスザンナの物語を主題としている。ヴェロネーゼのいくつかある同主題の作例の1つで、『旧約聖書』および『新約聖書』を主題とする10点の宗教画連作の1点として制作された。第2代バッキンガム公爵ジョージ・ヴィリアーズのコレクションを経て、現在はウィーンの美術史美術館に所蔵されている。また異なるバージョンがジェノヴァのバンカ・カリジェ、同じくジェノヴァの白の宮殿、パリのルーヴル美術館、マドリードのプラド美術館に所蔵されている。
{{Infobox 絵画作品 | image_file = Paolo Veronese - Susanna and the Elders - WGA24975.jpg | image_size = 450px | title = スザンナと長老たち | other_language_1 = [[イタリア語]] | other_title_1 = Susanna e i vecchioni | other_language_2 = [[英語]] | other_title_2 = Susanna and the Elders | artist = [[パオロ・ヴェロネーゼ]]と工房 | year = 1585年ごろ | type = [[油彩]]、[[キャンバス]] | height = 140 | width = 280 | city = [[ウィーン]] | museum = [[美術史美術館]] }} 『'''スザンナと長老たち'''』(スザンナとちょうろうたち、{{lang-it-short|Susanna e i vecchioni}}, {{Lang-en-short|Susanna and the Elders}})は、[[イタリア]]の[[ルネサンス]]期の[[ヴェネツィア派]]の画家[[パオロ・ヴェロネーゼ]]が1585年ごろに工房とともに制作した絵画である。[[油彩]]。『[[旧約聖書]]』の「[[ダニエル書]]」で語られている[[スザンナ (ダニエル書)|スザンナ]]の物語を主題としている。ヴェロネーゼのいくつかある同主題の作例の1つで、『旧約聖書』および『[[新約聖書]]』を主題とする10点の宗教画連作の1点として制作された。第2代[[バッキンガム公爵]][[ジョージ・ヴィリアーズ (第2代バッキンガム公)|ジョージ・ヴィリアーズ]]のコレクションを経て、現在は[[ウィーン]]の[[美術史美術館]]に所蔵されている<ref>『西洋絵画作品名辞典』p.68-69。</ref><ref name=C11>Crockett 2020, p.11-12.</ref><ref name=KM>{{cite web|title=Susanna und die beiden Alten |accessdate=2023/12/23 |url=https://www.khm.at/objektdb/detail/398/ |publisher=[[美術史美術館]]公式サイト}}</ref><ref name=CTV>{{cite web|title=Veronese |accessdate=2023/12/23 |url=https://cavallinitoveronese.co.uk/general/view_artist/81 |publisher=Cavallini to Veronese}}</ref>。また異なるバージョンが[[ジェノヴァ]]の{{ill|バンカ・カリジェ|en|Banca Carige}}<ref name=C11 />、同じくジェノヴァの{{ill|白の宮殿|en|Palazzo Bianco}}<ref name=C11 /><ref name=CTV /><ref>{{cite web|title=Susanna and the Elders |accessdate=2023/12/23 |url=https://www.museidigenova.it/en/susanna-and-elders |publisher=Musei di Genova}}</ref>、[[パリ]]の[[ルーヴル美術館]]<ref name=C11 /><ref name=CTV /><ref>{{cite web|title=Suzanne et les vieillards |accessdate=2023/12/23 |url=https://collections.louvre.fr/ark:/53355/cl010061271 |publisher=[[ルーヴル美術館]]公式サイト}}</ref>、[[マドリード]]の[[プラド美術館]]に所蔵されている<ref name=C11 /><ref name=CTV /><ref name=Pes>{{cite web|title=Susana y los viejos |accessdate=2023/12/23 |url=https://www.museodelprado.es/coleccion/obra-de-arte/wd/6141c4ee-0ea1-424c-a94e-c40a00381c5b |publisher=[[プラド美術館]]公式サイト}}</ref><ref name=Pen>{{cite web|title=Susannah and the Elders |accessdate=2023/12/23 |url=https://www.museodelprado.es/en/the-collection/art-work/susannah-and-the-elders/6141c4ee-0ea1-424c-a94e-c40a00381c5b |publisher=プラド美術館公式サイト}}</ref>。 == 主題 == スザンナは裕福な夫ヨアキムの貞淑な妻であった。ところが2人の好色な長老が彼女の美しさに目を付け、スザンナに言い寄る機会を狙っていた。彼らはひそかにヨアキムの邸宅の庭に入り込み、スザンナが庭の泉で水浴をするのを隠れて待った。そしてスザンナが水浴を始めると、長老たちは姿を現わし、スザンナに関係を迫った。しかしスザンナが拒否したため、長老たちは彼女が若い男と関係を持っているのを目撃したとして、[[姦淫]]の罪を着せて処刑しようとした。これに対して[[ダニエル]]は長老たちが相談できないよう引き離して別々に訊問した。すなわちダニエルがどの木の下でスザンナと若者との姦通を見たのか質問すると、2人の証言は食い違い、一方の長老は{{ill|マスチック|en|Pistacia lentiscus}}([[ウルシ科]]の[[常緑]][[低木]])と答え、もう一方の長老は[[セイヨウヒイラギガシ|ホルム樫]](大型に成長する常緑の[[樫]])と答えた。これにより彼らが虚偽の証言でスザンナを陥れようとしていることが明らかとなり、長老たちは[[石打ち]]の刑で処刑された<ref>Crockett 2020, p.8-9.</ref><ref>『西洋美術解読事典』p.176「スザンナ」。</ref>。 == 作品 == [[File:Susana y los viejos (El Veronés).jpg|thumb|200px|ヴェロネーゼの1580年ごろのバージョン『[[スザンナと長老たち (ヴェロネーゼ、プラド美術館)|スザンナと長老たち]]』。[[プラド美術館]]所蔵。]] [[File:Villa Barbaro panoramica fronte Marcok.jpg|thumb|200px|{{ill|ヴィラ・バルバロ|en|Villa Barbaro|label=バルバロ邸}}の[[ファサード]]。]] [[File:Villa Barbaro, from I quattro libri dell'architettura di Andrea Palladio (Book 2, page 51) MET DP109543.jpg|thumb|200px|[[アンドレーア・パッラーディオ]]の『{{ill|建築四書|en|I quattro libri dell'architettura}}』より、バルバロ邸の準備習作。]] 本作は10点の宗教画連作の一部で、うち5点は『旧約聖書』、残りの5点は『新約聖書』に取材している。各作品の品質は大きく異なっているため、どの作品がヴェロネーゼの真筆画であるかについては見解が分かれている<ref name=CTV />。本作品に関してはヴェロネーゼと工房の画家、おそらく画家の弟[[ベネデット・カリアリ]]と息子{{ill|カルロ・カリアリ|en|Carlo Caliari}}によって制作された<ref name=KM />。 ヴェロネーゼは長老たちに脅迫されるスザンナを描いている。スザンナは背後から接近する長老たちに驚いて、ベンチに座ったまま身を守るように前かがみの姿勢をとり、身体を隠そうとしている。この姿勢はルーヴル美術館のバージョンと似ているが、位置関係が異なっているため、スザンナの身体は脅迫者から遠ざかり、長老たちの手はスザンナからわずかに離れている。画面右端には噴水があり、[[ライオン]]の頭部の装飾から水が流れ出ている。スザンナの足元には忠誠を象徴する[[イヌ|小型犬]]がおり<ref>『西洋美術解読事典』p.53-54「犬」。</ref>、長老たちに向かって吠えている。スザンナや長老たちの背後には古典的な石柱が立ち、[[欄干]]が泉を囲んでいる。さらにその外側には格子垣が設けられ、[[ブドウ]]の蔓が絡みついている。ブドウは多くの房を実らせている。画面左端にはヨアキムの邸宅が建っている。邸宅の屋根の上に3体の女性の彫像が設置されているほか、[[プロティロ|柱廊式玄関]]上部の[[ペディメント]]にも2体の女性の彫像が設置されている。 本作品とプラド美術館のバージョンはどちらも背景に白い建築物が描かれている。この建築物は[[アンドレーア・パッラーディオ]]が建設し、ヴェロネーゼが1561年ごろに[[フレスコ画]]を制作した{{ill|ヴィラ・バルバロ|en|Villa Barbaro|label=バルバロ邸}}と類似していることが指摘されており、ヴェロネーゼの作品においてこの建築物および[[パトロン|後援者]]がいかに重要であったかを物語っている<ref name=C14>Crockett 2020, p.14.</ref>。 ヴェロネーゼは建築家パッラーディオがバルバロ邸建設後の1570年に出版した建築理論書『{{ill|建築四書|en|I quattro libri dell'architettura}}』({{it|I quattro libri dell'architettura}})から影響を受けている。パッラーディオは同書の中で、バルバロ邸を建設する際に作成した準備習作の[[木版画]]を掲載し、バルバロ邸について解説した。この準備習作に描かれた[[ファサード]]は実際に建築されたバルバロ邸のものとは多少異なっているが、この差分はヴェロネーゼの絵画でも確認できる。つまり、ヴェロネーゼは実際のバルバロ邸ではなく『建築四書』の木版画に基づいて、邸宅の屋根の上に3体の彫像を描いた。また『建築四書』の木版画では3体の彫像はいずれも立像となっているところを、ヴェロネーゼは左右の彫像を座像として描いた。[[美術史家]]セルジオ・マリネッリ({{it|Sergio Marinelli}})は、本作品とバルバロ邸のファサードとの類似性に注目し、パッラーディオの建築言語がヴェロネーゼの絵画言語に翻訳されていると指摘した<ref name=C16>Crockett 2020, p.16-17.</ref>。 現在知られているヴェロネーゼの同主題の有名な作例のうち、最後に制作された作品であり<ref name=C11 />、最も優れたものと言われることがある<ref name=C11 />。1580年代後半、ヴェロネーゼが1588年に死去する少し前に制作されたものと考えられている<ref name=C11 /><ref name=CTV />。おそらく、連作の中の1つ『姦淫の女』({{it|La donna colta in adulterio}})の対作品と思われる<ref name=KM />。 == 来歴 == 本作品を含む連作の元の所有者は不明である。したがって連作を用いた装飾プログラムも不明のままである<ref name=CTV />。連作は17世紀に美術収集家として知られる第4代{{ill|アールスコート公爵|en|Duke of Aarschot}}[[シャルル3世・ド・クロイ]]のコレクションに属していたことが知られている。連作は[[オランダ]]南部の[[エノー州]]の{{ill|ボーモン城|en|Château de Beaumont}}にあり、公爵が死去した翌年の1613年に作成された財産目録に初めて記録された<ref name=C11 /><ref name=CTV /><ref name=KM />。その後、[[ストランド (ロンドン)|ストランド]]の{{ill|ヨーク・ハウス (ストランド)|en|York House, Strand|label=ヨーク・ハウス}}にある第2代バッキンガム公爵ジョージ・ヴィリアーズのコレクションに加わり、1635年にバッキンガム公爵の目録に記載された。1648年、公爵家の財産は議会によって押収されたが、公爵の忠臣が連作を含む絵画コレクションを[[アントウェルペン]]に移送することに成功した。これを入手したのは大公[[レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒ]]であり、その後、1723年および1876年に[[プラハ城]]からウィーンに移された<ref name=CTV />。 1952年、美術史美術館によって10点の連作のうち3点が売却された。現在、美術史美術館が所有している連作は7点で、2点が[[プラハ国立美術館]]に、1点が[[ワシントンD.C.]]の[[ナショナル・ギャラリー (ワシントン)|ナショナル・ギャラリー・オブ・アート]]に所蔵されている<ref name=CTV />。 == ギャラリー == ; ヴェロネーゼの他のバージョン <gallery widths="150px" heights="120px" perrow="4" style="font-size:smaller"> Veronese - Susanna and the Elders, circa 1570.jpg|『スザンナと長老たち』{{ill|バンカ・カリジェ|en|Banca Carige}}所蔵 Veronese - Susanna e i vecchioni.jpg|『[[スザンナと長老たち (ヴェロネーゼ、白の宮殿)|スザンナと長老たち]]』{{ill|白の宮殿|en|Palazzo Bianco}}所蔵 Paolo Veronese 019.jpg|ヴェロネーゼと工房『スザンナと長老たち』16世紀 [[ルーヴル美術館]]所蔵 Veronese Werkstatt - Susanna im Bade, Gal.-Nr. 237.jpg|工房『スザンナと長老たち』[[アルテ・マイスター絵画館]]所蔵<ref>{{cite web|title=Susanna im Bade |accessdate=2023/12/23 |url=https://skd-online-collection.skd.museum/Details/Index/433121 |publisher=[[ドレスデン美術館]]公式サイト}}</ref> </gallery> ; 連作の他の作品 <gallery widths="170px" heights="100px" perrow="3" style="font-size:smaller"> Lot und seine Töchter fliehen aus Sodom-khm.jpg|『ソドムを去るロトとその家族』<br/>[[美術史美術館]]所蔵 Paolo Veronese - Agar e Ismaele nel deserto (KHM).jpg|『砂漠のハガルに現れる天使』<br/>美術史美術館所蔵 Esther vor Ahasver-khm.jpg|『エステルとアハシュエロス』<br/>美術史美術館所蔵 Veronese, Paolo - Rebecca at the Well - c. 1580.jpg|『井戸のレベッカ』[[ナショナル・ギャラリー (ワシントン)|ナショナル・ギャラリー・オブ・アート]]所蔵 Paolo Veronese - Cristo e la Samaritana (KHM).jpg|『サマリアの女』美術史美術館所蔵 Christus und die Ehebrecherin-khm.jpg|『姦淫の女』美術史美術館所蔵 Christus und der Hauptmann von Kafarnaum-khm.jpg|『キリストと百人隊長』<br/>美術史美術館所蔵 Paolo Veronese - Christ Washing the Feet of the Disciples - WGA24846.jpg|『弟子の足を洗うキリスト』<br/>[[プラハ国立美術館]]所蔵 </gallery> == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * [[黒江光彦]]監修『西洋絵画作品名辞典』[[三省堂]](1994年) * ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典』[[高階秀爾]]監修、[[河出書房新社]](1988年) * Crockett, Emily C. ''[https://cdr.lib.unc.edu/concern/dissertations/41687p849?locale=en Veronese's Bathing Women: Susanna, Diana, and Bathsheba].'' [[ノースカロライナ大学チャペルヒル校|University of North Carolina at Chapel Hill Graduate School]], 2020. == 外部リンク == {{Commonscat|Susannah and the Elders by Paolo Veronese (Kunsthistorisches Museum)}} * [https://www.khm.at/objektdb/detail/398/ 美術史美術館公式サイト, パオロ・ヴェロネーゼ『スザンナと長老たち』] {{パオロ・ヴェロネーゼ}} {{DEFAULTSORT:すさんなとちようろうたち}} [[Category:パオロ・ヴェロネーゼの作品]] [[Category:1580年代の絵画]] [[Category:聖書を題材とした絵画]] [[Category:美術における入浴]] [[Category:美術史美術館の所蔵品]]
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声にならない鳥のうた
『声にならない鳥のうた』(こえにならないとりのうた)は、日本国の漫画家、谷口ジローの漫画作品である。 谷口ジローの商業デビュー作は、長らく少年画報社の『ヤングコミック』第5巻第26号(1971年12月22日号)に掲載された『嗄れた部屋』とされてきたが、谷口ジローが歿してから3か月ほど経ったころ、自宅から本作の「前編」部分が発見された。掲載誌は教育社の『デイリープログラム』第1巻第16号(1970年12月1号)で、『嗄れた部屋』より約1年ほど早いことから、谷口ジローの著作権を管理する一般財団法人パピエは、谷口ジローの商業デビュー作を本作に改めることにした。「前編」以外は発見されていない。当初は用紙を縦長に使い全24頁の作品であったが、同誌が横長の判型であったため、用紙を横長に使い全て描き直された。『デイリープログラム』は教育社が月2回発行した受験対策用問題集である。本作は、平凡社から2018年10月26日に発行された『谷口ジロー 描くよろこび』に所収されている。なお、双葉社の『漫画アクション』第14巻第19号(1980年4月19日増刊号)に異字同訓の谷口ジロー作品『こえにならない鳥のうた』が掲載されているが、別の作品である。 男は、Lと呼ばれる人物を殺すため、街でLを探していた。 『デイリープログラム』第1巻第16号(1970年12月1号)、教育社。 『谷口ジロー 描くよろこび』に所収された。
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『声にならない鳥のうた』(こえにならないとりのうた)は、日本国の漫画家、谷口ジローの漫画作品である。
{{Infobox animanga/Header | タイトル = 声にならない鳥のうた | 画像 = | サイズ = | 説明 = | ジャンル = }} {{Infobox animanga/Manga | タイトル = 声にならない鳥のうた | 作者 = 谷口ジロー | 出版社 = 教育社 | 掲載誌 = 『デイリープログラム』1970年12月1号 | レーベル = | 発行日 = | 発売日 = | 開始号 = | 終了号 = | 開始日 = | 終了日 = | 巻数 = | 話数 = }} {{Infobox animanga/Footer | ウィキプロジェクト = | ウィキポータル = }} 『'''声にならない鳥のうた'''』(こえにならないとりのうた)は、日本国の漫画家、[[谷口ジロー]]の漫画作品である。 == 概説 == 谷口ジローの商業デビュー作は、長らく[[少年画報社]]の『[[ヤングコミック]]』第5巻第26号(1971年12月22日号)に掲載された『嗄れた部屋』とされてきたが、谷口ジローが歿してから3か月ほど経ったころ、自宅から本作の「前編」部分が発見された<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediag.bunka.go.jp/mediag_wp/wp-content/uploads/2019/03/a9d3485d26c59528a1ef10291f21a0b1.pdf |title=マンガ原画に関するアーカイブ(収集、整理・保存・利活用)および拠点形成の推進 実施報告書 |accessdate=2023-12-17 |date=2019-02 |work=学校法人京都精華大学 |publisher=大日本印刷 }}</ref><ref name="ねとらぼ2018-10-23">{{ Cite web|和書|url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1810/23/news127.html |title=漫画家・谷口ジローの魅力を総括した一冊が発売 死後発見された幻のデビュー作も初収録 |accessdate=2023-12-17 |author=黒木貴啓 |date=2018-10-23 |work=ねとらぼ |publisher=アイティメディア }}</ref>。掲載誌は教育社の『デイリープログラム』第1巻第16号(1970年12月1号)で、『嗄れた部屋』より約1年ほど早いことから、谷口ジローの著作権を管理する一般財団法人パピエは、谷口ジローの商業デビュー作を本作に改めることにした<ref name="ねとらぼ2018-10-23" />。「前編」以外は発見されていない{{sfn|『谷口ジロー 描くよろこび』|pp=122-128|loc=谷口ジロー発表作品初出誌&単行本データ}}。当初は用紙を縦長に使い全24頁の作品であったが、同誌が横長の判型であったため、用紙を横長に使い全て描き直された{{sfn|『谷口ジロー 描くよろこび』|pp=129-141|loc=声にならない鳥のうた}}。『デイリープログラム』は教育社が月2回発行した受験対策用問題集である<ref name="ねとらぼ2018-10-23" />。本作は、[[平凡社]]から2018年10月26日に発行された『谷口ジロー 描くよろこび』に所収されている<ref name="コミックナタリー2018-10-26">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/305408 |title=谷口ジローの画業を1冊にまとめた「描くよろこび」単行本未収録のデビュー作も |accessdate=2023-12-17 |date=2018-10-26 |work=コミックナタリー |publisher=ナターシャ }}</ref>。なお、[[双葉社]]の『[[漫画アクション]]』第14巻第19号(1980年4月19日増刊号)に異字同訓の谷口ジロー作品『'''こえ'''にならない鳥のうた』が掲載されているが、別の作品である{{sfn|『谷口ジロー 描くよろこび』|pp=129-141|loc=声にならない鳥のうた}}<ref>{{Cite journal |和書 |author=谷口ジロー |authorlink= |date=1980-04-19 |title=こえにならない鳥のうた |journal=週刊漫画アクション |volume=14 |issue=19 |pages=145-164 |publisher=双葉社 |location=東京 |id={{全国書誌番号|00010894}} }}</ref>。 == あらすじ == 男は、Lと呼ばれる人物を殺すため、街でLを探していた{{sfn|『谷口ジロー 描くよろこび』|pp=129-141|loc=声にならない鳥のうた}}。 == 初出 == 『デイリープログラム』第1巻第16号(1970年12月1号)、教育社<ref name="ねとらぼ2018-10-23" />。 == 単行本 == ;日本語 『谷口ジロー 描くよろこび』に所収された<ref name="コミックナタリー2018-10-26" />。 *{{Cite book|和書|title=谷口ジロー 描くよろこび |date=2018-10 |publisher=平凡社 |location=東京 |isbn=978-4-582-63514-0 |ncid=BB27731733 |oclc=1059471619 |id={{全国書誌番号|23127035}} }} == 脚註 == {{脚注ヘルプ}}<!-- === 註釈 === {{notelist2}} --> === 出典 === {{Reflist}} === 参考文献 === *{{Cite book|和書|title=谷口ジロー 描くよろこび |date=2018-10-24 |publisher=平凡社 |location=東京 |series=コロナ・ブックス |isbn=978-4-582-63514-0 |ncid=BB27731733 |oclc=1059471619 |id={{全国書誌番号|23127035}} |ref={{SfnRef|『谷口ジロー 描くよろこび』}} }} {{デフォルトソート:こえにならないとりのうた}} [[Category:漫画作品 こ|えにならないとりのうた]] [[Category:1970年の漫画]] [[Category:谷口ジローの漫画作品]]
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イカル (漫画)
『イカル』(いかる)は、メビウスの原作を谷口ジローが作画した日本の漫画作品である。題名は「異卡力」と書いて「イカル」と読ませるが、専ら「イカル」の表記が通用している。 『モーニング』編集長の栗原良幸は、漫画を通じた国際文化交流に熱心で、谷口ジローらの作品をフランスに紹介する一方で、バンドデシネの巨匠であるメビウスの原作を日本人漫画家が作画する企画を進めていた。メビウスから『歩くひと』を描いた谷口ジローと組みたいとの希望があり、作画を谷口ジローが担うこととなった。メビウスは単行本にして10巻分にも及ぶ脚本を持ち込んだが、栗原良幸から編集長を交代した工富保の方針で、1巻分の連載で打ち切りとなった。このことで、『モーニング』編集部と谷口ジローとの間に軋轢が生じ、『ふらり。』で連載を再開するまで13年もの間、断絶することとなった。単行本は講談社から発行されず、連載終了から3年が経った2000年に美術出版社から発行された。その美術出版社が、2001年に創刊した雑誌『error』での続編連載を予定しているとも伝えられたが、『error』は僅か2号で休刊となった。 空を飛ぶ能力を持って生まれた少年は、その能力を巡って軍に翻弄されてしまう。 『モーニング』第16巻第28号(1997年7月17日(31)号)から第16巻第39号(1997年10月9日(43)号)まで連載された。
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『イカル』(いかる)は、メビウスの原作を谷口ジローが作画した日本の漫画作品である。題名は「異卡力」と書いて「イカル」と読ませるが、専ら「イカル」の表記が通用している。
{{Infobox animanga/Header | タイトル = 異卡力(イカル) | 画像 = | サイズ = | 説明 = | ジャンル = }} {{Infobox animanga/Manga | タイトル = 異卡力(イカル) | 作者 = メビウス(原作)<br />谷口ジロー(作画)<br />長谷川たかこ(翻訳)<br />ジャン・アネスティ(脚本協力) | 出版社 = 講談社 | 掲載誌 = 『モーニング』 | レーベル = | 発行日 = | 発売日 = | 開始号 = 1997年7月17日号 | 終了号 = 1997年10月9日号 | 開始日 = | 終了日 = | 巻数 = | 話数 = }} {{Infobox animanga/Footer | ウィキプロジェクト = | ウィキポータル = }} 『'''イカル'''』(いかる)は、[[ジャン・ジロー|メビウス]]の原作を[[谷口ジロー]]が作画した日本の漫画作品である。題名は「異卡力」と書いて「イカル」と読ませるが、専ら「イカル」の表記が通用している{{sfn|『描くひと 谷口ジロー』|pp=149-170|loc=谷口ジローが語る 3}}。 == 概説 == 『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』編集長の栗原良幸は、漫画を通じた国際文化交流に熱心で、谷口ジローらの作品をフランスに紹介する一方で、[[バンドデシネ]]の巨匠であるメビウスの原作を日本人漫画家が作画する企画を進めていた{{sfn|『描くひと 谷口ジロー』|pp=149-170|loc=谷口ジローが語る 3}}<ref>{{Cite journal |date=2011-03 |title=The 14th Japan Media Arts Festival |journal=Highlighting JAPAN |volume=4 |issue=11 |pages=20-23 |publisher=Cabinet Office, Government of Japan |location=Tokyo |id={{全国書誌番号|01052631}} |url=https://www.gov-online.go.jp/pdf/hlj/20110301/20110301all.pdf |accessdate=2023-12-18 }}</ref>。メビウスから『[[歩くひと]]』を描いた谷口ジローと組みたいとの希望があり、作画を谷口ジローが担うこととなった{{sfn|『描くひと 谷口ジロー』|pp=149-170|loc=谷口ジローが語る 3}}。メビウスは単行本にして10巻分にも及ぶ脚本を持ち込んだが、栗原良幸から編集長を交代した[[工富保]]の方針で、1巻分の連載で打ち切りとなった{{sfn|『描くひと 谷口ジロー』|pp=149-170|loc=谷口ジローが語る 3}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sady-editor.com/n/ndf8f7b33b3fe |title=谷口ジローさんとの思い出 |accessdate=2023-12-18 |author=佐渡島庸平 |date=2017-02-15 |work=コルク佐渡島の好きのおすそわけ |publisher=note }}</ref>。このことで、『モーニング』編集部と谷口ジローとの間に軋轢が生じ、『[[ふらり。]]』で連載を再開するまで13年もの間、断絶することとなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sady-editor.com/n/naa53ead9a98e |title=いい創作とは、魂と魂が磨き合う。 |accessdate=2023-12-16 |author=佐渡島庸平 |date=2021-08-25 |work=コルク佐渡島の好きのおすそわけ |publisher=note }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://mantan-web.jp/2011/01/06/20110106dog00m200016000c.html |title=谷口ジロー:海外で人気のマンガ家 モーニングで連載へ |accessdate=2023-12-18 |date=2011-01-06 |work=MANTANWEB(まんたんウェブ) |publisher=毎日新聞デジタル |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110108005450/http://mantan-web.jp/2011/01/06/20110106dog00m200016000c.html |archivedate=2011-01-08 }}</ref>。単行本は[[講談社]]から発行されず、連載終了から3年が経った2000年に[[美術出版社]]から発行された<ref>{{ Cite web|和書|url=https://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/archives/exh_taniguchi/index.html#d2 |title=米沢嘉博記念図書館|『孤独のグルメ』谷口ジロー原画展_2012年度 企画展示 |accessdate=2023-12-18 |work=米沢嘉博記念図書館 |publisher=明治大学 }}</ref>。その美術出版社が、2001年に創刊した雑誌『error』での続編連載を予定しているとも伝えられたが、『error』は僅か2号で休刊となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tinami.com/x/shibata/12/page1.html |title=新たな時を拓くか 生き残る新雑誌たち |accessdate=2023-12-18 |author=しばたたかひろ |date=2001-02-16 |work=TINAMIX |publisher=TINAMI }}</ref>。 == あらすじ == 空を飛ぶ能力を持って生まれた少年は、その能力を巡って軍に翻弄されてしまう{{sfn|『描くひと 谷口ジロー』|pp=212-230|loc=谷口作品は全部特別 }}。 == 初出 == 『モーニング』第16巻第28号(1997年7月17日(31)号)から第16巻第39号(1997年10月9日(43)号)まで連載された。 == 単行本 == ;日本語 *{{Cite book|和書|title=異卡力 |date=2000-11-30 |publisher=美術出版社 |isbn=4-568-26011-6 }}<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.bijutsu.co.jp/bss/BSS_files/genre/comic_illust.html |title=ジャンル別書籍一覧(コミック/イラスト) |accessdate=2023-12-18 |publisher=美術出版社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030815183213/http://www.bijutsu.co.jp/bss/BSS_files/genre/comic_illust.html |archivedate=2003-08-15 }}</ref> ;イタリア語 *{{Cite book |title=Icaro |date=2001-07-01 |publisher=Coconino Press |volume=1 |isbn=88-88063-20-X }}<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.coconinopress.it/autori/jiro-taniguchi/icaro-vol-1.html |title=graphic novel d'autore Jiro Taniguchi - Icaro vol.1 |accessdate=2023-12-18 |publisher=Coconino Press |language=it |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150923200650/http://www.coconinopress.it/autori/jiro-taniguchi/icaro-vol-1.html |archivedate=2015-09-23 }}</ref> *{{Cite book |title=Icaro |date=2001-09-01 |publisher=Coconino Press |volume=2 |isbn=88-88063-21-8 }}<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.coconinopress.it/autori/jiro-taniguchi/icaro-vol-2.html |title=graphic novel d'autore Jiro Taniguchi - Icaro vol.2 |accessdate=2023-12-18 |publisher=Coconino Press |language=it |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150923200353/http://www.coconinopress.it/autori/jiro-taniguchi/icaro-vol-2.html |archivedate=2015-09-23 }}</ref> ;英語 *{{Cite book|title=Icaro |date=2003-10-31 |publisher=ibooks |volume=1 |isbn=1-596-87846-0 }} *{{Cite book|title=Icaro |date=2004-02-01 |publisher=ibooks |volume=2 |isbn=1-596-87803-7 }} ;フランス語 *{{Cite book|title=Icare |date=2005-11-01 |publisher=Kana |isbn=2-87129866-1 }}<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.madein.mangakana.com/Series.cfm?Query_Code=ICA |title=Icare |accessdate=2023-12-19 |work=Madein |publisher=Kana |language=fr |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060212192431/http://www.madein.mangakana.com/Series.cfm?Query_Code=ICA |archivedate=2006-02-12 }}</ref> *{{Cite book|title=Icare |date=2010-11-05 |publisher=Kana |isbn=978-2-50500948-1 }}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kana.fr/produit/icare/ |title=Icare |accessdate=2023-12-19 |publisher=Kana |language=fr }}</ref> ;ポーランド語 *{{Cite book|title=Ikar |date=2008-10-10 |publisher=Wydawnictwo Hanami |isbn=978-83-60740-17-0 }}<ref>{{Cite web|和書|url=https://wydawnictwo.hanami.pl/ikar.php |title=Ikar |accessdate=2023-12-19 |publisher=Wydawnictwo Hanami |language=pl }}</ref> ;ドイツ語 *{{Cite book|title=Ikarus |date=2016-05-03 |publisher=Schreiber & Leser |isbn=978-3-946337-06-5 }}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.schreiberundleser.de/index.php?main_page=index&cPath=cPath=3_33#tag520 |title=Jiro Taniguchi |accessdate=2023-12-19 |publisher=Schreiber & Leser |language=de }}</ref> == 脚註 == {{脚注ヘルプ}}<!-- === 註釈 === --> {{notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} ==参考文献== *{{Cite book|和書|author=ブノワ・ペータース |editor=染谷誠 |title=描くひと 谷口ジロー |date=2019-09-29 |publisher=双葉社 |location=東京 |isbn=978-4-575-31492-2 |ncid=BB29080545 |oclc=1126777928 |id={{全国書誌番号|23284053}} |ref={{SfnRef|『描くひと 谷口ジロー』}} }} {{デフォルトソート:いかる}} [[Category:漫画作品 い|かる]] [[Category:1997年の漫画]] [[Category:谷口ジローの漫画作品]]
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大相撲令和6年1月場所
大相撲令和6年1月場所(おおずもうれいわろくねん1がつばしょ)は、2024年(令和6年)1月14日から1月28日までの15日間、東京都墨田区の国技館(両国国技館)で開催される大相撲本場所である。 ※赤文字は優勝力士の成績。
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大相撲令和6年1月場所(おおずもうれいわろくねん1がつばしょ)は、2024年(令和6年)1月14日から1月28日までの15日間、東京都墨田区の国技館(両国国技館)で開催される大相撲本場所である。
{{予定されているスポーツイベント|sport=相撲|event=大相撲|date=2023年12月25日 (月) 05:21 (UTC)}} {{Infobox 本場所情報 |本場所名=大相撲令和6年1月場所|画像=[[File:Ryogoku Great Sumo Hall.jpg|250px]] |会場=[[両国国技館|国技館(両国国技館)]] |番付発表=[[2023年]][[12月25日]]<ref>{{Cite news |和書 |title=綱とりの霧島は東大関 宇良が新小結、大の里ら新入幕 初場所番付発表 |newspaper=サンスポ |date=2023-12-25 |url=https://www.sanspo.com/article/20231225-O7INWA2IC5P6HHYWB2DUINWGF4/ |access-date=2023-12-25}}</ref> |開催期間=[[2024年]][[1月14日]] - [[1月28日]](15日間) |幕内最高優勝= |幕内最高優勝成績= |十両優勝= |十両優勝成績= |幕下優勝= |幕下優勝成績= |三段目優勝= |三段目優勝成績= |序二段優勝= |序二段優勝成績= |序ノ口優勝= |序ノ口優勝成績= |殊勲賞= |敢闘賞= |技能賞= |特記事項= |先場所=大相撲令和5年11月場所 |翌場所=大相撲令和6年3月場所 }} '''大相撲令和6年1月場所'''(おおずもうれいわろくねん1がつばしょ)は、[[2024年]]([[令和]]6年)[[1月14日]]から[[1月28日]]までの15日間、[[東京都]][[墨田区]]の[[両国国技館|国技館(両国国技館)]]で開催される[[大相撲]][[本場所]]である。 == 概要 == ; 1月場所に関する時系列 == 番付・星取表 == ※{{Color|Red|赤文字}}は優勝力士の成績。 === 幕内 === {| class="wikitable" style="text-align:center" ! colspan="3" |東方 ! rowspan="2" |番付 ! colspan="3" |西方 |- !備考 !成績 !力士名 !力士名 !成績 !備考 |- | | |[[照ノ富士春雄|照ノ富士]] ![[横綱]] | | | |- | | |[[霧島鐵力|霧島]] ![[大関]] |[[豊昇龍智勝|豊昇龍]] | | |- |- | | | ![[大関]] |[[貴景勝貴信|貴景勝]] | | |- | | |[[琴ノ若傑太|琴ノ若]] ![[関脇]] |[[大栄翔勇人|大栄翔]] | | |- |再小結 | |[[髙安晃|髙安]] ![[小結]] |[[宇良和輝|宇良]] | |新小結 |- | | |[[若元春港|若元春]] ![[前頭]]1 |[[熱海富士朔太郎|熱海富士]] | | |- | | |[[翠富士一成|翠富士]] !前頭2 |[[阿炎政虎|阿炎]] | | |- | | |[[豪ノ山登輝|豪ノ山]] !前頭3 |[[北勝富士大輝|北勝富士]] | | |- | | |[[翔猿正也|翔猿]] !前頭4 |[[正代直也|正代]] | | |- | | |[[竜電剛至|竜電]] !前頭5 |[[錦木徹也|錦木]] | | |- | | |[[金峰山晴樹|金峰山]] !前頭6 |[[湘南乃海桃太郎|湘南乃海]] | | |- | | |[[一山本大生|一山本]] !前頭7 |[[朝乃山広暉|朝乃山]] | | |- | | |[[北青鵬治|北青鵬]] !前頭8 |[[平戸海雄貴|平戸海]] | | |- | | |[[御嶽海久司|御嶽海]] !前頭9 |[[明生力|明生]] | | |- | | |[[玉鷲一朗|玉鷲]] !前頭10 |[[佐田の海貴士|佐田の海]] | | |- | | |[[剣翔桃太郎|剣翔]] !前頭11 |[[王鵬幸之介|王鵬]] | | |- | | |[[隆の勝伸明|隆の勝]] !前頭12 |[[妙義龍泰成|妙義龍]] | | |- | | |[[美ノ海義久|美ノ海]] !前頭13 |[[遠藤聖大|遠藤]] | | |- |再入幕 | |[[琴勝峰吉成|琴勝峰]] !前頭14 |[[阿武咲奎也|阿武咲]] | | |- | | |[[友風勇太|友風]] !前頭15 |[[大の里泰輝|大の里]] | |新入幕 |- | | |[[宝富士大輔|宝富士]] !前頭16 |[[武将山虎太郎|武将山]] | |再入幕 |- |新入幕 | |[[島津海空|島津海]] !前頭17 |[[碧山亘右|碧山]] | |再入幕 |- |} === 十両 === {| class="wikitable" style="text-align:center" ! colspan="3" |東方 ! rowspan="2" |番付 ! colspan="3" |西方 |- !備考 !成績 !力士名 !力士名 !成績 !備考 |- | | |[[大奄美元規|大奄美]] ![[十両]]1 |[[水戸龍聖之|水戸龍]] | | |- | | |[[錦富士隆聖|錦富士]] !十両2 |[[東白龍雅士|東白龍]] | | |- | | |[[狼雅外喜義|狼雅]] !十両3 |[[北の若大輔|北の若]] | | |- | | |[[玉正鳳萬平|玉正鳳]] !十両4 |[[琴恵光充憲|琴恵光]] | | |- | | |[[千代翔馬富士雄|千代翔馬]] !十両5 |[[欧勝馬出気|欧勝馬]] | | |- | | |[[時疾風秀喜|時疾風]] !十両6 |[[白熊優太|白熊]] | | |- | | |[[輝大士|輝]] !十両7 |[[獅司大|獅司]] | | |- | | |[[志摩ノ海航洋|志摩ノ海]] !十両8 |[[紫雷匠|紫雷]] | | |- | | |[[朝紅龍琢馬|朝紅龍]] !十両9 |[[大翔鵬清洋|大翔鵬]] | | |- |新十両 | |[[尊富士弥輝也|尊富士]] !十両10 |[[白鷹山亨将|白鷹山]] | |再十両 |- | | |[[天空海翔馬|天空海]] !十両11 |[[英乃海拓也|英乃海]] | | |- | | |[[千代丸一樹|千代丸]] !十両12 |[[天照鵬真豪|天照鵬]] | | |- | | |[[勇磨猛|勇磨]] !十両13 |[[欧勝海成矢|欧勝海]] | |新十両 |- | | |[[千代栄栄太|千代栄]] !十両14 |[[栃武蔵陽太|栃武蔵]] | |再十両 |- |} == 優勝争い == == 備考 == == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} {{令和の大相撲}} {{Sumo-stub|おおすもう2024-01}} {{DEFAULTSORT:おおすもうはしよ202401}} [[Category:本場所|2024-01]] [[Category:2024年の相撲|01]] [[Category:2024年の東京都]] [[Category:2024年1月]]
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竹澤正哲
竹澤 正哲(たけざわ まさのり)は、日本の心理学者(社会心理学・適応的意思決定・文化進化論)。学位は博士(行動科学)(北海道大学・2001年)。北海道大学大学院文学研究院教授。 日本学術振興会特別研究員、独立行政法人日本学術振興会特別研究員、マックス・プランク人間発達研究所適応的行動認知センター研究員、ティルブルグ大学社会科学部助教授、上智大学総合人間科学部准教授、北海道大学大学院文学研究科准教授などを歴任した。 社会心理学、適応的意思決定、文化進化論を専攻する心理学者である。日本学術振興会の特別研究員を経て、マックス・プランク人間発達研究所で研究に従事し、ティルブルグ大学、上智大学、北海道大学で教鞭を執った。 1991年(平成3年)に静岡県により設置・運営される静岡県立大学に進学し、国際関係学部の国際関係学科にて学んだ。1995年(平成7年)に静岡県立大学を卒業し、学士(国際関係学)の学位を取得した。1995年(平成7年)に国が設置・運営する北海道大学の大学院に進学し、文学研究科の行動科学専攻にて学んだ。1997年(平成9年)に修士(行動科学)の学位を取得し、2001年(平成13年)に博士(行動科学)の学位を取得した。 大学院在籍時に、文部省の所管する特殊法人である日本学術振興会に選任され、1999年(平成11年)から2004年(平成16年)まで特別研究員を務めた。その間に日本学術振興会は独立行政法人化されているが、引き続き特別研究員を務めている。 また、大学院修了前にドイツ連邦共和国に渡り、マックス・プランク学術振興協会が設置・運営するマックス・プランク人間発達研究所に2000年(平成12年)より所属した。2000年(平成12年)から2005年(平成17年)まで適応的行動認知センターで博士研究員を務め、2005年(平成17年)から2006年(平成18年)にかけては適応的行動認知センターの研究員を務めた。 さらにオランダ王国に渡り、ティルブルグ大学にて2006年(平成18年)から2010年(平成22年)まで社会科学部の助教授を務めた。社会科学部においては、主として社会心理学科の講義を担当した。 帰国後は、上智学院が設置・運営する上智大学に採用され、2010年(平成22年)から2012年(平成24年)まで総合人間科学部の准教授を務めた。総合人間科学部においては、主として心理学科の講義を担当した。 2012年(平成24年)11月、母校である北海道大学に採用され、大学院の文学研究科にて准教授として着任した。その後、北海道大学の大学院に研究院・学院制が導入され、文学研究院の准教授となった。大学院においては文学院の講義を担当した。また、その間は他の教育・研究機関の役職も兼任していた。マックス・プランク学術振興協会が設置・運営するマックス・プランク進化人類学研究所においては、2019年(平成31年)3月から2020年(令和2年)2月まで人間行動生態文化学部門で客員研究員を兼任していた。北海道大学の文学研究院では2022年(令和4年)3月まで准教授を務めていたが、同年4月に教授に昇任した。 専門は心理学であり、特に社会心理学、適応的意思決定、文化進化論といった分野の研究に従事していた。人間社会の中で規範が生まれてくる仕組みを取り上げ、実験や数理モデルなどを通じて理論と実証の双方の視点で研究している。自身の研究について「研究の背後に流れているのは〈人間の心は進化の産物であり、その人間の心が社会・文化を作っていく〉という階層的な視点」であると語っており、これは北海道大学の行動科学講座の特徴でもあるとしている。また、北海道大学の大学院に進学した理由の一つとして、この点を挙げている。 また、サミュエル・ボウルズとハーバート・ギンタスの著作を監訳して日本に紹介するなど、学術書や専門書の翻訳にも携わっていた。 学術団体としては日本人間行動進化学会、日本社会心理学会、日本心理学会などに所属していた。日本人間行動進化学会では2010年(平成22年)から2012年(平成24年)まで監事を、2013年(平成25年)から2015年(平成27年)まで常務を、2016年(平成28年)1月から2021年(令和3年)12月まで副会長を務めており、2022年(令和4年)1月より会長を務めていた。日本社会心理学会では2013年(平成25年)から翌年にかけて理事を務め、2015年(平成27年)から2017年(平成29年)まで常任理事(新規事業担当)を務めていた。
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竹澤 正哲は、日本の心理学者(社会心理学・適応的意思決定・文化進化論)。学位は博士(行動科学)(北海道大学・2001年)。北海道大学大学院文学研究院教授。 日本学術振興会特別研究員、独立行政法人日本学術振興会特別研究員、マックス・プランク人間発達研究所適応的行動認知センター研究員、ティルブルグ大学社会科学部助教授、上智大学総合人間科学部准教授、北海道大学大学院文学研究科准教授などを歴任した。
{{Infobox Scientist |name = 竹澤 正哲 |native_name = たけざわ まさのり |image = |image_width = |alt = |caption = |birth_name = |birth_date = 1972年 |birth_place = |death_date = |death_place = |death_cause = |residence = {{JPN}}<br />{{DEU}}<br />{{NLD}} |citizenship = |nationality = |field = [[心理学]] |workplaces = [[日本学術振興会]]<br />[[:en:Max Planck Institute for Human Development|マックス・プランク人間発達研究所]]<br />[[:en:Tilburg University|ティルブルグ大学]]<br />[[上智大学]]<br />[[北海道大学]] |alma_mater = [[静岡県立大学]]<br />[[国際関係学部]]卒業<br />北海道大学[[大学院]]<br />[[文学研究科]]<br />博士後期課程修了 |doctoral_advisor = |academic_advisors = |doctoral_students = |notable_students = |known_for = |influences = |influenced = |awards = |author_abbreviation_bot = |author_abbreviation_zoo = |signature = |signature_alt = |footnotes = }} '''竹澤 正哲'''(たけざわ まさのり、1972年〈[[昭和]]47年〉 - )は、[[日本]]の[[心理学者]]([[社会心理学]]・[[適応的意思決定]]・[[文化進化論]])。[[学位]]は[[博士(行動科学)]]([[北海道大学]]・2001年)。北海道大学[[大学院]][[文学研究院]][[教授]]。 [[日本学術振興会]][[特別研究員]]、[[日本学術振興会|独立行政法人日本学術振興会]]特別研究員、[[:en:Max Planck Institute for Human Development|マックス・プランク人間発達研究所]]適応的行動認知センター[[研究員]]、[[:en:Tilburg University|ティルブルグ大学]][[社会科学部]][[助教授]]、[[上智大学]][[総合人間科学部]][[准教授]]、北海道大学大学院[[文学研究科]]准教授などを歴任した。 == 概要 == [[社会心理学]]、[[適応的意思決定]]、[[文化進化論]]を専攻する[[心理学者]]である<ref name="profile">「プロフィール」『[https://www.let.hokudai.ac.jp/staff/takezawa-masanori/ 竹澤 正哲 &#8211; 北海道大学 大学院文学研究院・大学院文学院・文学部]』[[北海道大学|北海道大学大学院文学研究院・大学院文学院・文学部]]。</ref>。[[日本学術振興会]]の[[特別研究員]]を経て<ref name="takezawaMasanori20231223">「竹澤正哲」『[https://researchers.general.hokudai.ac.jp/profile/ja.0095fa3f9c70be95520e17560c007669.html 竹澤 正哲(タケザワ マサノリ)(文学研究院 人間科学部門 行動科学分野) | 北海道大学の研究者(北海道大学研究者総覧)]』[[北海道大学]]、2023年12月23日。</ref>、[[:en:Max Planck Institute for Human Development|マックス・プランク人間発達研究所]]で研究に従事し<ref name="takezawaMasanori20231223"/>、[[:en:Tilburg University|ティルブルグ大学]]<ref name="takezawaMasanori20231223"/>、[[上智大学]]<ref name="takezawaMasanori20231223"/>、[[北海道大学]]で教鞭を執った<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。 == 来歴 == === 生い立ち === 1972年([[昭和]]47年)に生まれた<ref name="webcat">「この人物の情報」『[http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/2671503.html 竹澤 正哲 - Webcat Plus]』[[国立情報学研究所]]。</ref>。1991年([[平成]]3年)に[[静岡県]]により[[学校の設置者|設置]]・運営される[[静岡県立大学]]に進学し<ref name="takezawaMasanori20231223"/>{{Refnest|group="†"|[[静岡県立大学]]は、2007年に[[静岡県]]から[[静岡県公立大学法人]]に移管された<ref>「静岡県立大学の歩み」『[https://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/guide/outline/history/ 沿革 | 大学案内 | 静岡県公立大学法人 静岡県立大学]』[[静岡県立大学]]。</ref>。}}、[[国際関係学部]]の[[国際関係学科]]にて学んだ<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。1995年(平成7年)に静岡県立大学を卒業し、[[学士(国際関係学)]]の[[学位]]を取得した<ref name="researchmap20231222">「竹澤 正哲」『[https://researchmap.jp/lalalarakko/ 竹澤 正哲 (Masanori Takezawa) - マイポータル - researchmap]』[[科学技術振興機構]]、2023年12月22日。</ref>。1995年(平成7年)に[[日本|国]]が設置・運営する北海道大学の[[大学院]]に進学し<ref name="takezawaMasanori20231223"/>{{Refnest|group="†"|[[北海道大学]]は、2004年に[[日本|国]]から[[国立大学法人北海道大学]]に移管された<ref>「国立大学法人北海道大学(2004~)」『[https://www.hokudai.ac.jp/bunsyo/hu150_chronology_2004.html 北海道大学150年史編集室]』[[北海道大学|北海道大学150年史編集室]]、2022年9月9日。</ref>。}}、[[文学研究科]]の行動科学専攻にて学んだ<ref name="takezawaMasanori20231223"/>{{Refnest|group="†"|[[北海道大学]][[大学院]][[文学研究科]]は分割され、2019年に[[文学研究院]]、[[文学院]]が設置された<ref>「沿革」『[https://www.let.hokudai.ac.jp/general/history/ 沿革 &#8211; 北海道大学 大学院文学研究院・大学院文学院・文学部]』[[北海道大学|北海道大学大学院文学研究院・大学院文学院・文学部]]。</ref>。}}。1997年(平成9年)に[[修士(行動科学)]]の学位を取得し<ref name="researchmap20231222"/>、2001年(平成13年)に[[博士(行動科学)]]の学位を取得した<ref name="researchmap20231222"/>。 === 心理学者として === 大学院在籍時に、[[文部省]]の所管する[[特殊法人]]である日本学術振興会に選任され<ref name="takezawaMasanori20231223"/><ref group="†">[[文部省]]は、[[科学技術庁]]と統合され、2001年に[[文部科学省]]が設置された。</ref><ref group="†">[[日本学術振興会]]は、2003年に[[日本学術振興会|独立行政法人日本学術振興会]]に改組された。</ref>、1999年(平成11年)から2004年(平成16年)まで特別研究員を務めた<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。その間に日本学術振興会は独立行政法人化されているが、引き続き特別研究員を務めている<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。 また、大学院修了前に[[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]に渡り、[[マックス・プランク学術振興協会]]が設置・運営するマックス・プランク人間発達研究所に2000年(平成12年)より所属した<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。2000年(平成12年)から2005年(平成17年)まで適応的行動認知センターで[[博士研究員]]を務め<ref name="takezawaMasanori20231223"/>、2005年(平成17年)から2006年(平成18年)にかけては適応的行動認知センターの[[研究員]]を務めた<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。 さらに[[オランダ王国]]に渡り、ティルブルグ大学にて2006年(平成18年)から2010年(平成22年)まで[[社会科学部]]の[[助教授]]を務めた<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。社会科学部においては、主として社会心理学科の講義を担当した<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。 帰国後は、[[学校法人上智学院|上智学院]]が設置・運営する上智大学に採用され<ref name="takezawaMasanori20231223"/>、2010年(平成22年)から2012年(平成24年)まで[[総合人間科学部]]の[[准教授]]を務めた<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。総合人間科学部においては、主として[[心理学科]]の講義を担当した<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。 2012年(平成24年)11月、母校である北海道大学に採用され<ref name="takezawaMasanori20231223"/>、大学院の文学研究科にて准教授として着任した<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。その後、北海道大学の大学院に[[研究院・学院制]]が導入され、[[文学研究院]]の准教授となった。大学院においては[[文学院]]の講義を担当した。また、その間は他の教育・研究機関の役職も兼任していた。マックス・プランク学術振興協会が設置・運営する[[マックス・プランク進化人類学研究所]]においては、2019年(平成31年)3月から2020年([[令和]]2年)2月まで人間行動生態文化学部門で[[客員研究員]]を兼任していた<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。北海道大学の文学研究院では2022年(令和4年)3月まで准教授を務めていたが<ref name="takezawaMasanori20231223"/>、同年4月に[[教授]]に昇任した<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。 == 研究 == 専門は[[心理学]]であり、特に社会心理学<ref name="profile"/>、適応的意思決定<ref name="profile"/>、文化進化論といった分野の研究に従事していた<ref name="profile"/>。人間社会の中で規範が生まれてくる仕組みを取り上げ<ref name="sato">佐藤優子聞き手・構成「Lab.letters」『[https://www.let.hokudai.ac.jp/staff/takezawa-masanori/ 竹澤 正哲 &#8211; 北海道大学 大学院文学研究院・大学院文学院・文学部]』[[北海道大学|北海道大学大学院文学研究院・大学院文学院・文学部]]。</ref>、実験や数理モデルなどを通じて理論と実証の双方の視点で研究している<ref name="sato"/>。自身の研究について「研究の背後に流れているのは〈人間の心は進化の産物であり、その人間の心が社会・文化を作っていく〉という階層的な視点」<ref name="sato"/>であると語っており、これは北海道大学の行動科学講座の特徴でもあるとしている<ref name="sato"/>。また、北海道大学の大学院に進学した理由の一つとして、この点を挙げている<ref name="sato"/>。 また、[[サミュエル・ボウルズ]]と[[ハーバート・ギンタス]]の著作を監訳して日本に紹介するなど<ref>[[サミュエル・ボウルズ]]・[[ハーバート・ギンタス]]著、竹澤正哲監訳、大槻久ほか訳『協力する種』[[NTT出版]]、2017年。</ref>、学術書や専門書の翻訳にも携わっていた。 学術団体としては日本人間行動進化学会<ref name="takezawaMasanori20231223"/>、[[日本社会心理学会]]<ref name="takezawaMasanori20231223"/>、[[日本心理学会]]などに所属していた<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。日本人間行動進化学会では2010年(平成22年)から2012年(平成24年)まで[[監事]]を<ref name="researchmap20231222"/>、2013年(平成25年)から2015年(平成27年)まで[[常務]]を<ref name="researchmap20231222"/>、2016年(平成28年)1月から2021年(令和3年)12月まで[[副会長]]を務めており<ref name="researchmap20231222"/>、2022年(令和4年)1月より[[会長]]を務めていた<ref name="researchmap20231222"/>。日本社会心理学会では2013年(平成25年)から翌年にかけて理事を務め<ref name="researchmap20231222"/>、2015年(平成27年)から2017年(平成29年)まで[[常任理事|常任理事(新規事業担当)]]を務めていた<ref name="researchmap20231222"/>。 == 略歴 == * 1972年 - 誕生<ref name="webcat"/>。 * 1995年 - [[静岡県立大学]][[国際関係学部]]卒業。 * 1999年 - [[日本学術振興会]][[特別研究員]]<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。 * 2000年 - [[:en:Max Planck Institute for Human Development|マックス・プランク人間発達研究所]]適応的行動認知センター[[博士研究員]]<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。 * 2001年 - [[北海道大学]][[大学院]][[文学研究科]]博士後期課程修了。 * 2005年 - マックス・プランク人間発達研究所適応的行動認知センター[[研究員]]<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。 * 2006年 - [[:en:Tilburg University|ティルブルグ大学]][[社会科学部]][[助教授]]<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。 * 2010年 - [[上智大学]][[総合人間科学部]][[准教授]]<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。 * 2012年 - 北海道大学大学院文学研究科准教授<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。 * 2016年 - 日本人間行動進化学会[[副会長]]<ref name="researchmap20231222"/>。 * 2019年 - [[マックス・プランク進化人類学研究所]]人間行動生態文化学部門[[客員研究員]]<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。 * 2019年 - 北海道大学大学院[[文学研究院]]准教授。 * 2022年 - 日本人間行動進化学会[[会長]]<ref name="researchmap20231222"/>。 * 2022年 - 北海道大学大学院文学研究院[[教授]]<ref name="takezawaMasanori20231223"/>。 == 著作 == === 共著 === * [[佐伯胖]]・[[亀田達也]]編著『進化ゲームとその展開』[[共立出版]]、2002年。{{ISBN2|4320094395}} * [[安西祐一郎]]ほか編集『岩波講座コミュニケーションの認知科学』4巻、[[岩波書店]]、2014年。{{ISBN2|978-4-00-011374-8}} === 翻訳 === * アレックス・メスーディ著、野中香方子訳『文化進化論』[[NTT出版]]、2016年。{{ISBN2|978-4-7571-4330-2}} * [[サミュエル・ボウルズ]]・[[ハーバート・ギンタス]]著、竹澤正哲監訳、大槻久ほか訳『協力する種』NTT出版、2017年。{{ISBN2|978-4-7571-2289-5}} === 寄稿、分担執筆、等 === * David Hardman and Laura Macchi (eds.), ''Thinking -- psychological perspectives on reasoning, judgment and decision making'', [[ジョン・ワイリー・アンド・サンズ|John Wiley & Sons]], 2003. {{ISBN2|0471494577}} * Charles Crawford and Dennis Krebs (eds.), ''Foundations of evolutionary psychology'', [[:en:Lawrence Erlbaum Associates|Lawrence Erlbaum Associates]], 2008. {{ISBN2|9780805859577}} * [[日本社会心理学会]]編『社会心理学事典』[[丸善]]、2009年。{{ISBN2|978-4-621-08107-5}} * [[:en:Mark Schaller|Mark Schaller]] ''et al.'' (eds.), ''Evolution, culture, and the human mind'', [[:en:Psychology Press|Psychology Press]], 2010. {{ISBN2|9780805859119}} * [[:en:Ralph Hertwig|Ralph Hertwig]], Ulrich Hoffrage and the ABC Research Group, ''Simple heuristics in a social world'', [[オックスフォード大学出版局|Oxford University Press]], 2013. {{ISBN2|9780195388435}} * [[上田恵介]]編集代表『行動生物学辞典』[[東京化学同人]]、2013年。{{ISBN2|978-4-8079-0837-0}} * [[下山晴彦]]編集代表『誠信心理学辞典』新版、[[誠信書房]]、2014年。{{ISBN2|978-4-414-30507-4}} * [[北村英哉]]・内田由紀子編『社会心理学概論』[[ナカニシヤ出版]]、2016年。{{ISBN2|978-4-7795-1059-5}} * 小田亮ほか編『進化でわかる人間行動の事典』[[朝倉書店]]、2021年。{{ISBN2|978-4-254-52305-8}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 註釈 === {{Reflist|group="†"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連人物 == * [[ハーバート・ギンタス]] * [[サミュエル・ボウルズ]] == 関連項目 == * [[心理学]] * [[社会心理学]] * [[行動科学]] * [[ラディカル・エコノミックス]] == 外部リンク == * [https://lalalarakko.github.io/ Top | Masanori Takezawa] - 公式ウェブサイト * {{Webcat|2671503|竹澤 正哲}} * {{Researchmap|lalalarakko|竹澤 正哲}} * {{JGLOBAL ID|201001053040154553|竹澤 正哲}} * {{Kaken|10583742|竹澤 正哲}} * {{Scopus|23482486000|name=Takezawa, Masanori}} * {{研究者リゾルバー|1000010583742}} * {{日本の研究.com|241675}} {{Academic-bio-stub}} {{Psych-stub}} {{Pref-stub|pref=北海道}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:たけさわ まさのり}} [[Category:日本の心理学者]] [[Category:日本の社会心理学者]] [[Category:マックス・プランク進化人類学研究所の人物]] [[Category:北海道大学の教員]] [[Category:上智大学の教員]] [[Category:ティルブルグ大学の教員]] [[Category:マックス・プランク人間発達研究所の人物]] [[Category:日本学術振興会の人物]] [[Category:博士(行動科学)取得者]] [[Category:修士(行動科学)取得者]] [[Category:学士(国際関係学)取得者]] [[Category:北海道大学出身の人物]] [[Category:静岡県立大学出身の人物]] [[Category:1972年生]]
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エターナルチャンピオンズ
エターナルチャンピオンズ(ETERNAL CHAMPIONS)は、1994年にセガより発売されたメガドライブ用ゲームソフト。 さらに、3人のキャラクター(ドーソン、チン ウォ、ブラスト)もフィーチャーされる予定でしたが、すべてボツになりました。彼らは続編の後半でプレイアブルだが隠れたキャラクターとして戻ってきた。 日本未発売。
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エターナルチャンピオンズは、1994年にセガより発売されたメガドライブ用ゲームソフト。
{{コンピュータゲーム |Title = エターナルチャンピオンズ |Genre = [[対戦型格闘ゲーム|対戦格闘ゲーム]] |Plat = [[メガドライブ]] |Dev = SEGA Interactive |Pub = [[セガ]] |Play = 1~2人 |Media = 24メガビット[[ロムカセット]] |Date = {{vgrelease new|JP|1994-2-18|NA|1993年12月|EU|1994-1-16}} |Rating = {{CERO-B}}<br />{{ESRB-T}}<br />{{PEGI-18}} |Lang = 朝鮮語 |etc = 型式: {{vgrelease new|JP|G-4114|NA|1145|EU|1145}}ファイティングパッド6B対応<br />Activator対応 }} '''エターナルチャンピオンズ'''(ETERNAL CHAMPIONS)は、1994年に[[セガ]]より発売された[[メガドライブ]]用対戦型格闘ゲーム。 なお、ボディモーションコントローラ「Activator」という周辺機器への対応が予定されていたが、見送られている。 == 登場人物 == ;シャドー :企業にやとわれた暗殺者。[[忍術]]と[[体術]]を使いこなす。 ;ラックス :サイバーファイター。[[ムエタイ]]キックボクシングの専門家。 ;ブレード :賞金稼ぎ。[[拳法]]使いでもある。 ;ジェッタ :サーカス曲芸師。[[サバット]]と[[シラット|プンチャック・シラット]]を使いこなす。 ;スラッシュ :先史時代の狩人。 ;トライデント :剣闘士。[[カポエイラ]]の技を受け継いでいる。 ;ザヴィエル :錬金術師。[[ハプキドー]]棒師匠。 ;ミッドナイト :生化学者。[[截拳道]]の技を使う。 ;ラーセン :元猫泥棒。[[蟷螂拳]]の専門家。 ;エターナルチャンピオン :選択不可。ゲームの最終ボス。彼と彼のさまざまな形態に負けるとゲームオーバーとなる。 なお、ドーソン、チン ウォ、ブラストという3名のキャラクターも登場する予定だったが見送られ、続編の『Eternal Champions: Challenge From the Dark Side』では共通キャラクターとして登場した。 == 他機種版 == {| class="wikitable" style="white-space:nowrap; font-size:85%" ! No. ! タイトル ! 発売日 ! 対応機種 ! 開発元 ! 発売元 ! メディア ! 型式 ! 備考 |- | style="text-align:right" |1 ! エターナルチャンピオンズ | {{vgrelease new|JP|2007-11-20|NA|2007-12-3|EU|2008-2-15}} | [[Wii]] | SEGA Interactive | セガ | ダウンロード<br />([[バーチャルコンソール]]) | {{vgrelease new|JP|MBZJ|NA|MBZE|EU|MBZP}} | 2019年1月31日配信・販売終了 |- | style="text-align:right" | 2 ! Eternal Champions | {{vgrelease new|JP|2014-11-27|NA|2010-6-1}} | [[Microsoft Windows|Windows]] | SEGA Interactive | セガ | ダウンロード<br />([[Steam]]) | 34288 | |- | style="text-align:right" | 3 ! [[Sega Genesis Classics]] | {{vgrelease new|NA|2018-05-29|EU|2018-05-29}} | [[Linux]]<br />[[macOS]] | d3t<br />セガ | セガ | ダウンロード<br />(Steam) | 34288 | |- | style="text-align:right" | 4 ! Eternal Champions | {{vgrelease new|NA|2019-9-19}} | [[メガドライブ ミニ|SEGA Genesis Mini]] | [[M2 (ゲーム会社)|エムツー]] | セガゲームス | プリインストール | MK-16000 | |- |} == 評価 == {{コンピュータゲームレビュー |rev1 = [[BEEP!メガドライブ]] |rev1Score = 6.5/10点<ref name="BEEPMD">BEEP!メガドライブ 1994年2月8日刊号 17ページ</ref> |rev2 = [[ファミ通]] |rev2Score = 26/40点<ref name="ファミ通">ファミ通 1994年2月10日刊号</ref> |rev3 = [[必本スーパー!]] |rev3Score = 5/10点<ref name="HSuper">必本スーパー! 1994年2月3日刊号 61ページ</ref> |rev4 = [[セガサターンマガジン]] |rev4Score = 6.64/10点<ref name="SSMag">セガサターンマガジン 1995年8月8日刊号 85ページ</ref> }} == シリーズ作品 == 日本未発売。 *''[[w:Chicago Syndicate (video game)|Chicago Syndicate]]'' - [[ゲームギア]]用ソフト。1995年に発売。ラーサーが主人公のアクションゲーム。[[ESRB]]では、全年齢対象に相当する[[ESRBレイティング別対象ソフト一覧・E (6歳以上)|K-A]]区分に振り分けられている。 *''[[w:Eternal Champions: Challenge from the Dark Side|Eternal Champions: Challenge From the Dark Side]]'' - [[メガCD|Sega CD]]用ソフト。1995年6月に発売。ゴアや暴力など、さまざまな方法で元のエターナルチャンピオンズを強化しています。ESRBでのレーティングは「M」。 *''[[w:X-Perts|X-Perts]]'' - SEGA Genesis用ソフトとして1995年6月に発売された。シャドーが主人公のアクションゲーム。ESRBでのレーティングは「T」。 *''Eternal Champions: The Final Chapter'' - 未発売。[[セガサターン]]用向けに発売される予定だった<ref>{{Cite web |title=Michael Latham (SEGA) - Interview |url=https://www.arcadeattack.co.uk/michael-latham/ |website=Arcade Attack |date=2017-06-05 |access-date=2023-12-25 |language=en-GB |last=arcadeattack}}</ref>。 == 脚注 == {{reflist}} ==外部リンク== * [https://vc.sega.jp/vc_eternal/ エターナルチャンピオンズ Wiiバーチャルコンソール 公式サイト] {{Video-game-stub}} {{デフォルトソート:えたあなるす}} [[Category:1994年のコンピュータゲーム]] [[Category:メガドライブ用ソフト]] [[Category:セガのゲームソフト]] [[Category:Wii用バーチャルコンソール対応ソフト]] [[Category:対戦型格闘ゲーム]] [[Category:忍者を題材としたコンピュータゲーム]] [[Category:デスゲームを題材としたコンピュータゲーム]] [[Category:実写取り込みを用いたコンピュータゲーム]] [[Category:アメリカで開発されたコンピュータゲーム]]
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ブルース・リヴィングストン
ブルース・リヴィングストン(英: Bruce Livingstone)は、 カナダの起業家で、カルガリーを拠点とするマイクロストック写真のオンライン販売会社、iStockphotoを設立した。 リヴィングストンは、インターネット上でストック写真を無料で提供するプロジェクトとして、2000年に iStockphotoを始めた。毎月のデータ通信料金の請求が高額であったため、リヴィングストンは 1利用権ごとに一定のロイヤリティ支払い受ける課金システムをiStockphotoに導入することを決断した。 2006年、リヴィングストンはiStockphotoを5,000万ドルでゲッティイメージズに売却し、iStockphotoのCEOを続けた。リヴィングストンはゲッティでさらなる役職を得たが(SVP Consumerなど)、2009年にゲッティとiStockphotoを去った。 2010年には、インターネット上のアートコミュニティであるサーチ・オンラインのCEOに就任し、その後、2012年にその職を辞した。 2013年、ゲッティ傘下のiStockの方向性に不満を抱いていたリヴィングストンは(また、競業禁止義務契約(英語版)の満了に伴い)、ブリティッシュコロンビア州ビクトリアを拠点とするロイヤリティフリーのストック写真とビデオの仲介業、ストックシー・ユナイテッド(英語版)を設立した。
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ブルース・リヴィングストンは、 カナダの起業家で、カルガリーを拠点とするマイクロストック写真のオンライン販売会社、iStockphotoを設立した。 リヴィングストンは、インターネット上でストック写真を無料で提供するプロジェクトとして、2000年に iStockphotoを始めた。毎月のデータ通信料金の請求が高額であったため、リヴィングストンは 1利用権ごとに一定のロイヤリティ支払い受ける課金システムをiStockphotoに導入することを決断した。 2006年、リヴィングストンはiStockphotoを5,000万ドルでゲッティイメージズに売却し、iStockphotoのCEOを続けた。リヴィングストンはゲッティでさらなる役職を得たが、2009年にゲッティとiStockphotoを去った。 2010年には、インターネット上のアートコミュニティであるサーチ・オンラインのCEOに就任し、その後、2012年にその職を辞した。 2013年、ゲッティ傘下のiStockの方向性に不満を抱いていたリヴィングストンは(また、競業禁止義務契約の満了に伴い)、ブリティッシュコロンビア州ビクトリアを拠点とするロイヤリティフリーのストック写真とビデオの仲介業、ストックシー・ユナイテッドを設立した。
ブルース・リヴィングストン({{Lang-en-short|Bruce Livingstone}})は、 カナダの起業家で、[[カルガリー]]を拠点とする[[マイクロストック写真]]のオンライン販売会社、[[iStockphoto]]を設立した。 == 来歴 == === iStockphotoの設立と課金システムの開始 === リヴィングストンは、インターネット上で[[ストック写真]]を無料で提供するプロジェクトとして、2000年にiStockphotoを立ち上げた。毎月の[[データ通信]]料金の請求が高額であったため、リヴィングストンは1利用権ごとに一定の[[ロイヤリティ]]支払いを受けるという課金システムをiStockphotoに導入することを決断した。 === iStockphotoの売却 === 2006年、リヴィングストンはiStockphotoを5,000万ドルで[[ゲッティイメージズ]]に売却。売却後もiStockphotoのCEOを続けた<ref name="GlobeHot">{{Cite news |last=Rasbach |first=Noreen |title=Hot Stock |url=https://www.theglobeandmail.com/report-on-business/small-business/hot-stock/article4187361/ |newspaper=Report on Business Magazine |publisher=The Globe and Mail |date=2009-06-03 |access-date=2020-02-16}}</ref>。リヴィングストンはゲッティでさらなる役職を得たが(SVP Consumer<ref>{{Cite news |last=Shankland |first=Stephen |title=iStockphoto founder, CEO leaves Getty |url=https://www.cnet.com/news/istockphoto-founder-ceo-leaves-getty/ |publisher=[[CNET]] |date=2009-03-23 |access-date=2020-02-16}}</ref>など)、2009年にゲッティとiStockphotoを去った<ref name="GlobeHot" />。 2010年には、インターネット上のアートコミュニティである[[サーチ・ギャラリー#サーチ・オンライン|サーチ・オンライン]]のCEOに就任。2012年にその職を辞した。 === ストックシー・ユナイテッドの設立 === 2013年、ゲッティ傘下のiStockの方向性に不満を抱いていたリヴィングストンは(また、{{仮リンク|競業避止義務契約|en|Non-compete agreement}}の満了に伴い)、[[ブリティッシュコロンビア州]][[ビクトリア (ブリティッシュコロンビア州)|ビクトリア]]を拠点とする[[ロイヤリティフリー]]のストック写真とビデオの仲介業、{{仮リンク|ストックシー・ユナイテッド|en|Stocksy United}}を設立した<ref name="CanBiz">{{Cite web |author=Purvis |first=Mifi |title=Calgary's iStock founders are back in competition with Getty Images |url=https://www.canadianbusiness.com/technology-news/a-disruptive-explosion-of-images/ |publisher=Canadian Business |date=2013-10-11 |access-date=2020-02-16 |archive-date=February 25, 2021 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210225143349/https://www.canadianbusiness.com/technology-news/a-disruptive-explosion-of-images/ |url-status=dead}}</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} * [https://web.archive.org/web/20090227071923/http://www.retireat21.com/interview/interview-with-bruce-livingstone-founder-of-istockphoto Interview With Bruce Livingstone – Founder and CEO of iStockphoto | Young Entrepreneurs] == 外部リンク == * [http://www.stocksy.com/service/about About Stocksy United] [[Category:カナダの実業家]] [[Category:存命人物]]
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時任宏治
時任 宏治(ときと ひろはる、1953年7月9日 - )は宮崎県出身のプロゴルファー。 宮崎県立小林工業高等学校出身。 料理人を目指していたが、ゴルフの世界に身を転じ、1978年にプロ入り 。 アジアを中心にツアー活動し、1985年のマルマン日本海オープンではブライアン・ジョーンズ(オーストラリア)、杉原輝雄・重信秀人・友利勝良・中村通・前田新作に次ぐと同時に倉本昌弘・吉川一雄・土山録志を抑え、新井規矩雄と並んでの8位タイに入る。 1990年の水戸グリーンオープンで栗原孝・岩下吉久・高見和宏を抑えて自身唯一の優勝を飾り、1994年のサントリーオープンを最後にレギュラーツアーから引退。 1995年から指導者に転向し、主に女子プロ育成を行う。茂木宏美を筆頭に、西山ゆかり・日下部智子など多くのプロゴルファーのコーチを務め、選手やジュニアの育成に定評がある 。 現在はアマチュアも行い、自身が所属する朝霧カントリークラブ、大渕ゴルフセンター、菊川ヒルズゴルフガーデンでレッスンを担当。 静岡県プロゴルファー会会長。
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時任 宏治は宮崎県出身のプロゴルファー。
{{ゴルファー |名前=時任 宏治 |ラテン文字=Hiroharu TOKITO |画像= |国籍={{JPN}} |生年月日={{生年月日と年齢|1953|7|9}} |没年月日= |出身地=[[宮崎県]] |身長=179cm |体重=80kg |血液型= |利き手= |経歴= |プロ転向= |優勝歴= |初優勝= |賞金王= |ベストスコア= |世界ランキング最高位= |賞金ランキング最高位= }} '''時任 宏治'''(ときと ひろはる、[[1953年]][[7月9日]] - )は[[宮崎県]]出身<ref name="時任宏治">[http://shuzenji-open.com/pro/pro2014/ 第1回大会参加プロ紹介 | 修善寺オープン]</ref>の[[プロゴルファー]]。 == 来歴 == [[宮崎県立小林工業高等学校]]出身<ref name="時任宏治" />。 料理人を目指していたが、ゴルフの世界に身を転じ、[[1978年]]にプロ入り<ref>[https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_bstvtokyo/program/detail/201803/22378_201803180800.html ゴルフ侍、見参!【真剣勝負!シニアプロ時任宏治vsアフリカからの刺客】]</ref> <ref name="時任宏治" />。 アジアを中心にツアー活動し<ref name="時任宏治" />、[[1985年]]の[[マルマンオープン|マルマン日本海オープン]]では[[:en: Brian Jones (golfer)|ブライアン・ジョーンズ]]([[オーストラリア]])、[[杉原輝雄]]・[[重信秀人]]・[[友利勝良]]・[[中村通]]・[[前田新作]]に次ぐと同時に[[倉本昌弘]]・[[吉川一雄]]・[[土山録志]]を抑え、[[新井規矩雄]]と並んでの8位タイ<ref>[https://www.jgto.org/tournament/31/leaderboard フルリーダーボード マルマン日本海オープン 1985 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site]</ref>に入る。 [[1990年]]の[[水戸グリーンオープンゴルフトーナメント|水戸グリーンオープン]]で[[栗原孝]]・[[岩下吉久]]・[[高見和宏]]を抑えて自身唯一の優勝を飾り<ref>[https://www.mgcc.jp/history/ 【公式】水戸グリーンカントリークラブ]</ref>、[[1994年]]の[[サントリーオープンゴルフトーナメント|サントリーオープン]]<ref>[https://www.jgto.org/player/633/result 時任 宏治選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site]</ref>を最後にレギュラーツアーから引退。 [[1995年]]から指導者に転向し、主に女子プロ育成を行う<ref name="時任宏治" />。[[茂木宏美]]を筆頭に、[[西山ゆかり]]・[[日下部智子]]など多くのプロゴルファーのコーチを務め、選手やジュニアの育成に定評がある<ref name="時任宏治②">[https://www.asagiri.co.jp/academy/ アカデミー | 朝霧カントリークラブ]</ref> <ref>[https://atlas.yupiteru.co.jp/sp/agn5300/tokito.html?keepThis=true&TB_iframe=true&height=450&width=260 時任宏治プロ プロフィール]</ref>。 現在はアマチュアも行い、自身が所属する朝霧カントリークラブ<ref name="時任宏治②" />、大渕ゴルフセンター<ref>[https://www.pga.or.jp/teach/school_all.html PGA公認ゴルフスクール一覧]</ref>、菊川ヒルズゴルフガーデン<ref>[http://www.kikugawahills.com/staff/%E6%99%82%E4%BB%BB%E5%AE%8F%E6%B2%BB%E3%83%97%E3%83%AD/ 菊川ヒルズゴルフガーデン]</ref>でレッスンを担当<ref name="時任宏治" />。 静岡県プロゴルファー会会長<ref>[https://shizuoka-progolf.com/about_us/ about_us静岡県プロゴルファー会について]</ref>。 == 主な優勝 == * 1990年 - 水戸グリーンオープン == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * [https://www.jgto.org/player/633/profile 時任 宏治選手 プロフィール - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site] {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ときと ひろはる}} [[Category:日本の男子プロゴルファー]] [[Category:宮崎県出身の人物]] [[Category:1953年生]] [[Category:存命人物]]
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ヤイア・フォファナ
ヤイア・フォファナ(Yahia Fofana, 2000年8月21日 - )は、フランス・パリ出身のプロサッカー選手。コートジボワール代表。アンジェSCO所属。ポジションはゴールキーパー。 パリで生まれ、レッドスターの下部組織に所属した後、2015年にル・アーヴルへと移った。2018年11月17日、クープ・ドゥ・フランスのASガマシュ戦に先発出場し、トップチームデビュー。2019年7月4日、トップチームと初のプロ契約を交わした(2022年まで)。 2021年1月30日、シャムワ・ニオルテ戦で先発したGKのマチュー・ゴルジョラン(フランス語版)が退場したため、37分から交代でピッチに入り、リーグ・ドゥ初出場。この試合を守り抜いてアウェイで勝ち点1を得た。2021-22シーズンにはポール・ル・グエンの信頼を勝ち取り、正GKの座に就いた。リーグ戦35試合に出場し、第12節のカーン戦では前線に送ったロングフィードに相手ディフェンダーが対応しきれず、このボールを受けたパプ・イブヌ・バ(フランス語版)が得点し、プロ初アシストを記録した。 国内外のクラブから関心を寄せられる中、ル・アーヴルとの契約を延長せず、2022年7月1日に4年契約でアンジェに移籍。ローン移籍から復帰したポール・ベルナルドーニと正GKの座を争う形となり、シーズン開幕時点ではベルナルドーニが優先的に起用された。しかし第6節を終えて未勝利、計17失点と低迷したこともあり、9月11日、第7節のモンプリエ戦でリーグ・アン初出場を果たし、このシーズン初勝利に貢献した。しばらくゴールマウスを守り続けたが、膝を痛めて12月の中断期間に半月板の手術を受けしばらく離脱したことで、再びベルナルドーニの控えに回ったが、リーグ戦最後の3試合には先発出場した。 2023-24シーズン、クラブはリーグ・ドゥに降格したが、自身は正GKの座を取り戻した。 2017年、U-17フランス代表に召集され、U-17欧州選手権に出場。控えGKのポジションであったが、5位決定戦のハンガリー戦にはフル出場した。数か月にはU-17ワールドカップのメンバーにも選出され、この大会では正GKとして全試合にフル出場した(ベスト16でスペインに敗戦)。 フランスの世代別代表の常連であったが、2023年8月、コートジボワール代表監督のジャン=ルイ・ガセット(フランス語版)の説得に応じ、A代表はコートジボワールを選択。9月9日、アフリカネイションズカップ予選(フランス語版)のレソト戦でコートジボワール代表初キャップを記録した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ヤイア・フォファナ(Yahia Fofana, 2000年8月21日 - )は、フランス・パリ出身のプロサッカー選手。コートジボワール代表。アンジェSCO所属。ポジションはゴールキーパー。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "パリで生まれ、レッドスターの下部組織に所属した後、2015年にル・アーヴルへと移った。2018年11月17日、クープ・ドゥ・フランスのASガマシュ戦に先発出場し、トップチームデビュー。2019年7月4日、トップチームと初のプロ契約を交わした(2022年まで)。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2021年1月30日、シャムワ・ニオルテ戦で先発したGKのマチュー・ゴルジョラン(フランス語版)が退場したため、37分から交代でピッチに入り、リーグ・ドゥ初出場。この試合を守り抜いてアウェイで勝ち点1を得た。2021-22シーズンにはポール・ル・グエンの信頼を勝ち取り、正GKの座に就いた。リーグ戦35試合に出場し、第12節のカーン戦では前線に送ったロングフィードに相手ディフェンダーが対応しきれず、このボールを受けたパプ・イブヌ・バ(フランス語版)が得点し、プロ初アシストを記録した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "国内外のクラブから関心を寄せられる中、ル・アーヴルとの契約を延長せず、2022年7月1日に4年契約でアンジェに移籍。ローン移籍から復帰したポール・ベルナルドーニと正GKの座を争う形となり、シーズン開幕時点ではベルナルドーニが優先的に起用された。しかし第6節を終えて未勝利、計17失点と低迷したこともあり、9月11日、第7節のモンプリエ戦でリーグ・アン初出場を果たし、このシーズン初勝利に貢献した。しばらくゴールマウスを守り続けたが、膝を痛めて12月の中断期間に半月板の手術を受けしばらく離脱したことで、再びベルナルドーニの控えに回ったが、リーグ戦最後の3試合には先発出場した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2023-24シーズン、クラブはリーグ・ドゥに降格したが、自身は正GKの座を取り戻した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2017年、U-17フランス代表に召集され、U-17欧州選手権に出場。控えGKのポジションであったが、5位決定戦のハンガリー戦にはフル出場した。数か月にはU-17ワールドカップのメンバーにも選出され、この大会では正GKとして全試合にフル出場した(ベスト16でスペインに敗戦)。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "フランスの世代別代表の常連であったが、2023年8月、コートジボワール代表監督のジャン=ルイ・ガセット(フランス語版)の説得に応じ、A代表はコートジボワールを選択。9月9日、アフリカネイションズカップ予選(フランス語版)のレソト戦でコートジボワール代表初キャップを記録した。", "title": "経歴" } ]
ヤイア・フォファナは、フランス・パリ出身のプロサッカー選手。コートジボワール代表。アンジェSCO所属。ポジションはゴールキーパー。
{{サッカー選手 | 名前 = ヤイア・フォファナ | 画像 = | 画像サイズ = | 画像の説明 = | 本名 = | 愛称 = | カタカナ表記 = | アルファベット表記 = Yahia Fofana | 原語名 = | 原語表記 = | 国 = {{CIV}}<br/>{{FRA}} | 生年月日 = {{生年月日と年齢|2000|8|21}} | 出身地 = [[パリ]] | 没年月日 = <!--{{死亡年月日と没年齢|2000|8|21|y|m|d}}--> | 身長 = 194 [[センチメートル|cm]] | 体重 = 89 [[キログラム|kg]] | 所属チーム名 = {{Flagicon|FRA}} [[アンジェSCO|アンジェ]] | ポジション = [[ゴールキーパー (サッカー)|GK]] | 背番号 = 30 | 利き足 = 右足 | ユース年1 = 2013-2015 | ユースクラブ1 = {{Flagicon|FRA}} [[レッドスターFC93|レッドスター]] | ユース年2 = 2015-2017 | ユースクラブ2 = {{Flagicon|FRA}} [[ル・アーヴルAC|ル・アーヴル]] | 年1 = 2017-2022 | クラブ1 = {{Flagicon|FRA}} ル・アーヴル | 出場1 = 38 | 得点1 = 0 | 年2 = 2022- | クラブ2 = {{Flagicon|FRA}} [[アンジェSCO|アンジェ]] | 出場2 = 11 | 得点2 = 0 | クラブ成績更新日 = 2023年12月25日 | 代表年1 = 2016 | 代表1 = {{Fbu|16|FRA|name=フランス U-16}} | 代表出場1 = 2 | 代表得点1 = 0 | 代表年2 = 2017 | 代表2 = {{Fbu|17|FRA|name=フランス U-17}} | 代表出場2 = 6 | 代表得点2 = 0 | 代表年3 = 2017-2018 | 代表3 = {{Fbu|18|FRA|name=フランス U-18}} | 代表出場3 = 5 | 代表得点3 = 0 | 代表年4 = 2018-2019 | 代表4 = {{Fbu|19|FRA|name=フランス U-19}} | 代表出場4 = 4 | 代表得点4 = 0 | 代表年5 = 2022 | 代表5 = {{Fbu|21|FRA|name=フランス U-21}} | 代表出場5 = 1 | 代表得点5 = 0 | 代表年6 = 2023- | 代表6 = {{Fb|CIV}} | 代表出場6 = 6 | 代表得点6 = 0 | 代表成績更新日 = 2023年12月25日 | 監督年1 = | 監督チーム1 = | medaltemplates = }} '''ヤイア・フォファナ'''(Yahia Fofana, [[2000年]][[8月21日]] - )は、[[フランス]]・[[パリ]]出身の[[プロサッカー選手]]。[[サッカーコートジボワール代表|コートジボワール代表]]。[[アンジェSCO]]所属。ポジションは[[ゴールキーパー (サッカー)|ゴールキーパー]]。 == 経歴 == === クラブ === パリで生まれ、[[レッドスターFC93|レッドスター]]の下部組織に所属した後、2015年に[[ル・アーヴルAC|ル・アーヴル]]へと移った。2018年11月17日、[[クープ・ドゥ・フランス]]のASガマシュ<!-- フランス語版に記事なし -->戦に先発出場し、トップチームデビュー<ref>{{Cite web2 |url=https://www.transfermarkt.com/as-gamaches_le-havre-ac/index/spielbericht/3483566 |title=AS Gamaches - Le Havre AC, Nov 17, 2018 - Coupe de France - Match sheet |work=[[transfermarkt]] |df=ja |date=2018-11-17 |access-date=2023-12-25}}</ref>。2019年7月4日、トップチームと初のプロ契約を交わした(2022年まで)<ref>{{Cite web2 |url=https://maligue2.fr/2019/07/04/yahia-fofana-signe-son-premier-contrat-pro-avec-le-havre/ |title=Yahia Fofana signe son premier contrat pro avec Le Havre |work=MaLigue2 |language=fr |df=ja |date=2019-07-04 |access-date=2022-03-28}}</ref>。 2021年1月30日、[[シャモア・ニオールFC|シャムワ・ニオルテ]]戦で先発したGKの{{仮リンク|マチュー・ゴルジョラン|fr|Mathieu Gorgelin}}が退場したため、37分から交代でピッチに入り、[[リーグ・ドゥ]]初出場。この試合を守り抜いてアウェイで勝ち点1を得た<ref>{{Cite web2 |url=https://www.transfermarkt.com/chamois-niortais-fc_le-havre-ac/index/spielbericht/3394184 |title=Chamois Niortais FC - Le Havre AC, Jan 30, 2021 - Ligue 2 - Match sheet |work=transfermarkt |df=ja |date=2021-01-30 |access-date=2023-12-25}}</ref><ref>{{Cite web2 |url=https://www.francebleu.fr/sports/football/ligue-2-a-dix-le-hac-resiste-a-niort-1612041670 |title=Ligue 2 : à dix, le HAC résiste à Niort |work=France Bleu |language=fr |df=ja |date=2021-01-30 |access-date=2022-03-28}}</ref>。2021-22シーズンには[[ポール・ル・グエン]]の信頼を勝ち取り、正GKの座に就いた<ref>{{Cite web2 |url=https://www.getfootballnewsfrance.com/2022/le-havre-goalkeeper-yahia-fofana-interesting-angers-and-fiorentina/ |title=Le Havre goalkeeper Yahia Fofana interesting Angers and Fiorentina |work=www.getfootballnewsfrance.com |language=en |df=ja |date=2022-01-13 |access-date=2022-03-28}}</ref>。リーグ戦35試合に出場し、第12節の[[SMカーン|カーン]]戦では前線に送ったロングフィードに相手ディフェンダーが対応しきれず、このボールを受けた{{仮リンク|パプ・イブヌ・バ|fr|Pape Ibnou Ba}}が得点し、プロ初アシストを記録した<ref>{{Cite web2 |url=https://www.transfermarkt.com/sm-caen_le-havre-ac/index/spielbericht/3589970 |title=SM Caen - Le Havre AC, Oct 16, 2021 - Ligue 2 - Match sheet |work=transfermarkt |df=ja |date=2021-10-16 |access-date=2023-12-25}}</ref>。 国内外のクラブから関心を寄せられる中、ル・アーヴルとの契約を延長せず、2022年7月1日に4年契約で[[アンジェSCO|アンジェ]]に移籍<ref>{{Cite web2 |url=https://www.lequipe.fr/Football/Actualites/Transferts-yahia-fofana-le-havre-a-angers-pour-4-ans/1311614 |title=Transferts : Yahia Fofana (Le Havre) à Angers pour 4 ans |work=[[レキップ]] |language=fr |df=ja |date=2022-01-19 |access-date=2022-03-28}}</ref>。ローン移籍から復帰した[[ポール・ベルナルドーニ]]と正GKの座を争う形となり、シーズン開幕時点ではベルナルドーニが優先的に起用された。しかし第6節を終えて未勝利、計17失点と低迷したこともあり、9月11日、第7節の[[モンペリエHSC|モンプリエ]]戦で[[リーグ・アン]]初出場を果たし、このシーズン初勝利に貢献した<ref>{{Cite web2 |author=Thomas Doucet |url=https://www.lequipe.fr/Football/Actualites/Yahia-fofana-pressenti-pour-remplacer-paul-bernardoni-dans-le-but-d-angers-contre-montpellier-dimanche/1353019 |title=Yahia Fofana pressenti pour remplacer Paul Bernardoni dans le but d'Angers contre Montpellier dimanche |work=レキップ |language=fr |df=ja |date=2022-09-08 |access-date=2022-10-03}}</ref><ref>{{Cite web2 |url=https://www.transfermarkt.com/angers-sco_montpellier-hsc/index/spielbericht/3840019 |title=Angers SCO - Montpellier HSC, Sep 11, 2022 - Ligue 1 - Match sheet |work=transfermarkt |df=ja |date=2022-09-11 |access-date=2023-12-25}}</ref>。しばらくゴールマウスを守り続けたが、膝を痛めて12月の中断期間に[[半月板]]の手術を受けしばらく離脱したことで、再びベルナルドーニの控えに回ったが、リーグ戦最後の3試合には先発出場した。 2023-24シーズン、クラブはリーグ・ドゥに降格したが、自身は正GKの座を取り戻した<ref>{{Cite web2 |author=Raphaël BONAMY |url=https://www.ouest-france.fr/sport/football/angers-sco/ligue-2-angers-sco-yahia-fofana-designe-gardien-n1-un-statut-a-affirmer-110bc910-1ce9-11ee-b2e8-5637fbb93cc6 |title=Ligue 2 - Angers Sco. Yahia Fofana désigné gardien n°1 : un statut à affirmer |work=Ouest France |language=fr |df=ja |date=2023-07-07 |access-date=2023-10-21}}</ref>。 === 代表 === 2017年、[[U-17サッカーフランス代表|U-17フランス代表]]に召集され、[[UEFA U-17欧州選手権2017|U-17欧州選手権]]に出場。控えGKのポジションであったが、5位決定戦の[[U-17サッカーハンガリー代表|ハンガリー]]戦にはフル出場した<ref>{{Cite web2 |url=https://www.transfermarkt.com/spielbericht/index/spielbericht/2856386 |title=Hungary U17 - France U17, May 16, 2017 - 2017 European Under-17 Championship - Match sheet |work=transfermarkt |df=ja |date=2017-05-16 |access-date=2023-12-25}}</ref>。数か月には[[2017 FIFA U-17ワールドカップ|U-17ワールドカップ]]のメンバーにも選出され、この大会では正GKとして全試合にフル出場した(ベスト16で[[U-17サッカースペイン代表|スペイン]]に敗戦)<ref>{{Cite web2 |url=https://www.worldfootball.net/player_summary/yahia-fofana/u17-h-wm-2017-indien/frankreich-u17-h-team/3/ |title=Yahia Fofana » U17 World Cup 2017 India |work=worldfootball.net |df=ja |access-date=2023-12-25}}</ref>。 フランスの世代別代表の常連であったが、2023年8月、[[サッカーコートジボワール代表|コートジボワール代表]]監督の{{仮リンク|ジャン=ルイ・ガセット|fr|Jean-Louis Gasset}}の説得に応じ、A代表はコートジボワールを選択<ref>{{Cite web2 |url=https://www.afrik-foot.com/yahia-fofana-cote-divoire-selection |title=Côte d’Ivoire : un international Espoirs français dit oui aux Eléphants |work=Afrik Foot |language=fr |df=ja |date=2023-08-28 |access-date=2023-10-16}}</ref><ref>{{Cite web2 |url=https://www.fifciv.com/?q=matchs-civ-les-civ-mal-voici-les-25-el%C3%A9phants-retenus |title=Matchs CIV-LES & CIV-MAL : Voici Les 25 Eléphants Retenus |work=コートジボワールサッカー連盟 |language=fr |df=ja |date=2023-08-29 |access-date=2023-10-16}}</ref>。9月9日、{{仮リンク|アフリカネイションズカップ2023予選|label=アフリカネイションズカップ予選|fr|Éliminatoires de la Coupe d'Afrique des nations de football 2023}}の[[サッカーレソト代表|レソト]]戦でコートジボワール代表初キャップを記録した<ref>{{Cite web2 |url=https://www.transfermarkt.com/spielbericht/index/spielbericht/4083717 |title=Ivory Coast - Lesotho, Sep 9, 2023 - Africa Cup of Nations qualification - Match sheet |work=transfermarkt |df=ja |date=2023-09-09 |access-date=2023-12-25}}</ref><ref>{{Cite web2 |url=https://www.afrik-foot.com/cote-ivoire-lesotho-match-resultat-can-2023 |title=CAN 2023 (Q) : la Côte d’Ivoire gagne mais ne rassure pas |work=Afrik Foot |language=fr |df=ja |date=2023-09-09 |access-date=2023-10-16}}</ref>。 == 個人成績 == {{サッカー選手国内成績表 top|yy}} {{サッカー選手国内成績表 th|フランス|all}} |- |[[:fr:Championnat de France de football de deuxième division 2017-2018|2017-18]]||rowspan="5"|[[ル・アーヴルAC|ル・アーヴル]]||40||rowspan="5"|[[リーグ・ドゥ]]||0||0||0||0||0||0||0||0 |- |[[:fr:Championnat de France de football de deuxième division 2018-2019|2018-19]]||rowspan="6"|30||0||0||0||0||1||0||1||0 |- |[[:fr:Championnat de France de football de deuxième division 2019-2020|2019-20]]||0||0||1||0||0||0||1||0 |- |[[:fr:Championnat de France de football de deuxième division 2020-2021|2020-21]]||3||0||colspan="2"|-||1||0||4||0 |- |[[:fr:Championnat de France de football de deuxième division 2021-2022|2021-22]]||35||0||colspan="2"|-||0||0||35||0 |- |[[リーグ・アン2022-2023|2022-23]]||rowspan="2"|[[アンジェSCO|アンジェ]]||[[リーグ・アン]]||11||0||colspan="2"|-||0||0||11||0 |- |[[:fr:Championnat de France de football de deuxième division 2023-2024|2023-24]]||リーグ・ドゥ|| || ||colspan="2"|-|| || || || {{サッカー選手国内成績表 通算始|2|フランス|リーグ・ドゥ}}38||0||1||0||2||0||41||0 {{サッカー選手国内成績表 通算行|フランス|リーグ・アン}}11||0||colspan="2"|-||0||0||11||0 {{サッカー選手国内成績表 通算終}}49||0||1||0||2||0||52||0 |} == 脚注 == {{Reflist|2}} == 外部リンク == * {{Sports links}} * {{Instagram}} {{アンジェSCOのメンバー}} {{Navboxes |title=フランス代表 - 出場大会 |titlestyle=background:#0055a4; color:#ffffff; border:1px solid #ef4135; |list1= {{UEFA U-17欧州選手権2017フランス代表}} {{2017 FIFA U-17ワールドカップフランス代表}} }} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふおふあな やいあ}} [[Category:コートジボワールのサッカー選手]] [[Category:フランスのサッカー選手]] [[Category:サッカーコートジボワール代表選手]] [[Category:ル・アーヴルACの選手]] [[Category:アンジェSCOの選手]] [[Category:パリ出身の人物]] [[Category:2000年生]] [[Category:存命人物]]
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ネクタリル
ネクタリルは、香料などに用いられる有機化合物の一種である。ネクタリルはジボダン社の商標であり、IUPAC命名法では2-[2-(4-メチルシクロヘキサ-3-エン-1-イル)プロピル]シクロペンタン-1-オンとなる。 アプリコットのような果実香が特徴である。4つある立体異性体のうち主に香気に寄与するのは(2R,2′S,1′′R)-ネクタリルと(2R,2′R,1′′R)-ネクタリルで、嗅覚閾値はそれぞれ0.094 ng·l、0.112 ng·lである。他の異性体は非特徴的な果実香があり、嗅覚閾値は11.2 ng·l、14.9 ng·lとやや高めである。ブロッターでの粘着力、すなわち化合物が特性を変えずに匂いを感じられる期間は3週間であると報告されている。 引火点は162.5°C、発火点は294°C、比旋光度は[α]D=+228–235° (1 M; クロロホルム)と報告されている。 天然には見つかっていないアーティフィシャルフレーバーで、スイスの香料メーカーであるジボダンにより製造されている。ピーチ・アプリコット・ラクトニック様の香気を持ち、ファインフレグランスに自然なフルーティの香りを付与する目的で使用される。安定性と保留性に優れ、ディタージェントパウダーなどにラクトン的なパートとして有用である。 酢酸マンガン(II)と酢酸コバルト(II)を触媒とし、酸素の雰囲気下において酢酸中でシクロペンタノンと(+)-リモネンをラジカル付加反応させることよって合成される。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ネクタリルは、香料などに用いられる有機化合物の一種である。ネクタリルはジボダン社の商標であり、IUPAC命名法では2-[2-(4-メチルシクロヘキサ-3-エン-1-イル)プロピル]シクロペンタン-1-オンとなる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "アプリコットのような果実香が特徴である。4つある立体異性体のうち主に香気に寄与するのは(2R,2′S,1′′R)-ネクタリルと(2R,2′R,1′′R)-ネクタリルで、嗅覚閾値はそれぞれ0.094 ng·l、0.112 ng·lである。他の異性体は非特徴的な果実香があり、嗅覚閾値は11.2 ng·l、14.9 ng·lとやや高めである。ブロッターでの粘着力、すなわち化合物が特性を変えずに匂いを感じられる期間は3週間であると報告されている。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "引火点は162.5°C、発火点は294°C、比旋光度は[α]D=+228–235° (1 M; クロロホルム)と報告されている。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "天然には見つかっていないアーティフィシャルフレーバーで、スイスの香料メーカーであるジボダンにより製造されている。ピーチ・アプリコット・ラクトニック様の香気を持ち、ファインフレグランスに自然なフルーティの香りを付与する目的で使用される。安定性と保留性に優れ、ディタージェントパウダーなどにラクトン的なパートとして有用である。", "title": "香料" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "酢酸マンガン(II)と酢酸コバルト(II)を触媒とし、酸素の雰囲気下において酢酸中でシクロペンタノンと(+)-リモネンをラジカル付加反応させることよって合成される。", "title": "合成" } ]
ネクタリルは、香料などに用いられる有機化合物の一種である。ネクタリルはジボダン社の商標であり、IUPAC命名法では2-[2-(4-メチルシクロヘキサ-3-エン-1-イル)プロピル]シクロペンタン-1-オンとなる。
{{Chembox | Name = ネクタリル<br>Nectaryl <!-- Images --> | ImageFile = Nectaryl.svg | ImageSize = 250px | ImageAlt = Structure of Nectaryl | ImageCaption = Structure without shown stereo chemistry <!-- Names --> | PIN = 2-[2-(4-Methylcyclohex-3-en-1-yl)propyl]cyclopentan-1-one | OtherNames = methylcyclohexenylpropyl-cyclopentanone ([[INCI]]) <!-- Sections --> | Section1 = {{Chembox Identifiers | CASNo = 95962-14-4 | CASNo_Ref = {{cascite|correct|CAS}} | UNII_Ref = {{fdacite|correct|FDA}} | UNII = P1K3Z8A8HJ | EC_number=404-240-0 | PubChem = 175661 | ChemSpiderID = 153032 | ChEMBL = 3728992 | StdInChI=1S/C15H24O/c1-11-6-8-13(9-7-11)12(2)10-14-4-3-5-15(14)16/h6,12-14H,3-5,7-10H2,1-2H3 | StdInChIKey = KNHGOYVXAHUDHP-UHFFFAOYSA-N | SMILES = CC1=CCC(CC1)C(C)CC2CCCC2=O }} | Section2 = {{Chembox Properties | C = 15 | H = 24 | O = 1 | Appearance = 無色の液体<ref name="gousei">{{Harv|合成香料編集委員会|2016|pp=294-295}}</ref> | Odor = 果実香{{r|gousei}} | Density = 0.96 g·cm<sup>−3</sup> (22 °C)<ref name="GESTIS">{{GESTIS|ZVG=900406|Name=2-[2-(4-Methyl-3-cyclohexen-1-yl)propyl]cyclopentanon|Date=3. April 2019}}</ref> | MeltingPtC = −41.8 | MeltingPt_ref = {{r|GESTIS}} | BoilingPtC = 288 | BoilingPt_ref = {{r|GESTIS}} | Solubility = 実質的に不溶 (4.6 mg·l<sup>−1</sup> at 20 °C){{r|GESTIS}} }} | Section7 = {{Chembox Hazards | AutoignitionPt = 294℃{{r|GESTIS}} | ExploLimits = | FlashPt = 162.5℃{{r|GESTIS}} | LD50 = | LC50 = 5.47 mg·L<sup>−1</sup> ([[ゼブラフィッシュ]]) | MainHazards = | NFPA-F = | NFPA-H = | NFPA-R = | NFPA-S = | PEL = | REL = | ExternalSDS = {{r|GESTIS}} | GHSPictograms = {{GHS09}} | GHSSignalWord = Warning | HPhrases = {{H-phrases|410}} | PPhrases = {{P-phrases|273|391|501}} }} }} '''ネクタリル'''は、[[香料]]などに用いられる有機化合物の一種である。ネクタリルは[[ジボダン]]社の商標であり、[[IUPAC命名法]]では'''2-[2-(4-メチルシクロヘキサ-3-エン-1-イル)プロピル]シクロペンタン-1-オン'''となる。 == 性質 == [[アンズ|アプリコット]]のような果実香が特徴である。4つある[[立体異性体]]のうち主に香気に寄与するのは(2''R'',2′''S'',1′′''R'')-ネクタリルと(2''R'',2′''R'',1′′''R'')-ネクタリルで、[[嗅覚閾値]]はそれぞれ0.094&nbsp;ng·l<sup>−1</sup>、0.112&nbsp;ng·l<sup>−1</sup>である。他の異性体は非特徴的な果実香があり、嗅覚閾値は11.2&nbsp;ng·l<sup>−1</sup>、14.9&nbsp;ng·l<sup>−1</sup>とやや高めである<ref name="stereo isomers">{{cite journal |author1=Elisabetta Brenna|author2=Claudio Fuganti|author3=Francesco G. Gatti|author4=Luciana Malpezzi|author5=Stefano Serra |title=Synthesis and olfactory evaluation of all stereoisomers of the fragrance Nectaryl |journal=[[Tetrahedron: Asymmetry]] |volume=19 |issue=7 |date=2008 |pages=800–807 |doi=10.1016/j.tetasy.2008.03.011}}</ref><ref>{{cite web |author=John C. Leffingwell |url=http://www.leffingwell.com/chirality/nectaryl.htm |title=Chirality & Odour Perception |work=leffingwell.com |access-date=2019-04-03}}</ref>。[[ブロッター]]での粘着力、すなわち化合物が特性を変えずに匂いを感じられる期間<ref name="Legrum">{{cite book |author=Wolfgang Legrum |title=Riechstoffe, zwischen Gestank und Duft |edition=2 |publisher=Springer |date=2015 |isbn=978-3-658-07310-7 |chapter=3 |pages=51-52|language=de|url={{Google books|g-ndBgAAQBAJ|page=51|plainurl=yes}}}}</ref>{{rp|51}}は3週間であると報告されている{{r|Legrum}}{{rp|52}}。 [[引火点]]は162.5℃、[[発火点]]は294℃{{r|GESTIS}}、[[旋光|比旋光度]]は[α]<sub>D</sub><sup>20</sup>=+228–235° (1 <small>M</small>; [[クロロホルム]])と報告されている{{r|stereo isomers}}。 == 香料 == 天然には見つかっていない[[合成香料|アーティフィシャルフレーバー]]で、[[スイス]]の[[香料メーカー]]である[[ジボダン]]により製造されている。[[モモ|ピーチ]]・[[アンズ|アプリコット]]・[[ラクトン|ラクトニック]]様の香気を持ち、[[香粧品|ファインフレグランス]]に自然なフルーティの香りを付与する目的で使用される。安定性と保留性に優れ、[[洗剤|ディタージェントパウダー]]などにラクトン的なパートとして有用である{{r|gousei}}。 == 合成 == [[酢酸マンガン(II)]]と[[酢酸コバルト(II)]]を[[触媒]]とし、[[酸素]]の雰囲気下において[[酢酸]]中で[[シクロペンタノン]]と(+)-[[リモネン]]を[[ラジカル付加反応]]させることによって合成される<ref name="stereo isomers">{{cite journal |author1=Elisabetta Brenna|author2=Claudio Fuganti|author3=Francesco G. Gatti|author4=Luciana Malpezzi|author5=Stefano Serra |title=Synthesis and olfactory evaluation of all stereoisomers of the fragrance Nectaryl |journal=[[Tetrahedron: Asymmetry]] |volume=19 |issue=7 |date=2008 |pages=800–807 |doi=10.1016/j.tetasy.2008.03.011}}</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author = 合成香料編集委員会|year = 2016|title = 合成香料 化学と商品知識(増補新版)|publisher = [[化学工業日報社]]|isbn = 978-4-87326-677-0|ref ={{SfnRef|合成香料編集委員会|2016}}}} {{DEFAULTSORT:ねくたりる}} [[Category:シクロペンタノン]] [[Category:シクロヘキセン]] [[Category:香料]]
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初宿和夫
初宿 和夫(しやけ かずお)は、日本の地方公務員。調布市副市長や、調布市土地開発公社理事長、東京都知事補佐官、東京都福祉保健局担当局長、初代東京都感染症対策センター長、東京都人事委員会事務局長などを歴任した。 1983年愛知県立小牧南高等学校卒業、防衛庁入庁、海上自衛隊入隊。1988年東京都入庁(東京都立大学事務局会計課)。2009年放送大学教養学部卒業。 東京都総務局人事部人事課課長補佐を経て、2004年東京都建設局北多摩南部建設事務所用地第三課長。2006年東京都教育庁学務部副参事(広報広聴担当)。2007年東京都教育庁学務部副参事(都立高校改革担当)。2008年東京都教育庁都立学校教育部高等学校教育課副参事(都立高校改革推進担当)。2009年東京都教育庁人事部職員課長。 2011年東京都総務局人事部調査課長。2013年調布市行政経営部付参事(特命担当)。同年調布市副市長、調布市土地開発公社理事長。2015年退任、東京都総務局特命担当部長。同年東京都総務局企画担当部長兼首都大学調整担当部長兼尖閣諸島調整担当部長。2016年東京都教育庁都立学校教育部長。2018年東京都財務局経理部長兼オリンピック・パラリンピック調整担当部長。2020年東京都政策企画局報道総括担当理事、東京都知事補佐担当理事兼報道担当部長事務取扱。 同年東京都政策企画局次長兼政策企画局理事(構造改革担当)兼東京都福祉保健局理事(新型コロナウイルス感染症対策調整担当)を経て、東京都福祉保健局健康危機管理担当局長。同年東京版CDC準備検討委員会を経て、初代東京都感染症対策センター(東京iCDC)センター長、新型コロナウイルス感染症対策分科会大都市の歓楽街における感染拡大防止対策ワーキンググループ構成員。2021年東京都人事委員会事務局長。2023年退職。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "初宿 和夫(しやけ かずお)は、日本の地方公務員。調布市副市長や、調布市土地開発公社理事長、東京都知事補佐官、東京都福祉保健局担当局長、初代東京都感染症対策センター長、東京都人事委員会事務局長などを歴任した。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1983年愛知県立小牧南高等学校卒業、防衛庁入庁、海上自衛隊入隊。1988年東京都入庁(東京都立大学事務局会計課)。2009年放送大学教養学部卒業。", "title": "人物・経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "東京都総務局人事部人事課課長補佐を経て、2004年東京都建設局北多摩南部建設事務所用地第三課長。2006年東京都教育庁学務部副参事(広報広聴担当)。2007年東京都教育庁学務部副参事(都立高校改革担当)。2008年東京都教育庁都立学校教育部高等学校教育課副参事(都立高校改革推進担当)。2009年東京都教育庁人事部職員課長。", "title": "人物・経歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2011年東京都総務局人事部調査課長。2013年調布市行政経営部付参事(特命担当)。同年調布市副市長、調布市土地開発公社理事長。2015年退任、東京都総務局特命担当部長。同年東京都総務局企画担当部長兼首都大学調整担当部長兼尖閣諸島調整担当部長。2016年東京都教育庁都立学校教育部長。2018年東京都財務局経理部長兼オリンピック・パラリンピック調整担当部長。2020年東京都政策企画局報道総括担当理事、東京都知事補佐担当理事兼報道担当部長事務取扱。", "title": "人物・経歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "同年東京都政策企画局次長兼政策企画局理事(構造改革担当)兼東京都福祉保健局理事(新型コロナウイルス感染症対策調整担当)を経て、東京都福祉保健局健康危機管理担当局長。同年東京版CDC準備検討委員会を経て、初代東京都感染症対策センター(東京iCDC)センター長、新型コロナウイルス感染症対策分科会大都市の歓楽街における感染拡大防止対策ワーキンググループ構成員。2021年東京都人事委員会事務局長。2023年退職。", "title": "人物・経歴" } ]
初宿 和夫は、日本の地方公務員。調布市副市長や、調布市土地開発公社理事長、東京都知事補佐官、東京都福祉保健局担当局長、初代東京都感染症対策センター長、東京都人事委員会事務局長などを歴任した。
'''初宿 和夫'''(しやけ かずお)は、[[日本]]の[[地方公務員]]。[[調布市]][[副市長]]や、調布市[[土地開発公社]][[理事長]]、[[東京都知事]][[補佐官]]、[[東京都福祉保健局]]担当局長、初代東京都感染症対策センター長、[[東京都人事委員会]][[事務局]]長などを歴任した。 == 人物・経歴 == [[愛知県]]出身<ref>[https://www.townnews.co.jp/0305/2023/11/23/707689.html 八王子市長選初宿氏が立候補表明]タウンニュース八王子版公開:2023年11月23日</ref>。1983年[[愛知県立小牧南高等学校]]卒業、[[防衛庁]]入庁<ref name="osu">[https://osuga01.tamaliver.jp/e349747.html 第2回調布市議会定例会会議結果]調布市議・大須賀ひろすけ2013年06月18日</ref>、[[海上自衛隊]]入隊。1988年[[東京都]]入庁([[東京都立大学 (1949-2011)|東京都立大学]]事務局会計課)。2009年[[放送大学]][[教養学部]]卒業<ref name="osu"/><ref name="ou"/><ref>[https://www.tokyo-np.co.jp/article/290776 元都職員・初宿さん 八王子市長選出馬へ 自公から推薦の予定]東京新聞2023年11月18日 06時40分</ref>。 [[東京都総務局]]人事部人事課課長補佐を経て、2004年[[東京都建設局]][[北多摩]]南部建設事務所用地第三課長<ref>「人事/東京都(8月1日)《分割2》/行政系・課長級」2004年8月2日 日刊建設工業新聞</ref>。2006年[[東京都教育庁]]学務部副参事([[広報]]広聴担当)。2007年東京都教育庁学務部副参事([[東京都立高等学校|都立高校]]改革担当)<ref>[https://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2008/12/26/1217069_003.pdf 参考資料]文部科学省</ref><ref name="osu"/>。2008年東京都教育庁都立学校教育部高等学校教育課副参事(都立高校改革推進担当)。2009年東京都教育庁人事部職員課長<ref name="osu"/>。 2011年[[東京都総務局]]人事部調査課長<ref name="osu"/>。2013年[[調布市]]行政経営部付[[参事]](特命担当)<ref name="osu"/>。同年調布市[[副市長]]<ref name="ou"/>、調布市[[土地開発公社]][[理事長]]<ref>[https://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1465265108619/simple/houkoku06.pdf 平成 27 年度決算報告書及び 平 成 2 8 年度事業計 画]調布市土地開発公社</ref>。2015年退任<ref name="ou">[https://osuga01.tamaliver.jp/e408333.html 初宿副市長退任]調布市議・大須賀ひろすけ</ref><ref>[https://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1372410979043/index.html 調布市副市長の就退任]調布市</ref>、東京都総務局特命担当部長。同年東京都総務局[[企画]]担当部長兼[[首都大学東京|首都大学]]調整担当部長兼[[尖閣諸島]]調整担当部長<ref>東京都議会議事録平成27年総務委員会 本文 2015-09-16</ref>。2016年[[東京都教育庁]]都立学校教育部長<ref>[https://www.tosanshin.org/assets/files/info/kourousya_hyousyou_H28.pdf 平成28年度 東京都産業教育振興会 教育功労者表彰式]東京都産業教育振興会</ref>。2018年[[東京都財務局]]経理部長兼[[2020年東京オリンピック・パラリンピック|オリンピック・パラリンピック]]調整担当部長<ref>東京都議会 会議録平成29年度各会計決算特別委員会第1分科会(第1号) 本文 2018-10-10</ref>。2020年[[東京都政策企画局]][[報道]]総括担当[[理事]]、[[東京都知事]]補佐担当理事兼報道担当部長事務取扱<ref>東京都議会 会議録令和2年総務委員会 本文 2020-05-26</ref>。 同年[[東京都政策企画局]][[次長]]兼政策企画局[[理事]]([[構造改革]]担当)兼[[東京都福祉保健局]]理事([[新型コロナウイルス感染症]]対策調整担当)を経て、東京都福祉保健局[[健康危機管理]]担当局長<ref>[https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/03jinji/pdf/ido/20200828ido.pdf 人事異動(令和2年8月28日付)]東京都</ref>。同年東京版[[CDC]]準備検討委員会を経て<ref>[https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2020/09/25/documents/12_02.pdf 東京版CDC準備検討委員会 委員名簿]東京都</ref>、初代東京都感染症対策センター(東京iCDC)センター長<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64249510V20C20A9L83000/ 東京版CDC、名称は「東京iCDC」に]日本経済新聞2020年9月25日 17:21</ref>、[[新型コロナウイルス感染症対策分科会]]大都市の歓楽街における感染拡大防止対策ワーキンググループ構成員<ref>[https://www.m3.com/news/open/iryoishin/822716?category= 「歓楽街、感染拡大の急所」今村座長]m3.com</ref>。2021年[[東京都人事委員会]]事務局長<ref>官報令和3年本紙第631号 8頁</ref><ref>[https://www.tokyo-np.co.jp/article/137099 都政策企画局長に野間・生活文化局長]東京新聞2021年10月16日 07時16分</ref>。2023年退職<ref>[https://mainichi.jp/articles/20231103/ddl/k13/060/013000c 人事 都 /東京]毎日新聞</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} {{-}} {{先代次代|調布市副市長|2013年 - 2015年|[[宮地淳夫]]|[[木村健治 (地方公務員)|木村健治]]}} {{先代次代|東京都健康危機管理担当局長|2020年 - 2021年|新設|[[佐藤智秀]]}} {{先代次代|東京都人事委員会事務局長|2021年 - 2023年|[[武市玲子]]|[[田中彰 (地方公務員)|田中彰]]}} {{DEFAULTSORT:しやけ かすお}} [[Category:東京都庁職員]] [[Category:海上自衛官]] [[Category:東京都立大学の人物]] [[Category:学士(教養)取得者]] [[Category:放送大学出身の人物]] [[Category:愛知県の高等学校出身の人物]] [[Category:愛知県出身の人物]]
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金沢医療事務専門学校
金沢医療事務専門学校(かなざわいりょうじむせんもんがっこう)は、石川県白山市に所在する専門学校。 学校法人国際ビジネス学院が運営。 医療事務総合学科のみを設置。 2023年度から募集停止。
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金沢医療事務専門学校(かなざわいりょうじむせんもんがっこう)は、石川県白山市に所在する専門学校。
{{日本の専修学校 |校名 = 金沢医療事務専門学校 |画像 = |画像サイズ = |画像説明 = |英称 = |過去校名 = |国公私立 = 私立学校 |学校種別 = 専門学校 |設置者 = 学校法人国際ビジネス学院<ref name="石川県">{{Cite book|和書|author = 石川県総務部総務課|authorlink = 石川県|title = 石川県私立学校名簿|url = https://www.pref.ishikawa.lg.jp/soumu/bunkyo/documents/r5siritsumeibo.pdf|format = PDF|accessdate = 2023年12月25日|date = 2023年0月1日|language = 日本語|isbn = |page = 33頁}}</ref> |学区 = |併合学校 = |理念 = |校訓 = |創立者 = |創立年 = |設置年月日 =2010年3月26日<ref name="石川県"/> |記念日名称 = |創立記念日 = |閉校年月日 = |共学・別学 = 男女共学 |課程 = 専門課程<ref name="石川県"/> |単位制・学年制 = |学校コード = H117321000012 |修業年限 = 2年<ref name="石川県"/> |設置学科 = 医療事務総合学科<ref name="石川県"/> |学科内専門コース =医療事務・医療秘書コース<br>医薬品登録販売者コース |学期 = |郵便番号 =924-0011 |所在地 = 白山市横江町5250番地 |緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 = |経度度 = |経度分 = |経度秒 = |座標右上表示 = |マップ表示 = |地図ズーム = |中心緯度 = |中心経度 = |地図WikiData = |外部リンク = [https://medical.kbg.ac.jp 公式webサイト] }} '''金沢医療事務専門学校'''(かなざわいりょうじむせんもんがっこう)は、[[石川県]][[白山市]]に所在する[[専門学校]]。 == 概要 == 学校法人国際ビジネス学院が運営<ref>{{Cite web |title=メソッド |url=https://kbg.ac.jp/method/ |website=国際ビジネス学院|石川・福井に、専門学校を展開する学校法人国際ビジネス学院です。 |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref>。 医療事務総合学科のみを設置<ref>{{Cite web |title=金沢医療事務専門学校 - 学校案内や願書など資料請求[JS日本の学校] |url=https://school.js88.com/scl_sen/34029719/ |website=school.js88.com |access-date=2023-12-25}}</ref>。 [[2023年]]度から[[募集停止]]<ref>{{Cite web |title=金沢医療事務専門学校募集停止について(お知らせ) {{!}} 金沢医療事務専門学校 | 金沢で医療秘書・医療事務員を養成する専門学校。 |url=https://medical.kbg.ac.jp/news/220315news/ |website=medical.kbg.ac.jp |access-date=2023-12-25}}</ref>。 == 関連項目 == * [[石川県専修学校一覧]] == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://medical.kbg.ac.jp 公式webサイト] {{デフォルトソート:かなさわいりようしむせんもんかつこう}} [[Category:石川県の私立専修学校]]
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4,871,256
プリオサウルス類
プリオサウルス類(プリオサウルス亜目、学名:Pliosauroidea )はジュラ紀の最初期から後期白亜紀の初めまで生息していた首長竜の絶滅群。大型の頭部とがっしりした歯の生えた上下顎を持ち「短頚型首長竜」として知られるワニ類のような首の短い形態を含むタラッソフォネア(英語版)が有名である。より原始的な非タラッソフォネアのプリオサウルス類は比較的長い首と小さい頭部を持つ。元来このグループにはプリオサウルス科(英語版)のみが含まれていたが、現在ではさらにいくつかの属や科が含まれ、どれだけの属・科が含まれるかやその詳細は用いられた分類方法により変化する。 その特筆すべき特徴は、短い首・長大化した頭部・前鰭と比較して大型の後鰭であり、長頚型プレシオサウルス類の特徴とは正反対となる。彼らは肉食でありその長くて強力な上下顎には多くの鋭い円錐形の歯を備えていた。全長は 4 〜 10 m 、またはそれ以上に達した。獲物にはおそらく、魚類・サメ類・魚竜・恐竜・他の首長竜などが含まれる。 今までの所最大種はクロノサウルスとプリオサウルスの1種 ( Pliosaurus macromerus ) であり、他のよく知られた属にはロマレオサウルス、Peloneustes、Macroplata などがいる。化石記録はアフリカ、オーストラリア、中国、ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカなどから発見されている。 最も初期(前期ジュラ紀やおそらくは三畳紀の最後期:レーティアン)の原始的なプリオサウルス類は外見的に長頚型プレシオサウルス類に非常に似ており、実際にプレシオサウルス科(英語版)に含まれていたこともあった。 "Pliosauroidea" という分類名は1943年にサミュエル・ポール・ウェルズ (Samuel Paul Welles) によって命名された。これはこのグループを代表するプリオサウルス ( Pliosaurus ) の属名から適用されており、その属名はギリシャ語のπλείων(pleion:さらに・より)とσαῦρος(sauros:トカゲ)から「よりトカゲに近い」を意味する。Pliosaurus という名は1841年リチャード・オーウェンによって作られたものであり、そのワニ類に似た歯からオーウェンはこの動物がプレシオサウルス類とワニ類(当時はトカゲ類の一つと考えられていた)をつなぐ中間段階に相当すると考えたためその名をつけた。 首長竜の中には小型の頭部と長い頚部をもつ『長頚型』のものと大型の頭部と短い頚部をもつ『短頚型』の2つの型があり、旧来の分類では前者の型を持つものが「プレシオサウルス類」、後者の型が「プリオサウルス類」として、首長竜進化の初期から分化した2大系統として亜目や上科の分類階級を与えられていた。しかし近年の研究によって長頚型から短頚型が進化したり短頚型から長頚型が現れたりしたことが明らかとなり、これらの『型』が系統を直接現しているのではないことが判明している。 ここで提示されている分類体系は、明記されていない限り主として Hilary F. Ketchum と Roger B. J. Benson によって2011年に発表された首長竜の分岐分析を基としている。 "Pliosauroidea" はステムによる分類群であり、ウェルズにより『Plesiosaurus dolichodeirus より Pliosaurus brachydeirus に近い全てのタクサ』と定義された。プリオサウルス科とロマレオサウルス科も同様にステムによる分類群である。プリオサウルス科は『Leptocleidus superstes、Polycotylus latipinnis、Meyerasaurus victor のいすれかよりも Pliosaurus brachydeirus に近い全てのタクサ』と定義され、ロマレオサウルス科は『Leptocleidus superstes、Pliosaurus brachydeirus、Polycotylus latipinnis のいずれかよりも Meyerasaurus victor に近い全てのタクサ』と定義されている。下記の分岐図は古生物学者の Hilary F. Ketchum と Roger B. J. Benson による2011年の分析に従い、種は省略して属まで表記したものである。 2002年、非常に大型のプリオサウルス類の発見がメキシコからもたらされた。このプリオサウルス類は「アラムベッリの怪物 (Monster of Aramberri)」として知られるようになった。これはリオプレウロドンに属すると広く報告されたが、実際にはリオプレウロドンではない。この標本はキンメリッジアンにあたるラ・カハ累層 (La Caja Formation) から産出した椎体の一部からなる。1985年の年始に地質学の学生によって発見され、当初は Hahnel によって獣脚類恐竜であると誤同定されていた。標本には元々歯がついた吻片が含まれていたが現在は失われている。 2006年の8月、オスロ大学の古生物学者がノルウェー産としては初めてのプリオサウルス類化石を発見した。この化石は「保存状態が非常によいだけでなく、保存部位の完全さもすばらしい」と記載された。この大型動物はプリオサウルス属の新種であると同定された。2008年の夏に、この巨大プリオサウルス類化石は北極圏にあるノルウェー領スヴァールバル諸島スピッツベルゲン島の永久凍土層から掘り出された。発掘の様子は2009年アメリカのTV番組『ヒストリー』の特番 ("Predator X") として公開された。 2009年10月26日、今まで見つかった中で最大の物である可能性があるプリオサウルス類の発見が報告された。イギリス・ドーセット州ウェイマス近郊のジュラシック・コーストの崖から見つかった化石は約 2 m の頭蓋骨だった。古生物学者のリチャード・フォレストはBBCの取材に対して「なにか大きなものが出てきたという噂は聞いていたんだ。しかし実際に見てみると、なんというか、開いた口がふさがらなかった。ただただデカかったよ。」と述べた。この標本は新種であると同定され、科学者たちは Pliosaurus kevani という学名を与えた。 2023年10月、ドーセット海岸でのこのプリオサウルス類頭骨の発見は「この種類としては今まで発見された中で最も完全な物の一つ」と評された。
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プリオサウルス類はジュラ紀の最初期から後期白亜紀の初めまで生息していた首長竜の絶滅群。大型の頭部とがっしりした歯の生えた上下顎を持ち「短頚型首長竜」として知られるワニ類のような首の短い形態を含むタラッソフォネアが有名である。より原始的な非タラッソフォネアのプリオサウルス類は比較的長い首と小さい頭部を持つ。元来このグループにはプリオサウルス科のみが含まれていたが、現在ではさらにいくつかの属や科が含まれ、どれだけの属・科が含まれるかやその詳細は用いられた分類方法により変化する。 その特筆すべき特徴は、短い首・長大化した頭部・前鰭と比較して大型の後鰭であり、長頚型プレシオサウルス類の特徴とは正反対となる。彼らは肉食でありその長くて強力な上下顎には多くの鋭い円錐形の歯を備えていた。全長は 4 〜 10 m 、またはそれ以上に達した。獲物にはおそらく、魚類・サメ類・魚竜・恐竜・他の首長竜などが含まれる。 今までの所最大種はクロノサウルスとプリオサウルスの1種 であり、他のよく知られた属にはロマレオサウルス、Peloneustes、Macroplata などがいる。化石記録はアフリカ、オーストラリア、中国、ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカなどから発見されている。 最も初期(前期ジュラ紀やおそらくは三畳紀の最後期:レーティアン)の原始的なプリオサウルス類は外見的に長頚型プレシオサウルス類に非常に似ており、実際にプレシオサウルス科に含まれていたこともあった。
{{生物分類表 |名称 = プリオサウルス類<br/>Pliosauroidea | fossil_range = [[ヘッタンギアン]] - [[チューロニアン]], {{fossil range|Hettangian|Turonian}} |地質時代=[[前期ジュラ紀]] |地質時代2=[[後期白亜紀]] |画像 = [[ファイル:Rhomaleosaurus_cramptoni_(fossil).jpg|250px]] |画像キャプション = ''[[ロマレオサウルス|Rhomaleosaurus cramptoni]]'' のキャスト。[[ロンドン自然史博物館]] |画像2 = [[ファイル:Liopleurodon ferox Tubingen 2.JPG|250px]] |画像キャプション2 = ''[[リオプレウロドン|Liopleurodon ferox]]'' の組立骨格。[[テュービンゲン]]・古生物学研究所 |省略=爬虫綱 |亜綱階級なし = [[双弓類]] {{sname||Diapsida}} |上目階級なし = [[鰭竜類]] {{sname||Sauropterygia}} |目 = [[首長竜|首長竜目]] {{sname||Plesiosauria}} |亜目 = プリオサウルス亜目 {{sname||Pliosauroidea}} |学名 = '''Pliosauroidea'''<br/>{{AUY|[[w:Samuel Paul Welles|Welles]]|1943}} |和名 = プリオサウルス類 |下位分類 =本文参照 }} '''プリオサウルス類'''(プリオサウルスるい、'''プリオサウルス亜目'''、[[学名]]:'''Pliosauroidea''' )は[[ジュラ紀]]の最初期から[[後期白亜紀]]の初めまで生息していた[[首長竜]]の[[絶滅]]群。大型の頭部とがっしりした歯の生えた上下顎を持ち「短頚型首長竜<!--ここでpliosaurを「プリオサウルス類」とすると項目名と重複し「プリオサウルス」とするとPliosaurus属との混同が発生するのであえてこのようにしています-->」として知られる[[ワニ類]]のような首の短い形態を含む{{仮リンク|タラッソフォネア|en|Thalassophonea}}が有名である。より原始的な非タラッソフォネアのプリオサウルス類は比較的長い首と小さい頭部を持つ。元来このグループには{{仮リンク|プリオサウルス科|en|Pliosauridae}}のみが含まれていたが、現在ではさらにいくつかの属や科が含まれ、どれだけの属・科が含まれるかやその詳細は用いられた分類方法により変化する。 その特筆すべき特徴は、短い首・長大化した頭部・前[[鰭]]と比較して大型の後[[鰭]]であり、長頚型プレシオサウルス類の特徴とは正反対となる。彼らは[[肉食]]でありその長くて強力な上下顎には多くの鋭い円錐形の歯を備えていた。全長は 4 〜 10 m 、またはそれ以上に達した<ref>[http://www.zoomdinosaurs.com/subjects/dinosaurs/glossary/indexp3.shtml#Pliosaur zoom dinosaurs]</ref><ref>[http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/7264856.stm Sea reptile is biggest on record]. BBC News, February 27, 2008.</ref>。獲物にはおそらく、[[魚類]]・[[サメ|サメ類]]・[[魚竜]]・[[恐竜]]・他の首長竜などが含まれる。 今までの所最大種は[[クロノサウルス]]と[[プリオサウルス]]の1種 ( ''Pliosaurus macromerus'' ) であり、他のよく知られた属には[[ロマレオサウルス]]、[[w:Peloneustes|''Peloneustes'']]、[[w:Macroplata|''Macroplata'']] などがいる<ref name=P.funkei>{{cite journal |author1=Espen M. Knutsen |author2=Patrick S. Druckenmiller |author3=[[w:Jørn Hurum|Jørn H. Hurum]] |year=2012 |title=A new species of Pliosaurus (Sauropterygia: Plesiosauria) from the Middle Volgian of central Spitsbergen, Norway |journal=Norwegian Journal of Geology |volume=92 |issue=2–3 |pages=235–258 |issn=0029-196X}} [http://www.geologi.no/data/f/0/21/02/6_2401_0/NJG_2_3_2012_13_Knutsen_etal_Scr.pdf Low resolusion pdf] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20121202090559/http://www.geologi.no/data/f/0/21/02/6_2401_0/NJG_2_3_2012_13_Knutsen_etal_Scr.pdf |date=2012-12-02 }} [http://www.geologi.no/data/f/0/21/02/6_2401_0/NJG_2_3_2012_13_Knutsen_etal_Pr.pdf High resolusion pdf]{{dead link|date=April 2018|bot=medic}}{{cbignore|bot=medic}}</ref>。化石記録は[[アフリカ]]、[[オーストラリア]]、[[中国]]、[[ヨーロッパ]]、[[北アメリカ]]、[[南アメリカ]]などから発見されている。 最も初期([[前期ジュラ紀]]やおそらくは[[三畳紀]]の最後期:[[レーティアン]])の原始的なプリオサウルス類は外見的に長頚型[[プレシオサウルス類]]に非常に似ており、実際に{{仮リンク|プレシオサウルス科|en|Plesiosauridae}}に含まれていたこともあった。 == 名称 == [[Image:Liopleurodon ferox 2.jpg|thumb|''Liopleurodon ferox'']] "Pliosauroidea" という分類名は1943年にサミュエル・ポール・ウェルズ ([[w:Samuel Paul Welles|Samuel Paul Welles]]) によって命名された。これはこのグループを代表する[[プリオサウルス]] ( ''Pliosaurus'' ) の属名から適用されており、その属名は[[ギリシャ語]]の{{lang|grc|πλείων}}(pleion:さらに・より)と{{lang|grc|σαῦρος}}(sauros:トカゲ)から「よりトカゲに近い」を意味する。''Pliosaurus'' という名は1841年[[リチャード・オーウェン]]によって作られたものであり、そのワニ類に似た歯からオーウェンはこの動物がプレシオサウルス類と[[ワニ類]](当時はトカゲ類の一つと考えられていた)をつなぐ中間段階に相当すると考えたためその名をつけた。 == 分類 == 首長竜の中には小型の頭部と長い頚部をもつ『長頚型』のものと大型の頭部と短い頚部をもつ『短頚型』の2つの型があり、旧来の分類では前者の型を持つものが「プレシオサウルス類」、後者の型が「プリオサウルス類」として、首長竜進化の初期から分化した2大系統として亜目や上科の分類階級を与えられていた<ref>E.H.コルバート 『脊椎動物の進化』上 築地書館 1978 ISBN 4-8067-1095-4 p206</ref>。しかし近年の研究によって長頚型から短頚型が進化したり短頚型から長頚型が現れたりしたことが明らかとなり、これらの『型』が系統を直接現しているのではないことが判明している<ref name=satou>{{Cite journal|和書|title=首長竜 |author=佐藤たまき |author-link=佐藤たまき |year=2009 |journal=化石 |publisher=日本古生物学会 |volume=85 |page=70 |url=https://doi.org/10.14825/kaseki.85.0_69 |doi=10.14825/kaseki.85.0_69 |issn=2424-2632}}</ref>。 === 分類体系 === [[Image:Macroplata BW.jpg|thumb|right|''[[w:Macroplata|Macroplata]]'']] [[Image:Kronosaurus.jpg|thumb|right|''[[クロノサウルス|Kronosaurus]]'']] [[Image:Simolestes1DB.jpg|thumb|right|''[[w:Simolestes|Simolestes vorax]]'']] [[Image:Attenborosaurus BW.jpg|thumb|right|''[[w:Attenborosaurus|Attenborosaurus]]'']] ここで提示されている分類体系は、明記されていない限り主として Hilary F. Ketchum と Roger B. J. Benson によって2011年に発表された首長竜の分岐分析を基としている<ref name=Marmornectes>{{cite journal |year=2011 |title=A new pliosaurid (Sauropterygia, Plesiosauria) from the Oxford Clay Formation (Middle Jurassic, Callovian) of England: evidence for a gracile, longirostrine grade of Early-Middle Jurassic pliosaurids |journal=Special Papers in Palaeontology |volume=86 |pages=109–129 |author=Hilary F. Ketchum and Roger B. J. Benson }}</ref>。 *'''プリオサウルス亜目 Pliosauroidea''' **? ''[[w:Eurysaurus|Eurysaurus]]'' **? ''[[シノプリオサウルス|Sinopliosaurus]]'' **'''ロマレオサウルス科 [[w:Rhomaleosauridae|Rhomaleosauridae]]''' *** ''[[w:Archaeonectrus|Archaeonectrus]]'' *** ''[[w:Borealonectes|Borealonectes]]''<ref name=SW08>{{cite journal |last1=Sato |first1=Tamaki |last2=Wu |first2=Xiao-Chun |year=2008 |title=A new Jurassic pliosaur from Melville Island, Canadian Arctic Archipelago |journal=Canadian Journal of Earth Sciences |volume=45 |issue=3 |pages=303–320 |doi=10.1139/E08-003 |bibcode=2008CaJES..45..303S |hdl=2309/95302 |hdl-access=free }}</ref> ***? ''[[ビシャノプリオサウルス|Bishanopliosaurus]]'' *** ''[[w:Eurycleidus|Eurycleidus]]'' *** ''[[w:Macroplata|Macroplata]]'' *** ''[[w:Maresaurus|Maresaurus]]'' *** ''[[ロマレオサウルス|Rhomaleosaurus]]'' *** ''[[w:Meyerasaurus|Meyerasaurus]]'' *** ''[[w:Sthenarosaurus|Sthenarosaurus]]''<ref name=SmithDyke08>{{Cite journal |author=Adam S. Smith and Gareth J. Dyke |year=2008 |title=The skull of the giant predatory pliosaur ''Rhomaleosaurus cramptoni'': implications for plesiosaur phylogenetics |url=http://www.plesiosauria.com/pdf/smith&dyke_2008.pdf |journal=Naturwissenschaften |volume=95 |issue= 10|pages=975–980 |doi=10.1007/s00114-008-0402-z |pmid=18523747 |bibcode=2008NW.....95..975S |s2cid=12528732 }}</ref> ***? ''[[w:Yuzhoupliosaurus|Yuzhoupliosaurus]]'' **'''プリオサウルス科 [[w:Pliosauridae|Pliosauridae]]''' *** ''[[w:Anguanax|Anguanax]]'' *** ''[[w:Attenborosaurus|Attenborosaurus]]'' *** ''[[w:Gallardosaurus|Gallardosaurus]]''<ref name="Zulma Gasparini">{{cite journal |last=Gasparini |first=Zulma |year=2009 |title=A New Oxfordian Pliosaurid (Plesiosauria, Pliosauridae) in the Caribbean Seaway |url=http://www.redciencia.cu/cdorigen/arca/paper/plio2009.pdf |journal=Palaeontology |volume=52 |issue=3 |pages=661–669 |doi=10.1111/j.1475-4983.2009.00871.x |bibcode=2009Palgy..52..661G |s2cid=55353949 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20110716060129/http://www.redciencia.cu/cdorigen/arca/paper/plio2009.pdf |archive-date=2011-07-16 }}</ref> *** ''[[w:Hauffiosaurus|Hauffiosaurus]]'' *** ''[[w:Marmornectes|Marmornectes]]'' *** ''[[w:Megalneusaurus|Megalneusaurus]]'' *** ''[[リオプレウロドン|Liopleurodon]]'' *** ''[[w:Eardasaurus|Eardasaurus]]'' *** ''[[w:Pachycostasaurus|Pachycostasaurus]]'' *** ''[[w:Peloneustes|Peloneustes]]'' *** ''[[プリオサウルス|Pliosaurus]]'' *** ''[[w:Rhaeticosaurus|Rhaeticosaurus]]'' *** ''[[w:Simolestes|Simolestes]]'' *** ''[[w:Thalassiodracon|Thalassiodracon]]'' ***'''ブラカウケニウス亜科 [[w:Brachaucheninae|Brachaucheninae]]''' **** ''[[w:Brachauchenius|Brachauchenius]]'' **** ''[[クロノサウルス|Kronosaurus]]'' **** ''[[w:Makhaira (plesiosaur)|Makhaira]]'' **** ''[[w:Megacephalosaurus|Megacephalosaurus]]'' **** ''[[w:Polyptychodon|Polyptychodon]]'' **** ''[[w:Sachicasaurus|Sachicasaurus]]'' **** ''[[w:Monquirasaurus|Monquirasaurus]]'' **** ''[[w:Stenorhynchosaurus|Stenorhynchosaurus]]'' **** ''[[w:Luskhan|Luskhan]]'' === 系統発生 === [[Image:Macrocephalus.jpg|thumb|メアリー・アニングによって発見された ''"Plesiosaurus" macrocephalus'' 化石の複製。パリ・[[国立自然史博物館 (フランス)|国立自然史博物館]]]] "Pliosauroidea" は[[分岐学#分岐分類学|ステムによる分類群]]であり、ウェルズにより『[[プレシオサウルス|''Plesiosaurus dolichodeirus'']] より [[プリオサウルス|''Pliosaurus brachydeirus'']] に近い全てのタクサ』と定義された。プリオサウルス科とロマレオサウルス科も同様にステムによる分類群である。プリオサウルス科は『[[レプトクレイドゥス|''Leptocleidus superstes'']]、[[w:Polycotylus|''Polycotylus latipinnis'']]、[[w:Meyerasaurus|''Meyerasaurus victor'']] のいすれかよりも ''Pliosaurus brachydeirus'' に近い全てのタクサ』と定義され、ロマレオサウルス科は『''Leptocleidus superstes''、''Pliosaurus brachydeirus''、''Polycotylus latipinnis'' のいずれかよりも ''Meyerasaurus victor'' に近い全てのタクサ』と定義されている<ref name="Ketchum2010">{{cite journal |last1=Ketchum |first1=H.F. |last2=Benson |first2=R.B.J. |year=2010 |title=Global interrelationships of Plesiosauria (Reptilia, Sauropterygia) and the pivotal role of taxon sampling in determining the outcome of phylogenetic analyses |journal= Biological Reviews of the Cambridge Philosophical Society |volume=85 |issue=2 |pages=361–392 |doi=10.1111/j.1469-185X.2009.00107.x |pmid=20002391|s2cid=12193439 }}</ref>。下記の[[クラドグラム|分岐図]]は古生物学者の Hilary F. Ketchum と Roger B. J. Benson による2011年の分析に従い、種は省略して属まで表記したものである<ref name=Marmornectes/>。 {{clade| style=font-size:85%;line-height:85% |label1=プリオサウルス類 |sublabel1=Pliosauroidea |1={{clade |label1=ロマレオサウルス科 |sublabel1=[[w:Rhomaleosauridae|Rhomaleosauridae]] |1={{clade |1=''[[w:Anningasaura|Anningasaura]]'' |2={{clade |1={{clade |1=''"[[プレシオサウルス|Plesiosaurus]]" macrocephalus'' |2={{clade |1=''[[w:Archaeonectrus|Archaeonectrus]]'' |2=''[[w:Macroplata|Macroplata]]'' }} }} |2={{clade |1=''[[w:Atychodracon|Atychodracon]]'' |2={{clade |1=''[[w:Eurycleidus|Eurycleidus]]'' |2={{clade |1=''[[ロマレオサウルス|Rhomaleosaurus]]'' |2={{clade |1=''[[w:Meyerasaurus|Meyerasaurus]]'' |2=''[[w:Maresaurus|Maresaurus]]'' }} }} }} }} }} }} |label2=プリオサウルス科 |sublabel2=[[w:Pliosauridae|Pliosauridae]] |2={{clade |1=''[[w:Thalassiodracon|Thalassiodracon]]'' |2={{clade |1=''[[w:Hauffiosaurus|Hauffiosaurus]]'' |2={{clade |1=''[[w:Attenborosaurus|Attenborosaurus]]'' |2={{clade |1={{clade |1=BMNH R2439 |2=''[[w:Marmornectes|Marmornectes]]'' }} |2={{clade |1=''"[[プリオサウルス|Pliosaurus]]" andrewsi'' |2={{clade |1={{clade |1=OUMNH J.02247 |2=''[[w:Peloneustes|Peloneustes]]'' }} |2={{clade |1=''[[w:Simolestes|Simolestes]]'' |2={{clade |1=''[[リオプレウロドン|Liopleurodon]]'' |2={{clade |1=''[[プリオサウルス|Pliosaurus]]'' |2={{clade |1=''[[w:Megacephalosaurus|Megacephalosaurus]]''<ref name=Megacephalosaurus>{{Cite journal | last1 = Schumacher | first1 = B. A. | last2 = Carpenter | first2 = K. | last3 = Everhart | first3 = M. J. | doi = 10.1080/02724634.2013.722576 | title = A new Cretaceous Pliosaurid (Reptilia, Plesiosauria) from the Carlile Shale (middle Turonian) of Russell County, Kansas | journal = Journal of Vertebrate Paleontology | volume = 33 | issue = 3 | pages = 613–628 | year = 2013 | bibcode = 2013JVPal..33..613S | s2cid = 130165209 }}</ref> |2={{clade |1=''[[w:Brachauchenius|Brachauchenius]]'' |2=''[[クロノサウルス|Kronosaurus]]'' }} }} }} }} }} }} }} }} }} }} }} }} }} == 大型のプリオサウルス類 == 2002年、非常に大型のプリオサウルス類の発見が[[メキシコ]]からもたらされた。このプリオサウルス類は「アラムベッリの怪物 ([[w:Monster of Aramberri|Monster of Aramberri]])」として知られるようになった。これはリオプレウロドンに属すると広く報告されたが、実際にはリオプレウロドンではない<ref name="L">{{cite web |url=http://www.plesiosaur.com/plesiosaurs/liopleurodon.php |title=The Plesiosaur Site - Liopleurodon |access-date=2017-09-18 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20110715093428/http://www.plesiosaur.com/plesiosaurs/liopleurodon.php |archive-date=2011-07-15 }}</ref>。この標本は[[キンメリッジアン]]にあたるラ・カハ累層 ([[w:La Caja Formation|La Caja Formation]]) から産出した椎体の一部からなる<ref>M.-C. Buchy, E. Frey, W. Stinnesbeck, J.-G. Lopez-Oliva (2003) "First occurrence of a gigantic pliosaurid plesiosaur in the late Jurassic (Kimmeridgian) of Mexico", Bull. Soc. geol. Fr., 174(3), pp. 271-278</ref>。1985年の年始に地質学の学生によって発見され、当初は Hahnel によって[[獣脚類]][[恐竜]]であると誤同定されていた<ref>Hahnel W. (1988) "Hallazgo de restos de dinosaurio en Aramberri, N.L., Mexico", Actas Fac. Cienc. Tierra UANL Linares, 3, 245-250.</ref>。標本には元々歯がついた吻片が含まれていたが現在は失われている。 2006年の8月、[[オスロ大学]]の古生物学者がノルウェー産としては初めてのプリオサウルス類化石を発見した。この化石は「保存状態が非常によいだけでなく、保存部位の完全さもすばらしい」と記載された。この大型動物は[[プリオサウルス]]属の新種であると同定された。2008年の夏に、この巨大プリオサウルス類化石は北極圏にあるノルウェー領[[スヴァールバル諸島]][[スピッツベルゲン島]]の永久凍土層から掘り出された<ref>[http://www.foxnews.com/story/0,2933,509484,00.html?sPage=fnc/scitech/evolution Fox News: Predator X Was Most Fearsome Animal to Swim Oceans]</ref>。発掘の様子は2009年アメリカのTV番組『[[ヒストリー (TVチャンネル)|ヒストリー]]』の特番 ([[w:Predator X (TV program)|''"Predator X"'']]) として公開された。 2009年10月26日、今まで見つかった中で最大の物である可能性があるプリオサウルス類の発見が報告された。イギリス・[[ドーセット|ドーセット州]][[ウェイマス (イングランド)|ウェイマス]]近郊の[[ジュラシック・コースト]]の崖から見つかった化石は約 2 m <!--英語版にある1.96m(6f5in)の数値は細かすぎる割に出典にその値が見当たらない.BBCnewsでは2.4m、記載論文ではapproximately 2 metres."2m"をフィートに変換した数値を再度機械的にメートル法に変換している.ヤポ滅.記載論文の値を採用-->の頭蓋骨だった。古生物学者のリチャード・フォレストはBBCの取材に対して「なにか大きなものが出てきたという噂は聞いていたんだ。しかし実際に見てみると、なんというか、開いた口がふさがらなかった。ただただデカかったよ。」と述べた<ref>{{cite news| url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/sci/tech/8322629.stm| work=BBC News | first=Rebecca | last=Morelle | author-link=w:Rebecca Morelle | title=Colossal 'sea monster' unearthed | date=27 October 2009}}</ref>。この標本は新種であると同定され、科学者たちは ''Pliosaurus kevani'' という学名を与えた<ref>{{cite journal |title=A Giant Pliosaurid Skull from the Late Jurassic of England|date = 2013-05-13|author=Benson, Roger J. B.|author2=Evans, Mark|author3=Smith, Adam S.|author4=Sassoon, Judyth|author5=Moore-Faye, Scott|author6=Ketchum, Hilary F.|author7=Forrest, Richard|journal=PLOS ONE|doi=10.1371/journal.pone.0065989 |pmc=3669260|pmid=23741520|volume=8|issue=5|page=e65989|bibcode = 2013PLoSO...865989B|doi-access = free}}</ref>。 2023年10月、ドーセット海岸でのこのプリオサウルス類頭骨の発見は「この種類としては今まで発見された中で最も完全な物の一つ」と評された<ref>{{Cite news |date=2023-12-10 |title=Pliosaur discovery: Huge sea monster emerges from Dorset cliffs |language=en-GB |work=BBC News |url=https://www.bbc.com/news/science-environment-67650247 |access-date=2023-12-10}}</ref>。 == 出典 == {{reflist}} == 外部リンク == {{Commons category|Pliosauroidea}} {{Wikispecies|Pliosauroidea}} * [http://plesiosauria.com/pliosauridae The Plesiosaur Directory - pliosaur page] * [http://news.bbc.co.uk/earth/hi/earth_news/newsid_8322000/8322629.stm Large pliosaur from the Jurassic Coast, Dorset - BBC News] * [https://www.bbc.co.uk/news/science-environment-14061347 Dorset pliosaur skull after conservation - video. BBC July 2011] * [https://www.sciencedaily.com/releases/2017/05/170525125617.htm Fossils News - ScienceDaily: Luskhan Itilensis 2017] {{DEFAULTSORT:ふりおさうるするい}} [[Category:首長竜]] [[Category:中生代の生物]] [[Category:海棲爬虫類]]
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揚陸艦一覧
揚陸艦一覧(ようりくかんいちらん)は、2023年までに建造された各国の揚陸艦のリスト。
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揚陸艦一覧(ようりくかんいちらん)は、2023年までに建造された各国の揚陸艦のリスト。
{{Multiple image |width=250 |direction=vertical |image1=Lhd1 uss wasp209.jpg |caption1=強襲揚陸艦「[[ワスプ (強襲揚陸艦)|ワスプ]]」 |image2=The Green Bay (LPD 20) near New Orleans.jpg |caption2=ドック型輸送揚陸艦「[[グリーン・ベイ (ドック型輸送揚陸艦)|グリーン・ベイ]]」 |image3=Mounts Bay (L3008).jpg |caption3=ドック型補助揚陸艦「マウンツベイ」 |image4=FS Mistral 01.jpg |caption4=強襲揚陸艦「[[ミストラル (強襲揚陸艦)|ミストラル]]」 }} '''揚陸艦一覧'''(ようりくかんいちらん)は、2023年までに建造された各国の[[揚陸艦]]のリスト。 == アメリカ合衆国 == === アメリカ海軍 === ; 第二次世界大戦中に建造 * [[LST-1級戦車揚陸艦]] * [[LSM-1級中型揚陸艦]] * [[ロケット中型揚陸艦|LSM(R)-188/401級揚陸艦]] * [[アシュランド級ドック型揚陸艦]] * [[カサ・グランデ級ドック型揚陸艦]] ; 第二次世界大戦後に建造 * [[タルボット・カウンティ級戦車揚陸艦]] * [[トーマストン級ドック型揚陸艦]] * [[ボクサー級強襲揚陸艦]]{{Efn2|[[エセックス級航空母艦]]改装艦}} * [[テレボーン・パリッシュ級戦車揚陸艦]] * [[デ・ソト・カウンティ級戦車揚陸艦]] * [[イオー・ジマ級強襲揚陸艦]] * [[ローリー級ドック型輸送揚陸艦]] * [[オースティン級ドック型輸送揚陸艦]] * [[クリーブランド級ドック型輸送揚陸艦]] * [[アンカレッジ級ドック型揚陸艦]] * [[ニューポート級戦車揚陸艦]] * [[トレントン級ドック型輸送揚陸艦]] * [[タラワ級強襲揚陸艦]] * [[ホイッドビー・アイランド級ドック型揚陸艦]] * [[ワスプ級強襲揚陸艦]] * [[ハーパーズ・フェリー級ドック型揚陸艦]] * [[サン・アントニオ級ドック型輸送揚陸艦]] * [[アメリカ級強襲揚陸艦]] * {{仮リンク|LX(R)|en|LX(R)-class amphibious warfare ship}}(計画中) === アメリカ陸軍 === ; 第二次世界大戦後に建造 * [[フランク・S・ベッソン・ジュニア大将級兵站支援艦]] * [[ラニーミード級汎用揚陸艇]] == アルジェリア == * [[サン・ジョルジョ級強襲揚陸艦]] == イギリス == * [[ラウンドテーブル型支援揚陸艦]] * [[フィアレス級揚陸艦]] * [[オーシャン (ヘリコプター揚陸艦)|オーシャン]] * [[アルビオン級揚陸艦]] * [[ベイ型補助揚陸艦]] == イタリア == * [[サン・ジョルジョ級強襲揚陸艦]] * [[サン・ジュスト (揚陸艦)|サン・ジュスト]] * [[トリエステ (強襲揚陸艦)|トリエステ]] == インド == * [[クンピラ級戦車揚陸艦]] * [[マガール級揚陸艦]] * [[シャーダル級戦車揚陸艦]] * [[ジャラシュワ (ドック型揚陸艦)|ジャラシュワ]]{{Efn2|元アメリカ海軍「[[トレントン (揚陸艦)|トレントン]]」}} == エジプト == * [[ガマール・アブドゥル=ナーセル (揚陸艦)|ガマール・アブドゥル=ナーセル]]{{Efn2|name=元ロシア海軍向け|元々は[[ロシア海軍]]向けに建造されていたが、[[2014年ウクライナ騒乱]]の影響により引き渡しが中止され、エジプトが購入した。}} * {{仮リンク|アンワル・アッ=サーダート (揚陸艦)|en|Egyptian ship Anwar El Sadat|label=アンワル・アッ=サーダート}}{{Efn2|name=元ロシア海軍向け}} == オーストラリア == * [[カニンブラ級揚陸輸送艦]]{{Efn2|name=ニューポート級戦車揚陸艦|元アメリカ海軍[[ニューポート級戦車揚陸艦]]}} * [[トブルク (戦車揚陸艦)|トブルク]] * [[ベイ型補助揚陸艦]] * [[キャンベラ級強襲揚陸艦]]{{Efn2|name=準同型艦|「[[フアン・カルロス1世 (揚陸艦)|フアン・カルロス1世]]」の準同型艦}} == オランダ == * [[ロッテルダム (揚陸艦)|ロッテルダム]] * [[ヨハン・デ・ウィット (揚陸艦)|ヨハン・デ・ウィット]] * [[カレル・ドールマン (統合支援艦)|カレル・ドールマン]] == カタール == * [[サン・ジョルジョ級強襲揚陸艦]] == ガボン == * [[シャンプレーン級中型揚陸艦]] == コートジボワール == * [[シャンプレーン級中型揚陸艦]] == シンガポール == * [[エンデュアランス級揚陸艦]] == スペイン == * エルナン・コルテス級揚陸艦{{Efn2|name=ニューポート級戦車揚陸艦}} * [[ガリシア級揚陸艦]] * [[フアン・カルロス1世 (揚陸艦)|フアン・カルロス1世]] == ソビエト連邦 == * [[775型大型揚陸艦|775号計画型大型揚陸艦]] * [[タピール級揚陸艦]] * [[イワン・ロゴフ級揚陸艦]] * [[ロプーチャ級揚陸艦]] * [[ポモルニク型エアクッション揚陸艦]] == タイ == * [[エンデュアランス級揚陸艦]] * [[071型揚陸艦]] == チリ == * [[シャンプレーン級中型揚陸艦]] * [[フードル級揚陸艦]] == モロッコ == * [[シャンプレーン級中型揚陸艦]] == 韓国 == * [[雲峰級揚陸艦]] * [[高峻峰級揚陸艦]] * [[独島級揚陸艦]] * [[天王峰級揚陸艦]] == 中国 == * 山型揚陸艦{{Efn2|name=LST-1級戦車揚陸艦|元アメリカ海軍[[LST-1級戦車揚陸艦]]}} * [[玉連型揚陸艇]] * [[玉坎型揚陸艦]] * [[玉亭型揚陸艦]] * [[玉海型揚陸艇]] * [[運輸型揚陸艦]] * [[玉北型揚陸艇]] * [[071型揚陸艦]] * [[075型強襲揚陸艦]] == 中華民国(台湾) == * 中海級戦車揚陸艦{{Efn2|name=LST-1級戦車揚陸艦}} * 中和級戦車揚陸艦{{Efn2|name=ニューポート級戦車揚陸艦}} * 旭海{{Efn2|元アメリカ海軍「[[ペンサコーラ (ドック型揚陸艦)|ペンサコーラ]]」}} * 玉山型揚陸艦 == デンマーク == * [[アブサロン級多目的支援艦]] == トルコ == * [[アナドル (揚陸艦)|アナドル]]{{Efn2|name=準同型艦}} == 日本 == === 大日本帝国陸軍 === * [[陸軍特殊船]] ** [[神州丸]] ** [[あきつ丸]] ** [[にぎつ丸]] ** [[熊野丸]] * [[機動艇|SS艇]] === 大日本帝国海軍 === * [[第百一号型輸送艦]](SB艇) === 海上自衛隊 === * [[おおすみ型輸送艦 (初代)|おおすみ型輸送艦(初代)]]{{Efn2|name=LST-1級戦車揚陸艦}} * [[輸送艇1号型]] * [[おおすみ型輸送艦 (2代)|おおすみ型輸送艦(2代)]] == ニュージーランド == * [[カンタベリー (揚陸艦)|カンタベリー]] == フランス == * [[トリュー級戦車揚陸艦]] * [[ウラガン級揚陸艦]] * [[シャンプレーン級中型揚陸艦]] * [[フードル級揚陸艦]] * [[ミストラル級強襲揚陸艦]] == ブラジル == * [[フードル級揚陸艦]] * [[ラウンドテーブル型支援揚陸艦|Garcia D'Avila]] * [[オーシャン (ヘリコプター揚陸艦)|NAM Atlântico]] == ロシア == * [[イワン・グレン級揚陸艦]] * {{仮リンク|23900型強襲揚陸艦|en|Project 23900 amphibious assault ship|}}(計画中) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} <!-- === 出典 === {{Reflist|2}} --> {{warship-stub}} {{艦艇}} {{DEFAULTSORT:ようりくかんいちらん}} [[Category:軍艦の一覧]] [[Category:各国の揚陸艦|*]]
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プレシオサウルス類
プレシオサウルス類(プレシオサウルス亜目、学名:Plesiosauroidea )は肉食性の海生爬虫類の絶滅群。胴体長に対する比率が爬虫類の中で最大となるヘビのような長い首を持っていた。プレシオサウルス類はジュラ紀から白亜紀まで生息していた。その発見後、一部のプレシオサウルス類は「カメの甲羅に突き通されたヘビ」のような姿をしていると言及されてきたが、彼らに甲羅はない。 プレシオサウルス類は前期ジュラ紀(前期シネムーリアン)に現れ、白亜紀末の大絶滅まで繁栄した。最近になってより新しいタクサが皆プリオサウルス類であったことが判明し、確認された中で最古のプレシオサウルス類はグループ名の元となっているプレシオサウルスそれ自身である。中生代の双弓類という点では同時代に生きた恐竜と同じだが、彼らは恐竜ではない。胃石がしばしばプレシオサウルス類と共に発見される。 プレシオサウルス類の最初の全身骨格は19世紀初めのイングランドでメアリー・アニングによって発見され、科学界によって記載された最初の脊椎動物化石の一つとなった。スコットランドの地質学者ヒュー・ミラーによって1844年にスコットランド西部の Great Estuarine 層群(当時は Great Estuarine 統とされていた)からいくつかのプレシオサウルス類化石が発見されている。他にも多くの化石が発見され、ほぼ完全な物もあり、新たな発見が頻繁に成された。最も保存状態のよい標本の一つは2002年にイングランド・サマセットの海岸で釣り人によって発見された。発見者にちなんでコラード標本 (Collard specimen) と呼ばれるこの標本は、2007年にトーントン博物館 (Taunton Museum) で展示された。他にも、比較して少し不完全な骨格が同じく2002年にアマチュア古生物学者によってイングランド・ヨークシャーのファイリ (Filey) の崖から発見されている。保存された骨格はスカーブラのロータンダ博物館 (Rotunda Museum) で展示されている。 "Plesiosauroidea" という分類名は1825年にジョン・エドワード・グレイによって命名された。これはこのグループを代表するプレシオサウルス ( Plesiosaurus ) の属名から作られた分類名であり、その属名はギリシャ語のπλησίος(plesios:近い・すぐ近く)とσαῦρος(sauros:トカゲ)から「トカゲに近い」を意味する。 プレシオサウルス類は幅広い胴体と短い尾を持つ。祖先から受け継いだ2対の付属肢を保持しており、それらは大きな鰭に変化している。 歯のエナメル質に含まれるリン酸塩中の酸素安定同位体比 (O/O) を同緯度同時期の魚類化石中の酸素安定同位体比(外温性であるため海水温を反映していると考えられる)と比較することにより、プレシオサウルス類を含む数群の海棲爬虫類は哺乳類に似た恒温性の代謝を持っていたことが示唆されている。彼らは低温の生息環境で生存するために内温性の熱を発生させることができた。 プレシオサウルス類は初めピストサウルス類(英語版)のような形態から進化した。プレシオサウルス類にはいくつかの科が含まれ、それらは共通の一般的特徴を有しつつ様々な細部の特徴によって区別される。それらの科には、プレシオサウルス科(英語版)(前期ジュラ紀のみに生息しており特殊化していない)、クリプトクリドゥス科(英語版)(中程度の長さをした首を持ちいくぶんずんぐりした体つきをし、クリプトクリドゥスに代表される)、エラスモサウルス科(非常に長く柔軟な首と小さな頭部を持つ)、キモリアサウルス科(英語版)(白亜紀産で余りよくわかっていない)などがある。伝統的な分類では全てのプレシオサウルス類は小さな頭部と長い首を持つことになっているが、近年の分類では、白亜紀の短い首と大きな頭部を持つポリコティルス科(英語版)はプリオサウルス類ではなくプレシオサウルス類に含まれている。プレシオサウルス類内で異なるタクサ間の大きさの変異は著しく、トリナクロメルムの全長は 3 m と推定されている一方でマウイサウルスは 20 m にまで成長した。 首長竜の中には小型の頭部と長い頚部をもつ『長頚型』のものと大型の頭部と短い頚部をもつ『短頚型』の2つの型があり、旧来の分類では前者の型を持つものが「プレシオサウルス類」、後者の型が「プリオサウルス類」として、首長竜進化の初期から分化した2大系統として亜目や上科の分類階級を与えられていた。しかし、近年の研究によって長頚型から短頚型が進化したり短頚型から長頚型が現れたりしたことが明らかとなり、これらの『型』が系統を直接現しているのではないことが判明している。 以下の分岐図は Benson & Druckenmiller (2014) に従う。 系統的には従兄弟にあたるプリオサウルス類とは異なり、プレシオサウルス類は(ポリコティルス科を除く)おそらく緩慢に泳ぐ動物だった。彼らは水面下をゆったりと巡航し、警戒していない魚や頭足類をすばやく咥え上げるための頭部移動にその長く柔軟な首を用いたのだろう。4枚の鰭で遊泳するように適応したことにより、獲物を捕らえるために胴体を急速に回転させられるような卓越した機動性を得た可能性がある。 多くのプレシオサウルス類の復元図に反して、しばしば描かれる頭部と首を水面上に持ち上げた「白鳥のような」姿勢を取ることは不可能だった。仮にそのように首を上方に曲げることが可能であった(実際にはできない)としても、その姿勢では重力により胴体は前方に傾き、重い首のほとんどの部分は水面下のままとなっただろう。 2011年8月12日、アメリカの研究者が1987年にカンザス州の農場で発見された妊娠中のプレシオサウルス類化石を記載した。そのプレシオサウルス類 ( Polycotylus latippinus ) により、これらの捕食性海生爬虫類が1頭の大きく成長した子供を出産することが確認された(これは典型的な他の海生爬虫類の繁殖が、大量で小型の幼生を産み落とすのとは逆である)。この研究以前、時としてプレシオサウルス類はウミガメがするように海から這い上がって卵を産むように描かれていたが、専門家は長らくプレシオサウルス類の解剖学的特徴は陸上での移動に適していないと考えていた。母親の全長は 4 m 超と計測され、胎児の全長は 1.5 m ほどだった。
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プレシオサウルス類は肉食性の海生爬虫類の絶滅群。胴体長に対する比率が爬虫類の中で最大となるヘビのような長い首を持っていた。プレシオサウルス類はジュラ紀から白亜紀まで生息していた。その発見後、一部のプレシオサウルス類は「カメの甲羅に突き通されたヘビ」のような姿をしていると言及されてきたが、彼らに甲羅はない。 プレシオサウルス類は前期ジュラ紀(前期シネムーリアン)に現れ、白亜紀末の大絶滅まで繁栄した。最近になってより新しいタクサが皆プリオサウルス類であったことが判明し、確認された中で最古のプレシオサウルス類はグループ名の元となっているプレシオサウルスそれ自身である。中生代の双弓類という点では同時代に生きた恐竜と同じだが、彼らは恐竜ではない。胃石がしばしばプレシオサウルス類と共に発見される。
{{生物分類表 |名称 = プレシオサウルス類<br/>Plesiosauroidea | fossil_range = [[後期三畳紀]] - [[後期白亜紀]], {{fossil range|210|66}} |地質時代=[[後期三畳紀]] |地質時代2=[[後期白亜紀]] |画像 = [[ファイル:Elasmosaurus platyurus.jpg|250px]] |画像キャプション = [[エラスモサウルス]]復元図 |省略=爬虫綱 |亜綱階級なし = [[双弓類]] {{sname||Diapsida}} |上目階級なし = [[鰭竜類]] {{sname||Sauropterygia}} |目 = [[首長竜|首長竜目]] {{sname||Plesiosauria}} |亜目 = プレシオサウルス亜目 {{sname||Plesiosauroidea}} |学名 = '''Plesiosauroidea'''<br/>{{AUY|[[ジョン・エドワード・グレイ|Gray]]|1825}} |和名 = プレシオサウルス類 |下位分類 = * ''[[w:Eoplesiosaurus|Eoplesiosaurus]]'' * ''[[w:Plesiopharos|Plesiopharos]]'' * [[w:Microcleididae|Microcleididae]] * '''[[w:Plesiosauridae|Plesiosauridae]]''' ** ''[[w:Eretmosaurus|Eretmosaurus]]'' ** ''[[w:Hydrorion|Hydrorion]]'' ** ''[[w:Leurospondylus|Leurospondylus]]''? ** ''[[w:Plesiopterys|Plesiopterys]]'' ** ''[[プレシオサウルス|Plesiosaurus]]'' * [[w:Cryptoclidia|Cryptoclidia]] }} '''プレシオサウルス類'''(プレシオサウルスるい、'''プレシオサウルス亜目'''、[[学名]]:'''Plesiosauroidea''' )は[[肉食性]]の海生[[爬虫類]]の[[絶滅]]群。胴体長に対する比率が爬虫類の中で最大となる[[ヘビ]]のような長い首を持っていた。プレシオサウルス類は[[ジュラ紀]]から[[白亜紀]]まで生息していた。その発見後、一部のプレシオサウルス類は「カメの甲羅に突き通されたヘビ」のような姿をしていると言及されてきたが<ref name=":0">{{Cite web |last=Everhart |first=Mike |date=2005-10-14 |title=A Snake Drawn Through the Shell of a Turtle |url=http://www.oceansofkansas.com/Snaketurtle.html |access-date=2010-06-10 |work=[[w:Oceans of Kansas Paleontology|Oceans of Kansas Paleontology]]}}</ref>、彼らに甲羅はない。 プレシオサウルス類は[[前期ジュラ紀]](前期[[シネムーリアン]])に現れ、[[白亜紀]]末の[[白亜紀と古第三紀の間の大量絶滅|大絶滅]]まで繁栄した。最近になってより新しいタクサが皆[[プリオサウルス類]]であったことが判明し、確認された中で最古のプレシオサウルス類はグループ名の元となっている[[プレシオサウルス]]それ自身である<ref name=Marmornectes>{{cite journal |author1=Ketchum, Hilary F. |author2=Benson, Roger B. J. |year=2011 |title=A new pliosaurid (Sauropterygia, Plesiosauria) from the Oxford Clay Formation (Middle Jurassic, Callovian) of England: evidence for a gracile, longirostrine grade of Early-Middle Jurassic pliosaurids |journal=Special Papers in Palaeontology |volume=86 |pages=109–129 |url=https://www.palass.org/publications/special-papers-palaeontology/archive/86/article_pp109-129}}</ref>。[[中生代]]の[[双弓類]]という点では同時代に生きた恐竜と同じだが、彼らは恐竜ではない。[[胃石]]がしばしばプレシオサウルス類と共に発見される<ref name="cedaro-gast-occ-168" />。 == 歴史と発見 == [[File:Mary Anning Plesiosaurus.jpg|left|thumb|''Plesiosaurus dolichodeirus'' の発見について書かれたメアリー・アニングによる自筆書簡]] プレシオサウルス類の最初の全身骨格は19世紀初めのイングランドで[[メアリー・アニング]]によって発見され、科学界によって記載された最初の脊椎動物化石の一つとなった。スコットランドの地質学者[[ヒュー・ミラー]]によって1844年にスコットランド西部の[[w:Great Estuarine Group| Great Estuarine 層群]](当時は Great Estuarine 統とされていた)からいくつかのプレシオサウルス類化石が発見されている<ref>{{Cite book |title=The Geology of Scotland |publisher=[[w:The Geological Society of London|The Geological Society of London]] |year=2002 |editor-last=Trewin |editor-first=N. H. |location= |pages=339}}</ref>。他にも多くの化石が発見され、ほぼ完全な物もあり、新たな発見が頻繁に成された。最も保存状態のよい標本の一つは2002年にイングランド・[[サマセット]]の海岸で釣り人によって発見された。発見者にちなんでコラード標本 (Collard specimen) と呼ばれるこの標本は、2007年にトーントン博物館 (Taunton Museum) で展示された。他にも、比較して少し不完全な骨格が同じく2002年にアマチュア古生物学者によってイングランド・ヨークシャーのファイリ ([[w:Filey|Filey]]) の崖から発見されている。保存された骨格は[[スカーブラ (イングランド)|スカーブラ]]のロータンダ博物館 ([[w:Rotunda Museum|Rotunda Museum]]) で展示されている。 "Plesiosauroidea" という分類名は1825年に[[ジョン・エドワード・グレイ]]によって命名された。これはこのグループを代表する[[プレシオサウルス]] ( ''Plesiosaurus'' ) の属名から作られた分類名であり、その属名は[[ギリシャ語]]の{{lang|grc|πλησίος}}(plesios:近い・すぐ近く)と{{lang|grc|σαῦρος}}(sauros:トカゲ)から「トカゲに近い」を意味する。 == 記載 == プレシオサウルス類は幅広い胴体と短い[[尾]]を持つ。祖先から受け継いだ2対の付属肢を保持しており、それらは大きな[[鰭]]に変化している。 歯のエナメル質に含まれるリン酸塩中の[[酸素の同位体|酸素安定同位体]]比 (<sup>18</sup>O/<sup>16</sup>O) を同緯度同時期の魚類化石中の酸素安定同位体比(外温性であるため海水温を反映していると考えられる)と比較することにより、プレシオサウルス類を含む数群の海棲爬虫類は哺乳類に似た恒温性の代謝を持っていたことが示唆されている。彼らは低温の生息環境で生存するために[[内温性]]の熱を発生させることができた<ref>{{cite journal|url=https://www.sciencedaily.com/releases/2010/06/100614093341.htm |title=Warm-blooded marine reptiles at the time of the dinosaurs |journal=Science |volume=328 |issue=5984 |pages=1379–1382 |doi=10.1126/science.1187443 |pmid=20538946 |publisher=Sciencedaily.com |date=2010-06-15 |access-date=2011-08-15|bibcode=2010Sci...328.1379B |last1=Bernard |first1=A. |last2=Lecuyer |first2=C. |last3=Vincent |first3=P. |last4=Amiot |first4=R. |last5=Bardet |first5=N. |last6=Buffetaut |first6=E. |last7=Cuny |first7=G. |last8=Fourel |first8=F. |last9=Martineau |first9=F. |last10=Mazin |first10=J.-M. |last11=Prieur |first11=A. |s2cid=206525584 |url-access=subscription }}</ref>。 == 進化 == [[Image:Dolichorhynchops.jpg|thumb|短い首と長い頭部を持ったプレシオサウルス類である ''Dolichorhynchops''。[[ワシントンD.C.]]・[[国立自然史博物館 (アメリカ)|国立自然史博物館]]]] プレシオサウルス類は初め{{仮リンク|ピストサウルス類|en|Pistosauroidea}}のような形態から進化した。プレシオサウルス類にはいくつかの[[科]]が含まれ、それらは共通の一般的特徴を有しつつ様々な細部の特徴によって区別される。それらの科には、{{仮リンク|プレシオサウルス科|en|Plesiosauridae}}([[前期ジュラ紀]]のみに生息しており特殊化していない)、{{仮リンク|クリプトクリドゥス科|en|Cryptoclididae}}(中程度の長さをした首を持ちいくぶんずんぐりした体つきをし、[[クリプトクリドゥス]]に代表される)、[[エラスモサウルス科]](非常に長く柔軟な首と小さな頭部を持つ)、{{仮リンク|キモリアサウルス科|en|Cimoliasauridae}}(白亜紀産で余りよくわかっていない)などがある。伝統的な分類では全てのプレシオサウルス類は小さな頭部と長い首を持つことになっているが、近年の分類では、白亜紀の短い首と大きな頭部を持つ{{仮リンク|ポリコティルス科|en|Polycotylidae}}はプリオサウルス類ではなくプレシオサウルス類に含まれている。プレシオサウルス類内で異なるタクサ間の大きさの変異は著しく、[[トリナクロメルム]]の全長は 3 m と推定されている一方で[[マウイサウルス]]は 20 m にまで成長した。 首長竜の中には小型の頭部と長い頚部をもつ『長頚型』のものと大型の頭部と短い頚部をもつ『短頚型』の2つの型があり、旧来の分類では前者の型を持つものが「プレシオサウルス類」、後者の型が「プリオサウルス類」として、首長竜進化の初期から分化した2大系統として亜目や上科の分類階級を与えられていた<ref>E.H.コルバート 『脊椎動物の進化』上 築地書館 1978 ISBN 4-8067-1095-4 p206</ref>。しかし、近年の研究によって長頚型から短頚型が進化したり短頚型から長頚型が現れたりしたことが明らかとなり、これらの『型』が系統を直接現しているのではないことが判明している<ref name=satou>{{Cite journal|和書|title=首長竜 |author=佐藤たまき |author-link=佐藤たまき |year=2009 |journal=化石 |publisher=日本古生物学会 |volume=85 |page=70 |url=https://doi.org/10.14825/kaseki.85.0_69 |doi=10.14825/kaseki.85.0_69 |issn=2424-2632}}</ref>。 === 系統関係 === [[Image:Muraenosaurus BW.jpg|right|thumb|''[[ムラエノサウルス|Muraenosaurus]]''(クリプトクリドゥス科)]] [[Image:Styxosaurus BW.jpg|right|thumb|''[[スティクソサウルス|Styxosaurus]]''(エラスモサウルス科)]] 以下の[[クラドグラム|分岐図]]は Benson & Druckenmiller (2014) に従う<ref name=plesiosaurturnover>{{Cite journal | last1 = Benson | first1 = R. B. J. | last2 = Druckenmiller | first2 = P. S. | doi = 10.1111/brv.12038 | title = Faunal turnover of marine tetrapods during the Jurassic-Cretaceous transition | journal = Biological Reviews | pages = 1–23| year = 2013 | pmid = 23581455| volume=89| issue = 1 | s2cid = 19710180 }}</ref>。 {{clade| style=font-size:100%;line-height:100% |label1='''Plesiosauroidea''' |1={{clade |1=''[[プレシオサウルス|Plesiosaurus]]'' |2={{clade |1=''[[w:Eretmosaurus|Eretmosaurus]]'' |2=''[[w:Westphaliasaurus|Westphaliasaurus]]'' |3=[[w:Microcleididae|Microcleididae]] |4={{clade |1=''[[w:Plesiopterys|Plesiopterys]]'' |label2=[[w:Cryptoclidia|Cryptoclidia]] |2={{clade |1=[[w:Cryptoclididae|Cryptoclididae]] |label2=[[w:Xenopsaria|Xenopsaria]] |2={{clade |1=[[エラスモサウルス科|Elasmosauridae]] |label2=[[w:Leptocleidia|Leptocleidia]] |2={{clade |1=[[w:Leptocleididae|Leptocleididae]] |2=[[w:Polycotylidae|Polycotylidae]] }} }} }} }} }} }} }} == 行動 == [[Image:Plesiosaurus 3DB.jpg|thumb|left|2頭の ''Plesiosaurus dolichodeirus'' 復元図。1頭は魚を捕まえている。]] 系統的には従兄弟にあたるプリオサウルス類とは異なり、プレシオサウルス類は(ポリコティルス科を除く)おそらく緩慢に泳ぐ動物だった<ref>{{cite journal | last1 = Massare | first1 = J. A. | year = 1988 | title = Swimming capabilities of Mesozoic marine reptiles: Implications for method of predation | journal = Paleobiology | volume = 14 | issue = 2| pages = 187–205 | doi=10.1017/s009483730001191x| bibcode = 1988Pbio...14..187M | s2cid = 85810360 }}</ref>。彼らは水面下をゆったりと巡航し、警戒していない魚や[[頭足類]]をすばやく咥え上げるための頭部移動にその長く柔軟な首を用いたのだろう。4枚の鰭で遊泳するように適応したことにより、獲物を捕らえるために胴体を急速に回転させられるような卓越した機動性を得た可能性がある。 多くのプレシオサウルス類の復元図に反して、しばしば描かれる頭部と首を水面上に持ち上げた「[[白鳥]]のような」姿勢を取ることは不可能だった<ref name=":0" /><ref>{{cite journal | last1 = Henderson | first1 = D. M. | year = 2006 | title = Floating point: a computational study of buoyancy, equilibrium, and gastroliths in plesiosaurs | journal = Lethaia | volume = 39 | issue = 3| pages = 227–244 | doi=10.1080/00241160600799846| url = http://doc.rero.ch/record/16190/files/PAL_E3399.pdf }}</ref>。仮にそのように首を上方に曲げることが可能であった(実際にはできない)としても、その姿勢では重力により胴体は前方に傾き、重い首のほとんどの部分は水面下のままとなっただろう。 2011年8月12日、アメリカの研究者が1987年にカンザス州の農場で発見された妊娠中のプレシオサウルス類化石を記載した<ref>{{cite journal|author=F. R. O’Keefe1,*, L. M. Chiappe2 |url=https://www.science.org/doi/abs/10.1126/science.1205689 |title=Viviparity and K-Selected Life History in a Mesozoic Marine Plesiosaur (Reptilia, Sauropterygia) |journal=Science |year=2011 |volume=333 |issue=6044 |pages=870–873 |publisher=Sciencemag.org |doi=10.1126/science.1205689 |pmid=21836013 |bibcode=2011Sci...333..870O |s2cid=36165835 |access-date=2011-08-15|url-access=subscription }}</ref>。そのプレシオサウルス類 ( ''Polycotylus latippinus'' ) により、これらの捕食性海生爬虫類が1頭の大きく成長した子供を出産することが確認された(これは典型的な他の海生爬虫類の繁殖が、大量で小型の幼生を産み落とすのとは逆である)。この研究以前、時としてプレシオサウルス類はウミガメがするように海から這い上がって卵を産むように描かれていたが、専門家は長らくプレシオサウルス類の解剖学的特徴は陸上での移動に適していないと考えていた。母親の全長は 4 m 超と計測され、胎児の全長は 1.5 m ほどだった<ref>{{cite web |author=Anthony King |url=http://www.cosmosmagazine.com/news/4615/ancient-sea-dragons-had-a-caring-side |title=Ancient sea dragons had a caring side |publisher=Cosmosmagazine.com |access-date=2011-08-15 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20111001200222/http://www.cosmosmagazine.com/news/4615/ancient-sea-dragons-had-a-caring-side |archive-date=2011-10-01 }}</ref>。 == 出典 == {{Reflist|30em|refs= <ref name="cedaro-gast-occ-168">"Occurrence of Gastroliths in Mesozoic Taxa," in Sanders et al. (2001). Page 168.</ref> }} == 参考文献 == {{refbegin|30em}} *{{cite journal | last1 = Carpenter | first1 = K | year = 1996 | title = A review of short-necked plesiosaurs from the Cretaceous of the western interior, North America | journal = Neues Jahrbuch für Geologie und Paläontologie, Abhandlungen | volume = 201 | issue = 2| pages = 259–287 | doi = 10.1127/njgpa/201/1996/259 | url = http://doc.rero.ch/record/15069/files/PAL_E2225.pdf }} *Carpenter, K. 1997. "Comparative cranial anatomy of two North American Cretaceous plesiosaurs". Pp.&nbsp;91–216, in Calloway J. M. and E. L. Nicholls, (eds.), ''Ancient Marine Reptiles'', Academic Press, San Diego. *{{cite journal | last1 = Carpenter | first1 = K | year = 1999 | title = Revision of North American elasmosaurs from the Cretaceous of the western interior | journal = Paludicola | volume = 2 | issue = 2| pages = 148–173 }} *{{cite journal | last1 = Cicimurri | first1 = D. J. | last2 = Everhart | first2 = M. J. | year = 2001 | title = An elasmosaur with stomach contents and gastroliths form the Pierre Shale (Late Cretaceous) of Kansas | journal = Transactions of the Kansas Academy of Science | volume = 104 | issue = 3–4| pages = 129–143 | doi = 10.1660/0022-8443(2001)104[0129:aewsca]2.0.co;2 | s2cid = 86037286 }} *{{cite journal | last1 = Cope | first1 = E. D. | year = 1868 | title = Remarks on a new enaliosaurian, ''Elasmosaurus platyurus'' | journal = Proceedings of the Academy of Natural Sciences of Philadelphia | volume = 20 | pages = 92–93 }} *Ellis, R. 2003. ''Sea Dragons''' ([[w:Kansas University Press|Kansas University Press]]) *{{cite journal | last1 = Everhart | first1 = M. J. | year = 2000 | title = Gastroliths associated with plesiosaur remains in the Sharon Springs Member of the Pierre Shale (Late Cretaceous), western Kansas | journal = Kansas Acad. Sci. 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Possible missing elements of the type specimen of ''Elasmosaurus platyurus'' Cope 1868? | journal = PalArch | volume = 4 | issue = 3| pages = 19–32 }} *{{cite journal | last1 = Everhart | first1 = M. J. | year = 2006 | title = The occurrence of elasmosaurids (Reptilia: Plesiosauria) in the Niobrara Chalk of Western Kansas | journal = Paludicola | volume = 5 | issue = 4| pages = 170–183 }} *{{cite journal | last1 = Everhart | first1 = M. J. | year = 2007 | title = Use of archival photographs to rediscover the locality of the Holyrood elasmosaur (Ellsworth County, Kansas) | journal = Transactions of the Kansas Academy of Science | volume = 110 | issue = 1/2| pages = 135–143 | doi = 10.1660/0022-8443(2007)110[135:uoaptr]2.0.co;2 | s2cid = 86051586 }} *Everhart, M. J. 2007. Sea Monsters: Prehistoric Creatures of the Deep. National Geographic, 192 p.&nbsp;{{ISBN|978-1-4262-0085-4}}. *Everhart, M. J. 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A new species of elasmosaur from the Aptian of Columbia and a review of the Cretaceous plesiosaurs. University of California Publications in Geological Science 46, 96 pp. *{{cite journal | last1 = White | first1 = T | year = 1935 | title = in | journal = Occasional Papers Boston Soc. Nat. Hist. | volume = 8 | pages = 219–228 }} *{{cite journal | last1 = Williston | first1 = S. W. | year = 1890 | title = A new plesiosaur from the Niobrara Cretaceous of Kansas | journal = Transactions of the Kansas Academy of Science | volume = 12 | pages = 174–178 | doi=10.2307/3623798| jstor = 3623798 }}, 2 fig. *Williston, S. W. 1902. Restoration of ''Dolichorhynchops osborni'', a new Cretaceous plesiosaur. Kansas University Science Bulletin, 1(9):241-244, 1 plate. *Williston, S. W. 1903. North American plesiosaurs. Field Columbian Museum, Publication 73, Geology Series 2(1): 1-79, 29 pl. *{{cite journal | last1 = Williston | first1 = S. W. | year = 1906 | title = North American plesiosaurs: ''Elasmosaurus'', ''Cimoliasaurus'', and ''Polycotylus'' | series = 4| journal = American Journal of Science | volume = 21 | issue = 123| pages = 221–234 | bibcode = 1906AmJS...21..221W | doi = 10.2475/ajs.s4-21.123.221 | url = https://zenodo.org/record/1450146 }}, 4 pl. *{{cite journal | last1 = Williston | first1 = S. W. | year = 1908 | title = North American plesiosaurs: ''Trinacromerum'' | url =https://zenodo.org/record/1431449 | journal = Journal of Geology | volume = 16 | issue = 8| pages = 715–735 | doi=10.1086/621573 | bibcode=1908JG.....16..715W| s2cid = 129889740 | doi-access = free }} * ( ), 1997: in ''Reports of the National Center for Science Education'', '''17.3''' (May/June 1997) pp 16–28. {{refend}} == 外部リンク == {{Commons category|Plesiosauroidea}} {{Wikispecies|Plesiosauroidea}} *[http://www.foxnews.com/story/0,2933,218012,00.html?sPage=fnc.science/evolution Fox News: Possibly Complete Plesiosaur Skeleton Found in Arctic] * ''[http://www.plesiosaur.com/ The Plesiosaur Site]''. Richard Forrest. * ''[http://www.plesiosauria.com/ The Plesiosaur Directory]''. 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デモクリトス (リベーラ)
『デモクリトス』は、スペインのバロック絵画の巨匠ホセ・デ・リベーラが1630年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。現在、マドリードのプラド美術館に所蔵されている。人物については諸説があるが、古代ギリシアの哲学者デモクリトスを表しているものとみなされている。 伝統的に、絵画の人物は、手に持っているコンパスと幾何学的図形のある書類のためにシチリアの数学者アルキメデスを描いたものであるとみなしてきた。しかし、美術史家のデルフィーン・フィッツ・ダービー (Delphine Fitz Darby) は、1962年に人物はデモクリトスであると提唱した。それは、彼が率直な笑みを見せているからで、彼は「笑う哲学者」として知られているのである。本作は行方不明とされ、1629年から1631年までリベーラの主な顧客であったアルカラ (Alcalá) 公爵の所有であった『コンパスを持つ哲学者』として知られる作品である可能性がある。アルキメデス、デモクリトスのいずれにしても、「ぼろを纏う哲学者」シリーズの作品中、最も古い作品といえるであろう。17世紀のイタリアで非常に好評を博した「ぼろを纏った哲学者」のジャンルを確立したのはリベーラであるといっても過言ではない。 最初の記録によれば、作品は1764年にエル・エスコリアル修道院にあり、後に現在の所蔵先であるプラド美術館に収蔵された。 この哲学者は半身像で描かれている。乞食の身なりをして、右手にコンパスを持ち、左手には幾何学的図形の表された書類を持っている。画面は褐色系の彩色で覆われており、そのため人物の襟元や左下にある静物の一部をなす紙の白さが目立っている。画面下部右側にある本の背表紙には、画家の署名と制作年「Jusepe de Ribera español / F 1630」 (スペインのジュゼッペ・デ・リベーラ/1630年制作) が記されている。 深い皴の刻まれた笑顔と、骨ばった長い指のある手が画面の焦点となっており、それらは非常に忠実な写実主義で描かれている。左側から光が差し込み、哲学者の身体を照らしている。その光は、頭部の周りに明るい絵具で描かれた光輪および無地の背景と相まって、人物を浮かび上がらせ、画面に大きな遠近感とリアリズムを付与している。イタリア・バロック絵画の巨匠カラヴァッジョは市井の人物を聖人のモデルに使ったが、この絵画のためにリベーラも市井の人物にポーズを取らせたと考えられている。モデルはおそらく道端で見つけた無名の人物で、画家は彼があたかも貴族か王のように描いた。 ニコラ・スピノーサ (Nícola Spinosa) は、自身の著作で本作を「副王統治下のナポリの路地で見かけられた、どこにでもいる農民の肖像であり、その肖像の中で、画家は古代ギリシア・レバント地方に由来する特質を正確に捉える術を知っており、それを尽きない生命力と典型的な地中海の人間の姿の中に描いている」と定義している。
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『デモクリトス』は、スペインのバロック絵画の巨匠ホセ・デ・リベーラが1630年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。現在、マドリードのプラド美術館に所蔵されている。人物については諸説があるが、古代ギリシアの哲学者デモクリトスを表しているものとみなされている。
{{Infobox artwork |title=デモクリトス |other_language_1=[[スペイン語]] |other_title_1=Demócrito |other_language_2=[[英語]] |other_title_2=Democritus |image=(Toulouse) Démocrite (1630) - Jusepe de Ribera - Madrid, Museo Nacional del Prado.jpg |image_size=350px |image_upright=1.2 |artist=[[ホセ・デ・リベーラ]] |year=1630年 |type=[[キャンバス]]上に[[油彩]] |height_metric=125 |width_metric=81 |length_metric= |diameter_metric= |museum=[[プラド美術館]] |city=[[マドリード]] }} 『'''デモクリトス'''』({{Lang-en-short|Demócrito}}、{{Lang-en-short|Democritus}})は、[[スペイン]]のバロック絵画の巨匠[[ホセ・デ・リベーラ]]が1630年に[[キャンバス]]上に油彩で制作した絵画である。この絵画に描かれている人物については諸説があるが、[[古代ギリシア]]の[[哲学者]][[デモクリトス]]を表しているものとみなされている<ref name="MP">{{Cite web |url=https://www.museodelprado.es/en/the-collection/art-work/democritus/eb5f6aeb-ae96-40ff-a401-7dc415664189 |title=Democritus|publisher=[[プラド美術館]]公式サイト (英語) |access-date=2023/12/25}}</ref><ref name="ReferencePG">プラド美術館ガイドブック、2009年、77項。</ref>。最初の記録によれば、作品は1700年以来、スペイン王室の所蔵で、1764年に[[エル・エスコリアル修道院]]にあったことが記録されている。後に現在の所蔵先である[[マドリード]]の[[プラド美術館]]に収蔵された<ref name="MP" /><ref name="ReferencePG" />。 == 歴史 == 伝統的に、絵画の人物は、手に持っている[[コンパス]]と[[幾何学]]的図形のある書類のために[[シチリア]]の数学者[[アルキメデス]]を描いたものであるとみなしてきた<ref name="MP" /><ref name="ReferencePG" />。しかし、[[美術史]]家のデルフィーン・フィッツ・ダービー (Delphine Fitz Darby) は、1962年に人物はデモクリトスであると提唱した。それは、彼が率直な笑みを見せているからで、彼は「笑う哲学者」として知られているのである<ref name="MP" /><ref name="ReferencePG" />。本作は行方不明とされ、1629年から1631年までリベーラの主な顧客であったアルカラ (Alcalá) 公爵の所有であった『コンパスを持つ哲学者』として知られる作品である可能性がある<ref name="MP" />。アルキメデス、デモクリトスのいずれにしても、「ぼろを纏う哲学者」シリーズの作品中、最も古い作品といえるであろう<ref name="MP" /><ref name="ReferencePG" />。17世紀の[[イタリア]]で非常に好評を博し、[[サルヴァトル・ローザ]]や[[ルカ・ジョルダーノ]]が描いた「ぼろを纏った哲学者」のジャンルを確立したのはリベーラであるといっても過言ではない<ref name="MP" /><ref name="ReferencePG" />。 == 作品 == この哲学者は半身像で描かれている。乞食の身なりをして、右手にコンパスを持ち、左手には幾何学的図形の表された書類を持っている<ref name="MP" /><ref name="ReferencePG" />。画面は褐色系の彩色で覆われており、そのため人物の襟元や左下にある静物の一部をなす紙の白さが目立っている<ref name="ReferencePG" />。画面下部右側にある本の背表紙には、画家の署名と制作年「Jusepe de Ribera español / F 1630」 (スペインのジュゼッペ・デ・リベーラ/1630年制作) が記されている。   深い皴の刻まれた笑顔と、骨ばった長い指のある手が画面の焦点となっており、それらは非常に忠実な写実主義で描かれている<ref name="MP" />。左側から光が差し込み、哲学者の身体を照らしている。その光は、頭部の周りに明るい絵具で描かれた[[光輪 (宗教美術)|光輪]]および無地の背景と相まって、人物を浮かび上がらせ、画面に大きな[[遠近法|遠近感]]とリアリズムを付与している。イタリア・バロック絵画の巨匠[[カラヴァッジョ]]は市井の人物を聖人のモデルに使ったが、この絵画のためにリベーラも市井の人物にポーズを取らせたと考えられている<ref name="MP" /><ref name="ReferencePG" />。モデルはおそらく道端で見つけた無名の人物で、画家は彼があたかも貴族か王のように描いた。 ニコラ・スピノーサ (Nícola Spinosa) は、自身の著作で本作を「[[副王]]統治下のナポリの路地で見かけられた、どこにでもいる農民の肖像であり、その肖像の中で、画家は古代ギリシア・[[レバント地方]]に由来する特質を正確に捉える術を知っており、それを尽きない生命力と典型的な地中海の人間の姿の中に描いている」と定義している<ref name="MP" />。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * プラド美術館ガイドブック、プラド美術館、2009年刊行 ISBN 978-84-8480-189-4 == 外部リンク == * [https://www.museodelprado.es/en/the-collection/art-work/democritus/eb5f6aeb-ae96-40ff-a401-7dc415664189 プラド美術館公式サイト、ホセ・デ・リベーラ『デモクリトス』 (英語)] {{ホセ・デ・リベーラ}} {{DEFAULTSORT:てもくりとすりへえら}} [[Category:ホセ・デ・リベーラの作品]] [[Category:プラド美術館の所蔵品]] [[Category:1630年代の絵画]]
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宮地淳夫
宮地 淳夫(みやち あつお)は、日本の国土交通技官。和歌山県県土整備部長や、調布市副市長を経て、建設物価調査会常任参与、戸田建設顧問。 東京都立西高等学校を経て、1982年東京大学大学院工学系研究科土木工学専門課程修了、建設省入省。建設省道路局有料道路課課長補佐、建設省中部地方建設局沼津工事事務所長、和歌山県県土整備部長を経て、2007年国土交通省近畿地方整備局道路部長。2010年調布市副市長。2013年国土地理院参事官。2014年国土交通省大臣官房付、退官、建設物価調査会常任参与。2014年戸田建設常務執行役員土木本部執務。2023年戸田建設顧問。
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宮地 淳夫は、日本の国土交通技官。和歌山県県土整備部長や、調布市副市長を経て、建設物価調査会常任参与、戸田建設顧問。
'''宮地 淳夫'''(みやち あつお)は、[[日本]]の[[国土交通省|国土交通]][[技官]]。[[和歌山県]]県土整備部長や、[[調布市]][[副市長]]、[[国土地理院]][[参事官]]を経て、[[建設物価調査会]]常任[[参与]]、[[戸田建設]][[顧問]]。 == 人物・経歴 == [[東京都立西高等学校]]を経て、1982年[[東京大学大学院工学系研究科]][[土木工学]]専門課程修了、[[建設省]]入省<ref name="os"/>。建設省[[道路局]][[有料道路]]課課長補佐、建設省[[中部地方建設局]][[沼津市|沼津]]工事事務所長<ref>官報平成6年号外第70号 30頁</ref>、[[和歌山県]]県土整備部長を経て、2007年[[国土交通省]][[近畿地方整備局]]道路部長<ref>官報平成19年本紙第4635号 8頁</ref>。2010年[[調布市]][[副市長]]<ref name="os">[https://osuga01.tamaliver.jp/e138392.html 議会事務局辞令交付/宮地副市長/直江ポスター/消防団点検日]調布市議・大須賀ひろすけ</ref>。2013年[[国土地理院]][[参事官]]<ref>平成官報25年号外第201号 5頁</ref>。2014年[[国土交通省大臣官房]]付、[[退官]]、[[建設物価調査会]]常任参与<ref>[https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/jinjikyoku/files/houkoku_h261219_siryou.pdf 国家公務員法第106条の25第1項等の規定に基づく国家公務員の再就職状況の報告(平成26年7月1日~同年9月30日分)]平成26年12月19日 内 閣 官 房 内 閣 人 事 局</ref>。2014年[[戸田建設]]常務執行役員土木本部執務<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLMSJP20201_R00C17A9000000/ 人事、戸田建設]日本経済新聞2017年9月1日 15:52</ref>。2023年戸田建設[[顧問]]<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXZTSJP70301_W3A210C2000000/ 人事、戸田建設]日本経済新聞2023年2月16日 15:42</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} {{先代次代|和歌山県県土整備部長|2005年 - 2007年|[[酒井利夫]]|[[茅野牧夫]]}} {{先代次代|調布市副市長|2010年 - 2013年|[[河野俊郎]]|[[初宿和夫]]}} {{先代次代|国土地理院参事官|2013年 - 2014年|[[稲葉和雄]]|[[村上真幸]]}} {{DEFAULTSORT:みやち あつお}} [[Category:日本の国土交通技官]] [[Category:東京都内の地方公務員出身の人物]] [[Category:工学修士取得者]] [[Category:東京大学出身の人物]] [[Category:東京都立西高等学校出身の人物]]
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アントワン・ウィンフィールド・ジュニア
アントワン・デュアン・ウィンフィールド・ジュニア(Antoine Duane Winfield Jr., 1998年8月15日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州コロンバス出身のプロアメリカンフットボール選手。NFLのタンパベイ・バッカニアーズに所属している。ポジションはセイフティ。父は元NFL選手のアントワン・ウィンフィールド・シニア(英語版)。 高校4年目のシーズンに87タックルを記録し、モンゴメリー郡の最優秀選手賞を受賞した。 主要サイトから2つ星評価を受け、ミネソタ大学へ進学した。他にはベイラー大学、ミズーリ大学、ワイオミング大学などからオファーを受けていた。 1年目の2016年シーズンは52タックル、1つのインターセプトを記録した。 2017年シーズンは最初の4試合に出場した後に手術を受け、残りの試合を全休した。 2018年シーズンも怪我に苦しみ、4試合の出場に留まった。 2019年シーズンは83タックル、3サック、7つのインターセプトを記録し、ビッグ10カンファレンスの最優秀ディフェンシブバック賞を受賞した。シーズン終了後、2020年のNFLドラフトにエントリーした。 2020年のNFLドラフトにて全体45位でタンパベイ・バッカニアーズから指名され、その後4年総額730万ドルのルーキー契約を結んだ。 第2週のカロライナ・パンサーズ戦でキャリア初となるサックを記録し、9月の月間最優秀新人に選出された。第7週のラスベガス・レイダース戦ではキャリア初となるインターセプトを記録した。シーズン全体で94タックル、3サック、6つのパスディフレクション、1つのインターセプトを記録し、オールルーキーチームに選出された。 プレーオフではワイルドカード・ラウンドのワシントン・フットボールチーム戦、ディビジョナル・ラウンドのニューオーリンズ・セインツ戦でいずれも6タックルを記録し、勝利に貢献した。NFCチャンピオンシップのグリーンベイ・パッカーズ戦は試合前の練習中に足首を負傷して欠場したが、チームは勝利した。カンザスシティ・チーフスとのスーパーボウルで復帰し、パトリック・マホームズからインターセプトを記録して勝利に貢献した。また、試合終了間際には相手レシーバーのタイリーク・ヒルを挑発してペナルティを科された。これはレギュラーシーズンでチーフスに敗れた際にヒルから挑発されたことへの報復だったとされている。 このシーズンは88タックル、2サック、6つのパスディフレクション、2つのインターセプトを記録した。 プレーオフではワイルドカード・ラウンドのフィラデルフィア・イーグルス戦で5タックル、1サックを記録して勝利に貢献した。ディビジョナル・ラウンドのロサンゼルス・ラムズ戦では9タックルを記録したが、チームは敗れた。 シーズン終了後、怪我で欠場するクアンドレ・ディグス(英語版)の代理として自身初となるプロボウルに選出された。また、NFLが発表したTop100プレイヤーランキングでは75位にランクインした。 このシーズンは80タックル、4サック、3つのパスディフレクション、1つのインターセプトを記録した。 第13週のパンサーズ戦で8タックル、3つのパスディフレクション、サック、インターセプトを記録して勝利に貢献し、NFCの週間最優秀守備選手に選出された。
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アントワン・デュアン・ウィンフィールド・ジュニアは、アメリカ合衆国オハイオ州コロンバス出身のプロアメリカンフットボール選手。NFLのタンパベイ・バッカニアーズに所属している。ポジションはセイフティ。父は元NFL選手のアントワン・ウィンフィールド・シニア。
{{Infobox NFLplayer |選手名 = アントワン・ウィンフィールド・ジュニア |欧文表記 = Antoine Winfield Jr. |写真ファイル名 = File:Antoine Winfield Jr WFT-Buccaneers NOV2021 (cropped).jpg |写真サイズ = 250 |キャプション = [[タンパベイ・バッカニアーズ]]でのウィンフィールド<br>(2021年) |現所属チーム = タンパベイ・バッカニアーズ |背番号 = 31 |役職 = |ポジション = [[セイフティ (アメリカンフットボールのポジション)|セイフティ]] |他のポジション = |生年月日 = {{生年月日と年齢|1998|8|16}} |没年月日 = <!--{{死亡年月日と没年齢||||||}}--> |出身国 = USA |出身地 = [[オハイオ州]][[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]] |身長 = {{フィートとcm (身長用変換)|5|9}} |体重 = {{ポンドとkg (体重用変換)|203}} |高校 = ザ・ウッドランズ・スクール |大学 = [[ミネソタ大学ツインシティー校|ミネソタ大学]] |ドラフト年 = 2020 |巡目 = 2 |全体 = 45 |所属年1 = [[2020年のNFL|2020]]- |所属1 = [[タンパベイ・バッカニアーズ]] |SB回 = 1 |SB年 = [[第55回スーパーボウル|2020]] |PB回 = 1 |PB年 = 2021 |その他受賞 = * NFLオールルーキーチーム (2020) * アンアニマスオールアメリカン (2019) * オール[[ビッグ・テン・カンファレンス|ビッグ10]]ファーストチーム (2019) * ビッグ10最優秀ディフェンシブバック賞 (2019) |年度 = 2022年 |成績名1 = [[タックル (フットボール)|タックル]] |成績値1 = 262 |成績名2 = [[QBサック|サック]] |成績値2 = 9.0 |成績名3 = フォースファンブル |成績値3 = 5 |成績名4 = ファンブルリカバー |成績値4 = 4 |成績名5 = パスディフレクション |成績値5 = 15 |成績名6 = [[インターセプト (アメリカンフットボール)|インターセプト]] |成績値6 = 4 |成績名7 = ディフェンシブ[[タッチダウン|TD]] |成績値7 = |NFL殿堂 = |カレッジフットボール殿堂 = |nfl = antoine-winfield-jr |pfr = WinfAn00 }} '''アントワン・デュアン・ウィンフィールド・ジュニア'''('''Antoine Duane Winfield Jr.''', [[1998年]][[8月15日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[オハイオ州]][[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]出身のプロ[[アメリカンフットボール]]選手。[[NFL]]の[[タンパベイ・バッカニアーズ]]に所属している。ポジションは[[セイフティ (アメリカンフットボールのポジション)|セイフティ]]。父は元NFL選手の{{仮リンク|アントワン・ウィンフィールド・シニア|en|Antoine Winfield Sr.}}<ref>{{Cite web |title=The Woodlands' Winfield taps famous father for tips |url=https://www.houstonchronicle.com/sports/highschool/article/The-Woodlands-Winfield-taps-famous-father-for-6504405.php |website=Houston Chronicle |date=2015-09-15 |access-date=2023-12-25 |language=en |first=By Corey |last=Roepken}}</ref>。 == 経歴 == === ハイスクール === 高校4年目のシーズンに87タックルを記録し、[[モンゴメリー郡 (テキサス州)|モンゴメリー郡]]の最優秀選手賞を受賞した<ref>{{Cite web |title=FOOTBALL: The Woodlands’ Antoine Winfield, Jr. is The... |url=https://www.chron.com/neighborhood/woodlands/sports/article/FOOTBALL-The-Woodlands-Antoine-Winfield-Jr-9878561.php |website=Chron |date=2015-12-26 |access-date=2023-12-25 |language=en |first=Jim |last=Mashek}}</ref>。 主要サイトから2つ星評価を受け、[[ミネソタ大学ツインシティー校|ミネソタ大学]]へ進学した<ref>{{Cite web |title=Antoine Winfield Jr. commits to Gophers |url=https://www.startribune.com/antoine-winfield-jr-commits-to-gophers/361742911/ |website=Star Tribune |access-date=2023-12-25 |last=joecstrib}}</ref>。他には[[ベイラー大学]]、[[ミズーリ大学コロンビア校|ミズーリ大学]]、[[ワイオミング大学]]などからオファーを受けていた<ref>{{Cite web |title=Antoine Winfield, The Woodlands , Safety |url=https://247sports.com/Player/Antoine-Winfield-61713/high-school-107363/ |website=247Sports |access-date=2023-12-25 |language=en-US}}</ref>。 === カレッジ === 1年目の2016年シーズンは52タックル、1つのインターセプトを記録した。 2017年シーズンは最初の4試合に出場した後に手術を受け、残りの試合を全休した。 2018年シーズンも怪我に苦しみ、4試合の出場に留まった。 2019年シーズンは83タックル、3サック、7つのインターセプトを記録し、[[ビッグ10カンファレンス]]の最優秀ディフェンシブバック賞を受賞した。シーズン終了後、[[2020年のNFLドラフト]]にエントリーした<ref>{{Cite web |title=Consensus All-America Teams (2010-2019) |url=https://www.sports-reference.com/cfb/awards/all-america-2010-2019.html |website=College Football at Sports-Reference.com |access-date=2023-12-25 |language=en}}</ref>。 {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- ! colspan="3" style="{{CollegePrimaryStyle|Minnesota Golden Gophers|color=white}}"| 個人成績 ! colspan="5"| タックル ! colspan="4"| インターセプト ! colspan="2"| ファンブル |- ! Season !! Team !! GP !! Cmb !! Solo !! Ast !! TfL !! Sck !! PD !! Int !! Yds !! TD !! FF !! FR |- ! 2016 !! rowspan=4|[[ミネソタ大学ツインシティー校|ミネソタ]] | 10 || 52 || 37 || 15 || 2.5 || 0.0 || 3 || 1 || 82 || 1 || 0 || 2 |- ! 2017 | 4 || 20 || 17 || 3 || 1.0 || 1.0 || 2 || 0 || 0 || 0 || 0 || 0 |- ! 2018 | 4 || 17 || 10 || 7 || 0.0 || 0.0 || 0 || 1 || 0 || 0 || 0 || 1 |- ! 2019 | 12 || 83 || 58 || 25 || 3.5 || 3.0 || 1 || 7 || 98 || 1 || 2 || 0 |- ! colspan="2"| [https://www.sports-reference.com/cfb/players/antoine-winfield-jr-1.html 通算] !! 30 !! 172 !! 122 !! 50 !! 7.0 !! 4.0 !! 6 !! 9 !! 180 !! 2 !! 2 !! 3 |} === タンパベイ・バッカニアーズ === {{NFL predraft | height ft = 5 | height in = 9+1/8 | weight = 203 | dash = 4.45 | ten split = | twenty split = | shuttle = | cone drill = | vertical = 36.0 | broad ft = 10 | broad in = 4 | bench = | arm span = 30+1/8 | hand span = 9+1/2 | wonderlic = 20 | note = All values from [[NFL Combine]]<ref>{{Cite web |title=Antoine Winfield Combine Profile |url=https://www.nfl.com/prospects/antoine-winfieldjr.?id=32195749-4e15-9348-98c8-23be07463b71 |access-date=2023-12-25|website=NFL.com}}</ref> }} [[2020年のNFLドラフト]]にて全体45位で[[タンパベイ・バッカニアーズ]]から指名され、その後4年総額730万ドルのルーキー契約を結んだ<ref>{{Cite web |title=2020 salaries and contracts for every Gopher player in the NFL |url=https://247sports.com/college/minnesota/LongFormArticle/2020-Salaries-and-contracts-for-every-Minnesota-Gopher-Football-player-in-the-NFL-149376032/ |website=247Sports |access-date=2023-12-25 |language=en}}</ref>。 ==== 2020年シーズン ==== 第2週の[[カロライナ・パンサーズ]]戦でキャリア初となるサックを記録し、9月の月間最優秀新人に選出された<ref>{{Cite web |title=Seahawks QB Russell Wilson, Bills QB Josh Allen among NFL Players of the Month |url=https://www.nfl.com/news/seahawks-qb-russell-wilson-bills-qb-josh-allen-among-nfl-players-of-the-month |website=NFL.com |access-date=2023-12-25 |language=en-US}}</ref>。第7週の[[ラスベガス・レイダース]]戦ではキャリア初となるインターセプトを記録した。シーズン全体で94タックル、3サック、6つのパスディフレクション、1つのインターセプトを記録し、オールルーキーチームに選出された<ref>{{Cite web |title=2020 NFL All-Rookie Team |url=https://www.pro-football-reference.com/awards/nfl-all-rookie-2020.htm |website=Pro-Football-Reference.com |access-date=2023-12-25 |language=en}}</ref>。 プレーオフではワイルドカード・ラウンドの[[ワシントン・コマンダース|ワシントン・フットボールチーム]]戦、ディビジョナル・ラウンドの[[ニューオーリンズ・セインツ]]戦でいずれも6タックルを記録し、勝利に貢献した。[[NFCチャンピオンシップゲーム|NFCチャンピオンシップ]]の[[グリーンベイ・パッカーズ]]戦は試合前の練習中に足首を負傷して欠場したが、チームは勝利した。[[カンザスシティ・チーフス]]との[[スーパーボウル]]で復帰し、[[パトリック・マホームズ]]からインターセプトを記録して勝利に貢献した<ref>{{Cite web |title=What we learned from Buccaneers win over Chiefs in Super Bowl LV |url=https://www.nfl.com/news/what-we-learned-from-buccaneers-win-over-chiefs-in-super-bowl-lv |website=NFL.com |access-date=2023-12-25 |language=en-US}}</ref>。また、試合終了間際には相手レシーバーの[[タイリーク・ヒル]]を挑発してペナルティを科された。これはレギュラーシーズンでチーフスに敗れた際にヒルから挑発されたことへの報復だったとされている<ref>{{Cite web |title=Antoine Winfield Jr.’s taunting penalty in Super Bowl LV was actually cool as hell |url=https://www.sbnation.com/nfl/2021/2/7/22271795/antoine-winfield-taunting-penalty-super-bowl-lv-tyreek-hill |website=SBNation.com |date=2021-02-07 |access-date=2023-12-25 |language=en |first=Ricky |last=O'Donnell}}</ref>。 ==== 2021年シーズン ==== このシーズンは88タックル、2サック、6つのパスディフレクション、2つのインターセプトを記録した。 プレーオフではワイルドカード・ラウンドの[[フィラデルフィア・イーグルス]]戦で5タックル、1サックを記録して勝利に貢献した<ref>{{Cite web |title=Wild Card - Philadelphia Eagles at Tampa Bay Buccaneers - January 16th, 2022 |url=https://www.pro-football-reference.com/boxscores/202201160tam.htm |website=Pro-Football-Reference.com |access-date=2023-12-25 |language=en}}</ref>。ディビジョナル・ラウンドの[[ロサンゼルス・ラムズ]]戦では9タックルを記録したが、チームは敗れた。 シーズン終了後、怪我で欠場する{{仮リンク|クアンドレ・ディグス|en|Quandre Diggs}}の代理として自身初となる[[プロボウル]]に選出された<ref>{{Cite web |title=Pro Bowl S Antoine Winfield, Jr.: First Two Seasons Were Surreal |url=https://web.archive.org/web/20220218210109/https://www.buccaneers.com/news/bucs-pro-bowl-safety-antoine-winfield-jr-2022 |website=web.archive.org |date=2022-02-18 |access-date=2023-12-25}}</ref>。また、NFLが発表したTop100プレイヤーランキングでは75位にランクインした<ref>{{Cite web |title=2022 NFL Top 100 |url=https://www.pro-football-reference.com/awards/2022-nfl-top-100.htm |website=Pro-Football-Reference.com |access-date=2023-12-25 |language=en}}</ref>。 ==== 2022年シーズン ==== このシーズンは80タックル、4サック、3つのパスディフレクション、1つのインターセプトを記録した。 ==== 2023年シーズン ==== 第13週のパンサーズ戦で8タックル、3つのパスディフレクション、サック、インターセプトを記録して勝利に貢献し、NFCの週間最優秀守備選手に選出された<ref>{{Cite web |title=Bengals QB Jake Browning, 49ers WR Deebo Samuel highlight Players of the Week |url=https://www.nfl.com/news/bengals-qb-jake-browning-49ers-wr-deebo-samuel-highlight-players-of-the-week |website=NFL.com |access-date=2023-12-25 |language=en-US}}</ref>。 == 詳細情報 == === 年度別成績 === {| class="wikitable" |- ! colspan="2"| 説明 |- | style="background:#afe6ba; width:3em;"| | [[スーパーボウル]]制覇 |- | '''太字''' | キャリアハイ |} ==== レギュラーシーズン ==== {| class="wikitable" style="text-align: center;" |- ! rowspan="2"| シーズン ! rowspan="2"| チーム ! colspan="2"| 試合 ! colspan="4"| タックル ! colspan="6"| インターセプト ! colspan="4"| ファンブル |- ! GP !! GS !! Cmb !! Solo !! Ast !! Sck !! PD !! Int !! Yds !! Avg !! Lng !! TD !! FF !! FR !! Yds !! TD |- ! style="background:#afe6ba; width:3em;"|[[2020年のNFL|2020]] !! rowspan=3|[[タンパベイ・バッカニアーズ|TB]] | '''16''' || '''16''' || '''94''' || '''64''' || '''30''' || 3.0 || '''6''' || 1 || 16 || '''16.0''' || 16 || 0 || '''2''' || 1 || 0 || 0 |- ! [[2021年のNFL|2021]] | 13 || 13 || 88 || 62 || 26 || 2.0 || '''6''' || '''2''' || '''30''' || 15.0 || '''30''' || 0 || '''2''' || '''3''' || '''9''' || 0 |- ! [[2022年のNFL|2022]] | 13 || 13 || 80 || '''64''' || 16 || '''4.0''' || 3 || 1 || 15 || 15.0 || 15 || 0 || 1 || 0 || 0 || 0 |- ! colspan="2"| [https://www.pro-football-reference.com/players/W/WinfAn00.htm 通算] !! 42 !! 42 !! 262 !! 190 !! 72 !! 9.0 !! 15 !! 4 !! 61 !! 15.3 !! 30 !! 0 !! 5 !! 4 !! 9 !! 0 |} ==== ポストシーズン ==== {| class="wikitable" style="text-align: center;" |- ! rowspan="2"| シーズン ! rowspan="2"| チーム ! colspan="2"| 試合 ! colspan="4"| タックル ! colspan="6"| インターセプト ! colspan="4"| ファンブル |- ! GP !! GS !! Cmb !! Solo !! Ast !! Sck !! PD !! Int !! Yds !! Avg !! Lng !! TD !! FF !! FR !! Yds !! TD |- ! style="background:#afe6ba; width:3em;"|2020 !! rowspan=3|TB | '''3''' || '''3''' || '''18''' || '''15''' || '''3''' || 0.0 || '''2''' || '''1''' || 0 || 0.0 || 0 || 0 || '''1''' || 0 || 0 || 0 |- ! 2021 | 2 || 2 || 14 || 11 || '''3''' || '''1.0''' || 0 || 0 || 0 || 0.0 || 0 || 0 || '''1''' || '''1''' || 0 || 0 |- ! 2022 | 1 || 1 || 7 || 4 || '''3''' || 0.0 || 0 || 0 || 0 || 0.0 || 0 || 0 || 0 || 0 || 0 || 0 |- ! colspan="2"| [https://www.pro-football-reference.com/players/W/WinfAn00/gamelog/post/ 通算] !! 6 !! 6 !! 39 !! 30 !! 9 !! 1.0 !! 2 !! 1 !! 0 !! 0.0 !! 0 !! 0 !! 2 !! 1 !! 0 !! 0 |} == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク{{Normdaten}} == {{footballstats|pfr=W/WinfAn00|nfl=antoine-winfield-jr}} *[https://www.buccaneers.com/team/players-roster/antoine-winfield-jr/ Tampa Bay Buccaneers bio] *[https://gophersports.com/sports/football/roster/antoine-winfield-jr-/16427 Minnesota Golden Gophers bio] {{タンパベイ・バッカニアーズ ロースター|state=collapsed}} {{DEFAULTSORT:ういんふいいると あんとわん}} [[Category:NFL選手]] [[Category:アフリカ系アメリカ人のアメリカンフットボール選手]] [[Category:アメリカンフットボールのセイフティ]] [[Category:ミネソタ大学出身のアメリカンフットボール選手]] [[Category:タンパベイ・バッカニアーズの選手]] [[Category:プロボウル選出選手]] [[Category:オハイオ州コロンバス出身の人物]] [[Category:1998年生]] [[Category:存命人物]]
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茨城県県北地域
茨城県県北地域(いばらきけんけんぽくちいき)とは、茨城県のうち、北部に位置する地域を指す。茨城県日立市、高萩市、北茨城市、常陸太田市、常陸大宮市、大子町の5市1町から構成され、2022年(令和4年)10月1日時点の面積は1,652.27 km、人口は335,942人である。 県北地域には、久慈川や那珂川が流れている。北茨城市、高萩市、日立市といった太平洋側の地域にはJR常磐線が南北方向に横断しており、大子町、常陸大宮市、常陸太田市といった内陸側の地域にはJR水郡線が南北方向に横断している。高萩市、日立市の太平洋沿岸や常陸太田市の一部が人口集中地区になっている(令和2年国勢調査)。 2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約16.6万人であり、水戸市、つくば市に次いで県内第3位である。明治時代から日本有数の鉱業都市として成長し、現在も市内には、日立製作所関連の工場が多く立地している。東側が太平洋、西側が多賀山地であるため、市街が海と山に囲まれており、四季を通して寒暖の差が少ない。一方で、その地理的制約から南北に縦貫する幹線道路が国道6号と国道245号のみであり、長年渋滞問題を抱えている。桜の名所として、日本さくら名所100選に選ばれた平和通りと日立市かみね公園が有名であり、平和通り周辺などでは、毎年4月上旬に日立さくらまつりが開かれる。 2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約2.6万人。紅葉の名所として、花貫渓谷が知られており、多くの観光客が訪れる。市域の85%が山林や原野であり、市の大部分は多賀山地である。市内でアウトドアが楽しめるのも特徴であり、茨城県最大のダムである小山ダムのほとりにあるアウトドアフィールド「Hagi Villege」のほか、多数のキャンプ場がある。 2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約3.9万人。市内は、北部エリア、中部エリア、南部エリア、山側エリアの大きく4つに分かれる。北部エリアには、温泉がある旅館や民宿が多く、茨城県天心記念五浦美術館といった文化施設も存在する。山側エリアには、花園渓谷や花園神社があり、紅葉を楽しむことができる。市内では、5年に1度、5月に常陸大津の御船祭が開催される。 2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約4.5万人。茨城県内で一番面積が広く、低層住宅の割合が高いことから、住宅都市としてのイメージが強い。また、徳川光圀が晩年に過ごした西山荘や、平安時代より72年ごとに行われる西金砂神社と東金砂神社の大祭礼など、歴史的、文化的な資源が多い。加えて、ぶどうや梨が特産品として知られ、常陸秋そばの発祥地でもある。毎年の成人式(現:二十歳の集い)では、新成人が竜神大吊橋において、バンジージャンプに挑戦している。 2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約3.7万人。市内の約6割を山林が占めており、自然が豊かであるのが特徴である。特産品としてネギやシイタケがあり、道の駅常陸大宮では、地元の農産物が多く販売されている。市内の東側と南側には久慈川と那珂川が流れており、カヌーなどのアクティビティや鮎釣りなどを体験することができる。市内の泉坂下遺跡で出土した人面付壺型土器が国の重要文化財に指定されている。 2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約1.4万人。日本名三瀑のひとつとして知られる袋田の滝や、月待の滝、奥久慈温泉郷など観光地が多くある。年間約150万人の観光客が訪れる茨城県内有数の観光地であり、観光と農林業を町の基幹産業と位置付けている。コシヒカリや奥久慈しゃも、奥久慈りんご、漆など多くの特産品があり、自然豊かであることが特徴である。 (出典:) (出典:) (出典:) (出典:) (出典:) (出典:) (出典:) (出典:) (出典:)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "茨城県県北地域(いばらきけんけんぽくちいき)とは、茨城県のうち、北部に位置する地域を指す。茨城県日立市、高萩市、北茨城市、常陸太田市、常陸大宮市、大子町の5市1町から構成され、2022年(令和4年)10月1日時点の面積は1,652.27 km、人口は335,942人である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "県北地域には、久慈川や那珂川が流れている。北茨城市、高萩市、日立市といった太平洋側の地域にはJR常磐線が南北方向に横断しており、大子町、常陸大宮市、常陸太田市といった内陸側の地域にはJR水郡線が南北方向に横断している。高萩市、日立市の太平洋沿岸や常陸太田市の一部が人口集中地区になっている(令和2年国勢調査)。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約16.6万人であり、水戸市、つくば市に次いで県内第3位である。明治時代から日本有数の鉱業都市として成長し、現在も市内には、日立製作所関連の工場が多く立地している。東側が太平洋、西側が多賀山地であるため、市街が海と山に囲まれており、四季を通して寒暖の差が少ない。一方で、その地理的制約から南北に縦貫する幹線道路が国道6号と国道245号のみであり、長年渋滞問題を抱えている。桜の名所として、日本さくら名所100選に選ばれた平和通りと日立市かみね公園が有名であり、平和通り周辺などでは、毎年4月上旬に日立さくらまつりが開かれる。", "title": "各市町の特色" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約2.6万人。紅葉の名所として、花貫渓谷が知られており、多くの観光客が訪れる。市域の85%が山林や原野であり、市の大部分は多賀山地である。市内でアウトドアが楽しめるのも特徴であり、茨城県最大のダムである小山ダムのほとりにあるアウトドアフィールド「Hagi Villege」のほか、多数のキャンプ場がある。", "title": "各市町の特色" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約3.9万人。市内は、北部エリア、中部エリア、南部エリア、山側エリアの大きく4つに分かれる。北部エリアには、温泉がある旅館や民宿が多く、茨城県天心記念五浦美術館といった文化施設も存在する。山側エリアには、花園渓谷や花園神社があり、紅葉を楽しむことができる。市内では、5年に1度、5月に常陸大津の御船祭が開催される。", "title": "各市町の特色" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約4.5万人。茨城県内で一番面積が広く、低層住宅の割合が高いことから、住宅都市としてのイメージが強い。また、徳川光圀が晩年に過ごした西山荘や、平安時代より72年ごとに行われる西金砂神社と東金砂神社の大祭礼など、歴史的、文化的な資源が多い。加えて、ぶどうや梨が特産品として知られ、常陸秋そばの発祥地でもある。毎年の成人式(現:二十歳の集い)では、新成人が竜神大吊橋において、バンジージャンプに挑戦している。", "title": "各市町の特色" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約3.7万人。市内の約6割を山林が占めており、自然が豊かであるのが特徴である。特産品としてネギやシイタケがあり、道の駅常陸大宮では、地元の農産物が多く販売されている。市内の東側と南側には久慈川と那珂川が流れており、カヌーなどのアクティビティや鮎釣りなどを体験することができる。市内の泉坂下遺跡で出土した人面付壺型土器が国の重要文化財に指定されている。", "title": "各市町の特色" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約1.4万人。日本名三瀑のひとつとして知られる袋田の滝や、月待の滝、奥久慈温泉郷など観光地が多くある。年間約150万人の観光客が訪れる茨城県内有数の観光地であり、観光と農林業を町の基幹産業と位置付けている。コシヒカリや奥久慈しゃも、奥久慈りんご、漆など多くの特産品があり、自然豊かであることが特徴である。", "title": "各市町の特色" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "(出典:)", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "(出典:)", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "(出典:)", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "(出典:)", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "(出典:)", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "(出典:)", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "(出典:)", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "(出典:)", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "(出典:)", "title": "名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事" } ]
茨城県県北地域(いばらきけんけんぽくちいき)とは、茨城県のうち、北部に位置する地域を指す。茨城県日立市、高萩市、北茨城市、常陸太田市、常陸大宮市、大子町の5市1町から構成され、2022年(令和4年)10月1日時点の面積は1,652.27 km2、人口は335,942人である。
{{Pathnav|[[日本]]|[[関東地方]]|[[茨城県]]|frame=yes}}[[ファイル:茨城県地域区分図.svg|サムネイル|地図上の水色の部分が茨城県県北地域]] '''茨城県県北地域'''(いばらきけんけんぽくちいき)とは、[[茨城県]]のうち、北部に位置する地域を指す。茨城県[[日立市]]、[[高萩市]]、[[北茨城市]]、[[常陸太田市]]、[[常陸大宮市]]、[[大子町]]の5市1町から構成され<ref>{{Cite web |url=https://www.pref.ibaraki.jp/kikaku/kikaku/seisaku/documents/14s5-1.pdf |title=地域区分等の考え方 |access-date=2023年12月24日 |publisher=[[茨城県]]}}</ref>、2022年(令和4年)10月1日時点の面積は1,652.27 km{{Sup|2}}、人口は335,942人である<ref>{{Cite web |title=市町村早わかり-令和5年7月- |url=https://www.pref.ibaraki.jp/kikaku/tokei/fukyu/tokei/tokeisyo/haya2023/shihaya.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-24 |language=ja |last=茨城県}}</ref>。 == 地理 == 県北地域には、[[久慈川]]や[[那珂川]]が流れている<ref name=":7">{{Cite web |title=県北地域の概要 |url=https://www.pref.ibaraki.jp/nourinsuisan/hokunourin/kikaku/somu/syunousien/gaiyou.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-24 |language=ja |last=茨城県}}</ref>。北茨城市、高萩市、日立市といった太平洋側の地域にはJR[[常磐線]]が南北方向に横断しており、大子町、常陸大宮市、常陸太田市といった内陸側の地域にはJR[[水郡線]]が南北方向に横断している<ref>{{Cite web |url=https://www.jreast.co.jp/map/pdf/kanto.pdf |title=JR東日本路線図 |access-date=2023年12月24日 |publisher=[[東日本旅客鉄道]]}}</ref>。高萩市、日立市の太平洋沿岸や常陸太田市の一部が人口集中地区になっている(令和2年国勢調査)<ref>{{Cite web |url=https://www.stat.go.jp/data/chiri/map/c_koku/kyokaizu/pdf/r2_08.pdf |title=茨城県 |access-date=2023年12月24日 |publisher=総務省統計局}}</ref>。 * 山:[[竪破山]]、[[奥久慈男体山|男体山]]、[[高鈴山]]、[[八溝山]]<ref>{{Cite web |title=茨城県の山 {{!}} 国土地理院 |url=https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/kihonjohochousa41148.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=[[国土地理院]]}}</ref> * 河川:[[久慈川]]、[[那珂川]]など<ref name=":7" /> == 人口推移 == (出典:<ref>{{Cite web |title=「茨城県の人口」(令和2年(2020年)国勢調査人口等基本集計結果報告書) |url=https://www.pref.ibaraki.jp/kikaku/tokei/fukyu/tokei/betsu/jinko/kokucho/kokucho2020/index.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-28 |language=ja |last=茨城県}}</ref><ref>{{Cite web |title=平成27年国勢調査人口等基本集計結果概要(確定数) |url=https://www.pref.ibaraki.jp/kikaku/tokei/fukyu/tokei/betsu/jinko/kokucho/kokucho27-1/index.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-28 |language=ja |last=茨城県}}</ref><ref>{{Cite web |title=平成22年国勢調査人口等基本集計結果概要(確定数) |url=https://www.pref.ibaraki.jp/kikaku/tokei/fukyu/tokei/betsu/jinko/kokucho/kokucho22-1/index.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-28 |language=ja |last=茨城県}}</ref><ref>{{Cite web |title=平成17年国勢調査「茨城県の人口」第1次・第2次基本集計結果報告書 |url=https://www.pref.ibaraki.jp/kikaku/tokei/fukyu/tokei/betsu/jinko/kokucho/kokucho17-report/index.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-28 |language=ja |last=茨城県}}</ref><ref>{{Cite web |title=平成12年国勢調査「茨城県の人口」第1次基本集計結果報告書 |url=https://www.pref.ibaraki.jp/kikaku/tokei/fukyu/tokei/betsu/jinko/kokucho/kokucho12-1/kokucho12-1.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-28 |language=ja |last=茨城県}}</ref><ref>{{Cite web |title=平成7年国勢調査「茨城県の人口」第1次基本集計結果報告書 |url=https://www.pref.ibaraki.jp/kikaku/tokei/fukyu/tokei/betsu/jinko/kokucho/kokucho07-1/index.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-28 |language=ja |last=茨城県}}</ref><ref>{{Cite web |title=平成2年国勢調査「茨城県の人口」第1次基本集計結果報告書 |url=https://www.pref.ibaraki.jp/kikaku/tokei/fukyu/tokei/betsu/jinko/kokucho/kokucho02-1/index.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-28 |language=ja |last=茨城県}}</ref><ref>{{Cite web |title=昭和55年国勢調査第1次基本集計結果の概要 |url=https://www.pref.ibaraki.jp/kikaku/tokei/fukyu/tokei/betsu/jinko/kokucho/kokucho55-1-gaiyo/index.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-28 |language=ja |last=茨城県}}</ref>)'''※単位:人''' {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" ! !日立市 !旧十王町 !高萩市 !北茨城市 !常陸太田市 !旧金砂郷町 !旧水府村 !旧里美村 !常陸大宮市(旧大宮町) !旧御前山村 !旧山方町 !旧美和村 !旧緒川村 !大子町 !計 |- |2020年(令和2年)国勢調査 |174,508 | |27,699 |41,801 |48,602 | | | |39,267 | | | | |15,736 |347,613 |- |2015年(平成27年)国勢調査 |185,054 | |29,638 |44,412 |52,294 | | | |42,587 | | | | |18,053 |372,038 |- |2010年(平成22年)国勢調査 |193,129 | |31,017 |47,026 |56,250 | | | |45,178 | | | | |20,073 |392,673 |- |2005年(平成17年)国勢調査 |199,218 | |32,932 |49,645 |59,802 | | | |47,808 | | | | |22,103 |411,508 |- |2000年(平成12年)国勢調査 |193,353 |13,236 |34,602 |51,593 |39,680 |11,336 |6,447 |4,406 |27,126 |4,428 |8,048 |4,612 |4,750 |23,982 |427,599 |- |1995年(平成7年)国勢調査 |199,244 |13,060 |35,604 |52,074 |39,545 |10,717 |6,725 |4,538 |26,443 |4,753 |8,536 |4,962 |4,867 |25,604 |436,672 |- |1990年(平成2年)国勢調査 |202,141 |12,928 |35,320 |51,093 |37,624 |10,424 |7,031 |4,679 |25,537 |4,965 |8,780 |5,283 |5,105 |27,067 |437,977 |- |1985年(昭和60年)国勢調査 |206,074 |12,037 |33,968 |51,035 |36,628 |10,448 |7,329 |4,868 |25,193 |5,137 |9,116 |5,567 |5,213 |28,230 |440,843 |- |1980年(昭和55年)国勢調査 |204,596 |10,902 |32,436 |47,670 |35,980 |10,724 |7,702 |5,097 |24,523 |5,205 |9,407 |5,796 |5,401 |29,524 |434,963 |} {{Bar box|bars={{bar pixel|2020年|silver|347|,613}} {{bar pixel|2015年|silver|372|,038}} {{bar pixel|2010年|silver|392|,673}} {{bar pixel|2005年|silver|411|,508}} {{bar pixel|2000年|silver|427|,599}} {{bar pixel|1995年|silver|436|,672}} {{bar pixel|1990年|silver|437|,977}} {{bar pixel|1985年|silver|440|,843}} {{bar pixel|1980年|silver|434|,963}}|title=茨城県県北地域の人口推移(人)}} == 歴史 == {{節スタブ|常陸太田市、常陸大宮市の沿革について|date=2023年12月}}<!--基本的に、Wikipedia上に記事がある場所や出来事について記述しました。--> === 沿革 === * [[1939年]](昭和14年) - [[日立町]]と[[助川町]]が合併し、'''[[日立市]]'''が誕生<ref name=":8">{{Cite web |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/event/003/p118435_d/fil/hitachi_city_guide_book.pdf |title=『日立市ガイドブック』 |access-date=2023年12月24日 |publisher=日立市市長公室広報戦略課 |date=2023-09 |page=33}}</ref>。 * [[1954年]](昭和29年) ** 7月 - 1町6村が合併し、'''[[常陸太田市]]'''が誕生<ref>{{Cite web |title=位置・地勢 {{!}} 常陸太田市公式ホームページ |url=https://www.city.hitachiota.ibaraki.jp/page/page000026.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=[[常陸太田市]]}}</ref>。 ** [[11月23日]] - [[高萩町]]、[[松岡町 (茨城県)|松岡町]]、[[高岡村 (茨城県)|高岡村]]、[[黒前村]]の一部、[[櫛形村 (茨城県)|櫛形村]]の一部が合併し、'''[[高萩市]]'''が誕生<ref>{{Cite web |url=https://www.pref.ibaraki.jp/somu/shichoson/gyosei/gaikyo/r3/documents/11takahagi.pdf |title=高萩市(たかはぎし) |access-date=2023年12月24日 |publisher=茨城県}}</ref><ref>{{Cite web |title=年表高萩の歴史 |url=https://www.city.takahagi.ibaraki.jp/edu/shougaigakushuka/geijutsu_bunka/page002925.html |website= |access-date=2023-12-24 |language=ja |publisher=[[高萩市]]}}</ref>。 * [[1955年]](昭和30年) ** 3月 - 大子町、[[依上村]]、[[佐原村 (茨城県)|佐原村]]、[[黒沢村 (茨城県)|黒沢村]]、[[宮川村 (茨城県)|宮川村]]、[[生瀬村]]、[[袋田村]]、[[上小川村 (茨城県)|上小川村]]、[[下小川村 (茨城県)|下小川村]]が合併し、'''新[[大子町]]'''が誕生<ref>{{Cite web |url=https://www.town.daigo.ibaraki.jp/data/doc/1648624820_doc_12_0.pdf |title=『令和3年度 大子町統計書』 |access-date=2023年12月24日 |publisher=大子町まちづくり課まちづくり担当 |date=2022-03 |page=81}}</ref>。 ** [[多賀町 (茨城県)|多賀町]]、[[日高村 (茨城県)|日高村]]、[[久慈町 (茨城県)|久慈町]]、[[中里村 (茨城県)|中里村]]、[[坂本村 (茨城県)|坂本村]]、[[東小沢村]]が日立市に編入される<ref name=":8" />。 ** 大宮町、[[山方町]]、[[御前山村]]が誕生<ref name=":0">{{Cite web |url=https://www.city.hitachiomiya.lg.jp/data/doc/1680051421_doc_1_0.pdf |title=『常陸大宮市 市況要覧』 |access-date=2023年12月25日 |publisher=[[常陸大宮市]] |page=9 |date=2023-02}}</ref>。{{Small|(現:常陸大宮市)}} * [[1956年]](昭和31年) ** 3月 - [[磯原町]]、大津町、[[平潟町]]、[[関南村]]、[[関本村]]、[[南中郷村]]が合併し、'''[[北茨城市]]'''が誕生<ref name=":12">{{Cite web |url=https://www.city.kitaibaraki.lg.jp/docs/2015021200061/file_contents/R5sousetsu.pdf |title=『統計きたいばらき』令和5年版 |access-date=2023年12月24日 |publisher=北茨城市市長公室企画政策課情報政策係 |page=2 |date=2023-09}}</ref>。 ** [[豊浦町 (茨城県)|豊浦町]]が、日立市に編入される<ref name=":8" />。 ** [[美和村 (茨城県)|美和村]]、[[緒川村]]が誕生<ref name=":0" />。{{Small|(現:常陸大宮市)}} * [[1957年]](昭和32年) ** [[6月5日]] - [[日立市かみね動物園]]が開園する<ref name=":8" /><ref>{{Cite web |title=日立市かみね動物園|かみね動物園は開園60周年! |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/zoo/blog/encho/p059263.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=日立市かみね動物園}}</ref>。{{Small|(日立市)}} ** [[7月1日]] - 北茨城市の一部(望海地区)が高萩市に編入される<ref name=":14">{{Cite web |url=https://www.city.takahagi.ibaraki.jp/data/doc/1560414661_doc_7_0.pdf |title=『統計たかはぎ』令和3年版 |access-date=2023年12月24日 |publisher=高萩市企画総務部総務課 |date=2023-3 |page=3}}</ref>。{{Small|(高萩市・北茨城市)}} * [[1962年]](昭和37年)[[10月1日]] - [[常磐線]][[勝田駅|勝田]]・[[高萩駅|高萩]]間電車運転開始<ref name=":14" />。{{Small|(日立市・高萩市)}} * [[1963年]](昭和38年)[[6月1日]] - [[常磐線]]高萩・[[平駅|平]]間電車運転開始<ref name=":15">{{Cite web |url=https://www.city.takahagi.ibaraki.jp/data/doc/1560414661_doc_7_0.pdf |title=『統計たかはぎ』令和3年版 |access-date=2023年12月24日 |publisher=高萩市企画総務部総務課 |date=2023-3 |page=4}}</ref>。{{Small|(高萩市・北茨城市)}} * [[1965年]](昭和40年)[[4月1日]] - [[高萩市消防本部]]が発足<ref name=":15" />。 * [[1967年]](昭和42年)6月 - [[日立港]]開港指定<ref>{{Cite web |title=茨城港日立港区の沿革 |url=https://www.pref.ibaraki.jp/doboku/ibako/hikoku/enkaku1.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-24 |language=ja |last=茨城県}}</ref>。{{Small|(日立市)}} * [[1969年]](昭和44年)4月 - [[大子町消防本部]]が発足<ref>{{Cite web |url=https://www.town.daigo.ibaraki.jp/data/doc/1648624820_doc_12_0.pdf |title=『令和3年度 大子町統計書』 |access-date=2023年12月24日 |publisher=大子町まちづくり課まちづくり担当 |date=2022-03 |page=83}}</ref>。 * [[1973年]](昭和48年) ** 3月 - [[花貫ダム]]が完成<ref>{{Cite web |title=花貫ダム |url=https://www.pref.ibaraki.jp/doboku/kasen/dam/dam/shokai/hananuki.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-24 |language=ja |last=茨城県}}</ref>。{{Small|(高萩市)}} ** 高萩炭礦櫛形礦業所が閉山し、[[常磐炭田]]が終息する<ref>{{Cite web |title=県政の歩み |url=https://www.pref.ibaraki.jp/bugai/koho/kenmin/profile/kensei-history.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-24 |language=ja |last=茨城県}}</ref>。 * [[1974年]](昭和49年)[[10月20日]] - [[10月25日]] - [[第29回国民体育大会]]が茨城県で開催される<ref>{{Cite web |title=第29回大会の概要 - 国民体育大会 - JSPO |url=https://www.japan-sports.or.jp/kokutai/tabid720.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=公益財団法人 [[日本スポーツ協会]]}}</ref><ref group="注釈">日立市:サッカー、バスケットボール、軟式野球、柔道 常陸太田市:ボクシング 北茨城市:ウエイトリフティング 高萩市:軟式野球 大子町:山岳</ref>。 * [[1976年]](昭和51年)[[5月23日]] - [[5月24日]] - 第27回[[全国植樹祭]]が奥久慈憩いの森及び高萩市森林公園で開催<ref>{{Cite web |url=https://ibaraki.ikujusai.jp/data/doc/1663111615_doc_6_0.pdf |title=昭和51年 第27回 全国植樹祭 |access-date=2023年12月24日 |publisher=第46回全国育樹祭茨城県実行委員会}}</ref>。{{Small|(高萩市・大子町)}} * [[1981年]](昭和56年) ** [[4月16日]] - [[KDDI茨城衛星通信センター|KDD茨城衛星通信所]]に大型アンテナが完成<ref>{{Cite web |url=https://www.city.takahagi.ibaraki.jp/data/doc/1560414661_doc_7_0.pdf |title=『統計たかはぎ』令和3年版 |access-date=2023年12月24日 |publisher=高萩市企画総務部総務課 |page=6 |date=2023-03}}</ref>。{{Small|(旧十王町・高萩市)}} ** [[日立鉱山]]が閉山する<ref name=":8" />。{{Small|(日立市)}} * [[1984年]](昭和59年)[[2月28日]] - 高萩市・北茨城市・[[多賀郡]][[十王町]]の[[市外局番]]が統一される<ref>{{Cite web |url=https://www.city.takahagi.ibaraki.jp/data/doc/1560414661_doc_7_0.pdf |title=『統計たかはぎ』令和3年版 |access-date=2023年12月24日 |publisher=高萩市企画総務部総務課 |date=2023-03 |page=7}}</ref>。 * [[1985年]](昭和60年) ** [[2月20日]] - [[常磐自動車道]] [[那珂インターチェンジ|那珂IC]] - [[日立南太田インターチェンジ|日立南太田IC]]間が開通<ref name=":9">{{Cite web |title=常磐自動車道 |url=https://www.pref.ibaraki.jp/doboku/doken/shomu/joban.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-24 |language=ja |last=茨城県 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180214073237/https://www.pref.ibaraki.jp/doboku/doken/shomu/joban.html |archive-date=2018-2-14}}</ref>。{{Small|(日立市)}} ** 3月 - [[名水百選]]に[[八溝川]]湧水群が入選<ref>{{Cite web |url=https://www.town.daigo.ibaraki.jp/data/doc/1648624820_doc_12_0.pdf |title=『令和3年度 大子町統計書』 |access-date=2023年12月24日 |publisher=大子町まちづくり課まちづくり担当 |page=85}}</ref>。 ** [[7月3日]] - [[常磐自動車道]] 日立南太田IC - [[日立北インターチェンジ|日立北IC]]間が開通<ref name=":9" />。{{Small|(日立市)}} * [[1988年]](昭和63年) ** [[3月24日]] - 常磐自動車道 日立北IC - [[いわき中央インターチェンジ|いわき中央IC]]間が開通<ref>{{Cite web |title=県広報紙「ひばり」9月号「なつかし・いばらき」 |url=https://www.pref.ibaraki.jp/bugai/koho/kenmin/hibari/hibari-site/hibari201509/09natukashi.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-24 |language=ja |last=茨城県}}</ref>。{{Small|(日立市・高萩市・北茨城市)}} ** [[6月1日]] - 高萩市が北茨城市の一部(中郷町日棚地区の一部)を編入する<ref>{{Cite web |url=https://www.city.takahagi.ibaraki.jp/data/doc/1560414661_doc_7_0.pdf |title=『統計たかはぎ』令和3年版 |access-date=2023年12月24日 |publisher=高萩市企画総務部総務課 |date=2023-03 |page=2}}</ref>。{{Small|(高萩市・北茨城市)}} * [[1990年]](平成2年) ** 4月 - [[袋田の滝]]が[[日本の滝百選]]で日本一の滝に選定される<ref>{{Cite web |url=https://www.town.daigo.ibaraki.jp/data/doc/1648624820_doc_12_0.pdf |title=『令和3年度 大子町統計書』 |access-date=2023年12月24日 |publisher=大子町まちづくり課まちづくり担当 |date=2022-03 |page=86}}</ref>。{{Small|(大子町)}} ** 11月 - [[日立シビックセンター]]が一部供用を開始<ref>{{Cite web |url=http://www.civic.jp/wp-content/uploads/2017/07/25th_anniversary_magazine.pdf |title=『日立シビックセンターオープン25周年記念誌 25年のあゆみ』 |access-date=2023年12月24日 |publisher=公益財団法人 日立市科学文化情報財団 |page=82}}</ref>。{{Small|(日立市)}} * [[1993年]](平成5年) ** [[2月19日]] - [[日立鉱山の大煙突]]が3分の1を残して倒壊<ref>{{Cite web |title=日立市の大煙突、すごいんです!|ひたち風 |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/citypromotion/hitachikaze/topic/001/honsugo2.html |website= |access-date=2023-12-24 |language=ja |publisher=日立市市長公室広報戦略課}}</ref>。{{Small|(日立市)}} ** 10月20日 - [[日立有料道路]]が開通<ref>{{Cite web |title=茨城県道路公社 {{!}} 日立有料道路 |url=http://www.i-road.or.jp/contents/hitachi/index.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=茨城県道路公社}}</ref>。{{Small|(日立市)}} * [[1994年]](平成6年)[[4月28日]] - [[竜神大吊橋]]がオープン<ref>{{Cite web |title=竜神大吊橋、渡橋800万人 28年目で達成 茨城・常陸太田 |url=https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=16386078111210 |website=茨城新聞クロスアイ |access-date=2023-12-24 |language=ja |date=2021-12-5}}</ref>。{{Small|(常陸太田市)}} * [[1995年]](平成7年)7月 - [[水源の森百選]]に八溝水源の森が選定される<ref>{{Cite web |title=「水源の森百選」:林野庁 |url=https://www.rinya.maff.go.jp/j/suigen/hyakusen/ |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=[[林野庁]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.rinya.maff.go.jp/j/suigen/hyakusen/attach/pdf/kantou-7.pdf |title=18 八溝水源の森 |access-date=2023年12月24日 |publisher=林野庁}}</ref>。{{Small|(大子町)}} * [[1996年]](平成8年) ** [[7月10日]] - [[高戸海岸]]・[[五浦海岸]]が[[日本の渚百選]]に選定される<ref>{{Cite web |url=https://www.city.takahagi.ibaraki.jp/data/doc/1560414661_doc_7_0.pdf |title=『統計たかはぎ』令和3年版 |access-date=2023年12月24日 |publisher=高萩市企画総務部総務課 |page=10 |date=2023-03}}</ref><ref>{{Cite web |title=日本の渚100選|日本の森滝渚全国協議会(公式ホームページ) |url=https://mori-taki-nagisa.jp/pages/29/ |website=日本の森滝渚全国協議会 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref>。{{Small|(高萩市・北茨城市)}} ** 「[[陸前浜街道]]―十王坂越」が[[歴史の道百選]]に選ばれる<ref>{{Cite web |title=文化庁選定「歴史の道百選」 {{!}} 文化庁 |url=https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/kinenbutsu/rekishinomichi/index.html |website= |access-date=2023-12-25 |publisher=文化庁}}</ref>。 * [[1997年]](平成9年) ** 10月 - [[磯原駅]]橋上駅舎・自由通路が竣工<ref>{{Cite web |url=https://www.city.kitaibaraki.lg.jp/docs/2015021200061/file_contents/R5sousetsu.pdf |title=『統計きたいばらき』令和5年版 |access-date=2023年12月24日 |publisher=北茨城市市長公室企画政策課情報政策係 |date=2023-09 |page=8}}</ref>。{{Small|(北茨城市)}} ** [[11月8日]] - [[茨城県天心記念五浦美術館]]が開館<ref>{{Cite web |title=茨城県天心記念五浦美術館> 美術館のご案内>茨城県天心記念五浦美術館の概要 |url=https://www.tenshin.museum.ibk.ed.jp/01_annai/01_gaiyou.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=[[茨城県天心記念五浦美術館]]}}</ref>。{{Small|(北茨城市)}} * [[1998年]](平成10年)[[10月23日]] - [[道の駅奥久慈だいご]]がオープン<ref>{{Cite web |title=道の駅奥久慈だいご {{!}} 大子町公式ホームページ |url=https://www.town.daigo.ibaraki.jp/page/page000026.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=大子町}}</ref>。 * [[1999年]](平成11年) ** [[7月8日]] - 旧[[共楽館]](日立武道館)が[[登録有形文化財]](建造物)に登録される<ref>{{Cite web |title=旧共楽館(日立武道館) 文化遺産オンライン |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/147775 |website= |access-date=2023-12-24 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref>。{{Small|(日立市)}} ** [[11月18日]] - [[花貫川第一発電所]]第3号水路橋(めがね橋)が登録有形文化財(建造物)に登録される<ref>{{Cite web |title=花貫川第一発電所第3号水路橋(めがね橋) 文化遺産オンライン |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/186130 |website= |access-date=2023-12-24 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref>。{{Small|(高萩市)}} * [[2001年]](平成13年) ** 3月 - 国道6号[[日立バイパス]]の一部が開通する<ref>{{Cite web |title=日立バイパス {{!}} 常陸河川国道事務所 {{!}} 国土交通省 関東地方整備局 |url=https://www.ktr.mlit.go.jp/hitachi/hitachi00746.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=国土交通省関東地方整備局 常陸河川国道事務所}}</ref>。 ** 第1回[[日立さくらロードレース]]が開催される<ref name=":8" />。{{Small|(日立市)}} * [[2004年]](平成16年) ** [[4月29日]] - [[吉田正音楽記念館]]がオープン<ref>{{Cite web |title=吉田正音楽記念館オープン |url=https://www.jsdi.or.jp/~y_ide/040429yoshida_kinekan.htm |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=井出よしひろ}}</ref>。{{Small|(日立市)}} ** [[8月1日]] - [[8月30日]] - [[平成14年度全国高等学校総合体育大会]]が茨城県で開催される<ref>{{Cite web |title=活動内容/全国高等学校総合体育大会―平成13・14年度 |url=https://www.zen-koutairen.com/inhigh_h13h14.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=公益財団法人 [[全国高等学校体育連盟]]}}</ref>。 ** [[10月16日]] - [[東茨城郡]]御前山村、[[那珂郡]]山方町・美和村・緒川村が那珂郡大宮町に編入され、大宮町が町名変更、市制移行し、'''[[常陸大宮市]]'''が誕生<ref name=":10">{{Cite web |title=公益財団法人国土地理協会 -市町村変更情報:今後の市町村変更情報- |url=https://www.kokudo.or.jp/marge/tdfk.php?tdfk_cd=8 |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=国土地理協会}}</ref>。 ** [[11月1日]] - 多賀郡十王町が、日立市に編入される<ref name=":10" />。 ** [[12月1日]] - [[久慈郡]][[金砂郷町]]・[[水府村]]・[[里美村]]が常陸太田市に編入される<ref name=":10" />。 * [[2005年]](平成17年) ** [[3月31日]] - [[日立電鉄線]]が廃線となる<ref>{{Cite web |title=日立電鉄 日立電鉄線(2005年3月:廃止) 路線図・停車駅 |url=https://raillab.jp/transport/691 |website=レイルラボ(RailLab) |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref>。{{Small|(日立市・常陸太田市)}} ** [[6月5日]] - 第56回全国植樹祭が奥久慈憩いの森(サテライト会場)で開催<ref>{{Cite web |url=https://ibaraki.ikujusai.jp/data/doc/1663063841_doc_6_0.pdf |title=平成17年 第56回 全国植樹祭 |access-date=2023年12月24日 |publisher=第46回全国育樹祭茨城県実行委員会}}</ref><ref group="注釈">メイン会場は水郷県民の森(潮来市)</ref>。{{Small|(大子町)}} ** [[11月29日]] - 土岳が[[関東の富士見百景]]に選定される<ref>{{Cite web |url=https://www.city.takahagi.ibaraki.jp/data/doc/1560414661_doc_7_0.pdf |title=『統計たかはぎ』令和3年版 |access-date=2023年12月24日 |publisher=高萩市企画総務部総務課 |date=2023-03 |page=13}}</ref>。 * [[2006年]](平成18年) ** [[8月3日]] - [[石岡第二発電所]]本館などが登録有形文化財(建造物)に登録される<ref>{{Cite web |title=石岡第二発電所本館 文化遺産オンライン |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/170862 |website= |access-date=2023-12-24 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref><ref name=":13">{{Cite web |title=北茨城の検索結果 文化遺産オンライン |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/search/freetext:%E5%8C%97%E8%8C%A8%E5%9F%8E |website= |access-date=2023-12-24 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref>。{{Small|(北茨城市)}} * [[2007年]](平成19年)[[3月16日]] - KDDI茨城衛星通信センター閉所式が挙行される<ref>{{Cite web |url=https://www.city.takahagi.ibaraki.jp/data/doc/1560414661_doc_7_0.pdf |title=『統計たかはぎ』令和3年版 |access-date=2023年12月24日 |publisher=高萩市企画総務部総務課 |date=2023-03 |page=14}}</ref>。{{Small|(日立市・高萩市)}} * [[2008年]](平成20年) ** [[9月13日]] - 袋田の滝新観瀑台がオープン<ref>{{Cite web |title=袋田の滝|日本の森滝渚全国協議会(公式ホームページ) |url=https://mori-taki-nagisa.jp/pages/97/ |website=日本の森滝渚全国協議会 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref>。 ** 11月1日 - [[11月9日]] - 第23回[[国民文化祭]]・いばらき2008が開催される<ref>{{Cite web |url=https://www.pref.ibaraki.jp/bugai/koho/kenmin/hibari/backnumber/documents/ic_2008_11.pdf |title=第23回国民文化祭・いばらき2008がいよいよ開催されます! |access-date=2023年12月24日 |publisher=茨城県}}</ref>。 ** [[12月2日]] - [[石岡第一発電所]]本館変電室などが[[重要文化財]]に指定される<ref>{{Cite web |title=石岡第一発電所施設 本館変電室 文化遺産オンライン |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/125267 |website= |access-date=2023-12-24 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref><ref name=":13" />。{{Small|(北茨城市)}} * [[2009年]](平成21年) - 「[[日立風流物]]」が[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]][[無形文化遺産]]条約「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載<ref name=":11">{{Cite web |title=国指定文化財等データベース |url=https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/32 |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=[[文化庁]]}}</ref>。{{Small|(日立市)}} * [[2010年]](平成22年)2月28日 - [[FMひたち]]が開局<ref>{{Cite web |title=会社概要 {{!}} FMひたち 82.2MHz {{!}} FM Hitachi |url=https://hfm.or.jp/company/ |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=[[JWAY]]}}</ref>。{{Small|(日立市)}} * [[2011年]](平成23年) ** [[3月11日]] - [[東日本大震災]]([[東北地方太平洋沖地震]])が発生。日立市、高萩市、常陸大宮市で最大[[気象庁震度階級|震度]]6強、北茨城市、常陸太田市で最大震度6弱、大子町で最大震度5強を観測。4市で計27人の死者が発生し<ref group="注釈">日立市13人、常陸太田市3人、高萩市1人、北茨城市10人。</ref>、太平洋沿岸の北茨城市などでは津波被害を受けるなど、甚大な影響を受けた<ref>{{Cite web |url=https://www.pref.ibaraki.jp/seikatsukankyo/bousaikiki/bousai/kirokushi/documents/shinsaikiroku-1syou.pdf |title=『東日本大震災の記録誌』 |access-date=2023年12月24日 |publisher=茨城県防災・危機管理部防災・危機管理課総務・危機管理 |pages=4-5, 10, 12}}</ref>。 ** [[4月7日]] - [[日立駅]]自由通路及び橋上駅舎供用開始<ref>{{Cite web |url=https://www.pref.ibaraki.jp/doboku/toshikei/kikaku/machi/documents/no41-6~7_2.pdf |title=「日立市のまちづくりの取り組み 日立駅自由通路新設及び駅舎橋上化事業 ~完成~ (日立市)」 |access-date=2023年12月24日 |publisher=茨城県 |author=関根博之}}</ref>。{{Small|(日立市)}} ** [[9月6日]] - [[茨城県北ジオパーク]]が[[日本ジオパーク]]に認定<ref>{{Cite web |url=https://www.city.takahagi.ibaraki.jp/data/doc/1560414661_doc_7_0.pdf |title=『統計たかはぎ』令和3年版 |access-date=2023年12月24日 |publisher=高萩市企画総務部総務課 |date=2023-03 |page=16}}</ref>。 * [[2013年]](平成25年) ** [[3月25日]] - [[ひたちBRT]]が運行を開始<ref>{{Cite web |title=ひたちBRT、3月25日運行開始…日立電鉄線跡地を走行 |url=https://response.jp/article/2013/03/15/193727.html |website=レスポンス(Response.jp) |date=2013-03-15 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref>。{{Small|(日立市)}} ** 4月1日 - [[たかはぎFM]]が放送開始<ref>{{Cite web |title=たかはぎFM {{!}} 高萩市観光協会公式ホームページ |url=https://www.takahagi-kanko.jp/sp/page/page000173.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=高萩市観光協会}}</ref>。{{Small|(高萩市)}} ** 12月 - [[FMだいご]]が開局<ref>{{Cite web |title=FMだいご |url=https://www.fmdaigo775.jp/about/index.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=[[FMだいご]]}}</ref>。{{Small|(大子町)}} * [[2014年]](平成26年) ** [[7月27日]] - [[7月31日]] - 第38回[[全国高等学校総合文化祭]]茨城大会「いばらき総文2014」が開催される<ref>{{Cite web |url=http://www.edu.pref.ibaraki.jp/soubun2014/schejule.html |title=開催会場・日程 |access-date=2023年12月24日 |publisher=第38回全国高等学校総合文化祭茨城県実行委員会 |archive-url=https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3947831/www.edu.pref.ibaraki.jp/soubun2014/schejule.html |archive-date=2012-11-1}}</ref>。{{Small|(日立市)}} ** [[9月21日]] - [[道の駅日立おさかなセンター]]がオープン<ref>{{Cite web |title=道の駅日立おさかなセンター公式サイト{{!}}お知らせ・イベント{{!}}道の駅日立おさかなセンター オープン!! |url=https://hitachi-osakana-center.com/news-event/140921.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=[[道の駅日立おさかなセンター]]}}</ref>。{{Small|(日立市)}} * [[2016年]](平成28年) ** [[3月25日]] - [[道の駅常陸大宮]]がオープン<ref>{{Cite web |title=道の駅常陸大宮・かわプラザ完成 25日オープン – きたかんナビ |url=https://kitakan-navi.jp/archives/7867 |access-date=2023-12-24 |language=ja |date=2016-3-25}}</ref>。{{Small|(常陸大宮市)}} ** [[7月21日]] - [[道の駅ひたちおおた]]がオープン<ref>{{Cite web |title=「道の駅ひたちおおた~黄門の郷~」が7月21日(木)午後1時 オープンします! {{!}} 常陸太田市観光物産協会公式ホームページ |url=https://www.kanko-hitachiota.com/sp/page/page000935.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=一般社団法人 常陸太田市観光物産協会}}</ref>。{{Small|(常陸太田市)}} ** [[9月17日]] - [[11月20日]] - [[KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭]]が茨城県県北地域で開催される<ref>{{Cite web |url=http://kenpoku-art.jp/about/overview/ |title=開催概要 茨城県北芸術祭とは |access-date=2023年12月24日 |publisher=茨城県北芸術祭実行委員会 |archive-url=https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11297675/kenpoku-art.jp/about/overview/ |archive-date=2019-6-20}}</ref>。 ** 「日立風流物」が「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に「[[山・鉾・屋台行事]]」のひとつとして再度記載<ref name=":11" />。{{Small|(日立市)}} * [[2017年]](平成29年) ** [[1月21日]] - [[日立市 池の川さくらアリーナ]]がオープン<ref>{{Cite web |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/statics/hitachiu/1597/p003.html |title=子ども通信員リポート 池の川さくらアリーナ  2017.1.21オープン!! |access-date=2023年12月24日 |publisher=日立市市長公室広報戦略課 |work=『日立市報』(2017年1月1日号、No.1597)}}</ref>。{{Small|(日立市)}} ** [[3月3日]] - [[常陸大津の御船祭]]が国の[[重要無形民俗文化財]]に指定される<ref>{{Cite web |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/246091 |title=常陸大津の御船祭 |access-date=2023年12月25日 |publisher=文化庁}}</ref>。{{Small|(北茨城市)}} ** [[7月18日]] - [[日立市役所]]新庁舎での業務が開始<ref>{{Cite web |title=日立市|新庁舎での業務を開始しました |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/shisei/011/007/p061959.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=日立市}}</ref>。{{Small|(日立市)}} ** 12月 - 茨城県北ジオパークが日本ジオパークから認定取り消し<ref>{{Cite web |title=茨城県北ジオパーク構想|茨城大学 |url=https://www.ibaraki.ac.jp/local/geopark/ |website= |access-date=2023-12-24 |language=ja |publisher=[[茨城大学]]}}</ref>。 * [[2019年]]([[令和]]元年) ** [[9月28日]] - [[10月8日]] - 天皇陛下御即位記念[[第74回国民体育大会]]「いきいき茨城ゆめ国体2019」が開催<ref>{{Cite web |title=競技会場(市町村別一覧) {{!}} いきいき茨城ゆめ国体(茨城国体・第74回国民体育大会) |url=https://www.pref.ibaraki.jp/ibarakikokutai2019/html/kokutai/area/city.html |website=いきいき茨城ゆめ国体(第74回国民体育大会)・いきいき茨城ゆめ大会(第19回全国障害者スポーツ大会) |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref><ref group="注釈">日立市:体操(競技・新体操)、バスケットボール、卓球、軟式野球、パンポン(デモンストレーションスポーツ) 常陸太田市:ソフトボール 高萩市:軟式野球、ウエイトリフティング 北茨城市:ソフトテニス 常陸大宮市:なぎなた 大子町:カヌー(スラローム・ワイルドウォーター)</ref>。 ** [[10月12日]] - [[令和元年東日本台風]]により大子町などで被害。[[水郡線]]の第6久慈川橋梁が流出<ref>{{Cite web |title=令和元年台風19号浸水被害記録展の開催について {{!}} 大子町公式ホームページ |url=https://www.town.daigo.ibaraki.jp/page/page005831.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=大子町}}</ref><ref>{{Cite web |title=令和元年東日本台風からの被災施設の復旧状況 |url=https://www.pref.ibaraki.jp/doboku/kasen/taihu_hukkyuu.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-24 |language=ja |last=茨城県}}</ref>。 ** [[10月29日]] - 「南郷道」が歴史の道百選に選ばれる<ref>{{Cite web |title=茨城)常陸大宮の南郷道が「歴史の道」に 県内2件目:朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASMBX5DCXMBXUJHB00F.html?iref=ogimage_rek |website=朝日新聞デジタル |date=2019-10-29 |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref>。{{Small|(常陸大宮市)}} * [[2020年]](令和2年)[[3月19日]] - [[SEA MARK SQUARE]]がオープン<ref>{{Cite web |title=日立市のNewランドマーク「SEA MARK SQUARE」2020年3月19日グランドオープン! |url=https://skyticket.jp/guide/434411/ |website=skyticket 観光ガイド |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref>。{{Small|(日立市)}} * [[2021年]](令和3年) ** [[4月17日]] - [[日立シビックセンター科学館]]がリニューアルオープン<ref>{{Cite web |title=4/17(土)、日立シビックセンター科学館が「サクリエ」として生まれ変わる! |url=https://newscast.jp/news/1624024 |website=newscast.jp |date=2021-04-15 |access-date=2023-12-24}}</ref>。{{Small|(日立市)}} ** [[5月22日]] - 道の駅奥久慈だいごがリニューアルオープン<ref>{{Cite web |title=道の駅「奥久慈だいご」がリニューアルオープンしました {{!}} 大子町観光協会 |url=https://www.daigo-kanko.jp/news/news-15962 |website=大子町観光協会 {{!}} |date=2021-05-28 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref>。{{Small|(大子町)}} * [[2022年]](令和4年) ** [[1月16日]] - [[イトーヨーカドー日立店]]が閉店<ref>{{Cite web |title=ヨーカドー日立店、22年1月に閉店 30年の歴史に幕へ |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC071M70X00C21A6000000/ |website=日本経済新聞 |date=2021-06-07 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref>。{{Small|(日立市)}} ** [[7月1日]] - [[久慈サンピア日立]]がリニューアルオープン<ref>{{Cite web |title=2022年7月1日リニューアルオープン |url=https://www.kuji-sunpia-hitachi.com/renewal-open/ |website=【公式】久慈サンピア日立 |access-date=2023-12-24 |language=ja-JP}}</ref>。{{Small|(日立市)}} ** [[9月28日]] - 県北地域5市1町が[[水戸ホーリーホック]]の[[ホームタウン]]に追加される<ref>{{Cite web |title=「日立市、常陸太田市、北茨城市、常陸大宮市、高萩市、大子町が新たなホームタウンに! 県北 6 市町ホームタウン追加決定記者会見 コメント全文」【ニュース】※無料記事 |url=https://www2.targma.jp/hollyhock/2022/09/29/post38684/ |website=デイリーホーリーホック |access-date=2023-12-25 |language=ja |date=2022-9-29}}</ref>。 * [[2023年]](令和5年) ** [[3月31日]] - [[山方淡水魚館]]が閉館<ref>{{Cite web |title=「日本一小さな水族館」3月閉館 茨城・常陸大宮の山方淡水魚館 |url=https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=16730969869327 |website=茨城新聞クロスアイ |access-date=2023-12-25 |language=ja |date=2023-1-8}}</ref><ref>{{Cite web |title=“日本一小さな水族館” 最後の営業日 茨城 常陸大宮 |NHK 茨城県のニュース |url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/mito/20230331/1070020461.html |website=NHK NEWS WEB |access-date=2023-12-25 |last=日本放送協会 |date=2023-3-31}}</ref>。{{Small|(常陸大宮市)}} ** [[4月7日]] - [[フォレストモール]]常陸太田がオープン<ref>{{Cite web |title=常陸太田で大型商業施設オープン 多くの人でにぎわう 茨城県|NHK 茨城県のニュース |url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/mito/20230407/1070020516.html |website=NHK NEWS WEB |access-date=2023-12-25 |last=日本放送協会 |date=2023-4-7}}</ref><ref>{{Cite web |title=フォレストモール常陸太田/4月7日開業、ヨークベニマル・サンドラッグなど10店 |url=https://www.ryutsuu.biz/store/p030314.html |website=流通ニュース |access-date=2023-12-25 |last=株式会社ロジスティクス・パートナー |date=2023-3-3}}</ref>。{{Small|(常陸太田市)}} ** 4月28日 - 日立駅前大型商業施設「ヒタチエ」がオープン<ref>{{Cite web |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/statics/hitachiu/1741/p001.html |title=日立駅前大型商業施設 ヒタチエ 2023年4月28日(金曜日) OPEN! |access-date=2023年12月24日 |publisher=日立市市長公室広報戦略課 |work=『日立市報』(2023年4月5日号、No.1741)}}</ref>。{{Small|(日立市)}} ** [[9月8日]] - 日立市、高萩市、北茨城市が[[令和5年台風第13号]]により大きな被害を受ける<ref>{{Cite web |url=https://www.pref.ibaraki.jp/bousaikiki/bousaikiki/bousai/20230602ooamekouzui/documents/230908_saigaikyuujyohou.pdf |title=令和5年台風第13号に伴う災害に係る災害救助法の適用について |access-date=2023年12月24日 |publisher=茨城県防災・危機管理部防災・危機管理課}}</ref>。日立市では24時間降水量が観測史上1位の282.5 mmを観測<ref>{{Cite web |url=https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/bosai/report/2023/20230929/jyun_sokuji20230907-0909.pdf |title=令和5年台風13号による大雨 |access-date=2023年12月24日 |publisher=[[気象庁]] |page=21 |date=2023-9-29}}</ref>。 ** [[12月2日]] - [[国道118号]][[袋田バイパス]]が全線開通<ref>{{Cite web |title=茨城 大子町 国道118号「袋田バイパス」が全線で開通|NHK 茨城県のニュース |url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/mito/20231204/1070022887.html |website=NHK NEWS WEB |access-date=2023-12-24 |last=日本放送協会 |date=2023-12-04}}</ref>。{{Small|(大子町)}} == 各市町の特色 == === [[日立市]] === 2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約16.6万人であり、[[水戸市]]、[[つくば市]]に次いで県内第3位である<ref name=":16">{{Cite web |title=茨城県の人口と世帯(推計)-令和5年(2023年)11月1日現在- |url=https://www.pref.ibaraki.jp/kikaku/tokei/fukyu/tokei/betsu/jinko/getsu/jinko2311.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-24 |language=ja |last=茨城県}}</ref>。明治時代から日本有数の鉱業都市として成長し<ref>{{Cite web |title=日立市|生活未来都市 ひたちの魅力 |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/miryoku/miryoku/p032328.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=日立市}}</ref>、現在も市内には、[[日立製作所]]関連の工場が多く立地している<ref name=":17">{{Cite web |title=プロフィール|ひたち風 |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/citypromotion/hitachikaze/profile/index.html |website= |access-date=2023-12-24 |language=ja |publisher=日立市市長公室広報戦略課}}</ref>。東側が太平洋、西側が多賀山地であるため、市街が海と山に囲まれており、四季を通して寒暖の差が少ない<ref name=":17" />。一方で、その地理的制約から南北に縦貫する幹線道路が[[国道6号]]と[[国道245号]]のみであり、長年渋滞問題を抱えている<ref>{{Cite web |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/shimin/014/009/003/p095353_d/fil/kansen1.pdf |title=日立市の道路の現状 |access-date=2023年12月24日 |publisher=日立市}}</ref>。桜の名所として、[[日本さくら名所100選]]に選ばれた[[平和通り (日立市)|平和通り]]と[[日立市かみね公園]]が有名であり<ref>{{Cite web |title=【さくら名所100選】茨城・平和通り/かみね公園 |url=https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/sakura00108078/ |website= |date=2020-03-04 |access-date=2023-12-24 |language=ja |publisher=ニッポンドットコム}}</ref>、平和通り周辺などでは、毎年4月上旬に日立さくらまつりが開かれる<ref>{{Cite web |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/event/003/p118435_d/fil/hitachi_city_guide_book.pdf |title=『日立市ガイドブック』 |access-date=2023年12月24日 |publisher=日立市市長公室広報戦略課 |date=2023-09 |pages=7-8}}</ref>。 === [[高萩市]] === 2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約2.6万人<ref name=":16" />。紅葉の名所として、[[花貫渓谷]]が知られており、多くの観光客が訪れる<ref name=":18">{{Cite web |title=高萩市 – 観光いばらき |url=https://ibarakiguide.jp/site/ibaraki-map/north/takahagi.html |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=いばらき観光キャンペーン推進協議会}}</ref>。市域の85%が山林や原野であり、市の大部分は[[多賀山地]]である<ref>{{Cite web |url=https://www.satofull.jp/static/html/municipality/082147/ |title=茨城県高萩市(たかはぎし)のふるさと納税・地域の情報 |access-date=2023年12月24日 |publisher=さとふる}}</ref>。市内でアウトドアが楽しめるのも特徴であり、茨城県最大のダムである[[小山ダム]]のほとりにあるアウトドアフィールド「Hagi Villege」のほか、多数のキャンプ場がある<ref>{{Cite web |title=たかはぎで旅しよう {{!}} イバラキイーブックス ibaraki ebooks 茨城県の電子書籍サイト |url=https://www.ibaraki-ebooks.jp/?bookinfo=%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%AF%E3%81%8E%E3%81%A7%E6%97%85%E3%81%97%E3%82%88%E3%81%86 |website= |access-date=2023-12-24 |publisher=ibaraki ebooks 実行委員会 |work=『たかはぎで旅しよう』 |pages=3-8}}</ref>。 === [[北茨城市]] === 2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約3.9万人<ref name=":16" />。市内は、北部エリア、中部エリア、南部エリア、山側エリアの大きく4つに分かれる<ref name=":19">{{Cite web |url=https://www.city.kitaibaraki.lg.jp/docs/2019032800012/file_contents/kitaibarakiiju.pdf |title=『北茨城市移住定住パンフレット』 |access-date=2023年12月25日 |publisher=北茨城市企画政策課 |date=2019-3 |page=5}}</ref>。北部エリアには、温泉がある旅館や民宿が多く、[[茨城県天心記念五浦美術館]]といった文化施設も存在する<ref name=":19" />。山側エリアには、[[花園渓谷]]や[[花園神社 (北茨城市)|花園神社]]があり<ref name=":19" />、紅葉を楽しむことができる<ref name=":20">{{Cite web |title=北茨城市 – 観光いばらき |url=https://ibarakiguide.jp/site/ibaraki-map/north/kitaibaraki.html |website= |access-date=2023-12-25 |publisher=いばらき観光キャンペーン推進協議会}}</ref>。市内では、5年に1度、5月に[[常陸大津の御船祭]]が開催される<ref name=":20" />。 === [[常陸太田市]] === 2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約4.5万人<ref name=":16" />。茨城県内で一番面積が広く<ref name=":21">{{Cite web |title=常陸太田市について |url=https://www.hitachiota-companyguide.jp/about-hitachioota/ |website=常陸太田市内立地企業ガイドウェブ |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref>、低層住宅の割合が高いことから、住宅都市としてのイメージが強い<ref>{{Cite web |url=https://www.city.hitachiota.ibaraki.jp/data/doc/1247312315_doc_88.pdf |title=『常陸太田市都市計画マスタープラン』 |access-date=2023年12月25日 |publisher=常陸太田市建設部都市計画課 |date=2020-3 |page=13}}</ref>。また、[[徳川光圀]]が晩年に過ごした[[西山荘]]や、平安時代より72年ごとに行われる[[西金砂神社]]と東金砂神社の[[金砂神社磯出大祭礼|大祭礼]]など、歴史的、文化的な資源が多い<ref name=":21" />。加えて、ぶどうや梨が特産品として知られ、[[常陸秋そば]]の発祥地でもある<ref name=":21" />。毎年の[[成人式]](現:二十歳の集い)では、新成人が[[竜神大吊橋]]において、[[バンジージャンプ]]に挑戦している<ref>{{Cite web |title=20歳の抱負叫びバンジージャンプ 高さ100メートル 茨城・常陸太田の竜神大吊橋 |url=https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=16730794717621 |website=茨城新聞クロスアイ |access-date=2023-12-25 |language=ja |date=2023-1-7}}</ref>。 === [[常陸大宮市]] === 2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約3.7万人<ref name=":16" />。市内の約6割を山林が占めており、自然が豊かであるのが特徴である<ref>{{Cite web |title=常陸大宮市の概要 |url=https://www.city.hitachiomiya.lg.jp/iju_teiju/tokushoku/page006663.html |website= |access-date=2023-12-25 |language=ja |publisher=[[常陸大宮市]]}}</ref>。特産品としてネギやシイタケがあり<ref>{{Cite web |title=位置と地勢 |url=https://www.city.hitachiomiya.lg.jp/kurashi_gyousei/gyousei/city_profile/city_about/page000142.html |website= |access-date=2023-12-25 |language=ja |publisher=常陸大宮市}}</ref>、[[道の駅常陸大宮]]では、地元の農産物が多く販売されている<ref name=":22">{{Cite web |url=https://www.city.hitachiomiya.lg.jp/data/doc/1699515702_doc_124_0.pdf |title=『常陸大宮市 移住ガイドブック』 |access-date=2023年12月25日 |publisher=常陸大宮市地方創生部定住推進課 |page=5}}</ref>。市内の東側と南側には[[久慈川]]と[[那珂川]]が流れており、カヌーなどのアクティビティや鮎釣りなどを体験することができる<ref name=":22" />。市内の泉坂下遺跡で出土した人面付壺型土器が国の[[重要文化財]]に指定されている<ref>{{Cite web |url=https://www.city.hitachiomiya.lg.jp/data/doc/1564379100_doc_43_0.pdf |title=『この町は恋をする in 常陸大宮』 Vol.1 |access-date=2023年12月25日 |publisher=常陸大宮市産業観光部商工観光課 |page=35}}</ref>。 === [[大子町]] === 2023年(令和5年)11月1日現在の人口は約1.4万人<ref name=":16" />。[[日本三名瀑|日本名三瀑]]のひとつとして知られる[[袋田の滝]]や、[[月待の滝]]、奥久慈温泉郷など観光地が多くある<ref>{{Cite web |title=大子町の魅力 {{!}} 大子町観光協会 |url=https://www.daigo-kanko.jp/about.html |website=大子町観光協会 {{!}} |date=2018-07-19 |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref>。年間約150万人の観光客が訪れる茨城県内有数の観光地であり、観光と農林業を町の基幹産業と位置付けている<ref>{{Cite web |title=大子町の紹介 {{!}} 大子町公式ホームページ |url=https://www.town.daigo.ibaraki.jp/page/page001386.html |website= |access-date=2023-12-25 |publisher=大子町}}</ref>。コシヒカリや奥久慈しゃも、奥久慈りんご、漆など多くの特産品があり<ref>{{Cite web |title=大子町|茨城を知る|いばらき移住定住ポータルサイトRe:BARAKI |url=https://iju-ibaraki.jp/area/daigo/ |website=いばらき移住定住ポータルサイトRe:BARAKI |access-date=2023-12-25 |language=ja |last=いばらき移住定住ポータルサイトRe:BARAKI}}</ref>、自然豊かであることが特徴である<ref>{{Cite web |title=大子町の特徴 {{!}} 大子町公式ホームページ |url=https://www.town.daigo.ibaraki.jp/page/page001387.html |website= |access-date=2023-12-25 |publisher=[[大子町]]}}</ref>。 == 教育 == === 大学 === * [[茨城大学]]日立キャンパス<ref>{{Cite web |title=日立キャンパス|茨城大学 |url=https://www.ibaraki.ac.jp/generalinfo/campus/hitachi/ |website= |access-date=2023-12-24 |language=ja |publisher=[[茨城大学]]}}</ref>{{Small|(日立市)}} * [[茨城キリスト教大学]]<ref>{{Cite web |title=交通アクセス |url=https://www.icc.ac.jp/access/index.html |website=茨城キリスト教大学 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref>{{Small|(日立市)}} === 高等学校 === ==== 県立高等学校 ==== (出典:<ref>{{Cite web |url=https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/wp-content/uploads/2023/10/school-list.pdf |title=市町村教育委員会・公立学校等一覧 |access-date=2023年12月24日 |publisher=茨城県教育委員会 |date=2023-10-27 |pages=9-10, 18}}</ref>) * [[茨城県立日立第一高等学校・附属中学校|茨城県立日立第一高等学校]]{{Small|(日立市)}} * [[茨城県立日立第二高等学校]]{{Small|(日立市)}} * [[茨城県立日立工業高等学校]]{{Small|(日立市)}} * [[茨城県立日立商業高等学校]]{{Small|(日立市)}} * [[茨城県立日立北高等学校]]{{Small|(日立市)}} * [[茨城県立高萩清松高等学校]]{{Small|(高萩市)}} * [[茨城県立高萩高等学校]]{{Small|(高萩市)}} * [[茨城県立磯原郷英高等学校]]{{Small|(北茨城市)}} * [[茨城県立太田第一高等学校・附属中学校|茨城県立太田第一高等学校]]{{Small|(常陸太田市)}} * [[茨城県立太田西山高等学校]]{{Small|(常陸太田市)}} * [[茨城県立小瀬高等学校]]{{Small|(常陸大宮市)}} * [[茨城県立常陸大宮高等学校]]{{Small|(常陸大宮市)}} * [[茨城県立大子清流高等学校]]{{Small|(大子町)}} ==== 私立高等学校 ==== (出典:<ref>{{Cite web |title=私立高等学校一覧 |url=https://www.pref.ibaraki.jp/somu/somu/shigaku/private-school/school/high/index.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-24 |language=ja |last=茨城県}}</ref>) * [[明秀学園日立高等学校]]{{Small|(日立市)}} * [[茨城キリスト教学園高等学校]]{{Small|(日立市)}} * [[翔洋学園高等学校]]{{Small|(日立市)}} * [[第一学院高等学校高萩本校|第一学園高等学校(高萩校)]]{{Small|(高萩市)}} * [[ルネサンス高等学校]]{{Small|(大子町)}} === 小・中学校 === {{Main|[[日立市#教育]]|[[高萩市#教育施設]]|[[北茨城市#主な学校]]|[[常陸太田市#学校]]|[[常陸大宮市#教育]]|[[大子町#学校]]}} ==== 県立中学校 ==== (出典:<ref>{{Cite web |url=https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/wp-content/uploads/2023/10/school-list.pdf |title=市町村教育委員会・公立学校等一覧 |access-date=2023年12月24日 |publisher=茨城県教育委員会 |page=7 |date=2023-10-27}}</ref>) * [[茨城県立日立第一高等学校附属中学校]]{{Small|(日立市)}} * [[茨城県立太田第一高等学校附属中学校]]{{Small|(常陸太田市)}} ==== 市立小・中学校・義務教育学校 ==== (出典:<ref>{{Cite web |url=https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/wp-content/uploads/2023/10/school-list.pdf |title=市町村教育委員会・公立学校等一覧 |access-date=2023年12月24日 |publisher=茨城県教育委員会 |pages=1-4 |date=2023-10-27}}</ref>) * 日立市:小学校24校、中学校14校、義務教育学校1校 * 高萩市:小学校4校、中学校3校 * 北茨城市:小学校11校、中学校4校 * 常陸太田市:小学校8校、中学校7校 * 常陸大宮市:小学校11校、中学校4校 * 大子町:小学校6校、中学校4校 ==== 私立小・中学校 ==== (出典:<ref>{{Cite web |title=私立小学校一覧 |url=https://www.pref.ibaraki.jp/somu/somu/shigaku/private-school/school/primary/index.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-24 |language=ja |last=茨城県}}</ref><ref>{{Cite web |title=私立中学・中等教育学校一覧 |url=https://www.pref.ibaraki.jp/somu/somu/shigaku/private-school/school/junior/index.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-24 |language=ja |last=茨城県}}</ref>) * [[久慈川三育小学校]]{{Small|(日立市)}} * [[茨城キリスト教学園中学校・高等学校|茨城キリスト教学園中学校]]{{Small|(日立市)}} === 特別支援学校 === (出典:<ref>{{Cite web |url=https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/wp-content/uploads/2023/10/school-list.pdf |title=市町村教育委員会・公立学校等一覧 |access-date=2023年12月25日 |publisher=茨城県教育委員会 |pages=21-22, 52}}</ref>) * [[日立市立日立特別支援学校]]{{Small|(日立市)}} * [[茨城県立北茨城特別支援学校]]{{Small|(北茨城市)}} * 茨城県立常陸太田特別支援学校{{Small|(常陸太田市)}} == 交通 == === 鉄道 === * {{Color|blue|■}}[[常磐線]]({{Color|purple|■}}[[上野東京ライン]]<ref group="注釈">高萩駅が北限</ref>) ** 日立市 *** [[大甕駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(大甕駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=348 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[常陸多賀駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(常陸多賀駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1321 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[日立駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(日立駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1315 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[小木津駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(小木津駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=363 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[十王駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(十王駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=530 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> ** 高萩市  *** [[高萩駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(高萩駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=941 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> ** 北茨城市 *** [[南中郷駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(南中郷駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1494 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[磯原駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(磯原駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=129 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[大津港駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(大津港駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=332 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> * {{Color|green|■}}[[水郡線]] ** 常陸太田市 *** [[河合駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(河合駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=520 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[谷河原駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(谷河原駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1572 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[常陸太田駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(常陸太田駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1317 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> ** 常陸大宮市 *** [[常陸大宮駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(常陸大宮駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1318 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[玉川村駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(玉川村駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=975 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[野上原駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(野上原駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1199 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[山方宿駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(山方宿駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1601 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[中舟生駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(中舟生駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1110 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[下小川駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(下小川駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=818 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> ** 大子町 *** [[西金駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(西金駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=721 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[上小川駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(上小川駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=484 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[袋田駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(袋田駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1358 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[常陸大子駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(常陸大子駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1320 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> - [[下野宮駅]]<ref>{{Cite web |title=駅の情報(下野宮駅):JR東日本 |url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=828 |website=JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref> === 道路 === {{Main|[[日立市#道路]]|[[高萩市#道路]]|[[北茨城市#道路]]|[[常陸太田市#道路]]|[[常陸大宮市#道路]]|[[大子町#道路]]}}(出典:<ref>{{Cite web |url=https://www.driveplaza.com/assets/pdf/stamp/stampsheet_09.pdf |title=常磐自動車道 |access-date=2023年12月25日 |publisher=[[NEXCO東日本]]}}</ref>) * [[常磐自動車道]] ** 日立市 *** [[日立南太田インターチェンジ|日立南太田IC]] - [[日立中央インターチェンジ|日立中央IC]]/[[日立中央パーキングエリア|PA]] - [[日立北インターチェンジ|日立北IC]] ** 高萩市 *** [[高萩インターチェンジ|高萩IC]] ** 北茨城市 *** [[中郷サービスエリア|中郷SA]] - [[北茨城インターチェンジ|北茨城IC]] - [[関本パーキングエリア|関本PA]] (出典:<ref>{{Cite web |title=茨城県の道路一覧 |url=https://www.pref.ibaraki.jp/doboku/doiji/kanri/08date/date003.html |website=茨城県 |access-date=2023-12-25 |language=ja |last=茨城県}}</ref>) * [[有料道路]] ** [[日立有料道路]] * [[一般国道]] ** [[国道6号]]{{Small|(日立市・高萩市・北茨城市)}} ** [[国道245号]]{{Small|(日立市)}} ** [[国道118号]]{{Small|(常陸大宮市・大子町)}} ** [[国道123号]]{{Small|(常陸大宮市)}} ** [[国道293号]]{{Small|(日立市・常陸太田市・常陸大宮市)}} ** [[国道349号]]{{Small|(日立市・常陸太田市)}} ** [[国道400号]]{{Small|(常陸大宮市)}} ** [[国道461号]]{{Small|(日立市・高萩市・常陸太田市・大子町)}} == 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 == (出典:<ref>{{Cite web |title=茨城県の個性豊かな44市町村のみどころをご紹介 – 観光いばらき |url=https://www.ibarakiguide.jp/site/ibaraki-map.html |website= |access-date=2023-12-25 |publisher=いばらき観光キャンペーン推進協議会}}</ref>) * 日立市<ref>{{Cite web |title=日立市 – 観光いばらき |url=https://www.ibarakiguide.jp/site/ibaraki-map/north/hitachi.html |website= |access-date=2023-12-25 |publisher=いばらき観光キャンペーン推進協議会}}</ref> ** 小平記念館 ** 日鉱記念館 ** 海水浴場([[伊師浜海岸|伊師浜]]・川尻・会瀬・[[河原子海水浴場|河原子]]・[[水木海水浴場|水木]]・[[久慈浜海水浴場|久慈浜]]) ** 国民宿舎「[[国民宿舎鵜の岬|鵜の岬]]」 ** [[日立さくらまつり]] ** [[日立市かみね公園]] ** [[日立シビックセンター]] ** [[日立駅]] ** [[道の駅日立おさかなセンター]] ** ひたち国際大道芸 ** ひたち秋祭り~郷土芸能大祭 ** [[御岩神社]] ** [[奥日立きららの里]] * 高萩市<ref name=":18" /> ** [[花貫渓谷]] ** さくら宇宙公園(高萩桜まつり) ** 穂積家住宅 ** 高萩まつり ** 高萩アウトドアフィールド「Hagi Village」 ** [[高戸海岸|高戸小浜海岸]] * 北茨城市<ref name=":20" /> ** [[六角堂 (北茨城市)|六角堂]] ** [[茨城県天心記念五浦美術館]] ** [[花園神社 (北茨城市)|花園神社]]・[[花園渓谷]] ** 十石堀 ** [[常陸大津の御船祭]] * 常陸太田市<ref>{{Cite web |title=常陸太田市 – 観光いばらき |url=https://www.ibarakiguide.jp/site/ibaraki-map/north/hitachiota.html |website= |access-date=2023-12-25 |publisher=いばらき観光キャンペーン推進協議会}}</ref> ** [[竜神大吊橋]] ** [[西山荘]] ** かなさ笑楽校(旧常陸太田市立金砂小学校) ** [[西金砂神社]]小祭礼 ** 青蓮寺 ** 常陸秋そばフェスティバル里山フェア * 常陸大宮市<ref>{{Cite web |title=常陸大宮市 – 観光いばらき |url=https://www.ibarakiguide.jp/site/ibaraki-map/north/hitachiomiya.html |website= |access-date=2023-12-25 |publisher=いばらき観光キャンペーン推進協議会}}</ref> ** 西塩子の回り舞台 ** 湯の澤鉱泉 ** [[鷲子山上神社]] ** 三王山 ** 常陸大宮市歴史民俗資料館 大宮館 * 大子町<ref>{{Cite web |title=大子町 – 観光いばらき |url=https://www.ibarakiguide.jp/site/ibaraki-map/north/daigo.html |website= |access-date=2023-12-25 |publisher=いばらき観光キャンペーン推進協議会}}</ref> ** [[袋田の滝]] ** 旧上岡小学校 ** [[十二所神社 (大子町大子)|十二所神社]] [[百段階段でひなまつり]] ** 大子町花火大会・灯篭流し == 脚注 == {{脚注の使い方}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[茨城県]] {{デフォルトソート:いはらきけんけんほくちいき}} [[Category:茨城県の地域]]
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ロス・セタスによるデビッド・ロサレス・グスマンの家族4人の殺害
ロス・セタスによるデビッド・ロサレス・グスマンの家族4人の殺害(スペイン語: Asesinato de cuatro familiares de David Rosales Guzmán por Los Zetas)は、メキシコで最も危険な麻薬犯罪組織・麻薬カルテルとされているロス・セタスが、敵対しているガルフ・カルテルの最高幹部である デビッド・ロサレス・グスマン(通称: エル・コマンダンテ・ディアブロ)の家族である兄、母、妹、義妹の4人を見せしめのために殺害し、その様子をインターネット上に投稿した事が知られている。 本事件を起こしたロス・セタスは、メキシコ北東部、メキシコ湾西岸の中央部に位置する州であるタマウリパス州に本拠地を置く麻薬カルテルで、メキシコで最も危険な犯罪組織として知られている。ロス・セタスは本事件の被害者の家族であるデビッド・ロサレス・グスマン(通称: エル・コマンダンテ・ディアブロ)が最高幹部を務めるガルフ・カルテルから分裂した。 動画が再生されると、 デビッド・ロサレス・グスマンの家族4人が映し出された。家族4人はロス・セタスが独自に設置したと思われる処刑部屋で、両手首を後ろにして手錠で拘束されており、家族4人全員が肘をコンクリート床につけて座らされている。家族4人を後ろには『ZETAZ』の文字が入った防弾チョッキと帽子を被ったロス・セタスのメンバーが立っている。 一番右側に立っているロス・セタスのメンバーが被害者4人に対して一人ずつ尋問を始めた。一番右側に座っている黒色のベースに水玉模様が入った服と黄色のズボンを着ている女性は、自身がデビッド・ロサレス・グスマンの義妹であることを認めた。メンバーは次にピンクの服を着た女性(妹C)を尋問した。妹Cは自身がデビッド・ロサレス・グスマンの妹であることを認めた。次にメンバーは緑の服を着た女性に尋問をした。緑色の服を着た女性はデビッド・ロサレス・グスマンの母親であること認めた。そして最後に白色の服を着た男性に尋問を行った。白色の服を着た男性はデビッド・ロサレス・グスマンの兄であることを認めた。 ロス・セタスのメンバーは4人の尋問を終えると、格4人の背後に立っていたロス・セタスのメンバーが動き出した。メンバーは被害者4人の頭部にガムテープでぐるぐる巻きにし始めた。全員の頭部をガムテープでぐるぐる巻きにすると、木材を持ったメンバーが被害者4人の頭部を殴打し、被害者4人をコンクリート床に倒れさせた。そしてロス・セタスのメンバーは一斉に被害者4人の首に刃物を入れて斬首した。
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ロス・セタスによるデビッド・ロサレス・グスマンの家族4人の殺害(スペイン語: Asesinato de cuatro familiares de David Rosales Guzmán por Los Zetas)は、メキシコで最も危険な麻薬犯罪組織・麻薬カルテルとされているロス・セタスが、敵対しているガルフ・カルテルの最高幹部である デビッド・ロサレス・グスマン(通称: エル・コマンダンテ・ディアブロ)の家族である兄、母、妹、義妹の4人を見せしめのために殺害し、その様子をインターネット上に投稿した事が知られている。
{{暴力的}} '''ロス・セタスによるデビッド・ロサレス・グスマンの家族4人の殺害'''([[スペイン語]]: Asesinato de cuatro familiares de David Rosales Guzmán por Los Zetas)は、メキシコで最も危険な麻薬犯罪組織・麻薬カルテルとされている[[ロス・セタス]]が、敵対している[[ガルフ・カルテル]]の最高幹部である [[デビッド・ロサレス・グスマン]](通称: エル・コマンダンテ・ディアブロ)の家族である兄、母、妹、義妹の4人を見せしめのために殺害し、その様子をインターネット上に投稿した事が知られている<ref name=":0">{{Cite web |title=Zetas Decapitate "El Diablo's" Mother, Brother, Sister and Sister In Law |url=https://www.borderlandbeat.com/2012/07/zetas-decapitate-diablos-mother-brother.html |access-date=2023-12-25 |language=en |last=Chivis}}</ref><ref name=":1">{{Cite web |title=Vídeo fuerte donde familiares del comandante diablo son degollados {{!}} El Blog del Narco {{!}} elblogdelnarco.com |url=https://elblogdelnarco.com/2014/07/18/video-fuerte-donde-familiares-del-comandante-diablo-son-degollados/ |website=elblogdelnarco.com |date=2014-07-18 |access-date=2023-12-25 |language=es |first=Blog del |last=Narco}}</ref>。 {{Infobox 事件・事故 | 名称 = ロス・セタスによるデビッド・ロサレス・グスマンの家族4人の殺害 | 正式名称 = | 画像 = | 脚注 = | 地図 = | 地図の説明 = | 場所 = {{MEX}}<br/> | 緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 = | 経度度 = |経度分 = |経度秒 = | 標的 = デビッド・ロサレス・グスマンの家族 | 日付 = [[2012年]][[7月8日]] | 時間 = 夜ごろ | 開始時刻 = | 終了時刻 = | 時間帯 = | 概要 = | 懸賞金 = | 原因 = 敵対する[[ガルフ・カルテル]]との抗争事件 | 手段 = *家族4人を尋問し、頭部をガムテープでぐるぐる巻きにしたのちに、木の木材で頭部を殴打。倒れ込んだ家族4人の首を斬首した。 | 攻撃側人数 = 6人以上 | 武器 = [[銃器]]、[[刃物]]、[[ガムテープ]] | 死亡 = デビッド・ロサレス・グスマンの家族<br/>白い服を着た兄A<br/>緑の服を着た母B<br/>ピンクの服を着た妹C<br/>黒色に水玉模様が入った服を着た義妹D | 負傷 = なし | 行方不明 = | 被害者 = デビッド・ロサレス・グスマンの家族4人 | 損害 = | 犯人 = [[ロス・セタス]] | 容疑 = [[誘拐]]、[[殺人]]、[[遺体損壊]]、[[死体遺棄]] | 動機 = デビッド・ロサレス・グスマンへの警告 | 関与 = [[ロス・セタス]] | 防御 = | 対処 = 未解決 | 謝罪 = なし | 補償 = なし | 賠償 = なし | 刑事訴訟 = | 少年審判 = | 海難審判 = | 民事訴訟 = | 影響 = 抗争の激化 | 遺族会 = | 被害者の会 = | 管轄 = [[メキシコの警察]] }} ==概要== 本事件を起こした[[ロス・セタス]]は、メキシコ北東部、[[メキシコ湾]]西岸の中央部に位置する州である[[タマウリパス州]]に本拠地を置く麻薬カルテルで、メキシコで最も危険な犯罪組織として知られている。ロス・セタスは本事件の被害者の家族である[[デビッド・ロサレス・グスマン]](通称: エル・コマンダンテ・ディアブロ)が最高幹部を務めるガルフ・カルテルから分裂した<ref name=":3">{{Cite web |title=メキシコを席捲した ロス・セタスという暴力装置 |url=https://www.vice.com/ja/article/neqevq/violence-los-zetas |website=Vice |date=2016-01-25 |access-date=2023-12-25 |language=ja |first=VICE |last=Japan}}</ref>。 ==バイラル・ビデオ== ===尋問=== 動画が再生されると、 デビッド・ロサレス・グスマンの家族4人が映し出された。家族4人は[[ロス・セタス]]が独自に設置したと思われる処刑部屋で、両手首を後ろにして手錠で拘束されており、家族4人全員が肘をコンクリート床につけて座らされている。家族4人を後ろには『ZETAZ』の文字が入った防弾チョッキと帽子を被ったロス・セタスのメンバーが立っている<ref name=":0" /><ref name=":1" /><ref name=":2">{{Cite web |title=The Ultimate Chaos Bringer's Blog: Zetas Decapitate "El Diablo's" Mother, Brother, Sister and Sister In Law |url=http://unpromisedone.blogspot.com/2012/10/zetas-decapitate-el-diablos-mother.html |website=The Ultimate Chaos Bringer's Blog |date=2012-10-08 |access-date=2023-12-25 |first=The Black |last=Swordsman}}</ref>。 一番右側に立っているロス・セタスのメンバーは被害者4人に対して一人ずつ機関銃を向けながら尋問を行った。最初に尋問されたのは一番右側に座っている黒色のベースに水玉模様が入った服と黄色のズボンを着ている女性Dで、Dは自身がデビッド・ロサレス・グスマンの義妹であることを認めた。 Dの尋問が終わると懐中電灯でDを明るく照らしていたメンバーがCの方に懐中電灯を当てるとともに尋問担当のメンバーがDの前を通り過ぎて次にピンクのベースに[[青|青色]]のPと[[赤|赤色]]のCの文字が入った服を着た女性(妹C)の横に移動した。尋問担当のメンバーは妹Cに対して銃口を向けながら尋問を行った、Cは自身がデビッド・ロサレス・グスマンの妹であることを認めた<ref name=":2" />。 次に尋問担当のメンバーはCの前を通り、懐中電灯の光によって照らされた緑の服を着た女性Bの横に移動したしそしてた。尋問担当のメンバーはBに対して尋問を開始した。Bは顔を左側に向けており、動画からは横顔のみにしか確認できない。、Bは小さい声でデビッド・ロサレス・グスマンの母親であること認めた。 次に尋問担当のメンバーはBの前を通って、白色の服を着た男性Aの横に立った。この時に懐中電灯を持っている人部が「ピピピ」と音を出し、一瞬懐中電灯の光をDの後ろに立っているメンバーに合図をした<ref name=":0" /><ref name=":1" />。 尋問担当のメンバーは白色の服を着た男性Aに尋問を行った。白色の服を着た男性Aはデビッド・ロサレス・グスマンの兄であることを認めた<ref name=":0" /><ref name=":1" /><ref name=":2" />。 4人の尋問が終わると、尋問担当のメンバーはDが座っている場所まで戻った。するとDの後ろに立っていたメンバーがガムテープを取り出しDの頭部に反時計回りにしてガムテープでぐるぐる巻きにし始めた<ref name=":0" />。 ===殺害=== ロス・セタスのメンバーは4人の尋問を終えると、格4人の背後に立っていたロス・セタスのメンバーが動き出した。メンバーは被害者4人の頭部にガムテープでぐるぐる巻きにし始めた。全員の頭部をガムテープでぐるぐる巻きにすると、木材を持ったメンバーが被害者4人の頭部を殴打し、被害者4人をコンクリート床に倒れさせた。そしてロス・セタスのメンバーは一斉に被害者4人の首に刃物を入れて斬首した<ref name=":0" /><ref name=":1" /><ref name=":3" />。 ==脚注== ===出典=== <references /> ==関連項目== *[[メキシコ麻薬戦争]] *[[ロス・セタス]] *[[ガルフ・カルテル]] {{Mexico-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ろすせたすによるてひつとろされすくすまんのかそく4にんのさつかい}} [[Category:メキシコの犯罪]] [[Category:メキシコの事件]] [[Category:一家殺傷事件]] [[Category:2012年の殺人]] [[Category:2012年のメキシコ]] [[Category:2012年7月]] [[Category:長大な項目名]]
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茅野牧夫
茅野 牧夫(かやの まきお)は、日本の国土交通技官、工学博士。和歌山県県土整備部長や、国土交通省中部地方整備局長を経て、日本道路建設業協会副会長。 東京都出身。1983年京都大学工学部卒業。在学中美術部長を務め、1985年京都大学大学院工学研究科修了、建設省入省。 国土交通省道路局企画課付を経て、2003年国土交通省北陸地方整備局新潟国道事務所長。2005年国土交通省道路局国道・防災課道路保全企画官。 2007年和歌山県県土整備部長。2010年国土交通省近畿地方整備局道路部長。2013年国土交通省道路局国道・防災課長。2015年国土交通省中部地方整備局長。 同年京都大学博士(工学)。2016年退官、日本道路建設業協会常任顧問。2017年日本道路建設業協会副会長兼専務理事。
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茅野 牧夫は、日本の国土交通技官、工学博士。和歌山県県土整備部長や、国土交通省中部地方整備局長を経て、日本道路建設業協会副会長。
'''茅野 牧夫'''(かやの まきお)は、[[日本]]の[[国土交通省|国土交通]][[技官]]、[[工学博士]]。[[和歌山県]]県土整備部長や、[[国土交通省]][[中部地方整備局]]長を経て、[[日本道路建設業協会]]副会長。 == 人物・経歴 == [[大阪府]]生まれ<ref>[https://www.midosuji.biz/news/2010/images/2010_12_01/sbj_symposium.pdf 日本風景街道 中之島・大川・御堂筋回廊シンポジウム]一般社団法人 御堂筋まちづくりネットワーク</ref>。1983年[[京都大学工学部]]卒業。在学中美術部長を務め、1985年[[京都大学大学院工学研究科]]修了、[[建設省]]入省<ref>[https://kyodokai.gr.jp/kaihou/kaihou54/54_5.pdf 京土会会報 No. 54 2016]京土会</ref><ref>[http://kawamoto.frontier.kyoto-u.ac.jp/labNews/labNews2012.html ラボニュース 2012]京都大学</ref>。 [[国土交通省]][[道路局]]企画課付を経て、2003年国土交通省[[北陸地方整備局]]新潟国道事務所長<ref>官報平成15年号外第98号 17頁</ref>。2005年国土交通省道路局国道・防災課道路保全企画官<ref>官報平成17年号外第104号 24頁</ref>。 2007年[[和歌山県]]県土整備部長。2010年国土交通省[[近畿地方整備局]]道路部長、[[奈良県]]奈良中心市街地交通処理対策検討委員会委員。2013年国土交通省道路局国道・防災課長、首都圏大規模水害対策協議会構成員。 2015年国土交通省[[中部地方整備局]]長<ref>[https://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/150810300010.html 中部地方整備局茅野牧夫局長 就任会見]建通新聞</ref><ref>[https://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/150730300052.html 中部地方整備局 新局長に茅野氏、副局長に大野氏と守屋氏]建通新聞2015/7/30</ref><ref>[https://www.pref.nara.jp/25712.htm 奈良中心市街地交通処理対策検討委員会]</ref><ref>[https://www.bousai.go.jp/fusuigai/syutoken_suigai/h25/pdf/meibo.pdf 首都圏大規模水害対策協議会 構成員名簿]</ref>、[[愛知県]][[都市計画審議会]]委員<ref>[https://www.pref.aichi.jp/uploaded/attachment/207538.pdf 平成 27 年度第2回 愛知県都市計画審議会]愛知県</ref>、国土をつくる人写真展審査委員会顧問<ref>[http://www.chukensei.jp/photo_exhibition/no4.html 選考頂いた「国土をつくる人写真展」審査委員会 委員]</ref>、[[土木学会]]中部支部[[評議員]]<ref>[https://jsce-chubu.jp/chubu/wp-content/uploads/2019/80th/all.pdf 周年記念誌80]土木学会</ref>。 同年京都大学[[博士(工学)]]<ref>[https://ci.nii.ac.jp/naid/500000925789 道路行政におけるアセットマネジメント・システム適用の実践的研究 茅野, 牧夫]</ref>。2016年退官<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLZO03839340Q6A620C1L91000/ 中部地方整備局長に塚原氏]日本経済新聞016年6月21日 8:0</ref>、[[日本道路建設業協会]]常任顧問<ref>[https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/jinjikyoku/files/kouhyou_h290331_siryou.pdf 国家公務員法第106条の25第1項等の規定に基づく国家公務員の再就職状況の報告(平成28年10月1日~同年12月31日分)]平 成 2 9 年 3 月 3 1 日 内閣官房内閣人事局</ref>。2017年日本道路建設業協会副会長兼専務理事<ref>[https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/jinjikyoku/files/houkoku_h310326_siryou.pdf 国家公務員法第106条の25第1項等の規定に基づく国家公務員の再就職状況の報告(平成30年10月1日~同年12月31日分)]平 成 3 1 年 3 月 2 6 日 内閣官房内閣人事 局</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} {{先代次代|和歌山県県土整備部長|2007年 - 2010年|[[宮地淳夫]]|[[原広之]]}} {{先代次代|国土交通省中部地方整備局長|2015年 - 2016年|[[八鍬隆]]|[[塚原浩一]]}} {{DEFAULTSORT:かやの まきお}} [[Category:日本の国土交通技官]] [[Category:日本の防災に関する人物]] [[Category:博士(工学)取得者]] [[Category:工学修士取得者]] [[Category:工学士取得者]] [[Category:京都大学出身の人物]] [[Category:大阪府出身の人物]]
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X Mile
X Mile株式会社(読み仮名:クロスマイル、英:X Mile, Inc )は、東京都新宿区に本社を置く、ノンデスク産業向けのソフトウェア・プラットフォームを提供する企業。 2019年2月に代表野呂 寛之により創業。ノンデスク事業者向けの人材採用システムや、ドライバー領域に特化した転職エージェントのサービスを開始した。現在物流・建設・製造業などノンデスク産業向けに事業を展開中。2023年時点では、運輸事業者向け経営管理クラウド「ロジポケ」を含む複数のサービスを提供し、衣食住を支える情報インフラの構築に取り組んでいる企業である。 ・2019年2月 XMile株式会社を設立 ・2019年6月 運輸HRプラットフォーム事業「X Work(クロスワーク)」「ドライバーキャリア」を運営開始 ・2022年8月 運輸事業者向け経営管理クラウド「ロジポケ」の提供開始 ・2022年10月 大阪オフィスを開設、全国健康保険協会より「健康優良企業」に認定 ・2023年1月 福岡オフィスを開設 ・2023年9月 新宿イーストサイドスクエアへオフィス移転 ・2023年10月 一般財団法人日本情報経済社会推進協会(JIPDEC)より、プライバシーマークの認定を取得(登録番号:第17004723(01)号) ・X Work(クロスワーク)- ノンデスク事業者向けの求人メディア 各職種に特化した転職支援サービスにて、 全国の求人を取り扱い、キャリアアドバイザーによる個別相談を実施。 ・ドライバーキャリア - ドライバー領域に特化した転職支援サービス ・整備士キャリア - 自動車整備領域に特化した転職支援サービス ・建職キャリア - 建設領域に特化した転職支援サービス ・ロジキャリア - 物流領域に特化した転職支援サービス ・ロジポケ - 運送業界に特化した業務改善・経営支援クラウドサービス。主に、安全教育管理システム、案件管理、経営管理、労務管理のシステムにて一括してデジタル管理ができる。 ・2020年 物流Weekly ・2020年 物流ニッポン ・2023年 日経新聞 ・2023年 労働新聞
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X Mile株式会社は、東京都新宿区に本社を置く、ノンデスク産業向けのソフトウェア・プラットフォームを提供する企業。
<!-- 削除についての議論が終了するまで、下記のメッセージ部分は除去しないでください。もしあなたがこのテンプレートを除去した場合、差し戻されます。またページが保護されることもあります。 --> {{Sakujo/本体|2023年12月25日|X Mile}} <!-- 削除についての議論が終了するまで、上記部分は削除しないでください。 --> '''X Mile株式会社'''(読み仮名:クロスマイル、英:X Mile, Inc )は、東京都新宿区に本社を置く、ノンデスク産業向けのソフトウェア・プラットフォームを提供する企業。 {{基礎情報 会社 | 社名 = X Mile株式会社 | 英文社名 = X Mile, Inc | 種類 = 株式会社 | 国籍 = 日本 | 本社郵便番号 = 160-0022 | 本社所在地 = 東京都新宿区新宿6-27-30 新宿イーストサイドスクエア W7F | 設立 = 2019年2月 | 業種 = サービス業 | 事業内容 = SaaS事業、キャリア事業 | 代表者 = 野呂 寛之 | 資本金 = 1億円 | 法人番号 = 6010001198281 }} == 概要 == 2019年2月に代表野呂 寛之により創業。ノンデスク事業者向けの人材採用システムや、ドライバー領域に特化した転職エージェントのサービスを開始した。現在物流・建設・製造業などノンデスク産業向けに事業を展開中。2023年時点では、運輸事業者向け経営管理クラウド「ロジポケ」を含む複数のサービスを提供し、衣食住を支える情報インフラの構築に取り組んでいる企業である。 == 沿革 == ・2019年2月 XMile株式会社を設立  ・2019年6月 運輸HRプラットフォーム事業「X Work(クロスワーク)」「ドライバーキャリア」を運営開始 ・2022年8月 運輸事業者向け経営管理クラウド「ロジポケ」の提供開始<ref>{{Cite web |title=ロジポケ|運送業にまつわる業務をDX化 |url=https://logipoke.com/ |website=ロジポケ |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref> ・2022年10月 大阪オフィスを開設、全国健康保険協会より「健康優良企業」に認定 ・2023年1月 福岡オフィスを開設 ・2023年9月 新宿イーストサイドスクエアへオフィス移転<ref>{{Cite web |title=物流DXのクロスマイル、好調な事業成長と組織拡大に伴いオフィスを移転|1年で人員が約2.5倍の200名規模に、拠点も東京・大阪・福岡へと拡大 |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000018.000063503.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |date=2023-10-31 |access-date=2023-12-25 |language=ja-JP}}</ref> ・2023年10月 一般財団法人日本情報経済社会推進協会(JIPDEC)より、プライバシーマークの認定を取得(登録番号:第17004723(01)号) <ref>{{Cite web |title=物流DXのクロスマイル、「プライバシーマーク(Pマーク)」取得のお知らせ |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000021.000063503.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |date=2023-11-14 |access-date=2023-12-25 |language=ja-JP}}</ref> == 主なサービス == === HRプラットフォーム事業 === ・X Work(クロスワーク)- ノンデスク事業者向けの求人メディア 各職種に特化した転職支援サービスにて、 全国の求人を取り扱い、キャリアアドバイザーによる個別相談を実施。 ・ドライバーキャリア - ドライバー領域に特化した転職支援サービス ・整備士キャリア - 自動車整備領域に特化した転職支援サービス ・建職キャリア - 建設領域に特化した転職支援サービス ・ロジキャリア - 物流領域に特化した転職支援サービス === ノンデスクプラットフォーム事業 === ・ロジポケ - 運送業界に特化した業務改善・経営支援クラウドサービス。主に、安全教育管理システム、案件管理、経営管理、労務管理のシステムにて一括してデジタル管理ができる。 == メディア掲載 == ・2020年 物流Weekly ・2020年 物流ニッポン ・2023年 日経新聞 <ref>{{Cite web |title=X Mile、ドライバーの拘束時間を管理 脱炭素にも一役 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC203HH0Q3A120C2000000/ |website=日本経済新聞 |date=2023-01-24 |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref> ・2023年 労働新聞<ref>{{Cite web |title=【フォーカス】X Mile/福利厚生策 3手当含めて合計20種以上 上場見据え改定推進|労働新聞 フォーカス・企業事例|労働新聞社 |url=https://www.rodo.co.jp/news/146253/ |website=労働新聞社Webサイト |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref> == 脚注 ==
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酒井利夫
酒井 利夫(さかい としお)は、日本の国土交通技官。和歌山県県土整備部長や、名古屋高速道路公社副理事長、国土技術政策総合研究所所長等を経て、建設コンサルタンツ協会副会長。 1981年東京大学大学院工学系研究科土木工学専攻修了、建設省入省。建設省道路局国道第一課特定道路専門官を経て、建設省中国地方建設局岡山国道工事事務所長。1998年建設省道路局企画課建設専門官。2000年建設省道路局道路環境課駐車場整備調整官。 2001年内閣官房道路関係四公団民営化推進委員会設立準備室企画官。2002年内閣府道路関係四公団民営化推進委員会事務局参事官。 2003年和歌山県県土整備部長。2005年国土交通省中部地方整備局道路部長。 2008年国土交通省国土計画局調整課課長。 2009年国土交通省道路局道路交通管理課長。2010年愛知県建設部建設総務課付、名古屋高速道路公社副理事長。2013年国土技術政策総合研究所所長。 2014年国土交通省大臣官房付、退官、本州四国連絡高速道路参与。2015年本州四国連絡高速道路取締役常務執行役員(企画部及び業務部担当)。 建設コンサルタンツ協会副会長兼専務理事、日建連表彰土木賞選考委員、国土技術開発賞選考委員会委員、橋梁調査会評議員なども歴任した。
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酒井 利夫は、日本の国土交通技官。和歌山県県土整備部長や、名古屋高速道路公社副理事長、国土技術政策総合研究所所長等を経て、建設コンサルタンツ協会副会長。
'''酒井 利夫'''(さかい としお)は、[[日本]]の[[国土交通省|国土交通]][[技官]]。[[和歌山県]]県土整備部長や、[[名古屋高速道路公社]]副理事長、[[国土技術政策総合研究所]]所長等を経て、建設コンサルタンツ協会副会長。 == 人物・経歴 == 1981年[[東京大学大学院工学系研究科]][[土木工学]]専攻修了、建設省入省。建設省[[道路局]]国道第一課特定道路専門官を経て、1995年建設省[[中国地方建設局]]岡山国道工事事務所長<ref>官報平成7年号外第73号 1頁</ref>。1998年建設省道路局企画課建設専門官。2000年建設省道路局道路環境課駐車場整備調整官<ref>官報平成12年本紙第2883号 11頁</ref>。 2001年[[内閣官房]][[道路関係四公団民営化]]推進委員会設立準備室企画官<ref>官報平成14年本紙第3275号 9頁</ref>。2002年[[内閣府]][[道路関係四公団民営化推進委員会]]事務局参事官<ref>官報平成14年本紙第3386号 5頁</ref>。2003年[[和歌山県]]県土整備部長。2005年[[国土交通省]][[中部地方整備局]]道路部長<ref>官報平成17年本紙第4156号 9頁</ref>。2008年国土交通省[[国土計画局]]調整課課長<ref>[https://www.nikoukei.co.jp/news/detail/115682 下水道部長に松井氏/11日付技術幹部人事を内示]日本興業経済新聞2008/07/07</ref>。 2009年国土交通省道路局道路交通管理課長<ref>官報平成21年本紙第5151号 7頁</ref>。2010年[[愛知県]]建設部建設総務課付、[[名古屋高速道路公社]]副理事長<ref>官報平成25年号外第280号 31頁</ref><ref>[https://www.nagoya-expressway.or.jp/kosya/pdf/18.pdf 資料編]名古屋高速道路公社</ref>。2013年[[国土技術政策総合研究所]]所長<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXNASDF3100M_R30C13A7EE8000/ 人事、国土交通省]日本経済新聞2013年7月31日 21:25</ref>。 2014年[[国土交通省大臣官房]]付、[[退官]]、[[本州四国連絡高速道路]][[参与]]<ref>[https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/jinjikyoku/files/houkoku_h270327_siryou.pdf 国家公務員法第106条の25第1項等の規定に基づく国家公務員の再就職状況の報告(平成26年10月1日~同年12月31日分]平成27年3月27日 内 閣 官 房 内 閣 人 事 局</ref>。2015年本州四国連絡高速道路[[取締役]]常務執行役員(企画部及び業務部担当)<ref>[https://www.jb-honshi.co.jp/corp_index/corp_news/corp_news_2015/150105news-1-509?ref=single4 執行役員の選任等について]2015年01月05日本州四国連絡高速道路株式会社</ref><ref>[https://www.jb-honshi.co.jp/corp_index/ir/zaimu/pdf/kabu-siryo18-b.pdf 第13回定時株主総会 議 案 及 び 参 考 事 項]本州四国連絡高速道路株式会社</ref>。 [[建設コンサルタンツ協会]]副会長兼専務理事<ref>[https://www.jcca.or.jp/files/achievement/annual_report/report/pdf/r01/II04.pdf 委員会名簿(令和元年 10 月 1 日現在)]</ref>、日建連表彰土木賞選考委員<ref>[https://www.nikkenren.com/doboku/prize/iin.html 選考委員]</ref>、国土技術開発賞選考委員会委員<ref>[https://www.jice.or.jp/cms/kokudo/pdf/tech/reports/26/jice_rpt26_14.pdf 事業紹介・事業報告]</ref>、[[橋梁調査会]][[評議員]]なども歴任した<ref>[https://www.jbec.or.jp/pdf/outline/hyougiin.pdf 一般財団法人 橋梁調査会 評議員]</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} {{先代次代|和歌山県県土整備部長|2003年 - 2005年|[[大山耕二]]|[[宮地淳夫]]}} {{先代次代|名古屋高速道路公社副理事長|2010年 - 2013年|[[馬場直俊]]|[[藤井元生]]}} {{先代次代|国土技術政策総合研究所所長|2013年 - 2014年|[[上総周平]]|[[岩﨑泰彦]]}} {{DEFAULTSORT:さかい としお}} [[Category:日本の国土交通技官]] [[Category:愛知県内の地方公務員出身の人物]] [[Category:日本の内閣官房官僚]] [[Category:工学修士取得者]] [[Category:東京大学出身の人物]]
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岡松寺
岡松寺(おかまつじ)は、大阪府大阪市福島区福島に位置する法華宗本門流の寺院である。山号は旭唱山。本尊は釈迦多宝二仏。 1732年(享保17年)に本興寺の末寺として日憲によって創建。1909年(明治42年)8月31日の大火により焼失し、1910年(明治43年)に現在地に移転し日祐によって再建された。 境内には秋山自雲霊神があるほか、1981年(昭和56年)に建立された二重塔がある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "岡松寺(おかまつじ)は、大阪府大阪市福島区福島に位置する法華宗本門流の寺院である。山号は旭唱山。本尊は釈迦多宝二仏。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1732年(享保17年)に本興寺の末寺として日憲によって創建。1909年(明治42年)8月31日の大火により焼失し、1910年(明治43年)に現在地に移転し日祐によって再建された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "境内には秋山自雲霊神があるほか、1981年(昭和56年)に建立された二重塔がある。", "title": "歴史" } ]
岡松寺(おかまつじ)は、大阪府大阪市福島区福島に位置する法華宗本門流の寺院である。山号は旭唱山。本尊は釈迦多宝二仏。
{{日本の寺院 |名称 = 岡松寺 |画像 = {{画像募集中|cat=大阪市}} |所在地 = [[大阪府]][[大阪市]][[福島区]][[福島 (大阪市)|福島]]4丁目8−20 |山号 = 旭唱山 |院号 = |宗派 = [[法華宗本門流]] |本尊 = [[釈迦如来|釈迦多宝二仏]] |創建年 = [[1732年]]([[享保]]17年) |開基 = 日憲 |正式名 = 旭唱山 岡松寺 |札所等 = |文化財 = }} '''岡松寺'''(おかまつでら)は、[[大阪府]][[大阪市]][[福島区]][[福島 (大阪市)|福島]]に位置する[[法華宗本門流]]の[[寺院]]である。山号は旭唱山。本尊は[[釈迦如来|釈迦多宝二仏]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://yaokami.jp/1275043/|title=卍岡松寺|publisher=八百万の神|accessdate=2023-12-25}}</ref>。 == 歴史 == [[1732年]]([[享保]]17年)に[[本興寺 (尼崎市)|本興寺]]の末寺として日憲によって創建。[[1909年]]([[明治]]42年)[[8月31日]]の大火により焼失し、[[1910年]](明治43年)に現在地に移転し日祐によって再建された<ref>『大阪府全志 巻之二』([[1922年]]、大阪府全志発行所)</ref>。 境内には[[秋山自雲]]霊神があるほか、[[1981年]]([[昭和]]56年)に建立された二重塔がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://yaokami.jp/1275043/|title=岡松寺|publisher=ホトカミ|accessdate=2023-12-25}}</ref>。 == 交通 == * [[西日本旅客鉄道|JR]]「[[福島駅 (JR西日本)|福島駅]]」より徒歩で約5分。 == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * [https://yaokami.jp/1275043/ 岡松寺] - 八百万の神 {{Buddhism-stub}} {{DEFAULTSORT:おかまつてら}} [[Category:大阪市の寺]] [[Category:法華宗本門流の寺院]] [[Category:福島区の歴史]] [[Category:福島区の建築物]]
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髙野光海
髙野 光海(こうの ひかる、2004年6月17日 - )は、兵庫県宝塚市出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 宝塚市立丸橋小学校で1年生の時に丸橋小クラブで野球を始める。宝塚市立南ひばりガ丘中学校在学時は硬式野球のクラブチームである伊丹中央ボーイズでプレーしていた。 徳島県立池田高等学校に進学後は筋力アップのためにベンチプレスやスクワットに取り組んだ。3年夏の徳島大会では中軸を務め、阿波との初戦で本塁打を放ったが、続く2回戦で徳島商業に敗れ、3年間で甲子園大会出場はなかった。高校通算19本塁打。 プロ志望届を提出したが、2022年のドラフト会議での指名はなく、日本海リーグの富山GRNサンダーバーズに入団した。 2023年は39試合に出場し、リーグ最多タイとなる5本塁打を記録した。同年10月26日に開催されたドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから育成3位指名を受け、11月10日に支度金300万円、年俸250万円で仮契約した。背番号は135。 高校通算19本塁打を記録したスラッガーで、池田高等学校監督の井上力はかつての教え子である杉本裕太郎と比較して「潜在能力は遜色ない」と評している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "髙野 光海(こうの ひかる、2004年6月17日 - )は、兵庫県宝塚市出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "宝塚市立丸橋小学校で1年生の時に丸橋小クラブで野球を始める。宝塚市立南ひばりガ丘中学校在学時は硬式野球のクラブチームである伊丹中央ボーイズでプレーしていた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "徳島県立池田高等学校に進学後は筋力アップのためにベンチプレスやスクワットに取り組んだ。3年夏の徳島大会では中軸を務め、阿波との初戦で本塁打を放ったが、続く2回戦で徳島商業に敗れ、3年間で甲子園大会出場はなかった。高校通算19本塁打。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "プロ志望届を提出したが、2022年のドラフト会議での指名はなく、日本海リーグの富山GRNサンダーバーズに入団した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2023年は39試合に出場し、リーグ最多タイとなる5本塁打を記録した。同年10月26日に開催されたドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから育成3位指名を受け、11月10日に支度金300万円、年俸250万円で仮契約した。背番号は135。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "高校通算19本塁打を記録したスラッガーで、池田高等学校監督の井上力はかつての教え子である杉本裕太郎と比較して「潜在能力は遜色ない」と評している。", "title": "選手としての特徴" } ]
髙野 光海は、兵庫県宝塚市出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。
{{表記揺れ案内|表記1=高野光海}} {{Infobox baseball player | 選手名 = 髙野 光海 | 所属球団 = 千葉ロッテマリーンズ | 背番号 = 135 | 画像 = | 画像説明 = | 画像サイズ = | 国籍 = {{JPN}} | 出身地 = [[兵庫県]][[宝塚市]] | 生年月日 = {{生年月日と年齢|2004|6|17}} | 没年月日 = | 身長 = 187 | 体重 = 87 | 利き腕 = 右 | 打席 = 右 | 守備位置 = [[外野手]] | プロ入り年度 = NPB / {{NPBドラフト|2023}} | ドラフト順位 = 育成選手ドラフト3位 | 初出場 = | 最終出場 = | 年俸 = 250万円(2024年) | 経歴 = * [[徳島県立池田高等学校]] * [[富山GRNサンダーバーズ]] (2023) * [[千葉ロッテマリーンズ]] (2024 - ) }} '''髙野 光海'''(こうの ひかる、[[2004年]][[6月17日]] - )は、[[兵庫県]][[宝塚市]]出身<ref name=":0">{{Cite web |title=池田・高野は“ラオウ級” オリ・スカウトも注目 本塁打で確信歩きに「2、3歩走り始めた時に…」 - スポニチ Sponichi Annex 野球 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/07/11/kiji/20220710s00001002699000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref>の[[プロ野球選手]]([[外野手]]・[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]])。右投右打。[[千葉ロッテマリーンズ]]所属。 == 経歴 == === プロ入り前 === [[宝塚市立丸橋小学校]]で1年生の時に丸橋小クラブで野球を始める。[[宝塚市立南ひばりガ丘中学校]]在学時は硬式野球のクラブチームである伊丹中央ボーイズでプレーしていた。 [[徳島県立池田高等学校]]に進学後は筋力アップのためにベンチプレスやスクワットに取り組んだ<ref name=":0" />。3年夏の[[全国高等学校野球選手権徳島大会|徳島大会]]では中軸を務め、[[徳島県立阿波高等学校|阿波]]との初戦で本塁打を放ったが、続く2回戦で[[徳島県立徳島商業高等学校|徳島商業]]に敗れ、3年間で甲子園大会出場はなかった<ref name=":0" /><ref name=":1">{{Cite web |title=創立100周年の池田が2回戦敗退 プロ注目のスラッガー・高野光海は志望届提出へ/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2022/07/16/0015476437.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-12-25 |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref>。高校通算19本塁打<ref name=":1" />。 [[プロ志望届]]を提出したが、[[2022年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2022年のドラフト会議]]での指名はなく、[[日本海リーグ]]の[[富山GRNサンダーバーズ]]に入団した。 === NLB・富山時代 === 2023年は39試合に出場し、リーグ最多タイとなる5本塁打を記録した<ref>{{Cite web |title=2023シーズン個人タイトルのお知らせ |url=https://n-l-b.jp/2023/09/29/1065/ |website=n-l-b.jp |access-date=2023-12-25}}</ref>。同年10月26日に開催されたドラフト会議にて[[千葉ロッテマリーンズ]]から育成3位指名を受け、11月10日に支度金300万円、年俸250万円で仮契約した<ref>{{Cite web |title=【ドラフト】日本海リーグの富山から大谷輝龍・松原快・高野光海の過去最多3人指名 |url=https://hochi.news/articles/20231026-OHT1T51360.html |website=スポーツ報知 |date=2023-10-26 |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=【ロッテ】育成3位BC富山・高野光海「右の大砲としてマリーンズの顔に」年俸250万円仮契約 - プロ野球 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202311100001439.html |website=nikkansports.com |access-date=2023-12-25 |language=ja |last=星夏穂}}</ref>。背番号は'''135'''<ref>{{Cite web |title=【ロッテ】ドラ1・上田希由翔は背番号「10」 新入団10選手が会見 |url=https://hochi.news/articles/20231207-OHT1T51131.html |website=スポーツ報知 |date=2023-12-07 |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref>。 == 選手としての特徴 == 高校通算19本塁打を記録したスラッガーで、池田高等学校監督の[[井上力 (野球)|井上力]]はかつての教え子である[[杉本裕太郎]]と比較して「潜在能力は遜色ない」と評している<ref name=":0" />。 == 詳細情報 == === 独立リーグでの年度別打撃成績 === {|{{年度別打撃成績|リーグ=日本海リーグ}} |- |style="text-align:center;"|{{by2|2023}} |style="text-align:center;"|[[富山GRNサンダーバーズ|富山]] |39||165||146||17||34||7||0||'''5'''||56||21||0||0||0||0||10||-||8||62||5||.233||.317||.384||.701 |- !colspan="2"|通算:1年 |39||165||146||17||34||7||0||5||56||21||0||0||0||0||10||-||8||62||5||.233||.317||.384||.701 |} * 各年度の'''太字'''はリーグ最高 === 背番号 === * '''8'''(2023年) * '''135'''(2024年 - ) == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[兵庫県出身の人物一覧]] * [[富山GRNサンダーバーズの選手一覧]] * [[千葉ロッテマリーンズの選手一覧]] == 外部リンク == * [https://www.marines.co.jp/team/player/detail/2024_00001341.html 髙野 光海] - 千葉ロッテマリーンズ * {{Instagram|hikaru.kohno}} {{千葉ロッテマリーンズの選手・スタッフ}} {{千葉ロッテマリーンズ2023年ドラフト指名選手}} {{デフォルトソート:こうの ひかる}} [[Category:日本の野球選手]] [[Category:徳島県立池田高等学校出身の野球選手]] [[Category:富山GRNサンダーバーズ及びその前身球団の選手]] [[Category:千葉ロッテマリーンズの育成選手]] [[Category:兵庫県出身の人物]] [[Category:2004年生]] [[Category:存命人物]]
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正念寺 (大阪市天王寺区)
正念寺(しょうねんじ)は、大阪府大阪市天王寺区上本町に位置する浄土宗の寺院である。山号は高北山。本尊は阿弥陀仏。 1643年(寛永20年)に廊誉岸光によって創建。兵火により堂宇を焼失するが、天明年間(1781年-1789年)に再建された。 1945年(昭和20年)の大阪大空襲で山門・観音堂を残し他の堂宇を焼失。1962年(昭和37年)、本堂・庫裏を再建した。戦火を免れた観音堂には平安時代後期に作られた5尺に余る観世音菩薩・毘沙門天・地蔵尊があり、現在は三体ともに本堂内陣に安置されている。 また谷崎潤一郎が1936年(昭和9年)に離れで『文章読本』を書き上げた寺としても知られている。
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正念寺(しょうねんじ)は、大阪府大阪市天王寺区上本町に位置する浄土宗の寺院である。山号は高北山。本尊は阿弥陀仏。
{{日本の寺院 |名称 = 正念寺 |画像 = {{画像募集中|cat=大阪市}} |所在地 = [[大阪府]][[大阪市]][[天王寺区]][[上本町]]5丁目3−23 |山号 = 高北山 |院号 = |宗派 = [[浄土宗]] |本尊 = [[阿弥陀仏]] |創建年 = [[1643年]]([[寛永]]20年) |開基 = 廊誉岸光 |正式名 = 高北山 正念寺 |札所等 = [[大阪新四十八願所]]第24番札所 |文化財 = }} '''正念寺'''(しょうねんじ)は、[[大阪府]][[大阪市]][[天王寺区]][[上本町]]に位置する[[浄土宗]]の[[寺院]]である。山号は高北山。本尊は[[阿弥陀仏]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://otera.jodo.or.jp/temple/32-099/|title=正念寺|publisher=浄土宗|accessdate=2023-12-25}}</ref>。[[大阪新四十八願所]]第24番札所。 == 歴史 == [[1643年]]([[寛永]]20年)に廊誉岸光によって創建。兵火により堂宇を焼失するが、[[天明]]年間([[1781年]]-[[1789年]])に再建された<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.osaka-amida48.net/index.php?%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%96%B0%E5%9B%9B%E5%8D%81%E5%85%AB%E9%A1%98%E6%89%80_%E7%AC%AC24%E7%95%AA_%E6%AD%A3%E5%BF%B5%E5%AF%BA|title=礼第24番「正念寺」|publisher=大阪新四十八願所阿弥陀巡|accessdate=2023-12-25}}</ref>。 [[1945年]]([[昭和]]20年)の[[大阪大空襲]]で山門・観音堂を残し他の堂宇を焼失。[[1962年]](昭和37年)、本堂・庫裏を再建した。戦火を免れた観音堂には[[平安時代]]後期に作られた5尺に余る観世音菩薩・毘沙門天・地蔵尊があり、現在は三体ともに本堂内陣に安置されている<ref name=":0" />。 また[[谷崎潤一郎]]が、[[1936年]](昭和9年)に離れで『文章読本』を書き上げた寺としても知られている<ref name=":0" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://hotokami.jp/area/osaka/Hmatm/Hmatmts/Dptrk/6470/|title=正念寺|publisher=ホトカミ|accessdate=2023-12-25}}</ref>。 == 墓所 == * [[十時梅厓]] - [[江戸時代]]の[[南画|南画家]] == 交通 == * [[近畿日本鉄道]]「[[大阪上本町駅]]」より徒歩で約1分。 == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * [http://otera.jodo.or.jp/temple/32-099/ 正念寺] - 浄土宗 {{Buddhism-stub}} {{DEFAULTSORT:しようねんし}} [[Category:大阪市の寺]] [[Category:浄土宗の寺院]] [[Category:天王寺区の歴史]] [[Category:天王寺区の建築物]]
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木谷信之
木谷 信之(きたに のぶゆき)は、日本の国土交通技官。奈良県土木部長等を経て、国土交通省国土技術政策総合研究所所長を最後に退官後、一般社団法人建設コンサルタンツ協会副会長。 1980年東京大学工学部土木工学科卒業、建設省入省。1995年建設省近畿地方建設局京都国道工事事務所長。1997年岡山県土木部道路建設課長。2001年国土交通省道路局高速国道課高速道路調整官。 2003年国土交通省北陸地方整備局建政部長。2005年奈良県土木部長。2008年日本高速道路保有・債務返済機構企画部長。2010年国土交通省道路局道路交通管理課長。2011年内閣官房地域活性化統合事務局参事官。2012年日本高速道路保有・債務返済機構監事。2013年日本高速道路保有・債務返済機構理事。 2015年国土技術政策総合研究所長。2016年建設コンサルタンツ協会顧問。2017年建設コンサルタンツ協会副会長兼専務理事。2018年阪神高速道路取締役兼執行役員。2021年鹿島道路常務執行役員。
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木谷 信之は、日本の国土交通技官。奈良県土木部長等を経て、国土交通省国土技術政策総合研究所所長を最後に退官後、一般社団法人建設コンサルタンツ協会副会長。
'''木谷 信之'''(きたに のぶゆき)は、[[日本]]の[[国土]][[交通]][[技官]]。[[奈良県]]土木部長等を経て、[[国土交通省]][[国土技術政策総合研究所]][[所長]]を最後に退官後、[[一般社団法人]]建設コンサルタンツ協会副会長。 ==人物・経歴== 1980年[[東京大学工学部]][[土木工学科]]卒業、[[建設省]]入省。1995年建設省[[近畿地方建設局]]京都国道工事事務所長。1997年[[岡山県]]土木部道路建設課長。2001年[[国土交通省]][[道路局]]高速国道課高速道路調整官<ref name="ha">[https://www.hanshin-exp.co.jp/company/files/securities_180625.pdf 有価証券報告書(平成30年6月25日提出)]阪神高速道路</ref>。 2003年国土交通省[[北陸地方整備局]]建政部長。2005年[[奈良県]]土木部長。2008年[[日本高速道路保有・債務返済機構]]企画部長。2010年国土交通省道路局道路交通管理課長。2011年[[内閣官房]][[地域活性化統合事務局]][[参事官]]。2012年日本高速道路保有・債務返済機構[[監事]]。2013年日本高速道路保有・債務返済機構[[理事]]<ref name="ha"/>。 2015年[[国土技術政策総合研究所]]長。2016年[[建設コンサルタンツ協会]][[顧問]]。2017年建設コンサルタンツ協会副会長兼専務理事。2018年[[阪神高速道路]][[取締役]]兼執行役員<ref name="ha"/>。2021年[[鹿島道路]]常務執行役員<ref>[https://www.kajimaroad.co.jp/company/directors/ 役員一覧]鹿島道路</ref>。 == 脚注 == <references /> {{-}} {{先代次代|奈良県土木部長|2005年 - 2008年|[[南哲行]]|[[川崎茂信]]}} {{先代次代|国土技術政策総合研究所長|2015年 - 2016年|[[岩﨑泰彦]]|[[藤田光一]]}} {{Normdaten}} {{People-stub}} {{DEFAULTSORT:きたに のふゆき}} [[Category:日本の国土交通技官]] [[Category:日本の内閣官房官僚]] [[Category:岡山県内の地方公務員出身の人物]] [[Category:工学士取得者]] [[Category:東京大学出身の人物]]
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正念寺
正念寺(しょうねんじ)
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正念寺(しょうねんじ) 正念寺 (八幡市) - 京都府八幡市にある浄土宗の寺院。 正念寺 (大阪市旭区) - 大阪府大阪市旭区にある浄土真宗の寺院。 正念寺 (大阪市天王寺区) - 大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺院。 正念寺 (大阪市東住吉区) - 大阪府大阪市東住吉区にある真宗佛光寺派の寺院。 正念寺 (堺市北区) - 大阪府堺市北区にある真宗大谷派の寺院。 正念寺 (堺市中区) - 大阪府堺市中区にある浄土真宗本願寺派の寺院。 正念寺 (堺市美原区) - 大阪府堺市美原区にある融通念仏宗の寺院。 正念寺 (藤井寺市) - 大阪府藤井寺市にある真宗大谷派の寺院。 正念寺 (箕面市) - 大阪府箕面市にある浄土宗の寺院。 正念寺 (枚方市) - 大阪府枚方市にある浄土宗の寺院。 正念寺 (宝塚市) - 兵庫県宝塚市にある浄土宗の寺院。 正念寺 (西宮市) - 兵庫県西宮市にある浄土真宗本願寺派の寺院。 正念寺 (神戸市) - 兵庫県神戸市にある浄土真宗本願寺派の寺院。 正念寺 (三木市) - 兵庫県三木市にある浄土真宗本願寺派の寺院。 正念寺 (和歌山市) - 和歌山県和歌山市にある浄土宗の寺院。 正念寺 (松山市) - 愛媛県松山市にある日蓮宗の寺院。
'''正念寺'''(しょうねんじ) == 寺院 == === 東北地方 === * [[正念寺 (由利本荘市)]] - [[秋田県]][[由利本荘市]]にある[[浄土宗]]の寺院。 * [[正念寺 (横手市)]] - [[秋田県]][[横手市]]にある[[浄土真宗本願寺派]]の寺院。 === 関東地方 === * [[正念寺 (相模原市)]] - [[神奈川県]][[相模原市]][[緑区 (相模原市)|緑区]]にある[[浄土真宗本願寺派]]の寺院。 === 上越地方 === * [[正念寺 (上越市)]] - [[新潟県]][[上越市]]にある[[真宗浄興寺派]]の寺院。 === 東海地方 === * [[正念寺 (清須市)]] - [[愛知県]][[清須市]]にある[[真宗大谷派]]の寺院。 === 近畿地方 === * [[正念寺 (八幡市)]] - [[京都府]][[八幡市]]にある[[浄土宗]]の寺院。 * [[正念寺 (大阪市旭区)]] - [[大阪府]][[大阪市]][[旭区]]にある[[浄土真宗]]の寺院。 * [[正念寺 (大阪市天王寺区)]] - [[大阪府]][[大阪市]][[天王寺区]]にある[[浄土宗]]の寺院。 * [[正念寺 (大阪市東住吉区)]] - [[大阪府]][[大阪市]][[東住吉区]]にある[[真宗佛光寺派]]の寺院。 * [[正念寺 (堺市北区)]] - [[大阪府]][[堺市]][[北区 (堺市)|北区]]にある[[真宗大谷派]]の寺院。 * [[正念寺 (堺市中区)]] - [[大阪府]][[堺市]][[中区 (堺市)|中区]]にある[[浄土真宗本願寺派]]の寺院。 * [[正念寺 (堺市美原区)]] - [[大阪府]][[堺市]][[美原区]]にある[[融通念仏宗]]の寺院。 * [[正念寺 (藤井寺市)]] - [[大阪府]][[藤井寺市]]にある[[真宗大谷派]]の寺院。 * [[正念寺 (箕面市)]] - [[大阪府]][[箕面市]]にある[[浄土宗]]の寺院。 * [[正念寺 (枚方市)]] - [[大阪府]][[枚方市]]にある[[浄土宗]]の寺院。 * [[正念寺 (宝塚市)]] - [[兵庫県]][[宝塚市]]にある[[浄土宗]]の寺院。 * [[正念寺 (西宮市)]] - [[兵庫県]][[西宮市]]にある[[浄土真宗本願寺派]]の寺院。 * [[正念寺 (神戸市)]] - [[兵庫県]][[神戸市]]にある[[浄土真宗本願寺派]]の寺院。 * [[正念寺 (三木市)]] - [[兵庫県]][[三木市]]にある[[浄土真宗本願寺派]]の寺院。 * [[正念寺 (和歌山市)]] - [[和歌山県]][[和歌山市]]にある[[浄土宗]]の寺院。 === 四国地方 === * [[正念寺 (松山市)]] - [[愛媛県]][[松山市]]にある[[日蓮宗]]の寺院。 {{DEFAULTSORT:しようねんし}} {{aimai}} [[Category:同名の寺]]
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星川堅信
星川 堅信(ほしかわ けんしん、2001年11月1日 - )は、栃木県出身のバスケットボール選手。B.LEAGUEの越谷アルファーズに所属している。ポジションはスモールフォワード。 早稲田大学在学中の2020年に特別指定選手として宇都宮ブレックスに加入し、2年間プレーした。4年時の2023年に出場した全日本大学バスケットボール選手権大会では、グループステージの神戸医療未来大学戦で26得点・8リバウンドを記録して勝利に貢献した。その後、同年12月22日に特別指定選手として越谷アルファーズに加入した。 2022年のFIBA 3x3 U23ワールドカップで日本代表に選出された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "星川 堅信(ほしかわ けんしん、2001年11月1日 - )は、栃木県出身のバスケットボール選手。B.LEAGUEの越谷アルファーズに所属している。ポジションはスモールフォワード。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "早稲田大学在学中の2020年に特別指定選手として宇都宮ブレックスに加入し、2年間プレーした。4年時の2023年に出場した全日本大学バスケットボール選手権大会では、グループステージの神戸医療未来大学戦で26得点・8リバウンドを記録して勝利に貢献した。その後、同年12月22日に特別指定選手として越谷アルファーズに加入した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2022年のFIBA 3x3 U23ワールドカップで日本代表に選出された。", "title": "代表歴" } ]
星川 堅信は、栃木県出身のバスケットボール選手。B.LEAGUEの越谷アルファーズに所属している。ポジションはスモールフォワード。
{{バスケットボール選手 | 名前 = 星川 堅信 | アルファベット表記 = Kenshin Hosokawa | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 所属チーム名 = 越谷アルファーズ | 背番号 = 18 | ポジション = [[スモールフォワード|SF]] | リーグ = [[B.LEAGUE]] | シュート = | 愛称 = | 国 = {{JPN}} | 出身地 = [[栃木県]] | 誕生日 = {{生年月日と年齢|2001|11|1}} | 身長 = 190cm | 体重 = 92kg | ウィングスパン = | 高校 = [[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]] | 大学 = [[早稲田大学バスケットボール部ビッグベアーズ|早稲田大学]] | ドラフト年 = | プロ開始年 = | プロ引退年 = | 所属年1 = [[Bリーグ 2020-21|2020]]–[[Bリーグ 2021-22|2022]] | 所属1 = ※[[宇都宮ブレックス]] | 所属年2 = [[Bリーグ 2023-24|2023–]] | 所属2 = ※[[越谷アルファーズ]] | 所属のみ2 = yes | 賞歴 = | CAP数 = {{JPNmb}} | show-medals = yes | medaltemplates = }} '''星川 堅信'''(ほしかわ けんしん、[[2001年]][[11月1日]] - )は、[[栃木県]]出身の[[バスケットボール]]選手。[[B.LEAGUE]]の[[越谷アルファーズ]]に所属している。ポジションは[[スモールフォワード]]。 == 経歴 == [[早稲田大学]]在学中の2020年に特別指定選手として[[宇都宮ブレックス]]に加入し、2年間プレーした<ref>{{Cite web |title=#42 星川堅信選手、入団のお知らせ |url=https://www.utsunomiyabrex.com/news/detail/id=17938 |website=宇都宮ブレックス |date=2020-12-28 |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=#67 星川 堅信選手、特別指定選手 活動終了のお知らせ |url=https://www.utsunomiyabrex.com/news/detail/id=19502 |website=宇都宮ブレックス |date=2022-02-28 |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref>。4年時の[[2023年]]に出場した[[全日本大学バスケットボール選手権大会]]では、グループステージの[[神戸医療未来大学]]戦で26得点・8リバウンドを記録して勝利に貢献した<ref>{{Cite web |title=早稲田大が再延長の激戦を制す…拓殖大や大阪学院大も決勝Tへ/12月6日インカレ男子 試合結果 |url=https://basketballking.jp/news/japan/univ/20231206/463473.html |website=バスケットボールキング |date=2023-12-06 |access-date=2023-12-25 |language=ja |first=SEESAW GAME |last=Inc}}</ref><ref name=":0">{{Cite web |title=#18 星川堅信選手加入(特別指定選手)のお知らせ |url=https://www.koshigaya-alphas.com/news/202324s_new_hoshikawa |website=越谷アルファーズ |date=2023-12-22 |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref>。その後、同年12月22日に特別指定選手として[[越谷アルファーズ]]に加入した<ref name=":0" />。 == 代表歴 == [[2022年]]の[[FIBA 3x3 U23ワールドカップ]]で日本代表に選出された<ref name=":0" />。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[栃木県出身の人物一覧]] == 外部リンク == * {{Instagram|hoshi.13_}} {{越谷アルファーズ}} {{DEFAULTSORT:ほしかわ けんしん}} [[Category:日本の男子バスケットボール選手]] [[Category:洛南高等学校出身の人物]] [[Category:早稲田大学出身の人物]] [[Category:特別指定選手として宇都宮ブレックスに登録された選手]] [[Category:特別指定選手として越谷アルファーズに登録された選手]] [[Category:栃木県出身の人物]] [[Category:2001年生]] [[Category:存命人物]]
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富山村 (岡山県上道郡)
富山村(とみやまそん)は、岡山県上道郡にあった村。現在の岡山市中区の一部にあたる。 百間川と旭川に挟まれた平地に位置していた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "富山村(とみやまそん)は、岡山県上道郡にあった村。現在の岡山市中区の一部にあたる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "百間川と旭川に挟まれた平地に位置していた。", "title": "地理" } ]
富山村(とみやまそん)は、岡山県上道郡にあった村。現在の岡山市中区の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1952年4月1日 | 廃止理由 = 編入合併 | 廃止詳細 = 上道郡[[三蟠村]]・[[沖田村]]・[[操陽村]]・'''富山村'''、[[御津郡]][[牧石村]]・[[大野村 (岡山県御津郡)|大野村]]・[[今村 (岡山県)|今村]]・[[芳田村 (岡山県)|芳田村]]・[[白石村 (岡山県)|白石村]]、[[児島郡]][[甲浦村]]、→ '''岡山市''' | 現在の自治体 = [[岡山市]] | よみがな = とみやまそん | 自治体名 = 富山村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 岡山県 | 郡 = [[上道郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 1820 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1950年 | 隣接自治体 = [[幡多村]]、[[可知村]]、沖田村、操陽村、岡山市 | 所在地 = 上道郡富山村大字福泊 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''富山村'''(とみやまそん{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[岡山県]][[上道郡]]にあった[[村]]。現在の[[岡山市]][[中区 (岡山市)|中区]]の一部にあたる。 == 地理 == [[百間川]]と[[旭川 (岡山県)|旭川]]に挟まれた平地に位置していた{{R|角川}}。 == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)6月1日、[[町村制]]の施行により、上道郡海吉村、福泊村、山崎村、円山村が合併して村制施行し、'''富山村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』523頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 33 岡山県』643-644頁。</ref>。旧村名を継承した海吉、福泊、山崎、円山の4大字を編成{{R|角川}}。 *[[1952年]](昭和27年)4月1日、'''[[岡山市]]'''に編入され廃止{{R|変遷}}{{R|角川}}。 == 産業 == *農業{{R|角川}} == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 33 岡山県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[岡山県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:とみやまそん}} [[Category:上道郡]] [[Category:岡山市域の廃止市町村]] [[Category:岡山市中区の歴史]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1952年廃止の日本の市町村]]
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野田勝
野田 勝(のだ まさる)は、日本の国土交通技官。千葉県県土整備部長や、東京湾横断道路取締役、国土交通省大臣官房審議官、国土地理院長等を歴任した。 東京大学大学院工学系研究科修了、建設省入省。2003年国土交通省関東地方整備局首都国道事務所長。2013年国土交通省中国地方整備局道路部長。2015年国土交通省中国地方整備局企画部長。2016年千葉県県土整備部長、東京湾横断道路取締役。2018年国土交通省道路局環境安全・防災課長。2019年国土交通省道路局環境安全・防災課長。同年国土交通省大臣官房審議官(道路局)。2020年国土地理院長。2021年国土交通省大臣官房付、退官、日本建設情報総合センター審議役。2022年日本建設情報総合センター理事。
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野田 勝は、日本の国土交通技官。千葉県県土整備部長や、東京湾横断道路取締役、国土交通省大臣官房審議官、国土地理院長等を歴任した。
'''野田 勝'''(のだ まさる)は、[[日本]]の[[国土]][[交通]][[技官]]。[[千葉県]]県土整備部長や、[[東京湾横断道路]][[取締役]]、[[国土交通省大臣官房]][[審議官]]、[[国土地理院]]長等を歴任した。 == 人物・経歴 == [[東京大学大学院工学系研究科]]修了、[[建設省]]入省。2003年国土交通省関東地方整備局首都国道事務所長。2013年国土交通省中国地方整備局道路部長。2015年国土交通省中国地方整備局企画部長。2016年[[千葉県]]県土整備部長、[[東京湾横断道路]][[取締役]]。2018年国土交通省道路局環境安全・防災課長。2019年国土交通省[[道路局]]環境安全・防災課長。同年[[国土交通省大臣官房]][[審議官]]([[道路局]])。2020年[[国土地理院]]長<ref>[https://sokugikyo.or.jp/pdf/apa114_2021_01/114-interview.pdf 地理空間情報の活用で 高度情報社会を支える]日本測量調査技術協会</ref><ref>東京湾横断道路有価証券報告書-第32期(平成29年4月1日-平成30年3月31日)</ref>。2021年国土交通省大臣官房付、[[退官]]、[[日本建設情報総合センター]]審議役<ref>[https://www.nikoukei.co.jp/news/detail/307378 県土整備部長に野田勝氏/県人事/異動総勢は2667人]2016/03/25 日刊建設タイムズ</ref><ref>[https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/jinjikyoku/files/houkoku_r040325_siryou.pdf 国家公務員法第106条の25第1項等の規定に基づく国家公務員の再就職状況の報告(令和3年10月1日~同年12月31日分)]令和4年3月 2 5 日 内 閣 官 房 内 閣 人 事 局</ref>。2022年[[日本建設情報総合センター]][[理事]]<ref>[https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/jinjikyoku/106-25-1-2/pdf/all.pdf 国家公務員法第106条の25第1項等の規定に基づく報告の概要]</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} {{先代次代|千葉県県土整備部長|2016年 - 2018年|[[永田健]]|[[河南正幸]]}} {{先代次代|国土地理院長|2020年 - 2021年|[[黒川純一良]]|[[飛田幹男]]}} {{People-stub}} {{DEFAULTSORT:かわさき しけのふ}} [[Category:日本の国土交通技官]] [[Category:千葉県内の地方公務員出身の人物]] [[Category:日本の防災に関する人物]] [[Category:工学修士取得者]] [[Category:東京大学出身の人物]]
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本遇寺 (大阪市)
本遇寺(ほんぐうじ)は、大阪府大阪市福島区福島に位置する真宗大谷派の寺院である。山号は清光山。本尊は阿弥陀如来。 1489年(長享3年)に釋道空によって創建。蓮如の教化により福島の地に道場を建立したのが始まりである。 本遇寺で所蔵されている「絹本著色方便法身阿弥陀如来画像附本遇寺文書」は1999年(平成11年)に、「本遇寺真宗関係史料」は2020年(令和2年)にそれぞれ大阪市の有形文化財に指定された。
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本遇寺(ほんぐうじ)は、大阪府大阪市福島区福島に位置する真宗大谷派の寺院である。山号は清光山。本尊は阿弥陀如来。
{{日本の寺院 |名称 = 本遇寺 |画像 = {{画像募集中|cat=大阪市}} |所在地 = [[大阪府]][[大阪市]][[福島区]][[福島 (大阪市)|福島]]3丁目7-38 |山号 = 清光山 |院号 = |宗派 = [[真宗大谷派]] |本尊 = [[阿弥陀如来]] |創建年 = [[1489年]]([[長享]]3年) |開基 = 釋道空 |正式名 = 清光山 本遇寺 |札所等 = |文化財 = 絹本著色方便法身阿弥陀如来画像附本遇寺文書(大阪市指定有形文化財)<br />本遇寺真宗関係史料(大阪市指定有形文化財) |公式HP = http://www.cwo.zaq.ne.jp/bfapw502/index.html |公式HP名 = 本遇寺 }} '''本遇寺'''(ほんぐうじ)は、[[大阪府]][[大阪市]][[福島区]][[福島 (大阪市)|福島]]に位置する[[真宗大谷派]]の[[寺院]]である。山号は清光山。本尊は[[阿弥陀如来]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://yaokami.jp/1275040/|title=卍本遇寺|publisher=八百万の神|accessdate=2023-12-25}}</ref>。 == 歴史 == [[1489年]]([[長享]]3年)に釋道空によって創建。[[蓮如]]の教化により福島の地に道場を建立したのが始まりである<ref>『大阪府全志』([[1922年]]、大阪府全志発行所)</ref>。 本遇寺で所蔵されている「絹本著色方便法身阿弥陀如来画像附本遇寺文書」は[[1999年]]([[平成]]11年)に、「本遇寺真宗関係史料」は[[2020年]]([[令和]]2年)にそれぞれ大阪市の有形文化財に指定された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000570834.html|title=本遇寺真宗関係史料|publisher=大阪市|accessdate=2023-12-25}}</ref>。   == 交通 == * [[西日本旅客鉄道|JR]]「[[福島駅 (JR西日本)|福島駅]]」より徒歩で約5分。 == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * [http://www.cwo.zaq.ne.jp/bfapw502/index.html 本遇寺] {{Buddhism-stub}} {{DEFAULTSORT:ほんくうし}} [[Category:大阪市の寺]] [[Category:真宗大谷派の寺院]] [[Category:福島区の歴史]] [[Category:福島区の建築物]]
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本遇寺
本遇寺(ほんぐうじ)
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本遇寺(ほんぐうじ) 本遇寺 (大阪市) - 大阪府大阪市福島区にある真宗大谷派の寺院。 本遇寺 (和歌山市) - 和歌山県和歌山市にある浄土真宗本願寺派の寺院。
'''本遇寺'''(ほんぐうじ) * [[本遇寺 (大阪市)]] - [[大阪府]][[大阪市]][[福島区]]にある[[真宗大谷派]]の寺院。 * [[本遇寺 (和歌山市)]] - [[和歌山県]][[和歌山市]]にある[[浄土真宗本願寺派]]の寺院。 {{DEFAULTSORT:ほんくうし}} {{aimai}} [[Category:同名の寺]]
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カッチーカイ
カッチーカイ (ビルマ語: ကတ်ကြေးကိုက်; 発音 [kaʔt͡ɕíkaɪʔ]発音 [kaʔt͡ɕíkaɪʔ]発音 [kaʔt͡ɕíkaɪʔ])とは、ビルマ料理における辛味のある焼きそば料理。特にミェイク・カッチーカイ (မြိတ်ကတ်ကြေးကိုက်)カット・キーカイク(Kat kyi kaik)と呼称されることもあるが、これはミャンマー南部の沿岸部の都市であるミェイク(Myeik)にちなんだものである。 幅の広い平たいライスヌードルをイカの切り身やもやし、エビ、蒸したエンドウ豆(ミャンマーではpe byokと呼ばれる)、ネギ、胡椒、濃い口醤油で炒めたものである。 ミャンマー南部の沿岸地域やヤンゴンで見られ、現地では一般的な料理である。 「カッチーカイ」の名称は、字義通りに解釈すると「ハサミに噛まれたような」との意になるが、これは麺と具材を中華鍋で炒めている間に、料理人が調理と提供をしやすくするためにハサミを用いて麺を切ることに由来する。 類似の料理として、シンガポールやマレーシアで広く食されているチャークイティオがある。ベイク・カッチーカイはエビとイカのみを主たる材料とする。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "カッチーカイ (ビルマ語: ကတ်ကြေးကိုက်; 発音 [kaʔt͡ɕíkaɪʔ]発音 [kaʔt͡ɕíkaɪʔ]発音 [kaʔt͡ɕíkaɪʔ])とは、ビルマ料理における辛味のある焼きそば料理。特にミェイク・カッチーカイ (မြိတ်ကတ်ကြေးကိုက်)カット・キーカイク(Kat kyi kaik)と呼称されることもあるが、これはミャンマー南部の沿岸部の都市であるミェイク(Myeik)にちなんだものである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "幅の広い平たいライスヌードルをイカの切り身やもやし、エビ、蒸したエンドウ豆(ミャンマーではpe byokと呼ばれる)、ネギ、胡椒、濃い口醤油で炒めたものである。 ミャンマー南部の沿岸地域やヤンゴンで見られ、現地では一般的な料理である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "「カッチーカイ」の名称は、字義通りに解釈すると「ハサミに噛まれたような」との意になるが、これは麺と具材を中華鍋で炒めている間に、料理人が調理と提供をしやすくするためにハサミを用いて麺を切ることに由来する。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "類似の料理として、シンガポールやマレーシアで広く食されているチャークイティオがある。ベイク・カッチーカイはエビとイカのみを主たる材料とする。", "title": null } ]
カッチーカイとは、ビルマ料理における辛味のある焼きそば料理。特にミェイク・カッチーカイ (မြိတ်ကတ်ကြေးကိုက်)カット・キーカイクと呼称されることもあるが、これはミャンマー南部の沿岸部の都市であるミェイク(Myeik)にちなんだものである。 幅の広い平たいライスヌードルをイカの切り身やもやし、エビ、蒸したエンドウ豆、ネギ、胡椒、濃い口醤油で炒めたものである。 ミャンマー南部の沿岸地域やヤンゴンで見られ、現地では一般的な料理である。 「カッチーカイ」の名称は、字義通りに解釈すると「ハサミに噛まれたような」との意になるが、これは麺と具材を中華鍋で炒めている間に、料理人が調理と提供をしやすくするためにハサミを用いて麺を切ることに由来する。 類似の料理として、シンガポールやマレーシアで広く食されているチャークイティオがある。ベイク・カッチーカイはエビとイカのみを主たる材料とする。
{{Infobox Prepared Food|name=カッチーカイ|image=Kat kyi hnyat.JPG|caption=|alternate_name=|country=[[ミャンマー]]|region={{MYA}}・[[ミェイク]]|creator=|course=昼食|main_ingredient=[[ライスヌードル]]、モヤシ、イカ、エビ、蒸したエンドウ豆、[[唐辛子]]、胡椒、ねぎ、濃口醤油|variations=|other=}} <references group="" responsive="1"></references> '''カッチーカイ''' ({{Lang-my|ကတ်ကြေးကိုက်}}; {{IPA-my|kaʔt͡ɕíkaɪʔ|pron}}{{IPA-my|kaʔt͡ɕíkaɪʔ|pron}}{{IPA-my|kaʔt͡ɕíkaɪʔ|pron}})とは、[[ビルマ料理]]における辛味のある[[焼きそば]]料理。特に'''ミェイク・カッチーカイ''' (မြိတ်ကတ်ကြေးကိုက်)カット・キーカイク(Kat kyi kaik)と呼称されることもあるが、これは[[ミャンマー]]南部の沿岸部の都市である[[ミェイク]](Myeik)にちなんだものである。<ref>{{Cite web |author= |first= |date= |title=တစ်နေ့တခြား လူကြိုက်များလာတဲ့ မြိတ်ဒေသအစားစာ ကတ်ကြေးကိုက် |url=http://www.mizzimaburmese.com/article/53787 |archive-url= |archive-date= |access-date=2019-04-08 |website=Mizzima |language=my}}</ref> 幅の広い平たい[[ライスヌードル]]を[[イカ]]の切り身や[[もやし]]、[[エビ]]、蒸した[[エンドウ豆]](ミャンマーではpe byokと呼ばれる)、[[ネギ]]、[[胡椒]]、濃い口[[醤油]]で炒めたものである。<ref>{{Cite web |url=http://www.wutyeefoodhouse.com/?p=2198 |title=မြိတ်ကတ်ကြေးကိုက် |date=2015-02-24 |website=Wutyee Food House |language=en-US |access-date=2019-04-08}}</ref> ミャンマー南部の沿岸地域や[[ヤンゴン]]で見られ、現地では一般的な料理である。 「カッチーカイ」の名称は、字義通りに解釈すると「[[ハサミ]]に噛まれたような」との意になるが、これは[[麺]]と具材を[[中華鍋]]で炒めている間に、料理人が調理と提供をしやすくするためにハサミを用いて麺を切ることに由来する。 類似の料理として、[[シンガポール]]や[[マレーシア]]で広く食されている[[チャークイティオ]]がある。ベイク・カッチーカイはエビとイカのみを主たる材料とする。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[ミーシェ]] - ミャンマー東部の[[シャン州]]にゆかりがあるライスヌードル料理 * [[モンディ (料理)|モンディ]] - ミャンマー西部の[[ラカイン州]]にゆかりがあるライスヌードル料理 {{麺}} [[Category:イカ料理]] [[Category:エビ料理]] [[Category:ミャンマーの麺料理]] {{デフォルトソート:かつちーかい}}
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コルネリス・ビスコップ
コルネリス・ビスコップ(Cornelis Bisschop、1630年2月12日 – 1674年1月21日)は、オランダの画家である。風俗画や人物画、静物画などを描いた。 オランダ南西部のドルトレヒトで仕立て屋の息子に生まれた。1650年ころにアムステルダムに移りフェルディナント・ボル(1616-1680)に学んだ。1653年にドルトレヒトに戻り結婚した。サミュエル・ファン・ホーホストラーテン(1627–1678)やニコラース・マース (1634–1693)といったドルトレヒトの画家たちと友人になった。 フェルディナント・ボルのスタイルの歴史画も描いたが、後に肖像画や静物画、室内画を描いた。人気のある画家になり、1663年にフランス国王、ルイ14世の大使に作品を買い上げられた。デンマーク王から宮廷画家になる勧誘を受けたが、その少し後の1674年にドルトレヒトで急病で亡くなった.。 11人の子供のうち2人の息子のヤコブス・ビスコップ(Jacobus Bisschop: 1658-1698)とアブラハム・ビスコップ(Abraham Busschop:1660-1700)は画家になった。弟子には女性画家のマルガレータ・ファン・ゴーデウエイク(Margaretha van Godewijk: 1627-1677)もいる。
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コルネリス・ビスコップは、オランダの画家である。風俗画や人物画、静物画などを描いた。
{{Infobox 芸術家 | bgcolour = #6495ED | name = コルネリス・ビスコップ<br>Cornelis Bisschop | image = File:Cornelis bisschop zelfportret 1668.jpeg | imagesize = 200px | caption = 自画像 (1668) | birthdate = {{birth date|1630|2|12}} | location = [[ドルトレヒト]] | deathdate = {{death date and age|1674|1|21|1630|2|12}} | deathplace = ドルトレヒト | field = | training = | movement = | works = | patrons = | influenced by = | influenced = | awards = }} '''コルネリス・ビスコップ'''(Cornelis Bisschop、[[1630年]][[2月12日]] – [[1674年]][[1月21日]])は、[[オランダ]]の画家である。風俗画や人物画、静物画などを描いた。 == 略歴 == オランダ南西部の[[ドルトレヒト]]で仕立て屋の息子に生まれた。1650年ころに[[アムステルダム]]に移り[[フェルディナント・ボル]](1616-1680)に学んだ<ref>[https://rkd.nl/en/explore/artists/8639 Cornelis Bisschop in RKD]</ref>。1653年にドルトレヒトに戻り結婚した。[[サミュエル・ファン・ホーホストラーテン]](1627–1678)や[[ニコラース・マース]] (1634–1693)といったドルトレヒトの画家たちと友人になった。 フェルディナント・ボルのスタイルの歴史画も描いたが、後に肖像画や静物画、室内画を描いた。人気のある画家になり、1663年にフランス国王、[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の大使に作品を買い上げられた。デンマーク王から宮廷画家になる勧誘を受けたが、その少し後の1674年にドルトレヒトで急病で亡くなった.<ref>{{cite web|last1=Libby|first1=Alexandra|title=Cornelis Bisschop|url=http://www.theleidencollection.com/artist/cornelis-bisschop/|website=he Leiden Collection Catalogue|publisher=Arthur K. Wheelock Jr|accessdate=21 April 2017}}</ref>。 11人の子供のうち2人の息子のヤコブス・ビスコップ(Jacobus Bisschop: 1658-1698)と[[アブラハム・ビスコップ]](Abraham Busschop:1660-1700)は画家になった。娘の一人は動物画を得意とする画家の[[アブラハム・ファン・カルラート]]と結婚した。弟子には女性画家のマルガレータ・ファン・ゴーデウエイク(Margaretha van Godewijk: 1627-1677)もいる<ref name=Houbraken> [http://www.dbnl.org/tekst/houb005groo01_01/houb005groo01_01_0275.htm Kornelis Bisschop biography] in ''De groote schouburgh der Nederlantsche konstschilders en schilderessen'' (1718) by Arnold Houbraken, courtesy of the [[Digital library for Dutch literature]]</ref>。 {{Clear}} == 作品 == <gallery mode="nolines" widths="170" heights="190" style="font-size:smaller"> File:Cornelis Bisschop - Christ before Pilate.jpg|ピラトの前のキリスト File:C. Bisschop Girl peeling an apple 1667.jpg|リンゴを剥く少女 (1667) <br> [[アムステルダム国立美術館]] File:Bisschop - Interieur mit Jacke auf einem Stuhl, um 1660, 912D.jpg|椅子の上の上着のある室内画 (c.1660) File:Cornelis Bisschop - Old Woman Sleeping.jpg|眠りにつく老女 <br>[[ハンブルク美術館]] </gallery> <gallery mode="nolines" widths="240" heights="160" style="font-size:smaller"> File:Cornelis Bishop - Boy feeding his Cat.jpg|猫に餌をやる少年 (1660s) <br>[[ブレディウス美術館]] File:Kitchen interior with a woman cooking, by Cornelis Bisschop.jpg|料理する女性のいる台所の室内 File:Cornelis Bisschop - Portrait of a family in an Old-Testament setting.jpg|旧訳聖書の舞台で家族の肖像画 </gallery> == 参考文献 == {{Reflist}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひすこつふ こるねりす}} [[Category:17世紀オランダの画家]] [[Category:ドルトレヒト出身の人物]] [[Category:1630年生]] [[Category:1674年没]]
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チディンマ・オケケ
チディンマ・オケケことオケケ・チディンマ・ンケルカ(Okeke Chidinma Nkeruka、2000年8月11日 - )は、ナイジェリア出身のプロサッカー選手。マイナビ仙台レディース所属。ポジションはディフェンダー。ナイジェリア女子代表。 オケケと表記されることもある。 WEリーグ初のナイジェリア人選手でフィジカルとヘディングの強さに定評がある。同リーグデビューとなったアルビレックス新潟レディース戦では87分に投入された直後に正確なクロスで廣澤真穂のゴールをアシストし、その後も決定機を創出。代表では2019 FIFA女子ワールドカップのナイジェリア女子代表に選ばれ、全試合に出場して決勝トーナメント進出に貢献した。
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チディンマ・オケケことオケケ・チディンマ・ンケルカは、ナイジェリア出身のプロサッカー選手。マイナビ仙台レディース所属。ポジションはディフェンダー。ナイジェリア女子代表。 オケケと表記されることもある。
{{サッカー選手 |名前=チディンマ・オケケ |画像= |画像サイズ= |画像の説明= |本名=オケケ・チディンマ・ンケルカ<br />Okeke Chidinma Nkeruka |愛称= |カタカナ表記= |アルファベット表記= |原語名= |原語表記= |国={{NGA}} |生年月日={{生年月日と年齢|2000|8|11}} |出身地={{NGA}},[[ワリ (ナイジェリア)|ワリ]] |身長=173cm<ref name="mynavi">{{Cite web|和書|title=3 DF オケケ・チディンマ・ンケルカ |url=https://www.mynavisendai-ladies.jp/df-03.html |website=マイナビ仙台レディースオフィシャルWEBサイト |date=2023-02-09 |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref> |体重=70kg<ref name="mynavi" /> |所属チーム名={{Flagicon|JPN}} [[マイナビ仙台レディース]] |ポジション=[[ディフェンダー (サッカー)|DF]] |背番号=3 |利き足=右足 |ユース年1= |年1=2018-2019|クラブ1={{Flagicon|NGA}} {{仮リンク|FC ロボ|en|FC Robo}}|出場1=|得点1= |年2=2019-2021|クラブ2={{Flagicon|ESP}} {{仮リンク|マドリードCFF|en|Madrid CFF}}|出場2=|得点2= |年3=2022|クラブ3={{Flagicon|ISR}} {{ill|ハポエル・ベエルシェバFC (女子)|label=ハポエル・ベエルシェバFC|en|Hapoel Be'er Sheva F.C. (women)}}|出場3=|得点3= |年4=2023-|クラブ4={{Flagicon|JPN}} [[マイナビ仙台レディース]]|クラブ成績更新日=2023年11月23日 |代表年1=2016|代表1={{fbwu|17|NGA|name=ナイジェリアU-17}}<ref>{{Cite web|和書|title=オケケ・チディンマ・ンケルカ選手 加入のお知らせ |url=https://www.mynavisendai-ladies.jp/news-club/2023/10/post-5139.html |website=マイナビ仙台レディースオフィシャルWEBサイト |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref>|代表成績更新日=2020年1月5日 |代表2={{fbwu|20|NGA|name=ナイジェリアU-20}}|代表年2=2018|代表3={{fbw|NGA}}|代表年3=2019|代表出場3=4|代表得点3=0}} '''チディンマ・オケケ'''こと'''オケケ・チディンマ・ンケルカ'''(Okeke Chidinma Nkeruka、[[2000年]][[8月11日]] - )は、[[ナイジェリア]]出身の[[プロサッカー選手]]。[[マイナビ仙台レディース]]所属。ポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]。[[サッカーナイジェリア女子代表|ナイジェリア女子代表]]。 '''オケケ'''と表記されることもある。 == 経歴 == [[日本女子プロサッカーリーグ|WEリーグ]]初のナイジェリア人選手でフィジカルとヘディングの強さに定評がある。同リーグデビューとなった[[アルビレックス新潟レディース]]戦では87分に投入された直後に正確なクロスで[[廣澤真穂]]のゴールをアシストし、その後も決定機を創出。代表では[[2019 FIFA女子ワールドカップ]]の[[サッカーナイジェリア女子代表|ナイジェリア女子代表]]に選ばれ、全試合に出場して決勝トーナメント進出に貢献した<ref>{{Cite web |url=https://www.fifa.com/fifaplus/en/match-centre/match/103/278513/278527/300438222 |title=2019 FIFA女子ワールドカップ (ナイジェリア vs 韓国) |access-date=2023-12-25 |publisher=FIFA}}</ref>。 == 個人成績 == {{サッカー選手国内成績表 top|yy}} {{サッカー選手国内成績表 th|日本|yy|w}} |- |[[2023-24シーズンのWEリーグ|2023-24]]||[[マイナビ仙台レディース]]||3||[[日本女子プロサッカーリーグ|WE]]||-||-||0||0||-||-||-||- {{サッカー選手国内成績表 通算始|1|日本|1部}}-||-||0||0||-||-||-||- {{サッカー選手国内成績表 通算終}}-||-||0||0||-||-||-||- |}<!--出場試合数と得点はシーズン後に記入すること--> * [[日本女子プロサッカーリーグ|WEリーグ]] ** 初出場 - [[2023年]][[11月23日]] 第3節 [[アルビレックス新潟レディース]]戦 ([[新潟市陸上競技場]]) === 代表 === ==== 選出歴 ==== * [[サッカーナイジェリア女子代表|ナイジェリア女子代表]] ** [[2019 FIFA女子ワールドカップ]] == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == *{{sports links}} * [https://www.mynavisendai-ladies.jp/df-03.html DF 3 チディンマ・オケケ]- マイナビ仙台レディース公式サイト * {{Twitter|OkekeChidinma12}} * {{Instagram|iamc.okeke20}} {{マイナビ仙台レディースのメンバー}} {{DEFAULTSORT:おけけ ちていんま んけるか}} [[Category:ナイジェリアの女子サッカー選手]] [[Category:マイナビ仙台レディースの選手]] [[Category:サッカーナイジェリア女子代表選手]] [[Category:ナイジェリア・ワリ出身の人物]] [[Category:2000年生]] [[Category:存命人物]]
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金本商会
株式会社金本商会(英: KANEMOTO SHOKAI Co., Ltd)は、広島県広島市に本社を置く産業廃棄物処理会社である。中国地方を地盤とし、主に製造業から排出される産業廃棄物の収集運搬から再資源化を一貫して行っている。 カネモトホールディングス株式会社(100%) 取締役等
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株式会社金本商会は、広島県広島市に本社を置く産業廃棄物処理会社である。中国地方を地盤とし、主に製造業から排出される産業廃棄物の収集運搬から再資源化を一貫して行っている。
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ポボ
ポボ(pobo, povo)、(vのほうは)ポヴォ
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ポボ(pobo, povo)、(vのほうは)ポヴォ povo(ポヴォ) - KDDI・沖縄セルラー電話の携帯電話の料金プラン en:Pobo - "El Pobo"(エル・ポボ)とも呼ばれるスペインの2か所の地名の曖昧さ回避ページ。 en:Povo/it:Povo - イタリア・トレント自治県(トレンティーノ)・トレントの郊外。
{{wikt|en:pobo|en:povo}} '''ポボ''' (pobo, povo) 、'''ポヴォ''' (povo) *[[povo]](ポヴォ) - [[KDDI]]・[[沖縄セルラー電話]]の[[携帯電話]]の料金プラン。 *[[:en:Pobo]] - "El Pobo"(エル・ポボ)とも呼ばれる[[スペイン]]の2か所の地名の[[曖昧さ回避]]。 *[[:en:Povo]]/[[:it:Povo]] - [[イタリア]]・[[トレント自治県]](トレンティーノ)・[[トレント (イタリア)|トレント]]の地区。 {{aimai}} {{DEFAULTSORT:ほほ}} [[category:スペイン語の地名]] [[category:イタリアの地名]]
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蔦清小松朝じ
蔦清小松 朝じ(つたきよこまつ あさじ、1894年〈明治27年〉2月8日 - 1996年〈平成8年〉8月18日)は、日本の芸妓。現役最高齢・102歳の芸妓であった。東京府東京市下谷区下谷箪笥町出身。お座敷では柳橋 朝じ(やなぎばし あさじ)、常磐津節三味線では岸沢 式あさ(きしざわ しきあさ)と名乗っていた。本名は加藤 はる(かとう はる)。 1894年、大工の棟梁の父と母のもと、九人兄弟の次女として生まれる。 幼い頃から三味線や長唄、清元節を好み、7歳頃に杵屋いせのもと三味線の稽古をはじめる。 11歳で自ら志願し、吉原のお茶屋で芸妓となる。花柳界に身を置くということは、借金をすることが目的の場合も多かった。朝じの父は生活に苦慮していなかったが、証文を作成する為に形だけの借金をすることとなった。十年十円の借金というかなり低い金額であった。 吉原のお茶屋がつぶれ、柳橋 へ移る。21歳で置屋・清小松へ移籍、23歳で独立し置屋・蔦清小松を経営する。 1945年3月10日の東京大空襲で日本橋区米沢町の自宅が焼け落ち、埼玉県北足立郡草加町に疎開する。戦後2年ほどでお座敷が再開しはじめ、草加から柳橋までモンペ姿で通った。柳橋近くの友達の家で化粧をしお座敷にでていたという。1949年頃、柳橋に自宅を再建する。 1989年、常磐津節の継承者として黄綬褒章を授かる。常磐津節は27歳頃からはじめたものであり、歌舞伎・仮名手本忠臣蔵での常磐津文字翁の演奏に感動したことがきっかけであったという。 88歳の時点で既に現役最高齢の芸妓であった。 100歳の頃でも週に一度はお座敷に出ており、102歳6ヶ月で亡くなる4ヶ月前までお座敷に出ていた、出光佐三や長谷川一夫、初代松本白鸚も贔屓筋であったという。 生涯独身であったが、姉の娘・きぬ子を5歳の頃に養女として迎えている。 きぬ子の娘、朝じの孫である君代は佐伯秀男と結婚した。君代と佐伯は33歳の年の差があり、佐伯は義母・きぬ子の1歳年上である。 晩年は、朝じ・きぬ子・君代・佐伯の四人暮らしであった。
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蔦清小松 朝じは、日本の芸妓。現役最高齢・102歳の芸妓であった。東京府東京市下谷区下谷箪笥町出身。お座敷では柳橋 朝じ、常磐津節三味線では岸沢 式あさと名乗っていた。本名は加藤 はる。
'''蔦清小松 朝じ'''(つたきよこまつ あさじ、[[1894年]]〈明治27年〉[[2月8日]] - [[1996年]]〈平成8年〉[[8月18日]]<ref name="kotobank">「[https://kotobank.jp/word/%E8%94%A6%E6%B8%85%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E6%9C%9D%E3%81%98-1092141 蔦清小松朝じ(つたきよこまつ あさじ)とは?]」コトバンク</ref>)は、[[日本]]の[[芸妓]]。現役最高齢<ref name="movie">「[https://kakaretakao.com/ キャスト・スタッフ]」映画『書かれた顔 4Kレストア版』公式サイト</ref>・102歳の芸妓<ref name="tokyo">「[https://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/smp/backnumber/20090404/4285.html 伝説の芸者|2009年4月4日|出没!アド街ック天国]」テレビ東京</ref>であった。[[東京府]][[東京市]][[下谷区]]下谷箪笥町出身<ref name="kokkai">「[https://dl.ndl.go.jp/pid/3478865/1/84 JMS : Japan medical society (16)]」国立国会図書館デジタルコレクション</ref>。お座敷では'''柳橋 朝じ'''(やなぎばし あさじ)、[[常磐津節]][[三味線]]では'''岸沢 式あさ'''(きしざわ しきあさ)と名乗っていた<ref name="kokkai"/>。本名は'''加藤 はる'''(かとう はる)<ref name="kokkai"/>。 == 略歴 == 1894年、大工の[[棟梁]]の父<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、12頁。</ref>と母のもと、九人兄弟の次女として生まれる<ref name="kokkai"/>。 幼い頃から[[三味線]]や[[長唄]]、[[清元節]]を好み、7歳頃に杵屋いせのもと三味線の稽古をはじめる<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、13頁。</ref>。 11歳で自ら志願し<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、12頁。</ref>、[[吉原遊郭|吉原]]の[[お茶屋]]で芸妓となる<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、16頁。</ref>。[[花柳界]]に身を置くということは、借金をすることが目的の場合も多かった。朝じの父は生活に苦慮していなかったが、証文を作成する為に形だけの借金をすることとなった。十年十円の借金というかなり低い金額であった<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、17頁。</ref>。 吉原のお茶屋がつぶれ<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、21頁。</ref>、[[柳橋 (花街)|柳橋]] へ移る<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、23頁。</ref>。21歳で[[置屋]]・清小松へ移籍、23歳で独立し置屋・蔦清小松を経営する<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、28頁。</ref>。 1945年3月10日の[[東京大空襲]]で[[日本橋区]]米沢町の自宅が焼け落ち<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、157頁。</ref>、[[埼玉県]][[北足立郡]][[草加市|草加町]]に疎開する<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、159頁。</ref>。戦後2年ほどでお座敷が再開しはじめ<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、160頁。</ref>、草加から柳橋までモンペ姿で通った。柳橋近くの友達の家で化粧をしお座敷にでていたという。1949年頃、柳橋に自宅を再建する<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、161頁。</ref>。 1989年、常磐津節の継承者として[[黄綬褒章]]を授かる<ref name="kotobank"/>。常磐津節は27歳頃からはじめたものであり、[[歌舞伎]]・[[仮名手本忠臣蔵]]での[[常磐津文字翁]]の演奏に感動したことがきっかけであったという<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、30頁。</ref>。 88歳の時点で既に現役最高齢の芸妓であった<ref>「[https://dl.ndl.go.jp/pid/3295641/1/32 自動車販売 20(1)(223)]」国立国会図書館デジタルコレクション</ref>。 100歳の頃でも週に一度はお座敷に出ており<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、カバーそで。</ref>、102歳6ヶ月で亡くなる4ヶ月前までお座敷に出ていた<ref name="tokyo"/>。 一番の[[ひいき|贔屓筋]]は[[稲山嘉寛]]<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、78頁。</ref>、[[出光佐三]]や[[長谷川一夫]]、[[松本白鸚 (初代)|初代松本白鸚]]も贔屓筋であったという<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、79頁。</ref>。 == 家族 == 生涯独身であったが、姉の娘・きぬ子を5歳の頃に養女として迎えている。 きぬ子の娘、朝じの孫である君代は[[佐伯秀男]]と結婚した。君代と佐伯は33歳の年の差があり、佐伯は義母・きぬ子の1歳年上である。 晩年は、朝じ・きぬ子・君代・佐伯の四人暮らしであった<ref>蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年、174頁。</ref>。 ==出演== === 映画 === * 書かれた顔(1996年、[[ユーロスペース]]<ref name="movie"/>) == 著書 == *『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』[[ごま書房]]、1994年 == 脚注 == ===出典=== {{Reflist}} {{デフォルトソート:つたきよこまつ あさし}} [[Category:日本のセンテナリアン]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1894年生]] [[Category:1996年没]]
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悔悛するマグダラのマリア (リベーラ)
『悔悛するマグダラのマリア』は、スペインのバロック絵画の巨匠ホセ・デ・リベーラが1618-1623年にキャンバス上に油彩で描いた絵画である。かつてナポリの画家バルトロメオ・バッサンテ (Bartolomeo Bassante) に誤って帰属されたこともあるが、1970年代初めにはリベーラに帰属された。作品は『新約聖書』の登場人物マグダラのマリアを主題としているが、内省的な性質と小さなサイズは疑いなく個人祈祷用の作品であったことを示している。現在、ナポリのカポディモンテ美術館に所蔵されている。 この絵画の委嘱者は不明であるが、1961年までジェノヴァのアンジェロ・コスタ (Angelo Costa) のコレクションにあった。1961年にロンドンの美術商会コルナーギ (Colnaghi) に移り、1972年にフィレンツェの個人収集家に売却された後、現在の所蔵先のカポディモンテ美術館に収蔵された。 「ルカによる福音書」(7章36-8章3) によると、マグダラのマリアは、7つの悪霊に憑依されて苦しんでいた (娼婦だったという説もある) ところをイエス・キリストに救われた。以来、全財産を捧げ、キリストに付き従って宣教活動を支えた。ベタニアで弟子たちと食事を囲むキリストに跪き、高価な香油をキリストの足に塗り、自分の髪の毛で拭ったという女性もマリアという名である (「ヨハネによる福音書」、12章1-8) が、このマリアがマグダラのマリアと同一人物とするかについては賛否両論がある。 マグダラのマリアは、中世以降、無数の美術作品の主題に採用されてきた。中世後期においては、もっぱら「キリストの磔刑」図でキリストの足元に悲嘆する姿で描かれたが、中世末からルネサンスにいたって主題のレパートリーも増え、「十字架降架」、「キリストの埋葬」、「キリストの復活」、「ノリ・メ・タンゲレ」などにも登場するようになった。「悔悛する」図像で、マグダラのマリアが頻繁に描かれるようになったのはトリエント公会議以降のことである。 本作は、おそらく1610年代から1620年代初めに制作された。リベーラがローマからナポリに移ってから2年ほどが過ぎたころである。このころ、画家は、イタリア・バロック絵画の巨匠カラヴァッジョの様式や初期ナポリ派の画家たちとの関わりによって身に着けた初期の激しいリアリズムを離れていく。後の1630年代に、リベーラはヴェネツィア派を意識した表現法を完全に吸収するが、本作にはそうした様式上の発展が暗示されている。
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『悔悛するマグダラのマリア』は、スペインのバロック絵画の巨匠ホセ・デ・リベーラが1618-1623年にキャンバス上に油彩で描いた絵画である。かつてナポリの画家バルトロメオ・バッサンテ に誤って帰属されたこともあるが、1970年代初めにはリベーラに帰属された。作品は『新約聖書』の登場人物マグダラのマリアを主題としているが、内省的な性質と小さなサイズは疑いなく個人祈祷用の作品であったことを示している。現在、ナポリのカポディモンテ美術館に所蔵されている。 この絵画の委嘱者は不明であるが、1961年までジェノヴァのアンジェロ・コスタ のコレクションにあった。1961年にロンドンの美術商会コルナーギ (Colnaghi) に移り、1972年にフィレンツェの個人収集家に売却された後、現在の所蔵先のカポディモンテ美術館に収蔵された。 「ルカによる福音書」(7章36-8章3) によると、マグダラのマリアは、7つの悪霊に憑依されて苦しんでいた (娼婦だったという説もある) ところをイエス・キリストに救われた。以来、全財産を捧げ、キリストに付き従って宣教活動を支えた。ベタニアで弟子たちと食事を囲むキリストに跪き、高価な香油をキリストの足に塗り、自分の髪の毛で拭ったという女性もマリアという名である (「ヨハネによる福音書」、12章1-8) が、このマリアがマグダラのマリアと同一人物とするかについては賛否両論がある。 マグダラのマリアは、中世以降、無数の美術作品の主題に採用されてきた。中世後期においては、もっぱら「キリストの磔刑」図でキリストの足元に悲嘆する姿で描かれたが、中世末からルネサンスにいたって主題のレパートリーも増え、「十字架降架」、「キリストの埋葬」、「キリストの復活」、「ノリ・メ・タンゲレ」などにも登場するようになった。「悔悛する」図像で、マグダラのマリアが頻繁に描かれるようになったのはトリエント公会議以降のことである。 本作は、おそらく1610年代から1620年代初めに制作された。リベーラがローマからナポリに移ってから2年ほどが過ぎたころである。このころ、画家は、イタリア・バロック絵画の巨匠カラヴァッジョの様式や初期ナポリ派の画家たちとの関わりによって身に着けた初期の激しいリアリズムを離れていく。後の1630年代に、リベーラはヴェネツィア派を意識した表現法を完全に吸収するが、本作にはそうした様式上の発展が暗示されている。
{{Infobox artwork |image_file=Jusepe_de_ribera,_maddalena_penitente,_1618-23_ca..JPG |image_size=350px |title=悔悛するマグダラのマリア |other_title_1=Maddalena penitente |other_language_1=[[イタリア語]] |other_title_2=Penitent Magdalene |other_language_2=[[英語]] |artist=[[ホセ・デ・リベーラ]] |year=1618-1623年 |type=[[キャンバス]]上に[[油彩]] |height_metric=78 |width_metric=71 |museum=[[カポディモンテ美術館]] |city=[[ナポリ]] }} 『'''悔悛するマグダラのマリア'''』(かいしゅんするマグダラのマリア、{{lang-it-short|Maddalena penitente}}、{{lang-en-short|Penitent Magdalene}})は、[[スペイン]]の[[バロック]]絵画の巨匠[[ホセ・デ・リベーラ]]が1618-1623年に[[キャンバス]]上に[[油彩]]で描いた絵画である。かつて[[ナポリ]]の画家バルトロメオ・バッサンテ (Bartolomeo Bassante) に誤って帰属されたこともあるが、1970年代初めにはリベーラに帰属された<ref name="CM">ナポリ宮廷と美 カポディモンテ美術館展-ルネサンスからバロックまで-、2010年、158貢。</ref>。作品は『[[新約聖書]]』の登場人物[[マグダラのマリア]]を主題としているが、内省的な性質と小さなサイズは疑いなく個人祈祷用の作品であったことを示している<ref name="CM" />。現在、ナポリの[[カポディモンテ美術館]]に所蔵されている<ref name="CM" />。 この絵画の委嘱者は不明であるが、1961年まで[[ジェノヴァ]]のアンジェロ・コスタ (Angelo Costa) のコレクションにあった<ref name="CM" />。1961年に[[ロンドン]]の美術商会{{仮リンク|コルナーギ|en|Colnaghi}}に移り、1972年に[[フィレンツェ]]の個人収集家に売却された後、現在の所蔵先のカポディモンテ美術館に収蔵された<ref name="CM" /><ref name="Operacompleta379">{{In lang|it}} N. Spinosa, Ribera. L'opera completa, Napoli, Electa, 2003, p. 279</ref>。 == 作品 == [[ファイル:Tizian 009.jpg|サムネイル|[[ティツィアーノ]]『[[悔悛するマグダラのマリア (ティツィアーノ、サンクトペテルブルク)|悔悛するマグダラのマリア]]』(1565年)、[[エルミタージュ美術館]] ([[サンクトペテルブルク]])]] 「[[ルカによる福音書]]」(7章36-8章3) によると、マグダラのマリアは、7つの[[悪霊]]に憑依されて苦しんでいた (娼婦だったという説もある) ところを[[イエス・キリスト]]に救われた。以来、全財産を捧げ、キリストに付き従って宣教活動を支えた。[[ベタニア]]で弟子たちと食事を囲むキリストに跪き、高価な香油をキリストの足に塗り、自分の髪の毛で拭ったという女性もマリアという名である (「[[ヨハネによる福音書]]」、12章1-8) が、このマリアがマグダラのマリアと同一人物とするかについては賛否両論がある<ref name="MS">『名画で読み解く「聖書」』 2013年、138貢。</ref>。 マグダラのマリアは、[[中世]]以降、無数の美術作品の主題に採用されてきた。中世後期においては、もっぱら「[[キリストの磔刑]]」図でキリストの足元に悲嘆する姿で描かれたが、中世末から[[ルネサンス]]にいたって主題のレパートリーも増え、「[[十字架降架]]」、「キリストの埋葬」、「[[復活 (キリスト教)|キリストの復活]]」、「[[ノリ・メ・タンゲレ]]」などにも登場するようになった。「悔悛する」図像で、マグダラのマリアが頻繁に描かれるようになったのは[[トリエント公会議]]以降のことである。そして、このマグダラのマリア像の原型を作ったのは16世紀[[ヴェネツィア派]]の巨匠[[ティツィアーノ]]である{{Sfn|国立西洋美術館|1986|p=179-180}}。 本作は、おそらく1610年代から1620年代初めに制作された。リベーラが[[ローマ]]からナポリに移ってから2年ほどが過ぎたころである<ref name="CM" />。このころ、画家は、イタリア・バロック絵画の巨匠[[ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ|カラヴァッジョ]]の様式や初期ナポリ派の画家たちとの関わりによって身に着けた初期の激しいリアリズムを離れていく。後の1630年代に、リベーラはヴェネツィア派を意識した表現法を完全に吸収するが、本作にはそうした様式上の発展が暗示されている<ref name="CM" />。 == 脚注 == <references /> == 参考文献 == * 『ナポリ宮廷と美 カポディモンテ美術館展-ルネサンスからバロックまで-』、[[国立西洋美術館]]、イタリア文化財省・カポディモンテ美術館、[[TBS]]、[[東京新聞]]、2010年 ISBN 978-4-906536-54-2 * {{Cite book |和書 |editor=[[国立西洋美術館]] |title=エル・グレコ展 |publisher=[[東京新聞]] |year=1986 |id={{JP番号|87040916}} |ref=harv}} {{ホセ・デ・リベーラ}} {{DEFAULTSORT:かいしゆんするまくたらのまりありへえら}} [[Category:マグダラのマリアを描いた絵画]] [[Category:ホセ・デ・リベーラの作品]] [[Category:1620年代の絵画]] [[Category:1610年代の絵画]] [[Category:カポディモンテ美術館の所蔵品]]
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