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[ [ "まったくの出来心で御座います。声をかけてみたところが留守だとわかりましたので……", "それからどうしたか" ], [ "よしよし。わかっとるわかっとる。ところで、どういうわけで火を放けたんか", "ヘエ。それはあの後家めが" ], [ "あの後家めが、私に肩を揉ませるたんびに、変なことを云いかけるので御座います。そうしてイザとなると手ひどく振りますので、その返報に……", "イイエ、違います。まるでウラハラです……" ], [ "フーム。それならば売った時の子供の年齢は……", "ハイ。姉が十四の年で、妹が九つの年。それから男の子を見世物師に売ったのが五つの年で……。ヘエ。証文がどこぞに御座いましたが……間違いは御座いません。ついこの間のことで御座いますから。ヘエ……" ], [ "この石を線路に置いたら、汽車が引っくり返るか返らないか", "馬鹿な……それ位の石はハネ飛ばして行くにきまっとる", "インニャ……引き割って行くじゃろうて……", "論より証拠やってみい", "よし来た" ], [ "昨日は恐ろしかったな。あんまり大きな音がしたもんで、おらあ引っくり返ったかと思うたぞ", "ナアニ。機関車は全部鉄造りじゃけにな。あんげな石ぐらい屁でもなかろ", "しかし、引き砕いてから停まったのは何故じゃろか。車の歯でも欠けたと思ったんかな", "ナアニ。人を轢いたと思ったんじゃろ" ], [ "……違います……スウィートハートです……", "フフ――ウム" ], [ "フ――ム。ハートとポテトーとはどう違うかナ", "ハートは心臓で、ポテトーは芋です" ], [ "ヘ――イ。このたびは二の替りといたしまして朝顔日記大井川の段……テテテテテ天道シャマア……きこえまシェぬきこえまシェぬきこえまシェぬ……チン……きこえまシェぬわいニョ――チッチッチッチッ", "妻ア――ウワア。なンみンだンにイ――。か――き――くンるえ――テヘヘヘヘ。ショレみたんよ……光ウ秀エどンの……" ], [ "……ど……どうぞお助け……御勘弁を……", "助けてやる。勘弁してやるから申し上げろ。何がためにこの家に這入ったか。何の必要があれば……最前からアヤツリを使ってコンナに大勢の人を寄せたのか。ここを公会堂とばし思ってしたことか" ], [ "……サ……最前……私が……このお家に這入りまして……人形を使い初めますと……ア……あそこに居られたどこかの旦那様が……イ……一円……ク下さいまして……ヘイ……おれが飯を喰っている間に……貴様が知っているだけ踊らせてみよ……トト、……おっしゃいましたので……ヘイ……オタスケを……", "ナニ……飯を喰ったア……一円くれたア……" ], [ "……マア……可哀相に……留守番役のおふくろが死んだもんじゃけん", "キット流れ渡りの坑夫のワルサじゃろ……" ], [ "ヘエ。それはソノ……とても旦那方にお話し致しましても本当になさらないお話で……しかしあの婆さんが死にましたのは、確かにソノ一服三杯のおかげに違いないと皆申しておりますが……", "フフン。まあ話してみろ。参考になるかもしれん", "ヘエ。それじゃアまアお話ししてみますが、あの婆さんは毎月一度宛、駅の前の郵便局へ金を預けに行く時のほかは滅多に家を出ません。いつもたった一人で、あの茶店に居るので御座いますが、それでも村の寄り合いとか何とかいう御馳走ごとにはキット出てまいります。それも前の晩あたりから飯を食わずに、腹をペコペコにしておいて、あくる日は早くから店を閉めて、松葉杖を突張って出て来るので御座いますが、いよいよ酒の座となりますと、先ず猪口で一パイ飲んで、あの青い顔を真赤にしてしまいます。それから飯ばっかりを喰い初めて、時々お汁をチュッチュッと吸います。漬け物もすこしは喰べますが、大抵六七八杯は請け合いのようで……それからいよいよ喰えぬとなりますと、煙草を二三服吸うて、一息入れてから又初めますので、アラカタ二三杯位は詰めこみます。それからあとのお平や煮つけなぞを、飯と一緒に重箱に一パイ詰めて帰って、その日は何もせずに、あくる日の夕方近くまで寝ます。それからポツポツ起きて重箱の中のものを突ついて夕飯にする。御承知の通り、この辺の御馳走ごとの寄り合いは、大抵時候のよい頃に多いので、どうかすると重箱の中のものが、その又あくる日の夕方までありますそうで……つまるところ一度の御馳走が十ペン位の飯にかけ合うことに……", "ウ――ム。しかしよく食傷して死なぬものだな", "まったくで御座います旦那様。あの痩せこけた小さな身体に、どうして這入るかと思うくらいで……", "ウ――ム。しかしよく考えてみるとそれは理窟に合わんじゃないか。そんなにして二日も三日も店を閉めたら、つまるところ損が行きはせんかな", "ヘエ。それがです旦那様。最前お話し申上げましたその娘夫婦も、それを恥かしがって東京へ逃げたのだそうでございますが、お安さん婆さんに云わせますと……『自分で作ったものは腹一パイ喰べられぬ』というのだそうで……ちょうどあの婆さんが死にました日が、ここいらのお祭りで御座いましたが、法印さんの処で振舞いがありましたので、あの婆さんが又『一服三杯』をやらかしました。それが夜中になって口から出そうになったので勿体なさに、紐でノド首を縛ったものに違いない。そうして息が詰まって狂い死にをしたのだろう……とみんな申しておりますが……", "アハハハハハ。そんな馬鹿な……いくら吝ン坊でも……アッハッハッハッ……" ], [ "……ナ……何だえ。その蟻とか……蠅とかいうのは……アノ胎児の足にたかっていた虫のことかえ……", "ホホホホホホそんなものじゃないわよ。何でもいいから巡査さんにそう云って頂戴……妾にはチャンとしたアリバイがありますから、心配しないでお帰んなさいッテ……" ], [ "これは何じゃえ", "あたしの腹じゃがな" ], [ "それはわかっとる……けんどナ……この膨れとるのは何じゃエ……これは……", "知らんがな……あたしは……", "知らんちうことがあるものか……いつから膨れたのじゃエこの腹はコンゲニ……今夜初めて気が付いたが……" ], [ "知らんがナ……", "知らんちうて……お前だれかと寝やせんかな。おれが用達しに行っとる留守の間に……エエコレ……", "知らんがナ……" ], [ "フーム。それはどうして……何で毒殺しようとしたんか……", "ヘエそれはこうなので……" ], [ "私が一昨日から風邪を引きまして、納屋に寝残っておりますと、昨日の晩方の事です。あの兼の野郎が仕事を早仕舞いにして帰って来て『工合はどうだ』と訊きました", "……ふうん……そんなら兼と貴様は、モトから仲が悪かったという訳じゃないな", "……ヘエ……そうなんで……ところで旦那……これはもう破れカブレでぶちまけますが、大体あの兼の野郎と私との間には六百ケンで十両ばかりのイキサツがありますので……尤も私が彼奴に十両貸したのか……向うから私が十両借りたのか……そこんところが、あんまり古い話なので忘れてしまいまして……チッポケナ金ですから、どうでも構わんと思っていても、兼の顔さえ見ると、奇妙にその事が気にかかってしようがなくなりますので……けんどそのうちに兼が何とか云って来たらどっちが借りたか、わかるだろうと思って黙っていたんですが……そんで……私は見舞いを云いに来た兼の顔を見ると又、その事を思い出しました。そうして……どうも熱が出たようで苦しくて仕様がない。こんな事は生れて初めてだから、事に依ると俺は死ぬんかもしれない……と云いますと兼の野郎が……そんだら俺が医者を呼んで来てやろうと云って出て行きましたが、待っても待っても帰って来ません。私は兼の野郎が唾を引っかけて行きおったに違いないと思ってムカムカしておりましたが、そのうちに十二時の汽笛が鳴りますと、どこかで喰らって真赤になった兼が、雨にズブ濡れになって帰って来て私の枕元にドンと坐ると、大声でわめきました。何でも……事務所の医者(炭坑医)は二三日前から女郎買いに失せおって、事務所を開けてケツカル……今度出会ったら向う脛をぶち折ってくれる……というので……", "……フム……不都合だなそれは……", "……ネエ旦那……あいつらア矢っ張り洋服を着たケダモノなんで……", "ウムウム。それから兼はどうした", "それから山の向うの村の医者ン所へ行ったら、此奴も朝から鰻取りに出かけて……", "ナニ鰻取り……", "ヘエ。そうなんで……この頃は毎日毎日鰻取りにかかり切りで、家には滅多にうせおらんそうで……よくきいてみるとその医者は、本職よりも鰻取りの方が名人なんで……", "ブッ……馬鹿な……余計な事を喋舌るな", "ヘエ……でも兼の野郎がそう吐かしましたので……", "フーム。ナルホド。それからどうした", "それから兼は、その村の荒物屋を探し出して、風邪引きの妙薬はないかちうて聞きますと……この頃風邪引きが大バヤリで売り切れてしまったが、馬の熱さましで赤玉ちうのならある。馬の熱が取れる位なら人間の熱にも利くだろうが……とその荒物屋の親仁が云うので買って来た……しかし畜生は薬がよく利くから、分量が少くてよいという事を俺はきいている。だから人間は余計に服まなければ利くまいと思って、その赤玉ちうのを二つ買って来た。これを一時に服んだら大抵利くだろう。金は要らぬから、とにかく服んで見イ……と云ううちに兼は白湯を汲んで来て、薬の袋と一緒に私の枕元へ並べました。私は兼の親切に涙がこぼれました。このアンバイでは俺が兼に十円借りていたに違いないと思い思い薬の袋を破ってみますと、赤玉だというのに青い黴が一パイに生えておりまして、さし渡しが一寸近くもありましたろうか……それを一ツ宛、白湯で丸呑みにしたんですがトテも骨が折れて、息が詰まりそうで、汗をビッショリかいてしまいました", "……フーム。それで風邪は治ったか", "ヘエ……今朝になりますと、まだ些しフラフラしますが、熱は取れたようですから、景気づけに一パイやっておりますところへ、昨日、兼からの言伝をきいたと云って、鰻取りの医者が自転車でやって来ました。五十位の汚いオヤジでしたが、そいつを見ると私は無性に腹が立ちましたので……この泥掘り野郎……貴様みたいな藪医者に用は無い。憚りながら俺の腹の中には、赤玉が二つ納まっているんだぞ……と怒鳴りつけてやりましたら、その医者は青くなって逃げ出すかと思いの外……ジーッと私の顔を見て動こうとしません", "フーム。それは又何故か", "その爺は暫く私の顔を見ておりましたが……それじゃあお前は、その二ツの赤玉を、いつ飲んだんか……と云ううちにブルブル震え出した様子なので、私も気味が悪くなりまして……ナニ赤玉には違いないが、青い黴の生えた奴を、昨夜十二時過に白湯で呑んだんだ。そのおかげで今朝はこの通り熱がとれたんだが、それがどうしたんか……とききますと医者の爺はホッとしたようすで……それは運が強かった。青い黴が生えていたんで、薬の利き目が弱っていたに違いない。あの赤玉の一粒に使ってある熱さましは、人間に使う分量の何層倍にも当るのだから、もし本当に利いたら心臓がシビレて死んで終う筈だ……どっちにしても今酒を呑むのはケンノンだから止めろと云って、私の手を押えました", "フーム。そんなもんかな", "この話をきくと私は、すぐに納屋を出まして坑へ降りて、仕事をしている兼を探し出して、うしろから脳天を喰らわしてやりました。そうして旦那の処へ御厄介を願いに来ましたので……逃げも隠れも致しません。ヘエ……", "フーム。しかしわからんナ。どうも……その兼をやっつけた理由が……", "わかりませんか旦那……兼の野郎は私が病気しているのにつけ込んで、私を毒殺して、十両ゴマ化そうとしたに違いないのですぜ。あいつはもとから物識りなのですからね。ネエ旦那そうでしょう、一ツ考えておくんなさい", "ウップ……たったそれだけの理由か", "それだけって旦那……これだけでも沢山じゃありませんか", "……バ……馬鹿だナア貴様は……それじゃ貴様が、兼に十両貸したのは、間違いない事実だと云うんだナ", "ヘエ。ソレに違いないと思うので……そればっかりではありません。兼の野郎が私を馬と間違えたと思うと矢鱈に腹が立ちましたので……", "アハハハハ……イヨイヨ馬鹿だナ貴様は……", "ヘエ……でも私は恥を掻かされると承知出来ない性分で……", "ウーン。それはそうかも知れんが……しかし、それにしても貴様の云うことは、ちっとも訳が解らんじゃないか", "何故ですか……旦那……", "何故というて考えてみろ。兼のそぶりで金の貸し借りを判断するちう事からして間違っているし……", "間違っておりません……あいつは……ワ……私を毒殺しようとしたんです……旦那の方が無理です", "黙れッ……" ], [ "黙れ……不埒な奴だ。第一貴様はその証拠に、その薬で風邪が治っとるじゃないか", "ヘエ……" ], [ "アイヨ……来ていることは間違いないよ……だけんど……それを引渡せばどうなるんだえ", "半殺しにして仕舞うのだ。この村の娘には、ほかの村の奴の指一本指させないのが、昔からの仕来りだ。お前さんも知っているだろう", "アイヨ……知っているよ。それ位の事は……ホホホホホ。けれどそれはホントにお生憎だったネエ。そんな用なら黙ってお帰り!", "ナニッ……何だと……", "何でもないよ、勇作さんは私の娘の処へ通っているのじゃないよ", "嘘を吐け。それでなくて何で毎晩この家に……", "ヘヘヘヘヘ。妾が用があるから呼びつけているのさ……", "エッ……お前さんが……", "そうだよ。ヘヘヘヘヘ。大事な用があってね……", "……そ……その用事というのは……", "それは云うに云われぬ用事だよ……けんど……いずれそのうちにはわかる事だよ……ヘッヘッヘッヘッ" ], [ "……ところでこの、ヘンタイ、セイヨクの、何とかチウのは、何じゃろか……", "おらにもわからんがナ" ], [ "お前の家の、一番西に当る軒先から、三尺離れた処を、誰にも知らせぬようにして掘って見よ。何尺下かわからぬが、石が一個埋もっている筈じゃ。その石を大切に祭れば、お前の女房の血の道は一と月経たぬうちに癒る。一年のうちには子供も出来る。二人ともまだ若いのじゃから……エーカナ……", "ヘーッ" ], [ "しかし、早うせんと、病人の生命が無いぞ……", "ヘーッ……" ], [ "ウーム。そうじゃろう……そうじゃろうと思うた。実はナ……埋まっているのが人間の骨じゃと云うと、臆病者のお前が、よう掘るまいと思うたから石じゃと云うておいたのじゃが、その骨というのはナ……エエか……ほかならぬ、お前の兄貴の骨じゃぞ……", "ゲーッ。私の兄貴の……", "……と云うてもわかるまいが……これには深い仔細があるのじゃ", "ヘエッ。どんな仔細で……", "まあ急き込まずとよう聞け。……ところでまず、その前に聞くが、お前は昨日来た時に両親はもう居らんと云うたノ", "ヘエ。一昨年の大虎列剌の時に死にましたので……", "ウンウン。それじゃから云うて聞かすが、お前の母親というのは、ああ見えても若いうちはナカナカ男好きじゃったのでナ。ちょうどお前の処に嫁入る半年ばかり前に、拙僧の処へコッソリと相談に来おってナ……こう云うのじゃ。わたしはこの間の盆踊りの晩に、誰とも知れぬ男の胤を宿したが、まだ誰にも云わずにいるうちに、文太郎さんが養子に来ることになりました。わたしも文太郎さんなら固い人じゃけに、一緒になってもええと思うけれど、お腹の子があってはどうにもならぬ故、どうか一ツ御祈祷をして下さらんかという是非ない頼みじゃ。そこで拙僧は望み通りに、真言秘密の御祈祷をしてやって、出て来た孩児はこれこれの処に埋めなさい……とまで指図をしておいたが……それがソレ……その骨じゃ。エエカナ……ところが、それから二十年余り経った昨日の事、お前がやって来てからの頼みで、卦を立ててみると……どうじゃ……その盆踊りの晩に、お前の母親の腹に宿ったタネというのは、お前の父親……すなわち文太郎のタネに相違ないという本文が出たのじゃ。つまりその、堕胎された孩児というのは、取りも直さずお前の兄さんで、お前の代りに家倉を貰う身柄であったのを、闇から闇に落されたわけで、多分この事はお前の両親も知っていたろうと思われる証拠には……ソレ……その孩児を埋めた土の上がわざっと薪置場にしてあったじゃろう。けれども、その兄貴の怨みはきょうまでも消えず、お前の家の跡を絶やすつもりで、お前の女房に祟っているのでナ……出て来たものを丁寧に祭れと云うたのはここの事ジャ……エーカナ。本当を云うと、これはお前の母親の過失で、お前や、お前の女房が祟られる筋合いの無いのじゃが、そこが人間凡夫の浅ましさでナ……" ], [ "そんな訳で、気が急いておりましたせいか、ここの処に鯛の骨が刺さりまして、痛くてたまりませんので……実は先年、講習会へ参りました時に、先生のお話を承りまして……ある老人が食道に刺さった鯛の骨を放任しておいたら、その骨が肉の中をめぐりめぐって、心臓に突き刺さったために死亡した……という、あのお話を思い出しましたので……", "ハハハハハ……イヤ。あの話ですか" ], [ "あんな例は、滅多にありませんので……さほど御心配には及ぶまいと思いますが", "ハイ……でも……実は、忰が、来年大学を卒業致しますので、それまでに万一の事がありましては申訳ありませんから、念のために是非一ツ……", "イヤ……御尤もで……" ], [ "もう結構です。骨が取れましたせいか、痛みがわからなくなりましたようで……その代り何だか眼がまわりますようで……", "それじゃ、このベッドの上で暫く休んでからお帰りなさい。注射が利いているうちは眼がまわりますから" ], [ "別荘の中は殿様の御殿のように、立派な家具家財で飾ってあるよ", "女中みたような若い女が二人と、運転手が下男みたような男衆が六七人とで、そんな家具家財を片付けながら、キャッキャッとフザケ合っていたよ", "六七台の自動車は日暮れ方にみんな帰ってしまって、後には若い女中二人と、お吉婆さんと、青い綺麗な籠に這入った赤い鳥が一羽残っているんだよ", "その赤い鳥は奇妙な声で……バカタレ……馬鹿タレエッて云っていたよ" ], [ "ウーム。そんならその奥さんチウのはヨッポド別嬪さんじゃろ", "いつ来るんじゃろ。その別嬪さんは……", "あたしゃ初めあの女中さんを奥さんかと思うたよ。あんまり様子が立派じゃけん", "あたしもそう思うたよ。……けんど二人御座るのも可笑しいと思うてナア", "お妾さんチウもんかも知れんテヤ", "ナアニ……その赤い鳥が奥さんよ", "……どうしてナ……", "……どうしてちうて……ウチの赤い鳥でも、毎日のように俺の事を、バカタレバカタレ云うてケツカルじゃないか" ], [ "ねえあなた。いい景色じゃないの……明日は早く起きてモーターボートで島めぐりをしてみない", "……ウウン……凪いでいたら行ってみよう", "……だけどコンナ村に住んでいる人間は可愛想なものね。年中太陽に晒されて、豚小屋みたいな処に寝ころんで……", "ウーン。女でも男でもずいぶん黒いね。トテモ人間とは思えない", "男はみんなゴリラで、女はみんな熊みたいに見えるわよ", "ハハハハ、ゴリラかハハハ", "ホホホホヒヒヒヒヒ" ], [ "……何コン畜生……ごりらタア何の事だ……", "……知らんがナ……" ], [ "……ナニイ知らん……知らんタア何じゃい……", "何でもええがッ……畜生メラ。この村を軽蔑してケツカルんだッ", "第一この村の地内に家を建てながら、まだ挨拶にも失せおらんじゃないか", "……よしッ……みんな来いッ。これから行って談判喰らわしてくれる", "……よし来た……喧嘩なら俺が引き受けた。モノと返事じゃ只はおかせんぞ" ], [ "何だいトッツァン……又止めるんか", "ウン。止めやせんがマア坐っとれい。俺は俺で考えとる事があるから……", "フーン……そんなら聞こう" ], [ "……ドンナ考えかえ……トッツァン……", "考えチウてほかでもない。今度の夏祭りナア……ええか……今度の夏祭り時にナア……ええか……" ], [ "……ナ……ナ……そうしてナ……もしそれを、それだけ出さんと吐かしおったら構う事アない。あの座敷にお獅子様を担ぎ込むんよ。例の魚血を手足に塗りこくって暴れ込むんよ……久し振りにナ……", "……ウム……ナルホド……ウーム……", "……ナ……高が守ッ子の云う事を聞いて、云いがかりをつけるよりも、その方が洒落とらせんかい", "ウン。ヨシッ。ワカッタッ。みんなであの座敷をブチ毀してくれよう", "シイッ。聞こえるでないか……外へ……", "ウン。……第一あの嬶あ面が俺ア気に喰わん。鼻ッペシを天つう向けやがって……", "アハハハハ。あんなヒョロッコイ嬶が何じゃい。俺に抱かして見ろ。一ト晩でヘシ折って見せるがナ", "イヨーッ豪いゾッ。トッツァン。そこで一杯行こうぜ……アハハハハハハ", "ワハハハハハ" ], [ "何て云いよるのじゃろか", "……お前たちの事をバカタレって云っているんだよ……ホホホホ" ], [ "ホーラネ……ホホホホホホ……お前さん達の顔を見て馬鹿タレって云っているでしょう……ネーホラ……バカタレーッて……", "……ちがう……" ], [ "……ナ……何をするたア……ナ何だ。貴様等ア……あの赤い鳥を使って、俺の弟を泣かせたろう……村中の人間をバカタレと……イ……云わせたろう……", "……そんなオボエはないぞ……", "……何オッ。この豚野郎……証拠があるぞッ……", "……証拠がある筈はないぞ……鳥が勝手に云ったんだから……", "……ウヌッ……", "……アレーッ……" ], [ "……どうしたんか一体……", "あたし……きょう……八幡様にまいって……", "……ナニ……八幡様に参って……", "……お宮の前のお湯に這入って……", "……ナニイ……お湯に這入っタア……何しに這入ったんか……", "……………", "それからドウしたんか", "……………", "……泣いてもわからん……云わんかい", "……落いて来たア……", "……ワア――ア……" ], [ "子供を棄てる奴が湯に這入って帰るチウは可笑しいじゃないか。ア――ン", "ヘエ。……でも十銭置いてありますので……", "フ――ン。釣銭は遣らなかっタンカ", "ヘエ。いつ頃這入ったやら気が付きませんじゃったので……", "迂濶じゃナアお前は……。罰を喰うぞ気を付けんと……", "ヘエ。どうも……これから心掛けます", "つまり湯に這入るふりをして棄てたんじゃナ", "ヘエ……じゃけんど、ヒョットしたら落いて行ったもんじゃ御座いませんでしょか", "馬鹿な……吾が児を落す奴があるか" ], [ "居ったカッ", "居ったッ" ] ]
底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年9月24日第1刷発行 底本の親本:「冗談に殺す」日本小説文庫、春陽堂    1933(昭和8)年5月15日発行 初出:「探偵趣味」「猟奇」    1927(昭和2)年7月~1930(昭和5)年1月 ※1927(昭和2)年7月号の「探偵趣味」から、1930(昭和5)年1月号の「猟奇」にかけて、両誌に断続的に発表された。 入力:柴田卓治 校正:江村秀之 2000年1月13日公開 2012年3月13日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000919", "作品名": "いなか、の、じけん", "作品名読み": "いなか、の、じけん", "ソート用読み": "いなかのしけん", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「探偵趣味」「猟奇」1927(昭和2)年7月~1930(昭和5)年1月", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-01-13T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card919.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集4", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年9月24日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "1992(平成4)年9月24日第1刷", "底本の親本名1": "冗談に殺す", "底本の親本出版社名1": "日本小説文庫、春陽堂", "底本の親本初版発行年1": "1933(昭和8)年5月15日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "江村秀之", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/919_ruby_22030.zip", "テキストファイル最終更新日": "2012-03-13T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/919_22031.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-03-13T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
[ [ "犬とお人形の夢を見ているのですよ", "どちらも焼けてしまっただろう。可哀そうに……" ], [ "えらい、えらい。よく泥棒を追っ払った", "さあ御ほうびにお握りを上げるよ" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「九州日報」    1923(大正12)年10月30日-11月1日 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「海若藍平」です。 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "ヤア犬さん、もう帰るのかね", "ヤア猪さん、もう来たのかね" ], [ "もうじき来年になるのだが、それまでにはまだ時間があるから、そこらでお別れに御馳走を食べようじゃないか", "それはいいね" ], [ "これは犬の年の子供がした、いい事と悪い事を集めたものさ", "ヘー。善い事悪い事ってどんな事だね", "それはいろいろあるよ。他人の草履を隠したり、拾い食いをしたり、盗み食いをしたり、垣根を破って出入りしたり、猫をいじめたり、お母さんや姉さんに食いついたり", "ヘエ、そんな事をするかね", "するとも。それから良い方では、人のものを探してやったり、落ちたものをひろってやったり、小さい子をお守してやったり、人の命を助けたり", "ヘエー、それはえらいね。しかしそんなものを集めて持って行ってどうするのかね", "今に十二年目になると僕が帰って来る。その時には犬の年の子供は最早二十五になっている。男の児は最早兵隊に行って帰って来ているし、女の児ならばお嫁さんに行く年頃だから、その時に良い事をした児には良い事をしてやり、悪い事をした子には何か非道い罰を当ててやろうと思うんだ", "フーン" ], [ "オヤ猪君、何を考えているのだい", "ウン。犬さんがそう言うと、成る程一々尤もだが、それはあまり感心しないぜ", "何故、何故" ], [ "成る程。君は猪と言う位で無暗にあばれるばかりと思ったら、中々ちえが深い。そんならこうしようではないか。このいたずらをした児がもし二十五になっても悪い事をやめていなかったら、罰を喰わせる事にしよう。又良い児が悪くなっていたら、御褒美をやらない事にしよう", "うん、それがいい。僕もそれじゃ来年は勉強をして、猪のようにあばれて悪い事をする児と、猪のように一所懸命に好い事をする児の名前を集めよう。そうして猪の年の児がどんなによくなるか悪くなるか気をつけていよう" ], [ "犬の年の児万歳", "猪の年の児万歳" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「九州日報」    1922(大正11)年11月16~17日 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "046689", "作品名": "犬のいたずら", "作品名読み": "いぬのいたずら", "ソート用読み": "いぬのいたすら", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1922(大正11)年11月16~17日", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-08-02T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card46689.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集7", "底本出版社名1": "三一書房", "底本初版発行年1": " 1970(昭和45)年1月31日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年2月29日第1版第12刷", "校正に使用した版1": "1985(昭和60)年5月15日第1版第8刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "川山隆", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46689_ruby_27631.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46689_27677.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "色々思い出す事も多いですが、只圓は字が上手でしたからね。私から頼んで家元に在る装束の畳紙に装束の名前を書いてもらいました。只圓は装束の僅少な田舎にいたものですから大した骨折ではないとタカを括って引受けたらしいのです。ところが、口広いお話ですが家元の装束と申しましても中々大層なものでね。先ず唐織から書き初めてもらいましたのを、只圓は何の五六枚と思って墨を磨っていたのがアトからアトから際限もなく出て来る。何十枚となく抱え出されるので余程驚いたらしいですね。閉口しながらウンウン云って書いておりましたっけ", "酒は好きだったらしいですね。私は七五三に飲みますと云っておりました。多分朝が三杯で昼が五杯で晩が七杯だったのでしょう。小さな猪口でチビチビやるのですからタカは知れておりますが、それでも飲まないと工合が悪かったのでしょう。『今日は朝が早う御座いましたので三杯をやらずに家を出まして、途中で一杯引っかけて参りました。申訳ありませぬ』と真赤な顔をしてあやまりあやまり稽古をしてくれる事もありました", "面白いのは梅干の種子を大切にする事で(註曰。翁は菅公崇拝者)、一々紙に包んで袂に入れておりました。或る時私が只圓の着物を畳んでいる時に偶然にそれが出て来ましたのでね。開いてみると梅干の種子なので何気なく庭先へポイと棄てたら只圓が恐ろしく立腹しましたよ。『勿体ない事をする』というのでね。恐ろしい顔をして見せました。後にも先にも私が只圓から叱られたのはこの時だけでしたよ" ], [ "さあ。今度はアンタじゃ。『敦盛』じゃったのう", "ハイ" ], [ "そらそら。左手左手。左手がブラブラじゃ。ちゃんと前へ出いて。肱を張って。そうそう。イヨオー。ホオーホオー。ホオ。ホオウ", "前途程遠し。思いを雁山の夕の雲に馳す", "そうそう。まっと長う引いて……イヨー。ホオホオ", "いかに俊成の卿……", "ソラソラ。ワキは其様な処には居らん。何度云うてもわからん。コッチコッチ" ], [ "貴公は金持じゃけに五円出しなさい", "あんたも三円ぐらい奮発しなさい", "お前は一円に負けるけに出せ。ナニ無い。横着な事を云う。蟇口をば開けて見い" ], [ "それを持って筥崎宮の二番目の中の鳥居の傍に在る何某(失名)という茶屋に行って、そこに居る禿頭の瘠せこけた婆さんへ、その短冊を渡してオオダイを下さいと云いなさい。オオダイ……わかるかの", "オオダイ", "そうそう。オオダイ。それを貰うたなら落さんように持って帰って来なさい", "オーダイ", "そうそう。オオダイじゃ。雷除けになるものじゃ。わかったかの" ], [ "どこから来なさったな", "梅津の先生のお使いで来ました。あの……あの……" ], [ "アッハッハッハッ。オオダイじゃろう", "はい。オオダイ", "ふうん。そんならそこへ手を突いてみなさい" ], [ "老先生の話を聞くと太平楽は云われんのう", "ほんなこと。お能ども舞いよると罰が当るのう。ハハハハ" ] ]
底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年12月3日第1刷発行 底本の親本:「梅津只圓翁伝」春秋社   1935(昭和10)年3月10日 初出:「福岡日日新聞」   1934(昭和9)年4月14日~5月31日 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「杉山萠圓《すぎやまほうえん》」です。 入力:柴田卓治 校正:土屋隆 2006年5月3日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002142", "作品名": "梅津只円翁伝", "作品名読み": "うめづしえんおうでん", "ソート用読み": "うめつしえんおうてん", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「福岡日日新聞」1934(昭和9)年4月14日~5月31日", "分類番号": "NDC 773", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2006-06-05T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2142.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集11", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年12月3日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年12月3日第1刷", "校正に使用した版1": "1992(平成4)年12月3日第1刷", "底本の親本名1": "梅津只圓翁伝", "底本の親本出版社名1": "春秋社", "底本の親本初版発行年1": "1935(昭和10)年3月10日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2142_ruby_22741.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-05-03T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2142_23060.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-05-03T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "ホーホケキョ、ホーホケキョ", "オヤ、鶯がやって来たな。おれは一度あいつをたべてみたいと思っていたが、ちょうどいい。ここに隠れてまっていてやろう", "ホーホケキョ、ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ" ], [ "オヤ斑さん、今日はいいお天気ですね", "ニャーニャー、ホントにいいお天気ですね。それにこの梅の花のにおいのいいこと。ほんとにたべたくなるようですね", "オホホホホ、イヤな斑さんだこと。梅の花においしいにおいがしますか", "ええ、梅のにおいをかぐとおなかが急にすくようです。あなたはどんなにおいがするのですか", "あたしはねえ、梅のにおいを嗅ぐと何とも言えないいい心持ちになって、歌がうたいたくなるのです。そうしてあちらこちらと躍りながら飛びまわりたくなるのです", "ヘエ、さようですかね。そう言えばあたしも何だか踊りたくなったようです", "まあ、おもしろいこと。一つおどってみせてちょうだいな", "いいえ、あたしはあなたの着物のにおいを嗅いだら一緒に踊りたくなったのです、本当にあなたのにおいを嗅ぐといいこころもちになります。どうです、一緒に踊ろうじゃありませんか", "いやですよ。あなたと踊るのはこわい", "何故です。ちっとも怖い事はないじゃありませんか。もっとこっちへきてごらんなさい", "イヤですよ。妾のにおいを嗅いで踊りたくなったと言うのは嘘でしょう", "どうして", "たべたくなったんでしょう" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「九州日報」    1924(大正13)年2月4-5日 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「香倶土三鳥」です。 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "046718", "作品名": "梅のにおい", "作品名読み": "うめのにおい", "ソート用読み": "うめのにおい", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1924(大正13)年2月4~5日", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-08-11T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card46718.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集7", "底本出版社名1": "三一書房", "底本初版発行年1": "1970(昭和45)年1月31日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年2月29日第12刷", "校正に使用した版1": "1985(昭和60)年5月15日第1版第8刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "川山隆", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46718_ruby_27647.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46718_27693.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "エヘッ、知ってるんですか。貴方も……", "ムフムフ……" ], [ "ムフムフ、知らんじゃったがね。皆、そう云うとる", "皆って誰がですか。どんな連中が……", "船中で云うとるらしい。水夫の兼の野郎が代表で談判に来た。ツイ今じゃった", "ヘエエ……何と云って", "下さなければあの小僧をたたき殺すが宜えかチウてな。胸の処の生首の刺青をまくって見せよった。ムフムフ", "ヘエ。それで……下さないんですか" ], [ "……迷信だよ……", "それあそうでしょうけどね。迷信は迷信でしょうけどね", "ムフムフ。ナンセン小僧をノンセンス小僧に切り変えるんだ。迷信が勝つか。俺達の動かす器械が勝つかだ", "つまり一種の実験ですね", "……ムフムフ。ノンセンスの実験だよ", "……………" ], [ "一昨年の今頃でしたっけなあ", "乗る時に機械は検査したろうな", "しましたよ。推進機の切端まで鉄槌でぶん殴ってみましたよ。それがどうかしたんですか", "ムフムフ。その時に機械の間に、迷信とか、超科学の力とか、幽霊とか、妖怪とか、理外の理とかいうものが挟まったり、引っかかったりしているのを発見したかね。君が検査した時に……", "それあ……そんな事はありません。この船の機械は全部近代科学の理論一点張りで出来て動いているんですがね", "現在でもそうかね", "……………", "そんなら……宜えじゃろ。中学生にでもわかる話じゃろ。あのS・O・S小僧が颱風や、竜巻や、暗礁をこの船の前途に招寄せる魔力を持っちょる事が、合理的に証明出来るチウならタッタ今でもあの小僧を降す", "……………", "元来、物理、化学で固まった地球の表面を、物理、化学で固めた船で走るんじゃろ。それが信じられん奴は……君や僕が運用する数理計算が当てにならんナンテいう奴は、最初から船に乗らんが宜え" ], [ "チョットお邪魔アしますが親方ア。今、船長の処へ行って来たんでがしょう。親方ア", "ウン。行って来たよ。それがどうしたい", "すみませんが船長があの小僧の事を何と云ってたか聞かしておくんなさい。……わっしゃ親方が船長に何とか云ったらしいんで、水夫連中の代表になって、船長の云い草を聞かしてもらいに来たんですが", "アハハハ。それあ御苦労だが、何とも云わなかったよ", "お前さん何にも船長に云わなかったんけエ", "ウン。ちょっと云うには云ったがね。何も返事をしなかったんだ。船長は……", "ヘエー。何も返事をしねえ", "ウン。いつもああなんだからな船長は……", "あの小僧を大事にしてくれとも何とも……親方に頼まなかったんけえ", "馬鹿。頼まれたって引受けるもんか", "エムプレス・チャイナへ面当てにした事でもねえんだな", "むろんないよ。船長はあの小僧を、皆が寄って集って怖がるのが、気に入らないらしいんだ", "よしッ。わかったッ。そんで船長の了簡がわかったッ", "馬鹿な。何を云うんだ。船長だって何もお前達の気持を踏み付けて、あの小僧を可愛がろうってえ了簡じゃないよ。今にわかるよ", "インニャ。何も船長を悪く云うんじゃねえんでがす。此船の船長と来た日にゃ海の上の神様なんで、万に一つも間違いがあろうたあ思わねえんでがすが、癪に障るのはあの小僧でがす。……手前の不吉な前科も知らねえでノメノメとこの船へ押しかけて来やがったのが癪に触るんで……遠慮しやがるのが当前だのに……ねえ……親方……", "それあそうだ。自分の過去を考えたら、遠慮するのが常識的だが、しかし、そこは子供だからなあ。何も、お前達の顔を潰す気で乗った訳じゃなかろう", "顔は潰れねえでも、船が潰れりゃ、おんなじ事でさあ", "まあまあそう云うなよ。俺に任せとけ", "折角だがお任かせ出来ねえね。この向う疵は承知しても他の奴等が承知出来ねえ。可哀相と思うんなら早くあの小僧を卸してやっておくんなさい。面を見ても胸糞が悪いから", "アッハッハッ。恐ろしく担ぐじゃねえか", "担ぐんじゃねえよ。親方。本気で云うんだ。この船がこの桟橋を離れたら、あの小僧の生命がねえ事ばっかりは間違いねえんで……だから云うんだ", "よしよし。俺が引受けた", "ヘエ。どう引受けるんで……", "お前達の顔も潰れず、船も潰れなかったら文句はあるめえ。つまりあの小僧の生命を俺が預かるんだ。船長が飼っているものを、お前達が勝手にタタキ殺すってのは穏やかじゃねえからナ。犬でも猫でも……", "ヘエ。そんなもんですかね。ヘエ。成る程。親方がそこまで云うんなら私等あ手を引きましょうが、しかし機関室の兄貴達に、先に手を出されたら承知しませんよ。モトモトあの小僧は甲板組の者ですからね", "わかってるよ。それ位の事あ", "ありがとうゴンス。出娑婆った口を利いて済みません。兄貴達も容赦して下せえ" ], [ "馬鹿ッ。デッキの方だって相当忙がしいんだ。殴られるぞ", "……でも船長室のボーイが遊んでいます", "あんな奴が何の役に立つんだ", "……でも、みんなそう云っているんです。この際、紅茶のお盆なんか持ってブラブラしている奴はタタキ殺しちまえって……", "君から船長にそう云い給え", "ドウモ……そいつが苦手なんで", "よし。俺が云ってやろう" ], [ "どうするんだ", "石炭運びの手が足りないって云うんです。みんなブツブツ云っているらしいんです……済みませんが……", "臨時は雇えないのか", "急には雇えません。二十四時間以内の積込みですからね。明日の間になら合うかも知れませんが……皆モウ……ヘトヘトなんで……" ], [ "……ヨシッ……行けッ……", "ウワア――アッ……" ], [ "ギャア――。ウワアッ。助けて助けて……カンニンして下サアイ。僕はこの船を降りますから……どうぞどうぞ……助けてエ助けてエッ……", "アハハハ。どうもしねえだよ。仕事を手伝いせえすれあ、ええんだ", "許して……許して下さあい。僕……僕は……お母さんが……姉さんが家に居るんですから……" ], [ "致します致します。何でも致します。……すぐに……すぐに船から下して下さい。殺さないで下さい", "知ってやがったか。ワハハハハハハハ" ], [ "今度は霧が早く来たようだね", "すぐ近くに氷山がプカプカやっているんじゃねえかな。霧が恐ろしく濃いようだが……", "そういえば少し寒過ぎるようだ。コンナ時にはウイスキー紅茶に限るて……", "紅茶で思い出したがアノS・O・Sの伊那一郎は船長が降したんですか" ], [ "おかしいな。横浜以来姿が見えませんぜ", "ムフムフ。何も云やせん。あの時、君に貸してやった切りだ", "ジョジョ冗談じゃない。僕に責任なんか無いですよ。デッキの兼に渡した切り知りませんが、貴方も見ていたでしょう", "殺ったんじゃねえかな……兼が" ], [ "……まさか。本人も降りると云ってたんだからな……無茶な事はしまいよ", "しかし降りるなら降りるで挨拶ぐらいして行きそうなもんだがねえ", "ムフムフ。まだ船の中に居るかも知れん……どこかに隠れて……" ], [ "オイ。どこいらだろうな", "そうさなあ。どこいらかなあ" ], [ "汽笛を鳴らすと矢鱈にモノスゴイが、鳴らさないと又ヤタラに淋しいもんだなあ", "アリュウシャン群島に近いだろうな", "サア……わからねえ。太陽も星もねえんだかんな。六分儀なんかまるで役に立たねえそうだ", "どこいらだろうな", "……サア……どこいらだろうな" ], [ "ウワッ……陸だッ……大変だッ", "後退……ゴスタン……陸だ陸だッ", "大変だ大変だ。ぶつかるぞッ……" ], [ "あぶねえあぶねえ。冗談じゃねえ。汽笛を鳴らさねえもんだから反響がわからねえんだ。だから陸に近いのが知れなかったんだ", "機関長の奴ヤタラにスチームを惜しみやがるもんだからな……テキメンだ", "今の島はどこだったろう", "セント・ジョジじゃねえかな", "……手前……行ったことあんのか", "ウン。飛行機を拾いに行った事がある", "何だ何だセント・ジョジだって……", "ウン。間違えねえと思う。波打際の恰好に見おぼえがあるんだ", "篦棒めえ。セント・ジョジったらアリュウシャン群島の奥じゃねえか", "ウン。船が霧ん中でアリュウシャンを突ん抜けて白令海へ這入っちゃったんだ", "間抜けめえ。船長がソンナ半間な処へ船を遣るもんけえ", "駄目だよ。船長にはもうケチが附いてんだよ。S・O・S小僧に祟られてんだ", "でも小僧はモウ居ねえってんじゃねえか", "居るともよ。船長がどこかに隠してやがるんだ。夜中に船長室を覗いたらシッカリ抱き合って寝てたっていうぜ", "ゲエッ。ホントウけえ", "……真実だよ……まだ驚く話があるんだ。主厨の話だがね、あのS・O・S小僧ってな女だっていうぜ。……おめえ川島芳子ッてえ女知らねえか", "知らねえね。○○女優だろう", "ウン……あんな女だっていうぜ。毛唐の船長なんか、よくそんな女をボーイに仕立てて飼ってるって話だぜ。寝台の下の箱に入れとくんだそうだ。自分の喰物を領けてね", "フウン。そういえば理窟がわかるような気もする。女ならS・O・Sに違えねえ", "だからよ。この船の船霊様ア、もうトックの昔に腐っちゃってるんだ", "ああ嫌だ嫌だ。俺アゾオッとしちゃった", "だからよ。船員は小僧を見付次第タタキ殺して船霊様を浄めるって云ってんだ。汽鑵へブチ込めやあ五分間で灰も残らねえってんだ", "おやじの量見が知れねえな", "ナアニヨ。S・O・Sなんて迷信だって機関長に云ってんだそうだ。俺の計算に、迷信が這入ってると思うかって機関長に喰ってかかったんだそうだ", "機関長は何と云った", "ヘエエッて引き退って来たんだそうだ", "ダラシがねえな。みんなと一所に船を降りちまうぞって威かしゃあいいのに", "駄目だよ。ウチの船長は会社の宝物だからな。チットぐれえの気紛なら会社の方で大目に見るにきまっている。船員だって船長が桟橋に立って片手を揚げれや百や二百は集まって来るんだ", "それあそうかも知れねえ", "だからよ。晩香坡に着いてっからS・O・Sの女郎をヒョッコリ甲板に立たせて、ドンナもんだい。無事に着いたじゃねえかってんで、コチトラを初め、今まで怖がっていた毛唐連中をギャフンと喰らわせようって心算じゃねえかよ", "フウン。タチがよくねえな。事によりけりだ。コチトラ生命がけじゃねえか", "まったくだよ。船長はソンナ事が好きなんだからな", "機関長も船長にはペコペコだからな", "ウムウム。この塩梅じゃどこへ持ってかれるかわからねえ", "まったくだ。計算にケチが付かねえでも、アタマにケチが付けあ、仕事に狂いが来るのあ、おんなじ事じゃねえかな", "そうだともよ。スンデの事にタッタ今だって、S・O・Sだったじぇねえか", "ああ。いやだいやだ……ペッペッ……" ], [ "石炭はドウダイ", "桑港まで請け合うよ。霧は晴れたんかい", "まだだよ。海路は見通しだが空一面に残ってるもんだから天測が出来ねえ", "位置も方角もわからねえんだな", "わからねえがモウ大丈夫だよ。サッキ女帝星座が、ちょうどそこいらと思う近処へウッスリ見えたからな。すぐに曇ったようだが、モウこっちのもんだよ", "アハハハ。S・O・Sはどうしたい", "どっかへフッ飛んじゃったい。船長は晩香坡から鮭と蟹を積んで桑港から布哇へ廻わって帰るんだってニコニコしてるぜ", "安心したア。お休みい……", "布哇でクリスマスだよオオ――だ……", "勝手にしやがれエエ……エ……だ……", "アハアハアハアハアハ……" ], [ "僕です。何か用ですか", "ウン。もっとスピードが出せまいか", "出せますが、何故ですか", "船がチットも進まんチウて一等運転手が訴えて来おるんだ", "今十六節出ているんですがね。義勇艦隊のスピードですぜ", "馬鹿。出せと云ったら出せ", "ドレ位ですか", "十八ばっか出しちくれい", "最大限ですね", "ウン。石炭は在るかな", "まだ在ります。全速力で四五日分……", "……ヨシ……" ], [ "どうしたんだ", "シッカリしろ" ], [ "逆戻りしたんだな", "イヤ。波に押し戻されているんです。十八節の速力がこの波じゃチットモ利かないんです", "そんな馬鹿な事が……", "いや実際なんです。去年の波とはタチが違うらしいんです", "おんなじ波じゃないか", "イヤ。たしかに違います" ], [ "モウ……スピードは出ないな。機関長……", "出ませんな。安全弁が夜通しブウブウいっていたんですから", "……弱ったな……" ], [ "……妙ですねえ。今度ばかりは……変テコな事ばかりお眼にかかるじゃないですか", "あの小僧を乗せたせいじゃないかな。チョットでも……" ], [ "……タ……大変です。S・O・Sの死骸が見つかりました", "ナニ。S・O・S……伊那の死骸がか……", "エエ。そうなんです……ああ驚いた。ちょっとその水を一パイ。ああたまらねえ", "サア飲め。意気地無し。どこに在ったんだ", "ああ驚いちゃった。料理部屋の背面なんです。あすこの石炭の山の上にエムプレス・チャイナの青い金モール服を着たまんま半腐りの骸骨になって寝ていたんです。イガ栗頭の恰好があいつに違いないんですが", "骸骨……?……", "ええ。あそこは鉄管がゴチャゴチャしていてステキに暑いもんですから腐りが早かったんでしょう。白い歯を一パイに剥き出してね。蛆一匹居なかったんですが……随分臭かったんですよ" ], [ "誰だあ……", "おれだあ……", "おお。地獄の親方さんか。これあどうも……", "済まねえが一寸、顔を貸してくれい", "ウワアア。とうとう見付かったかね", "シッ……" ], [ "どうも横浜じゃ、警察が怖わーがしたからね。つい秘密にしちゃったんで……", "石炭運びの途中で殺ったんか", "図星なんで……ヘエ。もっとも最初から殺る気じゃなかったんで、みんながあの小僧は女だ女だって云いましたからね。仕事にかからせる前にチョット調べて見る気であすこに引っぱり込んだんで……ヘエ……", "馬鹿野郎……そんで女だったのか", "それがわからねえんで……あすこへ捻じ伏せて洋服を引んめくりにかかったら恐ろしく暴れやがってね", "当前だあ……それからどうした", "イキナリ飛び付きやがって、ここん処をコレ……コンナに喰い切りやがったんで……" ], [ "まだ腫れてんで……ズキズキしてるんですがね……恐ろしいもんですね", "間抜けめえ。そん時に手前裸体だったのか", "エヘヘヘヘヘ", "変な笑い方をしるねえ。それからどうした" ], [ "非道い事をするなあ。そんで女だったかい", "……それがその……野郎なんで……", "プッ。馬鹿だなあ。それからどうしたい", "それっきりでさ。……ウンザリしちゃって放ったらかして来ちゃったんです", "何故海に投り込まねえ", "それが誰にも見つからねえように放り込みたかったんで……親方や機関室の兄貴達にも申し訳ねえし、おまけに上海で、あっしが談判に行った時に船長が入歯をガチガチさして、こんな事を云ったんです。あの小僧をタタキ殺すのに文句はないが……", "チョット待ってくれ。たたき殺すのに文句はないって云ったんだね", "そうなんで……しかし死骸は勿論、髪の毛一本でも外へ持ち出したら只はおかないぞッ……てね。そう云って船長に白眼み付けられた時にゃ、あっしゃゾッとしましたぜ。あんな気味の悪い面ア初めてお眼にかかったんで……ヘエ……まったくなんで……", "フーム。妙な事を云ったもんだな", "そう云ったんで……何だかわからねえけども……万一見付かって首になっちゃ詰まらねえ。事によるとあの二挺のパチンコで穴を明けられちゃ叶わねえと思って、そのまんまにしといたんです。まったくなんです", "案外意気地がねえんだな……手前は……", "まったくなんで……それからっていうものあの死骸の事が気になって気になって今日は運び出そうか、明日は片付けようかと思ううちに、だんだん船にケチが附いて来るでしょう……死骸は腐って手が付けられなくなって来るし、わっしゃもう少しで病気になるところだったんで……もう懲り懲りしました。どうぞ勘弁しておくんなさい。あやまっても追付くめえけんど……", "ハハハ。そんな事アもうどうでもいいんだ。今日は文句はねえ。手前行って大ビラであの死骸を片付けて来い。船長には俺が行って話を付けてやる", "ヘエッ。本当ですかい親方ア", "同じ事を二度たあ云わねえ", "……ありが……ありがとう御座んす。すぐに片付けます。……ああサッパリした", "馬鹿野郎……片付けてからサッパリしろ" ] ]
底本:「夢野久作全集6」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年3月24日第1刷発行 ※表題の「難船小僧」には、「S・O・S・BOY」とルビがふられています。 入力:柴田卓治 校正:kazuishi 2004年6月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "これは案外平凡な事件かも知れませんな。……とにかく御差支のない限り、御都合のいい日に、今一度現場を見せて頂けますまいか。今些したしかめて見たい事もありますし、何か御参考になる事が見付かるかも知れませんから……", "そうすると何か犯人に就ての御心当りでも……" ], [ "いや。まだ判然しませぬ。ただこれは今の東作老人の初対面の印象を、医学上から来た一つの仮想を根拠として申上る事ですから、無条件でお取上になっては困るのですが、今の老人はドウモこの事件に関係はないようです", "その仮想の根拠と仰言るのは……" ], [ "フウム。彼奴とするとチット立廻わり方が早過ぎるようじゃがなあ。この家の周囲や、出入りの模様を研究するだけでも一週間ぐらいかかる筈だが……彼奴だとすると……", "ちょっと待って下さい" ], [ "そのコードの犯人が手で握った処の折れ曲りなぞもその時の通りですか", "そうです。その点を特に注意して保存しておきましたが……" ], [ "これは一巻き巻かっていたのですか", "イヤ二巻です。御覧の通りマリイ夫人が吐出した血が三個所に附着しております。その血痕のピッタリ重なり合う処が、マリイ夫人の首の太さになっておりますわけで……", "いかにも……成る程。してみると犯人はマリイ夫人が眠っている間にソッと二巻き捲いておいて、突然、絞殺に掛った訳ですね", "そうです……ですから計画的な殺人と認めているのですが……" ], [ "……この犯人は、やはり小男ですね。このコードの折曲りを起点とした力の入れ工合を見ると、肩幅が普通人よりも狭いようです。東作老人もロスコー氏も肩幅が並外れて広いのですからね。ほかの西洋人は勿論のこと、日本人でもコンナに狭いのは先ず珍らしいでしょう", "どうして麻酔剤を使わなかったでしょうか" ], [ "ヤッパリ彼奴だね", "そうです。間違いありません" ], [ "指紋を一つも残しておりませぬので万一、彼奴じゃないかとも思っておりましたが……", "ウムウム。しかし彼奴はコンナ無茶な事を決してせぬ奴じゃったが……それに物を一つも盗っておらんところが怪訝しいでナ", "そうです。そのお蔭で捜査方針が全く立たなかったのです。イヤ、助かりましたよ", "君等の方で東作老人を拘留してくれたんで、これだけの緒が解けて来た訳だね。東作が大晦日の満月を見てくれないと、一番有力な手がかりになっている麻酔の一件が、まだ掴めないでいる訳だからね。ハハハ。イヤ。お手柄だったよ" ] ]
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年10月22日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:ちはる 2001年1月31日公開 2006年2月21日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "それがいい、それがいい", "万歳万歳、賛成賛成" ] ]
底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年5月22日第1刷発行 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「海若藍平《かいじゃくらんぺい》」です。 入力:柴田卓治 校正:もりみつじゅんじ 2000年3月6日公開 2006年5月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000928", "作品名": "お菓子の大舞踏会", "作品名読み": "おかしのだいぶとうかい", "ソート用読み": "おかしのたいふとうかい", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1923(大正12)年3月", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-03-06T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card928.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集1", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年5月22日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "もりみつじゅんじ", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/928_ruby_21743.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-05-03T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/928_21744.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-05-03T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
[ [ "おぼえがあろうの……", "エエッ……ぞんじがけもない……夢にも……マア" ], [ "……ど……どのような……", "黙れ黙れッ。どのようなとは白々しい……あの櫛田神社の犬塚信乃の押絵の顔は誰に似せて作ったッ" ], [ "そのトシ子に肖せて作りました", "そのトシ子の……こやつの顔は誰に似ている" ], [ "どうぞ、お心のままに遊ばしませ。私は不義を致しましたおぼえは……", "何ッ……何ッ……", "不義を致しましたおぼえは毛頭御座いませぬが……この上のお宮仕えはいたしかねます", "……………", "お名残り惜しうは御座いますが、あなたのお手にかかりまして……", "何ッ……何じゃと……" ], [ "ただ、そのトシ子だけは、おゆるし下さいますように……。それは正しくあなた様の……", "何をッ……又してもぬけぬけと……", "イイえ……こればっかりは正しく……", "エエッ……まだ云うかッ……", "イエ……こればかりは……", "黙れッ……ならぬッ" ], [ "見えようが……", "ウン。見える見える。恐ろしい大きな疵ばい。ナルホド……" ], [ "ウン。俺もそう思うとったところだ。歌舞伎座は田舎者が見るもの位に思うておったのじゃからツイ、ウッカリして忘れておった。ハハハハハ。しかし何ぼ何でも、そんな引っこき詰めのグルグル巻の頭では不可んぞ。伊豆の大島に岡沢の親戚があるように思われては困るからの……", "……まあ。あんな可哀想なことを……" ] ]
底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年8月24日第1刷発行 底本の親本:「日本探偵小説全集 第十一篇 夢野久作集」改造社    1929(昭和4)年12月3日発行 ※底本にある表記の不統一(「柴忠」と「芝忠」、「鷹が宿」と「鷹の宿」、「井ノ口」と「井の口」)には、手を加えなかった。 入力:柴田卓治 校正:おのしげひこ 2000年5月22日公開 2006年3月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000930", "作品名": "押絵の奇蹟", "作品名読み": "おしえのきせき", "ソート用読み": "おしえのきせき", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「新青年」1929(昭和4)年1月", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-05-22T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card930.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集3", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年8月24日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "1997(平成9)年4月15日第2刷", "底本の親本名1": "日本探偵小説全集 第十一篇 夢野久作集", "底本の親本出版社名1": "改造社", "底本の親本初版発行年1": "1929(昭和4)年12月3日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "おのしげひこ", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/930_ruby_21996.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-03-07T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "3", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/930_21997.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-03-07T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "お父様お母様、昨夜は大変でしたのよ。ゆうべあたしがひとりで寝ていますと、どこから這入って来たのか、一人の黒ん坊が寝床のところへ来まして、妾の胸に短刀をつきつけて、宝物のあるところはどこだと、こわい顔をしてきくのです", "まあ、それからどうしたの" ], [ "それからね……妾はしかたがありませんから、宝物の庫のところへ連れて行ったら、黒い腕で錠前を引き切って中の宝物をすっかり運び出して、お城の外へ持って行ってしまったのですよ", "なぜその時にお前は大きな声で呼ばなかった", "だって、その宝物をみんな妾に持たせて運ばせながら、黒ん坊は短刀を持ってそばに付いているのですもの", "フーム。それは大変だ。すぐに兵隊に追っかけさせなくては。しかしお前はそれからどうした", "やっとそれが済んだら、黒ん坊は妾の胸に又短刀をつきつけて今度は、オレのお嫁になれって云うんですの", "エーッ。それでお前はどうした", "あたしはどうしようかと思っていましたら……眼がさめちゃったの", "何……どうしたと", "それがすっかり夢なのですよ", "馬鹿……この馬鹿姫め。夢なら夢となぜ早く云わないのか" ], [ "オホホホホホ。まあ、おききなさい。それからね、わたしは眼をさまして見ますと、まだ夜が明けないで真暗なんでしょう。あたしは何だか本当に黒ん坊が来そうになってこわくなりましたから、ソッと起き上って次の間の女中の寝ているところへ来て見ますと、二人いた女中が二人ともいないのです", "憎い奴だ。お前の番をする役目なのにどこに行っていたのであろう。非道い眼に合わせてやらなくてはならぬ" ], [ "それがねえ、お父様。お叱りになってはいけないのですよ。妾もどこに行ったろうと思って探して見ると、二人とも機織り部屋に行って糸を紡いでいるのです", "何、糸を?" ], [ "感心だねえ。夜も寝ないで糸を紡いでいるのかえ", "それがまだ感心することがあるのですよ……" ], [ "あたしは、二人の女中が今頃何だって機織室に這入って糸を紡いでいるのだろうと思って、ソッと鍵の穴から中の様子を見ますと、本当にビックリしてしまったのです。だって東の方の壁と西の方の壁に、一列ずつ何百か何千かわからぬ程沢山の蜘蛛がズラリと並んでいるのです", "何、蜘蛛が! おお、気味のわるい" ], [ "ところがそれがちっとも気味わるくないのです。東の方の壁に並んでいる蜘蛛はみんな黄金色で、西の方のはすっかり白銀色なのです。そのピカピカ光って美しいこと。そうして黄金色の蜘蛛のお尻からは黄金色の糸が出ているし、白銀色の蜘蛛のお尻からは白銀色の糸が出ているのを、二人の女中が一人ずつ糸車にかけて、ブーンブーンと撚って糸を作っているのです。その面白くて奇麗だったこと……", "フーム。それは不思議なことだな", "まだ不思議なことがあるのです。その糸を巻きつけた糸巻きがだんだん大きくなって来ますと、その糸の光りで室中が真昼のように明るくなります。私はあんまりの不思議さにビックリして思わず外から……その糸をどうするの……と尋ねました", "そうしたら何と返事をしたの" ], [ "そうしたら、返事をしないのです", "どうして", "二人の女中はビックリして私の方を見ました。その拍子に今までブンブンまわっていた二人の女中の糸巻きが急にあべこべにまわりますと、大変です。金の糸と銀の糸がスルスルと解けて来て、二人の女中の首に巻き付きました", "オヤオヤ。それからどうした", "二人の女中は驚いて立ち上って、その巻き付いた糸を取ろうとして藻掻き初めましたが、もがけばもがく程糸がほどけて来て、手や足までもからみつきました。それで女中はなおなお狂人のようになって床の上にころがりまわりましたが、しまいには金銀の糸がすっかり二人の女中に巻き付いて人間の糸巻きのようになって、只うんうんうなりながら床の上を転びまわるばかりでした", "お前はそれを見ていたのか", "エエ。あたしはこれはわるいことをした。だってあんなことを云わなければ、二人の女中はビックリしなかったでしょう。ビックリしなければ糸車をあべこべにまわさなかったでしょう。糸車をあべこべにまわさなければ、金銀の糸は女中の首に巻き付かなかったのでしょう", "そうだ、そうだ", "ほんとにね", "あたしそう思って、できるだけ早く助けてやろうとしましたが、扉に鍵がかかっていましたので、助けてやりようがありません", "それは困ったな", "それでどうしたの", "そのうちに糸巻の糸はすっかり二人の女中に巻き付いてしまった上に、壁にいた蜘蛛までも糸にくっついて女中の身体に引っぱりつけられましたが、女中が転がりまわりますので、蜘蛛も苦しまぎれに大層憤って、女中の身体に巻き付いている糸をすっかり噛み切ってしまいました", "まあ、それはよかった", "いいえ。それからがこわいのです。糸を噛み切った蜘蛛は、寄ってたかって女中を喰い殺してしまいました", "ヤア、それは大変だ", "何という可愛想なことでしょう" ], [ "まあ、お父様お母様、おききなさい……それがやっぱり夢なのですよ……", "何だ、それも夢か?", "まあ、お前は何ておしゃべりなのだろう" ], [ "いいえ。これからが本当なのです。今までのは今度の本当におもしろいお話をするためにお話ししたのです", "何……これからが本当に面白い話だと云うのか", "それはどんな話ですか" ], [ "あたしは今までお話しした二つの夢がさめますと、ほんとに今夜は変な晩だと思いました。だって、寝ていれば黒ん坊が来そうだし、女中の室に行ったらばまた何だか変なことを見そうなので、困ってしまいました。それでしかたなしに寝床にねたまま二人の女中の名前を呼んでみました", "ああ、それはよかった。初めからそうすればよかったのに" ], [ "でも前のは夢ですもの。しかたがありませんわ", "ウン、そうだったな。それからどうした", "そうしたら二人の女中が二人ともハイと云っておきて来ましたから、妾はやっと安心をして、今お話しした二つの夢のお話しをしてきかせました", "二人とも吃驚したでしょうねえ" ], [ "エエ、ほんとにビックリして二人とも顔を見合わせましてね。ニコニコ笑って……それは大変にお芽出度い夢で御座います……って云うんですの", "ホー。どうして芽出度いのだ", "宝物を盗まれたり、女中が死んだりする夢が何でそんなに芽出度いのかえ" ], [ "それはこうなのです。二人の女中の云うことには、この国で一番芽出度い夢は『短刀と蜘蛛』の夢と昔から言い伝えてあるって云うんです", "フーム、そうかなあ", "あたしは初めてききました" ], [ "何でも短刀と蜘蛛の夢を見るといいお婿さんが来ると、みんなが云うのだそうです", "まあ、それはほんとかえ", "ほんとだそうです。けれども、そんな夢を見たことが相手のお婿さんにわかるとダメになるのだそうです。ですから二人の女中は私に、その夢のことを誰にも云ってはいけないと云いました", "まあ、お前はほんとに馬鹿だねえ……ナゼそんな大切な夢をそんなにオシャベリしてしまうの" ], [ "イイエ。お母様。あたしはお婿さんなんかいらないの。それよりもそのお話しをした方がよっぽどおもしろいの。だってこんな面白い夢を見たことは生れて初めてなのですもの", "お前はほんとにしようがないおしゃべりだねえ。それじゃお前のお守の女中がその夢のことを外へ話さないようにしましょう" ], [ "いいえ。お嬢様は夢のお話など一つも私達になさいません", "えっ……お前達は姫から夢の話を一つもきかないのか" ], [ "ハイ", "嘘を云うときかないぞ", "嘘は申しません", "よし。あっちへ行け" ], [ "まあ……お前はどこから這入って来たの? この石の牢屋には鼠の入る穴さえ無いのに……お前、もし出るところを知っているのなら妾に教えて頂戴な!", "ニャー", "オヤ。お前、出て行くところを知ってるのかえ", "ニャー", "じゃお前、先に立って妾をつれて行っておくれな", "ニャーニャー" ], [ "クイッチョ、クイッチョ、クイッチョ、クイッチョ", "ピークイ、ピークイ、ピークイ、ピークイ" ], [ "ピーツク、ピーツク、ピーツク、ピーツク", "ツクリイヨ、ツクリイヨ、ツクリイヨ、ツクリイヨ" ], [ "リイチョ、リイチョ。リイチョ、リイチョ。チョ、チョ。チョン、チョン", "まあそれは何と云うこと", "チョングリイ、チョングリイ、チョングリイ", "グリイチリ、グリイチリ。チリロ、チリロ", "ちっともわからないわ", "チリル、チリル。ルルイ、ルルイ。リイツク、リイツク、リイツク、リイツク", "つまらないわねえ……そんな言葉じゃ……" ], [ "オホホ、ハハハハ。あたしの顔が何でそんなに珍らしいの。眼玉ばかりキョロキョロさして", "ツララロ、ツララロ、ツララロ、ツララロ、ツララロ、ツララロ", "ハハハハハハハハ。ホホホホ。あたしいやよ、そんなにのぞいちゃ。アレ冷たい。気味のわるい。さわっちゃいけない。キタナラシイじゃないの" ], [ "ハイ、私はこの国のあわれな片輪者です", "まあ……あなたが片輪者ですって" ], [ "そうです。この国は口なしの国と云いまして、この国中の人はみんな口が無いのです。鳥でも獣でも虫までもそうなので、声を出すものは一つもありません。雷と、雨と、霰と、風と、水の音――そんなものしかきこえないのです。それは昔この国中の人があんまりオシャベリだったからです", "まあ……オシャベリなのにどうして口が無くなったのでしょう" ], [ "それはこういうわけです……昔、この国中の人は何でも見たことやきいたことを、ひとにお話しすることが好きでした。そうしてお話の上手なオシャベリの人ほどみんなから賞められましたので、だれもかれもおもしろいお話をしよう。みんなビックリするようなオシャベリをしよう、しようと思いました。そのためにだんだん嘘をまぜて話すようになりまして、とうとう嘘の上手なものがオシャベリの上手ということになりました。そうしてこの国中の人々は毎日毎日嘘のつきくらばかりして、本当のことは一つも云わないようになってしまったのです", "まあ……それじゃみんな困ったでしょうね", "エエ、ほんとにみんな困ってしまいました。誰の云うことも本当にされないからです。その中にこの国とよその国と戦争がはじまりましたが、いくら敵が攻めて来たと云っても誰も本当にしません。戦争の支度もしなかったものですから、この国の人は滅茶滅茶に敗けて、もうすこしで国中がすっかり敵に取られてしまうところでした", "まあ、大変ですね。それからどうしました" ], [ "私の先祖は代々この国の王でしたが、その時の王はこれを見て、国中の人々に『これから口を利く奴は殺してしまうぞ。鳥でも獣でも虫でも、声を出すものは皆、殺してしまえ』と云いつけました", "まあ恐いこと", "けれどもそのために国中の人々は一人も嘘をつかなくなったばかりでなく、何の音もきこえぬほど静かになりましたので、敵の攻めて来る音や号令の声が何里も先からきこえるようになりました。その時にこちらの兵隊はみんな鉄の鎧を着て、短刀を持って、王が指さす方へ黙って進んで行きまして、黙って敵に斬りかかって行きましたので、今度はあべこべに敵が滅茶滅茶に負けて逃げて行ってしまいました", "まあ……よかったこと" ], [ "それから後、この国中の人々は一人も口を利かなくなりました。しまいには只ぽかんと口を開いていても、役人が遠くから見つけて、物を云っていたのと間ちがえて殺したりしますので、国中の人は怖がって、ものを喰べるのにも、口を開かないように牛乳やソップなぞいう汁を鼻から吸うようになりました。そうして何千年か暮しているうちに、この国の人は口が役に立たなくなったので、だんだん小さくなって、とうとう今のようにまったくなくなってしまいました。けれども全くなくなると妙な顔に見えるので、この国の人は鼻の下の、昔口のあったところに赤い唇の絵を書いておくのです", "それじゃ、あなたはどうして口がおありになるのですか" ], [ "私は不思議にも生まれた時から口がありまして、オギャアオギャアと泣きましたそうで、そのために赤ン坊の泣き声を聞いたことのないこの国の人々は『王様のお城に化け物が生まれた』と大騒ぎを初めました", "まあ、何と馬鹿でしょうね。当り前のことなのに" ], [ "けれどもこの国では不思議がるのが当り前なのです。それで私の父の王は私の母の妃に、その口を針と糸で縫い塞いでしまえと云いましたが、私の母の妃は生れ付き情深い女ですから、どうしてそんな無慈悲なことが出来ましょう。仕方がありませんから私の口に綿を一パイに詰めて、上から繃帯をしまして、針で縫うた傷がいつまでも治らないように見せました。そうして父の王が狩猟に行きますと、その留守に母の妃は私をつれて、地の下の窖に連れて行って、口の繃帯を解いてやりまして、私の口に手を当ていろいろ物の云い方を教えてくれましたので、私は十歳ばかりの時にはもう立派にお話が出来るようになっていました", "ほんとにお母様は教えることがお上手なのですね", "けれどもある日の事、とうとう私のオシャベリのお稽古が父の王に見つけられてしまいました。父の王が狩に行きますと、いつも七日位帰って来ませんのに、或る時あんまり鳥や獣が沢山に獲れまして家来が持ち切れぬようになりましたので、三日目に帰って来ました。ところが母の妃も私もおりませんので、方々を探しますと、窖の中でお話をしている母の妃と私とを見つけました", "まあ、大変……", "父の王は大変に母の妃を叱りまして、すぐに私を殺そうとしました", "まあ、こわいお父様ですこと", "けれどもその時、私の母の妃は一生懸命で私を庇いまして、やっと私の命を助けてもらいました。その代り私を一生涯この塔の上に上げて、番人の代りに大きな蜘蛛に網を張らせて、入り口を守らせることにしました。そうして毎晩一度宛、たべ物と水とを蜘蛛の網のすき間から入れてもらうのですが、もしちょっとでも口を利いたり歌を唄ったりすると、その晩は食べ物が貰えないのです", "まあ、お可哀相な", "それで私も我慢して、それからちっとも口を利かずにいましたが、ちょうど日の暮れ方のことでした。お月様が東の山からあがると間もなく、この塔の上から見まわしますと、向うの崖の途中に蔦葛につかまって一人のお嬢さんが降りて来ます", "まあ……それじゃ、あの時私を助けて下すったのはあなたでしたか", "いいえ、私ではありませんが、ただ何というあぶないことだろうと思いました。ちょうどその時、私は御飯を貰いに降りて行く時間でしたから、塔の入り口に降りて来まして、御飯を持って来た兵隊に母の妃を呼んでくれるように頼みました。そうして母の妃にソッと、あなたを助けてくれるように願いましたのです。それからあなたがこの城へお着きになると間もなく、あんな恐ろしい目に合ってこの塔の入り口までお出でになって……", "まあ……それじゃ、私があの蜘蛛に喰べられないようにして下すったのもあなたですね", "ええ。あの蜘蛛は馬鹿ですから、あなたを糸でグルグル巻きにして塔の中へ隠したのです。それを私がここまで荷いで来て解いて上げたのです……サアこれで私のお話はおしまいです。今度はあなたがお話しをなさる番です", "え……私がお話をする番ですって?……", "そうです。いったいあなたはどうしてこの国へお出でになったのですか? あなたはいったいどこの国のおかたですか?" ], [ "ああ……ああ、何という面白いお話でしょう。私は生れて初めて本当に面白いお話をききました。そうして生れて初めて本当にこんなに思うさま人間同士に声を出してお話をしました。けれども、あなたのお話の中にたった一つわからないことがあります", "まあ、それは何ですか", "それはその二人の女中さんです。あなたの国の人はお話はするでしょうけれども、嘘は云わないでしょう", "ええ、嘘を云うものは一人もおりません", "それに何だってあなたのお付の女中は嘘を云ったのでしょう。あなたから短刀と蜘蛛のお話をきいていながら、なぜそれをきかないなぞ云って、あなたのお父様を怒らして、あなたを石の牢屋へ入れさせたのでしょう", "そうですわねえ。私は今でもそれを不思議と思っているのですよ。私の二人の女中は、今までそれはそれは忠義ないい女中で、そんな意地のわるいことをしたことは一度もありませんでしたのに……", "不思議ですね", "どうしたのでしょうね" ], [ "この兵隊どもはみんな、この国の風下の町々から来た兵隊です。さっきから私たちがお話した声が風下の町や村へすっかりきこえたそうで、この塔の上に魔物がいるというので、父の王に早く退治るように云って来たのです。父の王も母の妃も、そのお話をしたものがあなたと私で、魔物でも何でもないことはよく知っていたのですが、昔からこの国ではオシャベリをしたものは殺すことになっているのですから、殺さないわけに行きません。すぐにお城の中でも兵隊を繰出すように云いつけましたので、母の妃は心配して、早く逃げるように知らせに来たのです。けれども悲しいことに口を利くことが出来ないので、しかたなしに中に這入ろうとしたために蜘蛛の巣に引っかかってあんな目に合ったのです", "まあ、ほんとに御親切なお母様ですこと" ], [ "けれどももう遅う御座いました。この塔はもう八方から兵隊に取巻かれて逃げることは出来ません。只逃げる道が一つあるきりです", "えっ、まだ逃げる道があるのですか", "ありますとも。あなたはさっき崖から飛び降りる時に持っておられた落下傘を持っておいででしょう", "あっ。持っています、持っています", "それを持って飛げるのです" ], [ "ハイ。たしかにそのお話をききました", "それに何だってきかないなぞと嘘をついたのだ" ] ]
底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年5月22日第1刷発行 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「かぐつちみどり」です。 入力:柴田卓治 校正:江村秀之 2000年5月17日公開 2006年5月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000932", "作品名": "オシャベリ姫", "作品名読み": "オシャベリひめ", "ソート用読み": "おしやへりひめ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1925(大正14)年9~10月", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-05-17T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card932.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集1", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年5月22日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "1999(平成11)年3月5日第4刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "江村秀之", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/932_ruby_21784.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-05-03T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/932_21785.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-05-03T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
[ [ "ああ。やっとこさ話の出来る処まで来た", "まったく……あのスチームの音は非道いね。創立以来のパイプだから、塞ごうたって塞ぎ切れるもんじゃねえ" ], [ "馬鹿な……オンチだなあ……みんな期待しているんじゃねえか。鼻の先に水引がブラ下がっているんじゃねえか。今年の起業祭には会社が五千円ぐらいハズムってんだから懸賞の金だって大きいにきまっているんだぜ。何故、取らねえんだ……オンチ……", "ウウン。それじゃけに俺あ取らん。キット取れるものをば毎年、取りに出るチウ事は、何ぼオンチでも面火が燃えるてや……のう……" ], [ "アッ。きょうは十日……俸給日じゃろ", "アハハ。いよいよオンチだなあ。だからこうして事務室の方へまわっているんじゃねえか", "俺あ徹夜が一番、苦手じゃ。睡うて腹が減って叶わん。頭がボーとなって来る" ], [ "……馬鹿……まあ見てろ……", "……何……何かい……" ], [ "ソレ見ろ。芝居じゃねえか", "しかし真剣にやりよるのう", "何だろう……探偵劇かな" ], [ "……ウワアッ……西村さんだっ……", "ナニ。何だって……" ], [ "事務所の西村さんだよ。俸給係の……", "何だ……俸給がどうかしたんか", "馬鹿ッ。この顔を見ろッ。俸給係の西村さんだぞッ。俺達の俸給が持ってかれたんだッ" ], [ "オイ", "何だい" ], [ "何も忘れた事あねえぜ。西村さんが殺されてよ……軍手をはめた手でなあ", "そうよ。あの鉄の棒は警察で引上げて行ったろう。四分の一吋ぐらいの細いパイプだったが……なあ又野……", "ウン。犯人は地下足袋を穿いとったって俺あ云うたが……", "ウン。俺も地下足袋だと云ったがなあ", "犯人が木工場へ這入るとコスモスの処を風が吹いたなあ", "馬鹿。そんな事を云ったのかい", "見た通りに云えと云うたから云うたてや", "アハハハハハ犯人とコスモスと関係があるのかい……馬鹿だなあ", "アッ。そうだ。あの菜葉服の野郎が白いハンカチで汗を拭いたって事を云い忘れてた" ], [ "アハ。汗を拭くのは大抵ハンカチにきまってるじゃねえか", "ウン。それもそうじゃなあ", "しかし出来るだけ詳しく話せって云ったからな" ], [ "そうだろうか", "そうだともよ。ナアニ。じきに捕まるよ。指紋てえ奴があるからな", "木工場も鋳物工場の奴等も、呉工廠から廻わって来た仕事が忙がしいので、犯人が通ったか通らないか気が付かなかったらしいんだな。なあ戸塚……お前が通り抜けた時も、何とも云わなかったかい", "ウン。慌てていたせいか、鋳型を一箇所踏潰したんで、怒鳴り付けられただけだ" ], [ "なあ又野……戸塚の野郎が、何か大事な事を云い忘れているってこの間、警察署を出てから云ったなあ……暗い横町で……", "ウン。云うとったが……それがどうかしたんかい", "イヤ。別にどうって事はねえんだけど……" ], [ "どうしてかいな", "どうしてって事もねえけど、何だかソンナ気がするんだ。第一、彼奴はツイこの頃就職して来やがったんだろう。それから、あんなに慣れ慣れしく俺達に近寄って来やがった癖に、あの事件から後、急に俺達と他所他所しくし初めただろう。出勤にも帰宅にも一人ポッチで、例の処へ誘っても一所に来やがらねえ。おまけにアレから後というもの、ショッチュウ何か考えているような恰好をしているじゃねえか", "ウン。そう云うてみれあ、そげなところもあるなあ。あれから後、このテニス・コートを何度も何度もウロウロしているのを見た事がある", "なあ。そうだろう。俺も見たんだ。だから怪しいと思ったんだ。そうしたらこの頃はチョットもここいらへ姿を見せなくなった代りに、隙さえあれば第一工場に遊びに行きやがって、あそこのデッキ連中と心安くしているようだし、死んだ西村さんの家へ行って色々世話をしているかと思うと、事務所の連中とも交際うようになって、行きと帰りには毎日のように事務室に寄って行くらしい気ぶりじゃねえか", "ウン。そらあ俺も気は附いとる。しかし何も、それじゃけに戸塚が、赤チウ証拠にゃあなるめえ", "ウン。それあ証拠にゃあなるめえさ" ], [ "ハハハ。まだあるんだぜ。戸塚があの死体を西村さんと云い出すなり、直ぐに俸給泥棒と察して、追かけて行った時の素早かった事はどうだい。普通じゃなかったぜ。あの意気込は……", "あの男は頭が良えけになあ。何でも素早いたい。今に限った事じゃなか", "それがあの時は特別だったような気がするんだ。何もかも最初から知り抜いていたような気がするんだ。この頃になってやっと気が付いたんだが", "フーン。そげな事が出来るかなあ", "そればかりじゃないんだ。彼奴は警察でわざと大事な事を云い落しやがったんじゃねえかと思うんだ。俺に云い中てられて、慌てて云い消しよったろう", "ハンカチの話かな", "ウン。あのハンカチの一件は一番カンジンの話なんだが、戸塚の野郎が正直に話すか知らんと思ったから、俺は別々に訊問された時もわざと云わずにおいたんだ。そうして様子を探ってみたんだ", "疑い深いなあ……お前は……", "まだあるんだ。あの時の犯人は新しい地下足袋を穿いていたろう。コートの湿めった処に太陽足袋の足跡が、ハッキリと残っているのを君も僕も見たじゃないか。西村さんを抱え上げた時に……", "ウン……見たよ", "あれを戸塚が見やがった時に気が附きやがったに違いないんだ", "何を……", "犯人がインテリだって事を……", "インテリたあ何かいな……インテリて……", "学問のある奴だって事よ。知識階級……つまり紳士って意味だね。ねえ。そうだろう。あんなに真白い、四角く折ったハンカチなんか菜葉服の野郎が持つもんじゃねえ。タッタ一撃で殺っ付けるつもりだったのが、案外な抵抗を喰ったもんだから思わず汗が出たんだね。そいつを拭こうとして、うっかりポケットからインテリの証拠を引っぱり出して拭いちゃったんだ。新しい地下足袋ってのは間に合わせの変装用に買ったものに違えねえんだ", "お前のアタマの方が、戸塚の頭よりもヨッポド恐ろしいぞ", "アハハハ。冷やかすなってこと……アタマは生きてる中使っとくもんだ。まだあるんだぜ。……いいかい……西村さんが十四銀行から金を出して来るのはいつも十の日の朝で、九時キッカリらしいんだ。それから人力車に乗って裏門で降りて、ここを通って事務室へ行くんだろう……なあ……しかもここは、いつも芝居の稽古をやっている処だし、どんなに大きな声を出したってスチームの音で消えちまうんだから、誰が見ていたって本当の人殺しとは思わない。まさかに真昼間、あんな大胆な真似をする者が居ようなんて思い付く者は一人も居ないだろう。見ている人間は皆芝居の稽古だと思ってボンヤリ眺めているだろう……だから、真夜中の淋しい処で殺るよりもズッと安全だっていう事を前から何度も何度も考えて、請合い大丈夫と思い込んで計画した仕事に違いないんだから、ヨッポド凄い頭脳の奴なんだ。職工なんかにこの智恵は出ねえね。インテリだね。どうしても……", "フーム……" ], [ "インテリじゃねえけども……あれから毎日毎日考えてたんだ。だからわかったんだ", "犯人の見当が付いたんか……そうして……", "付いてる", "エッ……", "チャンと犯人の目星は付いてるよ" ], [ "戸塚が犯人て云うのか……お前は……", "プッ……戸塚が犯人なもんけえ。俺達と一所に見てたじゃねえか。犯人なもんけえ", "誰や……そんなら……" ], [ "誰にも云っちゃいけないぜ。懸賞金は山分けにするから……", "そげなものはどうでも良え。西村さんの仇讐をば取ってやらにゃ" ], [ "それよりも、もし戸塚が万が一にも赤い主義者だったら大変じゃねえか。君は在郷軍人だろう", "ウン。在郷軍人じゃが、それがどうしたんかい", "どうしたんかいじゃねえ。彼奴の手に渡ると十二万円が赤の地下運動の軍資金になっちまうぜ", "ウン。それあそうたい", "腕を貸してくれるな……君は……", "ウン。間違いのない話ちう事がわかったら貸さん事もない", "そんなら耳を貸せ" ], [ "その犯人が今ここに来る", "エッ……", "見ろ……今事務室の方からテニスの道具を持った連中が五人来るだろう。あの中に犯人が居ると俺は思うんだ。いつでもここでテニスを遣りよる連中だ。ここで何度も何度もテニスを遣って、ドンナ大きな声を出しても、ほかに聞こえない事をチャンと知っている奴が、思い付いた事に違えねえじゃねえか。見てろ……俺の云う事が当るか当らねえか……", "サア……" ], [ "オイ。いけねえいけねえ。あの中に戸塚が居やがる", "……ウン……居る。あの奴もテニスの連中に眼を付けとるばい。……不思議だ……" ], [ "戸塚は中野さんの世話で製鉄所へ入ったんだ。自分でそう云ってたじゃねえか", "そうじゃったかなあ……忘れた……", "中野さんの処へ戸塚の妹が、女中になって住込んでいる。その縁故なんだ", "そうじゃったかなあ……なるほど……", "中野さんは九大出の秀才で、柔道が三段とか四段とか……", "うん。それは知っとる。瘠せとるがちょっと強い。一度、肩すかしで投げられた事がある", "この頃、社長の星浦さんの我儘娘を貰うことになっているんだ……中野さんが……", "知っとる。あの孔雀さんちうモガじゃろ", "ウン。それで社長から海岸通りに大きな地面を貰っているんだが、結婚前に家を建てなくちゃならんし、自動車も買わなくちゃならねえてんで、中野さんが慌て出している。相場に手を出したり、高利貸から金を借りたりしているっていう戸塚の話だ", "戸塚の妹が喋舌ったんか", "そうらしいよ" ], [ "戸塚ッ……お前はどこでテニスを遣ったんだっけね", "中学で遣ったんです。後衛でしたが", "スタートが遅いね。我流だね。ホラホラ……", "ええ。この拝借した地下足袋が痛くって……", "ハハハ……俺の足は小さい上に、足袋が新しいからね", "これ……太陽足袋ですね", "ウン……辷らないと云うから試しに買ってみたんだが……やっぱりテニス靴の方がいいね。窮屈で、重たくて、辷る事は同じ位、辷るんだからあそこに投込んでおいたんだ", "いつ頃お求めになったんですか", "……………", "非常に丈夫そうですが、どこでお求めになったんで……", "……………" ], [ "そうかなあ……ヘエーッ……", "まだ疑っているのかい。タッタ今、自分で犯人だって事を自白したじゃねえか", "……フーム……", "又野君……", "……………", "今夜、俺と一所に来てくれるかい", "どこへ……" ], [ "嫌になったのかい。それとも怖くなったんかい……", "ヨシッ……行く……", "きっとだよ", "間違いない", "大仕事になるかも知れないよ", "わかっとる", "生命がけの仕事になるかも……", "ハハハ。わかっとるチウタラ……" ], [ "返事はどうですか……中野さん……", "……………", "ここで返事すると云ったじゃありませんか……ええ……", "……………", "貴方は今夜は現場勤務じゃないでしょう。出勤簿には欠勤の処に印を捺しておられるでしょう" ], [ "暑いじゃないですかここは……丸で蒸されるようだ", "……フフン……百二三十度ぐらいだろうな……この空気は……フフン……", "……あっちに行って話しましょうよ。もっと涼しい処で……", "……イヤ。僕はここに居る。ここで考えなくちゃならん", "何をお考えになるんですか", "この鈹の利用方法さ", "この火の海のですか", "ウン……この鈹の中には最小限七パーセント位の鉄分を含んでいる。この中から純粋の鉄を取るのは、非常に面倒な工程が要るので、こうやって放置して、冷却してから打割って海へ棄てるんだが、折角、こうして何千度という高熱に熱したものを、無駄にするのは惜しいものなんだ。ほかの技師連中はコイツをブロックにするとか、瓦を作るとか云って騒いでいるが、僕一人で反対して頑張っているんだ。だから、いつも職工が帰ってからここに来て、この火の海の中から簡単に純鉄を取る方法を考えているんだがね", "今も考えているんですかい", "ウン……重大なヒントが頭の中で閃めきかけているんだ。暫く黙っていてくれ給え" ], [ "チエッ……いい加減、馬鹿にしてもらいますめえぜ。十二万円の話はドウしてくれるんですか", "十二万円……何が十二万円だい", "……………", "十二万円儲かる話でもあるのかい" ], [ "……呆れたね……", "そんな話は知らないよ僕は……夢を見ているんじゃないか君は……" ], [ "ヘヘヘ。その証拠は……", "九月の末に、お前と三好と俺とでテニスを遣った事があるだろう", "ありましたよ。三好が、あっしに勧めて貴方にお弟子入りをしようじゃないかと云い出したんです。三好が、一番下手なんで、貴方が三好ばかりガミガミ云ったもんだから、あれっきり来なくなっちゃったんですが……", "ウム。あの時に会計部の西村がコートの横を通りかかったろう", "ヘヘ。よく記憶えているんですね", "今度の事件で思い出したんだ。……あの時も半運転だったからスチームの音がしなかったが、その西村の顔をジロリと見た貴様が……イヤ……三好だっけな……スチームが一パイ這入ってれあここで鵞鳥を絞め殺したって、生きながら猿の皮を剥いだって大丈夫だ……てな事を云ったじゃないか", "そんならそれを聞いた貴方と、三好と、あっしと、三人の中の一人が犯人でしょう", "俺はソンナ事をする必要はない", "必要はなくても貴方に間違いないですよ", "何……何だと……", "ヘヘヘ……あの時に貴方の仕事を、ズッと向うの事務所の前から拝見していたのは、あっしと三好と、又野の三人ですぜ。貴方は近眼だからわからなかったんでしょうけど……貴方は警察に呼ばれて話をしたのが又野一人と思っていらっしたんですか。又野が一番正直者ですから代表に名前を出されただけなんですぜ。ヘヘヘ……貴方にも似合わない迂濶な新聞の読み方をしたもんですなあ", "……………", "ねえ。そうでしょう。立役者は何といったって貴方一人だ。貴方にはチャンとした必要があったんだ。だからあの話から思い付いて、万が一にも抜目の無えつもりでキチンとした計画を立てたのが、いけなかったんですね。つまり貴方の頭が良過ぎたんだ", "……………", "ねえ。そうでしょう。今貴方がお穿きになっているその新しい太陽足袋ですね。そいつがきょう、テニス・コートで物をいっちゃったんでさあ。あの話は、ほかの連中もみんな聞いているんですからね。あっしが出る処へ出れあ、証人はいくらでも……", "よしッ。わかったッ。もう云うな……半分くれてやる" ], [ "……ヘエッ……半分ですって……", "同じ事を二度とは云わん。テニスの道具を蔵ってあるあの部屋のラケット箱の下に床板の外れる処が在る。その下に在る新聞紙包みをここへ持って来い" ], [ "知っとる……貴様は今、何をしよった。俺の仲間の戸塚をどうしたんか", "戸塚は自分で辷って落ちたんだ", "……嘘吐け……", "退けと云うたら退け……" ], [ "ここだここだ。ワッ。臭いッ", "ウア――。大変だ。人間が焼け死によるぞッ" ], [ "……俺が誰か……わかるか……", "ウア――ッ……ウワア――ッ……" ], [ "……幽霊だあッ……ウワア――ッ……", "幽霊じゃない……" ], [ "貴様に焼き殺され損のうた又野たい。死んだ三人の仇讐をば取りに来たとたい", "ウワーッ。助けてくれ……俺が悪かった。俺が悪かった。十二万円遣る……ホラ……" ], [ "ウワ――ッ。違う違う……皆さん。こいつの云う事は皆嘘です。キチガイです。どぞ……どうぞ……助けて下さい。僕を殺しに来ているんです。キチガイ病院から抜け出して……", "ハハハ……何とでも云え……今度の事件は皆、貴様がたくらんだ事じゃ。戸塚に智恵を附けて、中野学士をそそのかして西村を殺させた。それから俺を使うて、あげな非道い事をさせたに違わん。俺は今朝、気が付いてから色々考えとるうちに、やっとわかったんじゃ。貴様こそ、この製鉄所に入込んどる赤い主義者の頭株に違いないぞ……もう助からんぞ……", "ウハアッ……違う違う。タ、助けて下さい。皆さん助けて下さい。……コイツはキチガイ……", "畜生……まだ云うかッ……" ], [ "どこだ……どこか……", "ここです", "ここで絞め殺されよります" ], [ "酒田さん。私は昨夜、第一工場で貴方のお世話になった又野です。大火傷をしました製鉄所の職工です", "……何だ……又野か……" ] ]
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年10月22日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:ちはる 2001年3月23日公開 2006年2月22日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"そこへ今度のエチオピアの戦争なんです。今度のイタリーとエチオピアの戦争ってものは、元来イギリスの資本家筋が欧州の勢力の平衡を破り、エチオピアの利権を掴みたいばっかりに巧みに双方を煽動して始めさせたものですが、そいつがマンマと首尾よくイギリスの都合の宜い解決しちゃたまりません。是非とも英、伊戦争にまで展開させて、欧州を今一度大混乱に陥れ、ロシアの極東政策をお留守にさせちゃって、その間に支那奥地の英、仏の勢力と、共産軍の根拠をタタキ潰さなくちゃならんというのが、日本の当局者の意向なんです", "そう都合よくまいりましょうか", "行きますとも。何よりも先にイギリスとイタリーとが戦端を開きさえすればいいのですから……", "そんなに訳なく戦争を始めさせることが出来ますかしら", "なんでもないことです。イタリーの空軍はズッと以前からイギリスを目標にして作戦を練って、イギリスをタタキつけさえすれば、イタリーはヨーロッパ一の強国になれると思っておりますし、イギリスの海軍はまた、背後の武器製造会社の大資本と一緒に張切って、国際連盟のイタリー制裁問題を中に挾んで睨み合っている最中ですから、トテモ都合がいいのです。この際スエズにいるイギリスの軍艦のドレでもいいから一艘、爆破さえすれば、直ぐにイタリーのせいだと思って戦争を始めます。西洋人は非常に激昂し易くて狼狽し易いんですからね。米西戦争だってそうでしょう。アメリカの豚の罐詰会社が、戦争で一儲けしたさに、キューバにいるイスパニアの軍艦を爆破させたのがキッカケなんですからね", "それじゃ貴方がたはスエズにいらっしゃるんですね", "ええ……実はそうなんです。便宜上エチオピアと申しましたが、実はスエズなんです。私たち十二人は皆、ドイツへ行く留学生に化けてスエズで降りまして、ポートサイドを見物するふりをして港内の様子を探ります。一方に手を分けた五、六人の者が途中で浮標を付けて海に投げ込んで置いた自分自分の荷物を拾い集めて来て、それぞれに材料を出し合って一つの触発水雷を作ります。……がしかし……仕事のむずかしいのはここまでで、アトは何でもありません", "そんなものですかねえ", 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"……そ……それは……そうですが……実は……", "何か御差支えが御座いまして……", "実はその……友人が四名ほど……福岡の東亜会員が四名ほど、私を門司まで見送ると申しまして、私と同じ汽車で発つ予定で、直方の日吉旅館に来ておりますので……是非とも……", "もうお会いになりまして……", "九時ごろの汽車で来ると申しておりましたが……", "それでもまだ二時間近く御座いますわ。そんなお友達の御親切も何で御座いましょうけれども、今夜、御一緒の汽車で門司にお着きになってからでも御ゆっくりとお話が出来ましょう", "そ……それは……そうですが……", "わたくしもホンノ仮染の御識り合いでは御座いましょうが、心ばかりの御名残惜しみが致したいので御座いますからね。それくらいのおつき合いは、なすっても宜いじゃ御座んせん。爆薬のお礼に……ホホ……", "でも……", "……でもって何です。妾のいうことをお聴きになれなければ、一箱も差し上げませんよ。ホホホ……" ], [ "ナアニ。ハハハ。どうせ僕等は、めいめい勝手なゼンマイ仕掛けの人形みたいなもんですからね。そのゼンマイのネジが解けちゃってヨボヨボになって死んじゃうだけの一生なら、まったく詰まらない一生ですからね……ですからまだピンピンしているうちに、そのゼンマイ仕掛けを自分でブチ毀してみなくちゃ、自分で生きてる気持が解らないみたいな気持に、みんななっているんです。僕等はモウ、早く自分の生命を片づけたい片づけたいって、イライラした気持になっているんですよ。まったくこのまんまじゃ詰まらないですからね", "とてもモノスゴイのね", "ええ。自分ながらモノスゴクて仕様がないんです。なんでもいいから思い切って自分をぶっつけてガチャガチャになってしまいたいんです", "アンタみたいな方は恋愛もなにも出来ないのね", "恋愛……恋愛なんて……ハハハハ", "マア。恋愛なんて……て仰言るの……あたしこれでもチャント貞操を守っている未亡人なのよ。まだネジが切れちまわないうちに相手をなくしちゃって、イヤでもこんな淋しい後家を守っていなくちゃならなくなった女なのよ", "恋愛なんて……恋愛なんて……ハハハ。恋愛なんて何でもないじゃないですか。ほんの一時の欲望じゃないですか。永遠の愛なんてものは男と女とが都合によって……お互いに許し合いましょうね……といった口約束みたいなもんじゃないですか。お金のかからない遊蕩じゃないですか", "まあ。ヒドイことをいうのね", "当り前ですよ。この世の中はソンナ様な神秘めかした嘘言ばっかりでみちみちているんですよ。だから何もかもブチ壊してみたくなるのです。何もない空っぽの真実の世界に返してみたくなるのです", "アンタ……それじゃ虚無主義者ね", "そうですよ。虚無主義者でなくちゃ僕等みたいな思い切った仕事は出来ないんです。ゾラか誰か言ったことがありますね。――科学者の最上の仕事は、強力な爆薬を発明して、この地球と名づくる石ころを粉砕するにあり。真実というものがドンナものかということを人類に知らしむるに在り――とか何とか……", "まあ大変ね。ゾラはきっとインポテントだったのでしょう", "ハハハハ。こいつは痛快だ。さすがは昔の銀幕スター、眉香子さんだけある。そういって来ると虚無主義者や共産主義者はみんなインポテントになるじゃないですか", "そうよ。この世に興味を喪失してしまった人間の粕みたいな人間が、みんな主義者になるのよ", "そんなことはない……", "あるわ。論より証拠、貴方に死ぬのをイヤにならせて見せましょうか", "ええ。どうぞ……", "きっと……よござんすか", "しかし……しかしそれは一時のことでしょうよ。明日になったら僕はまたキット死にたくなるんですよ。今までに何度も何度も体験しているんですからね。ハハハハ", "ホホホホ。それは相手によりけりだわ。妾がお眼にかける夢は、そんな浅墓なもんじゃないわ。アトで怨んだって追つかない事よ", "ワア。大変な自信ですね。しかしイクラ何でも僕に限って駄目ですよ。世界中のありとあらゆる夢よりも、僕の心に巣喰っている虚無の方がズット深くて強いんですからね……明日になったらキット醒めちゃうんですから……", "理屈を言ったって駄目よ。明日になって見なくちゃわからないじゃないの。醒めようたって醒め切れない強い印象を貴方の脳髄の歯車の間に残して上げるわ……あたしの力で英、伊戦争を喰い止めてお眼にかけるわ", "アハハハ。これは愉快だ。一つ乾杯しましょう" ], [ "アラ。あんた、ダシヌケにどうしたの……", "…………", "恐いの……", "…………", "マア、何がソンナに怖いの……まあ落ちついてここにいらっしゃいよ。何も怖がることないじゃないの……", "…………", "アレはね……あの電灯はね。何か事故が起った時に事務所の宿直がアンナことするのよ。大したことじゃないのよ、チットモ……", "…………" ], [ "ホホ。何番さんでいらっしゃいますか", "それが何番だったか……あんまり家が広いもんだから降りて来た階段を忘れちゃったんだ。八時五十四分の汽車で着いた四人連れの部屋だがね", "ホホ。あの東京のお客様でしょ。ツイ今さっき……十時頃お出でになった。お一人はヘルメットを召した……", "ウン。それだそれだ……", "あ……それなら向うの突当りの梯子段をお上りになると、直ぐ左側のお部屋で御座います。十二番と十三番のお二間になっております", "……ありがとう……" ], [ "ウウムムム。しまったッ……", "ハハハ。△産党の九州執行委員長、維倉門太郎。やっと気づいたか。馬鹿野郎……アッ、新張の奥さん……どうもありがとう御座いました" ], [ "キット貴女の処に行くだろうと思ったのが図に当りましたね", "ホホホ。お蔭様で助かりましたわ" ], [ "野郎……貴様らが上海の本部へ逃げ込む序に門司から此地方へ道草を喰いに入り込んだのを聞くと、直ぐに手配していたんだぞ。貴様らの同志四人はモウ先刻、停車場で挙げられている。だからジタバタしたって駄目だぞ。貴様が門司から直方へ乗りつけたタクシーの番号までわかっているとは知らなかったろう", "どうもありがとう御座いましたわねえ。ホホ。ちょうど御通知の番号の車で、この青年が見えましたから気をつけてお話を聞いておりますと、ポートサイドあたりへいらっした方にしては、すこし色が白過ぎるんですものねえ。ホホ。さもなければ、妾は見事に一パイ引っかかっていたかも知れませんわ。トテモそんな方とは見えなかったんですからねえ", "ハイ。恐れ入ります。それから間もなく倉庫主任宛のお電話が警察にかかって参りましたのでスッカリ安心して手配してしまったのです。手配がすんだ証拠に、お山全体の電灯にスイッチを入れると申し上げて置きましたが、おわかりになりましたか", "ええ。今消させて直ぐ自動車でコチラへ参りましたのよ。ちょっとこの青年へいって置きたいことが御座いましたもんですから……", "……あ……そうですか。それじゃ。……只今なら構いませんから……何なりと……" ], [ "ホホ。お気の毒でしたわね", "…………" ], [ "モウ。何も仰言らないで頂戴ね。仰言ったって警察では何一つホントにしませんからね。貴方が妾をお呪咀いになるためにドンナ作りごとを仰言っても取り上げる人はおりませんからね。よござんすか……", "…………", "ねえ。女だと思ってタカを括っておいでになったのがイケなかったんですわ。ねえ", "…………", "ホホ。死にたくても死ねないようにして差し上げるって申しましたこと……おわかりになりまして?……", "……ド……毒婦ッ……" ], [ "ホホホ。そうよ。アナタはプロの闘士よ。あたしはブルジョアの闘士……人間を棄ててしまった女優上りですからね。嘘言も不人情もお互い様よ。それでいいじゃないの", "チ……畜生……覚えておれッ", "忘れませんわ……今夜のこと……ホホ。貴方も一生涯、忘れないで頂戴ね。楽しみが出来ていいわ", "……殺してくれる……", "どうぞ……貴方みたいな可愛いお人形さんに殺されるのは本望よ。妾はサンザしたい放題のことをして来た虚無主義のブルジョア……惜しい浮世じゃ御座んせんからね。チャントお待ちしておりますわ、ホホホホホ……では左様なら……ホホホホホホ……" ] ]
底本:「少女地獄」角川文庫、角川書店    1976(昭和51)年11月30日初版発行    2000(平成12)年12月30日41版発行 入力:うてな 校正:土屋隆 2005年5月3日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "……オイ……貴様は巡礼のお花じゃろ。……もうこうなったら諦らめろよ", "……………", "俺の顔を見知って来たか……", "……………", "俺がドレ位の恐ろしい人間かわかったか", "……………", "わかったか……阿魔……", "……………", "……俺の云う事を聞くか……", "……………", "聞かねばこのまま突出すがええか……警察は俺の心安い人ばかりだ" ], [ "……何すんのかア――イ……", "………", "アレッ……堪忍してエ――ッ", "……………", "……嘘吐き嘘吐き。ええこの嘘吐き……エエッ。口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい……" ], [ "……ヘエ……お褒めに預るほどの手柄でも御座んせんで……ヘヘ。あんな離れた一軒家で、前の藤六から以来、小金の溜まっているような噂が立っているそうで御座いますから、いつも油断しませずに、出入りのお客の態度に眼を付けておりましたお蔭で御座いましょう。ヘエ。……この小女っちょが這入って来た時に、この界隈の者でない事は一眼でわかります。第一これ位の縹緻の娘は直方には居りませんようで……ヘヘ。それから一升買いに十円札を突ん出す柄じゃ御座んせんで……どう考えましても……ヘエ。それで一層気を付けておりますとこの小女っちょ奴え、潜り戸に凭れかかる振りをしてマン中の桟から掛金までの寸法を二本指で計ってケツカルので……ヘエ。それから私が十円札の釣銭を出すところを、うつむいたまま気を付けている模様ですから、私はイヨイヨ今夜来るなと思いました。来たら出来るだけ身軽にしとかんと不可んと思いまして、慣れた者の飴売りの身支度をして待っておりますと……ヘエ。ツイ一時間ばかり前の事で御座います。掛金の上の処を切抜きました小女っちょが手を入れましたけに、直ぐに引っ掴まえて引っくくり上げて、ここまで担いで参りましたので……ヘエ", "成る程のう。貴様は気が利いとるのう。素人には惜しい度胸じゃ。アハハハハ……", "フーム、コンナ常習犯の奴の手口は、アイソ、サグリ、ノリと云うて、三度手を入れてみるものじゃがのう。最初に手を入れた時に捕えようとしても決して捕えられるものじゃないがのう" ], [ "ヘエ。そげな事は一向存じまっせんでしたが、ただこの外道と思うて待ち構えておりますところへ、遣って参りましたので思い切り引っ掴んでしまいましたが……ヘヘヘ……", "オイオイ……女……それに相違ないか" ], [ "……この縄……解いてくんさい。白状するけに………", "……ナニ……縄を解け……?……", "……アイ………", "そのままで云うてみい", "イヤイヤ、このままならイヤぞい。痛うて物が云われんけに……どうぞ……" ], [ "オイ。解いてやれ", "ハッ" ], [ "馬鹿ッ……", "何をスッか……", "馬鹿ッ……" ], [ "何じゃったろかい", "何じゃったろ何じゃったろ" ], [ "ウムウム。知っとるどころではない。それについてここの小学校の校長が……知っとるじゃろう……あの総髪に天神髯の……", "存じております。旧藩時代からの蘭学者の家柄とか申しておりましたが", "ウムウム、中々の物識りという話じゃが、あの男がこの間、避病院の落成式の時にこげな事を話しよった。……人間の舎利甲兵衛に麦の黒穂を上げて祭るのは悪魔を信心しとる証拠で、ずうと昔から耶蘇教に反対するユダヤ人の中に行われている一つの宗教じゃげな。ユダヤ人ちうのは日本の××のような奴どもで、舎利甲兵衛に黒穂を上げておきさえすれば、如何な前科があっても曝れる気遣いは無いという……つまり一種の禁厭じゃのう。その上に金が思う通りに溜まって一生安楽に暮されるという一種の邪宗門で、切支丹が日本に這入って来るのと同じ頃に伝わって来て、九州地方の山窩とか、××とか、いうものの中に行われておったという話じゃ", "ヘエッ。それは初耳で……私が調べて参りました話と符合するところがありますようで……", "フウム。それは面白いのう。あの藤六が死んで、舎利甲兵衛と黒穂の話が評判になりよった時分に、ちょうど避病院の落成式があったでのう。校長の奴、大得意で話しよったものじゃが、何でもこの直方地方は昔からの山窩の巣窟じゃったそうでのう。東の方は小倉の小笠原、西は筑前の黒田から逐われた山窩どもが皆、この荒涼たる遠賀川の流域を眼ざして集まって来て、そこここに部落を作っておったものじゃそうな。藤六はやっぱりその山窩の流れを酌む者じゃったに違わんと校長は云いおったがのう。吾輩は元来、山窩という奴を虫が好かんで……悪魔を拝むだけに犬畜生とも人間ともわからぬ事をしおるでのう。ことに藤六は、あの通りの人物じゃったけに真逆に山窩とは思われぬと思うて、格別気にも止めずにおったのじゃがのう", "ヘエ。そのお話を今少と早よう伺っておりますると面白う御座いましたが……", "ふうむ。やっぱり藤六はここいらの山窩の一人じゃったんか", "ハイ。山窩には相違御座いませぬが、ここでは御座いませぬ。元来、高知県の豪農の息子じゃったそうで御座いますが、若気の過ちで人を殺しまして以来、アチコチと逃げまわった揚句、石見の山奥へ這入りまして、関西でも有名な山窩の親分になっておりました者だそうで……", "フウーム。どうしてそこまで探り出した", "……こんな事が御座います。あの丹波小僧と巡礼お花の死骸を、共同墓地の藤六の墓の前に並べて仮埋葬にしておいたので御座いますが、その埋めました翌る日から、女の死骸を埋めた土盛りの上には色々な花の束が、山のように盛上って、綺麗な水を張った茶碗などが置いてありますのに、銀次の土盛の上は、人間の踏付けた足跡ばかりで、糞や小便が垂れかけてあります。夜中に乞食どもがした事らしう御座いますが……", "ふうむ。その気持はイクラカわかるのう。山窩とても人情は同じことじゃで……", "ところがその親の藤六の墓は、ずっと以前から何の花も上がりませぬ代りに、枯れた麦の黒穂を上げる者が絶えませぬそうで……どこから持って来るか、わかりませぬが……", "成る程のう。その理屈もわかるようじゃ。校長の話を聞いてみるとのう", "私はそのようなお話を存じませぬものですけに、いよいよ不思議に思うておりまするところへ今度の事件で御座います", "ウムウム", "この辺の者は麦の黒穂の事を外道花と申しておりますので、藤六の墓に黒穂が上がるのは不思議じゃ。何か悪い事の起る前兆ではないか……というこの界隈の者の話をチラと聞いたり致しましたので、イヨイヨ奇怪に存じておりまするところへ一個月ばかり前の事で御座います。有名な窃盗犯で鍋墨の雁八という……", "ウムウム。福岡から追込まれて来て新入坑の坑夫に紛れ込んでおったのを、君が発見して引渡したという、あれじゃろ……", "ハイ。彼奴が須崎の独房で、毎月十一日に腥物を喰いよらんチウ事を、小耳に挟んでおりましたけに……十一日は藤六の命日で御座いますけに……", "成る程……カンがええのう", "それがで御座います。何をいうにも二人とも死んでおりますために手がかりが一つも御座いませんので困りました。署員の意見を尋ねてみましても、ただこの事件と例の乞食の赤潮との間に、何か関係がありはせぬかという位の、まことにタヨリない意見で、事件の真相の報告書の書きようが御座いませぬ。そこで、ほかに手蔓らしい手蔓は無いと思いましたけに、雲を掴むようなお話では御座いましたが、御留守中独断で福岡へ出張致しまして、只今の鍋墨雁八の口を挘りに参りました訳で御座いましたが、その時に私は思い切って、お花が死にました時の模様を詳しく雁八に話して聞かせますと、それならばと申しまして雁八が、残らず真相を吐きました。涙をボロボロ流しておったようで御座いますが……つまり今度、巡礼お花に殺されました丹波小僧と、鍋墨の雁八とは、ズット以前に石見の山奥で、藤六の盃を貰うた兄弟分で御座いましたそうで……しかも雁八が聞いた噂によりますと、丹波小僧というのは藤六の甥どころではない。藤六が天の橋立の酌婦に生ませた実の子らしいという話で……", "……ううむ。おかしいのう。それでは……何が何やらわからんようになるがのう", "それがその……それを知っておったのは藤六だけで、本人は知らんじゃった筈と雁八は云うておりましたが……藤六はそんな風にして方々に児を生み棄てて来た男だそうで……", "おかしいのう。それでも……", "もうすこしお話しがあります", "話いてみい", "……ところが、それから後、藤六はその丹波小僧と雁八を一本立にして手離しましたアト、だんだん年を老って仏心が附いたので御座いましょう。今一人居ります娘が、九州で巡礼乞食に化けて、女白浪を稼いでいるのに会いたさに、自分の縄張を鬼城の親分に譲って、石見の山の中から出て来て、この直方まで来て、落付いておりましたものらしく、集まって来た乞食共の中には、藤六の跡を慕うて来た奴どもが相当居ったものらしう御座います。……と申しますのは、つまり藤六が悪魔様に上げている黒穂を頂くと、自分の前科が決してバレぬ。一生安楽に暮される守護符になる……というので……もっとも雁八はその貰うた黒穂を白湯で飲んだと申しましたが……ハハハ……" ], [ "成る程のう。それでわかったわい。ツイこの頃までこの筑豊地方に限って、小泥棒が一つも居らんじゃった理由がわかったわい", "……ハイ……藤六という奴は余程エライ奴じゃったと見えます", "そうすると丹波小僧の銀次も、藤六のアトを慕うて来た仲間じゃな", "いや、違います。丹波小僧は、藤六の処を出て、鍋墨の雁八とも別れてから後、大阪地方専門の家尻切りになりましたが、或る処で居直って人を殺したお蔭で、手厳しく追いこくられましたので、チョット商売にオジ気が付きましたものか、飴売に化けてこっちへ流れて来ましたが、偶然に藤六の店に目を付けてみますと、思いがけない藤六が住んでいる。しかもスッカリ耄碌している上に、相当の現金をシコ溜めていることがわかりましたので、それこそ悪魔の本性を現わしましてコッソリ彼の一軒屋に忍び込み、藤六の夜食の飯の中へ鼠取薬か何かを交ぜて、毒殺して後を乗取った……", "……エッ……そんなら親殺しじゃな", "ハイ。知らずに殺しました訳で……", "それでも怪しからん話じゃ。あの時に診察した医者は誰じゃったな", "ハイ。この間坑夫と喧嘩して殺されました新入の炭坑医で", "ウハッ。あの若い医師か……", "ハイ。狃染の芸者が風邪を引いているのを過って盛り殺した奴で……", "……そうかそうか……あの医者にかかっちゃ堪まらん……フムフム。それからドウなった", "それと知りました藤六の乾児どもが、皆この直方に集まって来て評議をしました。それが、あの乞食の赤潮で……それから皆で手分けをして、本四国を巡礼しておりました藤六の娘のお花を探し出して、相手が実の兄である事を秘いて、仇討をさせようとした……それを銀次が感付いて、裏を掻いて逃げようとしたのが今度の騒動の原因であったと雁八が申しますので……話の模様を考え合わせてみますと、どうやら雁八が黒幕らしう御座いますが……", "ウムウム。ようよう経緯が、わかったようじゃ。彼奴等は復讐心が強いでのう", "道徳観念が普通人と全く違いますようで……", "……それもある……が……しかし……" ], [ "フム。それで……自殺の原因は……", "ハイ。それがで御座います……ソノ……" ], [ "……わかりませんので……その……僅かの隙に致しました事で……全くその……私どもが狼狽致しましたので……縄を解けば白状すると申しましたので……その……", "ウムウム。それは聞いちょる。……問題は自殺の原因じゃ。復讐を遂げると直ぐに自殺しよった原因じゃ", "……………………", "死に際に何も云わんじゃったか。巡査どもは何も聞かんと云いよったが", "私は聞きました。皆の衆。すみません……と……", "皆の衆……その皆の衆というのは山窩の連中に云うた言じゃろう……表の群集の中に怪しい者は居らんじゃったか。様子を見届けに来たような者は……", "ハッ。それは居らなかった筈……と雁八が申しました。お花という女は、まだ生娘では御座いましたが、ナカナカのシッカリ者で、わたし一人でキット親の仇を討って見せるけに一人も加勢に来る事はならんと云うておりましたそうで……又、誰か仲間が見ておりますれば、警察まで担がれて参りまする中に、途中でお花を助け出します筈……", "ウムウム。それは理屈じゃが……しかしお花は、丹波小僧が実の兄という事を、どうかして察しておりはせんじゃったかな", "イヤ。そんな模様には見受けませんでした。御承知の通りツイ夜明け方の一時間ばかりの間の出来事で御座いますけに……丹波小僧が何もかも先手を打って物を云う間もなく猿轡を噛まして、担いで来たと申しておりましたが……実地検査の結果もその通りのようで……" ], [ "彼奴どものする事は一から十までサッパリわからん。切支丹と似たり寄ったりじゃ", "……………", "ウム。まあ良え。それ位のところで調書を作ってくれい。自殺の原因は発狂とでもしておけ。警察の中で人を殺したのじゃからナ……ハッハッ……" ] ]
底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年9月24日第1刷発行 初出:「オール読物」    1934(昭和9)年12月号 入力:柴田卓治 校正:土屋隆 2005年9月17日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "馬鹿だなあ。誰も見る者はないのに、何だって動いているんだえ", "人の見ない時でも動いているから、いつ見られても役に立つのさ" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「九州日報」    1923(大正12)年11月4日 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「土原耕作」です。 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "江戸は何でも日本一だが、遊びの場所も日本一であった。上は芳町、柳橋の芸者から松の位の太夫職、下は宿場の飯盛から湯屋女、辻君、夜鷹に到るまで、あらゆる階級の要求に応ずる設備が整っていた。そこへ以って来て、江戸ッ子は金離れがいいと来ているからたまらない。川柳に……三人で三分無くする知恵を出し……というのがあるが、その三分は三人持ち寄りの最後の財産であったろうと思われる。うちを空っぽにして遊ぶことばかり考えている……儲けた金で妻子を肥やすのをシミッタレと考えている心理状態がよくわかる。だから江戸ッ子のうちは繁昌しないのだ", "江戸ッ子は道中をして帰って来ると、すぐに友達の処へ挨拶にまわる。その先から友達と一所に遊びに行って、道中の使い残しを空っぽにする。『久し振りうちに帰って、嬶珍らしさに出て来ない』と云われたくないために、こうした見得を張ったもので、詰るところ、こんな江戸ッ子の負け惜みが直接の産児制限となったわけだ。花柳病にかかって、間接に子種を亡ぼしたのは云う迄もないだろう" ], [ "どうだい、本型の友禅だ。しかも最新流行の埃及模様と来ている。京都の織元で織り上げたところで疵が出来たから、こうして切って売るんだ。一丈五尺以上あるんだから、帯の片側と繻絆の袖位は楽に取れる。バラックの窓かけにでもしたら素敵なものが出来る。手土産にして大したもんだ。一尺の元値が三十銭だから、これだけで四円五十銭になるんだが、負けて三円……二円半……エエ、ヤッチマエ……二円だ……一円八十……", "甲州産の水晶は世に定評あるところ、殊に印形となりますと、水晶のに限って贋ものが出来ませんから、まことに重宝で御座います。この節のお仕事を遊ばすには、印形ほど大切なものは御座いません。水晶の印をお用いになれば、彼の新聞に出まするような恐ろしい詐欺や横領、その他文明社会に流行しまする法律悪用の悪漢の毒牙にかかる患いは一切ございません。わけてもこの東京に於てお仕事を遊ばすお方様には、特におすすめ致します。指紋は間違うとも、水晶の印だけは間違わぬ。文明の悪徳退治、地位と名誉と財産の守り神と云われる本場水晶の印が、御覧の通り一円から十五円まで取り揃えて御座います。お高価いようでお安いもの……", "エエ、これが畳針でございます。厚いものをお綴じになるので、市中の相場が一本十二銭。これが大皮針の十銭に、中の七銭、小さいのが五銭。先の処が鋭利な三角になっておりまして、舶来のトランクでも楽に通ります。その他木綿針、メリケン針、絹針、刺繍針、合わせて三十本で僅か二十銭……これだけあればどんな縫い物でも出来ます。奥様やお嬢様へのお土産はもとより、独身生活のお方の福音として歓迎されております。サックまで付けて今夜は只の十五銭……折れるの曲がるのという御心配のないメリケンスチールの精製品……ハイ只今――" ], [ "一人もの店賃程は内に居ず", "煤掃きも面倒臭いと移転する" ], [ "資本がほしいですが、無抵当で薄利で貸してもらう方法は", "この金を預けるたしかな銀行は", "これは焼け残った祖父の時代の証文ですが" ] ]
底本:「夢野久作全集2」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年6月22日第1刷発行 初出:「九州日報」    1924(大正13)年10~12月 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「杉山萠圓《すぎやまほうえん》」です。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、「六ヶしい」は大振りに、それ以外は小振りにつくっています。 入力:柴田卓治 校正:かとうかおり 2000年4月25日公開 2012年5月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000940", "作品名": "街頭から見た新東京の裏面", "作品名読み": "がいとうからみたしんとうきょうのりめん", "ソート用読み": "かいとうからみたしんとうきようのりめん", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1924(大正13)年10~12月", "分類番号": "NDC 916", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-04-25T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card940.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集2", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年6月22日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "1992(平成4)年6月22日第1刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "かとうかおり", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/940_ruby_21951.zip", "テキストファイル最終更新日": "2012-05-03T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "3", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/940_21952.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-05-03T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "2" }
[ [ "エヘヘヘヘヘヘヘヘ", "オホホホホホホホホ", "イヒヒヒヒヒヒヒヒ", "ハハハハハハハハハ", "フフフフフフフフフ", "ゲラゲラゲラゲラゲラ", "ガラガラガラガラガラ", "ゴロゴロゴロゴロゴロ", "……ザマア見やがれ……" ], [ "お前をこうやって監視するのが、俺の勉強なのだ。お前が完全に発狂すると同時に俺の研究も完成するのだ。……もうジキだと思うんだけれど……", "おのれ……コノ人非人。キ……貴様はコノ俺を……オ……オモチャにして殺すのか……コ、コ、コノ冷血漢……", "科学はいつも冷血だ……ハハ……" ], [ "……ダ……メ……ダ……お前は俺の……大切な研究材料だ……ここを出す事は出来ない", "ナ……ナ……何だと……", "お前を……ここから出しちゃ……実験にならない……" ], [ "……何だと! モウ一ペン云って見ろ", "何遍云ったっておんなじ事だよ。俺はお前をこの檻の中に封じ籠めて、完全に発狂させなければならないのだ。その経過報告が俺の学位論文になるんだ。国家社会のために有益な……", "……エエッ……勝手に……しやがれ……" ], [ "私たちは妖怪じゃないのですよ。貴方がお探しになっているオーラス丸の船長夫婦と……一人の女の児と……一人の運転手と……三人の水夫の死骸なのです。……今、貴方とお話したのは船長で、妾はその妻なのです。おわかりになりまして……。それから一番最初に貴方をお呼び止めしたのは一等運転手なのです", "……聞いてくんねえ。いいかい……おいらは三人ともオーラス丸の船長の味方だったのだ" ], [ "……だから人非人ばかりのオーラス丸の乗組員の奴等に打ち殺されて、ズックの袋を引っかぶせられて、チャンやタールで塗り固められて、足に錘を結わえ付けられて、水雑炊にされちまったんだ", "……………", "……それからなあ……ほかの奴らあ、船の破片を波の上にブチ撒いて、沈没したように見せかけながら、行衛を晦ましちまやがったんだ", "……………", "……その中でも発頭人になっていた野郎がワザと故郷の警察に嘘を吐きに帰りやがったんだ。タッタ一人助かったような面をしやがって……ここで船が沈んだなんて云いふらしやがったんだ……", "ホントウよ。オジサン……その人がお父さんとお母さんの前で、妾を絞め殺したのよ。オジサンはチャント知っていらっしゃるでしょ" ], [ "わかったか……貴様を硝子の世界から逐い出すのが、俺の目的だったのだぞ", "……………" ] ]
底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年8月24日 第1刷発行 底本の親本:「瓶詰地獄」日本小説文庫、春陽堂    1933(昭和8)年5月15日発行 初出:「文学時代」    1931(昭和6)年10月    「探偵クラブ」    1932(昭和7)年6月 入力:柴田卓治 校正:しず 2000年6月9日公開 2012年5月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000921", "作品名": "怪夢", "作品名読み": "かいむ", "ソート用読み": "かいむ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「文学時代」1931(昭和6)年10月、「探偵クラブ」1932(昭和7)年6月", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-06-09T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card921.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集3", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年8月24日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "1997(平成9)年4月15日第2刷", "底本の親本名1": "瓶詰地獄", "底本の親本出版社名1": "日本小説文庫、春陽堂", "底本の親本初版発行年1": "1933(昭和8)年5月15日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "しず", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/921_ruby_21998.zip", "テキストファイル最終更新日": "2012-05-03T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/921_21999.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-05-03T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
[ [ "モシモシ……あなたは四千四百三番でいらっしゃいますか", "そうです……あなたは……", "……あの……児島はもう帰りましたでしょうか", "……ハイ。主人は今しがた帰りました。失礼ですがあなたは……", "あの……あなたは……失礼ですけど……愛太郎さんでいらっしゃいますか……", "ハイ……児島愛太郎です……あなたは……", "……オホホホホホホホホ……" ], [ "……あなた愛太郎さん。御無沙汰しました。……叔父さんもう帰って?……", "エエ……一時間ばかり前に……", "あなた声が違うようね。お風邪でも召したの……", "……寝ていたんです……", "まあ……お昼寝……この寒いのに……", "……エエ……まあそうです……", "あたしあなたにお話したい事があるのよ……今から伺ってもいい?……", "エエ……よござんす……キタナイ処ですよ", "ええ。知ってますわ。誰も居ないでしょう?", "ええ……僕一人です。しかし……何の用ですか……", "オホホホホホホホホホ" ], [ "オホホホホホホホ", "……………" ], [ "叔父さんは自分が死ぬまで、あなたに相場をやらせない……財産も譲らないって云っててよ……", "当り前だ……" ], [ "……死んだってくれやしないよ……", "そうじゃないわよ。あなたは正直で、頭がよくて……", "馬鹿にするな……", "いいえ。まったくよ……俺よりも仕事が冴えている上に、今の財産は愛太郎のお蔭で出来たようなもんだから、跡を継がせるのは当り前だって……", "……ウーン……そんなら早くくれりゃあいいのに……", "……だけどね……まだ頭の固まらないうちに株だの、お金だのを持たせると慾がさして、株だのお米だのの上り下りがわからなくなるから、まだなかなか譲れない。俺も昔はかなり頭がよかったんだけど、あまり早くから慾にかかったせいかして、肝玉が小さくなって相場が当らなくなったんだ。それを助けてくれたのが貴方なんですって……", "それあ本当だ。叔父の正直なところだろうよ", "……でしょう。だから叔父さんは、あなたに感謝しててよ。あなたを電話の神様だって云っててよ", "おだてちゃいけない……" ], [ "おだてるのじゃないわよ。……あなた考えなくちゃ駄目よ。……ネ……叔父さんはこの頃、あなたを養子にする事にきめたのよ。そうして自分の財産を全部譲るっていう遺言状を昨日書いてよ。今頃はもう公証人がどうかしているでしょう", "フーン僕に呉れるって……" ], [ "だけど、その遺言状を書かしたのは妾よ", "……………", "わかって?……", "……よけいな事を……" ], [ "……あなたって人は……ほんとに仕様のない人ね", "……ウーン……どうせヤクザモノさ", "だけど……", "何だい……" ], [ "叔父さんはね……もうじき死んでよ", "フーン……どうして?……" ], [ "どうして……", "あまり驚かないじゃないの", "驚いたって仕様がないさ。そっちで勝手にする事だもの……", "マア……口惜しいッ……" ], [ "……その薬を、僕にも服ましてくれないか……", "……………" ], [ "……驚くこたあないよ。僕も死にたいんだから……僕は、今まで叔父に忠告しなかった事を後悔しているんだ。あんたがそんな女だっていう事をね……だけど、どうせ忠告したって同じ事だと思ったから黙っていたんだ", "……………", "……ね……あんたは、まだ、そんな事をするくらいだから、生き甲斐のある人間に違いないだろう……しかし僕や叔父はもう人間の癈物だからね。この世に生きてたって仕様のない人間だからね……", "……………", "構わないから、その薬を頒けておくれよ……僕の財産の全部は内縁の妻伊奈子に譲る……っていう遺言書を書いといたら文句はないだろう……" ], [ "……モシモシ……モシモシ……四千四百三番ですか……大阪から急報ですよ……お話下さい……", "……オーッ。青木かア!……何だア!……今頃……", "……アアモシモシ。君は児島君かね……", "イイエ違います。児島愛太郎です……", "……ヤ……御令息ですか。失礼いたしました。私は青木商店の主人で藤太と申します。まだお眼にかかりませんが、何卒よろしく……エエ……早速ですが、お父様のお宅にはまだ電話が御座いませんでしたね……ああ……さようで……では大至急お父様にお取次をお願いしたいのですが、実は大変にお気の毒な事が出来まして……", "……ハア……どんな事でしょうか……", "もうお聞きになったかも知れませんが、中ノ島の浜村銀行が今朝、支払停止を貼り出しました……", "ハア……そうですか", "頭取の浜村君と、支配人の井田君は昨夜からその筋へ召喚されておりますので、預金者は皆途方に暮れているのです", "ナルホド", "あなたのお父様と同銀行とは、兼ねてから深い御関係になっておられる事を承っておりましたので、取りあえずお知らせ致しますが……実は折返して今一度、至急に御来阪願いまして、その事に就いて御相談致したいと存じますので", "どうも有り難う御座います。すぐに取次ぎます", "どうかお願い致します。そうして出発の御時間を、すぐにお知らせ願いたいのですが……甚だ恐縮ですが……", "かしこまりました。しかし叔父はまだ、昨夜まで自宅に帰っておりませんので……", "ハハア。……ナルホド……それは困りましたな……エエトそれではどう致したら……", "ハイ。けれども昨晩までには帰ると申しておったのですから、事によるともうじき店に来るかも知れません。そうしたら間違いなく……", "……ハ……どうかお願い致します……では失礼を……" ], [ "オーイ。交換手……切ってくれエ。話は済んだんだア", "モシモシ……あなたは愛太郎さん?", "ナアンだ……伊奈子さんか……ちょうどよかった……今どこからかけているの……", "公園の中の自動電話よ", "フーン。何の用?……", "……あのね……昨夜妾が帰ったらね……叔父さんが帰っていたの……", "フーン。それで……", "……あのね……そうしたらね……今朝から様子が変になったの", "……どうして……", "……あのね……妾……アノお薬を服ませるのを四五日前から止していたの……大阪へも何も入れないカクテールを持たして上げたの……そうして昨夜も同じのを、あたためて上げたのよ", "……フーン……だから温泉で僕に打ち明けたんだね", "……エエ……まあそうよ……そうしたら昨夜、夜中から胸が苦しいと云い出してネ、今朝、お隣りの山際っていうお医者さんに診せたら心臓の工合がわるいって云うの。そうして先刻まで何本も注射をしたけどチットも利かないで、物も云わずに藻掻きはじめたの……何を云ってもわからないのよ……もう駄目なんですってさあ", "ちょうどよかった", "ええ……だからあなた早く来て頂戴な。そうして何とか芝居をして頂戴な……あたし何だか怖くなったから……" ], [ "……バカ……何が怖い……そんな事は覚悟の前じゃないか……初めっから……", "だって医者が見ている前で口と鼻からダラダラ出血し初めたんですもの……あのお薬は妾が聞いたのと何だか違っているようよ。……お医者が青くなって妾の顔を見ながら、これは何かの中毒だって云ったから、妾身支度をして、うちにある現金と、銀行の通帳を持って、裏口からソッと脱け出してここへ来たの……あなたと一緒に預金を引き出して逃げようか、どうしようかと思って……", "駄目だよ。浜村銀行は払やしないよ", "……エッ……どうして?……", "浜村銀行の頭取と支配人が昨夜大阪で拘引されたんだ。福岡の支店も支払停止にきまっている。叔父は破産しているんだよ。残っているのは待合の借りばかりだ", "……………", "みんなお前さんの自業自得さ。お気の毒様みたいなもんさ。……どこへでも行くがいい……", "……ホント……", "本当さ……今、大阪から電話が掛かって来たから知らせようと思ったところへ、お前さんが電話をかけたんだ。だから僕はすぐに電話口へ出たろう……ちょうどよかったんだ", "……………", "……ジャ左様なら……御機嫌よう……", "待って頂戴……", "……何だ……", "……チョッと待ってネ。後生だから……あたし……", "どうしたんだい", "……………" ], [ "……モシモシ……モシモシ……時間ですよ……", "……つないで……ちょうだい" ], [ "オイオイ……どうしたんだ?", "……あたし……今ね……叔父さんに上げたお薬の残りをアブサントに溶いといたのを……みんな飲んでしまったの", "馬鹿……", "……妾……今から帰って、お医者様にスッカリ白状するわ。みんな妾が一人でした事だって……ですから貴方は……あなたは早く逃げて頂戴……同罪になるといけないから……店の金庫の合牒はイナコよ……サヨウ……ナラ" ] ]
底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年8月24日第1刷発行 底本の親本:「日本探偵小説全集 第十一篇 夢野久作集」改造社    1929(昭和4)年12月3日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:柴田卓治 校正:久保あきら 2000年6月17日公開 2006年3月8日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000922", "作品名": "鉄鎚", "作品名読み": "かなづち", "ソート用読み": "かなつち", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「新青年」1929(昭和4)年7月", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-06-17T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card922.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集3", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年8月24日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "日本探偵小説全集 第十一篇 夢野久作集", "底本の親本出版社名1": "改造社", "底本の親本初版発行年1": "1929(昭和4)年12月3日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "久保あきら", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/922_ruby_22001.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-03-08T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/922_22002.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-03-08T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "アッ。お父様……髪切虫が来ましたよ", "ナニ。髪切虫が……", "ええ。お父様が今夜は違った虫が捕りたいから誘蛾燈に赤いシェードを掛けとけって仰言ったでしょう。ですからそうしといたら蝶々は一匹も来ないでコンナ髪切虫が……", "ううむ。面白いのう。甲虫は一体に赤い色が好きなのかも知れんのう", "オヤッ。この髪切虫は普通のと違っている。この間お父様が大学で見せて下すった化石の髪切虫によく似てますよ。ね。ホラネ。身体が瓢箪型になって、触角がズット長くて……おまけにトテモ綺麗ですよ。卵白色と、黒天鵞絨色のダンダラになって……ホラ……ネ……", "フウム。成る程。これは珍しいのう。三千年ばかり前のツタンカーメンの墓の中から出て来た、実物の木乃伊とはすこし色が違うが、これがホントの色じゃろう。今はモウこの世界から絶滅している種類だと聞いているのに……おかしいなあこんな処に居るのは……", "その木乃伊の棺の中から生き返った奴が埃及から飛んで来たのじゃないでしょうか", "アハハハ。そうかも知れんのう。とにかく標本にしといて御覧……学界に報告してみるから……" ] ]
底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年8月24日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:kazuishi 2000年10月25日公開 2006年3月8日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "ココリ、リリリ、リリリ、リリリ。露子様、よくわかっておりますよ。私はよくわかっております。ツツリツツリキキリキキリ、御安心なさいまし、御安心なさいまし。あなたはきっと女学校にお這入りになれるようにして差し上げましょう。イヤ、今でも女学校にお這入りになれるのですが、只御両親のお許しが出るようにして上げます", "まあ、あなたが", "ハイ、私が。私は小さい虫ですけれども、私が持っている正しい同情の心は世界よりも大きく、山よりも重とう御座います。では左様なら、キキリツツリ" ] ]
底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年5月22日第1刷発行 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「海若藍平《かいじゃくらんぺい》」です。 入力:柴田卓治 校正:もりみつじゅんじ 2000年3月6日公開 2006年5月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000923", "作品名": "キキリツツリ", "作品名読み": "キキリツツリ", "ソート用読み": "ききりつつり", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1923(大正12)年2月", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-03-06T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card923.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集1", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年5月22日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "もりみつじゅんじ", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/923_ruby_21745.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-05-03T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/923_21746.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-05-03T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
[ [ "もはやこんなに茸はあるまいと思っていたが、いろいろの茸がずいぶん沢山ある", "あれ、お前のようにむやみに取っては駄目よ。こわさないように大切に取らなくては", "小さな茸は残してお置きよ。かわいそうだから", "ヤアあすこにも。ホラここにも" ], [ "まあ、毒茸はみんな憎らしい恰好をしている事ねえ", "ウン、僕が征伐してやろう" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「九州日報」    1922(大正11)年12月4日 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "046694", "作品名": "きのこ会議", "作品名読み": "きのこかいぎ", "ソート用読み": "きのこかいき", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1922(大正11)年12月4日", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-08-05T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card46694.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集7", "底本出版社名1": "三一書房", "底本初版発行年1": "1970(昭和45)年1月31日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年2月29日第1版第12刷", "校正に使用した版1": "1985(昭和60)年5月15日第1版第8刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "川山隆", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46694_ruby_27636.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46694_27682.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "失敬なことを言うな。うちにいる時は裸だけど、外に出る時にゃちゃんと三角の紙の着物を着て行くんだ。第一貴様の名前が生意気だ。キャラメルなんて高慢チキな面をしやがって、日本にいるのならもっと日本らしい名前をつけろ", "こん畜生、横着な事を言う。キャラメルが悪けりゃあカステイラは西班牙の言葉だぞ。シュークリームでもワッフルでも良いが、菓子にはみんな西洋の名前が付いているんだ。あめだのせんべいなぞ言うのはみんな安っぽい美味くないお菓子ばかりだ", "嘘を吐け。羊羹なんて言うのは貴様よりよっぽど上等だぞ。コンペイトウは露西亜語の名前だけれど、俺よりずっと不味いぞ。ウエファースなんていう奴はいくら喰ったって喰ったような気がしないじゃないか", "馬鹿を言え。あれでもなかなか身体のためになるんだ。おれなんぞは牛乳が入っているから貴様よりずっと上等だ", "こん畜生、おれだって肉桂が入っているんだ。肉桂はお薬になるんだぞ。貴様の中に牛乳が何合入ってりゃあそんなに威張るんだ", "何を小癪な", "何を生意気な" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「九州日報」    1922(大正11)年12月7日 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "046709", "作品名": "キャラメルと飴玉", "作品名読み": "キャラメルとあめだま", "ソート用読み": "きやらめるとあめたま", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1922(大正11)年12月7日", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-08-05T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card46709.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集7", "底本出版社名1": "三一書房", "底本初版発行年1": "1970(昭和45)年1月31日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年2月29日第12刷", "校正に使用した版1": "1985(昭和60)年5月15日第1版第8刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "川山隆", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46709_ruby_27637.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46709_27683.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "……ア……アノ蔵元屋どんの墓所の中で……シ……島田に結うた、赤い振袖の女が……胴中から……離れ離れに…ナ……なって……", "ゲッ……島田の振袖が……フフ振袖娘が……", "ハ……ハイ。足と胴体と、離れ離れになって……寝ておりまする。グウグウとイビキを掻いて……", "ヒヤッ……イビキを掻いて……それは真実……", "……コ……この眼で見て参じました。今朝、早よう……孫の墓へ参りました帰り途に、裏通りを近道して、祇園町へ帰ろうと致しましたれば……あ……あの桃の花の上がっておりまする、蔵元屋の……お墓の前で……" ], [ "アレが目明の良助さんばい", "ウン。あの人が御座りゃあ下手人は一刻の間にわかる", "いったい何処の娘かいナ", "今和尚さんが言い御座ったろうが。福岡一の分限者の娘たい", "福岡一の分限者?……", "蔵元屋の一人娘たい", "ゲッ。あの……蔵元屋の……アノ博多小町……" ], [ "キャ――ッ……", "おそろしいッ……" ], [ "和尚様。済みませんが莚を二つばかり貸いて下さらんか……", "ヘイヘイ。それはモウ。南無南無……", "アッ。蔵元屋の御寮さんが見えた。旦那どんも一緒に……" ], [ "ナア……和尚さん……", "ヒエッ……" ], [ "フフフ。其様にビックリせんでもええ。ほかでもないがなあ和尚さん……", "ヒエッ。早や……下手人が……お……おわかりになりましたので……" ], [ "ハハハ。まあさ。そう狼狽えなさんな。下手人どころか……まだ斬られた女の身の上さえ、わかっちゃおらん", "ゲエッ。御存じない" ], [ "イヤサ。蔵元屋の娘に相違ない事だけは、あの両親のソブリだけでもわかっとるが、それにしても腑に落ち兼ねることがアンマリ多過ぎるので、実は思案に余っておりますてや", "ヘエ。腑に落ちぬにも何も、あの美しい娘御が……コ……こげな恐ろしい事になろうとは……事もあろうに胴切りの真二つなぞと……" ], [ "……ところで和尚さん。元来あの蔵元屋は昔からこの万延寺でも一番上等の檀家で御座いましつろうがなあ和尚さん", "ヘエヘエ。それはモウ良助さん。御本堂の改築から何から、いつでも一番の施主で御座いましてなあ", "ウン。そんなら、お尋ねしますが、あの斬られた娘の両親の中でも、あの父親は腹からの町人で御座いまっしょう", "ヘエヘエ。それは拙僧が一番良う存じております。あの蔵元屋の御主人の伊兵衛どんと申しまするは元来、蔵元屋の子飼いの丁稚上りで、モトは伊之吉と申しました者……", "ウムウム。それでのうては辻褄が合わぬような気がする。とにかくこれは余程コミ入った容易ならぬ事件じゃ。ところであの母親の方はドウヤラ継母と私は睨みましたが……" ], [ "……ど……どうして御存じ……", "タッタ今、臭いと思いましたがな……", "ソ……それではあの母様が下手人……" ], [ "ハハハ。まさかあの女房が据物斬りの名人では通りますまい", "な……な……なるほど……", "ハハハ。ソコにはソコがありまっしょうがなあ。とにかく継母には相違御座いますまい", "……ま……まったくその通りで。お前様は見透しじゃ", "その前の母様……今の斬られた娘の実の母親と言うのは……", "ハハイ。あの娘御の実の母様の名は、たしかお民とか申しましたが、それはそれは賢いお方で、元来あの蔵元屋の家付のお嬢さんで御座いました。つまり今の伊兵衛どのは御養子で御座いますが、何を申すにも黒田様の御封印付のお金預りという大層もない結構な御身分……", "へえへえ。それは存じておりまするが、それならば今の御寮さんは……今の斬られた娘の継母どんの元の素性は……", "……ヘイ。あれはソノ……何で……", "構わずに聞かせて下されませ", "ヘイ。何でも相生町の芸妓衆とかで、素性もアンマリ良うないと言う世間の噂で御座いましたが……南無南無南無……", "ふうむ。名前は……", "たしかオツヤとかオツルとか……イヤイヤ、オツヤさんと申します筈……", "ふうむ。おツヤどん……年も二十くらい違いますのう……御主人と……", "さようで……あの斬られたお熊さんと十五違いぐらいで御座いましょうか……いつもお二人で仲よく当寺へお参りになりましたもので、他目には実の親娘としか見えませぬくらい仲が宜しゅう御座いましたが……南無南無南無……", "ふうむ。不思議不思議……ほかにあの蔵元屋の家付の者はおりまっせんかナア。たとえば番頭ドンとか、御乳母さんとか", "ホイ。それそれ。そのお乳母さんが一人おりますわい。あの娘御の小さい時からのお乳母どんで、たしかお島どんという四十四、五の……", "ふうむ。そのお島どんと、今の後妻のおつやどんとの仲はドゲナ模様か、御存じありますまいなあ", "さようさナア。三人一緒にお寺参りさっしゃる事もないでは御座いませぬが、それよりお島どんがタッタ一人で、よく前の奥さんのお墓を拝みに見えました", "前の奥さんのお墓を拝みに……なるほどなあ。そげな事じゃないかと思うた。イヤ良え事を聞きました。話の筋が通って来ます", "そうしてなあ良助さん。そのお島どんがなあ……御存じかも知れんが、当寺の本堂の……ホラ……あすこの裏手に住んでおりまする非人の処へイツモ立寄って行きましたそうで……これは寺男の話で御座いまするが……", "ハハア。あの非人の歌詠みの赤猪口兵衛の処へ……", "ホオ。良助さん。あの非人を御存じで……", "知っておるにも何も、私とは極く心安い仲で……ヘヘエ。あの赤猪口爺の処へ、そのお島どんが来おるとは知らなんだ", "ヘエ。滅多に見えませんがなあ、お島どんは……それでも御座るとアノ非人を相手に長い事話し込んで御座ったという話で……", "イヤ。重ね重ねよい事を聞きました。ところでその赤猪口爺は今おりますかなあ", "さあ。今朝は珍しゅう早よう何処かへ出て行きおったと寺男が申しておりましたが……", "ナニ。今朝早よう……ふうむ……" ], [ "一体全体、猪口兵衛どん。アンタはこの二日二夜、何処に消え失せて御座ったもんかいナ", "アハハハ。この頃は忙がしゅうてなあ。花の咲く頃は毎年の事じゃ。あっちの花見酒で酔い潰れ、こっちのお祝い酒で奢り潰されてなあ", "太平楽なにも程がある。わしゃこの二、三日、寿命を縮める思いをしながらアンタの行方を探いておったがなア", "アハハ。さすがの目明良助どんもこの私の行方ばっかりは、わかり難かったろうなあ。……ところでその用と言うのは何事かいな……", "……ほかでもないがなあ猪口兵衛どん。あの博多一番の分限者の一人娘で、蔵元屋のお熊さんチュウテなあ。十八か九の別嬪が、一昨日の朝早よう、万延寺の菩提所で、胴中から真二つに斬られとった騒動なあ……最早、聞いておんなさるじゃろう", "聞いとる処か。私の穴倉からツイ鼻の先の出来事じゃもの。あの朝早よう、イの一番に見て置いたが、残酷い事をしたもんじゃなあ。胴中から右と左の二段にタッタ一討ちの腕の冴えようは、当節の黒田様の御家中でも珍しかろう。そればっかりじゃない。口の中に真黒い血が一と塊泌み出いておる処を見ると、これは尋常事じゃないと気が付いた故、今日がきょうまで世間の噂を探りおったものじゃがなあ" ], [ "ウワア。さすがは猪口兵衛どん。もうアンタに先手を打たれたか", "先手なら商売柄アンタの方じゃろう。モウ当りが付いたかいな", "そ……それが、まあだカイモク付いとらんたい", "付かん筈がないがなあ。あの黒い血は毒殺した証拠じゃろう", "そこじゃ、そこじゃ。あの口の中の硫黄臭いところは擬いもない岩見銀山の鼠取り……", "ふん。その岩見銀山の鼠取りなら昔から大抵女の仕事ときまっとらせんかなあ", "エライ。さすがは猪口兵衛どん……わしもそこを睨んどる", "つまり殺いたのは女で、斬ったのは男という事になりまっしょう", "そこじゃ、そこじゃ。そこであの死骸を蔵元屋から担い出いた大風呂敷か何かが、そこいらに棄てて在りはせんかと一所懸命に探しまわったが、怪しい縄一筋、細引一本見当らんじゃった。これは大方手がかりになると思うて何処かへ隠いてしもうた物と睨んどるが、しかし又、万一そうとすればこの一条は、よっぽど深う、巧みに巧んだ仕事で、もちろん尋常の試し斬りや何かじゃない。事によるとこれは福岡中の目明を盲目扱いにした大胆者の所業ではないかと気が付いたわい", "エライ、エライ。そこまで気が付けば今一足で下手人に手がかかる。さすがは博多一の目明の良助さん", "おだてなさんな、面目ない。アンタの見込みはドウかいな" ], [ "それが、まだ届いとらん", "ハアテ……なあ……", "イヤ。これはイクラ猪口兵衛どんでも知らっしゃれん事じゃが、私がこの事件に限って匙を投げかけておるについては、深い仔細があることじゃ。実を言うとなあ。ほかの家の中の出来事なら、その日のうちに洗い上げるくらい何でもない事じゃが、あの蔵元屋に限って歯が立たん……", "アッ。成る程。これは尤もじゃわい", "なあ。そうじゃろう。何を言うにもあの蔵元屋と言うのは博多切っての大金持の為替問屋。御封印付のお納戸金を扱うておるほどの店じゃけに、万に一つも家柄に疵が付いてはならぬ。御用姿で踏込んで店の信用を落いてはならぬ。まかり間違うて大公儀の耳にでもそげな事が入ったなら、直ぐさま、黒田五十五万石のお納戸の信用に差響いて来るやら知れぬ話じゃけに、成る限り大切を取って極々の内密に、しかも出来るだけ速よう下手人を探し出せと言う大目付からの御内達で、お係りのお目付、松倉十内様も往生、垂れ冠って御座る。もちろん毒殺とあれば、何か知らん蔵元屋の内輪の紛糾から起った話に間違いないが、その肝腎の蔵元屋の内輪の様子がちっともわからん。指一本指されんと来とる", "成る程なあ。無理もないわい", "何を言うにもあの蔵元屋と言うのは、黒田五十五万石の御用金を扱うておる信用第一の店じゃけに、よほど秘密を口禁っとると見えて、イクラ上手に探りを入れても丁稚、飯炊女に到るまで、眼の球を白うするばっかりで、内輪の事と言うたら一口も喋舌り腐らん", "それはその筈じゃ。喋舌らせようとする方が無理じゃ", "そこで今度は方角を変えて、近所隣家や出入りの者の噂から探りを入れてみると、あの斬られた娘のお熊と言うのは、実を言うと先妻の子で、今の母親とは継しい間柄じゃげな。ところでその今の母親と言うのは前身は芸妓上りと言う事で、まだ色も香も相当残っとる年増盛りじゃが、そのような女にも似合わず、生さぬ仲のお熊を可愛がる事と言うものは実の母親も及ばぬくらいで、トテモ世間並を外れとる。お熊が五歳か六歳の頃から、奥座敷で二人ぎりの遊び相手になり始めたなら、日の暮れるのも忘れるくらい。何から何まで人手にかけずに育て上げて、ようよう妙齢になって来ると、裁縫だけは別として、茶の湯、生花、双六、歌留多、琴、三味線、手踊りの類を自分の手一つで仕込んだ上に、姿が悪うなると言うて、お粥と豆腐ばっかり喰わせおる。とんと芸妓の仕込みをそのままの躾けよう……", "フフフ。その通り、その通り。なかなか良う調べが届いとる", "その骨折りの甲斐があってか、去年の十二月に御城下でも蔵元屋に次ぐ金満家、福岡本町の呉服屋、襟半の若主人で、堅蔵で悧発者という評判の半三郎という男の嫁にという話が纏まって、結納まで立派に済んどる。本人同士もナカナカの乗気で、この三月の末には祝言という処まで進んでおったという話……", "ホンニなあ。まことに申分のない結構な縁談じゃったがなあ……しかし又、ようそこまで探り出さっしゃったなあ", "アンタに賞められると話す張合いがある。……ところがなあ。吉い事には魔が翳すちゅうてなあ。アンタも知っておんなさるか知らんが、この縁談に一つの大きな故障が入ったらしい", "ほオ。これは初耳じゃ", "ふうむ。アンタも初耳かいなあ", "ハハハ。初耳どころか。この縁談ばっかりは大丈夫、間違いのない鉄の脇差と思うて、結納の済んだ話を聞いて以来、安心し切っておったがなあ。一体その故障と言うのは何かいなあ", "それは、ほかでもない。この二月の初め頃から日田のお金奉行の下役で野西春行という若侍が、蔵元屋へチョイチョイ出入りするようになった", "エライッ……" ], [ "さすがは良助どんじゃ。あの若侍に目が付いたか", "眼が付かいで何としょう。縦から見ても横から見ても土地侍とは見えぬ人体じゃもん", "うんうん。上方風の細折結に羽二重の紋服、天鵞絨裾の野袴、二方革のブッサキ羽織に、螺鈿鞘、白柄の大小、二枚重ねの麻裏まで五分も隙のない体構え。あれで算盤弾くかと思われる筋骨逞しい立派な若侍じゃ。何処とのう苦味走ったアクの利く眼の配りは大阪役者なら先ずもって嵐珊吾楼どころ……と言うあの侍じゃろう", "ウン。それそれ。あの侍が蔵元屋へ出入りするようになってから、今まで口八釜しゅう娘の婚礼仕度の指図をしておった継母が、何とのう気の抜けたようになった。晴れ晴れしゅう進んでおった蔵元屋の祝言の支度が、いつからとものうダラダラになって来た。鼈甲屋や、衣裳屋、指物屋なぞの出入りが間遠になって来たのは、どうも怪訝しいと言う近所界隈の取沙汰じゃ……吾々もドウモそこいらが臭いような……事件の起りはその辺ではないかと言いたいような気持がするが、それから奥の深い事情が一つも判然らんけに困っとる。何を言うにも外から聞いた噂ばっかりが便りじゃけになあ……", "アハハ。大きにもっともな話……", "……又、大目付様からの御内達で、どのような場合でも蔵元屋の内幕に立入って、蔵元屋の信用に拘わるような事を探り立てしてはならぬ。しかも罪人は一刻も早よう引っ捕えいと言う注文じゃから先ず、これ位、困難しい探偵事件はなかろうわい。のみならず万一、この一件が片付き兼ねる……下手人がわからぬとなると吾々は元よりの事、御主人の松倉様まで、十手捕縄を返上せにゃならぬかも知れぬと言うので、松倉十内様は今のところ青息吐息、青菜に塩の弱りよう……", "ちょっと良助さん。お話の途中かも知れんが、その日田のお金奉行というものは初めて聞くが一体、何様なお役人かいなあ。又その下役の野西ナニツラと言う若侍が、蔵元屋へ入り込んで来た由来は……", "そこたい、そこたい。そこが私達の気を揉まする急所たい。実は私も委曲しい事は知らんがなあ。お目付の松倉さんから聞いた話を受売りするとなあ……豊後の日田という処は元来天領で、徳川様の直轄の御領分じゃ。何にせい筑紫次郎という筑後川の水上に在る山奥の町じゃけに、四方の山々から切出いて川へ流す材木というものは夥しいものじゃ。そこでその材木を引当てに大公儀から毎年お金が貸下げられる", "ハハア。噂に聞いた『日田金』と言うのはその金の事じゃないかいな", "ソレソレ。その日田金がドウヤラ今度の振袖娘胴切の事件の発端らしいケニ、世の中はどう持ってまわったものかわからん", "ハアテなあ。私の思惑がチット外れたかナ", "外れたか外れぬか、わからんがまあ聞いてみなさい。その日田金を日田の材木屋が下請けのようにして、日田の月隈の奉行所に御座る大公儀の御金奉行の監督を受けながら、九州の諸大名の城下城下におる御用金預り……博多で言えば蔵元屋のような主立った商人にソレゾレ貸付ける。その金で七州の諸大名の懐合いの遣繰りが付くという順序になっとる。そうすると日田の御金奉行は、その日田金を手蔓にして諸大名のお納戸金の遣繰りを初めとして、知行高の裏表、兵糧の貯蔵高まで立入ってコト明細に探り出す。謀反の兆でもあれば、何よりも先に日田のお金奉行にわかる。不審な処でもあれば直ぐに江戸へお飛脚が飛ぶ。大公儀から直接のお尋ねが突込んで来ると言う。言わば大公儀から出た諸大名の懐合いの見かじめ役が、日田の御金奉行じゃけに、その威光というものは飛ぶ鳥も落す勢いじゃ", "ハハア。成る程……われわれ非人風情には寄っても付けぬ初耳の話じゃ。しかしお蔭で話の筋道がダイブわかって来た", "……それじゃけにその手先の若侍と言うても大した者ばい。現在、蔵元屋に入り込みおる野西とか言う侍でも、黒田五十五万石を物の数とも思わぬ海千山千の隠密育ちに違いない。博多随一の鶴巻屋を定宿にして、蔵元屋の帳面をドダイにした黒田藩の財政を調べに来よるに違いないがなあ", "フン。そいつが一人娘のお熊の綺倆を見て、俺にくれいとか何とか言うて一睨み睨んだという筋になるかナ", "うむ。先ずそこいらかも知れんがなあ。当て推量はこの際禁物じゃ。相手が相手じゃけに滅多な事は考えられぬ", "それはそうじゃ。ハハン", "何にしても蔵元屋では徒や疎かには出来ぬお客じゃけにのう。そこへ起った今度の騒動じゃけに、そこには何かヨッポド切羽詰まった内輪の事情が在っての事……とまでは察しられるが、その事情を察する手がかりが一つもないので難儀しよるたい。大体大目付の注文が無理と思うが", "ハハハ。封印したビイドロ瓶の中味をば外から舐って、塩か砂糖か当てよという注文じゃけになあ。臭いさえわからぬものを……", "そればっかりじゃない。事件の起りが三月の十一日じゃろう。それから十二、十三と三日も経っとるのに下手人がわからんとは余りにも手緩いちゅうて、大目付から矢の催促じゃ", "ふうん。それは法外じゃ。上役と言うものは下役の苦労を知らんのが通例じゃが……", "……と言うのが……何でもその日田の御金奉行の野西春行という若侍が、あの騒動の起って以来、毎日、御城内の大目付、川村様のお役宅に押しかけて来て、この騒動がいつまでも片付かねば蔵元屋の信用にかかわる。蔵元屋の信用がグラ付けば、黒田藩の財政の信用がグラ付いて来て、蔵元屋に入れた日田金の価値が下がって来る。黒田五十五万石の勝手元に火の付くような事になろうやら知れぬ。さようなれば吾々も役目柄、その通りに大公儀へ申上げねばならぬが……サア、サア、サアとか何とか難癖をつけて催促をしおるらしい。さすが明智の川村様も弱り切って御座るという話……", "アハハ。大方それは袖の下の催促じゃろう", "もちろんじゃ。トテモこの下手人には吾々の手が及ばんと見て取っての無理難題の悪脅喝。やけに腹が立つわい", "腹が立つのう。今に眼に物を見せてくれようで……", "その上に、これも松倉どんから聞いた話じゃが、あの蔵元屋の後妻が野西の尻に付いて、場所もあろうに大目付の役宅へシャシャバリ出て『可愛い娘を祝言前に殺されて妾ゃ行く末が暗闇になりました。この下手人がわからねば妾ゃ死んでも浮かばれまっせん。そう思うております故、あれから毎晩、腰から下、血だらけになった娘のお熊が枕上に立ってサメザメと泣きまする』とか何とか言うて高声を立てて泣き崩れたとか言う話じゃが……", "ふうむ。そこいらの話がダイブ臭いのう。芝居も大概にせんと筋書が割れるが……", "さればと言うて臭いという証拠は何処にも在りゃせん", "アハハ。五十五万石の大目付、丸潰れと来たなあ", "それでももしや、お熊の縁談から起った意趣、遺恨じゃないかと思うて、襟半の方へ探りを入れてみると、花婿の半三郎も、今は隠居しとる父親の半左衛門夫婦も、神信心の律義者という評判に間違いないらしい", "それは毛頭間違いない。質素とした暮し向きでもわかる", "のみならず、結納まで済んだ話が、寝返りを打たれそうになっている事なぞはツイこの頃まで気付かずにおったらしく、騒動の起ったその日までコツコツと祝言の準備をしておった様子。よしんば知って知らぬ振りをしておったにしても、屍体を胴切りにするような大胆者が、襟半に出入りする模様なぞはミジンもない。理不尽に引っ括って痛め吟味にでも掛ければ、直ぐにも冤罪を引受けそうな気の弱い連中ばっかりじゃ。それじゃけにお目付の松倉さんはどっちかと言うと襟半をタタキ上げて事を片付けたい口ぶりらしいが、しかし襟半から手を廻わいて蔵元屋の娘を毒殺するというような筋合いは、どう考えてもないと言うて、私が一人で突張っとるがなあ", "それは当り前の話じゃ。襟半の内輪を知り抜いとる私が証人に立っても宜え。昔から腕前のない、手柄望みの役人は、すぐに弱い正直者を罪に落そうとするものじゃてや", "とは言うものの、蔵元屋の方も、家内の模様さえまだわかっておらぬけに、松倉どんもバッタリ行詰まって御座るが、さればとてほかには何の手も足もない。この良助を捕まえては、まだかまだかと言う日増しの催促じゃが、今度の事件ばっかりはイカナ俺も手に立たぬ。これ位、理屈のわからぬ不思議な人斬り沙汰は聞いた事もないけになあ", "そうたいなあ。理屈のわかる時節が来たなら二度ビックリするような話が、底の方に隠れておろうやら知れん", "そこでトウトウ思案に詰まった揚句がアンタの事じゃ。いつも何かと言うと私の知恵袋にしておったアンタを、直接に松倉様に引合わせて、私とも膝をば突合わせたなら、三人寄れば何とやら、よい知恵が出まいとも限らぬ……と言う私の一生涯の知恵を絞ったドンドコドンのドン詰めの思い付きじゃが、ドウかいな。都合のよい御返事を申上げて貰うたなら一杯奢るが……", "成る程なあ。それはドウモ……聞込み見込みなら在る処じゃない。今更言うまでもない事じゃが、あのお熊さん胴切の一件についてこの赤猪口兵衛に目を付けなさった処は、さすがに良助さんじゃ", "チッ。又おだてる……実は私が直接にアンタの話を聞いて、それを私の聞込みにして、お目付に申上げても済む事じゃが、それではイツモの通りお前の手柄を横取りするような恰好になるけに気持が悪い……のみならず今度の一件は、模様によると日田のお金奉行を相手に取るような事になろうやら知れぬ。黒田五十五万石の浮き沈みに拘わる一か八かの勝負に落ちるかも知れぬと思うたけに、特別に念を入れた極く内々の手配りで取りかかりたい私の考えじゃ。そこでこうして御迷惑じゃが、春吉三番町の松倉様のお屋敷まで、同道して貰うた訳じゃが……", "何の何の。滅相な。アンタのように物堅う話をさっしゃると身体が縮まります。非人同然の私が、お目付様のような大層な御身分の御方にお眼にかかる事が出来れば、それだけでも肩身が広うなりまする。勿体ない話じゃ", "断るまでもないがその代りに、お取調の模様は言う迄もない、今日お目付へお眼にかかった事までも、事件が片付かぬうちに他所へ洩らいたなら、アンタの首がないけになあ。その積りで承知して置いて貰わんと……", "それはモウ万事心得の承知の助。アトで一杯飲ませて貰いさえすれば、首の一つや二つ何のソノじゃ……", "冗談言いなさんな。アンタの首なら構うまいが、私の首となるとチットばかり惜しいわい", "アハハハ。そこで一首浮かんだがな", "ホホオ。何と……" ], [ "アハハ。馬鹿らしい。イヤ。何かと言ううちに向うに見えるが松倉様のお邸じゃ。あの珍竹垣から夾竹桃の覗いとる門構えじゃ。わしは役目柄ズッと入るけに、アンタはすこし遅れて、いつもの通りの物貰いの風で、人にわからん様、入んなさいや", "おっとアラマシ承知の助。そのために挿いて来た腰の渋団扇じゃ。アハハハ……", "何もかも知って御座る限りタネを打割って申上げて下されや", "オッと待ったり。そのタネの明かし工合は松倉さんに会うてみてから考えましょうわい。何にせいお初のお目見得じゃけに松倉どんがドレ位の御人物やらコッチもさっぱり見当が付かぬ。六分は他人、四分内輪の貧乏神と行きまっしょうかい。向う恵比寿の出た処勝負じゃ。ハハハ。鬼が出るか、蛇が出るか……" ], [ "……良助。御苦労であったぞ……その方が赤猪口兵衛か", "ヘエ。坂元孫兵衛と申しまするが本名で……ヘエ。以前は博多竪町の荒物屋渡世……当年五十六歳で……ヘエ……" ], [ "ウム。これは役柄をもって相尋ねるが、その方は只今も申す通りズット以前は博多の荒物屋渡世。大酒のために一家分散して昨今は博多瓦町の町外れ、万延寺境内に逼塞し、福岡博多の町々を徘徊して物を貰い、又は掃溜を漁りながら行く先々の妙齢の娘の名前、年齢、容色、行状、嗜みなんどを事細やかに探り知り、縁辺の仲介を致し、又は双方の相談相手になるのを仕事のように致しおる……という趣じゃが、それに相違ないか", "ヘエヘエ。相違ないどころでは御座いません。それが本職で……まだほかに歌も詠みます。その歌を書きました渋団扇を一枚五文で買うても貰います。よんどころない時は非人も致します。掃溜も毎日のように漁りますが、何と申しましても縁談の取持が一番、収入が多う御座います。どのような御大家でも縁辺のお話となりますと、一度はキット私の存じ寄りを聞きに御出でになりまっするで、私が、あれなら大丈夫と請合いますると、それからお話が進みまするような事で……ヘエ……" ], [ "ウム。それならば相尋ねるが、その方は博多蔵元町、蔵元屋の一人娘、お熊というものを存じておるか。この間万延寺境内で斬られたと申す。存じておるであろうな。あの一件を……", "ヘエ。あの娘の事ならば、実の親が知らぬ事までも存じておりまするが……", "ウムウム。それは重畳じゃ。実はあの娘の事に就いて少々相尋ねたいために今日、良助に同道致させた次第じゃが……万一、その方の申立てによってあの胴切りの下手人が相わかれば、褒美を取らするぞ", "ヘエヘエ。それはモウ。申上る段では御座りません。もはや御承知か存じませんが、あのお熊と申しまする娘は取って十八の一人娘、七赤の金星で、お江戸なら一枚絵とかに出る綺倆で御座いましょうな。五体中玉のような娘で御座いましたが、それでも存るべき処にはチャント在るものが……" ], [ "これこれ。要らざる事は聞かんでもええ。縁談の前調べではないぞ。しかしさすがは評判の赤猪口兵衛。事細やかに存じておるのう", "ヘヘ。そこが商売で……ヘヘ。襟半の若亭主、半三郎の嫁にというお話で一杯頂戴して、腕に縒をかけて調べ上げましたので、両親は勿論のこと、本人さえ知らぬ尻の割目の黒子までも存じておりまする", "はははは。それは何よりの話じゃが" ], [ "しかし、どうしてそのような事まで相わかるのじゃ。湯殿の口ばし覗いてみるか", "ヘヘヘ。そげな苦労は致しません。これ位の事ならお茶子サイサイで。ヘヘ。物を貰いに参りました序に、あの娘の背中を流す女中衆さんから聞き出したことで……私は、いつも其家此家の女たちの文使いをして遣りまするで、蔵元屋の女中さんも、詳しゅう話いて聞かせました上に、どうぞ御嬢様をば良い処へ世話して下さいと言うていつもオヒネリを十文ぐらいくれます。何処の女中でも、自分の付添うておる者には贔負が勝ちますもので……", "成る程のう。そちのような下賤の者でなければ出来ぬ芸当じゃのう", "まったくで御座いますお殿様……人間は上から下を見ると何もわかりませぬもので、その代りに下から上を見上げますると、何でも見透しに見えまする。ヘヘヘ。私はお蔭様で人間の中でも一番下におりまする仕合わせに……" ], [ "ウムウム。さすがは猪口兵衛じゃ。そこで今一つ尋ねるが、あの娘……蔵元屋の娘お熊には別に疵はなかったか", "ヘエ。疵と申しますると……", "ウム。たとえば何か他人に怨まれるような悪い癖はなかったかと申すのじゃ", "ヘエヘエ。成る程。お眼が高う御座いますなあ。その疵なら大在りで御座います。ちょっとそこいらに類のないドエライ疵が……", "ふうむ。それは耳寄りな……どげな疵じゃ", "バクチで御座います", "ナニ……博奕……" ], [ "さようで……蔵元屋のお熊は天下御法度の袁彦道の名人で御座いました。花札、骰子、穴一、銭占、豆握り、ヤットコドッコイのお椀冠せまで、何でも御座れの神憑りで……", "うううむ。これは意外千万な事を聞くものじゃ。あれ程の大家の娘が、あられもない賭博なんどとは……ちと受取り悪いが……", "ところが間違い御座いませんので……元来あの蔵元屋と申しまするは、蔵元町と申しまして町の名前にもなっておりまする位で、土蔵の数も七戸前。表向きは立派な為替問屋と質屋になっておりまするが、裏向きは筑前切っての大きな博奕宿で御座います。チトお話が荒う御座いますが、何にせい博多中の恵比寿講の帳面を預っておりますので、帳面合わせとか、金勘定とか申しまして、時々奥庭の別土蔵の二階でチャランチャラン遣っているのが、真夜中になると微かに聞こえます。その小判や二分金の音に混って、あのお熊の笑い声や『丁ソラ』『半ソラ』という黄色い掛声などがチラチラと聞こえて参りますので……", "ふうむ。容易ならぬ話じゃのう", "ヘエ。まだ御存じなかったので……", "ウムウム。あの蔵元屋は存じてもおろうが当藩の御用金を扱うておる者じゃけに、何事も大目に見ておったのでな。店の信用に拘わってはならぬとあって、役人体の者なぞは滅多に近寄らせんように取計ろうておったものじゃが……言語道断……", "ヘエヘエ。御尤も千万なお話で……それならば申上ますが御殿様……これは私一存の考えで御座りまするが、あの蔵元屋は最早、長い身代では御座いませんので……ヘエ……", "フウム。いよいよ以て言語道断じゃ。どうして相わかる……", "毎日毎日、同じ掃溜を覗いておりますると大抵その家の身代の成行きが判然って参りまする", "ふうむ。掃溜を覗いて……ハテ。どのような処に眼を付けるか" ], [ "エヘヘ。そう改まってお尋ねになりますると、実はお答えに詰まりますようで……ヘヘ。まあ私が持って生まれましたカンで御座いましょうナ", "ふうむ。カンと申すと……", "たとえば名人のお医者が、小便の色を見て病人の寿命を言い当てるようなもので、私どもは掃溜の色をタッタ一目見ますると、その家の奥の奥の暮し向きまで包み隠しのないところが、ハッキリとわかりまする", "うむ。なかなかに口広い事を申すのう", "まったくで御座います。論より証拠、私はあの蔵元屋の台所ならモウ二十年以来の古狃染で御座いますが……毎日お余りを貰いに参りますので……卑しい事を申上るようで御座いますが、蔵元屋の前の御寮さんの時は、それはそれは私どもに親切にして下さいました。祝儀、不祝儀の時の赤の御飯や、蒲鉾や半ペン、お煮付、油揚のようなものを、わざわざ取って置いて下さる。御酒なんぞも、お余りをタンマリと頂戴しましたもので……", "成る程……", "ところがそのアトで勝手口の塵埃箱を覗いてみますと、お野菜の切端のような物ばっかりしか御座いません。白い紙の切端、纏まった糸屑、長い元結の端くれさえも見当りませんくらい質素なもので、つまるところ蔵元屋の家内中がキリキリと引締まっておりまする。平生から粗末な物ばかりを喰べる習慣で、割当てようのない奢った副食物は故意と子供にも遣らずに非人の私に下さる。家内中の口を奢らせぬようにする……と言うのが前の御寮さんの心掛けで、さすが大家の御寮さんは違うたもの……これならば蔵元屋の身代は万劫末代、大磐石と中心から感心しておりました", "いかにもいかにも。尤も千万……", "ところが又その前の御寮さんが今のお熊さんを難産したアトの長患で死にまして、今度の後妻……お艶さんと申します……相生町の芸妓上りで……それになりますと女中衆の素振りまでが、見る間にガラリと違うて来ましたなあ。私どもが参りましても、飯炊どもが何もない何もないと言うて寄付けません。ホオラこれを遣ろうなどと言うて仕舞桶の汚れ水を引っ冠せたりする事も御座います。そこで後から掃溜を覗いてみますと、玉子焼や重ね蒲鉾の喰い残しのような立派なものが山を築くほど棄てて御座います。そんなにして棄てる位なら、塵埃箱へ入ずに取って置いてくれたなら……と思います位で……それであの蔵元屋の身代がどうなって行きよるか、おわかりなりまっしょう。町人の身代と言うものは脆いもので、聊かでも奢ったなら一たまりも御座いませんもので……ヘエ……" ], [ "ヘヘ……旦那様……横道へ入って恐れ入りまするが、私は元来、金持が嫌いで御座いまして……", "フーム。返す返すも珍しい事を申す。世の中に金ほど大切な物はないという事を、その方はよく存じておる筈じゃが……", "……そ……それがで御座います。旦那方の前では御座いますが、私どもは一口に非人と言われておりまするだけに、普通の人間とはチットばかり了簡が違いまする", "フウム。ドウ違うかの", "普通の人間がお金を欲しがるのは楽をしたいためで御座りまする。つまり、恥を掻きとうないため、義理が欠きとうないため、人情を外しとうないためで御座いまする。それが叶いませぬために貧乏神を怨んで、首を釣る者がおりまする位で……", "うむうむ。その通りじゃ", "ところが貧乏神でも神様は神様……怨んだり、軽蔑したり、粗略にしたり致しますると貧乏罰というものが当りまする。その証拠に今申しましたような訳で、貧乏神様を糞味噌のように言うて、ヤットの思いで逐い出いた人間がサテ、いくらかお金を溜めるようになりますると直ぐに、昔、粗略にした渋団扇の神様に取憑かれて、自分自身が家内中の貧乏神、不景気の親方になりまする。可愛い妻子に美味いものも喰わせず、楽しみもさせずに、恥は掻き放し、義理も欠き捨て、人情も踏付け通しで、そのたんびに首を縮めて盗賊と、詐欺と、非人の気持を繰返し繰返し、アチラで一文コッチで三文とクスネ込み溜め込むようになります。そこで世間の金持は一生涯、気の済まぬ事ばっかり。大きな顔をしてヌケヌケと人通りを行きながら、腹の中は言うに言われぬ地獄のようなタネ仕掛とカラクリばっかり。もしや他人に看破られはせぬか、知っている者に会いはせぬかとビックリ、シャックリ息を詰めて行きよります。ちょうどアノ日の目を恐れて流し先を潜りまわる溝鼠のような息苦しい一生を送る憐れさ。何のために金を溜めるやらわからぬお話で……つまり貧乏神を怨み憎んで、粗末にしてタタキ出いた罰で御座いますなあ。前に貧乏神を悪く言うた奴ほどこの罰が非道う当りまするようで……", "ハハハ。ナカナカの理屈じゃ", "それに引換えまして私共の一生は、まことに貧乏神様々で御座います。貧乏神様の御蔭なりゃあこそこげに気楽な一生が送れますので、福の神様が舞込んで来かかりますと、どうぞ他所様へ他所様へとお断り申上げますような事で、貧乏神から兄貴とも親分とも頼まれる心安さ。大切なものは貧乏徳利と渋団扇一枚。気にかかるものは一つも御座いません。仕事と言うては元手要らずの掃溜漁り。他所様のお余りで明日の生命に事を欠かぬ気楽さ。出放題の和歌を詠んでは人を笑わせ、縁を取持っては人間の種をアチコチに蒔いてまわるのが何よりの道楽で……棄てた水仙、粋ゆえ身故、水に濡れ濡れ花が咲く……とか申しますなあ。天道様の広大な御恵みの下で伸び伸びと暮いておりまする。千両箱の山を積んでもこの楽しみばっかりは、お譲りする訳に参りませんので……ヘエ……" ], [ "ウムウム。相わかった、相わかった……しかし話はモトへ戻るが、その蔵元屋の別土蔵の二階の金勘定が真実の金勘定でない、賭博に相違ないという事は何処で見分けたか", "やっぱり塵箱が物を申しますので……", "ふうむ。掃溜が物を言う……", "ヘイ。何処のお邸でも掃溜掃溜と軽蔑して、気安う物を棄てさっしゃりまするが、掃溜ぐらい家の中の秘密を喋舌るものは御座いません。蔵元屋の家でもそげな理由で、前の晩の暮方に覗いた塵箱を翌る朝、今一度覗いてみますると、晦日の晩なぞに蟹の塩茹の喰残しが真白う山盛りになっておる事が間々御座いまする。それが賭博を打った証拠で……", "フーム。賭博を打つと蟹の塩茹を喰するのが習慣にでもなっておるのか……", "エヘヘヘヘ。そのような訳では御座いませんが考えても御覧じませ。何にせよ恵比寿講の帳合いと言うたなら、一文二文の間違いにも青筋を立てて算盤を弾き合うような吝垂れた金持連中の寄合の事で御座いますけに仮令、仕事が夜通しがかりになったにしても、出て来るものは漬物にお茶か、せいぜい握飯ぐらいで、それでもペコペコと頭を下げてお礼を言うて帰るのが普通で御座います。それに引きかえて値段の高い晦日蟹の塩茹となりゃあ、どうしても三杯酢で一パイと言う処で、誰が聞いても恵比寿講の何厘何毛という利前勘定とは思われませぬ奢りの沙汰で御座います。それやこれやを考え合わせますると真実の処、蔵元屋は、今申しましたような身代の左前を取戻すために、賭博の胴親をしているものと存じますので……ヘイ……", "フウ――ム。成る程のう" ], [ "しかしその娘のお熊が博奕を打つという事は、どのような筋合いから相わかったか", "ヘエ。これは筋合いとか何とか申上げる程の事でも御座いません。ちょっと旦那方にはお気が付き難いかと存じますが、あの斬られましたお熊の髪の毛を御覧になれば、一目でおわかりになります事で……", "ナニ……何と申す。博奕を打つ者は髪形が違うと申すか", "エヘヘヘ。博奕を打つ髪形と言うものがあっては大変で。恐れ入りまするがあの娘の死骸は御覧になりましつろうなあ", "うむ。見た事はたしかに見たが、在来の高島田ではなかったかのう。崩れてはおったが……", "ところがあれが普通の島田では御座いませなんだので……私はズット以前からあの娘の外出姿に気を付けておりましたが、あの娘は普通よりもズット髪毛が長くて多い方で、どのようにでも大きく結われるものを、惜し気もなくグイグイと引詰めて結うておったもので御座います。そこで出入りの女髪結の口を毮って見ますると、これは継母とお熊さん自身の注文で、見かけの通り出来るだけ引詰めて在る上に、元結いも二本掛の処は四本掛、五本掛の処は麻紐で引締めておりますので、まことに結いにくいそうで御座いますが、何でも自宅で踊の稽古をするので崩れんようにと言う注文で御座いましたそうで……", "ううむ。それが又、何として博奕を打った証拠に相成るのじゃ", "ヘエ。それが、そればかりなら宜しゅう御座いますが、その外出頭の鬢から髱のあたりに気を付けてみますると、一度、毛がピッシャリと地肌に押付けられたものを、又掻き起いて恰好を付けた痕跡が、そのまま髪毛の癖になって、両鬢から髱を一まわり致しておりまする。これは疑いもない向う鉢巻を致しました証跡で……つまり丁半や花札を引きまする場合には、男でも鬢の乱れを止めるために幅広う鉢巻を致しまする者が多いので、博奕打の朝髪と申しまするのはこげな髪の乱れを隠すために、綺麗に手を入れるからで御座りまする。ましてあの娘は重たい島田を振立てて壺を振りまする以上、鉢巻を致しておりませぬ事には、第一、盆茣蓙の景気が立ちませぬ", "何と……あの娘が壺を振ったと申すか", "振りますとも、振りますとも。これは或る居酒屋で、わたくしの心安い本職の博奕打から聞いた話で御座いますが、あの別土蔵の二階で毎晩のように壺を振りまするのが、美しい振袖に緋縮緬の襷をかけた博多小町のお熊さんと言うので、博奕打仲間では知らぬ者もないという評判……", "驚き入った話じゃのう", "……ヘヘ……まだまだビックリなさるお話が御座りまする。その振袖娘の振る骰子が、内部に錘玉の付いたマヤカシ骰子と言う事実を存じておりまするのは今の処、広い博多に私一人かと存じますので……", "コレコレ。言語道断。話にも程がある。御法度も御法度の逆磔刑ではないか。どうしてそげな事が……", "ヘヘヘ。やっぱり掃溜から出たお話で……", "……やはり掃溜から……イカナ事……" ], [ "何でもない事で……ヘエ。そげな理由でお熊さんがアラレもない賭博を打つ……壺を振るらしいと言う見当がアラカタ付きますると、私も実のところ胆を潰しました。これは本職の嫁取婿取の仲立商売から申しましても容易ならぬ聞込みと存じましたので、なおも念を入れて蔵元屋の塵埃箱を掻き廻いておりますと、去年のちようど今頃の事で御座いましたか、或る日思いがけなく人間の歯の痕跡の付いた象牙の骰子の半分割れが出て参りました", "歯型の付いた骰子の片割れ……ふうむ", "さようで……それを見ますと私は他所事ながらドキドキ致しました。これは然るべき本職の博奕打が、お熊さんの振る骰子に疑いをかけて、あとでコッソリ噛み割ってみたものに相違ない。これは捨てて置かれぬ。お熊さんの生命は元よりのこと、蔵元屋の身代がガラ潰れのキッカケになろうやら知れぬ……と心付きましたけに、前にも申しましたお熊さんの乳母でモウ四十を越いたお島と言う中婆さんで御座いますが、それを露地の奥の暗がりへ呼出しまして突込んでみますると、気絶する程の魂消げようでガタガタ震い出しまして、どうぞこればっかりは……と手を合わせての頼みで御座います。お嬢様の生命に拘わっても言われぬと言う固い口ぶりで……ヘイ", "ふうむ。してみるとやはり今の話は実正と見えるのう", "さようで……その時は私も仕方なしに万延寺裏の住居へ引上げましたが……ところがそのお島と申しまする中婆さんが、翌る朝早く、急に里帰りの暇を貰うて来たと申しまして、万延寺裏の私の宅へ参りまして……猪口兵衛さんにあのような深い処まで探り出されておっては隠し立てをしても役に立つまい。どうぞこの事ばっかりは秘密にして、一刻も早よう御嬢様を蔵元屋の外へ出いて下さい。とても恐ろしゅうて恐ろしゅうて、気が揉めて気が揉めて……という涙ながらの物語で、蔵元屋の内幕を洗い泄い喋舌って帰りましたが、イヤモウ肝の潰れるお話ばっかりで……" ], [ "さあ。どのように申上げたら宜しゅう御座いましょうか旦那様……これと申すも全くお熊の両親どもの不心得から起りました事で……", "それはその筈じゃ", "元来あの蔵元屋の主人、伊兵衛と申しまするは養子で御座いましたが、御存じの通り家付の先妻が亡くなりますると、相券芸妓の照代こと、ゲレンのお艶と言うシタタカ女に迷い込みまして、かなりの金を注ぎ込んだあげく後妻に迎えました。処がこのお艶と申します後妻は、先年大浜で斬首になりました詐欺賭博の名人、カラクリ嘉平の娘だけありまして、仕掛博奕の手練者で、諸国の商人を手玉に取って絞り上げておったと言う話で御座いますが、それにしても同じ危い橋を渡るならば、いっその事、御封印のお金を扱うておる蔵元屋に乗込んで、一か八かの大仕掛の盆茣蓙に坐って一生涯の運命を張ってみたいというのが、骨の髄から賭事好きのお艶の本心であったらしく、あらん限りの手管で伊兵衛を綾なして首尾よく蔵元屋の後妻に坐ると間もなく、当時まだ六つか七歳で御座いました継子のお熊を手に入れて揉むほど可愛がり始めた処は、まことに見上げたものと言う評判で御座いました", "成る程のう", "……ところが今から考えますると、これが毒蛇よりも恐ろしい継母お艶の手練手管で、実情を申しますと何の可愛がる処か、自分の手に付けて遊ばせる振りをしては花札の手配りや、賽の目の数え方を仕込んだのがソモソモで、さような事には何の気もない、あどけないお熊が、物心付く頃には、もはや立派なカラクリ博奕の名人、壺振りの見透しと言う恐ろしい腕前に仕上げたもので御座います。そこで継母のお艶は何喰わぬ顔で亭主にすすめて、恵比寿講の名前で別土蔵の二階へ賭場を開きましたが、そこへ姿がよくなるように豆腐とお粥ばっかり喰べさせられている花恥かしい娘に京都下りの友禅の振袖を着せて壺を振らせますので、誰も疑う者はおりませぬばかりか、それはそれは大した繁昌で、宗像、早良の大地主、箱崎、姪の浜の網元なんどを初め福岡博多の大旦那衆、上方下りの荷主なんども、一度はお熊の壺振りを見に来るという勢いで御座いましたそうで、何を申すにも御封印のお金の御威光が光っております故、心配な事は御座いません。そこへ又そのお熊どんの愛嬌と腕前が両親も驚く自由自在で、本職の者に両手を押えられても瞬き一つせぬ手練の早業。息も吐かぬ間に骰子を掏り換えて、何の事もない愛嬌笑いにして見せると言う……おかげで蔵元屋の毎晩の上り高は大したものであろうが……これと申すもモトを質せばお熊さんの両親の不心得から起ったことで、お熊さんには何の罪も科もないこと。ことに最早、年頃のことじゃけに、早よう何処かへ嫁に遣って一刻も早くお嬢様の足を洗わせねば、わたしゃ心配で心配で夜の目も寝られませぬという、乳母のお島どんの涙ながらの物語……", "う――むむ" ], [ "う――む。返す返すも驚き入った話じゃのう。とても真実とは思われぬわい", "旦那様……", "何じゃ……" ], [ "このお話が真実で御座いませねば、その娘のお熊が斬られた話も真実では御座いますまい", "ううむ。しかし娘の死骸は身共がこの眼で見て来たのじゃから間違いはないが。ううむ" ], [ "旦那様……", "何じゃ……", "早ようお手当なさりませぬと、蔵元屋は夜逃げ致し兼ねますまいて……肝腎要の金の蔓の娘が殺されたので御座いますから……", "うう――――むむ……" ], [ "……しかしその方は何か……その下手人について心当りでもあるかの……", "ヘエ。それは在るどころでは御座いませんが", "申して見い……", "それが私の口からは申上げ兼ねまする名前で御座いまして……", "余が役目柄を以て相尋ねる事じゃ。遠慮する事はない。申してみい", "そ……それにつきましては只今、商売の歌を一つ詠みました。何卒お硯を拝借お許し下されませい", "何、歌を詠んだ……" ], [ "ふうむ。……まま母のままにしたさに粥殺し……とうふて近きは男女なりける……ふうむ。これは何の歌じゃ", "この騒動の原因はと申しますると、意外な男と女との関係ごとから起ったに違いないと思いました私の見込みを申しましたので……", "わからんのう。今些と平とう言うてみい", "その歌の中の謎が二字ばかり足りません。それがお気付きになれば下手人はわかります。それ以上平たくは申上げ兼ねますので……", "ううむ。いよいよわからぬ", "それならば今一つ詠みました。今度はおわかりになりましょう。一枚五文なら安いもので……ヘヘヘ" ], [ "ふうむ。……蔵元の娘胴切りそれかぎり熊なき詮議お先まっくら……赤猪口兵衛……", "ヘヘヘ。一枚五文なら安いもので……" ], [ "何も申しませぬ。今日の処は何卒……", "ならぬ。非人風情に大それた奴じゃ。ことにお先まっくらなぞと嘲弄されては役目柄が相立たぬわ。今一度引立ててまいれッ", "……ど……どうぞ御容赦を……良助めが今日までの御奉公に代えましてあの猪口兵衛の生命を手前共にお預け下されますれば有難き仕合わせ……あの猪口兵衛めは、まだ使い道が御座いますれば……このたびの蔵元屋騒動の下手人もどうやら存じておるらしく存じますれば、只今お斬り棄てになりましては如何かと存じまする。その代りにこの両三日のうちにはキット下手人を探り出いてお眼にかけまする私の所存……何卒……何卒御容赦を……" ], [ "イヤハヤもう。今度の御縁談ばっかりは、この赤猪口兵衛が一生涯の遣り損いで御座いました。面目次第も御座いません。肝腎要の御嫁御さんがあのように非業の最後をなさる間もなく、その御両親の蔵元屋の御一家が賭博宿の御疑いで、昨夜のうちに一人残らずお召捕になって、表口と勝手口に青竹の十文字が打付けられようなぞ言う事を、御結納前に見透し得なかったのは一生の大シクジリで御座いました", "どう仕りまして。決してそのような……" ], [ "いえいえ決してそのような……両親が申しまするには一旦、蔵元屋とお約束が出来て、結納までも取交いた上は、斬られたお熊さんは我家の娘も同様。それにつれて蔵元屋の御両親は、お前の義理の親様に当る道理。御縁の綱が切れても何とのう心残りがする。お熊さんの下手人を探し出いて貰わねばこっちも気が休まらぬと申しまして、様子を聞きに見えた目明の良助さんにもくれぐれも頼んでおりましたが、掻い暮れ手掛りが御座いません様子。そこへ又、昨晩の蔵元屋のお召捕騒動で、様子は丸きりわからず、気も顛倒しております処へ、今朝ほど良助さんがヒョッコリ見えましたので、蔵元屋の内幕を残らず承りました。その話によりますと昨日のこと、御城内で御家老様はじめお歴々がお寄合いになりまして、お目付の松倉様のお話をお聴取の上、大公儀からのお咎めのかからぬうちにと言うて至急に蔵元屋をお取潰しの御評議が決定りましたとの事で、最早どうにもならぬと言う良助さんのお話……", "ソレ見た事か。言わぬ事じゃない。お先まっくらの奴……ヒトの手柄を横取りし腐って……", "……エ。何と仰言います", "イエ、ナニ。こっちの事で……いや誠に結構な御評定で御座います。それが当然の道筋で、まだまだ手遅れでは御座いますまい。しかしビックリなされましたろうなあ", "イヤモウ……只今貴方様から承りましたお話とは寸分違わぬ蔵元屋の内幕で、驚きに驚きを重ねますばっかり……その上に又一つの驚きと申しまするのは、御城内から私の父の半左エ門へ御差紙が参りました。相尋ねたいことがある故、至急出頭せいとの……", "エッ御差紙が……至急出頭せい……貴方のお父様へ……そ……それは実正……" ], [ "……実正……実正どころでは御座いません。今朝ほど、今すこし前のまだ暗いうちに、御城内から大至急の赤札付きの御差紙が参りまして、年老っておりまする父、半左エ門へ即刻、出頭せいとの御沙汰で御座います。てっきり蔵元屋騒動のかかり合いと察しました私ども一家の驚きと悲歎のほど御察し下さいませ。取付く島もないままに来合わせました良助さんの分別を問うてみますと、イヤイヤ。これはお咎めの筋ではあるまい。別段、心配する程のことではあるまいが、これはとも角、一応、赤猪口兵衛様の御知恵を借りてその通りに分別する方が、間違いがのうて宜しかろうとの事で……", "ヘエ。良助さんがさよう申しましたか。私のことを……", "さようで……只今お縋り申すのは貴方様ばっかり。もしや父は下手人の疑いで引かれたのではないかと……", "ははあ……良助どんはそのお差紙を見ましたか", "いいえ。誰にも見せませぬ。正直者の父は一目見るなり、ただもう震え上ってしまいまして……" ], [ "ふうむ。わからぬなあ。いくら大目付様がウロタエさっしゃっても、手がかりも足がかりもない立派な人間に疑いをかけさっしゃる筈はないが……扨は松倉十内がうろたえたかな……", "ええッ。何と仰せられます", "まあさようせき込まずとユックリお話を聞きましょう。とりあえず御差紙は大目付様からの御状箱に入っておりましたか……", "さあ。大目付様にも何にも生まれて初めて見る御状箱で御座いましたけに、よくわかりませなんだが、お先方様のお名前は渋川様と御座いましたが……渋川ナニ吾様とか……", "エッ。渋川ナニ吾……それは御納戸頭の渋川円吾様では御座りませぬか", "おお。ソレソレ。その円吾様より私の父へ下されました御差紙……", "アッハッハッハッ。何の事じゃい。貴方の方がうろたえて御座る。アッハッハッハッ。芽出度めでたの若松様アアよオ……" ], [ "半三郎様……", "ハイ……", "しっかりなされませ" ], [ "アハハハ。これは又お義理の固いこと……有体な事を申しますると、この御心配ばかりは御無用になさいませ。義理も張りも相手によりまする。蔵元屋に限って御尽しになる義理張りは盗人に追銭も同様……", "何と仰せられまする。蔵元屋が盗人とは……", "さようさよう。盗人に相違御座いません。最早お察しかも知れませんが蔵元屋は自分の運の尽くる処とは知らず、一人娘を貴方様に差上げて、それを因縁にお宅の金を引出いて、自分の家の不始末を拭おうと巧謀んだもの……", "えっ。そ……それではお熊さんも同じ腹……" ], [ "そこじゃ、そこじゃ。そこが今度の蔵元屋騒動の大切なカン処じゃ……お熊さんばっかりは、タッタ一目で貴方様のお気に入りました通り、清浄無垢の身体と心……", "ええッ。それでは貴方のお話の、盆茣蓙の壺とやらを、お熊さんが振らっしゃったのは……", "……親孝行の一心からで御座いまする", "ヘエッ……そのような親孝行が……", "……御座いますから世間は広い。お前の壺の振りよう一つで蔵元屋の身代が立直るか、直らぬかの境い目と、両親に言い聞かせられたお熊さんの、一心から身を斬らるるような思いをしながら毎夜毎夜のカラクリ丁半……早よう死にたい死にたいと花の盛りのお熊さんが、神仏を祈って御座ったいじらしさ。さればお付の乳母のお島どんも、一刻も早ようお嬢さまを、何処かにお嫁に遣って下さい。その日暮しの日傭稼ぎ、土方人足、駕籠舁きの女房でも不足はない……というて、私に泣きながらの頼みで御座いましたが……" ], [ "ごもっとも……御尤もで御座いまする。まことにお痛わしいはお熊さん。親御様次第では蝶よ花よと、お乳母日傘の蔭になって、世間を知らぬ筈の御大家のお嬢さんが、浮川竹や地獄の苛責にも勝る毎夜毎夜の憂き苦労……世の中に、これほど親孝行の娘御が又と二人あろうかと思い込みました私が、何も言わずに貴方様の親御様へ、上々吉の花嫁御と、太鼓判を捺いておすすめ致したにつきましては私にも深い覚悟が御座いました。一旦、お輿入が済みました暁には、私から何もかも貴方の御両親に打明けまして、蔵元屋の蹄係にかからぬよう、襟半様の暖簾に傷の付かぬよう、又は黒田五十五万石の御納戸に障らぬよう、忠告を申上る覚悟でおりました。……また……これ程の親孝行な娘御の行末がお幸福にならねば、この猪口兵衛が天道様に対して相済まぬ。お宅様のようなお固い処へ縁付いて万事、円満く行かぬ筈はない……と見込みを付けましたのが猪口兵衛の一生の出来損い。親の因果が子に報いるとはこの事。因果の力ばっかりは、何処からどうめぐって参りますやら……", "……そ……それならば、お熊さんが斬られたのも御両親のため……", "斬られたのでは御座いません。継母のために毒殺されなさったので御座りまする", "……………" ], [ "それならば、その死骸を、あの墓原に持ち出いて斬りましたのは……", "日田のお金奉行の手先、野西春行と申しまする美男の若侍。最初、蔵元屋の帳面調べに参りまするうちに、お熊さんの容色に眼を付けて嫁にくれいと申し出たものらしゅう存じますが、そのうちに横着者の継母のお艶が、欲と色との二筋道から、この人間を手に入れて置けば帳面のボロを睨まれる気づかいなしという考えで、腕に縒をかけて自分の方へ丸め込み、娘のお熊を邪魔にしたものと思われまする。一生を一か八かで張って行く、お艶婆の本性が、そこいらにも見え透いておりますようで……そこで姥桜の、古狸のお艶のスゴ腕に丸め込まれた野西は、お熊さんの変死を隠すため、又はお上の眼を晦まそうという考えから、蔵元屋の夜具を包んだ風呂敷にお熊さんの屍骸を包んで、この墓原へ持って来て、一刀両断に斬り棄てました。御覧なされませ。この風呂敷で御座います。あとでこの風呂敷の捨て処に困りました野西は、自分の定宿の博多大横町、鶴巻屋へ持って帰って、炊き付けるばかりにしておる風呂場の釜の奥の方へコッソリと押込んで、モトの通りに鉋屑を詰めて置きましたものと思われまする……ところが悪いことは出来ませぬもので、翌る朝、暗いうちに風呂番の若い衆が鉋屑に火を付けますと、どうしても燃えが通りませんので、掻き出いてみまするとこの風呂敷。御覧なされませ。こうして拡げてみますると処々に煤の汚れが付いております上に燃えさしの鉋屑の臭気が一パイで、奥の方まで火が通らぬ釜の仕掛けに気づかなんだのが運の尽きの野西の無調法……このままソックリ風呂敷を横露地の掃溜箱に投込んで置いたのを、野西の様子を探りに行きました私が見付け出いて、その風呂番から残らず話を聞いてしまいました。その若い衆が炊付けを釜へ詰めたのがあの晩の九ツ半、風呂敷をゴミ箱に捨てた時に、御本丸の明け六つの太鼓が聞こえたと申しますから話がピッタリと似合います。……その野西という美男の若侍は、今日までも蔵元屋の騒動を他目に見た白々しい顔で、鶴巻屋に泊っておりまする筈。多分、蔵元屋の行末に見限りを付けたお艶婆と申合わせて、お金奉行の御威光で、蔵元屋の残り金を欲しいだけ奪り上げて、役目柄案内知った長崎あたりから、日本国の外へでも出る了簡で御座いましっろうか。それとも江戸、大阪へ紛れ込む積りで御座いましっろうか……その当てがガラリと外れた昨晩の蔵元屋のお召捕騒動。黒田藩の大目付様に先手を打たれて、今頃はボンヤリしておる事と存じまするが……この後始末はいずれ貴方様へかかって来る事と存じまするが……" ], [ "その事で御座います。これから先、大目付様が、日田のお金奉行の手先とは言え歴とした公方様の御家来の野西春行を、どのような風に処置さっしゃるか、お納戸頭が、蔵元屋の帳面の大穴をどう誤魔化さっしゃるかが、日本一の面白い見物で御座いましょうが、それは取りあえず貴方様の御決心には拘わりのないこと……悪い事は申しません。今までの事は今までの事として、綺麗サッパリと忘れておしまいなされませ。この御縁談のない昔と諦めて、どこまでも知らぬ顔をなされば何もかも無事に済みます。それが亡くなられたお熊さんの菩提のため……", "お熊さんの菩提のため……それが……", "さようさよう。まあお聞きなされませ。そうして万事落着しますれば、私が今度の遣り損いのお詫びの印に、今一人そのような曰くのミジンも付かぬ清浄潔白。日本一のお嫁御さんをお世話致します", "ヘエ。あの私に……", "ヘヘヘ。今から申上げて置いてもよろしい。お向家の焼芋屋の娘、お福さんで……", "ゲッ。あのお福さん……あの焼芋屋の……", "ヘヘヘ。御存じで御座いましょうが。あのように煤け返って見る影もない娘さんでは御座いますが、御大家の井戸の水で磨きをかけて御覧じませ。江戸土産の錦絵にも負けぬ位の眼鼻立ち……しかもその眼鼻立ちをよう御覧じませ。今までの貴方様のお許嫁、蔵元屋のお熊さんと生写しで御座いましょうが" ], [ "……ど……どうして御存じ……", "ハハハ。とっくからさよう思うて御覧じておりましつろう", "ハイ……まことに不思議な事と存じてはおりましたが……どうして又そのような事まで……", "ハハハ。知らいでありましょうかい。不思議な筈で御座います。あの娘は年齢から眼鼻立ち、背丈恰好、物腰、声音まで、死んだお熊さんに瓜二つ……と申す仔細は、ほかでも御座んせん。あれは蔵元屋の前の御寮さんが、辰の年に生んだ双生児の片割れ……", "ヘエッ。そんならお熊さんと……", "血を分けた姉妹と申上げたいが、おんなし人間……辰の年の双生児は一緒に育てるものでない。出世を競り合うて呪咀い合うものと聞いた、蔵元屋の前の御寮さんが、コッソリ里子に遣ったままにして置いた芋屋の娘……正しく蔵元屋の血統を引いた、お熊さん同様の一点の疵もない卵の剥き身、生さぬ仲の芋屋の老人夫婦を真実の親と思い込んでの孝行振りまで、お熊さんと瓜二つの生き写し。嫁は流しの先から貰えという諺も御座います。元を洗えば御両親も、お家柄に御不足は御座いますまい。この猪口兵衛が請合いまする", "はい。私どもの両親は失礼ながら貴方様を、どこどこまでも御信用申上げておりまする。申し忘れておりましたが、きょうもお団扇を一本土産に頂戴して参れとの事で……" ], [ "ハイ。ハイ。ありがとう存じます。……おかげ様で私も、やっと人心地が付きました。それならば両親によっく相談致しまして……", "お引合いにならば及ばずながら私が、お召し次第に伺いまする", "どうぞいつでもお構いなくお出で下さいませ。お茶なりと一つ……", "アハハハ。存じかけもない。お宅様へ上り込んでお茶を頂戴するような人間では御座いません。お台所口からこの方が……ヘヘヘ" ], [ "ふうん。この四、五日福岡博多で大流行のこの歌を知んなさらんか", "……知らん。こげな歌……", "知らんかなあ。知らんなら言うて聞かそう。この歌の心ばっかりは山上憶良様でもわかるまい。御禁制の袁許御祈祷のインチキ歌じゃ", "困るなあ。そげな仕事の下請けしよんなさるとアンタの首へ私が縄かけにゃならん", "インチキにかかる相手が疫病神なら仔細なかろうモン", "ナニ。疫病神……?……", "カンの悪い人じゃなあ。それで御用聞きがよう勤まる", "又、悪口が始まった。何かいなあ。その疫病神と言うのは……", "これはなあ。近頃痳疹が流行りよるけに何かよい禁厭はないかちゅう話から、わしが気休めに書いて遣った、意味も何もない出放題じゃ。句切れ句切れの頭の字を拾い集めると『はしかかるい』となっておるだけの袁許禁厭じゃ。ところが不思議なものでなあ。この歌を書いた渋団扇で痳疹の子供を煽いで遣るとなあ。如何な重い痳疹でも内攻も何もせずに、スウウと熱が除れるちゅうて一枚五文で飛ぶような売れ行きじゃ。昨日頼まれただけも百軒ばかり在る。世の中は何が当るやらわからん。痳疹の神様様じゃ", "ワハハハハ。成る程なあ。痳疹の神様とかけて大目付と解く。心は、インチキがお嫌い……と言う訳かな", "ワハハハ。謎々の名人が出て来た。昨日の儲けは帰りがけに皆飲んでしもうたが、明日は又これで飲めようぞ……ところで良助さん。この四、五日何処へ行て御座ったな", "ほう。わしの遠方行きをどうして知って御座るかいな。誰にもわからんように行て来たつもりじゃが", "何でもない事。タッタ今わかった", "どうしてかいな", "どうしてと言うて知れた事……この四、五日が間、福岡博多の何処の家にも下がっとるこの渋団扇の由来を知らんと言うからには、遠方行きにきまっとる", "成る程なあ", "ところで今日の用向きは何かいな。又、松倉さんの処へ来いじゃなかろうな" ], [ "アハハハ。よっぽど恐ろしかったばいなあ。もう彼様な目にゃ会わせん。きょうはちょっと礼言いに来た", "何の礼に……生命助けて貰うたお礼ならこっちから言う処じゃが……", "それ処じゃない。アンタのお蔭で俺ゃ、野西春行を落いて来た", "ふふん。あの松倉さんに遣った歌の句切れ句切れの一字一字拾い集めるとのにしはるとなっとる。誰が読めたばいな", "ほう。それは初めて聞いたが、それよりも五、六日前のこと。襟半の半三郎にアンタが話しよった経緯なあ", "あっ。立聞きしておんなさったか。そんなら詳しゅう喋舌らん処じゃったが……", "人の悪い猪口兵衛さん", "イヤサ……お目付の松倉さんが、どうぞと言うて私の門の口に立って、頭を下げて御座るまでは金輪際口を割らん積りじゃったが", "……人の悪い……そげな事じゃろうと思うたけに、襟半の若主人に入れ知恵してアンタの処へ遣って、アトから跟けて来て何もかも立聞きしてしもうた。そのアトでアンタが酒買いに行きなさった留守に、動かぬ証拠の風呂敷も貰うて置いた", "負けた負けた。一杯計られた。犬が啣えて行ったか、惜しい事したと思うておったが、アンタの方がよっぽど人が悪い……それからどうしなさった……", "アハハ。それから先がちょっとお話されんたい。野西を落すことは、たしかに落いたが……", "聞かんでもアラカタわかっとる。野西を跟けて国境いまで送んなさったろう", "図星図星。そこまで察していんなさるなら言おう。実は直ぐにも野西の宿の鶴巻屋に踏ん込もうかと思うたが、身分は軽うても野西は大公儀の役人。筑前領で手をかけては面倒になるし、又、油断もしおるまいと思うたけに、思い切って豊後と筑前境いの夜明の峠道で待ち受けたわい", "成る程なあ。あそこは追剥強盗が名物じゃけに仕事には持って来いじゃろう。しかし都合よう遣って来たかな野西が……", "ちょうど真昼のような月夜じゃったけに、こっちは処の猟師の姿に化けて錆びた火縄砲を一梃荷いでおったが、向うから覆面の野西がタッタ一人でスタスタと小急ぎに近付いて来たけに、こっちも身構えをして行くと『コレコレ、百姓百姓』と用あり気に向うから呼び止めながら近寄って来るなり、スレ違いざまに抜討ちに斬り付けおった", "ホオ。斬り付けた", "冴えた腕じゃったなあ。身構えをしておらにゃ今頃は蔵元屋のお熊さんに追付いとるかも知れん", "ハハア。あんたと言う事を感付いとったな", "うん。さようと見える。あれでも相当の悪党じゃったかも知れん。蔵元屋の騒動の筋書を書いた奴はコヤツじゃないかとその時に思うたなあ", "怪我はなかったかいな", "うん。右胴へ来た奴をチャリンと鉄砲の砲口で弾いたが、その切尖の欠けた刀を持ち直さぬうちに、十手を鍔元に引っかけて巻き落いた。真正面から組み伏せて、この頭で胸先を一当て当てながらようよう縄をかけた", "ほおお。それはお手柄じゃった。そこで何処の牢屋へ入れなさったか", "馬鹿な。牢へ入れたら事の破れじゃ。早縄をかけたまま横の山道へ担ぎ込んで、懐中物を取上げてみると案の定、蔵元屋の身上調べと、黒田藩のお納戸の乱脈を細かに調べ書きにしたものが、貸付証文と一緒に在ったわい", "あっ。なる程なあ。そこまでは気付かなんだ", "それさえ手に入れば、ほかに用事は一つもない。日田奉行をヒケラかして、俺達の前で勝手な事をし腐ったのが癪に障るばっかりじゃ。そこで彼奴から巻き落いた刀を彼奴の鼻の先に突付けたるや、大公儀の役人を何とすると、縄付まま威丈高になりおったけに、その顎骨を蹴散らかいてくれた。大公儀の役人というものは間男をして、盗人をして、カラクリ賭博を打って、罪もない娘を斬り棄てるのが役目かと、詰めてくれた", "ハハハ。聞いただけでも清々する。見たかったなあ。彼奴の顔が……", "月の光で見ると彼の生優しい顔が、鬼の様、釣り上ったがなあ。おのれ証拠が何処に在ると吐かしおったけに、何処にもない。ここに在る。この風呂敷の汚れを見い。この黒い血の痕跡と、女の髪の毛と、刀を拭いた汚れの痕跡と、風呂場の煤の跡が物を言う", "アハハハ。よう出来た、よう出来た……", "それでも得心せねばこの刀身の油曇に聞いて見いと言うたれば、眼の玉をデングリ返して言い詰りおった処を、真正面から唐竹割りにタッタ一討ち……", "やや。斬んなさったか", "斬らいで何としょう。生かいて置いては何処まで面倒になる奴かわからぬ。そこでガックリとなった奴を蹴返やいて、縄の端を解いてそこいらに在った道標の角石を結び付けた。それから懐中と言わず、袂と言わず小石を一パイに詰め込んで、刀と一緒に筑後川の深たまりへ蹴込んでくれた。アトの血溜りは枯草を積んで燃やいて置いたが……", "浮き上りはせんかな", "その心配は無用無用。それと言うのはかの野西がなかなか奢いた奴でなあ。羽二重の襦袢に博多織を締めとったけに、その中へ石を詰めとけば心配はない。羽二重や博多織は墓の中でも一番しまいまで腐り残るけになあ。今頃は鯉か鯰の餌食になりよろう。これで胸がスウッとしたわい" ], [ "アハハ。役柄にも意地があるばいのう", "イーヤ。意地ではない。これが目明根性と言うものか、話の筋がつづまらぬと、腹の虫が承知せんわい", "うむうむ。そこがアンタの他人と違う処ばい。お役目仕事じゃない証拠じゃ", "何でもよい。そこでその野西から取上げた調書と、証拠の風呂敷を松倉様の手から差出いたら、大目付では大層なお喜びで、松倉さんは直ぐに御加増の沙汰と聞いた", "ヘエ。そうしてアンタは……", "まだわからん。松倉さんが黙りコクッて御座る処を見ると、一文にもならぬかも知れぬ", "呆れたなあ。犬骨折って鷹に取らるるか……腕も知恵もないザマで立身出世ばっかりしたがる上役の下に付いとっちゃあ堪らんのう。人間外れたシコ溜め屋の奉公人とおなじ事じゃ", "しかし、ほかに気の向く仕事もないけにのう", "あんたはホンニ目明に生まれ付いた人じゃろう。欲も得もない", "それでも清々したわい。五十五万石に疵付ける虫を一匹タタキ潰いたで……お熊さんも成仏しつろう", "それはお互いじゃ", "これもアンタのお蔭と思うて今日は礼言いに来た。ちょっと一杯と言う処じゃが、今の懐合いではどうにもならぬけに、いずれ又……なあ……", "チョチョチョチョチョッと待ちない。その一杯で思い出いた。この一杯の上等のタネがここに一つ在るてや。済まんが襟半の半三郎さんの処へ、この団扇を一枚持って行て遣んなさらんか。そうすれば、きっと幾何か包まっしゃるけに……非人の分際で、お役人を追い使うて済まんばってん……", "何の何の。済むも済まぬもあるものか。一杯になる話なら……ハハハ……", "序の事に帰りに酒を買われるだけ買うてなあ。蒲鉾と醤油はお寺の井戸に釣って在るけに、ヒネ生姜と鰑を一枚忘れんようにな。アンタと差しで祝い酒を飲もうてや" ], [ "あははははは。それが解らんかいな。ツイこの間の話じゃが……", "アッハ。そうかそうか。成る程これなら一杯がものある。万事心得たり。ホッコリホッコリ", "あははははははは", "わははははははは" ] ]
底本:「夢野久作全集6」三一書房    1969(昭和44)年12月31日第1版第1刷発行    1993(平成5)年4月30日第1版第12刷発行 ※未発表原稿。昭和十一年の黒白書房版全集に編入の予定であったが、刊行中絶のためそのまま陽の目を見なかった。収録に際して原稿の欠落した部分はその旨断ってある。 入力:川山隆 校正:米田 2011年12月4日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "045628", "作品名": "狂歌師赤猪口兵衛", "作品名読み": "きょうかしあかちょこべえ", "ソート用読み": "きようかしあかちよこへえ", "副題": "博多名物非人探偵", "副題読み": "はかためいぶつひにんたんてい", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2012-01-31T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-16T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card45628.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集6", "底本出版社名1": "三一書房", "底本初版発行年1": "1969(昭和44)年12月31日", "入力に使用した版1": "1993(平成5)年4月30日第1版第12刷", "校正に使用した版1": "1993(平成5)年4月30日第1版第12刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "川山隆", "校正者": "米田", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/45628_ruby_45707.zip", "テキストファイル最終更新日": "2011-12-04T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/45628_45855.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2011-12-04T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
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"申訳御座らぬが、お許し下されい。……それとも又、関所の筋道に御懸念でも御座るかの……慮外なお尋ね事じゃが……", "ハッ。返す返すの御親切……関所の手形は仇討の免状と共々に確と所持致しておりまする。讐仇の生国、苗字は申上げかねまするが、御免状とお手形だけならば只今にもお眼に……", "ああイヤイヤ。御所持ならば懸念はない。御政道の折合わぬこの節に仇討とは御殊勝な御心掛け、ただただ感服いたす。息災に御本望を遂げられい。イヤ。さらば……さらば……" ], [ "……おお……よい湯じゃったぞ……", "おそれ入りまする。あの……まことに何で御座いますが、あちらのお部屋が片付きましたから、どうぞお越しを……", "ハハア。身共は二階でよいのじゃが……別に苦情を申した覚えはないのじゃが……", "……ハイ……あのう……主人の申付で御座いまして……", "……そうか。それならば余儀ない" ], [ "そちどもは客筋を見損なってはいやらぬか。ハハハ……身共は始終、この辺を往来致す者……斯様な部屋に泊る客ではないがのう……", "ハイ……あの……" ], [ "……まこと……主人の申付けか……", "……あの。貴方様が只今お湯に召します中に、お若いお武家様が表に御立寄りなされまして……", "……何……若い侍が……", "ハイ。あのう……お眼に掛って御挨拶致したい筋合いなれど、先を急ぎまする故、失礼致しまする。万事粗略のないようにと仰せられまして、私共にまで御心付けを……", "……ヘヘイ。只今はどうも……飛んだ失礼を……真平、御免下されまして……" ], [ "お前は……女中か……", "ハイ……あの当家の娘で御座います", "ふうむ。娘か……", "……ハイ。あの……お一つ……" ], [ "……ここは茶室か……", "ハイ。このあいだ、清見寺の和尚様が見えました時に、主人が建てました" ], [ "あの蝦夷菊はこの家の庭に咲いたのか", "いいえ。あの……お連れの奥方様が、お持ちになりました", "……ナニ……奥方様……" ], [ "旦那様は御存じないので……", "……ウムム……" ], [ "……あの……黒い塗駕籠の中に紫色の被布を召して、水晶のお珠数を巻いた手であの花をお渡しになりました。挟箱持った人と、怖い顔のお侍様が一人お供しておりました", "ウーム。不思議だ。わからぬな……", "ホホホホホホホ……" ], [ "……ちょっと主人を呼んでくれい", "ハイ……" ], [ "……これはこれは……まだ御機嫌も伺いませいで……亭主の佐五郎奴で御座りまする。……何か女中が無調法でも……ヘヘイ……", "イヤ。そのような話ではない。ま……ズット寄りやれ。実は内密の話じゃがの……", "ヘヘ……左様で御座いましたか。ヘイヘイ……それに又、申遅れましたが、先程は、お連れ様から、存じがけも御座いませぬ……", "アハハ。実はそのお連れ様の事に就いて尋ねたいのじゃが……", "ヘエヘエ……どのような事で……", "その、お連れ様という奥方風の女は、どのような人相の女であったろうか……", "……ヘエッ。何と仰せられます", "その御連様というた女の様子が聞きたいのじゃ", "……これはこれは……旦那様は御存じないので……", "おおさ。身共はその女を知らぬのじゃ", "……ヘエッ。これはしたり……" ], [ "……迂濶な事を致しましたのう。その奥方様に私が自身でお眼にかかっておりましたならば、何とか致しようも御座いましたろうものを……若い者の鳥渡した出入を納めに参いっておりまする間に、飛んだ無調法を忰奴が……", "イヤ。無調法と申す程の事でもない……が……御子息というと……", "ヘヘ。最前お背中を流させました奴で……", "ああ。左様か左様か。それは慮外致した", "どう仕りまして……飛んだ周章者で御座います。御仁体をも弁えませず、御都合も伺いませずに斯様な事を取計らいまして……" ], [ "アハハハ……その心配は無用じゃわい。すでに小田原でも一度あった事じゃからのう。つまるところ拙者の不覚じゃわい……", "勿体のう御座りまする", "……しかし供を連れた奥方姿というと話があまり違い過ぎるでのう。世間慣れた御亭主に聞いたら様子が解りはせんかと思うて、実は迷惑を頼んだのじゃが", "恐れ入りまする。お言葉甲斐もない次第で御座りまするが、只今のような不思議なお話を承りましたのは全くのところ、只今がお初で御座りまする。何をお隠し申しましょう。私も以前は二足の草鞋を穿きました馬鹿者で、ヘイ……この六十年の間には色々と珍らしい世間も見聞きして参りましたが、それ程に御念の入りました狐狸は、まだこの街道を通りませぬようで……", "……ホホオ……初めてと申さるるか", "左様で……表の帳場に座っておりましても、慣れて参りますると、お通りになりまする方々の御身分、御役柄、又は町人衆の商売は申すに及ばず、お江戸の御時勢、お国表の御動静までも、荒方の見当が附くもので御座いまするが……", "成る程のう。そうあろうともそうあろうとも……", "……なれども只今のような不思議な御方が、この街道をお通りになりました事は天一坊から以来、先ず在るまいと存じまするで……", "うむうむ……殊に容易ならぬのはアノ足の早さじゃ。身共も十五里十八里の道は日帰りする足じゃからのう……きょうも焼津から出て大井川で、したたか手間取ったのじゃが……" ], [ "……それは又お丈夫な事で……", "まして女性とあれば通し駕籠に乗ったとしてものう" ], [ "さればで御座りまする。貴方様のおみ足の上を越す者でなければ、お話のような芸当は捌けるもので御座いませぬが……とにかく私がこれから出向きまして様子を探って参いりましょう。まだ左程、離れてはおるまいと存じまするで……", "ああコレコレ。そのような骨を老体に折らせては……分別してくるればそれでよいのじゃが……", "ハハ。恐れ入りまするが手前も昔取った杵柄……思い寄りも御座いまするでこの場はお任かせ下されませい。これから直ぐに……", "……それは……慮外千万じゃのう……", "……あ。それから今一つ大事な事が御座りまする。念のために御伺い致しまするが、旦那様は、そのお若いお方の讐討の御免状を御覧になりましたか……それともその讐仇の生国名前なんどを、お聞き及びになりましたか", "いいや。それ迄もないと思うたけに見なんだが……", "……いかにも……御尤も様で、それでは鳥渡一走り御免を蒙りまして……", "……気の毒千万……", "どう仕りまして……飛んだお妨げを……" ], [ "おうおう待ちかねたぞ……ウムッ。これは熱い。……チト熱過ぎたぞ……ハハ……", "御免なされませ……ホホ……", "ところで今の主人はお前の父さんか", "いいえ。叔父さんで御座います。どうぞ御ゆっくりと申して行きました", "何……もう出て行ったのか", "ハイ。早ようて二三日……遅うなれば一と月ぐらいかかると云うて出て行きました" ], [ "ウーム。それは容易ならぬ……タッタ今の間に支度してか", "ハイ。サゴヤ佐五郎は旅支度と早足なら誰にも負けぬと平生から自慢にしております", "ウーム……" ], [ "コレ。平馬殿……手が上がったのう", "ハッ。どう仕りまして、暫くお稽古を離れますと、もう息が切れまして……ハヤ……", "いやいや。確かに竹刀離れがして来たぞ。のう平馬殿……お手前はこの中、どこかで人を斬られはせんじゃったか。イヤサ、真剣の立会いをされたであろう" ], [ "ふううむ。意外な話を聞くものじゃ", "ハッ。私も実はこの不思議が解けずにおりまする。万一、私の不念ではなかったかと心得まして、まだ誰にも明かさずにおりまするが……", "おおさ。話いたらお手前の不覚になるところであった", "……ハッ……" ], [ "アハハ……イヤ叱るのではないがのう。つまるところお手前はまだ若いし、拙者のこれまでの指南にも大きな手抜かりがあった事になる", "いや決して……万事、私の不覚……", "ハハ。まあ急かずと聞かれいと云うに……こう云えば最早お解かりじゃろうが、武辺の嗜みというものは、ただ弓矢、太刀筋ばかりに限ったものではないけにのう……", "……ハ……ハイ……", "人間、人情の取々様々、世間風俗の移り変りまでも、及ぶ限り心得ているのが又、大きな武辺のたしなみの一つじゃ。それが正直一遍、忠義一途に世の中を貫いて行く武士のまことの心がけじゃまで……さもないと不忠不義の輩に欺されて一心、国家を過つような事になる。……もっともお手前の今度の過失は、ほんの仮初の粗忽ぐらいのものじゃが、それでもお手前のためには何よりの薬じゃったぞ", "……と仰せられますると……", "まま。待たれい。それから先はわざと明かすまい。その中に解かる折もあろうけに……とにも角にもその見付の宿の主人サゴヤ佐五郎とかいう老人は中々の心掛の者じゃ。年の功ばかりではない。仇討免状の事を貴殿に尋ねたところなぞは正に、鬼神を驚かす眼識じゃわい", "……と……仰せられますると……" ], [ "アハハハ。まあそう急がずと考えて見さっしゃれ。アッサリ云うてはお手前の修行にならぬ。……もっともここの修行が出来上れば当流の皆伝を取らするがのう……", "……エッ。あの……皆伝を……", "ハハハ。今の門下で皆伝を許いた者はまだ一人もない。その仔細が解かったかの……" ], [ "……平馬殿……", "……ハッ……", "貴殿の御縁辺の話は、まだ決定っておらぬげなが、程よいお話でも御座るかの……" ], [ "うむうむ。それならば尚更のことじゃ。念のために承っておくがのう。その今の話の美くしい若侍とか、又は見付の宿の奥方姿の女とかいうものが、万一、お手前を訪ねて来たとしたら……", "エッ。尋ねて参りまするか……ここまで……", "おおさ。随分、来まいものでもない仔細がある。ところで万が一にもそのような人物が、貴殿を便って来たとしたら、どう処置をさっしゃるおつもりか貴殿は……", "……サア……その時は……とりあえず以前の馳走の礼を述べまして……", "アッハッハッハッハッハッ……" ], [ "……あの……申上げます", "何じゃ金作……草取りか……", "ヘエ……その……御門前に山笠人形のような若い衆が……参いりました", "……何……人形のような若衆……", "ヘエ……その……刀を挿いて見えました", "……お名前は……", "……ヘエ……その……友川……何とか……" ], [ "……これは又……どうして……", "お久しゅう御座います" ], [ "……して御本懐をお遂げになりましたか", "はい。それが……あの……" ], [ "……ナ……何と……", "……妾は、父の怨みを棄てました、不孝な女で御座います。小田原の松原からこのかた、あ……貴方様の事ばっかり……思い詰めまして……", "……エエッ……", "……お……お慕い申して参りました。討たれぬ……討っては成りませぬ仇とは存じながら……ここまで参いりました。せめて貴方様の……お手にかかりたさに……一と思いの……御成敗が受けたさに……受けとうて……" ], [ "……ヒ……卑怯者ッ。その讐仇を討つのに……邪魔に……邪魔になるのは貴方一人……", "……エエッ……さてはおのれ……", "お覚悟ッ……" ], [ "……のう……一存の取計らいとはいう条、仮初にも老中の許し状を所持致しておる人間じゃ。無下に斬棄てたとあっては、無事に済む沙汰ではないがのう……お江戸の威光も地に墜ちかけている今日なればこそじゃ。それに又、佐五郎老体の言葉添えが、最初から立派であったと云うからのう。番頭の筆頭が感心して話しおったわい", "どう仕りまして……無調法ばかり……", "いや。なかなかもって……お関所破りの贋せ若衆とあれば天下の御為に容易ならぬ曲者と存じ、当藩の役柄の者に付き纏うところを、ここまで逐い詰めて参いったとあれば、大目附でも言句はない筈じゃからのう……殊更に御老中の久世広周殿も、お役御免の折柄ではあるし、迂濶な咎め立てをしようものなら却って無調法な仇討免状が表沙汰になろうやら知れぬ。思えば平馬殿は都合のよい『生き胴』に取り当ったものじゃのう。ハッハッハッ……" ], [ "……あれからこの四五日と申しますもの、御城下では平馬殿のお噂ばっかり……", "うむうむ。そうあろうとも……イヤ。天晴で御座ったぞ平馬殿。あの時に、どう処置をされるおつもりかと聞いたのはここの事じゃったが……ハッハッ。よう見定めが附いたのう。佐五郎殿。そうは思われぬか……", "御意に御座います。先生様の御丹精といい、その場を立たせぬ御決断とお手の中……拝見致しながら夢のように存じました", "うむうむ。然るにじゃ。あの女の正体を平馬殿の物語りの中から見破って来た、佐五郎老体の眼鏡の高さも亦、中々もって尋常でないわい。実はその手柄話を聞きたいが精神で、平馬殿に申し含めて、斯様に引止めさせた訳じゃが……門弟共の心掛にもなるでのう", "身に余りまするお言葉、勿体のう存じまする。幅広う申上げまする面目も御座りませぬが、初めて石月様のお物語を承っておりますうちにアラカタ五つの不審が起りました", "成る程……その不審というのは……", "まず何よりも先に不審に存じましたのは、仇討に参いる程の血気の若侍が、匂い袋を持っていたというお話で御座いました。まことに似合わしからぬお話で……これは、もしや女人の肌の香をまぎらわせるためではないかと疑いながら承わっておりますると案の定、それから後の石月様の心遣いに、女ならでは行き届きかねる節々が見えまする……これが二つ……", "尤も千万……それから……", "三つにはその足の早さ……四つには、その並外れた金遣い、……それから五つにはその眼を驚かす姿の変りようで御座りまする", "いかにものう……恐ろしい理詰めじゃわい", "ザッと右のような次第で、つまるところこれは稀代の女白浪ではあるまいか。さもなければお話のような気転、立働らきが出来る筈はないと存じ寄りましたのが初まりで……", "うむうむ……", "年寄の冷水とは存じましたが、御覧の通り最早六十の峠を越えました下り坂の私。空車を引いている折柄で御座います、戻り駄賃に一世一代の大物を引いて見ようか……と存じますと一気に釣り出された仕事で御座いましたが、タッタ一足の事で石月様に先手を打たれまして……ヘヘヘ。面目次第も御座いませぬ", "イヤイヤ。それにしても流石は老練じゃ。並々の者に足跡を見せる女ではないわい", "……ところでお言葉はお言葉と致しまして、ここに一つの不審が御座りまするが如何で御座りましょうか。御無礼とは存じますれど……", "何の何の。何の遠慮が要ろう。何なりと存分に問うて見られい", "ヘヘイ。有難う存じまする。それではお伺い申上げまするが、先生様が、石月様のお話から、仇討免状の正体カラクリを、お覚りになりました次第と申しまするは……", "アハアハ。何事かと思うたればその事か。それなれば何でもない。他愛もない事じゃ", "……と……仰せられまするは……", "うむ。追ってお尋ねを受ける事と思うが、実は身共も少々あの女に掛り合いがあっての", "ヘエッ。これは亦、思いも寄りませぬ", "ほかでもない。忘れもせぬ昨年の十月の末の事じゃ。久方振りに殿の御用で江戸表へ参いっておる中に、あの願書の当の本人、友川矩行という若侍から父の仇敵と名乗り掛けられてのう……", "ヘエッ。いよいよ以て不思議なお話……", "おおさ。しかも馬場先の晴れの場所で、助太刀らしい武士が二人引添うておったが聊か肝を奪われたわい。面目ない話じゃが聊か身に覚えのない事じゃまで……", "成る程……御尤も様で……", "しかし迂濶に相手はならぬ。何か仔細がある事と思うたけに咄嗟の間に身を引きながら、如何にも身共は黒田藩の浅川一柳斎に相違ないが、何か拙者を讐仇と呼ばれる仔細が御座るか。然るべき仇討の免状でも持っておいでるかと問うてみたればそれは無い。在るには在ったが、浅草観世音の境内で懐中物と一所に掏られてしもうたと云うのじゃ", "ハハア。どうやら様子がわかりまする", "うむうむ。そこで……然らば、お気の毒ながら仇呼ばわりは御免下されい。第一毛頭覚えのない事……と云い切って立去りかけたところ、助太刀と共々三人が、抜き連れてかかりおった。……然るにこの助太刀の二人というのが相当名のある佐幕派の浪人で、身共の顔を見識りおって友川の手引をしたらしいと思われたが、事実、三人とも中々の者でのう。最初は峰打ちと思うたが、次第にあしらいかねて来た故、若侍を最初に仇ち棄てて、返す刀に二人を倒おしたまま何事ものう引取ったものじゃ……しかし、それにしても若侍の事が何とのう不憫に存じた故、それから後に人の噂を聞かせてみたところが、何でも身共の姓名を騙って飲食をしておったどこかのナグレ浪人共が、別席で一杯傾けておった友川某という旗本に云い掛りを附けて討ち果いた上に、料理を踏倒おして逃げ失せおった。そこでその友川の枕元に馳付けた兄弟二人が、父の遺言を書取って、仇討の願書を差出したものじゃが、しかしその友川某という侍は兄弟二人切りしか子供を持っておらぬ。その中でも兄の方は、とりあえず家督を継ぐには継いだが、病弱で物にならぬ。その代り弟の方が千葉門下の免許取りであったからそれに御免状が下がった……というのが実説らしいのじゃ。不覚な免許取りが在ったものじゃが、つまるところ、そこから間違いの仇討が初まった訳じゃ……その第一の証拠には、その旗本が斬られたという五月の頃おい、拙者はまだこの福岡に在藩しておったからのう……ハハハ。とんと話にならん話じゃが……" ], [ "ああ。それで漸々真相が解かりましたわい。実は私も見付の在所で、お下りのお客様からそのお噂を承りまして聊か奇妙に存じておりましたところで……と申しますのはほかでも御座いませぬ。この節のお江戸の市中は毎日毎日斬捨ばかりで格別珍らしい事ではないと申しますのに、只今のお話だけが馬場先の返討と申しまして、江戸市中の大層な評判……", "ほほう。それ程の評判じゃったかのう", "間違えば間違うもので御座いまする……何でもその友川という若いお武家が、返り討に会うた会うた。無念無念と云うて息を引取りましたそうで、その亡骸の紋所から友川様の御次男という事が判明りました。それに連れて二人の助太刀も、同じ門下の兄弟子二人と知れましたが、それにしてもその返り討にした片相手は何人であろう。助太刀共に三人共、相当の剣客と見えたのを、羽織も脱がぬ雪駄穿のままあしろうて、やがて一刀の下に斬棄てたまま、悠々と立去る程の御仁のお名前が、江戸市中に聞こえておらぬ筈はないと申しましてな……", "ハハハ。友川の兄御も、お役を退かれた久世殿もその名前を御存じではあったろうが、何にせい相手が霞が関の黒田藩となると事が容易でないからのう", "御意の通りで御座います。……ところがここに又、左様な天下の御威光を恐れぬ無法者が現われました……と申しますのは、その御免状を盗みました掏摸の女親分で御座いまして、当時江戸お構いになっておりました旅役者上りの、外蟇お久美と申しまする者が、その評判に割込んで参いりましたそうで……", "うむ。いよいよ真相に近づいて来るのう", "御意に御座いまする。そのお久美と申しまするは、まだ二十歳かそこらの美形と承りましたが、世にも珍らしい不敵者で、この評判を承りますると殊の外気の毒がりまして、お相手のお名前は妾が存じておりまする。キット仇を取って進ぜまするという手紙を添えて、大枚の金子を病身の兄御にことづけた……という事が又、もっぱらの大評判になりましたそうで……まことに早や、どこまで間違うて参りまするやら解からぬお話で御座いますが……", "ハハハ。世間はそんな物かも知れんて……", "しかし、いか程お江戸が広いと申しましても、それ程に酔狂な女づれが居りましょうとは、夢にも存じ寄りませなんだが……", "ウムウム。その事じゃその事じゃ。何を隠そう拙者も江戸表に居る中にそのような評判を薄々耳に致しておるにはおったがのう。多分、そのような事を云い触らして名前を売りたがっておるのであろう。真逆……と思いながら打ち忘れておったところへ平馬殿の話を承ったものじゃから、実はビックリさせられてのう。あんまり芝居が過ぎおるで……", "御意に御座いまする。もっともあの女も最初は、まだ評判の広がらぬ中に、御免状とお手形を使うて、関所を越えようという一心から、敵討に扮装ったもので御座いましょう。それから関西あたりへ出て何か大仕事をする了簡ではなかったかと、あの時に推量致しましたが……", "いかにも――……ところが佐五郎どの程の器量人に逐われるとなると中々尋常では外されまい。事に依ったらこの方角へ逃げ込んで来まいものでもない。しかも当城下に足を入れたならば、何よりも先に平馬殿の処へ参いるのが定跡……とあの時に思うたけに、一つ平馬殿の器量を試めいて見るつもりで、わざっと身共の潔白を披露せずにおいたものじゃったが。いや……お手柄じゃったお手柄じゃった……", "まことにお手際で御座いました", "ハハハ……平馬殿はこう見えても武辺一点張りの男じゃからのう……" ] ]
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年10月22日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:篠原陽子 2001年4月7日公開 2006年2月22日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "ふうむ。愛子さん……", "ハイ……", "あんたはこの手紙の主に心当りがあるのかね" ], [ "ハイ。やっと思い出しました。それは二十七八の若旦那風の人でした。待合ではオオさんと云っておりましたが、お名前は大深さんと云いましたか……お召物からお金遣いまでサッパリした方で、いいえ。手は両方とも職工らしくない、白い綺麗な手でした。お酒が少しばかりまわりますと、親切に色々と妾の身上をお尋ねになりましたので、何もかも真個の事をスッカリ話しました。金兵衛さんの事までもスッカリ……毎月二十五日が本郷の無尽講の寄合なので、帳面とお金を持って行かれる。その帰りに電車で妾の所へ見える事まで話しました。その若い方は何でも、信州の或るお金持の御養子さんで、東京へ来て高等工業学校へ這入ったが、養家が破産したために学校へ行けなくなった。それから色々苦労をして稼ぎながら、築地の簿記の夜学校へ這入っているうちに、半年振りに養家の残りの財産が自分のものになったから、煙草を買うたんびに思っていた君を名指しにして遊びに来た。これから時々来るから……といったようなお話で、お宅は芝の金杉という事でしたが……それはそれは御親切な……", "……ふうん。それから、シッポリといい仲になったって訳だね" ], [ "どうして御存じ……", "アハハ。この手紙に書いてあるじゃないか。どこだい、それは……", "昨日、伯父さんの法事をしに深川へまいりました", "アッ。月島の渡船に乗ったんだね。成る程成る程。その時にアンタと一緒に乗っていた二人の男の風体を記憶えているかね" ], [ "妾は眼が悪う御座いますので、三尺も離れた方の風体はボーッとしか解りませんが……", "わからなくともいいからアラカタの風采でいいんだ。二人とも紳士風だったかね", "いいえ。一人は青い服を着た職工さんで、もう一人は黒い着物を着た番頭さんのような方でした", "その職工みたいな男の人相は……" ], [ "あの……鳥打帽を……茶色の鳥打帽を眉深く冠っておられましたので、よくわかりませんでしたが、モウ一人の方はエヘンエヘンと二つずつ咳払いをして、何度も何度も唾をお吐きになりました", "アハハ。そうかそうか、それは色の黒い、茶の中折を冠った、背の高い男だったろう。金縁の眼鏡をかけた……" ], [ "オイ。給仕、控室の石室君にチョット来てもらってくれ", "かしこまりました" ] ]
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年10月22日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:ちはる 2000年12月18日公開 2006年2月23日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002115", "作品名": "近眼芸妓と迷宮事件", "作品名読み": "きんがんげいしゃとめいきゅうじけん", "ソート用読み": "きんかんけいしやとめいきゆうしけん", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-12-18T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2115.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集10", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年10月22日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "ちはる", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2115_ruby_21849.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-02-23T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2115_21850.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-02-23T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "ウム。在る。しかし素人じゃ", "ハハア。誰に就いて御修業なされましたかな" ], [ "君一人か", "ハイ" ], [ "フーム。正しい奴の方が、不正な奴よりもズット多いじゃないか", "ハイ" ], [ "どこか、お悪いのですか", "ウム。修繕りよるとたい。何かの役に立つかも知れんと思うて……" ], [ "世の中で一番恐ろしいものは嬶に正直者じゃ。いつでも本気じゃけにのう", "四五十年も前の事じゃった。友達の宮川太一郎が遣って来て、俺に弁護士になれと忠告しおった。これからは権利義務の世の中になって来るけに、法律を勉強して弁護士になれと云うのじゃ。その後、宮川は牛乳屋をやっておったが、まだ元気で居るかのう。俺に弁護士になれと云うた奴は彼奴一人じゃ" ], [ "オイ。奈良原。今度こそ斬られるぞ", "ウン。斬るつもりらしいのう", "武士というものは死ぬる時に辞世チュウものを詠みはせんか", "ウン。詠んだ方が立派じゃろう。のみならず同志の励みになるものじゃそうな", "貴公は皆の中で一番学問が出来とるけに、嘸いくつも詠む事じゃろうのう", "ウム。今その辞世を作りよるところじゃが", "俺にも一つ作ってくれんか。親友の好誼に一つ頒けてくれい。何も詠まんで死ぬと体裁が悪いけになあ。貴公が作ってくれた辞世なら意味はわからんでも信用出来るけになあ。一つ上等のヤツを頒けてくれい。是非頼むぞ" ], [ "オイオイ百姓。高知という処はドッチの方角に当るのか", "コッチの方角やなモシ", "ウン。そうか" ], [ "オイ。頭山。忍草が在るぞ。採って行こう", "ウム。オヤジが喜ぶじゃろう" ], [ "オイ。頭山。これはトテモ持って行けんぞ", "ウム。チッと多過ぎるのう、帰りに持って行こう" ], [ "……どうや……", "ウム。よさそうじゃのう。此奴どもの方針は……国体には触らんと思うがのう、今の藩閥政府の方が国体には害があると思うがのう", "やってみるかのう……", "ウム。遣るがよかろう" ], [ "オイ。町長。イヨイヨ俺も死ぬ時が来たぞ", "ヘエッ。何か戦争でも始まりますか", "アハハ。心配するな。今医者が俺を肺炎で死ぬと診断しおった。そこでこれは相談じゃが、香奠と思うて今月の俸給の残りの四円を貸してくれんか", "ヘエヘエ。それはモウ……" ], [ "……ど……どうぞ御勘弁を、息の根が止まります", "馬鹿奴……その一円は昨日の診察料じゃ。それを取返しに来るような奈良原到と思うか。見損なうにも程があるぞ", "どうぞどうぞ。お助けお助け", "助けてやる代りに今日の診察料を負けろ。そうして今一遍、よく診察し直せ。今度見損うたなら斬ってしまうぞ" ], [ "はい。昔の中等です。御老体にコタえると不可ませんから……", "馬鹿ッ" ], [ "北海道の山の中では冬になると仕様がないけに毎日毎日聖書を読んだものじゃが、良え本じゃのう聖書は……アンタは読んだ事があるかの……", "あります……馬太伝と約翰伝の初めの方ぐらいのものです", "わしは全部、数十回読んだのう。今の若い者は皆、聖書を読むがええ。あれ位、面白い本はない", "第一高等学校では百人居る中で恋愛小説を読む者が五十人、聖書を読む者が五人、仏教の本を読む者が二人、論語を読む者が一人居ればいい方だそうです", "恋愛小説を読む奴は直ぐに実行するじゃろう。ところが聖書を読む奴で断食をする奴は一匹も居るまい", "アハハ。それあそうです。ナカナカ貴方は通人ですなあ", "ワシは通人じゃない。頭山や杉山はワシよりも遥かに通人じゃ。恋愛小説なぞいうものは見向きもせぬのに読んだ奴等が足下にも及ばぬ大通人じゃよ", "アハハ。これあ驚いた", "キリストは豪い奴じゃのう。あの腐敗、堕落したユダヤ人の中で、あれだけの思い切った事をズバリズバリ云いよったところが豪い。人触るれば人を斬り、馬触るれば馬を斬るじゃ、日本に生れても高山彦九郎ぐらいのネウチはある男じゃ", "イエス様と彦九郎を一所にしちゃ耶蘇教信者が憤りやしませんか", "ナアニ。ソレ位のところじゃよ。彦九郎ぐらいの気概を持った奴が、猶太のような下等な国に生れれば基督以上に高潔な修業が出来るかも知れん。日本は国体が立派じゃけに、よほど豪い奴でないと光らん", "そんなもんですかねえ", "そうとも……日本の基督教は皆間違うとる。どんな宗教でも日本の国体に捲込まれると去勢されるらしい。愛とか何とか云うて睾丸の無いような奴が大勢寄集まって、涙をボロボロこぼしおるが、本家の耶蘇はチャンと睾丸を持っておった。猶太でも羅馬でも屁とも思わぬ爆弾演説を平気で遣つづけて来たのじゃから恐らく世界一、喧嘩腰の強い男じゃろう。日本の耶蘇教信者は殴られても泣笑いをしてペコペコしている。まるで宿引きか男めかけのような奴ばっかりじゃ。耶蘇教は日本まで渡って来るうちに印度洋かどこかで睾丸を落いて来たらしいな", "アハハハハ。基督の十字架像に大きな睾丸を書添えておく必要がありますな", "その通りじゃ。元来、西洋人が日本へ耶蘇教を持込んだのは日本人を去勢する目的じゃった。それじゃけに本家本元の耶蘇からして去勢して来たものじゃ。徳川初期の耶蘇教禁止令は、日本人の睾丸、保存令じゃという事を忘れちゃイカン" ], [ "ヨオ。仁三郎か。よく来た……と云いたいが何というザマだ。この寒いのに浴衣一枚とは……", "ウム。俺あ途方もない幽霊に附纏われた御蔭で、この通りスッテンテンに落ぶれて来た。何とかしてくれい", "フウン。幽霊……貴様の事ならイズレ女の幽霊か、金の幽霊じゃろ", "違う。金や女の幽霊なら、お茶の子サイサイ狃れ切っとるが、今度の奴は特別誂えの日本の水雷艇みたような奴じゃ。流石のバルチック艦隊も振放しかねて浦塩のドックに這入り損のうとる。その執拗い事というものは……", "フウン。そんなに執拗い幽霊か", "執拗いにも何も話にならん。トテモ安閑として内地には居られん", "一体何の幽霊かいね", "缶詰の幽霊たい。ほかの幽霊と違うて缶詰の幽霊じゃけに、いつまでも腐らん。その執拗い事というものは……呆れた……" ], [ "一体貴様は俺をヒヤカシに来たのか。それとも助けてもらいに来たのか", "正真正銘、真剣に助けてもらいに来たのじゃないか。これ見い。この寒空に浴衣のお尻がバルチック艦隊……睾丸のロゼスト・ウイスキー閣下が、白旗の蔭で一縮みになっとる。どうかして浦塩更紗のドックに入れてもらおうと思うて……", "馬鹿……大概にしろ。この忙しい事務所に来て、仁輪加を初める奴があるか……" ], [ "イヤ、悪かった。猫に干鰯でツイ卑しい根性出いたのが悪かった", "この外道等……訳のわからん文句を云うな。ヌスット……", "イヤ。悪かった悪かった。冗談云うて悪かった。博多の人間なら仁輪加で笑うて片付くが、他国の人なら腹の立つのも無理はない。悪かった悪かった。ウチまで来なさい。返済てやるけに。ナア。この通り謝罪云うけに……" ], [ "他国の人間と思って軽蔑するか。一人と思うて侮るか。サア鰤をば返せ。返されんチ云うなら二人とも警察まで来い。サア来い", "まあ待ちなさい。チャンと話は附ける。ブリな事をば云いなさんな", "又仁輪加を云う。何がブリかい。その仁輪加を警察へ来て云うて見い。サア来い" ], [ "親爺さん、悪い事は云わん。この鰤は腐っとるばい。こげな品物ば下げておくと、喰うたお客の頭の毛が抜けるばい", "要らん世話たい。腐っておろうがおるまいがこっちの品物じゃろうが、銭を払え銭を……", "ナニ。貴様もこの鰤が喰いたいか" ], [ "まあまあそう因業な事をば云いなさんな。折角の喧嘩が又ブリ返すたい", "その禿頭をタタキ割るぞ畜生", "止めとけ止めとけ。タタキ割っても何にもならん。腐ったブリが忘れガタミじゃ詰らん" ], [ "ああ、久しブリで美味かった", "俺もチイッと飲み足らんと思うておったれあ、今の喧嘩でポオッとして来た。二合分ぐらいあったぞ、箒売のアタマが……オット今の丼をば忘れて来た", "馬鹿な。置いとけ置いとけ。ショウガなかろう" ], [ "ああ清々した。しかし水野、保険というものはええものじゃねえ", "ウン。こげな有難い物たあ知らんじゃった。感心した。又誰か保険に加入らんかな", "おお。そういえばあの角屋の青柳喜平はまあだ三十四五にしかならんのに豚の様ブクブク肥えとる。百四五十斤位あるけに息が苦しいとこの間自分で云いよった。あの男なら四十位になると中風でコロッと死ぬかも知れんぜ", "うむ。アイツの親爺も中気で死んどる。彼奴は保険向きに生れとる事をば、自分でも知らずにいるに違いない", "貴様は何でも勧め上手じゃケニ一つ行て教えて来やい", "ウン。よかろう。行て来う。今から行て来う。善は急げ……", "今度は又木の三倍ぐらい掛けて来やい", "ウン。飲みながら待っとれ。帰りに今少と、肴ば提げて来るけに……" ], [ "ウムウム。成る程成る程。よう解かった。如何にも貴様の云う通り人間は老少不定。いつ死ぬるかわからん。俺の親父も中気で死んどる故、血統を引いた俺も中気でポックリ死なんとは限らん。実はこの頃、肥り過ぎて子供相手に柔術が取れんので困っとる。技術に乗ってやれんでのう", "ウン。それじゃけに今の中に保険に入れと……", "まあ待て待て。それは良う解かっとる。這入らんとは云わん", "有難い。流石は青柳……", "チョチョチョッと待て……周章るな。そこでタッタ一つ解らん事がある", "何が解らんかい。これ位わかり易い話はなかろう", "さあ。それが解からんテヤ。つまりその俺がポックリ死んだなら、取れた保険の金は貴様達二人が貰われるように、証文をば書いておけと云いよるのじゃろう", "その通りその通り。貴様は話がようわかる", "そんならその保険に掛ける金は、誰が掛けるとかいネエ。貴様達が掛けるか……", "馬鹿云え。知れた事。貴様の保険じゃけに、貴様が掛けるにきまっとるじゃないか", "……馬鹿ッ……帰れッ……" ], [ "イカンイカン。これは医学博士でも知らん。自動車に乗る人間には尚更わからん。日本人一流、長生きの法たい", "今その長生き話が出とるところじゃ。貴公の流儀を一つ説明してみい", "説明もヘッタクレもあれあせん。雨の降る日に傘さいて跣足で歩きまわれば、それで結構……そこで『オオ寒む』とか何とか云うてこの中鯛で一杯飲んでみなさい。明日死んでも思い残す事あない", "アハハハ。賛成賛成" ], [ "ヘエ。皆さん。今晩は……今台所の婆さんに洗わせよる、昨夜まで玄海沖で泳ぎよった魚じゃけに、洗いに作らせといた", "ちょうど今長生きの話が出とるところじゃったが、ええところへ来た。貴公なんぞは長生きの大将と思うが……そんな気持ちはせんか" ], [ "フウム。これは感心した。日本中で鯨の事を本格に知っとる者なら私一人かと思っておったが、アンタもいくらか知っとるなあ", "失敬な事を云うな仁三郎。林駒生はこれでも総督府の技師だ。事、水産に関する限り、知らんという事は只の一つも無いのが職分だぞ。そのために中佐相当官の待遇を……", "ふむ。わかったわかった。それなら聴くがアンタは鯨の新婚旅行をば、見なさった事があるかいな", "ナニ。鯨の新婚旅行……" ], [ "……そんなものは……見ん……元来鯨は……", "それ見なさい。知るまいが。イヤ。それは大椿事ですばい。鯨の新婚旅行チュータラ……" ], [ "イヤ。トテモ大椿事ですばい。アンタ方は知りなさるまいが、鯨はアレで魚じゃない。獣類ですばい", "ウム。それはソノ鯨は元来哺乳類……", "まあ待ちなさい。それじゃけに鯨は人間と同じこと、三々九度でも新婚旅行でも何でもする。私ゃ大事な研究と思うたけに、実地について見物して来た。しかも生命がけで……", "アラ。まあ。アンタ見て来なさったと……", "お前たちに見せてやりたかったなあ。その仲の良え事というものは……お前たちは人間に生れながら新婚旅行なんてした事あ在るめえ", "アラ。済まんなあ。新婚旅行なら毎晩の事じゃが", "アハハ。措きなはれ。阿呆らしい", "阿呆らしいどころじゃない。権兵衛が種蒔きなら俺でも踊るが、鯨のタネ蒔きバッカリは真似が出来ん。これも学問研究の一つと思うて、生命がけで傍へ寄って見たが、その情愛の深いことというもんなア……あの通りのノッペラボーの姿しとるばってん、その色気のある事チュタラなあ。ちょっとこげな風に(以下仁三郎懐手をして鯨の身振り)" ], [ "オイ仁三郎……大概にせんかコラ……", "海の上じゃけに構わん。牡も牝も涎を流いて……", "アラッ。まあ。鯨が涎をば流すかいな……", "流すにも何にもハンボン・エッキスちうて欝紺色のネバネバした涎をば多量に流す", "……まあ。イヤラシイ。呆れた", "ハンボン・エキス……ハハア。リウマチの薬と違いますか" ], [ "違います……そのハンボン・エキスの嗅い事というたなら鼻毛が立枯れする位で、それを工合良うビール瓶に詰めて、長崎の仏蘭西人に売りますと、一本一万円ぐらいに売れますなあ。つまり世界第一等の色気の深い香水の材料になります訳で、今の林君の話のスカン何とかチュウ処の鯨よりも日本の鯨の新婚旅行の涎の方が何層倍、濃厚いそうで……", "オイオイ仁三郎……ヨタもいい加減にしろ" ], [ "ヨタでも座頭唄でもない。仏蘭西の香水は世界一じゃろうが", "……そ……それはそうだが……", "それ見なさい。それは秘密に鯨の涎をば使いよるげに世界一たい。自分の知らん事あ、何でも嘘言と思いなさんな", "……フーム。何だか怪しいな", "怪しいにも何も、私は、そのヨダレが欲しさに生命がけでモートル船に乗って随いて行きましたが、その中に又、世界中で私一人しか知らん奇妙な魚類をば見付けました", "フーン。そんな魚が居るかな", "居るか居らんか、私も呆れました。鯨の新婚旅行に跟随て行く馬鹿者が私一人じゃないのです。ちょうど大きな鮫のような恰好で、鯨の若夫婦のアトになりサキになり、どうしても離れません。鯨の二匹が、私の船を恐れて水に潜っても、その青白い鮫の姿を目当てに行けば金輪際、見のがしません", "ウーム。妙な奴が居るものだな", "アトから古い漁師に聞いてみましたら、それは珍らしいものを見なさった。それはやっぱり鮫の仲間で、鯨の新婚旅行には附き物のマクラ魚チウ奴で……", "馬鹿。モウ止めろ。何を云い出すやら……", "イイエ。決して嘘は云いまっせん。生命がけで見て来たのですから。これからがモノスゴイので……私はそのマクラ魚を見た時に感心しました。流石に鯨はケダモノだけあって何でも人間と同じこと……と思って、なおも一心になって跟いて行くうちに夜になると鯨の新夫婦が浪の上で寝ます。青海原の星天井で山のような浪また浪の中ですけに宜うがすなあ……四海浪、静かにてエー……という歌はここの事ばいと思いましたなあ。しかし何をいうにもあの通りのノッペラボー同志ですけに浪の上では、思う通りに夫婦の語らいが出来まっせん。そこで最初から尾いて来たマクラ魚が、直ぐに気を利かいて枕になってやる……", "アハハハハ。馬鹿馬鹿しい", "アハアハアハアハ。ああ苦しい。モウその話やめてエッ", "イヤ。笑いごとじゃありません。鮫という魚は俗に鮫肌と申しまして、鱗が辷らんように出来ておりますけに、海の上の枕としては誠にお誂え向きです。しかし何をいうにも何十尋という巨大な奴が、四方行止まりのない荒浪の上で、アタリ憚からずに夫婦の語らいをするのですから、そこいら中は危なくて近寄れません。大抵の蒸気船や水雷艇ぐらいは跳ね散らかされてしまう。岸近くであったら大海嘯が起ります。その恐ろしさというものは、まったくの生命がけで、月明りをタヨリに、神仏の御名を唱えながら見ておりましたが……", "……ああ……ああ……もうソノ話やめて……あたしゃ……あたしゃ死ぬるッ……", "それから夫婦とも波の上で長うなって夜を明かしますと又、勇ましく潮を吹いて、鰯の群を逐いかけ逐いかけサムカッタの方へ旅立って行きます", "サムカッタじゃない。カムサッカだろう", "あっ。そうそう。何でも寒い処と思いました。ヒョットすると鯨の若夫婦が云うたのかも知れません。ネエちょいと……昨夜はカムサッカねえ……とか何とか……", "馬鹿にするな", "そこで感心するのは今のマクラ魚です。若夫婦の新婚の夜が明けますとコイツが忽ち大活躍を始めますので、若夫婦の身のまわりにザラザラした身体をコスリ付けて、スッカリ大掃除をしながら、アトから跟いて行きます、つまるところこのマクラ魚という奴は鯨の新婚旅行が専門に生れ付いた魚で、枕になってやったり後の掃除をしてやったりしながら、カムサッカでもベンガラ海でもアネサン島の涯までも、トコ厭やせぬという……新婚旅行のお供がシンカラ好きな魚らしいですなあ" ], [ "耶蘇教の婚礼なんてナンチいう、フウタラ、ヌルイ(風多羅緩い? 自烈度いの意)モンや", "そうじゃない。あれあ大病人の祝言じゃけに、病気に障らん様、ソロオッと遣ってくれたとたい。毛唐人なあ気の利いとるケニ", "一番、最初に読んだ分は何じゃったろうかいね", "あれあ神主がいう高天が原たい。高天が原に神づまり在しますかむろぎ、かむろぎの尊――オ……", "うむ。そういえば声が似とる。成る程わからん事をばいうと思うた", "ところでそのあとからアイツ共が歌うた歌は何かいね。オオチニ風琴鳴らいて……", "花嫁御のお化粧の広告じゃなかったかねえ。雪よりも白くせよなあ……てクタビレたような歌じゃったが……", "ウム。俺あ西洋洗濯の宣伝かと思うた", "立てて云うけに俺あ立って聞きおったら、気の遠うなってグラグラして来た。今一時間も立っとったなら俺あ仁三郎より先に天国へ登っとる", "うむ。長かったのう。あの歌をば聞きおる中に俺あ、悲あしゅう、情のうなった。この間死んだ嬶が、真夜中になると眠った儘にアゲナ調子で長い長い屁をば放きよったが", "死んだ嬶よりも俺あ、あれを聴きよるうちに仁三郎がクタビレて死にあしめえかと思うてヒヤヒヤした。歌が済んでからミンナ坐った時にゃホッとした", "あのあとの御祈祷は面白かったね", "ウム。面白いといえば面白い。馬鹿らしいといえば馬鹿らしい。(以下声色)ああら、我等の兄弟よ! 神様の思召に依りまして、チンプンカンプン様の顎タンを結ばれました事は――越中褌のアテが外れた時と全く全く同じように、ありがたい、尊い、勿体ない、嬉しい嬉しい御恵みで――ありや――す……アーメン。と来たね", "ようよう、うまいうまい貴様、魚屋よりもキリシタンの坊主になれ、どれ位人が助かるか判らん。あの異人の坊主の云う事を聞きよる内に俺あ死にたいような気持になったもんじゃが、今の貴様の御祈祷を聞いたりゃ、スウーとしてヤタラに目出度うなった。あーら目出度や五十六億七千万歳。鶴亀鶴亀", "あの黒い鬚を生やいた奴は日本人じゃろうか", "うん、あれがあの女のキリシタンの亭主らしい", "あいつが篠崎の耳に口ば附けてあなたはこの婦人を愛しますかと云うた時には、俺は死ぬほどおかしかったぞ", "うん。俺もマチットで我慢しとった屁をば屁放り出すところじゃった。あん時ばっかりは……", "花嫁御も娘御も泣きござったなあ――", "そらあ悲しかろう。いくら連れ添うても十日と保たん婿どんじゃけんになあ。太閤記の十段目ぐらいの話じゃなか", "仁三郎が黙って合点合点する内に、夫婦で指輪ば、取り換えたが、あの時も、可笑しかったぞ", "うん。仁三郎の指は、平生でも大きい上に、腫れ上っとるけに指輪も三十五円も出いて○○の鉢巻位の奴をば作っとる。それに花嫁御の分は亦、並外れて小さいけに取り換えてもアパアパどころじゃない。俺あ、それば見て考えよると可笑しゅうて可笑しゅうてビッショリ汗かいた", "誰か知らんが、その後の御詠歌のところで大きな声でアクビしたぞ", "あれは俺たい。あの御詠歌の文句ばっかりは判らんじゃった。恵比須様が味噌漉でテンプラをば、すくうて天井へ上げようとした。死ぬる迄可愛がろうとしたバッテン天婦羅が天井へ行かんちうて逃げた……なんて聞けば聞く程馬鹿らしいけに俺がそうっとアクビしたところがそいつが寝ている篠崎に伝染って、これもそうっとアクビしたけに、俺あ良い事したと思うた。病人も嘸アクビしたかったろうと思うてな――", "何時間かかったろうかい", "俺あ時計バッカリ見よった、二時間と五分かかったが、その最後の五分間の長かった事。停車場で一時間汽車ば待っとる位長かった", "うん。何にせい珍らしいものば見た", "仁三郎も途方もない嬶アば持ったのう", "仁三郎はやっぱりよう考えとるバイ。達者な内にあげな嬶アばもろうて、あげな歌バッカリ毎日毎晩歌わにゃならんちうたなら俺でも考える", "第一魚市場の魚が腐る", "アハハハッ……人間でも腐る。俺は聞きよる内に腰から下の方が在るか無いか判らんごとなった、生命にゃかえられんけに引っくり返ってやろうかと何遍思うたか知れん", "俺は袴の下に枕を敷いとったが、あのオチニの風琴の音をば聞きよる内に、自分の首が段々細うなって、水飴のごとダラアと前に落ちようとするけに、元の肩の上へ引き戻し引き戻ししよったらその中に済んだけに、思わずアーメンと云うたら、涎がダラダラと袴へ落ちた、まあだ変な気持がする", "ああ非道い目に遭うた。どこかで一杯飲み直そうじゃないや", "ウアイー賛成! 賛成! 助かりや助かりや、有難や有難や、勿体なや、サンタ・マリア……一丁テレスコ天上界。八百屋の人参、牛蒡え――", "踊るな馬鹿!", "アーメン、ソーメン、トコロテン。スッテンテレツク天狗の面か。アハハハハ。鶴亀鶴亀" ], [ "オーイ、みんな揃うたかーア", "後から二三人走って来よーる", "ああ草臥れた。恐ろしい糞袋の重たい仏様じゃね――。向うの酒屋で一杯やろうか", "オッと来たり、その棺桶は門口へ降いとけ。上から花輪をば、のせかけとけあ、後れた奴の目印になろう。盗む者はあるめえ" ], [ "アーエー女郎は博多の――え――柳町ちゃ――エエ", "柳町へいこうえ", "馬鹿! 仏様担いで柳町へ行きゃあ花魁の顔見ん内に懲役に行くぞ", "ああ、そうか", "とりあえずお寺へ行こうお寺へ行こう", "仁三郎は何宗かい", "仁三郎が宗旨を構うかいか", "そんなら成丈け景気のええお寺へ行こう", "あッ。向うで太鼓をば敲きよる。あすこが良かろう", "よし来た。行け行け。アーリャアーリャアーリャ。馬じゃ馬じゃ馬じゃ馬じゃい", "エート。モシモシ和尚さんえ和尚さんえ。一寸すみませんがア……お葬式の色直しイ。裏を返せばエー", "いらん事云うな、俺が談判して来る" ] ]
底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年12月3日第1刷発行 底本の親本:「近世快人伝」黒白書房    1935(昭和10)年12月20日発行 初出:「新青年」    1935(昭和10)年4月号~10月号 入力:柴田卓治 校正:土屋隆 2006年7月26日作成 2011年4月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "困るじゃないか……こんな事をしちゃ……僕等を出し抜いて……", "フフン、何もしやしない。工学部の正門を這入ろうとしたら、鉄道線路の上に真黒な人ダカリがしていた。行って見たらこの轢死だった……というだけの事さ……", "女の身元はどうして洗った", "屍体の左手の中指の先にヨディムチンキが塗ってあった。別段腫れても、傷ついてもいないところを見ると、刺か何かを抜いたアトを消毒したものらしいが、ヨディムチンキをそんな風に使う女なら、差し詰め医師の家族か、看護婦だろう", "……フーム……ソンナモンカナ", "ところで服装を見ると看護婦は動かぬところだろう。同時に下駄のマークを見ると、早川の下宿の近所で買っている。そこで取りあえず九大の看護婦寄宿舎の名簿を引っくり返してみたら、時枝という有名なシャンが三月ばかり前から休んでいる。もしやと思って原籍を調べたら驚いたね。佐賀県神野村の時枝茂左衛門、第五女と来ているじゃないか", "それだけで見当つけたんか", "失敬な……憚りながら君等みたいな見込捜索はやらないよ。体格検査簿にチャンと書いてあるんだ。身長五尺二寸、体量十四貫七百というのが昨年の秋の事だ。ちょうど屍体と見合っているじゃないか。姙娠七箇月は無論当てズッポウだが、胎児の動き工合から考えても多分三月か四月目から休んだ事になるだろうよ……", "……フーン……よく知っとるんだナア、何でも……", "大学の外交記者を半年やれあ、大抵の医者は烟に捲けるぜ。……しかし念のために、吾輩を崇拝している二三の看護婦に当って見ると、内科の早川さんと正月頃からコレコレと云うんだ。早川が寺山博士のお気に入りで、みんな反感を持っている事までわかった。どうだい。……恐れ入ったろう……", "フーム、それじゃ写真はどうして手に入れた", "……訊問するんなら署でやってくれ給え、絶対に白状しないから", "アハハハハ。イヤ、実は非常に参考になるからヨ。……腹を立ててくれては困るが……正直のところを云うとこの記事はソノ……素人が見たらこれでええかも知れんがネ。僕等の立場から見ると不思議な事だらけなんだ", "ウン。そんなら云おう。その写真はやっぱり看護婦仲間の噂から手繰り出したのさ。アノ恵比須通りの写真屋には、大学の看護婦がよく行くからね。二人で秘密で撮ったのを見るかドウかしたんだろう。そんな写真があるという事をチラリと聞いたから、試しに当って見ると図星だったのだ。受取人は柳川ヨシエという偽名でネ。チャンと種板まで取ってあった……そん時の嬉しさったらなかったよ", "いかにもナア。……それじゃアノ姉歯という産婆学校長の医学士が、一生懸命で二人の世話を焼いとる事実は、どうして探り出したんか", "内科の医局での話さ。姉歯という産婆学校長が、この頃よく内科の医局へ遊びに来て、早川とヒソヒソ話をする。何でもヨシ子がこの頃急に佐賀へ帰ると云って駄々をこね出したので、二人が困っているという噂があるんだ。……ドウダイ……事実とピッタリ一致するじゃないか", "相変らず素早いんだね君は……", "これ位はお茶の子さ。それよりも今度はアベコベに訊問するが、アノ姉歯という男が、産婆学校長の医学士だという事を君はどうして知っている。新聞にはわざと伏せておいたのに……", "ソ……そいつは勘弁してくれ" ], [ "ウム……君がその了簡ならこっちにも考えがある", "……マ……マ……待ってくれ。考えるから……", "考えるまでもないだろう。僕は今日まで一度も君等の仕事の邪魔をしたおぼえはない。秘密は秘密でチャンと守っているし、握ったタネでも君等の方へ先に知らせた事さえある。現に今だって……", "イヤ。それは重々……", "まあ聞き給え……現に今だって、自分の書いた記事を肯定しているじゃないか。本当を云うと編輯長以外の人間には、自分の書いた記事の内容を絶対に知らせないのが、新聞記者仲間の不文律なんだぜ、況んやその記事を取った筋道まで割って……", "イヤ。それはわかっとる。重々感謝しとる……", "感謝してもらわなくともいいから信用してもらいたいね。姉歯という医学士が、善玉か悪玉かぐらい話してくれたって……", "ウン、話そう" ], [ "……エエカ。こいつが曝露たら署員が承知せん話じゃがな……姉歯という奴は早川よりも上手の悪玉なんだ。エエカ……早川をそそのかして、女を膨らましては自分で引き受けて、相手の親から金を絞るのを、片手間の商売にしとるんだ。つまり手切金と、堕胎料と、二重に取って、早川にはイクラも廻わさないらしいのだ。僕の管轄でもかなりの被害者があると見えて、時々猛烈な事を書いた投書が来る", "ありがとう、それで何もかもわかった。ヨシ子が駄々をこねて、単身で佐賀へ行きかけたのは、どうも少々オカシイと思ったが……そこいらの消息を薄々感付いたんだナ", "ウン。それに違いないのだ。ちょうど姉歯早川組の奸計と、両親の勘当とで、板挟みになって死んだ訳だナ", "書きてえナア畜生……夕刊に……大受けに受けるんだがナア……", "イカンイカン。まだ絶対に新聞に書いちゃいかん", "アハハハハハ書きゃしないよ。……しかし君等はナゼ姉歯をフン縛らない" ], [ "手証が上らないからさ。あの姉歯という奴は、大学の婦人科に居った時分から、主任教授に化けて大学前の旅館に乗り込んで、姙婦を診察して金を取った形跡がある。今開いとる産婆学校も、生徒は三四人しか居らんので、内実は堕胎専門に違いないと睨んどるんじゃが、姉歯の奴トテモ敏捷くて、頭が良過ぎて手におえん。噂や投書で縛れるものなら縛って見よという準備を、チャンとしとるに違いないのだ", "フーム。この辺の医者の摺れっ枯らしにしてはチット出来過ぎているな", "そうかも知れん。殊に今度の事件などは、相手が佐賀一の金満家と来とるから、姉歯も腕に縒をかけとるという投書があった。むろん十が十まで当てにはならんが、彼奴のやりそうな事だと思うて前から睨んではおったんだ", "投書の出所はわからないか", "ハッキリとはわからんが、大学部内の奴の仕事という事はアラカタ見当がついとる。早川の今の下宿を世話した奴が、姉歯だという事もチャンとわかっとる。何にしてもヨシ子が子供さえ生めば、姉歯の奴、本仕事にかかるに違いない。二人をかくまっておいて、時枝のおやじを脅喝ろうという寸法だ。だからその時に佐賀署と連絡を取って、ネタを押えてフン縛ろうと思うておったのを、スッカリ打ち毀されて弱っとるところだ", "アハハハハ、大切の玉が死んだからナ", "ソ……そうじゃない。君がこの記事を書いたからサ。実に乱暴だよ君は……", "別に乱暴な事は一つも書いていないじゃないか。事実か事実でないかは、色んな話をきいているうちに直覚的にわかるからね。第一この写真が一切の事実を裏書きしているじゃないか", "そうかも知れん……が、しかしこの記事は軽率だよ", "怪しからん。事実と違うところでもあるのか", "……大ありだ……", "エッ……", "しかも今のところでは全然事実無根だ" ], [ "実は僕も弱っとるんだ。……というのは……こいつも絶対に書いては困るがね。この記事を夕刊の佐賀版で見た時枝のおやじが、昨夜のうちに佐賀から自動車を飛ばして来て、今朝暗いうちに僕をタタキ起したんだ。人品のいい、落付いた老人だったので、僕もうっかり信用して、ちょうどええところだから大学の解剖室へ行って、お嬢さんの屍体を見て来て下さい。貴下のお子さんときまれば、解剖をしないでそのまんま、お引き渡しをしてもええからというので、巡査を附けてやった訳だ", "なるほど……それから……", "ところがそのおやじが、轢死当時の所持品や何かを詳しく調べた揚句に、娘の屍体を一眼見ると、これはうちの娘では御座らぬと云い出したもんだ", "……フーン……その理由は……", "その理由というのはこうだ。……うちの娘は元来勝気な娘で、東京へ行って独身で身を立てる、女権拡張に努力するという置手紙をして出て行った位で、そんな不品行をするような女じゃない。新聞の写真もイクラカ似とるようだが、ヨシ子では絶対にありませぬ。家出したのは四年前じゃが、チャンとした見覚えがあるから、間違いは御座らぬと云い切って、サッサと帰って行きおった", "……馬鹿な。そんな事でゴマ化せるものか……", "……涙一滴こぼさず。顔色一つかえずに、僕の前でそう云うたぞ", "ウーン。ヒドイ奴だな。それから……", "ウン。それからこれは昨日の事だが、女の下駄を売った大浜の金佐商店に当らせて見ると、売った奴は店の小僧で、しかも昨日の朝早くだったので、服装や顔立ちがサッパリ要領を得ない。あとから新聞の写真を持って行って見せると、丸髷になっとるもんだからイヨイヨ首をひねるんだ", "フーン。困るな", "それから早川の下宿のお神も新聞の写真を見て、早川さんの方は間違いないが、女の方は誰だかわからんようです……とウヤムヤな事を云いおるんだ。念のために佐賀署へ電話をかけて聞いて見ると、時枝の家族も口を揃えて、あの写真は家出したヨシ子さんではないと云うとるゲナ。しかし市中では君の新聞が引張り凧になっとるチウゾ", "そうだろうとも……フフン……", "つまり時枝のおやじは、屍体の顔がメチャメチャになっとるのを幸いに、家の名誉を思うて、娘を抹殺しようと思うとるんだね", "フーン。そんなに名誉ってものは大切なものかな", "何しろ佐賀県随一の多額納税だからナ", "なおの事残酷じゃないか", "もっとヒドイのはこっちの連中だ。第一色魔の早川を昨夜下宿で引っ捕えて見ると、そんな女と関係した事は無い。夕刊に載っている女は、昨夜手切れの金を遣って別れた柳川ヨシエというので、自分と関係する以前に姙娠しとった事が判明したから追い出したものだが、どこの生れだか本当の事はわからん。ホンの一時の関係だと強弁するし、産婆学校長の姉歯医学士も、そんな世話をした覚えは絶対に無いと突き放すのだ", "ダラシがないんだナ君等の仕事は……", "証拠が無い以上、ドウにも仕様がないじゃないか。おまけに今朝になってから、早川の下宿のお神の奴が、御叮嚀に筥崎署へ電話をかけて、新聞の写真の時枝ヨシ子さんは、早川さんと一緒に居た柳川ヨシエさんに違いありませんが、時枝という苗字ではありません。その柳川ヨシエさんは、昨日早川さんと別れ話が済んで、どこかへ行かれましたそうです。いずれにしても柳川ヨシエさんを私が、時枝のお嬢さんと云ったおぼえはありませんから、ドウゾそのおつもりで……という白々しい口上だったそうだ。まるで警察が、寄ってたかって冷かしものにされとるようなあんばいだ", "早川医学士と、時枝のおやじと、轢死女の血を取って胎児の血液と比較すれば、すぐにわかる話じゃないか", "他殺か何かなら、それ位のことをやって見る張り合いがあるけども、自殺じゃ詰らんからネエ……まだ他に事件が沢山とあるもんだからトテも忙がしくて……", "早川や姉歯は今どうしている", "どうもしとらんさ。そのうちに柳川ヨシエの行先がわかったら知らせます……そうしたら轢死女と違うかどうか、おわかりになりましょう……とか何とか吐かしおって……", "君の方じゃそれ以上突込まないのか", "突込んでも無駄だと思うんだ。おれの睨んどるところでは、みんな昨日から昨夜のうちに、いくらか宛、時枝のおやじに掴ませられとるらしいんだ。その黒幕はやっぱりアノ姉歯の奴で、君の書いた夕刊を見るなり、佐賀の時枝へ電話か何か掛けおったんだろう", "そうだ。それに違いないよ", "君の新聞に書かれる前に、警察の手で引っぱたけば一も二もなかったんだが、すっかり手を廻しくさって……口を揃えて新聞記事を事実無根だと吐すんだ", "失敬な……" ], [ "ウン……いずれ編輯長と相談して研究して見よう", "ウン、是非頼むよ。ドウセイ時枝の娘に間違いはないんだから……話がきまったら電話をかけて呉給え。屍体でも何でも見せるから……ウンウン……" ], [ "ああ。わかっている。今朝六時頃にネエ。佐賀の時枝のオヤジが僕の処へ駈け込んで、取消しの記事を頼んだよ。それから九大の寺山博士がツイ今しがた本社へやって来て、早川という男は自分の処に居るには居るが、色魔云々の事実は無いようである。それから、これは眼科の潮教授の代理として云うのだが、時枝という看護婦が眼科に居た事もたしかだが、四箇月ばかり前からやめているので、新聞の写真と同一人であるかどうかは不明だ……といったような下らない事をクドクド云っていたが、どっちもいい加減にあしらって追い返しておいたよ", "感謝します", "あとの記事は無いかい", "……あります……時枝のおやじと九大内科部長があなたの処へ揉み消しに来た事実があります", "アハハハ、一本参ったナ。しかし何かそのほかに時枝の娘に相違ないという確証はないかい", "あります……ここに持っています。死んだ娘が悲鳴をあげる奴を……", "そいつは新聞に出せないかい", "出してもいいですけど屍体を掻きまわして掴んで来たものなんです。検事局へ引っぱられるのはイヤですからネエ", "いいじゃないか。あとは引受けるよ", "……でも……あなたと一緒に飲めなくなりますから……", "アハハハハ。そうかそうか。サヨナラ……", "……サヨナラ……" ], [ "時にどうしたい……アノ事件は……", "……アノ事件?……ウンあの事件か。あれあアノマンマサ。医学士は二人とも君のお筆先に驚いたと見えて、その後神妙にしているよ", "イヤ。女の身許の一件さ", "ウン。あれもそのまんまさ。今頃は共同墓地で骨になっているだろうよ。可哀相に君のお蔭で親に見棄てられた上に、恋人にまで見離された無名の骨が一つ出来たわけだ", "……………………", "何でも女が線路にブッ倒れてから間もなく、色男の医学士らしい、洋服の男が馳けつけて、懐中や帯の間を掻きまわして、証拠になるものを浚って行ったという噂も聞いたが、その時刻にはその色男は、チャント下宿に居ったというからね。どうもおかしいんだ", "……ウーン……おかしいね……", "……とにかくあの別嬪は、君が抹殺したようなものだぜ。その色男というのは君だったかも知れんがネ……ハッハッハッまあええわ。久し振りに飲もうじゃないか" ], [ "……エエ……敬吾君と以前御交際を願っておりました……和田というものですが……", "オオオオ、それはそれは。まあお這入り下さいまし。お上り下さいまし。……アナタ……" ], [ "ヘイ……つめたいお茶を一ツ……おあてものも御座いませんで……アナタ……", "……ヤッ……どうもありがとう……どうぞお構いなく……" ], [ "それじゃ……いずれ又……", "……ア……さようで……アナタ……" ], [ "バットがありますか", "入らっしゃいませ" ], [ "この向うに花房って家がありますね", "ヘエ……" ], [ "あの家のお嫁さんは死んだんですか", "ヘエ……" ], [ "……まあ……めずらしいじゃないの……まあ……", "どうしたの……あんたは……この頃……", "いらっしゃアアい" ] ]
底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年9月24日第1刷発行 底本の親本:「冗談に殺す」春陽堂    1933(昭和8)年5月15日発行 入力:柴田卓治 校正:しず 2000年9月26日公開 2012年5月16日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "オーチンパイパイ", "ハッ" ], [ "違います違います。この袋は私の大切な袋です。この小供はうそ云います。こんな小さい袋の中に女の子が大勢いる事ありません。嘘ならあけて御覧なさい", "フム。おい、春夫とやら。その袋をあけて見ろ" ], [ "これ欲しいからこの小供泥棒したのです。そうして嘘云うのです", "どうだ、それに違いなかろう。貴様、今の中に本当の事を云えば許してやる" ] ]
底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年5月22日第1刷発行 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「海若藍平《かいじゃくらんぺい》」です。 入力:柴田卓治 校正:もりみつじゅんじ 2000年1月31日公開 2006年5月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000924", "作品名": "クチマネ", "作品名読み": "クチマネ", "ソート用読み": "くちまね", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1923(大正12)年1月", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-01-31T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card924.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集1", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年5月22日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "もりみつじゅんじ", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/924_ruby_21747.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-05-03T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/924_21748.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-05-03T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
[ [ "……オーイ……何だア……", "……あの……お手紙ありがとう御座いました。今夜の十二時半キッカリに自宅の裏門でお眼にかかりましょう。おわかりになりまして……今夜の十二時半……わたくしの家の裏門……" ], [ "お電話ありがとう御座いました。……ほんとにお手数をかけまして済みませんでした。お手紙はお返しいたします", "……ハ……たしかに……", "……で……あの新聞の原稿は、お持ちになりまして……", "相済みません。原稿と申しましたのは嘘です。実は僕のアタマの中に在るんです。原稿にして差上げたって同じ事だと思いましたから……", "……まあ……では、あの以外にまだ御存じなのですか", "この間、本国へ帰任したC国公使と貴方との御関係以外にですか", "ええ", "そう余計にも存じませんがね。大変に失礼ですけど、故伯爵とお別れになった後の貴女は、非常に皮肉な御生活をお始めになったようですね。婦人正風会長になって日本中の婦人の憧憬を、御一身にお集めになる一面には、あらゆる方法であらゆる紳士方の裏面を御研究になったのですからね。もっとも貴女が研究の対象としてお選びになった方々の全部は、そうした紳士道を心得ている外国人や、秘密行動に慣れた貴顕紳士に限られておりましたので、そんな御研究の内容が今日まで一度も外へ洩れなかった訳ですがね……実は貴女の御聡明に敬服しているのですが", "ホホホホ。貴方の仰言る資本主義末期の女でしょうよ。……ですけど……よくお調べになりましたのね" ], [ "……僕は……その末期資本主義社会の寄生虫ですからね", "……まあ……でも、お話と仰言るのは、それだけでしょうか", "……モット買って頂けるでしょうか", "……ええ……なにほどでも……チビリチビリだとかえって御面倒じゃないでしょうか", "……御尤です……では全部纏めまして、おいくら位……", "貴方の新聞をやめて頂くぐらい……", "ハハハ。御存じでしたか。それじゃ、すこしお負けしておきましょう。ええと……只今二百五十七号を二千部ほど刷っているところですから、全部、買収して頂くとなれば一万ぐらいお願いしなければならないのです。私としては毎月二百円位の収入がなくなる訳ですからね。しかし何もかも御存じの事ですから、ズットお負けしまして半額の五千円ぐらいでは如何でしょうか", "それでおよろしいですの", "結構です" ], [ "……あの……六千二百円ばかり御座います。ハシタが附きまして失礼ですけど、用意しておいたのですから……", "……それは……多過ぎます……", "イイエ。あの失礼ですけど、わたくしの寸志で御座いますから……", "ありがとう存じます。お約束は固く守ります" ], [ "……では、あの、お伺い出来ますかしら……今のお話と仰言るのを……", "……あ……お話ししましょう。これはお負けですがね。お負けの方が大きいかも知れませんが……ハハハハ……", "すみませんね。どうぞ……", "ほかでもありませんがね。今申しました貴女と古いお識合いのC国公使のグラクス君が、ツイこの間帰任しがけに面白いものを見せてくれたのです。いわば貴女の御不運なんですがね", "……妾の不運……", "そうです。貴女はグラクス君が、世界でも有名なミステリー・ハンターという事を御存じなかったでしょう。……ね……そのグラクスが僕に素晴らしいネタを呉れたのです。僕が或る珍しい倶楽部に紹介してやったので、そのお礼の意味で提供してくれたんですがね。お思い当りになりませんか", "……さあ。それだけではね。ちょっと……", "そうですか。それじゃ、もうすこしお話してみましょう。つまりグラクスの話によりますと、貴女のような深刻な趣味を持った婦人はどこの国にも一人や二人は居る筈だって云うんです。そうしてその趣味が深刻化して行く経路が皆似ているって云うんです。もちろんその中でも貴女は最も著しい特徴を持った方で、しかも、今では、そうした猟奇趣味の最後の段階まで降りて来ていられるとグラクス君が云うのです", "……最後の段階って……", "そうです。その証拠はコレだと云ってグラクスが見せてくれましたのは、白紙に包んだ一掴みの爪だったのです", "……爪……?……", "そうなんです。色んな恰好をした少年の爪の切屑なんです。十二三人分もありましたろうか……おわかりになりませんか", "まあ。そんなものが妾と何の関係が……" ], [ "……わたくし……何も白ばくれてはおりませんが……", "それじゃ僕から説明して上げましょうか。これでも貴女ぐらいの程度には苦労しているつもりですからね。蛇の道は蛇ですよ" ], [ "そうじゃないのよ。妾を殺して頂戴って云うのよ", "……ハハハ……死にたいんですか", "……ええ……死にたいの", "……どうして……", "……だって妾は破産しているんですもの", "……ヘエ……ホントウですか", "貴方に上げたのが妾の最後の財産よ。今夜が妾の楽しみのおしまいよ", "……ウソ……ウソバッカリ……", "嘘なもんですか。妾は一番おしまいに貴方の手にかかって殺されるつもりでいたのよ。そうして妾の秘密を洗い泄い貴方の筆にかけて頂いて、妾の罪深い生涯を弔って頂こうと思って、そればっかりを楽しみにしていたのよ", "……アハハハハアハハハハ……", "イイエ。真剣なのよ。貴方の手がモウ妾の肩にかかって来るか来るかと思って、待ち焦れていたんですよ", "……フーム……" ] ]
底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年8月24日第1刷発行    2004(平成16)年2月10日第4刷発行 入力:將之、雨谷りえ 校正:A子 2006年9月18日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "……ハラムや御飯をちょうだい……", "……ハ……ハイ……" ], [ "それからね。御飯が済んだら、妾に運命を支配する術を教えて頂戴ね。自分の運命でも他人の運命でも、自分の思い通りに支配する術を教えて頂戴……あたし……悪魔の弟子になってもいいから……ネ……", "……ハ……ハ……ハイ……ハイ……" ], [ "……運命の神様……ラドウーラ様の前には……善も……悪も……御座いませぬ", "ダカラサ。何でも構わないから教えて頂戴って云ってるじゃないの……あたしの運命を、お前の力で、死ぬほど恐ろしいところに導いてくれてもいいわ" ], [ "いいかい。ハラム。妾はまだハラハラするような怖い目に会った事が一度もないんだから、お前の力でゼヒトモそんな運命にブツカルようにラドウーラ様に願って頂戴……妾は自分で気が違うほど怖い眼だの、アブナッカシイ眼にだの会ってみたくて会ってみたくて仕様がないんだから", "……ハイ……ハハッ……" ], [ "キット……キットお眼にかけます。ハイ。ハイ。私はお姫様の奴隷で御座います。ハイ……私は……私はまだ誰にも申しませぬが、世にも恐しい……世にも奇妙なオモチャを二つ持っております。印度のインターナショナルの言葉で『ココナットの実』と申しますオモチャを二つ持っております。それは輸入禁止になっておりまする品物でナカナカ手に這入らない珍らしいもので御座いますが、私は、その取次ぎを致しておりまするので……", "そのオモチャは何に使うの……云って御覧……" ], [ "イヤ……イヤイヤイヤ。それは、わざと申し上げますまい。お許し下さいませ。只今はそれを申上げない方が、運命の神様の御心に叶うからで御座います。……しかし……それはもう間もなく、おわかりになる事で御座います。私はその『ココナットの実』を、きょう中に二つとも、ある人の手に渡すので御座います。その方は、お姫様がよく御存じの方で御座いますが……そうしますると、その『ココナットの実』が、その方と、それから矢張り、お姫様がよく御存じのモウ一人の方の運命を支配致しまして、お二方ともお姫様のところへは二度とお出でになる事が出来ないような、恐ろしい運命に陥られる事になるので御座います。お姫様の眼の前で……お身体の近くで、そのような恐ろしい事が起るので御座います。そうして……そうして……お姫様は……お姫様は……", "ホホホホホホ。キットお前一人のものになると云うのでしょう" ], [ "……そ……そうじゃないよ。エラチャン。そうじゃないったら。だから……僕はだから、生命のあるうちに、何か一つスバラシイ、思い切った事をやっつけなくっちゃ……", "……また……生命生命って……そんなに生命の事が気になるのだったら、サッサとお帰んなさいよ" ], [ "エラチャンは肺病は怖くないかい", "チットモ怖かないわ。肺病のバイキンならどこでもウヨウヨしている。けれども達者な者には伝染しないって本に書いてあるじゃないの。妾その本を読んだから、あんたが無性に好きになったのよ。あんたが肺病でなけあ、妾こんなに可愛がりやしないわ。妾はあんたが呉れた赤い表紙の本を読んでいるうちに、あんた以上の共産主義になっちゃったのよ。……あんたが妾にサクシュされて、どんな風にガラン胴になって、ドンナ風に血を吐いて死んで行くか、見たくって見たくってたまんなくなったのよ。だからこんなに一生懸命になって可愛がって上げるのよ" ], [ "これは……約束の品です", "ナアニ。コレ……食パンじゃないの" ], [ "アッ……コレ爆弾、アブナイジャないの、こんなもの", "エラチャンは……この間……云ったでしょう。日暮れ方にこの窓から覗いていると、あのブルドッグの狒々おやじが、往来を向うから横切って、妾の処へ通って来るのが見える。その威張った、人を人とも思わぬ図々しい姿を見ると、頭の上から爆弾か何か落してみたくなるって……", "ええ……そう云ったでしょうよ。今でもそう思っているから……", "その時に僕が、それじゃ近いうちにステキなスゴイのが仲間の手に這入るから、一つ持って来て上げましょう。その代りにキット彼奴の頭の上に落してくれますかって念を押したら、貴女はキット落してやるから、キット持って来るように……", "ええ。そう云ったわ。タッタ今ハッキリと思い出したわ", "その約束をキット守って下さるなら、このオモチャを……おいしい『ココナットの実』を貴女に一つ分けて上げます。どうぞ彼奴に喰べさしてやって下さい。あいつは財界のムッソリニです。彼奴はお金の力で今の政府を押え付けて、亜米利加と戦争をさせようとしているんです。現在の財界の行き詰りを戦争で打ち破ろうと企んでいるのです。日本は紙と黄金の戦争では世界中のどこの国にも勝てない。下層民の血を流す鉄と血の戦争以外に日本民族の生きて行く途はない。不景気を救う道はないと高唱しているのです。彼奴はこの世の悪魔です。吾々の共同の敵なのです……彼奴は……イヤあなたの旦那の事を悪るく云って済みませんが……", "……いいわよ……わかってるわよ。そんな事どうでもいいじゃないの。もうジキ片付くんだから……", "……大丈夫ですか……", "大丈夫よ。訳はないわ。あのオヤジはここへ来るたんびにキット、この窓の真下の勝手口の処で立ち止まって汗を拭くんだから……そうして色男気取りでシャッポをチャンと冠り直して、ネクタイをチョット触ってから勝手口の扉を押すのが紋切型になっているんだから、その前に落せば一ペンにフッ飛んでしまうかも知れないわね。そうしたら、なおの事おもしろいけど……ホホホ……" ], [ "貴様等の秘密行動は一から十まで俺の耳に筒抜けなんだぞ。日本の警察全体の耳よりも俺の耳の方がズット上等なんだぞ。貴様がこのごろここへ出這入りし初めた事も、タッタ今、貴様の変装と一緒に、或る方面から電話で知らせて来たんだ。だから俺は大急ぎで飛ばして来た。貴様の面を見おぼえに来たんだ。いいか……", "……………", "……敵にするなら敵でもいい。貴様等の首を絞めるくらい何でもない。論より証拠この通りだ。貴様等みたいな青二才におじけて俺の荒仕事が出来ると思うか。しかし、きょうは許してやる。俺の可愛い奴のために見のがしてやる。ここで出会ったんだから仕方があるまい", "………………", "行け…………" ] ]
底本:「夢野久作全集6」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年3月24日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:浅原庸子 2004年2月19日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002107", "作品名": "ココナットの実", "作品名読み": "ココナットのみ", "ソート用読み": "ここなつとのみ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2004-03-09T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2107.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集6", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年3月24日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年3月24日第1刷", "校正に使用した版1": " ", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "浅原庸子", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2107_ruby_14537.zip", "テキストファイル最終更新日": "2004-02-19T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2107_14851.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2004-02-19T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "オイ。何処へ行くんだ!", "アッ。君だったのか……君……村井は何処へ行ったか知らないかい", "知らないよ。今日は来ない様だがね……何か事件かい", "ウン。チットばかり凄いんだ。星田が引っぱられたんだ", "星田……星田って何だい。議員かい", "馬鹿。この間会ったじゃ無いか。村井と一緒に……", "アッ。あの星田が……探偵小説の……ヘエッ。賭博でも打ったのかい", "……そんな処じゃ無いんだ。殺ったらしいんだ", "アハハ。初めやがった。モウ担がれないよ", "馬鹿……冗談じゃ無いぞ。警視庁に居る戸田からタッタ今電話がかかって来たんだ。各社とも騒いで居るんだが、何か一つ特種を市内版までに抜かなくちゃならないんだ", "村井は居ないのかい", "チェッ。だから君に聞いているんじゃないか。彼奴が居ると星田の事は尻ベタのホクロまで知って居るんだが、きょうに限って居ないもんだから編輯長がプンプン憤って居るんだ", "村井はモウ事件に引っかかって居るんじゃ無いかな", "ウン。そいつもあるね。何とも知れねえ。しかし取りあえず困った問題が一つ在るんだ。そいつに弱ってるんだ", "何だ……その問題ってのは", "○○だぜ……絶対に……", "……むろん……見せ給え。その紙を……", "フーン。……サイアク……オククウ……何だいコリャ……", "……シッ……編輯長にも伏せて在るんだ。戸田から掛かって来た電話を俺が聞きながら書き止めたんだ。何でもコイツが特種中の特種らしいんだ", "フウン。どうして……", "ウン、それがね。本社の戸田と三田村がきょうの警視庁詰でね。新米の三田村を案内して遣る積りで裏口の方へまわると、例の正岡と刑事二三人に囲まれてコッソリ自動車から降りて来る若い奴の顔を見るなり探偵小説好きの三田村が大きな声で……アッ……星田さんが……と叫んだものだ。するとその声を聞き付けた星田が戸田の顔を見るなり、刑事に気付かれないように、口を二度ばかりパクパクやってみせた。そのまんま何とも云えない悲痛な微笑を浮かべると、又モトの通りにうなだれて行ったというんだがね。その口の動かし方をアトから考え合せてみると、たしかに二度ともサイアク、オククウと云っているに違い無いと思われた。だもんだから、これは何かのヒントじゃないかって戸田の奴が電話で云ってよこしたんだ。日比谷の自動電話を使って……", "フーン。しかし夫れだけじゃ特種にならないね", "だからさ。ヒントなら何のヒントだか、これから考えなくちゃならないんだが、俺ぁトテモ苦手なんだ。こんな事が……しかも此の……サイアク……オククウは星田が村井に伝えてくれと云う意味で、特に村井と心安に戸田の顔を見かけて云ったことかも知れないんだ。戸田自身にソンナ気がすると云ってよこしたんだがね", "ウーム。サイアク、オククウ……逆様には読めないし……と……サイアク。ダイマク。カイサク。ナイカク。……トクキウ。ホクフウ……わからねえよ。ハハハ……", "誰か君、星田の懇意な奴を知らないかい。親類でも何でもいい。妻君のほかに……", "そりゃあイクラでも居るだろう。何とか云う雑誌記者と、いつもつながって歩いて居るって話だがね", "ウン。その雑誌記者の名前を思い出してくれよ。雑誌は何だい", "たしか淑女グラフだったと思うがね", "そいつの名前は……", "ウン。何とか云ったっけ……ウーン。山口じゃなし、大津じゃなし……と……エーット" ] ]
底本:「「探偵クラブ」傑作選 幻の探偵雑誌8」光文社文庫、光文社    2001(平成13)年12月20日初版1刷発行 初出:「探偵クラブ」    1932(昭和7)年12月号 入力:川山隆 校正:noriko saito 2008年4月8日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "047765", "作品名": "殺人迷路", "作品名読み": "さつじんめいろ", "ソート用読み": "さつしんめいろ", "副題": "07 (連作探偵小説第七回)", "副題読み": "07 (れんさくたんていしょうせつだいななかい)", "原題": "", "初出": "「探偵クラブ」1932(昭和7)年12月号", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2008-05-10T00:00:00", "最終更新日": "2017-05-07T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card47765.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "「探偵クラブ」傑作選 幻の探偵雑誌8", "底本出版社名1": "光文社文庫、光文社", "底本初版発行年1": "2001(平成13)年12月20日", "入力に使用した版1": "2001(平成13)年12月20日初版1刷", "校正に使用した版1": "2001(平成13)年12月20日初版1刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "川山隆", "校正者": "noriko saito", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/47765_ruby_29707.zip", "テキストファイル最終更新日": "2008-04-08T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/47765_30949.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2008-04-08T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "ウン。取られたければ取ってやらん事もないが、一体何だってそんなに肝が要らなくなったんだ", "私は今までこの山奥の猿の都に居たんです。そして猿共と一所に木登りをするけれども、木から木へ飛び移ったり綱渡りをするのが恐ろしくて恐ろしくて、どうしても猿共に敵わないんです。ですから猿の王様にそのわけを聞くと、王様が云うには、人間の肝は猿の肝より小さいからそんなにビクビクするのだ。俺は今七八ツ程肝を仕舞って、時々出して洗濯しているが、欲しければ新しいのを一つ遣ろう。その代り今持っているのを棄ててしまえというのです。けれども私はどうしたら肝を出していいか分らないから、誰か肝を取る事の上手な人に頼もうと思ってここまで来たところです。丁度いいから取って下さい", "ハハハハ。貴様は馬鹿だな", "馬鹿じゃありません。本当に頼むんです", "ウン、そんなら取ってやろう。その代り少し痛いからじっとしていなくちゃ駄目だぞ", "痛い位驚きません", "よし。こちらへ来い" ], [ "俺も砂糖を探しているのだ。何なら仕事を手伝ってやろう。その代り山分けにしてくれなければ嫌だ", "どうぞ手伝って下さい。あまり沢山あって運び切れないので困っているのです。砂糖は向うの広場に落ちております。大方砂糖車から零れたのでしょう" ], [ "そんなら連れて行って下さい", "うん、連れて行ってやろう" ], [ "王様の馬と一所に野原に遊びに行くのだ", "この馬泥棒" ] ]
底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年5月22日第1刷発行 初出:「九州日報」    1920(大正9)年1月 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「萠圓山人《ほうえんさんじん》」です。 入力:柴田卓治 校正:もりみつじゅんじ 2000年1月17日公開 2012年5月17日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000934", "作品名": "猿小僧", "作品名読み": "さるこぞう", "ソート用読み": "さるこそう", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1920(大正9)年1月", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-01-17T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card934.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集1", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年5月22日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "もりみつじゅんじ", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/934_ruby_21815.zip", "テキストファイル最終更新日": "2012-05-17T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "3", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/934_21816.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-05-17T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "2" }
[ [ "アハハハハハ。もう大丈夫だ。泣こうが喚こうが", "ハハハハハハ。しかしヤングの智恵には驚いちゃったナ。露西亜の娘っ子なんて、コンナに正直なもんたあ思わなかったよ", "ウーム。こんな素晴らしい思い付きは、彼奴の頭でなくちゃ出て来っこねえ。何しろ革命から後ってものあ、どこの店でも摺れっ枯らしを追い出して、いいとこのお嬢さんばかりを仕入れたっていうからな……そこを睨んだのがヤングの智恵よ", "成る程ナア……ところでそのヤングはどこへ行きやがったんだろう", "おやじん処へ談判に行ったんだろう。生きたオモチャをチットばかし持込んでいいかってよ", "……ウーム。しかしなア……おやじがうまくウンと云えあ良いが……", "それあ大丈夫よ。それ位の智恵なら俺だって持っている。つまり時間が来るまでは、他の話で釣っといて、艦の中を見まわらせねえようにしとくんだ。そうしてイヨイヨ動き出してから談判を始めせえすれあ、十が十までこっちのもんじゃねえか。……まさか引っ返す訳にも行くめえしさ", "ウーム。ナアルホド。下手を間誤付けあ、良い恥晒しになるってえ訳だな", "ウン……それにおやじだって万更じゃねえんだかんナ……ヤングはそこを睨んでいるんだよ", "アハハハハ違えねえ。豪えもんだなヤングって奴は……", "アハハハハハハハ", "イヒヒヒヒヒヒヒ" ], [ "まだルスキー島はまわらねえかな", "ナニもう外海よ", "……ワン。ツー。スリー。フォーア……サアテン。フォテン……おやア……一つ足りねえぞこりゃア……フォテン。フィフテン。シックステン……と……あっ。足下に在りやがった。締めて十七か……ヤレヤレ……", "……様と一緒なら天国までも……って連中ばかりだ", "惜しいもんだなあ……ホントニ……おやじせえウンと云えあ、布哇へ着くまで散々ぱら蹴たおせるのになア", "馬鹿野郎。布哇クンダリまで持って行けるか。万一見つかって世界中の新聞に出たらどうする", "ナアニ。頭を切らして候補生の風をさせとけあ大丈夫だって、ヤングがそう云ってたじゃねえか", "駄目だよ。浦塩の一粒選りを十七人も並べれあ、どんな盲目だって看破っちまわア", "それにしても惜しいもんだナ。せめて比律賓まででも許してくれるとなア", "ハハハハまだあんな事を云ってやがる。……そんなに惜しけあ、みんな袋ごと呉れてやるから手前一人で片づけろ。割り前は遣らねえから", "ブルブル御免だ御免だ", "ハハハ見やがれ……すけべえ野郎……" ], [ "待て待て。片づける前に一ツ宣告をしてやろうじゃねえか。あんまり勿体ねえから", "バカ……止せったら……一文にもならねえ事を……", "インニャ。このまま片づけるのも芸のねえ話だかんナ……エヘン", "止せったらヂック……そんな事をしたら化けて出るぞ", "ハハハハ……化けて出たら抱いて寝てやらあ……何も話の種だ……エヘンエヘン", "止せったら止せ……馬鹿だなあ貴様は……云ったってわかるもんか", "まあいいから見てろって事よ……これあ余興だかンナ……俺の云う事が通じるか通じないか……" ], [ "アハハハハ。非道え眼に会っちゃったナ。あとでいくらかヤングに増してもらえ", "ヂックの野郎が余計な宣告を饒舌るもんだから見ろ……こんなに血が出て来た", "ハハハハ恐ろしいもんだナ。袋の中から耳朶を喰い切るなんて……", "喰い切ったんじゃねえ。引き千切りかけやがったんだ。だしぬけに……", "俺あ小便を引っかけられた。コレ……", "ウワ――。あれあスチューワードが持ち込んだ肥っちょの娘だろう。彼奴の鞭で結えてあったから……", "ウン。あのパン屋のソニーさんよ。おかげで高価え銭を払ったルパシカが台なしだ。とても五弗じゃ合わねえ", "まあそうコボスなよ。女の小便なら縁起が宜いかも知れねえ", "人をつけ……ウラハラだあ……", "ワハハハハハ" ], [ "サア温柔しく温柔しく。あばれると高い処から取り落しますよ。落ちたら眼の玉が飛び出しますよ", "小便なんぞ引っかけないように願いますよだ。ハハハハハハ", "ドッコイドッコイ……どうでえこの腹部のヤワヤワふっくりとした事は……トテモ千金こてえられねえや", "アイテッ。そこは耳朶じゃねえったら……アチチチ……コン畜生……", "ハハハハ。そこへ脳天を打っ付けねえ。その方が早えや", "アイテテ……又やりやがったな……畜生ッ……こうだぞ……" ], [ "……どうでえ。綺麗な足じゃねえか", "ウーム。黒人の野郎、こいつをせしめようなんて職過ぎらあ", "面が歪んだくれえ安いもんだ。ハハン", "しかし、よっぽど手酷く暴れたんだな。あの好色野郎が、こんなにまで手古摺ったところを見ると……", "フフン、勿体なくもオブラーコのワーニャさんだかんな", "ウーム。十九だってえのに惜しいもんだナア……コンナに暴れちゃっちゃ、ヤングだって隠しとく訳に行くめえが……", "……シーッ……来やがった来やがった……" ], [ "十七人の娘の中で、ワーニャさんだけだんべ……天国へ行けるのはナア", "アーメンか……ハハハハハ" ], [ "サア……天国へ来た……", "ウフフフフ。ワーニャさんハイチャイだ。ちっとハア寒かんべえけれど", "ソレ。ワン……ツー……スリイッ……" ] ]
底本:「夢野久作全集6」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年3月24日第1刷発行 底本の親本:「押絵の奇蹟」春陽堂    1932(昭和7)年12月14日発行 初出:「新青年」    1929(昭和4)年4月号 入力:柴田卓治 校正:土屋隆 2005年6月15日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002101", "作品名": "支那米の袋", "作品名読み": "しなまいのふくろ", "ソート用読み": "しなまいのふくろ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「新青年」1929(昭和4)年4月号", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2005-08-04T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2101.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集6", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年3月24日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年3月24日第1刷", "校正に使用した版1": "2000(平成12)年6月15日第2刷", "底本の親本名1": "押絵の奇蹟", "底本の親本出版社名1": "春陽堂", "底本の親本初版発行年1": "1932(昭和7)年12月14日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2101_ruby_18734.zip", "テキストファイル最終更新日": "2005-06-15T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2101_18783.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2005-06-15T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "……それじゃクニちゃん……今夜、飯田町から……", "ええ……終列車がいいわ……", "ここで待っているよ", "ええ。すこし遅くなるかも知れないわ。お父さんが寝るのが十一時頃だから、それから盗み出して着物を着かえて来ると、十二時が過ぎるかも知れないわ", "終列車は一時十分だから……", "そんなら大丈夫よ。二千円ぐらい有ってよ。明日銀行へ入れるのが……ホホ……足りないか知ら……", "ハハハ。余る位だ。朝鮮に行けばね……", "キットここで待っててね", "……クニちゃん……", "……竜太さんッ……" ], [ "……………", "……………" ], [ "……あの……ちょっと……お伺い申しますが……あの……", "……ハイ。何の御用ですか", "ええ。その……何で御座います。その……今……お帰りになりましたのは……その……エヘヘ……こちらのお嬢様で……", "……………" ], [ "何か……何しに来たんか……", "ヘイ、ヘイ、それが……そのお願いに参りましたんで……", "何だ。喧嘩したんか", "いいえ。そんなんじゃ御座んせんので実は……その何なんで……", "何でも良い。云うて見い" ], [ "……芝居狂えも大概にしろ馬鹿野郎……タタキ出すぞ……", "まあ、お前さん、そう口汚なく云わなくったって……" ], [ "黙ってスッ込んでいろ畜生。何が面白いんだアンナものが。芝居や活動なんテナみんな作りごとばかりじゃねえか。ええ、おい。あんな物あ女の見るもんだ。男なら角力かベースボールでも見やアがれ。芝居なんて物を見ると臓腑が腐っちゃって仕事に身が入らなくなるんだ。アンナ作りごとばかり見てた日にゃ、世の中の事がミンナ嘘に見えて来らあ。ケッ……忌々しい野郎だ", "まあ。そんなに云うもんじゃないよ。サア、万ちゃん御飯お上り。お腹が空いたでしょう", "飯ばかり喰らいやあがって畜生めえ。一体イツ時分だと思ってやんだ……今を……", "それあネエ。一幕見のつもりだってもね。ツイ出られなくなるもんですよ。ねえ", "チッ……嫌に万公の肩ばかり持ちやがる。手前がソンナだから示しが附かねえんだ", "だって万ちゃんなんかイツモ影日向なんかしないんだから……タマにゃあねえ", "ええ。この野郎。何が影日向だ。材木置場に行って見ろ。何も片付いてやしねえじゃねえか。杉ッ皮を放ったらかしてどこかへ行きやがったに違えねえんだ。ここへ出て来い畜生", "まあお待ち。お前さんたら馬鹿馬鹿しい。何もそんなに喧嘩腰にならなくたっていいじゃないの。ねえ万ちゃん。いったいどこへ行ったの。そんなに、いい劇がどこかへ掛かってんの" ], [ "まあ。万ちゃん。泣いてるじゃないの。可哀そうに……御覧よ。お前さんがアンマリ叱るから万ちゃん泣いてるじゃないの。咽喉をビクビクさして……さあさあ、もういいから御飯お上り。ね。ね", "テヘッ。呆れて物が云えねえ。咽喉のビクビクが可哀相なら、引っくり返った鮟鱇なんか見ちゃいられねえや。勝手にしやがれだ。ケッ……" ], [ "アハハハハハ", "ワハハハハハ" ] ]
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年10月22日第1刷発行 ※材木屋の屋号が「やまかわ」(269-9)から、「山金」(284-3、285-9)に変わっているが、三一書房版「夢野久作全集6」でも同じであったため底本のママとした。()内は底本のページと行数。 入力:柴田卓治 校正:kazuishi 2001年7月24日公開 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002120", "作品名": "芝居狂冒険", "作品名読み": "しばいきょうぼうけん", "ソート用読み": "しはいきようほうけん", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2001-07-24T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2120.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集10", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年10月22日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "kazuishi", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2120_ruby.zip", "テキストファイル最終更新日": "2001-07-24T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2120.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2001-07-24T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "福太郎が命拾いをしたちうケ", "小頭どんがエライ事でしたなあ" ], [ "どうしてマア助かんなさったとかいな", "土金神さんのお助けじゃろうかなあ" ], [ "小頭どん一つお祝いに……", "オイ。福ちゃん。あやかるで", "生命の方もじゃが、ま一つの方もなあ。アハハハ……" ], [ "サア持って来なさい。茶碗でも丼でも何でもよか", "アハハハ。お作どんが景気付いたぞい", "今啼いた鴉がモウ笑ろた。ハハハハ", "ええこの口腐れ。一杯差しなさらんか", "ようし。そんならこのコップで行こうで", "まア……イヤラッサナア……冷たい盃や受けんチウタラ", "ヨウヨウ。久し振りのお作どんじゃい。若い亭主持ってもなかなか衰弱んなあ", "メゲルものかえ。五人や十人……若かりゃ若いほどよか", "アハハハハ。なんち云うて赤いゆもじは誰がためかい", "知りまっせん。大方伜と娘のためだっしょ", "ウワア。こらあ堪らん。福太郎はどこさ行たかい", "押入の前で死んだごとなって寝とる", "アハハ。成る程。死んどる死んどる。ウデ蛸の如なって死んどる。酒で死ぬ奴あ鰌ばっかりションガイナと来た", "トロッコの下で死ぬよりよかろ", "お作どんの下ならなおよかろ", "ワハハハハ", "おい。みんな手を借せ手を借せ。はやせはやせ" ], [ "……アハ……アハ……わかったか……貴様は……俺に恥掻かせた……ろうが……俺がどげな……人間か知らずに……アハ……", "……………", "……それじゃけに……それじゃけに……" ], [ "……それじゃけに……引導をば……渡いてくれたとぞ……貴様を……殺いたとは……このオレサマぞ……アハ……アハ……", "……………", "……お作は……モウ……俺の物ぞ……あの世から見とれ……俺がお作を……ドウするか……", "……………", "……ああハアハア……ザマを……見い……" ], [ "どうしたんかッ", "どうしたんかッ", "どうしたんかッ" ] ]
底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年9月24日第1刷発行 底本の親本:「冗談に殺す」春陽堂    1933(昭和8)年5月15日発行 入力:柴田卓治 校正:土屋隆 2005年8月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002095", "作品名": "斜坑", "作品名読み": "しゃこう", "ソート用読み": "しやこう", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2005-09-04T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2095.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集4", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年9月24日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年9月24日第1刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "冗談に殺す", "底本の親本出版社名1": "春陽堂", "底本の親本初版発行年1": "1933(昭和8)年5月15日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2095_ruby_19177.zip", "テキストファイル最終更新日": "2005-08-20T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2095_19238.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2005-08-20T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "どうしたんか", "アッ。草川の旦那さん" ], [ "何だ。一知じゃないかお前は……", "はい。あの……あの……両親が殺されておりますので……", "何……殺されている? お前の両親が……", "はい。今朝、眼が醒めましたら、台所の入口と私の枕元に在る奥の間の中仕切が開け放しになっておりましたから、ビックリして奥の間の様子を見に行ってみますと、お父さんと、お母さんが殺されております。蚊帳が釣ってありますので、よくわかりませんが、枕元の畳と床の間のあいだが一面、血の海になっております", "いつ頃殺されたんか。今朝か……", "……わかりません。昨夜……多分……殺された……らしう御座います", "泣くな――。たしかに死んでいるのだな", "……ハイ……ツイ、今しがた、神林医師を起して、見に行ってもらいましたが……まだ行き着いて御座らぬでしょう", "うむ。一寸待て……顔を洗って来るから" ], [ "一知……", "ハイ", "こっちへ這入れ、足は洗わんでもええから……" ], [ "……わかりません。昨夜十二時頃寝ましたが、今朝起きてみますと、モウ殺されておりましたので……蚊帳越しですからよくわかりませんが、二人とも寝床の中からノタクリ出して、頭が血だらけになっております……", "それを見ると直に走って来たのだな", "ハ……ハイ……" ], [ "アイ。見えました", "その時にマユミさんは起きておったかね", "イイエ。良う寝ておりました。ホホ。神林先生が起して下さいました", "ウム。何か云うて行きはしなかったかね", "アイ。云うて行きなさいました。巡査さんを呼んで来るから、お茶を沸かいておけと云って走って出て行きなさいました。それで……アノ……ホホホ……", "何か可笑しい事があるかね", "……アノ……その入口に引っかかって転んで行きなさいました……ホホホホホホ……", "うむ。ほかには何とも、神林先生は云うて行かなかったかね" ], [ "アイ。云うて行きなさいました。アノ奥座敷へはドンナ事があっても、行く事はならんと云うて行きなさいました", "それでマユミさんは奥座敷へ行かなかったのかね", "アイ。まだ二人とも寝ていんなさいます", "ウム。アンタは昨夜、良う睡ったかね", "アイ。一番先に寝てしまいました。ホホホ……", "ハハハ。そうかそうか。よしよし……" ], [ "殺した奴はどこから這入って来たんか", "ここから這入って来たものと思います" ], [ "成る程、ここの帰りはこの掛金を一つ掛けただけだな", "ハイ。その掛金の穴へ、あの竈の長い鉄火箸を一本刺しておくだけです", "昨夜も刺しておいたのか", "ハイ。シッカリと刺しておいたつもりでしたが、今朝見ますとその鉄火箸は、この敷居の蔭に落ちておりました" ], [ "よし。昨夜の通りに今一度、内側から締めてみい", "ハイ……" ], [ "足跡も何も無かったんか。そこいらには……", "……ハ……ハイ。ありま……せんでした。山の下から……この踏石を踏んで来たもの……かも知れません" ], [ "足跡も何も無い……ところでお前達は昨夜ドコに寝とったんか", "この台所に寝ておりました", "何も気付かなかったんか……それでも……" ], [ "いいえ。彼女は毎晩、両親の吩付で直ぐ向うの中の間に寝る事になっておりますので……", "ホントウか。大事な事を聞きよるのだ", "ホントウで御座います。一緒に寝た事は……今までに……一度も……" ], [ "ハイ……しかし……それは……今度の事と……何の関係も無い事です", "うむうむ。そうかそうか。それでラジオの音に紛れてマユミさんと一緒に寝よったんか。ハハハ" ], [ "フム。毎晩、何時頃に寝るのかお前達は……", "両親達はラジオを聴いてから一時間ばかりで寝附きますから、私たちが寝付くのはドウしても十二時過になっておりました。もっともこの頃は九時か十時ぐらいに寝ているようです。ラジオを止めましたから……", "何故ラジオを止めたのかね", "養母さんが嫌いですから……" ], [ "ふうむ。惨酷いお養母さんじゃのう。起きるのは何時頃かね", "大抵今朝ぐらいに起きます", "夜業はせぬのか……藁細工なぞ……", "致しません。時々小作米とか小遣の帳面を枕元の一燭の電燈で調べる位のことで、直ぐに寝てしまいます", "老人というものはナカナカ寝付かれぬものというが、やっぱりソンナに早く寝てしまうのか……", "さあ。私はよく存じませぬが……疲れて寝てしまいますので……" ], [ "この把手はお前が取付けたんか", "いいえ。養母さんが取付けたのだそうです。一軒家だから用心に用心をしておくのだと云って、養母さんが自分で町から買うて来て、隣村の大工さんに附けてもろうたのだそうです", "そうするとこの家に引移った当時の事だな", "よく知りませんがヨッポド前だそうです", "フム。毎晩この鍵を掛けて寝るのか", "ハイ。私が寝ると、養母さんが掛けに来ます", "そうすると鍵は養母さんが持って、寝ている訳じゃのう", "ハイ……そうらしう御座います", "うむ。惨酷い事をするのう" ], [ "これが盗まれた金の這入っていた袋だな", "……そう……です……" ], [ "現金はイクラ位、這入っていたのかね", "明日……いいえ、今日です。きょう信用組合へ入れに行く金が四十二円十七銭入っていた筈です。麦を売って肥料を買った残りです", "お前はその現金を見たんか", "いいえ。私はこの家へ来てから一度も現金を見た事はありません。私が附けた田畑の収穫の帳面尻をハジキ上げて、イクライクラ残っていると、台所から呶鳴りますと、養母さんが寝床の中で銭を数えてから、ヨシヨシと云います。それが、帳尻の合っております証拠で……いつもの事です", "そうかそうか。成る程……" ], [ "捜査本部はどこにするかね", "駐在所でいいでしょう。電話がありますから。刑事を一人残しておいて、必要に応じて出張する事にしたいと思います。自動車で約一時間ぐらいで来られますから……", "うむ。それがいいでしょう。実をいうと例の疑獄の方で儂も忙しくて、これにかかり切る訳にも行かんでのう……ところでアタリは附きましたかな……", "色々想像が出来ますねえ。犯人は区長と、一知と、ルンペンと、前科者と……", "ハハア。しかし今のところどれも考えられんじゃないですか、この場合……第一区長は見たところ相当な好人物に見えるじゃないですか。村の者のコソコソ話によると、区長は村のために自分一人が犠牲になって死物狂いに努力しおる名区長じゃというし、息子の一知も区長が或る計画の下に養子に遣ったものでは決してない。先方からの望みであったというし、目下区長が全責任を負うて心配している信用組合の破綻を救うために、村民の決議で村有の山林原野を抵当にした、相当有利な条件の借金話が、区長と死んだ深良老人との間に都合よく進行しているという話じゃから、その裏の裏の魂胆でも無い限りは、区長へ嫌疑をかけるのは無意味じゃないかと思うです。深良爺さんが死ぬと区長は大きな損をする訳ですからナ", "私は最初、一知に疑いをかけておりました。外から這入った形跡が全然見当らないのですからね。草川巡査も、只今のお話を知らなかったらしく、私と同意見で、一知に疑いをかけているらしい口吻でしたが、しかし、私が最前ちょっと一知を物蔭に呼んで、心当りは無いかと尋ねてみますと、一知はモウ、そんな意味で草川巡査に疑いをかけられている事をウスウス感付いているらしいのです。眼に涙を一パイ溜めながら……私はまだこの家の籍に這入ってはおりませんが、仮りにも義理の両親を殺して、実父の財政が間違いなく救われる事になりますならば、喜んでこの罪を引受けましょう……とキッパリ申しておりました", "フーム、田舎者としては立派すぎる返事ですなあ。すこし頭が良過ぎるようじゃが……", "あの青年はこの村でも有数のインテリだそうです", "そうらしいですな。殊にあの養子はこの村でも一番の堅造という話ですな", "草川巡査もそう云うておりました。あの別嬪の嬶も好人物過ぎる位、好人物という話です", "ウム。あの若い夫婦は大丈夫じゃろう。実父の区長のためになる事でなければ、そう急いて老夫婦を殺す必要も無い筈じゃから……しかし通りかかりのルンペンにしては遣り口が鮮やか過ぎるようじゃなあ", "……今度の兇行の動機は怨恨関係じゃないでしょうか。金品を奪ったのは一種の胡麻化手段じゃないですかな", "……というと……", "マユミの縁組問題です……ずいぶん美人のようですからね", "それも考えられるな。今の一知という青年と同年輩で、マユミに縁組を申込んで、老人夫婦に断られた者は居らんかな", "十分に調べさせてみましょう", "何にしても問題は兇器だ。アッ……草川君が帰って来た。また恐ろしく大勢連れて来たな。ハハハ……中々気が利いている", "ナアニ。この村は青年が一致しているのでしょう" ], [ "つまりその砥石の上で刃物の柄を撞着いて、抜けないようにしたと云うのですな", "そうです。そのほかに今申上げましたようなラジオや、戸締りに関する一件もありますので、テッキリ犯人と睨んでいるのですが" ], [ "ハイ。私も署長からその指令を受けましたので十分に注意して見ましたが、区長は絶対に、そんな事の出来る人間ではありませぬ。むしろ自分の息子を養子に遣った家から補助を受けたりする事を潔しとしない、純粋な性格の男です。目下、東京で近衛の中尉をしております長男からも、その一知から金を借りない趣旨に賛成の旨を返事して来ております。のみならず昨日の事です。その長男の手紙と同時に勧業銀行から破産宣告に関する通知が来ているのを私は見て参りました", "フーム。してみると区長に嫌疑はかけられぬかな", "ハイ。区長は絶対の無罪と信じます。少くとも区長と犯人との間柄は、赤の他人以上に無関係です", "しかし君は、そうした犯人に関する意見を、何故に司法主任の馬酔君に話さなかったのですか。その方が正当の順序じゃないですか" ], [ "そんな理由で……私のような下級官吏の口から申上るのは僭越ですが、昔から田舎の都会に根を張っております政党関係の因縁の根強さは、到底、私どもの想像に及びません位で、それに……私は元来、極く田舎の貧乏寺の僧侶の子で御座いまして、父親の名跡を継ぐために、曹洞宗の大学を出るだけは出ました者ですが、現在の宗教界の裏面の腐敗堕落を見ますとイヤになってしまいまして、いっその事直接に実社会のために尽そうと考えて、檀家の人々が止めるのも聴かずに巡査を志願致しましたような偏屈者で御座いますから、そんな因縁の固まりみたような地方の警察署ではトテモ不愉快で仕事が出来ません。云う事、為す事が皆、上長の機嫌に触りますので……もっとも只今では政党の関係は無くなりましたが、昔の有力者という者が残っておりまして、近づいて参ります選挙でも、警察の力を利用して、勝手な事をしてやろうと腕に捩をかけて待っているような情勢であります", "フムフム。それはモウよくわかっているが……", "ですから、私のような偏屈者が警察に居りますと、何としても邪魔になりますらしいので、私が高等文官の試験準備を致しておりますのを良い事にして、田舎の方が勉強が出来るからと云って谷郷村へ逐いやられてしまったのです", "……成る程", "……ですから今のような事実を説明しましても、上長に憎まれております私ですからナカナカ取上げてもらえまいと思いました。現に署長は、私が捜索を怠けておりますために、事件の眼鼻が附かないものと考えておられるようで、電話で度々お叱りを受けております。実際を御存じないものですから……", "ふうむ。しかしそのような事実を、今日が今日まで私に黙っておられたのは何故ですか" ], [ "……その……今申しました犯人の性格をモット深く見究めたいと思いましたので……つまり犯人は都会の上流や、知識階級に多い変質的な個人主義者に違いないと思ったのです。もちろん最初の中は、そんなような感情や、理智の病的に深い人間が、あんな田舎に居ようとは思いませんでしたので……それに村民の評判がステキにいいものですから、出来る限り慎重に致したいと考えましたので……", "成る程……", "……そ……それにあの砥石の位置が、暗闇の中で見えるか、見えないかが確かめて見とう御座いましたので……あの惨劇の晩は一片の雲も無い晴れ渡った暗夜で御座いましたが、その翌る晩から曇り空や雨天が続きまして、それが晴れると今度は月が出て来るような事で、まことに都合が悪う御座いました。それであの晩と同じような雲の無い暗夜が来るのを辛抱強く待っておりますうちに、やっと四五日前の晩に実験が出来ました。つまり台所の入口に立ちますと、あの砥石が井戸端の混凝土と一緒にハッキリと白く暗の中に浮いて見える事がわかりました。もっとも、それはただ小さな白い、四角い平面に見えているだけで、砥石だか何だかわかりませんが、それを砥石と認め得る人間はあの家の者より他に無い筈です", "いかにも……それは道理な観察ですが、しかし万一兇器としても単に柄を嵌込るだけの目的ならば、附近にシッカリした花崗岩の敷石が沢山に在るのに、何故あんな暗い処に在る石を選んだものでしょうか。……それから今一つ、兇器の柄がシッカリ嵌っていない事を、犯人は最初から気附かずにいたものでしょうか。どうでしょうか。そのような点はドウ考えますか", "それは……恐らく加害者が、兇行間際の緊張した気持から、新しい兇器の柄に不安を感じた結果、何かでシッカリと柄を打込むべく外へ出たものであろうと考えます。ところがあの小高い深良屋敷の台所に近い敷石の上を動く人影は、木の間隠れではありますが空を透しておりますために、雨天でない限りは、どんな暗夜でも下の国道から透して見え易い事を、用心深い犯人がよく知っていたに違いありませぬ。ですから軒下の暗闇づたいに近付いて行けるあの真暗い背戸の山梔木の樹蔭に在る砥石を選んだものではないかと考えます。あそこならば物音が、奥座敷へ聞えかねますから……", "イヤ。よろしい。熱心にやって下すった事を感謝します。それでは今のお話のオナリ婆さんの変態的な性格についてですね……どんな風にオナリ婆さんが、一知夫婦を窘めたかに就いてですね……出来るだけ秘密に……そうしてモット具体的に確かめられるだけ確かめておいて下さい。こちらはこの写真によって直ぐに調査を進行させますから……", "……ハ……ありがとう御座います" ], [ "……そ……それを……手紙を出すことを許して頂けませんでしょうか……一知に……", "……誰に宛てて……書かせるのかね" ], [ "妻のマユミは無学文盲ですから……父親の乙束区長の方へ、手紙を出してもいいと、仰言って頂きたいのですが……そうしてその手紙を検閲なさる時に、私に見せて頂きとう御座いますが……", "ハハア。何の目的ですか……それは……", "兇器を発見するのです", "成る程……" ] ]
底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年9月24日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:小林繁雄 2000年5月25日公開 2006年3月14日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "ヘエ。貴方がこの手紙の曼陀羅先生で……", "そうです" ], [ "モウ死骸は片付けられましたか", "火葬にして遺骨を保管しておりますが……死後三日目ですから", "姫草が頼んだ通りの手続きにしてですか", "さようです", "何で自殺したんですか", "モルフィンの皮下注射で死んでおりました。何処で手に入れたものか知りませんが……" ], [ "先月……十一月の二十一日の事です。姫草さんはかなり重い子宮内膜炎で私のところへ入院しましたが、そのうちに外で感染して来たらしいジフテリをやりましてね。それがヤット治癒りかけたと思いますと……", "耳鼻科医に診せられたのですか", "いや。ジフテリ程度の注射なら耳鼻科医でなくとも院内で遣っております", "成る程……", "それがヤット治癒りかけたと思いますと、今月の三日の晩、十二時の最後の検温後に、自分でモヒを注射したらしいのです。四日の……さよう……一昨々日の朝はシーツの中で冷たくなっているのを看護婦が発見したのですが……", "付添人も何もいなかったのですか", "本人が要らないと申しましたので……", "いかにも……", "キチンと綺麗にお化粧をして、頬紅や口紅をさしておりましたので、強直屍体とは思われないくらいでしたが……生きている時のように微笑を含んでおりましてね。実に無残な気持がしましたよ。この遺書は枕の下にあったのですが……", "検屍はお受けになりましたか", "いいえ", "どうしてですか。医師法違反になりはしませんか" ], [ "検屍を受けたらこのお手紙の内容が表沙汰になる虞がありますからね。同業者の好誼というものがありますからね", "成る程。ありがとう。してみると貴下はユリ子の言葉を信じておられるのですね", "あれ程の容色を持った女が無意味に死ぬものとは思われません。余程の事がなくては……", "つまりその白鷹という人物と、僕とが、二人がかりで姫草ユリ子を玩具にして、アトを無情に突き離して自殺させたと信じておられるのですね……貴下は……", "……ええ……さような事実の有無を、お尋ねに来たんですがね。事を荒立てたくないと思いましたので……", "貴方は姫草ユリ子の御親戚ですか", "いいえ。何でもないのですが、しかし……", "アハハ。そんなら貴下も僕等と同様、被害者の一人です。姫草に欺瞞されて、医師法違反を敢えてされたのです" ], [ "怪しからん……その証拠は……", "……証拠ですか。ほかの被害者の一人を呼べば、すぐに判明る事です", "呼んで下さい。怪しからん……罪も報いもない死人の遺志を冒涜するものです", "呼んでもいいですね", "……是非……すぐに願います" ], [ "新聞の広告を見て来たのですか", "いいえ。ちょうど表の開院のお看板が電車の窓から見えましたので降りて参りました", "ハハア。お国はどちらですか", "青森県のH市です", "御両親ともそこにおられるのですか", "ハイ。H市の旧家でございます", "御両親の御職業は……", "造酒屋を致しております", "ほお。それじゃ失礼ですが、お実家は御裕福ですね", "ええ。それ程でもございませんけど……妾が東京に出る事に就きましても、両親や兄が反対したんですけど妾、自分の運命を自分で開いてみたかったんですし、それに看護婦の仕事がしてみたくてたまらなかったもんですから……", "それじゃ今では御両親と音信を絶っておられるんですか", "いいえ。いつも手紙を往復しておりますの。それからタッタ一人の兄も東京で一旗上げると言って今、丸ビルの中の罐詰会社に奉公しております", "学校は何処をお出になったの", "青森の県立女学校を出ておりますの", "看護婦の仕事に御経験がありますか", "ハイ。学校を出ますと直ぐに信濃町のK大の耳鼻科に入りましてズット今まで……", "そこを出て来た事情は……", "……あの。あんまり嫌な事が多いもんですから……", "いやな事ってドンな事ですか", "……申し上げられません。仕事はトテモ面白かったんですけど……", "ふうむ。貴女の身元保証人は……", "あの。下谷で髪結いをしている伯母さんに頼んでおりますの。いけないでしょうか", "どうして兄さんに頼まないんですか", "伯母さんの方がズット世間慣れておりますし、今までその家におったもんですから……きょうも、家にジッとしていないでブラブラ町を歩いて御覧、いい仕事があるかも知れないからって、その伯母さんが言いましたもんですから……", "お名前は……", "姫草ユリ子と申しますの", "姫草ユリ子……おいくつ……", "満十九歳二か月になりますの……使って頂けますか知ら……" ], [ "ねえお姉様。あの娘が万一、看護婦が駄目だったら女中にでも使って遣りましょうよ。ねえ、可哀そうですから", "まあ。妾もアンタがその気ならと思っていたとこよ。追々お客様も殖えるでしょうから" ], [ "先生。只今兄がお礼に参りましたの。先生がお好きって妾が申しましたからってね、倉屋の羊羹を持って参りましたの……イイエ。もう帰りましたの。折角お休息のところをお妨げしてはいけないってね。どうぞどうぞこの後とも宜しくってね……申しまして……ホホ。そちらへお届け致しましょうか……羊羹は……", "ウン大急ぎで届けてくれ。ありがとう" ], [ "まあ臼杵先生は白鷹先生ソックリよ", "何だい。その白鷹って言うのは……俺に断らないで俺に似てるなんて失敬な奴じゃないか", "まあ。臼杵先生ったら……白鷹先生は、あなたよりもズットお年上で、K大耳鼻科の助教授をしていらっしゃるんですよ", "ワア。あやまったあやまった。あの白鷹先生かい。あの白鷹先生なら、たしかに俺の先輩だ", "ソレ御覧なさい。ホホホ。K大にいる時に白鷹先生は、いつも手術や診察の最中にいろんな冗談ばかり仰言って患者をお笑わせになったんですよ。鼓膜切開の時なんかは、患者が笑うと頭が動いて、トテモ危険なんですけど、白鷹先生の手術はステキに早いもんですから、患者が痛いなんて感ずる間もなく、笑い続けておりましたわ。そんなところまで臼杵先生のなさり方とソックリでしたわ" ], [ "なあんだ。白鷹先生なら僕の大先輩だよ。九大にいる時分に御指導を受けたんだから、もしかすると僕の事を御存じかも知れない。いい事を聞いた。そのうちに是非一度、お眼にかかりたいもんだが……", "ええ、ええ。そりゃあ必定、お喜びになりますわ。先生の事も二、三度お話の中に出て来たように思いますわ。臼杵君はトテモ面白い学生だったって、そう仰言ってね", "ふうん。僕は茶目だったからなあ。お宅はどこだい", "下六番町の十二番地。奥さんはトテモ上品でお綺麗な、九条武子様みたいな方ですわ。久美子さんと仰言ってね。先生をトテモ大切になさるんですよ。仲がよくってね……", "アハハハ。何でもいいから、そのうちに……きょうでもいいから一度、君から電話かけといてくれないかね。臼杵がお眼にかかりたがっているって……", "……まあ。妾なんかが御紹介しちゃ失礼じゃございません……?", "なあに構うものか。白鷹先生なら、そんな気取った方じゃないんだよ" ], [ "……でも妾……看護婦風情の妾が……あんまり失礼……", "ナアニ。構うもんか。看護婦が紹介したって先生は先生同士じゃないか。白鷹先生はソンナ事に見識を取る人じゃなかったぜ", "ええ。そりゃあ今だって、そうですけど……", "そんなら、いいじゃないか……僕が会いたくて仕様がないんだから……" ], [ "ええ。妾でよければ……いつでも御紹介しますけど……", "ウン。頼むよ。きょうでもいい。電話でいいから掛けといてくれ給え" ], [ "ナニ。白鷹先生から電話……何の用だろう", "まあ。先生ったら……この間、妾に紹介してくれって仰言ったじゃございません。ですから妾、昨日お電話でモウ一度そう申しましたの……お忙しい時間もチャンとそう言って置きましたのに……今頃お掛けになるなんて……" ], [ "ウン。驚いたよ。恐ろしくザックバランな先生だね。少々巻舌じゃないか", "……でしょうね。そりゃあ面白い方よ" ], [ "ほんとに仕様のない。白鷹先生ったら。仕事となると夢中よ", "どうしたんだい。独りでプンプンして……", "いいえね。昨夜の事なんですの。白鷹先生から妾へ宛ててコンナ速達のお手紙が来たんですの。きょうの午後に平塚の患者を見舞いに行くんだが、帰りが遅くなるかも知れない。だから庚戌会へも行けないかも知れない。お前から臼杵先生によろしく申し上げてくれって言うお手紙なんですの。ほんとに白鷹先生ったら仕様のない。稼ぐ事ばっかし夢中になって……キット平塚の何とか言う銀行屋さんの処ですよ。お友達と下手糞の義太夫の会を開くたんびに、白鷹先生を呼ぶんですから、それが見栄なんですよ。つまらない……", "アハハ。そう悪く言うもんじゃないよ。そんな健康な、金持の患者が殖えなくちゃ困るんだ。耳鼻科の医者は……", "だって久し振りに先生と会うお約束をしていらっしゃるのに……", "ナアニ。会おうと思えばいつでも会えるさ", "……だって" ], [ "どうしたんだい。一体……また、機械屋の小僧と喧嘩でもしたのかい", "いいえ。だって先生。明日は十月の三日でしょう", "馬鹿だな。十月の三日が気に入らないのかい", "ええ。だって毎月三日が庚戌会の期日じゃございません", "あ……そうだっけなあ。忘れていたよ", "まあ。そんなところまで白鷹先生とそっくり。先生は庚戌会へお出でになりませんの", "ウン。白鷹先生が行くんなら僕も行くよ", "この間お約束なすったんじゃございません", "イイヤ。約束なんかした記憶はないよ", "まあ。そんならいいんですけど……", "どうしたんだい", "ツイ今しがた、白鷹先生からお電話が来ましたのよ。臼杵先生はまだ病院にいらっしゃらないのかって……", "オソキ病院のオソキ先生ですってそう言ったかい", "まあ。どうかと思いますわ。いつも午前十時頃しかいらっしゃいませんって申しましたら、きょうは風邪を引いて寝ちゃったから、庚戌会へは失敬するかも知れないって仰言るんですね。妾キッと先生とお約束なすってたのに違いないと思って腹が立ったんですよ。何とかして会って下さればいいのに……", "そりゃあ会おうと思えば訳はないよ。しかし妙に廻り合わせが悪いね", "ホントに意地の悪い。きょうに限って風邪をお引きになるなんて……妾、電話で奥さんに文句言っときますわ", "余計な事を言うなよ。それよりも、今から妾がお勧めして臼杵先生をお見舞いに差し出そうかと思いますけど、友喰いになる虞がありますから、失礼させますって、そう言っとき給え", "ホホホホ。またあんな事。それこそ余計な事ですわ", "ナアニ。そんな風に言うのが新式のユーモア社交術って言うんだ。奥さんにも宜しくってね" ], [ "まあ先生。どうしましょう。タッタ今電話がかかって来たのです。白鷹先生の奥さんが三越のお玄関で卒倒なすったんですって。そうして鼻血が止まらなくなって、今お自宅で介抱を受けていらっしゃるんですって……", "そりゃあ、いけないねえ。何時頃なんだい", "今朝、九時頃って言うお話ですの……", "ふうん。それにしちゃ馬鹿に電話が早いじゃないか。何だって俺んとこへ、そんなに早く知らせたんだろう", "だって先生。この間のお手紙に、今度の庚戌会で是非会うって、お約束なすったでしょう", "ウン。あの手紙を見たのかい", "あら。見やしませんわ。ですけどね。今度の庚戌会は大会なんでしょう。明治節ですから……", "ふうん。僕は知らなかったよ", "あら。この間、案内状が来てたじゃございません", "知らないよ。見なかったよ。どんな内容だい", "何でもね。今度の庚戌会は、ちょうど明治節だから久し振りの大会にするから東京市外の病院の方々も参加を申し込んで頂きたいって書いてありましたわ。あの案内状どこへ行ったんでしょう", "ふうん。そいつは面白そうだね。会費はイクラだい", "たしか十円と思いましたが……", "高価えなあ", "オホホ。でも幹事の白鷹先生から、臼杵先生に是非御出席下さいってペン字で添書がして在りましたわ", "ふうん。行ってみるかな", "あたし、先生がキットいらっしゃると思いましたからね。それから後お電話で白鷹先生に、今度こそ間違ってはいけませんよって念を押したら、ウン。臼杵君からも手紙が来た。おまけに幹事を引き受けたんだから今度こそは金輪際、ドンナ事があっても行くって仰言ったんですの。そうしたらまたきょうの騒ぎでしょう。あたし口惜しくて口惜しくて……", "馬鹿、そんな事を口惜しがる奴があるか。何にしてもお気の毒な事だ。いい序と言っちゃ悪いが、お見舞いに行って来て遣ろう", "まあ先生。今から直ぐに……?", "うん。直ぐにでもいいが……", "でも先生。アデノイドの新患者が三人も来ているんですよ", "フーム。どうしてわかるんだい。鼻咽腔肥大ってことが……", "ホホ。あたし、ちょっと先生の真似をしてみたんですの。患者さんの訴えを聞いてから、口を開けさせてチョット鼻の奥の方へ指先を当ててみると直ぐに肥大が指に触るんですもの", "馬鹿……余計な真似をするんじゃない", "……でも患者さんが手術の事を心配してアンマリくどくど聞くもんですから……そうしたら三人目の一番小ちゃい子供の肥大に指が触ったと思ったら突然、喰付かれたんですの……コンナニ……" ], [ "先生。すみませんけど、きょうの午後から、ちょっとお暇を頂きたいんですの", "うん。きょうは手術がないから出てもいいが……何処へ行くんだい", "あの……白鷹先生の奥様の処へ、お見舞に行きたいんですの。どうしても一度お伺いしなければ……と思いますから……", "うん。そりゃあ丁度いい。僕も今夜あたり行こうと思っているんだから、そう言っといてくれ給え", "ありがとうございます。では行って参ります", "気を付けて行っといでよ。お天気もモウ上るだろう" ], [ "ねえあなた。姫草さんの話は、あたし、どうも変だと思うのよ", "……フウン……ドウ変なんだい", "あたしこの間からそう思っていたのよ。姫草さんが紹介した白鷹先生に、貴方がどうしてもお眼にかかれないのが、変で変で仕様がなかったのよ", "ナアニ。廻り合わせが悪かったんだよ", "いいえ。それが変なのよ。だって、あんまり廻り合わせが悪過ぎるじゃないの。あたし何だか姫草さんが細工して、会わせまい会わせまいと巧謀んでいるような気がするの", "ハハハ。『どうしても会えない人間』なんて確かにお前の趣味だね。探偵小説、探偵小説……" ], [ "白鷹先生に、どうしても俺が会えないのが不思議と言えば不思議だが、論より証拠だ。今夜はこれから出かけて行って、是が非でも会って来るつもりだから、いいじゃないか", "ええ。……でもお会いになったら……何だか大変な間違いが起りそうな気がして仕様がないのよ……あたし……", "アハハ。二人が出会ったとたんにボイインと爆弾でも破裂するのかい", "ええ。そう言ったような予感がするのよ。幾度タタイても爆発しなかった分捕の砲弾が、チョイと転がったハズミに爆発して、何もかもメチャメチャになった新聞記事があったでしょ。今度の事もソレに似てるじゃないの。何だか妾、胸がドキドキするわ", "アハアハ。イヨイヨ以て怪奇趣味だ。しかも漫画趣味だよ。アダムスンか何かの……", "オホホ。もっとすごい感じよ", "アハハ。悪趣味だね。それでも今日会えなかったら一体どうなるんだい話は……", "いいえ。妾、今夜こそキット貴方が白鷹先生にお会いになれると思うのよ。そうしたら何もかもわかると思うのよ", "名探偵だね。どうして会えるんだい", "今夜の庚戌会は何処であるんでしょう", "やはり丸の内倶楽部さ", "今からそこへお出でになったらキット白鷹先生が来ていらっしゃると思うのよ", "馬鹿な。奥さんが病気なのに来るもんか", "プッ。馬鹿ね貴方。まだ信じていらっしゃるの。白鷹の奥さんの卒倒騒ぎを……", "信じているともさ……だからお見舞に行くんじゃないか", "お見舞に行くのを止して頂戴……そうして知らん顔して庚戌会へ出席して御覧なさいって言うのよ。キットほんとの白鷹先生がいらっしゃるから……", "……ほんとの白鷹先生。ふうん。つまり、それじゃ今迄の白鷹先生は、姫草ユリ子の創作した影人形だって言うんだね", "ええそうよ。何だかそんな気がして仕様がないのよ。あの娘の実家が裕福だって言うのも、当てにならない気がするし、年齢が十九だって言うのも出鱈目じゃないかと思うの……", "驚いた。どうしてわかるんだい", "あたし……あの娘が病院の廊下に立ち佇まって、何かしらションボリと考え込んでいる横顔を、この間、薬局の窓からジイッと見ていた事があるのよ。そうしたら眼尻と腮の処へ小さな皺が一パイに出ていてね。どうしても二十五、六の年増としか見えなかったのよ", "ふうん。何だか話がモノスゴクなって来たね。姫草ユリ子の正体がダンダン消え失せて行くじゃないか。幽霊みたいに……", "そればかりじゃないのよ。その横顔をタッタ一目見ただけで、ヒドク貧乏臭い、ミジメな家の娘の風付きに見えたのよ。お婆さんじみた猫背の恰好になってね。コンナ風に……", "怪談怪談。妖怪エー……キャアッと来そうだね", "冷やかしちゃ嫌。真剣の話よ。つまり平常はお化粧と気持で誤魔化して若々しく、無邪気に見せているんでしょうけど、誰も見ていないと思って考え込んでいる時には、スッカリ気が抜けているから、そんな風に本性があらわれているんじゃないかと思うのよ", "ウップ。大変な名探偵が現われて来やがった。お前、探偵小説家になれよ。キット成功する", "まあ。あたし真剣に言ってんのよ。自烈たい。本当にあの人、気味が悪いのよ", "そう言うお前の方がヨッポド気味が悪いや", "憎らしい。知らない", "もうすこし常識的に考えたらどうだい。第一、あの娘がだね。姫草ユリ子が、何の必要があってソンナ骨の折れる虚構を巧謀むのか、その理由が判明らんじゃないか。今までに持ち込んで来たお土産の分量だって、生優しい金高じゃないんだからね。おまけにおりもしないモウ一人の白鷹先生を創作して、電話をかけさせたり、歌舞伎に案内させたり、カステラを送らせたり、風邪を引かしたり、平塚に往診さしたり、奥さんを三越の玄関で引っくり返らしたりなんかして……作り事にしては相当骨が折れるぜ。況んや俺たちをコンナにまで欺瞞す気苦労と言ったら、考えるだけでもゾッとするじゃないか", "……あたし……それは、みんなあの娘の虚栄だと思うわ。そんな人の気持、あたし理解ると思うわ", "ウップ。怪しい結論だね。恐ろしく無駄骨の折れる虚栄じゃないか", "ええ。それがね。あの人は地道に行きたい行きたい。みんなに信用されていたいいたいと、思い詰めているのがあの娘の虚栄なんですからね。そのために虚構を吐くんですよ", "それが第一おかしいじゃないか。第一、そんなにまでしてこちらの信用を博する必要が何処に在るんだい。看護婦としての手腕はチャント認められているんだし、実家が裕福だろうが貧乏だろうが看護婦としての資格や信用には無関係だろう。それくらいの事がわからない馬鹿じゃ、姫草はないと思うんだが", "ええ。そりゃあ解ってるわ。たとえドンナ女だっても現在ウチの病院の大切なマスコットなんですから、疑ったり何かしちゃすまないと思うんですけど……ですけど毎月二日か三日頃になると印形で捺したように白鷹先生の話が出て来るじゃないの。おかしいわ……", "そりゃあ庚戌会がその頃にあるからさ", "でも……やっぱりおかしいわ。それがキット会えないお話じゃないの……オホホ……", "だから言ってるじゃないか。廻り合わせが悪いんだって……", "だからさ。それが変だって言ってるんじゃないの。廻り合わせが悪すぎて何だか神秘的じゃないの", "止せ止せ。下らない。お前と議論すると話がいつでも堂々めぐりになるんだ。神秘も糞もあるもんか。白鷹君に会えばわかるんだ。……茶をくれ……" ], [ "ああ……酔っ払ったぞ。おい……酔っ払ったぞ俺あ……", "ああ、愉快だなあ……素敵だなあ、今夜は……", "ウン。素敵だ……白鷹幹事の手腕恐るべしだ。素敵だ、素敵だ……ウン素敵だよ", "驚いたなあ。ダンス・ホールを三つも総上げにするなんて……白鷹君でなくちゃ出来ない芸当だぜ", "……白鷹君バンザアイ……" ], [ "ヘヘッ……手品が来やがった", "何だあ。手品だあ。何処でやってんだ", "それ。そこに立ってるじゃないか", "何だあ。貴様が手品屋か。最早、遅いぞオ。畜生。余興はすんじゃったぞオ" ], [ "オイ。出来たかい、フィアンセが……", "ウン。二、三人出来ちゃった", "二、三人……嘘つきやがれ", "このミス・プリントを見ろ", "イヨオオ。おごれ、おごれ", "まだまだ、明日になってみなくちゃ、わからねえ。フィアンセがアホイワンセになるかも知れねえ", "アハハハ。ちげえねえ。解消ガールって奴がいるかんな。タキシの中で解消するってんだかんな。タキシはよいかってんで……", "始めやがった。モウ担がれねえぞ", "ハアアア……アアア……何のかんのと言うてはみてもオ……抱いてみなけりゃあエエ……アハハ。何とか言わねえか……", "エエイ。近代魔術はタンバリン・キャビネット応用……タキシー進行中解消の一幕。この儀お眼に止まりますれば次なる芸当……まあずは太夫、幕下までは控えさせられまあす", "いよオオ――オオ(拍手)どうだいフロックの先生。雇ってくんないかい" ], [ "ところで……奥さんの御病気は如何です", "……エ……" ], [ "妻が……久美子が……どうかしたんですか", "ええ。三越のお玄関で卒倒なすったそうで……", "ええッ。いつ頃ですか", "……今朝の……九時頃……" ], [ "おかしいですね。妻は……久美子は今朝から教会の会報を書くのだと言って何処へも行きません。無事に自宅におりましたが", "ヘエッ……嘘なんですか。それじゃ……", "……嘘? ……僕は……僕はまだ、何も言いませんが君に……初めてお眼にかかったんですが……" ], [ "……姫草……姫草ユリ子がまた……何か、やりましたか", "……エッ……" ], [ "横浜の臼杵先生がお出でになりますか", "僕だ、僕だ……" ], [ "お電話です。民友会本部から……", "民友会本部……何と言う人だ", "どなたかわかりませんが、横浜からお出でになった代議士の方が、本部で卒倒されまして、鼻血が出て止まりませんので……すぐに先生にお出でが願いたいと……", "待ってくれ……相手の声は男か女か……", "御婦人の声で……お若い……" ], [ "先生。庚戌会へお出でになりまして……?……", "ウン。行ったよ", "白鷹先生とお会いになりまして……?……", "……ウン……会ったよ", "白鷹先生お喜びになりまして……", "いいや。とてもブッキラ棒だったよ。変な人だね。あの先生は……" ], [ "ええ。キットそうだろうと思いましたわ。けれども先生……白鷹先生はホントウはアンナ方じゃないのですよ", "フーン。やっぱり快闊な男なのかい", "ええ。とっても面白いキサクな方……", "おかしいね。……じゃ……どうして僕に対してアンナ失敬な態度を執ったんだろう", "先生……あたしその事に就いて先生とお話したいために、きょう昼間からズットここに立って、先生のお帰りを待っておりましたのですよ。でも……お帰りが電車か自動車かわからなかったもんですからね" ], [ "ウン会ったよ", "姫草さんとは……", "今、そこまで話して来た" ], [ "姫草さんとドンナお話をなすったの", "ウム。まあお前達から話してみろ", "貴方から話して御覧なさいよ", "……馬鹿……おんなじ事じゃないか。話してみろ", "だって貴方……", "茶の間へ行こう。咽喉が乾いた" ], [ "ふうん。そこで僕は君から一つ真実の告白を聞かせて貰わにゃならん", "何も告白する事はないよ。今の話の外には……", "ふうん。そんなら彼女と君との間には何の関係もないチュウのじゃな", "……馬鹿な……失敬な……俺がソンナ……", "わかった、わかった。それでわかったよ" ], [ "わかった、わかった。赤たん赤たん", "えっ。赤たん……?……何だい赤たんて……", "赤チュウタラ赤たん。主義者以外に、そんげな奇妙な活躍する人間はおらんがな。現在、そこいらで地下運動をやっとる赤の活動ぶりソックリたん。まだまだ恐ろしいインチキの天才ばっかりが今の赤には生き残っとるばんたん。そんげな女をば養う置くかぎり、今にとんでもない目に会うば……アンタ……", "うん。ヤッとわかった。その赤カンタン。しかし真逆にあの娘が、そんな大それた……", "いかんいかん。それが不可んてや、そんげ風に思わせるところが、赤一流の手段の恐ろしいところばんたん。赤にきまっとる。赤たん赤たん。それ以外にソンゲな奇怪な行動をする必要がどこに在るかいな。その姫草ちゅう小娘は、君の病院を中心にして方々と連絡を保っとる有力な奴かも知れんてや", "ウ――ム。それはそう思えん事もないが、しかし僕の眼には、ソンナ気ぶりも見えないぜ", "見えちゃあタマランてや。君等のようなズブの素人に見えるくらいの奴なら、モウとっくの昔に揚げられてブランコ往生しとるてや", "フ――ム。そんなもんかなあ", "とにかくその娘ん子は吾々の手に合うシロモノじゃないわい。第一、今のような話の程度では新聞記事にもならんけにのう。今から直ぐに特高課長の自宅に行こう", "エッ。特高課長……", "ウン。しかし仕事は一切吾々に任せちくれんと不可んばい。悪うは計らわんけにのう", "何処だい特高課長は……遠いのかい", "知らんかアンタ", "知らんよ", "知らんて、君の自宅の隣家じゃないか", "エッ。隣家……", "うん。田宮ちゅう家がそうじゃ。迂闊やなあ君ちゅうたら……", "俺が赤じゃなし。気も付かなかったが……", "その何草とか言う小娘は、君の家よりもその隣家が目標で、君に近付きよるのかも知れんてや。それじゃから俺は感付いたんじゃが……", "成る程なあ。その田宮ちゅう男なら二、三度門口で挨拶した事がある。瓦斯を引く時にね。人相の悪い巨きな男だろう", "ウン。それだ、それだ。知っとるならイヨイヨ好都合じゃ。直ぐに行こうで……チョット待て、支局から電話をかけて置こう" ], [ "引っ括って見ましょうや", "……エッ……引っ括る……どうして……", "明朝……イヤ……今朝ですね。夜が明けたら直ぐに刑事を病院に伺わせますから、それまでその看護婦を逃がさないように願います", "そ……それはどうも困ります" ], [ "実はそこのところをお願いに参りましたので、臼杵君も開業匇々赤の縄付を出したとあっては……", "アハハ。いかにも御尤もですな。それじゃこう願えますまいか。明朝なるべく早くがいいですな。何かしら絶対に間違いのない用事をこしらえてその娘を外出させて下さいませんか。行先がわかっておれば尚更結構ですが", "……承知しました。それじゃこうしましょう。僕が南洋土産の巨大な擬金剛石を一個持っております。姉も妻もアレキサンドリアが嫌いなので、始末に困っておるのですが、それをあの娘に与って、直ぐに指環に仕立るように命じて伊勢崎町の松山宝石店に遣りましょう。遅くとも九時から十時までの間には、出かける事と思いますが……十時頃から忙しくなって来ますから", "結構です。しかし近頃の赤はナカナカ敏感ですから、よほど御用心なさらないと……", "大丈夫と思います。今夜、ここへ伺った事は誰も知りませんし……それに妻がズット前、姫草に指環を一つ買って遣るって言った事があるそうですから……", "成る程ね。それじゃソンナ都合に……", "承知しました。どうも遅くまで……" ], [ "あれは赤ではありませんよ", "ヘエ……" ], [ "折角のお骨折りでしたがね。取り調べてみると赤の痕跡もありませんよ。……尤も郷里は裕福というお話でしたが、電話と電報と両方で問い合わせたところによりますと、実家は裕福どころか、赤貧洗うが如き状態だそうです。何でも直ぐの兄に当る二十七、八になる一人息子が、家土蔵をなくするほどの道楽をした揚句、東京で一旗上げると言って飛び出した切り、行方を晦ましているそうで、年老った両親は誰も構い手がないままに、喰うや喰わずの状態でウロウロしているそうです。勿論あの女……何とか言いましたね……そうそうユリ子からも一文も来ないそうで、お話の奈良漬の一件や何かも彼女の虚構らしいのです。姫草ユリ子という名前も本名ではないので、両親の苗字は堀というのだそうです。慶応の病院へ入る時に自分の友人の妹の戸籍謄本を使って、年齢を誤魔化して入ったと言うのですがね。本当の名前はユミ子というのですが、その堀ユミ子が十九の年に、兄の跡を逐うて故郷を飛び出してからモウ六年になると言うのですから、今年十九という姫草の年齢も出鱈目でしょう。自分では二十三だと頑張っていましたがね。むろん女学校なんか出ていないと言う報告ですから、ドコまでインチキだか底の知れない女ですよアレは……", "ヘエ。全然赤じゃないんですね", "赤の連絡は絶対にありません。随分手厳しく調べたつもりですが", "そうするとあの女は、つまり何ですか", "それがですね。エヘン。それがです。つまるところあの女は一個の可哀そうな女に過ぎないのです。貴方がたの御親切衷心から感激しているのですね。一生を臼杵病院で暮したいと言っているのです。臼杵家の人達に疑われるくらいなら私、舌を噛んで死んでしまいますとオイオイ泣きながら言うのですからね", "ヘエー。ほんとうですか", "ほんとうですとも。ハハハ。けさ十時頃までに迎えに来て下さい。単に赤の嫌疑で引張ったのだが、その嫌疑が晴れたから釈放するのだ。気の毒だった……とだけ言い聞かせて、ほかの事は何も言わずに、お引き渡ししますから……臼杵先生も十分にお前を信用してお出でになるのだから、あんまり虚構を吐かないように……ぐらいの事は説諭して遣ってもいいです。とにかく可哀相な女ですから、末永く置いて遣って下さい", "……ヘエエ。妙ですね。それじゃあの女は何の必要があって、あんな人騒がせな出鱈目を創作して、吾々に恥を掻かせたんでしょう。根も葉もない事を……", "ええ。それはですね。その点も残らず取り調べてみましたが、要するにあの娘のつまらない性癖らしいのです。山出しの女中が自分の郷里の自慢をする程度のものらしいので、別に犯罪を構成するほどの問題じゃありません。それ以上はどうも個人の秘密に亙っておりますので取り調べかねるのですが。ハハハ。とにかく宝石を一つ御損かけてすみませんでした。どうか末永く可愛がって置いて遣って下さい。可哀相な女ですから……僕はこれから出勤しますから失礼します" ], [ "ソレ御覧なさい。言わない事じゃない", "言わない事じゃないって、馬鹿……何とも言やしないじゃないか。最初から……", "いいえ。私そう思ったのよ。姫草さんに限って赤なんかじゃないと思ったんですけど、貴方が余計な事をなさるもんだから……", "何が余計な事だ。些くとも姫草が虚構吐きだった事がハッキリわかったじゃないか……", "でもまあよかったわねえ。何でもなくて……タッタ今お姉様とお話していたのよ。姫草さんが万一無事に帰って来たら、暇を出そうか出すまいかってね。いろいろ話し合ってみた揚句、いくら何でも可哀相ですから、貴方にお願いして置いて頂こうじゃないのって……そう言っていたとこよ。……まあ。よかったわねえ。うちのマスコット……私たち二人で直ぐに迎えに行って来ますわ。ね……いいでしょう" ], [ "田宮さん。やっとわかりました。御厄介をかけましたあの姫草ユリ子と言う女は、卵巣性か、月経性かどちらかわかりませんが、とにかく生理的の憂鬱症から来る一種の発作的精神異常者なのです。あの女が一身上の不安を感じたり、とんでもない虚栄心を起して、事実無根の事を喋舌りまわったりするのが、いつも月経前の二、三日の間に限られている理由もやっとわかりました。僕の日記を引っくり返してみれば一目瞭然です", "ハハア。そうでしたか。実は私の方でも経験上、そんな事ではないか知らんと疑ってもみましたが、一向、要領を得ませんでしたので……しかしどうしてソンナ事実をお調べになりましたか", "……ところでこれは、お互いに名誉に関する事ですから御腹蔵なくお話下さらんと困りますが、昨晩、お取り調べの際にあの女は、何か僕の事に就いて話はしませんでしたか" ], [ "アハハハ。わかりましたか……貴方の処に帰ってから白状しましたか", "イヤイヤ。そんな事はミジンも申しませんでしたが、その代りに貴方のお取り調べの御親切だった模様を喋舌りました。実に念入りな、真に迫った説明付きで……ですからこれは怪しいと思いますと、直ぐに今朝からのお話を思い出しまして、ジッとしておられなくなりましたから飛んで参りました。非道い奴です。あの女は……" ], [ "イヤ。よく御腹蔵なくお話下すった。それならばコチラからも御参考までにお話しますが、君は十月の……何日頃でしたか。午後になって箱根のアシノコ・ホテルに外人を診察しに行かれましたか", "ええ。行きました。石油会社の支配人を……ラルサンという老人です", "その時にあの女を連れて行かれましたか", "行くもんですか。一人で行ったのです", "成る程。それでユリ子はお留守中、在院していたでしょうか", "……サア……いたはずですが……連れて行かないのですから……", "ところがユリ子は、その日の午後には病院にいなかったそうです。昨夜、君の病院の看護婦に電話で問合わせてみたのですが、何でも君が出かけられると間もなく横浜駅から自動電話がかかって、直ぐに身支度をして横浜駅に来いと命ぜられたそうですが……", "ヘエ。驚きましたな。あの女は少々電話マニアの気味があるのです。よく電話を応用して虚構を吐きます。そんな電話が実際にかかっているように受け答えするらしいのです", "とにかくソンナ訳でユリ子は、大急ぎでお化粧をして、盛装を凝らして病院を出て行ったそうです", "プッ。馬鹿な……盛装の看護婦なんか連れて診察に行けるもんじゃありません", "そうでしょう。私もその話を聞いた時に、少々おかしいと思いました。看護婦を連れて行く必要があるかないかは病院を出られる時からわかっているはずですからね", "第一、そんな疑わしい連れ出し方はしませんよ。ハハハ", "ハハハ。しかしその時のお話を随分詳しく伺いましたよ。まぼろしの谷とか何とか言う素晴らしい浴場がそのホテルの中に在るそうですがね。行った事はありませんが……", "僕は聞いた事もありません。そのホテルでラルサンという毛唐と一緒に食事はしましたがね。まだいるはずですから聞いて御覧になればわかりますが、かなりの神経衰弱に中耳炎を起しておりましたから、鼓膜切解をして置きましたが……", "そうですか……そのまぼろしの何とか言う湯の中の話なんかトテも素敵でしたよ。青黒い岩の間に浮いている二人の姿が、天井の鏡に映って、ちょうど桃色の金魚のように見えたって言いましたよ……ハハハハ……", "馬鹿馬鹿しい。いつ行ったんだろう", "一人で行くはずはないですがね", "むろんですとも……呆れた奴だ", "どうも怪しからんですね", "怪しからんです……実は今朝、貴官から、いつまでも可愛がって置いて遣るように御訓戒を受けましたが、そんな風に人の名誉に拘わる事を吐きやがるようじゃ勘弁出来ません。これから直ぐにタタキ出してしまいますから、その事を御了解願いに参りましたのですが", "イヤイヤ。赤面の到りです。謹んでお詫び致します。どうか直ぐに逐い出して下さい。怪しからん話です", "怪しからんぐらいじゃありません。私の不注意からとんだ御迷惑を……", "しかしとんでもない奴があれば在るものですな。初めてですよ。あんなのは……", "そうですかねえ。あんなのは珍しいですかねえ。貴官方でも……", "所謂、貴婦人とか何とか言う連中の中には、あの程度のものがザラにいるでしょうが、犯罪を構成しないから吾々の手にかからないのでしょうな", "それともモット虚構が上手なのか……", "それもありましょう。つまり一種の妄想狂とでも言うのでしょうな。自分の実家が巨万の富豪で、自分が天才的の看護婦で、絶世の美人で、どんな男でも自分の魅力に参らない者はない。いろんな地位あり名望ある人々から、直ぐにどうかされてしまう……と言う事を事実であるかのように妄想して、その妄想を他人に信じさせるのを何よりの楽しみにしている種類の女でしょうな。一昨夜のお話に出た、子供を生んだという事実なんかも、彼女自身の口から出たものとすれば事実じゃないかも知れませんね。事によると彼女はまだ処女かも知れませんぜ……ハッハッ……", "アハハハハ。イヤ。非道い目に会いました。どうかよろしく……" ], [ "スゴイわねえ火星さん", "まあ……誰のこと……火星さんて……", "あら……御存じないの。甘川歌枝さんの事よ。あれは火星から来た女だ。だから世界中のドンナ選手が来たって勝てるはずはないんだって、校長先生が仰言ったのよ。だから皆、この間っから火星さん火星さん言ってんのよ", "まあヒドイ校長先生……でも巧い綽名だわねえ。甘川さんのあのグロテスクな感じがよく出てるわ" ], [ "よしよし。ようわかった。帳面の責任は結局、君一人の責任になる訳だからね。無理は言わんよ。……いや。わかったわかった。わかったよ……。それじゃこれから二人で仲直りに、面白い処へ行こうか。あの温泉ホテルの三階なら、誰にも見つからないぜ君……", "イヤ。もう今日は遅いですからモット近い処にしましょうや", "なあにタクシーで飛ばせば訳はないよ。近い処はお互いの顔を知っとるからいかん。温泉ホテルの三階がええ。君はあの妓を連れて来たまえ。自由に享楽の出来るステキな処だぜ。知事や県視学も内々でチョイチョイ来るよ。吾輩の新発見なんだ", "ヘエッ。そんなに贅沢な処ですか", "贅沢にも何にもスッカリ南洋式になっている、享楽の豪華版なんだ。勘定は受持つから是非彼女を引張って来たまえ", "ヘヘヘ。恐れ入ります", "イヤ。彼女は面白いよ。だいぶ変っているよ。僕も今夜はモット若いのを連れて行く" ], [ "あれが片付かんと、妹二人を縁付ける訳に行かんからのう", "そうですねえ。寧のこと病気にでもなって、死んででもくれればホットするのですが、あれ一人は一度も病気もしませんし……", "ハハハ。生憎なもんじゃ。片輪なら片輪で又、ほかの分別もあるがのう" ], [ "よう御座いますか森栖さん。万一、貴方が奏任待遇と昇給のお約束をお忘れになると、貴方が大変な御損をなさる事になるのですよ。妾はもうこの春に二人の子供が大学と専門学校を一緒に卒業するばっかりになっておりますし、一生喰べるくらいの貯えは今でも持っているのですから、世間からドンナ事を言われても怖い事はありません。ただこの上の欲には二人の息子の結婚費用と恩給を稼がせて頂けばいいのですから……どんな事でも発表出来るのですからね。よう御座いますか、森栖さん", "ヘエヘエ。決して忘れません。たしかに承知致しました。ああ意外な間違いで心配しました", "それにしてもあの娘は、どうしてここに入って来たのでしょう。気色の悪い……" ], [ "お前は新聞記者になりたいって言った事があるだろう", "ええ。そんな事を考えた事もありましたわ", "写真も嫌いじゃなかったろう", "ええ大好きですわ" ], [ "いいえ。何も……", "それじゃ……お前は再昨日の晩、何処へ行っていたのだえ" ], [ "何だったろう、今のは……", "恐ろしく光ったじゃないか", "パチパチと言ったようだぜ", "星が飛んだんだろう", "馬鹿な。今夜は曇っているじゃないか", "イヤ。星でも雲を突き抜いて流れる事があります。光が烈しいですから、直ぐ鼻の先のように見える事があります。私は一度見ましたが……小さい時に……", "今夜は何か知らん妙な事のある晩だな", "ちょうど窓の直ぐ外のように見えたがのう" ], [ "あれエ――ッ……", "きゃあア――あッ……", "……誰か来てエ――ッ……" ] ]
底本:「少女地獄」角川文庫、角川書店    1976(昭和51)年11月30日初版発行    1990(平成2)年2月20日26版発行 入力:ryoko masuda 校正:もりみつじゅんじ 2000年1月12日公開 2013年2月11日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "……ホホホホホ……何故モット早く来なかったの。アンタに見せようと思って繋いどいたのに……。あのね……ジレットを食べさせるとね。噛もうとする拍子に、奥歯の外側に引っかかってナカナカ取れないのよ。だから苦しがって、シャックリみたいな呼吸をしいしい狂いまわるの……。それをこの犬ったらイヤシンボでね。三枚も一緒にペロペロと喰べたもんだからトウトウ一枚、嚥み込んじゃったらしいの。それで死んだに違い無いのよ。ちょうど四十五分かかってよ、死ぬまでに……それあ面白かってよ。息も吐けないくらい……犬なんて馬鹿ね。ホントに……", "…………", "……アンタ済まないけどこの犬に石を結い付けて、裏の古井戸に放り込んでくれない。前のテニスコートの垣根の下に、石ころだの針金だのがいくらでも転がっているから……タタキの血は妾がホースで洗っとくから……ね……ね……" ], [ "フ――ン。身ぶり素振りや何かのチョットした事でもいいんだが……隠さずに云ってもらわんと、あとで困るんだが", "……ええ……そう仰有ればありますよ。チョットした事ですけども……", "どんな事だえ", "…………" ], [ "チョットどこへ", "テニスをしに行くんです……約束がありますから……" ], [ "日比谷のコートです……しかし何か御用ですか", "ウン……チョット来てもらいたい事があったからね", "僕にですか", "ウン……大した用じゃないと思うが……", "そうじゃないでしょう……何か僕に嫌疑をかけているのでしょう" ], [ "ハハハハハ。今の芝居に引っかかったね", "…………", "……相手が君だと滅多にボロを出す気づかいは無い。トテモ一筋縄では行くまいとは思ったが、チョット鎌をかけたら案外引っかかってくれたんで助かったよ。まあ諦めてくれ給え。決して悪くは計らわないからね……元来知らない仲じゃなし……ハハハハ……" ] ]
底本:「夢野久作全集8」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年1月22日第1刷発行 ※「気持」「気持ち」の不統一は底本のママとした。 入力:柴田卓治 校正:柳沢成雄 2000年4月19日公開 2006年3月15日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002109", "作品名": "冗談に殺す", "作品名読み": "じょうだんにころす", "ソート用読み": "しようたんにころす", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2001-04-19T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2109.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集8", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年1月22日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年1月22日第1刷", "校正に使用した版1": "1992(平成4)年1月22日第1刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "柳沢成雄", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2109_ruby_22254.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-03-17T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2109_22255.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-03-17T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "相手は、お前の車のヘッド・ライトが眩しいためにハンドルを誤ったんだな", "……ヘエ……" ], [ "どうかね。衝突の原因について、ほかに心当りはないんか。ええ?", "……ヘエ……" ], [ "免状を見るとお前は、かなり古い運転手やないか", "……ヘエ……", "どうしてヘッド・ライトを消さなかったんか。別に咎める訳じゃないが", "……………" ], [ "……ハイ。実は殺されるのが恐ろしゅう御座いましたので……", "……ナニ……殺される……" ], [ "ヘイ、恐れ入ります。私はモウすっかり前非後悔をしております。何も彼も白状致します", "フーム。白状するちうて何か悪い事でもしたんか", "ヘエ。私は大罪人です。姦通と泥棒の二重の大罪人です。それを知っている者は、あの惨死しました蟹口さんだけです。蟹口さんは私から、女と二千円の金を盗まれたまま、黙っていてくれたのです。しかしあの恐ろしい死顔を見たら迷の夢が醒めました。何もかも白状致します……ハイ……ハイ……" ], [ "おかしいですね", "ブツカッた拍子に頭が変テコになったんじゃねえかな", "ウム。とにかく君等も一所に来てくれ給い" ], [ "ウム。それはそれでいいとして、衝突の原因はお前がライトを消さなかったせいじゃない。蟹口が故意に衝突さしたと云うんだな", "ヘイ。そうなんで……思い出してもゾッとします", "フーム。しかし、そいつは何ともわからんな。イクラ怨みが在るにしても、そんな無茶をやるのは……", "イイエ……" ] ]
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年10月22日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:しず 2001年1月16日公開 2006年2月23日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002113", "作品名": "衝突心理", "作品名読み": "しょうとつしんり", "ソート用読み": "しようとつしんり", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2001-01-16T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2113.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集10", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年10月22日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "しず", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2113_ruby_21851.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-02-23T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2113_21852.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-02-23T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "アレお婆さん。お話しはどうしたのです。何卒あなたの身の上話を聞かして下さいな", "何も話す事はありませぬ。只三万日の間つまらなく長く生きていたばかりで御座います", "まあ三万日……八十年ですわね。でもその間に何か珍しい事があったでしょう", "アア。そうそうたった二ツありましたよ", "それはどんな事ですか?", "一ツは生れてはじめてお話気違いというものを見た事で御座います", "オヤ。いつ、どこで?", "今、ここで", "マア。ではも一ツは?", "十円の金貨というものをこの手に生れて初めて握った事で御座います。ほんとに有り難う御座いました。さようなら" ], [ "では貴方はそれをどうなさるのですか", "うるさい女の子だな。山へ持って行って焼いてしまうのだ", "エエッ。それはあんまり勿体ないじゃありませんか。それには面白いお話しが沢山書いてあるのです。妾はそれを読んでしまわなければ、今夜から眠る事が出来ませぬ。明日からは生きている甲斐が無くなります。何卒、何卒後生ですから妾を助けると思って、その銀杏の葉に書いてある字を読まして下さい。ね。ね" ], [ "成る程、これはよい思い付きであった。わし等の主人の石神様が初めてこの世にお出で遊ばした時に、第一番に御困り遊ばしたのは、一人も話し相手の無い事であった。もしも彼の時一人でも御話し相手があったならば、あんなに淋しがりは遊ばさなかったであろう。してその妃は見つかったか", "はい、三人見つかりました", "してその名は何と云うのだえ", "年は幾つだ" ], [ "はい。第一番に見つけましたのは、紅木大臣の姉娘で、紅矢の妹の濃紅姫と申しまして、年は十六。温柔しい静かな娘で御座います。この娘はこの間真実の藍丸王様が御妃に遊ばす御約束を、兄の紅矢と遊ばしたので御座いますが、もし王様がこの娘を御妃に遊ばしたならば、この国はいつでも泰平で、王様はこの世の果までも、御位に御出で遊ばす事が出来るで御座いましょう", "何だ、その濃紅姫を妃にすると、この国はいつも静かに治まるというのか。イヤ、そんな静かな温柔しい娘では、話し相手にしても嘸面白くない退屈な事であろう。俺達はそんな女は嫌いだ。それにこの国がいつまでも静かでは詰らぬ。何でも何か大騒動が起って、珍らしい事や危ない事や不思議な事が、引っ切りなしに始まらなくては駄目だ" ], [ "これ赤鸚鵡。それではあとの二人の娘はどんな女だ", "早く聞かせておくれな", "どこに居るの", "何を為ているのか" ], [ "はい。それでは申し上げますが、あとの二人は二人共、この世に又とない賢い美しい娘で、一人は紅木大臣の末娘美紅と申し、今一人は南の国に在る多留美という湖の傍に住む藻取という漁師の娘で、名を美留藻と申します。けれどもその二人の内どちらが王様の妃になるかという事が私にわかりませぬ。それで考えているので御座います", "何……どちらか解からぬ", "はい。その二人は、どちらも顔付きから智恵や学問や背恰好、髪の毛の数まで、一分一厘違わぬので御座います。で御座いますから、どちらが王様の御妃になる運を持っておる女なのか、今では全く区別がつかないので御座います", "フーム。ではしまいになればわかるのか", "ハイ。けれども王様の御命の尽きる迄はわからずにおしまいになるだろうと思います。何故かと申しますと、もし藍丸王様がその娘のどちらかわかりませぬが御妃にお迎い遊ばすと、どうしても王様の御命は来年中に、丁度その御妃の素性がおわかりになる少し前にお果てになりますし、私や鏡の生命も、それと一所に尽きてしまうからで御座います。その代りその間は毎日毎日不思議な話や珍らしい物語の詰め切りで、濃紅姫と千年御一所に御暮し遊ばすよりもずっと面白う御座います", "ふむ。それは成る程面白かろう。けれどもその面白い出来事の根本になるその妃の素性がはっきりわからないではつまらないではないか。折角、今この世に王となって現われて面白い事を見聞きしながら、その事の起りがわからないというのは何にしても残念な事だ。折角の面白い事も楽しみが半分になってしまうであろう。これ、赤鸚鵡。どうかしてその妃の素性だけを知る事は出来ないか。美留藻か美紅かどちらかという事がわかる工夫はないか" ], [ "何、俺達がこの世を去っても。それは可笑しい話ではないか。俺達がこの世を去れば又旧の森に帰ってこの眼を閉じ、この耳を塞いで、この鼻から呼吸を為ずにしっかりと口を閉じて、じっと焚火にあたっていなければならぬではないか。何も見る事も聞く事も出来ないではないか", "イエイエ。それが出来るので御座います。私もまたこの世では殺されながら、この世の事を詳しく見たり聞いたりして王様に御伝え申し上げる事が出来るので御座います", "何だ。それではお前も俺達も生きているのと同じ事ではないか", "はい。死にながら生きているので御座います", "フム。それは不思議な魔法だ。してその魔法というのはどんな事を為るのだ", "私が今から行く末の事をすっかり考えてお話し致すので御座います。皆様が眼を瞑ってそのお話しを聞いておいで遊ばせば、本当に御自分がその場においでになってその事を見たり聞いたりしておいで遊ばすのと同じ事で御座います" ], [ "成る程、それは巧い法だ。お前がたった今の事からずっと後の事まで考えて、それをすっかりここで話す。それを俺達が聞いていれば、どんな恐ろしい危い事でも安心して面白がっておられる。そんな危なっかしい妃を迎えて生命を堕すような事があっても、根がお話しだからちっとも差し支えはない。その後の後の事までもすっかりわかる。妃の素性もわかるに違いない。成程、返す返すもよい工夫だ。では今から直ぐに話してくれ。四人一所に聞いていようから", "一体これからどんな事が始まるのか", "嬉しい事か。悲しい事か", "楽しい事か。恐ろしい事か", "早くその魔法を使ってくれ", "待ち遠しくて堪らない" ], [ "これ化物、美留藻も香潮も帰って来ぬぞ", "大方貴様が喰ったのだろう" ], [ "馬鹿な事を云うな。香潮は貴様のような化け物ではない", "そんな事はありませぬ。私は香潮です。私が香潮です" ], [ "そのような事は貴様から聞かずとも、疾くに俺は知っている。俺は今までのように、貴様に欺されてばかりはおらぬぞ。貴様は悪魔でもないものを悪魔と云って、俺を馬鹿にしようとしたのだ。この鸚鵡の御蔭で、俺は居ながらに世界中の声を聞き取る事が出来、又この鏡の御蔭で、俺は世界中の出来事をいつでも見る事が出来るのだぞ。この二ツのものがある御蔭で、俺は世界一の賢い者になったのだぞ。それに貴様はこの重宝な宝物を無理に俺から取り上げて、俺を王宮の中に睡むらせて、世界一の馬鹿者にしようとする。貴様はこの国第一の不忠者だぞ。貴様、よく考えて見ろ。何にも知らぬ世界一の馬鹿が王様になっているがいいか。それとも何でも知らぬという事は一ツも無い、世界一の賢い者が王様になっているがいいか。どっちがいいか", "はい。それは賢こいお方が王様になっておいでになる方が、この国の仕合わせで御座います", "それ見ろ。それに貴様は何のためにこの俺を、何にも知らぬ馬鹿者にしようとしたのか。何のために鸚鵡や鏡を王宮に入れまいとするのか", "噫、王様。それは御無理と申すもので御座います。王様はそんな鏡や鸚鵡をお使い遊ばさずとも、旧来から御賢こい有り難い王様でいらせられるので御座います。それにその鏡や鸚鵡が参りましてからは、王様の御眼を眩まし御耳を聾いさせて……", "黙れ。黙れ。この二ツのものは、今まで一度も俺を欺いた事はないのだぞ。それにこの二ツの物を悪魔だなぞと、無礼者奴が。何を証拠にこの二つが悪魔だと云うのだ。その証拠を見せろ", "その証拠は昔から申し伝えて御座りまする、この三ツの掟が何よりの証拠……", "アハハハハ" ], [ "その掟は誰が作ったのだ", "ハイ。それは私の先祖の矢張り青眼と申す者が、申し残しておるので御座います", "ウム、そうか。してその先祖はなぜこの三ツのものを悪魔だと定めたのか。この三ツのものを悪魔と定めるには何か深い仔細があるのか。仔細が無くて、只無暗にこのような重宝なものを悪魔だと定めるわけはあるまい。その仔細を云え" ], [ "ハハア、解かった。貴様が隠す訳がわかった。恐れる訳がわかった。隠す筈だ。云えない筈だ。その掟は矢張り嘘の掟だからだ。貴様の先祖から代々貴様までも、根も葉もない作り事をして、俺にこのような貴い有り難い宝物を近づけぬようにして、自分だけ世界一の利口者になろうとしているのだ", "いえ、決してそんな事は御座いませぬ。悪魔はどうしても悪魔で御座います。何卒何卒王様、私の申す事を……" ], [ "王様。王様。王様は如何遊ばしたので御座いますか。どうしてそのようなお情ない事を仰せられますか。紅矢で御座います。紅矢で御座います。何卒一度だけ御眼にかからせて下さいまし。私の妹の濃紅の事で、是非申し上げなければならぬ事が御座いますから", "濃紅がどうしたというのだ", "エエッ。最早王様は御忘れ遊ばしましたか。彼の御約束を御忘れ遊ばしましたか", "忘れはせぬ。けれども約束を守るなぞという事は大嫌いになった。昨日の王と今日の王は別人だ。そんな約束を守らなくともよい。もしその濃紅姫とやらを后に為たいと思うならば、最前国中に布告さした通りに、今日から一週間の後に、国々の女と一所に宮中へ差し出せ。もし気に入ったら后にしてやる。帰ってその事を妹に知らして、支度をさせておけ。間違うと許さぬぞ。その他に用事は無い。帰れ" ], [ "紅矢様。よく教えて下さいました。御蔭で妾は貴方様の御宅の様子や、王宮の中の様子がよくわかりました。けれどもそれと一所に、妾は世にも恐ろしい災が、貴方のお身体や、貴方の御家にふりかかっている事を知りまして、どうしたらよいかと思っております", "何。災が降りかかっている" ], [ "お婆さん、それは本当かえ", "ハイ。何をお隠し申しましょう。妾は南の国で名高い女の占者で、今年で丁度八百八十歳になりますが、まだ一度も嘘を云った事は御座いませぬ。今ここに持っておりまする果物も、その占いに使うための不思議な果物で、今度王様が御妃を御迎え遊ばすに就いて、この世で一番賢い美しい姫君をお撰みになるように、この果物を差し上げに行くので御座います。この果物がどんな不思議な働を致しますかという事は、直きに貴方にもお目にかける事が出来ましょう。そうしたら貴方もこの婆の申し上げる事が、嘘でないと思し召すで御座いましょう" ], [ "そんなにお騒ぎにならなくとも大丈夫で御座います。災というものは前からわかっていれば、誰でも免れる事が出来るもので御座います。けれども貴方のお家の災がどんな災か、はっきり前からわかるためには、妾はまだもっと貴方のお家の中の事に就いて、お尋ね申し上げねばならぬ事が御座います。貴方は少しも隠さずに、私が尋ねる事をお答えになりますか", "ああ、どんな事でも。屹度", "ではお尋ね致しますが、貴方の末のお妹さんは、美紅姫と仰しゃるのですね", "そうだ", "その美紅姫は貴方とお顔付きがよく肖ておいでになりますか", "ああ……よく肖ていて、着物を取りかえると一寸わからない位だよ", "その美紅姫に就いて、この頃何か不思議な事は御座いませぬか", "ああ、よく知っているね。お婆さん。本当に私はその妹の事に就て解からない事があるのだよ。一体その美紅姫は、小さいときからお話が何より好きで、今まで毎日毎日お話の書物ばかり読んでいたのだが、この頃急にそのお話が嫌いになって、只一人自分の室に閉じ籠もって何かしきりに考えながら、折々解からない解からないと独言を云っているのだよ。だから皆心配してその訳を聞いて見るけれども、どうしてもその訳を云わないで、只明けても暮れても解からない解からないと云い続けている。けれども別段病気でもなさそうだから、打っちゃらかしておくのだよ", "まあ、そうで御座いますか。それでやっとわかりました。それではその美紅姫は、黒い大きな眼をした、眉の長い、そして紫色の髪毛が地面まで引きずる位、長いお方では御座いませんか" ], [ "そうだよ。それにすこしも違はない", "フム、そうで御座いましょう。ではもしやその美紅姫は、この間の朝不思議な夢を御覧になりはしませんでしたか" ], [ "はい、出来ませぬ。出来ませぬ。妹御の美紅姫が邪魔を遊ばします。いや、美紅姫ではない。悪魔に咀われた美紅姫、つまり夢の中の美留女姫が邪魔を遊ばします", "嘘だ。美紅姫はそんな悪い女でない。又そんな悪魔に魅入られるような女ではない。私はお婆さんの云う事を本当にする事は出来ない。他の占は皆当ったけれども、今の占だけは決して当らない" ], [ "妾はこれでその占いを立てたので御座います。御覧遊ばせ、七ツ御座いましょう。丁度悪魔の数で御座います。これを倍にすると美紅姫のお年になります。つまり美紅姫は悪魔に取り付かれて身体が二ツになって、その半分は今貴方の御命をつけねらっているという事になります", "馬鹿な。そんな事があるものか。都からここまでは何百里とあるものを" ], [ "ではその果物が美紅姫だと云うのかえ", "イイエ。そうでは御座いませぬ。けれども悪魔の美紅姫はこの果物の直ぐ傍に居るという事で御座います", "何、私の傍に" ], [ "はい、承知致しました。もし悪魔が、私の知っている悪魔で御座いましたならば、屹度退治して差上げまする。けれども私の考えではこれは悪魔の仕業ではないと思います。私は悪魔の居所をよく存じておりますから", "そしてその悪魔とはどんな悪魔ですか" ], [ "ハイ。その悪魔は世にも恐ろしい悪魔で、誰でもその悪魔の名前だけでも聞くと直ぐに悪魔に乗り移られて、自分が悪魔になってしまうので御座います。ですからその名前は申し上げられませぬ", "では貴方はその名をどうして御存じですか" ], [ "それは私だけはその名前を聞きましても、又その姿を見ましても何ともないので御座います", "まあ。不思議ですね。何か悪魔に乗り移られないいい工夫でも御座いますのですか", "ハイ。それはあります。けれどもそれは私の家の先祖代々の秘密で、今申し上げる事は出来ませぬ。私の家は代々この秘密を守って、そして彼の昔からの掟――人の姿を盗む者。人の声を盗むもの。人の生血を盗む者。この三ツは悪魔である。見当り次第に打ち殺せ。打ち壊せ――という言葉を国中に広く伝えるのが役目で御座います", "そうだそうだ。皆そんな掟が在ったという事を聞いた。それで思い出した。今美紅の姿を盗んでいる奴は悪魔に違いない。何卒青眼先生、是非その悪魔を退治て下さい。貴方は病気の事ばかりでなく悪魔の事までも詳しく御存じだ。何卒何卒御頼みします" ], [ "エエ。お放し下さい。今切らなければ鉄になりますぞ。紅矢様は鉄になってしまいますぞ。ハ……放して下さい", "エエッ。鉄になる……" ], [ "陸の大王様万歳!", "海の女王様万歳!" ], [ "イエ。女王様は濃紅という御名では御座いませぬ", "エエッ。ナ、何という" ], [ "ナ、何という……御名だ", "ウ……海の女王", "どんなお方だ", "美しい……お方", "馬鹿者……それはわかっている。どんなお姿だ", "紫の髪毛を垂らして", "エエッ", "銀の剣と……コ、金剛石の……", "何ッ", "オ……男の着物を召して……", "悪魔だッ……" ], [ "ハイ。昨日海の女王と名乗って、お眼見得に来た時の姿と同じ男の着物でした", "してそれから貴女はどうなされましたか" ], [ "けれどもその時の恐ろしかった事。扨は青眼先生はいよいよ妾がこの家に居る事がおわかりになって、この間の夢の中で銀杏の葉の袋を切り破った時と同じように、妾を矢張り悪魔と思って、殺しにおいでになったに違いない。それにしても青眼先生は、あの寝床の中の美紅を妾と思ってお出でになるのであろうか。それとも妾がここに隠れているのを御存じなのであろうか。どちらを御殺しになるであろうと、息を殺して震えながら見ておりました", "噫。私はあの時寝台の中の女を悪魔だと思い込んで殺したので御座いました。この国の秘密を守るため。王様のため。国のため" ], [ "ハイ。けれどもそれは大変な間違いで御座いました。貴方が悪魔と思ってお殺しになった女は、悪魔でも何でもない美紅姫で、かく云う妾こそ悪魔で御座いました。妾はその時から美紅姫では御座いませんでした", "エ。エ。エ" ], [ "女王様。貴女は本当に気がお狂い遊ばしたので御座いますか", "イエイエ。少しも狂いませぬ。又嘘も申しませぬ。妾こそ悪魔で御座いました。美紅姫にそっくりそのままの姿をした悪魔で御座いました", "ウーム" ], [ "紅木大臣。よく見よ、よく聞けよ。この蛇はこの国の大切な宝だ。誰でもこの蛇を持って来た者はこの国の女王になるのだ。美紅であろうが美留藻であろうが、そんな事は構わぬのだ。そうして女王に害をする者は、皆殺して終うのがこの蛇の役目だ。貴様とても許さぬぞ", "何を……何をッ" ], [ "エッ。私をあの総理大臣に。そ……それは王様、私のようなものには", "黙れ。もう俺の云う事には背かぬと、たった今云ったではないか。この心得違い者奴が。貴様も矢張り紅木大臣のような眼に会いたいのか" ], [ "エエッ。そして紅木大臣はどう致しましたか", "ハハハハハ。紅木大臣がどんなになったか見たいのか。よし。それではお前は直ぐ紅木大臣の家へ行って、どんなになったか見て来い。そうして女王に無礼をする奴は親でも兄弟でも誰でも皆、こんな眼に会うのだという事をよく覚えて来い" ], [ "不忠者", "紅矢を殺した", "濃紅を殺した", "美紅を殺した", "女王に諛うた", "紅木大臣を殺させた", "紅木大臣の位を奪った", "悪魔の王の家来になった", "俺達までも皆殺させた", "そして自分独り生きている", "悪魔のために尽している", "忠義に見える不忠者", "善人のような悪人", "卑怯な浅墓な", "藪医者の青眼爺", "貴様のために殺された", "沢山の死骸を見ろ", "俺達はこの恨みを", "屹度貴様に返して見せる", "死ぬより苦しい眼を見せるぞ", "生きられるなら生きて見ろ", "死なれるなら死んで見よ", "覚えておれ", "覚えておれ" ] ]
底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年5月22日第1刷発行 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「杉山萠圓《すぎやまほうえん》」です。 入力:柴田卓治 校正:江村秀之 2000年2月5日公開 2006年5月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "……イイエ。お母チャマ……ソウチタラネ……お部屋の中が泥ダラケなのよ……", "……エ……" ], [ "……ソウチタラネ……アノお人形のお姫チャマのお枕元に、大きい、白い菊の花が置いてあったのよ", "……まあ……" ], [ "……マア……昨夜まで……ここに在ったのに……誰がまあ……", "イーエ……お母チャマ……アタチ知っててよ。ゆうべね。アタチ達が帰ってからね。アノお人形のお姫チャマが、菊の花を見たいって仰言ったのよ" ], [ "……まあ……オホホ……", "それでね……アノ御家来の熊さんが、持って行って上げたのよ……キット……", "……ネ……ソウデチョ……お母チャマ……", "……………" ] ]
底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年8月24日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:kazuishi 2000年10月25日公開 2006年3月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "001120", "作品名": "白菊", "作品名読み": "しらぎく", "ソート用読み": "しらきく", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-10-25T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card1120.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集3", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年8月24日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "1997(平成9)年4月15日第2刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "kazuishi", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/1120_ruby_22012.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-03-09T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/1120_22013.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-03-09T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "銘は別に無いようだがこの文句は銘の代りでもなさそうだ。といって詩でもなし、和歌でもなし、漢文でもないし万葉仮名でもないようだ。何だい……これあ……", "へえ。それはこう読みますんだそうで……残る怨み、白くれないの花ざかり、あまたの人を切支丹寺……とナ……" ], [ "大変な学者が出て来たぞ……これあ。イヤ名探偵かも知れんのうお前は……", "ヘエ。飛んでもない。それにはチットばかり仔細が御座いますんで……ヘエ。実はこの間、旦那様からどこか涼しい処に別荘地はないかと、お話が御座いましたので……", "ウンウン。実に遣り切れんからねえ。夏になってから二貫目も殖えちゃ堪まらんよ", "ヘヘヘ。私なんぞはお羨しいくらいで……", "ところで在ったかい。いい処が……", "ヘエ。それがで御座います。このズット向うの清滝ってえ処でげす", "清滝……五里ばかりの山奥だな", "ヘエ。市内よりも十度以上お涼しいんで夏知らずで御座います。そのお地面の前には氷のような谷川の水がドンドン流れておりますが、その向うが三間幅の県道なんで橋をお架けになればお宅のお自動車が楽に這入ります。結構な水の出る古井戸や、深い杉木立や、凝ったお庭造の遺跡が、山から参いります石筧の水と一所に附いておりますから御別荘に遊ばすなら手入らずなんで……", "高価いだろう", "それが滅法お安いんで……。まだそこいらに御別荘らしいものは一軒も御座いませんが、その界隈の地所でげすと、坪、五円でもいい顔を致しませんのに、その五六百坪ばかりは一円でも御の字と申しますんで……ヘエ。話ようでは五十銭ぐらいに負けはせぬかと……", "プッ……馬鹿にしちゃいけない。そんな篦棒な話が……", "イエイエ。それが旦那。シラ真剣なんで……ヘエ。それがその何で御座います。今から三百年ばかり前に焼けた切支丹寺と申しますものの遺跡なんだそうで……ヘエ", "フウム。切支丹寺……切支丹寺ならドウしてソンナに安いんだい", "それがそのお刀の彫物の曰く因縁なんで……ヘエ。白くれないって書いて御座んしょう。その花を念のため、ここに持って参いりました。これが花でコチラが実と葉なんで……ちょと隠元豆に似ておりますが", "ううむ。花の色は白いといえば白いが、実の恰好がチット変テコだなあ。紫色と緑色の相の子みたいじゃないか。妙にヒネクレて歪んでいるじゃないか", "ところが実を申しますとこの花の方が問題なんで……とても凄いお話なんで……ヘエ" ], [ "……ヘエ。その切支丹寺の焼跡になっております地面は、只今のところズット麓の方に住んでおりまする区長さんの名義になっておりまするが、その区長さんのお庭先に咲いておりますくれないの花と申しますのはこれなんで……ヘエ。御覧の通り葉の形から花の恰好まで白い方の分とソックリで御座いますが、ただ花の色だけが御覧の通り血のように真赤なんで……昔からくれないの花と申して珍重されていたものだそうで御座います。ヘエ。その切支丹寺でも三百年前にこの花を植えていたそうで御座いますが、その寺で惨酷い殺され方を致しました男だか、女だかが死に際にコンナ事を申しましたんだそうで……この怨みがドンナに深いか、お庭のくれないの花を見て思い知れ。紅の花が白く咲いているうちは俺の怨みが残っていると思えってそう云ったんだそうで……でげすから只今でもその焼跡に咲いておりますくれないの花だけは御覧の通り真白なんだそうで御座います", "プッ……夏向きの怪談じゃないか丸で……どうもお前の話は危なっかしいね。マトモに聞いてたら損をしそうだ", "ヘエ。どんな事か存じませんが証拠は御覧の通りなんでヘエ。……でげすから村の連中は子供でもそのキリシタン寺の地内へ遊びに遣りませんそうで……あの地内でウッカリ転んだりすると破傷風になるとか、何とか申しましてナ……", "フウム。そんな事が在るもんかなあ今の世の中に……", "ヘエ。何だか存じませんが三百年前にその切支丹寺で、没義道に殺された人間の白骨が、近所界隈の山の中から時々出て来るそうで御座います。梅雨時分になりますと、よく人魂が谷々を渡りまして、お寺の方へ参りますそうで……ヘエ。手前共も怖おう御座んしたが、思い切ってその荒地の中へ立ち入りまして、スッカリ見て参じました。序に御参考までもと存じまして、方丈の跡らしい処に咲いておりましたこの花を摘んで参いりましたんで……何しろ珍らしい、お話の種と思いましたから……ヘエ" ], [ "ふうむ。俺の知っている奴が九州大学の農学部に居るからこの紅と白の花を両方とも送ってやろう。おんなじ花が植えた処によって違った色に咲くような事実が在り得るかどうか聞いてやろう。怪談なんてものは、ちょとしたネタから起るもんだからね", "ヘエ。それが宜しゅうがしょう。案外掘ってみたら切支丹頃の珍品が出て来るかも……", "馬鹿。商売気を出すなよ", "ヘヘヘ。千両箱なんぞが三つか四ツ……", "大概にしろ。そんな事あドウでもいい。それよりも問題はこの刀身だ" ], [ "いい刀身だよ。磨は悪いがシャンとしている。中心は磨上らしいが、しかし鑑定には骨が折れるぞコイツは……", "ヘヘヘ、……そう仰言ればもう当ったようなもんで……", "黙ってろ……余計な文句を云うな。ふうむ。小丸気味の地蔵帽子で、五の目の匂足が深くって……打掛疵が二つ在るのは珍らしい。よほど人を斬った刀だな。先ず新藤五の上作と行くかな……どうだい", "……ヘイ。結構でげすが、新藤五は皆様の御鑑定の行止まりなんで……ヘエ", "零点なのかい……ウーム。驚いたよ。お前は知っているのかい作者を……", "ヘエ。存じております。この刀身だけの本阿弥なんで……ヘエ", "ムウム。弱ったよ。関でもなしと……一つ直江志津と行くかナ", "ヘエッ。恐れ入りました。二本目当り八十点……この福岡では旦那様お一人で……", "おだてるなよ。しかし直江志津というと折紙でも附いているのかい本阿弥さん", "ヘヘ。……それがその……折紙と申しますのはこのお書付なんで……ヘエ" ], [ "どこに在ったんだい。そんなものが", "ヘエ。やはり今申しました区長さんの処に御座いましたんで……何でもその区長さんと申しますのが太閤様時代からその村の名主さんだったそうで……", "成る程。その人が地所と一所にこの刀を売りに出したんだな", "ヘエ。当主があんまり正直過ぎて無尽詐欺に引っかかったんだそうで……", "それじゃこの帳面は刀身と一所に貰っといていいんだナ", "ヘエ。どうぞ。まあ内容を御覧なすって……私どもにはトテも読めない、お家様で御座います", "ふうむ。待て待て……" ], [ "あの白い花の正体がおわかりになりましたでしょうか", "ウン。わかったよ。九大農学部に僕の友人が居ると云ったね", "ヘエヘエ。たしか加藤博士様とか", "馬鹿。そんな事云やしないぜ。第一博士じゃない。富士川といって普通の学士だがね。所謂万年学士という奴だ。植物の名前なら知らないものはないという", "ヘイ。エライもので御座いますな", "そいつにあの花を送って調べさしてやったら、いくら研究しても隠元豆に相違ないと云うんだ", "ヘエッ。どちらが隠元豆なんで……", "どっちも隠元豆なんだ", "テヘッ。飛んだ変幻豆でげすな", "洒落にもならない話だよ。もっとも隠元豆にも色々あるそうで、何十通りとか変り種がある。その中でもあの紅い方のは、昔から観賞植物になっていたベニバナ・インゲンという奴で、白い方のが普通の隠元豆なんだが、素人眼には花の色を見ない限りちょっと区別が付きにくいという", "成る程。奇妙なお話もあればあるものでげすな。ヘエ", "まったくだよ。そこでその富士川って学士も念のために、わざわざ清滝の切支丹寺まで行って調べて来たんだそうだが、すっかり野生になっているので、いよいよ紅花隠元に似ていたという。吾々が見たってわからない筈だよ", "ヘエッ。どうしてソレが又、入れ代ったんで……", "何でもない事さ。君はこの書付を読んだかい。鬼三郎の一代記を……", "ヘエ。初めと、おしまいの方をちっとばかり拝見致しましたが", "ウン、この中に書いてある寺男の馬十という奴が、近いうちに主人公の鬼三郎に殺される事を知っていたんだね。だから今の紅花隠元を蒔くふりをして実は普通の隠元豆を蒔いといたんだよ。ちゃんとわかっている", "ヘエ。驚きましたね。しかし旦那様。酔狂な死に方をする奴が、あればあるもので御座いますねえ", "それあ今だって在るよ。班長殿から死ねと云われましたと遺書を残して自殺する兵隊も居る位だからね。こんな風にヒネクレていた奴なら遣りかねないだろう。好いた女と一所に殺されて、後に祟りを残すなんて仕事が、馬十の痴呆けた頭には、たまらなく楽しみだったかも知れないね", "ヘエヘエ。成る程ナ。しかし旦那様。その切支丹の跡を御別荘にお求めになりますか。如何でげしょうか。実はまだ区長さんの処に下駄を預けておりまするが", "まあ見合わせようよ。折角だが……この刀を抜いて見ただけでも妙に涼しくなって、ゾクゾクして来るようだからね。ハッハッハッハッハッハッ……" ] ]
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年10月22日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:ちはる 2001年4月11日公開 2006年2月24日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "あたしはこの白椿のようになりたいといつも思っています", "ほんとにね" ] ]
底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年5月22日第1刷発行 ※この作品は初出時に署名「海若藍平《かいじゃくらんぺい》」で発表されたことが解題に記載されています。 入力:柴田卓治 校正:もりみつじゅんじ 2000年1月19日公開 2003年10月24日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002301", "作品名": "白椿", "作品名読み": "しろつばき", "ソート用読み": "しろつはき", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1922(大正11)年12月", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-01-19T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2301.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集1", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年5月22日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "もりみつじゅんじ", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2301_ruby_3080.zip", "テキストファイル最終更新日": "2003-10-24T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2301_13524.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2003-10-24T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "コンナ大層な病人に、屍体を見せてええか悪いか", "知らせたら病気に障りはせんか" ], [ "……ホンニまあ。坊ちゃんは、ちょうどあの堀割のまん中の信号の下でなあ……", "……マアなあ……お父さんの病気が気にかかったかしてなあ……先生に隠れて鉄道づたいに近道さっしやったもんじゃろうて皆云い御座るげなが……", "……まあ。可愛そうになあ……。あの雨風の中になあ……", "それでなあ。とうとう坊ちゃんの顔はお父さんに見せずに火葬してしまうたて、なあ……", "……何という、むごい事かいなあ……", "そんでなあ……先生が寝付かっしゃってから、このかた毎日坊ちゃんに御飯をば喰べさせよった学校の小使いの婆さんがなあ。代られるもんなら代ろうがて云うてなあ。自分の孫が死んだばしのごと歎いてなあ……" ] ]
底本:「夢野久作全集8」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年1月22日第1刷発行 底本の親本:「瓶詰地獄」春陽堂    1933(昭和8)年5月15日発行 ※「気持」「気持ち」の不統一は底本のママとした。「初め」は「始め」が正しいと思われるが、これも底本のママとした。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:柴田卓治 校正:柳沢成雄 2001年4月19日公開 2006年3月16日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002110", "作品名": "木魂", "作品名読み": "すだま", "ソート用読み": "すたま", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2001-04-19T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2110.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集8", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年1月22日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年1月22日第1刷", "校正に使用した版1": "1992(平成4)年1月22日第1刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "柳沢成雄", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2110_ruby_22256.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-03-17T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2110_22257.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-03-17T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "ヤアヤア、それなる御方に物申す。お見受け申す処、しかるべき大将と存ずる。願わくは一合わせ見参仕りたい", "イヤ、これはお言葉までもないこと。なれども、暫時お待ちあれ。手前の槍は雑兵の血で汚れておりますれば……" ], [ "待たれよ。もはや、槍の穂先も見えぬげに御座れば、残念ながらこれにてお別れ申そう", "いや、某もさように存じておったところ……", "さらば", "さらば" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「喜多」    1928(昭和3)年3月 ※底本では、ファイル本文の冒頭に置いた図が、表題として扱われています。 ※冒頭の図版の太線素片は、底本では点線です。 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「※[#「やまいだれ+惡」、第3水準1-88-58]見鈍太郎」です。 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "046695", "作品名": "「生活」+「戦争」+「競技」÷0=能", "作品名読み": "「せいかつ」たす「せんそう」たす「きょうぎ」わるぜろはのう", "ソート用読み": "せいかつたすせんそうたすきようきわるせろはのう", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「喜多」1928(昭和3)年3月", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-08-20T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card46695.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集7", "底本出版社名1": "三一書房", "底本初版発行年1": "1970(昭和45)年1月31日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年2月29日第12刷", "校正に使用した版1": "1985(昭和60)年5月15日第1版第8刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "川山隆", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46695_ruby_27665.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46695_27711.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "ハイ。この候補生は前進の途中、後方から味方の弾丸に腓を射抜かれたのです。それで匐いながら後退して来る途中、眼の前の十数メートルの処で敵の曳火弾が炸裂したのだそうです。その時には奇蹟的に負傷はしなかったらしいですが、烈しい閃光に顔面を打たれた瞬間に視覚を失ってしまったらしいのです。明るいのと暗いのは判別出来ますが、そのほかの色はただ灰色の物体がモヤモヤと眼の前を動いているように思うだけで、銃の照準なぞは無論、出来ないと申しておりましたが……睫毛なぞも焼け縮れておりますようで……", "ウム。それで貴官はドウ診断しましたかな", "ハイ。多分戦場で陥り易い神経系統の一部の急性痲痺だろうと思いまして、出来るなら後退さして頂きたい考えでおります。時日が経過すれば自然と回復すると思いますから……視力の方が二頭腓脹筋の回復よりも遅れるかも知れませぬが……", "ウム。成る程成る程" ], [ "……ヨシ……俺に跟いて歩いて来い。骨が砕けていないから歩いて来られる筈だ。クラデル君……君も一緒に来てみたまえ。研究になるから……", "……ハッ小官は今すこし負傷兵を片付けましてから……", "まあいい。ほかの連中がどうにか片付けるじゃろう。……来てみたまえ。吾々軍医以外の独逸国民が誰も知らない戦争の裡面を見せて上げる。独逸軍の強い理由がわかる重大な秘密だ。君のような純情な軍医には一度、見せておく必要がある。……これは命令だ……", "……ハッ……" ], [ "軍医大佐殿とはモウ余程離れておりますか", "……ソウ……百米突ばかり離れております。何か用事ですか" ], [ "これを……私に呉れるのですか", "……イイエ……" ], [ "お願いするのです。この包を私の故郷の妻に渡して下さい", "貴方の……奥さんに……", "……ハイ。妻の所書も、貴方の旅費も、この中に入っております", "中味の品物は何ですか", "僕たちの財産を入れた金庫の鍵です", "……金庫の鍵……", "そうです。その仔細をお話ししますから……ドウゾ……ドウゾ……聞いて下さい" ], [ "とにかく……話して御覧なさい", "……あ……有難う御座います……", "サアサア……泣かないで……", "すみません。済みません。こうなんです", "……ハハア……", "……僕の先祖はザクセン王国の旧家です。僕の家にはザクセン王以上の富を今でも保有しております。父は僕と同姓同名でミュンヘン大学の教授をつとめておりました。僕はその一人息子でポーエル・ハインリッヒという者です。今の母親は継母で、父の後妻なんですが、僕と十歳ぐらいしか年齢が違いません。その父が昨年の夏、突然に卒中で亡くなりましてからは、継母は家付きの弁護士をミュンヘンの自宅に出入りさせておりますが、この弁護士がドウモ面白くない奴らしいのです。いいですか……", "成る程。よくわかります", "僕が継母に説伏せられて三度の御飯よりも好きな音楽をやめて、軍隊に入る約束をさせられたのもドウヤラその弁護士の策謀らしいのです。つまりその弁護士は僕と、僕の新婚の妻との間に子供が出来ない中に、継母と共謀して、財産の横領を企てているのじゃないかと疑い得る理由があるのです。その弁護士は非常に交際の広い、一種の世間師という評判です。極く極く打算的な僕の継母もこの弁護士にばかりは惜し気もなくお金を吸い取られているという評判ですからね。僕をヴェルダンの要塞戦に配属させたのも、その弁護士の秘密運動が効を奏した結果じゃないかと疑われる位なんです" ], [ "成る程……現在の独逸には在りそうな話ですね。悪謀に邪魔になる人間は、戦場に送るのが一番ですからね", "……でしょう……ですから僕は、僕の財産の一切を妻のイッポリタに譲るという遺言書と一緒に、色々な証書や、家に伝わった宝石や何かの全部を詰め込んだ金庫の鍵を、戦線に持って来てしまったんです。ちょうど妻が伊太利の両親の処へ帰っている留守中に、僕の出征命令が突然に来たのですからね。いつもだと僕の妻が喜ぶ事を絶対に好まなかった継母が、不思議なほど熱心に妻にすすめて故郷へ帰らせて、非常な上機嫌で駅まで送ったりした態度がドウモ可怪しいと思っていたところだったのです", "成る程。よくわかります", "それだけじゃないのです。私の出征した後で帰って来た妻は、私の母親と弁護士に勧められて、他家へ縁附くように持ちかけられているし、妻の両親も、それに賛成している……という手紙が妻から来たのです", "それあ怪しからんですねえ", "……怪しからんです……しかし妻は、僕から離別した意味の手紙を受取らない限り、一歩もこの家を出て行かないと頑張っているそうですが……私たちは固く固く信じ合っているものですからね……" ], [ "……ありがとう御座います。ドウゾドウゾお願します……僕は……この悩みのために二度、戦線から脱走しかけました。そうして二度とも戦線に引戻されましたが、その三度目の逃亡の時に……今朝です……ヴェルダンのX型堡塁前の第一線の後方二十米突の処の、夜明け前の暗黒の中で、この腓を上官から撃たれたのです……この包を妻に渡さない間は、僕は安心して死ねなかったのです", "……………", "……しかし……しかし貴方はこの上もなく御親切な……神様のようなお方です。僕の言葉を無条件で真実と信じて下さる御方であるという事が、僕にチャントわかっています。……どうぞどうぞお願いします。クラデル先生。どうぞ僕を安心して、喜んで祖国のために死なして下さい。眼は見えませぬが敵の方向は音でもわかります。一発でもいいから本気で射撃さして下さい。独逸軍人の本分を尽して死なして下さい" ], [ "この傷はドウ思うね……クラデル君……", "……ハ……右手掌、貫通銃創であります", "普通の貫通銃創と違ったところはないかね", "銃創の周囲に火傷があります", "……というと……どういう事になるかね" ], [ "そんならこの下士官の傷はドウ思うね", "……ハ……やはり上膊部の貫通銃創であります。火傷は見当らないようですが……", "それでも何か違うところはないかね", "……弾丸の入口と出口との比較が、ほかの負傷兵のと違います。仏軍の弾丸ではないようで……近距離から発射された銃弾の貫通創と思います", "……ウム……ナカナカ君はよく見える。そこでつまりドウいう事になるかね" ], [ "この脚部の創はドウ思うね。君が今連れて来た候補生だが……", "弾丸の入口が後方に在ります", "……というとドンナ意味になるかね", "……………………", "それじゃ君……コッチに来たまえ。この腕の傷がわかるかね", "わかります。弾丸の口径が違います。私は剔出してやったのです", "何の弾丸だったね。それは……", "……………………", "味方の将校のピストルの弾丸じゃなかったかね", "……………………", "……ハハハ……もう大抵わかったね。ここに集めて在る負傷兵の種類が……", "……ハイ……ワ……わかりました" ], [ "……そこでクラデル君。これらの全部の負傷兵の種類を通じての特徴として、君は何を感じますかね", "……ハッ……。皆、味方の銃弾か、銃剣によって傷いている事であります。砲弾、毒瓦斯、鉛筆(仏軍飛行機が高空から撒布して行く短かい金属性の投矢の一種)等の負傷は一つも無い事です", "……よろしい……" ], [ "……放っとき給え……ほっときたまえ……凍死する奴は勝手に凍死させておけ。そんな者はいいから早く並べ。……ヨオシ……皆、気を附け……整頓……番号……", "二、三、四……八十……八十一ッ……", "八十一か……", "ハイ。八十一名であります" ], [ "よろしい。寝ている奴が三人と……合計八十四名だな", "そうであります" ], [ "眼を開いて汝等の正面を見よ。あの物凄い銃砲の音と、火薬の渦巻を見よ。あれが見えるか。あれは一体、何事であるか……わかるか……", "……………" ], [ "……よろしい。廻れエ、右ッ……整頓……。わからなければ今一つ尋ねる。ええか。……イッタイ吾々軍医なるものは何のために戦場に来ているのか汝等は知っているか", "……………", "……ただ自分達の負傷の手当のためにばかり来ていると思ったら大間違いだぞ。汝等のような売国奴同然の非国民を発見して処分するのが俺達、軍医の第一、第二、第三の責務である。負傷の手当てなどいうものは第四、第五の仕事という事を知らないのか! エエッ!" ], [ "……ええか……よく聞け……軍医の学問の第一として教えられることは自傷の鑑別方法である。戦場から退却きたさに、自分自身で作る卑怯な傷の診察し方である。吾儕軍医はこれを自傷……略してS・Wと名付けている。すなわちS・Wの特徴は生命に別条のない手や足に多い事である。そんな処を戦友に射撃してもらったり、自分で射撃したりして作った傷は、距離が近いために貫通創の附近に火傷が出来る。火薬の燃え粕が黒いポツポツとなって沁み込んでいる事もある。……さもなくとも仏軍の弾丸と吾軍の弾丸は先頭の形が違うために傷口の状況が、一目でわかるほど違っている。口径の違うピストルの傷は尚更、明瞭である。塹壕の外に故意と足を投出したり、手を突出したりして受けた負傷と、銃身を構えて前進しながら受けた傷とは三歳児でも区別出来ることを汝等は知らんのか。それ位の自傷がわからなくて軍医がつとまると思うのか。そんな卑怯な、横着な傷に吾儕、軍医が欺むかれて、一々鉄十字勲章と、年金を支給されるように吾々が取計らって行ったならば、国家の前途は果してドウなると思っているのか。常識で考えてもわかる事だ……仮病、詐病、佯狂、そのほか何でも兵隊が自分自身で作り出した肉体の故障ならば、一目でわかるように看護卒の端々までも仕込まれているのだぞ……俺達は……", "……………", "……現在……汝等の父母の国は、汝等の父母が描きあらわした偉大な民族性の発展を恐れ憎んでいる全世界の各国から撃滅されむとしつつ在る。学術に、技芸に、経済政策に、模範的の進取精神を輝かして、世界を掠奪せむとしている吾々独逸民族に対して、卑怯、野蛮な全世界の未開民族どもが、あった限りの非人道的な暴力を加えつつ在る。英、仏、伊、露、米、等々々は皆、吾々の文化を恐れ、吾々の正義を滅ぼそうとしている旧式野蛮国である……わかったか……", "……………", "これを憤ったカイゼルは現在、吾々を率いて全世界を相手に戦っている。汝等の父母、同胞、独逸民族の興亡を賭して戦っている。人類文化の開拓のために…よろしいか……", "……………………", "その戦いの勝敗の分岐点……全、独逸民の生死のわかれ目の運命は、今、汝等の真正面に吠え、唸り、燃え、渦巻いているヴェルダンの要塞戦にかかっているのだ。その危機一髪の戦いに肉弾となって砕けた勇敢なる死骸は……見ろ……汝等の背後にあの通り山積しているのだ。……その死骸を見て汝等は恥しいとは思わないのか", "……………", "汝等はそれでも人間か。光栄ある独逸民族か。世界を敵として正義のために戦うべく、父母兄弟に送られて来た勇士と思っているのか", "……………", "……下等動物の蟻や蜂を見よ。あんな下等な生物でも汝等のような卑怯な本能は持っていないぞ。汝等は実に虫ケラ以下の存在だ。神……人……共に憎む破廉恥漢とは汝等の事だ。……汝等は売国奴だ。非国民だ。生かしておけば独逸軍の士気に関する害虫だ。ボルセビイキ以上の裏切者だ……", "……………", "汝等は戦死者の列に入る事は出来ない。無論……故郷の両親や妻子にも扶助料は渡らない覚悟をしろ。ただ汝等の卑怯な行為が、汝等の父母、兄弟、朋友たちに絶対に洩らされない……軍法会議にも渡されない……今日只今限りの秘密の中に葬むられる事を、無上の名誉とし、光栄として余の処分を受けよ" ], [ "フランケン・スタイン工兵聯隊、第十一中隊、第二小隊カアル・ケンメリヒ中尉……", "イヤ。御苦労です" ], [ "この犬奴らを片付けて下さい", "……ハッ……ケンメリヒ中尉は、この非国民の負傷兵等をカイゼルの聖名によって、今、直ぐに銃殺させます" ], [ "エエッ。卑怯者ッ。今更となって……恥を晒すかッ……コン畜生コン畜生コン畜生ッ……", "アイタッ……アタッ……アタアタッ……サ……晒します晒しますッ。ワ……私は……故郷に居る、年老いた母親が可哀相なばっかりに……もう死ぬるかも知れないお母さんが……タッタ一眼会いたがっている老母が居る……居りますばっかりに……自……自傷しました……", "ええッ。未練者……何を云うかッ……", "アタッ。アタッ。わかりました。……もうわかりましたッ。何もかも諦らめました。ヴェルダンの火の中へ行きます……喜んで……アイタッ……アタアタアタアタアタッ" ], [ "……ナ……何を吐かす。卑怯者……売国奴……", "アツツツツツ。アタッ。アタッ、待って……待って下さい。皆も……皆も私と同じ気持です。同じ気持です。どうぞ……どうぞこの場はお許し……お許しを……アタッ……アタッ……アタアタアタッ……ヒイ――ッ……" ], [ "立てえ銃……休めえ", "気を附け……" ], [ "皆わかったか", "……わかりました……" ], [ "……よろしい……大いによろしい……現在の独逸は、数百カラットの宝石よりも、汝等に与える一発の弾丸の方が、はるかに勿体ない位、大切な場合である。同様に汝等の生命が半分でも、四分の一残っていても構わない、ヴェルダンの要塞にブッ付けなければならないのが我儕、軍医の職務である……わかったか……", "わかりました" ], [ "……よろしい……もうすこし云って聞かせる……近い中に独逸の艦隊が、英仏の聯合艦隊をドーバーから一掃してテイムス河口に殺到する。そうしたら倫敦は二十四時間の中に無人の廃墟となるであろう。一方にヴェルダンが陥落してカイゼルの宮廷列車が巴里に到着する。逃場を失った聯合軍はピレネ山脈とアルプス山脈の内側で、悉く殲滅されるであろう。独逸の三色旗が世界の文化を支配する暁が来るであろう。その時に汝等は一人残らず戦死しておれよ。それを好まない者はたった今銃殺してやる。……味方の弾丸を減らして死ぬるも、敵の弾丸を減らして死ぬるも死は一つだ。しかし光栄は天地の違いだぞ……わかったか……", "わかりました" ], [ "……よし行け……その左翼の小さい軍曹……汝の負傷は一番軽い上膊貫通であろう。汝……引率して戦場へ帰れ。負傷が軽いので引返して来ましたと、所属部隊長に云うのだぞ……ええか……", "……ハッ……陸軍歩兵軍曹……メッケルは負傷兵……八十……四名を引率してヴェルダンの戦線に帰ります。軽傷でありましたから帰って来ましたと各部隊長に報告させます", "……よろしい……今夜の事は永久に黙っておいてやる……わかったか……", "……わかりました。感謝いたします", "……ヤッ……ケンメリヒ中尉。御苦労でした。兵を引取らして休まして下さい。御覧の通り片付きましたから……ハハハ……" ] ]
底本:「夢野久作全集6」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年3月24日第1刷発行 初出:「改造」改造社    1936(昭和11)年5月号 入力:柴田卓治 校正:kazuishi 2004年6月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002108", "作品名": "戦場", "作品名読み": "せんじょう", "ソート用読み": "せんしよう", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「改造」改造社、1936(昭和11)年5月号", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2004-08-04T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2108.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集6", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年3月24日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年3月24日第1刷", "校正に使用した版1": " ", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "kazuishi", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2108_ruby_15917.zip", "テキストファイル最終更新日": "2004-06-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2108_15948.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2004-06-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "何か御用ですか", "ハイ" ], [ "この広告は私が出したものに違いありませんが、貴方はどうしてこれを持っていましたか", "紐育の中央郵便局で見付けました", "……え……紐育の中央局で……", "はい。私がそこのボーイになっておりますうちに受取人のない小包郵便を焼き棄てるのを手伝わされた事があります。私達はその小包を焼き棄てる前に一つ一つ開いて、危険なものだの貴重品だのが入っていないかどうかを係りの人に見てもらうのですが、その時に取棄てた包紙の中にこの新聞が混っていたのです" ], [ "ははあ……そんなに日本が懐かしかったのですか", "はい。そればかりではありません。私はずっと前から日本語を勉強しておりまして、日本文字のものならば印刷したものでも書いたものでも何でも構わずに集めておりました。その中でも日本の新聞は、日本の事を研究するに一番都合がよかったのです", "ふむ。……ではその広告が眼に止まった理由は……", "私は……貴下に雇って頂きたいのです。……あなたは……まだ……助手を……お持ちに……ならないのでしょう……" ], [ "……けれども……ただ……これだけは申上げる事が出来ます。私の本籍は紐育市民ですが、両親の顔をよく見覚えませぬ中から、軽業師に売られました。それから活動役者や、その他の色々な芸人に売りまわされて、支那人になされたり、西班牙人として取扱われたり、そうかと思うと芝居の日本娘になって歌を唄わされたりしておりますうちに、いつの間にか自分がどこの人種だかわからなくなってしまいました。紐育の中央郵便局に居りましたのはその途中で逃げ出していた時分の事で、頭髪を酸化水素で赤く縮らして、黒ん坊香水を身体に振りかけて、白人と黒人の混血児に化けていたのです。けれども自分では日本人に違いないと思いましたから、それをたしかめるために日本に帰って来たのです。ですから私は履歴書も、身元証明も、保証人も何もありません。ただ私の身に附いた芸が、私の履歴や身元を証明してくれるだけです", "フーム。成る程……" ], [ "……はい……僕の研究が本物かどうか知りませんけど、私はその広告を見てから急に思い立って薬物と、物理と、化学を勉強し初めました。物理は実験なしでも大抵わかりましたけれど化学は空ではなかなかわかりませんでしたので中学の校長さんにお願いして、自分で薬を買って実験さしてもらいました。初めはなかなか難かしかったんですけど、そのうちに周規律を諳記してしまいますと素敵に面白くなって、じきに有機化学の方へ入りました", "……ウ――ム……" ], [ "それはつまり僕に雇われたいから勉強したんですね", "……ええ……初めはそうだったんですけど、後にはそればっかりでなくなりました", "本当に面白くなったんですね", "……はい……", "有機の中では何が一番面白かったですか", "毒物の研究が一番面白う御座いました", "えッ……毒物?……", "はい……" ], [ "……どうして毒物が面白いのですか", "最前お話ししました中央郵便局で破棄される郵便物の中に貴方のお書きになった『毒物研究』という書物があったんです", "僕の……", "はい……", "……フ――ム……あれは私が道楽に秘密出版をしたもので、各大学の法医学部と、私の持っている参考書の著者に五百部だけ贈呈したものなんだが、それがどうして亜米利加三界まで行ったんだろう", "何故だか存じませんけど発送人の名前も何もなくて、宛名は中央郵便局留置27号私書函、エム・コール殿となっておりました", "エム・コール……知らない人間だな", "……きっと偽名だったろうと私は思うんです。その時にはもう27号の持主が変っていたんですから……", "成る程……しかし、そんなものは焼き棄てるのが当然でしょう", "いえ。米国ではそうでもないんです。一度中味を検めて、貴重品は国庫の収入にして、そのほかの詰まらないものを局内で競売にして、下役の連中の慰労や何かの費用にしてしまうのです。ですから真実に焼き棄てるのは危険物だの、まるきり役に立たないものだのばっかりです", "……ではそれを買った訳ですね", "はい。けれどもそれを読んでしまった後に、それが秘密にしてある事が判明りましたので焼き棄ててしまいました", "秘密とは書物がですか", "いいえ。競売にする事です。私は悪い習慣だと思いました", "成る程。してその書物の中で何が一番面白いと思いましたか", "みんな面白うございました。飲み物の中に入れると直ぐに溶けて、飲んだ人を一時間の後に殺す支那の丸薬や、モルヒネをきっかり三時間後に利かせるように包むカプセルや、遠乗りの時に相手の馬にそっと舐めさせておいて、きっちり二十分後に暴れ出させて、相手を殺すか傷つけるかする何とかいう石楠花に似た植物の毒の話や……名前をつい忘れましたけれども……", "……ちょっと待ち給え……それは馬酔木の毒でしょう", "そうです。やっと思い出しました。この頃アフリカから米国に輸入されております大変に安くてよく利く馬の皮膚の虫取り薬です。コンゴー・ポイゾンと私共は申します。真黒なネットリした液体です。百磅入りの鑵の上に貼った黄色い紙に、C・Pという頭文字と、その植物の絵が印刷してあります", "……ふ――む……それは初耳だ。そんな薬が出来たことは知らなかった……しかし、それは多分馬酔木の葉を煎じ詰めただけの粗悪品で動植物の駆虫用に製造したものと思うがね。私のはそれをもっともっと精製したもので、薄青い結晶になっている。それを錠剤にして馬に服ませると、今云ったような恐ろしい中毒を起すが、反対に人間の重病患者に内服させると、人蔘と同じような効果をあらわすので、私は内職に製造して薬屋に売らせている。しかし材料が余計にないので、百姓が高価い事を云って困っているのだが……", "亜弗利加には馬酔木の大平原があるそうです", "……ふ――む……君のお話の通りだと、原産地から直接にC・Pを取り寄せてもいい。精製するのは何でもないから……。いい事を聞かせて下すって有り難う", "……私はその貴方の御本を読みましたから、いろんな事を考えるようになりました", "……どんな事を……", "すべての草や、木や、土や、生き物の中には、まだ沢山の秘密が隠れているだろうと……", "……フーム……たとえば……", "例えば何故人は毒薬を飲むと死ぬのだろう。その人の身体を犯されると何故その人の生命までいけなくなるのだろう。生命と身体とは別か一緒か……", "ハハハハハハ。それは科学の問題ではない。哲学か、心霊学者の仕事だ。君は余りに空想に走り過ぎている", "けれども若しこの事がハッキリとわかったら……毒薬も電気も何も使わずに、生命だけ取ってしまう工夫が出来たら、身体にちっとも傷が付きませんから、絶対に見つからない人殺しが出来ると思います", "……………" ], [ "成る程。それは一応尤もですね。しかし現代の科学はまだそこまで進歩していないのです。催眠術なぞいうものもありますが、あれは一種の神経作用を応用したもので、まだ根本的の説明が附いておりませぬ。この後、精神生理学というようなものでも発達したら、そんな理窟がわかるかも知れませぬが。とにかく僕の実験室には、そんな研究の材料も機械も何もありませんよ。……精神的に人を毒殺する……というような素晴らしい設備は……", "はい。なくてもよろしゅうございます。私は今に自分で材料を揃えてやって見とうございます。そうしてその結果を貴方にお眼にかけとうございます" ], [ "……はい……丸の内で昨日から興行を始めておりますバード・ストーンの曲馬団と一緒に参りました", "えッ。あの曲馬団……" ], [ "……ハイ……これはこの間お眼にかけました、帝国ホテル滞在中の曲馬団員から、団長、バード・ストーンに宛てた長文の暗号電報を飜訳したものであります。最後の署名のJ・M・SをJ・I・Cと置き換えて得ました暗号用のアルファベットを、更に、苦心して探りました××大使館用の暗号用アルファベットと置き換えて得ました英文の和訳がこれであります。……すなわち、バード・ストーン一座が大連の興行を打切として解散するに就いて、団員間に手当の不足問題が話題となっていること……××大使が非常に都合よく事を運んでくれているので、外務省にも警視庁にも感付かれる心配が絶対にないであろうこと……セミヨノフの使者に皇女を引渡す場所はハルビンが最適当と認められる事(この皇女というのは或は金の事ではあるまいかとも考えているのでありますが)……それから張作霖に飛行機二台を引渡す方法に就ては、奉天政府の代表チェン氏と打合わせの結果、大連埠頭で、現場貨物主任の日本人一名を買収し(費用二千弗程度)直接に貨車に積込み、奉天まで運んでから組み立てるのが最も安全であることが判明したから、そのつもりで船の手配を考慮されたい事……又、日本の現政府与党、憲友会の幹事長Y氏が、××大使の紹介の下に貴下に会いたがっている。これは日本国内各地の築港事業の促進を名として米国の低資を産業銀行に吸収し、来るべき解散に次ぐ総選挙の費用として流用する目的らしい情報が大使の手許に……", "……これッ……" ], [ "……エヘン……この後とても私はその秘密を洩らすような事は絶対に致しませんから何卒御安心下さい。しかしこれだけの事は御参考までに申上げておきます。その電文の内容が全部実現することになりますれば、現政府は満洲と西比利亜の利権を米国に売って、総選挙の費用を稼ぐ事になります。……ですから万一閣下がその電文を握り潰してお終いになるような事がありますれば私は大和民族の一員として、到底黙って見ている訳に参りませんから、個人として新聞に……", "黙り給え……" ], [ "それ位の事がわからぬと思うか。余計な心配をするな", "……でも……この捜索を打ち切れと仰言るからには……", "……ダ……黙り給えというに……君はただ命令を遵奉していさえすれあいいのだ。吾輩と同様に内務大臣の指揮命令に従うのが吾々の職務なんだ" ], [ "……しかし内務省の指揮命令は、いつも政党の利害を本位としております。司法権はいつも政党政派の上に超越さしておかなければ、現にこのような場合に……", "……いけないッ……君はまだ解らんのか" ], [ "……一言君の参考のために云っておく。この曲馬団に対する現政府の方針が間違っていたらその責任は現政府が負うであろう。しかし君の遣り口が間違っているために国際的の大問題を惹起するような事があれば、その責任は吾輩が負わねばならん", "……………", "それさえ解っておったら、別に云う事は無い筈である" ], [ "……それでは君はあの曲馬団から脱け出して来たのですね", "ハイ。あの曲馬団は私の敵ですから" ], [ "どうしてあの曲馬団が敵なのですか", "あの曲馬団長のバード・ストーンは私の両親を苛め殺したのです。直接に手を当てて殺す以上に非道い眼に会わして殺したのです", "……フーム……それはどんな手段で……" ], [ "お前は岩形さんを受持っていたんだろう", "そうです", "いくつになるね", "十八になります", "ハハハハ。十八にしちゃ意気地がなさ過ぎるじゃないか。お前が犯人でない事は……俺が……この狭山が保証する。その代り知っている事は何でもしっかりと返事しなければ駄目だぞ", "ハイ……" ], [ "岩形さんが帰って来たのは昨夜の何時頃だったかね", "……十二時半近くでした。それまで僕は……私は他のお客の相手をして玉を突いてました。そうしたら、仲間の江木がやって来て、お前の旦那は一時間ばかり前に帰って来ているんだぞ。知らないのかと申しましたから、私はすぐにキューを江木に渡して二階に駈け上りました。けれどもその時は……", "扉に錠が掛かっていたろう", "そうです。それですぐに……自分の室に帰って寝てしまったんです" ], [ "あの岩形さんは、いつもそんな風にして寝てしまうのかね", "いいえ。岩形さんはいつでもお帰りになるとすぐに私をお呼びになりますから、私はお手伝いをして、寝巻を着かえさせて、ベッドに寝かして上げるのです。どんなに酔っておいでになりましても、私に黙ってお寝みになった事は一度もありません。……貴様が女なら直ぐに女房にしてやるがなあ……なんて仰言った事もあります" ], [ "それではこの紳士が、ホテルへ帰るとすぐに自分で鍵をかけて寝たのは昨夜が初めてなんだな", "そうです。だから僕も直ぐに寝ちゃったんです" ], [ "……ち……違います。そ……それを玄関で……も……貰っ……て……", "……ウン……そうか。そうして岩形さんの室まで案内したんだな……誰にもわからないように……" ], [ "ヘリオトロープの香水はどこにもなかったね", "ありませんでした。只洗面台の処に濃いリニー香水と仏国製のレモン石鹸があっただけです" ], [ "……もしもし……もしもし……貴方はステーションホテルですか。十四号室に居られる狭山さんを……", "僕だ僕だ。君は金丸君だろう", "あ。貴下でしたか……では報告します", "銀行から掛けているのかね", "そうです。報告の内容はここに居る人が皆知っている事ばかりです", "ああいいよ。どうだったね", "意外な事があるのです。この銀行から岩形氏の金を受け取って行ったのは岩形氏自身ではありません。岩形氏の小切手を持った日本婦人です", "ふむ。それでやっとわかった。そんな事だろうと思った", "……はあ……私は意外でした", "まあいい……その婦人の服装は……", "……思い切った派手なもので、しかも非常な美人だったと云うのです。顔は丸顔で……もしもし……顔は丸顔で髪は真黒く、鏝か何かで縮らした束髪に結って、大きな本真珠らしい金足のピンで止めてあったと云います。眉は濃く長く、眼は黒く大きく、口元は極く小さくて締まっていたそうです。額は明瞭な富士額で鼻と腮はハッキリわかりませんが……もしもし……ハッキリと判りませんが兎に角中肉中背の素晴らしい美人で、顔を真白く塗って、頬紅をさしていたそうで……非常に誘惑的で妖艶な眼の覚めるような……ちょっと君等……ちょっと笑わずにいてくれ給え……どうも電話が卓上電話なので……もしもし妖艶とも云うべきものだったそうです。しかし服装はあまり大したものではなく普通の上等程度だったそうで……被布は紫縮緬に何かちらちらと金糸の刺繍をしたもので、下は高貴織りか何からしく、派手な柄で、何でも俗悪な色っぽいものだったそうですが、まだ冬にもならぬのに黒狐の襟巻をして、時計入りの皮の手提げと、濃い空色に白縁を取った洋傘と紫色のハンカチを持っていたそうです", "金はどうして渡したのか", "それがです……それが怪訝しいのです。金を預けてから三日も経たぬ十日の朝に岩形氏は電話でもって支配人を呼び出して、近いうちに自分の預金全部を引き出すかも知れないから、そのつもりでいてくれと宣告したそうです。それで支配人はどこかの銀行へお送りになるのならばこちらで手続きをしましょうかと云ったら……いや全部現金で引き出すのだ。しかしまだ一日や二日の余裕があるから、それまでに準備しておいてくれ。但し、利子だけは残しておくと云ったそうです。支配人は少々困ったのでこう云ったそうです。どうも現金が十万円以上となるとどこの銀行でも一寸には揃いかねます。他の銀行か何かへお組み換えになるのか何だったら今日只今でも宜しゅう御座いますが……と云うと岩形氏は多少怒気を帯びた声で……これだから日本の銀行は困る。自分が一昨日預けた時は現金で十四万円を行李に詰めて持って来たではないか。その時には黙って受取っておきながら今更そんな事を云っては困る。これは自分が金を扱う方法だから仕方がない。君の銀行はこの間から大株でかなり儲かっている筈だから、それ位の事はどうにかならぬ事はあるまい……と高飛車で図星を刺されましたので仕方なしに承知をしたのでした。実は支配人も驚いたのだそうです。取引所の事情を知り抜いている話ぶりなので……そうして内々で準備をしていると一昨々日……十一日の朝になって岩形氏がひょっこり遣って来て、いつもの通りの態度で三千円の小切手を出した序に、例の金の準備はどうだと尋ねたそうです。これに対して支配人は、準備はちゃんと出来ている。しかし何とかしてもらえまいかと頼みますと岩形氏はじっと考えたあげく極めて無造作な口調で、それではその五分の四だけ引き出す事にしよう。そうして受取り人には田中春という極く確かな女を出すからよろしく頼む。なお間違いのないように、割り符を渡しておこう……と云って自分の名刺を半分に割いて、一つを支配人に渡し、残りの一つを自分のポケットに入れたそうです", "ええと。一寸待ってくれ。その名刺の半分はそこに在るのかね", "はい。私がここに持っております", "それは名刺の上半部で、岩形の形という字の上が残っていはしないか", "そうです。どうしておわかりになりますか……", "その下の半分はこっちに在る。岩形氏の背広のポケットから出て来た", "……………", "それからどうした", "一寸支配人が代ってお話をしたいとの事ですが宜しいですか", "ああどうか。まだ報告があるかね", "ありません……それだけです", "それじゃ君はもっと詳しくその婦人の様子を銀行員から聞き出してくれ給え。俥に乗って来たかどうか。どっちから来てどっちの方へ去ったか。金はどんなものに入れて持って行ったか、その他服装や顔立ちなぞをもっと細かく……そして直ぐ帰って来て……", "アア……モシモシ……アア……モシモシ……狭山さんですか。初めてで失礼ですが……私が当行の支配人石持です。どうも飛んだ御手数で……先程の二十円札はたしかに当行から岩形さんの代理のお方にお渡ししたものです。実は岩形さんの件に就きましては、その中に一度お調べを願おうかと思っておりました次第で……岩形圭吾というのは紳士録には青森県の富豪と載っているにはおります。しかし昨日、同地方出身の友人に会いましたから、それとなく様子を聞き糺してみますと、その岩形圭吾氏と申しますのは本年の二月に肺炎で死亡致しておりますそうで……", "岩形氏の事は今調べているところです。いずれわかったらお知らせします。……で、それに就いて少々お訊ねしたい事がありますから何卒御腹蔵なく……", "は、はい。それはお言葉までもなく……" ], [ "……さあ……どんな香水でしたか……アハハ……どうも……", "そうして岩形氏の預金は、あとにどれ位残っておりますか", "たしか三万円足らずであったと思います", "どうも有り難う。いずれ身元がわかったらお知らせします。あ……それから貴下は岩形氏の住所を御存じですか", "はい。鎌倉材木座の八五六で岩形と承わっておりますが……", "その他に、東京の方で事務所か何か御存じですか……通知なぞを出されるような……", "別に存じませぬ。何分極く最近の取引で、こちらでも行届きかねておりましたような事で……御用の節はいつも岩形さんが御自身にお見えになりましたので……", "いや有難う。いずれ又……" ], [ "ボーイがやっと意識を回復したようですが。……どうもヒステリーの被告みたいに、神経性の熱を四十度も出しやがって譫言ばかり……", "どんな譫言を……" ], [ "黒い洋服だ。黒い洋服だ。美人美人。素敵だ素敵だなぞと……そうして今眼をあけると直ぐに起き上って、側に居たボーイ頭に、もう正午過ぎですかと尋ねたりしておりましたが、馬鹿な奴で……貴下に睨まれたのが余程こたえたと見えまして……", "ははは。意気地のない奴だ", "何かお尋ねになりますか……", "いや、もう宜しい。犯人はもう解っている", "え" ], [ "犯人はやはりその女です。その女……田中春というのは多分偽名でしょうが……その女は泥酔している紳士に麻酔剤か何か嗅がして、シャツの上膊部を切り破って、薬液を注射して殺した。そうして覚悟の自殺と見せるために、瓶や鋏に被害者自身の指紋をつけたばかりでなく、上衣の外套を着せて、泥靴まで穿かせて、帽子や注射器までもきちんと整理して出て行った", "その女を犯人と認める理由は……" ], [ "その女の特徴は……", "こっちへお出でなさい" ], [ "……オイ……いけない……ちょっと待った……", "……………" ], [ "杉川君……", "ハイ", "先刻ボーイの山本が意識を回復した時に……モウ正午過ぎですか……とボーイ頭の折井に訊ねたのは、単に寝ぼけて云ったのでしょうか……それとも何か理由があって訊いたのでしょうか" ], [ "サア。その辺はどうも……", "私が行って訊いてみましょうか" ], [ "お察しの通りです。午砲が聞えたら警察に自首して出ろ。その通りにしなければお前は生命が危い。そうしてもしその通りにしたならば妾がどこからか千円のお金を送ってやると云ってボーイの母親の所番地を聞いて行ったそうです", "そうして又、気絶したかね", "助けて下さいと云ってワイワイ泣き出しました", "ハハハハハ。正直な奴だ。それじゃ今の命令は全部取消しだ", "エッ" ], [ "うっかりしていた。もう少しで犯人を取逃がすところだった……", "……………", "誰か最近の新聞で、横浜と、神戸と……いやいや東京ので沢山……今日の新聞を持っていませんか" ], [ "よろしい。今日横浜から出る船は桑港行きで午前十一時の紅海丸しかない。神戸行きの方はリオン丸と筑前が欧洲航路だが、これは長崎に寄るのだから、まだ大分時間がある。下関なし。敦賀なし。函館もなしと。よしよし。志免君は、すぐに横浜へ電話をかけて、紅海丸の乗客を出帆間際まで調査するように頼んでくれ給え。念のために電報を打っといた方がいいだろう。変装しているかも知れぬと注意しておき給え。十一時過ぎて何の返事もなかったら、神戸と下関と長崎と函館へ手を廻してくれ給え。それから先の方針は前の命令の復活だ。……僕はこれから弥左衛門町のカフェー・ユートピアへ行く。すこし疑問の点があるから……当りが付いたら電話をかけ給え。あとはこっちから役所へ電話をかける……それだけ……", "承知しました", "では行って来る", "ちょっと……待って下さい" ], [ "何ですか", "貴方はどうしてもこの屍体を他殺とお認めになるのですか" ], [ "……無論です。犯人が居るから止むを得ません", "その婦人は果して犯人でしょうか", "無論です。挙動が証明しております。……のみならず一度閉まっていた扉がどうして開いたのでしょう", "合鍵はこのホテルに別なのがあります" ], [ "それは支配人が自分で金庫の中に保管しておりますので特別の場合しか出しませぬ", "……しかし……私が最初にこの室に這入った時には、絨毯の上には紳士の足跡と、ボーイのと、支配人の靴痕しかなかったようですが……支配人もボーイも承認しておりますので、それ以外に靴の痕らしいものはなかったのですが……", "絨毯の毛は時間が経つと独りでに起き上るものです。ことにあんな風に夜通し窓を明け放ってあります場合には、室の中の物全部が湿気を帯びる事になるのですから、絨毯の毛は一層早く旧態に返るのです。ですから紳士の足跡は泥で判然っても、女の足跡は残っていないのが当然なのです。支配人とボーイのは新しいからよくわかったのでしょう。……とにかくこの場は私に委せて頂きたい" ], [ "篦棒めえ。十時半が早けあ六時頃は真夜中だろう。露西亜じゃあるめえし……", "へえ。申訳ござんせん……つい……", "つい露西亜の真似をしたっていうのか。そんなら何だって表の戸を明けた", "へえ。これから気を付けます", "露西亜になれと云うんじゃねえ。第一お前の家はそんなに夜遅くまで繁昌すんのか", "へえ。お酒を売りますんでつい……", "つい営業規則を突破するんだろう。二時か三時頃まで……", "へへっ。お蔭さまで……へへ……", "何がお蔭さまだ。俺あ初めてだぞ……", "恐れ入りやす。毎度ごしいきに……", "そんなに云うんならごしいきにしてやる。飲みに来てやるぞ。女は居ねえのか", "はい。私くらいのもので……", "…ぷっ……馬鹿にするな……全く居ねえのか", "……お気の毒さまで……", "……そんなら今日は珈琲だけだ。濃いんだぞ……", "畏こまりやした" ], [ "べらんめえの露助が来やがった", "時間を間違えやがったな", "なあに酔っ払ってやがんだ", "言葉が通じんのか", "通じ過ぎて困るくれえだ。珈琲だってやがらあ", "コーヒー事とは夢露知らずか", "コニャック持って行きましょか" ], [ "ウイスキーってんだろう", "露探じゃあんめえな", "なあに。バルチック司令官寝呆豆腐とござあい", "ワッハッハ", "しっしっ聞えるぞ。ホーラ歩き出した。こっちへ降りて来るんだ", "……ロシャあよかった" ], [ "ねえ諸君……諸君は学生だ。前途有望だ。理想境に向って驀進するんだ。……吾輩もカフェー・ユートピアに居る。即ち酒だ。酒が即ち吾輩の理想境なんだ。あとは睡る事。永遠に酔い永遠に眠る。これが吾輩のユートピアだ。アッハッハッハッ。どうだね諸君……", "賛成ですね", "うむ。有り難い。それでは諸君一つ吾輩の健康を祝してくれ給え。甚だ失敬だが、この瓶を一本寄贈するから……" ], [ "いいえ。ございません。いつもたった一人でちびりちびりやって、黙って窓の外を見たり、考え込んだり、新聞を読んだり……", "……一寸待ってくれ……それはどんな新聞かね", "英語の新聞です。日本のはなかったようです。二三度忘れて行かれましたが……", "その忘れた新聞が残っていないだろうか", "なくなっちまいました。料理番が毎日新聞紙を使いますので……フライパンを拭いたり何かして、あとを焚付にしてしまいますので……", "外国で発行したものかどうかお前には解らないだろうなあ", "わかりません", "西洋のポンチ絵が載っていやしなかったかい", "さあ。気が付きませんでした。すぐにくしゃくしゃにして終いますので……", "……ふうむ……惜しいな……ところで、その紳士には時々連れでもあったかね", "いいえ。昨夜の女の方が初めてだったと思います", "昨夜その紳士が来た時には、客が少なかったと云ったね", "申しました", "幾組位、客があったかね", "ええと。あの時は隣の室に一組と、こっちの室に一組と……それっきりです", "合わせて三組だね", "そうです", "そのこっちの室に居た客人は学生かね", "そうです。けれども留学生です", "……ふうん。留学生。間違いないね", "間違いこありやせん。早稲田の帽子を冠っておりましたけど、大丈夫日本人じゃありません", "どこの卓子に居たね", "あすこです" ], [ "何人居たね", "……えーと。そうです。三人です", "どんな風体の奴かね", "失敬な奴でした。其奴は僕が……私がここのお客様に持って来ようとするウイスキー入りの珈琲を捕まえて片言で……こっちが先だ。それはこっちへ渡せ……と云うのです。ウイスキー入りの珈琲は一つしきゃ通っていないのに、そんな事を云うんです。けれども僕は我慢して頭を下げながら……へい。只今……と云ってこっちへ持って来ちゃったんです", "顔は記憶えているかね", "みんなは知りませんが、そう云った奴の面付だけは記憶えています。色の黒い、痘痕のある、瘠せこけた拙い面でした。朝鮮人かも知れません", "ほかに特徴はなかったかね", "さあ。気が付きませんでした。薄汚ない茶色の襟巻をしておりましたが", "着物は……", "三人とも長いマントを着ておりましたから解りません", "下駄を穿いてたかね", "靴だったようです", "フーム。元来この店には朝鮮人が来るかね", "よっぽど金持か何かでないと来ません。留学生はみんな吝ですから……女が居れば別ですけど……", "ふふん。その連中の註文は……", "珈琲だけです。何でも洋装の女より十分間ばかり前に来て、三人でちびちび珈琲を舐ていたようです。客が多ければ追い返してやるんでしたけど……それから女が出て行くと直ぐあとから引き上げて行きました。癪に障るから後姿を睨み付けてやりましたら、その痘痕面の奴がひょいと降り口で振り返った拍子に私の顔を見ると、慌てて逃げるように降りて行きました", "ハハハハ。よかったね。それじゃもう一つ聞くが、昨夜の色の黒い紳士が、何か女から貰ったものはないかね。紫色のハンカチの外に……", "別に気が付きませんでした……あ。そうそう、女が立って行った後に残っていた、小ちゃな白いものをポケットに入れて行きました", "どれ位の……", "これ位の……" ], [ "もう御誂えは……", "有り難う……ない……" ], [ "……これは……頂き過ぎますが……", "……いいじゃないか、それ位……", "だって……だって……" ], [ "……何だ……", "だって……貴方は狭山さんでしょう。警視庁の……", "えっ……。知っていたのか", "……へえ……新聞でよくお顔を……", "アッハッハッハッ。そうかそうか。それじゃチップが安過ぎる……", "もう結構です。又どうぞ……", "アッハッハッハッ。左様なら……", "左様なら……" ], [ "志免警部は十一時半までに横浜から何の報告もありませんでしたから、御命令の通りに各港へ電報と電話と両方で、女の乗客を調べるように通達致しました。それからタイプライターと法被に関する報告が書き取ってありますが……", "読んでみたまえ" ], [ "それだけかね", "それだけです。あ……丁度志免警部が帰って来ました", "電話に出してくれ給え", "アアモシモシモシモシ" ], [ "モシモシ。課長殿ですか。課長殿ですか", "どうしたんだ君は……僕だよ……狭山だよ", "女の手がかりが付きました" ], [ "……や……失礼しました。あまり急いだものですから息が切れて", "どうしたというのだ", "タクシーで逃げるのを自転車で追かけたのです", "逃がしたのか", "逃がしましたがその自動車の運転手が帰って来たのを押えて何もかも聞きました", "御苦労御苦労……手配はしてあるね……", "ハイ。それから熱海検事が今総監室に来ておられます。一緒に来られるそうです", "検事なんか何になるものか。自動車はいるね", "ハイ。皆出切っておりますから呼んでいるところです。……実は女の隠家を包囲したいと思うんですが、十四五名出してはいけませんか", "いけない。眼に立ってはいけない。国際問題になる虞れがある", "今どこにお出ですか", "日比谷だ", "それじゃお迎えにやります", "来なくていい。そこまでなら電車の方が早い" ], [ "女を隠れ家に送り込んだ、三五八八の自動車が帰って来ましたので……", "えっ。三五八八", "そうです。数寄屋橋タクシーです", "……それじゃ……先刻のがそうだったんだ", "発見していられたんですか最早……", "うん。そうでもないが……相手は大勢かね", "はい。運転手の話によると女の外に、凄い顔付をした支那人や朝鮮人を合わせて四五名居ると云うのです", "新聞記者が一人も居ないのはどうしたんだ", "貴方が日比谷公園で迎えの自動車を待ってられると聞いて皆飛んで行ったんです", "事件の内容は知るまいな" ], [ "後の自動車は大丈夫かね", "はい行先を教えておきました。熱海検事はまだ犯人は決定している訳じゃない。しかしもうすこし調べておく必要があるから一緒に来ると云うんですが……" ], [ "旦那……待っておりますでしょうか", "うむ。そうしてくれ" ], [ "はい迅うに逃げていたのです。居たのなら逃げようがありません。一方口ですから", "麹町署に頼まなかったのか……見張りを……", "頼んだのです。ところがあの教会なら怪しい事はない。志村のぶ子という別嬪の旧教信者が居て熱心に布教しているだけだと、下らないところで頑張るのです", "僕の名前で命令したのか", "貴方のお名前でも駄目です。古参の警視で威張っているんです" ], [ "……馬鹿野郎……後で泣かしてくれる。……調べもしないで反抗しやがって……地下室か何かあるんだろうこの下に……", "はい……電話線があるのに電話機がないので直ぐに秘密室があるなと感附きました。それでそこいら中をたたきまわりましたらあの絵の背後が壁でない事がわかりましたので、引っぱって見ますと直ぐ階段になって地下室へ降りて行けます。地下室には女がつい最前まで居て、何か片附けていたらしく、紙や何かを台所の真下にあるストーブで焼いてありまして何一つ残っておりません。只レミントンのタイプライターと電話器とこのガソリンランプが一台残っているばかりです" ], [ "這入ってもよろしゅうございますか", "よし這入れ" ], [ "こんなものが門の中にありました", "門の中のどこに!" ], [ "……扉の内側に挟んでありましたのが、風で閉まる拍子に私の足下へ落ちましたので、多分旦那方の中においでになるんだろうと思いましたから……", "よしよし。わかった。貴様は表へ出て待ってろ", "いや。一寸待て" ], [ "へ……へい……", "最前貴様がここへ来た時には、日本人や外国人取り交ぜて五六名の者がたしかに居たんだな", "へい。それはもう間違いございません。私がこの眼で見たので……", "よし……行け……" ], [ "駄目駄目。もう少し早く気が付いたら……", "どうしてあの運転手が怪しい事が、おわかりになりましたか" ], [ "初めから怪しい事がわかっていたのです。けれども途中で怪しくなくなったのです。ところが手紙を読んでしまうと同時に、又怪しくなって来たのです", "……と仰言ると……" ], [ "何。訳もない事です。私はこの聖書をカフェー・ユートピアで手に入れたのです。樫尾初蔵から志村のぶ子に送った暗号入りのもので、暗号の最後がかしをとなっておるものです。ところが今の運転手が、この手紙を持って這入って来た時の態度に五分の隙もないのを見まして、直ぐに、此奴は容易ならぬ奴だ……事によると此奴が樫尾かも知れないぞと気付きました。しかももし樫尾とすれば今から一時間半ばかり前に日比谷の横町で私と衝突しそうになった時に、自動車の中から私に『馬鹿野郎』を浴びせて行った運転手と同一人に相違ないのです。私という事を知り抜いていながら知らない振りをして、私の判断を誤らせるために、一瞬間に思い付いてあんな事を云ったものに違いないのです", "……成る程……大胆な奴があるものですな……" ], [ "……あれ程の奴は滅多に居りません。明石閣下のお仕込みだけありますよ。……しかし最前志免警部に呼び止められた時は、流石にはっとしたらしかった態度でしたが、その一刹那のうちに……ナニ。大丈夫だとタカを括って向き直った態度の立派さには又、敬服しましたよ。樫尾に相違ないと思い込んでいた私でさえ……ハテナ。違うのか知らん……と疑った位でしたからね。志免以下の連中が気付く筈はありません。そのうちに手紙を読んでいる間じゅう気を付けてみますと、表に自動車の動き出す音がちっともしません", "いかにも……", "これには全く一ぱい喰いましたね。やはり樫尾じゃなかったのか。只の運転手だったのかと思い思い手紙を読んでしまった訳です", "成る程……ご尤もです", "ところがです……手紙を読んでしまうと同時に気付いた事は、これだけの長文の手紙をタイプライターで叩き出すには、いくら慣れた手でも二十分はかかる筈です。ところで志免警部が、あの自動車を見付けて、追跡して帰って、自働電話に出ていた私と打合わせを終る迄の時間を十分と見ます。そうして私が日比谷から警視庁に帰って自動車に乗る迄の最少限の十分間を加えると丁度二十分となりますが、一方に女の乗った三五八八の自動車が三宅坂を登ってこの教会に到着する迄の時間は、私共が同じ自動車で同じ距離を走った時間と差引いて差引零になるとしても、女の云う逃走用の時間の八分間を前の二十分の余裕から差し引けば、最大限女の保有し得る時間は十二分間となります。実はそれだけの時間は残らないものと見るのが常識的ですが、たとい、それだけの余裕があったと仮定しても、たった十二分間で、この手紙を打ち終ることは不可能と見なければなりません", "そうですなあ……一々御尤もです", "そんならどこでこれだけの長文をたたいたかと申しますと、多分女が気絶して介抱を受けた医者の処か何かで、樫尾が女の逃走を助ける一手段としてこの手紙を作製したものではないかと考えられるのです。つまり吾々が彼等の逃走を発見した瞬間の判断を誤らせるためにこんな小細工をしたので、彼の樫尾の奴が、間際まで自分の名前を看破されない事を確信して巧らんだものと考えられるのです。……すなわちこの手紙の通りに、十二分間を利用して逃げたとなると、女はまだ東京市内に居るとしか思われませんが、実はもうとっくの昔に東京を出ているに違いありません。樫尾運転手は二十分間以上の時間を使って女を東京市外のどこかへ送り付けて、平気で数寄屋橋に帰って、張り込んでいた刑事に『大勢の人が居た』と嘘をついて、支度に手間取らせてここへ連れて来たのです。そうして、なおも時間の余裕を女に与えるために、捜索が一通り済んだ頃を見計らって、この手紙を渡して、吾々が読み終るのを見済まして逃走したのです。否……吾々に落着いて手紙を読み終らせるために逃走を差し控えていたものとしか考えられないのです。追跡の出来ないように一台をひょろひょろの箱自動車にしたのも彼奴の仕事に違いありません。全く吾々を馬鹿にしているのです。大胆極まる奴です。素晴らしい手腕です" ], [ "志村のぶ子と、樫尾初蔵の処分方法は、貴官から外務省へ御交渉の上、御決定下さい。二三時間の中なら、捕縛の手配が出来ると思います", "承知しました……しかし……" ], [ "狭山さん。唯一つ遺憾な事がありますね", "はあ……何ですか", "お互にその美人の顔を一度も見なかったじゃないですか。ハハハ……" ], [ "それじゃこの志村浩太郎氏御夫婦が、君の御両親なんですね", "はい" ], [ "……この新聞記事は随分いい加減なものなのです。この事件に関係した事で……まだ君が知らない国家の機密に属する重大な裏面の出来事なぞが全部ぬきになっているのです。……のみならず二年も前の出来事でバード・ストーン曲馬団の事なぞはちっとも書いてないのに、君はどうして君の両親がこの曲馬団に責め殺された事が判るのですか", "はい" ], [ "えっ……な……何を……", "父の遺言書です……その新聞記事を便りにして探し出したのです", "……この新聞記事から……", "そうです。それを見て初めて、岩形圭吾と名乗って自殺した志村浩太郎という人が、僕の父親に違いない事がわかったのです。それまでは、自分が最初捨子だったという事より外には何も存じませんでしたし、どこの人種だかも解りませんでしたので、両親に会いたい事は会いたかったのですが、探す当てが全くなかったのです。……ですけども解らない事を考えるのは、小ちゃい時から好きでしたので、暇さえあれば亜米利加の新聞を読んで、色んな犯罪事件を研究するのを楽しみにしていたのですが、そのうちに最前お話ししましたような事から、思いがけなく日本の新聞が手に入りまして、その記事が眼に付きますと、父親の事とは夢にも知りませぬまま、色々と研究しておりますうちに、非常に面白い事件に見えまして、そのために日本に来て見たくて来て見たくてたまらなくなりました。その新聞記事と実際とを照し合わせて、僕の想像が当っているかどうか試してみたくて仕様がなくなったのです。……ところがその中に東部亜米利加から欧羅巴の方を興行しておりましたバード・ストーン曲馬団が、戦争のために欧羅巴へ行けなくなって、東洋方面へ廻る事になった。そのために高給い給料で新しい演技者を雇い入れているが、一緒に行かないかと云って、同じ下宿に居たコック上りの露西亜人が誘いましたので、すぐに加入の約束をしてしまったのです。そうして日本へ来るとすぐに、僕の想像を実験してみたらすっかり当っている事がわかったばかりでなく、永い間気になっていた自分の両親の名前を思いがけなく探し出す事が出来たのです" ], [ "……僕は日本に着いて散歩を許されるとすぐに、あのステーション・ホテルへ行って、十四号室を泊らないなりに一週間の約束で借りきってしまったのです。そうしてホテルのボーイや支配人に二年前の出来事の模様を出来るだけ詳しく話してもらいまして、あの室の寝台から室の飾り付までちっとも変っていない事を確かめてから、あの寝台の上に父が死んだ時の通りに寝てみたのです", "どうして……" ], [ "……どうって訳はないんですけど……あの時の死状が、新聞に書いてある通りだと、何だか変テコでしようがなかったもんですから、何かしら父の死状には秘密があるのじゃないかしらんと思ってそうしてみたんです。窓を開け放しにしておいて、寝台の上に南を枕に西向きに寝て、眼を一ぱいに開いて窓の外を見たのです。……そうしたら……", "そうしたら……", "そうしたら、どうやら訳がわかって来たような気がしたんです", "……どんな訳……", "あの窓から普通の姿勢で眺めますと、宮城と海上ビルデングと、今、バード・ストーン一座が興行をしている草ッ原が見えます", "……見える……", "……けれども父が死んだ時の通りにして見ますと、そんなものが窓の下に隠れて、一つも見えなくなります。ただ青い空と、それから駅の前の広ッ場の真中にたった一本突立っている高い高い木の梢がほんのちょっぴり見えるだけなんです。何の樹かわかりませんけども……", "……………", "その時に僕は思い出したんです。この新聞記事によりますと、父は自分で襯衣を切り破って、毒薬を注射して、あとから外套を着て靴を穿いて寝たに違いないのですが、その両方の掌と、外套の袖口と、靴と膝の処が泥だらけになっていたと書いてあるでしょう", "……それは……酔っ払って……転んだものと……", "……ですけども……僕はそうじゃないかも知れないと思ったんです。……ですからその晩になって夜が更けてから、こっそりと帝国ホテルを脱け出して、あの木の下に来てみたら、大きな四角い石ころが一個、拡がった根っ子の間に転がっておりました。僕がやっと抱え除けた位の大きさですが、まだあそこに転がっております。その石の下を覗いてみたらすぐに見つかりました。土の中から、こんなものが一寸ほど頭を出しておりました。大方雨に洗い出されたのだろうと思いますが……" ], [ "……成る程……わかりました。しかし君は今しがた、お母さんが何者にか殺されたと云いましたね", "ハイ……" ], [ "ハイ……申しました", "……その事実はどうして解ったのです", "だって……生きている筈がないんですもの……" ], [ "先生……僕は両親に代って先生に感謝しに来たのです", "……ナ……何を……" ], [ "……僕は電話口で芝浦にT三五八八の自動車が……という巡査の慌てた声を聞いた瞬間にそう思ったよ。志村夫人と樫尾運転手は、芝浦海岸から自動端艇に乗って逃走したに違いない……と……。そこで誰にも云わないで単身、オートバイを乗り付けて調べてみると、一寸普通人には気が付かないが自動車の幌のまん中に、かなりの近距離から発射したらしいピストルの新しい弾痕がある。これは樫尾がモーターボートを芝浦へ廻す手配を感付いたJ・I・Cの人間が先廻りをして、君のお母さんを狙撃したものに違いないので、人家から数町離れた海岸とはいえ、白昼にこんな危険を犯すのは尋常の目的でない事がすぐにわかるのだ。しかし車内には血痕も何も見当らないのでもしやと思って附近を探すと、かねてから君の両親を狙っていたJ・I・Cの鮮人の屍体を発見したのだ。つまりモーターボートの近くの石垣の蔭に隠れて待ち伏せていたのだね。……それからガソリンがなくなっていたのは無論ガソリンを使いつくす程長距離を走ったものではない。用心のためにボートの中へ持ち込んだものであるが……僕は初めから考えるところがあってそうと察した訳なんだが、君は新聞記事以外に何も見ないまま、一足飛びに僕が気付かなかった欄外記事と結び付けて、乗った船まで推測したところは、たしかに一段上手と云わなければならぬ。ところで、これが、どうして僕に感謝する理由になるのですか", "最初からの新聞記事を一緒にしてそこまで読んで来れば解ります。貴方は途中から母の追跡を止めておられます。母を楽に逃げられるようにしてやっていられます。それは中途で母の無罪を認めて下すったからです" ], [ "面白かったですね", "さようさ……最前の満洲馬よりも、馬が立派じゃから引っ立ちますな", "満洲馬と哥薩克馬はあんなに違うものでしょうか", "違いますともさ。この頃の哥薩克馬には、ノースターや、アラビッシュの血が交っておりますのでな。哥薩克の頭目じゃったミスチェンコの乗馬なぞは立派なアングロ・アラビッシュのハンツグロで、しかも哥薩克以上に耐寒耐暑の力が強かったそうですがな", "へえ……して見ると満洲馬はまるで駄馬ですね。小さくて……", "さようさよう。あの次に小さいのは日本の対州馬でしょうよ。ハハハハ……しかし、よくこんなに各地の純粋種ばかり集めて乗り馴らしたものですなあ。余程金を費ったでしょう", "人間と馬と対になっているんですからね", "そうそう。全く感心ですな。この次の美人大曲馬にはどんなのが出て来るか……", "あっ……美人大曲馬は一番先に済んでしまいましたよ。昨日もそうでしたが……", "ははあ。プログラムの都合ですかな。道理で時間がすこしおかしいと思いました。……それではこの次は『大馬と小犬』が始まる訳ですな", "そうです。まだ時間がありますが", "面白いですかな", "ええ『大馬と小犬』も面白いですがその次の馬上の奇術っていうのが素敵なんです。何でも米国に帰化した伊太利の少年だという事ですが、曲馬と手品を一緒にやるんです。見物に頼んで自分の身体を馬の上に縛らしておいて、自由自在に乗りこなす上に、七尺もあるハードルを飛び越したり、火の輪を潜り抜けたりする中に綺麗に縄を脱けてしまうんです。それから長い長い万国旗を馬の耳から引き出したり、帽子の中から火を燃やして、その中から鳩を掴み出したり、蝋の弾丸を籠めたピストルでそれを撃ち落したり、いろんな事をするんです", "ほほう……なかなか達者なものですナ", "まだあるんです。一番おしまいにはビール樽の中に封じられて二頭の馬の背中に積まれたまま、ぐるぐるまわっているうちに、自分の姿とそっくりの人形を幾個も幾個もビール樽の中から地面の上に投げ出すのです。それは確かに空っぽのゴム人形だろうと思うんで、樽の中に仕掛けてある圧搾瓦斯か何かで膨らますに違いないと思われるんですが、その投げ出し方が巧妙な上に、馬から落ちるとすぐに駈け付けて抱き上げたり介抱したりする楽屋連中の態度が又、とても真に迫っているので、その人形の一つ一つが生きたジョージ・クレイに見えてしようがないんです。……今のが本物だ……いや今度こそ……なんて皆がワーワー云い出すんです", "成る程。ハハハ。それは眼新しいですな", "そのうちに二頭の馬が、向うの真中あたりに来て左右に引き別れると、樽がばらばらになって、中には誰も居ない。それで初めて一番おしまいのゴム人形そっくりに見えたのが、本物のジョージ・クレイだったという事が解るんだそうです", "ははあ。……何ですかそれじゃ貴方は昨日御覧になったのじゃないですか", "ええ……見ませんとも……友達がみんな話していたんです。このジョージ・クレイと今のカルロ・ナイン嬢がこの曲馬団の花形だって……", "アハハハ……成る程成る程", "……それから……その次の馬のダンスも面白いそうです" ], [ "何でも最前から曲馬をやった伊太利や亜米利加の美人や、外にまだ大勢居る座附の女が、全部薄い着物を着た半裸体の姿で、数十頭の裸馬と入れ交って、あの楽屋口から練り出して来て、愉快な音楽に合わせながらダンスを遣るんだそうです", "ハハハ……。それは嘸かし面白いでしょう。毛唐はそんな事を好くものですからナ" ], [ "きちがいだきちがいだ", "摘み出せ――ッ" ], [ "……面白かったな", "うん。あのキチガイみたいなハイカラ紳士と、ハドルスキーの活劇が素敵だった。もう五十銭出してもいい……明日も遣るんなら……", "一円呉れりゃあ俺が遣ってやらあ……", "遣るよ一円ぐらい……", "ダメよ。見物がみんな呉れなくちゃア……", "チエ……慾張ってやがら……", "何だろうな。あの紳士は一体……", "キチガイだよ毛唐の……英語で何だか呶鳴ってたじゃねえか", "最初は日本語だったぜ。待てッ……とか何とか……", "……ウン……しかし何だってあんなに呶鳴り出したんだろう。だし抜けに……", "ジョージ・クレイの居所を知っていたんじゃねえかナ", "……どうしてわかる……", "そいつが三万円の懸賞を見て気が変になったんじゃねえかと思うんだが……ハハン……", "そうかも知れねえ。だから馬が共鳴して暴れ出したんだろう……馬い話だってんで……", "アハハハ……違えねえ", "ワハハハハハハ……", "しかし三万円は大きいじゃねえか。たった一人の小僧っ子に……", "なあに……あれあ広告よ。毛唐はよくあんな事をして人気を呼ぶそうだから……事によると両方狎れ合いでやっているのかも知れねえぜ", "キチガイ紳士も馴れ合いか", "序に馬も馴れ合いにしちまえ", "しかし三万円てえと一寸使えるな。誰か希望者は居ないか", "カルロ・ナイン嬢なら只でも探しに行かあ", "初めやがった好色漢野郎!", "いや真剣に……", "なお悪いや", "一体ジョージの野郎は何だって曲馬団を飛び出したんだろう", "さあ……そいつはわからねえ", "なあに。ちゃんと判っている。給金の事で団長と喧嘩したんだ", "イヨ。名探偵。どうして判った", "芸当がジョージになったからもっと給金をクレイって云ったんだ", "アハハハハ初まった初まった", "ふざけるな", "いやまったく。それで団長が憤ったんだ。そんな金はカルロ・ナインだと", "そこで談判がバードしたんだろう", "ストーンと御免蒙ったってね", "止せ止せ" ], [ "大変だ大変だ", "何だ何だ", "火事か……喧嘩か……", "戦争だ戦争だ。今撃ち合っているんだ。早く来い早く……", "馬鹿にするな", "いや本当だ。早く早く……", "どこだどこだ", "帝国ホテルだ……", "嘘を吐け……担ぐんだろう" ], [ "それはいつ頃だ", "一時間……二時間ぐらい前です", "どんな人間だ……", "……よく……わかりません。俥の幌の中から差し出したんですから……けれども何でも若い女の方のようでした", "何と云った", "エ……?", "そいつが何と云った", "二階の窓のすぐ側の西側の隅っ子の卓子に灰色の外套を着て、腰をかけて居眠りをしている紳士の方に差上げてくれと……", "それだけか", "ハイ……" ], [ "俥の番号は記憶えているか", "よくわかりませんでした", "どっちへ行った", "新橋の方へ……" ], [ "俺が今喰った……その四皿の料理はスープとハムエッグスと黒麺麭と珈琲だったナ……ウイスキー入りの……", "ハイ……貴方が御註文なすったんです" ], [ "よし。この家には電話があるか", "御座います", "数寄屋橋タキシーに電話をかけて早いのを一台大至急でここへ……", "タキシーなら一軒隣りに二台あります" ], [ "この頃はルーム点けないと八釜しいんです。直ぐに赤自動自転車が追っかけて来るんです", "構わない……俺は警視庁と心安いんだ……" ], [ "貴方のお家は大変わかりませんね。私は一時間、この村を……町を歩きました。この村は……町は大変広い町です", "折角お出で下さいましたのに生憎留守でございまして……" ], [ "どう致しまして……。そして……あの……もし……御用でも……ございますなら……何なら……私が……", "はーい。ありがとうございます" ], [ "……先生は……大変お忙しいお方ですね", "はい。いつも外に出歩くか、さもない時には家に居りましても器械をいじったり、書物を調べたりして、むずかしい顔ばかり致しております。時々そんなような勉強に飽きて来ますと、妾を捕まえまして科学とか哲学とか英語のまじったむずかしいお話をしかけますけれども妾にはちっともわかりません。そうしておしまいに……わかったか……と申しますから……わかりません……と答えますと、いつでも淋しそうに笑って……お前にはそんな事は解らない方がいい……と申します" ], [ "ハハハハ。先生は大変に学問の好きなお方ですね。そうして大変に真面目なお方でいらっしゃいますね", "はい。嘘を云う事が一番嫌いでございます。人間は誰でもお金持になれるとは限らない。けれども嘘を云う事と、怠ける事さえしなければ、その人の心だけは、屹度幸福に世を送られるものだと、よく私に申しました" ], [ "貴女は先生がお留守の時淋しくありませんか", "いいえ。ちっとも……" ], [ "先生は本当に豪いお方です", "はい。私は親よりも深く信じて、敬っているのでございます" ], [ "……失礼……御免下さい。私は先生は本当に一人かと思っておりました", "え……" ], [ "……そうですねえ。ほんとうにそうですねえ。それでは、いつでもお二人でこの家にお出でになるのですねえ", "いいえ……あの……一緒には居ないのでございます" ], [ "……はーい……それでは貴女の御両親は……", "わたくしには両親も何もございませぬ。ただ叔父一人を頼りに……致しているのでございます" ], [ "それから済みませんが、ちょっと電話を借して下さいませんでしょうか", "さあどうぞ" ], [ "そのジョージ・クレイという方はもう日本にはおいでになりませぬ", "えっ……" ], [ "貴女はどうしてそれがわかりますか", "……………" ], [ "……それから……今日……貴方はこの手紙で……ジョージ・クレイが命令した通りにしましたか", "ハイ" ], [ "それは何故ですか", "何故でもでございます。二人の間の秘密でございますから" ], [ "……年はいくつですか", "……十九でございます", "ジョージよりも多いですね", "どうだか存じませぬ" ], [ "学校を卒業されましたか", "一昨年女学校を卒業しました", "学校の名前は……", "それも申上げられませぬ。妾の秘密に仕度うございます。校長さんに済みませぬから……", "叔父さんに怖いのでしょう", "怖くはありませぬ。もう存じておる筈ですから……でなくとも、もう直きに解りますから……", "叱られるでしょう", "叱りませぬ。泣いてくれますでしょう", "何故ですか", "あとからお話し致します", "……フム……それでは……学校を卒業してから何をしておられましたか", "絵と音楽のお稽古をしておりました" ], [ "……S・AOYAMA……この絵は貴女の絵ですか", "……いいえ……わたくしの先生……" ], [ "……フム……それで……貴女はいつ、初めてジョージ・クレイに会いましたか", "今から一週間前の朝でございました", "どこで……どうして友達になりましたか", "それも申上げる訳に参りませぬ" ], [ "フム……それではその時にジョージは一人でしたか", "ハイ……ですけどもその時にジョージ様は云われました。私は曲馬団の中で一人の露西亜人と、伊太利人の兄弟との三人に疑われているから、あまり長く会ってはいられない……", "フム……貴女はジョージを見たのはその時に初めてでしたか", "ハイ、いいえ。新聞の広告や何かで、お名前だけは、よく存じておりましたけど……", "……それでは貴女が初めて会った時にジョージの名前を聞いたのですね", "……………" ], [ "フーム……それでは……貴女は名前を知らないでジョージと会ったのですね", "……………" ], [ "そうして仲よくなったのですね", "……………", "わかりました。そうして初めて会ってからどこへ行きましたか", "それも申上げる訳に参りませぬ", "それから後会った処も……", "ハイ……", "……フム……それでは後から尋ねます。……それからジョージは貴女の叔父様……ミスタ・サヤマの事知っておりましたか", "初めは御存じなかったようです。ですけど私が叔父の名前を申しましたら吃驚なさいました", "その時ジョージは何と云いました", "嬢次様は大層喜んで、狭山の名前は亜米利加に居るうちからよく知っている。その中に是非会いたいと云われました", "……違いますねえ……ジョージは初めからその事をよく知っておりました。貴女の叔父様に会いたいために貴女のお友達になったのです。貴女はそのことわかりませぬか", "妾が狭山の姪という事がどうして判りましょう。私が嬢次様にお眼にかかったのは、日本にお着きになってから二日目ではございませぬか", "……ジョージは狐のような知慧を持っております。ジョージは貴女を知っていたに違いありませぬ", "どちらでも妾は構いませぬ", "……フム……フム……フム……それで……それでジョージに会うのに、それから貴女はどうして会いましたか", "ハイ。嬢次様はいつもお手紙で時間と、場所を知らせて下さいましたが、大方朝の間が多うございました", "貴女のお住居は……", "申し上げられませぬ", "何故、叔父様と一緒に居ないのですか", "日本の習慣に背くからでございます", "……フム……フム……" ], [ "……よろしい……それで……この手紙に書いてある事いろいろあります。午後三時までに曲馬を見に来ていて下さい。ジョージ・クレイを虐めた曲馬団に仇討ちをする仕事を手伝って下さい。そのテハ……手始めに、私の大切なものを入れた黒い鞄が曲馬場の中に隠してあるのを取り返して、二人でどこかへ隠れるつもりですから、その用意をして来て下さい。……このこと……私たちの手始めの仕事が都合よく済んだら、叔父様にお話しして、二人の事をお許し願うつもりだから、それまでは叔父様に知らせてはいけませぬ……私たちの仕事がうまく行かないか、又は、叔父様や警察に睨まれて、私たちの仕事を邪魔されるような心配が出来たら、私たち二人で、今夜のうちにも死ななければならぬと思います。その用意もして来て下さい……その外にも、また色々沢山書いてあります。……それで貴女は今日のジョージの仕事皆手伝いましたか", "……いいえ……別に手伝うという程でも御座いませんけど……そのお手紙が私の処に参りましたのは今日のお正午過ぎ二時近くでございました。ちょうど叔父の狭山から留守を頼んで来た手紙と一緒に参りましたから、私は狭山の頼みの方をやめまして、三越に参りまして、四五日前に頼んでおきましたこの着物と着換えまして、曲馬場に参りました。ちょうどコサック馬の演技の最中でございました", "それでは今日ジョージが、私たちの大切な馬に、毒を飲ませたこと……暴れ出させたこと……貴女は知りませんね", "存じております。妾は最初からそれを見ておりました", "えッ。見ておりました?", "嬢次様は私と一緒に見物に来ておられたのでございます" ], [ "……どこに……どんな着物……", "……大学の制服を召して、小さな鬚を生やして、角帽を冠って、私が居りました席の直ぐ前隣りに坐って、そこに居た老人の紳士と馬の話をしておられました。そうして米国の国歌が済むと立ち上って表に出られましたから、私もあとから立って追い付きますと、嬢次様はグルリと曲馬場を廻って、厩の処へ行って、亜鉛の壁を飛び越して中に這入って、馬の顔を撫でながら錠剤にした薬をお遣りになりました。そうして今から二十分ばかりすると馬が暴れ出すから、それまで楽屋の入口に近い土間に行って見ていようと仰有って、もう一度二人分のお金を払って曲馬場に這入られました。その時が三時十分きっかりでございました", "貴女はそれが人を殺すためであった事を知っておりましたか", "いいえ。嬢次様は御自分を殺しても、決して人を殺さないと云われました", "その証拠がありません", "ございます。立派にございます。その証拠には、大馬と小犬のお芝居が済みます少し前になりますと、嬢次様は心配そうな顔をなすって、妾にちょっと待っているように仰有って出て行かれましたが間もなく帰って来られまして……これで安心だ。この次の馬の舞踏に使う女の衣裳や靴を、楽屋のうしろから這入って、ちょっと人に解らぬ処に隠しておいたから、それを探しているうちには時が経ってしまうだろう……しかし何故こんなに早く演技を済ましたのだろう。自分が居ない事は最早わかっている筈だから、その埋め合わせに二十分で済む芸当は三十分にも五十分にも延ばす筈だのに、この塩梅では大馬と小犬の芝居は二十分かからないかも知れない……と云っておられました。人を殺すおつもりならばそんな事を云ったりしたりなさる筈でございませぬ", "いいえ。貴女は違います。ジョージは馬の舞踏会で馬を暴れ出させて、大勢の女を殺して、私を非道い眼に会わせようとしたのです", "……まあ……何故嬢次様は貴方にそんな非道い事をなさるのでしょう。貴方はそのように嬢次様ばかりをお疑いになるのでしょう。貴方はそんなにまで嬢次様に怨まれるような事をなすったのですか" ], [ "……御存じでなければお話致しましょう……。嬢次様のお話に依りますと、初め道化役者が幕を出て行きます前に、演技の時間は何分ぐらいにしたら宜しいのですかと云ってハドルスキーさんに聞きましたら、ハドルスキーさんはフィフティ(五十分)と云って指を五本出されました。それを道化役者の支那人はフィフティン(十五分)と勘違いをして、一生懸命に時間を急いで済ましたのだそうです。支那人もハドルスキーさんも大変怒って、支那語と露西亜語で云い合っているのだと云って嬢次様が笑っておられました。こんな間違いが、どうして初めから嬢次様にわかりましょう。嬢次様は馬が厩の中に繋がれたまま暴れ出すように仕組んでおられましたので、決して人を殺すためではございませぬ", "しかし、それは泥棒をするためでした" ], [ "それから貴女はジョージが楽屋へ這入るのを見ましたか", "はい。見ておりました。ちょうどその時に貴方は楽屋の外から這入って来られまして、ハドルスキーさんに後の事を頼んで、カルロ・ナイン嬢に挨拶の言葉を教えて……自分はこれから警視庁に行くから嬢次の写真を四五枚持って来い。今まで帰らなければ仕方がない……と云われました。それでハドルスキーさんは直ぐに探しに行かれましたが間もなく出て来て……駄目だ錠前が三つも掛かっている上に、その機械が三つとも壊れている……と云われました。それで今度は貴方が御自分でお出でになりましたけれども、やはり錠前が開きませんで、写真がお手に入りませんでしたので、そのまま警視庁へお出かけになりました", "あの錠前はジョージが壊したのです", "それは、お言葉の通りでございます。嬢次様は曲馬団を出がけに、持って行く隙がおありになりませんでしたので、ただ、あなた方の合鍵で明けられないように、錠前だけ壊して行かれたのです" ], [ "……ジョージはいつ楽屋へ這入りましたか", "カルロ・ナイン嬢が挨拶を済ましますと直ぐに、正面の特等席で、恐ろしい叫び声が聞えて、一人の紳士が曲馬場の中央に駈け出して来ましたが、どうした訳か狂人のようになっておりました。それを楽屋から見付けたハドルスキーさんが駈け出して行って抱き止めますと間もなく又、曲馬場の外で、馬の嘶き声と板を蹴る音が聞えましたから、楽屋の人は皆駈けつけました。女の人も皆、楽屋から出て来て見ておりましたが、その中に一匹の黒い馬が厩から飛び出して、跳ね狂いながら楽屋の方へ来ましたから、女の人たちは驚いて、泣き叫びながら曲馬場の方へ逃げて参りました。それと一緒に見物の人達が大勢、見物席から駈け出して参りましたので、その騒ぎに紛れて嬢次様は、楽屋に這入って行かれました", "鞄の錠前は壊れていたでしょう", "壊れた錠前を開ける位のことは嬢次様にとって何でもないのでございましょう", "どうしてわかりますか", "でも直ぐに黒い鞄を取って来られましたもの……", "貴女はその中のもの知っておりますか", "はい。存じております。中には絵葉書が一杯入っておりました。嬢次様はそれを妾にお見せになりまして……この絵葉書は、亜米利加の市俄古で見物に売った残りだ。私はこれを座長のバード・ストーンさんに貰ったのだ。これさえ隠しておけば、ほかに私の写真は一枚もないのだから、警察へ頼んでも私を探すことは出来ない……と云われました", "……悪魔……" ], [ "ジョージはどうしましたか……それから……", "はい。二人で曲馬場を出ますと嬢次様は、表に立って絵看板を見ていた夕刊売りから夕刊を二三枚買って、一面の政治欄を見ておられましたが……", "政治欄……政治の事が書いてあるのですね", "そうでございます", "どんな記事を読んでおりましたか", "……さあ……それは妾には、よくわかりませんでしたけど……どの夕刊の一面にも……日仏協商行き悩み……と大きな活字で出ておりまして、英吉利と亜米利加が邪魔をするために日本と仏蘭西の秘密条約が出来なくなったらしいと書いてありました", "……ジョージはそこを読んでおりましたね", "……それからその中の一枚に……極東露西亜帝国……セミヨノフとホルワットが露西亜の皇族を戴いて……という記事と……張作霖が排日を計画……という記事がありましたのを嬢次様は一生懸命に読んでおられました", "曲馬団の前で?", "いいえ。ずっと離れた馬場先の柳の木の蔭で読まれました", "……フ――ム……それからどうしました", "嬢次様は、そんな記事を見てしまわれますと、深い溜息を一つされました。そうして……これはなかなか骨が折れるぞ……と云われましたが、その時にふっと曲馬場の入口の方を見られますと、急いで妾の手を取って、近くに置いてあった屋台店の蔭に隠れられました", "それは何故ですか", "ちょうどその時、はるか向うの曲馬団の改札口から出て来た一人の紳士がありました。その紳士は四十ばかりに見える髪の黒い、鬚のない、灰色の外套を着て、カンガルーのエナメル靴を穿いた方で、最前キチガイのように騒いで、ハドルスキーさんに抱き止められた人でしたが、嬢次様はその人を指さして、あの紳士が叔父様の狭山九郎太氏と教えられました", "えっ" ], [ "……叔父様……ミスタ・サヤマ……どうして来ておりましたか", "はい。私も初めは吃驚致しました。あんまり変りようが非道うございましたから……ですけど嬢次様は初めから、そうらしいと気が付かれましたので、わざと怪しまれないように近い処に坐っておられたのだそうでございますが、そのうちに叔父が叫び声をあげて席を飛び出しましたので、いよいよそうに違いない事が、嬢次様にお解りになったそうでございます", "どうして……", "叔父は、妾共のする事をいつの間にか残らず察しておりまして、次の馬の舞踏会の最中に騒ぎが初まりそうなのを心配して、あんなに狼狽たのに違いございませぬ。……でも叔父でなければどうしてそんな事まで看破りましょう。……叔父がいつもこうして妾を見張っていてくれる事がわかりますと、妾は有り難いやら、恐ろしいやら致しました", "ジョージは叔父様に会おうとしませんでしたか", "いいえ。その時に嬢次様は云われました。……最早仕方がない。叔父様は何もかも知っておられる。そうして叔父様は自分が曲馬団を非道い眼に会わせようとしたものだと思っておられるに違いない。けれどもその云い訳をする隙がもうないのだ。自分は誰に疑われてもちっとも怖いとは思わない。ただ狭山さんに白眼まれたら手も足も出ないようにされてしまう。こうなったからには最後の手段を執るよりほかに仕方がない……と……", "最後の手段とは……", "死ぬのを覚悟して仕事をする意味でございます", "その仕事は何ですか", "これから申します", "お話しなさい", "嬢次様は鞄の中から、貴方と、カルロ・ナイン嬢と、御自分と三人一緒に撮った写真の絵葉書を五枚ほど出して、羅馬字でお手紙を書かれました", "その手紙は貴女見ましたか", "はい。叔父に四時間ばかり……九時頃までこの家に帰って来ないように頼んでありました", "叔父様は、そんな事を本当にすると思いますか", "はい。叔父は頭がどうかならない限り嬢次様のお言葉を本当にしてくれるだろうと思います", "……どうしてそんな事わかりますか", "今日曲馬場で、嬢次様の行方を探すために懸賞の広告が出ました。あれは貴方がお出させになったのでございましょう", "そうです。わたくしです", "その中に嬢次様のお写真の事は一つも書いてございませんでした", "その代りに、表の絵看板を見るように描いておきました", "本当の嬢次様が、あの絵看板の長い顔に肖ておられると、誰が思いましょう。貴方は嬢次様の写真を一枚もお持ちにならなかったと思うよりほかに仕方がございますまい。実際嬢次様は、曲馬団をお逃げになる前から、御自分の写真を一枚も残らず集めて、あの絵葉書と一緒に黒い鞄の中に人知れず隠して、アムステルダムの秘密錠をかけておかれました。貴方は、それをお察しになりまして、嬢次様が逃げ出す準備をしておらるる事をお覚りになりましたから、とりあえず鞄ごと、曲馬場の荷物の中に取り隠しておいでになったのです。ですから今となってはあの絵葉書の一枚は貴方にとって千円にも万円にも代えられない大切なものでございましょう。警察にお渡しになる嬢次様の人相書のたった一つの材料でございましょう。嬢次様をお捕えになるたった一つの手がかりでございましょう。貴方が警視庁で志免様にお会いになりました時にも、志免様から写真のお話が出て、大層お困りになった事でございましょう", "……………", "そのような詳しい事は存じませずとも、叔父は嬢次様のお写真が、貴方のお手に一枚もない事を最早とっくに察している筈でございます。その大切な絵葉書を五枚も叔父の手に渡すという事は嬢次様にとっては生命を渡すのと同様でございます。それ位の事がわからなくて、どうして警視庁の捜査課長が勤まりましょう。又、これ程までにして頼まれました事を否と云うような無慈悲な叔父でない事は妾もよく存じておるのでございます" ], [ "それからその手紙を、どうしてミスタ・クロダ・サヤマに渡しましたか", "叔父はそれから曲馬場をまわって、東京駅ホテルの前に行って、二階の窓の一つを見ながら突立っておりました", "……それは何故ですか", "何故だか解りませぬ", "何分位居りましたか", "五分ばかり", "そしてどこへ行きましたか", "それから駅前の自動車の間をゆっくりゆっくり歩いて、高架線のガードの横を東京府庁の前に出まして、鍛冶橋を渡って、電車の線路伝いに弥左衛門町に這入って、カフェー・ユートピアの前に立って、赤い煉瓦の敷石を長いこと見つめておりました", "それは何故ですか", "何故でございましたか……何だかふらふら致しておるようでございましたが、そのうちに二階に上って行きましたから、妾共二人もあとから上って参りました", "えっ……二人で……", "はい……", "見付かりませんでしたか", "いいえ。叔父は西側の窓に近い卓子の前に坐って何かしら眼を閉じて考え込んでいるようでしたから、妾たちはその隣の室の衝立ての蔭に坐って様子を見ておりますと叔父も何かしら二皿か三皿誂えて、妾たちの居ります室のストーブのマントルピースの上をじっと凝視ておりました", "その時にも見付けられませんでしたか", "何か考え事に夢中になっている様子で、室の中に誰が居るか気が付かぬ風付きでございました。そうしてぼんやりとした当てなし眼をしながらぶつぶつ独言を云っておりました", "どんな事を……", "どんな事だか聞き取れませんでした。けれども間もなく大きな声で……ジョージ・クレイ待てっ……と申しましたので吃驚致しまして、二人とも衝立の蔭に小さくなりましたが、そのうちに気が付いて衝立の彫刻の穴からそっと覗いて見ますと、叔父はいつの間にか食事を済まして、うとうと居ねむりをしておりました。そうして間もなく……聖書……燐寸燐寸……ムニャムニャムニャ……と云って首をコックリと前に垂らしました。見ていたボーイが皆笑いました", "その時に新聞を渡しましたか", "いいえ。わたくし達は叔父が睡りこけたのを見澄まして表へ出ますと、ちょうど通り蒐った相乗俥がありましたからそれに乗って幌をすっかり下して、その中から二階のボーイさんを呼び出してもらって、今から十分ほど経ったら二階の窓際に睡っているこんな姿の紳士に渡して下さいと頼みました", "それからこちらへ帰って来たのですね", "いいえ。それから色々と買物を致しました", "お話しなさい", "それから、わたくし達の相乗俥がほんの一二間ばかり新橋の方へ駈け出しますと、間もなく左側に貸自動車屋を見付けましたので、大喜びで俥を降りて車夫に一円遣りまして、そこの新しいフォードに乗りかえて日本橋の尾張屋という壁紙屋へ行って壁紙と糊を買いまして、三越へ行って絨毯や、電燈の笠や、椅子のカヴァーや時計を求めて食事を致しました。それから伝馬町の岩代屋という医療器械屋へ行って標本の骸骨を買いますと、そのまま真直ぐに自動車でこの家まで参りましたが、道が入り組んでおります上に狭いので大層時間がかかりました。それでも大急ぎで仕事を致しましたので、一時間半ばかりのうちに、やっとこの室を飾り付けてしまいました", "えっ……この室を……", "……はい……" ], [ "……それでは……この家はミスタ・サヤマの家ではないのですか", "……いいえ。叔父の家に間違いございませぬ", "……ふむ。それでは……" ], [ "ジョージ・クレイはどこに居るのですか", "今しがたお答え致しました", "え……何と云いました", "お忘れになりましたか。嬢次はお母様と一緒に天国に……", "アッハッハッハッハッハッハッハッハッ……" ], [ "わたくし……欺されているのでございましょうか", "ハ――イ" ], [ "あなたは、欺されていること、わかりませんか", "はい……" ], [ "あなたはジョージのお母さんの名前を知っておりますか", "はい。嬢次様から承わりました。志村のぶ子様とおっしゃるのでしょう", "は――い。その志村のぶ子の所に行くとジョージは云いましたか", "はい。そう仰言って貴方がお出でになる二十分ばかり前に、此家をお出かけになりました" ], [ "ジョージはシムラ・ノブコの処へ行く事は出来ませぬ", "何故でございましょう" ], [ "シムラ・ノブコは二年前に天国に行っております", "そのようなこと……どうして御存じなのですか" ], [ "二年前の日本の新聞に出ております。運転手に欺されて、海に連れて行かれたと書いてあります", "けれども、お亡くなりになったとは書いてございますまい", "……ははは……あなたその新聞見ましたか", "はい……", "けれども貴女は今……クレイ・ジョージが志村のぶ子と一緒に天国へ行くと……", "はい……。これから行かれるのでございます", "それではシムラ・ノブコは生きているのですね", "はい", "どこに……", "あなたの曲馬団の中に……", "ヒホ――オオ……", "私は嬢次様に紹介して頂きました", "……フホ――オオ……" ], [ "……ホオオオ……それは……ミセス・シムラは何という名前になっておりますか", "……アスタ・セガンチニ……一番初めのプログラムに出ておいでになります。地図を読む馬の先生……", "アッハッハッハッハッハッハッハッ……ワッハッハッハッハッハッハッ" ], [ "……ホ――オ……しかし……お嬢さん……。あのシムラ・ノブコは髪の毛が赤くて縮れていたでしょ。ははは……", "あれは嬢次様がお母さまにお教えになったのでございます。日本人の髪は毎日オキシフルで洗っておりますとあのように赤黄色くなるそうでございます。眉毛も睫毛も……", "ははは……。しかしあんなに高い鼻があったでしょう", "隆鼻術をされたのでございます。よく似合っておられます", "……なるほど……それでもあの頬の骨の形は日本人と違いますでしょ", "口の内側からお削りになったのだそうです", "……あはははあ……痛かったでしょう。……それではあんなに色が白いのは牛乳のように……", "仏蘭西の砒素鉄剤を召していらっしゃるのです", "ヒソテツ?", "色の白くなるお薬です", "あはは……あのお洒落婆さん……あはは……あなたは本当に欺されていらっしゃいます", "欺されてはおりません", "……あはは……欺されておられるのです", "嬢次様は人を欺すような方ではございません", "OH……NO・NO・NO……貴女よくお聞きなさい……ジョージは貴女を棄てて行ったのです。ほかに女の人が居るのです" ], [ "そうでございません。嬢次様も、お母様も、今日になって急に自殺されなければならぬような大変な事が出来たのです。それで後の事を私にお頼みになって、死に場所を探しにお出でになったのです", "その大変な事どんな事です", "志村ノブ子様は日本に居られました時に、叔父に捕まえられなければならぬような悪い事を、知らないでなすったそうでございます。その云い訳が出来なくなりましたので米国へ逃げてお帰りになったのです……ですから今でも叔父に見付かったら大変な眼にお会いになるのです", "ミスタ・サヤマが正しいのです", "それから嬢次様も、あなたの曲馬団に悪い事をされたのでございますから叔父に捕まえられてはいけないのです。それから、わたくしも叔父に隠し事をしているのでございますから、私たちが死んで申訳を致しませぬ限り叔父は決して許しますまい", "ミスタ・サヤマはいつも正しいのです", "それに叔父が今日曲馬団に来ておりまして、あのように妾たちの仕事を察して、粗相のないように保護しているのを見ますと、叔父はもう、とっくに何もかも見破って、わたくし達三人を一緒に捕まえようとしているのに違いないのでございます", "ミスタ・サヤマはもう二人を捕まえているでしょう", "……そうかも知れませぬ。けれどもその前にお二人は自殺していられるでしょう", "何故ですか", "叔父の狭山が二人を捕まえましたならば、とりあえず貴方の手に引渡すでしょう", "……それが正しいのです", "そうしたらお二人は、貴方のトランクの中に在る、鉛の球を繋いだ皮革の鞭で打ち殺されてしまわれるでしょう", "……そ……そんな……あははは……それはみんな嬢次の作り事です。貴女を欺して、ここに棄てて行くために嘘を云ったのです", "……………" ], [ "……ははは……わかりましたか。欺されている事……", "……………", "ジョージはマダム・セガンチニと夫婦になるために逃げたのです。……あははは……帰って調べて見ればわかります。それに違いありませぬ", "……………", "……あははは……何もかもノンセンスです。……わかりますか……ノンセンス……欺されている事……" ], [ "……欺されても構いませぬ。嬢次様のおためなら……", "……そ……そんな……ノンセンス……" ], [ "……貴女は大変な損をします……貴女はたった一人ここに居りますか……たった一人約束守って……", "……守ります……死ぬまで守ります" ], [ "……お嬢様……私はもう帰らなければなりません。けれどもまだ一つ、貴女にお尋ねしたい事があります", "はい。何なりと……" ], [ "ジョージ……さんは貴女に、この室を飾るわけを話しませんでしたでしょか", "はい。申しました", "何のためにですか", "嬢次様は今日の夕方にきっと貴方がここへお出でになるに違いないと云われました" ], [ "……ですけども夕方から横浜からお出でになるのですから六時か七時頃になるでしょう。ですから九時まで四時間の時間を取っておけば大丈夫と嬢次様は云われました", "その四時間は何をなさるためです", "貴方を欺すためです", "え……何ですか……", "貴方をお欺し申すのでございます。妾はこうして米国暗黒公使、J・I・Cの団長ウルスター・ゴンクール氏をお欺し申しました" ], [ "名を云え", "……………" ], [ "……ア……ア……ナタ……ノ……ナマ……エハ……", "ホホホホホホ。妾の名前でございますか。貴方はよく御存じでございましょう。ジョージ・クレイでございます", "……………", "貴方は最前仰有ったでございましょう。わたくしは嬢次様に乗り移られていると……その通りでございます。わたくしは姿こそ女でございますが、心は呉井嬢次でございます。いいえ。身も心も嬢次様のものでございます。わたくしの名は呉井嬢次と思召して差支ございませぬ。……お尋ねになる事は、それだけでございますか", "……………" ], [ "これは米国の参謀本部で作った日本地図の青写真の写しです。秘密の石油タンクのあり家を予想して赤丸を附けてあるのです", "ホー。どうしてそんなものがお手に入りましたか" ], [ "しかしその写されたあとの青写真は……", "又もとの通りに畳んで、化粧箱の中へ返しておきました。けれどもその後船の中でもう一度、もっとハッキリ写そうと思って探した時には、もうどこにもなかったようです。きっと団長が地図を諳記してしまって焼き棄てたのだろうと思うんですが……ですから僕はその地図をとても大切にして、誰にも話さずに鞄の二重底に隠して、その上から絵葉書を詰めて誤魔化しておいたんです。……けれども万一、あの曲馬団がやられる時に、どさくさに紛れて外の人間の手に渡って反古にされるような事があったら大変と気が付きますと、何でも自分の手に奪い取っておきさえすれば安心と思いましたから、直ぐ狭山さんにお手伝いをお願いして取りに行ったのです。……僕が曲馬団を飛び出す時に、その地図の事を忘れていたのが悪かったんです。御免なさい" ], [ "……わっはっはっはっ。流石の課長殿も一杯喰いましたね。はっはっ。しかし今度の事件は全く意外な事ばかりだったのです。第一ハドルスキーが樫尾大尉という事は、僕ばかりでなく、松平局長も二三日前まで知らなかったそうですからね。一方に、あの曲馬団をあれ程に保証した××大使が今になって急に、あんなものは知らないとあっさり突き離すだろうとは樫尾大尉も思わなかったそうです。……僕等は又僕等で、あの曲馬団で無頼漢どもが、日本の警察を紐育や市俄古あたりの腰抜け警察と間違えるような低級な連中ばかりだろうとは夢にも思いませんでしたからね。新聞記者を連れて行けば、こっちの公明正大さが大抵わかる筈と思ったんですが……何もかも案外ずくめでおしまいになっちまいましたよ。はっはっはっ", "おかげ様で本望を遂げまして……" ], [ "……縛って……下さい。僕は……人を殺しました", "あはははははは" ], [ "いや……心配しなくてよろしい……君は無罪だ", "えっ……" ] ]
底本:「夢野久作全集7」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年2月24日第1刷発行 初出:「新作探偵小説全集 全九巻」    1933(昭和8)年1月15日 ※表題は底本では、「暗黒公使《ダーク・ミニスター》」となっています。 入力:柴田卓治 校正:かとうかおり 2000年12月27日公開 2012年10月5日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "ヤイ達磨の意気地なし。貴様は鬚なんぞ生やして威張っていても、手も足も出ないじゃないか。俺なんぞ見ろ。こんなに沢山イボイボの付いた手を八つも持っているんだぞ", "そんな無茶を言うものでない。お前も坊主なら乃公も坊主だ。坊主同士だから仲よくしようじゃないか", "おれが貴様みたような奴と、手も足もないヌッペラボーと仲よくするものか。喧嘩すりゃあ負けるものだから、そんな弱い事を言うのだろう。態を見ろ、弱虫奴" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「九州日報」    1922(大正11)年11月20日 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「海若藍平」です。 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "アイツは愉快な奴だ。故人はアンナ調子の人間が一番好きだったからね。あの気軽く焼香に来てくれた心意気が嬉しいじゃないか", "一層の事、告別式をどこかの野ッ原に持出して、野人葬とすればよかったかも知れないね。野辺送りという位だから……ハハハ" ] ]
底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年12月3日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:小林徹 2001年12月5日公開 2006年3月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002141", "作品名": "父杉山茂丸を語る", "作品名読み": "ちちすぎやましげまるをかたる", "ソート用読み": "ちちすきやましけまるをかたる", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2001-12-05T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2141.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集11", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年12月3日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "小林徹", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2141_ruby_21926.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-03-03T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2141_21927.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-03-03T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "……マアマア。そんげなトコロじゃ。どうじゃい小僧。ワシは軽業の親分じゃが、ワシの相手になって軽業がやれるケエ", "軽業でも、手品でも、カッポレでも都踊りでも何でもやるよ。しかしオジサン。力ずくでワテエに勝てるけえ", "アハハハ。小癪なヤマカン吐きおるな。木乃伊の鉄五郎を知らんかえ", "知らんがな。どこの人かいな", "この俺の事じゃがな", "ああ。オジサンの事かい", "ソレ見い。知っとるじゃろ。なあ", "知らんてや。他人のような気もせんケンド……ワテエは強いで。砂俵の一俵ぐらい口で啣えて行くで……", "ホオー。大きな事を云うな。その味噌ッ歯で二十貫もある品物が持てるものかえ", "嘘やないで。その上に両手に一俵ずつ持ってんのやで……", "プッ……小僧……酒に酔うてケツカルな", "ワテエ。酒に酔うた事ないてや", "そんならこの腕に喰付いてみんかい" ], [ "啖付いても大事ないかえ", "歯が立ったなら鰻を今一パイ喰わせる……アイタタタ……待て……待てチウタラ……" ], [ "……鰻を、ま一丁持って来い。それからお燗も、ま一本……恐ろしい歯を持っとるのう。ええそれから……そこで給金の註文は無いかや……", "無いよオジサン。毎日鰻を喰べて、女郎買いに行かしてもらいたいだけや" ], [ "何でチウ事もあらへんけんど……アレ位のこと……アンマリ見易うて見物に受けよらんけに、止めとうなったんや", "馬鹿奴え。何を吐きくさる。ワレのような小僧に何がわかるか。あの逆立ちは芸当の小手調べチウて、芝居で云うたらアヤツリ三番叟や。軽業の礼式みたようなもんやけに、ほかの芸当は止めてもアレだけは止める事はならん。それともこの禿頭が気に入らん云うのか" ], [ "……ナ……何をするのけえ", "何をするとは何デエ。手前が親方を殺しやがったんだろう", "親方の頭のテッペンから血がニジンでいるぞ", "あしこから小さな毒針を舌の先で刺しやがったんだろう。最前殴り倒おされた怨みに……", "ソ……そんな事ねえ……", "嘘吐け。俺あ見てたんだぞ……" ], [ "……ヨシ……文句云わん。タタキ殺してくんな。……その代り親方と一所に埋めてくんな", "……ウム。そんなら慥かに貴様が親方を殺したんだな", "インニャ。殺したオボエは無い", "この野郎。まだ強情張るか……" ], [ "警察へ渡す前に親方のカタキを取るんだ。覚悟しろ……", "何をッ" ], [ "吸わんかね……君……", "呉れるんですか", "うん。君は好きだろう。歯が黒い" ], [ "まあ御用を承ってからにしましょう", "アハハ。恐ろしく固苦しいんだね君は……ほかでもないがね。実は今まで僕の処に出入りしていた実験用の犬屋君が死んじゃったんだ。腸チブスか何かでね。おかげで実験が出来なくなって困っているのは僕一人じゃないらしいんだ。本職の犬殺し君に頼んでもいいんだが、生かして持って来るのが面倒臭いもんだから高価い事を吹っかけられて閉口しているんだ。君一つ引受けてくれないか。往来から拾って来るんだから訳はないよ。一匹一円平均には当るだろう。猫でもいいんだが……", "つまり犬殺しの反対の犬生かし業ですね", "まあ……そういったようなもんだが立派な仕事だよ。往来の廃物を利用して新興日本の医学研究を助けるんだからね。君が遣ってくれないと困るのはこの大学ばかりじゃないんだ。向うの山の中に在る明治医学校でも実験用の動物を分けてくれ分けてくれってウルサク頼んで来ているんだからね。大した国益事業だよ" ], [ "やってみてもいいですが、資本が要りますなあ", "フウン……資本なんか要らん筈だがなあ", "要りますとも……犬に信用されるような身姿を作らなくちゃ……", "アハハ、成る程……どんな身姿かね", "二重マントが一つあればいいです。それに山高帽と、靴と……", "恰度いい。ここに僕の古いのがある。コイツを遣ろう" ], [ "洋傘は要らんかね", "モウ結構です。先生のお名前は何と仰言るのですか", "僕かね。僕は鬼目という者だ。この法医学部を受持っている貧乏学者だがね" ], [ "学界のためだ。シッカリ奮闘してくれ給え。君を見込んで頼むんだ", "しかし……しかし……", "しかし何だい。まだ欲しいものがあるかい", "イヤ、先生はドウして僕が、この仕事に適している事をお認めになったんですか", "アハハ、その事かい。それあ別に理由は無いよ。君の過去を知ってるからね", "エッ、僕の過去を……", "僕は度々君の軽業を見た事があるんだよ。君がドコまで不死身なのか見届けてやろうと思ってね。毎日毎日オペラグラスを持って見に行ったもんだよ。だから君があの木乃伊親爺を殺したホントの経緯だって知っているんだよ。あの未亡人を爆発させた火薬と、バルチック艦隊を撃沈した火薬が、同しものだってことも察しているんだよ。ハハハ" ], [ "ワア……テンカンだテンカンだ……", "そうじゃねえ、行倒れだ", "何だ何だ。乞食かい……", "ウン。乞食が貴婦人を診察しているんだ", "……ダ……大丈夫ですか" ], [ "どうしたんだ。ヘタバッたのかい", "ナアニ。鼻が千切れたんだよ。キット……俺あ見てたんだが", "ベリベリッと音がしたじゃねえか。助からねえよ。急所だから……トテモ……" ], [ "……エヘン……これは大丈夫助かります。大急ぎで手当をすればね。脳貧血と、脳震盪が同時に来ているだけなんですから……", "何かね。君は医師かね" ], [ "そうです。大学の基礎医学で仕事をしている者です。天狗猿……イヤ。鬼目教授に聞いて御覧になればわかるです。……そんな事よりも早くこの女の手当をした方がいいでしょう。今、処方を書いて上げますから……誰か紙と鉛筆を持っておらんかね", "ハ。……コ……ここに……" ], [ "先生。これあ今の紙じゃないですか", "ウン吾輩が書いてやった処方だ。運転手が逃げがけに棄てて行ったものらしいな。交通巡査は流石に眼が早い", "だって先生。名刺の挟まったノートを落して行ったんじゃ何にもならないでしょう" ], [ "ウーム。豪いぞ小僧。今に名探偵になれるぞ", "……そ……そんなんじゃありません", "そんなら済まんがお前、その薬を買って来てくれんか。そこに落ちているこの奥さんのバッグに銭が這入っているだろう", "だって……だって。そんな事していいんですか", "構わないとも。早く買って来い。奥さんが死んじゃうぞ" ], [ "ちょっと待って下さい。何と読むんですか。この最初の字は……", "うん。それはトンプクと読むんだ", "トンプク……ああわかった。頓服か……ええと……メートル酒十銭……", "馬鹿。メントール酒と読むんだ。早く行かんか", "待って下さい。薬屋で間違うといけねえから、その次は?", "ナカナカ重役の仕込みがいいな貴様は……チャッカリしている。それは硼酸軟膏と万創膏と脱脂綿だ。薬屋に持って行けばわかる。早く行け、この奥さんの鼻の頭に附けるんだ", "オヤオヤア。いけねえいけねえ。これあ駄目ですよ先生……", "何が駄目だ", "チャアチャア。このバッグの中には銭なんか一文も無えや。若い男の写真ばっかりだ。ウワア……変な写真が在ライ" ], [ "ナアンダイ。聞いてやがったのか", "向うの店で又引っくり返りゃしねえか", "行って見て来いよ。小僧。引っくり返えってたらモウ一度バッグを開けてやれよ。中味をフン奪くって来るんだ。ナア小僧……", "なあんでえ。買わねえ薬が利いチャッタイ" ], [ "何だ……吾輩に用があるのか", "……エ……あの。ちょっとお願いしたい事が御座いますの" ], [ "ええ……そうなんですの", "ほオ――オ。お前が動物実験をやるチウのか", "……アラ……そうじゃないんですの……", "ふむ。どんな犬が欲しい", "それが……あの。たった一匹欲しい犬があるんですの", "ふむ。どんな種類の……", "フォックス・テリヤなんですの。世界中に一匹しか居ない", "ウワア。むずかしい註文じゃないか", "ええ。ですからお願いするんですの", "ふうん。どういうわけで、そんなむずかしい仕事を吾輩に……", "それにはあの……ちょっとコミ入った事情がありますの。ちょっとコチラへお這入りになって……" ], [ "失礼じゃがマントは脱がんぞ。下は裸一貫じゃから", "ええ。どうぞ……" ], [ "……わたくし……父が御承知の通りの身の上で御座いまして……わたくし迄も世間から見棄てられておりまして……お縋りして御相談相手になって下さるお方が一人も御座いませんの", "フムフム……尤もじゃ", "みんな世間の誤解だから、心配する事はないと、父は申しておりますけど……" ], [ "いったいお前の父親は、ほんとうに市会議事堂のコンクリートを噛ったんか", "いいえ。断然そんな事、御座いません。この家を建てた請負師の人が、偶然にかどうか存じませんが、市会議事堂を建てた人と同じ人だったもんですから、そんな誤解が起ったんです。ですから妾、口惜しくって……", "成る程。そんならお前の父親が、この家の建築費用をチャント請負師に払うた証拠があるんかね", "ええ。御座いましたの。そのほかこの応接間の品物なんかを買い集めた支払いの受取証なぞを、みんな母が身に着けて持っていたので御座いますが、それがどこかで盗まれてしまいまして、その受取証や何かがみんな反対党の人達の手に渡ったらしいんですの。ですから反対党の人達は大喜びで、そんな受取証を握り潰しておいて、父がそんなものを賄賂に貰ったように検事局に投書したらしゅう御座いますの。ですから検事局でも、その受取証を出せ出せって責められたそうですけど、父はその事に就いて一言も返事をしなかったもんですから、とうとう罪に落ちてしまいました", "成る程、わかった。堕落した政党屋の遣りそうな事だ", "父は、それですから、母にその証文を入れたバッグを出せ出せって申しますけども、どうしても母が出さなかったので御座います", "成る程。それは又おかしいな", "ええ。でもおしまいには、とうとう母が白状致しましたわ。亡くなります二三日前の晩に、すこし気が落ち附きますと、それまで肌を離さずに持っていたバッグを父に渡しました。けれども中味は空っぽで御座いました。その時から一週間ばかり前にどこかで自動車に突飛ばされて倒れた拍子に、そのバッグの中味を誰かに見られて奪られてしまったらしいんですって……その人が反対党の手先か何かだったに違いないって母は申しておりましたが……ほんとに申訳ない、口惜しい口惜しいって申しておりましたが……" ], [ "そこでアンタはそのお父さんに対する世間の誤解を晴らそうと思うているわけじゃね", "そうなんですの……駄目でしょうかしら……" ], [ "さあ。ちょっとむずかしいなあ。世間の誤解という奴は犬のダニみたいなものじゃから……", "まあ……犬のダニ……", "そうじゃ。犬のダニみたいに、勝手に無精生殖をしてグングン拡がって行くもんじゃからね。皮膚の下に喰込んで行くのじゃから一々針で掘った位じゃ間に合わんよ。ウッカリ手を出すとこっちの手にダニがたかって来る", "まったくですわねえ", "ジャガ芋の茹で汁で洗うと一ペンに落ちるもんじゃが", "まあ。ジャガ芋をどう致しますの", "アハハ。それは犬のダニの話じゃ。鉄筋コンクリートなんぞに喰い込んだダニなんちいうものはナカナカ頑強で落ちるもんじゃない。七十五日ぐらいジッと辛抱しているとダニの方がクタビレて落ちてしまう事もあるが……", "それがその七十五日なんか待ち切れないので御座いますの。その中でも或るタッタ一人の方の誤解だけは是非とも解いてしまいませんと、わたくしの立場が無くなるんですの。……でも……それがタッタ一匹の犬から起った事なのですから……スッ……スッ……" ], [ "ハハア。面白いワケじゃな……一匹の犬に関係している。タッタ一人の誤解が……", "そうなんですの……そのタッタ一人の方に誤解される位なら妾死んだ方がいいわ……スッ……スッ……", "ちょっと待ってくれい。もうすこし落付いてユックリ事情を話してみなさい" ], [ "フーン。で、その犬がアンタの手に帰ったらアンタはどうするつもりかね。参考のために聞いておきたいのじゃが", "だって、そうじゃ御座いません? その犬が居ないと歌夫さんに、直ぐ来て下さいってお手紙が上げられないじゃ御座いませんか。いつでも速達を上げると直ぐに飛んで来て下すったんですからね。そうしてお出でになると直ぐに犬の事をお尋ねになるんですからね" ], [ "イヤ。わかったわかった。よくわかった。なかなか困難な註文のようじゃが、やってみるかな一ツ……", "あら……どうぞお願いしますわ" ], [ "……しかし……もう一つお尋ねしておきたいことがあるがな", "ハイ。何なりと……", "そのアンタの母さんが自動車でお怪我をしなさった時の模様が、聞いておきたいのじゃが", "それが、よくわからないので御座います。母はただ口惜しい口惜しいと申しましてキチガイのように泣いてばかりおりまして……母は元来、非道いヒステリーで御座いまして、お医者様から外出を停められていたので御座いますが、ちょうど一月ばかり前のこと、あんまり屋内にばかり引っ込んでいてはいけないからと申しまして、セパードを連れて散歩に出かけますと間もなく、顔のマン中へ脱脂綿と油紙を山のように貼り付けて帰って参りましたのでビックリ致しました。何でもゴーストップが開いたので、犬を引いたまま横断歩道に出ようとすると、横合いから待ち構えていたらしい箱自動車が出て来て妾を突飛ばした。その自動車の中から髯だらけの怖い顔をした紳士が降りて来て、気味の悪い顔でニタニタ笑いながら、私を診察しいしい、まわりを取巻いている見物人をワイワイ笑わせていた。その隙に、その紳士が、妾のハンド・バッグの中味を検めて大切な書類を攫って行ったものらしい。あの髯だらけのルンペンみたいな紳士が、きっと反対党の廻し者か何かだったに違いない。口惜しい口惜しいと云って寝床の中で身もだえをしておりますうちに、非道い発作が起りまして、『妾はコンナ非道い侮辱を受けた事はない。仇を取って来るから』と云って駈け出しそうになりますので皆して押え付けようとしましたが、どうしても静まりません。却って非道くなってしまって、弓のようにそり反りますので、そのまま神田の脳病院に入れて、寝台へ革のバンドで縛付けておきますと、その革のバンドを抜けようとして藻掻いた揚句、どこかへ内出血を起して、その自家中毒とかで突然に……亡くなりまして……", "成る程。どうもエライ騒ぎじゃったな。不幸ばかり重なって……", "……ですから一層のこと歌夫さんがお懐かしくて仕様が御座いませんの。コンナ時にこそ居て下さると、どんなにか力になるでしょうと思いながら、それも出来ませんし", "イヤ。わかったわかった。よくわかった。とにかく吾輩が引受けた。直ぐに今から活動を開始するじゃ。それではこれで帰ろう……いや構わんでくれ。左様なら……" ], [ "……今日は……鬚野先生。いい犬が見付かりましたかね", "イヤ、今日は駄目だ。それよりもこの犬はドウしたんかい。ジフテリヤでもやったんかい", "アッ、この犬ですか", "知っとるのかい、この犬を……", 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"ウン。成る程のう……ところで加賀の国の何代目かの殿様は、家老や奥女中から笑われるのも構わずに鼻毛を一寸以上伸ばして御座ったという話だが、アレは君が教えたのか" ], [ "ヘエ。存じませんが……そんな方……", "よく知らん知らんと云うのう。それじゃ鼻毛のよく伸びる奴は、大てい女好きで長生きをするものだが……俺なんかは無論、例外だが……アレはやっぱりホルモンの関係じゃないのか", "サア、わかりませんが。研究中ですから……", "そんな研究ではアカンぞ", "ヘエ、相済みません", "俺に謝罪ったって始まらんが……それからドウしたんだ今の話は……", "ヘエ、何のお話で……", "アタマが悪いのう君は……イクラか蓄膿症の気味があるんじゃないか君は……それともアデノイドか……", "そんな事は絶対に御座いません", "成る程、君はその方の専門だったね、失敬失敬。今の鼻毛の話よ。鼻毛は健康の礎……ホルモンのメートルだという……", "ヘエ、そうなんで……ところがその咽喉に有害な黴菌や塵埃を含んだ乾燥したつめたい空気をこのカニウレから直接に吸込みますと、直ぐに咽喉を害しますので、そこへ色々な黴菌がクッ付いて病気を起します。この犬なぞも御覧の通り切開手術をしてやりますと間もなく結核を感染しまして……", "成る程。それが実験なのか", "左様で。切開手術の練習にもなります", "フン。余計なオセッカイずくめだな。君の実験は……", "どうも相済みません", "よくあやまるんだな君は……ところでこの犬結核はドウなるんだ", "ハイ。いよいよカニウレが有害な事がわかれば、その次には羽振式のカニウレを作りまして、決してソンナ心配のないように致しますので……" ], [ "ふうむ。ソレ位の事で博士になれるのか", "なれる……だろうと思いますので……", "うむ。マアなるつもりでセイゼイ鼻毛を伸ばすがいい。ところで改めて相談するが、この犬の結核を何とかして治癒す訳には行かんのか", "さあ。コイツは一寸なおりかねます", "博士になれる位なら、犬の結核ぐらいは何でもなく治癒せるじゃろう", "ハハハ。なんぼ博士になりましても、コンナ重態の奴はドウモ……", "モトモト君が結核にしたんじゃないか……この犬は……", "……そ……それはそうですけれども、治癒すとなりますとドウモ……", "ふうむ。そんなら君は病気にかける方の博士で、治癒す方の博士じゃないんだな", "……そ……そんな乱暴なことを……モトモト実験用に買った犬ですから僕の勝手に……", "……黙れ……", "……………", "いいか。耳の穴をほじくってよく聞けよ。貴様は空呆けているようだが、貴様がこの頃、婚約を申込んでいる山木のテル子嬢はなあ、この犬を洋行土産に呉れた唖川歌夫……知っているだろう、貴様の恋敵に対して済まないと云って、泣きの涙で日を暮らしているんだぞ。その犬が自宅に居ないと歌夫さんに来てもらえないと云って瘠せる程苦労しているんだぞ。その真情に対しても貴様はこの犬を全快させる義務があるんじゃないか。貴様は貴様の愛する女の犬を結核に罹らせてコンナに骨と皮ばかりに瘠せ衰えさせるのが気持がいいのか。それともこの犬が偶然に手に入ったのを幸いに、知らん顔をして実験にかけて弄り殺しに殺して、唖川小伯爵と山木テル子嬢の中を永久に割こうという卑劣手段を講じているのか", "……そ……そんな乱暴な……メチャクチャです。貴方の云う事は……ボ……僕と……そ……そのテル子嬢とは……マ……全く無関係……", "ナニ卑怯なッ……" ], [ "……表の扉をナゼ掛けとかなかったの", "困るわねえ。今頃来られちゃ", "ああ怖かった。まるで熊みたい……ビックリしちゃったわ", "まだ居るの", "ええ。あそこに突立ってギョロギョロ睨みまわしているわよ", "イヤアねえ。何でしょう、あの人……", "あれルンペンよ。物貰いよ", "誰か一銭遣って追払って頂戴よ", "だってこの恰好じゃ出られやしないわ", "お神さんどこに居んの", "二階に午睡してんのよ", "お初ちゃん呼んで頂戴……一銭遣って頂戴って……ね……", "早くしないと何か持ってかれるわよ。早くさあ" ], [ "ああ寒……急に寒くなっちゃった", "ストーブの傍に居たからよ", "……おお寒い。風邪を引いちゃった。ファックシン", "あたしも寒くなっちゃった。ヘキスン……ヘッキスン……", "ハックシン……フィックシイン。風邪が伝染ったよ", "ファ――――クショォ――ン。ウハァ――クショ――ン……コラ……", "ホホホ。乱暴な嚏ねえ。アンタのは……", "ああ。涙が出ちゃった", "まだ洗濯物……乾かないか知ら……", "一度に洗濯するのは考えもんよ", "だって隙がなけあ仕方がないわ", "あんまりお天気が良過ぎたのが悪かったんだわ" ], [ "まあ……どうも飛んだ失礼を致しまして……場所慣れない若いものばかりなもんですから……お見外れ申しまして……さあどうぞ……ほんとにお久し振りでしたわねえ。御無沙汰ばかり……", "馬……馬鹿云え。お珍らしいって俺あ初めてだぞ。お前みたいな人間には生れない前から御無沙汰つづきなんだぞ……テンデ……", "オホホホホホホホ……" ], [ "オホホホ……恐れ入ります。まったくで御座いますよ先生。この町中の水物屋で、先生のお顔を存じ上げない者は御座いませんよ", "ハハア。俺に似た喰逃の常習犯でも居るのか……", "まあ、御冗談ばかり……それどころでは御座いませんよ先生。先生のお払いのお見事な事は皆、不思議だ不思議だって大評判で御座いますよ", "ううむ。扨は夜稼ぎ……という訳かな", "そればかりでは御座いませんよ。いつも一杯めし上ると声色使いや辻占売り、右や左なんていう連中にまで、よくお眼をかけ下さるので、そのような流し仲間では先生のお姿を拝んでいるので御座いますよ。先生は福の神様のお生れ変りで、いつもニコニコしておいでになるから縁起がよいと申しましてね。どこの店でも心の中で先生のお出でを願っているので御座いますよ先生……", "……ああ、いい気持ちだ。汗ビッショリになっちゃった。本気にするぜオイ……", "嫌で御座いますよ先生。私がまだ十一か十二の時に、両親の病気を介抱しいしいコチラの遊廓で辻占を売っておりました時分に……", "アッ。君はあの時の孝行娘さんかえ。これあ驚いた。そういえばどこやらに面影が残っている。非道いお婆さんになったもんだね", "まあ。お口の悪い……でも先生はあの時からチットも御容子がお変りになりませんわね。昔の通りのお姿……", "アハハ。貴様の方がヨッポド口が悪いぞ。変りたくとも変れねえんだ", "アラ。そんな事じゃ御座いませんわ", "おんなじ事じゃないか", "……でも、そのお姿を見ますとあの時の事を思い出しますわ。『ウーム。貴様が新聞に出ていた孝行娘か。こっちへ来い。美味いものを喰わせてやる』と仰言って、お煙草盆に結った私の手をお引きになって、屋台のオデン屋へ連れてってお酌をおさせになるでしょう。それから私の手をシッカリ掴んで廓の中をよろけ廻りながら御自分で大きな声をお出しになって『河内イ――瓢箪山稲荷の辻占ア――ッと……ヤイ。野郎……買わねえか』と云う中に通りすがりの御客を、お捕まえになるでしょう。あんな怖い事は御座いませんでしたわ。『何をパチクリしていやがるんだ篦棒めえ。マックロケのケエの手習草紙みたいな花魁の操に、勿体ない親御様の金を十円も出しやがる位なら、タッタ二銭でこの孝行娘の辻占を買って行きやがれ。ドッチが無垢の真物だか考えてみろ。ナニイ、五十銭玉ばっかりだア。嘘を吐け。蟇口を見せろ。ホオラ一円札があるじゃないか。コイツを一枚よこせ。釣銭なんかないよ。お釣が欲しかったら明日の朝、絹夜具の中で花魁から捻じ上げろ。ナニ、高価え?……シミッタレた文句を云うな。勿体なくも河内瓢箪山稲荷の辻占だ。罰が当るぞ畜生。運気、縁談、待人、家相、病人、旅立の吉凶、花魁の本心までタッタ一円でピッタリと当る。田舎一流拳骨の辻占だ。親の罰より覿面にアタル……この通り……ポコーン……』とか何とか仰言って、買ってくれた人の横ッ面を……", "ハハハ。そんな事があったっけなあ。酔払っていたものだから忘れてしまったわい" ], [ "いい加減にしろよ。若い女たちが見てるじゃないか。モウ一遍俺の手に縋って辻占を売りに出る年でもあるめえ", "……これからもドウゾこの店の事を、よろしくお頼み申上ます……誰も……どなたも……相談相手になって下さる方がないのですから", "フウム、成る程。そういえば何もかも新しいようだナ。何だってコンナ処に支那料理屋なぞ作ったんだ", "ホホホ。恐れ入ります。どうも表通りにはいい処が御座いませんので、それに支那料理なんて申しますと、どうも横町じみた処が繁昌いたしますようで……", "イカニモなあ、ところでホントに支那料理が在るのか", "オホホ。御冗談ばかり。チャント御座いますわ", "怪しいもんだぜ。真昼間、表を閉めて、女将さんが二階でグウグウ午睡をしている支那料理といったら大抵、相場はきまってるぜ", "ホホ。相変らずお眼鏡で御座いますわねえ。どうぞ御遠慮なく御贔屓に……ヘヘヘヘ……", "変な笑い方をするなよ。今日は飯を喰いに来たんだ。腹が減って眼が眩みそうなんだよ", "……まあ……気付きませんで……御酒はいかが様で……", "サア。酒を飲むほど銭があるかどうか", "ホホホ。御冗談ばかり。いつでも結構で御座いますわ。見つくろって参りましょうね", "ウム。早いものがいいね。それから今のお嬢さん達もこっちへ這入って火に当らせたらどうだい。相手は俺だから構うことはない。裸体ズレがしているルンペン様だから恥かしい事はないよ。素裸体の方が気楽でいいんだ。序に生命の洗濯をさしてやろう。面白い話があるんだから……", "オホホ。あの子たちは今日お天気がいいもんですから、お客の少ない昼間のうちに申合せて着物のお洗濯をしているのですよ。その着換えが御座いませんので、仕方なしにゆもじ一つでストーブへ当っておりますところへ、先生が入らっしたもんですから、ビックリして逃げて行ったので御座いますよ。ホホホ。でもねえ、まさか先生の前に裸体で出られやしませんからね、若い女ばかりですから……", "馬鹿云え。先祖譲りの揃いの肉襦袢が何が恥かしいんだ。俺だってこの二重マントの下は褌一つの素っ裸体なんだぞ。構わないからみんなこっちへ這入らせろ", "ホホホホホホホホホ。かしこまりました" ], [ "サアサアみんな先生の処へ行っといで。あの先生を知らないのかい。鬚野先生と云って有名な方だよ。トテモさっぱりしたお方なんだよ。弱い女や貧乏人の味方ばっかりしておいでになる福の神様なんだよ。先生に顔を見覚えて頂くだけでキットいい事があるんだよ", "だって女将さん……", "何ぼ何だってこのままじゃあんまりだわ" ], [ "ナアニ構わん構わん。そのまんまでこっちへ這入れ。お前たちと話してみたいんだ。俺が今引受けている素敵なローマンスの話をして、お前たちの意見を聞いてみたいんだ。這入れ這入れ。這入ってくれ。風邪を引くぜ", "……ほら……ね。あんなに仰言るんだから構わないんだよ。あの先生は人間離れした方なんだから。恥かしい事なんか無いんだよ" ], [ "いい声ねえ。おみっちゃん", "上海にだって居ないわ", "惜しいわねえ。コンナに町をブラブラさして……ホホ" ], [ "お待遠様。やっとお料理が出来ました。御酒は何に致しましょうか。老酒、アブサン、サンパンぐらいに致しましょうか", "ウワア。そんなに上等の奴はイカン。第一銭が無い", "オホホ。恐れ入ります。御心配なさらなくともいいんですよ。これはJORKからのお礼ですから", "そんなに煽てると今度は踊りたくなるぞ", "どうぞ今日はお願いですから御存分に皆を遊ばしてやって下さいまし。さあさあお前達は何をボンヤリしているの……お酌をして上げなくちゃ", "アハハハ。これあ愉快だ。裸一貫のお酌は天の岩戸以来初めてだろう", "妾にもお盃を頂かして下さい", "オイ来た。ところでお肴に一つ面白い話があるんだが聞かしてやろうか", "相済みません。先生にお酌を願って……どうぞ伺わして下さい", "ウム。スレッカラシの君が聴いてくれるとあればイヨイヨありがたい。アハハ、憤るなよ。スレッカラシというのは世間知りという意味だよ", "面白いお話って活動のお話ですか", "そんなチャチなんじゃない。ありふれた小説や芝居とは違うんだ。みんな現在、お前さんたちの眼の前で……この吾輩の椅子の上で進行中の事件なんだ。しかも、そこいらの活動のシナリオよりもズット面白い筋書が現在こうして盃を抱えながら進行しているんだから奇妙だろう――", "まあ。それじゃ妾たちもその事件の中で一役買っているので御座いますか", "もちろんだとも。しかもその筋書の中でも一番重要な役廻りを受持って、これから吾輩を主役としたスバラシイ場面を展開すべく、タッタ今活動を始めたばかりなんだ。モウ逃げようたって逃げる事が出来なくなっているんだ", "まあ。否で御座いますよ先生、おからかいになっちゃ……気味の悪い……", "イヤ。断然、真剣なんだ。まあ聞け……コンナ訳だ" ], [ "まあ……羽振っていう人は、あのウチへ来る医学士さんじゃないの……男ぶりのいい……ねえ女将さん", "あのバレンチノさんよ。ね、お神さん。キットそうよ" ], [ "まあ。只今の先生のお話は、みんな本当で御座いますの", "何だ。今まで作りごとだと思って聞いていたのかい", "……ド……どこに居りますの。その医学士は……憎らしい", "オットット、そう昂奮するなよ。何も直接にお前たちと関係のある話じゃないだろう", "それが大ありなんですよ、馬鹿馬鹿しい" ], [ "ふうん。女将さんと関係があるのかい", "あるどころじゃないんですよ、阿呆らしい。あの羽振といったらトテモ非道いカフェー泣かせなんですよ。男ぶりがいいのと、医学士の名刺に物をいわせて、方々のカフェーを引っかけまわって、この家にだっても最早、二百円ぐらい引っかかりがあるんですよ。新店だもんですから、スッカリ馬鹿にされちゃったんですよ。口惜しいったらありゃしない", "フーム。そんな下等な奴だったのかい、アイツは……そんならモット手非道く頬桁をブチ壊してやれあよかった", "そして……ド、どこに居るんですか", "多分、耳鼻咽喉科かどっかに入院しているだろう", "……あたし行って参りますわ。直ぐそこですから……ちょっと失礼……", "ちょっと待て……", "いいえ、棄てておかれません。今まで何度となく勘定書を大学に持って行ったんですが、どこに居るかサッパリわかりませんし……タマタマ姿を見付けても案内のわからない教室から教室をあっちへ逃げ、こっちに隠れしてナカナカ捕まらないのですよ。入院していれあ何よりの幸いですから……ちょっと失礼して行ってまいります", "ま……ま……待て……待てと云ったら……いい事を教えてやる。確実に勘定の取れる方法を教えてやる。アイツは現金なんか持ってやしないよ", "それはそうかも知れませんわねえ" ], [ "それよりもねえ、彼奴の親父の処へ勘定を取りに行くんだ", "まあ。彼奴の家を御存じですの……それがわからないお蔭で苦労しているんですよ。誰なんですか一体、羽振さんの親御さんは……", "知らないのかい", "存じませんわ。教えて下さいな", "あの有名な貴族院議員さ", "まあああああ――アアア" ], [ "ありがとう御座います鬚野先生……ありがとう御座います。それさえ解れば千人力……", "ま……ま……まあ早まるな。相手の家はわかっても、なかなかお前たち風情が行って、おいそれと会ってくれるような門構えじゃないよ。万事は吾輩の胸に在る。それよりも落付いて一杯注げ……ああいい心持になった。どうも婆のお酌の方が実があるような気がするね", "お口の悪い。若い女でも実のあるのも御座いますよ。ここに並んでおります連中なんか、上海でも相当の手取りですからね", "アハハハ。あやまったあやまった。お見外れ申しました。イヤ全くこんな酒宴は初めてだ", "日本は愚か、上海にも御座いませんよ", "ところでどうだい。最前からの話の筋の中で、羽振医学士の方は、吾輩の拳骨一挺で簡単に型が付いた訳だが、今一人居る断髪令嬢の許嫁の小伯爵、唖川歌夫の方はドウ思うね、諸君。その親孝行の断髪令嬢のお婿さんに見立てて、差支え無いだろうか。吾輩は赤ゆもじ議員諸君の御意見通りに事を運びたいのだが……", "ほんとに貴方は神様みたいなお方ですわねえ。何もかも見透して……", "ところが、今度の事件に限って吾輩は、すこし取扱いかねているのだ。未だその断髪令嬢の涙ながらの話を聞いただけなんでね。唖川小伯爵がドンナ人間だか一つも知らずにいるんだ。そこへ取りあえず羽振医学士にぶつかって、コイツはイケナイと気が付いたから、筋書の中から叩き出してしまった訳なんだが、しかし、これから先がどうしていいかわからないので困っているんだ", "まったくで御座いますわねえ、わたくし共でも、見当が付きかねますわ", "ウム。だから実は君等にこうして相談してみる気になったもんだがね、一つ考えてくれよ。いいかい。この吾輩が詰まるところ運命の神様なんだ。そうして君等の指図通りにこの事件の運命を運んでみようと思ってこうして相談を打っているんだ。ドンナ無理な筋書でも驚かない。ドンナ無鉄砲な場面でも作り出して見せようてんだから、一つ大いに意見を出してもらいたいね", "……センセー……ホントに妾たちの考え通りにして下さる?" ], [ "するともするとも。キットお前達の註文通りに筋書を運んで見せるよ。実物を使って実際に脚色して行くという斬新奇抜、驚天動地の世界最初の実物創作だ。喜劇でも悲劇でもお望み次第に実演させて見せる……", "でもねえ先生……" ], [ "あたし疑問が御座いますわ", "あたしもよ……どうも初めっからお話が変なのよ", "あら、あたしもよ", "ほう、みんな吾輩の話に疑問があるって云うんだな。ふうむ、面白い。念のために断っておくが、俺はチットばかりアルコールがまわりかけている。しかしイクラ酔っ払っても、話を間違えた事は一度も無い男だぞ", "アラ、先生。そうじゃないんですよ。先生のお話がヨタだなんて考えてるんじゃありませんわ。先生のお話が真実百パーセントとして聞いても、あたし達の常識が受け入れられないところがあるから……", "ウワア、こいつは驚いた。恐しく八釜しいのが出て来た。何かい、君は弁護士試験か、高文試験でも受けた事があるのかい", "そんなことありませんわ。これだけ五人でお給金を貯めて上海の馬券を買って、スッカラカンになったことがあるだけですよ", "イヤ、これはどうもオカカの感心、オビビのビックリの到りだ。君等にソレだけの見識があろうとは思わなかった", "まったくこの五人は感心で御座いますよ。上海でこの店が駄目になりかけた時に、五人が腕に撚をかけて、旦那を絞り上げて日本へ帰る旅費から、この店を始める費用まで作ってくれたので御座いますよ", "……吾輩……何をか云わんやだ。この通りシャッポを脱ぐよ。君等こそプロレタリヤ精神の生ッ粋だ。日本魂の精華だ。人間はそうなくちゃならん。その精神があれば日本は亡びてもこの了々亭だけは残るよ", "そんな事どうでもいいじゃありませんか先生。それよりも今のお話ですね", "うんうん。どこが怪しい", "怪しいって先生……その唖川歌夫っていう人も、いい加減気の知れない人ですけど、そのコンクリート市会議員の断髪令嬢っていうのが、一番怪しい人物だと思いますわ", "ふうむ。これは驚いた。何で怪しい。この事件の女主人公が怪しいとは言語道断……", "あたし久し振りに日本に帰って来たんですから、今の女の人の気持はよくわかりませんけどね、ソンナに内気な親孝行な人が、そんな年頃になるまで断髪しているものでしょうか……許嫁の人から貰った犬が居なくなったといって泣くような人が……", "フウウム、これは感心したな。ナカナカ君等の観察は細かい。そこまでは考えなかった", "ええ、きっと眉唾もんよ、そのお嬢さんは……", "あたし日本の断髪嬢嫌いよ、テンデ板に附いていないんですもの。汚ない腕なんか出して……", "アハハ、これあ手厳しい", "当り前よ。腕を出すんなら子供の時分から腕を手入れしとかなくちゃ駄目よ。イクラ立派な肉附きの腕だっても、葉巻のレッテルみたいな種痘のアトが並んでいたり、肘の処のキメが荒いくらいはまだしも、馬の踵みたいに黒ずんで固くなって捻っても痛くも何ともないナンテいう恐ろしいのを丸出しにしているのは、国辱以外の何ものでもアリ得ないと思うわ", "ヒヤア、これは恐れ入った。国辱国辱、正に国辱。銀座街頭の女はみんな落第だ", "上海の乞食女にだってアンナのは一人も居やしないわ。どんな男でもあの肘の黒いトコを見たら肘鉄を喰わない中に失礼しちゃうわ", "断髪だってそうよ。櫛目のよく通る日本人の髪を切るなんてイミ無いわ", "まあ待て待て。脱線しちゃ困る。ほかの断髪嬢ならトモカク、あのテル子嬢の断髪なら、お母さん譲りだけあってナカナカ板に附いているぞ", "おかしいわねえ。そんなお母さんだったら娘さんはイヤでも反感を起して日本髪に結うものだけど……妾ならそうするわ", "ちょいと先生。その伯爵様っていうのも妾、何だか怪しいと思うわ。先生のお話の通りだったら", "フウン。容易ならん事がアトカラアトカラ持上って来るんだな、これあ。どこが怪しい、名探偵君……", "だって、そんな冷淡な許嫁なんか恋愛小説にだって無いわ。せいぜい一日に一度ぐらいは訪ねて来なくちゃ嘘よ", "それにねえ先生。その断髪令嬢のお父さんのコンクリート氏が引っぱられてからというもの、一度もそのお河童さんの処に訪ねて来ないなんて、よっぽどおかしいわ", "ねえ先生。これを要するにですねえ、先生" ], [ "ウフウフ。これを要しなくたっていいよ", "いいえ。是非ともこれを要する必要が御座いますわ。どうも先生の仰言る実物創作の筋書っていうのは、カンジンの材料が二割引だと思いますわ", "ヒヤッ。材料とおいでなすったね。どこでソンナ文句を仕入れたんだい", "あたしの二代前の亭主が小説家だったんですもの。自然主義の大将とか何とか云われていたんですけど、創作なんか一度もしないで、実行の方にばかり身を入れちゃって、とうとう行方知れずになったんですからね。材料って言葉は、その悲しい置土産なんですの", "ふむ。自然主義なら吾輩にもわかるが、とにかくこの創作を完成しなくちゃ話にならん", "駄目よ先生。そんな創作無いわよ。モウすこし人物を掘下げてみなくちゃ。中心になっているお河童さんの恋愛だって、本物だかどうだか知れたもんじゃないわ", "ウーン。そういえば何だか吾輩も不安になって来た。一つ探偵し直しに行ってみるかな", "どこから探偵し直しをなさるの", "さあ。そいつが、まだ見当が附いていないんだ。もう一度あのお河童令嬢に会ってもいい。犬のお悔みを申上げてお顔色拝見と出かけるかな", "駄目よお、先生。又欺されに行くだけよ。第一印象でまいっていらっしゃるんですからね、先生は……", "ねえ先生。思い切って小伯爵のお父さんか、お母さんに会って御覧になってはどうでしょう。そうして何も彼も打明けて、意見を聞いて御覧になっては如何でしょう", "よし。それじゃ方針がアラカタきまったから出かける事にしよう", "まあお待ちなさいよ。そんな恰好で入らっしたって会えやしませんよ。伯爵なんてシロモノは……今電話をかけて来ますから……自動車を奢って上げますからね", "エッ。自動車を奢る?", "ええ。羽振の居所を教えて下すった、お礼ですよ。……まあ聞いていらっしゃい" ], [ "何だ小伯爵は失踪してるのかい", "ええ。そうらしいんですよ。唖川家は大変な騒ぎらしいんですよ。今出て来た三太夫の慌て方といったらなかったわ", "ウム。よく新聞記者に嗅付けられなかったもんだな", "まったくですわねえ。でもコッチの思う壺ですわ", "ウム。面白い面白い。その塩梅では秘密探偵か何かがウンと活躍しているだろう", "ウチ鬚野先生をスパイじゃないかと思ったわ", "シッシッ" ], [ "あの……伯爵様で御座いますか。お呼立ていたしまして、ハイハイ。かしこまりました。それでは直ぐにこれからお伺い致します。イエイエ。決して御心配なことは御座いません。何もかもお眼にかかりますれば、すっかりおわかりになりますことで……あの誠に恐れ入りますが、わたくしお宅を存じませんから、そちらのお自動車を至急に大学の正門前にお廻し下さいませんでしょうか。あそこでお待ちして手をあげますから、ハイハイ。お自動車は流線スターの流線型セダン。かしこまりました。では御免遊ばしまして……", "巧いもんだなあ。流石は凄腕だ。上海仕込みだけある。流線スターといったら、東京に一つか二つ在る無しの高級車だぜ", "アラ、乗ってみたいわねえ", "ウフ。乗せてやるから一緒に来い", "あたしも乗りたいわ", "ウム。みんな来い。モウ着物は乾いたろう", "アラ、厭な先生、乾してんのは普段着よ。晴着はチャント仕舞ってあるわよ", "ヨオシ。出来るだけ盛装して来い。貞操オン・パレードだ" ], [ "鶴子さん。アンタはね、洋装がいいわ。出来るだけ毒々しくお化粧しておいでよ。伯爵様にお目見えするんですから……", "アラ、女将さん。あたし怖いわ", "怖いことあるもんですか。その方がいいのよ。妾に考えがあるんですから……" ], [ "まあ先生。ソンナに酔払って大丈夫?", "大丈夫だとも。酔っている真似は難かしいが、酔わない真似なら訳はないんだ。キチンとしていれあいいんだからね" ], [ "貴方は……何ですか……", "老伯爵閣下に会いに来た人間だ", "……ナニ……" ], [ "……か……閣下は貴様のような人間に御用はない", "ハハハ、そっちに用がなくともこっちにあるんだ", "ナ……何の用だ……", "貴様のような人間に、わかる用事じゃない。人柄を見て物を云え。何のために頭が禿げているんだ" ], [ "会わせる事はならん", "八釜しい" ], [ "アハハハ、私は鬚野房吉というルンペンです", "……ナ……何だルンペンとは……", "ルンペンというのは独逸語です。独逸語で襤褸の事をルンペンというところから、身なりとか根性とかがボロボロに落ちぶれた奴の事をルンペンというようになったのです。御存じありませんか。日本にも勲章を下げて、立派な家に住まったルンペンが、イクラでも居りますよ" ], [ "伯爵閣下、実は今日お伺い致しました理由は、ほかでは御座いません。御令息の唖川歌夫君の事についてです", "黙れっ……黙れっ……吾輩の家庭の内事は吾輩が決定する。貴様等如きの世話は受けんッ……" ], [ "黙れ、伜は家風に合わん女を貰おうとしたから余が承知しなかったのじゃ。出て行けと云うたのじゃ", "へへ。伜は喜んだろう。コンナ店曝しの光栄を引継いで、一生無駄飯を喰うのを自慢にするような腐った根性は今の若い者は持たないのが普通だぞ。又コンナ家に嫁入って来て、コンナ家風に合うような女だったら、虚栄心だらけのお茶っピイか。魂のない風船娘にきまっているんだ" ], [ "アハハハハ。飛んだ景清のシコロ引きだ。これが泥棒だったらドウなるんだい。ハハハハハ", "ホホホホホホホホホホ", "ほほほほほほほほほほほ" ], [ "ホホホホホホホ、ほんとに怪しからないお話で御座いますよ。こうした行き違いのソモソモがどこから始まっておりますか、私どもは無学で御座いますから、わかりませんが、とにかくこれは容易ならない伯爵家の大事件と存じましてね。万一このようなお話が、外へ洩れるような事があっては大変と存じましたから、わたくしの一存で、色々と苦心致しました揚句、山木さんのお留守居の人達に承知させまして、手前共の店に居ります娘たちの中で一番お嬢様によく肖ておりますツル子と申します女優の落第生を、山木さんの処へ換え玉に入れて世間体をつくろいまして、お嬢様を私の処へお匿まい申上げました。そう致しまして外務省から病気休暇をお取りになったコチラの若様と御一緒に、お好きの処へ新婚旅行にお出し申しましたが、もう十分にワインド・アップがお済みになって、東京のどこかへお帰りになっている筈で御座いますよ。近頃のお若い方は何でもスピードアップなさるのがお好きで御座いますからね", "ううむ。いよいよ以てケシカラン……" ], [ "ホホホ。そう致しましたら何しろタッタ一人のお世継の事で御座いますから、伯爵様がキット若様をお探しになるに違いない、その御心配の潮時を見計らいまして、私がコチラへお伺い致しまして、万事のお話を拝聴致しまして、失礼では御座いますが御家の御為になりますように取計らいたいと存じた次第で御座いますがね。まことに怪しからぬ御恩報じとは存じましたが、無学な私どもの才覚には、ほかに致しようが御座いませんでしたのでね、ホホホ", "……………", "ところが、そのうちに私の処から換え玉に這入っておりましたツル子と申します女が退屈の余りで御座いましょう。ツイ芝居気を出しましてね。お嬢さん生活の退屈凌ぎに、そのテル子さんの大切な犬が盗まれているのを、この鬚野先生に取返して下さるようにお頼みしたところから事が起りまして、とどのつまり、鬚野先生が私どもの処へ偶然お乗込みになって、こちらの小伯爵様とそのテル子嬢を御一緒にするかどうかっていう御相談がありましたから、これは何よりの事と存じまして、こうしてお伺い致しました次第で御座いますが、如何で御座いましょうか。この御縁談を御承知下さいませんでしょうか。新聞種になんかおなりになりませぬ中に、御承知になりました方が、御身分柄お得じゃないかと考えるので御座いますが、どのようなもので御座いましょうか" ], [ "どうです伯爵閣下。御名誉とか、お家柄とかいうものばかり大切がって、切れば血の出る若い生命の流れを軽蔑なさるからコンナ事になるのです。伜には内兜を見透かされる、女将には冷やかされる……", "アラ、冷やかしなんかしませんわ。勿体ない", "これぐらい冷やかしゃ沢山だ……" ], [ "お父様、只今。お話は最前から廊下で承っておりました。御心配かけて相済みません。上海亭から別の自動車で追っかけて来ておりました", "おお帰ったか" ], [ "おお、鬚野君。まあええじゃろ、ゆっくりして下さい。一パイ差上げるから", "先生。御ゆっくりなさいませよ", "イヤ、モウ運命の神様は辞職だ。アトは女将によろしく頼むわい", "そう云わずとこの家に泊って行ってはドウかな", "この家は暑いです。イヤ、若夫婦万歳" ], [ "どちらへ……参りましょうか", "帝国ホテルだ。……その帝国ホテルの裏手の空地になあ……その空地に並んでいる土管の右から三番目の入口へ着けてくれい。ああ、愉快だ。赤い帽子を冠ろうよオだ。アッハッハッハッ。皆さん左様なら……" ] ]
底本:「夢野久作全集5」ちくま文庫、筑摩書房    1991(平成3)年12月4日第1刷発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、「関ヶ原」は小振りに、「一ヶ月」は大振りにつくっています。 入力:柴田卓治 校正:かとうかおり 2000年12月6日公開 2006年3月14日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "金銀も宝石も皆塵となる", "喜びも悲しみも皆塵となる" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「新潮 30巻3号」    1933(昭和8)年3月 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月23日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "あの坊主はお金がないなんてウソばかりついている。夜になるとあんなにお金の音がチャラチャラ言っているのに一文もない筈はない。大勢の人たちがお米がたべられないで困っているのに自分ばかりお金をためて知らん顔をしているなんてわるい奴だ。一つお前たちと一緒に泥棒に化けて行って、あの坊主をおどかしてお金を取り上げて、みんなにわけてやろうじゃないか", "それがいい、それがいい" ], [ "助けて下さい、助けて下さい。本当のことを申します、本当のことを申します。この樫の木の下に埋めてあるのです。ウソだと思うなら掘って御覧なさい。その代り、どうぞ半分だけで勘弁して下さい", "この糞坊主、まだそんなことを言う。半分もクソもあるものか。生命だけは助けてやるからジッとしていろ" ], [ "オイ大きな甕があるぞ。この中にその坊主はお金を隠しているのに違いない", "さようです、さようです" ], [ "それを半分だけ上げますから早く私を許して下さい", "ウン、こんなに沢山あれば半分でいい" ], [ "この糞坊主のウソ坊主、まだおれたちを欺そうとする", "憎い奴だ", "殺せ、殺せ" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「九州日報」    1925(大正14)年9月4~6日 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「香倶土三鳥」です。 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月23日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "046730", "作品名": "ツクツク法師", "作品名読み": "ツクツクぼうし", "ソート用読み": "つくつくほうし", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1925(大正14)年9月4~6日", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-08-14T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card46730.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集7", "底本出版社名1": "三一書房", "底本初版発行年1": "1970(昭和45)年1月31日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年2月29日第12刷", "校正に使用した版1": "1985(昭和60)年5月15日第1版第8刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "川山隆", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46730_ruby_27652.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46730_27698.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "何を泣いているのだえ", "寒いからさ。お前のような雲が来るから寒いのだ。こちらへ来ないでくれ", "おれが悪いのじゃない。風がわるいのだ。おれは風につれられて来るのだから", "おれは黒いものが大嫌いだ。この間も鴉がとまって、アホーアホーとおれを笑った", "それじゃこれはどうだ" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「九州日報」    1924(大正13)年2月7日 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「香倶土三鳥」です。 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "046724", "作品名": "電信柱と黒雲", "作品名読み": "でんしんばしらとくろくも", "ソート用読み": "てんしんはしらとくろくも", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1924(大正13)年2月7日", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-08-05T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card46724.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集7", "底本出版社名1": "三一書房", "底本初版発行年1": "1970(昭和45)年1月31日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年2月29日第12刷", "校正に使用した版1": "1985(昭和60)年5月15日第1版第8刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "川山隆", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46724_txt_27639.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46724_27685.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "物には裏と表があります。私自身にもあります。そうして問題は、只、この裏と表を自分の頭でハッキリと区別して使いわけながら、生活し得るか得ないかにあります。特に芸術ではそうです", "私は嘗て文展に能のお面を出して落選しました。その原因がこの頃になってわかりました。平生私が秘密画ばかり描いているために、お能のお面にもその気持ちがうつって、上品さを傷つけるのです。殊にあの不可思議な唇の開き工合のところで迷わされています", "これは私が修養の出来てないせいでしょう。私が秘密画とお能の面とを美事に描き別け得た時は、私が芸術家として成功した時でしょう" ], [ "この店ではお料理もするの", "イーエ、お茶とお菓子だけよ", "お客がないね", "……………" ], [ "このうちの姉さんよ", "どこに居るの", "知らない――" ], [ "僕は田舎ものでね。勝手がわからないが……", "エヘ……恐れ入ります……", "……………", "……………", "エー、どれかお気に召したのが?", "どこに居るね?", "エー、ここでは御座いませんので", "どこだね……", "エエ、いつでも御案内致します。エヘ、そのお気に召したのを御指名下されますれば、エヘ" ], [ "いつでもいいって!", "左様で、ここにありますのならどれでも、エヘ……", "これはどうだね", "ヘエ。これは三十五円で……", "半夜かい、終夜かい", "半夜で、室とお料理だけが別で御座います。終夜だと今二十円お願い致しますので……エヘ", "高価いな。じゃ、これは……", "みな同じで御座います……" ], [ "君。駄目だったよ、あそこは。誰か紹介者がなくちゃ……君は例外らしいぜ……", "そうかなあ……じゃ、名探偵だな、僕は……", "馬鹿な……いい椋鳥に見えたんだろう" ], [ "ヘエー。それじゃ誰があんな計画をしているかお心当りでも", "それがないので困っているんですよ。警視庁の知り合いにも電話で頼んでいますし、(中略)方々からの質問でホントにウンザリしているのですよ。そうしてあなたはやはり九州の……まあ、こんな処まで……よくおわかりになりましたのね……まあ、九州の方はいい処だそうですね……まあ、およろしいじゃありませんか……今紅茶を……" ], [ "ちござくら、そばによりそう、うばざくら、ともにうきよの、はるをこそおしめ", "みだれなと、いとあさましく、くくられし、はぎなぞに、みを、よそえては、なく", "少年の恋は、禿頭のように捕えにくい、ツルツルして毛が無いから" ], [ "おめえ、東京初めてか", "……ヘエ……", "こっちへ来い" ], [ "どうも済みません……実はあなたを新米の刑事か何かだと思ったもんですから……ついカラカッて見る気になって……", "アハハハハハハ、似たようなものです", "フフフ……しかし浅草の話だけは勘弁して下さい。ほかの処なら構いませんが……仲間が居るんですから……", "ええ、結構ですとも。何でも記事になれば……君のお名前もきかなくていいんです。僕も云いませんから……", "痛快だな……しかし弱ったな……", "アハハハハ。まあ、一杯干し給え……この女給さんは君の?", "弱ったな、どうも……" ], [ "私はまだほかに二三人の女生徒の親代りになっていますが、方々でいろんな事を聴きますよ。あなたもよくおぼえていらっしゃいよ。引っかからないように……", "冗談じゃありません……" ], [ "女の癖にぶしつけなと思召すかも知れませんが、ほかにこの苦しみを洩らす道が一つもありませんから……", "只愛する……というお言葉だけで妾は……", "こんな事を申し上げましたからには、妾はもうあなたにお眼にかかられませぬ。お眼にかかれば、この悩みがいよいよ堪えられなくなるばかりで御座いますから……ああ神様……" ], [ "Mって字、ありますか", "Mは生憎売り切れまして、ほかの字では如何で……" ], [ "Mって字はどこでも売り切れかね", "ヘエ。Mの字が一番よくお持ちになりますようで……", "どこでもそうかね……", "さあ……手前共では特別にMの字をよく仕入れますが、いくら仕入れましても無くなりますので……Mという頭字の付くお名前の方が余計においでになるからでも御座いましょうか、エヘヘヘ", "じゃ、一番売れないのは何の字だね", "さあ……さようで御座いますね……LだのQだのは全く売れませぬので、最初から仕入れませぬが、そのほかで売れませぬのは……サア" ], [ "只今残っておりますのはP、A、E、J、Y、X……", "いや、どうも有難う" ], [ "いいかい、君。ABCの秘密ってんだよ", "ウン。この鉛筆で書いたの、みんなそうかい", "そうさ", "驚いたな。君、書いたのかい", "ウン。兄貴のを写したのさ", "兄さんもきいたのかい", "ウン、一緒さ。……いいかい。Aは第一の恋人、Bが第二の恋人、Cが第三の恋人なんだよ。大人だとA子は奥様で、B子だのC子だのといったらお妾さんの事さ。面白いだろう", "ウン。もっと云って見給え", "それからBだのPだのはお屁のこと、Cは女が小便をする事", "ウフン", "Dはウンコの事。Eは知らぬ顔をする事", "何故?", "何故だか知らないけれど、そうなんだっさ。それからFはお嬢さんの事。Gは芸者の事。Hは散歩をするとか、ハイカラとかいう意味。Iはお眼にかかりたいとか、承知しましたとかいうんだっさ", "変じゃないか、それあ", "なぜ?", "Iってなあ自分のことじゃないか、英語で……", "そうじゃない。『アイタイ』っていう『アイ』じゃないか", "勝手にこしらえたんじゃないかい", "僕がかい", "そうじゃない。君に教えた英語の先生が、いい加減に教えたんじゃないかい", "どうだか知らないけど……まあ、聞いて見給え。Jは質屋の事、Kはブンナグル事。KKは仇討ち。KKKはストライキで……(此処不明)……Lは永久に忘れないって事。Mは男のMで、あべこべにすると女のWになるってんだ……", "フフフフ、面白いね", "……ね……それからMはABCの真ん中にあるから、神様だの、真ん中だの、秘密だの、意味がいろいろあるんだそうだ。Nは反対って意味、Oは嬉しいとか承知したとかいう意味。OMとくっつけると、MWとおんなじに変な事", "フフフフフフ", "PQと書くとお金が無いという意味、QPと書くと愛するってこと", "フーン、QPって人形じゃないか", "違うんだよ……それから、ラブレターの隅にQPと書いてあると、そこにキッスしなくちゃいけないんだっさ", "おかしいね", "おかしいんだよ……それからRは本気だっていう事、Sはエスだから知ってるだろう(課業を逃げる意味)。二つ寄せると女同志ラブする事だっさ。Tは金槌だからなぐられた事や叱られた事、Uは共鳴したり賛成する事。Vは駄目だの、おしまいっていう意味。Wは女の意味だの、女のアレ……", "ウフフフフフフ", "……だの奥様だのいう……", "Aと同じだね", "ウン。Xは疑問の事、Yは枕草紙だのあんなものの事、Zは脅迫だの、誘拐だの、泥棒だの、いくらも意味があってわかりにくいんだっさ", "みんな、君の英語の先生が教えたのかい", "ウン――まだこんなのを二つも三つも重ねると、まだいろんな面白い事があるけれど、君達が不良になるといけないからって、そう云ってやがったぜ", "馬鹿にしてらあ。じゃ、今度習ったらいいじゃないか", "だけど、おれあ彼奴嫌いさ。好色漢だってえから……", "誰が?", "兄貴がそう云ったよ。兄貴はもっと習ったかも知れないけど……君、これを写さないかい", "ウン、帰ってから写そう、貸し給え" ], [ "この頃は学校生徒が無暗に鳥打帽を冠るので困るよ。変な事をやってる奴を押えても、出鱈目の名前を云って困るんだ。和服ん時に名前が書いたるのは鳥打帽だが、大抵は英語の金文字一字ッキリだからしようがない。学校の名前だと吐かしア、それでもいいし、自分の名前だと云っても、そうかってなわけだからね。麦稈帽や中折れだと、Wは大概早稲田だし、Kは慶応、Mは明治と学校の名前を使っているのが多い。鳥打帽でも昔のだとそうなんだが、この頃は全く出鱈目らしいね。その中でもMなんて字は、学校の名前だか自分の苗字だか見当が付かないね。医科大学がMだし、明治がそうだし、まだあるだろう。自分の名前にしても、松田だの、前田だの、村井だの、三井だの、何でもその場で云えるだろう。Rだの、Cってな、そんなわけに行かないからね。Mって字はだから便利な字さ", "そんなら、Mの字をつけてる奴は大抵不良なんですね", "アハハハハ。そんなわけじゃないがね。とにかく気をつけて見たまえ。Mの字を帽子につけてる奴が馬鹿に多いから。おれあ、どうも腑に落ちないと思っているんだがね……" ], [ "ア……そうですか。では恐れ入りますが、私の宅までお出願われますまいか", "それは恐縮ですが……", "イヤ、お構いさえなければ……むさくるしい処ですが" ], [ "あなたは御存じで……", "イヤ、一寸聞いた事があるのです。一高生にカルメンと呼ばれて持てはやされている和田(仮名)の事でしょう", "さあ、名前は同じですが、同じ人間ですかどうですか。私共の仲間では、何故あの女を放校しないのでしょうと云っていますがね", "ヘエ、そんなに有名なのですか", "あの女学校で知らぬ生徒は恐らくありますまい。皆名前は云わずに団長団長と云っている位です", "一体、団長ってどんな仕事をしているのでしょう", "さあ……何でも中学生や高等学校生徒を誘惑するのが上手だと云いますがね。エー、あと月だったかね(と夫人をかえり見て)、私の学校の生徒の中から二人ばかり連れ出して、或る珈琲店へ這入って、今夜上野で望遠鏡で月を見る会があるからと、いろいろ面白い話をしたそうです。少年は二人共本当にして、誘い合わして行こうとしたのを、一方の親御さんが気付かれて止められたそうですが……上野にそんな会があったかどうか存じませぬが、話上手は事実らしいのです", "ヘエ、先生はよく詳しく御存じですな……" ] ]
底本:「夢野久作全集2」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年6月22日第1刷発行 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「杉山萠圓《すぎやまほうえん》」です。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、「六ヶしい」は大振りに、それ以外は小振りにつくっています。 入力:柴田卓治 校正:かとうかおり 2000年4月28日公開 2011年5月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "この乳母車だろう", "そうだ。たしかにこれだ。瑠璃子が押して行ったのは……", "……シッ……包みの中を検めて見給え", "……ウン……一寸待ってくれ給え……アッ……これだこれだ……最前まで着ていたのは……ホラ。絽の帯も……ヴェールも……アッ……束髪の仮髪だこれは……畜生……どこかで変装しやがったナ" ], [ "ウアー。肺病だ肺病だ", "何だ何だ。行き倒れか", "日射病じゃないか", "寄るな寄るな。伝染するぞ" ], [ "……この男はその洋妾瑠璃子の情夫だったのですか", "イヤ。そうじゃないんです。……先刻から見ていたんですがね。……情夫でも何でもないんです。この男はタダの立ちん坊でヒドイ肺病にかかっていたのが、ここまで来てブッ倒れてしまったんです。今、巡査が人夫を呼びに行っているんですがね……この男がツイ今サッキ、向うの四丁目の横町を歩いている時に、そのラシャメン瑠璃子って女がこの乳母車を預けて、電車通りまで押して行ってくれって頼んだんだそうです。それを下宿の二階から見ていた学生さんが、この行き倒れを見に来た序でに、巡査に話したんです。何でもその四丁目あたりで変装したらしいと言ってね", "ヘエ……往来のまん中で変装したんですか", "サア……そこんところはその学生さんも、たしかに見たわけじゃないらしいんだが、……巡査はそれを聞くとスッカリ喜んじゃってね。一緒に連れ立ってツイ今しがた俎橋の方へ行ったばかしのところなんですが……", "ヘエ――。そのラシャメン瑠璃子って女は一体何ですか", "二、三日前の新聞に出てたでしょう。御覧になりませんでしたか", "エエ。知りませんナ。何新聞でしたか、それは……", "……サア。何新聞でしたか……大抵の新聞には出てたようですよ。横浜の何とか言う西洋人が、ノブ子とか言う別嬪の細君と一緒に行方不明になったと言うんでね……大きく……", "ヘエ……気がつきませんでしたが……近頃あんまり読みませんので……ヘエ――……", "……ところが、その信子夫人って言うのが実はラシャメン専門の女なんで、その毛唐をどこかで殺してめぼしいものを掻っ払って高飛びしようとしたんです。そいつをその筋に感づかれてスッカリ手を廻されてしまったので、東京へ逃げ込んで来たらしいんですが……新聞には上海の方へ逃げたように書いてありましたけれども、それはその筋の手だったのでしょう", "なるほど……それじゃ生やさしい女じゃないんですね", "……おまけにその瑠璃子って奴は変装がお得意らしいんです。何でも東京へ来てからは若い奥さんか何かに化けて、乳母車を押しながら逃げまわっていたらしいんですが、そのうちにその筋の手がだんだん詰って来たもんだから、あの横町で洋装の令嬢に変装して、ぬけ殻の着物や下駄を隠した乳母車をこの男に押っつけて、こっちの方角へ突っ放したまんま、行方を晦ましたらしいんです。トテモ際どい芸当をやったもんでさあ……", "ナアルホドネエ……張り込んでいる刑事がこの男を調べている隙を見て非常線を突破したわけですな", "どうもそうらしいんです。あっしの想像ですけども……つまり最後の手段を執ったんでしょう", "ヘエ――驚いたナ。……しかし、よく御存じですナア。何もかも……", "ハハハハハ。イヤ。ナアニ。今サッキ向うの八百屋へ刑事が飛び込んで電話をかけたのを、くっ付いて行ってスッカリ聞いちゃったんです。懇意な家でしたから……", "ハハア……ナルホドネエ……じゃアもうそこいら中に非常線が張ってあるんですね", "エエ。無論そうでしょう" ], [ "おいらそのルリ子って女が行くのを見たよ", "エッ。どこで……", "飯田町のステーションの材木置場の横を歩いていたよ。澄まアして……", "嘘を吐けこの野郎……手前等の眼につくようなヘマをやるけえ", "だって本当だよ……小父さん……青い帽子を冠って、白い服を着て、小ちゃな写真機を持ってたよ", "フーン。耳朶に穴が開いてたかい?", "耳朶なんか知らないけど……とてもとてもシャンだったよ", "アハハハハハ", "イヨ――。チビ公。見込みがあるぞッ", "ワハハハハハ……", "フフフフフフ……" ], [ "旦那様、旦那様、旦那様、旦那様……どうぞどうぞお助け下さいまし……後生ですから……ホントウに後生で御座いますから……", "……私は本当の事を申し上げます。私は夫のバトラを殺したのでは御座いません。バトラは事業に失敗しましてコッソリと亜米利加に帰ったので御座います。……妾も、その後を逐うて亜米利加に渡ろうとして横浜の警察の誤解を受けましたために、こんなに苦労を致しているので御座います。一時も早く夫に会いたいと存じまして……", "……妾は皆様のお察しの通りラシャメン瑠璃子に違い御座いません。本名もお察しの通り小野原ノブ子に間違い御座いません。何度も夫に死に別れた不幸な女で御座います。……けれども……けれども今までに悪い事をした覚えは一度も御座いません。……神かけて御座いません事をお誓い致します", "……どうぞ、どうぞお願い致します。もし今夜一晩、私をお見逃がし下さいますれば、どのようなお礼でも致します。きっと……きっと致します。その……お印に……こんな……つまらないものでも……旦那様さえ……およろしければ……" ] ]
底本:「夢野久作怪奇幻想傑作選 人間腸詰」角川ホラー文庫、角川書店    2001(平成13年)年3月10日初版発行 底本の親本:「人間腸詰」角川文庫、角川書店    1978(昭和53)年1月 初出:「新青年 第11巻第10号」    1930(昭和5)年8月 入力:持田和踏 校正:The Creative CAT 2023年2月10日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "061139", "作品名": "童貞", "作品名読み": "どうてい", "ソート用読み": "とうてい", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「新青年 第11巻第10号」1930(昭和5)年8月", "分類番号": "", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2023-03-11T00:00:00", "最終更新日": "2023-02-28T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card61139.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作怪奇幻想傑作選 人間腸詰", "底本出版社名1": "角川ホラー文庫、角川書店", "底本初版発行年1": "2001(平成13)年3月10日", "入力に使用した版1": "2001(平成13)年3月10日初版", "校正に使用した版1": "2001(平成13)年3月10日初版", "底本の親本名1": "人間腸詰", "底本の親本出版社名1": "角川文庫、角川書店", "底本の親本初版発行年1": "1978(昭和53)年1月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "持田和踏", "校正者": "The Creative CAT", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/61139_ruby_77098.zip", "テキストファイル最終更新日": "2023-02-10T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/61139_77097.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2023-02-10T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "……お兄さまお兄さまお兄さま。何故、御返事をなさらないのですか。妾がこんなに苦しんでいるのに……タッタ一言……タッタ一言……御返事を……", "……………………", "……タッタ一言……タッタ一言……御返事をして下されば……いいのです。……そうすればこの病院のお医者様に、妾がキチガイでない事が……わかるのです。そうして……お兄様も妾の声が、おわかりになるようになった事が、院長さんにわかって……御一緒に退院出来るのに………お兄様お兄様お兄様お兄さま……何故……御返事をして下さらないのですか……", "……………………", "……妾の苦しみが、おわかりにならないのですか……毎日毎日……毎夜毎夜、こうしてお呼びしている声が、お兄様のお耳に這入らないのですか……ああ……お兄様お兄様お兄様お兄様……あんまりです、あんまりですあんまりです……あ……あ……あたしは……声がもう……" ], [ "……お兄様お兄様お兄様お兄様……お兄様のお手にかかって死んだあたしです。そうして生き返っている妾です。お兄様よりほかにお便りする方は一人もない可哀想な妹です。一人ポッチでここに居る……お兄様は妾をお忘れになったのですか……", "お兄様もおんなじです。世界中にタッタ二人の妾たちがここに居るのです。そうして他人からキチガイと思われて、この病院に離れ離れになって閉じ籠められているのです", "……………………", "お兄様が返事をして下されば……妾の云う事がホントの事になるのです。妾を思い出して下されば、妾も……お兄様も、精神病患者でない事がわかるのです……タッタ一言……タッタ一コト……御返事をして下されば……モヨコと……妾の名前を呼んで下されば……ああ……お兄様お兄様お兄様お兄様お兄様……ああ……妾は、もう声が……眼が……眼が暗くなって……" ], [ "……どうぞ……どうぞ教えて下さい。僕は……僕の名前は、何というのですか", "……………………" ], [ "……僕は……僕の名前は……何というのですか。……僕は狂人でも……何でもない……", "……アレエ――ッ……" ], [ "……誰か……誰か来て下さい。七号の患者さんが……アレッ。誰か来てェ――ッ……", "……シッシッ。静かに静かに……黙って下さい。僕は誰ですか。ここは……今はいつ……ドコなんですか……どうぞ……ここは……そうすれば離します……" ], [ "……と申しますのは、ほかでも御座いません。……実を申しますとこの精神病科教室には、ついこの頃まで正木敬之という名高いお方が、主任教授として在任しておられたので御座います", "……マサキ……ケイシ……", "……さようで……この正木敬之というお方は、独り吾国のみならず、世界の学界に重きをなしたお方で、従来から行詰ったままになっております精神病の研究に対して、根本的の革命を起すべき『精神科学』に対する新学説を、敢然として樹立されました、偉大な学者で御座います……と申しましても、それは無論、今日まで行われて参りましたような心霊学とか、降神術とか申しますような非科学的な研究では御座いませぬ。純然たる科学の基礎に立脚して編み出されました、劃時代的の新学理に相違ありませぬ事は、正木先生がこの教室内に、世界に類例の無い精神病の治療場を創設されまして、その学説の真理である事を、着々として立証して来られました一事を見ましても、たやすく首肯出来るので御座います。……申すまでもなく貴方も、その新式の治療を受けておいでになりました、お一人なのですが……", "僕が……精神病の治療……", "さようで……ですから、その正木先生が、責任をもって治療しておられました貴方に対して、法医学専門の私が、かように御容態をお尋ねするというのは、取りも直さず、甚しい筋違いに相違ないので、只今のように貴方から御不審を受けますのも、重々御尤千万と存じているので御座いますが……しかし……ここに遺憾千万な事には、その正木先生が、この一個月以前に、突然、私に後事を托されたまま永眠されたので御座います。……しかも、その後任教授がまだ決定致しておりませず、適当な助教授も以前から居ないままになっておりました結果、総長の命を受けまして、当分の間、私がこの教室の仕事を兼任致しているような次第で御座いますが……その中でも特に大切に、全力を尽して御介抱申上げるように、正木先生から御委托を受けまして、お引受致しましたのが、外ならぬ貴方で御座いました。言葉を換えて申しますれば、当精神病科の面目、否、九大医学部全体の名誉は目下のところ唯一つ……あなたが過去の御記憶を回復されるか否か……御自身のお名前を思い出されるか、否かに懸っていると申しましても、よろしい理由があるので御座います" ], [ "御尤もです。重々、御尤もです。どなたでもこの病室に御自分自身を発見されます時には、一種の絶望に近い、打撃的な感じをお受けになりますからね。……しかし御心配には及びませぬ。貴方はこの病棟に這入っている他の患者とは、全く違った意味で入院しておいでになるのですから……", "……ボ……僕が……ほかの患者と違う……", "……さようで……あなたは只今申しました正木先生が、この精神病科教室で創設されました『狂人の解放治療』と名付くる劃時代的な精神病治療に関する実験の中でも、最貴重な研究材料として、御一身を提供された御方で御座いますから……", "……僕が……私が……狂人の解放治療の実験材料……狂人を解放して治療する……" ], [ "さようさよう。その通りで御座います。その『狂人解放治療』の実験を創始されました正木先生の御人格と、その編み出されました学説が、如何に劃時代的なものであったかという事は、もう間もなくお解りになる事と思いますが、しかも……貴方は既に、貴方御自身の脳髄の正確な作用によって、その正木博士の新しい精神科学の実験を、驚くべき好成績の裡に御完成になりまして、当大学の名前を全世界の学界に印象させておいでになったので御座います。……のみならず貴方は、その実験の結果としてあらわれました強烈な精神的の衝動のために御自身の意識を全く喪失しておられましたのを、現在、只今、あざやかに回復なされようとしておいでになるので御座います。……で御座いますから、申さば貴方は、その解放治療場内で行われました、或る驚異すべき実験の中心的な代表者でおいでになりますと同時に、当九大の名誉の守り神とも申すべきお方に相違ないので御座います", "……そ……そんな恐ろしい実験の中心に……どうして僕が……" ], [ "それは誠に御尤も千万な御不審です。……が……しかしその事に就ましては遺憾ながら、只今ハッキリと御説明申上る訳に参りませぬ。いずれ遠からず、あなた御自身に、その経過を思い出されます迄は……", "……僕自身に思い出す。……そ……それはドウして思い出すので……" ], [ "……ま……ま……お待ち下さい。それは斯様な仔細で御座います。……実を申しますと貴方が、この解放治療場にお這入りになりました経過に就きましては、実に、一朝一夕に尽されぬ深刻複雑な、不可思議を極めた因縁が伏在しておるので御座います。しかもその因縁のお話と申しますのは、私一個の考えで前後の筋を纏めようと致しますと、全部が虚構になって終う虞れがありますので……詰るところそのお話の筋道に、直接の体験を持っておいでになる貴方が、その深刻不可思議な体験を御自身に思い出されたものでなければ、誰しも真実のお話として信用する事が出来ないという……それほど左様に幻怪、驚異を極めた因縁のお話が貴方の過去の御記憶の中に含まれているので御座います……が併し……当座の御安心のために、これだけの事は御説明申上ても差支えあるまいと思われます。……すなわち……その『狂人の解放治療』と申しますのは、本年の二月に、正木先生が当大学に赴任されましてから間もなく、その治療場の設計に着手されましたもので、同じく七月に完成致して、僅々四箇月間の実験を行われました後、今からちょうど一箇月前の十月二十日に、正木先生が亡くなられますと同時に閉鎖される事になりましたものですが、しかも、その僅かの間に正木先生が行われました実験と申しますのは、取りも直さず、貴方の過去の御記憶を回復させる事を中心と致したもので御座いました。そうしてその結果、正木先生は、ズット以前から一種の特異な精神状態に陥っておられました貴方が、遠からず今日の御容態に回復されるに相違ない事を、明白に予言しておられたので御座います", "……亡くなられた正木博士が……僕の今日の事を予言……", "さようさよう。貴方を当大学の至宝として、大切に御介抱申上げているうちには、キット元の通りの精神意識に立ち帰られるであろう。その正木先生の偉大な学説の原理を、その原理から生れて来た実験の効果を、御自身に証明されるであろうことを、正木先生は断々乎として言明しておられたので御座います。……のみならず、果して貴方が、正木先生のお言葉の通りに、過去の御記憶の全部を回復される事に相成りますれば、その必然的な結果として、貴方が嘗て御関係になりました、殆んど空前とも申すべき怪奇、悽愴を極めた犯罪事件の真相をも、同時に思い出されるであろう事を、かく申す私までも、信じて疑わなかったので御座います。むろん、只今も同様に、その事を固く信じているので御座いますが……", "……空前の……空前の犯罪事件……僕が関係した……", "さよう。とりあえず空前とは申しましたものの、或は絶後になるかも知れぬと考えられておりますほどの異常な事件で御座います", "……そ……それは……ドンナ事件……" ], [ "……その事件と申しますのは、ほかでも御座いませぬ。……何をお隠し申しましょう。只今申しました正木先生の精神科学に関する御研究に就きましては、かく申す私も、久しい以前から御指導を仰いでおりましたので、現に只今でも引続いて『精神科学応用の犯罪』に就いて、研究を重ねている次第で御座いますが……", "……精神科学……応用の犯罪……", "さようで……しかし単にそれだけでは、余りに眼新しい主題で御座いますから、内容がお解かりにならぬかも知れませぬが、斯様申上げましたならば大凡、御諒解が出来ましょう。……すなわち私が、斯様な主題に就いて研究を初めました抑々の動機と申しますのは、正木先生の唱え出された『精神科学』そのものの内容が、あまりに恐怖的な原理、原則にみちみちていることを察知致しましたからで御座います。たとえば、その精神科学の一部門となっております『精神病理学』の中には、一種の暗示作用によって、人間の精神状態を突然、別人のように急変化させ得る……その人間の現在の精神生活を一瞬間に打ち消して、その精神の奥底の深い処に潜在している、何代か前の祖先の性格と入れ換させ得る……といったような戦慄すべき理論と実例が、数限りなく含まれておりますので……しかもその理論と申しますのは、その応用、実験の効果が、飽く迄も科学的に的確、深刻なものがありますにも拘わらず、その作用の説明とか、実行の方法とかいうものは、従来の科学と違いまして極めて平々凡々な……説明の仕様によっては女子供にでも面白可笑しく首肯出来る程度のものでありますからして、考えようによりましては、これ程の危険な研究、実験はないので御座います。……もちろんその詳細な内容は遠からず貴方の眼の前に、歴々と展開致して来る事と存じますから、ここには説明致しませぬが……", "……エッ……エッ……そんな恐ろしい研究の内容が……僕の眼の前に……" ], [ "……自我……忘失症……", "さようで……あなたはその怪事件の裏面に隠れている怪犯人の精神科学的な犯罪手段にかかられました結果、その以後、数箇月の間というもの、現在の貴方とは全く違った別個の人間として、或る異状な夢中遊行状態を続けておられたので御座います。……もちろんこのような深い夢中遊行状態、もしくは極端な二重人格の実例は、普通人によくあらわれる軽度の二重人格的夢遊……すなわち『ネゴト』とか『ネトボケ』とかいう程度のものとは違いまして、極めて稀有のものではありますが、それでも昔からの記録文献には、明瞭に残っている事実が発見されます。たとえば『五十年目に故郷を思い出した老人』とか又は『証拠を突き付けられてから初めて、自分が殺人犯人であった事を自覚した紳士の感想録』とか『生んだ記憶の無い実子に会った孤独の老嬢の告白』『列車の衝突で気絶したと思っている間に、禿頭の大富豪になっていた貧青年の手記』『たった一晩一緒に睡った筈の若い夫人が、翌朝になると白髪の老婆に変っていた話』『夢と現実とを反対に考えたために、大罪を犯すに到った聖僧の懺悔譚』なぞいう奇怪な実例が、色々な文献に残存しておりまして、世人を半信半疑の境界に迷わせておりますが、そのような実例を、只今申しました正木先生独創の学理に照してみますと、もはや何人も疑う余地がなくなるので御座います。そのような現象の実在が、科学的に可能であることが、明白、切実に証拠立てられますばかりでなく、そんな人々が、以前の精神意識に立ち帰ります際には、キット或る長さの『自我忘失症』を経過することまでも、学理と、実際の両方から立証されて来るので御座います。……すなわち厳密な意味で申しますと、吾々の日常生活の中で、吾々の心理状態が、見るもの聞くものによって刺戟されつつ、引っ切りなしに変化して行く。そうしてタッタ一人で腹を立てたり、悲しんだり、ニコニコしたりするのは、やはり一種の夢中遊行でありまして、その心理が変化して行く刹那刹那の到る処には、こうした『夢中遊行』『自我忘失』『自我覚醒』という経過が、極度の短かさで繰返されている。……一般の人々は、それを意識しないでいるだけだ……という事実をも、正木先生は併せて立証していられるので御座います。……ですから、申すまでもなく貴下も、その経過をとられまして、遠からず、今日只今の御容態に回復されるであろう事を、正木先生は明かに予知しておられましたので、残るところは唯、時日の問題となっていたので御座います" ], [ "……くり返して申しますが、そのような正木先生の予言は、今日まで一つ一つに寸分の狂いもなく的中して参りましたので御座います。あなたは最早、今朝から、完全に、今までの夢中遊行的精神状態を離脱しておられまして、今にも昔の御記憶を回復されるであろう間際に立っておられるので御座います。……で御座いますから私は、とりあえず、先刻、看護婦にお尋ねになりました、貴下御自身のお名前を思い出させて差上げるために、斯様にお伺いした次第で御座います", "……ボ……僕の名前を思い出させる……" ], [ "あ。この前の時も君にお願いしたんでしたっけね。記憶しておりますか。あの時の刈方を……", "ヘイ。ちょうど丸一個月前の事で、特別の御註文でしたから、まだよく存じております。まん中を高く致しまして、お顔全体が温柔しい卵型に見えますように……まわりは極く短かく、東京の学生さん風に……", "そうそう。その通りに今度も願います", "かしこまりました" ], [ "……それでは……申します。この方は、あなたのタッタ一人のお従妹さんで、あなたと許嫁の間柄になっておられる方ですよ", "……アッ……" ], [ "……そ……そんな事が……コ……こんなに美しい……", "……さよう、世にも稀な美しいお方です。しかし間違い御座いませぬ。本年……大正十五年の四月二十六日……ちょうど六個月以前に、あなたと式をお挙げになるばかりになっておりました貴方の、たった一人のお従妹さんです。その前の晩に起りました世にも不可思議な出来事のために、今日まで斯様にお気の毒な生活をしておられますので……", "……………………", "……ですから……このお方と貴方のお二人を無事に退院されまするように……そうして楽しい結婚生活にお帰りになるように取計らいますのが、やはり、正木先生から御委托を受けました私の、最後の重大な責任となっているので御座います" ], [ "……僕の……たった一人の従妹……でも……今……姉さんと云ったのは……", "あれは夢を見ていられるのです。……今申します通りこの令嬢には最初から御同胞がおいでにならない、タッタ一人のお嬢さんなのですが……しかし、この令嬢の一千年前の祖先に当る婦人には、一人のお姉さんが居られたという事実が記録に残っております。それを直接のお姉さんとして只今、夢に見ておられますので……", "……どうして……そんな事が……おわかりに……なるのですか……" ], [ "……では……では……兄さんと云ったのは……", "それは矢張り貴方の、一千年前の御先祖に当るお方の事なのです。その時のお姉様の御主人となっておられた貴方の御先祖……すなわち、この令嬢の一千年前の義理の兄さんであった貴方と、同棲しておられる情景を、現在夢に見ておられるのです", "……そ……そんな浅ましい……不倫な……" ], [ "いいえ。ちっとも……", "……あ……それでは、あなたの過去の御経歴を思い出して頂く試験を、もっと続けてもよろしいですね" ], [ "ハイ。それは、やはり精神病者の心理状態の不可思議さを表現した珍奇な、面白い製作の一つです。当科の主任の正木先生が亡くなられますと間もなく、やはりこの附属病室に収容されております一人の若い大学生の患者が、一気呵成に書上げて、私の手許に提出したものですが……", "若い大学生が……", "そうです", "……ハア……やはり退院さしてくれといったような意味で、自分の頭の確かな事を証明するために書いたものですか", "イヤ。そこのところが、まだハッキリ致しませぬので、実は判断に苦しんでいるのですが、要するにこの内容と申しますのは、正木先生と、かく申す私とをモデルにして、書いた一種の超常識的な科学物語とでも申しましょうか", "……超常識的な科学物語……先生と正木博士をモデルにした……", "さようで……", "論文じゃないのですか……", "……さようで……その辺が、やはり何とも申上げかねますので……一体に精神病者の文章は理屈ばったものが多いものだそうですが、この製作だけは一種特別で御座います。つまり全部が一貫した学術論文のようにも見えまするし、今までに類例の無い形式と内容の探偵小説といったような読後感も致します。そうかと思うと単に、正木先生と私どもの頭脳を嘲笑し、飜弄するために書いた無意味な漫文とも考えられるという、実に奇怪極まる文章で、しかも、その中に盛込まれている事実的な内容が亦非常に変っておりまして科学趣味、猟奇趣味、色情表現、探偵趣味、ノンセンス味、神秘趣味なぞというものが、全篇の隅々まで百パーセントに重なり合っているという極めて眩惑的な構想で、落付いて読んでみますと流石に、精神異常者でなければトテモ書けないと思われるような気味の悪い妖気が全篇に横溢しております。……もちろん火星征伐の建白なぞとは全然、性質を異にした、精神科学上研究価値の高いものと認められましたところから、とりあえずここに保管してもらっているのですが、恐らくこの部屋の中でも……否。世界中の精神病学界でも、一番珍奇な参考品ではないかと考えているのですが……" ], [ "ヘエ。そんなに若いキチガイが、そんなに複雑な、むずかしい筋道を、どうして考え出したのでしょう", "……それは斯様な訳です。その若い学生は尋常一年生から高等学校を卒業して、当大学に入学するまで、ズッと首席で一貫して来た秀才なのですが、非常な探偵小説好きで、将来の探偵小説は心理学と、精神分析と、精神科学方面に在りと信じました結果、精神に異状を呈しましたものらしく、自分自身で或る幻覚錯覚に囚われた一つの驚くべき惨劇を演出しました。そうしてこの精神病科病室に収容されると間もなく、自分自身をモデルにした一つの戦慄的な物語を書いてみたくなったものらしいのです。……しかもその小説の構想は前に申しました通り極めて複雑、精密なものでありますにも拘わらず、大体の本筋というのは驚ろくべき簡単なものなのです。つまりその青年が、正木先生と私とのために、この病室に幽閉められて、想像も及ばない恐ろしい精神科学の実験を受けている苦しみを詳細に描写したものに過ぎないのですが", "……ヘエ。先生にはソンナ記憶が、お在りになるのですか" ], [ "そんな事は絶対に御座いませぬ", "それじゃ全部が出鱈目なのですね", "ところが書いてある事実を見ますと、トテモ出鱈目とは思えない記述ばかりが出て来るのです", "ヘエ。妙ですね。そんな事があり得るでしょうか", "さあ……実はその点でも判断に迷っているのですが……読んで御覧になれば、おわかりになりますが……", "イヤ。読まなくてもいいですが、内容は面白いですか", "さあ……その点もチョット説明に苦しみますが、少くとも専門家にとっては面白いという形容では追付かない位、深刻な興味を感ずる内容らしいですねえ。専門家でなくとも精神病とか、脳髄とかいうものについて、多少共に科学的な興味や、神秘的な趣味を持っている人々にとっては非常な魅力の対象になるらしいのです。現に当大学の専門家諸氏の中でも、これを読んだものは最小限、二三回は読み直させられているようです。そうして、やっと全体の機構がわかると同時に、自分の脳髄が発狂しそうになっている事に気が付いたと云っております。甚しいのになるとこの原稿を読んでから、精神病の研究がイヤになって、私の受持っております法医学部へ転じて来た者が一人、それからモウ一人はやはりこの原稿を読んでから自分の脳髄の作用に信用が措けなくなったから自殺すると云って鉄道往生をした者が一人居る位です", "ヘエ。何だかモノスゴイ話ですね。正気の人間がキチガイに顔負けしたんですね。よっぽどキチガイじみた事が書いてあるんですね", "……ところが、その内容の描写が極めて冷静で、理路整然としている事は普通の論文や小説以上なのです。しかも、その見た事や聞いた事に対する、精神異状者特有の記憶力の素晴しさには、私も今更ながら感心させられておりますので、只今御覧になりました『大英百科全書の暗記筆記』なぞの遠く及ぶところでは御座いませぬ。……それから今一つ、今も申します通り、その構想の不可思議さが又、普通人の所謂、推理とか想像とかを超越しておりまして、読んでいるうちにこちらの頭が、いつの間にか一種異様、幻覚錯覚、倒錯観念に捲き込まれそうになるのです。その意味で、斯様な標題を附けたものであろうと考えられるのですが……", "……じゃ……このドグラ・マグラという標題は本人が附けたのですね", "さようで……まことに奇妙な標題ですが……", "……どういう意味なんですか……このドグラ・マグラという言葉のホントウの意味は……日本語なのですか、それとも……", "……さあ……それにつきましても私は迷わされましたもので、要するにこの一文は、標題から内容に到るまで、徹頭徹尾、人を迷わすように仕組まれているものとしか考えられませぬ。……と申します理由は外でも御座いませぬ。この原稿を読み終りました私が、その内容の不思議さに眩惑されました結果、もしやこの標題の中に、この不思議な謎語を解決する鍵が隠されているのではないか。このドグラ・マグラというのは、そうした意味の隠語ではあるまいかと考えましたからで御座います。……ところが、これを書きました本人の青年患者は、この原稿を僅か一週間ばかりの間に、精神病者特有の精力を発揮しまして、不眠不休で書上げてしまいますと、流石に疲れたと見えまして、夜も昼もなくグウグウと眠るようになりましたために、この標題の意味を尋ねる事が、当分の間、出来なくなってしまいました。……といって斯様な不思議な言葉は、字典や何かには一つも発見出来ませぬし、語源等もむろんハッキリ致しませぬので、私は一時、行き詰まってしまいましたが、そのうちに又、計らず面白い事に気付きました。元来この九州地方には『ゲレン』とか『ハライソ』とか『バンコ』『ドンタク』『テレンパレン』なぞいうような旧欧羅巴系統の訛言葉が、方言として多数に残っているようですから、或は、そんなものの一種ではあるまいかと考え付きましたので、そのような方言を専門に研究している篤志家の手で、色々と取調べてもらいますと、やっとわかりました。……このドグラ・マグラという言葉は、維新前後までは切支丹伴天連の使う幻魔術のことをいった長崎地方の方言だそうで、只今では単に手品とか、トリックとかいう意味にしか使われていない一種の廃語同様の言葉だそうです。語源、系統なんぞは、まだ判明致しませぬが、強いて訳しますれば今の幻魔術もしくは『堂廻目眩』『戸惑面喰』という字を当てて、おなじように『ドグラ・マグラ』と読ませてもよろしいというお話ですが、いずれにしましてもそのような意味の全部を引っくるめたような言葉には相違御座いません。……つまりこの原稿の内容が、徹頭徹尾、そういったような意味の極度にグロテスクな、端的にエロチックな、徹底的に探偵小説式な、同時にドコドコまでもノンセンスな……一種の脳髄の地獄……もしくは心理的な迷宮遊びといったようなトリックでもって充実させられておりますために、斯様な名前を附けたものであろうと考えられます", "……脳髄の地獄……ドグラ・マグラ……まだよく解かりませぬが……つまりドンナ事なのですか" ], [ "それは欧洲の中世期に行われました迷信の図で、風俗から見るとフランスあたりかと思われます。精神病者を魔者に憑かれたものとして、片端から焚き殺している光景を描きあらわしたもので、中央に居りまする、赤頭巾に黒外套の老婆が、その頃の医師、兼祈祷師、兼卜筮者であった巫女婆です。昔は狂人をこんな風に残酷に取扱っていたという参考資料として正木先生が柳河の骨董店から買って来られたというお話です。筆者はレムブラントだという人がこの頃、二三出て来たようですが、もしそうであればこの絵は、美術品としても容易ならぬ貴重品でありますが……", "……ハア……焚き殺すのがその頃の治療法だったのですね", "さようさよう。精神病という捉えどころのない病気には用いる薬がありませんので、寧ろ徹底した治療法というべきでしょう" ], [ "……やっとお眼に止まりましたね", "……エッ……" ], [ "……あなたの中に潜伏しております過去の御記憶は、最前から、極めて微妙に眼醒めかけているように思われるのです。貴方が只今、あの、ドグラ・マグラの原稿からこの狂人焚殺の絵を見ておいでになるうちに、眼ざめかけて来ました貴方御自身の潜在意識が、只今、貴方を導いて、この写真の前に連れて来たものとしか思われないのです。何故かと申しますと、彼の狂人焚殺の名画と、この斎藤先生の御肖像をここに並べて掲げた人は、ほかでも御座いませぬ。あなたの精神意識の実験者、正木先生だからで御座います。……正木先生はあの狂人焚殺の絵に描いてあるような残酷非道な精神病者の取扱い方が、二十世紀の今日に於ても、公然の秘密として、到る処に行われている事実に憤慨されまして、生涯を精神病の研究に捧ぐる決心をされたのですから……。そうして斎藤先生の御指導と御援助の下にトウトウその目的を達しられたのですから……", "狂人焚殺……狂人の虐殺が今でも行われているのですか" ], [ "……行われております。遺憾なく昔の通りに行われております。否。焚き殺す以上の残虐が、世界中、到る処の精神病院で、堂々と行われているので御座います。今日只今でも……", "……そ……それはあんまり……" ], [ "……で御座いますからして、斎藤先生と正木先生と、あの狂人焚殺の因果関係をお話し致しますと、そのお話が一々、貴方の過去の御経歴に触れて来るので御座います。すなわち正木先生が、解放治療場に於て、貴方を精神科学の実験にかけるために、どれ程の周到な準備を整えてこの九大に来られたか……この実験に関する準備と研究のために、どのような恐ろしい苦心と努力を払って来られたか……", "エッ。エッ。僕を実験するために、そんなに恐ろしい準備……", "そうです、正木先生は実に二十余年の長い時日を、この実験の準備のために費されたので御座います", "……二十年……" ], [ "そうです。正木先生は、まだ貴方が、お生れにならない以前から、貴方のためにこの実験を準備して来られたのです", "……まだ生れない僕のために……", "さよう。こう申しますと、わざわざ奇矯な云い廻しを致しているように思われるかも知れませぬが、決してそのような訳では御座いませぬ。正木先生はたしかに、貴方がまだお生れにならないズット以前から、貴方の今日ある事を予期しておられたのです。貴方が只今にも、過去の御記憶を回復されました後に……否……たとい過去の御記憶を思い出されませずとも、これから私が提供致します事実によって、単に貴方御自身のお名前を推定されましただけでもよろしい。その上で前後の事実を照合されましたならば、私の申します事が、決して誇張でありませぬ事実を、御首肯出来る事と信じます。……又……そう致しますのが、貴方御自身のお名前をホントウに思い出して頂く、最上の、最後の手段ではないかと、私は信じている次第で御座いますが……" ], [ "正木先生が何故に、かかる光栄ある機会を前にして、行衛不明になられたかという真個の原因に就ては今日まで、何人も考え及んだ者が在るまいと思います。無論、私にもその真相は解かっていないので御座いますが、しかしその正木先生の行衛不明事件と、今申上げました『胎児の夢』の論文との間に、何等かの因果関係が潜んでいるらしい推測が可能であることは疑を容れないようであります。……換言致しますれば、正木先生は、御自分の書かれた卒業論文『胎児の夢』の主人公に脅やかされて行衛を晦まされたものではないかと考えられるので御座います", "……胎児の夢の主人公……胎児に魘やかされて……何だか僕にはよく解りませんが……", "イヤ。今のうちは、ハッキリとお解りにならぬ方が宜しいと思いますが" ], [ "……キチガイ地獄……外道祭文……それはドンナ事が書いてあるのですか", "……その内容は只今お眼にかけますが、やはり前の胎児の夢と同様、未だ曾て発表された事のない恐ろしい事実が書いてあるので御座います。要約めて申しますと、その祭文の中には、前にもちょっと申しました現代社会に於ける精神病者虐待の実情と、監獄以上に恐ろしい精神病院のインチキ治療の内幕が曝露してありますので……言葉を換えて申しますれば、現代文化の裏面に横たわる戦慄すべき『狂人の暗黒時代』の内容を俗謡化した一種の建白書、もしくは宣言書とでも申しましょうか。正木先生はこれを政府当局、その他、各官衙や学校へ洽ねく配布されたばかりでなく、自分自身で木魚を敲いて、その祭文歌を唄いながら、その祭文歌を印刷したパンフレットを民衆に頒布して廻わられたのです", "……自分自身で……木魚をたたいて……", "さようさよう……ずいぶん常軌を逸したお話ですが、しかし正木先生にとっては、それが極めて真剣なお仕事だったらしいのです……のみならず正木先生のそうした御事業に就いては、恩師の斎藤先生も、陰に陽に正木先生と連絡を取って、御自分の地位と名誉を投げ出す覚悟で声援をしておられた形跡があります。しかし、遺憾ながらその祭文歌の内容が、あまりに露骨な事実の摘発で、考えように依っては非常識なものに見えましたためか、真剣になって共鳴する者が無かったらしく、とうとう世間から黙殺されてしまいましたのは返す返すもお気の毒な次第で御座いました。……もっとも、その祭文歌の中に摘発してあります精神病院の精神病者に対する虐待の事実なぞが、一般社会に重大視される事になりますと、現代の精神病院は一つ残らず破毀されて、世界中に精神異状者の氾濫が起るかも知れない事実が想像され得るのでありますが、しかし正木先生は、左様な結果なぞは少しも問題にしてはおられなかったようで、唯、将来御自分の手で開設されるであろう『狂人解放治療』の実験に対する準備事業の一つとして、斯様な宣伝をされたものと考えられるので御座います", "それじゃ矢っ張り……" ], [ "それじゃ……やっぱり……僕を実験にかける準備……", "さようさよう……" ], [ "その通りです。あの斎藤先生は、正木先生が学位を受けられてから間もない、昨年……大正十四年の十月十九日に、突然に亡くなられたのです。しかも変死をされたのです", "……エ……変死……" ], [ "……その一緒にお酒を飲んだ人は、まだ判明らないのですか", "……左様……今だに判明致しませぬが、これは余程デリケートな良心を持った人でなければ、名乗って出られますまい", "……でも……でも……名乗って出ないと一生涯、息苦しい思いをしなければならないでしょう", "近頃の人達の常識から申しますと、そんなにまで良心的に物事を考える必要がないらしいのです。……たとい名乗って出たにしたところが、斎藤先生が墓の下から蘇生して来られる訳ではなし、ただ、自分一人が不愉快な汚名の下に、何かの制裁を受けるだけの事に過ぎないのだから、結局、社会の損害を増す意味になる……といったような考え方をしているのじゃないでしょうか……否。むしろ今頃はモウとっくの昔に忘れてしまっているかも知れないのですが……", "……でも卑怯じゃないですか。それは……", "……申すまでもない事です", "……第一、忘れられる事でしょうか……そんな事が……", "……さあ……そのような問題は、故、正木先生の所謂『記憶と良心』の関係に属する、面白い研究事項ではないかと考えられるのですが……", "それでは斎藤先生の死は、それだけの意味で、おしまいになったのですね", "さよう。それだけの意味で終ったのです。まことに呆気ないものであったのですが、しかし、その結果から申しますと、誠に大きな意味を含む事になったのです。すなわち斎藤先生の死は、やがて正木先生が、当、九大精神病科の仕事を担任されて、この椅子に座られる直接の因縁となり、更に、貴方と、あの六号室の令嬢とを、この教室に結び付ける間接の因縁ともなったのです。さよう……ここでは仮りに因縁と申しておきましょう。しかしこの因縁が、果して人為のものか、それとも天意に出でたものであるかは、やはり貴方が御自身の過去の御記憶を回復されました後でないと、確定的な推測が出来ませぬので……", "アッ……そ……そんな事まで、僕の記憶の中に……", "そうです。貴方の過去の御記憶の中には、そのような疑問の数々を解くのに必要な、大切な鍵までも含まれているのです" ], [ "ハア。ではその行衛不明になられた正木先生は、どうしてこの大学に来られるようになったのですか", "それは斯様な仔細です" ], [ "……よくあれにお気が付かれましたね。あなたの過去の御記憶は、いよいよ鋭く眼ざめて参ります。もはや皮一重というところまで御回復になっておりますようで……。実は只今の御質問が出ると同時に、今度こそ貴方の過去の御記憶が、一時に目醒めて来はしまいか……そうしたらドンナ風に御介抱申上げようかと、ちょっと心配致しました次第で……。何をお隠し申しましょう。あのカレンダーは、今から約一箇月前の日附を示しているので御座います。今日は大正十五年の十一月二十日ですから……", "それが……どうして、そのまんまになっているのですか" ], [ "その御不審が又、あなたの過去に関する大きな謎を解く鍵の一つとなっているので御座います。つまり正木先生は、あのカレンダーをあそこまで破って来られますと、あとを破ることを止められたのです", "……そ……それは又なぜ……", "正木先生は、あの翌日亡くなられたのです……しかも、ちょうど一年前に、斎藤先生が溺死を遂げられた、筥崎水族館裏の同じ処で、投身自殺をされたのです" ], [ "……繰り返して申します。……正木先生は自殺されたのです。只今お話し致しましたような順序で二十年の長い間、準備に準備を重ねて、前代未聞の解放治療の大実験を向うにまわして悪戦苦闘して来られた正木先生は、遂に、その刀を打ち折り、その箭種を射尽くされたとでも申しましょうか……どうしても自殺されなければならぬ破目に陥って来られたのです。……と申しましただけでは、まだおわかりになりますまいから、今すこし具体的に申しますと、正木先生の独創に係る曠古の精神科学の実験は、貴方とあの六号室の令嬢が、めいめいに御自分の過去の記憶を回復されまして、この病院を御退院になって、楽しい結婚生活に入られる事になって完成される手筈になっていたので御座いますが、それが或る思いもかけぬ悲劇的な出来事のために、途中で行き詰まりになりましたのです。……しかもその悲劇的な出来事が、果して正木先生の過失に属するものであったか、どうかというような事は誰一人、知っている者は居なかったのです。……けれどもその日が偶然にも、何かの天意であるかのように、斎藤先生の一週忌、正命日に当っておりましたために、一種の『無常』といったようなものを感じられたからでも御座いましょうか……正木先生は、その責任の全部を負われて、人間界を去られたのです。その実験の中心材料となられた貴方と、あの六号室の令嬢と、それ等に関する書類、事務、その他の一切を私に委託されて……", "……そ……それでは……" ], [ "……それじゃ……もしや僕が……正木先生の生命を呪ったのでは……", "……イヤ。違います。その正反対です" ], [ "……それは……ドンナ手順……", "それはここに在ります書類を御覧になれば、お解かりになります" ], [ "脳髄が無くとも物は考えられますよ", "私たちは全身が脳髄なのですよ", "私たちは脳髄の全体をソックリそのまま変形して、手足にしたり、胴体にしたり、又は耳、眼、口、鼻、消化排泄、生殖器官なんどの色々に使い分けているのですよ", "あなた方は、そんな作用を分業にして、別々の器官に受持たせておられるだけの事ですよ", "あなた方の手足だってチャント物を考えているのですよ", "お尻でも見たり聞いたりしているのですよ", "股を抓ねれば股だけが痛いのですよ", "蚤が喰えばそこだけが痒いのですよ", "脳髄は痛くも痒ゆくも何ともないのですよ", "まだお解りになりませんか", "アハハハハハハハハ", "オホホホホホホホホホ", "イヒヒヒヒヒヒヒ" ], [ "コンナ塩梅式では吾輩の精神解剖学や精神生理、精神病理、心理遺伝なぞいうものは、とても剣呑で発表出来ないね。普通の人間よりも、精神病者の方が、気が慥かだという学説なんだからね。ハハハハ……", "そうですねえ。科学ぐらい人類を侮辱しているものはないという事を、大抵の人間は知らずにいるのですからね", "そうだとも、しかし『人間は猿の子孫也』と聞いてソレ見ろと得意になっている連中が……お前達はみんなキチガイだと云われると、慌てて憤り出すところは奇観じゃないか。猿の進化したものが人間で、人間の進化したものがキチガイだという事実を知らないばかりじゃない。全然反対の順序に考えているらしいんだからね。ワッハッハッハッハ……" ], [ "アーッ……アーッと。イヤア。とうとうやって来たね。ハハハハハハ多分もうやって来る時分だと思っていたが", "ハア……ではもう、事件の内容は御存じなので……", "知っているぐらいじゃない……これだろう……花嫁殺し迷宮に入る……という……無論記事の内容にはヨタが多いだろうが……", "さようで……併し私がこの事件に関係致しておりますことは、どうして御存じで……", "……ナアニ……この間一寸用事があって君に電話をかけたら、午後の講義をブッ潰して、自動車でどこかへフッ飛んで行ったというから、扨は何か初まったナ……と思っていると、その日の夕刊に……結婚式の前夜に花嫁を絞殺す……とか何とかいう特号四段抜きか何かの記事が出たから、扨はこの事件に引っかかったナ……と察していた訳なんだがね", "ナルホド。しかし今日私がこちらに伺いますことは、どうして御存じで……", "ウン……それあ今日かいつか知らないがキッと来るには間違いないと思っていた。……というのはこの事件は……ホラ……例の心理遺伝に違いないと最初から睨んでいたからね。君が調べ上げて吾輩の処へ持込んで来るのを実は待っていた訳だ。ハハハハハ", "恐れ入ります。お察しの通りで……実は私は二年前からこの事件に関係致しておりましたので……", "エッ。二年以前から……", "さようで……", "……フ――ン。二年前にも、こんな事件があったんかい", "ハイ、それも同じ少年が、実母を絞殺致しました事件で……", "ウーム。おんなじ奴が、おんなじ手段で……しかも実母を……ウーム……", "実はその時に、こちらから進んで事件に関係致しました私は……この事件の犯人は別にいる。この少年が殺したのではない……と主張致しておったので御座いますが、その犯人がその後どうしても見つかりませぬ", "君の炯眼を以てしてかい", "……お恥かしい次第ですが、このような難解な事件に接しました事は、私も生れて初めてで……何と説明致したら宜しう御座いましょうか……犯跡が歴然と致しておりながら、犯人が居た形跡がないとでも……", "……フ――ン。面白いナ……", "……で御座いますから、その少年が前回の実母絞殺事件で無罪と相成りました後も私は決して安心致しませんで、何とかして犯人の目星をつけたいと考えました結果、被害者の実の姉で、少年の伯母に当る八代子という者や、警察方面とも連絡を取りまして、もしこの後に、この少年の起居動作、又は一身上の出来事なぞにすこしでも変った事があったら、直に知らせてくれるように頼んだりなぞ致して、絶えず注意を払っていたので御座いますが、とかくする中に二年後の今日と相成りますと、果して又も同じ少年が、今度は自分の伯母に当る八代子の娘でしかも自分の花嫁となるべき呉モヨ子という少女をその結婚式の前夜に絞殺致しましたので、二年前の実母殺しも、やはりこの少年が、同じような精神病的発作に駆られてやったものに違いない……というような事になりました。お蔭で二年前に……この少年の母を殺した犯人は別にいる……と申しました私の言葉は、目下のところスッカリ信用を失っておりますような訳で……", "アハハハハハ痛快痛快……。そう来なくっちゃ面白くない。君の腕試しには持って来いの事件らしいね", "イヤどうも……腕試しどころでは御座いませんので……。実は私もこの事件を、兼ねてから御指導によって研究致しております精神科学的犯罪の好研究材料と信じまして、一ツの事を三ツも四ツもの各方面から調査致しまして、スッカリ書類にしておいたので御座いますが……この風呂敷包みの中のがそれで……", "……ウワッ……オッソロシイ大部なモンじゃないかそれあ……事件が始まってから、まだ一週間しか経たないのによく、それだけの書類が……", "イヤ、この中には、二年前の事件に関する調査書類も一緒になっておりますので……又今度の事件の分も、いつ何時私が重態に陥りましても差支えないように、調べる片端から不眠不休でノートに致して参りましたのですが……おかげで持病の喘息が急に悪化しまして、幾何もない私の余命が、一層たよりなくなったような気が致します", "ウ――ム。そういえば近来急に影が薄くなったようだ。気をつけなくちゃいけないぜ。木乃伊取が木乃伊式に、自分自身が精神科学の幽霊になったんじゃ鳧のつけようがないからね。アハハハハ、イヤ御苦労御苦労……ところで、その包の上にツン張り返っている四角い箱は何だいソレア……", "ハイ。これが今回の心理遺伝事件の暗示に使われました一巻の絵巻物で、箱は私が指物屋に命じて作らせたもので御座います。……その呉一郎と申す青年は、誰かにこの絵巻物を見せられた結果、精神異常を来したものに相違ないと考えられるので御座いますが、今も申します通り、当局者と私の見込が全く違ってしまいまして、呉一郎の精神異状は自然的の発病か、もしくは精神病者を装っているものと認められておりますために、この絵巻物を当局者に参考材料として見せましても、頭から一笑に附しているので御座います。併し又、一方から申しますと、そのお蔭で、斯様な貴重な参考材料が、都合よくこちらの手に這入りましたような訳で……", "アハハハハ。そいつはよかったね。君がその風采で、警察や裁判所の奴等の前にそんな巻物を持出して、ソモソモこれが恐れ多くも勿体なくも正木博士独特の御研究にかかる前代未聞の新学理、心理遺伝の暗示材料で御座る……なぞ云い出したら、大抵面喰ってしまったろう。よく香具師と間違えられなかったね、アハハハハハハ", "ハハハハハ。イヤ実は例の隠蔽になりませぬように形式だけ見せたので御座いますが、実はこちらの物にしたくてたまりませんでしたので……", "如何にも……そこに抜かりはない男だからね……", "イヤ……どうも……", "……ところで今日の用事というのは、その書類と事件とを吾輩に押しつけに来たんかい", "ハイ。それも御座いますが今一つ……現在、花嫁殺しの犯人と目されて、福岡土手町の未決監に入れられております少年呉一郎の精神鑑定がお願い致したいので……", "ウン。あの少年かい。あの少年の精神状態なら新聞記事だけで大抵様子は判っているよ。所謂発作後の健忘状態という奴だ。つまりその絵巻物の暗示か何かで精神異状を来した結果、或る夢中遊行を起して、花嫁を殺したりしている奴を、無理矢理に取押えて夢中遊行を中絶させようとしたために大暴れに暴れ出した。そうして、そんな興奮から来た神経細胞の極度の疲労のために、発作以前にもさかのぼったアラユル過去の記憶がタタキ付けられて活躍不能になってしまった。すなわち『逆行性健忘症』に陥った……というぐらいの事は新聞記事を読んだだけでチャント見当がついている。そこいらによくある奴で、何も別に吾輩を呼出さなくとも君が説明してやれば、それで沢山だと思うがね", "ハイ。それがその……今度の事件では私の信用が覆えりまして、私の鑑定だけでは当にならなくなりましたために、裁判所の方でも弱っておりますようで……事に依ると呉一郎少年は殺人狂ではないか……なぞと申しておるようで御座いますが……", "フーム。そいつは怪しからんナ。素人とは云い条、司法官の癖に無智にも程がある。第一殺人狂なぞいう精神病がこの世の中に存在すると思っているからして人を馬鹿にしているじゃないか。人を殺したからといって、すぐに殺人狂だなぞいうのは故殺と謀殺とを一緒にするよりも非道い間違いだぜ", "それはそうで……", "そうだとも……君なぞは疾っくに気が付いているだろうが、精神病鑑定の参考材料としてその発病前後の言動が如何に有力なものであるかという事は、ちょうど犯罪検挙に於ける嫌疑者の犯行前後に於ける言動と同様だという事を、今の学者は一人も知らんから困るのだ。精神病者というものは、いくらキチガイだからといって、決して無茶苦茶な乱暴の仕方をするものでない。その発病のキッカケとなった刺戟、心理遺伝の内容、精神異常状態の深さ等によって、キッチリとした筋道を立てて、いろんな脱線をして行くもので、その間に些しの誤魔化しもないから、普通人の犯罪の跡なんぞよりもずっと合理的で順序が立っている。ことに人でも殺したとなると、その兇行の前後の様子は、普通の犯罪以上に有力な参考として見なければならぬ", "御尤もで……初めて伺いました", "この理屈を知らないもんだから、人を殺すと、イキナリ殺人狂なぞいう名前をつける。二人も殺すと尚更間違いないことになるんだ。……成程人を殺したという結果から考えると、殺人狂とでも云えるかも知れないが、その殺人狂が寒暖計の代りに人間の頭をタタキ割ったものとしたらどうだい。ハハハハハハ。それでも殺人狂と名づけ得る学者があったらお眼にかかるよ。……精神病者から見ると自分以外の存在は、人間でも、動物でも、風景でも、天地万象の一切合財がみんな影法師か、又は動く絵ぐらいにしか見えない場合がある。たとえば赤い絵具が欲しいという慾望が起れば、その精神病者は他人の頭をタタキ割るのも、赤いアルコール入りの寒暖計をブチ壊すのも同じ事に心得ているのだからね。その真実の目的が、赤い液体を手に入れて赤い花の絵を描きたいためであったと解れば、決して殺人狂なぞいう名前はつけられないであろう。だから吾輩の眼で見ればこの少年の兇行も、目的はほかにあると思う。換言すれば、この少年を支配している心理遺伝の内容次第だ", "御尤もで……実は私も、そんな事ではないかと思いましたので、これは全然私の畠ではない、先生の御領分と存じまして、かように御参考用として、関係書類を全部持参致しました訳で御座いますが……それに尚、今一つ……この事件に関する疑問の最後の一点だけが、当然私の受持になっておりますので、その点に就て特に御援助を仰ぎたいために、今日実はお伺い致しました次第で……", "フーム。何だか話が恐しく緊張して来たね。何だいその最後の一点というのは……", "ハイ……それはこの絵巻物を使って呉一郎に暗示を与えた人間……", "アッ……ナルホドね。そんな人間がもし居るとすれば、其奴はトテモ素晴しい新式の犯罪者だよ。たしかに君の受持だね。そいつを探り出すのは……", "さようで……けれども、この一点が今のところではカイモク判りませぬために、事件の全体が隅から隅まで、神秘の雲に奥深く包み込まれた形になっておりますので……", "それあそうだろうさ。心理遺伝に支配された事件は大抵神秘の雲に包まれたっきり、わからず仕舞になるのが、昔からの吉例になっているんだからね。新聞に出た奴だけでも、どれ位あるか判らん", "しかし……私が考えますと、今度の事件に限っては、その神秘の雲を破り得る可能性がありますようで……と申しますのは外でも御座いませぬ。その最後の疑問の一点というのは、必ずやその少年の記憶の底に……", "ヤッ……わかったわかった。重々相判った……つまりその少年の精神状態を回復さしたら、その絵巻物を見せてくれた人の顔や姿を思い出すだろう……だからその記憶を探し出す目的で、とりあえず精神鑑定をやってくれというのだろう", "さようで……まことに恐入りますが、こればかりは、どうしても私の力に及びませぬので……", "イヤ。わかったわかった。重々相わかった。流石は一代の名法医学者だ。よいところへお気が付かれました……かね。ハハハハ。イヤ引受けた。たしかに引受けた", "ドウモ……まことに……", "ウンウン。心得た心得た。万事心得た。最早この事件をスッカリ頭から取り去て悠々自適の裡にビタミンを摂取したまえ……イヤ、ビタミンといえば、どうだい一ツ今から吉塚へ鰻を喰いに行かないか。久振りに一杯……といっても、飲むのは吾輩だけだが……まあいいや。この事件に対する君の慰労の意味で……", "ハイ、それはどうも……しかし、その少年の精神鑑定にはいつ頃御出張願えましょうか。私から裁判所へ通告致しておきますが……", "ウン。それあいつでもいいよ。何も面倒な事じゃない。その少年の面をたった一目見ただけで、コレは殺人狂でも偽狂でも御座らぬ。しかし、なお細かい鑑定のために入院させる必要が御座るというので、この精神科へ連れてくる手筈が、今からチャンときまっているから他愛ないね。若林博士の評判地に落ちるに反して、正木の名声隆々たりかネ……ハハハハハハ", "恐れ入ります……ではこの書類はどう致しましょうか", "……ア……そいつは吾輩が預かるんだっけね。ハテ、どうしようか……ウン。いい事がある。こちらへよこし給え……このストーブの中へ投り込んで、こうして蓋をしておこう。今年の冬までは火を焚く気遣いないからね。お釈迦ア様アでも気が付くめえ……と来やがった……", "ハア……それは何の声色ですか" ], [ "……お父さん……です……", "アッハッハッハッハッハッハッハッ" ], [ "ウム……ところでこれは何だね。何の役に立つのかね、これは……", "それは青琅玕の玉と、水晶の管と、人間の骨と、珊瑚の櫛です" ], [ "ここいらに女の屍体が埋まっているのです", "ウーム。ナルホド。ウーム" ], [ "……どうだい……久し振りに出て来たじゃないか。スッカリ色が白くなって……おまけに肥って", "……ハイ……" ], [ "……あの人の畠打ちを見ているのです", "フーム。だいぶ意識がハッキリして来たな" ], [ "……そうです……あれは僕の鍬なのです", "ウン。それは解っているよ" ], [ "……あの鍬は君のものなんだ。しかし折角ああやって熱心に稼いでいるんだから、もうすこし待っていてくれないか。そのうちに十二時のドンが鳴れば、あの爺さんはキットあの鍬を放り出して、飯を喰いに行くにきまっているんだから……そうして午後はもう日が暮れるまで決して出て来ないのだから", "キットですか" ], [ "僕は今欲しいんです……", "フーム。何故だね……それは……" ], [ "ワッ……正木先生……", "アハハハハハ……驚いたか……ハハハハハハハ。イヤ豪い豪い。吾輩の名前をチャンと記憶していたのは豪い。おまけに幽霊と間違えて逃げ出さないところはイヨイヨ感心だ。ハッハッハッハッハッ。アッハッハッハッ" ], [ "アッハッハッハッハッ。ヒドク吃驚しているじゃないか。アハハハハハ。何もそう魂消る事はないんだよ。君は今、飛んでもない錯覚に陥っているんだよ", "……飛んでもない……錯覚……", "……まだわからないかね。フフフフフ。それじゃ考えてみたまえ。君は先程……八時前だったと思うが……若林に連れられてこの室に来てから色んな話を聞かされたろう。吾輩が死んでから一箇月目だとか何とか……ウンウン……あのカレンダーの日附けがドウとかコウとか……ハハハハハ驚いたか、何でも知っているんだからな……吾輩は……。それから君がその『キチガイ地獄の祭文』だの『胎児の夢』だの新聞記事だの、遺言書だのを読まされているうちに、吾輩はもう夙っくの昔の一箇月前に死んでいるものと、本当に思い込んでしまったろう……そうだろう", "……………", "アハハハハハ。ところがソイツは折角だが若林のヨタなんだ。君は若林のペテンにマンマと首尾よく引っかかってしまっているんだ。その証拠に見たまえ。その遺言書の一番おしまいの処を見ればわかる。ちょうどそこの処が開いているだろう。……どうだい……昨夜から吾輩が夜通しがかりで書いていた証拠に、まだ青々としたインキの匂いがしているだろう。ハハハハハ。どんなもんだい。遺言書というものは、是非とも本人が死んだ後から現われて来なければならぬものと、きまってやしないぜ。吾輩がまだ生きていたって、何も不思議はなかろうじゃないか。アッハッハッハッハッ", "……………" ], [ "アッハッハッハッハッ……ゴホンゴホン……妙な顔をしているじゃないか……ウフフフフフフ是非とも吾輩が死んでいないと具合がわるいと……ゲッヘンゲッヘン……云うのかね。ゲヘゲヘ弱ったなドウモ……こうなんだよ。いいかい。君は今朝早く……多分午前一時頃だったと思うが、あの七号室のまん中に大の字形に寝ていた。そうして眼を醒ますと、イキナリ自分の名前を忘れているのに驚いて、タッタ一人で騒ぎ廻ったろう", "……エッ……どうしてそれを御存じ……", "御存じにも何も大きな声を出して怒鳴り散らしたじゃないか。他の奴はみんな寝ていたが、この室でこの遺言書を書いていた吾輩が聞き付けて行ってみると、君はあの七号室で、一所懸命に自分の名前を探しまわっている様子だ。……扨はヤット今までの夢遊状態から醒めかけているんだナ……と思って、なおも大急ぎで遺言書を書き上げるべく、二階へ引返して来た訳だが、そのうちに夜が明けてから、やっと居睡りから眼を醒ました吾輩が、少々気抜けの体でボンヤリしていると、間もなく若林が例の新式サイレンの自動車で馳け付けて来る様子だ。……こいつは面黒い。君が夢中遊行の状態から醒めかけている事を、早くも誰かが発見して若林に報告したと見える。ナカナカ機敏なものだが、扨馳け付けて来てドウするつもりか……となおも物蔭から様子を見ていると、若林は君の頭を散髪さして湯に入れて、堂々たる大学生の姿に仕立て上げてから、君の室と隣り合わせの六号室に入院している一人の美少女に引き合わせたろう。……しかも、それは君の許嫁だというのでスッカリ君を面喰らわせたろう", "エッ……それじゃあの娘は、やっぱり精神病患者……", "そうさ。しかも学界の珍とするに足る精神異状さ。大事の大事の結婚式の前の晩にカンジンカナメの花婿さんから、思いもかけぬ『変態性慾の心理遺伝』なぞいう途方トテツもない夢遊発作を見せられたために、吾れ知らずその夢遊発作の暗示作用に引っかけられて、その花婿さんと同じ系統の心理遺伝の発作を起して、とりあえず仮死の状態に陥ってしまった。ところが、若林の怪手腕によって、そこから息を吹き返して来ると、今度は千年も前に死んだ玄宗皇帝や楊貴妃を慕ったり、居もしない姉さんに済まないと云い出したり、又は赤ん坊を抱く真似をして、お前は日本人になるんだよと云ったりしていた……尤も今では、よほど正気付いてはいるがね……", "……ソ……それじゃ……ア……あの娘の……名前は……何というので……", "ナニ。名前……聞かなくたってわかっているだろう。音に聞えた姪の浜小町さ……呉モヨ子さ……", "……エッ……ソ……それじゃ……僕は呉一郎……" ], [ "……エヘン……思い出さなければモウ一度云って聞かせるが、いいかい……気を落ち付けてよく聞きたまえよ。君は現在、一つのトリックに引っかけられているのだよ。つまり……吾輩の同輩若林鏡太郎博士は、君自身を呉一郎と認めさせて、充分に間違いのない事を確信させた上で、吾輩に面会させようとしているのだ。そうして吾輩をこの世に二人といない、極悪無道の人非人として君に指摘させようとしているのだよ", "エッ。あなたを……", "ウン。まあ聞け。君がよく気を落ちつけて、今朝から起った出来事を今一度ハッキリと頭の中で考え合わせて来さえすれば、万事が何の苦もなく解決するのだ。……いいかい" ], [ "いいかい。改めて云っておくが、今日は大正十五年の十月二十日だよ。いいかい。もう一度、繰り返して云っておく。きょうは大正十五年の十月二十日……この遺言書に書いてある通り、呉一郎が一個月振でこの解放治療場にヒョックリと出て来て、鉢巻儀作爺の畠打ちを見物していた、十月十九日のその翌日なんだよ。……その証拠にあのカレンダーを見たまえ。……OCTOBER……19……すなわち昨日の日付になっている。これは吾輩が昨日からあまり忙がしかったので、あの一枚を破るのを忘れていたからで、同時に吾輩が昨日から徹夜してここに居た事を証明しているのだ……いいかい。解ったね。……それから、序に吾輩の頭の上の電気時計を見たまえ。今は十時十三分だろう。ウン。吾輩のとピッタリ合っている。つまり吾輩が今朝になって、その遺言書を書きさしたまま、居睡りを初めてから、まだ五時間しか経過していない理窟になるんだ。……こうした事実と、その遺言書のおしまいの処のインキがまだ青々としている事実とを綜合したら、吾輩がこうしてケロリとしていたって別に不思議がる事はなかろうじゃないか。いいかい、……この点をまずシッカリ頭に入れとかないと、あとで又大変な錯覚に陥るかも知れない虞があるんだよ", "……しかし……若林先生が先刻……", "いけない……" ], [ "いけない。吾輩の云う事を信じ給え。若林の云う事を本当にしてはいけない。若林はサッキからこの一点でタッタ一つの大失敗を演じているんだ。彼奴は先刻、この室に這入ると間もなく、吾輩がこの大暖炉の中で焼き棄てた著述の原稿の、焦げ臭いにおいを嗅ぎ付けたに違いないのだ。それからこの遺言書をこの卓子の上で見付けると直ぐに一つのトリックを思い付て、その通りに君へ説明をしたんだ", "……でも……けれども……今日は先生がお亡くなりになってから一箇月後の十一月二十日だと……", "チェッ……仕様がないな。ドウモそういう風にどこまでも先入主になって来られちゃ敵わない……いいかい。聞き給え……こうなんだよ" ], [ "いいかね。よく聞き給えよ。間違わないようにね……今日は吾輩の死後一箇月目だなんて、あられもないヨタを若林が飛ばしたのは、君を騒がせないための小細工に過ぎないんだよ。いいかね……もし吾輩がこの遺言書をこんな風に書きさしたまま、どこかへ消え失せてから、まだ幾時間も経っていないという事が君にわかれば、君はキット吾輩が自殺に出かけたものと思ってハラハラするだろう。又実際そうとなったら彼奴だってジッとしてはおられまい。友人の義務としても、又は、学部長の責任としても否応なしに万事を打ち棄てて、吾輩の行衛を突き止めて、自殺を喰い止めなくちゃならない事になるだろう。……ところで又そうなると若林は、自分の手一つで君の過去の記憶を呼び返させ得る唯一無二の機会を失う事になるかも知れないだろう……ね……そうだろう……君が過去の記憶を思い出すか出さないかは、若林の身にとってみると生涯の一大事になる訳があるんだからね。しかも今朝が絶好の機会と来ているんだから……", "……………", "……だから若林は、吾輩がどこからか耳を澄ましているのをチャント知り抜いていながら、今日はこの遺言書が書かれてから一箇月後の十一月二十日だなぞと、法医学者にも似合わない尻の割れた出鱈目を云って、とにも角にも君を落ち付かせようとしたんだ。そうしてゆっくりとこの実験を遂げて、呉一郎としての君の記憶を回復させさえすれば、モウ何もかもこっちのものだと考え付いたんだ。……君が若林の見込み通りに、呉一郎としての過去の記憶を回復しさえすれば、その次に、かく云う吾輩を君の不倶戴天の親の仇、兼、女房の仇と認めさせる位の事は、説明の仕様で何の雑作もない事になるんだからね。……又、実際吾輩は有難い事に精神科学者なんだから、何も知らない呉一郎に催眠術でもかけて、親や女房を絞め殺させて、これだけの実験材料を拵え上げる位の仕事はいつでも出来る自信があるんだからね。この事件の嫌疑者には持って来いの人物なんだ。ね。そうだろう", "……………", "そうして、もし又、万が一にもその実験がうまく行かなかったらだね。……つまりそんな書類を君に読ませても、君自身が何にも思い出さなかったら、最後の手段を用いてくれよう……今度は君に気付かれないようにソット姿を隠して、あとからキットここに出て来るに違いないであろう吾輩と君を突き合わせて、吾輩の顔を君が思い出すか出さないか……そうして思い出したら、その印象によって君自身の過去の記憶が回復されるかどうかを試験してやろう……そうして万が一にもその試験がうまく行ったら、窮極するところ、吾輩の力で吾輩を恐れ入らしてやろうという、実に巧妙辛辣を極めた計略を謀らんだ訳だ。その辺の呼吸の鋭どい事というものは、実に彼奴一流の専売特許なんだよ。いいかい", "……………", "元来彼奴はコンナ策略にかけては独特のスゴ腕を持っているんだ。ドンナに身に覚えのない嫌疑者でも、彼奴の手に引っかかって責め立てられて来ると、頭がゴチャゴチャになって、考え切れないような心理状態に陥ってしまうんだ。とうとうしまいには何が何だかわからなくなったり、到底逃れられぬと観念したり、そうかと思うと慌てた奴は、成程御尤も千万と感心してしまったりして、知りもしない罪を引き受けたりする位だからね。近頃亜米利加で八釜しい第三等の訊問法なんかは屁の河童だ。彼奴の使う手は第一等から第百等まで、ありとあらゆる裏表を使い別けて来るんだから堪らない。……現に今だってそうだ。仮りに吾輩が彼奴の見込み通りに斎藤先生を殺して、その後釜に座って、コンナ実験をこころみて失敗をして自殺を思い立った人間とするかね。その吾輩がどこからか耳を澄ましている前で、だんだんと吾輩がそんな大悪人と認められて来るように……そうして君自身が、その吾輩の当の怨敵である呉一郎自身と認められて来るように、合理的に話が進められて行く。同時に、その吾輩の生涯を賭した事業の功績が、スウーッと奪い去られて行くのを、手も足も出ないまま見たり聞いたりしていなければならない状態に陥って行くとしたら、吾輩にとってコレ以上の拷問があり得るかドウか考えてみるがいい。そのまま黙って自殺するか、飛び出して来て白状するか、二つに一つの道しかないだろうじゃないか……彼奴、若林の遣り口は早い話がザットこんな塩梅式だから堪らないのだ。ドンナ難事件でも一旦彼奴の手にかけるとなると、キットどこからか犯人をヒネリ出して来る。そのために彼奴が『迷宮破り』なぞと新聞に唄われている事実の裏面には、こうした消息が潜んでいるんだよ", "……………", "ところがだ。ところが今度という今度ばかりはそう行かないらしいんだ。今朝から連続的にこころみて来た彼奴の実験が、一々見込み外れになってしまって、君自身に何等の反応を現わさなかったばかりでなく、彼奴お得意の訊問法のトリックが、コンナ風にテッペンから尻を割っているところを見ると、そんなに恐怖がる程の事もないようだね。……流石の古今無双の法医学者先生も、相手が吾輩というので緊張し過ぎたせいか、今朝から少々慌てて御座るようだ。或はこれこそ先生の『空前絶後の失敗』かも知れないがね。ハッハッ……", "でも……でも……でも……", "まだ『でも』が残っているのかい……何だい……その『でも』は……", "……でも……その実験は先生がなさるのが当り前……", "そうさ。無論、君の過去を思い出させる実験は吾輩がやるのが当然さ。だから彼奴はこんなトリックを用いて、この実験の結果を独り占めにしようとしたんだ……彼奴は出来る限り吾輩を見殺しにしようとしたんだよ", "エッ……ソ……そんな無茶な事が……", "チャント実行されているから面白いだろう。第一吾輩が、その手を喰わずに、こうやって生き長らえて、ここへ出て来て喋舌っているのが何よりの証拠じゃないか" ], [ "解放治療場を見ているのです", "フ――ウ――ム" ], [ "ハイ……狂人が十人居るようです", "……ナニ……狂人が十人……" ], [ "ハイ。キッチリ十人おります", "……ウ――ム……" ], [ "それじゃモウ一つ尋ねるが、あの畠の一角に立って、老人の鍬の動きを見ている青年がいるだろう", "ハイ。おります", "……ウム……いる……ところでその青年は今、ドッチを向いて突立っているかね" ], [ "こちらに背中を向けて突立っております。ですから顔はわかりません", "ウン……多分そうだろうと思った。……しかし見ていたまえ。今にこちらを向くかも知れないから……。その時にあの青年が、どんな顔をしているかを君は……" ], [ "イヤ。驚くのも無理はない。あの青年は君と同年の、しかも同月同日の同時刻に、同じ女の腹から生れたのだからね", "……エッ……" ], [ "……ソ……それじゃ僕と、あの呉一郎とは双生児……", "イイヤ違う……" ], [ "双生児よりもモット密接な関係を持っているのだ。……無論他人の空似でもない", "……ソ……そんな事が……" ], [ "ウンウン。迷う筈だよ。……君は昔から物の本に載っている、有名な離魂病というのに罹っているのだからね……", "……エ……離魂病……", "……そうだよ。離魂病というのは、今一人別の自分があらわれて、自分と違った事をするので、昔から色んな書物に怪談として記録されているが、精神科学専門の吾輩に云わせると、学理上実際にあり得る事なんだ。しかし、そいつを現実に、眼の前に見ると、何ともいえない不思議な気持ちがするだろう" ], [ "……あれが僕……呉一郎と……僕と……どっちが呉一郎……", "ハハハハハハハ、どうしても思い出さないと見えるね。まだ夢から醒め得ないのだね", "エッ夢……僕が夢……" ], [ "そうだよ。君は今夢を見ているんだよ。夢の証拠には、吾輩の眼で見ると、あの解放治療場内には先刻から人ッ子一人いないんだよ。ただ、枯れ葉をつけた桐の木が五六本立っているきりだ……解放治療場は、昨日の大事変勃発以来、厳重に閉鎖されているんだからね……", "……………", "……こうなんだ……いいかい。これは、すこし専門的な説明だがね。君の意識の中で、現在眼を醒まして活躍しているのは現実に対する感覚機能が大部分なんだ。すなわち現在の事実を見る、聞く、嗅ぐ、味う、感ずる。そいつを考える。記憶する……といったような作用だけで、過去に関する記憶を、ああだった、こうだったと呼び返す部分は、まだ夢を見得る程度にしか眼を醒していないのだ。……そこで君がこの窓から、あの場内の光景を覗くと、その一刹那に、昨日まであそこに、あんな風をして突立っていた君の記憶が、夢の程度にまで甦って、今見ている通りのハッキリした幻影となって君の意識に浮き出している。そうしてそこに突立っている君自身の現在の意識と重なり合って見えているのだ。つまり、窓の外に立っている君は、君の記憶の中から夢となって現われて来た、君自身の過去の客観的映像で、硝子窓の中にいる君は現在の君の主観的意識なのだ。夢と現実とを一緒に見ているのだよ君は……今……" ], [ "……そんなら……僕は……やはり呉一郎……", "……そうだよ。理論上から云っても、実際上から見ても、君はどうしても呉一郎と名乗る青年でなくては、ならなくなるんだよ。不思議に思うのは無理もないが仕方がない。それで……その上に君が君自身の過去の記憶を、今見ているような夢の程度でない、ハッキリした現実にまでスッカリ回復して終ったとなれば、残念ながらこの実験は若林の大勝利で吾輩の敗北だ……かどうだかは、まだ結果を見ないと解らないがね。フフフフ", "……………", "……とにかく奇妙奇態だろう。変妙不可思議だろう。しかし、これを学理的に説明すると、何でもない事なんだよ。普通人でも頭が疲れている時とか、神経衰弱にかかっている時なぞには、よくこんな事があるんだよ。尤も程度は浅いがね……白昼の往来を歩きながら、昨夜自分が女にチヤホヤされて、大持てに持てていた光景を眼の前に思い浮かめてニヤリニヤリと笑ったり、淋しい通りを辿ってゆくうちにこの間、電車に轢かれ損なった刹那の光景を幻視して、ハッと立ち止まったりする。女は又女で、古くなった嫁入道具の鏡の中に自分の花嫁姿を再現してポーッとなったり、女学生時代の自分の思い出の後影を逐うて、ウッカリ用もない学校の門の前まで来たり……まだ色々とあるだろう。ちょうど夢の中で、自分の未来の姿である葬式の光景を描いているのと同じ心理で、自分の過去に対する客観的の記憶が生んだ虚像と、現在の主観的意識に映ずる実像とを、二枚重ねて覗いているのだ。しかも君のは、その夢を見ている部分の脳髄の昏睡が、普通の睡眠よりもズット程度が深いのだから、その解放治療場内の幻覚も、今、君が見ている通り、極めてハッキリとしている。熟睡している時の夢と同様に、現実とかわらない程の……否、それ以上の深い魅力をもって君に迫っているので、現実の意識との区別がなかなかつけにくいのだ", "……………", "……おまけに今も云う通り、君の頭の中で永い間昏睡状態に陥っている脳髄の機能の或る一部分が、ごく最近の事に関する記憶から初めて、少しずつ少しずつ甦らせながら見せている夢だと思われるから、事によると、まだなかなか醒めないかも知れない。……醒める時はいずれ、窓の外の君と、現在そこにいる君とが、互いにこれは自分だなと気が付いて来た時に、ハッと驚くか、又は気絶するかして覚醒するだろうと思うが、しかし、その時にはこの室も、吾輩も、現在の君自身も一ペンにどこかへ消え去って、飛んでもない処で、飛んでもない姿の君自身を発見するかも知れない……実は今しがた君が失神しかけた時に、サテは最早覚醒するのかと思っていたわけだがね……ハハハハハハ", "……………" ], [ "ハッハッハッ。イヤ豪い豪い。実は今云ったのは……みんな嘘だよ……", "エッ……嘘……" ], [ "ワッハッハッハッ。トテモ痛快だ。君は徹底的に正直だから面白いよ。アッハッハッハッハッハッ。ああ可笑し……ああたまらない……憤ってはいけないよ君……今まで云ったのは嘘にも何にも、真赤な真赤な金箔付のヨタなんだよ……アハ……アハ……併し決して悪気で云ったんじゃないんだよ。本当はあの青年……呉一郎と君とが、瓜二つに肖通っているのを利用してチョット君の頭を試験して見たんだよ", "……ボ……僕の頭を試験……", "そうだよ。実を云うと吾輩はこれから、あの呉一郎の心理遺伝のドン詰まりの正体を君に話して聞かせようと思っているんだが、それにはもっともっと解らない事がブッ続けに出て来るんだからね。よほど頭をシッカリしていないと飛んでもない感違いに陥る虞があるんだ。現に今でも君の方から先にあの青年を『自分と双生児に違いない』なぞと信じて来られると、吾輩の話の筋道がスッカリこんがらがって滅茶になって終うから一寸予防注射をこころみた訳さ。アハハハハ" ], [ "それはね……それは今急に痛み出したのではない。今朝、君が眼を醒ました前から在ったのを、今まで気が付かずにいたんだよ", "……でも……でも……" ], [ "……今朝から理髪師が一ペン……と、看護婦が一度と……その前に自分で何遍も何遍も……すくなくとも十遍以上ここん処を掻きまわしているんですけど……ちっとも痛くはなかったんですが……", "何遍引っ掻きまわしていたって、おんなじ事だよ。自分が呉一郎と全然無関係な、赤の他人だと思っている間は、その痛みを感じないが、一度、呉一郎の姿と、自分の姿が生き写しだという事がわかると、その痛みを突然に思い出す。……そこに精神科学の不可思議な合理作用が現われて来る……宇宙万有は悉く『精神』を対象とする精神科学的の存在に過ぎないので、所謂唯物科学では、絶対、永久に説明出来ない現象が存在する事を如実に証拠立て得る事になるという、トテモ八釜しい瘤なんだよ、それは……すなわち君の頭の痛みは、あの呉一郎の心理遺伝の終極の発作と密接な関係があるのだ。というのは呉一郎は昨夜、その心理遺伝の終極点まで発揮しつくして、壁に頭を打ち付けて自殺を企てたのだからね。その痛みが現在、君の頭に残っているのだ", "……エッ……エッ……それじゃ……僕は……やはり呉一郎……", "ママ……まあソンナに慌てるなってこと……虻の心は蜂知らず。豚の心は犬知らず。張三が頭を打たれても李四は痛くも何ともないというのが普通の道理だ。すなわち唯物科学式の考え方なんだが" ], [ "……どうだい。この疑問が君自身で解決出来そうかい", "出来ません" ], [ "教えて下さい……先生。どうぞ、お願いですから……僕はもう、これ以上不思議な事に出会したら死んでしまいます", "意気地のない事を云うな。ハハハハハ。そんなに眼の色を変えないでも教えてやるよ", "どうぞ……誰ですか……僕は……", "まあ待て……それを解らせる前に一ツ約束しておかなくちゃならん事がある", "……ど……どんな約束でも守ります" ], [ "……キット守るか……", "キット守ります……どんな約束です……" ], [ "ナニ。君が今の通りのたしかな気持ちで『俺はどんなに間違っても呉一郎じゃないぞ』という確信を以て聞けば、別に大した骨の折れる約束ではないと思うが……つまり吾輩はこれから呉一郎の心理遺伝事件について、ドンドコドンのドン詰まで突込んだ、ステキな話を進めるつもりだが、その話の内容が、どんなに怖ろしい……又は……あり得べからざる事であろうとも我慢してお終いまで聞くか", "聞きます", "ウン……そうしてその吾輩の話が済んでから、その話の全部が一点の虚偽を交えない事実である事を君が認め得ると同時に、その事実を記録して、あの吾輩の遺言書と一緒に社会に公表するのが君の一生涯の義務である……人類に対する君の大責任である……という事がわかったならば、仮令、それが如何に君自身にとって迷惑な、且つ、戦慄に価する仕事であろうとも必ずその通りに実行するか", "誓って致します", "ウム……それから今一つ……もしそうなった暁には、君は当然、あの六号室の少女と結婚して、あの少女の現在の精神異状の原因を取り除いてやる責任があることも同時に判明するだろうと思うが、そうした責任も君はその通りに果せるか", "……そんな責任が本当に……僕にあるんでしょうか", "それはその場になって、君自身が考えてみればいい……とにかく、そんな責任があるかないか……言葉を換えて云えば、呉一郎の頭の痛みが、どうして君のオデコの上に引っ越したかという理由を明らかにする方法は、頗る簡単明瞭なんだからね。物の五分間とかからないだろう", "……そんな……そんな容易しい方法なんですか", "ああ、雑作ない事なんだ。しかも理窟は小学生にでもわかる位で、吾輩の説明なぞ一言も加えないでいい。唯、君が或る処へ行って、或る人間とピッタリ握手するだけでいいのだ。そうするとそこに吾輩が予期している、或る素晴しい精神科学の作用が電光の如く閃めき起って……オヤッ……そうだったかッ……俺はこんな人間だったのかッ……と思うと同時に、今度こそホントウに気絶するかも知れぬ。もしかすると、まだ握手しないうちに、その作用が起るかも知れないがね", "……それを今やってはいけないんですか……", "いけない。断じていけない。今君が誰だという事がわかると、今云った通り飛んでもない錯覚に陥って、吾輩の実験をメチャメチャに打ち壊す虞れがあるんだ。だから君がスッカリ前後の事実を飲み込んで、それを一つの記録にして社会に公表すべく、吾輩の指図通りの手段を取るのをチャント吾輩の眼で見届けた上でなくちゃ、その実験をやる訳に行かないと云うのだ。……どうだ。出来るかい……その約束が……", "……出来……ます……", "よろしい……それじゃ話そう……イヤ。話が篦棒に固苦しくなった。こっちへ来たまえ……" ], [ "どう思う……とは……", "美しいとは思わなかったかね" ], [ "そうだろうともそうだろうとも。美しいと思ったのは、すなわち恋した事だからね。そうでないという奴は似非道徳屋……", "……ソ……そんな乱暴な……セ……先生……誤解です……" ], [ "ヘイヘイ、今日はまことによいお天気様で……ヘイヘイ……これはあの、学部長様からのお使いで、お二方様のお茶受けに差し上げてくれいとの、お申し付けで御座いましたが……ヘヘイ……", "アハハハハハハ。そうかい。若林がよこしたのかい。フーム……イヤ御苦労御苦労。若林が自分で持って来たんかい", "イエ……あの、学部長様が先刻からお電話で御座いまして、正木先生がまだおいでになるかとお尋ねで御座いましたから、私はビックリ致しまして、如何か存じませぬがチョット見て参りましょうと申しまして、お室の外まで参りますと、お二人様のお声が聞えました。それで学部長様に左様申し上げましたれば、それならば後から物を持たしてやるから、お茶受けに差し上げてくれいとのことで……ヘイ", "ウン。そうかそうか。たしかに受け取った。暇なら話しに来いと電話で云っとけ。イヤ御苦労御苦労……入口の鍵は掛けなくともいいぞ", "ヘヘヘイ。先生方がおいでになりますことはチョットも存じませんで……きょうは私一人で御座いますもんじゃけん、まだお掃除も致しませんで……まことに不行届きで……申訳御座いませんで……ヘイヘイ……" ], [ "ああ美味い。時にどうだい。これからもっと話を進めるんだが、その前に、今さっき読んだ呉一郎の前後二回の発作については、もう何も疑問の点は残っていないかい", "あります" ], [ "この……絵巻物の写真版と、その由来記を挿入のこと……と書いてあります。その本物は、どうなっているのですか", "アッ。そいつは……" ], [ "ワー。これあ漢文……しかも白文じゃありませんか。句読も送仮名も何も付いてない……トテモ僕には読めません。これは……", "フーン。そうかい。フーン、それじゃ仕方がないから、取りあえずその内容の概要を、吾輩が記憶している範囲で話しておくかね", "ドウカそうして下さい", "……ウーイ……" ], [ "……ゲップ……ウ――イイ……と、そこでだ。そこで大唐の玄宗皇帝というと今からちょうど一千一百年ばかり前の話だがね。その玄宗皇帝の御代も終りに近い、天宝十四年に、安禄山という奴が謀反を起したんだが、その翌年の正月に安禄山は僭号をして、六月、賊、関に入る、帝出奔して馬嵬に薨ず。楊国忠、楊貴妃、誅に伏す……と年代記に在る", "……ハア……よく記憶えておられるんですねえ先生は……", "歴史の面白くない処は、暗記しとくもんだよ。……ところでその玄宗皇帝が薨じたのは年代記の示す通り天宝十五年に相違ないらしいが、それより七年以前の天宝八年に、范陽の進士で呉青秀という十七八歳の青年が、玄宗皇帝の命を奉じ、彩管を笈うて蜀の国に入り、嘉陵江水を写し、転じて巫山巫峡を越え、揚子江を逆航して奇勝名勝を探り得て帰り、蒐むるところの山水百余景を五巻に表装して献上した。帝これを嘉賞し、故翰林学士、芳九連の遺子黛女を賜う。黛は即ち芬の姉にして互いに双生児たり。相並んで貴妃の侍女となる。時人これを呼んで花清宮裡の双蛺と称す。時に天宝十四年三月。呉青秀二十有五歳。芳黛十有七歳とある", "これあ驚いた。トテモ記憶え切れない。それもヤッパリ年代記ですか", "イヤ。これは違う。『黛女を賜う』という一件の前後までは『牡丹亭秘史』という小説に出ている。その小説には玄宗皇帝と楊貴妃が、牡丹亭で喋々喃々の光景を、詩人の李太白が涎を垂らして牡丹の葉蔭から見ている絵なぞがあって、支那一流の大甘物だが、その中でも、呉青秀に関する記述の冒頭だけは、この由来記の内容と一字一句違わないから面白いよ。そのうち文科の奴に研究させてやろうと思うが、第一非常な名文で、思わず識らず暗記させられる位だ", "そうですかねえ。でも何だか、漢文口調のお話は、耳で聞いただけでは解らないようですね。その使ってある字を一々見て行かないと……", "ウン。それじゃモット柔かく行くかナ", "ドウゾ……助かります", "ハハハハハハ。要するにこの玄宗皇帝というおやじは、楊貴妃と一緒にお祭りの行燈絵に描かれる位で、古今のデレリック大帝だ。四夷を平らげ、天下を治め、兵農を分ち、悪銭を禁じ……と来たまではよかったが、楊貴妃に鼻毛を読まれて何でもオーライで、兄貴の楊国忠を初め、その一味の碌でなし連中をドンドン要職に引き上げた。つまり忠臣を逐い出して奸臣を取り巻きにして、太平楽を歌った訳だね。あげくの果は驪山宮という宏大もない宮殿の中に、金銀珠玉を鏤めた浴場を作って、玉のような温泉を引いて、貴妃ヤンと一緒に飛び込んで……お前とオーナラバ、ドコマデモオ……と来たね", "ウワア。やわらか過ぎます。……それじゃア", "イヤ。真面目に聞いてくれなくちゃ困る。チャン公一流のヨタなんかコレンバカリも混っていないんだぜ。これがあの四五年前に流行した『ドコマデモ』という俗謡の本家本元なんだ。チャント記録に残っているんだ", "……ヘエ。そんなもんですかね", "そうだとも。第一お前さんと一緒ならサハラだのナイヤガラ見たような野暮な処へは行かない。一緒に天に昇って並んだ星になって、下界の人間をトコトンまで羨やましがらせましょうというんだから遣り切れないよ。覗いて聞いていた奴もタイシタ奴に違いないが……", "しかし、それが絵巻物とドンナ関係があるんですか", "大ありだ。まあ急かないで聞き給え。大陸の話だからナカナカ焦点が纏まらないんだよ。いいかい……こんな文化式の天子だから玄宗皇帝は芸術ごとが大好きで、李太白なぞいう、呑んだくれの禿頭詩人を贔屓にして可愛がる一方に、当時、十九か十八位の青年進士呉青秀に命じて、遍ねく天下の名勝をスケッチして廻らせた。すなわち居ながらにして天下を巡狩しようという、有難い思召だ……ドウヤラ貴妃様の御注文らしいがね", "絵の天才だったのですねその青年は……", "無論さ。十八九の青年の癖に、古今に名高い禿頭の大詩人、李太白の詩と並ぶ絵を描く奴だから、生優しい腕前じゃないよ。もっとも運が悪くて夭死にしたために、名前も描いたものも余り残っていない。前にも云った通りその頃の記録には勿論の事、近頃の年代記類にも記載してあるにはあるが、書物によって年代や名前が少し宛違っていて、確実なところはわからないようになっている。しかし、何しろここに詳しい事を記載した実物の証拠があるんだから、将来の史学家はイヤでもこの方を本当にしなければなるまいて", "そうするとその絵巻物はトテモ貴重な参考史料なんですね", "貴重などころの騒ぎじゃない……ところで話はすこし前に帰るが、その青年進士呉青秀は、天子の命を奉じてスケッチ旅行を続けている間がチョウド六年で、久し振りの天宝十四年に長安の都に帰って来ると、そのお土産の風景絵巻が、頗る天子の御意に召して、御機嫌斜ならず、芸術家としての無上の面目を施した上に、黛子さんという別嬪の妻君を貰った。おまけにチョウド水入らずで暮せるような、美しいお庭付きの小ヂンマリした邸宅を拝領したりして、トテモ有り難い事ずくめだったので、暫くは夢うつつのように暮していた訳だね。ところがその中に、だんだんと落ち付いて来ると、時恰かも大唐朝没落の前奏曲時代で、兇徴、妖孼、頻々として起り、天下大乱の兆が到る処に横溢しているのに気が付いた。しかも天子様はイクラお側の者が諫めても糠に釘どころか、ウッカリ御機嫌に触れたために、冤罪で殺される忠臣が続々という有様だ。……これを見た呉青秀は喟然として決するところあり、一番自分の彩筆の力で天子の迷夢を醒まして、国家を泰山の安きに置いてやろうというので、新婚匆々の黛夫人に心底を打ち明けて、ここで一つ天下のために、お前の生命を棄ててくれないか。いずれ自分も、あとから死んで行くつもりだが……と云ったところが……あなたのおためなら……という嬉しそうな返事だ……", "トテモ素敵ですね", "純然たる支那式だよ。それから呉青秀は大秘密で大工や左官を雇って、帝都の長安を距る数十里の山中に一ツの画房を建てた。つまりアトリエだね。しかしその構造は大分風変りで、窓を高く取って外から覗かれないようにして、真ン中に白布を蔽うた寝台を据え、薪炭菜肉、防寒防蠅の用意残るところなく、籠城の準備が完全に整うと、黛夫人と一緒にコッソリ引き移った。そうしてその年の十一月の何日であったかに、夫婦は更に幽界でめぐり会う約束を固め、別離の盃、哀傷の涙よろしくあって、やがて斎戒沐浴して新に化粧を凝らした黛夫人が、香煙縷々たる裡に、白衣を纏うて寝台の上に横たわったのを、呉青秀が乗りかかって絞め殺す。それからその死骸を丸裸体にして肢体を整え、香華を撒じ神符を焼き、屍鬼を祓い去った呉青秀は、やがて紙を展べ、丹青を按配しつつ、畢生の心血を注いで極彩色の写生を始めた", "……ワア……凄い事になったんですね。さっきの縁起書とは大違いだ", "……呉青秀は、こうして十日目毎にかわって行く夫人の姿を、白骨になるまで約二十枚ほどこの絵巻物に写し止めて、玄宗皇帝に献上し、その真に迫った筆の力で、人間の肉体の果敢なさ、人生の無常さを目の前に見せてゾッとさせる計劃であったという。ところが何しろ防腐剤なぞいうものが無い頃なので、冬分ではあったが、腐るのがだんだん早くなって、一つの絵の写し初めと写し終りとは丸で姿が違うようになった。とうとう予定の半分も描き上げないうちに屍体は白骨と毛髪ばかりになってしまった……というのだ。……或は科学的の知識が幼稚なために、土葬した屍体の腐り加減を標準にして計劃したのかも知れないが……何にしても恐ろしい忍耐力だね", "あんまり寒いから火を焚いて室を暖めたせいじゃないでしょうか", "……ア……ナルホド。暖房装置か、そいつはウッカリして気が付かずにいた。零下何度じゃ絵筆が凍るからね……とにかく忠義一遍に凝り固まって、そんな誤算がある事を全く予期していなかった呉青秀の狼狽と驚愕は察するに余ありだね。新品卸し立ての妻君を犠牲にして計劃した必死の事業が、ミスミス駄目になって行くのだから……号哭、起つ能わずとあるが道理千万……遂に思えらく、吾、一度天下のために倫常を超ゆ。復、何をか顧んという破れかぶれの死に物狂いだ。そこいら界隈の村里へ出て、美しい女を探し出すと、馴れ馴れしく側へ寄って、あなたの絵姿を描いて差上げるからと佯って、山の中へ連れ込んで、打ち殺してモデルにしようと企てたが……", "ウワア……トテモ物騒な忠君愛国ですね", "ウン。こんな執念深さは日本人にはないよ。けれども何をいうにも、ソウいう呉青秀の風釆が大変だ。頬が落ちこけて、鼻が突んがって、眼光竜鬼の如しとある。おまけに蓬髪垢衣、骨立悽愴と来ていたんだから堪らない。袖を引かれた女はみんな仰天して逃げ散ってしまう。これを繰り返す事累月。足跡遠近に及んだので、評判が次第に高くなって、どの村でもこの村でも見付け次第に追い散らしたが、幸いにして山の中の隠れ家を誰も知らなかったので、生命だけは辛うじて助かっていた。然れ共呉青秀の忠志は遂に退かず、至難に触れて益々凝る。遂に淫仙の名を得たりとある。淫仙というのはつまり西洋の青髯という意味らしいね", "ヘエ……しかし淫仙は可哀相ですね", "ところがこの淫仙先生はチットモ驚かない。今度は方針を変えて婦女子の新葬を求め、夜陰に乗じて墓を発き、屍体を引きずり出して山の中に持って行こうとした。ところが俗にも死人担ぎは三人力という位で、強直の取れたグタグタの屍体は、重量の中心がないから、ナカナカ担ぎ上げ難いものだそうな。それを一所懸命とはいいながら、絵筆しか持ったことのない柔弱な腕力で、出来るだけ傷をつけないように、山の中まで担いで行こうというのだから、並大抵の苦労ではない。あっちに取り落し、こっちへ担ぎ直して、喘ぎ喘ぎ抱きかかえて行くうちに、早くも夜が明けて百姓たちの眼に触れた。かねてから淫仙先生の噂を耳にしていた百姓たちは、これを見て驚くまい事か、テッキリ屍姦だ。極重悪人だというので、ワイワイ追いかけて来たから淫仙先生も止むを得ず屍体を抛棄して、山の中に姿を隠したが、もう時候は春先になっていたのに、二三日は、その背中に担いだ屍体の冷たさが忘れられなくていくら火を焚いても歯の根が合わなかったという", "よく病気にならなかったものですね", "ウン。風邪ぐらい引いていたかも知れないがね。思い詰めている人間の体力は超自然の抵抗力をあらわすもんだよ。況んや呉青秀の忠志は氷雪よりも励しとある。四五日も画房の中にジッとして、気分を取り直した呉青秀は、又も第二回の冒険をこころみるべく、コッソリと山を降って、前とは全然方角を違えた村里に下り、一挺の鍬を盗み、唯ある森蔭の墓所に忍び寄ると、意外にも一人の女性が新月の光りに照らされた一基の土饅頭の前に、花を手向けているのが見える。この夜更けに不思議な事と思って、窃かに近づいてみると、件の女性は、遠い処の妓楼から脱け出して来た妓女らしく、春装を取り乱したまま土盛りの上にヒレ伏して『あなたは何故に妾を振り棄てて死んだのですか』と掻き口説く様子を見ると、いか様、相思の男の死を怨む風情である。忠義に凝った呉青秀は、この切々の情を見聞して流石に惻懚の情に動かされたが、強いて心を鬼にして、その女の背後に忍び寄り、持っていた鍬で一撃の下に少女の頭骨を砕き、用意して来た縄で手足を縛って背中に背負い上げ、鍬を棄てて逃げ去ろうとした。すると忽ち背後の森の中に人音が聞えて、女の追手と覚しき荒くれ男の数名が口々に『素破こそ淫仙よ』『殺人魔よ』『奪屍鬼よ』と罵しりつつ立ち現われ、前後左右を取り巻いて、取り押えようとした。呉青秀は、これを見て怒心頭に発し、屍体を投げ棄てて大喝一番『吾が天業を妨ぐるかッ』と叫ぶなり、百倍の狂暴力をあらわし、組み付いて来た男を二三人、墓原にタタキ付け、鍬を拾い上げて残る人数をタタキ伏せ追い散らしてしまった。その隙に、又も妓女の屍体を肩にかけてドンドン山の方へ逃げ出したが、エライもので、とうとう山伝いに画房まで逃げて来ると、担いで来た屍体を浄めて黛夫人の残骸の代りに床上に安置し、香華を供え、屍鬼を祓いつつ、悠々と火を焚いて腐爛するのを待つ事になった。ところがそのうちに又、二三日経つと、思いもかけぬ画房の八方から火烟が迫って来て、鯨波がドッと湧き起ったので、何事かと驚いて窓から首をさし出してみると、画房の周囲は薪が山の如く、その外を百姓や役人たちが雲霞の如く取り巻いて気勢を揚げている様子だ。つまり何者かが、コッソリ呉青秀の跡を跟けて来て、画房を発見した結果、こんなに人数を馳り催して、火攻めにして追い出しにかかった訳だね。その時に呉青秀は、この未完成の絵巻物の一巻と、黛夫人の髪毛の中から出て来た貴妃の賜物の夜光珠……ダイヤだね……それから青琅玕の玉、水晶の管なぞの数点を身に付けて、生命からがら山林に紛れ込んだが、それから追捕を避けつつ千辛万苦する事数箇月、やっと一ヶ年振りの十一月の何日かに都に着くと蹌踉として吾家の門を潜った。既に死生を超越した夢心地で、恍惚求むるところなし。何のために帰って来たのか、自分でも解らなかったという", "……ハア。ホントに可哀相ですね。そこいらは……", "ウム。ちょうど生きた人魂だね。扨て門を這入ってみると北風枯梢を悲断して寒庭に抛ち、柱傾き瓦落ちて流熒を傷むという、散々な有様だ。呉青秀はその中を踏みわけて、自分の室に来て見るには見たものの、サテどうしていいかわからない。妻の姿はおろか烏の影さえ動かず。錦繍帳裡に枯葉を撒ず。珊瑚枕頭呼べども応えずだ。涙滂沱として万感初めて到った呉青秀は、長恨悲泣遂に及ばず。几帳の紐を取って欄間にかけ、妻の遺物を懐にしたまま首を引っかけようとしたが、その時遅く彼の時早く、思いもかけぬ次の室から、真赤な服を着けた綽約たる別嬪さんが馳け出して来て……マア……アナタッと叫ぶなり抱き付いた", "ヘエ――。それは誰なんですか一体……", "よく見ると、それは、自分が手ずから絞め殺して白骨にして除けた筈の黛夫人で、しかも新婚匆々時代の濃艶を極めた装おいだ", "……オヤオヤ……黛夫人を殺したんじゃなかったんですか", "まあ黙って聞け。ここいらが一番面白いところだから……そこで呉青秀はスッカリ面喰ったね。ウ――ンと云うなり眼を眩わして終ったが、その黛夫人の幽霊に介抱をされてヤット息を吹き返したので、今一度、気を落ち付けてよく見ると、又驚いた。タッタ今まで新婚匆々時代の紅い服を着ていた黛子さんが、今度は今一つ昔の、可憐な宮女時代の姿に若返って、白い裳を長々と引きはえている。鬢鬟雲の如く、清楚新花に似たり。年の頃もやっと十六か七位の、無垢の少女としか見えないのだ", "……不思議ですね。そんな事が在り得るものでしょうか", "ウン。呉青秀も君と同感だったらしいんだ。危くまた引っくり返るところであったが、そのうちに、ようようの思いで気を取り直して、どうしてここに……と抱き上げながら、その少女を頭のテッペンから、爪の先までヨクヨク見上げ見下してみると、何の事だ……それは黛夫人の妹で、双生児の片われの芬子嬢であった", "ナアンダ。やっぱりそうか。しかし面白いですね。芝居のようで……", "どこまでも支那式だよ。そこでヤット仔細がわかりかけた呉青秀は、芬子さんを取り落したまま、開いた口が閉がらずにいると、その膝に両手を支えた芬子さん、真赤になっての物語に曰く……ほんとに済まない事を致しました。嘸かしビックリなすった事で御座んしょう。何をお隠し申しましょう。妾はズット前からタッタ一人でこの家に住んでいて、姉さんが置いて行った着物を身に着けて、スッカリ姉さんに化け込みながら、毎日毎日お義兄さまに仕える真似事をしていたんです。……妾の主人の呉青秀はこの頃毎日室に閉じ籠って、大作を描いておりますと云い触らして、食料も毎日二人前宛、見計らって買い入れるし、時折りは顔料や筆なぞを仕入れに行ったりして誤魔化していましたので、近所の人々は皆……この天下大乱のサナカに、そんなに落ち付いて絵を描くとは、何という豪い人だろうと……眼を丸くして感心していた位です。……妾はそんなにまでして苦心しいしい、お二人のお留守番をして、お帰りになるのを今か今かと待ちながら、この一年を過したのですが、今日も今日とてツイ今しがた、買物に行って帰って来ますと、この室に物音がします。その上に誰か大きな声でオイオイ泣いているようなので、怪しんで覗いて見たら、お義兄さまが死のうとしていらっしゃるのでビックリして、そのままの姿で抱き止めたのです。それから気絶なすった貴方を介抱しておりますと、弛んだ貴方の懐中から、固く封じた巻物らしい包みと、姉さんが大切にしていた宝石や髪飾りが転がり出して来ました。それと一緒に貴方が夢うつつのまま、どこかを拝む真似をしながら……黛よ。許してくれ。お前一人は殺さない……と泣きながら譫言を仰言ったので、サテは姉さんはモウお義兄さまの手にかかって、お亡くなりになったのだ……そうしてお義兄様は妾を姉さんの幽霊と間違えていらっしゃるのだ……という事がヤット解りましたから、お義兄さまの惑いを晴らすために、急いで自分の一帳羅服に着かえてしまったのです。……ですが一体お義兄さまは、どうして黛子姉さんをお殺しになったのですか。そうして今日が日まで一年もの長い間、どこで何をしていらっしたんですか……と涙ながらに詰め寄った", "ハア……しかし何ですね。……その前にその芬子という妹は、何だってソンナ奇怪な真似をしたんでしょうか。姉さんの着物を着て、その夫に仕える真似事をしたりなんか", "ウンウン……その疑問も尤もだ。呉青秀もやっぱり同感だったろうと思われるね。それともまだ開いた口が塞がらずにいたのかも知れないが、何の答えもあらばこそだ。依然として芬子嬢の顔を見下したまま唖然放神の体でいると、やがて涙を拭いた芬子嬢は、幾度もうなずきながら又曰く……御もっともで御座います。これだけ申上げたばかりではまだ御不審が晴れますまいから、順序を立ててお話しましょうが……お話はずっと前にさかのぼって丁度去年の暮の事です。……姉さんが宮中を去ってからというものは、外に身寄り便りのない妾の淋しさ心細さが、日に増し募って行くばかりでした。そのうちに又、ちょうど去年の今月の、しかも今日の事……大切な大切なお義兄さま達御夫婦が、外ならぬ妾にまでも音沙汰なしで、不意に行衛を晦ましておしまいになったと聞いた時の妾の驚きと悲しみはどんなでしたろう。一晩中寝ずに考えては泣き、泣いては考え明かしましたが、思いに余ったその翌る日の事、楊貴妃様から暫時のお暇を頂いた妾は、お二人の行衛を探し出すつもりで、とりあえずこの家に来て見ました。そうして妾を見送って来た二人の宦官と、家の番をしていた掃除人を還してから、唯一人で家内の様子を隈なく調べてみますと、姉さんは死ぬ覚悟をして家を出られたらしく、結婚式の時に使った大切な飾り櫛を、真二つに折って白紙に包んだまま、化粧台の奥に仕舞ってあります。けれども義兄さんの方は、そんな模様がないばかりか、絵を描く道具をスッカリ持ち出していらっしゃる様子……これには何か深い仔細がある事と思いながら、そのままこの家に落ち付く事にきめましたが、それからというものは今も申しました通り、スッカリ姉さんに化けてしまって、義兄さんと一緒に帰って来ているような風に出来るだけ見せかけておりました。仕合せと義兄さんは子供の時から絵を描き初められると、何日も何日も室に閉じ籠って、決して人にお会いにならない。御飯も碌に召し上らない事が多かったと聞いていましたから、近所の人や、お客様を欺すのには、ホントに都合がよかったのです。……しかし何故妾がこんな奇怪な事をしていたのかと申しますと、これはジッとしていながら、お二人の行衛を探すのに一番都合の良い工夫だと思ったからです。つまりこうしておりますと、お二人とも世にも名高い御夫婦ですから、万一ほかでお姿を見た者があるとしたら、すぐに妾が怪しまれます。そうしたらそれと一緒に、お二人の行衛もわかる事になるのですから、その時にあとを追うて行けばよい。女の一人身で知らぬ他国を当てどもなく探しまわったとて、なかなか見付かるものではない……と思い付いたからの事です", "……ヘエ……その妹はなかなかの名探偵ですね", "ウン……この妹の方は姉と違ってチョットお侠なところがあるようだが、なおも言葉を続けて曰くだ……しかし妾のこうした計劃は余り利き目がありませんでした。……というのは妾がこの家に来てから十日も経たぬうちに天下は忽ち麻と乱れて兵馬都巷に満ち、迂濶に外へも出られないようになった。……のみならず、お金はなくなる。家は荒廃する。仕方なしに妾は此家の台所に寝起きをして、自分の身に附いたものは勿論のこと、義兄さん夫婦の家具家財や衣類なんぞを売り喰いにしていましたが、その中でも一番最後に残しておいたのが姉の新婚匆々時代の紅い服一着と、自分が着ていた宮女の服一着でした。その中でも又、この紅い服は、あく迄も妾を姉さんと認めさせるために外出着としていたものです。又、宮女の服というのは、妾の忘れられない思い出と一緒に取っといたのですが、楊貴妃時代のスタイルで、ウッカリ持ち出すと反逆者の下役人に見咎められる虞れもありますので、ソックリそのまま寝間着に使っていたのでした。妾はこの一年の長い間、こんなにまで苦心してお帰りを待っていたのです。……それだのに、あなたはイッタイ何のために、姉さんを殺してお終いになったんですか。そうして此家へ何しに帰って見えたんですか。そのお姿はどうなすったんです。姉さんを殺されたくらいなら、妾も序に殺してちょうだい……といううちに、ワッとばかりに泣出した", "ずいぶん姉思いの妹ですね", "ナアニ。前から呉青秀にモーションをかけていたんだよ", "……ヘエ……どうして解ります", "……どうしてって素振りが第一訝しいじゃないか。生娘の癖に、亭主持ちの真似をして、一年近くも物凄い廃屋に納まっているなんてナカナカ義理や物好きでは出来るものじゃないよ。その間に人知れぬ希望と楽しみがなくちゃ……しかも姉の新婚匆々時代の紅い服を着て歩きまわるところなんぞは、ドウ見ても支那一流の、思い切った変態性慾じゃないか。あるいは玄宗皇帝時代に、空閨に泣いていた夥しい宮女たちから受けた感化かも知れないが", "……ですけども、自分はそう思っていないじゃないですか", "無論、そんな自省力を持ち得る年頃じゃないさ。殊に女だから、どんなデリケートな理屈でも自由自在に作り上げて、勝手気儘な自己陶酔に陥って行ける訳さ。気持ちの純な、頭のいい人間の変態心理は、ナカナカ見分けが付きにくいんだよ。……その代りこっちの眼さえ利いて来れば、そこいらの無邪気な赤ん坊や、釈迦、孔子、基督にでも色んな変態心理を見出すことが出来る", "……驚いたなあ。……そんなもんですかナア……", "まだまだ驚く話が、今までの話の裏面に隠れているんだが、それは、あとから説明するとして、サテ、少々話が長くなったから端折って話すと、その時に呉青秀に迫って、根掘り葉掘り、これまでの事情を聞いた上に、現実の証拠として、自分とソックリの姉の死像を描いた絵巻物を開いて見せられた芬子嬢は、実に断腸、股栗、驚駭これを久しうした。けれども結局、義兄夫婦の忠勇義烈ぶりにスッカリ感激して号泣慟哭して云うには、蒼天蒼天、何ぞ此の如く無情なる。あなたは御存知あるまいが、あなたが姉さんの亡骸を写生し初めた昨年の十一月というのが安禄山が謀反を起した月で、天宝の年号は去年限り、今は安禄山の世の至徳元年だ。天子様も楊貴妃様も、この六月に馬嵬で殺されてお終いになった。折角の忠義も水の泡です。それよりも妾と一緒に、どこかへ逃げて下さらない……とキワドイところで口説き立てた", "無鉄砲な女ですね。又殺されようと思って……", "イヤ。今度は大丈夫なんだ。……というのは呉青秀先生、自分の全部を投げ出してかかった仕事がテンからペケだった事が、芬子の説明で初めて解ったのだ。そこでアメリカをなくしたコロンブスみたいにドッカリとそこへ座ると、茫然自失のアンポンタン状態に陥ったまま、永久に口が利けなくなってしまったのだ。旧式の術語で云うと心理の急変から来る自家障害という奴だね。……そいつを見ると芬子さんイヨイヨ気の毒になって、天を白眼んで安禄山の奸を悪んだね。同時にこの忠臣のお守りをして、玄宗皇帝や楊貴妃の冥福を祈りつつ一生を終ろうという清冽晶玉の如き決心を固めた……と告白しているが、実は大馬力をかけたお惚気だね", "……まさか……", "イヤ。それに違いないんだ。後で説明するがね……そこで呉青秀が懐にしていた姉の遺品の宝玉類を売り払って、画像だけを懐に入れて、妖怪然たる呉青秀の手を引きながら、方々を流浪したあげく、その年の暮つかた、どこへ行くつもりであったか忘れたが舟に乗って江を下り、海に浮んだ。すると暴風雨数日の後、たった二人だけ生き残って絶海に漂流する事又十数日、遂に或る天気晴朗な払暁に到って、遥か東の方の水平線上に美々しく艤装した大船が、旗差物を旭に輝やかしつつ南下して行くのを発見した。そこで息も絶え絶えのまま、手招きをして救われると、その美しい船の中で、手厚い介抱を受ける事になったが、この船こそは日本の唐津を経て、難波の津に向う勃海使の乗船であった。勃海国というのはその時分、今の満洲の吉林辺にあった独立国で、時々こうして日本に貢物を持って来た事が正史にも載っているがね", "何だかお伽話みたいになりましたね", "ウム。何となく夢幻的なところがやはり支那式だよ。それから芬子さんの涙ながらの物語りで詳しい事情を聞いた船中の者は、勃海使を初め皆、満腔の同情を寄せた。一様に呉氏の生き甲斐のない姿を憐れみ、且つ芬夫人の身の上に同情して、手厚い世話をしながら日本に連れて行く事になったが、その途中のこと、船中が皆眠って、月が氷のように冴え返った真夜半に、呉青秀は海に落ちたか、天に昇ったか、二十八歳を一期として船の中から消え失せてしまった。……芬夫人は時に十九歳、共に後を逐おうとして狂い悶えたが、この時、既に呉青秀の胤を宿して最早臨月になっていたので、人々に押し止められながら辛うじて思い止まると、やがて船の中で玉のような男の児を生んだ", "やっと芽出度くなって来たようですね", "ウン、船中でも死人が出来て気を悪くしているところへ、お産があったと聞いたので喜ぶまい事か、手ん手に色々なお祝いの物を呉れて盛に芽出度がった上に、勃海使の何とかいう学者が名付け親となって、呉忠雄と命名し、大袈裟な命名式を挙げて前途を祝福しつつ、唐津に上陸させて、土地の豪族、松浦某に托した。そこで芬夫人はその由来をこの絵巻物に手記して子孫に伝えた……めでたしめでたしというわけだ", "じゃその名文は芬夫人が書いたんですね", "イヤ。文字はたしかに女の筆附きだが、文章の方はとてもシッカリしたもので、どうしても女とは思えない。処々に韻を践んであったり、熟字の使い方や何かが日本人離れをしているところなぞを見ると、やっぱりその名付親の勃海使が芬夫人の譚に感激して、船中の徒然に文案を作ってやったのを、芬夫人が浄書したものではあるまいかと思う。若林はその字体が、弥勒像の底に刻んである字と似ているから勝空という坊主が自分で聴いた話と、昔の文書とを照し合わせて文を舞わしたのじゃないかと云っているが、しかし肉筆と彫刻とは非常に字体が違う事があるから当てにはならない", "何にしても唐津の港では大評判だったでしょうね……芬夫人の身の上が……", "無論、大いに一般の同情を惹いたろうと思われる。何しろ日本人の大好きな忠勇義烈譚と来ているからね", "そうですねえ。……それから今ヒョット思い出したんですが、その勝空という坊さんは、その絵巻物を弥勒像に納めてから、男は一切近づいてはいけないと云ったそうですが、それはどうした理由でしょう", "……ソ……そこだて……そこがトテモ面白いこの話の眼目になるところで、延いては大正の今日に於ける姪の浜事件の根本問題にまで触れて来るところなんだ。手っ取り早く云えばその勝空というお坊様は、今から一千年近くもの大昔に、心理遺伝チウものがある事をチャンと知って御座ったのだ", "ヘエ――ッ……そんなに大昔から心理遺伝の学問が……" ], [ "ハア……やっと解ったようですが……しかしその絵巻物を見てキチガイになるのが男に限っているのは何故でしょうか", "ウムッ……豪い。豪いぞ君は……ステキな質問だぞ、それは……" ], [ "イヤ感心感心。この事件の興味のクライマックスは実にそこに在るんだ。スッカリ心理遺伝学の大家になっちゃったナ。君は……", "……ドウしてですか……", "ドウシテじゃない。まあこの絵巻物を開いて見給え。今の疑問は一ペンに解けてしまうから……もっとも、それと同時に君がホントウの呉一郎ならば、呉青秀の子孫としての心理遺伝的夢遊をフラフラと初めるか初めないか……又は自分はどこそこの何の某という者で、ドンナ来歴でこの事件に関係して来たかという過去の記憶を一ペンにズラリと回復するかしないか……それとも又『この絵巻物はこの前に、いつどこで、どんな奴から見せられた事がある』という、この事件の黒星のまん中をピカリと思い出すか出さないか……若林と吾輩のドッチが勝つか負けるか……そうして最後に君の将来は如何なる因果因縁の下に、イヤでもあの美しい令嬢とスイートホームを作らなければならぬのか……というようなアラユル息苦しい重大問題がこの絵巻物を見ると同時に、一ペンに解決される事になるかも知れないのだからね。ハッハッハッハッ" ], [ "……この顔は……さっきの……呉モヨ子と……", "生き写しだろう……" ], [ "……どうだい面白いだろう。心理遺伝が恐ろしいように肉体の遺伝も恐ろしいものなんだ。姪の浜の一農家の娘、呉モヨ子の眼鼻立ちが、今から一千百余年前、唐の玄宗皇帝の御代に大評判であった花清宮裡の双蛺姉妹に生き写しなんていう事は、造化の神でも忘れているだろうじゃないか", "……………", "歴史は繰り返すというが、人間の肉体や精神もこうして繰り返しつつ進歩して行くものなんだよ。尤もコンナのはその中でも特別誂えの一例だがね……呉モヨ子は、芬夫人の心理を夢中遊行で繰り返すと同時に、その姉の黛夫人が、喜んで夫の呉青秀に絞め殺された心理も一緒に繰り返しているらしい形跡があるのを見ると、二人の先祖にソンナ徹底したマゾヒスムスの女がいて、その血脈を二人が表面に顕わしたものかも知れぬ。又は呉青秀を慕う芬女の熱情が、思う男の手にかかって死んだ姉の身の上を羨ましがる位にまで高潮していたと認められる節もある。しかしそこまで突込んで行かずともその絵巻物の一巻が、呉青秀と、黛芬姉妹の夫婦愛の極致を顕わしていることはたやすく解るだろう……とにかくズット先まで開いて見たまえ。呉一郎の心理遺伝の正体が、ドン底まで曝露して来るから……" ], [ "……どうだ。驚いたろう。ハハハハハ。これだけ描いてもまだ足りないと思った、呉青秀の心理がわかるかね", "……………", "常識から考えれば天子を驚かすには、そこに描いてある六ツの死美人像だけで沢山なんだ。大抵の奴はその半分を見ただけでも参ってしまうんだ。それに呉青秀が、なおも新しい女の屍体を求めたというのは、彼が病的の心理に堕落していた証拠だ。自分の描いた死美人の腐敗像に咀われて精神に異状を来たしたんだ。その心理がわかるかね君には……" ], [ "……わかるまいナ……わからない筈だ。呉一郎が自分の学力でこの由来記を読んだと思うと誰でも理屈がわからなくなる", "……じゃ誰か……読んで聞かせた……" ], [ "……そ……そんな川柳は知りません", "……フ――ン……この句を知らなけあ川柳を知っているたあ云えないぜ。柳樽の中でもパリパリの名吟なんだ" ], [ "……ソ……それが……どうしたんです", "ドウしたんじゃない。この川柳があらわしている心理遺伝の原則を呑み込んでいない以上、シャイロック・ホルムスとアルセーヌ・ルパンのエキスみたいな名探偵が出て来ても、この疑問は解けっこない" ], [ "若林先生は知っているんですか……その理屈を……", "吾輩が説明してやった。感謝していたよ", "……ヘエ……どういう訳なんで……", "どういう訳ったって……こうだ。いいかい……" ], [ "……この川柳は狐憑きが、心理遺伝の発作である事を遺憾なく説明しているのだ……すなわち狐憑きはその発作の最中に妙な獣じみた身振りをしたり飯櫃に面を突込んだり、床下に這い込んで寝たがったりして、眼の玉を釣り上がらせつつ、遠い遠い大昔の先祖の動物心理を発揮するから、狐憑きという名前を頂戴しているんだが、同時にこの狐憑きはソンナ性質と一緒に、何代か前の祖先の人間の記憶や学力なぞいうものまでも発揮する場合が多いのだ。一字も知らなかった奴が狐憑きになるとスラスラと読んだり書いたり、祖先のいろんな才能や知識を発揮したりして人を驚かす例がイクラでもあるから、こんな川柳にまで読まれているんだ", "ヘエ――。そんなに細かいところまで先祖の記憶が……", "……出て来るから心理遺伝と名付けるんだ。無学文盲の土百姓が狐に憑かれると歌を詠んだり、詩を作ったり、医者の真似をして不治の難病を治したりする。一寸不思議に思えるが心理遺伝の原則に照せば何でもない。当り前の事なんだ……殊にこの絵巻物は、絵の方が先になっているんだから、それを見ているうちに呉一郎はスッカリ昂奮して、あらかた呉青秀の気持ちになってしまっている。そうしているうちに自分の先祖代々が、何度も何度も発狂する程深く読んで来た由来記の内容に対する記憶までも一緒に呼び起しているんだから訳はない。范陽の進士呉青秀の学力が、自分の経歴を暗記した奴を、又読み返すようなもんだ。白紙を突きつけても間違わずに読める訳だ", "……驚いた……成る程……", "こいつが第一段の暗示になった訳だが、次に、第二段の暗示となって呉一郎を昏迷させたものは、その六個の死美人像の中に盛り込まれている思想である", "思想というと……やはり呉青秀の……", "そうだ。この心理遺伝のそもそもというものは、呉青秀の忠君愛国から初まって、その自殺に終る事になっているが、それはその由来記の表面だけの事実で、その事実の裡面に今一歩深く首を突込んでみると豈計らんや。呉青秀の忠勇義烈がいつの間にか変化して、純然たる変態性慾ばかりになって行く過程が遺憾なく窺われるのだ。ちょうど材木が乾溜されて、アルコールに変って行くようにね", "……………", "……ところでこの経過を説明すると、とても一年や二年ぐらいの講座では片付かないのだが、吾輩が昨夜焼いてしまった心理遺伝論のおしまいに、附録にして載せようと思っていた腹案の骨組みだけを掻い抓んで話すと、こうだ。……呉青秀がこの仕事を思い立ったソモソモの動機というのは今も云った通り、天下万生のためという神聖無比な、純誠純忠なもののように思えるが、これは皮相の観察で、その後の経過から推測して研究すると、その神聖無比、純誠純忠の裏面に、芸術家らしい変態心理の深刻なものの色々が異分子として含まれているのを、御本人の呉青秀も気付かずにいた。……と考えなければ、その絵巻物の存在の意義に就いて、いろんな不合理があるのを、どうしても説明出来なくなって来るのだ", "この絵巻物の存在の意義……", "そうだよ。その絵巻物の絵と、由来記に書いてある事実とを、よくよく比較研究してみると、この絵巻物はその根本義に於て、存在の意義が怪しくなって来るのだ。……すなわち……この絵巻物は、この六体の画像を描き並べただけで、天子を諫めるだけの目的は充分に達し得るのだ。女の肉体美が如何に果敢ないものか……無常迅速なものかという事を悟らせるにはこの六個の腐敗美人像だけで沢山なのだ。……論より証拠だ。現在、たった今、君が一わたり眼を通しただけでもゾッとさせられた位だからね……", "……それは……そう……ですねえ……", "そうだろう。その第六番目の乾物みたような姿のあとに、今一つ白骨の絵か何かを描き添えたら、それでモウ充分にその絵巻物は完成していると云っていい。そうして残った白い処へ諫言の文だの、苦心談だのを書いて献上しておいて、自分はあとで自殺でもすれば、気の弱い文化天子の胆っ玉をデングリ返らせる効果は十分、十二分であったろうものを、そうしないで、なおも飽く事を知らずに、必要もない新しい犠牲を求めて歩いたのは何故か……黛夫人の遺骸が白骨になり終るのを、温和しく待っておりさえすれば、何の苦もなく完成するであろうその絵巻物を、未完成のままに後代に伝えて、呉家を呪いつくす程の恐ろしい心理遺伝の暗示材料としたのは何故か……一千百年後の今日、吾々の学術研究の材料として珍重さるべき因果因縁を作ったのは何故か……" ], [ "どうだ……不思議だろう。小さな問題のようで仲々重大な問題だろう。しかもこの問題は、考えれば考える程、わからなくなって来る筈だからね。ハハハハハ。だから吾輩は云うのだ。この問題を解くには、やはり呉青秀がこの絵巻物の作製を思い立った最初の心理的要素にまで立返って観察して見なければならぬ。その時の呉青秀の心理状態を解剖して、こうした矛盾の因って起ったそのそもそもを探って見なければならぬ……しかもそれは決して難かしい問題ではないのだ", "……………", "すなわち、まずその時の呉青秀の心理的要素を包んでいる『忠君愛国の観念』という、表面的な意識を一枚引っ剥いで見ると、その下から第一番に現われて来るのは燃え立つような名誉慾だ。その次には焦げ付くような芸術慾……その又ドン底には沸騰点を突破した愛慾、兼、性慾と、この四つの慾望の徹底したものが一つに固まり合って、超人間的な高熱を発していた。つまるところ、呉青秀のスバラシイ忠君愛国精神の正体は、やはりスバラシク下等深刻な、変態性慾の固まりに過ぎなかった事が、ザラリと判明して来るのだ" ], [ "……こうして忠君も、愛国も、名誉も、芸術も、夫婦愛も、何もかも超越してしまって、ただ極度に異常な変態性慾の刺戟だけで、生きて、さ迷うていた呉青秀は、一年振りに帰って来た我家の中でこれも同じく一種の変態性慾に囚われている処女……義妹の芬氏に引っかけられて美事な背負い投げを一本喰わされると、その強烈深刻な刺戟から一ペンに切り離されてしまった。最後の最後まで自分の意識を突張り支えていた烈火のような変態性慾が、その燃料と共に消え失せて、伽藍洞の痴呆状態に成り果てた。そうしてその変態的に捩じれ曲るべく長い間、習慣づけられて来た性慾と、これに絡み付いている、あらゆるモノスゴイ記憶の数々を一パイに含んだ自分の胤を後世に残して死んだ……するとこの胤が又、生き代り死に代り明かし暮して来て、呉一郎に到って又も、愕然として覚醒する機会を掴んだ。呉一郎の全身の細胞の意識のドン底に潜み伝わっていた心理遺伝……先祖の呉青秀以下の代々によって繰返し繰返し味い直されて来た変態性慾と、これに関する記憶とは、その六個の死美人像によって鮮やかに眼ざめさせられた……すなわち、この絵巻物を見た後の呉一郎は、呉一郎の形をした呉青秀であった。一千年前の呉青秀の慾求と記憶が、現在の呉一郎の現実の意識と重なり合って活躍する……それが夢中遊行以後の呉一郎の存在であった。『取憑く』とか『乗移る』とかいう精神病理的な事実を、科学的に説明し得る状態はこの以外にないのだ", "……………", "……この深刻、痛烈を極めた変態性慾の刺戟の前には、呉一郎自身に属する一切の記憶や意識が、何の価値もない影法師同然なものになってしまった。今まで呉一郎を支配して来た現代的な理智や良心の代りに、一千年月の天才青年の超無軌道的な、強烈奔放な慾求が入れ代ったのだ。そうしてその記憶の中にタッタ一つ美しいモヨ子……一千年前の犠牲であった黛夫人に生写しの姿がアリアリと浮出した", "……………", "……一千年後に現われた呉青秀の変態性慾の幽霊はかくして現代青年の判断力や、記憶や、習慣を使って無軌道的な活躍を初めた。姪の浜の石切場を出ると飛ぶように急いで家に帰って、モヨ子と何かしら打合わせた。多分、母屋の雨戸の掛金を内側から外しておく事や、土蔵の鍵だの、蝋燭だのいうものを用意しておく事であったろうと思われるが……それから呉一郎は家中が寝鎮まるのを待って母屋へ忍び込んで、そっとモヨ子を呼び起した。……ところで無論モヨ子はこの時まで、こうした新郎の要求の真実の意味を知らなかったようである。云う迄もなく呉一郎も、イザというドタン場までは故意と真実の事を話さずに、高圧的な命令の形で、熱心に迫ったものらしいので、モヨ子も真逆にそれ程の恐ろしい計劃とは知らずに、ただ当り前の意味に解釈して、非常に恥かしい事に思い思い躊躇していたらしい事が、戸倉仙五郎の話に出ている前後の状況で察せられる。……けれどもモヨ子は気質が温柔しいままに結局、唯々として新郎の命令に従う事になった。そいつを呉一郎の呉青秀は蝋燭の光りを便りにして土蔵の二階に誘い上げた……という順序になるんだ。そこでその現場に関する調査記録を開いてみたまえ", "……………", "……それそれ。そこん処だ。階下より蝋燭の滴下起り……云々と書いて在るだろう。その百匁蝋燭の光りの前で、新郎と差向いになったモヨ子は、初めてその絵巻物を突き付けられながら……この絵巻物を完成するために死んでくれ……という意味の熱烈な要求を受けたに相違ない。しかもその絵を見ると、眼鼻立から年頃まで自分に生写しの裸体少女の腐敗像の、真に迫った名画と来ているのだからタマラない。腸のドン底まで震え上ると同時に卒倒して、そのまま仮死の状態に陥ってしまったものと考えられる……という事実を、その調査記録は『抵抗、苦悶の形跡なし』とか『意識喪失後に於て絞首』云々の文句で明かに想像させているではないか", "……のみならずモヨ子がその後に於て、程度は余り深くないながらに自分と同姓の祖先に当る花清宮裡の双蛺姉妹の心理遺伝を、あの六号室で描き現わしている事実に照してみると、その仮死に陥った瞬間というのは、彼の土蔵の二階で、呉一郎がサナガラに描き現わした一千年前の呉青秀の心理遺伝の身ぶり素振りによって、モヨ子が先祖の黛、芬姉妹から受け伝えていたマゾヒスムス的変態心理の慾望と記憶とを、ソックリそのままに喚起された刹那であったろうという事も、併せて想像されて来るではないか", "……………", "……但。こういうと不思議に思うかも知れないが心理遺伝の発作と消滅の前後に、仮死状態や無意識、昏睡状態なぞいうものが伴う例は古来、幾多の記録や伝説に残されているので、この方面の専門的研究眼から見ると、少しも不思議な事ではないのだ。……すなわち昔はこれを『神憑り』とか『神気』とか『神上り』とか称していたもので、甚しいのになるとその期間が余り長いために、真実に死んだものと思って土葬した奴が、墓の下で蘇った……なぞいう記録さえ珍らしくない。能楽『歌占』の曲の主人公になっている伊勢の神官、渡会の某は三日も土の中で苦しんだために白髪となって匐い出して来た……なぞいうのは、そんな伝説の中でも最も有名な一つで、これを精神科学的に説明すると電気のスイッチを一方から一方へ切り換える刹那に生ずる暗黒状態みたようなものだ。勿論その気持の変化の強弱、又はその人間の体質、性格等によって時間の長短の差はあるが、普通の場合、突然の驚きに似た卒倒と、それに引続く身神の全機能の停止があって後に、やがて息を吹き返すと、挙動が全く別人のようになる……すなわち心理遺伝の夢遊発作を初める……又はそうした発作を続けて来た人間が同じ暗黒状態の経過の後に、正気に立帰ったりするので、前に述べた狐憑きなどの場合は、夢中遊行発作の程度が割合に浅いだけに、無意識状態に陥る時間も短かいのが通例になっているのだ。……尚この仮死の間に於ける栄養作用や、新陳代謝の具合なぞの研究は、この呉モヨ子のモデルに依って、若林が充分な研究を遂げている事と思うし、吾輩も他人の受売りなら多少出来るが、この話には直接の必要がないから略する。いずれにしても呉モヨ子が仮死状態に陥った直接の原因が、呉一郎の夢中遊行から来た暗示であったろうという事は、この若林の手に成った調査書類の文句が云わず語らずの中に表明している推論で、吾輩も双手を挙げて賛成せざるを得ないところだ", "……………", "なお又、これは吾輩一個人としての想像であるが、従来の呉家にはモヨ子のように、女性としての祖先である黛、芬、両夫人から来た心理遺伝をあらわした婦人の話が一つも残っていないようである。又、この絵巻物を警戒して、人に見せないようにした勝空という坊さんも、呉家の中興の祖である虹汀も、この点には全然注意を払っていないようであるが、しかしこれはこの絵巻物が現わしている変態心理の暗示が、男性にだけ有効な事がわかり切っていると同時に、これに刺戟された男性たちの心理遺伝の発作が、相手の女性の心理遺伝に影響するような場合が全く想像され得なかったからだ。……ところが今度は場合が全く違う。違うにも何にもお互に他人同志ではない。千載の一遇と云おうか、奇蹟中の奇蹟とでも考えられようか、相手のモヨ子の姿が、その絵巻物の主人公と寸分違わなかったために、呉一郎の心理遺伝も、今までに類例の無い、殆ど完全に近い暗示に支配される事になった。従ってその一言一句、一挙一動の極く細かいところまでも、その当時の呉青秀の動作と寸分違わぬ感じを現わし続けたために、ゆくりなくもモヨ子の心理遺伝を誘発する事になったのではあるまいかと考えられる。これは余りにも奇怪に過ぎる事実の暗合を想像したものだが、しかし満更の想像ばかりではない。相当の根拠を持って云う事なのだ。……というのは外でもない。すなわちその調査書が証明している通り、呉一郎が死人同様になって倒れているモヨ子の頸部を、わざわざ西洋手拭で絞め上げたものとすると、この変態性慾は女を殺すばかりが目的でなかった事がわかる。死んでいても構わないから、女の首を絞め付けるという特異な快感を味いたい……という願望のために、コンナ余計な事をしたものと考える事が出来る。……どうだい。一千年前にいた或る一人の男の変態性慾の心理遺伝が、こんなに細かいところまでも正確に伝わっているとしたら実に面白い研究材料ではないか", "……………", "……ところでサテ。こうしてこの発作が済むと、呉一郎は、その屍体をモデルにするつもりで腐るのを待った。それを土蔵の窓から伯母の八代子が覗いた時に、呉一郎は平気で振り返って『モウじき腐ります』云々と云った。この言葉には吾々が聞くと実に一千年間……一千里に亘る時間と空間の矛盾が含まれているんだが、彼、呉一郎自身にとっては、どちらも現在の、眼の前の事であった。彼がモヨ子を絞殺した目的が、そうした大昔の遠方の先祖である呉青秀の、超自然的な心理の満足以外になかった事は、モヨ子の屍体解剖の結果が、情交の形跡なしとあるのを見てもわかる……" ], [ "しかし……あの呉一郎の頭は……治りましょうか", "呉一郎の頭かね。それあ回復するとも……吾輩には自信がある" ], [ "ハア……でも仲々困難でしょうね", "ナニ訳はない。発病の原因と経過とが、今まで述べて来たように、精神病理学的に判然しておれば治療す方法もチャントわかって来る。殊にこの呉一郎みたように、原因のハッキリした精神異状が、治癒らなければ、吾輩の精神病理学は机上の空論だ", "……ヘエ。それで……ドンナ方法で治療するんですか" ], [ "……どうだ。愉快な話だろう。この一例を見ても、今までの精神病学者の治療法が、全然、見当違いをやっていた事が解るだろう。同時に、吾輩のこの解放治療の実験が、如何に素晴らしい、学界空前の……", "ちょっと待って下さい" ], [ "……ちょっと……待って下さい。……しかし……先生の、そうした治療の実験は、純粋な学術研究の目的でなさるのですか、それとも……", "……無論……むろん純粋の学術研究を目的としているんだよ。精神病の治療というものはこうするものだ……という事を、洽ねく全世界のヘゲタレ学者たちに……", "マ……待って下さい。そうじゃありません。僕がお尋ねしているのは……", "……何だ……" ], [ "僕がお尋ねしようと思っている事は、こうなんです。呉一郎を発狂さした暗示が、この絵巻物だって事は、まだ誰も知らないでいるんですね", "……ア。その話はまだ、しなかったっけね。無論、誰も知ってやしないよ。司法当局の奴等だって知らないも同然だよ。テンデ問題にしていないんだからね" ], [ "最前からも話した通り、この絵巻物は、呉一郎の伯母の八代子が、土蔵の二階から取って来て隠していたのを、若林が睨んで捲上げて、そのまんま吾輩に引渡したものだから、若林と吾輩以外にこの絵を見た者は君だけだ。裁判所や警察の連中は、八代子が現場の机の上の、この絵巻物が置いてあった所に、自分の鼻紙を拡げておいたので、見事に一パイ喰わされている上に『迷宮破りの若林博士が、事件の真相の説明に窮して迷信を担ぎ出した』と云って笑っているそうだ。たしかその当時の新聞の編輯余録といったような欄の中に、素破抜いてあったと思うが……却って仙五郎爺から巻物の話を聞いた村の者が、色んな事を云っているそうだ。一郎が夢のお告を受けて石切場に行ったら、巻物が高岩の蔭に置いてあったんだとか、その時がちょうど日暮狭暗の逢魔が時だったとか云ってね……又、そんな迷信を担がない連中は、誰かモヨ子に惚れ込んでいた奴が、叶わぬ恋の意趣晴らしに、古い云い伝えから思い付いて、一郎にコンナ悪戯をしかけたのが、マンマと首尾よく図に当ったんだとか何とか……", "アッ……" ], [ "……もし僕が……呉一郎に……この絵巻物を……見せた本人……", "アッハッハッハッハッ……ワッハッハッハッハッハッ……" ], [ "ハッハッハッハッ。君が加害者で、呉一郎が被害者か。これあいい。探偵小説なら古今の名トリックだが、多分そんな事になるだろうと思っていた。アッハッハッハッハッ。しかしだね。事実はその正反対だったら、どうなるかね、この事件は……", "……エッ……正反対?……", "ハッハッハッ。何も君が、そんなに遠慮して、加害者の憎まれ役を引受けなくとも、いいじゃないか。どうせ君と呉一郎とは瓜二つなんだから、御都合によっては吾輩の小手先一つで、加害者側へでも、被害者側へでも、どちらへでも廻せるんだがどうだい。どうせ同じ事なら、被害者側へまわった方が、この事件では得になるんだがドウダイ。アハアハアハアハ……" ], [ "……どうも、そう一々泡を喰っちゃ困るぜ。……だから最初っから注意しておいたじゃないか。この事件は、よほど頭を緊りさせて研究しないと、途中で飛んでもない錯覚に陥る虞れがあると云って警告しといたじゃないか……吾輩は姪の浜、浦山の祭神、鶉の尾権現の御前にかけて誓う。君はそんな浅薄な意味で、この事件に関係しているのじゃない。もっと重大深刻な意味で……", "……でも……でも……それ以上に重大深刻な意味で関係が……", "……出来ないと云うんだろう。ところが出来るから奇妙なんだ。クドイようだがモウ一度断っておく。吾々が住んでいる、この世界は現代の所謂、唯物科学の原則ばかりで支配されているんじゃないんだよ。同時に唯心科学……即ち精神科学の原則によって何から何まで支配されている事を肝に銘じて記憶していないと、この事件の真相はわからないよ。……早い話が純客観式唯物科学の眼で見るとこの世界は長さと、幅と、高さの三つを掛け合わせた三次元の世界に過ぎないんだが、純主観式精神科学の感ずる世界は、その上に更に『認識』もしくは『時間』を掛け合わせた四次元もしくは五次元の世界が現在吾々の住んでいる世界なんだ。その高次元の精神科学の世界で行われている法則は、唯物世界の法則とは全然正反対と云ってもいい位違うのだ。その不可思議な法則の活躍状態は、既に今まで君がこの部屋で見たり聞いたりして来た話だけでも、十分に察しられるだろう。……その中からこの事件の解決の鍵を探し出せばいいのだ。……否……この事件の鍵は、もうトックの昔に、君のポケットに落ち込んでいる筈だがね。ツイ今しがた慥かにその鍵を君の手に渡した事を、吾輩はハッキリと記憶しているのだがね", "……そ……それはドンナ鍵……", "離魂病の話さ", "離魂病……離魂病がどうしたんですか", "ハハハハ。まだわからないと見えるね", "……わ……わかりません", "……いいかい……この事件で差当り一番不思議に思えるところは、君とソックリの人間がモウ一人居る事であろう。そのモウ一人の君自身のお蔭で、スッカリ事件がコグラカッてしまっている訳だろう。しかも、それは君の離魂病のせいだっていう事をツイ今しがた、説明して聞かせたばかりのところじゃないか", "だって……だって……そんな不思議な……馬鹿馬鹿しい事が……", "ハッハッハッ。まだ離魂病が信じられないと見えるね。まあまあ無理もないさ。誰でも自分の頭が一番、確実だと信じているんだからね。その方が結局、無事でいいし、お蔭で話の筋道もステキに面白くなって来る訳だから、そう慌てて結論を付ける必要もないだろうよ。呉一郎を発狂さした犯人はあらゆる人間の中の一人か、又は呉一郎自身か、それとも又、絵巻物が独り手に弥勒様のお像から脱け出して活躍したものか……というこの三つを前提にしてユックリと考えた方がいい。そうして冷静な気持で君の過去を思い出した方が早道だ", "……しかし……そんな神秘的な……不思議な事実が……" ], [ "だから慌てるなと云うんだよ。今に神秘でも何でもなくなるから……", "……でも……今っていつです", "いつだか解らないが、きょうは駄目だよ。吾輩は君の記憶力を回復すべく、先刻からの話の中に、かなり強烈な精神科学の実験を君に対して、かけ通しにして来たんだけれども、君はどうしても過去の記憶を思い出さないのだから仕方がない。きょうの実験はこれで中止だ。つまり君の頭が、そこまで回復していないのだから、この上、実験を続けても無駄だと吾輩は……", "しかし……それじゃ最前のお約束に……", "約束はしたが仕方がない。お互いに無駄骨を折るよりも、今すこし君に休養してもらってから、今一度実験をやり直す事に……", "待って下さい……チョット……それじゃ先生は、その神秘の正体をスッカリ御存じなんですね", "そうさ。知っているからこそ、君と関係があると云うんじゃないか", "……じゃ……それをスッカリ僕に話して下さい", "……イケナイ……" ], [ "……そ……それあ怪しからんじゃないですか先生。……いくら学者だってアンマリ冷淡過ぎはしませんか", "冷淡過ぎたって仕方がない。よしんば吾輩が大負けに負けて、若林の加勢をして、その犯人を探し出したにしたところが、そいつをフン縛る法律が在るか無いか……" ], [ "……法律……法律なんてものは、どうでもいいんです。……その犯人を突止めて八裂にでもしなければ、浮かばれない人間がイクラでもいるじゃないですか。八代子だって、モヨ子だって、又あの呉一郎だって……僕も連累を喰っているんなら僕もです。……何の罪も科も無いのに、殺される以上の残虐を受けているじゃないですか", "……フン……それで……" ], [ "……それで、僕の魂がもし、この身体を脱け出せるものなら、僕は今でも、或る一人に乗り移ってその人間の記憶に残っている犯人の名前を怒鳴ってやります。白昼の大道で、公表してやります。死ぬが死ぬまでその犯人に跟随いて行って、殺す以上の復讐をしてやります", "……フーン。左様願えたら面白いがね。しかし誰に乗り移ろうと云うんだい", "誰って……わかり切ってるじゃありませんか。犯人の顔を直接に見知っている呉一郎がいるじゃありませんか", "ハッハッハッ。こいつは面白いな、遠慮なく乗り移るがいい。しかしマンマと首尾よく乗り移れたらお手拍子喝采どころじゃない。吾輩の精神科学の研究は全部遣り直しだよ。魂が『乗り移る』とか『取り憑く』とか『生れ変る』とかいう事実は、その本人の『心理遺伝』の作用以外の何ものでもないというのが、吾輩の学説の中でも、最重要な一箇条になっているんだからね。……フン……", "それは解っています。しかし仮令、先生の方で犯人に用がなくとも、若林先生の方では用があるでしょう。若林先生が、貴方にこの調査書類を引渡されたのは、その最後の一点を、呉一郎の過去の記憶の中から取出して頂きたいばっかりが目的じゃなかったですか", "それはそうだ。百も承知だ。今朝から吾輩と若林が、君をこの部屋に引張り込んで、色々と試みた実験も、帰するところ、同じ目的一つのために外ならなかったんだが……しかし吾輩は最早、これ以上にこの事件の真相を突込んで行きたくないのだ。その理由は、犯人の名前が判明ると同時にわかるんだがね" ], [ "それじゃ、僕が勝手にこの犯人を探し出すのは、お差支えありませんね", "それは無論、君の自由だ。御随意に遊ばせだが……", "ありがとう御座います。それじゃ済みませんが、僕を此病院から解放して下さい。ちょっと出かけて来たいのですから……" ], [ "出かけるって、どこへ出かけるんだい", "どこだか、まだ考えていませんけど……帰って来る迄には事件の真相を根こそげ抉り付けてお眼にかけます", "フフン。抉り付けて胆を潰すなよ", "……エッ……", "この絵巻物の神秘は、お互いに破らない方がよかろうぜ", "……………" ], [ "いいですか先生……その代りに、万一、僕がこの犯人を発見し得たら、僕が勝手な時に、勝手な処でその名前を発表しますよ。そうして呉一郎を初め、モヨ子、八代子、千世子の仇敵を取りますよ。そのためには、僕がドンな眼に会おうとも、又、犯人が如何なる人間であろうとも驚きませんが……いいですか、先生……。その残忍非道な人間のために、こんな狂人地獄に陥れられて、一生涯、飼い殺しにされているなんて……僕にはトテモ我慢が出来ないのですから……", "ウン……まあやって見るさ" ], [ "……いいですか先生。僕が自分で考えてみますよ。……まず仮りにこの犯人が僕でないとすればですね。まさか村の者の云うように、この絵巻物がひとり手に弥勒様の仏像から抜け出して、呉一郎の手に落ちるような事は、有り得る筈がないでしょう", "……ウフン……", "……又……伯母の八代子と、母の千世子も、呉一郎をこの上もなく愛して、便り縋りにしている女ですから、こんな恐ろしい云い伝えのある絵巻物を呉一郎に見せる筈はありますまい。雇人の仙五郎という爺も、そんな事をする人間ではないようです。……お寺の坊さんは又、呉家の幸福を祈るために呉家に仕えているようなものですから、巻物があると判ったら却って隠す位でしょう。そうとすれば、他にまだ誰にも気付かれていない、意外な人間の中に、嫌疑者がある筈です", "……ウフン。自然、そういう事になる訳だね" ], [ "若林博士のその調査書類の中には、そんな嫌疑者について色々と心当りが、調べてあるんですね", "……ないようだ", "……エッ……一つも……", "……ウ……ウン……", "……じゃ……その他の事は、みんな念入りに調べてあるんですか", "……ウ……ウン……", "……何故ですか……それは……", "……ウ……ウン……" ], [ "……そ……そ……それは怪訝しいじゃないですか先生……犯人の事をお留守にして、他の事ばかりに念を入れるなんて……仏作って魂入れずじゃないですか。ねえ先生……", "……………", "……ねえ先生……たとい悪戯にしろ何にしろ、これ程に残忍な……そうしてコンナにまで非人道的に巧妙な犯罪が、ほかに在り得ましょうか。……本人が発狂しなければ無論、罪にはならないし、万一発狂すれば何もかも解らなくなる。又、万が一犯人として捕まったとしても、法律はもとより、道徳上の罪までも胡魔化せるかも知れないというのですから、これ位アクドイ、残酷な悪戯は又と在るまいと思われるじゃないですか先生……", "……ウ……フン……", "その根本問題にちっとも触れないで調査した書類を、先生に引渡すのは、どう考えても怪訝しいじゃないですか", "……ウ……フン。……おかしいね……", "……この事件の真犯人を明かにするには、是非とも呉一郎か、僕かの頭を回復さして、犯人を指示させるより他に方法はないのでしょうか……先生みたような偉い方が二人も掛り切っておられながら……", "……ないよ……" ], [ "……一体、この絵巻物を呉一郎に見せた目的というのは何でしょうか", "……ウ……ウン……", "ほんとうの心から出た親切か……又は悪戯か……恋の遺恨か……何かの咀いか……それとも……それとも……" ], [ "……君がそこまで判断力を回復しているならば止むを得ない。一切を打明けよう", "……………", "何を隠そう。吾輩は夙うから覚悟を決めていたのだ。この調査書類の内容の全部が、吾輩をこの事件の犯人として指していることを、最初から明かに認めていながら、知らぬ顔をし通して来たのだ", "……………", "この調査書類の内容は一字一句、吾輩を指して『お前だお前だ。お前以外にこの犯人はない』と主張しているのだ。……すなわち……第一回に直方で起った惨劇は、高等な常識を持っている思慮周密な人間が、あらゆる犯跡を掻き消しつつ、事件が迷宮に這入るように、故意に呉一郎が帰省した時を選んで、巧みに麻酔剤を使用して行った犯罪である。呉一郎の夢中遊行では断じてない……と……" ], [ "……その犯行の目的というのは外でもない。呉一郎を母親の千世子から切離して、モヨ子と接近させるべく、伯母の手によって姪の浜へ連れて来させるにある……モヨ子は姪の浜小町と唄われている程の美人だから、とやかく思っている者が、その界隈に多いにきまっているし、同時に、絵巻物の本来の所在地で、大部分の住民は多小に拘わらず、それに関する伝説を知っている。一方に呉一郎とモヨ子の縁組は、九十九パーセントまで外れる気遣いがないのだから、この実験を試みるにも、又は、その跡を晦ますにも、この姪の浜以上に適当な処はない訳である", "……………", "……だから第二回の姪の浜事件というのも、決して神秘的な出来事ではない。直方事件以来の計劃通り、或る人間が、石切場附近で呉一郎の帰りを待伏せて、絵巻物を渡したにきまっている……すなわちこの直方と、姪の浜の二つの事件は、或る一つの目的のために、同一の人間の頭脳によって計劃されたものである。その人間は、この絵巻物に関する伝説に対して、非常に高等な理解と、興味とを併せ持っている者で、これを実地に試験すべく最適当した時機……すなわち被害者、呉一郎が或る大きな幸福に対する期待に充たされている最高潮のところを狙って、その完全な発狂を予期しつつ、この曠古の学術実験を行った……と云えば、吾輩より以外に誰があるか……", "ありますッ……" ], [ "……ワ……ワ……若林……", "馬鹿ッ……" ], [ "……これ程の恐ろしい実験を、ここまで突込んで行り得る者が、吾輩でなければ、外には今一人しかいないであろうという事は誰でも考え得る事じゃないか。又それがわかればその人間の名前が、ウッカリ歯から外へ出されない事も、直ぐに考え付く筈じゃないか。……何という軽率さだ", "……………", "況んや本人は既に……一切を自白している", "……エッ……エッ……" ], [ "……君はまだ犯罪の隠蔽心理とか、自白心理とかいうものが、ドンナものだか詳しくは知るまいが……よく聞いておき給え。人間の智慧が進むに連れて……又は社会機構が、複雑過敏になって来るに連れて、こんな恐ろしい犯罪心理が、有触れたものと成って来るに、きまっているんだから……よろしいか……", "……………", "……この調査書が如何に恐るべきものであるか……この調査書類の中に含まれている犯罪の隠蔽心理と自白心理の二つが、如何に深刻な、眩惑的な、水も洩らさぬ魔力をもって吾輩に、この罪を引受るべく迫って来たか……という理由を、これから説明するから……" ], [ "……ウソさ……真赤な嘘だよ", "……………" ], [ "……裁判長……シッカリしないと駄目だぞ。これから先がいよいよ解らない、恐ろしい事ずくめになって来るんだから……ハハ……", "……………", "……そこでだ……次にこの調査書類を、よくよく読み味わって見ると、異様に感ぜられる点が二つある。その一ツはツイ今しがた君が疑ったところで、犯人の捜索方法を、ただ呉一郎の記憶回復後の陳述のみに期待して、その他の捜索方法を全然放棄している事である。……それから今一つは呉一郎の生年月日に就いて特別の注意が払ってある点と……この二つだ。いいかい……", "……ところでその呉一郎の年齢に就いて、この調査書には一つの新聞記事の切抜を参考として挿入してあるのであるが、その記事に依ると、呉一郎の母親の千世子は、明治三十八年頃に家出をしてから一年ばかりの間、福岡市外水茶屋の何とかいう、気取った名前の裁縫女塾に通っていたが、その間には子供を生まなかったように見える。……で……もしその頃に生まなかったものとすれば呉一郎が生まれたのは、明治三十九年の後半から、四十年一パイぐらいの間だ……という推測が出来る。……但、こんな年齢の推定材料の切抜記事は、常識的に考えると、呉一郎が私生児だから、特に念のために挿入したものと考えられるかも知れぬ。又はその当時の話題になっていたこの『美人後家殺しの迷宮事件』の真相を、古い色情関係と睨んでいた新聞記者が、そんなネタを探し出した。ところが又その記事の中に、虹野ミギワなぞいう呉虹汀に因んだ名前が出て来たりしたので、傍々以てこの調査書の中に取入れたものとも考えられるようでもある。……が……しかし吾輩の眼から見るとそこにモットモット意味深長な、別個の暗示が含まれているように思える。……というのは外でもない。その呉一郎が生まれた年らしく推定される明治四十年の十二月は、この九州帝大の前身たる福岡医科大学が、第一回の卒業生……即ち吾々を生んだ年に当るのだ。……いいかい……", "……………", "……ところでこれが又、局外者の眼から見るとチョット根拠の薄弱な、余計な疑いのように見えるかも知れないが実はそうでない。当時の大学生の中に怪しい奴がいた。そいつがこの事件のソモソモの発頭人で、直方事件の下手人も其奴に相違ないという事を、この調査書は云いたくて云い得ずにおるように見える。……これが吾輩の所謂、自白心理だ。問うに落ちずして語るに落ちるという千古不磨の格言のあらわれだ。呉一郎が生まれた真実の時日と場所を知っているのは、母親の千世子を除いてはWとMの二人きりだからね" ], [ "……………", "……ところでWとMの二人の提携はここまで来ると又、キレイに断絶する事になった。……アノT子に絵巻物を握られていては事が面倒だ。お寺の御本尊の中に在るのと違って、生きた人間が保管しているのだから盗み出すにしても容易な事ではない。ここいらでこの研究は一時中止しようじゃないか。ウン。そうしよう。いずれ又……とか何とかいうので最初の意気組にも似合わない、恐ろしくアッサリとした別れ方であったが……しかし内実は決してアッサリでない事を、お互いにチャンと見透かし合っていた。アッサリどころか、前に何層倍した熱烈な決心をもってこの実験を突き貫いてくれよう、どうするか見ろ……と思っている事を、互いに感付き過ぎる程、感付いていた。もっとも二人のそうした決心にはT子の美貌が反映していた事を否定出来ない。……が併しながら呉青秀の忠志と違ってこの実験に対するWとMの誠意ばかりは、今日までも断々乎として一貫している筈だ。むろん二人ともだよ。いいかい……", "……………" ], [ "……………", "裁判長の判断に任せる", "……………", "……WとMのその後の行動によって……否、今日只今、この仮法廷に於て……吾輩という検事の論告と、Mという被告の陳述を憑拠として、絵巻物の行衛を推断してもらうよりほかに方法はない", "……………" ], [ "……Mは黙々として寒風に吹かれながら姪の浜から帰って来た。いつかはその絵巻物の魔力……六体の腐敗美人像に呪咀われて……学術の名に於てする実験の十字架に架けられて、うつつない姿に成果てるであろう、その可愛らしい男の児の顔を眼の前に彷彿させつつ……同時にその母子の将来に、必然的に落ちかかって来るであろう大悲劇に直面した場合に、ビクともしない覚悟と方針とを考えまわしつつ……", "……………", "……彼は松園の隠れ家に何喰わぬ顔をして帰って来ると、何も知らずに添乳をしているT子に向って誠しやかな出鱈目を並べた。……絵巻物は和尚か誰かが、取出してどこかに隠したものと見えて、弥勒様の胎内にはモウ見当らなかった。しかしこっちから請求して貰って来る訳にも行かない品物なので、そのまま諦らめて帰って来た。いずれ自分が学士になって大学に奉職する事にでもなったならば、その時に大学の権威で、学術研究の材料として提供させても遅くはないであろう。ところで絵巻物の問題はそれでいいとして、実は自分の故郷の財産の整理がこの歳暮に押し迫っているので、困っている。兎にも角にも大急ぎで帰って来なければならないのだ。その序に、お前達の戸籍の事も都合よく片付けて来たいと思うから、用事が出来たらコレコレ斯様斯様の処へ通信をするがいい……といったような事で話の辻褄を合わせて、渋々ながら納得をさせると、その翌々日の福岡大学最初の卒業式をスッポカシて上京してしまった。しかもそのまま故郷へは帰らずに東京へ転籍の手続をして、全速力で旅行免状を手に入れて海外に飛び出した。これがこの時、既にMの心中に出来上っていた、来るべき悲劇に対する戦闘準備の第一着手であった。Wにだけわかる宣戦の布告であったのだ", "……………", "然るに、これに対するWの応戦態度はというと、頗る落付き払ったものであった。殊勝気に白い服を着込んで、母校の研究室に居据ってしまった。そうして一切を洞察していながら、何喰わぬ顔で顕微鏡を覗いていたのであった", "……………" ], [ "……………", "……かくしてMの個人としての煩悶は遂に、学術の研究慾に負けた。全世界に亘る『狂人の暗黒時代』と、その中に蔓延する『キチガイ地獄』を、自分の学説の力で打ち破るべく、何もかも打ち忘れて盲進する当初の意気組を回復した。恐らくWに負けないであろう程の冷静、残忍さをもってIの年齢を指折り数え得るようになった", "……………" ], [ "そんな気の弱い事でどうする。他人の生涯の浮沈に関する重大な秘密を、一旦、聞くと約束して話させておきながら、途中で理由もなしに、モウいいという奴があるか。実際にこの事件と闘っている俺の立場にもなって見ろ……あらゆる不利な立場を切抜けて来た、俺の苦しみを察してみろ……まだまだ恐ろしい事が出て来るんだぞ……これから……", "……………" ], [ "……かくしてMが、この斎藤博士の後任となって九大に着任すると間もなく、この学界空前の実験は決行された。そうしてその結果の全部が、この通り吾輩の前に投出された", "……………", "……だから……目下のところWとMの二人は同罪である。同罪でないと云っても、云い免れるだけの証拠がない", "……………", "……だから吾輩は覚悟を決めた。そうして君が先刻から読んだその心理遺伝の附録の草案によって直方事件の真相までも、すっかり蔽い隠してしまった。ロクロ首や、屍体鬼までも引合いに出して、苦辛惨憺を重ねた結果、学術研究の参考材料として公表しても、無罪と云える程度にまで辻褄を合わせておいた", "……………", "……そんな裏面の消息を、唯二人の間の絶対の秘密として葬り去るべく……怨みも、猜みも忘れて……学術のために……人類のために……", "……………", "……これも矢張り菩提心と云えば云えるであろう。……あの呉一郎の狂うた姿を見て、たまらなくなったからであろう……" ], [ "……唯……ここに一人……君という人間が居る……", "……………", "君は吾輩と若林とに選まれた、この事業の後継者である。……否……吾輩や若林は実を云うと、この事業の最後の成績を社会に公表し得べき資格を持った人間でない。ただそこに居る君だけが、その神聖なる使命を担うべく選まれて、吾々の前に差遣わされた唯一、無上の天使である。自分でその天命の何たるかを知らない……徹底的に何も知らない……ホントウの意味の純真無垢の青年である", "……………", "……というのは、ほかでもない。吾輩も若林も、正直正銘のところを告白すると、この事件の真相をコンナ風に偽った形にして、自分達の手で発表したくない。出来得べくは自分達の死後に、然るべき第三者の手で、真実の形に直して発表してもらいたい……というのが吾々二人の畢生の願である。純誠無二の学者としての良心から出た二人の希望である。……だから吾輩と若林とは、云わず語らずのうちに協力一致して、この事件に重大な関係を持っている君の頭脳を回復すべく、全力を挙げているのだ。……今にも君が君自身の過去の記憶を回復して、以前の意識状態に立帰り得たならば、必ずやこの仕事の後継者が、君以外に一人もいない事を、明白に自覚してくれるであろう。そうして君が死ぬ程の驚愕と感激の裡に、この空前絶後の大研究の発表を引受けて、全人類を驚倒、震駭させてくれるであろう……その発表によって太古以来の狂人の闇黒時代を一時に照し破り、全世界のキチガイ地獄をドン底から顛覆、絶滅させて、この唯物科学万能の闇黒世界を、一斉に、精神文化の光明世界にまで引っくり返してくれるであろう。……と同時に、それに引続いて来るべき精神科学応用の犯罪の横行時代を未然に喰い止めて、彼の可憐の一少年呉一郎その他の犠牲を、無用の犠牲として葬り去らないのみならず、全人類の感謝と弔慰とを彼等に捧げさしてくれるであろう……そうして最後に……永劫消ゆる事のない極地の氷のような『冷笑』を、吾々二人の死後の唇に含ませてくれるであろう事を確信しつつ、幾何もない余命を一刹那に縮めつつ、努力しているのだ", "……………" ], [ "……………", "……こんな見っともない、ダラシのない結論になって来る事を、今日がきょうまで気付かずに来た吾輩は、つくづく自分の馬鹿さ加減に愛想が尽きたのだ。人間も学者も同時に御免蒙って、モトのアトムに帰りたくなったのだ。当の相手の前に一切をタタキ付けて……", "……………", "……こうした吾輩の現在の気持は、無論、若林の目下のソレとは全然正反対でなければならぬ。若林はあくまでもこの実験を固執して徹底的に吾輩と闘うべく腰を据えているに違いないのだ。……殊に若林は自分自身が結核に取付かれて、余命幾何もない事を知っている。……だからこの事件の最後の結論の発表を引受るべき君の精神状態が、今朝から回復しかけている事を見て取るや否や、頭を刈ってやったり、大学生の服を着せたり、彼女に引会わせたりなぞ、いろんな事をして、出来るだけ早く君自身を呉一郎と認めさして、自分の味方に取付けて、都合のいい発表をしてもらおうと焦燥っていたのだ。……否……現在でも君と吾輩の上下左右に、眼に見えぬ網を張詰めて、グングンと自分の方へ手繰り寄せつつあるのだ", "……………" ], [ "……イ……イ……嫌です。……ま……真平御免です。……ゼゼ……絶対にお断りします", "……………" ], [ "……ボ……僕は精神病者かも知れません。……痴呆かも知れません。けれども自尊心だけは持っています。良心だけは持っているつもりです。……たとい、それが、どんなに美しい人でありましょうとも、僕自身にまだ、誰の恋人だか認める事が出来ないような女と、たかが治療のために一緒になるような事は断じて出来ません。法律上、道徳上、学術上、間違いない事がわかっていても、僕の良心が承知しません。……たといその女の人が、僕を正当の夫と認めて、恋い焦れているにしてもです。僕自身に、そんな記憶がない限り……そんな記憶を回復しない限り、どうしてそんな浅ましい、恥知らずな事が出来ましょう。……況して……まして……こんな穢らわしい研究の発表なんぞ……ダ……誰が……エエッ……", "……マ……待て……" ], [ "……が……学術のために……", "……ダ……駄目です……駄目です……絶対に駄目です" ], [ "学術が何です。……研究が何です。毛唐の科学者がどうしたんです。……僕はキチガイかも知れませんが日本人です。日本民族の血を稟けているという自覚だけは持っています。そんな残忍な……恥知らずな……毛唐式の学術の研究や、実験の御厄介になるのは死んでも嫌です。……学術の研究というものが、どうしてもコンナ穢らわしい、恥知らずな事をしなければならないものならば……そうして僕が是非ともコンナ研究に関係しなければならない人間ならば、僕はそんな過去の記憶と一緒に、この頭をブッ潰してしまいます……今……直ぐに……", "……ソ……ソ……そんな訳じゃない……実はお前は……君は呉一郎の……呉一郎が……" ], [ "嫌です嫌です。僕が呉一郎の何に当ろうが……どんな身の上だろうが同じ事です。誰が聞いたって罪悪は罪悪です", "……………", "先生方は、そんな学術研究でも何でも好き勝手な真似をして、御随意に死んだり生きたりなすったらいいでしょう……しかし先生方が、その学術研究のオモチャにしておしまいになった呉家の人達はドウなるのですか……呉家の人達は先生方に対して何一つわるい事をしなかったじゃありませんか。そればかりじゃありません。先生方を信じて、尊敬して、慕ったり、便り縋ったりしているうちに、その先生方に欺瞞されたり、キチガイにされたりしているじゃないですか。この世に又とないくらい恐ろしい学術実験用の子供を生まされたりしているじゃないですか。そんな人々の数えても数え切れない怨みの数々を、先生方は一体どうして下さるのですか。……死ぬ程、愛し合っている親子同志や恋人同志が、先生方の手で無理やりに引離されて、地獄よりも、非道い責苦を見せられているのを、先生方はどうして旧態に返して下さるのです。唯、学術の研究さえ出来れば、ほかの事はドウなっても構わないと仰言るのですか", "……………", "御自分で手を下しておいでにならなくとも、おんなじ事ですよ。その罪の告白を、他人に発表させておけば、それで何もかも帳消しになると思っておいでになるのですか……良心に責められているだけで、罪は浄められると思っておいでになるのですか", "……………", "……あんまり……あんまり……非道いじゃありませんか", "……………", "……セ……先生ッ……" ], [ "……後生ですから……後生ですから……その罰を受けて下さいませんか……そうして……そんな気の毒な人達の犠牲を無駄にしないようにして下さいませんか……喜んで……心から感謝してその研究の発表を、僕に引受けさして下さいませんか", "……………", "その罰の手初めには、若林博士を僕が引張って来て、先生の前で謝罪させます。恋の怨みだったかドウか……どうしてコンナ恐ろしい……非道い事をしたか……白状させます……", "……………", "……それから先生と、若林博士とお二人で、被害者の人達に謝罪して下さい。その斎藤先生の肖像と、直方で殺された千世子の墓と、それからあの狂人の呉一郎と、モヨ子と、お八代さんの前に行って、一人一人になすった事を懺悔して下さい。学術研究のためだった……と云って、心からお二人であやまって下さい……", "……………", "お願いというのはそれだけです。……ドウゾ……ドウゾ……後生ですから……僕が……こうして……お願いしますから……", "……………", "……ソ……そうすれば……僕はドウなっても構いません。手でも足でも、生命でも何でも差上げます。……この研究を引継げと仰言れば……一生涯かかっても……一切の罪を引き受けても……" ], [ "……ス……済みませんが……僕に……みんなの……か……讐を取らして下さい……", "……………", "……この研究を……シ……神聖にして下さい……", "……………", "……………" ], [ "……アブナイッ……", "馬鹿ッ……", "アターッ……" ] ]
底本:「夢野久作全集9」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年4月22日第1刷発行    2002(平成14)年9月5日第4刷発行 初出:「ドグラ・マグラ」松柏館書店    1935(昭和10)年1月15日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※このファイル中で注記している最大の文字は「6段階大きな文字」です。6段階大きな文字は、高さと幅が本文で使われている文字の2倍強程度の大きさです。 なお、文字の大きさの注記は、論文のタイトルや新聞の見出しを想定している箇所など、文字が本文より特に大きい箇所のみにつけました。 ※「キチガイ地獄外道祭文」「十」の葉書中、切手を貼る位置を示す罫は、底本では波線です。 入力:砂場清隆 校正:ドグラマグラを世に出す会 2007年11月29日作成 2011年5月20日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました.入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「九州日報」    1922(大正11)年12月14-15日 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「海若藍平」です。 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "ア――ッと……ここが捜索本部と発表しとるのに、新聞記者が一向遣って来んじゃないか", "モウ朝刊の記事を取りに来る頃ですがね", "司法主任はここを本部と見せかけて新聞記者を追払わんと邪魔ッケで敵わんというて、そのために僕をここによこしたんじゃが、サテは感付かれたかな。近頃の新聞記者はカンがええからのう", "司法主任は、よほどこの事件を重大視しておられるのですね", "むろん重大だよ。被害者が被害者だし、事件の裏面によほど深い秘密があるものと睨んでいるのだからね", "それにしては新聞記事の本文がアンマリ簡単過ぎやしませんか", "ナアニ。新聞記者にはソンナ気ぶりも匂わしちゃおらんよ。この前よけいな事を素破抜きやがった返報に、絶対秘密を喰わせている。二三人来た早耳の連中が、夕刊の締切が近いので、それ以上聞出し得ずに慌てて帰って行った迄の事よ。しかしそれにしては良く調べとる。コチラの参考になる事が多いようだねえ", "ヘエ。つまりこの新聞記事以外の事は、わかっていないんでしょうか", "馬鹿な。まだまだ重大な秘密がわかっているんだよ" ], [ "……ソノ……僕はツイ今しがた、非常で呼出されて来たばっかりで何も知らないんですが。来ると同時に署長殿からモウ帰っても宜しいと云われたんで、実は面喰ったまま貴方に従いて来たんですが", "見せてやろうか……現場を……", "ええ。どうぞ……", "絶対に喋舌っちゃイカンよ。誰にも……", "ハイ……大丈夫です", "よけいな見込を立てて勝手な行動を執るのも禁物だよ", "……ハイ……要するに知らん顔しておればいいのでしょう", "……ウン……新米の連中は警察が永年鍛え上げて来た捜索の手順やコツを知らないもんだから、愚にも付かん理屈一点張りで行こうとしたり、盲目滅法にアガキ廻って却ってブチコワシをやったりするもんじゃよ。こっちへ来てみたまえ。ドウセイ退屈じゃからボンヤリしとったて詰まらん。将来の参考に見せてやろう", "ありがとう御座います" ], [ "この家の中は随分涼しいんですね", "どこかに冷房装置がしてあるらしいね……ところで見たまい。被害者はこの事務机の前の大きな廻転椅子に腰をかけていたんだ。コレ。この通り、椅子の背中に少しばかり血が附いとるじゃろう。被害者轟九蔵氏が、昨夜遅く机にかかって仕事をしている最中に、犯人が背後から抱き付いて、心臓をグッと一突き殺ったらしいんだ", "仲々手練な事をやったもんですなあ", "ピストルを使わぬところを見ると犯人も何か後暗い疵を持っていたかも知れんテヤ", "さあ。どんなものでしょうか", "とにかく尋常の奴じゃないよ。急所を知っとるんじゃから", "兇器は……", "兇器は今、署へ押収してあるが、新聞にも掲ている通りこの机の上に在った鋭い、薄ッペラな両刃のナイフだよ。僕もその死骸に刺さっとる実況を見たがね。左の乳の下から背中へ抜け通ったままになっていた。ホラこの通りこの血の塊まりの陰にナイフの刺さった小さい痕があるじゃろう", "刺し方が猛烈過ぎやしませんか", "むろんだとも。相当、兇悪な奴でも不意打にコレ程深くは刺し得ない筈だよ。それに死骸の表情が非常に驚いた表情じゃったし……", "ヘエ。殺された当時の表情は、やっぱり死骸に残るものですかなあ。よく探偵小説なんかに書いてありますが", "残るものか。僕の経験で見ると死んだ当時の表情はだんだん薄らいで、一時間も経つとアトカタもなくなるよ。僕の見た轟氏の死相はスッカリ弛んで、眼を半分伏せて、口をダラリと開けたままグッタリとうなだれて机の下を覗いていたよ。僕の云うのはその手足の表情だ。ハッとして驚くと同時に虚空を掴んだ苦悶の恰好が、そのまんま椅子の肱で支えられて硬直しておったよ。新聞記者には向うの寝台へ寝かしてから見せたがね", "ナイフの指紋は……", "無かったよ。犯人は手袋を穿めていたらしいんだね。それよりも大きな足跡があったんだ。モウ拭いてしまってあるが、向うの北向きの一番左側の窓から這入って来たんだね。ところでこの辺では昨夜の二時ちょっと前ぐらいから電光がして一時間ばかり烈しい驟雨があったんだが、その足跡は雨に濡れた形跡がない。ホコリだらけの足跡だからツマリその足跡の主は推定、零時半乃至一時四十分頃までの間にあの窓から這入って来た事になる。ところで又その足跡が頗る珍妙なんで、皆して色々研究してみたがね。結局、地下足袋か何かの上から自動車のチュウブ類似のゴム製の袋をスッポリと穿めて、麻糸らしい丈夫なものでグルグルと巻立てた頗る無恰好な、大きな外観のものに相違ない。それもこの家の向う角の暗闇の中で準備したものに違いない事が、そこに落ちていた麻糸の切屑で推定される……という事にきまったがね", "手がかりにはなりませんね。それじゃあ", "ならんよ。よく郊外の掃溜や何かに棄ててある品物だからね。なかなか考えたものらしいよ。探偵劇の親玉の処へ這入るんだからね。ハハハ……", "最初に発見したのは小間使の……エエト……何とか云いましたね……", "市田イチ子だろう。まだ十七八の小娘だがね。サッキ僕等を出迎えていたじゃないか……気が附かなかった……ウン。その市田イチ子が今朝十時半過ぎだったと云うがハッキリしたことはわからん。毎朝の役目で今這入って来た扉をたたいて主人の轟氏を起しにかかったが、何度たたいても、声をかけても返事がない。部屋の中が何となく静かで気味が悪いので、台所女中の松井ヨネという女から合鍵を貰って扉を開いてみるとイキナリ現場が見えたのでアッと云うなり扉を閉めると、その把手に縋り付いたまま脳貧血を起してしまった。そいつを朋輩の松井ヨネが介抱して正気付かせて、サテ、扉の内側を覗いて見ると、思わず悲鳴を挙げたと云うね。しかも、これは気絶するどころじゃない。キチガイのように喚めき立てながら二階へ駈上って、女優の天川呉羽に報告した……というのが、あの新聞記事以前の事実なんだがね", "それからその天川呉羽が泣いて復讐云々の光景をドウゾ……", "ああ。あれかい。あれは今の松井という台所女中の話が洩れたもので、多少、新聞一流のヨタが混っているよ。第一呉羽嬢は泣きもドウモしなかったというんだ", "ヘエ。泣かなかった", "ウン。それがトテも劇的な光景なんで、傍に立って見ていた今の松井ヨネ子は自分が気絶しそうになったと云うんだ。……ちょうどその時に天川呉羽嬢はチャント外出用の盛装をして二階の自分の部屋に納まっていたそうだが、ヨネ子の報告を聞くとソッと眼を閉じて眉一つ動かさずに聞き終ったそうだ。それから幽霊のような青い顔になって静かに立上ると、音もなくシズシズと階段を降りて、まだ倒れている市田イチ子をソッと避けながら轟氏の居間に消え込んだ。あとから松井ヨネ子が、又気絶されちゃ困ると思ってクッ付いて這入るのを、呉羽嬢は見返りもせずに死骸に近付いて、血だらけの白チョッキに刺さっている短剣の欛の処と、轟氏の死顔を静かに繰返し繰返し見比べていた……", "スゴイですね", "ウン。流石は探偵劇の女優だね。大向うから声のかかるところだよ", "冗談じゃない……", "それから今度は今の奇怪な足跡を、自分の足の下から這入って来た窓の方向までズウッと見送ると、轟氏の魂が出て行ったアトを見送るように恭しく肩をすぼめて、心持ち頭を下げた", "ヘエ。少々変テコですね", "まあ聞き給え。それからタシカな足取で二三歩後に退って轟氏の屍体に正面すると両手を合わせて瞑目し、極めて低い声ではあったがハッキリした口調でコンナ事を祈ったそうだ。……轟さん。妾が間違っておりました……", "妾が間違っていた……" ], [ "ヘエエッ。豪い女があるものですね。まだ若いのに……", "ハハハ。感心したかい", "感心しましたねえ。第一タッタそれだけの間に、犯罪の真相を見貫いてしまったのでしょうか。そんな事を云う位なら警察なんか当てにしなくともいいだけの自分一個の見解を……", "アハハ。何を云ってるんだい君は……これは彼女の手なんだよ。宣伝手段なんだよ", "宣伝手段……何のですか", "プッ。モウすこし君は世間を知らんとイカンね。俳優生活をやっている連中は代議士と同じものなんだよ。ドンナ不自然な機会を捉まえても自分の名前を宣伝しよう宣伝しようとつとめるのが、彼等の本能なんだ。彼等は舞台や議会だけでは宣伝し足りないんだ。所謂、転んでも只は起きないというのが彼等の本能みたいになっているので、この本能の一番強い奴が名を成すことを、彼等は肝に銘じているんだよ", "驚きましたね。そんなに非道いものでしょうか", "論より証拠だ。天川呉羽がコンナ絶好のチャンスを見逃す筈がないんだ。果せる哉、新聞屋連中はこうした呉羽嬢の芝居に百パーセントまで引っかかってしまって、まるで呉羽嬢の宣伝のために轟氏が殺されたような記事の書き方をしているが、吾々警察官は絶対にソンナ芝居やセリフに眩惑されちゃいけないんだよ。下手な探偵小説じゃあるまいし、名探偵ぶった天川呉羽の御祈りの文句なんかを考慮に入れたり何かしたら飛んでもない間違いを起すにきまっているんだからね。誰も相手にしてやしないよ", "成程ねえ。わかりました。しかし、それにしても、まだわからない事が多いようですね", "何でも質問してみたまえ。現場に立会ったんだから知ってる限り即答出来るよ", "第一……にですね。あの窓を明けて這入って来た犯人が、どうしてわからなかったのでしょう被害者に……", "ウム。豪い……そこが一番大切な現実の問題なんだよ。同時に司法主任、判検事も、首をひねっているところなんだよ。あの通り窓の締りは、捻込みの真鍮棒になっとるし、あの窓枠の周囲には主人の轟氏以外の指紋は一つも無い。しかも、それがあの窓に限って念入りに、ベタベタと重なり合って附いているのだから変梃だよ。よっぽど特別な……或る極めて稀な場合を想像した仮説以外には、説明の附けようがないのだ", "ヘエ。轟氏がお天気模様か何かを見たあとで締りをするのを忘れていたんじゃないですか", "どうしてどうして。被害者は平生から極めて用心深くて、寝がけに女中に命じて水を持って来させる時に、一々締りを附けさせるし、そのアトでも自分で検めるらしいという厳重さだ", "それじゃ家内の者が開けて、加害者を這入らせたとでもいうのですか", "つまりそうなるんだ……という理由はほかでもない。この事務机の右の一番上の曳出に一梃のピストルが這入っていた。それも旧式ニッケル鍍金の五連発で、多分、明治時代の最新式を久しい以前に買込んだものらしい。弾丸も手附かずの奴が百発ばかり在ったが、それを毎日毎日手入れをしておった形跡があるのじゃから、被害者の轟氏はズット以前から何か知ら脅迫観念に囚われておったことがわかる。それが仮りに他人から怨を受けているものとすれば、やはりピストルと同じ位に古い因縁であったばかりでなく、毎日毎日手入れをしておかなければならぬ位ヒドイ怨みであった事が想像出来るじゃろう。ところでその轟氏が恐れている相手が、向うの窓を轟氏の手で開けさせて這入って来たのに、轟氏はそのピストルを手にしておらぬのみならず、自分で窓の締りをあけて導き入れたものとすれば、その人間は被害者の轟氏にとって、よっぽど恐ろしい人物であったという事になる", "そんなに恐ろしい脅迫力を持った人間が、この世の中に居るものでしょうか。自分を殺しかねない相手という事が、被害者にわかっていれば尚更じゃないですか", "そこだよ。そこに何となく大きな矛盾が感じられるからね。判検事も司法主任も相当弱っていたらしいんだが、間もなくその矛盾が解けたんだ", "ほう……どうしてですか", "わからんかい", "わかりませんねトテモ。想像を超越した恐ろしい事件としか思えませんね。これは……", "ナアニ。それ程の事件でもなかったんだよ", "ヘエ。どうしてわかったんです", "その事務机の曳出を全部調べたら、右の一番下の曳出から脅迫状が出て来たんだ", "ホオー。何通ぐらい出て来たんですか", "それがソノ……タッタ一通なんだ。僕はよく見なかったが、司法主任の横からチョット覗いてみると普通の封緘ハガキに下手な金釘流でバラリバラリと書いたものじゃったよ。表書は単に大森山王、轟九蔵様と書いて、差出人の処書も日附も何もない上に、消印がドウ見てもハッキリわからん。一時は良かったが近頃の郵便局の仕事はドウモ粗慢でイカンね。司法主任はスッカリ憤っとったよ。当局に申告して消印のハッキリせぬ集配局を全国に亘って調べ出してくれると云っておったが……", "中味にはドンナ事が書いてあったんですか", "ただコレだけ書いてあった。大正十年三月七日……芝居ではないぞ……と……", "大正十年三月七日……芝居じゃない……", "ウン。そうだ。それから泣いている娘……だか何だかわからんが、世間からは娘と同様に見られとるからそのつもりで話するが……その娘の甘木三枝こと天川呉羽嬢を呼出して、その脅迫状を見せるとコンナ字体についてはチットモ記憶がない。文句の意味も何の事やらカイモクわからぬ。前にコンナ手紙が来たような事実も記憶しておらんと云う", "成る程。……そこでサッキの呉羽嬢のお祈りの文句に触れてみたかったですな。何か参考になる事を喋舌らして……", "ウン司法主任がチョット触れていたよ。ちょうどその時に、女中を訊問していた刑事の梅原君が、その事に就いて取あえず報告したもんだからね……すると果せる哉だ。……あれは妾があの時口惜し紛れにそう申しましただけの事で、女の妾に何がわかりましょう。犯人が出て行った方向を拝みましたのは、そうすると遠くに居る犯人が何となくドキンドキンとして思わぬ失策を仕出かすという迷信が、外国の芝居に使ってありましたのでツイ、あんな事を致しまして……と真赤になって弁解しておった。だから、つまり目的は宣伝に在ったのだね。これは彼等の本能なんだから、深く咎めるには当らないよ。司法主任も検事も苦笑しておったよ", "ソレッキリですか", "イヤ……それから呉羽嬢はコンナ事を云い出しおった。……ハッキリとは申上られませんが、轟はこの四五日前から何だかソワソワしていたように思います。今までドンナ悲況に陥っておりましても、私を見ると直ぐにニコニコして何か話かけたりしておりましたものが、この頃はソンナ気振も見せませぬ。ただ緊張した憂鬱な、神経質な顔をして、私が何か云おうとしましてもチラチラと瞬きした切り自分の部屋へ逃込んで行きます。もちろん、その原因は私にはわかりかねますが、轟の劇場関係と、財産関係の仕事は皆、呉服橋劇場の支配人の笠圭之介さんが一人で仕切って受持っておられます。大正十年の三月七日といえば、私が三つの年の事ですから、何事も記憶に残っておりませぬ。私はその三つの年に何かの事情で、年老いた両親の手から引取られて轟の世話になって来ておりますので、それから今年までの二十年間、轟は独身のまま私を育てるために色々と苦労をしておりますが、詳しい話は存じませんと巧妙に逃げおった", "何か隠している事があるんじゃないですか", "それがないらしいのだ。劇場主なんちういうものは一般の例によると相当複雑な生活をしているもんじゃが、今の呉羽嬢や、女中達や、支配人の笠圭之介の話なんかを綜合すると、この被害者ばかりは特異例なんだ。轟九蔵氏に限って非常に簡単明瞭な日常生活である。劇場付の女優に手を出したり、花柳の巷を泳ぎまわったりするような不規則は絶対にした事がない……という証言だ。全くの独身生活者で、ただ娘分の三枝を、世界一の探偵劇スターとして売出す事以外に楽しみはなかったらしいのだ", "ヘエ。面白いですね。そうした変態的な男と女と二人切りの生活が、全くの裏表なしに継続出来るものでしょうか", "アハハ。ナカナカ君は疑い深いなあ。まあこっちへ来たまえ。ユックリ話そう" ], [ "美味い煙草だなあ。一本イクラ位するもんかなあ。二十銭ぐらいしはせんか", "イヤ。そんなにはしないでしょう。二十銭出せば葉巻が二本来ますからね" ], [ "ハハハ。ナカナカ隅に置けんのう君も……", "やはり……その……何かあるんですか", "ところが今のところ、何も疑わしいところがないんだよ", "十分……十二分に疑ってみる必要があると思いますなあ。事によると今度の事件の核心はそこいらに在るかも知れませんからねえ", "御高説もっともじゃが……まあ聞き給え。こうなんだよ。二人の日常生活を説明すると……これは二人の女中の陳述を綜合したものじゃが……先ず毎朝九時に娘の呉羽が先に起きて湯に這入る。女優としてはかなり早起の組だね。それから一時間ばかりかかって化粧をして、着物を着かえて出て来る", "女中も何も手伝わないのですか", "ウン。手伝わせるどころか、湯殿の入口をガッチリと鍵かけて、誰が来ても這入らせないそうだが、これは何か呉羽嬢が、天川一流ともいうべき秘密の化粧法を知っておって、それを他人に盗まれない用心じゃという話じゃが……", "それは女中の話でしょう", "そうじゃ。……一方に天川呉羽嬢に云わせると私は自分の肌を他人に見られるのが死ぬより嫌いです。無理にでも見ようとする人があったら、私は今でも自殺します……といううちにモウ、ヒステリーみたいに顔を歪めて眉をピリピリさせおったわい。ハハハ", "すこし云う事が極端ですね。何か身体に刺青でもしているのじゃないでしょうか", "そんな事かも知れんね……ところでそうやって浴室から出て来た呉羽嬢の姿を見ると、何度出合うてもビックリするくらい美しい。青々とした濃い眉が生え際に隠れるくらいボーッと長い。睫が又西洋人のように房々と濃い。眼が仏蘭西人形のように大きくて、眦がグッと切れ上っている上に、瞳がスゴイ程真黒くて、白眼が、又、気味の悪いくらい青澄んで冴え渡っている。その周囲を、死人色の青黒い、紫がかったお化粧でホノボノと隈取って、ダイヤのエース型の唇を純粋の日本紅で玉虫色に塗り籠めている……", "ハハハ。どうも細かいですなあ", "女中がソウ云いおったのじゃからなあ……オット忘れておった。鼻がステキだと云うのだ。芝居のお殿様の鼻にでもアンナ立派な鼻はない。女の鼻には勿体ないと女中が云いおったがね。ハハハ……女じゃからそこまで観察が出来たもんじゃ。そいつが四尺近くもあろうかと思われる長い髪を色々な日本髪に結うのじゃそうなが、髪結いの手にかけると髪毛が余って手古摺るのでヤハリ自分で結うらしい", "してみると入浴の一時間は長くないですな。寧ろ短か過ぎる位ですな", "何でも呉羽は早変りの名人だけに、余程手早く遣るらしい。それからこの頃だと紅色の燃え立つような長襦袢に、黒っぽい薄物の振袖を重ねて、銀色の帯をコックリと締め上げて、雪のようなフェルト草履を音もなく運んで浴室から出て来ると、とてもグロテスクで、物すごくて、その美くしさというものは、ちょうどお墓の蔭から抜け出た蛇の精か何ぞのような感じがする。恐怖劇の女優というが、真昼さなかに出合うてもゾーッとするのう……ハハハ……これは勿論、吾輩の感想じゃが……", "見たいですねえ。ちょっと……そんなタイプの女は想像以外に見た事がありません", "ハハハ。そのうち帰って来るからユックリと見るがええ。しかし惚れちゃイカンゾ", "……相すみません……洋装はしないのですか", "ウム。時々洋装もするらしいが、その洋装はやはり旧式で、帽子の大きい袖の長い、肌の見えぬ奴じゃそうなが、よく似合うという話じゃよ", "ヘエ。それから今チョット不思議に思ったのですが、その呉羽嬢は湯殿の中からイキナリ盛装して出て来るのですか", "そうらしいのう", "妙ですね。そうすると平生着というものを持たない事になりますね。……つまり外に出てから着かえはしないのですか……普通の女のように……", "ハハハハ。ナカナカ君も細かいのう。探偵小説の愛読者だけに妙なところへ気が付くのう。そこまでは未だ調べが届いておらん", "残念ですなあ。そこが一番カンジン、カナメのところかも知れないのに……", "まあ話の先を聞き給え。それから十時頃に、その呉羽嬢が浴室を出ると、女中が主人の轟九蔵を起しに行くが、コイツが又一通りならぬ朝寝坊でナカナカ起きない。それをヤット起して湯に入れると間もなく朝飯になる。それから十二時か一時頃になって支配人の笠圭之介が遣って来て三人寄って紅茶か、ホット・レモンを飲みながら業務上の打合わせをする。時には三人で大議論をオッ初める事もあるが大抵のことは呉羽嬢の主張が通るらしい", "その支配人の笠という男はドンナ人間ですか", "僕に負けんくらい巨大な赭顔の、脂の乗り切った精力的な男だ。コイツも独身という話じゃが", "何だかヤヤコシイようですね。呉服橋劇場の首脳部の三人が揃いも揃って独身となると……" ], [ "当日も変った事はなかったんですね", "イヤ。あったんだ。しかもタッタ一つ奇妙な事があったんだ。少々神秘的なことが……", "ヘエ。神秘的と云いますと……", "それが面白いのだ。この家の女中はズット以前……この家が建った当時から二人きりに定まっている。こう見えてもこの家は案外広くないのだ。部屋らしい部屋はタッタ四室しかない上に、万事がステキに便利に出来ているからね……ところで一番古く、建った当時から居るのが今云うた松井ヨネ子という二十六になる逞ましい肉体美の醜女だ。コイツが田舎出の働き者で、家の内外の掃除から、花畠の世話まで少々荒っぽいが一人で片付ける。しかも轟九蔵と天川呉羽の性生活について非常な興味を持っているらしく、そいつがわかるまでは断然お暇を貰わないつもりですとか何とか、吾々の前で公々然と陳述する位、痛快な女なんだ。何でもどこか極めて風俗の悪い村から来ているらしく、万事心得た面構えをしているが、しかし遺憾ながら、まだ二人の関係については突詰めた事を一つも掴んでいないので、ああした年頃の未婚の女にあり勝ちな悩みをこの問題一つに集中しているらしいんだね。この問題に限ってチョット突つくと直ぐに止め度もなくペラペラと喋舌り出しやがるんだ。どう見ても普通の親娘じゃありません……と熱烈に主張するんだ", "なるほど面白いですね", "ところが今一人居る市田イチ子というのは、やはり田舎からのポット出だが、今年十八になったばっかり。つまりそうした好奇心の一番強い真盛りの娘ッ子で、やっと一昨日来たばっかりのところへ、先輩のヨネ子からこの話を散々聞かされた訳だね。それから呉羽嬢の初のお目見得をしてみると、あんまり美しいのでビックリした拍子に呉羽嬢の姿がブロマイドみたいに眼の底に泌み付いてしまって、日が暮れたら怖くて外へ出られなくなった。夜具を引っ冠ると眼の前にチラ付いてスッカリ冴えてしまった……", "アハハハ。形容が巧いですね", "イヤ。笑いごとじゃない。その娘が自身に白状したんだ。ところへ昨夜の事、女中部屋の扉の真向いに当る廊下の突当りで、主人の居間の扉がガチャリと開いた音がしたので、ハッと眼を醒まして無意識の裡に起き上り、鍵穴からソッと覗いてみると、いつも寝間着姿で仕事をしていると聞いていた主人が、チャント洋服を着ている。今しがた帰って来て、イチ子自身がホコリを払ってやった時の通りの黒いモーニングと白チョッキと荒い縞のズボンを穿いている……つまり今朝の屍体が着ていたのと同じものだね。のみならず主人の背後の扉の蔭からチラリと動いた赤いものが見えた。大きな蛇が赤い舌を出した恰好に見えたのでギョッとして、頭から布団を冠ってしまったが、あとから考えると、それはお嬢様の振袖と、絽の襦袢の袖だったに違いないと云うんだ。……何でもその時に女中部屋の時計がコチーンコチーンと二時を打つのを夜着の中で聞いたというがね", "ははあ……重大な暗示ですなあ。それは……", "暗示? 何の暗示だというのだね", "イヤ。別に暗示という訳でありませんが、しかし、それはソンナに遅くまで、轟九蔵氏と天川呉羽嬢があの事務室に居た証拠として考えてはいけないでしょうか", "そうすると君は天川呉羽が轟九蔵を殺したというのかね。それだけの事実で……", "イヤ。そんな怪談じみた想像説は、この場合成立しませんが、ツイ今しがた参りました奇妙なゴムチューブの足跡が、呉羽嬢と九蔵氏が一所に居った時に這入って来たものか、それとも相前後して出入りしたものとすれば、ドチラが後か先かという事が、この事件を解決する重大な鍵となって来ましょう", "ウーム。自然そういう事になるね", "ところがその足跡の主が這入って来て、出て行ったのが、お話の通り二時以前としますかね。雨が降り出してから帰った形跡はないのでしょう", "ウム。ない", "それから呉羽嬢が居たのが二時頃としますとドチラにしても二時以後は呉羽嬢がタッタ一人、轟氏の傍に居た事になります。そうすると二時頃までピンピンしていた轟氏を殺したものは絶対に呉羽嬢以外には……", "アハハハハ。イヤ。名探偵名探偵。その通りその通り。寸分間違いない話だが……そこが探偵小説と実際と違うところなんだよ。つまり君がアンマリ名探偵過ぎるんだ", "……名探偵過ぎるって……", "つまり君はアンマリ考え過ぎているんだよ。犯人の目星はモウ付いているんだからね。寝呆けた小娘の眼で見た事なんか相手にせんでモット常識的に考えんとイカン", "常識的と云いますと……", "まあ聞き給え。こうなんだ。呉羽嬢は無論そんな真夜中に起きて、そんなに盛装なんかして九蔵氏の部屋に這入った覚えなぞ、今までに一度もないと云い張るんだ", "それあそうでしょう", "女中の市田イチ子の奴も、今になって考えてみますと何だか、自分の眼が信じられないような気がします。あれは私がトロトロした間に見た夢なのかも知れません……なんかとアイマイな事を云い出しやがるし……", "云うかも知れませんね。そんな事をウッカリ証言したら、アトで呉羽嬢に何をされるか解りませんからね", "君。想像は禁物だよ。チャンとした拠点のある証言を基礎として考えなくちゃ……", "モウ、それだけですか。変った事は……", "……アッ……それから今一つチョット変った事がある。何でもない事だが、君一流の想像を複雑にさせる材料には持って来いだろう。ほかでもない……今朝、呉羽嬢の起きるのが約一時間ばかり遅れたんだそうだ。これも市田イチ子の証言だがね", "ヘエ。いよいよ以て聞捨てになりませんね", "ウン。平生は女中に起されなくとも、キッチリ九時には起きて来た呉羽嬢が、今朝に限って九時半頃まで起きないので、ヨネとイチの二人の女中が顔を見合わせたそうだ。どうかしたんじゃないかというので二人がかりで起しに行ってみたらグーグー寝ている気はいがする。それを猛烈に戸をたたいたり、叫んだりしてヤット起したりしたら、不承不承に起きて来た。真白い羽二重のパジャマを引っかけながら、どうも昨夜、催眠剤を服み過ぎたらしいと云い云い湯に這入ったというんだ", "ヘエ……わからないなあ" ], [ "スッカリわからなくなっちゃった", "何がわからんチューのか……ええ?", "……もし、それが事実なら、やっぱり呉羽嬢が九蔵氏を殺したのじゃない。不思議な足跡の主……つまり九蔵氏を脅迫した奴が殺したんだ", "ホオ。なかなか明察だね。どうしてわかる" ], [ "呉羽嬢と、その犯人とは連絡がある……九蔵氏を殺した犯人が無事に逃げられるように、わざと朝寝をして、事件の発覚を遅らした……", "ワッハッハッハッハ。イカンイカン。イクラ名探偵でも、そう神経過敏になっちゃイカン。世の中には偶然の一致という事もあれば、疑心暗鬼という奴もあるんだよ。シッカリし給え。アハアハアハ……" ], [ "しかし……それは事実でしょう……", "おおさ。無論事実だよ。しかもよく在勝ちの事実さ。しかも、それよりもモット重大な事実があるんだから呉羽嬢の寝過し問題なんかテンデ問題にならん", "ドンナ事実です", "今話した支配人の笠圭之介ね。その笠支配人が台所女中のヨネからの電話で、丸の内のアパートから自動車で飛んで来たのが、今日の十二時チョット前だった。それから主人の死体や何かを吾々立会の上で調べている中に、机の上に小切手帳が投出してあるのに気が附いた。調べてみると、昨日の日附で堀端銀行の二千円の小切手を誰かに与えている事がわかった。そこで万が一にもと気が付いて、堀端銀行に問合わせてみると、今朝の事だ。堀端銀行が開くと同時に二千円を引出して行った者が居るという。それは絽の羽織袴に、舶来パナマ帽の立派な紳士であった。色の黒い、背の高い、骨格の逞しい肥った男で、眉の間と鼻の頭に五分角ぐらいの万創膏を二つ貼っていたので、店員は最初何がなしに柔道の先生と思っていた。それだけに至極沈着いているようであったが、しかし這入ってから出るまで一言も口を利かず、何気もない挙動の中に緊張味がみちみちて、油断のない態度であった。尚、新しいフェルトの草履を穿いて、同じく上等の新しい籐のステッキを握っていたという", "それが犯人だと云うんですか", "むろんそうだよ。その報告を聞いた笠支配人は、その小切手を誰も触らないように、紙に包んで保存しておいてくれと頼んで、直ぐにその旨を吾々に報告したがね", "ナカナカ心得た男ですなあ", "ウン。近頃の素人は油断がならんよ。つまりその犯人は轟九蔵氏に脅迫状をタタキ附けた後に、九蔵氏が約束通り事務室で待っているところへ、窓を開けさして這入って来た。それから二千円の小切手を書かせ、後難を恐れて不意打に刺殺し、発覚しない中に金を受取って行衛を晦ましたという事になるんだね。つまり九蔵氏が……もしくは轟家の連中が、普通よりも寝坊である事を熟知している犯人は、朝早くならば大丈夫と思って、堂々と金を受取りに行ったと思われるんだ。何でもない事のようじゃが今の眉の間と、鼻の頭に貼った五分角ぐらいの万創膏が、アトで研究してみると実に手軽い、しかも恐ろしい効果のある変相術じゃったよ。余程、甲羅を経た奴でないとコンナ工夫は出来ん。君もアトで実験してみたまえ、万創膏の貼り方と位置の工合で、同一人でも丸で見違える位、印象が違うて来るからなあ。おまけに運動家らしく肩でも振って行けば、誰でも柔道の先生ぐらいに思うて疑う者は居らんからなあ", "その小切手に指紋はないでしょうか", "ドッサリ附いている筈だよ。今調査中じゃが、小切手を書いたこの家の主人のもの、受取った犯人のもの、銀行員のものと些くとも三通りは附いている筈だよ。銀行に来た犯人は手袋を穿めていなかったんだからね。笠支配人は到って腰の低い、ペコペコした人間じゃが、流石に鋭いところがあると云って、皆感心しておったよ", "……ところで……その支配人と女優の呉羽は今どこに居るのですか", "犯人の星が附いて嫌疑が晴れたので、直ぐに大森署へ来て、署長の手で諒解を得てもらって、二人とも大喜びでそのまま呉服橋劇場へ飛んで行ったのが二時半頃じゃったかなあ。今が劇場の生死の瀬戸際というんでね。何でもこの記事が夕刊に出たら、満都の好奇心を刺戟して劇場が一パイになるかも知れないと云ってね。少々慌て気味で二人とも出て行ったよ", "少々薄情のようですね。そこいらは……劇場関係の人間はアラユル階級の中でも一番薄情だっていう事ですが……この夕刊を見たら誰でも今夜は休場だと思うかも知れないのに……", "それは、わからないよ。見物人という奴は劇場関係者よりもモット薄情な、モット好奇心の強い人種だからね。何でも亡き轟氏の魂はあの劇場に残っているに違いないのだから、今日の芝居を中止しないのが、せめてもの孝行の一つですと、眼を真赤にして云っていたがね。呉羽嬢は……", "今何を演っているのですか", "何を演っているか知らんが……アッ。そうそう。大森署へ切符を置いて行きおったっけ……新四谷怪談とか云っていたが……", "ヘエ。そうするとアトはその犯人を捕まえるダケですね", "そうだよ。相当スゴイ奴に違いないよ", "そうすると疑問として残るのは……", "疑問なんか残らんじゃないか", "イヤ。これは僕が勝手に考えるんですがね。第一は被害者の轟九蔵氏が、その犯人を迎え入れた心理状態……", "それは犯人を取調べればわかるじゃろ", "第二が、その屍体に現われた無抵抗、驚愕の状態……", "無抵抗とは云いはしないよ", "けれども事実上、無抵抗だった事はわかっているでしょう。そんな場合には無抵抗の表情と驚愕の表情とは同時に表現され得るものですし、同じ意味にも取れない事はないでしょう。のみならず、そうした被害者の犯人に対する気持は机の曳出に在ったピストルを取出さずに、犯人を迎え入れた事実によって、二重三重に裏書きされていやしませんか。犯人が被害者に対して、殺意を持っていなかった事を、被害者自身も洞察して、信じ切っていたらしい事も想像され得るじゃないですか", "ううむ。そういえばソウ考えられん事もない。ナカナカ君は頭がええんだな", "……そ……そんな訳じゃないですが……それから事件当夜の二時頃に主人の部屋に居た呉羽嬢の行動に関する秘密……", "……あ……そいつはドウモ当てにならんよ。何度も云う通り市田イチ子の陳述がアイマイじゃから……", "アトからアイマイになったんでしょう。ですから一層的確な意味になりはしませんか", "中々手厳しいね。僕が訊問されとるようだ", "ハハハ。いや。そんな訳じゃないですが……アトは轟九蔵氏の絶命時間の推測です。昨夜何時頃という……", "ハハハ。二時以後だったら断然、呉羽嬢をフン縛るつもりかね……君は……", "その方が間違いないと思います" ], [ "ところがその絶命の時間がモウわかっているんだよ。サッキ本署へ電話をかけてみたら、一時間ばかり前に大学から通知が来たそうだ", "ナ……何時頃ですか", "今朝の三時半、乃至、四時半頃だというんだ" ], [ "困るなあ。君にも……何でもカンでも迷宮みたいに事情がコンガラガッていなくちゃ満足が出来ない性分だね。犯人が意外のところに居なくちゃ納まらないんだね君は……", "ええ。どうせ僕はきょう非番ですから、実地見学のつもりでお願いして、ここに連れて来て頂いたんですから、あらゆる角度に視角を置いてユックリ考えてみたいと思いまして……", "考え過ぎるよ君あ……事実はモット簡単なんだよ", "ドウ簡単なんですか", "犯人はモウ泥を吐いているんだよ", "ゲッ。捕まったんですかモウ……犯人が……", "知らなかったかね", "早いんですねえ……ステキに……", "ハハハ。驚いたかい。……とはいうものの僕も少々驚いたがね。きょうの正午過ぎに上野駅で捕まったよ。大工道具を担いでいたそうだが、どうも挙動が怪しいというので、押えようとすると大工道具を投棄てるが早いか驀地に構内へ逃込んだ。そいつが又驚くべき快速で、グングン引離して行くうちに、なおも追い迫って来る連中を撒くために走り込んで来た上り列車の前を、快足を利用して飛び抜けようとしたハズミに、片足が機関車のライフガードに引っかかって折れてしまった。運の悪い奴さ。まだ非常手配がまわっていない中だからね。呉羽嬢の御祈祷が利いたのかも知れないがね……ハハハ……。そこへ大森署から電話をかけた司法主任が様子を聞いて、もしやと思って駈付けてみると、そいつが有名な生蕃小僧という奴で、堀端銀行の二千円をソックリそのまま持っていた。小切手と鑑識課の指紋がバタバタと調べ上げられる。電光石火眼にも止まらぬ大捕物だったね。満都の新聞をデングリ返すに足るよ。何でも十年ばかり前に静岡から信越地方を荒しまわった有名な殺人強盗だったそうだ", "……殺人強盗……", "そうだ。そいつが負傷したまま大森署へ引っぱって来られるとスラスラと泥を吐いたもんだ。如何にも私は轟九蔵を殺しました。私はあの女優の天川呉羽の一身上に関する彼奴の旧悪を知っておりましたので、昨夜の一時半頃、あそこで面会しまして、二千円の小切手を書かせて立去りましたが、アンマリ呉れっぷりがいいので、万一密告あしめえかと思うと、心配になって来ましたから、今度は自動電話をかけて待っているように命じて引返し、十分に様子を探ってから堂々と玄関の締りを外させ、スリッパを揃えさせて上り込み、九蔵と差向いになって色々と下らない事を話合っているうちに、どうも彼奴の眼色が物騒だと思いましたから、私一流の早業で不意打にやっつけました。それがちょうど三時半頃だったと思います。そのまま窓から飛出してしまいましたが……恐れ入りました……", "……ナアアンダイ……", "アハハハ。恐れ入ったかい。ハハハ。モウ文句は申しません。潔く年貢を納めますと云ったきり口を噤んでしまったのには少々困ったね。その轟九蔵との古い関係についても固くなって首を振るばかり……しかし現場の説明から、殺す挙動まで遣って見せたが、一分一厘違わなかったね。野郎、商売道具の足首を遣られたんでスッカリ観念したらしいんだね", "それにしても恐ろしくアッサリした奴ですね。首が飛ぶかも知れないのに……", "殺人強盗の中にはアンナ性格の奴が時々居るもんだよ。ちょうど来合せた呉羽嬢と笠支配人にも突合わせてみたが、どちらも初めてと見えて何の感じも受けないらしい。ただ犯人が呉羽嬢に対して、すみませんすみませんと頭を二度ばかり下げただけで調べる側としては何の得るところもなかった", "それからドウしたんです", "どうもしないさ。推定犯人が捕まって自白した以上、警察側ではモウする事がないんだからね。君等と同じに非常召集をした連中がポツポツ来るのを追返してしまった。笠支配人と呉羽嬢も司法主任からの説明を聞いて大喜びで劇場に行ってしまった。それでおしまいさ。アハハハハ……", "なあアんだい……" ], [ "……コ……これは僕の趣味なんです。ボ……僕の巡査志願の第一原因は、やっぱりメチャクチャに探偵小説を読んだからなんです", "馬鹿な。探偵小説なんちういうものは何の役にも立つもんじゃない。その証拠に探偵作家は実地にかけると一つも役に立たん。自分の作り出した犯人でなければ絶対にヨオ捕まえんというじゃないか……" ], [ "ああ……タタキ附られちゃった", "アハ……御苦労さんだ。トウトウ犯人を取逃しちゃったね。フフフ……", "どうも貴方は意地が悪いんですなあ。早くそう云って下されあコンナに頭を使うんじゃなかったのに……", "そんなに頭を使ったかね", "……どうも変だと思いましたよ。笠支配人と呉羽嬢に対する嫌疑がチットモ掛らないまま芝居へ行っちゃったんですからね", "当り前だあ。その時にはモウ犯人の爪印が済んでいたかも知れん", "ヘエ。それじゃあ……" ], [ "ここが捜索本部と仰言ったのは……", "ナアニ。あれあ嘘だよ。君が探偵小説キチガイで、まだ一度も実地にブツカッタ事がないって云ってたから、ちょっとテストをやってみた迄よ。ちょうど今日は僕も非番だったから笠支配人に頼まれて、ここで留守番をしてやる約束をしたもんだからね。キット退屈するに違いないと思って君をペテンにかけて引っぱって来たわけさ。どうだい面白かったかい", "ああ。つまんない……", "アハハ。そう憤るなよ。モウ暫くしたら夕食が出るだろう。その中に呉羽嬢が帰って来たら一度見とくもんだよ。奥さんにいいお土産だ", "……相すみません……僕はまだ未婚です", "おほほう。そうかい。そいつは失敬した。そんなら丁度いい。夕飯を喰ってから一つステキな美人を見せてやろう", "ヘエ。まだ美人が居るんですか。この家に……", "いや。この家じゃないがね。ツイこの裏庭の向う側なんだ。呉服橋劇場の脚本書きでね。江馬何とかいう人相の悪い男が、妹と二人で住んでいるんだ", "アッ。江馬兆策が居るんですか。コンナ処に……", "何だ。君は知っとるのかいあの男を……", "探偵小説を読む奴でアイツを知らない者は居ないでしょう。相当のインテリと見えますが、非常な醜男のオッチョコチョイ、一流の激情家の腕力自慢というところから、よくゴシップに出て来ます。芝居に関係している事は初耳ですが、田舎ダネの下らない探偵小説を何とかかんとかといってアトカラアトカラ本屋へ持込むので有名ですよ。彼奴の小説を読むよりも、写真に出ている彼奴の顔を見ている方が、よっぽどグロテスクで面白い……", "その妹の事は知らないかい", "妹が居る事も知りません", "その妹というのが、真実の兄弟には相違ないんだが、音楽学校出身の才媛で、兄貴とはウラハラの非常に品のいい美人なんだ。何でも、死んだ轟氏がパトロンで兄妹の学費を出してやったという話だが、その妹と轟氏との関係の方がダイブ怪しいらしい", "ああ。もうソンナ怪しい話はやめて下さい。ウンザリしちゃった", "イヤ。今度の事件とは関係のない、全然別の話なんだ。何でもその歌姫を轟氏が可愛がっているお蔭で、兄貴までもが御厄介になっているらしいという、松井ヨネの話だがね", "ウルサイ奴ですね。アノ飯焚女は……", "おお。女中といやあ今の小間使の市田イチ子もチョットういういしい、踏める顔だよ。紹介してやろうか。今に茶を持って来るから……", "イヤ。モウ結構です。僕は帰ります", "まあいいじゃないか。ユックリし給え。君は女が嫌いかい", "探偵小説があれば女は要りません", "そんな事を云うもんじゃないよ。まあ見て行けよ。別嬪の顔を……", "イヤ。帰ります。お邪魔をするといけませんから……", "アハハハハ。コイツはまいった……" ], [ "何とでも考えたらいいじゃないの……イクラ云ったってわからない。どうしてソンナに執拗くお聞きになるの。下らない事を……", "下らない事じゃないんです。これには深い理由があるのです……その……その……", "アッサリ仰言いよ。モウ直、次の幕が開くんですよ", "この次の幕は……ですね。貴女は、そのまんまの姿で出て、亭主役の寺本蝶二君に槍で突かれるだけの幕じゃないですか。まだ二十四五分時間があります", "ええ。でもそれあ妾の時間よ。貴方のために取ってある時間じゃないわよ", "恐ろしく手酷しいですな今夜は……下へ行くと新聞記者がワンサ待ちうけているんですよ。犯人の逮捕を警察で発表したらしいんですからね。どうしても僕じゃ承知しないんです。貴女でなくちゃ……", "新聞記者の方が五月蠅くないわ。貴方の質問よりも……", "そう邪慳に云うものじゃありません。だからよく打合わせとかなくちゃ……その……これはこの劇場の運命と重大な関係のある話なんですよ。この劇場の運命は貴女の御返事一つにかかっていると云ってもいいんです", "勿体振る人あたし嫌い……", "いいですか……ビックリしちゃ不可ませんよ", "余計なお世話じゃないの……ビックリしようとしまいと……早く仰言いよ", "それじゃ云いますがね……貴女はね……", "あたしがね……", "この頃毎晩女中が寝静まってしまってから……轟さんの処へ押かけて行って、結婚したい結婚したいって仰言るそうじゃないですか……ハハハ……どうです……吃驚したでしょう……" ], [ "あなたが探り出した訳じゃないんですね", "そうです。轟さんから直接に聞いたのです。クレハは俺を見棄てて結婚しようと思っている。しかし俺はあのクレハを度外視してこの劇場をやって行く気は絶対にない。クレハの結婚は俺にとって致命傷だ。俺はドンナ事があってもクレハの結婚を許す気にならん……とこう云われたのです", "……………", "そうして昨日、二人で自動車で出かける時に又コンナ事を云われたのです……クレハの奴、飛んでもない人間と結婚しようと思っている。あんな奴と結婚したら、クレハ自身ばかりじゃない俺までも破滅しなくちゃならん。俺とクレハの一生涯の恥を晒すことになるんだ。今夜こそ彼女の希望をドン底までタタキ潰してくれる。たとい打殺しても二度とアンナ希望を持たせないようにするつもりだ……と非常に昂奮していられましたがね" ], [ "一体あなたがその結婚したいと仰言る相手は誰なのですか。私は直接に貴女のお口から聞きたいのですが、ドナタなのですか一体……面白い相手ならば私も一口、御相談相手になって上げたい考えですがね", "……………" ], [ "……仰言れないでしょうね。こればかりは……ヘヘヘ。しかしコチラにはちゃんとわかっておりますよ。ヘヘヘ。お隠しになっても駄目ですよ……あなたのお父さん……だか、赤の他人だか知りませんが轟九蔵さんはその時に、こんなような謎を云い残しておられるのです。そのクレハの結婚の相手というのがアンマリ意外なので俺は全くタタキ付けられてしまったんだ。ほかでもないあの脚本書きの江馬兆策の妹のミドリなんだ。つまり同性愛という奴で、あの女に対してクレハの奴がとても深刻な愛を感じているんだね。俺はこの頃、毎晩仕事に疲れて、アタマがジイインとなって、何もかも考えられなくなっているところへ、クレハの奴が又こんなような飛んでもない変テコな問題を持込んで来やがるもんだから、いよいよ考え切れなくなって君に……つまり私にですね……相談をかけてみるんだが、一体、俺はドウしたらいいんだろう……クレハの奴は幼少い時から無残絵描きの父親の遺伝を受けていると見えてトテモ片意地な、風変りな性格の奴であったが、その上にこの頃、あんな芝居ばかりさせられて来たもんだから根性がイヨイヨドン底まで変態になってしまっているらしいのだ。あのミドリさんと同棲して、お姉さんお姉さんと呼ばれて暮すことが出来さえすれば妾はモウ死んでも構わない。これを許して下されば妾は新しい生命に蘇って、モットモットすごい芝居を、モットモット一生懸命で演出して、今の呉服橋劇場の収入を三倍にも五倍にもしてみせる。そうしてミドリさん兄妹を洋行させて頂けるようにする……今みたいな人間離れのしたモノスゴイ芝居ばかりさせられながら、何の楽しみも与えられない月日を送っていると妾はキット今にキチガイになります。今でも芝居の途中で、そこいらに居る役者たちの咽喉笛に、黙って啖付いてみたくなる事がある位ですが、ホントウに啖付いてもよござんすか……ってスゴイ顔をして轟さんにお迫りになったそうですね", "……………", "私はまだまだ色々な事を知っているのですよ。轟さんはズット前からよく云っておられました。あのミドリ兄妹は放浪者だったのを轟さんが旅行中に拾って来られたもので、兄に美術学校の洋画部を、妹に音楽学校の声楽部を卒業おさせになったものですが、兄の方の絵はボンクラで物にならず、とうとうヘボ脚本屋に転向してしまったのですが、これに反して妹の美鳥の方はチョット淋しい顔で、ソバカスがあったりして割に人眼に立たない方だけれども、よく見るとラテン型の本格的な美人で、しかも声が理想的なソプラノだ。もっともあのソプラノを一パイに張切ると持って生れた放浪的な哀調がニジミ出る。涯しもない春の野原みたような、何ともいえない遠い遠い悲しさが一パイに浮き上るのが傷といえば傷だ。日本では現在、あんなようなクラシカルな声が流行ないが、西洋に行ったら大受けだろう。俺はあの娘を洋行さしてやるのを楽しみに、ああやって家の庭の片隅に住まわせて、呉羽とも親しくさせているのだが、兄も妹も寸分違わない眼鼻を持っていながらに、どうしてあんなに甚しい美醜の差が出来るのか、見れば見る程、不思議で仕様がない。もちろん兄貴の方がアンナに醜い男だから大丈夫と思って油断していたら、思いもかけぬ妹の方へクレハの奴が同性愛を注ぎ初めたりしやがったので俺は全く面喰らっている……と仰言ったのですが、これはミンナ事実なのでしょうね。ヘヘヘ", "……………" ], [ "一体貴女が結婚したいと仰言るのは誰ですか。ハッキリ仰言って頂けませんか。この際……", "……………", "アノ……アノ……創作家の江馬兆策じゃないのですか", "……………", "どうも貴女はあの男と心安くなさり過ぎると思っておりましたが……" ], [ "ケ……穢らわしいわよッ……ア……アンナ奴……", "……でも……でも……" ], [ "でも……でも……貴女は……いつも御主人の眼を忍んで……あの劇作家と……", "そ……それはあの凡クラの劇作家に、次の芝居の筋書を教えるためなのよ。次の芝居の筋書の秘密がドンナに大切なものか……ぐらいの事は、貴方だって御存じの筈じゃありませんか。……ダ……誰があんなニキビ野郎と……" ], [ "失礼しちゃうわねホントニ。いつまで云っても、同じ事ばっかり……執拗いたらありゃしない。ツイ今先刻貴方と二人で大森署へ行って、犯人に会って来た計りじゃないの", "ええ。ですから云うのです。犯人が貴女を見上げた眼が尋常じゃなかったように思うのです。双方から知らん知らんと云いながら、犯人が涙をポロポロ流して、済みません済みませんと頭を下げているのを見た貴女が、自動車に乗ってからソッと涙を拭いていたじゃないですか", "ホホ。あれはツイ同情しちゃったのよ。犯人はどこかで妾に惚れていたかも知れないわ。コンナ女優業ですからね、ホホ。……そういえば貴方を犯人が見上げた眼付の恨めしそうで凄かったこと。何かしら深い怨みがありそうだったわよ。知らん知らんとお互いに云いながら……", "……そんな事はない……", "だから妾もソンナ事はない", "そ……それじゃ話にならん……", "ならないわ。最初から……貴方の仰言る事は最初から云いがかりバッカリよ", "云いがかりじゃありません。つまり貴女が結婚したいなんて仰言ったのは、轟さんに対する何かの脅迫手段で、貴女の本心じゃなかったのですね", "貴方はそう考えていらっしゃるの" ], [ "ええ……そう考えたいのです。そう考えなければタマラないのです", "ホホホ。面白い方ね貴方は……そんな事が、どうしてこの劇場の運命と関係があるんですの", "大いにあるんです" ], [ "貴女も、もう相当に苦労しておられるんですからね", "……さあ……どうですか……", "呉羽さん……率直に云いましょうね", "ええ。どうぞ……", "僕と結婚してくれませんか" ], [ "ね。おわかりでしょう。僕の気持は……今、貴方から拒絶されると、僕はモウこの劇場に居る気がしなくなるのです。もうもうコンナ劇場関係生活だの、探偵劇だのには飽き飽きしているのですからね。天命を知ったとでも云うのでしょうか。モット落付いた、人間らしいシンミリとした生活がしてみたくてたまらなくなっているのですからね", "……………", "但し……貴女が僕に新しい生命を与えて下さるとなれば問題は別ですがね" ], [ "ええ。わかり過ぎますわ", "ね。ですから……ですから……僕と……" ], [ "ええ。それは考えてみますわ。女優なんてものはタヨリない儚い商売ですからね", "エッ。それじゃ……承知して……下さる……", "まッ……待って頂戴よ……そ……それには条件があるのです。妾も……ネンネエじゃありませんからね" ], [ "そ……その条件と仰言るのは……", "こうよ。よく聞いて下さいね。いいこと……", "ハイ。どんな難かしい条件でも……", "そんなに難かしい条件じゃないのよ。ね。いいこと……たとい貴方と妾とが一所になったとしても、この劇場の人気が今までの通りじゃ仕様がないでしょ。ね。正直のところそうでしょ。轟家の財産だって、もうイクラも残ってやしないし……貴方も相当に貯め込んでいらっしゃるにしても遊びが烈しいからタカが知れてるわ" ], [ "ヤッ。これあ……どうも……そこまで睨まれてちゃ……", "ですからさあ……妾だって全くの世間知らずじゃないんですから、好き好んで泥濘を撰って寝ころびたくはないでしょ。ね。ですから云うのよ。モウ少し待って頂戴って……", "もう少し待ってどうなるのです", "あのね。妾もね……この劇場にも、探偵劇にも毛頭、未練なんかないんですけどね。折角、轟さんと一所に永年こうやって闘って来たんですから、せめての思い出に最後の一旗を上げてみたいと思ってんの……", "ヘエ。最後の一旗……", "こうなんですの……きょうは八月の四日、日曜日でしょう。ですから今日から来月の第一土曜、九月の七日の晩まで、丸っと一と月お芝居を休まして、座附の人達の全部を妾に任せて頂きたいんですの。費用なんか一切あなたに御迷惑かけませんからね。妾はあの役者達を連れて、どこか誰にもわからない処へ行って、妾が取っときの本読みをさせるの", "貴女が取っときの……", "ええ。そうよ。これなら請合いの一生に一度という上脚本を一つ持っていますからね。その本読みをしてスッカリ稽古を附けてから帰って来て、妾の引退興行と、呉服橋劇場独特の恐怖劇の最後の興行と、劇場主轟九蔵氏の追善と、大ガラミに宣伝して、涼しくなりかけの九月七日頃から打てるだけ打ち続けたら、キット相当な純益が残ると思いますわ", "さあ……どうでしょうかね", "いいえ。きっと這入ってよ。それにその芝居の筋というのが世界に類例のない事実曝露の探偵恐怖劇なんですから……", "事実曝露……探偵恐怖劇……", "そうなのよ。つまり妾の一生涯の秘密を曝露した筋なんですから……これを見たら今度の事件の犯人だって、たまらなくなって、まだ誰も知らない深刻な事実を白状するに違いないと思われるくらいスゴイ筋なんですからね……自慢じゃありませんけど……ホホホ……" ], [ "……ド……どんな筋書で……", "それは……ホホホ……まだ貴方に話さない方がいいと思うわ。兎に角一切貴方に御迷惑かけませんから貴方は今から九月の七日過ぎる迄、久振りに温泉か何かへ行って生命の洗濯をしていらっしゃい。タッタ一箇月かソコラの間ですから、その間中貴方は絶対に妾の事を忘れていて下さらなくちゃ駄目ですよ。さもないと将来の御相談は一切お断りしますよ。よござんすか。仕事は一切私が自分でしますから……", "出来ましょうか貴女に……", "一度ぐらいなら訳ありませんわ。小さな劇場ですもの……いつもの通りの手順に遣るだけの事よ。チョロマかされたってタカが知れてますわ", "資金はありますか", "十分に在ってよ。在り余るくらい……", "意外ですなあ……どこに……", "どこに在ってもいいじゃないの……とにかく貴方は今度だけ御客様よ。招待券の二三枚ぐらい上げてもいいわ……ホホ……神戸の後家さん親娘でも引っぱってらっしゃい", "ジョ……冗談じゃない", "そうよ。冗談じゃないのよ。真剣よ……妾……それまで処女を棄てたくないんですからね", "ショ……ショジョ……", "まあ何て顔をなさるの。妾が処女じゃないとでも仰言るの。ずいぶん失礼ね", "イヤ。ケ……決してソンナ訳では……", "そんなら温柔しく妾の云う事をお聞きなさい。そうしてモウ時間ですからこの室を出て行って頂戴……" ], [ "江馬さん。よござんすか。これは妾の一生の秘密よ。今度、轟さんが殺された原因がスッカリわかる話よ", "えッ。そ……そんな秘密が……まだあるんですか", "ええ。トテモ大変な秘密なのよ。今月の十五日迄にこの秘密をアンタに脚色してもらって、来月の初め頃にかけて妾自身が主演してみたいと思っているんですから、そのつもりで聞いて頂戴よ", "……かしこ……まりました", "ですけどね。この話の内容は、芝居にすると相当物騒なんですから、警視庁へ出すのには筋の通る限り骨抜きにした上演脚本を書いて下さらなくちゃ駄目よ。興行差止なんかになったら、大損をするばかりじゃない。妾の計劃がメチャメチャになってしまうんですからね。是非ともパスするように書いて頂戴よ。もちろん日本の事にしちゃいけないの。西洋物の飜案とか何とかいう事にして、鹿爪らしい原作者の名前か何か付けて江馬兆策脚色とか何とかしとけばいいでしょ。その辺の呼吸は万事おまかせしますわ", "……しょうち……しました", "出来たら直ぐにウチの顧問弁護士の桜間さんに渡して頂戴……", "支配人じゃいけないんですか", "ええ。妾の云う通りにして頂戴……笠さんじゃいけない訳は今わかりますから……", "……で……そのお話というのは……", "……もう古い事ですわ。明治二十年頃のお話ですからね。畿内の小さな大名植村駿河守という十五万石ばかりの殿様の御家老の家柄で、甘木丹後という人の末ッ子に甘木柳仙という画伯さんがありました", "どこかで聞いた事があるようですな", "ある筈よ。ホホ。柳遷とか柳川とか色々署名していたそうですが、その人が御維新後のその頃になって、スッカリ喰い詰めてしまって、東海道は見付の宿の等々力雷九郎という親分を頼って来て、町外れの閑静な処に一軒、家を建ててもらって隠棲しておりました。静岡、東京、名古屋、京阪地方にまでも絵を売りに行って相当有名になっておりましたが、その中でも古い錦絵の秘密画とか、無残絵とか、アブナ絵とかを複写するのが上手で、大正の八九年頃には相当のお金を貯めて、小さいながら数奇を凝らした屋敷に住むようになっていたそうです", "それで思い出しました。僕はその絵を見た事があります。たしか四条派だったと思いますが……", "ね。あるでしょう……その柳仙夫婦の間に、その頃三つか四つになる三枝という女の児がありました。父親が五十幾つかの老年になって出来た子供なのでトテモ可愛がって、ソラ虫封じ、ソラ御開運様といった風に色々の迷信の中に埋めるようにして育てたものだそうですが、それがアンマリ利き過ぎたのでしょう。今の妾みたいな人間になってしまったのです", "結構じゃないですか" ], [ "そ……それもホントなんですか", "ホホホ……みんな真実なのよ。最初から……まだまだ恐ろしい事が出て来るのよ。これから……", "……………", "シッカリして聞いて頂戴よ。是非とも貴方に脚色して頂いて、大当りを取って頂きたいつもりで話しているんですからね", "……………", "……その脅迫状というのは、最初は極く簡単なものだったのです。一週間ばかり前に来たのは普通の封緘葉書で金釘流で『大正十年三月七日を忘れるな……芝居じゃないぞ』といっただけのものだったそうですが、それから後に二三回引続いて来たものは、相当長い文句のチャンとした書体で、とてもとても恐ろしい……私達の致命傷と云ってもいい文句でしたわ", "……ど……ど……ドンナ……", "ホホホ。アンタ気が弱いのね。そんなに紙みたいな色にならなくたっていいわ。あのオ……チョイト……ボーイさん。ウイスキー・ソーダを一つ……大至急……" ], [ "ホホホ。落付いてお聞きなさいよ。モウ怖いことなんかないんですからね。犯人が捕まって片付いちゃったアトなんですから……", "でも……でも……まだ疑問の余地が……", "ええええ。まだまだ沢山に在るのよ。モットモット大きな、深い疑問が残っているのを誰も気付かずにいるのよ。轟さんの心臓にあのナイフが突刺さったホントの理由が、わかる話よ", "エエッ。それじゃホントの犯人が……別に……", "居るか居ないかは貴方のお考えに任せるわ。そこがこの脚本のヤマになるところよ。いい事……その長い脅迫状の文句はこうなのです。その脅迫状はあたし自分の部屋の鏡台の秘密の曳出にチャント仕舞っているのですから、あとからお眼にかければわかるわ……轟九蔵と甘木三枝は、戸籍面で見ると親子関係になっていない。女優の天川呉羽は轟九蔵の養女でも何でもないのだから、つまるところ轟九蔵は甘木三枝の財産を横領している事になる。それのみか、轟九蔵と天川呉羽とは事実上の夫婦関係になっている事を、俺は最近になって探り出しているのだ。その上にその呉羽こと三枝という女は、ズット以前から劇作家江馬兆策と関係している……", "ワッ……ト飛んでもない……アッツ……" ], [ "……ね。ですから妾あなたに考えて頂こうと思ってお話するのよ。貴方はいつもソンナ問題ばかりを研究していらっしゃるんですから、妾の話をお聞きになったらキット犯人を直覚して下さると思うのよ。轟九蔵を殺したのは生蕃小僧じゃない。あの支配人の笠圭之介……", "エッ……ナ何ですって……そんな事が……" ], [ "あたし……それが今日わかったのよ。あの笠圭之介がね。ツイ今さっきの夕方の幕間に妾をあの五階の息つき場へ呼んでね。よもや誰も知るまいと思っていた脅迫状の中味とおんなじ事を云って妾を脅迫したのよ。轟さんと妾の関係や貴方と妾の関係を疑ったような事を云ってね……ですから妾ヤット気が付いたのよ、今捕まっているのはホンモノの生蕃小僧じゃない。ドッサリお金を掴ませられているイカサマの生蕃小僧で、公判になったらキット供述を引っくり返すに違いない。だから本物の生蕃小僧はアノ支配人の笠圭之介……", "フ――ム――" ], [ "……ね……こんな事があるのですよ。今もお話した通り、生蕃小僧の脅迫状が来なくなってから轟がホントウに活躍を初めたのが大正十四年頃でしょう。それからあの呉服橋劇場を買ったのが昭和三年の秋ですから、その間に三四年の開きがあるわけでしょう。その間に生蕃小僧が悪い仕事をフッツリと止めて、あの呉服橋劇場の支配人になり済ますくらいの余裕はチャントあるでしょう。生蕃小僧があんなにムクムクと肥って、丸きり見違えてしまっている事も、考えられない事じゃないでしょう。そこで生蕃小僧は上手に轟さんに取入るか、又は影武者の生蕃小僧に脅迫状を出させるか何かしてあの劇場を買わせたのよ。そうしてあの劇場の経営を次第次第に困難に陥れて、轟さんの爪を剥いだり、骨を削ったりしながら待っている中に、妾が年頃になったのを見澄まして轟さんを片付けて、タッタ一人になった妾を脅迫して自分のものにしようと巧らんだ……と考えて来ると、芝居としても、実際としても筋がよく透るでしょう。何の事はない新式の巌窟王よ……ね……", "……………", "その中でタッタ一つ邪魔気なのは貴方です。江馬さんです……ね。貴方は天才的な探偵作家ですから普通の人だったら夢にも想像出来ない事をフンダンに考えまわしておられる方です。ですから万一、今のようなお話をお聞きになった暁には、いつドンナ処から自分の正体を看破られるかわからない。警戒の仕様がないでしょう", "……………" ], [ "……ですから……貴方にお願いするのです。今から笠支配人の様子を探って下さい。そうしてイヨイヨ生蕃小僧の本人に違いないという事がわかったら……", "……コ……殺してしまいます" ], [ "……ナ……ナゼ……何故ですか", "復讐の手段は妾に任せて下さい。両親の仇……轟の仇です……", "……………", "それでね貴方にその脅迫状の束を全部さし上げます。それをイヨイヨとなったら笠に突付けて云って御覧なさい。お前はお前の書いた文句を忘れてやしまい。呉羽さんを脅迫した言葉も忘れてやしないだろうって……ね……", "……………", "それからね。貴方の活躍の期限を来月の十日までに切っておきます。来月の十日になっても笠に泥を吐かせる事が出来なかったら一先ず帰っていらっしゃい。よござんすか。費用は脅迫状の束と一緒に、明日の午後に差上げます", "イヤ。費用なんか一文も要りません", "いいえ。いけません。他人の間は他人のようにしとくもんです", "エッ……他人……", "ええ。そう。今じゃ全くの赤の他人でしょう。ですからそのつもりでいらっしゃい。それからの御相談は、何もかも来月の十日過にお願いしますわ" ], [ "まあ……お兄様ったら……気でもお違いになったの……", "感謝感謝。心配しなくたっていいんだ。気も何も違ってやしない", "だってイツモのお兄様と眼の色が違うんですもの……まるで確証を握ったシャロック・ホルムズか義憤に猛り立つアルセエヌ・ルパンみたいよ。ホホホ。どうなすったの……一体", "黙って見てろったら。非常な重大事件だから……お前が関係しちゃイケナイ問題なんだから絶対に局外中立の態度で、黙って見てなくちゃイケナイ重大事件なんだからね", "わかっててよ。それ位の事……轟さんのお家の事でしょう", "そうなんだよ。ホントの犯人がわかりそうなんだよ。そいつを僕が突止める役廻りになったんだよ", "だからウイスキー曹達を、お引っくり返しになったの……", "ゲッ……お前見てたのかい", "ホホホホ。ビックリなすったでしょ" ], [ "何でもないことよ。妾だって今度の轟さんの事件ではずいぶん頭を使っているんですもの。ホントの犯人が誰だか色々考えているうちに、万一貴方が疑われるような事になったらドウしようと思って一生懸命に考えまわしていたのよ", "フーン。どうして二人に嫌疑がかかるんだい", "お兄さん御存じないの。昨夜十二時頃、轟さんと呉羽さんとが、支配人の眼の前で大喧嘩をなすった事を……", "知らなかったよ。俺はその頃お前と二人で、ここで茶を飲んでいたんだから", "ええ。そうよ。ですから妾も知らなかったんですけどね。小間使のイチ子さんが今朝になって、その事をおヨネさんに話したんですって……そうしたらおヨネさんがビックリしちゃってね。その喧嘩の話は決して喋舌っちゃイケナイって云ってねあの女、自分がオセッカイのお喋舌のもんですから、イチ子さんにシッカリと口止めをしといてから、わざわざやって来てソッと私に知らしてくれたのよ。こちらでも気ぶりにも出さないようにして下さいってね。おかアしな女よ。おヨネさんたら……ホホホ。あたし最初、何の事だかわかんなかったわ", "ああ。その話かい。今朝、台所で暫くボソボソやっていたのは……一体何の喧嘩だい。轟さんと呉羽さんと言い争った原因というのは……", "妾たち二人を追い出すとか出さないとかいう話よ", "ナニ……俺たちを追い出す……?……", "ええ。そうなんですって。何故だかわかんないんですけど", "……ケ……怪しからん。俺は今まであの轟をずいぶん助けてやっているのに……", "……そんな事云ったって駄目よ。御恩比べなんかすると馬鹿になってよ", "馬鹿は最初から承知しているんだ。向うはホンの些とばかりの金を出してくれただけだ。それに対してこちらは、お金で買えない天才を提供しているじゃないか。しかも有らん限りの生命がけで……", "お兄さん馬鹿ね。そんな事云ったって誰も相手にしやしませんよ", "一体ドッチが俺たちを追い出すと云うんだ", "轟さんが追い出すって云うのを呉羽さんが、理由なしにソンナ事をしてはいけないってね。泣いて止めていらっしたそうよ", "当り前だあ", "当り前だかドウだか知りませんけどね。もしソンナ話があったのを妾たちが聞いたって事が警察にわかったら大変じゃないの。お兄さんの極端に激昂し易い性格は、みんな知っている事だし、あの家の案内は残らず御存じだし……万一、疑いがかかったら大変と思ってね妾ずいぶん心配したのよ", "馬鹿な……俺はソンナ馬鹿じゃない", "だって今みたいに昂奮なさるじゃないの……話がわかりもしない中に……", "……ウウン……それあ……そうだけど……", "……ね……ですから妾は直ぐにアリバイの説明の仕方や何かについて考えたわ。……ずいぶん苦心したことよ", "そんな事は苦労する迄もないじゃないか。昨夜はチャントここに寝てたんだから……", "まあ。そんなアリバイが成立する位なら苦心しやしないわ。お兄さんたら探偵作家に似合わない単純な事を仰言るのね。でもその寝ていらっしゃるところを誰か他所の人が夜通し寝ないで見ていなくちゃ駄目じゃありませんか。妹の妾が証明したんじゃ証明にならないんですからね。それ位の事は御存じでしょう。貴方だって……", "ウム。そんならドンナアリバイを考えたんだい", "それがなかなか考えられないのよ。ですからね。今夜、貴方がお帰りになったら、よく相談しましょうと思って待っていたら、イツモの十一時になってもお帰りにならないでしょ。劇場の方へ電話をかけてみたら、もうお芝居はトックにハネちゃって、呉羽さんと二人でお帰りになったって云うでしょう。ですからテッキリあのアルプスに違いないと思って電話をかけたらテッキリなんでしょう。ですからその電話に出たボーイさんに頼んであすこの受話機を……ちょうど貴方の背後に在る木の空洞の中の卓上電話を外しっ放しにして受話機を貴方の方に向けておいてもらったのよ。ですから貴方と呉羽さんのお話が何もかも筒抜けに聞えたのよ。あの家はいつもシーンとしているんですからね", "エライッ。名探偵ッ……握手して下さいッ", "馬鹿ね。お兄さま……あの女の云う事、信用していらっしゃるの……", "あの女って誰だい", "誰って彼女以外に誰も居なかったじゃないの……", "呉羽さんが僕と結婚してもいいって話かい", "ええ。あれは絶対に信用なすっちゃ駄目よ", "エッ……どうして……", "どうしてったって呉羽さんは、お兄さんと結婚してもいいって事をハッキリ仰言りやしなかったわ", "……………" ], [ "フ――ム。そうかなあ……", "そうよ。彼女の話は陰影がトテモ深いんですから、用心して聞かなくちゃ駄目よ。たといソンナ事をハッキリ仰言ったにしても、それあ嘘よ……キット……", "どうしてわかるんだい。そんな事が……お前に……", "女の直観よ。……第三者の眼よ……", "それだけかい……", "それだけでも十分じゃないの。あたし……あの呉羽って女……キット深刻な変態心理の持主だと思うわ", "直感でかい", "いいえ。色んな事からそう思えるのよ。第一あの女は貴方がホントに好きなんじゃない。妾が好きなのよ……それも死ぬほど……", "ナ何だって……真実かいそれあ……" ], [ "フーム。それじゃ、お前を好いている事は、どうしてわかったんだい", "あたし、お兄さんの前ですけどね。あの女がこの頃、怖くて仕様がないのよ。……あの女はね。妾を好いていると云った位じゃ足りないで、心の底から崇拝しているらしいのよ。トテモおかしいのよ。妾がズット前にあの女の部屋に忘れて行った黄色いハンカチを大切に仕舞っておいて、何度も何度も接吻してんのよ。妾が偶然に行き合わせた時に、周章てて隠しちゃったんですけど、そのハンカチにあの人の口紅のアトが残ってベタベタ附いているのが見えたわ", "ウフッ。気色の悪りい……ホントかいそれあ", "お兄さんに嘘を吐いたって仕様がないじゃないの。いつでもあの女の妾を見ている眼の視線は、妾の横頬にジリジリと焦げ付くくらい深刻なのよ", "ヘエッ。驚いたね。それじゃ……つまり同性愛だね", "そんなものらしいのよ。持って生まれた性格を舞台の上でイタメ附けられている荒んだ性格の人に多いんですってね。呉羽さんなんか尚更それが烈しいのでしょう。ですから妾……お兄さんの事さえなけあこの家を逃出そうと思った事が何度も何度もあるくらい気味が悪かったんですけどね……ロッキー・レコード会社から専属になってはドウかってね、或る親切な人から何度も何度も云って来ているんですけど、断っちゃってジイッと我慢し通してんのよ", "馬鹿……何だって断るんだ。そんな美味い口を……", "だって妾が二百円取ってお兄様を養うよりも、妾がお兄さまの百円の御厄介になっている方が嬉しいんですもの……", "うむ。そうかッ……感謝するよ……" ], [ "でも……トテモ息苦しいのよ。だって同性愛なんて日本にだけしかない事でしょう。朝鮮ではソンナ話、聞いたこともないんですから、ドウしたらいいのかわかんないんですもの。呉羽さんと同じ位に妾が呉羽さんを好きにならない限り、どうする事も出来ないじゃないの。女蛇に魅入られたようなタマラナイ気持になるだけよ。それがトテモ底強い魅力を持って迫って来るんですから尚更、息苦しくなって来るのよ", "手紙も何も来ないのかい呉羽さんから……", "イイエ。そんなもの一度も来たことないわ。妾が現実にそう感じているだけなの", "フ――ム。そうすると……どうなるんだい……ボ……僕は……", "アラ泣いていらっしゃるの……お兄様は……", "泣いてやしないよ。怖いんだよ。僕は……", "チットモ怖いことないわ。お兄様はただあの女に欺されていらっしゃればいいのだわ。あの女は、まだ轟さんを殺した犯人について疑っていらっしゃるのでしょう……ね……そうでしょう。ですから貴方に頼んで探してもらおうと思っていらっしゃるんですから、その通りにしてお上げになったらいいでしょう", "何だか訳がわからなくなっちゃった。つまり僕はあの女の云うなりになっていればいいんだね", "ええ。そうよ。こっちがあの女を疑っているソブリなんかチットも見せないようにしてね。そうしていらっしゃる中にはヒョットしたらあの女だって、お兄様をお好きにならないとも限らないわ", "タヨリないなあ。お前の云う事は……モット確りした事を云っとくれよ", "だって将来の事なんかわかんないんですもの……貴方みたいに正直に、何もかも真に受けて、青くなったり、赤くなったり……", "オイオイオイ。電話で顔色がわかるかい", "アラッ。バレちゃったのね。トリックが……", "トリック。何だいトリックって……", "ホホホ。何でもないのよ。あたし今夜あなたのアトから直ぐに家を閉めて出かけたのよ。だってコンナ時にはトテモたった一人でお留守番なんか出来ないんですもの。家の中には貴方の原稿以外に貴重品なんか一つも無いでしょう。……それからね。序に途中で寄道をしてロッキー・レコードへ寄って契約して来ちゃったわ。一個月二百円で……", "ゲエッ。ほんとかい……それあ……", "ええ。だって轟さんが死んじゃったら妾たちだって相当の覚悟をしなくちゃならないんでしょう。契約書見せましょうか……ホラ……", "ウウムム。ビックリさせるじゃないかヤタラに……", "世話してくれた人トテモ喜んでたわ。妾の声は西洋人がヤタラに賞めるんですってさあ。この間テストした時に……ですからモウ誰の世話にならなくとも大丈夫よ。轟さんから受けた御恩を呉羽さんにお返しするだけよ", "お前はたしかに俺より偉いよ。今夜という今夜こそ完全にまいった", "ホホホ。まだエライとこ在るのよ", "ナナ何だい一体……", "当てて御覧なさい", "わからないね", "さっきの電話の話ウソよ", "ヘエッ。何だって……", "アラッ。まだわかっていらっしゃらないのね", "だって、まだ何も聞きやしないじゃないか、トリックの事……", "自烈度いお兄さんたらないわ。あのね……あたし今夜貰った契約の前金で変装して今夜のお芝居見に行ったのよ。そうして貴方と呉羽さんのアトを跟けてアルプスへ行って、お二人の話を横からスッカリ聞いてたの……鳥打帽を冠って色眼鏡をかけて、レインコートの襟を立てて煤けたラムプの下にいたから、わからなかった筈よ。あすこのマダムはやっぱり朝鮮の人で、ズット前から心安いのよ。ロッキー・レコードの支配人の第二号なんですからね。今度の話もあのマダムが世話してくれたのよ", "驚いた……驚いた……驚いた……", "まだビックリなさる事があってよ。あの笠っていうお爺さんね", "可哀そうに、お爺さんは非道いよ", "あの笠圭之介って人を貴方はホントの犯人と思っていらっしゃる?", "さあ。わからないね。当ってみない事には……", "そう。それじゃ当って御覧なさい。あの人ならお兄様に対して無暗な事はしない筈ですから……", "何だいまるで千里眼みたような事を云うじゃないかお前は……事件の真相を残らず知ってるみたいじゃないかお前は……", "ええ。知ってるかも知れないわ……でも、それは今云ったら大変な事になって、何もかもわからなくなるから、云わない方がいいと思うわ", "ふうむ。そんなに云うなら強いて尋ねもしないが、しかしそのわかったって云うのは、犯人に関係した事かい……それとも事件全体に……", "ええ。そう事件全体の一番ドン底に隠されている最後の秘密よ。トテモ神秘的な……そうして芸術的にも深刻な秘密よ。それさえハッキリとわかれば妾は自分の一生涯を棄てても、その秘密の犠牲になって上げていいわ", "オイオイ。物騒な事を云うなよ……オヤッ。美いちゃん……泣いているのか", "……だって……アンマリ可哀そうなんですもの……その秘密の神秘さと、芸術的な深さの前には妾の一生なんか太陽の前の星みたいなんですもの……", "いよいよ以て謎だね", "ええ。どうせ謎よ。この世の中で一番醜い一番美しい謎よ。それさえ解れば今度の事件の真相が一ペンにわかるわ", "いよいよわからないね。何だか知らないけど、わからない方がよさそうな気がする", "ええ。妾もよ。わかったら大変よ", "いったいいつからソンナ事を感付いたんだい", "ヤット今夜感付いたのよ。あの女と貴方のお話を聞いているうちに……", "……ど……どんな事だい。それは……" ], [ "まあ。お兄さま", "おお。美鳥。御機嫌よう", "まあ……今夜の入場者タイヘンじゃないの。コワイみたいじゃないの――", "ウン。呉服橋劇場空前のレコードだよ", "あたし此席へ来るのに死ぬ思いしてよ。正面の特等席て云ったんですけど、入口から這入ろうとすると押潰されそうになるんですもの。ヤット寺本さんに頼んで楽屋口から入れてもらったのよ……ああ暑い……ずいぶんお待ちになって……", "イヤ。ツイ今しがたここへ来たんだ", "あら。お兄様ずいぶん日にお焼けになったのね", "ヤット気が付いたのかい。フフフ。これあ温泉焼けだよ。紫外線の強いトコばかり廻っていたからね。お前は元気だったかい", "ええ。モチよ。あたし四五日前から神戸に行ってたのよ。そうして今朝、家へ帰ってから、貴方の電報を見てビックリしてここへ来たのよ", "神戸へ何しに行ったんだい", "それが、おかしいのよ。六甲のトキワ映画ね。あそこから大至急で秘密に来てくれってね。あのアルプスの主婦の妹さん……御存じでしょう。会計をやってらっしゃる貴美子さん……いつも妾達によくして下さる。ね……あの人に頼まれたもんですからね。貴美子さんと二人で行ってみたらトテモ大変な目に会わされちゃったのよ", "何か唄わせられたのかい", "それが又おかしいのよ。着くと直ぐに美容院の先生みたいな人が妾を捕まえて、お湯に入れて、お垂髪に結わせて、気味の悪いくらい青白いお化粧をコテコテ塗られちゃったのよ", "ハハア。スクリン用のお化粧だよ。それじゃあ……エキストラに雇われたんだね", "ええ。そうらしいのよ。筋も何もわからないまんまに、美術学校のバンドを締めさせられて、学校の教壇みたような処へ立たされて『蛍の光』を日本語で歌わせられたの……そうして三分ばかりして歌が済んじゃったら監督みたいな汚ない菜葉服の人が穴の明いたシャッポを脱いでモウ結構です。アリガトウ……って云ったきりドンドン他の場面を撮り初めるじゃないの。おまけに皆して妾をジロジロ見ているでしょう。貴美子さんはソコイラに居ないし、帰り道は知らないし、妾、どうしていいかわからなくなっちゃって、モウ些しで泣出すところだったのよ", "馬鹿だね。エキストラなんかになるからさ", "そうしたらね。その中にどこからかヒョックリ出て来た貴美子さんが、妾をモウ一度お湯に入れて、身じまいを直させている中に、頬ペタに赤痣のある五十位の立派な紳士の人が、セットの中で、妾に近付いて来てね。妾に名刺を差出しながら、どうも飛んだ失礼を致しました。こちらへドウゾと云ってね。妾と貴美子さんを自動車へ乗せてミカド・ホテルへ連れて行ってサンザ御馳走をして下すった上にね。京都や大阪や奈良あたりを毎日毎日、御自分の高級車で同乗して、見物させて下すったのよ。どこか貴方とお兄様とで、別荘をお建てになりたい処があったら、御遠慮なく仰言って下さいって……トテモお兄さまの脚本を賞めてらしたわ", "オイオイ。お前ドウカしてやしないかい", "イイエ。ほんとの話なのよ。そうして帰りがけにトテも立派なリネンの洋服と、ダイヤの指輪と、舶来の帽子とハンドバッグと、靴と、トランクと、一等寝台の切符と……", "チョット待ってくれ美鳥……イヨイヨおかしい。美鳥は僕の留守に、竈の神様へ唾液を吐きかけるか何かしたんだね", "アラ。そんならお帰りになってから品物をお眼にかけるわ。また、そのほかにお金を千円頂いたのよ", "タッタ三分間でかい", "ええ。ここに持ってるわ", "馬鹿。いい加減にしろ", "あら。お聞きなさいったら……それから帰って来てロッキーの支配人にお眼にかかって、そんなお話をしたら……貴美子の奴、飛んでもないイタズラをしやがる……ってね。真青になって聞いてらしったわ。そうしてイキナリ私の前に手を突いて、どうもありがとう御座いました。よく帰って来て下さいました。あの人にかかっちゃ叶いません。どうぞ、これから後トキワ映画へお這入りになるような事がありましても、私の方の契約だけは、お約束通りにお願い致します……ってペコペコあやまってんの。ツイ今サッキの事よ。あたし何の事だか、わかんなくなっちゃったわ", "その名刺、ここに持ってんのかい", "ええ。ここに在るわ。段原っていう人よ。あたしどこかで聞いた事があるように思うんですけど……", "エッ……段原……それあお前アノ興行王じゃないか……東洋一の……", "アラッ。そうそう……あたし写真ばっかり見てたから気が付かなかったんだわ。あの人に妾見込まれたのか知ら……", "……ウーム。大変な事になっちゃったね", "あたしドウしましょう", "ところで本職のロッキー・レコードの方の成績はドウダイ……", "それが又おかしいのよ。故郷の小唄ばかり入れさせられるのよ。故郷の発音を西洋人が聞くとトテモ音楽的なんですってさあ。他の人が歌ったんじゃ駄目なんですって……", "妙だね。ウッカリすると、そいつもやっぱりメード・イン・ジャパンのお蔭かも知れないぜ", "そうかも知れないわ。でもね、妾の唄った『島の乙女』の裏表が七千枚ずつ二度も亜米利加へ出たそうよ。ですから妾、今月はトテモホクホクよ", "……驚いたね。アンマリ早くエラクなり過ぎて恐しいみたいじゃないか", "そうしてお兄様の方の成績はドウ?", "お前とウラハラだ。何もかも滅茶滅茶さア", "まあ。でも無事にお帰りになってよかったわ", "いや。まだわからないよ。無事だかどうだか", "どうしてコンナに早くお帰りになったの……九月の十日過に帰るって仰言ったのに……", "どうしてってあの今月四日の新聞を見たからさ。急に心配になって来たからね", "……アラ……妾もよ。ずいぶん心配しちゃったわ。だってお兄様が熱海からお送りになった、今度のお芝居の脚本を弁護士の桜間さんにお渡しする前にチョット盗み読みしていたでしょう。あの脚本でアンナ大袈裟な広告をするなんて、ずいぶんヒドイと思ったわよ。呉羽さんの身上話まる出しなんですもの。ポーの原作でも何でもありゃしない", "ウン。僕が心配したのもソレなんだよ。立派な広告詐欺だからね。おまけにお前、あの脚本は呉羽さんの命令で全部骨抜きだろう。今度の事件の核心に触れているところなんかコレンバカリもありあしない。何でもカンでも上演脚本がパスさえすれあ、それでいいって云うんだからその通りに書いておいたのさ。それから直接に桜間弁護士に立山から長い電報を打って様子を聞いてみると、あの脚本にはロクに眼も通さないまま、呉羽さんが出発しちゃったという返事だろう。弱ったよ全く。ドンナ本読みをしてドンナ稽古を附けているんだか丸きり見当が付かないんだからね。笠のオヤジの生蕃小僧問題なんかホッタラかしちゃって、座員の寺本に電報を打って、この特等席を二つ取ってもらって、その返事を見てから大急ぎで帰って来たんだがね。その途中で美鳥にあの電報を打ったのさ", "道理で……あたし、ちょっと意味がわからなかったわ。だって『スグテラモトニデンワセヨ』っていうんですもの。あたしアンナ女たらしの役者の人に会わなくちゃならないのかと思ってヒヤヒヤしちゃったわ", "美鳥は相変らずお固いんだね", "笠さんは今、どこに居らして?", "モウ帰って来ている筈だがね。越中の立山に居たんだが", "アラ。マア。あんな処へ……", "ウン。どうやらお前の予言が当ったらしいんだ。俺は呉羽さんから良い加減ドンキホーテ扱いにされていたらしいんだ", "まあ……どうして……", "どうしてって馬鹿な話さ。笠支配人は何でもないんだよ。僕があの脚本を書上げると直ぐに、彼奴に取りかかってやったんだ。犯人は貴様だろう……って威嚇し付けてやったら、一ペンに青くなっちゃってね。色々弁解しやがるんだ。下らないアリバイなんか出しやがってね……そのうちにドウモ此奴は生蕃小僧なんて恐れられるようなスゴイ人物じゃないらしいって感じがして来たんだ。しかし、それでも猫を冠っているんじゃないかと思って、色々変相して附け狙っていると、彼奴め殺されるとでも思ったのか、素早く俺の変装を看破して、アッチ、コッチの温泉を逃げまわりやがるんだ。アイツは余っ程、温泉が好きなんだね。しかも行く先々で彼奴の狒々老爺振りを見せ付けられてウンザリしちゃったよ。まったく……", "妾も大方ソンナ事でしょうと思ってたわ", "そのうちに今月の五日になって、立山温泉で東京の新聞のアノ広告を見ると正直のところ、二人ともビックリしちゃったんだね。これは大変だ。飛んでもない事が初まらなけあいいがと気が付くトタンに、二人とも何となく呉羽さんに一パイ喰わされて、睨めっこをさせられているような気がし初めたんだね。そこでドッチからともなく二人が寄り合って、ザックバランに膝を突き合わせて話合ってみると、ドウモ呉羽さんの二人に云った言葉尻が怪しい。これはこの興行の邪魔にならないように、吾々二人を東京から遠ざける計略じゃなかったのか……呉羽さんは、こうして吾々二人が承知しそうにない無鉄砲な興行を、自分一人でやっつける了簡じゃないのか……という事になって来ると、まさかとは思いながら二人とも急に不安になって来たもんだから、大急ぎで勝手な汽車に乗って帰ることに話をきめたもんだ", "ずいぶん鈍感ねえ。お二人とも……", "そう云うなよ。呉羽さんの腕が凄いんだよ", "それからドウなすって……", "ところがサテ……帰って来てみると俳優たちは一人残らず口止めをされていると見えて、芝居の筋なんか一口も洩らさない。それから考えて楽屋裏の大道具を覗いてみると、まだハッキリはわからないが、ドウモ僕の註文した場面とは違うような道具が出て来るらしいので、イヨイヨ心配になって来た。だから藪蛇かも知れないとは思ったがツイ今しがたの事だ。此席へ来る前に警視庁の保安課へ寄って、興行係の片山っていう心安い警部に会って、済まないがモウ一度あの上演本を見せてもらえまいかって頼むとドウダイ。イキナリ僕の手をシッカリと握って離さないじゃないか……あの筋書はどこから手に入れた……って眼の色を変えて聞くんだ。俺あギョッとしちゃったよ。まったく……", "……そうでしょうねえ……ホホ……", "片山警部の話はこうなんだ……あの二通の上演脚本は八月の十五日に願人の桜間っていう弁護士から受取って、九月の三日に許可したものだが、その九月六日……昨日の朝の事だ、新聞の広告を見た大森署の司法主任の綿貫警部補っていうのがヒョッコリと警視庁へ遣って来て、あの『二重心臓』の上演脚本を見せてくれと云うのだ。お安い御用だというので見せてやると、読んでいる中に綿貫警部補の顔が真青になって来た。……済まないが、ほんのチョットでいいからこの脚本を貸してもらえまいかという中に、引ったくるようにポケットに突込んで、無我夢中みたいに自動自転車に飛乗って帰った", "……まあ怖い……", "それから夕方になって汗だくだくの綿貫警部補が、礼を云い云い返しに来た時の話によると大変だ……あの筋書は、この間死んだ轟九蔵氏と、犯人以外に一人も知っている筈がない。きょうが今日まで犯人に、あの筋書と同じような事実について口を割らせようと思って、どれ位、骨を折ったかわからないんだが、あの上本が手に這入ったお蔭で犯人がヤット口を割った。多分作者が、死んだ轟氏から秘密厳守の約束か何かで聞いていた話だろうと思って、まだ大森署に置いてある犯人に、あの筋書を読んで聞かせて、間違っている処を訂正させた序に、呉羽さんの興行の話を聞かせてやったら、ドウダイ突然に顔色を変えて、その興行を差止めて下さいと怒鳴り出したもんだ。折角の私の苦心が水の泡になりますと云うんだそうだ", "生蕃小僧がそう云うの……", "ウン。怖い顔から涙をポロポロこぼして泣きながら、私の一生のお願いで御座います。ドウセ死刑になります身体に思い残す事はありませぬが、こればっかりはお情です。どうぞやドウゾお助けを願います。さもなければここで舌を噛んで死にます……と云って、しまいにはオデコを板張に打ち附けて、顔中を血だらけにして、キチガイのように暴れまわりながら哀願するんだそうだ", "……まあ……何て気味の悪い……", "……だから綿貫司法主任が、そんならその貴様の苦心というのは何だって聞いてみたら、こればっかりは御勘弁を願います。とにかくそのお芝居ばっかりは、お差し止めにならないと大変な事になります。さもなければ、そのお芝居の初まる前にモウ一度天川呉羽さんに会わして下さい。お願いですお願いですと滅法矢鱈に駄々を捏ねて聴かないのには往生した。死刑囚にはよくソンナ無理な事を云って駄々を捏ねる者が居るそうだがね。それにしても何が何だか訳がわからないもんだから、昨日から大騒ぎをして僕の行衛を探していたところだった……という、その保安課の片山警部の話なんだ", "まあ……それからドウなすって……", "僕も何が何だか、わからなくなっちゃったからね。ナアニ、あの脚本はやはりお察しの通り轟さんから生前に聞いた通りの事を勧善懲悪式に脚色しただけのものなんです。それじゃ今から大森署へ行って、司法主任に会って、よく相談して来ましょう……と云って、逃げるように警視庁を飛び出して来たのがツイ二時間ばかり前なんだ。それから危ないと思ってここに来て、楽屋裏に隠れていたんだ。ウッカリ捕まると、芝居が見られなくなると思ったからね", "まあ。それでヤット訳がわかったわ。あのね、警察の人にはドンナ事があっても呉羽さんから聞いたって仰言っちゃ駄目よ", "勿論さ。轟さんから直接に聞いた事にするつもりだが、それでも今夜、この芝居を見たら直ぐにも大森署へ行ってみなくちゃならん。犯人にも会わなくちゃなるまいかとも思っているんだが、とにかくこの芝居の演出を見た上でないと、カイモク方針が立たないんだ", "どうして犯人がソンナにこの芝居を怖がるのでしょう。どうせ死刑になる覚悟なら、それより怖いものはない筈でしょうに……", "さあ。ソンナ事はむろん、わからないね", "それにしても今夜の場内スゴイわね。この中に生蕃小僧の人気が混っていると思うと、妾何だか気味が悪いわ。みんな死刑を見に来たような顔ばかり並んでいるようで……", "ウン。これが又、僕の心配の一つなんだ。あの広告じゃ、たしかにインチキの誇大広告だからね。第一ポオの原作っていうのからして大ヨタなんだから……僕が夢にも思い付かなかった作り事なんだからね。今夜の演出がわかったらキット興行差止を喰うにきまっている", "アラ。今夜のお芝居も駄目になるの", "イヤ。そんな事はないだろう。ドンナに無茶な芝居を演ったって、思想や風教や政治向に関係してない限り、その場で臨席の警官から差止められるような事は、今までに一度も例がないんだからね……問題は明日の芝居なんだが", "呉羽さんは今晩一晩でウント売上げようと思っていらっしゃるんじゃないの。罰金覚悟で……", "そうかも知れんね", "そんならトテモ凄い興行師じゃないの", "ウン。しかも、そればかりじゃないんだよ。あの女は世界に類例のない偉大な女優であると同時に、劇作と犯罪批評の天才だよ。……同時に悪魔派の詩人かも知れないがね", "あたし何だかドキドキして来たわ", "暑いからだろう", "イイエ。呉羽さんの天才が怖くなって来たのよ。ドンナ演出をなさるかと思って……" ], [ "あら。アレ寺本さんじゃない?", "ウム。以前はロッキー専属のテノルで相当のところだったよ", "いい声ね……" ], [ "ねえお兄様。イクラか書換えてあって?", "ウン。それが不思議なんだ。この幕は大体から見て僕が書下した通りなんだ。あんな大道具をどこに蔵って在ったんだろう……ただ柳仙夫婦の殺されの場がすこし違うようだね。あんな風に老人の柳仙が頭からダラダラ血を流して拝むところなんぞはなかったよ。キット睨まれると思ったからカゲにしておいたんだがね", "警察の人は来ているんでしょうか", "来ていても今晩は何も云わないのが不文律みたいになっているから大丈夫だよ。その代り明日になるとキット差止めるとか何とか威かして来るにきまっているんだ。もっとも呉羽さんは、それを覚悟の前で演ってるのかも知れないがね", "……でも轟さんと呉羽さんの前身だけは今の幕で想像が付くワケね", "ナアニ。みんな芝居だと思って見ているんだから、そんな余計な想像なんかしないだろう", "そうかしら……でもポオの原作なんて誰も思やしないわよ。あれじゃ……", "フフフ。黙ってろ。幕が開くから……オヤア……これあ西洋室だ……おれア日本室にしといた筈だが……", "……シッシッ……" ], [ "ありがとう御座います", "ああ。御苦労だった、お蔭でいい心持になった……ウム。それからなあ。きょうは久し振りに娘の三枝と一所に夕食を喰べるのじゃから、お前たちも来て一所に喰べてくれ" ], [ "ハハハ。嬉しいか", "ありがとう御座います", "おじさま。ありがと", "うむ。なかなか言葉が上手になったな。もう日本人と変らんわい。ハハハ。どうだい。お前たちは日本と朝鮮とドッチが好きかね", "僕日本の方が好きです", "何故日本が好きかね", "朝鮮には先生みたいに外国人を可愛がる人が居りません", "ハハハ。外国人はよかったな。美鳥はどうだい", "あたし豆満江がもう一ペン見とう御座いますわ", "うむうむ。その気持はわかるよ。あの時分はお前達と雪の中で、ずいぶん苦労したからなあ", "おじ様が毎日鮭を捕えて来て、あたし達に喰べさして下さいましたわね", "アハハハ。ところでお前たちは、あれから毎日毎日三枝と兄妹みたようにして暮して来ているが、これから後も、このおじさんに万一の事があった時に、今までの通りに仲よくして暮して行けるかね。参考のために聞いておきたいが……", "出来ます。僕、呉羽さん大好きです", "美鳥はどうだい", "わたくし……好きです……トテモ。ですけど……何だか怖おう御座いますわ", "ナニ怖い。どうして……" ], [ "怖いことなんかチットモないんだよ。アレは負けん気が強いし、小さい時から世の中のウラばかり見て来とるから、あんな風になったんだよ。ホントは実に涙もろい、純情の強い人間なんだよ", "呉羽さんはエライ女ですよ。何でも御存じですからね。悪魔派の新体詩だの、未来派の絵の批評が出来るんだから僕、驚いちゃった", "ウム。わしの感化を受けとるかも知れん。わしも元来は平凡な、涙もろい人間と思うが、あんまり早くエライ人間になろうと思うて、自分の性格を裏切った人生の逆コースを取って来たために、物の見え方や聞こえ方が、普通の人間と丸で違ってしもうた。悪魔のする事が好きで好きで叶わん性格になってしもうた。ハハハ。怖がらんでもええぞ美鳥……お前たち兄妹に対しては俺はチットモ悪魔じゃない。平凡な平凡な涙もろい人間だ……その平凡な平凡な人間に時々立帰ってホッと一息したいために、お前達を養っているのだ……イヤ詰まらん事を云うた。それじゃ又、晩に来なさい。夕飯の準備が出来たら女中を迎えに遣るから……", "おじさま……さようなら……", "先生……さようなら……", "ああ。さようなら……" ], [ "あら……お父様。お呼びになったの", "……うむ。こっちへお出で……", "……嬉しい。又、どこかのお芝居へ連れてって下さるの" ], [ "……オ……俺は、お前を一人前に育て上げてから、両親の讐仇を討たせようと思って、そればっかりを楽しみの一本槍にして、今日まで生きて来たんだ", "……まあ……そんな事……どうでもよくってよ。今までの通りに可愛がって下されば、あたしはそれでいいのよ", "……ウウ……そ……それは……その通りだ。……と……ところがこの頃になって……俺は……俺に魔がさして来たんだ。もちろん最初の目的は決して……決して忘れやしない。必ず……必ず貫徹させて見せる。生蕃小僧は、お前の一生涯の讐敵だから、この間お前が頼んだように、誰にもわからない処で、一番恐ろしい……一番気持のいい方法で讐敵を取らしてやる決心をして、現在、極秘密の中に、この家の地下室でグングン準備を進めているところだが………", "……アラッ……ホント……", "ホントウだとも。もっとも二……二三年ぐらいはかかる見込だがね。骨が折れるから……", "嬉しい。楽しみにして待っていますわ", "……と……ところがだ。この頃になったら、その上に……も……もう一つの別の目的が……オ……俺の心に巣喰い初めたのだ。そそ……その目的を押付けようとすればする程……その思いが募って……弥増して来て……もうもう一日も我慢が……で……出来なくなって来たんだ", "まあ。そのモウ一つの目的ってドンナ事?", "オ……俺は……お前をホントウに俺のものにしたくなったのだ。ああ……" ], [ "まあ。あなた馬鹿ね。あたし今でも貴方のものじゃないの。この上に妾にどうしろって仰言るの……", "ウ……嘘でもいいから……オ……俺の妻になったつもりで……俺に仕えてくれ", "あら。厭な人。あなた妾を恋して、いらっしゃるのね" ], [ "この次は真昼間、玄関から堂々と這入って来い。夜は却って迷惑だ", "卑怯な事をするんじゃあんめえな", "俺も轟九蔵だ。貴様はモウ暫く放し飼いにしとく必要があるんだ。今日は特別だが、これから毎月五百円宛呉れてやる。些くとも二三年は大丈夫と思え", "そうしていつになったら俺を片付けようというんだな", "それはまだわからん。貴様の頭から石油をブッ掛けて、火を放けて、狂い死させる設備がチャントこの家の地下室に出来かけているんだ。俺の新発明の見世物だがね……グラン・ギニョールの上手を行く興行だ。その第一回の開業式に貴様を使ってやるつもりだが……", "そいつは有り難い思い付きだね。しかし断っておくが、俺はいつでも真打だよ。前座は貴様か、貴様の娘でなくちゃ御免蒙るよ", "それもよかろう。しかしまだ見物人が居らん。一人頭千円以上取れる会員が、少くとも二三十人は集まらなくちゃ、今まで貴様にかけた経費の算盤が取れんからな。とにかく油断するなよ", "ハハハ。それはこっちから云う文句だ。貴様が金を持っている限り、俺は貴様を生かしておく必要があるんだ。俺はまだ自分の弗箱に手を挟まれる程、耄碌しちゃいねえんだからな……ハハンだ", "文句を云わずにサッサと帰れ。俺は睡いんだ" ], [ "ナ……何だ……何だ今頃……何か用か……", "ハイ。きょう……昼間にお願い致しました事の、御返事を聞かして頂きに参りましたの", "美鳥と結婚したいという話か", "ええ……貴方の眼から御覧になったら、飼って在る小鳥が、籠の中から飛出したがっている位の、詰まらないお話かも知れませんけども……妾……あたしこの頃、急にそうして、今までの妾の間違った生活を清算したくてたまらなくなりましたの", "ならん……そんな馬鹿な事は……俺の気持ちも知らないで……", "ホホ。お憤りになったのね。ホホ。それあ今日までの永い間の貴方のお志は何度も申します通り、よくわかっておりますわ。……ですけど……あたしだって血の通っている人間で御座いますからね。最初から貴方のお人形さんに生れ付いている犬猫とは違いますからね。もうもう今までのような間違った、不自然な可愛がられ方には飽き飽きしてしまいましたわ", "……カカ……勝手にしろ。馬鹿。俺のお蔭で生きているのが解らんか", "どうしても、いけないって仰言るの……", "ナランと云うたらナラン……" ], [ "オヤ。紙小刀が無い。鞘はここに在るんだが……お前知らんか……", "存じませんわ。ソンナもの……", "彼品はトレード製の極上品なんだ。解剖刀よりも切れるんだから無くなると危険いんだ。鞘に納めとかなくちゃ……", "よござんすわ。あたし、どうしても美鳥さんと結婚してみせるわ。キットこの家で美鳥さんに子守唄を唄わせて見せるわ", "……………………", "何と仰言ったって美鳥さんを逐出させるような残酷な事は、断じて、断じてさせないわ", "……勝手にしろッ。コノ出来損ないの……カカ片輪者の……ババ馬鹿野郎ッ……", "ネエ。いいでしょう……ねえ。ねえエ……あたしだってモウ……年頃なんですものオ……" ], [ "呉羽さん。相変らず綺麗ですなあ", "……………………", "私ゃこれで貴女の生命がけのファンなんだよ。ドンナに危い思いをしても、貴女の芝居ばっかりは一度も欠かした事はないし、ブロマイドだって千枚以上蓄めているんだぜ。ハハ", "……………………", "しかし、心配しなくともいいんだよ。どうもしやせんから……あっしはねえ……", "……………………", "あっしはね。モウ御存じかも知れんが、貴女や、その轟さんとは相当、古いおなじみなんだ。あっしを手先に使って、貴女の御両親を殺させた、その轟九蔵って悪党に古い怨恨があるんでね。タッタ今二千円をイタブッて出て行ったばっかりのところなんだが……どうも彼奴の呉れっぷりが美事なんでね。万一、警察へ密告やしめえかと思って、途中の自働電話から彼奴を呼出して、もう一度用事が出来たからと云っておいて、引返してみたら、約束しておいた玄関の扉が開かない。おかしいなと思って、ここへ来て様子を見ているうちに、何もかも見てしまったんだがね……ヘヘヘ……何も心配しなくたっていいんだよ。呉羽さん。ちょうど、あっしが思っていた通りの事をアナタが遣ってくんなすったんだから、お礼を云いてえくれえのもんだ。お蔭であっしも奇麗サッパリと思い残すことがなくなりましたよ。ヘヘヘ……どうも、ありがとうがんす", "……………………", "ヘヘヘ。だから万一あっしが検挙られたって、決して今夜の事あ口を割りやしません。アンタのしなすった事は、何もかもアッシが背負って上げます。ドウセ首が百在ったって足りねえ身体なんだからね。ハハハ", "……………………" ], [ "ハハハ。その代りにねお嬢さん。万が一にも、あっしが無事に逃走了せたら、どこかで、タッタ一度でもいいから、あっしの心を聞いて下さいよ……ね……", "……………………" ], [ "しかし、それあ、あっしみてえな人間にとっちゃ、及びもねえ事かも知れねえ。だから万一御用を喰っちまえあ、貴女の罪を背負って行くのがタッタ一つの楽しみでさ。ヘヘヘ。あっしみてえな人間の心あ貴女みてえな女でなくちゃあ理解ってもれえねえからな", "……………………" ], [ "芝居だ芝居だ", "スゴイスゴイ……", "ああ……たまらねえ" ], [ "……けれども皆様お聞き下さいまし。私は、こうして大罪を犯してしまいますと、今一度、夢から醒めたような気持になってしまいました。静かに自分自身を振り返る事が出来るようになりました。男性として眼醒めました私は、今度は男性としての良心に眼醒め初めたので御座います。私のような鬼とも獣とも、又は蛇だか鳥だかわかりませぬような性格の人間が、あの女神のように清らかな美鳥さんに恋をするのは間違っている。私のこの血腥い呼吸が、ミジンも曇りのないアノ美鳥さんのお顔にかかってはいけない。私のこの爛れ腐った指が、あの美鳥さんの清浄無垢の肉体にチョットでも触れるような事があってはならぬということを深く深く思い知りましたので、そうした私の心持を、ホンノ少しばかりでもいい、美鳥さんに理解って頂きたいばっかりに、このお芝居を思い付いたので御座います。……で御座いますからこのお芝居の終り次第に、私の持っておりますものの全部を、心ばかりの贐として、私の顧問を通じて美鳥さんに受取って頂く準備がモウちゃんと出来ているので御座います。……美鳥さんは私のこうした気持をキット受け入れて下さる事と信じます。そうしてあの可哀そうな殺人鬼、生蕃小僧の罪名が、すこしでも軽くなるように、心から世話して下さるに違いないと思います", "シバイダ……シバイダ……" ], [ "シバイダ……シバイダ……", "……バ馬鹿ッ……芝居じゃないゾッ……芝居じゃないんだぞッ……ト止めろッ……" ], [ "シバイダ……シバイダ……", "ドコマデモ徹底的な写実劇だ", "スゴイスゴイ深刻劇だ", "……バカ……そんなのないよ。怪奇心理劇てんだよコレア……", "ああスゴかった", "ステキだった", "あすこまで行こうたあ思わなかった" ] ]
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年10月22日第1刷発行 初出:「オール読物」    1935(昭和10)年9、10、11月号 ※冒頭の罫囲みには、底本では波罫が用いられています。 ※疑問点の確認に当たっては、「夢野久作全集5」三一書房、1975(昭和50)年6月15日第1版第4刷発行を参照しました。 入力:柴田卓治 校正:kazuishi 2001年7月24日公開 2012年10月14日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "地球は丸いものだから心配しなくてもいいよ。イクラ行ったって、おしまいにはキット日本へ帰り着くんだから", "ヘエ、誰か見た者がおりますかえ", "見なくたってわかっている。日本男児の癖に意気地が無えんだナお前は……。天草の女を御覧……世界が丸いか四角いか、わかりもしない娘ッ子の中から世界中を股にかけて色んな人種を手玉に取って、お金を捲上げちゃあ日本の両親の処へ送るんだ。大したもんだよソレア。世界中のどこの隅々に行っても天草女の居ない処は無いんだよ", "ヘエッ……成る程ねえ。そんなもんですかねえ", "まったくだよ。洋行するとわかる", "ヘエ、そんなに天草女ってものは大勢居るんもんですかねえ", "居るか居ないか知らないが、外国では炭坑でも、金山でも護謨林でも開けると器械より先に、まず日本の天草女が行くんだ。それからその尻を嗅ぎ嗅ぎ毛唐の野郎がくっ付いて行って仕事を初める。町が出来る。鉄道がかかるという順序だ。善い事でも悪い事でも何でも、皮切りをやるのはドッチミチ日本の女だってえから豪気なもんだよ。まったく思いがけない処でヒョイヒョイ天草女にぶつかるんだからね", "ヘエ。そんな女は、おしまいにドウなるんでしょうか", "それアキマリ切っている。その中に世界の丸いことがホントウにわかって来ると、そこで一人前の女になって日本へ帰って来て、チャンと普通の結婚をするんだ。又……それ位の女でないと天草では嬶に招び手が無い事になっているんだから仕方がない", "嫁入道具に地球儀を持ってくようなもんですね", "まあソンナもんだ。だから天草には、世界の丸いことがわからないと洋行出来ないナンテ意気地の無い女は一匹も居ないんだよ" ], [ "おれあドウしてもわからねえ", "何がわからねえ", "世界が丸いてえ理窟が……", "馬鹿だな手前は……イクラ云って聞かせたってわからねえ。台湾へ渡った時にヤットわかったって安心してたじゃねえか", "それはお前だけだ。俺あアレからチットモ安心していねえんだ。不思議でしようがねえんだ", "何が不思議だえ", "だって考えても見ねえ。あの地球儀みてえなマン丸いものの上にドウしてコンナに水が溜まっているんだえ……。おまけに大きな浪が打ってるじゃねえか……ええ……" ], [ "わかりましたか。仕事しますか", "何をッ" ], [ "貴女……お聞きになりましたか、あのホテルのお化けの話を……", "イイエ。まだ聞きませんわ。聞かして頂戴", "一週間ばかり前からの事です。真夜中の二時頃……電車の絶まる頃になるとあのホテルの屋上庭園のマン中に在る旗竿の処へフロッキコートを着た日本人の幽霊が出るんです。ホラ直ぐそこに若いスマートな男と、赤っ鼻の禿頭が立っているでしょう。あの通りの姿で幽霊が出て来て、あの通りの事を云うんだそうです", "アラ怖い……ホント……", "ホントですとも……それがあの新聞に出た行方不明の……ホラ……ずっと前に来た時にあすこに立っていたでしょう。ミスタ・ハルコーっていうあの男の姿にソックリなんだそうです", "まあ……ホテルじゃ困っているでしょうねえ", "ところが反対ですよ。お蔭で屋上庭園に行く者は一人も居なくなった代りに、その声を聞きに行く者であのホテルは一パイなんだそうです。警察ではまだ知らないそうですが、あの日本人の行方不明事件はあのホテルと台湾館とが組んでやっている日本人一流の宣伝方法に違いないってミンナ云っておりますがね", "シッ聞えるわよ。日本人に……", "ナアニ。彼奴等は英語がわかりやしません。暗記した事だけを繰り返している忠実な奴隷なんですから……" ] ]
底本:「夢野久作全集6」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年3月24日第1刷発行 ※底本の「腸詰《ソーセージ》にに」を、「腸詰《ソーセージ》に」に改めました。 入力:柴田卓治 校正:土屋隆 2004年1月5日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "満洲に這入ると直ぐに憲兵司令に命じまして、彼奴を国境脱出者と見做して手酷しく責めてみましたが、弱々しい爺の癖にナカナカ泥を吐きません", "旅券を持っていなかったのか", "持っておりましたが私がその前に掏り取っておいたのです。古い手ですが……旅券は完全なもので、東京××大使館雇員を任命されて新に赴任する形式になっております。ここに持っておりますが", "買収してみたかい", "テンデ応じませんし、ホントウに何も知らないらしいのです。仕方がありませんから××領事へ紹介して旅券の再交付をして立たせましたが、チットも怪しむべき点はありません", "そんな事だろうと思った。大抵の奴なら君の手にかかれば一も二もない筈だがね", "それがホントウに何も知らないらしいのです。ただタイプライターが上手で、日本文字に精通しているというだけの爺としか見えませんから、仕方なしに××領事の了解を経てコチラへ立たせた訳ですが、しかし、どう考えても怪しい気がしてなりませんので取敢えず閣下に彼奴の写真をお送りしておいて、ここまでアトを跟けて来た訳ですが……", "ウム。君の着眼は間違いない。彼奴は密使に相違ないと僕も思う。この頃、欧洲の時局が緊張して、露独の国境が険悪になったので、露国は満蒙、新疆方面にばかり力を入れる訳に行かぬ。じゃから遠からず東亜の武力工作をやめて、赤化宣伝工作に移るに違いないのじゃ。露国が一番恐れているのは日本の武力でもなければ、科学文化の力でもない。日本人の民族的に底強い素質じゃ。三千年来その良心として死守し、伝統して来た忠君愛国の信念じゃからのう。コイツを赤化してしまえば、東洋諸国は全部露西亜のものと彼等は確信しているのじゃからのう", "成る程", "その赤化宣伝工作に関する重大なメッセージか何かを、彼奴がどこかに隠して持って来ているに違いないのじゃが……", "昏睡させておいて鞄は勿論彼奴の旅行服の縫目から、フェルト帽から、カンガルー靴の底まで念入りに調べましたが疑うべき点は一つも御座いません。ただ一つ……", "何だ……", "ただ一つ……", "何がタダ一つだ……", "あの老人を哈爾賓から見送って来た朝鮮人が、下関駅でタッタ今電報を打ちました。銀座尾張町のレコード屋の古川という男に打ったものですが……", "ウムウム。あの男なら監視させておるから大丈夫じゃが……その電文の内容は……", "レコード着いた。富士に乗る……というので……", "しめたぞッ……それでええのじゃ" ], [ "ハハハ。イヨイヨ人間レコードを使いおったわい", "エッ……人間レコード……", "ウム。露西亜で発明された人間レコードじゃ。本人は何一つ記憶せんのに脳髄にだけ電気吹込みで、複雑な文句を記憶させるという医学上の新発見を応用した人間レコードというものじゃ。ずっと以前からネバ河口の信号所の地下室で作り出して欧羅巴方面の密使に使用しておったものじゃが、この頃日本の機密探知手段が極度に巧妙になって来たのでヤリ切れなくなって使い始めたものに違いない。事によると今度が皮切りかも知れんて……", "人間レコード……人間レコード……", "ウム" ], [ "フン。ここまで来れば東京まで一直線だからね。人間レコードだと思って安心していやがる", "エッ。人間レコード……" ], [ "ウン。この爺が人間レコードなんだよ。アンマリ度々人間レコードに使われるもんだからコンナに瘠せ衰えているんだ", "人間レコード……" ], [ "ヘイ。お待遠さま", "アリガト" ], [ "何か聞こえるかい", "ええ。あの爺のイビキの声が聞こえます。すこしイビキの調子が変ったようです", "コードの連絡の工合はいいな", "ええ上等です。あの豆電燈のマイクロフォンも、この部屋へ連絡している人絹コードも僕の新発明のパリパリですからね", "ウン。今度のことがうまく行けばタンマリ貰えるぞ", "ええ。僕は勲章が欲しいんですけど……", "ハハ。今に貰ってやらあ……オット……モウ十分間過ぎちゃったぞ。それじゃもう一回注射して来るからな……録音器は大丈夫だろうな", "ええ。一パイの十キロにしておきました。心配なのは鞄の内側の遮音装置だけです", "ウム。毛布でも引っかけておけ。モトの通りに荷物を積んどけよ", "聞いちゃいけないんですか。人間レコードの内容を……", "ウン。仕方がない。こっちへ来い", "モウ小郡に着きますよ", "構うものか。五分間停車ぐらい‥‥" ], [ "今のも録音機のフイルムに感じたろうか", "感じてます。器械を列車の蓄電池と繋ぎ合わせて開け放していますから……まだ五十分ぐらいはフイルムが持ちますよ。今の貴方の声だって這入ってますよ", "フフフ……" ], [ "僕にも一本下さいな", "馬鹿。フイルムに感じちゃうぞ", "構いませんから下さい", "手前。持ってるじゃないか", "バットなら持ってます。貴方のは露西亜巻でしょう", "よく知ってるな。ハハア。匂いでわかったナ", "イイエ。見てたんです。さっき注射なすった時にあの爺のパジャマのポケットから……", "シッ。フフフ……" ], [ "片山潜の口調だよ。これあ……", "エッ片山潜……", "そうだ。日本で××××運動をやって露西亜へ逃込んだ今年七十か八十ぐらいの老闘士だ。今東洋方面の宣伝係長みたいなものをやっている。彼奴の声だよ、これあ", "どうしてわかります", "この前コイツの宣伝レコードが日本に紛れ込んだ事がある。そいつを機密局の地下室で聞かせてもらったことがあるが、声までソックリだよ。人間レコードって恐ろしいもんだね", "呆れた爺ですね。その片山って爺は……", "ウン。あんまり学問をし過ぎちゃって頭が普通でなくなっているんだよ。医学上でヒポマニーという精神病だがね。普通の人間以上のことをしていなくちゃ生きていられないようになっているんだ。そいつを知らないもんだから日本の×の連中は片山潜といったら神様みたいに思っているんだ。ソイツを利用してソビエットが宣伝に使っているんだ", "つまりこの声をレコードに移して、片山潜の肉声だと云って配るんですね", "そのつもりらしいね。非道い真似をしやがる" ], [ "何だ。お前、ふるえてるじゃないか", "ふるえてやしません。ソビエット帝国主義の宣伝の狡猾さが癪に触っているだけです", "アハハ。ソビエット帝国主義はよかったナ。この宣伝に欺されてうっかりソビエットの治下に這入ったら最後、その国の労働者農民は、今のソビエットと同様に、運の尽きだからね。資本主義の国が人民から搾るものはお金だけ……ところがソビエット主義が人民から搾り取るものは血から涙から魂のドン底までと云っていいんだからね", "しかし支那人は直ぐにソビエット主義に共鳴するでしょう", "ウン。非常な共鳴のし方だ。ドエライ勢で新疆方面に拡がっているが、しかし支那人の考えている共産主義は、ホントウのソビエット主義とはすこし違うんだよ", "ヘエ。ドンナ風に違うんですか", "ホントの共産主義は要するに『他人のものは我が物。わが物は他人のもの』というんだろう", "そうですね。まあそうですね", "ところが支那人のは違うんだ。『他人の物は我が物。我が物は我が物』というんだから", "アハハハハ", "ワハッハッハッハッ", "シッ……フイルムに残りますよ", "……オヤ……。人間レコードが黙り込んだね。モウ済んだんじゃないかな", "さあ、どうでしょうか。フイルムは三田尻まで大丈夫持ちますよ" ], [ "号外号外。号外号外。号外号外。東都日報号外。吾外務当局の重大声明。ソビエット政府に対する重大抗議の内容。外交断絶の第一工作……号外号外", "号外号外。売国奴古川某の捕縛号外。ソビエット連絡係逮捕の号外。号外号外。夕刊電報号外号外" ], [ "ト……飛んでもない。わ……私は人間レコードです。ど……どうしてメッセージの内容を……知っておりましょう", "黙れ。知っていたに違いない。それを知らぬふりをして日本に売ったに違いない。タッタ一人残っている日本人の連絡係の名前と一緒に……", "ワッ……" ], [ "まあ。どうしたの。アンタ", "ナアニ。レコードを一枚壊したダケだよ。ハッハッハ" ], [ "馬鹿に早く手をまわしたもんですね", "ナアニ。昨夜の録音フイルムが、徳山から海軍飛行機に乗って大阪まで飛んで行く中に現像されると、そのまま夜の明けない中に東京に着いたんだよ。あの録音の後の方に在った英国、露西亜、支那の三国密約の内容を聞いたので外務省が初めて決心が出来たんだ。大ビラで売国奴の名を付けて古川某を引括る事が出来たんだ。みんな予定の行動だったのだよ。徳山と岡山と、広島と姫路にはそれぞれ水上飛行機が待機していたんだよ。今頃はモウ露満国境の守備兵が動き出しているだろう" ], [ "君の発明したオモチャが大した働きをした訳だよ。勲章ぐらいじゃないと思うね", "……でも僕は気味が悪かったですよ。途中で怖くなっちゃったんです。あの人間レコードの声を聞いた時に……人間レコードって一体何ですかアレは……" ], [ "イイかい。絶対秘密だよ", "大丈夫です" ], [ "ヘエ。その薬を貴方が発明したんですか", "発明なんか出来るもんじゃない。盗んだんだよ。ペトログラードのネバ河口に在る信号所の地下室にこの人間レコード製造所が在ることを日本の機密局では大戦以前から知っていて、苦心惨憺して、その遣り方を盗んでおいたんだ。ところが露国は今まで、日本に対してだけこの手段を使ったことがない。つまり取っときにしといたのを今度初めて使いやがったんだ。一番重大なメッセージだからね", "何故取っときにしたんでしょう", "日本の医学は世界一だからね。怖かったんだよ。その上に人間レコードに度々なる奴は、なればなる程、注射がよく利いて、レコードの作用がハッキリなる代りに、薬の中毒で妙な顔色になって瘠せ衰えるんだ。気を付けていると直ぐに普通の人間と見分けが付くんだ", "つまりアノ爺みたいになるんですね", "そうだよ。永い事、和蘭に居た若島中将閣下は哈爾賓から飛行機で来たあの爺の写真を見ただけで、テッキリ人間レコードということがわかったという位だからね", "若島中将……誰ですか。若島中将って……", "日本の機密局長さ。支那服を着た立派な人だがね。僕等の親玉なんだ。君を海軍兵学校に入れてやるというのはその人さ……" ], [ "でもあの小ちゃな爺さんは気の毒ですね", "気の毒ぐらいじゃない。きょうの号外を見たら××大使に殺されやしまいかと思うんだがね。裏切者という疑いで……", "エッ。殺されるんですか。何も知らないのに……", "殺されるとも。ソビエットの唯物主義の奴等は血も涙もないんだからね。政治外交上の問題で少しでも疑わしい奴は片っ端から殺して行くのが奴等の方針だよ", "残酷ですなあ", "ナアニ。レコードを一枚壊すくらいにしか思ってやしないだろう。ハハハ" ] ]
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年10月22日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:しず 2001年3月29日公開 2006年2月24日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "……まあ……アナタ御存じないの", "知るもんか。あんな奴……", "あら嫌だ。昨夜、貴方が親友親友って言って連れて来て、二階でお酒をお飲みになったじゃないの。そうして仲よく抱き合ってお寝みになったじゃないの", "馬鹿言え。俺あ今朝初めて見たんだ" ], [ "まったく御存じないの", "ウン。全く……" ], [ "困るわねえ。貴方にも……まだ寝ているんでしょう", "ウン。眼をウッスリと半分開いて、気持よさそうに口をアングリしていやがる", "気色の悪い。早く起してお遣んなさいよ。モウ十時ですよ", "イヤ。俺が起しに行っちゃ工合が悪い。お前、起して来い", "嫌ですよ。馬鹿馬鹿しい", "でもあいつが起きなきゃあ、俺が二階へ上る事が出来ない。洋服も煙草も二階へ置いて来ちゃったんだ", "困るわねえ", "弱ったなア" ], [ "よかったわね、ホホホホ", "アハハハ。ああ助かった。奴さん気まりが悪かったんだぜ", "それよりも早く二階へ行って御覧なさいよ。何かなくなってやしないこと……" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「モダン日本 6巻2号」    1935(昭和10)年2月 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月23日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "046701", "作品名": "呑仙士", "作品名読み": "ノンセンス", "ソート用読み": "のんせんす", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「モダン日本 6巻2号」1935(昭和10)年2月", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-08-23T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card46701.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集7", "底本出版社名1": "三一書房", "底本初版発行年1": "1970(昭和45)年1月31日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年2月29日第12刷", "校正に使用した版1": "1985(昭和60)年5月15日第1版第8刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "川山隆", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46701_ruby_27669.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46701_27715.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "イヤ。ソンナ事は出来ん。向うに誠意がなくとも、こっちには責任があるからなア。……ところで仕事はまだ沖の方で遣るのか", "ええもうじきです、しかし暫く器械の音を止めてからでないと鯖は浮きません。どっちみち船から見えんくらい遠くに離れて仕事をするんですからこっちへ入らっしゃい。大切な御相談があるのです……どうぞ……先生……お願いですから……", "馬鹿な事を云うな。行けんと云うたら行けん。それよりもなるべく船の近くで遣るようにしろ。器械の方はいつでも止めさせるから……", "器械はコチラから止めさせます。どうぞ先生……" ], [ "……帰ろう帰ろう。風邪を引きそうだ……", "船長を呼べ船長を呼べ……" ], [ "……何ですって……帰るんですって……いけませんいけません。まだ仕事があるんです", "……ナンダ……何だ貴様は……水夫か……", "この船の運転士です。……船の修繕はもうスッカリ出来上っているんですから、済みませんがモウ暫く落付いていて下さい。これから屍体の捜索にかかろうというところですからね", "……探してわかるのか……", "……わからなくたって仕方がありません。行方不明の屍体を打っちゃらかして、日の暮れないうちに帰ったら、貴方がたの責任問題になるんじゃないですか。……モウ一度探しに来るったって、この広ッパじゃ見当が付きませんよ" ], [ "……何ですか貴方は……芸妓なんぞドウでもいいたあ何です", "……バカア……好色漢……そんな事を云うたて雛妓は惚れんぞ……", "……惚れようが惚れまいがこっちの勝手だ。フザケやがって……芸妓だって同等の人間じゃねえか。好色漢がドウしたんだ……手前等あ役人の癖に……" ], [ "……何だ……貴様は社会主義者か……", "……篦棒めえ人道主義者だ……このまんま帰れあ死体遺棄罪じゃあねえか。不人情もいい加減にするがいい……手前等あタッタ今までその芸妓を……", "黙れ黙れッ。貴様等の知った事じゃない。吾々が命令するのだ。帰れと云ったら帰れッ……", "……ヘン……帰らないよ。海員の義務って奴が在るんだ。芸妓だろうが何だろうが……", "……馬鹿ッ……反抗するカッ……" ], [ "……エヘン……吾輩は多分、終身懲役か死刑になるでしょう。君等のお誂え向きに饒舌ればね……ウッカリすると社会主義者の汚名を着せられるかも知れないが、ソレも面白いだろう。日本民族の腸が……特に朝鮮官吏の植民地根性が、ここまで腐り抜いている以上、吾輩がタッタ一人で、いくらジタバタしたって爆弾漁業の勦滅は……", "……黙り給えッ……司直に対して僭越だぞ……", "何が僭越だ。令状を執行されない以上、官等は君等の上席じゃないか……" ], [ "……そ……それじゃ丸で喧嘩だ。まあまあ……", "……喧嘩でもいいじゃないか。こっちから売ったおぼえはないが、ドウセ友吉おやじの鬱憤晴らしだ", "……そ……そんな事を云ったらアンタの不利になる……", "……不利は最初から覚悟の前だ。出る処へ出た方がメチャメチャになって宜い……", "……だ……だからその善後策を……", "何が善後策だ。吾輩の善後策はタッタ一つ……漁民五十万の死活問題あるのみだ。お互いの首の五十や六十、惜しい事はチットモない。真相を発表するのは吾輩の自由だからね", "そ……それでは困る。御趣旨は重々わかっているからそこをどっちにも傷の附かんように、胸襟を開いて懇談を……", "それが既に間違っているじゃないか。死んだ人間はまだ沖に放りっ放しになっているのに何が善後策だ。その弔慰の方法も講じないまま自分達の尻ぬぐいに取りかかるザマは何だ。況んや自分達の失態を蔽うために、孤立無援の吾輩をコケ威しにかけて、何とか辻褄を合わさせようとする醜態はどうだ", "……………", "ソッチがそんな了簡ならこっちにも覚悟がある。……憚りながら全鮮五十万の漁民を植え付けて来た三十年間には、何遍、血の雨を潜ったかわからない吾輩だ。骨が舎利になるともこの真相を発表せずには措かないから……", "……イヤ。その御精神は重々、相わかっております。誤解されては困ります。爆弾漁業の取締りに就いて今後共に一層の注意を払う覚悟でおりますが、しかし、それはそれとしてとりあえず今度の事件だけに就いての善後策を、今日、この席上で……" ], [ "……待って下さい。その交換条件ならこっちから御免を蒙りましょう。陛下の赤子、五十万の生霊を救う爆弾漁業の取締りは、誰でも無条件で遣らなければならぬ神聖な事業ですからね。今後、絶対に君等のお世話を受けたくない考えでいるのです。……ですから君等の職権で、勝手な報告を作って出されたらいいでしょう。……吾輩は忙がしいからこれで失礼する", "……まあまあ……そう急き込まずと……", "いいや失敬する。安閑と君等の尻拭いを研究している隙はない。……何よりも気の毒なのは死んだ二人の芸者だ。林友吉や、お互いの災難は一種の自業自得に過ぎないが、芸妓となるとそうは行かん。何も知らないのに巻添えを喰わされたばかりじゃない。面倒臭いといって沖に放り出されて鯖の餌食にされたんだから、気の毒も可愛想も通り越している。君等には関係のない事かも知れんが、これから行って大いに弔問してやらなくちゃならん。……もっとも今更、線香を附けてやったって成仏出来まいとは思うがね。ハッハッハッハッハッ……" ], [ "……ハハア……それは惜しい事じゃったなあ。あの子供の親孝心には拙者も泣かされたものじゃったが……その肉を拙者がアルコール漬にして保存しておきたかったナ。広瀬中佐の肉のアルコール漬がどこぞに保存して在るという話じゃが……ちょうど忠孝の対照になるからのう……", "飛んでもない。役人に見せたら忠と不忠の対照でさあ。僕を社会主義者と間違える位ですからね……ハハハハ……", "ウン……間違えたと云やあ思い出すが、吾輩に一つ面目ない話があるんだ。あんまり面目ないから今まで誰にも話さずにいたんだが……ホラ……吾輩と君とで慶北丸の横ッ腹を修繕してしまうと、君は直ぐに綱にブラ下ってデッキに引返したろう。吾輩は沖の水舟を拾うべく、抜手を切って泳ぎ出した……あの時の話なんだ。実際、この五十余年間にあの時ぐらい、ミジメな心理状態に陥った事はなかったよ", "……ヘエ。溺れかかったんですか", "……馬鹿な……溺れかかった位なら、まだ立派な話だがね……", "……ヘエッ。どうしたんですか……", "……その小舟に泳ぎ付く途中で、何だか判然らないものが水の中から、イキナリ吾輩の左足にカジリ付いたんだ。ピリピリと痛いくらいにね", "……ヘエ。何ですかそれは……", "何だかサッパリわからなかったが、ちょうどアノ辺に鱶の寄る時候だったからね。ここへ来たら大変だぞ……と泳ぎながら考えている矢先だったもんだから仰天したよ。咄嗟の間にソレだと思って狼狽したらしい。ガブリと潮水を呑まされながら、死に物狂いに蹴放して、無我夢中で舟に這い上ると、ヤット落付いてホッとしたもんだが……", "……結局……何でしたか……それあ……", "……ウン。それから釜山の事務所に帰って、銭湯に飛込むと、何か知らピリピリと足に泌みるようだから、おかしいなと思い思い、上框の燈火の下に来てよく見ると……どうだ。その左の足首の処に女の髪が二三本、喰い込むようにシッカリと巻き付いて、シクリシクリと痛んでいるじゃないか……しかも、そいつを抓み取ろうとしても、肉に喰い込んでいてナカナカ取れない。……吾輩、思わずゾッとして胸がドキンドキンとしたもんだよ。多分、水面下でお陀仏になりかけていた芸者の髪の毛だったろうと思うんだが、今思い出しても妙な気持になる。……女という奴は元来、吾輩の苦手なんだがね。ハハハハ……" ] ]
底本:「夢野久作全集6」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年3月24日第1刷発行 底本の親本:「氷の涯」春秋社    1935(昭和10)年5月15日発行 ※底本の「名画の屏風《じょうぶ》」を、「名画の屏風《びょうぶ》」に改めました。 入力:柴田卓治 校正:土屋隆 2003年12月13日作成 2005年5月21日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "どこへ行くんだ", "鼻の向いた方へ" ], [ "あなたの御蔭で私は起死回生の思いを致しました。御鴻恩は死んでも忘却致しませぬ", "どう致しまして。畢竟あなたの御運がいいので……何しろ結構で御座いました" ], [ "アノ……では……又", "アラまあお宜しいじゃ御座いませんか" ], [ "おれがこんなにお百度を踏むのに、彼奴は何だって賛成しないのだろう", "妾がこれだけ口説いているのに、あの旦突は何故身請してくれないのだろう", "親仁はどうして僕を信用してくれないんだろう", "彼奴威かしても知らん顔していやがる" ] ]
底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年12月3日第1刷発行 ※41字詰めの底本で、天地全角空けて、39倍で組まれてれている「…」は、20倍で入力しました。 入力:柴田卓治 校正:小林徹 2004年10月30日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002145", "作品名": "鼻の表現", "作品名読み": "はなのひょうげん", "ソート用読み": "はなのひようけん", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2004-11-13T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2145.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集11", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年12月3日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年12月3日第1刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "小林徹", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2145_ruby_16613.zip", "テキストファイル最終更新日": "2004-10-30T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2145_16835.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2004-10-30T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "××麦酒会社万歳……九州日報万歳……", "ボールは子供の土産に貰って行きまアス" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「モダン日本 6巻8号」    1935(昭和10)年8月 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月23日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "046711", "作品名": "ビール会社征伐", "作品名読み": "ビールがいしゃせいばつ", "ソート用読み": "ひいるかいしやせいはつ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「モダン日本 6巻8号」1935(昭和10)年8月", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-08-23T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card46711.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集7", "底本出版社名1": "三一書房", "底本初版発行年1": "1970(昭和45)年1月31日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年2月29日第12刷", "校正に使用した版1": "1985(昭和60)年5月15日第1版第8刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "川山隆", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46711_ruby_27670.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46711_27716.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "ハハア。夢ですか。エヘヘヘヘ。それじゃもしや足の夢を御覧になったんじゃありませんか", "エッ……" ], [ "ハッハッハッ。驚いたもんでしょう。千里眼でしょう。多分そんな事だろうと思いましたよ。さっきから左足を伸ばしたり縮めたりして歩く真似をしていなすったんですからね。ハッハッハッ。おまけにアブナイなんて大きな声を出して……", "……………" ], [ "ハッハッ。実は私もそんな経験があるんですよ。この病院で足を切ってもらった最初のうちは、よく足の夢を見たもんです", "……足の夢……" ], [ "そうなんです。足を切られた連中は、よく足の夢を見るものなんです。それこそ足の幽霊かと思うくらいハッキリしていて、トッテモ気味がわるいんですがね", "足の幽霊……", "そうなんです。しかし幽霊には足が無いって事に、昔から相場が極っているんですから、足ばかりの幽霊と来ると、まことに調子が悪いんですが……もっともこっちが幽霊になっちゃ敵いませんがね。ハッハッハッ……" ], [ "実は私も、あんまり不思議なので、そん時院長さんに訊いたんですが、何でも足の神経っていう奴は、みんな背骨の下から三つ目とか四つ目とかに在る、神経の親方につながっているんだそうです。しかもその背骨の中に納まっている、神経の親方ってえ奴が、片っ方の足が無くなった事を、死ぬが死ぬまで知らないでいるんだそうでね。つまりその神経の親方はドコドコまでも両脚が生れた時と同様に、チャンとくっ付いたつもりでいるんですね。グッスリと寝込んでいる時なんぞは尚更のこと、そう思っている訳なんですが……ですから切られた方の神経の端ッコが痛み出すと、その親方が、そいつをズット足の先の事だと思ったり、膝っ節の痛みだと感違いしたりするんだそうで……むずかしい理窟はわかりませんが……とにかくソンナ訳なんだそうです。そのたんびにビックリして眼を醒ますと、タッタ今痛んだばかしの足が見えないので、二度ビックリさせられた事が何度あったか知れません。ハハハハハ", "……僕は……僕はきょう初めてこんな夢を見たんですが……", "ハハア。そうですか。それじゃモウ治りかけている証拠ですよ。もうじき義足がはめられるでしょう", "ヘエ。そんなもんでしょうか", "大丈夫です。そういう順序で治って行くのが、オキマリになっているんですからね……青木院長が請合いますよ。ハッハッハ", "どうも……ありがとう", "ところがですね……その義足が出来て来ると、まだまだ気色のわりい事が、いくらでもオッ始まるんですよ。こいつは経験の無い人に話してもホントにしませんがね。大連みたような寒い処に居ると、義足に霜やけがするんです。ハハハハハ。イヤ……したように思うんですがね。……とにかく義足の指の先あたりが、ムズムズして痒くてたまらなくなるんです。ですから義足のそこん処を、足袋の上から揉んだり掻いたりしてやると、それがチャント治るのです。夜なぞは外した義足を、煖房の這入った壁に立てかけて寝るんですが、大雪の降る前なぞは、その義足の爪先や、膝っ小僧の節々がズキズキするのが、一間も離れた寝台の上に寝ている、こっちの神経にハッキリと感じて来るんです。気色の悪い話ですが、よくそれで眼を覚まさせられますので……とうとうたまらなくなって、夜中に起き上って、御苦労様に義足をはめ込んで、そこいらと思う処へ湯タンポを入れたりしてやると、綺麗に治ってしまいましてね。いつの間にか眠ってしまうんです。ハハハハ。馬鹿馬鹿しいたって、これぐらい馬鹿馬鹿しい話はありませんがね", "ハア……つまり二重の錯覚ですね。神経の切り口の痛みが、脊髄に反射されて、無い処の痛みのように錯覚されたのを、もう一度錯覚して、義足の痛みのように感ずるんですね" ], [ "熱があるのですか", "大いにあるんです。ベラ棒に高い熱が……", "風邪でも引いたんですか", "お気の毒様……あなたに惚れたんです。おかげで死ぬくらい熱が……", "タント馬鹿になさい", "アハハハハハハハハ" ], [ "……オットオット……チョットチョット。チョチョチョチョチョチョット……", "ウルサイわねえ。何ですか。尿器ですか", "イヤ。尿瓶ぐらいの事なら、自分で都合が出来るんですが……エエ。その何です。チョットお伺いしたいことがあるんです", "イヤに御丁寧ね……何ですか", "イヤ。別に何てこともないんですが……あの……向うの特別室ですね", "ハア……舶来の飛び切りのリネンのカーテンが掛かって、何十円もするチューリップの鉢が、幾つも並んでいるのが不思議と仰有るのでしょう", "……そ……その通りその通り……千里眼千里眼……尤もチューリップはここから見えませんがね。あれは一体どなた様が御入院遊ばしたのですか", "あれはね……" ], [ "あれはね……青木さんがビックリする人よ", "ヘエ――ッ。あっしの昔なじみか何かで……", "プッ。馬鹿ねアンタは……乗り出して来たって駄目よ。そんな安っぽい人じゃないのよ", "オヤオヤ……ガッカリ……", "それあトテモ素敵な別嬪さんですよ。ホホホホホ……。青木さん……見たいでしょう", "聞いただけでもゾ――ッとするね。どっかの筥入娘か何か……", "イイエ。どうしてどうして。そんなありふれた御連中じゃないの", "……そ……それじゃどこかの病院の看護婦さんか何か……", "……プーッ……馬鹿にしちゃ嫌よ。勿体なくも歌原男爵の未亡人様よ", "ゲ――ッ……あの千万長者の……", "ホラ御覧なさい。ビックリするでしょう。ホッホッホ。あの人が昨夜入院した時の騒ぎったらなかってよ。何しろ歌原商事会社の社長さんで、不景気知らずの千万長者で、女盛りの未亡人で、新聞でも大評判の吸血鬼と来ているんですからね", "ウ――ン。それが又何だってコンナ処へ……", "エエ。それが又大変なのよ。何でもね。昨日の特急で、神戸の港に着いている外国人の処へ取引に行きかけた途中で、まだ国府津に着かないうちに、藤沢あたりから左のお乳が痛み出したっていうの……それでお附きの医者に見せると、乳癌かも知れないと云ったもんだから、すぐに自動車で東京に引返して、旅支度のまんま当病院へ入院したって云うのよ", "フ――ン。それじゃ昨夜の夜中だな", "そうよ。十二時近くだったでしょう。ちょうど院長さんがこの間から、肺炎で寝ていらっしゃるので、副院長さんが代りに診察したら、やっぱし乳癌に違いなかったの。おまけに痛んで仕様がないもんだから、副院長さんの執刀で今朝早く手術しちゃったのよ。バンカインの局部麻酔が利かないので、トウトウ全身麻酔にしちゃったけど、それあ綺麗な肌だったのよ。手入れも届いているんでしょうけど……副院長さんが真白いお乳に、ズブリとメスを刺した時には、妾、眼が眩むような思いをしたわよ、乳癌ぐらいの手術だったら、いつも平気で見ていたんだけど……美しい人はやっぱし得ね。同情されるから……", "フ――ム、大したもんだな。ちっとも知らなかった。ウ――ム", "アラ。唸っているわよこの人は……イヤアね。ホホホホホホ", "唸りゃしないよ。感心しているんだ", "だって手術を見もしないのにサア……", "一体幾歳なんだえその人は……", "オホホホホホ。もう四十四五でしょうよ。だけどウッカリすると二十代ぐらいに見えそうよ。指の先までお化粧をしているから……", "ヘエ――ッ。指の先まで……贅沢だな", "贅沢じゃないわよ。上流の人はみんなそうよ。おまけに男妾だの、若い燕だのがワンサ取り巻いているんですもの……", "呆れたもんだナ。そんなのを連れて入院したんかい", "……まさか……。そんな事が出来るもんですか。現在附き添っているのは年老った女中頭が一人と、赤十字から来た看護婦が二人と、都合四人キリよ", "でもお見舞人で一パイだろう", "イイエ。玄関に書生さんが二人、今朝早くから頑張っていて、専務取締とかいう頭の禿た紳士のほかは、みんな玄関払いにしているから、病室の中は静かなもんよ。それでも自動車が後から後から押しかけて来て、立派な紳士が入れ代り立ち代り、名刺を置いては帰って行くの", "フ――ン、豪気なもんだナ。ソ――ッと病室を覗くわけには行かないかナ", "駄目よ。トテモ。妾達でさえ這入れないんですもの………。あの室に這入れるのは副院長さんだけよ", "何だってソンナに用心するんだろう", "それがね……それが泥棒の用心らしいから癪に障るじゃないの。威張っているだけでも沢山なのにサア", "ウ――ム。シコタマ持ち込んでいるんだな", "そうよ。何しろ旅支度のまんまで入院したんだから、宝石だけでも大変なもんですってサア", "そんな物あ病院の金庫に入れとけあいいのに……", "それがね。あの歌原未亡人っていうのは、日本でも指折りの宝石キチガイでね。世界でも珍らしい上等のダイヤを、幾個も仕舞い込んだ革のサックを、誰にもわからないように肌身に着けて持っているんですってさあ", "厄介な道楽だナ。しかし、そんなものを持っている事がどうしてわかったんだ", "それがトテモ面白いのよ。誰でも全身麻酔にかかると、飛んでもない秘密をペラペラ喋舌るもの………っていう事を歌原未亡人は誰からか聞いて知っていたんでしょう。副院長さんが、それでは全身麻酔に致しますよって云うと直ぐにね。懐の奥の方から小さな革のサックを出して、これを済みませんが貴方の手で、病院の金庫に入れといて下さいって云ったのよ。そうして全身麻酔にかかると間もなく、そのサックの中の宝石の事を、幾度も幾度も副院長に念を押して聞いたのでスッカリ解っちゃったのよ", "フ――ン。じゃ副院長だけ信用されているんだナ", "ええ。あんな男前の人だから、未亡人の気に入るくらい何でもないでしょうよ", "ハハハハハ嫉いてやがら……", "嫉けやしないけど危いもんだわ", "何とかいったっけな。エート。胴忘れしちゃった。副院長の名前は……", "柳井さんよ", "そうそう。柳井博士、柳井博士。色男らしい名前だと思った。……畜生。うめえ事をしやがったな", "オホホホ。あんたこそ嫉いてるじゃないの", "ウ――ン。羨しいね。涎が垂れそうだ。一目でもいいからその奥さんを……", "駄目よ。あんたはもう二三日うちに退院なさるんだから……", "エッ。本当かい", "本当ですとも。副院長さんがそう云っていたんだから大丈夫よ", "フ――ン。俺が色男だもんだから、邪魔っけにして追払いやがるんだな", "プーッ。まさか。新東さんじゃあるまいし……アラ御免なさいね。ホホホホ……", "畜生ッ。お安くねえぞッ", "バカねえ。外に聞こえるじゃないの。それよりも早く大連の奥さんの処へ行っていらっしゃい。キット、待ちかねていらっしゃるわよ", "アハハハハ。スッカリ忘れていた。違えねえ違えねえ。エヘヘヘヘ……" ], [ "大変によろしいようです。もう二三日模様を見てから退院されたらいいでしょう。何なら今日の午後あたりは、ソロソロと外を歩いてみられてもいいです", "エッ。もういいんですか", "ええ。そうして、痛むか痛まないか様子を御覧になって、イヨイヨ大丈夫ときまってから、退院されるといいですな。御遠方ですから……" ], [ "……何なら今日の午後あたりから、松葉杖を突いて廊下を歩いて見られるのもいいでしょう。義足が出来たにしましても、松葉杖に慣れておかれる必要がありますからね", "……どうです。私が云った通りでしょう" ], [ "ハーア。足の夢ですか", "そうなんです。先生。私も足が無くなった当時は、足の夢をよく見たもんですが、新東さんはきょう初めて見られたんで、トテも気味を悪がって御座るんです", "アハハハハ。その足の夢ですか。ハハア。よくソンナ話を聞きますが、よっぽど気味がわるいものらしいですね", "ねえ先生。あれは脊髄神経が見る夢なんでげしょう", "ヤッ……こいつは……" ], [ "えらい事を知っていますね貴方は……", "ナアニ。私はこの前の時に、ここの院長さんから聞かしてもらったんです。脊髄神経の中に残っている足の神経が見る夢だ……といったようなお話を伺ったように思うんですが", "アハハハハ。イヤ。何も脊髄神経に限った事はないんです。脳神経の錯覚も混っているでしょうよ", "ヘヘーエ。脳神経……", "そうです。何しろ手術の直後というものは、麻酔の疲れが残っていますし、それから後の痛みが非道いので、誰でも多少の神経衰弱にかかるのです。その上に運動不足とか、消化不良とかが、一緒に来る事もありますので、飛んでもない夢を見たり、酷く憂鬱になったりする訳ですね。中にはかなりに高度な夢遊病を起す人もあるらしいのですが……現にこの病院を夜中に脱け出して、日比谷あたりまで行って、ブッ倒れていた例がズット前にあったそうです。私は見なかったですけれども……", "ヘエ、そいつあ驚きましたね。片っ方の足が無いのに、どうしてあんなに遠くまで行けるんでしょう", "それあ解りませんがね。誰も見ていた人がないのですから。しかし、どうかして片足で歩いて行くのは事実らしいですな。欧洲大戦後にも、よく、そんな話をききましたよ。甚だしいのになると或る温柔しい軍人が、片足を切断されると間もなく夢中遊行を起すようになって、自分でも知らないうちに、他所のものを盗んで来る事が屡あるようになった。しかも、それはみんな自分が欲しいと思っていた品物ばかりなのに、盗んだ場所をチットモ記憶しないので困ってしまった。とうとうおしまいには遠方に居る自分の恋人を殺してしまったので、スッカリ悲観したらしく、その旨を書き残して自殺した……というような話が報告されていますがね", "ブルブル。物騒物騒。まるっきり本性が変ってしまうんですね", "まあそんなものです。つまり手でも足でも、大きな処を身体から切り離されると、今までそこに消費されていた栄養分が有り余って、ほかの処に押しかける事になるので、スッカリ身体の調子が変る人があるのは事実です", "ナアル程、思い当る事がありますね", "そうでしょう。ちょうど軍縮で国費が余るのと同じ理窟ですからね。手術前の体質は勿論、性格までも全然違ってしまう人がある訳です。神経衰弱になったり、夢中遊行を起したりするのは、そんな風に体質や性格が変化して行く、過渡時代の徴候だという説もあるくらいですが……", "ヘエ――。道理で、私は足を切ってから、コンナにムクムク肥りましたよ。おまけに精力がとても強くなりましてね。ヘッヘッヘッ" ], [ "歌原未亡人は、貴方が殺したのでしょう", "……………" ], [ "そうでしょう。それに違い無いでしょう", "……………", "歌原男爵夫人を殺したのは貴方に違い無いでしょう" ], [ "……………", "……あなたはそれでも、すべてを夢中遊行のせいにして、知らぬ存ぜぬの一点張りで押し通されるかも知れませんね。又、司法当局も、あなたの平常の素行から推して、今夜の兇行を貴方の夢中遊行から起った事件と見做して、無罪の判決を下すかも知れませんネ。しかし……しかし、多分、その裁判には私も何かの証人として呼び出される事と思いますが……又、呼び出されないにしても、勝手に出席する権利があると思うのですが……その裁判に私が出席するとなれば、断じてソンナ手軽い裁判では済みますまいよ。どの方面から考えても、貴方は死刑を免れない事になるのですよ。……私は事件の真相のモウ一つ底の真相を知っているのですから……" ], [ "……………", "……どうです。私がこの以上にドンナ有力な証拠を握っているか、貴方にわかりますか。この惨劇の全体は、夢遊病の発作に見せかけた稀に見る智能犯罪である。貴方の天才的頭脳によって仕組まれた一つの恐ろしい喜劇に過ぎないと、私が断定している理由がおわかりになりますか", "……………", "……フフフフフ。よもや知るまいと思われても駄目ですよ、私は何もかも知っているのですよ。……貴方は昨日の午後のこと、同室の青木君が外出するのを待ちかねて、この室を出られたでしょう。そうしてあの特一号室の様子を見に、玄関先まで来られたでしょう。それから標本室へ行って、麻酔薬の瓶が在るかどうかを確かめられたでしょう。貴方はあの標本室の中に、いろんな薬瓶が置いてあるのを前からチャント知っておられたに違い無いのです。……そうでしょう……どうです……", "……………", "……ウフフフフフ、私がこの眼で見たのですから、間違いは無い筈です。それは貴方の巧妙な準備行為だったのです。私があの時に、あなたの散歩を許さなければコンナ事にはならなかったかも知れませんが、貴方は巧みに偶然の機会を利用されたのです。そうしてこの犯行を遂げられたのです", "……………", "……私の申上げたい事はこれだけです。私は決して貴方を密告するような事は致しません。私は貴方がW文科の秀才でいられる事を知っていますし、亡くなられた御両親の学界に対する御功績や、現在の御生活の状態までも、ある人から承って詳しく存じている者です。このような事を計画されるのは無理も無いと同情さえして上げているのです。ですからこそ……こうしてわざわざ貴方のために、忠告をしに来たのです", "……………", "……もう二度とコンナ事をされてはいけませんよ。人を殺すのは無論の事、かり初めにも貴重品を盗んだりされてはいけませんよ。貴方の有為な前途を暗闇にするような事をなすっては、第一あなたの純真な……お兄さん思いのお妹さんが可哀想ではありませんか。あの美しい、お兄様大切と思い詰めておられる、可哀想なお妹さんの前途までも、永久に葬る事になるではありませんか" ], [ "……キ……貴様こそ天才なのだ。天才も天才……催眠術の天才なのだ。貴様は俺をカリガリ博士の眠り男みたいに使いまわして、コンナ酷たらしい仕事をさせたんだ。そうして俺のする事を一々蔭から見届けて、美味い汁だけを自分で吸おうと巧らんだのだ。……キット……キットそうに違い無いのだ。さもなければ……俺の知らない事まで、どうして知っているんだッ……", "……………", "……そうだ。キットそうに違い無いんだ。貴様は……貴様は昨日の正午過ぎに、俺がタッタ一人で午睡している処へ忍び込んで来て、俺に何かしら暗示を与えたのだ……否……そうじゃない……その前に俺を診察しに来た時から、何かの方法で暗示を与えて……俺の心理状態を思い通りに変化させて、こんな事件を起すように仕向けたのだ。そうだ……それに違い無いのだ", "……………" ], [ "……オ……俺は何にもしていないんだ。昨日の夕方からこの室を出ないんだぞッ……チ畜生ッ……コ……この手拭は貴様が濡らしたんだ。その茶革のサックも貴様が持って来たんだ。そうして貴様はやっぱり催眠術の大家なんだッ", "……………", "俺はこの事件と……ゼ絶対に無関係なんだ……。俺は貴様の巧妙な暗示にかかって、昨日の午後から今までの間、この寝台の上で眠り続けていたんだ。そうして貴様から暗示された通りの夢を見続けていたんだ。夢遊病者が自分で知らない間に物を盗んだり、人を殺したりするという実例を貴様から話して聞かせられた……その通りの事を自分で実行している夢を見続けていたのだ。そうして丁度いい加減のところで貴様から眼を醒まさせられたのだ……それだけなんだ。タッタそれだけの事なんだ……", "……………", "しかも、そのタッタそれだけの事で、俺は貴様の身代りになりかけていたんだぞ。貴様がした通りの事を、自分でしたように思い込ませられて、貴様の一生涯の悪名を背負い込ませられて、地獄のドン底に落ち込ませられかけていたんだぞ。罪も報いも無いまんまに……本当は何もしないまんまに……エエッ。畜生ッ……" ], [ "お兄様ってば……あたしですよ。美代子ですよ。ホホホホホ。モウ九時過ぎですよ。……シッカリなさいったら。ホホホホホホ", "……………", "お兄様は昨夜の出来ごと御存じなの……", "……………", "……まあ呆れた。何て寝呆助でしょう。モウ号外まで出ているのに……オンナジ処に居ながら御存じないなんて……", "……………", "……あのねお兄様。あのお向いの特等室で、歌原男爵の奥さんが殺されなすったのよ。胸のまん中を鋭い刃物で突き刺されてね。その胸の周囲に宝石やお金が撒き散らしてあったんですって……おまけに傍に寝ていた女の人達はみんな麻酔をかけられていたので、誰も犯人の顔を見たものが居ないんですってさ", "……………", "……ちょうど院長さんは御病気だし、副院長さんは昨夜から、稲毛の結核患者の処へ往診に行って、夜通し介抱していなすった留守中の事なので、大変な騒ぎだったんですってさあ。犯人はまだ捕まらないけど、歌原の奥さんを怨んでいる男の人は随分多いから、キットその中の誰かがした事に違い無いって書いてあるのよ。妾その号外を見てビックリして飛んで来たの……" ], [ "アハハハハハハ。新東さん。今帰りましたよ。あっしも号外を見て飛んで帰ったんです。ヒョットしたら貴方じゃあるめえかと思ってね、アハハハハハ。イヤもう表の方は大変な騒ぎです。そうしたら丁度玄関の処でお妹さんと御一緒になりましてね……ヘヘヘヘ……これはお土産ですよ。約束の紅梅焼です。お眼ざましにお二人でお上んなさい", "……アラマア……どうも済みません。お兄さまってば、お兄さまってば、お礼を仰有いよ。こんなに沢山いいものを……まだ寝ぼけていらっしゃるの……", "アハハハハ……ハ。又足の夢でも御覧になったんでしょう……", "……まあ……足の夢……", "ええ。そうなんです。足の夢は新東さんの十八番なんで……ヘエ。どうぞあしからずってね……ワハハハハハハハ", "マア意地のわるい……オホホホホ……", "…………………………………………" ] ]
底本:「夢野久作全集8」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年1月22日第1刷発行 底本の親本:「瓶詰地獄」春陽堂    1933(昭和8)年5月15日発行 入力:柴田卓治 校正:山本奈津恵 2001年6月16日公開 2006年3月16日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年8月24日第1刷発行 底本の親本:「日本探偵小説全集 第十一篇 夢野久作集」改造社    1929(昭和4)年12月3日発行 初出:「新青年」    1928(昭和3)年3月 入力:柴田卓治 校正:江村秀之 2000年7月4日公開 2014年1月17日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "……ヘエ……しかし、それには何か深い理由がおありになるでしょう?", "ええ……それは、あるといえば在るようなものです。貴方のように世間を広く渡っておられる方に、その理由というのを聞いて頂いたら、何か適当な御意見が聞かれはしまいかと思って、実はお話しするんですがね……ほかに相談相手も無いしするもんですから……", "ヘエ……私で宜しければですが……しかし、そんな立ち入った事を……", "構いませんとも……誰も聞いている者はありませんから……ほかでもありません。……今もお話しする通り、品夫と僕の事は、死んだ養父の玄洋が、もうズット前から決定ていましたので、親類連中とも話し合って、去年の暮に式を挙げるばかりになっていたのが、養父の病気でツイ延び延びになってしまったんです。……それで、養父が亡くなりますと、正月の十一日でしたが……三七日の法事の時に、親類たちと相談をしまして、四十九日の法事が済んだら、間もなく式を挙げる事に決定したのですが、それを品夫が聞きますと、意外にも、頑強な反対論を持ち出しましてね……今までは別に異存も無いらしかったのですが……", "ヘエ……妙ですな。それは……", "エエ……妙なんです……。つまり養父の百箇日が来るまで遠慮したいと云うので……そのうちには品夫の実父の二十一回忌も来るしする事だから、そんな法事をスッカリ済ましてから、ゆっくりと式を挙げたいと云うのです", "成る程……それなら御無理もないかも知れませんね……。初なお嬢さんは何となく結婚を怖がられるものですから" ], [ "……エエ……それは僕も知っています。しかし、そういう品夫の態度が恐しく真剣なので、僕はすこし気にかかりましてね。何となくトンチンカンな感じがしましたから……その時にこう云ってやったのです……。それは一応尤もな意見だが……しかし、もう親類と相談をしてきめてしまった事だから、今更変更するのは面白くないだろう……と……", "なるほど……これも御道理ですね", "そう云いますと、今度は品夫の奴がメソメソ泣き出して、ウンともスンとも返事をしなくなったんです", "ヘエ……なるほど……", "……様子が変ですから僕はいよいよ気になりましてね……何故泣くのかと云って無理やりに、根掘り葉掘り尋ねますと、やっとの事で白状したのです。……つまり妾は、二十年前に殺された、妾の実のお父さんの讐敵を討たなければ結婚をしない決心だと云うので……イヤもうトンチンカンにも、時代錯誤にも、お話しにならない奇抜な返答なのですが、本人はそれでも頗る付きの大真面目らしいので、僕はスッカリ面喰ってしまいました", "ヘエ……それは……お驚きになったでしょう……", "イヤもう、お話しするのも馬鹿馬鹿しい位ですがね……ですから僕も、始めは何かしら云い難い理由があるのを隠すために、そんな無茶を云うのじゃないか知らんとも思ってみたんですが、品夫の真剣な態度を見ると、どうもそうじゃないらしいんです……というのは、元来品夫は僕と違って文学屋で、女の癖に探偵小説だの、宗教関係の書物だのを無闇矢鱈に読みたがるのです。露西亜人が書いたとかいう黒い表紙の飜訳小説を取り寄せて、夜通しがかりで読んだりする位で……ですから、そんなものの影響を受けているのでしょう。ごく平凡なつまらない事までも、恐ろしく深刻に考え過ぎる癖があるのです。……それで、こんな事を空想したんじゃないかと気が付いたのですがね", "ハハア……成る程……それはそうかも知れませんな。……しかしそれにしても妙ですナ。品夫さんのお父さんは二十年も前にお亡くなりになったので、顔もよく御存じ無い筈なのに、どうしてそのお父さんの讐仇の顔を見分けられるのでしょう", "それが又奇抜なんです。品夫はその実父を殺した犯人が生きてさえおれば、一生に一度はキットこの村に帰って来るに違い無いと云うのです。何故かと云うと或る犯罪者が、自分の犯した罪悪の遺跡を、それとなく見てまわったり、それに関する人の噂を聞いたりすると、トテモたまらない愉快を感ずるものだと云うのです。つまり自分の罪を人知れず自白してみたい一種の心理と、犯罪者特有の冒険慾とが一所になって来るので、トテモ正しい人間の想像も及ばないスバラシイ魅力を持っているものだそうで……つまり、その犯した罪が大きければ大きい程……そうして犯人自身が知識階級であればある程、その魅力も何層倍の深さに感ぜられるものだと云うのです。……だから妾のお父様を殺した犯人は、ツイこの頃までも、そうした大きい魅力に引かされて、この村に帰ってみたくて堪らないでいたに違い無いが、ここにタッタ一人、その犯人の顔や特徴をよく知っておられる、うちの御養父様が生き残っておられた。……それでウッカリこの村に足を入れる事が出来ずにいたのだが、その御養父様がお亡くなりになった今日では、モウ怖い者は一人も居ないのだから、その犯人はスッカリ安心しているにちがい無い。そうして近いうちにこの村に遣って来るに違い無い……イヤ……事によると、もうそこいらに来ていて、妾の姿をジロジロ眺めているかも知れない……と云うので、恰で夢みたような事を主張するのです……しかも真剣に……" ], [ "成る程……婦人の想像力ぐらい恐ろしいものはありませんからね……真実以上の真実ですから……", "……まったくです……しかし、その時はちょうど僕も品夫も、新規に引き受けた病院の仕事だの、遺産の整理だの、法事だのというものがゴチャゴチャと重なり合っていて、トテモ結婚どころの沙汰じゃなかったもんですから、そんな事を深く穿鑿する暇も無いままに放ったらかしておいたものですが……そうそう……それから品夫はコンナ事も附け加えて話しましたよ。何でもそれから二三日目の夕食の時でしたが、顔を赤くしながら……妾はこのあいだ御養父様の二七日の晩に、妾の身の上とソックリのコルシカ人の娘の話を読んで心から感心してしまった。その娘は、父親を殺したに違い無いと思っている男から婚約を申し込まれると、大喜びで直ぐに承諾をして、他からの申込みを全部断ってしまった。そうして結婚式の晩にその男を絞め殺す……という筋であったが、その中には、そうした自分の罪の遺跡に引きつけられつつ、犯罪を二重に楽しんで行こうとする犯人の気持ちと、その犯人のそうした執念深い慾望をキレイに断ち切って終うかどうかしなければ、どうしても気が済まない、生一本の娘の心理とが、タマラナイ程深刻に描きあらわしてあった……と云うのです。何でも品夫はその小説を読んでから、そんな気になったのじゃないかと思うんですが……", "ハハア……" ], [ "どうも赤面の至りです。あんまり非常識な話なので……", "……イヤ……しかし驚き入りましたナ。……実は私も品夫さんのお父さんに関する村の人の噂を二三聞いているにはいたのですが、大部分誇張だろうと思いましたし、もしかすると岡焼き連の中傷かも知れないと思いましたから、今の今までチットも信じていなかったのですが……", "イヤ……村の者の噂は大部分事実なのです。品夫はたしかに氏素性のハッキリしない者の娘で、しかも変死者の遺児に相違無いのです。つまり、その犯人が捕まらないために、何もかもが有耶無耶に葬られた形になっているので……", "ハハア。……してみると所謂迷宮事件ですな", "そうなんです。品夫の父親が殺された事件は徹頭徹尾、迷宮でおしまいになっているのです。何しろ二十年も昔の事ですから、警察の仕事もいい加減なものだったでしょうし、おまけにこんな片田舎の高い山の上で行われた犯罪ですから、たしかな証拠なぞは一つも掴まれなかったらしいのです", "成る程。しかし物的の証拠は無くとも、心的の証拠は何かあった訳ですね。犯人が仮想されていた位ですから……", "それはそうです。その当時はたしかにそれに相違無いという犯人の目星がついていたのですが、今となっては、その犯人が捕まらないために、事件全体が五里霧中の未解決のままになっているのです。……ですから、そんなところから色々な噂も起って来るでしょうし、品夫も亦ソンナ事を探偵小説的に考え過ぎた結果、飛んでもない空想を抱くようになったのじゃないかと想像しているんですがね……貴方の御意見はどうだか知りませんが……", "……そうですね……それはそうかも知れませんが……。しかし何しろ私も、そんな噂話があるという事を、看護婦を通じて聞いただけですから、シッカリした考えは申上げかねるのですが……", "……成る程……それじゃその事件のあらましだけを、今から掻い抓んでお話してみましょうか。その時に立ち会った養父の話ですから、村の噂などよりもズット正確な訳ですが……聞いてくれますか貴方は……", "……ヘエ。それは是非伺いたいものですが……しかし……御承知の通り私は、すこし興奮すると、すぐに睡れなくなる性質なので、それに時間も遅いようですし……", "……イヤ。まだ十時位でしょう。眠れなかったら、あとで散薬か何か上げますから、それを服んだらいいでしょう。もう本当は退院されてもいい位に恢復しておられるのですから、一と晩ぐらい夜更かしをされても大丈夫ですよ……僕が請け合います……", "アハハハハ……イヤ。散薬なら二三日前に頂戴したのがまだ残っていますが……", "そうして適当な判断を下してくれませんか……品夫が外国の探偵小説にカブレて、そんな事を云い出したものか、それともほかに何か理由があっての事か……どうかというような事を……", "ハハハハハ……ドウモそう性急に仰言っちゃ困りますがね。……婦人の心理というものは要するに、男にはわからない物だそうですから……", "まったくです。全然不可解なんです", "アハハ……イヤ……私も無論、御同様だろうとは思いますが……それじゃ、とにかくその事件の成行というものを伺った上で、一ツ考えさして頂きますかね", "どうか願います……こうなんです。……品夫の父親というのは今から三十年ほど前に、親父の玄洋が、この村の獣医として東京から連れて来た、実松源次郎という男で、死んだ時が四十いくつとかいう事でした。生れは東北のC県で、T塚村という大村の、実松家という富豪の跡取息子だったそうですが、どうした理由か、故郷に親類が一人も居なくなったので、田地田畑をスッカリ金に換えて上京したものだそうです。そうして獣医学校に籍を置いて勉強しているうちに、同じ下宿に居た関係から私の養父の玄洋と懇意になったのだそうで……", "ハハア。チョット……お話の途中ですが、その故郷の親類が一人も居なくなった理由というのは、今でもやはり、おわかりになっていないのですね", "そうです。何故だかわからないままになっているのです……しかしタッタ一人その源次郎氏の甥というのが残っていたそうです。たしかに源次郎氏の姉の子供だと聞きましたが、それが、実松当九郎といって、この事件の犯人と眼指されている二十二三歳の青年なんです。尤も今は四十以上の年輩になっている訳で、ちょうど貴方位の年恰好だろうと思われるのですが", "ハハア。どんな風采の男か、お聞きになりましたか", "スラリとした色の白い……女のような美青年だったそうです。何でもズット以前から叔父の源次郎氏に学費を貢いでもらって、東京で勉強していたけれども、不良少年の誘惑がうるさいからこっちへ逃げて来たという話で……そうしてこの病院の加勢をしながら開業免状を取るというので、村外れの叔父の家から毎日通っていたそうですが、頭のステキにいい、何につけても器用な男で、人柄もごく温柔しい方だったので、養父の玄洋が惚れ込んでしまって、うちの養子にしようかなどと、養母に相談した事も、ある位だったそうです", "ハハア。玄洋先生は余程開けたお方だったのですな", "そうですね。養父はどっちかと云えば人を信じ易い性質だったのでしょう。品夫の実父の源次郎氏の事なども、獣医には惜しい立派な人物だと云って賞め千切っていたようですが、よく聞いてみるとそれ程の人物でもなかったようで、こんな村の獣医相当の人間だったのでしょう。一見して変り者に見える、黙り屋の無愛想者だったそうで、友達なども養父の玄洋以外に一人も無かったそうです。……趣味といっては唯銃猟だけだったそうですが、これは余程の名人だったらしく、十年ばかり居る間に、S岳界隈の山の案内は、所の猟師よりももっと詳しく知り尽していたという事で……気が向くと夜よなかでもサッサと支度して、鉄砲を荷いで出て行くので、あくる朝になって家の者が気が付く事が多い……そうして帰って来ると、いつもこの上なしの上機嫌で、その獲物を肴に一パイ飲りながら、メチャメチャに妻君を熱愛するのが又、近所合壁の評判になっていたそうですがね。ハハハハハ。しかし、さもない時には、気が向かない限り、どこから迎えに来ても断って、酒ばかり飲んで寝ころんでいるといった調子で……金なども銀行や郵便局には預けずに、残らず現金にして、どこかにしまっておく……どこに隠しているかは妻君にも話さないという変り方だったそうです。……ただその妻君というのが、ソレ者上りらしい挨拶上手で、亭主の引きまわしがよかったために、やっと人気をつないでいたという事ですが……", "なる程。そんな事で、とにかく琴瑟相和していた訳ですな", "そうです……ところが、その甥の当九郎という青年が実松家に入り込むようになると、その夫婦仲が、どうも面白くなくなったそうです。……これは品夫が生れる前から、長いこと雇われていたお磯という婆さんの話ですが、何故かわからないけれども源次郎氏の当九郎に対する愛情というものは吾が児以上だったそうで、当九郎に対するアタリが悪いと云っては、いつも品夫の母親を叱ったものだそうです", "ハハア……一種の変態ですかな", "そうだったかも知れません……とにかく今までに無い夫婦喧嘩が、そんな事で時々起るようになったそうですが、そのうちに丁度今から二十年前の事……品夫の母親が、品夫を生み落したまま産褥熱で死ぬと間もなく、甥の当九郎が又、何の理由も無しに、叔父の源次郎氏と私の養父へ宛てて、亜米利加へ行くという置き手紙をしたまま、行方不明になってしまったものだそうです", "ハハア。成る程……ところでその甥はホントウに亜米利加へ行ったのでしょうか", "サア……それが疑問の中心なので、その筋では、これが当九郎の叔父殺しの前提だと睨んでいたそうですが", "成る程……尤も至極な疑問ですナ", "……とにかく事件は、その甥が家出してから、三箇月ばかり経った後に……明治四十一年の三月の中旬でしたかに起ったものだそうで……源次郎氏は妻君に死に別れた上に、可愛がっていた甥にまで見棄てられて、赤ん坊の品夫と、お磯婆さんの三人切りになったので、多少自棄気味もあったのでしょう。それから後暫くの間、殺生は無論の事、本職の獣医の方も放ったらかしにして、毎日のようにK市の遊廓に入り浸ったものだそうで、お磯婆さんや、養父の玄洋が泣いて諫めても、頑として聴き入れなかったという事です", "……いかにも……。そんな性格の人は気の狭いものですからね。ほかに仕様がなかったのでしょう", "ところがです……ところが、その三月の何日とかは、ちょうど今日のような大雪が降った揚句だったそうですが、その夕方の事、真赤に酔っ払った源次郎氏が雪だらけの姿で、久し振りに自分の家に帰って来ると、茶漬を二三杯掻き込んだまま、お磯が敷いた寝床にもぐり込んでグーグーと眠ってしまったそうです", "話も何もせずにですか", "無論、寝るが寝るまで一言も口を利かなかったそうです。これはいつもの事だったそうで……ですからお磯婆さんも別に怪しまなかったばかりでなく、久し振りに枕を高くして品夫と添寝をしたのだそうですが、あくる朝眼を醒ましてみると源次郎氏の姿が見えない。蒲団は藻抜けの空になっているし、台所の戸口が一パイに開け放されて月あかりが映しているので、どこに行ったのか知らんと家の内外を見まわったが、出て行ったあとで又、雪が降ったらしく、足跡も何も見えなかった。それから押入れを開けてみると、自慢のレミントンの二連銃と一緒に、狩猟の道具が消え失せている。台所を覗いてみると、冷飯を弁当に詰めて行った形跡があるという訳で、初めて狩猟に行った事がわかったのだそうです", "……ヘエ……どうしてそう突然に狩猟に出かけたのでしょう", "それがです。それがやはり甥の当九郎が誘き出したのだ……という説もあったそうですが、しかし一方に源次郎氏はいつでも雪さえ見れば山に出かける習慣があったので、この時も珍らしい大雪を見かけて堪らなくなって出かけたんだろう……という意見の方が有力だったそうです。……一方には又、そうした習慣があるのを当九郎も知っていたので、そこを狙って仕事をしたんだろうという説もあったそうですが、何しろ本人が唖に近いくらい無口な性質だったので、何一つわからず仕舞いになった訳ですが", "その前に手紙か何か来た形跡は無かったでしょうか……甥の当九郎から……", "お磯の記憶によると無かったそうです。……あとで家探しまでしてみたそうですが……", "……成る程。それから……", "それから先は頗る簡単です。あのS岳峠の一本榎という平地の一角に在る二丈ばかりの崖から、谷川に墜ちて死んでいる実松氏の屍体を、夜が明けてから通りかかった兎追いの学生連中が発見して、村の駐在所に報告したので、大騒ぎになったものだそうで……死因は谷川に墜ちた際に、岩角で後頭部を砕いたためで、外には些しも異状を認められなかったそうです。これはその屍体を診察した養父の話ですがね……", "成る程……しかし屍体以外には……", "屍体以外には、ポケットの中に油紙に包んだ巻煙草の袋と、マッチと、焼いた鯣が一枚這入っていたそうで、弁当箱の中味や、水筒の酒も減っていなかったそうです。……それからもう一つ胴巻の中から、二円何十銭入りの蟇口が一個出て来たそうですが、それが天にも地にも実松家の最後の財産だったそうで、源次郎氏がどこにか隠していた筈の現金は、あとかたもなく消え失せていたそうです。……尤もこれは事件後に村外れに在った源次郎氏の自宅を土台石まで引っくり返して調べた結果、判明した事実だそうですが……", "成る程……それで殺人の動機が成立した訳ですね", "そうなんです。尤もお金の多寡はハッキリわかりませんがね……それから、もう一つ重要なのは、屍体の左手にシッカリと握っていたレミントンの二連銃の中に、発射したままの散弾の薬莢が二発とも残っていた事だそうです", "ハハア……詰め換えないままにですな", "そうです。ほかの弾丸は、弾丸帯にキチンと並んでいて、一発も撃った形跡が無いし、弁当や水筒にも手がつけてないところを見ると、源次郎氏は、あの一本榎の平地へ登り着くと間もなく、何かに向って二発の散弾を発射した。そうして後を詰めかえる間もなく谷川に転げ落ちて死んだものらしいと云うのです", "ヘー……その辺がどうも可笑しいようですな", "おかしいんです……源次郎氏は、今もお話した通りあの辺の案内ならトテモ詳しい筈ですからね。おまけに月夜の雪の中ですから、足場は明るいにきまっているし、余程の強敵に出会って狼狽でもしなければ、そんな目に会う筈は無いと云うのです", "いかにも……その考えは間違い無さそうですな", "僕にもそう思えるのです。しかし何しろ、その屍体の上には、岩と一と続きに、雪がまん丸く積っていた位で、附近には何の足跡も無いために、犯人の手がかりが発見出来なくて困ったそうです", "そうですねえ。あとから雪が降らなかったら何かしら面白いことが発見出来たかも知れませんが……", "そうです。尤も雪というものは人間の足跡から先に消え初めるものだと村の猟師が云ったとかいうので、雪解けを待って今一度、現場附近を調べたそうですが、源次郎氏が通る前にS岳峠を越えた者は一人や二人じゃなかったらしいので……おまけに現場附近は、屍体を発見した学生連に踏み荒されているので、沢山の足跡が出るには出たそうですが、いよいよ見当が附かなくなるばかりだったそうです", "……すると……つまりその捜索の結果は無効だったのですね", "ええ……全然得るところ無しで、K町の新聞が盛んに警察の無能をタタイたものだそうです。……しかしそのうちに乳飲児の品夫が、お磯婆さんと一緒に此家に引き取られて来るし、仮埋葬になっていた実松源次郎氏の遺骸も、正式に葬儀が行われるしで、事件は一先ず落着の形になったらしいのです。そうして色んな噂が立ったり消えたりしているうちに二十年の歳月が流れて今日に到った訳で……いわば品夫は、そうした二十年前の惨劇がこの村に生み残した、唯一の記念と云ってもいい身の上なんです" ], [ "しかし誰が何と云っても、僕等二人の事は養父が決定て行った事ですから、絶対に動かす事は出来ない訳です……今更村の者の噂だの、親類の蔭口だのを問題にしちゃ、養父の位牌に対して相済みませんし、第一品夫自身がトテモ可哀想なものになるのです。彼女の味方になっていた養父もお磯婆さんも死んでしまって、今では全くの一人ぽっちになっているんですからね", "御尤もです" ], [ "……ところで……これはお尋ねする迄も無い事ですが、品夫さんは実のお父様が亡くなられた時の事をスッカリ聞いておいでになるでしょうね", "それは無論です。うちの養父母や、お磯婆さんから飽きる程繰り返して聞かされているでしょうし、又、村の者の噂や何かも直接間接に耳にしている筈ですから、恐らく誰よりも詳しく知っているでしょう。……とにもかくにも復讐をするという位ですからね……ハハハハ……", "いかにも……しかしその復讐をされるというのは……どんな手段を取られるおつもりなのでしょう……", "さあ……そこ迄は聞いていませんがね。アンマリ馬鹿馬鹿しい話ですから……それよりも、そんな事を云い出す品夫の気もちが、第一わからなくて困っているんです……ですから、こんな内輪話をお打ち明けした訳なんですが……", "……成る程……" ], [ "それから……これも余計な差し出口ですが、品夫さんの戸籍謄本は取って御覧になりましたか?", "ハア。養父が取っておいたのが一枚ありますが、実松源次郎の長女品夫と在るだけで、全く身よりたよりの無い孤児です。……三四年前にわざわざC県まで人を遣って調べた事もあるそうですが、ずっと前から故郷に親戚が一人も居なくなっていたのは事実で、当九郎の両親の名前も知っている者が居ない位だったそうです……しかし、それがこの事件と何か関係があるのですか?", "……イヤ……関係がある……という訳でもないのですが……" ], [ "サア……それをお話していいか……わるいか……", "ハハハハハ。お話出来なければ無理に伺わなくともいいんですがね。……元来これは僕等二人の間に、秘密にしておくべき問題なんですから……しかし、くどいようですが、たとい品夫がドンナ身の上の女であろうとも、二人を結びつけている死人の意志は、絶対に動かす事が出来ない訳ですからね。よしんば品夫のためにこの家が滅亡するような事があっても、それが故人の希望なんですから、その辺の御心配は御無用ですよ……ただ参考のために承っておくに過ぎないのですからね。ハハハハハ、こう云っちゃ失礼かも知れませんが……" ], [ "ハア。何なりと……", "……イヤ。ほかでもありません。つまり品夫さんのお父様に関する今のお話ですがね……そのお父様が変死された事について、品夫さんは矢張り御自分一個の観察を下してお在でになるでしょうね", "……観察というのは……", "……そのお父さまの変死が、何故に他殺に相違ないか……というような事です", "それは相当考えているでしょう。探偵小説好きですからね……しかしそんな事を面と向って尋ねた事は一度もありませんよ。もう過ぎ去ってしまった事ですし、そんな事を訊いて又泣き出されでもすると面倒ですから……", "ハハア。成る程……それじゃ貴方は、貴方御自身だけで別の解釈を下しておられる訳ですナ", "イヤ。解釈を下すという程でもありませんが、僕だけの常識で説明をつけておるので、手ッ取り早く云うと養父と同じ意見なのです。……要するに最小限度のところ、実松源次郎氏の変死を自殺、もしくは過失と認むべき点はどこにも無い……他殺に相違無いという事に就いては、疑う余地が無いと信じているのですが……", "……では玄洋先生も初めから、実松氏の甥の所業と睨んでおられた訳ですな", "まあそうなんです。しかし、これは要するに、今お話したような事実を土台にして、色々と推量をした結果、最後に生まれた結論に過ぎないので、元来が迷宮式の事件なのですから、あなたの方からモット有力な、根拠のある御意見が出たら、その方に頭を下げようと思っているのですが", "イヤ。根拠と云われると困るのですが……有体に白状しますと、私の意見というのはタッタ今、あなたのお話を聞いているうちに、私の第六感が感じた判断に過ぎないのですからね", "ホウ……タッタ今……第六感……" ], [ "そうです。私は永年、生命がけの海上生活をやって来たものですから、事件と直面した一刹那に受ける第六感、もしくは直感とでも申しますか……そんなものばかりで物事を解決して行く習慣が付いておりますので……この事件なぞも、そんなに長い事未解決になっている以上、その手で判断するよりほかに方法が無いと思うのですが", "……成る程……素敵ですナ……", "ええ。あまり素敵でもないかも知れませんが……しかし、それでも、そうした私一流の判断でこの事件を解釈して行きますと、只今の品夫さんの復讐論なぞは、全然無意義なものになってしまうのです。あなたの御註文通りにね……", "エッ。全然無意味……僕の註文通りに……" ], [ "無論お話します。……しかしその前に、先ず今のような第六感を受けなかった前の、私の平凡な常識判断から申しますと、元来かような迷宮式の事件というものは、色々な考え方があるものなので、それを或る一方からばかり見ているために、判断が中心を外れて来て、自然に迷宮を作るような事になるのだと思います……殊に人の噂とか、当局の眼とかいうものは、物事に疑いをかける癖が付いているので、色々な出来事の一ツ一ツが、何となくその疑いの方向に誇張して考えられたり無理に結び付けられたりし易い。そのためにいよいよ迷宮を深くして行き勝ちなものだと思いますがね", "賛成ですね。成る程……", "ところで、こう申上げては失礼かも知れませんが、あなたの御養父様のこの事件に対する判断や、御記憶なぞいうものは、どこまでも人情的……もしくは常識的になっておりますので……あなたも主としてその御養父様からお聞きになったお話を骨子として判断をなすった結果、同じ結論に到着されたものと思いますが……", "その通りです……それで……", "それでそのお話を、あなたから間接に承わったところによって考えまわしてみますと、この事件の内容はあらかた三ツの出来事に分解する事が出来ると思うのです", "成る程……そこまでは僕等の考えと一致しているようです", "……そうですか。それでは説明する迄も無いかも知れませんが、第一は単純な実松源次郎氏の墜死そのものです", "いかにも……", "その次は源次郎氏の貯金の紛失事件で、今一つはその甥の行方不明事件と、この三つが固まり合ったのが一ツの事件として判断されているのでしょう", "敬服です。いよいよ敬服です", "……ところで、この三ツの事件を組み合わせて、一ツの事件として観察してみますと、かなり恐ろしい事件に見えますね。……つまりその悪人の何とかいう青年が、大恩ある品夫さんのお父さんを、山の上で惨殺して、財産を奪って逃げた事になるので、この事件は、そうした残忍非道な性格によって行われた、計画的な犯行という事になるでしょう", "全くその通りです。実松源次郎氏を殺さずとも、その恩義を忘れただけでも当九郎は大罪人だ……と養父は云っておりました", "ところがです……ここで今一つお尋ねしますが貴方は……貴方のお養父様でもおなじ事ですが、この三ツの事件を別々に引き離してお考えになった事は、ありませんか", "……………" ], [ "……ハハア。おありにならない。多分そうだろうと思いました。それならば試しに、この事件の三ツの要素を、一ツ一ツに分解して考えて御覧なさい。そんな有り触れた殺人事件なぞより数層倍恐ろしい……戦慄すべき出来事となって、貴方がたの眼に映じて来はしまいかと思われるのですが", "……数層倍恐ろしい……", "そうです……おわかりになりませんか", "わかりません", "ハハア。おわかりにならない……イヤ御尤もです。私の判断の根拠というのは、今も申します通り、極めて非常識なものですからね……しかし或る程度までは常識で説明出来るのです。否……却って私の考えの方が常識的ではないかと思われるのですが……", "ハハア……それはどういう……", "……まず……この事件の犯人と目されている今の……エエ。何とかいいましたね。ソウソウ当九郎……その甥の行方不明と、この事件とが結びつけられているのは一応もっとも千万な事と考えられます……というのは、源次郎氏の妻君と、忠義な乳母のお磯とを除いた村の人間の中で、源次郎氏が金を隠している場所を発見する可能性が一番強いのは、誰でもない……その甥の当九郎という事になるのですからね", "いかにも……", "……一方に叔父御の源次郎氏は、変人の常として、存外、用心深いところもあるので、支那人のように全財産を胴巻か何かに入れて、夜も昼も身に着けておく習慣があったかも知れない。それを又当九郎が推察したものとすると、その金を奪うためには是非とも源次郎氏を殺さなければならぬ事になるでしょう……", "無論ですね……それは……", "……そこで先ずその第一着手として、自分に嫌疑がかからぬように、亜米利加に行くと称して家出をした。それから相当の時日が経った後に姿をかえながら、兇器を携えて源次郎氏を附け狙っていると、そのうちに源次郎氏が、大雪に誘われて狩りに出かけるところを発見したので、好機到れりという訳で、村から遠く離れた、あの山の上の……何とかいう処でしたね……そうそう一本榎に待ち伏せて狙撃をした。……ところが雪の中の事ですから、思ったより早く相手に発見されて、第一弾が命中しなかった……というような事も考えられますが、とにも角にもその雪の山上で、物凄い撃ち合いが始まった事は、誰にも想像され得るでしょう。……しかし源次郎氏の武器が二連発の散弾銃で、当九郎の獲物がピストルの五連発か何かであったとすると、到底相手にはなり切れないので、源次郎氏は思わず後へ退って行くうちに、足場を誤って谷川に墜落した。そこで当九郎はその死骸から貯金だけを奪い取って、二円なにがし入りの蟇口を故意に残して立ち去ったもの……と想像する事が出来るでしょう", "……驚いた……全くその通りです。養父の考えと一分一厘違いありません", "そうでしょう……これが一番常識的な考え方で、前後を一貫した事実のすべてとピッタリ符合するのですからね", "そうです。それ以外に考えようは無いと思われるのですが", "そうでしょう……しかしここで、今一歩退いて別の方面から観察したら、どんなものでしょうか……つまりこの事件には、そのような犯人が全然居なかったとしたら、どんな事になるでしょうか", "……エッ……犯人が居ない……", "そうです。つまりその当九郎という甥が、この事件に結び付けられているのは、人々の想像に過ぎないとしたらどうでしょうか……実際と一致する想像は、よく正確な推理と混同され易いものですからね……甥の当九郎はホントウに青雲の志を懐いていたので、そのまま一直線に外国へ行ってしまって、この方面には全然寄り附かなかったとしたら……どうでしょうか……そんな事はあり得ないと云えましょうか", "サア……それは……", "……又……実松氏の貯金を無くしたのは誰でもない実松氏自身で、その金は遊興費か何かに費消されてしまったものとしたら、どうでしょうか。そんな風には考えられぬでしょうか", "……………", "……そういう風に三ツの出来事をバラバラにして、一ツ一ツに平凡な出来事として考えて行く方が、この事件を計画的な殺人と考えるよりも却って常識的で、非小説的ではないでしょうか……すなわち事実に近いと思われはしないでしょうか", "……そ……そうすると……" ], [ "そうすると何ですか……実松氏が発射した二発の散弾は、やはり本当の獣か何かを狙ったものなんですね", "イヤ……そこなのです" ], [ "……私もそう考えたいのです。……が……そうばかりは考えられない別の理由があるのです。実を云うとこれから先が私の本当の直感ですがね", "……その直感というのは……" ], [ "……手早く申しますと実松源次郎氏は、その払暁前の雪の中で、或る恐怖に襲われたのではないかと思われるのです", "……或る恐怖……", "さよう……つまり実際には居ない、或る怖るべき敵を、雪の中に認めて、その敵と闘うべく、二発の散弾を発射されたものではないかと考えられるのです。そうすれば一切の事実が何等の不自然も無しに……", "……チョット待って下さい" ], [ "実松氏はその幻影と闘うべくレミントンの火蓋を切られたのです。しかし、もとより実際に居ない敵なのですから、いくら散弾でも命中する気づかいはありません。敵は益々眼の前に肉迫して来ましたので、実松氏は恐怖の余り夢中になって逃げ出した……そうしてお話しのような奇禍に遭われたのではなかったかと考えられるのです", "ハハア……" ], [ "……しかしその証拠は……", "……イヤ。証拠と云われると実に当惑するのですが……要するにこれは私の直感なのですから……しかし実松氏が、この甥の当九郎を愛しておられた程度が、普通の人情を超越していたらしい事実や、全財産を現金にして絶対秘密の場所に隠していたところなどを見ると、実松氏はどうしても、或る一種の超自然的な頭脳の持主としか思われないのです。従ってそうした脅迫観念に囚われ易い……", "……イヤ……解りました……" ], [ "……イヤ。よくわかりました。今まで全く気が付かずにいましたが、貴方の御意見を聞いているうちに何もかも解ってしまいました。……貴方は実松氏の超常識的な性格から割り出して、当九郎の無罪を主張していられるようです。つまり実松氏は……品夫の父は元来、深刻な精神病的の素質を遺伝している、変態的な性格の所有者であった。だから月の光りの強い、雪の真白い山の上で、一種の幻覚錯覚に陥って、自分でも予期しない自殺同様の、非業の最期を遂げたもの……と主張しておられるのでしょう", "イヤ。ちょっとお待ち下さい" ], [ "……イヤ……お待ち……お待ち下さい。ソ……それは貴方の誤解です。私はただ品夫さんのお父さんの事だけを申しましたので……", "……否……チットも構いません。公然と僕達の結婚に反対されても構いません" ], [ "……たといドンナ事があろうとも、僕は品夫を殺さない決心ですから……品夫を見棄てる気は毛頭無いのですから、何でもハッキリ云って下さい。……実松一家は、そんな恐ろしい精神病の遺伝系統のために、その故郷で絶滅してしまっている。そうして僅かに残った一滴の血が、めぐりめぐって現在藤沢家を亡ぼすべく流れ込もうとしている。その一滴の血が……品夫だと云われるのですね", "……………", "藤沢家のためには、品夫を見殺しにした方が利益だと云われるのですね……貴方は……", "……………", "……………" ] ]
底本:「夢野久作全集8」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年1月22日第1刷発行 底本の親本:「冗談に殺す」春陽堂    1933(昭和8)年5月15日発行 入力:柴田卓治 校正:ちはる 2000年10月11日公開 2006年3月16日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "あんまりいろんな事が早くかわって行くのでビックリなさったでしょう", "ハイ。夜が明けたかと思うともう日が暮れます。そうして暗くなったと思うともう夜が明けています。あれはどうしたわけでしょう" ], [ "月の世界の一日は人間の世界の五万日になるのです。ですから、人間の世界の出来事を月の世界から見ると大変に早く見えるのです。もうあなたがその眼鏡を眼にお当てになってから、今までに三年ばかり経っているのですよ", "エッ、三年にも……" ], [ "あの宝の鉄砲を持って来い", "あの宝の刀を持って来い" ], [ "お宝物の鉄砲が無くなっております", "お宝物の刀が無くなっております" ], [ "それ、あいつを弓で射ち殺せ", "刀でたたき殺せ" ], [ "アム", "マム" ], [ "ヤア。ホントに。これは不思議だ。これは大かた今まで自分ひとりで遊んでいたのに、今度はお兄さんたちの仲直りをさせたので、神様がごほうびに開いて下すったのでしょう", "ほんとにそうでございましょう。おめでとう御座います。さあお祝いにみんなで遊びましょう" ] ]
底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年5月22日第1刷発行 ※この作品は初出時に署名「香倶土三鳥《かぐつちみどり》」で発表されたことが解題に記載されています。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:柴田卓治 校正:もりみつじゅんじ 2000年4月4日公開 2003年10月24日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002306", "作品名": "奇妙な遠眼鏡", "作品名読み": "ふしぎなとおめがね", "ソート用読み": "ふしきなとおめかね", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1925(大正14)年9月", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-04-04T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2306.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集1", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年5月22日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "もりみつじゅんじ", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2306_ruby_3595.zip", "テキストファイル最終更新日": "2003-10-24T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2306_13515.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2003-10-24T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "それはどこに居りますか", "それを探し出し得る人は世界中にあなた一人です" ] ]
底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年8月24日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:江村秀之 2000年7月4日公開 2006年3月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000917", "作品名": "夫人探索", "作品名読み": "ふじんたんさく", "ソート用読み": "ふしんたんさく", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「探偵趣味」1927(昭和2)年3月", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-07-04T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card917.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集3", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年8月24日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "1997(平成9)年4月15日第2刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "江村秀之", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/917_ruby_22018.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-03-10T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/917_22019.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-03-10T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "ふたりで夫婦になったら、今迄よりもっともっと恥かしくなるよ", "ほんとですわねえ。とても村には居られませんよ。けれどもみんな心配しているでしょうね", "しかたがない。こうして出かけなければ、一生涯に外に出る時は無いからね", "ほんとに情のう御座います。どうかして私たちの身体を当り前の人のようにする工夫は無いのでしょうか。私はいつもそのことを思うと悲しくて……" ], [ "まあ、あなたは何て弱い方でしょう。私がおぶってあげましょうか。あたしはこんなに瘠せてても、力はトテモ強いんですよ", "馬鹿なことを云うもんじゃない。おれは人の三倍も四倍も重たいんだぞ。そんなことをして、大切なお前が二つに折れでもしたら大変じゃないか", "いいえ、大丈夫ですよ。私は人の五倍も六倍も力があるのですから", "いけないいけない。そんなことをしたらなお人に笑われる。それより休んだ方がいい。ああ、くたびれた", "でも、あとから村の人が追っかけて来ますよ", "虎が追っかけて来たって、おれはもう動くことが出来ない。休もう休もう" ], [ "何だ、草ばかりで見えやしない", "そんなことがあるもんですか。ソレ御覧なさい" ], [ "これあ大変なお客様だ。折角無代価で乗ってもらおうと思っているのに、二人共乗れないとは困ったな", "おれも乗りたいけれども、これじゃ仕方がない", "もうよしましょうや。あなたも些し辛棒しておあるきなさいよ" ], [ "うまいことを思い付いた。二人とも馬車の屋根に乗んなさい。私がソロソロあるかせるから", "ウン、それはいい思い付きだ" ], [ "珍らしい夫婦だな", "兄妹だろうか", "女の方は飴の人形を引き延したようだ", "男の方はまるで踏み潰したようだ", "どこへ行く人だろう", "都へ見世物になりに行くんだろう", "見世物になったら大評判だろうな", "今なら無料だ", "ヤア無料の見世物だ。みんな、来い来い。世界一の珍らしい夫婦だ。無料だ無料だ" ], [ "チョット待て。何だかたいそういいにおいがする", "ほんとにおいしいにおいがしますね", "ああ、おれはあの臭をきいたので、お腹がすっかりすいちゃった", "まあ。あなたは喰いしんぼうね", "だって、ゆうべから何もたべないんだもの", "あたしなんか何日御飯をたべなくとも何ともないわ", "おれあ日に十ペン御飯をたべても構わない。ああ、御飯がたべたい", "そんな大きな声を出すものじゃありませんよ" ], [ "このにおいは、御飯のにおいと、葱と豆腐のおみおつけの臭だが、一体どこから来るのだろう", "そんな卑しいことを云うもんじゃありません。よその朝御飯ですから駄目ですよ", "イヤ。あれを見ろ。あの森のかげにめしやと書いて旗が出ている。あすこだあすこだ" ], [ "これは不思議だ。足は男のようだが、声は女の子の声だ", "変だな", "面白いな", "奇妙だな", "何でもいいから早く引っぱり出して見よう。そうすればわかる", "そうだそうだ" ], [ "これはどうだ。中々抜けない", "どうしたらいいだろう", "仕方がない。車仕掛けで引き上げよう", "そうだそうだ。それがいいそれがいい" ], [ "仕方がないから鍬を持って来て、まわりから掘り出そう", "それがいいそれがいい" ], [ "サア、人間掘りだ人間掘りだ", "まだ生きているんだぞ", "怪我させぬように掘出せ掘出せ" ], [ "私はこの橋の番人だがね。お前さん方はこの橋を渡るならば渡り賃を置いて行かねばなりませんよ", "そうですか。おいくらですか" ], [ "この婆は飛んでもない奴だ。貴様はだれに云いつかってこの橋の渡り賃を取るのだ", "生意気なことをお云いでない。あの向うの橋の渡り口を御覧……あすこにお役所があるだろう。あのお役所の云い付けでここに番をしているのが、お前さんたちはわからないか。愚図愚図云うとお前さんたちの首に縄をつけて、あすこのお役人の所へ連れて行つて獄屋に打ち込んでしまうが、いいかい" ], [ "いけない。いくらお役人に頼まれていても、一人の人間から二人前のお金を取っていいことはあるまい。何でも一銭でこの橋を渡らせろ", "いけない。そんなことを云うなら、もう百円出してもこの橋は渡らせない。喧嘩するならお出で。私が相手になってやる", "何を、この糞婆ア" ], [ "お役人様。この夫婦は泥棒ですよ。橋賃を払わずにこの橋を渡ったのです", "いいえ、違います" ], [ "あなたが初め私達二人に倍のお金を払えと云ったから、私たちは河を渡ったのです", "ウン、そんなら橋賃は払わなくてもいい" ], [ "私たちは見かけの通り、身体が長過ぎたり太過ぎたりするものですが、この町に私達の身体を当り前に治してくれるお医者さんは無いでしょうか", "それはよいお医者があります" ], [ "この町の外れに一軒のきたないお医者様の家があります。そこの御主人は無茶先生と云って、無茶なことをするので名高いのですが、どんな無茶なことをされてもそれを我慢していると、不思議にいろんな病気がなおるのです", "フーン。その無茶とはどんなことをするのだ" ], [ "それはいろいろありますが、わるいものをたべてお腹が痛いと云うと、口から手を突込んで腹の中をかきまわしたり、眼がわるいと云うと、クリ抜いて、よく洗って、お薬をふりかけて、又もとの穴に入れたりなされます", "ワー大変だ。そんな恐ろしいお医者は御免だ", "そうで御座いましょう。どなたもそれが恐ろしいので、その無茶先生のところへは行かれませぬ。そのために無茶先生はいつも貧乏です", "もうほかにお医者は無いか", "そうですね。只今ちょっと思い出しませんが", "そうかい。又上手なお医者があったら知らせておくれ", "かしこまりました" ], [ "おそろしやおそろしや。そんなお医者のところへ行って、殺されたらどうする", "でも、どんな病気でも治るというではありませんか。一度ぐらい殺されても、又生き上ればよいではありませぬか", "お前は女の癖に途方もないことを云う奴だ。もし生き上らなかったらどうする", "そんなことをおっしゃっても、あなたはまだそのお医者が上手か下手か御存じないでしょう", "お前も知らないだろう", "ですから試しに行って見ようではありませんか。もしその先生のおかげで私たちの身体が当り前になれば、こんな芽出度いことはないでしょう" ], [ "あなたはどんなことをして私の身体を治して下さるのですか", "アハハハハハハ。貴様はよっぽど弱虫だな。そんなことではお前の身体は治らないぞ。おれは貴様の背骨を引き抜いて長くしておいて、それにお前の身体を引きのばしたのを引っかけるのだ", "ワッ" ], [ "それは痛くはありませんか", "いいや、ちっとも痛いことはない。睡らしておいて、その間に済ませてしまうのだから", "ああ、安心した。それじゃやってもらおう" ], [ "アッハッハッ。貴様たちは夫婦共揃って弱虫だな。お前の方もおんなじことだよ。ちっとも知らない間に治すのだよ。しかし、そんなに恐ろしがるなら、ちっと面倒臭いが早く済むようにしてやろう。お前達はこれから獣の市場へ行って、生きた鹿と猪を一匹宛買って来い。女の方には猪の背骨を入れて背を低くしてやる。男の方には鹿の背骨を入れて背を高くしてやる", "エッ、猪と鹿の骨を" ], [ "どうして逃げるのだ。前には鉄の棒が立っているし、うしろの入り口には鍵がかかっているし、どこからも出るところは無いではないか", "待って入らっしゃい。今にわかります。私が先に出て、あとからあなたが出られるようにして上げますから、ジッとして待っていらっしゃい" ], [ "早く入り口をあけろあけろ", "あの看板に出ている珍らしい夫婦を見せろ見せろ" ], [ "アハハハハハハハ。鹿と猪の代りに馬と豚をつれて来たのは面白いな。お前たちさえよければ馬と豚の背骨でも構わない。入れかえてやろう。その代り鹿や猪よりも太くて、しかも長く持たないぞ", "ヘエ。どれ位持つでしょうか", "そうだな。鹿の背骨が千年持つならば、馬の背骨は五百年持つ。それから猪のがやはり千年持てば、豚のもやはりその半分の五百年持つのだ", "それなら大丈夫です。私達は五百年の千年のと生きる筈はありませんから、せいぜいもう百年持てばいいのです", "馬鹿野郎。まだ自分が死にもせぬのに、五百年生きるか千年生きるかどうしてわかる", "ヤ。こいつは一本参りましたね" ], [ "それじゃ私たちは五百年も生きるでしょうか", "生きるとも生きるとも。馬や豚の背骨の中におれが長生きの薬を詰めて入れておけば、五百年位はわけなく生きる", "ヤッ。そいつは有り難い。それじゃすぐに入れ換えて下さい", "よし。こっちへ来い" ], [ "何だって止めるのだ。この金槌で豚吉の頭をなぐるばかりだ", "マア、怖ろしい。そうしたら私の大切な豚吉さんは死んでしまうじゃありませんか", "ウン、死ぬよ", "死んだものに背骨を入れかえて背丈を高くしても、何の役に立ちますか", "アハハハハ" ], [ "何だろう", "どうしたのだろう", "行って見ろ行って見ろ", "ワイワイワイワイ" ], [ "アア、驚いた。いくら死ななくても、あの金槌でゴツンとやられるのは御免だ", "ホントに恐ろしゅう御座いましたね" ], [ "おれあもう諦めた。一生涯片輪でもいい。おれたちの片輪を治してくれるお医者は無いものと思ってあきらめよう", "ほんとに。あんな恐ろしい眼に遇うよりも片輪でいた方がいいかも知れません" ], [ "いけませんいけません。あなた方より先にこの宿に泊っている人でこの宿屋は一パイなのです", "この野郎、嘘を吐くか" ], [ "どこだどこだ", "下の方には居ないようだ", "二階だ二階だ" ], [ "あっちへ逃げたぞ", "こっちへ来たぞ" ], [ "何という騒ぎだろう", "戦争でしょうか", "鉄砲の音がしない", "火事だろうか", "煙が見えない", "何だろう何だろう", "行って見ろ行って見ろ" ], [ "あの橋を無理に渡って、こんな馬鹿ばかり居る町に来たからこんな眼に会うのだ", "そうじゃありません。音なしくあの見世物師の云うことをきいて見世物になっておれば、こんなことにならなかったのです。檻を破ったり何かした罰です", "そうじゃない。あの無茶先生に診せに行ったのがわるかったんだ", "そうじゃありません。あの無茶先生がせっかく治してやろうとおっしゃったのを、逃げ出したからわるいのです", "そうじゃない。お前がおれをこんなに背中に結び付けて、屋根の上を走ったりするもんだからこんな騒ぎになるのだ。お前は馬鹿だよ", "馬鹿でもほかに仕方がありませんもの……", "ああ、飛んだ女と夫婦になった", "そんなら知りません。あなたをここに捨てて逃げてゆきます", "イケナイ。そんなことをすると喰い付くぞ、この野郎" ], [ "ソレ、又逃げ出した", "あっちへ行った", "追っかけろ追っかけろ" ], [ "よしよし。お前達がそんなにあやまるならば、今度は背骨だけでなく、身体中すっかりたたき直して、ビックリする位立派な人間に作りかえてやろう", "ええっ。そんなことが出来ますか", "ウン、出来るとも出来るとも。お前達はおれの腕前を知らないからそんなことを云うけれども、おれが持っている薬の力ならば、どんなことでも出来ないことはないのだ", "ありがとう御座います。それではすぐに治して下さい", "イヤイヤ、ここでは出来ぬ。それには支度が要るから、どこか鍛冶屋へ行かなければ駄目だ。今からすぐ行くことにしよう" ], [ "ワーッ、ワーッ", "あすこの家に珍らしい夫婦が逃げ込んだ", "無茶先生の家だ無茶先生の家だ", "それ、押しかけろ押しかけろ" ], [ "そうだ。貴様は何だ", "おれはこの町の喧嘩の大将だが、今貴様のうちにヒョロ長い女がまん丸い男をおぶって逃げ込んだから捕まえに来たんだ", "何だってその夫婦を捕まえるんだ", "その夫婦は奇妙な姿で屋根から屋根へ飛び渡って町中を騒がしたんだ。そのため怪我人や死んだものが出来たんだ。それだから捕まえに来たんだ", "馬鹿野郎。貴様たちがその夫婦を無理に見ようとしたから夫婦が逃げ出したんだろう。貴様たちの方がわるいのだ", "こん畜生。貴様はあの夫婦に加勢をして、おれ達に見せまいとするのか", "そんな夫婦はおれの処に居ない", "居ないことがあるものか。あの屋根を見ろ。あんなに破れている。あすこから落ちこんだに違いない", "そんなら云ってきかせる。夫婦はうちに居るけれども、貴様たちに渡すことは出来ない", "こん畜生。貴様はおれがどれ位強いか知ってるか", "知らない。いくら強くても構わない。おれが今追い払ってやる", "追い払えるなら追い払って見ろ", "ようし。見ていろ" ], [ "ハクションハクション", "ヘキシンヘキシン", "フクシンフクシン", "ファークショファークショ", "ハアーッホンハアーッホン" ], [ "私は番頭です", "何、番頭。私の処にはあなたのような黒ん坊の番頭さんは居りません", "エエッ。私が黒ん坊ですって。ああ、情ない。そんならやっぱりあの魔法使いにやられたのだ" ], [ "貴様のうちに泊めてくれないからだ", "何、泊めてくれないからだ", "そうだ。だから泊めてくれるまでここを動かないつもりだ" ], [ "馬鹿なことを云うな。おれのうちは貴様みたような生蕃人や、そんな片輪者なぞを泊めるようなうちじゃない。出てゆけ出てゆけ。泊めることはならぬ", "アハハハハハ" ], [ "今に見ていろ。きっと、どうぞお泊り下さいと泣いて頼むようになるから", "何糞。いくら貴様が魔法使いでも、おれはちっとも怖かないぞ。出てゆかねばこうだぞ" ], [ "それ見ろ。おれの云う通りだ。そんなら泊ってやるからうんと御馳走するのだぞ", "ヘイヘイ。どんな御馳走でもいたします", "よし。それじゃ教えてやる。みんなの顔が黒くなったのは、この煙草の脂がくっついたのだ。だからお酒で洗えばすっかり落ちてしまう。サア、おれたちにもお酒を入れた風呂を沸かしてくれ。そうして、おれには特別にあとでお酒を沢山に持って来い。この煙草を吸ったので腹の中まで真黒になったから、お酒を飲んで洗わなくちゃならん。サア、豚吉も来い。ヒョロ子も来い" ], [ "おお。どんな病気でも治してやる。その代り一人治せばお酒を一斗宛飲むぞ", "それじゃお酒を一斗差し上げますから、私の妻の病気を治して下さいませぬか", "どんな病気だ", "何だかいつも頭が痛いと申しまして、御飯を食べる時のほか寝てばかりおりますが、どんなお医者に見せましても治りませぬ", "よし、すぐに連れて来い", "かしこまりました" ], [ "ああ、ビックリしました。先生は何というエライお方でしょう。それではお序に私の息子の病気も治していただけますまいか", "フーン。貴様の息子の病気は何だ", "ヘエ。私の息子の病気は、いつもお腹が痛いお腹が痛いと云うて学校を休むのです。どんなお医者に見せても治りません", "そうか。それはわけはない。おれが見なくとも病気はなおる", "ヘエ。どうすればなおります", "朝の御飯を喰べさせるな", "そうすればなおりますか", "そればかりではいけない。昼のお弁当を息子に持たせずに、学校の先生の処へお使いに持たしてやれ。どんなことがあっても朝御飯と昼御飯をうちで喰べさせるな。そうすればお腹が空くからイヤでも学校に行くようになる", "成るほど。よくわかりました", "サア。酒をもう一斗持って来い", "ヘイ、只今持って来させます。それでは序に私のおやじがカンシャク持ちで困りますから、それも治して下さいませ", "よしよし、つれて来い" ], [ "よし。そんなら何万年経ってもきっと死なないようにしてやる。その代り、おれの云うことをみんなきくか", "ききますききます。私もどうぞヒョロ子と一所に何万年経っても死なないようにして下さい" ], [ "もう、とてもお酒は飲めませぬ", "踊りも踊れませぬ", "早く死なないようにして下さい" ], [ "その鉄槌で何をなさるのですか", "これでみんなの頭をたたき割って殺して終うのだ。いいか。一度死んでしまえば、今度はお前たちの望みどおりいつまでも死なないのだぞ。サア、覚悟しろ" ], [ "アハハハハ。そんなに沢山飲みもせぬのにヒドク酔っ払ったな。よしよし。そのまんま寝ていろ。コレ、豚吉、心配するな。今云ったのはおどかしだ。お前たちを殺そうなぞと俺が思うものか。出来ないことを頼むから、ちょっと胡魔化して踊らせてやったのだ", "エッ。それじゃ今のは冗談ですか", "そうだとも", "ああ、安心した。それじゃもっとお酒を飲みます", "サア飲め、沢山ある。おれも飲もう" ], [ "大きな声を出すと斬ってしまうぞ。只おれが尋ねることだけ返事しろ。貴様の処には髪毛や髭を蓬々と生やした真裸の怖い顔の男と、背の高い女と低い男の三人が昨夜から泊まっているだろう", "ヘヘイ" ], [ "その三人をおれたちは捕えに来たのだ。さあ、そいつどもの居る室に案内をしろ", "カ、カシコマリマシタ" ], [ "アハハハ。何だ、貴様たちは", "兵隊だ", "何しに来た", "貴様たち三人を捕まえに来た", "お前たちの鼻の頭にかぶせた布片は何だ", "これは昨日のように貴様に香水を嗅がせられない要心だ", "アハハハハ。いつおれが貴様たちに香水を嗅がせた", "この野郎。隠そうと思ったって知っているぞ。貴様は無茶先生だろう", "馬鹿を云え。おれは塩漬け売りだ。この通り荷物を作って、夜が明けたらすぐに売りに出かけようとするところだ。第一、貴様たち三人を捕えに来たと云うが、この室中にはおれ一人しか居ないじゃないか。ほかに居るなら探して見ろ" ], [ "この嘘吐きの魔法使いめ。貴様が今しがた人間を塩漬けにしていたのを、おれはちゃんと見ていたぞ。そうして、一人しか居ないなぞと胡魔化そうとしたって駄目だぞ", "アハハハハ。見ていたか" ], [ "見ていたのなら仕方がない。いかにもおれは自分が助かりたいばっかりに、二人の仲間を殺して塩漬けにしてしまった。サア、捕えるなら捕えて見ろ", "何をッ……ソレッ" ], [ "アア、大変だ。咽喉がかわく咽喉がかわく。ああ、たまらない。腹の中じゅう塩だらけになったようだ", "私も口の中が焼けるようよ。ああ、たまらない" ], [ "咽喉がかわく筈だ。お前たちは塩漬けになっていたんだから", "エッ。塩漬けに……" ], [ "けれども先生、私たちはこんなに裸体になりましたがどうしましょう。このまま道は歩かれませぬが、どことかに着物はありませぬでしょうか", "まあ、待て待て" ], [ "私も早くうちへ帰りとう御座います。たった三人切りでこんな山の中をあるくのは淋しくて淋しくてたまりません", "馬鹿な" ], [ "何をつまらんことを云うのだ。お前たちは自分の姿を人が見て笑うのがつらいから村を逃げ出して来たのじゃないか。こうして山の中ばかりあるいていれば誰も笑う者が無いから、おれはお前たちをここへ連れて来たのだ。こうして一生山の中ばかりあるいていれば、これ位のん気なしあわせなことははいではないか", "エッ……先生、それでは私たちは一生こうして山の中ばかり歩いていなければならないのですか" ], [ "本当で御座います本当で御座います。もうどんなことがあっても、両親や友達を欺して村を逃げ出したりなんぞしません", "きっときっと親孝行を致します" ], [ "アッ、鍛冶屋の音が!", "人間が居る" ], [ "何だ、貴様は", "おれは山男だ", "山男が何だって鞄を持っているのだ", "この中にはおれが山の草で作った薬が一パイに詰まっているのだ。どんな病気に利く薬でもあるのだ" ], [ "ウン、その病気か。それならたった一度で利く薬がある。けれども只では遣れないぞ", "エエ。それはもう私に出来ることでお前さんの望むことなら、何でも御礼にして上げる", "それじゃ、まずこの仕事場を日の暮れるまで貸してくれ。それから町へお使いに行ってもらいたい", "それはお易い御用です。今からでもよろしゅう御座います", "よし、それではこの薬を飲め" ], [ "その病気はもう治ったのじゃないか。嘘かほんとか試しに行って見ろ。もし町へ出て眼がまわるようだったら、着物を買わずに帰って来い。その金はおれの薬の利かない罰に貴様に遣るから", "えっ、こんなに沢山のお金を?", "そうだ。その代り、何ともなかったら、着物を買って来ないと承知しないぞ", "それはもうきっと買って来ます。それじゃためしに行って来ましょう" ], [ "よしよし。助けてやるから、あの二人の身体を水から上げろ。それから貴様の家へ連れ込んで、すっかり拭き上げて、貴様の布団を着せて寝かせ", "ヘイヘイ。かしこまりました" ], [ "コレコレ。それでは貴様は今から町へ行って、さっき頼んだ買物をして来い。それから腹が減ったから、喰い物とお酒を買って来い", "ヘイヘイ。そして、その召し上りものはどんなものがよろしゅう御座りましょうか", "それは葱を百本、玉葱を百個、大根を百本、薩摩芋を百斤、それから豚と牛とを十匹、七面鳥と鶏を十羽ずつ買って来い", "えっ。それをあなたが一人で召し上るのですか", "馬鹿野郎、そんなに一人で喰えるものか。葱は白いヒゲだけ、玉葱は皮だけ、大根は首だけ、薩摩芋は頭と尻だけ、豚は尻尾だけ、牛は舌だけ、七面鳥は足だけ、鶏は鳥冠だけ喰うのだ。それからお酒は一斗買って来い。ホラ、お金を遣る", "ヘイヘイ", "それからも一度云っておくが、どんなことがあっても貴様が見たことをシャベルなよ。魔法使いだといって兵隊や巡査でも来るとうるさいから。そればかりでない。貴様のテンカンもまた昔の通りになるのだぞ", "ヘイヘイ、決して申しませぬ。それでは行って参ります" ], [ "山男さんの着物もこの店には御座いません", "そんなら、その山男はお医者だからお医者の着物を下さい", "ああ、お医者様のお召物なら上等の洋服が御座います。それを差し上げましょう", "ああ、早くそれを出して下さい" ], [ "しかし、その山男でお医者さんで魔法使いのお方は、よほど不思議なお方で御座いますね。今どこにおいでになるお方で御座いますか", "私のうちに居ります", "ヘエッ。それじゃ若い男と女の方もあなたのお家においでなのですか", "そうです", "ヘエ……。それではどうしてこのような立派なお召物がお入り用なのですか", "三人共丸裸なのです", "ヘエーッ。それはどうしたわけですか" ], [ "それではたった一つお尋ね致します。それを答えて下さればこのお金は要りません。その品物はみんな無代価であげます", "ヘエ。どんなことですか", "あなたのお家はどこですか" ], [ "そんなものは八百屋には無いよ。丸ごとならあるけれど", "ヘエ。それじゃどこにありますか", "どこにも無いよ。料理屋へ行けばハキダメに棄ててあるけれども、キタナイからダメだ。やっぱり丸ごと買うよりほかはないよ", "オヤオヤ、困ったな", "けれども、お爺さんはそんなものを買って何にするんだい" ], [ "けれども、そんなに上等のお料理を誰がおつくりになるのですか", "それは山男の魔法使い……" ], [ "私は鍛冶屋で", "かついでいるのは何だ", "山男と、鉄で作った人間二人の着物で……" ], [ "何だ。山男と鉄で作った人間に着せるのだというのか", "そうです", "フーン。それは面白い珍らしい話だ。それじゃ、この樽の中のゴミクタは何のために買ってゆくのだ", "それはその山男がたべるのです。まだこのほかに豚の尻尾と七面鳥の足と、鶏の鳥冠と牛の舌も買って来いと云いつけられました", "何だ……それは又大変な上等の料理に使うものばかりではないか。そんなものを山男が喰べるのか", "そうです", "不思議だな" ], [ "オイ爺さん。お前にきくが、今云った豚の尻尾だの何だのはこの国でも第一等の御馳走で、喰べ方がちゃんときまっているのだからいいが、この樽の中に這入っている芋の切れ端だの大根の首だの、葱の白いヒゲだの玉葱の皮だのいうものは、どうしてたべるかおれたちも知らないのだ。お前はそれをどうして食べるか知っていはしないかい", "ぞんじません。おおかたあの山男は魔法使いですから魔法のタネにするのでしょう", "何、その山男が魔法使い?", "そうです", "それじゃ、その鉄で作った人間は何にするのだ" ], [ "それは申し上げられません。どうぞお金はいくらでもあげますから、玉葱の皮と、葱の白いヒゲと大根の首と、豚の尻尾と、七面鳥の足と、牛の舌と鶏の鳥冠とを売って下さい", "それは売ってやらぬこともないけれども、そのお話をしなければ売ってやることはできない" ], [ "どうぞ、そんな意地のわるいことを云わないで売って下さい。そのお話をすると、私は又テンカンを引かなければなりませんから", "何、そのお話をするとテンカンを引く? それはいよいよ不思議な話だ。サア、そのお話をきかせろきかせろ" ], [ "あの山男は鉄槌で人間をたたき殺して、火にくべて真赤に焼いて、たたき直したりするのですから、うっかり見つかると、私共はどんな魔法にかかるかわかりません", "それはいよいよ不思議だ。なおの事その山男の魔法使いが見たくなった。是非つれて行ってくれ", "いけませんいけません" ], [ "これは不思議だ。豚吉とヒョロ子はこんな当り前の身体じゃない。それじゃ違うのかな", "いや、そうでない" ], [ "ねえ、鍛冶屋のお爺さん。お前さんは最前、その山男が人間を火に入れて焼いて、たたき直すように云ったが、その若い男や女もその山男がたたき直したのじゃないかい", "そのたたき直さない前の男は豚のようで、女の方はヒョロ長くはなかったかい" ], [ "ド、ド、何卒……ソレ、そればかりは尋ねずにおいて下さい、ワ、私が又テンカン引きになりますから", "何、テンカン引きになる", "それはどうしたわけだ", "ソ、ソレも云われません" ], [ "サア。みんな、仕事をやめろ。お客様も何も皆追い出してしまえ。そうして玉葱と、葱と、大根と芋と、豚と鶏と、七面鳥と、牛とありたけ買い集めて、車に積んで出かけろ。鍋や釜や七輪も沢山積んで、皆で押してゆけ。向うへ行って御馳走をするんだ。豚吉さんとヒョロ子さんが生れかわったお祝いをするのだ。そうして、世界一のエライお医者様の無茶先生にお眼にかかるんだ。お酒もドッサリ持って行くんだぞ。そんな珍らしい人達に御馳走しておけば、おれたちの家が名高くなってドンナに繁昌するかわからない", "よろしゅう御座います" ], [ "これでよしこれでよし。それでは玉葱や何かは買って来たか", "ヘイ、買って参りました", "よし。その玉葱を一つと庖丁を持って来い", "ヘエ、たった一つですか", "そうだ", "何になさるのですか", "何でもいい。早く持って来い", "ヘイ。畏まりました" ], [ "アッ。これはたまらぬ", "何だか眼に沁みてよ" ], [ "サア、鍛冶屋のおやじ。もう何もかも話していい時が来たぞ。二人にお前が見た通りのことを話してきかせろ。そうしたら、二人が豚吉とヒョロ子夫婦であることがわかるだろう", "ヘイ。けれどもこのお話はもうよそで致しました" ], [ "何、よそで話した", "ヘイ。それにつきましてお二人にお引き合わせする人があります" ], [ "オオ、お父さん", "そう云う声は豚吉か", "アレ、お父様", "そう云う声はヒョロ子か", "お眼にかかりとう御座いました", "おれも会いたかった。けれどもまあ何という立派な姿になったものだろう", "お父様、お許し下さいませ。私たちが逃げたりなど致しましたためにどんなにか御心配をかけたことでしょう", "イヤイヤ。そのことは心配するな。もう許してやる。それよりもよく無事で居てくれた。そうしてまあ何という美しい女になったことであろう。ああ、何だか夢のようだ" ], [ "イヤ。おれも二人のおかげで思うよういたずらが出来て面白かった。もうこれから乱暴はしないから安心しろ。それから、二人の名前も今までの通りの豚吉とヒョロ子では可笑しいであろう。おれがよい名をつけてやる。これから豚吉は歌吉、ヒョロ子は広子というがいい。おれも名前を牟田先生とかえよう。サア、これからお祝いに御馳走をするのだ", "ヘイ、かしこまりました" ], [ "それでは先ず玉葱の皮と葱の白いヒゲと、大根の首と芋の切れ端とでソップを作って、歌吉と広子に飲ませてくれ。そうすると、お腹の中に残っている鉄の錆がスッカリ抜けてしまうのだ。それから豚の尾と牛の舌と、鶏の鳥冠と七面鳥の足で第一等の料理を作ってくれ", "かしこまりました" ] ]
底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年5月22日第1刷発行 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「三鳥山人《みどりさんじん》」です。 入力:柴田卓治 校正:江村秀之 2000年5月18日公開 2006年5月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "どちらも負け勝ちなしです。負け勝ちがつけたいならば、明日も一ぺん今日の処へいらっしゃい。そうしても一ぺん車のあとを押して下さい", "馬鹿にするな" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「九州日報」    1923(大正12)年11月27-28日 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「香倶土三鳥」です。 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年5月22日第1刷発行 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「萠圓《ほうえん》」です。 入力:柴田卓治 校正:もりみつじゅんじ 2000年1月19日公開 2006年5月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "……はい……", "はいではありません。子供の癖に真夜中に起きて家の中をノソノソ歩きまわるなんて……何て大胆な……恐ろしい娘でしょう……" ], [ "はい……あの……あの……泥棒が……", "……泥棒……何が泥棒です……", "あの……あの……このごろ……アムールが御飯を食べなくなりましたので……" ], [ "ほほほ。利いた風なことを言うものではありません。泥棒が家の犬を手馴ずけるために何か喰べ物でも遣っていると言うのですか", "……………", "ハッキリ返事をなさい", "……ハ……ハイ……", "何がハイです。うちのアムールは、そんなに手軽く他所の人に馴染むような馬鹿犬ではありません。それとも誰か怪しい者がこの家を狙っている証拠でもありますか", "……………", "ハッキリ返事をなさい", "ハイ……ハ……ハイ……", "あると言うのですか", "……………", "あなたは……どうしてソンナにしぶといのですか" ], [ "ホホホ。この手紙がどうしたんですか……何ですって……『弓子、久し振りだなあ、よもや忘れはしまい。俺は十五年前に別れたお前の夫、沼霧匡作だ』……ホホ……何だか時代めいたお芝居みたいねえ。この弓子って誰なの……え……玲子さん……。お前さん、知っている人なの?……", "……………", "どうやらお前さんの知っている人らしいわねえ。こんな手紙を持っているところを見ると……ええ……と……『俺はお前のために俺の旧悪を密告されて、網走の監獄に十五年の刑期を喰込んだ。おまけに財産の全部をお前に持逃げされてしまった』……まあ恐ろしい女ですわねえ弓子っていうのは……ねえ玲子さん……", "……………", "ええと……『それでも俺はお前を怨まなかった。こうして苦心惨憺して三年前に脱獄してからというもの、それこそ生命を削る思いをして、お前を探しまわったことを考えても、お前なしに俺が生きてゆけない人間になりきっていることが、いくらかわかるだろう』……ホホホ。いよいよ安芝居のセリフじみて来たわねえ……『それにしてもお前はこの十五年の間に立派な悪党になったなあ。たった三人ではあったが東京の岡田子爵、越後の甘粕少将、京都の林男爵と、世間知らずの金持華族や、軍人上りの富豪なぞと次から次に結婚して、みんなお前のお得意のコカインの中毒患者にして次から次に自殺みたいな死に方をさせてしまった。そうしてソンナ連中の遺産を一人で掻き集めて栄耀栄華にふけりながら、よく、尻尾を押えられずに来られたもんだなあ、お前は……』……まあ怖い……そんなことがホントに出来るのかしら……。第一コカインなんてどこの薬屋でもお医者以外には決して売らないのに……『しかしお前がドンナに悪智恵の逞ましい毒婦であっても、俺が出て来たらモウ駄目だぞ。俺は根高弓子というお前の真実の名前から生れ故郷の両親の顔まで知っているのだ。東京の岡田雪子、新潟の甘粕花子、京都の林百合子という三つの変名も、今のお前の変名と一緒に知っているんだ。東京と、新潟と、京都の警察が、今でも雪子、花子、百合子の名前を聞くとピインと耳を立てるに違いないことを、お前自身もよく知っているだろう。俺がお前の今の名前を書いた一銭五厘の葉書をタッタ一枚奮発しさえすれば、一週間経たない中に、お前の首に縄が巻き付くぐらいのことは最早、毒婦のお前にはわかり過ぎる位わかっているだろう』……まあ。脅迫してんのよ。この男の方が、よっぽど悪党だわ。ねえ……", "……………", "……きっと脅迫してお金にしようと思っているのよ、この男は……『けれども俺は、お前の今の仕事の邪魔をしようと思っているのじゃないから安心しろ。その代りにこの手紙を見た瞬間からお前が、俺の命令に絶対に服従しなければならぬことだけは、もうトックに覚悟しているだろう。一銭五厘のねうちが、どんなに恐ろしいものか、知り過ぎるくらい、知っているだろう。そうして俺の眼が、夜も昼も、お前の身のまわりに光っていることだけは感じているだろう』……" ], [ "『俺はお前に命令する。お前の家の金庫を開く暗号は、お前が知っている筈だ。お前はこの二三日の中にお前の家と、お前自身の全財産を現金に換えてしまえ。そうしてその仕事が済んだら、お前の寝室に青でも赤でもいいから色の変った電燈を点けろ。俺が直ぐに迎えに行く。犬は殺しておく方がいい。女中と、この手紙を持って行く娘は麻酔薬か何かで眠らせておけ。麻酔薬がなければ夕食後に殺しておいてもいい。後は俺が引受ける。絶対に誰にもわからない、お前にも決して面倒をかけない方法で片付けてやる。心配するな』……", "……………" ], [ "……あの……ルンペンみたいな人……", "いくつぐらいの人だったの", "……あの……よくわかりませんでしたけど、四十か五十くらいの髯をボオボオと生やした怖い顔の人……", "ホホホホ。まあ呆れた人ねえ玲子さんは……あなたはねえ。きっと雑誌の小説ばかり読んでいるお蔭で、あたまが変テコになっていんのよ。だからコンナ手紙を貰うと、すぐに探偵小説みたいなことを考えて、夜中に起きたり何かして心配すんのよ", "……………", "この手紙はねえ。玲子さん。このごろ流行る幸運の手紙とおんなじに誰か物好きな人間がイタズラをするために出したものなのよ。その証拠にウチの大沢という名字がどこにも書いてないじゃないの。大抵のうちに当てはまるように書いてあるじゃないの。東京の郊外で主人が留守勝で、奥さんが後妻で、娘があって、犬が飼ってある家だったら、そこいらにイクラでもある筈なんですからね。そんな家の娘にこの手紙をことづけて、中味を娘に知らしたら家庭悲劇を起させるくらい何でもないのですからね。そうしてその娘が本気に母親の悪いことを信じて、家を飛び出すか何かしたら、この手紙を出した悪戯の目的が達するのよ。この頃はソンナ悪戯を道楽にする人間がチョイチョイ方々に出て来るのよ。……ことによるとこれはソンナ風にして玲子さんを欺して家を飛び出さして、どこかへ親切ごかしに誘拐するつもりで出した手紙かも知れないね。そうして玲子さんはもう半分がトコ欺されていたのかも知れないわ。ねえ玲子さん……そうじゃない……ホホホ", "……………", "お母さんがいなかったら玲子さんは大変なことを仕出かして終うところだったかも知れないわ。……お母さんは玲子さんよりも年上です。玲子さんよりもズッとよく世間を知っているのですからね。こんな馬鹿な脅迫状にひっかかるような意気地のない、馬鹿な女じゃないのですからね。きょうにも夜が明けたら警視庁へ電話をかけて、この手紙のことを知らせれば直ぐにこの字を書いた本人が捕まるのですからね。そうしたらその男の正体がわかるでしょう。あたしが、そんな根高弓子なんていう女とは似ても似つかない女であることがハッキリするでしょう。……わかって玲子さん……" ], [ "玲子さん。屍体に触っちゃいけません。もうジキ警察の人が来ますから……", "アラッ……中林先生……" ], [ "玲子さん……僕は今のお母さんが初めてこの家に来られた時からこの女はイケナイ人だ……玲子さんのためにならない人だということを看破っていたのです。ですからこの家に来るのをやめて、あの女のすることを眼も離さずに見張っていたのです。玲子さんにも早く打ち明けようと思っていたのですが、玲子さんは頭はステキにいいんですけども心がトテモ正直ですから、もし僕が、あの女を疑っていることが、玲子さんを通じてあの女にわかって用心させるといけないと思いましたから、わざと黙っていて、あの女が玲子さんをイジメるのを知らん顔して見ていたのです。あなたも辛かったでしょう。しかし僕も辛かったですよ。ほんとにほんとにすみませんでした", "イイエイイエ。先生。先生を怨む気持なんか……あたし……あたし……", "まあまあ落ちついて聞いて下さい。あなたが、それでもあの女をホントの母親のように思って心から慕い、敬っていられるのを見て、僕がドンナに感心したことか……そうしてドンナに心配したことか……ね。玲子さん。わかって下さるでしょう、僕の心持は……", "ええ。ええ。あたし先生ばっかりを、おたよりに……", "そればかりじゃありません。毎日のようにお講義を聞いている大沢先生が日に増しお顔色が悪くなってゆかれるのに気がついた僕がどんなに気を揉んだことか……大沢先生は世界に知られている鳥の学者ですからね。いつまでもいつまでも生きていて頂かなければならぬ日本の国宝ともいうべき貴い方ですからね……それで思い切ってある日のこと大学校で大沢先生にお眼にかかって聞いてみると、大沢先生が御自分はお気づきにならないまんまにあの女から毒殺されかけておいでになることが、僕にハッキリとわかったのです。大沢先生は去年の秋口のある晩のこと、蒲団が薄かったので鼻風邪を引かれたのです。それで鼻が詰まってしまってアンマリ不愉快なので学校を休もうかと思っていられるところへ、あの女がすすめてコカインの霧吹器で先生の鼻の穴を吹いて上げると瞬く間に鼻がスッと透って、頭がハッキリして来ましたので、先生は大喜びで、そのスプレーをポケットに入れて学校に来られました。そうしてソレ以来、風邪を引かれなくとも頭をハッキリさせるために彼女の調合したコカインとアドレナレンのスプレーで鼻の穴をプープー吹かれるようになって、とうとう本物のコカイン中毒になられたのです。しかもそのコカインの分量をあの女がグングン強めて行ったのに違いありません。そうして大沢先生の心臓をグングン弱めて行ったに違いないのです。あの女は現在横浜の西洋人のお医者を情夫に持っているのですからね。そこから密輸入のコカインを自由自在に手に入れているに違いありません。そうして最後には何かモット強い……たとえば青酸加里か何かをスプレーの薬に使って、コカイン中毒で死なれたように見せかけるつもりだったのでしょう。トテモ怖ろしい女だったのですよ。アレは……ね。そうでしょう玲子さん" ], [ "けれども玲子さん。お父さんのことは心配しなくともいいです。大沢先生が信州へ行かれたのは嘘なのです。先生は今東京の大学病院に這入ってコカイン中毒の治療をしておられるのですよ。そのうちに元気になって帰っておいでになるでしょう", "まあッ……ホント……" ] ]
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年10月22日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:mineko 2000年12月29日公開 2006年2月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "ああ、きっと武雄さんよ。あたし困っちまうわ。眼鏡がなくちゃ、晩のお支度が出来やしない", "弱ったな。俺も眼鏡が無くちゃ、向うへ行って用が足せない。仕方がない。やめる事にしよう", "わたしも縫い物が出来やせん。お母さんが亡くなってからほんとに武雄はわるくなった" ] ]
底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年5月22日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:もりみつじゅんじ 2000年1月19日公開 2006年2月21日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "まあ……どうして御存じで……主人はいつも御酒を頂きますたんびに重曹と、酒石酸を用いましたので……そうしないと二日酔をすると申しまして、御酒を頂きますたんびに……", "それは夜中にお眼醒めになった時に、お一人でコッソリなさるのでしょう" ], [ "……まあ……よく御存じで……", "その酒石酸の瓶をチョット拝見さして頂けますまいか", "ハイ。この瓶で御座います" ] ]
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年10月22日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:しず 2001年1月16日公開 2006年2月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "ハハッ。御意には御座りまするが……御言葉を返すは、恐れ多うは御座りまするが、何卒、格別の御憐憫をもちましてお眼こぼしの程……薩藩への聞こえも如何かと存じますれば……", "……ナニッ……何と言う……" ], [ "タ……タワケ奴がッ。島津が何とした。他藩の武士を断りもなく恩寵して、晴れがましく褒美なんどと……余を踏み付けに致したも同然じゃ。仕儀によっては与九郎奴を、肥後、薩摩の境い目まで引っ立てて討ち放せ。その趣意を捨札にして、あすこに晒首にして参れ。他藩主の恩賞なんどを無作と懐中に入れるような奴は謀反、裏切者と同然の奴じゃ。天亀、天正の昔も今と同じ事じゃ。わかったか", "ハハ。一々御尤も……", "肥後殿も悪しゅうは計ろうまい。薩藩とは犬と猿同然の仲じゃけにの……即刻に取計らえ……", "ハハ。追放……追放致しまする。追放……あり難き仕合わせ……", "ウム。塙代与九郎奴は切腹も許さぬぞ。万一切腹しおったらその方の落度ぞ。不埒な奴じゃ。黒田武士の名折れじゃ。屹度申付けて向後の見せしめにせい。心得たか。……立てッ……" ], [ "よいところへ……ちょっとこちらへ御足労を……少々内談が御座る。折入ってな……", "内談とは……", "御老体のお知恵が拝借したい", "これは改まった……御貴殿の御分別は城内一と……ハハ……追従では御座らぬ。それに上越す知恵なぞはトテモ拙者に……ハハ……", "仰せられな。コレコレ坊主、茶を持て……" ], [ "余の儀でも御座らぬ。御承知の塙代与九郎昌秋のう", "ハハ……あの薩州拝みの……", "シッ……その事じゃ。あの増長者奴が、一昨年の夏、あの宗像大島の島司になっているうちに、朝鮮通いの薩州藩の難船を助けて、船繕いをさせた上に、病人どもを手厚う介抱して帰らせたという……な……", "左様左様。その船は実をいうと禁断のオロシャ通いで、表向きに世話すると八釜しいげなが……", "ソレじゃ。そこでその謝礼とあって今年の春の事、薩州から内密に大島の塙代の家へ船を廻して、莫大もない金銀と、延寿国資の銘刀と、薩摩焼御紋入りのギヤマンのお茶器なんどいう大層な物を、御使者の手から直々に塙代与九郎へ賜わったという話な……御存じじゃろうが", "存じませいでか。与九郎はこれが大自慢でチト性根が狂うとるという話も存じておりまする。つまりその薩州小判で、蓮池の自宅の奥に数寄を凝らいた茶室を造って、お八代に七代とかいう姉妹の遊女を知行所の娘と佯って、妾にして引籠もり、菖蒲のお節句にも病気と称して殿の御機嫌を伺わなんだ。馬術の門弟もちりぢりになって散々の体裁じゃ。のみならず出会う人毎に、薩州は大藩じゃ。違うたもんじゃ違うたもんじゃとギヤマン茶碗や、延寿の刀や、姉妹の妾を見せびらかして吹聴致しているので皆、顔を背向けている。あのような奴は藩の恥辱じゃから討って棄てようか……なぞと、部屋住みの若い者の中にはイキリ立つ者も在るげで御座るが、何にせいかの与九郎はモウ白髪頭ではあるが、一刀流の自信の者じゃで、皆二の足を踏んでいる……というモッパラの評判で御座るてや", "フーム。よう御存じじゃのう。塙代がソレ程のタワケ者とは知らなんだ。遊女を妾にしている事や、家中の若い者の腹構えがそれ程とは夢にも……", "アハハハ。左様な立入った詮議は大目付殿のお耳には却て這入らぬものじゃでのう。……して今日のお召はその事で……", "まったくその事で御座る。番座限のお話で御座るが……", "心得ました。八幡口外は仕らぬ", "忝のう御座る。おおかたお側の女どもの噂からお耳に入ったことと思うが、殿の仰せには、薩藩から余に一言の会釈もせいで、黒田藩士に直々の恩賞沙汰は、この忠之を眼中に置かぬ島津の無礼じゃ。又、塙代奴が余の許しも受けいで、無作と他藩の恩賞を受けるとは不埒千万。不得心この上もない奴じゃ。棄ておいては当藩の示しにならぬ。家禄を召上げて追放せい。切腹も許さぬ……という厳しい御沙汰じゃが……", "それは殿のお言葉が、恐れながら順当で御座ろう。とやかく申しても当、上様は御名君のう。天晴れな御意……申分御座らぬ……" ], [ "……これは如何なこと……御老人までがその連れでは拙者、立つ瀬が御座らぬ。塙代与九郎の家は三百五十石、馬廻りの小禄とは申せ、先代与五兵衛尉が、禁裡馬術の名誉以来、当藩馬術の指南番として、太刀折紙の礼を許されている大組格の名家じゃ。取潰すとあれば親類縁者が一騒動起すであろう", "イヤ。大騒動を起させるが宜う御座ろう。却て見せしめになりましょうぞ", "いかなこと。殿の御意もそこで御座る", "さればこそ。結構な御意……我君は御名君。老人、胸がスウーッと致した。早々与九郎を追放されませい", "ささ。それが左様手軽には参らぬ。与九郎奴の追放は薩藩への面当にも相成るでな", "イヨイヨ面白いでは御座らぬか。この頃のように泰平が続いては自然お納戸の算盤が立ち兼ねて参りまする。ドサクサ紛れに今二三十万石、どこからか切取らねばこのお城の馬糧に足らぬ。手柄があっても加増も出来ぬとあれば、当藩士の意気組は腐るばっかり。武芸出精の張合が御座らぬ。主君の御癇癖も昂まるばっかり……取潰し結構。弓矢出入り尚更結構……塙代与九郎を槍玉に挙げて、薩州のオロシャ交易を発き立てたなら、関ヶ原以来睨まれている島津の百万石じゃ。九州一円が引っくり返るような騒動になろうやら知れぬ。そうなったら島津の取潰し役は差詰め肥後で、肥後の後詰は筑前じゃ。主君の御本心もそこに存する事必定じゃ。どっちに転んでも損は無い。……この老人の算盤は、文禄、慶長の生残りでな。チィット手荒いかも知れぬが……ハッハッ……" ], [ "それが左様参れば面白いがのう。ここに一つ、面白うない事が御座るて……", "フーム。塙代与九郎奴は大目付殿の御縁辺でも御座りまするかの……言葉が過ぎたら御免下されいじゃが", "イヤイヤ。縁辺なら尚更厳しゅう取計らわねばならぬ役目柄じゃが", "赤面の至り……では何か公辺の仔細でも……", "……それじゃ……それそれ。先ずお耳を貸されい。の……これは又してもお納戸金をせびるのでは御座らぬが、この頃の手前役柄の入費が尋常でない事は、最早お察しで御座ろうの……", "察しませぬでか。不審千万に存じておりまする", "御不審御尤も……実は江戸からチラチラと隠密が入込んでおりまする", "ゲエッ……早や来ておりまするか", "シイッ……黒封印(極秘密)で御座るぞ。……主君の御気象が、大公儀へは余程、大袈裟に聞こえていると見えてのう。この程、大阪乞食の傀儡師や江戸のヨカヨカ飴屋、越後方言の蚊帳売りなぞに変化して、大公儀の隠密が入込みおる。城内の様子を探りおる……という目明し共の取沙汰じゃ。コチラも抜からず足を付けて見張らせている。イザとなれば一人洩らさず大濠へ溺殺にする手配りを致しているがのう……油断も隙もならぬ。名君、勇君とあれば、御連枝でも構わず取潰すが、三代以後の大公儀の目安(方針)らしい。尤も島津は太閤様以来栄螺の蓋を固めて、指一本指させぬ天険に隠れておるけに、徳川も諦めておろう。……されば九州で危いのはまず黒田と細川(熊本)であろう……と備後殿(栗山)も美作殿(黒田)も吾儕に仰せ聞けられたでのう。そのような折柄に、左様な申立てで塙代奴を取潰いて、薩州と事を構えたならば却って手火事を焼き出そうやら知れぬ。どのように間違うた尾鰭が付いて、どのような片手落の御沙汰が大公儀から下ろうやら知れぬ。それが主君の御癇癖に触れる。大公儀の御沙汰に当藩が承服せぬとなったら、そこがそのまま大公儀の付け目じゃ。越前宰相殿、駿河大納言殿の先例も近いこと。千丈の堤も蟻の一穴から……他所事では御座らぬわい。拙者の苦労は、その一つで御座る", "フーム。いかにものう" ], [ "成る程のう。そこまでは気付かなんだ。……しかし主君はその辺に、お気が付かせられておりまするかのう", "御存じないかも知れぬが、申上げても同じ事じゃろう", "ホホオ。それは又、何故に……", "余が家来を余が処置するに、何の不思議がある。……黒田忠之を、生命惜しさに首を縮めている他所の亀の子大名と一列とばし了簡違いすな……。そのような立ち入った咎め立てするならば、明国、韓国、島津に対する九州の押え大名は、こちらから御免を蒙る。龍造寺、大友の末路を学ぶとも、天下の勢を引受けて一戦してみようと仰せられる事は必定じゃ。大体、主君の御不満の底にはソレが蟠まっておるでのう。その武勇の御望みが、御一代押え通せるか、通せぬかが当藩の運命のわかれ道……", "言語道断……そのような事になっては一大事じゃ。ハテ。何としたもので御座ろう", "さればこそ、先程よりお尋ね申すのじゃ。よいお知恵は御座らぬか", "御座らぬ" ], [ "五十五万石の中にこれ以上の知恵の出るところは無いからのう", "吾々如きがお納戸役ではのう", "今の塙代与九郎は隠居で御座ったの" ], [ "さようさよう。通町の西村家から養子に参って只今隠居しておりまするが、伜の与十郎夫婦は、いずれも早世致して、只今は取って十三か四に相成る孫の与一が家督致しておりまする。采配は申す迄もなく祖父の与九郎が握っておりましょうが、孫の与一も小柄では御座るがナカナカの発明で、四書五経の素読が八歳の時に相済み、大坪流の馬術、揚真流の居合なんど、免許同然の美事なもの……祖父の与九郎が大自慢という取沙汰で御座りまする", "ウーム。惜しい事で御座るのう。その与九郎の里方、西村家の者で、与九郎の不行跡を諫める者は居りませぬかのう", "西村家は大組千二百石で御座るが、一家揃うての好人物でのう。手はよく書くので評判じゃが", "ハハハ。武士に文字は要らぬもので御座るのう。このような場合……", "その事で御座る。しかし与九郎が不行跡を改めましたならば、助ける御工夫が御座りまするかの。大目付殿に……", "さよう。与九郎が妾どもを逐い出して、見違えるほど謹しんだならば、今一度、御前体を取做すよすがになるかも知れぬが……しかし殿の御景色がこう早急ではのう", "さればで御座るのう……御役目の御難儀、お察し申しまするわい", "申上げます。アノ申上げます" ], [ "アノ……何と申上げましょうか", "ウム。先刻退出したと申上げてくれい", "かしこまりました" ], [ "……まずこの通りで御座る。殿の御性急には困り入る。すぐに処分をしに行かねば、お気に入らぬでのう", "大目付殿ジカに与九郎へ申渡されますか", "イヤ。とりあえず里方西村家へこの事を申入れて諫めさせる。諫めを用いぬ時には追放と達したならば、如何な与九郎も一と縮みで御座ろう。万事はその上で申聞ける所存じゃ。……手ぬるいとお叱りを受けるかも知れぬが、所詮、覚悟の前で御座る。ハハハ", "大目付殿の御慈悲……家中の者も感佩仕るで御座ろう。その御心中がわからぬ与九郎でも御座るまいが……" ], [ "大目付殿……お立ちイイ……", "コレッ……ひそかにッ……" ], [ "面白い。一言申残しておくが、吾儕は徒らに女色に溺れる腐れ武士ではないぞ。馬術の名誉のために、大島の馬牧を預ったものじゃ。薩州から良い種馬を仕入れたいばかりに、島津家と直々の交際をしたものじゃ。大名の島津と、黒田の家来格の者が対等の交際をするならば黒田藩の名誉でこそあれ。ハッハッ、それ程の器量の武士が又と二人当藩におるかおらぬか。それを賞めでもする事か、咎め立てするとは心外千万な主君じゃ。しかもそのお咎めを諫めもせずに、オメオメと承って来る大目付も大目付じゃ。当藩に武辺の心懸の者は居らんと見える。見離されても名残りはないと云うておこうか。御一統の御小言は昌秋お受け出来ませぬわい。ハッハッハッハッ……", "……………", "塙代家の禁裡馬術の名誉は薩藩にも聞こえている筈じゃ。身共と孫の扶持に事は欠くまい。薩州は大藩じゃからのう。三百石や五百石では恩にも着せまいてや。ハッハッハッ。大坪本流の馬術も当藩には残らぬ事になろうが、ハッハッハッ。コレ与一……薩州へ行こうのう。薩州は馬の本場じゃ。見事な馬ばかりじゃからのう。乗りに行こうて……のう。自宅の鹿毛と青にその方の好きなあの金覆輪の鞍置いて飛ばすれば、続く追っ手は当藩には居らぬ筈じゃ。明後日の今頃は三太郎峠を越えておろうぞ……サ……行こう……立たぬか……コレ与一……立てと言うに……" ], [ "……ヤア……そちは泣いておるな。ハハ。福岡を去るのが、それ程に名残り惜しいか。フフ。小供じゃのう。四書五経の素読は済んでも武士の意気地は解らぬと見える。ハハ", "……………", "……コレ……祖父の命令じゃ。立たぬか。伯父様や伯母様方に御暇乞いをせぬか。今生のお別れをせぬか。万一この縺れによって、黒田と島津の手切れにも相成れば弓矢の間にお眼にかかるかも知れぬと、今のうちに御挨拶をしておかぬか、ハッハッハッ。立て立て……。サッ……立ていッ……" ], [ "いいえ。今がた早馬の音が涼松の方から聞こえたけに……", "どこかの若殿の責め馬で御座んしょ", "いいえ。あたしゃ、きょうのお出ましが気にかかってならぬ", "ホホ。姉さんとした事が。考えたとてどうなろうか。……おおかた妾たちを追い出せというような、親戚がたの寄合いでがな御座んしょう……ホホ……", "ほんにお前は気の強い人……", "……妾たちの知った事じゃ御座んせぬもの。それじゃけに事が八釜しゅうなれば、わたし達を連れて薩州へ退いて見せると、大殿は言い御座ったけになあ", "あれは真実な事じゃろうかなあ、七代さん", "大殿の御気象ならヨウわかっとります。云うた事は後へ退かっしゃれんけになあ", "稚殿も連れて行かっしゃろうなあ。その時は……なあ……", "オホホ。姉さんていうたら何につけ彼につけ稚殿の事ばっかり……", "笑いなんな。あたし達の行末が、どうなる事かと思うとなあ。タッタ一度で宜えけに、あげな可愛い若殿をばシッカリと抱いて寝てみたいと思うわいな。そう思うと妾ゃ胸騒ぎがするわいな", "ホホホホホホホ。姉さんの嫌らしさ。まあだ十四ではないかな。与一ちゃまは……", "いいえ。色恋ではないわいな。わたしゃシンカラ与一ちゃんが可愛しゅうて可愛しゅうて……", "オホホホホ。可笑しい可笑しい。ハハハハ……", "ようと笑いなさい。色恋かも知れん。年寄のお守りばっかりしとると若い人が恋しゅうなる。子供でもよい。なあ七代さん。ホホホ……", "ホホホホ。ハハハハ。アハハハハハハハ" ], [ "与一ちゃま。堪忍……かんにんして……妾ゃ知らん。知らん。何にも知らん。姉さんが悪い姉さんが悪い", "畜生ッ……外道ッ……" ], [ "逃がすものか……", "アレエッ。誰か出会うてッ。与一ちゃまが乱心……ランシイ――ンン……", "おのれッ……云うかッ……おのれッ……" ], [ "与一の主君は……忠之様で御座りまするぞッ", "……ナ……ナ……何とッ……", "主君に反むく者は与一の敵……親兄弟とても……お祖父様とても許しませぬぞッ……", "おのれッ……小賢しい文句……誰が教えたッ……", "お父様と……お母様……そう仰言って……私の頭を撫で……亡くなられました……" ], [ "……与一を……お斬りなされませ。お斬り下さいませ。そうして……薩摩の国へ、お出でなされませ。のう……お祖父様……", "……ウムッ……ウムッ……" ], [ "ええッ。手を離せッ……このこの手を……", "……ハイ……" ], [ "……その上……その上……お祖父様は御養子……モトは西村家のお方ゆえ、御一存でこの家を、お潰しになってはなりませぬ。この家の御先祖様に対して、なりませぬ。……潰すならば与一が潰しまする。……与一は真実この家の血を引いたお祖母様の孫……", "ウーム。その文句も父様母様が言い聞かせたか" ], [ "与一が幼稚時に人から聞いておりまする。左様思うて、きょうも小母様を斬りました。この家の名折れと承わりましたゆえ", "ウムッ。出来いたッ" ], [ "与一ッ", "エッ……", "介錯せいッ", "ハッ……お祖父様……待ってッ。与一を斬ってッ……", "未練なッ……退けッ……" ], [ "与一ッ……", "ハイ……ハイ……", "介錯せい。介錯……", "……………", "未練な。泣くかッ", "ハイ……ハイ……", "祖父の白髪首級を、大目付に突き付けい。女どもの首と一所に……", "……ハッ……", "それでも許さねば……大目付を一太刀怨め……斬って……斬って斬死にせい……ブ……武士の意気地じゃ……早よう……早ようせい", "……ハ……ハイ……" ], [ "御意に御座りまする。祖父の昌秋と二人の側女の首級を三個、つなぎ合わせて、裸馬の首へ投げ懸けて、先刻手前役宅へ駈け込みまして、祖父の罪をお許し下されいと申入れまして御座りまする", "……まあ……何という勇ましい……いじらしい……" ], [ "フーム。途方もない小僧が居れば居るものじゃのう。昔話にも無いわい。それでその方は家名継続を許したか", "ハハ。ともかくも御前にまいって取なして遣わす故、控えおれと申し聞けまして、そのまま出仕致しましたが", "……たわけ奴がッ……" ], [ "……何で……何でそのような気休めを申した。その方の言葉に安堵した小伜が……許されたと思うて安心したその与一とやらが、その方の留守中に切腹したら何とするかッ。切腹しかねまじい奴ではないか、それ程の魂性ならば……馬鹿奴がッ……何故同道して引添うて来ぬか、ここまで……", "ハハッ。御意の程を計りかねまして、次の間に控えさせておりまするが……", "何と……次の間に控えさせておると申すか", "御意に御座りまする", "それならば何故早く左様言わぬか。大たわけ奴が。ここへ通せ……ここへ……", "ハハッ。何卒……御憐愍をもちまして、与一ことお許しの儀を……", "エエわからぬ奴じゃ。余が手討にばしすると思うかッ。それ程の奴を……褒美をくれるのじゃ。手ずから褒美を遣りたいのじゃ。わからぬか愚か者奴がッ……おお……それから納戸の者を呼べ……納戸頭を呼べ……すぐに参いれと申せ" ], [ "お眼通りであるぞ", "イヤイヤ。固うするな。手離いて遣れ", "ハハッ。不敵の者の孫で御座りまするによって、万一御無礼でも致しましては……", "イヤイヤ。要らざる遠慮じゃ。余に刃向う程の小伜なればイヨイヨ面白い。コレ小僧。与一とやら。顔を見せい。余が忠之じゃ。面を見せい" ], [ "ホホハハハ。なかなかの面魂じゃ。近頃流行の腰抜け面とは違うわい。ヨイ児じゃ、ヨイ児じゃ。近う参いれ。モソッと寄りゃれ。小粒ながら黒田武士の亀鑑じゃ。ハハハ……", "サア、近うお寄りや" ], [ "どこか近い処に、よい知行所は無いかのう", "ハッ。新知に御座りまするが", "ウム。塙代は三百五十石とか聞いたのう。今二百石ばかり加増して取らせい", "ハハッ。有難き仕合わせ……" ], [ "二村、天山の二カ村が表高百五十石に御座りまするが、内実は二百石に上りまする", "ほかに表高二百石の処は無いか", "ほかには寸地も……", "ウム。無いとあらば致し方もない。二村、天山は良い鷹場じゃ。与一を連れて鶴を懸けに行こうぞ。きょうから奥小姓にして取らせい" ], [ "コレ与一……昌純と云うたのう。墨付を遣わすぞ", "忝けのう御座りまする" ], [ "ものの夫の心の駒は忠の鞭……忠の鞭……孝の手綱ぞ……行くも帰るも……", "おお……よく読んだ。よく読んだ。その忠の一字をその方に与える。余の諱じゃ。今日より塙代与一忠純と名乗れい" ], [ "ああ……棄ておけ棄ておけ。苦しゅうない。……コレコレ小僧。見苦しいぞ……何を泣くのじゃ。まだ何ぞ欲しいのか……", "お祖父様……" ], [ "アハハハハハハハハハ……", "オホホホホホホホホ……" ], [ "アハハハ。たわけた事を申す。そちの祖父は腹切って失せたではないか。……のう。そちが詰腹切らせたではないか", "お祖父様にこの絵が……", "ナニ。祖父にこの絵を見せたいと云うか" ] ]
底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年9月24日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:かとうかおり 2000年9月9日公開 2006年3月14日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "これは青山様……", "おお。これは千六どの……" ], [ "満月という女は思うたよりも老練女で御座ったのう", "さればで御座ります。私どもがあの死にコジレの老人に見返えられましょうとは夢にも思いかけませなんだが……" ], [ "それにしても満月は美しい女子で御座ったのう", "さいなあ。今生の思い出に今一度、見たいと思うてはおりまするが、今の体裁では思いも寄りませぬ事で……", "……おお……それそれ。それについてよい思案がある。この三月の十五日の夜には島原で満月の道中がある筈じゃ。今生の見納めに連れ立って見に参ろうでは御座らぬか。まだ四五日の間が御座るけに、ちょうどよいと思いまするが……", "さいやなあ。そう仰言りましたら何で否やは御座りましょうか。なれど、その途中の路用が何として……", "何の、やくたいもない心配じゃ。拙者にまだ聊かの蓄えもある。それが気詰まりと思わるるならば此方、三味線を引かっしゃれ。身共が小唄を歌おうほどに……", "おお。それそれ。貴方様の小唄いうたら祇園、島原でも評判の名調子。私の三味線には過ぎましょうぞい", "これこれ。煽立てやんな。落ちぶれたなら声も落ちつろう。ただ小謡よりも節が勝手で気楽じゃまで……", "恐れ入りまする。それならば思い立ったが吉日とやら。只今から直ぐにでも……", "おお。それよ。善は急げじゃ" ], [ "……やおれ……身請けした暁には、思い知らさいでおこうものか。ズタズタに切り苛んで、青痰を吐きかけて、道傍に蹴り棄てても見せようものを……", "シッ……お声が……" ], [ "南ア無ウ阿ア弥イ陀ア仏ウ", "ナアン……マアイ……ダア――アア", "ナア――モオ――ダア――アア" ] ]
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年10月22日第1刷発行 初出:「富士」    1936(昭和11)年4月15日発行 入力:柴田卓治 校正:土屋隆 2006年5月3日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002125", "作品名": "名娼満月", "作品名読み": "めいしょうまんげつ", "ソート用読み": "めいしようまんけつ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「富士」1936(昭和11)年4月15日", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2006-06-07T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2125.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集10", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年10月22日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年10月22日第1刷", "校正に使用した版1": "1992(平成4)年10月22日第1刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2125_ruby_22742.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-05-03T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2125_23061.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-05-03T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "どうしたんだ一体……", "兄さんッ。僕は……僕はホントの事を云います" ], [ "……ナ……何だ。何をしたんだ", "兄さんの生命はモウ……今から二週間と持ちませんッ", "……ナ……なあんだ。そんな事か……アハハハハ……" ], [ "……モット……モット恐ろしい物なんです。兄さんの心臓に大きな大動脈瘤が在るんです", "フーム。大動脈瘤……" ], [ "馬鹿……俺が自殺でもすると思っているのか。馬鹿……俺は一週間でも一時間でもいい、残っている生命を最後の最後の一秒までも大切に使うんだ。それよりも早く大寺先生の処へ行って御礼を云って来い。お蔭で癌じゃない事がわかって、兄貴が喜んでおりますと、そう云って来い。……直ぐに行って来い", "ハイ……" ], [ "それから何でも冷静にするんだぞ。どんな事があっても騒ぐ事はならんぞ", "ハイ……" ], [ "君の名は何ての?", "アダリー" ], [ "いつからこの店に出たの", "今日から……タッタ今……", "今まで何をしていたの", "妹のマヤールと一緒に日本の言葉習っておりましたの", "どこに居るの、そのマヤールさんは……", "二階のお母さんの処に居ります", "フウン……お父さんはどこに居りますか" ], [ "私たちのお父さん、印度に居ります", "イヤ。そのお母さんの旦那様です。わかりますか", "わかります。私の印度に居るお父様が、西洋人から領地を取上げられかけた時に、私たち姉妹を買い取って、お父様を助けて下すった方でしょ", "そうです。その方の名前は何と云いますか", "二階のお母さんの旦那様です。須婆田さんと云います" ], [ "そうそう。その須婆田さんです。どこに居られますか。その須婆田さんは……", "表に居なさいます", "表に……? 表のどこに……", "印度人になって立っていなさいます", "アッ。あの印度人ですか。僕は真物かと思った", "須婆田さんはホントの印度人です", "成る程成る程。貴女はそう思うでしょう。スゴイ腕前だ。それじゃ十円上げますから僕の云う事を聞いて下さい", "嬉しい。抱いて頂戴……" ], [ "馬鹿……ソレどころじゃないんだ。入口へ案内してくれ給え", "……あの……会わないで下さい。どうぞ……" ], [ "イヤ。心配しなくともいいんだよ。お前を身請するのだ", "……ミウケ……", "そうだ。お前を俺が伯父さんから買うのだ", "エッ。ホント……?", "ホントだとも。俺は果物屋の主人なんだ。お前を店の売子にするんだ。いいだろう", "嬉しい。妾歌を唄います", "歌なんか唄わなくともいい。二階のお母さんていうのは雲月斎玉兎っていう奇麗な人だろう", "イイエ。違います。ウノコ・スパダっていう人です", "おんなじ事だ" ], [ "二階へ行くのはこの階段だろう", "ハイ。あたしここより外へは出られません", "ヨシ。あの部屋に帰って待ってろ。今に主人の須婆田さんが呼びに行くから……" ], [ "ナ……何だっ。貴様はこの家の主人か", "主人ではありませぬ、印度の魔法使いです", "魔法使い……?……", "そうです……わたしの指が触わると何もかもお金になるのです。お金にならないものは皆、血になるのです。ヘヘヘ……", "……………………" ], [ "……サア……どうです。一体いくら欲しいのですか。君等は……", "……サ……三千円出せ", "アハハハ。そんなに出せませぬ。今ここに八百五十円あります", "畜生……そんな目腐れ金で俺達が帰れると思うか", "ヘヘヘ。ここはビルデングの奥です。わかりましたか。ここはビルデングの奥ですよ。ピストルを撃っても往来までは聞えません。どんな取引でも出来ます。サア……お金か……血か……どちらがいいですか", "血だッ……" ], [ "さ……これを遣る。放してくれ", "アッ。イケマセン" ], [ "ホホ。最前からの御様子はここから拝見しておりました。お美事なお手の中に感心致しておりました。失礼ですけど……あのアダ子や……アダ子や……", "ハイ……" ], [ "オホホホ。まあ落付いて下さい。どうぞ印度のお紅茶を一つ……実はあなたに御相談したいことがありますの", "この上に落付く必要はないです。眼が見えます。耳が聴えます。どんな御相談ですか", "……まあ……随分性急ですね、友太郎さんは……" ], [ "止むを得ません。時日がないですから", "まあ……時間がない、どうしてですか", "僕はもう二三日中に死ぬのです。大動脈瘤に罹っているんです", "まあ……大動脈瘤と申しますと……", "前月の二十七日にQ大学で心臓をレントゲンにかけてもらったのです。そうしたら僕の心臓の大動脈の附根に巨大な動脈瘤というものがある事が発見されたのです。その時にもう二週間の寿命しかないと、宣告されたのですから、僕の寿命は今日、明日のうちなのです" ], [ "ですから御相談に来たのです。……サア……弟をどうしてくれますか", "そ……それはもう妾が引受けて……", "口先ばかりではいけませんよ伯母さん。僕の眼の前でチャンとした方法を立てて下さい", "待って……待って下さい。伯父様に一度御相談しないと……", "馬鹿……その手を喰うと思うか。……この毒婦……", "エッ、妾が……毒婦ですって……", "毒婦だ毒婦だ……貴様は俺の伯父を唆かして、俺の両親の財産を横領させた上に生命までも奪ってしまったろう……", "アッ……そ……それは大変な貴方の思い違いです", "ナ……ナニを今更ツベコベと……覚悟しろ……", "アレッ……" ], [ "そうです。お手数はかけません", "死骸はどこに隠した……この家の主人の死骸を……", "知りません" ], [ "ドチラへ参りましょうか", "どこでもいい、郊外へ出てくれ", "エッ郊外……" ], [ "郊外は駄目なのかい", "いいえ。何ですか、きょうは銀座で騒ぎがありましたのでね。非常線が張ってあるんです。私は横浜の免状を持っておりますし、車も横浜のですから帰れるには帰れるんですが。旦那が無事に通れますかどうか", "アハハハ、馬鹿にするない、俺が殺したんじゃあるまいし" ], [ "何とも知れませんわねえ。……でもあなたさえよかったら、方法があるんですが……", "……フーム。どうするんだい", "その腰かけの下へ寝るんです", "何……この下へ……" ], [ "ホラ十円遣る", "ありがとう御座います。後から頂きます" ], [ "エッ……ど……どうしておわかりになりますので……", "アハハ、お顔色でわかります。大動脈瘤でしょう", "……………" ], [ "ハハアー。レントゲン専門の方で……", "そうです。大動脈瘤なら私の処へ毎日のように押しかけて参りますので、皮膚のキメを一眼見るとわかる位になれているのです。皆無事に助かる人が多いのでね。押すな押すなという景気です、ハハハ……" ], [ "どうぞ、僕に、その薬を頂かして下さいませぬか。お助け下さいませぬか", "アハハ。お易い御用です。まあおかけ下さい。この薬です。カプセルに這入っている白い粉末ですが、アイヌが矢尻に塗るブシという毒薬から採った薬です。これをお飲みになれば少くとも二十四時間はどんな劇烈な運動をしても心臓はパンクしません。……オイ! オーイ! この方にプレンソーダを一杯持って来て差上げろ" ], [ "しかし……先生のような方が……どうしてコンナ処に……", "アッハッハッハッハッ。貴方の御運が強いのですね。……実はコンナ処へでも来て息を抜かなくちゃ遣り切れないほど儲かりますのでね。ハッハッ", "やはり……その動脈瘤の治療で……", "ナアーニ。動脈瘤の方はタカが知れておりますよ。例の深透レントゲンが大繁昌でね。有閑マダムや有閑令嬢の秘密をワンサ握っているもんですからね。コレで商売が繁昌する世の中はロクな世の中じゃありませんよ。ハッハッハッ" ], [ "きょうは何日……", "……五月……ジュ……サンニチ……", "エッ……十三日……ほんとか……", "……ホント……です……" ], [ "ここはどこ……", "古木レントゲン病院……" ], [ "ヤア。醒めましたか。頭が痛くないですか", "そう云われてみると成る程頭が痛いし、胸がすこしムカムカするようだ。イヤ、大丈夫です。先頃はどうも……", "アハハ。イヤ失礼しました。ビックリなすったでしょう。無断でコンナ処へ連れて来たもんですから", "実は驚いているんです。どうしたんですか、一体これは……", "先ずこれを御覧なさい" ], [ "この白いものが貴方の心臓なのです", "僕の心臓……", "そうです。よく御覧下さい。ここが心臓の右心室でここが左心室です。ここから出た大動脈がコンナにグルリと一うねりして重なり合っているでしょう。おわかりになりますか", "わかります。ゴムの管みたいに『の』の字形に曲って重なり合っているようですね", "そうですそうです。僕はこの写真を撮るためにあなたに痲酔を利かせてこの病院に運び込んだのです。そうしてあの晩のうちに五枚ばかり瞬間写真を撮ってみたのですが、その中でも一番ハッキリ撮れたのがこの一枚です", "ヘエッ。何のために……", "何のためって、貴方の伯父さんに頼まれたのですよ", "エッ。僕の伯父さん。あの須婆田の……まだ生きているのですか", "ええ御健在ですとも。伯母さんの玉兎女史と一緒に昨夜印度へ御出発になりましたよ。銀洋丸で……" ], [ "何だか……僕にはわかりません", "アハハハ……。僕にも深い御事情はわかりませんが、貴方の伯母様ですね。雲月斎玉兎嬢ことウノ子さんは未だ興行界を引退なさらない前からいつも私の処へ来て深透レントゲンをやっておられたのです。つまり美容の目的から出た産児制限ですね。貴方だから包まずにお話出来ますが、私は貴方の伯母様の御蔭で大学を出て、この病院を開きましたもので、この部屋は伯母様が御入院なさる時のおきまりのお部屋だったのです" ], [ "わからない。不思議だ――奇遇だ……", "イヤ。奇遇じゃないのです。貴方が伯父様と伯母様の計略におかかりになったのです", "計略に僕が……", "そうです。私はよく存じております。伯父様と伯母様はよく右翼団体から狙われておいでになるので、いつも防弾衣を着ておられたのです。伯母様は又お得意の魔術をもってイザとなるとカラクリ寝台の中に逃げ込まれるので、いつも犯人が掴まってしまうのです。それを貴方は御存じないものですから伯父様と伯母様が、最早おなくなりになったものと思い違いなすったのでしょう" ], [ "ちょうど四月二十九日の夜の事です。私は伯母様からお電話がかかりまして、銀座のセイロン紅茶店へ参りまして伯父様と伯母様とに、貴方の弟御さんからスッカリ御事情を承りましたが……", "エッ。僕の弟……どうして", "貴方が福岡を御出発なさるのを停車場で発見されて、跡をつけて御上京なすって、伯父さんと伯母さんに一切を打ち明けて御相談になったアトに、伯父様と伯母様は東京中の私立探偵を動員して貴方の御宿を探らせてやっと判明したのが、五月の十一日の午後、貴方が一足違いで築地の八方館をお出かけになった後でした。そこで伯父様と伯母様はチャント心構えをして待っておいでになるところへ、意外の出来事から貴方の伯父様に対するお気持がわかったので、伯父様は非常に喜ばれました。伯母様も貴方の弟思いの御心持にスッカリ同情されましたが、一足違いで貴方を取逃がされたのを非常に残念がり、八方に部下を飛ばして貴方の行衛を探しておられると、両国橋の方向へ行かれる貴方を発見した者が、電話で知らせた。そこで兼ねてから男装して付いていたアダリーさんが直ぐに自動車を飛ばして……", "アッ。それではあの運転手がアダリー……" ], [ "アハハハ。貴方も馴染甲斐のない人ですね。アダリーさんの顔を見忘れるなんて……しかしアダリーさんも……むろん私も……お話を聞いて感心しました。あなたの勇敢さと大胆さと熱意に打たれて伯父様と伯母様は何とかして救ける道はないかというので、私に治療をお願いになったのです。それで私は、わざと貴方に感付かれないように横浜の天洋ホテルでお眼にかかったのです。あの時に申上げたのは皆私の駄法螺だったのですが……", "エッ駄法螺。あれはみんな嘘で……" ], [ "ハッハッ、御心配なさらずとまあお聞きなさい。私はその時に伯母様から貴方をこの病院に入れて三日間睡らせておいてくれろ。その間支度を整え印度へ逃げるからという御命令でね。で、その治療の結果を私が御報告申し上げたらお二方ともスッカリ御安心で……", "……安心……", "ハイ……御安心で昨夜御出発になった許りです。委細はこの手紙に書いておくからという事で……" ], [ "そうして……そうして僕の動脈瘤はどうなったのです", "アハハハ。動脈瘤じゃありませんよ。その写真の通り血管の蜿りが重なり合ったものに過ぎないのです。珍らしいものですが、よく動脈瘤と間違えて騒がれるシロモノです。貴方の運動があんまり烈しかったので、血管が圧迫に堪えかねて伸びたのですね。トテも丈夫な血管ですよ、貴方のは……貴方はキット長生き……" ] ]
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年10月22日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:渥美浩子 2001年4月2日公開 2006年2月26日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "ナニ。トラホーム。ずっと前からかね", "ハイ。古いもので御座います", "医師に見せたかね", "ハイ。見せても治癒りませんので! ヘエ", "それあイカンね。早く何とかせぬと眼が潰れるぜ", "ヘエ。このような大雪になりますと、眼が眩ゆうて眩ゆうてシクシク痛みます。涙がポロポロ出て物が見えんようになります", "ふうむ。困るな" ], [ "先生。先生。吉で御座います", "おお。吉兵衛どんか。何しに来なすったか。この真夜中に……", "ほかでも御座いませぬ。昨日か一昨日、ここへ郵便屋の忠平が来はしませんでしたろうか", "……忠平……ああ、あの郵便屋さんは忠平というのか", "さようで御座います先生様。参りませんでしたろうか", "いいや。この二三日来なかったようだがね" ], [ "ヘエ。やっぱり……それじゃ……", "……かも知れんのう……" ], [ "おお。暖い暖い", "成る程なあ。これが温突チューもんですか先生……" ], [ "あっアア。腹に沁みる沁みる。良え酒でがすなあ先生。これは……", "ウン。マッチで火を点けるとポーッと燃えるでな。あんまり飲むと利き過ぎるてや。残りはアンタ等に遣るから、家へ持って帰って、ユックリ飲むがええ", "それあドウモはあ。勿体のうがす" ], [ "飛んでもねえことですよ先生。この雪の夜道を慣れねえ先生が、どうして歩けますか。第一カンジキを持たっしゃるめえ", "忠平は元気な男ですから、そこいらの山道で死ぬような男じゃ御座いませぬわい。キット二百円の金を見て気が変って……", "馬鹿ッ……" ], [ "貴様たちは忠平の性格を知らないんだ。ドンナ人間でも金さえ見れば性根が変るものと思うと大間違いだぞッ", "そんなに腹を立てさっしゃるものでねえ。私等の云うことを聞いて、ちゃんと家に待って御座らっしゃれ。あっし等が手を分けて探して来ますから……", "イヤ。そんなことをしちゃ忠平に済まん。是非とも僕が自分で行く", "駄目だ駄目だ。済むとか済まんとかいう話でねえ。先生はまだ吹雪の恐ろしさを知らっしゃらねえから駄目だ。無理に行かっしゃると今度は先生が谷へ落ちさっしゃるで……" ], [ "おおおおお――いいい", "…………オオオ…………" ], [ "おおおおお――いいいイ", "オオオ――イイイ" ], [ "ウワア、これあマア先生、カンジキも穿かねえで、どうしてここまで御座った", "あぶねえことだった。こんなことをさっしゃる位なら、私たちが一所にお供して来るところだったに……", "まったくだ。忠平の死骸が見付かって、あそこにグズグズしていねえけれあ先生は、このまま行倒おれにならっしゃるところだったによ", "忠平の死骸が、先生を助けたようなものでねえか、ハハハ", "まあまあこちらへ御座らっせえ。肩にかけて上げまするで……", "これを飲まっせえ。帰りに貰って来た支那焼酎の残りでがす" ] ]
底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年9月24日第1刷発行 初出:「逓信協会雑誌」    1935(昭和10)年10月号 入力:柴田卓治 校正:土屋隆 2005年9月17日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002098", "作品名": "眼を開く", "作品名読み": "めをひらく", "ソート用読み": "めをひらく", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「逓信協会雑誌」1935(昭和10)年10月号", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2005-10-20T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2098.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集4", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年9月24日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年9月24日第1刷", "校正に使用した版1": "1992(平成4)年9月24日第1刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2098_ruby_19431.zip", "テキストファイル最終更新日": "2005-09-29T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2098_19608.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2005-09-29T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "アノ編輯長は居られるでしょうか", "編輯長チウト……津守さんだすな", "ええ。そうです。そのツモリ先生に一寸お眼にかかりたいんですが……", "何の用であすか", "新聞記事の事ですが", "……………………………" ], [ "何ですか……", "名刺をば……出しなさい" ], [ "今ここへ若い店員風の男が這入って来たでしょう", "ヘエ……" ], [ "今、ここへ店員みたような若い男が乗ったろう", "ヘエ。……イイエ……", "どっちだい。乗ったか乗らないか", "若い断髪のお嬢さんならお乗りになりました", "ナニ。若い断髪……" ], [ "向うの洗面所から出て来られた方でしょう。大きな風呂敷包をお提げになった……", "ウン。それだそれだ。鼻の高い、眉毛の一直線になった女だろう", "ヘエ。ベレー帽を冠った、茶色のワンピースを召して、白い靴下にテニス靴をお穿きになった", "畜生。早い変装だ。黒羅紗の筒ッポの下に着込んでいやがったんだ", "ヘエ。変装ですか……今のは……", "イヤ。こちらの事だ……君は東京かい", "私ですか……", "ウン君さ……", "ヘエ。東京の丸ビルに居りました", "道理でベレー帽なんか知っている……どこへ行ったいそのワンピースは……", "四階の博多ホテルへお泊になりました", "フーン。支配人は何という人だい。ホテルの……", "霜川さんですか。支配人ですが……", "ありがとう。一泊イクラだい。ホテルは……", "ヘエ。特等が十円、一等が七円、普通が四円で、ダブルの特等は十五円になっております。別にチップが一割……", "フウン。安いな。俺も泊るかな" ], [ "ねえ御覧なさい。いい月夜じゃないの", "ああ。博多湾ってコンナに景色のいい処たあ思わなかったね。玉ちゃん初めてかい", "ええ。初めてよ。いわば商売讐のアンタとコンナ処でコンナ景色を見ようなんて思わなかったわ。チイットばかりセンチになりそうだわ", "――僕もセンチかミリになりそうだ。ねえ玉ちゃん。僕も実はスッカリ東京を喰い詰めちゃってね。はるばる九州クンダリまで河合又五郎をきめて来たんだ。そうしてタッタ今、玄洋新聞社に這入って、記事を取って来いって云われたもんだから、一気に飛び出して来たら君にぶつかっちゃったんだ", "大変なものを自摸しちゃったのね", "ウン、万一ヘマを遣ると君と一緒に新聞記事にされた上に、オマンマの種に喰付き損になるんだ", "困るわね" ], [ "――それじゃアンタ……いい事があるわ。明日ね。妾が、この麻雀の籠を持って大阪へ行ったら、ここの警察へ思い切り馬鹿にした投書をするから、その投書を新聞に素ッ破抜いてやったらいいじゃないの。アンタが書いた文句を妾が写して行ってもいいでしょう。そいつを記事にしたら警察でもビックリするにきまっているわよ", "ウーム。それもそうだな", "何とか面白い文句を考えて頂戴よ", "駕籠を抜けたが麻雀お玉。警察のガチャガチャ置き土産。アラ行っちゃったア……っていうのはどうだい", "――ナアニ。それ安来節!", "ウン。今浅草で流行り出している", "面白いわね。妾今夜踊るわ、その文句で――", "止せよ。見っともない。ワンピースの鰌すくいなんかないぜ", "新聞記者救いならワンピースで沢山よ", "巫戯化るな", "フザケやしないわ。真剣よ。東南西北苦労の種をツモリ自摸って四喜和っていう歌もあるわ", "アラ。振っチャッタア……ってね", "まあ憎くらしい", "アハハハ……あやまったあやまった……" ], [ "連れの人はどうしたい", "ハイ。今朝早く、お出ましに……お立ちになりました" ], [ "今何時頃なんだい", "ハイ……五時過で御座います", "何……五時過……いつの……", "ヘヘヘ……今日の……", "きょうは何日だい", "二十一日……", "ハイ……只今出ました夕刊で御座います" ], [ "エエ。仕事を見付けなけあ逐い出されそうですからね", "ヒッヒッヒッ。ジッヘン。ゴロゴロゴロゴロ。ホホホ。何の記事かいな" ], [ "ホッホッホ。新聞では迷宮じゃが……サアテナ……実際はモウ解決が付いておりはせんかナ……ホッホッヒッヒッ……", "それじゃ貴方には見当が付いてるんですか", "付きませんな。現場を見ておらんから", "ヘエ。そんならドウ解決が付いてるんで……", "目的無しの犯罪チウは在りませんてや", "賛成ですね。僕も同意見です。ですから……", "それじゃからその目的はモウ遂げられとる頃と思う", "その目的というのは金でしょうか、それとも……", "加害者に聞いてみん事には解りませんな", "被害者の後家さんはどこに居るか御存じですか", "後家さんに当っても無駄じゃろう。根が馬鹿じゃけに何も知らんじゃろう", "そうですかなあ。僕は後家さんが一番怪しいと思うんだがなあ。その後家さんと、どうかして心安くなった犯人が、共謀して……", "ヒッヒッ。箱崎の警察もアンタと同意見じゃったがなあ。後家さんは何も知らいでもこの事件は立派に成立する可能性がある。寧ろ後家さんは全然無関係の者として研究した方が早くはないか。後家さんを疑うたらこの事件は迷宮に這入るかも知れんと、ワシが最初に云うておいたが、果してそうじゃった。それじゃから、よしんばアンタの男前で後家さんを口説き落しても何も掴めまいてや。無駄な事は止めなさい。昨夜のお玉さんなんぞと違うて、モウええ加減な婆さんじゃからのう。ヒッヒッヒ", "ジョ冗談じゃない。モウそんな裏道へは廻りません。真正面から現場を調べてみます。それから近所の住人の動静を探ってみます。とにかく僕が一つ迷宮の奥まで突抜けてみます", "ホホ。中途で警察の世話にならんようにナ", "承知しました" ], [ "イイエ。貴方。人殺しのあった家チウて、あんまり評判が悪う御座いますけに誰も買いに来なざっせん。わたしの家も気味の悪う御座すけに、どこかに移転ろうて云いおりますばってんが、この頃、一軒隣に、新しい理髪屋が出来まして、賑やかしうなりましたけに、どうしようかいと考え居ります", "ヘエ。あの理髪屋はここいらの人ですか", "いいえ。どこの人か、わかりまっせんばってん、親方さんが愛嬌者だすけに、流行りおりますたい。あなた……", "僕は隣家の空屋を見たいんですがね", "ヘエ……あなたが……", "僕が……実は隣家を買いたいんですが" ], [ "ウン。これでも江戸ッ子のつもりだがね", "東京はドチラ様で入らっしゃいますか" ], [ "東京だってどこで生れたか知らねえんだ。方々に居たもんだから……親代々の山ッ子だからね", "恐れ入ります", "君も東京かい", "ヘエ……" ], [ "いい腕じゃないか。鋏が冴えてるぜ。下町で仕込んだのかい", "ヘエ……" ], [ "どうしてコンナ処へ流れて来たんだい。それくれえの腕があれあ、東京だって一人前じゃないか。ええ?……", "そんなでも御座んせん" ], [ "どうだい。東京が懐かしいだろう", "……………" ], [ "ずいぶん掛かるだろうなあ。コレ位の造作で理髪屋を一軒開くとなると……ええ?……", "……………" ], [ "山が当ったって相場でも遣ったのかい", "……ヘエ……まあ。そんなところで" ], [ "隣りの家ねえ", "ヘエッ……" ], [ "実はねえ。あの隣家の屋敷を買いたいと思って、今日覗いて来たんだがね。持主は誰だい……今のところ", "……ヘエ……あれはねえ……" ], [ "あれはですねえ。今んところあの一木ってえお爺さんの後家さんのものになっているんですがねえ。実はあっし頼まれているんですけども……", "フウン。心安いのかい後家さんと……" ], [ "いいえ。……その……別にソンナ訳じゃありませんけど、あの後家さんがツイこの間来ましてね。呉々もよろしく……買手があったら安く売りますからってね", "フウン。君はそれじゃ、古くからここに居たんだね" ], [ "いいえ。ツイこの頃ここに来たんですけどう", "いつからだい……" ], [ "いつからここに引越して来たんだい", "ヘエ。アト月の末からなんで……" ], [ "ヘエ……お蔭様で……", "隣の家には火の玉が出るってえじゃないか", "ヘエ……そ……そ……そんな噂で……", "君。這入ってみたかい。隣の家に……", "……いいえ。と……飛んでもない……", "今時そんな馬鹿な話があるもんじゃない。ねえ親方……", "まったくなんで。永らく空いてるもんですからね。そんな事を云うんでしょう", "ウン。是非買いたいんだが、どうだい。坪十円ぐらいじゃどうだい。裏庭を入れて百坪ぐらいは有るだろう", "そんなには御座んせん。六十五坪やっとなんで。裏庭の半分は他所のなんで……", "向うの駄菓子屋のかね", "そうなんで……十円の六十五坪の六百五十円……じゃチョット後家さんが手離さないでしょ。建物を突込んで千円位でなくちゃ", "坪当り十六円か。安くないなあ", "相場だと二十四五円のところですが", "しかし八釜しい曰く附の処だからな", "旦那は御存じなんで……", "知ってるとも……迷宮事件だろう……怨みの火の玉が出るってな無理もないやね" ], [ "君はドウ思うね。この犯人は……", "……………" ], [ "モミ上は短かく致しましょうか", "普通にしてくれ給え。短かいのは亜米利加帰りみたいでいけない", "かしこまりました", "僕は絶対に迷宮事件だと思うね。犯行の目的がわからないし、盗まれた品物も無い。女房は評判の堅造で病身、本人も評判の仏性で、嚊孝行の耄碌爺となれあ、疑いをかけるところはどこにも無いだろう。要するにこれは何でもない突発事件だと思うね", "ヘエ。突発事件……と……申しますと……", "つまりこの犯人は、いい加減な通りがかりの奴で、最初から被害者を殺す量見なんか毛頭無かったんだ。仏惣兵衛の老爺がどこかに現金を溜め込んでいる位の事を、人の噂か何かで知っている程度の奴が、何の気も無く這入って来て、下駄を誂えながらそこいらを見まわしているうちに、フイッと殺す気になったんじゃないかと思うんだがね。これで殴ってくれといわんばかりに鉄鎚を眼の前に投出して、電燈の下に赤いマン丸い頭をニュッと突出したもんだから、ツイフラフラッとその鉄鎚を引掴んで……", "……………" ], [ "アハアハアハ。どうだい親方。驚いたかい。俺あタッタ今行って現場の模様を見て考えて来たんだ。何一つ盗まれていない原因もハッキリとわかったんだ。殺ってしまってから急に恐ろしくなって逃げ出したものに違いないんだからね", "……………", "つまりアンナ空屋の中にタッタ一人で住んでいた禿頭の老爺が悪いという事になるんだ。迷宮事件を作るために居たようなもんだ。ねえ君。そうだろう……僕は犯人に同情するよ", "そうですか……ネエ……ヘエ――ッ" ], [ "……おどろきましたねえ。旦那のアタマの良いのには……", "ナアニ。外国の犯罪記録を調べてみるとコレ位の事件はザラに出て来るよ。山の中の別荘で寝しなに、可愛がって頂戴と云った女を急に殺してみたくなったり、霧の深い晩に人を撃ってみたくなってピストルを懐にして出かけたりするのと、おんなじ犯罪の愛好心理だ。所謂、純粋犯罪というのとおんなじ心理状態が、この事件の核心になっていると思うんだ。そんな人間が都会に住んでいる頭のいい学者とか、腕の冴えた技術家とかいうものの中からヒョイヒョイ飛出す事がある……と横文字の本に書いてあるんだ。つまり文化意識の行き詰まりから生まれた野蛮心理だね", "ヘエエ。なかなか難解しいもんで御座いますね" ], [ "日本の警察なんかじゃ、そんなハイカラな犯罪がある事を知らないもんだから、犯罪と云やあ、金か女かを目的としたものに限っているように思って、その方から探りを入れようとするんだ。だからコンナ事件にぶつかると皆目、見当が附かないんだよ", "ヘエ。警察では、その目的って奴を、まだ嗅ぎ付けていないんでしょうか", "いないとも……浮浪人狩なんか遣っているところを見ると、この事件の性質なんか全然問題にしないで、見当違いの当てズッポーばっかり遣っているらしいんだね。そうしてこの頃ではモウすっかり諦らめて投出しているらしいね。だからこの犯人は捕まりっこないよ。絶対永久の迷宮事件になって残るものと僕は思うね", "ヘエ。どうしてソンナ事まで御存じなんで……" ], [ "ナアニ。僕はソンナ事を研究するのが好きだからさ。だからあの空屋を買ってみたくなったんだよ。そんな犯罪事件のあった遺跡を買って、落付いて調べてみると、意外な事実を発見する事があるんだからね。そんな山ッ子が僕の商売なんだがね", "へえ――。うまく当りますかね" ], [ "ウン。僕が狙った事件で外れた事件は今までに一つも無いよ。要するにこの頭一つが資本だがね。ハッハッハッ", "ヘエ。珍らしい御商売ですね" ], [ "……こんにちは……御免なさっせ……", "入らっしゃい" ], [ "イヤ。お蔭でサッパリした。ところでどうだい。今の地面の話は……モウ少し歩み寄ってもいいんだが……。決して君を跣足にしやしないが、先方はどこに居るんだい", "ヘエ。これはモウ……何でも門司の親類の処に居るんだそうですが、時々八幡様を拝みかたがた様子を聞きに参りますんで。モウ今日あたり来る頃と思うんですが。二三日中に来るってえ手紙が、二三日前に参りましたんで……", "ヘヘッ。お安くないね。うまく遣ってるじゃないか一木の後家さんと……", "じょ……じょ……じょうだん……" ], [ "吸口はまだ這入っているぜ……君……", "ヘエ。どうも済みません。……わっしゃドウモこの吸口の蝋の臭いが嫌いなんで……ヘヘ……有難う存じます。只今お釣銭を……あ……どうも相済みません。お粗末様で……" ], [ "この記事は誰が書いたんですか", "ムフムフ。わしが……書いたがナ……" ], [ "……冗談じゃない。コンナ馬鹿な事を犯人が喋舌ったんですか", "ムフムフ。第二の告白の方は昨日の夕方箱崎の署長が当社へ礼云いに来た。お蔭で、永い間の不名誉を回復しましたチウテナ。法学士出のホヤホヤの署長じゃが、学生上りの無邪気な男でな。その序に何も彼も喋舌って行きよりましたよ", "第三の告白の方も署長が喋舌ったんですか", "イイヤ。それはわしが署長に入れ智恵したことですわい。犯罪の定石ですからな。あの署長は無経験な正直者ですけにキットわしが云うた通りに誘導訊問をしましょうて……", "ヘエ……それじゃ、まだ実際に白状した訳じゃないんですね", "……モウ今頃は白状しとりましょう。犯人もむろん後家さんと同棲する腹じゃないのじゃから、将来の考えが頭の中でチグハグになっとるに違いない。それじゃからどこかで返事をし損ねてキット誘導訊問に落ち込んで来ますてや。たとい犯人が否定し通しても箱崎署から文句を云うて来る気づかいはありません。君の手腕に恐れ入って感謝しとるのじゃから……実はこの朝刊の記事がすこし足りませんでしたからな。アンタのお株をチョット拝借したまでじゃ……ヒッヒッ……", "驚いた。生馬の眼を抜く以上だ", "あんたが昨夜の中に犯人と後家さんの写真を探して来とるとこの記事は満点じゃったが……" ], [ "ヘエ。アナタ。向家の煙草屋の二階だす。あの二階に下宿して御座った別嬪さんなあ!", "ウン。知ってるよ。二十二三の……", "ヘエ。アナタ。あの人がカルモチンとかで自殺して御座るちうてアナタ……今朝……" ], [ "私はタッタ今来たんです。広矢と申します。今朝早く、夜中に、かなり多量のカルモチンを嚥下したらしいですが、胃洗滌をやってみたら残りを出してしまいました。消化不良らしいですから大抵助かるでしょう", "警察から誰か来ましたか", "千代町の派出所から巡査が一人来ておりましたが大丈夫助かると云ったら、そのまま帰って行きました", "成る程。死なない限り用は無いと思ったのでしょう" ], [ "アハハ。これあ自殺じゃありませんぜ", "エッ。どうして……わかりますか" ], [ "カスカラ錠は下剤じゃないですか", "そうです。緩下剤です", "ドレぐらい服めば利きますか", "そうですね。人に依りますが少い時で×粒ぐらい。多い人は×××粒ぐらい用いましょうな", "カルモチンをソレ位服めば死にますか", "死にませんなあ。ちょうどコレ位の睡り加減でしょうなあ。人にもよりますが", "この女は近眼ですね", "どうしてわかります", "ここに眼鏡があります。近眼だもんですからカスカラとカルモチンを間違えて服んだんですね。朝寝の人間には常習便秘が多いんですから……", "……ハハア……" ], [ "何時間ぐらい睡るでしょうか", "わかりませんねえ。夕方までぐらい睡るかも知れません", "助かりますか", "大抵助かります", "ハハア……そこんところを一つ、まだ助かるか助からぬか、わからない事にして書きたいですが、含んでおいてくれませんか。そう書かないと新聞記事になりませんから……" ], [ "あの……お迎えの俥が参りましたが", "誰をお迎えに……", "此村さんをお迎えと申しまして……", "どこから来たんだい", "存じませんが……", "お父つあんはどこへ行ったんだい", "今ちょっとお電話をかけに……", "立派な俥かい", "ハイ。お抱えらしい御紋付の……", "占めたっ" ], [ "僕は……私は……只今名刺を差上げました玄洋日報社の羽束という者ですが", "わたくしは安島二郎の家内で御座います", "あ……そうですか" ], [ "……あの娘がどうか致しましたので……", "ヘエ。実はその……此村……ヨリ子さんが……", "どうしたんですか一体……" ], [ "実は……その自殺未遂で……", "エッ。自殺……" ], [ "私は安島二郎です。何か……その……此村とかいう娘が自殺したと云わるるのですか", "そうです。あの下宿の二階でカルモチンを服んで、目下手当中です。まだ生死不明ですが、とりあえず、お知らせに……" ], [ "ハハア。どうして私の家と関係がある事が、おわかりになりましたかな", "お迎えの人力車が参りましたので、それに乗って参りました" ], [ "だから云わん事ちゃない。余計な事をするもんじゃから……", "イヤ。どうも済みません。その俥を利用した僕が悪いんです", "イイエ。貴方がお悪いのじゃ御座いません。主人が悪いのです", "コレ。余計な事を……", "イイエ……" ], [ "……多分……キット……主人がヨリ子に申し含めたので御座いましょう。ヨリ子は、それを信じて覚悟をきめたので御座いましょう。どんな事があっても安島家へ来てはいけない。奥さんに殺されるから……とか何とか……", "……と……飛んでもない。そんな馬鹿な事を俺が云うか……そんな事……" ], [ "ヨリ子のような卑しい女が、何で自殺しましょう。貴方のお言葉を信ずればこそです。貴方に生涯を捧げる純な気持があればこそです。……貴方は安島一家の呪いの悪魔です。お兄様や、お姉様がお可哀そうです", "コレッ。コレ……余計な事を……", "申します。安島家のために、すべてを犠牲にして申します。わたくしはドウセ芸人上りの卑しい女です。けれども貴方のような血も涙も無い人間とは違います。……どうぞ新聞に書いて下さい。そうすれば主人は破滅します。その方が安島家にとってはいいのです。どうせ一度はここまで来る筈ですから……チット荒療治ですけど……ホホホ……", "……イ……イケナイ。オ……俺には血もあれば……涙もあるんだ。あり過ぎるんだ……", "オホホホホホ。ハハハハハハ……。血もあり涙もあり過ぎる方なら何故すぐに、あのヨリ子の処へ飛んで入らっしゃらないのですか。死にかけているのに……ネエ。そうでしょう。オホホ……" ], [ "……馬鹿……ソレどころじゃないんだ。安島家の名誉を守らなければ……", "……白々しい。名誉を思う人が、どうして、あんな女に手をかけたんです。早くヨリ子の処へ行ってらっしゃい……何を愚図愚図……" ], [ "……僕は……乞食じゃありません", "イヤ……わ……悪かった。この場だけはドウゾ……拝むから……", "いけません。書いてちょうだい。すっかりスッパ抜いて頂戴……", "承知しました。ヘヘヘ……これで血も涙もありますよ", "……ハハア。貴様は社会主義か……" ], [ "俺を殺して、暗から暗へ葬る気か。エエッ。これでも日本国民だぞ。犬猫たあ違うんだぞ……", "……イ……犬猫以上だ。コ……国体に背く奴だ", "ウップ。血迷うな。貴様の家の……安島子爵家の定紋の附いた俥が、ヨリ子の下宿の前に着いているところを、写真に撮ってあるんだぞ。その方が国体に拘わるじゃないか……エエッ……" ], [ "ヒッヒッ。安島家はのう。玄洋日報社の一番有力な後援者じゃけにのう。否とも云えんでのう……社長どんも弱っとったわい", "そんならモウ一度、安島家に談判して下さい。玄洋日報社へ十万円寄附するか……どうだと云って……。イヤだと云えあ玄洋日報社員をピストルで撃った事実を公表するがドウダと云って下さい。グランド・ピアノが証人だ。失敬な……", "まあまあ。そう腹を立てなさんな。あの取消広告はのう。誰も信じやしませんわい。……のみならず取消広告たるものは大きければ大きいだけ記事の内容を強く、裏書きする意味にもなるものじゃけにのう。ホッホッ……", "それ位の事は知ってます。あいつは僕を社会主義だなんて吐かしやがったんです。おまけに犬か猫みたいに僕を撃殺そうとしやがったんです。あんな奴が社会主義を製造する奴なんですから徹底的にタタキ附けとかなくちゃ……", "ヒッヒッ。もうアレだけ書かれりゃ大抵ピシャンコになっているじゃろう。おまけにイクラ広告や記事で取消しても、あの写真ばっかりは取消せんけにのう。たしかにあの煙草屋の門口に安島家の俥が着いとるけにのう。自殺を知らずに迎えに来たちう現の証拠が……", "アハハハ。ちょっと待って下さい。あの写真はインチキですよ。あの家の写真と、人力車の写真を僕が貼り合わせたんですよ", "ホホオ。そんならあの紋所は……", "あれも僕が白絵具で描いたんです", "……………" ] ]
底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年9月24日第1刷発行 ※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫) 入力:柴田卓治 校正:かとうかおり 2000年9月9日公開 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "001115", "作品名": "山羊髯編輯長", "作品名読み": "やぎひげへんしゅうちょう", "ソート用読み": "やきひけへんしゆうちよう", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-09-09T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card1115.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集4", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年9月24日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "1992(平成4)年9月24日第1刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "かとうかおり", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/1115_ruby.zip", "テキストファイル最終更新日": "2000-09-09T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/1115.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2000-09-09T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "橋の下で溺れ死ぬ約束をしたのじゃないだろう。その人に間違いなく会うために約束をしたのだから、ほかのよくわかる処で待っていたっていいじゃないか", "そうじゃない" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「九州日報」    1923(大正12)年11月10日 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「香倶土三鳥」です。 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "046729", "作品名": "約束", "作品名読み": "やくそく", "ソート用読み": "やくそく", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1923(大正12)年11月10日", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-08-17T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card46729.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集7", "底本出版社名1": "三一書房", "底本初版発行年1": "1970(昭和45)年1月31日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年2月29日第12刷", "校正に使用した版1": "1985(昭和60)年5月15日第1版第8刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "川山隆", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46729_txt_27659.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46729_27705.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "……オイ……どこへ行くんだ", "……消毒しに行くんだ……" ], [ "水夫長ドコ行キマシタ", "先刻頭が痛いと云って降りて行ったようですが?", "困リマス、バロメーの水銀無クナリマス", "……驚いたなあ……また時化るんですか" ], [ "……ヤ……お疲れでしたろう……ところで私はこうして船医を専門にする片手間に、海上の迷信を研究している者ですが……既に二三の著書も刊行しているような次第ですが……その中でも貴方のような体験は実に珍らしい実例であると信じます。その幻覚と、現実との重なり合いが劇的にシックリしているばかりでなく、色々な印象が細かい処まで非常にハッキリしている点が、特に面白い参考材料であると思います。……勿論……その幽霊の正体なるものは、学理的立場から見ますと、極めて簡単明瞭なものに過ぎないのですが……", "……エッ……簡単明瞭……" ], [ "……そうです。極めて簡単明瞭な現象に過ぎないのです。お話のような幽霊現象は、遭難海員が屡々体験するところですが、実は、その遭難当時に感得した、一種の幻覚錯覚に外ならないのです", "……というと……ドンナ事になるのですか", "……という理由は外でもありません。貴方はこの船に救い上げられる前後に、暫くの間失神状態に陥っておられたでしょう。現にこのベッドの上に寝られてから今までの間でも、既に九時間以上を経過しておられるのですがね", "九時間……", "そうです。……ですから……その間に貴方の脳髄が描き出した夢が、貴方の現実の記憶と交錯したまま、貴方の記憶の中に重なり合って焼き付けられてしまったのです。ちょうど写真の二重曝露式に、シックリとネ……勿論それは極度の疲労と衰弱の結果であることが、学理的に証明出来るのですが……", "……プッ……バ……馬鹿なッ……" ], [ "……ゲヘゲヘ……ゲヘンゲヘン……そ……そんな馬鹿な話が……あるものか……アレが夢なら何もかも……夢だ……", "静かに……静かに……", "……ぼ……僕と一緒に助かった者はおりませんか……一緒に幽霊を見た……現実の証人が……" ] ]
底本:「夢野久作全集6」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年3月24日第1刷発行 底本の親本:「瓶詰地獄」春陽堂    1933(昭和8)年5月15日発行 ※底本の「抓《つみ》み出してくれよう」を、「抓《つま》み出してくれよう」に改めました。 入力:柴田卓治 校正:浅原庸子 2004年2月19日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002104", "作品名": "幽霊と推進機", "作品名読み": "ゆうれいとスクリュウ", "ソート用読み": "ゆうれいとすくりゆう", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2004-03-09T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2104.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集6", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年3月24日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年3月24日第1刷", "校正に使用した版1": " ", "底本の親本名1": "瓶詰地獄", "底本の親本出版社名1": "春陽堂", "底本の親本初版発行年1": "1933(昭和8)年5月15日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "浅原庸子", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2104_ruby_14538.zip", "テキストファイル最終更新日": "2004-02-19T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2104_14850.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2004-02-19T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "アハハハハハハ", "オホホホホホホ", "ウフフフフフフ" ] ]
底本:「夢野久作全集7」三一書房    1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行    1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「月刊探偵 2巻5号」    1936(昭和11)年6月 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "046707", "作品名": "雪子さんの泥棒よけ", "作品名読み": "ゆきこさんのどろぼうよけ", "ソート用読み": "ゆきこさんのとろほうよけ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「月刊探偵 2巻5号」1936(昭和11)年6月", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-08-17T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card46707.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集7", "底本出版社名1": "三一書房", "底本初版発行年1": "1970(昭和45)年1月31日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年2月29日第1版第12刷", "校正に使用した版1": "1985(昭和60)年5月15日第1版第8刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "川山隆", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46707_txt_27660.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46707_27706.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "お父さん", "お母さん" ], [ "アッ", "助けて" ] ]
底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年5月22日第1刷発行 ※底本の解題によれば、初出時の署名は「海若藍平《かいじゃくらんぺい》」です。 入力:柴田卓治 校正:もりみつじゅんじ 2000年3月6日公開 2006年5月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000942", "作品名": "雪の塔", "作品名読み": "ゆきのとう", "ソート用読み": "ゆきのとう", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1923(大正12)年2月", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-03-06T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card942.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集1", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年5月22日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "1999(平成11)年3月5日第4刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "もりみつじゅんじ", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/942_ruby_21770.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-05-03T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/942_21771.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-05-03T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
[ [ "ああ、それそれ、死んだ爺さんが謡い御座った、あの、それ……四方にパッと散るかと見えてというあれを", "富士太鼓ですか", "それそれ、その富士太鼓――" ], [ "今うたいましたよ、それは", "何をば", "その富士太鼓をです", "ああ、その富士太鼓富士太鼓。妾はようよう思い出した。死んだ爺さんはそれが大好きで、毎日毎日謡い御座った。あれを一ツ" ] ]
底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年12月3日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:小林徹 2001年10月29日公開 2006年3月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002143", "作品名": "謡曲黒白談", "作品名読み": "ようきょくこくびゃくだん", "ソート用読み": "ようきよくこくひやくたん", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2001-10-29T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2143.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集11", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年12月3日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "小林徹", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2143_ruby_21928.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-03-03T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2143_21929.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-03-03T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "それがどうした", "どうもしないさ" ] ]
底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年8月24日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:久保あきら 2000年5月6日公開 2006年3月11日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000933", "作品名": "猟奇歌", "作品名読み": "りょうきうた", "ソート用読み": "りようきうた", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「探偵趣味」1927(昭和2)年8月、「猟奇」1928(昭和3)~1932(昭和7)年、「ぷろふいる」1933(昭和8)~1935(昭和10)年", "分類番号": "NDC 911", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-05-06T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card933.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集3", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年8月24日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "久保あきら", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/933_ruby_22021.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-03-11T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/933_22022.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-03-11T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "あたし、この鎖をもっともっと長く作ると、それに掴まってお兄さんに会いにゆくのです", "あら、そう。それじゃ、あたしたちもお加勢しましょうね" ], [ "私はミミと申します。ルル兄様に会いにまいりました。どうぞ会わせて下さいませ", "オオ。お前がルルの妹かや" ], [ "ネエ、ルル兄さま!", "ナアニ……ミミ", "女王様は何だかお母様のようじゃなかって", "ああ、僕もそう思ったよ", "あたし、何だかおわかれするのが悲しかったわ", "ああ、僕もミミと二人きりで湖の底にいたいような気もちがしたよ" ], [ "ミミや。お前は村に帰ったら、一番に何をしようと思っているの……", "それはもう……何より先にあの鐘の音をききたいと思いますわ。あの鐘は今度こそきっと鳴るに違いないのですから……どんなにかいい音でしょう……" ], [ "ミミや。そうしてあの鐘が鳴ったなら、村の人はきっと私たちを可愛がって、二度と再び湖の底へはゆけないようにしてしまうだろうねえ", "まあ。お兄様はそれじゃ、湖の底へお帰りになりたいと思っていらっしゃるの……" ], [ "ああ。ミミや。わたしはあの鐘の音をきくのが急に怖くなった。村の人に可愛がられて、湖の底へ又行くことが出来なくなるだろうと思うと、悲しくて悲しくてたまらなくなった。私は湖の御殿へ帰りたくて帰りたくてたまらなくなったのだ。私は死ぬまであそこの噴水の番がしていたくなったのだ", "それならお兄様……あの鐘の音はもうお聴きにならなくてもいいのですか……お兄様……ききたいとはお思いにならないのですか", "ああ。そうなんだよ、ミミ……だから、お前は私の代りにも一度一人で村へ帰って、あの鐘を撞いてくれるように村の人に頼んでくれないか。あの鐘はルルの作り損いではありませんと云ってね。それから兄さんのところへお出で……兄さんはその鐘の音を湖の底できいているから……お前の来るのを待っているから……" ] ]
底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年5月22日第1刷発行 ※底本の解題によれば、初出時の署名は、「戸田健・作画」を意味する、「とだけんさくぐわ」です。 入力:柴田卓治 校正:江村秀之 2000年5月17日公開 2006年5月4日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000925", "作品名": "ルルとミミ", "作品名読み": "ルルとミミ", "ソート用読み": "るるとみみ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「九州日報」1926(大正15)年3~4月", "分類番号": "NDC K913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-05-17T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card925.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集1", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年5月22日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "1999(平成11)年3月5日第4刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "江村秀之", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/925_ruby_21795.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-05-04T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "3", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/925_21796.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-05-04T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "2" }
[ [ "ハハハハ。イヤ。顎の外れたのは生命に別条はありませんが案外苦しいものでね。おまけに一度外れると又外れ易いものですから、これから余程気をお付けにならんと、いけませんよ。たとえば大きな欠伸をするとか、クシャミをするとかいう時には御注意をなさらんといけません。特に只今はドンナ原因でお外しになったものか存じませんが、この次に又、今度と同じような事をなさる時には特に御注意が必要ですよ。前に外れた時と同じ動作を顎にさせると、何の苦もなく外れる事が多いのですからナ……もっとも片手で、それとなく顎を押えておいでになれば大丈夫ですがね……ハハハ……ところで如何です……紅茶をもう一ツ……", "……ハ……ハイ……" ], [ "……私は……もう二度と……コンナ眼に会って……顎を外そうとは思いませぬ", "ハハア……成る程……それでは乱暴者にでもお会いになりましたので……", "イヤそのようなノンキな事では御座いません", "……では大きな欠伸でも……", "イヤイヤ。欠伸でもクサメでも何でもありませぬ", "ホホー。それは妙ですナ。今までの私の経験によりますと顎を外した原因というのは大抵欠伸か、クサメか、大笑いか、喧嘩なぞで、その以外にはラグビー、拳闘、自動車、電車の衝突ぐらいに限られているのですが……そんな事でもないのですナ……成る程……してみると余程、特別な原因で顎をおはずしになったのですな……それでは……" ], [ "……ヘエ……それじゃ先生は……今朝からの出来事をまだ御存じないので……", "ハア……無論ドンナ事か存じませんが……第一貴方のお顔もタッタ今始めてお眼にかかったように思うのですが……", "……ヘエ……それじゃ今朝の新聞に載っております私の写真も、まだ御覧になりませぬので……", "ハア……無論見ませぬが……。元来私は新聞というものをこの十年ばかりというもの一度も見た事がないのです。この頃の新聞というものは、社会の腐敗堕落ばかりを報道しておりますので、古来の美風良俗が地を払って行くような感じを毎日受けさせられるのが不愉快ですからね。思い切って読まない事にしてしまったのです。ですから……", "……チョットお待ち下さい" ], [ "……でも……人の噂にでもお聞きになりましたでしょう。近頃大評判の『名無し児裁判』というのを……", "……ところがソンナ評判もまだ聞かないのです。……実を申しますと私は、留学中の伜が帰って来るまで、ホンノ看板つなぎに開業しておりますので、往診というものを一切やりませんからナ。世間の噂なぞが耳に這入る機会は極めて稀なのですが……" ], [ "私は……あのお言葉を聞きました時に……それではもう……私の身の上はもとより……ツイ今さっき私の身の上に起った……前代未聞の怪事件までも御存じなのかと思って、胸に釘を打たれたように思ったのですが……私は、お言葉の通りの大馬鹿野郎の大間抜けだったのですから……", "アハハハハ。イヤ。それはお気の毒でしたね。ハッハッハッ。私は何の気もなく云ったのですが……実を申しますとアレは私が顎をはめる秘伝になっておりますのでネ", "ヘエ……患者をお叱りになるのが、顎をはめる秘伝……" ], [ "ヘエ――……成る程……それならば不思議は御座いませぬが……実は私が顎を外しましたのはツイこの向うの地方裁判所の法廷なので、しかもタッタ今先刻の事でしたから、もう、それがお耳に這入ったのかと思ってビックリしたのですが……", "ヘエーッ" ], [ "そうなんです……私は、私が関係しておりました長い間の訴訟事件が、今すこし前にヤットの事で確定すると同時に顎を外してしまったのです。……否……私ばかりではありません。恐らく世界中のどなたでも、私と同様の運命に立たれましたならば、顎を外さずにはいられないであろうと思われる出来事に出合ったので御座います", "ハハア――ッ" ], [ "ヘエエエッ。それはイヨイヨ奇妙なお話ですナ。法廷といえば教会と同様に、この地上に於ける最も厳粛な、静かな処であるべき筈ですが……そんナ処で顎を外されるような場合があり得ますかナ", "ありますとも……" ], [ "……この私が何よりの証拠です。……もっともこんな事は滅多にあるものではないと思いますが……", "なるほど……それは後学のために是非ともお伺いしたいものですが……治療上の参考になるかも知れませんから……" ], [ "ハイ。私も実はこの事を先生にお話ししたいのです。そうして適当な御判断を仰ぎたいのですが……しかし……私がこの事を先生にお話した事が世間に洩れますと非常に困るのです。ハルスカイン家……彼女の家と、イグノラン家……私の家の間に絡まるお恥かしい秘密の真相が、私の口から他に洩れた事がわかりますと……", "イヤ……それは御心配御無用です。断じて御無用です" ], [ "それではお話し申します。実は私が顎を外した原因というのはアンマリ呆れたからです", "エエッ……呆れて……顎を外したと仰言るのですか", "そうです。私は『呆れて物が言えない』という諺は度々聞いた事がありますが、呆れ過ぎて顎が外れるという事は夢にも知りませんでしたので、ツイうっかり外してしまったのです", "ヘヘ――ッ。それは又どんなお話で……", "ハイ。それはもう今になって考えますと、こうやって、お話しするさえ腹の立つくらい、馬鹿馬鹿しい事件なのですが……しかし先生は今、お忙がしいのじゃありませんか", "イヤイヤ。私が忙がしいのは朝の間だけです。夕方は割合いに閑散ですからチットモ構いません", "さようで……それではまあ、掻い摘まんで概要だけお話しするとこうなんです" ], [ "二人が双生児でなかったらネエ。アナタ", "ウーム。アルマチラと名乗る一人の青年だったらナア" ], [ "何とかしてアルマとマチラの二人の中から娘の婿を選んで下さい。これは神様の思し召しですから……", "あなた方の智恵にお縋りします。娘の行く末をお頼み申します" ], [ "成る程それはステキな名案だ", "どうして今までそこに気付かなかったろう", "故人夫婦も、それに異存はないだろう", "いかにもそれがいい……賛成賛成……" ] ]
底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年8月24日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:kazuishi 2000年10月25日公開 2006年3月11日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "001122", "作品名": "霊感!", "作品名読み": "れいかん!", "ソート用読み": "れいかん", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2000-10-25T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card1122.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集3", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年8月24日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "1997(平成9)年4月15日第2刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "kazuishi", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/1122_ruby_22023.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-03-11T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/1122_22024.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-03-11T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "……ああ……ねむいねむい……", "いくら云うたて新米の署長は駄目じゃよ。第一非常線からして手遅れじゃないか。青年会なぞ出したって何の足しになるものか", "まあそう云うなよ。お蔭で無駄骨折が助かるじゃないか", "指紋もないそうですね", "ウン、今頃は犯人等、千里向うで昼寝してケツカルじゃろ。ハハン。うまくやりおった" ], [ "そんな金口は、どこから拾って来るかね", "コレケ" ], [ "フーム。君たちの仲間で、わざわざ別荘地へ金口を拾いに行く者があるかね", "居ッコタ居ッケンド、そんな奴等、テエゲ荒稼ぎダア。コットラ温柔しいもんだ……ヘヘヘ……" ], [ "フーン。荒稼ぎというと泥棒でもやるのかね", "何だってすらア。本職に雇われて見張りでもすれあ十日ぐれ極楽ダア。トッ捕まってもブタ箱だカンナ", "ウーム。中には本職に出世する者も居るだろうな", "たまにゃ居るさ。去年まで一緒に稼いだタンシューなんざ、品川の女郎引かして、神戸へ飛んだっチ位だ", "……ナニ……何という……神戸へ……" ], [ "フムー。エライ出世をしたもんだな", "ウン。野郎……元ッカラ本職だったかも知んねッテ皆、左様云ってッケンド……いつも仕事をブッタクリやがった癖に挨拶もしねえで消えちまった罰当りだあ。今にキット捕まるにきまってら", "フーン。ヒドイ奴だな、タンシューッて奴は……", "丹六って奴でさ。捕まったら警察で半殺しにされるんでしょう……ネエ旦那……", "……そ……そうとも限らないが、人を殺したら死刑になるだろう", "ブルブル。真平だ。危ねえ思いするより、この方が楽だあネエ旦那ア……", "そうともそうとも。しかし……その男……丹六とかいう男は人を殺したのかね", "……………" ] ]
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年10月22日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:土屋隆 2008年10月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002112", "作品名": "老巡査", "作品名読み": "ろうじゅんさ", "ソート用読み": "ろうしゆんさ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2008-11-27T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2112.html", "人物ID": "000096", "姓": "夢野", "名": "久作", "姓読み": "ゆめの", "名読み": "きゅうさく", "姓読みソート用": "ゆめの", "名読みソート用": "きゆうさく", "姓ローマ字": "Yumeno", "名ローマ字": "Kyusaku", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1889-01-04 00:00:00", "没年月日": "1936-03-11 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "夢野久作全集10", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1992(平成4)年10月22日", "入力に使用した版1": "1992(平成4)年10月22日第1刷", "校正に使用した版1": "1992(平成4)年10月22日第1刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "柴田卓治", "校正者": "土屋隆", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2112_ruby_33339.zip", "テキストファイル最終更新日": "2008-10-24T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2112_33340.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2008-10-24T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "……何じゃったろかい。今の声は……", "ケダモノじゃろか", "鳥じゃろか", "猿と人間と合の子のような……", "……春先に鵙は啼かん筈じゃが……" ], [ "アワアワアワ……エベエベ……エベ……", "何じゃい。アレ唖ヤンの声じゃないかい", "唖ヤンの非人が何か貰いに来とるんじゃろ", "ウン。お玄関の方角じゃ", "ああ、ビックリした。俺はまた生きた猿の皮を剥ぎよるのかと思うた", "……シッ……猿ナンチ事云うなよ" ], [ "……何かい。何が可笑しかい。俺の英語が何が可笑しい。まだまだ知っとるぞ畜生。なあ頓野先生。そうじゃろがなあ。男ぶりチウタならトーキー活動のロイドよりも、まっとまっとええ男じゃしなあ。阪妻でも龍之介でも追付かん。トーキー及ばんチウ言葉は、これから初まったゲナ……ええ。笑うな笑うな。貴様達はトーキー活動ちうものをば見た事があるか。あるめえが。この世間知らずの山猿どもが。キングコングの垂れ粕どもが……", "アハハハ……もうわかったわかった。もう止めてくれ給え伝六君。腹の皮が捩じ切れる。アハハハハ……", "オホホホホホホホホホ", "まあ、そう云わっしゃるな。その盃をばツーッと一つ片付けさっしゃい。なあ若先生。俺あ要らん事は一つも云いよらん。皆に云うて聞かせよるとこじゃ。なあ……若先生は村でタッタ一人のお医者様じゃ。しかしこげな山の中の素寒貧村には過ぎた学士様じゃ。先代の仲伯先生も云うちゃ済まんが、学校は出ちゃ御座らん漢方の先生じゃ。今度の医師会長のお世話で、隣村の頓野先生のお嬢さん……しかも女学校をば一番で卒業さっしゃったサイエンス……ええ……何が可笑しいか。馬鹿ア。ナニイ……サイエン? サイエンが本真チウのか……馬鹿あ。ヘゲタレエ。スの字が附くと附かぬだけの違いじゃないか。ウグイスとウグイ……カマスとカマ……ナニイ大違いじゃあ……大違いじゃとも。サイエンスの方がサイエンよりもヨッポド上等じゃ。問題になるけえ。上等の証拠にコレ程の別嬪さんが日本中に在ると思うか。なあ医師会長さん。サイエンスちうのは別嬪さんの事だっしょう。西洋の小野の小町というてみたような……ヘエヘエ。それみろ。俺の英語は本物じゃ。よう聞いとけ。ロイドちうのは色男の事ぞ。舶来の業平さんの事ぞ。セルロイドと間違えるな。その日本の業平さんと、小野小町とこの村で結婚さっしゃる。新式の病院を開業さっしゃる。お蔭で村の者が一人残らず長生きする。なあ……これ位芽出度い事は無いなあ医師会長さん。死んだ先生も喜んで御座ろう" ], [ "イヤ。これは恐縮でした。……実は玄関に妙な患者が来たという話でな。あんた方は今日は、そげな者を相手にされん方が宜えと思うたけに、私が立って来ましたのじゃが", "ハッ。恐れ入ります。そんな事まで先生を煩わしましては……" ], [ "いや。実はなあ。その患者が精神病者らしいでなあ", "エッ……キチガイ……", "そうじゃ。玄関に坐って動かぬと云うて来たでな。今日だけは私に委せておきなさい。まだ時間はチット早いけれども、ちょうど良え潮時じゃけにモウこのまま、離座敷に引取った方がよかろうと思うが……あんな正覚坊連中でもアンタ方が正座に坐っとると、席が改まって飲めんでな。ハハハ……", "……ハイ……", "私たちもアトから離座敷へチョット行きますけに、お二人で茶でも飲んで待っておんなさい。今一つ式がありますでな", "……ハ……ハイ……" ], [ "アワアワアワアワアワ。エベエベエベエベエベ", "コン畜生。唖女の癖にケチを附けに来おったな。コレ行かんか。殺すぞ" ], [ "ヘエヘエ。これは先生。この唖女はモトこの裏山の跛爺の娘で、あそこの名主どんの空土蔵に住んでおった者で御座いますが……", "フウム。まだ若い娘じゃな爺さん", "ヘエ。幾歳になりますか存じませんが。ヘエ。去年の夏の末頃までこの裏山に住んでおりまして、父親の跛爺の門八は、村役場の走り使いや、避病院の番人など致しておりましたが……", "フーム。村の厄介者じゃったのか", "ヘエ。まあ云うて見ればソレ位の人間で御座いましたが、それが昨年の秋口になりますと大切な娘のこの唖女が、どこかへ姿を隠しましたそうで、門八爺は跛引き引き村の内外を探しまわっておりますうちに、あの土蔵の中で首を縊って死んでおりました事が、程経てわかりましたので大騒動になりましてな", "ウムウム", "それから後、この唖女の姿を見た者は一人も居りませんので……ヘエ……", "ふうむ。誰が逃がいたのかわからんのか", "ヘエ。それがで御座います。御覧の通り唖娘の上に色情狂で、あの裏山の中の土蔵の二階窓から、山行の若い者の姿を見かけますと手招きをしたり、アラレもない身振をして見せたり致しますので、跛の門八爺が外に出る時には、必ず喰物を内に残いて、外から厳重と締りをしておったそうで御座います。それでも門八が帰りがけには、途中で拾うた赤い布片なぞを持って帰ってやりますとこの花子奴が……この娘の名前で御座います……コイツが有頂天も無う喜んでおりましたそうで、その喜びようが、あんまりイジラシサに門八爺が時々、なけなしの銭をハタいて、安物の練白粉や、口紅を買うて帰ってやったとか……やらぬとか……まことに可哀相とも何とも申様の無い哀れな親娘で御座いましたが" ], [ "ふうむ。してみると誰かこの女にイタズラをした村の青年が、その土蔵の戸前を開けてやったものかな", "ヘエ。そうかも知れませぬが、跛の門八が戸締を忘れたんかも知れませぬ。だいぶ耄碌しておりましたで……それで娘に逃げられたのを苦に病んで、行末の楽しみが無いようになりましたで、首を吊ったのではないかと皆申しておりましたが", "うむ。そうかも知れんのう。つまりこの娘を逃がいた奴が、門八爺を殺いたようなもんじゃ", "ヘエ。まあ云うて見ればそげな事で……", "しかし、それから最早、かれこれ一年近うなっとるが、どこに隠れていたものかなあこの女は……", "それがヘエ。やっぱりどこか遠い処を、当てもなしに非人してまわりよりまする中に、誰やらわからん×××を宿して、久し振りに父親の門八爺が恋しうなりましたので、故郷へ帰って来ますと、あの裏山の土蔵は壊けてアトカタも御座いませんので、途方に暮れておりまするところへ、コチラ様の前を通りかかって、御厄介になりに来たのではないかと、こう思いますが……", "ふうん。併し物を遣っても要らんチウし、自分の腹を指さいて何やら云いよるではないか", "ヘエ。もう産み月で痛み出して居るかも知れませんがなあ。ちょうどこの村から姿を隠いた時分から数えますと十月ぐらい。………そうとすれば孕ませた者は、この村の青年かも知れませんが……ヘヘヘ……", "うむ。困った奴じゃのう", "何せい相手が唖女で、おまけの上にキチガイと来ておりますけに、何が何やらわかったものでは御座いません", "しかしここが医者の家チウ事は、わかっとる訳じゃな", "さあ。わかっておりますか知らん。オイオイ花チャン。ここ痛いけん" ], [ "コレコレ……退かんか……", "コラッ……コン外道……" ], [ "アワアワアワ。エベエベエベエベ。ギャアギャアギャアギャアギャ", "アハハハ、わかったわかった。感心感心。ウムウム。エベエベエベじゃ。ベッベッ。臭いなあ貴様は……アハハハ。わかったわかった。つまり近いうちに子供が生まれるけに、この若先生に頼んで生ませてもらいたいチウのか……ウムウム。なかなか良うわかっとる。エベエベ。感心感心", "エベエベエベエベエベ", "ええ。泣くな泣くな。縁起の悪い。ウムウム。わかったわかったそうかそうか。よしよし。俺が頼うでやる頼うでやる。柔順しうしとれ", "エベエベエベエベ", "なあ若先生。魂消なさる事はない。これあ芽出度い事ですばい。たとい精神異状者じゃろが、唖女じゃろが何じゃろが、これあ福の神様ですばい。何も知らじい来た、今日のお祝いの御使姫ですばい。何とかして物置の隅でも何でも結構ですけに、置いてやって下さいませや。本来ならば役場で世話せにゃならぬところですけれど、この村にゃ設備が御座いませんけに、なあ先生。功徳で御座いますけに……きょうのお祝いに来た人間なら何かの因縁と思うて、なあ若先生……これ位、芽出度い事は御座いまっせんばい", "……………", "どうぞもし……どうぞ若先生。先生の病院はこの功徳の評判だけでも大繁昌ですばい。アハハ……なあ花坊。祝い芽出度の若松様よ……トナ……さあ。花ちゃん。この手を離しなさい。柔順しうこの帯を離しなさい。この若先生が診てやると仰言るけに……" ], [ "誠に……恐れ入りますが、モルフィンを少しばかり、お願い出来ますまいか……一プロ……ぐらいで結構ですが……", "オット。モルヒネなら失礼ながら私が作りましょう。長らくこの病院の留守番をさせられて、案内を知っておりまするので……" ] ]
底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年9月24日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:小林繁雄 2000年6月21日公開 2006年3月14日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "雲雀の卵を拾らえに行んべや", "うん", "葦剖も巣う懸けたつぺな", "うん" ] ]
底本:「太陽 三二巻八号」博文館    1926(大正15)年6月発行 ※「野地《やら》」と「野良《やら》」の混在は、底本通りです。 入力:林 幸雄 校正:富田倫生 2012年3月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "046979", "作品名": "筑波ねのほとり", "作品名読み": "つくばねのほとり", "ソート用読み": "つくはねのほとり", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 911 914", "文字遣い種別": "旧字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2012-05-19T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-16T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000370/card46979.html", "人物ID": "000370", "姓": "横瀬", "名": "夜雨", "姓読み": "よこせ", "名読み": "やう", "姓読みソート用": "よこせ", "名読みソート用": "やう", "姓ローマ字": "Yokose", "名ローマ字": "Yau", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1878-01-01 00:00:00", "没年月日": "1934-02-14 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "太陽 三二巻八号", "底本出版社名1": "博文館", "底本初版発行年1": "1936(大正15)年6月", "入力に使用した版1": "1936(大正15)年6月", "校正に使用した版1": " ", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "林幸雄", "校正者": "富田倫生", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000370/files/46979_ruby_47388.zip", "テキストファイル最終更新日": "2012-03-28T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000370/files/46979_47396.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-03-28T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "三つ葉はあって?", "まア、卵がないわ。姉さん、もう卵がなくなってしまったのね。" ], [ "あの子、まだ起きないの?", "もう直ぐ起きますよ。起きたら遊んでやって下さいな。いい子ね、坊ちゃんは。" ], [ "御飯。", "まア、この子ってば!", "御飯よう。", "そこにあなたのがあるじゃありませんか。" ] ]
底本:「日輪・春は馬車に乗って 他八篇」岩波文庫、岩波書店    1981(昭和56)年8月17日第1刷発行    1997(平成9)年5月15日第23刷発行 底本の親本:「御身」金星堂    1924(大正13)年5月20日 初出:「文藝春秋」    1924(大正13)年6月号 ※初出時の表題は「赤い色」です。 入力:大野晋 校正:伊藤祥 1999年7月9日公開 2021年10月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000903", "作品名": "赤い着物", "作品名読み": "あかいきもの", "ソート用読み": "あかいきもの", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「文藝春秋」1924(大正13)年6月号", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "1999-07-09T00:00:00", "最終更新日": "2021-10-09T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/card903.html", "人物ID": "000168", "姓": "横光", "名": "利一", "姓読み": "よこみつ", "名読み": "りいち", "姓読みソート用": "よこみつ", "名読みソート用": "りいち", "姓ローマ字": "Yokomitsu", "名ローマ字": "Riichi", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1898-03-17 00:00:00", "没年月日": "1947-12-30 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "日輪・春は馬車に乗って 他八篇", "底本出版社名1": "岩波文庫、岩波書店", "底本初版発行年1": "1981(昭和56)年8月17日", "入力に使用した版1": "1997(平成9)年5月15日第23刷", "校正に使用した版1": "1989(平成元)年5月25日第11刷", "底本の親本名1": "御身", "底本の親本出版社名1": "金星堂", "底本の親本初版発行年1": "1924(大正13)年5月20日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "大野晋", "校正者": "伊藤祥", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/903_ruby_2167.zip", "テキストファイル最終更新日": "2021-10-09T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "3", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/903_13370.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2021-10-09T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
[ [ "どうした!", "何んだ!", "何処だ!", "衝突か!" ], [ "どこだ!", "何んだ!", "どこだ!" ], [ "H、K間の線路に故障が起りました。", "車掌!", "どうしたツ。", "皆さん、この列車はもうここより進みません。", "金を返せツ。", "H、K間の線路に故障が起りました。", "通過はいつだ?", "皆さん、此の列車はもうここより進みません。" ] ]
底本:「定本横光利一全集 第一巻」河出書房新社    1981(昭和56)年6月30日初版発行 底本の親本:「無禮な街」文藝日本社    1924(大正13)年5月20日発行 初出:「文藝時代 第1巻第1号」    1924(大正13)年10月1日発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、旧字、旧仮名の底本の表記を、新字旧仮名にあらためました。 入力:高寺康仁 校正:松永正敏 2001年12月10日公開 2006年5月19日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002158", "作品名": "頭ならびに腹", "作品名読み": "あたまならびにはら", "ソート用読み": "あたまならひにはら", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「文藝時代 第1巻第1号」1924(大正13)年10月1日発行", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2001-12-10T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/card2158.html", "人物ID": "000168", "姓": "横光", "名": "利一", "姓読み": "よこみつ", "名読み": "りいち", "姓読みソート用": "よこみつ", "名読みソート用": "りいち", "姓ローマ字": "Yokomitsu", "名ローマ字": "Riichi", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1898-03-17 00:00:00", "没年月日": "1947-12-30 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "定本横光利一全集 第一巻", "底本出版社名1": "河出書房新社", "底本初版発行年1": "1981(昭和56)年6月30日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "無禮な街", "底本の親本出版社名1": "文藝日本社", "底本の親本初版発行年1": "1924(大正13)年5月20日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "高寺康仁", "校正者": "松永正敏", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/2158_txt_5591.zip", "テキストファイル最終更新日": "2006-05-19T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/2158_23275.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-05-19T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "うまい。", "うまい。", "うまい。" ] ]
底本:「定本横光利一全集 第二巻」河出書房新社    1981(昭和56)年8月31日初版発行 底本の親本:「文藝時代」    1925(大正14)年4月1日発行、第1巻第1号 初出:「文藝時代」    1925(大正14)年4月1日発行、第1巻第1号 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、旧字、旧仮名の底本の表記を、新字旧仮名にあらためました。 入力:高寺康仁 校正:松永正敏 2001年12月10日公開 2003年6月1日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "003628", "作品名": "一条の詭弁", "作品名読み": "いちじょうのきべん", "ソート用読み": "いちしようのきへん", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「文藝時代」1925(大正14)年4月1日発行、第1巻第1号", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2001-12-10T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/card3628.html", "人物ID": "000168", "姓": "横光", "名": "利一", "姓読み": "よこみつ", "名読み": "りいち", "姓読みソート用": "よこみつ", "名読みソート用": "りいち", "姓ローマ字": "Yokomitsu", "名ローマ字": "Riichi", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1898-03-17 00:00:00", "没年月日": "1947-12-30 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "定本横光利一全集 第二巻", "底本出版社名1": "河出書房新社", "底本初版発行年1": "1981(昭和56)年8月31日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "文藝時代", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "1925(大正14)年4月1日発行、第1巻第1号", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "高寺康仁", "校正者": "松永正敏", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/3628_ruby_5596.zip", "テキストファイル最終更新日": "2003-06-01T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/3628_5595.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2003-06-01T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
[ [ "私もこんな所知らないわ。", "おれはもう、へとへとだ。", "私もよ。私、もう歩くのがいやになつた。", "ぢや、こゝで休まうか。陽が暮たつて、いゝぢやないか。", "さうね、暮たつて別にかまはないわね。", "休まう。" ], [ "ええ、いいわね、ここにしませうか。", "ここにしよう、ここがいい。" ], [ "私、こゝの家を変りたい。ね、家をさがしてよ。私、もうこゝは嫌ひ。", "よしよし、だが、もう少し待て、お前の身体が動けるやうにならなけりや。", "いやよ。私、もうこれ以上ここにゐれば、死んでしまふに定つてゐるわ。", "しかし、動いたなら、なほ死ぬに定つてゐるんだ。だから、", "いやいや、私、他で死ぬのならかまはないわ。ここで死ぬのはいや。" ], [ "そら、今日は百合が咲いた。", "どらどら。" ], [ "おい、今日はばらだ。これは美事だ。", "まアまア、クリーム色ね、白いのはまだかしら。" ] ]
底本:「定本 横光利一全集 第二卷」河出書房新社    1981(昭和56)年8月31日初版発行 底本の親本:「東京日日新聞」    1927(昭和2)年1月17日発行 初出:「東京日日新聞」    1927(昭和2)年1月17日発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、旧字、旧仮名の底本の表記を、新字旧仮名にあらためました。 ※誤植を疑った箇所を、初出の表記にそって、あらためました。 入力:丹生乃まそほ 校正:きりんの手紙 2021年2月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "060007", "作品名": "美しい家", "作品名読み": "うつくしいいえ", "ソート用読み": "うつくしいいえ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「東京日日新聞」1927(昭和2年)年1月17日", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2021-03-17T00:00:00", "最終更新日": "2021-02-26T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/card60007.html", "人物ID": "000168", "姓": "横光", "名": "利一", "姓読み": "よこみつ", "名読み": "りいち", "姓読みソート用": "よこみつ", "名読みソート用": "りいち", "姓ローマ字": "Yokomitsu", "名ローマ字": "Riichi", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1898-03-17 00:00:00", "没年月日": "1947-12-30 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "定本 横光利一全集 第二卷", "底本出版社名1": "河出書房新社", "底本初版発行年1": "1981(昭和56)年8月31日", "入力に使用した版1": "1981(昭和56)年8月31日初版", "校正に使用した版1": "1981(昭和56)年8月31日初版", "底本の親本名1": "東京日日新聞", "底本の親本出版社名1": " ", "底本の親本初版発行年1": "1927(昭和2)年1月17日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "丹生乃まそほ", "校正者": "きりんの手紙", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/60007_ruby_72777.zip", "テキストファイル最終更新日": "2021-02-26T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/60007_72829.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2021-02-26T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "今日は芥川さんの死んだ日だから、こりゃ、飛行機落ちるかもしれないぞ。", "じゃ、やめなさい。", "やめるか。" ], [ "いよいよ来たね。", "うむ。" ], [ "私は今新聞からフィルムを托されましてね。満洲里まで持っていってくれというのですよ。ところが、昨日、日日新聞の人から手紙が来まして、フィルムを持っていってくれと同じことを頼まれたものですから、日日のだとばかり思っていたら、今見ると朝日のだ。何んだか分らないですよ。しかし、まア、どっちだっていいやと思って、持ってるんですが、何を撮ってあるのか見ましょうか。厳重に封がしてあるんですよ。", "日日のフィルムは僕が持ってますよ。" ], [ "あなたは幾日日本にいますか。", "二週間です。", "それなら、帰りのときにお返ししましょう。" ], [ "あなたですか、マラソンのフィルムありますか。", "あります。", "じゃ、それ貰おうじゃないか。" ], [ "あれが国境ですか。", "そうです。まあ、そう云うているだけですがね。実際はどこからどこが国境だかはっきりしたことは分りませんよ。" ] ]
底本:「欧洲紀行」講談社文芸文庫、講談社    2006(平成18)年12月10日第1刷発行 底本の親本:「定本 横山利一全集 第一三巻」河出書房新社    1982(昭和57)年7月 ※「シベリア」と「シベリヤ」、「アラビア」と「アラビヤ」、「イタリア」と「イタリヤ」と「イタリー」、「ロシア」と「ロシヤ」の混在は、底本通りです。 入力:酒井裕二 校正:岡村和彦 2015年11月17日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "056934", "作品名": "欧洲紀行", "作品名読み": "おうしゅうきこう", "ソート用読み": "おうしゆうきこう", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 915", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2015-12-30T00:00:00", "最終更新日": "2015-11-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/card56934.html", "人物ID": "000168", "姓": "横光", "名": "利一", "姓読み": "よこみつ", "名読み": "りいち", "姓読みソート用": "よこみつ", "名読みソート用": "りいち", "姓ローマ字": "Yokomitsu", "名ローマ字": "Riichi", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1898-03-17 00:00:00", "没年月日": "1947-12-30 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "欧洲紀行", "底本出版社名1": "講談社文芸文庫、講談社", "底本初版発行年1": "2006(平成18)年12月10日", "入力に使用した版1": "2006(平成18)年12月10日第1刷", "校正に使用した版1": "2006(平成18)年12月10日第1刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "定本 横山利一全集 第一三巻", "底本出版社名2": "河出書房新社", "底本初版発行年2": "1982(昭和57)年7月", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "酒井裕二", "校正者": "岡村和彦", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/56934_ruby_57562.zip", "テキストファイル最終更新日": "2015-11-17T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/56934_57608.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2015-11-17T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "お前その着物をまだ着るかね。", "まだ着られるでしょう。" ], [ "ほんとうか?", "もうその着物いらんやろ。代りのを作らえてあげるで解こうな。", "ほんとうに出来るのか。" ], [ "たまに来たのに一本ぐらい引いて帰らにゃもったいない。", "もう帰るんだ。" ], [ "もういいんだ。", "降りたら薬屋があるわ。小寺さんなら近いし。痛い?" ], [ "何時の汽車、二時?", "こ奴俺に似とるね。似てないかね。" ], [ "ね、似とるよ、何っていう名だね?", "ゆきっていうの。", "ゆき?", "幸村の幸っていう字。", "さいわいか?", "そやそや。", "あんな字か、俺ちゃんと考えといてやったんだがな。辞引ひっぱったのやろ?", "漢和何とかいうの引いたの。末っちゃんに考えてもらえって私いうたのやけど、義兄さんったらきかはらへんのや。いややなアそんな名?", "こりゃ可愛い子だ。俺に似るとやっぱり美人だな。", "そうかしら、お風呂で芸者はんらがな、こんな可愛らし子どうして出来るのやろいうて取り合いしやはるのえ。", "いい子だよ。苦労するぜ姉さんは。" ], [ "昨日着いたんだけれど、一日姉さんとこの小女と寝転んでいた、あの小女は可愛らしい顔をしてますね。", "それでもお臍が大きいやろ。あんまり大き過ぎるので擦れて血が出やへんかしら思うて、心配してるのやが、どうもなかったか?", "そうか、そんなに大きいのか。" ], [ "そんなことで死んだ子ってありますか?", "あるともな。", "死にゃせぬかなア。" ], [ "どうしたら癒るんだろう、お母さん知りませんか。", "私おりかに二銭丸を綿で包んで臍の上へ載せて置けっていうといたんやが、まだしてたやろな?", "ちっとも見ない。", "そおか。う――んと気張ると、お前の胃みたいにごぼごぼお臍が鳴るのや。お前胃はもうちょっと良うなったかいな?" ], [ "乳でってどうしてだ?", "あのな、昼寝してて殺さはったんや。" ], [ "知ってたのか。", "そんなこと知らんでどうする、末っちゃんは私を子供見たいに思うてるのやな。何んでも知ってるえ私ら。" ] ]
底本:岩波文庫「日輪 春は馬車に乗って 他八篇」岩波書店    1981(昭和56)年8月17日第1刷    1997(平成9)年5月15日第23刷 入力:大野晋 校正:しず 1999年7月9日公開 2000年4月11日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000908", "作品名": "御身", "作品名読み": "おんみ", "ソート用読み": "おんみ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "1999-07-09T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/card908.html", "人物ID": "000168", "姓": "横光", "名": "利一", "姓読み": "よこみつ", "名読み": "りいち", "姓読みソート用": "よこみつ", "名読みソート用": "りいち", "姓ローマ字": "Yokomitsu", "名ローマ字": "Riichi", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1898-03-17 00:00:00", "没年月日": "1947-12-30 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "日輪・春は馬車に乗って 他八篇", "底本出版社名1": "岩波文庫、岩波書店", "底本初版発行年1": "1981(昭和56)年8月17日", "入力に使用した版1": "1997(平成9)年5月15日第23刷", "校正に使用した版1": "1989(平成元)年5月25日第11刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "大野晋", "校正者": "しず", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/908_ruby.zip", "テキストファイル最終更新日": "2000-04-11T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/908.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2000-04-11T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
[ [ "いらつしやらないの。", "ああ。", "私さきへ行つてくるわ。" ], [ "三島さんはまだお歸りにならないでせうね。", "もう歸るだらう。何ぜだ?", "大久保の方を廻るつて仰言つたわね。遲くなるわよ、きつと。" ], [ "手紙が來てゐたらう。", "ええ。", "誰だ。", "お友達から。", "何處へ行つてたんだ?", "あのう、お味噌を買ひに行つたの。", "嘘つけ。", "ぢや、あそこにお味噌があるわ。", "手紙のことだ。貴樣は嘘より云へない奴だ。", "ほんたうよ。お友達からよ。見せませうか。", "お前に友達なんて誰があるんだ。", "それや私にだつて有るわ。", "見せろ。" ], [ "郷里へ歸らうと思つてゐます。", "又いらつしやるんでございませう?", "御主人はお宅ですか?", "いいえ。あの、またいらつしやるんでございませう。", "分らないんです。御主人にはすまないと思つてゐます。", "いえ、さうぢやございませんの。そんなことは何でもないんですの。お郷里の方に何かお變りがあるんですか。" ], [ "もう私、馴れてゐますわ。良人の無精者つたらございませんのよ。", "それぢや二人も揃つたらなほお困りでせう。" ], [ "田舍の方が氣に入つて了ひましてね。當分こちらにゐようと思つてゐるんです。お遊びにいらつしやい。あなたは學校はもう御卒業なさつたんでしたかね。", "私は此の春ですの、かん子さんは去年出なしたんですけれど、もう學校もあきあきしましたわ。" ], [ "ええ、今頃はないでせうね。", "搜せばあるかもしれませんわ。" ], [ "飮んだ。少しだ。", "ぷんぷん匂がする。どこで飮んだの。", "月見酒だ。" ], [ "さうか、間違つた。星見酒だな。", "此の頃はお酒を飮むやうになつたのかいな。", "それや飮めるさ。", "お父さんら、お前らの時はお飮みやなかつた。三十越してからや。", "床を敷いて欲しいな。", "もう敷いてある。", "ああ水が飮みたい。何か食べる物がないかね。", "何んと急がしいことや。戸棚を開けてみな。" ], [ "くず湯飮みたうないかね。お湯がしんしん云うてゐるのやが。", "飮んでもいいね。" ], [ "どこから?", "東京。", "何つて云つて來たの?" ], [ "もうちつとゐたつてよいやらう。お前どこも惡いことないのかね。", "惡さうだらうね。", "痩せて痩せて。あすから牛乳をとらうか。鷄のソツプの方が好いか。", "そんなことしたつてだめだ。頭が駄目なんだから。", "ソツプは好いやらう。", "もういい。お母さん、東京へ出て來ないかね。", "あんな、せつろしい所はまつぴらや。私ら行きたうない。" ], [ "行つてもいい。何ぜ。", "よいお醫者にみて貰ひなさい。", "ああ、ああ、" ] ]
底本:「定本 横光利一全集 第二卷」河出書房新社    1981(昭和56)年8月31日初版発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「俯向いて」と「俯向て」、「氣持ち」と「氣持」、「激しく」と「激く」、「冷たく」と「冷く」、「云う」と「云ふ」、「懷」と「懐」の混在は、底本通りです。 ※底本のテキストは、日本近代文學館所蔵原稿によります。 入力:橘美花 校正:奥野未悠 2021年3月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "059024", "作品名": "悲しみの代価", "作品名読み": "かなしみのだいか", "ソート用読み": "かなしみのたいか", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "旧字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2021-03-17T00:00:00", "最終更新日": "2021-03-01T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/card59024.html", "人物ID": "000168", "姓": "横光", "名": "利一", "姓読み": "よこみつ", "名読み": "りいち", "姓読みソート用": "よこみつ", "名読みソート用": "りいち", "姓ローマ字": "Yokomitsu", "名ローマ字": "Riichi", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1898-03-17 00:00:00", "没年月日": "1947-12-30 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "定本 横光利一全集 第二卷", "底本出版社名1": "河出書房新社", "底本初版発行年1": "1981(昭和56)年8月31日", "入力に使用した版1": "1981(昭和56)年8月31日初版", "校正に使用した版1": "1981(昭和56)年8月31日初刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "橘美花", "校正者": "奥野未悠", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/59024_ruby_72776.zip", "テキストファイル最終更新日": "2021-03-01T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/59024_72828.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2021-03-01T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "おいしいのですか。", "うまいの何んのつて、東京にゐちや金さんらにや食へんわ。" ], [ "雨があがるといゝんですか。", "さうやな、磯へ餌さが集るで来よるわけやな。" ], [ "そんな大きな音さして、三重子が起きますやないの。", "お前はなんぢや。大つきな声出して。" ], [ "運動すると好えのや。", "うむ。一つ酢モロコでもうんと食べてみようかな。", "酢の物食べるとよけい痩せるわ。", "さうかなア、女の人つて痩せた人は嫌ひなものかしら。" ], [ "姉さんは?", "さうやな、私、金さんみたいな人嫌ひや。", "嫌ひか。" ], [ "本当にまだ俺を好きだと云つた人を聞かないんだが、困つたものだね。", "好かれん方が好え。好かれる人いやゝ。", "いやアもう、好かれるのも良いぞ。", "そんなら好かれるやうにするとええやないの。", "ところが成る可くさうしてるんだがなア。" ], [ "来るものか。", "それでも私見たことあるえ。", "来ないもの見る理窟がない。", "嘘、私いつやらな、金さんの所へ女手の手紙が来てゐたで見たら、やつぱりさうやつたわ。", "本当か?", "本当。", "どうした?", "こんなの金さんに見せたら、タメに良うないと思うたで破いといてやつた。" ], [ "誰からだね?", "お前知らんの?" ], [ "知らないとも、誰だね?", "お絹さんやつた。" ], [ "破いといて呉れて好かつたよ。", "何やら何やらで、どうぞ姉さんに見せんといて呉れつて書いてあつたわ。それにその当人の姉さんが見てるのや。" ], [ "阿呆なこと云へ、これでも金さん一人にや良い御馳走になるわい。", "それなら、あんたはん抛つといて私ら行つて来ますえ。", "おう〳〵、行つてこい行つてこい。金さん、帰りを楽しんでるとえゝ、うまい物を拵へといてやるぞ。" ], [ "どうした?", "ミイの眼が潰れた、ガラスで。" ] ]
底本:「定本 横光利一全集 第一卷」河出書房新社    1981(昭和56)年6月30日初版発行 底本の親本:「幸福の散布」新進作家叢書、新潮社    1924(大正13)年8月13日 初出:「街 第一號」    1921(大正10)年6月1日発行 ※初出時の表題は「顏を斬る男」です。 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。 入力:野崎芹香 校正:岡村和彦 2020年2月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[ [ "何んだ、蛾か。", "蛾だ。" ], [ "どうするんだ?", "殺すんだ。" ], [ "Yさん、Yさん。", "はア。" ], [ "いらつしやるの。", "ゐます。", "あのね、", "ええ、", "這入つてもいい?" ], [ "あのね、あなたにぜひ逢ひたいつて云ふ方があるの。", "はア。", "逢つてあげて下さいな。女の方よ。" ], [ "さう、しかし、どうして僕がここにゐるつて云ふことを御存知だつたんです?", "私、あなたがきつとここにいらつしやると思ひましたの。" ], [ "あなたは僕の家内の死んだことをどうして御存知になつたんです?", "私、あなたのお書きになつたものを拜見しましたの。" ], [ "ええ、二十一です。", "あら。", "ぢや、あなたも?", "ええ。", "なるほど。" ], [ "どこに風が吹いてゐるんです。", "あら、こんなに風が吹いてゐるぢやありませんか。" ], [ "まア、どうしたんでせう。こんなに……", "風が?", "ええ。", "不思議だ。" ] ]
底本:「定本 横光利一全集 第二卷」河出書房新社    1981(昭和56)年8月31日初版発行 底本の親本:「春は馬車に乘つて」改造社    1927(昭和2)年1月12日発行 初出:「文藝春秋 第四年第十號」    1926(大正15)年10月1日発行 ※「煙り」と「煙」、「こゝ」と「ここ」の混在は、底本通りです。 入力:姉十文 校正:みとこ 2017年8月25日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "058573", "作品名": "蛾はどこにでもゐる", "作品名読み": "がはどこにでもいる", "ソート用読み": "かはとこにてもいる", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「文藝春秋 第四年第十號」1926(大正15)年10月1日", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "旧字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2017-09-12T00:00:00", "最終更新日": "2017-08-25T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/card58573.html", "人物ID": "000168", "姓": "横光", "名": "利一", "姓読み": "よこみつ", "名読み": "りいち", "姓読みソート用": "よこみつ", "名読みソート用": "りいち", "姓ローマ字": "Yokomitsu", "名ローマ字": "Riichi", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1898-03-17 00:00:00", "没年月日": "1947-12-30 00:00:00", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "定本 横光利一全集 第二巻", "底本出版社名1": "河出書房新社", "底本初版発行年1": "1981(昭和56)年8月31日", "入力に使用した版1": "1981(昭和56)年8月31日初版", "校正に使用した版1": "1981(昭和56)年8月31日初版", "底本の親本名1": "春は馬車に乘つて", "底本の親本出版社名1": "改造社", "底本の親本初版発行年1": "1927(昭和2年)1月12日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "姉十文", "校正者": "mitocho", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/58573_ruby_62517.zip", "テキストファイル最終更新日": "2017-08-25T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/58573_62559.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2017-08-25T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
[ [ "僕は氣に入つてゐるんだ。それにこの家は僕の自由になるんだ。", "いいね。" ], [ "雉子が澤山ゐるんだよ。", "さうだらう。" ], [ "松と云ふものはどこか淋しいものだね。なぜだらう。", "風が渡ると松はとても淋しいよ。", "ひとり長生きをすると云ふ感じを強く受けるからぢやないか。", "樹を見てゐるといつもさうだが……", "しかし、樹になりたいね。" ], [ "ゐないよ。", "ゐてもいいぢやないか。", "それやもう。", "かう云ふ寺へ、人眼を忍んで靜かに誰か來ると云ふのはいいね。", "いい。", "草を分けて。", "君が來てくれたぢやないか。", "いいのかね?" ], [ "死んだ。", "夢を見ないか?", "見ない。", "夢を見てゐるといいよ。", "さうかね。", "鈴子はそれは僕を愛するね。實に驚くほどだ。", "夢の中でか?", "うむ。", "さう云ふことがいつまでも續けば一番いいね。", "うむ。" ], [ "君、あそこに明るい窓が見えるだらう。", "うむ。", "今誰か起き上つて何んか覗いてゐるだらう。", "うむ。", "あそこに僕の知り合ひの子が重病で寢てゐるんだよ。死ぬんぢやないかね。" ], [ "どうした?", "かう云ふ草の中で鈴子を抱いてやつたことがあるんだ。" ] ]
底本:「定本 横光利一全集 第一卷」河出書房新社    1981(昭和56)年6月30日初版発行 底本の親本:「幸福の散布」新進作家叢書、新潮社    1924(大正13)年8月13日 初出:「文壇 第一卷第一號」    1924(大正13)年7月1日発行 入力:岡村和彦 校正:きりんの手紙 2020年11月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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